<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

SS投稿掲示板


[広告]


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[26454] PERSONA4 PORTABLE~If the world~ (もしも番長が女だったら?) ペルソナ4再構成
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2015/04/15 09:13
●前書き

この作品は、アトラス(現Index)から発売されているPERSONA4が、もしもPSP用のP4Pになったら?
という発想の元に書かれています。
番長の性別が女性になった事による差異を楽しんでいただけたらと思います。






2015年04月15日 『飛翔、再び』投稿。
2015年01月25日 『アメノサギリ』投稿。
2014年07月28日 『禍津稲羽市』投稿。
2013年07月23日 『真犯人』投稿。
2013年01月19日 『繋いだ絆の輝き』投稿。
2012年11月06日 『陽介の文化祭』前後編を投稿。以前、にじファンに投稿していたモノの修正版です
2012年10月24日 『誓いと決意』投稿
2012年09月19日 『想いの在処』投稿&『彼女が去った後で』本文追加
2012年08月14日 『彼女が去った後で』投稿
2012年08月09日 『救済する者、される者』投稿&天上楽土タイトルと本文修正
2012年08月06日 『秘めた思い【千枝】』投稿。 にじファンに投稿した千枝視点での秘めた思いです
2012年07月16日 『暗雲』におまけ追加
2012年07月13日 『天上楽士』投稿&にじファン終了にともない、にじファンでの掲載と同じく次回予告を追加
2012年06月16日 『忍び寄る影』投稿
2012年05月25日 『天城屋旅館にて』投稿
2012年04月15日 『文化祭 後編』投稿&感想にて指摘がありましたので、タイトルに一文追加しました
2012年03月20日 『文化祭 前編』投稿
2012年03月10日 『脅迫状』投稿
2012年03月04日 『暗雲』投稿
2012年02月07日 『菜々子の誕生日』投稿
2012年01月10日 『父と子と』投稿
2011年12月15日 『光明』投稿
2011年12月01日 ブラウザの強制終了に際し再起動時に上げ更新になりました
2011年11月30日 『最初の一歩』投稿
2011年10月31日 『秘密結社改造ラボ』投稿
2011年10月10日 『お留守番』投稿
2011年09月19日 『意地と誇り』投稿
2011年08月22日 『修学旅行』投稿
2011年08月14日 『三人目の転校生』投稿
2011年07月31日 『探偵の憂鬱』投稿
2011年07月19日 『ひとまずの解決』投稿
2011年07月13日 『ボイドクエスト』投稿
2011年06月26日 チラ裏より移動しました。



[26454] 【習作】PERSONA4 PORTABLE~If the world~
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2014/06/27 00:21
――――人は見たい現実だけを見て、それが真実だと思い込む。

          そうした方が生きていく上で楽だから……
 
        上辺だけの情報を鵜呑みにして、本質を知ろうともしない。

   そんな中、真実を知ろうとする者達もまた、確かに存在しているのだ……




 それは一本の電話から始まった。
 どこか閑散とした印象を与える室内に響く電話の呼び鈴。
 その音に気付いた小学生くらいの少女が、見ていたテレビから視線を外して立ち上がると、音の発生源である電話へと近づき受話器を取る。

「はい、堂島です……お父さん? ちょっと待って下さい」

「菜々子、俺にか?」

 少女の声から、自身への電話だと気付いたどこか疲れた雰囲気を纏った男性が少女へと声を掛ける。

「……うん。神楽って女の人から」

 男性に声を掛けられた少女、堂島菜々子( どうじま ななこ )が保留状態にした受話器を男性へと手渡す。

「はい、もしもし」

遼太郎( りょうたろう )? 久しぶり、突然ですまないね』

「……姉さん、突然どうしたんですか?」

 どうやら、電話の相手は男性の姉のようである。
 少女は父である遼太郎へと受話器を渡すと、テレビのリモコンを操作して邪魔にならないようにボリュームを下げる。

『実はアンタに折り入って頼みがあってね……』

「また、突拍子のない頼み事じゃ無いでしょうね?」

 昔から、姉の頼み事に苦労させられていた遼太郎は警戒心を込めて訊ねる。

『あぁ……突拍子もないと言えばそうかもね。ウチの鏡の事なんだけどさ』

「何か問題にでも巻き込まれたんですか?」

『あぁ、違う違う。アンタ、刑事だからってすぐにそっち方面に考える癖、直した方が良いよ?』

 遼太郎の言葉に、苦笑気味な声で女性が諭す。
 その言葉に、尊敬する先輩刑事からも同じ事を言われた事がある遼太郎は、苦い表情になる。

「それじゃ、どうしたんですか?」

『実は旦那と私、急に海外へ転勤になってね……1年ほどウチの鏡を預かって欲しいのよ』

「ッ!? 姉さん、それは流石に急すぎるでしょう」

『解ってるわよ。本当は鏡も連れて行きたかったんだけどね、場所が場所だけに、ね……』

「どこなんです?」

 女性が示した行き先を聞き、遼太郎の表情が曇る。
 その場所は、昨年末から諸外国との軋轢により緊張状態が続いており、また日本に対して良い感情を持っていない事でも有名な場所でもある。

「……確かに、そんな場所に連れて行くのは問題だが、姉さん達が出張る必要があるんですか?」

『それを刑事であるアンタが言う? 私達が問題解決に適任だと認められたから行くんだよ』

 遼太郎の言葉に女性が力強く答える。
 確かに、これまでも様々な問題を解決するために各地を忙しく飛び回っていたのを知っているが、今回は1年は掛かると予測しているのだ。
 心配をしない方がどうかしている。

『それに、千里の事でアンタ、菜々子ちゃんに寂しい思いをさせてないかい?』

 その言葉に遼太郎は言葉に詰まる。
 確かに刑事という職業柄、家を空けることが多く、まだ幼い一人娘である菜々子に寂しい思いをさせているのは事実だ。

『そりゃ、鏡は受験で、私達は仕事の都合で千里の葬式に出られなかったけどさ、食事とか弁当とかで済ませてないかい?』

 女性の指摘に遼太郎は反論が出来なくなる。
 確かにその指摘の通り、食べ物はインスタントや出来合いの弁当で済ませているため、偏った食生活を送っているのは事実だ。
 そんな遼太郎の考えを読んでいるかのように、女性が言葉巧みに遼太郎の逃げ道を塞いでいく。

「……解りました。それで、いつからこっちに来る事になるんです?」

『転入の手続きもあるから、4月の11日頃になると思う』

「約、一月後ですか……それまでに部屋の用意をしておけば良いんですね?」

『そうしてもらえると助かるよ。荷物もそれ程は無いから、宅配便で前もって届けさせるよ』

「解りました。それと姉さん、向こうじゃ何が起こるか解らないですから、くれくれも安全には気をつけてくださいよ?」

『解っているよ。それじゃすまないけど、よろしく頼むよ』

 そう言って電話を終えた遼太郎へと、菜々子が視線を向けている。

「……誰か来るの?」

「あぁ、来月に親戚の子を預かることになった。お父さんのお姉さんの子だ」

「どんな人?」

「そう言えば、赤ん坊の頃に会ったきりだな……」

 菜々子の質問に遼太郎は困った表情になる。

「知らないの?」

「あぁ、スマン。姉さんに写真でも送ってもらうか……これじゃ、迎えに行っても誰か解らないしな」

 突然の事だったので、遼太郎もその事をすっかり失念してしまっていたようだ。
 とはいえ、あの姉の事だから既に写真を郵送している可能性も否定できないのだが。
 この電話が切っ掛けで堂島家が賑やかになる事を、この時の遼太郎は思ってもいなかったのだ。




――あの電話から一ヶ月後

 菜々子はこの日が来るのを待ち侘びていた。
 あの後で届いた手紙に同封されていた写真に写っていた親戚の姿は、ちょっと恐い感じがしたが悪い人には見えなかった。
 会ったらどんな事を話そうか? 
 自分と仲良くしてくれるだろうか?
 そんな期待と不安に胸を膨らませ、菜々子はこの一ヶ月を過ごしてきた。

『演歌界の若きプリンセス“柊みすず”さん。その柊さんと昨年、入籍したばかりの稲羽市市議会議員秘書の“生田目太郎”氏に……』

 テレビのニュースを見ていた堂島親子は、そろそろ待ち合わせの時間が近付いてきたのに気が付く。

「……あっ、そろそろ出る?」

「あぁ、そうだな」

 菜々子の言葉に答える遼太郎はテレビのリモコンを操作してテレビの電源を切る。

「菜々子、ちゃんとシートベルトをしたか?」

「うん、大丈夫だよ」

 家の戸締まりを確認し車に乗り込むと、助手席に座る菜々子に確認を取る。
 菜々子からの返事聞いた遼太郎は車のエンジンを掛けると、ゆっくりと車を発車させる。
 稲羽市は田舎のために車道を走る車の数が少ないが、遼太郎は制限速度を守り八十稲羽駅へと向かう。
 遼太郎が駐車場へと車を止めるている間に、駅へと電車が到着したようだ。
 エンジンを切り、車から降りて菜々子を伴い遼太郎は駅の入り口へと向かう。

「おーい、こっちだ」

 丁度、駅から出てきた人物が待ち合わせの相手だろう。
 写真で見たとおりの容姿をしている。
 呼び声に気付いた人物は、遼太郎の姿を確認すると荷物を背負い直して近付いてくる。
 目の前に来た人物に遼太郎は手を差し伸べ、それに気付いた相手も手を差し出して握手を交わす。

「おう、写真より美人だな。ようこそ、稲羽市へ。お前を預かる事になっている、堂島遼太郎だ」

 手を離し、遼太郎が自己紹介をする。

「ええと、お前のお袋さんの、弟だ。一応、挨拶しておかなきゃな」

神楽鏡( かぐら あきら )です、初めまして」

「はは、オムツ替えた事もあるんだがな……っと、女の子の前で言う事じゃないか」

 自身の失言に気付いた遼太郎は鏡に詫びる。
 鏡は別に気にした風でなく、遼太郎の後ろに隠れるように立っている菜々子に気付くと、そちらへと視線を向ける。
 その視線に気付いた菜々子が、おずおずと遼太郎の後ろから出てくる。

「こっちは娘の菜々子だ。ほれ、挨拶しろ」

「……にちは」

 遼太郎に言われ、恥ずかしそうに菜々子が鏡に挨拶をする。

「よろしくね、菜々子ちゃん」

 鏡はしゃがんで菜々子に視線を合わせると、そう言って菜々子へと手を差し出す。
 菜々子は恥ずかしそうにするが、おずおずと手を差し出して鏡の手を握る。

(綺麗な人だなぁ……)

 切れ長の瞳は蒼く澄んでいて、腰まで伸ばした髪は一括りに結ばれている。
 何より目を引くのは、今まで見た事がないアッシュブロンドの綺麗な髪が、特に強く菜々子の印象に残った。
 菜々子のその視線に気付いた鏡は、自身の髪を指さして『気になる?』と、菜々子に優しく問い掛ける。

「えっ? ……えっと、その」

「私のお父さんは外国の人でね、この髪はお父さん譲り」

 鏡の質問に戸惑う菜々子に軟らかく微笑んでそう、自身の髪の色について説明する。

「ま、立ち話も何だしな。そろそろ行くか?」

 遼太郎の言葉に鏡は立ち上がると、菜々子へと手を差し伸べる。

「菜々子ちゃん、手を繋ごうか?」

「うん!」

 鏡の言葉に菜々子が嬉しそうに差し出された手を握る。
 その様子に遼太郎は表情を綻ばせると、先に車へと向かう。
 鏡の荷物をトランクへと入れると、鏡は後部座席へと乗り込む。
 普段なら、菜々子は助手席に乗るのだが鏡と一緒にいたいのか、菜々子も後部座席へと共に乗り込んだ。
 菜々子の機嫌が良いので遼太郎は特に何も言うことはせず、二人が乗り込んだのを確認してから自身も車に乗り込む。

「二人とも、シートベルトはつけたか?」

 遼太郎の確認に二人が返事を返すの待って、遼太郎は車のエンジンを掛ける。
 ゆっくりと走り出した車は、行きと同じく制限速度を守り走っていく。

「ん? そろそろガソリンを入れないと拙いか……すまん、ガソリンを入れにちょっと寄り道するぞ」

 そう断ってから、遼太郎は途中で車道変更してガソリンスタンドへと向かう。
 稲羽市にある唯一のガソリンスタンド"MOEL石油"
 遼太郎が敷地内に車を乗り入れ停車すると、店員と思わしき制服を着た女性が出迎える。

「いらっしゃーせー」

 遼太郎は後部座席へと視線を向けると菜々子に話しかける。

「トイレ、一人で行けるか?」

「うん」

 遼太郎の言葉に頷いた菜々子はシートベルトを外すと、車から降りる。

「奧を左だよ……左ってわかる? お箸持たない方ね」

「わかるってば……」

 どこかからかうような口調で菜々子に話しかける店員に、菜々子は僅かに気分を害して答えてからトイレへと向かう。

「どこか、お出かけで?」

 そう遼太郎へ質問する店員の視線は最後に車を降りた鏡へと向けられている。

「いや、こいつを迎えに来ただけだ。都会から、今日越してきてな」

「へえ、都会からですか……」

「ついでに、満タン頼む。あ、レギュラーでな」

「ハイ、ありがとうございまーす」

 一瞬、探るような視線を向けてきた店員だったが、遼太郎の言葉に表情を笑みへと変え、明るく返事を返す。

「一服してくるか……」

 そう呟いて遼太郎は喫煙所へと移動する。
 遼太郎が遠ざかるのを確認してから、店員は鏡へと近付いてきた。

「きみ、高校生? 都会から来ると、何もないのに驚いたでしょ?」

 にこやかに話しかけてきているのだが、どこか奇妙な違和感を覚える。

「実際、退屈するかもね。高校の頃だと、友達のとこに行くか、バイトくらいだしさ」

 訝しげな視線を向ける鏡を気にする事なく、店員は肩をすくめて戯けてみせる。

「でさ、ウチ今、バイト募集してるんだ。女の子でも大丈夫だから、是非考えといてよ」

 そう言って手を差し出す店員に釣られて、鏡も手の差し出し握手を交わす。

「……!?」

 握手を交わした瞬間、鏡の背筋をぞわりとした感触が走る。
 表情を変える鏡に気付かず、店員はそのまま仕事へと戻っていく。
 ほんの一瞬の事だったが、先ほどの悪寒にも似た感触に疑問を感じていた鏡を、トイレから戻ってきた菜々子が見つめていた。

「……だいじょうぶ? 車よい? ぐあい、わるいみたい」

「長旅で疲れたのかな? 少し目眩もするし……」

 菜々子の言葉に鏡は、自身でも感じていなかった疲れが出たのかと思う。

「わたし、あの人ヤダ……」

「そう? 悪い人には見えないけど」

 自身の手を握ってきてそう呟く菜々子に鏡は答える。

「……あの人、なんだかオバケみたい」

 繋がる手から伝わる菜々子の震えに、鏡が安心させるように優しく頭を撫でる。
 菜々子は一瞬、驚いた表情を見せるが、すぐに笑顔になり震えも収まったようだ。
 それに会わせて、先ほど感じた悪寒に似た感じも和らいだようで先ほどよりか楽になっていた。

「どうも、ありがとうございまーす」

 給油が終わり、店員に見送られて車はガソリンスタンドを後にする。
 移動途中に寄った惣菜屋で夕食を購入してそのまま堂島宅へ。

「遠慮せずに上がってくれ」

「お世話になります」

 玄関を開け、先に入った遼太郎が鏡へと振り返り声を掛ける。
 その言葉に鏡が答えて中にはいると、先に中へと入っていた菜々子が、裏庭で干してある洗濯物を取り込んでいる最中だった。

「先に荷物を置いてきたらいい、階段を上がってすぐ左手の部屋だ」

 遼太郎に促され、鏡は荷物を部屋へと運び込む。
 階段を上がり、言われた通りに左手の部屋への引き戸を開けると、先に送っていた見慣れた家具が目に入る。
 鏡は鞄を部屋に多くと、階段を下りて居間へと移動する。

「おう、晩飯にしよう。手、洗ってこい」

「洗面所、こっちだよ」

 遼太郎が下りてきた鏡に声を掛け、菜々子が鏡の手を引いて洗面所へと案内する。




「じゃ、歓迎の一杯といくか」

 そう言って、遼太郎が一緒に買ってきた缶ジュースを掲げる。
 鏡と菜々子もそれに合わせるように缶ジュースを掲げてから一口飲む。

「しっかし、兄さんも姉貴も相変わらず仕事一筋だな……海外勤めだったか?」

 缶ジュースをちゃぶ台に置いた遼太郎が鏡に話しかける。

「1年限りとは言え親に振り回されて、こんなとこ来ちまって……子供も大変だ」

「いつもの事ですし、流石に海外にまで着いていけませんから」

 遼太郎の言葉に、鏡は苦笑混じりに答える。

「ま、ウチは俺と菜々子の二人だし、お前みたいのが居てくれると、俺も助かる」

 含みのある遼太郎の言葉に鏡が違和感を覚え、ふと視線を菜々子へと向ける。
 菜々子は二人の会話を大人しく聞いているようだが、その表情に僅かな翳りが見える。

「これからしばらくは家族同士だ。自分んちと思って気楽にやってくれ。」

「よろしくお願いします」

 鏡の疑問に気付かず遼太郎が言葉を続け、鏡もその事には触れずに返事を返す。

「さて……じゃ、メシにするか」

 堅苦しいのはこれで終わりだと、遼太郎がそういって弁当に箸を付けようとした所で携帯電話の呼び鈴が鳴る。

「たく……誰だ、こんな時に」

 苦い表情を浮かべた遼太郎が携帯電話を取りだして通話状態にする。

「……堂島だ」

 電話に出た遼太郎は表情を変えると立ち上がり、二人から離れた場所で電話を続ける。
 何やら問題が起きたらしく、重苦しい雰囲気を纏っている。

「酒飲まなくてアタリかよ……」

 通話を終えた遼太郎がそう呟き、鏡達へと視線を向ける。

「仕事でちょっと出てくる。急で悪いが、飯は二人で食ってくれ」

 その言葉に立ち上がる菜々子へと遼太郎は視線を向ける。

「帰りは……ちょっと分からん。菜々子、後は頼むぞ」

「……うん」

 遼太郎の言葉に気落ちした様子で答える菜々子。
 事情が解らない鏡は、そんな二人を見比べる。
 
「菜々子、外、雨だ。洗濯物どうした!?」

「いれたー!」

「……そうか、じゃ、行ってくる」

 そんなやり取りの後、少しして遼太郎が運転する車が出ていく音がする。
 菜々子は座り直すとリモコンを操作してテレビの電源を入れる。 
 テレビは天気予報だったらしく、明日一日は雨らしい。

「……いただきまーす」

 テレビから視線を外した菜々子はそう言って箸を付ける。

「菜々子ちゃん、お父さんの仕事って?」

 寂しそうな菜々子の様子に、鏡は気になったことを聞いてみる。

「しごと……ジケンのソウサとか。お父さん、けいじだから」

 菜々子の答えに、鏡は僅かに驚いた表情を見せる。
 仕事が多忙な両親を持つ鏡自身も幼い頃に感じた思い。
 遼太郎と二人きりの菜々子は、鏡よりも寂しい思いをしているのだろう。
 鏡がそんな事を考えていると、テレビでは稲羽市議秘書の不倫問題が取り上げられている。

「……ニュースつまんないね」

 そう言って菜々子がチャンネルを変えると、大手チェーン店“ジュネス”のCMが流れていた。

「エヴリディ・ヤングライフ! ジュネス!」

 ジュネスのCMを見た途端、菜々子が楽しそうにサビの部分を物真似する。
 先ほどの様子が嘘かと思えるほど楽しそうだ。
 そんな事を考えていた鏡に、菜々子が不思議そうな視線を向ける。

「……たべないの?」

「食べるよ。菜々子ちゃん、ジュネスが好きなの?」

「うん! ジュネス、大好き!」

 鏡の質問に嬉しそうに答える菜々子は、先ほどとは打って変わってジュネスの楽しいことを鏡に話し始める。
 楽しそうに語る菜々子に鏡は時折、質問を混ぜたりして主に菜々子の話を聞く側に回っている。
 菜々子も普段、食卓で話すことが少ないのだろう。鏡に話すことが楽しくて仕方がない様子だ。

「ごちそうさまでした」

 食事を終え、遼太郎の分をラップにして冷蔵庫にしまった菜々子は、食べた後のゴミの片付けを始める。

「菜々子ちゃんは偉いね」

「えっ、どうして?」

 鏡の言葉にキョトンとした表情で菜々子が答える。
 その様子に微笑ましさを感じた鏡は、菜々子がそうやって片付けなどの家事を行っている事を褒める。
 普段、そう言った事を言われ慣れていないのか、菜々子は顔を赤くして照れている。
 そんな他愛ないやり取りをしつつ二人でテレビを見ていると、いつの間にか時計の針は21時に差し掛かっていた。

「あ、こんな時間。菜々子ちゃん、一緒にお風呂に入る?」

「……いいの?」

 鏡の言葉に、菜々子が戸惑った様子で答える。

「菜々子ちゃんが嫌じゃなかったらね」

「はいるっ!」

 菜々子は鏡に即答すると、嬉しそうに入浴の準備を始める。
 その様子に鏡は、菜々子が普段からコミュニケーションに餓えているのではないかと考える。
 自身も幼い頃は一人で居ることが多かったが、両親のどちらかが鏡に寂しい思いをさせないように配慮をしていた。
 刑事である遼太郎と二人だけの菜々子は、自身よりも寂しい思いをしているのだろう。
 どことなく遠慮がちな菜々子の態度に、鏡は胸を痛める。

「おふろ、準備が出来たよ」

 少しして、準備が出来た事を確認してきた菜々子が鏡に伝える。

「それじゃ、着替えを取ってくるから、菜々子ちゃんも着替えを用意してね」

「うんっ!」

 二人はそれぞれ着替えを取りに行く。
 鏡は着替えと歯磨き用具を荷物から取り出すと、階段を下りて浴室へと向かう。
 脱衣所には先に菜々子が来ていて、鏡が来るのを待っていたようだ。

「お待たせ」

「ううん。あ、これ、バスタオル」

 鏡に答えた菜々子が、鏡の分のバスタオルを手渡す。
 菜々子の気配りに鏡は「ありがとう」と答えてバスタオルを受け取る。
 着替えを棚に並べて置き、二人は衣類を脱ぐと、洗濯カゴへと脱いだ衣類を入れ浴室へと入る。
 菜々子は初め鏡に対して照れていたが、鏡が変わらない態度で接していたため、次第に硬さが取れていく。
 身体の芯まで温まった二人はお風呂から上がると、水分を補給して二人仲良く歯を磨く。

「菜々子ちゃん、今日は私と一緒に眠る?」

 就寝前になって、鏡は自室へと戻ろうとする菜々子へと声を掛ける。

「いいの?」

「出来れば菜々子ちゃんとまだ、お話がしたいからね」

「うんっ!」

 鏡からの申し出に、菜々子が嬉しそうに頷くと自室から枕を持ってくる。
 二人は鏡の自室へと移動すると、布団を敷き中へと入る。
 鏡は菜々子から学校での事、友達や先生達の事などを聞き、自身も菜々子にせがまれるまま自身の事を話していく。

「…………お母……さ、ん……」

 話疲れた菜々子はいつしか眠りに落ちていた。

(やっぱり、寂しい思いをしているんだろうな……)

 鏡に寄り添って寝間着を掴む菜々子の寝言に、菜々子の寂しさを思う。
 1年という限られた期間だが、鏡は菜々子と接する時間を多く持とうと決意する。
 長旅の疲れが出てきたのか、考え事をしている内に眠たくなってくる。
 鏡は、菜々子の暖かい体温を感じながら、そのまま睡魔に身を任せて眠りにつくのであった。




後書き
筆者が執筆している、別作品の続きを書いている最中に思いついて書きました。
P4がPSPに移植されたら、こんな風になるのかな?
といった思いつきでこの作品は出来ています。


2011年03月10日 初投稿
2014年06月27日 誤字修正



[26454] 転校生
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2014/07/22 03:57
――――それぞれの思いをよそに、歯車は回り始める

          紡がれる糸はまだ形を見せず

         しかし、異変はひっそりと忍び寄ってくる

     望むと望まざるとに関わらず、周りを巻き込んで……




 時間は少し遡る。
 雨脚が強くなる中、遼太郎が運転する車が向かった先は地元でも有名な天城屋旅館( あまぎやりょかん )という老舗の温泉宿だ。
 駐車場に車を駐め、遼太郎は傘をさして天城屋旅館へと移動する。

「あ、堂島さん。お疲れ様です!」

 遼太郎に気付いた青年が声を掛けてくる。おそらく同僚の刑事なのだろう。
 しかし、寝癖の付いた髪に曲がったネクタイが彼を警察官らしく見せていない。
 どちらかというと、冴えないサラリーマンと言った風だ。

「遅くなった。足立( あだち )、状況はどうなっている?」

「それが、付近を隈無く捜査しているのですが、この雨で思ったほどの成果が出ていなくて……」

 遼太郎から足立と呼ばれた青年がそう答える。

「そうか。それで、最後に目撃した人物から話は聞いているのか?」

「いえ、それはまだ。と言うか、居なくなった山野真由美( やまの まゆみ )と揉めたらしく、今は寝込んでいるそうです」

 遼太郎の問い掛けに、気まずそうに足立が答える。
 何でも酷く罵倒された事が原因で倒れたらしく、今は話が聞ける状態では無いらしい。

「そうか……それじゃ、署に通報してきた人物は?」

「あ、はい。その人物でしたら、あちらに」

 そう言って、足立がラウンジの一角を指さすと、そこには緊張で固くなっている和服姿の女性が居た。
 遼太郎は足立を伴うと、女性の元へと移動する。

「稲羽警察署の堂島です。署へ通報したのはあなたで間違いありませんね?」

 遼太郎は警察手帳を取り出し、女性に身分を明かして質問する。

「あ、はい。仲居をしている葛西( かさい )です」

 葛西と名乗った女性は遼太郎へと説明を行う。
 倒れた女将に代わり、夕食の準備が出来た事を伝えに客室に向かったところ返事が無く、不審に思い確認したところ姿が消えていたそうだ。
 外出の連絡もなく、荷物もそのまま置かれた状態で従業員が旅館内を探してみても見つける事が出来ず、稲羽署に通報したとの事。

「倒れた女将と揉めてたそうですが、何か心当たりは?」

「……女将さんに落ち度は特になかったと思います。ただ、最近のニュースのせいか、ちょっとした事でも癇癪を起こしていたので……」

 葛西は良い辛そうに遼太郎に話す。

「山野さんの宿泊していた部屋を見せて貰っても良いですか?」

「こちらになります」

 遼太郎の言葉に、葛西が山野真由美の宿泊していた部屋へと遼太郎と足立を案内する。
 案内された部屋は一人で泊まるには広すぎる部屋で、荷物が荒らされた様子もなく手がかりらしいものは見あたらない。
 その事がかえって不自然さを際だたせている。

「足立、念のため稲羽から出る国道と駅の方にも人を回せ。万が一の可能性もあり得る」

「解りました!」

 遼太郎の指示に、足立が慌てて部屋を出て行く。
 改めて室内を見渡した遼太郎は僅かだが違和感を覚えていた。

(荷物の状況からして、本人が出て行ったとは考えにくい。誘拐にしても、こんな田舎町だと目立ってしまう……)

 引っかかりを感じるも、これ以上は何も手がかりが得られそうもない。
 遼太郎も雨の中、山野真由美の捜索に加わるが雨の中という事もあって捜索は進まない。
 夜も遅くなり、二次遭難の可能性も出たため、捜索は翌日へと持ち越される事となった……




 鏡は奇妙な夢を見ていた。
 辺り一面が霧で覆われ、伸ばした手の先がハッキリと見えない。
 足下は赤い煉瓦のような物で出来た道で、どこかへと続いているようだ。
 その場に居ても仕方がないので、鏡は足下に気をつけながら先へと進んでみる。

『真実が知りたいって……?』

 足場の悪い道を移動する中、どこからともなく声が聞こえる。
 声の主が気にはなるが、鏡はそのまま道を進み続ける。

『それなら……捕まえてごらんよ……』

 どうやら、道の先から声が聞こえてきているようだ。
 そのまま進み続けると、目の前に四角い扉らしき物が現れる。
 鏡がそれに触れようと手を伸ばすと、中央から捻れるように開いていき、先へと進めるようになる。

『追いかけてくるのか……君か……ふふふ……やってごらんよ……』

 濃い霧の向こうに誰かが居る。
 しかし、その姿は確認できず発する声も中性的で性別の判断が付かない。
 鏡の手にはいつの間にか、一降りの刀が握られている。
 違和感を覚えるも、鏡の身体は自然と刀を振りかぶり、目の前の人物へと斬りかかる。

『へぇ……この霧の中なのに、少しは見えるみたいだね……』

 聞こえる声に反応するのか、鏡の身体は鏡の意志とは関係なく攻撃を続けている。

『なるほど……確かに、面白い素養だ……』

 目の前から聞こえる声は、鏡の様子に興味を覚えたのか、感心した様子で話し続ける。

『でも、簡単には捕まえられないよ……求めているものが“真実”なら、尚更ね……』

 その言葉が聞こえた直後、更に霧は濃くなり視界が悪くなる。
 それでも鏡の身体は刀を振りかぶり、目の前の人物に斬りかかる。

『誰だって、見たいものだけど、見たいように見る……』

 先ほどまで当たっていた攻撃は当たることなく、剣線が空を斬る。
 すると、鏡は刀を左手に持つと、右手を天へと掲げて何かを掴み取り自身へと引き寄せる。

――天から降り注ぐ落雷

 目の前の人物には当たらなかったようだが、目の前の人物は感嘆の声を上げた。

『いつか、また会えるのかな……こことは別の場所で……フフ、楽しみにしてるよ……』

 その声を最後に霧は更に深まり、鏡の意識も遠くなっていく……

「……うん」

 目が覚めると、目の前に穏やかな寝顔で眠っている菜々子の姿があった。

(……夢? 奇妙な夢だったな)

「……ん」

 鏡が起きた事により、菜々子も目を覚ましたようだ。

「菜々子ちゃん、おはよう」

「う、ん……おはよう、お姉ちゃん」

 寝ぼけ眼で鏡に挨拶する菜々子は、嬉しそうな照れ笑いを浮かべている。

「そろそろ起きて、朝ご飯を作ろうか」

「うん、菜々子も着替えてくるね」

 鏡の言葉に、菜々子は布団から抜け出すと自室へと着替えに戻る。
 部屋から出て行く菜々子を見届けた鏡も、寝間着を脱いで制服へと着替える。
 転校初日から遅刻をする訳には行かないので、鏡は手早く着替えを済まし、布団をたたむ。
 癖の付きにくい髪質なので、軽くブラッシングをするだけで綺麗にまとまる。
 身支度を調えた鏡は鞄を持ち、部屋から出ると居間へと移動する。

「あ、お姉ちゃん。ちょっと待ってね、朝ご飯、今用意するから」

 居間へと降りてきた鏡に菜々子が話しかけてくる。
 鏡は鞄を置くと、菜々子を手伝うために台所へと向かう。
 菜々子は冷蔵庫から卵とバターを取り出している。

「菜々子ちゃん、チーズとかはあるかな?」

「うん、あるよ。食べる?」

「じゃ、それを使ってチーズオムレツを作ってあげるね」

「オムレツ、作れるの!?」

 鏡の言葉に菜々子が驚きながら訊ねてくる。

「凝ったのでは無いけれどね。菜々子ちゃんはパンを焼いてくれる? その間に作っちゃうから」

「うん!」

 菜々子は嬉しそうに返事をすると、トースター器にパンを入れてタイマーをセットする。
 その間に鏡は冷蔵庫からもう一つ卵を取り出し、ボウルに割り入れる。
 菜箸で卵を溶き、ほどよく混ざり合ったところでフライパンにバターを溶かし入れ、全体に馴染んだところで卵を入れる。

「わぁ……!」

 その様子を見ていた菜々子は感嘆の声を上げる。
 菜々子の見ている前で鏡は、半熟状態になった卵にチーズを入れてフライパンを返して卵でチーズをくるんでいく。
 綺麗にくるまったところでひっくり返し、両面を綺麗に焼き上げる。
 焼き上がったオムレツを皿へと移し、同じ手順でもう一つを焼き上げる。

「はい、出来上がり。チーズが溶けて熱いから、火傷には気をつけてね」

「お姉ちゃん、すごーい!」

 出来上がったチーズオムレツを前に、菜々子が嬉しそうにはしゃぐ。
 チーズオムレツが出来上がる頃にはトーストも焼けていて、二人はテーブルに座ると「いただきます」と言って朝食を摂る。

「チーズオムレツ、美味しいね!」

 バターとチーズの塩味が利いたオムレツは、そのまま何もかけずに食べても美味しいものだった。
 菜々子は火傷に気をつけながら、美味しそうにオムレツを食べている。
 そんな様子に鏡は微笑ましさを感じつつ、自身も朝食を摂る。
 朝食を摂り終え食器を流しに付けて、鏡と菜々子は学校へと出かけることにする。
 戸締まりを済まし、二人仲良く登校する。
 雨のため手を繋ぐことは出来ないが、それでもどことなく菜々子は楽しそうだ。

「あと、この道、まっすぐだから」

 鮫川河川敷沿いの道を指さして、菜々子が鏡に学校への道を示す。
 見ると、数人の通学生が歩いているのでついて行けば大丈夫だろう。

「菜々子ちゃん、ありがとう」

「わたし、こっち。じゃあね、お姉ちゃん」

「うん、菜々子ちゃんも気をつけてね」

 菜々子は鏡に軽く手を振って、元来た道の交差点まで戻る。
 それを見届けてから、鏡は八十神高校へと向かう。
 学校前交差点に差し掛かった所で、背後から金属の軋む音が近づいてくる。
 鏡が視線をそちらに向けると、片手で自転車を漕いで来る男子生徒がふらふらと蛇行しながら近寄ってくる。
 ぶつからないように鏡が半歩脇にそれ、自転車が通り過ぎるのを待つ。

「よっ……とっ……とっとぉ……」

 自転車漕いでいる男子生徒は、崩れそうになる体勢を整えようとハンドルに視線を向けている。
 前方をちゃんと見ていなかったのだろう、そのままふらふらと道をそれ、自転車は電柱へと激突する。

「う……おごごごごご……」

 男子生徒は股間を押さえて悶絶している。
 鏡は一瞬、声をかけようかとも思ったのだが、見知らぬ相手だし不憫に思えたので、そっとしておく事にした。

(ここが今日から通う八十神高校……)

 校門へと続く坂道を上り、鏡は今日から通う校舎を見上げる。
 道の両脇に植えられた桜の木は、満開に咲き乱れており雨の中でも色鮮やかさを誇っている。
 鏡は来客用の入り口へと向かうと、そこで靴を履き替え職員室へと向かった。




――2年2組・教室

「ついてねえよなぁ……このクラスって、担任、諸岡だろ?」

「モロキンな……1年間、えんっえん、あのくそ長い説教きかされんのかよ……」

「ところでさ、この組、都会から転校生来るって話だよね」

 二人の男子生徒の会話に、女生徒が割り込む。

「え、ほんと? 男子? 女子?」

 二人の男子生徒の内、席に着いている方の男子生徒が、その話題に反応を示す。

「都会から転校生……って、前の花村みたいじゃん? ……あれ? なに朝から死んでんの?」

 その話を聞いていた、緑色のジャージを着たショートカットの女生徒がそう呟き、机に突っ伏している男子生徒に話しかける。

「や、ちょっと……頼むから放っていたげて……」

 ショートカットの女生徒に話し掛けられた男子生徒は、鏡がみた自転車に乗っていた男子生徒だ。
 彼は先ほど電柱にぶつかった時の痛みが引いておらず、苦しそうに言葉を返す。

「花村のやつ、どしたの?」

 ショートカットの女生徒は不可解といった表情で、前の席に座っている赤いカーディガンを着た女生徒に話し掛ける。

「さあ……?」

 赤いカーディガンを着た女生徒は、小首をかしげてショートカットの女生徒に答える。
 二人がそんな会話を交わしていると、教室の扉が開く音が聞こえる。
 教室に入ってきたのはおかっぱ頭で前歯が大きい中年の教師だ。
 鏡はその教師の後について教室へと入る。

「静かにしろー!」

 教卓に着いた教師が騒がしいクラスの生徒達を一喝する。

「今日から貴様らの担任になる諸岡だ! いいか、春だからといって恋愛だ、異性交遊だと浮ついてんじゃないぞ」

 教室全体を見渡して、諸岡が言葉を続ける。

「ワシの目の黒いうちは、貴様らには特に清く正しい学生生活を送ってもらうからな!」

 諸岡の言葉に生徒達は辟易した表情となる。

「あー、それからね。不本意ながら転校生を紹介する」

 そういって、諸岡が鏡を一瞥する。

「ただれた都会から、へんぴな地方都市に飛ばされてきた哀れな奴だ。いわば落ち武者だ、分かるな?」

 諸岡の言葉の端々に鏡を見下す感情が伺える。

「男子は色目を使われても誘惑などされんように! では神楽鏡。簡単に自己紹介しなさい」

「自己紹介の前に……先生、今の発言は私に対する人権差別ですか?」

「なにぃ……!」

 流石に腹に据えかねた鏡は半眼になって諸岡へと抗議する。
 その鏡の態度に、クラス中が戦慄する。

「先生の担当は倫理とお聞きしましたが、率先して生徒を貶めるのが先生の倫理ですか?」

「き、貴様ぁ……」

「何でしたら、校長先生や教育委員会に直接抗議をしに行きますが?」

 鏡は一歩も引かず諸岡の目を見て抗議する。

「くっ! 分かった、ワシが言い過ぎた。済まなかったな」

 渋々といった感じで諸岡が折れる。
 今ここで鏡に対して処罰を与えようものなら、間違いなく差し違える覚悟で反撃してくるだろう。
 先ほどの発言を無かった事にしようにも、クラスの生徒全員が証人となるので不可能だ。
 見た目に反した気性の激しさに、内心舌打ちながらも鏡に謝罪する。

「ありがとうございます。私も少し言い過ぎて申し訳ありませんでした」

 諸岡の本音を見抜いているが、鏡は感情を悟らせずに自身にも非があったと謝罪する。

「これから1年間、ご指導のほど、よろしくお願いいたします」

 謝罪をした後、鏡は綺麗な笑みを浮かべて諸岡へと深々とお辞儀をする。

「あー、オホン。それでは、自己紹介をするように」

 先ほどまでとは豹変したかのような鏡の態度に、諸岡も毒気が抜かれた表情をして取り繕う。
 どことなく照れているようでもあり、その光景を見ていた生徒達は呆気に取られた表情をしている。

「神楽鏡です。家庭の事情で1年間ではありますが、よろしくお願いいたします」

 そんなクラスメイト達に鏡は簡単に自己紹介を済ませる。

「神楽の席だが……」

「センセー。転校生の席、ここでいいですかー?」

 ショートカットの女生徒が手を挙げて、開いている隣の席を指さす。

「あ? そうか。よし、お前の席はあそこだ」

 指示された席へと鏡は移動する。
 席に着くと、先ほどのショートカットの女生徒が鏡に小声で話し掛けてくる。

「君、怖いもの知らずだよねー、ビックリしたよ。大変だと思うけど、1年間、頑張ろ」

 そういって笑いかけてくれる女生徒に鏡はお礼を述べる。
 気がつくと、教室のあちこちでひそひそと話し声が聞こえてくる。

「かっわいそ、転校生。来ていきなり“モロ組”か……」

「目ェつけられると、停学とかリアルに食らうもんねぇ……」

「ま、私ら同じクラスだから一緒なんだけどね……」

「でも、さっきのやりとり、格好良くね?」

……お姉さま

 一部、不穏な発言が聞こえた気がしたが、周りの声から担任の諸岡が生徒達からどのように見られているのかが理解できた。

「静かにしろ、貴様ら! 出席を取るから折り目正しく返事しろ!」

 ざわつくクラスに諸岡が一喝する。
 幸先がよい出だしとは行かなかったが、新しい高校生活が始まった。




 今日は半日授業のため、午前中で授業も終わり、先ほど諸岡が授業終了を告げる。
 生徒達がそれぞれの予定に合わせて行動しようとしたところで、校内放送が入った。

『先生方にお知らせします。只今より、緊急職員会議を行いますので、至急、職員室までお戻りください』

 急な校内放送に生徒達がざわめき立つ。

『また全校生徒は各自教室に戻り、指示があるまで下校しないでください』

「うーむむ、いいか? 指示があるまで教室をでるなよ」

 校内放送が終了したところで、諸岡がクラス全体にそう言い置き職員室へと戻る。

「あいつ……マジしんどい」

 鏡の近くで辟易した女生徒の声がした。
 クラスメイト達が先ほどの校内放送は何だったのかと、それぞれが話し合っていると、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
 窓の近くにいた数名の男子生徒が窓に駆け寄る。

「なんか事件? すっげ近くね、サイレン?」

「クッソ、なんも見えね。なんだよ、この霧」

「最近、雨降った後とか、やけに出るよな」

 男子生徒が言うとおり、窓の外は濃い霧で覆われていて視界が塞がれている。

「そういや聞いた? 例の女子アナ。なんかパパラッチとかもいるって」

「ああ、山野真由美だろ? 商店街で見たやついるらしいぜ。てか、俺聞いたんだけどさ……」

 外が見えないため、サイレンへの関心を失った男子生徒達は別の噂話を始めたようだ。
 その内、驚きの声を上げた男子生徒が一人、鏡の右斜め前に座っている、赤いカーディガンを着た女生徒の元へとやってきた。

「あ、あのさ、天城。ちょっと訊きたい事あるんだけど……」

 話し掛ける男子生徒の表情は何かを期待しているようだ。

「天城んちの旅館にさ、山野アナが泊まってるって、マジ?」

「そういうの、答えられない」

 天城と呼ばれた女生徒は、男子生徒の方を見ようとはせずそう答える。

「あ、ああ、そりゃそっか」

 にべもなく断られた男子生徒は、気まずそうな表情で帰って行った。

「はーもう何コレ。いつまでかかんのかな」

 男子生徒が居なくなったかわりに、ショートカットの女生徒がやってきて呆れたように話し掛ける。

「さあね」

 先ほどとは打って変わって、和らいだ表情で天城が答える。

「放送鳴る前にソッコー帰ればよかった……」

 ショートカットの女生徒は心底悔しそうに話す。
 感情が顔に出やすいのか、表情がよく変わる。

「ね……そう言えばさ、前に話したやつ、やってみた?」

 その言葉に天城が小首をかしげて不可解そうな表情を見せる。

「ほら、雨の夜中に……ってやつ」

「あ、ごめん、やってない」

 言われた内容に合点がいったのか、天城はショートカットの女生徒に謝る。

「ハハ、いいって、当然だし」

 天城の謝罪に気にした風でなくショートカットの女生徒が答える。

「けど、隣の組の男子、“俺の運命の相手は山野アナだー!” とか叫んでたって」

 ショートカットの女生徒は、天城におかしそうに言葉を続ける。

『全校生徒にお知らせします。学区内で、事件が発生しました。通学路に警察官が動員されています』

 再び校内放送が入る。

『出来るだけ保護者の方と連絡を取り、落ち着いて、速やかに下校してください』

 その内容は突拍子もなく、現実味が薄い。

「事件!?」

 校内放送が終了すると、一人の男子生徒が興奮した様子で叫ぶ。
 にわかに騒がしくなる教室。
 見物しに行こうとする者、事件の内容を推理しだす者。
 反応は様々だが、共通していることは他人事で、イベントか何かだと思っていることか。

(菜々子ちゃん、大丈夫かな)

 菜々子への連絡手段が無い鏡は、菜々子の事が気になっていた。
 小学校だと、集団下校という形で他の保護者が守ってくれているとは思うのだが……

「あれ、帰り一人? よかったら、一緒に帰んない?」

 考え事をしている鏡に、ショートカットの女生徒が話し掛けてくる。

「そう言えば、自己紹介してなかったね。あたし、里中千枝ね。で、こっちは天城雪子ね」

 そう言って、千枝は赤いカーディガンを着た女生徒、天城雪子を紹介する。

「あ、初めまして……なんか、急でごめんね」

「のぁ、謝んないでよ。あたし失礼な人みたいじゃん。ちょっと話を聞きたいなーって、それだけだってば」

 二人は仲が良いのだろう。
 やりとりの中に、気さくな様子が伺える。

「HRで挨拶したけれど、改めて。神楽鏡です」

 互いに自己紹介を済ませ下校しようとしたところで、一人の男子生徒が近づいてくる。

「あ、えーと、里中……さん」

 そう話し掛けてくる男子生徒は、どことなく落ち着きが無い様子だ。

「これ、スゲー、面白かったです。技の繰り出しが流石の本場つーか……申し訳ない! 事故なんだ! バイト代入るまで待って!」

 そう言って、DVDのケースを突きつけるように千枝に渡した男子生徒は一目散に逃げ出すように去っていく。

「待てコラ! 貸したDVDに何した!」

 ドスの利いた声を上げ、男子生徒に追いついた千枝は容赦なく男子生徒を蹴り飛ばす。

「どわっ!」

 千枝に蹴り飛ばされた男子生徒は机にぶつかったのか、股間を押さえて悶絶している。

「なんで!? 信じられない! ヒビ入ってんじゃん……あたしの“成龍伝説”がぁぁぁ……」

 ケースの中身を確認した千枝は愕然とした表情になる。

「俺のも割れそう……つ、机のカドが、直に……」

「だ、大丈夫?」

 悶絶する男子生徒に気付いた雪子が声をかける。

「ああ、天城……心配してくれてんのか……」

 痛みを堪えながら男子生徒が弱々しく雪子に話し掛ける。

「いいよ、雪子。花村なんか、放っといて帰ろ」

 にべもなく千枝は雪子にそう言って、教室を出て行く。
 鏡はその光景に見覚えがあるなと思ったのだが、朝の人物と同一人物だとは気付かずそっとして千枝達の後について行った。

「キミさ、雪子だよね。こ、これからどっか、遊びに行かない?」

 千枝達と話しながら校門を出ようとしたところで、見知らぬ男子が近づいてきて雪子に声をかけてきた。
 着ている制服からすると、他校の生徒のようだ。
 
「え……だ、誰?」

 知らない人物らしく、雪子は突然声をかけられて戸惑っている。
 その様子に気付いた他の生徒達が集まり始め、人垣が出来つつあった。

「なにアイツ。どこのガッコ?」

「よりによって、天城狙いかよ。てか、普通は一人ん時に誘うだろ……」

 野次馬の中からそんな話し声が聞こえてくる。

「張り倒されるにオレ、リボンシトロン1本な」

「賭にならないって。“天城越え”の難易度、知らねえのか?」

 当人達をよそに、無責任な会話が飛び交う。
 周りの会話に堪えきれなくなったのか、声をかけてきた男子生徒が苛立たしげに雪子に詰め寄る。

「あ、あのさ、行くの? 行かないの? どっち?」

「い、行かない……」

「……ならいい!」

 薄気味悪げに答える雪子に男子生徒はそう答えると、走って去っていった。

「あ、あの人……何のようだったんだろ……」

「何の用って……デートのお誘いでしょ、どう見たって」

「え、そうなの……?」

 状況が飲み込めていなかったらしい雪子が千枝に訊ねると、呆れるように千枝が説明する。
 確かに状況だけ見ればそうなのだが、脈絡がなかったせいか雪子には“デートの誘い”という認識が無かったようだ。

「そうなのって……あーあ……」

 普段からそうなのだろう。千枝は『またか』といった様子で溜息をつく。

「まぁけど、あれは無いよねー。いきなり“雪子”って、怖すぎ」

 鏡も千枝の言葉に同意見だった。少なくともお互いに知り合いという様子ではなかった。
 おそらくは、相手の方が一方的に雪子の事を知っていたのだろう。

「よう天城、また悩める男子をフッたのか? まったく罪作りだな……俺も去年、バッサリ斬られたもんなあ」

 背後から軋んだ音を立てる自転車を押してきた、千枝から花村と呼ばれた男子生徒が声をかけてくる。

「別に、そんな事してないよ?」

 身に覚えのない雪子が花村にそう答える。

「え、マジで? じゃあ今度、一緒にどっか出かける?」

「……それは嫌だけど」

 その言葉に気をよくした花村が遊びに誘うが、困ったように雪子が断る。 

「僅かでも期待したオレがバカだったよ……つーか、お前ら、あんま転校生イジメんなよー」

 気落ちした花村が千枝達にそう言って自転車に乗って去っていく。
 その姿を見て、鏡は今朝見た人物と花村が同一人物だったと気付いた。
 どうやら、千枝のDVDが壊れたのは朝の事故が原因のようだ。

「話聞くだけだってば!」

「あ、あの、ごめんね。いきなり……」

 去っていく花村に千枝が怒鳴り返し、その様子に雪子が鏡に謝罪してくる。

「天城さんが悪い訳じゃないでしょ?」

「うん……ありがとう」

 鏡の言葉に雪子が微笑んでお礼を言う。

「ほら、もう行こ。なんか注目されてるし」

 さっきよりも集まってきた野次馬に気付いた千枝が二人に声をかけてくる。

「行こうか」

「そうだね」

 そう言って、二人は先に行く千枝を追いかける。




――帰り道。

 鏡は千枝に訊かれるままに、自身が稲羽に来た理由を簡単に説明する。

「そっか、親の仕事の都合なんだ。もっとシンドい理由かと思っちゃった。はは」

「そんなドラマみたいな展開、そうそう無いよ」

 千枝の言葉に鏡がそう答える。
 鏡の言葉に苦笑を浮かべた千枝は足を止め、周りを見渡す。

「ここ、ほんっと、なーんも無いでしょ? そこがいいトコでもあるんだけど、余所のヒトに言えるようなモンは全然……」

 自嘲気味に鏡に説明する千枝はそこまで言って、何かを思い出したのか言葉が一瞬とまる。

「あ、八十神山から採れる……何だっけ、染め物とか焼き物とか、ちょっと有名かな」

 そこまで話して、千枝は雪子の方へと振り返る。

「ああ、あと、雪子んちの“天城屋旅館”は普通に自慢の名所!」

「え、別に……ただ古いだけだよ」

 嬉しそうに語る千枝とは反対に、雪子はあまり嬉しそうではない。
 千枝の説明によると、雪子の実家は老舗の温泉旅館で“隠れ家温泉”として雑誌に紹介されているらしい。
 稲羽市の財政は天城屋旅館で保っているようで、雪子はその天城屋旅館の次期女将だとか。
 自慢げに説明する千枝とは裏腹に、雪子は自身の事をそう話されるのは良く思ってないようだ。

「ね、ところでさ。雪子って美人だと思わない? 神楽さんもだけど」

「そうだね。天城さんの綺麗な黒髪とか素敵だと思うよ」

 唐突にそんな事を訊ねてくる千枝に、鏡は思ったことを正直に話す。

「でしょ!」

「ちょっと、千枝。またそういう事……それを言うなら、神楽さんの髪だって」

 鏡の評価に我が事のように喜ぶ千枝に雪子が反論する。

「だよねぇ……染めているんじゃ無いよね? だったらモロキンが黙っていないし」

「私はハーフだからね、この髪は生まれつき。父が北欧系だから」

「確かに、腰の位置とか高いよね……」

 雪子の指摘に千枝が鏡に確認を取り、その説明に千枝がしげしげと鏡を見つめる。

「なんで私の周りは美人ばっかり何だろう……」

「里中さんだって、可愛らしいと思うけど?」

「えっ!? 私が可愛い!? いや、そんなこと全っ然、無いから!」

 呟く千枝に鏡が可愛いと褒めると、顔を真っ赤にして慌てて否定する。

「そうだね。千枝は可愛いよ」

 慌てた様子の千枝に、雪子が普段の仕返しとばかりに鏡と一緒になって褒める。

「二人とも、その辺で勘弁して……あたし、恥ずかし過ぎて死んじゃいそう……」

 普段聞くことの無かった褒め言葉に千枝が二人に降参する。

「あれ、何だろ」

 そんな他愛ないやりとりをしつつ歩いていると、千枝が前方に人集りを見つける。
 進行方向なのでそのまま近づいてみると、人集りの向こうに数台のパトカーが停まっており、警察官が道を封鎖していた。
 手前にいる主婦達の話では、その道の先で死体が発見されたらしく、その状況が異様だった事。
 第一発見者はたまたま早退した高校生で発見した死体はアンテナに引っ掛かっていたそうだ。

「さっきの校内放送ってこれの事……?」

「アンテナに引っ掛かってたって……どういう事なんだろう……」

「おい、ここで何してる」

 主婦達の話に驚く千枝達に声がかけられる。その声の主は遼太郎だった。

「たまたま通りすがっただけです」

「ああ……まあ、そうだろうな。ったく、あの校長……ここは通すなって言ったろうが……」

 鏡の答えに遼太郎は苦虫を噛み潰したような表情を見せる。

「……知り合い?」

「コイツの保護者の堂島だ。あー……まあその、仲良くしてやってくれ」

 鏡に訊ねる千枝に遼太郎が自己紹介をする。

「とにかく三人とも、ウロウロしてないでさっさと帰れ」

「叔父さん、菜々子ちゃんは?」

「ああ、小学校の方で集団下校して今は家にいる。すまないが、戻ったら菜々子の事を頼む」

 遼太郎の忠告に鏡は気になった事を訊ね、遼太郎がそう答える。
 その遼太郎の背後から、頼りなさそうな若い刑事が脇を走り抜け、田んぼの方へと向かい蹲って嘔吐する。

「足立! おめえはいつまで新米気分だ! 今すぐ本庁帰るか? あぁ!?」

「す……すいませ……うっぷ」

 遼太郎の叱責に、足立と呼ばれた若い刑事は返事を返そうとするが、顔色が悪く上手く返事が返せないようだ。

「たぁく……顔洗ってこい。すぐ地取り出るぞ!」

 そう言って仕事に戻る遼太郎の後を足立が追いかける。

「ねえ、雪子さ、ジュネスに寄って帰んの、またにしよっか……」

「うん……」

 事件に不安になった千枝が雪子にそう話し掛け、雪子もそれに同意する。

「じゃ、私達ここでね。明日から頑張ろ、神楽さん!」

「鏡」

「え?」

「私の事は名前の方で呼んで。そっちの方が慣れているから」

「うん、それじゃ、あたしの事も千枝って呼んで。雪子も名前で良いよね?」

「改めてよろしくね、鏡」

 鏡に別れを告げて帰ろうとする千枝に、鏡は名前で呼ぶように二人に頼む。
 二人も互いに名前で呼ぶことで合意して、千枝と雪子は帰って行った。
 帰って行く二人を見送った鏡は、先に帰っている菜々子の事が心配になり少し急いで帰宅する。

 転校初日に起こった奇怪な事件。

 この事件に深く関わる事になるとは、この時の鏡には想像もつかぬ事であった……



2011年03月14日 初投稿
2011年04月15日 誤字修正



[26454] マヨナカテレビ
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2014/06/27 00:23
――――その噂は、誰が言い始めたのかは解らない

         だけど、ほんの気まぐれで試した噂は本当で

       電源の入っていないテレビの中に人影を見た

   コレが夢でない事に気付いたのは、後になってからだったけど……




 その日も遼太郎は帰ってこなかった。
 不可解な事件なので、調査が難航しているのだろう。
 二人で見ていたテレビのニュースで、今日の事件の事が取り上げられていた。
 被害者は最近、稲羽市市議会議員秘書との不倫問題で知られるようになった山野真由美アナだ。
 心配する菜々子を鏡は慰めようとしたが、菜々子は刑事だから仕方がないと我慢している。
 その姿が逆に、菜々子の寂しさを思わせる。
 鏡は、そんな菜々子へ明日、ジュネスに買い物へ行かないかと提案する。

「ほんとっ! 一緒にジュネスに行く!!」

 冷蔵庫の中にある食材が心許なく、また菜々子への気晴らしになるかと思っての提案だったが思いの外、菜々子が喜ぶ。
 鏡は菜々子と携帯電話の番号とメールアドレスを交換し合うと明日、学校が終わったら一緒に買い物に行く事を約束する。

「それじゃ、菜々子ちゃん。明日、学校が終わったらメールで知らせてね。迎えに行くから」

「うんっ!」

 時間も遅くなったので、二人はお風呂に入り就寝する。
 鏡は明日の準備があって、まだ暫くは起きているので、今日の所は別々に眠る事になった。

「お休みなさい、お姉ちゃん」

「お休み、菜々子ちゃん」

 菜々子が部屋へと戻るのを見届けてから鏡も自室へと戻り、明日の準備をしてから就寝する。




――その日の深夜遅く

「足立、目撃者の事情聴取の調書が無いが、どこだ?」

「すいません! 今、持っていきます!!」

 稲羽警察署では、今日の事件に対する捜査に職員が慌ただしく追われていた。
 足立が遼太郎の言葉に、慌てた様子で調書を持っていく。

「うわっ!」

 余程と慌てていたのか机につまずき、足立が盛大に転ける。

「ったく、何やってんだおめえは……」

「……す、すいません」

 呆れた様子の遼太郎に足立は気まずそうに謝る。
 遼太郎は足立から調書を受け取ると内容を確認する。

小西早紀( こにし さき )稲羽高校の3年か……」

 被害者の第一発見者は、姪が通う高校の1学年上の先輩のようだ。
 体調が悪く、早退したところで被害者を発見。
 濃霧の中での事だったので、近くに人が居たかは解らないとの事。

「そう言えば、浮気相手の生田目太郎と妻の柊みすずのアリバイは取れたらしいですね」

 調書を読む遼太郎に足立が話し掛ける。

「鑑定結果から出た犯行時刻から逆算しても、二人には実行は不可能だからな……」

 足立の質問に遼太郎が答える。
 稲羽市は交通の便が良い土地でなく、移動するのに時間が掛かる。
 仮に被害者の山野真由美が消息を絶った理由が二人にあったとしても、アリバイのある時間までには戻ってこれないのだ。

「代理殺人の線はどうでしょうね?」

「それも考えられるが、不審者の目撃証言が無いからな」

 先日の通報で主要な交通機関は全て押さえてある。
 不振な人物が稲羽から出入りしたという事実が無く、犯人に繋がる情報が見つからないのが現状だ。
 その上、夜になってから情報提供と偽ったイタズラ電話が殺到しているのも捜査の妨げになっている。
 全部の電話がイタズラだと断言できないため、電話対応にも人が割かれて捜査への人手が足りない有様だ。

「またですか……」

 所内の電話が鳴り、足立が億劫そうに電話に出る。
 遼太郎はまだ目を通していない調書へと、再び目を通す作業に戻る。

「忙しいから切るよ。……じゃね」

 電話を切った足立が戻ってくる。

「またイタズラ電話でしたよ……変な番組に、殺された山野アナが出てたって」

 呆れたように足立がそう話す。

「その番組って、何だ?」

「堂島さん、どうせガセですよ。電源を入れていないテレビ画面に番組が映るって、あり得ないでしょ?」

 遼太郎の質問に足立がそう答える。
 確かに、電源が入っていないテレビで番組を見るのは不可能だ。
 だが、常識的に考えて当たり前な内容の話に、何故だか遼太郎は奇妙な引っかかりを覚えた。




――翌朝

「それじゃ、菜々子ちゃん。また後でね」

「うん。行ってきます、お姉ちゃん」

 通学路の分かれ道で菜々子と別れた鏡は、学校へと向かう。
 通学中、鏡の後ろから凄い速度で追い越していった自転車が、操作を誤りゴミ収集所へと盛大に突っ込む。
 その衝撃で、運転していた男子生徒が派手にゴミ箱に頭から嵌ってしまい、ゴロゴロと藻掻いている。

「だ、誰か……」

 流石に見かねたので、鏡は男子生徒を助け起こす。

「いやー、助かったわ。ありがとな! えっと……そうだ、転校生の神楽だったな。俺、花村陽介。よろしくな」

 鏡に助け起こされた陽介はそう言って鏡に礼を述べる。

「怪我は、無さそうね」

「あぁ、大丈夫だ。な、昨日の事件、知ってんだろ? “女子アナがアンテナに”ってやつ!」

 鏡の確認に陽介はそう答えると、先日の事件について鏡に訊ねてくる。

「知っているけど、取り敢えず学校へと向かわない?」

「っと、そうだったな。悪ぃ」

 鏡の指摘に陽介は謝ると、自転車を押して鏡と並んで通学する。

「あれ、なんかの見せしめとかかな? 事故な訳ないよな、あんなの。わざわざ屋根の上にぶら下げるとか、マトモじゃないよな」

「そうだとは思うけれど、警察に任せておく事じゃない?」

「まあ、そうなんだけどな。けど、気になるじゃないか?」

 興味深げに話す陽介に、鏡は正論で釘を刺す。
 確かに気にならないと言えば嘘になるが、敢えて自分から危険事に関わる必要はない。
 その事を陽介に説明すると、一応は納得したようだ。
 とはいえ、そう言った事に興味を示すのは男子特有の好奇心なのかも知れないと鏡は思った。




――放課後

 今日の授業も全て終わり、鏡は菜々子からメールが届いてないか確認する。
 どうやら菜々子も授業が終わったらしく、途中まで向かっているとの事だ。
 今から帰れば、丁度良いタイミングで菜々子と合流できそうなので、鏡は帰り支度を急いだ。

「どうよ、この町には、もう慣れた?」

 そんな鏡に陽介が声を掛けてくる。

「どうだろう。来たばかりで何とも言えないかな」

「たしかにそうか」

 鏡の返事に陽介が納得する。

「今朝助けてくれたお礼に、ここの名物の“ビフテキ”をおごるぜ。俺、安い店知ってるからさ」

「あたしには、お詫びとかそーゆーの、ないわけ? “成龍伝説”」

 二人の話を聞きつけた千枝が会話に混ざってくる。

「う……メシの話になると来るなお前……」

「雪子もどう? 一緒にオゴってもらお」

 陽介の話に聞く耳を持たず、千枝が雪子にも誘いの声を掛ける。

「いいよ、太っちゃうし。それに、家の手伝いあるから。それじゃ私、行くね」

 しかし、どことなく元気のない雪子はそう言って、千枝の誘いを断り下校する。

「仕方ないか。じゃ、あたし達も行こ」

「え、まじ二人分おごる流れ……?」

「ごめん。今から従妹の子とジュネスで買い物をする約束があるから、気持ちだけ受け取っておくよ」

 鏡がそう言って、陽介の誘いをやんわりと断る。

「ん? ジュネスに行くのか? それなら……」

 鏡の言葉に、陽介が何かを考える仕草を見せる。

「花村、どったの?」

 その様子に千枝が疑問顔で訊ねる。

「里中、二人分は流石に無理だから、ジュネスのフードコートで良いか?」

 陽介の言葉に千枝は話の意図を悟り『仕方がないなぁ』と陽介の申し出を受ける。
 二人のやりとりについて行けない鏡は不思議そうな表情を見せる。

「あ、悪ぃ。取り敢えず、従妹の子と合流しようぜ。理由は道すがら説明するから」

 そう言って、陽介も急いで帰り支度を始める。
 不思議がる鏡を余所に、二人は付いてくる気だ。
 ジュネスに向かうのなら断る理由もないので、鏡は二人の好きにさせる。
 菜々子との待合い場所に、鏡が知らない男女を連れてきた事に菜々子は驚いたが、鏡の説明を聞き、菜々子は嬉しそうになる。
 鏡と二人でジュネスに買い物に行くだけでも嬉しかったのだが、鏡の友達も増えた事で更に嬉しさに拍車を掛けたようだ。




「結構、買ったよな」

――ジュネス・フードコート

 菜々子と一緒に買い物を済ませた鏡達は、屋上にあるフードコートで陽介からおごって貰ったハンバーガーを食べていた。
 何でも、陽介の父親がジュネスの店長として半年前に稲羽に引っ越してきたそうだ。
 ここでなら多少のツケが利くらしく、陽介も内心安堵していた。
 もっとも、その分の費用は家の手伝いで支払う事になるのだが……

「ここってさ、出来てまだ半年くらいだけど、行かなくなったよねー、地元の商店街とか。店とか、どんどん潰れちゃって……あ」

「……別に、ここのせいだけって事ないだろ?」

 千枝の言葉に、多少不機嫌そうに陽介が答える。

「菜々子、ジュネス大好き!」

 そう言って、菜々子が満面の笑みを浮かべて陽介に話し掛ける。

「ありがとう、菜々子ちゃん」

 菜々子の無意識の気遣いに気付いた陽介がお礼を述べる。
 確かに、こんなに素直で良い子ならば、鏡が気に掛けるのも納得できる。
 それは陽介だけではなく、千枝も感じていた。

「あ……小西先輩じゃん。悪ぃ、ちょっと」

 そう言って、陽介が席を立ち、離れたテーブルに座る女性の方へと移動する。

「彼の恋人か何か?」

「はは、そうならいいんだけどね。小西早紀先輩。家は商店街の酒屋さん」

 鏡の質問に千枝が答える。

「お疲れッス。なんか元気ない?」

「おーす……今、やっと休憩。花ちゃんは? 友達連れて、自分ちの売り上げに貢献しているとこ? それとも両手に花でデート?」

「うわ、酷いなー。今朝助けて貰ったお礼を兼ねて、転校生の歓迎ッスよ」

 早紀の言葉に大げさに驚く素振りを見せて陽介が説明する。

「へえ、彼女がそうなんだ」

 そう言って早紀は席を立つと、鏡の方へとやってくる。

「キミが転校生? あ、私の事は聞いてる?」

「少しだけなら、先ほど千枝に聞いたところです」

 早紀の質問に鏡が正直に答える。

「そう言えば後輩の子から聞いたけど、モロキンをやり込めたんだって? 凄いよね」

「先輩、それくらいで勘弁してやってくださいよ」

 話し始めた早紀は鏡に対して色々と質問攻めにする。
 その様子に陽介が横から口を挟み、鏡はようやく質問攻めから解放される。

「ふうん、彼女が花ちゃんの好みのタイプ? 随分と気が利くじゃない」

「違いますって……ほら、先輩が変な事を言うから、菜々子ちゃんが睨んでいるじゃないですか」

 陽介の言葉に早紀が視線を向けると、鏡の隣に座っていた菜々子が二人に対して警戒するような視線を向けていた。

「あ……ごめんね。お姉ちゃんをいじめるつもりは無かったんだけど……」

「菜々子ちゃん、二人は私が皆と早く馴染めるように気を配ってくれたから、大丈夫だよ」

 早紀と鏡の言葉に、ようやく菜々子の態度が普段のそれに戻る。

「良い子だね。キミの妹?」

「従妹です」

「私の弟も、この子みたいに可愛げがあったらなぁ……」

 早紀がそうぼやいて菜々子を羨ましそうに見ている。

「あげませんよ?」

 菜々子の手を握って、鏡が早紀に宣言する。

「それは残念。さーて、こっちはもう休憩終わり。やれやれっと」

「……お姉ちゃん、大丈夫? なんだか、元気がないみたい」

 早紀の様子に何かを感じたのか、菜々子が心配そうな表情で問いかける。

「菜々子ちゃん、だっけ? ありがとう。ちょっと疲れただけ、お姉ちゃんは大丈夫だよ」

 菜々子の気遣いに早紀は表情を綻ばせると菜々子の頭を優しく撫でる。

「花ちゃん、友達少ないからさ、仲良くしてやってね。それじゃね」

 早紀はそう言い残すと仕事へと戻っていった。

「はは、人の事“気が利く”って、小西先輩の方がよっぽど気を遣ってるじゃんな?」

 苦笑気味な表情で、陽介が鏡達に話し掛ける。

「さっき言ってたけど。あの人、弟いるもんだから、俺の事も割とそんな扱いっていうか……」

「弟扱い、不満って事?……ふーん、分かった、やっぱそーいう事ネ」

 どことなく不満げに話す陽介に、千枝がにやりと人の悪い笑みを浮かべて話し掛ける。

「地元の老舗酒屋の娘と、デパート店長の息子。燃え上がる禁断の恋、的な」

「バッ! アホか、そんなんじゃねーよ。菜々子ちゃんの前でなに言ってだ」

「そんな悩める花村に、イイコト教えてあげる。“マヨナカテレビ”って知ってる?」

 陽介の抗議を右から左に聞き流し、千枝は話を続ける。
 千枝の説明によると、雨の日の午前0時に消えているテレビを一人で見ると、運命の相手が映るそうだ。

「なんだそりゃ? 何言い出すかと思えば……お前、よくそんな幼稚なネタで、いちいち盛り上がれんな」

「よ、幼稚って言った? 信じてないんでしょ!?」

「信じるわけねーだろが!」

「だったらさ、ちょうど今晩は雨だし、みんなでやってみようよ!」

「やってみようって……オメ、自分も見た事ねえのかよ! 久しぶりに、アホくさい話を聞いたぞ……」

 千枝の説明に、陽介は呆れ顔で反論する。
 菜々子にはその様子が楽しそうに見えたのか、ニコニコしている。

「とにかく、今晩ちゃんと試してみてよね」

 千枝が二人に念を押す。
 鏡も取り敢えず試してみるかと、マヨナカテレビの事を意識の片隅に留めておいた。




 陽介達と別れて菜々子と一緒に戻ってきた鏡は、買ってきた食材で晩ご飯の支度をする。
 菜々子も手伝うと言ってくれたので、鏡は菜々子と二人で晩ご飯を作る。
 遼太郎がいつ帰ってくるか分からないので、出来上がった晩ご飯を二人で食べていると、菜々子が気落ちした様子を見せていた。
 気になって連絡はあったのか聞いてみたところ、電話をすると言ってはいるが連絡は滅多に無いようだ。
 どういって慰めようかと鏡が考えていると、玄関が開く音が聞こえてきた。

「あっ、帰ってきた!」

 そう言って、嬉しそうな様子で菜々子が立ち上がると同時に、疲れた表情の遼太郎が居間にやってきた。

「やれやれ……ただいま。何か、変わり無かったか?」

「ない。帰ってくるの、おそい」

「悪い悪い……仕事が忙しいんだよ」

 菜々子の苦情に遼太郎は気まずそうに答える。

「お帰りなさい、叔父さん。晩ご飯はどうします?」

「ああ、食べてないからいただくよ……って、これ弁当じゃないな。わざわざ作ってくれたのか?」

 ちゃぶ台に並べられている晩ご飯を見て、遼太郎が鏡に訊ねる。

「ええ、出来合いの物では栄養が偏りますから」

「済まないな……菜々子、テレビ、ニュースにしてくれ」

 遼太郎に言われて、菜々子もまだ何か言いたそうな表情を見せるが、言われたとおりリモコンを操作してチャンネルを変える。
 チャンネルを変えるとニュースは丁度、先日起きた事件を取り上げていた。
 鏡は立ち上がると台所へと向かい、遼太郎の分の晩ご飯の準備をする。

『番組では、遺体発見者となった地元の学生に、独自にインタビューを行いました』

「ふぅ……第一発見者のインタビューだ? どこから掴んでんだ、まったく……」

 ニュースの内容に、遼太郎が辟易した様子でそう零す。

『最初に見た時、どう思いました? 死んでるって分かった? 顔は見た?』

 無遠慮なリポーターの質問に、取材されている女生徒は戸惑っている。
 その女生徒の声に聞き覚えがあった鏡は手を止め、テレビを見る。
 画面に映っているのは、今日ジュネスで会った早紀のようだ。

「お姉ちゃん、この人、今日ジュネスで会った人だよね?」

 菜々子も気付いたのか、鏡にそう話し掛けてくる。

「何だ、お前ら知り合いか?」

「顔見知りといった程度ですけれど……」

 遼太郎の質問に鏡が答え、支度の続きへと戻る。
 その間にインタビューは終わり、コメンテーターが話していた。

『全く、奇っ怪な事件ですね~、民家のアンテナに引っ掛けて、逆さに吊すってんだから……』

『犯行声明などは、出ていないようですが』

「イタズラ電話なら、殺到してるがな……」

 テレビのやりとりに遼太郎が突っ込みを入れる。
 捜査の進展が思わしくないのだろうか?
 その声には疲れが滲み出ていて、何だか眠そうだ。

『事件か事故かも分からないなんて、ったく、警察は血税で何遊んでるんだか……』

 コメンテーターは無責任な発言を繰り返している。
 このニュース番組はリポーターもそうだが、コメンテーターも報道する者としてどうかと言いたくなる。

「叔父さん、晩ご飯の支度が出来ましたから、手を洗ってきて……」

 鏡がそう言って遼太郎の方へと視線を向けると、遼太郎はソファで寝入っていた。

「菜々子ちゃん、毛布を取ってきてもらえる? 流石にそのままだと叔父さんが風邪を引いちゃうから」

「うんっ」

 菜々子はそう言って、寝室へと毛布を取りに行く。
 鏡は用意した遼太郎の晩ご飯にラップを掛け、起きた時にすぐに食べられるようにしておく。

「お姉ちゃん。毛布、持ってきたよ」

「ありがとう、菜々子ちゃん」

 菜々子から毛布を受け取った鏡は、それを遼太郎に掛ける。
 遼太郎は余程疲れているのか、少々の事では目を覚ます様子を見せないでいる。

「ご飯、冷めちゃわない内に食べようか?」

「うんっ」

 二人はせっかくの晩ご飯が冷めない内にと、ちゃぶ台について食べかけだった食事を再開する。
 鏡は食事中、菜々子から学校で今日あった事やジュネスでの事を聞き、自身も千枝や陽介達の事を話す。
 まだ菜々子とは会っていない雪子の事も話し、機会があったら紹介する事を約束する。
 食事を終え、二人で食器の後片付けを済ませると、一緒にお風呂へと入る。
 はしゃいで疲れたのか、お風呂の中でうつらうつらと船を漕ぐ菜々子が溺れないように気を配りながら自身も良く温まる。

「……おやすみなさぁい」

「お休みなさい」

 コシコシと瞼を擦りながら、眠たげに菜々子がそう言って自室へと戻る。
 遼太郎は今もソファで眠っており、起きる気配がない。
 鏡は先ほどラップした遼太郎の晩ご飯をちゃぶ台に置くと、メモ用紙に書き置きを残す。
 この様子だと、この食事は明日の朝食になりそうだ。
 書き置きを残した鏡も、千枝から言われた事を試すために自室へと戻る。
 外は天気予報通りの雨で、屋根に当たる雨音だけが聞こえてくる。
 静かな部屋で午前0時になるのを待つ。

(そんな訳ないか……)

 時計の針が午前0時を回るが、テレビの画面には自身の顔しか映らない。
 分かっていた事だけに、鏡は軽く笑うと自身も就寝しようとテレビから離れる。

――その瞬間

 テレビからノイズ音が聞こえだし、画面に何かが映る。
 怪現象に驚いた鏡は、引き寄せられるようにテレビの画面を見る。
 テレビに映っているのは稲羽高校の女生徒のようだ、

(これ、小西先輩……!?)

 確証は持てないが、テレビに映っているのはジュネスで会った早紀だと思われる人物。
 テレビに映るその人物は、何かから逃げるような仕草をしている。
 その様子に、鏡は咄嗟にテレビ画面に手を伸ばす。

「……ッ!?」

 テレビ画面に手が触れた瞬間、水の中に手を入れるように画面の中へと手が入っていく。
 鏡が驚いたのもつかの間、テレビの中の手が何かに引っ張られるように引き込まれていく。
 咄嗟にテレビ画面の縁を入れていない反対側の手で掴み、引きずり込まれないように抵抗する。
 抵抗の甲斐もあってか、引き込む力が消え、テレビ画面から手を抜く事が出来た。

(……今のは、何だったの?)

 あり得ない超常現象に答えが見いだせる訳もなく、鏡は不安を抱えて眠りについた。




――翌日

 クラスは先日の事件の噂話で持ちきりだった。
 昨日のニュース番組のせいで、第一発見者が早紀であったという噂も広がっているようだ。

「よ、よう。あのさ……や、その、大した事じゃないんだけど……実は俺、昨日、テレビで……」

 浮かない表情で、陽介が鏡に話し掛けてくる。
 ただならぬ様子に鏡が何かを言おうとしたが、それよりも早く陽介がその話題を打ち切ろうと言葉を濁す。

「花村ー、ウワサ聞いた?」

 そんな二人の声を掛けて千枝が傍へとやってくる。

「事件の第一発見者って、小西先輩らしいって」

「だから元気なかったのかな……今日、学校来てないっぽいし」

 そんな事を話す二人に、鏡は先日見たニュースで早紀が出ていた事を話す。

「何そのリポーター、最低……」

「……マジかよ」

 鏡の説明に、二人の表情が曇る。
 そんな三人のやりとりを余所に下校準備を済ませた雪子が席を立つ。

「あれ? 雪子、今日も家の手伝い?」

「今、ちょっと大変だから……ごめんね」

 疲れた様子で千枝に答えた雪子はそのまま下校する。

「なんか天城、今日とっくべつ、テンション低くね?」

「忙しそうだよね、最近……」

 陽介の言葉に千枝は小首をかしげて答える。

「ところでさ、昨日の夜……見た?」

「エッ……? や、まあその……お前はどうだったんだよ」

 おもむろに話題を変えてきた千枝に、陽介が若干動揺した様子で聞き返す。

「見た! 見えたんだって! 女の子! けど、運命の人が女って、どゆ事よ?」

 釈然としない表情で千枝が説明する。
 誰かまでは分からなかったらしいが、明らかに女の子で肩まで伸びたふわっとした髪に、八十神高校の制服を着ていたらしい。
 千枝の説明に陽介は驚いた表情を見せ、自分が見たのも同じ人物かも知れないと説明する。

「え、じゃ花村も結局見えたの!? しかも同じ子? 運命の相手が同じって事?」

「知るかよ……で、お前は見た?」

 呆れた表情で千枝に答えた陽介が鏡に聞いてくる。
 陽介の質問に、鏡は自分が見た人物は早紀で何かから逃げようとしていた事、その際にテレビの中に手が入った事を説明する。

「何かから逃げようとしている小西先輩ってのは気になるが、テレビに吸い込まれたってのはお前……」

 鏡の説明を聞いた陽介は、その状況で動揺したのか寝ぼけていたのかのどちらかだろうと、おどけた調子で話す。
 話の内容が内容だけに、事実でないと思いたいのだろう。

「けど夢にしても面白い話しだね、それ。テレビが小さくて助かった、なんて。もし大きかったら……」

 千枝も陽介と同じように鏡が寝ぼけていたのだろうと思ったが、そこでふと何かを思いついたのか、陽介へと視線を向ける。

「そう言えばウチ、テレビ大きいの買おうかって話してんだ」

「へぇ。今、地デジへの移行で買い換えすげー多いからな。なんなら、帰りに見てくか? ウチの店、品揃え強化月間だし」

「見てく、見てく! 親、家電疎いし、早く大画面でカンフー映画みたい!」

 陽介の言葉に、嬉しそうに千枝が荒ぶる鷹のポーズを取る。

「だいぶデカイのもまであるぜ。お前が楽に入れそうなのとかな、ははは」

 二人は鏡の話を全く信じていないようだ。
 鏡としても夢であると思うのだが、陽介の言う大きなテレビで、昨日の事が夢だったのかを試してみても良いかと考える。
 こうして、三人でジュネスへと寄り道する事となったのだが、菜々子も誘えば良かったと着いてから鏡は気が付いた。




――ジュネス・家電売り場

「でか! しかも高っ! こんなの、誰が買うの?」

「さあ……金持ちなんじゃん?」

 驚く千枝に呆れた様子で陽介が説明する。
 ジュネスでテレビを買う客は少ないらしく、この辺りには店員が配置されていないそうだ。
 その説明に千枝は呆れるが、ずっと見ていられるのは良い事かと思い直す。

「……やっぱ、入れるワケないよな」

「はは、寝オチ確定だね」

「大体、入るったって、今のテレビ薄型だから、裏に突き抜けちまうだろ……ってか、何の話してんだっつの!」

 二人は鏡の言葉を確かめようと大型テレビに触れてみるが当然、入れる訳もなく他愛ない会話を続けている。
 千枝からどんなテレビが欲しいのか聞いている陽介は、離れた場所の比較的値段の安いテレビを進める。
 だが、千枝からするとそれでも高いらしく、桁が一つ多くないかと騒いでいる。
 そんなやりとりをしている二人を余所に、鏡は目の前の大画面テレビに近づいてみる。
 確かに、これだけ大きければ中に入れるかも知れない。
 鏡は昨日の事が夢なのか確かめるべく、そっと画面に触れてみる。
 指先が画面に触れると、水面に触れたかのような波紋がテレビ画面に広がる。
 そのまま手を差し込んでみると、手首まで画面の中に入ってしまう。

「そういやさー、神楽。お前んちのテレビって……」

 そう言って鏡の方へ視線を向けた陽介の視界に、信じられない光景が映った。
 驚く陽介を不思議に思った千枝も鏡の方に視線を向け、同じように驚きで動きが固まる。

「あ、あいつの腕……刺さってない……?」

「うわ……えっとー、あれ……最新型? 新機能とか? ど、どんな機能?」

「ねーよッ!」

 二人はそう言うと、鏡の傍まで急いでやってくる。

「うそ……マジで刺さってんの!?」

「マジだ……ホントに刺さってる……すげーよ、どんなイリュージョンだよ!? で、どうなってんだ!? タネは!?」

 愕然とする二人を余所に、ひょっとすると全身も入るかも知れないと思った鏡は、頭も画面の中へと入れてみる。

「バ、バカよせって! 何してんだ、お前ー!!」

「す、すげぇー!!」

 テレビの中は空間が広がっていて相当に広そうだ。

「な、中って何!?」

「く、空間って何!?」

「ひ、広いって何!?」

「っていうか、何!?」

 鏡の説明にパニックになった二人が慌てふためく。

「客来る! 客、客!!」

 慌てる陽介の視界に、家電売り場に近づいてくる客の姿が映る。

「え!? ちょっ、ここに、半分テレビに刺さった人いんですけど!! ど、どうしよう!?」

 陽介の言葉で、更にパニックになった千枝がどうしたら良いのか分からず、陽介と共にあたふたと周りを意味もなく走り回る。
 そのまま走り回っていた陽介と千枝は、互いに衝突して結果的に鏡をテレビに押し込める格好となった。

「うわ、ちょ、まっ!!」

 陽介の叫びを最後に、鏡達はテレビの中へと落ちていったのだった……




2011年03月16日 初投稿
2011年04月15日 誤字修正
2014年06月27日 誤字修正



[26454] もう一人の自分
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/04/15 22:00
――――霧で覆われた世界はどこまでも広く

           どこに向かうべきかも分からない……

         それはまるで人生のようで

    先の見えない不安に押しつぶされそうになった




「何ここ……ジュネスのどっか……?」

「んな訳、ねえだろ。大体、俺達テレビから……つうか、コレ……何がどうなってんだ?」

 あまりの出来事に唖然とした様子で千枝が呟き、陽介が反論する。
 先ほどまでジュネスの家電売り場に居たはずの鏡達は、視界の悪い『どこか』に居た。
 周りは霧のようなモノで覆い隠されていて、数メートル先までしか見渡せない。

「皆、怪我は無い?」

「あたしは大丈夫」

「俺はケツに入れてた財布がダイレクトに……」

 鏡の確認に二人がそれぞれ答える。

「お、おいっ、お前ら、周りを見てみろ」

 陽介の言葉に改めて周りを見渡してみる。
 鉄柱に取り付けられた複数の照明が鏡達を照らしていて、まるでテレビのスタジオのような場所だ。

「これって……スタジオ? 凄い霧……じゃない、スモーク?」

 見た目の様子から、千枝が思った感想を呟く。

「こんな場所、ウチらの町にないよね……?」

「あるわけねーだろ……どうなってんだここ……やたら広そうだけど……」

 千枝の言うとおり、陽介達が知る限りこんな場所は稲羽市には存在しない。
 そもそも、テレビの中に世界があること自体が常識的に考えてあり得ない。

「どうすんの……?」

「周りを調べて、出口を探そう」

 千枝の言葉に鏡が答える。
 問題は、この場所に『落ちて』来た事だが……

「それは賛成なんだけど、あたしら……そう言や、どっから入ってきたの? 出れそうなトコ、無いんだけど!?」

「ちょ、そんなワケねーだろ! どどどーゆー事だよ!」

「知らんよ、あたしに聞かないでよ! やだ、もう帰る! 今すぐ帰るー!」

「だから、どっからだよ……!」

 周りを見渡してみても出口らしき場所がないため、千枝が動揺して癇癪を起こす。
 陽介も状況が分からず混乱しているのか、千枝に対して言葉が若干荒い。

「二人とも、落ち着いて! 入って来れたんだから、出口だってきっとあるはずよ」

「そ、そうだよな。入って来れたんだ、出口があるはずだよな。冷静に、冷静にな……」

 動揺する二人に鏡が冷静になるように話す。
 冷静さを失うことが、こういった場合には一番危険な事だからだ。
 鏡の言葉に、陽介も冷静になるように自分に言い聞かせる。

「とりあえず、出口を探すぞ」

「ここ、ホントに出口とかあんの……?」

 陽介の言葉に千枝が不安そうに訊ねる。

「空気が流れる音がしているから、どこかに繋がっているはずよ」

 千枝の言葉に鏡が答える。
 本音を言えば、鏡自身も自分たちが出られる場所が本当にあるのか自信がない。
 しかし、自分が弱音を吐いて二人をこれ以上不安がらせないためにも、大丈夫だという態度を取る必要があるのだ。
 諦める事が一番拙い事だというのを、身をもって知っているだけに。




 鏡達が手分けして出られそうな場所が無いか探してみたところ、空気が流れてくる場所を見つけ出すことが出来た。
 この場所にいても仕方がないので、三人で先へ進んでみる事にした。

「何だよ……こりゃ、どういう事だ……?」

「……うそ」

 目の前の光景に、陽介と千枝は唖然となる。
 鏡は初め、二人が唖然としている理由が分からなかったが、暫くしてその理由に気がついた。

「稲羽中央通り商店街……」

 稲羽市に初めて来た日、遼太郎が車のガソリンを給油する際に立ち寄った場所だ。
 鏡は移動する車内から見ただけだったが、陽介達の様子から間違いはないと思われる。

「あたし達、いつの間にか戻れてたって事?」

「だったら良かったんだけどな……ここがホントに商店街だったら、あんな空なワケないだろ」

 千枝の言葉を陽介が即座に否定する。
 周りは変わらず霧に覆われて視界が悪い上に、見上げた空は赤と黒の縞模様で構成されている。

「じゃあ、ここは一体どこなの?」

「そんなの、俺にも分からねぇよ」

「取り敢えず、この先も調べた方が良さそうね」

 戸惑う二人に鏡が話し掛ける。
 とはいえ、知っている場所に似た別の場所という異常な状況なので、周りの小さな異変にも気を配らなければならない。

「そう言や……ここが商店街だったら、この先は確か小西先輩の……」

 陽介はそう呟くと鏡達を置いて走り出す。

「ちょっと、花村! 勝手に行動しないでよっ!!」

 陽介の行動に慌てた千枝が、すぐさま後を追いかける。
 この霧の中ではぐれる事の危険を考え、鏡もすぐに二人の後を追いかける。
 幸い、前方を走る千枝の姿が見えるのと、途中の道を曲がること無く進んでいたので、はぐれずに追いつくことが出来た。

「やっぱり……ここ、先輩んちの酒屋だ」

 “コニシ酒店”と書かれた店の前で陽介がそう零す。

「花村……アンタ、勝手に行動しないでよ」

 陽介に追いついた千枝がそう言って、息を整える。
 少しして鏡も二人に追いつくと、目の前の店へと視線を向けた。

「ここは?」

「あぁ、ここは小西先輩の実家の酒屋なんだけど、何でこんな所に……」

 鏡の質問に陽介が答える。
 だが、先の実家がここにある理由は分からない。

『そんなこと無いっ!!』

 突然、店の中から叫び声が聞こえた。
 その声を聞いた瞬間、陽介が驚いた表情になる。

「この声、小西先輩だ!」

「嘘っ、何で!!」

 陽介の言葉に千枝も驚く。
 自分達と同じ境遇の者が存在していた事と、それが知っている人物である事の二重の驚き。

「今の声が小西先輩である場合とそうでない場合の可能性があるけれど、どうする?」

 驚いている二人に鏡が声を掛ける。
 実際に見て確認したわけではないので、両方の可能性を考えての質問だ。

「そうだな。二人はここで待っててくれ。俺が中の様子を見てくる」

「一人でなんて駄目だよ! あたし達も一緒に行くから」

「駄目だ。もし中にいるのが先輩でなくて、俺達に危害を加えるようなやつだったらどうすんだよ」

「その時は全員一緒に一目散に逃げる。小西先輩で何か問題があるなら全員で助ける。それならどう?」

 一人で様子を見に行くという陽介へ千枝がついて行くと主張するが、陽介は危険かも知れないからと断る。
 しかし、単独での行動が危険なのも確かなので、鏡が陽介に妥協案を出す。

「……解った。ったく、何でこう勇ましいお嬢さん達ばっかなのかねぇ」

 鏡の提案に陽介がおどけたようにそう言うが、内心では二人に感謝していた。

「それじゃ、中にいるヤツに気付かれないように慎重にな」

 陽介は二人に念を押すと足音を立てないように店内の様子を窺う。

「……っ!?」

 店内の様子を窺った陽介は、信じられない光景を目の当たりにする事となる。




――鏡達がこの世界に訪れるよりも更に前

(……ここは一体、どこなの?)

 早紀は、自らが置かれた状況に戸惑っていた。
 深い霧で周りがほとんど見えない状況。
 遺体を発見してしまった時と同じ状況に気が滅入ってくる。

 何故、自分がこのような場所にいるのか?
 理由は分からないが、自宅を出た辺りからの記憶が覚束ない状況にある。
 気がつくと、霧に包まれたどこかで自分は倒れていたようで、何故ここにいるのか? どうして倒れていたのか?
 その辺りの記憶が全くないという異常な状況に置かれていた。

(帰らなきゃ……)

 そう思い、視界の悪い中を彷徨っていると、奇妙な物体に声を掛けられた。

「キミはそこで何をしているクマ? ここは危険だから、早く元の世界に帰るクマ」

 それはズングリした物体だった。
 短い足は歩くたびに可愛らしい音を立て、まん丸の目は愛嬌がある。

「アンタこそ何よ……?」

 早紀は見た目は可愛らしいが得体の知れない物体に警戒心を顕わにする。

「クマはクマだよ? ココにひとりで住んでるクマ」

 クマと名乗る物体が早紀にそう話す。

「ココは人間が住むには良い所じゃ無いクマ。早く帰るクマよ」

 早紀は心配そうに話し掛けてくるクマに、自身がどこから来たのかが解らない事。
 どうやって帰れば良いのかが解らない事を説明する。

「それは困ったクマね……どこから入ってきたのか解らなかったら、元の場所に帰してあげられないクマよ……」

 早紀の説明に心底困った様子でクマが話す。
 何分、着ぐるみのような姿をしているのと、深い霧で表情がよく解らない。
 クマの説明によると、霧が晴れると“シャドウ”という存在が暴れて危険なのだそうだ。
 それまでに早紀を元の場所に帰してあげたいそうなのだが、早紀自身がどこから来たのかが解らない有様。
 仕方がないのでクマが普段、隠れているという場所まで早紀を連れて行く事となった。

「あ、そうだ。サキちゃん、コレを掛けておくクマ」

 そう言ってクマが早紀に手渡したのは、縁のない眼鏡。
 何でも、この眼鏡を掛けると霧を見通す事が出来るらしい。
 試しに眼鏡を掛けてみたところ、霧の無い開けた視界が広がった。

「……すごい!?」

「その眼鏡は、クマお手製の自信作クマ!」

 感嘆の声を上げる早紀にクマが得意げに話す。
 その様子が小さな子供が自慢する姿に見えたので、早紀はついクマの頭を撫でてクマを褒める。

(菜々子ちゃんって、言ったっけ? あの子が見たら喜びそうだな)

 早紀に撫でられて喜んでいるクマを見て、先日知り合った少女の事を思い出す。
 先ほどまで感じていた不安はいつの間にか消え、随分と落ち着いている事に早紀は気が付いた。
 よく解らない存在だが、クマは早紀の不安を晴らすには必要な存在のようだ。

「アレは何だクマ?」

 クマの案内で視界が良好になったこの場所を移動していると、何かを見つけたクマがそう呟く。
 それは早紀にとっては見慣れた風景、稲羽中央通り商店街だった。

「何で、商店街がこんな所に……?」

「サキちゃんの知っている場所クマか?」

「この先に私の家があるのだけど……」

「本当はここから離れた方がいい気がするクマ。けど、サキちゃんは疲れているようだから、少し休んだ方が良いクマね……」

 早紀の説明に、クマはこの場所から立ち去った方が安全だと考えるが、早紀の様子を見て考えを変える。
 幸い、まだ霧が晴れる事はないので、疲れた早紀を休ませてからでも大丈夫だろうとクマは判断する。
 早紀を休憩させるため、クマは早紀の実家がある場所へと移動する。

「サキちゃん、大丈夫クマか?」

 早紀の実家へと到着し、屋内で一休みしている早紀にクマが話し掛ける。

「うん、ちょっと疲れたけど大丈夫。食べ物とかあって助かったよ……」

 どういう理屈かは不明だが、本当の実家と同じく食べ物が置いてあったので、それらを食べてひとごこちを付いたところだ。
 クマの説明によると、ココにあるのはこの世界の現実と言う事だが、早紀にはさっぱり理解できない。
 ただ、飲食料がある事によって空腹を満たせた事実が大事だった。
 後は何とかして元の世界に帰るだけなのだが、未だに明確な手段は見いだせない。

(でも、このままこの世界でクマと一緒に居るのも悪くはないかもね……)

 打算無く自分を気遣ってくれるクマの存在に、早紀は心の隅で安堵している自分に気付く。
 自分を捨てて遠くへ行ってしまった人、ジュネスという大手のチェーン店が進出した事による実家の影響。
 その影響で日々、自分や弟に当たり散らす父に何も言わない母。
 何もかもが嫌だった。 この町から出てきたくて、時給の良いジュネスでバイトを始めたが、父親にはそれすらも感に障ったらしい。
 顔を合わせるたびに小言を言ってくる父親にウンザリしていた早紀からすると、この世界はまだ居心地が良かったのだ。


 視界が悪い事は、クマのくれた眼鏡が解消してくれた。
 後は、クマの言う“シャドウ”という存在から身を守ることが出来れば、このままこの世界にいても良いのでは無いかと思えてくる。

『本当に、それで嫌な事から逃げられると思ったの?』

「誰っ!?」

 突然の声に早紀は驚き、声の主を捜して周りを見渡すと、そこには信じられない人物が居た。

「……私!?」

「サ、サキちゃんが……二人……クマ?」

 声の主は驚く事に早紀自身だった。
 ただ、その表情はどこか歪さを感じさせ、金色の瞳がその印象に拍車を掛ける。

『この町を去ったあの人は私との約束を違え、あれから連絡の一つも寄越さない』

 それは認めたくない毒の言葉。

『花ちゃんだって、店長の息子だから相手をしてただけなのに、勝手に勘違いして盛り上がって……ほんと、ウザい……』

「そんなこと無いっ!!」

 確かに、そう思っていたところもあったが、それだけでは無かった。

『ジュネスなんてどうだっていいし、潰れそうなウチの店も、怒鳴る親も、何もかも全部、無くなればいいと思っているくせに……』

 目の前の早紀の一言一言が心を抉っていく。
 自分自身から言われる言葉が、身体から力を奪っていくような錯覚さえ覚える。

「……違う、私……そんな事、思ってない……」

『まだ誤魔化すんだ? 頑張っていないと、自分が惨めだと認めるしかないから頑張っていたんでしょ? 私には解る』

 目の前の早紀は勝ち誇った表情を浮かべて、早紀の心を砕いていく。

『私はアンタ、アンタの影……アンタの事は全てお見通しなんだから!』

「違うっ! そんなはず無い!!」

「サキちゃん、駄目クマ! すぐにここから逃げるクマ!!」

 目の前の早紀に心を砕かれそうになっている早紀にクマが慌てて声を掛ける。
 このままだと良くない事が起こる。
 何故だかクマにはその事がハッキリと感じ取れた。
 しかし、早紀にはクマの言葉は届いておらず、このまま心が砕かれるのを待つばかりの状況は、突然の声によって遮られた。

「小西先輩!!」

 聞き覚えのある声に、早紀が驚いて背後を振り返る。

「花、ちゃん……?」

 早紀の視線の先には、居るはずのない陽介の姿があった。




 陽介の視界に、信じられない光景が映っていた。

(小西先輩が、二人!?)

 霧のためにハッキリとは見えないが、間違いなく早紀が二人いる。
 ここからでは話し声が聞こえないため、どのようなやりとりをしているかは解らないが、あまり良くないように見える。
 早紀が二人いることも不可解だが、それよりも早紀の隣にいるズングリした物体が何よりも不可解だ。

(何でこんな所に着ぐるみが居るんだよ?)

 訳が分からず戸惑う陽介に、千枝と鏡がどうしたのかと問いかけようとする。

「違うっ! そんなはず無い!!」

「サキちゃん、駄目クマ! すぐにここから逃げるクマ!!」

 二人が陽介に問いかけるよりも早く、早紀の悲鳴に似た声を聞いた陽介はその場から飛び出していた。

「小西先輩!!」

「花、ちゃん……?」

 早紀はどういう訳かフレームレスの眼鏡を掛けていて、信じられないような表情で陽介を見ている。

「花村! アンタは勝手に飛び出して!! って、小西先輩が二人!?」

 そう言って、咄嗟に陽介を追って後ろから出てきた千枝も早紀が二人いる事に驚く。
 こうなっては隠れていても仕方がないと判断して、鏡もその後に付いてくる。

「およよ、他にもまだ人が居たー!?」

 ズングリした物体が陽介達を見て驚きの声を上げる。

『へえ、花ちゃんも居たんだ……』

「オマエは一体誰だ? 何で先輩と同じ姿をして居るんだ!」

 もう一人の早紀が、誰何する陽介に意外そうな視線を向ける。

『私は見ての通り“小西早紀”よ、花ちゃん』

 もう一人の早紀はゾクリとする笑みを浮かべて陽介に話し掛ける。

『私は小西早紀の“影”。そこにいる小西早紀の“本性”よ』

「違う! 私はそんな事、思ってない!!」

『まだ綺麗事を言い続けるの? 本心では花ちゃんの事だって“ウザい”って思っているくせに』

 もう一人の早紀が、歪んだ笑みを浮かべてそう告げる。

「俺の事が……ウ、ウザい……?」

『かわいそうな花ちゃん、あんなにも気に掛けてくれていたのに、想いが通じないなんて……』

 動揺する陽介に哀れみの視線を向けて、もう一人の早紀が言葉を続ける。

『でもね、私なら花ちゃんの事を受け入れてあげられるよ』

「……せ、んぱい?」

『私の為だけに尽くしてくれるなら、花ちゃんの望む事を全部してあげる。花ちゃんが望むなら私……』

 スカーフを解き胸元を見せて、もう一人の早紀が潤んだ視線を向け艶っぽい声で陽介に話し掛けてくる。

「止めて! アンタは、私じゃ無い!!」

 陽介を誘惑しようとするもう一人の早紀を否定する。

『何? 今、何か言った?』

 早紀を小馬鹿にするような様子で、もう一人の早紀が問いかける。

「アンタは、私じゃない! アンタなんか、私であるもんかっ!!」

『ふふふ、そうよ……私は“私”。私はもうアンタじゃない!』

 早紀の言葉に、もう一人の早紀が嘲笑をあげる。
 もう一人の早紀から黒い風が巻き上がり、その姿を覆い隠す。

「何よ、アレ!」

 急激な状況の変化に千枝が叫ぶ。
 黒い風が収まると、そこには艶めかしく蠢く髪を逆立たせ裸身を晒した異形の姿があった。

「先輩!?」

 異形が現れるのと同時に糸が切れた人形のように早紀がその場に崩れ落ちる。
 陽介は倒れている早紀の元へと駆け寄り、抱きかかえて安否を確認する。
 どうやら意識を失っているだけで、無事なようだ。

『我は影……真なる我……』

 そんな陽介に異形は憎しみの籠もった視線を向けてくる。

『花ちゃんはそいつが良いのね……だったら、たぁっぷりと可愛がって……天国へと逝かせてあげるわっ!』

 異形は逆立つ髪の一房を一閃すると陽介達を打ち据える。

「ぐあっ!」

「花村っ!!」

「サキちゃん!」

 気を失っている早紀への攻撃を咄嗟に庇った陽介が、早紀と共に千枝の傍まで吹き飛ばされる。
 慌てた千枝とズングリした物体は陽介の元へと駆け寄り、二人を助け起こそうとする。

「花村、大丈夫!?」

「俺は平気だ……けど、小西先輩が……」

 痛みを堪えて陽介が千枝に答える。

「皆、早くここから逃げるクマっ!」

 ズングリした物体がそんな二人に慌てたように話すが、気を失った早紀が居るために、陽介達はすぐに行動を起こせない。
 再度、陽介達に攻撃を加えようとした異形の顔面に酒瓶が投げ付けられる。

『がっ!?』

「皆、今の内に小西先輩を連れて逃げてっ!!」

 酒瓶を投げ付けたのは鏡だった。
 近くにあるケースから手当たり次第に酒瓶を取り出しては、異形へと投げ付け続けている。

『このっ……小娘がッ!!』

 何度も酒瓶をぶつけてくる鏡に切れた異形が、攻撃目標を鏡へと変更する。
 鏡は陽介達が逃げられるように異形の攻撃を引きつけつつ、陽介達から引き離していく。
 その間も、手近な酒瓶を投げ続け陽介達に意識が向かないように異形の意識を誘導する。

「花村、鏡がアイツを引き付けている間にあたし達は逃げるよ」

「里中っ、神楽を置いて逃げるワケにはいかねえだろ!」

「解ってる! けど、あたしらがこうしてたって邪魔にしかなんないって解ってんでしょ!!」

 千枝の言う通りだった。
 気を失っている早紀が居る限り、陽介達の移動速度はどうしても遅くなる。
 誰かが注意を引き付けて逃げる時間を稼がないとならない。

「ちっくしょう……」

 その事が痛いほど理解できるだけに、陽介の感じる悔しさは尋常じゃなかった。
 最近になって転校してきた女子を囮にしてしまった自分の不甲斐なさ。
 男は自分一人だというのに、何て情けない有様なのだと……

「ちょっと、そこの妙なアンタ! 小西先輩の知り合いみたいだけど、アンタも小西先輩を連れ出すのを手伝って!」

 陽介が悔いている間にも千枝がズングリした着ぐるみに話し掛ける。

「クマはアンタじゃ無くてクマクマ! サキちゃんを助ける手伝いはするクマから、早くここから逃げてあの子も助けるクマ!」

 クマと名乗った着ぐるみも手伝って、早紀を連れて陽介達は店から脱出する。
 その間にも、異形の注意を引き続けている鏡は商店街へと異形をおびき寄せている。




 鏡は先ほどから続く頭痛を堪えながら、異形の注意を引き続けていた。
 目の前の異形が現れた途端に襲われた頭痛。
 意識が散漫になりそうなところを我慢して、目の前の異形に集中し続けている。

――我は汝、汝は我……

 不意にどこからともなく声が聞こえてくる。

――汝、扉を開く者よ……

 その声に気を取られた隙をついて、異形の髪が鏡へと伸びてくる。
 異形の攻撃に対して反応が遅れた鏡の首に髪が絡み付く。

「あぐっ!?」

 髪は幾重にも首に巻き付き、鏡を締め付けてくる。

『つ・か・ま・え・たぁ……』

 鏡を捕らえた異形は加虐的な笑みを浮かべている。

『小娘……このまま、じわじわと嬲り殺しにしてあげるわっ!』

 締め付けられる苦しみの中で、鏡には先ほど聞こえた声が鮮明に聞こえ続けている。

――双眸を見開きて汝……今こそ発せよ!

 右手に何かを握りしめている感触がある。
 鏡はそれが何であるのか確かめられないまま、力強くそれを握りしめる。
 遠くなる意識の中で、鏡は無意識こう呟いてた。

――ペルソナ

 握りしめた右手から青白い炎が吹き出し、そのまま鏡の全身を炎が包む。

「鏡!?」

 その様子を遠くから見た千枝が驚きの声を上げる。

『ぎゃっ!?』

 鏡を包んだ炎が、締め付けていた髪を焼き切る。
 炎の熱に怯んだ異形の目の前で、炎に包まれた鏡から何かが出現する。

 それは黒い人型だった。
 手には柄が長く長刀を思わせる巨大なナイフ。
 足元は一本爪の下駄を思わせるブーツ。
 身に纏うは裾の長い黒の学ランで、長ランと呼ばれるものだ。
 襷を巻き、頭部には白い鉢巻き。
 長さは踝まで届くかと思われるほど長い。
 その姿は、いわゆる応援団の団員を思わせるものだった。

 鏡から現れた人型は手にした巨大なナイフで目の前の異形を一閃する。
 異形は咄嗟に後退して攻撃を避けるも、切っ先からは完全に逃れられずに胸元に赤い一筋の傷が付く。

『小娘! 殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる!!』

 異形は我を忘れて鏡へと攻撃を仕掛けるが、迫り来る髪は全て黒い人型に切り裂かれ鏡には掠りもしない。
 逆に、黒い人型の手にする巨大なナイフは異形を切り裂き、着実にダメージを与えていく。

『うぅ……せっかく自由になれたのに、また私は閉じ込められるの……?』

 異形の顔には絶望の表情が浮かんでいた。
 自身の攻撃はことごとく阻まれ、相手の攻撃は確実に自身を弱らせていく。

『嫌だ……嫌……イヤァァァァァッ!!』

 絶叫をあげ、鏡へと突進する異形に向かって、黒い人型は何も持たない左手を向ける。
 瞬間、上空から異形へと落雷が落ち、異形を感電させる。

『……助けて……たすけて、花ちゃん……』

 それが異形の最後の言葉になった。
 異形は、砂が崩れるように身体が崩壊していく。
 後に残ったのは、白い灰のような塊だ。
 それも、吹かれた風に運ばれ痕跡を消し去っていく。
 黒い人型は異形が消えるのと同時に、どこかへと消え去っていた。

「鏡!」

 黒い人型が消えると同時に、鏡もその場に崩れ落ちる。
 千枝は陽介とクマに早紀を任せると、鏡の元に駆け寄って助け起こす。

「鏡、大丈夫? それに、さっきのは一体なんなの、何をしたの!?」

「うん、疲れたけど大丈夫。さっきのはごめん、私にもよく解らない……」

 千枝の質問に鏡は困った表情で答える。

「解らないって……」

 鏡の答えに千枝が唖然となる。
 とはいえ、それ以上は訊ねられるような状態でない鏡の様子に、千枝も口ごもる。

「立てる?」

「ちょっと無理かも」

 そう答える鏡に、千枝が肩を貸して立ち上がらせる。
 千枝の肩を借りて陽介達の元へと鏡は移動する。

「小西先輩の様子は?」

「まだ、気を失ったままだ。それよりも、お前の方こそ大丈夫なのか?」

 早紀の容態を聞いてくる鏡に、陽介が呆れたように答える。

「私の方は疲れているだけ。少し休んだら動けるよ」

「ところで、キミ達はどこからやってきたクマ?」

 陽介に答える鏡にズングリした物体、クマが話し掛けてくる。

「つか、お前はいったい何だ?」

「クマはクマクマ。ここに一人で住んでるクマよ」

 陽介の質問に、クマと早紀と同じ説明をする。

「ここに一人で住んでるって……じゃ、ここからの出口とか知ってんの?」

「入ってきた場所が解るならそこから帰してあげられるクマ。サキちゃんはどこから入ったか解らなくて困ってたクマよ」

 そう言って、クマは陽介達に早紀と出会った経緯を説明する。

「最近、誰かがココに人を放り込むから、クマ、迷惑してるクマよ」

「人を放り込む?」

 クマの言葉に鏡が首をかしげる。
 自分達は事故でこの世界へと入ってしまったが、どうやら早紀は自分達と違って誰かに入れられたようだ。
 鏡はクマへ自分達がこの世界に来た経緯を話し、出口を探していたことを伝える。

「クマ、センセイの凄さに感動したクマ! あんな凄い力を隠してたなんて……この世界に入って来れたのも納得クマ!」

「センセイ?」

「って、鏡のこと?」

 クマの言葉に鏡と千枝が顔を見合わせる。
 どうやら、先ほどの出来事でクマは鏡の事を尊敬しているようだ。

「ま、知りたい事とか色々あるけれど先輩の事もあるし、まずは元の場所まで戻ってクマにこの世界から出して貰わないとな」

「っと、そうだったクマ。サキちゃんの事が心配だから早くここから帰った方が良いクマ」

「じゃ、元の場所に戻らないとね」

 鏡達はクマと共に最初にいた場所へと戻る事にした。
 気を失ったままの早紀は、陽介が負ぶって行く事となった。
 鏡はクマと状況の確認をしあっている間に体力がある程度回復したのか、自分の足で立って歩けるほどに回復していた。




 クマを連れて、最初の場所へと鏡達が戻ってくると、クマはスタジオの真ん中辺りをつま先で軽く叩く。
 そうすると、その場所に建てに積み上げられた赤いテレビが現れた。

「んだこりゃ!?」

「テ、テレビ……!? どうなってんの!?」

 突然の出来事に、陽介と千枝が呆気にとられた表情で驚いている。

「さ、ここから元の世界に帰れるクマ。長くこの世界にいると危険だから、早く帰るクマ!」

 そう言って、クマは陽介達を現れたテレビの中に押し込める。

「い、いきなりなに!? わ、ちょっ……無理だって!」

「お、押すなって! 先輩が落ちるだろ!!」

 押し込められた陽介達を見て、鏡は押し込まれないように自分からテレビの中へと入る。
 テレビに入ると、目の前の風景が捻れて上下の感覚が解らなくなる。
 浮遊感が暫く続くと不意に目の前が明るくなり、目の前が真っ白になる。

「あれ、ここって……」

「戻って来た……のか?」

 気が付くとそこはジュネスの家電売り場だった。

『ただいまより、1階お総菜売り場にて、恒例のタイムサービスを行います』

 千枝と陽介が唖然とする中、タームサービスを行う店内放送が流れる。

「げっ、もうそんな時間かよ!」

「結構長く居たんだ……」

「それよりも、小西先輩の様子はどう?」

 驚く二人に鏡が早紀の様子を訊ねる。
 鏡の質問に陽介は慌てて早紀の様子を確かめる。

「駄目だ、まだ気を失ったままだ。どうしたら……」

「取り敢えず、ジュネスの外に連れて行って救急車を呼ぼう」

 早紀の意識が戻らない事に動揺する陽介に鏡がそう話す。
 ジュネスの中で倒れていたと説明するには、それまでの状況を説明しないとならない。
 しかし、テレビの中で襲われましたと説明したところで誰も信じてはくれないだろう。
 だったら、ジュネスの外で倒れていた事にして余計な説明を省いた方が良いと鏡が二人に説明する。

「確かに、俺だって自分の目で見てなかったら、テレビの中の世界なんて信じられないよな」

「そうだね。私もそれで良いと思う。それじゃ、小西先輩を連れて行こう」

 鏡の説明に納得した二人はそう言って、人目に付かないように三人で早紀をジュネスの外へと連れて行く。
 外はまだ雨が降り続いているため、ジュネスから少し離れた屋根のある場所へと移動して、鏡が電話から救急車を呼ぶ。
 千枝と陽介には、事情説明は自分一人でする方が都合が良いからと二人を帰らせた。
 一緒に居るという陽介には、ジュネスの事があるので拙いと説得したところ、不本意ながらも納得してくれた。


 救急車を待つ間に、鏡は遼太郎へと帰りが遅くなるので、夕飯を先に食べておいて欲しいと連絡を入れた。

『解った。それで、その先輩の様子は大丈夫なのか?』

「気を失っているので何とも。済みませんが、叔父さんの方から小西先輩の自宅へと連絡をお願いしても良いですか?」

『そうだな、解った。向こうへは俺から連絡を入れておく。すまんが病院まで付き添ってやっててくれ』

「はい、解りました。それでは、連絡の方はお願いします」

 そう言って鏡は携帯電話をしまい救急車の到着を待つ。
 ほどなくして到着した救急車で、早紀と共に稲羽市立病院へと移動する。
 遼太郎から連絡を受けて、鏡が到着した少し後になってから早紀の家族がやってきた。
 早紀の家族は受付で早紀の病室を聞き、鏡に気付く事なく病室へと向かう。

「鏡」

 早紀の家族が到着したので、病院を後にしようと思っていた矢先に鏡に声が掛けられる。

「叔父さん?」

 鏡に声を掛けてきたのは遼太郎だった。

「大変だったな。先輩の家族はもう到着しているのか?」

「はい、先ほどそれらしい家族がやってきました」

「そうか。お前も大変だったな」

 遼太郎はそう言って、鏡に労いの言葉を掛ける。

「菜々子ちゃんは?」

「あぁ、菜々子もお前を迎えに行くと言っていたが、時間も遅いからな、休ませてきた」

「済みません、菜々子ちゃんにまで心配を掛けましたね」

「まぁ、事が事だけに仕方が無いだろう。それよりもお前、メシは済ませたか?」

 菜々子に心配を掛けた事を気にする鏡に、遼太郎がそう訊ねる。

「まだですけれど……クシュン!」

「風邪か? いかんな新しい環境で疲れがたまってるんだろう。帰ったら薬を飲んで早く休んだ方が良いな」

 鏡の様子に遼太郎が心配げな表情でそう話す。
 車で迎えに来たそうなので、鏡は遼太郎と一緒に駐車場へと移動して車に乗り込む。

「なぁ、鏡。実はな、お前が見つけた小西早紀なんだが……」

 車を出して暫くして、遼太郎が言いにくそうに鏡に話し掛ける。

「実は行方が分からないと連絡があってな、うちの連中が探していたんだ」

 その言葉に鏡が驚く。

「すまんが、見つけたときの状況を教えてくれんか? 覚えているだけで良い」

 鏡は遼太郎にクラスメイトと共にジュネスの家電売り場にテレビを見に行った事、その帰りに早紀を見つけたと説明する。
 ただし、テレビの中の世界や早紀がその中で襲われていた事を省いてだ。

「そうか……偶然見つけただけか。すまんな困らせるような事を聞いて」

 説明を聞いた遼太郎が鏡にそう話す。
 鏡の説明を聞く限りだと、小西早紀は何かの事件に巻き込まれた可能性がある。
 しかし、今聞いた話だけでは確証が持てないので、早紀の意識が戻ったら事情聴取をしないとならないなと、遼太郎は考える。
 降りしきる雨のように、何ともスッキリしない事だと遼太郎は憂鬱な思いになるのだった。




2011年03月19日 初投稿
2011年04月15日 誤字修正



[26454] ベルベットルーム
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2014/06/27 00:24
――――少女はペルソナという力に目覚めた

     しかし、その使い方を少女は未だ知らず

       自身の力に戸惑いを隠せない

   それでも、運命の糸は静かにただ紡がれていく




 鏡達が霧の世界で早紀を救い出した翌日。
 帰宅してから軽く食事を摂り、薬を飲んで早く休んだので翌朝には鏡の体調は元に戻っていた。
 いつも通りに目を覚まし、身支度を調えて居間に降りると遼太郎が出掛けるところだった。

「起きたか、身体の方は大丈夫か?」

「おはようございます。薬のおかげで大丈夫です」

「そうか。お前が昨日見つけた小西早紀だが……今朝方、目が覚めたそうだ」

 その事で連絡があり、今から事情聴取に向かうと遼太郎は話す。
 明日には面会も可能だから、良かったら顔を出してやれと言って遼太郎は出掛けていった。

「お姉ちゃん、この間ジュネスであったお姉ちゃん、入院したの?」

 菜々子が心配そうに鏡に訊ねる。
 本当の事が言えない鏡は『大丈夫だよ』と、菜々子に安心するように言うしかなかった。
 それでも、鏡の言葉を信じた菜々子は安心した表情を鏡に見せる。

「菜々子ちゃん、明日は土曜日だから、学校が終わってから皆でお見舞いに行こうか?」

「うんっ」

 そんな菜々子に鏡は早紀のお見舞いに一緒に行こうと誘い、菜々子は嬉しそうに頷く。
 朝食は昨晩に調理が出来なかったので、冷蔵庫に残っている食材を使いトーストとスクランブルエッグを作った。
 二人で朝食を摂り、食器を片付けてから分かれ道まで一緒に登校する。

「それじゃ、行ってらっしゃい、菜々子ちゃん」

「行ってきます、お姉ちゃん!」

 いつもの分かれ道で菜々子と別れた鏡は学校へと向かう。
 途中、前方を見覚えのある姿が歩いていたので、鏡は歩く速度を速めて声を掛ける。

「おはよう、千枝。雪子と一緒じゃないの?」

「あ、おはよう鏡。雪子は家の手伝いで昼から登校するって」

 鏡の質問に答える千枝はどことなく元気が無さそうに見える。

「千枝、疲れているようだけど、昨日の事が原因?」

「ま、ね。小西先輩の事も気になってたし……ていうか、鏡は何とも無さそうね」

「実はちょっと風邪気味で、薬でマシになっているだけだから」

 普段と変わらない様子の鏡に千枝が感心した表情を見せるが、鏡は正直に体調が思わしくなかった事を話す。
 千枝が感心したのは、先日の異常な体験にもかかわらず普段通りの様子である事だったのだが、鏡は微妙に勘違いをしている。
 鏡があの時、たった一人だけ異形に反応して行動を起こせたのは、こんな所に理由があるのかも知れないと千枝は思った。

「おはよう、神楽。あれから先輩はどうなった?」

 鏡と千枝が教室に到着すると、陽介が先に来ていて鏡を待っていた。
 当然というか、早紀の事が心配だったのだろう。
 鏡は陽介に遼太郎から今朝方になって目を覚ました事、今日は事情聴取があるので明日、皆で見舞いに行かないかと誘う。
 陽介は鏡と一緒に行く事を約束し、千枝は早紀とそれほど付き合いがある訳ではないからと遠慮する。

「先輩が目を覚ましたのは良いが、昨日の事を先輩が話していると思うか?」

「小西先輩には悪いけれど、話しても信じてもらえないと思う」

 陽介の質問に鏡はそう答える。鏡達が同じ事を証言すれば状況は変わるかも知れないが、鏡個人としては話す気は無い。
 意識を失っていた状態で搬送された為、早紀がテレビの中での出来事を話しても、信じてもらえない可能性の方が高いのだ。

「それに、テレビの中で自分自身に襲われましたって話せないんじゃないかな?」

「確かに、正気を疑われるのがオチか……」

 鏡の説明に陽介が納得する。
 テレビの中の世界には、鏡が居れば入る事が出来るだろうが、もう一人の早紀は先日の一件で存在しないのだ。
 事実を証明する手段が無いので、説明のしようがない。
 鏡自身、その事を理解しているのだろう。陽介も自身が鏡の立場だったら、自身も同じような行動を取るだろうと思った。

「お前ら! 早く席に着け! HRはもう始まっているんだぞ!!」

 そんな遣り取りをしていると、諸岡が教室に入ってきてクラスメイト達に怒鳴り散らす。
 内容が内容だけに、話の続きは放課後に持ち越される事となる。
 HRで諸岡から雪子が家の事情で欠席するとの連絡があった。
 千枝は昼から出てくると聞いていたそうだが、事件があったせいで実家の方が忙しいのだろう。
 最近、疲れ気味な様子を見せていただけに、千枝は雪子の事を心配していた。




「なあ、神楽。悪いんだが、もう一度あの世界に連れて行ってくれないか?」

「ちょっ、花村!」

――放課後

 陽介の言葉に千枝が驚く。
 千枝が驚くのも無理はない。あの世界は命に関わるような危険な場所なのだ。
 そんな場所にまた行こうなど、正気の沙汰とは思えない。

「あんな危険な場所、もう行かない方が良いって!」

「里中、お前の言う事も分かるけど、どうしても確かめたい事があるんだ」

「それはクマと名乗った着ぐるみが話していた事?」

 反対する千枝へそう話す陽介に、鏡は自身も思う事があったので訊ねてみる。
 鏡の問いに陽介は、自身と同じ疑問を鏡も持っている事に気付く。

「神楽も気付いてたのか? あのクマってヤツ“誰かがココに人を放り込む”って言ったんだ」

 鏡も感じていた疑問。
 それは陽介が言うように、早紀意外にも誰かがあの世界に迷い込んだ事があるという事だ。
 自分達は事故であの世界に迷い込んだが、早紀はクマの言う放り込まれた側だろう。
 しかし、早紀だけならあのような言い方はしない。
 早紀以外にも放り込まれた人物が居るから、クマは“迷惑している”と言ったのだ。

「神楽、マヨナカテレビに映っていたのは小西先輩だと、お前は言ったよな? だとすると、思い当たる事があるんだ」

「遺体で発見された山野アナ?」

「えっ! それ、どういう事?」

 陽介と鏡の遣り取りについて行けない千枝が二人に訊ねる。
 混乱している千枝に、陽介はマヨナカテレビで山野アナを見たという生徒が居た事。
 その後になって遺体が発見された事をあげ、早紀と同じようにあの世界に山野アナが入っていたかも知れない可能性を示す。

「そんな、偶然じゃないの?」

「あんな世界がある以上、偶然で片付ける訳にはいかないと思う」

 千枝の言葉を鏡が否定する。
 陽介も鏡に同意し、もしもマヨナカテレビに映った人物があの世界に居るとしたら、それは凄く危険な事である。
 実際、鏡達もクマが元の世界に帰してくれなかったら、一体どうなっていたのか見当も付かない。

「だったら、余計にあの世界に行く事なんて無いじゃん!」

 二人の説明に千枝が反論する。
 わざわざ危険な場所に好きこのんで行く必要なんてどこにもないのだ。
 だが、千枝の言葉は鏡の『クマは小西先輩の事を心配している』という言葉で強く反対が出来なくなった。
 確かに、怪しい存在ではあるが早紀の事を心配していたのは紛れもない事実だ。
 
「それに、クマの言い方からすると、入り口と出口は同じ場所で繋がっているはずだ」

 そうでなければ、クマが“入ってきた場所が解るならそこから帰してあげられる”とは言わないだろう。
 その上、クマは鏡の事を“センセイ”といって尊敬しているようなので、自分達に悪いようにはしないと思われる。

「解った。あんた達二人だと心配だから、あたしも行く」

「悪いけど千枝には他に頼みたい事があるの」

 千枝の提案に鏡が待ったを掛ける。

「あたしに頼みって、何?」

「今日、雪子が学校を休んだでしょ? 様子を見に行って欲しいのよ」

 千枝の質問に鏡が答える。

「確かに、ここん所の天城の様子、ただごとじゃ無さそうだったしな」

 陽介も鏡に同意する。
 ここの所、雪子は家の手伝いでかなり疲れているようだった。
 親友である千枝が顔を見せてあげれば、少しは元気になるのではないか。
 鏡はそう千枝に説明する。

「……解った。確かに、最近の雪子シンドそうだったし、これからちょっと行ってくる」

「雪子によろしく言っておいて」

 鏡の説明に千枝は頷くと鏡達と別れて天城屋旅館へと向かう。
 千枝を見送った鏡と陽介はそのままジュネスへと向かい、テレビの中の世界へと再び移動する。




 テレビの中に入ると、先日と同じ場所に出る事が出来た。
 どうやら、場所と場所が繋がっているのは正しかったようだ。

「センセイ!?」

 近くに居たのか、二人に気付いたクマがやってくる。

「何でまた来たクマ。ココは本当に危険なんだクマよ!」

 鏡達を心配してクマがそう、まくし立てる。

「小西先輩の事、心配していたでしょ? だからその事を教えに来たのよ」

「まぁ、その他にお前に聞きたい事もあるんだかな」

「サキちゃん、無事クマか!?」

 やはり早紀の事を心配していたのだろう。鏡の言葉にクマは食いつかんばかりに早紀の事を聞いてきた。
 鏡はクマに意識が回復した事と明日、皆でお見舞いに行く事を話した。

「そっか。サキちゃん、意識が戻ったクマね、本当に良かった……」

 早紀の無事を知らされたクマは嬉しさに涙ぐんでいた。
 こうして見てみると、クマは優しい心の持ち主なのだろう。

「安心しているトコ悪いんだが、小西先輩より先に、この世界に誰かが来なかったか教えて欲しいんだ」

 そう言って、陽介は先日のクマの発言から思い至った事を説明する。

「確かに、サキちゃんより先に誰かが来ていた気配は感じていたクマ。けど、霧が晴れたところでその気配は消えたクマよ」

 陽介の言葉にクマはそう答える。

「霧が晴れたら消えた?」

「霧が晴れると、シャドウはひどく暴れるクマ。センセイのように力を持っているなら別だけど、力のない人間はシャドウに勝てないクマ」

「って、事は何か? この世界に霧が晴れるまで居たらヤバイって事か?」

「だから、この前クマは早く帰れって言ったクマ」

 陽介の質問にクマがそう答える。

「それじゃ、霧が出る日に死体が見つかったのって、まさか……」

「霧が出る日に死体? そっちで霧が出る日は、こっちだと、霧が晴れるクマよ」

 鏡の言葉にクマがそう答える。
 やはり、山野アナはこちらの世界に来ていたのかも知れない。

「だったら、その気配はどこから感じたのかは解る?」

「それなら解るクマよ」

「その場所へ俺達を案内してくれないか? 確かめたい事があるんだ」

 鏡に答えたクマへ陽介が頼み込む。
 クマは少し考える素振りを見せると、鏡へと視線を向けた。

「案内しても良いけど、センセイ達にクマも一つお願いしたいクマ」

「お願い?」

 クマが言うには、誰かがこの世界に人を放り込む事によって、この世界はめちゃくちゃになるそうだ。
 放り込まれた人も危険だし、静かに暮らしたいクマも迷惑なので、犯人を見つけ出して止めさせて欲しいという。
 その依頼に陽介は困惑する。鏡は少し考えると、クマの依頼を受ける事にした。

「そうか……小西先輩をこの世界に放り込んだ犯人は、俺達でないと見つけられないんだよな」

 自分達の世界の誰かが犯人なのは間違いない。
 クマのような目立つ存在が自分達の世界で犯人捜しをした所で、不審者と見なされて警察のお世話になるのが関の山だ。
 その上、テレビの中の世界など、誰も信じてはくれないだろう。
 そうなると、自分達で犯人を見つけ出すしか方法はない。互いの利益が一致した所で互いに自己紹介を済ませる。

「センセイ達を案内する前に、二人とも、これを掛けるクマ」

 そう言ってクマが二人に渡してきたのは眼鏡だった。

「それを付けていれば、この世界でも霧に視界を邪魔される事が無いクマよ」

 クマに言われて、半信半疑で眼鏡を掛けた二人は視界が良好になった事に驚く。

「うお、すげえ……この間と視界が全然違う。そうか、小西先輩が掛けていた眼鏡も、コレと同じ物なんだな」

「そうクマよ。クマの自信作クマ!」

「って、お前の手作りかよ!」

 自慢げに話すクマに、陽介は反射的に突っ込みを入れる。
 鏡も口には出さなかったが、あの手で作ったのかと意外そうな表情でクマを見ていた。

「それがあれば、霧の中を進むのに役に立つクマ。これから案内するから、付いてくるクマ」

 そう言って、クマは二人を先より前にこの世界に来た人物が居たところへと案内する。




 クマに案内されてたどり着いた場所は、見ているだけで気が滅入るような部屋だった。
 部屋の壁一面には、顔を切り抜かれたポスターが貼られており、恨みの深さが窺い知れる。

「なんだ、この部屋……何で貼ってあるポスター全部、顔が切り抜かれているんだ」

 あまりの薄気味悪さに、陽介が身震いする。

「このポスター、家電売り場に貼られていた柊みすずのポスターじゃない?」

「そう言われてみれば……確かに、柊みすずのポスターだな」

 鏡の指摘に、陽介もジュネスの家電売り場に貼られているポスターと同じ物だと気付く。

「それに、この椅子とロープ……あからさまに拙い配置だよな……」

 陽介が言うとおり、部屋の梁に掛けられたロープの先はスカーフで輪っかが作られており、その下には椅子が置かれている。
 どう見ても、首つり自殺をするために用意した物にしか見えない。

『憎い……』

「何だ、クマ!?」

 どこからともなく女性の声が聞こえてくる。

『あんなにも尽くしてくれていたあの人を、売れたら捨てたくせに……取られそうになった途端、局に圧力を掛けて来るなんて……』

「お、おい、これって」

 恨みの籠もった声に陽介が動揺する。
 その声は、柊みすずに対する山野真由美の呪詛だった。
 人気が出た事をきっかけに、夫を顧みなくなった事。
 温和しいが、誠実で思いやりのある生田目太郎との関係を知り、マスコミを使い彼を追いつめた事。
 さらには自分が勤める局にまで圧力を掛け、全ての番組から降板させられた事。
 諸々の恨み辛みが込められたその声は、聞いているだけで寒気がしてくる。

「よっぽど、柊みすずに対する恨みが強かったんだな……」

「けど、生田目太郎って人に対する想いは本物だったのね」

 陽介の言葉に鏡がそう答える。
 恨みに綴られた言葉だったが、最後に聞こえた『あの人に会いたい』という言葉だけは恋い焦がれる少女のようだった。
 少なくても柊みすずの仕打ちに対して、生田目太郎の事を恨む事なく逆に全てを無くした彼を気遣ってさえいた。

「ただ、これでハッキリしたな。山野真由美も、この世界に来ていたんだ」

 どういう理屈かは解らないが、マヨナカテレビに映った人間はこの世界に来ているようだ。
 しかし、そうなると誰がマヨナカテレビに二人を映したのかが解らない。
 クマの説明だと、この世界にはクマとシャドウしか居ないという。
 先日のもう一人の早紀がシャドウという物らしい。
 ただ、人の形をしたシャドウはクマも初めて見たそうだ。

『まったく……こんな世界にまで来て“探偵ごっこ”か?』

「誰だっ!?」

 背後から聞こえた声に驚いた陽介が振り返って誰何すると、そこには金色の瞳をした陽介が立っていた。

「お、俺が……もう一人!?」

『ま、何もないウザい日常を変えてくれるかもって、ワクワクしてんだから、しょうがねえか?』

 もう一人の陽介は、歪んだ笑みを浮かべて話し続ける。

『小西先輩をこの世界に放り込んだ“犯人を捕まえる”って、らしい口実も出来たしな』

「違うっ! 俺はそんな事を思ってない!」

『今さら何を言ってやがる。あわよくば、その女のように特別な力に目覚めて、ヒーローになれるかもって期待してんだよなぁ?』

 否定する陽介を、もう一人の陽介が追いつめていく。
 見たくなかった自分の姿を突きつけられて、陽介は正常な判断が出来なくなっている。

「お前なんか知らない……お前なんか……お前なんか……」

「ペルソナ!」

 もう一人の自分を否定しようとした陽介よりも早く、鏡がペルソナを召喚する。
 鏡の意志に従い現れた黒い人型が放つ、電撃系攻撃スキル【ジオ】がもう一人の陽介に命中する。

『ぐあっ!?』

 ジオの直撃を受け、もう一人の陽介は一時的に身体の自由が利かなくなる。
 崩れ落ちるもう一人の陽介に鏡が近づいてくる。

「黙って聞いていれば、好き勝手言って……」

『この、あまぁ……!』

 憎々しげに鏡を見上げるもう一人の陽介に、鏡は冷たい視線を向ける。

「彼があなたの言う思いを抱いて、何が悪いの?」

『な……ん、だとぉ……!?』

「それでも、小西先輩の事を想って行動を起こした彼を、あなたが否定できるの?」

「っ!?」

 鏡の言葉にもう一人の陽介ばかりか、陽介も驚く。
 見たくない自分を否定しようとした陽介と違って、鏡はもう一人の陽介をも肯定しようとする。
 そんな鏡の姿を見て、陽介は先ほどまで感じていた焦燥が無くなっている事に気付いた。

「確かに、俺の中にお前の言うような思いがあった。けど……小西先輩の事は紛れもない俺の本心だ!」

『う……あ……』

「みっともねーから、認めたくなかった……けど、全部ひっくるめて、俺だって事だな。ちくしょう……自分と向き合うってムズいな」

 陽介は、もう一人の自分を真っ直ぐ見ると、噛み締めるように宣言する。

「認めてやるよ。お前は俺で、俺はお前だ」

『…………』

 陽介の言葉に、もう一人の陽介が穏やかな表情になると、青い粒子となってその姿が変化する。
 その姿は赤いマフラーをなびかせ、手には手裏剣のような物を持った人型だった。
 姿が変化した人型は、再び青い粒子を発するとカードへと姿を変え、陽介の身体に吸い込まれるように消えていく。

「これが俺の“ペルソナ”……」

 陽介はそう呟くと、その場に座り込んでしまう。

「ヨースケ、大丈夫クマか?」

「ああ、なんか急に疲れが押し寄せてきたが、大丈夫だ。神楽、ありがとうな、こんな俺を肯定してくれて」

 クマに答えた陽介が、鏡に視線を向けて礼を述べる。 

「にしても、神楽ってモロキンに噛みついた時から思ってたけど、容赦ねーのな」

「そうかもね」

 呆れたように話す陽介に、鏡は綺麗な笑みを浮かべて答える。
 その答えに『さらっと肯定したよ、この人は』と陽介は若干、引きつった笑みを浮かべる。
 知りたい事も解り陽介も疲れているようなので、今日の所は引き上げる事にした。
 クマの案内で元の場所に戻ってきた鏡達は、またクマに会いに来る事を約束して元の世界へと戻る。
 情報の整理は陽介がかなり疲れているようなので、後日改めて行うことを約束し、それぞれ帰宅する事にした。


 雨が降り続ける帰り道の河川敷で、鏡は和服姿の雪子と出会った。
 珍しそうに和服を見る鏡に、雪子は家のお使いで今は少し休憩をしてるのだと説明する。

「鏡は買い物の帰り?」

 鏡の持つ買い物袋見て雪子が訊ねる。

「うん、今日の晩ご飯の食材」

 鏡が料理を作れると知って、雪子は羨望のまなざしを向ける。
 何でも手伝いで失敗して以来、厨房に立たせてもらえないのだそうだ。
 
「そう言えば、千枝に私の様子を見てきて欲しいって頼んでくれたんだよね。ごめんね、心配掛けて」

「大変だとは思うけれど、無理はしない方が良いよ?」

 鏡の気遣いに雪子がお礼を述べるが、やはり無理をしているように鏡には見える。
 雪子も自覚はしているのだろうが、今は自分が頑張らないと駄目だからと鏡に話す。

「あ……そろそろ戻らなきゃ。板長と明日の打ち合わせしないと。ウチの旅館、私がいないと全然ダメだから」

 そう言って雪子は小さく笑う。
 その様子はどこか自嘲的にも見え、雪子の多忙ぶりを窺わせる。

「……えと、また学校でね」

 心配そうな鏡の様子に気付いた雪子が、そう言って逃げるように帰って行く。
 その様子に、このまま体調を崩さなければ良いのだがと鏡は思う。

「おかえりなさい」

「ただいま、菜々子ちゃん。今日はハンバーグで良いかな?」

「うんっ!」

 帰宅すると、遼太郎はまだ戻ってきてないようで、菜々子が一人でテレビを見ていた。
 鏡は買って来た食材を取り出すと手を洗い、菜々子と一緒に晩ご飯の準備をする。
 一緒に食事の準備をするのが楽しいのか、ここの所は菜々子も積極的に鏡の手伝いをしてくれる。
 出来合いの物ではなくて、一から作るハンバーグに菜々子は楽しそうだ。
 今日のメニューは、煮込みハンバーグとコーンスープだ。


 遼太郎は今日も遅いようなので、菜々子と二人で晩ご飯を摂り、遼太郎の分は暖めるとすぐに食べられるように用意しておく。
 食べ終えた食器を洗って、菜々子とテレビを見ているとテレビのニュースで山野アナの事件の続報が流れていた。
 ニュースによると、未だに犯人の目撃情報は無く、捜査は難航していると報じられる。
 遼太郎を心配する菜々子を慰めていると、ニュースは雪子の実家である“天城屋旅館”の事を報道していた。

『えー、事件後、女将が一線を退き、今はこちら、一人娘の雪子さんが代わりを務めています』

 テレビには、帰りしなに出会った和服姿の雪子が映っていた。
 鏡は菜々子に、テレビに映っているのが以前に話した雪子であることを教える。
 その間にも、雪子は無遠慮なリポーターからのセクハラ紛いのインタビューを受けて困惑していた。

「……雪子お姉ちゃん、かわいそう」

 インタビューに困る雪子を見て、菜々子がそう零す。
 鏡も菜々子に同意見で、本当にこの番組のスタッフは大丈夫なのかと不安になる。
 時間も遅くなったので、鏡は菜々子とお風呂に、入り上がった後で菜々子の髪を乾かしてあげる。
 髪を乾かす間、菜々子は眠そうにしていたので、乾かし終えてすぐに菜々子を休ませた。


 菜々子が眠った事を確認して、鏡も自室へと戻り0時になるのを待つ。
 今日も雨なので、マヨナカテレビに何かが映るかも知れないからだ。
 本当なら、何も映らない方が良いのだが念の為に確認する事は必要だ。

――時計の針が午前0時を過ぎる

 電源の入ってないテレビに、またしても映像が映る。
 どうやら、条件さえ揃えば何度でも見られるようだ。
 画面に映っている人物は女性のようで、和服を着ているように見える。
 どことなく、和服を着た雪子のようにも見えるが、画像がハッキリしておらず確証が持てない。


 鏡はふと、マヨナカテレビの映像に手を入れたらどうなるのか疑問に思った。
 ひょっとすると、映っている人物に触れる事が出来るかも知れない。
 疑問を確かめるべく、鏡はテレビに触れてみる。

「っ!?」

 しかし、画面に手を入れた瞬間、映像は消えてしまい触れる事は出来なかった。
 期待はしていなかったが、そう簡単には行かない事に僅かな失望を感じる。
 取り敢えず、明日になったら今見た事を陽介と話した方が良さそうだ。
 そう思い、鏡は今日の所は眠る事にして布団に入り就寝する。




 不思議な夢を見た。
 そこは青で統一された車の中のような場所で、目の前には鷲鼻の老紳士がソファに座りテーブルに肘をついている。
 その隣には、ウェーブがかったプラチナブロンドの髪を青いカチューシャで留めた理知的な美女が座っていた。
 驚く鏡に、目の前の老紳士“イゴール”が夢の中にてお呼び立てしたのだと説明する。

「ようこそ、ベルベットルームへ。また、お会いできましたな」

「ここは、何かの形で“契約”を果たされた方のみが訪れる部屋……」

 イゴールの言葉を継いで、鏡に説明する美女は確か“マーガレット”と名乗っていたか。
 鏡は、稲羽市に向かう電車の中で見た夢を思い出す。
 夢の中で鏡はイゴールに、近く契約を果たし再び“ベルベットルーム”に訪れる事になるだろうと言われた。
 その言葉通り、鏡は今こうしてベルベットルームへと訪れている。

「これをお持ちなさい」

 そう言って、イゴールが鏡に青い鍵を手渡す。
 それは“契約者の鍵”と呼ばれる物で、ベルベットルームの客人である証だとイゴールが説明する。
 以後、鏡はベルベットルームの客人として、イゴール達の手助けを受ける事が出来るという。
 その事に対する対価はただ一つ。“契約”に従い、自身の選択に相応の責任を持つことのみ。
 イゴールからの説明に鏡が頷くと、満足そうに頷いたイゴールが鏡に説明を続ける。

 ペルソナとは、様々な困難と相対するため自らを鎧う“覚悟の仮面”であること。
 そして鏡のペルソナ能力は“ワイルド”と呼ばれる特別なもので、空っぽに過ぎないが無限の可能性を秘めている。
 言わば、数字のゼロのようなもの。何ものでもないが、何にでもなれる可能性を秘めた力……

「ペルソナ能力は“心”を御する力……“心”とは“絆”によって満ちるもの」

「絆……?」

 他者と関わる事で“コミュニティ”を築き、絆を深める事によってペルソナ能力が伸びる。
 イゴールはそう説明し、鏡だけのコミュニティを築くように勧める。

「それだけでなく、コミュニティはお客様を真実の光で照らす、輝かしい道標ともなってゆくでしょう」

「貴女に覚醒した“ワイルド”の力は何処へ向かう事になるのか……ご一緒に、旅をして参りましょう……フフ」

 マーガレットが説明を補足し、イゴールは鏡の力の行く末を見届けるため、共にゆく事を申し出る。

「では、再び見えます時まで……ごきげんよう」

 イゴールのその言葉を最後に鏡の意識は遠のき、今度こそ本当に眠りにつくのだった。




2011年03月23日 初投稿
2011年04月15日 誤字修正
2011年06月04日 誤字修正
2014年06月27日 誤字修正



[26454] 雪子姫の城
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2014/06/27 00:25
――――再びマヨナカテレビに映った彼女の姿

   その姿は普段の彼女とはあまりにもかけ離れている

       普段の彼女とテレビの中の彼女

     どちらが本当の彼女なのだろうか……?




 事件の捜査が難航しているのか、翌朝になっても遼太郎は帰ってこなかった。
 鏡が心配する菜々子を気遣うも逆に、刑事だから仕方がないと返されて胸を痛める。
 二人で朝食を摂り、いつものように分かれ道で別れてから暫く歩いていると後ろから陽介に呼び止められた。

「よっ、おはよーさん。昨日の夜中の、見たろ?」

 自転車から降りた陽介が声を潜めて鏡に問いかける。
 陽介にも誰が映ったのかまでは分からなかったらしく、早紀の見舞いに行った後で様子を見に行かないかと誘われた。

「そうしたいけど、菜々子ちゃんを連れて行くのは拙いと思う」

「そっか、菜々子ちゃんも来るんだったな。よし、クマからは俺が話を聞いておくから、姉御は菜々子ちゃんと買い物をしておいてくれ」

「姉御?」

 鏡は陽介の“姉御”という言葉に呆気にとられた表情になる。
 その様子に陽介は笑って、お嬢というより姉御ってイメージだからと昨日の件を引き合いに出して説明する。
 些か釈然としないモノを感じるが、陽介がそう呼びたいのならそれで良いかと、鏡は好きに呼ばせる事にした。

「また誰かが放り込まれたんだとしたら、やっぱ、マジでいるのかもな、“犯人”……」

 憤りを感じた様子で陽介が話す。
 被害者が死ぬ直接の原因はテレビの中での出来事だが、あの世界を凶器として使っている人物を許せないと陽介は言う。
 それは鏡も同じ気持ちで、陽介は鏡に自分達で犯人を絶対見つけようと意気込む。
 警察では“人をテレビに入れてる殺人犯”を捕まえる事は不可能だ。
 あの後、ペルソナを得た陽介も鏡のようにテレビに入れないか試したところ、入れるようになったと言う。

「けど、テレビに入るのも、ペルソナも、姉御が最初にやってのけたんだよな……」

 警察に頼れない以上、テレビに入れる自分達が犯人を見つけ出すしか無い。
 陽介は、鏡とならこの事件を解決出来そうな気がすると晴れ晴れとした表情で話す。
 その瞬間、鏡の脳裏に声が響き渡る。

     我は汝……、汝は我……

   汝、新たなる絆を見出したり……


   絆は即ち、まことを知る一歩なり


 汝、“魔術師”のペルソナを生み出せし時

  我ら、更なる力の祝福を与えん……

 陽介との絆に呼応するように、“心”の力が高まるのを感じる。
 おそらく、コレがイゴールの言っていた“コミュニティ”なのだろう。

「おっと、このままだと遅刻しちまうな、行こうぜ姉御」

 陽介に言われて鏡達は学校へと急ぐ。
 教室に着いて、陽介とマヨナカテレビとテレビの中の世界について考察していると千枝が登校してきた。
 ただ、心なしか思い詰めたような表情をしており、様子がおかしい。
 千枝は教室を見渡し鏡達を見つけた途端、駆け寄ってくる。

「里中、慌ててどうした?」

「ねぇ、雪子、まだ来てない?」

「今日はまだ見てないけど?」

 不審に思った陽介が千枝に話し掛ける。
 千枝は雪子が来ていないか訊ねるが、今日はまだ陽介も鏡も雪子の姿は見ていない。
 鏡の答えに千枝の表情が青ざめてくる。

「ウソ……どうしよう……ねえ、あれってやっぱホントなの?」

「何のこと?」

「その……マヨナカテレビに映った人は“向こう側”と関係してるってヤツ」

「ああ、今ちょうどその話をしててさ、小西先輩の見舞いの帰りに確かめに行こうかって」

「昨日、映ってたの……雪子だと思う」

 その言葉に陽介と鏡は驚く。
 千枝の説明によると、あの和服は旅館でよく着ているのと似ていて、先日のインタビューでも着ていたという。
 言われてみて、鏡もマヨナカテレビに映っていた女性の着ていた和服が、雪子の着ていた物に似ている事に気付く。

「心配だったから夜中にメールしたんだけど、返事こなくて……でも、夕方頃にかけた時は、今日は学校来るって言ってたから……」

「分かったから、落ち着けって。で、メールの返事はまだ無いのか?」

 陽介の質問に千枝は頷く。
 鏡は向こうの世界で得た情報をかいつまんで千枝に伝える。
 その説明で千枝は、雪子が向こうの世界に入れられたのかと不安になる。

「分かんねーけど、そう言う事なら、とにかく天城の無事を確かめんのが先だろ。里中、天城に電話!」

 陽介の言葉に千枝が雪子の携帯に電話をするが、留守電になっていて繋がらないという。

「旅館が忙しくて、その手伝いをしている可能性は?」

「そっか、それなら携帯に出られないかも……旅館の方にかけてみる」

 鏡に言われて千枝が天城屋旅館へと電話をかける。
 電話が繋がった瞬間、千枝の表情が明るくなった。どうやら雪子が出たらしい。
 少し話をして、後でメールを入れるからと言って千枝は携帯を切る。

「急に団体さんが入って、手伝わなきゃいけなくなったって。それで、明日もずっと旅館の方にいるって」

 二人にそう説明する千枝は、心底ほっとした表情だ。

「……って、二人が変な事言うから要らない心配しちゃったじゃん!」

「わ、悪かったって……けど俺らも、そう思いたくなる訳があんだよ」

「……どんな?」

 千枝の疑問に、マヨナカテレビに映った人物は“向こうの世界に居るのではないか”と推測していた事を話す。
 推測の理由は“テレビの中に居るからテレビに映るのではないか”というものだ。
 しかし、雪子は未だ現実にいる事によって、推測に見落としがないか検討の余地があるとも説明する。

「ともかく、先輩の見舞いが終わったらジュネスに集合な」

「それじゃ、お見舞いが済んだらメールして。あ、鏡はあたしの携帯の番号知らなかったか」

「そういや、俺も姉御の番号知らないな。何かあった時に困るから今の内に交換しておくか」

 そう言って、鏡達はお互いの携帯番号とメールアドレスを交換する。
 これで緊急時にも連絡を取る事が可能だ。
 そうしている内に諸岡がやってきてHRが始まった。




 放課後。
 菜々子と待ち合わせをしていた鏡と陽介は、稲羽市立病院へと向かう。
 途中、お見舞いの品にお菓子の詰め合わせを購入して早紀の病室前までやってきた。
 病室の扉をノックすると、妙齢の女性が病室から現れた。

「はい、どちら様?」

「小西先輩の後輩で神楽と申します。先輩のお見舞いに来たのですが宜しいですか?」

「ああ……貴女が早紀を見つけてくれた子ね! どうぞ、入ってちょうだい。ただ……」

 鏡が早紀の恩人である事を知った女性が鏡達を招き入れるが、何故か言葉の最後は良いよどんんだ。
 その様子に引っかかりを覚えたが、取り敢えずは病室へと入る。

「早紀、あなたを見つけてくれた後輩の神楽さんよ」

 鏡達が病室に入ると、ベッドから身を起こした早紀が鏡達を見ていた。
 ただ、その表情はどこか戸惑っているようにも見える。

「先輩、身体の調子はどうッスか?」

 軽く手を挙げて陽介が早紀へと話し掛けるが、早紀は訝しげな表情で陽介を見ている。
 普段と違う早紀の姿に戸惑う陽介へ、申し訳なさそうな表情で早紀が謝る。

「ごめんね。キミが誰か、今の私には分からないの」

 その言葉に陽介達は驚く。その姿を見て、女性が陽介達に説明をする。
 稲羽市立病院に輸送された早紀が意識を取り戻して診察を受けたところ、過去1年位の記憶が失われている事が分かった。
 そのため、その間に知り合った相手の事を含めて記憶と現実との齟齬を確認するため暫くの間は入院の必要があるとの事だ。

「そんな……」

 早紀が記憶を失っていた事実に陽介は愕然とする。
 鏡と菜々子は知り合ってまだ日も浅いので、それほどの問題は無かったが、菜々子は悲しそうな表情をしていた。

「そっちのあなたもごめんね。恩人なのに覚えていなくて」

「いいえ、気にしないでください。それよりも先輩、記憶の方は回復の見込みはあるのですか?」

「診断では何かのきっかけで思い出すかもって言われたけど、微妙だね。でも、全部を忘れた訳じゃないから、まだ大丈夫だよ」

 そう言って早紀は平気だというが、どことなく無理をしているようにも見える。
 その事に鏡は気付かないふりをして、改めて自分達の自己紹介を行う。
 早紀は菜々子が気に入ったのか、何かと菜々子を気にかけており、菜々子から色々と話を聞いている。
 菜々子も早紀を気遣ってか、早紀に負担をかけないよう、早紀の傍で学校での事や鏡とご飯の準備をした時の事などを話す。


 陽介が自己紹介した時に付き添いの女性が僅かに驚いた表情になる。それを見て、陽介は当然の反応かと思った。
 付き添いの女性は早紀の母親で、陽介がジュネスの店長の息子だと知っている様子を見せたからだ。
 ただ、陽介が思っていたような拒絶の様子は見せていない。
 恩人である鏡の手前なのか、気にしていないのかは解らないが、それが陽介には有り難かった。

「それでは、長居をするのも申し訳ないですから、私達はそろそろお暇しますね」

 お見舞いの品を渡し暫く話をしたところで、鏡はそう言って病室を後にしようとする。

「ちょっと待って。良かったら、また来てくださいね。花村君も、お家の事は気にせず来て頂戴」

 帰ろうとする鏡達を呼び止め、早紀の母親がそう話し掛けてくる。
 その言葉に陽介は驚いた表情を見せるが、すぐに表情を綻ばせてその申し出に嬉しそうに頷いた。
 とはいえ、独りだと気まずいので皆と一緒に来ると照れ隠し気味に話していたが。




 帰り道。
 ジュネスへと向かう中、鏡と陽介は複雑な気分だった。
 二人は早紀からあの世界にいた経緯を聞いて犯人へと繋がる情報が得られるのではないかと考えていた。
 しかし、早紀の記憶が失われるという予想外の事態でそれも叶わなくなった。
 こうなると予定通りにクマから話を聞いて、向こうの世界の状況を知る必要がますます高まった。

「ジュネスに付く頃にはタイムセールに入っているな。今日はカボチャと鰆がお勧めで狙い目だぜ」

 菜々子と買い物に行く鏡に陽介が今日のお勧めを教える。
 鏡が買い物に行っている間に陽介と千枝がクマに話を聞きに行く手筈となっており、千枝に連絡済みだ。
 ジュネスに到着して陽介と別れた鏡は、菜々子と一緒に買い物へと向かう。

「お姉ちゃん、今日は何を作るの?」

「そうだね。お勧めは鰆とカボチャって話だったから、鰆ときのこでホイル焼きを作って、カボチャの煮付けとおみそ汁かな」

 献立を聞いてくる菜々子に、鏡が陽介から聞いたお勧め食材を使ったレシピを挙げる。
 みそ汁の具はオーソドックスに豆腐とワカメにしようかとレシピを頭の中で煮詰めていく。
 デザートにはカボチャのプリンでも作ろうかと、レシピを決めた鏡は菜々子と一緒に必要な食材を取りに行く。

「菜々子ちゃん、おーっす!」

 買い物を済ませて待ち合わせ場所のフードコートに行くと、千枝が鏡達を出迎える。
 離れた場所でテーブルに着いている陽介は、どうしたのか表情をしかめて右手を押さえている。

「あ、千枝お姉ちゃん!」

 千枝に気付いた菜々子の表情が明るくなる。
 鏡達と合流した千枝は、鏡の手にする買い物袋を見て献立は何かを訊ねてくる。
 千枝の質問に今日の献立とデザートにカボチャのプリンを作ろうと思っている事を話すと、千枝と菜々子は驚いた表情になった。

「鏡、デザートとかも作れんの!?」

「お姉ちゃん、すごーい!」

 二人の尊敬のまなざしに鏡は苦笑を浮かべ、覚えたら簡単に作れるよと話す。
 陽介の待つテーブルに着いた鏡達は買い物袋をテーブルに置く。

「菜々子ちゃん、一緒に皆の分のジュースを買いに行こうか?」

「うんっ」

 千枝がそう言って菜々子と一緒にジュースを買いに行く。

「クマから何か話は聞けた? というか、右手、どうかしたの?」

「ああ、これな。クマのヤツに思いっきり噛まれた」

 鏡の問いかけに、陽介がさすっていた右手を鏡に見せる。見ると見事な歯形が付いており、かなり痛そうだ。
 痛む手をさすりながら陽介は、鏡達が買い物に行っていた間に聞いたクマからの情報を伝える。
 今の時点で向こうの世界には誰も入ってきてはいないらしい。
 それでも千枝は雪子の事が気になるのでこの後で気をつけるように言いに行くらしい。
 土日は旅館が忙しく、一人で出歩く事は無いとは思うが、気をつけるに超した事は無い。

「ただいま、コーラで良かったよね?」

 暫くして、買い出しに行っていた千枝達が戻ってくる。
 小腹が空いていたのか、千枝はコーラだけでなくハンバーガーも購入しているようだ。

「菜々子ちゃんにも何か奢ってあげようかと思ったけど、鏡達は帰ったらご飯なんだよね?」

「そういや、前から気になってたんだが、神楽が飯を作っているのか?」

 千枝の言葉を聞いて、陽介が気になっていた事を鏡に訊ねる。

「菜々子ちゃんにも手伝って貰っているから、私だけって訳じゃないよ」

 菜々子から手渡されたコーラを一口飲んで鏡が答える。
 鏡が堂島家に来てからは、作れるときは鏡が台所に立ってご飯を作るようになった。
 出来合いの物はどうしても栄養が偏る上、野菜とかも不足がちになるので、菜々子の成長も考えての事だ。
 遼太郎も、初めて鏡が作った料理を見て『そこまでしなくても良い』と言ってくれたが、先の説明で納得させている。
 菜々子の成長に関しては言っていないが、遼太郎も気付いていたのか『済まんな』と一言だけ鏡にお礼を述べていた。

「お姉ちゃんのご飯、美味しいから菜々子大好き!」

 そう言って、菜々子は満面の笑みを浮かべて鏡の腕にしがみつく。
 本当の姉妹のような様子に、千枝と陽介は表情を綻ばせる。
 鏡も菜々子に慕われるのが嬉しいのか、空いている方の手で菜々子の頭を撫でる。

「そっちも準備があるだろうから、そろそろ帰らないと拙いな」

 時計を確認した陽介がそう話す。
 千枝も天城屋旅館に向かう時間を考えると、そろそろ出ないと拙そうだ。

「今日も雨だから、念のため今夜も確認な」

 菜々子の手前、マヨナカテレビの事を話せないので曖昧な言い方で二人に説明する。
 鏡と千枝もその事は解っているので、陽介の言葉に頷くだけにとどめた。
 バス停まで千枝を見送りに行き、自転車で来ている陽介も先に自宅へと帰る。




 菜々子と仲良く戻った鏡は帰宅すると手を洗い、買い物袋から使わない食材を冷蔵のに入れると晩ご飯の支度を始める。
 カボチャはあらかじめレンジで温める事によって柔らかくして切りやすい状態にする。
 鰆は切り身で買ってきたので、アルミホイルに他の具材と一緒に入れて身がパサパサにならないように少量の料理酒を入れる。

「お姉ちゃん、カボチャの種を綺麗にしているけれど、どうして?」

 途中、鏡が取り除いたカボチャの種を洗っているのを見て菜々子が不思議そうに訊ねる。

「カボチャの種にはね、栄養が沢山入っていて料理にも使えるんだよ」

 カボチャの種は栄養価かが高く、南瓜仁という生薬にもなっている。
 とはいえ、殻を剥くまで中身がどれだけ詰まっているのか解らないので、磨り潰してソースにしようかと鏡は考える。
 鏡の説明に目を丸くした菜々子の様子に、母親からこの話を聞いた時の自分も、きっとこんな表情をしていたんだろうなと思う。


 カボチャの煮付けが一番時間が掛かるので、それに合わせて他の分の調理を進めながらプリンの準備もする。
 煮付け用とは別に取っておいたカボチャで下拵えを済まし、菜々子と一緒に作業を進める。
 デザート作りが初めてだった菜々子は楽しそうにカボチャの裏ごしを行っていた。


 料理が出来る頃にはプリンも冷蔵庫に入れ、後は1時間ほど冷やせば完成だ。
 遼太郎は今日も遅くなると連絡があったので、菜々子と二人で晩ご飯を食べる。
 ご飯を食べ終えた鏡達は、食器を洗い終わるとクイズ番組を二人で見る。
 菜々子と一緒に番組で出題されたクイズに答えていく。

「菜々子ちゃん、そろそろお風呂に入って眠らないと駄目だよ」

 明日が日曜日とはいえ、菜々子くらいの年の子が夜更かしするのはあまり良くない。
 菜々子は鏡の言葉に頷くと、テレビの電源を切って自室へ着替えを取りに行く。
 鏡も用事がない時は菜々子と一緒にお風呂にはいるので、自室へと着替えを取りに行く。
 二人でお風呂に入り上がった後、菜々子を寝かし付けた鏡はマヨナカテレビを確認するために自室へと戻る。




――同じ頃

 雨の降りしきる中、山野真由美の遺体発見現場では、遼太郎達が更なる手掛かりを見つけるべく捜査を続けていた。
 しかし、ここ数日の雨のせいもあり、捜査は難航しているのが現状だ。

「やっぱこれ以上は出なそうスね。犯人に直接つながる物証は無しか……」

 透明なビニール傘を差した足立が現場で指揮を執る遼太郎に話し掛ける。

「まだ殺しと決まった訳じゃない」

「殺しですよ絶対! あんな遺体、事故死な訳ないですって!」

「……まあな」

 事件か事故かすら判断が付いていない状況ではあるが、足立が言うとおり事件と見る方が筋が通る。
 遼太郎自身も事件であると見ているが、それすら特定する証拠が掴めない事が捜査を更に難航させている。
 事件当初、三角関係のもつれによるものと見られたが、海外公演中の柊みすずのアリバイは固く通話記録も残っている。
 そもそも、愛人問題がメディアに出たのは柊みすず本人が会見で暴露したからだ。
 柊みすず本人が犯人だとして、自身に疑いが向くような発表はしないだろう。


 生田目太郎にしても、揺さぶりをかけてみたが何も不審な点は見られなかった。
 スキャンダルで最近町に戻ってきてはいるが、事件当時は市外の議員事務所に詰めていた事は裏が取れている。
 山野真由美が死んだ日も泊まり込みで作業していたという証言も取れている。

「おまけに山野の方にも、失踪前後に生田目と接触した形跡は全く無いときてる……」

「この事件で騒がれたせいで、生田目のヤツ、秘書をクビになってますからねぇ」

 おそらく、関係者の中で一番の被害者は生田目太郎本人だろう。

「それにしても、小西早紀から証言が得られなかったのは予想外でしたね」

「まさか、ここ1年の記憶を無くしているとはな……」

 遺体発見者である小西早紀が行方不明になったと連絡があって、山野真由美の死が事件である可能性が高くなった。
 口封じのために攫われたのでないかと思われたからだ。

「小西早紀を発見したのって、堂島さんの姪御さんなんですよね?」

「あぁ、家の都合で預かる事になってな。あいつの証言で一つおかしな点があるんだ」

「おかしな点?」

 鏡からの証言で、小西早紀は傘を持っておらず雨にも濡れていない事が解った。
 たまたま雨が止んでいた時に移動した可能性も否定は出来ないが、雨の中で傘を持たずに出歩くのはあり得ない。

「えっ!? それって……」

「あぁ、小西早紀はその場に放置された可能性があるという事だ」

 そうなると、消去法で事故では無く事件絡みと見た方が良いだろう。
 犯人の動機や目的は不明だが、何かしらの意図があって小西早紀を攫ったと見るべきだろう。

「それじゃ、小西早紀を攫った犯人は用済みになったから解放した、という事ですか?」

「まぁ、その辺も含めて、今はガイ者まわりをしつこく洗うしかねえか……犯人……町の人間だな」

「おっ、出ましたね、刑事の勘!」

 遼太郎の呟きに、足立が楽しそうに話す。
 危機感の無いその様子に、遼太郎が足立を睨み付ける。
 睨まれた足立は自身の失言に気付き、慌てて居住まいを正す。

「ったく、戻ったらもう一度ガイ者まわりを洗い直すぞ!」

「はいっ!」

 そう言って捜査に戻る遼太郎はふと、菜々子の事を思った。
 仕事の関係で家を空ける事が多く、随分と寂しい思いをさせて来たが、今は鏡が傍にいる。
 それだけでも随分と助けられているのだが、食事の用意や家事までしてくれている。
 実の親の自分より、鏡の方が余程と親らしい。ひょっとすると、その辺りも含めて、姉は鏡をこちらの預けたのかも知れない。
 この年にもなっても姉に気遣われている自身を不甲斐なく思う。
 一刻も早く事件を解決して、家族でゆっくり過ごせるよう努力するほか無いと遼太郎は気持ちを引き締めた。




――午前0時

 マヨナカテレビにまたしても映像が映る。

「こ~んばんわ~♪」

 しかし、テレビに映ったその内容に、鏡は自身が見ているものが何かを理解するまで、一瞬の間があった。

「えっ~と、今日は私“天城雪子”がナンパ、“逆ナン”に挑戦してみたいと思いま~す」

 ドレスを着た雪子がマイクを持ってリポーターのように振る舞っている。
 よく見ると、画面の右下には『女子高生女将 突撃逆ナン大作戦!!』とご丁寧にタイトルまで書かれている。
 どこかのバラエティ番組のような構成に、性格が豹変したかのような雪子の立ち居振る舞い。
 画面に映る雪子が、楽しそうに古城の中へと去って行った姿を最後に映像が終了する。
 少しして、鏡の携帯電話から着信音が鳴る。画面を見ると千枝からだ。

『ねぇ、今の何!? 逆ナンとかって雪子、性格が全然違うし……変な古城に入って行っちゃうし……あたし、どうしたら……』

「千枝、落ち着いて。まずは雪子に連絡して安否の確認」

『そ、そうだね! 雪子に連絡しないと……花村の方には』

「彼には私から連絡するから、明日、朝一でジュネスに集合。良いわね?」

『わ、解った。それじゃ明日ね!』

 慌てる千枝を宥めて、雪子の安否を確認するように伝えて電話を切った鏡はすぐさま陽介へと連絡を入れる。
 ワンコールで出た陽介に、鏡は先ほど千枝から電話があった事、雪子の安否の確認を頼んだ事を伝える。

『解った、ともかく明日の朝一でジュネスに集合して、里中から話を聞かないとな』

「うん、それじゃ、また明日ジュネスで」

 陽介との電話を終えた鏡は、明日に備えて早めに眠る事にする。
 本当ならば今すぐにでも出向きたいところだが、今はジュネスの営業時間ではない。
 はやる気持ちを抑えて鏡は就寝することにした。




 翌朝になり、早くに目が覚めた鏡は身支度を調えると居間へと降りる。

「あ、おはよ、お姉ちゃん」

「おはよう。菜々子ちゃん、早起きだね」

「お父さん、早おきだったから、いっしょにおきた。かえり、おそいって」

 居間には菜々子が一人でジュースを飲んでおり、遼太郎は今日も早くから捜査に出掛けたようだ。
 これで鏡まで出掛けると、菜々子が一人で留守番をする事になる。
 とはいえ、菜々子をジュネスに連れて行く訳にもいかないので、鏡はどうしたものかと考える。

「出掛けるの? るすばん、できるから」

 菜々子がそう言って、鏡に大丈夫だと伝える。
 リモコンを操作してテレビの電源を入れると、ちょうど天気予報が流れており、今日の稲羽市は快晴だそうだ。

「晴れだって。せんたくもの、ほそうっと」

「ごめんね、菜々子ちゃん。お昼はこの間のハンバーグを冷凍してあるから、レンジで温めてね」

「うん、行ってらっしゃい、お姉ちゃん」

 後ろ髪を引かれる思いで菜々子を残し、鏡はジュネスへと向かう。
 ジュネスへと到着した鏡はフードコートで陽介と千枝がやってくるのを待つ。
 暫くして陽介が後ろ手に何かを隠し持ってやってきた。

「わり、お待たせ。バックヤードから、いーもの見っけてきたから。見てみ、どーすかコレ!」

 そう言って、陽介が後ろに隠していた物を鏡に見せる。
 それは模造刀と鉈だった。

「いくら“ペルソナ”があるからって、武器も無しじゃ心許ないからな」

 そう言って、陽介はそれらを構えてポーズを決めてみせる。

「挙動不審の少年を発見。刃物を複数所持し、近くにいる少女の前で振り回しており、至急応援求む」

 その様子を巡回中だった警察官が発見し、無線で応援を呼ぶ。
 その声が聞こえた陽介は、ギクリとして慌てて背後に模造刀を隠すも警察官に見つかっているため、意味がない。
 警察官は急ぎ足で鏡達の傍までやってくると、鏡を背に庇うように陽介の前に立ちはだかる。

「は……? あ、や、ちょっ……いや、いやいやいや、何でもないッスよ。コレ別に、万引きとかじゃなくて……」

 慌てた陽介が支離滅裂な言葉を発して、警察官に言い訳をする。
 警察官に庇われた鏡は溜息を一つ付くと陽介の傍に近寄り、頭を軽く叩く。

「って!?」

「お騒がせして申し訳ありません。彼、演劇の役作りに夢中になってしまって、ついこんな事を……」

 陽介を叩いた鏡は神妙そうな表情を作ると、警察官に向かって深々と頭を下げる。
 その様子に呆気にとられた警察官に、鏡の説明は続く。

「私、稲羽警察署勤務の堂島遼太郎の姪で、神楽鏡と申します」

「えっ? 堂島刑事の姪御さん?」

 鏡の自己紹介に驚く警察官へ、遼太郎から常々危険な事はするなと言われていたにも関わらず、騒ぎを起こしてしまった事。
 その上、クラスメイトのこのような行動を止める事が出来なかった自身の不備を謝罪する。

「最近の事件でお忙しいところ、軽挙妄動な騒ぎを起こして本当に申し訳ありません。ほら、あなたもちゃんと謝る!」

 そう言って、陽介の頭を掴み警察官に自身共々、頭を下げる。
 呆気にとられた陽介は鏡のなすがままに頭を下げて謝罪する。

「あぁ、解ったから二人とも顔を上げて。堂島刑事に君のような姪御さんが居たとはね」

 警察官は鏡の態度に毒気が抜かれたのか、先ほどとは違って態度が軟化している。

「反省しているようだし、今回は不問にするけど、役作りに夢中になるのも程々にしなさい。良いね?」

「はい、ありがとうございます。お仕事の邪魔をして本当に申し訳ありませんでした」

「すんませんでした!」

 呆れたように二人に注意する警察官に鏡達は再び謝罪する。
 不問にするとは言われたが、流石に凶器を携帯するのは問題があるとの事で押収されてしまった。

「全く、気持ちは分かるけれど、軽挙妄動は控えてね?」

「面目ない……」

 警察官が立ち去ったのを確認してから、鏡が陽介に抗議する。
 鏡の抗議に様子は項垂れて、テーブルに突っ伏したままだ。

「あ、居た! って、どうかしたの?」

 遅れてやってきた千枝が、様子のおかしい陽介を指さして鏡に訊ねる。

「それは後で説明するから。それより、雪子は?」

「それなんだけど。携帯に何度かけても繋がらなくて……家行ってみたら、雪子、ホントに居なくなっちゃってて……!」

「そうか……やはり向こうに行くしかないようね」

 千枝の説明に思案顔になった鏡はそう言うも、装備も無しにあの世界に行くのは危険すぎる。
 鏡は千枝に先ほどの出来事を話し、せめて防具だけでもどこかで手に入らないか二人に訊ねる。

「武器……? あたし、知ってるよ!」

 千枝の言葉に鏡と陽介は驚く。
 驚く二人に「一緒に来て」と言って千枝が向かった場所は、稲羽中央通り商店街にある“だいだら.”という店だ。

「ほら、ココ!」

「な……何屋?」

 陽介が唖然とした表情で千枝に訊ねる。
 そうなるのも無理はない。店内の至る所に、武器や防具が所狭しと並べられているのだ。
 千枝の説明によると、金属製品を扱っている工房との事だが、銃刀法違反でよく訴えられないものだと鏡は思った。
 しかし、この店ならあの世界で身を守る装備を調達する事が可能なのは間違いがない。
 二人に付いて行く気の千枝に、陽介が思い留めるように説得する。
 陽介の説得に千枝は雪子の命に関わるので絶対に行くと癇癪を起こす。

「里中、真面目に言ってんだ。“向こう”の事、色々分かんないだろ! 忠告聞けないなら、来ないで待ってろ!」

「どうしても行く気なら、せめて身体を守れる防具だけここで用意して」

 陽介の言葉を継いで鏡も千枝を説得する。
 二人の真剣な様子に、千枝も渋々とながら頷き防具を選ぶ。

「なあ、姉御。俺の分も見立ててくれないか? 今のところ戦力的に切り札はそっちだし姉御の戦いやすい方が良いと思う」

 そう言って、陽介は鏡に5千円を手渡す。鏡は自分の手持ちと合わせて何が購入できるか商品を見る。
 千枝は早々に会計を済ませてしまい、鏡が買い終わるのを待っている。
 商品を見てみると、値段的に武器か防具どちらか一つしか購入できない事が分かった。
 鏡は少し考えてからまずは身を守る事を優先するべく鎖帷子を2つ購入する。

「後はどうやってジュネスに持ち込むかだな……」

「制服着ちゃえば良くない? 上から。結構分かんないと思うよ」

「それしかないか……んじゃさ、一旦解散して準備しようぜ。セールが始まる前に入れれば見つかる事はないだろうから」

 陽介の提案で一度着替えてから後でフードコートに集合となった鏡達はだいらだ.を後にする。
 今回は制服で何とか誤魔化せれば良いが、本格的に持ち込む方法を考えないと拙そうだ。
 陽介達と別れ着替えに戻ろうと歩き出した鏡のすぐ傍に、突如として青く光る扉が現れる。
 鏡以外には見えていないのか、誰もその不可思議な扉に意識が向かないようだ。

『ついに始まりますな……では、しばしお時間を拝借すると致しましょうか……』

 脳裏に響く声に呼応するかのように“契約者の鍵”が光を放ち始める。
 その光が鏡の視界を覆い尽くすと、どこかで扉が開く音が聞こえた。

「お待ちしておりました」

 気が付くと、ベルベットルームに鏡は招待されていた。

「貴女に訪れる災難……それは既に、人の命を奪い取りながら迫りつつある……ですが、貴女は既に、抗うための“力”をお持ちだ」

 そう言って、イゴールは“ペルソナ”を使いこなす時が訪れた事を鏡に告げる。
 鏡のペルソナ能力は“ワイルド”。正しく心を育めば、どんな試練とも戦い得る“切り札”となる力らしい。
 イゴール達の役割は、一人で複数のペルソナを使い分ける事が出来る鏡の“新たなペルソナ”を生み出す事。
 複数のペルソナを合体させる事により、新たなペルソナを誕生させる事が出来るらしい。

「敵を倒した時、貴女には見える筈だ……自分の得た“可能性の芽”が、手札としてね」

 イゴールが説明を終えると、次はマーガレットが自身の持つ書物を鏡に見せる。

「右手に見えますのは“ペルソナ全書”でございます」

 ペルソナ全書とは、鏡が所持しているペルソナを登録する事によって、登録した状態のペルソナをいつでも引き出せる書物だ。
 引き出すためには相応の金銭が必要となるので利用は考えて行わなくてはならなさそうだ。

「次にお目にかかります時は、貴女は、自らここを訪れる事になるでしょう。では、その時まで。ごきげんよう」

 イゴールの言葉を最後に、鏡の意識が遠くなる。気が付くと、鏡は先ほど現れた扉の前に立っていた。
 長い時間ベルベットルームに居たと思ったが、時計を確認したところ時間は経過していないようだ。
 鏡は急いで帰宅すると、制服に着替える。
 鎖帷子を装備しようとしたが、流石に上に制服は着る事が出来ないので、大きめの鞄に入れてジュネスへと持っていく事にする。
 制服に着替えた鏡を菜々子が不思議そうに見ていたが、流石に今は気にしている余裕はない。
 菜々子にはまだ用事があるので、お腹が空いたら先にご飯を食べていても良いからと言ってジュネスへと向かう。
 出来る事なら、夕飯までには帰宅して菜々子を安心させたいと鏡は思う。



 フードコートに到着すると、陽介と千枝が先に来ていて鏡の到着を待っていた。

「制服、日曜だから、ちょっと目立つな。タイムセールはまだだから、今なら気付かれずに向こうに行けるぜ」

「千枝、止めても無駄だと思うから、連れて行くけれど、無理だけは絶対しない事。約束できる?」

「……分かった」

 向こうの世界の危険性を理解していない千枝に、鏡が念を押して忠告する。
 千枝は二人と違いペルソナ能力を宿していない。そのため、千枝が一番危険なのだ。
 向こうの世界では、千枝は自分達の後ろでクマと共に居る方が良いかも知れない。
 一抹の不安を抱いたまま鏡達は向こう側の世界に移動する。

「わ、ホントにあん時のクマ……」

「センセイ? なんで、その子まで連れてきたクマ? こっちの世界は危険だってクマは言ったはずクマ」

 クマに驚く千枝の姿を見たクマが鏡に訊ねる。

「ウッサイ! そんな事より昨日ここに誰か来たでしょ?」

「なんと! クマより鼻が利く子がいるクマ!? お名前、何クマ?」

「お、お名前? ……千枝だけど。それはいいから、その“誰か”の事を教えてよ!」

 クマの説明によると、陽介達と話した少し後で誰かの気配を感じるようになったそうだ。
 誰かまではクマは見ていないので解らないが、気配の感じる方向は解るらしい。

「あっちね……皆、準備はいい?」

 千枝の確認に、鏡と陽介が共に頷く。
 二人が頷くのを確認した千枝は、クマが示した方角へと一人飛び出していく。
 鏡と陽介は慌てて千枝の後を追い、更にその後をクマが追いかける。
 暫く移動すると眼前に聳え立つ古城の姿が見えてきた。

「何ここ……お城!? もしかして、昨日の番組に映ってたの、ここなのかな?」

「あの真夜中の不思議な番組はホントに誰かが撮ってんじゃないんだな?」

「バングミ……? 知らないクマよ。何かの原因で、この世界が見えちゃってるかも知れないクマ」

 千枝の言葉に訝しむ陽介へクマが説明する。
 この世界にはクマとシャドウしか居ないので、“誰かが撮ってる”と言うのはあり得ない。
 初めから、この世界はこういう世界だとクマが説明するも、陽介達にはそれが良く理解できていない。
 しかし、考えようによっては鏡達も自分達の世界について正しく説明出来ない事と同じなのかも知れない。
 それに、マヨナカテレビをクマは見た事がないので知っている事なのかすら解らないだろう。

「て言うか、ホントにただこの世界が見えてるだけなの? 最初に例のテレビに映ったの、雪子が居なくなる前だよ?」

「確かに、普段の天城が“逆ナン”なんて絶対言わないよな……」

「あれ、雪子のシャドウじゃないかな?」

 鏡の一言に陽介が驚く。確かに以前の自分や早紀に起こった事が雪子にも起こったのだとしたら辻褄があう。
 そうすると、あの番組は雪子自身に原因があるのかも知れない。

「ワケ分かんないけど、雪子、このお城の中に居るの?」

「聞いてる限り、間違いないクマね」

「ここに雪子が……あたし、先に行くから!」

 クマの言葉を聞くや否や、千枝はそう言って一人飛び出して城の中へと入って行ってしまう。
 突然の千枝の行動に陽介は慌てて呼び止めるも、既に千枝の姿は無い。

「あ……! お城の中はシャドウがいっぱいクマ……オンナノコひとりは危ないカモ……」

「な、マジかよ! それ先に言えよ! くそ、里中を追うぞ!」

 城の中からシャドウの気配を察知したクマの言葉に、陽介が慌ててそう言って鏡の方へと視線を向ける。
 鏡へと視線を向けた瞬間、陽介の背筋に冷や汗が流れた。今まで見た事がない鏡の冷たい表情。
 なまじ、整った顔立ちをしているだけに感情を消した鏡の表情は冷たく鬼気迫るものがある。

「あ、姉御?」

「千枝……あの馬鹿」

 鏡達の忠告と約束を無視して勝手な行動を取った千枝に、鏡が本気で怒ったようだ。
 陽介は、激昂しない怒りがこれほどまでに居心地が悪いものかと思い知らされた。
 これならまだ当たり散らされる方が遙かにマシだと、この時の陽介は思った。

「千枝を追いかけましょう……」

「あ、ああ。了解だ。そうだ、何もないよりはマシだからコイツを持っていってくれ」

 鏡の雰囲気に飲まれた陽介はそう言うとゴルフクラブを鏡に手渡した。
 見ると、陽介自身もモンキーレンチを二つ持っている。
 陽介からゴルフクラブを受け取った鏡はクラブのヘッドを右下になるように構える。

「あ、センセイに言っておく事があるクマ。クマ、戦う事が出来ないから少し離れた所からセンセイ達をバックアップするクマよ」

「ま、確かにお前はどう見ても戦いに向いて無さそうな見た目だもんな」

 クマの言葉に陽介が呆れように話す。戦う力があるのなら、シャドウ達から逃げ隠れるような事は無いのだから、当然とも言える。

「それじゃ、サポートの方はお願いするわ」

「任せるクマ! それからこれを持って行くと良いクマ!」

 クマはそう言うと鏡に“地返しの玉”、“白桃の実”、“ソウルドロップ”という名のアイテムを渡す。
 それぞれの見た目は琥珀色の玉に桃、そして薄水色の飴である。
 これらは回復用の道具らしく、千枝を追いかける道すがらそれぞれに付いて説明するとクマは言う。
 確かに、先に古城へと入って行った千枝を追いかけねばならないので、このままここに居る訳にはいかない。
 鏡達は持ち込んだ装備を確認すると、千枝を追いかけて古城へと入って行くのであった。




2011年04月02日 初投稿
2011年04月15日 誤字修正
2014年06月27日 誤字修正



[26454] 秘めた思い
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/06/04 08:51
――――自分にないモノを彼女は持っていた

  けど、こんな価値のない自分を彼女は頼ってくれる

        その事に、暗い喜びを覚えていた醜い自分……

       あたしは、そんな事実から必死に目を背けていたのだ




 独断専行した千枝を追って鏡達も城の中へと突入する。
 城の中は通路の真ん中に金糸で縁取られた赤い絨毯が敷かれ、床はチェス盤模様の大理石で出来ている。

「チエチャンは、まだそんなに遠くには行ってないクマ」

「あいつ、ひとりで先走りやがって……くそっ、行こうぜ!」

 少し離れた所から周囲を探るクマからの情報に、陽介がもどかしげに話す。
 鏡としても早く千枝に追いつきたいが、城内に居るシャドウから不意打ちを受ける恐れがあるので闇雲には動けない。
 幸い、クマが早い段階でシャドウの接近を察知してくれるので、本当の意味での不意打ちを受ける心配は無い。
 鏡達は慎重に城の中を進んでいく。

「シャドウがセンセイ達に気付いて凶暴になってるクマ。シャドウより先にこちらから攻撃を仕掛けるクマ!」

 通路を進むと、シャドウが行く手を塞ぐように浮遊している。
 幸い、鏡達に対して背を向けている形になっているため気付いていない。
 鏡は足音を立てないようにシャドウに近づくと、手にしたゴルフクラブを振りかぶりって一気にシャドウへと振り下ろす。

『敵、一体! 倒すクマ!』

「頼むぜ、ペルソナッ!」

 頭上に現れた青く輝くカードを、陽介は右手に持ったモンキーレンチで掬い上げるようにして砕いてペルソナを召喚する。
 陽介の意志に応じて現れた“ジライヤ”が、疾風系攻撃スキル【ガル】でシャドウに攻撃する。
 その攻撃に怯んだシャドウへと、鏡は一気に間合いを詰めてゴルフクラブを振り下ろす。

『勝利クマー!』

 その一撃が決め手となり、シャドウは消滅する。
 シャドウが消滅した瞬間、鏡の目の前に数枚のカードの姿が見えた。
 実際に目の前にあるのではなく、どうやら鏡にしか見えていないようだ。
 おそらくはコレがイゴールの言っていた“可能性の芽”なのだろう。
 鏡は意識を集中してカードの内の一枚を引き抜く。

――我は汝……

――汝は我……

――我は汝の心の海より出でしもの

――人の傍にて目に映らぬ“ピクシー”なり……

 引き抜いたカードには、背に昆虫の羽を持った少女の姿が描かれている。
 イゴールの言っていたペルソナカードだろうか?
 心の中に、新たな仮面が増えた事を鏡は感じ取った。

「何とかなったな」

 初めての戦闘に緊張していた陽介が肩の力を抜いてそう零す。
 陽介にとっての初めての戦闘は、さしたる危険もなく終わらせる事が出来た。
 実際に戦闘をしてみて分かった事だが、クマは鏡達がシャドウに対しておこなった攻撃を逐一覚えておく事が出来るようだ。
 そのため、初見で判明した有効な攻撃や通用しない攻撃も、次回からはクマが教えてくれるので戦闘に集中が出来る。
 鏡達はその後も何度かシャドウと戦闘を行いながら城内を探索する。しかし、千枝の姿を未だ見つけることが出来ないでいる。

「……里中、マジで大丈夫か? 今ので何度目のシャドウだよ」

 シャドウとの戦闘を終えた陽介が少し疲れた様子を見せる。

「シャドウは私達を優先して襲い掛かって来てるのかも知れないね」

『センセイの言う通りクマ。チエチャンはセンセイ達と違ってペルソナが使えないから、シャドウ達は見向きもしてないクマよ』

 どうやらシャドウは鏡達を脅威と捉えているようで、そのおかげで千枝にはシャドウの意識が向いていないようだ。
 それでも千枝が独りでいるには危険な事は変わらないので、鏡達は千枝との合流を急ぐ。
 探索を続けていると、上へと続く階段を発見した。鏡達は、シャドウが居ない事を確認して階段を上る。

『赤が似合うねって……』

 突如として、城内に声が響き渡る。

「この声……天城!?」

『私、雪子って名前が嫌いだった……雪なんて、冷たくて、すぐ溶けちゃう……儚くて、意味のないもの……』

 どこから聞こえてくるのかは分からないが、城内に響き渡る雪子の声には自嘲めいた様子が伺える。

『でも私にはピッタリよね……旅館の跡継ぎって以外に価値の無い私には……』

「おい、コレってあの時聞こえた山野アナの声と同じなんじゃねえか?」

 以前の時と同じような状況に、陽介は焦る。
 あの時は、声が途切れた後に陽介のシャドウが現れた。
 その時の事を考えると、今度は千枝のシャドウが現れるのではないか?
 確信にも似た予感に鏡達は先を急ぐ。

『だけど、千枝だけが言ってくれた。雪子には赤が似合うねって……千枝だけが……私に意味をくれた……』

 急ぐ鏡達を余所に、雪子の声は続く。
 自分に無いものを持つ千枝を羨ましく思いながらも、そんな価値が自分には無いという諦めの思い……
 いつしか雪子の声は聞こえなくなっており、千枝の安否が気に掛かる。
 階段を上り通路を進んだ先には、精緻な金のレリーフが施された重厚な扉が行く手を塞いでいる。

『チエチャンはこの部屋の中に隠れているクマ!』

「急ごうぜ、姉御!」

 鏡は意を決して目の前の扉を押し開ける。
 部屋の中には二人の千枝が向かい合って対立していた。

『ふふ、だから雪子はトモダチ……手放せない……雪子が大事……』

「そんなっ……あたしは、ちゃんと、雪子を……」

『うふふ……今まで通り、見ないフリであたしを抑え付けるんだ?』

 二人の千枝は口論をしていて、鏡達には気が付いていないようだ。
 鏡達から見える金色の瞳をした千枝は、悦楽に歪んだ表情を見せていて余裕の態度を取っている。
 それに引き替え、鏡達に背を見せている千枝は明らかに動揺して狼狽えている事が解る。

『けど、ここでは違うよ。いずれ“その時”が来たら、残るのは……あたし。いいよね? あたしも、アンタなんだから!』

「黙れ!! アンタなんか……」

「よせっ! 里中!!」

「や……やだ、来ないで! 見ないでぇ!!」

 陽介の声に、鏡達が駆けつけてきた事に気付いた千枝が半狂乱になって叫ぶ。

『あたしが……何?』

 もう一人の千枝が嘲笑混じりに千枝へと問いかける。
 その問いかけに平常心を失っている千枝が反射的にもう一人の自分へと叫ぶ。

「アンタなんか、あたしじゃない!!」

 千枝の叫び声を嗤笑すると、もう一人の千枝から黒い風が巻き起こる。
 黒い風が晴れると、それぞれを肩車で支えている三名の女生徒を椅子のように扱う黄色いボンテージをまとった異形が現れた。
 三名の女生徒にそれぞれ付けられた首輪には鎖が繋がれており、先端は黄色い異形の右手に握られている。
 左手には先端に分銅の付いた鞭を持ち、鏡達を上から見下ろしている。

『我は影……真なる我……なにアンタら? ホンモノさんを庇い立てする気? だったら、痛い目見てもらっちゃうよ!』

 地面に広がる黒髪が、異形の感情に合わせて触手のように蠢いている。

「うるせえ! 大人しくしやがれ! 里中……ちっとの辛抱だからな……」

『さぁて……そんな簡単に行くかしら!!?』

「答えは、その身で知りなさい! 来なさいっ、イザナギ!!」

 鏡が掲げる右手の上に現れた、カードを握りつぶすと同時にペルソナ“イザナギ”が現れる。
 イザナギが手にした長刀のようなモノを真横に振り払うと、異形の身体を光が包む。
 補助スキルの【ラクンダ】が異形の防御力を低下させる。

「行け、ジライヤ!」

 すかさず陽介がジライヤを召喚して疾風系スキル【ガル】で異形を攻撃する。
 ジライヤの放った【ガル】が命中すると、弱点属性だったようで体勢を崩して大きな隙が出来た。

「行くぜっ、姉御!」

 その隙を逃さず陽介が鏡に声を掛ける。
 二人はそれぞれの武器を振りかぶり、動きの止まっている異形へと襲い掛かる。
 総攻撃を受けた異形は大ダメージを受けるも未だ健在で、すぐさま体勢を立て直す。

『キャハハ、ダサ、目がマジじゃん! けど……まだまだこっからだよ!!』

 異形はそう言うと手にした鞭を叩き付けて、自身に緑に輝く壁のようなものを纏う。
 鏡は再びイザナギを召喚すると電撃系スキル【ジオ】を放つ。
 続いて陽介が再び異形の体勢を崩そうと【ガル】を放つが、ダメージを与えただけで体勢を崩すまでには至らない。

『さっきの障壁で疾風属性の弱点を打ち消してるクマ!』

 クマの言葉に陽介は【ガル】の使用は控え、ここぞと言う時に使えるように戦い方を考える。

『喰らえっ!』

「遅いっ!」

 異形が手にした鞭を一閃して陽介を攻撃するが、紙一重で陽介がその攻撃を避ける。
 鏡は異形が攻撃した鞭を引くのにタイミングを合わせて、ゴルフクラブで攻撃を仕掛ける。

「……?」

 気のせいか、異形は今攻撃してきた鏡ではなく陽介の方に意識が向いているように感じられた。
 僅かな違和感に鏡は戸惑いながらも異形から距離を取り、反撃に備える。
 鏡が異形から離れるタイミングに合わせて、陽介も両手に持ったモンキーレンチで攻撃を仕掛けるとすぐに距離を取る。

『……跪け!』

 異形が鞭を一閃して、電撃系範囲スキル【マハジオ】で鏡達を攻撃する。
 放射状に放たれた電撃の直撃を受けた陽介は体勢を崩してしまう。

『ウジ虫がっ!!』

「ぐあっ!?」

 異形の蠢く黒髪が無数の刃と化して陽介に襲い掛かる。
 体勢を崩した陽介は躱す事が出来ずに全ての攻撃を受けて気絶してしまう。

『うゎゎ、強烈クマ! 大丈夫クマ?』

 気絶した陽介に驚くクマの声を聞いた鏡は、左手を眼前に翳して意識を集中する。
 仮面を付け替えるイメージで翳した左手を動かすと同時に、鏡の意識が“イザナギ”から“ピクシー”へと切り替わった。

「ピクシー!」

 鏡の意志に応じて背に昆虫の羽を持つ少女が現れる。ピクシーは陽介の傍まで移動すると、右手を横薙ぎに振り払う。
 回復スキル【ディア】の柔らかい光が陽介の身体を包み込み、傷を癒していく。

「助かったぜ、姉御」

 気絶から回復した陽介はジライヤを召喚して異形に突撃を掛ける。

『アンタらバカじゃないの!? なんでそこまでしてホンモン庇うの!? あんな薄汚い女!!』

「友達だからに決まっているでしょ。それに、一面だけを見てそれが千枝の全てだと“あなた”が言うな!」

『ッ!?』

 憎々しげに叫ぶ異形にペルソナをイザナギに切り替えた鏡が言い放ち【ジオ】で攻撃する。

「そういうこった。お前だって、里中の一面なんだろうが!」

 異形を包んでいた障壁が消えるのを見逃さなかった陽介が、鏡の言葉に一瞬動揺した異形へと【ガル】を放つ。
 再び体勢を崩した異形へと、鏡達は再び総攻撃を仕掛けた。

『っ……バカにしないでよ……アンタらなんか……アンタらなんかぁ……!!』

 そう言って、異形は再び障壁を纏う。
 障壁はどうやら長くは持たないようなので無理な攻撃は仕掛けず、鏡と陽介は体力に気を配りながら異形の隙を窺う。
 何度目かの攻防を続けていると、またしても異形の意識が陽介へと向いているのを鏡は感じた。
 先ほどと同じく鏡を無視したかのような様子に、異形へと攻撃を仕掛けようとする陽介へ鏡は咄嗟に叫ぶ。

「陽介! 防御!!」

 鏡の叫び声に、陽介は慌てて異形から距離を取り身を守る。

『泣き喚けッ!!』

 カウンターになるよう放たれた異形の【マハジオ】は、寸前の所で防御した陽介の体勢を崩すには至らなかった。
 逆に、思惑の外れたその攻撃後に障壁が解除されて隙が出来た異形へと、ジライヤの放つ【ガル】がカウンターとなる。

「これで最後だッ!!」

 三度目の総攻撃が決め手となり、異形は力尽きて崩れ落ちる。
 異形が倒れたのを確認した鏡達は座り込む千枝の元へと向かう。

「里中、大丈夫か!?」

 座り込む千枝へと陽介は声を掛け、手を取って立ち上がらせる。

「さっきのは……」

 そう呟く千枝の前に、大人しくなったもう一人の千枝が静かに佇み千枝を見ている。

「何よ……急に黙っちゃって……勝手な事ばっかり……」

 先ほどとは違って何も言ってこないもう一人の自分に、千枝は弱々しく文句を言う。

「よせ、里中」

「だ、だって……」

 陽介の言葉に、千枝は言い淀む。
 もう一人の自分に言われた言葉。その言葉は、とても認められるものでは無い。

「皆、色々な顔があって、その一面だけが全てじゃないでしょ?」

「みんな……?」

「姉御の言う通りだ。俺もあったんだ、同じような事。だから解るし……その……誰だってさ、あるって、こういう一面……」

 鏡と陽介の言葉に、千枝は俯くと少し考えてもう一人の自身へと向き合う。

「アンタは……あたしの中にいたもう一人のあたし……って事ね……ずっと見ない振りしてきた、どーしようもない、あたし……」

 もう一人の千枝は、静かに千枝の言葉を聞いている。

「でも、あたしはアンタで、アンタはあたし、なんだよね……」

 その言葉にもう一人の千枝は静かに頷く。
 認めたくない自分。でも、それは自身の中に確かに存在していて目を背けても何の解決にはならない。
 その事に気付いた千枝に呼応するかのように、もう一人の千枝は青い粒子になるとその姿を変える。
 両端が刃の薙刀を持った武者を思わせる黄色い人型。その姿はカードに変じると、千枝の中へと吸い込まれるように消えていく。

「あ……あたし……その、あんなだけど……でも、雪子の事、好きなのは嘘じゃないから……」

 鏡達に、自分自身の見たくない姿を見られた千枝が困惑気味にそう話す。

「バーカ。そんなの、分かってるっつの」

 そんな千枝に陽介がおどけたように話す。
 陽介の言葉に、はにかんだ笑みを浮かべた千枝は気が緩んだのか、その場に崩れ落ちる。
 その様子に慌てた陽介が千枝を気遣うが、千枝はちょっと疲れただけだが平気と答える。

「平気、じゃねーだろどう見ても……それに多分、お前……俺達と同じ“力”、使えるようになってるはずだ」

 陽介の言葉に千枝は唖然とした表情を見せる。陽介は視線を鏡に向けると、これからどうするかを訊ねた。
 鏡は千枝の様子から、これ以上は危険だと判断して今日は引き上げようと陽介に伝える。
 陽介も鏡の意見に賛成で、千枝を休ませるべきだと同意する。
 
「か、勝手に決めないでよ! あたし、まだ……行けるんだから……」

 二人の言葉に反発した千枝はそう言って立ち上がろうとするが、身体に力が入らないのか上手く立ち上がる事が出来ない。
 そんな千枝の様子にクマが慌てて千枝の前に回り込むと、無理しちゃ嫌だと懇願する。
 陽介も雪子を助け出すためにも、ペルソナが使えるようになった千枝の力が必要で、今は回復するべきだと説得する。
 それでも千枝は、先ほど聞こえた雪子の声が彼女の本心なら伝える事があると頭を振る。

「……なら、それを伝えるためにも、まずキミが元気になるクマ!」

 クマはそう言って雪子は普通の人なので、ココにいる影には襲われないと説明する。
 襲うのは霧が晴れる日で、それは現実世界では霧が出る日だと陽介がクマの説明を引き継ぐ。
 霧は大体、雨の後に出るが、ここ数日は晴れ続きですぐに雨が降る様子はない。
 なので、一度引き返して体勢を整え、天気予報を確認してから出直しても大丈夫だと陽介は話す。

「でも……だからって……やっぱり、ここまで来て引き返せないよ! 雪子が居るのに! 一人で……怖い思いしてるのに!」

 それでも千枝は陽介に食って掛かる。

「……千枝」

 鏡は不意に千枝に声を掛ける。千枝が鏡の方へと振り返ると、鏡は抜き手を見せずに千枝の頬を力一杯叩いた。

「ッ!?」

 千枝は一瞬、何が起こったのか理解が追いつかなかったが頬の痛みで鏡に叩かれた事を理解する。

「鏡……何をっ!?」

 鏡に抗議の声を上げようとした千枝は、見た事がない鏡の冷たい視線に硬直する。

「千枝、ここに来る前に約束したよね? 無理だけは絶対しないって……」

「……うっ」

「約束を守る気が無いのなら、今ここで叩きのめして連れ帰るけど、どっちが良い?」

「あ、姉御……」

 感情の籠もらない平坦な声に、氷のように冷たい瞳。
 怒鳴る訳でもなく淡々と話す鏡の姿に怒りのほどを知り、千枝と陽介は背筋に冷たいものを感じた。

「雪子の居る所まで、この先どれだけ進めば良いのか、千枝は分かっているの?」

「そ、それは……」

「それに、この先にもっと強い敵が出てくるかも知れない。なのに、無理してやられたら、他の誰が天城を助けてやれんだよ!」

「それとも千枝は無理して命を落として、雪子を助けた時に『雪子を助ける為に千枝が死にました』って言わせる気?」

 鏡と陽介の言葉に千枝は何一つ反論できない。
 鏡との約束を破ったのは自分。勝手な行動を取って、二人を危険な目に遭わせたのも自分。
 その上、今も我が儘を言って二人を危険な目に遭わそうとしている……

「……解った」

 千枝は力なく項垂れてそう呟く。
 そんな千枝にクマが自分の頭を手摺り代わりにして千枝を立ち上がらせる。

「二人とも……さっきは、ごめんね。一人で、勝手に突っ走っちゃって……」

「……次からは気をつけてくれたら良いよ」

「気にしてねえよ。天城は必ず俺達で助ける……だろ?」

「……うん!」

 千枝の謝罪に対照的ではあるが、二人はそれを受け入れる。
 ひとまず体勢を立て直すべく、三人はクマの案内で入ってきた広場へと戻る。
 運良くシャドウ達に襲われる事なく広場に戻ってくると、千枝が疲れた様子を見せていた。

「なんか……この前、入った時より疲れた……頭もガンガンするし……花村達、平気なの?」

「私達は眼鏡があるから平気だけど」

「あ、そか。お前、眼鏡してないな」

「あ……そういえ、眼鏡してんね。目、悪かったっけ?」

「お前……どんだけテンパってたんだよ……」

 どこかずれた反応を返す千枝に陽介が呆れ顔になる。

「クマ、千枝の分の眼鏡は有る?」

「じゃんじゃじゃ~ん。チエチャンにも用意してあるクマ。はい、チエチャンの」

 鏡の問い掛けに、どこかの青い猫型ロボットのような言い方で答えたクマが、千枝に眼鏡を手渡す。
 クマから手渡された眼鏡を掛けた千枝は、良好になった視界に驚きの声を上げる。

「うわっ、何コレ、すげー! 霧が全然無いみたい!」

「あるなら、早く出してやれっつの」

 呆れた表情でクマに文句を言う陽介にクマが憤慨する。
 しかし、一人で飛び出した千枝の事を考えると、渡している暇があったかは微妙なところだ。

「なるほど、そう言う事なんだ。モヤモヤん中、どやって進むのかと思ったよ。ね、これ貰ってもいい?」

「モチのロンクマ!」

 千枝の問い掛けにクマが嬉しそうに返事を返す。

「今日のところは、仕方ないけど……でもこれで、リベンジ出来そう! 二人とも、勝手に行ったりしないでよ!?」

「それを千枝が言う?」

「……うっ」

 鏡の突っ込みに千枝が絶句する。確かに、勝手な行動をした自分が言っても、説得力が皆無だと思う。

「んじゃ約束だ、俺ら全員の約束。“一人では行かないこと”……危険だからな」

 そう言って、陽介が二人に話し掛ける。皆で力を合わせないと、事件解決どころか雪子を救出する事も出来ない。
 陽介の言葉に千枝も賛成する。陽介は明日から、放課後はもちろん、学校の無い日も出来るだけここに来るよう提案する。
 その上で、陽介は鏡に自分達のリーダーを務めて貰えないかと頼み込む。
 最初に、ペルソナやテレビに入れる力を手に入れた事と、戦う力がこの面子の中で一番なのがその理由だ。

「それに、俺はほら、参謀向き? 頭良い人のポジションでさ」

「あたしも賛成かな。鏡なら冷静だし、なんか安心」

「……解った。引き受けるよ」

     我は汝……、汝は我……

   汝、新たなる絆を見出したり……


   絆は即ち、まことを知る一歩なり


  汝、“愚者”のペルソナを生み出せし時

   我ら、更なる力の祝福を与えん……

 鏡の脳裏に声が響く。どうやらコミュニティは個人だけでなく、団体に対しても発生するらしい。

「よし、とにかく今日は休んで、明日からに備えようぜ。まずは天気予報の確認、忘れんなよ? 雨が続くとヤバイからな」

 陽介の言葉に千枝と鏡が頷く。
 持ってきた装備は、このまま広場に置いていきクマがそれらを管理する事にして、鏡達は元の世界へと戻る。
 疲れがピークの千枝は早々に帰宅して、鏡は陽介に今日のお勧めを聞いて、夕飯の食材を買い足してから帰宅する。




 夕食前に帰宅できた鏡は服を着替えると、冷凍庫に保存しておいたハンバーグ用のソースを作り始める。
 ソースは二種類で、先日洗って乾かしたカボチャの種を煎って磨り潰し味付けしたスープで伸ばしたソース。
 もう片方は、タマネギとニンニクを加えたトマトソースだ。
 茹でたパスタに両面をしっかり焼いたハンバーグを乗せ、二種類のソースを掛ける。
 それに、ジュネスで買い足した食材で作ったシーザーサラダで、野菜が不足気味にならないようにする。

「ただいま」

 晩ご飯の支度が出来た頃に遼太郎が帰ってきた。

「おかえりなさい!」

「叔父さん、今日は遅いって聞いてましたけど?」

「ああ、その筈だったんだがな。早く上がる事が出来てな」

「それじゃ、叔父さんの分もすぐに作りますね」

 鏡はそう言うと冷凍庫からハンバーグを取り出し、パスタを茹でている間にハンバーグを焼き上げる。
 遼太郎の分を作り終えた鏡はそれらをちゃぶ台に並べ、久しぶりに三人で晩ご飯を食べる。

「なあ、ちょっといいか? お前……妙な事に首突っ込んだりしてないよな?」

 食べる手を止め、少し考える素振りを見せた遼太郎が鏡に話し掛ける。

「妙な事?」

「うちの署のヤツから聞いたんだが、お前のクラスメイトが馬鹿やって、補導され掛けたんだって?」

 訝しげに訊ねる鏡に、遼太郎がジュネスであった事を訊ねる。

「すみません。最近騒がしくなっているところに騒動を起こして。彼にはあの後でしっかり釘を刺しましたから」

「こっちは、お前を預かる身なんだ。大丈夫だとは思うが、おかしな事には首を突っ込むなよ……いいな」

「……どしたの? ケンカしてるの?」

 二人のやりとりに、不安そうに菜々子が訊ねる。

「いや……ケンカじゃない」

「ケーサツじゃないよ、ここ……」

「大丈夫よ、菜々子ちゃん。叔父さんは私の事を心配してくれているだけだから」

 言い淀む遼太郎に釘を刺す菜々子に、鏡がそう話して菜々子を安心させる。

『気象情報です。西からの高気圧の影響で、この先しばらくは、春らしい晴れ間の覗くひが続くでしょう』

「このおねえさんが、お天気きめるんでしょ?」

 天気予報を見ていた菜々子がそんな事を訊ねてくる。
 その言葉に、遼太郎と鏡は不思議そうな表情になる。

「だって、おねえさんが“はれ”って言うと、いっつもはれるよ」

「いや、お姉さんが決めてる訳じゃなくてな……」

 菜々子の質問に何と答えれば良いか悩んだ遼太郎は『……まあいい』と言葉を濁すに留めた。
 遼太郎の様子に菜々子は小首を傾げると、テレビへと視線を戻した。




 晩ご飯を食べ終え、鏡と一緒に食器を洗う菜々子を見て、遼太郎にはその姿が実の姉妹のように見えた。
 男手一つの上、仕事で家を空けがちな自分では、あんなにも楽しそうな菜々子の表情は引き出せなかっただろう。
 年相応に振る舞う菜々子の姿に、自身の不甲斐なさを見せつけられる思いだ。
 とはいえ、不器用な自分では上手く菜々子と接する自信がない。
 もどかしい思いを仕舞い込み、遼太郎は読み掛けの新聞へと視線を戻す。
 食器を洗い終える頃には菜々子がお風呂に入る時間になっていたので、遼太郎に断って鏡は菜々子と一緒にお風呂へと入る。
 流石にあちらの世界での疲れが溜まっていたのか、お湯に浸かると身体の強張りが解けていくのを感じた。

「お姉ちゃん、疲れてるの?」

「うん、今日は忙しかったから、ちょっとだけ疲れているかも」

 疲れは少しあるが、鏡は菜々子が今日一日をどのように過ごしていたのかを聞き、スキンシップを楽しむ。
 菜々子も鏡が疲れている事を気遣っていたが、鏡が普段通りの姿を見せているので楽しそうに今日の出来事を話す。
 体の芯まで温まってお風呂から上がり、水分を補給すると菜々子は眠そうに目を擦っていた。

「菜々子、もう遅い。そろそろ寝なさい」

「はぁ~い。おやすみなさぁい」

 遼太郎の言葉に、うつらうつらしながら返事を返した菜々子が自室へと戻る。

「それじゃ、叔父さん。私も休みますね、お休みなさい」

「ああ、お休み。それと、飯時の事は悪かった」

 遼太郎の謝罪に鏡は「気にしてませんから」と答えて自室へと戻る。
 鏡の事を心配しているからだと解っているし、実際の所は危険な事に首を突っ込んでいるので、申し訳ないとも思っている。
 自室へと戻った鏡は、明日の準備をすると布団へと入る。
 瞼を閉じるとすぐに睡魔が襲ってきて、鏡の意識は眠りへと落ちるのであった。




2011年04月06日 初投稿
2011年06月04日 誤字修正



[26454] 秘めた思い 【千枝】
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2012/08/06 08:13
――――自分にないモノを彼女は持っていた

  けど、こんな価値のない自分を彼女は頼ってくれる

        その事に、暗い喜びを覚えていた醜い自分……

       あたしは、そんな事実から必死に目を背けていたのだ




 鏡達より先に城内に入った千枝は、視界が悪いにも関わらず進み続ける。
 千枝の頭の中を占めているのは、一刻も早く雪子を救い出す事。
 それ以外の考えは無く、この世界が危険である事も鏡と交わした約束も綺麗に抜け落ちていた。

(雪子、待っててね。私が助けに行くから……!)

