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[24918] 5/19外伝公開(sage更新)ヤンデルイズ(ルイズヤンデレ逆行?もの2スレ目)【完結】
Name: YY◆90a32a80 ID:041859d1
Date: 2011/05/19 20:19
これはゼロの使い魔の二次創作です。
ルイズ×サイトものであり、ルイズヤンデレものであり、珍しい?ルイズ逆行もの?です。
ルイズはサイト命です。
苦手な方はご注意下さい。

※一部残酷だと思われる描写があります。

※一部魔法に独自解釈やオリジナルに近いと思われる描写があります。

※微エロ、R15抵触程度の表現があります。
万一、これはアウトだろ、と思われる描写がありましたら、お手数ですが感想欄にてご指摘頂ければ修正、場合によっては移行も考えます。

※人によってはタイトルにやや偽りアリ?と思われるかもしれませんがネタバレ回避の為の仕様です。

※最後はオリジナル設定を多分に含みます。

※外伝は本編とは違う書き方(レイアウト?)で書いています。
本編は最初に一行開けで始めた為(あと一話10kバイトとかの自己制限)それを守りましたが、外伝はそのルールに則らなかったのであしからず(見づらかったらゴメンナサイ)


H22.5/7 チラシの裏より移動

H23.5/1 完結



お知らせ

※1スレ目への誘導も記載したかったのですが、恐らく管理人様の業者対策によって記載できない仕様にしてあるみたいなので、ご了承下さい。

※1スレ目の感想掲示板の報告によって知ったのですが、エヴァ板に現れている業者の書き込みが増えているようで、その中の一つにこの作品の記事の説明書きを丸々?コピペして使っているものがありました。
おわかりだとは思いますが、あれはこの作品とは全く微塵も関係ありません。皆無です。虚無です。
削除依頼は出しましたので、舞様がお手透きの時に対処をして下さるとは思うのですが、舞様も多忙の身のご様子なのでいつになるかはわかりません。
なので、ここにも書いておきます。
エヴァ板にあるヤンデルイズはこの作品とは無関係の業者による違反行為です。



[24918] 第九十八話【禁忌】
Name: YY◆90a32a80 ID:041859d1
Date: 2010/12/21 17:25
第九十八話【禁忌】


「何を言ってるのかしらデルフリンガー?」

 何者だ? とはどういう意味かわからない。

『言った通りの意味だ娘っ子、お前さんが何処の誰なのかってこった』

「私はトリステイン王国の公爵家の三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。現在魔法学院二年生で系統は虚無。好きな物はサイト、嫌いなものはサイトに仇成すもの。それぐらい貴方も知っているでしょう?」

 ルイズはやや眉根を寄せながら淡々とデルフに自身の説明をする。

 自分が何者かなど分かり切っているし、デルフも“今のサイトと違って”知っているはずだ。

 ルイズはデルフに冷ややかな目を向け、サイトの事で大変な時に何を惚けた事を聞いてきているのだろうかこのボロ剣は、と内心憤る。

『…………本当にお前さんはただの貴族の娘っ子か?』

 やや間を空けて、デルフは普段とは違う無機質な声で尋ね返した。

 それにルイズが苛ついたように答える。

「だから私は公爵家の三女、魔法系統は虚無のルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールだって言っているでしょう? 何度もくだらない問答をさせないで。六千年も生きてボケでも始まったの? 悪いけど私はサイト以外に構っている暇はそう無いの」

『……あー前から気になってたんだけどよ、何だその“六千年”って』

「あら? 本当にボケたの? 貴方は六千年前からある……言わば齢六千歳のインテリジェンスソードでしょうが」

『何を言ってやがる? 俺様は“六千歳”なんて餓鬼みたいな歳じゃねぇ』

「だから…………なんですって? 今なんて言ったの?」

 ルイズの醒めていたような表情が変わる。

『だーかーらー、俺様は“六千”なんてチャチな餓鬼じゃねぇっての』

「貴方、戦いで刀身をぶつけすぎておかしくなったの? 六千年前のガンダールヴが使役した剣が貴方でしょう?」

『? ああそうだぜ、俺様はガンダールヴの剣だからな』

「じゃあやっぱり良いんじゃない、アンタは六千年前からあるボケたボロ剣よ」

『いやいや、俺様は六千どころかもっと前からあるぜ?』

「……だから何? それと私と何の関係があるって言うの?」

 一瞬デルフの言葉の意味を掴みかねたルイズだが、結局はボケた剣の戯言かと苛立ち、話を打ち切ろうとするが、



『相棒がお前を見たいってんだから仕方ないだろうがよ』



 おかしな発言を耳にした。

「何を言っているの? ここに来いってサイトに言ったのは貴方でしょう?」

『ああそうだぜ』

「それで何でサイトが私を見たいって出てくるのよ」

『そりゃ“相棒”がそう言ったからだ』

 矛盾している。

 先程から話が噛み合わない。

「本当にボケたのデルフリンガー? なんでサイトが私に会うためにサイト自身が私を貴方の元へ連れて来なきゃいけないのよ」

『あ? そりゃおめー、こっちの“相棒”はあっちの相棒と違ってここからたいして動けねーからだろ?』

「何を言って……こっちの相棒?」

 ルイズの中に釈然としない物が生まれた。

 こっちの相棒とあっちの相棒とは、まるで相棒、サイトが二人いるかのような言い様ではないか。

 と、途端太陽の光が、近くの木の葉を一際強く照りつけ、その陽光がデルフに反射し、




─────────見覚えのある青い服が半透明に見えたような気がした。




「っ!?」

 心臓を急に握られたような錯覚。

 呼吸が荒くなり、立っているのが辛くなりそうになる。

 何故なら、その見覚えのある青い服は忘れようの無い、異世界の“パーカー”という服だったからだ。

 何だか、重大な見落としをしている気がする。

 自分は何か、とんでもない思い違いをしている気がする。

 “何か”を根本から間違っている気がする。

 だが……口は自然と開いていた。



「サイ、ト……?」



 忘れよう筈も、見間違えよう筈も無い。

 それはまさしく、今のルイズを作る原因となったもの。

 かつて彼女の使い魔“だった”少年。

 喪った“平賀才人”そのものだった。

 過去、彼女が後悔に苛み、再びの邂逅を目指してやまなかった存在。

 それが……そこに“在る”

『やっぱりな娘っ子。もう一回聞くぞ? おめー何者だ? 何でここにいる“相棒”が“相棒”だって分かった? この“相棒”はもう“とんでもねー昔”に死んでんだ。なのにどうやってかはわからないが“遡ってきた”っていうお前さんが何で知ってんだ?』

 “死んでいる”

 それは言われなくとも理解していた。

 それでもサイトが死んでいると言われると、“あの時”同様に胸が苦しくなる。

 同時に、ルイズの頭は自分が“壮大な勘違い”をしていた可能性に気付いた。

 思えば“ヒントのようなもの”はいくつかあった。

 自分が知っているのと微妙に違う人間関係。

 ウェールズ皇太子が生きている歴史の齟齬。

 何よりのイレギュラーは“自分”として認識している自分。

 それを、ルイズは些細な事として無視した。

 むしろサイト召喚までは極力齟齬の無いようにししてきた。

 召喚後もサイトに固執するあまり他に目を向けなかった。

 故に、今日まで考えもしなかった。




 “過去”に遡ったんじゃなく……とんでもない“未来”に来ていた可能性を。




 ルイズは考える。

 先程のデルフとの会話の矛盾。

 それは、自分が何故か過去に遡った……のではなく何故か未来に来た為だとしたら?

 過去に遡った、とは誰かに聞いたわけでも無い主観……状況証拠に過ぎない。

 もしデルフの言うとんでもなく長く……というのが言葉通りそうなのだとしたら。

 自分が没してからどれだけ先の事かはわからないが、一旦文明……ハルケギニアが“何らかの理由によって滅んだ”のだとしたら。

 それから、気の遠くなるような年月を重ねて、文明は同じように“発展し直した”のだとしたら。

 荒唐無稽だが、ルイズの中ではそれが一番しっくりと来る推論だった。

 現実的には全く同じような“発展”をするなど、それこそ確率的には果てしなく低く、皆無と言ってもいい。

 この推論が正しいなら十中八九“何らかの力”が働いた、もしくは“働かせた者がいる”結果だ。

 証拠となる根拠は乏しいが、ルイズはそれを確信していた。

 何故なら、目の前には、見えずともかつての使い魔、遠いあの日に喪った“彼”が居るのだから。

 じわり、と目に涙が溜まる。

 言いたい事は一杯あった。

 やりたいことも一杯あった。

 だが、不思議と言葉は出ずに体も動かなかった。

「あ、れ……?」

 それに一番戸惑ったのはルイズ自身だった。

 大好きだったサイトだ。

 会いたくて会いたくて仕方なかったサイトだ。

 そのサイトが見えずともここに居る。

 だというのに、彼女は湧き上がる心の奔流そのままに動くことは出来なかった。

 否、奔流は思ったほど大きく無かった。

 死んでしまっていて悲しい。

 でも会えて……その存在を感じられて嬉しい。

 だというのに、ルイズは大好きだったサイトに今までのような……独占欲染みた感情がさほど無い事に気付いた。

 全く無いわけではないが……目の前の見えないサイトが一番ではない。

 そもそももし“彼”が一番なら姿など見えなくとも、この世にもう居なくとも、鋭敏な彼女の“サイトレーダー”は“彼”を難なく捕らえただろう。

 彼女のレーダーは今、小さくはあるがティファニアの家を挟んで向こう側に反応している。

 ここに今、実際にいるサイトに反応している。

 そこで気付いた。

 今までの……この前までの彼女は、言ってしまえば“サイト”ならそれで良かったのだ。

 それが“サイト”と認識できるなら、それで良かった。

 それが全てだった。

 だが、今の彼女は相手が“サイト”であるだけでは足りなくなっていた。

 否、足りなくさせられていた。

 サイトには自分を知っていて欲しい。

 自分を、今の自分を知るサイトでいて欲しい。

 “惚れさせる”と言ってくれた彼に、惚れたい……いや既に惚れさせられている。

 同じサイトでも、大好きなサイトに違いは無くとも、確かに“ルイズの中でサイトに序列が生まれた瞬間”だった。

 首からぶら下げている銀の太陽。

 それを握りしめて、“何も見えない正面”にルイズは申し訳なさそうな声で言う。




「ありがとうサイト、貴方のおかげで今の私がある。私は本当に、心の底から、貴方が……大好き“だった”」




 それは“過去形”の告白。

 かつて言えなかった、“当時”の心の裡。

 ふっと、ルイズは頭を撫でられた……ような気がした。

 例えるなら、一抹の寂しさと、安心を孕んだ優しい手つきのように思える。

 今度は、涙が止まらなかった。






























 ルイズが肩を震わせながら涙を流している様子を見つめる“目の無い無機物”が一振り。

 どうやってその映像を見ているのかすらよくわからない意志ある剣、インテリジェンスソードのデルフリンガーは、そんなルイズを目の無い目で見ながら、



『娘っ子は過去じゃなくて未来に来たってのか? ……するってぇと娘っ子の奴……“禁忌”を使った、のか……?』



 誰にも聞こえない声で、そう呟いた。




***




「スゲー!! 魔法スゲー!!」

 サイトははしゃいでいた。

 目の前ではウェールズがエアカッターによって薪を割っていた。

 その度にサイトは魔法に興味を示し、面白がった。

 それをウェールズは苦笑いしながら見つめる。

 彼、サイトは一際“風”を嫌っていた。

 自分も、彼には彼本人からあまり好きじゃないと言われたことだってある。

 その彼が、“何の抵抗も無く”風に興味を示し、喜んでいる。

 “本当の彼”を知っているウェールズは、それがなんだか悲しいことのように思えた。

 サイトは今“本当に”楽しそうに風の魔法を見ている。

 その楽しいという感情が仮に本物だったとしても、“風”を見て楽しむ彼は本当の彼ではない。

 彼は“風”のスペルを見て喜ぶ事は無いだろうから。

 そう思うと、ティファニアが罪悪感を持つのも無理はない。

 記憶というものは多かれ少なかれその人物の人格に影響しているのだ。

 それを消去し、その人の“人となり”を変えてしまったと思えば、優しいあの子なら罪悪感を持つのは当然だ。

 自分としても、“風”に嫌悪しない彼を見るのは痛ましかった。

 どうせ風に好意的になるなら、“本当の彼”にそうなってもらわねば意味が無いのだ。

 自分ですらそう思うのだから、ヴァリエール嬢の内心の落ち込み様はもっと深いだろうとウェールズがルイズの心中を察する。

 だが、だからと言って今彼らの為に出来ることはそう多くない。

 それをもどかしく思いつつ、ウェールズは心の中で一刻も早いサイトの記憶回帰を祈りながら必要分の薪を割って……“風”メイジである彼の耳は風に乗って届いたその言葉を捉えた。



『────────見つけた』



「っ!?」

 ウェールズの背中に冷たい汗が流れる。

 敵意ある……いや敵意しか感じられないその声。

 その声の主はもうそこまで迫っていた。

「使い魔君!! 家の中へ戻るんだ!!」

 ウェールズは危険を感じ慌ててサイトを先導しようとするが、少し遅かったらしい。



「おや? 前アルビオンの皇太子じゃないか、死体が無いと思っていたら本当に生きていたんだね」



 声の主、長い黒髪にローブを纏ったひょろりとした女性が、二人の前に現れた。



[24918] 第九十九話【憤怒】
Name: YY◆90a32a80 ID:1329af1b
Date: 2010/12/17 20:56
第九十九話【憤怒】


「お前は……!!」

 ウェールズは突如現れた女性に見覚えがあった。

 まだウェールズが城で戦線会議に出ていた頃、この顔とそっくりの似顔絵を見たことがある。

 額に布のようなものを巻き、黒いローブで覆われた細い女性。

 長い黒髪に、高い背丈、腕もひょろりとした長さをイメージさせるが、太さは感じられず、抱えるようにして“大きい箱”を持っている。

 諜報部隊が調べた所によると彼女は、

「シェフィールド、クロムウェルの秘書だったお前が何故こんな所に居る!?」

 神聖アルビオンを掲げたクロムウェルに最も近しいと呼べる側近の一人に間違い無かった。

「おや、私を知っているのか」

 シェフィールドと呼ばれた女性は言葉とは裏腹にたいして驚いてはいなかった。

 相手は元とはいえ争っていた一国の皇太子。

 それぐらいの情報は掴んでいても不思議は無い。

「……知っているとも。クロムウェルが貴様の言葉に耳を傾け、言われるがままだったらしいこともな。我々の中にはクロムウェルは何者かの……お前の傀儡ではないかという話もあったくらいだ。使い魔君、僕の後ろへ」

 ウェールズは油断無くシェフィールドに杖を向け動向を窺いながら、未だ状況を理解していないサイトに自身の背後に回るよう指示した。

 サイトはよくわからないまま言われた通りウェールズの背後に回る。

「私のことは王城に居た時に多少聞いている、と。成る程ね」

 いつでも対応できるよう気を張っているウェールズとは対照的にシェフィールドは落ち着き払っていた。

 それがさらにウェールズの焦躁を煽る。

「戦争は終結した筈だ、お前がここに来る理由は無い筈。何しにここへ来た?」

 たらり、とウェールズの額から汗が流れ、頬を伝って顎から地面へと落ちた。

「気を張りすぎだよ元皇太子殿下殿。それに理由が無いからいる、という可能性もあるでしょう?」

「たまたまだと? あり得ないな、私は確かに貴様が“見つけた”と口にするのを耳にした。風メイジの耳を舐めてもらっては困る」

 ウェールズの言葉に、シェフィールドは目を細め、

「……そう、聞こえてたんなら仕方ない、生きていた元皇太子殿下には大サービスで教えてあげるよ。私は“あのお方”の命によってお前の後ろに居る奴を始末しに来たんだ」

「何だと!?」

 ウェールズがサイトを押し、サイトごとややシェフィールドから距離を取る。

 シェフィールドは目は細めたまま口には嘲笑を浮かべ、

「知っているかい? 今巷じゃ“サウスゴータの双子”って恐れられている話があるのを。流石にこんな森の中に隠れてたんじゃ聞かないよねぇ? 良いよ、聞かせてあげよう」

 シェフィールドは楽しそうに手を大きく広げ、大仰な仕草で語り出す。





 サウスゴータの双子。

 一人は黒い子鬼。

 たった一人で十人の力がある。

 到底一人ではかなわない。

 倒すなら百倍の人がいる。

 でも倒しちゃいけない。

 黒い子鬼を倒したら、



───────もっと恐い悪魔がやって来る。





「この付近で急速に広まっている童謡さ。事実を元に作られているそうでね。わかるかい? これはそこの坊やと坊やの主のことだよ、大義名分のもと“大量殺戮”をやってのけたね!!」

 坊やと呼ばれたサイトはビクっと肩を震わせた。

 黒い子鬼? 十人の力? 大量殺戮!?

 記憶を失う前の自分は一体何だったんだ?

 サイトはウェールズの背に隠れながら、途切れ途切れに入ってくる情報に怯える。

「しかしそれも眉唾だったのかしらねぇ、その子鬼がこんなに震えているなんて」

「っ!?」

 サイトは心情を言い当てられて益々怯えた。

 自分に身に覚えのない……否、本当の自分がわからない今、他人から聞いた自分が全てなのだ。

 その自分は黒い子鬼で、大量殺戮者で、その自分を始末しに来たという女性がいる。

 何もわからないサイトは、突然の情報に混乱し、恐怖していた。

「あの方が“取引によって得た”トリステインの秘宝まで持ってきたってのに、ちょっと興ざめだわ」

 シェフィールドはそんなサイトをつまらなさそうに笑う。

 英雄だ悪魔だと外で祭り上げられてる割に、本人はたいした覇気も感じられない。

 本当にこんな冴えない男が七万人もの大軍を止めたのだろうか?

 “あの方”は七万もの大軍を止めた“神の左手”を始末しろと仰っていたけど本当にこんな奴始末する意味があるのだろうか?

 そこまで考えてから、シェフィールドは意味などという“不要な感情”を振り払う。

 自分が行動を起こすのに意味はいらない。

 もし必要なのだとしたら“あのお方”の望みを叶えるという一点のみで良い。

 何より簡単な仕事だともっと喜ぶべきだ。

 このままいけば“あのお方”が取引してまで手に入れたこの“秘宝”を使わなくて済みそうだし、“あのお方”の元に早く戻れるし……何より今度こそあのお方の喜ぶお顔が見れるかもしれない。

 ニタァとシェフィールドは嫌らしい笑みを浮かべる。

「そうとなれば、さっさと仕事を済ませようか。元皇太子殿下、そこをどけば怪我をしなくて済むわよ?」

 シェフィールドは持っていた大きな箱を足下に置くと、何処から取り出したのかやや変わった“銃”をウェールズを通してサイトに向けた。

「……退くわけにはいかない」

「そう」

 シェフィールドは銃を構えたまま、反対の手の指でパチンと音を鳴らした。

 途端、傍の茂みからは人影が現れ始める。

 その数四。

「これは……“アルヴィー”か!?」

「アルヴィーはアルヴィーでも特製の小魔法人形……“スキルニル”さ」

 スキルニルとは人の血を与えられることでその人物になりきり、その人物の能力の再現まで可能とする小魔法人形だ。

「くっ」 

 増援を見込めない今、戦力になるのは自分だけだ。

 近くにいるであろうミス・ヴァリエールは今杖を持っていないらしいし、ティファニアが戦うなど論外。 

 記憶を失ったサイトを護りながらでは無事ではいられないかもしれない。

 それでも、退くという選択無い。

 ここで退けばティファニアにも累が及びかねない、まして王族として無法者に屈することなどあってはならない……それならば一人で全員を蹴散らすしかない!!