 濃い霧で視界は最悪だが、通路の真ん中に赤い絨毯が敷かれているため比較的に歩きやすい。
 時々、黒い靄のようなものが見えるがすぐに見えなくなるので、千枝は気にせず城内の探索を続ける。

(もうっ、何だってこんなに広いのよ!?)

 城内は千枝が思っていた以上に広く、視界が利かないために余計に広く感じられた。
 ともすれば自分がどちらの方角を向いているのかも解らなくなり、同じ場所を堂々巡りしているかのような錯覚に囚われる。
 部屋らしき場所を何度か発見したが、奥の方で何かが蠢いていたため、先へと続いていない場所はその都度、引き返す。

(あれって、階段……だよね?)

 その部屋は奥の方に上へと続く階段がある部屋で、少しだけ霧の影響が少なかった。
 部屋の中に絨毯は敷かれておらず、剥き出しの床とそれに続く階段と飾り気のない部屋だ。
 千枝は辺りを警戒しながら部屋へと入ると、階段へと向かう。
 慎重に階段を上る千枝。彼女の足音だけが静寂に包まれた城内に響き渡る。


 階段を上りきると、再び赤い絨毯が敷かれた通路が続いている。
 通路を進むと、精緻な金のレリーフが施された重厚な扉が行く手を塞いでいた。
 千枝は意を決して扉を開き中へと入る。そこは広いホールとなっており、入ってきた扉の反対側に先へと続く扉が見える。
 周囲は観客席のようになっており、天井からは赤い緞帳のような垂れ幕が均等に配されている。

『赤が似合うねって……』

「えっ……雪子?」

 突如として聞こえてきた声に千枝が驚き、慌てて周囲を見渡す。
 すると、周りの景色は千枝にとって見慣れた場所へと一変する。

「……ここ、雪子の部屋?」

 赤で揃えられた部屋。
 和風な内装のその部屋は、調度品のどれもが赤で統一されている。

『私、雪子って名前が嫌いだった……雪なんて、冷たくて、すぐ溶けちゃう……儚くて、意味のないもの……』

 それは初めて聞いた雪子の思い。
 雪子とは長い付き合いだが、雪子が自分の事をそう思っていたなんて思いもしなかった。

『だけど、千枝だけが言ってくれた。雪子には赤が似合うねって……千枝だけが……私に意味をくれた……』

「雪子……」

『千枝は、明るくて強くて、何でも出来て……私には無いものを全部持ってる……私なんて……私なんて、千枝に比べたら……』

 雪子が自身に対して抱いていた思いに千枝は驚く。
 それは、千枝自身が雪子に対して抱いている思いと同じもの。
 自分の方こそ雪子に比べたら……

『千枝は……私を守ってくれる……何の価値も無い私を……私……そんな資格なんて無いのに……優しい千枝……』

 それっきり、雪子の声は聞こえなくなり、辺りを静寂が包み込む。

「雪子、あ、あたし……」

 千枝は今まで聞こえていた雪子の声に呆然となる。

『優しい千枝……だってさ。笑える』

 吐き捨てられるような声が千枝へと投げ掛けられる。
 いつの間にか、周りの風景は雪子の部屋から先ほどのホールへと戻っていた。
 突然の声に驚いた千枝が声の主へと視線を向けると、そこには信じられない人物が立っていた。

「あ……ああっ!」

 視界が悪くてよく見えないが解る、それは見慣れた自分の姿。
 違いを挙げるならば目の前にいる自分の瞳は金色で、歪んだ笑みを浮かべて自分を見つめている事だろうか。
 目の前にいるもう一人の千枝がお腹を抱えて愉快そうに千枝へと話し掛ける。

『雪子が、あの雪子が!? あたしに守られているって!? 自分には何の価値も無いってさ!』

 もう一人の千枝は歪んだ笑みを浮かべて満足そうにしている。

『ふ、ふふ、うふふ……そうでなくちゃねぇ?』

「アンタ、な、何言ってんの?」

 愉悦に満ちた表情で千枝へと語りかけてくるもう一人の自分に、千枝は訳が分からず混乱する。

『雪子ってば美人で、色白で、女らしくて……男子なんかいっつもチヤホヤしてる』

 狼狽える千枝には構わず、もう一人の千枝は言葉を続けていく。

『その雪子が、時々あたしを卑屈な目で見てくる……それが、たまんなく嬉しかった』

 陶酔した表情で、もう一人の自分が自身へと話し掛けてくる。
 それは見たくない光景だった。自分の姿をした誰かが親友の事を貶める姿など、見るに堪えられない光景だ。

『そうよ、雪子なんて、本当はあたしが居なきゃ何も出来ない……』

 そう話すもう一人の千枝の表情が、だんだん険しいものに変わっていく。

『あたしの方が……あたしの方が……あたしの方が! ずっと上じゃない!!』

「違う! あ、あたし、そんな事、思ってない! こんなのあたしじゃない!」

『ふふ……そうだよねぇ。一人じゃ何も出来ないのは、本当はあたし……』

 もう一人の千枝は歪んだ笑みを浮かべ、愉快そうに千枝の心に毒の言葉を突き立てていく。

『人としても、女としても、本当は勝ててない、どうしようもない、あたし……でもあたしは、あの雪子に頼られてるの……』

 うっとりとした表情で、もう一人の千枝は千枝を嬲るように言葉を続けていく。

『ふふ、だから雪子はトモダチ……手放せない……雪子が大事……』

「そんなっ……あたしは、ちゃんと、雪子を……」

『うふふ……今まで通り、見ないフリであたしを抑え付けるんだ?』

 二人の千枝が口論している最中に、鏡達がようやく千枝に追いついた。
 しかし、千枝は目の前にいる自分自身へと意識が集中していて、鏡達の事にはまだ気付いていない。
 鏡達から見える金色の瞳をした千枝は、悦楽に歪んだ表情を見せていて余裕の態度を取っている。
 それに引き替え、鏡達に背を見せている千枝は明らかに動揺して狼狽えている事が解る。

『けど、ここでは違うよ。いずれ“その時”が来たら、残るのは……あたし。いいよね? あたしも、アンタなんだから!』

「黙れ!! アンタなんか……」

「よせっ! 里中!!」

「や……やだ、来ないで! 見ないでぇ!!」

 陽介の声に、鏡達が駆けつけてきた事に気付いた千枝が半狂乱になって叫ぶ。

『あたしが……何?』

 もう一人の千枝が嘲笑混じりに千枝へと問いかける。
 その問いかけに平常心を失っている千枝が反射的にもう一人の自分へと叫ぶ。

「アンタなんか、あたしじゃない!!」

 千枝の叫び声を嗤笑すると、もう一人の千枝から黒い風が巻き起こる。
 黒い風が晴れると、それぞれを肩車で支えている三名の女生徒を椅子のように扱う黄色いボンテージをまとった異形が現れた。
 三名の女生徒にそれぞれ付けられた首輪には鎖が繋がれており、先端は黄色い異形の右手に握られている。
 左手には先端に分銅の付いた鞭を持ち、鏡達を上から見下ろしている。

『我は影……真なる我……なにアンタら? ホンモノさんを庇い立てする気? だったら、痛い目見てもらっちゃうよ!』

 地面に広がる黒髪が、異形の感情に合わせて触手のように蠢いている。

「うるせえ! 大人しくしやがれ! 里中……ちっとの辛抱だからな……」

『さぁて……そんな簡単に行くかしら!!?』

「答えは、その身で知りなさい! 来なさいっ、イザナギ!!」

 鏡が掲げる右手の上に現れた、カードを握りつぶすと同時にペルソナ“イザナギ”が現れる。
 イザナギが手にした長刀のようなモノを真横に振り払うと、異形の身体を光が包む。
 補助スキルの【ラクンダ】が異形の防御力を低下させる。

「行け、ジライヤ!」

 すかさず陽介がジライヤを召喚して疾風系スキル【ガル】で異形を攻撃する。
 ジライヤの放った【ガル】が命中すると、弱点属性だったようで体勢を崩して大きな隙が出来た。

「行くぜっ、姉御!」

 その隙を逃さず陽介が鏡に声を掛ける。
 二人はそれぞれの武器を振りかぶり、動きの止まっている異形へと襲い掛かる。
 総攻撃を受けた異形は大ダメージを受けるも未だ健在で、すぐさま体勢を立て直す。

『キャハハ、ダサ、目がマジじゃん! けど……まだまだこっからだよ!!』

 異形はそう言うと手にした鞭を叩き付けて、自身に緑に輝く壁のようなものを纏う。
 鏡は再びイザナギを召喚すると電撃系スキル【ジオ】を放つ。
 続いて陽介が再び異形の体勢を崩そうと【ガル】を放つが、ダメージを与えただけで体勢を崩すまでには至らない。

『さっきの障壁で疾風属性の弱点を打ち消してるクマ!』

 クマの言葉に陽介は【ガル】の使用は控え、ここぞという時に使えるように戦い方を考える。

『喰らえっ!』

「遅いっ!」

 異形が手にした鞭を一閃して陽介を攻撃するが、紙一重で陽介がその攻撃を避ける。
 鏡は異形が攻撃した鞭を引くのにタイミングを合わせて、ゴルフクラブで攻撃を仕掛ける。

「……?」

 気のせいか、異形は今攻撃してきた鏡ではなく陽介の方に意識が向いているように感じられた。
 僅かな違和感に鏡は戸惑いながらも異形から距離を取り、反撃に備える。
 鏡が異形から離れるタイミングに合わせて、陽介も両手に持ったモンキーレンチで攻撃を仕掛けるとすぐに距離を取る。

『……跪け!』

 異形が鞭を一閃して、電撃系範囲スキル【マハジオ】で鏡達を攻撃する。
 放射状に放たれた電撃の直撃を受けた陽介は体勢を崩してしまう。

『ウジ虫がっ!!』

「ぐあっ!?」

 異形の蠢く黒髪が無数の刃と化して陽介に襲い掛かる。
 体勢を崩した陽介は躱す事が出来ずに全ての攻撃を受けて気絶してしまう。

『うゎゎ、強烈クマ! 大丈夫クマ?』

 気絶した陽介に驚くクマの声を聞いた鏡は、左手を眼前に翳して意識を集中する。
 仮面を付け替えるイメージで翳した左手を動かすと同時に、鏡の意識が“イザナギ”から“ピクシー”へと切り替わった。

「ピクシー!」

 鏡の意志に応じて背に昆虫の羽を持つ少女が現れる。ピクシーは陽介の傍まで移動すると、右手を横薙ぎに振り払う。
 回復スキル【ディア】の柔らかい光が陽介の身体を包み込み、傷を癒していく。

「助かったぜ、姉御」

 気絶から回復した陽介はジライヤを召喚して異形に突撃を掛ける。

『アンタらバカじゃないの!? なんでそこまでしてホンモン庇うの!? あんな薄汚い女!!』

「友達だからに決まっているでしょ。それに、一面だけを見てそれが千枝の全てだと“あなた”が言うな!」

『ッ!?』

 憎々しげに叫ぶ異形にペルソナをイザナギに切り替えた鏡が言い放ち【ジオ】で攻撃する。

「そういうこった。お前だって、里中の一面なんだろうが!」

 異形を包んでいた障壁が消えるのを見逃さなかった陽介が、鏡の言葉に一瞬動揺した異形へと【ガル】を放つ。
 再び体勢を崩した異形へと、鏡達は再び総攻撃を仕掛けた。

『っ……バカにしないでよ……アンタらなんか……アンタらなんかぁ……!!』

 そう言って、異形は再び障壁を纏う。
 障壁はどうやら長くは持たないようなので無理な攻撃は仕掛けず、鏡と陽介は体力に気を配りながら異形の隙を窺う。
 何度目かの攻防を続けていると、またしても異形の意識が陽介へと向いているのを鏡は感じた。
 先ほどと同じく鏡を無視したかのような様子に、異形へと攻撃を仕掛けようとする陽介へ鏡は咄嗟に叫ぶ。

「陽介! 防御!!」

 鏡の叫び声に、陽介は慌てて異形から距離を取り身を守る。

『泣き喚けッ!!』

 カウンターになるよう放たれた異形の【マハジオ】は、寸前の所で防御した陽介の体勢を崩すには至らなかった。
 逆に、思惑の外れたその攻撃後に障壁が解除されて隙が出来た異形へと、ジライヤの放つ【ガル】がカウンターとなる。

「これで最後だッ!!」

 三度目の総攻撃が決め手となり、異形は力尽きて崩れ落ちる。
 異形が倒れたのを確認した鏡達は座り込む千枝の元へと向かう。

「里中、大丈夫か!?」

 座り込む千枝へと陽介は声を掛け、手を取って立ち上がらせる。

「さっきのは……」

 そう呟く千枝の前に、大人しくなったもう一人の千枝が静かに佇み千枝を見ている。

「何よ……急に黙っちゃって……勝手な事ばっかり……」

 先ほどとは違って何も言ってこないもう一人の自分に、千枝は弱々しく文句を言う。

「よせ、里中」

「だ、だって……」

 陽介の言葉に、千枝は言い淀む。
 もう一人の自分に言われた言葉。その言葉は、とても認められるものでは無い。

「皆、色々な顔があって、その一面だけが全てじゃないでしょ?」

「みんな……?」

「姉御の言う通りだ。俺もあったんだ、同じような事。だから解るし……その……誰だってさ、あるって、こういう一面……」

 鏡と陽介の言葉に、千枝は俯くと少し考えてもう一人の自身へと向き合う。

「アンタは……あたしの中にいたもう一人のあたし……って事ね……ずっと見ない振りしてきた、どーしようもない、あたし……」

 もう一人の千枝は、静かに千枝の言葉を聞いている。

「でも、あたしはアンタで、アンタはあたし、なんだよね……」

 その言葉にもう一人の千枝は静かに頷く。
 認めたくない自分。でも、それは自身の中に確かに存在していて目を背けても何の解決にはならない。
 その事に気付いた千枝に呼応するかのように、もう一人の千枝は青い粒子になるとその姿を変える。
 両端が刃の薙刀を持った武者を思わせる黄色い人型。その姿はカードに変じると、千枝の中へと吸い込まれるように消えていく。

「あ……あたし……その、あんなだけど……でも、雪子の事、好きなのは嘘じゃないから……」

 鏡達に、自分自身の見たくない姿を見られた千枝が困惑気味にそう話す。

「バーカ。そんなの、分かってるっつの」

 そんな千枝に陽介がおどけたように話す。
 陽介の言葉に、はにかんだ笑みを浮かべた千枝は気が緩んだのか、その場に崩れ落ちる。
 その様子に慌てた陽介が千枝を気遣うが、千枝はちょっと疲れただけだが平気と答える。

「平気、じゃねーだろどう見ても……それに多分、お前……俺達と同じ“力”、使えるようになってるはずだ」

 陽介の言葉に千枝は唖然とした表情を見せる。陽介は視線を鏡に向けると、これからどうするかを訊ねた。
 鏡は千枝の様子から、これ以上は危険だと判断して今日は引き上げようと陽介に伝える。
 陽介も鏡の意見に賛成で、千枝を休ませるべきだと同意する。
 
「か、勝手に決めないでよ! あたし、まだ……行けるんだから……」

 二人の言葉に反発した千枝はそう言って立ち上がろうとするが、身体に力が入らないのか上手く立ち上がる事が出来ない。
 そんな千枝の様子にクマが慌てて千枝の前に回り込むと、無理しちゃ嫌だと懇願する。
 陽介も雪子を助け出すためにも、ペルソナが使えるようになった千枝の力が必要で、今は回復するべきだと説得する。
 それでも千枝は、先ほど聞こえた雪子の声が彼女の本心なら伝える事があると頭を振る。

「……なら、それを伝えるためにも、まずキミが元気になるクマ!」

 クマはそう言って雪子は普通の人なので、ココにいる影には襲われないと説明する。
 襲うのは霧が晴れる日で、それは現実世界では霧が出る日だと陽介がクマの説明を引き継ぐ。
 霧は大体、雨の後に出るが、ここ数日は晴れ続きですぐに雨が降る様子はない。
 なので、一度引き返して体勢を整え、天気予報を確認してから出直しても大丈夫だと陽介は話す。

「でも……だからって……やっぱり、ここまで来て引き返せないよ! 雪子が居るのに! 一人で……怖い思いしてるのに!」

 それでも千枝は陽介に食って掛かる。

「……千枝」

 鏡は不意に千枝に声を掛ける。千枝が鏡の方へと振り返ると、鏡は抜き手を見せずに千枝の頬を力一杯叩いた。

「ッ!?」

 千枝は一瞬、何が起こったのか理解が追いつかなかったが頬の痛みで鏡に叩かれた事を理解する。

「鏡……何をっ!?」

 鏡に抗議の声を上げようとした千枝は、見た事がない鏡の冷たい視線に硬直する。

「千枝、ここに来る前に約束したよね? 無理だけは絶対にしないって……」

「……うっ」

「約束を守る気が無いのなら、今ここで叩きのめして連れ帰るけど、どっちが良い?」

「あ、姉御……」

 感情の籠もらない平坦な声に、氷のように冷たい瞳。
 怒鳴る訳でもなく淡々と話す鏡の姿に怒りのほどを知り、千枝と陽介は背筋に冷たいものを感じた。

「雪子の居る所まで、この先どれだけ進めば良いのか、千枝は分かっているの?」

「そ、それは……」

「それに、この先にもっと強い敵が出てくるかも知れない。なのに、無理してやられたら、他の誰が天城を助けてやれんだよ!」

「それとも千枝は無理して命を落として、雪子を助けた時に『雪子を助ける為に千枝が死にました』って言わせる気?」

 鏡と陽介の言葉に千枝は何一つ反論できない。
 鏡との約束を破ったのは自分。勝手な行動を取って、二人を危険な目に遭わせたのも自分。
 その上、今も我が儘を言って二人を危険な目に遭わそうとしている……

「……解った」

 千枝は力なく項垂れてそう呟く。
 そんな千枝にクマが自分の頭を手摺り代わりにして千枝を立ち上がらせる。

「二人とも……さっきは、ごめんね。一人で、勝手に突っ走っちゃって……」

「……次からは気をつけてくれたら良いよ」

「気にしてねえよ。天城は必ず俺達で助ける……だろ?」

「……うん!」

 千枝の謝罪に対照的ではあるが、二人はそれを受け入れる。
 ひとまず体勢を立て直すべく、三人はクマの案内で入ってきた広場へと戻る。
 運良くシャドウ達に襲われる事なく広場に戻ってくると、千枝が疲れた様子を見せていた。

「なんか……この前、入った時より疲れた……頭もガンガンするし……花村達、平気なの?」

「私達は眼鏡があるから平気だけど」

「あ、そか。お前、眼鏡してないな」

「あ……そういえ、眼鏡してんね。目、悪かったっけ?」

「お前……どんだけテンパってたんだよ……」

 どこかずれた反応を返す千枝に陽介が呆れ顔になる。

「クマ、千枝の分の眼鏡は有る?」

「じゃんじゃじゃ~ん。チエチャンにも用意してあるクマ。はい、チエチャンの」

 鏡の問い掛けに、どこかの青い猫型ロボットのような言い方で答えたクマが、千枝に眼鏡を手渡す。
 クマから手渡された眼鏡を掛けた千枝は、良好になった視界に驚きの声を上げる。

「うわっ、何コレ、すげー! 霧が全然無いみたい!」

「あるなら、早く出してやれっつの」

 呆れた表情でクマに文句を言う陽介にクマが憤慨する。
 しかし、一人で飛び出した千枝の事を考えると、渡している暇があったかは微妙なところだ。

「なるほど、そう言う事なんだ。モヤモヤん中、どやって進むのかと思ったよ。ね、これ貰ってもいい?」

「モチのロンクマ!」

 千枝の問い掛けにクマが嬉しそうに返事を返す。

「今日のところは、仕方ないけど……でもこれで、リベンジ出来そう! 二人とも、勝手に行ったりしないでよ!?」

「それを千枝が言う?」

「……うっ」

 鏡の突っ込みに千枝が絶句する。確かに、勝手な行動をした自分が言っても、説得力が皆無だと思う。

「んじゃ約束だ、俺ら全員の約束。“一人では行かないこと”……危険だからな」

 そう言って、陽介が二人に話し掛ける。皆で力を合わせないと、事件解決どころか雪子を救出する事も出来ない。
 陽介の言葉に千枝も賛成する。陽介は明日から、放課後はもちろん、学校の無い日も出来るだけここに来るよう提案する。
 その上で、陽介は鏡に自分達のリーダーを務めて貰えないかと頼み込む。
 最初に、ペルソナやテレビに入れる力を手に入れた事と、戦う力がこの面子の中で一番なのがその理由だ。

「それに、俺はほら、参謀向き? 頭良い人のポジションでさ」

「あたしも賛成かな。鏡なら冷静だし、なんか安心」

「……解った。引き受けるよ」

     我は汝……、汝は我……

   汝、新たなる絆を見出したり……


   絆は即ち、まことを知る一歩なり


  汝、“愚者”のペルソナを生み出せし時

   我ら、更なる力の祝福を与えん……

 鏡の脳裏に声が響く。どうやらコミュニティは個人だけでなく、団体に対しても発生するらしい。

「よし、とにかく今日は休んで、明日からに備えようぜ。まずは天気予報の確認、忘れんなよ? 雨が続くとヤバイからな」

 陽介の言葉に千枝と鏡が頷く。
 持ってきた装備は、このまま広場に置いていきクマがそれらを管理する事にして、鏡達は元の世界へと戻る。
 疲れがピークの千枝は早々に帰宅して、鏡は陽介に今日のお勧めを聞いて、夕飯の食材を買い足してから帰宅する。




 自宅へと戻った千枝は夕食を食べ入浴を済ませると、自室へと戻りそのままベットに突っ伏すように寝転がる。
 天井を見上げ今日一日の事を振り返ってみると、ただただ鏡と陽介に迷惑を掛けただけだと思い知る。
 雪子の事だけで頭が一杯になり、勝手な行動を取った自分。
 二人が何度も忠告してくれたのに、深く考えずに浅慮な行動を取った自分。

(鏡が怒るのも当然だよね……)

 今もまだ、鏡に叩かれた頬は鈍い痛みを伴っている。あの時の鏡は本当に怖いと思った。
 怒鳴り散らす訳でなく、淡々と話す鏡の姿は整った容姿と相まって、酷く冷たい印象を受けた。
 それだけの心配を掛けていたんだと、今なら解る。あの時、鏡達が居なかったら今頃自分は……

「もう一人の自分に殺されていた……」

 ぽつりと呟く。
 もう一人の自分が暴れていた間、意識が混濁していたので朧気でしか覚えていないが、二人の言葉だけはハッキリ覚えている。

『友達だからに決まっているでしょ。それに、一面だけを見てそれが千枝の全てだと“あなた”が言うな!』

『そういうこった。お前だって、里中の一面なんだろうが!』

 自分自身が認めたくない姿を含めて、二人は自分を認めてくれた。
 それに何より、鏡はこんな自分を思って叱ってくれたのだ。
 千枝は雪子との関わり合いで、鏡のように相手の事を思って本気で叱りあった事が無かった事に気付く。
 きっと、互いに相手を必要としていたから強く出る事が出来なかったのだろう。

(鏡は何であんなにも真っ直ぐなんだろう……それに花村も、あたしの事を本気で心配してくれていたっけ……)

 そんな自分達と違い、鏡と陽介は自分のために危険を顧みず戦ってくれた。
 自身が危険だと忠告もしてくれた。
 二人にあって、自分には無いもの……
 今はまだ、それが何なのかは分からないが、いつか二人のようになりたいと千枝は願う。
 助けられるだけでなく、誰かを助け出せるような、そんな自分に。


 そう言えば、陽介が自分にも二人と同じ力が使えるようになっているはずだと言っていた。
 千枝は試しに自室にあるテレビの画面へと、恐る恐る手を伸ばす。
 指先が画面に触れると、水面を触るように指先から波紋が広がっていく。
 そのまま少し力を込めて画面を押すと、手首まですんなりとテレビの中へと入っていった。

(うわっ、ホントにテレビの中に入っちゃった!?)

 テレビの中に入った自分の手を見て、その事実に千枝は驚く。
 後は、向こうの世界でないと確かめようが無いが、ペルソナという力も使えるようになっているはずだ。
 そこでふと、千枝は朧気な記憶を辿って一つの違和感に気付く。

 あの時。

 陽介は同じペルソナを使っていたが、鏡は違うペルソナを使い分けていなかったか?
 黒い人型と、妖精の姿をした少女のペルソナ……

(本当に、鏡って不思議な子)

 自分と同じ歳には思えない冷静さと、モロキンに噛みつく気の強さ。
 ある意味、見た目と相反する在りように、千枝は自身が理想とする強さとは、別の強さを鏡に感じる。


 彼女が居れば、雪子を救出する事も可能だと思わせる安心感。
 陽介も普段と違い、向こうの世界では頼りになるけれど、鏡と比べると今ひとつといった感じが拭えない。
 もっとも、陽介自身もそう思って鏡に自分達のリーダーを任せたのだと思うけれど。

(とにかく、明日から雪子を助け出すために頑張らないと……)

 今は疲れた身体を休ませて、明日から雪子を救出するための力を蓄えないと。
 千枝は決意を新たにすると、疲れから来る睡魔に身を任せてそのまま眠りへと落ちる。
 一刻も早く雪子を救出するために、強くなる事を心に秘めて。




――次回予告――


 少女はただ待っていた
 自分をここから救い出してくれる王子様を

 けれど現実は甘くなく王子様は現れない……

――囚われのお姫様

 少女はただ、何も出来ない自分を憂い、今日も王子様を待つ


 次回、PERSONA4 PORTABLE~If the world~

     籠の鳥 【前編】

――その想いは、籠の中に囚われたまま――




2012年08月06日 初投稿



[26454] 籠の鳥 【前編】
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/06/04 08:52
――――ここから逃げ出したかった

   そう願っても、自分の力ではそれも叶わない

        だから少女は願う……

     自分を連れ出してくれる王子様を




 千枝の影を倒した翌日。
 教室で授業の準備をしている鏡に登校してきた陽介が話し掛けてくる。

「おはよーさん。里中のヤツ、大丈夫かな。昨日は色々ありすぎたし、元気になってりゃいいけど……」

「千枝はそこまで弱くはないよ。昨日だって、自分の影をちゃんと受け入れる事が出来たのだから」

 千枝を心配する陽介に鏡がそう答える。
 そんな事を話していると、教室のドアが開き、千枝が登校してきた。
 千枝は鏡達に気が付くと真っ直ぐ鏡達の元へとやってくる。

「あ、おはよ」

「おはよう、眠れた?」

「うん。結局、朝まで爆睡。……その、昨日は色々ありがと」

 鏡の質問に答えた千枝がばつの悪そうな表情で礼を述べる。
 訝しむ二人に、千枝は自身の本音やら見られたくない姿を見られて複雑な心境だと説明する。
 その事を気にしている千枝に陽介は「気にするなと」宥めたところ、千枝が気になっていた事を陽介に問い掛ける。

「確か花村も、あたしみたいになったんだよね? 花村ん時はどんなだったわけ?」

「え? あー、何ていうか……」

 千枝の問い掛けに陽介は何とも気まずそうな表情になる。

「やっぱり、言い辛い?」

「……いや、俺の場合は……姉御が問答無用で、ペルソナ使って叩きのめした」

 自分と同じで陽介も言い辛い事情があると思っていた千枝は、予想の斜め上を行く陽介の言葉に唖然となる。

「その上、もう一人の俺に説教までかまして大人しくさせちまったしな……」

「鏡って凄いというか怖いというか……」

 唖然とした視線を向けてくる二人に、鏡は素知らぬ顔をしている。

「鏡の事はとにかく、今は雪子を助けるのが一番重要だよね。あたしもやるから。仲間はずれとか、絶対無しだよ?」

「当たり前だ」

「期待しているよ」

 千枝の言葉に陽介と鏡がそれぞれ答える。
 鏡達がそうやって話していると予鈴がなり、トイレを済ませていない陽介が慌てて教室を出て行く。

「ね、あのさ。えっと……昨日はごめん。それと、あ、ありがとね。助けてくれて……」

 陽介が居なくなった事を確認してから千枝が鏡に話し掛ける。

「花村も、頼れるんだけどさ……けど、鏡は不思議っていうか、なんか、頼れそうな気がするんだよね……」

     我は汝……、汝は我……

   汝、新たなる絆を見出したり……


   絆は即ち、まことを知る一歩なり


  汝、“戦車”のペルソナを生み出せし時

   我ら、更なる力の祝福を与えん……

 鏡の脳裏に声が響く。それと同時に、心に暖かい力が満ちるのを鏡は感じた。

「雨が降ったら、その後の霧に注意……だったよね。その前に、絶対助け出そう!」

「その為には力を付けないとね。千枝、無理だけは駄目だからね?」

「解ってるよ、昨日みたいな事はもうしない。約束するよ」

 鏡に釘を刺された千枝は、昨日の事で懲りたのか、真面目な表情で鏡に約束する。
 暫くして陽介も教室に戻ってくる。
 今日の一限目は英語なのだが、体育担当の教師が人が居ないので掛け持ちで担当するそうだ。
 当人は海外経験があると言っているが、一週間のツアー旅行という辺りに一抹の不安を覚える。




――放課後

 多少思うところがあるものの、どうにか一日の授業が無事終了した。
 千枝と陽介は、これからすぐにでも雪子を救出するために向こうの世界に行こうと鏡を誘う。
 鏡はそんな二人に、準備があるから先にジュネスに向かうよう言うと、自身は稲羽中央通り商店街へと向かった。


 稲羽中央通り商店街で鏡が向かった先は“四六商店”という雑貨屋だ。
 この間、クマから貰った“地返しの玉”と同じ物が置いてあるのを偶然見かけて気になっていたのだ。

「いらっしゃい。おや、見かけないお嬢ちゃんだね」

 店内に入ると蝦蟇を思わせる女将が鏡に声を掛ける。

「こんにちは。最近こちらに超してきましたから。それよりも、一つお聞きしたい事があるのですが、宜しいですか?」

 そう言って、鏡は店内にある地返しの玉を手に取り女将に見せ、地返しの玉であるかを確認する。
 女将の説明では商品は確かに地返しの玉といい、効果も鏡がクマから聞いたものと同じ内容だった。
 もっとも、女将に言わせればそんな効果は眉唾物で、どちらかというとインテリア用に購入していく客がほとんどだという。
 女将はそう言ってはいるが、鏡には手にした地返しの玉には確かな力がある事が感じられた。


 どういった経緯でこの店に入荷されているかは解らないが、他にも向こうの世界で役立ちそうな道具がいくつか置いてある。
 鏡は商品を見て回ると“傷薬”と“どくだみ茶”をそれぞれ二つずつ購入した。
 その際に“カエレール”という気になる商品があったのだが、手持ちが苦しくなるので今回は見送る事にした。
 何でも、見知らぬ場所に行って迷った時に使えば元の場所に戻れる商品らしい。
 女将は『道に迷わないためのお守り』みたいな物だと言って笑っていたが、何かしらの力を鏡は感じている。

「まいどあり、良かったらまた来て頂戴ね」

 買い物を済ませた鏡はそのままジュネスへと向かう。
 フードコートでは陽介と千枝が鏡の到着を待っており、やってきた鏡に手招きする。

「ああ、そう言えば、四六商店にそんな物が売ってあったね」

 鏡から四六商店での話を聞いた千枝がそんな感想を述べる。
 何でも昔から売っているらしく、千枝は綺麗な石だな程度の認識しか無かったらしい。

「って、武器屋に道具屋ってロープレかっての。とはいえ、あっちで探索するには助かるのも事実だよな……」

 呆れたように陽介は話すが実際問題として、そう言った物が現実世界で入手出来る事のメリットは大きい。
 予算の都合は当然あるが『備えあれば憂いなし』との言葉もある通り、身を守る保険になるからだ。
 疑問は尽きないが、その事は脇に置いて鏡達は雪子を救出するために向こうの世界へと移動する。




 いつもの広場ではクマが鏡達がやってくるのを待っていて、鏡達の姿を見るや嬉しそうな様子を見せる。

「あ、キター! ねえねえ何して遊ぶクマ?」

「あのね、雪子を助けなきゃなんないんだから、遊んでる場合じゃ無いでしょ!」

 クマの言葉に間髪入れずに千枝が突っ込む。
 確かにその通りなので、クマは鏡達を再び古城へと案内する。

「あ、そだ! センセイこれを持っていくクマ」

 古城へと入ろうとする鏡を呼び止めてクマが手渡してきた物は四六商店で見た“カエレール”だった。

「歩いて帰るのが辛くなったら、それを使って戻ってくるクマ」

「ありがとう」

 どうやら、四六商店で売られているカエレールの曰くは正しいようだ。
 とはいえ、今は考えていても仕方がないので鏡達は古城へと探索に向かう。

「何だよ、どういうこった?」

 古城に入り、まず最初に異変に気付いたのは陽介だった。

「この前と通路が違う……」

「えっ、そうなの!?」

 鏡の言葉に、前回は眼鏡が無く余裕もなかった千枝が驚く。

「センセイ、ちょっといい?」

 目の前の光景に戸惑う鏡へクマが話し掛けてくる。
 何でも、この前と違ってやっかいな場所になっているそうだ。
 歩いた場所は覚えておくので、鏡達も迷わないようにとクマが注意を促す。


 確かに以前の時と違い、赤い絨毯等の調度品は同じだが内部の構造が変わっている。
 鏡達はシャドウからの不意打ちを警戒して城内を移動する。


 探索中、何度かシャドウと戦闘をする事となったが千枝の参戦で以前より楽になっている。
 カンフー映画が好きだと公言する、千枝の攻撃方法は蹴り技が主体で、軽快な動きでシャドウを翻弄している。
 千枝のペルソナ“トモエ”も格闘技を好む千枝の性格を反映して攻撃力を上げる補助スキル【タルカジャ】を使う事が出来る。
 シャドウを退けつつも、三人はようやく上へと上がる階段を発見して慎重に上の階へと移動する。

「この辺は変わってないな……」

 階段を上った先はこの間と同じ作りになっていた。
 通路の先には閉ざされた扉があり、鏡達が扉へと近寄ると、クマから扉の向こう側に誰かが居るとの連絡が入る。
 鏡達は慎重に扉を開けると中へとはいる。扉の向こうはこの間と同じ広いホールで、反対側の扉の前に人影を発見した。

「雪子……?」

「天城! 無事か!?」

 鏡達に背を向けている人物は、マヨナカテレビに映ったドレス姿の雪子だった。
 千枝と陽介がそれぞれ声を掛けるが、雪子は鏡達に背を向けたままその場に佇んでいる。

「やっと見つけたのに……雪子、何か変……」

 不安げに千枝が話すのと同時に、どこからともなく雪子へとスポットライトが当たる。

『うふふ……ふふ、あはははは!』

 スポットライトを当てられた雪子が突然笑い出すと、鏡達へと振り返り驚いた表情を見せる。

『あらぁ? サプライズゲスト? どんな風に絡んでくれるの? んふふ、盛り上がって参りましたっ!』

 鏡達に気付いた雪子は嬉しそうな表情になると、マイクを手にリポーターのような仕草を見せる。
 よく見ると、雪子の瞳は金色で雪子本人では無い事が解る。

『さてさて、私は引き続き、王子様探し! 一体どこに居るのでしょう? こう広いと、期待も高まる反面、なっかなか見つかりませんね~!』

 身体をくねらせ雪子は楽しそうな様子で、この霧で隠れんぼをしている王子様を捕まえると意気込む。
 その直後、雪子の頭上にテロップのような文字が現れる。

    やらせナシ! 雪子姫、
    白馬の王子様 さがし!

 テロップが出た瞬間、周りから盛大な歓声が巻き起こる。

「な……何だよ、コレ!?」

「雪子じゃない……あんた……誰!?」

『うふふ、なーに言ってるの? 私は雪子……雪子は私』

「違う! あんた、まさか……本物の雪子はどこ!?」

 雪子の言葉に、ようやく千枝も目の前の雪子の瞳の色が違う事に気付く。
 千枝がもう一人の雪子に詰問すると、周りからまた歓声が聞こえてくる。
 しかし、先ほどの歓声とは違いブーイングに近い歓声だ。
 その歓声を聞いたクマは、シャドウが騒ぎ出したと鏡達に注意を促す。

『それじゃ、再突撃、行ってきます! うふ、王子様、首を洗って待ってろヨ!』

 もう一人の雪子はそう言うと、鏡達に背を向けて反対側の扉へと向かい、そのまま扉から出て行ってしまう。
 慌てた千枝がそれを追いかけようとするが、鏡からの制止の声を聞いて踏み留まる。もう少しでこの間の二の舞になるところだ。

「今の雪子、どういう事なの!? まさか、あれ……」

「もう一人の雪子、でしょうね」

「俺らん時と同じってか……」

「でも、デタラメに騒いでいた訳じゃ無いクマ」

「どういう事?」

 鏡の質問にクマは、本物の雪子が何かを伝えようとしていて、この古城そのものが雪子に関係していると説明する。
 雪子が何を伝えたいのかは解らないが、今はもう一人の雪子を追いかけるしか無さそうだ。
 鏡達はもう一人の雪子が出て行った扉へと向かうと、先へと進む。


 扉の先は短い通路が続き、その先は上の階へと続く階段だった。鏡達は先ほどと同じく、周りを警戒しながら階段を上る。
 階段を上り上の階へと到着すると、どこからともなく声が聞こえてくる。

『もうすぐ王子様が私を迎えに来てくれます。ふふ……私はいつまでもお待ちしております……いつまでも、いつまでも……』

 クマが言うには声は聞こえるが、この辺は鏡達とシャドウの気配しか無いらしい。鏡達は引き続き周囲を警戒しながら先へと進む。
 その後、四階では客を出迎える雪子の声が聞こえ、五階では鏡達が王子様なら自分を解き放ってくれるはずだという声が聞こえた。
 この階にもう一人の雪子の気配があるとの事なので、より慎重に探索を進める鏡達。


 右手にある最初の扉を開け先へと進むと、不意に身体が浮き上がる感覚が鏡達を襲う。
 何事かと思い、辺りを窺うと周りの風景が変わっている事に気付く。不審に思うも確証が得られず先へと進む。
 どうやら扉の近くに来ると浮遊感が起こるらしく、場所が移動しているように思われる。


 鏡は扉の近くまで移動すると、陽介と千枝にその場で待つように指示を出す。
 そして、鏡は自分一人で扉の前まで近づくと、陽介達の目の前から鏡の姿が掻き消える。

「姉御!?」

 後ろの方から聞こえてくる陽介の声に、鏡はそちらの方へ移動する。
 通路の角を曲がった先に二人が居て、鏡の姿に驚き駆け寄ろうと扉の前に足を踏み出した瞬間、陽介達の姿が鏡の前から消え失せる。

「何だ!?」

「な、何コレ!?」

 鏡の背後から二人の声が聞こえてくる。鏡は二人の傍へと移動すると、今の事で思いついた可能性を二人に説明する。

「なるほど……扉の前辺りで、一つ向こう側の通路へと飛ばされちまってた訳だな」

 鏡の説明に陽介が感心した様子でそう零す。どうやら、入りたい扉に近づくには一度ワープした場所から戻ってくるしか無いようだ。
 取り敢えず、先ほどの扉まで戻り部屋の中を確認したところ、金色の宝箱が置かれてあり、それをシャドウが守っているようだ。
 探索中に何度か見かけたのだが、金色の宝箱は専用の鍵がないと開かないらしく現在は手持ちに鍵がない状態だ。
 仕方がないので、部屋の中には入らず先へと進む事にする。


 先ほど飛ばされた場所の傍にある扉に近寄り次の扉の傍まで飛ばされる。戻ってきて扉を調べると鍵が掛かってい開かなかった。
 鏡達は更に先へと移動して次の扉へと戻ってくる。

『扉の向こうに誰かの気配……この匂いは、あのオンナノコだクマ!』

 クマの言葉を頼りに扉を開けて中へ入ると、部屋の中央にもう一人の雪子と、巨大な馬に跨った騎士の姿をしたシャドウが居た。

『うふふ……王子様なら、こんな衛兵に負けるはずなんてありませんよね?』

 もう一人の雪子がそう言って、挑戦的な視線を鏡達に向けてくる。
 その言葉を合図に、騎士の姿をしたシャドウが鏡達に襲い掛かってくる。

 “征服の騎士”と言う名のシャドウは左手に構えたランスを勢いよく陽介へと突き出す。
 咄嗟に両手に持ったモンキーレンチでガードするも、勢いは殺しきれずに後方へと押し込まれる。

「イザナギっ、ラクンダ!」

 補助系スキル【ラクンダ】で鏡が征服の騎士の防御力を下げると千枝が自身へと【タルカジャ】を使って攻撃力を引き上げる。
 陽介は先ほどの一撃で受けたダメージが無視できないので【ディア】で自身の傷を癒す。
 征服の騎士は千枝へと標的を変え、先ほどと同じくランスで攻撃するも、千枝がギリギリまで引き付けてサイドステップで回避する。

「頼むぜ、ペルソナ!」

 陽介はジライヤを召喚して征服の騎士へ【ガル】で攻撃するも、これまで戦ったシャドウとは違い、あまりダメージを与えてはいないようだ。
 鏡もイザナギを召喚して【ジオ】で攻撃を加えるが陽介の時と同じく効果があまり無いように見える。

「守って……トモエ!」

 千枝が眼前に現れたカードを後ろ回し蹴りで砕き召喚したトモエが、手にした双頭の薙刀で征服の騎士に斬りかかる。
 しかし、相手の防御力が高いのか、魔法に比べて物理攻撃の方がダメージが小さいようだ。

「固い……!」

『そのシャドウは物理攻撃に耐性を持っているクマ! 攻撃するなら魔法の方がいいクマ!!』

 千枝の攻撃で征服の騎士の特性が判明したため、クマが鏡達に情報を伝える。
 その間にも、征服の騎士は千枝へと攻撃を加えるが、その攻撃を千枝はことごとく躱していく。

「千枝! 私と陽介にもタルカジャをお願い!」

 千枝が攻撃を躱した隙をついて【ジオ】で攻撃した鏡が指示を出す。
 すかさず陽介も【ガル】で征服の騎士を攻撃して、着実にダメージを与えていく。


 鏡の指示に従って千枝がまず初めに鏡に【タルカジャ】を使う。
 陽介は自身に【スクカジャ】を使用して身軽になると、征服の騎士の注意を引き付ける。
 征服の騎士は陽介の思惑通り、陽介へと注意が向いたところに鏡が【タルカジャ】で威力を増幅した【ジオ】で攻撃する。
 続いて千枝は【タルカジャ】を陽介に使用すると丁度、自身へと使用した【タルカジャ】の効果が切れた。


 征服の騎士との攻防は続く。補助系スキルを用いて自分達を強化して、征服の騎士の防御力を下げる。
 地道な戦いだが、着実に征服の騎士へのダメージは蓄積し、初めの頃と比べて目に見えて弱ってきたのが解る。
 対する鏡達も、拾ったり持ち込んだりした回復薬を使い続けて互角の戦いを続ける。

「来てっ! ペルソナ!!」

 互いに消耗した戦いも、千枝の放った氷結系スキル【ブフ】により征服の騎士は倒された。
 征服の騎士が消滅したのを確認して室内を見渡すと、いつの間にかもう一人の雪子の姿が見えなくなっている。

『うふふ……あなたが本当の王子様なら、きっとまたお会いできるでしょう』

 どこからともなくもう一人の雪子の声が聞こえる。

『私は所詮、囚われの身……ここから出ることなど叶わないのだから……うふふふふ……』

『気配が消えたクマ……あっ! センセイ達、大丈夫だったかクマ? きっと先は長いぞ。無理しちゃダメだクマ!』

 確かに、クマの言う通りだ。先ほどの戦闘で回復薬も半分以上を消費してしまっている。
 今日の所は、この辺りが引き時かと鏡は判断する。取り敢えず、部屋から出ようとした所で、部屋の中心に何かが落ちている事に気付く。
 気になった鏡は部屋の中央に移動すると、落ちている物を拾い上げた。

「姉御?」

「それ……ガラスの鍵?」

 陽介が訝しげに問い掛け千枝が鏡が拾った物を見てそう零す。
 それは、ガラスで出来た鍵だった。そう言えば、鍵の掛かった扉があったが、この鍵で開くのだろうか?

「多分、鍵の掛かっていた扉の鍵だとは思うけれど、今日の所は引き上げた方が良さそうね」

 疑問ではあるが、今の状況だとあまり無理をする訳にもいかないので、日を改めて確かめる事にする。
 鏡達はクマと合流して“カエレール”を使って古城を後にした。

「さよならバイバイ、また来てクマー」
 
 クマの案内で広場まで戻ってきた鏡達は、寂しそうに鏡達に手を振るクマと別れて現実の世界へと戻る。




 鏡達がジュネスの家電売り場に戻ってくると、タイムセールの館内放送が流れていた。

「向こうで結構な時間を過ごしていたと思ったけど、そうでも無かったんだな……」

「ひょっとすると、時間の流れが向こうでは違うのかも知れないね」

 自身の体感との違和感に首を傾げる陽介へ鏡がそう話す。
 その言葉に不思議そうな表情をする千枝と陽介に、鏡は仮説だがと前置きをして説明する。
 初めて向こうの世界に行った時と、今回の時で出てきた時間はほぼ同じだが過ごした時間に差がある事。

 この事実を前提条件として考えられる可能性。
 自分達のように世界を行き来出来る者は差異を認識できるため、違和感としてその差異を感じている可能性。
 雪子を救出して本人に聞かないと解らないが、力を持たない者が向こうの世界で感じる体感時間にも違いがある可能性。

「そうか、あっちはテレビん中っていうあり得ない世界だから、こっちと同じように時間が流れている保証なんて何処にも無いよな……」

 鏡の説明を聞き、自分達の常識が向こうの世界で、どれだけ通用するのか解っていない事に陽介は気付く。
 自分達が時間を共有しているのも、同じタイミングで向こうに行っているのか、同じテレビから入っているからなのかも確証が無い。
 流石に、確かめるにはリスクが大きすぎて試そうとは思わないが。

「それって、今向こうにいる雪子が感じている時間がこっちと違うと言うこと?」

「今はまだ、その可能性があるって話だよ千枝。こればかりは、雪子を助け出してから彼女に聞かないと解らないから」

 二人の話を今ひとつ理解出来ていない千枝の質問に鏡が答える。
 向こう側の時間がこちらと比べて緩やかに進んでいるのなら、向こう側にいる雪子の体感時間はそれほど進んでいない可能性が高い。
 とはいえ、楽観できる事でもないので、早く救出するに超した事はない。


 しかし、今回の探索で今使っている装備の性能が心許なくなっている事が判明したので、その辺りも何とかしなければならない。
 幸いな事に、だいだら.の親父が話していたアートの素材になりそうな物が多数拾えたので、持っていけば何か作って貰えるかも知れない。
 その上、奇妙な事なのだかシャドウとの戦闘後に、何故かこちらの世界での貨幣が手に入る事が分かった。
 この貨幣が本物かどうか怪しいところなのだが、見た感じでは本物のように見える。
 試しに拾った紙幣を両替機で両替したところ、問題なく両替をする事が出来た。
 問題はあると思うが、装備の調達などは必要なので、仕方がないと鏡達の認識は一致している。

「今回拾った素材をだいだら.に持ち込みたいのだけど、手伝って貰える?」

「そうだな、俺達の装備も今のままじゃ拙いからな」

「それじゃ、今から行こっか?」

 鏡の言葉に二人がそれぞれ返して、拾った素材を分担してだいだら.へと向かう。


 だいだら.で鏡達が持ち寄った素材を見た親父が目の色を変える。これだけの量があれば装備をいくつか作れるそうだ。
 手持ちの素材を全部売り払う事で約三万円ほどの収入になり、明日仕上がる装備の金額次第では全員分の装備が新調出来そうだ。
 鏡達は親父にまた明日来ると告げてだいだら.を後にする。

「それじゃ、また明日な」

「二人とも、お疲れ」

 そう言って帰って行く二人を見送った後、鏡はだいだら.の隣にある“丸久豆腐店”へと足を運ぶ。

「いらっしゃい。おや珍しい、別嬪なお嬢さんが来てくれるなんて」

「こんにちは。絹ごし豆腐と木綿豆腐を頂きたいのですけれど、一丁はどれくらいの量ですか?」

 店内に入った鏡を素朴な感じがする老婆が出迎えてくれる。
 鏡は豆腐一丁の量が地域で変わるのでまずはそれを確認してから購入する数を決める事にした。

「ウチだと、一丁はこれぐらいだよ」

 そう言って鏡に豆腐を一つ掬って見せる。スーパーなどで売られている豆腐より若干大きめのようだ。
 鏡は冷ややっこ用に絹ごし豆腐三丁と、味噌汁用に木綿豆腐を二丁購入する。
 今晩のおかずは冷ややっこと味噌汁、冷蔵庫に残ってある野菜と肉で野菜炒めを作ろうと考える。

「まいどあり。また来て頂戴ね」

 老婆に見送られ、丸久豆腐店を後にした鏡は帰宅すると、出迎えてくれた菜々子と共に、今日も一緒に晩ご飯の準備をする。
 購入してきた豆腐は、ジュネスで購入する豆腐よりも味がしっかりしていて、それでいて崩れにくい。
 菜々子にも好評だったので豆腐は今後、丸久豆腐店で購入する事に鏡は決めた。


 食べ終えた食器を二人で片付け、仲良くテレビを見ながら菜々子からその日にあった出来事を聞く。
 鏡が堂島家に来てからの日常となった風景。菜々子も鏡と話す事が楽しくて仕方がないのか、その表情は明るい。
 いつものようにテレビを見終わると、二人でお風呂に入ってから菜々子を寝かし付ける。
 鏡は自室へ戻る前に遼太郎へのメモを書き残す。


 叔父さんへ

 お仕事お疲れ様です。
 今日のおかずは冷ややっこと野菜炒めです。
 野菜炒めと味噌汁は温めてから食べて下さいね。

 菜々子ちゃんは普段通りですが、少し寂しそうにして
 ました。

 お仕事が忙しいとは思いますが、気に掛けてあげて
 下さい。

                              鏡


 書き終えたメモをサイドボードに貼ってから自室へと戻る。
 明日の準備をしてから布団へと入り目を閉じて、今日の事を思い返す。

 古城の中で聞こえてきた雪子の声。
 囚われの自分に対する諦観と、それでも現状から逃げ出したいという想い。
 雪子が抱えている想いの深さは解らないが、その辺りがあの古城を形造っているのではないか?
 漠然とだが、そんな事を思っていると疲れのためか、鏡の意識はすぐに深い眠りへと落ちるのであった。




2011年04月09日 初投稿
2011年06月04日 誤字修正



[26454] 籠の鳥 【後編】
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/06/04 08:54
――――少女はただ待っていた

    自分を連れ出してくれる王子様を……

       けれど、王子様は現れず

  代わりに現れたのは、王子様のようなお姫様だった




 その日も遅くに帰宅した遼太郎は、サイドボードに貼られていた鏡からのメモを読んだ。
 鏡が堂島家に来てから、帰宅の遅い遼太郎への連絡手段として購入した物だ。


 メモには主に晩ご飯のメニューと、その日にあった事を簡単に纏めた事。そして、菜々子の事。
 不在がちな自分に対して気を遣ってか、鏡は菜々子の事で印象深い事があればメモに書き記している。
 このメモのおかげで、菜々子がその日をどう過ごしていたかを知る事が出来、以前よりも明るくなってきた事が伺える。

(これも姉さんの思惑の内、何だろうなぁ……)

 遼太郎の姉である凜は、実の弟である遼太郎から見ても、捉え所のない不思議な雰囲気を持っていた。
 まるで、自身には見えない何かを見ているようで超然とした人物だった。
 どこを見ているのか解らないようで、その実は全てを見渡しているかのような立ち居振る舞い。


 結婚してからは、義兄と共に多忙な毎日を送っており、今回も海外出張で日本人にとっては危険な地域へと赴いている。
 義兄と共に姉が所属している葛葉商事は、巨大なコングロマリットと呼ばれる複合企業体で、様々な業種の企業が傘下に収まっている。
 姉は主に折衝に関わる部署に居るらしく義兄共々、一所に留まる事は希だ。
 娘である鏡も、そんな両親の都合で転校が多く苦労をしているはずなのだが、あの真っ直ぐな性格は感心するほか無い。
 それだけ、自分と違って鏡の事を姉夫婦は気に掛けているのだろう。

(俺がしっかり菜々子と向き合っていないのが悪いんだろうな……)

 解ってはいるが、菜々子の事は全て亡くなった妻の千里に任せっきりだったので、どう接すれば良いのか解らないのだ。

(このままじゃ駄目、何だろうな)

 原因が解明できない不可解な事件が起こり、稲羽市は現在、決して安全とは言い切れない状況となっている。
 菜々子だけでなく姪である鏡にだって、いつ危険が忍び寄ってくるかも解らない。
 問題を先送りにして取り返しの付かない事が起こってからでは遅い。幸い、今は鏡が自分と菜々子の橋渡し的な存在になっている。
 一度、鏡とも折を見て話してみるべきだろう。
 もっとも、鏡は同性でないので上手く話せるかは微妙な所ではあるのだが。
 埒のない事を考えながらも、遼太郎は鏡が作ってくれていた食事を温めなおすと遅い食事を摂るのであった。




 翌朝。
 身支度を調えた所で携帯電話から呼び出し音が鳴り響く。ディスプレイを見ると“マーガレット”と表示されていた。
 マーガレットという名に心当たりが一つしかない鏡は内心、驚くも携帯電話を通話状態にする。

『……もしもし。ふいにお呼び止めして済みません。過日、ベルベットルームにてお会いしました、マーガレットでございます』

 マーガレットは、大切な忠告を忘れていたため鏡に連絡してきたとの事だ。
 友人を救出する事は崇高な事ではあるが、それだけでは人は真に満たされる事は無い。
 コミュニティがもたらす絆もペルソナの力を高める大きな源ゆえ、日々を無為に急がず鏡の信じる歩調を大切にするように。
 鏡にそう伝えて、マーガレットは電話を終えた。
 確かに、それだけに囚われると殺伐とした日々を過ごすだけになりかねない。
 鏡はマーガレットからの忠告を胸の留め置き、いつものように居間へと降りていく。


 遼太郎は朝早くから出掛けたようで、サイドボードには遼太郎から食事が美味かったとの簡素なメモが残されていた。
 不器用ながらも律儀な遼太郎のメモに、鏡は表情を綻ばせると朝食の準備をする。
 少し遅れて起きてきた菜々子に食器の準備などを手伝って貰い、二人で朝食を摂り、いつも通り途中まで二人で登校する。


 菜々子と別れて登校していると、前を歩く上級生と思われる二人の女生徒の会話が聞こえてきた。
 何でも今日から運動部に入部できるらしい。話している女生徒は受験生なので、合格祈願に行く神社を選ぶ方が大事だという。
 稲羽中央通り商店街にも神社はあるそうだが、寂れている上に何かが住み着いているという噂もあるらしい。
 その日の授業は特に変わった事もなく放課後を迎え、鏡達は先日の約束通りだいだら.へと向かう。

「おう、お前達か。ちょうど良いところに来たな、我ながら納得のアートになったぜ」

 そう言って、奥から親父が取り出してきたのは飾り気のない両刃の長剣と、小振りで一組の長細い菱形の両刃を持つ苦無と呼ばれる物。
 そして、汚れ一つ無くポケットが複数付いた白いベストで、それぞれ“ロングソード”、“苦無”、“ケプラーベスト”というそうだ。
 これら三点を購入すると、先日売り払った素材の売価と同じくらいの金額になる。
 シャドウ達と戦った際に入手した分のお金がある程度あるので、これら三点の装備を購入しても問題は無さそうだ。
 鏡達はこれら三点の装備を購入してロングソードは鏡が、苦無は陽介がそれぞれ使う事にする。
 ケプラーベストは武器を新調出来なかった千枝が装備する事となる。

「コイツはおまけだ、お前らには必要だろう?」

 そう言って親父が鏡達に差し出したのは、武器を持ち運びするための入れ物だった。
 鏡が渡された物は一見すると楽器を入れるためのケースで、陽介が渡された物は目立たないアタッシュケースだ。

「親父っさん、助かるぜ!」

「何、お前らはワシのアートを悪用するようには見えんからな。存分に使ってやってくれ!」

 親父から渡された入れ物にそれぞれ収納する。入れ物に収納する事によって、そのまま持ち歩くよりも目立たなくなった。
 千枝のケプラーベストはそのまま着ても違和感が無く、気になるようなら畳んでリュックサックに入れてしまえば良い。
 だいだら.を後にした鏡達は、四六商店で回復薬やカエレールを補充してからジュネスへと向かう。今日こそ雪子を助け出すために。




 向こう側の世界へと移動した鏡達は、クマの案内で三度古城へと訪れる。

「あ、そだ。センセイ、この前の時に到達した階から入る事が出来るけど、どうするクマ?」

 クマの言葉に鏡達は驚く。何でも、入るたびに変わる内部の地形は覚え直さないとならないが、到達した階層へは送り出す事が可能らしい。
 どういった原理で出来るかはクマ自身も知らないそうだが、出来るというのであれば大幅に時間を短縮する事が可能だ。
 鏡達は新調した装備の具合を確認すると、クマと共に五階へと移動する。


 五階は以前の時と同じ構造をしていたが、扉の前で瞬間移動させられる事は無くなっていた。
 前回、鍵の掛かっていた扉でガラスの鍵を使用したところ、予想通り扉を開く事が出来た。
 扉の中は次の階へと続く階段が部屋の奥にあり、それ以外はめぼしい物が無い。
 この部屋の反対側にあたる部屋はまだ確認していなかったので、念のために確認しに向かう。


 この部屋も鍵が掛かっており、ガラスの鍵を使って扉を開く。鍵を開けると同時にガラスの鍵は砕けてしまったが、扉を開く事は出来た。
 部屋の中には宝箱が一つ、無造作に置かれており、中には鍵が三個入っていた。
 折角だからと、シャドウが守る金色の宝箱を開けに前回見送った部屋へと移動する。


 中にいたシャドウは前回戦った征服の騎士と比較して戦いやすい相手だった。
 鏡のイザナギが【ジオ】を使い全てのシャドウを転倒させて、総攻撃を仕掛ける事であっけなく戦闘は終了する。
 鍵を使い開いた金の宝箱からは、戦う事に特化した飾り気のないドレスが出てきた。
 布と思わしき素材で出来ているが、触ってみるとひんやりしている。
 クマが言うには、どうやら火炎系の攻撃を回避しやすくする効果があるらしい。

「それなら、里中がコレを装備して、姉御が里中の使っているケプラーベストを着た方が良くないか?」

 クマの説明を聞いた陽介がそう提案する。何でも、女の子より先に男の自分が防御を固めるのは気が引けるらしい。
 鏡としては、戦闘で相手の注意を引き付ける役割をする陽介の方が必要だと思うのだが、ここは素直に陽介の意見に従った。
 これでも、女の子として相応の扱いを受けて嬉しくない訳は無いからだ。


 全ての部屋を調べ終えた鏡達は、階段を上がり六階へと移動する。
 六階に上がると、またしても声が聞こえてきた。それは以前、雪子がテレビで取材された時の様子だった。
 テレビで放映された時と違うのは、リポーターの不躾なインタビューに対する雪子の内心が聞こえた事か。
 それは、雪子の悲鳴だった。老舗旅館の次期女将という姿でしか、周りは自分を認識してくれない。
 誰も“天城雪子”としての自分を見てくれない。何もかもがウンザリだと雪子の声は震えていた。

「雪子……」

 親友の誰にも打ち明けられない悲鳴に、千枝の胸は痛む。自分と一緒に居るときの雪子はそんな様子を微塵も見せなかった。
 雪子の思いに全く気付いていなかった自分は親友失格だ……

「千枝、思い詰めないで。悔やむのは雪子を助け出した後よ」

「そうだぜ。まだ手遅れじゃないんだ。俺達で天城を助け出してやろうぜ」

「鏡……花村……うん、ありがとう」

 二人の言葉に、千枝が気持ちを切り替えて頷く。今は落ち込んでいる時ではない。
 後悔するのも雪子に謝るのも、全ては雪子を助け出してからだ。
 気持ちを切り替えた千枝の様子を確認した鏡は、上の階への階段を捜すべく探索を再開する。

「うわっ!? む、虫!?」

 探索中に遭遇したシャドウの姿を見た千枝が突如、叫び声を上げる。
 その叫び声に鏡と陽介が千枝の方へと視線を向けると、顔面蒼白になり後ずさっている千枝の姿が二人の目に映る。

「やだやだやだ! あんなのと戦えないっ!!」

 千枝が半狂乱になって嫌がるシャドウは、王冠を戴き金の縁取りの施された深紅のカブトムシのようなシャドウである。
 鏡はペルソナを“アプサラス”に切り替えると、回復スキル【メパトラ】を千枝に使う。

「千枝、落ち着いた? 近づきたくないのなら、ブフで攻撃してくれるだけでも良いから動きを止めないで!」

「わ、解った!」

 メパトラの効果で落ち着きを取り戻した千枝は、鏡の指示に従い【ブフ】を使う。

『敵、ダウン! チエチャン、さすが!』

 どうやら【ブフ】は弱点属性だったらしく、千枝は次々とシャドウをダウンさせていく。

「おっ、もしかして、今がチャンス?」

「千枝、行ける?」

「だ、大丈夫!」

 千枝に確認を取った鏡は皆で総攻撃を掛ける。
 この攻撃でシャドウは全滅。シャドウが居なくなった事で千枝は力なくしゃがみ込んだ。

「まさか、里中が昆虫嫌いだったとはな……」

「大丈夫、千枝?」

「何とかね……」

 二人の言葉に千枝は弱々しく返事を返す。
 鏡としては、雪子のいる場所へ辿り着くまでクマと行動を共にさせたいのだが、これにも問題がある。
 シャドウは鏡達ペルソナ使いを標的にしているので、千枝の方へシャドウが向かうと、千枝一人で戦う事になるのだ。
 そのため千枝には申し訳ないが、このまま頑張って貰うしかない。


 この階層から現れた昆虫型シャドウ“熱甲蟲”との幾度かの戦闘で、千枝の疲労は普段以上になっている。
 最初の時と比べると取り乱す事は無くなったが、やはり苦手なものはそう簡単には克服できないのだろう。
 何とか上の階への階段を見つけ出し、鏡達は上の階へと移動する。

『王子様はまだ来ないの?』

 他の階でも聞こえてきた雪子の声。
 誰も自分の事を知らない場所へと連れ去ってくれる王子様を、待ち望む雪子の声。

『近いクマ! この先にいるクマ!』

 クマからの情報を頼りに、鏡達は先へと進む。六階以上から出没するシャドウは、一筋縄ではいかない相手だった。
 特定の攻撃しか効かなかったり、攻撃を反射もしくは吸収して回復するなどこれまでとは比較にならない手強さだ。


 そんな中、金色の宝箱から“ケプラーベスト”と“火伏せの符”を入手できたのは幸いだった。
 ケプラーベストを陽介が装備する事で生存率がより高まり、火伏せの符を千枝が装備する事で火炎系の攻撃をより回避しやすくなった。
 上の階への階段を見つける頃には、鏡達のペルソナも古城に入った当初に比べて、かなりの成長を遂げていた。


 階段を上ると二階と同じように通路の先に扉がある。
 扉の前に鏡達が辿り着くと、クマから雪子の気配を感じるとの連絡が入った。
 鏡達は回復アイテムを使い体調を整えると、扉を開き中へと進む。




 扉の向こうは謁見の間を思わせる広い部屋で、扉の正面奥は階段状になっており、最上段には玉座がある。
 玉座の前にはドレス姿のもう一人の雪子が眼下で座り込んでいる和服姿の雪子を見下ろしていた。

「雪子!!」

 雪子の姿を確認した千枝が叫ぶ。

「やっぱりだ……天城が二人!」

 予想通り、ドレス姿の雪子は抑圧され制御を失い現れたもう一人の雪子だった。
 鏡達は雪子を助けるべく、二人の元へと駆け寄る。

『あら? あららららら~ぁ?』

 鏡達に気が付いたもう一人の雪子が驚きの声を上げる。

『やっだもう! 王子様が、三人も! もしかしてぇ、途中で来たサプライズゲストの三人さん? いや~ん、ちゃんと見とけば良かったぁ!』

 身をよじりながらもう一人の雪子が嬉しそうに話す。
 もう一人の雪子は媚びるように鏡達へと、自身を誰も知らないどこか遠くへ連れ出してくれるように懇願する。
 王子様ならばそれが可能であるだろうからと。

「むっほ? これが噂の“逆ナン”クマ!?」

「三人の王子って……まさか、あたしと鏡も入ってるワケ……?」

「……多分、そうなんだろうな」

 もう一人の雪子の言葉に興奮するクマと、発言の内容に呆然とする千枝と陽介。
 鏡はややウンザリした表情で眼鏡の位置を直している。

『千枝……ふふ、そうよ。アタシの王子様……いつだってアタシをリードしてくれる……千枝は強い、王子様……王子様“だった”』

「だった……?」

 もう一人の雪子の言葉に唖然となる千枝に、表情を険しくしたもう一人の雪子が叫ぶ。
 千枝では自分を連れ出す事も助け出す事は出来ない。その言葉に千枝は何も言えなくなる。

「や、やめて……」

 疲労が蓄積して弱っている雪子が弱々しく声を上げる。
 そんな雪子へもう一人の雪子が斬りつけるように、老舗旅館や女将修行といった束縛がまっぴらだと叫ぶ。
 たまたまここに生まれただけで、死ぬまで生き方が全部決められている。そんな自身の境遇が嫌で仕方がないのだと。

「そんなこと、ない……」

 そう否定する雪子に、もう一人の雪子は言葉を続ける。
 ここではない、どこか遠くに行きたい。一人では何も何も出来ないから、誰かに連れ出して欲しい。
 希望もなく、出て行く勇気も無い。だから自分は、いつか王子様が自分に気付いて連れ出してくれるのを待っている。
 もう一人の雪子は、それが“天城雪子”の本音だと語る。

「ち、ちが……」

「よせ、言うなッ!」

 受け入れがたい言葉に雪子が否定の声を上げようとする。
 陽介が慌てて制止しようとするが、それよりも早く雪子はもう一人の自分を否定する。

「違う! あなたなんか……私じゃない!」

『うふふふふふふ! いいわぁ、力が漲ってくるぅ! そんなにしたら、アタシ……』

 雪子の否定の言葉が、もう一人の雪子を頸木から解き放つ。
 嘲笑を上げるもう一人の雪子を黒い風が覆う。風が収まると、天井から巨大なシャンデリアが落ちてくる。
 シャンデリアの上部には鳥籠があり、深紅の鳥の姿をした異形が中に居る。
 落ちてきた衝撃に煽られた雪子がその場に倒れ伏す。その様子に千枝が慌てるが異形を挟んだ反対側なので近づく事が出来ない。

「雪子、もういいよ……待ってて!! 今、助けてあげる!!」

 千枝は雪子へ視線を向けそう言うと、異形へと視線を移し身構える。

「クマは離れてバックアップ! 皆、雪子を助けるよ!」

 千枝の言葉を引き継ぐように鏡が宣言する。鏡の言葉に従い、クマは鏡達から距離を取りバックアップの体制に入る。
 鏡達は互いに距離を取って、雪子の影を包囲するように位置取りをしてそれぞれ身構える。

『我は影……真なる我……さあ、王子様……楽しくダンスを踊りましょう? ンフフフフ……』

「待ってて、雪子……あたしが全部受け止めてあげる!」

『あらホントぉ……? じゃ私も、ガッツリ本気でぶつかってあげる!!』

 鏡はペルソナを“フォルネウス”に切り替えると千枝に補助系スキル【タルカジャ】を使用する。
 次に陽介が同じく千枝に補助系スキルの【スクカジャ】を使い、これで千枝の攻撃力と行動力を底上げされる。

「来てっ、トモエ!」

 召喚されたトモエが下から掬い上げるようにして、雪子の影を手にした薙刀で切り上げる。

『んふふ、まだまだよ。もぉっと強さを見せてちょうだい! いらっしゃい……アタシの王子様……ンフフフフ……』

 雪子の影がそう言うと傍らにスポットライトが当てられ、王冠を戴き金髪で赤い服を来たこぢんまりとしたシャドウが現れる。
 鏡達は現れたシャドウに構わずに雪子の影を攻撃するも、回復系スキルの【ディアラマ】でシャドウが雪子の影を回復させる。

「くそ、あのシャドウ地味にウゼエぞ!」

 鏡は再びフォルネウスを召喚すると補助系スキル【ラクンダ】でシャドウの防御力を下げる。
 陽介も鏡の意図を読み取りジライヤを召喚して【ソニックパンチ】でシャドウを攻撃する。

「来てっ、喰らえ!!」

 千枝が氷結系スキル【マハブフ】を使い雪子の影とシャドウの両方に攻撃する。
 氷結系が弱点属性だったのか、シャドウが体勢を崩し転倒する。この機を逃さず、千枝は再び【マハブフ】で攻撃してシャドウを気絶させる。
 その様子に慌てた雪子の影がシャドウへと障壁を張る。おそらく、氷結系の弱点を補ったのだろう。

「フォルネウス!」

 鏡は弱点が打ち消されたとしても、【ラクンダ】で防御力が落ちている今が好機と見て、千枝と同じく【ブフ】でシャドウを攻撃する。

「行け、ジライヤ!」

 続いて陽介が【ソニックパンチ】で追撃を掛け、千枝が再び【マハブフ】で攻撃を仕掛けてようやくシャドウを倒す事が出来た。

『王子さまっ! 王子さまっ!』

 シャドウが消滅した事で取り乱した雪子の影は、再びシャドウを召喚しようとするも、再びシャドウが現れる事は無かった。

『なんで……なんで来てくれないの……』

『誰も来ないクマ! この隙を狙うクマ!』

 雪子の影が動揺している今がチャンスだとクマが鏡達に言う。
 この好機を逃さないよう、鏡は攻め急がずに【ラクンダ】で雪子の影の防御力を落とし、確実にダメージを与えられるようにする。
 陽介と千枝がそれぞれ攻撃するも、後一押しが足りず倒しきる事が出来ない。

『目障りよっ!』

 動揺から立ち直れていない雪子の影が羽を振るうと、周囲を火炎が薙ぎ払っていく。
 鏡と陽介は咄嗟にガードするも、ダメージを防ぎきれず軽い火傷を負う。千枝は装備の恩恵もあり、無事に回避したようだ。


 一進一退の攻防が続くも、数で上回っている鏡達が徐々に雪子の影を追いつめていく。

「雪子……これで、最後よっ!」

 千枝の渾身の一蹴りが決め手となって、ついに雪子の影は力尽きる。
 力尽きた雪子の影は元のドレスを着た雪子の姿となり、その場に静かに佇んでいる。

「う……」

「雪子!! 大丈夫? 怪我は無い……!?」

 気を失っていた雪子の元へと千枝は駆け寄ると、雪子の安否を確認する。
 意識を取り戻した雪子は、千枝に手を引かれて立ち上がるともう一人の自分の姿を見て、身体を強ばらせる。

「私、あんな事……」

「わかってるさ。天城、お前だけじゃねーよ」

「誰にでも、他人や自分でさえ見たくない姿はあるよ」

 気落ちする雪子を陽介と鏡が慰める。

「雪子……ごめんね」

 そんな雪子に千枝が泣きながら謝る。自分の事ばかり考えていて、友達なのに雪子の悩みに気付かなかった事を。
 自分にないモノを持っている雪子が羨ましくて、何も無い自分がずっと不安で心細かった事……
 だから、そんな雪子に頼られていたかった。本当は自分が雪子を頼っていた事を。

「あたし、一人じゃ全然ダメ……鏡や花村にも、いっぱい迷惑かけちゃったし……雪子いないと……あたし、全然、分かんないよ……」

「千枝……私も、千枝の事、見えてなかった……自分が逃げる事ばっかりで」

 雪子は千枝にそう言うと、もう一人の自分の傍まで移動する。

「逃げたい……誰かに救って欲しい……そうね……確かに、私の気持ち。あなたは、私だね……」

 その言葉にもう一人の雪子は頷くと、青い光となってその身を変じさせる。
 両手に花片を思わせるショールのようなモノを持った、チアガールを彷彿とさせる姿を持ったペルソナ。
 雪子のペルソナ“コノハナサクヤ”は、再び青い光の粒子となるとカードへと姿を変え、雪子の身体へと吸い込まれるように消えていく。
 コノハナサクヤが消えると、雪子は崩れ落ちるようにその場に膝をつく。

「雪子!!」

「天城、大丈夫か?」

「うん、少し、疲れたみたい……みんな……助けに来てくれたのね」

「当たり前でしょ」

 千枝と陽介が雪子を気遣い、雪子が皆が助けに来てくれた事にお礼を述べる。
 雪子が無事だった事に千枝と陽介は安堵の表情を浮かべる。

「んで、キミをココに放り込んだのは誰クマ?」

「え……あたな、誰……? て言うか……何?」

「クマはクマクマ。で、放り込んだのは誰クマか?」

 クマが雪子に肝心な事を訊ねるが、雪子はクマの姿を見て唖然としている。
 改めてクマが訊ねるも、雪子自身は良く覚えてはおらず、誰かに呼ばれたような気がするも記憶が朧気で誰かは分からないという。
 クマはその事に気落ちするも、雪子をこの世界へと放り込んだ誰かが居る事はハッキリとした。

「取り敢えず、雪子を早く外に連れ出しましょう」

「そうだね、雪子、辛そうだし……」

「っと、そうだったな。悪ぃ」

 鏡達はカエレールを古城を後にする。クマに広場まで案内された鏡達が元の世界に帰ろうとすると、クマが寂しそうに引き留める。
 しかし、雪子が改めてお礼を言いに来るからとクマの頭を撫でた途端に機嫌を直す辺り、クマもかなり現金だ。




 元の世界に戻ってきた鏡達は、フードコートで雪子を休憩させる。
 千枝は雪子が怪我をしていないか心配しているが、雪子は疲れているだけだと千枝に話す。

「天城が山野アナと同じ手口で、その……殺され掛けたってのは、間違いないよな」

「未遂で言えば、小西先輩もそうなるね」

 陽介の言葉に鏡が付け加える。その上で、陽介は雪子が抑え付けていた思いが向こうで現実になったのでないかと推理する。
 その言葉に、クマも同じような事を言っていたと、千枝が話す。

「あー駄目だ。ますます分っかんね。犯人って、一体どんなヤツなんだ?」

「陽介、取り敢えず今日は雪子を送り届けましょう」

「そうだね、難しい話はまた今度にしよ? 雪子、早く休ませた方が良いし、あたし、家まで送ってくからさ」

「あ、そうだよな……悪い。天城の疲れ、ハンパじゃないもんな」

「それじゃ、千枝、頼める?」

「うん、任せて!」

 鏡に自信を持って答えた千枝は、雪子を気遣いながらフードコートから去っていく。
 それを見送った後で陽介が鏡に話し掛けてくる。

「詳しい話は、まず天城が元気になってからだな」

「そうね。私達も今日はゆっくり休みましょう」

 そう言って、二人もフードコートを後にする。
 鏡は今日の晩ご飯の食材を購入しに、食費売り場に寄り道すると陽介に伝える。
 陽介は疲れている上に、この後で家事までこなす鏡を心配して買い物に付き合う事にする。


 流石に手の込んだ料理は厳しいので、今日の献立はカレーだ。
 買い物を終えると、陽介は鏡を気遣って堂島家まで荷物を持ちを買って出る。
 流石にそこまで気を遣わせるのは悪いと鏡は断ったが、自分は帰ったら食事の用意とかしないで済むから構わないと押し切られた。

「それじゃ、姉御。また明日な」

「えぇ、送ってくれてありがとう」

 鏡のお礼に照れ笑いを浮かべた陽介は、自転車に乗って帰って行った。
 それを見送った鏡が堂島家に戻ると、菜々子がいつものように嬉しそうに出迎えてくれた。
 菜々子の笑顔に癒された鏡は手を洗い着替えると、菜々子と一緒に晩ご飯の準備に取りかかる。
 今日の献立がカレーと聞いて、菜々子は喜び、いつにも増して手伝いに力が入る。


 煮込んで形が崩れる事を見越して、大きめに切った具材を軽く炒めてから置いてあった圧力鍋で煮込んでいく。
 隠し味に、シナモンとインスタントコーヒーを入れて味に深みを持たせる。
 その上でタマネギの摺り下ろしも入れて辛さを抑え、菜々子に食べやすい辛さに味を調整する。
 カレーが出来上がる頃になって、遼太郎が帰ってきた。
 見ると、遼太郎は頼りなさそうな風貌の青年を連れてきている。
 見覚えのあるその姿に、鏡は山野アナの遺体発見現場に居た若い刑事である事を思い出した。

「お、おかえり」

 見知らぬ人物の姿に、菜々子が緊張した様子で遼太郎に声を掛ける。

「こんちゃっすー」

「珍しく上がりが一緒になったんでな。送りがてら連れてきた」

「どーも、この春から、堂島さんにこき使われてる、足立です」

 遼太郎が連れてきた若い刑事、足立が軽いノリで自己紹介をする。
 足立の自己紹介に遼太郎は「これでも遠慮してんだぞ」と言われるも「冗談キツいッスよ!」と取り合わない。
 ある意味で肝が据わっているとも取れる態度だが、今ひとつ頼りなさそうな印象が強い。
 しかし、鏡は足立のその調子の良さに違和感を覚える。何というか、態とらしく感じられるのだ。

「おわっと、そうだ! 君、確か天城雪子さんのクラスメイトだよね? 天城さん、無事に見つかったからさ! 皆にも知らせてあげてよ!」

「雪子が無事に見つかった?」

 怪訝な表情で答える鏡の様子に、足立は自身の失言に気付き気まずそうな表情になる。

「ああ、お前のクラスメイトの天城雪子な、数日前から行方不明になっていたんだ」

 学校の方には家の手伝いで休んでいる事になっていたので、遼太郎は足立の失言に内心、頭を抱えて鏡に説明する。

「問題が全てクリアって訳じゃないんだけどね。さっき訊ねた帰りなんだけど、天城さん、居ない間の事、覚えてないんだってさ」

 遼太郎の思いに気付かない足立は、鏡達に捜査内情を次々に話していく。
 あまりにも軽々しく内情を話す足立を遼太郎が殴りつける。

「イタっ!」

「バカ野郎、要らん事を言うな!」

「……叔父さん、守秘義務って言葉、警察には無いんですか?」

「いや、すまんが、今聞いた事は全部忘れてくれ……」

 鏡の心配そうな視線に居たたまれなくなった遼太郎がそう話す。

「す、すいません……」

 流石に足立も、余計な事を喋りすぎたと自覚して、済まなさそうに遼太郎に謝る。

「おなかすいた」

 遼太郎達の会話を理解できていない菜々子が不満を述べる。その言葉に、遼太郎も同意する。
 鏡は二人に手を洗うように言うと、菜々子と一緒にカレーをよそっていく。

「あ、そうだ。叔父さん、同僚の方を連れてくるのは良いですが、事前に連絡は下さいね?」

 今日の献立がカレーでなかったら、足立の分の食事を今から作る事になるところだったという鏡の言葉に、遼太郎は自身の失態を知る。

「すまん。つい、今までの癖で出前を取れば良いと考えていた」

 鏡が来てから食事は鏡が作るようになっても、習慣はそうそう抜けるものではない。
 とはいえ、折角作ってくれた食事が無駄になるのは流石に問題なので、遼太郎はその辺りの事は改めようと決意する。

「へぇ……これ、鏡ちゃんと菜々子ちゃんが作ったんだ」

 カレーを美味しそうに食べながら、足立が感心したように話す。
 菜々子が食べやすいように辛さを抑えているが、味にコクと深みがあるので、遼太郎達にも物足りなさを感じさせる事はない。

「堂島さん、こんな美味しいご飯が食べられるのなら、仕事の疲れも吹き飛ぶでしょ?」

「そうだな」

 楽しそうに聞いてくる足立に遼太郎がそう答える。
 久しぶりに賑やかな団らんを過ごせて菜々子も終始、嬉しそうな表情を見せている。

「それじゃ、コイツを送ってくるから戸締まりは頼むぞ」

「いや~美味しかったよ、ごちそうさま」

 そう言って、遼太郎が足立を車で送りに出掛ける。足立は鏡達に嬉しそうな笑みを見せてお礼を述べていく。
 遼太郎達を見送ってから、玄関の戸締まりをして食べ終えた食器を菜々子と二人で洗い終え、いつものように二人で入浴する。
 久しぶりの団らんで機嫌の良い菜々子は、鏡に皆で食べたご飯が楽しかった事を伝える。
 鏡もこういった賑やかな食事は久しぶりだったので、菜々子と同意見だ。


 お風呂から上がり、いつものように菜々子を寝かし付けてから鏡も自室へと戻る。
 布団を敷き、中に入って目を閉じる。
 雪子を救出する事は出来たが、未だに犯人に繋がる情報は無い。今は雪子が回復するのをまって、今後の事を皆と相談しなければ。
 そんな事を考えながら、鏡は眠りに付くのであった。




2011年04月13日 初投稿



[26454] コミュニティ
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/04/16 16:45
――――戦う事が全てじゃない

       他者との関わりもまた大切な事

     “絆”は目に見えないものであるけれど

   人が生きていく上で必要なモノなのだから……




 雪子を救出してから二日後。
 千枝の話だと、明日には学校に出てくる事が出来るらしい。
 その事を鏡達に伝えている時の千枝は本当に嬉しそうな表情で語っていて、鏡達もつい嬉しくなる。


 千枝は今日も学校が終わってから雪子の所へ顔を出すそうだ。
 陽介もジュネスでバイトと言う名の家事手伝いだとかで、放課後は急いで帰っていった。


 転校してきて初めて迎える一人の放課後。
 鏡は運動部の部活募集が始まっていた事を思いだし、折角だからと見学に向かう。
 体育館では女子バレー部が、グラウンドでは女子テニス部がそれぞれ部活動を行っているようだ。
 両方を見学してみて、活気があるように見えたテニス部へと鏡は入部する事に決める。
 入部手続きのため、近くにいた部員に声を掛けてみる。

「ん? ひょっとして、入部希望の人?」

 そう言って、鏡を珍しそうに見ている少し気の強そうな女生徒に、鏡は入部の意志を伝える。
 鏡の言葉に女生徒は嬉しそうになると、一年の部員を呼んでファイルを持ってこさせる。

「じゃ、この用紙にクラスと氏名を書いて……へぇ、神楽さんって言うんだ。噂の転校生が入部してくれて嬉しいよ」

「……噂?」

 訝しげな表情を見せる鏡に女生徒は、転校初日にモロキンに噛みついた怖いもの知らずの転校生の噂を話す。
 どうやら鏡が思っている以上に、転校初日の出来事は学校中に知れ渡っているようだ。

「実をいうと、私も気になっていたんだ。あのモロキンを言い負かした転校生が。あ、私は同じ二年の五十嵐紫( いがらし ゆかり )。よろしくね」

 自分ばかりが話していた事に気付いた紫が自己紹介をする。
 その屈託のない様子がどことなく千枝に似ていて、鏡の表情が綻ぶ。
 今日は入部初日という事で軽く流す程度の運動だったが、鏡の身体能力の高さに紫が目を丸くする。

「ね、神楽さんって本当にテニスをするのは、今日が初めてなの?」

「そうだけど?」

 紫の質問に不思議そうな表情で鏡が答える。その言葉に、いつの間にか集まってきていた他の部員達から歓声が沸き起こる。
 所々で聞こえてくる声の中に『これで今年は月高に勝てる!』などといった奇妙な単語が混ざっていた。

「はいはい、皆。嬉しいの解るけど、落ち着こうね!」

 紫が手を叩きながら他の部員達を静めていく。状況の飲み込めない鏡に紫は苦笑を浮かべると、騒ぎの理由を鏡に説明する。
 何でも二年ほど前から“月光館学園高等部”の女子テニス部と、対校試合を毎年行っているらしい。
 接戦するほど両校の実力は拮抗しているそうなのだが、去年は惜しくも敗れたらしい。
 そのため、今年は雪辱を果たすべく部員一同やる気を出しているのだそうだ。

「部長! これで今年は月高のウザイ顧問を黙らせる事が出来ますね!!」

「部長?」

「あ、神楽さんにまだ言ってなかったか。うちの学校は三年でなく二年が部長を務める事になってて、私が今年の部長なの」

 下級生と思わしき部員から部長と呼ばれた紫が、不思議そうに自分を見る鏡にそう説明する。

「向こうの子達は皆、良い子なんだけど、顧問の“叶”ってのが嫌なヤツでね。ろくにテニスの事を知らないくせに、好き勝手言ってくるんだよ」

 先方の顧問はどうやら部活動より勝ち負けにしか拘ってないらしく、去年は皆の前で暴言を吐いたらしい。
 その暴言を受け、こちらの顧問である生物担当の“柏木”教師がおかしなやる気を出したらしく『打倒! 月高!』が今年のスローガンらしい。
 実際に見た事がない下級生達も、上級生達から何度も聞かされているのか、叶という顧問に対する認識は一致しているようだ。
 紫が言うには柏木も叶と同じく部活動には関心が無い方だが、負けるのが我慢ならない性格らしい。


 互いに問題を抱えた顧問を持つ者の連帯感もあって、月高の女子テニス部の皆とは仲が良いそうだ。
 交流会は夏休みに入った最初の週に行われ、今年は七月最後の週末に行われるとの事。

「私達も頑張るけど、神楽さんにも期待するよ」

「あ、出来れば名前の方で呼んで。そっちの方が慣れてるから」

「そう? じゃ、私も紫って呼んで」

     我は汝……、汝は我……

   汝、新たなる絆を見出したり……


   絆は即ち、まことを知る一歩なり


  汝、“剛毅”のペルソナを生み出せし時

   我ら、更なる力の祝福を与えん……

 鏡の脳裏に声が響くと共に、心の中を暖かいモノが満たしていく。
 今日の部活動を終えた鏡は、紫と一緒に帰宅する。
 丸久豆腐店に買い出しに行く事を紫に話した所、商店街の近くに住んでいるので途中まで一緒に帰ろうという話になったのが理由だ。

「へぇ、鏡がいつもご飯の用意をしているんだ。面倒じゃないの?」

「そうでも無いよ。従妹の菜々子ちゃんが手伝ってくれるから、逆に楽しいし」

「家の弟も、鏡の従妹の子みたいに可愛げがあればなぁ……」

 鏡からの話を聞いて、心底羨ましそうに紫が話す。
 紫には菜々子と同い年の弟が居るらしく、いつも生意気な事ばかりを言って困っているのだとか。
 互いの事を話しながら、丸久豆腐店に到着した二人は一緒に店内へと入る。

「あら、紫ちゃん、いらっしゃい。そちらのお嬢さんも、また来てくれて嬉しいよ」

「こんにちは、今日は友達の付き添いで来ちゃった」

「こんにちは。この間、こちらでいただいた豆腐が美味しかったので、また買いに来ました」

 鏡の言葉に老婆は『そうかい、そうかい』と表情を綻ばしている。
 今日は豆腐ハンバーグを作る予定なので、木綿豆腐を三丁ほど購入する。

「鏡ちゃんも紫ちゃんも、また来ておくれね」

 老婆に見送られ、丸久豆腐店を後にした鏡達は商店街北側へと移動する。
 総菜大学前の道を進めば紫の自宅があるらしく、鏡もその道を通って帰るからだ。

「げっ、姉ちゃんだ」

 総菜大学の前を歩いていた男の子が鏡達見るなり、そう零す。
 その声を耳ざとく聞きつけた紫は男の子の側まで一気に近づくと、男の子の耳たぶを摘み上げる。

「痛いっ! 姉ちゃん、痛い、痛いって!!」

「武、今あんた私を見て『げっ』って言ったわよね? どういうつもりかなぁ?」

 男の子の耳たぶを摘み上げて低い声でそう話す紫は、その実、目が笑っている。
 おそらくこういう遣り取りはいつもの事なのだろう。
 鏡の予測通り、男の子がすぐに根を上げ紫に謝ると、満足そうな表情で男の子の耳たぶを放す。

「鏡、これがさっき話した弟の( たける )。武、こっちは姉ちゃんの友達の鏡ね」

「武君、私は神楽鏡。よろしくね」

 鏡はしゃがんで武と目線を合わせると自己紹介をする。

「五十嵐武、よ、よろしく」

 鏡の行動にしどろもどろになりながらも武は鏡に答える。
 その様子に紫は『いっちょ前に照れてんじゃ無いわよ』と、武をからかう。
 からかわれた武は顔を赤くして紫に抗議するが、形勢は不利なので機嫌を損ねてどこかへ行ってしまった。

「紫、流石にからかい過ぎじゃないの?」

「大丈夫、あれくらいで参るようなヤワな弟じゃないわよ」

 鏡の言葉に紫は自信を持って答える。あれも一つのコミュニケーションの取り方なんだなと気付いた鏡は、苦笑気味になる。
 紫と別れ、鏡はそのまま真っ直ぐに堂島家に戻る。帰宅すると菜々子がいつものように笑顔で鏡を出迎えてくれる。
 今日の献立は豆腐ハンバーグにオムライス、そして野菜スープだ。

 鏡が器用にオムライスを卵でとじる様子を菜々子が目を丸くして見ている。
 流石に、菜々子が降るにはフライパンが大きすぎるので、こういった作業は鏡が行っている。
 とはいえ、やりたそうな視線を菜々子が向けているので、だいだら.の親父に相談してみようかと鏡は考える。
 親父の主旨に反するかも知れないが、相談する価値はあると思う。


 いつものように菜々子と過ごし、互いに今日あった事を話し合う。
 鏡がテニス部に入った事を聞いた菜々子は、我が事のように喜んでくれた。
 話し足りないのか、菜々子が今日は鏡と一緒に寝たいと言ってきたので、鏡は久しぶりに菜々子と一緒に眠る事にする。
 最近になって、菜々子も自分の友達の事を鏡に話すようになってきて、菜々子の話しからその様子が思い浮かべるようになってきた。
 楽しそうに語る姿を見て、鏡は嬉しくなる。出会った当初に比べて、菜々子の表情が生き生きとしているからだ。


 話疲れて眠ってしまった菜々子の寝顔を見て、鏡は表情を綻ばす。
 一人っ子だった鏡にとって、菜々子の存在は本当の妹にも等しいほど大切な存在になっている。
 稲羽市で起こっているテレビを使った連続殺人未遂は、本当の意味ではまだ解決していない。
 犯人を捕まえない限り、今後もテレビの中に放り込まれる被害者が出てくる可能性がまだ残っているのだ。
 その被害者に菜々子がならないとも限らない。目の前で穏やかに眠る少女の平穏を守るためにも早く犯人を見つけ出さないと。
 鏡は改めてそう思い、眠りに付くのであった。





 翌日。
 いつものように途中まで菜々子と一緒に登校した鏡が学校に到着すると、雪子が校門前で立っていた。

「あ、お、おはよ」

「身体の方はもう大丈夫?」

「う、うん……今日から学校、来るから……よ、宜しくね。なんか、みんなに、すごく迷惑かけちゃったよね。ごめんね……」

「雪子のせいじゃないでしょ。それと『ごめん』じゃ、無いと思うよ?」

「そうか、“ありがとう”だよね」

 鏡の言葉に雪子の表情が明るくなる。雪子と教室へ向かう中、女将である母親が職場復帰をしたと雪子が話す。
 仲居さん達もすごく協力してくれて、以前よりも上手く回っているそうだ。
 その様子を見て、雪子は今まで自分一人が頑張らないと駄目だと無理をしていたと感じたらしい。
 肩の荷が下りたのか、今では自分の事を冷静に考えられるようになったと雪子は語る。

「で、でも、なんか恥ずかしいな……」

 向こうの世界で、鏡達に自分自身でさえ見たくないと思った事を見られた事を思い出し、雪子が顔を赤らめる。
 そんな雪子に、鏡は気にする事はないと話す。誰にでも見たくない姿や見せたくない姿はあるのだからと。

「雪子ー!」

 雪子と話しながら歩いていると、後ろから千枝の呼び声が聞こえてくる。二人は足を止め、千枝が追いつくのを待つ。
 鏡達に追いついた千枝は、嬉しそうな表情で雪子が復帰した事を喜んでおり、雪子も久しぶりの千枝との会話を楽しんでいる。
 三人が教室に着くと、先に来ていた陽介が三人に気付き、軽く手を挙げている。

「三人ともおはようさん。天城も無事に出てこれて良かったな」

「花村君も、あの時はありがとう」

「気にすんなって。それよりも放課後、これまでの事を皆で話し合いたいんだが、良いか?」

 雪子が復帰してきたので、陽介が三人に提案する。
 もちろん、三人に異存は無いので放課後、校舎屋上で話し合う事を取り決める。
 予鈴が鳴り、鏡達はそれぞれ自分の席へと戻り、一限目の準備を始める。




――放課後

 雪子がカップ麺を持って遅れてやってくる。

「お待たせ。千枝はおそばの方だよね」

 雪子が手に持っているのは“赤いきつね”と“緑のたぬき”で有名なカップ麺だ。
 カップ麺から漂う香りに、千枝は嬉しそうな表情を見せる。

「部活前のこの一杯の為に生きてるね、うん。これ、あとどんくらい待ち?」

「全然、まだよ」

 千枝の言葉に雪子が若干呆れ気味で答える。

「で、なんだっけ……あ、雪子に事情を聞くんだったよね」

「なぁ、天城さ、ヤな事ムリに思い出さす気は無いんだけど……改めて、聞かせて欲しいんだ」

 本来の目的を思い出した千枝の言葉を引き継いで、陽介が雪子に訊ねる。
 攫われた時の事は何も覚えていないのかと。
 陽介の言葉に雪子は表情を曇らせて、時間が経つ程よく分からなくなってきたと話す。
 ただ、玄関のチャイムが鳴って、誰かに呼ばれたような気がすると説明する。
 もっとも、その後に気付いた時には古城の中だったそうだ。
 申し訳なさそうに話す雪子に、千枝が『謝らなくて良い』と雪子を慰める。

「けど、やっぱその来客ってのが犯人?」

「どうだろうな……もしそうなら相当大胆だぜ。玄関からピンポーンなんてさ」

「警察の方でも目撃者を捜しているはずだけど、今のところ、該当者は見つかって無いようね」

 千枝と陽介の言葉に鏡がそう付け加える。
 犯人はかなり用心深いのだろう、すぐに身元が割れるような姿では出歩かないだろうからと、陽介は推測する。


 陽介の推測に、千枝が犯人の目的は何なのだろうかと疑問を述べる。
 流石に理由は犯人しか分からないが、一つだけハッキリした事がある。
 人が次々と“向こう”に行っているのは偶然でなく、こちら側に居る誰かが攫ってテレビに放り込んでいるのだ。
 これは間違いなく“殺人”だ。

「あ、そうだ、言ってなかったな」

 そう言って陽介は千枝と雪子に、鏡と二人で犯人を挙げる事にした事を伝える。
 正直な所、この事件を警察が解決するには無理があるが、自分達には“力”があるので大丈夫だと語る。

「とはいえ、犯人を見つけて証拠を掴んだら、警察に通報するのが一番だけどね」

 事態を軽く考えている節のある陽介に鏡が釘を刺す。特殊な“力”を持っているとはいえ、自分達は一介の学生に過ぎない。
 犯人を逮捕するには、警察の力がどうしても必要なのだ。

「あたしもやるからね! あんな場所に、人を放り込むなんてさ。も、絶対ブチのめす!」

 千枝の言葉に少し考える素振りを見せた雪子は、鏡に視線を向けると自分も手伝うと申し出る。
 どうしてこのような事が起きているのかを知りたい。
 自分が誰かに殺したいほど憎まれているのだとしたら、それを知らないといけない。もう、自分から逃げたくはないからと。

「おっし! じゃあ、全員で協力して、犯人を見つけてやろーぜ!」

 雪子の言葉に陽介が力強く宣言する。

      我は汝……、汝は我……

      汝、絆の力を深めたり……


  絆を深めるは即ち、まことを知る一歩なり


   汝、“愚者”のペルソナを生み出せし時

     我ら、更なる力の祝福を与えん

 鏡の脳裏に声が響き、心を力が満たしていく。

「でも、そうやって犯人捜す? 今んとこ、手掛かり無しだよね」

「狙われたの、私で三人目だけど、これで終わりなのかな? もし、次に狙われる人の見当が付くなら、先回りできない?」

「先回りか……なるほどな、いいかも。じゃあ、今までの被害者の共通点を挙げてみようぜ」

 陽介はそう言うと、被害者の名前を挙げていく。

 一人目、女子アナの“山野真由美”
 二人目、先輩である“小西早紀”
 三人目、クラスメイトの“天城雪子”

 三人に共通するのは、いずれも女性である事。
 その事実に千枝は憤慨する。

「後、これは? “二人目以降の被害者も、一人目に関係している”」

「あ、そっか、雪子も小西先輩も、山野アナと接点があった……」

 二人の言葉に雪子が、“山野アナの事件と関わりのあった女の人”が狙われる条件なのかと話す。
 今の状況だと、そう考えるのが筋だと思われると陽介は言う。


 そして次にもし、誰かが居なくなるとすると“マヨナカテレビ”に映る可能性が高い事。
 一番重要なのは、当人が居なくなる前に映る事だ。

「まるで、これから“誘拐します”って予告をしてるようね」

「あれが何なのかは分かんないけど、今は当てにするしかないな」

 鏡の言葉を引き継いで陽介がそう話す。
 今の時点で、次を予測する手掛かりは“マヨナカテレビ”しか無さそうだ。
 鏡達は天気予報を確認して、雨の夜に忘れずにテレビを確認する事で意見を一致させる。

「ところでソレ、もう出来てんじゃね?」

 陽介がカップ麺に視線を向けて千枝達に話す。
 言われて気付いた二人が蓋を剥がし、カップ麺を食べ始める。

「な、先生、ヒトクチ! 取り敢えず、ヒトクチ味見!」

「陽介、流石にそれはどうかと思うんだけど?」

 千枝にねだる陽介に鏡が半眼になって突っ込む。

「だってよ、姉御、あんな美味そうな香りがしたら食べたくなるじゃねえかっ」

「……間接キスがしたいのなら止めないけど?」

 鏡のその一言で、陽介と千枝が硬直する。

「あぁ……流石にそれは拙いよな……うん。里中、悪い、今のは聞かなかった事にしてくれ」

「う……うん」

 陽介の言葉に千枝が歯切れの悪い返事を返す。
 気のせいか、どことなく顔が赤くなっているようにも見える。

「取り敢えず、クマから雪子の眼鏡を貰いに、ジュネスへ移動した方が良さそうね」

 千枝達が食べ終わるのを待って、鏡達はジュネスへと移動する。
 小腹が空いたという陽介の言葉に、フードコートで軽く何かを食べてからクマに会いに行く事にする。
 ついでだからと、先ほどの話の続きをしようという事になった。

「でさ、さっきの話だけど、結局、犯人ってどんなヤツなんだろ?」

「山野アナだけ見れば、動機は恨みっぽいよな。不倫相手の奥さんとかさ」

 しかし、実際の所は柊みすずにはアリバイがあり、そもそも不倫の情報をリークしたのは柊みすず本人だ。
 千枝からの指摘に陽介は驚くと、二件目となる早紀の件を挙げる。早紀は一件目の死体発見者で、犯人が同じなら口封じの可能性がある。
 陽介もその可能性を考慮しているのだが、犯人はテレビに入れただけで警察に捕まるほどの証拠があるとは思えない。
 それに、早紀はここ一年の記憶を失っているので、証拠があったとしても今ではもう真相は闇の中だ。
 そうやって皆で考え込んでいると、鏡の耳に聞き慣れた声が聞こえてきた。

「しっかし、田舎は退屈そうだと思ってたら、信じられない事ばっかだなぁ……おっと、新メニュー発見伝」

「……足立さん?」

「鏡、知り合い?」

 足立も鏡の声に気付いたのか、鏡達の側へとやってくる。

「あれ、堂島さんトコの鏡ちゃん……? あはは……えっと、そうだ、ちょうど良かった、うん」

 気まずそうな表情になった足立が、今日は定時で遼太郎が上がれそうなので、菜々子にも伝えて欲しいと言ってくる。

「……足立さん、叔父さんにはサボっていた事は言いませんから、そんなに挙動不審にならないで下さい」

「あ、あはははは……鏡ちゃん、厳しいなぁ。ども、足立です。堂島さんの部下……ていうか相棒ね」

 鏡の指摘に苦笑いを浮かべた足立は、陽介達に気付いて自己紹介をする。

「お仕事、大変そーっすね?」

「え、ああ、世間は面白がってるみたいだけど、僕らはそういう訳にもいかないからね」

 陽介の言葉に、困った表情で足立が答える。
 そんな足立に千枝が、事件はやはり恨みによるものなのかと訊ねる。
 千枝の指摘に足立はその辺も踏まえて捜査はしているが、今のところは有力な情報は得られていないと話す。
 その上、遺体の第一発見者である早紀が誘拐された事や記憶を無くしてしまった事も陽介達に吐露する。

「……足立さん、守秘義務」

「あっと、また喋りすぎ? い、今の内緒ね……まあ、犯人は警察が必ず捕まえるから。それじゃ!」

 冷めた目で指摘する鏡の視線に居たたまれなくなった足立は、逃げるように去っていく。
 その様子に、千枝が確かにあれでは警察には任せてられないなと話す。
 陽介の食事も終わったので、鏡達はクマに会いに向こう側へと移動する。




 自分の意志で初めて訪れたテレビの中の様子に、雪子が驚きの声を上げる。
 あの時はよく分からず周りをじっくり観察する心のゆとりも無かったので、あの時とはまた違った印象を受ける。
 鏡達が来た事に気付いたクマが、可愛らしい足音を立てて鏡達に近づいてきた。

「あの時のクマさん……夢じゃなかったんだ」

「ユキチャン元気? クマね、ユキチャンとの約束守って、いいクマにしてた」

「そっか、えらいえらい」

「ま、まあ、このクマきちの為にも、犯人を見つけようって事になってさ」

 若干引き気味の陽介の説明に、雪子はクマに自分も手伝う事になった事を伝える。
 鏡はクマに雪子の分の眼鏡が有るかを訊ねたところ、ちゃんと用意しているとクマは答える。
 雪子がクマから手渡された眼鏡はツーブリッジのナイロールタイプで、赤いフレームが雪子のイメージに合っている。
 手渡された眼鏡を掛けると、周りの霧が全くないクリアな視界が広がる。

「ところでさ、なんでそんなに眼鏡を持ってるワケ?」

「……クマの手作りなんだと」

 ふとした疑問をクマに聞いた千枝に陽介が答え、その説明に初めてその事実を知った陽介と似たような反応を千枝が返す。
 クマはこの世界に長く住んでいるため、快適に過ごす工夫は怠らないのだという。
 そして、クマの場合は眼がレンズで出来ているためクマ自身には眼鏡が必要ないとの事。

「ていうか、その手で良くこれだけのモンが作れるよな」

「失敬な! クマは、凄く器用クマよ! 見るクマ! 指先がこんなに動いてる!」

 そう言って、陽介にクマは自分の指先を見せつけるが、手の先端は微妙に動いていてサッパリ分からない。

「分からんわ!」

 あまりの微妙さに、陽介がクマを突き飛ばす。その衝撃でクマから落ちた物を雪子が拾い上げる。
 クマはそれを“ちょっぴり失敗した眼鏡”というが、思いの外、雪子の琴線に触れたのか、雪子が嬉しそうにその眼鏡に付け替える。

「ちょ、ちょっと雪子?」

「あはは、どう?」

 反応に困る千枝に、雪子が嬉しそうに聞いてくる。
 それは、パーティグッズで使われる鼻付き眼鏡だった。
 レンズは渦巻き状態になっており、どう見ても使い物になるようには見えない。
 とはいえ、雪子には好評で気に入ったのかと訊ねるクマに、鼻ガードが付いているので、これが良いと雪子はクマに言う。

「おやめなさい!」

「クマったなー、それ、本物のレンズ入ってないクマよ。こんな事なら、ちゃんと用意しておけば良かったクマ」

 千枝とクマの言葉に、雪子は心底残念そうな声を上げてその眼鏡を外す。
 そして、外した眼鏡を次は千枝の番だと言って手渡す。眼鏡を受け取った千枝は仕方がないなとばかりに眼鏡を取り替える。

「う……ぷぷっ! あはは、あははっはっはっはっは!」

 眼鏡を取り替えた千枝を見て、雪子が笑いの壺に嵌ったのか突然、お腹を抱えて笑い出す。

「あ、天城さん……?」

「千枝、雪子って笑い上戸?」

「うん、雪子の大爆笑……あたしの前以外では無いと思っていたのに……」

 唖然とする陽介。雪子を指さして鏡が千枝に確認を取ると、呆れたように千枝が肯定する。
 その間も雪子は笑い続けている。

「こんな眼鏡じゃ、捜査になんねーっしょ!? てゆーか、どう考えたって鼻はウケ狙いじゃん!」

 千枝の指摘に、クマは皆が自分を置いていくので、暇すぎてこんな事になるのだと憤慨する。

「ま、まあでも、天城が元気出たみたいで良かったよ、うん……」

 何とも微妙な表情で陽介がそうフォローするも、雪子は笑い続けて苦しそうだ。
 鏡は千枝に取り敢えず鼻眼鏡を外して、元の眼鏡に換えるように勧める。
 その指示に従った千枝が元の眼鏡に交換しても雪子は笑いが収まらず、それからしばらくの間ずっと笑い続ける事になった。


 雪子にもシャドウとの実戦を経験させようと陽介が提案するが、雪子の装備が無い為だいだら.へと向かう。
 ついでだからと、この間の雪子救出の際に入手した素材も持ち込む事となった。
 持ち込んだ素材で防具が幾つか作れるそうなので、防具は後日改めて購入する事として、今回は“能扇”を購入すだけに留める。

「親父さん、一つ相談が有るのですが」

「何でぇ、言ってみな」

 折角なので、鏡は菜々子用の調理器具が作れないか、親父に相談してみる。

「なるほどなぁ、何て感心する嬢ちゃんだ。よし、分かった。ちょうど良い素材が残っているから、作ってやろう!」

「ありがとうございます」

 鏡の説明を聞いた親父は、子供ながらに手伝いをしたいという菜々子の気持ちを汲んで快く引き受ける。
 必要な要素は“軽くて丈夫”そして“子供が使って安全な物”である。ある意味、矛盾する課題に親父のやる気が漲ってくる。
 今から作業に取り掛かり、明日には仕上げておくからと親父が言うので、鏡達はだいだら.を後にする。

「それにしても、本当に菜々子ちゃんは良い子だねぇ」

 先ほどの話を聞いた千枝が、感心した様子で鏡に話し掛ける。
 食べる事が専門の千枝からすると、小学生で家事の手伝いをする菜々子はそれだけで尊敬の対象になる。
 雪子も千枝の意見に同意らしく、まだ会った事のない菜々子に会うのが楽しみだと話す。

「そうだな、今度みんなで菜々子ちゃんと一緒に遊ぶってのも悪くないな」

 陽介の提案に皆が頷く。クマに会わせるのが一番、菜々子の喜びそうな事だと思われるが、流石にテレビの中へは連れて行けない。
 ジュネスが好きだと菜々子は言っているので、皆の都合が合えばジュネスのフードコートで何か食べるのも良いだろう。

「それじゃ、私はこれで。また明日ね」

 そう言って、雪子は天城屋旅館行きのバスに乗って帰って行った。
 千枝もこのまま帰宅するそうなので、今日の所はここで解散する事となった。


 今日の献立は冷蔵庫に入っている鶏肉と卵で親子丼でも作ろうかと鏡は考える。
 一緒に味噌汁も作ろうと思い、鏡は丸久豆腐店に今日も寄って帰る事にした。
 昨日に引き続き豆腐を買いに来た鏡に店のおばあちゃんは『おまけよ』といって、嬉しそうにがんもどきをサービスしてくれた。
 鏡は貰ったがんもどきで、甘めの味付けをした煮物を献立に加える事にする。


 菜々子用の調理道具の目処も立ったし、これで菜々子が喜んでくれたら良いなと思い、鏡は帰路につく。
 遼太郎も今日は定時に帰ってくるそうなので、賑やかな晩ご飯になりそうだと、鏡は表情を綻ばせるのであった。




2011年04月16日 初投稿



[26454] 【幕間】 菜々子の調理道具
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/05/20 15:14
 薄暗い工房の中で、轟々と炎が燃えさかる音が鳴り響く。
 室内の温度は真夏のそれよりも暑く、炎の前に陣取り中に入れた鉄の焼け具合を見る親父の顔から、滝のように汗が流れ落ちる。
 火床の中で真っ赤に焼けた鉄の状態を見極め、取り出してはハンマーで叩き、叩いてはまた火にくべる作業を繰り返す。
 単調な作業だが、この作業を疎かにすると全てが台無しになる大切な作業だ。
 一分の手抜きも許されない素材との真剣勝負。
 だいだら.の親父はこれまで以上に集中して作業を続ける。


 事の始まりは、自身のアートを買い求めてくれる一人の少女からの相談だった。

「小さい子供でも扱える調理道具は作れますか?」

 話を聞いてみると、調理の手伝いをしてくれる従妹に調理の楽しさを教えてあげたいと言う。
 そのためには、子供でも楽に使える道具が欲しいと言うのは理にかなった話だ。
 道具は使ってこそ価値がある。その信念の元、様々なアートを作ってきたが子供にも使えるアートは作った事がない。
 それは、道具を使いこなせないからと言う理由があるのだが、子供でも安全に使えるアートが一つくらいあっても良いのではないか?
 相談してきた少女は自身のアートを悪用するような者ではないので、従妹に間違った使い方を教える事もないだろう。


 それに、話に聞くその従妹の健気さもアートを作ろうと思った理由の一つだ。
 今時、そんな風に気を配る子供が果たして何人いる事か。
 快くその依頼を引き受けると、早速工房に籠もって作業を開始する。


 幼い子供が使う事が前提なので、重くなく取り扱いが楽なのが第一の条件として挙げられる。
 そして、安全性も確保しなければならない。それは、ある意味で矛盾した性質を持った道具。
 職人としての腕の見せ所であると共に、今後作られるアートにも有用な技術の開拓。
 思わぬ所で新しい可能性を見出す機会に巡り会えた事に、親父の気持ちは高まる。


 手始めに包丁から作る事にする。
 子供が使うとなると、落とした時などに危険が及ばぬよう、刃先は丸くして刺さり難くしなければならない。
 かといって切れ味が悪いと無駄な力が必要になり怪我をする確率が高くなる。
 素材を吟味した結果、“金属の布”を芯鉄にして“しなやかな金属”を皮鉄に用いる事にする。


 まず始めに“金属の布”を棒状に丸めて燃えさかる火床にくべ、真っ赤に熱してから叩いて芯鉄を作る。
 出来上がった芯鉄は土に入れ粗熱を取った後、水に入れて冷ます。
 普通の素材だと固くなってしまうのだが、この素材はその心配がないので作業短縮にも繋がり効率がよい。
 続いて熱した“しなやかな金属”を叩いて伸ばし折り返す。この作業を繰り返す事十五回。
 そうして出来上がった皮鉄を折り曲げ、芯鉄を挟めるように形を整える。


 皮鉄の中心に芯鉄が綺麗に入るよう調整すると、再度火床に入れて熱しては叩き、また熱しては叩くを繰り返す。
 こうして芯鉄と皮鉄を完全に圧着させると共に、包丁の形へと仕上げていく。
 柄の部分になるところに“力の鉄糸”を幾重にも巻き付け火にくべると、全体に溶け込んでいく。
 包丁の形が出来上がると一度冷まし、全面に水で溶いた砥粉や焼き土を塗って乾燥させる。


 乾燥した後、火床で加熱して頃合いを見て取り出し水に入れて急激に冷やす。
 普通の素材だと硬い反面、非常に脆い状態になるのだが“しなやかな金属”を使った場合はその限りではない。
 しかし、焼き戻しという低温で熱した油に入れて熱して空気中で自然冷却を行う事で、更なる粘り強さを持たせる事が出来るのだ。
 残す作業は研磨による刃付けと仕上げなので、冷めるのを待って次はフライパンを作る。


 使用する素材は“金属の受皿”と“軽鉄”、そして“力の鉄糸”だ。
 まず始めに“軽鉄”を火床で熱して棒状に鍛え上げ柄の部分を作る。
 それと同時に火床で熱していた“金属の受皿”を叩いて鍛え上げると同時にフライパンの形に加工する。
 加工が終了すると先ほどの“軽鉄”を取り出し、フライパン本体の縁に先端を引っ掛け叩いて圧着させる。
 出来上がったフライパンは、液状に溶かした“力の鉄糸”でコーティングを施す。
 最後に“硬い角”で持ち手を作り、柄に装着すればフライパンは完成だ。


 冷やしていた包丁の状態を見て、研ぎの作業へと入る。
 研ぐ際に、摩擦熱で強度にムラが出たり歪んだりしないように、冷水を掛け流しながら丁寧に研いでいく。
 目の粗い砥石で研ぎ始め、徐々に目の細かい砥石へと使う砥石を交換していく。
 研がれていく事で、無骨だった刃に輝きが現れる。
 フライパンと同じく“硬い角”で柄を作り、滑り止めに紐状にした“魔術のクロス”を巻き付ける。
 巻き付けた“魔術のクロス”を濡らし、バーナーで軽くあぶると、使い込まれたかのような手に馴染む柄が出来上がる。

「こっちの方も仕上げておくか……」

 そう呟いて、だいだら.の親父はフライパンに油を入れると火床に翳し、全体に油が馴染ませる。
 全体に油が馴染んだところで火から下ろし余分な油を捨てると“ヒゲ繊維”でフライパンに擦り込むように油を拭き取る。
 そのまま裏面も軽く拭き、油を薄く塗りつける。
 作業を終えると、フライパンを梱包する。
 包丁の方は“硬い角”から削りだした鞘に入れて、こちらも梱包する。


 一連の作業を終えると、今度は本来の作業であるアートの作成に入る。
 鏡達から買い取った素材の一つ“青銅の馬具”でメタルジャケットを“魔術のクロス”でまじないローブ、二種類の防具を作り出す。
 武器の方は“金属の布”と“金属の受け皿”から居合刀と南蛮具足を、“毒々しい花”から毒塗りの苦無を作り出した。
 作業を終える頃には夜明けに差し掛かる頃合いになっていた。
 鏡達が引き取りに来るまでには時間があるので、取り敢えず仮眠を取る事にする。




 仮眠から目が覚め、店を開けて暫くすると鏡達がやって来た。

「親父さん、お願いしていた物はどうですか?」

「おう、久々に良い物を作らせてもらったぜ」

 鏡の質問に親父は会心の笑みを浮かべると仕上げた包丁を取り出して鏡に見せる。
 鞘から抜き出し、鏡達に出来映えを見せる。名刀の如き吸い込まれるような包丁の本体に、鏡達は目を奪われる。
 落とした時に刺さらないようにと、丸く仕上げた刃先。
 日本刀の柄のような拵えは手に馴染み、長く握っていても疲れにくい作りになっている。
 種別としては万能包丁に該当するこの包丁は、その気になれば石をも切る事が可能だと鏡に説明する。

「使っていて、切れ味が悪くなってきたら持ってこい。研いでやるからな」

 親父はそう言うと、包丁を鞘に納めて梱包する。
 次に梱包した状態のフライパンを取り出すと、鏡に手渡す。

「えっ!? これって……」

 手にしたフライパンは見た目に反して物凄く軽い。
 しかし、用意された秤で重さを量ると普通のフライパン並の重さである。
 不思議がる鏡達に親父は得意げな笑みを浮かべると、種明かしをする。
 このフライパンは用いた素材の特性で、持つ者の力を増加させる効果がある。
 結果、フライパン自体の重さはそのままでも、体感的には軽く感じるのだという。

「包丁の方にも程度は違うが同じ効果がある。これなら小さい子供でも楽に扱う事が出来るだろう」

 そう言って、親父は『大事に使ってくれ』といって鏡にそれらを渡す。
 鏡が代金を訊ねると、これらを作る際に使った方法で新しいアートのアイデアが出来たので不要だと答える。
 たまには違う物を作るのも新しい発見があり、今回は良い経験をさせて貰ったと満足そうな笑みを浮かべている。
 そういう事ならと、鏡は有難く頂戴する事にする。これで、菜々子も調理をする際に楽になるだろう。


 それらを受け取った後は、新しく出来たアートを見せてもらい、メタルジャケットと居合刀、南蛮具足を購入する。
 今の手持ちだとまじないローブはまだ購入出来ないので、予算が出来るまで雪子にはメタルジャケットを着てもらう事にする。
 鏡達の防具もその際に新調できれば新調する方向で予定を立てる。


 代金を支払い、居合刀は刀袋に入れ、南蛮具足はリュックに入れる。
 メタルジャケットはそのまま着ていっても大丈夫そうだが、雪子は念のために千枝のリュックに一緒に入れてもらう。
 鏡達はジュネスへと移動すると、雪子の実戦経験も兼ねて購入した装備の使い勝手を試す事にする。

「センセイ、良いところに来てくれたクマよ!」

 クマの説明によると、雪子が居た古城からシャドウの強い気配を感じるそうだ。
 犯人とは関係がないが、このままだとこの世界が騒がしくなるので鏡達に元凶を取り除いて欲しいそうだ。
 元々、シャドウとの戦闘を行いに訪れたので、鏡達にも異存はない。
 クマの頼みを引き受けると古城へと向こう事にする。


 この際、クマは古城の場所が解らなくなってしまい鏡達を案内する事が出来ないという。
 雪子と千枝なら場所を覚えているはずなので、二人に案内して貰って欲しいとクマは鏡に話す。
 その事を二人に説明すると、出来ることならあまり訪れたくは無いのだが、シャドウの件が気になるので案内を引き受けてくれた。
 二人の案内で古城へと辿り着いた鏡達は、雪子が居た部屋にシャドウの強い気配を感じるというクマの言葉に従い、最上階を目指す。


 最上階までは問題なくシャドウと戦う事が出来た。
 雪子の参加で攻撃方法の幅が広がったのが大きな恩恵をもたらしている。
 一気に最上階まで到達できた鏡達は扉の前で装備や自分達の状態を確認する。
 疲労もそれほどはなく精神力も充実している。


 鏡達は互いに頷きあうと扉を開けて大広間へと入る。
 玉座の前に居たのは“ぽじてぶキング”を大きくしたような可愛らしい外見をしたシャドウだ。
 しかし、見た目とは裏腹に鏡達は苦戦を強いられる事になる。
 見た目は同じでも、特性が“ぽじてぶキング”とはまるで違い、物理攻撃主体で攻撃してくる。
 その上、攻撃力も恐ろしく高く、最初の一撃で陽介が瀕死直前まで追い込まれるほどだ。

「おいで……コノハナサクヤ!」

 すかさず雪子が回復スキル【ディア】で回復するも全快とまでは行かず、鏡もペルソナを付け替えて回復に専念する。
 鏡は一端、全員に防御を指示するとペルソナを交換して補助スキル【タルンダ】でシャドウの攻撃力を下げる。
 その後、陽介達が攻撃している間に再度ペルソナを交換して【ラクンダ】で防御力を下げる。
 直後に仕掛けた攻撃で、疾風属性は無効化され火炎属性は吸収される事が判明する。

「雪子は回復に専念! 陽介はシャドウの注意を引き付けて!」

 厄介な特性を持つシャドウに対して、鏡は二人に指示を出し千枝を主体に攻撃を加えていく。
 鏡は常にシャドウの攻撃力を下げる事に気を配り、隙を見て自身も攻撃に加わる。
 陽介は【スクカジャ】や【ディア】を状況にあわせて使い分け、身軽さを生かしてシャドウの注意を引き付ける。
 時間は掛かるが、確実にシャドウを倒すために無理をしないで攻撃をし続ける。


 陽介が注意を引いた所で、千枝がシャドウの背後に回り込み攻撃を仕掛ける。
 シャドウの注意が千枝に向くと、今度は雪子が直接攻撃で注意をそらす。
 互いが位置を変えてシャドウの注意をそらしながらも、他の面々の補助に回れるよう気を配る。


 シャドウは思い通りに行動が出来ない事に苛立ったのか動きを止め、奇妙な間が出来る。
 その様子に嫌な予感を覚えた鏡が全員に防御の指示を出す。
 直後、シャドウは手にした王錫を激しく振り回して暴れ回る。
 気を抜くと、防御の上からでも叩き潰されそうな攻撃が続く。
 防御が間に合ったおかげで、雪子が使った全体回復スキル【メディア】で体力がほぼ全快に近い状態まで回復する。


 先ほどの攻撃で力を使い果たしたのか、シャドウの動きが目に見えて鈍っている。
 この機会を見逃さず、鏡達も一気に勝負を決めるべく波状攻撃を仕掛ける。

「これで……最後だッ!!」

 シャドウの動きが止まった隙を逃さず、トモエの【脳天落とし】がシャドウの王冠ごと一刀両断する。
 力尽きたシャドウが霧散すると、辺りは静寂に包まれる。
 玉座の辺りに以前には見掛けなかった箱が置いてあり、調べてみたところ中には孔雀の羽をあしらった扇が入っていた。
 この扇は、どうやら装備をすると精神力を高める効果があるようで、雪子がさっそく使う事にする。
 他にめぼしい物も無く、シャドウ達も大人しくなったようなのでクマと合流して鏡達は古城を後にする。


 クマと別れて元の世界に帰ってきた鏡が、思い出したかのように陽介達にゴールデンウィークの予定を訊ねる。
 雪子は家の手伝いがあったのだが、山野アナの事件でキャンセルが入り、夜だけ手伝う事になっているそうだ。
 陽介と千枝は特に用事は入っていないらしく、陽介は夜からジュネスの手伝いがあるかも知れないと話している。
 皆の予定を聞いた鏡は、遼太郎がゴールデンウィークに休暇が取れそうなので、良かったら一緒に遊ばないかと誘う。

「や、俺達は別に構わないけれど、良いのか?」

 陽介の疑問に鏡は事件があると遼太郎は戻らなければならないので、稲羽からは離れられない事。
 皆が居れば菜々子も喜んでくれる事を挙げて、都合が付くようなら一緒に過ごして欲しいとお願いする。
 その言葉に、菜々子とは機会があれば一緒に遊んであげたいと思っていた陽介達も良い機会だと快く了承してくれる。

「だったら、ウチで一泊したら良いよ。ちょうどキャンセルが入って部屋は空いてるし、堂島さんなら、お母さんも面識があるから」

 雪子のお誘いに、帰ったら遼太郎に訊ねてみてそれから連絡すると鏡は答える。
 それだったら、久しぶりに雪子の部屋に泊まりに行こうかなと千枝も思案顔になる。
 千枝の言葉に雪子もゆっくり話すのも随分とご無沙汰しているから泊まりに来たらいいよと答える。
 こうして、ゴールデンウィークの予定を計画した鏡達は、都合の確認のためにそれぞれ帰宅する事にする。


 鏡はいつものようにジュネスで買い物をすませてから帰宅する。
 今日の献立は大根と挽肉の煮物に味噌汁とじゃがいものおひたしだ。

「お姉ちゃん、おかえりなさい!」

「ただいま。今日は菜々子ちゃんにお土産があるよ」

 そう言って、鏡が特注の包丁とフライパンを菜々子に見せる。

「包丁とフライパン?」

「うん、菜々子ちゃん用に作ってもらったんだよ」

 自分専用という鏡の言葉に、菜々子が満面の笑みを浮かべて喜びを表している。
 喜ぶ菜々子に、今日からは専用の調理器具を使うようにして少し難しい調理方法も教える事を伝える。
 その言葉に神妙な表情を見せる菜々子へ、最初は食材の切り方から教えるねと鏡は優しく微笑む。


 これまでは乱切りくらいしか菜々子に頼めなかったのだが、今回は基本の“かつら剥き”を教える事にする。
 大根を菜々子が持ちやすい大きさに切ってから、まずはお手本を見せる。
 これまでは、ただ見せていただけだが、今回は切り方のコツや注意点を説明しながらの作業だ。

「最初は当たりを付けてから練習しようね」

 いきなりは難しいので、大根の切り口に十字の切り込みを入れ、中心に爪楊枝を刺す。
 これを目印に丸く切れるように菜々子が練習をする。
 今日の目標はかつら剥きを覚える事なので、他の作業は菜々子に教えながら鏡が行う。
 元々、鏡の手伝いをしていただけあって菜々子の飲み込みは早く、最後の方になると一度で丸く切れるようになっていた。
 とはいえ、目印が無いとまだ綺麗には剥けないので今後も練習を続ければすぐにでも剥けるようになれそうだ。


 かつら剥きした大根を乱切りにすると、鍋に調味料を合わせた出汁と挽肉、生姜と一緒に入れて一混ぜする。
 落とし蓋をして中火で煮ている間に、今度はじゃがいものおひたしの準備をする。
 じゃがいもは千切りにして、その作業の間に菜々子に出汁の準備をして貰う。
 菜々子と入れ替わるようにして、三つ葉をさっと茹でて続いてじゃがいもを茹でる。
 茹ですぎると萎びてしまうので、シャキッとした歯ごたえがあるうちに上げて湯を切り出汁とあわせる。


 おひたしに味を馴染ませる間に、今度は味噌汁の準備を始め煮物の状態も確認する。
 味噌汁の具はワカメと、先ほどとは別に用意した大根とじゃがいもだ。
 鏡はふと、今日の献立だとフライパンを使わない事に気付き、せっかくだからと炒り卵を献立に加える事にする。
 一見するとスクランブルエッグと似ているが、こちらはパラッとするまで火を通すのが違いだ。
 菜々子はフライパンの軽さに驚きを見せるが、使いやすいと好評だったのでだいだら.の親父が聞けば喜んでくれるだろう。


 煮物も水溶き片栗粉でとろみを付けて、しばらく置いて煮含ませれば完成だ。
 全ての調理が終わる頃に遼太郎も帰宅したので、料理を並べて皆で晩ご飯にする。
 菜々子は遼太郎に鏡から新しい調理道具を貰って、かつら剥きを教えて貰った事などを嬉しそうに話す。

「鏡、それは幾らしたんだ? その分の代金を渡さないと」

 そう言って鏡に代金を渡そうとする遼太郎に、鏡は代金は要らない事を伝えられたと説明する。
 その説明に遼太郎は考える素振りを見せるが、職人の拘りなのだろうと納得する事にしてお礼だけは伝えてくれと鏡に頼む。

「そう言えば、叔父さん。雪子から今度のゴールデンウィークに天城屋旅館に泊まらないかって話が出たんですが」

 食後のお茶を飲みながら、鏡が遼太郎に話を持ちかける。
 休暇が取れそうだと遼太郎が話した際、どうせなら鏡の友人も誘えばいいと遼太郎から話があった。
 それでクラスメイトを誘った所、雪子から話が出たと鏡は説明する。
 予約は大丈夫なのかという遼太郎の確認に、キャンセルが出たからと事件については触れずに話す。

「それじゃ、すまんがお言葉に甘えさせて貰おうか。連絡の方は頼めるか?」

 遼太郎の言葉に鏡は頷き、後で雪子に連絡を入れると話す。宿泊は五月四日の予定だ。
 鏡は菜々子とお風呂に入る前にメールで雪子に連絡を入れる。
 お風呂から上がり、菜々子を寝かし付けてメールの返信を確認したところ、雪子から『こちらの方も大丈夫だ』と連絡が入っていた。
 遼太郎にその事を連絡してから、鏡は自室へと戻ると当日の予定を考える。


 天城屋旅館に泊まるとなると、近場の渓流でバーベキューが妥当なところか?
 ご飯に関しては飯ごう炊さんでなく、最初からおにぎりを作って行けば片付けの手間も省ける。
 色々と考えている自分に気付いた鏡は、皆で遊ぶ事を楽しみにしていたんだなと苦笑して眠りにつく。
 当日に菜々子と一緒に作る献立を考えながら。




2011年05月20日 初投稿



[26454] ゴールデンウィーク
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/04/22 15:50
――――つかの間の平穏

          それがいつまでも続けばいいと思う

      ささやかな願いは無惨にも踏みにじられ

                 新たな脅威が忍び寄ってくる……




 雪子が復帰して今後の方針も決まり、鏡達は雨の日のテレビに注意しつつ普段通りの生活を続ける。
 だいだら.で新しい装備も購入して、雪子の実戦経験も兼ねて装備の仕上がり具合を確認したりと、必要な事もこなしていく。
 現実世界での生活とテレビの中での活動。二つの世界での活動にも、そろそろ慣れてきた五月の初め。

「菜々子ちゃん、準備は出来た?」

「うん!」

 鏡の問い掛けに菜々子が嬉しそうな声で答える。
 ゴールデンウィークに遼太郎が休暇を取れたため、今日は皆で一泊の予定でお出かけをする事となった。
 とはいえ、急な事件が入る可能性もある為に稲羽市から離れる訳にもいかないので、鮫川上流で川遊びだ。
 この話を陽介達にも伝えたところ、その日は皆の都合が空いていたので陽介達とは現地集合での待ち合わせとなっている。

「お前達、忘れ物は無いな?」

 先に外で準備を済ませていた遼太郎が二人に確認を取る。
 遼太郎の確認に二人はそれぞれ大丈夫と答え、車に乗り込む。

「二人とも、シートベルトはしたな? それじゃ、出発するぞ」

 鏡達がシートベルトをした事を確認して遼太郎は車を発車させる。
 バックミラー越しに遼太郎が後ろの様子を見ると、菜々子が満面の笑みを浮かべて鏡と楽しそうに話している。
 仕事が忙しいために、菜々子に寂しい思いを度々させていただけに、明るい表情を見られて遼太郎も内心では嬉しい。


 先日も今日のために鏡と一緒になってお弁当を作っていたのだが、その姿に感慨深いものを感じた。
 もっとも、今日の昼は皆でバーベキューの予定なので、おにぎりや卵焼きといった簡単なものだ。
 それでも菜々子がフライパンで卵焼きを作る姿は見ていて微笑ましいし、嬉しく思う。


 見慣れない調理器具が幾つかあったが、何でも菜々子用に鏡が伝手を頼りに特注したらしい。
 その分の費用を出すと遼太郎は鏡に言ったのだが、作った職人が『良い物を作らせてもらった』と費用は不要だと言ったらしい。
 どう見ても手の込んだ一品物なのだが、職人の拘りという物なのだろう。
 気は引けるが、そう言われてしまっては無理に費用を渡すという訳にもいかない。
 遼太郎は職人に宜しく言っておいてくれと鏡に頼むに留める事にした。




「よっ、姉御。本日はお招きいただき、ありがとうございます」

 遼太郎達が到着して暫くすると、陽介達も連れだってやってきた。

「鏡、誘ってくれてアリガトね!」

「堂島さん、その節はお世話になりました」

 遼太郎と菜々子、それぞれが初対面の相手に自己紹介をすませる。
 陽介と千枝は遼太郎と、雪子は菜々子とだ。鏡のクラスメイトである陽介達に、遼太郎と菜々子も気さくに応じている。

「さてと、久々だからあまり期待はするなよ?」

 そう言って、遼太郎が用意した釣り竿を手に渓流釣りへと向かう。
 釣りは初経験だという陽介も、遼太郎と共に挑戦してみる事となり一緒に向かう。


 鏡達はその間、バーベキューの準備に取り掛かるのだが、ここで一つの問題が発覚した。
 千枝と雪子は料理が苦手で経験もあまりないそうだ。
 そのため、鏡は二人に遼太郎達が釣り上げてくる予定の魚を焼くため、枯れ枝集めや大きめな石を集めてくるように指示を出す。
 鏡は菜々子と共にグリルの準備や、焼き串に食材を通す作業を行う。

「釣りってハマると結構、楽しいんだな」

「久々だったが、これだけあれば食べる分には足りるだろう」

 あらかたの準備が終わる頃になって遼太郎達が釣りから戻ってきた。
 釣れたのは“源氏鮎”と“コハクヤマメ”に“稲羽マス”で、源氏鮎が八尾、コハクヤマメと稲羽マスがそれぞれ三尾だ。
 遼太郎達が釣り上げてきた魚の内、鏡が手際よく源氏鮎を省いた分の魚から内臓を抜き取る。

「お魚さん、かわいそう……」

「菜々子ちゃん、私達はこうやって沢山の命を貰って生きているの。だから、好き嫌いせずに食べてあげないとね」

 表情を曇らせる菜々子を鏡が諭す。鏡の言葉に菜々子は何かを感じ取ったのか、神妙な表情で頷いた。
 普段スーパーなどで目にするのはすでに処理がされた食材だ。
 そのため、こういった機会は菜々子にはまだ早いかも知れないが、大切な事を学んでくれたらと鏡は思う。

「そうだな。食事の前に『いただきます』と言うのは食材などに対する感謝の言葉でもあるからな」

 そう話しながら遼太郎が菜々子の頭を撫でる。
 菜々子はくすぐったそうなしているが、表情は嬉しそうだ。

『いただきます』

 食事の準備も整い、順番に焼けていく食材を前に皆で唱和してから焼けている物から順次食べていく。
 魚の方は、まだ少し焼き上がるのに時間が掛かるので、取り敢えずはバーベキューの方からだ。

「この肉、うんめぇ~!」

「千枝、そんなにがっつかないで。恥ずかしい」

 肉が好きだと公言して憚らない千枝が喜色満面の表情で肉ばかりを食べている。
 そんな千枝の様子に、雪子が恥ずかしそうにしながら千枝を窘める。

「そうだぜ、里中。野菜もちゃんと食っとけよ」

「ウッサイ、花村! 言われなくてもちゃんと食べるよ」

 からかうように話す陽介に、千枝が噛みつかんばかりの勢いで言い返す。
 その様子に菜々子は嬉しそうな表情で鏡に『大勢で食べるご飯はおいしいね』と話す。

 遼太郎も肩の力を抜いた食事は久方ぶりになる。
 この間の足立との食事は、同僚の手前と言うのもあって少し構えている部分があったが、今回はそれが全くない。

「そう言えば、叔父さん。色々と忙しいと思うのですが、よく休暇が取れましたね?」

 鏡はふと、疑問に思っていた事を遼太郎に尋ねる。

「ああ、それなんだが、足立の奴がな」

 何でも足立が遼太郎は働き過ぎだから、こんな時くらい菜々子ちゃんを構ってやって下さいと言ってきたそうだ。
 他の署員も、今扱っている事件の量なら遼太郎が居なくても何とか出来ると後押しする。
 申し訳ないとは思うが、せっかくの好意なので素直にそれに甘える事にしたのだという。

「へぇ、あの刑事さん、頼りなさそうに見えたんだけど、良いトコあるじゃん」

「何だ、お前達、足立と顔見知りか?」

「ええ、この間ジュネスで鏡達と寄り道してた時に偶然」

「……千枝、それ内緒にするって」

「あっ!?」

 この間の事は遼太郎には話さないと鏡が言っていた事を思い出し、千枝が自身の失言に気付いて気まずそうな表情になる。

「ったく、あの野郎……」

 遼太郎は千枝と雪子のやりとりで、大まかな事情を把握すると呆れた表情になる。
 足立と約束した鏡の手前、後でその事を問いつめる訳にもいかないので、今後はもう少し厳しく行こうと遼太郎は決意する。


 こうしてみると鏡のクラスメイト達は皆、個性的ではあるが鏡とは仲良くしているようだ。
 慣れない環境で、上手くやっているのか気にはなっていたが、この様子だと大丈夫だと遼太郎は思う。
 鏡と菜々子が作ったおにぎりや卵焼きも好評で、焼き上がった魚もおいしく皆で残さず綺麗に食べ終える。


 食事を終え、鏡と遼太郎が後片付けをしている間、陽介達が菜々子と一緒に川遊びをしている。
 ゴミを分別して用意しておいたゴミ袋へそれぞれ纏め、火の始末も念入りに行う。

「鏡、こっちはもう良いからお前も皆と遊んできたらどうだ?」

 遼太郎の言葉に鏡はもう少ししてからと、気になる言い方で答えてくる。
 気になったので理由を聞いてみると、鏡は自分以外の人とも菜々子が接する時間が欲しいのだと答える。
 本当なら、菜々子と同世代の子らと一緒に遊べたら理想なのだがと、表情を少し曇らせて鏡は話す。

「菜々子ちゃんは私に懐いてくれていて、それはとても嬉しいのですが、私に依存するようになったら駄目ですから」

 一年間という期限があるため、鏡としては菜々子が自分に依存するようになるのは避けたいのだという。
 ずっと一緒に居られたら話は別なのだがと、鏡は苦笑気味に話す。
 自分が居なくなった後も、菜々子が以前のように寂しい思いをしなくて済むように。
 他の人との繋がりを沢山持って欲しい。コミュニティという存在を知った鏡が、自身の経験を踏まえて考えた事だ。


 人との絆が増えれば、それだけ菜々子の心は満たされていく。
 そうする事で自身が居なくなった後も菜々子は寂しい思いをする事がないだろう。
 自身の勝手な思い込みかもしれないが、それが菜々子の為になると鏡は思っている。

「そうか、本当にお前にはいくら感謝をしても足りんな。ありがとう、鏡」

     我は汝……、汝は我……

   汝、新たなる絆を見出したり……


   絆は即ち、まことを知る一歩なり


  汝、“法王”のペルソナを生み出せし時

   我ら、更なる力の祝福を与えん……

 鏡の脳裏に声が響く。
 それと共に、鏡の心を暖かい力が満たして行く。

「それじゃ、私もそろそろ行ってきますね」

「おう、楽しんで来い」

 鏡を見送った遼太郎は片付けた荷物を車にしまうと、軽く仮眠を取る事にした。
 解決していない事件もまだ残っており、実の所はゆっくり休めていなかったのだ。


 菜々子達に合流した鏡は、皆と辺りを散策したり川の流れに手を浸したりして休日を楽しむ。
 陽介達も菜々子に危険が及ばないように注意しつつ皆で菜々子を可愛がる。


 日が暮れ始めるまで遊んだ鏡達は、今日の宿泊先の天城屋旅館に向かう前に近くのバス停まで陽介を見送る。
 陽介を見送ると、遼太郎の車で鏡達は天城屋旅館へと向かう。

「いらっしゃいませ、堂島様ですね? 天城屋旅館にようこそ」

 そう言って遼太郎達を出迎えてくれたのは雪子の母親だ。
 雪子が年を取って貫禄が付けば、こんな感じなるだろうと思わせる和風美人だ。

「ただいま、お母さん。すぐに着替えて手伝うね」

 雪子はそう言うと、鏡達にまた後でねといって急いで着替えへと向かう。

「貴女が神楽さん? 雪子がお世話になっているようで、これからも娘と仲良くして下さいね」

 雪子の母親は鏡にそう言うと頭を下げる。

「小母さん、あたしも呼んで貰っちゃって、本当に大丈夫?」

「気にしないで、千枝ちゃんには雪子の事で本当に心配を掛けたからね。今日くらいはゆっくりして行きなさいね」

 食事の用意が出来るまでまだ時間があるらしいので、遼太郎は先に入浴をすませに出て行く。
 残った鏡達は千枝が雪子から借りてきたカードゲームで遊ぶ事にしたようだ。

「うわっ、また菜々子ちゃんの一人勝ちが」

 そう言って、千枝がお手上げとばかりに降参する。

「千枝、思っている事が表情に出過ぎ」

 そんな千枝に鏡が敗因を指摘する。良くも悪くも千枝は素直な所があるので、表情にすぐに出てしまうのだ。
 それ以外にも、菜々子自身が勘が良く物覚えも良いのであっという間にゲームの特性を掴んでしまっているのも要因だ。
 そうやって楽しんでいる内に遼太郎が風呂から戻ってくる。

「おかえりなさい!」

「叔父さん、結構ゆっくりしてきましたね」

「ああ、久しぶりにのんびりと出来たよ」

「ここの温泉は本当に良いからね」

 遼太郎の言葉に千枝が嬉しそうにそう話す。子供の頃から親しんで来ただけに、我が事のように思えるのだろう。

「失礼します。お客様、お食事の用意が出来ましたのでお知らせに来ました」

 そう言って、和服姿の雪子が呼びに来る。
 雪子の和服姿に菜々子が素直な賞賛を寄せると、雪子は顔を赤らめて菜々子にお礼を述べる。
 これまでも色々な利用者から褒められた事はあるが、菜々子のように含みのない素直な賞賛は初めてで柄にもなく照れてしまう。

「雪子、あたしらん前でまで他人行儀にしなくても良いじゃん」

「千枝、公私混同は流石に駄目だからね?」

 千枝の言葉に雪子が苦笑を浮かべて答える。
 雪子の案内で鏡達が連れられてきた場所は割と広い広間で、他の宿泊客も幾人か食事を摂っている。
 しかし、部屋の広さに比べると人数が若干少ないようにも見える。


 雪子の説明によると、山野アナの事件のせいで予約のキャンセルが何件か出た影響らしい。
 そのため、鏡達の宿泊の予約が取れたのだと言う。
 千枝が晩ご飯を一緒に食べる事が出来るのはその理由と合わせて、雪子が失踪していた間、心配を掛けていた事に対する気遣いらしい。
 雪子が居なくなって動揺していた母親に、千枝が毎日連絡を入れて励ましていたのだとか。

「何か、改めてそう言われると照れちゃうね」

 そう言って、千枝は顔を赤らめる。

「取り敢えず、座って。冷めない内に食べないと勿体ないよ」

 雪子に促され、鏡達は食卓に着く。
 今日の献立は季節の食材を使った会席料理で、遼太郎以外は未成年のため、食前酒の代わりに果汁のジュースが出されている。
 そのため、遼太郎だけは別に酒を出されており鏡が遼太郎の杯に酒を注ぐ。


 料理はどれも細やかな気配りで作られており、食べるのが勿体ないくらいだ。
 千枝の方は、気にせず出される食事を美味しそうに食べているので鏡も料理を食べる事にする。
 料理を食べながら鏡は遼太郎の杯が空くと酌をする。その様子を見ていた菜々子も、自分もすると言って遼太郎の杯に酒を注ぐ。

「堂島さん、両手に花ですね」

 その様子を見た千枝がそう話す。気恥ずかしくもあるが嬉しくもあるので、遼太郎は苦笑を浮かべるに留めている。
 食事も終える頃になると、雪子も手伝いが終わりだというので、鏡達は雪子と共に露天風呂へと向かう。

「うわ、前から思っていたけど鏡ってスタイル良いね」

 そう言って、千枝が鏡の身体を感心したように眺めている。

「千枝、あんまりそうやって見つめられると恥ずかしいのだけど?」

「ああ、ごめん。でもさ、雪子もそう思わない?」

「そうね、腰の位置も高いし、ちょっと羨ましいかも」

 鏡の言葉に千枝は謝るが、全然懲りていないらしく雪子に同意を求める。
 雪子も鏡の身体を見て千枝の意見に同意するので、鏡は何だか気恥ずかしくなってくる。

「わぁ、広いね!」

 露天風呂を見た菜々子が感嘆の声を上げる。
 確かに菜々子が言うように、露天風呂は広々としていて外の景色の眺めも良い。
 鏡はまず、いつものように菜々子の背中を流してあげる。

「鏡、いつもそうやっているの?」

「そうね、一緒にお風呂に入る時はいつもかも」

「ふぅん。ね、雪子、背中流してあげようか?」

「えっ!? い、いいよ。恥ずかしいし」

「え~、折角なんだしさ、いいじゃん」

 恥ずかしがる雪子に千枝が不服そうな表情になる。
 結局、雪子は千枝に押し切られて背中を流される事になるのだが、自分だけだと悔しいからと、雪子も千枝の背中を流す事にする。
 何だかんだ言って仲の良い二人の姿に鏡は表情を綻ばす。


 身体を洗い終えて、湯船に浸かり満点の星空を眺めながら鏡達はとりとめのない話に興じる。
 今日の事、これまでの事。そして、これからの事。
 千枝と雪子は鏡が稲羽に来てくれて、菜々子とも友達になれた事が素直に嬉しいと話し、鏡も同じだと答える。
 菜々子は今までと違った賑やかな生活が楽しくて仕方がないのか、皆の事が大好きだと話す。

「また今度、機会があったら皆で一緒にこうしたいね」

 夜空を眺めて鏡がそう零す。その意見に千枝と雪子も賛成で、またこうした機会を持とうと約束する。
 ふと、菜々子が静かな事に気付いた鏡が視線を菜々子へと向けると、今日は遊び疲れたのかうつらうつらと船を漕いでいる。

「菜々子ちゃん、疲れちゃったのね」

「そうだね、今日は結構はしゃいでいたからね」

 そんな菜々子の姿に雪子と千枝が微笑ましそうに話す。
 鏡は菜々子を揺り起こすと、そろそろお風呂から上がろうと声を掛ける。
 菜々子は鏡の言葉に頷くとお風呂から上がり、鏡に手を引かれて脱衣所へと向かう。

「何か、あの二人を見ていると本当の姉妹に見えるよね」

 脱衣所へと向かう鏡達を見て千枝が雪子にそう話す。
 菜々子とはこっちに来て初めて会ったと鏡は二人に話していたが、とてもそんな風には見えない。
 それだけ菜々子が鏡に懐いているという事なのだろうが、鏡も色々と菜々子の事を気に掛けているのだろう。
 少なくとも、あの世界で自分達を助けるために自ら危険に身を置くような人物なのだから。

「千枝達はまだ入っている?」

「いや、あたしらも出るよ」

 鏡の言葉に答えて千枝と雪子もそれぞれ上がって脱衣所へと向かう。
 千枝は雪子の部屋に泊まるというので、鏡は二人に『おやすみなさいと』挨拶して菜々子と部屋へと戻る。

「戻ったか、友達はどうした?」

「千枝は雪子の部屋に泊まるそうです」

 部屋に戻ると、新聞を読んでいた遼太郎が視線を鏡に向けて問い掛ける。
 少し早いが、菜々子が眠そうにしているので、今日はもう休もうかとう事となり、菜々子を寝かし付けるために布団を敷くことにする。

「鏡、俺の布団はもう少し離した方が良くないか?」

 敷かれた布団を見て遼太郎が鏡へと声を掛ける。見ると布団は隣り合うように敷かれている。

「菜々子ちゃんが真ん中で、川の字になって眠るのって、良いと思いませんか?」

 戸惑う遼太郎に鏡が事も無げに話す。確かに、菜々子は喜びそうだが、年頃の娘がそれで良いのかと遼太郎は思う。
 鏡は別に遼太郎が自信に対して淫らな事をする訳がないと解っているので、遼太郎ほど気にはしていないようだ。
 その説明に遼太郎は苦笑いを浮かべると、諦めて鏡の好きなようにさせる。
 部屋の奥から鏡、菜々子、遼太郎の並びでそれぞれ布団へと入る。

「それじゃ、電気を消すぞ」

「はい。叔父さん、お休みなさい」

 菜々子は先に布団の中でぐっすりと眠っているため返事がない。
 明かりが消され、目を閉じた鏡は今日一日の事を振り返り、またこうした機会があれば良いなと思いながら眠りにつく。




 翌日になり、朝食を摂った鏡達は天城屋旅館を後にする。
 千枝も帰ると言うので、稲羽中央通り商店街まで遼太郎の車で送る事にした。
 帰宅すると同時に遼太郎へと連絡があり、車からゴミだけ出して遼太郎はすぐに出掛けていった。
 何でも重機によるATM盗難の容疑者が見つかったので、それの応援らしい。


 遼太郎を見送った鏡達はゴミを収集所へと出すと、お茶を入れて一服する。

「お姉ちゃん。旅行、楽しかったね!」

「機会があれば、千枝や雪子達とまた一緒にお風呂に入ろうね」

 先日の雪子達との約束を菜々子に話すと、菜々子は嬉しそうに屈託のない笑顔を鏡に見せて喜ぶ。

     我は汝……、汝は我……

   汝、新たなる絆を見出したり……


   絆は即ち、まことを知る一歩なり


  汝、“正義”のペルソナを生み出せし時

   我ら、更なる力の祝福を与えん……

 先日と同じく鏡の脳裏に声が響く。
 コミュニティが築かれるたびに、鏡の心を暖かい力が満たしていく。
 これまで聞こえてきた声は“愚者”、“魔術師”、“法王”、“戦車”、“正義”、“剛毅”とタロットの大アルカナだ。
 ペルソナの属性もタロットに準じているので、最大でそれだけの数があるのかもしれない。

「お姉ちゃん、どうかした?」

「ううん、何でもないよ。今日のお昼と晩ご飯、何か食べたいものはある?」

 心配そうに聞いてくる菜々子に鏡が食べたい物のリクエストを訊ねる。
 鏡の質問に菜々子は丸久豆腐店の豆腐が食べたいと答えたので、折角だからと菜々子と一緒に買い物に出掛ける事にする。
 まずはジュネスへと出向き、フードコートで昼食と摂った後で野菜と合い挽き肉を購入して、丸久豆腐店へと移動する。
 丸久豆腐店に立ち寄った鏡達を店主のシズが嬉しそうに出迎える。

「鏡ちゃん、いらっしゃい。おや、今日は可愛らしいお嬢ちゃんも一緒だね。鏡ちゃんのご家族?」

「こんにちは、この子は従妹の菜々子ちゃんです。菜々子ちゃん、この人があの豆腐を作っているシズおばあちゃんだよ」

 鏡の紹介に、菜々子は行儀良く自己紹介をする。その様子にシズは相好を崩して菜々子の頭を優しく撫でる。
 菜々子のリクエストである豆腐以外に、いなり寿司を作るのに必要な油揚げを注文する。
 鏡の注文にシズは、時間があるのなら今から作って出来立てを渡すけれどどうするかと訊ねてくる。
 時間の余裕は充分なので、折角だからと鏡はシズに今から作ってもらう事にした。


 菜々子は油揚げをどうやって作るのか興味があるようで、鏡は出来れば菜々子に作るところを見せて欲しいとお願いする。
 鏡の申し出をシズは快く受けて、油で火傷をしないように菜々子を少し離れた場所に立たせて、油揚げを作り始める。
 待っている間、鏡達にシズはお茶とお茶請けに大福を勧め、鏡達は好意に甘えてそれらを食す。
 

 菜々子の見ている前で薄く切った硬めの豆腐を、しっかりと水切りして低温の油で揚げ、次に高温の油で二度揚げする。
 こんがりときつね色に揚げられ出来上がった油揚げを、菜々子は物珍しそうに見ている。
 シズは鏡にいなり寿司の他にも油揚げで作れる料理のレシピを教える。
 教えて貰ったレシピを応用すれば、今日購入した食材でも作れる献立を思いついた鏡はシズにお礼を述べる。

「鏡ちゃんの役に立てよ良かったよ。そうだ、鏡ちゃんに一つお願いしても良いかね?」

 シズのお願いとは、近所にある辰姫神社に住んでいる狐に油揚げを届けて欲しいという内容だ。
 その狐は頭が凄く良いらしく、人に迷惑を掛ける事はしないのだという。
 ただ、妙に金銭に目がないらしく、自販機のおつり受けなどをこまめに調べて回っているのだとか。


 話しを聞く限りではかなり怪しい気もするが、商店街の皆からは好かれているそうだ。
 菜々子がその狐を見てみたいと言ったので、鏡はシズのお願いを聞きて菜々子と共に辰姫神社へと向かう。

「きつねさん、いるかな?」

「境内にある鳥居の所に置いておけば大丈夫と言っていたから、取り敢えず行ってみましょうか」

 シズから渡された油揚げを持って鏡は菜々子と共に辰姫神社へと向かう。
 神社の境内は手入れが行き届いて無く、閑散とした有様を見せている。
 境内に入ってから二人の様子を窺う気配を感じた。
 気にはなったが、こちらに対して害意があるようではないので、その気配を無視して頼まれた油揚げを鳥居の奥にあるご神体に供える。
 すると、拝殿の上から何かが飛び降りて鏡達の前に姿を表す。

「わぁっ! きつねさんだ!」

 それは目つきの悪い狐だった。ハート柄の前掛けを付けており、元々はどこかで飼われていたのかも知れない。
 狐は口に絵馬をくわえており、鏡にそれを取れと言いたそうにしている。
 鏡が近づいても狐は逃げる素振りは見せず、差し出された鏡の手に絵馬を落とす。

「お姉ちゃん、それは?」

「絵馬のようだけど、これって……」

 渡された絵馬を見ると子供が書いたと思われる字で“おじいちゃんの足がよくなりますように  けいた”と書かれていた。
 絵馬の裏には“珍しい形の葉っぱ”が貼り付いていて、何か意味があるのかも知れない。
 何かの気配に気付いた狐が慌ててその場から姿を消すと、一人の老人が境内にやってきた。

「あンれまー、珍しいね。お嬢ちゃん達みたいな若い子が来なさるとは」

 鏡達の姿を物珍しそうな目で見る老人は、この神社に誰も住んでおらず、自分が時々手入れをしているのだという。
 ただ、最近は足が痛くてそれもままならず、孫の圭太とも遊びに行けないと嘆いている。
 ひょっとすると、この絵馬を書いた子が老人の孫なのかも知れない。
 そんな事を考えていると、老人は鏡が手にする絵馬に貼り付いた葉っぱを見て驚きの声を上げる。


 老人の驚く声に理由を尋ねてみると、この葉っぱは昔から湿布にはこれが一番と言われていたらしい。
 しかし、この辺りの山ではもう取れないと思われていたらしく、良く見つけたなと酷く感心している。

「た、頼む、その葉っぱを儂に譲っとくれっ!!」

 断る理由も無いので、鏡は葉っぱを老人に手渡す。
 老人は、鏡から手渡された葉っぱを足に貼り付けると驚嘆の声を上げる。
 先ほどとはまるで別人のように元気になった老人が、鏡に感謝する。

「こりゃ、巡り会わせて下さったお社様にも、たんと感謝せにゃいかんのー!」

 そう言って老人は物凄い勢いで拝殿へと向かい、お賽銭を入れるとそのままの勢いで帰って行く。
 あまりの事に鏡は唖然としてしまう。

「おじいさん、元気になって良かったね!」

 ただ、菜々子は老人が元気になった事を素直に喜んでおり、その様子に鏡も気を取り直す。
 老人が境内から立ち去ると、隠れていた狐が出てきて、鏡達を嬉しそうに見ている。
 狐は鏡達から離れ、賽銭箱をのぞき込むと後ろ足で立ち上がり、満足そうに一声鳴いてみせる。
 どうやらシズの言っていた通り、この狐はかなり賢いようだ。


 賽銭箱を確認した狐は鏡の前まで戻ってくると、尻尾をパタパタと振りながら鏡を見上げてくる。
 どうやら気に入られてしまったようだ。

「きつねさん、可愛いね」

 そう言って菜々子が狐に手を伸ばすと、嫌がる素振りを見せずに狐は菜々子に頭を撫でさせる。
 ふかふかとしたその感触に、菜々子が満面の笑みを浮かべて嬉しそうにしている。

「あ、そうだ。きつねさん、おばあちゃんからあぶらあげを貰ってきたんだよ」

 菜々子はシズから頼まれていた事を思い出し、ご神体へと供えた油揚げを取ってくる。
 手にした油揚げを狐の前に差し出すと、狐は器用にくわえて食べ始めた。

「おいしい?」

 菜々子の言葉に狐は嬉しそうに一声鳴いて答える。
 油揚げを食べ終えた狐は、拝殿の裏の方へと姿を消したかと思うと、すぐに鏡達の前へと戻ってくる。
 見ると先ほど老人に渡した物と同じ葉っぱを何枚もくわえている。何かを訴えようとしている狐との間に絆の芽生えを感じる。

     我は汝……、汝は我……

   汝、新たなる絆を見出したり……


   絆は即ち、まことを知る一歩なり


  汝、“隠者”のペルソナを生み出せし時

   我ら、更なる力の祝福を与えん……

 鏡が感じたように、いつもの声が脳裏に響く。
 ひょっとすると、向こうの世界での探索に力になってくれるかも知れない。
 そんな事を考えていると、狐は賽銭箱の前に移動して何やらアピールしてくる。
 どうやら手伝ってはくれるようだが、相応の代価が必要のようだ。


 そろそろ日も暮れそうなので、鏡達は狐に別れを告げて家へと帰る。
 家にたどり着くまでの間、菜々子は狐との事を嬉しそうに鏡に話し続ける。
 鏡も試験前の良い気分転換になったと菜々子との会話を楽しむ。


 家に帰るといつものように菜々子と一緒に晩ご飯の準備に取り掛かる。
 今日の献立は、いなり寿司と冷ややっこに味噌汁、そして合い挽き肉のそぼろ炒めだ。
 合い挽き肉のそぼろ炒めは甘辛く味付けして、サニーレタスに巻いて食べる予定だ。
 それとは別に、油抜きをした油揚げに、そぼろと野菜を詰めて包み焼きを作る。


 応援に出向いていた遼太郎も早くに戻ってきたので、三人で晩ご飯を食べて菜々子と入浴を済ませる。
 試験前なので、就寝する前に予習を行う。学習内容の差は、こちらに来る前と大差が無かったので心配するほどではない。
 後は試験で普段通りの実力を出せれば、今回は良い成績が狙えそうだ。
 一通りの予習をすませ、鏡は眠りにつく。




 連休も明けて試験前の残り数日。
 千枝が付け焼き刃で鏡や雪子に勉強を教えてくれと慌てる事もあったが、鏡と雪子は問題なく試験に臨めそうだ。
 陽介と千枝は試験前から憂鬱な空気を漂わせているが、頑張れと言うほか無い。


 試験期間中の張りつめた空気も、最終日になると和らいだものになる。
 全ての試験が終わり、生徒達はそれぞれ開放感を味わっている。

「やーっと終わったなー」

 ほっとした様子で話す陽介に、千枝が噛みついてくる。
 どうやら雪子と試験の答え合わせをしているようだ。
 しかし、二人のやりとりを見るに千枝の結果は惨憺たる結果のようだ。

「ね、鏡。“太陽系で最も高い山”って何にした?」

「オリンポス山って書いたけど?」

「あ、私と一緒だ」

 鏡と雪子のやりとりに千枝が悲鳴を上げる。どうやら現国だけでなく地学も駄目なようだ。
 陽介はそんなやりとりを見ながら、試験結果が張り出されるのが楽しみだと憂鬱そうに話す。

「聞いた? テレビ局が来てたってよ」

 聞こえてきたクラスメイトの言葉に鏡達が驚く。
 しかし、怪死事件の事では無く幹線道路を走っている暴走族の取材だそうだ。

「暴走族?」

 不思議そうにする雪子に、千枝と陽介が騒音が酷い事を話す。
 何でもメンバーには八十神高校の生徒も含まれているそうで、去年まで凄かったと噂される生徒が一年に居るらしい。

「中学ん時に伝説作ったって、ウチの店員が言ってたっけ。けど……暴走族だっけな……?」

「で、伝説って?」

「それ多分、雪子が考えているのとは違うと思うけど……」

 陽介の言葉に瞳を輝かせる雪子に千枝が呆れたように突っ込みを入れる。

「とはいえ、取材来てたって言うのなら、明日辺りにでも放送されそうだな……」

「また、妙に曲解した内容になりそうね」

 陽介の言葉に鏡がそう答える。
 どうにもこちらで流れるニュースは、事実とは無関係な内容でも、視聴率が取れれば良いと思っている節がある。
 早紀や雪子のインタビューなどが良い例だ。その上、個人のプライバシーにも配慮しないので、鏡は正直なところ快くは思っていない。
 鏡の懸念は、翌日に的中する事となる。

『静かな町を脅かす暴走行為を、誇らしげに見せつける少年達……そのリーダー格の少年が、突然、カメラに向かって襲い掛かった!』

『てめーら、何しに来やがった! 見世モンじゃねーぞ、コラァ!!』

「この声……あいつ、まだやってんのか……」

 テレビに映った少年の声に聞き覚えのある遼太郎がそう零す。
 顔にモザイクを掛けてはいるが、声がそのままでは解る人には解ってしまう。

「お父さん、しりあい?」

 菜々子の質問に遼太郎は困ったような表情を見せて説明する。

「“巽完二( たつみかんじ )”……ケンカが得意で、たかだか中三でこの辺の暴走族をシメてた問題児だ」

 何でも、騒音が酷くて母親が眠れないからと言う理由で、付近一帯の暴走族を潰して回っていたのだという。
 動機はともかく、暴れ過ぎが原因で母親が頭を下げる事になりかねないと、遼太郎は心配する。
 鏡の懸念通り、今回も事実確認もせずに報道しているらしい。その上、声はそのまま流しているので、顔を隠している意味が全くない。

「あ、あした雨だって。下にお天気出てる。せんたくもの、中だね」

 菜々子の言う通り、画面の下に小さく明日の天気が出ている。
 このまま雨が続けばマヨナカテレビに何かが映るかも知れない。
 明日、学校で皆と話し合うのが良さそうだ。


 翌日になると、予報通りに雨が降ってきた。

「じゃあ今夜は、例のテレビを確認しないとな」

「何も映らなければいいけど……」

 陽介の言葉に雪子が不安そうに答える。
 確かにそれが一番なのだが、犯人に繋がるヒントでも見えればと陽介は話す。
 陽介の言う通り、今の時点ではマヨナカテレビしか手掛かりがない。
 映って欲しくはないが手掛かりは欲しい。相反する思いにもどかしさが募る。

――深夜

 時計の針が零時を指す。
 マヨナカテレビには雪子の心配を裏切るように朧気ながら人影が映る。
 その姿から映っている人物は男子高校生のように見える。
 どこかで見たような気がするが、誰かはハッキリとは解らない。


 これまでの予測とは違う姿に戸惑う鏡をよそに、映像は消えてしまう。
 映像が消えて少しして、陽介から電話が掛かってきた。

「姉御、さっきの見たか? 映ってたの、男だよな? けど人相までは分からなかったし……明日、みんなで詳しい事を話そうぜ!」

「うん、解った。また明日、お休みなさい」

 そう言って電話を切り、鏡は布団へと入る。
 マヨナカテレビに映ってしまった以上、次はあの人影が攫われる可能性がある。
 手遅れになる前に、犯人へと繋がる手掛かりが得られれば良いのだが。
 鏡はそう思って眠りにつくのであった。




2011年04月22日 初投稿



[26454] 迷走
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/04/29 10:02
――――誰も自分の事を理解してくれない

  どうせ無理なのだから、理解されたいとも思わない

    けれど、自分を理解してくれる人が現れたら

            自分は変わる事が出来るのだろうか?




 翌日になり、テレビに映った人物について鏡達はジュネスのフードコートに集まって話し合う事となった。

「えー、それでは稲羽市連続誘拐殺人事件、特別捜査会議を始めます」

「ながっ!」

 神妙そうな表情で宣言する陽介に、千枝が突っ込む。

「あ、じゃあここは、特別捜査本部?」

 一人、目を輝かせて訊ねる雪子に陽介が嬉しそうに同意し、千枝も名称にどこか惹かれるものがあるようだ。

「皆、本題はそこじゃないから脱線しないの」

「おっと、そうだったな。すまない、姉御」

 鏡の指摘に陽介は気を取り直すと、昨日の夜に映った人影について、何か気付いた事がないか皆に訊ねる。
 全員、人影が映っていたのは確認できたが、高校生くらいの男性が映っていた事しか分かっていない。
 雪子は、先日見たテレビの様子に、自身もそういう風に映っていたのかと驚いているようだ。

「あれ、でも待って。被害者の共通点って、“一件目の事件に関係する女性”……じゃなかったっけ?」

「だと思ったんだけどな……」

 雪子の指摘に陽介が困った表情を見せる。とはいえ、まだ誰かはハッキリとはしていない。
 男性のように見えて、実は女性である可能性はまだ否定できないのだ。

 雪子が事件に遭った時は、その直後から映像がハッキリと解るようになり、バラエティーみたいな内容になった。
 クマの言うように、向こう側でのもう一人の雪子が“見えていた”と考えられる。
 その事から、不鮮明にテレビに映った人物は、まだ向こう側に“入れられていない”可能性が高い。


 誰なのかさえ特定できれば、被害に遭う前に先回りが出来るかも知れない。
 上手くいけば、犯人が誰なのかも一気に判明する可能性もある。

「けど、まず誰か分かんない事にはな……悔しいけど、取り敢えずもう一晩くらい様子を見てみるしかないな……」

「オホンッ……えー、って事はつまり、ワタシの推理が正しければ……」

 悔しそうに話す陽介の言葉を継いで千枝が話し出す。
 推理と言ってはいるが、その実は現状で判明している事実と先ほど陽介が言った事と同じ内容だ。
 その事を呆れながら陽介が指摘すると、千枝は顔を赤くして陽介に食って掛かる。
 そんな二人のやりとりに、笑いにツボに入ったらしい雪子がお腹を抱えて笑い転げている。

「なるほどな……天城って、実はこういう感じか……」

「つか、映ったあの男の子、どっかで見た気がすんだよねー。それも、つい最近……」

「あ、里中も思うか? そーなんだよ、実は俺も昨日から考えてたんだけどさ……」

 二人の言葉に、鏡も改めて昨日テレビに映った人物の様子を思い出す。
 威嚇するような姿勢でこちら側を向いている人影。

「……巽、完二?」

「姉御?」

 鏡の呟きに、訝しげな表情で訊ねる陽介に、この間の特番で報道された人物、“巽完二”ではないかと話す。
 特番の事を話された陽介と千枝は、引っ掛かっていた疑問が解けたようで互いに顔を見合わせて驚いている。

「確かに、言われて思い出した! あの特番だよ!」

「鏡の言うとおり、あの特番に映っていた彼だよ!」

 しかし、二人はすぐに表情を曇らせる。

「けどよ、見るからに絡みにくそうだよな」

「この前の特番見たけど、すっげー怖い人なんじゃないの……?」

「暴走族の番組? 私も見たよ。あの子、小さい時はあんな風じゃなかったけどな……」

「雪子、彼の事を知ってんの?」

 驚く千枝に雪子は今では話さなくなったが、完二の実家である染物屋は昔から天城屋旅館にお土産品を卸しているのだと説明する。
 その関係もあり、今でも完二の母親とはたまに話しているそうだ。

「これから、染物屋さんに行ってみる? 話しくらいは聞けるかもしれないし」

「そうだね。最近、なんか変わった事は無いかとか。本人に直でコンタクトすんのは怖いけど、流石に自分ちの店先なら暴れないっしょ」

「千枝、それなんだけど」

 鏡は千枝達に遼太郎から聞いた巽完二の事を話す。

「母親が安眠できるように付近一帯の族を潰すって、どんだけだよ……」

「というか、良い子じゃん」

 話を聞いた陽介達の“巽完二”に関する認識が改まる。
 特番を見た限りだと粗野で乱暴者としか見えなかったが、実際は暴走族を潰していた側だったとは。
 テレビ報道による思い込みの怖さが垣間見えた思いだ。

「……見た目で判断されるのは正直、嫌な物だよ」

 そう言って、鏡は表情を僅かに曇らせる。ハーフである鏡の言葉に、陽介達は掛ける言葉が思いつかない。
 転校初日に見せた鏡の態度も、自衛のため身につけた方法なのかも知れない。

「取り敢えず、今から染物屋さんに行きましょうか」

 陽介達の様子から、自身の失言に気付いた鏡が表情を戻してそう話す。
 いつもの鏡の姿に陽介達も、これ以上この話題については触れないようにして鏡の言葉に頷く。




 雪子に連れられてやってきたのは、辰姫神社の側にある“巽屋”だ。
 この店も天城屋旅館と同じく古くからある染物屋で、丁寧に染め上げて作られた品々は旅行客からも好評を得ている。
 しかし、店主が亡くなり夫人が跡を継いでからは、以前ほどの数を作れなくなっているそうだ。

「こんにちは」

「あら、雪ちゃん。いらっしゃい」

 そう言って雪子達を出迎えたのは、縁なし眼鏡を掛けた和服姿の婦人で、年の頃は三十代半ばから四十代と言ったところか。
 落ち着いた雰囲気で、雪子に向ける表情は優しげだ。

「雪ちゃん、相変わらず綺麗ねぇ。お母さんの若い頃に似てきたわよ。今日はどうしたのかしら? お友達とお買い物」

「あ、いえ、その……」

「初めまして。雪子のクラスメイトの神楽鏡といいます。完二君はご在宅ですか?」

 言い淀む雪子の後ろから、鏡が声を掛ける。

「……ウチの完二が、また何かやらかしました?」

 鏡の質問に、婦人がまたかといった表情を見せる。鏡はそうではなく、完二に聞きたい事があったので訪ねてきた旨を伝える。
 息子のトラブル絡みでないと分かったため、婦人は少しばかり安堵の表情を見せて、今は不在である事を話す。

「あの子ったら、いつものようにふらっと出掛けてしまって、せっかく来てくれたのに、ごめんね」

「いえ、お気になさらずに。私達の方こそ、急に押しかけてきて申し訳ありません」

 婦人と鏡が話している間、手持無沙汰だった陽介が店内を見て回る。
 落ち着いた色合いで染め上げられている生地やそれを使った商品を見ていると、一つだけ違和感のあるスカーフが目に付いた。

「なぁ、姉御。このスカーフに見覚えがないか?」

 陽介の言葉に鏡がスカーフへと視線を向ける。
 言われてみると、確かに見覚えのあるスカーフだ。
 鏡はどこで見た物だったのか記憶を辿っていく。

「これ、山野アナの物と同じスカーフだ……」

「ッ!? あの顔無しポスターの部屋か!」

 鏡の言葉に、陽介も向こうの世界で見た時の事を思い出す。

「あなた達、山野さんとお知り合い?」

 婦人の言葉に言い淀む陽介に代わり、鏡が偶然見かけた山野アナが着けていたのをたまたま目撃したと話す。
 鏡の説明に納得した婦人が説明するには、元々は山野アナが男女用セットで頼んだオーダーメイドの品だそうだ。
 だが、片方しか要らないと言われたため、仕方なく店頭で売りに出しているのだという。

「ヤバイよ……最初の事件と関係あるじゃん……どうしよう……」

 事件との関連性がある事が解り、千枝が陽介に不安な表情を向ける。
 困惑する陽介達の姿を見て、鏡はふと違和感を覚えた。
 陽介達が話していると、呼び鈴が鳴る音がして、荷物を届けに来た宅配便の呼び声が聞こえてくる。

「ごめんなさい、ちょっと外すわね」

「いえ、完二君もご不在ですし、これ以上の長居ご迷惑ですから、今日の所は失礼いたしますね」

「おばさん、また今度ね」

「そう? じゃあ、お母さんにもよろしくね」

 婦人の言葉に鏡と雪子がそう答え、巽屋を後にする。

「ここもやっぱり、最初の事件と繋がっている……けど、たかがスカーフだろ? そんなんで狙うか?」

 店の外に出て、陽介がそう呟く。
 確かに接点はあったが、殺害しようとするには動機が弱すぎる。

「けどさ、例の“共通点”……母親の方なら該当してるよね? 一件目の山野アナの関係者で、女性ってヤツ」

「でも、テレビに映っていたのは、息子の完二の方だよな……どういうことだ?」

 千枝と陽介が考え込んでいると、雪子が自身の時と状況が似ていると話す。
 山野真由美に直接対応していたのは女将である雪子の母親だ。
 けれど、攫われたのは娘である雪子だった。その事を踏まえると、完二が狙われるのも説明が付く。

「ちょっと待って。私達、何か重大な思い違いをしているかも知れない」

 鏡の言葉に、三人が訝しげな表情を向ける。

「姉御? 思い違いって、どういう事だ?」

 陽介の質問に、鏡が先ほどから気になっていた違和感について説明する。
 遺体の第一発見者である早紀が、証拠隠滅のために向こう側の世界に放り込まれた事。これは、動機としては正しいだろう。
 しかし、雪子や完二には命を狙われるような山野真由美との接点が無い。
 雪子の方は多少の接点はあったかも知れないが、殺害するというのなら、それこそ母親である女将や婦人が狙われる方が自然だ。

「確かに、小西先輩の時と状況が違いすぎるな」

 鏡の指摘に、陽介が早紀とは違っている事を理解する。

「けど、恨みとかの線だったら?」

「私自身が恨まれていた可能性は否定しないけれど、山野アナに対する恨みだったら、彼女を殺害している時点で終わってないかな?」

 千枝の指摘に雪子がそう答えるも、自身が恨まれていないとは言い切れないので、今ひとつ歯切れが悪い。

「私達が小西先輩を助け出したのって、千枝に教えて貰ったマヨナカテレビを見た翌日だったよね?」

「そうそう。姉御が“テレビに入った”って言って、ジュネスに確かめに行った時だったな」

「そういや、同じくらいだったっけ? 小西先輩が山野アナの遺体発見者だって噂されていたのも」

「あれ? 小西先輩が遺体の第一発見者って噂、どうして流れたんだっけ?」

「前日に報道されたインタビューだったよな、確か。顔と声をぼかしてても、丸分かりだったし」

 鏡の確認に答える二人へ雪子が訊ね、陽介がそれに答える。
 そのやりとりを聞いていた鏡は、もう一つの共通点を見つけ出した。

「雪子が攫われたのって、山野アナが宿泊した旅館の次期女将って内容で報道された後だよね?」

「そうだけど……それがどうかしたの?」

「……被害者の共通点」

 不思議そうな表情で肯定した雪子に、鏡がそう呟く。
 その呟きに陽介達が互いの顔を見合わせる中、鏡は一連の事件の共通点として、誘拐される前に報道されていた事を告げる。

 不倫関係を報道された“山野真由美”
 遺体の第一発見者として報道された“小西早紀”
 被害者の宿泊先で次期女将だと報道された“天城雪子”
 二日前に暴走族の一人として報道された“巽完二”

 完二以外は山野真由美の事件の関係者としての面が強く、全て女性である事も重なったので共通点だと思っていた。
 けれど、実際に接点があったのは雪子と完二の母親で、二人が狙われる理由としては動機が不十分だ。
 その事と比較すると、それぞれが報道された事を共通点として見た方が説明が付く。
 三人とも間違いなくテレビで報道されているのだ。

「じゃ、なにか。テレビに報道されたから狙われたって事か?」

「何よそれ、テレビで報道されたら誰でも良かったって事?」

 鏡の推測に陽介と千枝が憤る。雪子は自身が狙われた理由の理不尽さに言葉も出ない。
 しかし、この事で新たに分かった事がある。一連の報道は稲羽市のローカル放送だ。
 犯人は間違いなく稲羽市に在住する誰かである事がこれでハッキリした。

「そうか、少なくとも犯人はこの町のニュースを見ている事は間違いなんだよな」

 鏡の説明に、陽介達も意識を切り替える。
 犯人を特定する直接的な手掛かりではないが、これから狙われる可能性がある人物は特定する事が容易にはなった。

「後は、彼に注意するように話しが出来れば良いのだけれど……」

「あれ……完二君だ」

 雪子の言葉に鏡が視線を向けると、色素の薄い髪をオールバックにした強面の少年がこちらの方へ歩いてくる。
 テレビで見た時に感じた、他者を寄せ付けない雰囲気を纏ったその姿に、鏡は威嚇するハリネズミの姿を連想させた。

「こんにちは、巽完二君だよね?」

「あん? 誰だアンタ?」

 見覚えのない相手に声を掛けられた完二は、鏡に訝しげな視線を向ける。
 陽介達が後ろで心配げに見守る中、鏡は簡単に自己紹介をすると完二に会いに来た事を告げた。

「は? アンタがオレに何の用があるっていうんだ?」

「最近、身の回りで変わった事とかなかった? 不振な人物を見た、でも良いけれど」

 鏡の質問に完二は考える素振りを見せると、最近になってまた暴走族が騒がしくなって来た事を語る。

「この間、テレビで報道されたやつだね。叔父さんから聞いたのだけど、お母さんの為なんですってね」

「あぁッ!? ちげーよ! 誰があんなババァの為なんか……」

 完二の怒鳴り声に身を竦ませる陽介達とは違い、鏡は完二が照れ隠しのために怒鳴っている事に気付き、根は優しいのだと理解する。
 鏡は表情を綻ばせると完二に理由はともあれ、やりすぎるとお母さんに迷惑が及ぶ可能性があると、叔父が心配していたと告げる。

「叔父って、誰だよ?」

「稲羽署に勤務している堂島刑事だけど、知らない?」

 鏡の言葉に完二は以前、一人だけ自分の事を真っ直ぐ見て説教をしてきた刑事を思い出す。
 容姿のせいもあり、他の刑事達が暴走族を潰して回っていた自分を連中と一括りに見ていた中、ただ一人だけ違う目で見ていた相手。

『お袋さんの為なのは良いが、お前が暴れすぎた結果、お袋さんが周りに頭を下げる事になるかも知れないって、解っているのか?』

 あの時に言われた言葉は今でも覚えている。
 当時は何を言っているんだと反発したが、結果的に母親が周りに頭を下げる事になったため、それ以後は暴れるのを控える事にした。
 最近になって、また暴走行為が目立ち始めたので、毎晩のように潰しに出歩くようになった。
 テレビ局に報道されたのは、そんな時だ。

「ったく、あの親父はまだ人の事を心配してやがんのかよ……」

 苦笑いを浮かべる完二に、鏡は何者かが完二に対して危害を加えようとしている可能性があるので、気をつけるようにと警告する。
 あちこちから恨みを買っている完二は、鏡の話を自身に対して報復しようとしている相手が居るんだな程度に捉えた。

「アンタもつくづくお人好しだな。見ず知らずのオレなんかに、わざわざ警告しに来るなんてよ」

「同じ学校に通う親孝行の後輩を心配するのは、そんなに変かな?」

 鏡の言葉に、完二は唖然とした表情を向ける。
 目の前の人物は、自分の事を何とも思っていないのだろうか?
 強面である事を自覚しているだけに、大抵の相手は自分を見ると及び腰になる。なのに、この人物はそういった様子を全く見せない。
 そこまで考えて、完二はある事に気付いた。
 目の前の人物はどう見ても日本人には見えないので、容姿に対する先入観が無いのかも知れない。
 ひょっとすると、目立つ容姿をしている分、自分よりも偏見に晒されていた可能性すらある。

「アンタ、オレが怖くないのか?」

 つい、口をついて出た質問に鏡は不思議そうな表情を見せて、完二の事を全く知らなかったら怖かったかも知れないねと答える。
 しかし、遼太郎から経緯を聞いていたし見た目では人となりは解らないので、そもそも怖がる必要が無いと鏡は笑って話す。

「取り敢えず、その事を伝えたかっただけだから。ごめんね、時間を取らせて」

「いや……そりゃ、良いんだがよ。わざわざ、ウチまで来てくれたようだし……」

 自身に対して身構える事なく話し掛けてくる鏡に、完二はやりづらそうに答える。

「それじゃ、またね」

 鏡はそう言って完二に別れを告げると、陽介達の元へと戻りその場を後にする。
 完二は鏡達を見送ると、そのまま家へと入っていった。

「姉御、いきなりアイツに話し掛けるなんて、驚かさないでくれよ」

 巽屋から離れ、総菜大学の前辺りに来たところで陽介が疲れたような表情で話し掛ける。
 噂に聞いていた通りの威圧感があっただけに、鏡の事が心配だったようだ。

「彼自身に警告する必要もあったし、それに彼は見た目と違って、根は素直だと思うよ」

 完二と実際に話してみて、話しに聞くほど粗野で乱暴者で無い事が実感できた。
 他人に対して身構えている部分はあるが、話しはちゃんと聞いていた。
 それに、いきなり乱暴を働きかけて来たりはしなかったので、聞いていた噂は誇張されている可能性が高い。
 見た目で損をしていると言っても良いだろう。


 今日の所は警告する事も出来たので、翌日にまた様子を見に来る事にして解散する事となった。
 鏡は晩ご飯の食材を買いに行くために陽介と共にジュネスへと向かい、雪子は千枝の家へと出掛けるそうだ。
 何でも、千枝の家で飼っている犬に会いに行くのだとか。


 今日の献立は揚げ物にしようと決めて、鏡は陽介に今日のお勧めを訊ねながらジュネスへと向かう。
 勧められた食材から、揚げ物に出来そうな物を選んで献立を考えていく。
 豚肉が一押しだと陽介が言うので、豚カツをメインにコロッケと味噌汁に和え物を作ろうと決めていく。
 豚カツの付け合わせには、キャベツの千切りと大根おろし辺りが良いかと献立を考えている鏡に、陽介が声を掛ける。

「何か姉御、すげー楽しそうだな」

 陽介の言葉に、鏡は作った物を美味しいと言って食べてもらえるのは嬉しいからねと答える。
 ゴールデンウィークの時に料理を食べてた時の鏡達の表情を思い出し、なるほどと納得する。
 美味しいと言われた菜々子ちゃんも、今の鏡と同じような表情をしてたっけと、陽介はその時の事を思い返した。
 ジュネスへと到着し、鏡は買い物へ陽介はバイトへと向かう。
 鏡と別れ、自身も誰かに喜んで貰えるような事が出来ないものかと陽介は考える。
 自分自身に出来る事。漠然とだが、そんな事を考えながら陽介はバイトへと向かうのだった。




 翌日。
 目の前に立つ人物に、完二は戸惑いを隠せずにいた。
 いつものように帰宅したところ、見知らぬ小柄な少年に声を掛けられたのだ。

「はぁ? 変わった事がなかったか、だ? おめえも妙な事を聞いてくるんだな」

「……も? 僕以外にも誰かが君を訪ねて来たんですか?」

「あぁ、オレはあちこちで恨みを買っているからな。誰かが報復に来るかもしれねえって、心配したお人好しだ」

 完二の言葉に少年は、その人物は知り合いなのかと訊ねてくる。
 その言葉に完二は同じ高校に通っている先輩らしいが、会ったのは昨日が初めてだと答える。
 少年は完二の言葉にしばし考える素振りを見せると、詳しい話しを聞きたいのだが都合は大丈夫かと訊ねる。
 家の手伝いがあるので今日は無理だと完二が答えると、それならば明日は大丈夫かと聞いてくる。

「あ、明日なら別にいいけどよ……何でオレに関わろうとするんだ?」

「君に興味があってね。学校へは?」

「あ? 学校? も、もちろん行ってっけど……」

 少年は、それならば明日の放課後に、校門前まで迎えに行くと告げて去っていく。
 完二は少年の去った方角を見て、戸惑ったような表情になる。

「きょ、興味って言ったか、アイツ……? 男のアイツと、男のオレ……オレに……興味……?」

 少年の目的が解らない完二は、少年の自身に対する興味が一体どのようなものか悩みつつ、自宅へと帰る。
 自宅に戻り、手伝いの内容を確認した完二はそのまま作業へと入る。
 天城屋に卸す巾着袋の数が僅かに足りないらしく、仮縫いは済んでいるので本縫いを手伝って欲しいとの事だ。
 完二は不平を零しながらも、丁寧な作業で巾着袋を仕上げていく。

「こんにちは」

 幾つか仕上げ終わった所で、店へと誰かが来たようだ。

「ッ!?」

 何気なく視線を向けて完二は絶句する。
 そこに立っていたのは昨日、自身に警告をしにやってきた物好きな先輩だ。
 その隣には、天城屋の一人娘である雪子が付き添っていて、その後ろには知らない男女がいる。

「あら、雪ちゃん。わざわざ引き取りに来てくれたの? 申し訳ないのだけど、数がまだ揃ってなくてもう少し待って貰っても良いかしら?」

 店の奥から出てきた完二の母親がそう言って雪子に謝る。

「いえ、約束の時間よりも私の方が早く着いたので、気にしないで」

 謝られた雪子の方が逆に慌ててしまう。
 鏡は完二の手元にある巾着袋に視線を向けると、完二が作ったのかを訊ねる。

「んだよ、男がこういったのを作ったら悪いのかよっ!」

「悪いなんて言ってないけれど? むしろ丁寧に作ってあって、凄いなって思っただけよ」

 睨み付けてくる完二に、鏡は心底心外そうな表情を見せて答える。
 鏡の言葉に唖然とする完二に、職人と呼ばれる人達には性別の差など関係なく、そんな理由で貶める方がどうかしていると説明する。
 そもそも性別でどうこう言うのなら、料理人は全て女性で肉体労働をする者は全て男性なのかと、鏡が逆に完二へと問い掛ける。

「男だからとか、女だからとか、そんな事は関係ないんじゃないのかな?」

 その言葉に完二は驚いた表情を見せる。
 確かに、男性の料理人は数多く存在しているし、女性でも体力勝負の仕事をしている者は居る。


 鏡の言うとおり、性別を理由にどうこう言うのは誇りを持って仕事をしている彼ら、彼女らを侮辱する事だ。
 そんな当たり前の事を、鏡に言われるまで気付かなかった自身を情けなく思う。
 これまで、そんな風に言われた事がなかった完二は、鏡に対して畏敬に似た感情を抱く。


 もっと前に鏡のような人物と出会っていたのなら。そんな考えが頭を過ぎるが、それはただの無い物ねだりだ。
 完二はそんな自身の弱さに自嘲して、残りの作業へと戻る。
 鏡は完二の作業する手元を見て、ふと思いついたように機会があったら作り方を教えて欲しいと完二に頼んでみる。

「はぁッ!? いきなり何を言いやがんだ!」

 意外な申し出に完二が取り乱すが、鏡は涼しい顔で同居している従妹に作ってあげたら喜んでくれそうだからと、楽しそうに話す。
 何とも調子の狂う相手だと思いつつも、完二は暇があったら教えてやると、ぶっきらぼうな様子で鏡に約束する。
 その言葉に鏡は嬉しそうな表情を見せてお礼を述べると、完二はそっぽを向いて作業へと専念する。

「雪ちゃん、お待たせ。これで全部だから」

 出来上がった巾着袋を箱に詰めて完二の母親が雪子へ手渡す。
 それを受け取った雪子が、支払いはいつものようにと話して、鏡達と共に店を後にする。
 鏡達が居なくなった店内で、完二の母親が『良い先輩ね』と話すと、完二はそっぽを向いて『ただ物好きじゃねえのか』とはぐらかす。
 そんな素直でない息子の様子に、完二の母親はただ微笑むだけだった。




「取り敢えず、今日の所はまだ無事なようだな」

 巽屋から離れた場所で陽介がそう話す。
 先日、もう一度マヨナカテレビで確認したところ、まだ不鮮明だが完二の姿が映っていたので、心配して様子を見に来たのだ。

「けど、この間より昨日の方が画面が鮮明だったから、気は抜けないよね」

 雪子の心配はもっともで、今のところは無事だが、犯人をどうにかした訳ではない。
 まだまだ気が抜けない状態に、不安が隠しきれない。

「けど、彼があんな風に裁縫が得意って、ちょっと意外だったな」

「確かに、人は見掛けによらないって事だな」

「千枝、そういう言い方はあまり感心しないよ? 『女なのに、料理が出来ないなんて意外だ』なんて言われたら嫌でしょ?」

 鏡の言葉に、千枝は確かにそんな風に言われたら嫌だなと思う。
 千枝としては純粋に驚いただけなのだが、その言葉を聞いた相手がどう受け取るかは、当人にしか解らない。
 うっかり、そう言った失言をしないように気をつけないと駄目だなと千枝は思った。

「明日も様子を見に来た方が良さそうだが、どうする?」

「様子を見に来たとしても、三日もお店に顔を出すのは拙いから、明日は店の外で張り込んだ方が良くない?」

 陽介の言葉に千枝が答える。

「そうだね、今日はウチの用事のついでにって口実もあったけど、流石に連日って訳にもいかないし……」

 雪子の言葉にどうするか皆で考えた結果、辰姫神社の物陰から巽屋を張り込む事に決まった。
 しかし、この張り込みの計画は、結果として無駄に終わる事となる。


 翌日の放課後になり、鏡達は辰姫神社から巽屋の様子を窺うも、張り込んでいる間に完二が帰宅する事は無かった。
 菜々子を長く一人にする訳にもいかず、晩ご飯の準備もしなければならない鏡が一番に帰り、次いで実家の手伝いのある雪子が帰宅する。
 同じく、ジュネスでの手伝いがある陽介も戻らなければならないとなると、千枝一人で張り込みをする訳にはいかなくなる。
 この辺りが学生という身分の限界だろう。警察のように人員を動員して、昼夜問わず張り込むの事は不可能だ。


 菜々子を寝かし付けて鏡が自室へと戻ると同時に、携帯電話の着信音が鳴る。
 相手は雪子からだ。

「あ、もしもし? 天城ですけど。遅くにごめんね。今、大丈夫?」

「平気だけれど、どうかした?」

「あのね、完二君、家に居ないんだって!」

 旅館の所用ついでに巽屋に電話をして完二の母親と話したところ、完二がどこかへ出掛けたまま帰ってきていないのだという。
 よくある事だと完二の母親は話していたそうだが、あまり良くない状況だ。

「……鏡はどう思う?」

「心配だね。今晩は雨だし、マヨナカテレビに何か映るかも知れない」

「そうだね。完二君に本当に何か起きたのか、見れば分かるかも」

「雪子は千枝に連絡して。陽介には私の方から連絡するから」

「うん、分かった。それじゃ、また明日」

 雪子との電話を終え、鏡はすぐさま陽介へと電話を入れる。
 話を聞いた陽介は、マヨナカテレビを確認した後で連絡を入れると言って電話を切る。
 マヨナカテレビが映るまで、あと少し。




 日付が変わると同時に、鮮明な画面がテレビに映し出される。

『皆様……こんばんは。”ハッテン、ボクの町!”のお時間どえす』

 テレビに映っているのは間違いなく完二の姿だ。
 しかし、テレビに映るその姿は、ふんどし一枚という怪しすぎる格好で、何故か顔を赤らめている。

『一体、ボクは、というかボクの体は、どうなっちゃうんでしょうか!? それでは、突・入、してきまぁす!』

 鏡が唖然としている間にも映像は進み、完二が画面の奥へと去って行ったところでマヨナカテレビは消えてしまった。
 映像が消えると同時に、携帯電話の着信音が鳴る。
 携帯電話を通話状態にすると、動揺した陽介の声が聞こえてきた。

『お、お、おい! おいおいおい!!』

「陽介、気持ちは解るけれど、落ち着いて」

『いや、だってあれはねえだろ!?』

 陽介の言いたい事も解るが、問題はそこではない。
 鮮明に映ったという事は、完二は”向こう側の世界”にいると見て間違いがないだろう。
 鏡の説明に、陽介も気持ちを切り替える。

「確かに姉御の言うとおりだ。しっかし、“崇高な愛を求める施設”? 何の事かさっぱり分っかんねー!」

 陽介は苛立たしげに話すが、今ここで考えても仕方がない。
 明日、全員でどうするかを考えるという事に決め鏡は電話を切る。
 今日の所は明日に備え早く休む事にして、鏡は布団に入り眠りにつく。
 雪子の時と同じように、一刻も早く完二を救い出すために。




2011年04月29日 初投稿



[26454] 熱気立つ大浴場
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/06/14 22:12
――――非現実的な事件

 一見あり得ない事でも、必ずどこかに答えはある

  それを見付け出すのは自分だと信じていた

    何も知らない子供だとも気付かずに……




 稲羽警察署の一室で、遼太郎と足立が目の前の人物と打ち合わせを行っていた。
 その人物は、一見すると警察関係者には見えない小柄な少年で、紺色の帽子に同色のダブルコートを着ている。
 先日、巽屋へ完二を訊ねてきた少年だ。

「つまり、小西早紀さんは発見された状況から、犯人が解放したと警察では見ている訳ですね?」

「ああ。不明な点がまだ残ってはいるが、その可能性が一番高いと見ている。白鐘( しろがね )には別の考えがあるのか?」

「可能性の話ですが、第三者が小西早紀さんを助け出したのかも知れません」

「えっ!? 直斗君、第三者って?」

「例えば……小西早紀さんを発見した人物、とか」

 少年、“白鐘直斗”の仮説に遼太郎と足立が気まずそうな表情になり、その様子に直斗が訝しげな視線を向ける。

「白鐘。お前にはまだ言ってなかったが、小西早紀の発見者な。そいつは俺の姪なんだよ」

 そう言って遼太郎は直斗に、早紀を発見した時点での鏡は稲羽市に来て日も浅く、互いに顔見知り程度だったと説明する。
 そのため、誘拐された早紀を助け出す可能性より、逃げ出したか解放された早紀を発見した可能性の方が高いと付け加えた。

「そうですか……出来れば一度、その人と会わせてはもらえませんか? 本人から直接、話を伺いたいので」

 直斗の申し出に遼太郎は複雑な心境だ。鏡は稲羽市に来てまだ一月ちょっとで、事件の捜査などの厄介事には巻き込みたくはない。
 しかし、鏡からの証言で直斗が違った視点で推論を立てる事が出来るかも知れない。
 鏡が小西早紀を救出したかも知れないと、先ほど直斗が言ったように。

「……解った。鏡には俺から話をしておく。都合の良い日を聞いたら連絡するが、白鐘の方の都合は?」

「僕の方は問題はありません。姪御さんを危険に巻き込みたくない所、無理を言って申し訳ありません」

 そう言って、直斗が遼太郎に頭を下げる。先ほどの遼太郎の間から、心中を察したのだろう。
 直斗の気遣いに遼太郎は苦笑いを浮かべると、携帯電話を操作して鏡へとメールを送信する。




 鏡達はクマから情報を得るためにジュネスへとやってきた。
 相変わらず人が居ないテレビ売り場から向こう側の世界へと移動する。

「おいクマ、こっちに誰か入ったろ?」

 陽介がクマに声を掛けると、クマは元気の無さそうな声で居るみたいと認める。
 不確かなクマの発言に千枝が場所を聞いてみるが、居場所が分からないという。

「クマさん、何か悩み事でもあるの?」

 雪子の問い掛けに、クマは最近になって自分が何者で、この世界にいつから居るのかが気になっていると答える。
 元々、この世界の住人でない鏡達にはその悩みに答える事は出来ない。
 陽介はどうせ着ぐるみで中身が無いのだろうから、考えるだけ無駄だといってわざと怒らせようとするも、クマはそれにあっさり同意する。

「なんか……けっこう深刻?」

 その様子に千枝が困った表情を見せる。
 この世界は、どこまでの広さがあるのかが分からないため、闇雲に歩き回る訳にはいかない。
 唯一、この世界の住人であるクマが分からないとどうにもならないのだ。
 陽介がその事をクマに話すと、完二に関するヒントがあれば何とかなるかも知れないとクマが返す。

「具体的には?」

「カンジクンの“人柄”を感じるような、なんかそういうヒントが欲しいクマよ……」

「私達が知っている事と言えば、ガラの悪いところもあるけれど、母親思いな良い子だって事くらいよね……」

「センセイ、他にはないクマか?」

 これだけでは情報としてはまだ足りないらしく、クマが他にも知っている事がないか訊ねてくる。
 それに対して、雪子が完二の事を知っている人物に訊いてみれば良いのではないかと提案する。
 鏡達は完二の情報を集めるために一度、元の世界へと戻る。

「それじゃ、手分けして完二の情報を集めよう」

 陽介の言葉に頷くと、鏡達はそれぞれ完二についての情報集めへと繰り出す。
 ジュネスを出て、まずはどこから調べようかと鏡が考えていると、携帯電話にメールの着信を示す電子音が鳴る。
 携帯電話を取り出し差出人を確認すると、それは遼太郎からのメールだった。
 内容を確認すると、早紀を見付けた時の状況を聞きたい人物がいるので、都合が良いときに会ってくれないかといった主旨のメールだ。


 鏡は携帯電話を操作して、明日の放課後なら大丈夫だと遼太郎に返信する。
 今でも早紀は記憶が戻らず、犯人に着いての手掛かりが得られていない。
 とはいえ、日常生活を過ごす分にはそれほどの支障が出ていないため、先月の下旬辺りから登校してきている。
 何度か陽介に付き添い見舞いに行っていたので、最近ではそれなりに話す間柄になり、早紀からは『鏡ちゃん』と呼ばれている。


 どんな人物が話を聞きたいと言ってきたのか気にはなるが、今は完二の情報を集めなければならない。
 鏡は気持ちを切り替えると、まずは完二の母親に話を聞こうと巽屋へと向かう。

「あら、いらっしゃい」

 鏡が巽屋に到着すると、店の前に佇んでいた完二の母親が鏡に声を掛けてきた。
 完二の母親に挨拶を返した鏡は雪子から聞いたと前置きをして、完二からその後、連絡が入るなり帰宅するなりしたかを訊ねる。

「まったく、どこに遊びに行ってるのかしら。いつもそう。……そう言えば、あなた達以外にも、小柄な男の子が完二の事を聞きに来たのよね」

 先日、鏡達が訪ねてくる少し前に小柄な少年が完二に会いに来ていたそうだ。
 完二が帰宅する前だったらしく、少年は少し話をしてから帰ったらしい。
 念のため、鏡はその少年の特徴を聞くと巽屋を後にする。


 先ほど聞いた少年が何かを知っている可能性があるので、鏡は携帯電話を取り出すと陽介達にメールでその事を伝える。
 メールには、少年の特徴と完二について調べていたようなので、犯人に繋がっている可能性があること。
 接触した際はやりとりに気をつけるように注意を促す。
 メールを送信して暫くすると、陽介達から了承の返信が返ってくる。
 それらを確認した鏡は、引き続き完二についての情報を集めに戻る。


 その後、完二についての話を聞いて回ってみたところ、この間の報道の影響か、完二に対する人々の印象はほとんど同じだった。
 どれも昔は優しく可愛かったのに、今では不良になってしまい、母親が可愛そうだと。
 ただ一人、丸久豆腐店のシズだけが完二の行動の理由を知っていたらしく、見た目で誤解されて不憫だと嘆いていた。
 日も沈み始め、これ以上は情報を集め続ける事が出来なくなったので、鏡達は今日の所は引き上げる事にする。
 その際、鏡は遼太郎からの用件を話し、明日は情報集めに参加が出来ない事を陽介達に伝える。

「なあ、姉御。大丈夫なのか?」

 鏡の話を聞いた陽介が、警察が鏡を疑っているのではないかと心配する。
 陽介の心配に、鏡はメールの内容から当時の状況を知らない人物が話を聞きたいようだから大丈夫だと、安心させるように話す。

「それに、向こう側の事は話せないのだから、以前にした説明をするだけよ」

「それもそうか。“テレビの中の世界”なんて言われても信じられないだろうからな」

 鏡の言葉に陽介が頷く。何かあったらメールで連絡するからと、今日の所はそれぞれ帰宅する事となった。




 翌日の放課後。
 鏡は早めに帰宅して、菜々子と共に四人分の晩ご飯を作る。
 当初は稲羽署に出向く事になると思っていたのだが、遼太郎が気を配ってくれたのか、堂島家に連れてくるとの事だ。
 今日の献立はトマトクリームのパスタにチキンの香草焼き、野菜サラダとコンソメスープだ。
 特注の調理器具のおかげもあり、今ではちょっとした手の込んだ調理位なら、菜々子にも手伝う事が出来るようになっている。
 鏡が稲羽に来てから、ほぼ毎日のように手伝っていた結果だ。

「ただいま」

 晩ご飯の支度が済むのと同じ頃に、遼太郎が帰宅する。
 鏡の予想とは違い、遼太郎が連れてきたのは帽子を被った小柄な少年だった。

(……この子、ひょっとして)

「鏡、コイツがお前に話を聞きたいと言っていた“白鐘直斗”だ」

「初めまして、堂島さん達に協力している白鐘直斗です」

 直斗の自己紹介に、鏡も簡単に自己紹介を済ませる。

「取り敢えず、料理が冷める前に食べませんか?」

 せっかく作った料理が冷めては勿体ないからと、鏡の言葉に遼太郎達は頷き洗面所へと手を洗いに向かう。

「この料理は、神楽さんがお一人で?」

「いいえ。菜々子ちゃんにも手伝ってもらって二人で作ってます」

「そうですか。菜々子ちゃんは料理が上手なんだね」

 直斗の賞賛に、菜々子は照れながらも嬉しそうだ。
 料理を食べ終え、食器を菜々子と一緒に片付けた鏡は、直斗を伴い自室へと移動する。
 幼い菜々子に事件の話を聞かせる訳にはいかないからだ。

「お邪魔します」

 鏡の自室へと招かれた直斗がそう言って室内に入る。
 直斗に適当に座るように促し、自身は直斗の向かい側に座る。
 下から持ってきたお茶を淹れて互いの前に置き、鏡は直斗に何を聞きたいのかを訊ねる。


 直斗からの質問は、遼太郎に話した内容よりも細かい所までに及んだ。
 早紀を発見した当時、不信な車両もしくは人物は居なかったか?
 発見した時の早紀の様子に、何か異常は感じられなかったか?
 鏡は直斗の質問に答えながら、自身へと向けられる視線に対して、感じた事を直斗に問い掛ける。

「白鐘君。私に対して探るような視線を向けていると言う事は、私の事を疑っていると認識して良いのかな?」

 鏡の言葉に直斗の表情が僅かに変わる。

「気を付けていたつもりなのですが……どうして、そう思われたのですか?」

「こんな容姿をしているからね。他人から色々な視線を向けられていた、と言ったら解ってもらえるかな?」

 言外に肯定した直斗の質問に鏡が答える。
 その答えから、直斗は鏡がこれまでにどのような経験をしていたのかを察して、鏡に謝罪する。
 その上で、探偵という職業柄、こうして一つずつ可能性を潰していく事が真実へと至る道なのだと鏡に説明する。

「とはいえ、貴女に不快な思いをさせた事への言い訳にはなりませんね。本当に済みませんでした」

 直斗の謝罪に鏡は気にしていないと告げ、発見者である自分を疑うのも仕方がない事だと理解を示す。
 鏡の言葉に直斗は当初、早紀を見付けた人物は男性だと思っていた事を白状する。

「神楽さんが特殊な技能でも持ってない限り、誘拐をするような犯人から、小西早紀さんを助け出す事は不可能ですからね」

(凄い子ね、推論だけで核心の一歩手前まで来ている……)

 直斗の勘の良さに感心しながらも、鏡はそれを表情に出さないで直斗の言葉に同意する。
 鏡から聞きたい事を全て聞き終えた直斗に、今度は鏡が気になっていた事を訊ねる。

「白鐘君、私からも一つ聞きたい事があるのだけれど、良いかな?」

「何でしょうか?」

「巽完二って男の子を知っている?」

 鏡の質問に、直斗が僅かばかりの驚きを見せる。
 その様子から、鏡は直斗が完二に会いに来た人物である事を確信する。

「二日ほど前に会いましたが、彼がどうかしたのですか?」

 直斗の質問に、鏡は完二が現在行方不明であり、完二と交わした約束があるため突然、居なくなる事は考えられない事。
 最後に会ったと思われる人物が直斗で、何か気付いた事があるのではないかと思った事を話す。

「貴女は何故、そこまで彼の事を気に掛けるのですか?」

「母親思いの後輩を心配する事って、そんなにおかしな事かな? それに、私には彼と交わした約束がある」

 鏡の言葉に納得した直斗は、自身が完二と会った時の様子を話す。
 最近の事を聞いたら何か様子が変だったので、感じたまま“変な人”だねと言ったら、直斗が驚くほど顔色を変えた事。
 それを踏まえると、普段の振る舞いも少し不自然に感じたそうだ。
 確証はないが、何か“コンプレックスを抱えている”のかも知れないと、直斗はそう言葉を締める。


 直斗からの証言で、クマが必要としているヒントが揃ったかも知れない。
 時計を見ると、かなり遅い時間なので、直斗はそろそろお暇すると鏡に話す。
 居間に降りてきた二人に、遼太郎がもう話は良いのかと確認を取る。

「ええ、知りたい事は聞けましたので、僕はそろそろお暇する事にします」

「そうか、もう遅いから俺が送っていこう。鏡、戸締まりと菜々子の事を頼む」

 直斗の言葉に遼太郎はそう答えると、鏡に後の事を任せて直斗を車で送るために出掛けていった。
 戸締まりをした鏡は、眠そうにしている菜々子をお風呂に入れると寝かし付ける。
 今日は直斗と話していたため、菜々子と話す時間が少なくなってしまったが、菜々子に夜更かしをさせる訳にはいかない。
 残念そうにしている菜々子に鏡は、明日は一緒に眠る事を約束して、自身も明日に備えて早めに休む事にする。




 翌日、クマへと報告する前にフードコートに集まった鏡達の傍らに、居るはずのない生き物が居た。
 その生き物は辰姫神社で知り合った狐で、鏡の傍らに当然といった様子でちょこんと座っている。

「わっ、なんか居る! き、狐!? いつの間に……」

「おわっ、こいつ……一体どっから入ったんだ!?」

「あ、この前掛け……確か、神社で見掛けた事があるような……」

 驚く千枝と陽介に雪子がそう話す。
 鏡は陽介達に狐と知り合った経緯を話し、自分達の力になってくれるかも知れないと説明する。

「いや、姉御を疑う訳じゃないが、見返りに金を欲しがっているって……?」

 呆れ半分、感心半分で話す陽介の言葉を肯定するように、狐が一声鳴いてみせる。

「何だよ、こいつ……まるでこっちの話を分かってるみたいなリアクションだな……」

 陽介の言葉に狐はまた一声鳴いてみせると、雪子が自分達の事を本当に分かっているのかもと話す。
 よくよく考えたら、警備の人にも気付かれずにココまで着いてきただけでも大したものだ。

「さっきの話だけど、“回復”っていうの、私達ほんとに助かる話かもって思わない?」

 雪子の言葉に狐は自信ありげに鳴くと、鏡の方へと視線を向ける。
 結局、追い返す訳にも行かないので、鏡達は向こう側の世界に狐を連れて行く事にする。
 その決断に満足したのか、狐は嬉しそうに尻尾をパタパタと左右に振っていた。


 鏡達に連れられてきた狐の姿に、クマは驚きながら狐を見つめている。
 そんなクマに、鏡は直斗から聞いた完二の様子を説明する。

「ふむふむ、母親思いでコンプレックスを抱えている……おっ、なんか居たクマ! 当たりの予感! これか! これですか!?」

 どうやら完二の居場所を見付ける事に成功したらしい。鏡達はクマの案内で完二のいる場所へと案内される。
 その場所はロッカーがいくつも並んだ脱衣所のような所で、その上かなり蒸し暑い。
 今までと違う霧はまるで湯気のようで、その証拠に眼鏡が曇ってしまう。
 鏡達が状況に戸惑っていると、どこからともなく怪しげな音楽が鳴り響く。

『僕の可愛い子猫ちゃん……』

『ああ、何て逞しい筋肉なんだ……』

『怖がる事は無いんだよ……さ、力を抜いて……』

 怪しげな音楽に乗せて聞こえてくるのは、ダンディな男の声と優男風の声。
 その声に陽介は顔を青ざめさせて後ずさる。

「ちょ、ちょっと待て! い、行きたくねぇぞ、俺!」

 怯えたように話す陽介から視線をクマへと移すと、雪子が完二が本当にココに居るのかを確認する。
 雪子の確認にクマは間違いないと断言する。元々この世界は入った人物の心を元に構築されるのだ。
 だとすると、この場所は完二の心が生み出したものと見て間違いは無いだろう。
 正直に言うと入りたくはない場所だが、完二を見捨てる訳にはいかないので、鏡達は覚悟を決めて探索へと向かう。


 大浴場としか表現できない内部には、『男子専用』と書かれた垂れ幕がいくつも掛けられている。
 現れるシャドウも石炭のような姿をしたモノに、太った警察官のような姿をしたモノと、古城の時とは違い手強さも全く違う。


 しかし、雪子が探索メンバーに加わった事で疾風、氷結、火炎と鏡以外で三つの属性の攻撃手段が確保できた。
 これに元々鏡が持っていた電撃属性を加えると、鏡が補う属性が減った分の負担がかなり軽減されている。
 この恩恵もあって、手強いシャドウ達を相手にしているにも関わらず、古城の時よりも探索の効率は上がっているのだ。

『およ、この気配……もしかしてカンジクンか……?』

 三階層目を探索している最中に、クマからアナウンスが入る。
 どうやら目の前の扉の向こう側に完二本人か、もう一人の完二が居るようだ。
 鏡達は不意打ちを受けないように気を配りながら扉の向こう側へと移動する。
 扉の向こう側には、ふんどし一枚姿の完二が鏡達に背を向けて立っている。

「やっと見付けた!」

「完二!!」

 千枝と陽介の声に気付いた、もう一人の完二が鏡達の方へと振り返ると、頭上からスポットライトが当てられる。

『ウッホッホ、これはこれは。ご注目ありがとうございまぁす!』

 スポットライトに照らされたもう一人の完二は、顔を赤らめながら実況を行っている。

『さあ、ついに潜入しちゃった、ボク完二。あ・や・し・い・熱帯天国からお送りしていまぁす』

 唖然とする鏡達をよそに、もう一人の完二の実況は続く。

『汗から立ち上る湯気みたいで、ん~、ムネがビンビンしちゃいますねぇ』

 そう話すもう一人の完二の頭上に、古城で見たのと同じようなテロップが現れる。


     女人禁制!
     入!?
            汗だく熱帯天国!



 テロップが現れると同時に、辺りから歓声が沸き上がる。
 その歓声は古城で聞いた時よりも大きい。

「ヤバイ……これはヤバイ。いろんな意味で……」

 目の前の状況に、陽介は今にもこの場から逃げ出したい衝動に駆られる。

「確か雪子ん時も、ノリとしてはこんなだったよね……」

「う、うそ……こんなじゃないよ……」

 千枝の言葉に雪子が慌てて否定する。
 再び起こる歓声。その様子はまるで……

「番組を見ている、観客の歓声みたいね」

 鏡の言葉に、千枝がこの状況が見られているのだとしたら、完二に対して余計な伝説が増えそうだと気の毒そうに話す。
 マヨナカテレビを見ている普通の人は鏡達と違い、本人と抑圧されたもう一人の自分の区別が付かない。
 そう言った意味では、もう一人の自分が話した事は正しい。同じ存在が二人も居るとは誰も思わないのだから。

『それでは、更なる愛の高みを目指して、もっと奥まで、突・入! はりきって……行くぜコラアァァ!』

 最後の一言だけドスを利かせたもう一人の完二が、鏡達に構わず先へと行ってしまう。
 目の前の光景に唖然としていた鏡達も気を取り直すと、急いでもう一人の完二の後を追う。

『お……男には……男には、プライドってもんがあるんだよ……へへっ、俺はぜってえ負けねえぞ……』

 五階層目に到着すると、弱々しい完二の声が聞こえてきた。
 声の様子から完二はまだ無事だと思われるが、あまりゆっくりもしていられない。
 しかし、度重なる連戦と蒸し暑さで、鏡達の体力はかなり消耗している。
 そのため、鏡達はいちど引き返すと入り口で狐の回復を受ける事にする。


 狐の要求する治療費は、鏡達の予想を超えてかなりの高額で、手持ちの大半が無くなってしまう金額だった。
 鏡は少し考えると、“サラスヴァティ”の持つ回復スキル【メディア】で全員の体力を全快させてから、改めて狐に回復を頼んでみる。
 どうやら、狐の請求する治療費は体力と精神力の消耗具合に比例しているらしく、一万円弱まで値が下がっていた。
 鏡達は狐に回復して貰うと、再び探索へと向かう。狐の手助けは探索する上で心強い味方となってくれる。
 もっとも、請求される金額が安くないので、そう何度も頼めないのが玉に瑕だ。

『ハイ! そこのナイスなボーイ! キミもボクと同じく更なる高みを目指しているのかい?』

 探索を続けていると、どこからともなくもう一人の完二の声が聞こえてくる。

「ナイスなボーイって……お、俺の事か!? 違うぞっ! 俺達は完二を助けに来ただけだぞ!!」

『ヒュー! ボクを求めてるって? そうなのかい? 嬉しいこと言ってくれるじゃない!』

 もう一人の完二の質問を否定した陽介の言葉に、もう一人の完二は嬉しそうに話し続ける。

『それじゃあ、とびっきりのモノを用意しなきゃ! 次に会うのが、とても楽しみだ! じゃあ、またね!』

 そう言ったきり、もう一人の完二の声は聞こえなくなる。

「なぁ、姉御。俺、もう帰っても良いよな……?」

 虚ろな表情を鏡に見せて陽介が話し掛ける。
 陽介が逃げ出したいと思う気持ちは理解できるが、ここは陽介には諦めて貰うしかない。

「は、花村が危なくなったら、あたし達が守ってあげるから、頑張ろう?」

「……本当か? 本当に守ってくれるのかっ!? 約束だぞ、絶対だかんな!」

 千枝の言葉に、陽介が剣幕を浮かべて詰め寄る。
 あまりの様子に千枝が若干引きつった表情になるが、流石に陽介を責める訳にはいかないだろう。

「陽介、辛いだろうけれど私達を信じて。一刻も早く彼を救い出そう」

 鏡に諭されて、陽介も何とか平静を取り戻す。
 ココでごねていても仕方がない事は陽介にも理解できている。
 陽介は得体の知れない恐怖を我慢しつつ、探索へと復帰する。


 探索を続ける内に、これまでとは比べものにならない、異常な熱気を漂わせる扉を発見する。
 どうやら、この先に何かが待ち構えているようだ。
 鏡達は気持ちを引き締めると、扉を開けて先へと進む。

『ようこそ、男の世界へ!』

 そこに待ち構えていたのは、もう一人の完二の身長の三倍はあろうかと思われるレスラーのような姿をしたシャドウだ。
 そのシャドウの足下でもう一人の完二が実況を続けている。

『突然のナイスボーイの参入で、会場もヒートアーップ! ナイスカミングなボーイとの出会いを祝し、今宵は特別なステージを用意しました!』

「お……おい、まさか……」

『時間無制限一本勝負! 果たして最後に立ってるのはどちらだ? さあ、熱き血潮をぶちまけておくれ!』

 陽介の不安は的中し、巨大なシャドウが鏡達へと襲い掛かってくる。
 まず始めにシャドウが力を溜め込み、意識を集中する。

「皆! 相手との身長差がありすぎるから、自分で攻撃をする時は一撃離脱を心がけて!」

 鏡の指示に全員が頷くと、陽介がまずは補助スキルの【スクカジャ】で自身の運動性を高める。
 続いて鏡が二本の剣を持つペルソナ“ラクシャーサ”を召喚して、物理攻撃スキル【キルラッシュ】で複数回の攻撃を仕掛ける。
 全ての攻撃が当たっているにも関わらず、シャドウは悠然とその場に立っている。
 これまで戦ったシャドウとは段違いの頑健さだ。

「来て! トモエ!!」

 それを見た千枝が【タルカジャ】で一番攻撃力のある鏡の火力を底上げする。

「おいで……コノハナサクヤ!」

 雪子の召喚したチアリーダーのような姿をした異形“コノハナサクヤ”が放つ【アギラオ】がシャドウの体を焼く。
 炎に包まれたシャドウはそのままの状態で、陽介に向かって丸太のような太い腕を振り下ろす。
 陽介は、向かってくるシャドウ側へと咄嗟に前転してその攻撃を躱すと、起きあがりざまにシャドウの足を切りつけ、その場から離脱する。

「危ねぇっ! あんなの喰らったら、ひとたまりもないぞ!」

 陽介の背筋に冷や汗が流れる。頭上から振り下ろされる丸太のような太い腕が直撃したら、一撃で命を落としかねない。
 鏡達はシャドウとの距離に気を配りながら、ペルソナでの攻撃を主軸にシャドウと渡り合う。
 どうやら、シャドウは陽介に狙いを定めているらしく、鏡達の事など眼中に無いかのように執拗に陽介を狙い続ける。
 陽介はその事実を逆手に取り、自身は回避に専念して鏡達がシャドウの背後から攻撃できるように互いの立ち位置を調整する。


 何度か陽介が直撃を受けそうになるも、紙一重で陽介は回避し続ける。
 それによって消耗した体力は、雪子が回復して鏡と千枝が全力でシャドウへと攻撃を続ける。
 何度攻撃を当てようと怯みもしないシャドウに、心が挫けそうになる。


 それでも、負ける訳にはいかないと心を奮い立たせて、鏡達はもてる全ての力を振り絞り、限界までペルソナを使い続ける。
 気が遠くなるほどの攻防の末、遂にシャドウを倒す事に成功すると、陽介はその場に座り込んでしまう。

「花村、生きてる?」

「今回はマジ、死ぬかと思った……」

 座り込む陽介を気遣った千枝が声を掛けると、陽介は軽く手を振ってそう答える。
 一撃でも当たれば、命を落とすかも知れない攻撃に晒され続けていたのだから、無理もないだろう。
 雪子が念のために【ディア】で陽介の体力を回復させる。
 鏡は、シャドウが先ほどまでいた場所に光るモノを見付けたので、それを確かめるためにその場へと向かう。
 光るモノの正体はどうやら鍵のようだ。古めかしいアルミの鍵をポケットに仕舞うと、鏡は陽介達にまだ行けるか確認を取る。

「あたしや雪子はまだ何とかなるけれど、流石に花村は拙くない?」

「俺の方は回復して貰ったらまだ何とかなるが、流石に今の俺達の回復を狐に頼んだら、洒落になんねえ金額を請求されそうだな……」

 千枝と陽介の言うように、狐に回復を頼めば探索の続行は可能だと思われるが、費用が足りるかどうかが分からない。
 取り敢えず、上の階に上がってから“カエレール”で戻る事にして鏡達は上への階段を捜す。
 幸い、この階層は複雑な構造をしておらず、上への階段はすぐに見つけ出す事ができた。
 鏡達は上の階へと移動すると、クマと合流して“カエレール”で入り口へと戻る。


 入り口で待っていた狐を連れ、鏡達はクマの案内で広場へと戻る。
 今回の探索で得たシャドウの素材は後日、だいだら.へと持ち込み新調できる装備が出来れば新調する事にする。
 流石に、今回のように一撃で命の危険をもたらす相手が居ると解って、準備を疎かにする訳にはいかない。


 明日も引き続き探索をするべきなのかも知れないが、流石に今日の疲労を考えると、それは避けた方が賢明だ。
 鏡は、明日は探索はせずにだいだら.に素材を持ち込み、装備を新調してから探索を再開する事に決める。
 幸い、暫くは霧が出るような雨続きとなる天気ではないので、準備を万端に整える事が出来そうだ。
 鏡の決定に陽介達も異論はなく、体調を万全に整える事に決め、それぞれ帰宅する事にする。


 帰宅した鏡はいつものように菜々子と晩ご飯を作り、二人で食べる。
 遼太郎は帰りが遅いそうなので戸締まりをして、早めに入浴を済ませると、先日の約束通り菜々子と一緒に眠るため、自室へと向かう。
 とはいえ、眠る時間にはまだ早いので、昨日の分を取り戻すかのように、菜々子が鏡に話し掛けてくる。
 鏡も菜々子にせがまれるまま、学校であった出来事を話す。


 話し疲れた菜々子はいつの間にか眠ってしまい、穏やかな寝息を立てている。
 そんな菜々子の様子に鏡は微笑むと、疲れた身体を休めるために自身も眠りにつく。
 装備を新調するの大事だが、新たなペルソナを生み出すために、ベルベットルームへ足を運ばなければ。
 今後の事を考えながら、鏡の意識は眠りへと落ちるのであった。




2011年05月05日 初投稿
2011年06月04日 誤字修正
2011年06月14日 タグのエラー修正



[26454] 男らしさ、女らしさ
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/05/10 18:55
――――今までは、ただ怯えていただけだった

      誰も自分を理解してくれないと諦めていた

         けれども、あの女性( ひと )は違った

        素直になって良いのだと、初めて言ってくれたのだ……



 五月にしては異様な蒸し暑さに、完二の意識が覚醒する。
 ハッキリしない頭で周りを見渡すが、濃い霧か湯気のせいで周りがよく見えない。

「……どこだ、ここ?」

 全く見覚えのない場所に、完二は唖然とする。
 地面は板張りになっているようで、香りからすると檜なのかも知れない。
 本来なら良い香りなのだが、こう濃密だと逆にむせかえりそうになる。その原因は完二のすぐ側にある木の囲いだった。
 囲いの中には焼けた石が多数入っており、それに水が掛けられ蒸気となっていたのだ。

「って、ここはサウナか何かなのかよ」

 こんな場所、稲羽では見た覚えがない。似たような場所なら天城屋旅館が該当しそうだが、あまりにも規模が違いすぎる。
 状況がサッパリ分からないが、こんな所でじっとしていても仕方がない。完二は出口を探しに、取り敢えず移動する事にする。


 すぐに出口に辿り着けるかと思っていたが、完二の予想に反して、この場所はかなりの広さがあるようだ。
 その上、まとわりつくような蒸気で服が貼り付いて気持ちが悪い。
 視界の悪い大浴場を彷徨っていると、上へと続く階段を発見した。
 その前に鍵の掛かった扉も発見していたのだが、鍵を持っていないためその先へと進めず、仕方がないので階段を上る事にする。


 どのくらい歩き続けただろうか? 視界が悪く手を伸ばした状態で指先が朧気にしか見えない状態は、精神的に疲労する。
 それに加えて、まとわりつくような熱気が体力を磨り減らしていくので、感じる疲労具合は相当なモノになる。

「お……男には……男には、プライドってもんがあるんだよ……へへっ、俺はぜってえ負けねえぞ……」

 どこかも分からない場所にたった一人で居る事の孤独。視界が悪く蒸し暑い状況による精神的、肉体的な疲労。
 いっそ錯乱してしまえば、どれだけ気が楽だろうか。
 そんな誘惑に駆られそうになるが、男らしくない醜態だけは晒すまいと何度も踏み留まりながら完二は出口を捜す。

「……ッ!?」

 意識が朦朧とする中、視界の隅に動く人影を見付けた。その人影はどこかを目指しているのか、すぐに視界から消えてしまった。

「おいっ! ちょっと待て!!」

 完二は慌てて、その人影を呼び止め追いかける。
 この場所について知っているかも知れないし、目覚めてから初めて見付けた人影だ。
 逃がしてなるものかと、完二は意識を集中して人影を追いかける。
 人影は、いくつもの扉をくぐり先へ先へと進んでいく。こんなにも視界が悪いというのに、迷うことなく先へと進む。
 それはつまり、あの人影はここの構造を知り尽くしているという証拠だ。

「っ! 逃がしてたまるかよっ!!」

 いくつもの扉をくぐり、階段を上り完二は人影を追いかける。
 人影を追いかけていると、これまでとは違う様子の場所に出た。左右が階段状になっており、扉まで真っ直ぐな作りになっている。
 目の前の扉以外に抜け道などは一切無いので、人影はこの扉の向こう側に居るのだろう。
 完二は覚悟を決めると、扉を開けて中へと入る。


 扉の向こう側は広間になっており、扉から奥にある舞台まで赤い絨毯が続いている。
 舞台の上に立つ人影は完二に背を向けていて誰だか分からないが、ふんどし一枚の姿は怪しいとしか言いようがない。

「おい、そこのお前!」

 完二が舞台の上に立つ人影に声を掛ける。

「ッ!? お、オレ……だと!?」

 完二の声に振り返った人物の姿を見て、完二は驚きのあまり絶句する。
 目尻が下がり表情は違うのだが、確かに目の前にいる人物は完二自身である。

「お前……一体、何モンだっ!」

『ボクはキミ、巽完二さ。ようこそ“崇高な愛を求める施設”へ!』

 完二の誰何にもう一人の完二が答える。
 その言葉に、完二は訝しげな視線をもう一人の完二に向ける。

『そう、ココはキミの心の願望が作り出した世界! 女なんか必要としない安らぎの場所!!』

「ココが……オレの望んだ世界だと……?」

『もうやめようよ、嘘つくの。人を騙すのも、自分を騙すのも、嫌いだろ?』

 もう一人の完二の言葉が毒となって完二の心に染み込んでくる。

「完二!」

 突然、背後の扉が開いて複数の人影が広間に入ってくる。
 完二が驚いて背後を振り返ると、そこには見知った顔と奇妙な着ぐるみの姿があった。

「アンタら、何で……!?」

 驚く完二とは対照的に、もう一人の完二の表情が歪んでいく。

『女は嫌いだ……気持ち悪いモノみたいにボクを見て、変人、変人ってさ……』

 鏡達を憎々しげに睨み付けて、もう一人の完二は心の奥底に溜め込んでいた不満をぶちまける。
 裁縫好きなんて気持ち悪い。絵を描くなんて似合わない。“男のくせに”と、自分の容姿で決めつけられ、何度も否定され続けてきた鬱積。
 もう一人の完二は言う。“男らしい”って何だと。

『女は、怖いよなぁ……そうだ、男がいい……男のくせにって、言わないしな』

「ざっ……けんな! テメェ、人と同じ顔してフザけやがって……!」

 もう一人の完二の言葉に、完二が激昂する。
 そんな完二にもう一人の完二は、女は全て自分を認めてくれない、理解してくれないと語る。
 その言葉に、完二は背後にいる鏡の事を思い出す。初めて自分の事を認めてくれた女性だ。


 確かに、これまでは自分の事を認めてくれる女性は居なかった。
 容姿と好みが合わないからと謂われ続け、その反動で容姿に合うように喧嘩に明け暮れ、族を潰すような事までもした。
 そんな自分に鏡は何と言った?

『男だからとか、女だからとか、そんな事は関係ないんじゃないのかな?』

 その言葉を完二は鮮明に思い出す。
 目の前にいるもう一人の自分は、鏡に出会う前の自分だ。

『キミはボク……ボクはキミだよ……分かってるだろ……?』

「拙いっ! 完二!!」

 もう一人の完二の言葉に、陽介が慌てて完二がもう一人の自分を否定しないように制止しようとする。
 それよりも早く、完二は陽介達の想像とは違う行動を起こす。

「歯ァ、食いしばれっ! オラァ!!」

 完二は、もう一人の自分に飛び掛かると腰の入った右ストレートを叩き込む。
 勢いの乗った渾身の一撃は、もう一人の完二を一回転させて舞台に叩き付けるほどの威力があった。
 もう一人の完二は舞台の上に倒れたまま、完二に『どうして?』と問い掛けるような視線を向ける。

「確かにテメェは昔のオレだ。だがな、今のオレじゃねぇ! テメェがオレだって言うんなら、あの人の言った事を覚えているはずだ!」

 完二は、倒れたままのもう一人の自分を睨み付けて、一気に捲し立てる。
 目の前で倒れている自分は、誰からも理解されなかった自分の姿だ。
 本当は受け入れて欲しいのに、その気持ちを押し殺して、周りに牙を向けていた自分自身。
 しかし、今の完二は違う。
 男や女と言った“小さなしがらみ”に縛られていた自分は、あの人の言葉で目が覚めたのだ。

「……オラ、立てよ。オレと同じツラ下げてんだ……ちっとボコられたくらいで沈むほど、ヤワじゃねえだろ?」

 その言葉に、もう一人の完二が立ち上がる。

「テメェもオレなら、あの人の言った事を思い出しやがれ。認めてやるよ、テメェはオレで、オレはテメェだよ……クソッタレが!」

 もう一人の完二はその言葉に頷くと、青く光る粒子となってその姿を転じさせる。
 それは黒地に骸骨の模様が施された巨大な異形だ。
 稲光を模した剣をを持った異形は、再び青く光る粒子に包まれるとカードの姿になり完二の体に吸い込まれるように消えていく。
 気が緩んだのか、その場に倒れる完二に慌てた鏡達が側へと駆け寄る。

「完二、大丈夫か!?」

 どうやら意識を失っているだけのようだが、このままという訳にもいかないので、完二を元の世界へと連れて帰る事にする。
 元の世界に戻る頃には完二も意識を取り戻したが、疲労のせいで座り込んだままグッタリしている。

「完二君……大丈夫?」

 その様子を心配した雪子が声を掛け、完二はそれに強がって見せるが自力で立ち上がる事が出来ないでいる。
 陽介が手を貸し完二を立ち上がらせると、完二は鏡達を見渡して、さっきの出来事について訊ねてくる。
 その質問に鏡は、完二の体調が良くなった時に話すからと、今は早く休むように促す。

「俺、こいつ送ってくわ。“その辺で適当に拾った”で通るだろ。こいつの場合」

 陽介はそう言うと、完二を連れて家電売り場を後にする。
 鏡は今晩の食材を購入してから帰る予定なので、千枝と雪子も先に帰宅する事にする。
 夏も間近に控え気温もそろそろ高くなってきたので、今日の献立は冷しゃぶサラダに炊き込みご飯に決める。
 冷しゃぶの煮汁はタレや味噌汁を作るのに使えるので、汁物はそちらから作ることにする。
 必要な食材を購入して、食後のデザートにとリンゴも一緒に購入していく。




 買い物を終えて堂島家に帰宅すると、珍しい事に遼太郎が先に帰宅していた。

「ただいま戻りました。叔父さんが先に帰宅しているって珍しいですね」

 鏡の言葉に遼太郎は『そうだな』と苦笑い気味に答える。
 遼太郎が先に戻ってきていたので、鏡は遼太郎に日本酒を少し使っても良いかと訊ねる。
 訝しげな視線を向けてくる遼太郎に、鏡は冷しゃぶの肉を茹でる際の臭みを消すのに使いたいと説明して許可を貰う。
 下拵えと肉を茹でる作業を鏡が、炊き込みご飯の準備を菜々子がそれぞれ分担する。


 たっぷりの野菜の上に乗せられた冷しゃぶに、甘めに味付けしたゴマだれを掛ける。
 遼太郎には少し甘すぎるので、辛めに作った別のタレを取り皿に入れて遼太郎の前に置く。
 煮汁の残りから作られた味噌汁の具は、冷凍して保存しておいた丸久豆腐店で購入した油揚げの残りと大根にワカメだ。
 炊き込みご飯の具は山菜と椎茸で、薄めの味付けにしている。


 出来上がった料理を並べ終わると『いただきますと』唱和してから食べ始める。
 黙々と箸を進めていた遼太郎が、箸を止めて鏡の方へと視線を向ける。

「そうだ、言ってなかったな」

 そう言って、遼太郎は捜索願いが出されていた完二が無事に見つかったと鏡に伝える。
 遼太郎の言葉に鏡は僅かに表情を変えると、完二の様子はどうだったのかと訊ねる。
 その質問に明日、確認も兼ねて事情を聞きに行く予定だと遼太郎は答えると、少し迷ってから鏡に気になっている事を訊ねる。

「それとな……お前が巽屋に訪れていた事を白鐘に聞いたんだが、何か用事か? 学生が立ち寄るような店じゃないからな」

 そう言って、遼太郎は探るような視線を鏡に向ける。
 鏡は気付かぬ振りで雪子の付き添いで訪れた事。その時に完二と知り合い、巾着の作り方を教えて貰う約束を交わした事を説明する。
 その説明に遼太郎は、巽屋の卸し先が天城屋旅館であった事を思い出す。

「まあいい。ただ、危ない事に関わるなよ。いいな?」

 その言葉に申し訳ないと思いつつも表情を変えずに鏡は頷く。
 二人の様子に菜々子が訝しげな視線を向けて『またケンカ?』と訊ねる。
 その質問に遼太郎は気まずそうな表情で否定をして、食事を再開する。


 食事を終え、いつものように菜々子と食器の後片付けを済ました鏡に、遼太郎が声を掛ける。
 遼太郎は脇に置いてあった封筒を取り出すと、試験で上位に入ったご褒美だとそれを鏡に手渡す。
 それを聞いた菜々子も『お姉ちゃん、すごいね!』と、我が事のように喜び、鏡は気恥ずかしさを感じるのであった。




――翌日

 遼太郎は足立を伴って“巽屋”に出向いていた。
 完二から事情聴取を行うためだ。
 本来ならば、もう少し日を空けて聴取を行いたい所だが山野真由美の事件の事もあり、今は少しでも手掛かりが欲しい所だ。
 そのため、完二の体調を気遣う余裕が無く申し訳ないと思いつつも、遼太郎達は完二から話を聞く事にする。


 しかし、結果的に進展のある情報を得る事は出来なかった。
 脱水症状を起こしかけた状態で発見された影響か、証言の至る所で要領を得ない答えが返ってきたのだ。
 医者の見立てでは、脱水症による意識障害の可能性が指摘されたが、それでも説明の付かない事がある。
 完二の証言にあった“巨大なサウナのような場所”だ。
 稲羽市にそんな施設はなく、何か別の事と勘違いしているのかも知れない。

「どういう事だ、こりゃ……」

「堂島さん、何か気になる事でも?」

 巽屋を後にして、稲羽署に戻る車内で呟いた遼太郎の言葉に足立が怪訝な視線を向ける。

「小西先ほどでは無いが、捜索願いが出された天城雪子と巽完二も記憶障害が出ている。こりゃ、何かの偶然か?」

 遼太郎は一連の失踪に奇妙な共通点を見付ける。
 三人とも、失踪した前後の足取りが全く分からない事。失踪中の記憶が定かでない事。
 そして……

(何故か、この三人に鏡が関わっている形跡がある。三度も続くと、偶然の一言で片付けられなくなるが……どういう事だ?)

 自分の姪が関わっている可能性に、遼太郎の勘が警鐘を鳴らす。
 たまたま、鏡の知り合いが失踪事件を起こしたと見た方が筋は通るのだが、何かが引っ掛かる。

「堂島さん、いくら何でも考えすぎじゃないですか? しっかりしてますけど、鏡ちゃんは一介の高校生ですよ?」

「ま、確かにそうなんだがな……」

 足立の言葉に遼太郎も同意する。
 年齢よりもしっかりしているが、鏡はまだ子供だ。
 直斗と違い事件に首を突っ込んで、どうこう出来る訳がない。
 刑事として疑って掛かる癖がそう思わせているのだろう。

「鏡ちゃんはキツイ所がありますけど、将来は良いお嫁さんになれるんじゃないですかね?」

「……足立。お前、鏡に手を出す気じゃ無いだろうな?」

「や、やだなぁ! 堂島さん、一般論を言っただけですって! そんな怖い顔で睨まないでくださいよっ」

 一段トーンを落とした遼太郎の声に、足立が慌てて否定する。
 遼太郎の様子はまるで、娘を取られまいとする父親のそれと変わらない。
 その事に気付いていない遼太郎は、ひとしきり足立に釘を刺すと稲羽署へと向けて車を走らせ続ける。




 数日が過ぎ、完二もようやく学校へと復帰する事が出来た。
 放課後、完二は鏡達との待ち合わせ場所である校舎屋上へと向かう。
 屋上には鏡達が先に到着しており、完二が来るのを持っていた。

「う……うぃース!」

 気まずそうな様子で完二が鏡達に挨拶をしてくる。
 その様子に微笑ましさを感じた千枝が『意外に可愛いとこがあるじゃん』と感想を述べる。

「私達、教えて欲しい事があるの」

 雪子がそう言って、どういった経緯で向こう側の世界に送られたのかを訊ねる。
 完二の説明によると、雪子にお土産を渡した後で部屋で休んでいたところ、誰かが来たような気がすると話す。
 その言葉に、陽介がそれが誰だったか覚えてないかと訊ねるも、そんな気がしただけかも知れないと、困惑気味に完二は答える。

「あと思い出す事っつや……なんか変な、真っ黒な入り口みてえのとか……」

 完二は記憶を辿りながら話すも、気が付いたら向こう側で倒れていた事くらいしか覚えていないという。
 雪子が完二の言葉に自分も似たようなモノを見たような気がして、それはテレビだったのではないかと訊ねる。
 言われてみればそうかも知れないと、完二の言葉もあやふやだったが雪子は何かが気に掛かるようだ。

「警察には、何か訊かれたか?」

 陽介の質問に完二は今と似たような説明をしたが首を傾げていたと話す。
 その説明に鏡達が互いの顔を見合わせていると、完二が鏡達に探偵みたいな事をしているのかと訊ねる。
 そんな所だと陽介が話すと、完二は自身もその中に加えてくれと願い出る。
 酷い目にあったのが“誰かの仕業”だと言うのなら、十倍にして返さないと気が済まないというのが理由だ。
 完二らしい理由ではあったが、仲間が増える事には異論はない。
 陽介がどうするか訊ねてきたので、遊びではないと釘を刺して完二の参加を認める。

「あざっス! 巽完二、先輩らのためにも、命張るっス! 面倒みてやってほしっス!」

     我は汝……、汝は我……

     汝、絆の力を深めたり……


   絆は即ち、まことを知る一歩なり


  汝、“愚者”のペルソナを生み出せし時

   我ら、更なる力の祝福を与えん……

 鏡の脳裏に声が響くと共に、心に暖かい力が満ちてくる。

「意気込みは買うけど、命を粗末に扱うような真似だけは駄目よ?」

 完二の言葉に鏡が釘を刺す。
 その言葉に完二は、男である自分が鏡達を守らないと駄目だというが、鏡は“全員が無事である事”が一番大切だと答える。

「私も女の子だから、そう言って貰うと嬉しいけれど、それで誰かが犠牲になるのは絶対嫌よ」

 鏡の言葉に、完二は誰かを守って自分が倒れても良いという考えが自己満足である事に気付かされる。
 もし自分が鏡達を守って命を落としたら、その事で鏡達は一生消えない傷を背負う事になる。
 自分より先に息子が死んだとなれば、母親も一生悲しみに暮れて生きて行かなくてはならなくなる。
 その事に気付いた完二は、表情を引き締めると鏡に対して深々と頭を下げる。

「ウッス! 姐さんの言葉、この巽完二、肝に銘じて自分の命を粗末に扱うような真似は、決してしないっス!!」

 完二の言葉に鏡が一瞬、唖然とした表情になる。
 そんな鏡に陽介が『姉御は男より“漢らしい”所があるかならなぁ』と、苦笑い気味に話す。

「ま、それは置いておくとして。仲間が増えたお祝いに……」

「“特別捜査本部”行く?」

「それ、まだ言ってんだ……」

 嬉しそうに話す陽介と雪子の会話に、千枝が力なく突っ込みを入れる。
 話の見えない完二は困惑気味だ。


 完二を連れてジュネスのフードコートへ向かった鏡達は、完二の歓迎会を兼ねてビフテキを奢る。
 美味そうに食べる完二に陽介はこれまでの事を説明するが、ちゃんと聞いているか怪しいところだ。
 念のために確認すると、やはり聞いていなかったらしく『テレビを使った殺人なら、撲殺で決まりスね』と見当違いな事を話す。
 その言葉に陽介は呆れ返り、千枝が向こう側に行けば分かると話す。

「けど、犯人の手口、雪子ん時と同じだったね」

 思い出したかのように、千枝がそう話を切り出す。
 犯行の手口は全く同じで、誘拐してからテレビに入れる。単純なだけに防ぐ方法が難しい。
 人海戦術が使えないのでどうしても後手に回ってしまうのは仕方が無い事ではあるが、どうにか犯人に繋がる情報が欲しい所だ。
 そんな事を話していると、近くのテーブルで談笑する男子生徒の話し声が聞こえて来た。


 どうやらマヨナカテレビに関する噂話のようで、次に誰が映るのかが楽しみだと話している。
 その内、片方の男子生徒が完二が映ると思っていたと語るが、噂話が一人歩きしているせいで、暴走族上がりだと思われている。

「次は誰と思ったって?」

 その言葉に、完二がドスの利いた声で男子生徒達を威嚇する。
 睨み付ける完二に恐れをなした男子生徒達は蜘蛛の子を攣らすようにその場から逃げ去る。
 他人事だと思っている無責任な当事者達に、やりきれない思いが募る。

「今回の事で、鏡の読みが当たったみたいだね」

「だな。姉御の言う通り、テレビで報道された人物が狙われている。けど、これで動機がますます解らなくなったな」

 雪子の言葉に陽介が同意するも、狙われる動機が全く見えてこない。

「ね、さっきの子達が話してたのって、マヨナカテレビの事だよね」

「あの様子だと、かなりの人数が見ているかも知れないね」

 千枝の疑問に鏡が答える。

「ね、あの映像って……犯人も見てるんだよね?」

「だろうな、きっとどっかで面白がっ……まさか、楽しんでるって事か!?」

 雪子の言葉に陽介が驚きの声を上げる。
 何故テレビで報道された人物なのか疑問だったが、それならば説明が付く。
 テレビで報道され、注目を浴びた人物を向こう側へと放り込み、その後の姿をマヨナカテレビで見て楽しむ。
 それが動機だとしたら、被害者は注目を浴びれば誰でも良いという事だ。

「んじゃ、オレが狙われたのも、あの番組で報道されたからって事っスか? 犯人、テレビ局の人間じゃねえんスか?」

 完二の言葉に鏡達が絶句する。完二の言う通り、その可能性も考えられるのだ。
 だが、それだとあまりにもリスクが高すぎる。
 その上、テレビ局の内部に犯人が居るとなると、鏡達では手が出せない。

「警察の方では、この事に気付いていないのかな?」

 千枝の言葉に、鏡が一人だけその事に気付いている可能性のある人物を思い出す。
 鏡に話を聞きに来た“白鐘直斗”だ。その事を鏡は皆に説明する。

「警察に協力する少年探偵……ね」

 鏡の説明に陽介が意外そうな表情で話す。
 自分達のような能力は持っていないようだが、推理だけで鏡達と同じ考えに辿り着いているだけでも、彼の能力の高さが伺える。

「そういやアイツ、オレに対して“興味がある”って言ってたっスけど、オレが報道されたから、なんスかね?」

 おそらくはそうなのだろう。
 早紀は記憶を失っているため、鏡から事情を聞きに来たし、雪子については警察で情報を得ているだろう。
 ただ一人、事件に遭う前の完二に前もって接触してきた所をみると、直斗もテレビで報道される事を疑っていると見て良いと思う。

「だとしたら、警察には彼からテレビの事が伝わるかも知れないね」

「それに、犯人にはまだ辿り着けないけれど、皆は私や完二君、小西先輩を救ってくれた。大丈夫、私達なら犯人に辿り着けるよ」

 千枝の言葉を引き継いで、雪子がそう語る。
 取り敢えず、ニュースで誰かが話題になる事と雨の日のテレビのチェックを欠かさないように取り決める。
 今のところ出来る事と言えばそれだけだが、狙われる人物が早く特定出来れば、犯人に対して先回りが出来る確率が上がるのだ。

「っと、そろそろクマの所に完二の眼鏡を貰いに行くか」

 時計を見た陽介がそう切り出す。
 その言葉に完二が慌てて残りのビフテキを平らげる。
 完二が食べ終わってから、鏡達はクマに会いに向こう側へと移動する。

「あー……言われてみりゃ、居たような……クマだったのか……つーか、何で“クマ”?」

「知らん」

 クマをしげしげと見ながら話す完二に、陽介が即答する。

「クマも知らん。ずっと悩んでるの」

 そう話すクマの姿が完二の琴線に触れたのか、触っても良いかと訊ねるもクマに素気なく断られる。
 そんな二人のやりとりに、笑いを堪えきれない雪子に毒気を抜かれた完二が、雪子も攫われた事を確認する。
 その質問に答え辛そうにしている雪子に、完二はしつこく訊ね続けると雪子が抜き手を見せずに完二の頬を引っ叩く。

「あ、ごめん……スナップ効いちゃった……今度からは、もっと、優しくするから……」

 痛む頬を押さえて、雪子の言葉に何かを期待する完二達をみて、千枝が呆れ返っている。

「そうそう、カンジが仲間になった記念に、クマからこれをプレゼントするクマ!」

「お、これだな、例の眼鏡」

 そう言って、手渡された眼鏡を見て完二が首を傾げる。そんな完二に雪子は早く眼鏡を掛けるように促す。
 自身の眼鏡だけ、他のと違う事に釈然としない完二に雪子が更に促してくるので、完二は仕方なくその眼鏡を掛ける。

「に、似合う……うぷぷ……ぷぷ……あはははは!」

 それは、いつかの鼻眼鏡だった。
 鼻眼鏡姿の完二に雪子が笑いのツボに嵌り、お腹を抱えて笑い転げる。
 クマが説明するにはちゃんとした眼鏡があるのに、雪子がこれにしようと言って聞かなかったとか。
 その説明に完二はキレて鼻眼鏡を投げ捨てる。

「よこせオラっ!」

 そう言ってクマが持っていたもう片方の眼鏡を奪って掛けるも、それはまたしても鼻眼鏡だった。
 再び鼻眼鏡姿となった完二に雪子の笑いが更に酷くなる。

「スペアの方を奪われたクマ……カンジ、実は好きね、ソレ?」

 その言葉に、千枝も笑いを堪えきれなくなって笑い出す。
 完二は無言で鼻眼鏡を外すと、それを遠くへと投げ捨てる。
 ようやくクマから手渡された本来の眼鏡はグラサン仕様になっていて、完二にとても似合っていた。
 しかし、先ほどまでの事もあって皆に笑われた完二は、いつか仕返しをしてやると意気込む


 ひとしきり笑った後、鏡達は完二に戦闘を経験させるために再び大浴場へと向かう。
 完二のペルソナ“タケミカヅチ”は見た目の通り力強さに特化したペルソナで、物理的な火力は随一だ。
 今日の所は大体の感覚を掴む事が目的なので、少し戦闘をしてすぐに引き上げる。

「あれが“ペルソナ”……オレ達のペルソナは一つなのに、姐さんは幾つも使えるんスね」

 広場に戻ってきて、完二がそんな感想を述べる。

「そういや姉御は俺達と違って、最初からテレビに入れたし、ペルソナも最初っから使えてたよな」

「そう言えば鏡って、あまり裏表がありそうな性格じゃ無いよね」

 陽介の言葉を継いで千枝がそう話す。
 完二が『何か“コツ”でもあるんですか?』と訊ねるが、こればかりは鏡にも答えようがない。
 意図しているのではなく、最初から出来てしまっているので説明が出来ないのだ。
 その事を正直に説明すると、ペルソナはつくづく不可思議な存在だなと陽介が感慨深げに話す。


 確かに、よくよく考えると“ペルソナ”や“テレビに入る能力”など、解らない事だらけだ。
 解らないものでも、この事件を解決するためには必要な力なので、力を磨く事を疎かにするつもりはない。
 鏡達はクマに別れを告げると元の世界へと戻り、いつものように鏡は買い物、陽介はバイトへと向かう。
 雪子はバスで帰るので、途中まで帰り道が同じ千枝を完二が護衛する形で途中まで送って行く事となる。
 もっとも、千枝に護衛が必要かどうかは意見の分かれる所ではあるが。


 陽介から今日のお勧めを聞いた鏡は、その食材から今日の献立を考える。
 塩鮭がお勧めという事なので、今日の献立は塩鮭のロールキャベツに、ちくわとアスパラのピリ辛炒め。
 小松菜と油揚げの味噌汁だ。
 ロールキャベツはコンソメとトマト煮を使い、甘めのトマトスープ仕立てにして、ピリ辛炒めとバランスを取る事にする。


 必要な食材を購入して帰宅した鏡は、いつものように菜々子と一緒に調理を始める。
 鏡は菜々子と料理をする事を楽しみながら、ささやかな幸せを味わうのであった。




2011年05月10日 初投稿



[26454] 林間学校
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/05/14 17:33
――――いつの頃からか、本当の自分が見えなくなった

      演じる事は好きだけど、これは違うと声がする

        『これは本当の自分じゃない』って……

       だから私は、素顔の自分を捜そうと思ったんだ




 それは、千枝の一言が切っ掛けだった。

「ね、明日の林間学校の“飯ごう炊さん”だけど、“カレー”で良いよね? 人気ナンバーワンの国民食」

 食べかけの肉サンドを飲み込んで、千枝がそんな提案を出してくる。
 六月の中旬、一泊予定で林間学校といえば聞こえは良いが、“若者の心に郷土愛を育てる”という名目のゴミ拾いだそうだ。
 その事を聞いた陽介の落胆ぶりは相当なものだったのは記憶に新しい。

「ラーメンとカレーで迷ったんだけど、ラーメンじゃ、ちょっと浮くと思って」

 雪子の言葉に陽介が『ラーメンは無いだろ』と速攻で突っ込みを入れたが、それに関しては鏡も同意見だ。
 対してカレーは基本的に切った具材を煮込むだけなので、余程の事がない限り失敗しない定番メニューだ。

「でさ、今日の帰りに材料を買いに行かない?」

 鏡自身はいつものようにジュネスへ買い出しに寄り道しているので、千枝の提案に異存はない。
 陽介も今日はジュネスでの手伝いが無く、雪子も実家の手伝いは無いそうなので、千枝の提案に賛成する。

「カレーって、何入ってたっけ?」

「にんじん、じゃがいも、玉ねぎ……ピーマン、舞茸に……ふきのとう?」

「ふきのとう……と“ふき”って一緒?」

 千枝の質問に雪子が具材を挙げていくが、後半の具材は明らかにおかしい。

「ふきのとうは、ふきの花の“つぼみ”で、ふきは葉っぱの方。それと、ふきのとうはカレーに入れないから」

 二人のやりとりに軽い眩暈を覚えた鏡が訂正する。
 そもそも“ふきのとう”は山地でも四月頃までしか採れないので、すでに旬は過ぎている。
 鏡の説明に二人が感心するのとは対照的に、陽介の表情は曇っている。

「なあ、姉御。材料の買い出しん時は、この二人の手綱をしっかり握っていてくれよな?」

 懇願するように鏡に頼み込む陽介に対して、千枝と雪子が抗議する。
 とはいえ、見当違いの食材を挙げてきた時点で、陽介は二人の抗議を受け付けるつもりは毛頭無いようだ。
 鏡は陽介達を宥めると、具材にリクエストがあるかを確認する。
 陽介は真っ先に鏡に任せると言ってリクエストは無し。それよりも、二人がおかしな具材を使わないように見張ってくれとの事だ。
 千枝と雪子は実際の食材を見てから決めたいと、意見は保留だ。
 鏡としては、料理が苦手な千枝と雪子でも作れそうな材料にする方が良いだろうと、表情には出さずに具材をピックアップしていく。




――放課後

 ジュネスへと到着した早々、陽介は用事があるので先に食品売り場に向かってくれと言って、どこかに行ってしまった。
 仕方がないので、鏡達は食品売り場へと移動する。

「……ねー、千枝。カレーに片栗粉って使うよね?」

「……? そ、そりゃ、使うんじゃん?」

「使わないと、とろみつかないよね。じゃあ片栗粉と……小麦粉もいるかな」

 食材を前に、雪子と千枝の見当外れな会話が鏡の耳に聞こえてくる。
 その、あまりの見当違いぶりに鏡は溜息をつくと、二人の耳たぶを軽くつねる。

「二人とも、カレーのルーから作るなら小麦粉は使うけれど、トウガラシやキムチ、コショウは使わないから」

 鏡に耳たぶをつねられた二人が抗議をするよりも早く、一段階トーンを落とした声で鏡が二人に説明する。
 心なしか目が据わっていて、その様子に二人は息をのむ。

「それから、千枝……隠し味にコーヒー牛乳は駄目だからね?」

「あ、鏡、目が怖い……」

 鬼気迫る鏡の様子に、千枝の表情が青ざめる。
 鏡は二人に簡単な説明を交えながら材料を選んでいくも、鏡の様子にのまれた二人の頭に全く入らなかった。
 遅れて合流した陽介が見たのは、買い物を終わらせた鏡と疲れ果てた様子の千枝と雪子の姿だった。
 その様子に陽介は鏡に事情を聞こうかと思ったのだが、何やら普段と様子の違う鏡の姿に断念する事にする。
 触らぬ神に何てやらだ。


 飯ごう炊さん用の食材は、陽介が預かる事となった。
 鏡に言わせると、雪子と千枝がおかしな具材を紛れ込まさないためだとか。
 その言葉に陽介は二人が疲れ果てた様子でいる理由を垣間見て、材料を預かる事を引き受ける。
 鏡自身が今晩の食材を持っているのも快く引き受けた理由の一つだ。

「それじゃ、姉御、また明日な。里中と天城も今日の所は、ゆっくり休んだ方が良いぜ」

 陽介の言葉に千枝と雪子が力なく頷いてそれぞれ帰って行く。
 鏡も明日は不在になるため、今日と明日の分の食事を作っておく必要があるとの事で急いで帰っていった。

「さてと、それじゃ俺も帰るとするか。にしても、かなり買い込んでないか、これ?」

 預かった食材を見て、陽介がそんな感想を述べる。
 料理をしない陽介からすると量が多く見えるのだが、煮込み料理は目減りする分それほど多い訳ではない。
 良くは解らないが、鏡に任せておけば大丈夫だろうと、あっさり結論づけて陽介は食材を持って帰宅する。


 帰宅した鏡は菜々子と一緒に晩ご飯の支度と、明日の分のご飯の準備を進めていく。
 今晩の献立はカボチャのクリームシチューと野菜サラダ、鮭のムニエルだ。
 シチューはそのまま明日も食べることが出来るので、ハンバーグとポテトサラダを追加分として作っておく。
 ハンバーグは以前と同じように、具材を混ぜ合わせて冷蔵庫で寝かしておき明日、好きな大きさに作れるようにしておく。
 シチューとポテトサラダ用のじゃがいもを先に煮込み、その間に野菜サラダの準備を進める。


 二人で作業を分担しているため、効率よく作業が進む中、菜々子と今日の出来事について楽しそうに二人で語らう。
 茹で上がったじゃがいもをマッシャーで手早く潰し粗熱が取れたところで他の材料と混ぜ合わせていく。
 その作業を菜々子に任せている間に鏡は鮭のムニエルを作っていく。


 シチューが出来上がるタイミングでムニエルを完成させると器に盛りつけてちゃぶ台に並べていく。
 水気のある具材を入れるとポテトサラダが水っぽくなるので、それらの具材は入れずに冷蔵庫に入れて保存しておく。
 タイミング良く遼太郎も帰宅したため三人で食卓を囲み、鏡は遼太郎に明日の晩ご飯の準備が出来ている事を伝える。
 一日くらいなら総菜を買って来るなりしても良かったのにと遼太郎は言うが、鏡は家計簿的には作った方が良いからと言い切る。
 菜々子も鏡の影響か、最近では家計簿を鏡と一緒に付けるようになり、以前にも増してしっかりした様子を見せるようになった。




 林間学校は、八十神高校から徒歩で一時間もしない山中で行われる。
 名目とは異なり、その実態は山中のゴミ拾いのため、一部の生徒は体調不良という名のサボタージュで参加人数は少ない。
 そのため、一人辺りの作業が増える結果となり参加した生徒のやる気を削ぐという悪循環に陥っている。


 鏡は陽介と共に一年生の手伝いを行っていた。
 放置された古い切り株の除去が作業の内容なのだが、陽介以外は全て女子である。
 しかも、鏡と陽介以外は全て一年生なので、この作業を割り振った人物がいかに考え無しで決めたのかが窺い知れる。

「うぃース」

 どうやって切り株を除去しようか考えているところに、完二が通りかかった。
 完二の姿に一年生達が怯えた様子を見せ、完二を傷つけたがいつもの事だと完二は割り切った。
 陽介が完二に自身の作業はどうしたのかを訊ねたところ、他の一年が怯えてしまい作業にならないため抜け出してきたのだという。
 それならばと、鏡は完二に自分達の作業を手伝って欲しいと頼む。


 完二としては鏡の頼みを断る気は毛頭無いのだが、自分に怯える一年生を気に掛ける。
 心配する完二をよそに、鏡は大丈夫だからと笑って一年生達に話し掛ける。

「彼、見た感じは怖いけど、優しいから怖がらなくても大丈夫。早く作業を終わらせちゃいましょ」

 鏡の説明に完二が抗議をするが、顔を赤くして抗議する姿が一年生達の琴線に触れたらしい。
 ひそひそと『やだ、けっこう可愛くない?』などと完二に対する印象が変わっていく。
 それに対して完二が怒鳴ろうとするも、鏡に機先を制されてそれも上手く行かない。


 どうにも不利を悟った完二は諦めて鏡の指示に従って早く作業を終わらせようとする。
 ぶっきらぼうだが、一年の女子に対する気遣いを見せる完二に一年生達の好感度が上がっていく。
 完二は陽介と共に、てこの原理で地面から掘り出した切り株の邪魔になる部分を器用に切り落とすと、ロープで縛って運び易くする。

「これなら、オメえら全員で引っ張れば運べるから後は任せて大丈夫だよな?」

 完二の確認に一年生達がコクコクと頷いている。
 注意深く見れば、一部の子は顔を僅かに赤らめている。

「そんじゃ、姐さん。オレはそろそろ戻るっスね」

「うん、手伝ってくれてありがとう。あ、良かったら後で私達の班に来て。お礼に御馳走するから」

「ほんとっスか!? あざっス! この巽完二、必ず姐さんの所に行くっス!」

 完二はそう言うと、嬉しそうにその場を後にする。
 そんな完二の様子に一年生達は唖然とした表情を見せる。

「ね、結構可愛いところがあるでしょ?」

 鏡の言葉に一年生達は楽しそうに同意する。
 これまで他人を寄せ付けない雰囲気を纏っていたため、怖くて近づけなかったが、意外な一面を見た。
 ひょっとすると、普通に話し掛けても大丈夫なのかも? 一年生達はそんな事を考える。

「あ、彼は女子に慣れてないから、話し掛ける時は注意してね?」

 思い出したかのように一年生達に忠告する鏡の言葉に、一年生達は声を揃えて『はーい、解りましたぁ!』と返事を返す。
 切り株を所定の場所に運ぶためにその場を去った一年生達を見送った後で、陽介が呆れたように鏡に話し掛ける。

「姉御、流石にありゃ、やり過ぎじゃねえか? あの様子だと、完二の奴がおもちゃにされねえか?」

「それで彼が周りと関わりを持つようになれば、誤解も解けていくと思わない?」

 陽介の言葉に鏡がそう返す。
 確かに、完二は見た目で損をしている部分が多く、実際に接してみれば義理堅く良い奴だと言う事がよく解る。
 今回の事で完二が周りと馴染めるようになれば、それだけ完二に対する偏見は少なくなっていくだろう。
 もっとも、そんな事を完二に話そうものなら『余計なお世話だ!』と怒鳴られそうだが。


 作業を終え、夕食時になると鏡は千枝と雪子と共にカレーを作り始める。
 学校側が用意した米を雪子に研いでもらい、その間に鏡は千枝と一緒に材料を切っていく。
 千枝の包丁を持つ手つきが危なっかしいので、鏡はピーラーを手渡して、そちらで皮むきをして貰う事にする。
 包丁で器用に皮をむく鏡の手並みに感心する千枝も、ピーラーで面白いように皮がむける事で楽しそうにしている。

「鏡、お米はこれくらいで良いかな?」

 雪子が飯ごうを持ってきて鏡に確認を取る。中身を確認した鏡はOKを出すと水で溶いて泥状にしたクレンザーを飯ごうに塗りつける。
 その様子を不思議そうに見ている雪子達に、鏡はこうした方が後で洗うのが楽なのだと説明する。
 飯ごうを火に掛け出来上がりを待つ間にカレーの方も手際よく作っていく。
 途中、千枝が持参した肉を生のまま、煮込んでいる最中の鍋に入れようとしたため、鏡にたっぷりと絞られる一幕もあった。
 その肉は別に調理してカレーのトッピングにする事で対処したが、千枝の肉好きもここまで来たら筋金入りと言えよう。


 鏡に呼ばれた完二も出来上がる頃にやってきたので、蒸らした飯ごうからご飯をよそい、出来上がったカレーをかけていく。
 テーブルで待っている完二達の前にカレーを並べて鏡達もテーブルに着く。
 皆で『いただきます』と唱和してから食べ始める。
 薄く切って飴色になるまで火を通した玉ねぎの甘みなどが隠し味となって、辛さはあるが口当たりの良い出来となっている。
 それとは別にくし形に切った玉ねぎも入っており、かなり手が込んだ作りが陽介達には好評だった。

「昨日見た分じゃ、もっとあるかと思ったけど、そうでも無かったんだな」

「煮込んで溶けてしまった分もあるからね」

 陽介の感想に鏡がそう答える。
 最初に火を通す事によって、形が崩れないようにしたモノと煮込む過程でスープにするモノで味わいと食べ応えを両立させる。
 ちょっとした手間でここまで変わるのかと、千枝と雪子も驚いている。
 それなりの量は作ったのだが、食べ盛りの完二もいる事で残さず綺麗に食べ尽くす事が出来た。
 使った飯ごうなど、後片付けを済ませると男女別々のテントへと別れる。
 鏡は千枝と雪子と一緒に割り当てられたテントへと向かう。

「あ、鏡。お疲れ」

 割り当てられたテントには、先に来ていた同じテニス部の紫が鏡に声をかける。
 紫と初対面の千枝と雪子に鏡が紫を紹介する。

「鏡と同じテニス部の人なんだ。あたし、里中千枝。で、こっちが天城雪子ね」

「よろしく」

「こちらこそ、よろしく。噂の三人と一緒のテントで嬉しいよ」

 紫の言葉に鏡達が互いに顔を見合わせる。
 その様子に、紫は『知らないんだ?』と、鏡達が八十神高校でも最近、噂に上っている事を話す。
 鏡自身は転校初日にモロキンを言い負かした事で噂になり、千枝と雪子は以前から校内で人気があると噂になっていたらしい。
 千枝は雪子が人気のある事を知ってはいたが、まさか自分もそうだとは思ってなかったらしく激しく驚いている。
 雪子自身はそう言った噂話に感心が無かったので、それほどまでとは思ってなかったらしい。


 三人で一緒に居ることが多く、それぞれが方向性の違う綺麗どころと言う事で、本人達の知らない所で噂は広がっているそうだ。
 ある意味、寝耳に水だったので鏡達はその噂に驚いていた。
 あまりにも噂話に無頓着な鏡達に紫は多少は呆れるも、だからこそ噂になっているのだなと納得する。


 雪子はその容姿から男子生徒に人気が高く、千枝も活発さで雪子と男子の人気を二分している。
 鏡は雪子達ほどではないが男子生徒に人気があるも、下級生の女子からの人気が圧倒的に高いそうだ。
 その立ち居振る舞いから“格好良いお姉さま”というのが鏡の評価らしい。

「確かに、鏡って格好良いってイメージだよね」

 紫の説明に、千枝が納得する。鏡自身、自分が可愛いというタイプではない自覚があるので、苦笑気味だ。
 そんなやりとりもあってか、紫と千枝は割と早く意気投合して楽しそうに色々な話に花を咲かしている。
 千枝に引っ張られる形で雪子も話に混ざり、主に聞き手役で二人の話に相づちを打ったりしているが、本人は割と楽しそうだ。
 鏡は楽しそうに話す皆の様子に表情を綻ばせると、自身も会話に混ざるのであった。




 一方、その頃。
 陽介も割り当てられたテントへと到着していた。

「よう、花村。お前が一緒だったのか」

 そう言って陽介に声を掛けてきたのは陽介とは違った方向のイケメンでバスケ部の一条康( いちじょう こう )だ。

「花村が一緒だと、気を遣わなくて済むな」

 そう言ってきたのは一条の親友でサッカー部の長瀬大輔( ながせ だいすけ )。二人は八十神高校でも女子の人気が高い人物だ。

「へへ、俺もお前達が一緒なら気が楽でいいや」

 二人の言葉に陽介も嬉しそうに話す。
 陽介が稲羽市に越してきて最初に出来た男友達はこの二人で、一緒に遊びに行く仲だ。
 最近は事件の解決に力を注いでいるので、付き合いが減ってはいるが、この二人はそう言った小さな事を気にする性格ではない。
 一条は奥へと詰めると、陽介の座る場所を作ってそこに座るように促す。

「そう言えば花村。お前んトコの班、お前以外は全員が女子なんだって? 羨ましいよな」

 そう言って一条が陽介をからかってくる。
 言われてみて陽介も、客観的に見れば羨ましがられる組み合わせだなと気が付く。

「女だらけだと逆に気疲れしないか?」

「いや、姉御が居るからそう言ったのは無いな」

 長瀬の言葉に陽介がそう答える。千枝や雪子だけだったら、色々と身構えて気疲れをしてそうだが、不思議と鏡の存在でそれはない。
 落ち着いた雰囲気や向こう側でのリーダーシップで、自然と自分達を纏めているからかも知れない。
 陽介の『姉御』と言う言葉に一条達が首を傾げると、陽介が鏡の事だと説明する。

「ああ、転校生の神楽さんか。転校初日にモロキンを黙らせたんだって? 確かに、姉御は言い得てるかもな」

 陽介の説明に一条が感心したように頷く。
 一条と長瀬は鏡と面識がないので、どのような人物か噂でしか聞いた事が無く、遠目から見た印象でしか鏡の事を知らない。
 そのせいか、二人の鏡に対するイメージは男勝りで気が強い人物像になっている。

「にしても、本当に羨ましいな。お前、里中さん達の手料理を食えたんだろ? 俺達なんてヤロー共で作った大味なカレーだぜ」

 一条が心底、羨ましいと言った様子で陽介に話し掛ける。
 そればかりか旅館の一人娘である雪子も一緒なのだ。よほどと良い物を食えたんだろうと、一条は陽介に詰め寄る。

「いや、悪いんだけど里中と天城は料理が出来ないぜ。ありゃ、ほとんど全部が姉御の手料理だ」

 そう言って、陽介が一条に鏡が普段から家事をこなしている事を説明する。
 その説明に一条達は意外そうな表情を見せる。


 そんな事を話していると、完二が陽介達のテントに訪れた。
 何でも、一年のテントは自分が居る事でお通夜みたいに静まりかえっているため、居心地が悪いのだという。
 そのままサボって帰ろうかとも思ったが、出席日数の関係でそれも出来ないそうだ。
 仕方がないので、陽介の居るテントに来たと完二が説明すると、一条達は構わないと快く完二を迎えてくれた。


 噂と違う完二の様子に驚きはしたが、一条達もそれぞれ抱えている問題があり、他人事のように思えなかったのだ。
 実際に話してみると、完二は上下の関係に義理堅くちゃんと付き合えば、それに応じた態度を取る。
 意外な事に女子が苦手らしく、同じ女子が苦手な長瀬とは妙に馬があったようだ。


 陽介が今日の出来事を二人に話すと、完二が慌てて陽介を止めようとするが、一条がそんな完二を素直に褒める。
 長瀬も同じく完二の行動は褒められて良いもので、恥じる必要は無いと話す。
 そんな二人の言葉に、完二もすんなりと二人に打ち解ける事が出来た。
 鏡達と知り合ってからというもの、自分の周りが変わってきている事を、完二は実感せずにはいられなかった。



――翌日

 午前中で現地解散となり、紫や一条、長瀬が先に帰った中、陽介に連れられ鏡達は滝の見下ろせる場所まで連れられてきた。
 他には誰も来てないらしく滝が流れ落ちる音しか聞こえてこない。

「取り敢えず、泳がねえか?」

 陽介の言葉に鏡達が驚く。完二は怠いからと、速攻で断る。
 千枝も水着を持ってきていないから無理だと断るが、陽介が嬉しそうに隠し持っていた水着を取り出す。
 それも何故か三着も。
 あまりの用意周到さに千枝と雪子が唖然とする中でただ一人、鏡が陽介に冷静に突っ込む。

「……陽介、水着のサイズってどうやって調べたのかな?」

「そりゃ、知り合いの店員に頼んで調べて貰っ……あ」

 鏡の質問に答えた陽介が自身の失言に気付いて顔色を変える。
 その様子から、鏡達はどうやって陽介が自分達の水着のサイズを調べたのかを理解する。
 一週間ほど前に、陽介の頼みで水着についてのアンケートをジュネスで書かされたのだが、どうやらそれらしい。
 アンケートにあったスリーサイズの記入欄に違和感を覚えたが、相手が女性の店員だったのでそのまま書き込んでしまった。
 まさか、自分達のサイズを調べるためだけにそこまでするとは流石に思わないだろう。

「は・な・む・ら……言い残す事は何かある?」

 完全に据わった目で千枝が陽介に話し掛ける。じりじりと間合いを詰める様子に陽介の背中に冷や汗が流れる。
 雪子も平坦な声で『山の水はまだ冷たいだろうな……』と助けるつもりは毛頭無いようだ。
 自分を突き落とそうとする千枝達に、陽介は唯一の助けになりそうな鏡に視線を向ける。

「ね、陽介。因果応報、悪因悪果って言葉、知ってる?」

 鏡はにっこり笑って陽介にそう話すが、目が全く笑っていない。完二も鏡達の雰囲気に呑まれているようで、助けは期待できない。
 陽介は即座に三人に平謝りをして許しを請うも、三人は意地の悪い笑みを浮かべて陽介を突き落とそうと距離を詰める。

「なんてね」

 これまでかと陽介が諦め目を閉じたところで、そんな声が聞こえてくる。
 おそるおそる目を開けると、鏡達は陽介から少し離れた場所で呆れた様子を見せていた。

「全く、その行動力をもっと別な事に使いなさいよねっ」

 そんな千枝の言葉に鏡と雪子が頷いている。
 今の時期はまだ水が冷たいので、水遊びは真夏になってからが良いだろうと雪子が話す。
 鏡も、どうせなら菜々子と一緒の方が良いのでまたの機会にしてくれるようにと言う。
 その言葉に陽介も、菜々子を仲間外れにするのは確かに問題だと思い、今回は諦める事にする。


 とはいえ、せっかく用意した水着なのでと鏡達に用意した水着を手渡す。
 それらの水着は、アンケートに答えた結果の物らしく、それぞれの好みに合ったものだった。
 くれるという事なので、一緒に水遊びに行く事を約束に鏡達は受け取る事にした。

「いやー、その水着を着てくれるのが今から楽しみだ!」

「陽介、それ微妙にセクハラだから」

 嬉しそうに話す陽介に、鏡が間髪入れずに指摘する。
 千枝達も陽介に対して心底呆れた様子で白い緯線を向けてくる。

「俺が悪かった! だから、そんな可愛そうな動物を見るような目で俺を見ないでくれ!」

 居たたまれなくなった陽介が鏡達に懇願する。
 こんな事なら里中に蹴られる方が遙かにマシだ、陽介はそう思い鏡達に全面降伏する。
 そんな陽介の様子に、完二は鏡達に逆らわない方が良いと痛感する。




 陽介達と別れて丸久豆腐店に買い出しに寄ろうとした鏡は途中まで完二と一緒に商店街を目指す。
 道すがら、鏡は完二に今回の林間学校での感想を聞いてみた。
 完二は鏡に、これまでと違って自分の周りが変わってきているようだと、感じたままを答える。
 昨日、作業を終えて鏡達と別れた後に女子生徒達からお礼を言われた事。
 陽介のテントに逃げ込んだ際に知り合った、一条と長瀬が気さくに接してくれた事。

「長瀬先輩もオレと同じように女が苦手だそうで、ついつい話しこんじまったっスよ」

 そう話す完二の表情は明るく、嬉しそうだ。

「これも全部、姐さんのおかげっス。ほんと、感謝しても仕切れねえっス!」

     我は汝……、汝は我……

   汝、新たなる絆を見出したり……


   絆は即ち、まことを知る一歩なり


 汝、“皇帝”のペルソナを生み出せし時

  我ら、更なる力の祝福を与えん……

 完二との間に芽生えた絆が、鏡の心に力を与える。
 鏡は完二のお礼に、自分の力でなく完二自身の行動の結果なのだからお礼は要らないよと話す。
 その言葉に完二は『器のデカイ人だ』と鏡が謙遜しているのだと思い込む。
 完二にそのように思われているとはつゆ知らず、鏡は丸久豆腐店の前で完二と別れると、店内へと入る。

「……いらっしゃい」

 そう言って鏡を出迎えたのは、年若い少女だった。
 年の頃は鏡の一つ下くらいだろうか?
 その少女は鏡をまじまじと見つめている。

「えっと、シズおばあちゃんは?」

 見慣れない少女に戸惑いつつも鏡は少女に訊ねる。
 少女の話では、奥で明日の仕込みの準備をしているそうだ。

「あら、鏡ちゃん、いらっしゃい」

 店の奥からシズが戻ってきて鏡に声を掛ける。
 不思議そうにしている鏡に、シズが少女の事を紹介する。

「そう言えば、鏡ちゃんは初対面だったよね。この子は私の孫の“りせ”だよ。りせ、この子が話していた鏡ちゃんだよ」

「初めまして、“久慈川りせ”です」

 自己紹介するりせに鏡も自己紹介を済ませると、シズに『可愛いお孫さんですね』と思ったことを話す。
 そんな鏡を怪訝な表情のりせが見つめている。
 その様子に鏡が不思議そうな表情を見せると、りせは『やっぱり、テレビの私と雰囲気が違うのね』と自嘲的に呟く。


 りせの言葉に対して首を傾げる鏡に、シズが孫娘のりせがテレビタレントの“久慈川りせ”であると話す。
 その説明で、先ほどのりせの言葉の意味が解った鏡は申し訳なさそうにりせに謝る。

「いいよ、別に。テレビに出ている私は本当の私じゃないから……」

「ううん、そうじゃ無くて、私はテレビをあまり見ないから、タレントとかよく知らないの」

「……えっ!?」

 鏡の言葉にりせは驚いた表情を見せる。
 テレビで演じている自分と違うから気付かなかったと思っていたが、目の前の人物はアイドル“久慈川りせ”を知らないという。
 つまり、先ほどの褒め言葉はアイドル“久慈川りせ”に対するお世辞ではなく、ただの“りせ”への褒め言葉という事になる。
 その事実に気付いたりせは先ほどまでとは違って、嬉しそうな表情で鏡の事を見つめている。

「その制服、八十神高校のですよね?」

「そうだけど、りせちゃんも?」

「はいっ! 今度、一年に編入するんです。よろしくお願いしますね、先輩!」

 りせは鏡にそう言うと、花が咲いたような笑みを浮かべる。
 鏡もりせに微笑み返すと、木綿豆腐とがんもどきを購入して丸久豆腐店を後にする。

「お姉ちゃん、おかえりなさい!」

 鏡が帰宅すると、菜々子が嬉しそうに駆け寄ってくる。

「ただいま、菜々子ちゃん。何か変わった事は無かった?」

 鏡の質問に菜々子は変わった事は特にはないが、鏡がいなくてつまんなかったと答える。
 そんな菜々子の頭を優しく撫でていつものように菜々子と晩ご飯の準備をする。
 今日の献立は、林間学校の行く前に作ったシチューの残りと木綿豆腐の豆腐ステーキにがんもどきの餡かけだ。


 鏡は菜々子にも餡かけ用の餡を作れるように、作り方を教える。
 餡にとろみを付けるため片栗粉をそのまま使うのではなく、水溶き片栗粉を先に作る。
 水で溶いた片栗粉の不思議な触感に、菜々子は楽しそうにしている。
 料理が出来上がる頃には遼太郎も帰宅して、三人で晩ご飯を食べる。


 食事を摂り終え食器を片付けてから菜々子とお風呂に入る。
 鏡は菜々子に、明日の日曜日に一緒にジュネスへ買い物に行こうと誘うと、菜々子は嬉しそうに承諾する。


 お風呂から上がった菜々子は遼太郎に明日、鏡と一緒にジュネスに買い物に行く事を嬉しそうに話す。
 鏡は遼太郎に何か買ってくるものが無いか訊ねるが、特に欲しいものが無いので鏡に任せるそうだ。
 ただ、自分の買い物は無いが菜々子に夏服を見繕ってくれと言って、遼太郎は鏡に買い物の代金を渡す。
 代金を受け取った鏡は、後で千枝達にメールで都合が合いそうなら、一緒に菜々子の夏服を見繕って貰おうと考える。


 菜々子を寝かし付け、自室へと戻った鏡は千枝と雪子にメールを送る。
 暫くしてからメールの返信が届き、二人とも予定が空いているので大丈夫との事。
 鏡は再度、メールで待ち合わせの時間を連絡して二人からの確認を得た後に就寝する。




 翌日になって鏡が居間に降りてくると、出掛ける準備を済ました菜々子が鏡を待っていた。

「お姉ちゃん、早くジュネスに行こう!」

 菜々子は待ちきれない様子で鏡に話し掛けてくる。
 そんな菜々子の様子に鏡は微笑ましさを感じると菜々子と手を繋いでジュネスへと向かう。

「鏡、菜々子ちゃん、おーっす!」

 二人がジュネスに到着すると、先に来ていた千枝が二人に気付いて声を掛けてくる。

「千枝お姉ちゃん、おはよう!」

「おはよう、千枝。雪子は?」

「次のバスで来るはずだよ」

 鏡が千枝と話していると、バスが到着して雪子がバスから降りてくる。

「おはよう、みんな。菜々子ちゃん、久しぶり」

「雪子お姉ちゃん、おはよう!」

 バスから降りてきた雪子がそう言って菜々子の頭を撫でる。
 菜々子はくすぐったそうにしているが嫌がる素振りを見せず、むしろ嬉しそうだ。
 鏡達はジュネスへと移動する中、菜々子の夏服に付いてどんなのが良いのか話し合う。
 実際の所は、菜々子の希望と売られている商品を見てからだが、どんな服が菜々子に似合うかを話すだけでも三人は楽しそうだ。

「あれ、姉御達じゃねーか。っと、菜々子ちゃんも一緒なのか」

 手押し車に荷物を載せて運んでいた陽介が、鏡達に気付いて声を掛ける。
 珍しい組み合わせだなと話す陽介に、今日は菜々子の夏服を買いに来たのだと説明する。

「菜々子ちゃんの服か。それなら確か、今日から子供服の専門店で新作の発売だったはずだから、行ってみたらどうだ?」

 陽介の勧めもあって、鏡達は子供服の専門店へと向かう。
 そこには、可愛らしいデザインの物から少し背伸びしたデザインの物と豊富な種類の服が売られていた。
 しっかりとした作りと凝ったデザインの割には、手頃な値段設定がされている。
 何でも、“手頃な価格で子供達にもお洒落を”がこの店のモットーなのだとか。


 鏡達は菜々子の希望を聞いてみるも、菜々子自身がこれだけ豊富な種類の服をみた事が無くよく解らないそうだ。
 そのため、鏡達は気軽に着られる普段着用と、ちょっとしたお出かけ用の服を選ぶ事にする。
 鏡は自分達、素人だけの考えよりもプロの意見も参考にしようと、店員を捉まえてアドバイスを貰う事にする。
 年の頃は二十代前半の、気さくな感じがする店員を捉まえた鏡達は事情を説明すると、店員は快く引き受けてくれた。


 店員は、菜々子から好きな色や動きやすい方が好みかを聞くと、何点かの服を見繕って鏡達からも意見を聞く。
 その中から鏡達三人が数点の服を選び、菜々子に選んで貰う。
 菜々子自身、服を選ぶという経験が少ないようで戸惑いを見せたので、実際に試着してみる事にする。


 そうして選んだ服は、動きやすいワンピースだが、胸元にフリルが着いていて可愛らしさを備えた物。
 スカート部分が緩やかなフリルになっており、同系色のベストが立体的なシルエットを作るお洒落な物。
 これら二点の服を購入する事にした。その際に、店員がサービスだと両方の服に合うコサージュを付けてくれた。
 淡い色合いのコサージュは、両方の服に自然と馴染む出来映えでそれでいてアクセントが効いている。


 その分の費用も出すと申し出るも、それならば今後ともご贔屓にと言って断られてしまった。
 そういう事ならと、素直に受け取る事にして店員にお礼を述べる。
 菜々子もその事でお礼を言うと、その姿が琴線に触れたのか、店員が嬉しそうに菜々子の頭を撫でてくれた。


 店を後にする際に店員から名刺をもらった鏡が、内容を確認して驚く。
 気さくな感じがして他の店員と変わらないように見えたのだが、この店の店長だったのだ。
 驚く鏡達を見てカラカラと笑ったその女性は、堅苦しいのが嫌いだからと鏡達に説明する。

「買い物でなくても顔を見せに来て頂戴ね」

 そう言って、鏡達は見送られて店を後にする。
 菜々子の服を買い終えてフードコートで昼食を摂った鏡達は先ほどの店でのやりとりで話に花を咲かす。
 よもや自分達が捉まえた相手が店長だとは思ってもなかったので、本当に驚いた。


 昼食を終えてジュネスの店内を見て回る間、菜々子は終始ご機嫌だった。
 その様子に鏡達の表情も綻び、見ていて嬉しくなる。
 いつもならタイムセールを狙って買い物をするのだが、今回は菜々子の新しい服がある。
 そのため、今日は早めに買い物を済ませる事にして夕方になる前に千枝達と別れる事にする。

「それじゃ、鏡。あたし達はもうちょっとジュネスを見てから帰るね」

「また明日、学校でね」

「二人とも、今日はありがとう」

「千枝お姉ちゃん、雪子お姉ちゃん、バイバイ」

 二人と別れて菜々子と帰宅した鏡は、菜々子に買ってきた服を部屋へと持って行かせてから晩ご飯の準備に取り掛かる。
 今日の献立は叉焼を使った酢豚に炒飯、エビチリだ。
 昨日に続き、今日も遼太郎が定時上がりだったので、テレビのワイドショー番組を見ながら晩ご飯を食べる。

『……以上、当プロ“久慈川りせ”休業に関します、本人よりのコメントでした』

 番組では、先日知り合ったりせの休業に関する報道が流れていた。
 テレビに映るりせの表情は先日あった時とは違い、どことなく疲れた感じを見せている。

『休業後は親族の家で静養との噂ですが、確か稲羽市ですよね、山野アナが殺害された!』

 芸能記者の質問にりせが戸惑った様子を見せている。
 そんなりせをよそに、芸能記者は質問を浴びせ続けた。

『えー、以上で記者会見を終わります! はい、道開けてください!』

 あまりにも無遠慮な質問に、所属事務所の代表が会見を打ち切る。

「りせちゃん、テレビやめちゃうの?」

 心配そうに菜々子が聞いてくる。
 それについて遼太郎は答えようがないが、面倒な野次馬が増えそうだと憂鬱そうに話す。

「久慈川りせ……か。何も無いのが取り柄だったような田舎町が、今年はエラく騒がしいな……」

 そう話す遼太郎の表情は、何か気に掛かる事があるように鏡には見えた。




2011年05月14日 初投稿



[26454] 虚構と偶像
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/05/26 16:13
――――それは、ほんの気まぐれだった

          知り合いから聞いた噂話……

        雨の日の真夜中に映る、不思議な映像

   そこに、自分でない自分が映るとは思わなかったけど




 りせの記者会見が報道された翌日。
 稲羽警察署では異例の通達が行われていた。

「中央通り商店街の交通整理、ですか?」

「マスコミが久慈川りせの個人情報をバラしたおかげで、昨日の夜中から違法駐車をするバカ共が出ているらしい」

 困惑気味に訊ねる足立に、遼太郎が呆れたように説明する。
 今のところは深刻な問題にまでは発展してはいないが、近日中には問題になるだろうと見ている。

「確かに、あの辺は道幅に余裕がないし、駐車場もありませんよね」

「そう言う事だ。交通課も人が足りている訳じゃないからな」

 稲羽署は規模が小さいため、慢性的な人手不足に悩まされている。
 山野真由美の事件もあり、どこも余裕がない状態だ。
 ここに来て、現役アイドルを見に来る野次馬に対応しないとならないため、人の手が確実に足りなくなってくる。
 問題ばかりが増える一方で、遼太郎達の気苦労は絶えない。

「それにな……この間、白鐘の奴が気になる事を言っていたしな」

「直斗君がですか?」

 以前、鏡に話を聞きに来た直斗を送る途中、直斗は遼太郎にある共通点を指摘した。
 それは、山野真由美の事件から続く奇妙な共通点だ。

 小西早紀、天城雪子、巽完二。

 最初の二人は山野真由美の事件の関係者としての面が注目されたが、完二についてはその限りではない。
 しかし、失踪直前に全員がマスコミによって報道されていたという共通点を直斗は遼太郎に指摘した。
 犯人は山野真由美の事件関係者だから狙ったのではなく、マスコミに報道されたから狙ったのだとしたら?
 それが事実なら、捜査の前提条件から変わってくる。

「それって、被害者の周辺を捜査しても犯人に繋がる手掛かりが掴めないって事ですか!?」

「そう言う事だ。もっとも、上の方はその事を認めたくないようだがな」

 直斗の指摘を認めようとしない思惑を思い、遼太郎がウンザリした様子で足立に答える。
 上の連中が直斗の意見を認めようとしない理由。
 それは、子供に指摘された事が正しかったと認める事による面子の心配だ。
 下らない事だと遼太郎は思う。


 事件を早期に解決したいのなら、面子を気にしている場合では無いというのに。
 直斗も直斗で馬鹿正直に意見を述べるために、上の方からは煙たがられるという悪循環だ。
 もっとも、子供である直斗にその辺を考慮しろと言う方が無理な相談だ。
 警察側が大人の対応をすれば良いのだが、どちらも子供じみているとしか言いようがない。

「確かに、直斗君も意固地になっている所がありますからねぇ……子供だから仕方がないのかも知れませんが」

 遼太郎の説明に、足立が納得した様子でそう話す。

「そのくせ、困ったときだけ泣きつくんだから、白鐘からしたら一言でも言いたくなるだろうよ」

 人の事は言えないが、不器用な生き方しかできない直斗の事が気に掛かる。
 鏡と同じ年頃なのかも知れないが、あの年であんな生き方をしていたら、いつか壊れてしまうのではないか?
 そんな心配に遼太郎は駆られる。

(それに、白鐘が最後に言った言葉が気に掛かる……)

 遼太郎は足立には話さなかった直斗の一言を思い出す。
 自宅まで送っていく車内で直斗が遼太郎に話した気がかりな内容。

『神楽さんは僕と同じく事件の被害者は皆、失踪前にテレビで報道されていると言う共通点に気付いていると思いますよ』

 直斗は鏡の事を、油断のならない人物だと遼太郎に話した。
 気のせいだと思いたいが、これまでに失踪した人物全てに鏡は関わりがある。
 事件に関与する理由も動機も無いので、偶然だと思うが刑事という職業柄、偶然という要素は排除していかなければならない。
 そうして考えると、遼太郎の刑事の勘が違和感を訴えてくる。

(全く、刑事というのは因果な商売だな。世話になっている鏡を疑わないとならないなんてな……)

 刑事という仕事に誇りを持ってはいるが、身内にも疑惑の目を向けなければならない事に僅かばかりのやりきれなさを感じる。
 遼太郎は、自身の取り越し苦労で済めばいいと願わずには居られなかった。




 何やら学校中が騒がしい。
 クラスメイト達がそわそわしている様子に、登校してきた鏡は内心で首を傾げていた。

「そう言えば、鏡は昨日のニュースは見た? "久慈川りせ・電撃休業"ってやつ」

 先に登校して陽介達と話していた千枝が鏡に訊ねてくる。
 どうやら人気が急上昇している最中での休業宣言に、疑問を感じているようだ。
 千枝の疑問に陽介が『アイドルは色々と大変なんだろうよ』と答えるが、微妙に普段と様子が違う。
 どうやら陽介はりせのファンらしく、それが微妙な態度になって現れているようだ。

「けど、昨日のニュースでりせちゃんの個人情報が暴露されたから、犯人に狙われる可能性があると思うよ」

「姉御、りせは別に昨日今日テレビに出た訳じゃないじゃん。考えすぎなんじゃねーの?」

 鏡の言葉に陽介がそう答えるが、これまでの状況から可能性が高い事を指摘する。
 そもそも、山野真由美も昨日今日テレビに出た訳ではないのだ。
 報道された事が犯行の動機だとしたら、無視する事は出来ない。
 取り敢えずは、雨の日にテレビを確認してりせが映るかどうかを確認するより他がない。
 誰も映らない事が一番なのだが、犯人が捕まっていない以上は安心は出来ない。

 鏡は、帰りにでもりせの様子を見に行った方が良いのかも知れないと内心で思った。
 りせの事を陽介達に話そうかとも思ったが、まだ犯人に狙われたとは限らない。
 先日のニュースで見た疲れた表情のりせの姿も、陽介達に話す事を躊躇わせた理由なのかも知れない。
 テレビで見た疲れた様子のりせと、先日の明るい様子のりせ。どちらも同じ"りせ"なのに、雰囲気が正反対だ。
 その事が、鏡の心に気掛かりとして残された。




 いつものようにジュネスへと買い物に来た鏡は、店の前で見知った人の姿を見付けた。
 その人物は周りに対して気を配っているような様子で、見ようによっては不審者のようにも見える。

「こんにちは、りせちゃんも買い物?」

 鏡の声に、その人物は目に見えて驚いてみせる。
 不審者のような様子を見せていたりせは、声を掛けてきた相手が鏡だと知って、安堵の表情を浮かべる。

「先輩じゃないですか、驚いて損しちゃった」

 そう言ったりせは先ほどとは違い、リラックスした様子で鏡に話し掛ける。
 そんなりせに、鏡は先ほどのりせの様子が不審者のようだった事を指摘する。
 鏡の指摘にりせは軽くショックを受けたようだが、すぐに気を取り直すとジュネスを見に来た事を鏡に話す。

「何か、久しぶりに帰ってきたら商店街が寂しくなってて、皆がジュネスのせいだって噂してたから、気になって来たんです」

 そう言って、りせは悪戯が見つかった子供のような仕草を見せる。
 その仕草が年相応の可愛らしいものに見えたので、鏡は表情を綻ばす。

「先輩こそ、ジュネスにお買い物ですか?」

 りせの質問に鏡は、晩ご飯の食材を買いによく来ている事を説明すると、りせが尊敬の眼差しを向けてくる。
 その様子が千枝や雪子が見せた様子に似ていたので料理が苦手なのかと訊ねてみる。
 鏡の質問にりせは、苦手じゃないが辛い味付けが好みなので、何でも辛くしてしまうと正直に答える。

「好みは仕方がないけれど、何でも辛くしたんじゃ食材の味を殺しちゃうよ?」

 そう言って、鏡は豆腐料理を例えに辛さしか味を感じないのなら、違う種類の豆腐をちゃんと味わえるか訊ねる。
 鏡の質問にりせは、辛さが勝ると豆腐の微妙な味の違いは確かに分からなくなると納得する。

「先輩って不思議。私のおばあちゃんと同じように、豆腐で例え話をしてくれるなんて」

 そう言って、りせは祖母に言われた言葉を思い出す。
 その言葉に鏡は『そうなんだ?』と答えるだけで、何と言われたのか詮索してくる様子もない。
 そんな所も祖母に似ていて、りせは鏡に対して親近感が沸いてきた。

「ね、先輩。昨日、私の休業のニュースは見た?」

 りせの唐突な質問に鏡は頷く。

「先輩もおばあちゃんと同じで、詮索しないんだね。どうして?」

「気にはなるけど、りせちゃんのプライベートだからね。私に聞いて欲しいのなら聞くけれど、無理に訊ねる気はないよ」

 その言葉にりせは驚いた表情を見せると、それはすぐに嬉しそうな表情へと変わる。

「先輩、お買い物に私も一緒に行っても良いですか?」

 突然の申し出に驚くも、断る理由も無いので鏡はりせと一緒に買い物に行く事にする。
 鏡からの許可を貰ったりせは喜んで、鏡の腕に自分の腕を絡めて甘えたような仕草を見せる。
 りせの行動に鏡は驚くも、嬉しそうな様子にりせの好きにさせておく。
 嫌がる素振りを見せない鏡に、りせは少し残念そうな表情を見せる。

「ちょっと残念。先輩が男の子だったら絶対、私が恋人に立候補したんだけどなぁ」

 りせの言葉に鏡は、自分が男の子でりせと恋人同士になっていた可能性の世界があるかも知れないねと、笑って答える。
 その言葉に不思議そうな表情を見せるりせに、鏡は"平行世界"という概念を説明する。

「あ、それ知ってる。漫画とかで見たけど、そうか……私が先輩の彼女になっている世界もあるかも知れないんだね」

 りせは嬉しそうに話すと、買い物が終わるまで終始上機嫌で楽しそうに過ごしていた。
 鏡はりせと一緒に買い物を済ませると、そのまま家まで送る事にした。

「先輩は事情が違うけれど、他の人は誰も私の事に気付かなかったな……」

 帰る道すがら、りせがそんな事を呟く。

「テレビの中の私は作られた私だから、本当の私には誰も気付いてくれない」

「直接の関わりが無ければ、他の人の事には感心が無いのかも知れないね」

 寂しそうに話すりせに鏡がそう答える。
 その言葉にりせは「そうかも知れないね」と呟くと、鏡の腕を取る。

「先輩はアイドルの私を知らないから、きっと先輩の目に映る私は、本当の私なんだと思う」

 りせは不安な様子で鏡に訊ねる。自分の姿が鏡の目にはどう映っているのかを。

「私には、今のりせちゃんが寂しい思いを我慢している女の子に見えるよ」

 鏡の言葉にりせは、今の自分が寂しいと感じているのかと他人事のように感じられた。
 事務所の言う通りに自分を作り、虚構で塗り固められた偶像の自分。
 いつの頃からか、自分自身までを欺き続けて、どれが本当の自分なのか分からなくなった。


 隣を歩くアイドルの自分を知らない彼女()には、本当の自分の姿しか映らないだろう。
 今のりせに一番欲しかった存在。鏡との出会いはりせにとって得難い出会いとなった。

「私、先輩と出会えて良かった」

     我は汝……、汝は我……

   汝、新たなる絆を見出したり……


   絆は即ち、まことを知る一歩なり


  汝、"恋愛"のペルソナを生み出せし時

   我ら、更なる力の祝福を与えん……

 いつもの声が鏡の脳裏に響く。
 鏡はりせの言葉に、自分もりせと友達になれて嬉しいと伝える。
 その言葉にりせは驚いた表情を見せると、同世代の友達が出来た事が嬉しいと話す。
 何でも、芸能界には同世代の友達よりも遙かに年上の知り合いの方が多いのだそうだ。

「それじゃ、先輩。送ってくれてありがとう。今度はお豆腐を買いに来てくださいね」

 丸久豆腐店に到着すると、りせがそうお礼を述べて店の中へと入っていく。
 りせと別れた鏡はそのまま堂島家へと帰宅する。
 嬉しそうに鏡を出迎えてくれる菜々子を見て、りせの事をもう一人の妹のように思っていた事に気付く。
 機会があれば、菜々子をりせと引き合わせてあげたいと、鏡は漠然と考えた。




――翌日

 一日中、天気予報の通り雨になったため、陽介達と話し合いテレビの確認を行う事にする。
 テレビに映し出された人影は、水着を着たりせのように見える。
 これまでとは違い、膝に手を当て前屈みな姿勢で何故か胸や太ももばかりが映し出されている。
 画面が消えると同時に、携帯電話の着信音が鳴り、鏡は通話ボタンを押して電話に出る。

「もしもし姉御! 今の見たか!? 今のどう見ても"久慈川りせ"だろ!」

 興奮気味に話す陽介を落ち着かせて、鏡もそう見えた事を伝える。
 同意する鏡の言葉に陽介は、明日"丸久豆腐店"に様子を見に行こうと提案する。


 朝から学校ではりせの噂で持ち切りになっていた。
 放課後になって、鏡達の教室に来た完二を交えてこれからの事を話し合う。

「丸久さん、すごい人だかりだって」

 天城屋旅館に勤めている従業員から聞いた話として雪子がそう話す。
 その言葉に、先日映った人物が本当にりせなのか半信半疑な千枝が疑問を述べる。

「間違いねえって!」

 陽介はそう言うと、テレビに映った人物の体つきを根拠に力説する。

「……なんで、あたし見んのよ」

 力説しながら千枝を上から下まで見た陽介に千枝が不機嫌そうに話す。
 千枝の指摘に慌てた陽介が、唐突に完二に同意を求める。
 もっとも、完二は芸能人とかには興味が無いようで、鏡達がりせに会いに行くのなら暇だから着いていくと気乗りしない様子だ。
 千枝と雪子は用事があるため、何かあったら携帯電話に連絡するように頼んで帰宅する。

「じゃ、俺らも行くか。言っとっけど、俺らは野次馬じゃなくて捜査だ、捜査」

 どこか言い訳じみた様子で陽介が力説する。
 大義名分を掲げる陽介に多少呆れながらも、りせの事が気になるので特に何も言わずに移動する事にする。





 商店街は普段の様子とは違い、車の行き来が多く人も多い。
 丸久豆腐店の前には、りせを一目見ようと集まった野次馬達が人垣を作っている。
 その場に車で乗り入れようとする者が居るせいか、丸久豆腐店の前では誘導棒を手に交通整理をする足立の姿があった。

「足立さん、交通課の応援ですか?」

「鏡ちゃんか。いやぁ……野次馬が次々車で押しかけて、商店街の真ん中で止まろうとするからさぁ。人手不足で駆り出されちゃって……」

 鏡にそう答えた足立は疲れ果てた様子だ。
 何でも交代しているとは言え、朝からずっとらしく流石に疲れているようだ。
 そんな足立に鏡は労いの言葉を掛ける。

「はい、失礼、ちょっと道空けて……おーい、足立!」

 そう言って、人垣から遼太郎が外へと出てくる。

「誘導の方はどうなった……って、鏡か? こんな所で何してる」

 鏡達に気付いた遼太郎が探るような視線を向けてくる。

「今日のおかずに豆腐を買いに来たのですけれど、凄い人だかりですね」

「あぁ、そうか。家で食ってる豆腐はこの店のだったな……また、間の悪い時に買いに来たもんだな」

 鏡の答えに、遼太郎が呆れたように話す。

「見ての通り、こんな状況だ。面倒事に巻き込まれないよう気をつけるんだぞ?」

 鏡は遼太郎の忠告に素直に頷くと、今日は定時で上がれるのかを確認する。
 遼太郎は少し遅くなるかも知れないので、その時には連絡を入れると答え、足立と共に交代のため引き上げていった。
 鏡達は遼太郎達が引き上げた後で、どうやって人垣を抜けて店内に移動するかを考える。

「んだよ、婆さんだけで"りせちー"居ねえじゃん……」

 人垣の中の誰が言ったのか、その言葉を切っ掛けに野次馬達がそれぞれ帰って行く。
 野次馬達が居なくなったところで、あからさまに陽介が落胆する。

「陽介、目的を間違えてない? 人垣も無くなったし、行くよ」

 呆れた様子で鏡はそう言うと、店内へと移動する。

「こんにちは、シズおばあちゃん。大変だったね」

「鏡ちゃん、いらっしゃい。本当、テレビのせいで商店街の皆様に迷惑を掛けてしまったよ……」

 鏡の言葉に、シズが申し訳なさそうに話す。

「おばあちゃん、私のせいでごめんね。店番変わるから休んで……って、先輩! 来てくれたんだ!」

 そう言って、店の奥から出てきたりせが鏡に気付くと嬉しそうな表情で鏡の側へとやってくる。
 りせの祖母は鏡達しか店内に居ないので、後の事をりせに任せて店の奥へと休みに行く。
 鏡に対して親しげな様子を見せるりせに、陽介達は呆気に取られた様子を見せる。

「姉御、りせちーと知り合いなのか?」

「少し前にね。話して無くてごめんね」

 唖然とする陽介に鏡は謝ると、りせに今日は災難だったねと話し掛ける。
 その言葉に、りせは自分の事より祖母や商店街に迷惑を掛けた事の方が申し訳ないと、気落ちした様子で話す。
 実際の所は個人情報を暴露したマスコミが悪いのだが、それでもりせにとっては気になるのだろう。

「仲良くしてるところ悪いけどさ、"真夜中に映るテレビ"の事って知ってる? 深夜番組とかじゃなくて……」

「……昨日の夜のやつ? "マヨナカテレビ"だっけ」

 鏡達のやりとりに割り込んだ陽介の言葉にりせが答える。
 りせの言葉からすると自身も実際に昨日のテレビを見ていたようで、その事実に陽介は驚く。
 知り合いから噂を聞いた事があったらしく、たまたま噂を試してみたそうだ。

「でも、昨日映ってたの、私じゃないから。あの髪型で水着撮った事ない。それに、胸が」

 その言葉に怪訝そうな表情を見せる陽介へ、りせはテレビに映っていた人物ほど胸がないと表情をひそめて話す。

「あー、言われてみれば……」

「……陽介、それはちょっと酷いんじゃない?」

 呆れたように指摘する鏡の言葉に、陽介が慌ててりせに謝る。
 りせは鏡達にマヨナカテレビに映っているのは何なのかを訊ねる。

「詳しくは私達も解らないけれど、テレビで報道された後であのテレビに映ると、誘拐される可能性があるの」

「嘘、じゃないよね。先輩は嘘をつくような人じゃないから……私の事を心配してくれたんだ?」

 鏡に心配された事が嬉しかったのか、そう言ってりせは表情を綻ばせる。
 そんなりせに鏡は、警察の方でもその可能性を考えているかも知れないからと話す。
 その上で、今日交通整理に来ていた堂島と言う刑事が自身の叔父で、りせに対して後で警告しに来るかも知れないと話す。

「叔父さんに、先輩達の事を知られたら困るの?」

 鏡の説明に鏡達が独自で調べている事を察したりせが鏡に訊ねる。

「本当は、叔父さん達に任せるのが一番なのだけどね。友達が巻き込まれたから、少しでも自分達に出来る事をやりたいの」

「解った、先輩達の事は話さないでおくね」

 りせに対して警戒するように伝えることが出来た鏡は、今晩のおかずにと生湯葉と絹ごし豆腐と油揚げを買っていく。
 鏡の購入した内容に興味を引かれたりせが、献立は何にするのかを訊ねてくる。
 今日の献立は、生ハムと青シソの生湯葉巻きと冷ややっこに味噌汁の予定だと答える。
 薬味は菜々子が食べられるか次第でワサビか梅肉にするつもりだ。
 それを聞いたりせも、機会があったら同じメニューを作ってみようかなと思案顔だ。

「それじゃ先輩、また来てくださいね」

 そう言って名残惜しそうなりせに別れを告げて丸久豆腐店を後にする。
 その際に警告してくれたお礼だと、陽介と完二にも豆腐を一丁ずつ持たせてくれた。

「にしても、姉御がりせと知り合いだったとはね……」

 巽屋の近くまで移動した所で陽介がそう零す。
 そんな陽介に鏡はりせとの出会いの経緯と、りせが騒がしくされるのを好まないと思ったので話さなかった事を謝罪する。

「先輩の言う通りッスね。こんな風に騒がしくされたんじゃ、確かに良い気はしねえな」

「それよりも、当人に出会う前はりせの事を全く知らなかった姉御に驚きだよ」

 鏡の説明に納得する完二とは対照的に、鏡が知り合うまでアイドル"久慈川りせ"を知らなかった事に驚いている。

「ま、それは置いておいて。今晩も雨のようだから、テレビのチェックを忘れないようにな」

 陽介の言葉に鏡達が頷く。
 鏡と陽介は完二に別れを告げ、それぞれ帰宅する。
 帰宅した鏡は、菜々子にワサビと梅肉を食べる事が出来るかを確認して、菜々子の分は梅肉を薬味にする事にする。
 菜々子は初めて見た生湯葉に興味深そうな視線を向けていたが、出来上がった生ハム巻きを見て手巻き寿司のようだと話す。


 鏡が帰宅して菜々子と晩ご飯を作っていた時と同じ頃。
 遼太郎が足立を伴って再び、丸久豆腐店に訪れていた。

「……ひとまず騒ぎは収まったみたいなんで、自分ら、取り敢えずこれで。今後も騒がしいようなら、署まで連絡下さい」

 豆腐を購入した足立がりせにそう話す。
 その言葉に頷くりせに、遼太郎が断りを入れて幾つか質問を行う。
 山野真由美の事件の他に、報道されてはいないが奇妙な事件が続いているため、身の回りに不審者を見なかったか?
 この質問に対して、普段からマスコミ達に騒がれているりせはいつも通りだと答える。
 その答えに遼太郎は、りせの立場だと聞くだけ無駄な質問だったと考える。


 引き続き、休業した理由や学校はどこに通うのかを訊ねると、不機嫌そうな様子を見せたがそれぞれの質問にりせは答える。
 休業の理由は疲れたからで、学校は近いから八十神高校の予定だと。

「脅かすつもりは無いんだが……貴女には、これまでの被害者と幾つか共通点がある。だから、その……」

 言い辛そうにする遼太郎にりせは、自分が狙われる可能性があるのですねと訊ねる。
 その言葉に足立は驚いたような表情を見せるが、さっきの遼太郎の話しぶりからそう考えるの妥当だとりせは話す。
 遼太郎は落ち着いて受け答えをするりせに違和感を覚えたが、身辺には注意して何かあったら連絡をしてくれとりせに話す。

「最後に、これは私的な質問なんだが、うちの姪がここでよく豆腐を買っているんだが、知っているかな?」

 そう言って、遼太郎は鏡の身体的特徴を挙げてりせに訊ねる。
 その質問にりせは鏡とは面識があるが、知り合うまでは"久慈川りせ"を知らなかった事を話す。

「アイドルじゃない自分しか知らない先輩は、私にとっては貴重な存在です」

 最後にそう言って、りせはテレビで見せるような笑顔を遼太郎達に向ける。
 その表情に見とれる足立を連れ、遼太郎は丸久豆腐店を後にする。

「それにしても以外でしたね。鏡ちゃんがアイドル"久慈川りせ"を知らないなんて」

 店から少し離れたところで足立がそう話す。
 遼太郎も意外に思ったが、鏡はあまりテレビを見るような性格をしてない事に気付く。
 どちらかというと娘の菜々子が見たい番組を一緒に見るくらいで、自分で何かの番組を見ている姿を見た事がない。
 もっとも、仕事の関係で長く共にいる訳ではないのだが。

「何か引っ掛かるんだよな……」

 具体的にどこがとは言えないが、先ほどのりせとのやりとりに、遼太郎の刑事の勘が警鐘を鳴らす。

「彼女が落ち着いているからですか? マスコミ相手にしてるんだし、自分達にも冷静に対応出来ても不思議じゃないですよ」

「だと思うんだがなぁ……」

 気のせいだと話す足立に、遼太郎は釈然としないものを感じつつもそう答える。
 早紀から連続して一時行方不明になった事件が三件。
 学校関係者の捜査も思わしくなく、何も出てきてはいない。
 その状況に県警が介入してくる事を危惧する足立へ、遼太郎がそんな心配の暇があるなら捜査を続けろと釘を刺す。



 遼太郎が帰宅したのは、定時上がりよりも少し遅くなった時間だが、三人で一緒に晩ご飯を食べることが出来た。

「……鏡。お前、久慈川りせと話していて、何か気になる事は無かったか?」

 食事中、遼太郎がそんな質問を鏡に向けてくる。
 その質問にりせと知り合って日が浅いので、よく解らないが疲れている様子が気にはなったと答える。
 逆に鏡から気になる事でもあったのかを訊ねられた遼太郎は、今日の商店街での様子で心配に思ったからと言葉を濁す。

「お父さん達、りせちゃんに会ったの!?」

 二人のやりとりに、菜々子が驚いて訊ねてくる。

「今度、一緒にりせちゃんに会いに行こうね」

「うんっ! 絶対だよ!!」

 そんな菜々子に鏡がそう約束すると、凄く嬉しそうな様子で菜々子が鏡に念を押す。


――その日の深夜

 またしてもマヨナカテレビに人影が映る。
 以前と同じく水着姿で胸や腰が強調された内容だが、今回は表情が鮮明に映っていた。
 その人物はやはり"りせ"だが、本人からは否定されている。
 そうなると、今映っているりせは抑圧されたもう一人のりせの可能性があるが、当人はまだこちら側に居るはずだ。
 画面が消えると同時に、陽介から携帯電話に連絡が入る。

「映ってたの、"久慈川りせ"で当たりだったな! けど、これまでと同じく当人じゃ無いようだな。本人が否定してたし」

 陽介の言葉に鏡は同意するも、ハッキリとテレビに映ってしまった事に対する対策を明日、皆で話し合う事にする。
 今日の遼太郎達の様子で、警察の方でも動いている可能性があるから注意が必要だと念を押す。

「そうだな、俺達が疑われて動きが取れなくなったらマズイからな。それじゃ姉御、また明日な!」

 そう言って、陽介は電話を切り、鏡も明日に備えて早めに休む事にする。
 今度こそ犯人を見つけ出すのだと決意して。




2011年05月25日 初投稿
2011年05月26日 本文修正



[26454] 特出し劇場丸久座
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/06/11 01:37
――――その人の話を聞かされた時、どんな人なのか興味が沸いた

        知り合ったその人は、作られた私を知らないという

             私にとってヒーローみたいな人

       本当の意味で、ヒーローだったとは思わなかったけれど




 再びりせがマヨナカテレビに映った翌日の放課後。
 鏡達はジュネスのフードコートに集まって先日の事を話し合う。

「昨日のマヨナカテレビだけど、久慈川りせで間違いないな。なんつっても顔映ったし」

 そう話す陽介が、丸久豆腐店を朝方チラっと覗いたら店にりせがいた事を付け加える。
 その事から、マヨナカテレビでバラエティ番組のような映像が映るのは、本人が向こう側へ入った後と見て間違いは無さそうだ。
 以前、被害者自身がバラエティを生み出しているかも知れないと話しあった事があるが、それに対して千枝が疑問を挙げる。
 マヨナカテレビ自体に被害者が映るのは、向こう側に入る前からだ。

「事前に必ず映るって考えると、まるで“予告”みたいだよな……」

 陽介の言葉に千枝が、犯行予告だとして誰に対して、何の為に行っているのかを訊ねる。
 その質問に犯人に訊けと、自身も考えが纏まっていない陽介が答える。

「結果的に、予告に見えている……っていう可能性はない?」

 二人の話を聞いていた雪子がそう呟く。
 どういう事かと訊ねる千枝に、雪子は被害者の心の中が映るなら、犯人の心の中も映るのかも知れないと思ったそうだ。

「誰かを狙ってる心の内が、見えちゃうのかなって」

 雪子のその言葉に、鏡は何か引っ掛かるものを感じる。
 マヨナカテレビに映るのは、被害者自身の抑圧された自我であるのは間違いない。
 それはつまり“心の中”の思いを映し出されているという事に他ならない。

「心の内が映るのなら、別に犯人でない可能性だってあるよね」

「おい、姉御。そりゃ、どういう事だ?」

 鏡の呟きに陽介が驚いた表情を向けて訊ねてくる。

「陽介、りせちゃんに会った時の事を覚えている?」

 鏡の質問に陽介が怪訝な表情を見せつつも頷く。
 確か、あの時のりせはマヨナカテレビに映っているのは自分ではないと話していた。
 あの髪型で水着を撮った事はなく、その上……

「あっ!?」

 鏡の言いたい事を理解した陽介が驚きの声を上げる。
 千枝と雪子がその声に何事かと訊ねる。

「確か、あの時りせはテレビに映っている自分ほど“胸がない”って言ってたよな!」

 その言葉に千枝が『大きな声でそんな事を言うな!』と陽介を叱る。
 そんな二人を宥めてから、鏡は感じていた引っかかりについて皆に話す。
 自身の抑圧された自我がマヨナカテレビに映るとして、りせが昨日のように自身の胸や腰を強調したがるとは思えない。
 そうなると、失踪前にテレビに映っている姿は本人でなく、別の誰かの思惑か心の内という事になる。

「そうか、犯人の狙いは報道された人間なんだから、犯行予告をする必要は全く無いって訳か」

「それどころか、報道された人間でなく“マヨナカテレビに映った人物”を狙っている可能性が出てきたよ」

「えっ? 報道されたからマヨナカテレビに映るんでしょ? だったら、報道された人間を狙っているんじゃないの?」

 陽介と鏡の会話に、不思議そうな表情で千枝が訊ねてくる。
 確かに報道された人間がマヨナカテレビに映るので、千枝の言い分は正しい。
 しかし、報道番組を犯人が必ず見ている訳ではないのだ。
 それと比べ、マヨナカテレビは雨の日の午前零時には、必ず見る事が出来る。


 鏡の説明に、陽介達が意外な盲点だった事に気付く。
 確かに、報道番組は必ず誰かが報道される訳ではないが、マヨナカテレビは条件が合えば何度でも見る事が出来る。
 手間を考えるなら、報道番組を全て確認するよりもそちらの方が確実だ。

「けど、そうなるとマヨナカテレビってのがますます解らなくなってきたな……」

 疑問が一つ解けたところで新たな疑問が浮上する。
 結局の所、マヨナカテレビがどういった理由で映るのかが解らない限り、本質的な解決には繋がらないのかも知れない。

「てゆーか、完二君、ついて来てる? さっきから、ひとっ言も喋ってないけど?」

 鏡達が話す中、静かだった感じに千枝が声を掛ける。
 どうやら完二にはこの手の話は苦手らしく、半分眠っていたようだ。
 そんな完二に呆れながらも、千枝は向こう側の世界はいったい何だろうと疑問を述べる。
 クマの説明からしても“たぶん”が多く、要領を得ない。

「そもそも犯人は、なんで人をテレビに入れるのかな?」

 雪子が素朴な疑問を述べる。
 その疑問に対して陽介は、殺害目的で行っているのは間違いないと話す。
 手口がテレビなのは、警察で立証が出来ないからではないか?

「取り敢えず、動機は犯人を捕まえてから直接聞けば良いとして、今ハッキリしているのは、りせが危ないって事だ」

 陽介の言葉に千枝がまた張り込みをするのかと、驚きながら訊ねる。
 そんな千枝に、今度こそ犯人に先回りしようと陽介は意気込むが鏡が釘を刺す。

「陽介、警察の方でもりせちゃんの周辺を警戒しているから、軽率な行動は控えてね」

 以前、ジュネスで補導されそうになった経験があるだけに、鏡の言葉に陽介が頷く。
 犯人を捕まえるために行動する自分達が目立って、警察に目を付けられると問題だ。
 自分達の行動が、結果として犯行を手助けするような形になるのだけは避けたい。
 ここは下手に張り込みをするよりも、鏡が顔見知りなのを利用して、直接りせに会いに行った方が良いかも知れない。
 まずは丸久豆腐店へと向かう事にする。




 鏡達が丸久豆腐店に到着すると、店の前に足立が居るのを見付けた。

「足立さん、お疲れ様です。今日も交通整理ですか?」

「あ、鏡ちゃんか。今日は堂島さんの指示で聞き込み捜査さ。交通整理は昨日だけで十分だよ」

 昨日の事を思い出したのか、足立は少しばかり虚ろな表情で話す。

「って、そう言う鏡ちゃんは友達と連れだって買い物?」

「いえ、昨日の今日ですから、りせちゃんの様子を見に来たんです」

 そう答える鏡に足立が訝しげな視線を向ける。
 その視線に鏡はりせとは友達なので、昨日のような事になっていないか心配して来たと説明する。

「そうなんだ、僕もあれから変わりがないか確認したいから、一緒に行ってもいいかな?」

 鏡の説明に納得した足立が同行を求めてくる。
 特に断る理由もないし、現職の刑事が一緒なら何かあった時に都合が良いので快く了承する。

「先日はどうも、稲羽署の足立です。その後、特に変わった事はありませんか?」

 訪れた鏡達を出迎えたりせに、足立がその後の様子についてを訊ねる。
 りせの話によると、先日の交通整理の効果か、あの後で違法駐車をする者もいなくなったそうだ。
 鏡もひとまず安心したが、表で待っていた千枝が慌てた様子で店内に駆け込んできた事で、状況が一変する。


 電信柱へとよじ登る不審者を発見したという千枝の言葉に、鏡達は急ぎ表へと出る。
 そこには千枝の言うとおり、背にリュックを背負い双眼鏡を首から掛けた不審者がいた。
 不審者は電信柱から急ぎ降りると、鏡達に背を向けて一目散に逃げ出す。

「待ちやがれッ!」

「待って! 他にも居るかも知れないから、完二君はこのまま店内に残ってりせちゃんを守って!」

 急ぎ追いかけようとする完二に、鏡がそう言ってりせを残して全員で追いかけないようにする。
 単独でなく、複数で誘拐している可能性があるからだ。
 鏡の言葉に完二はりせを守るために店内へと移動する。


 陽介と足立を先頭に、鏡達が不審者を追いかける。
 不審者は車道まで逃げるも、車の行き来があり道路を渡ることが出来ない。
 そのため、足を止めたところで陽介と足立が不審者へと追いつく。

「く、来るな! と、飛び込むぞ! 僕が車に轢かれても、いーのか!?」

 追いつめられた不審者は冷静さを失ったまま、そんな事を口走る。

「だっ、駄目だよ! 被疑者が大怪我したら、警察の責任問われていっぱい怒られ……あ」

 現時点ではまだ“容疑者”である不審者に対して、足立が余計な一言を話す。
 その言葉に不審者は、自身が飛び込まれたくなければ、これ以上の追跡はするなと鏡達を脅しに掛かる。

「……車に撥ねられるのが、どれだけ痛いか知っているの?」

 呆れた様子で鏡が不審者に話し掛ける。
 その言葉に唖然とする不審者に、鏡は淡々と車に撥ねられた時の状況について説明をしていく。
 あまりにも具体的で痛々しい鏡の説明に、不審者の表情が青ざめていく。

「それでも、まだ車道に飛び込むと言うの?」

 冷ややかに見つめながら話し掛ける鏡の言葉に、不審者は背後の車道と鏡を交互に見比べる。

「大人しくしやがれッ、ゴラァ!!」

 その隙をついて不審者を取り押さえたのは、ガソリンスタンドから回り込んできた完二だった。
 取り押さえられた状態で自身の事を善良な一市民といい、鏡達に抗議する不審者。

「善良な一市民が、電信柱によじ登ったりはしないでしょ……」

 不審者の抗議に、呆れたように千枝が突っ込みを入れる。
 千枝の指摘に対して不審者は、りせの事が好きで部屋とかを見たいと思い、荷物は全部カメラだと白状する。
 どちらにしても犯罪行為には違いがないので、足立がこのまま不審者を署に連行すると話す。

「話は署で聞こうか……くー! この台詞、言ってみたかった!」

 足立の言葉に不審者は、日本には“盗撮罪”は無いので連行は無効だと開き直る。
 しかし、鏡がストーカー行為は“ストーカー規制法”に抵触すると不審者の言い分を切り捨てる。
 鏡の指摘に硬直する不審者に、足立が手錠を掛けようとする。

「足立さん、手錠はまだ駄目!」

 鏡が慌てて足立に待ったを掛ける。
 今の状況は、本来なら任意同行の段階なので、手錠を掛けるのは後々で問題が出る事になる。
 不審者は気付いていないようだが、足立は鏡の様子で気付いたらしい。
 取り出した手錠を仕舞うと鏡達にお礼を述べてから、不審者をそのまま署に連れて行く。

「おい、完二。何でりせの側に居るはずのお前がここに居るんだよ?」

 陽介の質問に、完二がりせに言われて来たのだという。
 りせは自分は店から出ないから、鏡達を手伝って欲しいと完二に言ったそうだ。
 自分の事で鏡が怪我をするのが嫌なのだと。
 完二もりせと同じで、男の自分が矢面に立つべきだと思っていたので、りせの言葉に素直に従う事にした。

「ま、犯人も捕まったようだし、これで終わったって事だよな」

「えと……もしかして、事件解決しちゃった? うわは、マジで!?」

 りせの心遣いもあって、完二の行動に対して文句は言えない。
 陽介と千枝の言葉の通り、これで一連の事件が終わったのなら、これ以上の心配をする必要も無いだろう。
 りせに、犯人が無事捕まった事を知らせに行こうという事になり、丸久豆腐店へと戻る。
 店に戻るとシズが店番をしており、りせの姿が見えない。

「いらっしゃい、鏡ちゃん。お豆腐かい?」

「こんにちは。シズおばあちゃん、りせちゃんは?」

 鏡の質問にシズは、りせは出掛けたみたいだと告げる。
 驚く鏡達に、りせはたまに黙って出て行く事があり、色々とあって疲れているようだから許してやって欲しいと話す。

「黙って……出てった? 完二、りせは店から出ないって言ったんだよな?」

 シズの言葉に唖然とした表情で、陽介が完二に確認を取る。
 完二は陽介の確認に「間違いない」とりせは店から出ないと約束した事を話す。
 雪子は心配そうな表情で付近を捜した方が良くないかと提案する。
 その言葉に、鏡達は手分けをして商店街へとりせを探しに行く。

「居ない、そっちは?」

 暫くして、丸久豆腐店の前に集合した鏡達はりせを見つけ出せたか確認を取り合う。
 近所の住人に聞いて回った雪子が言うには、誰もりせの姿を見ていないという。
 不審者を追いかけた僅かな時間で、姿を消したりせの安否が気に掛かる。

「くそっ! この時間じゃジュネスに戻ってクマに確認取る間がねえか」

 日が暮れてきたため、今からジュネスの家電売り場に行くと目立ってしまう。
 悔しがる陽介に完二が今夜は雨なので、りせの無事を信じてマヨナカテレビを確認するしかないと話す。
 りせの無事を願う鏡達の思いは、その日のマヨナカテレビで裏切られる事になる。

『マルキュン! りせチーズ! みなさーん、今晩は、久慈川りせです!』

 鮮明な画像でテレビに映っているのは、金色の水着を着て胸や腰を強調するもう一人のりせだ。
 テレビの中のもう一人のりせは、進級して“女子高生アイドル”にレベルアップした記念企画を行うという。
 その内容を聞いた鏡は、テレビの中のもう一人のりせの言葉に唖然とする。
 映像が消えると共に陽介から携帯電話に連絡が入る。

『姉御! み、み、見たよな、りせちー! す、すとりっぷとかって、マジか!?』

 聞こえてくる陽介の声は興奮しており、鏡は陽介に落ち着くように宥める。
 鏡の言葉に我に返った陽介は、結果的にりせの誘拐を防げなかった事を後悔する。
 そんな陽介に鏡は、今は向こう側の世界に出向いて、一刻も早くりせを救出するしかないと話す。

「そうだな。りせを救い出して、今回の失敗を謝らないとな。とにかく、明日な!』

 そう言って陽介は鏡との通話を終える。
 菜々子にも、りせと会わせる約束をしているのだ。
 その約束のためにも、りせを早く救出するために鏡も早めに休む事にする。




 翌日の放課後、向こう側の世界へとりせを探しにやって来た鏡達は、様子のおかしいクマの姿を見た。
 こちら側の世界に暫く来なかった事で、クマが独りでいる事に寂しさを覚えていたようだ。
 それに加え、完二救出の時から索敵能力が衰え始めた自分は、鏡達に必要とされない存在なのだと思い込んでいる。
 そんなクマを千枝と雪子が撫でて慰めると、クマはいつか“逆ナン”をしても良いか二人に訊ねる。
 千枝は快く了承するも、雪子は逆に“逆ナン”ネタは封印しないか訊ねる。

「それよか、確かめてー事あるんだよ! 今、こっちどーなってる?」

 そう言って、陽介がクマにりせが来ていないか訊ねるも、誰かが居るような気がするが場所は分からないと話す。
 完二の時のように、りせの人柄について分かる情報があれば、探し出せるかも知れないとクマは話す。
 鏡はりせとのやりとりを思い出してみる。
 初めて出会った時の、“アイドル”であるりせを知らないという鏡に対する好意的な態度。
 誰も“作られた”自分しか見ておらず、本当の自分には気付いてくれない話していた姿。

「なるほど……クマと同じね。繊細でセンチメンタルなタイプね」

 鏡から聞いたりせの人物像に、自分と同じように“本当の自分”を捜している事を知ったクマが意識を集中する。
 少しして、クマはりせの居場所を見つけ出すことに成功したようだ。
 クマの案内で、鏡達はりせのいる場所へと移動する。


 その場所は最初暗くて周りがよく見えなかったのだが、明かりがつくと劇場である事が判明した。
 陽介が興奮した様子で温泉街につきものの施設かと話すと、雪子がそれに同意する。
 その直後、雪子は慌てて天城屋旅館にはその施設は無いと否定する。

「姐さん、今回は俺を連れて行ってくれ!」

 りせの救出メンバーを選ぶ時に、そう言って完二が鏡に立候補する。
 先日、鏡に言われた通りにりせの側に居れば、りせの誘拐を防げたかも知れないと悔いているのだろう。
 そんな完二の思いを汲んで、陽介が自分の代わりに完二をメンバーに加えるように鏡へ話す。
 鏡も完二の気持ちを理解しているので、探索メンバーに完二を加えると探索へと乗り出す。


 この場所に現れるシャドウは電撃属性に弱点を持つモノが多く、逆に疾風属性に対して耐性を持つモノが多い。
 完二のペルソナ“タケミカヅチ”と新たに生み出した鏡のペルソナ“クイーンメイプ”を主軸に探索を続けていく。

『ファンのみんな~! 来てくれて、ありがとう~ぉ!』

 ようやく見付けたもう一人のりせが、マイクを手に鏡達に話し掛けてくる。
 これまでの時と同じように、もう一人のりせの頭上にテロップが現れる。


      マルキュン真夏の夢特番!
     丸ごと一本、
           りせちー特出し
                    SP!


「お、オレも、あんな風だったんか……?」

 初めて見る、自分以外のもう一人の自分による光景に完二は絶句する。

「うあ、ざわざわ声、今回スゴい……なんか気持ち悪くなってきた……」

 これまで以上にない歓声に千枝が表情を曇らせる。
 陽介はこの光景を誰かが見ているのだとしたら、早く何とかしなければならないと危機感を募らせる。

『じゃあ、ファンのみんな! チャンネルはそのまま! ホントの私……よ~く見て! マルキュン!』

 そう言って、もう一人のりせは奥へと向かい走り去ってしまう。
 鏡達は急いでもう一人のりせの後を追いかける。




 鏡達がもう一人のりせと遭遇していた頃。
 見知らぬ場所で気が付いたりせは途方に暮れていた。
 自分は確か祖母の豆腐屋にいて、不審者を追いかけていった鏡達を待っていたはずだ。
 それなのに何故、このような見知らぬ場所で目を覚ます事になったのか?
 気を失う前の事をりせは思い出してみようとする。


 鏡の事が心配で、完二と呼ばれていた少年を送り出してから、店から出ないように鏡達の帰りを待っていた所までは思い出せる。
 しかし、その後の事を思い出そうとすると、頭の中に霧がかかったかのように記憶が朧気でハッキリとしない。
 ひょっとすると、鏡が危惧していたように共犯者が居て、自分は誘拐されたのではないか?
 そう考えた方が筋は通っているように思う、

(じゃ、私は先輩の気遣いを無駄にしたって事!?)

 自分が誘拐されないように鏡達は行動していたというのに、狙われている当人がそれを台無しにした事に、りせの心が痛む。
 せっかく、アイドルでない自分を見てくれる人と知り合えたのに。
 ただのりせとして心配までしてくれたのに……

「ここから、帰らなきゃ……」

 今頃、鏡達は自分の事を心配しているだろう。
 ひょっとすると、居なくなった自分を捜しているかも知れない。
 りせは、霧が深く視界が悪い場所に独りでいる心細さを心の隅へと追いやると、ここから抜け出す事を考える。
 入れられたという事は、出る方法が必ずあるはずだ。
 りせは心の中で『私は大丈夫』と、仕事の時と同じように気持ちを切り替える。
 今の自分は、昔のいじめられていた頃とは違うのだ。
 気持ちを奮い起こして、りせは出口を求めて移動を開始する。
 無事な姿を、一刻も早く鏡に見せるために。




 もう一人のりせを追いかけて探索を続ける鏡達は、五階に到達した辺りから苦戦を強いられるようになっていた。
 これまでのシャドウとは違い、攻撃属性を反射してくるタイプが増えてきたのだ。
 そのため、初見の相手には威力の弱い攻撃で様子を見てから戦うようになり、行動に無駄が増えてくる。
 メンバーの中で一番消耗しているのは鏡だ。
 ワイルドという複数のペルソナを使い分ける事が出来る鏡は、他のメンバーよりもペルソナを使う回数が多い。
 そのため、他の誰よりも精神的な疲労が多く、リーダーとして判断を下す責任がそれに拍車を掛ける。

『センセイ、無茶は駄目クマ! 危ないと思ったら、引き返す事も大事クマ!』

 心配するクマに鏡は大丈夫だと答える。
 疲労は確かにあるが、行動に支障が出るほどではない。
 それよりも、もう一人の妹のように思えるりせの安否が気にかかる。
 そんな風に思える自分に鏡は、古城で独断専行を行った千枝の事は言えないなと心の中で苦笑する。

『うれしい! ホントに来てくれたんだ! でも、やっぱりちょっと恥ずかしいからぁ……電気、消すね!』

 七階に到達すると、もう一人のりせの声が聞こえてくる。
 その言葉通り、周りが暗くなり、少し先までしか見えなくなってしまう。

『これはキケン! センセイ、慎重に進むクマ!』

 クマの忠告通り、鏡達はシャドウから先制されないように慎重に進んでいく。
 これまでとは違い、見通しの悪い状況では無闇に先へ進むのは危険だ。
 反射や吸収といった特性を持ったシャドウ達がいる中で、初見の相手から先制される事が、今の時点では最も危険だ。
 鏡達は周囲を警戒すると、慎重に先へと進んでいく。

『この先に進むには、封印を解く鍵を捜さなくては駄目クマ』

 階段から続く通路の先に、何かの力で封印されている場所を鏡達は発見した。
 クマの言葉に従い、封印を解除するための鍵を求めて、七階をくまなく調べる事にする。

『キャハハハハハ!! 見て! ほら、あたしを見て!』

 七階の奥にある部屋の中に、巨大な白蛇を従えたもう一人のりせが待ち構えていた。
 巨大な白蛇は、もう一人のりせの声に合わせて鏡達に襲い掛かる。
 先手は大型シャドウで【淀んだ空気】で状態異常の定着率を上げてくる。
 鏡はフォルネウスを召喚すると補助系スキル【ラクンダ】で大型シャドウの防御力を低下させる。
 続いて千枝と完二が、それぞれのペルソナの物理攻撃スキルで攻撃を加え、雪子のコノハナサクヤが【アギラオ】を放つ。

「今がチャンスよ! 準備はいい?」

 ダウンした大型シャドウの隙を見逃さず、雪子の号令の元、鏡達は総攻撃を仕掛ける。
 火炎属性が弱点だと判明したため、鏡もペルソナをカハクに変更すると、雪子と同じく【アギラオ】で再び総攻撃を仕掛ける。
 大型シャドウの攻撃で状態異常になるも、千枝と完二がそれぞれアイテムを用いて回復させていく。
 鏡と雪子は攻撃の要となって、ひたすら【アギラオ】で総攻撃の機会を作る。
 幾度目かの総攻撃で、ようやく大型シャドウは力尽き消滅する。

『おぉ! 明るくなった! やったね、センセイ! これで安心して先に進めるクマ!』

 クマの言う通り、周囲の明るさが戻り行動しやすくなる。
 部屋を調べてみると、部屋の一番奥に宝箱が置かれているのを発見した。
 中には味方全体の体力と精神力を回復する事が出来る【ソーマ】が一つ入っていた。
 鏡はソーマを回収すると、封印されていた場所まで引き返す。


 どうやら巨大な白蛇のシャドウが鍵だったらしく、封印されてた場所は先へと進む事が出来るようになっていた。
 仕切りのカーテンを開けて進むと、そこは階段がある小部屋で特に目を引くようなものは無い。
 それでも鏡達は、シャドウから襲われないように周囲を警戒しながら先へと進む。




 進んでいる道が正しいのか分からない中、りせは心細さを我慢して先へと進み続ける。
 その間、りせが思い出すのはアイドルになる前の自分の事と、稲羽に来てからの事だった。
 今の自分とは違い、昔のりせはどちらかといえば地味な性格をしていた。
 容姿が整っていた事もあり、周りの男子生徒から好奇な視線を向けられるのは日常的な事だった。
 その事を同性の同級生達は調子に乗っていると云い、謂われのないイジメに遭うという悪循環にりせの心は傷ついていた。


 そんなりせにとって転機となったのは、家族が勝手に出したオーディションの申し込み書だった。
 家族な勝手な行動に憤りを感じはしたが、今の自分を変える切っ掛けになればいいと受けてみたオーディション。
 見事、そのオーディションで優勝したりせはアイドルとしてデビューする事となる。


 アイドルになったりせの環境は一変した。
 それまで自分をいじめていたクラスメイト達は、手の平を返したように自分に好意的になり、いじめられる事は無くなった。
 見知らぬ他の人達も、親しげに自分に声を掛けてくれるようになった。
 その代わり、誰も本当の自分では無く売るためにキャラ付けされた“りせちー”しか見ていない事に気付かされた。
 そんな作られた“りせちー”も、誰かの救いにはなっていた。


 定期的にファンレターをくれる女の子。
 会った事もないその子のファンレターは、“りせちー”でいる事に疲れを感じるりせにとって救いだった。
 昔の自分と同じように、いじめられていると書いてあったファンレター。
 その子は“りせちー”が頑張っている姿を見て、自分も頑張れると心の内を打ち明けてくれた。
 アイドルを休業したりせは、その子の事が気になった。

――彼女の思いを裏切るような形でアイドルを休業した自分

 あの子は今頃、どう思っているのだろう?
 幻滅させたかも知れない。
 機会があればいつか、実際に会ってアイドルを休業した事を謝りたい。

 そして……

 アイドルとしての自分を知らないと言ってくれた彼女。
 光の加減で銀色にも見える綺麗な髪を持つ先輩。
 皆の中心に居るその人は、“りせちー”でない自分しか知らない貴重な存在だ。


 もしも彼女が同性でなかったら、自分は間違いなく好きになっていただろう。
 そんな風に思える、不思議な魅力を持った人物。
 自分にとって、頼りになる姉のような人。
 そんな彼女に心配を掛けた事も、ちゃんと謝りたい。
 その為にも自分は、ここから無事に帰らなければならない。
 記憶にある鏡の姿を支えに、りせは出口を目指して進んでいく。




 シャドウ達との戦闘を繰り返し、九階に到達した鏡達にりせの声が聞こえてくる。

『そうだなぁ……今の仕事は……ウン、とっても充実してるかな』

 インタビューに答えるように語るりせの声は明るい。

『小さい頃からずっと憧れていたから、今は毎日がとても楽しいよ!』

 その声を聞いたクマも、鏡達と一緒に居て今がとても充実していると話す。
 この階層になると、現れるシャドウの強さも更に厳しくなってくる。
 消耗が激しくなってきた鏡達は一旦、入り口まで戻る。
 鏡のペルソナ“ネコショウグン”の【メディラマ】で体力を回復させると、狐に料金を払い、消耗した精神力を回復してもらう。

「姐さん、雑魚共に構っていたんじゃ、身が持たねえぜ。ここは、一気に先へと進んだ方が良いんじゃねえか?」

 狐に回復して貰った鏡に、完二がそう提案する。
 完二の言う通り、ここのシャドウ達は一筋縄ではいかない強敵ばかりだ。
 無駄な戦闘は避けて先へと進む方が効率は良いように思える。

「シャドウ達をやり過ごすのは良いけれど、挟み打ちにされたんじゃ、もっと厳しくならない?」

 完二の提案に千枝が疑問を述べる。
 確かに、挟み打ちにされると連続して戦う事になり危険は跳ね上がる。
 そうならないためには、クマのナビゲーションの正確さが重要になってくる。
 不思議な事に、シャドウはある一定の距離は追いかけてくるが、それ以上の距離になると戻るという性質がある。
 その辺りも利用できれば、完二の言う通りにシャドウをやり過ごして先へと進めるかも知れない。

「クマ、これまで以上にナビゲーションの精度が求められるけど、お願いできる?」

「任せるクマ!」

 鏡の言葉にクマがやる気を見せる。
 方針が決まった鏡達はりせを見付けるために再び探索へと向かう。

『理想の男性は……うーん……やさしくて清潔感がある人かな?』

 クマの指示でシャドウ達をやり過ごした鏡達は十階へと到達する。
 十階に到達して聞こえてきたりせの声は、理想の男性像についての内容だった。
 容姿よりも中身が大切だと語るりせの声に、中身のないクマは何やら思うところがあるようだった。
 クマと一緒に行動している陽介は、そんなクマに集中を途切れさせないように注意する。
 自分達がここで上手く立ち回れるかは、クマの力に掛かっているのだと、クマの存在が重要なのだと付け足して。

『センセイ! 次の左右に分かれた通路の右にシャドウの反応クマ! 左にシャドウは居ないから、一気に駆け抜けるクマ!』

 陽介に自分の存在が重要だと言われたクマは更にやる気を見せて鏡達をナビゲートする。
 力は衰えてきているが、鏡達をサポートできるのは自分しか居ない。
 その思いがクマの意識を集中させる。

『その先を右に曲がった先の部屋が階段クマ! 背後からシャドウの反応! 急ぐクマ!』

 切羽詰まったクマの指示に従い、鏡達は移動する速度を上げて階段のある部屋へと駆け込む。
 階段を上った先はすぐに仕切りになっており、どうやらここが最上階のようだ。

『……多分、この先にリセって子が……ちょっと自信ないクマ』

 頼り無げなクマの言葉を信じて、鏡達は仕切りの向こう側へと移動する。

――鏡達が最上階に辿り着く少し前

 視界の悪い中、階段を上り先へと進んだりせが辿り着いた部屋はどこかの会場のような場所だった。
 部屋の中央には舞台があり、舞台中央にはポールが立っている。
 ポールの側に人らしき姿が見えるが、視界が悪く誰かは解らない。
 りせはその人物が自分をここへと連れ込んだ犯人かも知れないので、注意深く近寄っていく。

『いらしゃい、遅かったわね? もう一人の“アタシ”』

「……ッ!?」

 そう言ってりせに話し掛けてきたのは、マヨナカテレビに映っていた水着を着た自分自身だった。
 信じられない光景に、りせの心がざわめく。

『せっかく、あの人が護衛を残してくれたのに、それを“ふい”にしちゃうなんてバカな女』

 嘲笑を浮かべたもう一人のりせが、そう言ってりせの行動を非難する。
 全く同じ事を考えていたりせは、もう一人の自分の言葉を否定できない。

『アイドルから逃げてきた場所で、“本当の自分”を見てくれる人だったのに、きっとあの人は幻滅しているだろうね』

 もう一人の自分の言葉が、りせの心に突き刺さる。
 それは、今のりせにとって考えたくはない事。
 やっと出会えた“本当の自分”を見てくれる人。
 ひょっとすると、この先もう出会えない貴重な存在。
 もう一人の自分の言葉に、りせの心は折られそうになる。

「りせちゃんっ!」

 不安と絶望が押し寄せる中でりせの耳に届いた声は、一番聞きたかった人の声だった。
 声のする方へ視線を向けると、そこには視界の悪い中でもハッキリと解る、綺麗な髪を持つ人の姿が見えた。

「……せ、んぱい?」

 その姿はまるで、漫画に出てくるヒーローのようだった。



2011年06月03日 初投稿
2011年06月11日 本文構成を修正



[26454] 覚醒する力と新たな目覚め
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2014/07/10 01:05
――――自分が何者なのか、今まで気にした事がなかった

         そこにある自分が自分だったから

    少女達との出会いで、自分が何者なのかを知りたくなった

     たとえ、それが見つからない答えだったとしても……




 その部屋の中央には舞台があり、さらに中心にポールが立っている。
 ポールの前には水着姿のりせが立っており、その傍らには本物のリセが膝をついて座り込んでいる。

「りせちゃんっ!」

「……せ、んぱい?」

 その声に振り返ったりせが、鏡の姿に驚いた表情を見せる。
 鏡達に気付いたもう一人のりせは甲高い笑い声を上げると、自身が今見られている事に喜びを表す。
 もう一人の自身の姿に、りせは止めるように懇願するも、もう一人のりせは鏡達に官能的な仕草を見せつける。

『ほら見なさい、もっと見なさいよ! ゲーノージンのりせなんかじゃない! ここにいる、このあたしを見るのよ!』

 もう一人のりせは語る。
 望んでないキャラ作りをして、心にもない笑顔を浮かべる事への不満。
 作られた”りせちー”などという存在は、この世には存在しない事。

『あたしは、あたしよぉぉぉ! ほらぁ、あたしを見なさいよぉぉぉ!』

「わ、たし……そんなこと……」

 もう一人の自身の言葉に、りせは弱々しくかぶりを振って否定する。

『さーて、お待ちかね。今から脱ぐわよぉぉ! 丸裸のあたしを、焼きつけなァ!』

 その言葉にりせは耳を塞いで、もう一人の自分を否定する。
 千枝が制止するよりも早く、否定されたもう一人のりせは歓喜の声を上げる。

『これで! あたしわぁ、あたしィィッ!!』

 もう一人のりせを覆うように現れた黒い霧が晴れると、極彩色に彩られた裸身の異形が現れる。
 顔の部分はアンテナのようになっており、ポールに足を絡めて逆さ吊りのような姿勢でゆらゆらと蠢いている。

『さあ、お待ちかね、モロ見せタ~イム。フフフ……特等席のお客さんには……メチャキッツーいのを特別サービスよッ!』

「オレが姐さんの指示に従っていれば、こんな事にはならなかったんだ。ここはオレが、絶対に食い止めてやる!」

 そう言って完二は鉄板を持つ手に力を込める。
 防げたはずのりせの誘拐を台無しにしたケジメを付けるために、完二は自身に気合いを入れる。
 鏡達はそれぞれ異形を取り囲むように位置取りをすると、鏡が【ラクンダ】で異形の防御力を低下させる。
 続いて千枝が【タルカジャ】を完二に使い、攻撃力を底上げする。

「来い! タケミカヅチ!」

 タケミカヅチが放つ【電撃ブースタ】で威力が上がった【ジオンガ】は、【タルカジャ】の効果で更に威力が上がっている。
 空気中に放電現象を起こしながら、異形へと降り注ぐ落雷。
 異形はその攻撃をまともに受けたにもかかわらず、怯む様子が無い。
 千枝と完二を攻撃の軸に鏡が補助を、雪子が回復に専念する。

『なによ……こんだけぶたれて、まだ不満なワケ? ゼータクなお客……じゃ……いっそ死になさい!!』

 倒れない鏡達に業を煮やした異形はそう言うと、鏡達の周囲に正方形の光る枠を出現させる。
 枠が現れたのは僅かな時間だったが、クマが慌てた様子で先ほどの光る枠は情報解析型の攻撃だと鏡達に警告する。
 クマの警告通り、鏡達の攻撃は全て見切られ異形に当たる気配が無い。
 鏡はペルソナを“ティターニア”から“インキュバス”に切り替えると【アギラオ】で異形へと攻撃を仕掛ける。

『……ッ!? 解析結果と違う攻撃!?』

 鏡の変貌に異形は驚くが、それも僅かの事で再び鏡を解析する。
 解析終了と共に放たれた異形からの攻撃は、後方で支援していたクマ以外の全員を吹き飛ばす。

「こんな所で……倒れてる場合じゃ……」

 あまりの衝撃に完二は立ち上がろうとするが、体が思うように動かない。
 千枝と雪子は、互いに地に伏せないように支え合うのが精一杯で、次の攻撃を受け止められそうにない。

「嘘だろ……こんな……」

 直撃を受けた陽介は、大の字になって地に倒れて指先にかすかな力を込める事すら出来ない。
 ただ一人、攻撃を受ける瞬間にペルソナを付け替えた鏡だけが、手にした剣を杖の代わりにして立ち上がろうとする。

『何で、あの女のためにそこまでするの? アイドルの“りせちー”だからって、そこまでする理由なんて無いじゃない!』

「……だから」

 今にも力尽きそうになる体に歯を食いしばり、鏡は小さく呟く。

「……アイドルだからとか、関係ない。友達だから……りせちゃんを助けるの、絶対に!」

 鏡の目はまだ諦めておらず、異形を射抜くように見つめる。

『なによ……アンタの目、気に入らない……そんなにあの女が大切なら、一緒に死ねば良いじゃない!』

「ダメクマ!! し、死ぬとか絶対ダメクマよ!!」

 異形が再び攻撃を仕掛けようとしたその瞬間、クマが鏡達の前に飛び出して皆を守るように両手を広げる。
 この世界で初めて出会った、自分と向き合ってくれる存在。
 シャドウ達とは違い、意思疎通が出来る相手。
 頻繁にこちらの世界へ訪れてはくれないが、それでも自分の事を仲間だと言ってくれた。
 りせを救うために自分の力が必要だと、力が衰えた自分を励ましてくれた。
 そんな鏡達が、自分を残して居なくなる?

「クマはもう独りぼっちになるのは嫌クマよ! センセイ達はクマが絶対に守るクマ!」

 そう叫ぶクマの体から、金色の渦が巻き起こる。
 口うるさいが周りの事を気に掛け、自分も励ましてくれたヨースケ。
 互いの事を大切に思い合っているチエちゃん、ユキちゃん。
 怖いところがあるけれど、義理堅く真っ直ぐなカンジ。
 そんな皆の中心に居て、何者か解らない自分に対しても、変わらぬ態度で接してくれるセンセイ。
 
『……!? 何この反応、凄い高エネルギー……これ、あのヘンなヤツ!? 突っ込んで来る気!?』

 驚く異形に向けて、クマが特攻を仕掛ける。
 轟音と共に、眩いばかりの閃光が辺りを包む。
 閃光が消えて鏡達の視力が回復すると、紙のようにペラペラになり煤けたクマの姿が目に映った。

「クマ!! バカが……無茶しやがって……」

 倒れるクマに駆け寄った完二がクマにそう話し掛ける。

「クマ……みんなの役に立てたクマか……?」

 クマの言葉に陽介が自分達の命の恩人だとクマに答える。
 その答えを聞いたクマは、独りぼっちは嫌だからと話して立ち上がると、今の自身の状況に愕然となる。
 自慢の毛並みは見るも無惨に煤けて輝きを失い、体も紙のように平らになっている。
 あまりの状況に嘆くクマの姿に、陽介は取り敢えず死ぬような事はないと結論づけると、鏡達と共にりせの安否を確認しに行く。

「りせちゃん!」

「……先輩? ごめん……なさい……私のせいで……」

 倒れるりせを助け起こした鏡に、りせが小さく謝る。
 鏡は謝るりせに無理はしなくて良いと声を掛けると、りせはそんな言葉を掛けられたのはいつ以来だろうと呟く。
 アイドルになって、周りに気を配り多忙なスケジュールをこなしていた日々。
 その間、誰も自分にそんな言葉なんて掛けてくれなかった。
 りせは鏡から離れると、もう一人の自分に歩み寄り、手を取って立ち上がらせる。

「ごめん……今まで、辛かったね」

 そう言って、りせはもう一人の自分に語りかける。
 自分の一部なのに今まで否定してきた事。
 どの顔が“本当の自分”かを捜していたのでは“本当の自分”なんて、どこにも無い事を。

「本当の自分なんて……無い……?」

 りせの言葉に、クマが呆然とした様子で呟く。

「あなたも……私も……テレビの中の“りせちー”だって……私から生まれた、全部……“私”」

 その言葉に頷いたもう一人のりせは青く輝く粒子になると、その姿を白いドレスを纏った異形へと変じさせる。
 ペルソナ“ヒミコ”は再び青く輝く粒子になると、カードの姿に変わり、りせの身体へと吸い込まれるように消えていく。
 粒子が消えると同時に、りせは崩れ落ちるように倒れ込む。
 鏡はとっさにりせを支えると、大丈夫か訊ねる。

「うん、ちょっと疲れただけ。大丈夫だよ、先輩。助けに来てくれて、ありがとう……」

 そう言って、りせは鏡にはにかんだ笑みを向ける。
 りせに肩を貸し、早く元の世界へと連れて帰ろうと振り返った鏡達の視界に、呆然とした様子のクマの姿が映る。

「本当の自分なんて……いない……?」

 様子のおかしいクマを心配して近付こうとする完二を、りせが制止する。

『本当? 自分? ククク……実に愚かだ……』

 そんな低い声が聞こえると共に、クマの背後に異様な雰囲気を纏ったもう一人のクマの姿が現れる。

『真実など、得る事は不可能だ……真実は常に、霧に隠されている』

 そう言って、もう一人のクマは真実を求める事の無意味さを語る。
 何を言っているのか解らないと抗議するクマに、もう一人のクマは残酷な真実を告げる。

『失われた記憶など、お前には初めから無い。何かを忘れているとすれば、それは“その事”自体に過ぎない』

 その言葉に、クマはそんな事は嘘だと弱々しく抗議する。

『なら、言ってやろうか。お前の正体は、どうせただの……』

「やめろって言ってるクマー!!」

 もう一人のクマを黙らせようとクマは体当たりを仕掛けるが、逆に弾き飛ばされ地面に倒れてしまう。
 
『お前達も同じだ……真実など捜すから、辛い目に遭う……』

 もう一人のクマは鏡達に視線を向けると、深い霧に包まれたこの世界でどうやって真実を捜し出すのかと、嘲るように訊ねる。
 その質問に鏡は、捜さなければ見つけ出す事など到底出来ないと答える。

『では、一つ真実を教えてやろう……お前達はココで死ぬ。知ろうとしたが故に、何も知り得ぬままな……』

 そう言ったもう一人のクマから黒い霧が沸き起こる。
 その様子に陽介はクマのサポートなしでどうやって戦えば良いのかと表情を歪ませる。

「……大丈夫、構えて。私は多分、倒れてるその子の代わりが出来るから……!」

 そう宣言するりせの言葉に鏡達は驚く。
 今ならハッキリと解る。
 自分の得た力と、その使い方を。

「今度は、私が先輩達を助けてあげる!」

 そう言ったりせの背後に“ヒミコ”が現れ、手にしたバイザーをりせに被せる。
 助けてくれた皆を、今度は自分が守るのだと決意を表すかのように。

『我は影……真なる我……お前達の好きな“真実”を与えよう……ここで死ぬという、逃れ得ぬ定めをな!』

 黒い霧が晴れると、そこには顔の左半分が欠けた巨大なクマの姿があった。
 欠けた顔の向こうは漆黒の闇になっており、不気味に光る目だけが浮かんで見える。
 深い穴から這い出しそうな態勢で、穴の縁に掛かる手の指先は鋭利な刃物を思わせる爪だ。

「こんな不気味なのが……あのとぼけたクマ君の中に?」

 あまりにも違いすぎるクマの姿に、千枝が唖然とした表情でそう話す。
 見た目の様子と違い、クマはずっと自分という存在に悩んでいたのだろう。

『愚かしい隣人ども! さあ、末期は潔くするものだ!』

 そう話し掛けるクマの影に、先手は鏡が【ラクンダ】で防御力を下げる。
 続いて千枝が【アサルトダイブ】を、完二が【キルラッシュ】でクマの影を攻撃する。
 雪子は先ほどの戦闘で負ったダメージを、“ソーマ”を使い完全回復させる。
 クマの影は【マハラクンダ】で鏡達の防御力を下げてくる。

「ネコショウグン!」

 鏡はペルソナを“フォルネウス”から“ネコショウグン”へと交換すると、【マハタルカジャ】で皆の攻撃力を上昇させる。
 先ほどの【ラクンダ】の効果もあり、千枝と完二のクマの影へと与えるダメージが先ほどよりも高くなる。

「おいで……コノハナサクヤ!」

 雪子が召喚したコノハナサクヤの【アギラオ】がクマの影を焼くも、元の見た目もあって効果が出ているのか判別しにくい。
 クマの影は両手を上げると【コンセントレイト】を使い精神を集中する。
 鏡は皆に防御の指示を出すと、相手の出方を見る事にする。
 威力を上昇させたからには、次の攻撃がクマの影の主軸となる攻撃である可能性が高いからだ。
 鏡の判断が的中し、クマの影が放つ【マハブフーラ】で雪子の弱点を突かれる事もなく、受けたダメージも大きくない。
 それでも、念のためにと鏡がネコショウグンの【メディラマ】で先ほどのダメージを全快させる。

「雪子! 相手は貴女と相性が悪いから、大技の予兆があれば防御して!」

 雪子にそう指示を出した鏡は、攻撃の主軸を千枝と完二に任せて自身はサポートを主体にしていく。
 先ほどの【マハタルカジャ】の効果がまだ残っているので、鏡は【ジオンガ】で攻撃を仕掛ける。
 ネコショウグンの放つジオンガは、【電撃ブースタ】の効果もあり、攻守共に行動が可能だ。

 千枝と完二は魔法よりも物理系の攻撃の方が性分に合っているので、魔法は一切使わずに攻撃を続ける。
 雪子は回復を鏡に任せ、自身も攻撃へ意識を専念するも相性が悪い相手なので、動向に注意する。

『無駄な事はやめろ。抗っても、何も見えはしない……』

 攻防を続ける中、クマの影がそう言うと、身を乗り出し左手を高く掲げる。
 掲げられた左手に中心が黒く歪んだまがまがしい光が集まる。

『この感じ……攻撃が来るよ、防御して!』

 りせの指示に、鏡達は防御の姿勢を取る。
 その直後、クマの影は身体を後ろに捻ると、遠心力を付けた横薙ぎの攻撃を鏡達に仕掛けてくる。
 防御の上からでも威力ある攻撃に、鏡達は数メートル後退させられる。
 りせの指示がなかったら、今の一撃で全滅していたかも知れない。


 鏡達は体勢を立て直すと、再びクマの影へと攻撃を仕掛ける。
 幾度となく攻防を繰り広げていくと、一定のパターンで攻撃してくる事が判明した。
 大きな攻撃をする前には必ず前兆があり、それに気をつけていれば被害は最小限で抑えられる。
 致命傷を避けつつ攻撃を続けていくと、クマの影の目が形を保てなくなり歪んでくる。


 形勢が不利になると、クマの影は【愚者のささやき】というペルソナ能力を封じる攻撃を仕掛けてくる。
 この攻撃に対しては“うがい薬”で対処して、常にペルソナによる攻撃が続けられるように行動していく。

「いい加減、大人しくしやがれ!」

 完二の召喚したタケミカヅチの攻撃が決め手となり、遂にクマの影は力尽きて消滅する。
 それと共に倒れていたクマも気が付いたのか、ゆっくりと立ち上がる。
 しかし、身体が紙のように平らなので、ゆらゆらと頼り無げだ。

「あれは、クマさんの一面なの……?」

 雪子の言葉に、千枝がクマにも押さえ込んでいた心があった事に驚いている。
 クマは背後に立つ、元の姿に戻ったもう一人の自分へと向き直る。

「クマ……クマは、自分が何者か分からないクマ……」

 もう一人のクマに、クマはこれまで抱えていた想いを吐露する。
 自分が何者かである答えなど、言われた通り無いのかも知れない。
 けれど、自分は今ココに居て、確かにココで生きているのだと。

「クマは一人じゃないでしょう?」

 鏡の言葉に、クマが驚いた表情を見せる。
 もう自分は一人で悩まなくて良いのかと訊ねると、陽介が仕方がないから一緒に捜してやると話す。
 雪子も、この世界を探っていけばクマの事も何か分かるかも知れないと陽介の言葉を継ぐ。
 その言葉に、クマは自分は果報者だと感極まったように話す。

 そんなクマに呼応するかのように、もう一人のクマはその姿を変える。
 青い粒子が巻き起こり、ミサイルを担いだズングリした姿のペルソナ“キントキドウジ”がその姿を現す。
 キントキドウジはその姿をカードに変じると、クマに吸い込まれるように消えていく。

「これ、クマの……ペルソナ?」

「それ……凄い力、感じるよ……良かったね、クマ……」

 唖然とするクマに、りせが弱々しく話すと、その場に崩れ落ちるようにしゃがみ込む。
 この世界に居ることで疲れがピークに達している状態での戦闘。
 その疲れが一気に押し寄せてきたのだろう。
 千枝と雪子がりせを支えると、広場へと移動する。

「りせちゃん、大丈夫? もうちょっとで外だからね」

 りせの体調を心配する雪子に、自分の事よりクマの方が心配だと話す。

「……お前、大丈夫か? オレら、戻んなきゃなんねえけど……」

 完二の言葉にクマは暫く一人にして欲しいと話す。
 自慢の毛並みもカサカサで、探索能力も低下して迷惑を掛けた事。
 毛が生え替わるまで、一人で激しくトレーニングに励むと鏡達に宣言する。
 意気込みは解るのだが、紙のように薄い見た目が言葉の重みを台無しにしている。
 どう言葉を掛ければ良いのか解らない鏡達に、完二がクマの気の済むようにさせるべきだと話す。

「じゃあ、りせちゃんは、私と千枝で送って行くね」

 完二の言うとおりにして、雪子はりせを千枝と一緒に送っていくと皆に話す。
 その言葉に陽介が、今はゆっくり休ませて話を聞くのはその後で良いと雪子達に任せる事にする。

「帰る方向が一緒だから、オレが先輩達を護衛するッス」

 そう話す完二に鏡は三人の事を任せると、嬉しそうに任せてくれと答える。
 陽介達が先に元の世界に戻った後で、最後に帰ろうとする鏡にクマが話し掛ける。
 以前にも話した事だが、鏡の力には特別なものを感じる事。
 それと同じように、自分にも自分にしかできない役目があるように思うとクマは話す。
 その為にも、自分は強くならなければならないと、クマは想いを鏡に伝える。

     我は汝……、汝は我……

   汝、新たなる絆を見出したり……


   絆は即ち、まことを知る一歩なり


  汝、“星”のペルソナを生み出せし時

   我ら、更なる力の祝福を与えん……

 鏡の脳裏にいつもの声が聞こえる。
 それと共に、鏡の心を力が満たしていく。
 鏡はクマに別れを告げると、元の世界へと戻る。




 元の世界に戻ると、鏡の携帯電話に一件のメールが着信していた。
 差出人は遼太郎だ。
 内容は足立を連れて帰るので、四人分の晩ご飯を用意しておいて欲しいとの事。
 何でも給料日前で金が無く、キャベツで数日を過ごすと聞いて放っておけなくなったらしい。
 そんな食生活では刑事という職業柄、いざという時に不安が残る。
 メールを確認した鏡は、すぐさま体力がつく献立を考える。


 豚肉が安いので、生姜焼きをメインに豚肉と梅干しの炒飯と、溶き卵のとろみスープを作ることにする。
 必要な食材を購入して帰宅した鏡は、菜々子に足立が来る事を伝える。
 鏡の説明に、菜々子も足立の食生活が心配になったのか、量を多めにしたおかずを足立の分にして並べていく。

「お邪魔します」

 遼太郎に連れてこられた足立は、恐縮そうに鏡にお礼を述べる。
 そんな足立に鏡は、食生活に不自由しないように計画的にお金を使ってくださいねと釘を刺す。

「あ、はははは。相変わらず、鏡ちゃんは手厳しいなぁ……」

 そんな鏡の言葉に、足立は苦笑いを浮かべている。
 とはいえ、そんな姿も出された食事を食べるまでで、美味しそうに出された食事を足立は食べている。

「おい、足立。お前、明日は俺と同じく非番だろう? 今日は泊まっていけ」

 遼太郎からの申し出に驚く足立に『どうせ帰っても一人なんだろう、気にするな』と、遼太郎は久しぶりに飲み明かそうと話す。
 とはいえ、菜々子の前で飲み明かす訳にはいかないので、菜々子が寝た後になるだろう。

「そんな訳だから鏡。すまないが、今日は菜々子と一緒に寝てくれるか?」

 遼太郎からの申し出に鏡は快く了承する。
 菜々子自身も、鏡と久しぶりに一緒に眠れる事を喜んでいる。
 鏡は菜々子と共に入浴を済ませると、簡単な酒のつまみを作ってから菜々子の待つ自室へと戻る。
 自室へと鏡が戻るのを見送った遼太郎は、足立と共に缶ビールを空けていく。

「堂島さん、急にどうしたんですか? 僕に泊まっていけだなんて」

 ほろ酔い気分になってきた所で、足立が遼太郎に訊ねる。
 そんな足立に遼太郎は自分の相棒として、足立の体調管理が心配になったからだとぶっきらぼうに答える。
 不器用な遼太郎なりに、足立の事を気に掛けているのだろう。

「……なぁ、足立ぃ。お前は何で刑事になろうと思った?」

 缶ビールを飲み尽くし、日本酒も呑んで酔った遼太郎が足立にそう話し掛ける。

「俺はな……この町が好きだ。そして、菜々子や鏡……大切な者が安全に過ごせるようにと、この職を選んだ……」

 しかし、最愛の妻をひき逃げで殺された遼太郎は、今も独自にその犯人を追いかけている。
 他の職員からそれとなく話を聞いていた足立は、黙って遼太郎の話の続きを聞く。
 思いとは裏腹に、不可解な事件が起こり犯人は未だ特定することすら出来ない。
 誘拐されたと思わしき被害者も皆、誘拐前後の記憶が不確かで、決め手となる証言を得る事が出来ない。
 その状況がひき逃げ犯の事と重なり、遼太郎の心を重くしているのだろう。


 見つかった久慈川りせからも、これまでの被害者と同じく、誘拐前後の記憶が不確かだとの証言を得た。
 取り返しのつかない事件にまでは発展していないが、いつまでもこのままで良い訳ではない。
 菜々子や鏡が安心して暮らせるように、何としても犯人を検挙するぞと酔いつぶれながら話す遼太郎。
 足立は酔いつぶれた遼太郎を自室へと連れて行き布団に寝かせると、客間に用意されていた布団を敷いて自分も眠る事にする。

「……堂島さん。僕は、あなたみたいな立派な動機で、刑事という職を選んだんじゃ無いんですよ……」

 天井を見上げ、足立は誰に話す訳でもなく呟く。
 足立の目に、遼太郎の姿は眩く見える。
 自分の為ではなく、他人の安全の為に刑事という職を選んだんだという遼太郎。
 不器用ながらも気の良い人物である事は、菜々子の姿を見れば解る。
 春先に訪れた鏡も手厳しい事を遠慮なしに言ってくるが、堂島家における彼女の貢献度は並大抵ではない。
 らしくもない考えに、自分もかなり酔いが回っているなと苦笑して、足立は眠りにつく。




 翌朝になり、菜々子と共に居間に降りてきた鏡は、遼太郎達が空けた缶ビールの空き缶をゴミ袋へと纏める。
 菜々子と共に朝食を作り、自分達の分とは別に遼太郎達の分の朝食も用意する。
 鏡達の朝食はパン食だが、遼太郎達の朝食はご飯と味噌汁でおかずは焼き魚だ。
 それと、アルコールが残っている可能性もあるので、スポーツドリンクも用意しておく。
 菜々子と朝食を摂り終えた鏡は、メモをサイドボードに貼ると、菜々子と共に学校へと登校する。


 いつもの分かれ道で菜々子と別れた鏡は、少し先を歩く千枝と雪子の姿を発見すると声を掛けて、二人にりせの様子を訊ねる。
 二人の説明によるとりせの体調はそれほど酷くなく、暫く安静にしておけばすぐに回復する見込みだそうだ。
 それよりも、りせを丸久豆腐店に送った際に、遼太郎と足立が丸久豆腐店に訪れていた事に驚いたと二人は語る。
 何でも不審者は一連の誘拐犯ではなく、りせの熱狂的なファンであった事が解ったらしく、その事をりせに伝えに来たそうだ。
 それとは別に、行方不明になったりせが一連の誘拐犯に攫われた可能性も、考慮に入っていたようだと雪子が説明する。

「鏡の叔父さんさ、あたし達にも話を聞いてきたんだけど、足立って刑事とは全く違って本当に“刑事”って感じだね」

 雪子の言葉を継いで、千枝が遼太郎に抱いた感想を鏡に伝える。
 足立は頼りなさそうな様子が目立つが、遼太郎は逆に頼りがいがありそうに見えたという。
 そんな所が鏡に似ていると千枝に言われて、鏡は少し照れたような笑みを浮かべる。

「けど、堂島さんが一つ気になる質問をしていたね。りせちゃんを見付けた時に“鏡が一緒に居なかったか?”って」

「私と千枝だけだったって、説明したけれど、鏡は何か聞かれなかった?」

 心配そうに訊ねてくる雪子に、特にそう言った事は訊ねられなかったと鏡は答える。
 その答えに、雪子は鏡が関わっていないと聞いた遼太郎が、どこか安心した様子を見せていた事を伝える。


 きっと、これまでの失踪者達と何かしら接点があった鏡の事を心配していたのだろう。
 雪子の話を聞いて、鏡は遼太郎に対して申し訳ない気持ちになる。
 学生という立場である自分達は、ペルソナという特殊な力を持ってはいても、全てに対処が出来る訳ではない。
 遼太郎達、警察のような組織だった行動が出来る訳でもなく、学業という本来のやるべき事もある。

 テレビの中という、特殊な環境での行動は自分達にしか出来ないが、現実世界では遼太郎達の方が頼りになるだろう。
 いつかは遼太郎に真実を話して、自分達の事を手助けして貰う必要性が出てくるのではないか?
 漠然とだが、鏡はそんな事を考えながら、千枝達と学校へと移動する。
 今はまだ、遼太郎達に真実を伝える事は出来ないとしても、いつかは……




2011年06月11日 初投稿
2014年07月10日 誤字修正



[26454] 齟齬と違和感  6月22日 お知らせ追加
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/06/22 09:39
――――自分自身は問題がないと思っていた

        けれども、周りはそうは思ってなかった

      距離感を計りかねているような態度に私は

    普通に接してくれた彼女達に、無性に会いたくなった




 りせを救出してから数日が経った。
 向こう側での疲労は思いのほか重かったようで、しばらくの間は安静が必要だと診断されたらしい。
 今は自宅で静養中で、しばらくの間はシズが一人で店の面倒を見ることになるそうだ。
 その為、以前のように店を休む事が増えるらしく、りせの見舞いに来た鏡にシズが申し訳なさそうに謝罪をしていた。
 ただ、前日に連絡を入れさえすれば、鏡が必要とする分は店が休みでも販売するからねとシズが話す。
 これには逆に、鏡がそこまでシズに無理はさせられないと慌てる一幕があった。


 そんな事もあり、いつしか月は七月に変わったある日のこと。
 鮫川河川敷にある休息所で、早紀は降りしきる雨を物憂げに見つめていた。
 春先に記憶を失うという災難に遭うも、日常生活を送る分には問題が無く、早紀自身も大丈夫だと思っていた。
 けれども、周りがそんな早紀に対して必要以上に気を遣うために、最近は学校に行くのも憂鬱になっていた。


 今日も学校をには行かず、降りしきる雨をぼんやりと眺める早紀は、入院中の事を思い返す。
 入院当初はクラスメイト達が様子を見に来てくれたのだが、一度来たきりで続けて見舞いに来る者は皆無だった。
 唯一の例外は、自分を助けてくれた下級生の少女とその従妹。
 そして、彼女達と一緒に来てくれた彼だけだ。


 稲羽市に出来た大型チェーン店“ジュネス”の影響で、客足が遠退いた商店街は今では閑散とした様相を見せている。
 商店街の一部の人々は、口々にジュネスの事を悪く言ってはいるが、早紀にはとてもそうは思えなかった。
 確かに、切っ掛けはジュネスの出店だろう。
 けれども、それはあくまでも切っ掛けに過ぎず、客足が遠退いたのは顧客の要望に商店街が応えられなかった結果だと思う。
 古くから酒屋を営んでいた実家も、ジュネスの事を悪く言うだけで、打開するための方法を考えようとはしない。


 記憶を失う前の自分はジュネスでバイトをしていたのだという。
 理由は思い出せないが、何かしら思うところがあったのかも知れない。
 退院してからジュネスを見に行ったが、これならば商店街の客足が遠退くのも納得だ。
 規模が違うこともそうだが、品揃えの良さと最新の流行物を扱っているだけあって若い客が多い。
 それだけでなく、ジュネス自体が一つのテーマパークのようなもので、家族連れの姿も多く活気がある。


 商店街のように、地元住民との身内のような関係も悪くはないが、どうしても閉鎖的な関係になってしまう。
 そうなると、ジュネスのように多種多様の客層を得ることは難しいだろう。
 詰まるところ、早いか遅いかの違いだけで商店街から客足が遠退くことは、避けようのない状況なのだと思う。

「小西先輩?」

 そんな事を考えていた早紀に声が掛けられる。
 驚いてそちらの方へ視線を向けると、自分の恩人である鏡がこちらへと歩いてくる。
 手にはジュネスの買い物袋を提げており、ジュネスからの買い物帰りのようだ。

「鏡ちゃんか、ジュネスでお買い物の帰り?」

 表情を綻ばせた早紀が鏡に訊ねる。
 その質問に、今日の晩ご飯の材料だと答えた鏡は僅かに表情を曇らせる。
 鏡の表情の変化に気付いた早紀が怪訝そうな表情になると、鏡は早紀に体調が優れないのかと訊ねる。
 その質問に驚く早紀に、鏡は学校で早紀の姿を見なかった事と、今の早紀が疲れた様子を見せている事を挙げる。

「……鏡ちゃん。今、時間は大丈夫?」

「今日は生物を購入してないので、大丈夫ですよ」

 鏡の答えに、早紀は苦笑を浮かべる。
 確かに生物を持ったままだと今の季節は傷めてしまう事になっていただろう。
 早紀は鏡にお礼を述べると、最近の早紀を取り巻く周囲の状況に疲れた事を話す。

 記憶を失った自分に対して、周囲が腫れ物を触るような態度で接してくる事。
 早紀が発見された場所がジュネスのそばだった事もあり、父親のジュネス嫌いに拍車が掛かった事。
 クラスメイト達が、早紀に対してよそよそしい態度を取るようになった事。
 これらの事が、早紀の心を重くしている原因になっているのだという。

「皆、私の事を気遣ってくれているの解るのだけどね……」

 そう言って、早紀は疲れた笑みを見せる。
 見舞いに来てくれた時も、退院して復学した時も、変わらぬ態度で接してくれていたのは鏡と陽介だけだと早紀は語る。

「花ちゃんは鏡ちゃんと違って、少しだけ今の私に対して戸惑った様子は見せているけれどね」

 そう話す早紀は、それでも他の人達よりは気疲れをしないけどねと、小さく笑う。
 きっと、早紀に近しい人ほど接し方が解らないのだろう。
 鏡のように初対面に近かった者ほど、記憶を無くす前と今の早紀への違和感が無いのだろう。
 そう話す鏡に、早紀は『そうかも知れないね』と同意する。

「でもね、正直に話すと気遣われ続けると息が詰まっちゃう……」

 そう話す早紀はどこか悲しげだ。
 そんな早紀に鏡は、自分で良ければ話し相手くらいにはなりますよと話す。

「嬉しい事を言ってくれるね。でも、鏡ちゃんが男の子だったら、口説き文句に聞こえるよ?」

 その言葉に鏡が一瞬、呆気に取られた表情になる。
 意外な鏡の反応に、早紀は小さく笑うと『鏡ちゃんでも、そういう表情をするんだ』と、思った事を話す。


 自分よりも年下な筈なのに、落ち着いた雰囲気で頼りがいがある不思議な少女。
 男の子だったら、さぞかし女子から人気が出ていたのでは無いだろうか?
 そんな“もしも”な事を考える早紀は、鏡が来る前より楽しそうな表情を見せている。
 早紀は鏡からの申し出に、お互いの携帯電話の番号とメールアドレスを交換する。


 そう言えば、自分の携帯電話のアドレスに、彼の連絡先が登録されている事を思い出す。
 彼はジュネス店長の息子で、実質的なバイトリーダーの立場にいるらしい。
 一番最後に見舞いに来た、仲の良い二人組の友達が話していた事を思い出す。
 彼女達の話しぶりでは、彼の事を良く思っていない事が伺えた。


 鏡と一緒に見舞いに来た彼の姿と、彼女達の話す彼との姿には違和感がある。
 印象は人によって違うので、彼女達にはそういう風に彼の姿が映っているのだろう。

「それじゃ、何かあったら連絡してくださいね」

 そう話す鏡に早紀は笑みを浮かべて、今晩にでもメールを出すねと話す。

     我は汝……、汝は我……

   汝、新たなる絆を見出したり……


   絆は即ち、まことを知る一歩なり


  汝、“刑死者”のペルソナを生み出せし時

   我ら、更なる力の祝福を与えん……

 鏡の脳裏にいつもの声が響く。
 それと共に自身の心を暖かい力が満たしていく感覚。

「鏡ちゃん、そろそろ戻らなくても大丈夫? 引き留めた私がいうのも何だけど」

 早紀の言葉に時計を確認すると、そろそろ戻らなくてはならない時間だった。
 鏡は早紀に別れを告げると、足早に帰宅する。
 その姿を見送った早紀も、遅くならないうちに自分も帰宅するべく河川敷を後にする。


 帰宅した鏡は菜々子と一緒に、野菜サラダのパスタを作る。
 前日に購入した豚肉を冷しゃぶ風にしてパスタの具のすると、茹でて氷水で冷やして水を切ったパスタと一緒に野菜に混ぜる。
 ソースは、醤油に大根おろしを混ぜた和風のサッパリしたモノを掛ける。
 遼太郎の分には疲労回復を兼ねて梅肉の磨り潰したモノも混ぜている。
 いつものように、菜々子とお風呂に入り寝かし付けた鏡は、資料整理をしている遼太郎に挨拶してから自室へと戻る。


 夜の天気予報で、今夜半から朝にかけて霧が出ると言っていたので、マヨナカテレビを確認することにする。
 確認したマヨナカテレビには、りせを無事に救出できたので誰も映る事は無かった。
 その事に安堵した鏡は、早紀から届いたメールに返信を返すと布団に入り就寝する。
 犯人の手掛かりは未だ掴めないが、被害者を出す事を阻止できただけでも良しとしておくべきか。
 そんな事を考えながら鏡は眠りにつく。
 翌朝になって、その思いが裏切られる事になるとは思いもせずに……




 携帯電話の着信音に起こされた鏡は、ディスプレイに表示されている名前を確認する。
 千枝からの電話のようで、鏡は通話状態にして電話に出る。
 電話の向こう側の千枝はかなり取り乱していて、その様子に鏡が眉をひそめる。

『商店街のはずれで、し、死体が見つかったって!』

 落ち着くように宥めた鏡に、千枝がそれどころじゃないと驚くべき内容を伝えてきた。
 その内容に鏡は衝撃を受ける。
 りせは無事に救出したはずだ。
 その後、りせが再び攫われたといった話も聞いていない。
 千枝はジュネスで待っているから、急いで来るようにと鏡に伝えると通話を終える。
 鏡も急いで服を着替えると、菜々子に出掛ける事を伝えてから急いでジュネスへと向かう。


 ジュネスのフードコートに鏡が到着すると、先に来ていた千枝が鏡に気付いて声を掛けてくる。
 千枝の他には雪子と完二が先に到着していて、陽介は現場を見に行っているとの事だ。
 少しすると、慌てた様子で陽介が走り寄ってくる。

「……やっぱ、殺人だ。死体、アパートの屋上の手摺りに、逆さにぶら下がってたって……」

 走ってきたため、息が上がった状態で陽介が皆に状況を報告する。
 その言葉に雪子が気落ちして項垂れる。

「それよか、大変なんだよ!!」

 そう言って、陽介はさらに衝撃的な事を鏡達に伝える。
 被害者は鏡達の担任である諸岡だと、陽介は話す。
 その言葉に動揺する千枝に、陽介はクラスメイトに見たやつが居て、間違いないと話す。

「んだよコレ……狙われんのは、テレビ出た奴じゃねえのかよ」

 そう言って、完二は諸岡がマヨナカテレビにも普通のテレビにも出ていなかったと話す。
 完二の言葉に、千枝が色々と解ったような気がしただけで、全部ただの偶然だったのでは無いかと気落ちした様子を見せる。
 雪子も本当はマヨナカテレビも関係が無いのかもと動揺した様子で話す。

「やっぱり……警察も捕まえらんない犯人を俺らで、なんて……無理だったのか?」

「……まだ諦めるのは早いよ」

 陽介の言葉に、鏡が考える素振りを見せながらそう話す。

「姐さんの言うとおりだぜ! そもそも、警察にゃ無理だろうって始めたんじゃねえスか」

 そう言って、完二が自分達がココで諦めたら犯人が野放しになり捕まえる事が完全に不可能になると告げる。

「取り敢えず、事が事だけにクマに“向こう側”に誰か居なかったか聞かないとな」

 暫く一人にしておいて欲しいとクマは言っていたが、状況を確認する為には向こう側に行くしかない。
 鏡達は陽介の言葉に頷くと、家電売り場へと移動する。

「あれ、店員さんがいる」

 千枝の言うとおり、珍しく家電売り場に男女の店員が居て、何やら話し込んでいる。
 不思議に思った陽介が店員に事情を聞くために話し掛ける事にした。

「おつかれっす。何かあったんスか?」

 陽介に店員達は困惑した様子で、売り場に“妙な着ぐるみ”が居るのだが、店長から何か聞いていないかと陽介に訊ねる。
 名前を聞いてみたところ“熊田”と答えていたと女性の店員が陽介に告げる。
 陽介は自分の方で確認するからと店員達に告げると、店員達は陽介に後を任せて持ち場へと戻る。

「熊田……?」

 訝しげる陽介が考え込んでいると、何気なく視線を移動させた千枝が驚きの声を上げる。
 千枝の指さす方向に鏡達も視線を向けると、マッサージチェアに腰掛けて楽しんでいるクマの姿があった。

「おおーう。なかなか、ツボにクるクマねー」

 すっかりリラックスした様子で、クマがマッサージを堪能している。

「お、おまっ……何でココに……」

 驚いた陽介がクマに問いつめると、こちら側に興味が出たので出てきたとクマは暢気に話す。
 元々、出ることは可能だったのだが、出るという発想が無かっただけなのだとか。
 ただ、出てきたのはいいが行くあてが在るわけでもなく、戻るのも勿体ないので皆の事を待っていたそうだ。

「あ、さっきお名前訊かれたから、“クマだ”って言っといたクマよ」

「それで、“熊田”なのね……」

 クマの言葉に、千枝が呆れた様子で呟く。

「そうだ、訊きたい事あるの!」

 クマの雰囲気に呆気に取られていた雪子が、向こう側に誰か入ってなかったかクマに訊ねる。
 雪子の質問にクマは霧が晴れるまで向こう側に居たが、誰も来なかったと雪子に答える。


 その答えに陽介が改めて確認するが、向こうに誰も居なくて寂しくなったからこっちに来たとクマが不機嫌になる。
 それでも信じず訊ねる陽介に、クマは最近の自分は落ち目なので信じてくれなくても良いと拗ねてみせる。
 そんなクマに鏡は信じていると告げると、クマは手の平を返したかのように機嫌を直す。
 クマの言うとおり、マヨナカテレビには誰も映らなかったのだから、向こう側に諸岡は入ってはいないのだろう。

 そんな鏡達に、どこかに連れて行って欲しいとクマが話す。
 呆れた完二が例えば何処に行きたいんだと訊ねると、クマは眼鏡を取り出してりせに渡して欲しいと鏡に手渡す。
 クマが言うには、これからはりせがクマ達をバックアップしてくれるので、自身は皆と一緒に前線で戦うと告げる。

「戦ってよし、守ってよし、笑顔もよしの“クマ・スペック2”! 参上クマ! 今ここに、新たなクマ伝説が幕を開けるのだー!!」

「伝説……おおー」

 クマの伝説発言に雪子が感動した様子を見せる。

      我は汝……、汝は我……

      汝、絆の力を深めたり……


  絆を深めるは即ち、まことを知る一歩なり


   汝、“愚者”のペルソナを生み出せし時

     我ら、更なる力の祝福を与えん

 鏡の脳裏に響く声。
 それと共に鏡の心を暖かな力が満たしていく。
 気が付くと、いつの間にか周りを小さな子供や女性客が取り囲んでいる。

「やばい、人目引いてる……クマお前、のびのび騒ぎ過ぎなんだよ! と、とにかく、移動だ!」

 そう言って、陽介はクマを連れてフードコートへと移動する。
 フードコートのいつもの場所でもう一度クマに“向こう側”に誰も来なかった事を確認する。
 陽介の確認に誰も来ていないと、改めてクマが答える。
 マヨナカテレビに映らず、クマも誰も来ていないと話す。
 その事から、諸岡はそもそもテレビには入れられていない事だけは確かなようだ。

「なら、こっちで殺されたって事? 何で犯人、モロキンだけテレビに入れなかったんだろ?」

 釈然としない様子で、千枝が疑問を述べる。

「テレビに入れるという発想が、元々無かっただけかも知れないね」

「それって、テレビに入れても殺せないって思ったから?」

 鏡の答えに、自分達が続けて三人も助け出したから、宗旨替えをしたのではないかと雪子が考えを述べる。
 雪子の言葉に、千枝と完二が可能性としてありえると同意を示す。

「そうじゃなくて、“模倣犯”の可能性を私は考えているの」

「姉御、そりゃどういう事だ?」

 鏡の言葉に、陽介が驚いた様子見せる。
 まだ推測の域を出ていないがと断ると、鏡は今回の事件にコレまでとは違和感がある事を挙げる。
 山野真由美は別にして、以降の被害者は狙われる事に関する共通点がテレビで報道されただけである点。
 その事を前提にして考えると、今回の事件には明確な殺意を感じると鏡は陽介達に話す。

「つまり、これまでは話題に上がった人物を狙ったが、今回は明らかに、モロキンだけを狙った犯行だと姉御は言いたいのか?」

 陽介の言葉に鏡が『確証はまだ無いけれど』と答える。

「手掛かり要るよね……りせちゃん、そろそろ話が聞けないかな?」

「そうだな……それに期待するしかねーや」

 千枝の言葉に、陽介がこれからりせに会いに行って話を聞くしかないと話す。

「ハァ~、それにしても暑っクマー……取ろ」

 それまで大人しくしていたクマが、炎天下の日差しの中で暑さに耐えかねてそう呟く。
 クマの言葉に陽介は慌ててクマの頭を抑え付ける。
 子供達も見ている中で、中身のない着ぐるみの姿を見せればトラウマを残しかねない。
 そんな陽介に、クマは逆ナンするために中身のあるクマになったと自慢気に話す。


 確かに、中身が無かったら暑さを感じる事は無いはずだ。
 訝しげにクマを見る鏡達の目の前で、暑さに耐えきれなくなったクマが限界だと言って首元のファスナーを開ける。
 中から出てきたのは金髪碧眼の美少年で、唖然とする鏡達の目の前でクマが缶ジュースを美味しそうに飲み干す。


 喉を潤したクマが、千枝と雪子に何か着る物を持っていないかと訊ねてきた。
 何でも生まれたままの姿なのだとか。
 クマの言葉に、顔を赤くした千枝が慌ててクマの着る物を買いに行こうと、雪子と店内に移動しようとする。

「千枝、ちょっと待って」

 鏡は千枝を呼び止めると、向こう側での活動資金から数枚のお札を取り出して千枝に手渡す。
 これで上限を決めて、クマの着る物を購入するように指示を出す。
 品揃えは豊富だが、それに比例して値段も色々なので上限を決めておかないと、予算が足りなくなる可能性が高い。
 鏡の指示に千枝と雪子は頷くと、改めてクマの着る物を買いに店内へと移動する。

「アイツが……クマ? 空っぽじゃなくなったって……中に“ニンゲン”生えてきたってのか?」

「どんだけ、あり得ない生きモンだよ……」

 フードコートから出て行ったクマを見送った完二と陽介が、それぞれ唖然とした様子でそれぞれの感想を述べる。
 とはいえ、“向こう側”というあり得ない世界の住人であるクマを、こちら側の常識で判断するのが間違いなのかも知れない。
 それに、こちら側で出歩くのなら、着ぐるみの姿よりも人目に付かなくて済むという利点もある。
 取り敢えず、クマの衣類は千枝達に任せるとして、鏡達は先に商店街へと向かう。



 千枝達を待つ間、四六商店で氷菓子を購入した陽介と完二は美味しそうに食べながら千枝達が来るのを待つ。
 鏡は二人とは違い、飲み物で喉を潤している。

「ごめん、遅くなった……」

 そう言って合流してきた千枝は、雪子と共に何処か疲れた様子だ
 そんな二人の後ろから、胸元の開いたドレスシャツを着た美少年が現れた。
 胸には造花だが深紅の薔薇を差しており、その様子は王子様と言っても過言ではない。

「のぁ……! ク……クマか、お前?」

「イッエース、ザッツライト。イカガデスカ?」

 唖然とした表情で美少年に訊ねる陽介に、美少年=クマが爽やかな笑顔を浮かべて答える。
 その様子に、鏡は見違えたと思ったことを述べる。

「あたしもビックリだけどさー。間違いなくあのクマ君だから」

 千枝が言うには、見た目は美少年だが中身は着ぐるみの時のクマのままらしい。
 見る物全部が新鮮なため、大騒ぎで大変だったと千枝は話す。
 そう話す千枝の言葉に項垂れるクマを雪子が慰める。

「まったく……大人しくしてりゃ、見た目は可愛いのに」

 雪子に慰められた途端、元気になったクマに千枝が呆れた様子で感想を述べる。
 千枝の言う通り、黙っていたらその見た目で女性から注目されるだろう。
 しかし、中身が着ぐるみの時のままだと、見た目とのギャップに引かれる可能性が高そうだ。
 クマを丸久豆腐店に連れて行くと、話が拗れそうだと思った陽介は、財布から千円札を取り出すと完二に手渡す。

「完二、これで好きなだけアイス買って、クマと分けろ。俺達、ちょっと豆腐屋行って来るから。ここで大人しくしてろよ」

 突然の事に完二が貰うわけにはいかないと抗議する。
 そんな完二に、陽介はリニューアルしたクマの歓迎だからと笑って話す。
 その代わり、騒ぎを起こさないようにクマの様子をちゃんと見るように完二に言い含める。

「お~、どーしたの花村、急に“先輩”じゃん」

「アホ、豆腐屋にクマの奴を連れて行ったら騒がしくなるだけだろうが」

 千枝が陽介をからかうも、そう言って千枝の言葉をバッサリ切り捨てる。
 陽介の言葉にクマが落ち込むが、完二の『ホームランバー食いに行くぞ』の一言で立ち直る。
 嬉しそうに完二に突いていくクマを見送ると、鏡達はりせに会いに丸久豆腐店へと向かう。

「おや……やっぱり来ましたね」

 そう言って、丸久豆腐店に到着した鏡達に声を掛けてきたのは以前、鏡に話を聞きに来た直斗だった。

「白鐘君、お久しぶり」

 久しぶりに会った直斗に、鏡が笑顔で話し掛ける。
 鏡から話には聞いていたが初めて見る直斗の姿に、陽介達は驚きを隠せない。

「この間はありがとうございました。今度は、久慈川りせを懐柔ですか?」

「懐柔って……?」

 直斗の発言に千枝が呆然と呟く。

「白鐘君、職業柄なのは仕方がないと思うけれど、友達に会いに来ることを“懐柔”とは言わないと思うよ?」

「そのようですね。失礼、後ろの方々は初対面でしたね。僕は白鐘直斗。例の殺人事件について調べています」

 鏡の言葉に直斗は冷静に初対面の陽介達に自己紹介を済ませる。
 直斗は鏡の方へと視線を戻すと、意見を聞かせてくださいと願い出る。

「被害者の諸岡金四郎さん……皆さんの通う学校の先生ですよね」

「うん。付け加えるなら、私達の担任だった人だよ」

 直斗の確認に鏡が情報を付け加える。
 その言葉に直斗は表情を僅かに曇らせるが、質問を続ける。
 誘拐された小西早紀と同じ学校の人間であるが、重要な点はそこではなく、もっと重要な点がおかしいと直斗は語る。

「この人……“テレビ報道された人”じゃないんです。どういう事でしょうね?」

 続く直斗の言葉に陽介達は驚く。
 以前、鏡が語っていたように目の前の人物は、限られた情報だけで真実の近くまで辿り着いている。
 その事に驚きを隠せない陽介達とは違い、鏡は冷静に直斗に答えを返す。

「白鐘君も、“その可能性”を考慮に入れているんでしょう?」

「……やはり貴女は、油断のならない人ですね」

 鏡の主語のない答えに、直斗は感心した様子を見せる。
 以前に鏡と話したときに感じた思いは、間違いでは無かった。
 それが確認できただけでも、直斗にとっては大きな収穫だった。

「僕は事件を一刻も早く解決したい。皆さんの事、注目していますよ。それじゃ、いずれまた」

 そう言って、立ち去ろうとする直斗を鏡が呼び止める。
 訝しげに鏡を見る直斗に、『また今度、機会があったらご飯を食べに来て』と、鏡は誘いの言葉を掛ける。
 その言葉に直斗は一瞬、呆気に取られた表情を見せるが、すぐに気を取り直し『機会があれば是非に』と、申し出を受ける。
 約束を取り付けてその場を去った直斗を見送った鏡に、陽介が理由を訊ねる。
 陽介の疑問に、鏡はりせの件で自分達ではどうにも出来ない事があると告げる。

「私達だと叔父さん達には直接言えない事でも、白鐘君を通せば、伝えられる事があるんじゃないかなって思ったの」

 鏡の説明に陽介は驚くと共に納得もする。
 確かに“ペルソナ”という特別な力を持ってはいても、自分達はそれ以外では無力な学生だ。
 警察のように組織だって捜査を行うことも、被害者と思わしき人物を警護することが出来ない。
 しかし、直斗が自分達に協力してくれるのであれば、違った方向から事件に対してアプローチが出来るかも知れない。

「なるほどな。あの白鐘って奴が万が一の保険になるかも知れないと、姉御は考えているんだな?」

「どのみち、私達の事を疑っているのだから、味方に着いてもらう方が良いでしょう?」

 陽介の言葉に鏡がそう答える。
 鏡の強かな言葉に感心半分、呆れ半分でいると背後から聞き覚えのある声が聞こえてくる。

「あ……いらっしゃい。先輩、この間はお見舞いに来てくれたのに、会えなくてごめんね」

「いいのよ。それよりも、身体の方はもう大丈夫?」

「うん、もうすっかり。そうだ……今、少し時間いい?」

 体調を気遣う鏡にりせは回復した事を告げると、そう言って鏡達に話したい事があるからと、辰姫神社へと移動する。
 辰姫神社へと移動する道すがら、店で待っていた間の事をりせに確認する。
 りせも店で鏡達の帰りを待っていた事は覚えているが、それ以後の記憶が曖昧で気付いたら向こう側に居たとのだと話す。

「さっき、お店の前で白鐘君に会ったのだけど、何度か来ているの?」

「数回、位かな? 事件のこと、色々と訊かれた。でも“向こうの世界”の事は話してない。無駄だと思ったし」

 鏡達の事も訊ねられたそうだが、適当にはぐらかしたそうだ。
 自分を助けてくれたのは千枝と雪子で、鏡は稲羽に来てすぐに知り合った大切な友人だと。
 りせの言うように、向こう側の事を話したところで信じられるような話では無いので仕方がないだろう。

「あの……その……」

 言い淀むりせに、千枝がどうしたのか訊ねる。
 りせは千枝の質問に、態度を急に明るくして助けてく入れた事にお礼を述べる。
 その姿はテレビの中での“りせちー”そのもので、ファンである陽介の琴線に触れたようだ。

「あー、今やっとホンモンって実感した。確かに“りせちー”だ」

 陽介の言葉に、りせは最近疲れていて少し暗かった事を挙げ、喋り方が変ではないかと訊ねてくる。
 とはいえ、世間的には明るい感じの方がりせの“普通”なのかも知れないと困惑した様子で話す。
 演じ続けたせいで、どの辺が“地”の自分なのかが解らなくなってきてるのだとりせは説明する。
 りせの説明に、千枝と雪子はその時々で様子は変わるし、人には色々な顔があると気にしない方が良いと話す。

「そうだ、アレ渡さなきゃ。クマ眼鏡。あ、渡さなきゃって言うか、えっと……」

 言い淀む千枝の様子に、りせは鏡へ自分の手助けがないと困るか訊ねる。
 その言葉に、鏡はりせを危険に巻き込む事になるのが心苦しいと正直に話すが、りせ自身は気にしていないようだ。

「気にしないで、先輩。私を助けてくれた皆を、今度が私が助ける番だから」

 そう話すりせに、鏡がクマから預かっていた眼鏡を手渡す。

「それ、一応、仲間の証って言うか……」

 陽介の言葉を継いで、鏡が眼鏡の効果をりせに説明する。
 鏡の説明にりせは、向こう側の世界で鏡達が眼鏡を掛けていた事を思い出す。

「ありがと、先輩。これで仲間、だよね」

      我は汝……、汝は我……

      汝、絆の力を深めたり……


  絆を深めるは即ち、まことを知る一歩なり


   汝、“愚者”のペルソナを生み出せし時

     我ら、更なる力の祝福を与えん

 嬉しそうなりせの言葉に唱和するように、鏡の脳裏にいつもの声が聞こえてくる。
 りせは鏡達に、明日から自分も八十神高校に通う事を告げると、まだ友達が居ないから仲良くしてよとお願いする。

「けど、こんな時期に転入って大変だな。事件とか、モロキンとか……」

 それにテストもと話して、陽介は自分の発言に落ち込む。
 そんな陽介に、怪物相手に死にかけた事に比べたらどうともないと笑ってりせが話す。
 言われてみれば確かに命の危険に比べたら、テストはそう大変でないように思えてくる。

「うーす、調子どうスか?」

 遅れてやって来た完二に、りせが話が済んだ事を伝える。
 そのまま、甘えるように鏡の腕を取るりせに完二が呆れた視線を向ける。

「お前、姐さんの前だと本当に態度が変わるんだな」

「あなたも先輩達と同じハチ校生? 明日から、私もだから、よろしくね」

 りせの言葉に、完二が唖然としてりせの学年を訊いてくる。
 そんな完二に陽介が自分達の事を先輩と呼ぶのだから、完二と同じ学年だろうと突っ込む。

「そういやクマはどうした、クマは」

 完二と一緒にいたはずのクマの姿が見えない事を訊ねる陽介に、完二が向こうで五本目のホームランバーを食べていると告げる。
 これからクマはどうするのかと訊ねる完二に、陽介が仕方がないので自分が連れて帰るかと、諦観した様子で話す。
 事件は不可解な様相を見せ始め、犯人に繋がる情報は未だに得られない。
 けれども、新たな仲間を迎えた事は鏡達にとって心強い事だ。
 諦めなければ、きっと答えに辿り着ける。
 今はそれを信じて、正しいと思った道を進むだけだ。




2011年06月19日 初投稿


2011年06月22日
●お知らせ
気が付けば投稿数が20話になっていましたので、次回の投稿より『その他版』へと移動しようかと思います。



[26454] 思いがけない進展
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/06/26 09:41
――――彼女との違いを知りたいと思った

     望むモノを持った彼女と持たざる自分

   比較する事に意味が無いとは解ってはいても

      その答えが知りたいと願った……



「容疑者が特定できた?」

 その報告を聞いた直斗は、自分の聞き間違いではないかと訊ね返した。

「うん、これまで何の情報も見つからなかったのが嘘みたいだよ」

 そう言って、直斗にその事を伝えた足立がどこか安心したような表情で話す。

「それで、容疑者は一体?」

 直斗の質問に足立は気まずそうな表情になると、相手は高校生の“少年”なので、直斗に名前を教える訳にはいかないと説明する。
 確かに、容疑者が未成年者という事ならば、それ以上の情報を自分が聞く訳にはいかない。
 とはいえ、今回の事件にはおかしな点があるため、素直に引き下がる事も出来ない。


 今回の事件は最初の事件と違い、被害者の死因がハッキリしている。
 遺体を見せしめのように放置している点は同じだが、これまで独自に調べた内容と明らかに食い違う点がある。


 その事を遼太郎をはじめ他の者達にも伝えたのだが、事件解決を急いでいるように思われる。
 今回の事件が、模倣犯によるモノである可能性を指摘するも、誰も直斗の指摘に取り合おうとはしない。
 唯一、その可能性を考慮していたのは遼太郎だけだ。
 けれども、遼太郎も上からの指示には逆らえないらしく、指示には従う様子である。
 まずは、容疑者である少年の身柄を確保する事が先決だとばかりに、直斗の言い分を聞き流しているのが現状だ。


 いつもと同じ状況に、直斗は握りしめた拳に力を込める。
 必要とされる時にだけ意見を求められ、必要が無くなると手の平を返したように、『子供だから』といわれ続けてきた。
 今回も、最後には『子供には解らない』と、直斗の訴えは聞き入れられる事はなかった。
 幼い頃から読み親しんできた小説に出てくる、探偵のような頼りにされる存在。
 幼い頃から憧れ続けた存在に、いつのなったらなれるのか?