 ウェールズは戦う覚悟を決めた。

「いくぞ、人間の顔をしていてもスキルニル!! 人間を相手にするより格段に相手取りやすい!!」

 実際には、アルヴィーといえど戦闘能力にさほど差は出ない。

 それでもウェールズの心情的には、それが人形であるとわかっているだけで全然違うものだった。

 サイトを背に、四方を囲むように佇む人間……いや小魔法人形をウェールズは渾身のエアハンマーで遠くへと吹き飛ばす。

 それでも一度に吹き飛ばせるのは一体、おまけに致命傷ではない筈だ。

 だがウェールズは吹き飛ばした奴はそれ以上意に介さず、すぐに視線を変えて他の人形を吹き飛ばす。

 数の圧倒的不利。

 護る者のいる戦いではまずはそれをなんとかしないとどうにも動きようがない。

 そう思ったウェールズは、まず“一方向でも良いから”敵がいない……つまり背を向けられる方角を手に入れたかった。

 背を向けられる方角を確保した後に各個撃破、それが今の……記憶喪失のサイトという“お荷物”を抱えている自分の取れるベスト……ではなくてもベターな戦術だと考えた。

 事実、その戦術は上手く型にはまったように見えた。

 まず最初に思い切り一人を遠くへ吹き飛ばせたのが大きい。

 予想以上に“戻り”に時間がかかっているようだった。

 もう一人も同じように倒せずとも吹き飛ばすことには成功した。

 加えてふり向きざまに放ったエアニードル、風の螺旋槍が残る二体の人形のうち一体の体をいとも容易く貫いた。

 あれではもう戦えまい。

 思いの外相手は動きが悪かった。

 恐らくはただの人形に故に“戦闘力”を真似できても、回避に対する“危機感”と“必死さ”という感情まで真似しきれないのだろう。

 どこか気概が無いようにも感じられた……それこそ人形のように。

 それが、ウェールズにこの戦いを制する勝機として捉えさせる。

 勝機は自信へと繋がり、ウェールズは残る人形一体相手に、護りの体勢から攻めへと転じた。

 閃光、とまではいかなくとも俊足と言っていい速度で相手の懐に入り込み、“ブレイド”によって袈裟切りに真っ二つにする。

 人形は手応え通り二つに割れ、プツンと糸が切れたように地面に崩れ落ちた。

 勝った、そうウェールズは内心で確信した時、



「はい、ご苦労様」
 


 シェフィールドの声が耳に入った。

「しまっ!?」

 気付いた時にはもう遅い。

 最初から聞いていたのだ、彼女の目的は。

 ただ、戦闘が思いの外好調だったから、つい攻めに転じてしまった。

 それがまずかった。

 彼は飽くまで“護る”戦いをせねばならなかった。

 何故なら今、シェフィールドの目的……サイトはウェールズという護衛から離れすぎているのだから。

 戻ろうとするがそれより早くシェフィールドは持っているその“奇妙な銃”を放つだろう。

 さらに悪いことに、

「っ!!」

 最初に吹き飛ばした二人の人形が戻ってきており、ウェールズの腕を押さえつけた。

 これでは動けない、彼を助けられない。

「喜びなよ元皇太子殿下、世にも珍しい魔法が飛び出る銃の実演を見られるんだからね。さて、“変わり果てたアイツ”が入れた風のスペルを拝ませてもらおうかしら」

 シェフィールドはいやらしい笑みを浮かべて銃口をサイトに向け、その引き金を……引いた。

 途端、風が吹き荒れる。

 小さな暴風がサイトへ向かう。

 それは、例えるなら小さい竜巻。

 砂塵を巻き上げながら徐々に大きくなるその中では、真空の刃が縦横無尽に牙を向いていた。

「杖も無しにカッタートルネードだと!?」

 両の腕を掴まれながらウェールズは目を見開く。

 あれは小規模ながら真空の断層を生み中に居るものを切り刻む風のスクウェアスペルではなかろうか。

 ウェールズの驚きを後目に、段々と風は止み始め、砂塵も収まり、中心部には……予想と違って桃色の髪が見えた。

「……な!?」

 いつの間に、と銃を使ったシェフィールドですら驚きを隠せない。

 ただ桃色の髪ををした少女は、全身血だらけで、服も無数に切り刻まれながら、頭を沈め、大事そうに何か……サイトを抱えていた。

「……っ、え?」

「大丈夫、サイトは私、が護るか、ら」

 何が起きたのかわからないサイトが目を開いた時、そこには“鉄のような匂い”を漂わせる綺麗な“ルイズさん”がいた。

 そのまま、彼女はサイトの頭を大事にそうに抱え、ポタリと紅い物を滴らせる。

「お、おい!?」

 それが何か分からぬほど、記憶が無いサイトでも鈍くは無かった。



 遠くでは舌打ちする女が居る。

 目の前には血を流しながら苦しそうに微笑む少女が居る。




────────お前が護れ────────




 聞き覚えのある声がしたような気がした。

 毎日のように聞いたが事がある、しかしそれ故誰かは思い当たらない声。

 思い当たらないのは記憶喪失のせいではなくて、きっとその声の主が“誰よりも”自分に近いから、そんな気がした。

 だが、目の前の少女の光景が、弱弱しい彼女の本気の笑みが、サイトにそれ以上の思考を止めさせる。

 護れ、と言われた何も記憶に寄る辺の無いサイトだが、それが誰の事なのかは考えるまでもなく、また言われるまでも無いことだったからだ。



「てめぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!」



 故に、血まみれの少女に覆い被られたサイトが灯した感情は“怒り”だった。



[24918] 第百話【黒幕】
Name: YY◆90a32a80 ID:041859d1
Date: 2010/12/21 17:29
第百話【黒幕】


 ビクリと震える。

 怒気を孕んだ少年の声が、始めてシェフィールドにその少年を“驚異”として認識させた。

 やはり“あのお方”の考えは正しいと頭の片隅で自身の主の正当性を再認識しながら迎撃体勢を整える。

 “魔弾銃”は……駄目だ。

 ガンダールヴのスピードは早い。

 ぐんぐん迫り来る少年相手に“別な弾を装填する暇”は無い。

 この魔弾銃は弾に魔法を込めておけば、その弾が放てる便利なマジックアイテムな一方、“単発式”という欠点があった。

 再装填は恐らく間に合わない。

 サイトの初速を見て瞬時にそう悟ったシェフィールドは、やむなく本命を使うことにした。

 足下にある大きな箱。

 そこに入っている国宝のマジックアイテム。

 それを使わせてもらう事にしよう。

 当初は必要ないかと思っていたが、こうなっては仕方が無い。

 使ったところで“予定通り”なのだ。

 この国宝のマジックアイテムはまだ使用したことが無く、どんなものなのかは知らないが、それも問題は無い。

 何故なら、

「神の左手ガンダールヴ、お前だけが特別だと思うんじゃないよ!! なんて言ったって私は“神の頭脳”、“ミョズニトニルン”なんだからね!!」

 自身もまた虚無の使い魔、神の頭脳ミョズニトニルンなのだから。

 神の頭脳とは、その名の通り頭脳……知識を得る使い魔。

「ガンダールヴがどんな“武器”でも扱えるなら、この私、ミョズニトニルンはどんな“マジックアイテム”でも扱える。例えそれが始めてでも頭の中に情報……正しい使用方法が入ってくるのさ!!」

 “神の頭脳”ミョズニトニルンである事を明かしたシェフィールドの布によって隠されていた額が光り輝く。

 神の左手と呼ばれるガンダールヴは左手の甲に使い魔のルーンが刻まれるのに対し、神の頭脳と呼ばれるミョズニトニルンはその名の通り頭……額にルーンが刻まれる。

 シェフィールドは自身の正体を明かしながら足下の箱から“それ”を取り出した。

 彼女がわざわざ正体を明かしたのは、“それ”を使える圧倒的な自信からだった。

「国宝のマジックアイテム“破壊の杖”、威力の程は知らないがその昔ワイバーンも倒したという程の強力な“杖”だ、終わりだよガンダールヴ!!」

 シェフィールドは自信満々、声を高らかに上げ、持ち上げた“ソレ”を向かってくるサイトに向け、いつものように流れてくる情報に沿って存分に使おうとし………………出来なかった。

「えっ? あれ? そんな馬鹿な!?」

 シェフィールドは“信じられない”思いで筒状の重たいソレ……“破壊の杖”を持ち上げたまま動かない。

 これはかつて、あの高名な貴族を専門に狙う“怪盗フーケ”ですら一度盗むほどの国宝の“マジックアイテム”

 だというのに、頭には全然全く、これっぽっちも使い方が流れ込んでなど来なかった。

 こんなことは初めてだ。

 今までマジックアイテムを持つだけでそれがどんなものでも問題なく理解でき、使えた。

 逆に常時では必要ないのに持っているだけで情報が頭に入ってくる始末だ。

 だからこそ最近ではギリギリまでマジックアイテムは手には取らないようにしていたのが災いした。

 どうせ瞬時に使い方はわかるとタカを括って、事前準備を怠った。

 その結果、シェフィールドは切り札にしてメインウェポンの“破壊の杖”を使えないという予想外の事態に陥っていた。

 サイトはそんなシェフィールドに突進する。

 「きゃっ!?」

 サイト渾身の体当たりでシェフィールドは派手に尻餅を付いた。

 体中にジンジンとした衝撃の痛みが奔る。

 だがゆっくりはしていられない。 

 シェフィールドは痛む体に鞭打ち、打ち付けたお尻を押さえて中腰ながらも立ち上がる。

「チッ、こんなことならちゃんと調べておくんだった、仕方ない……“デルパッ”!!」

 破壊の杖とは違う、小さい掌サイズの筒をシェフィールドは胸元から取り出し、“妙な言葉”を言った。

 途端、明らかに筒の中には収まりきらない程の巨大な“ソレ”が現れた事にサイトは驚愕する。

 シェフィールドの“妙な言葉”と同時に筒からは“ソレ”……オーク鬼が飛び出てきたのだ。

 オーク鬼は、豚のような顔に、メタボリックを通り越えたような膨らんだ腹、手には大きな斧を持つ文字通り鬼の怪物だった。

 冷水を一気に浴びたようにサイトは冷静になる。

 目前には口周りや鼻から白い吐息を荒く吐いている自信の倍近くありそうな豚の怪物。

 対して自分は丸腰である。

「う、うわわわわ……?」

 サイトは数歩後ずさって……足に何かが当たって転ぶ。

 それは、先程までシェフィールドが“無意味”に持っていた大きな筒だ。

「……筒?いや、違う。これは……」

 サイトはそれを手に取る。

 するとずっしりとした重みと同時に、これが何なのか、どう使えば良いのか、そんな“情報”が流れ込んでくる。

 恐らく、いや確実に今の自分は“これ”を扱える、と不思議な自信が彼の中に芽生える。

 左手が輝く。




────────それを使え。お前なら使えるさ、何たってお前は“同じ”なんだから────────




 また、聞き覚えのある声がしたような気がした。

 その声はこれを使えという。

 お前なら出来ると。

 何だか、その“知ってるけど知らない近い声”で言われると、本当に大丈夫だと思えてくる。

 先程の自信も相まって、サイトは自然と体が動き、ソレを……担いでいた。

 (大丈夫、分かる……出来る……撃てる……いや、安全装置を外さないと……良し、これで本当に撃てる)

 サイトにはそれが何で、どうすればいいのか不思議と理解出来た。

 だから重い金属のような筒……“破壊の杖”……正式名称“ロケットランチャー”を発射する。



「プギィィィィィィィィィィィィィ!?」



 突如発射されたロケット弾。

 無慈悲に急加速を経て飛ぶそれは、オーク鬼にとっての凶刃でしかない。

 立っていたオーク鬼は、為す術無く突然の爆発する砲撃によって叫び声を上げるだけでその生涯を終えた。

「……う」

 そのあまりの威力に、辺りに立ちこめる血臭に、サイトはしばし呆然とする。

 が、すぐに我に返る。

 視界の隅に倒れている桃色の髪が映ったからだ。

 サイトは慌てて彼女の元に駆けだした。




***




『出血の割には思ったほど傷は深くないわ。ただ切り傷が少し残るかもしれないけど』

 治療をしてくれたティファニアからそうルイズの容態を聞き、サイトはホッとした。

 今の自分にとってはまだ良く知らない、それでいて今の自分を構成する上で数少ない“知り合い”であるルイズに助けられ、そのまま彼女が取り返しの付かないことにでもなれば、自分はどうして良いのかもっとわからなくなるところだっただろう。

 安心したサイトはティファニアからの夕食をもらうと、すぐにあてがわれた部屋に篭もった。

 疲労感もあるにはあったが、とにかく一人になりたかったのだ。

 こうして一人になれば、沸々とあの時の恐怖と嫌悪感が蘇って来る。

 わけもわからず命を狙われる恐怖。

 自分を助けるために文字通り盾になってくれた少女。

 自分が撃ったロケットランチャーによって死んだ化け物の血の臭い。

 最後のは考え、思い出すだけで気持ちが悪くなる。

「う……」 

 リアルに残っている硝煙と血臭は先程食べたシチューを戻しそうになる程だ。

 ぶんぶんと頭を振って布団の中に潜り込む。

 体が震える。

 そもそも自分は何故狙われたのだろう?

 ロケットランチャー使った後、いつのまにか居なくなっていたあの女性は「大量殺戮」がどうのと言っていたが、自分は悪逆非道を尽くす最低野郎だったのだろうか?

 何故“ルイズさん”は自らを省みずに自分を助けてくれたのだろうか?

 彼女は本当の自分にとってどんな相手だったのだろうか?

 わからないわからないわからない。

 わからないという恐怖。

 命を狙われる恐怖。

 女の子を犠牲するところだった恐怖。

 記憶という自分を構成するための物が無いサイトは分からなければ分からないほど悩み、恐怖していた。

 疲労感はあるから眠ろうとも思うが、その恐怖が彼に睡眠を許さない。

 加えて、

 「……足りない。“何かが”足りなくて眠れない」

 何かが、何かはわからない何かが無い為に眠れない。

 体は眠る時に必要な“何かが無い”為に、睡眠を良しとしてくれない。

 “その何か”が記憶の無いサイトに分かるはずもなく、悩み、考え、恐怖する。

 無限ループと言っていいその葛藤をしばらく続けたが、どうやら肉体は睡眠を妥協する気は無いらしい。



 ……カツン。


 
 と、シンと静まりかえっていた部屋に物音が響いた。

 咄嗟にサイトは息を殺した。

 先程までの悩みと恐怖から、嫌なイメージが先行して体が強張る。

 そのまま耳を澄ませて状況を把握しようとして、

 「っ!?」

 声が出そうになるのを必死に止めた。

 細い腕が背から回される。

 誰かがベッドの中に入り込んできている。

 それが誰なのかはすぐにわかった。

 柔らかい肌に混じって包帯のような感触があったからだ。

 だが、不思議なことに彼女、ルイズがベッドに入ってきても不快感や窮屈さは感じなかった。

 むしろ、先程まで全く無かった眠気が急に襲いかかってくる。

 (何だか……安心する)
  
 先程までの不安が急に癒されたような、そんな錯覚を得た彼は、どっと押し寄せてきた疲労感も相まって、そのまま睡眠欲に身を委ねることにした。




***




「申し訳ありません」

 シェフィールドは玉座に向かって頭を下げていた。

 これ以上の屈辱……恥は無い。

 自身の主の願いを叶えられなかったばかりか、国宝を相手に使われてしまうという失態を演じてしまった。

 体が震える。

 もし、この“お方”に『使えない奴』と思われ、捨てられることになどなれば、自分は生きていられない。

 このお方の満足こそ生きる意味なのだから。

 だが、彼女の予想は“良い意味”でも“悪い意味”でも裏切られる。

「……“神の頭脳”であるお前が使えぬ“マジックアイテム”を使った“神の左手”だと? フハハハハハ!! 面白いではないか!! これほど痛快な事は無い!! 本当に“神の左手”はアルビオン陥落以来“ここにある史実と違って”楽しませ続けてくれる!! 良い、赦そうミューズ。その代わり、俺の前にガンダールヴを連れて来い、無論生きたままだ。俺は俺の考えが及ばないそいつが欲しい」

「!? し、しかし!!」

「これ以上失望させてくれるなよミューズ。俺は国宝のマジックアイテムですら使えるガンダールヴが欲しいと言ったのだ、俺の願いを叶えるためにお前は居るのだろう?」

「……っ、かしこまりました。しかし宜しいのですか? 私が城を空けている間にも一度、“ガーゴイル娘”が反旗を翻したと聞いています」

「構わん。“あの女の処遇が漏れた”為に行動を急いだようだが……“姪”は捕らえた。少々手を焼きはしたがな」

「っ!? お怪我を!? あのエルフ……ビダーシャルは何をしていたのです!?」

「奴はお前が以前持ってきた土産で手一杯だ。そもそも俺を護るというのは盟約に無い。それにたいした傷ではない。まさか“近距離の格闘”を覚えて来るとは思わなかったが。あれはメイジにあるまじき戦いだな、俺が言うのもおかしいが」

 玉座に座る蒼い髪に蒼い髭を生やした妙齢の男は鼻で笑う。

「めっそうもありませんジョゼフ様」

 その男こそ、大国ガリアの国王、ジョゼフ王その人だった。



[24918] 第百一話【探索】
Name: YY◆90a32a80 ID:a8e2e792
Date: 2011/01/14 18:02
第百一話【探索】


「……ふぅ」

 整った金髪が湿るほどに汗をかいていた少年は一息を吐く。

 目の前には青銅によって出来た青銅像とも呼ぶべき像が一体。

「こんな感じで良いだろうか。“彼”の服は何処を探しても似たものさえ見つからないから記憶だけが頼りだったが……」

 金髪にして“隻腕”の少年は自らの魔法“錬金”によって公表されていない戦争の英雄像を作りあげていた。

 “誰も知らない戦争の英雄”はこの戦争において文字通り多大な貢献と活躍を果たした。

 トリステイン軍はその彼の功績によって救われたと言っても良い。

 だが、それが表に大きく公表されることは無い。

 何故ならその彼とは平民だからだ。

 誇り高い貴族より高い戦果を魔法も使えない一平民が上げたという話は到底信じられぬものであるのと同時に一般的な貴族にとっては認めたくないものでもある。

 今回の事も“彼”の事は戦争に参加していた一部の人間しか知らない。

 それがこの貴族社会というものだと幼い頃から学んできた。

 だが、いざ自身の知っている人間にそれを当てはめられてみるとこんなに苛立たしいことは無い。

 退陣の指揮を執ったウィンプフェンは外では大変な英雄扱いだが、彼がしたことは人員の配置と退却指示だけだ。

 評価されるべきではあれど、真に英雄と評価されるべき人間は別にいる。

 ここ数日、金髪の少年……戦争で武勲を挙げ勲章まで授与されたトリステインが誇る元帥グラモンの四男、ギーシュ・ド・グラモンの心はさざ波だっていた。

 自分達が生きてここに帰って来れ、勝利国となったのは誰のおかげだ?

 無論ここまで辛い戦いを戦い抜いてきた兵、指揮を取った指揮官、突然のガリアの協力もその理由には挙げられる。

 だが、一番の理由は別だろう?