 ふと、直斗は最近知り合った彼女の事を思い出す。
 女性でありながら、皆の中心にいて頼りにされている一つ年上の人。
 自分と同じく、この事件の共通点を見抜いている油断のならない人物。
 初めて会ったのは、山野真由美の遺体発見者で失踪していた小西早紀を発見した状況を聞きに、堂島家に訪れた時。
 想像していた人物とは違ったが、人物像としては想像していたものから、そう外れたモノではなかった。


 二回目に出会ったのは、失踪して発見された久慈川りせに話を聞きに行った帰り。
 外出中でりせに会う事は出来なかったが、代わりに彼女と話せた事によって、自身が思っていた通り油断のならない相手だと確信した。
 彼女を筆頭に、自分には知り得ていない情報を持っていると思われる人物達。
 世間には報道されていないが、小西早紀に続いて数名が、“報道直後に失踪する”という共通した自体に遭遇している。
 しかも、失踪前後に関する記憶が欠落しているという共通点までもが一緒だ。


 何かの訳で死を免れたのか、彼、もしくは彼女らの内の誰かが犯人なのか?
 殺された山野真由美と多少といえども接点を持っているので、偶然という言葉で片付けるのも早計に思える。
 そう言えば、彼女達はいつものようにジュネスのフードコートに集まっているのだろうか?
 稲羽署を後にした直斗は、特に目的も無くジュネスへと足を運んだ。

「モロキンのためにも、あたし達に出来る事、やるしかないよ!」

 フードコートに到着した直斗の耳に、聞き覚えのある声が聞こえてくる。
 思った通り、彼女達はフードコートに集まっていたようで、見慣れない顔ぶれも混じっている。
 どうやら事件について話し合っているらしく、事件解決のために行動を起こそうと話しているようだ。

「その必要はありません」

 直斗は、考えるよりも早くそう声を掛けて鏡達の元へと近寄る。

「オ、オメェ……」

 以前、話を聞いた完二が驚いた表情で直斗を見ている。

「諸岡さんについての調査は、もう必要ありません」

 直斗の言葉に驚く鏡達に、直斗は容疑者が固まった事を伝える。
 容疑者が誰なのかを訊ねてきた千枝に、自身も聞かされていないが高校生の“少年”である事を伝える。
 証言も得られたらしく、警察もよほどの確信を持っている事も合わせて伝える。

「逮捕は時間の問題かも知れません。無事解決となれば、またここも、元通り、ひなびた田舎町に戻りますね」

「容疑者は……高校生……そうか……で、お前は何しに来たんだ?」

 直斗の言葉に驚きつつも、陽介は何の目的で直斗がここに訪れたのかを訊ねる。
 その質問に直斗は、鏡達の“遊び”も間もなく終わりになるかも知れない事を伝えようと思ったと、思ってもいない説明をする。

「遊び……? 遊びはそっちじゃないの?」

「……!?」

「探偵だか何だか知らないけど、あなたは、ただ謎を解いているだけしょ?」

 直斗の説明に、りせが静かな怒りを滲ませて反論する。
 ほとんど接点もなかった自分の為に、命の危険を冒してまで助けに来てくれた鏡達。
 そんな鏡達の行動を“遊び”という一言で片付けられる事が、りせには我慢がならなかった。

「私達の何を解ってるの?……そっちの方が、全然遊びよ」

 りせの言葉を継いで陽介も直斗に反論する。
 自分達の知り合いが誘拐された事。
 そして、大切な約束を交わしている事。

「遊び……か。確かに、そうかも知れませんね……」

 自嘲気味に話す直斗に陽介が、容疑者が固まったのでお払い箱になったのかと皮肉るように話す。
 陽介の皮肉に探偵は元々、逮捕に関わる事もなく、事件に対して特別な感情も無いと直斗は語る。

「ただ……必用な時にしか興味を持たれないというのは……確かに寂しい事ですね。もう、慣れましたけど……」

 そう語る直斗は何処か辛そうな様子を押し殺しているように見える。

「陽介、そういう言い方は無いと思うよ。白鐘君にだって色々と思うところ、感じる事があるのだから」

 鏡はつい、直斗を庇うように陽介を窘める。
 警察という大人の社会に、自分よりも年下の直斗が関わっている。
 嫌な事、辛い事、自分達には考えつかないような苦労をしているはずだ。
 そんな直斗を自分達が笑って良い事ではない。
 鏡の言葉に、陽介はバツの悪い表情を浮かべて直斗に謝る。
 直斗は『気にしていないから』と、陽介に気にする必用は無いと告げる。

「……じゃ、もう行きます」

 これ以上、ここに居る用事もないので、直斗はそう言ってフードコートを後にする。
 その胸の奥に、小さな棘を刺したまま……




 もう誰も、自分をバカにする事は出来ない。
 下らない言い掛かりで自分を退学にしたあの教師も、憎まれ口を叩く事はもう出来ない。
 口先だけで何も出来ない連中とは違うんだ……


 降りしきる雨は血を洗い流し、その後で発生した濃い霧が自分の姿を覆い隠してくれた。
 これは天啓なんだと、自分だけが理解できた。
 誰も出来ない事を自分が行う。

――自分は運命に選ばれた勇者なのだ

 だから誰も、自分を裁く事はおろか、見つけ出す事も出来ない。
 だって、運命に選ばれたのだから。


 事件の事が報道された。


 誰も、自分が手を下した事に気付かない。
 誰も、自分が運命に選ばれた勇者である事を知らない。

 誰も

 誰も……

 誰も……?

 ……誰も気付いていない?

 凄い事を為した自分の事を誰も知らない?

 事件の事を噂する者達が増えてきた。
 皆、それぞれが勝手に犯人像を作り上げ、面白おかしく話している。
 誰一人、正しい犯人像を思い描く事が出来ず、噂が一人歩きを始めている。
 勝手に見た気になって、勝手に知った気になっている。
 誰一人、事実に辿り着く事すら出来ずに、好き勝手な噂話が続いている。


 最近、ちゃんと眠る事が出来なくなった。
 眠るといつも決まって、同じ夢を見る。
 真っ赤な世界と、断末魔の呻き声。


 繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し……




 事件の報道があってから、周りの様子が少し変わってきた。
 最初の事件から日が経っていた事もあり、もう事件は起こらないと思われていた矢先に起こった二件目の事件。
 テレビでは新たな事件に付いての報道が増え、無責任なコメンテーターの発言が、余計な不安を煽る。
 その報道を見た菜々子が不安がったため、鏡は菜々子を安心させるため、その日は菜々子と一緒に眠る事にする。


 諸岡が亡くなった事により、鏡達のクラスの担任を、テニス部の顧問を受け持つ柏木が担当する事となった。
 担当初日に諸岡に対して黙祷を促した柏木は、クラスの全員が黙祷を終えると教卓に腰掛けていた。
 扇情的に男子生徒を挑発しようとするその様子は、とても教師とは思えない姿で、諸岡と並んで生徒達からは倦厭されている。
 どうにも自身の美貌を信じて疑っていないらしく、転校してきたりせに対して激しく敵意を剥き出しにしている。
 もっとも、りせ自身は柏木の事を歯牙にも掛けていないようだが。


 諸岡が亡くなったとはいえ、試験期間に変更はなく準備期間中のクラブ活動も休止である。
 千枝と陽介はそれぞれ、試験に対してすでに辟易した様子を見せており、放課後に皆で試験勉強をする事となった。
 場所はジュネスのフードコートで、同じく試験に対して暗澹たる思いを抱いている完二とりせも参加する。
 朝から振っていた雨も午後には止み、適度に過ごしやすくなった中での試験勉強。
 鏡と雪子が皆を教える側にまわり、雪子が千枝と陽介の二年生組を、鏡がりせと完二の一年生組の面倒を見る。

「やっと終わった……」

 試験勉強を終えた陽介が、テーブルに突っ伏して終わった事に安堵している。
 千枝達も陽介と似たような状況で、それぞれが疲れた様子を見せている。

「皆、お疲れ様。アイスを買ってきたから、皆で食べましょう」

 雪子と一緒にフードコートでアイスを買ってきた鏡が、陽介達に冷えたアイスを手渡していく。
 アイスを受け取った陽介達は、アイスの仄かな甘さに試験勉強の疲れが癒されたようで、先ほどよりも表情に元気が出てきている。

「私、こんな風に皆で勉強をする事が出来るなんて、思っても無かった」

 アイスを食べながら、そんな事をりせが話す。
 アイドルになってからは多忙な日々を送っていたため、同年代の友達作る暇さえもなく、今の状況が夢のように感じられる。
 これも鏡と出会った事による影響なのかと思うと、りせにとって鏡の存在は本当に大きなもので、どれだけ感謝しても足りないほどだ。


 りせと同じく完二もまた、新しい環境に戸惑いを感じつつも、以前よりも充実した日々を過ごしている。
 林間学校での一件以来、完二に話し掛けてくる女生徒が増えてきた。
 ぶっきらぼうに返答を返すその姿が女生徒達の琴線に触れたのか、一部の女生徒達からは“可愛い”との評判を得ている。
 もっとも、当人が知れば激昂しそうではあるが、知らぬが仏とはこの事をいうのだろう。
 鏡からの忠告もあり、女生徒達も完二との距離の取り方に気を配っている部分も完二が気付かない原因かも知れない。
 相変わらず、鏡達以外の女生徒には落ち着きのない態度を見せる完二だが、女生徒達の方ではそれほど気にはしていない様子だ。




 試験準備期間も終わり、試験本番を迎えた鏡達。
 鏡と雪子は普段通りの安定した状態で試験に挑み、千枝と陽介は以前よりマシな状態で試験を迎えられたようだ。


 鏡達が試験に取り込んでいる間。
 稲羽署では捜査の状況に問題が発生していた。

「何? 容疑者の足取りが途絶えただと?」

 先ほど容疑者の身辺を調査していた担当官から、容疑者の少年が消息不明になったとの連絡が入った。
 テレビで報道されてから、少年の身辺を捜査して事件に関与しているとの証言も得られた矢先での失踪。
 警察の動きを察知して姿を眩ませたのかとも思われたが、稲羽市から出た形跡がない。
 少年が通う学校でも数日前から休学していたようだ。


 そのため、少年の行方が分からなくなった事に対して稲羽署内に緊張が走る。
 以前、直斗から指摘された“テレビ報道された人物が誘拐される”という推理に、状況が一致するからだ。
 まさかの容疑者失踪に稲羽署内は慌ただしくなる。

「念のために主要な交通機関は全てチェックして、駅の方へも人を回せ!」

 上からの指示に遼太郎達が慌ただしく署を後にする。

「足立、二手に分かれて容疑者の行きそうな場所を探そう。俺は駅の方を見てくる」

「解りました! 僕はジュネスで逃走用の買い出しをしていないか調べに行きますね!」

 そう言って、遼太郎と足立は二手に分かれる。
 割ける人員を総動員しての少年の捜索。
 捜索の甲斐無く、少年の足取りはいぜんとして掴めない。


 試験最終日を迎え、鏡はテストの結果にかなりの手応えを感じていた。
 千枝はいつものように雪子と試験の答案内容の確認を行っているが、状況は芳しくはないようだ。
 そんな千枝を陽介がからかう中、りせと完二が鏡達の教室にやってくる。

「うーっス……」

「お疲れ様……じゃないや、こんにちは……」

 二人とも疲れた様子を見せており、試験の手応えはあまり良くないようだ。
 陽介がその事を突っ込むと、りせは英語が出来なくても、いざとなったら通訳でも何でも付けると、顔を真っ赤にして陽介に噛みつく。
 その直後に、りせは甘えた様子で鏡にテストの調子を聞いてくる。
 完二はりせの変わり身の早さに辟易した様子を見せているが、恐らくクラスメイト相手に猫を被るりせの姿を見ているためだろう。
 りせの質問に鏡は手応えは十分だと答えると、りせは鏡に羨望の眼差しを向けてくる。

「も、いースよ、テストの話は……それより、事件の方どうなってんスか?」

 ウンザリした様子で完二が鏡達に事件の状況を聞いてくる。
 完二の質問に、陽介が久しぶりに“特捜本部”に集まるかと提案する。


 ジュネスのフードコートに集まった鏡達は、容疑者が固まった事に困惑を隠せない。
 超常現象による殺人に対し、自分達にしか解決できないと気負っていた事が原因だ。
 ただ、まだ犯人が逮捕された訳ではないので楽観は出来ない。
 結局は情報待ちで、今の鏡達には出来る事が無いのが現状だ。

「ったく、容疑者上がったのはいいけど、どこ行ったんだか……こっちはもう、クタクタだっての……」

 そんな鏡達の耳に聞き覚えのある足立の声が聞こえてくる。
 足立の呟きの内容に陽介達は驚いた様子を見せる中でただ一人、鏡だけが呆れた様子を見せている。

「足立さん、また守秘義務を……」

「おわっと!? 鏡ちゃん? ひょっとして、今の話を聞いてた?」

 呆れた様子で話す鏡に、足立は引きつった表情で確認を取ってくる。
 そんな足立に鏡は不用心すぎると釘を刺すと、足立は慌てて事件は解決に向かっているから、何の心配も要らないと取り繕う。
 そのまま逃げるようにフードコートを立ち去った足立に対して、陽介が頼り無いなと正直に思った事を話す。
 足立の話しぶりからすると、警察の方ですでに手配が掛かっているのなら、自分達の出る幕は無さそうだ。

「そ、そうだ。テストで分かんとこがあったんだけど」

 沈んだ雰囲気を察したりせが、そんな風に鏡達に試験の問題で分からなかった部分を聞いてくる。

「あぁ、それはホルムアルデヒドの事ね」

「そうなんだ、私“酢酸”にしちゃった。……って、そっか、お酢なワケ無いよね」

 質問に答える鏡にりせが尊敬の眼差しを向けてくるが、鏡からすると長い問題文を覚えているりせの方が凄いと思う。
 鏡と同じ思いだったのか、陽介が呆れたように『長い問題を覚えている方が凄いんじゃないか?』と呆れ半分でりせに話し掛ける。
 どうやら、りせにとっては台本を覚えるのと同じで暗記に関しては問題は無いようだ。

「勉強を教えて貰うのだったら、せっかくだから異性の先輩に訊きたいけれど、鏡先輩や雪子先輩の方が出来そうなんだよね」

 りせの何気ない一言に、陽介が落ち込む。
 確かに、勉強は学年でもトップクラスの二人と比べたら見劣りするが、面と向かっていわれると、少々キツイものがある。

「そう言えば、クマ君って、どうしてんのかな?」

 これ以上、勉強の話をしたくない千枝が話題を変えて陽介に訊ねる。

「あ、そっか。それの連絡すんの忘れてた。ほれ、あそこ」

 そう言って陽介が指さした先に、風船を持った着ぐるみ姿のクマが子供達に風船を配っている。
 鏡達に気付いたクマが、こちらの方へと手を振っている。

「住み込みで働かせる事にしました。マスコット」

「あーむしろ着せたんスね。逆転の発想だ」

 陽介の言葉に完二が感心したように話す。
 子供達に囲まれているクマは、見事にまわりに馴染んでおり、違和感がない。
 陽介が言うには、“向こう側”に帰るのが嫌だというので、仕方なく実家に下宿させる事にしたそうだ。
 両親へは、家庭の事情で日本に一人で留学してきた留学生と説明したらしい。


 意外な事に陽介の父親と馬が合い、その人懐っこい性格で母親からにも気に入られたのが下宿できた要因らしい。
 当面の生活費は陽介が立て替える事にして、愛らしい着ぐるみ姿でジュネスのマスコットして働く事になったとか。

「……暇だから、からかってくッかな」

 そう言う陽介に真っ先に千枝が同意して、完二がふかふかのクマに触れないかと話す。
 雪子は無言で陽介達よりも早く席を立ちクマの方へと向かう。
 鏡も遅れてクマの元へと向かおうとしたところ、りせに呼び止められる。

「先輩。私、先輩達に出会えて本当に良かったと思ってる」

 学校にも慣れきたので、これからはもっと色々と遊びに行きたいとりせは話す。
 鏡の従妹である菜々子にも会いたいし、これまで出来なかった事を沢山やってみたいとりせは楽しそうに語る。
 ただ、知名度があるため一人じゃ不安なので、鏡達に色々と手伝って欲しいとりせは頼み込む。
 そんなりせの申し出を、鏡は快く引き受ける。
 まずは、りせの大ファンである菜々子と引き合わせる事から始めようかと提案すると、りせは嬉しそうに頷いてみせる。
 ちょうど明日は日曜日なので、丸久豆腐店に豆腐を買いに菜々子と訪れる約束をりせと交わす。

      我は汝……、汝は我……

      汝、絆の力を深めたり……


  絆を深めるは即ち、まことを知る一歩なり


   汝、“恋愛”のペルソナを生み出せし時

     我ら、更なる力の祝福を与えん

 脳裏に聞こえてくるいつもの声。
 また少し、鏡の心を暖かい力が満たしていく。

「私達も、クマイジりに行きましょ。クーマー。おーい!」

 そう言って、りせは鏡の腕を取ってクマの所へと向かう。
 子供達に囲まれたクマは、陽介達にからかわれながらも、充実した様子を見せている。
 ひとしきりクマをからかった後で、鏡はいつものように晩ご飯の買い出しをしてから堂島家へと帰宅する。


 帰宅した鏡は、菜々子と料理を作っている最中にりせが菜々子に会いたがっていた事を伝える。
 明日、一緒にりせに会いに行こうと話す鏡に、菜々子は嬉々とした様子を見せる。
 りせと会える事がよほど嬉しいのか、その日は眠るまでずっと機嫌が良かった菜々子の様子に、鏡の表情も綻ぶ。
 明日に備えて鏡も早めに眠るため、自室へと戻る。


 翌日になり、りせと会える事を楽しみにしていた菜々子と共に、鏡は丸久豆腐店へと向かう。
 菜々子は以前、鏡達と購入したよそ行きのワンピースを着ておめかししている。
 よほどとりせと会える事が嬉しいのだろう。
 何度も鏡に自分の格好がおかしくないか訊ねてくる姿に、鏡は大丈夫だと笑顔で答える。

「いらっしゃい。初めまして、菜々子ちゃん」

 丸久豆腐店を訪れた鏡達をりせが笑顔で出迎える。
 あこがれのりせに会えた事に菜々子の機嫌は上々で、りせも初めて会う菜々子の愛らしさに表情を綻ばせる。
 シズもおめかしした菜々子を可愛いとりせと共に褒めると、菜々子は顔を真っ赤にして照れるが、その表情は嬉しそうだ。

「私にとっては先輩はお姉ちゃんみたいな存在だけど、菜々子ちゃんは妹って感じだよね」

「えっ!? りせちゃんが、菜々子のお姉ちゃんになるのっ!?」

 りせと菜々子、二人の話題が鏡の事になったおり、りせの発言に菜々子が驚いた表情を見せる。
 そんな菜々子にりせは『本当のお姉ちゃんだと思ってくれて良いからね』と、笑顔で菜々子に話す。

「うんっ! りせ、お姉ちゃん」

 りせの言葉に、菜々子がはにかんだ笑顔でりせを“お姉ちゃん”と呼ぶ。
 その姿がりせの琴線に触れたのか、菜々子を頬摺りせんとばかりに抱きしめる。
 突然の事に菜々子は驚くが、嫌がる素振りは見せず、逆に菜々子の方からもりせを抱きしめる。

「おやまぁ、りせのあんな嬉しそうな表情、鏡ちゃんの事を話す時以外で初めて見たよ」

 二人の様子を見ていたシズがそう言って表情を綻ばせる。
 稲羽に戻ってきた頃のりせは本当に疲れた様子を見せていたが、鏡と知り合い明るい表情を見せるようになってきた。
 本当に、鏡になんど礼を言っても足りないくらいだとシズは思う。
 シズにとっても、鏡と菜々子はりせと同じく自分にとって大切な孫のように思える。

「それじゃ、先輩。また明日、学校でね」

 楽しい一時も過ぎ、そろそろ戻らなくてはならない時間になり、鏡と菜々子は豆腐を購入して丸久豆腐店を後にする。
 今日の献立は、先日の晩ご飯の材料と一緒に購入してきた挽肉ときくらげも使って、辛さを抑えた麻婆豆腐を作る事にする。
 そのまま食べても、ご飯に掛けて麻婆丼にしても大丈夫なように多少、汁を多めに作る。
 連日の捜査で疲れている遼太郎も、今日は早くに戻る事が出来たため、久しぶりに三人で食卓を囲む。

「それでね、りせちゃんが菜々子のお姉ちゃんになってくれるって言ったんだよ!」

 菜々子は嬉しそうに、今日あった事を遼太郎へと伝える。
 遼太郎も、そうやって嬉しそうに話す菜々子の話に相づちを打ち、鏡へと視線を向けると礼を述べる。
 鏡が来てから、菜々子の世界は確実に広がっている。
 クラスメイト達も皆、気の良い者達でゴールデンウィークでの様子を見る限り、皆が菜々子の事を気に掛けているようだ。


 明るく笑う菜々子の笑顔を見ると、一刻も早く容疑者の少年を見つけ出さなければならないと、遼太郎は思いを強くする。
 未だに少年の足取りは掴めず、消息が不明だ。
 しかし、稲羽からは出ていないのは確かでこれまで起こった失踪事件を思わせる。


 全ての事件に少年が関わっているかは不明だが、少なくとも鏡の担任を殺害した件については証拠が集まっている。
 犯行の動機も複数の証言が得られ、明確に少年が被害者に対して害意を抱いていた事は明らかだ。
 これ以上の被害者を出す事は元より、少年にこれ以上の罪を負わせる訳にはいかない。
 少年自身のためにも、一刻も早く身柄を確保しなければ。
 菜々子や鏡が安心して暮らせる町に、一刻も早く戻すために。




 週が明け、期末試験の結果が張り出された。
 鏡は前回の中間試験よりも更に成績を上げており、雪子も同じく成績を上げている。
 千枝と陽介は雪子の教えもあり、何とか追試を免れる事には成功している。
 鏡に教わった手前、りせと完二も追試という不名誉な結果だけは出すまいと必死に頑張った結果、千枝達と同じく追試は免れた。
 全員、無事に追試を免れて夏休みを迎えられる記念だと、ジュネスのフードコートに集まる。

「そういや、明日は雨のようだから、念のためにマヨナカテレビのチェックはしておこうぜ」

 一息ついたところで、陽介がそう切り出す。
 警察が動いているとはいえ、犯人はテレビの中へ人を放り込む事が出来る相手だ。
 一筋縄では行かない可能性がある。
 そう話す陽介の言葉に、鏡達は頷く。
 ニュースでも捜査状況についての発表はなく、未だ気を抜けない状況だ。
 何も映らなければ良いのだが……
 鏡達の心配は現実の物となる。


 翌日の深夜になり、マヨナカテレビに鮮明な映像が映し出された。
 壁を背にして立つ少年の姿。
 その表情には覇気が無く、暗い瞳をした少年だ。

『みんな、僕のこと見てるつもりなんだろ? みんな、僕の事をしってるつもりなんだろ?』

 ぼそぼそと抑揚のない声で少年は淡々と語る。
 それなら、自分を捕まえてみろと、映像の少年が呟いた所で映像は途絶えた。
 映像が消えてすぐに携帯電話に着信音が鳴る。
 相手は陽介からで、鏡は携帯電話を通話状態にして電話に出る。

『おい、見たか!? 今の誰だ? 俺、知らねえよ……ニュースや特番で見掛けたか?』

 そう話す陽介の後ろから、陽介を呼ぶクマの声が聞こえる。

『……っと、あー分かった、うるせーな! 悪ィ、クマに代わるわ』

『センセー! クマクマー!』

 陽介と代わったクマは鏡に、映像に映った人物の抑圧された思いに向こうの世界が呼応して映像が映し出されているという。
 そして、先ほど映像に映った少年は多分、向こうの世界に入っているとクマは説明する。
 どうするのか訊ねるクマに、鏡はまずは皆で集まって対策を考えようと話す。
 冷静な鏡の判断に感激したクマの後ろから、陽介がいつもなら事前映るのはハッキリしない映像だろうと声を荒げる。

「陽介、ひょっとしたら今さっき映った少年が警察に手配されている子じゃないかな?」

 クマと代わった陽介に鏡はそう話す。
 陽介もその可能性を考えたが、今は結論を急ぎすぎていると判断する。
 明日から夏休みなので、ジュネスにすぐに集まって、結論を出すのはその時だと陽介は鏡に話す。
 陽介との電話を終えると、すぐさま携帯電話に着信音が鳴る。
 相手は千枝からで、鏡は再び携帯電話を通話状態にして電話に出る。

『あ、やっと掛かった! 花村もずっと電話中で……』

 千枝の言葉に、鏡は先ほどまで陽介と話していた事を説明して、クマも交えた話の内容を伝える。
 鏡の説明に千枝も、先ほど雪子と鏡達と同じ可能性を話していた事を告げ、明日すぐに集合しようと話す。
 千枝との通話を終え、携帯電話をしまった鏡は布団へと入ると目を閉じ今後の事を考える。
 これまでと違い、最初から鮮明に映し出されたマヨナカテレビ。
 相手はすでに向こう側に居るという。
 解らない事だらけだが、皆で考えればきっと打開策を見付ける事が出来る。
 明日へと備えて、鏡は眠りにつくのであった。




2011年06月26日 初投稿



[26454] ボイドクエスト
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/07/13 02:24
――――煩わしい日常に、自分の事を認めない連中

  自分達は何も出来ないクセに、人の事を陰で馬鹿にして……

         あんな奴等とは違う事を

      ハッキリと連中に知らしめてやるんだ




 マヨナカテレビに映像が映った翌日。
 鏡達はジュネスのフードコートに集まって、先日の事を話し合っていた。
 りせとクマは向こう側に誰か居ないかを確認しに行っているため、今はこの場には居ない。

「いきなり顔までハッキリ映っていたから、気になって千枝に電話したの」

 そう言って話を切り出した雪子が言うには、昨日テレビに映った人物が“犯人”なのではないかという疑問。
 その事は、先日の陽介との電話で鏡達も感じていた疑問だ。
 直斗から聞いた話では、容疑者は“高校生の少年”で、諸岡の件で足がつき指名手配中らしい。
 そして、昨日のテレビでの自身を捕まえてみろという挑発と取れる発言。
 鏡達の話について行けない完二に、陽介は例え話を聞かせる。


 何かの切っ掛けで“向こう側”へと入れる力を得た少年。
 その少年は、何かの動機から命を奪う目的で人を次々とテレビに放り込んでいく。
 別の世界という、警察には証明できない手段による犯行ならば、足がつかないだろうとの判断からだ。
 ところが、最初の時より以降は誰も命を落とす事がなくなる。
 仕方なく諸岡の時だけは、直接手を下すと指名手配をされる結果になり、少年には逃げ場が無い。

「あ……もしかして、逃げ込むために自分から“あっち”へ行ったって事スか?」

 陽介の例えを聞いて、ようやく完二にも状況が飲み込めたようだ。
 感心した完二は『先輩、意外と頭いっスね!』と、褒めているのか貶しているのか解らない感想を述べる。

「テレビに映った人を狙った理由はよく分からないけれど、諸岡先生にだけは、本当に恨みがあったのかも」

 そう言って、雪子が足のつく覚悟までして殺害を実行した事を理由に挙げる。
 テレビが全く関係してなかった理由も、それならば一応の説明が付く。
 しかし、そう言った雪子自身も今ひとつ自信がある訳では無さそうだ。

「けどさ、自分から向こう側へ行って帰ってこれるのかな?」

 雪子達の話を聞いていた千枝がそんな疑問を零す。
 向こう側から戻ってくるには、クマの力が必要だ。
 現在、そのクマはこちら側で生活しているため、自分達が向こう側へと出向かない限り戻ってくる事は不可能と言っても良い。

「ま、追いつめられた結果ヤケを起こして、向こう側に行った可能性が高いよな」

 千枝の疑問に陽介がそう答える。
 それに、雪子や完二はともかく、“芸能人であるりせ”が死んでいない事は犯人も知っているはずだ。
 少なくとも、向こう側から“出てくる”方法があると思って入った可能性もある。

「彼が一連の事件、全ての犯人だったとしたらね」

 それまで陽介達の話を聞いていた鏡が、陽介達とは違った考えを話す。

「姉御、そりゃ、どういう……」

 陽介が鏡に訊ねようとしたところで、向こう側から戻ってきたりせが鏡達の元へと駆け寄ってくる。
 りせが戻ってきた事で、陽介は鏡への質問を後にして向こう側の様子をりせに訊ねる。
 誰かが中に居ることだけは間違いないそうだが、情報が少なすぎて居場所が特定できないとりせは説明する。
 クマはまだ、向こう側で捜しているそうだ。

「そういや、さっきは途中だったが、アイツが一連の事件全ての犯人だったらって、どういう意味だ?」

 陽介が鏡に、先ほど聞きそびれた質問をする。
 その質問に鏡は、幾つかの疑問点を挙げる。

 彼が犯人だとして、誰にも目撃された様子がない事。
 雪子達を攫ってから、短時間で向こう側へと送った方法。

「一番の疑問は、彼が不意打ちにしても、完二君を攫えるとは思えない事ね」

 もっとも、雪子達も攫えるようには思えないと、鏡は陽介達に説明する。
 鏡の説明を聞いた陽介も、先日見たテレビでの少年の様子に鏡の疑問ももっともだと納得する。
 少なくとも、腕っ節で完二に敵うようには到底見えない。

「そういや、あの白鐘ってヤツと話していた時に、『その可能性を考慮に』とかって言ったよな?」

 陽介の確認に鏡は直斗も自分と同じように、現在指名手配されている少年は模倣犯の可能性を考慮に入れている事を話す。
 テレビに入れる事を断念したのではなく、元々そのような手段がある事を知らないだけなのではないか?
 殺意はあったかも知れないが、自身が掴まるリスクを冒してまで殺害するとは考えられない。

「とはいえ、向こう側に居る彼から話を聞いてみない事には、本当の事は分からないのだけどね」

 現時点では推測の域を出ていないが、そう考えた方が辻褄が合うと鏡は話す。
 少年から事実を聞き出さない限り、何も分からない事には変わらない。
 現時点では、少年の名前すら分かっていない状況だ。
 向こう側での捜索はクマに任せ、鏡達は少年が誰なのかを確かめるべく手分けして情報を集める事にする。

「ったく、これまで通り簡単にはいかないか、流石に……」

 暑さに辟易した様子で、陽介が呟く。
 これまでと違い、情報を集める事は困難だった。
 雪子や完二、りせの時と違って、互いに面識がある相手でない事が主な原因だ。
 予想はしていたが、それ以上の状況に鏡達は悩まされる事となる。
 この日は特に情報らしい情報を得る事が出来なかったが、翌日以降も情報集めを続ける事にして、それぞれ帰宅する。


 いつものように、ジュネスへと買い出しに向かう鏡の携帯電話に、メールの着信音が鳴る。
 差出人は遼太郎からで、今日は稲羽署に泊まり込みになるそうだ。
 そのため、着替えを取りに足立を連れていったん戻って来るそうなので、足立の分の晩ご飯も用意してくれとの事。
 メールを確認し終えた鏡は、ピリ辛風に味付けした豚の生姜焼きをメインに、茄子とオクラの澄まし汁を作ることに決める。
 暑さで食欲が低下している可能性もあるので、食欲が出るように梅干しの炊き込みご飯も献立に加える。


 必要な食材を購入した鏡は帰宅すると、いつものように菜々子に手伝ってもらい準備を進めていく。
 ある程度の準備が出来ると、菜々子に遼太郎の着替えを用意してもらい、その間に自分は料理の仕上げに取り掛かる。
 料理が出来上がる頃になって、足立を連れた遼太郎が帰宅する。

「急な頼みをしてすまないな」

「大丈夫ですよ、手間は変わらないですから」

 そう言って謝る遼太郎に鏡は笑顔で答えると、二人に手を洗ってくるように伝える。
 それほど時間に余裕がない遼太郎達は、鏡の言葉に従い手を洗いに行く。

「暑さで食欲が落ちていたけど、これだと幾らでも食べられますね!」

 炎天下の中での捜査に疲れ気味だった足立がそう言って、嬉しそうに出された料理を平らげていく。
 遼太郎も口には出さないが、少し疲れた様子を見せている辺り、捜査は難航しているのだろう。

「その様子だと、捜査は難航しているようですね。忙しいとは思いますけれど、ちゃんと食事は摂って下さいね?」

「そうなんだよ。容疑者が商店街でバイトしてたって情報を掴んだから、そっちも調べているんだけど、手掛かりが無くてね……」

「足立っ、要らん事を話すなっていつも言っているだろう!」

 鏡の言葉に口を滑らした足立を遼太郎が叱責する。
 遼太郎の言葉に、自分がまた余計な事を言った事に気付いた足立はバツの悪そうな表情になる。

「……鏡、すまんが今コイツが言った事は忘れてくれ」

 疲れた様子で話す遼太郎に、鏡は内心では申し訳なく思いつつも頷いてみせる。
 食事を摂り終え菜々子から着替えを手渡された遼太郎は、後の事を鏡に任せ、足立を連れて稲羽署へと戻る。


 戸締まりをして、いつものように菜々子と入浴をすませて寝かし付けた鏡は、陽介達にメールを送信する。
 メールには少年の事は一切書かず、『調べ事の目処が付いたので、明日いつもの場所で』とだけ書き込む。
 これは、事件について関わっているという証拠を残さないための配慮だ。
 遼太郎に同意した手前、あからさまに少年の事を書く訳にはいかない。
 もっとも、これが詭弁である事を鏡自身も重々理解はしているのだが……




 翌日になって、ジュネスのフードコートに集まった陽介達に、鏡は足立から得た情報を話す。
 鏡の説明に、陽介は何とも言えない困惑した表情を見せる。

「なぁ、姉御。情報が手に入ったのは良いんだが、足立って刑事、そんなんで大丈夫なのか?」

 陽介の懸念に対して、鏡自身も大丈夫だと断言できる自信は持てなかった。
 遼太郎が側に居れば大丈夫だとは思うのだが、彼個人だと口を滑らす確率が高いと思われる。
 とはいえ、足立の失言で必要な情報を入手できたのだから、文句を言えば罰が当たるだろう。
 取り敢えず、足立の事は脇に置いて、少年がバイトをしていたという商店街の店を探さなくてはならない。


 丸久豆腐店と巽屋は除外して、残りの店舗である“四目内堂書店”、“だいだら.”、“四六商店”、“愛屋”、“総菜大学”。
 ガソリンスタンドも春先には募集をしていたようだが、すぐに募集を締め切っていたそうなので、これも除外して良いだろう。
 聞き込みに向いていない完二と、今も向こう側を探っているクマを除いた残りで、それぞれの店舗に聞き込みへ向かう事にする。


 鏡が向かった先は“総菜大学”で、都合良く他の客の姿は無い。
 暇そうにしている店員に、鏡は以前に学生がバイトをしていなかったかを訊ねてみる。
 店員は鏡の質問に表情を変えると、声をひそめて雇っていたが、すぐに根を上げて辞めてしまったと鏡に話す。
 暗い性格で挨拶も出来ないし、全く話そうともしなかったらしい。


 以前バイトをしていた子が、中学の同級生だと話していたそうなので、その子から聞いた方が良いとも言われた。
 なんでも、その辺りで時々見掛けるそうで、金髪にしているから目立つだろうと教えられた。
 聞き込みを終え、陽介達と合流した鏡は先ほど聞いた話を皆に伝える。

「この辺をうろついている金髪の少年か……」

 鏡の話を聞いた陽介がそう呟く。
 時々という事なので、今から捜して見つかる可能性は低いように思われる。

「ね、彼の事なんじゃないかな?」

 どうやって金髪の少年を見付けるか思案していると、千枝がそう言って指を差す。
 千枝が指さした方を見ると、確かに金髪の少年がこちらに向かって歩いている。
 鏡達は金髪の少年を呼び止めると、総菜大学での事を話す。

「なに、アンタら例の“やらかした少年”の写真が見たいの?」

 鏡達の話を聞いた金髪の少年は、ニヤニヤと底意地の悪そうな表情を見せると、得意気に一枚の写真を取り出す。
 その写真には一人の制服姿の少年が写っており、その姿は間違いなくマヨナカテレビに映っていた少年だった。
 少年の名前だろうか? 写真の下には、“久保美津雄”と書かれている。

「コイツ、退学にさせられた腹いせにやっちまったって話だぜ」

 そう言って、金髪の少年は写真の少年と同じ高校に通っている友達から聞いた話だといって色々な事を話してくれた。
 中学の時から変わらず、思い込みが激しく自己中心的な所がある事。
 人付き合いが悪く、協調性に欠ける事。
 ひとしきり少年の事を話した後で、『いつかはやるんじゃないかと思っていた』と、愉快そうに言い残して金髪の少年は去っていった。
 鏡達はひとまず向こう側に移動して、これまでの情報を纏める事にする。

「マヨナカテレビに映ってたの、アイツで間違いないな」

「あの子……ウチの店に来たことある……偵察してたって事?」

 陽介の言葉に、りせが先ほどの少年について思い出した事を話す。
 豆腐を売っていたりせに、“暴走族、困るでしょ?”と話し掛けてきて、延々と悪口を言っていたそうだ。
 りせの話で、先ほど聞いた話の通りの思い込みが激しい人物である事が伺える。
 あしらい方は慣れていたが、色々と疲れていたので無視していたのが原因で自分は攫われたのかなと、りせは呟く。

「あ……? や、オレ、ゾクじゃねえっつの! ハァ……あのクソ番組のトバッチリかよ……」

 ウンザリとした表情で完二がそう話す。
 久保が犯人だとすると、間違いなく自分は特番のトバッチリで狙われた事になる。
 それが切っ掛けで鏡達と知り合えた訳だが、釈然としないものを感じるが……

「思い出した、アイツだ!」

 何やら考え込んでいた千枝が突然そう叫ぶ。

「鏡が転校してきた日、いきなり告ってきたじゃん!」

 千枝の言葉に、陽介も当時の事を思い出す。
 確か、下校時の校門前でいきなり“雪子”と呼びつけてきた少年だ。
 あんな僅かな事なのに、良く覚えていたなと感心する陽介に、千枝は話し掛けてきたのは初めてだが、雪子の周りによく居たと話す。
 振られた腹いせに雪子を攫ったのかと憤慨する千枝に、振ってないけどと雪子が困惑気味に答える。

「こんだけ動機が揃ったんじゃ、姉御の推測は外れっぽいよな」

 陽介の言う通り、これだけ動機が揃うと全ての事件の犯人である可能性が高くなってくる。
 しかし、鏡は未だに久保が真犯人である事に疑問を感じずにはいられない。
 総菜大学での仕事に、すぐに根を上げて辞めるような人物が不意打ちとは言え、完二を攫う事が出来るとは到底思えないのだ。
 その事を話すと、確かに完二をどうこう出来るとは思えないが、動機が揃っている分、後は本人に直接聞くしかないと陽介は答える。

「方角、分かるか?」

 陽介の問い掛けに、りせはヒミコを召喚すると改めて久保の居場所を探し出す。

「居た……見付けたよ!」

 りせの案内で訪れた場所は、レトロなゲームを思わせる場所だった。


        → GAME START 


          CONTINUE


 入り口と思わしき場所の上部に、ゲームのスタート画面と思わしき文字が浮かんでいる。
 唖然とする千枝に、陽介は捕まえてみろと言ってたくらいだから、ゲーム感覚なんだろうとウンザリした様子で話す。

「鏡……私、知りたい。何であんな事をしたのか」

 雪子が鏡にそう言って、自分が狙われた理由を知るために探索組に加えて欲しいと願い出る。
 同じ理由で完二も探索組に加え、最後の一人は前線に加わったクマだ。
 準備を済ませた鏡達は、久保を見つけ出すために探索へと乗り出す。




 中へと入ると、ドット画のような古城を思わせる内装に、いかにもゲームといった印象を感じる。
 探索へと乗り出そうとした鏡達の眼前にまたしても文字が浮かび上がる。
 その文字は、“ぼうけんをはじめる”と“ぼうけんをやめる”と書かれており、カーソルが勝手に動き“ぼうけんをはじめる”を選択する。
 続いて、“なまえをいれてください”と文字が現れ、これも勝手に“ミツオ”と入力される。

『えっ!? 何これ? ゲーム開始って事!? 何かムカつくー!』

 一連の流れにりせが癇癪を起こす。
 確かに、人を馬鹿にしたような状況に鏡も内心では、あまりいい気がしていない。
 これが自分達を怒らせる事で判断力を鈍らせるための罠だとしたら、油断は出来ない。
 どこかに罠が仕掛けられている可能性もあるので、冷静に行動するように心がける。


 現れるシャドウもどことなくゲームを思わせる見た目だが、見た目に反してこれまでのシャドウより強く簡単には倒せない。
 それぞれの弱点属性にも違いがあるが、状況に合わせて的確に相手の弱点を突くように、鏡は行動を指示していく。
 現れるシャドウ達を退けながら探索を続けていく鏡達。
 ようやく見付けた階段で上の階へと移動すると、どこからともなく聞き覚えのある声が聞こえてくる。

『わあっはっはっはっ! くさった ミカンの ぶんざいで ワシに はむかうとは いい どきょうだ!』

 諸岡を思わせる声が途絶えると、“ミツオは いしきを うしなった……”という文字が現れる。

『えっ!? ウソ……どういうこと?』

 状況からすると返り討ちに遭ったと思わしき内容に、りせが戸惑いの声を上げる。
 りせが戸惑うのももっともで、状況通りだとゲームオーバーになっている筈なのだ。
 しかし、状況は解らなくとも先へと進むしかないので、気を取り直して鏡達は先へと進む。

『おはよう。ゆうべは よく ねむってた みたいね。パトカーの おとが あんなに すごかったのに きづかないで ねてるんだから』

 再び聞こえてきた声は女性の声で、おそらく久保の母親と思われる。
 話の内容からすると、山野アナか諸岡の事件のどちらかだろう。
 これまでは自身の心の内を伝えようとしていたのに対して、ココでは久保自身の思いは伝わってこない。
 まるで、自身に対して感心がなく、他人の事ばかりを気にしているように思える。

『何だか狭いフロアだね』

 りせの言う通り、三階はすぐに行き止まりになる十字路で、先ほど上がってきた階段以外は全て行き止まりである。
 しかし、この場所がゲームをモチーフにしている事を考えると、通路の先に隠し扉があっても不思議ではない。
 周囲を警戒しつつも鏡達は行き止まりを調べに移動する。

『あれ、さっきと場所が変わってる……』

 左手側の行き止まりに到着すると同時に、鏡達の身体に浮遊感が感じられた。
 浮遊感が消えると、りせの言う先ほどとは似ているが違う場所へと移動したようだ。
 その証拠に、通路の中央にはシャドウが現れており、ゆったりと浮遊している。
 通路が狭い上に、どの場所へ繋がっているのかが解らないため、鏡達はシャドウに先制攻撃を仕掛けていく。


 相手は黒蛇の姿をしたシャドウで、以前に戦った白蛇の姿をしたシャドウを思い出させる。
 白蛇の姿をしたシャドウは火炎属性が弱点だったので、試しに鏡はペルソナをカハクへ変更すると、【アギラオ】で攻撃してみる。
 ダメージは与えているようだが、どうやら弱点では無さそうだ。

「ペルクマァー! そいやっ!!」

 クマが召喚したキントキドウジが放つ【ブフーラ】が黒蛇のシャドウに命中した直後、黒蛇のシャドウは地面に墜落する。
 どうやらこのシャドウは氷結系が弱点のようで、クマは残りのシャドウも次々に墜落させていく。

「今がチャンス! いっせいの攻撃クマ!」

 クマの号令に合わせて、鏡達がシャドウへと一斉攻撃を仕掛ける。
 これが決め手となり、シャドウ達は全て消滅する。
 他にシャドウが居ないかを確認してから、改めて探索を再開する。


 どうやら、先に進むと元には戻れない一方通行の仕組みになっているらしく、似たような形の通路が複数存在しているようだ。
 移動した先に必ずシャドウがいる訳ではないが、戦闘を強いられ徐々に消耗させられるのは、心理的に負担になる。
 戻る分の余力も残しておかなければならないので、無理をして先に進み続ける訳にもいかない。
 幸い、りせが皆の体調を把握しているので最悪の事態になる事は無いと思うが、気が抜けない状態が続く。


 途中の小部屋で宝箱の鍵を回収した鏡達は、ようやく上へと続く階段を発見する。
 階段を上ると、またしても宙に文字が浮かび上がる。

 じょしアナが あらわれた!

 どうする?

 鏡達の目の前で、文字は現れては消えていく。
 入り口での時と同じく、鏡達の意志とは無関係に選択されていく。
 選ばれた選択肢は“たたかう”で、“じょしアナ”を倒したミツオがレベルアップした事を告げる文字が現れる。

 たのしさが 4 アップした!

 むなしさが 1 アップした!

『そんな……殺したのもゲーム感覚だったって事?』

 震える声でりせがそう呟く。
 これが事実なら、自分達もゲーム感覚で誘拐されて殺され掛けた事になる。
 そんな理不尽な理由に、りせは絶対に許さないと怒りを顕わにする。

「りせちゃん、気持ちは解るけど、感情的になって周りが見えなくなるのは駄目だからね?」

『あっ、そうだね。私がしっかりしてないと、先輩達が安心して先に進めないよね』

 鏡の指摘に、りせはすぐに気持ちを切り替える。
 この切り替えの早さが、芸能界を渡り歩いてきたりせの強みだろう。
 気を取り直したりせのナビゲーションに従い、鏡達は探索を続ける。

『チガウ……』

 六階に上がってきたところで、今度は抑揚のない虚ろな声が聞こえてくる。

『チガウ……チガウ……チガ……チ……チガ……チガガ……チガガウ……チガウウ……チガ……ガガガガガガガガガガガガガ』

 虚ろな声は徐々に支離滅裂な音の羅列となり、最後は絶叫となってそのまま途絶える。

『えっ!? こ、今度は何? 壊れた……の?』

 これまでとの違いに、りせが不安な様子で話す。
 鏡も今まで見てきた様子と違う事に戸惑いが隠せない。
 罪の意識に苛まれたとも受け取れるが、何かが引っ掛かる。
 奇妙な違和感を覚えるも、それがどこかがハッキリしないので、考えるのは後にして探索を続ける事にする。


 探索を続けていて気が付いた事だが、扉の前にある壁に掛けられたレリーフで、扉の先がどうなっているのかが判断できる。
 蝋燭のレリーフならその扉の先は通路で、盾のレリーフは行き止まりの小部屋。
 剣のレリーフは階段のある部屋を示しているので、蝋燭と剣のレリーフを目印に先へと進む。

『扉の向こうに何か居るよ! 準備はいい?』

 レリーフのない扉の前で、鏡達にりせからの警告が入る。
 これまでからすると明らかに異質な扉に、鏡達は気を引き締めて中へと進む。
 扉の先で鏡達を待ち構えていたのは、黒い手の姿をしたシャドウで、鏡達の姿を確認すると先制攻撃を仕掛けてきた。
 先手を取ったシャドウが指を鳴らすと、どこからともなく白い手の姿をしたシャドウが現れる。
 鏡はペルソナをカハクからティターニアに変更すると、他の皆が使えない疾風属性の攻撃スキル【マハガル】で様子を見る事にする。

『弱点にヒット! 先輩、その調子!』

 黒い手の姿をしたシャドウにはあまり効果は無かったが、白い手の姿をしたシャドウは弱点属性だったようだ。
 鏡は再び【マハガル】で攻撃を仕掛けると、白い手のシャドウはその攻撃で気絶状態となった。
 気絶しているチャンスを逃さないように、鏡は皆に白い手のシャドウから倒すように指示を出す。
 鏡の指示に従い、完二が【ジオンガ】でクマが【ブフーラ】でそれぞれ攻撃を仕掛ける。
 二人の攻撃で白い手のシャドウが消滅すると、雪子が黒い手のシャドウへと【アギラオ】で攻撃を仕掛ける。


 メンバー中、魔法の力が一番強い雪子の攻撃を受けても、黒い手のシャドウは全く怯んだ様子を見せない。
 それどころか、黒い手のシャドウは再び指を鳴らすと、白い手のシャドウを召喚する。

『こいつ何!? 敵が増えたよ!』

 どうやら、このシャドウは自分だけだと仲間を呼ぶ性質を持っているようだ。
 鏡は再び【マハガル】で白い手のシャドウを気絶させると、黒い手のシャドウへと攻撃を集中させるように指示を変更する。
 白い手のシャドウを倒すだけなら、威力の高い【ガルーラ】で攻撃するべきだが、何度も召喚されたらこちらが疲弊してしまう。
 そのため、敢えて威力の弱い攻撃で足止めをして、その間に黒い手のシャドウを倒す算段だ。


 白い手のシャドウが気絶から復活する度に【マハガル】で気絶させ、僅かでも黒い手のシャドウへとダメージを与えていく。
 鏡以外は皆、黒いシャドウへと攻撃を集中させ、相手の攻撃で受けたダメージはクマと鏡が回復させていく。
 本来なら、魔法の威力の高い雪子が回復すれば良いのだが、今回は火力の主軸なので攻撃に専念してもらう。
 一撃の威力は低くとも、ダメージは確実に蓄積されていく。


 鏡達の度重なる攻撃に、黒い手のシャドウから動きの精細さが無くなっていく。
 この機を逃さず、鏡も威力の高い攻撃スキルで黒い手のシャドウへと攻撃を仕掛ける。

「これで、お仕舞いよ!」

 黒い手のシャドウが攻撃をミスして転倒した隙を逃さず、雪子の号令の元、総攻撃を仕掛ける。
 この攻撃で、ようやく全てのシャドウ達を倒す事が出来たものの、鏡達の消耗も激しい戦いだった。
 体力には余裕はあるが、精神力が枯渇寸前の所まで消耗していて、これ以上の探索続行に支障をきたすレベルだ。

『ふぅ……お疲れ様! 先輩、大丈夫? あまり無理はしないでね』

 りせの労いの言葉を聞きながら、取り敢えずこの先に何かがないかを確認するために鏡達は先へと進む。
 先へと進んだ先には青い宝箱が置かれており、中から“くらやみのたま”と言う名の漆黒の球体を入手した。
 何に使う物かは解らないが、あんな番人を用意してまで守っていた物だ。重要な役割があるに違いない。
 取り敢えず、上へと上がってからカエレールで戻る事にする。

『わあっはっはっはっ! くさった ミカンの ぶんざいで ワシに はむかうとは いい どきょうだ!』

 八階に上がると、再び諸岡の声が聞こえてきた。


 諸岡が あらわれた!

 どうする?


 何故か諸岡の名前だけが漢字で現れている。
 鏡がその事に違和感を覚えていると、これまでとは違う選択肢が宙に現れる。


 →ころす

  にげる


 現れた選択肢に驚く鏡の前で、現れたテキストは勝手に先へと続いていく。


 ミツオの こうげき!

 諸岡を 殺した。


 ミツオは レベルアップした!


 ちゅうもくどが 16 アップした!

 わだいせいが 17 アップした!

 かっこよさが 3 アップした!


『なに、これ……! 注目とか、話題とか……信じらんない! 格好いいとか、何よそれ!』

 憤慨するりせとは対照的に、鏡は先ほどのテキストだけがこれまでとは違い、明確に害意を表していた事が引っ掛かった。
 これまでは一度も漢字が使われなかったのに対し、ココでのテキストだけが他とは区別されている。
 それだけ、この事については明確な意志を感じ取る事が出来る。
 改めて、この少年が関わっているのは諸岡殺しのみだと思えてくる。
 とはいえ、雪子達の事件にも関与している可能性も否定できないので、本人から話を聞くほか無い事には変わりがない。
 これまでの様子から、まともに話が通じる状態であるかは疑問が残るところではあるが……


 それはともかく、鏡達の消耗も激しいので、りせ達と合流して“カエレール”で戻る事にする。
 狐に回復してもらう手もあるが、流石に今回の消耗分を回復させるには資金が心許なさ過ぎる。
 少年の身柄を確保する事が目的ではあるが、鏡達自身の安全を蔑ろにしてまで優先すべき事でもない。


 今日の所はいったん戻り体調を万全の状態にしてから、改めて少年の身柄を確保するべきだ。
 こちら側の世界で行動できるのは自分達だけだ。
 その自分達が倒れるような事だけはあってはならない。
 逸る気持ちを抑えて、鏡達は元の世界へと戻る。
 少年の居場所までどれだけなのかは解らないが、少なくとも向こう側の世界から少年が自力で戻れない事だけが幸いだ。
 今は身体を休めて、次こそは少年の身柄を確保するのだと、鏡達は気持ちを一つにする。




2011年07月13日 初投稿



[26454] ひとまずの解決
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/07/19 20:52
――――これで事件は終わりなのだと思った

   犯人である少年は目前で、彼には逃げ場はない

  彼を捕まえる事が出来れば、事件は解決するんだと

      この時は、皆が信じていたのだ……




 先日の疲れを癒した鏡達は、少年を捕まえるために再びダンジョンを訪れていた。
 再開した階層で何度かシャドウ達と戦ってみて、先日よりも戦いやすくなっている事に気付く。
 先日の探索で、鏡達の熟練度が上がった事が主な原因だが、全快した状態で探索している事も要因の一つだろう。
 他の階に見られた仕掛けもなく、シャドウ達との戦闘を行っただけで九階へと到達する事が出来た。

『おお ゆうしゃ ミツオ みごとであった! そなたの……そそそそそなたのののの……』

 聞こえてきた声は、またしても異常な様子を見せて途絶える。
 声が聞こえなくなると、先ほどとは違った虚ろな声が辺りに響く。

『ボクニハ……ボクニハ……ナニモナイ……ボボボボボクニニニニニハナナナナナナナナニニニニモモモナイイイイイイイイイイ』

 壊れたとしか形容のしようの無い声に、少年の精神状態が危険である事が伺える。
 りせが鏡達に少年の居場所が近い事を報告してくると、鏡達は気を引き締めて探索を再開する。
 この階層に存在するシャドウはごく少数で、鏡達は苦労する事なく次の階への階段を発見して上の階へと移動する。
 移動した先は通路のすぐ先が扉になっており、どうやらここが最上階のようだ。

『うーん……この向こうに居るみたいなんだけど……』

 今ひとつ確信が持てない様子でりせがそう話す。
 しかし、ここ以外に行ける場所は無いので、鏡達は扉を開けて先へと進もうとする。
 鏡が扉に手を伸ばすと、扉の少し手前に見えない壁のような存在があり、扉に触れる事が出来ない。
 下の階層で拾った“くらやみのたま”の事を思い出した鏡は、ひょっとしてと思い、それを取り出してみる。
 すると、“くらやみのたま”から漆黒の闇が溢れ出して、見えない壁を浸食していく。
 暫くすると、“くらやみのたま”はただのガラスの玉へと姿を変える。
 見えない壁が無くなり、扉に触れる事が出来るようになると、鏡は改めて扉を開いて先へと進む。


 扉の向こう側は闘技場のような場所で、マヨナカテレビに映った少年が同じ姿をした少年と対峙していた。

「テメェが久保か! 野郎、歯ぁ食いしばれッ!!」

 そう言って意気込む完二を陽介が『様子がおかしい』と言って制する。
 確かに陽介の言うとおり、これまでと違って何か様子が変だ。

「どいつもこいつも、気に食わないんだよ……だからやったんだ、このオレが! どうだ、何とか言えよ!!」

 鏡達に背を向けている少年が、激しい身振りで眼前の少年にそう叫ぶ。
 しかし、眼前の少年は無表情で少年の言葉に何も感じていないようだ。

「女子アナだけじゃ、誰も俺を見ようとしない。だから俺がやってやった! オレが、あの諸岡を殺してやったんだっ!!」

 少年の自白に鏡達は驚くが、眼前の少年は先ほどと全く変わらず、無表情のままだ。
 その様子に、少年が怯んだ様子で何故黙っているのかを訊ねる。

『何も……感じないから……』

 その言葉に、少年は激しく激昂する。

「な、なによ……? どっちがシャドウ?」

 眼前のやりとりに、千枝が困惑気味に呟く。
 これまでの抑圧された自分達は、その心に押さえ込んでいた想いを吐き出していた。
 今回はそれらとは全く違い、抑圧されていたもう一人の自分の方が本人に見える。

『僕には……何も無い……僕は、無だ……そして……君は、僕だ……』

「なんだよ……なんだよ、それッ! オレは、オレは無なんかじゃ……」

 自分自身の存在を否定するかのような発言に、少年は自分はそうではないと反論しようとする。

「いけない、このままじゃ……!」

 雪子の声に気付いた少年が背後を振り返り、鏡達の姿を見て驚きの声を上げる。
 これまで、誰一人として他人が居なかった場所での久しぶりに見た他人。
 突然の事に、少年は動揺を隠せない様子で鏡達に何者で、ここで何をしているのかを詰問する。

「るせえ! テメェを追って来たに決まってんだろが!」

「アンタが……犯人なの?」

 完二と千枝の言葉に少年、久保は愉悦の表情を浮かべると、笑い声を上げて肯定する。
 全部自分がやった事。目の前の偽物が何を言おうが関係ない。

「オレの前から消え失せろっ!」

 その言葉に、もう一人の久保はどこか落胆した様子を見せる。
 再び鏡達へと振り返った久保は、鏡達にも敵意を向け『まとめて殺してやる!』と、憎悪に満ちた視線を向ける。

「オレは出来る……オレは、出来るんだからな!」

 その様子は、自分にそう言って信じ込ませないと何も出来ないのだと、虚勢を張っているようにしか見えない。
 見えない何かに怯える久保は、自分の存在を必死に顕示する。
 先ほど言われた言葉を肯定するかのように……

『認めないんだね、僕を……』

 落胆した様子でもう一人の久保が呟くと、久保が崩れ落ちるようにその場に倒れ込む。
 自身の身に何が起きたか解らない久保が戸惑った声を上げると、次の瞬間には悲鳴を上げる。
 久保の身体から抜け出すようにして現れた影。
 胎児の姿をしたそれは、頭部の周りに意味不明の文字列を輪のように巡らせている。

「くそっ……結局こうなんのかよッ!」

 そういって陽介がこれまでと同じく、抑圧された自分と戦う事に苛立ちの声を上げる。
 そんな陽介にりせが眼前のシャドウを倒せば、事件解決は目の前だと檄を飛ばす。
 眼前の胎児が呻き声を上げて頭を押さえると、胎児の身体を覆うようにドット絵の剣を持った勇者の姿が現れる。

『僕は……影……おいでよ。空っぽを、終わりにしてあげる』

 電子音のような無機質な声が鏡達に語りかけてくる。
 シャドウを調べたりせの説明によると、勇者の外側を崩さないと本体には攻撃が出来ないとの事だ。

――弱い自分を覆い隠す虚勢の鎧

 ペルソナと似ていて、その在り方が全く逆の存在。
 様々な困難と相対するための“覚悟の仮面”であるペルソナに対して、弱い自分を強く見せるための“虚勢の仮面”と言うべきか。
 それは、久保という少年の有り様を証明するかのように存在する。


 “導かれし勇者ミツオ”と表示されたシャドウに対して、鏡は【ラクンダ】で防御力を低下させる。
 完二が【剛殺斬】で攻撃するも、物理攻撃に耐性があるのか、思ったよりもダメージが通りにくい。
 クマと雪子はそれぞれ【ブフーラ】、【アギラオ】でシャドウを攻撃する。
 雪子の放つ【アギラオ】は【火炎ブースター】の効果もあり、元から高かった火力が更に向上している。


 シャドウは雪子を標的に定めると、手にした剣を振り下ろす。
 デフォルメされた見た目と違い、その攻撃力は高く先日戦った黒い手のシャドウ並かそれ以上だ。
 重い一撃を受けた雪子は辛そうな表情を見せるも、何とか倒れずに済んでいる。


 鏡はすぐさま雪子を回復しようとしたが、それよりも早くシャドウが二回目の攻撃を仕掛けてくる。
 攻撃の対象はクマで、先ほどと同じように剣をクマへと振り下ろす。
 その攻撃に対してクマはとっさに身を躱して攻撃をやり過ごす。

「コイツ、見た目と違ってオレ達よりも早く動けるのか!」

 シャドウの攻撃に完二が舌打ちする。
 鏡は完二に【ラクカジャ】で雪子の防御力を上げるように指示すると、自身は【ディアラマ】で雪子を回復する。

「ゴー、キントキドウジ!」

 クマは【マハタルカジャ】を使い、全員の攻撃力を上げると、回復した雪子が再び【アギラオ】でシャドウを攻撃する。
 何度目かの攻防で、外殻を破壊され、本体を晒したシャドウはそのまま墜落すると、身動きが取れなくなる。

「今がチャンスよ! 準備はいい?」

 その隙を見逃さず雪子の号令の元、一斉攻撃を仕掛ける。
 鏡達の一斉攻撃を受けたシャドウ本体は、あまり効いた様子を見せず浮かび上がると【赤の壁】を使う。
 続いてシャドウ本体は【淀んだ空気】を使い、鏡達に状態異常攻撃が定着しやすいようにする。


 鏡はペルソナを“フォルトゥナ”に交換すると、“フォルネウス”から継承した【ラクンダ】で再びシャドウの防御力を下げる。
 完二とクマがそれぞれ【ジオンガ】と【ブフーラ】で攻撃し、雪子も【アギラオ】で攻撃するが、【赤の壁】の効果で威力が半減してしまう。
 シャドウ本体は【マハラギオン】で鏡達を攻撃した後で、【デカジャ】を使い鏡達に掛かっている上昇効果を打ち消してくる。


 どうやら、シャドウ本体は自身に対して使った属性耐性と同じ属性で攻撃してくるようで、効果が切れるまで同じ攻撃を繰り返してくる。
 その属性がそれぞれの弱点だった場合、追撃を受ける事になるので、鏡は効果が切れるまで防御に徹するように指示を出す。
 耐性の効果が切れると、シャドウ本体は外殻を再構築し始める。

『あの殻の完成までには、時間が掛かるみたいだね……完成するまでに壊しちゃえ!』

 りせの指示を受け、鏡達は外殻の完成を阻止すべく、鏡がネコショウグンの【マハタルカジャ】で全体の攻撃力を上昇させる。
 鏡からの補助を受けた完二達が、それぞれの一番火力のある攻撃を仕掛ける。
 外殻が完成するギリギリのタイミングで阻止する事に成功すると、再びシャドウ本体は墜落して身動きが取れなくなる。


 この機を逃さず鏡達は再度、一斉攻撃を仕掛ける。
 【ラクンダ】と【マハタルカジャ】の効果が残っていた分、先ほどよりシャドウ本体へと与えるダメージは大きく、僅かにシャドウ本体が怯む。
 それでもまだ、シャドウ本体は弱った様子は見せず依然、鏡達の隙を窺っているようだ。
 攻撃パターンは把握できたが、攻撃の手札が多く、鏡達は一時も気が抜けない状況で戦い続ける。


 外殻を纏っている時と違い、シャドウ本体自身の攻撃力は低く、それよりも属性耐性とその属性による攻撃の方が厄介だ。
 弱点を突かれる事に注意しておけば、致命傷となる一撃はやってこないので、鏡達は自身の弱点を突かれないように意識を集中する。
 鏡達が弱点を突かれないように行動していると、シャドウ本体は手段を変えて攻撃してくる。
 再び【淀んだ空気】を使い、その直後に【デビルタッチ】を使い、雪子を恐怖状態にする。

『雪子先輩が怯えているよ!』

 りせの警告に、鏡は“鎮静剤”で雪子の恐怖状態を回復させる。
 その間も、クマと完二はそれぞれ攻撃に専念し、少しでもダメージを与えようと行動する。

『僕はね……僕がここに居る証拠が欲しいんだ……だから……君らを殺さなきゃ!』

 身勝手と言えば身勝手な言い分だが、そんな事でしか自身の存在を確かめられない事に悲哀を感じる。
 だからこそ、今ここで彼の凶行を止めなければならない。
 これ以上の被害者を出さないために。そして、何よりも彼自身のために……
 奇しくもそれは、遼太郎が抱いた想いと同じ想い。


 辛い戦いだが、ここで負ける訳にはいかないと、鏡達は持てる力を振り絞り攻撃を続ける。
 いつ終わるとも解らない戦いは、徐々にだが終わりに近付いていく。
 鏡達の攻撃に、グッタリとした様子を見せるようになったシャドウ本体に、鏡達はここが正念場と油断無く攻撃を加えていく。
 何度となく繰り返した、外殻を破壊してからの総攻撃。
 ようやく力尽きたシャドウ本体はゆっくりと墜落すると、その身を再び少年の姿へと変じる。

「うぁ……」

 それと同時に、久保が意識を取り戻す。
 状況が飲み込めていない久保は、鏡達の姿を見るなり『お前ら……一体、何なんだよ!?』と、鏡達に食って掛かる。
 久保の詰問に、陽介が諸岡と山野アナ両名の殺人容疑で警察が追いかけていると告げる。
 その上で、久保に全ての事件の犯人なのかと問い掛ける。


 陽介の問いに、呆然としていた久保は笑い声を上げ、全て自分がやった事だと得意気に認める。
 そんな久保の様子に完二が拳を握りしめ、苛立たしげに久保を睨み付ける。

「諸岡の野郎だけじゃない、頭悪そうな女子アナも……全部オレがやったんだよ! オレが、全部だ!!」

 久保がそう宣言した瞬間、もう一人の久保が黒い霧となって消滅する。
 今までにない状況に、りせや千枝が困惑の表情を浮かべる。
 もう一人の自分が消えた事に気付いた久保が、清々した表情を浮かべて喜ぶ。
 その直後、久保はその場に崩れ落ちて再び意識を失う。

「かなり消耗してる……とにかく、早くこっから出さないと!」

 りせにそう言われた鏡は“カエレール”を使いダンジョンを後にする。
 入り口広場へと戻ると、外に誰も居ない事を確認してから元の世界へと戻る。




 家電売り場へと戻って少しすると、久保が意識を取り戻す。
 朦朧とした意識でここがどこかを訪ねる久保に、ジュネスの家電売り場だと陽介が答える。

「なんで……んな、トコ……なんなんだ……お前ら……や、やめろ……なんで、テレビが……ううっ……」

 どうやら意識が混濁しているようで、話している事が支離滅裂になっている。
 そんな久保に、クマはどうしてこんな事をしたのかと問いつめる。
 久保は自身を問いつめるクマの姿に、虚ろな笑いを返すと着ぐるみ姿で馬鹿じゃ無いかと虚勢を張る。
 陽介が余計に混乱するからと言ってクマを下がらせると、改めて本当に全ての事件は久保が行ったのかと訊ねる。

「しつけえんだよ……何度も、そう……言ってんだろ……」

 そう答える久保に、りせが何でこんな事をしようとしたのかを尋ねる。

「人を二人も殺そうなんて……」

 りせの言葉を継いで、千枝がそう久保に訊ねる。
 千枝の言葉に僅かに俯いた久保は、虚ろな様子から一変して笑い声を上げる。
 豹変した久保に驚く鏡達に、町の騒ぎを見ただろうと久保が話す。
 久保は、大騒ぎになった事件を全て自分一人が起こしたのだと、得意気に語る。

「目立ちたかったって事なのか……?」

「私や他の人を狙ったのは、どうして? どうやって攫ったの?」

 久保の言葉に、陽介と雪子がそれぞれ訊ねる。
 この時になってようやく、久保は相手が雪子である事に気付いたようだ。
 今さら自分と話したいとかあり得ないと、要領を得ない言葉を呟いている。
 そんな久保に雪子は、質問に答えるように詰め寄るが、久保は誰でも良かったのだと犯行の動機を語る。
 誰も彼もがむかつくヤツばかりだと。


 誰でも良かったと語る久保に、陽介は憤りを顕わにする。
 そんな事が理由で、早紀は向こう側へと放り込まれて命を危険に晒され、あまつさえ記憶を失うハメになったのか。
 憤りは押さえられない怒りとなって、今すぐにでも久保を殴りつけたい衝動に駆られる。

「てめえ……覚悟ぁ出来てんだろうな?」

 陽介よりも早く、完二が久保に詰め寄る。
 久保は完二を見上げると、歪んだ笑みを浮かべながら自分を殺すのかと訊ねる。
 そんな久保に、完二は冷たい視線を向けたまま襟首を掴んで立ち上がらせると、思い上がるなと久保の言葉を切り捨てる。

「くたばって良いのは、てめえのした事がどんだけ重いか……骨身で解った後だ!」

 そう言うと、完二は掴んでいた手を離し久保を解放する。
 久保はそのまま地面に座り込むと、項垂れて大人しくなる。

「……警察」

 そう言って、完二は陽介に今すぐ警察を呼ぶように促す。
 完二に言われて、陽介は当初の目的を思い出し警察へ久保を見付けた事を通報する。
 遼太郎に疑われている鏡がこの場にいたら拙いので、警察への引き渡しは陽介と完二が行う事にする。
 女性陣とクマは陽介達が戻ってくるまでフードコートで待つことにして、鏡達は先にフードコートへと移動する。




 警察へと身柄を轢き渡し終え、簡単な事情聴取を受けてきた陽介達がフードコートに上がってきたのは、それから暫くしてからだ。
 陽介の方がどことなく疲れた様子を見せていたが、どうやら事情の説明は陽介が行っていたらしい。
 鏡達が買ってきた飲み物を受け取り、喉を潤しながら陽介は説明が面倒だったと語る。
 陽介が説明するには足立がすごく嬉しそうな様子で、遼太郎に怒鳴られていたそうだ。
 その光景が容易く思い浮かべられる辺り、足立という人物像が固まって来ているのかも知れない。

「後、堂島さんが姉御が関わってないか気にしていたようだから、無関係だと説明しておいた。すまないが、口裏合わせを頼むな」

 陽介の気遣いに、鏡はお礼を述べる。
 その感謝に照れたのか、僅かに顔を赤らめた陽介は『気にするな』と答える。

「動機が“目立ちたいだけ”なんて……あんまりだよ……」

 先ほどの久保の言葉を思い出した千枝が、やりきれない様子で呟く。
 久保が捕まった事で、事件は解決し向こう側の世界も平和になるとクマは喜んでいる。
 りせも後は警察に任せるべきだと話し、自分達の役目もやっと終わったんだなと陽介が感慨深げに話す。


 三ヶ月に満たない間に、本当に色々な事があったと雪子が話すと、クマが“逆ナン”の事を引き合いに出す。
 クマの発言に、いい加減その話題は忘れて欲しい雪子は癇癪を起こす。
 事情を知らない完二がその事に興味を示すが、雪子に“サウナでの事”を引き合いに出されて沈黙させられる。
 一番最後に仲間になったりせが、自分も他の面々の分を見たかったと悔しそうに話す。

「そっか、俺と姉御だけか、全員分見たの」

 りせの言葉に陽介が鏡に話し掛ける。
 確かに、全員分を見たのは鏡と陽介だが、厳密に言うと全員分を見たのは鏡だけだ。

「そう言えば、花村の時は鏡がペルソナ使って、問答無用で叩きのめしたって聞いたけど、詳しく教えてよ」

 鏡から話を聞こうとする千枝を制止しようと慌てる陽介が、鏡だけ何もなかった事を思い出す。
 陽介の言葉に、りせが感心した様子を見せるが、本当かどうかを僅かに疑っているようだ。

「そういや、姐さんを“リーダー”って呼ぶの、考えてみりゃ、しまいなんスかね……」

 寂しそうに完二がそう呟く。
 完二の言葉に、千枝も何だか寂しいねと話すと、りせが名案を思いついたとばかりに“打ち上げ”をしようと提案する。


 りせの突然の提案に、驚く鏡達にりせはドラマの撮影とかだと必ずやるよと説明する。
 千枝とクマがりせの提案に乗り気で、特にクマは天城屋旅館に泊まりたいとリクエストする。
 どこで覚えてきたのか、『宴会、お座敷、温泉、浴衣、ゲイシャ、フジヤマ、ウハウハ!』と怪しげな発言をする。
 クマのリクエストに、雪子は楽しそうだけど今日はちょっと無理だと話す。


 夏休みに入り、観光シーズンに入ったため現在の天城屋旅館は空き部屋のない状態だ。
 厳密には空き部屋はあるのだが、明日から一泊の団体予約が入っているため、その準備があるそうだ。

「そういや、明日から姉御はテニス部の合宿だっけ?」

「うん。それで明日に入っている団体さんの予約が、月光館学園のテニス部なんだ」

 陽介の確認に雪子がそう説明する。

「じゃあさ、姉御んトコで合宿に向けての壮行会ってどうよ?」

 実質は打ち上げだが、刑事である遼太郎に説明する手前、そう言った理由付けの方が説得力がある。
 陽介の提案に、皆が来れば菜々子も喜ぶだろうと思った鏡は、菜々子も交えてならと同意する。

「そっか、叔父さん刑事さんなら、今日とか帰れないかもね……」

 久保の件で今日は泊まり込みになる可能性を思い、千枝が呟く。
 こうやって向こう側の世界を探索している間、一人で留守番をしている菜々子の事を思うと、胸が痛む。
 今日は皆で騒げば、菜々子も喜んでくれるのではないか?
 ゴールデンウィークでの事を思い出し、千枝がそんな事を考える。
 どうやら雪子も同じ事を思っていたのか、せっかくだから晩ご飯は皆で作らないかと提案する。

「鏡先輩が普段からお料理をしているのは知っているけれど、雪子先輩達もお料理、得意なの?」

 雪子の提案にりせが素朴な疑問を訊ねると、雪子と千枝は互いに顔を見合わせて『それなりに?』と答える。
 二人の言葉に陽介が『何で疑問系なんだよ……』と呆れたように呟くと、鏡が雪子と千枝に呆れたような視線を向ける。

「二人とも、あれからちゃんとお料理を作れるようになったの?」

 鏡の指摘に、二人はバツの悪そうな表情になる。
 二人の様子に、以前と同じく料理が苦手である事を理解した鏡は溜息をつくと、今なら菜々子の方が美味しい物を作れるかもねと話す。

「そういや、ゴールデンウィークの時も菜々子ちゃんが姉御と一緒にお弁当を作って来てくれてたな」

 陽介の言葉に雪子と千枝が気まずそうな表情になる。
 そんな二人に、鏡は菜々子と一緒に簡単な一品料理を教えてあげるからと提案する。
 鏡の提案に、りせも自分にも教えて欲しいと願い出る。
 それならば三人で一品を作る方向性で教えた方が良いなと考えた鏡は、肉じゃがの作り方を教えようと決める。
 後はあまり時間の掛からないもので、食べ盛りの男子がいる事も考えて献立を決めていく。


 鏡は菜々子に連絡を入れると、先にご飯を炊いておくようにお願いする。
 皆を連れ帰るからと鏡から聞かされた菜々子は、嬉しそうに鏡達の帰りを待っているからと言って、ご飯を炊くことを了承する。
 菜々子への連絡を済ませた鏡達は食品売り場に移動すると、必要な食材を購入していく。


 今日の献立は雪子達に作ってもらう予定の肉じゃがと、皆で食べられるようにと手巻き寿司。
 吸い物はワカメとお揚げの味噌汁で、食べ盛りの男子の為に肉と野菜の手巻き焼肉だ。
 どちらも各個人の好みの具材を巻いて食べる点で同じなので、手軽に楽しく食べる事が可能だ。

「あれ、そういえばクマ君は?」

 鏡達が食材を集めている間に姿が見えなくなったクマに気付いた千枝が訊ねる。
 クマが居なくなった事に気付いた鏡達が周りを見渡すと、肉の試食コーナーに居るクマを発見する。
 見ると、調理担当の婦人に甘えた仕草で未開封の肉を焼いて欲しいと、口説き文句のようにおねだりしている。

「あいつ……シメっぞ……」

 クマの行動に陽介が低い声でそう呟く。
 そんな陽介に、鏡はクマのバイト代から天引きする事も忘れないようにと、サラリとキツイ一言を付け加える。
 この後、鏡の提案に納得した陽介に、クマがこってりと絞られた事は言うまでもない。




 食材を購入して帰宅した鏡達を、嬉しそうな菜々子が出迎えてくれる。
 完二とクマは菜々子とこの日が初めての顔合わせだ。


 菜々子は強面の完二に臆することなく自然と接し、僅かに完二を驚かせる。
 自身が強面である事を自認している完二からすると、怯えられても仕方がないと思っていたからだ。
 反対に、クマは菜々子の事を一目で気に入ったらしく、何かと菜々子の事を気に掛けている様子だ。
 事件が解決して、こちらの世界に居る理由が無くなったクマに、居ても良い理由を菜々子が与えた事が大きいのだろう。


 皆で囲む食卓は賑やかなものとなった。
 鏡に肉じゃがの作り方を教わった雪子達も、自分達が作った料理が美味しく出来上がった事に喜んでいる。
 三人に共通する問題点はとても簡単な事だった。


 まず、基本通りに作ろうとしない事。
 それぞれの好みに合わせて、レシピを勝手に変更しようとする部分を真っ先に鏡に矯正される事となった。
 普段の鏡からは想像できない事だが、こと料理に関しては勝手なアレンジを見逃さない。
 基本がしっかり出来ているのならともかく、基本すら出来てない状態でアレンジする事は、食に対する冒涜だと考えている節がある。
 勝手な事をやる度に、鏡から淡々とした叱責が飛ぶのだが、理路騒然とした指摘のためにいっそ怒鳴って欲しいくらいだった。


 そして、致命的なのは三人とも味見を全くしようとしない事だった。
 作り慣れている鏡でさえ味見を怠らないのに対し、三人は根拠無く上手くできていると思っている。
 その間違った認識に対しても鏡は淡々と指摘したので、三人はちゃんと味見をするように態度を改める。
 もっとも、それがいつまで続くのかは解らないが……



 楽しい一時は終わりを迎え、時間も遅くなったので、それぞれが帰宅する事となった。
 雪子はバスがないので、今日は千枝の所に泊まるという。
 自宅には先に連絡を入れていたようだ。
 時間も遅いので、女性陣を陽介達が送っていく事となる。

「センセイ。クマ、今日はとっても楽しかった」

 一つの約束が果たされ、ここの居る理由が無くなったクマに出来た新しい約束。
 菜々子と遊ぶという簡単な約束だが、いつまでもここに居ても良いという優しい約束だ。
 事件が終わっても、鏡達との関係が終わる訳ではない。
 これから先、もっと楽しい事が待っている。
 そんな楽しい未来の事に、クマは期待を膨らませる。

「これも皆、全部センセイのおかげだとクマは思っている。ありがとう、センセイ」


      我は汝……、汝は我……

      汝、絆の力を深めたり……


  絆を深めるは即ち、まことを知る一歩なり


   汝、“星”のペルソナを生み出せし時

     我ら、更なる力の祝福を与えん


 脳裏に響く聞き慣れた声。
 クマの感謝の気持ちが、鏡の心を満たしていく。

「おい、クマ! 早く来ないと置いて行くぞ!」

 鏡と話すクマに、陽介がそう声を掛ける。
 陽介の言葉に慌てたクマは、鏡と菜々子に手を振って別れを告げると、陽介達の元へと駆け寄る。
 皆が帰っていくのを見送った鏡と菜々子は家の中へと戻ると、戸締まりをして食器の後片付けを行う。
 後片付けを済ませると、いつものように菜々子とお風呂に入り、今日の事を菜々子と語らう。


 菜々子も皆で楽しく食卓を囲んだ事や、りせ達と色々な事を話せた事を楽しそうに鏡に語る。
 最近の菜々子は、本当に笑顔を見せる機会が増えたと実感する鏡は、その事を嬉しく思う。
 自身も明日からテニス部の合宿なので、興奮の冷めやらない菜々子を寝かし付けて早く休む事にする。


 布団に入り、今日の事を振り返る。
 今日の一件で、事件が解決したと皆は思っているが、鏡には少し気になる点があった。
 久保に全ての事件の犯人なのかと訊ねたとき、僅かだが久保は身体を震わせていたのだ。
 皆は気付いていなかったが、その様子に鏡はボタンを一つ掛け間違えたような違和感を覚えた。


 雪子の問いかけにも、久保は最後まで自分が行った事を明言しておらず、どちらとも取れる態度を示しただけだ。
 事実は警察の方で解明されるだろうから、鏡達には出来る事が無い。
 本当に事件が解決したのなら、今後はもっと菜々子と接する時間が取れるのだがと鏡は思いながら眠りにつく。


 明日から二日間は、月光館学園のテニス部との交流会だ。
 最終日には対校戦が行われ、そこで合宿の成果を示すそうだ。
 地元組である鏡達は泊まり込みでないため、遼太郎が数日のあいだ泊まり込みでも、菜々子を一人で留守番させるような事は無い。
 その事に安堵しながら、鏡は明日に備えて休む事にする。




2011年07月19日 初投稿



[26454] 探偵の憂鬱
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/07/31 10:07
――――これでもう事件が起きないと誰もが思った

       しかし、その事に疑問を持つ者が居る

        疑問の声に耳を傾ける者は居らず

       もう終わったのだと言われ続けても……




 久保が捕まった事で、稲羽警察署は一気に慌ただしい様相を見せている。
 立件するための証拠が足りず、今は職員総出で証拠集めを行っている状況だ。

「いやー、やっと容疑者を捕まえる事が出来て良かったッスね!」

 作業の手を止めた足立が、嬉しそうに遼太郎に話し掛ける。
 陽介からの通報で、ジュネスで発見された久保を確保できた事に足立は満足そうにしている。
 事情聴取で聞いた話では、様子のおかしい久保を不審に思い確認して一連の犯人だと気付いたそうだ。
 何でも、学生達の間で久保の噂が広まっていたそうで、その事が久保の事に気付いた主な理由だそうだ。

「まあ、な。とはいえ、供述に一貫性が無いから、立件にこじつける証拠集めが難航しそうだな……」

 嬉しそうな足立とは対照的に、遼太郎は何処か浮かない様子を見せている。
 陽介の事情聴取には遼太郎も同席していたのだが、久保を見付けたのが陽介と完二の二人だけだった事が気になっているようだ。
 彼らの言うとおりなら良いのだが、遼太郎には鏡も関わっていたのでは無いかと気に掛かる。
 偶然にしては、これまでの失踪事件と合わせて不可解な点が多すぎる。


 まるで、事件を解決するために警察よりも先回りをしているかのような状況が、遼太郎にそう思わせているだけかも知れない。
 危険な事は自分達、警察に任せて鏡達には普通の生活を送って欲しいと遼太郎は思う。
 とはいえ、鏡達が事件に関わっているという確証がないので、自分の杞憂だと遼太郎は思いたい。

「にしても、犯行の動機が誰でも良かったって、ふざけたヤツですよね」

 取り調べでの久保の供述を思い出し、足立が表情を曇らせる。
 どのようにして犯行を行ったか等の供述には一貫性が無いが、動機についてはハッキリと久保は答えていた。
 その内容があまりにも身勝手すぎた事に、やるせなさを感じる。

「足立、いい加減に仕事の手を動かせ。止まったままだぞ!」

「す、すいません!」

 遼太郎に怒鳴られた足立は慌てて作業へと戻る。
 立件に向けての証拠が集まっていない現状、今日も泊まり込みでの作業になりそうだ。




 立件するための証拠集めは難航していたが、意外なところから証拠を見付け出す事が出来た。
 被害者である諸岡の衣服から、容疑者である久保の指紋が検出されたのだ。
 これにより、一連の事件に対して久保が犯行を行った事をどうにか立件できる目処が立った。
 しかし、山野真由美の事件については未だ物的証拠なども見つかっていないため、引き続き証拠集めは続けられる。

「今日の夕飯は用意しなくても良い?」

 遼太郎から連絡を受けた鏡が、訝しげに呟く。

『あぁ、今日は寿司を買って足立と帰るから、そのつもりでいてくれ』

 どことなく弾んでいる遼太郎の声に、鏡は事件に付いて良い方向に進展があったのだろうと予測する。
 ここの所は立件のために泊まり込みが多かったので、菜々子も寂しそうにしていたので喜ぶだろう。

「解りました。ところで叔父さん、菜々子ちゃんってわさびは平気なんですか?」

『あーそうか、サビ抜きで頼まないといかんな。忘れていたよ、助かった』

 鏡の指摘に、遼太郎がそう言って礼を述べる。
 遼太郎との通話を終えた鏡は携帯電話をしまうと、買い物の予定を変更する。


 夕飯の支度は不要だと言われたが、お吸い物だけでも作ろうと鏡は考える。
 丁度、だいだら.に素材を売りに来た帰りなので、丸久豆腐店に寄って乾燥湯葉を購入する。
 その後でジュネスへと寄り、椎茸と長ネギを購入する。
 途中、バイト中のクマと陽介に出会ったが、二人とも忙しいようだ。
 話す間もなく、二人は仕事へと戻っていく。


 鏡も遼太郎達が戻ってくる前に用意をする必要があるので、早めに帰宅する。
 帰宅した鏡は、菜々子に遼太郎から足立を連れて帰ってくる事を伝えお吸い物だけを作る事にした事を伝える。
 いつものように菜々子と作業を分担してお吸い物を作る。


 今日は一品だけなので、刻みねぎを鏡が作っている間、菜々子が具の椎茸を器に入れ、沸騰した熱湯で戻す。
 椎茸が戻る間に昆布と鰹節でだし汁を作り効率よく作業を進めていく。
 戻った椎茸を薄切りにして、作り終えただし汁を鍋に入れ、煮立ったところで椎茸と調味料を加えて一煮立ちさせる。
 湯葉はだし汁につけて柔らかくしておき、一煮立ちした椎茸と合わせ一分ほど煮て、火を落とす直前に醤油で味を調える。
 出来上がったお吸い物を刻みねぎを入れた器に注ぎ、軽く混ぜて完成する頃に遼太郎達が戻ってきた。

「おかえりなさい!」

 嬉しそうに出迎える菜々子に遼太郎は笑顔を向けると、調理台に立つ鏡に視線を移す。

「今日は寿司を買って帰ると連絡したはずだが、何を作っていたんだ?」

「お帰りなさい、叔父さん。冷たい飲み物だとお腹を冷やしますから、お吸い物を作りました」

 遼太郎の質問に鏡が答えていると、お吸い物の香りに気付いた足立が嬉しそうな声を上げる。

「確かに、冷たい物ばかりだと身体に悪いか。すまんな気を遣わせて」

 そう言って、遼太郎はちゃぶ台に寿司を置くと足立と共に洗面所へ手を洗いに行く。
 その間に鏡と菜々子は寿司を袋から取り出し、お吸い物を運んでくる。

「いっやー、スーゴいっすね! こんだけの大トロ、あんま見ないっすよ!」

「祝う時くらい、豪勢にいかないとな」

 桶に入っている寿司を見て、感嘆の声を上げる足立に遼太郎がそう答える。
 菜々子が何のお祝いなのか遼太郎に訊ねると、遼太郎がテレビで報道されているニュースを指す。

『……などど供述しており、容疑者の少年は、犯行は認めているものの、反省の色は全く見られないという事です』

 ニュースでは、供述は多くの点で一貫性が無く、支離滅裂で、精神鑑定が必要との指摘があることを伝えている。
 警察では、事件の全容解明に向け、なお慎重な対応を迫られそうですと締めていた。

「実は、立件にこじつけるの大変だったんだよ~。証言と状況証拠だけで困ってたんだけどさ」

 そう言って、足立は鏡に被害者の服から容疑者の指紋が出て、やっと立件できた事を話す。
 足立は感心した様子で、布から指紋が採取できた科学捜査を褒め称える。

「もうこんな怖い事は起きないから、安心しなさい」

 そう菜々子に話し掛ける遼太郎に、菜々子が嬉しそうに返事を返す。
 そんな遼太郎達に足立は、事件の容疑者である久保に対する不満を述べ、逮捕できた事を心から喜んでいる。

「けど、捕まって良かった~! もうあれこれ疑わなくてもいいし! このまま野放しになってたらと思うと……」

「やーめろ、話長いんだよ足立! ネタが乾いちまうだろーが!」

 長々と話す足立を遼太郎がそう言って、足立の長話を打ち切らせる。
 確かに、新鮮な内に食べた方が美味しし、せっかく作ってくれたお吸い物も冷めてしまう。
 足立は素直に遼太郎に謝ると箸を取る。

「ほら、みんな食え食え」

 そう言って、遼太郎が鏡達に寿司を食べるように勧める。
 頂きますと菜々子と唱和して、鏡も寿司に箸を伸ばす。
 菜々子に合わせてわさび抜きなので、小皿に入れた醤油にわさびを溶いて、それにネタをつけて食べる。
 どうやら冷凍物ではない本格的な寿司のようで、事件解決に対する遼太郎の嬉しさが伝わってくる。


 明日は二人とも久方ぶりの非番らしく、今日は足立と飲み明かすつもりらしい。
 鏡は二人のために、後で酒の肴を作ろうと献立を考える。
 久方ぶりの家族の団らんに、菜々子も終始嬉しそうな様子を見せている。
 楽しい団らんを過ごし、鏡はいつものように菜々子と先に入浴を済ませる。


 今日も菜々子と一緒に眠る事にした鏡は眠るまでの間、菜々子の宿題を見る事にする。
 菜々子が解らないところを聞いてくるまで、鏡も自身の宿題に取り掛かり進めていく。
 本当は鏡とおしゃべりをしたい菜々子も、早く宿題を済ませれば後で沢山遊べるからという鏡の言葉にやる気を出す。
 とはいえ、日記などの毎日欠かさず行わなければならない分は、流石に早く済ませる事は出来ない。
 今日の日記は、遼太郎が事件解決のお祝いに寿司を買ってきた事を楽しそうに書いていた。


 キリの良いところで宿題を終わらせた二人は、布団に入って眠るまでの間おしゃべりをする。
 菜々子に請われて、この間の合宿での事を鏡が話す。
 鏡の話に菜々子は自分も高校生になったら、鏡と同じくテニス部に入りたいと語る。
 そんな菜々子に微笑ましさを感じた鏡は、今度テニスを教えてあげると約束する。
 鏡との約束に、菜々子は嬉しそうに『絶対だよ』と答えると、睡魔に任せてそのまま眠りに付く。
 寝付いた菜々子の布団を直すと、鏡も目を閉じて眠りにつく。




 二人が眠った後も、遼太郎と足立は入浴前に鏡が多めに作ってくれた肴を味わいながら、のんびりと酒を呑んでいた。
 春先に起こった不可解な怪死事件も、これで解決だと思うと喜びもひとしおだ。
 足立にとっても稲羽署に配属された直後に起こった事件で、これまで経験した事のない事に戸惑いながらも捜査に尽力していた。
 部外者に対して不用意な発言も多々あったが、それは彼の人の良さの現れとも取れる。
 今後は不用意な発言を控え、真面目に捜査に取り組めば良い刑事になれるだろうと遼太郎は考えている。
 もっとも、そんな事を足立に話そうものなら、すぐに調子に乗ってしまうので、心の内に仕舞い込んではいるが……

「それにしても、これで事件が解決だと思うと、本当に肩の荷が下りた気分ですよ」

 ほろ酔い気分で足立がそう話す。
 稲羽に来て、最初の事件が初めての殺人事件だったので、事件当初は醜態も晒したが、今となっては笑って話せる内容だ。

「そうだな。これでようやく、菜々子達も安心して普通の生活を送れるだろう」

 足立の言葉に遼太郎は同意するが、その表情には僅かに陰りがある。
 気になった足立がその事を遼太郎に訊ねると、遼太郎は『ちょっと気になる事があってな』と、言葉を濁す。

「ひょっとして、直斗君の事ですか?」

 遼太郎の様子から、足立は何を気にしているのかを察して訊ねる。
 足立の質問に遼太郎は頷くと、自身も直斗と同じく最初の事件の犯人は久保ではないと考えていると話す。
 そもそも、二件目の事件と違い、久保は山野真由美との接点もなく、天城屋旅館の従業員に気付かれずに犯行を行う事は不可能だ。
 共犯者か別の犯人が居ると考える方が筋が通る。

「言われてみれば確かに。でも、上層部の方は……」

「あぁ、上は今回の件で全ての事件は解決した事にしたいようだな」

 最初の事件から数ヶ月が過ぎたが、久保の事件以外に類似した事件が発生していない。
 上層部としては、犯人は山野真由美に対する私怨による犯行で、もう事件は起きないと判断している。
 捜査は続行するが、それは極秘裏に行われる事になるだろう。


 久保の事件は、ていの良いカモフラージュに使われた訳だ。
 その事に対して、直斗は上層部に事件はまだ終わっていないと掛け合っているのだが、誰もまともに取り合おうとしない。
 それどころか、『事件は解決したのだから、駄々をこねるんじゃないよ』と、直斗に言ったそうだ。


 そう言われた直斗の心中を思うと、大人はつくづく勝手だなと思わずにはいられない。
 必要な時だけ持ち上げて助言を求め、用が済んだら手の平を返したように邪険に扱う。
 刑事としてよりも先に、大人として恥ずべき行為だと遼太郎は考える。
 遼太郎も、直斗と初めてあった時は、生意気なガキだと思っていたが、鏡に対する配慮や事件に対する心構えを見て考えを改めた。
 良くも悪くも一本気で素直すぎるのだ。

「それじゃ、直斗君は今も?」

「署で資料を調べているだろうな……」

 足立の質問に、遼太郎が苦い表情で答える。
 ここの所、直斗は遅くまで署で資料を調べている。
 未成年者である直斗が遅くまで調べ事をするのには問題なのだが、遅くに帰宅させるよりも署に泊まらせた方が安全だ。
 そのため、署の職員も強く直斗に帰宅するように言えないというジレンマを抱えている。

「一体、何が彼をそこまで駆り立てるんでしょうね……」

 しみじみとした様子で足立が疑問を零す。
 刑事でない直斗には犯人を逮捕する事が出来ず、事件解決への協力がせいぜいだ。
 それなのに連日、遅くまで資料を調べ、今なお独自に調査を行っているようだ。
 報酬が出るわけでもないのに、そこまで行動する直斗の真意を、足立は心底不思議に思う。

「探偵としての意地、みたいなものなのかも知れないな……」

「意地、ですか?」

 遼太郎が、皆の安全を守るための刑事として誇りを持っているのと同じように、直斗にも探偵である事に誇りがあるのだろう。
 だからこそ、納得がいくまで捜査を続けることを止める事は無いのだろう。

「不器用なんだよ、アイツも」

 自身も器用でない事を自認している遼太郎が、自身に直斗を重ねる。
 しがらみがある自分とは違い、直斗は自分が出来ることなら何でもやるだろう。


 そんな直斗の事を、素直に凄いヤツだとは思うが、年相応にもっと肩の力を抜けばいいのにとも思う。
 考えてみれば、直斗は鏡の一つ下のまだ子供なのだ。
 事件の事ばかりに関わってばかりいないで、今しか出来ないことも経験しておくべきだと思う。
 もっとも、そんな事を言ったところで直斗が素直に聞き入れるとは到底思えないが。
 言って聞くような相手なら、今も一人で事件を調べてはいないだろう。
 遼太郎自身も気になる点があるので、個人的に直斗の捜査に協力しても良いだろうと考える。

「直斗君も、鏡ちゃん達と一緒に遊んだりすれば良いんですけどねぇ……」

「……そうだな」

 ほろ酔い気分でそう話す足立に遼太郎が同意する。
 機会があれば今度、直斗を自宅に呼んで一緒に食事をするのも悪くはないかと遼太郎は考える。
 もっとも、料理を作るのは鏡と菜々子なので、二人に話を通してからではあるが。
 そんな事を考えながら、遼太郎は足立と酒を酌み交わす。

――同時刻

 稲羽署の資料室で、直斗が複数の資料を黙々と調べている。
 春先に起きた山野真由美の事件と今回の諸岡金四郎の事件。
 死体を吊すという異常な状況こそ同じだが、二つの事件には決定的な違いがある。
 諸岡の事件と違い、山野真由美の事件は未だに死因が判別していない。
 心臓発作が現時点では最も有力なのだが、それも断定できる死因ではない。

(やはり、今回の事件と春先の事件の類似点は死体の遺棄方法だけだ……)

 警察も今回の事件と春先の事件が同一犯でないと認識しているが、世間体を気にして事件は解決した事にしたいらしい。
 そのため、直斗が必死に掛け合っても話しを聞いて貰う事はなく、こうして一人で調査を続ける事となっている。
 事件が解決したら、手の平を返したように態度が変わる事はこれまでも何度かあった。
 その事については、自身がまだ未成年であるからと納得しているが、ここ最近は本当にそうなのか疑問を抱き続けている。

(神楽、鏡……彼女はどうしてあんなにも周りに信頼されているのだろう……)

 自分よりも一つ年上の女性。
 学校の友人達だけではなく、遼太郎からも信頼を寄せられている彼女の事を思う度に、直斗の心に小さな痛みが走る。
 おそらく彼女も、今回の事件と春先に起きた事件が同一犯でないと思っていると、直斗は確信している。
 自分とは違う視点で事件を見ていると思われる鏡に対して、直斗は自分でもハッキリしないわだかまりを感じている。
 それが、嫉妬や羨望といった類の感情であると心の底では気付いていても、理性がそれを認めようとしない。


 探偵としてこれまで活動してきた自身に対する誇り。
 尊敬する祖父や、幼い頃より読み親しんだ推理小説仁登場する主人公達。
 彼らを目標とする直斗としては、そういった思いを容認する事は、自らの目標を否定する事に繋がる。
 それでも、周りから頼られ信頼されている鏡の姿を思うと、今現在の自身の姿が酷く頼り無いものに思えてしまう。

(駄目だな、比べる事に価値などないのに……)

 集中出来ず、直斗は今日の作業を切り上げる事にすると、資料を元の場所へと戻す。
 時間も遅いので、使わして貰っている仮眠室へと向かい、今日の所は休む事にする。
 シャワーを浴びたいところだが、明日の朝一番に帰宅してから自宅ですませようと思い、不快感を我慢して眠りにつく。

(僕と彼女の一体、何が違うのだろうか……?)

 目を閉じ思う事は、決まって鏡と自分がどう違うのかという答えの出ない問い。
 鏡にあって、自分には無い何かを考えつつ、直斗は眠りに落ちる。




 翌日になって、陽介から鏡へと急な依頼の電話が掛かってきた。
 何でもイベントでヒーローショーを行う事なったらしく、フードコートのスタッフが足りないので金曜日まで手伝ってくれとの事だ。
 特に用事という用事もなく、あまりにも切実な態度で懇願してくる陽介を気の毒に思い、鏡はバイトを引き受ける事にする。
 バイトは明日からという事で、実家の手伝いがある雪子以外にも声を掛けるそうだ。
 陽介から『菜々子ちゃんには退屈かも知れないが』と言われたが、菜々子も連れて行っても良いそうだ。
 確かに、一人で留守番をさせるよりかは菜々子も喜ぶかも知れないので、菜々子に聞いてみると陽介に伝える。


 電話を切り、鏡は急に決まった予定を菜々子に伝える。
 菜々子はジュネスに行けること自体が嬉しいらしく、即答で一緒に行くと嬉しそうに鏡に答える。
 ヒーローショーの事よりも、ジュネスに鏡達と一緒に行けることの方が菜々子には嬉しいようで、今から待ち遠しそうにしている。
 そんな菜々子を微笑ましく思い、鏡は表情を綻ばせる。
 鏡は菜々子に炎天下での外出になるだろうから、熱中症対策に帽子と水筒をを忘れずに持っていくように話す。
 菜々子は鏡の言葉に素直に返事を返すと、ジュネスに行くのを楽しみにどんな服を着ていこうかと今から考える。

――バイト当日

 天気も良く、フードコートは大勢の家族連れで賑わっていた。
 あまりの人の多さに、陽介は重い溜息をつく。

「ハァ……たかがヒーローショーやるぐらいで、何でこんな人が……」

 事件が解決されたと報道された影響もあってか、訪れた人々の表情も明るい。
 鏡の他に千枝も陽介の頼みを引き受け、補習を免れた完二とりせも手伝いにやって来た。
 呼び込みを千枝が担当し、陽介と鏡が配膳を担当する。
 クマは着ぐるみ姿で鉄板焼きをキレの良い動きで焼き上げていき、完二は子供達が怯えるからと、フードコートの食材運びとして裏方だ。
 りせも最初は千枝と同じく呼び込みを担当する予定だったのだが、急病で休んだ司会役の女性に変わって実況を担当する事となる。

「よい子のみんな~、こ~んにちは!」

 ショーが始まり、りせの登場に会場がどよめく。
 突然のサプライズに会場は沸き、りせも手慣れた様子で会場を盛り上げていく。
 一番前の特等席で観賞していた菜々子も、これには大喜びで終始はしゃいでいて楽しそうに過ごしていた。
 反面、鏡達の仕事は多忙を極め、休む間もなく働き続ける事となった。

「皆が手伝ってくれて本当に助かった……サンキューな」

 イベントが終了し、ようやく仕事が終わった鏡達に陽介がお礼を述べる。
 りせの登場で、イベントは本来の目的とは違った意味で大成功だった。
 当初の予定では、会場に来ている子供を舞台に交えてのショーになるはずが、司会者であるりせまで巻き込んだアドリブ合戦となった。
 どうやら、劇団の団長が咄嗟に行ったアドリブだったようだが、意図をくみ取ったりせが、同じくアドリブで司会進行を続けたようだ。


 そのため、ショーの後半になると台本も何もない状態になり、先の展開が全く読めないショーとなった。
 ヒーローが勝利して台本通りの結末にはなったが、一歩間違うと悪役が勝利するかも知れない展開に、子供達もハラハラしていたようだ。

「すっごい忙しさだったよね。にしても、りせちゃんって本当に手慣れてるよね」

 労いを兼ねた、陽介からのおごりであるビフテキを食べながら、千枝が感心したようにりせに話し掛ける。
 千枝の言葉にりせは嬉しそうに笑うと、仕事抜きでこういった事が出来て楽しかったと話す。
 この成功を受けて、ジュネスの店長である陽介の父親が、明日からも引き続き司会役を引き受けてくれないかとりせに頼む。
 本来の司会役の女性と共に、会場を盛り上げて欲しいとの事だ。
 りせはこの依頼を快く引き受けると、劇団員とショーの打ち合わせをするために席を外す。

「この調子で、金曜日まで頼むぜ」

 打ち合わせには少し時間が掛かるとの事で、鏡達は先に解散して帰宅する事となる。
 りせは陽介が後で送るとの事だが、千枝が心配だからと残るそうだ。
 鏡は菜々子と共に途中まで完二と一緒に帰る事にする。
 道中、裏方でショーをよく見ていなかった完二に、菜々子がショーの内容を嬉しそうに語って聞かせる。
 菜々子の話に完二は相槌を打ち聞き役に徹すると、菜々子の頭を撫でて『良かったな』と話す。

「それじゃ、姐さんオレはこっちなんで。菜々子ちゃん、また今度、続きを聞かせてくれよな」

「うん! 完二お兄ちゃん、バイバイ!」

「また明日ね」

 完二と別れて菜々子と共に帰宅した鏡は、菜々子と共に晩ご飯の準備に取り掛かる。
 今日の献立は豚肉の冷しゃぶと野菜サラダ、少しだけ塩分を多めにした味噌汁だ。
 帰宅した遼太郎と共に晩ご飯を食べながら、菜々子が今日の事を遼太郎に楽しそうに話す。
 菜々子の話を聞いた遼太郎は鏡に、熱中症にだけはくれぐれも気をつけるように注意する。
 鏡は遼太郎の言葉に頷くと、明日はスポーツドリンクを作って持っていこうと考える。
 食事を摂り終え、菜々子と入浴をすませた鏡は宿題を少しすませると、明日へと備えて早めに休む事にする。


 りせがヒーローショーに参加した事による影響は、次の日になってさっそく現れた。
 どうやら、昨日の事を誰かがツイッターで呟いたらしく、明らかにヒーローショー目当てでないと思われる観客の姿が見られた。
 一部の観客は、ショーを観に来ている子供達を押し退けて先頭に出ようとしたが、鏡や騒ぎを聞きつけた完二によって阻止される事となる。
 完二の姿が子供達の目にはヒーローのように映ったらしく、数人の子供達に懐かれた完二が鏡に助けてくれと視線で訴える。
 その様子に鏡は表情を綻ばせると、子供達に『お兄ちゃんはお仕事があるから離してあげてね』と優しく諭す。

「すんません、姐さん。また何かあったら駆けつけるッスよ」

「うん、ありがとう。そっちもお仕事頑張って」

 そう言って、完二を見送った鏡が仕事に戻ろうとステージの方へと視線を向けると、様子が少し変わっている事に気付く。
 どうやら先ほどの完二の行動に、りせ目当ての観客達が萎縮したようで、観客席の目立たないところへと移動しているようだ。
 大人しくしてくれている分には問題はないので、鏡はそのまま仕事へと戻る。
 その日はりせの登場に、子供達の歓声に混じって野太い歓声が聞こえるという奇異な現象が起きた。
 今回の問題に対して、フードコートの入り口にはヒーローショーに付いての注意文が掲示される事となる。

「今日の天気じゃ、ショーは中止っぽいね」

――バイト三日目

 雨天でヒーローショーの公演が中止になったため、鏡達のバイトはジュネス店内での作業へと変わり、昼過ぎに終了となった。
 降りしきる雨の中、晩ご飯の買い出しもすまして帰宅する途中で、鏡は見知った人物の姿を発見する。

「白鐘……君?」

 雨の中で傘も差さずに立ちつくす直斗の姿は、捨てられた子犬のような心許ない様子を見せている。
 鏡の声に気付いた直斗が鏡の方へと振り返る。

「……神楽さんですか」

 どことなく疲れた様子で鏡に話し掛けてくる直斗。
 鏡は直斗の元へと駆け寄ると、直斗に傘を差してこれ以上雨に濡れないようにする。

「こんな雨の中で傘も差さずにどうしたの?」

「……自分でも、よく分からないんです」

 慌てる鏡の質問に、直斗は曖昧に答えを返す。
 そのあまりにも頼り無い姿に、鏡はこのままだと風邪を引くから自宅でお風呂に入った方が良いと直斗に提案する。
 鏡の提案に直斗は大丈夫だからと断るが、今の直斗の姿からではとても大丈夫には見えない。
 今の直斗の姿は、鏡の目には泣いている子供のようにしか見えないのだ。


 携帯電話を取り出して、鏡は菜々子へお風呂を沸かしてくれるように連絡する。
 鏡から事情を聞いた菜々子は快く引き受けると、すぐに用意をすると言って鏡との通話を切る。

「神楽さん、本当に大丈夫ですから、気を遣わないでください」

「そんな姿で大丈夫な訳が無いでしょ!」

 嫌がる直斗を強引に自宅へと連れ帰ると、出迎えてくれた菜々子に荷物を渡して直斗を脱衣所へと連れて行く。
 初めは嫌がっていた直斗だが、力では鏡に敵わなかったらしく、今では大人しくしている。
 鏡は直斗に脱いだ服は脱衣所にある洗濯機に入れておくように言うと、直斗の着替えを準備するために脱衣所を後にする。
 直斗は小さく溜息をつくと、濡れた衣服を脱いでいく。

「白鐘君、着替えをここに置いておくから。下着は女物で悪いけど、新しいヤツだから我慢してね」

 直斗がお風呂に入って暫くしてから、着替えとバスタオルを持ってきた鏡が浴室の直斗に声を掛ける。
 鏡の声に、直斗は緊張した声でお礼を述べる。
 着替えを脱衣所に置いた鏡は居間へと戻ると、菜々子と一緒に晩ご飯の準備に取り掛かる。
 今日の献立は、夏野菜を使ったトマトソースのパスタとコンソメスープだ。
 コンソメスープにもパスタ用に使った野菜を入れており、野菜を多く摂れるようにしている。

「……お風呂、ありがとうございました」

 晩ご飯の準備が出来た頃になって、直斗がお風呂から上がってくる。

「良く温まれ……た?」

 直斗の声に振り返った鏡が、言葉を掛けようとしてそのまま硬直する。
 鏡の視線の先には、顔を赤らめた直斗が恥ずかしそうに両手で胸を隠している。

「すみません、何か上に羽織るもを頂けますか。Tシャツ一枚だと、その……恥ずかしくて」

 消え入りそうな声で話す直斗に鏡は呆然と頷くと、自室へとサマーベストを取りに行く。
 菜々子は直斗を不思議そうに見ると『直斗くんじゃなくて、直斗ちゃんだったんだね……』と、唖然とした様子で呟く。

「白鐘の家は、代々ずっと探偵の家系で、時の警察組織に力を貸してきました」

 晩ご飯を食べ終え、食後のお茶を飲みながら直斗が話す。
 当時は科学調査などが無かったため、専門知識に基づいて助言できる人材が今より貴重だった事。
 警察と太いパイプを持つ祖父が、直斗の事を色々と面倒を見てくれているのだそうだ。
 男社会である警察で、軽視される理由が増える事に繋がるため、男の格好で行動している事。
 直斗は淡々と話し、最近はそんな自分に疑問を感じるようになったと話しを締める。

「出来れば、僕が女である事を内密にしていただけませんか?」

 そう言って、直斗が鏡に懇願する。
 直斗の話を聞く限り、確かに探偵として活動するには今は女である事実は伏せていた方が良さそうだ。
 鏡としては、女である事を明かしても良さそうに思うのだが、事情が事情だけにそう上手くは行かないのだろう。

「直斗ちゃんが女の子でも、菜々子、格好いいと思うよ」

「ありがとう、菜々子ちゃん。けど、その事を良く思わない人も居るから、内緒にしてくれたら嬉しいな」

「私は構わないけれど、大丈夫なの?」

 菜々子の素直な賞賛に直斗は嬉しくなるも、現状では問題があるため苦笑気味に菜々子にそう話す。
 鏡はそんな直斗に、いつまでも隠し続けられるのかと心配するが、直斗自身もそのままでは良いとは思っては居ないようだ。

「そう言えば、これから白鐘君の事は何て呼べば良い? 流石に、君って呼ぶには抵抗があるのだけど」

「そうですね、でしたら『直斗』と呼び捨てにしてくれて構いませんよ」

「うん、解った。これからはそう呼ぶ事にするね」

     我は汝……、汝は我……

   汝、新たなる絆を見出したり……


   絆は即ち、まことを知る一歩なり


  汝、“運命”のペルソナを生み出せし時

    我ら、更なる力の祝福を与えん

 脳裏に聞こえてくるいつもの声。
 少しだけだが、直斗との距離が縮まったような気がする。
 話を終えた後で直斗は、実家に迎えに来て貰うように連絡を入れる。
 本来ならこう言った事で頼る事はしないそうなのだが、状況が状況だけに仕方がないだろう。

「それでは、僕はこれで。神楽さん、お世話になりました」

「鏡で良いよ」

 直斗のお礼に、鏡がそう訂正する。
 自分は直斗の事を名前で呼ぶのだから、直斗にも名前で呼んで欲しいと話すと、直斗は表情を綻ばせる。

「貴女は本当に不思議な人ですね。鏡さん、今日のお礼はまた今度。菜々子ちゃんも、お休みなさい」

 乾かした服に着替え、迎えの車に乗り込んだ直斗が改めて鏡と菜々子にそう話す。

「バイバイ~!」

 嬉しそうに手を振って直斗を見送った菜々子と共に家へと入ると、戸締まりをして菜々子と共にお風呂へと入る。
 お風呂で菜々子が直斗の胸が大きかった事を鏡に話すと、鏡が苦笑を浮かべながら同意する。
 特製のコルセットで締め付けているそうだが、そこまで徹底している直斗の事を素直に凄いと鏡は思う。


 そのため、自身を認めて貰えない事が直斗には辛いのだろう。
 無理をしなければ良いと、鏡は直斗の事を心配する。
 警察内部に直斗の味方をしてくれる人が居れば良いのだが。
 お風呂から上がり、菜々子を寝かし付けた鏡は布団に入ると、遼太郎に直斗の事を相談しようかと思う。
 バイトは残り二日。
 この間の事もあるので、しっかり休んで体力を回復させないと。
 そんな事を考えながら鏡は眠りにつくのであった。




2011年07月31日 初投稿



[26454] 三人目の転校生
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/08/14 09:27
――――平穏な日常が過ぎていく

      もう事件は起こらないのだと

       そう信じて疑っていなかった

    異変が忍び寄っているのに気付く事もなく




 八月も半ばを過ぎ、ここ数日は肌を焼くような日差しが続いている。
 鮫川渓流でも川遊びをする人々が増え、それぞれが涼を取るべく行動している。
 ジュネスでのバイトを終えた鏡達も、陽介の提案で辰姫神社で行われる夏祭りに行く約束をしている。
 せっかくだからと、夏祭りには浴衣で行こうと雪子が提案して、女性陣は天城屋旅館に集まって着付けの真っ最中だ。
 
「雪子、帯がずれるんだけど、どうしたらいいの!?」

「ちょっと待って。菜々子ちゃんの着付けが終わったら行くから」

「雪子、千枝の方は私が見るよ」

 着付けが上手く出来ず、雪子に助けを求める千枝の着付けを鏡が手伝う。
 普段から和服を着る事の多い雪子はともかく、鏡も着付けが出来るため二人で手際よく着付けを進めていく。
 りせは先に着付けをすませて貰ったので、千枝と菜々子の着付けの様子を見学している。

「鏡も着付けが出来るなんて、ちょっと意外だったな」

 着付けを手伝って貰った千枝がそう話す。
 容姿もあって、鏡の浴衣姿が上手くイメージできないのが主な理由だが、制服以外ではジーンズ姿が多いのも要因の一つだろう。
 
「母さんから色々と教わってるからね。もっとも、私はジーンズとかの方が好きなんだけど」

 千枝の言葉に苦笑い気味に鏡が答える。
 その言葉に、りせが凄く似合いそうなのに勿体ないと心底残念そうに話す。
 皆の着付けを終えた雪子と鏡も自身の着付けを行う。
 浴衣の生地は全て巽屋で仕立てた物で、鏡の浴衣は雪子の母親の物らしい。
 菜々子が着ている浴衣は雪子が子供の頃に着ていた物で、大切に保管していたため新品同様の状態を保っていた。

「鏡お姉ちゃん、綺麗~!」

 手慣れた様子で着付けを終えた鏡の姿を見て、菜々子が感嘆の声を上げる。
 銀糸のような鏡の髪と、黒地に落ち着いた色合いで染め抜いた浴衣姿が相まって、大人びた印象を与える。
 浴衣姿に合わせて髪を結い上げているのも、大人びた印象を強くしているのだろう。
 菜々子に褒められた鏡は微笑むと、菜々子の浴衣姿もよく似合っていると褒める。
 鏡の言葉に菜々子は嬉しそうに笑うと、鏡の手に自分の手を繋ぐ。

「鏡が手伝ってくれたから、待ち合わせの時間には余裕を持って行けそうだね」

 そう言って雪子が鏡にお礼を述べる。
 着付けが出来るのが雪子一人だけだったのなら、もっと時間が掛かって待ち合わせの時間に遅れる所だった。
 雪子のお礼に鏡は気にしないでと話すと、辰姫神社へ移動しようと提案する。

「菜々子ちゃん、慣れるまで草履だと歩きにくいから、ちゃんと手を繋いでいてね」

「うん!」

 鏡の言葉に菜々子は嬉しそうに返事を返すと、繋いだ手に力を込める。
 稲羽中央通り商店街行きのバスに乗り、鏡達は車内で他愛ないおしゃべりを楽しみながら到着を待つ。
 バス停でバスから降りると、辰姫神社へと向かう。
 普段と違い、夏祭りに向かう人々で商店街の大通りが賑わっている。

「事件のせいかな? 去年より人が少ないよね」

「それでも事件が解決した事で、以前よりは人が増えてるよ」

 去年より少ない人通りに千枝がそんな感想を述べ、雪子がそれに答える。
 閑散とした商店街しか知らない鏡からすると、充分に人通りが多く感じられるのだが、やはり少し違いがあるのだろう。
 辰姫神社へと到着すると、境内には出店が軒を連ねており、家族連れの姿も見掛けられる。

「あっ、わたあめ!」

 出店でわたあめを見付けた菜々子が嬉しそうな声をあげる。
 菜々子と共に出店へと移動した鏡達の目の前で、わたあめが作られていく。
 溶解した砂糖を遠心力で吹き飛ばし、冷えて糸状になった砂糖を棒に巻き付けていく。
 その光景を楽しそうに見つめる菜々子に、鏡は出来立てのわたあめを購入して菜々子に手渡す。
 手渡されたわたあめを見て、菜々子は満面の笑みを浮かべて鏡にお礼を述べる。

「お~! センセイ達みんな、浴衣クマ!」

 鏡達より少し遅れて到着した陽介達の中で、クマが一番最初に鏡達を見付けて嬉しそうな声を上げる。

「浴衣かぁ、それで女子だけ天城んとこに集まっていたんだな」

 そう言って、陽介が納得したような声を上げて鏡達の方へと移動してくる。

「今晩は、鏡ちゃん」

 見ると、陽介の隣には涼しそうな色合いのワンピースを着た早紀の姿があった。
 先ほど偶然会って陽介が誘ったらしい。
 はじめは遠慮していた早紀も、菜々子が喜ぶからと言われて一緒に来ることにしたそうだ。

「早紀お姉ちゃん、こんばんは!」

「うん、菜々子ちゃんも今晩は。浴衣すごく可愛いよ」

「えへへ~」

 早紀に浴衣姿を褒められた菜々子が照れ笑いをみせる。
 そんな菜々子の姿に早紀は微笑むと菜々子の頭を優しく撫でる。

「よう……面倒見てもらって、すまんな」

 そう言って、仕事を終えて来た遼太郎が鏡達に声を掛ける。

「そう言えば、ゴールデンウィーク以来っすね」

「言われてみればそうだな。あの時と違って随分と人数が増えたようだがな」

 陽介の言葉に遼太郎はそう答えてカラリとした笑いを見せる。
 菜々子は遼太郎に先ほど鏡に買って貰ったわたあめを見せ、後で一緒に食べようと誘う。
 嬉しそうに話す菜々子に、遼太郎は一緒に食べる約束をする。

「こっからは菜々子は引き受けよう。町が賑わうなんて年に何度も無いからな。お前らも、楽しめよ」

「叔父さん、せっかくなんですから一緒に見て回りませんか? 私達も菜々子ちゃんと一緒に遊びたいんですから」

 鏡達に遠慮する遼太郎に鏡がそう話す。
 陽介達も鏡と同じ気持ちで、ゴールデンウィーク以来だからと一緒に見て回ろうと遼太郎を誘う。
 皆の心遣いに遼太郎は礼を述べると、鏡達と一緒に見て回ることにする。


 手始めに遼太郎が菜々子に射的をするかと誘うと、陽介達も一緒に射的を行う事にする。
 料金を払い、それぞれがコルク銃のレバーを引きシャフトをシアーに装着してコルク栓の弾を込める。
 安全性を確保しているのか、レバーは引いたままでなく元の位置に戻っている。
 これならば、小さい子供が使ってもレバーに指を挟むことは無さそうだ。

「せっかくだから、誰が一番的を倒せるか勝負しませんか?」

 そう言って、陽介が遼太郎に射的の勝負を提案する。
 本職の刑事である遼太郎相手に賭け事は挑めないので、純粋に勝負を楽しむのが目的だ。
 賭け事でないとの陽介の言葉に、遼太郎は勝負を受ける。
 完二とクマも勝負に参加して皆で射的を行う。

「お父さん、頑張って!」

 菜々子の声援に遼太郎は頷くと、コルク銃を構えて狙いを付ける。
 引き金を引くと圧縮した空気に押し出されたコルク弾がポンという乾いた音を上げて撃ち出される。
 狙ったのは小さめの駄菓子の箱で、命中したコルク弾によって見事に倒される。

「おっ、流石ですね」

 そう言って、陽介も負けじと遼太郎と同じく小さめの景品に狙いを定める。
 陽介が狙った物は、遼太郎が狙った物よりも縦に長いお菓子の箱で、上手く上部に当ててバランスを崩して景品を倒す。

「ヨースケ、そんな小さいのを狙うなんて駄目クマ。男なら、大きな景品を狙わないと!」

 遼太郎や陽介が小さい物を狙ったのに対して、クマはそう言うと仔猫のぬいぐるみに狙いを定める。
 大きさは実物大ほどあり、白い毛並みの可愛いぬいぐるみだ。
 クマは狙いを定めると引き金を引く。
 発射されたコルク弾は見事ぬいぐるみに命中するも、ぬいぐるみを倒すまでには至らなかった。
 その事にクマは文句を言うも、陽介にコルク銃の威力が高くないのだから、上手く当てないと駄目だと諭される。


 陽介に諭されたクマに完二は手本を見せてやると言って、少し大きめのお菓子の詰め合わせに狙いを定める。
 完二が狙ったのはお菓子の方ではなく、それを支える台の方だ。
 コルク銃から発射されたコルク弾は横合いから台をずらす事に成功して、支えを失ったお菓子の詰め合わせが見事に倒れる。
 その光景にクマが尊敬の眼差しを完二へと向ける。

「ようは景品を倒せば良いんだよ」

 そう言って、完二はゲットしたお菓子の詰め合わせから目当てのお菓子を取り出すと、鏡達に残りは好きに食べてくれと言って手渡す。
 完二からお菓子を渡された鏡達は、それぞれ好みのお菓子を取り出すと、お菓子を食べながら射的勝負を観戦する事にする。

「男の人って、こういう勝負事が幾つになっても好きなのね」

 そう言って、早紀が表情を綻ばせている。
 言葉自体は呆れた様子を含んでいるが、その表情からは楽しんでいるように見受けられる。
 その様子は以前と違って穏やかなものだ。

「正直に言うとね、花ちゃんに誘われて嬉しかったのだけど、鏡ちゃんと菜々子ちゃん以外の人とどう接したらいいか迷ってたの」

 鏡の視線に気付いた早紀がそう話す。
 三年生は自分一人で、鏡と菜々子、陽介以外はそれほど親しい訳ではない。
 他は小さかった頃の完二くらいしか見知った顔が無かったので、自分がいる事でかえって鏡達の邪魔になるのではないかと思ったそうだ。


 けれど、真摯に誘ってくれた陽介と、初対面の筈なのにどこか懐かしいクマの言葉を受けて付いてきたそうだ。
 初対面のはずであるクマが、早紀を見るなり元気そうで良かったと嬉しさのあまりに涙ぐみ、早紀を慌てさせる一幕もあったとか。
 そんな陽介とクマを見て、早紀は遠慮するのもどうかと考え直したのだ。
 完二も子供の頃の事を覚えていたのか、早紀の前では借りてきた猫のように大人しかったとか。


 その時の様子が目に浮かぶようで、鏡は表情を綻ばせる。
 鏡が早紀と話している内に、射的勝負の勝敗が付いたようだ。
 勝ったのは手堅く倒せる的を狙い続けた遼太郎で、一度も外す事なく完全勝利だ。
 次いで遼太郎と同じく、手堅く小さな景品を狙い続けた陽介。
 完二は得た景品の量だけならトップだったが、目当てのお菓子がそれほど多くなかった事もあり三番手だ。
 最下位はクマで、最初に狙った仔猫のぬいぐるみが一つだけ。
 クマはそのぬいぐるみを菜々子に手渡し、勝敗よりも菜々子にぬいぐるみを渡したかったと笑顔で話す。

「クマさん、ありがとう!」

 ぬいぐるみを手渡された菜々子は満面の笑みを浮かべてクマ仁お礼を述べる。
 嬉しそうにクマにお礼を述べる菜々子に、遼太郎は良かったなと表情を綻ばせて話し掛けると、クマにありがとうとお礼を述べる。
 遼太郎からもお礼を言われたクマは照れ笑いを浮かべると、出店で何か買って食べようと提案する。
 クマの提案に小腹が空いていた事を思い出した面々が同意して、それぞれが食べたいものを購入しに行く。


 少し多めに買ってきたそれぞれの食べ物を、皆で食べながら楽しい一時が過ぎる。
 菜々子は鏡に買って貰ったわたあめを嬉しそうに遼太郎と一緒に食べ、鏡達にも食べるように勧める。
 鏡達はそれぞれ菜々子にお礼を言って一口分ずつわたあめを貰う。
 その後で鏡達は露天を見て回り夏祭りを楽しむ。
 楽しい時間も過ぎ、菜々子が少し眠そうな様子を見せている。

「もうこんな時間か。菜々子もそろそろ疲れてきたようだな」

 時計を確認した遼太郎がそう話すと、鏡達もそろそろ引き上げようかと話す。

「雪子、借りた浴衣は明日持っていけばいいかな?」

「うん、それで構わないよ。今から着替えに家に来る訳にも行かないからね」

 鏡の確認に雪子がそう答える。
 千枝は一人だと浴衣を脱ぐのも大変だから、このまま雪子の家に着替えついでに泊まる予定だそうだ。
 りせはシズが居るので自宅で着替える事にして、鏡同様に翌日返しに行く事にする。
 遼太郎が仕事帰りで商店街北側の外れにある駐車場に車を駐めているそうなので、移動がてら早紀を送っていく事にする。
 すぐ側が自宅の完二は鏡達に付いていき、バス停に向かう雪子と千枝、そして帰る方向が同じりせを陽介とクマが送っていく。
 辰姫神社の前でそれぞれ別れの言葉を述べて解散して、陽介達と別れた鏡達はそれぞれ今日の事を話しながら帰路へと付く。

「それじゃ、先輩お疲れ様っス!」

 自宅前で完二が鏡にそう挨拶をして自宅へと戻る。
 はしゃぎ疲れた菜々子はぬいぐるみを抱きかかえたまま眠っており、遼太郎が抱っこしている。
 その寝顔は穏やかで、早紀と鏡はその寝顔に表情を綻ばせている。

「送ってくれて、ありがとうございました」

 そう言って、早紀が遼太郎に頭を下げる。
 そんな早紀に遼太郎は菜々子の面倒を見てくれてこちらこそ助かったとお礼を返す。

「先輩、機会があったらまた一緒に遊びましょうね」

 鏡の言葉に早紀は表情を綻ばせると、機会があれば是非にと答える。

      我は汝……、汝は我……

      汝、絆の力を深めたり……


  絆を深めるは即ち、まことを知る一歩なり


   汝、“刑死者”のペルソナを生み出せし時

     我ら、更なる力の祝福を与えん

 いつもの声が鏡の脳裏に響く。
 今日の事でまた少し、早紀の心に近づけたような気がする。
 記憶の方は未だ回復の兆しを見せてはいないようだが、以前ほどは気にしていないようにも見える。
 とはいえ、以前に鏡が聞いた通り早紀自身ではなく周りの方が気にしていると、早紀自身は心中穏やかではないだろう。
 自分達と遊ぶことで少しでも気晴らしになればと鏡は思う。


 早紀と別れて駐車場へと到着した所で鏡が遼太郎から菜々子の事を任させる。
 車の鍵を開け、後部座席に乗り込んだ鏡はシートベルトを締め、菜々子が落ちないように抱きしめる。
 運転席に乗り込んだ遼太郎は、菜々子が起きないように気を配りながら車を発車させる。
 普段以上に安全運転を心がけて遼太郎は車を走らせる。

「鏡、今日はありがとうな。菜々子も楽しんでいたようで、俺も、その……久しぶりに楽しめた」

「そんなに改まらないでください。私達だって楽しんでいたんですから」

 遼太郎の言葉に鏡が笑顔で答える。
 仕事が忙しく、家の事や菜々子の事を鏡に任せっきりにしている事を遼太郎は申し訳なく感じているのだろう。
 鏡としてはあまり気にしなくても良いのにと思う。
 菜々子の事は本当の妹のように思っているし、菜々子と一緒に行う家事も楽しいと感じている。
 食事も、美味しいと言って食べて貰うと嬉しいし、なによりも菜々子と一緒に献立を考えたり料理をするのが楽しくて仕方がない。
 その事を遼太郎に伝えると、そうかと言ってそれきり遼太郎は何も言わなくなる。
 しかし、バックミラー越しに見える遼太郎の表情はどこか嬉しそうにも見える。

      我は汝……、汝は我……

      汝、絆の力を深めたり……


  絆を深めるは即ち、まことを知る一歩なり


   汝、“法王”のペルソナを生み出せし時

     我ら、更なる力の祝福を与えん

 遼太郎の想いが伝わったのだろうか?
 先ほどの早紀と同じように鏡の脳裏に声が響く。
 それと共に鏡の心を暖かい力が満たしていく。

「事件が解決したとはいえ、今までと変わらず遅くなる事が無くなる訳じゃない。すまないが菜々子のこと、よろしく頼む」

 遼太郎の言葉に鏡は頷くと、以前に直斗が事件の事で何やら悩んでいたようだったので、力になって貰えないかと話す。
 鏡の言葉に遼太郎は表情を曇らせると、直斗の事は以前から気になっていたので、出来る範囲で気に掛けておくと答える。
 遼太郎自身にも立場やら色々とあるのだろう。
 無理強いは出来ないので、鏡はお願いしますとだけ答えるにとどめる。
 遼太郎が運転する車が自宅へと到着すると、遼太郎が菜々子を抱っこして家の中へと連れて行く。

「すまんが、着替えた後で菜々子の浴衣を着替えさせてくれないか?」

 着付けが分からない遼太郎が鏡に頼む。
 それでなくとも、眠っている娘の着替えに抵抗があるのだ。
 困った様子で頼んでくる遼太郎にすぐに着替えてくると答えて鏡は自室へと移動する。


 着替えた浴衣はシワにならないように綺麗にたたんでから菜々子の着替えのために下へと降りる。
 鏡は半分寝ぼけた様子で起きた菜々子の浴衣を脱がせると、汗を拭いてから寝間着に着替えさせる。
 本当ならお風呂に入れたいところなのだが、このままお風呂に入れるのは危険だと判断したためだ。
 明日の朝にでも菜々子をお風呂に入れようと判断した鏡は、そのまま布団を敷いて菜々子を寝かし付ける。
 クマから貰ったぬいぐるみを大切に抱きかかえたまま、菜々子はすぐに可愛い寝息を立てて眠りにつく。
 菜々子を寝かし付けた鏡が居間へと戻ると、遼太郎が鏡にお礼を述べる。

「私も今日はシャワーだけ浴びて早めに休みますね」

「あぁ、解った。……今日は本当にありがとうな」

 遼太郎のお礼に鏡は微笑みで返すと、着替えを取りに自室へと一度戻り、脱衣所へと移動する。
 脱衣所で衣服を脱ぎ、そのまま浴室でシャワーを浴びる。
 汗を流した鏡は脱衣所で寝間着を着ると、結い上げた髪を解く。
 居間へと移動して上がったことを遼太郎に伝えると、そのままお休みなさいと挨拶して自室へと戻る。
 眠るまでの時間を使い、宿題を進めてから布団へと入り就寝する。
 宿題自体はそろそろ終わりが見えてきているので、一日か二日ほど宿題に充てれば終わらせる事が出来そうだ。
 特に予定が無いので、鏡は明日一日は宿題を片付ける事にしようと決めて就寝する。




――翌日

 遼太郎と三人で朝食を摂り、仕事に向かう遼太郎を見送った後で、鏡は菜々子をお風呂に入れる事にする。
 お風呂から上がると、鏡は菜々子に今日は自身の宿題を済ませるために家にいるので、何かあったら声を掛けるように伝える。
 鏡の言葉に菜々子も一緒に宿題をすると言ってきたので、鏡は菜々子と一緒に宿題をする事に予定を変更する。
 宿題と参考書を取りに、鏡は自室へと一度戻る。
 その間に菜々子も自室から宿題と仔猫のぬいぐるみを居間へと持ってくる。
 ちゃぶ台の空いた場所に仔猫のぬいぐるみを置くと、菜々子は宿題を広げて取り掛かる。
 菜々子が置いた仔猫のぬいぐるみは、二人を見守るような感じで置かれており、鏡は微笑ましさを感じた。
 鏡も宿題を広げて自身の宿題へと取り掛かる。


 蝉の鳴き声をBGMに、鉛筆で宿題を書き込む事が静かに流れる。
 合間を見て、用意しておいた麦茶で喉を潤し黙々と宿題を進めていく。
 途中、菜々子が宿題の分からない所で悩んでいると、鏡がそれを見て菜々子にヒントを与える。
 考え方などが解らない所は解答を直接教えるのでなく、どうすれば良いのかだけを教える。
 菜々子自身飲み込みが良く、鏡のヒントだけで宿題の答えを埋めていく。
 鏡自身も菜々子の宿題を見ながら、自身の宿題を片付けていく。

「菜々子ちゃん、そろそろお昼の準備をしようか?」

 時計を見ると、そろそろ正午に差し掛かろうとしていたので、鏡は菜々子にそう声を掛ける。
 二人はちゃぶ台の上を一度片付けると、お昼ご飯の準備に取り掛かる。


 献立は暑さで食欲が低下しないように、薄く切って冷しゃぶにした豚肉とオクラ、トマト、なめこ、キムチを具材に使ったそうめんだ。
 茹でたそうめんは冷水でしっかり締めて水気を切って器に盛り、ボールに具材を入れて塩胡椒で味付けして仕上げにごま油を掛ける。
 器に盛ったそうめんに具材を乗せ、真ん中に卵黄を乗せる。
 野菜が少し足りなく感じたので、そうめんの周りに刻んだ生野菜を盛りつける。
 麺つゆに酢とごま油を加え、良く冷やした冷水で薄めてタレを作ると、具材の上からまんべんなく掛けていく。
 出来上がったそうめんをちゃぶ台に並べ、麦茶とごはんも一緒に並べる。

『いただきます』

 唱和して二人は仲良くご飯を食べながら、互いの宿題の進み具合の確認と、昨日の夏祭りの事でおしゃべりをする。
 クマに貰った仔猫のぬいぐるみの事がよほど気に入ったのか、菜々子はいつも自分の傍に置いている。
 流石に、食事中は汚れるとぬいぐるみが可愛そうだからと鏡に言われて、菜々子は少し離れた所にぬいぐるみを置いている。
 食事を摂り終えた二人は、食器を洗って一服してから宿題の続きに取り掛かる。
 菜々子は読書感想文を書くために、小学校の図書室で借りてきた本を読んでいる。
 本のタイトルは『さびしい王様』という本で、本を読み終えた菜々子が感想文を書いている。

「ねえ、お姉ちゃん。お姉ちゃんも、ひとりだと、しあわせ?」

 読書感想文を書き終えた菜々子が、鏡にそう訊ねてくる。

「独りきりだと寂しいから、幸せじゃないね。でも菜々子ちゃんが居て、今の私は幸せだよ」

「そっか……菜々子といっしょだね!」

 鏡の言葉に菜々子は嬉しそうにそう答えると、少し表情を曇らせて『お父さんももっと居てくれたら良いのに』とポツリと呟く。
 刑事という職業柄、仕方がない事とはいえ、菜々子としては遼太郎にもっと傍にいて欲しいのだろう。

「菜々子ちゃん、夕方になったら雪子の所に浴衣を一緒に返しに行こうか?」

 鏡は先日の夏祭り用に借りた浴衣を一人で返しに行こうと思っていたのだが、予定を変更して菜々子も連れて行く事にする。
 宿題が一段落したところで二人は出掛ける準備をすると、雪子に連絡を入れてから、先日借りた浴衣を持って天城屋旅館へと向かう。


 日が陰ってきたとはいえ、日中の炎天下で熱されたアスファルトにこもった熱が蒸し暑さを感じさせる。
 二人はバス停に行くまでの間に自動販売機で購入した飲み物を飲みながら、バスの到着を待つ。
 暫くして到着したバスに乗り込むと、車内は冷房がほどよく効いており、菜々子は鏡に『涼しいね』と楽しそうに話す。

「いらっしゃい。菜々子ちゃん、来るとき暑くなかった?」

 天城屋旅館に到着した二人を出迎えた雪子が、そう言って菜々子に声を掛ける。
 菜々子は雪子に『少し暑かったけど大丈夫だったよ』と笑顔で答える。
 二人は雪子の部屋に案内されると、雪子が二人の着替えた衣服を持って来る。

「二人の衣服だけど、そのままなのも何だから洗濯をしておいたよ」

 勝手にやっちゃってごめんなさいねと謝る雪子に、鏡は逆に気を使わせた事を謝りお礼を述べる。
 千枝は先日は雪子の部屋に泊まって朝一番に帰宅して、りせは午前中に浴衣を返しに来たらしい。

「鏡は今日は何をしていたの?」

「菜々子ちゃんと一緒に宿題を片付けていたよ」

 そう言って菜々子と笑い合う鏡達の姿に雪子は表情を綻ばせると、宿題をちゃんとやって偉いねと菜々子を褒める。
 雪子に褒められた菜々子は顔を赤くして照ると、持ってきた仔猫のぬいぐるみに顔を隠すように抱きしめる。
 菜々子が抱きしめているのがクマに貰ったぬいぐるみだと気付いた雪子が、鏡に『お気に入り?』と訊ねる。
 雪子の質問に鏡は眠っている時も宿題をしている時も片時も傍から離そうとしない事を話す。

「頑張って手に入れたクマさんが聞いたら喜びそうね」

 鏡の話に雪子がそう言って微笑む。
 帰りのバスが到着するまで、鏡達は雪子と他愛ないおしゃべりで時間を過ごす。

「それじゃ、またね」

 バス停まで見送りに来てくれた雪子に別れを告げて、鏡達は帰宅する。
 帰宅して、いつものように菜々子と晩ご飯の準備を行う。
 昼はそうめんだったので、晩ご飯は少し味付けを濃くした野菜炒めと、ポークランチョンミートと切り昆布の炊き込みご飯だ。
 炊き込みご飯にはワタを取り、火を通したゴーヤも加える。


 定時で帰宅する事が出来た遼太郎が戻ってきた頃には準備も整い、三人で食卓を囲む。
 ここの所は書類整理の仕事が多い遼太郎も、流石に暑さで参っていたらしい。
 濃いめの味付けに対して特に何も言ってこなかったので、発汗で塩分が失われていた分、身体が必要と感じているのだろう。

「ゴーヤが入ってて、もっと苦いかと思ったが、そうでも無いんだな」

 炊き込みご飯を食べてみた遼太郎が、そう感想を述べる。
 ゴーヤ自体に火を通した事と、ご飯を炊く際に鰹節の煮汁を使って炊き込んだ事によって苦みはかなり緩和されている。
 その事に加え、ポークランチョンミートと切り昆布から出汁と旨味が出ているのが最大の理由だろう。
 遼太郎の感想に、鏡と菜々子は顔を見合わせて上手に出来上がった事を喜び合う。


 食事を終え、仲良く食器を片付けた鏡達が入浴している間、遼太郎は新聞を読みながら鏡に頼まれた直斗の事を考える。
 今日も署で調べ事を続けている直斗にそれとなく話しをしてみたのだが、今までと違いどことなく直斗の雰囲気が変わっていた。
 遼太郎は直斗に根を詰めすぎて体調を崩さないように話すと共に、機会があればまた食事をしに家に来るように勧める。
 直斗は機会があればと返すと、遼太郎に事件について意見を求める。
 遼太郎は個人的見解だがと前置きして、直斗と同様に久保の事件は春先に起きた事件の模倣殺人だと考えている事を話す。


 その上で遼太郎は、表だっては行動できないが直斗の捜査に協力する事を申し出る。
 遼太郎の申し出に直斗は驚くも、自身に協力して大丈夫なのかと訊ねる。
 心配する直斗に遼太郎は、上に睨まれないように何とかするさと答える。
 それよりも、直斗自身の方こそ健康管理は大丈夫なのかと遼太郎は訊ねる。
 僅かだが、根を詰めすぎて直斗の顔色が少し悪くなっているように感じられたからだ。
 遼太郎の指摘に直斗は苦笑気味になると、今日の所は大事を取って早めに帰宅すると話す。
 それならばと、遼太郎は自身が定時で上がるので、ついでだから家まで送っていくと提案する。
 その提案に直斗はそこまでして貰うわけにはいかないと断るも、暑い中を歩いて帰らせる方が心配だといって押し通す。

「堂島さんも、意外に押しが強いんですね」

「……頼れる内は遠慮せずに頼っておけ」

 直斗の言葉に、我ながら柄にもない事をしている自覚がある遼太郎が、視線をそらしてそう返す。
 そんな遼太郎の様子に直斗は僅かに表情を綻ばせると『それではよろしくお願いします』と申し出を受ける事にする。

(以前に比べるとアイツも結構、柔らかくなったよな)

 何が切っ掛けなのかは解らないが、直斗の変化を遼太郎は好ましく思う。
 今後の予定を聞かされて驚くこともあったが、その事が直斗にとって良い方向に働くことを願うばかりだ。

「お風呂、お先に頂きました」

 そう言って、寝間着姿の鏡が菜々子と共に居間へと戻ってくる。
 冷蔵庫から麦茶を取り出し、コップに自分の分と菜々子の分を注いで水分を補充する。
 使い終えたコップを洗って片付けると、時間も遅いので菜々子を寝かし付けてから鏡も自室へと戻る。
 宿題の残りがあと少しなので、就寝する前に鏡は宿題を終わらせるために机へと向かう。
 残っていた宿題もすぐに終わり、鏡は勉強道具を片付けると布団へと入り目を閉じる。
 菜々子の宿題はまだ終わっていないそうなので、明日も菜々子の宿題を見ることに決め眠りにつく。


 菜々子の宿題は暇を見て遊びに訪れた陽介達の協力もあり、日記以外は全て終わらせる事が出来た。
 手先が器用な完二の手伝いで、図工の工作は小学生のものとは思えない作品が出来上がった。
 菜々子は完二が作品を作っている間中、見慣れた物が違う姿に変わる様を興味津々といった感じで見ている。
 牛乳パックで作られた車の上には、毛糸で作ったクマの編みぐるみが座っており、その出来映えは元の材料が解らないほどだ。
 出来上がった物を見た菜々子は瞳を輝かせて完二にお礼を言うと、満面の笑みを浮かべている。
 菜々子のお礼に完二は照れたのか、大したことじゃないとぶっきらぼうに答える。
 陽介やりせが照れている完二をからかったりする一幕もあったが、それを鏡が窘める。


 夏休み最後の日。
 遼太郎が知人からスイカを貰って来たのだが、三人で食べるには量が多いので、鏡に陽介達も呼んで皆で食べようと提案する。
 鏡からの連絡で、堂島家へと訪れた陽介達は誘ってくれた遼太郎にお礼を述べる。
 切り分けられたスイカを手渡され、裏庭で食べる者と室内で食べる者とに別れて食べる。
 完二は持参した塩を振りかけて、かぶりつくようにスイカを食べており、種は豪快に吐き出している。
 クマは初めて食べるスイカに目を丸くしており、陽介と雪子に食べ方を教わり美味しそうに食べている。

「これだけ人数が居ると、流石に手狭に感じるな」

 集まった面々を見渡して、遼太郎がそう話す。
 菜々子は、大勢でスイカを食べる事が嬉しくて終始笑顔を見せており、千枝達も楽しそうだ。
 今度は海でスイカ割りをしたいよねと話す千枝に、時期的には無理だから来年になったら皆で海に行こうと陽介が提案する。

「らいねんも、菜々子と遊んでくれる?」

 心配そうに訊ねる菜々子に、鏡達はもちろんだと快く返事する。
 その言葉に菜々子が安心した表情を見せると、遼太郎が菜々子に『良かったな』と言って優しく頭を撫でる。
 こうしてまた一つ、菜々子にとって大切な思い出が増える。
 遼太郎が居て、鏡が居て、鏡の友達達が自分の事を気に掛けてくれる。
 こんな日がいつまでも続けばいいなと、菜々子は思いながら手にしたスイカを美味しそうに食べるのであった。




 夏休みが終わり、新学期を迎えた九月の初め。
 通学路を歩く生徒達から、休みが終わった事を残念に思う声が聞こえてくる。
 校門前に鏡が到着すると、後ろから千枝と雪子に声を掛けられる。

「うーす。来るとき、道間違えたー」

 千枝達と話していると、遅れて登校してきた陽介がそう言って鏡達に声を掛けてくる。
 陽介の言葉に雪子が『休み、長かったからね』と同意すると、千枝がそれはどうなのかと二人に突っ込む。
 このまま校門前で立ち話をしている訳にもいかないので、鏡達は教室へと向かう。

「おはようございます」

 そう言って鏡達に声を掛けてきたのは八十神高校の制服を着た直斗だった。
 直斗の登場に驚いた陽介がとっさに名前を思い出せずに直斗の事を“チビッコ探偵”と呼ぶ。
 その言葉に直斗が思いつきで変な名前を付けないで下さいと辟易した様子で抗議する。

「警察への協力は終えましたが、事件には、まだ色々と納得できない点があります」

 ちょうど家の方の事情もあるため、暫くこちらに留まる事にしましたと話す直斗に鏡達は驚きを隠せない。
 面識のある鏡達に一応、挨拶をしておこうと思って待っていたと直斗は話す。

「それではこれで。宜しくお願いします、先輩方」

 そう言って、直斗は校舎の方へと歩いていく。

「……先輩方?」

 唖然とした表情で千枝が呟く。
 事件は解決したが、まだまだ問題は有りそうだと直斗の登場にそんな思いを抱く。
 鏡はそれよりも、直斗がいつまでかは解らないがこうやって学校へと通う事を嬉しく思う。
 同世代の生徒達と接する事で、何かしらの影響は有るだろう。
 それが、直斗にとって良い方向へと働けばと良いと鏡は思うのだった。




2011年08月14日 初投稿



[26454] 修学旅行
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/08/22 09:21
――――新しい転校生に周囲の関心が集まる

     話題の当人は、そんな周囲に関心がない

     そんな中、学校行事で行われる修学旅行

    周囲と関わる切っ掛けになればと、少女は願う




 直斗が転校してきた二学期初日の放課後。
 久方の授業に陽介が疲れた様子を見せている。
 これまでのように事件解決のため、向こう側の世界へと行き来する事が無くなった為、時間を持て余しているようだ。
 充実感が無くなったと不満を述べる陽介に、千枝が事件が解決したのは良い事じゃないかと反論する。

「や、悪いとは言ってないけどさ」

 千枝の指摘に陽介がバツの悪そうな表情で口ごもる。
 自身も先ほどの発言が不謹慎だったと自覚があるのか、どことなく申し訳なさそうな様子を見せている。

「ねえ、今日もジュネス寄って帰るんでしょ? なら、直斗君も誘ってみない?」

 雪子の提案に、陽介と千枝が驚いた表情を向ける。
 二人の視線に雪子はちょっと気になっただけなんだけどと話す。
 雪子の言葉に陽介は、直斗は事件解決の協力のためだけに稲羽に来たことを思い出す。
 事件が終わればただの後輩に当たる直斗に、陽介が自分達と同じ転校生なんだなと呟く。

「うっし、誘おうぜ」

「こんちわ、先輩。誰を誘うの?」

 鏡達の姿を見付けたりせが、そう声を掛けて近付いてくる。
 りせの質問に、陽介が直斗をジュネスに誘う話をしていた事を説明する。

「彼だったら、さっき廊下で女生徒に声を掛けられていたよ?」

 りせの言葉に一組教室前を見てみると、二人の女生徒に話し掛けられている直斗の姿が見えた。
 どうやら直斗に、この辺りを案内してあげると遊びに誘っているようだ。
 ただ、女生徒達とは対照的に直斗はあまり乗り気では無いように見える。

「誘ってくれて悪いけれど、用事があるから」

「ちょっと位、いいじゃん」

「帰りがてら案内してあげるって!」

 誘いを断る直斗に女生徒が食らいつく。
 その様子を見かねた鏡が陽介達から離れると、直斗の方へと歩いていく。

「直斗、ごめん。待たせた?」

 直斗に迫っていた女生徒達が、鏡の声に気付いて視線を向けてくる。
 声を掛けてきた相手が鏡だと分かると、女生徒達は表情を強ばらせて、落ち着かない様子を見せる。

「……いえ、僕も丁度、教室を出たばかりですから」

 鏡の言葉に直斗が話を合わせて返答する。
 二人の様子に女生徒達は困惑した様子で互いの顔を見合わせる。

「ごめんね、直斗とは私が先約を取っているから。また今度、誘ってあげてくれるかな?」

「い、いえ……そんな」

「先輩にそんな風に言われたら……」

 鏡の言葉に女生徒達がますます困惑した様子を見せ『それじゃ、失礼します』と言って、その場を足早に去っていく。
 女生徒達の姿が見えなくなった所で鏡は直斗に視線を向けると『余計なお世話だった?』と訊ねる。

「いえ、助かりました。どうやって断ろうかと困ってましたから」

 鏡の質問に直斗が安堵した様子で答える。

「姉御、いつからチビッコの名前を呼ぶ間柄になってたんだ?」

「ちょっとね」

 後からやって来た陽介の問い掛けに、鏡が曖昧に答える。
 その様子に引っかかりを覚えたが、言いたくない事を無理に聞こうとも思っていないので、陽介はそのまま聞き流す事にする。

「うーっス、何してんスか」

 廊下の向こうから鏡達に気付いた完二がそう声を掛けてやってくる。

「皆さん、仲が良いんですね。何か僕に用事でも?」

 鏡達を見渡して直斗が訊ねる。
 直斗の質問に千枝が、暇なら自分達とどこかに寄り道しないかと誘ってみるが、先ほどの言葉通りなら直斗は用事があるようだ。

「……今度にします。彼女達にも言いましたが、用事がありますので。おじいちゃんにも、今日は早く帰ると言ってますから」

「おじい……ちゃん?」

 少し考える素振りを見せた直斗がそう言って誘いを断ると、完二が直斗のイメージから離れた一言に唖然と呟く。
 直斗の説明に、それなら仕方がないのでまた今度の機会にでもと言って今日は直斗と別れる。
 校門前で直斗と別れた鏡達は、その足でジュネスのフードコートへと移動する。
 いつものように、鏡が晩ご飯の食材を購入しに行くのに付き添う形だ。

「しっかし、あんなんで学校生活が大丈夫なのかよ?」

 いつもの席で、先ほどの直斗の様子を思い出した陽介がそう呟く。
 周りの対して壁を張っている様子の直斗の事が気掛かりらしい。
 陽介の言葉に雪子が確かに変わった子だけど、不思議な魅力みたいなのがあるよねと感想を述べる。
 その言葉に陽介が、直斗のような年下がタイプなのかと驚いた様子を見せる。
 驚く陽介に雪子が困った様子で『そう言う意味じゃ無くて』と困った様子を見せる。

「それにしても直斗君、どうして転校してきたんだろう?」

「名探偵的には事件の事がスッキリしてないんだろ。もう解決したってのにさ」

 千枝の疑問に陽介がそう答える。
 とはいえ、以前にも鏡が模倣犯の可能性を示しているので、事件の全容がハッキリするまでは断定が出来ない。
 スッキリしないのは陽介達も同じで、千枝がフードコートを見渡して『ここももう“特捜本部”じゃない訳か』と、名残惜しそうに呟く。

「そーいや、じき修学旅行じゃね? えっと……行き先どこだっけな……」

 思い出したように陽介が修学旅行の話を持ち出す。
 陽介の疑問に答えたのは雪子で、修学旅行の行き先は『辰巳ポートアイランド』だと話す。
 海に面している人口島でかなりの大都会らしい。

「え、ポートアイランド? 私よく、ロケでいったよ? ムーンライトブリッジの先んとこでしょ?」

 雪子の説明にりせが驚いた様子を見せるも、あの辺りなら遊べる場所が結構多いと説明する。
 りせの説明に千枝が気落ちした様子で、今回の修学旅行は遊んでいる余裕が無いかも知れないと憂鬱そうに話す。
 不思議そうな表情を見せる陽介に千枝は、今年から観光中心の修学旅行は見直す事になったと告げる。

「地方と都会の……何とかの触れ合いが……とかで、向こうの私立の高校と交流会すんだって」

「うは……空気読まないにも程があるソレ」

 千枝の説明に、げんなりした様子でりせが呟く。

「交流先って私立月光館学園?」

「うん……そうだけど。あ、鏡はテニス部の合宿で、向こうの子らと面識があるんだっけ?」

 唯一、向こうの生徒と面識のある鏡に千枝がそう話す。
 千枝の言葉に鏡は、テニス部の合宿で知り合った子らと一月ぶりに再会できるのを密かに期待する。
 修学旅行初日は月光館学園との交流会で、二日目は自由行動で工場等の見学で、三日目に戻ってくる予定だ。

「ほぼ社会科見学じゃねーか! うへ……聞かなきゃ良かった……」

 千枝の説明に一気にやる気のなくなった陽介に完二が学校の仕切る旅行なんてそんな物だと達観した様子を見せている。
 自分達も一緒なので、ダレたら適当にどっか抜け出す事にしようと提案し、りせが鏡達を案内してあげると嬉しそうに話す。
 二人の言葉に陽介が呆れた様子で、学年が違うから一緒に行動できないだろうと突っ込む。

「あれ、知らない? 今年から修学旅行、林間学校と同じなんだよ。一、二年合同」

 陽介の言葉に雪子が意外そうに説明する。
 生徒数も減り予算も少ないため、二年に一回にするそうだ。

「先輩ら居んなら、退屈しないで済みそうだぜ」

「私……お仕事抜きでポートアイランドとか、どんくらいぶりだろ……ふふ、すごい楽しみ!」

 陽介とは対照的に、完二とりせはそれぞれ修学旅行に対して期待を顕わにしている。
 そんな二人に陽介が面倒な事も多そうな事を挙げると、千枝が反対意見も合ったが諸岡の立案なので企画が通った事を告げる。

「うおお……モロキン……死してなお俺らを縛るのか……」

 亡くなった後も影響を残す諸岡の置き土産に、陽介が呪いの類ではないかと考える。

「ねえねえ、今の旅行の話、もっとクマに教えるのが良いと思うな。“ポートアイランド”とはどこぞね? 何があるの?」

 陽介達の話を聞きつけたクマがそう言って、修学旅行の行き先などを聞いてくる。
 どうやら修学旅行に付いてくる気のようだ。

「クマ、一つお願いがあるのだけど、良いかな?」

 そう言って話し掛けてくる鏡にクマは内容を確認せずに、自分に出来る事なら何でも言ってくれと即答する。
 そんなクマに鏡は自分達が修学旅行に行っている間、菜々子の事を気に掛けてくれないかと頼む。
 自分達が居ない間、きっと寂しい思いをするだろうからと付け加えて。


 鏡のお願いにクマはショックを受ける。
 一人で留守番をするのは寂しいから、こっそり鏡達の後を付いて行こうと考えていたのだ。
 しかし、自分まで稲羽を離れてしまったら、本当に菜々子が独りきりになってしまう。
 菜々子と遊ぶ約束を交わしているクマとしては、菜々子を独りにするのは耐えられない事だ。
 だからといって、菜々子まで修学旅行に連れ出す訳にはいかない。

「解ったクマ! ナナチャンはクマが責任を持って相手するクマ!」

 逡巡したのは一瞬の事で、クマは自身の事よりも菜々子の事を優先する。
 菜々子はこの世界に留まる切っ掛けをくれた相手で、鏡はクマの世界を広げてくれた恩人だ。
 鏡は遼太郎と菜々子には話しを通しておくからと言って、クマに菜々子の事を宜しく頼むと頭を下げる。
 クマは慌てて鏡に顔を上げてくれと言うと、二人は自分の恩人なのだから少しでも役に立たせて欲しいと話す。
 その言葉に鏡は顔を上げると、柔らかい笑みを浮かべてクマに『ありがとう』と感謝を述べる。

      我は汝……、汝は我……

      汝、絆の力を深めたり……


  絆を深めるは即ち、まことを知る一歩なり


   汝、“星”のペルソナを生み出せし時

     我ら、更なる力の祝福を与えん

 クマの鏡に対する信頼が伝わってくる。
 その思いが暖かい力となって、鏡の心を満たしていく。

「もうこんな時間か。姉御、そろそろタイムセールが始まるから買い物に行った方が良いぞ」

 時間を確認した陽介が鏡にそう話し掛ける。
 今日のお薦めは鶏肉という事なので、鏡はモモ肉を使って照り焼きを作ろうと考える。

 陽介達と別れて食品売り場に来た鏡は、疲労回復にバルサミコ酢で味付けをしようと思い、売り場を見て回る。
 黒酢でも良かったのだが、甘みのあるバルサミコ酢の方が菜々子には受け入れやすいと判断してだ。
 売り場を見てみると、そのまま掛けてソースに使える濃厚な物があったので、鏡はそれを購入する事にする。
 照り焼きの付け合わせにエリンギと、サラダ用に幾つかの野菜も購入する。


 買い物を済ませて帰宅した鏡は、いつものように菜々子と作業を分担して料理を作る。
 今日は菜々子がサラダを担当して、鏡が照り焼きを作る。
 調理中、酸味を飛ばすために強火で調理して酢の匂いが少し鼻についたが、換気扇と扇風機で室内に匂いが充満するのを防ぐ。
 照り焼きとサラダ、それに大根の味噌汁を作る。
 料理が出来上がる頃になって、遼太郎も帰宅してきたので三人で食事を摂る事にする。


 鏡は遼太郎に自分が修学旅行で不在の間、クマに菜々子の相手をして貰うよう頼んだ事を伝える。
 多少、調子の良い人物だが菜々子に対する配慮は真面目である。
 夏祭りの時が初めての顔合わせだったが、悪い人物でないと遼太郎も理解しているので、クマが来ることに異論は無いそうだ。
 逆に気を使わせて済まないなと謝罪する遼太郎に、自分達が好きでやっている事ですからと鏡が返す。
 遼太郎も、鏡達が修学旅行に行っている間はなるべく早く帰宅するよう気をつけると話す。


 食事を終え、いつものように菜々子と入浴をすませた鏡は自室へと戻ると、貰ってきた修学旅行のしおりを確認する。
 日程は来週の九月八日からの二泊三日で、初日は交流先の私立月光館学園での交流会だ。
 二日目から最終日の昼までは自由行動だが、行きたい場所がなければ学校推薦の工場見学とかになるらしい。
 向こう側の土地勘を持つりせが案内してあげると言っていたので、自由行動はりせの案内で行動する事になりそうだ。


 必要な物を確認して、不足分が無いかを調べる。
 土壇場で物がないと慌てたくはないので、不足分があるのなら早めに揃える予定だ。
 確認作業を終えた後に鏡は布団へと入り就寝する。

――修学旅行当日

 稲羽から移動するには二種類の方法がある。
 一つは街の北側にある八十稲羽駅から沖奈駅へと出て、主要鉄道への乗り換え。
 もう一つは街の南側から他県へと続く幹線道路を利用した車での移動。
 鉄道での利用が主に使われているのだが、二学年分の人数だと電車に乗りきれないため、沖奈駅へはバスでの移動となる。
 沖奈駅からは鉄道での移動となり、目的地である私立月光館学園には昼過ぎに到着する予定だ。

 早朝より、大型バス六台に分乗して沖奈駅へと向かいそこからは鉄道での移動となる。
 一部の生徒は寝不足を補うために移動中に眠っており、それ以外の生徒は修学旅行での自由行動などの話題で盛り上がっている。
 鏡達もクラスメイト達との会話で、二日目の自由行動に付いて話し合ったりしている。
 陽介は前日に旅行の支度をしたために寝不足気味らしく、移動中はずっと眠り続けていた。

「うはー、なんだこれ……広過ぎじゃね、この学校?」

 陽介はそう言うと、唖然とした表情で月光館学園の校舎を見上げる。
 ポートアイランド駅から月光館学園へと続く道も道幅が広く、初等部と中等部が同じ敷地内にある。
 それぞれ途中で道が分かれているが、あまりの広大さに八十神高校の生徒達は驚きを隠しきれない。

「えー、あー、次に、この学園都市とこの学園の設立意義について説明しまぁす……」

 驚く陽介の眼前では、月光館学園の校長の長い話しが続いている。
 話の内容に一貫性が無く、次々に話題が変わっていく。
 あまりの長話に辟易する千枝を雪子が宥めていると、校長に紹介された月光館学園の生徒会長が挨拶を行う。

「ようこそ、私立月光館学園へ。初めまして。生徒会長を務めます、三年D組、伏見千尋です」

 校長に紹介されて、八十神高校の生徒達の前に出てきた女生徒が話し掛けてくる。
 眼鏡を掛けた理知的な雰囲気を持った綺麗な女生徒だ。
 千尋の挨拶を聞いている陽介と完二が、千尋の容姿に顔を赤らめて見惚れている。

「他校を招いての本格的な学校交流は、我が学園にとっても初めての試みです」

 落ち着いた様子で、高校生とは思えない内容のスピーチを行う千尋に、陽介達の気持ちが引き締まる。
 スピーチを終えた千尋に、八十神高校の生徒達から賞賛の拍手が送られる。

「やばい、全てが負けてる……」

 自分達より一つ上とは思えない大人びた千尋の姿に、千枝が愕然とした様子で呟く。
 鏡も大人びた雰囲気を持っているが、それとはまた違った雰囲気に呑まれる。
 そんな千枝達に柏木がクラス別に別れて行動するように指示を出す。

「やだ、忘れてた!」

 八十神高校の生徒達が解散したところで、千尋が先ほどとは違い、慌てた様子で驚いている。
 千尋はその場に残っている鏡達の傍にやってくると、今日の予定を書いたプリントを渡し忘れていた事を謝罪してくる。

「遠いところお越し頂いたのに、段取り悪くて、ごめんなさい」

「いえ、凄く立派なスピーチでしたよ」

 謝罪する千尋に鏡がそう答える。
 その言葉に千尋は皆に支えられて何とか取り繕っているだけだと話す。
 さっきのスピーチも、自身が入学した時の生徒会長に一緒に考えて貰ったらしく、後でお礼の電話をしなければと嬉しそうに話す。
 その様子から、千尋がその生徒会長に対して並々ならぬ信頼を寄せている事が分かる。

「あ、ごめんんさい! 自分の事ばっかり……緊張してると喋り過ぎちゃうの、直さなきゃ」

 そんな風に謝罪してくる千尋に、鏡は気にしていない事を告げ、とても信頼してるんですねと表情を綻ばせる。
 千尋は、そんな鏡をまじまじと見ると、どこか懐かしそうな表情を浮かべる。

「貴女を見ていると、今年卒業したもう一人の先輩を思い出しちゃった。容姿は違うのに、雰囲気が似ているからかな」

 そう言って千尋は微笑むと、鏡達の今後の予定は二階の教室で行われる特別授業だと説明する。
 千尋は、八十神高校の生徒会の方々と打合せがあるからと言って、去って行くと陽介が愕然と表情を浮かべる。

「いまナニゲに“特別授業”つわれた? ここまで来て“授業”!?」

 陽介の言葉に雪子が鏡の手にあるプリントと覗き込む。
 雪子達のクラスは“江戸川先生”による“カバラ哲学”という授業らしい。
 辟易した様子で何時から自由時間か訊ねる陽介に、同じくプリントを覗き込んだ千枝が『無い』と切り捨てる。
 その言葉に愕然とする陽介と完二に千枝が明日と明後日の昼までが辛うじて自由行動だと伝える。

「今日は頑張って“修学”しよ?」

 雪子の慰めとも諦めとも付かない言葉に陽介は肩を落とす。
 教室へは月光館学園の生徒が案内してくれて、迷うことなく移動する事が出来た。
 校内も外観同様に綺麗で広々としており、玄関ホールに売店が有ることに完二が驚いている。
 今日は休校日の関係上、売店は営業してないが、色々な商品があるようだ。

「はい、どうもはじめまして。会うは別れの始め、アルファなり、オメガなり……」

 江戸川という白衣を着た教師は、個性的な教師の多い八十神高校の教師達と同じか、それ以上に個性的な教師だ。
 八十神高校という名に何かを感じたのか、当初の予定とは違い別れの話しとして“日本で一番古い呪いの話”を始める。
 その内容は国生みの二神、男神イザナギと女神イザナミの黄泉比良坂でのやりとりだった。


 火之神を生んだ事によって亡くなった妻を取り戻すために黄泉の国へと向かったイザナギ神。
 そこで、見てはいけないと言われた妻の無惨な姿を見て、恐れをなしたイザナギ神は現世へと逃げ帰る。
 最愛の夫に辱めを受けたイザナミ神は怒り狂い、イザナギ神を追い掛けるも黄泉比良坂で、この世とあの世を繋ぐ道を塞がれてしまう。
 道を塞ぐ岩を境に、イザナギ神はイザナミ神に絶妻之誓と言われる夫婦別離の呪言を渡す。
 イザナミ神はイザナギ神に、『そのような仕打ちをするのであれば、私はあなたの国の人間を日に千人殺しましょう』と告げる。
 その呪言に対してイザナギ神はその言葉を咎める事なく、『ならば私は、日に千五百の産屋を建てよう』と言い返す。
 それがこの国に掛けられた最初の呪いで、千が死にゆき、万が生まれてくるという伝承だ。


 この他に江戸川は、イザナギ神とイザナミ神、言葉の語源は“誘い”から来ていると話す。
 江戸川は、今日の話が皆さんの知的好奇心への“誘い”となれば幸いですねと締めくくり、特別授業は終了する。

「なんつうか、思っていたのとは違って、結構楽しめた授業だったな」

 特別授業が終了して、陽介がそんな感想を漏らす。
 堅苦しい公式などを聞かされるのかと思っていたが、まさか神話の話を聞かされるとは。
 陽介の感想に鏡達も同意する。
 自分達の学校の教師も個性的だが、こちらの教師も個性的な人が多いようだ。

「神楽さん!」

 突然の呼び声に鏡が声の方へ振り返ると、そこには合宿で知り合った月光館学園女子テニス部の部員が居た。
 懐かしい顔ぶれに、鏡は表情を綻ばせると一月ぶりと互いに再会を喜び合う。
 月光館学園はどうかと訊ねる女生徒に、鏡は良い学校で先生方も個性的だねと感想を述べる。

「確かに、ウチの学校の先生達は個性的だからね。そう言えば、神楽さんは鎧兜を被った小野先生は見た?」

 そう言って、月光館学園で日本史を担当している小野という教師の話をしてくれた。
 何でも戦国武将だった伊達政宗に対しての思い入れが強く、戦国時代に関する授業だけは内容が濃いのだとか。
 世界史の祖父江と似たような教師の話に鏡達は既視感を覚えた。
 女生徒と別れた鏡達は長い授業を受け終えて月光館学園を後にする。



 夜になって柏木に引率された鏡達が宿泊先のホテルへと到着する。

「はい、ここでぇす。シーサイド・シティホテル“はまぐり”。今日はここにお泊まりよぉ」

 いかがわしい雰囲気のホテルを前に柏木が嬉しそうに説明する。
 そのあからさまに怪しげな外観に、生徒達に動揺が広がる。
 柏木がこのホテルを見付けたそうで、都会っぽい雰囲気と手頃な値段が選んだ理由だとか。
 最近開業したばかりだと柏木は説明するが、どう見ても潰れたラブホテルを再利用したとしか思えない。
 呆れ返る生徒達に柏木は、早く中へと入るように急かす。

「ここ……怪しくないか?」

 困惑する陽介の言葉に千枝は地元にこういった建物がないので解らないと返す。

「ここはね、“白河通り”って言って、その……」

 そんな千枝達に顔を赤らめたりせが困った様子で説明しようとするが、陽介がそれを慌てて止めさせる。
 最後まで説明を聞くのが流石に怖くなったようだ。

「約束通り、明日は私が案内するね。まずはショッピングかな。夜も良いとこ知ってるよ」

 そう言って、りせが嬉しそうに鏡達に話し掛ける。
 他の生徒達はこちらの方に詳しくないため、学校側が薦める場所を見に行くそうだ。
 陽介も、学校推薦の場所を見に行くよりかは楽しめそうだと、りせ達と行動を共にする事にする。
 そうやって、明日の予定を話し合っていると柏木が表に出てきて鏡達に早くホテルへ入るように促す。
 柏木に促された鏡達はホテルへと入ると、それぞれ割り当てられた部屋へと移動する。


 部屋の内装は整えられておりお洒落な感じはするが、備え付けのベッドなど明らかに普通のホテルでない物が置いてある。
 千枝は初めて見るウォーターベッドに喜んでいるが、鏡と雪子はどう反応して良いか互いの顔を見合わせる。

「取り敢えず、今日はお風呂に入って早く休もうか」

 疲れた様子で提案する鏡に、雪子と千枝は同意する。
 浴室は広々としており、三人でも十分に入れそうなため時間の節約も兼ねて三人で入る事にする。

「そう言えば、ゴールデンウィーク以来だね、一緒にお風呂に入るの」

 湯船に浸かった千枝が懐かしそうに話す。
 その言葉に鏡達も言われてみればとそうだねと同意する。

「ここに菜々子ちゃんが居たらあの時と同じだけど、流石にこの場所はちょって拙いよねぇ……」

 千枝の言うとおり、幼い菜々子を連れてくるには悪影響のありそうな場所だ。
 鏡達は取り留めのない話をしながら、明日の自由行動について話に花を咲かせる。
 手早く入浴を済ませた鏡達は寝間着に着替えると、備え付けのベッドに入って早めに休む事にする。
 明日はりせの案内であちこちを見て回る予定だ。


 翌日になって、りせの案内で鏡達は辰巳ポートアイランド内を見て回る。
 りせが一押しするポロニアンモールはジュネスの規模を大きくしたような場所で、ジュネス同様に見て回るだけでも楽しめる。
 鏡達はりせの案内でウィンドウショッピングを楽しみ、気に入った物があって値段も手頃なら購入する予定であちこちを見て回る。
 普段からジュネスでバイトをしている陽介も、店舗の配置や商品の陳列に思うところがあるのか、興味深そうに見ている。
 一番退屈しそうと思われた完二も、初めて見るジュネス以上の規模を誇る施設内に、驚きが隠せないようだ。


 夜になって、りせに連れてこられた場所は、夕方から営業している“クラブ・エスカペイド”という店舗だ。
 開店直後のため客の入りは少ないが、景気の良い音楽に合わせて踊っている客の姿が見掛けられる。

「おーすげぇ、これがクラブか……!」

「やーばい、あたしテンション上がってきた!」

 初めて見るクラブの様子に完二と千枝がそう感想を漏らす。
 そんな二人に、雪子が地元にこういう所は無いからねと同じく興味深そうに店内を見ている。

「いいんですか? 高校生がこんな所に来て」

 そう言って鏡達に声を掛けてきたのは二階から降りてきた直斗だ。
 鏡は苦笑を浮かべると、自分達より先に来ていた直斗がそれを言うのかとからかうように話す。
 その言葉に直斗は顔を赤くすると、自分は問題が起きないか確認に来ただけですと恥ずかしそうに抗議する。
 用件も済み、帰ろうとする直斗を千枝と雪子が呼び止め、自分達と一緒に行動しないかと直斗を誘う。

「一緒にって……僕とですか?」

 その意外な申し出に直斗は驚くも、こんな機会でもないと鏡達とゆっくり話す事も無いと思ってか、申し出を受ける事にする。
 りせは鏡達に店側に掛け合って上を貸し切るから待って欲しいと話す。
 その言葉に普通に返事を返した陽介は、言葉の内容に驚きそんな事が出来るのかと確認する。

「うん。大丈夫、たぶん顔利くから」

 りせはそう言うと、カウンターの方へと向かい、店員と話し始める。
 その堂々とした様子に陽介達が驚く中、話を付けてきたりせが大丈夫だと言って二階へと移動する。
 二階奥の一角を貸し切ったりせは、店側が持ってきた飲み物を手に乾杯をする。
 千枝が貸し切ってお金とか大丈夫なのかと心配するも、りせは笑顔で大丈夫だと話す。
 何でも、以前ここでシークレットライブをした時に途中で電源が落ちて中止になったそうだ。
 その時の借りを返したいので、むしろ今日はタダで良いと言ってきたらしい。

「そういう事なら、もっと頼んじゃおっと」

 りせの説明に千枝は嬉しそうな表情になると、追加注文を取るために手にした飲み物を一気飲みする。
 その隣に座っている雪子は顔を赤らめており、心なしかゆらゆらと左右に身体が揺れている。
 雪子の様子に陽介が、ここに出ている飲み物はアルコール飲料なのかと危惧する。

「わ、私、ソフトドリンクって言ったよ!? ちゃんとノンアルコールだって!」

 陽介の言葉にりせも顔を真っ赤にしてアルコール飲料は注文していないと必死に抗議する。
 飲み物の匂いを嗅いだ完二がこれは本当にアルコール飲料なのかと疑問を持つと、鏡が場酔いの可能性を指摘する。
 鏡の言葉に陽介達は納得するも、酔った勢いで歯止めが利かなくなっている雪子達を押さえる事が出来ずどうするか対処に困る。

「良い機会だからぁ、直斗君の事を話しなさぁい!」

 呂律が怪しくなってきた雪子がそう言って直斗に絡む。
 言いたくない事なら断っても良いぞと話す陽介に、直斗は別に構わないと返す。

「その代わり、僕が話したら、皆さんにも“ある事”を話してもらいます」

 直斗の言葉に、りせが即答で『いーよ』と答える。
 言質を取った直斗は『鏡さんには話した事ですが』と前置きしてから自身の事を話し始める。
 その内容は以前に鏡が聞いた話で、直斗が探偵としての自身に誇りと責任感を持っている事が伺える。
 陽介からすると息が詰まりそうな生き方に見えるが、直斗はそのようには思ってはいないのだろう。
 話し終えた直斗は、『次は皆さんの番ですよ』と話を振ってくる。

「答えて貰いましょう。皆さんが本当は、事件とどう関わっているのか」

「お前な……空気読めなさ過ぎて逆にオモシロイよ……」

 射抜くような視線で質問してくる直斗に、陽介がそう言って話を逸らそうとする。
 しかし、陽介の努力は酔った雪子の発言によって台無しにされる。

「えっと~、誘拐された人を~、テレビに入って助けに行きま~す!」

 雪子の発言に陽介は慌てて止めさせようとするが、酔っぱらいの発言と思ったのか、直斗は落胆した様子を見せる。
 自身をからかっているのかと問う直斗に、うつらうつらと船を漕いでいたりせが立ち上がって抗議する。

「ホントらもんッ! ペルソナーっ!」

 そう言って、勢いよく右手を突き上げたりせは、そのままソファに座って眠ってしまう。
 そんな二人に対して、千枝は『この酔っぱらいコンビは!』と癇癪を起こす。

「……話す気が無いのは解りました」

 溜息をついて、直斗がそう話す。
 元より事実を語って貰えるとは思っておらず、鏡達が本当に事件に関わりが有るのか否かだけでも知る事が出来たらと考えていた位だ。

「……直斗、さっき言った雪子の話が本当だったら、どうする?」

「ちょっ! 姉御!?」

 鏡の発言に陽介が驚く。
 陽介と同じく、直斗も鏡の発言に驚いた表情を見せる。

「……あり得ません。テレビの中に入るだなんて、そんな非科学的な事」

 鏡の言葉に直斗はそう答える。
 しかし、そうやって否定する直斗に鏡はこう続ける。

「そう考えるのが普通だと思うけれど、自身の常識が全ての常識だと思うのは間違いだよ」

「どういう意味です?」

「目に見える物が全てじゃない。私も、直斗も知らない事の方が多いはずだよ」

 そう言って、鏡が言外に信じないのは勝手だが、先ほどの話は事実だと示す。
 鏡の言葉に直斗は考える素振りを見せると、明日も一緒に行動して良いか訊ねてくる。

「そうだね、私達の事を知るには、一緒に行動するのが一番だね」

 そう言って鏡は、直斗が自分達と一緒に行動する事に異論を挟まず容認する。
 取り敢えずそろそろホテルに戻らないといけない時間なので、鏡達はエスカペイドを後にする。
 眠ってしまった雪子とりせは、鏡と千枝が肩を貸してホテルへと連れて帰る事にする。

「おい、姉御。さっきのは一体、どういうつもりだ?」

 先に直斗がホテルへと帰ったのを確かめて、陽介が鏡に問い掛ける。
 陽介の質問に、鏡はどういうつもりも事実を知って、直斗が自分達に協力してくれたら心強いと話す。
 事件は解決したが、向こう側の世界やマヨナカテレビの事など、まだ解らない事が多い事を挙げる。

「……確かに、まだ解らない事が沢山あるよな。だからアイツの意見も必要だと言うのか?」

「私達とは違った視点で、向こう側の世界やマヨナカテレビについて意見を出してくれそうじゃない?」

 そう言って、鏡は陽介に笑いかける。

「わーったよ、姉御には何やら考えがあるようだし、アイツの事については姉御に一任するわ」

 鏡の笑顔に毒気が抜かれた陽介が降参するようにそう話す。
 陽介の言葉に鏡は『ありがとう』と礼を述べると足取りの覚束ない雪子を支え直して歩き続ける。


 ホテルへと戻ってきた鏡達は、教師達に見つかる事なく自室へと戻る事が出来た。
 りせの方は熟睡していたが、鏡がりせの部屋の場所を聞いていたので連れて行って後の事は同室の子に任せる事にした。
 自室へと戻ると、雪子が気持ちよさそうな表情でベッドで熟睡している。
 雪子も入浴させたいところだが、起こすのも気が引けたので明日の早朝にでもシャワーを浴びさせる事にする。
 鏡達も今日はシャワーだけで済ませる事にして、早々に就寝する事にする。


 翌日になり、稲羽へと戻る電車の集合時間前に、巌戸台駅前商店街にあるラーメン屋“はがくれ”へとりせの案内でやって来た。
 店内はこぢんまりとしているが、客の入りも中々で店内に漂うラーメンの香りが食欲をそそる。

「んーっ! やばい、うまいよコレ!」

 りせが言うには、この店がここらで一番ラーメンが美味しいのだという。
 そのりせの隣では、気落ちした様子の雪子がラーメンをゆっくり食べている。

「ねえ……昨日って、夜どうしてたっけ……? 私、ほとんど記憶なくて……」

 心配するりせに雪子がそう話す。
 りせに連れられてクラブ・エスカペイドに行ったところまでは覚えているのだが、それ以降の記憶が途切れている。
 雪子の言葉にりせは自分と雪子はすぐに眠ってしまったらしいと話す。
 どうやらりせも昨日の記憶が曖昧らしく、何も覚えていないようだ。

「あー、変わんないなー、この味。炭水化物太るから、あんまり来れなかったけど、好きに食べれるなんて夢みたい!」

 気落ちしていた雪子も、ラーメンを一口食べると表情を輝かせる。
 ラーメンの味を褒める雪子にりせが嬉しそうに同意する中、新しく入ってきた客が“はがくれ丼”を注文する。
 以前は隠しメニューだった“はがくれ丼”が通常メニューになった事に驚いたりせが、注文を失敗したと悔しがる。
 しかし、注文したラーメン自体も美味しかったので、りせはよしとする。

「そう言や、大丈夫なのか? 顔、モロ出しで来てるけどさ」

 心配する陽介に、りせは気にした風もなく平気だと答える。
 店内にりせのサイン色紙が飾られているが、誰もりせの事に気付いていないようだ。
 ここらでは見掛けない制服を着ているので、よく似た他人だと思われているのかも知れない。
 はがくれでラーメンを堪能した鏡達は菜々子へのお土産を購入するために駅へと向かう。
 今からなら集合時間にも遅れる事なく買い物を出来そうだ。


 巌戸台駅へと移動した鏡達は、それぞれお土産を見て回る。
 独り和菓子のコーナーを見ていた直斗に気付いた鏡は直斗の傍へと移動する。

「修学旅行、楽しめた?」

 声を掛けてきた鏡に直斗は僅かに驚くも、それなりに楽しめたと答えを返す。
 鏡は直斗が見ていた和菓子に視線を向けると、お祖父さんへのお土産を選んでいたのかと問い掛ける。

「そうですね。祖父へのお土産と、この間、僕を迎えに来てくれた薬師寺さんへのお土産です」

 そう言って、直斗は表情を僅かに綻ばせると甘さを抑えた和菓子の詰め合わせを手にする。

「昨日、貴女に言われた言葉を考えていました。テレビの中の世界……どう考えても、やはりあり得ないと思います」

 しかし、と直斗は言葉を続ける。
 あり得ないと切り捨てるのは簡単だが、春先に起こった事件も“あり得ない”内容の事件なのだ。
 なので、検討くらいはするべきではないかと直斗は話を締めくくる。

      我は汝……、汝は我……

      汝、絆の力を深めたり……


  絆を深めるは即ち、まことを知る一歩なり


   汝、"運命"のペルソナを生み出せし時

     我ら、更なる力の祝福を与えん

 鏡の脳裏にいつもの声が響く。
 信じ切れてはいない様子だが、鏡に対して思うところがあるのだろう。
 ただ否定するだけでなく、ちゃんとした根拠を挙げてから判断しようと考えているようだ。
 直斗の言葉に鏡は微笑むと、自身も菜々子達へのお土産を選ぶ作業へと戻る。
 鏡が選んだお土産は“巌戸台ちょうちん”という巌戸台と書き込まれた提灯だ。
 Tシャツや饅頭も候補にあったのだが、珍しいという理由で提灯に決めた。
 会計を済まし、集合場所へと移動する。
 帰りは沖奈駅で現地解散のため、家族に迎えに来てもらう者、沖奈駅周辺で時間を潰す者とに別れるようだ。
 鏡達は寄り道をする事なく、八十稲羽行きの電車に乗り帰宅する。

「あっ、おかえり!」

 テレビを見ていた菜々子が鏡の帰りに気付いて駆け寄っていく。

「センセイ、お帰りなさいクマ!」

 一緒にテレビを見ていたクマも鏡の元へとやってくる。

「ただいま。クマ、菜々子ちゃんの事、ありがとうね。はい、これお土産」

 そう言って鏡がクマに手渡したのは“巌戸台まんじゅう”だ。
 クマはどちらかというとお菓子や甘い物を好むので、菜々子とは違って無難なお土産を選んだ。
 鏡から貰ったお土産にクマは感動したのか身体全身で喜びを表している。

「それで、こっちが菜々子ちゃんと叔父さんへのお土産ね」

「ありがとう、お姉ちゃん! すごーい! かっこいー!」

 鏡から受け取ったお土産を確認した菜々子が、満面の笑みを浮かべてお礼を述べる。
 どうやら、提灯がよほどと気に入ったようだ。
 遼太郎へのお土産は、向こうで限定酒造と銘打たれた地酒だ。
 こちらの方は冷蔵庫で冷やす事にする。

「おー、帰ったか、ご苦労さん。タッチの差だったな。熊田も菜々子の相手、ありがとうな」

 鏡の帰宅から少し遅れて遼太郎も帰宅する。
 菜々子は遼太郎に鏡からお土産を貰った事を嬉しそうに報告する。
 遼太郎はちゃんと鏡にお礼を言ったのかを訊ねると、菜々子は嬉しそうに言ったと話して、貰ったお土産を自室へと持っていく。

「すまんな、小遣いから買ってくれたんだろ? 確か、辰巳ポートアイランドだったか。ハハ、お前、都会は珍しくないんだよな」

 そう言って、遼太郎はキッチンにあるテーブルの椅子に座ると、今回は一年と合同だったので直斗も一緒かと話す。
 修学旅行での直斗の様子はどうだったのかと訊ねる遼太郎に鏡は、二日目と三日目は一緒に行動していた事を告げる。

「そうか、知ってると思うが、アイツは根は真っ直ぐな奴だ。今も、バカみたいに正論言い張って、上の連中に煙たがられてる」

 そう言うと、遼太郎は大人は勝手だなと自嘲気味に話す。
 遼太郎は鏡に出来れば学校で直斗の事を気に掛けてやって欲しいと話す。
 その言葉に鏡は頷くと、簡単だが今日の晩ご飯の支度をするために洗面所へと手を洗いに行く。
 いつものように菜々子と晩ご飯を作った鏡は、クマも交えて四人で食卓を囲む。
 菜々子は食事中、鏡が修学旅行に行っていた間、クマとどうやって過ごしていたか等を鏡に報告する。
 鏡も修学旅行で珍しい授業を受けた事を話すと、遼太郎が今の高校はそんな授業をするのかと、関心半分呆れ半分の感想を述べる。

「それじゃ、俺は熊田を送ってくるから、後の事は任せたぞ」

 そう言って、遼太郎はクマを送りに出掛けると、鏡は戸締まりをして菜々子と一緒にお風呂へと入る。
 お風呂で鏡は菜々子に旅行は楽しかったのかと訊ねられたので、今度は家族で行きたいねと返す。
 その言葉に菜々子は表情を輝かせると、デスティニーシーも行きたいとはしゃぐ。
 お風呂から上がり、菜々子を寝かし付けて自室へと戻った鏡は布団に入ると目を閉じて修学旅行を振り返る。
 色々と大変だったが、終わってみれば良い思い出になったと思う。
 今度は菜々子達と旅行が出来れば良いなと思い、鏡は眠りにつくのであった。




2011年08月22日 初投稿



[26454] 【幕間】 お留守番
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/10/10 07:24
 鏡達が二泊三日の予定で修学旅行へと朝早くから出掛けた事で、菜々子は久しぶりに独りで朝食を摂る事となった。
 朝食自体は鏡が用意してくれていたので、それを暖め直してから食べる。

「…………」

 いつもと同じ味なのに、何故か普段よりも美味しく感じられない事に菜々子は戸惑いを感じる。
 それが、寂しさから来るものだとは気付かない菜々子は、朝食を摂り終えると食器を片付けてから学校へと向かう。

「ナナちゃん、おはよう!」

 通学路の途中で、そう言って菜々子に声を掛けてきたのは二人連れの少女だった。
 菜々子に声を掛けてきた方の少女は、元気で少し気が強そうな表情をしている。

「おはよう、ナナちゃん」

 もう一人の少女は対照的に大人しい感じのする少女で、先に菜々子に声を掛けた少女とよく似た容姿をしている。

「みわちゃん、ようちゃん、おはよう!」

 声を掛けてきたのが友達である双子の少女だと知って、菜々子が嬉しそうに返事を返す。
 後から声を掛けてきた少女が不思議そうに菜々子の周りを見渡すと、いつも一緒に居る綺麗なお姉さんはどうしたの? と菜々子に訊ねる。

「お姉ちゃん、今日からしゅうがくりょこうで居ないんだ」

 菜々子の説明に、双子の少女はそれぞれ残念そうな表情を見せる。
 特に、鏡の事を訊ねた少女はそれが顕著だ。
 菜々子は知らない事だが、双子の少女は鏡と個人的に関わり合いがあり、何度か鏡に対して頼み事を行っている。
 つい先日も、大人しい少女からの頼み事で“リーフポシェット”を向こう側から持ち帰ってきている。

「そっか、それだと帰ってくるまでナナちゃんも寂しいよね」

「うん……でもね、お姉ちゃんがクマさんにお願いして、クマさんが菜々子と遊んでくれるって言ってた」

 菜々子が寂しい思いをするだろうと心配した鏡が、前もってクマに頼んでいた事を話す。
 その説明に、双子の少女が不思議そうに首を傾げるが、菜々子が寂しい思いをしないで済みそうな事を喜んだ。
 菜々子達はそのまま他愛のない話しを続けながら学校へと向かう。




 菜々子の担任は芳野遥という妙齢の女性で、生徒達からの受けが良い教師だ。
 生徒達に対して分け隔て無く接してくれる担任で、菜々子の事も家庭環境を知っている分、何かと気に掛けてくれている。
 鏡とも面識があり、最近では菜々子も交えての料理談義に花を咲かせる事もある。

「今日配ったプリントは、必ずお父さんかお母さんに渡してくださいね」

 そう言って配られたプリントには“授業参観の開催希望日アンケート”と書かれていた。
 それを見て、菜々子の心が沈む。
 仕事の関係上、遼太郎はこの手の行事に対して都合が合わない事が多く、今までも遼太郎が行事に参加した事は数えるほどしかない。
 どうすれば良いのか悩む菜々子にとって間が悪い事に、頼りになる鏡が修学旅行に出掛けていて相談できない事だ。
 鏡が帰ってきてから相談するしかない。幸いな事に、プリントの提出期限までにはまだ余裕がある。


 遥の説明も終わり、今日の授業が終わった菜々子は帰り支度を済ませると、早く帰宅しようと教室を出る。
 クラスメイト達に挨拶をして、下駄箱で靴を履き替えた菜々子が校門前まで移動すると、校門の外に見知った顔を見付けた。

「ナナちゃん、迎えに来たクマよ!」

 そう言って、爽やかな笑顔で菜々子に手を振っているのは待ち合わせ相手のクマだった。
 大きな紙袋を片手に抱え、反対側の手を菜々子に振っているその様子は、見ようによっては不審者そのものだ。
 しかし、その身に纏う雰囲気は何処か力が抜ける感じがするため、危険人物には見えない。

「こんにちは、クマさん。その紙袋は?」

 不思議そうにクマの持つ紙袋を見つめ質問する菜々子に、クマはジュネスからお菓子を持ってきたと得意気に説明する。
 クマは出掛ける前に陽介の父親から許可をもらい、お菓子を見繕ってきたのだ。


 陽介から事情を聞いた両親は菜々子の事を気に掛け、修学旅行中は午前中だけ仕事に入ってくれればいいとクマに許可を出した。
 その為、仕事を終えたクマはホームランバーを我慢して貯めたバイト代で菜々子に差し入れするお菓子を見繕ってきたのだ。


 当初は夏休みのヒーローショーの手伝いをして貰ったお礼に、費用は自身が出すと陽介の父親が話したのだが、クマがそれを断った。
 菜々子への差し入れは、自身が稼いだお金で購入したいとクマが話したためだ。
 もっとも、その言葉に胸を打たれた陽介の母親が、せめて半分だけでも費用を出させて頂戴と費用の半分を持つ事となった。
 こうしてクマは、揚々とお菓子の入った紙袋を持って菜々子を迎えに来たのであった。
 菜々子は大量のお菓子に嬉しそうな笑みを浮かべると、クマにお礼を言って一緒に帰宅する。

「あれ? 菜々子ちゃんに熊田さんが一緒って、珍しい光景……そっか、鏡ちゃん達は修学旅行だったわね」

「サキちゃん、ごきげんようクマ! センセイ達が帰ってくるまで、クマはナナちゃんとお留守番クマ」

 そう言って、帰宅中の菜々子達に声を掛けてきた早紀にクマが事情を説明する。
 クマとは夏祭りの時に会ったのが初めてのはずなのだが、何故か早紀はクマと会う度に懐かしい思いに囚われる。
 ひょっとすると、記憶を失う前に出会った事があるのかも知れない。
 そう思うも、クマの方から早紀に対して特に何も言ってこないので、確かめるタイミングを逃している状態である。

「そうなんだ。もし迷惑でなかったら、私も一緒にお留守番をしても良いかな?」

 自宅に帰っても父親と言い合いになるだけなので、ダメ元で早紀が菜々子に申し出る。
 突然の申し出に菜々子は目を丸くするが、すぐに表情を綻ばせて早紀も一緒に居てくれる事に大喜びする。
 クマも『クマ、両手に花状態クマね!』と早紀が一緒に来る事を歓迎しているようだ。
 若干クマを問いつめたい発言ではあるが、菜々子が嬉しそうなので仕方がないかと早紀はそのまま流す事にする。




 三人で仲良く帰宅すると、クマの持ってきたお菓子を広げて何をしようかと話し合う。

「そう言えば、菜々子ちゃん。宿題とかは出なかった?」

 ふと気になったので、早紀が菜々子に訊ねると、算数のドリルが宿題に出たらしい。
 早紀は遊ぶ前に宿題を済ませようと提案して、分からない所があったら遠慮せずに聞いてねと菜々子に笑いかける。
 宿題というか、勉強自体にこれまで縁の無かったクマは早紀に全て任せる事にして、自身は大人しく見物する事にする。
 菜々子は鏡に教えてもらっている時と同じように、一人で考えて問題を解いていく。
 計算に困ってもすぐに訊ねてこない菜々子に、早紀は感心した表情を見せる。
 その事で菜々子を褒めると、菜々子は嬉しそうにまずは自分で考える事が大切だからと鏡に言われた事を話す。
 答えをすぐに聞くよりも、自分で出した答えが正解だった時の方がずっと嬉しくなるからと言われたらしい。

(なるほどね。そうやって勉強が楽しいと思えたら真面目に取り組むようになるわね)

 菜々子自身が真面目である事も要因の一つだが、楽しい事なら自分から率先して行うようになるだろう。
 何となく鏡の思惑を感じ取った早紀は、以前の試験で鏡が上位の成績を収めていた事に納得する。
 鏡自身、そうやって勉強に取り組んでいるのだろう。


 さほど時間も掛からずに菜々子の宿題が終わると、ゴールデンウィークの時に遊んだカードゲームで遊ぶ事にした。
 菜々子がカードゲームを気に入った事もあり、遼太郎がジュネスで菜々子と一緒に買ってきた物だ。
 このカードゲームは二人から五人まで遊べる物で、三人くらいで遊ぶのがちょうど良い内容となっている。
 可愛らしい絵柄のイラストが特徴で、その中の長い髪のキャラクターが描かれたカードが菜々子のお気に入りだ。


 ルールは簡単で、手札から歩数の書かれたカードを出して目的地へと最初に辿り着けば勝利だ。
 目的地までの必要歩数は人数で決まり、三人で遊ぶ時の必要歩数が一番手頃となっている。
 参加者は、他の参加者に対して障害物や妨害カードを使って牽制する。
 牽制された方は、霜害物を除去するカードや妨害カードに抵抗するカードを使って、それらに対処していく。


 カードを配り、菜々子から早紀、クマの順番に始めていく。
 菜々子は山からカードを一枚引くと、手札から五歩の歩数カードを場に出す。
 続いて、早紀も山場からカードを引き菜々子と同じく五歩の歩数カードを場に出す。
 手札に五歩の歩数カードを持たないクマは少し遅れるも三歩の歩数カードを場に出す。
 このゲームは、ゴールまでの必要歩数が半分を過ぎた辺りから妨害が始まる。
 一回の行動で出来る事は一度だけで、歩数を進めながら妨害行動は出来ない。
 同じように、妨害された状態では歩数カードを出す事が出来ず、妨害カードに対処するまではその場で足止めされる事になる。
 カードの中には出された歩数カードを無効化するカードもあり、どのタイミングでこれらのカードを使っていくかが勝敗を決める鍵となる。


 菜々子は妨害カードなどを使うタイミングの取り方が上手く、絶妙なタイミングで仕掛けてくる。
 出遅れたクマが妨害カードや特殊カードを駆使してトップに躍り出るも、その直後に菜々子からの反撃に遭いすぐに追い越されてしまう。
 それを勝機と見た早紀がクマに追撃を掛け、更にクマの進みが遅れてしまう。

「サキちゃん! そこで、そのカードは酷すぎるクマよ!」

 早紀からの追い討ちにクマが悲鳴を上げる。
 そんなクマに対して、早紀は素知らぬ顔で『弱点は突かなきゃね』と話す。
 最初のゲームは僅差で早紀が勝ち、クマが最下位という結果で終わった。


 クマも千枝と同様に考えている事が顔に出やすく、また行動も単純だ。
 手札に数値の高い歩数カードがあれば迷わず使い、妨害カードも考え無しにトップの相手に使っている。
 このゲームでは、敢えて歩数の少ないカードで相手を油断させ、妨害カードで足止めした隙に一気に歩数を稼ぐ方法もある。
 菜々子もどちらかというと、後から一気に追い上げる戦法を好んでいる。
 その為、相手との歩数の差を正しく把握しており、それなりに計算も上手に行っているようだ。


 何度かゲームを終え、トップは僅差で菜々子。クマは負けが込み一度も勝つ事が出来なかった。
 それでも、菜々子や早紀が楽しそうにしている姿を見て嬉しそうにしている所を見ると、勝敗自体にはあまり拘りが無いように見える。
 ゲームを終えると時間も夕方になっており、菜々子は晩ご飯の用意をしなくちゃと席を立つ。

「菜々子ちゃん、料理できるの?」

 そう言って意外そうな表情を見せる早紀に、菜々子は鏡から手解きを受けている事を説明する。
 冷凍庫から鏡が用意してくれたハンバーグを取り出すと、レンジで解凍する。

「早紀お姉ちゃんもクマさんもご飯、食べるよね?」

 菜々子の質問にクマは即答で食べると答えると、『ナナちゃんの手料理♪』と全身で喜びを表している。
 早紀はどうしようか少し迷ったが、早く帰宅しても気まずい雰囲気の中で過ごす事になるので、申し出を受ける事にする。
 無断で食べて帰ると、父親に文句を言われるのが解っていたので、早紀は母親に連絡を入れるために携帯電話を取り出す。
 アドレスから母親の携帯電話の番号を選び電話を掛ける。
 早紀は電話に出た母親に手短に事情を説明すると、通話を終えて菜々子に『これで大丈夫』と笑いかける。
 早紀としては、お呼ばれするだけだと心苦しいので、菜々子に申し出て一緒にご飯の支度をする。
 それを見たクマも、何か手伝うことが出来ないかと菜々子に訊ねると、それならばと食器の用意を菜々子がお願いする。
 菜々子にお願いされたクマは、嬉しそうに食器の準備を行う。


 穏やかで楽しい様子に、早紀は久方ぶりに自分が楽しんでいる事を自覚する。
 記憶を無くしてからの周りが自分を見る目は、腫れ物に触るかのようにぎこちない。
 あまり親しくない知り合いからも気の毒そうに接されるので、息苦しさをずっと感じていた。
 これで鏡達までもが同じように自分に接していたら、恐らく自分は耐えきれなくなっていただろう。
 幼いながらも、しっかりしている菜々子を鏡が大切にしているのも納得がいく。
 自身も菜々子との何気ないやりとりで心が軽くなっているのを感じているのだから。

『いただきます』

 出来上がったご飯を皆で唱和してから食べ始める。
 今日の献立は仕上げに溶けるチーズをのせたハンバーグに、具材に玉ねぎを使ったコンソメスープ。
 蒸し野菜のサラダに、ハンバーグの付け合わせはマッシュポテトだ。

「それにしても、菜々子ちゃんって小学生とは思えないほど料理が上手だね」

 ご飯を食べながら早紀がそんな感想を漏らす。
 自分が菜々子と同じくらいの頃は、こんなにも料理が出来ただろうかと思う。

「本当に、ナナちゃんは料理が上手クマね。あ、サキちゃんも上手だと思うクマよ!」

 早紀とクマに褒められた菜々子は照れ笑いを浮かべると、鏡といつも一緒に作っているからと答える。
 こうやって褒められる事は嬉しい反面、慣れていないために照れている菜々子の姿に、早紀とクマは表情を綻ばす。

「ただいま」

 ご飯を食べ始めて少しして、遼太郎が帰宅する。
 鏡からクマが来ている事は知っていた遼太郎は、早紀が同席していた事に僅かばかり驚く。

「二人とも、菜々子の相手をしてくれてすまないな」

 そう言って、内心の驚きは表情に出さずに二人にお礼を述べる。

「いえ、私の方こそ一緒にお邪魔させてもらって申し訳ありません」

 遼太郎の言葉に早紀がそう答える。
 元々クマは来る事になっていた所に、自分が押しかけたような状況だ。
 そう言って恐縮する早紀に、遼太郎は菜々子が嬉しそうにしているから気にしないでくれと返す。
 実際、鏡が来てくれてから菜々子は明るくなり、以前よりも笑うことが多くなっている。
 鏡の友人達も何かと菜々子の事を気に掛けてくれており、良き友人に恵まれた事に内心では安堵している。
 姉から鏡の事を頼まれたは良いが、自身が鏡に対してどれだけの事が出来たのだろうかと思うほど、鏡から貰ったものが大きい。

「お父さんの分もすぐに用意するね!」

 菜々子がそう言って遼太郎の分のハンバーグを用意する。
 その間に遼太郎は洗面所で手を洗ってくると、クマ達も手伝って遼太郎の分の食事が用意されていた。
 手伝ってくれた二人にも礼を述べてから遼太郎もご飯を食べ始める。
 菜々子は遼太郎に今日、クマ達とどんな事をしたのかを楽しそうに話す。
 遼太郎も菜々子の話に頷いたりして、改めて早紀達に礼を述べる。


 ご飯を摂り終え使った食器を片づけて時計を見ると、そろそろ帰宅する時間になっていた。
 遼太郎が二人を送っていこうかと申し出るも、そうすると菜々子が独りになるから一緒に居て欲しいとクマ達が返す。

「サキちゃんはクマが責任を持って送っていくクマよ!」

「今日はありがとうございました。それじゃ菜々子ちゃん、またね」

 そう言って、二人は堂島家を後にする。
 遼太郎は菜々子をお風呂に入らせると、自身は新聞を読みながら帰って行った二人の事を考える。
 確認をした訳ではないが、早紀の記憶はまだ戻っていないようだ。
 事件の犯人が捕まったとはいえ、未だに証言に曖昧なところが多い。
 早紀の記憶が戻りさえすれば、全ての事件が同一犯かどうかが判るのだが、それを望むのは早紀に対しても酷というものだろう。
 何より、記憶を失って一番大変な思いをしているのは当人なのだから。


 それでも、菜々子と接している早紀が笑っていた事に遼太郎は内心で喜んでいるのも事実だ。
 以前、夏祭りで早紀を見たときは何処か無理をしている様子があって気にはなっていた。
 しかし、刑事である自分が早紀に関わる事によって、周りから風評被害に晒される可能性を考えると迂闊には手が出せない。
 ただでさえ、稲羽では噂が広まるのが早いのだ。
 ままならない状況に遼太郎は重い溜息をつくと、改めて新聞へと視線を向け続きを読む事にした。




 堂島家を後にて早紀を送る間、クマ達は菜々子の事について話していた。
 あの年でしっかりしている事もそうだが、家事もちゃんとこなしている事を二人して褒める。

「サキちゃんも元気そうで安心したクマよ」

 そんな中で出たクマの何気ない一言に、早紀が驚いた表情を見せる。

「センセイからサキちゃんの無事は聞いていたけど、元気な姿を見るまで心配だったクマよ」

 クマの何気ない言葉に違和感を覚える。
 自分の無事を聞いて?