 多くの国にとって重要な人物は、勝利を喜ぶにもっとも相応しい前線の兵達は“彼”によって生きてアルビオンから帰国できた。

 “彼”は殿という最低最悪の任を押し付けられ、立派にそれを果たしてみせやがったのだ、こんちくしょう。

「そうだこんちくしょう……!! 君は馬鹿だサイト、何故今君はここにいないんだ。こうやって生きて帰ってこれても、その生きて帰れるようにしてくれた君がいなきゃ何も意味が無いじゃないか!!」

 ギーシュはその場で膝を折って額を地面に擦りつけ、何度も片腕の拳で地面を殴りつける。

 トリステイン魔法学院。

 自分の通う魔法学院の広場で黙々と作り続けていた青銅像が完成したのと同時、堰を切ったようにギーシュの中に喪失感が襲い掛かってくる。

 親しい者が死んでいくという喪失感。

 戦争なんだからという免罪符を使えば、成程とそう思うことも出来るだろう。

 だが、戦争だからといって命を奪い奪われる事への正当性は全く無い。

 自分も戦争に参加した身で、その杖で幾人も敵を屠って来た。

 そんな自分がこう思うことなどおこがましいのかもしれないが、それでも思わずにはいられない。

 何故戦争で人は死なねばならないのか、と。




***




「むぅ……!!」

 アニエスは悩んでいた。

 戦争が終わった今、アニエスにはこれ以上トリステイン魔法学院に逗留する理由が無い。

 もともと、戦時中の手薄となる魔法学院の守備隊としての臨時防護が任だったのだから当然といえば当然だ。

 アニエスの手には今、アンリエッタからのその旨と次の任務を伝える旨の手紙があった。

 本来ならばアンリエッタに忠誠を誓ったこの身はすぐにでも女王の元に馳せ参じ、任を全うしなければならない。

 それが、大恩あるアンリエッタへの誠意と忠誠でもある。

 だが、今この魔法学院を離れるという事は、今もって継続中の別の戦い……ある意味でこちらも戦争と化している戦場、“コルベール争奪戦”から外れることを意味する。

 自分は一歩も二歩も出遅れているのに、ここで間を空ければ一気に突き放され戦線復帰すら危ぶまれる。

 折角先日は奴を落とすために用意した茶を気に入る言葉をもらったというのに、それも意味をなさなくなってしまう。

 次の策として役立ちそうな書物も、メイド達から聞いてメイド伝に『バタフライ伯爵夫人の優雅な一日』という本を入手していたのだが、読む暇も無かった。

 アニエスは歯噛みする。

 次の任務はよりのもよって遠征なのだ。



『アルビオンに赴き、“行方不明”となっているラ・ヴァリエール公爵家三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールとその使い魔の探索を命じる』 



 手紙にはそう記されていた。

 折角今、争奪戦に密かに参加しつつあった一人が里帰りだとかでいないというチャンス時に、自分もまたこの場を離れなければならないとは。

「どうかしたのですかな?」

「どうしたもこうしたも無い、陛下からの新しい任……うわあっ!?」

 アニエスは何時の間にか背後にいたコルベールに驚き慌てふためいた。

「すみませんな、驚かせるつもりは無かったのですが、何やら難しい顔で私の部屋の扉の前に居られるもので」

 どうやらアニエスはコルベールの部屋の前につっ立ったまま考え込んでいたらしい。

「いやっ!? これはその、なんというかだな……!!」

 身振り手振りを大きく動かしアニエスは何とか弁明しようと試みる。

 が、慌てすぎたのもあって、手にしていた任務内容の手紙を落としてしまう。

 それを、コルベールが拾った。

「これは……探索命令、ですか」

「う……」

 極秘任務で無い以上、任務自体を知られることにさほど大きな問題は無い。

 もっとも王宮、それも女王からの書簡によっての任務状を関係ない他者に見られるというのはあまり良いとは言い難いが。

 だが、アニエスの取り乱し様を余所に、コルベールは難しい顔をしながら任務状をアニエスに返すと、

「ミス、もし良ければ私も同行させては貰えないだろうか。なに、人探しの人員は多い方が良いだろう」

 真面目な顔でそう言って来た。

 今のアニエスにとっては願ったり叶ったりである。

 むしろ他の奴らよりリードするのに好都合になるのだが、疑問も残る。

「それは何故だ?」

「……私の教え子、生徒“達”の無事を確かめたい。ミス・ヴァリエールとサイト君に生きて再会したいのです」

 真摯に答えるコルベールの瞳は、頭頂部よりもある意味純粋に輝いていて。

 人の為に、と思わせるその顔は、遠い昔、何所かで見たことがあるような、そんな懐かしさをアニエスに与えた。

 アニエスはその懐かしさ……既視感とも呼べるそれを思いだそうとしてコルベールを見つめ、コルベールもまた連れて行くのにあたっての見極めだろうと真摯にアニエスを見つめ返し、二人はそのままややしばらく見詰め合っていたのだが、

「あーっ!?」

一人の……いや、

「ミスタ……?」

 二人の乱入者によってそれを邪魔される。

 邪魔者の一人、キュルケはコルベールを訪ねようとして見つめ合う二人を見つけ憤慨した。

 最近いつもつるんでいるタバサが急な帰省をすることになって特に暇を持て余していた。

 その分をコルベールとの進展時間に充てようと思ったのだがイキナリの抜け駆け現場の目撃だ。

 抜け駆けはするのは良くてもされるのは許せない、それがツェルプストー家の家訓みたいなものの一つだった。

 だからこそ彼女の家はヴァリエール家との恋人を取り合う不倶戴天とも言える敵同士にまでなったのだが、家の事を別にしても、未だ少女の域を出ないキュルケにとって、それは自身のプライドをくすぐられることだった。

 彼女の中に流れる血筋含め、彼女は恋に恋することが生きている実感を得られる最高にして最大のスパイスなのだ。

 まして抜け駆けという彼女の専売特許を盗られたとあっては、心沸き立たないはずが無い。

 対して、一緒にゼロ戦を整備……もとい“改良”していたエレオノールはコルベールの戻りが遅いので見に来てみれば一番確率の低いはずの女と見詰め合っているではないか。

 先約の自分をすっ飛ばして、これはとんでもない裏切りに等しい行為でもある。

 エレオノールはルイズのこともあって、最近ではパイロット無しで戻って来たゼロ戦を何かに憑かれたように整備していた。

 エレオノールとて、その小さな胸をルイズのことで痛めていた。

 無事を信じたいが、彼女の冷静にして上等な頭は確率論と非情な答えばかり突きつけてくる。

 それ考えないように一心不乱に整備をしていると、いつしかそれにコルベールも付き合うようになった。

 そこにいるのが当たり前のように、コルベールはエレオノールの手伝いをしていた。

 それにエレオノールはどれだけ救われただろうか。

 ふと手が止まって嫌な考えが頭をよぎった時は、涙が出そうにもなった。

 だが、そんな時は決まってコルベールが声をかけ、暖かく包み込んでもくれたのだ。

 エレオノールはそれに救われ、彼女の心はもはやそれ無しでは落ち着かないほどに不安定にもなっていた。

 それが無ければ気丈な自分が保てないほど、依存し始めていると言っても良い。

 彼女にとってゼロ戦 = コルベールであるのと同時に、彼と行うゼロ戦弄りが精神安定剤にもなっていた。

 同時に、彼女の心の想いも彼が包み込んでくれるたびに強くなっていた。

 そんな二人にコルベールは、



「丁度良かったお二人とも。私はこれから生徒達を探しにアルビオンへ向かおうと思っています。お二人はどうなさいますか?」



 答えがわかりきっているだろう質問をした。




***




 ギーシュは汚れるのにも構わず広場で仰向けになって空を見上げていた。

 空は果てしなく広く、青い。

 あの戦争中のような、爆炎によってどんよりとした灰色の空は何処にも無い。

 青い空は平和を表しているようだった。

 ツンツンと彼の使い魔であるジャイアントモール、巨大なモグラのような出で立ちのヴェルダンデが鼻先で心配そうに突いてくる。

「……すまないヴェルダンデ。大丈夫だよ」

 その使い魔の優しさにギーシュは空を見つめたまま頭を撫でる事で答える。

 だがギーシュの心はかつて戦時中に見たあの曇り空のように一向に晴れない。

 そんな、鬱葱としたギーシュの顔を覗き込む光る頭……もとい“火”の担当教諭が一人。

「どうしたのですかな? こんなところで寝ていると風邪をひきますぞ?」

「ああ、ミスタ。世界はこんなにも平和で穏やかなのにちっとも僕の心は晴れないんです。風邪ですか? いっそこんな鬱々として空虚な気持ちを延々と持ち続けるなら酷い風邪をひきたいものです」

 ぞろぞろと何人か引き連れているらしい教諭の声が聞こえるが、今のギーシュの耳にはたいして残らない。

 そういえばさっきもモンモランシーと似たような会話をしたような気がするな、とは思ったが完全には思い出せなかった。

 それだけぼうっとしていて、何も考えたく無かったということだ。

「そんなことを言ってはいけませんぞ。立派な像ではないですか。きっとサイト君も喜びます。何だったら本人に聞いてみれば宜しいでしょう」

 ガバッとギーシュは起き上がる。

 今の言葉にカチンと来たからだ。

「ミスタ・コルベール!! サイトはもう……!!」

「死んでいると? 彼を大事に思う君がそんなことで良いのですかな? 私はこれからアルビオンに渡って“遅刻”している“教え子達”を探しに行くつもりですが君は諦めていると?」

「っ!? そ、そんなわけ……そんなわけありませんよミスタ!! 僕も行こうと思っていたところです!!」

 ギーシュの、死んだような目に光が戻る。

「では、一緒に向かいましょう、“彼ら”を探しに」

 コルベールは優しい、先導者の顔でギーシュに微笑んだ。



[24918] 第百二話【蜜月】
Name: YY◆90a32a80 ID:a8e2e792
Date: 2011/01/09 00:03
第百二話【蜜月】


「よっ、ほっ、はっ、と」

 風斬り音と共に鈍色の軌跡が舞い、分厚い木片が切断されていく。

「よし終わり」

 サイトが呟き、振り回していた剣を鞘に戻すと、そこには薪の山が出来ていた。

 これだけの量があれば二日は持つだろう。

 孤児……自分達だけでは生きていけぬような小さい子が多い、というよりティファニアとウェールズ、そして自分達二人を除けばこの村にはそういう子たちしかいないと言って良い。

 その為何を用意するにしても大量に用意する必要があった。

『よう相棒、大分俺様の扱いが良くなってきた……っつーよりも“戻って”来たじゃねぇか』 

 “自刀”を鞘から僅かに覗かせて、サイトが仕舞った筈の片刃剣、インテリジェンスソードであるデルフリンガーが柄の金具をカチカチと音を立てながら話しかける。

「良くわからないけど、体を動かそうとすると自然に動くんだ」

 サイトは自分でもやや不思議に思う。

 今もって記憶という名の皆との絆は思い出せない。

 精々が今みたいに、ふとした時体が勝手に動くくらいだ。

 だが、ここで共同生活している他の三人のうち二人、“ルイズさん”とウェールズ……とりわけルイズの方は自分をよく知っているらしい。

 らしい、というのは“ルイズさん”の口からさほど自分のことが語られていないからだ。

 聞きたくはあるが、本当の自分という物を知るのが恐いサイトは、あまり『自分』から“自分”のことを聞きたがらなかった。

 あれだけ『自分』に“良くしてくれるルイズさん”があまり多くを語らないのは、恐らく『自分』のそんな心が見透かされていると感じつつも、聞くのはやっぱり恐かった。

 サイトは未だに襲撃者の女が言っていた言葉が気にかかっていた。



 “大量殺戮”



 その言葉が“自分”という人間を本当に縛る物なのかどうか。

 “自分”という物は『自分』を認識してからが全てだ。

 『自分』が“自分”と同じであるとは必ずしも言えず、また逆も窺える。

 『自分』の感性が“自分”と違った場合、そう例えば“自分”は人を殺すことに何も感じず、躊躇わないような人間だった場合、『自分』は“自分”とは違うことになり、またそんな“自分”が『自分』であったという事実に耐えられそうにない。

 “自分”と『自分』の齟齬に怯えて前に進めない、否進みたくない。

 堂々巡りだった。 

 そんなサイトの不安を、いつも掻き消してくれるのは“ルイズさん”だった。

 こちらが気付いていないと思っているのかどうかわからないが、彼女は“自分”が『自分』になってから毎晩寝所に潜り込んでくる。

 さわさわと探るような手つきで背中から抱きしめられ、静かな寝息を立てる。

 それが『自分』を落ち着かせる。

 恐らく、いや絶対に彼女無しでは毎晩が形の無い不安に駆られて眠れないだろう。

 加えて、一人でベッドに横になると“自分”の記憶なのかはたまた体は覚えているのか、何かが“タリナイ”と感じるのだ。

 それが、彼女がベッドに入ってくることで埋められる。

 だから彼女には頭が上がらない。

 とは言っても、朝は決まって『自分』の方が早く起きるから、こっそりとベッドを抜け出し、それが彼女にとって不満らしい事は毎朝のやや恨めしそうでいて寂しそうな顔から推測できるが、ベッドの中で見つめ合うなんて恥ずかしい真似は出来ないから、毎日昼間は出来るだけ彼女の言う事を聞くことにして心の中で埋め合わせしている。

 それが今ここでの『自分』の共同生活。

 そして『自分』の役割でもある。

「まぁ、“ルイズさん”は“一緒に居てくれるだけで良い”って言って特に何も望まないから本当にそれだけなんだけど」
  
 特別な事を望まれたところで、記憶の無い『自分』では出来ることは限られている、と言えばそれまでだが、どうも彼女の役に立っている気がしない。

 今のように全体に響く共同作業としての仕事は当然いくつか受け持ってこなしているが、“彼女限定”でとなると、何も出来ている気がしないのだ。

 それとも“自分”ならどうにか出来るんだろうか。

 彼女はそれを待っているんだろうか。

 朝の事も、“自分”なら上手くやってのけるのだろうか。

 …………“自分なら”?

 …………。

 ……………………。

 ………………………………。

 「………………」

 考えていておかしい事に気付く。

 いつの間にか『自分』と“自分”を別人として捉え、あまつさえ“自分”に恐怖と嫉妬している。

 こんなこと、“自分”なら考えもしないのだろうなぁと思って、鬱屈した気持ちから笑いが込み上げて来る。




 まさか、“自分”にも同じような葛藤があったことなど、記憶の無い『自分』には知りよう筈もなかった。




***




「ふぅ……」

 ルイズは額を拭う。

 彼女は今夕食の下ごしらえをしていた。

 彼女の実家の人間……とりわけ両親が知れば卒倒しかねない所謂“下々の務め”のそれに近いことである。

 サイトとウェールズは年長の男だというだけあってそれなりに食べるが、孤児の子供達も負けてはいない。

 一人一人の食べる量は二人に及ばずとも、子供達は“数”で責めて来る。

 別に戦っているわけでも競争しているわけでもないが、子供達はいつも元気一杯お腹一杯食べるのだ。

 子供一人が平均してサイトやウェールズの6割から7割程度食べるとしたら、三人で年長二人分をカバーしてしまう。

 六人子供が居たら年長四人分となる。

 そうなると作る方は全員に満足に行き渡るよう予め多くの食事を用意しなければならない。

 かといって、ここの台所事情……貯蔵しているお金や食材が豊富に残っているかといえば、そうとも言えない。

 無駄なくやりくりしなければあっという間に食材は尽きてしまう。

 ましてや学院の食堂のように、あれだけ豪奢な料理を並べ、あまつさえ残したりしたなら、ここでは一日と持たなくなってしまうだろう。

 ルイズは料理のイロハは覚えど、“やりくり”という観念には貴族という性格柄疎かった。

 彼女の料理は形になってはいても無駄が多く出てしまう。

 その為ルイズはティファニアにやりくりや無駄ない調理の仕方を教授されながら食事の準備をしていた。

 いやティファニアの手伝いをしている、と言った方が正しいかもしれない。

「あ、ダメだよルイズ、それを捨てちゃ。それはまだ使えるの」

「え? これをまだ使うの?」

 野菜の中心部、“芯”にあたる部分をルイズは捨てようとして咎められる。

「そうだよ、硬いけど薄く切れば食べられるし、スープに入れても良いもの」

 ティファニアの慣れた手つきでの野菜の芯の処理を、ルイズは感心するように見ていた。

 と、

「ただいまー、水貰っても良いか?」

「あ、サイト!!」

 薪割を終えたサイトが、薄っすらと汗を浮かべてキッチンへと入ってくる。

 ルイズはぱたたた、と駆け寄りティファニアに用意してもらった彼女用のエプロンの端で背伸びするようにしてサイトの汗を拭う。

「お疲れ様、水ね? 今持っていくわ」

「ああ、ありがとう“ルイズさん”」

「…………良いのよサイト、それじゃあっちで待ってて」

「わかった」

 サイトはすぐに踵を返すと、キッチンから姿を消した。

 ルイズは複雑な顔のままサイトを見送り、姿が見えなくなってからくるりと身を翻すとティファニアが微笑んでいた。

「なんだか、私とウェールズより新婚さんみたいなやり取りに見えるよ」

「そう? ありがとう。でも……いえ、なんでも無いわ」

 ルイズは何かを言いかけ、やめる。

 それをここで言うのは意味の無いことだ。

 ルイズは水をコップに用意すると待たせているサイトの方へ向かう。

 サイトはウェールズと一緒に子供達の相手をしていた。

「うわーサイト兄ちゃん高い高いー!!」

「次僕!!次僕!!」

「私もー!!」

「ウェールズ兄ちゃんこれ教えてー」

「ねぇねぇウェールズ兄ちゃんこれこれ」

 ウェールズはテーブルで絵本を読む子供に文字を教え、サイトは一人の少年を抱き上げ、持ち上げていた。

 皆キャッキャッと笑い合っている。

 これが、ここにいる子供達が本当に自分とサイトの子供だったなら。

 そう思うと、先ほどのティファニアの言葉も途端に現実味を帯びてくる気がする。

 サイトはこちらに微笑んで、子供が自分に手を伸ばしてきて、『お母さん』と呼ばれる。

 それは、ルイズが最終的に望んだ数少ない幸せな将来像の一つ。

 サイトが居て自分が居る。

 そこに二人の絆の証が生まれる。

 そうなれば、どれほど幸せなことだろう。

 ここでの生活ももう幾分経つが、本来自分が望んでいたのはこのような、穏やかな時間の経過だった。

 サイトの記憶は今もって戻らないが、それでも彼が彼であることに変わりは無い。

 このまま、戦争などと言った不条理の中に巻き込まれることも無く、いっそここで二人、のんびりとずっと暮らしていけるなら、それは望んでいた幸せではないだろうか。

 記憶は戻って欲しい。

 でも今の彼が記憶を呼び覚ますのを恐れているのなら、無理強いはしない。

 自分にとっての“サイト”に無理強いなどできるはずも無い。

 それに記憶に関してはそこまで強い心配はしていない。

 毎晩“眠った後の彼”は“記憶を失う前と変わらぬ彼”になるのだから。

 恐らく、いやきっといつか、元に戻る日は来る。

 だから望む事はただ一緒に居たいという一点。

 その一点さえ守られるならば、こうやって暮らしていくのも悪くない。

 子供達と楽しそうにじゃれあうサイトを見て、ルイズはそう思う。

 もうサイトが、戦いを必要とするような、そんな世界に二度と巻き込まれずにこうして一緒に過ごしていけますように。

 サイトに水を渡しながら、サイトに抱き上げられていた子に少しばかりの……いやいや心ばかりの……それなりに大きな嫉妬心を燃やしながらルイズは強く強くそう願う。

ついでに次の予約を入れていた子にキッチンでの手伝いを命じる算段を考え、次の順番はここからずっと自分のみで……とも願う。

 後者はともかく前者の願いは、ここにいればずっと叶い続けると、勝手にそう思い込んでいた。





 故に、この生活を脅かす者が徐々に近付いて来ていることなど、今はまだ考えもしない。



[24918] 第百三話【金髪】
Name: YY◆90a32a80 ID:041859d1
Date: 2011/01/21 17:56
第百三話【金髪】


 最近のギーシュは素直だ。

 常に私の言葉は肯定の意を表す言葉で返し、他の女の子に見向きもしない。

 長い金髪をいくつもくるくるとローリングさせた独特の髪を持ち、“香水”の二つ名で知られる少女、モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシは満足げにトリステイン魔法学院の廊下を歩いていた。

 彼女の意中の男性……否、両想いの相手は此度の戦争によって大変な功績を挙げることに成功した。

 戦争自体に参加するのも反対だったモンモランシーとしては複雑だが、貴族の男子のほとんどが様々な理由……家柄や家計の為など多くが家の事情で同じように参加せざる得ない現状を目の当たりにした今となっては不平を漏らす程のものではない。

 だが懸念はあった。

 サウスゴータ一番槍という功績を果たして精霊勲章まで叙されている。

 そうなると学院の“有象無象共”が手当たり次第にギーシュに手を出してきかねない。

 いや、実際にちょっかいを出してきたのだが、彼はそのほぼ全てに全く取り合わなかった。

 何という素晴らしい成長ぶりだろうか。

 私が話しかければ「うん」「ああ」「そうだね」などとおよそだいたいその3パターンで返してもらえるが他の女共は全く相手にされなかったのだ。

 それでも寄ってくる女達は多かったが、意外にもその女共を退ける手伝いをしてくれたのが、仇敵であるマリコルヌだった。

 と言っても彼の狙いは未だギーシュとあの一年の女子、ケティ・ド・ラ・ロッタをくっつけることのようなので、味方にはとてもカテゴライズ出来ない。

 そんな彼もまた戦争で一旗あげたらしく、何処か成長したような顔つきではあった。

 彼は帰ってくるなりケティに泣かれ、叩かれ、罵られ……一説によるとその後散々踏まれ、それに大層喜んだそうだ。

 前言のことは別にして、その喜びは生きて戻ってこられた……さらには生きて彼女と再会出来た事だと思ってやりたいが、彼の性癖上その可能性は限りなくゼロに近い。

 ゼロと言えば、かつて“ゼロのルイズ”と呼ばれていた同級生は今もって学院に戻っていない。

 彼女は彼女の使い魔と共に王室に取り立てられ戦争に参加したそうだが、どういうわけか彼女らの活躍は耳には入ってこず、以前として行方もわからない。

 乙女同士での同盟を結んだ仲としては少々気がかりではあるが、今はギーシュが自分に対して全肯定である嬉しさが大きい。

 昨日も私以外の女には興味がないのね? という質問に対して「ああ、うん、そうだね」と返してきた。

 その後嘘吐いたら今度こそ本当にその足を切断するわよ? と冗談めかして言ったのだが、彼は全く動揺せずに「ああ、うん、そうだね」と返してきたのだ。

 何を聞いても「ああ、うん、そうだね」と全肯定なギーシュ。

 その幸せを享受する為に今日も彼の元へ行こうと歩いていたのだが。

 彼がここ最近ずっと佇んでいた広場には彼の姿は無かった。

 代わりに、彼の錬金魔法によって編まれたと思われる青銅像が一体。

「流石ギーシュね、見事な造型だわ。これはルイズの使い魔のようだけど何故こんなところで作ったのかしら?」

 見事な出来映えの青銅像に感嘆の息を漏らしながらも周りを見るが、ギーシュの姿は見あたらない。

 庭の手入れをする為学院に雇われている男の庭師が手入れの為に広場の隅で作業しているだけだ。

 一件使用人は女性のメイドばかりに見える学院だが、料理長のマルトーを含め決して男性がいないわけではない。

 女性が多く見えるのは学院長の趣味といったところだろう。

 モンモランシーはそんなどうでも良いことには適当なアタリをつけて、目に付いた男の庭師にギーシュの事を尋ね、予想外の返事が返ってきた。

「え? あの像をお作りになった貴族の坊ちゃんですかい? その方なら先程コルベール様と女性三人で学院を出て行かれましたよ。何でもその像の本人をアルビオンに探しに行くとかなんとか」
 
「な、なんですって……!?」

 なんだそれは!? 

 全くそんな話は聞いていない!!

 自分に全肯定の素直なギーシュが急にいなくなった。

「フ、フフフ、フフフフフフフ!!!!!!!」
  
 モンモランシーは怪しい笑みを口元に浮かべると、怯える庭師を無視して自室へと戻る。

「ギーシュったらイケナイ子ねぇ♪ 言ったじゃない、嘘だったら本当に■を■■するわよって」

 ギィコギィコと刃物を研ぐ音が部屋に響き渡る。

 瞳の奥に光は無く、口端は耳近くまで釣り上がったモンモランシーの顔が半分、銀色に輝くノコギリの刃面に映っていた。




***




「とーんてーんかーんてーん♪」

 調子っぱずれな歌みたいな声を上げて、ハルケギニアには無い素材によって作られた服を纏う少年、平賀才人はハンマーを片手に今日は大工仕事に精を出していた。

 ウェールズが魔法によって切り出し、うっすらと風の刃のカンナ掛けをした木材を、サイトが組み立て打ち付ける。

 サイトは頭にねじりハチマキをしながら時折「むぅ」などと声を出しては眉根を寄せて、何度も角度を見直しながらハンマーを打ち付け、気分だけは完全に職人気取りで作業していた。

 ウェールズもそんなサイトを見て苦笑しながら、真剣に……サイトほど形から入っていないにしろ、その気になって木材を仕上げていく。

 日曜大工ならぬ平日大工を敢行した二人は実際には専門家でもなんでもない為、徐々に出来上がっていく物は見た目も形もやや無骨で素人臭丸出しだった。

 だが、二人は特に気に留めることもなく、むしろ楽しそうにハンマーと杖を振るう。

 一人は記憶の無い平民、一人は元皇太子というやんごとなき身分という二人の組み合わせは異様ではあるが、それも二人は気にしない。

 一方の手が止まり悩めば手を貸し、声を掛けられれば笑って手伝う。 

 そうして朝から数時間かけ、出来上がったのは木で出来た四つの足の上に乗った大きな木版。 

 木版は特に太く大きい幹の木を見繕ったもので、厚さもあって頑丈な長テーブルとして出来上がっていた。

 切り倒した木の切り株も少し加工して利用し、人が座れるような……早い話がテーブル備え付けの椅子として出来上がっている。

 要約すると、そこには二人の労力を代価に純度100%のウエストウッド村産、憩いのスペースが誕生していた。

 サイトは一仕事を終えた男の顔立ちで額を拭いながら完成したテーブルを見つめる。

 “言い出しっぺ”としては多少不安な点もあったが、無事作り終わると何だかこう、胸の奥からもわもわとした達成感を感じる。

 今のサイトにとって、今回のこれは初めての自主的行動で、始めての行動の結果で、成果でもあるのだ。

 “自分”を『自分』と認識してからの……『自分』の形ある歴史の一部。

 それはなんだが、『自分』が今ここにいる証拠のような、そんな気がした。

 「中々上手く出来たね、ティファニアも今日はここで食事しようと言っていたよ」

 一緒に作業していたウェールズも何処かやりきった顔でサイトに微笑んだ。

 二人の間には一緒に一つの工程を協力してやりきった、という一種の青春、友情が出来上がりつつあった。

 身分の差など関係無い。

 記憶の有無も関係ない。

 ただお互いを信じられる人間。

 短い付き合いながらも、二人はそんな関係を築きつつあった。

 ふと、ウェールズは思う。

 彼らがここに来て……戦争が終結してからもう幾分経つが、まだ彼の記憶に関しては前に進んでいない。

 もしもサイトに記憶があったなら、もしくはこの幾日の内に記憶の片鱗でも思い出していたなら、こうまで彼と親密になれただろうか、と。

 彼は相当に風を嫌悪していたのは今も覚えている。

 それこそ、生理的に受け付けないと言わんばかりでもあっただろう。

 その彼と、すんなりこういう関係になれたかと聞かれれば、答えは恐らく否。

 最終的にはなれるだろう。

 記憶は無くとも本質、“彼”そのものはそう変わっているように感じないことからそう思えるが、ここまですんなりいくとはやはり考えられない。

 隣の切り株の椅子に座ってテーブルを楽しそうに撫でるサイトを見ながら、ウェールズはそんなことを考えていた。

 そしてそれは、いつか彼の記憶が戻った時、再び彼とこうして笑い合える可能性があるということ。

 願わくば、“素の彼”ともこうしたいものだ、とかつてのプリンスオブウェールズは思い、

 「ちょっと失礼しますわ、殿下」

 隣のサイトとの間に無理矢理桃色の何かが割り込んでくる。

 その桃色の何かは、ずいずいずいと小さい子供用に用意した切り株の椅子を無理矢理二人の間にねじ込み、自らの存在を自己主張するようにとすんと形の良いその小さなお尻を椅子の上に落とした。

 言わずもがな、ルイズである。

 彼女はここ最近のウェールズに対して、そしてサイトとの急な親密性に関して、以前感じた事のある臭い……“グラモン臭”を感じていた。

 別名“ギーシュ臭”とも“薔薇臭”とも呼べるそれは、ルイズが危惧するには十分な驚異だった。

 もっともその臭いは、存在はおろか本名さえ、認識している人間は彼女のみというごくごく狭義的な代物である。

 だが、狭義的であろうとなかろうと、彼女にとって驚異と認識されることに関係は一切無い。

 ようはサイトの貞操を守る義務及び自分の貞操を捧げる義務を胸の裡に宿すルイズとしては、最近のウェールズとサイトの親密度は目に余りはじめたのである。

 ウェールズにギーシュのような男色の気(※誤解である)があるかどうかは不明だが、貴族……それも上流階級になると小さい男の子を愛でる性癖破綻者がいるという話を聞いた事がある。

 サイトはただでさえ格好良く(※ルイズ視点)素晴らしく(※ルイズアイ)その上超絶可愛いのだから(※ヤンデルイズ視点)いつ標的にされてもおかしくいはない……いや、既に標的にされている可能性も否定出来ないルイズとしては一瞬たりとも気が抜けない。

 ルイズにとって男同士という世界は入りづらいアウェーな世界に等しかったが、サイトの為とあってはそんな感情かなぐり捨ててラグドリアン湖にポイ、である。

 そろそろラグドリアン湖の許容量が心配になるほどのルイズによる感情のポイ捨てだが、彼女にとってはサイトが関わることは須く死活問題に繋がりかねないのだから気にしていられない。

 湖より水精霊より水害よりサイトである。

「おやおや、サイト君を取られてしまったよ」

 ウェールズはルイズの行動に冗談めかして微笑んだ。

 実に彼女らしい、素直な行動は気分が良く清々しい。

「失礼ながら取ろうとしたのは殿下では?」

「これは一本取られたね」

 が、ルイズはやや敵意ある視線をウェールズに向ける。

 彼に怨みは無く、それどころかここでの生活に感謝さえしていたが、“取られた”という発言は看過出来ない。

 それでは既に、もしくは最初からサイトはウェールズのものになってしまう。

 些細なことだが、ルイズにとってそれは譲る事の出来ない一線だった。

 そんな一見すると不敬とも取られる言動をウェールズが咎めることは無い。

 今の彼は“元”皇太子であるし、元々そういった事に堅苦しい性分でも無い。

 ルイズもそれは分かっているが、いやわかっているからこそ決してこの金髪美少年(※ルイズにとってサイトほどでは無い)に気を抜くことは出来ない。

 全く、金髪の少年には要注意だと思っていると、



「サイト!? 生きていると思っていたよ!!」



 大きな声を上げながらこの村に近づいてくる一行がある。

 先頭を走ってくるのはやはりというか、同級生の金髪の少年。

 サイトが「誰?」などと首を傾げている。

 ルイズの悩みの種がまた増えそうだった。



[24918] 第百四話【序曲】
Name: YY◆90a32a80 ID:041859d1
Date: 2011/02/03 17:31
第百四話【序曲】


「良いサイト、あの男に近づいちゃダメよ? あの男はホモなの、ゲイなの変態なの。サイトみたいな可愛くて格好良い男が大好きな性癖破綻者なのよ」

「ちょっ!? 何事実無根なことを吹き込んでいるんだい!?」

 ルイズがサイトに大声で耳打ちしている内容を聞いて、それはすでに耳打ちではない、というツッコミを入れる前に、ギーシュはルイズの言に憤慨した。

 サイトはルイズの言葉を信じてしまったのか、ややギーシュから距離を取ったのもその理由に挙げられる。

「僕はそんなんじゃない!! ただ友達が心配だっただけさ!!」

「サイトに近寄らないで変態!! サイトに変な菌が伝染したらどうするつもり!?」

 が、ルイズはヒステリックな声を上げながらサイトの頭を小さな胸で抱え込み、更には引っぱる事によって近寄ってきたギーシュから彼を遠ざける。

「だから僕はノーマルだって!! 君はそれぐらい知っているだろう!? そんな意地悪は止めてくれ!!」 

「ええ良く知っているわ!! 付き合っている女の子が居るのに私のサイトを誑かし町まで連れて行ってナニかしようとした前科を持っているって事をね!!」

「それは誤解だ!! サイトの記憶が無いのを良いことに変な情報を刷り込まないでくれ!!」

 ギーシュが声を張り上げ自身の無実を求めるが、ルイズは一切聞き入れない。

 彼女にとってギーシュは要注意人物である。

 それこそ近づいたら本当に“ギーシュ菌”(今命名)が伝染しかねないと本気で危惧する程彼を危険視していた。

 同時に、ここでそういう情報を刷り込むことでこの薔薇男とサイトが引き離されるかもしれないという打算もルイズの中には確かにあった。

 いざ記憶を取り戻したら「あれは冗談」で済む話でもあるし、ギーシュにマイナスはあってもルイズにマイナスは無い。

 そんな、子供達の“いざこざ”を微笑ましく思いながら、女性二人に挟まれるようにして座っているトリステイン魔法学院の“火”の担当教諭は、サイトを見つめていた。

 見たところ、既にたいした外傷らしい外傷は見あたら無い。

 いや、隅々まで見ればあるのかもしれないが、即生命を脅かしかねないような外傷は無いように見受けられる。

 が、彼女の口から告げられた彼の現在の症状、外傷では無いからと言って病名と言って差し支えないかは微妙だが楽観視するには些か無理な症状、『記憶喪失』と来た。

 彼はミス・ヴァリエールを護る為に凶刃を浴び、それこそ今こうしているのが不思議な程の重傷を負い、多量の出血を伴ったと聞く。

 彼の無事を案じ、情報収集及び数日森を彷徨った身からすればヘビーな話だが、それでも今こうして彼が元気な姿でいるのを見ると本当に良かったと思わざるを得ない。

 一方で記憶喪失となってしまった彼を不憫にも思う。

 記憶とはその人そのものであると言っても過言ではない。

 記憶が無いということはそれまでのその人間が無かった事になるのと等しい事でもある。

 万一、一生記憶が戻らなければ、彼という人間は突然生まれ生きていくことを強要される赤ん坊と何ら変わらない。

 オマケにその赤ん坊には良いのか悪いのか判断の材料が無い“縁”と“経過年月”という付加価値付きである。

 この付加価値が必ずしも良いものではないのが特にネックなところだ。

 通常の赤ん坊は“何も無い故に”ゆっくりと導かれて育つのに対し、記憶喪失者は必ずしもその環境が整えられるわけではない。

 今回、彼は運良く周りに理解ある人間が多かったが、もしそうでなかったと思うとゾッとする。

 もっとも、“彼女”がいる限り“彼”に限ってはいらぬ心配なのかもしれないが。

 (……いけませんな)

 つい、悪い方へばかり考えが偏ってしまう。

 再会してからの子供達のように、時には何も考えず生きて再会出来た事を喜ぶというのも必要な事だ。

 あれが、再会を喜んでの行動なのかは、片側には疑問の余地が残るがしかし、グラモン家の四男が喜んでいるのは間違い無い、無論ノーマル的な意味で。 

 (ついつい、という奴ですな) 

 コルベールは性格柄、そして人生経験上物事をマイナス方面へと考えてしまう癖があった。

 今回の事について言えば、生きていた事を喜びはしても、五体満足……この場合実際には五体ではなく記憶だが、それの消失に伴ってのマイナス面やありえた理不尽なる不幸ばかりが思考の前面に立ってしまう。

 それをコルベールは内心で無理矢理に諫める。

 自分で自分を諫めるとは些か滑稽ではあるが、これも彼にとっては必要な事で、こうでもしないと次へと進めなかった。

 と、そこでコルベールはこの場に一人足りない事に気が付いた。

 先程まで居たはずなのだが。

 (おや?ミス・ミランは何処へ?)

 コルベールは首を傾げながら腰を上げる。

 すると窓の外に探し人であるアニエスが見えた。

 どうもここを離れるかのように見受けられる。

 コルベールはそんな彼女の事が気になり、声をかけるために外へと出た。

「ミス!!」

「……む、見つかってしまったか」

 アニエスはコルベールが気が付いた事に気まずそうな声を上げながら振り返った。

 見れば彼女は旅支度の荷ほどきらしい荷ほどきをしていない。

 まるでこれからまた何処かへ出かけるかのようだ。

「目的は果たした筈ですが……何処かへ行かれるのですか?」

 責めているのではなく、純粋な疑問からコルベールは口火を切る。

「目的を果たしたからこそだ。私は発見の報告を女王にせねばならない。出来れば知らぬうちに出て行き、知らぬうちに戻って来たかったのだがな」

「しかし、ここから近隣の都市へ行くにしても半日以上はかかるでしょう。戻ってくるとすれば一日以上、下手をすれば二日にもなります。それに日が暮れればオーク鬼などの凶暴な亜人にもより注意が必要になる。お一人では危険ですぞ。せめて明日の朝からにした方が良いと思うのだが」

「理解はしているさ。私とて早々に命を落とす気は無い。まだ争奪戦に勝利していないのだからな」

 コルベールの忠言に、しかしアニエスは応えない。

「私には一刻も早く女王に報告しなければならないという義務がある。この義務を私自身疎ましいとは思っていない。さらに言えば今回はこの報告を少しでも早く女王にしたいという気持ちも多分にある。いや、“このこと”は早く女王も知るべきなのだ。それで女王は救われる」

 アニエスの神妙な様子にコルベールは、友人付き合いがあるとは聞いていたアンリエッタ王女……否女王とルイズが余程仲が良く、同時に今回の件について多大に胸を痛めていたのだろうと推測した。

 あえてその件について聞くことはしなかったが、コルベールその考えで自己完結し、納得した。

 もしこの時その件について尋ねていれば、この後起こる件について少し違った未来があったのかもしれないが、今それを彼が知る術は無かった。

「成る程、それでは私もお供しますぞ。私のような者では不満かもしれませんが一人はメイジが居た方が心強いでしょう」

 コルベールの言葉にアニエスはきょとん、とし、しかしすぐに頬の筋肉を緩ませ始め……硬直した。

「これは酷い抜け駆けね、今回の探索へ行く件といい私達の淑女協定に違反した行為だわ」

 年下の灼熱色のロングヘアに褐色のグラマラスボディ貴族が腕を組んで睨み付け、

「そんな協定結んだ覚えは無ければそこまで言うつもりも無いけど、確かにミスタには気配りと言う物が欠けているわね。まぁ私は無事にルイズが見つかったのだから今回の事は大目に見るつもりだけど、それでも、ねぇ?」

 エレオノールもまた非難がましい目で二人を睨み付けていた。

 そこからコルベールは二人のマシンガントークに晒される。

 ミスタはあーだこーだ、だいたい貴方はあーだこーだ……いやしかしですね女性一人では危ない……など心ばかりの反論を一度すれば十にも二十にもなって返って来る。

 この世には焼け石に水、“ファイヤー・ウォール”に“コンデンセイション”という言葉もあり、反論に意味が成さないことを理解したコルベールは反論を止め、話を聞いているうちに何故か村を離れるのは女性三人に決まっていた。

 曰く、“そろそろ三人で良く話しておく必要がある”から丁度良いそうだ。

 最後のコルベールの反論、女性ばかりでは危険だという言葉は彼が当初理解した通り、意味を成さなかったのは言うまでも無い。

 それでもコルベールは最後まで心配そうにしていたが結局は折れ、三人を見送る形になった。

 今日は心配で眠れないかも知れませんな、などと三人の後ろ姿を見ながらコルベールは思っていたのだが、考える暇すら無い夜が来ようとはその時は予想だにしていなかった。




***




 深夜と言って差し支えない時間帯。

「……チッ、人が増えているじゃないか。厄介だね」

 暗闇に乗じて悪態を吐く女性の声。

「でも、私は“あの方”の……“ジョゼフ様”の為にお望みのガンダールヴを連れて行かねばならない。諦めるわけにはいかないのよ。あの方はコレが終わったら“頭ナデナデ”をして下さると仰ったのだし」

 その女性、黒いローブで身を覆うシェフィールドは忌々しげにウエストウッド村の家を睨む……口元は緩みながら。

 この任務は、ジョゼフ様のためにも自分の為にも失敗は許されない。

 シェフィールドは指をパチンと鳴らすと、

「念には念を入れておきましょうか」

 暗闇から顔を出した無数のアルヴィー達に指示を与えた。

 アルヴィー達は一目散にウエストウッド村へと駆けだしていく。




***




 異変にいち早く気付いたのはコルベールだった。

 戦場の勘とでも言うのか、現役を退いて尚、コルベールには“悪意”を敏感に捉える習性があった。

「これは残っていて良かった、というべきでしょうかな」

 コルベールは借りていたベッドから跳ね起きた。

 何かが暗闇に乗じて近づいて来ているのを感じる。

 外へ出て詳しく確認しようとベッドから抜け出すと、丁度同じように起きてきたウェールズに出くわした。

 驚いたコルベールだったが、彼の説明に納得する。

「僕は風のメイジ故に細かい音にも割と敏感に反応してしまうんです。加えてこの前に山賊など偶発的でない襲撃を受けたのを機会に、最近は出来るだけ意識を研ぎ澄ませていました」

 同時に襲撃の件は聞いていなかったな、とコルベールは顔を曇らせる。

 襲撃者の目的も確認したいところだが、どうにも今はそんな暇はなさそうだ。

 敵はもう、すぐそこまで来ている。

 ウェールズもそれに気付いて息を潜め出るタイミングを窺っていたのだが、

「あ、ああ!?」

 急に声を上げると飛び出してしまった。

「危険ですぞ!!」

 やむなくコルベールは彼を追いかける。

 何やら慌てていたようだが、一人では危ない。

 しかしウェールズはそんなコルベールの忠言に構うことなく、目の前の“惨状”に肩を震わせていた。



「おや?鼠が自分たちから出てきたようだね。これは好都合」



 高らかに笑うように軽い女性の声。

 彼女“達”と自分達の間には、中央からブチ割れた木のテーブルがあった。

 それは、サイトとウェールズが協力して作った物。

 同時に記憶が無いとはいえ友になったと言って差し支えない彼との絆の一つでもあり、ウェールズにとっても大事になっていく“筈”だったもの。



「何て事を……!!貴様ァ!!」



 置いてきぼり感が若干あるコルベールをそのまま無視して、激情に駆られたウェールズは見覚えのある女性、シェフィールドに杖を突きつけた。

 それを面白そうに、むしろ待っていたかのように、シェフィールドは笑いながら言う。



「さぁ、晩餐会を始めましょう?」



[24918] 第百五話【誘拐】
Name: YY◆90a32a80 ID:041859d1
Date: 2011/02/03 17:39
第百五話【誘拐】


 ウェールズは許せなかった。

 彼、平賀才人との合作によるエクステリアと呼ぶには稚拙すぎるテーブル。

 例え市場に出回った所で二束三文はくだらない程度の物。

 しかしそのテーブルには実質的価値は無くとも、ウェールズにとってテーブルが出来るまでの“経過”と存在自体としての価値は大きかった。

 それこそ皇子として時に必要だった着飾る豪奢な王族衣装よりも、存在としての価値は大きかった。

 それが中心から真っ二つに割られている。 

 “友”との努力の結晶。 

 これは、実は初めて“友”と呼べる者との合作品でもあった。

 部下が王家に忠誠を尽くし、自分と一緒に作業をしてくれた事はあった。

 親戚一同と社交の場で一緒に何かをやることはあった。

 しかし、どれも“友”と呼べる者達ではない。

 部下達は一人の人間のように接してくれはしたが、それもまた目的を同じくした同士としてであって“友”と呼ぶには些か語弊がある。

 幾人かの女性とも親しくはなったが、それも“友”ではなく“恋”という感情によるものだ。

 王は孤独とは聞いたことがあるが、孤独でなくてはならないわけではない。

 ただ、友人というものは王族ともなれば特に得難い物だった。

 故に、“友”と呼べる者との合作品はウェールズにとって煌びやかで豪奢な、物価的価値が高い物よりも大きく、貴重だった。

 だが、それが無惨にも踏みにじられた。

 これが、これが許せようか!!