「……私、熊田さんとは夏祭り以前にも会った事があるの?」

 そう呟いた瞬間、早紀の脳裏に覚えのない声が聞こえる。

『サキちゃん、大丈夫クマか?』

『本当に、それで嫌な事から逃げられると思ったの?』

 声に合わせて浮かぶのは、深い霧に包まれた世界。
 それらが脳裏を過ぎった瞬間、早紀は突然の頭痛に襲われる。

「サキちゃん! 大丈夫クマか!?」

(……私、この声を知っている?)

 頭痛に顔をしかめながらも、早紀はそんな事を考える。
 突然の頭痛も暫くすると治まってきて、早紀は自身を心配するクマに大丈夫だと答える。
 早紀の言葉にクマは辺りを見渡すと、見付けた自販機からジュースを買ってきて早紀に手渡す。

「サキちゃん、大丈夫って言っても顔色が悪いクマよ。取り敢えず、これを飲むクマ」

 そう言って手渡されたジュースを飲み終える頃には、頭痛はすっかり治まっていた。
 さっきの声と浮かんだ風景は何だったのか?
 ひょっとすると、無くした記憶に関係があるのかも知れない。
 これ以上の心配を掛けたくない早紀はクマに笑いかけると、心配してくれた事とジュースを買ってきてくれた事にお礼を述べる。
 早紀からのお礼にクマは照れた様子を見せるが、早紀の言うとおり大丈夫そうなので安心する。

「それじゃサキちゃん、念のために無理せず早く休むクマよ」

「えぇ、熊田さんも、送ってくれてありがとう」

 自宅に付いた早紀にクマが心配げにそう告げる。
 早紀自身も体調を崩して父親達からあれこれ詮索されたくは無いので、クマの申し出に素直に従うことにする。
 先ほど浮かんだ光景と聞こえてきた声の事は気になるが、今は無理せずゆっくりと考えれば良い。
 クマと別れた早紀は自身にそう言い聞かせて自宅へと戻る。
 ちゃんと連絡していたため、父親からも特に何も言われなかった早紀は入浴をすませると自室へと戻り早く休む事にする。




――翌日

 昨日と同じく、クマが菜々子を迎えにやって来た。
 差し入れてくれたお菓子はまだ残っているので、今日は飲物を持ってきたようだ。
 菜々子はクマと手を繋いで仲良く帰宅すると、昨日と同じく先に宿題を終わらせる事にする。
 今日出た宿題は、授業で習った漢字を新聞から捜すものというモノで、クマと一緒になって新聞から文字を捜し出す。
 見付けた文字に赤丸を付けていくという内容のため、使う新聞は先日以前のモノを使用する。


 この宿題は課題の文字を全部見付け出す事が目的でなく、家族と一緒になって行う事によるコミュニケーションが目的だ。
 意外に探し出す事は大変なのだが、クマと一緒になってゲーム感覚で菜々子は楽しそうに宿題を済ませる。
 印を付けた新聞紙を一枚だけ提出すれば良いとの事なので、クマも気負わず菜々子と一緒に楽しそうに手伝う。


 宿題を終え、クマの差し入れたお菓子を一緒に食べながら、クマは菜々子から学校での事などを聞く。
 向こうの世界では意思疎通が出来る相手が居なかったクマにとって、学校というのは興味が惹かれるものらしい。
 十月には文化祭という行事が陽介達の学校であるらしいので、クマはそれを今から待ち遠しく思っている程だ。


 菜々子とのお喋りを楽しみ、先日と同じように今日も堂島家でクマは晩ご飯を食べて帰る事にする。
 今日の献立は先日作った蒸し野菜の残りを使ったサラダパスタで、醤油ベースの餡をソースにしたものを掛けている。
 先日作ったコンソメスープも残っているので、これに刻んだベーコンを混ぜたスクランブルエッグを付け加える。


 ご飯の準備が出来た頃に遼太郎も帰宅したので、三人で食卓を囲む。
 クマは陽介の自宅で食べるご飯も美味しいが、菜々子の作る料理も美味しいと笑顔で褒めている。
 菜々子に気を使ったのか、陽介の母親を出さない辺りに小さな気遣いを感じる。
 その事に菜々子は気付いていないようだが、遼太郎はその事に気付いており、クマに対して『気を使わせて済まないな』と小さく話す。
 その言葉にクマは笑って返し、菜々子と今日やった宿題の話題を出す。

「そう言えば、センセイが帰ってくるのは明日クマね」

 食後のお茶を飲みながらクマがそう呟く。
 その言葉に菜々子は嬉しそうな笑みを浮かべると、『お姉ちゃん、早く帰ってこないかな』と待ち遠しそうに呟く。

「こうやってナナちゃんのご飯を食べるのが最後だと思うと、ちょっと残念クマよ」

 心底残念そうに話すクマに遼太郎は苦笑を浮かべると、機会があったらまた食べに来ると良いとクマに話す。
 驚くクマに遼太郎は『熊田は菜々子にとってお兄ちゃんみたいなものだろう?』と笑って話す。
 その言葉に菜々子も、お兄ちゃんが出来て嬉しいと笑顔で話す。
 二人の言葉にクマは感激すると目尻に嬉し涙を浮かべて、そう思ってもらえる事がたまらなく嬉しいと話す。


 陽介の家庭ではクマは末っ子という立場なので、菜々子のような下の兄妹という存在は、クマに新鮮な感動を与えたようだ。
 菜々子に対しては良いお兄ちゃんで居ようと、クマは密かに決心する。
 鏡達と出会って色々な事があったが、今日の出来事もクマにとっては思い出深い経験になった。
 時間も遅くなってきたので、クマは菜々子達に別れを告げて堂島家を後にする。


 花村家に戻ったクマの嬉しそうな様子に、陽介の母親が何か良い事でもあったのかと訪ねると、クマは今日の出来事を伝えた。
 クマの話に陽介の母親は『それは良かったわね』と微笑み、その話を一緒に聞いていた陽介の父親も嬉しそうにしている。
 見ず知らずの自身に対して、本当の家族のように接してくれる陽介の両親にクマは自身が幸せである事を噛み締める。
 何だかんだと言って自分に対して気遣いを見せる陽介も、両親の影響が大きいのだろうとクマは考える。
 鏡達と出会った事で、クマの世界は広がった。そんな恩人である鏡達も明日には帰ってくる。
 菜々子同様、クマも早く明日になれば良いのにと思う。
 そうしたら、また皆との楽しい日々が過ごせるのだから。




 鏡達が帰ってくる日になって、早くに戻ってきた菜々子達ががテレビを見ていると大きな紙袋を持った鏡が帰ってきた。

「あっ、おかえり!」

 いち早く鏡の帰宅に気付いた菜々子が鏡へと駆け寄る。

「センセイ、お帰りなさいクマ!」

 一緒にテレビを見ていたクマも鏡の元へとやってくる。

「ただいま。クマ、菜々子ちゃんの事、ありがとうね。はい、これお土産」

 そう言って鏡から手渡されたお土産には“巌戸台まんじゅう”と書かれていた。
 どうやら中身はお菓子のようで、鏡が自身の好みに合わせて選んでくれたようだ。
 その事にクマは感激して全身で喜びを示していると、鏡は表情を綻ばせている。

「それで、こっちが菜々子ちゃんと叔父さんへのお土産ね」

「ありがとう、お姉ちゃん! すごーい! かっこいー!」

 鏡から受け取ったお土産は提灯で、稲羽ではあまり見掛けない物に菜々子が満面の笑みを浮かべてお礼を述べている。
 その後、少し遅れて帰宅した遼太郎と共にクマは今日も堂島家でご飯を食べていく。
 今日は鏡が菜々子と一緒にご飯を作るため、クマはお手伝いをする事なく遼太郎と話しながらご飯の出来上がりを待つ事にする。
 出来上がったご飯を食べながら、菜々子が鏡に出掛けていた間の事を報告する。
 鏡も修学旅行で珍しい授業を受けた事を話すと、遼太郎が今の高校はそんな授業をするのかと、関心半分呆れ半分の感想を述べる。

「それじゃ、俺は熊田を送ってくるから、後の事は任せたぞ」

 そう言って、今日は鏡が帰ってきているので、遼太郎がクマを車で送り届ける事にする。
 助手席に座り、シートベルトをした事を確認して遼太郎は車を出す。

「熊田、改めて菜々子の事、ありがとうな」

 車を運転しながら遼太郎がクマにそう話し掛ける。

「クマの方こそ、ご飯を御馳走になったし、こうやって送ってもらえてありがとうクマ」

 そう言ってクマはお礼を述べると、自分にとって鏡や菜々子と過ごす時間は何よりも大切だからと笑顔で話す。
 見た目と違い、何処か素直な子供を思わせるクマに遼太郎は、最近の若者にしては珍しいなと思う。
 物事に対して一喜一憂する様子は、初めて見た子供のそれと変わらない。
 そんな、ある意味において純粋なクマに遼太郎は改めてこれからも菜々子と仲良くしてやってくれと話す。

「もちろんクマよ! センセイ達もナナちゃんの事が大切だから心配無用クマよ!」

 遼太郎の言葉にクマは得意気にそう返す。
 確かに、鏡や友人達も菜々子に対して実の妹のように接してくれている。
 遼太郎はその事に気付くと僅かに苦笑する。

「堂島さん、送ってもらってありがとうクマね!」

「こっちこそ、菜々子の相手をしてくれて助かった。それじゃ、おやすみ」

 花村家に到着して車から降りたクマにそう言って、遼太郎が帰っていく。
 遼太郎が運転する車を見送ったクマが花村家に戻ると、リビングに帰ってきた陽介が居て寛いでいる。

「お、クマも帰ったか。菜々子ちゃんの相手、お疲れさん」

「ただいまクマ、陽介も修学旅行お疲れクマ」

「あ、それとコレ、お前へのお土産な。姉御と被るから饅頭じゃなくて悪いけど」

 そう言って陽介がクマに手渡した土産は『巌戸台』と書かれたTシャツだ。
 陽介からもらったお土産にクマはお礼を述べると、鏡からもらったお土産を皆で食べようと陽介の両親にも声を掛ける。

「せっかく貰ったのだから、クマ君が全部食べても良いのよ?」

「それじゃ駄目クマよ。皆で食べるのが一番美味しいから、皆で食べるクマ」

 そう陽介の母親に返したクマの言葉に、それならばとお茶の用意をする。
 皆で食べた饅頭はどこか懐かしい味がして、クマは終始嬉しそうな様子を見せていた。

「そう言えば、お前。ちゃんと菜々子ちゃんの相手が出来たのか?」

「バッチリクマよ! 最初の日はサキちゃんも一緒に菜々子ちゃんと遊んだクマよ」

「なッ!? 小西先輩も一緒だったのかよ! ちょっと、そこの所を詳しく教えろ!」

 クマの話に陽介は驚愕の表情を見せると、鬼気迫る様子でクマへと詰め寄る。
 陽介の豹変振りに慌てたクマが、しどろもどろになりながらも説明する様子を、陽介の両親達は楽しそうに見つめている。
 クマが来てから、陽介も随分と明るくなったと両親は思う。
 以前はどこか鬱屈していたものを感じさせていたが、春先から徐々にそう言ったモノが薄らいできた。
 クマが来てからは鬱積した様子は姿を見せなくなり、毎日クマと何かしら言い合いとかをしているが楽しそうだ。
 陽介の両親に対してクマが感謝の念を感じているように、陽介の両親もまた、クマに対して感謝をしていたのだ。
 何気ない日常のやりとり。
 そんな日々が続けばいいと、陽介に詰め寄られながらもクマは心から思うのだった。




2011年10月10日 初投稿



[26454] 意地と誇り
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/10/30 23:50
――――このまま終わらせる訳にはいかなかった

         事件はまだ終わっていない

        その証拠が見つからないのなら

     自分自身が証拠となるより他がないと思った




 修学旅行から戻った直斗は、改めて事件の資料を洗い直す事にした。
 鏡達の話を鵜呑みにする気はないが、違う視点から事件の全容を見渡してみる。
 すると、山野真由美の事件と繋がりが無いように見える雪子達の失踪事件に、奇妙な共通点があることが分かった。
 噂好きのクラスメイトから聞いた話だが、マヨナカテレビと呼ばれる番組に雪子達が映っていたそうだ。
 いずれも、テレビで報道された後にマヨナカテレビに映ったらしく、その直後に失踪している事も資料を調べて解った事だ。
 荒唐無稽な話だが、修学旅行で聞いた話が正しいとしたら一応の辻褄が通る。


 元々、直斗自身もテレビ報道された地元民が攫われた可能性に気付いていた。
 しかし、雪子以降の被害者と思わしき者達が口を揃えて失踪前後の記憶がないと供述したため、それから先に続かなかったのだ。
 最初の内は鏡と陽介が犯人かその関係者で、不利益となる証言をされないように手を回していたのかと疑った事もある。
 それはすぐに遼太郎達からの話と、周りに信頼されている鏡の様子から間違いであることが分かる。
 そうなると、鏡達は事件を解決する側の立場で、雪子達は助けられたから協力していると考えた方が自然だ。
 まさか、本当にテレビの中に入っている訳では無いだろうから、そうと見える場所がどこかのあるのかも知れない。

(彼女達の話が事実か確かめる方法は、一つだけある)

 資料からでは、これ以上の進展が無いと判断した直斗が、一つの手段を考える。
 幸い、この手段を実行するのに必要な伝手もあるので、問題は無いはずだ。
 結果を自分の目で確認する事が出来ないのが心残りだが、こればかりは仕方がないと割り切る。
 これまでの調査の結果を踏まえて、警察の方に事件がまだ解決していないと訴えてきた。
 しかし、直斗の訴えは退けられた挙げ句、事件は解決したので協力はもはや不要だと、調査から外されてしまう結果となった。
 その事により、この手段以外に事件の真相に辿り着く術がないと直斗は結論づける。
 携帯電話を取り出し、登録画面を開いた直斗は、ある相手へと電話を掛ける。

「もしもし、白鐘ですが、今、お時間は宜しいでしょうか?」

 連絡先の相手に、直斗はある依頼を持ちかける。
 先方は直斗の依頼を快く引き受けてくれ、近々にでも実行してくれるそうだ。
 お礼を述べて通話を終えた直斗は、これによって事態は動くだろうと予測する。
 後は事態の進展と彼女達がどう動くかに掛かってくる。
 不安が無いといえば嘘になるが、最悪の事態になったとしても、彼女達が何とかしてくれるだろう。
 その思いが信頼から来るものだと自覚せぬまま、直斗はスケジュールの調整を行う。




 いつものように菜々子とテレビの報道番組を見ていると、見知った相手が画面に映し出された。

『今日は、甘いマスクでも話題をさらいそうな“探偵王子”、白鐘直斗君の特集です。今日は宜しくお願いします』

 八十神高校の制服を着た直斗がテレビに出演している。
 インタビューに答える直斗は、普段通りの様子で落ち着いているが、その姿に鏡は違和感を覚える。

『……ですが、事件の全体像を見渡したとき、僕には幾つかの違和感が残ります』

 直斗の発言に、インタビュアーが怪訝な様子で受け答えをする。

『事は二人の犠牲が出た殺人事件です。小さな違和感でも追求するべきだと僕は思います』

 警察会見の内容と若干異なる直斗の発言に、困惑を隠せないインタビュアーは、それ以上の追求を避け、直斗自身へと話題を変える。
 報道が終了し、菜々子と入浴をすませて寝かし付けた鏡は、自室でテレビ出演した直斗の意図を考える。
 直斗の性格からすると、衆人環視に晒されるような行動は好まないはずなのだが、それとは真逆のテレビ出演だった。
 ただでさえ、少年探偵という肩書きで注目を集めているのに、今まで以上に注目される事になりそうだ。

(……今まで以上に注目される?)

 これまで、テレビ報道された事で注目された人物がマヨナカテレビに映り、向こう側へと放り込まれていた。
 直斗はその事実を知らないが、雪子達の失踪事件が事件に関わりがあると推測していたはずだ。
 その事を踏まえて今回のテレビ出演の意図を考えると、自身を囮に真犯人をおびき出そうとしている事が伺える。
 直斗の思惑を理解した鏡は、その無謀さに不安を覚える。


 自分達と違い、直斗は向こう側の世界でシャドウに抗う術を持たない。
 その上、“テレビの中の世界”について直斗に話してはいるが、直斗がそれを信用した訳ではない。
 何かしらの勝算があっての行動かもしれないが、危険である事には代わりがない。
 そして何より、直斗は自分より一つ年下の少女なのだ。
 仲間内で一番体格に恵まれている完二でさえも、抵抗できずに攫われた事を思うと、小柄な直斗に抵抗する術はあるのか疑問が残る。
 明日、学校で直斗から直接話を聞くしかないだろう。
 不安な気持ちを抱えたまま、鏡はそう決心して眠りにつく。

――翌日

「あ、先輩ッ!」

 背後から聞こえる声に鏡が振り返ると、雪子達と一緒に登校していたりせが嬉しそうな表情で、鏡の傍へと駆け寄ってくる。
 それぞれ朝の挨拶を交わし学校へと向かう中、千枝が昨日の直斗が出ていた報道番組を見たかと皆に訊ねてくる。
 千枝の質問に陽介が、実際に捕まえたのは自分達だけどなと訂正する。
 それに対して雪子が容疑者を見付けたのは警察で、それに協力していたのだからお手柄なのは確かだと話す。

「けど、意外なんだよねー。彼……テレビとかに出たがるようなタイプじゃないって思ってたんだけど」

 そう言って釈然としない様子を見せる千枝も鏡と同じく、直斗の行動に違和感を覚えているようだ。
 転校初日でのクラスメイトに対する態度からも、直斗が目立つ事を好まない事が伺える。
 にも関わらず、先日のテレビ出演による周囲の注目を集める行動に、千枝は戸惑いが隠せないようだ。

「おはようございます」

 そう言って鏡達に声を掛けてきたのは、話題の当事者である直斗だった。
 制服姿ではなく青いシャツに身を包んだ直斗の姿は、どう見てもこれから学校へ登校する姿には見えない。

「実は、事件の事でお話があって、皆さんを待っていました」

 直斗の登場に驚く陽介達を気にする風でなく、淡々と直斗は『現時点での僕の考えを聞いてもらえますか?』と鏡に話し掛ける。
 いつも以上に真剣な直斗の様子に、陽介は気圧された様子で直斗に話の先を続けるように促す。


 直斗は鏡達に背を向けると、山野真由美と小西早紀に付いてある共通点を挙げる。
 それは、“メディアにある程度ハッキリ取り上げられ、急に知名度を得た地元民”であること。
 早紀は何らかの理由で解放されたようだが、遺体発見者である点から考えて、山野真由美と同一犯だと考えられること。
 犯人からすると、被害者の“人物像”はあまり重要視していない可能性。

「この点……皆さんも同じ見解を得てるんじゃありませんか?」

「直斗、回りくどい訊き方をせずに、その条件に当てはまる人物が私達の中に居る事を訊ねたらどう?」

 鏡の言葉に直斗だけでなく陽介達も驚く。
 直斗からすると、その話題を自分の方から振ってきた事に対して。陽介達からすると、直斗にいきなり手札を明かした事に対して。
 驚きから立ち直った直斗は、早紀の失踪から諸岡殺しまで長い間があったが、それらしい失踪は続いていたと話す。
 そのどれもが、テレビで報じられた直後に失踪しその前後の記憶が不確かな事を挙げる。


 直斗は当初、何らかの訳で死を免れたのか、自分から目を逸らすために被害者の一人を装ったのか疑った事があると白状する。
 その言葉に千枝が動揺を隠せないまま、自分達の中に犯人が居るなんて訳がないと反論する。
 直斗は動揺する千枝に『そう言うこともあった』と、過去形である事を強調する。
 その上で直斗は現時点でまとめ直すなら、鏡達は犯人ではなく犯人を追いつめる“手段”を持った人達。
 懐柔ではなく、助けたから仲間が増えていくと考えば、全ての辻褄が合っていくと言葉を締めくくる。
 直斗の推理に陽介達が驚く中、鏡は改めて直斗の推理力に舌を巻く。
 自分達よりも少ない情報で、ここまでの推理を導き出した直斗だ。やはり、昨日のテレビ出演は、自らを囮とするためと考えるべきだろう。

「ただそう考えると、やはり二件目の諸岡さん殺しはおかしいんですよ」

 そう言って、直斗は諸岡の事件はこれまでと全く違い、メディアに取り上げられず失踪した形跡がない事を挙げる。
 そして、一番の差異は遺体の状況であると話す。
 最初の事件は今もって詳しい死因は不明に関わらず、諸岡の事件だけは、鈍器による後頭部強打が直接の死因だと判明している事。
 警察はこの違いに納得のいく答えを持っていないにも拘わらず、事件を収束するのに必死になっているという。

「この上は、何か確証を掴める行動が必要でしょう」

「……だからテレビに出演して、自らが囮になるって?」

 直斗の言葉から、自身の予測が正しかった事を理解した鏡が淡々とした声で呟く。
 鏡の言葉に陽介達は驚くが、直斗は鏡が気付いている事を予測していたのか、表情は変わらない。

「結果がどうあれ……これで何かが掴めるはずです」

「って、お前! 危険すぎんだろがっ!」

 淡々と語る直斗に陽介がそう言って詰め寄る。
 直斗は詰め寄る陽介を躱すと、そのまま学校へとは逆の方向に鏡達の横を通り過ぎる。

「僕は……遊びのつもり、無いですから」

「だからって、無謀すぎるでしょ!」

 直斗の言葉に、りせが噛みつく。
 確かに以前、直斗の言葉に対してそうは言ったが、いくら何でも無謀すぎる。

「もし僕が攫われたしまっても、皆さんが助けに来てくれるんでしょ?」

 鏡の方へと視線を向けて、直斗がそう話す。
 それは、修学旅行で聞いた鏡達の話が真実と想定しての保険なのだろう。


      我は汝……、汝は我……

      汝、絆の力を深めたり……


  絆を深めるは即ち、まことを知る一歩なり


   汝、“運命”のペルソナを生み出せし時

     我ら、更なる力の祝福を与えん


 鏡の脳裏にいつもの声が響く。
 全面的にとはいかないまでも、直斗が鏡達の事を信用しての事なのだろう。
 話すべき事を全て話し終えた直斗は、鏡達に軽く頭を下げるとその場を去っていく。
 この場に留まっていれば遅刻してしまうので、思うところはあれど鏡達も学校へと移動する。
 先ほどの直斗の件もあり、鏡達は学校に着くまで終始、重苦しい雰囲気に包まれる。


 学校に着いてからも直斗の事が気に掛かり、その日は授業に専念する事が出来なかった。
 放課後になって、校舎屋上に集まった鏡達は今朝の直斗の事について話し合う。
 その場に居合わせてなかった完二は、鏡達の説明に無謀な行動を試みた直斗に対して苛立ちを隠そうともせず腹を立てている。
 そんな完二を宥めつつも、マヨナカテレビのチェックを忘れないようにするしか鏡達に出来る事がないのも事実だ。
 直斗の言うとおり、どのような結果になるのであれ、賽は投げられてしまった。
 マヨナカテレビに誰も映らない事を期待するしかないが、その思いは裏切られる事となる。




――九月十四日 深夜零時

 薄暗い部屋の中、ノイズ音を上げたテレビ画面に、ぼんやりとした人影が映っている。

「……今度は、君の命が狙われるんだね。大丈夫、今度も僕が救ってみせる……僕が、必ず」

 画面を食い入るように見つめ、手元の日記帳に走り書きしながら熱に浮かされたように呟く声。
 狂気にも似た光を瞳に宿し、その瞳には画面に映る人影がハッキリと見えているようだ。

「彼女のようには、させない……絶対にだ」

 その呟きと同時にテレビに映っていた画面は消え、室内は真っ暗な闇に包まれる。




 その日、直斗は自宅から出掛けず真犯人の行動を待っていた。
 これまでの調査で雪子以降の失踪事件は皆、自宅で攫われた可能性が極めて高いためだ。
 それに合わせて、自宅で待ち構えていた方が何かと都合が良いといった理由もある。
 前もって心の準備が出来ていれば不意を突かれる事もないだろう。
 直斗は挫けそうになる心を奮い立たせる。


 真犯人をこの場で捕まえることが出来れば一番だが、せめてその正体に繋がる情報くらいは掴みたい。
 もし自分が攫われたとしても、鏡達が自分を救出してくれるだろう。
 もっとも、どうやって鏡達がそれを成し遂げているのかは見当も付かないが。
 そんな事を考えていると、自宅の呼び鈴が来訪者を告げる。
 直斗は注意深くインターホンで確認すると、先日のテレビ局から自分宛の届け物らしい。
 不審者で無かった事に直斗は緊張を解くと受け取りの為に玄関先へと向かう。

「はい、確かに。こちらが控えとなっておりますので」

「お疲れ様です」

 受け取りのサインを行い、業者の者へとお礼を述べて自宅へと戻ろうとした直後、直斗は背後から口元を押さえられ、身体を拘束される。

(まさか、業者の人間が真犯人!?)

 咄嗟の事で拘束から抜け出す事が出来ない直斗は、せめて犯人の顔だけでも覚えようと抵抗するが上手く振り返る事が出来ない。
 そればかりが段々と意識が遠退いて行く事に、口元へと押し付けられている布に薬品が使われている事を理解する。
 推理小説などで使われる手段だが、実際にはすぐに気を失う事はないものの、このままでは時間の問題だ。
 直斗は意識が途切れないように考えを巡らせるが、鼻と口元をしっかりと塞がれているため、その思考も散漫となる。

(だめ……だ、意識が……)

「……済まない、こうするしか、君を助ける方法が無いんだ」

 意識が途切れる寸前に聞こえた声は、申し訳なさそうに直斗に対して謝罪する男性の声だった。
 眩暈にも似た感覚が直斗を襲い、そのまま直斗の意識は深く途絶えてしまう。

(……鏡、さん)

 意識が完全に途絶える瞬間、直斗の脳裏に映ったのは、皆に囲まれた鏡の姿だった。

『皆さん今晩は、“探偵王子”こと、白鐘直斗です』

 マヨナカテレビに映ったのは、自身の身体より大きな白衣に身を包んだ直斗の姿だった。
 画面の向こう側に映る直斗は、これから自身が人体改造手術受け、新たな誕生の瞬間を皆と体験したいと語る。
 それは、自身が女である事へのコンプレックスが歪んだ形で強調された姿だった。
 画面が消えると同時に、鏡の携帯電話の着信音が鳴り響く。
 相手は完二で、鏡が通話ボタンを押して通話状態にすると、慌てた様子で完二が話し掛けてくる。

『あ、もしもし姐さんスか!? 今、な、直斗のやろうがっ……!!』

 鮮明な画面が映った事により、直斗が向こう側の世界に居る事がハッキリした為に、完二が酷く狼狽している。
 鏡はそんな完二に明日、皆と話し合おうと話し、落ち着くように促す。

『姐さん達が言ってたように、真犯人をおびき出して拉致られてりゃ世話ねえだろうが……クソッ! イライラすんな、あいつ!』

 完二自身、直斗に対して思うところがあるようだが、それが何なのかが具体的に解らないのだろう。
 自身の中で鬱積する不可解な気持ちに、折り合いが付いてないように見える。
 完二との通話を終えた鏡は、明日に備えて早めに休む事にする。




 先日まで降り続いていた雨は昼過ぎには止み、ジュネスのフードコートに集まった鏡達は先日のマヨナカテレビに着いて話し合う。

「クマ君、どう? やっぱり……いる?」

「匂い、するクマ」

 千枝の質問に、向こう側の世界を調べてきたクマが答える。
 先日の夕方辺りまでは誰の気配もなかったので、その後からマヨナカテレビが映るまでの間に直斗は向こう側へと放り込まれたのだろう。
 犯人が捕まって、もう事件は起こらないだろうと思っていた所での直斗の誘拐。

「結局、姉御が懸念してた通りって事かよ……」

「で、でも……久保の奴、全部自分だって言ってなかった? 他人の罪を被ったの? おかしくない?」

 消沈した様子で呟く陽介に、千枝が困惑を隠せずに話す。

「……そうか。やっぱり彼は、諸岡先生しか手を下していないんだ」

「先輩、どういう事?」

「りせちゃん。久保はりせちゃんに、暴走族の事について話し掛けてきたんだよね?」

 鏡の確認にりせが戸惑い気味に肯定する。
 今になって完二が報道された特番の事を持ち出す鏡へ、陽介がそれがどうしたのかと訊ねる。

「私達全員、思い違いをしていたのよ。私達が完二君を助け出したのは、りせちゃんが稲羽に来る前。時系列的に順序が逆なのよ」

 鏡の言葉に陽介達が驚いた表情を見せる。
 確かに鏡の言うとおり、完二が仲間になったのは、りせがマヨナカテレビに映る二週間以上も前だ。

「つまり、事件が終わった後で久保の奴はりせに暴走族の事を話したと?」

 一連の事件を知っていたためにりせの話を聞いて、犯人は久保だと思い込んでしまった。
 鏡が違和感を覚えたのはそれが理由。

「それと、彼が居たあのダンジョンで、諸岡先生の時だけ“殺した”と明言していた。他は“倒した”だったのに」

 そして、諸岡以外は名前ではなく“じょしアナ”と、名前ではなく職業で示していた。
 諸岡に対して強い思いを抱いていたのではなく、諸岡にしか意識が向いていなかったのだ。
 そうなると、あの時に見た不可解なテキストも、殺人に対する後悔と情緒不安定がもたらした結果だという事が見えてくる。
 全ての犯行を自身が行ったと供述したのも自己顕示欲の高さから来たのか、警察の方で都合良く解釈した可能性が高い。

「今ここでパクられたヤツの事なんざ、話してる場合じゃねえッスよ!」

 先ほどまで黙って話を聞いていた完二が、テーブルを両手で叩き付けるようにして勢いよく立ち上がる。
 直斗の思惑や久保が本当は一連の事件に拘わって居なかった事実がどうあれ、直斗が向こう側に居る事には変わりがない。
 鏡達は直斗を探しに向こう側へと移動する。


 入り口広場でヒミコを召喚したりせが、直斗の居場所を特定するべく意識を拡大させる。
 確かに誰かがこちら側に来ている事を感じるし、この世界もまた少し広がっているようだ。
 しかし、直斗の居場所を特定するには霧が深くそこまで見通す事が出来ない。
 ヒミコの召喚を解除したりせは、鏡達に直斗の事がもっと分かる手掛かりが欲しいと話す。
 鏡は以前、遼太郎から聞いた直斗の事と、自身が直接話してみて感じた事をりせに話す。

「なるほどね……意地だね、完全に」

 鏡の話を聞き終えたりせが納得した様子で呟く。
 自身を認めてもらえない事への不満。
 周りに認めてもらうためには、誰よりも早く正確に事件を解決するほか無い。
 その事が一層、子供だと見下される原因となり悪循環が続いていたのだろう。
 実直過ぎるが故に、本人の努力とは正反対に周囲から孤立してしまう。
 そんな不器用な直斗の人柄を思い、りせは改めてヒミコを召喚して直斗の居場所を探る。




 りせに連れられてやって来たのは、特撮ドラマなどで見られる怪しげな建造物がある場所だった。
 地下シェルターの入り口を思わせる上部には二基の巨大なパラボラアンテナが建てられている。
 建造物の側面には黒地に金の羽根を広げた不死鳥のレリーフが描かれている。

「……なんスかね、ココ」

 怪しげな建造物を前に、完二が唖然とした様子で呟く。
 そんな完二に陽介が特撮で出てくる秘密基地っぽくないかと返す。
 子供の頃にはそう言ったモノに憧れていたと懐かしがる完二に、りせが特撮の現場では、本人が危険な撮影に挑んでシンドいらしいと話す。

「ま、男のロマンの基礎だな」

 楽しそうに話す陽介に、カンフー好きの千枝が気持ちは解ると同意する。
 千枝自身も“秘密基地”という単語の響きにトキメクらしく、子供の頃に天城屋旅館の裏山辺りに作った事があるらしい。
 もっとも、仙人に必殺拳を伝授されると言っている辺り、基地と言うよりは修行場と言った方が正しいかもしれないが。

「けど、考えてみると、この特撮っぽい場所って直斗の心が出元なんだよな? だとすると、結構カワイイとこあんのかもな」

 普段、冷静に振る舞っている直斗の意外な一面に、陽介が親近感を抱く。
 とはいえ、ここで何時までも和んでいる訳にはいかないので、直斗を救出するために探索へと建物に乗り込む。
 探索メンバーは鏡、陽介、千枝、雪子だ。


 入り口から中へと進むと、地下へと続く階段が伸びており、薄暗い明かりのため視界が悪い。
 階段を下りた先の扉を開くと、部分的に床の張られていない建造途中を思わせる通路が続いている。

『施設内ニ正体不明ノ侵入者ヲ確認……警戒レベル、イエロー。施設内ノ警戒ヲ強化』

 鏡達が施設内に立ち入ると、どこからともなく合成音の警報が鳴り響く。
 警報は鏡達に速やかに施設内から退去するように警告する。

『えっ? 侵入者って……私達の事……だよね?』

 突然の事に、りせが戸惑った声を上げる。
 しかし、警告に従い立ち去る訳にもいかないので、鏡達は警告に構わず先へと進む。
 それなりに通路に幅があるにも拘わらず、この場にいるシャドウの動きが機敏なために感覚的に狭く感じる。
 それに加え、これまでのシャドウよりも手強く、一撃一撃が重く強烈だ。
 その上、こちらの攻撃に対して弱点を突かない限り怯むことなく平然と襲い掛かってくる。

「何か、ここのシャドウ達って、俺達の弱点を狙って来てないか?」

 幾度目かの戦闘を潜り抜けたところで、陽介が若干疲れた様子でそう零す。
 言われてみると確かに、こちらの弱点を知った後は集中して弱点を突いてこようとする傾向が強い。
 この場所を作り出した直斗の影響が、こういった所にも出ているのかもしれない。
 鏡の推測に陽介はこれまでの事を思い出し、その可能性に納得した様子を見せる。
 確かに、完二を救出しにいった先では、やたらと物理攻撃を得意とするシャドウが多かった。


 その事を踏まえて考えると、ここで遭遇するシャドウ達は最も危険なシャドウである。
 こちらの弱点を探し出し、的確に狙ってくる強かさに、一撃二撃では倒れない頑丈さ。
 これまでの事で自分達も強くなって来てはいるが、それに比例するかのように相手も強くなってきている。
 鏡達はこまめに回復しながら探索を続けていく。

『警告! 警告! 侵入者ニ告グ! 直チニ施設カラ退去セヨ! 繰リ返ス。直チニ施設カラ退去セヨ!』

 地下三階に到達すると、地下二階と同じ警告が鏡達へ行われる。
 りせは直斗が助けを拒んでいるように感じているが、これはある意味、親切とも取れる反応だ。
 素直でない直斗の、普段は見せない優しさが伺える。

『ねえ、先輩、覚えてる? 直斗君、マヨナカテレビに映ってた時“人体改造手術を受ける”って言ってた……』

 りせが不安げに鏡に話し掛けてくる。
 あの放送の言った通りだと、直斗はここで改造されてしまう事にりせは危機感を募らせる。
 直斗の秘密を知る鏡は、人体改造手術の意味する所を思い胸を痛める。


 探索を続けていく内に、施設内の鏡達に対する方針が実力排除へと切り替わる。
 地下四階に到達した時点ではまだ様子見といった感があるが、施設内の重要区画が封鎖されたために進めない場所が出来ている。
 研究区画へと進むためには身分証を提示しないと駄目らしい。
 読み込み機と思われるカードリーダーが隔壁の隣に付いており、これに身分証を通す仕組みのようだ。
 身分証を持っていない鏡達は、ひとまずこの場所は放置して身分証を捜すことを当面の目的にする。


 探索を続けていく内に、鏡達は地下六階までやって来た。
 依然、階層を進む度に鏡達を排除する旨の館内放送が流れており、それに合わせて出現するシャドウの数が増えてきている。
 それにともない、シャドウの手強さも増してきており徐々に疲労が蓄積されていく。
 地下六階では地下四階と同じく封鎖された区画があり、また別の身分証が必要のようだ。


 とはいえ、ここまでの探索中で未だに身分証を見つけ出すことが出来ていない。
 この階層で身分証を見つけ出す事の成否に拘わらず一端、仕切り直しのために施設から戻らなければならないと鏡は考える。
 鏡の説明に口には出さないが疲労を感じていた陽介達も同意する。
 探索を続け、地下六階の最奥へと足を伸ばしたところで、目当ての“研究員用 認証キー”を発見することが出来た。
 ようやく見付けた身分証に鏡は内心、安堵の溜息をつくと、合流したりせ達と共に“カエレール”で施設を後にする。

「……思ってた以上にきついな」

 狐に回復してもらい身体の疲労が取れたところで陽介が呟く。

「そうだね。普段、鏡がシャドウ達の弱点を突いてくれてるけど、同じ事をされると、こんなにキツイとは思わなかったよ」

 陽介の言葉に千枝が同意する。
 複数のペルソナを使い分ける事が出来る鏡のおかげで、自分達の持つ属性以外の弱点を持つシャドウに対しても弱点を突く事が出来る。
 そのため、相手の力量が高く苦戦を強いられる事になったとしても、本当の意味で危険な状態になる事は滅多にない。
 唯一の例外は、りせの影を相手にした時くらいだろうか?
 あの時は、クマの捨て身の行動がなければ全滅していた事だろう。


 今回の探索では、相手がこちらの弱点を突いてくるためにこれまでと違い危機感が募る。
 それは、先手を取れるかどうかでも違いが大きく、相手に先手を取られると高確率で弱点を狙われる。
 更に、あの施設内のシャドウは情報を共有しているらしく、同じタイプのシャドウは真っ先に弱点を狙ってくる事が多い。
 これまでに無かった状況も、鏡達に疲労をもたらす要因の一つになっている。

「けど、ここで直斗を見殺しにする事は出来ないよね」

 鏡の呟きに、陽介達は無言で頷く。
 これまでも皆が力を合わせる事で助け出す事が出来たのだ。
 今回も皆の力を合わせれば、直斗を救出する事も可能なはずだ。
 回復した鏡達は、再び秘密結社改造ラボの探索へと向かう。


 探索メンバーを変更して、封鎖されていた地下四階へと向かう。
 攻撃属性が同じ千枝とクマが交替し、千枝が交替した事で下がった火力を雪子と完二が交替する事で補う。
 カードリーダーに認証キーを通すと、ロックが解除され思い音を立てて隔壁が開く。

『気をつけて! 向こう側に強い気配がするよ!』

 通路を先へと進んだ先にある隔壁の前で、りせからの連絡が入る。
 確かに隔壁からは重苦しい気配がする。
 気を引き締めて、鏡達は隔壁の向こう側へと進む。

『研究区画ニ不審者ノ進入ヲ確認。コレヨリ排除スス!』

『や、こいつ強い! 気をつけて!』

 隔壁の向こう側には、肩に正義と書かれた深紅の巨大ロボットが待ち構えていた。
 こちらが身構えるよりも先に、巨大ロボットは手にした巨大な剣を掲げ力を溜める。

「ペルクマァー! そいやっ!!」

 クマが召喚したキントキドウジが補助スキルである【マハタルカジャ】で鏡達の攻撃力を上げる。
 続いて鏡がいつものように【ラクンダ】で巨大ロボットの防御力を下げ、陽介と完二がそれぞれ【ガルダイン】と【ジオダイン】で攻撃する。
 巨大ロボットは鏡達の攻撃に怯むことなく、手にした剣を振りかぶると勢いよく地面へと振り下ろす。
 地面へと叩き付けられた剣は、周囲に衝撃波を発し鏡達を襲う。
 その一撃で、鏡達の体力が一気に半分以下まで削られ、クマが【メディラマ】で皆を回復する。


 巨大ロボットの攻撃パターンは単純明快で、力を溜めてから手にした剣で周りに衝撃波を発生させる事を繰り返すだけだ。
 とはいえ、元々の威力が高いのだろう。力を溜めることでその一撃は更に重くなり、油断をすると一撃で体力を全部持って行かれそうだ。
 面子の中で、防御力が一番低い雪子を連れてこなくて正解だったのかも知れない。
 この攻撃の前では雪子は真っ先に倒される可能性が高く、回復などのサポートは鏡が一人で引き受ける状態になっていただろう。

『先輩! コイツ、氷結属性の攻撃が他の属性よりも少しだけ効いているみたい!』

 りせからの指摘に、鏡はクマに【ブフダイン】で攻撃するように指示を出し、自身は物理攻撃を反射するランダへとペルソナを変更する。
 そして、陽介と完二には相手の攻撃力が高いのを逆手に取り、力を込めた時に物反鏡を使うように指示を出す。
 鏡の指示に従い、物反鏡とランダによる反射攻撃が巨大ロボットを追いつめていく。


 何度も攻撃を反射され、自身の攻撃によって破壊されていく巨大ロボットは突然その動きを止める。
 攻撃してくる様子がなく案山子のようにその場に佇む姿に、完二が今が好機だと鏡に一気に畳み掛けようと声を掛ける。
 鏡は何か引っ掛かるモノを感じたが、睨み合っている訳にもいかないので完二の提案通りに全力を振り絞って攻撃を仕掛ける。

『ッ!? 先輩、マズイよ! そいつから膨大なエネルギーを感知! 自爆するつもり!?』

 りせの逼迫した警告に鏡達は咄嗟に防御しようとするが、それよりも早く巨大ロボットは盛大に爆発して自身の破片を周囲に撒き散らす。
 爆発の衝撃で飛び散った破片が凶器となって鏡達を襲う。
 物理反射を持つランダを降魔しているため、破片によるダメージは無かったが、爆風によるダメージは押さえる事が出来なかった。

『皆、大丈夫!? 返事をしてッ!』

 りせの声に、辛うじて鏡が無事である事を伝える。
 陽介達も生きてはいるが、受けたダメージは深刻だ。
 鏡達と合流した雪子が【ディアラハン】で傷付いた鏡達を回復していく。


 不思議な事だが、こちら側で受けた傷は衣服の損傷も含めて回復スキルで元通りに修復される。
 テレビの中という不可思議な環境が理由かも知れないが、探索をする度に衣服を買い換える必要が無いのが一番の恩恵だ。
 衣服が破損した状態で、ジュネスの家電売り場に戻れば周囲の注目を集めるし、何よりも年頃の娘としては肌を衆目に晒したくはない。

「鏡、奥の箱からこんなモノが出てきたよ」

 千枝がそう言って、雪子に回復して貰った鏡に“幹部用 認証キー”を手渡す。
 おそらく地下六階の封鎖区画にはこれがあれば進入が出来るだろう。
 とはいえ、先ほどの戦闘で受けたダメージは大きく、傷は全快しても体力がこれ以上の探索続行は無理だと訴えている。
 一刻も早く直斗を救出したい所だが、無理をして取り返しの付かない状況になったら、それこそ本末転倒だ。
 今日の所は一端引き上げて、体力を回復してから後日改めて直斗を救出する事に決める。
 カエレールで施設を後にした鏡達はジュネスへと戻る。

「なあ、姉御。そんな疲れた状態でいつも通りに買い物をして帰らなくても、たまには出来合いのもので済ませても良いんじゃないか?」

 疲れた身体を押して、いつも通りの行動を取ろうとする鏡に陽介がそう声を掛ける。
 そんな陽介に鏡は心配してくれてありがとうと答えはするが、買い物を止める様子はない。
 普段はそうでもないが、意外に鏡も強情な一面がある。
 陽介は苦笑を浮かべると、止めないからせめて途中までは荷物を持たせてくれと申し出る。
 鏡は自身と同じく、陽介も疲れているのだろうから早く帰って休むよう促すが、帰ってからも家事をする鏡の方こそ無理はするなと返す。
 結局、鏡は陽介の言葉に折れて、途中まで買い物袋を持って貰うことにする。

「それじゃ、姉御、また明日な」

 そう言って鏡と別れた陽介を見送ってから鏡は帰宅する。
 菜々子に出迎えを受けた鏡は手を洗い、いつも通りに夕飯の準備を行おうとするが、疲れのために今ひとつ身体が思うように動かない。

「お姉ちゃん、大丈夫? 何だか疲れているみたい」

 心配そうに鏡を気遣う菜々子に大丈夫だと鏡は答えるが、菜々子の目を誤魔化す事は出来なかったようだ。

「お姉ちゃん、ウソはだめだよ! 今日は菜々子が晩ご飯を作るから、お姉ちゃんは休んでてっ!」

 菜々子は頬を膨らませてそう言うと、鏡の腕を取り今のソファへと鏡を座らせる。
 初めて見せる菜々子の剣幕に圧された鏡は、大人しくソファに座ると菜々子の作業を見守る事にする。

(菜々子ちゃんに心配させるなんて、お姉ちゃん失格だな……)

 自分が思っていた以上に疲れていた事に気付かされた鏡は、菜々子を心配させた事を悔やむ。
 陽介も菜々子と同じように自身の事を心配していたし、思っていた以上に周りに対して心配させるような状態なのかも知れない。
 そんな事を考えている間にも菜々子が晩ご飯の準備を進めていく。
 これまで鏡が教えていた事もあってか、菜々子の手際も今ではかなり様になってきている。
 冷凍庫には作り置きしたハンバーグなどが入っているので、菜々子はそれらを使い自分が出来る範囲で調理を進めている。


 今日の献立は作り置きしていたハンバーグにワカメの味噌汁、水にさらした玉ねぎとシーチキンのサラダだ。
 ジュネスで買ってきた鶏肉と野菜は、明日の献立に使う事にして菜々子が冷蔵庫にしまっている。

『いただきます』

 菜々子と唱和してハンバーグを一口食べた鏡は笑みを浮かべると、上手に出来ていると菜々子を褒める。
 鏡に褒められた菜々子は嬉しそうに笑うと、自身もハンバーグに箸を伸ばす。

「お姉ちゃん、後片付けも菜々子がするから、お姉ちゃんは先にお風呂に入って、早く休んでね?」

 鏡の体調を心配した菜々子がそう言って自身は食器の後片付けを始める。
 先ほどのように、下手な事を言って菜々子に心配をかけたくない鏡は、言われた通りに先に入浴をすませる事にする。
 湯船に浸かって身体の疲れを解しながら鏡は先ほどの菜々子を思う。
 小さい子供だと思っていたが、いつの間にか菜々子もあんな風に注意を促す事が出来るようになっていた。


 そんな菜々子を嬉しく思う反面、一抹の寂しさも感じている事に鏡は苦笑する。
 遼太郎に以前、自分に依存して欲しくないと言っておきながら甘えて欲しいと思うなんて。
 これでは、自分の方が菜々子に依存しているようなものだ。鏡はそう考えると、今後は注意しなければと気を引き締める。
 事件はまだ終わってはおらず、直斗は未だに向こう側に居るのだから。
 お風呂から上がった鏡は、菜々子にお休みなさい挨拶をしてから自室へと戻り布団へと入る。
 目を閉じ鏡は、疲れに身を任せてそのまま眠りへと落ちる。
 直斗を早く救出する為にも、今は体調を整える事が優先なのだから。




2011年09月19日 初投稿
2011年10月30日 本文修正



[26454] 秘密結社改造ラボ
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/11/30 13:22
――――それは幼い頃からの憧憬だった

    その想いは、いつしか枷となって心を縛る

     自分ではそうなれないと理解しながら

    それでも諦めきれずに、足掻き続ける……




 意識を取り戻した直斗が目にしたのは、深い霧に包まれた森林だった。
 見覚えのない光景に戸惑いを覚えた直斗は、なぜ自身がこの場に居るのかを考える。
 事件の真犯人を誘き出そうとテレビ出演を行い、自宅で待ち構えていたはずだ。
 そこから、この場所に自身が居る事までの記憶が曖昧で、その事が直斗を動揺させる。
 探偵を生業としているため、記憶力には自信があるのに覚えていないという現実。
 朧気に覚えているのは、誰かに呼ばれたような気がする事と、暗い世界に見えた光の窓のようなモノ。

(まずは、ここが何処なのかを確かめる必要があるか……)

 動揺していたのは少しの事で、直斗は気持ちを切り替えると、自身が何処にいるのかを確かめるために辺りを調べる事にする。
 木々に囲まれているところから考えると、稲羽の山中の何処かだろうか?
 深い霧に包まれているため、視界が悪く木々が邪魔で空もよく見えない。
 あまりにも現実離れしすぎた状況に、夢を見ているのでは無いのだろうかと思えてくる。
 暫く歩き続けていると、ふいに開けた場所へと辿り着く。

「……ッ!?」

 その場所にあったのは、特撮ドラマなどで見られる怪しげな建造物だった。
 地下シェルターの入り口を思わせる建造物の側面には黒地に金の羽根を広げた不死鳥のレリーフが描かれている。
 その上、建造物の上部には巨大なパラボラアンテナが二基も建てられている。
 幼い頃に見た覚えのあるその外観に、直斗は呆然とする。


 それは、幼い頃に読んだ冒険活劇に出てきた秘密結社のアジトを思わせるモノで、直斗が想像していた通りの外観だった。
 自身の想像通りの建造物が目の前に存在する事実に、直斗は戸惑いを感じると共に好奇心が込み上げてくる。

(これがもし、僕の想像通りのモノだとしたら……)

 建物の最深部には結社の秘密区画があるはずだ。
 何故、このような建造物があるのかは解らないが、中に入って調べてみる必要がありそうだ。
 直斗は周りに注意を向けながら建物へと近付く。
 注意深く建物へと近付くも、人の気配は全く感じられない。
 それどころか、入り口は開かれた状態で中に入れと言わんばかりだ。


 中へと進入するとやはり人の気配は無く、全ての隔壁が開かれた状態で放置されている。
 直斗は慎重に建物内を探索するも、それと同時にワクワクしている自分も自覚していた。
 まるで、テレビの中で出てくるような建造物。

(……テレビの中?)

 直斗は自身の考えに引っ掛かりを覚える。
 つい最近、これと似たような話題がどこかで出なかったか?

『えっと~、誘拐された人を~、テレビに入って助けに行きま~す!』

 ふいに、修学旅行で聞いた雪子の言葉を思い出す。
 場酔いで前後不覚になった者の戯れ言だと思っていたのだが、まさか本当にテレビの中だとでも言うのだろうか?

『目に見える物が全てじゃない。私も、直斗も知らない事の方が多いはずだよ』

 その後の会話で鏡に言われた言葉を思い出す。
 確か、あの場で鏡は直斗に対して『自身の常識が全ての常識だと思うのは間違いだ』とも言っていた。
 目の前にある現実を踏まえると、あの時に言われた言葉は真実だったという事になる。

――常識の埒外にある現実

 山野真由美の事件の真相がテレビの中での犯行だったとするならば、どれだけ調べても物的証拠が出てくるはずがない。
 それどころが、そうと知っていなければ立証不可能な完全犯罪が成立してしまう。
 それは、未だに犯行現場や死因が特定されない事実が証明している。


 直斗はその事実に戦慄を覚える。
 この事件は警察には絶対に解明する事も、解決する事も出来ない事件だ。
 一体、誰が『テレビの中で行われた殺人事件』を想像する事が出来るのか?
 自身も含めた『常識的に物事を考える』人間には発想すら出来ないだろう。


 だがこれで、直斗は一つの確信を持つ事が出来た。
 自身が立てた仮説通り、鏡達は事件を解決するために独自に動いている『事件を解決するための手段』を持った者達なのだ。
 だからこそ、失踪した者達は発見された後で鏡達と行動を共にしているのだろう。
 自身に危害を加えようとした犯人を捕まえる為に。


 そこまで考えて、直斗は鏡が警察との橋渡しを自身に望んでいる事に気付く。
 事件そのものに対しての立証は難しいが、それに繋がる誘拐に関しては警察の方でも対処が出来る。
 少なくとも、真犯人は現実の世界にいる『誰か』であるのは間違いないからだ。
 おそらく鏡達も、被害者を誘拐しようとする犯人を捕まえようと行動していたのだろう。
 その事は、アイドルである久慈川りせに対するストーカー行為を働いた男を捕まえるのに協力した事から伺える。


 何らかの情報を得て、事前に誰が誘拐されるのかを知り得ていたのだろう。
 犯行現場がテレビの中であることを考えると、クラスメイトが話していたマヨナカテレビが情報源ではないかと思う。
 事件の事もそうだが、マヨナカテレビという存在も調べてみる必要があるだろう。
 とはいえ、まずはここから無事に脱出しなければならないが……
 直斗は気持ちを引き締めると、施設内の探索を再開する。




 予想以上に施設は広く、地下八階まで降りてきた直斗は挫けそうになる心を必死に押さえていた。
 ここで自身が諦めてしまったら、本当に全てが終わってしまう。
 真犯人を捕まえる事も、自身が無事に元の世界に戻る事も。
 ここで諦めてしまったら全てが無駄になってしまう。
 そう自身に言い聞かせて、直斗は更に施設の先へと進んでいく。


 これまでの探索で、全ての隔壁が開かれていた為に順調にここまで進んでこられた。
 途中、隔壁を開くために装置を作動させなければならない場所が二カ所ほどあったのだが、それらも開放されていた。
 その事から推測すると、自身をおびき寄せるための罠と考えた方が筋が通る。
 しかし、この施設から出ても元の世界に帰れる保証が無いので、引き返すという選択も直斗には無い。


 故事成語にある『虎穴に入らずんば虎児を得ず』という状況に、直斗は僅かに苦笑を漏らす。
 この場合の“虎児”が元の世界に戻るための手段かどうかの保証が無いのも事実なのに、自身はこの場を探索するという選択を選んだ。
 どのような状況にあっても、気になる事があると知りたいと思う自身に、ここまで好奇心が旺盛だったのかと思う。

(いや、よくよく考えたら“だからこそ”なのかも知れないな)

 幼い頃から推理小説を読むのが好きだった自身を思い、今さらかと考える。
 そんな事を考えていると、下へと続く階段を発見する。
 直斗はこれまで通り周囲に気を配りつつ階段を下りていく。

(ここだけ隔壁が閉ざされている?)

 階段を下りた先は短い通路になっており、突き当たりはこれまでと違って隔壁が閉ざされている。
 これまでと違う状況に直斗は警戒すると隔壁へと近付く。
 隔壁自体は隣にあるレバーを操作する事によって開きそうだ。
 直斗は僅かに逡巡するも、レバーを操作して隔壁を開き中へと入る。

「……ッ!?」

 隔壁の向こう側は直斗にとって、非常に馴染みのある場所だった。

(おじいちゃんの書斎……? どうして?)

 そこは、直斗が幼い頃に入り浸っていた白鐘の屋敷にある書斎だった。
 直斗は同世代の友達を作るより、この書斎にある推理小説を読んで過ごす事の方が多かった。

『直斗は大きくなったら、どんな大人になりたい?』

 幼い頃に聞かれた祖父の言葉が聞こえてくる。

『おじいちゃんみたいな、りっぱな探偵になりたい!』

 探偵として、数々の事件解決に力を貸していた祖父の姿に憧れていたあの頃。
 自身もいつかは祖父のような探偵になるのだと純粋に信じていた。
 祖父の仕事を手伝うようになり、様々な事件を解決する事が出来たものの、自身が望む結果とは到底言えるモノではなかった。
 事件解決までは頼られはするが、事件を解決した途端に手の平を返された事も一度や二度ではない。
 どれだけ自身が真剣に取り組んでも、最後には『子供だから』という一言で片付けられてきた。


 それは、直斗が望む祖父や推理小説に出てくる主人公達のような、警察に頼りにされる存在ではない。
 見下され、都合の良いときだけ利用される。
 こればかりは、自身がまだ未成年者であるため仕方がない事だろう。
 今までは、そう自身に言い聞かせて来たが、本当にそうなのかと心が揺らぐ事が増えた。


 自身より一つ年上で同じ女である先輩。
 彼女は自身とは違い、周りから信頼され中心となって皆を取り纏めている。
 遼太郎も家事をこなし、一人娘の面倒をも見てくれる姪に信頼を寄せている。
 直斗が望み、手に入れる事が出来なかったモノを持つ人物。
 彼女と自分で、一体なにが違うというのか?


 考えても意味のない疑問に、一度は考える事を止めたが、ここに来てその疑問が頭を過ぎる。
 個人としての能力では、決して劣っているとは思えない。
 だからといって、自分が優れているとも思ってはいない。

『僕とあの人に、一体どんな違いがあるというの?』

 いつからそこに居たのか?
 見慣れた書斎は姿を変え、巨大な電気ノコギリと怪しげな機材が取り付けられた手術台の前に、両手で顔を隠した子供が立っている。
 だぶだぶの白衣を纏い、折れ曲がった袖口で顔を隠している子供。
 その子供の姿に、直斗は怪訝な表情を見せる。
 これまで全くなかった人の気配。
 それなのに突然、自身の目の前に現れたこの子供は一体誰なのか?

「君は、一体……」

 そう直斗が声を掛けると子供はピタリと動きを止め、ゆっくりと顔から手を離す。
 現れた子供の素顔に、直斗が息を呑む。
 その素顔は、自身がもっともよく知る顔だった。

「馬鹿な……あり得ない。僕自身だなんて……」

 どんな質の悪い冗談なのか。
 目の前の子供は自身と瓜二つで、違いは自然にはあり得ない金色の瞳だけだ。
 ひどく心細い様子で自身を見つめてくる瓜二つの相手に、直斗は戸惑いが隠せない。

『ねぇ、どうして僕は皆に認めてもらえないの?』

 それは、自身の心の底に抱えていた想い。
 どれだけ頑張って事件解決に貢献しても、誰も本心から自身を認めてはくれない。
 必要な時だけ“名探偵”扱いして、事が済むと“子供は帰れ”と幾度となく言われ続けてきた。
 それが悔しくて人で泣いた事も、一度や二度では無かった。
 直斗自身が抱いている想いのため、目の前にいるもう一人の自分に返す言葉が思い浮かばない。

『そうだよね。“名探偵”や“探偵王子”なんて言われて持て囃されても、本当に知りたい事は解らないんだよね』

 そう言って、もう一人の直斗は悲しそうな表情で直斗を見つめる。

「そんな事よりも、君に聞きたい事がある。ここは一体どこなのか? そして、ここから戻るにはどうしたら良いのか」

『ここは君の心が作り出した君の世界。僕はここしか知らないから、ここから戻ると言う意味が解らない』

 直斗の質問にもう一人の直斗はそう答え、このままずっと自分とここに居て欲しいと直斗に懇願する。
 そんな自分と瓜二つの相手に対して、諭してみても宥めてみても言い分は変わらず『ここに一緒に居て欲しい』の一点張り。
 ついには泣き出してしまい、直斗も辟易気味になる。

「直斗ッ!!」

 鏡達が直斗の元に辿り着いたのは、そんな時だった。



 施設の最深部まで辿り着いた鏡達が隔壁の先で見たのは、泣いているもう一人の自分を前に困っている直斗の姿だった。
 直斗は鏡達がやって来た事に気が付くと、安堵した様子を見せ『待ちくたびれましたよ』と、軽口を言う余裕を取り戻したようだ。
 そう言って鏡達の元へと行こうとする直斗に、もう一人の直斗が『行かないで』と懇願する。
 その様子は幼い子供そのもので、普段の直斗からでは想像できない姿だ。

「君と話しても無意味だ。僕はもう帰らないと……」

『なぁんで? なんで僕だけ置いていくの!? どぉしていつも僕だけひとりぼっちなの!? 寂しい……寂しい!』

 直斗の言葉に、もう一人の直斗は泣きながら寂しいと心の内を吐露する。
 それは、直斗が心の奥底に押し殺していた本音。
 どれだけ事件解決に尽力しても認めてもらえず、孤立していた自身の不満
 その言葉に、一人は辛いという事を理解している雪子達が同情する。


 老舗旅館の一人娘である事で、周りから浮いた存在となっていた雪子。
 容姿と趣味が合わないからと、偏見を持たれ続けた完二。
 都会から越してきて新しい環境で孤立しない為に周りに気を使い続けていた陽介。
 たった独りでこちらの世界で過ごしていたクマ。
 アイドルとして活動し、周りを人々に囲まれていてもその実、プライベートでは独りだったりせ。


 雪子には千枝がいて、転校してきた陽介も千枝が関わってくれたから、雪子とも友達になれた。
 完二とクマ、そしてりせは鏡達と出会えた事で孤独から抜け出す事が出来た。
 だが、周りを常に大人達で囲まれていた直斗には、そういった相手は居なかった。
 それもあって、転校してきた当初の直斗はクラスメイト達と馴染む事が出来なかった。
 それは、同世代と関わる事が少なく、大人達と接する事が多かった事の弊害だろう。
 遼太郎も心配していた事でもあるが、直斗自身も諦めていた部分があり、独りでも対処できてしまう才能があった事も要因の一つだろう。
 その結果、寂しいという想いが心の奥底に積もってもう一人の直斗が現れた。

「僕と同じ顔……まさかとは思うけど、僕自身だとでも言うつもりかい?」

『何を誤魔化してんだい? 僕は、お前だよ』

 呆れたように話す直斗に、もう一人の直斗が態度を豹変させてそう返す。
 先ほどまで泣いていた姿とは違い、その様子は普段の直斗を更に冷たくした姿で感情らしさが全く感じられない。

『子供の仕草は“ふり”じゃない……お前の真実だ。だってみんなお前に言うだろ……? “子供のくせに、子供のくせに”ってさ』

 もう一人の直斗はそう言って、淡々と直斗が必死に事件解決に尽力しても、子供であるだけで誰も本心では認めていないと告げる。
 更に、周りが求めているのは直斗の“頭”だけで、“名探偵”扱いはそれが必要な間だけで用が済めば“子供は帰れ”だと続ける。
 それは、世の中の二枚舌に為す術もない直斗がこれまで味わってきた苦い思い。

『僕、大人になりたい……今すぐ、大人の男になりたい……僕の事を、ちゃんと認めて欲しい……僕は……居ていい意味が欲しい……』

 再び子供の仕草でそう吐露するもう一人の直斗に、直斗は自分の存在する意味は自分で考えられると反論する。
 その言葉に、もう一人の直斗は再び態度を豹変させてそれが無理であると告げる。

『今現に子供である事実を、どうする?』

 もう一人の直斗はそう言って、直斗自身が本心で小説に出てくる探偵のような大人の男に憧れている事を指摘する。
 それは裏を返せば、心の底で自分を子供と思っている事だとも。
 その言葉に、直斗は上手く反論が出来ない。言われた言葉が事実であるが故に。

「……確かに、その子の言っている事はある意味で事実だよね」

 そう言って二人の直斗に割って入ったのは鏡だった。

「鏡、さん?」

「直斗、あなただって解っているんでしょう? 自分が大人の“男”にはなれないって事を」

『そうか、お前だけは知っていたんだな』

 鏡の言葉に、もう一人の直斗はそれまでとは違い、表情を歪めて鏡を睨み付ける。

「姉御だけが知っているって、何をだ?」

 もう一人の直斗の言葉に陽介が訝しげに尋ねる。
 自分達と違い、鏡は直斗との関わりが多い。その事が関係しているのだろうか?

『……お前の存在が僕に迷いをもたらした。同じ“女”でありながら、皆から慕われ認められているお前の存在が』

「え、ちょ……あいつ今……スゲー事口走ったぞ……」

「お……男じゃねえだと!?」

 もう一人の直斗の言葉に、陽介と完二が驚愕する。
 驚く二人をよそに、もう一人の直斗は言葉を続ける。
 大人の“男”でないから認められないと思っていた自身の前に現れた、同じ“女”でありながら皆に認められる人物。
 鏡の存在は、孤独である事を“大人の男でないから”と言って誤魔化してきた自身にとって衝撃だった。

『同じ“女”なのに、お前は皆から慕われ、認められている。僕とお前、一体どこに差があるというんだ……』

 そう話すもう一人の直斗に表れている感情は、自身が求めても得る事が出来なかったモノを持つ鏡への“嫉妬”だ。
 自分と同じ推理が出来、皆の中心となって取り纏めている鏡。
 その上、家事までこなし菜々子や遼太郎からも信頼を寄せられている。
 自身にないモノを持つ鏡の存在は、これまで抱いていた“強くて格好いい大人の男”への憧れを揺るがす程だ。

――どう足掻いても格好いい大人の“男”になる事は出来なくても、鏡のような“女”にはなれるのでないか?

 それが、直斗の心の奥深くに押し込めたもう一つの想い。
 同じ“女”であるからこそ諦める事が出来ず、鏡と同じように皆から認められない自分を認めたくないと思わせる存在。
 鏡の存在は直斗にとって羨望と憎悪、相反する想いを抱かせる複雑な相手だ。

「……そう。僕にとって鏡さんの存在は完璧すぎる存在だ」

 押し殺していた想いを吐露された事が否定できず、直斗はそう零す。
 しかし、鏡のようになれない事は直斗自身が一番良く理解している。
 雨の中、よく知らない相手である自分に迷わず手を差しのばした鏡。
 あの時の鏡のように、よく知らない相手に対して同じような行動が出来るとは思えない。
 それが、鏡と自身の差なのだろうか?
 そう悩む直斗の前で、鏡が困ったような表情を見せる。

「直斗。私は直斗が思うような、完璧な存在なんかじゃ無いよ」

 そう言って、鏡は直斗に先日にあった事を話す。
 無理をした事で陽介達に心配を掛けた事。菜々子には心配を掛けた上に怒られた事。
 直斗が自分にないモノを鏡に見出したように、鏡もまた直斗に対して自身にないモノを見出している。
 それは、これまで様々な事件解決に尽力してきた直斗の行動力や、理不尽に対して屈しなかった事。

「直斗が持っていないモノを私が持っているのと同じように、私が持っていないモノを直斗は持っているんだよ」

 鏡の言葉に、もう一人の直斗の表情が歪む。

『そうやって、偽善ぶった言葉が出てくるお前が僕は嫌いだ!』

 そう叫ぶもう一人の直斗から、黒い霧が噴き出し姿を覆い隠す。
 黒い霧が晴れると、身体の左半身が機械で構成された直斗の異形の姿があった。
 両手には特撮番組で出てくるような光線銃を持っており、足の裏から噴出する推進力で宙に浮いている。
 背にした飛行機の主翼で姿勢を制御しているようで、フラップが細かく動いている。

『我は影……真なる我……お前達を排除してから、ゆっくりと人体改造手術を行おうか』

 その身を異形へと変じたもう一人の直斗はそう言うと、手にした光線銃を鏡達へと向ける。

「陽介とクマはりせちゃんと直斗のガード! 雪子は回復主体で状況に応じて攻撃して! 千枝と完二君は全力で攻撃に専念!」

 異形から視線を外す事なく鏡は皆に指示を出すと、それぞれが配置に付きやすいように異形へと一歩近付く。
 鏡の指示を受けた陽介とクマは立ちすくむ直斗を連れてりせの傍へと移動する。
 少し離れた場所ではりせが既にヒミコを召喚しており、鏡達のバックアップに入っている。
 雪子は皆の回復と隙を見て攻撃できる距離に移動し、千枝がその背に雪子を守るように異形へと相対する。
 異形を挟んで千枝の反対側に完二が陣取り、異形を中心に鏡を含めて三角形になるように位置取る。

「ネコショウグン!」

 鏡はネコショウグンを召喚すると【マハタルカジャ】で全員の攻撃力を底上げする。
 続いて千枝がトモエを召喚して、物理系スキルの威力を増加させる【チャージ】を使い全身に力を溜め攻撃の隙を窺う。

「来い! タケミカヅチ!」

 完二が召喚したタケミカヅチは、手にした得物を振り上げると【剛殺斬】で攻撃する。
 攻撃力が底上げされた事で一撃の威力が上がった攻撃が異形へと命中する。
 タケミカヅチの一撃で異形がよろめいた隙を逃さず、雪子がコノハナサクヤを召喚して火炎系上位スキル【アギダイン】で追撃する。

『雪子先輩! ソイツ、火炎属性に耐性を持っているよ!』

 雪子の攻撃により判明した情報を、りせが即座に伝えてくる。
 主な攻撃手段が火炎属性で雪子にとって相性の悪い相手といえよう。
 異形は完二に狙いを定めると、回転しながら背中の主翼で完二を切り裂く。
 咄嗟にガードをするも、突進の加速と回転による威力増強で完二の体勢が崩されてしまう。
 その隙を逃さず、異形は手にした光線銃を完二に向けて引き金を引く。

『完二のペルソナが封じられているよ!』

 光線銃から発射された緑色の光により、完二は体力と精神力にダメージを受けた上にペルソナの力をも封じられてしまう。
 鏡は完二の回復を行うか迷うも異形を先に倒す事に決め、ペルソナをフォルトゥナに交換して【ラクンダ】で異形の防御力を下げる。
 ラクンダによって異形の防御力が下がった機を逃さず、千枝がトモエを召喚して【暴れまくり】で異形へと複数回の攻撃を行う。
 雪子が“うがい薬”で完二の魔封状態を回復させると、体勢を整えた完二がもう一度【剛殺斬】で異形へと攻撃する。


 直斗の影だけあって、これまでの異形とは違い的確に弱点を突いてきたり、鏡達を弱体化させようと搦め手を多用してくる。
 攻撃、防御、命中の全てを下げてくる【ランダマイザ】や、属性耐性を打ち消す【エレメンツ・ゼロ】など堅実な手段を選んでくる。

『お前達に解るものか! どれだけ頑張ってみたところで、“子供だから”という理由で認められる事のない悔しさを!!』

 そう叫ぶ異形の攻撃が苛烈になる。
 認められない悔しさ、どれだけ努力をしても報われない虚しさ。
 それらの想いが複雑に混じり合い、捌け口を求めて暴走する。

「んなのはテメェの思い込みだ! 男とか女とか関係無ぇッ! テメェがどうしたいかが重要なんだろうがッ!!」

 暴れる異形を押さえ込むように、タケミカヅチがその攻撃を受け止めて鏡達に攻撃が届かないようにする。

「あなたは、認められたいから探偵になったの?」

「……ッ!?」

 鏡の言葉に異形は動きを止め、俯いていた直斗は顔を上げ驚いた表情で鏡を見る。

「確かに、警察の人達は直斗の事を認めてくれなかったのか知れない。けれど、全ての人がそうじゃなかったでしょ?」

 その言葉に、表だって行動は出来ないがと申し訳なさそうにしていた遼太郎の姿を思い出す。
 これまでの相手と違い、遼太郎だけは直斗の事を気に掛けていた。
 直斗の事を子供として見ている点は同じだが、直斗に対して自分たち大人がしっかりしていればと気遣いを見せていた。
 遼太郎から見ると確かに自分は子供で、そんな子供が事件に関わる事に心を痛めていたのかも知れない。


 そして、自分がなぜ探偵になろうとしたのかを思い出す。
 幼い頃の自分は、自分達の仕事に誇りを持っていた両親や様々な相談事に応じていた祖父の姿に憧れを抱いていた。
 いつか自分もそんな家族の様になりたい。
 読み親しんだ推理小説に出てくるようなハードボイルドで格好いい探偵に。
 いつしかその想いは“子供だから”という理由で認めてもらえない現実を前に薄れ、“認めてもらう”事が目的になっていた。

「……そうだ。僕は認めてもらいたいから探偵になったんじゃない」

 事件を解決する事で救われる人が居る。
 困った事、悲しい事に表情を曇らせていた人達に笑顔が戻る姿に、その手伝いが出来る家族の姿に憧れたのだ。
 直斗は立ち上がると異形の方へと視線を向ける。

「認めてもらえない事は辛いし、僕とは違い皆から認められている鏡さんを羨ましくも思った。けれど、僕の始まりはそれじゃない……」

 直斗の言葉に、異形の様子が先ほどとは違って怯えるような様子を見せている。
 言葉に力がこもる度に異形の身体からノイズが発生する。

『……やめろ、子供だと何も出来ない。認めて貰うことも、受け入れて貰うことも!!』

「そんな事ない! 叔父さんも、菜々子ちゃんも直斗の事を認めている! 受け入れてくれている!」

 直斗の言葉に動揺して拒絶する異形を鏡が否定する。
 異形の身体から発生しているノイズは動揺が強くなる事に大きくなり、異形の姿自体にブレが生じている。

『先輩! 動揺して弱ってきている、チャンスだよッ!!』

 りせの言葉通り、動揺している異形は明らかに悶え苦しんでいる様子を見せている。

「里中先輩ッ!」

 この機を逃さず、タケミカヅチが得物を横薙ぎにして千枝へと異形を吹き飛ばす。

「任せてっ! こんのぉ、飛んでけぇ!!」

 トモエを召喚した千枝は異形に対して、自身の最強の追撃技をトモエで放つ。
 震脚によってトモエの軸足が地面を陥没させ、その威力をも乗せた強力な蹴りが異形へと叩き込まれる。
 上空へと蹴り飛ばされた異形は背の主翼が砕かれ、体勢が崩されたままだ。

「雪子!」

 鏡の声に雪子は頷くと、異形のさらに上空へコノハナサクヤを召喚して再び【アギダイン】で攻撃する。
 それと同時に、鏡もケルベロスを召喚して同じく【アギダイン】で異形を挟み込むように攻撃する。
 火炎属性に耐性を持つとはいえ、二人の同時攻撃に異形は力尽き、もう一人の直斗の姿に戻る。

「……もう一人の、僕」

 直斗はそう呟くと、もう一人の自分の傍へと移動する。
 もう一人の直斗は弱々しく佇んでおり、その身体には先ほどと同じようにノイズが走っている。

「僕は、いつの間にか忘れていたんだね」

 そう言って、直斗は鏡達に自身の事を話し始める。
 幼い頃に事故で両親を失い祖父に引き取られた事。
 友達を作るのが下手で祖父の書斎で推理小説ばかり読んで過ごしていた日々。
 そんな中で直斗に芽生えた夢は『格好いい、ハードボイルドな大人の探偵』だった。
 自身の仕事に誇りを持つ両親や、いくつもの相談事を解決する祖父に憧れ、自身も将来はその仕事を継ぐのだと疑っていなかった。


 そんな直斗の夢を祖父は叶えようとしていたのだろう。
 自身に持ち込まれた相談事を直斗が内緒で手伝う事を黙認し、直斗が気付いた頃には『少年探偵』という肩書きが付いていた。

「事件解決に協力しても、喜ばれるばかりじゃありませんでした……僕が“子供”だって事自体が気に障っていた人も少なくなかったし……」

 自身が子供である事は時間が解決してくれるかも知れない。
 けれど、“女”である事実は変えようがない。
 そう呟く直斗に雪子が女である事が嫌いなのかと訊ねる。
 雪子の質問に、直斗は自身の望む“格好いい探偵”とは合わないと自嘲気味に答える。
 そして、警察は男社会で軽視される理由が増えると、誰にも必要とされなくなると言葉を締める。

「けれど、鏡さんを見て本当にそうなのか疑問が芽生えました」

 自分と同じ“女”なのに認められ、必要とされている人物。
 男の探偵にはなれないが、鏡のようにならなれるのでないか?
 その想いは羨望となり、これまで認めてもらえなかった事に対する不満と混ざり合って、もう一人の自分を生み出したのだろう。
 認めてもらいたいと望みながら、自分自身がありのままの自分を認めていなかった。

「ごめん……僕は知らないフリをして、君というコドモを閉じ込めてきた。君はいつだって、僕の中にいた。僕は君で……君は僕だ」

 自身が望んでいた事は大人の男になることでなく、ありのままの自分を受け入れる事。
 そう宣言する直斗にもう一人の直斗は頷くと青い粒子となってその姿を変える。
 手に光り輝く長い刀身の剣を携えた小さな異形“スクナヒコナ”がその姿を現す。
 スクナヒコナは再び青い粒子になるとカードの姿へと変わり、直斗の身体に吸い込まれるように消えていく。
 それと共に直斗はその場に崩れ落ちるように膝を突く。

「それにしても、ズルいですよ……こんな事、ずっと隠していたなんて……はは……これじゃ警察の手に負えない訳だ……」

 弱々しく直斗は呟くが、その瞳に宿る光は力強さを失っていない。
 直斗が身体を張って証明したのだ。事件はまだ終わってはいないのだと……

「取り敢えず詳しい話は後だな。直斗を連れて外に出よう」

 陽介がそう言うと、千枝と雪子が直斗に肩を貸して外へと連れて行く。
 元の世界に戻ってくると、直斗を休ませるために家電売り場の傍にあるソファへと直斗を座らせる。

「まったく……身体張っちゃって……」

 疲れが一気に出たのか、肩で息をしている直斗を前に、千枝が呆れたように呟く。
 そんな千枝に雪子が犯人はまだ捕まっていない事を直斗が証明してくれたと話す。

「キバりすぎなんだよ、テメェは……」

 ぶっきらぼうに完二は直斗にそう話すが、その表情には心配していた事が現れている。
 そんな完二に、直斗は鏡達が来てくれると信じていたと返す。

「でも、まさか……こんな大事とは……思ってなかったけど……」

「ったく……テメェはバカだ。どもこ天才じゃねえ。世話……かけさせやがって……」

 直斗の言葉にそう返す完二に、『やっぱり心配しまくじゃない』とりせがからかう。
 そんなりせに、顔を赤くした完二はチャカすなと言い返すが、照れているのか言葉に力がない。
 雪子が一人で帰れそうにないから送っていくと言うと、直斗は一人でも平気だと言って立ち上がろうとする。
 しかし、言葉とは裏腹に自分一人では立ち上がる事も出来ない直斗は、そのままソファへと座り込んでしまう。

「明らかに無理でしょ!? オトナは何でも一人で出来るって思わないの! ほら行くよ、つかまって!」

 無理をする直斗をりせが叱りつけるも、直斗の手を取って立ち上がらせて肩を貸す。
 直斗の事は気になるが、雪子達に直斗の事を任せると、鏡はいつものように買い物を済ませるために食品売り場へと移動する。
 陽介達と別れて買い物を済ませた鏡はジュネスを後にする。




 帰宅すると珍しく遼太郎が早上がりだったらしく、足立を連れて帰宅していたようだ。

「あ、おかえり~! おっじゃましてま~す!」

 缶ビールを何本か空けてほろ酔い気分になっている足立が鏡に声を掛けてくる。

「悪いな、今日は早上がりで……」

「いえ、今からすぐに支度しますね」

 遼太郎の言葉に鏡はそう返すと手を洗い菜々子と一緒に晩ご飯の準備をする。
 酒の肴に幾つか買ってきているようだが、ご飯には物足りない。
 鏡は買ってきた食材で手早く肉そばを作る事にする。
 本当は焼肉の野菜炒めを作ろうと考えていたのだが、調理の時間短縮と遼太郎達がお腹にあるていど入れている事が理由だ。
 そばは茹で上がったときに氷水で一度しめ、再度熱湯で暖めると丼に盛りつける。
 その上から甘辛く味付けした肉とねぎの掛け汁を掛け、半熟卵をのせて出来上がった順に菜々子がちゃぶ台に運んでいく。

「おっ、美味そう! いっただきま~す!」

 出された肉そばに足立は目を輝かせると、箸を手に肉そばを食べ始める。
 菜々子も冷ましながらそばを口に運び美味しそうに食べている。
 そんな中、一人だけ遼太郎の箸が進んでいない。

「叔父さん、味付けが合いませんでしたか?」

「いや、大丈夫だ。お前の作ってくれるモノはいつも美味いぞ」

 鏡の問い掛けに遼太郎はそう答えると、止まっていた箸を動かして肉そばを食べる。
 肉そばを食べ終え、食後のお茶を飲んでいるとふいに遼太郎が鏡に声を掛ける。

「なあ、鏡。白鐘から何か聞いていないか?」

「……何か、とは?」

 遼太郎の質問の意味が解らない鏡がそう答えると、直斗がここ数日行方不明になっていた事と、先ほどその直斗が見つかった事を伝える。
 事情を知っている鏡は素知らぬフリで、遼太郎に直斗が事件の捜査で出掛けていただけではないのかと訊ねる。

「それは無いと思うなぁ~。捜査から外れたから拗ねて家ででもしたんすかね~? ちょっと気難しそうだし」

 そう言って、鏡の質問を否定した足立は直斗が居なくなったと聞いて驚いたと言葉を続ける。
 もしこれで新たな誘拐殺人にでもなったら、色々とご破算になるところだったと零す。
 そんな足立に呆れたように遼太郎が声を掛けるが、足立には聞こえてなかったようだ。

「でも犯人の少年、諸岡さん殺し以外には、証拠でないっすね~。これ、立件までいけんのかなぁ?」

 足立はそう話すと遼太郎の“カン”の通り、真犯人が別に居るかも知れないと呟く。

「何遍言わせんだ! ペラペラ喋んな!」

 流石に喋り過ぎと判断した遼太郎が足立を一喝する。
 遼太郎の言葉に足立は硬直すると『すみません』と遼太郎に謝る。

「とにかく! お前は事件なんて気にせず、学生らしく勉強でもしてろ。でないと……」

「叔父さん、叔父さんが私の事を心配してくれるのは嬉しいですが、何も気にせず過ごすのは無理です」

 鏡の言葉に遼太郎は息を呑む。

「真犯人が居たとしたら、事件に自分が巻き込まれる可能性があると言う事です。自衛の為にも、事件を気にするのは駄目なんですか?」

 遼太郎の目を真っ直ぐ見て鏡がそう訴える。
 事件に首を突っ込まれるのは問題だが、無関心すぎて事件に巻き込まれるのも問題だ。
 遼太郎は歯がゆい思いを隠しきれずにいる。

「鏡ちゃん、堂島さんの気持ちも解ってあげてよ。鏡ちゃんの言う事も解るけど、事件の事は僕ら警察に任せて欲しいな」

 二人を取りなすように足立がそう声を掛ける。

「こわいこと、まだおきる?」

 話を聞いていた菜々子が、不安な様子で鏡の腕を掴んで足立に訊ねる。
 菜々子の言葉に足立は慌てて菜々子に謝ると、犯人は捕まったし怖い事件はもう起きないと安心させるように菜々子へ声を掛ける。
 その言葉に不安げに菜々子が頷く。

「大丈夫だよ、何かあっても叔父さん達が解決してくれるから。今日は久しぶりにお姉ちゃんと一緒に眠る?」

 鏡の言葉に菜々子は表情を明るくすると鏡の申し出を快諾する。

「叔父さん、今日の所は菜々子ちゃんをお風呂に入れて休んでも良いでしょうか?」

「あぁ、そうだな。頼む」

 菜々子の前でする話題でなかった事に気付いた遼太郎がそう言って、鏡との話を終える事にする。
 鏡は菜々子の手を引いて居間を後にすると菜々子と自身の着替えを取りに行く。

「すみません、堂島さん。菜々子ちゃんを不安がらせちゃいましたね」

 酔いの覚めた足立がそう言って遼太郎に詫びる。
 足立の言葉に遼太郎は首を振ると、自分も菜々子の前で出す話題でなかったと返す。

「けど、確かに心配ですよね。鏡ちゃんはしっかり者だけど、女の子なんですし」

「……そうだな」

 足立の言葉に遼太郎は同意する。
 しっかりしていても鏡はまだ子供で女の子なのだ。
 姉から鏡の事を任されている事とは別に、遼太郎は鏡の身を案じる。
 鏡の周りで事件に巻き込まれたと思わしき者が居るのだ。鏡自身が事件に巻き込まれないと誰が言えるのか?
 同様に、菜々子も事件に巻き込まれる可能性があると言う事だ。
 犯人は捕まったが、足立の言う通り自身の“カン”が事件はまだ終わっていないと告げている。
 遼太郎は今一度、事件について最初から洗い直す必要があると決意する。
 本当に、鏡達が安心して暮らせるようにする為に。




2011年10月31日 初投稿
2011年11月30日 本文修正



[26454] 最初の一歩
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:fe0f9646
Date: 2011/11/30 13:24
――――これまで歪であった自分

    その歪さを疑う事すら無かった昔

      けれども、それを知った今

    このままでは駄目なんだと思った……




 菜々子とお風呂に入り一緒に眠りについた鏡が、翌朝になって朝食の準備をしようと菜々子と共に居間に下りる。
 居間には遼太郎達の姿はなく、サイドボードに遼太郎からのメモが残されていた。
 メモには足立と共に早出なので先に出る事が書かれており、今日の帰りは遅くなるから晩ご飯は先に済ませてくれとも書かれていた。
 菜々子と共にメモの内容を確認した鏡は、菜々子と共に朝食の準備に取り掛かる。
 翌日が敬老の日で、連休中の予定が特にない鏡は菜々子と過ごす事に決め、朝食を摂りながら菜々子と連休中の予定を話し合う事にした。


 連休中、鏡が一緒に過ごしてくれると知った菜々子は満面の笑みを浮かべて喜んでいる。
 これまで事件を追い掛けていた事もあって、連休を菜々子とゆっくり過ごせるのはゴールデンウィーク以来だ。
 その為、菜々子の喜びも大きく連休中は何をして過ごそうかとあれこれと思案しているようだ。

「お姉ちゃん。菜々子ね、ジュネスに行きたい!」

 考えが纏まった菜々子が瞳を輝かせて鏡にお願いする。
 稲羽市にはジュネス以外に賑わう場所が無く、遊ぶのならば主に隣の沖奈市へと出向く必要がある。
 しかし、小学生である菜々子を勝手に遠くまで連れて行く訳にはいかないので、菜々子のリクエストに答えジュネスへと出掛ける事にする。
 食べ終えた食器を片付け、今日は天気も良いので洗濯物を干してから、二人はジュネスへと向かう。
 帰りに晩ご飯の材料も購入する事を考え、道すがら菜々子と献立を一緒に考えながら移動する。
 ジュネスへと到着した二人は、少し早いが昼食を摂るためフードコートへと向かう。

「センセイ、ナナちゃん、いらっしゃいませクマ!」

 フードコートにやって来た鏡達に気が付いたクマが、嬉しそうに二人に声を掛けてくる。
 今日は着ぐるみ姿で手には風船を持っており、訪れた子供達に配っている。
 クマの周りにいる子供達は嬉しそうに、手渡された風船を持ってそれぞれの家族の元へと戻っていく。
 母親と思わしき人物に、嬉しそうに風船を見せる子供の姿を見た菜々子が、鏡と繋いでいた手に僅かに力を込める。
 鏡はそんな菜々子の手を握り返すとクマへと挨拶を返し、菜々子に何が食べたいかを訊ねる。
 菜々子のリクエストでオムライスが出たので、鏡も同じ物を注文する事にする。

「そう言えば、陽介は?」

「ヨースケは食品売り場で商品の陳列をやってるクマよ」

 オムライスが出来上がるのを待っている間、ふと気になった事を鏡が訊ねるとクマがそう答えてくれた。
 クマもこれから店外で風船を配らなくてはいけないそうなので、名残惜しそうにしながらもその場を後にする。
 鏡はクマを見送ると出来上がったオムライスを受け取り、菜々子と共に空いているテーブルへと移動する。

「あら? あなた達」

 オムライスを食べ終わり、この後の予定を菜々子と話し合っていた鏡達に声が掛けられる。

「こんにちは、瑞紀さん」

 鏡達に声を掛けてきた相手は、以前に菜々子の服を買いに来た時にアドバイスをしてくれた瑞紀だった。
 ジュネスで子供服専門店の店長をしている瑞紀は気さくな人物で、ジュネスをよく利用する鏡とは顔を合わせる機会が多い。
 菜々子も鏡と一緒にジュネスに買い物に来ることが多いので、菜々子も瑞紀とは顔馴染みになっている。

「瑞紀さんは休憩中ですか?」

 鏡の質問に『そんな所かな』と、瑞紀にしては珍しく歯切れの悪い返答が返ってきた。
 その様子に鏡がどうかしたのかと訊ねると、瑞紀は菜々子へと視線を向けて少し考える素振りを見せる。

「ねぇ、急ぎの用事がないのなら、お願いしたい事があるのだけれど」

 そう話し掛けてきた瑞紀のただならぬ様子に鏡が内容を聞いてみることにする。
 瑞紀の説明によると、秋物の新作を発売するにあたって広告用の写真撮影のモデルを菜々子に頼みたいそうだ。
 何でも、本来モデルをやる予定だった少女が急な腹痛で撮影が出来なくなったらしい。

「本当なら後日改めて撮影をやり直したいのだけれど、印刷の都合で何とか今日中に撮影を済ませないといけないの」

 そう言って、瑞紀は申し訳なさそうに鏡達への説明を終える。
 鏡としては困っている瑞紀の手助けをしたいと思うが、実際にモデルをする菜々子の意志に任せる事にする。

「ね、お姉ちゃん。瑞紀さんのお手伝いをしても良いかな?」

 菜々子も困っている瑞紀を手助けしたいと思ったのだろう。
 本来なら恥ずかしがり屋な菜々子は、こういった目立つ行動を好まないのだが、困っている瑞紀を放っておけないのだろう。
 瑞紀は菜々子にお礼を述べると、撮影場まで二人を案内する。
 撮影場に到着すると、瑞紀は休憩をしていたスタッフ達に奈々子を紹介すると、撮影の続行を通達する。
 体調を崩したモデルの子は両親に連れられ、スタッフと共に病院へと向かっているそうだ。

「じゃあ、菜々子ちゃんはこっちで着替えてもらえるかな?」

 そう言って、瑞紀が菜々子を控え室へと案内する。
 案内された控え室にはいくつもの衣類が掛けられており、その内の一つを手にした瑞紀が菜々子へと手渡す。
 手渡せれた衣服は、柔らかい素材で出来たカーディガンと、それに合わせたブラウスとチェック柄のスカートだ。
 小物にスカートと同じチェック柄のショルダーバックも手渡される。


 手渡された衣服に着替えた菜々子は、続いて鏡台でメイクスタッフに軽く化粧を施される。
 初めての化粧に菜々子は恐縮しながらも、嫌がる素振りは見せずにスタッフのされるがままになっている。
 鏡の見ている前で、化粧を施された菜々子がメイクスタッフに話し掛けられ、緊張を解されている。
 流石は子供服を扱う専門店のスタッフと言ったところか。
 どちらかというと、人見知りする方の菜々子もスタッフ達との会話でリラックスしてきている。

「初めまして、うちの店長が急な頼み事をしてごめんね」

 そう言って声を掛けてきたのは撮影担当の女性カメラマンで、何でも瑞紀とは高校時代からの親友だそうだ。

「酷いわね、悠。でも、撮影が中止にならなかったのだから良いでしょ?」

 その言葉を聞き留めた瑞紀が、冗談めかして女性カメラマン()に話し掛ける。
 そんな他愛のない二人のやりとりに、鏡は互いを信頼しあっている二人の在り方を見た。
 身近な人物で言うと、遼太郎と足立が近いだろうか?
 あの二人と違い、互いが対等な立場で共に相手を尊重しているが纏っている空気が遼太郎達を思い起こさせる。


 撮影は一着の服装に付き数回の撮影を行い、仕上がった写真から出来の良いのを選ぶようだ。
 今回は撮影だけで、写真選びは撮影が終わった後で行われるらしい。
 悠が他愛ないお喋りをして、リラックスした菜々子を撮影していく。
 撮影の合間に用意されたお菓子を一緒に食べたりと、鏡が思っていたのとは違ったアットホームな雰囲気だ。
 しかし、子供相手の撮影なのだから、こういった雰囲気の方が正しいのかも知れない。
 今も悠が菜々子に以前に撮った写真を見せており、初対面とは思えないほど菜々子と打ち解けている。

「それじゃ、菜々子ちゃん。あと少し頑張ってね」

 そう言って、悠が菜々子に撮影が残り少しである事を伝える。
 撮影は順調に進み、最初の方は緊張していた菜々子も自然と笑みを浮かべて撮影できるまでになっていた。
 どの衣服も菜々子にとても似合っており、見学していた鏡も色々な服装の菜々子を見られて楽しんでいた。

「はい、お疲れ様。本当に助かったよ」

 無事に撮影も終了し、瑞紀が菜々子に労いの言葉を掛ける。
 他のスタッフ達は撮影の後片付けをしており、悠もカメラをケースにしまっている。
 この後で撮影したデータをチェックして広告に使う写真を選び、印刷会社へと印刷の依頼をするそうだ。

「菜々子ちゃんだったら、プライベートでもモデルをして貰いたいね。お姉さんと一緒に」

 機材を片付け終えた悠が瑞紀の会話に交じってくる。
 悠の様子からお世辞ではなく、本心で菜々子の事を気に入っているのが解る。

「そうね、今度ティーン向けの商品を販売する予定だから、その時には鏡ちゃんにもお願いしようかしら?」

 悠の言葉から、瑞紀が真面目な表情で検討をしている。
 どうやら鏡にどんな衣装が映えるのかを真剣に考えているようだ。
 そんな瑞紀に鏡はそろそろお暇しますと挨拶をして、菜々子と一緒に撮影場から出て行こうとする。

「あ、ちょっと待って」

 思索から我に返った瑞紀がそう言って鏡達を呼び止める。
 瑞紀は控え室から撮影に使った衣装の中で、菜々子に一番似合っていた服を持ってくると丁寧に畳んで袋に入れ、菜々子に手渡す。
 菜々子は戸惑った様子で手渡された服と瑞紀を交互に見ている。

「急な頼みを引き受けてくれたお礼」

 本来なら金銭の支払いになるのだが、それだと遼太郎の同意が必要らしいので、現物支給でという事らしい。
 菜々子がお礼を言うと、感謝をするのは自分達の方だと瑞紀は笑って答える。
 鏡達は瑞紀や他のスタッフ達に挨拶をしてから撮影場を後にする。

「それじゃ、片付けが終わったら広告に使う写真の選別を始めるからね」

 鏡達を見送った瑞紀がスタッフに声を掛けると、やる気のある返事が返ってくる。
 その返事に満足そうに頷くと、瑞紀も後片付けの続きに取り掛かった。




 撮影場を後にした鏡達は、その足でジュネスの店内を見て回る。
 明日が敬老の日とあってか特設コーナーが設けられており、様々な商品が置かれている。

「ね、菜々子ちゃん。明日は敬老の日だから、シズおばあちゃんに何か買っていこうか?」

 鏡の提案に菜々子が嬉しそうに頷く。
 二人は特設コーナーへと立ち寄ると、シズに買っていく商品を探すことにする。
 定番であるバラの花束から、使い勝手の良さそうな杖やお菓子などが置かれている。
 大きな物ではマッサージ機能が付いたイスや、意外にもノートパソコンも置かれてあった。


 思っていた以上に色々な商品が置いてあり、菜々子も目を丸くして興味深そうに商品を見ている。
 かさばる物は除外して、邪魔にならない物から菜々子と一緒に選んでいく。
 何気なくお菓子を見ていると、彩り鮮やかな和菓子が目に留まった。
 細やかな細工が施されたそれらの和菓子は見た目にも楽しめ、食べるのが勿体ないように感じられる。
 値段も手頃だったので、菜々子と話し合ってこれらの和菓子の詰め合わせを購入する事に決めた。

「お姉ちゃん。お菓子、買わないの?」

 商品をレジに持っていかない鏡に、不思議そうに菜々子が訊ねる。
 そんな菜々子に、鏡は今購入すると荷物になるので帰る時に購入することを伝える。
 鏡の説明に納得した菜々子は鏡の腕を取ると、楽しそうに次の場所へと移動する。
 その後、二人は雑貨店で小物を見て回ったりとウィンドウショッピングを楽しむ。
 菜々子とこうやって目的もなく遊ぶことは希で、菜々子も終始楽しそうに色々な物に目を輝かせていた。


 夕方になり、晩ご飯の食材を買いに食品売り場へと移動すると商品陳列を行っていた陽介と出会った。
 陽介は鏡達に軽く手を挙げて挨拶をすると、今日のお勧めを教えてくれた。

「取り敢えず、今日のお勧めはこんな所だな。あと少しでタイムセールに入るから、もうちょい待った方がいいぜ」

「ありがとう、陽介。それじゃ、もう少し待ってみるね」

「陽介お兄ちゃん、ありがとう!」

 二人のお礼に陽介は嬉しそうに頷くと、仕事の続きがあるからと言って去っていった。
 タイムセールになるまでの間、菜々子と一緒に献立の内容を詰めていきながら他の食材を見て回る。
 今日の献立は陽介のお勧めもあって、鰹のタタキを使った丼物を作ることにする。
 それだけだと物足りないので、セールの牛肉と野菜を使った野菜炒めと、白みそを使ったなめこの味噌汁も献立に加える。
 味噌汁の具材はなめこの他に刻みねぎと玉ねぎ、油揚げを使う。
 買い物を済ませた鏡達は当初の予定通り、シズへのお土産を買ってから帰宅する。


 帰宅して、菜々子が貰った洋服をしまいに自室へ行っている間に、鏡は買ってきた食材を買い物袋から取り出して準備する。
 鰹のタタキは一口大に切り、醤油ベースの薬味を入れた漬けダレに漬け込んで、味を染み込ませる。
 タタキに味が染み込むのを待つ間に味噌汁を菜々子が、野菜炒めを鏡が作っていく。
 ごま油でニンニクとショウガのみじん切りに火を通し香りを出した後、漬けダレを加えて少し煮詰める。
 出来上がったタレは器に移して冷ましてから丼にご飯をよそい、刻んだネギと海苔を散らした上にタタキを乗せる。
 最後に大葉と白ごま、刻み海苔をたっぷり盛りつけたら完成だ。


 漬けダレは全部使わずに遼太郎の分を残しており、迷ったが鰹のタタキを漬け込んでおくことにする。
 菜々子から味噌汁の味見を頼まれた鏡は味見をして、菜々子に笑顔で美味しくできていると褒める。
 鏡から褒めて貰った菜々子は嬉しそうに表情を綻ばせると、出来上がった味噌汁を椀によそってちゃぶ台へと運ぶ。

『いただきます』

 手を合わせ唱和してから二人で晩ご飯を食べ始める。
 晩ご飯を食べながら、今日の出来事を振り返る。
 瑞紀が言うには、今日撮った写真は十月最初の広告に使うそうだ。
 その前に出来上がった広告を送るからと言われて、その広告が届くのが楽しみだ鏡が話すと、菜々子が恥ずかしそうにする。
 けれど、菜々子自身もどのような広告になるのかは気になるらしく、どんな広告なのかなと鏡に話していた。


 食事を摂り終え、使った食器を片付けた二人はいつものように一緒にお風呂に入る。
 明日、丸久豆腐店に行くことをりせにメールで知らせており、りせから明日が楽しみだと返信があった。
 その事を菜々子に話すと、菜々子もりせとシズに会うのが楽しみだと笑顔を返す。
 鏡は菜々子に明日は帰りに豆腐を買って帰ろうと話し、菜々子が豆腐を使った献立を幾つか挙げる。
 菜々子が挙げた中から、明日の晩ご飯は麻婆豆腐を作ろうと楽しそうに献立を決める。
 お風呂から上がり寝間着に着替えると、菜々子の髪を乾かしてから自身の髪を乾かす。

「お姉ちゃん、今日も一緒に寝て良い?」

 菜々子のお願いに鏡は微笑んで頷くと、菜々子は自室からお気に入りの仔猫のぬいぐるみを持ってくる。
 鏡は菜々子と手を繋いで自室へと戻ると布団を敷き、早めに休む事にする。
 菜々子が寝付くまで、二人は取り留めのない話を続けるが、今日一日はしゃいでいた菜々子はすぐに寝入ってしまう。
 お気に入りのぬいぐるみを抱きしめて、穏やかな表情で眠る菜々子の寝顔を暫く眺めていた鏡も目をつむり眠りにつく。




 翌朝になり、先に目を覚ました鏡は菜々子を起こすと寝間着を着替える。
 居間に下りると遼太郎が新聞を読んでおり、下りてきた二人に気付くと『おはよう』と声を掛けてくる。
 二人は遼太郎におはようと返すと菜々子は寝間着を着替えに自室へと向かう。

「叔父さん、朝はパンとご飯どちらが良いですか?」

「そうだな、今日はパンで頼む。それと、鰹のタタキの丼物は美味かった」

 遼太郎の言葉に鏡は微笑むと、朝食の準備をする。
 堂島家でコーヒーを入れるのは遼太郎の役目なので、そちらは遼太郎にお願いしてトースターでパンを焼く。
 パンが焼けるまでの間、手早く刻んだベーコンを入れたスクランブルエッグを作り、ちゃぶ台へと運ぶ。
 ほどなくして着替えてきた菜々子も鏡を手伝い、焼き上がったトーストを運び、バターとジャムの用意をする。
 それらの作業が終わる頃に合わせて遼太郎もコーヒーを入れ終わり、それぞれのコーヒーカップに注いでいる。


 皆で朝食を摂る中、鏡は遼太郎に今日は敬老の日なので菜々子と一緒にシズの所に出掛けることを伝える。
 それと合わせ、先日ジュネスへと出掛けた際に広告撮影のモデルをした事と、その報酬に洋服を一着貰ってきた事を伝える。
 鏡から経緯を聞いた遼太郎は事情は理解したが、今後は自分へと連絡を入れてからにして欲しいと鏡に伝える。

「それとな。大丈夫だとは思うが、あちらに迷惑を掛けるんじゃないぞ?」

 遼太郎はそう言葉を続けると、コーヒーを飲み干して立ち上がる。
 何事もなければ今日は早く帰れそうだと遼太郎は鏡に伝えると、そのまま仕事へと出掛ける。
 遼太郎を見送った二人は朝食を摂り終えると、使った食器を片付けてから洗濯などの用事を済ませてから出掛ける準備をする。
 せっかくだから、先日の手伝いで貰った服を着て出掛けないかと鏡は菜々子に提案する。
 鏡の提案に菜々子は頷くと自室へ服を取りに行く。


 瑞紀から貰った洋服は、フレンチベージュという少し薄めの茶色を基調に黒のリボンでアクセントを付けたワンピースだ。
 同系色のボレロがシルエットに変化を与え、単調なデザインにならないように工夫がほどこされている。
 菜々子はまだリボンを自分で上手く結べないので、鏡が着替えを手伝い、代わりにリボンを結ぶ。
 着替えを終えた菜々子と共に、先日ジュネスで購入した和菓子の詰め合わせを持ち、鏡は丸久豆腐店へと向かう。
 道中、犬の散歩をしている近所の主婦から新しい洋服を褒められた菜々子が照れていたが、その様子を鏡が表情を綻ばせて見ていた。
 菜々子が褒められた事を自分の事のように嬉しく思え、瑞紀の見立てが正しかった事に感嘆する。

「先輩、菜々子ちゃん、いらっしゃい! 菜々子ちゃん、その服、とっても良く似合っているよ!」

「二人ともいらっしゃい、おやまぁ、本当に菜々子ちゃんに良く似合っているねぇ」

 丸久豆腐店に到着した二人を出迎えたりせとシズが、菜々子の事を嬉しそうに褒める。
 二人からの称賛に、はにかんだ表情を見せながらも菜々子は『ありがとう』と二人にお礼を述べる。
 鏡はシズに持ってきた和菓子の詰め合わせを手渡すと、『わざわざ気を使わせてすまないねぇ』とシズに感謝された。
 和菓子の詰め合わせは後で食べる事にして、今日は鏡達も丸久豆腐店の手伝いを行う。
 普段はシズとりせの二人で行われる作業を鏡達が代わりに行う。


 流石に、豆腐を作る事自体はシズの手がないと無理なので、鏡達は主に出来上がった豆腐の陳列や会計での手伝いになる。
 普段と違って鏡達、特に菜々子の存在が大きかったのか、訪れる客達が口を揃えて菜々子の事を褒めていた。
 それだけでなく、多めに商品を買ってくれる人も居たために、普段よりも早く売り切れる事となった。
 鏡が必要な分は予め確保済みだったので、今晩の献立を変更する事にならなかったが、早い段階での完売にシズも驚いていた。

「それじゃ、鏡ちゃん達が持ってきてくれた和菓子を皆でいただくかねぇ」

 そう言って、シズがお茶の準備をする。
 お茶の準備が出来る間、りせが和菓子の入った箱を開けて中身を取り出す。
 中から出てきた和菓子の彩りの鮮やかさに感嘆の声を上げながら、りせがシズにどの和菓子が食べたいかを訊ねる。
 シズはりせ達が先に選ぶと良いと答えると、『おばあちゃんの為に先輩達が買ってきてくれたのだからと』、りせが返す。


 それならばと、シズは栗の餡をそぼろ状に細工した落ち着いた色合いの『錦秋』という和菓子を選ぶ。
 続いてりせが『洛北』という、ザラメで黒餡を包んで焼き上げたカリっとした食感が楽しめる和菓子を選ぶ。
 菜々子が選んだのは和風カステラと言った感じの『浮橋』という上は小豆で下が抹茶の層で出来ている和菓子だ。
 最後に鏡が選んだのは『菊慈童』という粒あんを芯に、つくね芋と白小豆の餡で包んだ淡い黄色の素朴な見た目が特徴だ。


 和菓子に合うようにと、シズが少し濃いめに淹れたお茶を皆の前に置き、菜々子には苦かったら薄められるようにと白湯も一緒に出す。
 皆で『いただきます』と唱和して和菓子を一口食べる。
 少し濃いめに淹れたお茶が和菓子の甘さを引き立たせ、それぞれが和菓子の美味しさに表情を綻ばせる。

「和菓子、美味しいね」

 菜々子が嬉しそうにそう話すが、その表情はお茶の苦さで少し曇りがちで我慢しているようにも見える。

「菜々子ちゃん、その白湯を私に少し分けてくれるかな? 私にはちょっと苦いみたい」

 そう言って鏡が菜々子に声を掛けると、快く菜々子が鏡に白湯の入った急須を差し出す。
 お礼を言ってお茶を薄めた鏡が菜々子も薄めるか訊ねると頷いたので、菜々子の湯飲みに鏡が白湯を注ぐ。
 そんな二人の様子をシズが目を細めて微笑ましそうに眺めている。

「二人とも、本当に仲が良くてちょっと焼けちゃうな」

 りせが冗談めかしてそんな言葉を二人に掛ける。
 そんなりせに菜々子が自分の和菓子を一口分とり、『りせお姉ちゃん、あ~ん』と言って、りせの口元へと差し出す。
 菜々子の行動にちょっと恥ずかしそうな表情を見せながらも、しっかりとりせは差し出された和菓子を食べる。
 りせも菜々子と同じように自身の和菓子を一口分とって菜々子へと差し出す。
 差し出された和菓子を嬉しそうに食べた菜々子が、表情を綻ばせてりせの和菓子も美味しいねと話す。


 のんびりと和菓子を味わいながら、他愛のない世間話に花を咲かせる。
 シズも楽しそうにしているりせの姿に自身も楽しそうに過ごしているようだ。
 楽しい時間も過ぎ、そろそろ帰る時間となったので、鏡達は今晩の食材である豆腐を持って丸久豆腐店を後にする。


 帰宅して、菜々子が普段着に着替えるの待ってから麻婆豆腐を作り始める。
 先日作った味噌汁もまだ残っているので、そちらは軽く暖めておくに留める。
 麻婆豆腐は木綿豆腐に挽肉、白ネギ、ニンニク、ショウガの他に茄子も加え、菜々子似合わせて辛さは抑えめに作る。
 挽肉は肉から出る油が透明になるまで炒め、ソースを二、三回かき混ぜた後はそのままじっくりと煮込む。
 水溶き片栗粉でとろみを付けてからごま油を入れ再加熱し、とろみが中途半端につかないように気を配る。

「ただいま」

 晩ご飯の支度が出来る頃に合わせて遼太郎が帰宅してきた。
 タイミング良く遼太郎が帰宅してきたので、鏡は遼太郎の分の麻婆豆腐を器によそう。
 花椒は好みに合わせて使うように別に用意してあり、遼太郎はこれを自分の麻婆豆腐に振り掛けている。
 遼太郎は麻婆豆腐をご飯に掛けて食べており、鏡と菜々子はそれぞれ別々に食べている。
 食卓を囲みながら、菜々子が今日あった事を遼太郎に話す。
 菜々子の言葉に遼太郎が頷きながら、先方が喜んでくれて良かったなと相槌を打つ。


 食事を終え、シズの手伝いで疲れている菜々子をお風呂へと入れて寝かし付ける。
 鏡自身も翌日に備え、遼太郎にお休みなさいと挨拶をしてから自室へと戻る。
 布団を敷き、休もうかとしたところで携帯電話の呼び出し音が鳴り響く。
 ディスプレイを確認すると登録していない相手からで、誰からだろうと思いつつも通話状態にする。

「はい、神楽です」

『夜分に済みません、白鐘ですが……鏡さんですか?』

 そう言って遠慮がちに聞こえてきた声は直斗のものだった。
 雪子達に送ってもらった際に、鏡の携帯番号を聞いたのだと直斗は説明する。

『遅くなりましたが、先日は助けていただいてありがとうございました』

 そう言って、直斗が鏡にテレビの中から助け出してくれた事への礼を述べる。
 感謝の言葉に鏡は気にしないでと返し、体調の方はどうかと直斗へと訊ねる。
 直斗の説明によると、連休中にしっかり休養した事もあり、明日から復学するとの事だ。

『その事について、鏡さんにお願いがあるのですが……』

 遠慮がちな直斗の申し出に、鏡は自身が出来る事ならと返す。
 その言葉に安堵した様子で直斗が『ありがとうございます』とお礼を述べ、鏡に対してある頼み事を行う。




 翌朝。
 通学中の陽介は、前方を歩く雪子と千枝の姿を見付けると、駆け寄って声を掛ける。

「二人とも、おはようさん!」

 陽介の挨拶に雪子と千枝がそれぞれ挨拶を返すと、陽介が直斗の様子について訊ねる。
 雪子が今日から登校してくる予定だったはずだと説明すると、半分呆れた様子で陽介が感心している。
 直斗同様に、向こう側から救出された雪子達が復学してくるまで、あるていどの時間が掛かった事に比べると、直斗の復帰は早い。
 事件捜査に携わっている関係上、身体を鍛えているからかも知れないが、それでも回復が早すぎるようにも思える。
 無理をしていなければ良いのだけれどと雪子が心配するが、流石にそこまで無茶はしていないだろうと千枝が返す。

「先輩達、おはよう!」

「……チーッス」

 そんな事を話していると、背後からりせと完二が陽介達に声を掛けてくる。
 りせはいつも通りの様子なのに対し、完二は少し落ち込んでいるように見える。
 その事を不審に思った陽介が理由を聞いてみる。

「もぉ~花村先輩、聞いてくださいよ。完二のヤツ、直斗の事が心配すぎてさっきからずっと、こんな調子なんですよ!」

「ルッセ! そんなんじゃねぇよ!!」

 必死に完二がりせの言葉を否定するも、その様子から完二が直斗の事を心配しているのが手に取るように伝わってくる。
 陽介がそんな完二に『そんな様子じゃ、説得力ねえじゃんか』とからかうと、完二が狼狽する。

「おはよう、皆。朝から騒がしいけれど、どうかしたの?」

「おはようさん! 聞いてくれよ姉御、完二のヤツが……さ」

 遅れてやって来て陽介達に声を掛けてきた鏡へと振り返り、話し掛けた陽介の言葉が途中で止まる。
 鏡の隣に、見慣れない小柄な女生徒の姿があった。
 いや、正確には見慣れないどころか見知った顔だ。
 その姿がただ、記憶にある姿と掛け離れているために、目の前の人物と情報が一致しないのだ。

「……まさか、直斗、なの?」

 りせが唖然とした様子で訊ねる。

「改めて、この間はありがとうございました」

「いいって。つかお前、その制服……」

 直斗のお礼に陽介がそう答えるも、どう反応したら良いのか解らないといった様子だ。
 それは陽介だけでなく鏡以外の面々にも言える事で、皆の視線が直斗の一部に集中している。

「で、デケェ……」

 完二の呆然とした声に陽介が無意識に頷いて同意する。
 それは女性陣、特に千枝に衝撃を与えたらしく、直斗と自身の胸を呆然と見比べていた。

「……今までどうやって、そんな大きな胸を誤魔化していたのよ?」

 りせが同じく唖然とした様子で直斗に訊ねる。
 その質問に直斗が恥ずかしそうに顔を赤らめて、特製のコルセットを使って締め付けていた事を説明する。
 直斗の説明で、男装していた時と比べてウエストが細くなっている事に雪子が気付く。
 どうやら胸を締め付けると同時に、ウエスト部分に厚みを持たせて体型を誤魔化していたようだ。

「でも、急にどうしたの?」

「鏡さんにも説明しましたが、自分自身の性別も含めて、全てを受け入れようと思ったんです」

 雪子の質問に直斗がそう答える。
 もう一人との自分との対話や鏡の存在が、本当の自分を受け入れて最初の一歩を踏み出す切っ掛けになったと、直斗は話す。
 そんな直斗の言葉を聞きながらも、男性陣の視線が直斗の胸に釘付けになっており、その視線に気付いた直斗が鞄で胸を隠す。

「……その、あまりそうやってジロジロと見られると、流石に恥ずかしいというか」

 そう言って鞄で胸を隠しながら、頬を赤くした直斗が鏡の背に隠れるように移動する。

「……ヤベェ。色々と反則だろ、それ……」

 陽介の言葉に完二が鼻を押さえながら同意する。
 どうやら鼻血を出したらしく、その姿にりせが呆れた様子を見せている。

「……確かに、直斗君の今の姿を見たら、学校中が大騒ぎになりそうだよね」

 唖然とした様子で話す千枝の言葉は、すぐに現実のものとなる。
 その日、女子の制服を着て登校してきた直斗の姿に、八十神高校が騒然となったのだった。




2011年11月30日 初投稿



[26454] 光明
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2011/12/15 06:10
――――これまでは見えなかった犯人の影

       その犯人に繋がる僅かな糸口

   今はまだ、すぐに切れてしまいそうな細いモノだが

     ようやくその手掛かりが得られたのだ……




 直斗が女生徒姿で登校したその日。
 かつて無いほどの騒動が八十神高校に訪れた。
 本来の性別が女性であった事もそうだが、何よりもこれまでとの外見の違いが一番の要因と思われる。
 男装時に特注のコルセットで誤魔化していた体型との差異が、多くの男子生徒の視線を一点に集中させる結果となっていた。
 探偵として人に注目される事には慣れていた直斗だったが、流石に自身を女として見る視線には戸惑いを隠せないようだ。
 登校時の陽介と完二の視線だけでも、かなりの羞恥を覚えたのだ。
 学校に着いてからの男子生徒による好奇の視線には、流石の直斗もどう対処すればいいのか戸惑うばかりだった。


 そんな直斗に救いの手を差し伸べたのは、同じクラスの女生徒達だった。
 他の生徒達と同様に彼女達も直斗の姿に驚いてはいたが、男子生徒達の好奇な視線に晒される直斗の戸惑う姿が琴線に触れたようだ。
 これまで周りに対して我関せずと泰然としていた直斗が、どうして良いか解らず戸惑う姿が可愛いと映ったのだ。

「ちょっと、男子! いつまでヤラシイ目で直斗君を見てんのよ!!」

 男子生徒達の視線から庇うように女生徒達が直斗を囲んで抗議する。
 初めの内は言い返していた男子生徒達だったが、あまりの剣幕に押され気味になり、最終的には押し切られる形となった。
 目の前の出来事に呆気に取られた直斗に対し、女生徒達は直斗の味方だからと好意的な視線を向ける。

「……ありがとう」

 頬を僅かに赤くしてお礼を述べる直斗の姿に、女生徒達の間から黄色い歓声が上がる。
 可愛いと言った歓声の中、『私、直斗君だったら道を踏み外しても良いかも……』と僅かながらも怪しげな言葉が交じっている。
 もっとも、それは直斗の耳には届かなかったようだが……


 直斗は女生徒達に囲まれながら今朝方、鏡に言われた言葉を思い出す。
 女子の制服を着て登校する事に心許なさを感じた直斗は、鏡に頼んで今朝は一緒に登校して貰ったのだ。

『直斗、もっと周りと関わってみても良いんじゃないかな?』

 そう言って、直斗が女子の制服を着て登校して騒ぎになった時、直斗を守ってくれるのは同じクラスの女子達だからと鏡は言葉を続けた。
 鏡の言ったとおり、自身に対して向けられる男子生徒達の好奇な視線から守ってくれたのはクラスメイトの女子達だ。
 学年が違う鏡は元より、他のクラスの完二やりせも今の自分を守る事は出来ない。
 これまでは自分一人の力で問題を解決してきた直斗だが、こういう風に誰かに頼るのも悪い事ではないと、今では素直に思う事が出来る。
 今後はもっと、積極的に他人と関わり合ってみようと直斗は思った。




――放課後

 ジュネスのフードコートに集まった鏡達は、直斗から自身が誘拐された時の状況を聞いていた。
 学校の屋上でも良かったのだが、直斗に対する野次馬が後を絶たなかったため、場所を変える事にしたのだ。

「初めに、チャイムが鳴ったんです」

 直斗の説明によると、自身宛に届いた宅配物を受け取った直後に誘拐されたのだという。
 誘拐に際して薬品を使われたため、犯人の顔を確認する事が出来なかった事も伝える。

「何てこった。運送業者の人間が犯人だったなんて」

「けれど、それなら誘拐されてすぐにテレビの中に入れられる事の説明がつくよね」

 陽介の言葉に雪子がそう答える。
 運送業者なら、テレビを車の中に入れて持ち運ぶ事が可能なので、誘拐してすぐにテレビの中に放り込む事は可能だろう。
 ようやく犯人に繋がる手掛かりが得られた事に喜ぶ陽介達に、直斗が待ったを掛ける。

「その事なのですが、犯人が本当に運送業者の人間なのか、確証が取れていないんです」

「どういう事?」

 直斗の言葉に鏡が事情を訊ねる。

「薬師寺さん。祖父の秘書をされている方なのですが、彼に僕が誘拐されて日に配達があったのかを確認して貰ったんです」

 その結果、直斗宛の配送記録は無いとの事だった。

「念のため、送り主の方へも問い合わせてみたのですが、僕宛に配送を頼んではいないとの事でした」

「つまり、真犯人は運送業者の人間を装った可能性があるって事か?」

 直斗の説明に陽介が問い掛ける。
 陽介の言葉に『まだ、どちらとも断定は出来ません』と直斗は答えると、情報がまだ足りない事を挙げる。

「ただ、状況を見ると、僕と皆さんの失踪体験は、真似る必要のないところまでよく似ている……」

 直斗以外の面々も、同じように誘拐された直後にテレビに放り込まれていると見て間違いはない。
 その事から考えると、犯人は同一人物と見て間違いは無いだろうと直斗は話す。
 ただし、単独犯なのか共犯者が居るのかがまだ判断が付かないとも直斗は付け加える。

「そっか、犯人は一人だけじゃないかも知れないんだね」

「て事は、モロキンを殺したっていう久保のヤツは、姉御の言ったとおり模倣犯だったって事か」

 千枝の言葉を次いで鏡が以前に指摘したことを陽介が挙げる。

「えぇ、本筋が証明できない内は厳密には確定しませんが……久保はやはり、真犯人の手口を真似て諸岡さんを殺したに過ぎません」

 直斗の言葉に、諸岡の時だけは例外だらけだった事を陽介が挙げる。
 その事に対して、直斗は久保が向こう側の事を何処で知ったのか、という謎が残ると返す。

「そう、それだ! あたしが引っ掛かってたの!」

 直斗の言葉に千枝が大きな声を上げる。
 不思議そうに皆が千枝へと視線を向けると、千枝は久保はテレビに入れるのに何故、同じ方法で諸岡を殺さなかったのかと疑問を述べる。
 その疑問に直斗が、真犯人ほど"向こうの世界"について理解をしていなかったのだろうと意見を述べる。
 自身がテレビの中へと出入りできるようになっても、それが殺人に利用できるとは考えつかない事がその根拠だ。
 それに加え、遺体の様子を知っただけでは、手口が"あの世界"絡みだと、解りようがない事も挙げる。
 確かに、鏡達もクマから説明を受けていないと今でも気付く事はなかっただろう。

「多分、久保は指名手配され、ギリギリまで追いつめられて初めて思いついたんでしょう。"体ごとテレビに入る"という選択を」

 そう言って、直斗は"霧の日にぶら下げる"という意味不明の状況も、アピールでも何でも無かったと言葉を続ける。

「全ては犯人から直接、聞き出すしかないって訳ね」

 直斗の言葉に鏡がそう呟く。
 その呟きに直斗が、今の自身は捜査から外された身であると、悔しそうに話す。
 それに加え、警察がこんな話にまともに取り合うとも思えない。
 直斗自身も実際に体験していなかったら取り合おうとも思わなかっただろう。

「て言うか、犯人が別に居るって自体、認めないんだろうな……テレビで記者会見とかやったのをひっくり返すのって、重たいからね……」

「僕が捜査から外された最大の理由も、その可能性を訴えたからだと思います」

 りせの言葉に直斗が同意する。
 警察としても、逮捕してしまった容疑者を易々とは覆す事は無いだろう。ましてや少年なのだ。
 その上、今回の逮捕で事件を終わりにしたいと警察内部は考えているのだ。
 直斗の説明に皆が驚く。

「犯人は他にいるかもって可能性、消えてないのに!?」

「クソが……んなこったろうと思ったぜ。ま、ハナから信用しちゃいねえがな」

 驚く千枝とは違い、警察に対して好い感情を抱いていない完二はそう言って嫌悪感を顕わにする。
 完二自身にも原因があったとは言え、先入観だけで悪いと決めつけられていたのだから、当然といえば当然か。

「取り敢えず、真犯人はこれからも犯行を続けると見て間違いないでしょう」

 そう言った直斗は表情を曇らせると『次の動きがあるまで、今は様子を見るしかありませんが……』と言葉を続ける。
 確かに、現状ではマヨナカテレビに誰かが映らない限りはこちらとしても動きようがないのも事実だ。

「ただ、一つだけ気になる事があるんです」

「気になる事?」

 千枝の言葉に直斗は頷くと、自身が誘拐された時に犯人は自分を"助けるためには"こうするしかないと話していた事を告げる。
 とは言え、気を失う直前に聞いた言葉なので幻聴かも知れないがと、直斗は自信なさげに話す。

「そりゃ、おかしくねぇか? 向こう側に居たら命を落とす事は犯人も知っているはずだ。それが救うためって矛盾してねぇか?」

 直斗の言葉に陽介がそう返す。
 救うためならば、向こう側に放り込む事は逆効果にしかならない。

「それって、命を奪う事が救いだって犯人は考えているって訳?」

 直斗の聞いた言葉が事実だとしたら、千枝の指摘通り犯人にとって殺害が救いという事になる。

「けど、それだと山野アナ以降の誘拐は全部失敗している事になるよね?」

 雪子の指摘に陽介が頷き、それがどうかしたのかと雪子に訊ねる。

「思ったのだけど、それなら何で、もう一度私達を向こう側に送らないのかしら?」

「……雪子達が無事な事が、実は失敗じゃ無かった?」

 雪子の言葉を次いだ千枝の呟きに皆が驚く。

「えっ!? 何? あたし、何か変なこと言った?」

「本当に救おうとしていた可能性……か」

 千枝の言葉に直斗が考え込む。
 真犯人の目的が、本当に自分達を救う事だったとしたら。
 結果だけ見ると真犯人の目的は達成していると言えるだろう。
 実際は鏡達が救出してくれたからだが、真犯人がその事を知らなかったとしたら?

「結果だけ見て、向こう側に送り込む事が助ける事だと思っている?」

 直斗と同じ考えに至った鏡がそう呟く。
 鏡の呟きに直斗以外の面々が首を傾げる。
 不思議そうにしている陽介達に、直斗が真犯人は自分達の現住所を知っていて、向こう側から生還した事も知っているだろうと話す。
 その結果だけを見て、犯人が助ける事に成功したと考えているなら、自分達が再び誘拐されていない理由になると説明する。

「ちょっと待てよ。それじゃ、山野アナの事件と今までの事件が繋がらなくなるぞ?」

「そうですね。けれど、どちらにしても情報が足りなさすぎます。現時点で断定するのは、まだ時期尚早でしょうね」

 陽介の疑問に直斗がそう答える。
 現時点で解っている情報だけでは、これ以上の推論は無理のようだ。
 結局は、犯人が何らかの行動を起こさない限りは動きようが無いのだから。
 鏡達はこれまで通り、雨の日のマヨナカテレビを欠かさずチェックする事を確認し合う。

「話は変わりますが、明日の放課後、時間はありますか?」

 突然の質問に首を傾げる鏡達へ直斗がクマを医者に診せたいのだと言う。
 雪子が直斗の提案に『獣医さん?』と、真顔で返すと、直斗は困った様子で『一応、人間用です』と答える。

「クマ君が何者なのか、まずは普通に医者に診てもらうのが良いかなと」

 それと合わせて、自分達自身も調べてみた方が良いと思ったと直斗は言葉を続ける。
 首を傾げる陽介に、向こう側の霧やペルソナ能力が体に何かしらの影響を与えていないか、調べてみた方が良いと思った事も伝える。
 直斗の説明に陽介が僅かばかり怯えるも、その発想は無かったと直斗の指摘に感心する。
 確かに、これまでは影響らしきモノは無かったが、ちゃんと検査をした訳ではない。
 鏡達は直斗の申し出を受ける事にし、明日の放課後に病院で検査を受ける事にする。

「それと、これからテレビの中の世界へと行きませんか? ペルソナという能力も改めて見てみたいですし……」

「そうだな。直斗のペルソナがどんな能力を持っているのかを確認しておいた方が良いだろうな」

 直斗の申し出に陽介がそう返す。
 犯人が行動してからでは遅いので、鏡達は直斗のペルソナ能力を確認するために向こう側へと赴く。

「テレビの中に入る前に、ナオチャンにこれを渡しておくクマ」

 そう言って、クマは直斗用の眼鏡を取り出して手渡す。
 前もって説明を受けていた直斗は眼鏡を掛けてからテレビの中へと入る。

「これが、テレビの中……」

 眼鏡を通して初めて見たテレビの中の様子に、直斗が感嘆の声を上げる。
 以前は朧気にしか見えなかった様子がハッキリと見え、直斗は入り口広場にある手近な建造物に触れてみる。

「手触りもちゃんとしていて、気付かずにこちらの世界に来たら、ここがテレビの中だとは思えませんよね……」

 霧に包まれていること以外、この世界には違和感が無い。
 直斗の言う通り、知らずにこちらに来てしまったら、ここがテレビの中だと気付く事は出来ないだろう。 
 今回は直斗のペルソナ能力を確認する事が目的なので、あまりシャドウ達が手強くない場所で確認する事にする。


 選んだ場所は久保が居たゲームダンジョンで、ここならば手強くはないが弱すぎる事もないのが選んだ理由だ。

『先輩、久保が居た場所に強力なシャドウ反応があるよ!』

 ダンジョンに入ると、内部を索敵したりせからそんな連絡があった。
 以前、雪子のいた古城に後から現れた強力なシャドウと同じような存在だろうか?
 そのまま放置しておく訳にもいかないので、直斗の様子を見つつ可能ならば撃破する方向で探索を開始する。


 直斗のペルソナは光と闇系、そして万能系の攻撃スキルと単体と全体に対して大ダメージを与える物理スキルを持ったペルソナだった。
 物事をそつなくこなす直斗らしい万能型のペルソナだ。
 その反面、直斗自身に掛かる負担が大きく、回復手段を用意しないとすぐに疲れてしまうようだ。


 鏡達は直斗に過度の負担が掛からないように注意しつつ探索を進める。
 直斗も戦闘に慣れてきたようなので、狐に回復をしてもらってから強力なシャドウへと挑む事にする。

『先輩、負けちゃ駄目だからね!』

 待ち構えていたのは、このダンジョンで遭遇する巨大ロボットの姿をした、鋼鉄の巨兵に似たシャドウだ。
 ただし、醸し出す威圧感は鋼鉄の巨兵とは比べものにならないので、見た目で強さを判断するのは禁物だろう。


 いつも通り、鏡が相手の防御力を下げてから皆で攻撃を仕掛ける。
 このシャドウも物理攻撃に耐性を持っているが、魔法には耐性が無い事がりせの解析で判明したため、魔法主体で攻撃をしていく。
 直斗は魔法よりも物理攻撃の方が威力がありそうなので【五月雨斬り】で攻撃を仕掛け、低下した体力は鏡達が都度、回復していく。

「来い、スクナヒコナ!」

 幾度目かの攻防で、スクナヒコナの攻撃を受けたシャドウがダウンする。

「敵は総崩れです! 仕掛けましょう!」

 この機を逃さず、鏡達は総攻撃を仕掛ける。
 鏡達もこれまでの戦いで成長しているため、危なげなく戦う事が出来ている。
 このシャドウは直接攻撃以外にも、状態異常などの搦め手も使ってくる。
 油断さえしなければ、今の鏡達にはさしたる脅威にならないが、初めて訪れた時ならば苦戦を強いられた事だろう。
 総攻撃を受けて弱った所をスクナヒコナの【五月雨斬り】が決め手となり、シャドウが消滅する。


 シャドウを倒した後で闘技場を見渡してみると、奥にある骸骨の飾りに見慣れない剣が突き立っていた。
 青銅色をした柄拵えの両刃の剣で、見た目はどこかのゲームにでも出てきそうなデザインだ。
 調べてみると、鏡が今装備している物よりも切れ味が良く、希に全ての状態異常を攻撃した相手へと与える事が出来るようだ。
 だいだら.で新しい装備を作ってもらうまでの間、鏡はこれを装備する事にする。
 そう言えば、直斗を救出した際に入手したシャドウの素材をまだだいだら.に持ち込んでいない事を思い出す。


 資金繰りと装備充実を兼ねてだいだら.へと素材を持ち込んだ方が良いだろうと、それぞれが分担して素材を持ち込む事にする。
 いつものように鏡が晩ご飯の食材を購入する間、陽介達はフードコートで軽くスナックフードを食べながら鏡の帰りを待つ。

「そう言えば、鏡さんはいつもジュネスで買い物をしているのですか?」

 ふと気になった事を直斗が陽介達に訊ねる。

「毎日って訳じゃないが、晩ご飯の食材は大体ジュネスで購入しているんじゃないか?」

「お豆腐とかは帰りにウチに寄って買っていってくれているよ」

 直斗の質問に陽介とりせがそれぞれ答える。
 基本的に、鏡は出来合いの物を買って済ませるのでなく自炊を好んでいるため、まとめ買いをしない時は毎回ジュネスで購入している。
 どれだけ忙しくても欠かす事なく続けている鏡に、陽介達は真似が出来ないと思っている。

「そう言えば鏡って料理に関しては結構、厳しいところがあるよね」

 林間学校の時を思い出した千枝の言葉に雪子が無言で頷く。
 心なしか二人の表情が緊張した面持ちを見せているのは、あの時の鏡の行動がトラウマになっているのか知れない。
 当時の事を知らない直斗やりせは千枝と雪子の様子に首を傾げる。

「おまたせ、何を話していたの?」

 他愛ない話を続けていると、買い物を済ませた鏡が戻ってきた。
 手にした買い物袋には野菜が多く入っており、魚と挽肉も入っているようだ。

「姉御は毎日、家のご飯を作っていて凄いなってな」

 おどけたように話す陽介に、鏡はいつもやっている事だから慣れの問題だと返す。
 それに、自分一人でなく菜々子も手伝ってくれるので、一緒に調理をするのが楽しいと表情を綻ばせる。

「先輩と菜々子ちゃんって、本当に仲が良いよね。いいなぁ……」

 鏡の説明に、りせが羨ましそうに呟く。
 りせの言葉に雪子も『二人は本当の姉妹のようね』と思っている事を述べる。

「今から姉御が鍛えてりゃ、菜々子ちゃんは将来良いお嫁さんになれそうだな」

「花村、だからって菜々子ちゃんに今から手を出したら、犯罪だかんね」

「アホか、お前は!」

 感心したように話す陽介に千枝がそう言って陽介をからかう。
 陽介はからかわれている事を理解しつつも、千枝の指摘に速攻で突っ込みを入れる。

「冗談はそれくらいにして、そろそろ移動しない?」

 雪子がそう言って、だいだら.へ移動しようと提案する。
 確かに、ここでずっと話している訳にもいかないので、鏡達はだいだら.へと向かうことにする。


 だいだら.に到着して店内に入ると、いつものように親父が鏡達を出迎えてくれた。

「おう、お前達か。今日は買い物か? それとも、素材の持ち込みか?」

 親父の言葉に、鏡は素材の持ち込みだと話して持ち込んだ素材を親父に手渡す。

「お、これだけ素材があれば幾つかアートが作れるな」

 素材を受け取った親父はそう言うと、買い取った代金を鏡に支払い明日には仕上げておくと話す。
 鏡達は、明日以降に仕上がった装備を見に来ると親父に告げて店を出る。
 外に出た鏡達はそれぞれまた明日と別れを告げて帰路につく。

「おかえり! お姉ちゃん!」

 帰宅した鏡を菜々子が嬉しそうに出迎える。
 鏡は菜々子に『ただいま』と返すと買い物袋をテーブルに置いてから手を洗いに洗面所へと行く。
 その間に菜々子が買い物袋から食材を取り出し、調理の準備をする。

「お姉ちゃん、今日は何を作るの?」

 食材を見て訊ねる菜々子に、鏡は野菜の天ぷらと焼き魚、高野豆腐の炊き合わせにお吸い物を作るつもりだと答える。
 教えられた献立に挽肉を使う要素が見当たらないためで菜々子がその事を訊ねると、椎茸と合わせて使うのだと鏡が笑顔で説明する。
 買ってきた干し椎茸と高野豆腐を水で戻す間に焼き魚と天ぷらの準備を分担して行う。
 今日は焼き魚を菜々子が、天ぷらを鏡が担当する。


 自分用の包丁で、菜々子は器用に魚の切り身の厚い部分に切り込みを入れて、火の通りを良くする。
 並べた切り身に振り塩をほどこして、予熱しておいたグリルの焼き網に貼り付かないように薄くサラダ油を引いて焼き始める。
 今では、鏡が手伝わなくても最後まで作れるレシピが増えてきており、焼き魚もその内の一つだ。


 菜々子が焼き魚を仕上げている間に、鏡は天ぷらの具材と衣の準備を行う。
 天ぷらに使う具材はサツマイモに茄子、レンコンにマイタケ、大葉に長芋、椎茸だ。
 これらとは別にかき揚げ用ににんじん、ゴボウ、玉ねぎも用意する。
 具材はそれぞれ食べやすい大きさに切り、種類ごとに並べておく。 
 衣は心持ち緩めに作り揚げたときに衣がサックリとするように粘りが出ないように注意する。


 菜々子が焼き魚を仕上げるのに合わせて、加熱しておいた油に衣を一滴落として温度を確認し、低温で揚げていく具材から順に揚げ始める。
 一つ揚げる毎に油の温度を確認し、失敗しないように注意をしながら揚げていく。
 鏡が天ぷらを揚げている間、菜々子は高野豆腐の炊き合わせの調理に取り掛かる。
 二人仲良く並んで調理をする姿は本当の姉妹のようで、菜々子は鏡と一緒に調理をするのが楽しくて仕方がないと言った様子だ。


 手際よく調理を進め、全ての献立が仕上がる頃になって遼太郎が帰宅する。
 帰宅した遼太郎に二人は『お帰りなさいと』声を合わせると、晩ご飯の支度が出来ているので手を洗ってくるように遼太郎を促す。
 食卓を囲み、『いただきます』と唱和してからご飯を食べ始める。
 食事中、菜々子が学校であった事を二人に話すと、鏡も直斗が本来の姿で登校した事を話し、その事で学校が大騒ぎになった事を話す。
 鏡の話に遼太郎は、直斗が女性であった事を知り唖然とする一幕もあった。


 食事を終え、使った食器の片付けを済ませて菜々子と入浴している間、遼太郎は先ほど聞いた直斗の事を考える。
 ただでさえ鏡より一つ年下の子供だと思っていたところに女の子であったという事実を知り、遼太郎の胸中は複雑だ。
 これまでの実績があるので、性別を理由に事件に関わらせない事は出来ないが、もう少し無茶を控えて欲しいとも思う。
 遼太郎自身、昔気質な所があるので、荒事に女性が関わる事を良しとしない部分がある。
 元々、警察は男社会だ。だからこそ、直斗がこれまで男装していた事実に気付くと複雑な気分だ。
 ただでさえ年齢的な理由で軽んじられている所に、性別まで絡む事を危惧したのだろう。
 今さらながらに直斗が抱えていたモノに対して、遼太郎はそんな直斗に頼らざるをえない自分達の不甲斐なさを思い知る。




 翌日。
 放課後になってから稲羽市立病院へとやって来た鏡達は、それぞれ男女別になって検査を受ける事となった。
 検査といっても特別なものではなく、普通の健康診断と変わらないモノだった。
 完二は特撮ドラマ等で出てくる、仰々しい機械に乗って回されたりするのを期待していたと、拍子抜けした様子を見せている。
 そんな中でただ一人、クマだけが皆と違う結果を得る事となった。

「どういう事だ……?」

 担当の医師は手元にあるレントゲン写真を前に困惑を隠せずにいた。
 手元のレントゲン写真にはぼやけた像しか映らず、初めは機械の調子が悪いのかと撮影をやり直したのだが、結果は変わらず。
 五回目のやり直しを済ませた今、再撮影は断念する事に決定した。

「やはり、変わらずぼやけてますね」

 クマの付き添いで同席していた直斗が医師にそう話し掛ける。
 原因不明の現象に、医師は直斗に見た目と触診では異常はなかった事を伝える。
 機械が不調なだけかも知れないので、心配なら別の病院に行って調べてもらった方が良いだろうと医師は直斗に告げる。

「そうですか。ありがとうございました」

「ありがとうクマ」

 これ以上は調べようもないので、二人は医師にお礼を述べて診察室を後にする。
 先に診断を終わらせて待っていた鏡達に合流した直斗が、クマの診断結果を伝える。

「やっぱり、普通とは違うんだね」

 直斗の報告を聞いた雪子がそう感想を述べる。
 見た目は自分達と同じだが、こうして調べてみると違う存在なのだという事が浮き彫りになる結果だった。
 とはいえ、異常らしい異常は見受けられなかったので、その事については皆が安心出来る結果ではあった。

「けど、こいつもそうスけど、実際何なんスかね、ペルソナとか、シャドウとか……」

 完二の素朴な疑問に陽介が以前に図書館やネットで調べてみた事を話す。
 陽介が調べた結果ではペルソナとは別の人格みたいな意味で、関連ワードでシャドウとかもあったと話す。

「シャドウは、シャドウ……人間から出るもの、だと思う……えーとね、うまく、言えないんだけど……」

 陽介の言葉を否定するようにクマがそう話す。
 その言葉を次いで、直斗も自身で調べた事を鏡達に伝える。
 一般にペルソナやシャドウという単語は心理学用語なのだが、自身が知るものはそう言ったモノではない。
 直斗がたまたま入手した非公式な計画文書に、こう書かれていたそうだ。

「シャドウとは抑圧下の力であり、自我がそれを制御する事でペルソナともなる……」

「ペルソナ"とも"なる……? んだよ、根っこはおんなじモンってか?」

 直斗の説明に完二が呆れたように話すが、思い返すと受け入れたもう一人の自分がペルソナに変わったのだ。
 難しく考える事が苦手な完二は、邪魔するならぶっ潰すだけだと開き直る。
 ペルソナとシャドウが"あの世界"とどういう関係かあるかまでは掴めなかったと、直斗は残念そうに呟く。
 りせが自分の事なのに解らない事が多いねと話すと、突然クマの表情が明るくなる。

「クマはね、もっとイカしたデータを色々持ってんの」

 そう言ってクマは懐から書類の束を取り出して、得意気な表情を見せる。

「今のご時世、情報開示って大事ですよね。という事で、みんなの検査結果、ドッキドキ大発表クマーッ!」

 どうやらクマの持っている書類は鏡達全員の診断結果のようだ。
 クマの宣言に千枝は血相を変えると書類を取り返そうとクマに詰め寄る。
 詰め寄る千枝からクマは逃げつつ、結果内容を見て感心している。

「よし……どーせ発表するならな……スリーサイズ行け!」

 クマの様子を見ていた陽介がそう言って、クマをけしかける。

「はぁ!? バッッッカじゃないの!?」

 陽介の提案に、千枝が目付きを鋭くして睨み付ける。
 女性陣ではただ一人、りせだけがプロフィールを出しているので問題ないと涼しい顔だ。

「あ、胸だけ二センチサバ読んだけど。事務所に言われて」

 そんなりせと違い、雪子達はクマに公表されたく無いので必死に阻止しようとする。
 雪子達に注意が向いている隙を突いて、直斗が背後からクマの手元の書類を奪い取る。
 検査結果に問題が見つからなかったので、必要の無い書類を処分して来ると言って、直斗急いでその場を後にする。

「えーっと……まあ、みんな健康で何よりだな!」

「陽介……ちょっと皆で話し合いましょうか?」

 唖然とする陽介の背後から鏡が陽介の肩に手を掛けると、淡々とした声で話し掛ける。
 その声を合図に千枝と雪子も陽介を包囲するように近付き、逃げ道を防ぐ。

「あ、姉御。軽い冗談だって……」

「以前にも、軽挙妄動は慎んでって言ったよね?」

 感情の籠もらない鏡の声に、陽介の背に冷たい汗が流れる。
 明らかに拙い行動を取った事を自覚している陽介は、その場で三人に平謝りする。
 その様子を見ていたクマも、自分に飛び火しないように先手を打って鏡達に平謝りする。
 二人の必死な様子に鏡は溜息を一つ付くと次は無いからねと、二人に釘を刺す。
 陽介はその言葉に何度も頷くと、逃げるように病院の外へと移動する。

「……センセイ。結局、映んなかったクマね……クマの正体……なんなのかな……」

 陽介達が先に移動した後で、鏡を呼び止めたクマがポツリと呟く。
 さっきは明るく振る舞っていたが、レントゲンに映らなかった事をクマなりに気にしていたのだ。
 これからも"こちらの世界"で生きていく事に対して、クマには一つの問題がついて回る事になったのだ。


 それは、事故などで大怪我をした際に治療が受けられるか否か解らないという事。
 レントゲンに映らないという事は、骨折など何かしらの異常があっても発見する事が出来ず治療が施せないという可能性。
 ひょっとしたら、大怪我をしても自己治癒が出来るかも知れない。
 けれども、そうじゃなかった場合は?
 解らない事だらけの自身に対して、クマの不安は募る一方だ。

「大丈夫、クマは一人じゃないよ。私達が一緒に捜してあげるから、落ち込まないで」

「うん……ありがとう、センセイ……」

      我は汝……、汝は我……

      汝、絆の力を深めたり……


  絆を深めるは即ち、まことを知る一歩なり


   汝、"星"のペルソナを生み出せし時

     我ら、更なる力の祝福を与えん


 脳裏にいつもの声が響く。
 また一つ、暖かい力が心を満たすのを感じていると、先に移動していた陽介が鏡達に早く来ないと置いていくぞと声を掛けてくる。
 陽介の呼び声に、すぐに行くと答えた鏡はクマの方へと振り返ると、陽介達の所へ行こうと声を掛ける。
 クマは鏡へと頷くと、鏡と共に陽介達を追い掛ける。
 自身の事で謎が更に深まっただけだが、自分は決して独りではない。
 その思いが、クマの心の支えになるのだった。




2011年12月15日 初投稿



[26454] 父と子と
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2012/01/10 17:33
――――認める事が怖かった

    それを認める事で失うモノが

  今の自分を支えるモノだと信じていたモノ

 本当は、別のモノが自身を支えていたと気付かずに……




 検査を終えた帰り道。
 直斗から相談があると言われた鏡達はひとまず辰姫神社へと移動する。

「それで、相談って?」

 他に人が居ない事を確認して、陽介が直斗に話し掛ける。

「実は、犯人の事と“あちら側”の事を堂島さんに話して、協力を申し出てはどうかと思うのですが、どうでしょうか?」

「……どうでしょうかって、警察じゃ犯人を捕まえられないから、俺達で捕まえようってやって来たんじゃないか」

 直斗の申し出に、陽介が真っ先に反論する。
 犯人と同じく、“テレビの向こう側”に行く事が出来る自分達にしか事件を解決する事は出来ない。
 だからこそ、今まで自分達で頑張って来たのではなかったのか?

「えぇ。確かに、事件の犯人と同じ力を持つ僕達でないと、向こうの世界に被害者を救出しに行く事は出来ないでしょう」

 そう前置きをしてから、直斗は犯人が被害者を向こうの世界に“落としている”だけである事と、逮捕権がない事を挙げる。
 そして、犯人がこちらの世界で犯行に及んでいる為、逮捕権を持つ警察との協力関係が必要だとも直斗は訴える。

「確かに直斗の言う通り、私も叔父さんに協力を仰ぐ事が必要だと思ってた」

「ちょっ! 姉御までかよ!?」

 直斗の意見に同意する鏡に陽介が驚く。
 雪子達女性陣も陽介ほどでは無いが、鏡の言葉に驚きを見せる。
 驚く陽介達に鏡は以前、直斗の仲介で遼太郎達に本当の事を話して協力を取り付けようと話した事を挙げる。

「それに、私達は学校もあるから、前もって誘拐される人物が解っていても24時間見張る事なんて出来ない」

 完二が攫われた時に浮き彫りになった問題点。
 学生という立場上、昼夜問わずに狙われるであろう対象者を監視する事など出来ない。
 鏡の説明に、探偵である自身の方が遼太郎達に話を通しやすいと、鏡が判断したことを知る。
 確かに、自分の方が鏡達よりも事件解決の実績がある分、話を聞いてもらい易いと納得する。

「確かに僕の方が話を通しやすいとは思いますが、信頼してもらえるかを考えると、鏡さんも同席してもらった方が良いですね」

 話は聞いてもらえるが、信じてもらえるかどうかで言えば、家の事を任されている鏡の方が信じてもらえるだろう。
 その事を考え合わせると、遼太郎への事情説明は、鏡と直斗の二人で行うのが無難だという結果に辿り着く。

「けど鏡、どうやって堂島さんに説明をする気なの?」

「話しただけじゃ、堂島さんも信じてくれないかも知れないわね」

「んなの、テレビに手を突っ込めば一発じゃないッスか?」

 千枝と雪子の疑問に完二がそう話し、陽介も完二の意見に同意のようだ。
 りせは『完二にしては考えたじゃない』とからかうも、完二の提案で良いと思っているようだ。

「それだと少し説得力が足りないから、問題が一つあるけれど、実際に“向こう側”へ叔父さんを連れて行こうと思っているの」

「堂島さんのシャドウが現れてしまう可能性ですね?」

 鏡の懸念を直斗が指摘する。
 直斗の指摘に鏡は頷くと、実際に向こう側の商店街を見る方がより説得力があるからと説明する。
 ただし、向こう側に行く事によって、遼太郎の心の奥深くに押し込めた思いがシャドウとして現れる危険性が不安要素だとも話す。

「前もって説明しておけば動揺も少ないとは思うけれど、こればかりは大丈夫だという保証がどこにも無いわね」

 僅かに表情を曇らせて、鏡がそう言葉を締める。
 直斗も最悪、向こう側で遼太郎のシャドウと一戦を覚悟しておくべきだろうと意見を述べる。

「じゃ、俺ら全員でその場に居れば良いんじゃ無いか?」

「……出来れば叔父さんの押さえ込んでいた思いを、あまり聞かせたくないという思いもあるの」

 陽介の指摘に鏡がそう答える。
 自身の影と向き合うという事は、自分自身が一番見たくない姿を突きつけられる事だ。
 鏡の言葉に陽介達も自身が経験した状況を思い出し、表情を曇らせる。
 自分達と違い、遼太郎は一回り以上も年上の大人だ。
 そんな自分達に、心の奥底に押さえ込んでいた思いを聞かれるのは確かに酷だろう。

「それなら、私達はいつもの広場で待機してた方が良いんじゃないかな?」

「そっか、りせちゃんが鏡達の近くにシャドウの反応を感じたら、すぐに駆けつければ良いって事ね」

「だったらさ、あっちの総菜大学辺りで待ってれば良くねえか?」

 りせの提案に千枝と陽介がそれぞれ答える。

「それが一番、無難な所でしょうね」

 そう言って直斗が鏡の方へ視線を向けると、少し考えた鏡も頷きを返す。
 安全面とプライバシーを両立させるには、それしかないだろう。

「後はいつ堂島さんに話すか、だよね」

「明後日の秋分の日はどうでしょうか?」

 雪子の疑問に直斗が答える。
 時間が空いて何かあると問題なので、その日に遼太郎に説明する事に決める。
 問題は遼太郎の都合が付くかなのだが、その辺りは直斗から連絡を入れる事で対処が可能だろう。

「ナナちゃんは独りで寂しくならないクマか?」

 今まで話に参加しなかったクマが鏡に訊ねる。
 せっかくの休日に菜々子独りで留守番させる事を不憫に思ったのだろう。
 鏡は少し考える素振りを見せると、クマに菜々子の相手をしてもらえないか訊ねてみる。
 クマはフードコートでの仕事があるため、その場に菜々子が居るのなら何とかすると答える。

「それなら、あたしが菜々子ちゃんの相手をするから、堂島さんの方は花村達に任せるよ」

 そう言って千枝が菜々子の面倒を見ると立候補する。
 雪子は家の手伝いがあるため途中で帰る事になるが、それまでの間なら千枝と一緒に菜々子の相手をすると話す。
 鏡は二人にお礼を述べると、菜々子の相手を三人に任せる事にして、クマに遼太郎用の眼鏡を用意して欲しいと頼む。
 クマは鏡の頼みに『任せるクマ!』と胸を張って引き受ける。

「それでは、堂島さんの方へは僕から連絡しますので、待ち合わせは家電コーナーで良いですか?」

 直斗の確認に鏡はそれで構わないと答える。
 菜々子の事があるので、鏡と千枝達はジュネスの入り口で待ち合わせる事にする。
 予定も決まり時間もそろそろ遅くなったので、それぞれ帰宅する事にする。
 鏡は丸久豆腐店に寄って、豆腐と油揚げを買ってから帰宅する。




 遼太郎は書類整理を終えて、喫煙所で煙草に火を点けて一服しながら先ほどの電話の内容を思い出す。

(……事件に付いての新しい情報、か)

 先ほど直斗から掛かってきた内容は、事件について新しく解った事があるから、遼太郎個人に話したい事があると話していた。
 電話口では言えない事なのかと訊ねると、見せたいモノがあるからと答えられた。
 事件解決に繋がる物証でも見付けたのかも知れない。
 遼太郎は直斗の申し出を受ける事にしたが、通話を終える直前に言った直斗の一言が気になっていた。

『堂島さん個人にお知らせしたいので、足立刑事にも内密にお願いします』

(足立にも聞かせたくない事って、どんな内容だ?)

 吐き出した紫煙を眺め、遼太郎は煙草の火を灰皿でもみ消してから仕事へと戻る。
 直斗の話がどれくらい時間が掛かるのか解らないので、出来るだけ仕事を片付けておくことにする。

「堂島さん、まだ仕事を続けるんですか?」

 仕事に戻ろうとしている遼太郎を見付けた足立が話し掛ける。

「足立か。お前の方はもう上がりか?」

「えぇ、今日の分はさっき終わらせたので、そろそろ上がります。それじゃ、お先に」

「あぁ、お疲れ」

 挨拶をして帰宅する足立を見送ると、遼太郎は再び仕事に取り掛かる。
 今日の分は先ほど済ませたので、処理するのはそれ以外の書類だ。
 帰りが遅くなりそうなので、遼太郎は携帯電話を取り出すと、鏡へと帰宅が遅くなる旨のメールを送る。
 メールを送って暫くすると鏡から返信メールが届いたので、遼太郎は内容を確認する。
 内容は、晩ご飯のおかずと菜々子が学校からプリントをもらってきたので、帰宅したら確認して欲しいと書かれていた。
 鏡が来てから、家事だけでなく菜々子の面倒まで見てくれている。
 その姿はまるで、亡き妻の千里を思わせるかのように……

(結局、俺は鏡に千里の代わりを押し付けているだけなんだな……)

 鏡が居るお陰で、菜々子に寂しい思いをさせていない事を理由に、今まで以上に調べ事に専念している自身を自嘲する。
 来年になれば帰ってしまう鏡が居る間に、菜々子とちゃんと向き合わないと駄目だと理解はしているが、躊躇う自身を自覚する。
 何一つままならない状況にかぶりを振ると、気持ちを切り替えて遼太郎は仕事に専念する。




 秋分の日、当日。

 その日、鏡から千枝達とジュネスに行くことを告げられていた菜々子はご機嫌だった。
 特に何かをする訳ではないが、ジュネスに居るだけで楽しい菜々子には皆と一緒にジュネスに行けるだけでも嬉しいのだ。
 お気に入りの仔猫のぬいぐるみを持ち、瑞紀に貰った服を着た菜々子を連れ、鏡は待ち合わせ場所へと向かう。

「あ、鏡、菜々子ちゃん、お~っす!」

 待ち合わせ場所で先に来ていた千枝が鏡達に気付いて声を掛ける。
 一緒にいた雪子も遅れて二人に挨拶すると、鏡と菜々子も二人へと挨拶を返す。
 千枝と雪子は菜々子の新しい服に気付くとよく似合っていると褒め、その言葉に菜々子がはにかんだ笑みを浮かべる。

「センセイ達、遅れてすまないクマ!」

 鏡達が到着した少し後になってクマがやってくる。
 クマは千枝と雪子と同じように菜々子の服を褒め、以前に渡した仔猫のぬいぐるみを持ち歩いてくれた事を喜ぶ。

「菜々子ちゃん。お姉ちゃん、これから少し用事があるから、千枝達と一緒に居てもらえるかな?」

「うん、分かった。早く帰ってきてね?」

 菜々子の言葉に頷くと、千枝達に菜々子の事を頼むとその場を後にする。
 去り際にクマが鏡に何かを耳打ちしていたが、千枝と雪子に話し掛けられていた菜々子はそれに気付く事はなかった。


 鏡が家電売り場に到着すると、先に来ていた直斗が遼太郎と話しているところだった。
 遼太郎がどことなく唖然とした様子しているが、女の子の格好をしている直斗を前にしているのが原因だと思われる。

「鏡さん、お待ちしてました」

「鏡? どうしてお前がここに……」

 鏡に気付いた直斗が声を掛けると、遼太郎が訝しげな視線を鏡へと向ける。

「堂島さん。今回お話しする事には鏡さんも関わりがある事なので、来ていただきました」

「鏡、お前、やっぱり……」

 直斗の説明に、遼太郎がこれまで感じていた違和感に確信を持ち、鏡へと鋭い視線を向ける。

「叔父さん、詳しい話は後で。直斗、叔父さんに何処まで話を?」

「まだです。先に“向こう側”を見てもらおうと思いまして。それから、花村さん達には先に向こう側で待ってもらっています」

 二人の会話に遼太郎は怪訝な表情になると、どういう事か説明を求める。

「叔父さん、荒唐無稽な事ですが、驚かないで下さいね」

 そう言って、鏡は周りに人気がない事を確認すると、おもむろに展示されているテレビに手を伸ばす。

「何ッ!?」

 遼太郎は目の前で起こった出来事に驚愕する。
 鏡の手があり得ない事にテレビの画面に突き刺さっており、画面に波紋が浮かんでいる。
 驚くなとは言われたが、目の前の現象に驚くなと言う方が無理な話だ。

「叔父さん、手を」

 そう言って、差しのばされた鏡の手に遼太郎が疑問の表情を浮かべると、直斗へと視線を向ける。
 直斗は遼太郎に鏡の手を取るように伝えると、自身もテレビに手を突き入れる。
 遼太郎は言われた通りに鏡の手を取ると、鏡は遼太郎の手を引きテレビへと突き入れた手を更に奥へと進める。
 鏡に手を引かれ、テレビへと触れた自身の手がテレビに吸い込まれた事に驚く間もなく、遼太郎はテレビへと吸い込まれる。

「お、来たな」

 先に待っていた陽介が鏡達に声を掛ける。

「どこだ、ここは!?」

 霧に包まれたテレビスタジオのような場所に、遼太郎が驚愕の声を上げる。
 どうみてもジュネスの中でない不可思議な場所。
 視界の悪いそんな場所に、当然のようにいる陽介達に疑問を感じる余裕すらない。

「そうだ、姉御。これ、クマから預かってた堂島さんの眼鏡」

 そう言って、陽介がクマから預かっていた眼鏡を鏡に手渡すと、鏡はそれを遼太郎へと掛けるように言って手渡す。
 鏡達もそれぞれ形の違う眼鏡を掛けており、遼太郎も言われた通り眼鏡を掛ける。
 眼鏡を掛けると、それまで霧に覆われていた視界がクリアになり、その事に遼太郎は驚く。

「その眼鏡を掛けていると、こっちの世界の霧を見渡す事が出来ます」

 驚く遼太郎に、鏡が眼鏡の効用を説明する。
 眼鏡の説明をした後で、鏡は遼太郎へと頭を下げ、遼太郎にこれまで話さなかった事がある事を謝罪する。
 目の前の状況に半ば唖然としている遼太郎は、これまでの事件に鏡達が関わっていた事を察するも、文句を言う気にはなれなかった。
 こんな非常識な状況を話された所で、嘘をついているか、夢でも見ていたかのどちらかとしか思えなかっただろう。

「俺を呼んだって事は、全てを話す気になったんだろう? こんな状況、現物を見ない限りとても信用できる事じゃない」

 遼太郎の言葉に鏡は安堵の表情を浮かべると、始まりの場所である中央通り商店街へと遼太郎を案内する。
 道すがら、鏡はこの世界を知った切っ掛けになったマヨナカテレビの事、テレビの中で出会ったクマや早紀の事を説明する。
 早紀を助けたのが鏡だと知った遼太郎は、直斗の推理が正しかった事に驚くも、話の内容を理解する事で精一杯だった。


 テレビを使った殺人事件。
 直接の死因は、抑圧されたもう一人の自分自身によるもの等。
 とてもじゃないが、信じられない荒唐無稽な出来事ばかりだ。

「それで、抑圧された自身を制御する事によって“ペルソナ”? だっけか。戦うための力を手に入れたと言う訳だな」

「はい。私の場合だけ状況が違うのですが、陽介達は皆そうやってペルソナを得ています」

 遼太郎の確認に鏡が答える。
 これまでの調査で、山野真由美の死因だけはどうしても特定する事が出来なかったのだが、その理由が理解できた。
 このような非科学的な状況を証明する手段など、現状の警察どころか何処にもないだろう。
 実際、連れてこられたもう一つの中央通り商店街を自身の目で確認しても、夢ではないかと思えてしまう。

「じゃあ、姉御。俺達はここで待っているから」

 総菜大学前に辿り着いたところで、陽介が当初の予定通りここで鏡達を待つ事にする。
 鏡は陽介の言葉に頷くと、遼太郎を連れてコニシ酒店へと向かう。

「この中で、私達はクマと早紀先輩、そして、もう一人の早紀先輩を発見したんです」

「この中で、か……」

 異様な様相を見せてはいるが、自身が見知っている中央通り商店街と違わない姿に遼太郎は緊張を強める。
 そんな遼太郎に鏡は、遼太郎の抑圧された思いが実体化して現れるかも知れない事を注意する。

「先ほども説明しましたが、もう一人の自身は自分に否定される事によって、暴走して襲い掛かってきます」

「ですので、堂島さんには何が起こっても、もう一人の自分を否定する事だけは止めて貰いたいのです」

 鏡の説明を補足する形で、直斗が遼太郎に注意する。
 二人の言葉に遼太郎は頷くと、二人と共にコニシ酒店へと入る。


 店内は閑散としており人の気配は無く、所々に割れた酒瓶の欠片が散乱している。
 おそらく、先ほどの説明にあったもう一人の早紀にぶつけて破損した酒瓶の残骸なのだろう。

「本当に現実の商店街と同じなんだな……」

 目の前の状況に遼太郎は唖然としたのも束の間、周囲に対して警戒を強める。
 これまで培ってきた刑事としての経験が、遼太郎に異様な状況の中にあっても、いつでも行動に移れるように身構えさせる。

『何をそんなに警戒しているんだ?』

 どこからともなく聞こえてきた声に遼太郎は身構え、鏡と直斗はやはりといった表情を浮かべると、声の主へと視線を向ける。
 そこに立っていたのは金色の瞳をしたもう一人の遼太郎で、鏡達へと敵意の籠もった視線を向けている。

『まったく、だらしない。いつまでも見つからない手掛かりに執着して、現実から目を背けるつもりだ?』

 その言葉に遼太郎は身体を強ばらせると、反論しようとするが上手く言葉に出来ない。

『千里も辛かっただろうな……』

「何を、言って……!?」

 突然の言葉に、遼太郎の顔色が変わる。

『保育園に菜々子を迎えに行く途中に、ひき逃げにあった千里……痛かっただろうなぁ……寒かっただろうなぁ……』

 そんな遼太郎に構わず、もう一人の遼太郎が言葉を続ける。

『目撃者は無く、発見も遅れに遅れた。一人寂しく命の消えゆくまで、千里は何を想っていたんだろうな?』

「やめろ!」

 もう一人の自身の言葉に、遼太郎が反射的に叫ぶ。
 今でもハッキリと思い出す事が出来る。
 冷たく物言わぬ姿となった最愛の妻を前に、自身は必ず犯人を捕まえると心に誓った。

『菜々子を迎えに行きさえしなければ、千里は今でも俺の隣で笑っていてくれただろうに』

「違う……!」

 もう一人の自分の言葉を否定するも、言われた言葉を否定しきる事が出来ない。
 自分自身、その事を考えそうになったのだから……
 そんな遼太郎に、もう一人の遼太郎は更なる言葉の刃を振り下ろす。

『いや……菜々子さえ、菜々子さえ居なければ! 菜々子さえ居なければ、千里が死ぬ事なんて無かったんだ!!』

「もう、やめてくれ!!」

 心を抉る言葉を遮るように、遼太郎はもう一人の自分に殴りかかるも、その手を取られて綺麗に一本背負いを決められる。

『何を否定してやがる? お前自身も認めているんだろうが?』

「違う……、そんな事、俺は……!」

『何処が違う? 鏡を千里の代わりにして家の事を押し付け、ひき逃げ犯を追い続けているくせに』

 自身が思っていた事を告げられ、遼太郎は言葉を失う。
 確かに自分は、鏡に菜々子の事や家の事を押し付けてひき逃げ犯を追い続けている。
 手掛かりを掴むことも出来ず、それを認める事も諦める事も出来ずに、無様な姿をさらしている自分自身……
 認めたくない事実と体の痛みに、遼太郎の意識が遠のく。

「そんな事はない。叔父さんはちゃんと、菜々子ちゃんの事を気に掛けてくれている」

 もう一人の遼太郎の言葉を、鏡が否定する。

『……何?』

「確かに、叔父さんは刑事だから忙しくて、菜々子ちゃんとの時間が取れないけれど、決して菜々子ちゃんを見てない訳じゃない」

 不器用なりに、菜々子に対して向き合おうとしている遼太郎。
 その証拠に、ゴールデンウィークに家族旅行を行ったし、夏祭りにも参加してくれた。
 もう一人の遼太郎が言うように菜々子の存在を疎ましく思っていたら、そんな事はしないだろう。
 心に抱えていた不安や恐れがねじ曲げられて強調されているだけだろう。
 それは、これまでの事が証明してくれている。

「そんな事は私が言うまでもなく、叔父さん自身がよく解っている筈」

(……鏡)

 鏡の言葉に朦朧とした遼太郎の意識がハッキリとしてくる。
 先ほど鏡達から聞かされた説明を思い出す。
 もう一人の自身が話す事は、曲解されてはいるが自分自身の本心である事。
 それも、自覚している事でなく、心の奥底に閉じ込めた無意識の思い。
 認めたくない自分自身の姿に否定したくなるも、それを受け入れる事が唯一の正解だと、鏡達は説明したはずだ。

(自分自身を受け入れる……)

 これまで目を背けてきた事に、今こそ向き合うときが来たのだ。
 遼太郎は痛む体を無視して起きあがると、もう一人の自分へと向き合う。

「確かに、俺は菜々子を迎えに行かなければ、千里が死なずにすんだかも知れないと思いかけた事がある」

 自分自身を斬りつける告解。
 それは今まで目を背け続けてきた事への償い。

「けどな、菜々子が居てくれたからこそ、今の俺がある」

 言葉にする事で、遼太郎は自分の心を確認して形にしていく。
 これまでは千里への誓いが自身を支えていたと思っていたが、本当は違う。

「俺自身、鏡に甘えている事を自覚している。けどな、鏡が居てくれて菜々子も良く笑うようになった。その事には感謝しても足りないくらいだ」

 遼太郎の言葉に、もう一人の遼太郎が後ずさる。
 そんなもう一人の自分に、遼太郎は力の籠もった声を上げると、自分自身と向き合う。

「このままじゃ駄目な事も解っている。俺はもう菜々子から逃げる事はしない。ちゃんと向き合って生きていく」

 自分自身を本当に支えていたのは、他の誰でもない菜々子なのだ。
 遼太郎の宣言に、もう一人の遼太郎はかぶりを振り、その言葉を否定しようとする。

「お前は、これまでの俺だ。菜々子と向き合う事を恐れ、犯人を捕まえる事を口実に逃げ続けた、臆病な俺自身だ」

 遼太郎の力強い言葉にもう一人の遼太郎は頷くと、青い粒子となってその姿を変える。
 その姿は剣と天秤を持ち、結い上げた金髪に目隠しをした女神の姿だ。
 再び青い粒子となり、カードへと姿を変えると、そのまま遼太郎の体に吸い込まれるように消えていく。

「……これは?」

「それが、ペルソナです」

「これが……」

 鏡の言葉に、遼太郎は自身の身に宿したペルソナを思い浮かべる。
 もう一人の自分であり、困難に立ち向かうための心の鎧。
 にわかには信じられない事だが、自分自身がこの目で見た事だ。
 山野真由美がこの世界で命を落とし、現実世界に吊された状態で発見された。
 小西早紀を鏡が助けなかったら、第二の殺人事件として世間を騒がせただろう。


 久保美津雄はやはり模倣犯で、諸岡金四郎の事件にのみ関与していた事が解った。
 そして、犯人は未だ健在で、今後も事件が起こる可能性が高い。
 鏡の友人達も一歩間違えば最初の事件同様、死因不明の怪死事件となった事だろう。

「運送業者になりすました犯行か、運送業者が真犯人か……」

 直斗が自身の誘拐の際に知った事実を聞き、改めて最初の事件から洗い直す必要があると確信する。
 この世界に被害者を入れてしまえば、霧が出るのを待つだけで良い。
 聞けば、何も知らずにこちら側に来ると、自力で帰る事が出来ない場所なのだ。
 直接犯人が手を下す必要がない以上、事件関係者のアリバイもあてにならない。

「しかし、山野真由美の事件に関しては、行方不明になった翌日に死体が発見されている」

 遼太郎の言葉に鏡と直斗が顔を見合わせる。
 言われてみれば、確かに鏡が稲羽に来た日に行方不明になり、その翌日に早紀が遺体の第一発見者になったのだ。
 雪子達以降は運良く霧が出る日まで余裕があったが、間に合わなかった可能性もあったのだ。
 その事実に、鏡と直斗は自分達の運が良かっただけなのだと気付く。

「運送業者に関しては俺の方で調べておく。お前達はこれまで通り状況を確認しつつ、何かあったら俺にも連絡しろ」

「やめろ、とは言わないのですか?」

「本音を言えば止めさせたいさ。けどな、こちらに誰かが放り込まれたら、お前達にしか救出する事が出来ないんだろう?」

 協力的な遼太郎の言葉に鏡が確認すると、遼太郎は本音を話しつつも鏡達の力が不可欠である事実を指摘する。
 今回の件で、自身もテレビの中に入れる力を手に入れたかも知れないが、自分一人でどうにか出来る事ではない。
 それに、力を得たばかりの自分などより、力の使い方に精通した鏡達の方が頼りになる。
 人命に関わる以上、自身の力だけでどうにかしようと考える事自体が間違っている。

「叔父さん、ありがとう」

 遼太郎の言葉に鏡がお礼を述べると、遼太郎は『決して、無理だけはするな』と念を押す。

「鏡さん、そろそろ引き上げましょう。あまり長くいると堂島さんの体調に影響が」

「そうだね。叔父さん、そろそろ戻りましょう。こちら側は長くいると、体力がかなり消耗しますから」

 直斗の言葉に鏡は頷くと、遼太郎に引き上げる事を提案する。
 遼太郎は、こちら側の事には不慣れなので、鏡達の言葉に従い引き上げる事にする。

「先輩、お帰りなさい。その様子だと大丈夫だったようだね」

 戻ってきた鏡達に、召喚していたヒミコを解除したりせが声を掛ける。
 ヒミコの姿に遼太郎は僅かに驚くも、ペルソナの実物を見て、今の状況が夢でない事を改めて認識する。

「それじゃ、帰るか」

 鏡から、遼太郎への説明が無事に済んだ事を聞かされた陽介がそう言って、元の世界に戻ろうと声を掛ける。
 遼太郎に、広場に置いてあるテレビを通り元の世界に帰れる事を説明した鏡が、遼太郎の目の前で元の世界へと戻る。

「堂島さん、お先にどうぞ」

 直斗が鏡に続いて元の世界へと戻るように促すと、遼太郎は頷きテレビに手を入れる。
 テレビに吸い込まれるような感覚が遼太郎を包むと、目の前の景色が歪んでいく。
 気が付くと、ジュネスの家電売り場に戻ってこれた遼太郎が、周りの様子を確認する。
 相変わらず人通りの少ない家電売り場には、向こう側から戻ってきた鏡達しか居ない。

「こんな非常識な事があったのに、誰にも気付かれないものなんだな……」

 呆れたように呟く遼太郎に、鏡達はそれぞれ複雑な表情を見せ返す言葉に困っている。

「ま、人目に触れて騒ぎになるよりかはマシか」

 遼太郎はそう言って、自身を納得させると時間を確認する。
 思ってたほど時間は進んでなかったが、そろそろ仕事に戻らないと拙そうだ。
 遼太郎は鏡達に仕事に戻る旨を伝えると、家電売り場を後にする。

「それで、姉御。堂島さんは俺達に協力してくれるって事で良いのか?」

「私達はこれまで通りにマヨナカテレビのチェックで、何かあったら叔父さんに連絡する事になったよ」

 陽介の質問に鏡はそう答えると、遼太郎が運送業者に付いて調べてくれる事になった事を伝える。
 警察の協力を得られた事によって、これまででは知り得なかった事も知る事が出来るかも知れない。
 これを機に、真犯人へと辿り着く手掛かりが得られれば良いのだが……

「そう言えば先輩、菜々子ちゃんを待たせたままじゃ拙いから、そろそろ合流しない?」

「そうだね、菜々子ちゃんも早く戻ってきてって言っていたから、菜々子ちゃん達と合流しましょうか」

 りせの言葉に鏡は頷くと、待ち合わせのフードコートへと向かう事にする。
 陽介はこれからバイトらしく、ここでいったん別れる事となる。
 鏡と一緒に菜々子達と合流するのは、りせに直斗、そして完二の三人だ。
 三人とも特に予定は入れていないと言っているが、菜々子の事を気遣ってスケジュールを空けていたのだろう。
 心の中で感謝の事場を述べると、鏡はりせ達と一緒に菜々子達へと合流する。

「お帰り、お姉ちゃん。りせお姉ちゃん達も一緒なんだね!」

 鏡と一緒にやって来たりせの姿を見付けた菜々子が、これ以上ないと言うほど嬉しい様子を見せる。
 菜々子の言葉にりせが手を振り挨拶すると、菜々子も笑顔で挨拶を返す。

「鏡、さっき菜々子ちゃんに聞いたんだけど、菜々子ちゃんの誕生日が来月の四日なんだって」

 千枝の言葉に鏡は菜々子に確認すると、菜々子は自身の誕生日が十月四日だと答える。

「だったら、菜々子ちゃんの誕生日には皆で祝わないとね」

 りせの提案に皆が賛成し、その日は堂島宅で菜々子の誕生日を祝う事に決める。
 誕生日プレゼントに何か欲しい物があるか訊ねてみるが、気を使ったのか、皆が祝ってくれるだけで良いと菜々子は答える。
 そんな菜々子の姿に千枝達はやるせない気持ちになる。
 歳の割に菜々子は周りに対しての気配りが出来るが、年相応に甘えてみても良いのにと皆が思う。

「それじゃ、バースデーケーキは腕によりを掛けないとね」

「ケーキ! お姉ちゃん、ケーキ作ってくれるの!?」

 菜々子が瞳を輝かせて鏡を見つめてくる。
 千枝達も鏡がケーキを作れる事に驚いているようだ。

「それじゃ、そろそろジュネスの中を見て回ろうっか?」

「ごめん。私、そろそろ行かなくちゃ。菜々子ちゃん、また今度ね」

 千枝の提案に、時間を確認した雪子が申し訳なさそうに答えると、旅館の手伝いにフードコートを後にする。
 雪子が帰った後で、鏡達はジュネスの店内を見て回ることにする。
 仕事を終えたクマも後から合流し、今は菜々子と一緒に商品を見ている。

「ね、鏡。菜々子ちゃんの誕生日プレゼントだけど」

 菜々子に気付かれないように千枝が鏡に話し掛けてくる。
 自分達に気を遣った事を感じた千枝は、菜々子に内緒でプレゼントを渡したいと考えているようだ。
 鏡も千枝と同じ事を思っていたので後日、皆で改めて菜々子に渡すプレゼントを選ぼうと取り決める。
 その日は一日、ジュネスを見て回った鏡達は終始楽しそうにしていた菜々子の姿に、それぞれ笑みを浮かべていた。




「鏡、今ちょっと良いか?」

 菜々子を寝かし付けた鏡に、遼太郎が声を掛けてくる。
 二人は縁側に移動すると、遼太郎が鏡に話し掛ける。

「鏡、今日は情けない姿を見せちまったな」

 それは悔恨の言葉。
 千里の事を思うあまり、今生きている菜々子の事を放ったらかしにしていた自分。
 犯人を捕まえる事を逃げ道に、今に向き合わなかった自身の弱い心を鏡に吐露する。

「お前が来てくれて、菜々子も良く笑うようになった。俺だけなら、菜々子は今でも寂しい思いをし続けていただろう」

「叔父さん……」

「姉さんもきっと、そんな不甲斐ない俺を見越して、お前を寄越してくれたんだろうな」

 千里を亡くした当初、仕事が忙しく葬儀に参加できなかった姉、凜が電話越しに遼太郎へと言った言葉。
 居なくなった相手の事を想うのも構わないが、今生きている菜々子の事も同じように想ってやれと、姉は遼太郎に話していた。
 それなのに、自分は犯人を捕まえるとばかり考え、菜々子の事を蔑ろにし続けていた。
 刑事という職業柄、ただでさえ寂しい思いをさせていたにも拘わらずだ。

「菜々子には折を見て、千里の事を話そうと思う。俺だけじゃない。千里を亡くして、菜々子だって寂しかったんだ」

 遼太郎は向こう側でもう一人の自分に言った言葉を思い返す。
 菜々子と向き合う事。

「鏡が来て、ここも“家らしく”なってきた。何よりも取り戻したかったのに……何より避けてきた気がするな」

 そう言って、遼太郎は鏡の瞳を真っ直ぐに見つめると、『ありがとう』と感謝を述べる。

「お前が居てくれて、忘れていた大事なモノを思い出すことが出来た」

 これまで目を背けていた大切な事。
 思い出したその事に、遼太郎はこれからは二度と逃げずに向き合うと鏡に告げる。

      我は汝……、汝は我……

      汝、絆の力を深めたり……


  絆を深めるは即ち、まことを知る一歩なり


   汝、“法王”のペルソナを生み出せし時

     我ら、更なる力の祝福を与えん

 鏡の脳裏に声が響く。

「鏡。お前達が言っていた、犯人が運送業者になりすましている可能性だが、事件をもう一度最初から洗い直してみようと思う」

 遼太郎自身も引っ掛かる事があるらしく、その事を含めて、事件を最初から見直す必要を遼太郎も感じているようだ。

「こっちは俺の方で調べておくから、お前達も無理せずに出来る事をやってくれ。一緒に、事件を解決しよう」

「……叔父さん。ありがとうございます」

 鏡は、改めて言われた遼太郎の言葉に頷く。
 これまでは自分達で本当に犯人を捕まえる事が出来るか不安に思う事もあった。
 表だっては無理だとしても、遼太郎が手伝ってくれる事が鏡には嬉しく、心強く思える。
 鏡は思いを新たに、事件を解決出来るように頑張る事を心に誓う。




2012年01月10日 初投稿



[26454] 菜々子の誕生日
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2012/03/04 00:24
――――自身の弱さを認める事が出来た今こそ

 ちゃんと向き合い、伝えなければならないと思う

         例えそれが

   あの子を悲しませる結果になろうとも……





 遼太郎に秘密を打ち明けて数日が経った。
 最初の事件から調べ直しているため、新しい情報はまだ入ってこないが、遼太郎の協力を取り付けたのは大きい。
 新たな情報が入るまで、鏡達もこれといった動きは起こさず、地力を上げるために向こう側で修行を行うくらいしかない状況だ。

「そう言えば、そろそろ菜々子ちゃんの誕生日だよね」

 向こう側から戻ってきたところで、千枝がそう呟く。
 菜々子自身は誕生日を祝ってもらえるだけで嬉しいと言っていたが、やはりプレゼントを贈ってあげたいと思う。
 その思いは皆が共通しており、何を贈ろうかと皆で相談する。

「姉御、菜々子ちゃんが好きなモノとかって何か心当たりはないか?」

 陽介の質問に鏡は菜々子が好きなモノを思い返してみる。
 菜々子は嫌いなモノが少ないので、何を贈っても喜んでくれそうだが、ここ最近で何か気に入ったモノは無かっただろうか?

「あ、そう言えば……」

「何か思いついた?」

 雪子の質問に、同じテニス部の紫から、以前もらったマンガを菜々子に見せたところ、気に入っていた事を話す。
 それは確か……

「魔女探偵ラブリーンっていうマンガなんだけど」

「あ、それ知ってる。アニメにもなってる奴だよね?」

 りせの言葉に、直斗がキャラクターグッズが幾つか販売されている事を挙げると、陽介がおもちゃ売り場に幾つか商品がある事を伝える。
 取り敢えず、どんなモノがあるのか見てみようという事になり、鏡達はおもちゃ売り場へと移動する。


 おもちゃ売り場には陽介の言うとおり、いくつものラブリーン関連の商品が売られている。
 おもちゃではないが、ラブリーンの描かれた傘なども売っているようだ。

「何これ、高ッ!? 八千円もするの!?」

 値札を見た千枝が驚きの声を上げる。
 確かに、キャラクターのイラストが入っただけの傘にしてはかなりの高額だ。

「千枝、傘に小道具も付いた金額みたいだよ。ほら、サンプルが置いてある」

 そう言って、雪子が隣の棚に飾られているシルクハットを被り、モノクルを付けた犬をかたどった虫眼鏡を手に取ってみせる。
 手元のスイッチを押すことによって、記録されている劇中の台詞が流れる仕組みのようだ。

『蜂の巣にされたいか!』

 試しにスイッチを押したところ、渋い声で物騒な台詞が飛び出す。

「おいおい、これって子供向けのおもちゃだよな? 何でこんな物騒な台詞が飛び出すんだ?」

 陽介が呆れた表情で呟く。
 完二も同様に呆れた様子を見せているが、雪子は逆に気に入ったのか、スイッチを押して嬉しそうな様子で台詞を楽しんでいる。

「それだけでないようですね。傘に付いている方だけ劇中と同じく伸ばす事が出来るようですよ」

 説明書きを読んだ直斗がそう言うと、雪子から虫眼鏡を渡してもらい広い場所で横に振ると、虫眼鏡の持ち手が瞬時に伸びる。

『我が輩を太陽に翳すのだ!』

「へぇ、良くできていますね。ちゃんと音声も再現されるんだ……」

 雪子同様、直斗も感心した様子で虫眼鏡を元の状態へと戻す。
 どうやら単体で売られている商品とは異なり、内蔵されている音声やギミックの種類が豊富なため高額になっているのだろう。
 これは傘の値段と言うよりも、付属の虫眼鏡の単価と考えた方が良さそうだ。

「……直斗、お前やけに詳しいな」

「えっ? いや、そこにある説明を読んだだけですよ」

 完二の指摘に直斗が視線を泳がせる。

「さては直斗……お前、実は見てるんだろ? 意外と子供っぽいよな」

「えっ? 結構面白いよ、ラブリーン」

 直斗の様子を見て陽介がからかうと、意外な事に雪子が反論を返した。

「天城さん? まさか、毎週見ている口なんじゃ……」

「家の手伝いがあるから、録画して見てるけど、それがどうかしたの?」

 唖然とした様子で問い掛ける陽介に、不思議そうな表情で雪子が答える。

「そういや以前、雪子に進められて見た事があるけれど、ありゃ確かに雪子好みだわ……」

 雪子の答えに唖然とした様子を見せる陽介や完二とは違い、千枝がしみじみと呟く。

「だって、あの番組、主人公の魔法で毎回トラブルが起きるんだよ」

 そう言うと、雪子は内容を思い出したのか笑いを必死に堪えている。
 どうやら雪子の笑いのツボを刺激する番組のようだが、何処か外れた雪子の感性に千枝が呆れた様子を見せている。

「僕としては、突拍子もない謎の解明が不思議でつい……」

「なんだ。結局、直斗も見てるんじゃない」

 雪子の言葉を継いだ直斗に、りせが突っ込みを入れる。
 りせの指摘に直斗は顔を赤くすると、しどろもどろになる。
 普段の理路騒然とした様子しか見せない直斗の意外な一面に、鏡は表情を綻ばせる。

「あ、こっちにはラブリーン変身セットなんて物があるよ」

 他の商品を見ていた千枝が鏡達に声を掛ける。
 一種のコスプレ商品といった物で、これを着て虫眼鏡を持てばラブリーンになれるといった主旨の商品だ。
 他にはフェザーマンの変身セットと言う、類似商品も置かれている。

「なんつうか、最近のおもちゃは凝った物が多いんだな……」

 感心と呆れ半々といった様子で、陽介が他の商品を手にとって呟く。
 細かいギミックや凝った造形など、おもちゃと一言で片付けられないほど良くできている。
 その分、値段もそれなりにするのは仕方がないとしても、子供のおもちゃと侮れない出来映えだ。

「けど、姐さん。この変身セット、生地があまり良くないから、買うくらいなら俺が作るっスよ?」

 展示されている衣装を手に取った完二が鏡に話し掛ける。
 素人目には良く出来ているように見えても、完二の目から見ると仕立てが甘く見えるようだ。

「え? 完二、服とか作れるの!?」

 完二の言葉にりせが驚きの声を上げる。
 以前、巽屋で巾着袋を作っている姿を見ている鏡達はそうでもないが、りせからすると意外に見えたのだろう。

「どうせ意外だと思ったんだろうけどよ、見た目で人を判断すんのは良くねえぞ」

 驚くりせに対して完二は怒る素振りは見せず、逆にりせを窘める。
 それは、以前の完二だと見られない姿だ。
 鏡に指摘された事を完二なりに受け入れた結果なのだろう。


 林間学校以来、幾人かの女生徒が完二に話し掛けてくるようになった事も、完二にとって良い方向に影響したと思われる。
 社交的、とまではいかないが、それなりに上手くやっている事を、鏡は下級生の女生徒達から聞いて知っているのだ。
 林間学校以降、完二と上手く話すにはどうすれば良いのかを、下級生達からの相談に乗っていたのがその理由だ。

「以前、菜々子ちゃんと一緒に巾着袋の作り方を教わったのだけど、教えるのも凄く上手だったよ」

「や……ありゃ、姐さんや菜々子ちゃんの筋が良かっただけっスよ」

 鏡の褒め言葉に完二が慌てて訂正する。
 褒められる事に慣れていないせいか、完二は褒められると照れて挙動が怪しくなる事が多い。
 強面な見た目のせいで損をしている事の一つでもある。
 それでも、最近は親しい相手の前ではそれほどの挙動不審にならなくなっては来ているのだ。
 これも場数を踏んで慣れていくしか無いだろう。
 もっとも、一部の女生徒の間では、こういった完二の姿を『可愛い』と受け取っているようなので、どちらが良いか一概には言えない所だが。

「それじゃ、衣装の作成をお願いしても良いかな? 布代とかは出すから」

「いや、これは俺からのプレゼントって事で俺に任せて欲しいっスよ。ただ、出来れば服のサイズを教えて貰えたら助かるっス」

 鏡の申し出に完二はそう答える。

「だったら、ちょっと場所を移動しても良いかな? 菜々子ちゃんの服のサイズだったら、採寸して貰ったばかりだから」

 鏡はそう言うと皆の同意を得てから場所を移動する。

「鏡、採寸って以前、菜々子ちゃんの服を買いに行ったお店?」

 思い当たる節があったので、千枝が鏡に問い掛ける。
 千枝の問い掛けに鏡は頷くと、数日前に菜々子が新商品の広告撮影をした事を話す。
 その時に衣装の寸法直しのために菜々子の採寸をしたので、そちらで教えてもらった方が良いだろうと説明する。

「あら、いらっしゃい。今日はどうしたの?」

 鏡に気付いた瑞紀がそう言って店の中からやって来た。

「こんにちは、瑞紀さん。実は瑞紀さんにお願いがありまして」

 そう言って、鏡は瑞紀に菜々子の誕生日プレゼントの件を説明し、衣装を作るために採寸した菜々子のサイズを教えて欲しいとお願いする。
 鏡の説明に瑞紀は快く了承するとスタッフルームへと戻っていく。
 暫くして、大きめの封筒を持った瑞紀が戻ってきた。

「このままじゃ使えないけれど、メモと一緒に型紙も入れておいたから、少しは作業が楽になると思うわよ」

 そう言って手渡された封筒の中身を確認すると、確かにいくつもの型紙が入っていた。
 型紙が幾つもある理由を瑞紀に訊ねてみたところ、今度また菜々子にモデルの依頼をする機会があった時の為だそうだ。

「あ、そうそう。鏡ちゃん、広告が完成したから郵送しようと思っていたのだけど、今持って帰る?」

 その言葉に鏡は頷き、出来上がった広告を見せてもらう事にする。
 瑞紀から手渡された広告を、鏡は陽介達にも見せる。

「わ、菜々子ちゃん可愛い! これ、この前に菜々子ちゃんが着ていたヤツだよね?」

 出来上がった広告を見て、りせが感嘆の声を上げる。
 りせの言葉に雪子も『本当だ』と呟くと、瑞紀から貰った物だと鏡が説明する。
 鏡達のやりとりで、菜々子が渡した服を着てくれている事を知った瑞紀が嬉しそうな様子を見せている。
 やはり、服は大事に保管されるよりも着てもらった方が嬉しいのだろう。
 帰りに今度新しいのが出来たら、菜々子にモデルをお願いするから宜しくねと言われて鏡達は店を後にする。

「菜々子ちゃん、随分と気に入られたみたいだね」

 雪子の言葉に鏡は頷くと、遼太郎にモデルの件を伝えなくてはと話す。
 一端フードコートへと移動した鏡達は、軽く腹ごなしをしながら菜々子への誕生日プレゼントについて相談し合う。

「取り敢えず、これは叔父さんにも相談しないと駄目かもね」

 ある程度のプレゼントは絞れたが、虫眼鏡とセットの傘は金額が金額なので、遼太郎にも相談した方が良いと判断した鏡がそう呟く。

「だったら、いっその事、俺ら全員でお金を出し合って購入すれば良いんじゃないか?」

 鏡の呟きに陽介が提案する。
 個別に渡すプレゼントとは別に、皆でまとめてプレゼントを贈ったら駄目という訳じゃ無いからと言うのが陽介の言い分だ。
 陽介の言葉に鏡は少し考える素振りを見せる。

「それも悪くはないのだけど、叔父さんから個別のプレゼントを貰えたら、菜々子ちゃんが喜ぶんじゃないかなって思ったの」

 その説明に、陽介達は刑事という職業柄、菜々子にあまり構ってあげられない遼太郎の事を思う。
 不器用ながらも菜々子を大切にしている遼太郎が、今回の事を切っ掛けに、菜々子との距離を縮める事が出来れば。
 陽介達も鏡と同じ思いを抱く。
 父親である遼太郎個人からのプレゼントの方が、菜々子もきっと喜ぶだろう。
 鏡が居るとはいえ、菜々子は独りで留守番をする事が多い。
 そんな菜々子の事を遼太郎や鏡だけでなく、陽介達も大切だと思っているのだ。

「そっか。じゃ、堂島さんの返事待ちで、俺達もそれぞれ何か見繕うって方向で良いか?」

 陽介の提案に皆が頷くと、鏡は陽介に我が儘を言って済まないと謝る。
 しかし、陽介は鏡の言葉に『菜々子ちゃんが一番喜んでくれる事が大事だからさ』と笑って答える。
 千枝達も笑って『鏡は気を遣いすぎ』と、自分達も陽介と同じ意見である事を伝える。

「皆、ありがとう」

 千枝達の言葉に、鏡は笑みを浮かべてお礼を述べる。

      我は汝……、汝は我……

      汝、絆の力を深めたり……


  絆を深めるは即ち、まことを知る一歩なり


   汝、“愚者”のペルソナを生み出せし時

     我ら、更なる力の祝福を与えん

 何度も聞いた言葉と、その度に心を満たしていく力。
 陽介達個人との間に結ばれた絆もそうだが、こうして深まっていく絆の力が、鏡自身のペルソナの力へと繋がっていく。


 以前、イゴールが言っていた言葉を思い出す。
 ワイルドの力は空っぽに過ぎないが、無限の力を秘めている。
 その言葉が示す通り、他者との絆によって器が満たされ力を付けていっている。
 このまま絆を強めていき、器が満ちた時。
 自身のペルソナ能力はどのような変貌を遂げるのか?