 疾風の如く飛び出したウェールズは脇目も振らずにシェフィールドに向かう。

 それはまさに風のように速かった。

「おやおや、いくら晩餐会と言えど皇子様がそうがっつくものじゃないよ」

 シェフィールドはくつくつと笑い片手を上げる。

 途端、止まれぬほどにスピードを上げたウェールズの真横から、何かが飛び出した。




***




「ん……?」

 なんだか外が騒がしい。

 決して長い月日とは言えないがしかし、今の自分を自分と認識してから毎晩ここで眠っているサイトは、今の自分の知る限り経験した事のない初めての騒がしい夜に胸騒ぎがした。

 その不安を煽るかのように、薄暗い部屋に一瞬閃光が奔る。

 どうやら窓の外で何かが光ったらしい。

 炎、だろうか。

 乏しい知識で、何となくサイトはそうアタリを付けた。

「……サイト?」

 背後から声がする。

 今晩も当然のようにサイトのベッドに潜り込んでいたルイズが、サイトの異変を察知したのかベッドからやや顔を上げた。

 薄暗い部屋にある光源は窓から降り注ぐ月の明かりのみ。

 その明かりが小さく顔を上げたルイズを照らしていた。

 長い桃色の髪は先の方がシーツに垂れ、上半身はサイズが合ってないんじゃないかと思うほど首下がポッカリと開いているシャツに、下半身は太股を隠す物は一切履かない禁断のデルタ地帯のみという出で立ちで、眠そうな目をトロンとさせつつも手は宙を漂いながらサイトに近寄っていく。

 やがてその手は掴まえたとばかりにサイトのシャツをギュッと握りしめ、ふみゅうと小さい息を吐いて鼻先をサイトの背に擦りつけた。

 その姿にサイトは何処か安心する。

 先程の胸の焦躁が和らいでいくかのような感覚。

 男が女に護られているというのは格好悪い気がしたが、事実サイトは今ルイズに護られていると何故か実感した。

 が、また窓の外が紅く光る。

 今度は小さい火の粉が舞っているのも見えた。

 先程も思ったが、やはり外では何かが起こっている。

 それも時々炎が舞うような事が。

 そんなサイトの不安を感じ取ったのか、

「大丈夫」 

 サイトの耳元でルイズは高いソプラノの声で囁き、ギシッと音を立ててベッドから降りた。

 また、窓の外から閃光が部屋に迸る。 

 その明かりで、先程以上にハッキリと見えるルイズの下着姿にサイトは気恥ずかしくなって顔を背けた。

 ルイズはその辺に脱ぎ散らかしてあったスカートをおもむろに掴んで履き出す。

 早くサイトのベッドに潜り込みたい一心でその辺に投げ捨ててあったものだ。

 次に白いブラウスを拾い……落とした。

「シャツは、サイトのシャツのままで良いや」

 なんと明らかにサイズが合っていないと思っていたルイズの着ているシャツは自分が着ていた物だったらしい。

 そういえばルイズが洗濯を買って出てくれたはいいがいつも戻りが少なかった気がする。

 と言ってもサイトの着替えは殆どがウェールズからの借り物なのだが。

 だからサイトは気にしない、そのシャツが数日前に洗濯するからと徴収されたものであることを。

 だからサイトは気にしない、そのシャツが数日前に徴収された時に付いていた染みが消えていない事を。

 だからサイトは考えない、そのシャツが実はまだ洗っておらず自分が脱いだ時からそのままである可能性を。

 ルイズはブラウスから視線を外し、黒いニーソックスを掴むとその細く白い足に履き入れていく。

 足の爪先から踵まで入れると、丸みを帯びる脹ら脛の形を綺麗に描いてそれは上に持ち上げられていく。

 と、ルイズと目があった。

 そこで始めてサイトは自分がずっと女の子の生着替えをガン見していたことに気付く。

 これは怒られるかも、とサイトがヒヤリとしたところで、

「本当はサイトに着せてもらいたかったんだけどね」

「……は?」

 今のサイトにとっては予想も出来ない事を言われた。

 (記憶を失う前の自分はまさかとは思うが女の子の着替えを手伝う性癖があったのか!?)

 そう思うと何だか益々記憶を取り戻すのが恐くなる一方、羨ましいぞこんちくしょうという嫉妬じみた感情も生まれた。

 サイトがそうこう考えているうちにルイズは着替えを終わらせ、

「ちょっと様子を見てくるから。サイトは部屋から出ちゃダメよ。私もすぐ戻るから」

 部屋から出て行く。

 ルイズはもう二度とサイトを失うわけにはいかなかった。

 ただサイトと一緒に居たい。

 そのささやかな願いは何故かいつも崩れてしまう。

 全く持って忌々しかった。

 思い通りにならない事が。

 サイトと自分を引き離す全てが。

 二人の間に障害を生む“世界”が。

 ルイズはサイトを危険から遠ざけるために自分一人で確認に向かう。

 サイトの傍に危険が寄ってくるのならサイトを危険から遠ざける。

 そう考えたルイズは、実に“ルイズらしくなく”一旦“サイトの傍から離れた”、“離れてしまった”

 それが彼女にとって最悪の結果を生む事になる。

 彼女は初志を貫徹すべきだったのだ。

 “サイトと一緒に居たい”というただそれだけを。 

 彼女は今回の事で特に強くこう思うようになる。

 いつもいつもサイトに危険が迫るこの“世界”が“憎い"と。




***




「っ!?」

「っ!?」

 驚愕は双方。

 ウェールズとシェフィールドのもの。

 前者は唐突に現れた刺客について。

 後者はその刺客をいとも簡単に“焼かれた”事について。

 そう、文字通り驚愕していたウェールズには突然現れた刺客に対応することが出来なかった。

 目の前の敵ばかり見据え、他に一切意識を割かなかったが故の失態。

 しかし彼は不意打ちを食らわなかった。

「あまりに無防備ですぞ」

「お前は……炎蛇!? 何故こんなところに!?」

 シェフィールドは意外な相手にやや狼狽した。

 彼女はコルベールと“白炎”の戦いを知っていた。

 あの時から、出来れば戦いたく無い明晰な相手、戦うにしてもコルベールは難敵であるという認識が強くなっていた。

 同時にすぐに合点がいく。

 ウェールズを刺す予定だった刺客は彼によって焼かれたのだと。

 焼かれた刺客は石で出来たゴーレム……ガーゴイルだった。

 背に羽根があり、顔は鳥類のようでありながら体は人間のような合成獣……『キメラ』とでも形容した方が良いようなそんな姿のガーゴイル。

 現状を把握し、やや冷静になったウェールズはしかし、刺客がガーゴイルだったことに疑問を持つ。

「お得意のアルヴィーはどうした? もう品切れかな?」

「うるさいよ、こっちは“炎蛇”がここにいるなんて全くの想定外なんだ。全く“ガーゴイル娘”に近接戦闘の手解きをしたことといい……邪魔な奴だね」

「ガーゴイル娘? 近接戦闘?貴方が言っているのはもしや……」

 突然のシェフィールドの言に思い当たる節があったコルベールは質問しようとするが、聞き入れてはもらえない。

「さてねぇ、まぁあの身の程知らずなガーゴイル娘も今は捕まって明日をも知れぬ身さ。まったく無駄な努力だよ。そういや使い魔の風竜は逃がしたんだっけ?まぁいいや、今は余計な話をしている暇なんて……無いしね!!」

 最後の語気が強くなるのと同時、コルベールとウェールズは実に数十近いアルヴィーに囲まれるが、コルベールがその大きな杖を振り、同時に生まれた巨大な炎の蛇が円を描くように動き、それらは一掃される。

「チッ、これだからコイツとはやりたくなかったんだ!!」

 シェフィールドが指をパチンと鳴らすと、また大量のアルヴィーが現れる。

 ただ今度は彼らを取り巻くようにではなく、壁のように一列に並び、ウェールズ、コルベール側との間を分断するかのようだった。

 コルベールはまた同じように火の勢いによって一掃しようかと試みるが、何かに気付きハッとなる。

「おや? 流石は炎蛇、気付いたようだね。念のために言っておくと“そいつらは”スキルニルでは無いよ」

「どういうことだ? 何人かは見たことのある……先の戦争において戦死したとされる名のあるメイジ達じゃないか」

 コルベールの戸惑いにシェフィールドは溜飲を下げたように笑みを浮かべた。

 が、その一瞬の油断が明暗を分けた。

「だからどうした!!」

「っ!?」

 アルヴィーの壁を瞬時にくぐり抜けたウェールズの剣がシェフィールドの胸を貫く。

 疾風の如く早いスピードを見せられていながら、シェフィールドはそのスピードを甘く見た。

 “閃光”には届かねど、その速さは疾風。

 常人について行けようはずもないとてつもないスピードに違いは無かった。

 途端、周りのアルヴィーは糸を切られたように倒れ、コルベールが驚愕していた者達も同じように倒れた。

 それを外に出たばかりのルイズは見ていた。

 丁度事は終わったらしいと一連の流れを見て悟ったルイズは踵を返そうとして、



「この女、まさかスキルニル!?」



 ウェールズの驚愕の声と共に倒れたと思ったアルヴィー達が立ち上がる姿を見た。

 再び戦闘が始まり出すが、ルイズには何かが引っかかった。

 何故あの女はスキルニルを使ってまで“派手”に登場してやられたフリをしたのだろう?

 油断させるため? 誰かをおびき出すため? 誰を?

 いや、そもそもアイツの目的は何だった?

 途端ルイズは悪寒がしてサイトの元へと駆ける。

「サイト!!」

 勢いよく入った部屋は……無人。

 部屋は窓が開け放たれ、その窓から遠くに宙を飛ぶ竜と、その背に乗る“怪しい光を帯びた指輪を持つ女性”によってサイトが拘束されている姿が見えた。

 時刻は夜中でそうとう暗く、既に遠く離れているというのに、ルイズにはハッキリとそのサイトの姿が網膜に焼き付いた。

「あ、あ、あ……あの女ァ……!!」

 サイトが連れ去られていくサイトが遠のくサイトが行ってしまうサイトが見えなくなるサイトが消えるサイトサイトサイトサイトサイトサイトサイトサイトサイトサイトサイイトサイト。



「サイトォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!」



 あらんばかりの声で叫ぶルイズの、握りしめる拳から鮮血が零れた。



[24918] 第百六話【崩壊】
Name: YY◆90a32a80 ID:041859d1
Date: 2011/02/08 17:23
第百六話【崩壊】


 たった一人の少女の怒りによって無限に広がる蒼天は割け、硬くずっしりとした地は割れる。

 浮遊の名を冠す大陸がみるみる崩れ落ち、例外なく落下の一途を辿る。

 まさに破滅、滅亡、地獄。

 世界の終わりさえ想像させるそれはある意味開闢の時と言っても差し支えない。

 崩れ、砕け、塵と化し、他を巻き込んでそれすらも破壊の権化の仲間入りをさせていく。

 破壊は破壊を呼び、さらなる破壊を生み出して、崩壊への足がけをねずみ算式に増やして加速していく。

 それはまさにこの世の終わり、大陸の崩壊だった──────────



「……それで?」

 紅いロングヘアーを揺らして、褐色の肌を惜しげも無く晒す少女、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーは、呆れたような視線を目前の少年に向けた。

「いや、それでって……本当に“それぐらい”大変だったんだよ!!」

 少年、ギーシュ・ド・グラモンはやや立腹気味に声を荒げるが、その姿は酷くみっともない……もといボロボロだった。

 片目は腫れ上がって見えなくなっており、あちらこちらにも青黒い内出血のアザが見られ、頬は膨れあがり、開いた口には何本か歯が無くなっていて、ここに来た時は新品だったマントは無惨にも見るに堪えない……平民ですらこれはもう着ないと言うほどの有様だった。

「大変だったのはこの“惨状”を見ればわかるけど、今の話を聞くと実際の襲撃があった時貴方は寝てたんでしょう?それなら本当に大変だったのはミスタ・コル……ジャンと元皇太子サマじゃないの。だいたい何が“大陸の崩壊”よ、大げさにも程があるわ」

「君は実際に“彼女”に相対してないから大げさだなんて言えるのさ。正直、僕はサウスゴータで一番槍を果たした時、つまりこの腕を失った時よりも死を強く覚悟したよ」

「それにしたって“大陸”は言い過ぎよ。いくらなんでも“ルイズ”にそこまで出来るとは思えないわ」

 キュルケは、ギーシュから事の顛末を聞いていた。

 彼女たちが戻ってきたのは翌々日の昼過ぎだった。

 戻ってきてみると、それこそ戦争があったのではいかと勘繰りたくなるほどの戦闘の跡があった。

 ティファニアの家は無事のようだが、家の中からは人の叫び声のような“音”が断続的に響いている。

 これはただごとではないと女性三人は慌てて家の中に駆け込んだのだ。

 声の主はルイズだった。

 彼女は“音”としか形容できぬ声を張り上げ、暴れながら外へ出て行こうとし、その度に魔法で眠らされて寝室に連れていかれていた。

 だが、何故かすぐに目を覚ましてまた同じ行動を繰り返す。

 コルベールやエレオノールには信じられなかった。

 いくら効きが弱かったり浅かったりしても、これほどすぐに目を覚ませる物でも無い筈なのだ。

 考え難い事だが、ルイズは“並大抵ではない眠りに対しての耐性”が出来ているのではないか、というのがコルベールとエレオノールの共通見解だった。

「キュルケ、戦場に出てもあれほどの恐怖はそう無いよ。本当に、本当にルイズは“やばかった”んだ。あれに比べたらその寝てた時に見た夢……“モンモランシーに良く研いだノコギリで足を切断されるという悪夢”も可愛いものさ」

「って言われてもねぇ……」

 キュルケにはイマイチ信じられなかった。

 確かにルイズの異常性を感じることはあった。

 だが、“大陸”を一つ崩壊させるほどの力などあるようには思えない。

 もっと言えば、この世にそんな事が出来る“個人”など居るとは到底思えない。

 彼女の“溺愛”している使い魔が攫われたというのは聞いている。

 あれだけの溺愛ぶりだったのだから、取り乱し、怒り狂うのも無理はない。

 それでもキュルケにとってのギーシュの言葉は“大げさ”の一言に尽きた。

 と、そこに疲れた顔をしたコルベールが戻ってきた。

 コルベールもまた、ギーシュほどではないにしろ満身創痍を思わせる出で立ちだった。

「ミスタ!! どうですか、ルイズの様子は」

「今、ここに来ますよ。ようやく、少しだけなら話が出来るほど落ち着いたようです。いえ、あれを落ち着いたと言えるなら、ですが……」

 そこまで話して、すぐに背後からエレオノールとルイズが顔を出して来た。

 エレオノールには流石に何も無かったようだが、ルイズの目は血走り、目の下には深い隈を作って、頬がやや痩せていた。

 あれだけ綺麗で枝毛の一つも見えなかった桃色のロングヘアーも、あちこちが跳ね、薄汚れている。

 両の拳は傷だらけで、血がこびり付いていた。

 キュルケは息を呑んだ。

 ルイズはいつも、それこそ生まれのせいか“高貴さ”を全身から纏っていた。

 それが今はどうだろう。

 高貴さなどはなりを潜め、見る物全てを敵と認識するようなギョロリとした目は、とても公爵家令嬢とは思えない。

 だが、そんな“彼女を彼女とも思えない現在の姿”などは、まだ“些細な事”だった。

 問題なのは……圧倒的な“重圧感”

 有無を言わせぬ脅迫に似たプレッシャーが、今のルイズからは迸っていた。

「ミズダ、約束でず。早ぐ話を」

 やや掠れ、枯れた声でルイズが口を開く。

 いや、果たしてそれは声だったのだろうか。

 そう疑問を持つほどに、彼女の声は“異様”の一言に尽きた。

「わかっていますミス・ヴァリエール。しかしまずは何か飲み物を頂きなさい。そのままでは喉が壊れてしまう」

「早ぐ、早ぐじないど……!!」

「大丈夫、大丈夫です。先程も言った通りまだサイト君は無事な筈です」

 コルベールの説得のような言葉に、ルイズはしぶしぶ従い、コップの水を飲む。

 これが、彼女があの晩以降始めて口にした物だった。

 ルイズは水を一気にあおるとすぐにコルベールを睨む。

 そんなルイズにコルベールは内心で溜息を吐いた。

 今のルイズの喉は凄絶な叫び声の影響と、長時間の渇水のせいで火傷に似た状態と言っても良い。

 本来なら水分でさえ喉に通せば激痛が奔る筈なのだ。

 それがそんな素振りすら見せない。

 (今の彼女は怒りで肉体の痛みを忘れて……いや遮断している。今はそれでいいかもしれないが、いざ我に返った時、彼女はどれだけのしっぺ返しが来ることになるか……) 
 
 本当ならコルベールはルイズには休養を命じたい所なのだが、休養が必要に成る程暴れた原因が“彼”な以上、それは無理という物だ。

 安静の為に眠らせるというある意味での最終手段は効果が薄い以上、彼女自身の為にはむしろ彼女の望むことをやらせた方がマシな状況まで来てしまった。

 その為、コルベールは自身が気付き、考えていたことと“彼への希望”を話すことにしたのだ。

 その条件としてルイズは一旦大人しくなることを強制させられた。

 今は応じているが、話が終わった時彼女がどう行動するかは想像に難くない。

 それでも、今は彼女に話をするほか手が無いことをコルベールは恥じつつ、しかし何かの対策を考えながらもルイズとの約束通り説明しだした。

「話によると前の襲撃ではサイト君は命を狙われたそうですな。それが今回は誘拐、となれば相手方には“サイト君を生きたまま捉える理由”が出来た事になります。そうでないならサイト君は即座に殺されていてもおかしくないし誘拐するメリットが無い」

 コルベールは時間をかけ、順序立てて説明していく。

 もっとも、その辺の事はすでにルイズも想像していたようだった。

「ぞんな事はわがっでいまず。問題はザイトがいつまで無事か、何処に連れで行がれたがです」

「その通りです。貴方は当初どうするつもりだったのですか?」 

「逃げた方向を片っ端がら追いがげ、怪じい物は全部潰じます……“全部”」

 場の空気が凍る。

 ルイズは大真面目だった。

 いがいがとした声なのに、背筋が凍りそうになるほどに鋭い刃を思わせる深い一言だった。

「気持ちはわかりますがそれはいけません。冷静さを失ってはいけませんよ」

「私は冷静です。ぞれより行ぎ先の心当だりを早ぐ教えで下ざい、約束……破りまぜんよね?」

 ルイズの抑揚の無い声が、コルベールをヒヤリとさせる。

「っ!! そうですか、それは失礼しました。さて、私の気付いた事ですが……ミス・タバサのことです」

 コルベールはシェフィールドの言葉から一つの仮説を立てた。

 シェフィールドが言った『ガーゴイル娘』とはタバサの事ではないのか、と。

 もしそうならタバサの故郷、それもタバサに近しい所にサイトは誘拐されている恐れがある。

 コルベールは事の顛末を説明しながら、ここらでタバサの事を調べるために学院に戻ろうと提案するつもりだった。

 同時に学院ならばルイズをどうにか出来るかもしれないと思ったのだが、その思惑は彼女、キュルケによって壊される。

「なんですって!? タバサが!? それじゃあ“ガリア王”が絡んでるってこと!?」

 言ってからハッとする。

 ルイズがキュルケを真っ黒な目で見つめていた。

 続きを、と無言の圧力がかかり、とても“逆らえない”