 今さらながらに、鏡は自身のペルソナ能力の事について、深く考えてなかった事に気付く。
 事件を追い掛けていた事で、そこまで気が回らなかった部分もあるが、そのまま放置という訳にもいかない。
 今度、イゴール達に聞いてみようと鏡は決める。

「じゃ、クマのヤツには俺から言っておくから」

 そう言って、朝からバイトでここには居ないクマに、陽介が菜々子への誕生日プレゼントの事を連絡しておくと話す。
 ある程度の事は決まったので、後は遼太郎からの返事待ちという事で今日の所は解散する事にする。
 鏡はいつものように食材を買って帰る為、食品売り場へと移動する。
 衣装を作ると決めた完二も、生地の見繕いがあるからと急いで帰宅し、陽介はこれからバイトという事で鏡と共に食品売り場へと向かう。
 千枝と雪子はりせと直斗を伴って、菜々子に渡す個人的なプレゼントをもう少し見て回るそうだ。


 陽介の薦めで秋鮭ときのこの炊き込みご飯を作る事に決める。
 使用する秋鮭の切り身は陽介が薦めるだけあって、身もしまって弾力があり色つやも良い。
 鏡はその中から皮と身が離れていない物を選び、一緒に炊き込むきのこ類も良い物を選んでいく。
 おかずは出汁巻き卵にほうれん草のお浸し、豆腐とワカメの味噌汁の予定だ。
 豆腐はいつものように、丸久豆腐店に寄って購入する事にする。

「鏡ちゃん、いらっしゃい。りせと一緒じゃ無かったのかい?」

「今晩は、シズおばあちゃん。りせちゃんは千枝達と一緒に、菜々子ちゃんへの誕生日プレゼントを見て回っていますよ」

 出迎えてくれたシズの質問に答えた鏡は、木綿豆腐と絹ごし豆腐を購入する。

「鏡ちゃん、これを持ってお行き」

 買い物を済ませた鏡にシズはそう言うと、普段は売っていない豆乳を鏡に手渡す。
 驚く鏡にシズは『ちょっと早いけれど、菜々子ちゃんへの誕生日プレゼントだよ』と笑顔で説明する。
 りせが手伝ってくれるようになって、常連客にしか販売していない豆乳を手渡された鏡は、お礼を述べると店を後にする。




 帰宅した鏡を菜々子がいつものように笑顔で出迎える。
 鏡は菜々子に、シズから誕生日プレゼントに豆乳を貰ってきた事を伝えると、今度シチューかグラタンでも作ろうかと提案する。
 菜々子は鏡の提案に『シチューが良い!』とリクエストすると、誕生日会の時に作る事を約束する。
 手を洗い鏡は菜々子と晩ご飯の支度に取り掛かる。
 秋鮭は丁寧に骨を取り除き、一口大のそぎ切りにしておき、しめじは根本を切り落とし、まいたけと共に小房に分ける。
 えのきだけは根本を切り落として三等分にし、青ネギを小口切りにする。

「お姉ちゃん。木綿豆腐と絹ごし豆腐、両方使うの?」

「絹ごし豆腐は別のに使うから、木綿豆腐の方でお願いね」

 味噌汁を任された菜々子の質問に鏡はそう答えると、絹ごし豆腐を別の場所へと置き作業へと戻る。
 炊飯器に研いだ米と水を入れ、醤油と酒をそれぞれ大さじ一杯ずつ入れ、具を取り除いた松茸のお吸い物を香り付けに入れる。
 それらを混ぜた後に表面を平らにした上に秋鮭ときのこ、青ネギを乗せて炊き始める。


 菜々子が味噌汁を作っている間に、鏡は先にほうれん草のお浸しを作り始める。
 作り置きしてあるカツオ出汁と薄口醤油、みりんで浸し地を作ってから、ほうれん草を下ゆでし、色が悪くならないように冷水で冷ます。
 完全に冷めたところで軽く絞りまな板にのせ、食べやすい大きさに切ってからきつく絞ってバットに並べていく。
 並べ終えたところで浸し地を注ぎ入れ、菜箸で軽くほぐして味が染み込みやすくしてから冷蔵庫に入れる。


 ご飯が炊き上がるのとお浸しが出来る少し前に、味噌汁作り終えた菜々子が出汁巻き卵を作る。
 分量を量った薄口醤油、砂糖、カツオ出汁を卵と一緒に入れ、白身を切るように軽く混ぜる。
 卵焼き用のフライパンを熱し、やや多めにサラダ油を敷き、溶いた卵の大半を一気に流し込み、大きく混ぜる。
 半熟状態になったところで一度寄せ、卵焼きの形に整えて一度ひっくり返す。
 そこに残った卵を注いで、薄く衣状にして半熟状態の卵を巻いていく。


 菜々子が出汁巻き卵を仕上げている間に、鏡は炊き上がったご飯の秋鮭をほぐし、ご飯全体を軽く混ぜてから茶碗によそっていく。
 その後に冷蔵庫からほうれん草のお浸しを取り出し器に盛りつけてから残りの浸し地を掛ける。
 出汁巻き卵を切り分け、器に盛りつけた菜々子はおみそ汁を椀によそってそれぞれをちゃぶ台へと運ぶ。


 晩ご飯が出来上がったところで遼太郎が帰宅し、いつものように『いただきます』と唱和してから食事を摂る。

「そう言えばお姉ちゃん、あの絹ごし豆腐は何に使うの?」

 菜々子がふと疑問に思った事を鏡に訊ねる。
 鏡は菜々子に微笑むと、『後のお楽しみ』と答えてはぐらかす。
 食事を摂り終え、菜々子と食器を洗い終わった鏡は絹ごし豆腐の他に、メープルシロップ、レモン、片栗粉、グラノーラ取り出す。

「叔父さん、コーヒーを使わしてもらいますね」

「ん? 構わんが、コーヒーを飲むのなら淹れるのは俺の仕事だぞ?」

「いえ、飲むのではなくてグラノーラを浸してふやかすんです」

 遼太郎にそう答えた鏡は許可をもらい濃いめのブラックと少量の砂糖を加えた物の二つを作り、その中にグラノーラを浸す。
 コーヒーに浸してグラノーラがふやけるのを待つ間に、絹ごし豆腐とメープルシロップ、片栗粉、搾ったレモン果汁を小鍋に入れる。
 メープルシロップとレモン果汁はそれぞれ大さじ一で、片栗粉は小さじ三分の二。


 小鍋に入れた絹ごし豆腐をフォークで崩しながら混ぜ、ある程度に形が崩れたところで小鍋を火に掛け温めていく。
 木べらで練りながら加熱していき、軽く沸騰してきたところで火を止める。

「お姉ちゃん、これは?」

「豆腐で作ったティラミスだよ。お風呂から上がる頃には出来ると思うから、後で一緒に食べようね」

 不思議そうに訊ねる菜々子に鏡がそう答えると、瞳を輝かせた菜々子が嬉しそうに笑みを浮かべる。
 そんな菜々子に鏡は『作り方は簡単だから、今度は菜々子ちゃんも一緒に作ろうね』と、菜々子と約束を交わす。


 コーヒーでふやけたグラノーラの状態を確認した鏡は、ガラスコップに絹ごし豆腐、グラノーラの順で交互に入れていく。
 甘いのがそれほど好みでない遼太郎の分は濃いめのブラックコーヒーでふやかしたグラノーラだ。
 菜々子と自分の分と一目で分かるように、遼太郎の分は大きめの器に入れて作りあげる。
 容器に入れ終わり、粗熱が取れたところでラップをして冷蔵庫に入れる。


 出来上がるまだの間、鏡は菜々子と一緒にお風呂へと入る。
 いつものように菜々子からその日にあった出来事を聞きながら、ゆっくりと身体を温める。
 お風呂から上がると、湯冷めをしないように菜々子の髪を乾かしてから、自身の髪も乾かす。
 冷蔵庫に入れておいたティラミスの出来具合を確認し、頃合いだと判断するとココアパウダーを振り掛けて最後の仕上げを施す。

「思ったほど甘くなくて食べやすいな。知らずに食べたら、これが豆腐から出来ているとは思えないな」

「お姉ちゃん、美味しいよ!」

 豆腐ティラミスを食べた二人がそれぞれ感想を述べる。
 なめらかな舌触りと、クリームチーズや生クリームに勝るとも劣らないまろやかな味に二人からの評判は良さそうだ。
 多様な調理が出来る鏡に遼太郎が、作り方をよく知っていたなと感心すると、鏡は以前に読んだ雑誌に書いてあった事を話す。
 元々は母親の手解きで覚え始めた事だが、鏡の性に合っていたのだろう。
 今ではかなりの数のレパートリーになり、今なおその種類を増やしている。

「叔父さん。菜々子ちゃんの誕生日プレゼントの件で、お話があるのですが」

 デザートを食べ終えた後で使った食器を洗い、菜々子と歯磨きを済ませた鏡は、菜々子を寝かし付けた後で遼太郎に声を掛ける。
 遼太郎に今日の出来事を話し、特典付きのラブリーンの傘を菜々子への誕生日プレゼントにどうかと薦めてみる。

「お前には本当に気を遣わせてばかりだな……」

 鏡の申し出に遼太郎はそう言葉を零すと、財布から一万円札を取り出して鏡に手渡す。

「本当なら俺が買いに行くべきなんだが……すまんが、お前達の分と一緒に買ってきてくれ。あぁ、それと釣りは取っておけ」

 遼太郎の言葉に鏡はそう言うわけにはいかないと答えると、遼太郎はだったら誕生日会に使う食費に使ってくれと言い換える。
 その言葉から、どうあってもお釣りを受け取る気がない事を察した鏡は、有難く使わせてもらう事にする。
 鏡は遼太郎に『お休みなさい』と挨拶をすると自室へと戻り、陽介達にメールを送信する。
 メールは遼太郎がお金を出してくれて、特典付きの傘を購入する事を知らせる簡素な内容だ。


 メールを送信して少しすると、皆から了承の返事が返ってくる。
 内容を確認していると、携帯電話から着信音が鳴り響き、ディスプレイで相手を確認すると陽介からだった。
 鏡は携帯電話を通話状態にすると陽介にどうかしたのかと訊ねる。

『なぁ、姉御。小西先輩も、菜々子ちゃんの誕生日会に誘っても良いか?』

「それは構わないけれど、私の方から声を掛けた方が良い?」

『いや、俺が言い出したから、俺の方から小西先輩に話を通すわ』

 鏡の確認に、陽介はそう答える。
 陽介と早紀は、ジュネスと中央通り商店街が上手く共存できないかを模索しており、鏡もその手伝いをしている。
 その事もあって最近では、陽介も早紀とよく話すようになっている。
 菜々子も早紀に懐いている事もあり、早紀を招待する事も考えていた鏡は、早紀への対応を陽介に一任する事にする。
 その事を陽介に伝え通話を終えた鏡は、布団に入ると菜々子の誕生日会に作る料理の内容とケーキの事を考える。


 誕生日会の主役は菜々子なので、料理を菜々子に手伝って貰うわけにはいかない。
 その事を踏まえると、料理は帰宅してから作るとして、ケーキの方は学校の家庭科室を借りて作った方が良さそうだ。
 しかし、独りで全てを準備するには、少々厳しい状況なので雪子達に手伝って貰うことも視野に入れる。
 ケーキは本来ならば、オーソドックスな苺のケーキにしたいところなのだが、今の時期だと輸入物か割高の物しか手に入らない。
 他の果物も考えてはみたが、今の時期だと林檎以外は缶詰くらいしか無いので、チョコレート系のケーキにしようと考える。


 料理の方は菜々子との約束通り、シズから貰った豆乳シチューと千枝が肉好きなので、肉料理も献立に加える。
 雪子は千枝と違い、あまり肉を好まないので野菜を使った献立も加え、量が取れるようにパスタ料理をメインに献立を立てる。
 方向性が決まったところで鏡は眠りにつく。
 菜々子の誕生日会が楽しくなる事を願いながら。




 宿題を終えた早紀が一息ついていると、携帯電話から着信を告げる飛び出し音が鳴り響く。
 ディスプレイを確認すると相手は陽介からだったので、早紀は携帯電話を操作して通話状態にする。

「花ちゃん?」

『夜分にすんません。先輩、今時間、良いですか?』

「うん、構わないけれど、何?」

 早紀の質問に、陽介は菜々子の誕生日会が近々あるので、良かったら参加しないかという誘いだった。
 菜々子は早紀にとっても可愛い妹のような存在なので、その日は予定を開けておくと陽介に答える。

「ちょっと意外。てっきり、鏡ちゃんから連絡が来るかと思ったけど」

『あぁ、俺の方から先輩に連絡するって言ったから』

「そうなんだ? わざわざありがとうね、花ちゃん」

 陽介の言葉に早紀はお礼を述べると、陽介は『大した事はしていないと』照れたように答える。
 通話を終え、菜々子が魔女探偵ラブリーンが好きだと聞いた早紀は劇中でラブリーンが付けているリボンを作ろうと考える。
 丁度、原作コミックは早紀も所持しているので資料には困らない。
 早紀は本棚からコミックを取り出すと、リボンの柄などを選び必要になるリボンの寸法などを決めていく。




 菜々子の誕生日、当日。
 家庭科室を使う許可を取った鏡は昼休みと放課後を利用して、菜々子のバースデーケーキを仕上げる。
 意外な事に、鏡のケーキ作りを手伝ったのは完二だった。
 元々、手先が器用な完二は料理も出来るらしく、鏡の指示に従い手際よく作業をこなしていく。
 千枝達も下準備の段階で鏡の手伝いを行い、今は菜々子の誕生日プレゼントを取りに先に帰っている。

「姐さん、晩メシの支度もあるんスよね? ケーキは出来上がったら俺が持っていきますから、先に戻ってくれて良いッスよ」

 ケーキを作り終えた鏡は完二の言葉に甘え、先に帰宅する事にする。

「お帰り、お姉ちゃん!」

「ただいま、菜々子ちゃん。今日は菜々子ちゃんが主役だから、ご飯が出来るまでテレビでも見ていてね」

 嬉しそうに出迎えてくれた菜々子にそう言って、鏡は手を洗い晩ご飯の支度を始める。
 材料は先に買い置きをしていた分と、前もって用意しておく事で調理の時間を短縮する。
 下拵えをしておいた材料を入れ、シチューを煮込む間にパスタを茹でる。
 コンロを両方使っているので、その間に唐揚げを作る為の下拵えを行う。


 調味料を入れたボールに鶏肉を入れ、良く馴染ませる。
 鶏肉に調味料が馴染んだところで、オーブンシートを敷いた天板に重ならないように鶏肉を並べて行く。
 並べ終えた鶏肉の上にオーブンシートを乗せてレンジに掛け、一度取り出しひっくり返した後にもう一度再加熱する。
 出来上がった唐揚げは綺麗なキツネ色に仕上がっており、出来上がった分の一つを菜々子に味見して貰う。

「おいしい! おいしいよ、お姉ちゃん!」

 冷ましながら食べた唐揚げの味に、菜々子が嬉しそうに答える。
 菜々子の評価に鏡は笑顔を見せると、調理の続きに戻る。
 パスタは一種類だけだと味気ないので、ショートパスタにトマトやほうれん草を練り込んだ変わり種のパスタも用意する。
 それに合わせて、パスタソースもミートソースとクリームソースの二種類を用意する。

『今晩は!』

 料理の支度が出来た頃になって、陽介達が到着する。
 陽介に誘われた早紀も一緒に来ており、菜々子が早紀の参加に屈託のない笑顔を見せる。
 早紀もそんな菜々子に笑みを返すと、誕生日会に誘ってくれてありがとうとお礼を述べる。
 その言葉に菜々子は早紀が来てくれて嬉しいと喜んでいる。

「ただいま……って、流石に多いな」

 陽介達の到着より少し遅れて、遼太郎が帰宅する。
 流石の人数に普段使っているちゃぶ台だけでは小さいので、もう一つ出してきたテーブルにも料理が並べられている。

「これ、鏡が用意したんだよね?」

 並べられた料理の数々に千枝が唖然と鏡に訊ねる。
 鏡は前もって下準備をしていた事を説明すると、冷めない内に食べようと皆に座るように勧める。
 かなりの量があり、食べきれるのかと思われたが、完二や陽介ら食べ盛りの男子が居たためその心配は杞憂に終わる。
 肉好きの千枝はやはりというか、唐揚げが気に入ったらしく満面の笑みを浮かべて唐揚げを頬張り、雪子に窘められる。
 その雪子は変わり種のパスタを気に入ったようで、クリームソースを掛けてそれらを食べ、りせも同じくパスタに手を伸ばす。
 早紀は菜々子の分のパスタを取り分け、その後で自身も同じパスタを取り分けている。
 クマは全部をそれぞれ自分の器に取り分けて食べる事に専念しており、隙あらば陽介や完二の器からも取ろうと狙っている。
 その度に陽介や完二は自分の取り分を横取りされないようにクマと熾烈な争いを繰り広げている。

『菜々子ちゃん、お誕生日おめでとう!』

 ご飯を食べ終え、鏡と完二が作ったバースデーケーキに立てられたロウソクを吹き消した菜々子を、皆が祝福する。
 ケーキを切り分ける前にそれぞれが用意したプレゼントを菜々子に手渡し、菜々子が嬉しそうにお礼を返す。
 陽介とクマからはお菓子の詰め合わせが贈られ、千枝と雪子、りせの三人でラブリーンの絵本セット。
 完二が実家で染めた生地を使って作り上げたラブリーンの衣装と帽子が贈られる。
 流石に帽子だけは自作できなかったので、母親の伝手を頼りに作ってもらったらしい。
 早紀からはラブリーンが劇中で付けているお手製のリボンのセットが、鏡からはラブリーンに登場する魔女犬のぬいぐるみが贈られた。

「菜々子、これはお父さんから」

 最後に遼太郎が包装紙に包まれたプレゼントを菜々子に手渡す。
 菜々子は遼太郎からのプレゼントに一際目を輝かせると、開けても良いかと訊ねる。
 その言葉に遼太郎が頷くと、菜々子は包装紙を丁寧に剥がして中身を取り出す。

「これ! ラブリーンの傘とステッキだ!」

 中から出てきた傘と虫眼鏡に菜々子が嬉しそうな声を上げる。
 鏡の薦めで、先に貰った完二お手製の衣装に着替え、早紀から貰ったリボンを付けた菜々子が戻ってくる。
 着替えて戻ってきた菜々子を皆が可愛いと口々に褒め、その言葉に菜々子が照れながらもお礼を述べる。
 完二が着心地を確認すると、菜々子は動きやすくて着心地が良いと、満面の笑みを浮かべて完二にありがとうと答える。 
 その言葉に完二は満足げに頷き、何かあったら手直しをするからと菜々子に答える。

「それじゃ、姉御。俺達そろそろ帰るわ」

 楽しい時間は過ぎ、雨脚も強くなってきたので、本降りになる前に陽介達は帰る事にする。
 陽介達を見送り、鏡は使った食器の後片付けを始める。
 後片付けは菜々子も手伝い、それが終わった後でいつものように二人でお風呂に入る。

「上がったか。菜々子、お前に話さなきゃならん事がある。お母さんの事だ」

 お風呂から上がって来た菜々子に遼太郎がそう声を掛ける。

「叔父さん、私は部屋に戻りますね」

「いや。鏡も一緒に聞いてくれ。お前も大切な家族だからな」

 遼太郎に気を遣い自室へ戻ろうとする鏡を、そう言って遼太郎が呼び止める。
 鏡は遼太郎の言葉に頷くと、菜々子と一緒に遼太郎の前に座る。

「……菜々子。お母さんな、事故に遭ったとお前には話したが、本当はひき逃げにあって殺されたんだ」

 遼太郎は辛そうな表情で菜々子にそう話を切り出す。
 その言葉に菜々子が表情を強ばらせると、鏡が菜々子の手を握り安心させるように頷き掛ける。

「それからずっと、お父さんは犯人を捕まえるため仕事にかまけて、お前には寂しい思いをさせちまったな……」

 亡き妻の事を大切にするあまり、生きている菜々子の事を蔑ろをしていた事を、遼太郎は菜々子に謝る。
 本当は無駄な努力をしているんじゃないかと思いつつも、どうしても諦める事が出来なかった。
 最愛の妻を奪われた事による、行き場の無い気持ちを犯人逮捕に向けていた事。
 だからといって、菜々子に寂しい思いをさせていい理由にはならない。

「その事に鏡が気付かせてくれた。お前が居なかったら、俺は今でも菜々子に寂しい思いをさせていたんだろうな」

 そう言って、遼太郎が鏡に改めてお礼を述べる。

「二人とも、俺はこれからも千里を、お母さんを轢いた犯人を追う。けどな、それはもう何かから逃げるためじゃない」

 遼太郎はそう言うと、自分は刑事で菜々子や鏡が居るこの街が、自分の居場所だと言葉を続ける。
 だからこそ、ここを守ってこれからも刑事として、父親として生きていくと二人に宣言する。

     我は汝……、汝は我……

   汝、ついに真実の絆を得たり


    真実の絆……それは即ち

        真実の目なり

    今こそ、汝には見ゆるべし

  “法王”の究極の力、“コウリュウ”の

    我が、内に目覚めんことを……

 これまでとは違う声が鏡の脳裏に響く。
 遼太郎との間に結ばれた絆は強固な物となり、寄せられた信頼が鏡に伝わってくる。

「鏡、今日は菜々子と一緒に眠ってやってくれないか?」

 遼太郎はそう言って菜々子の頭を優しく撫でると、今まで本当の事を話さなくて済まなかったと菜々子に謝る。
 菜々子は遼太郎の言葉に首を振ると、お母さんが居なくなって、自分だけでなくお父さんも寂しかったんだねと呟く。
 その言葉は遼太郎を非難するのではなく、自分と同じ気持ちを抱えていた遼太郎を気遣う思いで満ちていた。
 幼いながらも、辛い思いを正面から受け止めた菜々子を遼太郎は愛おしく思い、またそれを誇りに思う。

「今日はもう遅い。二人とも、遅くまで付き合わせて悪かったな」

「ううん。ちゃんと話してくれて菜々子、嬉しかったよ」

「私も、一緒に話を聞かせてくれてありがとうございました。それじゃ叔父さん、お休みなさい」

「おやすみ、お父さん」

「あぁ、二人ともお休み」

 挨拶をして二階へと上がる二人を見送った遼太郎は、一つ溜息をつくと天井を見上げる。

「……なぁ、千里。これで良かったんだよな? 俺達の娘は、あんなにも強くシッカリした娘に育ってくれているぞ……」

 そう呟いた遼太郎の目尻に、涙が一筋零れる。
 遼太郎は改めて決意する。
 大切な家族を守るため、今もなお潜んでいる真犯人を捕まえて、この街に本当の平和を取り戻す事を。




2012年02月07日 初投稿
2012年03月04日 加筆修正



[26454] 暗雲
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2012/07/16 18:06
――――事件もなく過ぎていく穏やかな日々

    思う所はあれど、それだけが全てではない

            例えばそう

  学園行事という名のイベントも、また大切な事なのだ




 菜々子の誕生日会を終え、堂島家を後にした陽介達は雨の降る中を帰宅する。

「菜々子ちゃん、すごく喜んでいてくれたよね」

「だな。堂島さんも、菜々子ちゃんに誕生日プレゼントを無事に渡せたし、言うこと無しだな」

 雪子の言葉に陽介が同意する。
 彼らの表情は綻んでおり、菜々子が喜んでくれた事を嬉しく思っている事が伺える。

「小西先輩も急に誘ったのに、来てくれてありがとうございました」

「ううん。私の方こそ、誘ってくれてありがとうね」

 改めてお礼を言う陽介に早紀がそう答える。
 陽介と良く関わるようになってから、早紀も自称特別捜査隊の面々と触れ合う機会が増えた。
 最近ではクラスメイト達と一緒に居るよりも、陽介達と居る方が気が休まるようになっているほどだ。

「にしても、姐さんは本当に凄いッスよね。学校でケーキを作った後であんだけの料理を作るなんて、俺には真似出来ないッスよ」

「だよねぇ、あたしもビックリだよ」

「先輩、無理してないと良いんだけど……」

 完二の言葉に千枝が同意し、りせが心配げに呟く。

「大丈夫クマよ! センセイはクマ達と違って、凄い人なんだから心配ないクマよ!」

 鏡を信頼しているのか、クマだけは心配無用だと胸を張っている。
 陽介達もしっかり者の鏡の事だからと、クマの言葉に納得する。

「確かに鏡ちゃんはシッカリしていると思うけれど、彼女だって普通の女の子なんだからね?」

 そう言って、早紀が皆に過度の信頼は危ういと釘を刺す。

(そうだよね。先輩だって、普通の女の子なんだよね)

 早紀の言葉にりせが心の中で呟く。
 鏡は自分達を纏め上げ、引っ張ってくれる頼れるリーダーだ。
 今まで鏡が弱音を言った事を見た事がないが、本当は無理をしているだけなのではないか?
 早紀の言葉を聞いたりせの中に、小さな不安が凝りとなって心に影を落とす。

「そう言えば、ヨースケ。“たいいくさい”って何クマか?」

 考え込んでいたりせの思考を、クマの言葉が引き戻す。

「そう言えば、今度の日曜は体育祭だったっけか」

「その後に中間試験があって、下旬には文化祭ですね」

「なんつうか、イベント目白押しッスね」

「あたしとしては、試験の事は忘れていたかったけどね……」

「だから、“たいいくさい”って何クマか?」

 陽介の言葉に直斗と完二が答え、千枝が心底嫌そうな表情で溜息をつく。
 そんな陽介達にクマが体育祭がどう言ったモノかを再度訊ねると、雪子がクマに簡単な説明を行う。

「ふむふむ……それって、ユキちゃん達の体操服姿を見られるって事クマか!?」

 雪子の説明を聞いたクマがどう言った理解をしたのか、体操服という部分だけを強調する。
 そんなクマに女性陣は若干引き気味だが、間違いでは無いのでどう答えたらいいか判断に困っているようだ。

「女子は確か、創作ダンスだったっけか?」

「思い出させないでよ! あぁ……もう! いやだあぁぁぁぁ!!」

「良いじゃねえかよ、ダンスくらい。男子なんて持久走だぜ、持久走。しかも五キロって、企画したヤツ俺達を殺す気だろ絶対……」

 陽介の言葉に嫌がる千枝と同じく、持久走の事を思い出した陽介も沈んだ表情になる。
 落ち込む千枝に雪子が、自身は運動神経が良い千枝と違い、振り付けを覚えるだけで精一杯だと宥めている。
 りせと直斗も創作ダンスにはあまり乗り気では無いらしく、共におこなう事の必要性を疑問視している。

「せめて当日は雨が降って中止にならないかなぁ……」

「天気予報では曇るらしいけれど、雨は降らないそうだから、それも無理そうね」

 嘆く千枝に早紀が望み薄だと答え、さらに千枝を落ち込ませる。

「誰のための体育祭なんでしょうね……」

 雪子が落ち込む千枝を宥め、直斗が参加者が望まない種目が用意された体育祭に疑問を投げかける。

「それじゃ、また明日。学校で」

 分かれ道に差し掛かったところで一番遠い雪子がそう声を掛ける。
 雪子の言葉にそれぞれが別れの挨拶を交わし、それぞれ帰路につく。




  体育祭、当日。
 天気予報通りの曇り空の元、八十神高等学校体育祭が予定通りに開催された。

「始まったクマ! あ、あれ……? 女子はブルマじゃないクマ。ブルマ女子は絶滅してしまったクマか!?」

「ブルマ?」

 菜々子の手を引き一緒に体育祭を観戦しにきたクマが、世界の終わりのような表情を浮かべて落胆している。
 クマの言葉に菜々子が不思議そうに小首を傾げていると、物凄い剣幕で走り寄ってきた千枝がクマを蹴り飛ばす。

「このアホグマ!! 菜々子ちゃんになに教えてんのよ! 冬眠しろ!!」

 手加減無しの蹴りにクマが千枝に抗議する中、菜々子が千枝にグラウンドに居なくても良いのかと訊ねる。
 菜々子の質問に、千枝は自分は実行委員だから大丈夫だよと答える。

「……じっこういいん?」

「あぁ……色々と面倒くさい事をする係」

 簡単に説明した千枝が、競技場に踏み入って撮影しようとしている保護者に気付き注意を促す。

「撮影ならクマもバッチリ、ヨースケの部屋からデジカメを持ってきてますよ~」

「アンタは女子の撮影禁止!」

 嬉しそうにデジカメを取り出したクマに対し、千枝が間髪入れずに撮影禁止宣言する。
 千枝の言葉にクマが意気消沈するが、クマの普段の言動から千枝としては当然の判断である。
 女好きでナチュラルにセクハラ行為を行うクマの事だ。いかがわしいアングルで撮影するに決まっていると千枝は確信している。

「酷いクマ……クマは写真を撮る事すら許されないクマか……?」

「当たり前でしょ! 普通に撮影するなら良いけど、アンタは変な写真しか撮る気が無いでしょ!」

 項垂れて嘆くクマに、千枝が容赦なく追撃を掛ける。
 千枝の追撃に、事実そのつもりのクマは反論できずにさらに項垂れる。
 二人のやりとりに菜々子が困った表情をすると、千枝が菜々子の手に持つカメラに気付く。

「菜々子ちゃんも、カメラ持ってるんだ?」

「うん……お姉ちゃんの写真、撮りたいんだ」

 菜々子の返事に千枝は笑顔になると、鏡達が居る向こう側で撮ると良いよと伝え、一緒に向こうへ行こうと誘う。
 千枝の言葉に菜々子は嬉しそうに頷くと、千枝と手を繋いで鏡達の元へと向かう。

「待ってクマ! クマを置いていかないでクマ!!」

 二人に置いて行かれた形のクマはそう言うと、慌てて二人の後を追い掛ける。

「次の種目は障害物競走か。りせと直斗の出番だな」

 競技種目の書かれたチラシを確認した陽介がそう呟くと、りせと直斗が自分達以外は出ないのかと驚く。
 そんな二人にチラシを確認した完二が一年女子限定と記載されている事を伝えると、りせが来年から転校すれば良かったと嘆く。

「……ふ、ふふっ……ふふふ……が、頑張って、ね」

 ただ一人、笑いをかみ殺している雪子が二人にそう告げるが、堪えきれずに笑い声が零れている。
 完二がそんな雪子になぜ笑っているのか不思議そうに訊ねると、雪子は『だって、飴を食べるんだよ?』と要領を得ない返事を返す。

「あぁ……飴、ね。何で雪子が楽しそうなのか解った気がする」

 雪子の様子から事情を察した鏡が一人納得していると、陽介が理由を訊ねてくる。

「ゴール前の最後に置かれているアレ、手を使わずに粉の中に隠された飴を食べるでしょ。その時の競技者の顔の状態」

「……納得」

「あぁ……あの辺にツボがあるんスね」

 鏡の答えに陽介と完二が呆れたように理由を理解する。

「お姉ちゃん!」

 そんな事を話していると、千枝に連れられた菜々子が駆け寄ってくる。
 二人の後ろから、どことなく元気のないクマが付いてきているのが気になったが、鏡はその事は脇に置いて菜々子を出迎える。

「それじゃ、先輩。私達はそろそろ行ってくるね」

 やって来た菜々子と挨拶を交わし終えたりせがそう言って、直斗と一緒に入場門へと向かう。
 菜々子が手を振って二人を送り出すと、鏡が菜々子に写真を撮るために障害物競走がよく見える場所に行こうと誘う。
 差し出された鏡の手を菜々子が嬉しそうに取ると、鏡は陽介達に『行ってくるね』と声を掛けて移動する。


 体育祭はクラス別に争われ、各学年ごとの結果と全学年の合計結果で優勝を競う。
 ただし、クラブ対抗リレーと家族参加の二人三脚、そして持久走と創作ダンスは得点対象外となっている。


 障害物競走が始まり、一度に各クラス三名ずつが競技に参加する。
 りせと直斗は同じ順番でなかったので、菜々子は二人の写真を撮る事に専念する事が出来た。
 共にアイドルや探偵として活躍していた事もあってか、二人の足は早いほうで、それぞれ一等を獲得する事が出来た。
 ゴール付近で撮影ができた菜々子は、顔を真っ白にした二人の写真が撮れた事に満足して陽介達の待つ場所へと戻ってきた。

「そ、その写真、見せて……見せて……ふふっ、ふふふふ……」

 その話を菜々子から聞いた雪子が笑いを堪えながら菜々子にお願いする。
 雪子の様子に写真を見る前からその様子だと、写真を見たら腹筋崩壊だなと陽介が呆れたように突っ込む。

『次の騎馬戦に参加する生徒は、入場門に集まってください』

「わ、騎馬戦。あたし出るんだった!」

「頑張ってね!」

 そう言って慌てて入場門へと向かう千枝に雪子が声援を送る。
 どうやらりせと直斗も騎馬戦に参加するらしく、三人とも騎手のようだ。

「機動力が勝つかテクニックが勝つか……って、おい! アレ!?」

 そう呟きながら参加選手を見渡していた陽介がある一点に目を留め驚きの声を上げる。
 驚く陽介の姿に何事かと視線の先を見た鏡達は、陽介が驚いた理由を理解する。

「大谷さん、騎馬戦にエントリーしてたんだ……」

「ありゃ、騎馬戦ってレベルじゃねえぞ、キャタピラだ!」

「つうか、あそこまで行くと重戦車ッスよ! 上に乗ってる奴が見えないって……」

 唖然と呟く鏡に陽介と完二が驚愕の声を上げる。
 クラス女子どころか、全校生徒一の巨体を誇る大谷に菜々子が『大きい!』と感嘆の声を上げている。
 雪子は『ぶつかったら千枝がペシャンコになっちゃう』と心配する。

「いつかのクマん時と同じってか?」

「駄目クマよ! チエちゃんがペシャンコになっちゃ駄目クマよ!!」

 雪子の不安に陽介とクマが心配そうな表情になると、鏡が同じクラスだから大丈夫だと思うと皆を宥める。
 とは言え、同じ二組のりせと違い、クラスの違う直斗は大谷に狙われると勝ち目が無いだろう。
 競技が始まると同時に、大谷が直斗の元へと真っ先に突っ込む。
 間に居た他の騎馬を薙ぎ払うように押し退けるその姿に、騎馬役の女生徒が怯えて逃げ出すが、こればかりは仕方がないだろう。
 雄叫びを上げ、鬼気迫る形相で突っ込んでくる大谷相手に、逃げるなと言う方が酷だ。
 しかも、間に居て押し退けられた他の騎馬達は、あまりの衝撃に未だに起きあがれないでいる有様だ。
 その様子に観客席からも悲鳴が上がる。

「スキあり!!」

 追いつめられそうになった直斗を救ったのは、反対側から挟撃する形で接近していた千枝だった。
 獲物を横から奪われた大谷は歯ぎしりして千枝を睨み付けるが、千枝はどこ吹く風といった様子で受け流す。

「里中先輩、ありがとうございます。助かりました」

「流石にアレに轢かれたら洒落になんないからねぇ……」

 直斗を追い掛ける間に大谷に撥ねられた各騎馬が、あちこちで死屍累々といった様相で倒れている。
 あまりの惨事に観客席からも声が上がらず、異様な雰囲気を醸し出している。
 競技の結果は、大谷が半数以上の騎馬を潰した為に、二年二組が学年一位を取り、クラス別でも二組が一位を取る事になった。

『午前の部、最後の種目。棒倒しに参加する生徒は入場門に集まってください』

「んじゃ、行って来るッス!」

 そう言って、鉢巻きを締め直した完二が気合いを入れて移動する。
 棒倒しは全学年合同のクラス別競技で、勝ったクラスの各学年にそれぞれポイントが加算される。
 怪我への配慮から、参加選手はヘッドギアと軍手着用が義務づけられている。

「お、巽もこの競技に参加するのか」

「オッス! 長瀬先輩も参加なんスね」

 棒倒しには完二と同じ三組である長瀬も参加していた。

「あぁ、お前が居てくれるなら力強いな。とは言え、一組は一条のヤツも参加してるから、気は抜くなよ?」

「ウッス!!」

 長瀬の言葉に、完二が力強く答える。

「お、棒倒しには完二の他に一条と長瀬も参加しているのか。これは見物だな」

 参加選手の中に見知った顔が居る事に気付いた陽介がそう呟く。
 完二や長瀬は正面から蹴散らしていくタイプになのに対し、一条はフットワークを生かした機動力で攻めるタイプだ。
 競技が始まると、三人は真っ先に二組の陣地へと攻め込む。
 現時点で獲得得点トップの二組を攻めるのは当然だが、互いに相手の手の内を知っている為に、御しやすい相手を選んだとも言える。
 真っ先に二組の棒が倒されると、互いに勝利目指して相手の陣地に攻め込んでいく。
 結果は、正面から守備陣を蹴散らしていった三組が、僅差で一組の棒を倒して勝利を収めた。
 この結果は、完二の迫力に呑まれた部分も大きかったのだろう。

『これより、四十五分の休憩に入ります』

 競技が終わり、昼食休憩を知らせるアナウンスが流れる。
 鏡達は遼太郎が待つ場所へと移動する。

「お疲れさん」

「はは……こんちゃッス」

「足立さん?」

 鏡達を出迎えたのは遼太郎だけでなく、なぜか足立も一緒だった。

「二人とも今日は非番だったからな。足立のやつも連れてきた」

 足立が居る事を疑問に思った鏡達に遼太郎が説明する。

「堂島さん、いきなり呼びつけて酷いッスよ」

「どうせゴロゴロしてるだけだろうが。それにお前、最近ちゃんと飯を食ってんのか?」

 控えめに抗議する足立に遼太郎がそう返す。
 言われてみると、足立の様子はどことなく元気が無さそうにも見える。

「やだなぁ、ちゃんと食べてますよ」

「そういや、足立さんはジュネスお弁当売り場の常連さんだな」

 ジュネスでバイトしている陽介は、総菜売り場で足立をよく見掛けている事を思い出す。

「足立さん、野菜とかはちゃんと食べていますか?」

「……キャベツなら食べているよ」

 鏡の質問に、不思議そうな様子で足立が答える。

「足立さん、刑事は身体が資本なんですから、栄養バランスを考えて他の野菜もちゃんと食べないと……」

「あ、あはははは……鏡ちゃんは相変わらず厳しいなぁ」

 鏡の苦言に足立は乾いた笑みを浮かべている。

「……だと思った。お前も一緒に、鏡と菜々子が作ってくれた弁当を食え」

 そう言って、遼太郎は持参した重箱を取り出すと、蓋を開けて並べていく。
 五段重ねの重箱には一口サイズのおにぎりや煮付け料理、野菜に肉料理がそれぞれの段に分けられて居る。

「えっ? これ鏡と菜々子ちゃんが作ったの?」

 本格的な料理に千枝が驚きの声を上げる。

「肉料理は主に私で、野菜料理は菜々子ちゃん。煮物とおにぎりは二人で作ったから、それほど手間じゃ無かったよ」

「うお! 姐さんの弁当、美味そうッスね!」

 せっかくだから、皆でお弁当のおかずを少しずつ交換しようという事になり、後からやって来た早紀達と一緒にお弁当を食べる。
 早紀に連れられて来た弟の尚紀は鏡や陽介とは顔馴染みで、完二とは幼なじみである。
 りせとは同じクラスなので顔見知りといった程度だが、雪子達とは今日が初顔合わせである。
 最初の内は大人しかった尚紀も、完二や陽介にからかわれる内に雪子達とも打ち解けていく。


 お弁当を食べ終え、午後の部最初の競技は男子持久走と女子の創作ダンスが同時に行われる。
 気乗りしない陽介も覚悟を決めたのか、完二と一緒にスタート地点へと向かう。

「それじゃ、私達も行きましょうか」

 そう言って、鏡達も入場門へと移動する。

「みんな、頑張ってね!」

「ヨースケ達も頑張るクマ!」

 菜々子とクマの声援に送られ、それぞれの競技へと参加する。
 陽介達男子は学外の指定されたコースを走り、その間にグラウンドで鏡達女子による創作ダンスが行われる。
 今年はアイドルであるりせが参加している事もあり、これまでで一番多い観客数になっている。
 最近流行りのポップな曲に合わせて鏡達が踊る。


 その中でひときわ観客の目を惹いたのはりせだった。
 元々の知名度に加え、どうすれば見栄え良く見せる事が出来るかを熟知しているだけあり、動きにキレがある。
 次いで目を惹いたのはアッシュブロンドの髪の鏡であった。
 鏡も運動神経が良い事に加え、スラリとした長身がりせとは違った意味で人の目を惹き付けている。

「こうして見ると、本当に鏡ちゃんは人の目を惹きますね」

「……そうだな」

 足立の感想に、遼太郎が心中複雑な思いで答える。
 鏡が評価される事は好ましいが、鏡の性格上、目立つ事を好まないため、今の状況は鏡にしてみればあまり嬉しくは無いだろう。
 もっとも、だからといってどうこうできる訳ではないので、遼太郎してももどかしい所である。

「お帰り! お姉ちゃん達、すっごくキレイだったよ!」

「センセイ達、本当に綺麗だったクマよ!」

 演技が終了して帰ってきた鏡達を、菜々子とクマが興奮した様子で出迎える。

「ただいま、菜々子ちゃん。持久走の男子達も帰ってきたみたいだね」

 見ると、ゴール地点に先頭を走っていた男子生徒達が到着している姿が見える。
 その中には完二の姿もあり、完二の順位は三着のようだ。
 完二が完走してから少しして、陽介が八着で完走したようだ。

「二人ともお疲れ様」

「ハイこれ、冷たいジュース」

 戻ってきた二人に鏡が労いの言葉を掛け、出店からスポーツドリンクを買ってきた千枝が二人に手渡す。
 千枝からスポーツドリンクを受け取った陽介は、嬉しそうに一気に飲み干すと、乾いた身体に染み入ってくる感覚に人心地が付いたようだ。
 完二の方は受け取ったペットボトルを額に当てて涼を取っている。

「流石に姉御達の演技中には戻れなかったか。そっちの方はどうだったんだ?」

「大きなミスも無く、無事に最後までいけたよ。けど、りせちゃんと鏡は運動神経が違うよね。一番目立っていたんじゃないの?」

「そう言う千枝だって、声援を受けていたじゃない」

「僕の方は、自分の演技に集中するのが精一杯で、他の事にまで気が回りませんでしたよ」

 陽介の質問に千枝と雪子が答え、直斗が余裕がなかったと自身の状況を吐露する。
 三人の言葉に陽介は、見られなかったのが残念だと気落ちした様子で呟く。

「陽介お兄ちゃん。菜々子、お姉ちゃん達のダンスの写真撮ったよ」

 そう言って菜々子がデジタルカメラを操作して、陽介に写した鏡達の創作ダンスの様子を見せる。
 菜々子に見せて貰った画像を見た陽介が、菜々子に上手く撮れていると褒めてから、食い入るように画像を見ている。

「流石、プロは違うよな。見栄えが他の奴等と全然違うじゃねえか」

 千枝の言葉通り、りせと他の女生徒達とでは見栄えが全く違っており、流石はプロだと納得出来る。
 一通り画像を見た陽介はお礼を言って菜々子にデジタルカメラを返す。

『ただいまから、ご家族が参加できる二人三脚の受付を開始します』

「菜々子。お父さんと一緒に二人三脚に出るか?」

「……菜々子、足遅いよ。一等賞、取れないよ?」

 遼太郎の言葉に、菜々子が遠慮がちに答える。
 そんな菜々子に遼太郎は、結果ではなく菜々子と一緒に走りたいんだと話す。

「菜々子、お父さんと一緒に走りたい!」

「それじゃ、私がエントリーの手続きに行ってきますね」

 そう言って、鏡がエントリーの手続きへとする為に実行委員のテントへと走っていく。

「鏡のやつ、さっき出てた競技を見ても思ったが、本当に足が速いな」

「堂島さん、張り切りすぎて倒れたりしないで下さいよ?」

 走っていく鏡の姿に感心する遼太郎へ、足立がそう声を掛ける。
 足立の言葉に、遼太郎が『俺を誰だと思っているんだ?』と不敵に答えると、足立は一位とか取っても意味が無いじゃないかと反論する。
 二人のやりとりを聞いていた雪子が、一位を取ると天城屋旅館の宿泊券が出る事を伝えると、足立はそれなら良いねと態度を変える。

「ったく、そう言うんじゃねえんだよ」

 足立の言葉に遼太郎が呆れた様子でいると、受付を終えた鏡が戻ってくる。

「叔父さん、受付出来ました」

「そうか。それじゃ菜々子、行くか」

「うん!」

 遼太郎はそう言うと、菜々子を連れて入場門へと向かう。

「堂島さん、何だか前より少し丸くなったよね。いや、張り詰めていた雰囲気が柔らかくなったのかな?」

 遼太郎を見送った足立が鏡に話し掛けてくる。
 その言葉に鏡は、遼太郎の事をよく見ているのだなと、足立に対する評価を改める。
 意外と思った事が態度に出たのだろうか。足立は少し照れたように笑うと、菜々子に対する態度が以前と違う事を挙げる。

「以前の堂島さんは、菜々子ちゃんに対して壊れ物を扱うようにしていたけれど、今はそういった感じがしないんだよね」

「叔父さんの事、よく見ているんですね」

「そりゃ、相棒だからね」

 鏡の言葉に足立は照れながらそう言うと、開場全体へと視線を移す。

「けど、何だって皆、一生懸命に取り組んでいるんだろうね。競技の結果なんて、進路や将来に関わる訳じゃないのに」

 どことなく冷めた様子で呟く足立の言葉に、鏡は『そうかも知れませんね』と同意する。

「けれど、充実感とかはあるんじゃないですか? 結局の所は、自己満足なのかも知れませんけれどね」

「……なるほど、違いない」

 鏡の答えに、足立は少し意外そうな表情を見せると、頷いて鏡に同意する。

     我は汝……、汝は我……

   汝、新たなる絆を見出したり……


   絆は即ち、まことを知る一歩なり


  汝、“死神”のペルソナを生み出せし時

   我ら、更なる力の祝福を与えん……

 鏡の脳裏にいつもの声が響く。
 足立との間にコミュニティが出来た事もそうだが、アルカナが“死神”である事が何よりも鏡を驚かせた。

「ん? 僕の顔に何か付いてる?」

 僅かばかりだが、驚いた様子の鏡に足立がそう言って自身の顔を触ってみる。

「いえ、何も付いていませんよ」

「そう?」

 鏡の言葉に足立は納得すると、競技に参加する遼太郎達へと視線を向ける。
 遼太郎達は第二レースでの出走らしく、スタートラインで準備をしている。

「菜々子ちゃ~ん、堂島さ~ん、頑張れ~!」

 スタートした遼太郎達に千枝が声援を送る。
 タイミング良くスタート切った二人は順調な走り出しを見せ、徐々に走る速度を上げていく。
 前を走る一組との距離を縮め、コースの外側から追い抜いていく。

「結構、良い感じなんじゃない?」

 一組を追い越したことで二位に順位を上げた二人を見てりせがそう話し掛ける。
 現在首位を走る一組との距離は数メートルほどで、徐々に距離を詰めている。

「菜々子ちゃん、後ちょっとだよ!」

 ゴール手前、数メートルの所で首位の一組に追いついた二人に、雪子が声を掛ける。
 鏡達もそれぞれ二人を応援する中、僅差で追い抜く事ができた二人が、一位でゴールテープを切った。

「やった! 菜々子ちゃん達、一位だよ!!」

「ナナちゃん、凄いクマ!」

 二人が一位を取れた事を皆が自分の事のように喜ぶ。
 戻ってきた二人を出迎えた鏡達は一位を取れた事を祝福し、菜々子も初めて取った一等賞に喜んでいる。

「貰った天城屋旅館の宿泊券は家族一組とあるから、俺が休みを取れた時にでも利用させてもらうか」

 一等商品で貰った宿泊券の注意書きを確認した遼太郎がそう零す。
 使用期限は特に定められていないので、鏡が稲羽にいる間に機会を作ろうと遼太郎は考える。

「次は鏡の出番じゃなかった? 四百メートルリレー」

『四百メートルリレーに参加する生徒は、入場門に集まってください』

 雪子が鏡に話し掛けると同時に、集合のアナウンスが流れる。

「それじゃ、行ってくるね」

「お姉ちゃん、がんばって!」

 入場門へと向かう鏡に菜々子が声援を送る。
 この種目は二年と三年の混合で行われ、それぞれの学年から二名ずつが出場する。
 一年が参加しない競技なので、獲得ポイントは全学年のそれぞれのクラスに加算される仕組みだ。
 出走順は自由で、足の速い生徒をアンカーにするか、一番手に据えて先行逃げ切りを狙うか、各組の駆け引きが結果に影響する。

「鏡ちゃんが二組のアンカーなんだね」

「そう言う早紀先輩は、三組のアンカーですか?」

 スタート地点で競技が始まるのを待つ中、早紀が鏡に話し掛けてくる。

「私の方は、他に出られる子が居ないから、選ばれちゃっただけだけどね」

 そんなに速くないんだけどねと、早紀は困ったように鏡に話す。
 どうやら、三組は足の速い生徒を先に出して逃げ切る戦法で挑んでくるようだ。
 スタート直後、トップに躍り出たのは陸上部に所属する早紀のクラスメイトで、他の二名を一気に引き離しに掛かっている。
 鏡達二組は僅かに出遅れて一組の選手に先行を許すが、引き離されずについて行けているようだ。

「三組は先行逃げ切りの作戦で来てんな」

 三組の選手に徐々に引き離されながらも、一組の選手に引き離されずに走るクラスメイトの姿を見て、陽介が話す。
 二組は第一走者とアンカーが二年で第二、第三走者が三年の生徒で構成しており、第二走者の三年生は陸上部に所属している。
 走る速さは遅い選手と速い選手を交互に組み合わせており、後からでも追い抜けるように考えられている。


 第一走者からバトンを受けた一組の第二走者が、先を行く三組の選手に迫っていく。
 どうやら一組は、遅い選手から順に速い選手へとなるように編成しているようだ。
 僅かに遅れてバトンを受けた二組の第二走者は、走行区間の半分を過ぎた辺りで前を行く一組の選手を追い抜く。
 そのままの勢いで三組の選手を追い掛け、バトンを手渡す

『あっ!?』

 第三走者へとバトンを受け渡す際に気が急いたのか、受け取ったバトンを取り落としてしまい、拾っている間に一組に追い抜かされる。
 落ちたバトンを拾った二組の第三走者はすぐに追い掛け始めるも、徐々に距離を広げられていく。
 しかし、先頭を行く三組の第三走者との距離は縮まっているので、追い抜くチャンスは失われてはいない。

「ごめん! 後はお願い!!」

 先ほどのミスで、距離を広げられた事を謝る第三走者から、鏡がバトンを受け取った時点での差は約二十メートル。

「任せて!」

 鏡は短く答えると、力強く走り出して追い上げを開始する。

「先輩! 頑張って!!」

 追い上げ始めた鏡にりせからの声援が飛ぶ。
 千枝と雪子も鏡を応援する中、陽介が早紀と鏡のどちらを応援するべきが迷っている。
 一組のアンカーに追い上げられる中、ただゴールをする事だけを考えて早紀は走る。
 バトンを受けた時点での差は十メートル以上あったのだが、半分を過ぎた辺りで数メートルまで差を縮められる。
 早紀と一組のアンカーが接戦している後方から、鏡が物凄い追い上げを見せる。

「お姉ちゃん、頑張れ!!」

「センセイ! あと少しクマ!!」

 観客席から菜々子とクマがそれぞれ鏡を応援する姿を見て、足立は視線を鏡へと向ける。
 汗だくになりながらも、必死に追い上げを見せる鏡の姿に、足立は先ほどの鏡の言葉を思い出す。

『けれど、充実感とかはあるんじゃないですか? 結局の所は、自己満足なのかも知れませんけれどね』

(そうだね……鏡ちゃん達はまだ、挫折を経験した事が無いんだろうね……)

 まだ学生である鏡達はこれからの人生に対して、夢や希望があるのだろう。
 そんなモノは、社会に出れば幻想だと思い知らされ、ここに居る大多数の子供達は挫折を味わう事になるだろう。
 その時になって、鏡はまだ今日と同じ事を言えるのだろうか?
 足立はふと、そんな事を考える。

(けど、堂島さんといい、鏡ちゃんといい……僕には眩しぎるよ)

 足立はそう思いながら、眩しそうに鏡を見つめる。
 その視線の先では、ゴール手前数メートルで早紀と一組のアンカーを追い抜き、一番でゴールテープを切る鏡の姿があった。




 体育祭も無事に終了し、鏡達は遼太郎達と帰路へとつく。

「皆、お疲れさん。しかし、残念だったな。学年別では優勝したけれど、クラス別では僅差で優勝できなくて」

 遼太郎が鏡達を労いつつ、残念そうに話す。
 学年別では鏡達二組が優勝したものの、総合クラス別では惜しくも僅差で三組に優勝を奪われる結果となった。
 これは、完二が参加した棒倒しの点数が決め手となったようだ。
 最後の種目、スウェーデンリレーで陸上部のエースを擁する一組が一位となったのだが、それでも追い抜く事は出来なかった。

「スウェーデンリレーにでた陽介も頑張ったけど、最後で一気に持っていかれたよね」

「アレは順に距離が増えていくからな。俺だけが頑張ってもそれだけで勝てる種目じゃねえよ」

 鏡の言葉に陽介がそう返す。
 スウェーデンリレーは走者が移るごとに距離が増えていき、アンカーは四百メートルの距離を走る。
 その為、ペース配分などの駆け引きも重要になってくるので、足が速ければ良いという問題では無い。

「でも、終わってみたら結構、楽しかったよね。体育祭」

 千枝がそう言うと、雪子やりせ達も疲れたけれど楽しかったと同意する。

「とは言え、来週は中間試験ですから、気持ちを切り替えないといけませんね」

「うわ……直斗、一気に現実に引き戻さないでくれよ……」

 直斗の言葉に、陽介が嫌そうな表情で抗議する。
 それは勉強が苦手な千枝や完二、りせも同じだったようでそろって気落ちした様子を見せている。

「落ち込んでいても仕方がないでしょ。やれる所まで頑張らないと」

 気落ちする千枝達に鏡が声を掛ける。
 雪子もまだ時間はあるのだから、皆で勉強をすれば良いと話す。

「取り敢えず、今日の所はゆっくり休んで、勉強の事はその後にしましょうや」

「だな。流石に今日は疲れたからな」

 完二に同意した陽介が、そう言って試験の話題はお終いだと暗に告げる。
 遼太郎が車で来ているので、鏡は途中で陽介達と別れる。

「それじゃ、僕も帰りますね」

「何だ、足立。お前も一緒に家で飯を食っていかんか?」

 駐車場へと到着したところで足立がそう言い、遼太郎が一緒にご飯を食べに来ればいいと誘う。

「流石に、今日は家族団らんを邪魔したくは無いですよ。それじゃ、さよなら」

 そう言って、足立は遼太郎達に手を振って去っていく。

「気を遣うなんて、足立らしくないな。明日は雨でも降るんじゃないか?」

「叔父さん。流石にそれは足立さんに失礼ですよ?」

 戯けたように話す遼太郎に、鏡が僅かに笑いながら窘める。

「鏡、今日は疲れただろう。今日くらいはどっかに食いに行くか?」

「大丈夫ですよ、菜々子ちゃんも手伝ってくれますし。ね、菜々子ちゃん?」

「うん! 菜々子も手伝う!」

「そうか、それじゃジュネスに寄って食材を買って帰るか」

 鏡の言葉に遼太郎は頷くと、鏡達がシートベルトを着用するのを確認してから車を発進させる。




 買い物を終えて帰宅した鏡は買い物袋をテーブルに置くと、遼太郎へと振り返る。

「それじゃ、私は先にシャワーを浴びてきますね」

 鏡はそう言うと、体育祭でかいた汗を流すために自室へ着替えを取りに行く。
 菜々子は鏡がシャワーを浴びている間、買い物袋から買ってきた食材を取り出し、使わない物は冷蔵庫へしまっていく。
 今日の献立は、鶏肉、白ちくわ、油揚げ、長ネギ、椎茸を入れた五目うどんだ。
 最後に溶き卵を入れる事で卵とじ風にする予定だ。

「お姉ちゃん、お手紙が届いていたよ?」

 お風呂から上がってきた鏡に菜々子がそう言って、封筒を手渡す。
 菜々子から受け取った封筒には『神楽 鏡様』と宛名だけが書かれている。
 差出人の記載はなく、切手すら貼られていない。

「鏡、どうした? 誰からだ?」

 鏡の様子を不審に思った遼太郎が声を掛ける。
 遼太郎の言葉に答えず、鏡は封筒の封を開けて中身を確認する。

「……ッ!?」

 手紙には、短くたった一文だけが書かれていた。

『コレイジョウ タスケルナ』

 その内容に鏡は驚くも、遼太郎へと振り返り、手紙を見せるのであった……










おまけ

 体育祭から帰宅した陽介は、ご飯を食べ終えると入浴をすまして自室へと戻る。
 先に戻っていたクマが何やらデジカメの画面を見ているので、気になった陽介がクマに何をしているのかを訊ねる。

「ふっふ~ん。ヨースケはクマに感謝すると良いクマね」

「はぁ? 何いってんだ、オマエ?」

 クマの言葉に陽介が訝しげな声を上げると、クマが手にしたデジカメの画面を陽介に見せる。

「じゃっ、じゃ~ん! センセイ達のダンスの動画クマ!!」

「何ッ!?」

 デジカメの画面に映っていたのは、今日の体育祭で創作ダンスを披露していた鏡達の動画だった。
 画像自体は菜々子が撮ったものを見せてもらったが、それはあくまでも静止画像だった。
 しかし、クマの持つデジカメに映っているのは、紛れもない動画映像だ。

「おまえっ、どうしたんだよこれ!?」

「チエちゃんに撮影禁止を喰らったけど、流石に自分が演技中はクマの行動を妨げる事は出来ないクマね!」

 陽介の言葉にクマが得意気に答えると、陽介に『ヨースケ、クマに感謝するクマ』と胸を張って話す。

「おぅ! でかしたクマ!! その映像、俺にも見せろ!」

 そう言って、陽介はクマの手からデジカメを奪い取って食い入るように画面を見る。

「くぅ~! 生で見たかったなぁ……チクショウ」

 デジカメには鏡達だけでなく、早紀の姿も録画されており、陽介をさらに興奮させる。

「ヨースケ! クマも見てるんだから独り占めは良くないクマ!」

「うるせぇ! オマエは生で姐御達の演技を見てただろうが!!」

 クマの抗議に陽介はそう返すと映像の続きを見るために視線をデジカメの画面へと移す。
 そんな陽介に、デジカメを返すようにクマが文句を言いながら奪い返そうとすると、陽介も負けじと『これは俺のデジカメだ!』と、奪われないように死守する。

『あぁッ!?』

 二人でデジカメを取り合った拍子に、陽介の手からデジカメがこぼれ落ちる。
 床に落ちたデジカメを慌てて拾い上げた陽介が、すぐさまデータの無事を確認するも、その結果は最悪だった。

「……何てこった」

「ヨースケ?」

 暗く沈んだ声を上げ、絶望した表情を見せる陽介にクマが訝しげに訊ねる。

「クマ……落ちたショックっでデータが全部、消えちまったじゃねぇかよ! どうしてくれるんだよ!!」

「何ですとッ!? せっかく録画したのにアレもコレも全部消えたクマか!!」

「あぁ、そうだよ! 全部消えちまったよ! チクショウ! 俺、まだ全部見てなかったのに……」

 デジカメからデータが全部消えた事を嘆く陽介にクマが食って掛かるが、陽介も負けじとクマに言い返し、取っ組み合いのケンカに発展する。
 しかし、消えてしまったものはどうにも出来ない事を受け入れた二人は意気消沈して就寝する事にする。

「チクショウ……今日は踏んだり蹴ったりだ……」

「せっかく撮った映像が消えてしまうなんて……酷いクマ……」

 嘆く二人をよそに、夜は更けていく。





2012年03月04日 初投稿
2012年03月06日 本文修正
2012年07月16日 おまけ追加



[26454] 脅迫状
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2012/03/10 07:52
――――差出人不明の手紙

   内容は事件関係者を示すモノで

  少女達の存在を知っている事を示す

 新たな状況は、少女達に影響を与える……




 送られてきた差出人不明の手紙に書かれていた内容。

――コレイジョウ タスケルナ

 短く書かれたその文面は、鏡達が事件に関わっている事を知っている者でなければ書けない内容だ。
 手紙を確認した鏡は、その手紙を遼太郎にも見せる。

「ッ!? この手紙は」

 鏡から手渡された手紙を読んだ遼太郎も、鏡と同じく驚きの表情を見せる。
 二人のただならぬ様子に、菜々子が『どうしたの?』と訊ねると、二人は慌てて何でもないと答える。

「さ、菜々子ちゃん。晩ご飯の準備を始めましょうか」

「うん!」

 菜々子の前では話せない内容なので、手紙の事は後で話す事にして取り敢えず晩ご飯を作る事にする。
 具材を二人で分担して切っていき、火が通りやすくする為に薄めにかつ食べやすい大きさに整える。
 全ての具材を切り終えてから。菜々子がうどんを茹でる為に鍋に水を入れてコンロで沸かし始める。


 その間、鏡はうどんの汁を作る事にする。
 基本となるだし汁は作り置きしている分を使い、薄口醤油と砂糖で味を調え、隠し味に料理酒を少々入れて沸騰させる。
 だし汁が沸騰したところで火が通りにくい物から順に煮ていき、溶き卵で軽く閉じた後でねぎを入れて汁は完成だ。


 鏡がうどんの汁を完成させるのと同じタイミングで菜々子がうどんを茹であげ、水気をよく切って丼に盛りつける。
 その上から完成した汁を掛けていき、菜々子が出来上がった物から順にちゃぶ台に運んでいく。

『いただきます』

 皆で唱和してからご飯を食べ始める。
 菜々子は今日の出来事がよほどと嬉しかったのか、ご飯を食べながら今日の出来事を振り返り、鏡達に思った事を話していく。
 鏡と遼太郎は相づちを打ちつつ、二人三脚で貰った天城屋旅館の宿泊券を使って、休みの日に遊びに行こうと話し菜々子を喜ばせる。


 ご飯を食べ終え、食器を洗って片付けた鏡は、菜々子をお風呂へ入れるために、もう一度お風呂へと入る。
 帰ってきた時はシャワーを浴びるだけで済ませたので、ちゃんと身体が温まるまで菜々子と入浴する。
 今日一日はしゃいだからだろうか、菜々子が湯船で船をこぎ始めたので、眠ってしまう前に鏡は菜々子をお風呂から上がらせる。

「お父さん、お姉ちゃん、おやすみなさい……」

 眠い目を擦りながら就寝の挨拶をした菜々子を布団へと連れて行き、寝かし付けた鏡が居間へと戻ると、遼太郎が声を掛けてきた。

「菜々子は眠ったか?」

 遼太郎の言葉に頷いた鏡は、届いた脅迫状を取り出すと改めて手紙を読む。
 文面がたった一行“コレイジョウ タスケルナ”とカタカナで書かれた脅迫状。

「コイツを送ってきたヤツは、随分と用意周到で用心深いヤツだな……」

 鏡から手紙を受け取った遼太郎はそう言うと、鏡に一度プリントアウトした物をコピーした物だと告げる。
 その上で、封筒に書かれた宛名もプリントアウトされた物で犯人を特定する情報が無い事も挙げる。

「そして、この手紙を直接ポストに入れてきたという事は……」

「あぁ……犯人は、お前達の事を知っている誰かという事だ」

 郵便ポストに直接投函された事により、送り主がどこから手紙を出したのかも特定出来ないようにしている。
 しかし、この事で解った事もある。
 直接投函したという事は鏡の事を知っていて、今日一日この家の住人が不在である事を知っている何者かであるという事だ。
 考えたくはないが、顔見知りの誰かが犯人という可能性も出てきた。

「とは言え現状だと、お前達が疑っていたように、犯人は運送業者の人間である可能性が高くなってきたな」

 遼太郎はそう言うと、顔見知りよりも運送業者の人間が犯人である可能性が高いと考える。
 運送業者の人間ならば職業柄、こちらの事を知っている可能性が高い。
 何しろ、鏡も何度かテレビ通販の『時価ネットたなか』を利用しているからだ。

「調査の方はどうですか?」

「あぁ……情報の裏を取るのに、まだ時間が掛かっているところだ」

 鏡の質問に遼太郎は答えると、ハッキリした事が解り次第伝えると約束する。
 遼太郎は手紙を封筒にしまうと、鏡に何も出ないと思うが念のために鑑識へと回したいので、借りてもよいかと訊ねる。
 その申し出を断る理由のない鏡は、手紙の調査を遼太郎に任せる事にする。

「それとな、念のため“向こう側”に行くのは暫く控えた方が良いだろう。確か試験前だったよな? 良い機会だから勉強に専念すると良い」

「そうですね、陽介達には私の方から伝えますね」

 遼太郎の提案に鏡は頷くも、マヨナカテレビに異変があった場合は“向こう側”へ行く事を許可して貰う。
 その際、都合が付くのなら一緒に調査に参加すると遼太郎は鏡に言い含めておく。
 どれだけの事が出来るのかは判らないが、鏡達だけを危険な目に晒す訳にはいかない。
 鏡達への危険を少しでも下げるために、自身が出来る事を行う。
 僅かであっても、その小さな積み重ねが事件解決の近道だと知る遼太郎は、焦る事なく出来る事からやっていこうと考える。

「それじゃ、私もそろそろ休みますね。お休みなさい」

「あぁ、お休み」

 鏡は遼太郎にそう言うと自室へと戻り陽介達にメールを送信する。
 明日は丁度、体育の日で休日という事もあって試験勉強も併せて脅迫状の事を皆へと伝える事にする。
 メールの内容は試験勉強の事を中心に、調査について進展があった事を仄めかす程度に留めておく。
 鏡がメールを送信してから少しして、皆から返信が返ってくる。
 雪子が実家の手伝いで午前中は手が離せないそうなので、お昼過ぎにジュネスのフードコートで待ち合わせる内容のメールを送信する。
 皆から了承の返信が来た事を確認してから、鏡は布団に入り就寝する。




 翌日になり、鏡は菜々子を連れてジュネスへと向かう。
 今日はクマのバイトが休みなので、菜々子と遊んで貰う事となったのだ。
 菜々子もジュネスに遊びに行けるのが嬉しいのか、出掛ける前から上機嫌だ。

「ナナちゃん! ごきげんようクマ!」

「ごきげんようクマ!」

 フードコートで鏡達に気付いたクマが駆け寄ってきて菜々子に挨拶する。
 菜々子もクマの言葉を真似て挨拶を返すと、さっそくクマが菜々子とジュネスの店内を見て回る事にする。

「それじゃ、お姉ちゃん。行ってきます!」

「行ってらっしゃい。クマ、菜々子ちゃんの事をよろしくね」

「任せるクマ!」

 鏡の言葉に力強く頷いたクマは菜々子と手を繋いでフードコートを後にする。
 菜々子達と入れ替わるように雪子と千枝がやって来て、来ていないのは直斗だけになる。

「済みません、遅れました」

 ほどなくして直斗も到着し、全員がそろったところで、鏡が先日送られてきた脅迫状について皆に説明する。
 鏡から聞かされた話の内容に陽介達が驚く中、直斗だけが脅迫状に隠された意味に気付く。

「鏡さん。その脅迫状は、宛名しか書かれていなかったんですね?」

 直斗の質問に鏡は頷くと、遼太郎と自分も今の直斗が考えた事と同じ事を考えたと答える。
 二人のやりとりに陽介達は首を傾げると、どう言った事なのか説明を求める。

「つまり、犯人は鏡さんがどこに住んでいるのかまで熟知しており、おそらく僕達の事も知っている人物の可能性が高いという事です」

 直斗の説明に、陽介達が短く驚きの声を上げる。
 さらに直斗は、家主が現職の刑事ある堂島家に手紙を送りつけたのは、犯人が脅迫状から足がつかない自信の表れだとも話す。

「そうか……封筒が直接ポストに入れられたって事は、犯人は姉御の住んでる場所を知っているって事だもんな」

「それどころか、菜々子ちゃんや堂島さんの事も知っているって事だよね?」

 納得する陽介の言葉に、りせが表情を強ばらせて話す。
 その事実が示す事。

「犯人が菜々子ちゃんを狙う可能性があるって事!?」

 その可能性に気付いた千枝が驚愕の声を上げる。
 犯人のこれまでの行動から、マヨナカテレビに映った相手のみをターゲットにしていたのが、その前提が覆る可能性が出てきた。
 これから先も、鏡達がマヨナカテレビに放り込まれた被害者を助け続けると、犯人が菜々子を狙う可能性が出てきたのだ。

「おい、それってかなりヤバクないか?」

 千枝の言葉に陽介が冷や汗を流しながら呟く。
 陽介達でも慣れたとは言え“向こう側”に長いあいだ居続けるのは体力的に辛いのだ。
 そんな世界に幼い菜々子が放り込まれたら、それだけでも命の危険性が出ないと言い切れない。

「堂島さんの言うとおり、しばらくの間は向こう側に行くのは差し控えた方が良さそうですね」

「そうだね。出来れば、菜々子ちゃんからも目を話さない方が良いと思う」

 直斗の言葉に同意した雪子が鏡にそう話す。
 ただでさえ、菜々子は独りで留守番をしている事が多いのだ。
 少しでも鏡が傍にいてあげた方が安全だろう。


 これまで通り、雨の日にはマヨナカテレビを欠かさず確認する事を確認し合い、取り敢えずの方針とする。
 遼太郎とも取り決めた通りに、マヨナカテレビに誰かが映った場合は行動を起こす事にし、当面は試験に備えて勉強する事にする。

「菜々子ちゃんに危険が及ぶかもしれないって言うのに、試験勉強とか気が乗らねぇ……」

「陽介、菜々子ちゃんを心配してくれるのは嬉しいけれど、それとこれは話が別」

 気怠げに話す陽介を鏡が窘める。
 そんな鏡に陽介が菜々子が心配じゃないのかと弱々しく抗議するが、菜々子の事を気に掛けながらも試験勉強は出来ると返す。
 その意見には雪子と直斗も賛成らしく、菜々子の事を引き合いに出して、試験勉強をしなくても良いという大義名分にする気がないと話す。

「それに、試験の結果が悪くて追試を受けている時に何かがあった方が、それこそ問題だと思わない?」

 鏡のその言葉に、陽介達は納得するほか無かった。
 自分達が勉強しなかった結果、菜々子が誘拐されるのを阻止できませんでした等とは絶対に言えない。
 勉強嫌いの千枝達も、そんな事になったら悔やんでも悔やみきれないと勉強にやる気を出す。

「それに、以前だってちゃんと勉強して赤点を取らずに済んだのだから、皆やれば出来るはずよ」

 鏡の言葉に、りせと完二が以前の試験の事を思い出す。
 確かに、あの時だって自分達はちゃんと出来たのだ。今回だって問題なく出来るはずだと自分に言い聞かせる。

「それじゃ、試験範囲のおさらいから始めましょうか」

 飲物を買ってきてから、鏡達は試験勉強に取り掛かる。
 以前と同じく、鏡と雪子が千枝と陽介の勉強を見て手が空いた方が、りせと完二の勉強を見る直斗の手伝いをする。




 クマと一緒にジュネスの店内を見て回っていた菜々子は、目を輝かせて楽しそうに陳列されている商品を眺めている。

「あら、菜々子ちゃんじゃない。こんにちは、今日は鏡ちゃんは一緒じゃないの?」

 そう言って声を掛けてきたのは、子供服の専門店『ベリー・ベリー』を経営する瑞紀だった。
 菜々子は瑞紀に挨拶を返すと、鏡は今現在フードコートで勉強中だと答える。
 瑞紀は少し考える素振りを見せると、菜々子とクマに時間が大丈夫なら一つお願いしたい事があると申し出る。
 何でも冬服のデザインで迷っているらしく、色々な人から意見が欲しいという事だ。
 出来れば鏡達からも意見を聞きたかったのだが、今は二人だけでも良いので意見を聞かせて欲しいとお願いする。
 菜々子とクマは困っている瑞紀の力になりたいと思い、瑞紀と一緒にベリー・ベリーへと向かう。

「こっちのデザインはナナちゃんに似合いそうクマね」

 瑞紀から見せられたデザイン画を見たクマがそう意見を述べる。
 菜々子も自分が好きな色など、答えられる範囲で瑞紀へ意見を伝えている。

「そっか……やっぱりこっちの方が、子供受けが良さそうなのね」

 クマと菜々子の意見を聞いた瑞紀がそう呟く。
 実際に子供から聞ける生の意見は、瑞紀にとって得難い意見だった。
 こういった物が望まれるだろうと思っても、実際に大人の思惑と子供の好みが噛み合わない事が多く、こうやって意見を聞く事は大切だ。
 ある一定の年齢になってくると、見栄えを気にし始めるが、小さな子供は着やすさや動きやすさの方に目が向くようだ。
 デザイン性よりも機能性で、見た目を気にする場合も、色かキャラクター物のプリントが付いているかを重要視している。


 デザインが凝っている物はどちらかというと、親達の方が重要視しているように思える。
 もっとも、それらを着ている内に子供自身も好みのデザインとかが決まってくるので、デザイン性を重視した服もあった方が良いだろう。
 一通りクマと菜々子から意見を聞いた瑞穂は二人にお礼を述べると、休憩室で二人にお菓子を御馳走する。

「そろそろ、センセイ達の勉強も一息ついてる頃クマね」

 時計を見たクマが菜々子に話し掛ける。
 その言葉を聞いた瑞紀が戻るのなら、鏡達からも意見が聞きたいので、出来れば後で寄って欲しいとお願いする。
 菜々子は瑞穂のお願いに元気よく返事を返すと、戻ったらすぐにお願いしてくると笑顔で答える。

「ただいま、クマ!」

「ただいま、お姉ちゃん!」

 二人がフードコートに戻ってくると、鏡達も勉強が終わった頃らしく一息ついている所だった。
 直斗が雪子に解らない部分を聞いているのに対し、陽介や完二は疲れ果てた様子を見せている。
 千枝とりせは甘い物を食べながら勉強疲れを癒しているらしく、こちらはそれほど疲れている様子では無さそうだ。

「お帰りなさい。何か良い物はあった?」

「うんとね、瑞紀さんにあったよ! それでね、お姉ちゃん達にいけんを聞かせて欲しいって」

 二人を出迎えた鏡に、菜々子は先ほど瑞紀からお願いされた内容を鏡達に伝える。

「へぇ、子供服の新作かぁ……面白そうだね」

「俺はこの間お世話になったお礼に、手伝いに行きたいッスね」

 りせと完二は瑞紀の手伝いに乗り気を見せ、千枝達も以前見せて貰ったチラシの事もあり、興味を持っているようだ。
 特に急ぎの用事がある者も居ないので、鏡達は皆でベリー・ベリーへと移動する。

「こんにちは、瑞紀さん」

「鏡ちゃん達、いらっしゃい。また急な頼み事してごめんね」

 ベリー・ベリーにやって来た鏡達を出迎えた瑞紀がそう言って、鏡達を休憩室へと案内する。
 鏡達は菜々子達と同じく瑞紀から何点ものデザイン画を見せて貰い、それぞれが感じた事や思った事を瑞紀に話していく。
 完二は自身も裁縫をする事もあり、休憩室にいた他のスタッフと服の作りについて意見を交わしている。
 そこで瑞紀が感心したのは、完二の服飾に対するセンスの良さだった。
 完二が裁縫をする事は菜々子の誕生日プレゼントの件で知ってはいたが、かなり本格的に出来るようだ。
 見た目のイメージに合わないと完二は自身を卑下するが、瑞紀はそんな事はないと否定する。

「完二君、だっけ? 君は自分の見た目と合わないって言うけれど、そのセンスは本物だと思うよ」

 そして、何より瑞紀が完二を評価したのは、本人が好きでやっているという点だ。
 諺に『好きこそものの上手なれ』という言葉があるが、完二は正しくそれに当てはまる。


 そんな瑞紀の褒め言葉に、完二はどう反応して良いのか解らず固まっているが、その様子を鏡は好ましく感じていた。
 瑞紀は先入観で人を見る事が無く、他人の良いところを正しく評価できる人物だ。
 そして、そんな瑞紀に完二が評価された事が自分の事のように嬉しく思う。

「良かったら一度、ウチでバイトをしてみない?」

 瑞紀からの申し出に、完二は自分は強面なので子供の相手をするのは拙くないかと、申し出に対して遠慮する。
 しかし、瑞紀は完二をしげしげと見て、『子供の相手をするのが、苦手という訳じゃ無いでしょ?』と、あっさりと言い切る。
 その言葉に鏡は完二が以前、友達のストラップを無くした少年の為に、編みぐるみの人形を作ってあげた事を思い出す。


 あの時も完二は少年と一緒に、ストラップを無くした事を謝罪し、自身が作った編みぐるみを二人にプレゼントしていた。
 少年と友達の少女は完二を怖がる様子は見せず、その一件以降は何かと完二に対して懐いている位だ。

「……考えさせて貰って良いッスか?」

「えぇ、もちろん。今すぐ決めて貰わなくても良いから、ゆっくり考えてみてね」

 完二の返答に瑞紀は満足げに頷くと、改めて陽介達から意見を聞くべく移動する。
 ベリー・ベリーは主に子供服を扱っているが、今年の冬からはティーンズ向けの商品も出す予定らしく、そちらの意見も聞きたいようだ。
 ティーンズ向けの方は主に女物を扱う予定なので、男子から見た意見も欲しいと、瑞紀は陽介達に説明している。

「ありがとう。おかげで、貴重な意見が多く得られたわ」

 瑞紀が皆に様々な意見が聞けた事へのお礼を述べる。
 鏡達も、色々なデザイン画やサンプルを見せて貰えて楽しかったので、双方にとって有意義な時間となったようだ。
 取り分け完二にとっては、自身のこれからに対しての影響が大きい出来事であったかも知れない。

「私だけだと煮詰まっていたから、本当に助かったわ」

「私達こそ、お役に立てて何よりです」

 瑞紀の言葉に鏡が答える。

     我は汝……、汝は我……

   汝、新たなる絆を見出したり……


   絆は即ち、まことを知る一歩なり


  汝、“節制”のペルソナを生み出せし時

   我ら、更なる力の祝福を与えん……

 いつもの声が脳裏に響く。
 鏡がこれまで得てきたコミュニティは、かなりの数になってきており、人との繋がりが自身の力となっている事を強く実感している。
 もしも、誰とも絆を結ぶ事が出来ていなかったら?
 今こうして皆と過ごしている自分は居なかっただろう。漠然とだが、鏡はそんな事を考える。
 このまま事件を解決する事が出来なかったら、こういった皆と過ごす時間も無くなってしまうだろう。
 鏡は改めて、事件解決への決意を新たにする。
 ベリー・ベリーを後にした鏡達は時間が夕方になった事もあり、そろそろ解散する事にする。
 鏡は菜々子と共にいつものように食材売り場で買い物をして行く予定だ。

「それじゃ、また明日。学校でな」

 それぞれ別れの挨拶を交わして帰って行く皆を見送ってから、鏡は菜々子と一緒に食材売り場へと移動する。
 今日は今が旬である鮭の塩焼きと肉じゃが、大根の味噌汁にほうれん草のお浸しを作る予定だ。
 材料を購入して、菜々子と二人で荷物を分け合って空いた方の手を一緒に繋いで帰宅する。


 帰宅してから手を洗い、二人でいつものように晩ご飯の支度を始める。
 今日の担当は塩焼きとお浸しを菜々子が作り、肉じゃがと味噌汁を鏡が作る。
 二人とも慣れた手つきで調理を進めていき、遼太郎が帰宅する頃には全ての調理を終わらせている。


 帰宅した遼太郎と一緒に晩ご飯を食べ終えると、鏡はいつものように食器の後片付けをしてから菜々子とお風呂に入る。
 入浴しながら鏡は、脅迫状に付いて何かが解るまでのしばらくの間、菜々子を迎えに行った方が良くないだろうかと考える。
 しかし、毎日迎えに行くのもあからさまに警戒している事を犯人に知られる可能性もあるので、判断が難しいところだ。

「お姉ちゃん、どうかしたの?」

 鏡の様子が気になった菜々子が、湯船の中で鏡にもたれ掛かりながら訊ねてくる。
 そんな菜々子を鏡は優しく抱きしめると、何でもないよと安心させるように笑顔で答える。
 お風呂から上がった鏡は、菜々子の髪を乾かしてから自身の髪を乾かし、湯冷めしないうちに菜々子を寝かし付ける。

「鏡、お前から預かった手紙な。数日で結果が出ると思う」

 菜々子を寝かし付けて居間に戻ってきた鏡に、遼太郎が言葉を掛ける。
 その言葉に鏡は頷くと、今日ジュネスで直斗達と話してきた事を遼太郎へと伝える。

「そうだな。確かに、菜々子の身に害を及ぼす可能性があるな……すまんが、暫く菜々子の事を頼む」

 菜々子が直接狙われる可能性を聞いた遼太郎は、鏡にそう言って頭を下げる。
 可能性自体は遼太郎も気付いていたが、鏡と同じように表立って警戒する事を危惧していた。
 それに加え、“テレビの中で行われる犯罪”という、説明の難しい事実を証明する事も困難さに拍車を掛ける。
 鏡達が事件に関わっている事も、表沙汰に出来ない要因の一つである事も挙げられる。
 脅迫状も、鑑識の信頼できる人物に頼んで鏡達の事を表沙汰にならないように配慮した位なのだ。

「わかりました。それじゃ、私もそろそろ自室に戻りますね。おやすみなさい」

「あぁ、おやすみ。風邪を引かないように気をつけろよ」

 自室へと戻る鏡を見送った遼太郎は、今後の事について思いを馳せる。
 現状、自分一人では菜々子の事にまで手が回らないのは確かで、誰かに手伝ってもらう事も難しい。

(足立のやつが使えればなぁ……)

 相棒である足立に事情を説明して手伝ってもらう事も考えたが、口が軽く機密をうっかり漏らすような彼には話す事が出来ない。
 口が固ければ是非とも手伝って欲しい所なのだが、稲羽警察署自体が慢性的な人手不足なのも問題の一つだ。
 代わりの人員が見込めないもどかしさに、遼太郎は溜息をつく。




 書類整理をしている遼太郎の元に、内線電話が掛かってくる。
 相手の内線番号を確認した遼太郎は、周りに人気がない事を確認してから受話器を取る。

「堂島です。市原さんですか?」

『おう、遼太郎。今からこっちに来られるか? お前から頼まれてた件、結果が出たぞ』

 内線電話の相手は、遼太郎が稲羽署に配属されたときから鑑識課に所属している市原からだった。
 新人の頃からの付き合いであり、稲羽署にあって遼太郎の頭が上がらない数少ない人物でもある。

「判りました、今すぐそちらに伺います」

 遼太郎は短くそう答えると、通話を終えて鑑識課へと向かう。

「あれ? 堂島さん。急いでいるようですけれど、何かあったんですか?」

 外回りから戻ってきた足立が、遼太郎に気付いて声を掛ける。
 遼太郎は足立に視線を向けると、今から鑑識課の方へと行ってくると告げる。

「手掛かり、見つかると良いですね」

 鑑識課という言葉を聞いて、足立は遼太郎が轢き逃げされた妻の事で出向くのだろうと思い、そう声を掛ける。
 足立の勘違いに気付いた遼太郎は、訂正せずに短く『あぁ』と答えると、そのまま鑑識課へと向かう。


 鑑識課に遼太郎が到着すると、室内には市原以外の姿は見えなかった。

「来たか、遼太郎。取り敢えず、話は隣の部屋でしよう」

 市原の言葉に遼太郎は頷くと、市原の個室扱いになっている隣の部屋へと移動する。

「依頼の結果だがな、封筒からは三つの指紋、手紙からは二つの指紋が検出された」

 その言葉を聞いてた遼太郎は気落ちする事なく、やっぱりなと言った納得の表情を見せる。
 市原も遼太郎から依頼を受けた際に、鑑識結果にはあまり期待していない事を聞かされていたので、手短に説明する。

「手紙から検出されたのは女性のモノと成人男性のモノ。封筒からは先の二つの指紋と子供の指紋だ」

「つまり、俺と娘達の指紋のみって事ですね」

 遼太郎の言葉に市原は頷くと、封筒と手紙も文具店で売られているような珍しくもない物である事を告げる。
 その上、手紙はコピー機を使ってあるので、プリントに使われたインクの特定も不可能だと説明する。

「ここまで徹底している事で、この手紙の差出人がかなりの用心深い人物であるのが解ったくらいだな」

 鑑識結果を伝えた市原が見解を述べる。
 遼太郎と鏡も市原と同じ見解を持っており、脅迫状からは犯人に直接繋がる手掛かりは無い事がハッキリした。
 その代わり、犯人は用心深く頭もかなり回る人物像が浮かび上がった。

「取り敢えず、今暫くはちっちゃな嬢ちゃんの安全の第一に考える事だな」

 説明を終えた市原は上着のポケットから煙草を取り出すと、火を点けて紫煙をくゆらせる。
 菜々子は覚えていないが、市原は菜々子が赤子の時に会っている事もあり、自身の孫のように思っている。
 遼太郎と千里の結婚式では二人の仲人も務めており、その縁もあって、今も千里を轢き逃げした犯人逮捕の捜査協力を行っている。

「そう言えば、お前が預かっている姪っ子の方は大丈夫なのか?」

 市原がふと思い出したように遼太郎に訊ねる。
 脅迫状の受取人ではあるが、裏をかいて犯人が直接、本人に危害を加えてくる可能性を挙げる。
 何しろ、犯人は用心深く頭も切れる。こちらの事情も予測していてもおかしくはない。
 常に最悪を想定して行動する癖が染みついているため、市原はその危険性を心配する。

「アレで結構、交友関係が広いですからね。菜々子よりかは安全だと思います」

「そうか。まぁ、二人が常に一緒に居るのが一番望ましいが、難しいな……」

 小学生と高校生だ。常に一緒にいる事は難しいし、それぞれの交友関係もあるだろう。
 だからといって、こちら側から護衛を用意する訳にはいかない。
 ひょっとすると、犯人はそれらを見越してこちらの動きを牽制している可能性もある。
 事が起こった時にすぐに動けるようにするのが、現状で出来る手だと二人は結論づける。




 目新しい進展のないまま、鏡達は試験を迎える。
 脅迫状に関して、手掛かりが無い事を遼太郎から伝えられた鏡は、出来るだけ菜々子といる時間を多く持つ事にする。
 自称特別捜査隊の面々も、菜々子の事が気に掛かるのか良く顔を見せている。
 今朝も、りせと完二が堂島家に迎えに来ており、小学校との分かれ道まで一緒に通学してきている。

「取り敢えず、今日までは何もなくて良かったよね」

 菜々子と別れた後で、りせがそう呟く。
 その言葉に完二も頷くと、こういった待ちの姿勢は性に合わないと、もどかしげに話す。
 鏡は少し考えると、こうやって自分達を常に緊張した状態にするのが、犯人の目的なのかも知れないと考えを述べる。

「つまり、私達を精神的に疲れさせようっていう事?」

「あくまでも可能性の話だけどね」

 りせの質問に確証が無いと鏡は返すと、取り敢えず今は目の前の試験を乗り切る事を考えようと二人に話す。
 その言葉にりせと完二は嫌そうな表情を見せるが、ちゃんと勉強したのだから大丈夫と鏡が二人を励ます。

「よう、おはようさん」

 学校が見えてきたところで、陽介が鏡達に声を掛けてくる。千枝と雪子も一緒らしく、それぞれ鏡達に挨拶してくる。
 陽介達と合流した鏡は、先ほど話していた犯人の脅迫状を送ってきた目的を伝える。

「なるほどな……そんな目的もあったとしたら、俺達は見事に犯人の思惑通りになってるって事だな」

「だとすると、ちょっと悔しいよね……」

 陽介と千枝がそれぞれ思った事を述べる。
 雪子はそれならば、いつも通りの生活を心がけつつ、菜々子の傍にいる時間を増やせば良いと話す。

「ま、それはそれとして、今は目の前の試験を乗り切って、追試だけは免れないとな」

 陽介の言葉に、千枝もそれだけはごめんだと気合いを入れる。

「それじゃ、先輩。また後でね」

 学校に到着すると、そう言ってりせが鏡達に軽く手を振って教室へと向かう。
 完二も鏡達に一声掛けてからりせの後を追って自分の教室へと向かう。
 りせ達と別れた鏡達も、教室へと向かう事にする。
 教室へと到着すると、試験前のどこか緊張した空気に教室は包まれていた。
 試験は十七日の月曜日から金曜日までで、その翌日には文化祭の出し物を決める事になっている。

「は~い、席について~。今からテスト用紙を配るわよ~」

 チャイムが鳴り、教室へと担任の柏木がそう言いながら入ってくる。
 その声に皆が席に着くと、柏木は教室の窓際の席から用紙を配り始める。

「それじゃ、はじめ~!」

 やる気のないかけ声と共に試験が始まる。




 試験期間中は何事もなく無事に過ぎ、テスト最終日。
 どの問題も簡単で仕方がないと思えるほどの手応えを感じた鏡は、答案用紙を瞬く間に埋めていく。
 放課後になり、試験から解放された生徒達が、それぞれ文化祭の出し物が何になるのか楽しそうに話している。
 そんな中、大きく欠伸を漏らした陽介が、ようやく試験から介抱された事を喜んでいた。

「ね、問八だけど……」

 千枝がいつものように雪子と試験の答え合わせをしている。
 そんな様子を見た陽介が鏡に、昨日は徹夜で倒れそうだから先に帰るわと告げて帰宅する。
 鏡も今日は菜々子と待ち合わせをして、ジュネスで買い物をする予定なので、雪子達に声を掛けてから学校を後にする。

「あ! お姉ちゃん!」

 待ち合わせ場所で待っている鏡に気付いた菜々子が、そう言って鏡の元へと駆けてくる。
 鏡は菜々子に軽く手を挙げると、その手を差し出す。
 菜々子は差し出された手を取ると、鏡と並んで一緒にジュネスへと向かう。

「ね、お姉ちゃん」

 道すがら、鏡と今日の献立を話していた菜々子が声を掛けてくる。

「どうかしたの?」

「あのね、きょう学校で、『かぞくは助け合うんだ』って先生がいってた」

 訊ねる鏡に菜々子はそう答えると、お母さんが死んで寂しいけれど、自分にはお父さんとお姉ちゃんが居るから大丈夫だと話す。

「だから、お父さんが寂しくならないように菜々子、がんばるね!」

 母親である千里が亡くなって、遼太郎も寂しかった事を聞いた菜々子が幼いなりに考え抜いた事。
 それは、自分の事よりも遼太郎の事を思いやった決意だった。

「お姉ちゃんも家族だから、一緒にがんばろうね!」

「そうだね、一緒に頑張ろうね。だけど、無理だけは駄目だからね? 叔父さんが悲しむから」

 鏡の言葉に菜々子は元気よく頷くと、今日は遼太郎の好物であるたくあんも買って帰ろうと提案する。

     我は汝……、汝は我……

   汝、ついに真実の絆を得たり


    真実の絆……それは即ち

       真実の目なり

    今こそ、汝には見ゆるべし

  “正義”の究極の力、“スラオシャ”の

    我が、内に目覚めんことを……

 鏡の脳裏に再び絆を満たした時の声が響く。
 それは、鏡の心の中をまた一つ強い力が満たした事を意味している。
 改めて鏡は思う。
 こんなにも健気な菜々子が、事件に巻き込まれてしまわないように、絶対に守ってみせるのだと。




2012年03月10日 初投稿



[26454] 文化祭 前編
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2012/04/15 20:20
――――脅迫状が来て以降、犯人からの動きはない

     試験を終えて、周りは文化祭の話題で溢れている

         気を張り続けるのも問題なので

   今は気持ちを切り替えて、文化祭を楽しむべきなのだろう……




 試験を終えた週末。
 鏡達のクラスは文化祭の出し物を決めるべく、それぞれが意見を出し合っている。

「最後、えっと……“合コン喫茶”」

 主な案は“休憩所”など、何もしない事が前提の案が多く、全体的にやる気のなさが露呈している。
 その中で唯一、出し物としてはまともと思われる“喫茶店”の後に読み上げられたのが“合コン喫茶”だった。

「おいおい、誰だ提案したの? 里中あたり?」

 クラスがざわめく中、陽介が戯けた様子で千枝に訊ねる。
 陽介の言葉に千枝は間髪入れずに否定すると、雪子が千枝に“合コン喫茶”って何と、不思議そうに聞いている。
 千枝は雪子の質問に、自身も知らないが誰も投票しないでしょ、と返す。

「そうそう、あくまでネタネタ。一個キワモノを混ぜとくのって、お約束じゃん?」

「アンタかよ!?」

 二人のやりとりを聞いていた陽介が、自身が提案した事を明かす発言をして、千枝に睨み付けられる。
 千枝の睨みにもどこ吹く風といった様子の陽介だったが、鏡に声を掛けられた瞬間、その表情が僅かに強ばった。

「陽介。一つ確認したいのだけど、合コン喫茶が選ばれた場合の、具体的なプランは当然、考えてあるんでしょうね?」

「え? 具体的なプランって……誰もこんなキワモノに、票なんか入れるワケ無いって」

 陽介の返事を聞いた鏡は、やはりといった表情になると、陽介に冷たい視線を向ける。
 睨み付けるような冷たい視線に、陽介が冷や汗を流す。

「つまり、無責任にも単なる思いつきで案を出したと言う訳ね……」

「ちょっ!? 無責任って姉御……」

 鏡の指摘に、陽介が狼狽えて反論しようとするも、鏡から『プラン無しの案を出して、無責任と言わずに何というの?』と切り捨てられる。
 流石の陽介も、その指摘には反論する事が出来ず、気まずそうな表情で視線を泳がせる。
 反論できない陽介を前に、鏡は我ながら堅苦しい言い方しか出来ないなと思う。
 鏡は本気で怒ると感情的にならず、淡々と正論で相手を言い負かせようとする傾向が強い。
 千枝のように素直に感情を表す事が出来ればとは思うが、育った環境のせいもあって、それも難しい。

「それに私は、今年一年しかここには居られないのだから、皆と一緒に何かをした思い出が欲しいのよ」

 そんな事を考えつつ発した発言に、クラス全員が鏡の事情を思い出す。
 千枝や雪子達と居る事が多いが、他のクラスメイトメイトとも交友関係を結んでいる。
 クラスメイトの中には、鏡に頼み事を引き受けてもらっている者も多く、同性のクラスメイトからは、お姉さんの様に慕われている。
 男子生徒達にも分け隔て無く接しており、この間の体育祭で従妹の菜々子と接する姿を見て、ファンになった者も少なからず居る。
 もっとも、雪子や千枝と比べると、鏡は女生徒達の方に人気があるようだ。

「そういや姉御は、今年一年だけだったんだよな……」

 その事実を思い出し、陽介がバツの悪そうな表情で呟く。
 自身と違い、来年には転校してしまう鏡にとっては、何気ない日常も大切な思い出になるのだろう。

「それじゃ、喫茶店の案を出したのは鏡なの?」

 千枝の質問に鏡は『そうよ』と答えると、調理は普段からやっているし、お菓子も作れるからと説明する。
 鏡の説明に、雪子が菜々子の誕生日で食べた鏡の作ったケーキは美味しかったと話すと、一部のクラスメイト達に動揺が走る。

「静かに! それじゃ、投票用紙を回すから一個だけ書き込んでね」

 ホームルームを進行している女子クラス委員がそう言うと、男子クラス委員が投票用紙を配っていく。
 投票用紙が行き渡ると、それぞれが挙げられた出し物の内、やりたいモノを書き込んでいく。
 書き込まれた投票用紙を回収して、クラス委員が開票作業を行う。
 開票の結果、ネタに走って合コン喫茶に票を入れた者が多数居たが、僅差で出し物は喫茶店に決まった。

「オイオイ……合コン喫茶との差が一票って……マジでやばかった」

 開票結果に戦々恐々としていた陽介が、冷や汗を流しながら呟く。
 先ほど、鏡に指摘された時にも答えたとおり、陽介は合コン喫茶について何もプランを考えていなかったのだ。
 もし合コン喫茶が選ばれていたらと思うと、陽介の胃がキリキリと痛む。

「良かったね、花村。合コン喫茶にならなくて。選ばれていたら、アンタを責任者にして仕切ってもらおうと思ってたのに」

「何で俺が仕切んなきゃなんねぇんだよ!」

「アンタが言い出しっぺだからでしょうが!!」

 冷ややかな視線を向けてそう話す千枝に、陽介が激しく反論するも、それ以上の剣幕で千枝に言い返される。
 その剣幕に押された陽介は、鏡からも『因果応報』と追い討ちをかけられ、言葉を詰まらせる。

「ま、花村が、『口を開けばガッカリ王子』って言われるのも納得だわ……」

 そんな陽介の様子を見て、千枝が呆れたように呟く。
 陽介は整った容姿をしているにも拘わらず、その言動から『ガッカリ王子』と揶揄されているのは周知の事実だ。
 言われている当人は反論したい所だが、何度も軽率な行動を取っているために反論の余地がない。

「私も軽率な行動は控えてって、何度も陽介に言ったよね?」

 鏡の指摘が事実なだけに、陽介はぐうの音も出ない。

「はいはい、私語は慎んで。それじゃ、開票結果で喫茶店になりましたので、提案した神楽さんに、陣頭指揮をお願いしても良いかな?」

 クラス委員の言葉に鏡は頷くと、まず初めに、調理が出来る人がどれだけ居るかを確認する。
 それと合わせ、接客の経験者も何名いるのかを確認する。

「普段から調理をしているのは、私とあいかを含めて五名か……」

 確認の結果、普段から日常的に調理をしているのは鏡を含めた五名。
 接客経験者は、家業が中華料理店のあいかと、天城屋旅館の次期女将である雪子。
 そして、ジュネスでバイトリーダーをしている陽介と、陽介の手伝いをした事のある鏡と千枝を含めた十名だった。

「あいかはお菓子作りの経験は?」

「ん~、だいじょ~うぶ」

 鏡の質問に、あいかは表情を変えずにそう返す。
 独特のイントネーションで会話をするあいかは、口数が少ない無口な女生徒だ。
 しかし、仕事に対する姿勢は真摯でプロ意識を持っており、実家の中華料理店“愛屋”でも、看板娘として評判が高い。


 鏡は他のクラスメイト達にも確認を取ると、お菓子作りの方を主にしている者が多い事が判った。
 それらの結果を踏まえて、調理と接客を主に担当する責任者を決め、経験のないクラスメイト達に指示を出して行く方針にする。
 一部のクラスメイト達は面倒だと難色を示したが、それぞれが文化祭を楽しめるように、作業と休息時間を明確決めていく。

「それじゃ、後は文化祭で出すメニューを各自で考えてきて、週明けにメニューを決めましょうか」

 営業面の指針を決めると、次は内装を決めていく。
 こちらの方は凝った物ではなく、準備が容易に出来る事を第一に決められていく。
 飾り付けの折り紙でリングを作り、それを数珠繋ぎにした物や、客席として使う机の上にテーブルクロスを掛ける事などが決められていく。
 机の上にテーブルクロスだけだと少し寂しいので、手作りのメニューカードとメニュー立ても用意しようという案も出てくる。
 必要になりそうな材料を挙げ、それらの買い出しも週明けにおこなう事にする。

「取り敢えず、必要そうなのはこれくらいかな? 買い出しの時は、領収書を切ってもらって来る事を忘れずに」

 必要と思われる材料の書かれたメモを確認し、女子クラス委員が鏡にそう告げる。
 取り敢えずの方針も決まり、本格的な作業は週明けになってからと言う事でホームルームは終了する。




 放課後になり、いつものように鏡はジュネスへと食材の買い出しへと向かう。
 途中、待ち合わせをしてた菜々子と合流すると、二人は今日の晩ご飯の献立を話し合いながら、雨の中ジュネスへと向かう。
 雨が降る影響で気温が下がっているため、今日の献立は鍋料理にしようと決める。


 ジュネスに到着した鏡達が食材売り場に行くと、鍋料理の特設コーナーが設けられているのを発見した。
 色々な種類の鍋料理が紹介される中、女性に人気と謳われたトマト鍋という珍しい物を見付ける。

「お姉ちゃん、トマト鍋だって!」

 菜々子もトマト鍋に気付いたらしく、鏡の手を引きトマト鍋を指差す。
 鏡も興味があったので、菜々子と共にトマト鍋のコーナーへと移動する。

「あら、いらっしゃい。今日はお鍋?」

 二人にそう言って声を掛けてきたのは、食材売り場を任されている年配の女性で、鏡達とは顔馴染みである。

「坂井さん、こんにちは。今日は特設コーナーの担当ですか?」

 女性に菜々子と共に挨拶をした鏡がそう訊ねる。
 鏡から坂井と呼ばれた女性は、表情を綻ばせると『そうなのよ』と楽しそうに話す。
 坂井はジュネスがオープンしてからのスタッフで、陽介やクマも『おばちゃん』と呼んで慕っている人物だ。
 栄養士の資格を持っており、鏡もよく食材選びなどでお世話になっている。


 坂井も買い物に良く来る鏡達の事を実の娘のように思っており、特に鏡のお手伝いをする菜々子の事を可愛がっている。
 菜々子も坂井に懐いており、菜々子にとってはお母さんみたいな相手なのかも知れない。

「最近、トマト鍋がブームになっていてね、ジュネスでも宣伝してみる事になったのよ」

 坂井の説明によると、トマトは女性にとって嬉しい要素が多い食材で、健康と美容に良いそうだ。
 その説明を裏付けるように、トマト鍋のコーナーには若い女性客の姿が多く見られる。
 トマト鍋はシメにパスタを入れても良いし、米を入れてリゾット風にも出来ると坂井は話す。

「スープは出来合いのもあるけれど、鏡ちゃんなら自分で作った方が良いかも知れないわね」

 そう言って、坂井は鏡に市販のホールトマトを使うも良し、完熟トマトからトマトピューレを作って使うも良しとアドバイスする。
 坂井の薦めもあり、鏡達はトマト鍋を作ってみる事にする。
 材料も坂井から教えてもらい、買い物カゴへと入れていく。


 選んでもらった具材は、鶏もも肉、ホタテ、エビ、イカに、キャベツ、玉ねぎ、カボチャ、しめじ、えのき。
 豆腐を入れても美味しいと言われたので、帰りに丸久豆腐店に寄る事にする。

「二人とも、外は雨だから気をつけて帰るのよ」

 坂井に見送られ、鏡達はジュネスを後にして丸久豆腐店へと向かう。
 稲羽中央通り商店街に着くと、雨の影響かうっすらと霧がかかって視界が少し悪く、鏡は菜々子に自分から離れないように注意する。
 鏡の言葉に菜々子は頷くと、車に注意しながら鏡の後を付いていく。

「鏡ちゃん、菜々子ちゃん、いらっしゃい」

「あ、二人とも買い物帰りなんだ?」

 丸久豆腐店に着いた二人をシズとりせが出迎える。
 りせは二人がジュネスの買い物袋を持っている事に気付くと、そう言って今日の献立は何かを訊ねる。
 鏡からトマト鍋を作る事を聞いたりせは、話題になっている事を知っていたらしく、シズに今度ウチでもやってみようかと提案する。

「それで、トマト鍋の具材に木綿豆腐を二丁頂けますか」

「木綿豆腐だね。りせ、お会計の方お願いね」

 鏡から注文を受けたシズが木綿豆腐を用意する間に、りせが鏡からお代をもらい、お釣りを渡す。

「はい、鏡ちゃん。木綿豆腐二丁ね。外は雨の上に霧が出ているようだから、車には気をつけて帰るんだよ」

「先輩、また週明けに学校でね。菜々子ちゃんも、またね」

 シズ達に挨拶をして丸久豆腐店を後にした二人は、稲羽中央通り商店街の北側へと移動する。

「あ、たける君とのぞみちゃんだ」

 愛屋の前にいる少年と少女を見て、菜々子が声を上げ、その声に気付いたのか、少年が鏡達へと視線を向けてくる。

「鏡姉ちゃんに、堂島?」

 少年は見覚えのある相手で、同じテニス部に所属する紫の弟、武だった。
 一緒に居る少女とは面識が無いが、ここの所、武と一緒に居る姿をよく見掛けている。

「こんにちは、武君。何をしているの?」

 鏡の質問に武は、一緒に居る少女が家に帰ろうとしないから傍に付いているのだと答える。

「武ちゃん、霧っておもしろいよね。なーんにも見えなくなってて」

 菜々子に“のぞみ”と呼ばれた少女は、ぼんやりとした雰囲気で、鏡達の事を気にする事なく武に話し掛ける。

「なーんにも見えない、見えない……それって、ちょっといいな」

「あのな……車とか危ないから、よくないだろう」

 のぞみの言葉に反論する武に鏡も同意すると、目線をのぞみに合わせて、交通事故に遭ったら大変だからと優しく諭す。
 その言葉にのぞみは不思議そうな表情を見せると、すぐさま鏡を探るような目でじっと見てくる。

「お姉さんも武ちゃんと同じように、私がしんぱい?」

 その言葉に鏡は頷くと、菜々子も心配する事をのぞみに告げる。
 のぞみはその言葉を聞いた後も鏡の事をじっと見つめている。

「お姉さんは、いい人だね」

 そう言うと、のぞみは鏡に向けて柔らかい笑みを見せる。
 どことなく儚げに見える笑みが気になるも、のぞみが『今日は帰る』と言い、武が送っていくと言ったので、二人と別れる事にする。
 武達を見送った鏡達も霧の中、車に気をつけながら家路につく。




 帰ってきた鏡達は買い物袋をテーブルの上に置くと、霧の中を歩いて冷えた身体を温めるために、先に入浴する事にする。
 菜々子と二人、お風呂でよく温まった鏡達がお風呂から上がると、時間は頃よく夕方になっていた。
 坂井にもらったレシピを頼りに、鏡は菜々子と一緒に調理を始めていく。
 スープ作りは鏡が担当して、菜々子は具材の下準備を行う。


 鏡は坂井の薦めもあり、トマトピューレから作り始める事にする。
 ざく切りにした完熟トマトを土鍋に入れ、水を入れずにそのまま火にかける。
 加熱されていく内にトマトから水気が出てくるので、木べらでトマトを潰していき、さらに水気を出していく。
 ある程度トマトが煮くずれしてきたら、裏ごし器で皮と種を取り除き、再び土鍋に戻してさらに煮詰める。
 軽く塩を振り味を付け、スープの元となるトマトピューレが完成する。


 鶏肉をオリーブオイルとガーリックで表面に軽く火を通すと、トマトピューレの入っている土鍋へと移す。
 そこに、水と固形コンソメをいれて加熱していき沸騰してきたらアクを取り、酒、トマトケチャップ、しょうゆを加えて味を調える。


 スープが出来上がる頃になると遼太郎も帰宅したので、ちゃぶ台に卓上コンロを用意し、土鍋をそちらに移す。

「今日は鍋か」

 ちゃぶ台に置かれたコンロと土鍋に気付いた遼太郎がそう零す。
 遼太郎の言葉に鏡が『今日は冷えますから』と答え、菜々子が手を洗って座るように促す。
 手を洗ってきた遼太郎が座るのを待って、鏡が火の通りにくい具材から土鍋に入れていく。
 初めて見るトマト鍋に遼太郎が驚きの声を上げると、鏡が坂井から聞いた話を遼太郎へと聞かせる。
 鏡の説明に遼太郎はなるほどと頷き、鍋が出来上がるのを興味深く見ている。

「こういう、洋風の鍋というのも悪くないもんだな」

 初めて食べたトマト鍋に対して、遼太郎がそう感想を述べる。
 遼太郎には味付けが若干甘く感じるが、菜々子には好評で美味しそうに食べている。
 もっとも、鏡がトウガラシを用意していたので、それを加えて自分好みの味に調整している。

「ウインナーを入れても良かったかもね」

 鏡の言葉に、菜々子が今度またトマト鍋を作るときは入れて欲しいとお願いする。
 菜々子のリクエストに鏡は笑顔で頷くと、他にも使えそうな具材を考えておくねと答える。
 残ったスープは必要な分だけ土鍋に残し、余った分は明日の昼食でスープスパゲティにするため、容器に移す。
 土鍋に残したスープにご飯を入れ、リゾット風に仕上げて残さず食べ終える。
 初めて作った割に皆からの評価が良かったので、寒さが本格的になった頃にまた作ろうと鏡は考える。
 食事を終え、使った食器を洗って片付けると、食後のお茶を飲みながらのんびりと過ごす。
 いつもなら入浴しているのだが、もう済ませているので他愛のない話に花を咲かせている。

「……という訳で、今度の文化祭で喫茶店をやる事になりました」

 鏡が今日学校であった事を話すと、菜々子が目を輝かせて自分も遊びに行きたいと話す。
 菜々子の言葉に遼太郎が土曜日は仕事だが、日曜日は非番なので連れて行ってやろうと、菜々子と約束する。
 文化祭に連れて行って貰えると聞いた菜々子は大喜びすると、遼太郎に絵本を読んでとお願いする。
 見ると、菜々子は少し眠たそうにしているので、寝かし付ける事を考えると良い頃合いなのかも知れない。
 その事に遼太郎も気付いたのだろう、絵本を読み終えたら眠るように菜々子と約束して寝室へと向かう。

「今日は寒いから、お前も風邪を引かないように早めに休めよ」

「解りました。叔父さん、菜々子ちゃん、お休みなさい」

 遼太郎と菜々子も鏡に『お休みなさい』と返して居間を後にする。
 鏡は飲み終えた湯飲みを洗い終えてから自室へと戻り、布団に潜り込んでから眠りにつくまでの間、喫茶店で出すメニューを考える。
 日持ちや保存を考えるなら、焼き菓子系のお菓子と、軽食はサンドウィッチ辺りが無難なところか?
 そんな事を考えながら、鏡は眠りへと付く。




 陽介が自室でクラスの出し物である喫茶店の事を考えていると、ふいにクマが声を掛けてくる。

「ヨースケ、ここに書かれている文化祭って何クマか?」

 クマの手に持たれているプリント用紙に視線を向けた陽介は、文化祭について簡単に説明する。
 陽介の説明を興味深く聞いたクマは、プリントに書かれてある項目を指差して『ミスコンとは何クマか?』と、さらに質問を重ねる。

「ま、ようは一番可愛い女生徒を選ぶコンテストだな」

 大雑把にミスコンの事を説明した陽介が、最後にそう言って説明を終える。
 陽介のこの一言にクマは興奮しながら鏡達は出るのかと陽介に詰め寄る。
 鏡の性格から考えると、参加は難しいだろうなと陽介は考えると、その事をクマに話す。

「え~!? センセイ達、出ないクマか? それは勿体ないクマよ!!」

「お前、ヤケに突っかかるな。何を企んでいるんだ?」

「企むなんて失敬クマね! クマはただセンセイ達の水着審査が見たいだけクマよ!!」

 どこまでも自身の欲望に忠実なクマの言動に、陽介は軽い頭痛を覚えるも、そこまで言い切れるクマを羨ましくも思う。
 もっとも、自分もそういう風になりたいとは微塵も思わないが。
 そんな事を考える陽介に、クマは鏡達は絶対に参加すべきだと力説して、プリントのミスコンの項目に書かれている一文を指差す。

「ヨースケ、ココに他薦でも参加を受け付けるって書いてあるクマ!」

「お、今年は他薦も受け付けるようになったのか……」

 クマが指差した一文を読んだ陽介の中で、鏡達全員を推薦しても良いかと考える。
 本当に嫌だったら、辞退すれば良いだけの話だ。

「それなら、ちょっくら推薦してみますかね」

 陽介の言葉にクマは喜ぶと『センセイ達の水着姿が見られる!』と大喜びする。

「それとな、クマ。ミスコンに水着審査は無いからな?」

「何ですとぉ~!」

 陽介の一言にクマはショックを受けると、プリントに書かれている内容に改めて目を通す。
 そこには、参加者の自己紹介の後に投票と書かれており、水着審査という文字はどこにも書かれていない。
 その事実に愕然としたクマは、ガックリと項垂れるとある一文に目が留まった。

――――ミス八高・女装大会 優勝賞品 『ミス八高コンテスト審査員権』

 その一文に気付いたクマが、凄い勢いで陽介に“ミス八高・女装大会”に自分が参加できるかを問いつめる。
 あまりの剣幕に圧倒された陽介は、飛び入り参加も可能だった事を説明すると、クマがやる気を見せる。

「って、お前、女装コンテストに出る気かよ!?」

 驚く陽介に、クマは自信たっぷりに優勝間違い無しと言い切る。

「ま、確かにお前は“見た目”は良いからな……それ以前に参加者が居ないと思うけどな」

 本人が出たいと言っているので、陽介は鏡達の推薦と併せてクマの参加申請もおこなう事を約束する。
 この事が、後で手痛いしっぺ返しとなって自身に返ってくるとは、陽介自身、微塵も思わなかったのである。




 週が明け、ホームルームで喫茶店に出すメニューや客席のレイアウトなどが決められ、文化祭に向けて活動が本格化する。
 喫茶店に出すメニューは、食べ物はクッキーやマフィンケーキなどの常温で保存が可能の物を。
 飲物はコーヒーと紅茶が挙げられたが、小さい子供も来場する事を考えて、オレンジジュースも用意する。
 これらをセットで提供する事にし、値段も一律にする事で、会計の効率化を図る。


 内装などは美術部に所属している生徒がデザインを考え、設営に手間が掛からないように気を配る。
 客席は机を四つ並べた状態を一つの客席とし、作業スペースの事も考え五席にする。
 順調に作業が進む中、異変が起こったのは、文化祭を二日後に控えた日の事だった。


 校舎の屋上に呼び出された陽介が、千枝と雪子に詰め寄られている。

「どういう事か、説明して欲しいんだけどッ!?」

 千枝の剣幕に陽介が若干、狼狽えた様子で何の事だと問い返す。
 陽介の言葉に千枝は、勝手に自分達をミスコンに参加させた事を問いつめる。

「お、俺じゃねーって! 何で疑いが俺一択なんだよ!?」

 千枝の追求に、視線を泳がせながら陽介が反論すると、千枝と雪子が無言で陽介に一歩近付く。
 二人のあまりの剣幕に、陽介が嫌なら辞退すれば今ならネタで済むだろうと反論する。
 それが出来ないから怒っているんだと叫ぶ千枝の言葉を継いで、今年は柏木の取り仕切りで、辞退は不可能である事を雪子が告げる。
 雪子の説明を聞いた陽介が気まずそうに、細かいレギュレーションは見落としていたかもと推薦した事を自白する。

「やっぱオマエじゃんか!!」

 陽介が自白した事により、千枝と雪子が陽介に対し、文句の絨毯爆撃を行う。
 そんな千枝達に、陽介は雪子達が学校中で人気が出ている事を挙げる。

「その上、“アイドル”に“探偵王子”だぜ? こんな注目ヒロインが全員不参加じゃ、ミスコンあり得ないって! 完二も出て欲しいよな!?」

 突然、陽介から話を振られた完二が、自分を巻き込むなと陽介に食って掛かる。

「けど、本音としては出て欲しいだろう?」

「や……そりゃ、どっちかっつうと……その」

 陽介が意地悪く完二に聞き返すと、しどろもどろになりながらも完二は陽介の意見に、消極的な賛成の意を示す。

「辞退が出来ないなら、出るしかないよね? 久々に頑張っちゃおうかな。事務所とかは、この際ムシで」

 現実問題、辞退が不可能であるために、りせがミスコン参加に前向きな発言をする。
 直斗も今でこそ女子の制服を着ているが、男装でいる期間が長かったため、自分が参加する事が場違いに思えているようだ。
 そんな直斗の思いをよそに、陽介が自分にイベントへの全員参加を推したのがクマである事を明かす。

「クマ公もグルか……」

「……あのクマ、何とかした方が良いかも」

 陽介の暴露に千枝と雪子が不穏な様子を見せる。
 そんな中、事の成り行きを黙って見ていた鏡が溜息を一つ付く。

「……陽介。事情は解ったけど、なぜ、当事者の私達に一言の相談もなかったのかな?」

 淡々と話し掛けてくる鏡に、陽介は冷や汗をかきながら何とか上手い言い訳を考えるが、考えが纏まらず、説明に窮する。
 その様子を見て、鏡はさらに溜息をつくと『今回の対価はちゃんと支払ってもらうからね?』と、意味ありげな言葉を残す。

――――この言葉の意味を、陽介は翌日になって思い知らされる事となる。

 翌日になり、掲示板に張り出されていた内容を見た陽介が、血相を変えて教室へと戻ってくる。
 同じく掲示板を見た完二も、慌てて二年二組の教室へとやって来た。

「姉御! ありゃ、どういう事だ!」

 千枝達と一緒に、喫茶店の飾り付けを作りながら話していた鏡は、血相を変えて教室へと飛び込んできた陽介の言葉に小首を傾げる。
 代わりに千枝が陽介にどうしたのか聞いたところ、女装大会に自分達の名前を勝手に書いただろうと抗議してきた。

「昨日、言ったよね? “対価はちゃんと支払ってもらうからね”って」

 陽介の抗議に鏡は表情を変える事なく、淡々と答える。
 つまり、陽介がやった事をやり返しただけだと言外に語る鏡に、陽介は自身の軽率な行動が招いた結果に愕然となる。

「ちょッ!? 姐さん! 俺は関係無いッスよ!」

 巻き添えを喰らった完二が鏡に抗議すると、千枝が横から完二の参加を示唆したのがりせである事を明かした。
 理由は、“皆で楽しもうよ”と言い出したからだそうだが、多分に八つ当たりが含まれている事に完二は気が付く。
 とは言え、ココで下手に騒いでも事態が好転しないのも事実だ。

「完二君、出席日数とか大丈夫? あまり、先生をがっかりさせない方が、いいと思う」

 雪子の何気ない一言に、完二が硬直する。
 サラリと脅迫めいた事を言ってくる雪子に対して、完二が僅かに後ずさる。
 それを見た雪子がにっこり笑うと、完二に『大丈夫、すっごく綺麗にしてあげる』と甘く囁く。
 その言葉に完二はごくりと唾を飲み込むと、本当に綺麗にしてくれるのかと確認を取る。

「保証する」

 自信に満ちた声で完二に答えた雪子は、当日を楽しみにしていてねと完二に蠱惑的な笑みを浮かべて話す。
 雪子に説得され、出場する気になっている完二を指差し、陽介が『何、出る気になってんだ!』と思い止まらせようと試みる。

「……陽介、良いから出ろ」

 剣呑な視線を陽介に向け、声のトーンを一段階落とした鏡が命令する。
 その様子から以前、千枝が独断専行して鏡を怒らせた時の事を思い出した陽介は、抵抗するのを諦めた。
 これまでも、軽率な行動を鏡から何度も指摘されてきた陽介は、説得するだけの信頼を失っているとも言える。
 自身の身から出たサビとはいえ、大きすぎる代償に陽介は項垂れる。

「ま、元々は花村が蒔いた種だからね。今回は大人しく鏡の言うことを聞いた方が良いよ?」

 そう言って、千枝が慰めともトドメとも取れる言葉をかける。
 そんな一幕もあったが、鏡達は文化祭当日を迎える事となる。




 文化祭当日。
 全ての準備を終えた鏡達が文化祭開始前の最終確認を取っている。
 喫茶店で出すクッキーやマフィンケーキの数を数え、在庫が幾つあるのかを常に把握しておける状態にする。
 同様に、クラスメイトが持ち込んだ電子ポットの残量と替えの水の在庫に、飲物の在庫の確認。
 陽介や雪子が先導して、やってくるであろうお客に対しての接客の仕方などの最終調整。


 内装は美術部有志の手によって、明るい感じに仕上がっており、女性客でも気軽に入れるように工夫されている。
 各自シフト表が配られ、それぞれが自分の行動時間の確認に余念がない。

「それじゃ、今日一日がんばって行きましょう」

 鏡がそう宣言すると同時に、校内放送が文化再開始の合図を放送する。


 文化祭が開始され、暫くすると最初のお客がやってきた。

「鏡先輩! 遊びに来ました!」

 どうやら鏡と同じ女子テニス部に所属している一年生のようで、友達を連れて遊びにやってきたようだ。
 四人連れの下級生達に笑顔を向け、雪子が席へと案内する。
 下級生の少女達はそれぞれ違うセットを頼み、皆で少しずつ交換して食べ比べをするつもりのようだ。
 それぞれ、チョコクッキーとバタークッキー、マフィンにカップケーキのセットを注文する。
 飲物は全員ミルクティーを頼んでおり、彼女達の席に雪子と鏡がそれぞれ注文した商品を運ぶ。

「あ! コレって以前、鏡先輩が差し入れしてくれたマフィンですよね?」

 見覚えのあるマフィンを見付けた少女が鏡に訊ねる。
 その質問に鏡は笑顔で頷くと、バタークッキーもそうだと教える。
 鏡からの説明に、少女達は早速、鏡が作ったカップケーキとバタークッキーを分け合って、それぞれ口に運ぶ。
 一口囓った少女達、ほのかに甘く味付けされたマフィンと、バターの風味がしっかりするクッキーに表情を綻ばせる。
 チョコクッキーとカップケーキも好評で、下級生の少女が鏡にまた、部にも差し入れして下さいとリクエストする。

「それじゃ、今度なにか作って持っていくわね」

 リクエストに応えた鏡に下級生達から歓声が上がる。
 上々の滑り出しに鏡は一つ頷くと、気を抜かず頑張ろうと気持ちを引き締める。

「せ~んぱい!」

 昼前になり、忙しさが一段落した所にりせがやって来た。
 りせのクラスは創作折り紙の展示を行っており、一時間の受付作業を済ませると、後は自由時間との事。
 アイドルであるりせが受付をすると、混雑する事が見込まれたために、一番最初に受付の担当を済ませていたそうだ。
 先ほどまでは直斗と一緒に行動していたそうだが、直斗は受付作業の交代にクラスへと戻ったらしい。
 鏡も午前中で仕事が一段落するので、りせが鏡と一緒に文化祭を見て回ろうと誘いの来たのだ。

「鏡、ココは大丈夫だから、今日は上がっても良いよ」

 クラスメイトからそう言われた鏡は、『後の事はお願いね』と返してりせの元へと向かう。
 りせは嬉しそうに鏡の腕を取ると、自身の腕を絡めて嬉しそうな様子を見せる。

「菜々子ちゃんには悪いけれど、今日だけはお姉ちゃんを独り占め」

 甘え上手なりせはそう言うと、鏡と一緒に文化祭の出し物を見に校内へと繰り出す。
 直斗のクラスの出し物を聞いてみたところ、射的ゲームをやっているらしく、りせもまだ行ってないそうだ。
 それならば、直斗の様子を見るついでに射的でもやっていこうと、一年一組へと向かう。

「鏡さん、久慈川さん。いらっしゃい」

 クラスの入り口で受付をしていた直斗が、二人に気付いて声を掛けてくる。
 客の入りも良いようで、小さな子供を連れた家族の姿が多く見掛けられる。

「直斗も受付お疲れ様。賑わっているのね」

「家族連れの方が多いですね。多分、的に割り振られているポイントによって、景品が出るのが大きいのかも知れません」

 鏡に説明した直斗は『景品と言っても、そんな大した物では無いですけれどね』と、景品一覧を見せてくれる。
 差し出された一覧表を見ると、貰える景品は飲物やらお菓子といった物が主だった物で、言われたように大仰な物は無いようだ。

「鏡さん達もやっていきますか?」

 直斗の言葉に、りせと鏡はそれぞれ遊戯料を支払うと、係の生徒に説明を受けてから、それぞれ的の前へと案内される。
 円形の的にはそれぞれ得点が書かれており、ポイントがランダムに書かれてある。
 中心が一番高得点かと思われたが、必ずしもそう言うわけでは無いようで、どうやら、それぞれの的ごとに得点の配置が違うようだ。


 ルールは簡単で、五発の弾を用いて、一から十までポイントが振られた的を狙い、ポイントを獲得するというモノだ。
 説明を聞き終えた二人は、弾が込められた玩具の銃でそれぞれの的に狙いを定めて、引き金を引く。

「鏡さん、射的は得意なんですか?」

 直斗が意外といった様子で鏡に訊ねる。
 鏡の射的の結果は、最大の五十ポイントで、りせは三十八ポイントだった。
 直斗の質問に鏡は『たまたまだよ』と答える。


 貰った景品は、鏡が四六商店で購入したと思わしき駄菓子の詰め合わせと飲物のセットで、りせがキャンディの詰め合わせだ。
 二人は直斗にお礼を述べると、次の出し物を見に移動する。

「結構な量が貰えたね、お姉ちゃん」

「本当。貰った飲物だけじゃ、全部を食べるには足りなさそうね」

 楽しそうに話しながら、二人は一年三組へと向かう。
 一年三組は手作りの人形やアクセサリー、編みぐるみといった創作物の展示販売をしているようだ。
 今の時間は完二が販売の担当をしているらしく、鏡達に気が付いた完二はバツの悪そうな表情を見せる。

「私達が来たからってそんな表情しなくてもいいでしょ、完二」

 その様子にりせが軽く抗議をすると、完二は『どうせ似合わないとでも思ってんだろうが』と、拗ねたように答える。
 完二自身、自分のガラでないと思っているのか、どうにも居心地の悪さを感じているようだ。

「そんな事は無いです! 巽君の編みぐるみの説明とか、とても解りやすくて頼りになります!」

 完二と一緒に販売の担当をしている眼鏡を掛けた女生徒が、完二の言葉をそう言って否定する。

「や、東雲……そう言ってくれるのは有難いけどな、実際の所、俺を見てココに来るヤツ皆、腰が引けちまってんだろ?」

「けど、それは最初だけで、巽君が説明し始めたら、皆さん真面目に聞いてくれているじゃないですか!」

 東雲と呼ばれた女生徒が、完二の指摘に反論する。
 その様子から、完二がクラスの女子達にも受け入れられている事が伺える。
 他のクラスメイトからも、完二が教えてくれたから展示物を揃える事が出来た、などと完二に対して肯定的な意見が多く出る。

「クラスメイトの皆がそう言っているのだから、もっと自信を持っても良いんじゃない?」

「……姐さん、そうなんスかね。今ひとつ、実感ってのが沸かないッスよ」

 鏡の言葉に完二が自信なさげに返すが、鏡は『クラスメイト達が信じられない?』と訊ねてみる。
 完二は鏡からの質問にすぐさま『んな訳無いッスよ!!』と反論すると、『答えはもう出てるじゃない』と笑って完二に返す。
 その言葉に完二は驚くと、悩む必要の無い事で悩んでいた事に気付いた。

「それじゃ、私達も何か買っていこうかな」

 鏡はそう言うと、展示されている編みぐるみをりせと一緒に見ていく。
 展示物を見ていると、りせがウサギの編みぐるみを手にとって『これ、可愛い!』と気に入った様子を見せる。
 鏡もウサギの編みぐるみの隣に置かれていた、ネコの編みぐるみを手に取る。
 どちらも完二の作ったモノらしく、二人に気に入って貰えて、まんざらでも無い様子を見せている。

「それじゃ、この二つを頂こうかしら」

 そう言って、鏡は二つ分の料金を支払うと、ウサギの編みぐるみをりせに手渡す。

「えっ? お姉ちゃん、自分の分はちゃんと出すから」

「いいのよ。ちょっとはお姉ちゃんらしい事をさせてちょうだい」

 鏡の言葉に、りせは表情を綻ばせて『ありがとう』とお礼を述べる。
 完二に挨拶をして一年三組を後にした鏡達は、一通り校内を見て回った後で、校庭の方へと出て出店の方を見て回る。
 二人とも昼食はまだだったので、手頃なモノを見繕い購入して、校庭脇のベンチで昼食を摂る事にする。

「そう言えば、明日はミスコンだよね。花村先輩と完二のメイクは、千枝先輩と雪子先輩がするんだよね?」

「後は、飛び入りでクマが参加するそうだから、そっちは直斗が担当する予定だね」

 りせの質問に鏡が答える。
 巻き込まれた完二には悪いが、二人の意趣返しに最後まで付き合ってもらう事にする。
 今回の件は流石に鏡も腹に据えかねたので、千枝と雪子を止めるつもりは無い。

「明日のミスコン。お姉ちゃんにも負けないからね」

「ふふ、お手柔らかにね」

 勝利宣言するりせに、鏡は柔らかく微笑んでそう返すと、買ってきたサンドウィッチを一口囓る。
 本音を言えば気乗りがしないミスコンだが、りせを見習って楽しんでみようと思う。
 明日は菜々子も、遼太郎に連れられて文化祭に来る予定だ。
 どうなるかは分からないが、やれるだけの事はやろうと鏡は決意する。




2012年03月20日 初投稿
2012年04月15日 本文加筆修正



[26454] 文化祭 後編
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2012/05/25 20:18
――――楽しい時間もいつかは終わる

     一部の者にとってはそうでなくても

         何年か過ぎた先に

      楽しかったと思える事を願って……




『レディース ア~ンド ジェントルマン!!』

 壇上の上に立つ、ピンクのアフロヘアーのウィッグを被った司会進行役の男子生徒が、声高らかにイベントの開始を宣言する。
 その様子を、壇上袖から柏木が不敵な笑みを浮かべて眺めている。
 自身が企画して進めてきただけあって、かなりの自信があるのだろう。

「……あぁ、とうとう始まっちまった」

 柏木の居る壇上袖の反対側では、憂鬱な表情をした陽介が晒し者になる自身の事を思い、重い溜息をつく。
 身から出た錆と言ってしまえばそれまでだが、あまりといえば、あまりな仕打ちでは無いだろうか?

「花村先輩。いい加減、ハラ決めましょうや」

 黄昏れている陽介と違い、完二は達観した様子で陽介に声を掛けると、クマも陽介の背後から完二に同意する。
 クマは自分から参加すると言い出しているので、二人とは違って逆に楽しそうな様子を見せている。

「お前らのポジティブさが羨ましいよ……」

 自身の格好を見て、陽介が疲れ切った声を出す。
 嬉々として自分達をドレスアップした千枝達の事を思い出し、さらに憂鬱な気分になる。

――時間は少し前に遡る

 コンテストの更衣室として使われている実習室へと陽介達がやってくると、嬉々とした様子で千枝達が待っていた。

「何を今さら怖じ気づいてんの。こっち来て、座って」

 沈鬱な表情を浮かべている陽介に千枝はそう言って手招きする。
 完二と顔を見合わせた陽介は項垂れた様子のまま、千枝の指示通りに席に着く。

「大丈夫、痛くしないよ」

 雪子がサラリと不穏な発言をすると、僅かに完二の表情が引きつる。
 鏡とりせは陽介達のメイクアップには関与していないので、少し離れた場所で陽介達の様子を見学している。

「千枝先輩達、楽しそうだね」

 りせが小さく訊ねてくると、鏡はそれに同意する。
 勝手にミスコンへと参加させられた意趣返しに、陽介達を女装大会に参加させた事で、今回の件に付いては水に流している。
 けれど、千枝達の方はやるからにはトコトンまでやるつもりらしく、楽しんでやっている部分もあるようだ。


 今も鏡達の目の前で、観念して席に着いてる陽介達を前に、千枝と雪子が楽しそうにメイクしている。
 普段はリップを付けるくらいで、ノーメイク気味の千枝は陽介を実験台にしている感があり、化粧品の使い勝手に興味深げだ。
 雪子は逆に普段からナチュラルメイクはしているので、手際よく完二のメイクを進めている。

「ねえ、雪子。この後はどうしたら良いんだっけ?」

 千枝が時々手を止めては雪子にメイクの仕方を訊ねている。
 その度に陽介が不安な様子を見せているが、手元に手鏡の類がないため、自分がどのようなメイクされているのかは、確認できない。
 その事実がより一層、陽介の不安をかき立てるのだが、ココまで来たら逃げ出す事も出来ずにされるがままになっている。

「クマ君は肌のキメが細かいから、化粧の乗りが良くて楽ですね」

 二人とは逆に、直斗にメイクされているクマはすっかり任せきっており、リラックスした状態だ。
 化粧の乗りが良いため、陽介達と違って化粧の下地に掛かる時間は、クマの方が圧倒的に短い。
 それに加え、化粧の手際は三人の中で直斗が一番良いこともあり、クマのメイクが一番進んでいる。

「意外……直斗って普段は化粧っ気が無いのに、メイクは手慣れてるんだね」

 直斗の手際の良さに感心するりせに、職業柄、変装用にメイクの仕方は一通り覚えているのだと、直斗が恥ずかしそうに答える。
 その説明に、千枝が『探偵って何でも出来るもんなの?』と、感心半分、呆れ半分の感想を述べる。
 千枝がそう言っている間にも、直斗はクマのメイクを進めていく。


 顔の中心から外側に向かって、リッキッドファンデーションを初めは手で軽く伸ばし、次にスポンジで手早く伸ばしていく。
 その作業が終わると、スポンジで顔全体を軽くタッピングしてファンデーションの余分な油分を取る。
 目の切れ込みはコンシーラを使って丁寧に消していき、ベースの崩れを防ぐためにルーセントパウダーを顔全体に付ける。
 大きめのブラシで余分なルーセントパウダーを取り除くと、アイシャドウとアイラインを引いていく。
 それらが終わると、最後にルージュを引いてリップグロスで立体感を出す。


 メイクが終わると、ストレートロングのウィッグを着けて、青いエプロンドレスに着替える。
 元々が中性的な顔立ちをしているため、メイクを終えたクマはどこから見ても美少女にしか見えない。

「どうクマか?」

 メイクアップを済ませたクマがクルリと一回転して、鏡達に出来映えを訊ねる。
 可憐な美少女然としたクマの姿に、皆の口から溜息が漏れる。

「改めて思ったけど、クマって黙って立っていると絵になるよね」

 りせの感想にクマが憤慨するが、クマの言動が元で今回のコンテスト参加となっただけに、りせの言葉は間違いではない。

「こっちも負けてらんないわね……」

 メイクが済んだクマを見て、千枝が対抗意識を燃やす。
 千枝ほどではないが雪子もやる気を増したようで、完二へと向ける視線に力が籠もる。
 鬼気迫る二人の様子に、陽介と完二は蛇に睨まれたカエルのように身動きが取れなくなる。




『それでは、最初のエントリー! 稲羽の美しい自然が生み出した暴走特急、破壊力は無限大! 一年三組、巽完二ちゃん!!』

 陽介が雪子達にメイクされていた時の事を思い出している間に、イベントは予定通りに進行していく。
 名前を呼ばれた完二が気合いを入れて壇上へと出て行く。

『えっ!? 』

 壇上に登場した完二の姿に、体育館内からざわめきが起きる。
 どこから調達したのか、体型に合ったスカート丈の長い八十神高校の女子制服に身を包み、手には竹刀を持っている。
 メイクは薄い眉をアイブロウペンシルでくっきりと描き、髪は三つ編みおさげのウィッグを着けており、随分と印象が違う。


 女装としては似合っていないが、スケバンを彷彿させる見た目が完二のイメージに合っている。
 その事もあって、完二のアンバランスさに評価は賛否両論のようだ。
 似合っていないという声が多く聞こえる中、一部からは『らしい』という肯定的な意見も出ている。

『あまりの迫力に、僕も近付くのが恐ろしいのですが……チャームポイントはどこですか?』

 恐る恐る訊ねてくる司会者の質問に、完二は戸惑った様子で『……目?』と、ある意味スタンダードな返答を返す。
 見た目とのギャップに、一部の女子からは『可愛い!』という声が挙がる。

「それにしても、雪子。完二君の着ている制服、どこから調達してきたの?」

「あの制服ね、あいかちゃんが用意してくれたの」

「あ、花村の衣装もあいかちゃんが用意してくれたよ」

 鏡の質問に、雪子と千枝がそれぞれ答える。
 化粧品に関してはジュネスで調達出来たのだが、衣装については入手の目処が立っていなかった。
 その事で雪子と千枝がどうするか悩んでいたところ、あいかが調達役を引き受けてくれたらしい。
 様々なバイトをしているだけあり、多くの伝手を持つとはいえ、あいかの人脈の広さには驚かされるばかりだ。

「あいか先輩って、本当に顔が広いんだね」

「そう言えば、クマ君の衣装も中村先輩から渡されましたね」

 鏡達の会話に、りせと直斗も混ざる。
 噂されているあいかは、クラスの出し物である喫茶店での仕事があるので、少し遅れて見に来る予定だ。
 鏡達がそうやって話している内に、司会者が次の出場者の紹介を進めている。

『ジュネスの御曹司にして爽やかイケメン、口を開けばガッカリ王子! 二年二組、花村陽介ちゃんの登場だ!!』

 司会者の紹介に、引きつった笑みを浮かべた陽介が壇上に登場する。
 完二とは違うブレザーの制服に身を包み、赤いミニのスカートを穿いている。

「花村先輩、いい線行くと思ったのにー!」

 陽介はウィッグを着けておらず、赤いゴムで髪を一結びにしている。
 ナチュラルメイクの完二とは逆に少々、化粧が過多気味で、頬に付けたオレンジ系のチークが悪い方向に目立つ。
 そのせいか、一部の男子生徒から『実際にいそうで怖い!』と、おののかれており、完二と違い肯定的な意見は少ないようだ。
 陽介もウィッグを着けていれば印象もまた変わったのかも知れないが、直斗に対抗意識を燃やした千枝の手腕に影響された感が強い。

「千枝先輩、どうしてウィッグを使わなかったんですか?」

 りせの質問に、千枝はバツの悪そうな表情を見せ、完二やクマと被らないように気を使ったと説明する。
 服装などのお洒落には気を配ってはいるが、千枝自身がショートヘアで化粧っ気が少ない事が原因なのかも知れない。
 過剰ともいえるメイクからも、千枝のやる気が別の方向に向かっている事が伺える。

『さぁ、気合いが入った服装ですが……普段からこんな感じで?』

 司会者から突っ込みに、陽介は『んなワケねーだろ!』と、間髪入れずに反論するが、慌てて『ねー……ですわよ?』と、言い直す。
 そんな陽介に、完二が小声で『ただの見世物じゃないスか!』と抗議する。

「それ以外の何だと思ってたんだよ……」

 完二の抗議に陽介が疲れた様子で答える。
 出場者が少ないため、晒し者にされる時間が短く済むのが唯一の救いだが、色々と大切なモノを失った気分だ。
 落ち込む二人をよそに、司会者が次の出場者の紹介に入る。

『自称“王様fuomテレビの国”、キュートでセクシーな小悪魔ベイビー! その名も“熊田”ちゃんだぁ!!』

 司会者からの紹介を受け、クマが壇上へとスキップしながら登場する。
 端から端まで愛嬌を振りまきながらアピールするクマは、壇上中央でクルリと一回転して銃を構えて撃つ仕草を取る。

『ハートを、ぶち抜くゾ?』

 その言葉に、体育館内から喚声が挙がる。
 その大半がクマが本当に男の子なのかという驚きや、可愛いといった声だ。
 そんな声の中に、野太い声で『オレ、あれならイケる……』という不穏な発言が交じっている。

「……あのバカクマ、何を口走ってんのよ」

 サラリと、テレビの事を暴露しているクマの行動に千枝が頭を抱えるが、当事者以外は誰もその事には気付いていない様子だ。
 クマへと寄せられる称賛の声の中、結果として引き立て役になってしまっている事が、完二と陽介を更に落ち込ませる。
 出場者の紹介が終わり、体育館に入る前に渡された投票用紙が回収される。
 投票用紙には予め出場者の名前が印刷されており、投票したい出場者の名前にチェックを入れる形式になっている。

『今年の“ミス? 八高コンテスト”、優勝は……』

 集計が済み、司会者がその結果を発表する。

『大きな支持を集めました、一般参加の熊田さん!!』

 発表と同時に、クマへとスポットライトが当てられる。
 スポットライトを当てられたクマは一歩前へと出ると、スキップしながら壇上中央へと移動する。

『優勝した熊田さんには、本日午後の部に行われる、“ミス八高コンテスト”の栄誉ある審査員の座をプレゼントします!!』

 その言葉に、クマは全身で喜びを表している。

「審査員であんなに喜ぶなんて、なかなか出来ないよね」

 そんなクマの様子を見た千枝が呟き、雪子も『あんなに喜ばれると、何かこっちまで嬉しくなるね』と、千枝に同意する。

「無駄にピュアよね、クマのやつ」

 二人の言葉に、りせもそう話す。
 そんな事を話していたのも束の間、司会者からミスコンの審査員になった感想を求められたクマの一言で、前言を撤回する事になる。

『午後の審査は……じゃじゃーん! 水着審査をするべがなー!!』

 その一言が切っ掛けで、男子生徒達の大歓声が体育館内を包み込む。

「なな、何言いだしてんのあいつ……! そんなのあるわけ無いじゃん!!」

 クマの爆弾発言に、千枝が真っ先に反応する。
 本来、水着審査などは無いため、りせが水着を用意していないと驚くが、鏡にはクマの発言から嫌な予感しか感じない。

「あのクマ、始末した方が……」

 低く、殺意の籠もった小さな声で雪子が呟く。
 目は半眼になっており、今にもクマを呪わんとばかりに睨んでいる。

「うふふ……いい! いいわぁ、この流れ!」

 クマの発言にただ一人、柏木だけが何かを思いついたのか、邪な笑みを浮かべて何やら思案している。
 体育館内が騒然とした中、ミス八高・女装大会は幕を閉じた。




 午後になり、鏡達はミス八高コンテストの準備のため、実習室へと集まっていた。
 控え室には柏木と大谷が既に到着しており、余裕の表情を見せている。

「せいぜい着飾んなさいな、ガキンコちゃん達」

 鏡達の到着に気付いた柏木が近付いてくると、見下すようにそう話す。
 その台詞から、本気でミスコンでの優勝を狙っている事を知った千枝が呆れた様子を見せている。
 自信に満ちあふれている柏木に唖然としていると、控え室の扉がノックされ、紙袋を携えた女生徒が入ってくる。

「さっき優勝した熊田さんから、差し入れです」

 クマからの差し入れと聞き、鏡達が首を傾げていると女生徒が気まずそうな表情で、中身が水着である事を伝える。
 あまりの手際の良さに引きつつも、千枝が要らないと答える。
 その言葉を聞いた柏木が高笑いを始めると、嬉しそうに大人の魅力をさらけ出すわよと宣言する。

「ま、私は自前の水着だけどぉ」

 柏木の発言に続き、大谷も自前で水着を用意している事を告げる。
 本来、水着審査は無いはずなのに、どうして水着を用意しているのかと問いつめたいところだ。
 二人のやる気の高さに呆れていると、柏木が今回のミスコンは水着で行うと通達する。
 イベントの責任者である柏木の通達に、鏡が『唐突過ぎませんか?』と抗議するも、柏木は余裕の笑みを浮かべて鏡達を挑発する。

「ま、負ける戦はしないのが賢明よぉ。アイドルなんて言っても、やっぱりガキンコよねぇ、心も度胸も……体も」

 最後の台詞はあからさまにりせへと向けた挑発で、見下した視線をりせへと向けている。
 りせが転校してきた時も、ホームルームで罵倒をしていたが、未だに敵対意識を持っているようだ。

「……はぁ!?」

 その挑発が勘に障ったりせが険しい視線を柏木へと向ける。
 そんなりせを更に煽るように鏡達を見渡した大谷が、ミス八高に選ばれようも無い人達だから、辞退で良いのではないかと話す。

「あ、アンタは選ばれるってわけ!? こっの……人間戦車!」

「失礼な女ね。見た目も頭も、言葉遣いも悪いのね」

 売り言葉に買い言葉で、大谷の発言に千枝が噛みつくと、呆れた様子で大谷が千枝を更に煽る。
 二人のやりとりに、親友を貶された雪子も大谷に対して敵意を向ける。

「あら? 私と勝負しようっていうの? 無駄だから、やめときなさいって」

 そう言って大谷が鏡達を見渡しながら、どうせ負けるのだから、今の内に逃げた方が良いと哀れむように言葉を続ける。
 その言葉に完全に切れた千枝が、売られた喧嘩は買わねばならぬとばかりに、やる気を見せる。

「ね、鏡達だって、ココまで言われて逃げるなんて出来ないでしょ!?」

 千枝の言葉にりせは同意するが、直斗と鏡はあまり乗り気では無いようだ。

「……え、僕もですか!?」

「そんな挑発に乗って、どうするのよ……」

 水着姿になるのは無理だと狼狽する直斗とは逆に、鏡は呆れたように千枝を窘める。
 しかし、千枝の目は完全に据わっており、何を言われても聞き入れる気はないようだ。

「逃~が~さ~な~い!」

 そう言って千枝は直斗に近付くと、手早く拘束して直斗の制服を脱がしに掛かる。
 千枝に拘束された直斗は可愛らしい悲鳴を上げると、自分で着替えるから脱がさないで下さいと懇願する。
 直斗の懇願に千枝は拘束を解くと、女生徒が持ってきた紙袋を手荒く掴み取り、中からクマが用意した水着を取り出す。


 それぞれの水着はセロファンの袋に入れられており、各自の名前が書かれたタグが付けられていた。
 千枝はタグの付けられた水着を各自に配ると、勢い良く制服を脱ぎだして水着へと着替える。
 控え室の窓は布地に覆われていて、外から着替えを覗かれる心配が無いとは言え、少々恥ずかしい。
 頭に血が上っている千枝と、アイドルとして見られる事に慣れているりせは別として、雪子や直斗はそのまま着替える事に抵抗を覚える。
 一応、紙袋の中には人数分の大きめなバスタオルが入っていたので、それを使って鏡も水着へと着替える為に制服を脱いでいく。
 柏木と大谷はよほどの自信があるのか、堂々と持参した水着へと着替えて控え室を後にする。




 コンテストが始まるまでの間、客席で開始を待っていた陽介は、完二に誰が優勝すると思うか訊ねていた。
 しかし、完二からの返答は思っていた事とは逆で、目立つ事が嫌いな鏡や、特に直斗がミスコンに出て大丈夫なのかと気遣っている。

「考えすぎだって。姉御がミスコン位で気後れするようなヤワなタマじゃないって知ってんだろ?」

「そりゃ、まぁ……けど、クマ公が水着審査なんて、バカな事を言いだしたから解らないじゃないッスか」

 完二の言葉に陽介は少し思案顔になる。
 アイドルのりせは水着を見られる事は平気だと思うが、女である事に抵抗を覚えていた直斗には、水着審査はキツイかも知れない。
 その上、こういった注目を集めるイベントに、目立つ事を嫌う鏡が参加して何とも思わない筈はない。
 実際、その報復に女装大会に参加させられたのだ。


 さっきまでは、鏡達の水着姿を見られると喜んでいたが、その事に対する対価に何をされるのか予測が付かない。
 今回の件はクマの独断なので、自分達に被害は及ばないと思うが、完二が巻き込まれた件もある。
 その事実に、陽介は背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。

(確かクマのヤツ、ミスコンの特別審査員になってたよな……)

 己の欲望に忠実なクマの事だ。セクハラ紛いの質問を鏡達にしない保証がない。
 現にミスコンで水着審査をやると宣言して、事前に用意しておいた水着を届けさせたくらいだ。
 これ以上、鏡の逆鱗に触れないで欲しいと陽介は願いつつ、キリキリと痛む胃を押さえるのだった。

『文化祭二日目のメインイベント! 正真正銘、ミス八高コンテスト!!』

 そんな事を考えている内に、体育館内の照明が落とされて、イベントが開催される。
 女装コンテストで司会を務めていた男子生徒が、引き続きミスコンの司会進行を務める。
 彼に紹介されて、既に水着姿の柏木と大谷が壇上に立っており、二人の登場に会場内からは怨嗟に似た声が上がっている。
 クマの発言を受け、今年のミスコンは通常審査を廃し、水着審査のみとなった。
 その事で、先ほどまでは鏡達の水着姿を見られる事を喜んでいたが、この二人の水着姿は、悪い意味で破壊力抜群だ。
 胸焼けに似た思いをしている間にも、司会者が参加者の紹介を続けている。

『では、次の方! 二年二組、里中千枝さん! どうぞ!』

 壇上幕上手から現れた千枝は、緑をベースに白とオレンジのラインが入ったビキニを着ており、下は両サイドを紐で結んでいる。
 千枝は男子使途からの歓声に頬を若干染めつつも、自己紹介で好物はプディングだと発言する。

「嘘つけ、肉だろ!」

 間髪入れずに陽介がヤジを飛ばすと、千枝の笑顔が引きつる。

「いや、花村先輩。プディングには肉を使うのもあるから、千枝先輩の言ってる事は、あながち嘘じゃ無いッスよ」

 完二の指摘に陽介は驚くと、何でそんな事を知っているのかと訊ねる。
 陽介の疑問に完二は視線を泳がせると、菜々子の誕生日ケーキ作りを手伝った時に、鏡から教えてもらったのだそうだ。
 何でも、肉好きを公言してはばからない千枝の誕生日に作ってあげたら、きっと喜ぶだろうと鏡が話していたそうだ。

「なるほどな……確かに里中のヤツが大喜びしそうだな」

 完二の説明に陽介は呆れたように納得する。

『続きましては、同じく二年二組、天城雪子さんです!』

 次に登場した雪子は、淡いピンクに白のラインの入った水着で腰にはパレオを巻いている。
 雪子の水着も千枝と同じくビキニで、クマの趣味が遺憾なく反映されている。
 元々、こういったイベントに関わらない雪子は自己紹介で何を話せばいいのか解らず、ついつい実家の宣伝をしてしまう。
 こうした天然さが男子生徒に受けるのか、千枝と同じ程度の歓声が上がる。

「いやー眼福、眼福」

「天城先輩……オレの思った通りの人ッスよ……」

 しどろもどろに自己紹介する雪子の姿に、陽介と完二が感嘆の声を上げている。
 次に紹介されたのはりせで、コレまでで一番の歓声に会場が包まれる。

『やっほ、りせちーだよ! アイドル、休業中でごめんねっ! りせちーも頑張るから、応援よろしく!』

 流石はプロというべきか、あっという間に会場内の注目を集めると、壇上から笑顔を振りまき大歓声を集める。
 りせの水着は白とピンクのイナズマ模様のストライプ柄だ。
 下は千枝と同じく両サイドを紐で結んでおり、上は胸元を紐で結ぶデザインになっている。
 りせの登場で沸く中、陽介も興奮気味に『アイドルは違うな!』と喜んでいる。
 陽介とは逆に、完二はりせに対しては冷めた態度を取っており、『そすか?』と、素っ気なく呟く。

『続きましては噂の転校生、一年一組、白鐘直斗さん!』

 司会者の紹介を受け、直斗がおづおづと壇上へと出て行く。
 直斗の水着は紺色のビキニで、黒のラインが一本入ったシンプルなデザインだ。
 ビキニのデザイン上、胸の部分が強調されており、会場の男子生徒の視線が直斗の胸に集中する。
 会場内から聞こえてくる声も、直斗の胸の大きさにどよめく内容が多く、向けられる視線もギラギラとしたモノが大半だ。
 全身を舐めるかのような好奇の視線に、直斗の背筋に悪寒が走る。


 そんな視線の中に晒された状態の直斗は、自己紹介をしようとして声が出ない事に気付き、動揺する。
 視界がぐにゃりと歪み、周りの音が遠くなる。

『白鐘さん? どうかしましたか?』

 直斗の様子の変化に、司会者の男子生徒が訝しげに直斗に訊ねる。
 しかし、直斗の耳にはその声は届いておらず、段々と直斗の視界が悪くなっていく。


 直斗の異変にいち早く気付いたのは、直斗の後に控えていた鏡だった。
 顔色が徐々に蒼白になっていき、足下が覚束なくなっている。
 危険を感じた鏡が壇上へと飛び出すと同時に、直斗が胸を隠すように自身を抱きしめると、その場に力なく崩れ落ちる。

「直斗!」

 直斗が壇上に倒れるよりも早く、駆けつけた鏡が直斗を抱き留める。
 突然、その場に崩れ落ちた直斗の姿に、会場内から女生徒達の悲鳴が上がる。
 鏡が直斗の様子を確認すると、額から汗を流し、呼吸も少し荒くなっている。

「今すぐ保健室に連れて行かないと」

 鏡はそう言うと、直斗を抱き上げてすぐさま保健室へと向かう。
 抱き上げた直斗は小柄な見た目通りに体重が軽く、鏡が抱き上げても苦にならないほどだった。
 こんな小さな身体で、探偵として警察の事件捜査に協力していたのかと思うと、胸に小さく痛みを感じる。


 保健室へと到着すると、保険医担当の祖父江が驚いた表情で鏡を出迎えた。
 鏡から事情を聞くと、祖父江はすぐさまベッドの用意を調えて、直斗を寝かすよう鏡に指示する。

「それにしても、神楽氏は良き先輩であるな」

 祖父江の言葉に鏡が不思議そうにすると、水着姿のままで直斗を保健室まで運んできた事を告げる。
 その言葉に鏡は自分の今の格好を思い出すと、顔を羞恥で赤く染めて俯く。
 今の鏡は黒と白のチェッカー模様のビキニを着ており、布の面積が五人の中で一番小さい。
 そんな格好で、直斗を抱きかかえたまま保健室まで走ってきたのだ。
 一体、どれだけの人達に見られた事か……

「ホホホ……神楽氏も年相応な表情を見せるのであるな。これは良きものが見られたぞえ」

 普段の鏡からは想像できない姿に祖父江が柔らかく微笑むと、着替えを取ってくるので待っているように告げて保健室を後にする。
 



 直斗が目を覚ましたのは、鏡が保健室へと運んでから一時間ほど過ぎた頃だった。

「……こ、こは?」

 目覚めた直斗に、着替えを済ませた鏡が安心した表情を見せ、ミスコンの最中に倒れたので保健室へと運んだ事を説明する。
 鏡の説明に、直斗は自身が倒れた状況を思い出し、鏡に迷惑をかけた事を謝罪する。

「直斗が悪い訳じゃないよ。祖父江先生が言うには、極度の緊張が原因だろうって。直斗の方こそ、身体の方は大丈夫?」

「……はい、今はもう大丈夫です。やっぱり、男子から向けられる好奇の視線にはまだ慣れませんね……」

 直斗の言葉に鏡は仕方がないよと答えると、直斗の頭を優しく撫でる。
 つい最近まで男装姿で過ごしてきたのだ。
 それが、今では女子の制服を着て、慣れない異性からの好奇な視線に晒される生活を続けていたのだ。
 知らずにストレスが溜まっていたとしても不思議ではない。

「慣れない環境の中、直斗は本当によく頑張っていると思うよ」

 鏡の言葉に、直斗が顔を赤くする。
 これまで、祖父以外から面と向かって褒められた経験が少ないため、直斗としてはどう対応すればいいのか迷っているようだ。

「まぁ、話は後にして取り敢えずは水着を着替えないとね」

 そう言って、鏡が祖父江が持ってきてくれた直斗の制服を手渡す。
 未だに水着姿のままである事に気付いた直斗は更に顔を赤くすると、鏡から制服を受け取り、カーテンを閉めて制服へと着替える。

「……お待たせしました」

 着替えを済ませ、カーテンを開けて出てきた直斗が鏡に声を掛ける。
 まだ少し顔を赤くしたままの直斗は、鏡にコンテストの方はどうなったのかを訊ねる。
 しかし、鏡自身も倒れた直斗を保健室へと運んだ後は、直斗が気が付くまで待っていたので、その後の事は解らないと答える。
 二人がそんな事を話していると、保健室の扉が開き、千枝達が入ってくる。

「鏡、直斗君の様子はどう……って、良かった。気が付いたみたいだね。身体の方は大丈夫なの?」

 鏡に話し掛けた千枝が直斗の姿に気付くと、直斗の体調を気遣う。
 千枝だけでなく、雪子とりせも直斗の事を心配しており、無事な姿を見て安堵の表情を浮かべた。
 直斗は千枝達に自身は大丈夫である事を伝えると、心配をかけて済まなかったと謝罪する。

「そんな、直斗君が謝る事じゃないよ。これというのも全部、好き勝手やったクマ公が悪いんだから」

 そう言って憤慨する千枝を雪子が宥めていると、千枝達の後から、陽介が気落ちしたクマを連れて保健室へと入ってくる。

「ほれ、クマ。直斗に言う事があるんだろう」

 陽介に促されたクマは直斗の前に立つと、頭を下げて直斗に謝罪する。

「ナオちゃん、本当にごめんなさいクマ。倒れるほど水着審査が嫌だったなんて、クマ、思いもしなかったクマよ……」

「ミスコンに推薦した俺も同罪だよな。直斗、本当に済まなかった」

 クマに続いて、ミスコンに推薦した陽介も直斗に頭を下げる。
 陽介自身はクマに唆された部分があるが、その場の勢いで行動を起こした事について、陽介自身も思うところがあったのだろう。

「コンテストが終わった後で、花村先輩がクマの事を叱ってたんだよ」

 りせが小声で鏡にそう言うと、直斗が倒れて鏡が保健室へと運んだ後の事を説明する。
 あの後、会場内は騒然としたのだが、柏木が取り仕切ってイベントを続行し、コンテストはちゃんと終了したそうだ。
 コンテストが終了した後で、りせ達が制服に着替えて戻ってくると、陽介がクマを叱っていたのだという。

「ちょっとだけ、花村先輩の事を見直しちゃった」

 そう言って、りせがいたずらっ子のような笑みを見せる。
 二人から謝罪された直斗は、最終的に参加する事を決めたのは自分なのだから、気にしないで欲しいと話す。
 その言葉に、二人の表情がすこしだけ明るくなる。

「あ、そうそう。ミスコンの結果だけど、優勝したのは鏡だからね」

「……えっ!?」

 千枝から突然告げられた言葉に、鏡が驚きの声を上げる。
 直斗を保健室へと運んだため、そもそも自分はミスコンを辞退した扱いになっているはずだ。
 その事を千枝に話すと、千枝はカラカラと笑って事の成り行きを説明する。

「鏡が直斗君を抱き上げて、保健室へと運んだ姿が女子票を集めて、僅差で直斗君を押さえて優勝したんだよ」

 男子からの支持票は直斗が圧倒的に集めていたらしいのだが、女子からの支持票で鏡が逆転したらしい。
 りせも『あの時の先輩の姿、格好良かったよ』と、笑顔で話し、その言葉に鏡としては何とも複雑な心境になる。
 そんな鏡に、雪子が優勝を逃した柏木と大谷が号泣して混乱した事を苦笑気味に話す。
 自信満々で出たにもかかわらず、実質出場しなかった鏡に負けたのだから、二人の悔しさは相当なものだったのだろう。

「先輩方、保健室にいつまでも居るのはアレなんで、取り敢えず移動したほうが良くないッスか?」

 話し込む鏡達に完二が指摘する。
 確かに完二の言うとおり、直斗も大丈夫なので長居をする訳にはいかないだろう。
 鏡達は保健室を後にすると、休憩がてら二年二組へと移動する事にする。

「お姉ちゃん!」

 突然の呼び声に鏡が振り返ると、菜々子が嬉しそう駆け寄って来る。
 その後からは遼太郎が付いてきており、鏡の姿を確認して『見つかって良かったと』安堵の表情を見せる。

「叔父さん、どうかしたのですか?」

「県庁の出張があってな、帰りが明日になりそうなんだ」

 鏡の質問に遼太郎が表情を曇らせてそう答える。
 せっかくの文化祭を菜々子と楽しみにしていたのだが、これからすぐに出掛けないと拙いらしい。

「すまんが、菜々子だけでも連れてやってくれないか」

 遼太郎の言葉に、雪子が菜々子に自分達と一緒に見て回ろうと話し掛ける。
 雪子の言葉に菜々子は笑顔で頷くと、鏡の手を取る。

「じゃあ、すまんが宜しくな」

『いってらっしゃい』

 立ち去ろうとする遼太郎に、鏡と菜々子が言葉をかける。

「おう。菜々子、楽しめよ」

 二人の言葉に振り返って返事を返し、遼太郎は去っていく。
 菜々子を連れ、鏡達は文化祭を皆で見て回る。
 先日も立ち寄った完二のクラスで菜々子の分の編みぐるみを購入し、射的やお化け屋敷などを見て回る。
 皆と一緒に行動する事が嬉しいのか、菜々子は終始ニコニコと笑顔を見せ、興味のある出し物を見付けては、鏡の手を引いていく。
 そんな菜々子の様子に千枝達も表情が綻び、何かにつけて菜々子に構っている。


 楽しい時間はあっという間に過ぎ、文化祭も終了間際となると、鏡達は出し物の後片付けへと各々のクラスへと向かう。
 鏡達のクラスに付いてきた菜々子にクラスメイト達が気付くと、作業の手を止めて菜々子の元へと集まってくる。
 体育祭で菜々子の事を見知っている女子のクラスメイト達は、口々に菜々子の事を可愛いと褒める。
 褒められて照れる菜々子は、片付けをする鏡達の手伝いを申し出て、自分に出来る作業を一生懸命にこなしていく。
 その姿が心の琴線に触れたのか、クラスメイト達がこぞってやる気を出して、あっという間に片付けが終了する。

『菜々子ちゃん、また遊びに来てね!』

 片付けが終わり、りせ達と合流するために教室を後にしようとする菜々子へと声が掛けられる。
 僅かな時間であったが、クラスメイト達は菜々子の事を気に入ったようで、残ったクッキーなどを包み、菜々子へと手渡していた。
 その都度、菜々子がお礼を述べると『可愛い!』とクラスメイト達が嬉しそうに騒ぐ。

「何だか、クラス中が凄い事になってたね」

「一部で『天使が居るぞ!』とか、騒いでたヤツも居たしな」

 千枝の言葉に、陽介がそう返す。
 菜々子の事を認めて貰えた事は嬉しいが、変な真似をする者が出たら嫌だなと鏡は思う。
 陽介達の話が理解できない菜々子は、不思議そうな表情で皆を見ている。

「あ、菜々子ちゃん。あたし達のクラスメイトが騒がしかったけど、うるさくなかった?」

「大丈夫だよ。菜々子、楽しかったよ!」

 千枝の質問に菜々子が笑顔でそう答える。
 その様子を見ていた雪子が屈んで菜々子と目線を合わせると、鏡と一緒に今晩ウチに泊まりに来ないかと誘いをかける。
 雪子の言葉にクマが驚き、今なんと言ったのかと聞き返す。
 クマの質問に雪子が改めて菜々子に泊まりに来ないか誘った事を話すと、りせが『旅館で打ち上げ!?』と、驚きの声を上げる。

「以前、りせちゃんとクマさんが提案してくれた時には出来なかったしね」

 そう言って、雪子は久保が逮捕された時の事を持ち出す。
 その事に加え、雪子の母親が鏡達を招待したいと話していたそうだ。
 雪子の説明に陽介達は大喜びし、直斗は祖父に連絡を入れなければと携帯電話を取り出している。

「……けど、良いの? 迷惑にならない? まだ、シーズンでしょ?」

 千枝が心配そうに雪子に訊ねると、今年は客数が減った事を挙げる。
 明言はしていないが、春先に起こった事件の影響が今も続いているようだ。

「……それに、空いてる部屋もあるから」

 少し言葉を濁したような言い方だが、その説明に千枝は納得すると、雪子の家に泊まるのも久しぶりだと嬉しそうに話す。
 天城屋旅館で一泊する流れとなるも、このまま直行はせずに、一旦解散して各自準備をしてから現地集合する事となる。
 落ち合う場所を決めてから解散した鏡は、菜々子と手を繋いで帰宅すると制服を着替えて菜々子と一緒に出掛ける準備をする。

「菜々子ちゃん、忘れ物はない?」

「うん! 大丈夫だよ!」

 鏡の確認に菜々子は満面の笑みを浮かべて頷くと、お気に入りの仔猫のぬいぐるみを鏡に見せる。
 クマから貰った仔猫のぬいぐるみは菜々子の一番のお気に入りで、特別な事がある時は一緒に持ち歩くほどだ。
 菜々子の言葉に鏡は頷くと、菜々子の手を取り戸締まりを確認してから天城屋旅館へと向かう。
 待ち合わせは天城屋旅館前のバス停留所だ。
 嬉しそうな菜々子の姿を見て、鏡は今回の宿泊が菜々子にとって、良い思い出になる事を願うのだった。



2012年04月15日 初投稿
2012年05月25日 本文修正



[26454] 陽介の文化祭 前編
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2012/11/06 22:14
――――脅迫状が来て以降、犯人からの動きはない

     試験を終えて、周りは文化祭の話題で溢れている

         気を張り続けるのも問題なので

   今は気持ちを切り替えて、文化祭を楽しむべきなのだろう……




 試験を終えた週末。
 鏡達のクラスは文化祭の出し物を決めるべく、それぞれが意見を出し合っている。

「最後、えっと……“合コン喫茶”」

 主な案は“休憩所”など、何もしない事が前提の案が多く、全体的にやる気のなさが露呈している。
 その中で唯一、出し物としてはまともと思われる“喫茶店”の後に読み上げられたのが“合コン喫茶”だった。

「おいおい、誰だ提案したの? 里中あたり?」

 クラスがざわめく中、陽介が戯けた様子で千枝に訊ねる。
 陽介の言葉に千枝は間髪入れずに否定すると、雪子が千枝に“合コン喫茶”って何と、不思議そうに聞いている。
 千枝は雪子の質問に、自身も知らないが誰も投票しないでしょ、と返す。

「そうそう、あくまでネタネタ。一個キワモノを混ぜとくのって、お約束じゃん?」

「アンタかよ!?」

 二人のやりとりを聞いていた陽介が、自身が提案した事を明かす発言をして、千枝に睨み付けられる。
 千枝の睨みにもどこ吹く風といった様子の陽介だったが、鏡に声を掛けられた瞬間、その表情が僅かに強ばった。

「陽介。一つ確認したいのだけど、合コン喫茶が選ばれた場合の、具体的なプランは当然、考えてあるんでしょうね?」

「え? 具体的なプランって……誰もこんなキワモノに、票なんか入れるワケ無いって」

 陽介の返事を聞いた鏡は、やはりといった表情になると、陽介に冷たい視線を向ける。
 睨み付けるような冷たい視線に、陽介が冷や汗を流す。

「つまり、無責任にも単なる思いつきで案を出したと言う訳ね……」

「ちょっ!? 無責任って姉御……」

 鏡の指摘に、陽介が狼狽えて反論しようとするも、鏡から『プラン無しの案を出して、無責任と言わずに何というの?』と切り捨てられる。
 流石の陽介も、その指摘には反論する事が出来ず、気まずそうな表情で視線を泳がせる。
 反論できない陽介を前に、鏡は我ながら堅苦しい言い方しか出来ないなと思う。
 鏡は本気で怒ると感情的にならず、淡々と正論で相手を言い負かせようとする傾向が強い。
 千枝のように素直に感情を表す事が出来ればとは思うが、育った環境のせいもあって、それも難しい。

「それに私は、今年一年しかここには居られないのだから、皆と一緒に何かをした思い出が欲しいのよ」

 そんな事を考えつつ発した発言に、クラス全員が鏡の事情を思い出す。
 千枝や雪子達と居る事が多いが、他のクラスメイトメイトとも交友関係を結んでいる。
 クラスメイトの中には、鏡に頼み事を引き受けてもらっている者も多く、同性のクラスメイトからは、お姉さんの様に慕われている。
 男子生徒達にも分け隔て無く接しており、この間の体育祭で従妹の菜々子と接する姿を見て、ファンになった者も少なからず居る。
 もっとも、雪子や千枝と比べると、鏡は女生徒達の方に人気があるようだ。

「そういや姉御は、今年一年だけだったんだよな……」

 その事実を思い出し、陽介がバツの悪そうな表情で呟く。
 自身と違い、来年には転校してしまう鏡にとっては、何気ない日常も大切な思い出になるのだろう。

「それじゃ、喫茶店の案を出したのは鏡なの?」

 千枝の質問に鏡は『そうよ』と答えると、調理は普段からやっているし、お菓子も作れるからと説明する。
 鏡の説明に、雪子が菜々子の誕生日で食べた鏡の作ったケーキは美味しかったと話すと、一部のクラスメイト達に動揺が走る。

「静かに! それじゃ、投票用紙を回すから一個だけ書き込んでね」

 ホームルームを進行している女子クラス委員がそう言うと、男子クラス委員が投票用紙を配っていく。
 投票用紙が行き渡ると、それぞれが挙げられた出し物の内、やりたいモノを書き込んでいく。
 書き込まれた投票用紙を回収して、クラス委員が開票作業を行う。
 開票の結果、ネタに走って合コン喫茶に票を入れた者が多数居たが、僅差で出し物は喫茶店に決まった。

「オイオイ……合コン喫茶との差が一票って……マジでやばかった」

 開票結果に戦々恐々としていた陽介が、冷や汗を流しながら呟く。
 先ほど、鏡に指摘された時にも答えたとおり、陽介は合コン喫茶について何もプランを考えていなかったのだ。
 もし合コン喫茶が選ばれていたらと思うと、陽介の胃がキリキリと痛む。

「良かったね、花村。合コン喫茶にならなくて。選ばれていたら、アンタを責任者にして仕切ってもらおうと思ってたのに」

「何で俺が仕切んなきゃなんねぇんだよ!」

「アンタが言い出しっぺだからでしょうが!!」

 冷ややかな視線を向けてそう話す千枝に、陽介が激しく反論するも、それ以上の剣幕で千枝に言い返される。
 その剣幕に押された陽介は、鏡からも『因果応報』と追い討ちをかけられ、言葉を詰まらせる。

「ま、花村が、『口を開けばガッカリ王子』って言われるのも納得だわ……」

 そんな陽介の様子を見て、千枝が呆れたように呟く。
 陽介は整った容姿をしているにも拘わらず、その言動から『ガッカリ王子』と揶揄されているのは周知の事実だ。
 言われている当人は反論したい所だが、何度も軽率な行動を取っているために反論の余地がない。

「私も軽率な行動は控えてって、何度も陽介に言ったよね?」

 鏡の指摘が事実なだけに、陽介はぐうの音も出ない。

「はいはい、私語は慎んで。それじゃ、開票結果で喫茶店になりましたので、提案した神楽さんに、陣頭指揮をお願いしても良いかな?」

 クラス委員の言葉に鏡は頷くと、まず初めに、調理が出来る人がどれだけ居るかを確認する。
 それと合わせ、接客の経験者も何名いるのかを確認する。

「普段から調理をしているのは、私とあいかを含めて五名か……」

 確認の結果、普段から日常的に調理をしているのは鏡を含めた五名。
 接客経験者は、家業が中華料理店のあいかと、天城屋旅館の次期女将である雪子。
 そして、ジュネスでバイトリーダーをしている陽介と、陽介の手伝いをした事のある鏡と千枝を含めた十名だった。

「あいかはお菓子作りの経験は?」

「ん~、だいじょ~うぶ」

 鏡の質問に、あいかは表情を変えずにそう返す。
 独特のイントネーションで会話をするあいかは、口数が少ない無口な女生徒だ。
 しかし、仕事に対する姿勢は真摯でプロ意識を持っており、実家の中華料理店“愛屋“でも、看板娘として評判が高い。


 鏡は他のクラスメイト達にも確認を取ると、お菓子作りの方を主にしている者が多い事が判った。
 それらの結果を踏まえて、調理と接客を主に担当する責任者を決め、経験のないクラスメイト達に指示を出して行く方針にする。
 一部のクラスメイト達は面倒だと難色を示したが、それぞれが文化祭を楽しめるように、作業と休息時間を明確決めていく。

「それじゃ、後は文化祭で出すメニューを各自で考えてきて、週明けにメニューを決めましょうか」

 営業面の指針を決めると、次は内装を決めていく。
 こちらの方は凝った物ではなく、準備が容易に出来る事を第一に決められていく。
 飾り付けの折り紙でリングを作り、それを数珠繋ぎにした物や、客席として使う机の上にテーブルクロスを掛ける事などが決められていく。
 机の上にテーブルクロスだけだと少し寂しいので、手作りのメニューカードとメニュー立ても用意しようという案も出てくる。
 必要になりそうな材料を挙げ、それらの買い出しも週明けにおこなう事にする。

「取り敢えず、必要そうなのはこれくらいかな? 買い出しの時は、領収書を切ってもらって来る事を忘れずに」

 必要と思われる材料の書かれたメモを確認し、女子クラス委員が鏡にそう告げる。
 取り敢えずの方針も決まり、本格的な作業は週明けになってからと言う事でホームルームは終了する。




 放課後になり、いつものように鏡はジュネスへと食材の買い出しへと向かう。
 途中、待ち合わせをしてた菜々子と合流すると、二人は今日の晩ご飯の献立を話し合いながら、雨の中ジュネスへと向かう。
 雨が降る影響で気温が下がっているため、今日の献立は鍋料理にしようと決める。


 ジュネスに到着した鏡達が食材売り場に行くと、鍋料理の特設コーナーが設けられているのを発見した。
 色々な種類の鍋料理が紹介される中、女性に人気と謳われたトマト鍋という珍しい物を見付ける。

「お姉ちゃん、トマト鍋だって!」

 菜々子もトマト鍋に気付いたらしく、鏡の手を引きトマト鍋を指差す。
 鏡も興味があったので、菜々子と共にトマト鍋のコーナーへと移動する。

「あら、いらっしゃい。今日はお鍋?」

 二人にそう言って声を掛けてきたのは、食材売り場を任されている年配の女性で、鏡達とは顔馴染みである。

「坂井さん、こんにちは。今日は特設コーナーの担当ですか?」

 女性に菜々子と共に挨拶をした鏡がそう訊ねる。
 鏡から坂井と呼ばれた女性は、表情を綻ばせると『そうなのよ』と楽しそうに話す。
 坂井はジュネスがオープンしてからのスタッフで、陽介やクマも『おばちゃん』と呼んで慕っている人物だ。
 栄養士の資格を持っており、鏡もよく食材選びなどでお世話になっている。


 坂井も買い物に良く来る鏡達の事を実の娘のように思っており、特に鏡のお手伝いをする菜々子の事を可愛がっている。
 菜々子も坂井に懐いており、菜々子にとってはお母さんみたいな相手なのかも知れない。

「最近、トマト鍋がブームになっていてね、ジュネスでも宣伝してみる事になったのよ」

 坂井の説明によると、トマトは女性にとって嬉しい要素が多い食材で、健康と美容に良いそうだ。
 その説明を裏付けるように、トマト鍋のコーナーには若い女性客の姿が多く見られる。
 トマト鍋はシメにパスタを入れても良いし、米を入れてリゾット風にも出来ると坂井は話す。

「スープは出来合いのもあるけれど、鏡ちゃんなら自分で作った方が良いかも知れないわね」

 そう言って、坂井は鏡に市販のホールトマトを使うも良し、完熟トマトからトマトピューレを作って使うも良しとアドバイスする。
 坂井の薦めもあり、鏡達はトマト鍋を作ってみる事にする。
 材料も坂井から教えてもらい、買い物カゴへと入れていく。


 選んでもらった具材は、鶏もも肉、ホタテ、エビ、イカに、キャベツ、玉ねぎ、カボチャ、しめじ、えのき。
 豆腐を入れても美味しいと言われたので、帰りに丸久豆腐店に寄る事にする。

「二人とも、外は雨だから気をつけて帰るのよ」

 坂井に見送られ、鏡達はジュネスを後にして丸久豆腐店へと向かう。
 稲羽中央通り商店街に着くと、雨の影響かうっすらと霧がかかって視界が少し悪く、鏡は菜々子に自分から離れないように注意する。
 鏡の言葉に菜々子は頷くと、車に注意しながら鏡の後を付いていく。

「鏡ちゃん、菜々子ちゃん、いらっしゃい」

「あ、二人とも買い物帰りなんだ?」

 丸久豆腐店に着いた二人をシズとりせが出迎える。
 りせは二人がジュネスの買い物袋を持っている事に気付くと、そう言って今日の献立は何かを訊ねる。
 鏡からトマト鍋を作る事を聞いたりせは、話題になっている事を知っていたらしく、シズに今度ウチでもやってみようかと提案する。

「それで、トマト鍋の具材に木綿豆腐を二丁頂けますか」

「木綿豆腐だね。りせ、お会計の方お願いね」

 鏡から注文を受けたシズが木綿豆腐を用意する間に、りせが鏡からお代をもらい、お釣りを渡す。

「はい、鏡ちゃん。木綿豆腐二丁ね。外は雨の上に霧が出ているようだから、車には気をつけて帰るんだよ」

「先輩、また週明けに学校でね。菜々子ちゃんも、またね」

 シズ達に挨拶をして丸久豆腐店を後にした二人は、稲羽中央通り商店街の北側へと移動する。

「あ、たける君とのぞみちゃんだ」

 愛屋の前にいる少年と少女を見て、菜々子が声を上げ、その声に気付いたのか、少年が鏡達へと視線を向けてくる。

「鏡姉ちゃんに、堂島?」

 少年は見覚えのある相手で、同じテニス部に所属する紫の弟、武だった。
 一緒に居る少女とは面識が無いが、ここの所、武と一緒に居る姿をよく見掛けている。

「こんにちは、武君。何をしているの?」

 鏡の質問に武は、一緒に居る少女が家に帰ろうとしないから傍に付いているのだと答える。

「武ちゃん、霧っておもしろいよね。なーんにも見えなくなってて」

 菜々子に“のぞみ”と呼ばれた少女は、ぼんやりとした雰囲気で、鏡達の事を気にする事なく武に話し掛ける。

「なーんにも見えない、見えない……それって、ちょっといいな」

「あのな……車とか危ないから、よくないだろう」

 のぞみの言葉に反論する武に鏡も同意すると、目線をのぞみに合わせて、交通事故に遭ったら大変だからと優しく諭す。
 その言葉にのぞみは不思議そうな表情を見せると、すぐさま鏡を探るような目でじっと見てくる。

「お姉さんも武ちゃんと同じように、私がしんぱい?」

 その言葉に鏡は頷くと、菜々子も心配する事をのぞみに告げる。
 のぞみはその言葉を聞いた後も鏡の事をじっと見つめている。

「お姉さんは、いい人だね」

 そう言うと、のぞみは鏡に向けて柔らかい笑みを見せる。
 どことなく儚げに見える笑みが気になるも、のぞみが『今日は帰る』と言い、武が送っていくと言ったので、二人と別れる事にする。
 武達を見送った鏡達も霧の中、車に気をつけながら家路につく。




 帰ってきた鏡達は買い物袋をテーブルの上に置くと、霧の中を歩いて冷えた身体を温めるために、先に入浴する事にする。
 菜々子と二人、お風呂でよく温まった鏡達がお風呂から上がると、時間は頃よく夕方になっていた。
 坂井にもらったレシピを頼りに、鏡は菜々子と一緒に調理を始めていく。
 スープ作りは鏡が担当して、菜々子は具材の下準備を行う。


 鏡は坂井の薦めもあり、トマトピューレから作り始める事にする。
 ざく切りにした完熟トマトを土鍋に入れ、水を入れずにそのまま火にかける。
 加熱されていく内にトマトから水気が出てくるので、木べらでトマトを潰していき、さらに水気を出していく。
 ある程度トマトが煮くずれしてきたら、裏ごし器で皮と種を取り除き、再び土鍋に戻してさらに煮詰める。
 軽く塩を振り味を付け、スープの元となるトマトピューレが完成する。


 鶏肉をオリーブオイルとガーリックで表面に軽く火を通すと、トマトピューレの入っている土鍋へと移す。
 そこに、水と固形コンソメをいれて加熱していき沸騰してきたらアクを取り、酒、トマトケチャップ、しょうゆを加えて味を調える。


 スープが出来上がる頃になると遼太郎も帰宅したので、ちゃぶ台に卓上コンロを用意し、土鍋をそちらに移す。

「今日は鍋か」

 ちゃぶ台に置かれたコンロと土鍋に気付いた遼太郎がそう零す。
 遼太郎の言葉に鏡が『今日は冷えますから』と答え、菜々子が手を洗って座るように促す。
 手を洗ってきた遼太郎が座るのを待って、鏡が火の通りにくい具材から土鍋に入れていく。
 初めて見るトマト鍋に遼太郎が驚きの声を上げると、鏡が坂井から聞いた話を遼太郎へと聞かせる。
 鏡の説明に遼太郎はなるほどと頷き、鍋が出来上がるのを興味深く見ている。

「こういう、洋風の鍋というのも悪くないもんだな」

 初めて食べたトマト鍋に対して、遼太郎がそう感想を述べる。
 遼太郎には味付けが若干甘く感じるが、菜々子には好評で美味しそうに食べている。
 もっとも、鏡がトウガラシを用意していたので、それを加えて自分好みの味に調整している。

「ウインナーを入れても良かったかもね」

 鏡の言葉に、菜々子が今度またトマト鍋を作るときは入れて欲しいとお願いする。
 菜々子のリクエストに鏡は笑顔で頷くと、他にも使えそうな具材を考えておくねと答える。
 残ったスープは必要な分だけ土鍋に残し、余った分は明日の昼食でスープスパゲティにするため、容器に移す。
 土鍋に残したスープにご飯を入れ、リゾット風に仕上げて残さず食べ終える。
 初めて作った割に皆からの評価が良かったので、寒さが本格的になった頃にまた作ろうと鏡は考える。
 食事を終え、使った食器を洗って片付けると、食後のお茶を飲みながらのんびりと過ごす。
 いつもなら入浴しているのだが、もう済ませているので他愛のない話に花を咲かせている。

「……という訳で、今度の文化祭で喫茶店をやる事になりました」

 鏡が今日学校であった事を話すと、菜々子が目を輝かせて自分も遊びに行きたいと話す。
 菜々子の言葉に遼太郎が土曜日は仕事だが、日曜日は非番なので連れて行ってやろうと、菜々子と約束する。
 文化祭に連れて行って貰えると聞いた菜々子は大喜びすると、遼太郎に絵本を読んでとお願いする。
 見ると、菜々子は少し眠たそうにしているので、寝かし付ける事を考えると良い頃合いなのかも知れない。
 その事に遼太郎も気付いたのだろう、絵本を読み終えたら眠るように菜々子と約束して寝室へと向かう。

「今日は寒いから、お前も風邪を引かないように早めに休めよ」

「解りました。叔父さん、菜々子ちゃん、お休みなさい」

 遼太郎と菜々子も鏡に『お休みなさい』と返して居間を後にする。
 鏡は飲み終えた湯飲みを洗い終えてから自室へと戻り、布団に潜り込んでから眠りにつくまでの間、喫茶店で出すメニューを考える。
 日持ちや保存を考えるなら、焼き菓子系のお菓子と、軽食はサンドウィッチ辺りが無難なところか?
 そんな事を考えながら、鏡は眠りへと付く。




 陽介が自室でクラスの出し物である喫茶店の事を考えていると、ふいにクマが声を掛けてくる。

「ヨースケ、ここに書かれている文化祭って何クマか?」

 クマの手に持たれているプリント用紙に視線を向けた陽介は、文化祭について簡単に説明する。
 陽介の説明を興味深く聞いたクマは、プリントに書かれてある項目を指差して『ミスコンとは何クマか?』と、さらに質問を重ねる。

「ま、ようは一番可愛い女生徒を選ぶコンテストだな」

 大雑把にミスコンの事を説明した陽介が、最後にそう言って説明を終える。
 陽介のこの一言にクマは興奮しながら鏡達は出るのかと陽介に詰め寄る。
 鏡の性格から考えると、参加は難しいだろうなと陽介は考えると、その事をクマに話す。

「え~!? センセイ達、出ないクマか? それは勿体ないクマよ!!」

「お前、ヤケに突っかかるな。何を企んでいるんだ?」

「企むなんて失敬クマね! クマはただセンセイ達の水着審査が見たいだけクマよ!!」

 どこまでも自身の欲望に忠実なクマの言動に、陽介は軽い頭痛を覚えるも、そこまで言い切れるクマを羨ましくも思う。
 もっとも、自分もそういう風になりたいとは微塵も思わないが。
 そんな事を考える陽介に、クマは鏡達は絶対に参加すべきだと力説して、プリントのミスコンの項目に書かれている一文を指差す。

「ヨースケ、ココに他薦でも参加を受け付けるって書いてあるクマ!」

「お、今年は他薦も受け付けるようになったのか……」

 クマが指差した一文を読んだ陽介の中で、鏡達全員を推薦しても良いかと考える。
 本当に嫌だったら、辞退すれば良いだけの話だ。

「それなら、ちょっくら推薦してみますかね」

 陽介の言葉にクマは喜ぶと『センセイ達の水着姿が見られる!』と大喜びする。

「それとな、クマ。ミスコンに水着審査は無いからな?」

「何ですとぉ~!」

 陽介の一言にクマはショックを受けると、プリントに書かれている内容に改めて目を通す。
 そこには、参加者の自己紹介の後に投票と書かれており、水着審査という文字はどこにも書かれていない。
 その事実に愕然としたクマは、ガックリと項垂れるとある一文に目が留まった。

――――ミス八高・女装大会 優勝賞品 『ミス八高コンテスト審査員権』

 その一文に気付いたクマが、凄い勢いで陽介に“ミス八高・女装大会”に自分が参加できるかを問いつめる。
 あまりの剣幕に圧倒された陽介は、飛び入り参加も可能だった事を説明すると、クマがやる気を見せる。

「って、お前、女装コンテストに出る気かよ!?」

 驚く陽介に、クマは自信たっぷりに優勝間違い無しと言い切る。

「ま、確かにお前は“見た目”は良いからな……それ以前に参加者が居ないと思うけどな」

 本人が出たいと言っているので、陽介は鏡達の推薦と併せてクマの参加申請もおこなう事を約束する。
 この事が、後で手痛いしっぺ返しとなって自身に返ってくるとは、陽介自身、微塵も思わなかったのである。




 週が明け、ホームルームで喫茶店に出すメニューや客席のレイアウトなどが決められ、文化祭に向けて活動が本格化する。
 喫茶店に出すメニューは、食べ物はクッキーやマフィンケーキなどの常温で保存が可能の物を。
 飲物はコーヒーと紅茶が挙げられたが、小さい子供も来場する事を考えて、オレンジジュースも用意する。
 これらをセットで提供する事にし、値段も一律にする事で、会計の効率化を図る。


 内装などは美術部に所属している生徒がデザインを考え、設営に手間が掛からないように気を配る。
 客席は机を四つ並べた状態を一つの客席とし、作業スペースの事も考え五席にする。
 順調に作業が進む中、異変が起こったのは、文化祭を二日後に控えた日の事だった。


 校舎の屋上に呼び出された陽介が、千枝と雪子に詰め寄られている。

「どういう事か、説明して欲しいんだけどッ!?」

 千枝の剣幕に陽介が若干、狼狽えた様子で何の事だと問い返す。
 陽介の言葉に千枝は、勝手に自分達をミスコンに参加させた事を問いつめる。

「お、俺じゃねーって! 何で疑いが俺一択なんだよ!?」

 千枝の追求に、視線を泳がせながら陽介が反論すると、千枝と雪子が無言で陽介に一歩近付く。
 二人のあまりの剣幕に、陽介が嫌なら辞退すれば今ならネタで済むだろうと反論する。
 それが出来ないから怒っているんだと叫ぶ千枝の言葉を継いで、今年は柏木の取り仕切りで、辞退は不可能である事を雪子が告げる。
 雪子の説明を聞いた陽介が気まずそうに、細かいレギュレーションは見落としていたかもと推薦した事を自白する。

「やっぱオマエじゃんか!!」

 陽介が自白した事により、千枝と雪子が陽介に対し、文句の絨毯爆撃を行う。
 そんな千枝達に、陽介は雪子達が学校中で人気が出ている事を挙げる。

「その上、“アイドル”に“探偵王子”だぜ? こんな注目ヒロインが全員不参加じゃ、ミスコンあり得ないって! 完二も出て欲しいよな!?」

 突然、陽介から話を振られた完二が、自分を巻き込むなと陽介に食って掛かる。

「けど、本音としては出て欲しいだろう?」

「や……そりゃ、どっちかっつうと……その」

 陽介が意地悪く完二に聞き返すと、しどろもどろになりながらも完二は陽介の意見に、消極的な賛成の意を示す。

「辞退が出来ないなら、出るしかないよね? 久々に頑張っちゃおうかな。事務所とかは、この際ムシで」

 現実問題、辞退が不可能であるために、りせがミスコン参加に前向きな発言をする。
 直斗も今でこそ女子の制服を着ているが、男装でいる期間が長かったため、自分が参加する事が場違いに思えているようだ。
 そんな直斗の思いをよそに、陽介が自分にイベントへの全員参加を推したのがクマである事を明かす。

「クマ公もグルか……」

「……あのクマ、何とかした方が良いかも」

 陽介の暴露に千枝と雪子が不穏な様子を見せる。
 そんな中、事の成り行きを黙って見ていた鏡が溜息を一つ付く。

「……陽介。事情は解ったけど、なぜ、当事者の私達に一言の相談もなかったのかな?」

 淡々と話し掛けてくる鏡に、陽介は冷や汗をかきながら何とか上手い言い訳を考えるが、考えが纏まらず、説明に窮する。
 その様子を見て、鏡はさらに溜息をつくと『今回の対価はちゃんと支払ってもらうからね?』と、意味ありげな言葉を残す。

――――この言葉の意味を、陽介は翌日になって思い知らされる事となる。

 翌日になり、掲示板に張り出されていた内容を見た陽介が、血相を変えて教室へと戻ってくる。
 同じく掲示板を見た完二も、慌てて二年二組の教室へとやって来た。

「姉御! ありゃ、どういう事だ!」

 千枝達と一緒に、喫茶店の飾り付けを作りながら話していた鏡は、血相を変えて教室へと飛び込んできた陽介の言葉に小首を傾げる。
 代わりに千枝が陽介にどうしたのか聞いたところ、女装大会に自分達の名前を勝手に書いただろうと抗議してきた。

「昨日、言ったよね? “対価はちゃんと支払ってもらうからね”って」

 陽介の抗議に鏡は表情を変える事なく、淡々と答える。
 つまり、陽介がやった事をやり返しただけだと言外に語る鏡に、陽介は自身の軽率な行動が招いた結果に愕然となる。

「ちょッ!? 姐さん! 俺は関係無いッスよ!」

 巻き添えを喰らった完二が鏡に抗議すると、千枝が横から完二の参加を示唆したのがりせである事を明かした。
 理由は、“皆で楽しもうよ”と言い出したからだそうだが、多分に八つ当たりが含まれている事に完二は気が付く。
 とは言え、ココで下手に騒いでも事態が好転しないのも事実だ。

「完二君、出席日数とか大丈夫? あまり、先生をがっかりさせない方が、いいと思う」

 雪子の何気ない一言に、完二が硬直する。
 サラリと脅迫めいた事を言ってくる雪子に対して、完二が僅かに後ずさる。
 それを見た雪子がにっこり笑うと、完二に『大丈夫、すっごく綺麗にしてあげる』と甘く囁く。
 その言葉に完二はごくりと唾を飲み込むと、本当に綺麗にしてくれるのかと確認を取る。

「保証する」

 自信に満ちた声で完二に答えた雪子は、当日を楽しみにしていてねと完二に蠱惑的な笑みを浮かべて話す。
 雪子に説得され、出場する気になっている完二を指差し、陽介が『何、出る気になってんだ!』と思い止まらせようと試みる。

「……陽介、良いから出ろ」

 剣呑な視線を陽介に向け、声のトーンを一段階落とした鏡が命令する。
 その様子から以前、千枝が独断専行して鏡を怒らせた時の事を思い出した陽介は、抵抗するのを諦めた。
 これまでも、軽率な行動を鏡から何度も指摘されてきた陽介は、説得するだけの信頼を失っているとも言える。
 自身の身から出たサビとはいえ、大きすぎる代償に陽介は項垂れる。

「ま、元々は花村が蒔いた種だからね。今回は大人しく鏡の言うことを聞いた方が良いよ?」

 そう言って、千枝が慰めともトドメとも取れる言葉をかける。
 そんな一幕もあったが、鏡達は文化祭当日を迎える事となる。




 文化祭当日。
 全ての準備を終えた鏡達が文化祭開始前の最終確認を取っている。
 喫茶店で出すクッキーやマフィンケーキの数を数え、在庫が幾つあるのかを常に把握しておける状態にする。
 同様に、クラスメイトが持ち込んだ電子ポットの残量と替えの水の在庫に、飲物の在庫の確認。
 陽介や雪子が先導して、やってくるであろうお客に対しての接客の仕方などの最終調整。


 内装は美術部有志の手によって、明るい感じに仕上がっており、女性客でも気軽に入れるように工夫されている。
 各自シフト表が配られ、それぞれが自分の行動時間の確認に余念がない。

「それじゃ、今日一日がんばって行きましょう」

 鏡がそう宣言すると同時に、校内放送が文化再開始の合図を放送する。


 文化祭が開始され、暫くすると最初のお客がやってきた。

「鏡先輩! 遊びに来ました!」

 どうやら鏡と同じ女子テニス部に所属している一年生のようで、友達を連れて遊びにやってきたようだ。
 四人連れの下級生達に笑顔を向け、雪子が席へと案内する。
 下級生の少女達はそれぞれ違うセットを頼み、皆で少しずつ交換して食べ比べをするつもりのようだ。
 それぞれ、チョコクッキーとバタークッキー、マフィンにカップケーキのセットを注文する。
 飲物は全員ミルクティーを頼んでおり、彼女達の席に雪子と鏡がそれぞれ注文した商品を運ぶ。

「あ! コレって以前、鏡先輩が差し入れしてくれたマフィンですよね?」

 見覚えのあるマフィンを見付けた少女が鏡に訊ねる。
 その質問に鏡は笑顔で頷くと、バタークッキーもそうだと教える。
 鏡からの説明に、少女達は早速、鏡が作ったカップケーキとバタークッキーを分け合って、それぞれ口に運ぶ。
 一口囓った少女達、ほのかに甘く味付けされたマフィンと、バターの風味がしっかりするクッキーに表情を綻ばせる。
 チョコクッキーとカップケーキも好評で、下級生の少女が鏡にまた、部にも差し入れして下さいとリクエストする。

「それじゃ、今度なにか作って持っていくわね」

 リクエストに応えた鏡に下級生達から歓声が上がる。
 上々の滑り出しに鏡は一つ頷くと、気を抜かず頑張ろうと気持ちを引き締める。

「せ~んぱい!」

 昼前になり、忙しさが一段落した所にりせがやって来た。
 りせのクラスは創作折り紙の展示を行っており、一時間の受付作業を済ませると、後は自由時間との事。
 アイドルであるりせが受付をすると、混雑する事が見込まれたために、一番最初に受付の担当を済ませていたそうだ。
 先ほどまでは直斗と一緒に行動していたそうだが、直斗は受付作業の交代にクラスへと戻ったらしい。
 鏡も午前中で仕事が一段落するので、りせが鏡と一緒に文化祭を見て回ろうと誘いの来たのだ。

「鏡、ココは大丈夫だから、今日は上がっても良いよ」

 クラスメイトからそう言われた鏡は、『後の事はお願いね』と返してりせの元へと向かう。
 りせは嬉しそうに鏡の腕を取ると、自身の腕を絡めて嬉しそうな様子を見せる。


 鏡とりせが休憩に出掛けた後も客の入りは上々で、残った陽介達もそれぞれの作業に専念する。
 客の入りが一段落した辺りで、早紀が独りで二年二組へとやって来た。

「あれ? 小西先輩、一人ッスか?」

 早紀の姿にいち早く気付いた陽介が、接客のために早紀の元へとやって来る。
 陽介の言葉に早紀は頷くと、自身も先ほど休憩時間に入ったのだと説明する。

「そっか、姉御はりせと休憩に出掛けたから、行き違いになっちまったか……」

「ううん。今日は鏡ちゃんじゃなくて、花ちゃんに用があって来たんだよ」

 鏡が不在な事を告げる陽介に、早紀はそう答える。
 早紀の言葉に陽介が驚くと、都合が悪くなければ一緒に文化祭を見て回らないかと陽介を誘う。
 突然の申し出に陽介は喜ぶと、特に誰かと回る予定は入れてないので是非にと早紀の申し出を受ける。
 丁度、陽介も休憩時間に入るので問題はない。
 陽介はクラスメイトに休憩に入る事を伝えると、着けていたエプロンを外して休憩を終えて戻ってきたクラスメイトに手渡す。

「それじゃ、小西先輩。行きますか」

 陽介の言葉に早紀は頷くと、陽介と並んで歩き出す。

「そう言えば聞いたよ、花ちゃん。鏡ちゃん達を勝手にミスコンに推薦したんだって?」

 陽介と並んで歩いていた早紀が思い出したように話し掛ける。
 その言葉に陽介は気まずそうな表情を見せると、その報復に女装コンテストに推薦された事を告げる。
 落ち込んだ様子で話す陽介に、早紀は『鏡ちゃんらしいなぁ』と笑って感想を述べる。

「先輩、笑い事じゃ無いッスよ……」

「けどさ、それだけで鏡ちゃん達は許してくれたんでしょう? 嫌われて絶交されてた可能性だって、あったんじゃない?」

 その言葉に陽介は、言われてみると確かにその可能性もあったなと考える。
 表情を変えた陽介に、早紀が今回の件を引き合いに出して、嫌な事をされた女の子が取りそうな報復の可能性を挙げていく。

「一番最悪な報復は、花ちゃんのやった事を言いふらして、女子全員から嫌われるように仕向ける事かな……」

 今回の様な同じくコンテストに推薦する他に、絶交や無視を挙げ、一番最悪な報復として、周りから孤立させる可能性を指摘する。
 アイドルであるりせや探偵王子と呼ばれる直斗なら、噂を広める事など造作もない事だろう。
 その上、鏡がその気になればジュネスの親しくしている面々にも、陽介の悪評を広める事が可能だ。
 ただでさえ稲羽市では噂話が早まるのが早いのだ。
 そんな事にでもなろうものなら、ジュネスの事で色々と言われている以上に居心地が悪くなってしまう。
 早紀の言葉から、そんな未来予想をした陽介の背筋に嫌な汗が流れる。

「まぁ、鏡ちゃん達はそこまでやるほど陰湿じゃないから大丈夫だけど、花ちゃんも自分の行動には気をつけた方が良いよ?」

「面目次第もありません……」

 早紀の言葉に陽介が項垂れて答える。
 今さらながらに、自分の起こした行動が危険を孕んでいた事に気付かされる。
 鏡が何度も自分に軽率な行動を取るなと言った意味を、陽介は実感する。

「その様子だと、花ちゃんも反省しているようだから大丈夫だと思うけど、ちゃんと謝っておいた方がいいよ」

「そッスね。折を見て姉御達にはちゃんと謝っておきます」

 陽介の言葉に早紀は満足そうに頷くと、気分を変えて文化祭を楽しもうと陽介に笑いかける。
 早紀の笑顔に陽介は顔を赤くすると、早紀に引っ張られるようにして文化祭の出し物を見て回る。
 校内の出し物を一通り見て回った後で、出店でクレープを買って食べたりと、一見するとデートの様だ。
 そんな事を考えた陽介は、早紀は自分の事を弟の様に見ているだけで、そんな気は無いだろうと自ら否定する。

「花ちゃん、私と一緒じゃ楽しくない? やっぱり、鏡ちゃん達と一緒の方が良い?」

 陽介の考えを見透かしたように早紀が訊ねてくる。
 その言葉に陽介は慌てて首を振ると、すごく楽しいですと力一杯答える。
 陽介の言葉に早紀は微笑むと『良かった』と、安心した様子を見せる。

「それじゃ今度、一緒にどこかへ遊びに行こうか?」

「え……!? それって……?」

 顔を赤くして聞き返してくる陽介に、早紀が頬を染めて『うん、デートしよっか』と、恥ずかしそうに答える。
 早紀からのデートのお誘いに、陽介は自分が夢を見ているんじゃ無いのだろうかと自身の頬を抓る。
 抓った頬から伝わる痛みが、これは夢ではないと陽介に告げると、陽介は大喜びして申し出を受ける事にする。
 その喜びようは周りから注目されるほどで、自分達が注目の的になった事に気付いた陽介は慌てて何事もなかったフリをする。

「……花ちゃん、喜んでくれるのは嬉しいけれど、そんなに騒がれると、ちょっと恥ずかしいよ」

「……すんません」

 早紀の言葉に陽介が気まずそうに謝る。
 陽介の謝罪に早紀は首を振ると、このままだと注目されたままなので、場所を移動する事にする。
 人通りの少ない場所へと移動した陽介達は、買ってきた飲物で喉を潤す。
 気持ちを落ち着けた二人は改めて、互いの都合が付いた時にデートをしようと約束する。

「そう言えば、明日のミスコン見に行くからね」

「出来れば見られたく無いですけどね……」

 戯けたように話す早紀に陽介が引きつった笑みを浮かべてそう答える。
 それは、早紀が気恥ずかしさを隠すために言った言葉なのだろうが、陽介としては出来れば忘れていたい内容だ。
 早紀とデートが出来る事は嬉しいのだが、明日の女装コンテストを思うと喜び半分、困惑半分と言ったところか。
 とはいえ、春先に早紀と交わした約束は叶わなかったが、今度こそはと陽介は思う。
 その為にも、犯人を一刻も早く見つけ出して事件を解決しなければと、陽介は気持ちを引き締めるのであった。




――次回予告――


 文化祭も二日目を迎え
 一番の目玉イベントに注目が集まる

 その前に行われる前座イベント

――ミス八高・女装大会

 自身が招いた結果に、少年の表情は曇る


 次回、PERSONA4 PORTABLE~If the world~

     陽介の文化祭 後編

――それは、忘却したい記憶の欠片――




2012年11月06日 初投稿



[26454] 陽介の文化祭 後編
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2012/11/06 22:16
――――楽しい時間もいつかは終わる

     一部の者にとってはそうでなくても

         何年か過ぎた先に

      楽しかったと思える事を願って……




『レディース ア~ンド ジェントルマン!!』

 壇上の上に立つ、ピンクのアフロヘアーのウィッグを被った司会進行役の男子生徒が、声高らかにイベントの開始を宣言する。
 その様子を、壇上袖から柏木が不敵な笑みを浮かべて眺めている。
 自身が企画して進めてきただけあって、かなりの自信があるのだろう。

「……あぁ、とうとう始まっちまった」

 柏木の居る壇上袖の反対側では、憂鬱な表情をした陽介が晒し者になる自身の事を思い、重い溜息をつく。
 身から出た錆と言ってしまえばそれまでだが、あまりといえば、あまりな仕打ちでは無いだろうか?

「花村先輩。いい加減、ハラ決めましょうや」

 黄昏れている陽介と違い、完二は達観した様子で陽介に声を掛けると、クマも陽介の背後から完二に同意する。
 クマは自分から参加すると言い出しているので、二人とは違って逆に楽しそうな様子を見せている。

「お前らのポジティブさが羨ましいよ……」

 自身の格好を見て、陽介が疲れ切った声を出す。
 嬉々として自分達をドレスアップした千枝達の事を思い出し、さらに憂鬱な気分になる。

――時間は少し前に遡る

 コンテストの更衣室として使われている実習室へと陽介達がやってくると、嬉々とした様子で千枝達が待っていた。

「何を今さら怖じ気づいてんの。こっち来て、座って」

 沈鬱な表情を浮かべている陽介に千枝はそう言って手招きする。
 完二と顔を見合わせた陽介は項垂れた様子のまま、千枝の指示通りに席に着く。

「大丈夫、痛くしないよ」

 雪子がサラリと不穏な発言をすると、僅かに完二の表情が引きつる。
 鏡とりせは陽介達のメイクアップには関与していないので、少し離れた場所で陽介達の様子を見学している。

「千枝先輩達、愉しそうだね」

 りせが小さく訊ねてくると、鏡はそれに同意する。
 勝手にミスコンへと参加させられた意趣返しに、陽介達を女装大会に参加させた事で、今回の件に付いては水に流している。
 けれど、千枝達の方はやるからにはトコトンまでやるつもりらしく、楽しんでやっている部分もあるようだ。


 今も鏡達の目の前で、観念して席に着いてる陽介達を前に、千枝と雪子が楽しそうにメイクしている。
 普段はリップを付けるくらいで、ノーメイク気味の千枝は陽介を実験台にしている感があり、化粧品の使い勝手に興味深げだ。
 雪子は逆に普段からナチュラルメイクはしているので、手際よく完二のメイクを進めている。

「ねえ、雪子。この後はどうしたら良いんだっけ?」

 千枝が時々手を止めては雪子にメイクの仕方を訊ねている。
 その度に陽介が不安な様子を見せているが、手元に手鏡の類がないため、自分がどのようなメイクされているのかは、確認できない。
 その事実がより一層、陽介の不安をかき立てるのだが、ココまで来たら逃げ出す事も出来ずにされるがままになっている。

「クマ君は肌のキメが細かいから、化粧の乗りが良くて楽ですね」

 二人とは逆に、直斗にメイクされているクマはすっかり任せきっており、リラックスした状態だ。
 化粧の乗りが良いため、陽介達と違って化粧の下地に掛かる時間は、クマの方が圧倒的に短い。
 それに加え、化粧の手際は三人の中で直斗が一番良いこともあり、クマのメイクが一番進んでいる。

「意外……直斗って普段は化粧っ気が無いのに、メイクは手慣れてるんだね」

 直斗の手際の良さに感心するりせに、職業柄、変装用にメイクの仕方は一通り覚えているのだと、直斗が恥ずかしそうに答える。
 その説明に、千枝が『探偵って何でも出来るもんなの?』と、感心半分、呆れ半分の感想を述べる。
 千枝がそう言っている間にも、直斗はクマのメイクを進めていく。


 顔の中心から外側に向かって、リッキッドファンデーションを初めは手で軽く伸ばし、次にスポンジで手早く伸ばしていく。
 その作業が終わると、スポンジで顔全体を軽くタッピングしてファンデーションの余分な油分を取る。
 目の切れ込みはコンシーラを使って丁寧に消していき、ベースの崩れを防ぐためにルーセントパウダーを顔全体に付ける。
 大きめのブラシで余分なルーセントパウダーを取り除くと、アイシャドウとアイラインを引いていく。
 それらが終わると、最後にルージュを引いてリップグロスで立体感を出す。


 メイクが終わると、ストレートロングのウィッグを着けて、青いエプロンドレスに着替える。
 元々が中性的な顔立ちをしているため、メイクを終えたクマはどこから見ても美少女にしか見えない。

「どうクマか?」

 メイクアップを済ませたクマがクルリと一回転して、鏡達に出来映えを訊ねる。
 可憐な美少女然としたクマの姿に、皆の口から溜息が漏れる。

「改めて思ったけど、クマって黙って立っていると絵になるよね」

 りせの感想にクマが憤慨するが、クマの言動が元で今回のコンテスト参加となっただけに、りせの言葉は間違いではない。

「こっちも負けてらんないわね……」

 メイクが済んだクマを見て、千枝が対抗意識を燃やす。
 千枝ほどではないが雪子もやる気を増したようで、完二へと向ける視線に力が籠もる。
 鬼気迫る二人の様子に、陽介と完二は蛇に睨まれたカエルのように身動きが取れなくなる。




『それでは、最初のエントリー! 稲羽の美しい自然が生み出した暴走特急、破壊力は無限大! 一年三組、巽完二ちゃん!!』

 陽介が雪子達にメイクされていた時の事を思い出している間に、イベントは予定通りに進行していく。
 名前を呼ばれた完二が気合いを入れて壇上へと出て行く。

『えっ!? 』

 壇上に登場した完二の姿に、体育館内からざわめきが起きる。
 どこから調達したのか、体型に合ったスカート丈の長い八十神高校の女子制服に身を包み、手には竹刀を持っている。
 メイクは薄い眉をアイブロウペンシルでくっきりと描き、髪は三つ編みおさげのウィッグを着けており、随分と印象が違う。


 女装としては似合っていないが、スケバンを彷彿させる見た目が完二のイメージに合っている。
 その事もあって、完二のアンバランスさに評価は賛否両論のようだ。
 似合っていないという声が多く聞こえる中、一部からは『らしい』という肯定的な意見も出ている。

『あまりの迫力に、僕も近付くのが恐ろしいのですが……チャームポイントはどこですか?』

 恐る恐る訊ねてくる司会者の質問に、完二は戸惑った様子で『……目?』と、ある意味スタンダードな返答を返す。
 見た目とのギャップに、一部の女子からは『可愛い!』という声が挙がる。

「それにしても、雪子。完二君の着ている制服、どこから調達してきたの?」

「あの制服ね、あいかちゃんが用意してくれたの」

「あ、花村の衣装もあいかちゃんが用意してくれたよ」

 鏡の質問に、雪子と千枝がそれぞれ答える。
 化粧品に関してはジュネスで調達出来たのだが、衣装については入手の目処が立っていなかった。
 その事で雪子と千枝がどうするか悩んでいたところ、あいかが調達役を引き受けてくれたらしい。
 様々なバイトをしているだけあり、多くの伝手を持つとはいえ、あいかの人脈の広さには驚かされるばかりだ。

「あいか先輩って、本当に顔が広いんだね」

「そう言えば、クマ君の衣装も中村先輩から渡されましたね」

 鏡達の会話に、りせと直斗も混ざる。
 噂されているあいかは、クラスの出し物である喫茶店での仕事があるので、少し遅れて見に来る予定だ。
 鏡達がそうやって話している内に、司会者が次の出場者の紹介を進めている。

『ジュネスの御曹司にして爽やかイケメン、口を開けばガッカリ王子! 二年二組、花村陽介ちゃんの登場だ!!』

 司会者の紹介に、引きつった笑みを浮かべた陽介が壇上に登場する。
 完二とは違うブレザーの制服に身を包み、赤いミニのスカートを穿いている。

「花村先輩、いい線行くと思ったのにー!」

 陽介はウィッグを着けておらず、赤いゴムで髪を一結びにしている。
 ナチュラルメイクの完二とは逆に少々、化粧が過多気味で、頬に付けたオレンジ系のチークが悪い方向に目立つ。
 そのせいか、一部の男子生徒から『実際にいそうで怖い!』と、おののかれており、完二と違い肯定的な意見は少ないようだ。
 陽介もウィッグを着けていれば印象もまた変わったのかも知れないが、直斗に対抗意識を燃やした千枝の手腕に影響された感が強い。

「千枝先輩、どうしてウィッグを使わなかったんですか?」

 りせの質問に、千枝はバツの悪そうな表情を見せ、完二やクマと被らないように気を使ったと説明する。
 服装などのお洒落には気を配ってはいるが、千枝自身がショートヘアで化粧っ気が少ない事が原因なのかも知れない。
 過剰ともいえるメイクからも、千枝のやる気が別の方向に向かっている事が伺える。

『さぁ、気合いが入った服装ですが……普段からこんな感じで?』

 司会者から突っ込みに、陽介は『んなワケねーだろ!』と、間髪入れずに反論するが、慌てて『ねー……ですわよ?』と、言い直す。
 そんな陽介に、完二が小声で『ただの見世物じゃないスか!』と抗議する。

「それ以外の何だと思ってたんだよ……」

 完二の抗議に陽介が疲れた様子で答える。
 出場者が少ないため、晒し者にされる時間が短く済むのが唯一の救いだが、色々と大切なモノを失った気分だ。
 落ち込む二人をよそに、司会者が次の出場者の紹介に入る。

『自称“王様fuomテレビの国”、キュートでセクシーな小悪魔ベイビー! その名も“熊田”ちゃんだぁ!!』

 司会者からの紹介を受け、クマが壇上へとスキップしながら登場する。
 端から端まで愛嬌を振りまきながらアピールするクマは、壇上中央でクルリと一回転して銃を構えて撃つ仕草を取る。

『ハートを、ぶち抜くゾ?』

 その言葉に、体育館内から喚声が挙がる。
 その大半がクマが本当に男の子なのかという驚きや、可愛いといった声だ。
 そんな声の中に、野太い声で『オレ、あれならイケる……』という不穏な発言が交じっている。

「……あのバカクマ、何を口走ってんのよ」

 サラリと、テレビの事を暴露しているクマの行動に千枝が頭を抱えるが、当事者以外は誰もその事には気付いていない様子だ。
 クマへと寄せられる称賛の声の中、結果として引き立て役になってしまっている事が、完二と陽介を更に落ち込ませる。
 出場者の紹介が終わり、体育館に入る前に渡された投票用紙が回収される。
 投票用紙には予め出場者の名前が印刷されており、投票したい出場者の名前にチェックを入れる形式になっている。

『今年の“ミス? 八高コンテスト”、優勝は……』

 集計が済み、司会者がその結果を発表する。

『大きな支持を集めました、一般参加の熊田さん!!』

 発表と同時に、クマへとスポットライトが当てられる。
 スポットライトを当てられたクマは一歩前へと出ると、スキップしながら壇上中央へと移動する。

『優勝した熊田さんには、本日午後の部に行われる、“ミス八高コンテスト”の栄誉ある審査員の座をプレゼントします!!』

 その言葉に、クマは全身で喜びを表している。

「審査員であんなに喜ぶなんて、なかなか出来ないよね」

 そんなクマの様子を見た千枝が呟き、雪子も『あんなに喜ばれると、何かこっちまで嬉しくなるね』と、千枝に同意する。

「無駄にピュアよね、クマのやつ」

 二人の言葉に、りせもそう話す。
 そんな事を話していたのも束の間、司会者からミスコンの審査員になった感想を求められたクマの一言で、前言を撤回する事になる。

『午後の審査は……じゃじゃーん! 水着審査をするべがなー!!』

 その一言が切っ掛けで、男子生徒達の大歓声が体育館内を包み込む。

「なな、何言いだしてんのあいつ……! そんなのあるわけ無いじゃん!!」

 クマの爆弾発言に、千枝が真っ先に反応する。
 本来、水着審査などは無いため、りせが水着を用意していないと驚くが、鏡にはクマの発言から嫌な予感しか感じない。

「あのクマ、始末した方が……」

 低く、殺意の籠もった小さな声で雪子が呟く。
 目は半眼になっており、今にもクマを呪わんとばかりに睨んでいる。

「うふふ……いい! いいわぁ、この流れ!」

 クマの発言にただ一人、柏木だけが何かを思いついたのか、邪な笑みを浮かべて何やら思案している。
 体育館内が騒然とした中、ミス八高・女装大会は幕を閉じた。




 午後になり、鏡達はミス八高コンテストの準備のため、実習室へと集まっていた。
 控え室には柏木と大谷が既に到着しており、余裕の表情を見せている。

「せいぜい着飾んなさいな、ガキンコちゃん達」

 鏡達の到着に気付いた柏木が近付いてくると、見下すように言い放つ。
 その台詞から、本気でミスコンでの優勝を狙っている事を知った千枝が呆れた様子を見せている。
 自信に満ちあふれている柏木に唖然としていると、控え室の扉がノックされ、紙袋を携えた女生徒が入ってきた。

「さっき優勝した熊田さんから、差し入れです」

 クマからの差し入れと聞き、鏡達が首を傾げていると女生徒が気まずそうな表情で、中身が水着である事を伝える。
 あまりの手際の良さに引きつつも、千枝が要らないと答える。
 その言葉を聞いた柏木が高笑いを始めると、嬉しそうに大人の魅力をさらけ出すわよと宣言する。

「ま、私は自前の水着だけどぉ」

 柏木の発言に続き、大谷も自前で水着を用意している事を告げる。
 本来、水着審査は無いはずなのに、どうして水着を用意しているのかと問いつめたいところだ。
 二人のやる気の高さに呆れていると、柏木が今回のミスコンは水着で行うと通達する。
 イベントの責任者である柏木の通達に、鏡が『唐突過ぎませんか?』と抗議するも、柏木は余裕の笑みを浮かべて鏡達を挑発する。

「ま、負ける戦はしないのが賢明よぉ。アイドルなんて言っても、やっぱりガキンコよねぇ、心も度胸も……体も」

 最後の台詞はあからさまにりせへと向けた挑発で、見下した視線をりせへと向けている。
 りせが転校してきた時も、ホームルームで罵倒をしていたが、未だに敵対意識を持っているようだ。

「……はぁ!?」

 その挑発が勘に障ったりせが険しい視線を柏木へと向ける。
 そんなりせを更に煽るように鏡達を見渡した大谷が、ミス八高に選ばれようも無い人達だから、辞退で良いのではないかと話す。

「あ、アンタは選ばれるってわけ!? こっの……人間戦車!」

「失礼な女ね。見た目も頭も、言葉遣いも悪いのね」

 売り言葉に買い言葉で、大谷の発言に千枝が噛みつくと、呆れた様子で大谷が千枝を更に煽る。
 二人のやりとりに、親友を貶された雪子も大谷に対して敵意を向ける。

「あら? 私と勝負しようっていうの? 無駄だから、やめときなさいって」

 そう言って大谷が鏡達を見渡しながら、どうせ負けるのだから、今の内に逃げた方が良いと哀れむように言葉を続ける。
 その言葉に完全に切れた千枝が、売られた喧嘩は買わねばならぬとばかりに、やる気を見せる。

「ね、鏡達だって、ココまで言われて逃げるなんて出来ないでしょ!?」

 千枝の言葉にりせは同意するが、直斗と鏡はあまり乗り気では無いようだ。

「……え、僕もですか!?」

「そんな挑発に乗って、どうするのよ……」

 水着姿になるのは無理だと狼狽する直斗とは逆に、鏡は呆れたように千枝を窘める。
 しかし、千枝の目は完全に据わっており、何を言われても聞き入れる気はないようだ。

「逃~が~さ~な~い!」

 そう言って千枝は直斗に近付くと、手早く拘束して直斗の制服を脱がしに掛かる。
 千枝に拘束された直斗は可愛らしい悲鳴を上げると、自分で着替えるから脱がさないで下さいと懇願する。
 直斗の懇願に千枝は拘束を解くと、女生徒が持ってきた紙袋を手荒く掴み取り、中からクマが用意した水着を取り出す。


 それぞれの水着はセロファンの袋に入れられており、各自の名前が書かれたタグが付けられていた。
 千枝はタグの付けられた水着を各自に配ると、勢い良く制服を脱ぎだして水着へと着替える。
 控え室の窓は布地に覆われていて、外から着替えを覗かれる心配が無いとは言え、少々恥ずかしい。
 頭に血が上っている千枝と、アイドルとして見られる事に慣れているりせは別として、雪子や直斗はそのまま着替える事に抵抗を覚える。
 一応、紙袋の中には人数分の大きめなバスタオルが入っていたので、それを使って鏡も水着へと着替える為に制服を脱いでいく。
 柏木と大谷はよほどの自信があるのか、堂々と持参した水着へと着替えて控え室を後にする。




 コンテストが始まるまでの間、客席で開始を待っていた陽介は、完二に誰が優勝すると思うか訊ねていた。
 しかし、完二からの返答は思っていた事とは逆で、目立つ事が嫌いな鏡や、特に直斗がミスコンに出て大丈夫なのかと気遣っている。

「考えすぎだって。姉御がミスコン位で気後れするようなヤワなタマじゃないって知ってんだろ?」

「そりゃ、まぁ……けど、クマ公が水着審査なんて、バカな事を言いだしたから解らないじゃないッスか」

 完二の言葉に陽介は少し思案顔になる。
 アイドルのりせは水着を見られる事は平気だと思うが、女である事に抵抗を覚えていた直斗には、水着審査はキツイかも知れない。
 その上、こういった注目を集めるイベントに、目立つ事を嫌う鏡が参加して何とも思わない筈はない。
 実際、その報復に女装大会に参加させられたのだ。


 さっきまでは、鏡達の水着姿を見られると喜んでいたが、その事に対する対価に何をされるのか予測が付かない。
 今回の件はクマの独断なので、自分達に被害は及ばないと思うが、完二が巻き込まれた件もある。
 その事実に、陽介は背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。

(確かクマのヤツ、ミスコンの特別審査員になってたよな……)

 己の欲望に忠実なクマの事だ。セクハラ紛いの質問を鏡達にしない保証がない。
 現にミスコンで水着審査をやると宣言して、事前に用意しておいた水着を届けさせたくらいだ。
 これ以上、鏡の逆鱗に触れないで欲しいと陽介は願いつつ、キリキリと痛む胃を押さえるのだった。

『文化祭二日目のメインイベント! 正真正銘、ミス八高コンテスト!!』

 そんな事を考えている内に、体育館内の照明が落とされて、イベントが開催される。
 女装コンテストで司会を務めていた男子生徒が、引き続きミスコンの司会進行を務める。
 彼に紹介されて、既に水着姿の柏木と大谷が壇上に立っており、二人の登場に会場内からは怨嗟に似た声が上がっている。
 クマの発言を受け、今年のミスコンは通常審査を廃し、水着審査のみとなった。
 その事で、先ほどまでは鏡達の水着姿を見られる事を喜んでいたが、この二人の水着姿は、悪い意味で破壊力抜群だ。
 胸焼けに似た思いをしている間にも、司会者が参加者の紹介を続けている。

『では、次の方! 二年二組、里中千枝さん! どうぞ!』

 壇上幕上手から現れた千枝は、緑をベースに白とオレンジのラインが入ったビキニを着ており、下は両サイドを紐で結んでいる。
 千枝は男子使途からの歓声に頬を若干染めつつも、自己紹介で好物はプディングだと発言する。

「嘘つけ、肉だろ!」

 間髪入れずに陽介がヤジを飛ばすと、千枝の笑顔が引きつる。

「いや、花村先輩。プディングには肉を使うのもあるから、千枝先輩の言ってる事は、あながち嘘じゃ無いッスよ」

 完二の指摘に陽介は驚くと、何でそんな事を知っているのかと訊ねる。
 陽介の疑問に完二は視線を泳がせると、菜々子の誕生日ケーキ作りを手伝った時に、鏡から教えてもらったのだそうだ。
 何でも、肉好きを公言してはばからない千枝の誕生日に作ってあげたら、きっと喜ぶだろうと鏡が話していたそうだ。

「なるほどな……確かに里中のヤツが大喜びしそうだな」

 完二の説明に陽介は呆れたように納得する。

『続きましては、同じく二年二組、天城雪子さんです!』

 次に登場した雪子は、淡いピンクに白のラインの入った水着で腰にはパレオを巻いている。
 雪子の水着も千枝と同じくビキニで、クマの趣味が遺憾なく反映されている。
 元々、こういったイベントに関わらない雪子は自己紹介で何を話せばいいのか解らず、ついつい実家の宣伝をしてしまう。
 こうした天然さが男子生徒に受けるのか、千枝と同じ程度の歓声が上がる。

「いやー眼福、眼福」

「天城先輩……オレの思った通りの人ッスよ……」

 しどろもどろに自己紹介する雪子の姿に、陽介と完二が感嘆の声を上げている。
 次に紹介されたのはりせで、コレまでで一番の歓声に会場が包まれる。

『やっほ、りせちーだよ! アイドル、休業中でごめんねっ! りせちーも頑張るから、応援よろしく!』

 流石はプロというべきか、あっという間に会場内の注目を集めると、壇上から笑顔を振りまき大歓声を集める。
 りせの水着は白とピンクのイナズマ模様のストライプ柄だ。
 下は千枝と同じく両サイドを紐で結んでおり、上は胸元を紐で結ぶデザインになっている。
 りせの登場で沸く中、陽介も興奮気味に『アイドルは違うな!』と喜んでいる。
 陽介とは逆に、完二はりせに対しては冷めた態度を取っており、『そッスか?』と、素っ気なく呟く。

『続きましては噂の転校生、一年一組、白鐘直斗さん!』

 司会者の紹介を受け、直斗がおづおづと壇上へと出て行く。
 直斗の水着は紺色のビキニで、黒のラインが一本入ったシンプルなデザインだ。
 ビキニのデザイン上、胸の部分が強調されており、直斗の胸元に会場中の男子生徒の視線が集中する。
 会場内から聞こえてくる声も、直斗の胸の大きさにどよめく内容が多く、向けられる視線もギラギラとしたモノが大半だ。
 全身を舐めるかのような好奇の視線に、直斗の背筋に悪寒が走る。


 そんな視線の中に晒された状態の直斗は、自己紹介をしようとして声が出ない事に気付き、動揺する。
 視界がぐにゃりと歪み、周りの音が遠くなる。

『白鐘さん? どうかしましたか?』

 直斗の様子の変化に、司会者の男子生徒が訝しげに直斗に訊ねる。
 しかし、直斗の耳にはその声は届いておらず、段々と視界が悪くなっていく。


 直斗の異変にいち早く気付いたのは、直斗の後に控えていた鏡だった。
 顔色が徐々に蒼白になっていき、足下が覚束なくなっている。
 危険を感じた鏡が壇上へと飛び出すと同時に、直斗が胸を隠すように自身を抱きしめると、その場に力なく崩れ落ちる。

「直斗!」

 直斗が壇上に倒れるよりも早く、駆けつけた鏡が直斗を抱き留める。
 突然、その場に崩れ落ちた直斗の姿に、会場内から女生徒達の悲鳴が上がる。
 鏡が直斗の様子を確認すると、額から汗を流し、呼吸も少し荒くなっている。

「今すぐ保健室に連れて行かないと」

 鏡はそう言うと、直斗を抱き上げてすぐさま保健室へと向かう。
 抱き上げた直斗は小柄な見た目通りに体重が軽く、鏡が抱き上げても苦にならないほどだった。
 こんな小さな身体で、探偵として警察の事件捜査に協力していたのかと思うと、胸に小さく痛みを感じる。

『……最後の出場者だった二年二組の神楽鏡さんですが、これは辞退って形になるのかなぁ……?』

 突然の出来事に、司会進行を務める男子生徒が戸惑った様子を見せている。
 会場内も今の出来事による混乱で騒然としており、このままではイベント進行に支障をきたす恐れがある。

『はい、はぁ~い! みんな、落ち着いてねぇ~? 倒れた子が心配なのは解るけどぉ、イベントはこのまま続行よぉ~』

 呆然とする司会者の持つマイクを奪い取った柏木が、そう言って場を仕切る。
 騒然としていた会場内も、柏木の言葉で一定の落ち着きを取り戻すと、女装コンテストと同じく、投票用紙が配られる。
 回されてきた投票用紙にすぐさま記入した陽介は、壇上で直斗と鏡の事を心配する千枝達を見た後で、クマへと視線を向ける。
 直斗の事を心配している様子ではあるが、それよりも鏡の水着姿を堪能できなかった事に対する不満が強く態度に表れていた。

(……クマのヤツ)

 クマの態度に、陽介は我知らず握りしめていた拳に力を込める。

『それでは、集計の結果が出ましたので、発表したいと思います!』

 司会者の言葉に柏木と大谷は、自分が選ばれる事に微塵の疑いを持たない表情で結果発表を待つ。

『優勝は……神楽鏡さんです!』

 結果発表に大きな喚声が上がる中、投票結果の内訳が説明される。
 男性票は大きく分かれたが、直斗を抱き上げて保健室へと連れて行く鏡の姿が、女性票を多く獲得したそうだ。
 二位の直斗との獲得票数は僅差で、実質は直斗と鏡の一騎打ちに近い状況だったという。

「……まぁ、あの姿を見せられたら、納得だよね」

 出場せずに優勝してしまった鏡に対して思うところはあるが、千枝自身も鏡の姿に格好いいと思った一人である。
 りせと雪子も自分も票を入れるなら、鏡に入れていたと話し合っている。
 そんな中、自身の優勝を微塵も疑っていなかった柏木が般若の様な形相を浮かべ、悔しさに身を震わせている。
 同じく自身の優勝を微塵も疑っていなかった大谷も、柏木に悔しさを訴えながら二人で号泣している。
 こうして、イベントは直斗が倒れるというハプニングもあったが、無事に終了する事が出来た。




 控え室で制服に着替えた千枝達が陽介達の元へと向かう。
 倒れた直斗の事が心配なので、皆でこれから保健室へと向かうためだ。

「おい、クマ。お前、自分が何をやったか解ってんだろうな?」

 待ち合わせ場所に到着すると、陽介がクマに詰め寄っていた。
 どうやら、先ほど直斗が倒れた事についてクマを追及しているようだ。
 クマはどうして自分が陽介に責められているのか理解できていないようで、困惑した表情を見せている。
 そんなクマに、陽介が水着審査を行ったせいで直斗が倒れた事を説明していく。


 陽介の説明を聞いていく内に、クマの表情は徐々に青ざめていく。
 クマは鏡達の水着姿を見たかっただけなのだが、その行動の結果、直斗が倒れたとなってはクマの本意ではない。

「……クマ、そんなつもりは無かったのに」

「まぁ、コンテストに推薦した俺も同罪だ。これから直斗の様子を見に行くから、二人で直斗に謝ろう」

 クマの肩に手を置いて、陽介が励ますように言葉をかける。
 その言葉にクマは頷くと、千枝達がやって来た事に気付いて声を掛ける。
 陽介は先ほどのクマとのやりとりを見られていた事が気恥ずかしいのか、顔を赤くして『お前ら、いつから居たんだよ』と、声を掛ける。

「ついさっきだよ。花村も結構、良いトコあるじゃん」

 千枝はそう言うと、直斗の事が気になるからと保健室へと向かおうと陽介達を促す。


 保健室へと到着すると、鏡と直斗は制服に着替えており、何かを話しているようだった。

「鏡、直斗君の様子はどう……って、良かった。気が付いたみたいだね。身体の方は大丈夫なの?」

 直斗の体調を気遣った千枝が鏡に声を掛ける。
 千枝だけでなく、雪子とりせも直斗の事を心配しており、無事な姿を見て安堵の表情を浮かべた。
 直斗は千枝達に自身は大丈夫である事を伝えると、心配をかけて済まなかったと謝罪する。

「そんな、直斗君が謝る事じゃないよ。これというのも全部、好き勝手やったクマ公が悪いんだから」

 そう言って憤慨する千枝を雪子が宥めていると、千枝達の後から、陽介が気落ちしたクマを連れて保健室へと入ってくる。

「ほれ、クマ。直斗に言う事があるだろう」

 陽介に促されたクマは直斗の前に立つと、頭を下げて直斗に謝罪する。

「ナオちゃん、本当にごめんなさいクマ。倒れるほど水着審査が嫌だったなんて、クマ、思いもしなかったクマよ……」

「ミスコンに推薦した俺も同罪だよな。直斗、本当に済まなかった」

 クマに続いて、ミスコンに推薦した陽介も直斗に頭を下げる。
 陽介自身はクマに唆された部分があるが、その場の勢いで行動を起こした事について、陽介自身も思うところがあったのだろう。

「コンテストが終わった後で、花村先輩がクマの事を叱ってたんだよ」

 りせが小声で鏡にそう言うと、直斗が倒れて鏡が保健室へと運んだ後の事を説明する。
 あの後、会場内は騒然としたのだが、柏木が取り仕切ってイベントを続行し、コンテストはちゃんと終了したそうだ。
 コンテストが終了した後で、りせ達が制服に着替えて戻ってくると、陽介がクマを叱っていたのだという。

「ちょっとだけ、花村先輩の事を見直しちゃった」

 そう言って、りせがいたずらっ子のような笑みを見せる。
 二人から謝罪された直斗は、最終的に参加する事を決めたのは自分なのだから、気にしないで欲しいと話す。
 その言葉に、二人の表情がすこしだけ明るくなる。

「あ、そうそう。ミスコンの結果だけど、優勝したのは鏡だからね」

「……えっ!?」

 千枝から突然告げられた言葉に、鏡が驚きの声を上げる。
 直斗を保健室へと運んだため、そもそも自分はミスコンを辞退した扱いになっているはずだ。
 その事を千枝に話すと、千枝はカラカラと笑って事の成り行きを説明する。

「鏡が直斗君を抱き上げて、保健室へと運んだ姿が女子票を集めて、僅差で直斗君を押さえて優勝したんだよ」

 男子からの支持票は直斗が圧倒的に集めていたらしいのだが、女子からの支持票で鏡が逆転したらしい。
 りせも『あの時の先輩の姿、格好良かったよ』と、笑顔で話し、その言葉に鏡としては何とも複雑な心境になる。
 そんな鏡に、雪子が優勝を逃した柏木と大谷が号泣して混乱した事を苦笑気味に話す。
 自信満々で出たにもかかわらず、実質出場しなかった鏡に負けたのだから、二人の悔しさは相当なものだったのだろう。

「先輩方、保健室にいつまでも居るのはアレなんで、取り敢えず移動したほうが良くないッスか?」

 話し込む鏡達に完二が指摘する。
 確かに完二の言うとおり、直斗も大丈夫なので長居をする訳にはいかないだろう。
 鏡達は保健室を後にすると、休憩がてら二年二組へと移動する事にする。

「お姉ちゃん!」

 突然の呼び声に鏡が振り返ると、菜々子が嬉しそう駆け寄って来る。
 その後からは遼太郎が付いてきており、鏡の姿を確認して『見つかって良かったと』安堵の表情を見せる。

「叔父さん、どうかしたのですか?」

「県庁の出張があってな、帰りが明日になりそうなんだ」

 鏡の質問に遼太郎が表情を曇らせてそう答える。
 せっかくの文化祭を菜々子と楽しみにしていたのだが、これからすぐに出掛けないと拙いらしい。

「すまんが、菜々子だけでも連れてやってくれないか」

 遼太郎の言葉に、雪子が菜々子に自分達と一緒に見て回ろうと話し掛ける。
 雪子の言葉に菜々子は笑顔で頷くと、鏡の手を取る。

「じゃあ、すまんが宜しくな」

『いってらっしゃい』

 立ち去ろうとする遼太郎に、鏡と菜々子が言葉をかける。

「おう。菜々子、楽しめよ」

 二人の言葉に振り返って返事を返し、遼太郎は去っていく。
 菜々子を連れ、鏡達は文化祭を皆で見て回る。
 先日も立ち寄った完二のクラスで菜々子の分の編みぐるみを購入し、射的やお化け屋敷などを見て回る。
 皆と一緒に行動する事が嬉しいのか、菜々子は終始ニコニコと笑顔を見せ、興味のある出し物を見付けては、鏡の手を引いていく。
 そんな菜々子の様子に千枝達も表情が綻び、何かにつけて菜々子に構っている。


 楽しい時間はあっという間に過ぎ、文化祭も終了間際となると、鏡達は出し物の後片付けへと各々のクラスへと向かう。
 鏡達のクラスに付いてきた菜々子にクラスメイト達が気付くと、作業の手を止めて菜々子の元へと集まってくる。
 体育祭で菜々子の事を見知っている女子のクラスメイト達は、口々に菜々子の事を可愛いと褒める。
 褒められて照れる菜々子は、片付けをする鏡達の手伝いを申し出て、自分に出来る作業を一生懸命にこなしていく。
 その姿が心の琴線に触れたのか、クラスメイト達がこぞってやる気を出して、あっという間に片付けが終了する。

『菜々子ちゃん、また遊びに来てね!』

 片付けが終わり、りせ達と合流するために教室を後にしようとする菜々子へと声が掛けられる。
 僅かな時間であったが、クラスメイト達は菜々子の事を気に入ったようで、残ったクッキーなどを包み、菜々子へと手渡していた。
 その都度、菜々子がお礼を述べると『可愛い!』とクラスメイト達が嬉しそうに騒ぐ。

「何だか、クラス中が凄い事になってたね」

「一部で『天使が居るぞ!』とか、騒いでたヤツも居たしな」

 千枝の言葉に、陽介がそう返す。
 菜々子の事を認めて貰えた事は嬉しいが、変な真似をする者が出たら嫌だなと鏡は思う。
 陽介達の話が理解できない菜々子は、不思議そうな表情で皆を見ている。

「あ、菜々子ちゃん。あたし達のクラスメイトが騒がしかったけど、うるさくなかった?」

「大丈夫だよ。菜々子、楽しかったよ!」

 千枝の質問に菜々子が笑顔でそう答える。
 その様子を見ていた雪子が屈んで菜々子と目線を合わせると、鏡と一緒に今晩ウチに泊まりに来ないかと誘いをかける。
 雪子の言葉にクマが驚き、今なんと言ったのかと聞き返す。
 クマの質問に雪子が改めて菜々子に泊まりに来ないか誘った事を話すと、りせが『旅館で打ち上げ!?』と、驚きの声を上げる。

「以前、りせちゃんとクマさんが提案してくれた時には出来なかったしね」

 そう言って、雪子は久保が逮捕された時の事を持ち出す。
 その事に加え、雪子の母親が鏡達を招待したいと話していたそうだ。
 雪子の説明に陽介達は大喜びし、直斗は祖父に連絡を入れなければと携帯電話を取り出している。

「……けど、良いの? 迷惑にならない? まだ、シーズンでしょ?」

 千枝が心配そうに雪子に訊ねると、今年は客数が減った事を挙げる。
 明言はしていないが、春先に起こった事件の影響が今も続いているようだ。

「……それに、空いてる部屋もあるから」

 少し言葉を濁したような言い方だが、その説明に千枝は納得すると、雪子の家に泊まるのも久しぶりだと嬉しそうに話す。
 天城屋旅館で一泊する流れとなるも、このまま直行はせずに、一旦解散して各自準備をしてから現地集合する事となる。
 落ち合う場所を決めてから解散した鏡は、菜々子と手を繋いで帰宅すると制服を着替えて菜々子と一緒に出掛ける準備をする。

「菜々子ちゃん、忘れ物はない?」

「うん! 大丈夫だよ!」

 鏡の確認に菜々子は満面の笑みを浮かべて頷くと、お気に入りの仔猫のぬいぐるみを鏡に見せる。
 クマから貰った仔猫のぬいぐるみは菜々子の一番のお気に入りで、特別な事がある時は一緒に持ち歩くほどだ。
 菜々子の言葉に鏡は頷くと、菜々子の手を取り戸締まりを確認してから天城屋旅館へと向かう。
 待ち合わせは天城屋旅館前のバス停留所だ。
 嬉しそうな菜々子の姿を見て、鏡は今回の宿泊が菜々子にとって、良い思い出になる事を願うのだった。




――次回予告――


 文化祭も終了し、持ち上がった打ち上げ話
 それは、以前は実現しなかった事柄

 会場は、稲羽市一の温泉旅館

――その事も、参加者全員の気持ちを昂ぶらせる

 満天の星空の元、心地よい温泉に癒される


 次回、PERSONA4 PORTABLE~If the world~

     天城屋旅館にて

――それは、皆で何かを為し得た小さな報酬――




2012年11月06日 初投稿



[26454] 天城屋旅館にて
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2012/05/25 20:16
――――文化祭も終わり、仲間内での打ち上げとなった

            打ち上げの場所は温泉で

                疲れた身体をゆっくりと癒し

         それは、思い出というアルバムに追加される、記憶の一ページ




 待ち合わせ場所に鏡と菜々子が到着すると、陽介達が二人を待っていた。
 どうやら最後に到着したのが鏡達のようで、クマが待ちくたびれたと不満を述べている。
 待ち合わせ時間に遅れた訳ではないが、鏡は皆を待たせた事を謝罪して、天城屋旅館へと向かう。

「いらっしゃいませ」

 鏡達を出迎えてくれたのは仲居の葛西で、雪子が小学生の頃から天城屋旅館で働いている女性だ。
 二十代半ばと比較的若く、雪子と千枝にとってはお姉さん的な存在でもある。

「葛西さん、お世話になります!」

 千枝が葛西に挨拶をすると、陽介達も千枝に倣って葛西に挨拶する。
 陽介達が葛西に挨拶をしていると、奥の方から仲居の格好をした雪子がやって来て『いらっしゃいませ』と声を掛けてくる。
 雪子の姿を見たクマが嬉しそうに『ユキちゃん、湯煙温泉若女将なのね!』と声を掛けると、雪子は自分は仲居さんだと否定する。

「ごめんね、急な団体さんが入っちゃって」

 雪子は屈んで菜々子に目線を合わせると、申し訳なさそうに謝る。
 普段から鏡の手伝いをしている菜々子は首を振って気にしていない事を伝える。
 幼い菜々子なりに、手伝いは大切な事だと理解しているからだ。
 葛西が菜々子へと詫びる雪子に、自分達に任せて鏡達と一緒に行動して良かったのにと話す。
 その言葉に、雪子は宴会が終わるまでは人手が必要だからと、心遣いに感謝をする。

「では、お部屋へご案内しま~す」

 聞き覚えのある声に視線をそちらに向けると、雪子と同じく仲居の格好をしたあいかが立っていた。
 陽介が驚きなら何をしているのかとあいかに訊ねると、少し首を傾げて『ん~、バイト?』と、何故か疑問系で答える。
 あいかが居る事に驚く陽介達に、雪子が『言ってなかったっけ?』と、時々あいかが天城屋旅館を手伝ってくれている事を説明する。
 その説明に完二が愛屋の方は大丈夫なのかと訊ねると、大丈夫だとあいかが返す。

「お部屋へどうぞ」

 そう言って、あいかが部屋へと鏡達を案内する。
 移動の際に雪子へと視線を向けると、葛西と一緒になって玄関ロビーに飾られている花の事で相談しあっているようだ。
 どうやら花だけが目立って調和が乱れているので、ボリュームを減らしたり、色合いを柔らかくしたりしようと検討している。
 雪子は通信教育を使い、インテリアコーディネイターの資格を取ろうとしている関係か、最近では旅館の内装にも気を配っている。
 努力の甲斐あって、古くから利用しているお客からも、以前よりも寛げると評判は上々だ。


 鏡達が通された部屋は景色がよく見える部屋で、日当たりも良く、急な団体客の宿泊もあって、陽介達とは部屋が離れている。
 立ち去り際、あいかが鏡達に陽介達の部屋には行かない方が良いと、不可解な忠告を残して去っていく。
 忠告の内容が気になるが、すぐに夕飯の時間だからと告げられた鏡達は荷物を置いて支度を調える。
 鏡と菜々子は浴衣に着替え、千枝達は上着を脱いだ格好だ。
 菜々子の着替えを手伝う姿に、りせと千枝は夏祭りの事を思い出し、表情を綻ばせる。
 直斗も実の姉妹のように仲の良い二人の姿に、『本当に仲が良いのですね』と、少しばかりの羨望の眼差しを向ける。
 二人が着替え終えてから、鏡達は指定された宴会場へと移動する。


 宴会場には陽介達が先に到着しており、やって来た鏡達にクマが『遅いクマよ』と、早く座るように促してくる。
 用意されていた料理は、旬の野菜を使った天ぷらに稲羽マスの塩焼き、お麩と松茸のお吸い物にかやくご飯だ。
 食後のデザートはゆずのアイスクリームで、女性陣には好評だった。
 食事中、クマが陽介のおかずを横取りしようとして、菜々子の前ではしたない真似をするなと千枝に一喝される一幕もあった。

『ごちそうさまでした』

 食事を終え、それぞれの部屋へと戻ろうとしたところ、最後に宴会場から出てきた陽介にあいかが声を掛ける。
 怪訝な表情を浮かべた陽介にあいかは一つ頷くと、そのまま仕事へと戻る。

「陽介、どうかしたの?」

「……いや、あいかちゃんに『部屋、大丈夫?』って聞かれたんだけど、何だったんだろうな?」

 鏡の質問に陽介は首を傾げながらそう答える。
 そう言えば、あいかから陽介達の部屋には行かない方が良いと忠告されていた事を思い出し、鏡はその事を陽介に教える。

「何か、嫌な予感しかしないのは、俺の気のせいか……?」

「私からは何とも言えないわね。情報が少なすぎるし」

 何とも言えない表情で陽介が鏡に訊ねるが、鏡としても判断するための情報が少なすぎて予測も出来ない状況だ。
 考えていても答えが出ないので、陽介はひとまずこの件は保留する事に決め、鏡達のこの後の予定を訊ねる。
 陽介の問い掛けに雪子が手伝いを終えたので、一緒に露天風呂へと行くつもりだと答えた鏡は、りせ達の元へと向かう。


 部屋へと戻って入浴の準備をしていると、手伝いを終えた雪子が着替えを手に鏡達の部屋へとやって来た。

「手伝いで一緒に居られなくてごめんね。準備は出来てる?」

 雪子の問い掛けに鏡達は頷くと、着替えを手に露天風呂へと移動する。




 脱衣所で着替えて露天風呂へと出ると、満天の星空と広大な景色に目が奪われる。
 りせと直斗は今回が初めてなので、視界に広がる景色に感嘆の声を上げ、二回目となる菜々子も嬉しそうに鏡の手を引く。

「あいかちゃんも入ってたんだ」

 雪子の言葉に、鏡達に気付いたあいかが軽く手を挙げる。
 かけ湯をしてから身体を洗い、鏡達は湯船へと移動する。

「そう言えば、あいか。女装コンテストの衣装調達、ありがとうね」

「ん~、私も楽しめたから、気にしないで」

 鏡のお礼にあいかはそう答えると、また何か手伝えることがあれば言ってきてと話す。

「直斗君、こっちおいでよ。広いよ」

 独りだけ、隅の方で大人しくしている直斗に雪子が声を掛ける。
 雪子に呼ばれた直斗が小さく返事をすると、おずおずと鏡達の方へと近付く。

「こうやって改めてみると、直斗の胸って本当に大きいよね……」

 近付いてきた直斗の胸に視線を向けたりせがしみじみと呟く。
 その言葉に直斗が咄嗟に胸を両手が隠すが、直斗を取り囲むように雪子と千枝も近付いてきて口々に同意の言葉を続ける。
 あいかも興味があるのか、直斗の傍までやってくると、まじまじと直斗の胸を見て『……確かに大きい』と自分の胸と見比べる。

「鏡さんだって、サイズ的には僕とそう変わらないじゃないですか!」

 悲鳴に近い声を上げて直斗が反論する。
 その言葉に雪子達の視線が鏡へと向けられ、鏡の胸元に視線が集中する。

「そう言えば、鏡も着痩せするのか、結構サイズがあるよね」

「……私の場合は直斗と違って、身長があるのも原因だと思うよ」

 千枝の言葉に、鏡がそう答える。
 鏡と直斗の身長差は二十センチ近くあるため、相対的に直斗の方がサイズが大きく見えているようだ。

「ね、鏡。ちょっと、こっちに来て」

 その指摘に千枝が鏡を手招きする。
 千枝は呼ばれて近付いてきた鏡と、傍にいる直斗の胸を無造作に掴むとその大きさを比較する。
 無造作に胸を捕まれた直斗は悲鳴を上げると、身をよじって千枝から離れて涙目で千枝を睨み付ける。
 それとは対照的に、鏡は一つ溜息をついて自身の胸を掴む千枝の手を、やんわりと退ける。

「直斗君の言う通り、鏡と直斗君の胸の大きさはあまり変わらないね」

 千枝の言葉に直斗は顔を真っ赤にして抗議するも、声にもならない声で何を言っているのかが解らない。

「……千枝。いきなり人の胸を掴むのは、どうかと思うのだけど?」

 二人の抗議に千枝は引きつった笑いを浮かべると、ちゃんと比較するなら触った方が確実だからと弁明する。

「菜々子も、お姉ちゃん達みたいに大きくなるのかな?」

 それまで鏡達の様子を見ていた菜々子が、自分の胸を見ながらそんな疑問を述べる。
 その言葉に、りせ達が菜々子も自分達と同じ年齢になる頃には大きくなっているよと答える。
 そんなやりとりをしてる中、あいかが雪子の方へと視線を向けると、そろそろ露天風呂が男湯の時間になる事を指摘する。

「忘れてたっ! そろそろ上がらないと、男の人達が入ってくるかも」

 その言葉に鏡達は慌てて湯船から出ると、脱衣所へと移動する。
 急いで身体をバスタオルで拭い、鏡は先に菜々子の着替えを済ませてから自身の着替えを済ませ、備え付けのドライヤーで髪を乾かす。
 その間、一番先に着替えと髪を乾かし終えた千枝が男性客が入ってこないように、脱衣所の入り口へと移動する。
 千枝が脱衣所の外へと出ると、こちらの方へと向かってくる足音と話し声が聞こえてくる。

「里中!? 何でお前がここに居んだよ! 今の時間、露天風呂は男湯だろうが!?」

「うっさい! 鏡達が今、中で着替え中なんだから、アンタらは鏡達が出てくるまでココで待ってなさい!」

「えっ!? 今センセイ達、ドキドキ生着替え中クマかっ!?」

 やって来たのは陽介達で、千枝が居ることに驚いた陽介の言葉に千枝が言い返す。
 二人のやりとりを聞いたクマが、急いで着替えを覗こうと脱衣所へと向かおうと駆け出す直前、浴衣の襟首を完二に捕まえられる。

「カンジっ!? 離すクマよ! センセイ達の生着替えを見るクマよ!!」

「アホかっ! 男なら、覗きなんて情けない真似してんじゃねえよっ!!」

 もがきながら抗議するクマを一蹴した完二は、脱衣所へと向かえないようにクマの身動きを封じ込める。
 流石に陽介もクマの行動を看過する訳にはいかず、完二と共にクマの暴走を押さえ込む。

「クマ吉……アンタには制裁が必要なようね」

 完全に据わった目で睨み付けてくる千枝に、クマが青ざめた表情を見せる。
 千枝の凄みに完二と陽介も身体を強ばらせていると、千枝の背後から着替えを済ませた鏡達がやってくる。

「陽介達も、今からお風呂?」

 陽介達に気付いた鏡がそう声を掛ける。
 湯上がり姿の鏡達に見とれていた陽介は、鏡の言葉にほんの少し反応が遅れるも、先ほど思った疑問を鏡に伝える事にする。

「あぁ、連絡があったからな。でも、今の時間は男湯の筈だろう? 何で姐御達が居るんだ?」

 陽介の疑問に雪子がバツの悪そうな表情を見せる。
 その様子に陽介が訝しげな表情を見せると、鏡は雪子が男湯の時間の事を忘れていて、上がるのが遅くなったからだと説明する。

「それって、クマ達がもう少し早く到着していたら、混浴出来たかもって事クマかっ!?」

 鏡の説明に、心底残念そうな表情をしたクマが落胆の声を上げる。
 欲望に忠実すぎるクマの発言に、女性陣から一斉に白い視線が向けられる。

……このクマ、やっぱり始末した方が

 ぼそりと小さく呟く雪子に、流石に犯罪だから拙いと直斗が宥める。
 直斗の件で少しは自重するかとも思えたが、どこまで行ってもクマは己の欲望に忠実である事に変わりないようだ。

「クマ、このままココで話していたら時間が無いから、さっさと風呂に行くぞ」

 そう言ってクマを促した陽介は、鏡達にこれから露天風呂に入ってくると告げて脱衣所へと向かう。
 クマは名残惜しそうにしているが、首根っこを完二に掴まれているので、抵抗空しく脱衣所へと連れられて行く。
 陽介達と別れた鏡達は、自宅へ帰るあいかをロビーまで見送りに行くと、飲物を購入してから自分達の部屋へと戻る。




 部屋へと戻ってきた鏡達は購入してきた飲物を飲みながら、文化祭での事を話し合う。
 休み明けのホームルームで喫茶店の反省点を話し合う事になっているが、予め反省点をまとめるため、鏡達はそれぞれ意見を出す。
 りせと直斗もお客としての視点から、気付いた事を挙げ、自分達の出し物についての意見も鏡達に訊ねる。
 菜々子も文化祭を見て回った時に思った事を鏡達に話し、小さい子供から見た貴重な意見を鏡達へと伝える。

「やっぱり、飲食物を扱うと、衛生面での問題点が一番目に付くね」

 意見をまとめると、一番多く出たのが衛生面の問題点だった。
 今回は予め作り置きしていた物を提供する形で対処していたが、不安が全て解消出来なかったのも事実だ。
 冷やして保存するのが難しかった為、生クリームを使ったケーキなどが提供できず、焼き菓子中心のメニューしか提供できなかった。
 その事は訪れたお客からも指摘されており、メニューにあれば良かったとと言う意見は女性客を中心に多く挙げられていた。

「学校の出し物だと、どうしても大掛かりな機材が使えないからね」

 千枝の言葉に雪子がそう答え、それでも出来る範囲の事は出来たはずだと自身の意見を述べる。
 確かに、訪れた人達の反応は悪くなく、メニューが足りない事への指摘はあったが、提供していた物への反応は好意的だった。
 実際に『美味しかった』という感想を多く貰っており、結果的には成功していると皆の意見は一致している。

「取り敢えず、反省点はこれで出揃ったと思うから、この話はこのくらいで切り上げた方が良さそうね」

 そう言って鏡が菜々子の方へ視線を向けると、菜々子は眠そうにうつらうつらしている。
 時計を見ると、いつもなら菜々子はもう眠っている時間だった。
 話し合いに集中していたせいか、時間がかなり経っている事に気付かなかったようだ。

「私達には少し早いけれど、菜々子ちゃんを休ませてあげないとね」

 雪子の提案で鏡達は布団を敷き就寝する事にする。

「菜々子ちゃん、クマから貰った仔猫のぬいぐるみが本当にお気に入りなんだね」

 ぬいぐるみを抱きしめて離さない菜々子の姿に、千枝が表情を綻ばせて話す。

「一緒に居るように心がけてはいるつもりだけど、どうしても菜々子ちゃんを独りにさせている時間が多いからね」

 表情を僅かに曇らせて鏡が呟く。
 手元から離さないという事は、それだけ独りでいる事を寂しく感じている心の表れなのかも知れない。
 鏡の呟きに、千枝がまたこうやって集まる機会を作れば良いと提案する。

「冬になって雪が積もったら、皆でスキーとかしようよ」

 稲羽市は山々に囲まれた土地柄、冬には雪が積もる事が多い。
 その事もあり、冬になると雪景色を楽しみながら露天風呂に入る事を目的とした常連客も居るほどだ。

「だったら私、皆でかまくらを作りたいな」

 りせの提案に雪子も楽しそうと乗り気になり、冬になったら実行しようと皆で約束を交わして眠りにつく。




 翌朝になり、早くに目を覚ました鏡達は、眠っている菜々子を起こさないように部屋から抜け出すと、露天風呂へと向かう。
 早朝とあって、昨夜と同じく貸し切り状態となっている温泉に浸かり、ゆっくりと身体を温める。

「外は少し寒いけれど、温泉に浸かっていると丁度良い感じだね」

 鏡の言葉に皆が頷く。

「そう言えば、隣の部屋に柏木先生と大谷さん、泊まってたよ。ビックリしちゃった。仲良いんだねー」

 千枝の言葉に、雪子が辛い事があると時々泊まりに来ては二人で泣いているのだという。
 今回はコンテストで優勝出来なかった事が、泊まりに来た理由なのかなと零す千枝に、鏡が僅かに困惑した表情を見せる。

「あの二人、良いコンビだよね」

 鏡の隣にいるりせがそう言って笑うと、鏡も表情を和らげてその言葉に同意する。

「そう言えば菜々子ちゃん、今日はこの後で学校に行くんでしょ? さっき葛西さんが車で送ってくれるって」

 文化祭の振り替え休日で鏡達は休みだが、菜々子は登校日であるため、ノンビリとはしていられない。
 そのため、朝食を摂り次第帰宅する予定だったのだが、うっすらと霧がかかっているため、葛西が気を使ってくれたようだ。

「ありがとう、雪子。葛西さんにも、後でお礼を言わないとね」

 鏡のお礼に雪子は笑って頷く。
 もう少しゆっくりしていたいが、そろそろ上がって菜々子を起こさないと時間が足りなくなるので、鏡達は入浴を切り上げる事にする。
 身支度を調え部屋へと戻ってくると、鏡はまだ眠っている菜々子を優しく起こして服を着替えさせる。
 菜々子が着替え終わるのを待って朝食を摂りに大広間へと向かう途中、何やら勝ち誇った表情を見せる柏木達とすれ違った。
 千枝から聞いた話ではかなり落胆していた筈なのだが、普段と変わらぬ自信に満ちあふれたその様子に、鏡は面食らう。

「何か良い事でもあったのかな?」

 鏡同様、柏木達の様子に面食らっていた千枝がそう零す。
 心なしか、二人の肌が艶やかな状態になっているように見えた。
 しかし、真相は鏡達に判るはずもなく、気にはなったが朝食を摂るために大広間へと急ぐ。

「……おはようさん」

 大広間に到着すると、妙に疲れ切った表情をした陽介が鏡達を出迎えた。
 見れば陽介だけでなく、クマと完二も疲れ切った表情をしており、クマにいたっては心なしか顔が青覚めて見える。
 目の下には隈ができており、見るからに寝不足といった様子だ。

「何だか疲れ切っているようだけど、どうかしたの?」

 鏡が訊ねると、陽介は『……色々とあったんだよ』と、言葉を濁らせる。

「……女の恨みって根深いんだな」

 しみじみと呟く陽介に鏡は戸惑った表情を浮かべると、雪子へと視線を向ける。
 鏡から視線を向けられた雪子は思わせ振りな笑みを見せると、朝食が冷めない内に食べてしまおうと鏡達を促す。
 朝食は出汁巻き卵に塩焼きした魚の切り身。お味噌汁の具材は大根で、出汁巻き卵と塩焼きした切り身には、好みで大根おろしをかける。
 あっさりとした味付けがされており、物足りなさを感じる常連客は、生卵を頼んで卵かけご飯にしているようだ。
 朝食を摂り終えた鏡は菜々子と共に、葛西の運転する車で一足先に戻る事になる。
 陽介達は朝食後に風呂へと入ってから帰宅すると言い、千枝とりせ、直斗の三人は一休みしてから帰宅する予定だ。

「葛西さん、わざわざ送っていただき、ありがとうございます」

 運転する葛西に鏡がお礼を述べる。
 その言葉に葛西は微笑むと、お礼を言うのはむしろこちらの方だと言葉を返す。

「今まで千枝ちゃんだけが雪ちゃんにとって友達と呼べる相手だったけど、鏡ちゃん達と出会ってから本当に良く笑うようになったのよ」

 葛西から逆にお礼を言われて戸惑う鏡に、笑いながら葛西が説明する。
 実家の手伝いをしているので気付きにくいが、雪子は仕事以外では若干ながら人見知りする部分があるそうだ。
 言われてみると、知り合った当初の雪子はどこか一歩引いた様子を見せていた事に気付く。

「それにあの子、人前では結構ネコを被っているでしょ? 実家の関係上、必要以上に砕けた様子を見せられないのは仕方ないけど……」

 年相応に振る舞えない環境に閉じ込めてしまって、雪ちゃんには辛い思いをさせているでしょうね。
 そう呟く葛西の表情が僅かに曇る。
 気は配っていても、同世代でない上に実家の従業員である葛西達には雪子自身、実家に対する愚痴を零す事は出来ないだろう。
 葛西の言葉に、鏡は雪子が抱えている実家に対する複雑な思いに葛西が気付いているのだと理解する。

「私達には言えない事でも、鏡ちゃんになら結構、打ち明けているんじゃないかな? 出来ればこれからも雪ちゃんの事、お願いね」

「えぇ、雪子は私にとっても大切な友人ですから」

「菜々子も雪子お姉ちゃんの事、大好きだよ!」

 葛西の言葉に、鏡はそう言って頷きを返し菜々子も満面の笑みを浮かべてそう話す。
 そんな二人の姿に葛西は満面の笑みを浮かべると、それなら安心だと満足そうに頷く。

「それじゃ、私は戻るね。菜々子ちゃん、今日は霧が出ているから学校に行くときは気をつけてね」

 堂島家に到着し、車から降りた二人に葛西がそう声を掛ける。
 雨が降った後ではないが、うっすらと霧がかかっており、通学するには気をつけないとならないだろう。

「今日は休校日ですから、小学校まで送って行こうかと思います」

 葛西の言葉に鏡はそう返し、菜々子も葛西の言葉に『はーい』と可愛く返事を返す。
 鏡の言葉に葛西は安心した様子を見せると、二人に軽く手を振ってから車を発車させる。
 去っていく車を見送った二人は鍵を開けて家に入ると、前日に用意しておいたランドセルを鏡が菜々子に手渡す。

「それじゃ、遅れないうちに出掛けましょうか?」

 鏡の言葉に菜々子は満面の笑みを浮かべて頷くと、鏡と仲良く手を繋いで小学校へと向かう。
 小学校に到着すると、鏡と同じように家族に連れられて登校してきた児童の姿が多く見られた。
 世間的には連続殺人事件は解決された事になっているが、やはり不安に思っているのだろう。
 原因不明の霧に対して、稲羽市住民の不安が募っているとニュースでも報道されている。

「それじゃ菜々子ちゃん、学校が終わる頃に迎えに来るから、一緒にジュネスへ買い物に行こうね」

「うんっ! 行ってきます、お姉ちゃん!」

 鏡の言葉に笑顔で頷くと、菜々子は鏡に手を振って校門をくぐっていく。
 校舎へと入る菜々子を見送った鏡はそのまま帰宅するのは勿体ないので、河川敷を少し散歩してから帰宅する事にする。
 河川敷へと向かう途中、鏡は稲羽市ではあまり見掛けない黒塗りの乗用車とすれ違う。
 どことなく場違いに見える車は、菜々子の通う小学校に向かっているようだ。
 引っ掛かるモノを感じたが、たまたま小学校の方角に向かっているだけかも知れないと考え、鏡はそのまま河川敷へと向かう。


 鏡とすれ違った黒塗りの乗用車の後部座席で、二人の男性が今後の予定を確認していた。

「香西先生、本日のスケジュールですが、これから向かう小学校を訪問した後で、稲羽市立病院の視察となっております」

 秘書風の男が話し掛け、恰幅の良い神経質そうな男が鷹揚に頷く。
 世間を騒がせた猟奇殺人事件の舞台となった稲羽市。
 事件は犯人である男子高校生の逮捕で幕を閉じたが、原因不明の霧に対する市民からの不安の声が多く上がっている。
 自身が代表を務める“環境を考える会”としては、環境問題とも言えるこの問題に対して、行動を起こす必要があった。
 正義感はもちろんだが、次の選挙に向けた活動も行わなければならない。
 理想だけでは何も成せないのは理解しているが、打算的な思惑を伴った自身の行動に嫌気がさす。
 そんな事を思いながら、香西は何気なく視線を車外へと向ける。

「それにしても、本当に何もない場所なのだな。稲羽市と言う所は……」

 車内から見える、うっすらと霧がかった風景に香西はそう呟く。
 香西の呟きに、秘書は陶芸品と老舗の温泉旅館くらいしか見る物がない田舎町ですからと答える。

「そうか、こういった事ではなく温泉旅行で訪れたかったものだな……」

 秘書の説明に香西はそう答えると、自身の手元にある今日の予定表に目を通してこの後の事へと意識を切り替える。
 その姿を確認した秘書は香西の邪魔にならないように、スケジュール帳を閉じてこれからの事に備える。




 菜々子を小学校へと送り、河川敷を軽く散歩して帰宅した鏡は、菜々子を迎えに行くまでの時間を宿題へと充てる。
 途中、軽く昼食を摂ってから宿題を済ませて時計を見ると、菜々子を迎えに行く時間になっていた。
 戸締まりを済ませ、今日の献立を考えながら鏡は菜々子を迎えに行く。
 鏡が小学校へと到着すると、校門前で菜々子が鏡の到着を待っていた。

「ごめんね、菜々子ちゃん。待たせちゃった?」

「ううん、菜々子もさっき来たところだよ!」

 鏡の言葉に菜々子が笑って答えると、鏡は菜々子と手を繋いでジュネスへと向かう。
 今日は霧が出たせいか少し肌寒いので、今晩の献立はカレーライス作る予定だ。
 ジュネスに到着した二人は、顔馴染みである坂井に挨拶すると今日の献立を話して、お勧めの食材を教えてもらう。

「今日は挽肉がお薦めだから、ハンバーグカレーとか良いかも知れないわね」

 坂井の薦めで鏡達はハンバーグの材料とカレーの材料を購入して帰宅する。


 鏡が玉ねぎを炒め終え、ハンバーグ用の挽肉を捏ねている間、菜々子がカレーの具材を調理していく。
 今回はハンバーグを使うため、カレー自体には肉を入れず、野菜中心の具材だ。
 手際良く調理を進めていき、鏡がハンバーグの準備を済ませてから菜々子の調理を手伝う。
 今回は坂井からのアドバイスで、ハンバーグのつなぎにお麩を使って肉汁を多く残せるように一工夫が加えられている。


 カレーの具材に火を通し煮込んでいる間に、馴染んだ挽肉でハンバーグを作り、フライパンで焼き上げる。
 ここでも坂井からのアドバイスで、両面を軽く焼いたハンバーグの下に薄く切ったニンジンとジャガイモを敷く。
 そして、ハンバーグが浸からない量のお湯を入れ、蓋をして蒸し焼きにする。
 こうする事で、ハンバーグに触れてお湯に戻った水蒸気の凝縮熱を利用して、効率よく全方位から加熱する。


 出来上がったハンバーグを、炊き上がったご飯の上に乗せ、その上から出来上がったカレーをかける。
 遼太郎から、県庁への出張が手間取り帰宅が遅くなるとの連絡があったので、鏡達は先に晩ご飯を食べる事にする。

『それでは、次のニュースです。“環境を考える会”代表の香西氏が、市内の小学校を訪れ、霧の影響を現地調査しました』

「あ、この人、がっこうに来たよ」

 画面に映った香西の写真を見た菜々子がそう呟く。

『調査を終えた香西氏は、コメントを発表しています』

 ニュースの中で香西がある生徒と話した事を挙げ、風評に惑わされず自分の言葉で話していたと褒めちぎっていたそうだ。
 香西のコメントに対して集まった保護者から、選挙に向けた人気取りと言う評もあり、反応は賛否両論のようだ。

「……っくしゅ!」

 ニュースの内容が気になったが、突然の菜々子のくしゃみに鏡が視線を菜々子へと移す。
 見ると顔が少し赤くなっており、頭が痛いと鏡に訴える。
 鏡は菜々子の額に手を当て熱を測る。

「菜々子ちゃん、酷い熱じゃない!? 薬を飲んですぐに休まなきゃ!」

 そう言って、鏡は救急箱から風邪薬を取り出すと菜々子に飲ませて、すぐに休めるように布団を敷く。
 鏡は菜々子を布団に寝かせると、寝付くまで傍にいる事にする。

「ね、お姉ちゃん……春になったら、かえっちゃうの……?」

 菜々子の質問に、鏡は咄嗟に言葉を返す事が出来なかった。

「もうすぐ、冬になっちゃうね……雪がふったら、お姉ちゃんと、雪だるま作る……」

「……そうだね、一緒に雪だるまを作ろうね。でも、その前に風邪を早く治さなくちゃ」

 菜々子の言葉に鏡は無理に笑顔を作ると、そう言って早く元気になるためにも休むように促す。
 鏡の言葉に、菜々子は眠るまで傍にいて欲しいとお願いする。

「大丈夫、菜々子ちゃんが眠るまで傍にいてあげるから」

 そう言って、鏡は菜々子のお気に入りである仔猫のぬいぐるみを菜々子の枕元に置き、この子も一緒だからと菜々子を励ます。
 枕元に置かれた仔猫のぬいぐるみを抱きしめ、菜々子は嬉しそうに目を閉じると薬が効いてきたのか、ほどなくして眠りにつく。
 菜々子が寝付いた後でも、鏡は暫く菜々子の傍にいて様子を見る。
 特に苦しそうな様子も見せていないので、鏡は菜々子を起こさないように自室へと戻る事にする。

(菜々子ちゃんの質問に答えてあげられなかった……)

 鏡が堂島家に来て、もう半年が過ぎようとしている。
 元々、一年間という限られた時間である事は解っていた。
 けれども、菜々子や遼太郎、陽介達と過ごす時間が、今となっては鏡の中で大きな比重を占めている。
 その事に鏡は充実した時間を過ごしていると実感すると共に、いずれ訪れる別れに対して寂しさを覚える。

(けど、その前に事件の真犯人を捕まえないと……)

 今だその影すら掴めない事件の真犯人。
 自分が稲羽を去る前に、何としても捕まえないと。
 そう気持ちを新たにしていると、携帯電話から着信を告げるメロディーが流れ出す。
 誰からだろうとディスプレイを見ると、相手は陽介のようだ。

「はい、もしもし」

『あ、姉御か!? 今、時間いいか?』

 鏡が携帯電話を通話状態にすると、陽介が切羽詰まった様子で話し掛けてくる。

「どうかしたの?」

「大変な事が起きた、文化祭での姉御とりせの様子が、どういう訳か週刊誌にスクープされてんだ!」

 陽介から告げられた内容に、鏡の思考が停止する。

『詳しい事は明日、学校で話す。ったく、何でこんなタイミングでスクープなんてされんだよ!』

 陽介自身も、気持ちの整理が付いていないのだろう。
 言葉の端々に憤りが滲み出ている。
 取り敢えず、鏡自身も状況が理解できていないので、事情は明日の学校で聞く事を約束して通話を終える。
 鏡達の知らないところで事態は動きだし、その影響が予測できない事態に鏡は戸惑いを覚えた。




2012年05月25日 初投稿



[26454] 忍び寄る影
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2012/06/16 16:22
――――突然の出来事に戸惑いは隠せない

   気付かぬ間に撮影され、雑誌に掲載された写真

          その波紋は未だ小さいが

       確実に周囲へと影響を及ぼし始めている……




 陽介から連絡があった翌日。
 菜々子の熱は下がったが、大事を見て今日一日は小学校を休ませる事にした。
 昨日と同じく今日も気温が低いため、無理に登校しては熱がまた出る確率が高い。
 昨晩遅くに帰宅して、鏡からのメモで菜々子が熱を出した事を知った遼太郎の判断だ。
 熱が下がったとはいえ、本調子でない菜々子のために鏡は消化の良い雑炊を作り、昼食はレンジで温めて食べるように菜々子に伝える。

「菜々子ちゃん、食べ終えた食器は水に漬けて置いておけば良いからね? 無理して自分で片付けたりしないでね」

「うん、解った。行ってらっしゃい、お姉ちゃん」

 菜々子に見送られて学校へと登校した鏡は先日、陽介から伝えられた内容を考える。
 りせと一緒に文化祭を見て回ったのは、初日の午後になる前から午後にかけて人が一番多く訪れる時間帯だ。
 そのため、撮影された事に気付かなかった可能性が一番高い。
 それに加え、参加している生徒の家族達も写真を撮っているのだから気付かない可能性はもっと高くなる。
 現物を見ていないので、いつ撮影されたのは解らないが、実際の写真を見ることでいつ撮影されたのかは解るだろう。
 まずは陽介から件の週刊誌を見せてもらうのが先決だ。


 そんな事を考えながら鏡が教室に到着すると、先に来ていた陽介達が鏡に気付いて声を掛けてくる。
 何人かのクラスメイト達が鏡の方へと視線を向けているところを見ると、件の週刊誌を見たのかも知れない。

「姉御、おはようさん。昨日の事だけど、昼休みにりせ達を交えて、いつものように屋上で良いか?」

「そうね。元々はりせちゃんのスクープ記事だから、りせちゃんも一緒の方が良いわね」

 陽介の説明に鏡は頷くと、詳しい事はその時に聞くからと答える。
 クラスメイト達の様子から、今日は落ち着かない一日になりそうだと、鏡は内心で溜息をつく。




 昼休みになって、屋上へと集まった鏡達はそれぞれ昼食を摂りながら、陽介から件の週刊誌を見せてもらう。
 その雑誌は主にゴシップ記事を扱っているが、希に今回のような盗撮紛いの記事を出すことでも有名らしい。
 掲載されていた写真は数点で、どれも鏡とりせが仲良く文化祭を楽しんでいる姿を隠し撮りした物だった。

「目元にモザイクが掛けられてるけれど、これ知ってる人が見たら一発で鏡だって解るよね」

 りせと一緒に写っている鏡の目元はモザイク処理が為されている。
 けれども、特徴的なアッシュブロンドの髪で知っている者から見れば、鏡だと一目で解ってしまう。
 特に、稲羽市のように噂がすぐに広まるような土地柄ではなおの事だろう。
 千枝の呟きに雪子や直斗が同意し、この写真を隠し撮りした人物に対して、完二は憤りを隠そうともしない。

「けどさ、こう言っちゃなんだが……綺麗に撮れてるんだよな、どの写真も」

 陽介の指摘通り、どの写真も鮮明に撮られていて、りせがどれだけ楽しい思いをしていたのが見て取れるほどだ。
 見出しに“りせちーの今”と書かれており、電撃休業発表後のりせについてのコメントも書かれている。
 それによると、突然の休業発表後に稲羽市に移ったりせに付いて同じ学校に通う先輩の存在が大きいと書かれていた。

「この記事を読む限り、これを書いた人物は久慈川さんの動向について、僕達に気付かれぬ事なく詳しく調べているようですね」

 記事を読んだ直斗が感想を述べる。
 直斗の言葉通り、記事の内容を吟味すると、かなり詳しくりせの周りを調べている事が解る。
 具体的には書かれていないが、千枝や雪子達に付いても触れられている。
 流石に、テレビの中に出入りしている事は気付かれていないようだが、実際の所はどうだか判断できない。

「そうか、下手したら俺らがテレビん中に入っている事を知っている可能性もあるって事か……」

 この記事が抱えている問題は思いの外に深く、今後の行動は今以上の注意を傾けなければならない。

「この記事を書いた人物さえ判明すれば、まだ対応のしようはあるのですが……」

 一番の問題は相手は自分達の事を知っているが、こちらは相手の事を知らないばかりか、その存在にすら気付いていなかったのだ。
 この差は大きく、こちらが相手の事を知るまでは迂闊に行動する訳にはいかない。

「こんな時にまたマヨナカテレビが映るような事になったら、拙い事になるよな」

 問題の大きさに気付いた陽介がそう呟く。
 事が起こる前に、何としても相手の正体を見極めなければならない。

「幸いといいますか、この記事を書いた人物は、どうやら鏡さんに注目しているようですね」

 直斗の説明によると、人の目を引く鏡を引き合いに出す事で、記事に対する注目を集めている節があるとの事だ。
 一番注目を集めるのなら異性である陽介や完二、クマを相手に据えるのが一番だが、りせの笑顔を一番引き出せるのは鏡だけだ。
 その為、この記事を書いた人物も見た目に印象深く残る鏡を選んだのだろう。

「それって、私のせいで先輩に迷惑をかけちゃったって事?」

 直斗の推理に、りせが落ち込んだ様子を見せる。
 自分だけが注目されるのなら慣れているが、自分のせいで鏡達にまで迷惑をかけたとなると居たたまれなくなる。
 そんなりせの様子に気付いた鏡が、りせの頭を優しく撫でると、安心させるように笑顔を見せる。

「大丈夫よ。確かに今まで以上に気をつけなければならないけれど、こうやって記事になるって事は、何らかの動きがあるはずよ」

 鏡の言葉にりせが驚いた表情を見せる。

「確かに、今の時点で記事になったと言う事は、ひょっとすると鏡さん本人に接触してくる可能性がありますね」

 そう言って、直斗が鏡の言葉に同意する。
 おそらく、これ以上の記事を書こうとするのならば、りせ本人か、りせと親しい鏡に接触してくる可能性が極めて高い。
 そうなれば、こちらも相手の事を知る事が出来るので、今後の対処についても色々と手を打つ事が可能になる。
 その為に、敢えて鏡一人が行動する事によって、相手が接触しやすくするのも手だ。

「そうなると、問題はどうやって相手を誘き出すかって事か」

 陽介の言葉に、この雑誌が出た近日中にも接触してくるだろうと直斗は推理する。
 鏡本人が雑誌を見ていなくても、稲羽市では噂が広まるのは早い。
 現に陽介が鏡に教えているのだから、この記事を書いた人物もその事を踏まえて鏡に接触してくるだろう。
 まずは相手からの接触を待ち、相手の出方を知るのが先決だ。
 当面の行動を決めると、不用意に“向こう側”について知られる行動は控える事で皆の意見を一致させる。

「後は堂島さんに事情を話して、僕達で対処できないようでしたら、協力を仰ぐのが良いでしょう」

 直斗の言葉に鏡は頷くと、携帯電話を操作して遼太郎にメールを送信する。
 ほどなくして、遼太郎から『解った』という短い返信が返ってきた。

「姉御には悪いが、さっさと相手が出てきてくれると良いな」

 その言葉に鏡達は頷くと、昼休みが終わる前に昼食を摂り終えようと再び箸を進ませる。




 放課後になり、菜々子の事が心配な鏡は手早くジュネスで買い物を済ませると、急いで帰路につく。

「……神楽鏡さんよね?」

 急ぐ鏡にそう声を掛けてきたのは眼鏡を掛けた妙齢の女性で、首から一眼レフのデジタルカメラを提げている。
 相手の姿に、鏡はこの人物が件の記事を書いた人物だと理解すると、警戒した様子で『あなたは?』と聞き返す。

「あぁ、ごめんなさいね。私はフリーのルポライターをしてる浅野( あさの )さつき、よろしくね」

 そう言って、さつきは懐から名刺を取り出すと鏡に手渡す。
 名刺にはさつきの名前と、彼女の携帯電話の番号が書かれている。

「そのフリーのルポライターさんが私に何の用ですか?」

「そんな怖い顔をしないでよ、せっかくの美人が台無しよ? りせちーこと、久慈川りせちゃんに付いて聞きたい事があるの」

 戯けた様子でさつきは鏡の問い掛けに答えると、陽介に見せてもらった雑誌を取り出して件の記事を鏡に見せる。
 記事を見た鏡が驚いた様子を見せないので、さつきは既に鏡がこの記事について知っていると理解すると、興味深そうな表情になる。

「へぇ、驚かないところを見ると、私があなたに会いに来る事を予測していたようね」

「ご想像にお任せします」

「なるほど。探偵王子……じゃなかった、探偵姫の白鐘直斗くん辺りの入れ知恵かしら?」

 さつきの言葉に、鏡は自分達の事に付いても推測通りに、ある程度は調べている事を理解する。
 鏡の僅かな緊張を見逃さず、さつきは鏡に『そんなに警戒しないでよ』と、心外そうな表情を見せる。
 何とも捉え所のないその様子に、鏡は僅かに戸惑いを感じると、目の前の人物について油断がならないと改めて気持ちを引き締める。

「私ね、彼女がデビューしてからずっと、彼女の事を見てきたけれど、こんな表情は今まで見せた事がなかったのよね」

 さつきは記事の写真へと視線を移しながらそう言うと、再び視線を鏡へと向ける。

「だから、彼女の笑顔を引き出せたあなたに興味が沸いて、話をしてみたいと思ったのよ」

「申し訳ありませんが、病み上がりの従妹が独りで留守番をしているので、あなたのお話に付き合う事は出来ません」

「あら、そうなの? それは大変ね。それじゃ、明日にでも話を聞かせてもらえるかしら?」

 鏡の言葉にさつきはあっさりと引き下がると、後日改めて話を聞かせて欲しいと切り返してくる。
 断っても向こうから来るだろうし、彼女の目的を探る事がこちらの目的でもあるので、鏡はさつきの申し出を受ける事にする。

「時間が取れたら、名刺にあるメールアドレス宛に連絡を頂戴。出来れば、二人きりで話が出来れば助かるかな?」

 そう言って、さつきは戯けた調子で鏡にウィンクをしてみせる。

     我は汝……、汝は我……

   汝、新たなる絆を見出したり……


   絆は即ち、まことを知る一歩なり


  汝、“悪魔”のペルソナを生み出せし時

    我ら、更なる力の祝福を与えん

 鏡の脳裏にいつもの声が響く。
 悪魔のアルカナである事に納得がいった鏡は内心で苦笑すると、さつきに別れを告げて急いで帰宅する。

「中々どうして……彼女からは、特ダネの匂いがするわね……」

 去っていく鏡を見送ったさつきはそう言うと、思わぬ収穫の予感に表情をにんまりと緩ませてその場を去っていく。


 帰宅した鏡を菜々子が出迎える。
 未だ本調子では無く、いつもの元気はないが、寝ていなくても大丈夫なまでには回復しているようだ。
 菜々子に今日は手伝いをしなくても良いからと告げた鏡は、手早く晩ご飯の準備に取り掛かる。
 今日の献立は昨日作ったカレーが残っているので、不足気味な野菜をジュネスで買い足して、蒸しサラダを加える。
 遼太郎は今日も帰宅が遅くなるそうなので、遼太郎の分の蒸しサラダはレンジで温められる状態にして置いておく。


 晩ご飯を食べ終え、使った食器を片付けた鏡は菜々子と早めの入浴を済ませる事にする。
 入浴中、自身の身体に違和感を覚えた鏡は、例のモノがそろそろ来る頃だと思い出す。
 こればかりは女に生まれた限り逃れられない事とはいえ、どうしても憂鬱に感じてしまう。
 鏡は比較的には軽い方なので、薬のお世話になることは希なのだが、今回は念のために薬の使用も考えておかなければならない。
 菜々子を寝かし付け、自室でそんな事を考えながら、鏡は今日の事をメールで全員に伝え、明日の放課後にさつきと合う事を報告する。
 メールを送信し終えた鏡は布団にはいると、少しでも体調を良くしようと早めに休む事にする。




 翌日の放課後。
 心配する陽介達に、結果は明日話すからと言って、鏡はさつきとの待ち合わせ場所へと向かう。
 待ち合わせ場所は稲羽市が見渡せる高台で、この日は学童保育の子供達がいないので、人の目に付かないのが選んだ理由だ。
 鏡が到着するよりも先にさつきは来ていたらしく、鏡の姿に気付いて軽く手を挙げる。

「今日は来てくれてありがとう」

「いえ、断っても素直に諦めてくれるとは思えませんでしたら」

 鏡の言葉に、さつきは『ハッキリと言ってくれるなぁ……』と、苦笑いを浮かべる。
 前もって調べた通り、目の前の少女は言いたい事はハッキリと言って来る。
 これは、相手に主導権を取らせない為なのか、曖昧にするのを良く思わないのか判断が難しいところだ。
 さつきはそう考えると、すぐさま今回の自分に対しては前者であると確信する。

 理由は簡単だ。

 この少女にとって自分は望まざる来訪者だからだ。
 そんな相手に主導権を取られないように身構えられるのは当然の事と言えよう。

(ま、それでも幾らでもやりようはあるけどね)

 こちらは、そんな相手から話を聞き出す事を生業としている身だ。
 たかが高校生の少女に遅れを取る道理が無い。
 内心でさつきはそう考えると、鏡から色々と聞き出すべく質問を向けていく。

 しかし、さつきの余裕はすぐに失われる事になる。

(……何、この子!?)

 りせとの出会いから、どう言った経緯であれほどの信頼を得られたのかを聞き出してはいるが、肝心な事は一切漏らさない。
 当たり障りのない程度でなら、十分な理由を持つ受け答えをするが、肝心の部分に差し掛かると上手く躱していく。


 不自然な受け答えをするなら、そこから攻め入る隙を見出すのだが、質問に対して立て板に水を流すように答えていく。
 搦め手を使った誘導尋問もあっさりと回避して、こちらが本当に聞きたい事柄は何一つ得られない。

「済みません、そろそろ良いですか? 戻って晩ご飯の支度をしないといけませんので」

 そう言って、鏡がさつきに質問を終わらせてくれないかと確認を取ってくる。
 確かに、結構な時間を使ってしまったので、さつきとしても、これ以上は鏡を引き留める事が出来ない。

「そうね、今日はありがとう。また聞きたい事があれば話を聞かせてくれると嬉しいかな?」

 さつきの言葉に、鏡は『都合が付くようでしたら』と、控えめに拒絶の意を示す。
 その言葉にさつきは内心、鏡の事を侮りすぎていたと反省する。

「……最後に一つだけ良いかな? あなたの受け答えって、とても高校生の女の子のモノとは思えないのだけど、誰から教わったの?」

「交渉事を仕事にしている両親からですよ」

 さつきの質問に鏡はそう答えると、『それでは失礼します』と言って、その場を後にする。
 鏡を見送ったさつきは長く溜息を吐くと、空を見上げて苦笑を浮かべる。

(……参ったわね、完全に私の読みが甘かったわ)

 見た目と違いかなり強かな鏡の対応に、さつきは自身の見通しの甘さを反省する。
 一介の高校生だと思っていた相手にあしらわれたさつきは、次は負けないと妙な対抗意識を燃やす。
 ただ、今回の事で解ったこともある。
 上手くはぐらかされたが、彼女は自分の知らない別の何かを隠している。
 それが何かは見当が付かないが、自身の勘が特ダネである事を告げている。

(何を隠しているかは解らないけれど、尻尾を掴んで暴き出してみせるから!)

 そう決意して、さつきは記事をまとめるために宿泊先のホテルへと戻る事にする。
 さつきが利用しているのは沖奈市にあるビジネスホテルで、りせが稲羽市に移ってから四回目の利用となる。
 今回の件が終われば引き払う予定だったのだが、今暫くは滞在して情報を集める事にしようと、さつきは考える。




 翌日になり、雨の降る中ジュネスのフードコートに集まった陽介達は、鏡から先日の件の顛末を聞いていた。
 鏡の所感だが、相手はりせの事のみで、“向こう側”に付いては何も知らないと思われた事。
 しかし、こちらの態度から何かを隠していると気付かれた可能性が高い事を挙げる。

「一介の高校生相手に誘導尋問まで仕掛ける辺り、かなり執念深い人物と見て良いでしょうね」

 鏡から説明を受けた直斗がそう言って、さつきの人物像を評する。
 もっとも執念深くなければ、こういったゴシップ記事を発表するような事も無いでしょうがと、直斗は苦笑気味に言葉を続ける。

「確かに直斗の言う通りだな。それで姉御、今後もその人はこっちに関わってくるって考えで良いのか?」

「メインは私だと思うけれど、陽介達にも接触してくる可能性は、否定できないわね」

 陽介の質問に答える鏡の顔色が心なしか悪く見える。
 その事が気になった陽介が鏡に訊ねると、鏡にしては珍しく答えにくそうな様子を見せている。

「こんバカッ! 女の子に答えづらい質問すんじゃ無いっての!」

 鏡の不調の理由に気付いた千枝が陽介の脇腹に肘鉄を決めつつ、『鏡は今、女の子の日なんだから』と、小声で陽介に耳打ちする。
 雪子が鏡に大丈夫か訊ねると、今のところはまだ平気だと鏡は答える。

「先輩、今日は無理しないで早めに休んだ方が良いと思う」

 鏡を心配したりせがそう言うと、直斗や完二も今日の用件はもう済んでいるので、りせの言う通り休んだ方が良いと同意する。
 千枝と雪子も同じ考えらしく、今は無理せずに体調管理に専念すべきだと鏡を窘める。

「それに、天気予報じゃ明日から明後日にかけて雨らしいからな。マヨナカテレビのチェック、忘れないように注意な」

 陽介の言葉に皆が頷き、窘められた鏡は言われた通りに、今日は大人しく自宅で休む事にすると告げて帰宅する事にする。
 りせが心配だからと言って、鏡を家まで送ると付き添っていく。

「また週刊誌にスクープされたりしないだろうな?」

「流石に昨日今日の事ですから、大丈夫だと思いますよ」

 二人がフードコートを後にしてから陽介が心配そうに呟くと、直斗が答える。
 実際の所、体調の悪い鏡に付き添っている姿は週刊誌に載せるにはインパクトに欠けるという思惑もある。
 陽介達はマヨナカテレビのチェックと、説明を受けた特徴を頼りにさつきが接触してきた時には注意する事で意見を一致させる。

「マヨナカテレビ、誰も映らなければ良いのにね」

 不安そうに呟く雪子に、陽介達も同じ思いを抱く。




 鏡を送る道中、りせはずっと深刻そうな表情を見せていた。
 その姿に鏡が声を掛けようとするよりも早く、りせが鏡の方へと視線を向ける。

「お姉ちゃん、私のせいで迷惑をかけて、本当にごめんね……」

「りせちゃんのせいじゃ無いから気にしないで」

 落ち込んでいるりせを安心させようと、鏡は笑顔を見せる。
 今回、週刊誌にスクープされた事がたまたま月経と重なっただけなのだ。
 間が悪かったとしか言いようのない状況で、りせに非がある訳では全く無い。

「さっき薬局に寄って薬も買ってきたし、あまりに酷いようなら薬をちゃんと服用するから」

 鏡の言葉に、りせは自分が気遣わなければならないのに、鏡から逆に気遣われた事に恥ずかしくなり顔を赤らめる。

「私がお姉ちゃんを気遣わなくちゃ駄目なのに、逆に気遣ってもらっちゃって……駄目だな、私」

「私はりせちゃんのお姉ちゃんだからね」

 りせの呟きに、鏡が表情を綻ばせて答える。

「もう……こんな時くらいは妹を頼ってくれても良いのに。お姉ちゃん、人が良すぎだよ」

 鏡の言葉にりせがようやく笑顔を見せると、鏡は『りせちゃんは笑顔でいるのが一番だよ』と答える。

「私はアイドルを辞めたつもりだけど、世間から見た私は、今でもアイドルの“りせちー”なんだよね」

 真顔になったりせがそんな事を呟く。
 今回の一件で、りせは自分とアイドル“りせちー”は切っても切り離せない関係なのだと改めて認識する。

「どんな顔を持っていても、それは全てりせちゃんの一部だからね」

 鏡の言葉にりせは頷く。
 本当の自分を見失い、アイドルを辞めた自分。
 アイドルだった自分もまた、本当の自分なのだど気付かされた。
 今はまだ、事件を解決する事が最優先なので、アイドルとしての自分とどう向き合うのか、答えを出すのは保留にしている。
 しかし、いつかはその答えを決めなければならない事に、りせは気付いている。

「アイドルとしての自分とどう向き合うのか、今はまだ決められないけど、きっと答えは出してみせるから」

      我は汝……、汝は我……

      汝、絆の力を深めたり……


  絆を深めるは即ち、まことを知る一歩なり


   汝、“恋愛”のペルソナを生み出せし時

     我ら、更なる力の祝福を与えん


 りせの決意を聞いた鏡の脳裏に、いつもの声が響く。
 鏡はりせの決意にどんな答えを出しても、自分はりせを応援するからと話すと、りせは嬉しそうな笑顔を向ける。

「それじゃ、お姉ちゃん。また明日、学校でね」

 そう言って、鏡を自宅まで送り届けたりせが帰って行く。
 菜々子がせっかく来てくれたのにと残念がったが、店に戻ってシズの手伝いをするからまた今度ねと、りせが菜々子と約束する。
 手伝いの大切さを知っている菜々子はそれ言葉に我が儘は言わず、りせとの約束を楽しみにしていると笑顔を見せてりせを見送った。
 体調があまり良くないので、今日の晩ご飯は昨日の残り物で済ませることにする。
 幸い、カレーはまだ残っているので足りないという事は無い。
 菜々子もカレーは好物なので、嬉しそうに晩ご飯を食べている。


 晩ご飯を食べ終え、鏡を気遣った菜々子が食器を片付けると、いつものように菜々子とお風呂に入る。
 ただ、出血が気になるので、鏡は少し温度を高めにしたシャワーで入浴を済ませ菜々子より先に上がる事にする。
 いつもなら問題はないのだが、今回はどうにも重いようだ。




 翌日になって鏡の体調は悪くなる一方で、学校での授業もかなり辛い状態で受ける事となった。
 あまりの鏡の様子に千枝と雪子が心配して、今日のマヨナカテレビのチェックはせずに、早く休むように勧める。
 鏡も自身の体調から二人の意見に従うべきだと思ったので、確認は千枝達に任せると告げると、鏡は早く下校する事にする。

「お姉ちゃん、大丈夫?」

 帰宅した鏡を出迎えた菜々子が、心配そうに訊ねてくる。
 菜々子を安心させるために大丈夫だと答えたい所だが、流石に今の体調では無理そうだ。
 鏡は仕方なく後で薬を飲むからと、体調が思わしくない事を正直に話す。

「だったら、今日の晩ご飯は菜々子が作るから、お姉ちゃんは休んでいてね」

 そう言って、菜々子は残り少なくなったカレーを使い、手軽なカレーうどんを作る事にする。
 今日は気温が低く寒いので、身体が温まるものとして献立を考えたようだ。
 菜々子の気遣いに、鏡は胸が内が暖かくなるのを感じる。
 食事中、遼太郎から仕事の都合で帰宅が明日になるという連絡があり、戸締まりには気をつけるようにと言って通話を終える。

「お姉ちゃん、コタツ出そっか? 寒かったら出しなさいって、お父さん言ってた。あったかいよ!」

 菜々子の言葉に鏡は頷くと、押し入れからコタツをだして準備をする。

「スイッチ、いれるよ」

 準備が出来、二人でコタツに入ってから嬉しそうに菜々子がそう言ってスイッチを入れる。
 しかし、スイッチを入れても反応が無く、どうやら故障しているようだ。

「今度ジュネスに新しいのを買いに行こうか?」

 ガッカリする菜々子に鏡がそう言うと、菜々子は途端に嬉しそうな表情になり、今度の休みの日に買いに行こうとはしゃぐ。
 菜々子と約束を交わした鏡は今日もシャワーだけで入浴を済ませると、早々に休む事にする。

――翌日

 先日のマヨナカテレビに人影が映ってしまった事で、陽介は鏡達と相談しなければならないと急ぎ学校へと登校する。
 教室に到着すると、千枝と雪子が先に来ていたようで二人で話し込んでいる。

「おはようさん。姉御はまだ来てないのか?」

 鏡の姿が見えない事に陽介が千枝に訊ねると、体調が良くなく今日は欠席すると連絡があった事を伝える。

「姉御、大丈夫なのか?」

「今回は特に酷いようだから、ひょっとすると明日も欠席するかも知れないわね」

 心配する陽介に雪子が答える。

「そうか……仕方無い、今回は俺達だけで相談して、姉御にはメールで連絡するか」

 そう言って陽介は放課後にジュネスのフードコートで話し合おうと提案する。
 今日も雨が降っているため、校舎の屋上では相談が出来ないので、陽介の提案に千枝と雪子は同意する。




 放課後になってジュネスのフードコートに集まった陽介達に遅れて、休憩時間に入ったクマが合流する。

「マヨナカテレビ……皆さんに言われて、僕も見てみました。探偵業の僕が、まさかこんな“迷信”に目を凝らす日が来るとは……驚きです」

 そう言って、直斗はマヨナカテレビに人影が映った事に当惑している様子を見せる。

「あれ、誰だか分かったって人、居る?」

 直斗の言葉を引き継いで陽介が皆に訊ねると、皆は首を左右に振り分からない事を伝える。
 画像がぼやけていて、辛うじて人影が映っているのが解る程度だったのだ。それで個人を特定しろと言うのが無理な話である。

「誰か、最近テレビに出て地元で有名になった人は?」

 雪子の疑問に直斗がすぐには思い当たらないと断った上で、政治家が一人、霧から来る風説を諫めるために稲羽市に来た事を挙げる。

「けれど、可能性は低いでしょう。第一、すぐに中央に帰りましたし……」

 そう言って直斗は自身が挙げた人物を、条件に合う人物から除外する。
 直斗達が話している傍らで、今日は着ぐるみ姿をしているクマが唸っている。

「そう言やお前、昨日は売り場のベッドで爆眠した罪で、深夜棚卸しの系だったっけか」

 クマの様子に気付いた陽介がそう言って、売り場のテレビでちゃんとチェックしたのか確認する。
 陽介の質問にクマは憤慨すると、ちゃんと確認したと反論する。

「クマが見るに……映った人、二人いなかった?」

 クマの言葉に皆が首を傾げる。
 画像はぼやけていたが、人影は一人だった筈だ。

「それ、クマの気のせいか寝オチじゃないの?」

 千枝はそう言ってクマの言葉を否定すると、向こう側に人が居るかをクマに確認する。
 その質問にクマはまだ誰も向こう側に来てない事を告げる。

「もう一晩、様子を見るしか無いかも」

 クマの言葉にりせがそう呟くと、現状はそれしかない事に陽介が気落ちした様子で同意する。
 幸いと言うべきか、雨は今日の夜まで降り続くみたいなので、今夜も忘れずにチェックするように指示する。
 陽介の言葉に皆が頷くと、今日はこの辺で解散する事にする。




 遼太郎が仕事から帰宅して郵便受けを確認すると、差出人不明の鏡宛の手紙を発見した。
 以前に届いた脅迫状と同じ物だと確信した遼太郎は、鏡と中身を確認するために家へとはいる。

「ねー、お父さん。コタツ壊れてて、お姉ちゃんとジュネスに買いに行っていい?」

 遼太郎を出迎えた菜々子がそう訊ねてくると、遼太郎は最近は気候も不安定なため買い出しは二人に任せると許可を出す。

「……鏡? 調子が悪そうだが、どこか具合が悪いのか?」

 手紙の件を鏡に伝えようとして、鏡の様子がおかしい事に気付いた遼太郎が訊ねる。

「……実は、月経で調子があまり良くなくて、さっき薬を飲んだところです」

 鏡の説明に遼太郎は心配そうな表情を見せると、手にした手紙を鏡に手渡す。

「調子の悪いところ済まないが、お前宛の手紙だ。おそらく、前に届いたヤツと同じ物だと思うが……」

 遼太郎から手紙を受け取った鏡が中身を確認すると、以前と同じくたった一文のみが記されていた。

――コンドコソ ヤメナイト ダイジナヒトガ イレラレテ コロサレルヨ

 遼太郎の予想通り、それは第二の脅迫状だった。

「何も出ないと思うが、これからこの手紙を鑑識に持っていこうと思う。すまんが、借りていって良いか?」

 遼太郎の確認に鏡は頷くと、封筒を遼太郎へと渡す。
 鏡から受け取った封筒に手紙をしまった遼太郎は二人に戸締まりをしっかりするように伝えると、急いで鑑識課へと向かう。
 車に乗り込み、携帯電話を取り出した遼太郎は市原に連絡を入れると車を発車させ稲羽署へと向かう。




 雨の降る中、直斗がタクシーで堂島家へと向かう。

――先ほど見たマヨナカテレビ。

 鮮明に画面に映っていた人物の姿に、動揺を隠しきれない。

『何でマヨナカテレビに、鏡と菜々子ちゃんが映っているのよ! 二人ともテレビに出たりしてないのに!』

 タクシー内で直斗と通話している千枝が焦った様子で話す。

「いいえ……鏡さんはともかく、菜々子ちゃんは出てたんです。視覚的にじゃなく……“言葉”の中に」

 直斗の言葉に、千枝が驚く。
 驚く千枝に直斗は政治家が学校訪問に来た事が何度かニュースに取り上げられた事を挙げ、その中で彼が褒めた生徒の事を挙げる。
 報道される度に匿名のまま、知名度だけが上がっていった生徒。
 それが菜々子であると。
 興味に反応した新聞が、今日の夕刊に写真と実名インタビューを大きく出している事も一緒に告げる。

「それと、覚えていますか? 菜々子ちゃんが子供服のモデルをやった新聞広告の事」

『……まさか!?』

「そうです。あの頃から菜々子ちゃんは噂になっていたんです。特徴的な鏡さんと一緒に、ジュネスで買い物をしている姿は有名ですし」

 当人は知らない事だが、鏡と菜々子は仲の良い姉妹として広く知られていたのだ。
 そして、この間の週刊誌の一件で鏡までも注目を集める事となった。

『そんな……』

「もっと早くに気付けば良かった……絵で出ていないものはテレビに出ていないと、すっかり思い込んでいた……」

『どうしよう……鏡とも連絡が付かないんでしょ!?』

「僕がこれから行って、二人の無事を確かめます!」

 そう言って千枝との通話を終えると、直斗は逸る気持ちを抑え、二人が無事である事を願うのだった。




2012年06月16日 初投稿



[26454] 天上楽土
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2014/06/27 00:33
――――映るはずのない人物が映ったマヨナカテレビ

         その事がもたらした衝撃は大きく

        動揺を抑える事が出来ないまま……

          事態は無情にも進んでいく




 時間は少し遡る。
 先日見たマヨナカテレビの画像が不鮮明だったため、今日も確認するように陽介に言われた直斗はテレビの前でその時を待つ。
 どのような原理で画面が映るのかは謎だが、画面に映る人物が狙われる事だけは確かだ。
 今度こそ犯人の凶行を阻止してみせると決意していると、時計の針が零時を指し示す。

「……ッ!? そんな……何故!?」

 鮮明に映った画面に現れた人物。
 今日の夕刊で知った事実で、もしかしたらと思っていたが、予想を上回る結果が目の前に表れている。

(何故、鏡さんまで映っているんだ!?)

 画面に映っている人物は自身が良く見知っている二人。
 小柄な菜々子を背後から優しく抱きしめる鏡の姿に、クマが言った通りであった事を知る。
 自分達はこれまでの事と重なったシルエットから、画面に映った人物は一人だと思っていた。
 しかし、クマには二人に見えていたと言う。
 その事実に引っ掛かるモノを感じたが、直斗は携帯電話を取り出してすぐに鏡へと連絡を取る。

『おかけになった電話番号は、電波の届かない所にあるか。電源が入っていないためかかりません』

 不通を知らせる音声ガイダンスを聞いた直斗は通話を切ると、すぐさまタクシー会社へと連絡を入れる。
 タクシーが到着するまでの間、身支度を調えた直斗は玄関先でタクシーの到着を待ちつつ現状を整理する。


 政治家が稲羽市を訪れ、自分と話した一人の生徒について、毎度特別にコメントを出して称えていた。
 その生徒が菜々子であり、その事が今日の夕刊に報じられたので、菜々子がマヨナカテレビに映る可能性は考えた。
 しかし、鏡までマヨナカテレビに映るとは全く考慮に入っていなかった。


 体調不良で欠席しているのが心配だが、在宅している事で犯人に対して牽制出来るのではないかと考えていた。
 その考えは、マヨナカテレビを見た事で覆された。
 鏡まで対象者となってしまうと、体調不良である事は犯人にとってメリットにしかなり得ない。

「僕がこれから行って、二人の無事を確かめます!」

 そう言って、千枝との通話を終えた直斗は二人の無事を祈りながら、タクシーが堂島家に到着するのを待つ。

「あれは……!?」

 タクシーを降り、急ぎ堂島家に駆けつけた直斗が目にしたのは、堂島家の前に駐められた、車体に“いなば急便”と書かれた軽トラック。
 あからさまに怪しいが、まずは二人の安全を確認するのが先決と、直斗は軽トラックを迂回して堂島家の玄関に向かう。
 玄関は開けられたままで、居るはずの菜々子と鏡の姿がない。
 その事を確認した直斗はすぐに軽トラックへと向かうと、荷台を確認する。

(……やっぱり、思った通りだ)

 荷台に置かれていた物が予想通りの物であった事に、直斗は自分達を誘拐した犯人の手口を理解する。
 一度は疑ったものの、明確な証拠が無かったために保留にしていたが、これでハッキリした。
 残る問題は、運送業者の誰が犯行を行ったかという事だ。
 直斗は遼太郎や陽介達に連絡を入れると、皆が合流するまでの間、何か手掛かりになる物がないか調べてみる事にする。




 直斗から連絡を受けた遼太郎が急ぎ戻ってくると同時に、陽介達も堂島家に集まってきた。

「白鐘! 二人が攫われたとはどういう事だ!」

「堂島さん、落ち着いてください。ココで騒ぐと拙いので、ひとまず堂島さんの家に。詳しい事はその時に」

 逸る遼太郎に直斗がそう言い、ひとまず皆で堂島家の中へと移動する。

「まず初めに、鏡さんと菜々子ちゃんを誘拐した犯人が判明しました」

 集まった皆を見渡し、直斗がそう告げる。
 その言葉に驚く皆を制し、直斗は一連の誘拐事件の犯人も同一人物である事を告げる。

「直斗、それで姉御や天城達を攫ったヤツは誰なんだ?」

 一同を代表して陽介が直斗に訊ねる。

「……亡くなった山野アナとの不倫問題で騒がれた、元議員秘書の生田目太郎です」

「演歌歌手の旦那か!」

 直斗の言葉に陽介が驚きの声を上げる。
 その言葉に頷き、直斗は遼太郎達が到着するまでの間、軽トラックを調べて解った事を話していく。
 運転席で見付けた日記帳と運転免許証で、犯人が生田目である事が解った事。
 日記に書かれた内容から、一連の連続誘拐の実行犯である事と、諸岡殺しには関与していない事が判明した。

「そして、この日記帳に書かれた事が真実であるのなら、生田目は一番最初の山野真由美の事件には関与していない事が判明しました」

「ちょっと待て、直斗。生田目が山野アナ殺しには関与してないって……だったら山野アナは、誰が向こう側に落としたんだ!?」

 直斗の発言に陽介が驚きの表情を見せて詰め寄る。
 陽介が取り乱すのも無理はない。久保の犯した犯行以外は、全て同一犯だと思っていた所にもう一人の犯人が現れたのだ。
 しかも、その犯人はその存在の痕跡を全く見せる事なくこれまで隠れて居た事になる。

「流石にそれは解りませんが、真偽のほどは生田目本人から話を聞くしか無いでしょうね」

「……いや、生田目以外の存在は本当だろう」

 それまで直斗の話を聞いていた遼太郎がそう言うと、今日届いた脅迫状の事を皆に話す。
 遼太郎は、脅迫状の内容を確認した時から奇妙な引っ掛かりを覚えていたのだが、今の直斗の話で違和感の正体に気付いた。
 その事を遼太郎が皆に説明すると、直斗も脅迫状の不自然な内容から生田目以外にもう一人、犯人が居る事を確信する。

「言われてみれば確かに、テメェで出してんなら、“イレテ コロス”だろ」

 完二が納得した様子を見せ、その言葉に千枝達も頷く。

「もう一人の犯人は確かに気になりますが、ひとまずそれは置いておいて、今は鏡さん達を救出する事を最優先に考えましょう」

 そう言って直斗は、鏡達は表に止めてある軽トラックに積まれていたテレビから、向こう側に入れられた事を話す。
 そして、事情は解らないが生田目も鏡達と同じく向こう側に居る事を挙げ、今から鏡達を救出しに行くべきだと提案する。

「今から救出しに行くって、トラックに積まれているテレビからって事か?」

「その通りです。幸い、鏡さん達を向こう側に送った状態でテレビが置かれていますから、最短で鏡さん達の居る場所に行けるでしょう」

 陽介の疑問に頷き直斗がそう答えると、りせが今すぐにでも鏡達を救出しに行こうと意気込む。

「今すぐ姐御達を助けに行く事には俺も賛成だが、装備も無しに行くのは流石に自殺行為だぞ」

「あたしと雪子は装備を持ってきてるから、今すぐにも行けるよ!」

 蹴り技主体の千枝と武器が扇の雪子は陽介達とは違い、それぞれの得物を持ち歩く事に不都合はない。
 千枝の装備がコスプレアイテムと誤解される可能性がせいぜいだ。

「僕も護身用の武器を持ってきていますので、一緒に行く事が出来ます!」

 千枝と直斗の言葉に陽介は少し考える素振りを見せると、クマへと視線を向ける。

「クマ、りせほどは無理でもナビゲートはまだ出来るよな?」

「今の格好だとどれくらい出来るかは解らないけど、出来るクマ」

「そうか。それじゃ直斗、お前がリーダーとして天野と里中、それとクマと一緒に先行してくれ。俺達はジュネスに行って装備を取ってくる」

「ッ!? 花村先輩、ナビゲートなら私が一緒に行く!」

 クマの返事を聞いた陽介がそう指示を出すと、りせがその指示に食って掛かる。

「駄目だ。りせ、お前が居ないといつもの場所から、俺達が先行した直斗達に合流する事が出来ない」

 りせの異論に陽介がそう反論する。
 ナビゲートの精度で言うなら、りせが一緒に行くのが適任だが、それだと装備を取りに行った陽介達が合流する事が出来ない。
 その事が解っているりせは悔しそうな表情を見せるも、それ以上は陽介に反論せずにいる。

「りせ、悔しい気持ちは解るが今は辛抱してくれ。直斗、先行してもダンジョンが出来ていたら、一階から先には進むなよ」

 陽介の言葉に直斗は頷くと、千枝達と共に軽トラックに積まれたテレビから向こう側へと移動する。
 残った陽介達は遼太郎の車に乗り、ジュネスへと向かう。




 先行して向こう側に辿り着いた千枝達が目にしたのは、一面を色とりどりの綺麗な花々で囲まれた、これまでとは違う場所だった。
 巨大な城壁に囲まれたその先には、天に向かって伸びる巨木が見える。
 雲を突き抜けており、その先が全く見えない巨木の姿は、どこか童話を彷彿とさせる。

「……綺麗」

 眼前に見える光景に、雪子が息を呑む。
 これまで見てきた場所と違い、幻想的ともいえるこの場所は、作り出した菜々子の心が澄んでいる事を如実に表している。
 しかし、あまりにも現実離れした美しさは別のあるものを思い起こさせる。

「まるで、天国みたいだね」

「やはり、菜々子ちゃんは……」

 どれだけ明るく振る舞っていても、心の奥底では亡くなった母への想いを募らせていたのだろう。
 その事実に、千枝達の心は締め付けられる。

「千枝、直斗君。絶対に菜々子ちゃん達を救い出そうね」

 菜々子の心情を思いやる千枝と直斗に、雪子がそう声を掛ける。
 その言葉に二人は力強く頷くと、陽介に言われた通り一階のみを探索する事にする。
 千枝達が正面の門から中へと入ると、白亜の通路が続いている。
 通路は金のレリーフで縁取られており、吹き抜けの空中庭園といった趣がある。

「静かですね」

 静謐な辺りの様子に直斗がそう呟くと、シャドウの気配を感じ取ったクマが直斗達に注意を促す。
 クマからの注意に、千枝達は周囲に気を配ると慎重に先へと進んでいく。

「シャドウを発見クマ! まだこちらに気付いていないから先制攻撃のチャンスクマ!」

 シャドウを発見したクマが千枝達にそう伝えると、直斗が懐から拳銃を取り出してシャドウへと狙いを付ける。
 直斗の行動に、千枝と雪子も戦闘態勢を取る。

「それじゃ、行きますよ!」

 二人が戦闘態勢を取った事を確認した直斗がそう言って、拳銃の引き金を引く。
 撃ち出された弾丸がシャドウへと命中すると同時に、千枝達もシャドウへと攻撃を仕掛けるために間合いを詰める。

「敵三体! 慎重に攻撃するクマ!」

 表れたのは両手を組んだような姿をしたシャドウで、雪子の作り出した古城で見たのと同タイプのシャドウだ。
 以前のタイプは火炎系の攻撃が弱点だったため、まずは雪子が火炎系上位スキル【アギダイン】で攻撃を仕掛ける。

「ユキチャン! ソイツは火炎攻撃に対して耐性を持ってるクマ!」

 雪子の攻撃を受けても平然としているシャドウの姿から、クマがシャドウの特性を看破する。
 それならばと、千枝が氷結系中位スキル【ブフーラ】で攻撃を仕掛ける。
 こちらの攻撃には耐性を持っていないようで、ダメージをそのまま与える事が出来た。
 しかし、千枝は元々が近接戦が得意なため、与えるダメージは先ほどの雪子の攻撃と大して変わらない結果だ。

「それなら!」

 直斗はスクナヒコナを召喚すると、光系即死効果の【ハマオン】で攻撃する。
 その攻撃が弱点だったらしく、シャドウはあっけなく消滅すると、直斗は次々とハマオンでシャドウを倒していく。
 この戦闘が呼び水になったのか、先ほどまでの静けさが嘘のように、次から次へとシャドウ達が襲い掛かってくる。

「何なのコレ!? 次から次へとキリがない!!」

「千枝! そっちにシャドウが行ったよ、注意して!!」

 次々と襲い掛かってくるシャドウ達に、これまでとは比較にならないほど、千枝達の消耗が激しくなる。
 シャドウ達が次々に襲い掛かってくるのも原因の一つだが、鏡の不在が一番の要因だろう。
 これまでの戦闘では、メンバーが持っていない攻撃手段を鏡が補う事によって、確実に弱点を突いた攻撃が出来た。
 しかし、鏡が不在な今は的確に弱点を突く事が出来ないため、一回の戦闘に掛かる時間も長くなっている。
 その事も千枝達の消耗に拍車をかける要因となっており、どこかで休息しないと拙い状況だ。

(鏡の不在が、こんなにも大きな影響を持つなんて……)

 攻撃と回復、両方を一人でこなしている雪子の内心に焦りが募る。
 これまでは鏡がフォローしてくれていたので、攻撃か回復のどちらかに専念出来ていたが、今は両方を自分で判断しなくてはならない。
 直斗が上手く指示を出してくれている分、まだ思考にゆとりはあるが、これまで鏡にどれだけの負担を掛けていたのかを痛感する。

(鏡はこんな負担の中で、今まで私達に指示を出しながら、自身も的確に行動していたのね……)

 あまりにも平然としていたため気が付かなかったが、鏡はどれだけの負担をその身に抱えていたのだろうか?
 的確な判断でペルソナを使い分け、自分達に指示を与えていく。


 そんな鏡が今、菜々子と共に危険な目に遭っている。
 雪子の心の中に焦りとは別に、沸々と怒りが込み上げてくる。
 一刻も早く二人を助け出したいのに邪魔をしてくるシャドウ達。

(私にも直斗君みたいに、一撃で敵を仕留める力があれば……)

 怒りは次第に形を変え、それは明確な殺意となって、雪子の心の中に新たな力を芽生えさせる。

「消えてしまいなさいっ!!」

 雪子の叫びと共にシャドウの前に禍々しい魔法陣が現れる。
 闇系即死効果の【ムドオン】がシャドウを消滅させ、クマから総攻撃チャンスの声が掛かる。
 その声に合わせて、千枝達は一斉に総攻撃に出る。

「くっ! 倒せない!?」

 雪子の焦った声に、千枝も内心で焦りを募らせる。
 鏡が不在で消耗が激しい上、地力の差もあって戦闘に掛かる時間が長い。
 総攻撃を仕掛けても討ち漏らすシャドウが出始めてきて、自分達の消耗に更なる拍車を掛ける。

(もう一撃……あと一撃があれば!)

 幼い菜々子が怖い思いをしているかも知れない。
 鏡も体調不良で菜々子を守り切れていないかも知れない。
 皆を守るんだと決意しても、現実は二人を守る事すら出来ない自分を腹立たしく思う。

(……ッ!?)

 千枝の怒りと悔しさに呼応したのか、心の中でトモエが大きく脈動する。

「雪子、手伝って!!」

 咄嗟に千枝は雪子に声を掛けると、雪子も何かを感じたのか千枝に力強く頷き返す。
 二人は螺旋を描きながら背中合わせになると、それぞれ表れた互いのカードを打ち砕く。

『行くよ、ペルソナ!!』

 打ち砕かれたカードが強い光を発して、それぞれのペルソナが召喚される。
 トモエとコノハナサクヤはシャドウ達の中に飛び込むと、二体を中心に光り輝く龍と光咲く花が現れる。

「これは……!?」

 驚く直斗の目の前で、トモエとコノハナサクヤを中心に起こった炎と氷の攻撃が、シャドウ達を一気に消滅させる。
 その現象を起こした千枝と雪子も、眼前での出来事に驚きの表情を見せている。

「チエチャン、ユキチャン凄いクマ!! いつの間にそんな攻撃が出来るようになったクマ!」

「や……いつの間にって言うか……早く鏡達を助けに行かなくちゃって思ったら、急に出来るようになったというか……」

「私も、直斗君のように一撃でシャドウを倒せる力が欲しいって思ったら、さっきの力が使えるようになったし」

 クマの質問に二人は自信なくそう答える。
 二人の説明に直斗が、鏡達を救いたいという強い想いが、二人に新しい力を覚醒させたのではないかと自身の推論を述べる。

「そっか……あたし達はまだまだ強くなれるって事だよね」

「そうだね。頑張って鏡達を助け出さなくちゃ」

 直斗の推論に千枝と雪子は表情を明るくさせると、必ず鏡達を救い出すと気持ちを新たにする。

「とは言え一度、どこかで休憩を取らないと、僕達の方が先に参ってしまいますね」

 自分達の消耗を鑑みて直斗が提案する。
 確かに、休憩せずにずっと戦い続けたために流石の千枝も疲れを感じさせている。
 直斗達は先ほど宝箱を見付けた部屋へと移動すると、探索中に見付けた回復アイテムを使ってそれぞれ回復に専念する。

「そう言えば、花村達が来るのが遅いね」

 ポツリと千枝がそう呟く。
 かなりの時間が経ったと思うのだが、未だに陽介達が合流してこない。

「現実世界とこちら側では、時間の進みが同じとは限りませんからね。焦らず、まずは上に進む階段を見付けましょう」

 不安そうに呟く千枝に直斗がそう答えると、雪子とクマも必ず追いついてくれるからと千枝を励ます。
 体力を回復させた千枝達は、残った未探索部分へと進む事にする。

「気をつけるクマ! かなり強いシャドウの反応クマ!!」

 クマの言葉が示す通り、これまで戦ってきたシャドウとは異質な雰囲気を纏ったシャドウが、門番のように扉の前に立ち塞がっている。
 赤黒い岩山の頂上に城塞が乗っているようなシャドウで、幾つもの砲門が見て取れる。
 おそらくこのシャドウが守っている扉の先が先へと続く階段だと思われる。

「どうする?」

 これまでのシャドウとは違い、その場から動く気配を見せない相手に千枝は皆に訊ねる。
 陽介達が合流するのを待ってから突破する方が確実だとは思うが、いつまたシャドウが襲い掛かってくるか解らない。
 最悪、目の前のシャドウとの挟み打ちに遭う可能性もあるため、手強い相手であろうとも突破するしかないと、皆の意見が一致する。

「それじゃ、まずは僕から行きます!」

 そう言って、直斗がスクナヒコナを召喚してハマオンで攻撃を仕掛けるも、相手は平然としており通じていないようだ。
 光属性と闇属性の即死攻撃は強力だが、確実に攻撃が通る保証のない諸刃の攻撃でもある。
 そのため、アナライズで確実に無効化されたかが確認できない限り、攻撃が有効か否かの判断が当人では付けられない。
 続いて雪子がムドオンで攻撃すると、クマから効果が無い事が伝えられる。

「いくよ、トモエ!」

 続いて千枝がブフーラで攻撃するも、今度は攻撃が吸収されてしまう。
 シャドウは千枝達を排除すべき敵だと認識すると、一斉に砲門を開き【コンセトレイト】で意識を集中する。
 直斗が再びハマオンで攻撃するも攻撃は通らず、今度は雪子が火炎系上位スキル【アギダイン】で攻撃する。

「そんな、効かない!?」

 雪子の放つアギダインも吸収されると、今度は千枝が得意の接近戦でシャドウへ攻撃を加える。

「嘘!?」

 トモエの放つ【霧雨昇天撃】もダメージを与えるどころか、逆にシャドウに吸収されてしまう。

「拙いクマ! このシャドウはクマ達とは相性が最悪クマ!!」

 クマの叫びを遮るかのように、シャドウが火炎系上位範囲スキル【マハラギダイン】で千枝達に攻撃を加える。
 火炎系の攻撃は千枝のペルソナ“トモエ”の弱点で、咄嗟に防御を取ろうとしたところが間に合わず、直撃を受けてしまう。


 この中で火炎系の攻撃に耐性を持つのは、雪子のコノハナサクヤだけだ。
 コンセトレイトで強化されたマハラギダインの挟撃は強力で、千枝は気絶してしまい直斗とクマも体力の殆どを奪われている。

「おいで、サクヤ!」

 雪子は咄嗟に【メディアラハン】で皆を回復するも、このままではいずれ押し切られてしまう。
 頼みの綱は直斗のハマオンだけだが、精神力の消耗が大きい。
 直斗はそれでもとシャドウに対してハマオンで攻撃するも、攻撃が通じず徐々に押され気味になっていく。

「くっ……このままじゃ……!?」

 徐々に消耗戦の様相を見せ始める中、回復アイテムの数も心許なくなっていく。
 逃げ出すにしても、背を見せたところで強力な攻撃が来るのが目に見えているため、逃げ出す事も叶わない。

「すまん、待たせた!」

『花村先輩! ソイツは疾風属性が弱点だよ!』

 りせの指摘に陽介はジライヤを召喚すると、疾風系上位スキル【ガルダイン】でシャドウを攻撃する。
 千枝達が苦戦していたシャドウも、弱点属性の攻撃を受けた瞬間に体勢を崩し無防備な姿を晒す。
 このチャンスを逃すまいと千枝達も加わって総攻撃を仕掛ける。

「千枝、行くよ!」

「任せて!」

 総攻撃で倒しきれなかったシャドウに対して、雪子と千枝が再び複合召喚で再追撃を掛ける。
 その攻撃に耐えきれず、ようやくシャドウは消滅すると、初めて見る二人の攻撃に陽介達が驚いた表情を見せる。

「何だよ、今の攻撃!? お前らいつの間にあんな攻撃が出来るようになったんだ!?」

「……里中先輩達、スゲー」

 驚く陽介と完二に簡単に経緯を説明すると、陽介達も自分達にもまだ見ぬ可能性があるのかも知れないなと感慨深げな様子を見せる。
 ようやく合流する事が出来た陽介達から、クマの着ぐるみと直斗の武器が手渡される。

「これは……?」

「どうやら姉御が用意してたみたいでな。一応、一緒に持ってきた」

 陽介から手渡された拳銃は、握ってみると小柄な直斗の手にしっくり来る握りやすさだ。
 今まで使っていた物と比べると、取り回しが楽で重さもあまり気にならないほどだ。

「本当に姉御は、どこまで用意周到なのかね」

 いつもの場所に置かれていた装備の中に、見慣れない物が幾つか増えておりそのどれもが新調された装備だと陽介が説明する。
 真犯人が捕まっていないとはいえ、事前に装備を用意しておく辺り、鏡の慎重さが伺える。

「……絶対、二人を助け出そうな」

 その言葉に頷くと、陽介達が持ってきた回復アイテムを使い、千枝達は体調を万全な状態に整える。
 二人を助け出せるのは自分達しか居ない。その想いを胸に秘め、陽介達は二人を救出すべく先へと進む。




 陽介達と合流してからの探索は順調で、千枝達の消耗がかなり押さえらている。
 人数が増えた事も理由の一つだが、一番の理由は遼太郎の存在だった。

「ユースティティア!」

 遼太郎の声に呼応し、剣と天秤を持ち、結い上げた金髪に目隠しをしたペルソナが手にした剣を一閃する。
 空間に無数の斬線が走り、シャドウ達を瞬く間に斬り伏せる遼太郎のペルソナ。
 特性は直斗のスクナヒコナの上位版といえるペルソナで、光と闇の範囲スキル【マハンマオン】と【マハムドオン】を使う事が出来る。
 その他に物理系攻撃スキル【空間殺法】と万能系スキルである【メギドラオン】まで使いこなす、対多数に特化したペルソナだ。


 耐性は物理無効と光と闇系スキルの反射を持ち、特筆すべきは戦闘終了時に万全の状態に回復する【勝利の雄叫び】の存在だ。
 この特性のおかげで、遼太郎は全力でシャドウ達を蹴散らす事が出来、千枝達の戦力を温存する事が出来ている。

「凄いね、堂島さん」

 この場所との相性も良いのだろう。光と闇系に弱点を持つシャドウが多いため、ユースティティアの一撃で大体の決着が付いてしまう。
 反射耐性があるため、シャドウの中には光と闇系の攻撃を反射するモノもいるが、そのまま押し切れてしまう。
 菜々子と鏡を救いたいと思う気持ちは、この中で一番強いのだろう。
 その想いが苛烈な攻撃となってシャドウ達を薙ぎ払っている。

「そりゃ、さっきの菜々子ちゃんの声を聞いたんじゃ、堂島さんだって必死にもなるさ」

 千枝の言葉に陽介がそう答える。
 道中、菜々子の亡くなった母親に対する想いと、遼太郎に対する想い。

『やさしくて、時々こわいけど……お父さん、すき……今はお姉ちゃんも居るから……菜々子、ひとりじゃない……さびしくなんかない……』

 寂しくないと自分に言い聞かせている菜々子の想いに、遼太郎は胸を痛め千枝達を温存させるために目の前のシャドウを駆逐していく。
 この世界に不慣れな自分では正直、二人を救い出せる自信がない。
 今の自分に出来る事は、皆を万全に近い状態で二人を助け出せるように露払いをしていく事だ。


 倒しても倒しても現れるシャドウに、遼太郎は裂帛の気合いを込めて挑む。

「これ以上、俺達の邪魔をするなぁっ!!」

 シャドウ達は、遼太郎の気迫に気圧され浮き足立ったところを、陽介達に各個撃破されていく。
 遼太郎の活躍によって陽介達の体力は温存され、探索はどんどん進んでいき、りせが菜々子達の存在を感知できるほどに近付く。

『ダメ……、菜々子ちゃんの気配はハッキリ分かるのに、先輩の気配が分からなくなっていく!?』

 りせの焦った声に、陽介達は先を急ぐ事にする。
 ようやく辿り着いた最上階は、門を通り抜けた先が浮島に繋がっており、浮島の中心を囲うように天使の像が立ち並んでいる。
 浮島にある階段を上がった先には緑色の帽子を被り、同じ色の作業服を着た男が背を向けて立っている。
 その男の向こう側には、浮島の中心点にある台座にもたれ掛かるように鏡と菜々子が寄り添っていた。

「菜々子! 鏡!」

 二人の姿を確認した遼太郎が叫ぶと、その声に気付いた男が遼太郎達へと振り返る。
 男は遼太郎達の姿を見渡すと、僅かばかりに驚いた表情を見せる。

「……お前達は僕が救った……いや、救うはずだったやつらか?」

 どこか自嘲的な呟きを漏らした男に、直斗が“生田目太郎”本人であるか確認を取る。
 直斗の質問に男……生田目は頷くと遼太郎達に『この子達の仲間か?』と訊ねてくる。

「仲間か、だと? テメェで二人を攫っておいて、何を言ってやがる!!」

 生田目の言葉に、完二が今にも飛び掛からんとばかりの勢いで捲し立てる。
 完二に続き、陽介達も口々に二人を返すように生田目に訴えるが、生田目は遼太郎達を信じて良いのか迷っているような素振りを見せる。

『駄目よ、太郎さん。ソイツらはこの子達の仲間を装って、私達を殺そうとやって来た敵よ』

 どこからともなく聞こえてきた声に、陽介達は驚きの表情を見せ、声の主の姿を捜す。
 いつからそこに居たのか? 生田目と鏡達の間に一人の女性が立っており、遼太郎達に敵意の籠もった視線を向けている。

「……山野……真由美? そんな、彼女は最初の事件で亡くなっているはず」

 突如現れた女性の姿に、直斗が信じられないといった表情を見せる。
 陽介達も直斗と同じように、目の前にいる山野真由美の姿に驚きを隠せない。

『待って! ソイツ、本物の山野アナじゃない。シャドウよ!』

 ただ一人、りせがヒミコの力で相手の正体を看破して皆に注意を促す。

「シャドウって……まさか、山野アナから出たシャドウって事か!?」

 りせの言葉に、陽介が驚いた様子で確認を取るが、そこまでは判断が付かないと申し訳なさそうにりせが答える。
 そんな陽介達を意に介さず、生田目に蠱惑の笑みを浮かべて山野真由美の姿をしたシャドウが話し掛ける。

『コイツらはこの子の仲間の姿を装って、この子をまた、危険な戦いに引き込むつもりなのよ』

「そんな……真由美、本当にその子をあんな危険な戦いに引き込むのかい?」

『えぇ、そうよ。その上、私をこの世界に閉じ込めただけじゃ飽きたらず、私の事も抹殺するつもりなのよ』

 二人のやりとりに陽介達がそんな事はないと否定するも、生田目は陽介達の言葉よりも、愛する者の言葉を信じている様子だ。

『さぁ、太郎さん。今度こそ、この子を危険な戦いから救い出すために、私達がこの子達を守り抜くのよ……』

「……そうだね、真由美。今度こそ、僕がこの子達を救ってみせるんだ。真由美……僕に力を貸してくれ!」

 生田目の返事に嬉しそうに微笑んだシャドウは、生田目を愛おしそうに抱きしめると濃密なキスを交わす。
 目の前で起こった突然の出来事に陽介達が驚く中、シャドウの身体から黒い霧が溢れ出す。
 それに呼応するかのように、周囲からも黒い霧が集まりだして二人に吸い込まれていく。

「拙いクマ! あの二人、周囲のシャドウを吸収しているクマ!!」

 クマの言葉通り、周囲のシャドウを吸収して、生田目達の身体が異形の姿へと変貌していく。
 黒い霧が晴れると、中から上半身が裸の二人と思わしき男女が抱き合った姿が現れる。
 頭上には、天使の輪ともアンテナとも付かない円環が浮いており、下半身は二人が解け合ったかのような異形と化している。
 脈動する紅い球形は拍動を思わせる様に脈打ち、その内部には菜々子と鏡の姿が見える。

「鏡!? 菜々子ちゃん!?」

 二人の姿に千枝が驚きの声を上げる。
 胞衣を思わせる球形に納められた二人の姿に、陽介がりせに二人が無事かを確認する。

『……今のところは大丈夫だと思う。だけど、先輩の様子が変。いつも感じる存在感が無いの』

 頼り無い様子でりせが陽介に答える。

「んなの、簡単な事だろ。アイツをとっとと倒して、二人を助け出せば良いんだ!!」

 りせを励ますように完二がそう告げると、手にした武器を力強く握りしめる。
 完二の言葉に皆は頷くと、二人を助け出すためにシャドウへと挑み掛かるのだった。




――次回予告――


 二人をようやく見つけ出したのもつかの間
 更なる危機が二人を襲う

 大切な者を救い出すために動き出す面々

――張り巡らされた操り糸……

 最大の敵の姿に、彼らは逡巡する


 次回、PERSONA4 PORTABLE~If the world~

     救済する者、される者

――救いを望むのは、一体誰なのか?――




2012年07月13日 初投稿
2012年08月09日 タイトル&本文修正
2014年06月27日 誤字修正



[26454] 救済する者、される者
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2014/06/27 00:35
――――新世界の存在を知った自分だけが、人々を救えるのだと思った

        マヨナカテレビに映る人々を救う事こそが、自分の使命だと

              けれど現実は、思っていた事の真逆で

             誰一人、救う事が出来ていなかったのだ……




 巨大な異形と化した生田目達との戦いは、劣勢を強いられる事となった。
 二人で一体の異形と化したと思われたが、その実は別々の個体で、それぞれに特性が違っていた。
 元々がシャドウであった山野真由美の影は物理攻撃に高い耐性を持っており、魔法攻撃でしかまともなダメージを与える事が出来ない。
 生田目の姿をした異形は反対に、魔法攻撃に高い耐性を持っており、万能系以外の魔法攻撃は殆どが効いていない様子だ。
 これだけでも苦戦を強いられる要因として充分なのだが、劣勢を強いられる一番の要因となっているのが……

『ペルソナ!』

 山野真由美の姿をした異形が右手を掲げると、その手の上に一枚の青く光り輝くカードが現れる。
 そのカードを握り潰すと同時に、漆黒の髪を振り乱し、両手の爪が刀剣の様に伸びた異形が現れる。
 その異形、ペルソナ“ランダ”は得物を振り上げ攻撃を仕掛けるタケミカヅチの正面に、その身を無防備に晒す。
 タケミカヅチの攻撃がランダに当たる瞬間、ランダの前に鏡面の様なモノが現れて、タケミカヅチの攻撃を跳ね返す。

「またかよ!」

 その様子を見た陽介が苛立った声を上げる。
 攻撃を跳ね返された完二が自身の攻撃で負った傷に顔をしかめていると、すかさず雪子がディアラハンで回復する。
 りせの解析でそれぞれに対して有効だと思われる攻撃を仕掛ける度に、今のようにペルソナを召喚されて無効化され続けている。

『まただ……また、先輩のペルソナを使ってこっちの攻撃を封殺してる!』

 劣勢を強いられる一番の要因。
 それは、眼前の異形がどういう原理か解らないが、鏡のペルソナを使って、陽介達の攻撃を無効化、もしくは反射してるのだ。

『アギダイン!』

 タケミカヅチの攻撃を反射したランダは、そのまま火炎系上位スキルの【アギダイン】で千枝を攻撃する。
 ランダの攻撃を受けた千枝はそのまま体勢を崩し、それに気を取られた隙をつき再び異形がペルソナを召喚する。


 現れたのは、七つの頭と十本の角を持つ深紅の獣に腰掛ける、紫と深紅の衣を纏った妖艶な女の異形だった。
 金や宝石、真珠でその身を飾り、その手には汚れに満ちた金の杯を持っている。

『拙い! 皆、防御して!!』

 咄嗟にりせが陽介達に注意を促すが、それよりも早く、現れた異形、ペルソナ“マザーハーロット”が手にした金の杯を掲げる。
 その瞬間、陽介達の頭上から電撃系上位範囲スキル【マハジオダイン】が降り注ぐ。
 電撃属性が弱点である陽介とクマは、直撃を受けその場に転倒してしまう。


 ここに来て陽介達は、鏡を敵に回す事の恐ろしさを実感する事となる。
 シャドウに対して様々な攻撃手段を持つ鏡が敵に回るという事は、自分達への弱点を確実に突く事が出来るという事である。


 その証拠にこちらの攻撃は封じられ、向こうの攻撃は容赦なくこちらにダメージを与え続けている。
 雪子が致命傷にならないように回復を施しているが、このまま続けばこちらの方が先に消耗しきってしまう。
 打開策を見出せぬまま、陽介達はジリジリと消耗戦を強いられ続けていく

「解っちゃいたけど、姐さんを敵にすると、こんなにも厄介なのかよ!」

 頭では分かっていたつもりだったが、現状を目の前にして実体験として理解させられる。
 そして同時に、自分達が鏡に頼りきっていた事を思い知る。
 人数が増えていき、探索に当たる面子の顔ぶれを変更しても、リーダーである鏡は必ず参加していた。


 それは鏡がいつも緊張を強いられる環境の中、自分達の安全を考えて行動していたという事。
 鏡が不在である今回の件で、その事実を痛感する。

「どうにかして、姐御達をアイツから救い出さないと拙いな……」

 現状を打破するためにも鏡達を異形から救い出さなければならい。
 判っている事だが、実現する事が難しい状況に陽介がどうするべきか考えを巡らせる。


 なかなか倒れない陽介達に、異形は苛立ちを感じ始めていた。
 弱点を突いても、すぐさま回復され致命傷を与えられない。
 このままでは、自身がその身に匿っている少女達が危険に晒されてしまう。
 異形は一気に勝負を決めるべく、鏡が降魔している中で最強のペルソナを召喚する。


 鏡が苦痛に耐えるように身を縮めると同時に現れた、くすんだ金のラッパを持ったドクロの異形。
 背に白い翼を持ち、白いローブの上から黒地に白の幾何学模様が描かれた肩掛けを纏っている。
 召喚されたペルソナ、“トランペッター”が手にしたラッパを吹くと、陽介達の頭上から青白い光が舞い降りる。

『皆! 避けて!!』

 咄嗟にりせが叫ぶも陽介達の回避は間に合わず、万能系上位スキル【メギドラオン】が陽介達を巻き込んで衝撃波を巻き起こす。
 眩い光が辺り一面を覆い尽くす中、りせが皆の安否を確かめる。

『そんな……!?』

 光が消え、目が慣れたりせが確認できたのは、メギドラオンの直撃を受けて地に倒れ伏す陽介達の姿。
 メギドラオンを受け、瀕死に近い状態で苦痛に呻いている。 

「……くっ!? 俺達じゃ……姉御達を救う事は、出来ないのか……?」

「身体に……力が、入んな……い……!?」

 異形の近くにいた陽介と千枝が一番ダメージを受けているらしく、立ち上がろうにも身体が思い通りに動かない。
 完二や直斗も同様で、回復スキルが使える雪子とクマはあまりのダメージに回復するために意識を集中する事が出来ずにいる。

 そんな中、ただ一人だけ遼太郎が身体を震わせながら立ち上がろうと指先に力を込めている。

『馬鹿な……!? あの攻撃を受けて、まだ動けるの!?』

 山野真由美の姿をした異形が、遼太郎の姿に驚愕の声を上げる。

『何故だ……何故、お前は立ち上がろうとする!?』

 生田目の姿をした異形も、信じられないといった様子で疑問を投げかける。

「……何故……だと?」

 満身創痍で声も震えている遼太郎は、それでもその瞳に揺るぎない光を宿して異形を睨み付ける。
 家族を護ると決めた決意が、倒れてなるものかと力を振り絞り、不屈の闘志を燃え上がらせる。

「父親が、娘と……家族を助けるために……身体を張るのは、当然だろうがっ!!」

 立ち上がり叫ぶ遼太郎を中心に、青い光の奔流が巻き上がる。

――我は汝、汝は我……

――我は汝の心の海より出でしもの

――法と正義を司る、“ユースティティア”なり

 遼太郎から現れたユースティティアが手にした剣を振りかぶり、異形へと斬りかかる。
 ユースティティアの反撃に反応して、再び異形がランダを召喚する。




 トランペッターを使われたショックで意識を取り戻した鏡は、未だ意識が朦朧とする中でその光景を見ていた。
 自身の意志とは無関係に、自分の心を勝手に使われる不快感に苦悶の表情を浮かべる。

(……やめて)

 意識を取り戻す前から、鏡は状況を夢として認識していた。
 大切な仲間達を自分のペルソナが傷付けていく。
 そんな許容する事が出来ない状況に抗おうとするも、自身の意志に反して、ペルソナが使われ続けていた。

(これ以上……大切な皆を、傷付けないで!!)

 心の中で何かがひび割れる音が聞こえる中、鏡はその音を無視してペルソナを召喚する。


 異形が召喚したランダがユースティティアに向かって突撃する瞬間、ランダとユースティティアの間に青く輝くカードが現れる。
 カードはその場で弾けると、逆立つ白銀の髪を持ち、金と黒のマントを羽織った女性の人型が現れる。
 影で身体が構成されたペルソナ“スカディ”がその手をランダへと向ける。
 同時にランダも突然現れたスカディに向けてその手を翳す。


 スカディが氷結系上位スキル【ブフダイン】をランダへと放ち、ランダもまたスカディに【アギダイン】を放つ。
 互いに放った上位スキルが同時に互いに命中する。
 それぞれの攻撃が弱点属性だったため、互いの攻撃が命中した瞬間、ランダとスカディが互いに消滅する。

『……ッ!? 先輩、駄目!!』

 目の前で起こった現象を、ヒミコの能力で解析したりせが悲痛な声を上げる。
 異形はペルソナが消滅した事に驚くと、今度はマザーハーロットを召喚する。
 鏡は再び意識を集中すると、マザーハーロットの前に冠を戴くハゲワシの王、ペルソナ“ジャターユ”を召喚する。


 マザーハーロットが金の杯を掲げるのと、ジャターユがその翼を羽ばたかせるのは同時だった。
 先ほどのランダとスカディと同じく、マザーハーロットの【ジオダイン】とジャターユの疾風系上位スキル【ガルダイン】が互いに命中する。
 その結果は先ほどと同じく、互いに弱点属性だったため、その一撃で互いが消滅する。

『お姉ちゃん、もう止めて! それ以上やったら、お姉ちゃんの心が壊れちゃう!!』

 鏡の取った行動。それは、自身の心を自身の心で砕くという自殺行為にも等しい行為。
 通常、鏡は一度に召喚できるペルソナは一体のみで、ペルソナを交換するするのも一度の行動で一回のみだ。


 しかし、今の鏡が行っている行動は、一度に複数のペルソナを召喚して相殺するという心身共に相当な負担を強いる行動だった。
 その証拠に、ペルソナを召喚する度に、鏡の心の中をひび割れ砕け散る音が鳴り響く。
 身体から力が抜け、心を虚無感が覆っていく……

『馬鹿な……!? 自分で自分の心を砕くなんて!?』

 生田目の姿をした異形が鏡の行動に動揺する隙を見逃さず、遼太郎が一気に異形との間合いを詰める。

「俺の娘達を返してもらうぞ……!!」

 ユースティティアが手にした剣を一閃すると、胞衣が切り裂かれ中から鏡と菜々子を抱きかかえて脱出する。
 遼太郎もすぐさま異形から距離を取ると、鏡達を異形から離れた場所まで移動させる。
 その間に、何とか回復した雪子が【メディアラハン】で全員の傷を癒す。

『ぐ……あぁぁぁっ!! 返せっ! その子達を返せ!!』

 鏡達を取り戻された生田目の姿をした異形が、半狂乱になって遼太郎へと襲い掛かろうとする。
 その行動を阻止すべく、回復した陽介達が異形の前に立ちふさがる。
 物理攻撃に強い山野真由美の姿をした異形には雪子と陽介が、生田目の姿をした異形には千枝と完二がそれぞれ攻撃を加えていく。
 直斗とクマも、それぞれが得意とする攻撃手段で異形達を攻撃して鏡達の元へ行く事を阻止する。

「よし! 体勢を崩した!! 行くぞ、皆!!」

 同時に攻撃を受けた事により体勢を崩した異形の隙を見逃さず、陽介が皆に指示を出す。
 陽介の指示に千枝達は頷くと、一気に勝負を決めるべくありったけの力で異形へと攻撃を加える。

「ぐ、うぅぅっ! 邪魔を、するなぁっ!!」

 陽介達の総攻撃を耐えた生田目の姿をした異形が叫ぶと、その手を天に向ける。
 その瞬間、陽介達の頭上に異形の頭上にあるモノと同じ円環が現れる。

「な、何だ!?」

「か、身体が勝手にっ!?」

 完二と直斗が驚きの声を上げる。
 円環が現れた瞬間、身体の自由が利かなくなり、互いに向けて攻撃しようと身体が勝手に動き出したのだ。

『そんな……!? あの円環で皆を操っているの!?』

 カラクリに気付いたりせが驚きの声を上げる。
 あと一息というところまで来て、同士討ちという最大の危機に陥る。
 必死に抗うも、身体は勝手に動き、それぞれがペルソナを召喚する。

「くそっ! ここまで来て……!!」

「こんな所で終わるなんて、嫌クマよ!!」

 陽介とクマが悲痛の叫びを上げながらも、仲間を攻撃しないように抗い続ける。
 千枝と雪子も諦めることなく必死に自身のペルソナを押さえようとする。

「……トランペッター!」

 小さくもハッキリとした声が響く。
 陽介達を護るように現れたトランペッターが手にするラッパを吹き鳴らす。
 異形の頭上から、メギドラオンの光が降り注ぐ。


 完全に不意を付かれた異形はメギドラオンの直撃を受けると、その姿が維持できなくなり身体が崩壊していく。
 しかし、異形の崩壊と共に核を失ったシャドウ達が制御を失い暴走した状態で、周囲を破壊し尽くそうと暴れ始める。

「拙いクマ! シャドウ達が暴走して、このままじゃ危険クマよ!!」

「俺に任せろ!」

 クマの叫びに遼太郎が答えると、ユースティティアを召喚する。
 召喚されたユースティティアが手に持つ天秤を掲げると、シャドウ達を取り囲むように聖なる光が辺りを包む。
 神聖系範囲スキル【マハンマオン】の光が、シャドウ達を一気に浄化する。


 シャドウ達が消え去ると、元の場所には生田目が消えようとしている山野真由美のシャドウを支えようと、必死の形相を浮かべている。
 山野真由美のシャドウはそんな生田目に、諦観の表情を浮かべてその手を生田目の頬に伸ばしている。

「真由美! 消えないでくれ! 僕を残して行かないでくれ!!」

『……太郎さん、ごめんなさい。あなたと……ずっと一緒に、生きていたかった……』

 そう言い残し、消えていく山野真由美のシャドウを抱きしめる生田目の腕は、むなしく空を切る。
 力なく項垂れた生田目は、これまでの疲れと先の戦闘で体力を使い果たすと、その場に倒れ込むように意識を失う。


 直斗と完二が生田目の身柄を確保する中、遼太郎や陽介達が鏡と菜々子の傍へと駆け寄る。
 二人の安否を気遣う遼太郎達に、鏡は自分の事は良いから菜々子の様子を見てくれと頼む。
 鏡も消耗が激しいせいか顔色は青ざめており、その場に座り込んでいる。

「菜々子! 菜々子! しっかりしろ!!」

 遼太郎が菜々子に声を掛けるも、菜々子の意識は一向に戻らない。
 それどころか、苦しい表情を見せており、今にも危険な状態だ。

「きっと、この場所が良くないクマ! 早く運ぶクマ!!」

 菜々子の様子にクマが慌ててそう言う間にも、菜々子の容態は悪化していく。
 鏡同様、菜々子の顔色も徐々に蒼白になり、体温も下がっていく。

「死ぬな、菜々子! 俺の命を代わりにしても良いから、死なないでくれっ!!」

 悲痛な叫びを上げ、少しでも温めようと遼太郎が菜々子を抱きしめる。
 痛ましい姿に何も出来ない陽介達は苦しそうな表情を見せる。

『あなたが居なくなったら、誰が菜々子を護るのですか?』

 どこからともなく声が聞こえてくる。
 陽介達が声の出所を確かめようと辺りを見渡すと突然、遼太郎の身体から青い光が巻き上がる。
 遼太郎の意志とは関係なく現れたユースティティアが、どこか呆れたような様子を見せている。

「堂島さんのペルソナ……?」

 千枝が唖然とした様子でそう呟くと同時に、ユースティティアの目元を隠す布が解かれる。
 それと同時に、結われた金髪が亜麻色に変化すると共に解け、髪をなびかせる。

「……えっ? 菜々子、ちゃん?」

 閉じられた瞳が開かれると、その姿はどことなく菜々子に似ており、菜々子が大人になれば、こんな風になるのではないかと思われる。
 姿を変えたユースティティアを遼太郎が呆然とした様子で見つめている。

「まさか、千里……なの、か?」

 呟く遼太郎の声に陽介達が驚く。
 ユースティティアは遼太郎の言葉に頷くと、柔らかい微笑みを見せる。

『本当に、あなたは不器用な人なのだから……今までずっと、あなたと菜々子の事を見ていましたよ』

 そう言って、ユースティティアこと千里がその表情を陰らせる。

『……ごめんなさい、私が居なくなってしまったばかりに、菜々子とあなたには辛い思いをさせてしまいましたね』

「千里……俺は……」

 どう話せばいいか戸惑う遼太郎の口元に人差し指を当てて、千里は首を振る。
 その姿は、何も言わなくても解っていると言わんばかりだ。

『菜々子は私が必ず助けますから、これからも菜々子の事、宜しくお願いしますね……』

 そう言って、千里は遼太郎に微笑むと、その視線を鏡へと向ける。

『鏡ちゃん、今まで菜々子と遼太郎さんの事、本当にありがとう。あなたが来てくれて、本当に良かった……』

 鏡にお礼を述べた千里は菜々子の傍へと近付くと、その手を菜々子の頬へ当てる。
 それと同時に、千里の身体は青く光り出し、菜々子の身体へと吸い込まれるように消えていく。




 真っ暗な闇の中で、菜々子は膝を抱えて蹲っていた。
 自分以外は誰も居ない真っ暗な世界で、心細く怖い思いに心が今にも押しつぶされようとしていた。
 それでも菜々子は、鏡や遼太郎がきっと助けに来てくれると信じて、必死に怖さに耐えていた。

『……菜々子……菜々子』

 真っ暗な世界に突如として青い光が差し込むと、どこか懐かしい声が自分の名前を呼ぶ。
 その声に菜々子が顔を上げると、目の前に事故で居なくなった亡き母、千里の姿が現れる。

「……お、かあさん?」

 懐かしい母の姿に、菜々子が唖然とした声を上げると、千里は優しく微笑んで菜々子を包み込むように抱きしめる。
 抱きしめられ、暖かいその温もりに菜々子の表情が歪む。

「お母さん! 会いたかった! 何で、菜々子を置いて行っちゃったの!?」

 千里の姿に菜々子の感情は堰を切ったように溢れ出し、これまで溜め込んでいた寂しい思いを千里へと向ける。
 泣きじゃくりながら思いを訴える菜々子を優しく抱きしめて、千里は何度も『ごめんね』と謝る。
 本当は、菜々子を置いて去りたくはなかった。
 千里は菜々子にそう話すと、今までずっと遼太郎や菜々子の傍で見守っていた事を伝える。


 鏡が来てくれた事で菜々子に明るい表情が増えてきた事。遼太郎がちゃんと家族と向き合えるようになった事。
 千里はゆっくりとだが、ハッキリと菜々子に想いを伝えていく。


 今までも、これからも菜々子の事を愛している事を。
 自分は死んでしまったが、心は深いところで繋がっており、これからもずっと、菜々子と遼太郎の心の中で二人を見守っている事を。
 菜々子の帰りを遼太郎や鏡達が待っている事を。

「お母さんは、これからもずっと菜々子と一緒に居てくれるの?」

『そうよ。姿は見えなくても、お母さんはいつだって菜々子と共にありますからね』

 そう言って、千里は菜々子に手を差し伸べると、帰りを待つ遼太郎達の元へと戻ろうと菜々子に声を掛ける。
 差し出された手を菜々子が取る。暖かいその感触に菜々子は表情を綻ばせると目を閉じ、千里に手を引かれるまま、その身を委ねる。
 ふわりと身体が浮かび上がる感覚。
 暖かく優しい温もりに包まれながら、菜々子の意識は覚醒していく。




 遼太郎達が見守る中、菜々子の表情は和らいでいき、頬に赤みが戻ってくる。
 ゆっくりと菜々子の瞳が開かれる。

「……お、とうさん?」

 目が覚めると、目の前に心配そうな表情をした遼太郎の姿が見え、気付いた菜々子の姿に嬉しそうな表情へと変わる。
 陽介達も菜々子が無事に目を覚ました事を喜び、互いに『良かった』と、菜々子の無事を祝う。

「……お父さん。菜々子、お母さんに会ったよ。お母さんね、いつでも菜々子とお父さんのそばに居るからって、言ってたよ」

「そうか……そうか……菜々子、本当に良かった、本当に……」

 菜々子の言葉に遼太郎は表情を崩すと、その瞳にうっすらと涙をにじませる。
 遼太郎に菜々子は微笑みかけると、そのまま目を閉じ、安らかな寝息を立てる。
 先ほどまでとは違い、呼吸も安定しており心配は無さそうだ。

「……菜々子ちゃん、良かった」

 その姿に千枝と雪子がもらい泣きをしている。
 りせの肩を借りて立ち上がった鏡も、菜々子の無事な姿に安堵の表情を浮かべている。
 取り敢えず、菜々子と鏡を病院に連れて行かなければならないので、二人はジュネスの方から遼太郎の車で病院に連れて行く事にする。

「生田目は警察に引き渡さないといけませんが、堂島さんが居ないと事情説明が難しいですね」

「姐御達と一緒に連れて行くしかないんじゃ無いか?」

 困った様子で話す直斗に陽介がそう答える。
 確かに刑事である遼太郎が居ない事には説明する事は難しいので、病院に搬送後、遼太郎が稲羽署に連絡する事にする。
 病院には遼太郎の車に乗れる人数の関係上、ジュネスのバックヤードの鍵を持つ陽介が同行する事にする。
 残りの面々は直斗達が入ってきたテレビの場所から帰るため、クマが出口用のテレビを出す事にして一足先に戻る事にする。

「姉御、大丈夫か?」

 りせから鏡を任された陽介が鏡を気遣う。
 陽介の言葉に鏡は大丈夫と答えるが、未だに顔は青ざめており、大丈夫とは言い難い。


 鏡は陽介に自分は大丈夫だから菜々子の事をお願いと言って、自分は地力で出口へと向かう。
 意識を失っている生田目は遼太郎が運ぶため、必然的に菜々子は陽介が運ぶしかない。
 鏡の体調を気遣いながらも、陽介と遼太郎は出口へと移動する。


 ジュネスの家電売り場に戻ってきた陽介達は、バックヤードの鍵を掛けてから、駐車場に駐めてある遼太郎の車へと向かう。
 その間も、鏡はしっかりとした足取りで二人に付いていく。

「姉御、もう少しで堂島さんの車に付くからもう少しだけ頑張ってくれな」

「……私は大丈夫だから、気にしないで」

 陽介の言葉に気丈に答える鏡の姿に、陽介の胸が痛む。
 鏡が無理をしている事は一目瞭然だ。
 なるべく急いで遼太郎の車を駐めてある場所まで移動した陽介達は、生田目を助手席に座らせる。
 菜々子と鏡を支えるため、後部座席の真ん中は陽介が座る事にして、まずは菜々子を車に運び込む。

「さ、姉御も乗って」

 陽介が車内から鏡に手を差し伸べる。
 鏡は差し出された陽介の手を取ろうと、自分の手を差し出したところで力尽きてその場に倒れ伏す。

「……ッ鏡!?」

「姉御!?」

 車内から飛び出した陽介が鏡を抱き起こす。
 鏡の呼吸は荒くなっており、顔色は更に蒼白となっている。
 遼太郎は鏡を車内に運び込むと、皆がシートベルトを締めた事を確認して急ぎ車を発車させる。
 法定最高速度ギリギリの速度で遼太郎が稲羽市立病院へと急ぐ。


 遼太郎達が到着して急ぎ、菜々子達を搬送する。
 状態が一番悪い鏡が集中治療室へと運び込まれると、遅れてやって来た千枝達を出迎えた陽介が皆を集中治療室前へと連れて行く。
 菜々子は状態が良好だが、様子を見るために別の病室で今は眠っている。
 遼太郎は稲羽署に連絡するため今は席を外しており、この場には居ない。

「…………」

 集中治療室の前に集まった陽介達は声を出す事が出来ず、ただ沈黙している。
 重苦しい空気の中、陽介がポツリと自分達にもっと力が有ったならと、自身の無力さを嘆く。

「……先輩、体調が悪かっただけじゃなく、自分で自分のペルソナを消滅させたから、きっと……」

 ポツリと呟いたりせの言葉に千枝が『どういう事?』と、りせに訊ねる。
 りせは千枝の言葉に、鏡が自分達を助けるために自分自身でペルソナを互いに消滅させていた事を説明する。
 その時、りせだけがハッキリと認識出来ていた。
 鏡が自分の心を壊しながら自身のペルソナを消滅させていた事を。


 ペルソナは心の力。
 それを今までやった事のない多重召喚を行い、自分自身で壊していった鏡。
 その反動はそのまま鏡の心身を消耗させ、ただでさえ体調の良くなかった鏡を危険な状態に陥らせてしまっている。

「……そんな、鏡」

 りせの説明に、雪子が言葉を失う。
 結局、自分達は鏡を助け出すどころか、助け出すはずの鏡自身に守られていたという事実。
 その事実に、改めて自分達の無力さを思い知らされる。


 今はただ、鏡が回復するのを待つしかない。
 歯痒い思いを抱きながら、陽介達は鏡の容態が良くなるのを信じて待ち続ける。


 暫くして、稲羽署に連絡を終えた遼太郎がやってくる。
 遼太郎は陽介に鏡の容態を訊ねるが、未だに集中治療室のランプが消えない事を告げられる。

「そうか……ここは俺が残るから、お前達は帰って休んだ方が良い」

 遼太郎の言葉に、誰一人として戻ろうとする者は居なかった。
 それだけ皆、鏡の事を心配しているのだ。


 遼太郎は鏡が掛け替えのない友人を得た事を嬉しく思う反面、陽介達同様、自分の力不足を悔しく思う。
 もっと自分に力が有れば……
 過ぎた事をあれこれ考えても仕方がない事は解っているが、どうしても上手く立ち回れたのでないかという思いが過ぎる。
 そんな事を考えていると、集中治療室の扉が開き、中から看護師が出てくる。

「ご家族の方ですか?」

 看護師の質問に遼太郎が頷くと、『どうぞ、こちらへ』と中にはいるよう促される。
 遼太郎は焦る気持ちを抑えると、集中治療室の中へと移動する。

「…………」

 集中治療室へと入っていく遼太郎を見送った陽介達が言葉を無くす。


 集中治療室へと入った遼太郎が目にしたのは、呼吸器を付け、点滴を打たれている鏡の姿だった。
 呼吸は荒く、生体情報監視モニターに鏡の状態が表示されている。
 看護師が鏡に声を掛けると、意識を取り戻した鏡が遼太郎の姿を確認する。

「……叔父さん?」

 鏡の声に、遼太郎は表情を歪める。

「……叔父さん……菜々子、ちゃん……は?」

「あぁ、無事だ。状態も安定して、今は別の病室で眠っている」

 遼太郎の言葉に鏡は微笑む。
 そんな鏡に、遼太郎は後は鏡が元気になるだけだと励ます。

「菜々子ちゃん、と、約束、しましたから……雪が、降ったら、雪だるまを一緒に、作るって……」

「……そうか。だったら、一刻も早く良くならないとな。菜々子もきっと喜ぶ」

 生体情報監視モニターに表示される数値が徐々に減少していく。
 それに合わせ、鏡の様子も弱々しいものへとなっていく。

「……叔父さん……菜、々子……ちゃ……ん」

「……あ……きら? ッ!? 鏡!?」

 眠るようにゆっくりと瞳を閉じる鏡に合わせ、生体情報監視モニターの表示がゼロになる。
 無情にも、集中治療室に響き渡る電子音。


 その日、鏡の命の灯火は、皆の願いも空しく消えてしまったのだった……




――次回予告――


 少女の命の灯火が消え、悲しみに包まれる仲間達
 救う事が出来なかった無力感は、やがて怒りへと変わる

 少女の命は消えたのに、犯人は未だ生きている

――やり場のない怒りはその姿を殺意へと変えて

 残された者達の絆が今、試される……


 次回、PERSONA4 PORTABLE~If the world~

     彼女が去った後で

――心を包むは、深い絶望と悲しみだけ――




2012年08月09日 初投稿
2012年08月14日 本文修正
2014年06月27日 誤字修正



[26454] 彼女が去った後で
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2014/06/27 00:41
――――その訃報に、心の中に大きな孔が開いたのを感じる

     世界から色彩が消え、目に映る景色は全て灰色に見える

       どうして、こんな結末になってしまったのだろう?

      行き場のない感情は、どこに向けたらいいのだろう?




 集中治療室の中から聞こえる遼太郎の悲痛な叫びに、陽介達の顔色が変わる。
 鏡の容態はどうなったのか?
 扉一枚の隔たりなのに、陽介達にはとてつもなく遠くに感じられる。

『……俺は、姉さんに……菜々子に……何て言えば良いんだッ!!』

 身を切るような悲痛な叫びが聞こえてくる。
 その言葉の意味するところを理解した陽介達に動揺が走る。
 集中治療室から医療器材を運び出す看護師に、陽介達が鏡の容態を訊ねる。
 看護師は陽介達の質問に『誠に残念ですが……』と、鏡が先ほど息を引き取った事を伝える。
 その言葉に直斗はその場に崩れ落ち、傍にいた完二が咄嗟に支えるも、身体に力が入らないのか脱力したまま項垂れている。

「……鏡……こんな……こんなの……嫌だよ……」

 千枝は雪子に支えられながら、起きてしまった現実を受け止めきれずに泣いている。

「菜々子ちゃんを助ける事は出来たのに……何故……」

 千枝を支えている雪子も、気を抜けばその場に崩れ落ちてしまいそうな状態を必死に堪えている。
 やり場のない憤りを完二は壁を殴る事で紛らわせ、クマは壁にもたれ掛かりながら天上を見上げて涙が零れるのを堪えている。
 そんな中、自身も鏡を失った悲しみに倒れそうになるのを堪える陽介は、遼太郎の様子を見に集中治療室へと入る。


 鏡が横たわるベッドの傍らで、鏡の手を握りしめたままの遼太郎が、声を殺して泣いていた。
 遼太郎へと掛ける言葉が見つからない陽介は、横たわる鏡へと視線を向ける。
 ベッドに横たわる鏡の姿は、安らかに眠っているようにしか見えない。
 その事がさらに、鏡を失ってしまった喪失感を増幅させ、陽介の堪えていた涙が零れ落ちる。

「特別な力があるからって、いい気になって……俺達は結局、姉御に頼ってばっか……じゃんか……その結果が、これかよ……!」

 悔しくて、情けなくて、色々な感情がない交ぜになった陽介は自分の無力さに腹立たしくなる。
 そんな陽介に項垂れたまま遼太郎が、本来事件を解決すべき自分達こそが最も役に立っていないと告げる。
 通常の事件とは違う特殊な事件であった事が一番の原因だが、遼太郎は守るべき者を守れなかった事実に千里の事件を重ね合わせる。


 あの時と違い、今回は犯人の身柄は確保できている。
 これまでの動機については不明だが、少なくとも殺意がない事だけは判明している。
 しかし、鏡を失った事に対する気持ちが、生田目が事件を起こしさえしなければという考えに結びついてしまう。


 色々な思いに囚われていると、看護師から死後の処理をするため、終わるまでロビーで待つように言われ遼太郎達は場所を移動する。
 皆、悲しみに打ちのめされ言葉もなくロビーへと移動する。

「……おい、りせの姿が見えないけど誰か知らないか?」

 ロビーに到着して皆の様子に気を回すことが出来た陽介が、りせの姿がない事に気付く。
 陽介に言われて、りせの姿がいつの間にか見えなくなっていた事に気付いた千枝達も不安げな様子を見せ始める。

「……っ!? まさか……りせのやつ」

 ある可能性に気付いた陽介が、遼太郎に生田目の病室はどこかを訊ねる。
 陽介の質問に遼太郎も同じ考えに至り、慌てて陽介達を連れて生田目の病室へと向かう。




 受付で聞いた病室の前に立ち、扉に書かれた名前を確認したりせが静かに病室へと入る。
 病室は広く、部屋の奥には大型のテレビが置かれており、その手前にあるベッドに生田目が眠っている。
 生田目の眠るベッドの傍に移動したりせは、感情の籠もらない瞳で生田目の姿を確認する。


 生田目の病室を聞き出すのは簡単な事だった。
 受付で『叔父が入院したと連絡をもらった』と説明したら、あっさりと病室の場所を聞き出す事が出来た。
 それに加え、遼太郎が生田目を病院に搬送してから稲羽署に連絡した事も幸いした。
 稲羽署からの応援がまだ到着していないので、難なく病室へと侵入する事が出来た。
 今のりせは特徴的なツーテールの髪を解き、眼鏡を掛けて簡単な変装を施している。
 変装のために掛けていた眼鏡を外したりせは、生田目をしばらく見下ろした後、靴を脱いでベッドの上へと移動する。


 自身の身体にかかる圧迫感に、生田目の意識が覚醒する。
 ハッキリしない意識で状況を確認すると、見慣れない少女が自分の上に馬乗りになっている事に気付く。
 少女の姿に生田目は、目の前の少女が以前、自分が救済するために攫った少女である事を思い出す。
 髪を解いていたため気付くのに僅かに時間が掛かったが、その顔は覚えている。

「……君……は?」

 掠れる声で生田目が話し掛ける。

「……お姉ちゃんが死んだの」

 生田目が意識を取り戻した事に気付いた少女、りせは感情の全く籠もらない声で生田目に話し掛ける。
 りせの言葉に困惑する生田目。

「……アンタが攫ったせいで、お姉ちゃんが死んだの」

 りせは困惑する生田目に、淡々と事実だけを伝えていく。
 その言葉に、生田目はりせの言う『お姉ちゃん』が誰であるのかに思い至る。

――マヨナカテレビに映った二人の少女。

 生田目は二人を救うために確かに二人を攫った。
 事実は少し違うが、生田目はあの後で自身の行動が間違っていた事を年長の少女から教えられた。
 救済しようとしていた自分が、その実は皆を殺害しようとしていた事を……

「……彼女が死んだのか?」

 りせの言葉に、生田目は自分の間違いを指摘した少女が亡くなった事を知る。
 救おうとした結果、彼女に指摘されたように、自分の行動が彼女の命を奪ってしまったのか?
 その事実に生田目が目を見張る。

「何で、お姉ちゃんが死ななくちゃいけなかったの?」

 生田目の質問に答えず、りせは壊れた機械のように淡々と言葉を続ける。
 りせの冷たい指先が生田目の首に添えられる。

――そのまま、ゆっくりと指先に力を込める。

 淡々と、何の感情も籠もらなかったりせの表情に徐々に表れ始める感情。

「アンタさえ居なければ、お姉ちゃんは今も生きていたのに……オマエが……オマエが……オマエがッ!!」

 どこまでも暗いその瞳に、激しい憎悪の炎を宿し、りせが生田目の首を絞めていく。
 細い腕のどこにそんな力があるのかと思えるほど、生田目の首を絞める指先の力は強い。
 能面を思わせた表情も、今は生田目に対する憎悪に満ち溢れており、鏡の敵を討たんとばかりにその手に力を込める。


 苦悶の表情を浮かべ、呻き声を上げながらも生田目はりせの憎悪を受け入れようと思っていた。
 大切な人を失った悲しみは解るつもりだ。
 自身の行動で一人の少女の命を奪ったのだと言うのなら、自身の命で贖うしかないだろう。
 それよりも、生田目自身が生きる事への執着を失っている事が、りせの憎悪を受け入れようと思った最大の理由かも知れない。


 最愛の人を失い、後を追う勇気のない自分。
 彼女の様な犠牲者を出さないようにと行った行動は、ただの自己満足に過ぎず、新たな犠牲者を生み出す要因にしかならなかった。
 その結果、一人の少女の命を奪うという取り返しの付かない事態を招いた。
 本人でなかったといえ、再会できた最愛の人は自身の目の前で消滅してしまい、生田目の心は完全に折れてしまったのだ。

――もう楽になりたい……

 それが今の生田目の心境だった。
 自ら命を絶つ勇気はないが、このまま目の前の少女に委ねてしまえば、彼女の元へと行けるかも知れない。
 生田目はそんな事を思いながら、りせの憎悪にその身を委ねる。

「やめろ! りせ!!」

 意識が遠退き始めた生田目の耳に、そんな言葉が聞こえてくる。
 生田目の病室へ遼太郎に連れられやって来た陽介達の目の前で、りせが生田目の首を絞めて殺害しようとしている。
 陽介は咄嗟に叫ぶと、りせに罪を犯させないために完二と共にりせを生田目から引き剥がす。

「放してっ!! コイツのせいで、お姉ちゃんが! 私がお姉ちゃんの仇を討つの!!」

 陽介と完二に拘束されたりせが半狂乱に叫ぶ。
 普段のりせとはあまりにもかけ離れたその姿に、鏡を失ったりせの想いの強さを垣間見る。
 りせの気持ちは理解できるが、だからといってその思いのまま、りせに凶行を行わせる訳には行かない。

「りせがそんな事をして、姉御が喜んでくれると思うのか!?」

 陽介の言葉に、りせの動きが止まる。
 りせ自身、言われなくても解っているのだ。
 自分がこんな事をしても、決して鏡は喜んでくれるはずは無く、むしろ悲しませる事になる。
 けれども、行き場のないこの感情をぶつける相手が欲しかった。


 りせの想いは、この場にいる皆が共通して抱く想いだ。
 鏡を失った悲しみと、その原因となった生田目への怒り。
 陽介に指摘されたりせは『そんな事……言われなくても、解ってる……』と、先ほどよりかは落ち着くと、その場に泣き崩れてしまう。


 この面々の中で、りせが鏡の事を一番心配していたのだ。
 抱いた危惧が現実のものとなり、りせは自身の力不足と、もっと鏡に対して気を配るべきだったと自責の念に苛まれる。
 千枝と雪子が泣き崩れるりせを支えている間に、遼太郎が生田目の容態を確認する。
 激しくむせ込んでいるが、命に別状は無さそうだ。
 もっとも、遼太郎自身は専門ではないので、ナースコールで担当医を呼んだ方が良いと思われる。

「取り敢えず、担当医を呼んだ方だ良さそうだな」

 遼太郎がそう呟いた瞬間、突如として映っていなかったテレビに画面が映し出される。
 突然の事に皆の視線がテレビに集まると、そこに映っていたのは生田目の姿だった。

『救済は失敗だ……お前達が邪魔をしたせいでな!』

 テレビに映る生田目が話し掛けてくる。
 生田目本人は今、陽介達の目の前にいて、テレビの中には誰も居ないはずだ。
 それなのに、マヨナカテレビには抑圧されたもう一人の生田目が映っており、ふてぶてしい態度を取っている。

『法律で俺は殺せない……俺はこれからも救済を続けるぞ。それが、俺の使命だからなぁっ!』

 テレビに映る生田目が、陽介達を嘲笑うように言いたい事を言い終えると、そのまま画面は消えてしまう。
 生田目の本心ともいえる内容に、完二達の様子が変わる。

「法律がどうした……俺はテメェを許す気はねぇぞ!」

 頭に血が上った完二が生田目に詰め寄ると、生田目の胸倉を掴もうと手を伸ばす。
 その行動に気付いた遼太郎が完二を押さえると、完二は遼太郎に『姐さんを殺されて平気なんスか!』と矛先を遼太郎へと向ける。

「……法で裁けないって言うんなら、私達で裁けないかな」

 抑揚の無くなった声で千枝と雪子に支えられたりせが呟く。
 こんな大きなテレビが病室に置いてあるのなら、それを使ってテレビの中へ逃げ込む事も可能だろう、と。

「そんな……駄目だよ!」

「だからって、このまま放置するんスか!? コイツはまた、姐さんのような犠牲者を出すって言ってんスよ!」

 反対する千枝に、りせと同意見の完二が反論する。
 本来なら反対する側に立つであろう直斗も、鏡を失った悲しみで完二達に近い考えを抱いている。


 そんな中、陽介と遼太郎は違和感を覚えていた。
 陽介はこれまでとは違うマヨナカテレビの状況に、遼太郎は刑事としての視点で。

「……まてよ。俺達は何か大きな勘違いをしているかも知れねえぞ」

「俺も刑事として、お前達に殺人事件を起こさせる訳にはいかんぞ」

 二人の言葉に、完二達の動きが止まる。
 このまま生田目を見逃して、テレビの中へと逃げ込まれてもいいのかと直斗が訊ねると、陽介が『直斗らしくねえぞ』と言葉を返す。

「お前ら、姉御の事で頭に血が上ってんのは解るが、まずは落ち着け。俺達の目的は何だ?」

「……僕達の目的」

 陽介の言葉に直斗が冷静さを取り戻す。
 自分達の目的。
 それは、犯人を見付け出し、真実を知る事だ。


 これまでの事で、生田目以外に犯人が居る可能性を見付ける事が出来た。
 そして、生田目自身には殺害の意志はなく、純粋に善意から犯行を行っていた事が予測されている。

「確かに僕達は、肝心の本人から何一つ話を聞いていませんでしたね……」

 マヨナカテレビに映った生田目の発言で、生田目の本心は殺害目的だと思い込んでしまっていた。
 陽介の指摘でその事に気付いた完二も、知ろうともせず行動すれば、自分自身を騙す事になると理解する。
 今の生田目はとても話を聞き出せる状態ではないため、担当医を呼んで様子を見てもらう事にする。
 陽介達がこの場に居るのは問題があるので、遼太郎は陽介達にロビーへと移動するように伝える。

「……巽。俺だって鏡を失って何とも思ってない訳じゃないぞ」

 病室を出て行こうとする完二に遼太郎が話し掛ける。
 一時の感情にまかせて復讐を遂げたとして、自分達が犯罪者に成り下がる事を鏡が望まないからだ。
 遼太郎の言葉に、完二は自分の過ちに気付かされる。
 自分達以上に遼太郎は鏡の死を悲しんでいるのだ。
 その事に気付かず、自分達だけが鏡の死を悲しんでいると思い込んでいた完二は自身を恥じる。
 遼太郎にその事を謝罪する完二。

「……いや。鏡の事をそれだけ想ってくれたんだ。ありがとう」

 完二の謝罪に、遼太郎は薄く微笑んでお礼を述べる。
 その姿に、遼太郎が自分達に悟られないように無理をしているのだと気付いた完二は、遼太郎に頭を下げて病室を後にする。
 陽介達が病室を出て行った事を確認した遼太郎は生田目へと視線を向ける。

「……正直、お前がした事は善意からだとしても、俺には許す事が出来ない。結果として、俺の姪の命を奪ったのだからな……」

 遼太郎の言葉に生田目が目を見張る。

「それから、罪を償うつもりか知らんが、久慈川を利用して自殺の手伝いをさせるな。彼女には、この先もまだ人生が残っているんだ」

 そう言って、遼太郎は自棄になって死を望むほど後悔をしているのなら、生きて罪を償えと生田目を諭す。
 本心では、生田目に対して憎悪を抱いていてもおかしくない遼太郎の言葉に、生田目は顔を伏せて嗚咽を漏らす。
 遼太郎はナースコールを使い担当医を呼ぶと、やって来た担当医に事情を話して後を任せると、自身もロビーへと移動する。
 そろそろ、稲羽署からの応援が到着してもいい頃だ。




 陽介達が生田目の病室に向かった頃。クマはただ一人、陽介達とは別行動で集中治療室へとやって来ていた。
 鏡に対する死後の処置はまだ行われていないらしく、用意のためか看護師の姿も見えない。
 ベッドに横たわる鏡の姿は、ただ眠っているだけのように見える。

「……クマが犯人を見つけ出して欲しいってお願いしたせいで、こんな事になったのかな」

 本来なら、向こう側と全く関わりのない鏡に頼み事をしてしまった自分が悪かったのだとクマは考える。
 自分の世界の事なのに、自分は何一つ行動を起こさず、鏡に全てを任せてしまっていた。
 何もしなかった自分が鏡を殺したのだ。その思いが、クマの存在を揺らがせる。

「クマはもう……ナナちゃんに合わせる顔がないクマ……」

 菜々子の大切な存在である鏡を奪ってしまった自分にはもう、菜々子に会う資格はない。
 それはつまり、この世界にクマが存在する理由の消失に他ならない。
 目の前が暗くなり、クマの意識が曖昧になる。
 その心に残るのは、ただ悲しみと後悔の思いだけ……




 菜々子が意識を取り戻したと連絡を受けた遼太郎が、菜々子の居る病室へと入る。
 病室に入ると菜々子は既にベッドから起き上がっており、遼太郎の姿を見るなり遼太郎の元へと駆け寄ってくる。

「菜々子、身体の方はもう大丈夫か?」

 遼太郎の質問に菜々子は元気良く頷くと、その場に居るはずであろう鏡の姿がない事を疑問に思い、遼太郎にその事を訊ねる。

「……菜々子、その事なんだがな」

 歯切れの悪い遼太郎の様子に、菜々子が訝しげな様子を見せる。
 そんな菜々子に、いつまでも隠し通せる事で無い事を理解している遼太郎が本当の事を菜々子に話す。


 遼太郎に連れられて霊安室へとやって来た菜々子は、寝台に横たわる鏡の姿に呆然となる。
 横たわる鏡に重なるように、怖い思いをしていた菜々子を励ましてくれた鏡の姿が思い出される。

『菜々子ちゃんは絶対、無事に連れて帰るからね』

 そう言って、ただ一人で怖いお化けを追い払っていた鏡。
 深い霧で視界が悪く、何が起こっていたのかは解らなかったが、鏡が身体を張って自分達を守ってくれていた事は理解できていた。
 そんな鏡が今、目の前で眠るように横たわっている。
 遼太郎から鏡は天国へ行ったのだと聞かされた菜々子は、力なく鏡の傍へと近付くと、冷たくなったその手を握る。

「……お姉ちゃん」

 春先にやって来た鏡はいつも菜々子の事を気に掛けてくれていた。
 遼太郎と二人で過ごしていた時は総菜弁当で済ませていた食卓を、鏡は自身の手料理で暖かい場所へと変えてくれた。
 毎日お風呂へ共に入り、その日あった事を話し、寂しいときは一緒に眠ってくれて寂しさを紛らわせてくれた。
 菜々子に料理の仕方を教えてくれて、今では菜々子の料理の腕前もかなりのものになっている。


 そんな鏡はもう、菜々子に微笑みかけてはくれない。
 一緒に話す事も、晩ご飯の買い物をする事ももう出来ない。

「お姉ちゃん……嫌だよ……菜々子を置いて居なくならないでよ……」

 涙が込み上げてくる。
 亡くなった母と再会できた喜びも、鏡を失った悲しみで塗り潰される。

「……菜々子、好き嫌いをしないから……お手伝いだって、もっとするから……だから……だから、帰ってきてよ……お姉ちゃん!」

 鏡との別れを済ませるため、遼太郎達と一緒に霊安室へと来ていた陽介達は菜々子の姿に胸を痛める。
 千枝と雪子は改めて鏡が居なくなった事に涙を流し、悲しみに暮れるりせを直斗が支えている。

「ったく、クマのヤツ、こんな時にどこに行ったんだ……」

 生田目の病室からロビーへと戻った時にクマの姿が見えなくなっていた事に気付いた陽介は、病院の外でクマに連絡を取ってみた。
 しかし、渡したはずのクマの携帯電話には繋がらず、時間が遅いために自宅に電話をして、クマが帰宅しているか確認する事も出来ない。
 ロビーに戻ると看護師から準備が出来たからと伝えられ、霊安室へと案内されて今に至る。

「まさかアイツ、姐さんの事に責任感じて、向こうへ戻ったんじゃねえだろうな?」

 完二の言葉に、陽介もその事を考慮する。
 いい加減な態度を取る事はあるが、あれで責任感は強い方だ。
 黙って居なくなったとしたら、その可能性しか無いだろう。


 泣き崩れる菜々子の姿を見ながら、今の菜々子を慰められるのは、一緒に遊ぶ事の多いクマしか居ないと思う。
 肝心な時に居ないクマに、陽介は僅かながらに苛立ちを覚えるも、早く帰ってこいと願わずには居られなかった。
 悲しみに暮れる菜々子の泣き声が霊安室に響き渡り、千枝と雪子の嗚咽がそれに交じっている。
 声を殺してなくりせは直斗の胸に顔を埋め、悲しみを押し殺すように堪えている。
 そんなりせを、直斗も力強く抱きしめる事で自身の悲しみに耐えているようだ。


 失ってみて、鏡が皆にとって掛け替えのない存在だった事がよく解る。
 鏡の存在の大きさを改めて感じると、残酷な運命を呪わずにはいられない。

(姉御……どうしてだよ……どうしてっ!)

 理不尽な結果に、陽介は内心で叫びながら再び涙するのであった。




 気が付くと、目の前に見える光景は酷く現実味のないモノだった。
 崩壊しかけた建造物が無造作に宙に浮き、あちらこちらに漂っている。

「……ここは?」

 見覚えのない光景に、鏡は戸惑った声をあげる。

「ここは、深層モナド。約定により、誠に勝手ではありますが、私がお呼び立ていたしました」

 聞き覚えのある声に視線をそちらに向けると、ベルベットルームの住人であるマーガレットがそこに立っていた。
 手にはペルソナ全書を持ち、鏡の方へと真っ直ぐに視線を向けている。

「マーガレットさん? それに、約定って……?」

 事態が飲み込めない鏡が、困惑した様子でマーガレットに問い掛ける。
 そんな鏡の様子に、マーガレットは鏡の状況を理解すると、一つ頷いて鏡に話し掛ける。

「どうやら、記憶が混乱なされているご様子。お忘れですか? あなたは力尽き、命を落としてしまった事を」

 マーガレットの言葉に、鏡は自身の記憶を手繰りよせる。
 確か、学校を休んで菜々子と過ごしていたところに遼太郎が帰宅して、新たな脅迫状を見せられたはずだ。
 その後で脅迫状を持って稲羽署へと出掛けた遼太郎を見送り、体調が思わしくなかったので、自室へと戻り休む事にした。

「そうだ……あの後で来客があって、不審な音が気になって、私も下に降りたんだ……」

 下の階に降りると、菜々子の姿が無く玄関が開け放たれていた。
 鏡が慌てて表に出たところで、今まさに菜々子をテレビに放り込もうとしている犯人を見付けたのだ。
 寸前で菜々子がテレビに入れられてしまい、鏡は犯人ともみ合いとなった。
 その結果、二人そろってテレビの中に落ちてしまった事を思い出す。


 テレビの中で菜々子と真犯人である生田目を護るため、一人でシャドウの相手をしながら最上階を目指した。
 最上階で力尽き、気を失っていたところに陽介達が救助に駆けつけ、異形化した生田目と山野真由美のシャドウと戦っていた事。
 その際、自身のペルソナを悪用され、陽介達を危機的状況に陥らせた所で、状況を打開すべく自身のペルソナを消滅させたのだ。

「あの後で病院に運ばれた私は、そのまま力尽きたのか……」

 最後に見た遼太郎の表情を思い出す。
 あの場には居なかったが、目覚めた菜々子も自分が命を落とした事を知り悲しんでいる事だろう。
 その事が心苦しく、自身の至らなさに悔しい思いを抱く。

「どうやら、全て思い出されたようですね」

 マーガレットの言葉に鏡が頷く。

「本当に……あなたという子は、私達の予想を超えた行動を起こして」

 どこか呆れた様子で話すマーガレットに鏡が怪訝な視線を向けると、マーガレットは薄く笑みを浮かべる。
 ベルベットルームでは普段、見る事のないマーガレットの様子に、鏡はこんな表情も出来たのかと埒のない事を考える。

「聞こえるかしら? あなたを想い、悲しんでいる声が」

 マーガレットの声に耳を澄ませると、どこからともなく声が聞こえてくる。

『……だから、帰ってきてよ……お姉ちゃん!』

 その声は菜々子の声だった。
 その他にも鏡の事を想う声が届く。

『私がお姉ちゃんの仇を討つの!!』

 憎悪に満ちたりせの声に、鏡の胸が痛む。
 自分のせいで、明るく親しみのあるりせに復讐という行動を取らせてしまった事。
 他にも聞こえる声は、全て鏡の事を想った声だった。


 聞こえてくる声に、鏡の頬を涙が伝う。
 皆にこれほどまでに想われていた事を嬉しく思う反面、皆を悲しませてしまった事を申し訳なく思う。
 出来る事なら、皆にその事を謝りたい。
 叶わぬ事と解ってはいるが、鏡は素直にそう思う。
 そこまで考えて、鏡は一つの矛盾に気付いた。

「命を落としたはずの私が、こうしてマーガレットさんと話している事って、矛盾していませんか?」

 その事にようやく気付いた鏡にマーガレットは微笑むと、厳密には鏡はまだ完全に命を落としていない事を伝える。
 確かに生体活動は停止してしまったが、鏡の魂魄は未だその身体からは離れていない事。
 本来なら、ベルベットルームの客人に対して、住人が直接関与する事は禁じられているのだが、今回は事情が違うらしい。

「あなたの可愛い妹から頼まれていたの。『お姉ちゃんを助けてください』ってね」

 その言葉に鏡が唖然とした表情を見せる。
 一体いつ、菜々子はマーガレットと出会っていたのか?
 その疑問にマーガレットは楽しそうに笑うと、菜々子と出会ったときの事を鏡に語る。

「丁度、あなた達の通う学校で、文化祭という催しをしていた時だったかしら。あの時、私も文化祭の出し物として出店していたのよ」

 マーガレットの告白に、そう言えばと鏡は思い出す。
 どこのクラス、もしくはクラブの出し物か解らない謎の出店があった。
 青い布に金糸で装飾された場違いなテントで、【占いの館 THE 長鼻】と書かれた店名を覚えている。


 あの時はりせと一緒に出し物を見て回っていたので、利用する事は無かったが、どうやらあれがマーガレットの出店だったらしい。
 そのマーガレットの出店を、菜々子が利用したという事か?
 菜々子から、そのような話を聞いていなかっただけに、二人の接点を鏡は意外に感じた。
 鏡の表情から思いを読み取ったのか、マーガレットは菜々子に占いの館を利用した事を、鏡には内緒だと約束した事と伝える。

「何故って聞きたそうな表情ね。理由は簡単よ。あの子の望みが、あなたに関わる事だったから」

 占う内容を菜々子に訊ねた時、菜々子は迷うことなく鏡の事を聞いたのだと、マーガレットは話す。
 鏡が危険と隣り合わせである事を知るマーガレットは、占いの結果を菜々子に伝えその結果を踏まえて菜々子の望みを訊ねたらしい。

「あの子、こう言っていたわ。『お姉ちゃんを助けてください』ってね」

 マーガレットの言葉に、鏡の胸が打たれる。
 まだ幼い菜々子が自分の事を心配して、マーガレットにお願い事をしたのだ。
 マーガレット自身も、そんな菜々子の事を気に入ったのだろう。
 菜々子のお願いに『その時が来たら必ず救ってあげる』と約束したと言う。

「だから、今ここで……あなたが新たに見出した力を使いこなせるようになってもらうわ」

 異形に自身のペルソナを悪用された時に鏡が取った行動。
 ワイルドの新たな可能性。
 これからの旅路には必要な力になるだろうと、マーガレットは鏡に説明する。

「構えなさい、鏡。今から私が、あなたの相手を務めてあげる……」

     我は汝……、汝は我……

   汝、新たなる絆を見出したり……


   絆は即ち、まことを知る一歩なり


  汝、“女帝”のペルソナを生み出せし時

   我ら、更なる力の祝福を与えん……

 
 いつもの声が脳裏に聞こえてくると同時に、マーガレットが手にするペルソナ全書から手を放すと、その場にフワリと浮かび上がる。
 それと同時にペルソナ全書から複数のカードが飛び出し、マーガレットの周りを取り囲むようにクルクルと回りながら浮かんでいる。
 マーガレットから向けられる闘気に鏡の肌が粟立つ。

「先に言っておくわ。私を殺す気で挑んできなさい。全力の勝負でこそ、あなたの力は覚醒する!」

 マーガレットに言われるまでもなく、鏡は全力で挑まなければならないと実感する。
 そうでなければ、自分はマーガレットの一撃で倒れる事になると、直感が告げているのだ。

「行くわよ、鏡!」

 マーガレットの叫びが、戦いの幕開けとなる。




――次回予告――


 目の前に立ちふさがる“力を司る者”マーガレット
 彼女との戦いの中で、少女は新たな力に覚醒する

 覚醒した新たな力は、少女を何処へと誘うのか?

――心の力は、絆の力

 その言葉の意味を、少女は正しく知る事となる


 次回、PERSONA4 PORTABLE~If the world~

     想いの在処

――その願いを胸に抱いて――





2012年08月14日 初投稿
2012年09月19日 本文追加
2014年06月27日 誤字修正



[26454] 想いの在処
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2014/06/27 00:41
――――彼女の行く末を見てみたいと思った

   本来ならば、客人に対する直接干渉は禁じられている

             それでも……

     私は、彼女の可能性を見てみたいと望んだのだ




 膨大な熱気が周囲全てを薙ぎ払うかのように広がっていく。
 その現象を起こしたのは、マーガレットが召喚したペルソナ“ジークフリート”による攻撃だ。
 火炎系範囲最上位スキル【メルトダウン】によって薙ぎ払われた周囲の景色が、陽炎で歪んで見える。
 その中に、両腕で顔を庇い攻撃を耐え凌いだ鏡の姿が現れる。
 マーガレットの攻撃はどれも強力で、迂闊に反撃する事が出来ずに、鏡は防戦一方だった。

「そのままだと、いずれ力尽きるわよ。さあ、私を失望させないで頂戴!」

 マーガレットの言葉に、鏡は何とかして反撃の糸口を見付けようと思考をフル回転させる。
 鏡同様、マーガレットも複数のペルソナを使い分け、多種多様な攻撃を仕掛けてくる。
 どうやらその順番には一定の法則があるらしく、鏡は次に来る攻撃に備えてペルソナをトランペッターへと変える。

「コキュートスペイン!!」

 マーガレットの声に合わせて、ペルソナ“ロキ”が氷結系範囲最上位スキル【コキュートスペイン】を使ってくる。
 鏡の頭上に現れた人間大の巨大な氷柱が雨霰と降り注ぐ。
 しかし、その氷柱は鏡に当たる瞬間に霧消し、光の粒子となって鏡に吸収される。
 トランペッターの持つ特性“氷結属性吸収”の効果で、鏡の読みが当たった証拠だ。
 これにより、先ほど受けたダメージが回復され、鏡の身体から火傷の痕が消えていく。

「ゴッドハンド!」

 鏡は次の攻撃に備えて、先ほどのマーガレットと同じ“ジークフリード”に交換して、物理系スキル【ゴッドハンド】で攻撃する。
 見た目は同じだがマーガレットのそれとは違い、鏡の召喚するジークフリードは火炎系のスキルが使えない。
 しかし、鏡はマーガレットが使うペルソナが自身の使うそれと同じ姿をしている事に、何かしらの意味があると考えた。
 ペルソナとは、自分の心の中にある別の姿の具現化だ。
 それは、自身の持つ“可能性”が目に見える姿となって現れたモノであり、ワイルドは無限の可能性を秘めているとイゴールは説明した。

(だとしたら、私にも彼女が使うペルソナと、同じペルソナが使える可能性を秘めているはず)

 マーガレットとの攻防を繰り返しながら、鏡は考えを巡らせていく。
 可能性はあるとしても、問題はペルソナをどうやって具現化するかである。
 本来なら、ベルベットルームでイゴールの手助けを借りる事によって、鏡は様々なペルソナをその身に宿してきた。
 けれどもイゴールが居ない今、鏡自身の力によってそれを為さねばならない。

――それは可能なのか?

 鏡の心に疑問が過ぎる。
 けれども、今の鏡は自身でペルソナを消滅させた事により、マーガレットを相手にするには正直なところ、厳しい状況だ。
 その状況を打ち破るためにも、今ここで鏡は新たなペルソナを、自身の力で具現化させなければならない。
 不完全ながらとは言え、同時にペルソナを召喚する事が出来たのだ。
 鏡は覚悟を決めると、新たなペルソナを誕生させる為に瞳を閉じ意識を集中する。




 気が付くと、そこは見覚えのある風景と似ているようで違う場所だった。

「ここは……何処クマ!?」

 自分は確か病院に居たはずだと考えて、クマは鏡が亡くなった事を思い出した。
 何も出来なかった自分は、何のために存在していたのか?