「わ、私も詳しくは知らないわ。でもタバサはガリア王家の人間なのよ。たしか現国王の弟の娘って聞いたわ。タバサのお父様は兄弟同士での覇権争いで亡くなっていて、そのせいでタバサはいろいろあるようなの」

 それを聞いていたコルベールは、何となくタバサが何をし、どうなったのか想像が付いてきた。

 話を聞いていたエレオノールは思うことがあったのか、ルイズに心配そうに言う。

「ルイズ? 貴方まさかガリアに行こうなんて言い出さないわよね?」

「行ぎます」

「危険だわ!! 相手は国なのよ!? せっかく戦争で生き残れた奇跡をここで捨ててしまうつもり!? 私やお父様お母様、カトレアだって貴方のことはとても心配していたのよ、ここは実家に帰ってゆっくり養生して使い魔の事はお父様にでも働きかけてもらえば……!!」

 エレオノールは即答したルイズを止めようと声を大にし、同じくルイズの言葉を聞いたキュルケも声を荒げた。

「もし今までの推測が正しいなら相手は大国ガリアの王家よ!? 貴方一人でどうにかできるわけ無いじゃない!! 万が一出来たとしてそれは王家に喧嘩を売ったのと変わらない事になりかねないわ!! そんな事になれば火の粉は貴方だけじゃない、トリステインやガリア国民にだってかかって来る恐れがあるのよ!!」

 この時キュルケは、ルイズの言葉は軽く、何も考えていないとしか思わなかった。

 その声を聞くまでは。



「───────────だから?」



「なっ!?」

先程までの掠れた声ではないどうどうとした声で。



「“そんなこと”は“どうでもいい”のよ。サイトさえ、サイトさえ無事なら」



ルイズのその言葉に、反論を重ねる事の出来る者はいなかった。

あまりに暗く、あまりに重く、あまりに“黒い”

絶句する以外、出来る術の無いギャラリーは、彼女の深淵の一端を見た気がした。



「トリステインとか、ガリアとか、そんな“国程度”のものなんてサイトとは比べられないもの。サイトの為なら国なんて“イラナイ”わ」



この時、キュルケは何故か、ギーシュの言が大げさでは無かったと感覚的に理解した。

彼女は、本当にやる……いや、“やってしまう”と。




***




ルイズが家を出て行ってからすぐ、一人、また一人と突き動かされるようにルイズを追いかけ出し、みるみる人がいなくなった。

結局、役目があると言うアニエス、もともとの住人のティファニアとウェールズという三人を残し、皆が居なくなる。

住人が急に増え、また減ったこの家。

そんな家に、ルイズ達が旅立って数日が経ったある日、純白のドレスを纏う美女が訪れた。



[24918] 第百七話【再怪】
Name: YY◆90a32a80 ID:041859d1
Date: 2011/02/21 17:45
第百七話【再怪】


 少女の肩が上下に動く。

 息を切らせ、短く呼吸を繰り返す。

 純白のドレスの裾が、泥で汚れている。

 少女の目の前には一軒の家があった。 

 その少女は部下から届いた報告を見て、いてもたってもいられず政務も何もかもをほっぽり出し、止める兵士を薙ぎ払い、護衛も付けずに国を飛び出したトリステイン国家元首、アンリエッタ・ド・トリステインその人だった。

 アンリエッタは肩で息をしながら目の前の家を見つめている。



「ここに、ここに“あの方”が……!!」




 アンリエッタは逸る気持ちを抑えられず、礼節的なノックも忘れ家の中に飛び込んだ。




***




 “それ”は、住人が減って閑散としていた家に突然やってきた。

 何の前触れも無く勢いよく開かれる扉。

 同時に入ってくる息の荒い女性。

 その女性が身に纏っているのは純白のドレスで、ここに来る途中でそうなったのか所々が汚れ、解れかけているが、それでも高貴さを滲み出させるほどの豪勢極まりない……このウエストウッド村など森の中みたいな場所に来るにはおよそ相応しくない……そんな姿だった。

 それを、目を丸くして最初に出迎えたのは幸か不幸かその女性を知る女性……否、ここに呼びつけた女性のみだった。

「で、殿下!? まさかこれほど早く、しかもそのような格好でいらしたのですか!? 護衛は!? 何故お一人なのです!?」 
 ここに呼びつけた女性、アニエスにとって彼女の“この来訪”は予想外の一言に尽きた。

 自分で呼び寄せておいて何だが、彼女には政務があり、責務があり、義務がある。

 そう早くここに来ることなど出来まい、そうアニエスは踏んでいたのだが、予想とは違いその到着は存外“早すぎた”

 これは異常だ。

 上司……いや女王の全ての日程を把握しているわけではないが彼女自身が城を空ける事が出来る程、戦乱後の混乱……戦後処理は済んでいない。

 少なくとも自分がトリステインを出る時はそうだったし、その情勢はしばらくは続くと政務に疎い自分でも感じられた。

 もとより一国の元首ともなればそう自由な外出など許されようはずも無い。

 ただでさえ外出が難しいお方が、今一番忙しいこの時期に、身ぐるみ一つで護衛も無しに戦争相手国である“ここ”へ“正式な手続きを踏んで”来られるわけがなかった。

 異常事態。

 そう呼ぶほか、彼女が今ここに居る理由が説明できない。

「アニエス!! “そんなこと”はどうでも良いのです!! “あの方”は? “私のあの方”は何処におられるのです!?」



 “そんなこと” 



 アンリエッタは今“そんなこと”と言った。

 一国一城の主であり、その身の安全は国にとって最重要に等しき物。

 その最重要物を“そんなこと”と言って切り捨てた。

 彼女がいなければ国は路頭に迷い、崩壊することだろう。

 “優秀で実質的な為政者”が細いその身をさらに削れば、もしかしたら崩壊は免れるかもしれないが、それでも“象徴”は必要なのだ。

 小国なトリステインを支えているのはその“系譜”の力のおかげも一端を担っている。

 始祖として崇め奉られているブリミルという過去に実在した偉人メイジ。

 彼の人物の血をトリステイン王家もまた継いでいるのだ。

 それが失われることはトリステインの歴史が失われることと同義になりかねない。

 よしんばトリステインが存続出来たとして、外交手段は著しく減衰し、他国へ助成を求め、多大な“貸し”と“借金”をすることになるのは間違いない。

 そうなった時、それを返せる見込は戦争で疲弊した現状のトリステインには無い。

 いや、元々戦争する前から貧窮はしていたのだ。

 “クルデンホルフ”から一体どれだけ財源を借り受けていたのか、財務に携わる者なら嫌でもわかる。

 返せる見込の無い借金を背負い国が存続していけるのかの不安もあれば、それを受け継ぐ次世代への不安もある。

 “優秀で実質的な為政者”など、いつの時代もそう都合良くゴロゴロと転がっているわけではない。

 今の宰相がその生涯を終えた時、果たしてその意志を継いでなおかつ彼と同等に為政出来る人材がいるのか等……不安要素を上げればキリがなくなる。

 またトリステインはその血筋からも言える通り、古くからある由緒正しい国でもあり、領土こそ他国と比して小さくとも住人もそれなりに多い。

 国が無くなる、混乱するということは、その国民達全てがその煽りを多大に受ける事になるのだが、彼女はそれを“わかっていてそんなことはどうでもいい”と言ってのけた。

 アニエスは息を呑んだ。

 彼女のその他を顧みないその顔には見覚えがある。

 それは“過去の鏡の中の自分”だった。

 何を置いても復讐の道しか頭に無かった……否、今も復讐の為に男を籠絡しようとしているのだから同じ穴の狢なのだが、その自分の顔と、彼女は同じ顔をしていた。

 (こんなにも、こんなにも醜いものなのか……)

 アニエスは内心そう思いながらも、それを諫めることなど出来ようはずもない。

 彼女に仕える騎士だから、ではなく同類の分際でそれを“悪”として諫めることなどどうして出来ようか。

 ただ、救いは彼女がそれを知らぬうちに“過去の自分”と思っているところだろうか。

 醜いと気づけたということは少なくともそういうことなのだ。

 もしかすると、まだアニエス自身は気づいていないのかもしれないが。

「は、もうすぐこちらに来られるかと存じます。少々お待ちを」

「待てないわアニエス!! 今すぐ案内なさい!!」

 ギラリとした眼光で、整わぬ息づかいのまま、しかし張りのある声でアンリエッタは反論する。

 急がなくても“彼ら”はここにすぐ戻って来るのがわかっているアニエスは、さてどうしたものかと逡巡するが、長く考える必要は無くなった。

 アンリエッタの目当て、元アルビオン皇太子、ウェールズ・デューダーがこの場に現れたからである。




***




「ウェールズ様!!」

 ウェールズが来るのと同時、声を上げてアンリエッタはウェールズの胸に飛び込んだ。

「アン!? 君なのか!?」

 突然の事で驚愕を隠せないウェールズは、胸の中に縋り付いて離れない王女……否女王にして従姉妹の彼女のされるがままになっていた。

「はい、“貴方の”アンリエッタですわ。ウェールズ様、良かった……本当に良かった……!!」

 アンリエッタはウェールズの背に手を回して彼を抱きしめようとし「ひゃうっ!?」変な声を聞く。

 アンリエッタはウェールズから一歩退いて首を傾げると、恐る恐るといったようにウェールズの背中から少女が顔を覗かせた。

 何かに怯えたようにウェールズの背中に隠れつつも顔だけをひょっこりと出している。

 それに気付いたウェールズがようやくと再起動を果たした。

「ウェールズ様、その方は……?」

「ああ、すまない。彼女はティファニア、僕の命の恩人だ。彼女が僕に気付いて介抱してくれなければ僕はここにこうして居られなかっただろう。ティファニア、彼女はアンリエッタ。僕の従姉妹……ということはティファニアとも従姉妹、になるのかな」

「従姉妹……?」

 アンリエッタは首を傾げる。

 親戚なら見覚えくらいあってもいい筈だが、どうにも彼女に見覚えは無い。

「アンが首を傾げるのも無理はない。彼女は君や僕の父上の弟……モード大公の娘なんだ」

「プリンス・オブ・モードの? そういえば私はそちらの親類縁者とは関係が薄かっ……娘? ……アッ!?」

 アンリエッタはモード大公の娘と聞いてその意味を思い出したのか、ややバツが悪そうな顔をしながらもティファニアに話しかける。

「ええと……ティファニア、さん?」

 アンリエッタに呼ばれ、ティファニアはおっかなびっくりではあるがウェールズの背中からその隠れきっていない豊満な体を表した。

「ウェールズ様のこと、ありがとうございました。その、お父上とお母上のことでこれまで大変だったでしょうけど私自身はその事は特に含む物はありませんので、何よりウェールズ様を助けてくれたんですもの。どうかよしなに」

「あ、えっと、ティファニアです。宜しくお願いします」

 アンリエッタが頭を下げたので、ティファニアも慌てて頭を下げる。

 それからクスッティファニアは笑った。

「どうかなさいました?」

「あ、ごめんなさい。ルイズもアンリエッタ……さんも同じ事言う物だから」

「さん付けはいりませんわ。従姉妹ですもの。それよりルイズ、ですか? “そういえば”彼女も無事なんでしたわね。ルイズと同じ事とは……?」

「えっとね、私自身はたいしたこと出来なかったんだけど、サイトを介抱したの。そしたらルイズがサイトを助けてくれてありがとうって」

「そうですか、では使い魔さんも無事なのですね」

「あ、それは……ねぇ“ウェールズ”……」

 ティファニアがアンリエッタの言葉を聞いて表情を沈ませる。

 だが、そのティファニアのウェールズの呼び方に、アンリエッタは眉を吊り上げた。

 和やかだった空気が、一変する。

「呼び捨て、ですか? 随分と“私のウェールズ様”に馴れ馴れしいのですわね? それにウェールズ様には言えて私には言えないことでも?」

「えっ!? 違っ……そういうつもりじゃないの。ごめんなさい…………“私のウェールズ様”?」

 ティファニアはすぐに怯えて謝辞を口にするが、アンリエッタの発言の一部に反応する。

「そうですわ、“私のウェールズ様”です。見たところ貴方は懐妊されているようではないですか。そんな身で他の男性を誑かすのは少々いかがなものかと思いますわ」

 アンリエッタは、先程までの聖母のような顔から一転、蔑むような目でティファニアを見つめる。

 恐くなったティファニアは再びウェールズの背中に隠れてしまった……が、それがさらにアンリエッタのボルテージを上げる。

「ちょっと貴方「よすんだ、アン」……!?」

 頭に血が上ったアンリエッタは、ティファニアに掴みかかろうとするが、それをウェールズは妨害する。

「ウェールズ様?」

 信じられない物を見るような目で、アンリエッタはウェールズを見る。

 自分のウェールズは、自分の知る自分の中のウェールズは自分に異を唱えたりするような人だっただろうか。

 自分はウェールズを愛し、ウェールズは自分を愛し、常に互いが互いを全肯定するような間柄だった筈だ。

 アンリエッタの脳内には優しいウェールズがいつも自分に微笑みかけているが、今現実のウェールズは目の前で他の女を自分から護るように険しい顔立ちで立ちはだかっている。

 他の女を護っている。

 ホカノオンナヲマモッテイル。

 ティファニアは恐がり、ウェールズの服の裾を怯えながら掴んでいる。

 それをウェールズが優しそうに撫でている。

 他の女の事を気にかけている。

 ホカノオンナノコトヲキニカケテイル。

 彼は自分しか見ず、“自分だけを愛している”筈だ。

 なのに目の前の現実は、そんなアンリエッタの脳内を侵食するかのごとく“彼女にとってありえない”物を見せる。

 アリエナイ。

 なんで自分を見ずにそんな女の事ばかり見る?

 オカシイ。

 何だこれは? 何なんだ?

 アンリエッタは目の前の“現実”を見て、段々と瞳孔が開ききったように黒一色の瞳になっていく。

 目の前の受け入れがたい現実について、必死に解答を探し、瞳から完全に光が失われた時、



────────ああ、そうか。



 ようやくとその解を見つけた。

 気付いてみれば簡単なことだったのだ、その“解”も、彼を“元に戻す方法”も。



「“その女”が、貴方を“誑かして”、“狂わせて”、“おかしくしている”んですのね……?」



[24918] 第百八話【忘却】
Name: YY◆90a32a80 ID:041859d1
Date: 2011/02/22 17:35
第百八話【忘却】


「何を、言ってるんだアンリエッタ……?」

 ウェールズは目の前のかつての想い人の変容に戦慄した。

 何かがおかしい。

 彼女は意味もなく他者を傷つけたり貶めたりするような人間では無かった。

 月日と環境は人を変えると言うが、ここまで酷いものだろうか。

「君は……本当にアンなのか?」

「まぁウェールズ様、そこの女の“毒”が随分侵攻しているようですわね。大丈夫ですわ、すぐに貴方が愛し、全てを受け入れ、肯定するのは本物の私、アンリエッタであることを思い出させて差し上げますわ」

 ぬっとアンリエッタの手が無理矢理にティファニアに伸びる。

 突然の豹変に未だ唖然としていたウェールズはそれを傍観してしまい、

「痛っ!?」

 痛みを訴えるティファニアの声で我に返った。

「何をするんだアン!!」

 アンリエッタはティファニアの長い金砂の髪を無理矢理に引っぱっていた。

「そこの泥棒猫さんに身の程を教えようとしているだけですわ」

「何を言っているんだ!! 僕は君の言っていることがわからない!! 僕の知るアンはこんなことをするような娘じゃなかった!!」

 ウェールズはアンリエッタの手を掴み、ティファニアと距離を置かせる。

「ウェールズ様……予想以上にそこの“雌”の瘴気を吸わされておいでなのですね。大丈夫ですわ、私がすぐに元の私だけを見て下さる貴方に戻して差し上げますから。さぁそこの“雌”をこちらに」

「それは出来ない!! 今の君はどうかしている!!」

「仕方がありませんわね……大丈夫、後で治して差し上げますから」

「何を言って……ウッ!?」

 鈍い音と、目眩……それと、腹痛。

 “文字通り”刺すような痛みの……痛いというより熱いと感じる……そんな痛み。

 視線を下げれば、細いアンリエッタの腕と柔らかそうな手に包まれた短剣の柄が見える。

 刀身は見えない。

「ごふっ……!!」

 何故なら刀身はウェールズのお腹に深く突き刺さっていたからだ。

 ウェールズは腹を押さえ、ぬめりとした血に触れる。

 ポタリ、と血が滴って板張りの床を赤黒く染めた。

「ウェ、ウェールズ!?」

 ティファニアは尻餅を付いて信じられない物を見るかのようにその光景を見ていた。

 同時に、彼女……ルイズの言葉が蘇る。



─────────好きな人を失いたくなかったら絶対にその人を手放しちゃダメよ─────────



 ウェールズから血が滴り落ちている。

「さぁ、どいてくださいまし。私がその女を貴方の前から名実共に“消して”目を覚まさせて上げますわ」

 崩れ落ちそうになるウェールズの足が、一際強く床を踏みしめ、倒れない。

「それは、出来ない……!!」

 ウェールズは未だ崩れず立ったまま、ティファニアを護らんとアンリエッタの前に立ちはだかる。

「ティファニアや、お腹の子には手を出させない……!! 僕には彼女たちを護る義務がある!!」



─────────好きな人を失いたくなかったら絶対にその人を手放しちゃダメよ─────────



「彼女とお腹の子を護る義務……? まさかその中にいる子供は……!!」

「僕と彼女の……子供だ」

「でしたら尚のことその女は粛正しなければ。子供など“無かった事”にしましょう。貴方と子供を作るのは私だけで良い──」

 段々とウェールズとアンリエッタの会話が遠く感じる。

 耳に届くのは滴る血が床を跳ねる音ばかり。



─────────“何があろうと絶対に”─────────



 頭には、ルイズの言葉が繰り返される。

 何があろうと絶対に。

 何があろうと絶対に。

 何があろうと絶対に。

 ティファニアは、頭の中で繰り返されるその言葉に従うように、知らず何か呟いていた。

 左手にはいつ持ったのか、杖が握られている。

「っ!?」

 それは、アンリエッタが気付いた時には遅く。

 ティファニアの詠唱は完成していた。




***




「う……?」

「あ、ウェールズ? 目が覚めた? 大丈夫?」

 目を覚ましたウェールズは顔を覗き込むようにしていたティファニアと目が合った。

 そこで気付く。

 自分はどうやら寝ていたらしい……と腹部に痛みを感じた。

「まだ動かない方が良いわ、酷い出血だったし」

 そう言われて、何があったのか思い出す。

「そうだ、アンは?」

「……あの人は、アニエスさんが連れて帰るって」

 やや消沈したようにティファニアの表情が陰る。

「そうか……ティファニア、君魔法を使ったね?」

「……うん」

 ティファニアは否定しない。

 あの時、ティファニアは忘却と呼ばれる虚無魔法を使った。

「アンは、どうなったんだい?」

「“ウェールズに関する事”を“全部忘れてもらった”の。上手くいったかはわからないけど」

「そうか……」

 ウェールズは短く答え、目を閉じる。

 昔のアンリエッタはあんな無法者では無かった。

「……どうして魔法を?」

 それは責めているのではなく、単純な疑問。

 何かの魔法でも使わなければ彼女が止まらないだろうことはウェールズも途中から薄々気付いていた。

 だが、自身の中の甘さか、彼女と過ごした過去の年月とその後ろめたさからか、ウェールズは結局最後まで自分で手を下すことが出来なかった。

「……ウェールズを助けたかったの。だってあのままじゃウェールズが……」

 それを聞いて、ウェールズは益々申し訳ない事をしたと思った。

 “無垢”な彼女の手を汚させてしまったと。

 ウェールズは止めるティファニアの声を無視して腹部の痛みに耐えながら上半身を起こし、ティファニアを抱きしめる。

「すまない。君に嫌な役を押しつけた。それは本来、僕がやらねばならないことだった」

「そんなこと……」

「アンは、あんなんじゃなかったんだ。それが僕には信じられなくて、ああまで変わってしまったアンを止める事が出来なかった。僕は卑怯者だ、自分で手を下せなかったのだから」

「違うよ、ウェールズは卑怯者なんかじゃないよ」

「ありがとう、ティファニア。こんな僕で良ければ、今度こそ、僕が君を護ろう」

 そう言って、より一層強く抱きしめる。

 彼女は思う。

 この“温もり”は、“彼”は、“何があろうと絶対に手放さない”と。

 彼女はこの時、ルイズの教えをようやく悟り、ありがたく思った。

 そんなティファニアの瞳からは、輝きが消えていた。



 この後、ここにティファニアの姉のような存在が、好色な“夫”を連れて帰って来て、再び一悶着あるのだが、それはまた別のお話。




***




 アンリエッタは困惑していた。

 銃士隊という“創立目的不明”の隊長アニエスが自分の騎士になっているという“覚えの無い事”もさることながら、自分の部屋の中に見覚えの無い帝王学や戦争関係、政務の本など“為政者”として必要そうな本がたくさんあるのだ。

 マザリーニが勝手に置いたのだろうか?