「思い出したクマ……」

 自身の存在を考えていたクマは、唐突に自身がそもそも何者であったのかを思いだした。
 それはうすうす感じていたが、認めたくなかった事実だった。
 そもそも自分は鏡達と一緒に居るべきでない存在だった事実に、クマは意気消沈する。

「ベールベルベル、ベルベットーわーがー、あるじ、長い鼻ー」

 突然聞こえてきた声に、クマが驚いて辺りを見渡す。

「おや? こんな所に人が……人?」

 霧の向こう側から現れたのは、群青色の装束に身を包んだショートカットの女性だった。
 手には大きな辞書のような書物を持ち、クマを興味深そうに眺めている。

「お、おねいさん誰クマ!?」

 見慣れない女性にクマが驚いて訊ねると、女性は改まった態度でクマに自己紹介をする。

「私はエリザベス。しがないエレベーターガールでございます……と言いますか。絶賛、職務放棄中です」

 エリザベスの自己紹介に、クマがジュネスのエレベーターにも美人のお姉さんがいると嬉しいと興奮気味に話す。
 その発言は、クマにとって既にジュネスで陽介と働くことは日常と化しており、クマの本心は皆と共にありたいと願っている証拠だ。
 そんなクマに、エリザベスは『そちらのお名前をうかがっても?』と、クマの名前を訊ねる。

「クマはークマクマ」

「すみません、人間の言葉で言って頂いても宜しいでしょうか?」

 クマの自己紹介に、エリザベスが困惑した様子でそう返すと、クマは“クマ”が自分の名前だと説明する。
 その説明にエリザベスは納得するも、独創的な格好のクマに好奇心が抑えきれなくなり、無意識にクマの身体を触りまくる。
 エリザベスに好き放題にされたクマが抗議の声を上げる。

「ハッ……これは失礼。好奇心がクマを殺す所でございました」

 クマの抗議に我を取り戻したエリザベスが謝罪すると、クマは怯えた様子を見せる。
 エリザベスは改めてクマの事をしげしげと眺めると、実に興味深い存在であるとクマに告げる。

「人ならぬ存在でありながら、定めに抗い、人と共にあろうと望む者……」

 エリザベスの言葉に、クマの身体が強ばる。

「クマは、もう皆と一緒に居る事はできないクマよ……」

「何故でございますか?」

 気落ちした様子で答えるクマに、エリザベスが訝しげに訊ねる。
 クマはエリザベスに鏡達と出会った事、そして出会いの切っ掛けとなった事件のせいで、鏡が命を落とした事を説明する。
 その説明を静かに聞いていたエリザベスは、クマ自身は仲間達と共にありたくないのかと訊ねる。

「本当は、皆と一緒に居たいクマよ! けど……けど、クマは皆と一緒に居てはいけない存在クマよ!!」

 悲しそうに語るクマに、エリザベスは本当にそうなのかと問い掛ける。

「確かに、おクマ様は人とは相容れない存在なのやも知れません。ですが、それは変えられない事実なのでしょうか?」

 エリザベスの指摘にクマは驚いた様子を見せる。
 驚くクマにエリザベスは言葉を続ける。

「人ならぬ存在であろうとも、他者と絆を結ぶ事が出来る。それは、共にいても良いという証になりませんか?」

「それでも、クマのせいでセンセイが命を落とした事実は変わらないクマよ……」

 クマの説明で聞かされた、センセイと呼ばれる少女の存在。
 人ならざるクマと絆を結び、尊敬を集めている人物に、エリザベスは強く興味を引かれる。


 クマの説明から察するに、その少女はおそらく“ワイルド”の素質を持つ人物に違いないだろう。
 それはつまり、ベルベットルームの客人である可能性が高い人物だ。
 先ほどから、強い力のぶつかり合いを感じ取っていたエリザベスは、そちらへと意識を向ける。
 ぶつかり合う力の片方は、エリザベスのよく知る人物のモノだ。


 エリザベスが知る限りにおいて、彼女と対等に渡り合える存在は限られている。
 しかし、相対する力の持ち主は覚えのないモノで、敢えて挙げるなら、以前の客人だった人物に近い力の波形を感じる。
 ひょっとすると、その人物がクマの話すセンセイなのではないかと、エリザベスは推測する。

「おクマ様。あなたが先ほど話された、センセイなる人物と思わしき存在を見付けたのですが、これから会いに行ってみませんか?」

 突然の提案にクマは驚くも、すぐさまエリザベスにその場所へと案内して欲しいとクマが頼み込む。
 許して貰えるとは思っていないが、せめて鏡に謝りたい。その思いがクマの心を占める。
 クマの言葉に頷くと、エリザベスは手にした書物を開く。
 その直後、空中に青く光る魔法陣が浮かび上がる。

「それでは、参りましょうか」

 そう言ってエリザベスはクマの手を掴むと、そのまま無造作にクマを魔法陣へと投げ入れる。
 手荒な扱いに悲鳴を上げながら魔法陣に吸い込まれたクマに続き、エリザベス自身も魔法陣へと飛び込む。
 移動に際した時間はごく僅かだった。

「間もなく、到着いたします」

 エリザベスが告げると同時に、眩い光が二人を包む。
 光が消えると同時に到着した場所は、迷宮のような場所だった。

「イタタ……酷い目に遭ったクマよ……って、ここは何処クマ?」

「ここは深層モナド。力の強いシャドウ共が徘徊する場所でございます」

 手荒な扱いに顔をしかめるクマの疑問に、エリザベスが答える。
 到着した場所が予想した場所であった事に、エリザベスは先ほどの推測を確信へと変える。
 激しい力のぶつかり合いは、深層モナドの最上階から感じられた。
 それと同時に、先ほど感じた力がワイルドの力である事を確信したエリザベスは、クマに目的地が最上階である事を告げる。

「おクマ様。この深層モナドを徘徊するシャドウ達は、おクマ様の手には負えぬ相手ばかり。決して、私の傍から離れませんように」

 エリザベスはクマにそう忠告すると、最上階へと向けて移動を開始する。




 目の前で起こる出来事に、クマは驚愕と共にエリザベスに対して畏怖の念を抱いていた。
 エリザベスの忠告通り、この場所に現れるシャドウ達はどれも自身より遥に強力な力の持ち主ばかりだった。
 にも関わらず、それらのシャドウ達をエリザベスは事も無げに撃破して先へと進んでいく。

「ドロー、ペルソナカード」

 その声と共に、エリザベスの背後に多数の棺を背負った漆黒の異形が姿を現す。
 死そのものを司る“死の神タナトス”は、背の棺を翼のように広げてシャドウの群れに飛び込むと、手にした剣を無造作に振り払う。
 ただそれだけの事で、数多のシャドウは瞬時に葬り去られ、黒い霧となって消えていく。


 その光景はもはや戦闘と呼べるモノではなく、一方的な虐殺だった。
 そのタナトスを御するエリザベスもまた、途方もない力の持ち主だった。
 何気なく振るわれる拳打は容易くシャドウを砕き、手にする書物を軽く払うと、シャドウが一瞬で切り刻まれる。


 あまりの現実味の無さに、クマは夢を見ているのではないのかと疑いたくなる。
 しかし、シャドウ達から発される存在感や力強さは、紛う事なき現実である事をクマに告げる。
 無人の野を歩くように、エリザベスは先へと進む。
 上へと続く階段を何度も上り、現れるシャドウも強力な個体ばかりが現れるようになる。
 それでも、エリザベスの足を止める事が出来た個体は一体もなく、タナトスかエリザベス自身によって瞬時に倒されていく。

「この階段を上がれば、目的地でございます」

 エリザベスの言葉に、クマが眼前に見える階段の先へと視線を向ける。
 ここまで近付くと、この先でぶつかり合っている力の凄さに肌が粟立ってくる。
 クマが知っている鏡の力量を超える力のぶつかり合い。
 この先で行われている戦いの凄まじさに、クマは鏡が無事であるか心配する。

「申し訳ありませんが、これより先はおクマ様だけで進んでいただきますよう、お願い致します」

「どうしてクマか?」

 クマの疑問にエリザベスは、自分がこの先に進むと色々と不都合が生じる事を伝える。
 主に、クマ達の身の安全に関してといわれると、流石のクマも付いてきて欲しいとは言い出せない。
 何でも、この先にいる人物と出会えば、高確率でエリザベスとの戦闘に突入するのだとか。


 これまで見てきたエリザベスの強さを考えると、確かにその戦いに巻き込まれたら自分達は無事では済まないだろう。
 更にエリザベスは、この先にいる人物は今の自分よりも強いとクマに説明する。

「最後に、おクマ様に一つお訊ねしたい事が……」

 鏡の事が心配で今すぐにでも先へと進もうとするクマに、エリザベスが問い掛ける。

「自分にとって大切な人が、永劫という名の牢獄に囚われたとしたら、おクマ様はどうされますか?」

「そんなの決まっているクマ。ヨースケ達と一緒に、センセイを助け出しに行くクマ!」

 エリザベスの質問に、クマが即答する。
 クマの答えにエリザベスは微笑んで『ありがとうございます』と、クマにお礼を述べる。

「それでは私はこの辺りで。帰りは、この先にいる私の姉に頼めば大丈夫ですから」

 そう言って、エリザベスはクマに一礼すると手にする書物を開いて先ほどと同じように魔法陣を宙に展開する。

「また会えるクマか?」

「縁があれば、また何処かでお会いする事もありましょう」

 そう言い残し、エリザベスは魔法陣へ飛び込み、去っていく。
 それを見送ったクマは階段へと視線を向け、意を決して階段を上っていく。




 新たなペルソナを誕生させるために、意識を集中した鏡の隙を見逃すほど、マーガレットは甘い相手ではなかった。
 手にしたペルソナ全書を開き、マーガレットは新たなペルソナを召喚する。
 現れたのは、若武者の姿をしたペルソナ“ヨシツネ”だ。
 ヨシツネは両手に持つ小太刀を構えると、鏡に向かって襲い掛かる。


 鏡は閉じていた瞳を開くと、素早く右手を左右へと振る。
 その軌跡をなぞるようにアルカナが描かれたタロットカードが現れる。
 現れたタロットカードのアルカナは【法王】、【塔】、【皇帝】、【隠者】、【愚者】の五枚。
 カードが現れる度に、鏡の心に絆を結んだ相手の声が聞こえてくる。

『お前が居てくれて、忘れていた大事なモノを思い出すことが出来た』

 法王を司る、叔父の遼太郎。

『僕は結局、何一つ守る事が出来ていなかったんだね……』

 塔を司る、鏡から事実を聞かされ、力なく項垂れていた生田目太郎。

『これも全部、姐さんのおかげっス。ほんと、感謝しても仕切れねえっス!』

 皇帝を司る、後輩の真っ直ぐで不器用な完二。

『コーン!』

 隠者を司る、妙に人間っぽいキツネ。

『んじゃ約束だ、俺ら全員の約束。“一人では行かないこと”……危険だからな』

 そして、仲間達との絆である愚者。

「これは……!?」

 驚くマーガレットの眼前で、鏡の足下に巨大なタロットの絵柄が浮かび上がる。
 タロットが五芒星を描き、青く輝く魔法陣が現れると、その中から異形が姿を現す。
 現れた異形は、マーガレットが召喚したペルソナと同じ“ヨシツネ”だった。


 二体のヨシツネは、共に手にした小太刀を素早く振り払い、八つの斬線をぶつけ合う。
 一瞬で八回の斬撃を繰り出す物理系スキル【八艘飛び】の赤い斬線が、互いの斬撃を打ち消し合う。
 ぶつかり合った斬撃の衝撃波が二人を後方へと押し退け、間合いが開く。

「見事よ、鏡。新しい力を使えるようになったわね」

 マーガレットが鏡に称賛の言葉を贈る。
 衝撃波が巻き起こした砂塵が晴れ、マーガレットの視界に鏡の姿が見える。
 新たな力に覚醒した影響か、鏡の瞳が金色の輝きを放つ。
 今の鏡は瞳の色が変わったせいか、マーガレットとよく似た雰囲気を身に纏っている。

「人の身で、力を司る者である私と同じ領域に立つ……素晴らしいわ。あなたの可能性を、もっと見せて頂戴!」

 マーガレットはそう叫ぶと、新たにペルソナ全書からペルソナを召喚する。
 現れたのは三対・六枚の翼を持った麗人の異形ペルソナ“ルシフェル”で、頭上に金色に輝く球体を作り出す。
 それは【メギドラオン】を上回る威力を持つ、万能系最上位スキルの一つである【明けの明星】の作り出す破壊の光だ。

「鏡、倒れちゃ駄目よ」

 マーガレットの声に合わせ、ルシフェルの頭上で輝く光が特大の大きさに膨張する。

『センセイ! 負けちゃダメクマ!!』

 突然の声に、マーガレットの意識が声の主へと僅かに逸れる。

「クマ!?」

 鏡もマーガレットと同じように声の主へと視線を向け、居るはずのないクマの姿に驚きの声を上げる。
 驚く二人に構わず、クマは鏡に声援の声を送る。

    我は汝……、汝は我……

   汝、ついに真実の絆を得たり


    真実の絆……それは即ち

       真実の目なり

    今こそ、汝には見ゆるべし

  “星”の究極の力、“ルシフェル”の

    我が、内に目覚めんことを……

 鏡の脳裏に聞き慣れた声が聞こえてくる。
 クマからの深い信頼が、鏡の闘志を燃え上がらせる。


 鏡が再び手を振ると、新たなタロットカードが宙に現れる。
 現れたアルカナは、【法王】のカードが二枚と【塔】のカード。
 浮かび上がった魔法陣から現れたペルソナは、マーガレットが召喚したのと同じ“ルシフェル”だった。
 鏡の召喚したルシフェルは、明けの明星を相殺するべく同じ明けの明星をぶつける。
 先ほどとは比較にならない衝撃波が、周囲を薙ぎ払うように発生する。
 マーガレットは衝撃波に吹き飛ばされないように、身を低くして素早く次の攻撃を思考する。
 それよりも早く、衝撃波が巻き起こした砂塵を突き抜けてきた鏡がマーガレットに肉薄する。

「ヨシツネッ!!」

 鏡が召喚したヨシツネが、ゼロ距離で八艘飛びをマーガレットに打ち込む。
 流石のマーガレットも不意を突かれた上に、ゼロ距離からの八艘飛びを受け、その場に崩れ落ちる。

「……見事だったわ、鏡」

 肩で息をする鏡に、マーガレットがそう言って鏡を称える。
 マーガレットはペルソナ全書を開くと、右半身が男神で左半身が女神の姿をしたペルソナ“アルダー”を召喚する。
 アルダーから発せられた癒しの光で、マーガレットと鏡の傷が完治する。

「センセイ、無事クマか!?」

 衝撃波で吹き飛ばされたクマが駆け寄り、鏡の無事を確認する。

「大丈夫だけど、それよりもどうしてクマがここに?」

 戸惑った様子で鏡がクマに訊ねる。
 鏡の質問に、クマがこれまでの経緯を説明する。
 クマの説明を鏡と共に聞いていたマーガレットは、クマをここに連れてきたのがエリザベスだと知り、驚きの表情を浮かべる。

「……そう、あの子が」

 クマの説明を聞き終えたマーガレットが感慨深げに呟く。
 その様子に鏡がマーガレットにエリザベスの事を訊ねると、マーガレットは以前エリザベスが自身に語った“おとぎ話”を話す。
 それは、世界の果てに自らを封印のくびきにして、世界を自滅へと誘う事を身を挺して防いでいる、孤独な魂の物語。
 エリザベスはその魂を救い出すのだと言って、ベルベットルームを去ったらしい。

「そう言えばクマ、別れ際に聞かれたクマ」

 そう言って、クマはエリザベスから受けた質問の事を鏡達に話す。

「そう……あの子がそんな事を。あの子もきっと……今の私と同じ事に気付いたんだわ」

 そう呟き、マーガレットはエリザベスと同じく一つの答えを得た。
 自身が何者かを捜し続ける限り“何者でもない”という事を。

「あなたを助けるつもりが、私が救われるなんて……ありがとう、鏡。これは敬意の証よ、受け取って頂戴」

 そう言って、マーガレットが鏡に手渡した物は、精緻な細工が施された“螺鈿細工のしおり”だった。

「鏡、いまのあなたなら、どんな障害も越えていけるわ。この先、限界を感じ、壁を越えられないと思ったら、それは甘えよ」

 マーガレットは鏡にそう言うと、挫けそうになったら、今日の勝利を思い出しなさいと告げる。

    我は汝……、汝は我……

   汝、ついに真実の絆を得たり


    真実の絆……それは即ち

       真実の目なり

    今こそ、汝には見ゆるべし

   “女帝”の究極の力、“イシス”の

    我が、内に目覚めんことを……

 直後、鏡の脳裏に再び声が響く。

「センセイ。クマ、センセイに話さないといけない事があるクマ」

 思い詰めた様子で、クマが鏡に話し掛ける。
 クマが鏡に語ったのは、自分の正体が自我を持ったシャドウであったという事実。
 人に好かれたくて今の姿になり、人と共にあるために自分自身でシャドウである事を忘れていた事。
 そして、鏡が命を落としたのは自分のせいであり、もう自分は皆とは共にいられない事を鏡に告げる。

「クマ、菜々子ちゃんとの約束を破るの?」

「それは……クマのせいでセンセイを死なせてしまったから、ナナちゃんに合わせる顔がないクマよ……」

 鏡の指摘に力なくクマが反論する。

「私もマーガレットさんに聞かされて驚いたけど、厳密にはまだ、私は死んではいないのよ」

 鏡から聞かされた事実にクマが驚く。
 そんなクマに鏡は『でなければ、ここに居る私は幽霊になっちゃうでしょ?』と、戯けた様子で話す。
 鏡に言われて、確かにその通りだと気付いたクマが涙ぐみながら鏡の無事を喜ぶ。

「だからクマ、私と一緒に皆の元に戻りましょう」

「でも、クマはシャドウクマよ……皆と一緒に居ちゃ行けない存在クマよ……」

「いいえ、あなたはもうシャドウでは無いわ」

 鏡の言葉に、自身の成り立ちを挙げ反論するクマの言葉をマーガレットが否定する。
 たとえ元はシャドウだったとしても、自我を持ちペルソナを扱う事が出来るクマは、すでに一つの個人であるとマーガレットが指摘する。
 その言葉に鏡も同意し、これまでも一緒に過ごせてきたのだから、これからも一緒に生きていく事が出来るとクマを説得する。

「クマは、皆と一緒に居ても良いクマか……?」

 クマの言葉に鏡が頷くと、さっきのクマの声援で自分が力付けられたと話し、クマにしか出来ない事があるはずだと断言する。
 その言葉に元はシャドウの自分でも出来る事があるのだと理解し、シャドウだから皆と居られないと思い込むのは駄目だとクマは気付く。

――その瞬間

 クマの身体から青い光の粒子が溢れ出し、クマのペルソナが現れる。
 現れたキントキドウジからも青く輝く光の粒子が噴き出し、その姿を変える。
 ヒョロリとした手足は太くなり、両手には黄金の爪が生えており、抱えていたミサイルは尻尾のように揺らめいている。
 クマの心の成長が、キントキドウジを新たな姿“カムイ”へと転生させる。

「これは……!?」

 驚くクマに、マーガレットが心の成長がもたらした可能性だと告げる。
 ペルソナは心の力。心の力が強くなれば、それに応じてペルソナもその姿を変える事があると、マーガレットが説明する。
 シャドウは基本、成長する事がない。
 この事実は、クマがもうシャドウとは違う存在だという、紛れもない証明となる。

「それに、まだクマとの約束は果たしていないわ」

 自身がシャドウとは違う存在になった事実に喜ぶクマに、鏡がそう話す。
 雪子達をテレビに入れたのは間違いなく生田目だが、一番最初の山野アナは、別の誰かの犯行だと鏡がクマに伝える。
 事件解決の為にはクマの協力が必要なのだと鏡はクマに話し、その言葉にクマはまだ、自分にはやり残した事があるのだと理解する。

「クマ、皆の元に帰らなきゃ」

 鏡の言葉にクマがそう呟くと、マーガレットが手にしたペルソナ全書を開く。
 エリザベスの時と同様、宙に青く輝く転送用の魔法陣が浮かび上がる。
 このゲートを通れば、テレビの中の広場に出るとマーガレットが伝える。
 鏡は別の手段で戻さないと駄目だそうで、クマはゲートを使い先に戻るようにと、マーガレットが伝える。

「それじゃ、センセイ。先に戻るクマね」

 そう言って、クマは魔法陣をくぐり戻っていく。
 それを見送った鏡にマーガレットが声を掛ける。

「鏡、あなたの新しい力は使い方一つで強力な切り札になる反面、身体に掛かる負担はこれまでの比じゃないから、多用は控えなさい」

 マーガレットの指摘通り、二回使っただけで、普段の何倍もの疲労を鏡は感じていた。
 使い続けていく内に徐々に慣れるとの事だが、それまでは確かに多用は禁物だろう。

「それから、あなたの力の源は他者との絆よ。決して、全てを一人で解決しようとは思わないで」

 その言葉には、鏡を気遣うマーガレットの心情が伺える。
 鏡自身も先ほどクマに言った通り、マーガレットと戦っていた間、絆を結んだ皆の声に力付けられていた事を思う。
 ペルソナは心の強さに左右され、心の強さは他者との絆の深さが大きく影響する。
 自分は一人ではない。その事を鏡は再認識すると共に、人は独りでは生きていけないのだと実感する。

「マーガレットさん、色々とありがとうございました」

 大切な事に気付かせてくれたマーガレットに鏡は礼を述べる。
 そんな鏡にマーガレットは微笑みを返すと、魂を元の世界に戻すので、瞳を閉じて心を落ち着けるように告げる。

「それじゃ、今度はベルベットルームで会いましょう」

 その言葉を最後に、鏡の意識が眠りに落ちるような感覚で遠退いていく。
 鏡が元の世界に戻るのを見送ったマーガレットは、先ほどクマから聞かされた話を思い出していた。

(本当はあの子を連れ戻そうと思っていたけれど、自らの願いのために出て行ったあの子を連れ戻すのは、間違いのようね……)

 妹がそこまで想いを寄せる人物に、マーガレットは強く興味を引かれる。
 エリザベスの叶えたい願いは途方もない事だが、幸い自分達“住人”にとっては時の束縛は緩やかだ。
 例え、一つの時代では時が足りなくとも、エリザベスは必ずやり遂げる事だろう。
 そんな事を思いながら、マーガレットは本来の職務に戻るため、深層モナドを後にする。




 鏡が意識を取り戻すと、病院の白い天上が目に映った。

「センセイ! 気が付いたクマね!!」

 その声に、鏡が視線を声のした方へと向けると、目に涙を浮かべたクマが嬉しそうな表情で鏡を見ていた。

「……ク、マ?」

 掠れた声で鏡がクマを呼ぶと、クマは担当の医師を呼んでくるからと言って病室を後にする。
 一人残された鏡が身体を動かそうとすると、まるで自分の身体では無いかのような感覚に鏡が眉をひそめる。


 暫くしてクマが連れてきた担当の医師からの説明によると、心肺停止状態から蘇生してから三日間ずっと眠っていたそうだ。
 どおりで身体が上手く動かないはずだと納得する鏡に、担当の医師が鏡の身体の状態を説明していく。
 原因不明の状態で心肺停止してからの蘇生なので、今暫くは経過を見る必要があるそうだ。

「それから、全体的に筋力も低下しているので、リハビリの必要もありますね」

 医師の説明にどれくらいの時間が掛かりそうかを訊ねると、様子を見てからと前置きして一週間くらいは掛かるだろうと説明される。
 取り敢えず、今は安静にしておく事と医師は鏡に話すと、鏡が意識を取り戻した事を遼太郎に連絡するからと言って病室を後にする。

「ヨースケ達にはクマから連絡しておくクマね」

 また後で来るクマと言って、ヨースケ達に連絡するためクマが病室から出て行く。
 それを見送り、鏡は天上を見上げると、自分が眠っていた間の事を聞いた上で、今後の事を皆と相談しなければと考える。
 未だ身体に残る疲労感に鏡は瞳を閉じると、再び眠りにつくのであった。




――次回予告――


 少女が無事蘇生した事を喜ぶ仲間達
 自身が眠っていた事を聞かされた少女は今後の事を思う

 事件は未だ終わらず、真犯人は未だ影すら見せず……

――けれども、彼らは諦める事なく真実を求める

 それぞれが心に誓いを抱いて


 次回、PERSONA4 PORTABLE~If the world~

     誓いと決意

――その想いは、新たな力となって――




2012年09月19日 初投稿
2014年06月27日 誤字修正



[26454] 誓いと決意
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2014/06/27 00:43
――――彼女が無事に戻ってきた事を嬉しく思う反面

         自分達の無力さを思い知らされた

              『強くなりたい』

      もう二度と、彼女を危険な目に遭わせない為に




 放課後。
 クマから鏡が目覚めたと連絡を受けた陽介達が稲羽市立病院へとやって来た。
 鏡の病室には遼太郎と菜々子が先に到着しており、菜々子が泣きじゃくりながら鏡にしがみついている。

「菜々子ちゃん、心配掛けて、本当にごめんね」

 そう言って、泣きじゃくる菜々子の頭を優しく撫でて鏡が宥めている。
 鏡の無事な姿を見た陽介達も、感極まってそれぞれが目尻に涙を浮かべている。
 その中で一番早くりせが泣き出してしまい、そんなりせを千枝と雪子が自身も泣きながら支えている。

「皆にも心配を掛けてごめんね……ただいま」

 菜々子から視線を陽介達に向けて鏡が話し掛ける。
 陽介達は鏡が無事に蘇生した事を喜び合う反面、自分達が鏡達を救出するのがもっと早ければと後悔を滲ませる。
 そんな陽介達に、鏡も今まで自分一人で抱え込みすぎていた部分があった事を詫びる。
 鏡の謝罪に陽介達は逆に、今まで鏡に自分達が責任を押し付けていただけであった事を告げる。

「これからは、もっとお互いに助け合っていけば良いさ」

 互いに謝罪し合う鏡達に、遼太郎がそう声を掛ける。
 遼太郎の指摘に確かにそうだと思った陽介達は、鏡が眠っていた間の事を説明する事にする。

「クマ、これから姉御に事情説明するから、お前は菜々子ちゃんとロビーで待っててくれないか」

「菜々子、これから鏡と大事な話をするから熊田と一緒に待っててくれ」

 陽介と遼太郎の言葉にクマと菜々子がそれぞれ頷くと、菜々子はクマと手を繋いで病室を後にする。
 二人が病室を後にすると同時に遼太郎は表情を改めると、鏡が蘇生してから目覚めるまでの間にあった経緯を説明する。


 霊安室で奇跡的に息を吹き返したものの、意識を取り戻すには時間が掛かるだろうと言われその日は皆、帰宅する事となった。
 その際、クマの行方が分からなくなったものの、二日後にクマは皆の元に戻ってきて鏡と出会った事を陽介達に伝えた。
 鏡の意識が戻るのはそう遠くない事だと知った陽介達は、鏡の看病にクマを付ける事にし、意識が戻ったら連絡するように指示を出す。
 意識を取り戻した時にクマが傍にいたのはそう言った事情かららしい。


 生田目はりせに襲われた際に一度意識を取り戻したものの、今もまだ眠っているそうだ。
 向こう側に長くいた事と、シャドウをその身に宿し暴走した事で体力が著しく低下しているのが原因だ。
 もっとも、生田目が衰弱した理由は病院側には話せないので、原因不明の衰弱と診断されている。

「事情聴取は生田目が意識を取り戻して、医者からの診断の結果待ちと言ったところだな。話せる状態かどうかも判断が付かんからな」

 遼太郎の言う通り、生田目が意識を取り戻したとしても、すぐに事情聴取が可能かは難しいところだろう。
 今は念のために稲羽署から警備の人員を割いているそうだ。

「鏡、スマンが生田目に攫われてからの事を教えてくれないか?」

 遼太郎達が鏡達を助けるために駆けつけた時の状況から、生田目と行動を共にしていたららしい鏡に経緯を訊ねる。
 鏡は皆に、菜々子が生田目にテレビの中へと入れられた後、生田目ともみ合って自分も向こう側へと行った事から説明を始める。

「私と生田目さんが向こう側に落ちた時には、既にあの場所が生み出されていたんです」

 菜々子を中心に作り出されたあの場所で、シャドウに襲われた鏡は、二人を守るために戦いながら頂上を目指した事を話す。
 本来、菜々子と生田目は向こう側ではシャドウに襲われないはずだが、ペルソナが使える鏡を攻撃対象にシャドウ達は襲ってきた。
 頂上に辿り着いた時には鏡の体力は限界で、その場で意識を失い、意識を取り戻した時は既に遼太郎達と交戦中だったそうだ。


 移動中、鏡は生田目からある程度の事情を聞く事が出来たそうで、山野真由美のような犠牲者を出さないために誘拐を続けていたそうだ。
 その時に向こう側に長くいるともう一人の自分に殺される事、実際に救い続けていたのは鏡達である事を教えたそうだ。
 鏡から事実を聞かされた生田目は酷く落ち込み、自身の行動を悔やんでいた事を鏡は皆に伝える。

「……本当に助けるつもりで誘拐を続けていたんだな」

 鏡から話を聞いた陽介がポツリと呟く。
 これまで誘拐を続けていた生田目に対して許せない気持ちでいたが、鏡の話を聞き、不幸な擦れ違いが続いていた事を知る。
 事実はどうであれ、誘拐を始めたら犠牲者が出なくなったのだ。
 鏡達が救出していた事を知らない生田目は、自身が救ったのだと思い込んでも不思議はない。

「そっか、だからあの時、生田目さんは『……お前達は僕が救った……いや、救うはずだったやつらか?』って言ったんだ」

 自虐的に話す生田目の姿を思い出した雪子が呟く。
 あの時、生田目と一緒にいた山野真由美のシャドウについては、意識を失っていたため鏡も知らないらしい。
 その辺りについては、生田目本人から話を聞くしかないだろう。

「だとすると、姉御に脅迫状を送ってきた奴が真犯人って訳だな」

 鏡の話から、山野真由美の事件に生田目は関与していない事が解った。
 生田目が関与したのはそれ以降の誘拐事件だけで、事件の裏に真犯人は潜んでいる。
 脅迫状という形でその存在を知る事が出来たが、未だにその姿は見えないままだ。

「後は鏡以外の皆には話したが、俺自身の事だ。菜々子を救った際にペルソナを使う事と、テレビの中に入る事が出来なくなった」

 遼太郎の言葉に鏡が驚く。
 テレビの中には鏡達の手助けがあれば入れるだろうが、ペルソナ能力を失った事の影響は大きい。
 今後は、向こう側で遼太郎の協力を得る事が出来なくなった事を意味するからだ。


 菜々子を救う対価としては安いモノではあるが、向こう側で鏡達の手伝いが出来ない事を遼太郎が鏡達に詫びる。
 遼太郎の謝罪に鏡達は、菜々子が救えた事が大切であると返す。
 鏡達の気遣いに感謝しながらも、遼太郎は引き続き脅迫状の件も含め鏡達に協力する事を約束する。

「そう言えば、姉御の退院はいつ頃になりそうなんだ?」

 陽介の質問に、鏡は担当の医師から一週間ほど掛かると言われた事を伝える。
 その言葉に陽介は、しっかりと身体を癒して退院してくるのを待っていると返す。
 これ以上は、鏡の身体に負担が掛かるから今日の所は帰ると言って、陽介達は病室を後にする。
 また今度お見舞いに来るからと言って、名残惜しそうにしているりせに鏡は頷くと軽く手を振って陽介達を見送る。

「俺も菜々子を連れて帰るから今日はもう行くが、ゆっくりと養生するんだぞ」

「はい。退院するまでの間、菜々子ちゃんの事、お願いしますね」

 鏡の言葉に『勿論だと』と返し、遼太郎も病室を後にする。
 皆が帰り、静かになった病室で鏡はベッドに横になると自身の体調について考える。
 自身が思っていた以上に体力が落ちているようで、話していただけだというのに身体には疲労感が表れていた。
 皆の前で体調を崩すといった事はなかったが、僅かな様子の違いに気を使ってくれたのかも知れない。
 早く退院できるためにも今は無理をせず、回復に努めようと考え、夕食まで鏡は休む事にする。




 鏡の病室を後にした陽介達がロビーにやって来た事に気付いたクマが、手を振って皆を出迎える。
 その少し後に遅れて来た遼太郎が菜々子を連れて帰るのを見送ると、陽介は皆に『少し良いか?』と声を掛ける。

「なぁ、お前達。姉御の様子に気付いたか?」

 陽介の質問に皆が頷く。
 大丈夫そうにはしていたが、鏡の頬は少し痩けており、体調が良いとは決していえる状態ではない事は明らかだった。
 それでも、皆に心配を掛けないように振る舞う鏡の姿に陽介達の胸が痛む。

「俺達、このままじゃ拙いと思うんだ。色々とさ……」

 うつむき加減で陽介は話す。
 今回は奇跡的に鏡は蘇生する事が出来たが、今後も奇跡が続くとは到底思えない。
 今のままだと間違いなく、鏡を再び命の危険に晒す事になると言うのが皆の一致した見解だ。

「俺達は強くならなくちゃ駄目だ。それも、姉御が退院するまでに」

「それは解るけど……花村、向こう側で修行するにしても、時間が足りなくない?」

 千枝が陽介の言葉に同意しながらも問題点を挙げる。
 時間を掛ければ十分に強くなれるだろうが、鏡が退院するまでの一週間で劇的に強くなるのは、実質的に不可能だ。
 もっともな指摘に陽介は頷くと、クマの方へと視線を向ける。

「なぁ、クマ。お前が姉御と会ったって言う『深層モナド』だったか。そこに行く事は出来ないか?」

 陽介の言葉に皆が驚く。
 クマから聞いた話では、今の自分達より遥に強力なシャドウが徘徊する場所だ。
 確かに、そこに行けるのならば短期間で力を付ける事が出来るかも知れない。
 その反面、自分達の身の危険も相応のものになると思われる。

「センセイ達を助け出した場所から行く事は可能だけど、あの場所は本当に危ないクマよ!」

 実際にその強さを見てきたクマが陽介に反論する。
 案内してくれたエリザベスが居なければ、僅かな距離を進む事すら出来ないような場所なのだ。
 深層モナドがいかに危険な場所であるか訴えるクマを陽介が制する。

「クマ、お前の言いたい事も解る。けどな、俺達は今、強くならなければ駄目なんだ」

 雪子達をテレビの中に送り込んだ生田目は確かに身柄を確保する事は出来た。
 しかし、真犯人は未だ脅迫状という影しか姿を見せてはおらず、今のままでは鏡がまた、一番の危険に晒される。
 陽介の言葉に、クマが身を強ばらせる。


 鏡の性格を考えれば、一番力を持っている自身を危険の矢面に晒す事は厭わないだろう。
 それどころか、自分達に危害が及ぶような状況になれば、平然と自身の命を危険に晒す事は想像に難くない。
 あの時。自分達を救うために、躊躇無く自身のペルソナを砕いたように。
 その事が解るだけに、誰も陽介に反論が出来ない。
 皆が心の底から思っているのだ。

――もう二度と、鏡の命を危険に晒したくは無いのだと

 それまで黙っていた完二は深呼吸すると、決意の籠もった眼で陽介を見る。

「花村先輩の言うとおりだ。俺達が姐さんにキツイトコを全部押し付けちまってたから、今回のような事になったんだ」

 複数のペルソナが使え、自分達に的確な指示を与えられても、鏡は自分より一つ年上の何処にでも居るような少女なのだ。
 見た目で自分を判断せず、自分を認めてくれた鏡には返しきれない恩がある。

「そうだよね。あたしら鏡に頼ってばっかで、鏡に何一つ返せていないよね……」

 雪子が攫われた時の事を思い出して千枝が呟く。
 あの時、一人暴走した自分に対して真剣に怒ってくれた鏡。

「先輩だけが、初めてアイドルじゃない本当の私を見てくれたんだ」

「僕も、鏡さんのおかげで自分自身と向き合える事が出来た」

 りせと直斗も鏡と関わった事で、自身に対して良い方向に影響があった事を話す。
 皆が鏡と関わる事によって何かしらの影響を受けていたのだ。

「花村君の言うとおり、私達は強くならなくちゃ駄目だよね。鏡一人に、全てを背負わせない為にも……」

 雪子の言葉に皆の決意の高さを見たクマは、自身も鏡に対して恩を返せていない事を思う。
 深層モナドは確かに危険な場所だが、皆と力を合わせれば何とか出来るかも知れない。

「……解ったクマ。けど、無理だと思ったら絶対に引き返して欲しいクマよ」

 クマの言葉に陽介達が頷く。
 陽介は、持てるだけの回復アイテムや戦闘支援アイテムを用意して万が一に備えて挑む事を提案する。
 普段は雪子や鏡がペルソナのスキルで回復していたが、今回は修行に専念するために補助系はアイテムで代用する事にする。

「今日は姉御の見舞いで時間が無いから、修行は明日の放課後で良いよな?」

 陽介の提案に皆が頷く。
 今日の所は支援用のアイテムを四六商店で購入する事にして明日に備える事にする。
 これまでの探索で見付けたアイテムもあるが、念には念を入れておいた方が良いという判断からだ。
 四六商店で買い物を済ませた陽介達は明日に備えて、今日はしっかりと身体を休める事で同意してから別れる。




 翌日の放課後。
 クマの案内で陽介達は深層モナドへとやって来た。
 移動は、生田目と戦った場所に出現していた青く輝く魔法陣を使って行われた。
 初めて魔法陣による移動を経験した陽介達は未知の体験に興奮気味だったが、深層モナドに到着した時には表情を引き締めていた。
 その場の空気というか雰囲気が、これまで探索したどの場所とも違う張り詰めた感じだったからだ。

「……確かに、今までの場所とは全然違うな」

 深層モナドの異様な雰囲気に、陽介が生唾を飲み込んで呟く。
 どことなく学校の廊下を思わせる内装だが、周囲は薄暗く空気が重苦しい。
 見ると床に滲み出ているシミの色は赤く、血のように見えてしまう。

「皆、気をつけて。クマの話通り、ここに居るシャドウ達は今の私達より遥に強いよ」

 ヒミコを召喚して周囲を探ったりせが陽介達に注意を促す。
 りせの注意に頷くと、陽介達は注意深く周囲を警戒しながらシャドウを探し始める。

『ソイツらは物理攻撃に耐性を持っていて、火炎は吸収、光属性は反射! 弱点は、氷結と闇属性だよ!!』

 以前に戦った事のある白蛇のシャドウと同じタイプのシャドウだが、性質は全く違うようで、りせが陽介達にアナライズの結果を報告する。
 りせからの情報にクマがここは自分の出番だと、氷結系範囲上位スキル【マハブフダイン】で攻撃する。


 初めて見るクマの転生したペルソナ、“カムイ”が起こした氷結の嵐がシャドウ達を包む。
 弱点属性の攻撃により、全てのシャドウが体勢を崩したところで総攻撃を仕掛ける。

「やっぱ、一回くらいの総攻撃じゃ倒せないか!」

 陽介の言葉に、りせが攻撃に参加できない自分に歯噛みする。
 総攻撃は文字通り全員による攻撃であり、現状だとこれ以上は攻撃力を上げる事が出来ない。
 分析するだけで戦闘を見ているだけの自分。
 あの時も、鏡が自分自身の心を砕くのを見ているだけだった。

(もう、見ているだけじゃ嫌! 私にも戦う力を!!)

 りせの想いに応えて、ヒミコが大きく脈動する。
 召喚されていたヒミコから青く光り輝く粒子が溢れ出し、その姿を大きく変える。


 頭部のアンテナの枚数が一枚から三枚に増え、後部にもアンテナが一枚増えている。
 腰の両側からも、それぞれ一枚のアンテナが増え、白いドレス姿からスリットの入った白と黒のストライプ姿へと変じる。

『クマ! もう一度シャドウ達をダウンさせて!!』

 りせに指示に従い、クマがもう一度【マハブフダイン】でシャドウを攻撃する。

『行くよ! カンゼオン!!』

 りせの声に合わせてカンゼオンから柔らかい光が溢れ出し、総攻撃を仕掛けようとしていた陽介達を包み込む。
 光に包まれた陽介達の身体に力が溢れ出してくる。
 その力の元がりせだと気付いた陽介達が驚きながらも、シャドウ達に総攻撃を加える。
 りせからの支援を受けた総攻撃は、先ほどの総攻撃とは比較にならない威力を発揮し、シャドウ達を消滅させる。
 戦闘を終えると同時に、再びカンゼオンから柔らかく暖かな光が発せられ、陽介達を包み込む。
 光に包まれた陽介達の傷がいくらか癒され、精神的にも感じていた疲れが和らぐ。

「これが……りせちゃんの新しいペルソナの力?」

 総攻撃の威力を底上げし、戦闘を終えると同時に自分達を回復するカンゼオンに千枝が驚きの声を上げる。
 これまで見ているだけしかできなかった自分も一緒に戦えるようになったりせが、嬉しそうな表情を見せる。

「完全回復とまではいかないが、ある程度の回復でも随分助かるな」

「これからは、先輩達だけでなく私も一緒に戦うからね」

 りせが陽介にそう言葉を返すも、総攻撃時の威力の底上げは毎回出来る訳では無いようだと説明する。
 りせの意志というよりも、カンゼオンの意志といった方が正しいらしく、任意では発動できないとの事。
 とはいえ、りせの支援で攻撃力の底上げが出来るようになった恩恵は大きい。
 アイテムを使い消耗した気力と体力を回復させ、探索を続行する。

『ソイツは火炎属性が弱点だよ! 雪子先輩、やっちゃって!!』

 カンゼオンが新たに得た力は他にもあり、戦闘開始時に初見のシャドウでも、弱点を一つランダムで知る事が出来るようになっていた。
 これにより、手探りで弱点を捜す負担が減り、戦闘が随分と楽になった。
 呪符で守りを固めた法衣姿のシャドウに対して、雪子が火炎系範囲上位スキル【マハラギダイン】で攻撃する。
 体勢の崩れたシャドウに総攻撃を仕掛け、千枝と雪子が複合召喚で更なる追撃を加える。


 それでもまだ倒れないシャドウに、千枝と雪子が自身の力不足を思い知らされる。
 後一撃が足りなくて、その一撃を望む想いがトモエとコノハナサクヤの複合召喚を可能とした。
 それでもまだ、自分達には決め手となる何かが足りていない。

(あたしにもっと力が……どんな困難でも打ち砕ける一撃があれば!!)

(私には魔法しか攻撃の手段がない……もっと強く、もっと燃え盛る炎が使えれば!!)

 千枝は鏡を通じ、刑事である遼太郎と知り合えた事で、朧気ながら自分のやりたい事を見出せそうになった。
 雪子は何も出来ない自分が嫌で、そんな自分を変える切っ掛けを鏡が与えてくれた。
 そして、鏡が居たから、二人は互いに想っていた事を打ち明けて解り合う事が出来た。

――鏡に頼ってばかりなのはもう嫌だ!

 今度こそ、鏡と肩を並べて一緒に進めるための強さを手に入れたい。
 二人の想いに応え、トモエとコノハナサクヤがその姿を変える。


 黄色地に黒のラインが入ったトラックスーツは黒地に黄色のラインのトラックスーツに変わり、手首から上腕にかけて草摺状の装甲が覆う。
 頭部はより鎧兜に近い形状へと変化し、手にする双頭薙刀は光の刃がより長くなり攻撃範囲が広くなっている。
 長い黒髪は白銀の髪へと変じ、“トモエ”はより武者の姿に近くなった“スズカゴンゲン”へと転生する。


 チアガールを模したコノハナサクヤはその身を光輝く人型へと変じ、桜を模したショールは銀色に輝く陽光を模したモノへと変化する。
 その手には反りの少ない太刀を掲げ、“コノハナサクヤ”はより攻撃的な姿をした“アマテラス”へと転生する。
 転生した二人のペルソナは、それぞれの決意が現れている。
 仲間を守り、戦い抜くための装甲を追加したスズカゴンゲン。
 守られるだけでなく、自らも皆を守るために武器を取ったアマテラス。

「喰らえッ! ゴッドハンド!!」

 千枝はそう叫ぶと、自らの拳を大きく振りかぶり地へと振り下ろす。
 その動きをトレースしたスズカゴンゲンが同じく地へと拳を振り下ろすと、光り輝く握り拳がシャドウを粉砕するべく頭上から落ちてくる。
 ゴッドハンドの直撃を受けたシャドウは文字通り粉砕され消滅する。

「アギダイン!」

 雪子の意志に従い、アマテラスが残ったシャドウに向けて火炎系上位スキル【アギダイン】を放つ。
 その炎はこれまでとは比べものにならないほどの熱量と勢いを持ち、瞬時に残ったシャドウを焼き尽くす。

『千枝先輩と雪子先輩の攻撃で、新たなシャドウが増援で来たよ! 注意して!!』

 りせの警告と同時に、砂時計に手足が生えたようなシャドウが襲い掛かってくる。
 不意を付かれた形になった千枝と雪子がシャドウの攻撃を受け、体勢を崩す。
 二人に追撃を仕掛けようとシャドウが襲い掛かる瞬間、二人とシャドウの間にタケミカヅチが割り込む。

「先輩達をやらせるかよっ!!」

 体勢を崩した二人の姿に鏡の姿が重なって見えた完二は、考えるよりも先に行動に移っていた。
 完二は自分を仲間に入れてくれた時に鏡が言っていた、“全員が無事である事が大事”と言う言葉を思い出していた。
 皆を守るために誰かが犠牲になるのは嫌だと言っていた鏡自身が、自らを犠牲にしないと自分達を助けられなかった状況。
 あの時に味わった残される側の気持ちは、決して忘れる事が出来ない。


 今なら解る。
 鏡が言った言葉の意味と、その重さが。
 あんな思いはもう二度と誰にもさせる訳にはいかない。
 だからこそ、自分が先陣を切って皆の露払いをするのだ。

(だからといって、自分の身を粗末にするつもりは、これっぽちも無いがな!)

 陽介のように速い動きで相手を翻弄する事は出来ない。
 雪子のように魔法に長ける事は不可能だ。
 そして、千枝のようにここぞという時の決め手を持つ必要もない。

――今の自分に必要なモノ

 完二の望みに応え、タケミカヅチがその姿を大きく変える。
 攻撃を受けても倒れない頑強な身体。
 その決意を表すかのように、黒地に骸骨を描いていた姿は燃え盛る炎を表す深紅へと変わる。
 手にする得物はより広い範囲を攻撃できるように、稲妻を模した形から燃え盛る炎を纏った厚みのある剣へと変化する。
 転生し“ロクテンマオウ”となった完二のペルソナは、手にした剣を大きく振り払い、シャドウ達をまとめて薙ぎ払う。
 物理攻撃が弱点だったようで、一気に体勢を崩したシャドウ達に総攻撃を仕掛ける。

「押し切れねぇ!」

 体勢を崩した千枝と雪子が総攻撃に不参加だったため、シャドウを倒すまでには至らなかった事に完二が苛立ちの声を上げる。
 そんな状況にあって、直斗は冷静に自分に出来る事を模索する。
 鏡が居ない今、全体を見渡せるのは陽介と自分しか居ない。
 その陽介は体勢を崩した千枝と雪子のサポートに回っているため、行動できるのは自分しか居ない。
 自身のペルソナは主に浄化や呪殺といった魔法系に比重が寄っているため、今この場では決定打を与える事が難しい。

(もっと威力のある物理攻撃が出来れば……)

 鏡のおかげで、自身の性別と向き合う事が出来た直斗は強く望む。
 皆の危機を救うための力を。
 彼女のように皆を守る事が出来る力を。
 謎という暗闇を切り裂き、真実という光を掴める強さを。


 直斗の想いに応え、少年探偵の姿をした“スクナヒコナ”が、中世の騎士を思わせる“ヤマトタケル”へと転生する。
 青いベストを纏った姿から、白と黒を基調とした落ち着いた雰囲気を持った姿に。
 それは、精神的に子供から大人へと成長しようとする直斗の心を示している。
 性別を偽ってまで、認めて欲しいと願っていた自身の弱さを受け入れ、ありのままの自分を認める事。
 その心の成長が、新たな力を生み出す。


 ヤマトタケルが手にする刀を構えると、目にも留まらぬ早さでシャドウの直中へと斬り込んでいく。
 空間を無数に走る斬線に沿って切り刻まれるシャドウ達。
 物理系範囲攻撃スキルの【空間殺法】によって切り刻まれたシャドウが、そのまま消滅する。


 探索を続ける中、次々と新たな姿へ転生する仲間達のペルソナを目にし、陽介は内心で焦りを募らせる。
 鏡を除くと、この中で一番最初にペルソナを使えるようになったのは自分だ。
 そんな自分が今もまだ、新たな力に目覚めないままでいる。

――自分には、皆のような可能性が無いのか?

 焦りは隙となり一瞬の気の緩みを突かれ、シャドウの攻撃をまともに受けた陽介が吹き飛ばされる。
 雪子が咄嗟に【ディアラハン】と使ってくれたおかげで受けたダメージは全快したが、崩された体勢はすぐには戻せない。

(……くっそ、情けねぇ)

 倒れた状態で、陽介は自分の迂闊さを呪わずにはいられなかった。

(そう言えば俺、姉御から何度も迂闊さを注意されてたっけ……)

 テレビの中へ模造刀を持ち込もうとして警察に補導されそうになった時も、文化祭で鏡達に無断でミスコンへ参加させた時も。
 自分が何か拙い事をやらかす度に、鏡は何度も注意をしていた事を思い出す。
 注意を受ける度にその時は反省しても、時間が経つとその事を忘れて失態を演じ続けた自分自身を思う。

(そりゃ、俺だけがそのままでも仕方ねえか……)

 自分の情けなさに、陽介は自分が新たな力を得られない事を納得してしまう。
 鏡が居なければ早紀を助け出す事が出来ず、早紀を失った悲しみで潰れていたかも知れない。
 鏡と出会わなければ、自分は今もまだ稲羽に来た事を、心のどこかで疎ましく思い続けて腐っていたかも知れない。

(……そうか。俺はただ、姉御に認めて欲しかっただけなんだ)

 自分と同じく都会から転校してきた鏡もまた、退屈な田舎暮らしに腐っていると思っていた。
 しかし、自分とは違い鏡は従妹の菜々子と過ごす事を大切にし、性別も年代も違う交友関係を築いていった。
 事件が起こり、出会って間のない早紀のためにその身を危険に晒し、ペルソナという力に目覚め、皆を助けてくれた。
 何処にでもいるただの少女だが、その姿は陽介にはヒーローのように見えていたのだ。


 その思いを強くしたのは、もう一人の自分に対しての鏡が取った行動だった。
 自分自身でさえも目を背けたくなる自身の思いすら肯定してくれた鏡。
 その鏡の姿に、陽介はヒーローの姿を見たのだ。
 そんな鏡に認めて貰えれば、自分も人に誇れるだけの自信が持てるのではないか?
 自身でも気付かぬ内に、その思いが陽介の中で大きくなっていた事に気付く。

(だったら、こんな所でいつまでも倒れている訳にはいかないよな!)

 そう思い、陽介は勢い良く立ち上がる。

「花村! 大丈夫! 行ける!?」

「あぁ、大丈夫! やられた分、キッチリ倍返しだ!」

 陽介の状態を確認する千枝に力強く答えると、陽介は意識を集中する。

(さあ、ジライヤ。俺達も腐っていないで行くぜ!!)

 陽介の想いに応え、心の中でジライヤが脈動する。
 青く輝く光の粒子が陽介を包み込むように溢れ出し、ジライヤを新たな姿へと転生させる。
 忍者を模した姿だったジライヤから青を基調とした姿へと変わり、竜巻を思わせる赤い頭髪が天に向かい逆立っている。
 その姿は吹き荒れる風を彷彿とさせるも、荒々しさの中に清浄とした力強さを併せ持っている。

「吼えろ、スサノオ!」

 陽介の意志に従い、スサノオが放つ疾風系範囲上位スキル【マハガルダイン】がシャドウ達を巻き込み、切り刻んでいく。
 疾風属性が弱点だったらしく、シャドウ達が体勢を崩す。

『みんな! 準備は良い?』

 りせの合図と共に、陽介達の身体をカンゼオンから発せられた光が包み込む。
 再びりせからの補助を受けた陽介達が総攻撃を仕掛ける。
 これまでで一番の威力を持った攻撃に、流石のシャドウも耐えきれずに消滅する。

「やったじゃん! ついに花村も新しいペルソナになったね!」

 戦闘を終え、嬉しそうな表情で千枝が陽介に話し掛ける。
 千枝だけでなく、雪子や完二も陽介が新たなペルソナを手に入れた事を祝い、りせと直斗は全員が新たなペルソナを獲得した事を喜ぶ。

「ヨースケだけが一番手間が掛かったクマねー。本当に疲れたクマよ」

 ただ一人、クマだけがそう言って本心とは違う言葉で陽介をからかう。
 陽介が新たなペルソナに目覚めた事を一番喜んでいるのは、本人を除けば一緒に生活しているクマだろう。
 その表情から言葉とは裏腹に陽介が新たなペルソナを得た事を喜んでいる事が伺える。

「悪かったなクマ吉。真打ちは最後に登場するもんだって、相場が決まってんだよ」

 いつもの調子に戻った陽介がそう言ってクマに反論する。
 陽介も新たなペルソナに覚醒した事によって、当初の目的は達成したと言っても良い。
 持ち込んだ回復アイテムもそろそろ心許なくなってきたため、全員一致で今日の所は引き上げる事にする。

「それじゃ、クマ。帰りの方は頼んだぜ」

「任せるクマ!」

 陽介の言葉に力強く応えたクマがカムイを召喚して、帰還スキル【トラエスト】を使い深層モナドを後にする。
 深層モナドへと移動する魔法陣の場所まで戻ってくると、クマは再び【トラエスト】を使いダンジョンの入り口へと転移する。




 ダンジョンの入り口からいつもの入り口広場まで戻ってきた陽介達は、外の様子を確かめながらテレビの中を後にする。
 かなりの時間を向こうで過ごしたはずだが、現実世界では向こう側で体感したほどの時間は進んではいなかった。
 直斗の推測では、深層モナドの独特の雰囲気が生み出す緊張感が、体感速度を狂わせて居るのではないかと説明する。
 もっとも、現実世界と向こう側とでは時間の流れそのものが同じであるかも解らないので、考えるだけ無駄なのかも知れない。

「そんじゃ、今回手に入れた素材は後日改めて“だいだら.”に持ち込むとして、今日の所は各自しっかりと休む事」

 ジュネスの家電売り場に戻ってきた所で、陽介が全員にそう伝える。
 アイテムを使って回復をしていたが、何度も繰り返した戦闘の緊張からくる疲れだけは、休むしか回復の手段がない。
 一番体力のある完二でさえも例外ではなく疲れた様子を見せているので、体力のない女性陣の疲れ具合は推して知るべしだ。
 陽介の言葉にそれぞれ頷き返すと、明日は鏡のお見舞いに行こうと取り決めてから解散する。

「なあ、クマ」

 皆と別れ、クマと一緒に帰宅する道すがら、思い詰めた表情で陽介が話し掛ける。

「何クマ? らしくない真面目な顔をして」

「ちゃかすな、真面目な話なんだよ」

 ただならぬ陽介の雰囲気にクマは表情を改めると、真面目に話を聞く体勢を取る。

「向こう側で、お前から犯人を見つけ出して犯行を止めさせてくれてって最初に頼まれたのは、姉御と俺だったよな」

「そうだったクマね。それからチエチャン、ユキチャンが仲間になって、カンジにリセチャン、ナオチャンと増えていったクマ」

 それがどうかしたのかと訊ねるクマに、陽介は面子は増えても負担は鏡に全部行っていた事を告げる。
 その言葉にクマも思い当たる節があるため、表情を曇らせる。

「今日の事で俺達は確かに強くなったと思う。けどさ、変わらず姉御に負担が掛かってしまったら、意味がないと思うんだ」

 この前のような事が再びあれば、鏡は間違いなく自身の命を危険に晒すだろうと、陽介は言葉を続ける。
 鏡は皆が無事に危険を回避する方法を第一に考えるが、犠牲が必要だと判断すると、自身を真っ先にその対象に選ぶ傾向が強い。
 その事はクマも感じていた事で、おそらくは他の皆も気付いているだろう。

「だから、今後もし姉御が命を張るような事が起こったら、俺とお前で姉御の変わりに命を張るんだ」

 陽介の言葉に驚くクマに、この事件に関わると最初に決めたのは自分達なのだから、それくらいの覚悟は当然だろうと説明する。

「それに、男の俺達がいつまでも姉御に命を張らせるのは格好悪いだろう?」

「……そうクマね。いつまでも、センセイに頼ってばかりじゃダメクマね」

 そう納得するクマに陽介は、この事は他の皆には内緒だぞと釘を刺す。
 どうしてかと訝しげに訊ねてくるクマに陽介は『姉御と一緒に、一番最初に事件に関わると決めた意地みたいなもんかな』と説明する。
 その説明に、クマも何となくではあるが想いが解るような気がした。
 一番最初に鏡と共に行動を起こしたという特別な想い。
 これだけは他の仲間達とは共有できない気持ちだろう。

「しっかし、陽介はサキちゃんの事が好きだと思ってたけど、センセイの事も好きだったのクマね」

「ッ!? ちょっ、おま! それは違うぞ! 俺は小西先輩一筋だ! 姉御に対する気持ちはそんなんじゃねぇぞっ!!」

 クマの突っ込みに陽介は顔を真っ赤にして反論するが、クマは楽しそうに笑っている。

「ヨースケ、センセイはクマ達で絶対に守り通すクマよ」

「当たり前だろ」

 ひとしきり笑った後で表情を改めるとクマが陽介にそう話し掛ける。
 その言葉に陽介は力強く頷くと、この誓いを最後まで貫き通すと決意する。




――次回予告――


 仲間達が力を付けた事を知らぬ少女はリハビリを続ける
 退院までの間に見舞いにやってくる友人達

 自身を心配する彼らとの絆を少女は知る

――自分は決して一人では無いのだ

 その事実が少女の心を強くする


 次回、PERSONA4 PORTABLE~If the world~

     繋いだ絆の輝き

――それは大切な宝物――





2012年10月24日 初投稿
2014年06月27日 誤字修正



[26454] 繋いだ絆の輝き
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2014/06/27 00:49
――――眼には見えなくとも、そこにあるモノ

   形在るモノだけが確かに存在するモノではなく

    それが、心許ない不確かなモノであっても

  尊く、大切なモノである事には変わりがないのだ




 陽介達が、向こう側へと自身を鍛えるために出掛けていた頃。
 リハビリを終え病室へと戻ってきた鏡の元に、同じテニス部の紫がお見舞いに訪れた。

「千枝達に鏡が入院したって聞かされた時は驚いたけど、今の鏡を見て少し安心したよ」

 病室に入って開口一番にそう言った紫は、言葉通りの安心した表情を見せる。
 鏡はそんな紫に心配させた事を謝ると、学校での様子やテニス部の様子をゆかりに訊ねる。
 生田目が捕まった事が報道され、その事に鏡が巻き込まれた事が噂されて少しは騒がしくなったが、それ以外は普段通りだと紫が説明する。

「部の方は下級生の子達がお見舞いに行きたいって言ってたけど、大人数で押しかけるのもアレだから、私が皆を代表してって所かな」

「そっか、皆にも心配を掛けちゃったね。退院したら、何か差し入れを持っていかないと駄目ね」

 紫の言葉に鏡がそう答えると、紫は『そんな気を使わなくても良いの』と、鏡を窘める。
 それよりも早く、退院して元気な姿を皆に見せてあげてと紫に言われた鏡は頷くと、来週には退院できるからと伝える。

「来週ね、解ったわ。部の皆には私から伝えておくから」

「うん、ありがとう」

 お礼を言う鏡に紫は少し迷ったような素振りを見せるも、意を決して鏡に話し掛ける。

「ね、鏡。弟の武の事なんだけど、ここ最近、女の子と一緒に居ることが多いのは知ってる?」

「女の子って、希ちゃんの事?」

 紫の質問に思い当たる人物を挙げてみる。
 鏡の答えに紫は頷くと先日、武が希と一緒に居るところを偶然見掛けたことを話す。

「その時ね、数人の男の子達に虐められていた希ちゃんを庇って、武が一人で立ち向かって行ってたのよ」

 その時の事を思い出したのか、紫の表情が僅かに曇る。
 紫の話によると、希を守るために多勢に無勢であるにも関わらず、武は一人で立ち向かって行ったのだという。
 相手に何度も殴られ倒されようとも、武の心は折れる事なく何度も立ち上がって挑んで行ったそうだ。
 それを見ていた紫は我に返ると、武を助けるために割って入って行き、紫の存在に気付いた男の子達は慌てて逃げ出したという。

「男の子達が逃げ出した後で、つい武に言ったの『何でその子を連れて逃げ出さなかったんだ』って。そしたら武が言ったのよ」

――希を虐めるヤツらから逃げられるかって

「あちこちに痣を作っておいて、男らしい事を言ってのけたのよ、あの子。それを聞いた希ちゃんは泣き出したちゃったけど」

 その時の事を思い出したのか、困った表情を見せて紫が話を続ける。
 泣き出した希を宥めるのに苦労したのだろう。その様子が目に浮かび、鏡は紫にお疲れ様と声を掛ける。
 そんな鏡に照れた笑みを見せ、紫は子供ながら正義感の強い弟を誇りに思うと鏡に告げる。

「武を見て思ったんだ。皆が武のように弱い子の事を考えられるなら、こういった虐めは無くなるんじゃないかって」

 理想論ではあるが、鏡は紫の意見を否定する気にはなれなかった。
 誰もが相手を思いやる事が出来れば。それは、鏡自身も考えた事があるからだ。
 黙って続きを待つ鏡に紫は続ける。

「以前、鏡に進路に迷ってるって話したけど私、教師を目指そうと思う」

 続く紫の言葉に鏡は驚いた表情を見せる。
 驚く鏡に『自分でも安易だとは思うけどね』と、照れた様子を見せながら紫は言葉を続ける。
 相手に対する思いやりを根付かせようと思うのなら、幼い内からそう言った環境の中で育てばよいのではないか?
 ならば、教職というのも選択肢の一つとしてアリなのではないかというのが、紫の考えだ。
 そう言った意味では保育士という選択肢もあるが、受け持つ人数が限られる。


 紫の説明に、鏡は紫が色々と考えている事を察する。
 普段は気さくで大雑把な部分があるが、テニス部の部長を務めるだけあって、周囲に対する気配りを忘れてはいない。
 そんな紫に鏡は、紫らしくて良いと思うと自身が感じたままの感想を伝える。

「弁護士をやってる母さんと同じ道も考えたけど、自分のやりたい事を考えたら、こっちかなって」

「紫が考えて選んだ事なら、私は応援するよ」

 そう答える鏡に、紫は照れた様子を見せながら『ありがとう』と礼を述べる。

    我は汝……、汝は我……

   汝、ついに真実の絆を得たり


    真実の絆……それは即ち

       真実の目なり

    今こそ、汝には見ゆるべし

  “豪毅”の究極の力、“ザオウゴンゲン”の

    我が、内に目覚めんことを……

 いつもの声が脳裏に響く。
 それと共に、身体に力が満ちていく感覚も、いまではもう慣れたものになっている。

「それじゃ、私はそろそろ帰るよ。これ以上は、鏡の身体に障るだろうから」

「今日は来てくれてありがとう」

 紫の言葉に鏡がそう礼を述べると、紫は軽く手を振って病室を出て行く。
 夕食までまだ時間があるため、持ってきて貰った“弱虫先生、最後の授業”を読むことにする。




 鏡が読書を続けていると、病室の扉を叩くノックの音が聞こえてきた。
 キリの良いところまで読み終えていた鏡は、ページに栞を挟むと『どうぞ』と言って、病室の目に立つ人物へ入室の許可を与える。

「今晩は、鏡ちゃん」

 そう言って、病室へと入ってきたのは足立だった。
 意外な人物の訪問に鏡が驚いた表情を見せると、足立も自分らしくないと思っているのか、鏡に照れた笑みを見せる。

「まぁ、鏡ちゃんが驚くのももっともかな。僕自身もらしくないなって思ってるから」

 足立はそう言うと、生田目の見張り役を交替してきた帰りに、遼太郎からの伝言を伝えに来たのだと説明する。

「仕事が終わり次第、お見舞いに来るからって鏡ちゃんへ伝えて欲しいって頼まれてね」

「そうだったんですか、ありがとうございます」

「気にしないでよ、帰るついでに伝言を伝えに来ただけだからさ」

 お礼を述べる鏡に足立は照れ隠しに戯けた様子でそう話す。

「とはいえ、鏡ちゃんも災難だったよね。事件に巻き込まれて、入院するハメになるなるんて」

 ふいに、真顔になった足立が鏡にそう話し掛ける。
 足立の普段は見せない表情に鏡も真顔になると、今回は運が良かったと自身に起きた状況の感想を述べる。

「……鏡ちゃんも、これに懲りたら危ない事には首を突っ込まない方が良いよ。堂島さん達、鏡ちゃんが目覚めるまで心配してたんだから」

 足立の言葉には、鏡を思いやる気持ちが込められている。
 普段はそういった気遣いをあまり見せない足立の思いやりに、鏡は素直に礼を述べる。

      我は汝……、汝は我……

      汝、絆の力を深めたり……


  絆を深めるは即ち、まことを知る一歩なり


   汝、“死神”のペルソナを生み出せし時

     我ら、更なる力の祝福を与えん

 いつもの声が聞こえてくると同時に、鏡の身体に力が満ちていく。
 心なしか、身体の疲れも和らいだように思える。

「はは……説教くさい事を言うなんて、本当に僕らしくないな。それじゃ、そろそろお暇するよ。お大事にね」

「ありがとうございます。私が退院したら、またご飯を食べに来てくださいね」

「そうだね、その時はとびきりのをお願いするよ」

 鏡の言葉に足立は笑って答えると、そのまま病室を後にする。
 足立が去った後、鏡が夕食を摂り終えた頃に、菜々子を連れた遼太郎が病室へ訪れた。

「鏡、身体の調子はどうだ?」

「まだ違和感が残っていますが、昨日よりは良くなっています」

 遼太郎の質問に鏡がそう答えると『そうか』と、遼太郎が頷く。

「お姉ちゃん。これ、着替えだよ」

 そう言って、菜々子が胸に抱えていた袋を鏡に手渡す。

「流石に、俺がお前の着替えを用意する訳にはいかないから、菜々子に頼んだ」

 年頃の娘に対する配慮だろうが、遼太郎は少々戸惑った様子で鏡に説明する。
 不器用ながらも遼太郎の気遣いに鏡は礼を述べると、着替えを用意してくれた菜々子にもお礼を述べる。
 鏡からのお礼に菜々子は満面の笑みを浮かべると『家族は助け合うんだよ!』と、得意そうに答える。
 それから暫くの間、互いに今日の出来事を報告し合い、久しぶりの家族の団欒を過ごす。

「それとな、鏡。明日、生田目から話を聞き出そうと思うのだが、都合はつきそうか?」

 帰る頃になって、遼太郎が鏡にそう話し掛ける。
 なんでも、遼太郎が明日の生田目の見張り役らしく、生田目もある程度の会話が可能な状態まで回復しているらしい。
 護送の関係もあり、出来るだけ早く生田目から話を聞き出す必要がある為だ。
 鏡が遼太郎の申し出に、今と同じぐらいの時間なら問題はないと答えると、直斗達へは自分から連絡すると遼太郎が告げる。
 今現在、入院している鏡は外部との連絡手段が無い為、直斗達への連絡は遼太郎へ任せる事にする。

「白鐘達の誰かを迎えに寄越すから、それまでは休んでいてくれ」

 そう言い残して、遼太郎は菜々子を連れて病室を後にする。
 菜々子からも『無茶はしないでね』と言われた鏡は、二人の言葉に素直に従う事にする。




 翌日。
 リハビリを終えた鏡が夕食を終え病室で休んでいると、りせと直斗が病室に鏡を迎えにやって来た。
 まだ本調子でない鏡は二人の手を借りると、車椅子で生田目の病室へと移動する。

「鏡さん、リハビリの調子はどうですか?」

 移動中、直斗からリハビリの経過を訊ねられた鏡が特に問題なく進んでいることを話すと、りせが安堵の表情を見せる。

「でも、順調だからって無理はしちゃ駄目だよ、お姉ちゃん」

 とは言え、何が起こるか解らないので、りせが念のために鏡に釘を刺しておく。
 りせからの指摘に、鏡は皆を心配させたくないから無理はしないと答え、りせを安心させる。


 そんな事を話している内に、生田目の病室へと到着した鏡達を遼太郎が出迎える。

「来たか。花村達は先に中で待っているから、俺達も病室へと入ろう」

 遼太郎の言葉に鏡達は頷くと、病室内へと移動する。
 ベッドの上に起き上がり、病室へと入ってきた鏡の姿を見た生田目が心の底から安堵した表情を見せる。
 遼太郎から、あらかじめ鏡が蘇生した事を知らされていたが、その目で確認するまで鏡の事を心配していたのであろう。

「良かった……本当に無事だったんだね。僕の短慮な行動で、君を危険な目に遭わせてしまって、本当に済まなかった……」

 そう言って、生田目は鏡に深く頭を下げる。
 そんな生田目に、鏡は無理をした自分にも非があるからと返し、頭を上げて下さいと言葉を掛ける。

「取り込み中スマンが、あまり時間が無くてな。そろそろ話を聞かせて貰っても良いか?」

 そう言って、遼太郎が生田目に説明を求める。
 その言葉に生田目は頷くと、ゆっくりと事の始まりを話し始めた。

「そう……あれは、真由美との不倫が世間に知られてすぐ……」

 同僚達の視線や騒ぎから逃げるように実家へと戻っていた生田目は、山野真由美とも連絡が取れず、ひたすらヤケ酒を煽っていたらしい。
 ワイドショーで騒がれ、番組を降板させられた彼女の事が気掛かりでだが、迷惑ばかり掛けていた事を謝りたかったのだ。
 やる事も気力も無くしていた生田目は、誰かに聞いた噂を思い出した。

――マヨナカテレビ

 他にする事もなく、その日は雨で条件を満たしていた為、生田目はぼんやりとテレビに映る自分を見つめていたら変化が起きた。

「……テレビに、助けを求める真由美の姿が映ったんだ」

 生田目は咄嗟にテレビに映る山野真由美に手を伸ばした途端、水面に突っ込んだようにテレビ画面に腕が潜ったのだ。
 突然の事に驚いた生田目は、自分の頭がおかしくなったのかと思ったと話す。
 酒に酔って夢を見たんだと思う事にした生田目は、次の日に中央に戻った。

「その日の午後……いつもの職場に出勤すると……想像通り、クビを言い渡された」

 それよりも生田目を打ちのめしたのは、その時テレビに報道された、山野真由美の遺体が見つかった事だった。
 しかも、発見場所が実家のある稲羽市であった事も、生田目にとっては衝撃が大きかった。
 しばらく唖然とした後で、夜中に見た映像を思い出し、あれは夢ではなく、本当に彼女からのSOSだったのではないかと生田目は考えた。

「僕は、怖くてわざと避けていた“テレビに触る”というのを、もう一度やってみた。そして、あの晩の事が夢では無かったと再確認した」

 稲葉に戻った生田目はその事を警察に伝えようとしたが、信じて貰えなかったらしい。
 それも当然だろう。事件の被害者が、事前にテレビに映し出されたと言われても、常識的に考えればあり得ない事なのだから。

「警察に話しても信じて貰えなかった僕は、必死にテレビを見続けた。そうしたら、今度は女の子が映ったんだ」

「それって、まさか……小西先輩の事か?」

 陽介の呟きに生田目は頷く。

「警察を頼る事は出来ない。それに、事情を説明しても警察同様、彼女も信じてくれないだろう。そう思った僕は……」

「小西先輩を、“向こう側へ”送り込んだ」

「テレビの中がどんな場所でも、殺されるよりはずっと良い。ほとぼりが冷めたら、出してあげれば良いと、僕はそう思い込んでいた」

 直斗の指摘に生田目はそう話し、家業の運送業を利用すればやれると思い、自分にしか出来ない事だと生田目は信じ込んだ。
 実際は鏡達が救い出していたのだが、殺人事件が止まったのだから、助ける事が出来たと、生田目が思い込んでも仕方がないだろう。

「けれど、彼女達と一緒にテレビの中に入り、自分のしてきた事に初めて疑問を持った……」

 鏡と共に入ったテレビの中は、霧に包まれた異様な世界で、異形の化け物達が徘徊していた。
 自力で出る事は出来ず、長く留まると“もう一人の自分”に殺されてしまう。
 そんな異常な状況で正気を保てていたのは、菜々子と鏡の存在が大きな要因だった。
 幼い菜々子と体調が良くない鏡。二人の少女を前に大人である自分が取り乱す訳にはいかない。
 その一念で、生田目は自分を保ち続けた。

「僕が何とかしなければと思いはしたが、結局は彼女が体調不良を押して、僕達を守り続けてくれた」

 襲い掛かる異形を前に一歩も引かず、未知の力で異形達を退けていく鏡。
 その姿に、生田目は無力な自分を呪わずにはいられなかった。
 助けるつもりが助けられたばかりか、助けたい相手の体調が悪くなっていくのを、ただ見ているだけしか出来なかった。

「そして、彼女から聞かされた真実は、僕の罪の重さを痛感させた……」

 助けたい一心で行っていた行動が全て無駄であったばかりか、自身の行動で罪のない人達を死に追いやるところだった。
 その事実に打ちのめされていた生田目は、鏡の指示に従い最上階を目指す。
 最上階までの道程は幼い菜々子には厳しく、道中は生田目が抱き抱えて移動していたが、それでも菜々子には負担が大きかった。

「目的地に辿り着いた所で、力尽きた彼女を休ませた僕の目の前に……信じられない人物が現れた」

 鏡と菜々子を休ませた生田目の前に、死んだはずの山野真由美が現れたのだ。
 それは、本物の山野真由美ではなく、彼女から現れたシャドウだったのだが、生田目にとってはそれは些細な事だった。


 助けたくとも助けられなかった相手が目の前にいる。
 その事実が生田目にとっては全てで、生田目はこれまでの事を謝罪した。
 そんな生田目に対して、山野真由美のシャドウは非難する事なく、生田目を許したそうだ。

「真由美は僕に言ったんだ。『二人で彼女達を救済しましょう』、と……」

 何も出来ない自分にも誰かを助ける事が出来る。
 山野真由美のシャドウに諭された生田目は、今度こそ間違う事なく鏡達を守り抜くと決意する。
 二人を追って、自分を殺害した犯人達がやってくる。
 そうなると、体調を悪化させた鏡が更に無理を重ねてしまい、命に関わる事になる。
 そう教えられた生田目が、鏡達を守ると決意を新たにしたところに、陽介達がやって来たらしい。

「後は君達も知っての通りさ……真由美と一つになった僕は、彼女達を守るために君達と戦った」

 その時の事を陽介達は思い出す。
 あの戦いは本当に苦しいモノだった。鏡が自身の心を砕くという無理をしなければ、あの場で全員が命を落としていた事だろう。

「けれども、僕はまた間違ってしまったんだね……無意識の内にヒーロー気取りだったんだ……」

 生田目の言葉に、陽介は一つ間違えていたら、自分も生田目と同じようになっていた事に気付いた。
 鏡の姿にヒーローを見、自身も鏡に認めて貰いたい、鏡のようなヒーローになりたい。そう考えていた事。
 自分は仲間達が居てくれたから間違わなかっただけで、生田目のように一人だったら?
 きっと生田目と同じように、特別な力を持つ自分にしか出来ない事だと、信じて疑わなかっただろう。

「僕は映ったものをまるで疑わず、信じたいように信じてしまった……自分の頭で考えなかったから、間違ってしまったんだね……」

 そう言った生田目は、酷く後悔した様子を鏡達に見せる。
 いつか自分も政界に出て、社会の役に立ちたいと思っていたが、その仕事も愛する者も失い、残った異能だけが拠り所となっていた。
 だからこそ、“救済”に全てを掛けていたのだろう。
 力なく項垂れる生田目に、鏡達は掛ける言葉が思いつかない。

「罪を逃れる気はない、誘拐だけでも重罪。それに、沢山の人を危険に晒したからね……覚悟なら出来ている」

「だったら、罪を償うためにも、お前は生き続けなければならない」

 それまで黙って話を聞いていた遼太郎が、生田目に話し掛ける。
 政界に出て、社会の役に立ちたいと今も思っているのなら、刑期を終えた後で今度こそ、その思いを果たせばいい。
 遼太郎の言葉に生田目は目を見開く。

「叔父さんの言う通りです。生田目さん、今のあなたでしたら、きっと良い政治家になれると思います」

 遼太郎の言葉を継いで、鏡も生田目に声を掛ける。
 その言葉に生田目は『ありがとう』と、鏡にお礼を述べると、立派な政治家に必ずなる事を鏡達に誓う。

    我は汝……、汝は我……

   汝、ついに真実の絆を得たり


    真実の絆……それは即ち

       真実の目なり

    今こそ、汝には見ゆるべし

  "塔"の究極の力、"シヴァ"の

    我が、内に目覚めんことを……

 鏡の脳裏にいつもの声が響いてくる。
 話を終え、『少し疲れた』と言う生田目の体調に配慮して、今日はここまでにしようと遼太郎が鏡達に提案する。
 その提案に異存のない鏡達は全てを話してくれた生田目にお礼を述べると、病室を後にする。




 病室を出た鏡達に遼太郎は、交代の者が来るまで自分はこの場に残るからと言われ、陽介達は鏡の病室へと移動する。
 生田目から聞いた話を元に情報を整理するためだ。
 病室へと戻り、鏡がベッドへと戻るの待ってから、直斗が話し始める。

「生田目さんからの話で、新たに解った事があります」

 そう話し始めた直斗は、マヨナカテレビが人によって見える内容に違いがある可能性を指摘する。
 直斗の言葉に、陽介が『どういう事だ?』と、理由を訊ねる。

「彼の“必死にテレビを見続けた。そうしたら、今度は女の子が映ったんだ”という発言を覚えていますか?」

「……そういや、俺達の中で小西先輩に最初に気付いたのは、姉御だったな」

「雪子の時は、千枝が最初に気付いたわね」

 直斗の質問に、陽介と鏡がそれぞれ答える。

「確か、菜々子ちゃんと先輩の時はクマが『映った人が二人でないか?』って言ってたよね」

 そう言って、りせがクマの方へと視線を向ける。
 あの時はクマの気のせいか寝オチではないかと思われたが、改めて考えると、個人によって見える内容に違いがあった事が解る。

「つまり、私達は同じ映像を見ていると思ってたけど、ぞの実は違った映像を見ていたって事?」

「おそらくは。そもそも、マヨナカテレビがどう言った原理で映し出されているのかも、謎ですからね」

 雪子の疑問に直斗が答える。

「言われてみると、俺達はマヨナカテレビがどういったモノか解らないまま、映った人物が被害に遭うって確信してたよな」

「実際、その通りだったんスから、疑って掛かる方が無理ッスよ」

 考え込む陽介に完二がそう返す。

「信じたいように信じる、か……」

「姉御?」

「私達は、たまたま間違ってなかっただけで、一歩間違えれば生田目さんと同じ状況になっていたんだろうね」

 訝しげな視線を向け声を掛ける陽介に、鏡は思った事を伝える。
 クマと出会い“向こう側”の事を知って今まで行動してきたが、もしクマと出会う事がなかったら?
 そう考えると、生田目の事を一方的に責める事は出来ない。
 自分達も生田目と同じようになっていた可能性を否定できないからだ。

「彼と違って、僕達には信じられる仲間がいた事も大きな要因ですね」

 正しい情報もなく、相談する仲間もいない事。
 それが、生田目と自分達の大きな違いであると直斗は指摘する。

「俺さ……さっきの話を聞いてて、凄く思い当たる節があって正直、ギクリとしたんだ」

 そう言って陽介は、警察に事件の解決は無理だと以前に話した事を挙げる。
 陽介の言葉に千枝も事件解決に意気込んでいた自身を思い出し、あり得たかも知れない未来の自身を、生田目の姿に重ね見る。

「だからこそ、これからはもっと慎重に事件解決に臨まないといけませんね」

 直斗の言葉に皆が頷く。
 山野真由美を“向こう側”に送り込んで殺害した真犯人は、今もまだ自由の身なのだ。
 真犯人を捕まえない限り、今後も被害者が出る可能性がある。
 鏡達は改めて、真犯人を捕まえるために気持ちを新たにする。

      我は汝……、汝は我……

      汝、絆の力を深めたり……


  絆を深めるは即ち、まことを知る一歩なり


   汝、"愚者"のペルソナを生み出せし時

     我ら、更なる力の祝福を与えん

 いつもの声が脳裏に響き、鏡の身体に力が満ちていく。

「取り敢えずは、姉御が無事に退院するまで、マヨナカテレビのチェックを怠らない事だな」

 今後の方針が決まったところで、鏡の体調を気遣い今日の所は解散する事にする。
 毎日お見舞いに来るのも鏡の負担になるだろうから、退院の日に皆で迎えに来ると告げ、陽介達は病室を後にした。
 陽介達を見送った鏡は体力を回復させるべく、横になる。
 今は一刻も早く身体を回復させる事が、自身のやるべき事だと思って。




 鏡達が病室で話し合っていた頃。
 生田目の病室前で、警備の交代要員が来るのを待っていた遼太郎は、先ほどの生田目の話を頭の中で反芻していた。

(生田目の話であらかたの事情は解ったが、どうにも何かが引っ掛かる……)

 山野真由美の訃報を知った生田目は、警察に連絡をしたが信じて貰えなかったと話していた。
 事件当時、情報提供と偽ったイタズラ電話が殺到したので、その内の一つとして処理されたのか?
 事情を知らなければ、荒唐無稽の妄言と思われても仕方のない内容だ。

(いや、待て……俺はその話を、誰かに聞かなかったか?)

 遼太郎は当時の記憶を思い出そうとする。

『またイタズラ電話でしたよ……変な番組に、殺された山野アナが出てたって』

 ふいに、遼太郎の脳裏に記憶が蘇る。
 あれは目撃情報の調書に目を通していた時の事だ。

(そうだ、足立のやつが言っていたな。“電源を入れていないテレビ画面に番組が映る”と……)

 今にして思えば、それはマヨナカテレビの事ではなかったのか?
 そう思い至った遼太郎の思考が急速に回転する。
 初動調査で人員を割いて聞き込みを行ったが、目撃情報は出なかった。
 山野真由美が宿泊していた部屋も荒らされた様子もなく、また連れ去られた様子もなかった。
 犯行手口が“テレビの中に落とす”事から考えて、犯行は天城屋旅館内部で行われた可能性が高い。
 にも関わらず、不審者の姿を誰も見ていないという。

(姿を見ても、不審者だと思われなかった……?)

 その考えが過ぎった瞬間、遼太郎の脳裏に一つの仮説が浮かび上がった。

(馬鹿な……そんな事があるはずはない。だが、まずは疑って掛かる事が事件捜査の鉄則だ)

 その仮説が正しければ、鏡に届けられた脅迫状も説明がつく。
 鏡に脅迫状を届けたという事は、鏡達の行動を継続的に把握できている証拠だ。
 山野真由美と接点があり、鏡達の行動を把握でき、誰からも見咎められる事なく脅迫状を直接、郵便受けに投函する事が出来る人物。
 その条件を全て満たせる人物に付いて、遼太郎には心当たりが一人しか居ない。

(まさか、お前が真犯人だというのか……足立!?)

 遼太郎は、自身が立てた仮説が間違いであって欲しいと切実に願う。
 しかし、遼太郎の刑事のカンが自身の仮説が間違いでないと伝えている。
 信じたくはないが、確かめなければならない。
 遼太郎は苦い思いを飲み込みながら、自身の立てた仮説を確かめる事を決意する。




――次回予告――


 体調が回復し、少女が退院する日が訪れる
 少女の回復を喜ぶ仲間達

 その直後に明らかにされる事実

――信じられない

 それが、皆の偽らざる気持ちだった


 次回、PERSONA4 PORTABLE~If the world~

     真犯人

――それは辛い、現実――




2013年01月19日 初投稿
2014年06月27日 誤字修正



[26454] 真犯人
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2014/06/27 00:52
――――全てがつまらないと思った

        何もない田舎町での、変化のない退屈な日常

 そんな中で見付けた、退屈な日常を打ち壊せるかも知れない特別なモノ

   何かが変わるかも知れないと、その時は本当に信じていたのだ




 鏡の退院を翌日に控え、有休を取った遼太郎は、提出する書類をまとめていた。
 生田目が逮捕された事による騒動は収まりつつあり、ようやく護送の目処も立った事で取れた有休だ。
 それでも性分なのか、万が一の事を考えて遼太郎は多めの書類の処理を行っている。

「堂島さん、鏡ちゃんの退院って明日ですよね? そろそろ切り上げても良いんじゃないですか?」

 今日のノルマを済ませた足立が、帰り支度をしながら遼太郎に話し掛ける。

「あぁ、後これだけを済ませたら俺も上がるつもりだ。足立の方はもう上がりか?」

 遼太郎の言葉に足立は、明日は生田目の護送があるので今日は早めに休むつもりだと答える。

「すまんな。本来なら俺も護送を手伝うべきなんだが……」

「気にしないで下さいよ。明日は鏡ちゃんの退院なんですから、そっちを優先して下さいよ」

「あぁ、その言葉に甘えさせて貰うよ」

「それじゃ、堂島さん。お先に」

 そう言って署を後にしようとする足立を遼太郎が呼び止める。

「……なぁ、足立。お前、最近なにか悩み事を抱えていないか?」

 突然の質問に足立が呆気に取られた様子を見せるが、それもほんの僅かな間だった。

「嫌だなぁ、堂島さん。突然どうしたんですか? 悩み事なんてありませんよ」

「そうか? 最近のお前の様子を見ていると、どこか心ここに在らずって感じだったんだがな」

「……まぁ、悩み事というか、気掛かりはありますよ。今回の生田目の件が、ちゃんと立証できるのか、とか」

 遼太郎の指摘に足立は表情を改めると、そう答えて生田目の犯行が立証可能であるかどうかの不安要素を挙げる。
 生田目の取り調べはまだ行われていないため、足立の心配ももっともな事だ。

「悪いな、呼び止めたりして」

「いいですよ、気にしてませんから。それじゃ改めて、お先に」

 そう言って署を後にする足立を見送った遼太郎は、残りの書類を片付ける作業に戻る。




 署から出た足立は携帯電話を取り出すと、今の時刻を確認する。

「……この時間だと、今から行けばジュネスのタイムセールには間に合いそうだな」

 そう呟くと、足立は少し急いでジュネスへと向かう。
 ジュネスへ到着すると、丁度タイムセールが始まったばかりで商品が多く残っていた。

「あれ、足立さんじゃないですか。仕事帰りですか?」

 商品に割引シールを貼っていた陽介が、足立に気付き声を掛ける。
 その近くの総菜コーナーでは、クマが年配の女性客に今日のお薦めを聞かれており、にこやかに対応している。

「あぁ、陽介君か。そうだよ。ところで、今日のお薦めの弁当は何かな?」

 訊ねる足立に陽介は、ビフテキ弁当と稲羽マスの焼き魚弁当の二つを挙げると、足立は少し考える素振りを見せてから、ビフテキ弁当を手に取る。

「お、そっちを選びますか。それじゃ、いつもご贔屓にしてくれている足立さんへサービスです」

 そう言って、陽介はポケットから半額シールを取り出すと、足立が手にするビフテキ弁当に貼り付ける。

「良いのかい、陽介君? これ、まだ半額になる商品じゃないでしょ」

「良いんですよ。明日、姉御が退院する前祝いも兼ねてって事で、ここは一つ」

 陽介の言葉に足立は表情を綻ばせると、『そう言うことなら、遠慮なく』と言って、買い物カゴの中へと弁当を入れる。
 浮いた分の費用で、足立は缶ビールと総菜コーナーで野菜サラダを買い物カゴに入れると、陽介に挨拶をしてからレジへと向かう。
 以前は総菜弁当と缶ビール、酒のつまみ位しか購入しなかったのだが、鏡に注意されてから時々は野菜も摂るようになっていた。
 我ながら『らしくない』とは思うのだが、不思議と嫌な気がしないのは、彼女達の影響なのかも知れない。

(……本当にらしくない。彼女達は俺なんかとはまるで違うのに)

 足立は自身の滑稽さを自嘲すると、自分と未来に希望を持つ彼女達は違うのだと、改めて自覚する。
 ちょっとした失敗で辺鄙な田舎町に飛ばされた自分と、皆の中心で輝いている彼女。
 あまりにも違う境遇に、世界は不条理なのだと痛感する。
 そんな事を思った足立は、暗雲たる気分のまま帰宅する。


 何もない、殺風景な自宅に帰り着いた足立は電子レンジでビフテキ弁当を温めると、野菜サラダに付属のドレッシングをかけて遅い晩ご飯を摂ることにする。
 買い置きしてあった酒のつまみも取り出すと、缶ビールのプルタブを開けて一気に半分ほどを飲み干す。
 独りきりの食事。以前は気にもならなかった事なのに、最近では妙に虚しさを感じるようになった。
 遼太郎に連れられ、堂島家に初めてお邪魔した春先。
 あの日食べたカレーは、今まで食べたカレーの中で一番美味しかった。


 両親の都合で、独り親戚の家にやって来た少女。
 慣れない環境に浮いているのではないかと思ったが、思惑に反して実の家族のように、あの場に溶け込んでいた。
 遼太郎の一人娘である菜々子とのやりとりは、実の姉妹と言ってもいいほど自然で違和感がなく楽しそうだった。
 自分には縁の無かったその光景に、当時の足立は理由が解らない複雑な気分になった。
 その後もクラスメイト達に囲まれ、中心的な存在となっていた鏡の存在が意識の片隅から離れなかった。

(俺には無いモノを持つあの子と一体、何が違ったんだろうな……)

 そんな埒も無い事を考えながら、足立は独りの食事を続ける。




――翌日

 あいにくの雨模様の中、遼太郎達と病院で合流する約束していた陽介達が急ぎ足で病院へと向かう。

「折角の姉御が退院だってのに、天気もちょっとは気を利かせろってんだ」

「花村、気持ちは解らんでもないけど、愚痴ってもしょうがないでしょ」

 ぼやく陽介を千枝が宥めていると、雪子が『あれ、堂島さんと菜々子ちゃんじゃない?』と、病院前を指差す。
 雪子の言うとおり、病院前に立っているのは先に到着していた遼太郎と菜々子で、陽介達に気付いたのか、菜々子が嬉しそうに手を振っている。

「すんません、遅れました!」

「いや、雨でバスが遅れたんだろう? 約束の時間には充分に間に合っているから、気にする事はない」

 謝る陽介に遼太郎はそう答えると、鏡の病室に向かおうと皆に声を掛ける。
 遼太郎に促され、鏡を迎えに病室へと移動する事にする。

「お前達は先に鏡の病室へと向かってくれ。俺は受付で退院の手続きを済ませてくる」

「堂島さん、ちょっと話があるんですが、後で良いですか?」

 遼太郎の言葉に、陽介が直斗と雪子に目線で合図を送ると、遼太郎にそう話し掛ける。
 その様子にただならぬモノを感じた遼太郎が頷くと、千枝とクマが先に鏡の所に行こうと菜々子に声を掛ける。
 二人の言葉に頷いた菜々子の手を取り、千枝達が鏡の病室へと向かうのを見送ると、遼太郎は陽介達に視線を向ける。

「どうした、何か気になる事でもあったのか?」

「実は俺達、山野アナの件について色々と考えていたんですが、堂島さんに確認しないと判断が出来ない状況になって……」

 遼太郎の質問に陽介はそう答えると、山野真由美の事件についての不審な点を挙げていく。
 事件当初、警察は初動の聞き込みに異例の人員を動員したにも関わらず、不審者の目撃証言が出なかった。
 山野真由美には熱狂的なファンが居たのに、だ。

「事件の本質とその事を踏まえると、山野アナは天城屋旅館内で犯行に遭ったとみて間違いないでしょう」

 陽介の説明を直斗が引き継ぐ。
 運送業者としてテレビを持ち運んでいた生田目と違い、事件当時は雨が降り続いており、天城屋旅館から外出したとは考えにくい。
 その上、天城屋旅館のロビーには、人が通れるほどの大画面テレビが設置されており、直斗の推論を裏付けている。

「そして、ここからが本題なんですが……事件当日、身辺警護と言って稲羽署から人手が来てるんです」

 言い辛そうに話す直斗の様子に、遼太郎は三人が何を聞きたいのかを理解した。

「お前達の様子からして、身辺警護に来たのは……足立か?」

 遼太郎の確認に、雪子が山野真由美が宿泊中、マスコミが天城屋旅館にまで押しかけてきたらしい。
 その時、足立が身辺警護にやって来てマスコミを追い返したそうだ。

「……はい、その事が確認したいのです。稲羽署は、本当に山野アナの身辺警護に足立刑事を派遣したのですか?」

 遼太郎の事を気遣っているのだろう。
 雪子の説明を継いで気まずそうに話す直斗の言葉を聞き、遼太郎は自身の仮説が間違ってなかった事に苦い思いを噛み締める。

「確かに、警察関係者ならば不審者だとは思われないだろうし、鏡宛の脅迫状も、気付かれずに投函できるだろう」

「生田目氏の時と同じく、目撃されても不審者だとは思われないですし、警察関係者なら、不利な証拠を揉み消す事も出来ます」

 直斗の説明に遼太郎が頷く。
 遼太郎自身、間違いであって欲しいと思った仮説だが、直斗達の話から間違いではないと痛感する。
 通常の事件と違い、この事件は相手をテレビの中に落としさえすれば、助け出されない限り完全犯罪が成立してしまうのだ。

「確かに、犯人は向こう側へ落とせば、直接手を下す必要がないからな。しかも、死亡推定時刻は当てにはならない」

 山野真由美の死亡原因は未だに判明しておらず、死亡推定時刻もあやふやで、鑑識の面々が揃って頭を抱えたほどだ。

「それに、思い返してみれば、俺達に内部情報をわざと漏らしていた節もあったし」

 そう言って陽介は、普段のヘタレな姿から、うっかりミスで口を滑らせていただけだと、思っていた事を話す。
 そんな陽介に遼太郎は、ああ見えて本庁ではエリートだった事を伝えると、陽介だけでなく雪子や直斗も驚いた表情を見せる。

「堂島さんの話が本当なら、僕達はまんまと足立さんの手の上で踊らされた事になりますね」

 僅かに悔しさの滲み出た表情で直斗がそう話すと、陽介が『借りは後で返せばいい』と宥める。

「その事はひとまず置いておいて、山野真由美の身辺警護の指示は出てなかったはずだ」

 当時の事を思いだし、遼太郎が三人に話す。 
 身内の、それも自分の相棒だった足立が真犯人である可能性が高くなった事に、遼太郎が苦悩の表情を浮かべる。

「堂島さん、心情的に辛いと思いますが、足立さんは今どちらに?」

「足立なら、生田目の護送の為、こっちにもう来ているはずだ」

 遼太郎の言葉に直斗達は互いの顔を見合わせると、足立に確認するため、同行して貰えないか願い出る。
 直斗達だけに任せる訳にもいかないし、何より自分自身が確認する必要があると考えていた遼太郎は、その申し出を受ける事にする。
 取り敢えずは鏡の退院手続きを先に済ませる必要があるため、遼太郎は受付で手続きを済ませる事にする。
 幸い、他の利用者がいなかった事もあり、手続きはものの数分で終える事が出来た。
 手続きを済ませた遼太郎達は、足立に会いに行く前に鏡達と合流するべく鏡の病室へと向かう。




 鏡の病室へと到着すると、意外な事に中から足立の声が聞こえてきた。

『あれ、堂島さんは一緒じゃなかったの?』

『堂島さんなら、先輩の退院手続きをしてから来るって言ってましたよ』

 足立とりせのやりとりを聞きながら遼太郎達が鏡の病室に入ると、その事に気付いた足立が遼太郎に声を掛けてくる。

「おっ、噂をすれば。堂島さん、生田目の護送が終了しましたんで、その事を伝えに来ました」

「そうか、お疲れさん。菜々子、スマンがお父さん達はちょっと用事があるから、先にロビーへと行っててくれないか?」

 足立の報告を聞いた遼太郎がそう言うと、菜々子が不思議そうな表情を浮かべる。

「お父さん達もすぐにくる?」

「あぁ、すぐに行くからジュースでも飲んで待っててくれ」

「クマ、お前は菜々子ちゃんと一緒に付いていてやってくれ。それと、これはジュース代な。二人で好きなのを選ぶと良い」

「解ったクマ。ナナチャン、クマと一緒に行こうクマ」

 心配そうに訊ねる菜々子の手を取り、陽介からジュース代を受け取ったクマがロビーへと移動する。
 二人を見送り、遼太郎達が改めて足立の方へと向き直る。

「……? 堂島さん、どうかしたんですか?」

 先ほどまでとは違う遼太郎の雰囲気に、足立が怪訝そうな様子で訊ねる。
 遼太郎だけでなく菜々子と先に来ていた千枝達も、足立が病室に来てから様子が変わった事もあり、鏡も何かあったのかと疑問に思う。

「……実はな、足立。春先の山野真由美の事件について、少し気掛かりな点が出てきたんだ」

 遼太郎の言葉に、鏡と足立の表情が変わる。

「足立、お前……事件当日、天城屋旅館へ山野真由美の身辺警護に行ったらしいな。その時、何か変わった事は無かったのか?」

 探るような視線を向けて話し掛けてくる遼太郎に、足立が引きつった笑みを浮かべる。

「えっと……どうでしたっけ。不倫報道された事で、少々過敏になってたと思いますが、特に変わった様子は無かったかと……」

「なるほどな……ところで、どうしてその事を報告しなかった? 署から身辺警護の指示は出てなかった筈だよな」

 遼太郎の追及に、足立の顔に冷や汗が流れる。

「指示は出てませんでしたけど、報道でテレビ局が押しかけるんじゃないかと思って、独断で行動しました。報告しなかったのは、特に気になる点がなかったので、失念していました。すみません……」

 しどろもどろになりながらも足立がそう答えると、遼太郎はさらに足立を追及していく。

「山野真由美の死体が上がった日、署に生田目が通報の電話をかけてきた筈なんだが……お前、確か『変な番組に、殺された山野アナが出てた』って言ったよな。アレは生田目からの通報じゃ無かったのか?」

 その言葉に、足立の表情が徐々に強ばっていく。
 事情を知らない鏡も、遼太郎の言葉に現状を把握するだけで精一杯なのか、黙って様子を見ている。

「それと、久保が自首してきた時に対応したのはお前だったよな。本当に久保をすぐに帰したのか?」

「久保が……自首していた、だって……!?」

 続けて告げられた遼太郎の言葉に、その事を知らなかった陽介達も驚いた表情を見せる。

「い……いやだなぁ、堂島さん。まるで、僕が犯人みたいな言い方じゃないですか」

 引きつった笑みを浮かべ、冷や汗を流しながら答える足立に、遼太郎は『俺も違うと信じたいのだがな』と、状況証拠が足立が真犯人である事を示していると辛そうに説明する。

「足立、頼むから本当の事を話してくれ。そして、もしお前が真犯人だとしたら、潔く自首してくれ」

 辛そうに話す遼太郎からの視線に耐えきれず、足立が視線を泳がせると、いつの間にか病室の入り口前に完二と千枝が位置取っており、足立が逃亡できないように行動していた。

「……そ、そんな事ありませんよ。僕が、犯人だなんて……そんな」

 しどろもどろに答える足立の視線は落ち着き無く彷徨っており、顔色も悪くなってきている。

「そうか、そう言うのなら足立、そこにあるテレビの画面を触ってくれないか?」

 遼太郎がそう言って、病室に備え付けられるテレビを指差す。
 その言葉に足立はゴクリと生唾を飲み込むと、明らかに先ほどまでとは違って緊張した様子を見せており、顔色も蒼白といった方が良いほど青ざめてきている。

「なんで、テレビ画面を……?」

「信じられん事だが、真犯人ならテレビの中に入る事が出来るんだ。お前が真犯人でなかったら、そんな事は出来い筈だ」

 足立の質問に苦渋の表情を浮かべるも、刑事としての責任感から追及の手を休めず真実を明らかにする為に足立へと迫る。

「……くっ!」

 遼太郎から視線を背けた足立は、表情を苦渋に歪めるとテレビ画面に手を近づけて画面へと触れる。
 足立が触れた場所に波紋が広がると、そのまま足立の腕がテレビ画面へと飲み込まれていく。

「足立!? お前、やっぱり!!」

 驚く遼太郎が硬直した隙を見逃さず、足立はそのままテレビ画面に腕を突き入れると、テレビの中へと逃亡しようとする。
 その事に気付いた陽介と直斗が阻止しようとするも、寸前で取り逃がしてしまう。

「…………足立さん……」

 信じられない光景に、鏡は唖然と呟く。
 事情を知らない鏡以外は予想していたとは言え、足立が真犯人であった事実に驚いている。

「……足立……どうしてだ……どうして?」

 そう呟いて、遼太郎は足立が消えたテレビ画面に触れる。
 足立が真犯人であったという事実に、一番のショックを受けたのは相棒であった遼太郎だろう。
 様子がおかしい事に気づいていたにもかかわらず、何も出来なかった自分の不甲斐なさに怒りすら覚える。
 しかし、今は感情に身を任せる時ではなく、真犯人である足立を止める時なのだ。
 遼太郎は自分の気持ちを落ち着けると、鏡へと向き直る。

「鏡……病み上がりのお前に頼むのは酷な事だと理解している。けれど、頼む、足立を……止めてくれ」

 本当は自分自身で足立を止めたいのだろう。
 能力を失ってしまった事を歯痒く思いながらも、遼太郎は鏡に足立の事を頼むと頭を下げる。

「頭を上げてください、叔父さん。私達が足立さんを連れて帰りますから……」

 鏡自身も驚きから抜け出せてはいないが、遼太郎の思いに応えるためにそう約束する。


 病室からロビーへと移動すると、菜々子と一緒に待っていたクマが鏡達に気付いて手を振ってくる。

「お姉ちゃん!」

 クマに遅れて鏡に気付いた菜々子がそう言って、鏡の元へと駆けてくる。

「お姉ちゃん、用事はもう終わったの?」

「ごめんね、菜々子ちゃん。お姉ちゃん達、これから足立さんを助けに行かなくちゃいけないの」

 申し訳なさそうに話す鏡の様子から、向こう側での事を思い出したのだろう。
 不安げに鏡を見上げると、菜々子は鏡の袖をぎゅっと掴む。

「お姉ちゃん、ちゃんと帰ってきてくれるよね?」

「うん、約束する。菜々子ちゃんを心配にさせて、ごめんね」

 謝る鏡に菜々子は首を振ると、無事に足立を助けて帰ってくるのを待ってると返す。
 なんでも、鏡が意識不明の時に落ち込んでいた菜々子を励ましてくれたのだそうだ。
 遼太郎もその話は初耳だったのか、驚いた表情を見せる。

「それじゃ、叔父さん。すみませんが私の荷物をお願いします」

「あぁ、解った。荷物を置いてきたら、菜々子とジュネスで待っている。無理はするなよ?」

 鏡から荷物を受け取りそう答えると、遼太郎は菜々子を連れて病院を後にする。
 それを見送った鏡は表情を改めると、陽介達へと向き直る。

「それじゃ、みんな。行こうか」

 鏡の言葉に皆が頷く。

    我は汝……、汝は我……

   汝、ついに真実の絆を得たり


    真実の絆……それは即ち

       真実の目なり

    今こそ、汝には見ゆるべし

  “愚者”の究極の力、“ロキ”の

    我が、内に目覚めんことを……

 鏡の脳裏にいつもの声が響く。
 その直後、新たな力が鏡の中に芽生える。

     我は汝……、汝は我……

   汝、新たなる絆を見出したり……


   絆は即ち、まことを知る一歩なり


 汝、“審判”のペルソナを生み出せし時

  我ら、更なる力の祝福を与えん……

 病み上がりで、未だ本調子ではない鏡の身体に力が満ちていく。

「姉御、今までみたいに姉御一人に負担は掛けないから、もっと俺達を頼ってくれ」

「そうだよ、鏡はまだ病み上がりなんだから、あたし達に任せてよ!」

 陽介と千枝がそう言うと、雪子と完二も自分達にも頼ってくれと声を上げる。

「……みんな、ありがとう」

「お姉ちゃん、私もこれまで以上に皆をバックアップするからね!」

「そうです。この間のような事には絶対にさせませんから」

「センセイ! クマも頑張るクマよっ!!」

 皆の言葉に鏡は『頼りにしているから』と、自身も以前のような無茶はしない事を誓う。
 気持ちを新たに、鏡達はジュネスへと向かう。

「……えっ……何、これ?」

 病院から外へと出ると、さっきまで降っていた雨は止んでおり、かわりに濃い霧が辺りを包んでいた。
 それはまるで、“向こう側”の霧のように視界が悪く伸ばした手の先がぼやけるほどだ。

「まるで、向こう側の霧みたい……」

 雪子の言葉に、完二が懐から眼鏡を取り出して掛けてみる。

「っ!? ちょっ、先輩達! 眼鏡、眼鏡!!」

 慌てる完二の言葉に鏡達は不思議そうな表情をしつつも、言われたとおりに眼鏡を取り出して掛けてみる。

「そんな!?」

 眼鏡を掛けた途端、辺りの景色がハッキリと見えるようになり、その事実に皆が驚く。
 皆の持つ眼鏡は本来、向こう側の霧を見通すための物で現実世界の霧を見通す事は出来ないはずだ。

「……あっちの霧が、こっちに漏れてるのかな?」

 何気ない千枝の一言に、皆が驚きの表情を浮かべると、一斉に千枝の方を向く。
 皆の反応に驚いた千枝は、ただの思いつきで言っただけだからと、焦った様子を見せる。

「テレビの中の霧が漏れてる? そんな事が……」

 不可解な現象に、直斗が思案顔になる。

「取り敢えず急ごうぜ。ひょっとしたら、向こう側で何かがあったのかも知んねぇ」

 陽介の提案に皆が頷くと、急いでジュネスへと移動する。




 家電コーナーから向こう側へと移動した鏡達は、今まで以上に視界の悪くなっているテレビの中に驚きを隠せない。
 まるで、こちら側の霧が濃くなり過ぎたために、現実世界へと霧が溢れ出してしまったかのようだ。

『……何、これ? こっちの世界、また広くなってる』

 カンゼオンから送られてくる情報に、りせが唖然とした様子でそう呟く。

『感じる……すごく大きな力がこの世界を広げ、霧を深くしているのを』

「りせちゃん、足立さんの居場所は分かる?」

『もうちょっと待って、お姉ちゃん。霧が深くて、まだハッキリと感じ取る事が出来ないの』

 りせが意識を集中するのに合わせ、カンゼオンを中心に光の波紋が広がっていく。

『……ッ!? 見付けた!』

 索敵を開始して暫く後、ようやく足立の居場所を見付けたりせが皆を案内する。
 りせに案内されてやって来て場所は、鏡と陽介に見覚えのある場所だった。

「なぁ、姉御。この場所って……」

「山野アナの声が聞こえた場所だね」

「二人とも、この場所を知ってんの?」

 二人のやりとりを聞いた千枝がそう訊ねると、鏡が当時の事を説明する。

「そういやココで、姉御に俺のシャドウをぶっ飛ばされたんだよな……」

 当時の事を思い出して、陽介が感慨深げに呟く。

「え? 花村の先輩のシャドウを、姐さんがぶっ飛ばしたんスか?」

「以前、里中には話したと思うけど、俺が自分のシャドウを否定する前に、姉御がペルソナを使って問答無用でぶっ飛ばしたんだよ」

 そう言って、陽介が当時の事を呆れた様子で説明すると、完二が何ともいえない表情で『マジスか……?』と呟く。
 完二も似たような状況で自身のシャドウをペルソナに変えたが、改めて鏡に対して畏敬の念を抱く。

「当時の話はその位にして、足立さんの所に行きましょう」

「っと、そうだったな。悪ぃ、姉御」

 鏡の指摘に陽介は謝ると、足立が居るであろう薄気味の悪い部屋へと移動する。
 前もって鏡から説明を受けていたとは言え、壁中に貼られた顔を切り裂かれたポスターや、部屋の梁に掛けられたロープの先に結わえられたスカーフの輪とその下に置かれたイスに、鏡と陽介以外の面々の気が滅入ってくる。

『こんな所まで追ってきたんだ……君達、よっぽど暇なんだねぇ……』

 そんな部屋の窓際に立つ足立が、やって来た鏡達を一瞥して呆れたように呟く。
 普段の情けない姿とは違い、今の足立は全てが煩わしいといった様子で、ひどく虚ろに見える。

「本当に足立さんが真犯人なんですか?」

『今更そんな事を聞いてどうするんだい、鏡ちゃん。僕がここに居る時点で、答えはもう解っているでしょ?』

 鏡の問い掛けに足立が億劫そうに答える。
 その態度が勘に障ったのか、完二が足立に殴りかかろうと一歩踏み出した直後、りせが目の前にいる足立は偽物で、本当の足立は別の場所にいる事を告げる。

『へぇ、そんな事まで解っちゃうんだ。スゴイ、スゴイ』

 あからさまに鏡達を挑発するように、緩慢な拍手をしながら足立がりせを褒める。

『けど、残念だったね。僕を捕まえたところで、こっちの世界が現実になって、人は皆シャドウへと生まれ変わるんだ』

「何、ワケの解らない事を言ってやがる!!」

『信じる信じないは君達の自由だけど、無駄な努力には変わりないよ。それでも、僕を捕まえるつもりかい?』

 激昂する陽介へ哀れみの視線を向けた足立がそう告げると、鏡は『そのつもりです』と答える。
 その答えに足立は溜息を吐くと、鏡達に『それじゃ、ゲームをしよう』と提案する。


 この先に居る足立の元まで辿り着き、足立を捕まえる事が出来れば鏡達の勝ち。
 足立を捕まえる事が出来ず、こっちの世界に現実世界が飲み込まれたら自分の勝ち。
 そう告げた足立が鏡達の目の前で窓の方へと向き直ると、空間が歪んで真っ暗な孔が出来上がる。

『それじゃ、僕は向こうで待ってるからね』

 鏡達に背を向けた足立はそう言い残すと、孔の中へと移動する。

「ちょっ、待てコラ!!」

 足立の姿が見えなくなった事で我に返った千枝が、後を追い掛けて孔の中へと飛び込む。

「千枝!」

 独りで先へと進んだ千枝を追い掛けて、鏡達も孔の中へと飛び込む。
 事件を解決する、その為に。




――次回予告――


 真犯人を追って飛び込んだ先
 そこは荒廃した稲羽市だった

 これまでと違い、統率されたシャドウ達

――真犯人の裏に潜む、見えない存在

 互いの意地がぶつかり合った先にある答え


 次回、PERSONA4 PORTABLE~If the world~、

     禍津稲羽市

――その先にある真実――




2013年07月23日 初投稿
2014年06月27日 誤字修正



[26454] 禍津稲羽市
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2014/07/28 16:12
――――どこで間違えたのだろうか?

   今となっては考えても仕方が無い事を思う

     何もかもがどうでもよく、後はただ

     いかに幕を引くのかを考える……




「頑張ったって、無駄なんだよ」

 落胆した様子で呟いた足立が当たりを見渡す。
 足立の周囲には、鏡を含む自称特別捜査隊の面々が地に膝をつけており、疲労困憊といった様相を呈している。

「つ、強ぇ……」

 仲間達の中で一番の体力を誇る完二が、額に浮いた汗を拭うことも出来ずに呟く。
 眼前に立つ足立は自分達が知っている頼り無げな青年ではなく、僅かな油断すら出来ない強敵だった。
 普段の足立の姿から、すぐにでも決着がつくだろうと考えていたが、その考えは甘かったとしか言えない。
 こちらの攻撃を巧みに躱し、的確に反撃を加えてくる。
 
「良いのかい? ぐずぐずしていると、向こうの世界がこの世界に飲み込まれちゃうよ」

 足立の言葉に、鏡達の表情が強ばる。

『お姉ちゃん、そいつの言うとおり、こっちの世界が膨張しているよっ!!』

 カンゼオンの索敵範囲を広げたりせが、その結果を鏡に伝える。
 勢いを増しながら足立の言葉通りに、こちら側の世界が膨張していく。
 このまま足立を止めることが出来なければ、そう遠くない内に現実の世界が飲み込まれてしまうだろう。
 残された時間が少ないことを知った鏡達は気持ちを切り替えると、一刻も早く足立を止めるべく攻撃を再開する。

「……そう、それで良い。人々が皆、シャドウになる事を止めたければ、俺を倒してみせるんだな!」

 ユラリと上体を揺らした足立はそう叫ぶと、不敵な笑みを浮かべて鏡達へと肉迫する。


――時間は遡る


 足立を追って飛び込んだ孔の先に広がった光景は、千枝を驚かせるには十分なものであった。
 遅れてやって来た鏡達もまた、その光景に絶句する。

「ここって……商店街!?」

 鏡達の前に広がる光景は、確かに見知った稲羽中央通り商店街のそれだった。
 しかし、それは見知ったそれとは違い、廃墟と化しており、荒廃した姿を晒していた。

「なんで、こんな……」

 建物はことごとく倒壊しており、道路には様々な破片が転がっている。
 いたる場所に【KEEP OUT】と書かれた黄色いテープが張り巡らせており、異様な雰囲気を漂わせている。

『まさか、本当に追ってくるとは思わなかったよ。君ら、他にやる事ないの?』

 どこからともなく聞こえてくる足立の声には、鏡達への嘲笑が含まれていた。
 これまでの気弱な態度から一変して、高圧的な声音で鏡達を嘲る。

『君ら、学生でしょ? こんな事より、勉強した方がいいんじゃない?』

 一見、鏡達の事を気に掛けているような言い回しだが、その実は鏡達を嘲笑う足立の態度に、りせと完二が憤りを顕わにする。

「……ったく、足立のヤツにだけは言われたくない台詞だよな」

「僕達の怒りを誘って、判断力を鈍らせる作戦かも知れません。相手の挑発に乗らず、冷静に行動しましょう」

 陽介の呟きに、直斗がそう答える。
 このまま留まっている訳にもいかないので、鏡達は足立を見付けるべく先へと進むことにする。

「そういや、姉御は病み上がりだから、足立を見付け出すまでは戦闘は俺達に任せて、姉御は体力を温存させていてくれ」

 探索を開始しようとした矢先に、陽介が鏡にそう声を掛ける。

「そうそう、あたしらも強くなったんだから、これまでのように鏡にばっか負担を掛けないからね!」

「そうッスよ、俺らが足立の野郎の所まで、姐さんを無事に連れて行くッスよ!!」

 陽介の言葉を継いで、千枝と完二が鏡に自信に満ちた表情で話し掛ける。
 心強い皆の言葉に、自身が本調子でない事を理解している鏡はお礼を述べると、自身も無理をしないように気をつけるからと言葉を返す。




 自信を持って鏡に宣言したとおり、陽介達の実力はかなりの水準に達していた。

『花村先輩、ソイツは風属性が弱点だよ! やっちゃえ!!』

「任せろ! 吼えろ、スサノオ!」

 りせのアナライズ結果を聞いた陽介が、疾風系範囲上位スキル【マハガルダイン】で群れた蝶の姿をしたシャドウ達を攻撃する。
 弱点属性である【マハガルダイン】の攻撃を受けたシャドウ達は、あっけなく消滅すると、陽介は自身が強くなった事を実感し、小さくガッツポーズを取る。
 その後の戦闘でも千枝や雪子が同時攻撃でシャドウ達を追撃したり、完二がシャドウ達の攻撃をいなしつつ攻撃する背後から直斗が挟撃を仕掛ける。

「皆、いつの間にペルソナが新しい姿に変わったの?」

 新しい姿に生まれ変わったそれぞれのペルソナを見た鏡が、驚いた表情で皆に訊ねる。
 そんな鏡に、これまでずっと鏡にばかり負担を掛けていた事を痛感した事や、この間のような事を二度と起こさないように自分達も強くなろうと誓い合った事を説明する。

「……そんな危険な場所で修行するなんて、皆も無茶のし過ぎよ」

「確かに無茶をした自覚はあるけどさ、そうでもしないと姉御がまた無茶をする事になるだろ? 姉御にはもう、そんな無茶をさせたくはないんだよ」

「そうクマよ。センセイが今度また同じような無茶をして、無事に戻ってこれるという保証はどこにもないクマよ」

 心配そうに話す鏡に、陽介とクマが皆の想いを伝える。
 鏡が皆の事を大切に想ってくれるように、皆もまた鏡の事を大切に想っているのだと。

『もう、お姉ちゃんにだけ負担を掛ける事はしないから、もっと私達を頼ってね』

 りせの言葉に鏡はお礼を述べると、改めて足立を止めてなおかつ皆が無事に戻れるように頑張ろうと声を掛ける。
 鏡の言葉に皆は力強く同意の返事を返すと、足立を見付けるべく探索へと復帰する。


 その後の探索も順調に進み、先へと続く階段を発見した。
 深層モナドでの戦闘を経験した陽介達にしてみれば、この場所に現れるシャドウ達は脅威と呼べるほどの相手ではなく、油断をしなければ余裕で対処が出来る範囲だ。
 しかし、本当の脅威はシャドウ達ではない事を、次の階層に進んだときに知る事となる。

『……あれ? ここ、どこ?』

 りせが戸惑った様子の声を上げ、鏡達に『ちょっと待って』と言ってから索敵に意識を集中する。

『マズイ! お姉ちゃん、ここ出口が見当たらない!』

 伝えられた内容に鏡達は驚く。

『ほらぁ! だから言ったでしょ? 学生は帰って勉強しなさいって。何で言う事を聞かないかな……それじゃ、ロクな大人にならないよ?』

 小馬鹿にした口調で足立が声を掛けてくる。
 こちらの状況を正確に把握しているようで、余裕ぶった様子だ。

「慌てないで。ゲームと言った手前、本当に出口が無いはずはないから、まずはこの階層を探索しましょう」

 動揺するりせに鏡はそう声を掛けると、足立の思惑に付いて考えてみる。

(待っていると言いながら、出口のない階層を用意する。立ち入り禁止を示す【KEEP OUT】のテープは、足立さんが刑事だからではなくて、本当は……)

 この世界が足立の心象風景を反映しているのならば、本当は鏡達に来て欲しく無いのかも知れない。
 その可能性を考えると、挑発的な足立の言動は強気に出る事で、自身の不安を抑えようとしているとも考えられる。

(思い返してみると、足立さんは自身の事を話したがらなかったわね)

 口が軽く、警察内部の情報を漏らす事が多かった足立は、自身については口を滑らせる事は無かった。
 実際の所は故意に情報を漏らしていた可能性の方が高いのだが、それでも足立本人に関する事柄を当人から聞いた覚えがない。
 自分達は足立の表面だけを見て、その人となりを知ったつもりになっていた事に気付く。
 足立に対する人物評価を改めなければならない事を痛感しつつも、この階層から脱出する手段を見付けるべく探索を再開する。
 シャドウ達を退け、移動できる場所をくまなく回った結果、強い力で閉ざされた場所を発見することができた。
 しかし、ここでも挑発的な足立の声が響き、自身はこの先に居る事を鏡達に伝えるも、素直に通すはずがないと挑発的な言葉を投げ付ける。

「くっそ、足立のヤロウ、どこまで人をコケにすれば気が済むんだ!」

 気の長くない完二が苛立ちを顕わに悪態を付くが、そうやってこちらの苛立ちを募らせる事こそが足立の目的かも知れないと、直斗に再び諭される。

「けどよ、何かおかしくないか? この場所、足立の思惑通りに作用しているようにしか思えないんだが」

「それは僕も気になっていました。これまでは各々の場所を生み出した人物の心を現すだけでしたが、この場所は明らかに彼の思い通りになっている」

 陽介の疑問に直斗も思っていた事を話す。
 まるで、この場所の支配者だと言わんばかりの足立の態度。
 その事を肯定するかのように作用する世界に、統率された動きを見せるシャドウ達。

「疑問に思うのは当然だけど、まずはこの場所から脱出する方法を見付けましょう」

「っと、悪ぃ天城。確かにグダグダ考えてたって仕方がないよな」

『先輩達、この階層の中央にあった大きな穴を調べてもらえないかな? ひょっとしたら、そこから移動できるかも知れない』

 りせの指示の元、鏡達は目的の場所へと移動する。

「……うっわ、これって結構な深さじゃない?」

 大きく開いた穴を覗き込んだ千枝が唖然と呟く。
 穴の底は全く見えず、真っ暗な穴は底なし沼のようにも見える。

『見た目通りじゃないとは思うけど、移動できそうな場所はここしか無いし……』

「……飛び込んでみるしかなさそうね」

 りせの言葉に鏡はそう答えると、覚悟を決めて穴の中へと飛び込むことにする。




 鏡達が穴の中へ飛び込むと、一瞬の浮遊感の後に周りの風景が一変する。
 更に廃墟と化した町並みは赤茶けた色合いで、荒廃とした姿を晒している。

『あそこから脱出できたんだ、すごいすごい! ちょっとは出来るみたいだね。けどさ、君らのそれは純粋な正義感なの? 退屈な日常に刺激が欲しいだけなんじゃないの?』

 聞こえてくる足立の声はそう言うと、鏡達に罪を犯すことで満たされる犯罪者と何が違うのかよく考えてみなよと問いを投げかける。

「……俺達が足立のヤロウと同じだと言いたいのか?」

「全部を否定する事は出来ないけどさ、少なくともあたしらは何の罪もない人を犠牲にして無いよ」

 思い当たる節がある陽介の呟きに、千枝がそうではないとかぶりを振る。
 事件を解決する為の行動に充実感を感じていたのは確かだ。
 けれど、充実感を得る為に行動をしていたのではない。真実を知り、犯人を捕まえる事こそが鏡達の目的なのだ。

『……ここの中心に何かいるよ!』

 階層を探っていたりせからの報告を受け、鏡達は中心を目指して移動を開始する。
 この階層は螺旋形の構造をしており、中心に向かって一本道となっていた。
 中心に向かうほど出現するシャドウの数は増えてくるが、陽介達が手際良く撃退していく。
 ここまでは、当初の予定通りに鏡が戦闘に加わる事なく体力の温存が出来ている。
 陽介達の消耗も、以前に比べればずっと少なく済んでおり、順調に中心地点に到達する。

『この向こうに力の強い何かが居るよ! 先輩達、準備はいい?』

「あぁ、いつでも良いぜ!」

 りせの確認に陽介が力強く答えると、【KEEP OUT】と書かれたテープの先へと移動する。
 陽介達を待ち構えていたのは、紅白に色分けされた巨大な塔のシャドウで、左手には巨大な剣を、右手には天秤を掲げている。
 その姿は、奇しくも遼太郎のペルソナだった“ユースティティア”を思わせるシャドウだ。

『これだ! これを倒せばきっと! 行くよ、先輩達!!』

 りせの声を合図に陽介達が身構えるよりも早く、巨大なシャドウが陽介達に攻撃を仕掛ける。
 対象に混乱効果を与える補助系範囲スキル【テンタラフー】が、クマを混乱状態へ陥らせる。
 すぐさま陽介が鎮静剤を用いてクマの状態異常を回復させると、皆へと指示を出す。

「天城は回復に重点を置いて、隙があれば魔法で攻撃を! 里中はシャドウをぶっ飛ばす事に集中! クマは里中のバックアップだ!」

 陽介の指示に従い千枝は物理系攻撃スキルを強化する補助系スキル【チャージ】で次の攻撃へと備え、クマが味方全員の攻撃力を底上げする補助系スキル【マハタルカジャ】を使用する。

「トランペッター! ランダマイザ!!」

 陽介達の後方で待機していた鏡が、対象の能力全てを弱体化させる補助スキル【ランダマイザ】で陽介達の援護を行う。

「これぐらいの手伝いは良いでしょう、陽介?」

「サンキュー、姉御!」

 鏡からの支援に礼を述べた陽介が、鏡達が狙われないように巨大シャドウの注意を引くべく移動しながら、風系上位スキル【ガルダイン】で攻撃する。
 陽介の思惑通り、巨大シャドウは陽介を攻撃するべく身体の向きを変える。

「喰らえっ! スズカゴンゲン、ゴッドハンド!!」

 千枝は陽介へと注意を向けた巨大シャドウの背後へ移動すると、物理系上位攻撃スキル【ゴッドハンド】で、無防備な背中へと強烈な一撃を叩き込む。
 強力な一撃を受けた巨大シャドウは、体勢を崩すも倒れるまでには至らず、不安定な体勢から巨大な剣を横薙ぎに振るう。
 追撃しようと間合いを詰めていたクマが、運悪く剣の切っ先に引っ掛かり吹き飛ばされたが、すかさず雪子が回復して事なきを得る。

『先輩達、ソイツは魔法攻撃に耐性を持っているみたい!』

「だったら、里中をメインに天城とクマはサポートを頼む! 行くぜ、スサノオ! マハスクカジャ!!」

 りせからのアナライズ結果を聞いた陽介が、雪子とクマに素早く指示を出すと自身は補助系範囲スキル【マハスクカジャ】で皆の回避率を底上げする。
 千枝は再びチャージで攻撃力を底上げすると、先ほどと同じように陽介と連携して大ダメージを狙う。
 雪子は耐性を持ってはいるが、多少なりともダメージを与えるべく【アギダイン】で攻撃を仕掛け、クマは強化が切れるタイミングを見計らって再度【マハタルカジャ】で攻撃力を強化する。
 鏡は【ランダマイザ】の効果が切れた直後に、再び【ランダマイザ】を使用して巨大シャドウを弱体化させ、陽介が再び巨大シャドウの注意を自分へと向けさせるべく物理系攻撃スキル【ブレイブザッパー】で攻撃する。

「これで、トドメだぁ!!」

 陽介の攻撃で大きく体勢を崩した巨大シャドウへと、千枝が渾身の【ゴッドハンド】を叩き込む。
 この攻撃が決め手となり、巨大シャドウはそのまま消滅する。

『へぇ、ソイツをあっさり片付けるなんて、大したもんだね』

 戦闘を終えた直後に、再び足立の声が聞こえてくる。

『けど、その勢いがどこまで続くかな? 例の場所の先で待っているから、早くやって来るんだね』

 そう言い残して、足立の声は聞こえなくなる。

「あのヤロウ、どこまで人をコケにすれば気が済みやがるんだ!」

「そう熱くなるな、完二。あの様子だと例の場所は通れるようになってるっぽいから、今までコケにされて多分、たっぷりと返してやろうぜ」

 陽介の言葉に、完二は指を鳴らしながら『コケにされた分、キッチリと落とし前をつけてやるからな』と、気迫に満ちた表情で呟く。

『それじゃ、急いで足立の元へと行きましょ!』

 りせの声に皆は頷くと、急いで足立の元へと向かう。




 足立の言葉通り、封印されていた場所へと入ることが出来た鏡達は、その先で待ち構えている足立の元へと向かい移動する。

「すごいすごい、よくここまで来られたね」

 眼下に稲羽市を見下ろす形の崖のような場所に足立は立っており、やって来た鏡達を物憂げな拍手で出迎える。

「本当に、君達の正義感には呆れるね。僕を今更捕まえたって、世間の注目が生田目から僕に移るだけ。君達の知りたい“真実”なんて、君達だけが欲しているモノじゃないの?」

「正義感に呆れるって……世の中の色んな道の中から、わざわざ警察選んだ大人でしょ!?」

 足立の言葉に憤慨する千枝を呆れた表情で見つめながら、警察に就職した人間全てが正義の味方ではないと足立は告げる。
 合法で本物の銃が持てる事が、自身の志望動機だと語る足立に、千枝が絶句する。

「こんなつまらない世界、無いほうが良くはない? 誰も真実を見ようともしない、だったら、シャドウになって見たくない現実を見ないで生きていける方が、ずっと楽になるはずだ……」

 足立は言葉を続ける。
 自分にとって何が本当で、何が善か。その事を自分で考えているのが一体、どれだけ居るのか?
 変えようのない嫌な現実に目を向け考えた所で、意味など無いのだと。

「……誰もそんなの、望んでない! あんたが一人で望んでるだけでしょッ!!」

「本当に、そう言いきれるのかい?」

 足立は、これまで見せた事のない冷たい眼差しで反論する千枝を睨み付ける。

「だったら、自身の本音のままに動いていた君らのシャドウはどうなんだい?」

 その言葉に、自身のシャドウと向き合った面々は思い当たる節に気付き表情を強ばらせる。

「……足立さんの言うとおり、真実を求める事は、私達の自己満足かも知れません」

 それまで黙っていた鏡が足立に話し掛ける。
 強い意志を秘めた真っ直ぐな視線が、足立を見据える。

「けれども、私は大切な仲間と約束したんです。“犯人を見つけ出して凶行を止めさせる”って」

「鏡ちゃんさ……君は一度、心肺停止までしたっていうのに、そんな目にあってもまだ、約束を守る事が大切なのかい?」

 鏡の言葉に、足立は僅かばかりの動揺を見せつつも言葉を返す。

「信じてくれた人を裏切りたくないんです。それに、私自身が自分で決めた事を裏切りたくないんです」

 鏡の言葉に足立は以前、体育祭で聞いた言葉を思い出す。

『けれど、充実感とかはあるんじゃないですか? 結局の所は、自己満足なのかも知れませんけれどね』

「なるほどね……だったら、このまま言葉を交わし続けたところで平行線だから、力ずくで僕を止めるんだね」

 背広の内側から拳銃を取りだした足立はそう言いながら、自然体に身構える。

「僕を止める事が出来れば君達の勝ち。僕が勝てば、この世界が現実を飲み込み、全ての人がシャドウになる。実にシンプルな勝負だ。さぁ、最後のゲームを始めようか!」




 足立と戦い始めてから、かなりの時間が経過した。
 当初の思惑と違い、足立は見事な立ち回りで鏡達の攻撃を凌ぎ、自身は的確な反撃を加えていく。

「このヤロウ!」

 自身の攻撃がクリーンヒットしない事に苛立ちを覚えた完二が、手にした武器を大きく振りかぶり、足立を打ち据えようと振り下ろす。

「そんな大振りな攻撃、投げてくださいって言ってるようなもんだよ?」

 自身へと振り下ろされる完二の腕を取った足立は攻撃の勢いを利用して、完二を挟撃しようとした陽介へと投げ付ける。
 両手に武器を装備している陽介は、自身へと投げ付けられた完二を受け止める事も出来ず、回避も間に合わず完二共々に吹き飛ばされる。

「これなら!」

 完二を投げ飛ばした足立の隙をつき、震脚からの蹴りを叩き込もうとした千枝の軸足を、身を低くして攻撃を避けた足立が足払いで転倒させる。

「着眼点は良かったけど、甘い、甘い。シャドウ相手になら有効だろうけど、軸足を払われたら反撃されてお終いだよ」

 そう言って、倒れている千枝の腹部を踵で踏みつけようとした足立を、直斗が牽制射撃で援護する。

「おっと! 流石は直斗君、良い判断だ!」

 弾丸が自身を掠めたにもかかわらず、楽しげな様子で足立は鏡達から距離を取る。

「……君らさ、本気を出さないで僕を倒せると思ってんの?」

「私達が本気じゃないって、どういう……」

「だって、君らペルソナを出してないでしょ。ひょっとして、生身の人間相手に躊躇してるとか? だとしたら、随分と舐めてるとしか言えないなぁ」

 距離を取った足立は、雪子の言葉に失望した様子でかぶりを振る。

「じゃ、こうしたら流石に君らも本気を出さざるを得なくなるよね。来い……マガツ、イザナギ!!」

『……ッ!?』

 自身の頭を抱えて俯いた足立の叫び声に応じて、足立を中心に漆黒の粒子を巻き起こしながら見知った異形が現れる。

『何で……足立のヤツが、お姉ちゃんと同じイザナギを出すのよ……!?』

 足立が召喚したマザツイザナギは、血に塗れた様な色をしている以外、鏡のイザナギと同じ姿をしており、その事実に陽介達が動揺する。
 マガツイザナギから発せられた光が足立を包み込むと、足立は左手を右側から水平に薙ぎ払う。
 その瞬間、動揺した隙をついたマガツイザナギが、逆手に持った矛を縦横無尽に閃かせる。
 空間に走る斬線【空間殺法】が鏡達を切り裂く。

『さっきの光で足立の能力がかなり強化されているよ!? このまま攻撃を受け続けたら、雪子先輩の体力が持たないよ!!』

 動揺するりせの声に、鏡がルシフェルを召喚して全体回復スキル【メシアライザー】で全員のダメージを回復する。

「くっそ、クマと完二は全員の強化を! 里中と直斗は攻撃に集中して、天城は回復優先! 姉御は足立の弱体化を頼む!!」

 完全回復した陽介が全員に指示を出すと、自身も【マハスクカジャ】で全員の敏捷性を強化する。
 陽介の指示に従い、クマが【マハラクカジャ】で防御力を、完二が【マハタルカジャ】で攻撃力をそれぞれ強化する。
 千枝は【チャージ】で力を溜め、直斗は物理系攻撃スキル【五月雨斬り】で足立を牽制する。

「ランダマイザ!」

 強化された足立の能力を、トランペッターのランダマイザが相殺する。
 その瞬間、僅かに口角を上げ笑みを浮かべるも、足立はすぐさま表情を元に戻す。

(今のは、一体!?)

 ほんの僅かの間だったため、鏡以外はその事に気付かなかったようだが、足立の行動に対して、鏡は沸き上がる違和感と共に、足立の真意を考える。

(足立さんの行動……まるで私達に稽古を付けているように見えるけど、そんな事をして足立さんに何の益があるというの?)

 それぞれの行動に対して、欠点を指摘しつつ反撃を繰り返すも、決して致命傷になるような攻撃を仕掛けてこない。
 先ほどの空間殺法は何度も受ければ致命傷になる攻撃だが、こちらが全体回復を使える事を見越した行動にも見える。
 事実、鏡が【メシアライザー】で全員を全回復した事によって、強化した状態の足立の攻撃でも、一撃では致命傷にならない事が証明された。
 もっとも、ムド系の即死魔法を使われても、雪子が蘇生魔法である【サマリカーム】が使えるため、人数で有利である鏡達が足立一人に負ける可能性は無いと言っても良いだろう。


 数の優位もあり、徐々にだが足立は鏡達に押され始めて防戦一方の状態になる。
 それでも、隙あらば鋭い攻撃を加えてくるので、陽介達も油断する事なく足立に対して攻撃を続けている。
 基本行動は陽介とクマ、完二による能力強化を絶やす事なく千枝と直斗が足立の体力を削っていく。
 雪子は回復に専念し、鏡も回復を主体にランダマイザで足立を弱体化させる事に終始している。

「これで……終わりだぁッ!!」

 千枝の叫び声に合わせ、スズカゴンゲンが渾身のゴッドハンドを足立へと放つ。
 光り輝く巨大な拳に打ちのめされた足立は、そのまま後方へと吹き飛ばされる。
 瓦礫の山に背中を打ち付ける形で止まった足立は、衝撃に咽せると、そのまま座り込んだ姿勢で動かなくなった。

「これで、お前の下らない遊びは終わりだ。向こうに戻って、裁きを受けるんだな」

 陽介の言葉に、足立は弱々しくも嘲笑を浮かべる。

「……裁き? 君ら、何も解って無いんだね。現実の法で、どうやって僕の罪を立証するんだい?」

「あぁっ!? てめぇ……この期に及んで、まだそんな言い逃れをするつもりか!?」

 足立の反論に、完二が掴み掛からん勢いで詰め寄るも、直斗が完二を抑える。

「待って下さい、巽君。確かに彼の言うとおり、テレビの世界に放り込む事で、殺人を行える事を立証するのは難しい」

「ちょっと、直斗、それじゃこのまま見逃すって言うの?」

 直斗の指摘にりせが食って掛かるが、その疑問に答えたのは直斗ではなく鏡だった。

「足立さん、最初から私達に倒される事を望んでいましたね?」

 鏡の言葉に、陽介達が驚きの表情を浮かべる。
 足立は鏡の指摘に笑みを浮かべると、自身の罪が現実の法では立証でき無い事、代わりに自身を裁いてくれる相手を欲していた事を告げる。

「……山野真由美の遺体が発見されてから、毎晩のように夢に現れるんだ」

 ギョロリとしたガラス玉のような目で自分を見つめる山野真由美。
 その姿が焼き付いて離れず、毎夜夢の中に現れては、じっと自身を見つめているのだと足立は言葉を続ける。

(……そう言えば、初めて足立さんを見たとき、近くの田んぼに嘔吐していたっけ)

 鏡は転校初日の事を思い出しながら足立の告白を聞く。

「最初は何とも思わなかったさ……自分がテレビに入れた事で、死んだという確証もなかったしね」

 確証が持てなかった足立は、署に掛かってきた生田目からの通報に対して、生田目を利用して、テレビの中に人を入れる事によって、本当にその人が死ぬのかを検証する事を思いついたと言葉を続ける。
 その身勝手な言い分に陽介は怒りを顕わにするが、足立はそんな陽介に対し自身の身勝手さを自覚しつつも、本当に山野真由美を殺害したのかを確かめる事が最優先だったと話す。

「その後、生田目が誘拐を続ける事になったのは、君達の知るとおりさ……」

 結果的に鏡達が生田目の救済を成功させ続けたため、確証が得られないまま、久保美津雄が諸岡殺害の件で自首してきた。

「確証が得られなかった僕は、久保をテレビの中へと入れる事を思いついた」

 久保の遺体が出れば、テレビの中へと放り込む事で殺害が可能である事の確証も得られるし、全ての罪を負わせる事によって、容疑者死亡で事件解決という一石二鳥の効果を期待したのだという。

「身勝手なのは理解している。けど、僕はどうしても知られたくなかったのさ」

 足立は【誰に】とは語らなかったが、その相手が誰であるか、鏡達には容易に想像が付いた。

「こんな田舎に飛ばされて、腐っていた僕なんかに対して、あの人はいつも真っ直ぐだった」

 最初は面倒くさいと感じていたが、自身の出世だけを考え、周りを蹴落とす事しか考えてなかったかつての同僚達に比べたら、遼太郎の行動は清々しく思えてきたのだ。

「案外、悪くないと僕らしくない事を考えたけど、あの人と一緒なら、やり直せるんじゃないかと思ったんだよ」

 足立は自嘲気味に呟く。
 けれど、遼太郎に事実を知られ、追及された事で絶望した足立は、テレビの中へと逃げ込むと、自身の幕引きを考えた。

「死ぬ事は簡単さ……けど、それじゃ、ただの自殺で罪を償った事にはならない。誰かに裁かれなくちゃいけない……」

「だから、私達を挑発して?」

 鏡の言葉に足立は頷く。

「……運が良いの悪いのか、こうして生き残ってしまったけどね」

 そう呟いた足立は、鏡達に自分を裁いて欲しいと懇願する。
 しかし、鏡は静かに首を振ると足立の懇願を拒否する。

「足立さん、私達を自殺の道具に利用しないで下さい。罪を償いたいと思うのでしたら、安易に死に逃げないで、生きて罪の償い方を模索して下さい」

 それは、遼太郎が生田目に対して告げた言葉と同じモノだった。
 死に逃避するのではなく、苦しくても生きて答えを模索し続ける事。
 鏡の言葉に、足立は泣き笑いの表情を浮かべる。

「……本当に、鏡ちゃんは手厳しいなぁ」

「叔父さんに約束もしているんです。『足立さんを連れて帰る』って」

 その言葉に足立は顔を歪めると、大粒の涙を零しながら嗚咽する。

    我は汝……、汝は我……

   汝、ついに真実の絆を得たり


    真実の絆……それは即ち

       真実の目なり

    今こそ、汝には見ゆるべし

  “死神”の究極の力、“マハカーラ”の

    我が、内に目覚めんことを……

 鏡の脳裏にいつもの声が響いてくる。
 それと共に鏡の心を温かな力が満たしていく。

「……足立さん、帰りましょう」

 そう言って、鏡が差し出した手を足立が取ろうとした瞬間、足立は苦悶の表情を浮かべて苦しみ出す。

「どうしたの!?」

 突如、苦しみだした足立を前に千枝が驚きの声を上げる。

『待って! 何かが足立の身体に集まって来る!?』

 いち早く異変を察知したりせが、苦しむ足立をサーチした結果を鏡達に告げる。

『人間は……ことごとくシャドウとなる。そして……平らかにひとつなった世界に、秩序の主として、私が降りるのだ』

 足立に取り憑いた“何か”は中空へと浮かび上がると、淡々とした声音で鏡達に宣言する。

『こちら側も、向こう側も……共に程なく二度とは晴れぬ霧に閉ざされる。人に望まれた、穏やかなりし世界だ……』

「お前は誰だ!?」

 直斗の誰何に足立に取り憑いた“何か”は自身を“アメノサギリ”と名乗る。
 アメノサギリは語る。
 自身は“霧を統べし、人の意に呼び起こされしもの”だと。

『お前達が何者をくじこうとも、世界の浸食は止まらず、全ては時の問題。お前達は、大衆の意志を煽り、熱狂させる……良い役者であった』

 アメノサギリの言葉で、鏡達はアメノサギリこそがマヨナカテレビを生み出した張本人である事を知る。

『我が望みは人の望み。人自らが、虚構と現の区別を否とした。それゆえ私は、こちらの世界を膨張させると決めた……』

 この世界は元々、人の心の内にある無意識の海の一部であり、肥大した欲と虚構によって生まれた虚ろの森だとアメノサギリは語る。
 人は真実を望まず、自身が見たいようにしか見ない生き物でありながら、”見えない”事を恐れ、その恐れがシャドウを暴れさせる真実を欲する光になると言う。

『しかし、自らを殺すはずだったシャドウを次々と制御し、抗う力に変えてしまう素養……それだけが、私の予測を外れていた』

 新しく不確かな覚醒が、人の可能性であるのか否か。
 それを見極めなければならないと告げた直後、どこからともなく現れた無数のシャドウが吸収されていき、足立の姿が崩れていく。
 コールタールのように地面へと四散すると、地面が粟立ち始め、巨大な異形が出現する。
 それは、カメラのレンズのような瞳を持つ巨大な球形の異形だった。
 瞳以外の部分は無数のテレビ画面の集まりで出来ており、無数の突起物から蒸気のように霧を噴出させている。

『……これが、霧を生んでいたモノの正体』

『そう……私はお前達を試さなければならない』

 りせの呟きにアメノサギリが応じる。

「……あなたを倒して、足立さんを返してもらうわ」

「あぁ、やろうぜ姉御。コイツの思い通りになんか、絶対にさせねぇ!」

『私も皆を全力でバックアップする!! 居ちゃいけないでしょ、こんなヤツ!』

 鏡の言葉に陽介とりせが応え、千枝達もアメノサギリを倒すべく、それぞれが意気込みを見せる。

『来るがよい……』

 その言葉を合図に、鏡達がアメノサギリへと挑む。




――次回予告――


 人の総意によって生み出された存在
 そのあまりにも強大な力の差に苦戦を強いられる

 絶望的な状況の中、皆を支える一つの思い

――負ける訳にはいかない!

 それぞれの思いが奇跡を起こす


 次回、PERSONA4 PORTABLE~If the world~

     アメノサギリ

――互いを信じる、心の力――




2014年07月28日 初投稿



[26454] アメノサギリ
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2015/01/25 09:33
――――遂に現れた事件の元凶

   かのモノは言う 『虚構こそ、人々が求めるモノだ』、と

 真実を求めて辿り着いた自分達には、受け入れられない言葉

 その言葉が間違いである事を、私達は証明しなければならない……




 足立を依り代に具現化したアメノサギリは、巨大な瞳で鏡達を見据えている。

『私に刃向かう事は、即ち人世の望みに逆らう空しい行い……』

 アメノサギリの声に呼応するかのように、鏡達の足下がその姿を消していく。

「なっ!? お、落ちっ」

『大丈夫! 足場が見えなくなっただけで、消えた訳じゃないよ!!』

 動揺する陽介に、りせが付近をアナライズした結果を伝える。

「今コイツを倒さなかったら、足下に見える俺達の町が霧に閉ざされるって事か」

 完二の言葉に全員が気持ちを引き締める。

「りせちゃん、こっちの世界と向こうの世界が一つになるのに、後どれくらいの余裕がある?」

『まだ大丈夫だと思うけど、膨張する速度が不安定で、そんなに余裕がないと見た方が良いみたい』

「皆、これで最後。全力を振り絞って倒しに行こう!」

 鏡の言葉に陽介が【マハスクカジャ】で皆の回避力と命中精度を、同じくクマが全員に効果を及ぼす【マハタルカジャ】で攻撃力をそれぞれ底上げする。
 千枝と雪子はそれぞれ【チャージ】と【コンセントレイト】で次の攻撃力の底上げを行い、完二と直斗は不測の事態に対処できるように待機する。

「トランペッター、ランダマイザ!」

 鏡が召喚したトランペッターが、対象の能力全てを弱体化させる補助スキル【ランダマイザ】でアメノサギリの能力を弱体化させる。
 アメノサギリは鏡から受けた弱体化を気にする事なく、物理系全体攻撃スキル【アグネヤストラ】で攻撃してくる。
 複数の燃え盛る隕石が鏡達へと降り注ぐ。
 降り注ぐ無数の隕石の直撃を避けるべく、鏡達は散開してそれぞれ回避行動を取るが、着弾した隕石が辺り一面に飛散して、無数の破片が弾幕となって鏡達を傷付けていく。

「……ぐっ! 姉御が弱体化させてこの威力かよ!!」

 傷はすぐさま鏡が【メシアライザー】で治癒させたが、掠っただけでも致命傷になりかねない攻撃に陽介が悪態を付く。
 アメノサギリの攻撃が起こした砂煙を突き抜けて、完二が召喚したロクテンマオウが手にする得物を振りかぶり肉迫する。
 物理攻撃系スキル【イノセントタック】がアメノサギリへと命中するが、傷らしい傷を与えることが出来ずにいる。

『霧を晴らす事など、誰も望んではいない。そう、我が依り代となったこの者と同じように……』

 そう言って、アメノサギリは無数のモニターである自身に一つの画像を映し出す。
 映し出されたのは、眼鏡を掛けた一人の男子学生だった。

「……これって、まさか?」

 その男子生徒はクラスメイトと打ち解けようとはせず、一人で黙々と勉強に取り組んでいた。
 恋や遊びを謳歌するクラスメイト達を尻目に、ただただ勉強へと打ち込む日々。
 その甲斐あって、彼は学年でトップの成績を修め一流大学へと進学する。
 大学に進学しても、彼は周りから一線を引いたまま高い成績を維持する事を優先し、スポーツも身体を鍛える目的でのみ行っていた。
 そんな彼が目指したモノ。

 それは……

「……これが、あの足立……なのか?」

 映し出された映像に、陽介が唖然とした声を漏らす。
 合法的に拳銃が撃てるから刑事を目指したと言っていた足立。
 しかし、目の前に映し出された映像が事実だとしたら、その理由は真逆としか言えないモノだった。
 世の犯罪を少しでも減らそうと、周りが青春を謳歌する中ただただ自己を高める事に打ち込んでいた足立。

『努力をしたからと言って、必ずしもそれが報われるとは限らない……』

 アメノサギリの言葉に合わせて映像が一変する。

――人は独りでは生きられない。

 その言葉が示すとおり、人付き合いを惜しんでまで努力を続けた足立は、挫折を経験する。
 それは、ほんの僅かな失敗だった。
 自分に厳しく、他人にも厳しかった足立は、その僅かな失敗を元に出世争いをする同僚から追い落とされたのである。
 上司受けが良かった同僚はその事を切っ掛けに栄転の道を進み、人付き合いが希薄だった足立は稲羽へと転属を命じられた。

『ならば、辛い現実から目を背ける事の何が悪い? 人は見たいモノを見たいように見る。ココは、見たいという欲を映し出す世界』

「それが……マヨナカテレビ!?」

 アメノサギリの言葉に直斗が驚きの声を上げる。
 テレビで報道された人物の事を見たいと願ったから、その願いを叶えるべく、マヨナカテレビにその人物が映し出された。
 別々に見ている時は、それぞれ同じモノを見ていなかった事からも、アメノサギリの言葉が裏付けられる。
 被害者を救いたいと願い、誰よりも早くマヨナカテレビに映った人物を知り得た生田目。
 鏡と菜々子、二人が映っていた事にただ一人気付いたクマ。

『お前達の行いは、現実を求めない多くの者を苦しみへと引き戻すばかり……何故、それが解らない?』

「ふっざけんな! 人が現実を求めてないだと! ダッセェくらいに足掻いて足掻いて、やっとココまで辿り着いたんじゃねぇか!!」

「そうだぜ! テメェの勝手な判断で、俺達の世界を滅茶苦茶にされてたまるかよっ!」

 陽介と完二の想いに応え、スサノオとロクテンマオウが再び攻撃を仕掛け、千枝と雪子もそれに続く。
 それぞれ【ブレイブザッパー】、【イノセントタック】、【ゴッドハンド】、【アギダイン】がアメノサギリへと命中する。
 攻撃を受けたアメノサギリから映像が消える。
 それと同時に、アメノサギリから濃密な霧が噴き出し、辺り一面を霧で覆い尽くすと【スクカジャ】で自身を強化する。

『何これ! アナライズが全く利かない!?』

 カンゼオンから送られる情報が全て不明になった事に、りせが驚きの声を上げる。
 伸ばした指先すら見えない濃厚な霧の中、勘だけを頼りにアメノサギリへと攻撃を仕掛けるも、微かな手応えすら返ってこない。

『愚かな……ならば、やむを得まい……人世の真の安らぎを妨げる者らに、死を与える!』

 アメノサギリが霧の向こう側からそう宣言すると同時に、【コンセントレイト】、【タルカジャ】で更に自己を強化する。

「あんだけ図体がデカイのに、何で攻撃が当たらないんだ!?」

『皆、注意して! 何かヤバい予感がするよ!!』

 りせの忠告に皆が防御姿勢を取る中、辺り一面を覆う霧が晴れアメノサギリがその姿を現す。
 攻撃が命中しなかったのも道理、アメノサギリはその巨体を空高くへと浮かび上がらせていたのだ。
 遥か上空から鏡達を見下ろすアメノサギリ。レンズのような巨大な眼が輝くと同時に、極大なレーザー光線が辺りを薙ぎ払う。
 防御姿勢を取っていたとは言え、あまりの威力に鏡達は吹き飛ばされる。
 傷だらけになり地に倒れ伏す鏡達。
 動かない鏡達を眼下に、アメノサギリの眼に再び光がともる。

『……終わりだ。今こそ、人は皆シャドウとなり真の世界が始まる』




――その光景をただ見ているだけだった。

 地に倒れ伏す鏡達。
 息はあるようだが、受けたダメージで身動きが取れず、苦痛の声を上げている。

――何だよ、これは

 それは弱々しい姿だった。
 未来を諦めず、可能性を信じて自身の前に立ち塞がった彼女達とは思えない有様。

――ココで倒れたら、あの人がまた悲しむじゃないか

 思い出すのは自身の無力さを嘆いていた、ただ一人尊敬に値した人の姿。

『……幸い、一命を取り留めたが、もし何かが掛け違っていたら、取り返しの付かない結果になっていた』

 挫折し、辺鄙な田舎へと飛ばされ何もやる気が起きなかった自身の相方となり、厳しくも真っ直ぐ向き合ってくれた昔気質の堅物。
 捜査は脚でするのだと言って、稲羽のあちこちへと連れ回された。

『今度、姉貴の子供を預かる事になってな。今抱えている案件の聞き込み、お前一人に任せても良いか?』

 普段見ない申し訳なさそうな姿に、ついガラにもなく『任せて下さい!』と張り切って答えた自分自身に、後になって驚いたものだった。

『あ、そうだ。叔父さん、同僚の方を連れてくるのは良いですが、事前に連絡は下さいね?』

 叔父である遼太郎をそう言って諭した少女の第一印象は、しっかり者で細かな気配りが出来るお淑やかな女の子と言った感じだった。
 もっとも、その印象は次に出会った時に『手厳しい子』と改められた。
 相手が誰であろうと、ハッキリとモノを言う真っ直ぐな性格。
 家事が出来、遼太郎の娘である菜々子とも本当の姉妹のように接し、遼太郎からも信頼されていた少女。

――君は、こんな所で終わるような子じゃないだろう?

 道を間違えた自身の前に立ち塞がり、見事に止めてみせた少女へと届かない声を上げる。
 手を伸ばせば届きそうなのに、自身の身体は意志に逆らい手を伸ばす事すらままならない。
 声を上げてもそれは音にならず、ただ見ている事しかできない。

――ふざけるな

 沸々と怒りが沸き上がる。
 自身を依り代に顕現した異形へと敵愾心が沸き上がる。
 身体の自由を奪われ、目の前で今まさにトドメを刺そうと力を高める異形へと力の限り叫ぶ。

――ふざけるなっ!

 この身体は自分のモノだ。
 好き勝手に扱われ、尊敬する人物の家族を奪おうとする異形に対し、そうはさせるかとあらん限りの力を込めて逆らう。

『……何っ!?』

 自身が取り込んだ事で、自意識を失ったはずの依り代の抵抗に、アメノサギリは驚きの声を上げる。
 抵抗など、あり得ないはずだ。
 絶望し、消え去る事を望んでいたはずだ。
 それなのに、自身へと抗い抵抗する意志を示す。

『馬鹿な、あり得ない……お前は絶望したはずだ。絶望し、全てを諦め消え去る事を望んだはずだ』

――確かに俺は全てを諦めた。けどな、それでも受け入れられない事が一つだけあるんだ

 驚くアメノサギリに対し、力強く宣言する。

――あの人達を悲しませる事を、認める訳にはいかないんだよっ!!

 あらん限りの力を込めて拒絶する。

――人間をなめるなッ!!




 その声は届いていた。

(……足立……さん)

 依り代となり、アメノサギリへと取り込まれたはずの足立。
 その彼が今まさに必死の抵抗を見せて、自分達へトドメを刺そうとしているアメノサギリの行動を抑えている。

(……足立さんは、まだ諦めていない)

 伝わってくる。
 遼太郎へと向けられた信頼の想いが。
 菜々子へと向けられた気遣いの想いが。

――そして

『今ここで、鏡ちゃんを失う訳にはいかないんだッ!!』

 鏡を護ろうとする強い想いが!
 足立の想いが鏡の心に力を与える。
 指先に力を込め、倒れた身を起こす。

「……ルシフェル、メシアライザー」

 再び召喚したルシフェルのメシアライザーが皆の傷を癒す。
 体力を取り戻し、立ち上がった陽介達へと鏡が声を掛ける。

「皆、足立さんがアメノサギリの中で抵抗して、動きを止めてくれている今がチャンスよ」

「なっ!? マジかよ姉御」

「鏡さんの言うとおり、アメノサギリの動きが不自然です。いつまで抵抗が持つかが解らない以上、この機会を逃すわけにいきません」

 驚く陽介に直斗がそう言うと、ヤマトタケルを召喚してアメノサギリを見据える。

「へっ! やられた分、キッチリ倍返しをしてやらなくちゃな!」

「そうだよ! ココまで来たんだから、絶対に勝って終わらせるんだ!」

「クマもアダッチーには負けてられないクマよ!」

「私達ならきっと勝てるよ!」

『皆、アメノサギリの眼に大きな力が集まっているよ、動けない今の内にソコを集中攻撃して!』

 直斗に続き完二や千枝、クマに雪子がそれぞれ自身のペルソナを召喚する。
 強大なアメノサギリに打ち倒されてもなお諦めない想いが、皆の心を一つにする。

    我は汝……、汝は我……

   汝、ついに真実の絆を得たり


    真実の絆……それは即ち

       真実の目なり

    今こそ、汝には見ゆるべし

  “審判”の究極の力、“ルシファー”の

    我が、内に目覚めんことを……

 一つとなった想いが、鏡の心に更なる力を与える。

「皆、少しの間だけ時間を稼いで!」

「皆、センセイが新しいペルソナを生み出す時間を稼ぐクマよ!」

 鏡の言葉に以前、深層モナドで見たことを思い出したクマが陽介達に説明する。
 陽介達は、クマの説明にそんな事が可能なのかと驚きを見せつつも、鏡が新たなペルソナを生み出す時間を稼ぐために行動を開始する。
 スサノオとヤマトタケルが、持ち前のスピードを生かした速攻でアメノサギリの注意を引き、アマテラスとキントキドウジが魔法で援護する。
 その間隙を縫って、スズカゴンゲンとロクテンマオウが強力な一撃を叩き込む。


 陽介達がアメノサギリの注意を惹き付ける中、鏡は意識を集中する。
 鏡を中心に巨大な魔法陣が描かれ、右手を払う鏡の眼前に六枚のタロットが現れる。
 現れたカードは運命が一枚に審判が五枚。
 運命のカードを頂点に、二つの正三角形が重なり合う配置にカードが並ぶと、六芒星の軌跡を描きカードが強い光を放つ。
 見開かれる鏡の瞳は金色に輝き、六芒星の中心に差し出された右手が握りしめられる。

「ルシファー!!」

 六芒星を描くタロットカードが燃え上がり、巨大な異形が現れる。
 青い体躯、背には三対の翼を持ち額から一対の角が伸びている。
 召喚されたルシファーは【コンセントレイト】で魔力を高めると、その右手をアメノサギリへと向ける。
 ルシファーの右手の先に、極大な氷塊が形成される。
 作り出されたのは、氷結属性の【ブフダイン】だが、その規模と込められた魔力はこれまで見た【ブフダイン】の比ではない。

「皆! 避けて!!」

 巨大なアメノサギリと同じくらいの大きさまで生成された【ブフダイン】を放つ直前、鏡が陽介達に退避の指示を出す。
 初めて見るペルソナ生成に驚きを隠せない陽介達も、これまでの規模とは違う巨大な氷塊の姿にそれぞれのペルソナを急いで退避させる。
 陽介達のペルソナが退避すると同時に撃ち出された巨大な氷塊は、圧倒的な質量と速度を持ってアメノサギリへと向かう。
 足立の妨害により身動きが取れないアメノサギリは、必死の抵抗を見せ【マハラギダイン】で相殺しようと試みるも、勢いを止める事が出来ず飛来した氷塊の直撃を受けて大きく後退する。

「あの直撃を喰らって、まだ倒れねぇのかよっ!?」

 球体に大きなへこみが出来、眼球部分のレンズに無数のヒビが入ってはいるが、未だにアメノサギリはその動きを止める事はない。

『マズイよ! アイツ、私達を道連れにするつもりで力を集めているよ!!』

 りせの言葉通りに、アメノサギリの眼球部分に光が集まり出す。
 しかし、集まった光はひび割れた部分から漏れだしており、自爆覚悟の行動である事があからさまだった。

(後少しなのに……力が……!?)

 ルシファーを生み出した事により、鏡の体力も限界に近付いていた。
 元々、病み上がりで体力が戻りきっていない上での切り札の行使なのだ。無理に身体が悲鳴を上げるのは仕方がない事だ。
 それでも、鏡は諦めずに自分にまだ出来る事を模索する。

「姉御っ! 今のをもう一回出来るか……って、姉御!?」

 先ほどの攻撃をもう一度出来ないかと鏡に確認を取った陽介が、鏡の顔色が悪くなっている事に気付き驚きの声を上げる。
 すぐさま鏡の体調をチェックしたりせが、鏡の体力が限界に来ている事を皆に告げる。

『花村先輩! お姉ちゃんにはもう、さっきと同じ攻撃をする余裕が無いよ! ココは何としても私達でアメノサギリを止めないと駄目だよっ!!』

 その言葉に完二と千枝が自らを奮い立たせて、アメノサギリへと再び攻撃を仕掛けるべくペルソナを召喚する。

「里中と完二はアイツのへこんだ部分に集中攻撃! 俺と直斗がカバーするから、クマは里中達に補助魔法を使ってくれ!」

 陽介は矢継ぎ早に指示を出すと、雪子には鏡のそばで護りつつ、自分達への回復を指示する。

『急いで! アイツのチャージがもう少しで終わるよ!!』

「皆っ! これで終わりにすんぞ!!」

 陽介の言葉に皆が力強く返事を返すと、最後の攻撃へと向かう。
 限界まで力を振り絞り、アメノサギリへと攻撃を加える。
 しかし、あと少しの決め手に欠けアメノサギリを止めるには至らない。

「……雪子、少しの間だけ私の身体を支えて」

「何をする気なの、鏡?」

 強い意志を込めた瞳で自身を見る鏡に雪子が訊ねる。

「後、一回だけ最後の手段に掛けるよ」

 そう雪子に答えた鏡は、もう一つの可能性に掛けるべく意識を集中する。

(新たにペルソナ生み出すために複数のペルソナを召喚した。ならば、複数同時召喚による同時攻撃だって出来るかも知れない……)

 菜々子と生田目、二人と一緒にテレビの中に居た時にやった事だ。
 互いを消滅させるためにやった事とは言え、二体同時に召喚する事が出来たのだ。
 一度はやれたのだ。出来ないはずはない。
 そう自分に言い聞かせて、鏡はペルソナ同時召喚の覚悟を決める。

「……解った。その代わり、絶対に倒れないでね。皆で無事に帰るんだからね、鏡」

「うん、約束する。それじゃ、雪子お願いね」

 雪子と約束を交わした鏡はそう言うと、雪子に自身の背中を預けて意識を集中する。

(足立さん、私に力を貸してください……)

「……イザナギ」

 頭上へと伸ばした右手の中にタロットが現れる。
 いつものように、それを握りつぶしてイザナギを召喚した鏡は、そのまま右手を前方へと向けると握りしめた右手を開く。

「来て……マガツ、イザナギ!」

 開いた右手の中に再び現れたタロットを握りつぶすと同時に、召喚されたイザナギの身体がブレて、足立が使っていたはずのマガツイザナギがその姿を現す。
 肩を並べて疾駆するイザナギとマガツイザナギ。
 イザナギは右手に持った得物を振りかぶると、アメノサギリの眼球へと勢い良く突き刺して左側へと切り裂きながら移動する。
 マガツイザナギは左手に持つ得物を逆手に構えて身を捻ると、イザナギとは逆方向、左から右側へと勢い良く斬りつけ移動する。
 アメノサギリを真横に切り裂くイザナギとマガツイザナギ。
 そのまま反対側へとアメノサギリを切り裂いた二体のペルソナが得物を引き抜くと同時に、アメノサギリから光が溢れ出す。
 切り裂かれた線に沿って溢れ出す光。
 イザナギとマガツイザナギはそのままアメノサギリの頂点部へと移動すると、互いの得物で一直線にアメノサギリを貫いていく。
 この攻撃によりアメノサギリは上空から墜落すると、ついにその動きを停止した。

『なるほど……強い力だ……力は心が生み出すモノ。人の可能性を、お前達は示したのだ』

 そう言って、アメノサギリは現実世界の霧を晴らす事を約束する。

『我が望みは人の望み……人が望む限り私はいつでも現れよう……私は、いつでもすぐ傍にいる……』

「お呼びでないクマ! クマ達が、絶対にさせない!!」

 クマの言葉にアメノサギリは、結果は時が示すだろうと答えると、その姿を光の粒子へと変えて消えていく。
 アメノサギリが消えた跡には足立が倒れており、意識はまだ戻ってないようだ。

「足立さん、自分のやった事を本当は悔いていたんだね……」

 アメノサギリによって見せられた足立の過去。
 希望を持って刑事という職に就いた先に味わった挫折の痛み。
 絶望するほどの挫折を味わった事のない自分達には、足立の気持ちは理解出来ない。
 ただ、足立にも自分達のように信じ合える仲間がいれば、また違った結末になったのでないかと漠然と思うだけだ。

「……鏡っ!?」

 雪子の慌てた声に陽介達が視線を向けると、そこには気を失い雪子に抱き抱えられた鏡の姿があった。

「……ッ姉御!?」

『大丈夫、意識を失ってるけど、お姉ちゃんは無事だよ』

 慌てて鏡の元へと駆け寄る陽介達に、りせが鏡の無事を伝える。
 力を使い切って気を失っているだけだと伝えられた陽介達は安堵の息を漏らす。

「……鏡ちゃんは、無事なのかい?」

 弱々しい声で、意識を取り戻した足立が訊ねてくる。
 完二が足立を抱え起こすと、鏡の無事な姿を見た足立が表情を和らげる。

「……ん? あれ……私……?」

 程なくして意識を取り戻した鏡が、そう言って視線を彷徨わせる。

「鏡は少しの間、意識を失っていたんだよ。大丈夫、立てる?」

 雪子の問いに鏡は身を起こすと、ゆっくりと立ち上がる。
 しかし、力が入らないらしく、よろけた鏡を雪子が慌てて支えると、肩を貸して鏡の身体を支える事にする。

「全部、終わったんだね……」

 憑きものが落ちたように足立がそう言葉を漏らす。
 犯した罪を償うために命を捨てるつもりだったが、目的は叶えられず今も生きている。
 生きているのなら死に逃げるのでなく、生きてその罪を償わなければならない。
 それが、依り代となった自分を救ってくれた鏡達への礼なのだろう。

「足立さん、もう死に逃げないで下さいね?」

「……あぁ、君達に救って貰った命だ。生きて罪の償いを模索する事にするよ」

 そう言って、足立は小さく『……ありがとう』と、鏡達へと礼を述べる。

「お帰りなさい、足立さん」

 礼を述べる足立に鏡がそう答えると、足立は嗚咽を漏らして涙する。




 それから少しして鏡達は現実の世界へと戻ってきた。
 足立が落ち着くのと、鏡が移動する分の体力を取り戻すのに時間が掛かったからだ。
 戻ってきた鏡達を遼太郎と菜々子が出迎える。

「叔父さん、足立さんを連れて戻ってきました」

「あぁ、ありがとう。それと、手伝えずに本当に済まなかった」

 謝る遼太郎に、鏡達は気にしないで欲しいと答える。

「堂島さん……」

 そう言って、足立が遼太郎へ自身の両手を差し出す。
 足立の意図を悟った遼太郎は首を振ると、その必要はないと言外に伝える。
 遼太郎の心遣いに足立は目を見張ると、済まなそうに頭を下げる。

「……それじゃ、俺は足立を連れて行くから、スマンが菜々子と一緒に先に戻っておいてくれ。帰りは遅くなるから、戸締まりはしっかりとな」

 遼太郎の言葉に鏡は頷くと、菜々子と手を繋いで遼太郎と足立を途中まで見送る。
 二人を見送った鏡達は、そのまま稲羽中央通り商店街へと移動する。

「本当に霧が晴れてる……」

 アメノサギリが約束したとおり、霧は晴れ清々しい青空が広がっている。

「これで全部、終わったんだよな……」

「そうだね、私達、今度こそ本当にやり遂げたんだよね」

 陽介の言葉に、雪子が感慨深げに答える。

「お姉ちゃん、もう怖い事は起きない?」

「うん、もう怖い事は起こらないよ。安心して、菜々子ちゃん」

 不安げに訊ねてくる菜々子に、鏡は笑顔を向けて安心させる。
 鏡の言葉に菜々子は表情を綻ばすと、嬉しそうに鏡へと抱きつく。
 その様子に、皆が表情を綻ばせる。

「事件も終わった事だし、来月のクリスマスは皆で騒ぎたいよな」

「花村先輩、その前に期末テストがある事を忘れないでください」

「……直斗、やな事を思い出させないでよ」

 直斗の指摘に、りせが心底癒やそうな表情で抗議する。

「ま、それよりも姐さんの退院祝いが先じゃないんスか?」

「完二! そうだよ、姉御の退院祝いはやらなくちゃ駄目だよな!」

 完二の言葉にやる気を出した陽介はそう言うと、鏡の退院祝いをするべく買い出しをしようと皆に提案する。
 今回は鏡が病み上がりである事を踏まえて、食材は総菜大学などで出来合いの物を購入し、四六商店で菓子類も購入する。
 買い出しを済ませた陽介達は堂島宅へと移動すると、主賓だからと言って鏡を休ませて、買ってきた食材を器へと盛りつけていく。
 見栄えは決して良いとはいえないが、皆の心遣いが籠もった食事の数々に鏡は嬉しそうな笑みを浮かべている。

「飲物は行き渡ったな? それじゃ、姉御、退院おめでとう!」

 陽介の音頭に合わせ、皆が鏡の退院を祝う。
 アメノサギリを倒しようやく掴んだ平和に、皆の表情は明るく穏やかな時間が流れる。
 向こうの世界に誰かが落とされる事も、町が霧に覆われる事も無いだろう。
 買ってきた食料を皆と食べ、笑い合ってこれからの事を語り合う。
 当面の問題は期末テストだが、それが終わればクリスマスに正月とイベントが盛りだくさんだ。

「そうだ、雪が積もるようになったらさ、皆でスキーに行かないか? 勿論、菜々子ちゃんも一緒にさ」

「スキー!? 菜々子も一緒に行っても良いの?」

 陽介の提案に菜々子が遠慮がちに訊ねると、クマが『勿論、良いに決まってるクマ!』と菜々子が一緒に行く事に賛成する。
 その言葉に菜々子が大喜びすると、りせが一緒に雪だるまを作ろうと提案する。


 楽しい時間は過ぎ、そろそろお開きにしようと後片付けをした後で、皆が帰宅の用意をする。
 陽介とクマが千枝と雪子を途中まで送る事にし、りせは家が近所である完二が送る事にする。

「それじゃ皆、また学校で」

 帰宅する陽介達に鏡がそう言葉を掛けると、また学校でと皆が返し、お休みなさいと挨拶を交わす。
 皆を見送った鏡と菜々子は、久しぶりに一緒にお風呂へと入ると、菜々子が鏡とまだ話したいというので一緒に眠る事にする。
 鏡が入院していた時の事、取り留めのない日常での事を話す菜々子は話し疲れて眠ってしまい、今は安らかな寝息を立てている。
 そんな菜々子の姿に、鏡は手に入れた平和を実感する。
 事件は解決し、これからは菜々子と一緒に過ごす時間も多く取れるだろう。
 稲羽を去るまでの数ヶ月、これからは皆との思い出を作っていこうと思う。
 まずは目の前の期末テストに向け、入院していた間の後れを取り戻さなければ。
 そんな事を考えつつ、鏡も眠りにつく。


――そして、時は流れ……


 桜が咲き乱れ、春の訪れを感じられる三月。
 鏡が稲羽を去る日がやって来た。

「よう。……いよいよだな」

「ホントに帰っちゃうんだね……なんか全然、実感ないや」

 陽介と千枝が感慨深げにそう話す。
 鏡を見送りに八十稲羽駅へ集まったのは堂島親子に陽介達いつもの自称特別捜査隊の面々、そして同じテニス部の紫と早紀だ。

「明日からもう、お姉ちゃんが居ないなんて……」

 そう言って、感極まったりせが堪えられず泣き出してしまう。
 そんなりせを完二が宥めるが、完二自身も目尻に涙を浮かべており、鏡との別れを惜しんでいる事が解る。

「……大丈夫です。いつでもすぐに会えますよ」

「直斗の言うとおり、五月の連休には帰ってくるよ」

 直斗の言葉に、鏡がそう言って微笑む。

「それに、うちにもう、予約入れちゃったからね。また皆で泊まろう」

 雪子が既に準備をしている事を皆に伝える。

「お姉ちゃん……やっぱり、やだ。いなくなっちゃうなんて……」

 込み上げる涙を堪えきれずに、菜々子がそう言って鏡に抱きつく。
 そんな菜々子の頭を優しく撫で、鏡は会えなくてもいつでも電話やメールで連絡を取り合えるからと菜々子に笑いかける。

「足立の事は立件に向けて滞りなく進んでいる。アイツ自身が全面的に認めてるからな」

 遼太郎は足立の近況を伝えると、あれからもう事件は起きておらず、町は平和になったと言葉を続ける。

「部屋はあのままにしておく、お前も俺の家族だ。お前が来てくれた事、本当に感謝している」

「私の方こそ、本当にお世話になりました」

 遼太郎の感謝の言葉に、鏡もまた感謝の言葉を返す。

「クマはジュネスに居るクマよ。住み込みバイト、続けるんだクマ!」

「なんかそのまま社員にでもなりそーだな」

 呆れたように話す完二の言葉に、クマはこのままジュネスのアイドルに君臨するのも悪くないと、まんざらでもなさそうな様子で答える。
 そんなクマに、陽介がジュネスにアイドルは不要だと心底嫌そうに告げると、その様子に皆が笑い声を上げる。

「私も教職免許を取るために、今年は勉強の方に力を入れるつもり。でも、鏡がこっちに戻ってきた時には遊びに誘ってね」

「私は、実家の手伝いをしながらこれからの事を考えるつもり。鏡ちゃんと出会えて本当に良かった、ありがとうね」

 紫と早紀がそう言って自分のこれからを鏡に伝える。

「……そろそろ電車の時間だ」

 時間を確認した遼太郎が鏡にそう伝えると、電車に乗るためにホームへと移動する。

「じゃあ、またな」

 陽介の言葉を皮切りに皆が鏡への別れの言葉を伝える。

「皆、本当にありがとう。次に会える時を楽しみにしてる」

 発車時間が近付き、皆へと挨拶を済ませた鏡が電車へと乗り込む。
 閉まる扉。ゆっくりと動き出す電車に合わせ、陽介達も去っていく鏡との別れを惜しんで付いていく。

「いろいろありがとう。今度会う時まで元気で!」

 零れる涙を拭わず、雪子が鏡に声を掛ける。

「センセイは、ずっとクマのセンセイクマ!」

「忘れないでください、僕らの事!」

 雪子に続き、クマと直斗も鏡に声を掛ける。

「お姉ちゃん、絶対また会おうね!」

「俺、頑張るから、姐さんも負けんな!」

「鏡の事、いつも思ってるから!」

「距離なんて関係ねぇ! 離れてても仲間だかんな!!」

 りせと完二、そして千枝と陽介も鏡にそれぞれ声を掛ける。
 その言葉に鏡は頷きを返す。
 徐々に速度を上げる電車に陽介達が追いつけなくなる。
 小さくなっていく陽介達の姿。
 その姿が見えなくなり、鏡は車内へと移動する。
 荷物棚に鞄を乗せ、座席へと座り車外の風景へと視線を向ける。
 満開の桜が咲き乱れ、薄紅色の光景が続く。
 クマから貰った眼鏡を上着から取りだし手に取って眺める。


 稲羽に来てから、本当に色々な事があった。
 不思議な事件が起こり、それを解決するために奔走した日々。
 その中で沢山の人達と出会い、絆を結び、ついには事件を解決するに至った。
 大変だったけど充実した日々は、これからずっと忘れる事はないだろう。
 絆によって満たされた心は、これからどんな困難が襲ってきても諦めずに立ち向かっていく力となる。


――こうして、少女の旅はひとまずの終わりを迎える


 町を覆う霧は晴れ、それぞれが自身の進むべく道を模索し、未来へと進んでいく。
 自身は決して一人ではなく、助け合える仲間がいて、未来は自分で選び取れるのだと信じて。




2015年01月25日 初投稿








 青で統一された今ではもう見慣れた空間。
 目の前に座るイゴールとマーガレットが視線をこちらへと向ける。

「ようこそ、我がベルベットルームへ。あなたの節目の年に相応しい、実に有意義な旅でございましたな」

 そう言って、イゴールが労いの言葉を掛けてくると、右手を翻しその手の上に光り輝く珠を出現させる。

「それは、旅路の中で貴女が育んだ力の結晶……あらゆる虚飾を払い、嘘を打ち消し、真実を照らし出す宝珠でございます」

「貴女は、大切な人々と絆を結び、真実へと近付いてきた。きっと……これからも」

 イゴールの説明を引き継いで、マーガレットが言葉を掛ける。

「……では、行ってらっしゃいませ」

 そう言うと、イゴールは恭しく一礼をして送り出す。




――次回予告――


 アメノサギリを倒し、町に霧が出る事はもう無い
 ようやく掴んだ平穏な日常

 そんな中で広がる一つの噂

――テレビドラマの撮影が行われる

 その噂に、止まっていた少女の時間が動き出す


 次回、PERSONA4 PORTABLE~If the world~

     飛翔、再び

――少女は再び歩き始める―― 





[26454] 飛翔、再び
Name: 葵鏡◆3c8261a9 ID:f4f8d2eb
Date: 2015/04/15 09:11
――――初めは、代わりでも良いと思っていた

      やっと、自身の夢が叶うのだからと

       けれども、知らなかったのだ……

      それが、どれだけ空しいモノなのかを




――ほんの僅かな違いが、未来を大きく変える事もある


「来て……マガツ、イザナギ!」

 イザナギを召喚した直後に鏡が召喚したペルソナ。
 それは、足立が使っていた筈のマガツイザナギ。
 本来、起こりえないはずの状況に、雪子は自らが支えている少女へと視線を向ける。

「鏡、あなた……」

 驚く雪子に答える事なく、鏡はイザナギとマガツイザナギに意識を集中させる。
 意識的に行うペルソナの複数同時召喚。
 覚悟はしていたが、自身に掛かる負担は相当なモノで、少しでも気を緩めると意識を失いそうになる。
 鏡の意志に従い、イザナギは右手に持った得物を振りかぶると、アメノサギリの眼球へと勢い良く突き刺して左側へと切り裂きながら移動する。
 マガツイザナギは左手に持つ得物を逆手に構えて身を捻ると、イザナギとは逆方向、左から右側へと勢い良く斬りつけ移動する。
 アメノサギリを真横に切り裂くイザナギとマガツイザナギ。
 そのまま反対側へとアメノサギリを切り裂いた二体のペルソナが得物を引き抜くと同時に、アメノサギリから光が溢れ出す。
 切り裂かれた線に沿って溢れ出す光。

(駄目ッ! もう、意識が……)

 アメノサギリを切り裂いた所で鏡の意識は途切れてしまい、イザナギとマガツイザナギの姿が消滅する。

「ッ! 鏡!?」

 雪子が慌てて鏡の様子を確認する。

『雪子先輩! お姉ちゃんは気を失っただけだから、大丈夫! それよりも、今が最後のチャンスだよ! 千枝先輩、やっちゃって!!』

 りせの言葉に千枝は力強く頷くと、完二に一緒に攻撃するように指示を出してスズカゴンゲンを召喚する。

「これで、終わりだッ!!」

 アメノサギリの直上に黄金の握り拳が現れて、勢い良く殴りつける。
 補助魔法スキル【チャージ】によって強化された物理攻撃スキル【ゴッドハンド】がアメノサギリを真下へと叩き落とす。

「くたばりやがれッ!!」

 落下してくるアメノサギリの真下に陣取ったロクテンマオウが、物理攻撃スキル【イノセントタック】でアメノサギリを貫くと、ようやくアメノサギリはその動きを停止する。




「ここは?」

 何もない黒い空間。気が付いた鏡は一人呟くと周囲へと視線を巡らせる。

「……ここは夢と現実、精神と物質の狭間にある場所だよ」

 突然、背後から聞こえてきた声に、鏡は声がした方へと振り返る。
 そこに立っていたのは、黒いショートカットの白い袖無しのシャツに黒いネクタイを緩く締め、紅いタータン・チェックのスカートを穿いた、鏡と同世代と思われる少女だった。
 少女は被っていた青い鍔広の帽子の位置を整えると、鏡の方へと近付いてきた。

「本当、君も無茶をするよね。ペルソナの同時召喚なんて、出来ると解っていても、普通はやらないよ?」

 少女はどこか呆れたような様子を見せつつ、抑揚のない声で鏡に話し掛けてくる。

「貴女は、誰?」

 初対面であるはずの少女に、どこか懐かしい思いを抱きつつも鏡が訊ねると、少女は少し困った表情を浮かべて首を左右に振る。

「本当は名乗っても良いんだけど、君に対して必要以上に関わっちゃ駄目だから、名乗らないでおくね。と言っても、ココでの事は忘れちゃうんだけど」

 少女の意味ありげな言葉に戸惑うも、名前を教えてくれない事については申し訳なさそうにしているため、鏡はこれ以上の詮索はしない事にする。

「本当はね、私と君が出会う事は無かったはずなの。けれども、君が使った力の影響と、あの世界の特性が私達を出会わせた」

「私の使った、力の影響?」

「そう。君は他者との繋がりで得た強大な力で、本来は起こりえない事象を起こしてみせた。けれど、それは本来、人の身には大きすぎる力なの」

 少女は鏡に説明する。
 鏡が行使した力は、多用すると鏡自身を滅ぼす諸刃の力だと。

「体調が万全な状態ならともかく、今回のように病み上がりだと、それだけ危険が増すから、慎重にね」

 その言葉に頷く鏡を、少女は興味深そうに眺めている。

「……ふぅん、改めて見ると、こっちの君は美人さんだね」

 一人、納得した様子を見せる少女に鏡が戸惑った様子を見せると、『気にしないで、こっちの事だから』と言って、少女は屈託のない笑みを浮かべる。

「アメノサギリを倒したことで、町から霧は晴れる事になるけど、気をつけてね。まだ本当に全てが終わった訳じゃないから」

「ッ!? それって、どういう意味!」

「ごめんね。私から教える事は出来ないし、ココで教えても、目が覚めたら君は忘れてしまうから……」

 申し訳なさそうに謝罪する少女の姿に、鏡はこれ以上の詮索は出来ないのだと悟る。

「けど、君ならきっと、その時が来たら気付けるはずだよ。あの人と同じように、真実へと辿り着けるよ」

 確信を持って少女は鏡にそう語る。
 根拠のない筈の言葉なのに、何故だか鏡には少女の言葉が正しいのだと思えてくる。

「そろそろ時間だね、これを持っていって」

 そう言って、少女が鏡へと手を差し伸べる。
 差し出された手に鏡が自身の手を近づけると、少女の手に見慣れたタロットカードが現れる。

「きっと君の力になれると思うから。こうして私達が出会えた事には、きっと意味があるんだよ」

 受け取ったタロットカードには何も描かれてはいなかったが、暖かな力を鏡は感じた。
 少女からタロットカードを受け取ると同時に、鏡の視界が徐々に暗くなっていく。
 自身が現実で覚醒するのだと気付いた鏡の耳に、柔らかく微笑んだ少女の別れの言葉が届く。

「それじゃ、が~んばってねっと」

 間延びした少女の声を最後に、鏡の意識は現実へと覚醒する。




 鏡が目を覚ますと、そこはテレビの中ではなく、ジュネスの家電売り場だった。

「良かった、気が付いたのね……」

 鏡が目覚めた事に、うっすらと涙を浮かべた雪子が喜びの声を上げる。

「……雪子? 足立さんは? アメノサギリは……どうなったの?」

 まだ意識がハッキリとしない鏡の問い掛けに、雪子は全てが終わった事を伝える。
 鏡が意識を失った後、千枝と完二がアメノサギリにトドメを刺して、足立も無事に助け出す事が出来た事。
 陽介が遼太郎に連絡して、今は遼太郎の到着を待っているのだと雪子から説明を受けた鏡が視線を仲間達へと向ける。

「もう、お姉ちゃんは病み上がりなのに無理しすぎ!」

 鏡が目覚めた事に仲間達が安堵の表情を浮かべる中、りせが目元に涙を浮かべながら鏡に抗議する。

「りせちゃん、心配かけてごめんね」

 謝る鏡に、りせはしがみつくように抱きつくと、嗚咽を漏らし鏡の無事を心の底から喜ぶ。
 そんなりせの背中に鏡は優しく手を乗せる。

「鏡ちゃん、無事で本当に良かった……」

 体力を消耗した足立が疲れた様子を見せながらも、鏡の無事な姿に安堵の表情を浮かべて声を掛ける。

「足立さんも無事で良かったです。もう死に逃げないで下さいね?」

「……あぁ、君達に救って貰った命だ。生きて罪の償いを模索する事にするよ」

 鏡の言葉に頷く足立は、向こうの世界で見たときよりも晴れやかな表情をしていた。
 
「スマン、遅くなった」

 そう言って、菜々子を連れた遼太郎が到着する。
 手伝えなかった事を謝る遼太郎に、鏡達は気にしないで欲しいと伝える。

「堂島さん……」

 そう言って、立ち上がった足立が遼太郎へと近付くと、自身の両手を差し出す。
 足立の意図を悟った遼太郎は首を振ると、その必要はないと言外に伝える。
 遼太郎の心遣いに足立は目を見張ると、済まなさそうに頭を下げる。

「……それじゃ、俺は足立を連れて行くから、スマンが菜々子と一緒に先に戻っておいてくれ。帰りは遅くなるから、戸締まりはしっかりとな」

「足立さん、これ、菜々子が作ったの。お父さんと一緒に食べてね」

 遼太郎の言葉に頷いた鏡が菜々子へと視線を向けると、菜々子が手にした包みを足立へと差し出す姿が目に映った。
 包みの中は御握りで、菜々子が足立がお腹を空かせているだろうと思い作ってきたそうだ。

「……っ!? ありがとう、菜々子ちゃん」

「足立さん、また今度、ご飯を食べに来たときに手品を見せてね!」

 目尻に涙を浮かべつつお礼を言う足立に、菜々子が屈託のない笑顔を見せてお願いをする。
 叶えられない願いだが、足立は菜々子に手品を見せる約束をすると、遼太郎に連れられ家電売り場を後にする。
 鏡達と別れ、自動販売機で飲物を購入した遼太郎は自身の車に足立と共に乗り込むと、手にした飲物を足立に手渡す。

「……菜々子がな、最近のお前は元気が無いって気にしていてな。きっとご飯をちゃんと食べてないだろうからと言って、それを作ってきたんだ」

 包みの中には御握りが六つ入っており、中の具はそれぞれ鮭のほぐし身とカツオ、梅干しがそれぞれ二つずつとなっている。
 綺麗な俵型に握られた御握りは、食べるのが勿体ないぐらいの出来映えで、菜々子が丁寧に作ったことが見て取れる。
 足立は御握りを手に取ると、口元へと運びゆっくりと咀嚼する。
 程良い塩加減に梅の酸味が混ざり、足立の食欲を刺激すると同時に菜々子の心遣いが足立の心へと染み渡っていく。

「……美味しい。菜々子ちゃん、本当に料理が上手になりましたね」

「そうだな。鏡の教え方も上手いのだろうが、菜々子自身が上達したいと、真剣に取り組んだ結果なんだろう」

 自身も御握りを手に取ると、足立に答えてから遼太郎も御握りを食べ始める。

「足立、済まなかったな」

「……え?」

 御握りを食べ終えたところで、そう話し掛けてきた遼太郎に、足立が呆気に取られた表情を見せる。

「初めて会った時、お前に『家族だと思え』って偉そうなことを言っておきながら、俺はお前の悩みに気付けなかった」

 悔恨を含んだ遼太郎の言葉に、足立は慌てて遼太郎の言葉を否定する。
 罪を犯したのは自身の弱さが原因で、決して遼太郎に非がある訳ではない。遼太郎に打ち明ける機会は幾らでもあったのに、打ち明けた後のことを恐れて、何も言い出せなかった自分が悪いのだと。
 菜々子と遼太郎の優しさに、いつしか足立の目には涙が溢れていた。
 こんなどうしようもない自分に向けられていた優しさ。その優しさから目を背けたのは、他ならない自分自身だ。
 だから、遼太郎が自分に詫びる必要は無いのだ。

「鏡ちゃんにも言いましたけど、生きて罪の償いを探したいと思っています」

「……そうか」

 足立の言葉に遼太郎は静かに頷くと、稲羽署へと向けて車を発車させる。




 鏡が退院してから数日後にせまった期末試験。
 その準備で緊張した空気が流れる中、一部の男子学生達がそわそわとした様子である噂話をしていた。

「……なぁ、それって本当なのかよ?」

「間違いないって。ツイッターで呟いてたし、それらしいのを最近よく見掛けるし」

 そんな男子生徒達へと視線を向けた陽介が怪訝な様子を見せていると、それに気付いた千枝が最近流れている噂話について陽介に説明する。
 なんでも、『かなみん』の相性で知られるアイドル『真下かなみ』が主演のテレビドラマの撮影が、稲羽市で行われるらしいとの事。
 噂の真偽はハッキリとはしていないが、それらしい呟きをツイッターで見掛けたのが噂の発端になっているそうだ。

「あれ? 確か、りせの後輩だったよな『かなみん』って」

 陽介がそう呟くと同時に、疲れた様子のりせが2組の教室へとやって来た。

「りせちゃん、どうかした? 随分と疲れた様子だけど」

 雪子の質問に答えたのは当人であるりせではなく、一緒に付いてきた直斗だった。

「最近流れている噂話の真偽を確かめるために、久慈川さんへ質問する生徒達が後を絶たないんですよ」

「……事務所から離れている間の事なんて、私が知るわけ無いっつうの」

 心底嫌そうな表情でりせが呟く。その様子にはいつもの元気が無く、かなりのストレスが溜まっているようだ。

「けどよ、どうしてそんな噂が流れ出したんだ?」

「確か、かなみんの呟きからファン達が撮影現場を推測して、だったかな?」

 完二の疑問に千枝が小耳に挟んだ事だと断ってから説明する。
 最近になって、それらしい人物を見ることが多くなったとかで噂の信憑性を高めているそうだ。

「それで、同じ事務所の先輩であるりせに質問が殺到したって訳か。災難だったな」

 千枝からの情報を聞いた陽介がりせを気遣う。
 騒ぎもその内に収まるだろうが、それまではりせの憂鬱な日々が続きそうだ。

「りせちゃん。今日、りせちゃんのお家に寄っても良いかな? 退院してからまだ、シズおばあちゃんに会いに行ってなかったから」

 それまで話を聞いていた鏡がりせに声を掛ける。
 鏡の申し出にりせは嬉しそうに了承すると、シズも鏡に会いたがっていたことを伝える。

「それじゃ、今日は一緒に下校しようね」

「はいっ!」

 先ほどまでの不機嫌さが嘘のように満面の笑みを浮かべたりせが鏡に返事を返す。




 放課後になり、上機嫌なりせが鏡との他愛ない話に花を咲かせながら下校する。
 ここ最近の質問攻めが与えたストレスを全部吐き出すかのように、りせは鏡に話し続ける。

「お、りせちゃんじゃないか!」

「町の助役さん……でしたっけ? こんにちは……」

 あまり接点のない初老の男性が誰であったかを思い出しながら、りせが挨拶を返す。
 戸惑うりせをよそに、男性は興奮した様子でりせに驚くべき事を告げる。

「いや~聞いたよ、今度の撮影の話! すぐ近くでテレビドラマの撮影をするんだろ?」

 寝耳に水の話に戸惑うりせの姿を見た男性は、“かなみん”こと真下かなみ主演のロケが行われる事を告げる。
 その情報に驚くりせに男性は、りせの口添えで小さなイベントを行ってくれないかと提案する。
 男性の提案にりせの機嫌が悪くなるが、男性はりせの事には気付かず、あれこれと呟きながら自分の考えに没頭していく。

「よし、さっきのマネージャーって人に言っておかなきゃな!」

 考えが纏まった男性はそう言うと、挨拶も無しにその場を去っていった。
 先ほどから一変して不機嫌になったりせを宥めつつ、鏡はりせと共に丸久豆腐店へと移動する。

「あれは……井上さん?」

 店の前に立っている、眼鏡を掛けた見知らぬ男性に気付いたりせが呟く。
 その呟きが聞こえたのか、男性もりせに気が付くと僅かに笑みを浮かべてりせ達の方へと歩いてくる。

「良かった、会うことが出来て。りせちゃん、久しぶり」

 親しげに話し掛けてくる男性に対して、りせはあからさまに不機嫌な様子をみせる。

「何の用ですか、井上さん」

「ロケ地の下見で近くまで来たから、会えればと思ってね」

 そう言って、男性は背広の内ポケットから一枚の封筒を取り出すと、りせへと手渡す。
 受け取った封筒の宛名から、自身へのファンレターだと気付いたりせは、差出人の名前を確認して小さく驚きの声を上げる。

「この子、まだ手紙をくれてたんだ……」

「それを君に渡すのと、君の口から、ちゃんとした“答え”を聞きたかったんだ。本当に、復帰は未定のままで良いんだね?」

 井上の言葉に、りせは僅かばかりの逡巡をみせると、戻らない事を伝える。
 りせの答えを聞いた井上は、その事を惜しむも、『これで新しい仕事に専念できる』と言って、現在は真下かなみの担当である事を告げる。
 その上で、自分達はりせ以上の人気を得られるように、これからはかなみを売り込んでいくと告げる。

「でも……かなみは“普通の子”だ。それでも、僕らは売れるように“作る”……」

 そう言った井上はりせへと視線を向けると、りせには“光”があり、飲み込みの早さ、空気を読む力、その時々に応じて強く、または弱く見える繊細な笑顔、そして何より、年離れした演技力は他の子達がどれだけ望んでも辿り着けない高みへと行けたはずだと称賛を送る。

「僕のおこがましい、押しつけだけどね。だから……せめて君の口から、今の答えを聞きたかった。それじゃ、元気で。体には気をつけてね」

 そう言い残して去っていった井上を、唖然とした表情で見送ったりせは、拳を握りしめると小さく肩を震わせる。

「なによ……卑怯じゃん……答え言わせた後にさ……そんな言葉、現役の時に一度も聞いたことないっつうの……」

 演技力があるのは当たり前だ。寝る間も惜しんで、必死に頑張って努力したのだから。
 色々な感情が一気に押し寄せたのか、気付かない内に、りせの瞳に涙が溢れてこぼれ落ちる。

「え……? なんで、涙なんか……出るのよ……意味、分かんない……悲しい事なんて、何も無いのに……」

 嗚咽を漏らしながら涙するりせを、鏡はそっと抱きしめると、優しく頭を撫でて静かに泣きやむのを待つ。
 しばらくして、落ち着きを取り戻したりせは辰姫神社へと鏡と共に移動すると、井上から渡されたファンレターを大切そうに取り出す。

「お姉ちゃん、ごめんね。あのまま帰ったら、おばあちゃんに心配を掛けそうだったから……」

 そう言って、りせは手元のファンレターの封を丁寧に剥がして、中から便箋を取り出す。
 なんでも差出人は中学生の女の子で、仕事で以前イジメの撲滅キャンペーンに出たのを見て、勇気を貰ったという理由でそれ以来、何かと近況を書いては頑張っている事をりせに伝えていたのだそうだ。

「この子からの手紙を読む度に、“りせちー”にも意味があるって思えた。だから、辛いときは何度も読み返していたな……」

 その言葉に頷く鏡の隣で、りせは手にした便箋に目を通していく。
 手紙の内容は最近の近況と、りせが早く元気になって復帰できる事を真摯に願ったモノだった。

「テレビの中でも思ったけど、いつかこの子にありがとうって言えたらな……後、ごめんねって」

 この子だけでなく、沢山のファンを失望させている事をりせは理解していた。
 そう何度も社長に言われて、りせ自身も自覚していた事だ。
 それなのに、心の中に大きく穴が空いたような虚しさに襲われ、大切な何かを失ったのだと痛感する。

「りせちゃんにとって、“りせちー”もまた自身の大切な一部だったんじゃ無いのかな?」

「そう……なのかな。そうなのかも知れない……無くしてから大切な事に気付くって、本当の事だったんだね……」

 鏡の言葉にりせは頼りなげに言葉を返すと、手にした便箋をじっと見つめる。

「お姉ちゃん。帰ったら、もっと良く考えてみる。自分の、今の気持ち。もう何も、失したくないから……」

 その言葉に鏡は同意するとりせを家まで送り届けて、久しぶりに会ったシズに心配を掛けた事を詫び、自分がもう大丈夫である事を伝える。
 鏡の無事を喜んだシズは退院祝いだと言って、鏡に豆腐とがんもどきを包んで手渡す。

「鏡ちゃん、今度は菜々子ちゃんと一緒に遊びにおいでね」

 帰り際にそう言ってくれたシズに笑顔で頷いた鏡は、二人に別れを告げてから帰宅する。




 それから数日が経って始まった期末試験も無事に終了した学校内では、相変わらずテレビドラマの撮影の話題が飛び交っていた。
 りせに対する質問攻めは直斗と完二が鎮静に乗り出したため、落ち着きを見せ始めたようだが一部ではまだ、りせに真偽を確かめようとする生徒が居るらしい。

「入院してたはずなのに、トップはまた姉御なんだな……」

 張り出された期末試験の結果を見た陽介が、呆れたように呟く。
 仲間達の順位もそう悪いモノでなく、上位には鏡の他に雪子と直斗が名を連ねている。
 完二もここ最近の頑張りの結果が出始めており、徐々にだがその順位を上げている中、りせだけが僅かに順位を落としていた。
 以前の事をまだ気にしているのか、りせは時々、思い詰めた表情を見せている。
 その事が気にならないと言えば嘘になるが、理由を訊ねても『大丈夫』だと答えるりせに、陽介達は無理強いをしないようにとそれ以上は訊ねない事にしている。

「お姉ちゃん。今日の放課後、少し時間をもらっても良い?」

「良いよ、今日の晩ご飯にお豆腐を買いに行きたいと思っていたから、放課後になったら一緒に下校しましょう」

 りせの申し出に鏡は了承すると、放課後になったら迎えに行くと約束を取り付ける。
 鏡の言葉に頷いたりせは感謝の言葉を述べると、自分の教室へと戻っていった。

「なぁ、姉御。最近、りせのヤツ何か悩みを抱えているようだけど、大丈夫なのか?」

 去っていくりせを見送った陽介が、心配そうに鏡に訊ねてくる。
 雪子や千枝も同じ気持ちらしく、ここ最近のりせの様子を心配しており鏡に不安げな視線を向けている。
 そんな仲間達に鏡は大丈夫だと告げると、りせの事は自分に任せて欲しいと皆に願い出る。

「鏡さんに任せるのが一番良いでしょうね。久慈川さんは僕達の中で鏡さんの事を一番信用していますから」

「だな。俺達に言えない事でも、姐さんになら打ち明けられるだろうし」

 直斗の言葉に完二が同意し、りせの事については鏡に一任する事で皆が同意する。




 全ての授業が終わり、鏡は早々に帰宅する準備を済ませると、りせを迎えに一年二組へと向かう。
 鏡が到着すると、教室の前でりせが鏡の到着を待っており、やって来た鏡に気付いたりせが嬉しそうな表情を見せる。

「実は今日、ある人と会うんだけど、お姉ちゃんに同席して欲しいの」

 学校を後にしばらく歩いた所で、りせがそう切り出してくる。
 りせの言葉に僅かばかりの驚きをみせつつも、鏡は自分が同席しても良いのかとりせに確認を取る。

「こんな事、おばあちゃんには頼めないし、私一人だと冷静で居られる自信が無くって……ごめんね、お姉ちゃん。事後承諾になっちゃって」

「それは気にしてないけれど、今日会う人ってこの間の井上さん?」

「ううん、違う人。風見響子(かざみきょうこ)さんっていう女の人で、井上さんが来た数日後に連絡が来たの」

 りせの説明によると、りせがデビューして初めて主演を演じる事になったテレビドラマの監督だった女性で、ここ最近の噂になっている“かなみん”主演のテレビドラマの監督をしているのだそうだ。
 そんな相手からの連絡と聞いて、鏡はりせが自分に同席して欲しいと言った理由を理解する。

「ひょっとして、出演のオファーが来たの?」

「……やっぱり解っちゃうよね」

 鏡の問いに困惑した笑みを浮かべたりせがそう答えると、彼女と出会わなければ今ほど演技が得意では無かっただろうと話す。
 中高生向きのテレビドラマの監督として有名な人物で、彼女が手掛けた仕事はどれも高評価だと言う。
 もっとも、その手の話題に疎い鏡には、その凄さがどれほどのモノか判別が出来ないようで、りせもその事を理解してるため、詳しい説明は控えて自分の恩人である程度に説明をとどめた。
 何しろ、“りせちー”を知らなかったのだから、裏方の人物の事を詳しく説明しても実感が沸かないだろう。
 そんな事を内心で考えたりせは、小さく笑みを浮かべる。

「りせちゃん、久しぶり。元気そうで何よりだわ」

 そう言って待ち合わせ場所でりせを出迎えたのは、スーツを着こなした妙齢の女性で、彼女が先ほどりせが話した風見響子という人物なのだろう。
 キビキビとした動作はキャリアウーマンっと言った言葉がピッタリと合い、鏡はふと自身の母親の姿を思い出した。

「ご無沙汰してます、響子さんもお変わり無さそうで」

 りせに言葉に響子は優しい笑みを浮かべると、鏡へと視線を向ける。

「隣の彼女はひょっとして……以前、週刊誌にスクープされた時の子かしら? アレは災難だったわね」

「神楽鏡と言います、初めまして」

 初対面の鏡に対して身構える事なく親しげに接する響子に鏡が挨拶すると、響子も鏡に対して自己紹介を済ませる。

「鏡ちゃんは、りせちゃんからかなり信頼されているのね。今回、私がここに来た理由はりせちゃんから?」

 響子の問いに鏡が頷くと、少し考える素振りを見せてから、この場で立ち話もなんだからと落ち着いて話せる場所へ移動しようと提案する。
 確かに、立ち話で済ませる内容では無いので、りせと鏡も響子の申し出に同意する。
 二人は響子が乗ってきた車で沖奈市まで移動すると、沖奈駅前にある喫茶店『シャガール』へと入り、人目の付かない奥まった席へと座る。

「それじゃ、早速だけど。りせちゃんには、この間の連絡時に話したとおり、私が監督するテレビドラマに出演して欲しいの」

 注文した珈琲を手に、響子がそう話し出す。
 りせの事務所には既に話が通っているらしく、りせが引き受けるのなら構わないと言ってきたそうだ。
 響子からの説明にりせは驚きつつも、どうして自分に依頼を持ち込んだのか、その真意を尋ねる。

「一番の理由は惜しかったから、かしら。ううん、違うわね。私が監督である前に、一人のりせちゃんファンだから」

 そう言って、響子は初めてりせが自分と仕事をした事を挙げてその時からファンなのだとりせに伝える。
 監督しても“久慈川りせ”というアイドルの才能を高く評価している事を告げ、今回のドラマにはりせが必要なのだと真摯に説明する。

「りせちゃん、私はこの話を受けた方が良いと思うよ」

 それまで二人の会話を聞いていた鏡が、りせへとそう告げる。

「お姉ちゃん!?」

「アイドルへの復帰は関係なく、りせちゃんが自分自身の気持ちと向き合う良い機会だと、私は思う」

 鏡の言葉に、自分自身が本当はどう思っているのを知るチャンスだと気付いたりせは、響子にドラマへの出演依頼を受ける事を伝える。
 依頼を受けてくれたりせに、響子は嬉しそうに微笑むと、りせの演じる役についての説明を始める。
 りせの役どころは数シーンの小さな役だが、かなみが演じる主人公に大きな影響を与える重要な役だと響子は話す。

「りせちゃんの演じ方一つで、このドラマの出来映えを左右すると言ってもいいわね」

「響子さん、今からそんなプレッシャーを掛けないで下さいよ……」

 響子の言葉に困った様子でりせが抗議するが、響子自身はこれくらいの事なら大丈夫でしょうと、りせへ信頼している事を伝える。
 そう言いながら手渡された台本を受け取ったりせは、先ほどとは違う真剣な表情で台本の中身を確認する。
 手渡された台本には付箋が付けられており、そのページがりせの演じる役の箇所なのだろう。
 ざっと目を通したりせは、他の出演者との顔合わせが何時なのか、響子へ確認を取る。

「今度の日曜日だけど、都合は大丈夫?」

 その返答にりせは大丈夫だと答えると、響子は鏡へと視線を向けて、当日はりせと一緒に鏡にも来て欲しいと願い出る。
 その言葉に鏡が困惑した表情を見せると、りせの付き添いとして彼女を支えて欲しいと説明する。
 りせの出演には異論を出さなかった事務所だが、スケジュール管理をする人員が出せないと言ってきたらしい。
 その件については、りせの役自体が数シーンの撮影で済むため響子としても、それ以上の事は言えなかったそうだ。
 響子がその事をりせに詫びるが、りせ自身も引退する自分に対して、事務所がそこまでしてくれるとは考えてなかったので、響子には気にしていないと告げる。
 それよりも、鏡が一緒に付いてきてくれる方が嬉しい様子で鏡もそんなりせの手伝いが出来るならと付き添いを引き受ける。

「それじゃ、今日は時間を取らせてごめんなさいね。日曜日に会いましょう」

 話が終わり、沖奈駅前でそう言って別れた響子を見送った二人は券売機で切符を購入して構内へと移動する。
 響子自身は二人を自宅まで送ると申し出たのだが、車で移動するよりも電車で移動した方が早いからと二人が断ったのだ。

「あれは……」

 楽しそうに駅構内へと移動する二人を、そう呟きながら一眼レフのデジタルカメラを首から提げた妙齢の女性が視線で追う。
 以前、週刊誌に載せたりせと鏡の写真を撮った浅野さつきである。
 先週から再び沖奈市へとやって来たさつきは、数日前に撮った写真のデータをデジタルカメラの画面に読み出す。
 そこに写っていたのは、泣いているりせを優しく抱きしめる鏡の姿だった。
 この写真だけでも特ダネになるのだが、さつきの勘がそれよりもモノになる特ダネの匂いを嗅ぎ取り、この写真は未だ利用される事なく、さつきのデジタルカメラのディスクにデータが補完されたままである。

(私の勘に狂いはなかった。やはり、彼女からは特ダネの匂いがするわね)

 さつきはそう考えると、獲物を狙う獣のような表情で舌なめずりをすると借りているビジネスホテルへと向かうのだった。




 その日、『かなみん』こと真下かなみは内心で焦っていた。
 初めてのテレビドラマへの出演。それも、主演でだ。
 その事にかなみは舞い上がるほどの嬉しさを感じていたが、撮影が始まると、すぐに自分の才能の無さに焦りを覚え始めた。
 元々、女優よりも歌手の方を目指していたかなみは、演技自体は嫌いでは無かったが、自分には不向きだと思っていた。
 それでも、自身初の主演という事もあって、事務所に言われるまま役作りに取り組んだ。
 自分の先輩であり、『りせちー』の愛称で親しまれていた久慈川りせが休業宣言をした事によって巡ってきたチャンスだった。


 最初は彼女の代わりでも良いと思っていたが、ほどなくして自分が何かをする度に“りせちー”と比較されている事に気付いた。
 同じ事務所の先輩後輩の間だから仕方がない事とは言え、りせと比較され続ける事は、かなみにかなりの苦痛をもたらした。
 自分は、りせと比べて圧倒的に才能が足りない。
 その思いはかなみの動きを固くし、更なる悪循環へと繋がっていく。

(……何で?)

 そして今、監督から紹介を受けているココに居るはずがない人物の姿を目の前に、焦りはピークに達していた。

「久慈川りせです。急な参加ですが、よろしくお願いします」

(何で“りせちー( あんた )”がココに居るのよ!)




――次回予告――


 その人物の登場に少女の心は千々に乱れていく
 はやる思いは空回りし、徐々に少女を追いつめていく

 認められたい ただそれだけの願いがひどく難しい

――変わる切っ掛けは手の届くところに

 分岐点を前に、少女は自身を試される


 次回、PERSONA4 PORTABLE~If the world~

     翼、羽撃く

――まだ見ぬ、高いその大空――



2015年04月15日 初投稿


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
2.6101689338684