 自分はこういうのは嫌いだと知っている筈なのだが。

 だが、異変はそれに留まらない。

 軍の会議や戦後処理等様々な会議に自分は何故か駆り出された。

 そんなことは今までそうなかったし、案の定言っている事がちんぷんかんぷんだ、と思っていたのだが“何故か”内容が理解出来てしまった。

 それは軍の情勢と内情、戦後における公約と立て直し、国家予算の不足と嘆願の数々、トリスタニアで行方不明になっていた徴税官がゴミ山の中から背中に酷い裂傷を負い、顔は原型を留めない程潰れた死体となって発見された、などその多くは聞きたくも無い内容で、特に戦争に関する事が大半を占めた。

 だが、“何故戦争をやったのか”という根本が自分の中には“無い”為に、話を半分にしか聞く気になれない。

 まるでしばらく自分が自分でなかったような、その間の事がほとんど覚えていていないような、そんな奇妙な感覚。

 不安に駆られ、話を聞こうとマザリーニを呼びつけても忙しいの一点張で、やむなく自分から赴いて問い質したが、彼は不思議そうにして、

『貴方が望み、必要と判断しておやりになったことでしょう。何を今更言っておられるのです?』

 覚えの無い事を言われる。

 もう何もかも信じられない、そう思ってしつこく「それより政務をして下さい、この前も勝手に外出されて……」などと“わけのわからない事”を言うマザリーニを無視し、自室に引き籠もって居た時、トリステインでは珍しい黒いおかっぱ頭の少女が自室を尋ねてきた。

「女王様……」 

「貴方は……」



────────シエスタ────────



 頭には彼女の名が浮かぶ、が何故彼女と知り合ったのか、何故彼女がここに居るのか“わからない”、“思い出せない”

「サイトさんはどうだったのですか? ミス・ヴァリエールは? “薬”は上手く作用していたんですか?」

「薬? 何のことです?」

「惚けないで下さい!! 貴方様が“わざわざガリア国王と裏取引をして手に入れたエルフ製の禁忌薬”ですよ!! 国宝の“破壊の杖”と“そうと気付かれない工作”を施して交換して下さったではありませんか!! “ちゃんと”ミス・ヴァリエールは“記憶喪失”になったのですか!? “私のサイトさん”は無事なのですか!?」

 シエスタは焦ったようにアンリエッタに縋り付き、質問を重ねる。

「薬? ルイズ? 記憶喪失? 貴方は……何を言っているの? そもそも貴方は……“どうしてここにいるの?”」

「っ!? 何を言って……」

 シエスタは目を見開く。

 女王の様子がおかしい……そも“目”が、“自分と同じ色だった目”がいつの間にか透き通っている。

 シエスタがアンリエッタと知り合ったのは偶然だった。

 アンリエッタがタルブ近郊にアルビオン部隊降下後、戦線情報収集と近郊国民の士気を高めるために僅かな時間訪れた時、“自分と同じ目をしている”として目を付けられたのだ。

 話をしているうち、シエスタの想い人を聞いて、アンリエッタは“虚無”を御する“非人道的”とも呼べる作戦を考えた。

 “虚無”は戦争をするにあたって有力な武器になると考えていたアンリエッタは、友人とウェールズの弔いを天秤にかけ、弔いが勝ってしまったのだ。

 ルイズが大事では無いわけではなく、それよりも彼女のウェールズを想う気持ちが上回っただけのこと。

 シエスタもまた、そのように利用されていると知りながらも、サイトを自分の物に出来るなら、と悪魔のような契約書にサインをし彼女の手を取ったのだ。

 マザリーニは唯一この作戦を聞いていたが、恐ろしいと思った反面、泥を被ってでも進むという“為政者”としての彼女の才を見た気がし、かつ虚無を味方に出来るならと反対していた“平民の貴族化”に賛同し彼女を支持した。

 だが、それらの事実を、今のアンリエッタは“一切覚えていなかった”

 周りが自分ではない自分を見ているようで、覚えの無いことばかり言われて、アンリエッタは錯乱しそうだった。

「うう、何が一体どうなっているの? 助けてルイズ。私の“唯一”のお友達……私はもう、貴方以外何を信じれば良いのか……」 

 アンリエッタは“友達だと思っている”ルイズに胸を馳せるが、彼女がここに居ない事が自分にとって“幸福”だということを知らない。

「……女王様、入ります。今日も“この顔”で宜しいので?」

 混乱の中、ノックと共に入ってきたのは金砂の髪に端正で綺麗な顔立ちをした……まるで“王子様”のような少年だった。
 
 何処か、見覚えのあるようでわからない、“とても大事だった筈なのに思い出せない”そんな顔の少年。

 一筋の滴が、瞳から滴り落ちる。

 何故かはわからない。

 ただ、“彼”のことを“思い出せない”のが何故だかとても悲しかった。



[24918] 第百九話【狂王】
Name: YY◆90a32a80 ID:0f7e5018
Date: 2011/03/08 19:07
第百九話【狂王】


「ほぅ? 記憶が無い、だと?」

 正面に居る、蒼髪蒼髭のそろそろ壮年を過ぎようかと思われる男に、サイトは面白そうに見つめられていた。

 突如“あの黒い女性”に拉致され、気付けばこうなっていた。

「そ、そうだよ。それより何で俺は連れて来られたんだ? ここは何処だよ!? 俺を帰してくれよ!!」

「ハッハハ!! 威勢はいいな小僧」

 蒼髭の男は上機嫌でサイトの顎を掴み、ぐいっと顔を近づけてその瞳の奥を探るように見つめる。

 殆どゼロ距離……まるでキスでもするんじゃないかというほどの接近だった。

 サイトは気持ち悪くなって力づくでそれを払いのけて距離を取る。

 不思議な事に、拉致されたはずの彼は特に拘束はされていなかった。

「記憶が無いのに“国宝のマジックアイテム”を操り元気だけは一人前の少年……面白い!!」

 蒼髭の男は何度も「面白い」と言っては高笑いする。

 そこに、男の傍で控えていた女性、サイトを攫って来たシェフィールドが焦ったように口を挟んだ。

「ジョゼフ様、その男に不用意に近づきすぎではありませんか? 何かあってからでは遅いのです。ここはやはり手錠くらいした方が良いのでは? あ、でもジョゼフ様が縛りたいと仰るのでしたらこの私の体を差し出しますが」

「ミューズ、心配は無用だ」

「しかし!! ……いえ、仮にそうだとしても先程の顔は近づきすぎです。このシェフィールド、まさかジョゼフ様がその少年……同性とキスされるおつもりかと胸を焦がしました。あ、私ならばいつでも構いません」

「ミューズ、お前も中々面白い事を言うな」

 サイトと蒼髭の男……ジョゼフがあわやキス、と勘違いしそうになるほど顔を近づけた事にシェフィールドの内心は焦躁で一杯だった。

 元々不安はあったのだ。

 自分以外の“人”を欲しがるという珍しい注文に、もしや自分ではなくその人間を傍に置きたがるのでは、と。

 ここ最近、ジョゼフが自分との会話を詰まらなさそうにしているのもその不安の一端を担っていた。

 だからこそ、彼女は不本意でありながら少しでも彼に喜んでもらおうと彼の言いつけ通りに拉致を敢行して来たのだ。

 そのジョゼフが、久しぶりにシェフィールドに面白い物を見つけたと言わんばかりの笑顔でシェフィールドの顔を見た。

 ああ、これで自分の頑張りも報われる、もしかしたらキスの気もあるのかもしれないと淡い期待を持ったのも束の間、

「無能王だ狂王だと何だかんだ言われてきたが、俺が異性ではなく同性を愛でるような奴だと言ったのはお前が始めてだぞミューズ。しかしそれは面白い考えだ、“あれ”にもそんな事は“書いて無かった”し……フハハハハハ!! また“レールが逸れた”ぞ、コレが笑わずにいらるか!!」

 ジョゼフは“自分の知らない事が起きた”と楽しそうに笑い出した。

 しかし、言ったシェフィールドは心中穏やかではいられない。

「ジョ、ジョゼフ様!? まさかそんな気になるおつもりはありませんよね!?」

「さあてなミューズ。だが俺は今のお前の言葉で今まで考えもしなかった同性愛とやらに興味が出てきたぞ?」

 態とらしくジョゼフはシェフィールドの頭を撫でる。

 それだけでシェフィールドは恍惚とした表情になって先程までの矛先を引っ込めた。

「さて」

 しばしそうしていたジョゼフだが、やがて手を止め、口端を釣り上げながら再びサイトを見る。

「うっ!?」

 サイトは先程の会話のやり取りを聞いて不安になっていた。

 端的に言って貞操の危機ではなかろうか。

 先程このジョゼフなる人は“同性愛”について否定せず、興味が出てきたと言った。

「お、俺にその気は無いからな!!」

 サイトはそう叫んで後ずさる。

「ほう? その気、とは先の件か? しかし嫌がられると人は何故かそれをしたくなるものでな」

 ずざざっ!!

 サイトはさらに距離を取る、がジョゼフもまたサイトと距離を縮めんと寄ってくる。

 ちなみにシェフィールドは未だ“あっちの世界”にトリップしている。

 ずざざっ!!

 スタスタスタ。

 ずざざざっ!!

 スタスタスタスタ。

 ずざざざざっ!!

 スタスタスタスタスタ。

 ずざざざざざっ……ガンッ!!

「!?」

 サイトの背には壁。

 決して狭くはない部屋なのだが、気付けばサイトは壁際に追い込まれていた。

「新しい境地か……久しく味わっていないな。こんなに面白いと思うのは本当に久しぶりだ。ミューズが持ってきて“ビダーシャルにやらせているアレ”でもここまで面白くはならなかった。本当にお前は面白い」

「う、うるさい!! 何わけわかんないこと言ってんだ!! 言っとくけど俺の尻は死んでも護るぞ!!」

「なら貴様が攻めか? ふむ……成る程、同性の年下に攻められる王、確かに新しいな。面白い」

「そういうことじゃない!! ってか全然面白くない!! あんた狂ってるぞ!!」

 何の気無しに言ったサイトの言葉。

 それがフッとさきほどまで破顔していたジョゼフを真顔に戻し、

「そうとも。俺は狂ってる。狂いたくもなる。“あんなもの”を見つけてしまってはな」

 唸るようにそう口を開いた。




***




 ジョゼフが“それ”を見つけたのは“弟を殺める”少し前のことだった。

 何故それを手に取ったのかなどわからないし、何処で手に入れたのかもよく覚えていない。

 いつからそれがそこにあったのか、気付けば持っていたのだ。

 表紙は真っ黒、中身は真っ白なタイトルさえ不明な一冊の本。

 最初こそ意味のわからない本だったが、 ある晩、物わかりが良すぎる故に信じ切れない実の弟に業を煮やし、とうとう殺したその日、後悔に苛まれつつ部屋で無意味に暴れ、その本が床に落ちて開いた時、“それ”は浮かび上がってきた。

 その内容は驚愕の一言に尽きた。

 これまで自分が生まれてきてから起こった事が事細かく今日のことも含めて書かれていた。

 しかし、驚きはそこだけに留まらない。

 本はこれからの事……“未来”と呼べる先の事まで書き記されてあった。

 最初は何者かの陰謀かと勘繰りもし、方々手を尽くして調べてみたが、本の事はおろかその“何者か”の糸口さえ見つからない。

 ただ一つ分かったことは、この本に書かれている事が、自分が“何者か”を探している間も起こり続けていたという事実だった。

 馬鹿らしい、そう思いつつもこれが本当に未来の事を書き記してある特別な物なのではいかといつしかジョゼフは思い始める。

 その時は、まだその本のことをジョゼフは“軽く”考えていたのだ。

 ジョゼフが“それ”に気付いたのは本の文字が読めるようになって一年ほどした頃だった。

 本に“未来”が書かれているのなら、“悪い”部分を勝手に改変し、その先に起きる不幸の回避を謀る。

 それを実践してみたのだ。

 結果から言えば、それは失敗だった。

 “未来”は“本に書かれている通り変わらない”のだ。

 ジョゼフが何をしようとも、もしくはしなくとも、全てが本に書かれたまま事が進んでいく。

 何をしようとも、本の記載通りの展開しか起きない。

 それに気付いた時、ジョゼフは絶望した。

 自分はただ先のことを知りながらも、何かをすることが……手を出し、加えることが出来ない。

 全ては、この本の記載通りに事が進む。

 そのうち、自分はこの本が定めたレールに沿って“生かされている”のではないかとまで思うようになった。

 そう思ってからは、何をしてもそれが本に書かれていることと同じような気がして、自分がしたことが自分の意志ではないような気がして、ジョゼフは“詰まらなくなった”

 自身が召喚した使い魔も、本に書かれた通りのミョズニトニルンだった為に、それほど感慨は無かった。

 だが、彼女のおかげで分かったことがあった。

 この本は“先住”によるマジックアイテムで、どうやら、固定化に似て非なる魔法を重ねがけしてかなりの長期に渡り存在しているらしいことと、この本を作った……正確には中身を書いた人物のことだ。

 彼女に言われるまで気にもしなかったが、この本の最終ページには、筆者の名前があった。

 その名前は自分が良く知る名前であり、最も親しみがあり、恐らく誰よりも長い付き合いがある。

 その名前が、

「俺の名前だったのさ」

 ジョゼフは抑揚の無い声で、サイトにそう告げた。 

「あの本は俺が書いたもの。どうりで俺を中心に書かれているわけだ。当時は考えることもしなかったが、今思えば納得できる。つまり、あれは俺が“過去の事”を記したものだったわけだ。だがそうなるとまた疑問が増える」

 サイトは雰囲気の変わったジョゼフの言葉を息を呑んで聞いていた。

 正直何を言っているのかなどよくわからないが、尻を護る為以外にも、これは聞かねばならない話のような気がした。

「何故過去の事を記してあるものが“現在”にあるのか。俺は当初、未来の俺が“過去”に送ったものだと考えた。だが、この本はどうやらかなりの“長期に渡り存在”しているらしい。それこそ百年や二百年なんて話じゃないほどにな。すると未来の俺がどれだけ長生きしようと流石にそれだけの期間生きていられるとは思えない。俺の死後、悠久の時を経てからという考えもあるが、送り先が決まっているならそれだけ時間を置く意味は無い。そもそも未来ではどうだか知らんが、“過去”に物を送ると言うことが可能かどうかすら疑わしい。そこで俺は逆に考えた」

「……ぎ、逆?」

「そうとも。未来からではなく、これが本当に“過去”から来た物だった場合、辻褄は合う。タイムカプセル、という奴があるだろう? それと同じような原理でな」

 それを聞いて、しかしサイトは矛盾に気付く。

「お、おかしいだろ!? 過去から来たものなら何で過去の人が未来の事書けるんだよ!? 過去には凄い予知能力者でもいたのかよ!?」

「いや。言っただろう? あれは間違いなく俺ではない“俺”が書き残したものだ」

「だ、だからそれじゃ辻褄が合わないって……」

「その疑問はエルフが解決してくれた。あの本にかけられているという先住魔法に興味が湧いてな。俺はエルフとも交流を強めた。意外なことに、この本の事を知ったエルフ共は事の真相……いや“真理”を俺に教える代わりに協力を、と言ってきた」

「事の……真相?」

 サイトの疑問顔にジョゼフはニヤリとすると、サイトの疑問を無視して話を続ける。

「奴等の言う協力とは本の内容を見せる事と、聖地奪還を掲げエルフの地を攻めようとするロマリアの動向を探り押さえる事だった。後者はともかく前者は見ようが見まいが何が変わるわけでも無いと思っていた。何せ、今まで何をやってもそうなってきたのだからな」

「お、おい、真相って「ところが、だ」……」

 サイトの言葉は聞き入れられずに、ジョゼフは饒舌な語りを続ける。

「今まで絶対に変わらないものだと諦めにも似た思いでいたその本の内容……決まっていた未来が、現実で変わる事が起こった。記憶を無くしたお前も深く関わっている件だ」

「……!!」

 サイトは、話が急に自分にも関係のあるものに変わった事に身構えた。

「お前は記憶を失う程の戦争に参加する前、一度アルビオンにお前の主と一緒に渡っている。そこでお前は一人のメイジと剣を交えた」

 ジョゼフは楽しくてたまらないという声で、体を震わせる。

 既に決まっていた未来は変わらないと思い、諦めていた。



「それからだ、それから全てが変わった!! 本に書かれている内容と現実が、悉く合わなくなってきたのだ!!」



 それが変わった時から、変わる様を見、感じた時から、ジョゼフはその感覚にどんな酒を飲んでも敵わない程溜まらなく酔いしいれていた。



[24918] 第百十話【不殺】
Name: YY◆90a32a80 ID:0f7e5018
Date: 2011/03/08 19:09
第百十話【不殺】


 蒼い髪の少女が、ただぼうっと床を見つめてベッドに腰掛けている。 

 彼女の身の丈には不相応な、大きなシングルベッドが一つとテーブルセットが一組あるだけの、他には何も無い一室。

 窓は一箇所、開けばバルコニーとなっているが、それだけだ。

 比較的高い位置に存在するこの部屋のバルコニーからでは、外の空気を吸うことは出来ても脱出することは叶わない。

 杖があればまだ対処のしようはあったが、“あの男”がそれを許す筈もなく、自分は戦う術の一切を奪われている……肉体を除いて。

 だが、その“自身の体”を使ったメイジらしからぬ戦いも、“あの男”を驚愕させることは出来たものの、倒すには至らなかった。

 少女、タバサは“あの時”の事を回想する。




***




 事の始まりは、彼女が最も信を置く腹心とも呼べる存在……ガリア東薔薇騎士団のバッソ・カステルモールからの報告だった。

 それはジョゼフがオルレアン公夫人……タバサの母親をとうとう“不要”として“処分”する方針らしい事を内々に進めているというものだった。

 かつて薬によって心を壊された夫人は、今もって“人形”をタバサと思いこみ、大事に抱え、本物の娘であるタバサ……否、オルレアン夫人とジョゼフの弟シャルルとの間の娘、シャルロット・エレーヌ・オルレアンこそを回し者と思い込むようになった。

 故にタバサは、元は“人形の名前だった”タバサを自らの名として語り、その胸に“いつか”を刻み込んで生きてきた。

 しかし、“いつか”とは言っていられない事態が近づいてきた事を報告によって知ったシャルロット……いやタバサは、ジョゼフ打倒を大幅に前倒ししなければならない事態に追われた。

 母を助ける一心で生きていた何年もの月日が、このままでは無駄になってしまいかねない。

 タバサは藁にも縋る思いだった。

 そんな時、彼女は希望の光を“二つ”見つけた。

 それは希望というには小さい……いや、ただ武器にはなるという程度のものでしかない。

 それでも、彼女にとっては可能性が僅かでもあるならそれに縋りたかった。

 一つは、彼女の学友の使い魔だった。

 彼は伝説の系統……“虚無”の使い魔の一人、ガンダールヴであるらしい。

 以前にも考えた事があったが、ガンダールヴと自分が知る物語の中の勇者、“イーヴァルディ”とは似通った点が多かった。

 その事から、彼はイーヴァルディではないか、また見た目が“平民”ならば相手も油断するのではないかとの策を考えたことがあった。

 当初は何も関係の無い人間を巻き込むのは憚られるとその思考を捨てていたが、切羽詰まった状況ではやむをえない。

 彼女は行動を起こし、“使い魔”の協力を求めようとしたが……それは失敗に終わる。

 下手をすると、彼女は憎い仇に殺される前に、“悪魔”に息の根を止められる所だった。

 これは比喩でもなんでもない。

 北花壇騎士として幾たびも“死”を匂わせる任務をこなしてきたが、“アレ”はまるでレベルの違うものだ。

 タバサは助力を請うどころかその時自分の命さえも諦めかけた。

 咄嗟の機転が相手に効果があったから良かったものの、そうでなかったら確実にジョゼフへ一矢報いる前に棺桶の中だったに違いない。

 運良く事なきを得たタバサは、使い魔の事は諦め、もう一つの頼みの綱へ向かった。

 元々、ダメ元ではあったのだから、助力を得られなかった事自体にはそれほど気落ちしなかったのは救いでもあった。

 思考を切り替え向かった先は魔法学院の“火”の担当教諭だった。

 彼は強い……タバサは偶然目撃した情報と、彼の挙動からそれを悟っていた。

 魔法もさることながら、彼は間違いなく肉体を使った“武”に長けているといえる。

 そしてそれは自分には無い“武器”だった。

 もとより、戦力的に不利なこちらが取れるのは奇襲のみ。

 なれば“無い筈の武器”を揃えられるのはこの上無いワイルドカードとなる。

 タバサは教諭に頼み込み、一度は断られたものの、どうにか指導を受ける事を許された。

 だが、この時の彼の言葉が、最終的に彼女を失敗させる。



『無闇に多用しないこと、力を誇示し人道から外れた道……とりわけ人を“殺める”ような行為に利用しないことを約束して下さい』



 彼の言ったこの言葉に、当時のタバサは応えなかった。

 だが、その言葉は深く彼女の中に根付いていた。

 正直、本当に……本当に惜しい所まではいったのだ。
 
 ジョゼフの前に謁見する際には、杖を奪われ簡易な身体検査を受ける。

 向こうも自分が良い感情を持っていない事は承知しているのだろう。

 だが、どんなに検査を受けようと、“肉体の技能”は身体検査ではわかりえない。

 この日の為にタバサはいくつも用意を重ねてきた。

 自分が謁見に入ると同時、外ではカステルモールが騒動を起こし、場を混乱させてもくれた。

 一瞬の動揺を突き、素早くジョゼフに近寄り、顎への的確な一撃を当てる。

 小柄な体の一撃と侮るなかれ。

 全身の“伸び”を生かした下から突き上げるような一撃はそれそのものが凶器になりうる。

 加えて、タバサは自身の拳が壊れるのも厭わず、“マントの留め具”を拳の中で握っていた。

 拳の破壊力もそれだけで跳ね上がる。

 ジョゼフは背中から倒れ、タバサは即座に馬なりに飛びかかる。

 この日の為に、タバサは“歯”を削って来ていた。

 左右の奥歯、上下四本の歯をとりわけ鋭利にし、魔法は一切使わず歯の強度も何度か確かめた。

 火の教諭の教えはある意味恐ろしい物でもあり、メイジとしての戦い方ばかりを磨いていた自分には勉強にもなった。

 それは魔法には生活面での利便性と攻撃面があるように、人体もまた同じであるというもので、まさに衝撃でもあった。

 “体の運び方”一つで、やりようによっては自分より重く、体格の大きい相手でも魔法を使わずに無力化出来る。

 “考え方”と“体の使い方”で、あらゆる戦局を有利に進める事が出来るという“個人講義”は、タバサの中で革新的だったのだ。

 ただの学院生徒、花よ蝶よと育てられた貴族なら、そんな戦いは美しく無いと一笑に付す者もいるかもしれない。

 しかし、“死”を匂わせる程の任務をこなした事のあるタバサにとっては、美しいか美しくないかだけで戦法を狭めるのは愚か以外の何者でもない。

 “そんなこと”など言ってはいられないのだ。

 だからこそ自分はスピードを生かした“暗殺じみた”技術を磨いてきた。

 だが自分も視野が狭かったと言わざるを得ない。

 環境故の仕方ない面もあるが、飽くまで“メイジ”としての戦い方で工夫を凝らしていたのだから。

 だが、彼はこれほどの力を持ちながらそれを無闇に振るうことはせず、他の者にもそれを望まない。

 そう考えた時、この人がどれだけ尊い人なのか、とタバサは思うようになっていた。

 だからだろう。

 彼に教わり、彼の考え方を真似たやり方で、ジョゼフをまさに殺そうとしたその時、彼のあの言葉を思い出してしまったのだ。



『無闇に多用しないこと、力を誇示し人道から外れた道……とりわけ人を“殺める”ような行為に利用しないことを約束して下さい』



 タバサはジョゼフの喉に噛みつこうとしていた。

 いや、噛みついてはいた。

 このまま顎に力を込めれば恐らく喉を引き裂ける。

 こちらも歯がおかしくなるかもしれないが、もとよりそれは覚悟の上だ。

 だが、あの“優しい先生”の言いつけを破る覚悟は、残念なことにタバサはしていなかった。

 考えないようにしていただけかもしれないし、ギリギリまでは気付かなかったのかもしれない。

 だがどちらにしろ、土壇場でタバサは気付いてしまった。

 この行為は、先生との約束を……期待を裏切る行為だと。

 いつしか、優しい先生を亡くなった父に重ねる事があった。

 父の仇とも思った相手に、“父のような男性”から咎められるであろう事をしようとしている自分。

 そこに迷いが生じてしまった。

 もしかしたら先生は事情を聞いて咎めずにいてくれるかもしれない。

 それでも、一度少しでも迷ってしまったタバサは、絶好の好機を……これ以上無く、そして恐らくこれから二度と起きない好機を、逃してしまった。


「……噛み切らないのか」



 何故だか、とても残念そうな声だけが、タバサの耳に残った。




***




 あれからどれだけ経っただろうか。

 自分の迷いのせいで、全てが水泡に帰してしまった。

 自分や母の為に騒ぎを起こしてくれたカステルモールは無事だろうか。

 母はまだ無事だろうか。

 思考は巡るものの、考えはいつも一箇所に帰結する。



 本当に自分は殺さなくて良かったのか。



 その答えが知りたくて、タバサは今日も一日思索に耽る。

 元より、何も無いこの部屋で出来ることなど思索に耽るかバルコニーから飛び降り自殺するかの二択程しか無い。

 だから、決して“一人では見つからぬ”その答えを思索し、今日も一日を無駄に終える。

 昨日も一昨日も……ここに軟禁されてからずっとそう過ごしてきた。

 これからも何かに利用されるか殺されるまではずっとそうなんだろう、そう思っていた。

 急に扉が開いて一人の少年が放り込まれて来るまでは。

「うわっ!? 何すんだよ!! まだ質問にも答えてもらってねーぞ!!」

 その少年は意外な事にタバサも良く知る少年だった。

「おい!! 聞いてんのか!? クソッ!! 鍵締めやがったな!!」

 その少年はかつて自分が助けを求めようとした平民であり、

「どうすっかなぁ……ん?」

 虚無の使い魔ガンダールヴであり、

「女の子? ……君もここに閉じこめられてるのか?」

 あの極限まで“死”を感じさせられたある意味元凶でもある。

「おーい? 聞いてるー?」

 何故彼がここにいるのだろうか。

「おーいってばー」

 まさか“彼女”がここに来ているのだろうか?

「もしもーし」

 だとすれば……ヤバイ。

「返事してくれよぉ」

 “彼女”が、彼と二人きりで部屋に居るという事実を知ったら、とんでもない事になる。

「……何故、貴方はここにいるの? 貴方の主は?」
 
「お? やっと反応してくれた。てっきり喋れないのかと不安になっちまったぜ」

「いいから質問に答えて。早く」

 早くしないと取り返しがつかないことになりかねない。

「な、何だよ、やっと口聞いてくれたと思ったらいきなり尋問かよ。主って何だ? あ、そういや俺使い魔、なんだっけ?」

「そう。貴方は魔法学院の女生徒、公爵家の娘でもあるルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの使い魔。その貴方がどうしてここに?」

「わかんねぇ」

 サイトは自分でも不思議そうにしていた。

「……どうして?」

「夜寝ていて、気付いたら拉致されていた。何を言ってるのかわからねーと思うけど俺も何が起きたのかわからなかった。でも尻は護れて良かった」

 どうにも要領が得られない、そうタバサが思っていると、

「君、使い魔云々の事知ってるって事は俺の事知ってる……んだよな? 悪い、俺どうやら記憶喪失らしいんだ」

 その答えと共に爆弾を投下した。

 万一彼女にこれを自分の責任されてしまっては今度こそ彼女にターミネートされてしまう。

 ただでさえ彼と二人きりでいるという事は危険であるのに、その彼は記憶喪失ときた。

 一体自分に、この大きなシングルベッドが一つとテーブルセットが一組あるだけの、他には何も無い一室でどうしろというのだ……ベッドが一つだけ?

 タバサに最悪の予感が奔る。

 ベッドが一つしか無い部屋に男女が一組。



 誤解される要素しかない!?



[24918] 第百十一話【不眠】
Name: YY◆90a32a80 ID:0f7e5018
Date: 2011/03/16 00:15
第百十一話【不眠】


「………………」

「…………すぅ、すぅ……」

 一人は口を噤み、一人は寝息を立てる。

 一人はベッドに横になり、一人はそのベッドに背を預けるようにして床に座している。

 寝息を立てているのはもちろんベッドの上の人物。

 その寝息を聞きながら、床に座っている者は考える。

 (……記憶喪失者が、ここまで厄介だとは思わなかった)

 小さく息を吐きながら、座して蒼髪に月光を浴びる少女、タバサは疲れた顔をしていた。

 サイトは今、自分の背後で寝息を立てているが、彼がそうなるまでには一悶着も二悶着もあった。

 彼は、まったくもって“ありがたくない事に”記憶が無くても“気を使う人”ではあるらしい。

 女の子を床で寝かせて自分だけベッドで寝るという案は当初すぐに逆の案にとって返された。

 だが、もしそんなことをして風邪にでもなられたり体調不良の原因にでもなったら、そのしわ寄せはこちらに来るのだ……主に“彼女”の手によって。

 それは、それだけは避けねばならない。

 思い出すだけで震えが蘇り、身が竦む。

 しかし、“忌々しい事に”彼は中々引く気は無いようだった。

 自分という人間がどれだけの“影響力”を持っているか自覚していない人間というのは本当に厄介だ。

 それもその“影響力”が他人に害をなすものならば尚タチが悪い。

 だが得てしてこういう手合いはそれを知ることなく周りを巻き込み、無自覚に周囲を困らせるものだ。

 今回もその例に漏れず、本当に“忌々しい事に”彼は全く思い通りにならない。

 正直、『お前は女で俺は男なんだから』というような、普通なら悪くないと思えるような言葉にも苛立ちしか覚えない。

 それによって被るであろう自分への被害を考えれば、そんな考えなどマンティコアの餌にでもして欲しいところだ。

 次に彼なりの苦渋の策として“一緒に寝る”という言葉が上がってきたが、これも即座に却下した。

 当然である。

 そんなことをしてもし事実関係が“彼女”に明らかになれば、明日の朝日を拝むことは叶わずそのまま永遠の眠りにつかされる事になるのは間違い無い。

 だというのにこの男は一向に話を聞く気は無い。

 いつまで経っても話は平行線で進まず、苛立ちは募るものの爆発するわけにもいかない。

 もし自分が怒り、彼に嫌悪感等を与え、それが“彼女”に伝わったら、その日がシャルロット最後の日になりかねないからだ。

 彼は二言目には『気にするな』『俺は男だし』など彼にとって“武器になる”言葉で攻めてくる。

 まるで“善意から言っているような”言葉は反論するのが難しくやりづらい上、タバサにとって有り難迷惑以外の何物でもない。

 むしろ、そうやってわざと自分を追いつめ、罠に嵌めて“彼女”に自分をどうにかさせようと思っているのではないかと勘繰ってしまう程だ。

 “怒れない”、“強制的な行動が出来ない”という目に見えぬ制約は予想以上にタバサを苦しめた。

 かつて彼がイーヴァルディかもしれないと勘繰った事があったが、自分の憧れる勇者がこんな“わからず屋”であってたまるものかと思う。

 過去の自分に言ってやりたい。

 それは気の迷いだ勘違いだありえない、と。

 今タバサの中でのサイト株は、やむを得ないとはいえ大暴落の一途を辿っていた。

 そしてそれは、翌日の朝に暴落どころか一つの壁を突き破る事になる。




***




 タバサはゆっくりと目を開いた。

 どうやらいつの間にか眠っていたらしい。

 何度か瞬きをして現状を確認する。

 変な体勢で寝たせいで体が痛くなると予想していたのだが、予想に反して体に異常は無い。

 視界はこの部屋に軟禁されてから毎朝見ている天井一色で、特段いつもの朝と変わりはない……天井?

 おかしい。

 自分はベッドを背にして床に座していた筈だ。

 いつもと違和感が無い事が逆に違和感を感じさせ、タバサはバッと飛び起きた。

「おわっ? 起きたのか? へっくし!!」

 すぐ近くのテーブルセット、その椅子に座っていたサイトがこちらに振り向き驚いている、ついでにくしゃみもしている。

 タバサは開いた口が塞がらなかった。

 目の前の男は、自分が苦心してようやくベッドで寝かしつけたと思ったのに、朝気が付いてみればベッドで寝ているのは自分で、男はシャツ一枚になって椅子に座っているのだから。

 大体何のために自分がベッドを明け渡したと……シャツ一枚?

 何故彼はシャツ姿なのだろうというタバサの疑問はすぐに氷解した。

 ベッドのシーツからハラリと異国風の服が一枚落ちる。

 起き抜けで気付かなかったが、どうやら彼は彼の服まで自分に被せ暖を取らせようとしてくれたらしい。

「君がまだ寝てたからベッドに移したんだ、シーツも無しじゃ寒かったろ?」

 凄く良い笑顔でサムズアップしながらこちらを見る彼……は方鼻から鼻水を流している。

 彼は自分を犠牲にしてまで暖を提供した。

 その結果、彼は寒い思いをし、鼻水を流しながらも、やりきったというような良い笑顔をしている、と。

 タバサは現状をあらかた正しく認識し、震えた。

 彼の取った行動に、心の底から震えた。

 彼の取った行動、その意味することを鑑み、思うことは一つ。



 な ん て よ け い な 真 似 を !!



 即座にシーツと服を投げつけ暖かくするよう言い含める。

 確かに昨日のうちに二人分のシーツを確保する事を怠った自分にも非がある。

 だが!! 自分が何のために彼にベッドを明け渡したかを考えればそれぐらい察してくれてもいいだろう!?

 その上風邪でも患わられた日には“彼女”の怒りを買うばかりか自分の身も危ない。

 タバサはサイトの軽率な善意に心の底から迷惑していた。

 そして彼女の懸念はそれだけに留まらない。

 一体どれほどの時間自分はベッドに居たのか知らないが、その間自分は彼の服と一緒だったわけだ。

 敏感な“彼女”のことだ、彼の着ている服から“他の女の濃厚な匂いがする”となれば、あらぬ誤解を生みかねない。

 普通の人間ならそんな匂いなど気付かないだろうが、生憎と彼女は普通では無いことをタバサは正しく認識していた。

 タバサの悩みと不安を一夜にして大幅に底上げした元凶はそんなタバサの事などつゆ知らず、照れたように頭を掻いて服を着始めた。

 全くいい気なものだとタバサはさらに内心での不快感を蓄積しつつ、外面は出来るだけ丁寧に今朝の件を諫め、今晩こそこのような事が無いように言い含む。

 彼は諫められたことに渋い顔をし、こちらの気も知らないでとタバサは憤りを感じていたが、そのタバサもサイトの事など考えず、また知らなかった。

 翌朝、昨日あれだけ言ったのに、タバサは気付けばベッドの上にいた。

 サイトは相変わらず椅子に座っている。

 いい加減にしろと頭に血が上りそうになるタバサだが、なんとか堪えた。

 昨日と違い、彼は服は着ていたので、少しは進歩があったと自分に言い聞かせて昨日と同じ“優しく言い含める”作業に入る。

 彼は自分の感情を逆撫でするかのようにまた渋い表情をし、さらには“疲れたような態度”で話を聞く。

 それがタバサをさらに苛つかせたが、タバサは苛立ちを表面には出さなかった。

 しかし翌朝、またも起きれば自分はベッドの上、彼は椅子だった。

 これはそろそろ彼が本気で自分を嵌めようとしている可能性を考えるべきかもしれないと隠しきれない怒りをタバサは抱いた。

 彼にしつこいほど、苦言を呈し、半ば優しさにも欠けた言葉遣いになりつつあったが、それでもタバサはまだ“理性的なつもり”だった。

「でも俺が使ってないんだから君が使ったって良いだろ?」

「だめ」

 彼の毎日言う似たような反論は殆ど聞かずにバッサリと切って捨て、自分の要求に応える約束をそうとわからないように誘導し、させる。

 だいたい、自分より“良い環境”を提示しているのだから、自分の為にもいい加減大人しく甘んじていて欲しいものだとタバサは思っていた。

 だが、彼の反応はまた“疲れたような態度”で応対し、渋々と“善処する”というような約束の仕方だった。

 これは今夜も危ないかもしれない、そう思ったタバサは一計を案じる事にした。

 眠ってしまうから朝困る事態になるのである。

 寝ずに彼のベッドの番をすれば良いのだ。

 実のところ、いかに“彼女”に誤解されないかということと、いかにそれを成すために彼に言うことを聞かせるかという事を考え続けているため、肉体的にはともかく精神的に多大な疲労をしているタバサは毎晩やたらと眠くなっていた。

 だが今夜は寝るわけにはいかない。

 いつものようにベッドを背にし彼の寝息を聞きながら目を閉じる。

 寝た“フリ”をするためだ。

 すると、存外早く、すぐに寝息は聞こえなくなって自分の体がフワリと浮く。

 これは正直予想外だった。

 今日は“偶々”かもしれないが、こんなに早くから自分がベッドに寝かされるとは思っていなかった。

 うっすらと目を開けて彼の様子を探ると、彼はバルコニーから外の様子を少し眺めた後、毎朝見た時と同じように椅子に座って微動だにしなくなった。

 眠っているのではない、ただ動かなくなったのだ。

 不気味に思ったタバサは、偶々強く入ってきた月光に照らされた彼の顔を見て……息を呑んだ。

 これまで、自分はいかに彼を上手く動かし自分を優位にして“彼女”対策を講じるかを考え、まともに彼の“顔”を見ていなかった。

 彼の眼の下には、真っ黒な隈が出来ていた。

 彼は……ほとんど寝ていないようだった。

 こんな顔を“彼女”に見られでもしたら、自分が危ない……まず最初に浮かんだのはそんな保守的な考え。

 だが、次に彼は何故“寝ていないのか”という疑問が生まれる。

 自分にベッドを明け渡しても、眠れないということは無い筈だ。

 今まで気にしなかったから気付かなかったが、あの隈は一日やそこらで出来るものじゃない。

 “寝たフリをするつもり”が、“いつも寝たフリをされていた”のだろうか、それなら疲れた態度もおかしくない。

 そう思った時、タバサはここ最近の苛立ちの対象でしかなかった彼に苛立ち以上の疑問を覚え、声をかけていた。

「眠れないの?」

「っ!? 起こしちゃったか?」

「最初から起きてた」

「……そうか、じゃあ今日までずっと?」

「……今日だけ」

 少し迷ったが、タバサは正直に答える。

 そんなタバサに苦笑しながら、サイトは観念したように口を開いた。

「……足りないんだ」

「足りない?」

 なんだろう? 用意された食事が足りなくて、お腹が空きすぎて眠れないとでも言うのだろうか? だとしたら何とかして食事の量を増やしてもらわねばなるまい。

「ああ、上手く言えないけど、“いつも寝る時にある筈の何か”が無くて、眠れないんだ」

 タバサは最悪自分の食事を減らす事も視野に入れていたが、どうやらその心配は無いらしい。

「何か、とは?」

「……わからない。思い出せないんだ。何も……覚えていないんだ」

 答えたサイトの顔はとても寂しそうだった。

 理由のわからない不眠症。

 いや、理由はわかっていても解決方法がわからない。

 そんなサイトを戸惑った瞳で見つめていると、サイトは一つだけ確信があるように口を開いた。



「でも、その“足りない何か”は、自分にとってとても大切なものだった気がするんだ」



 そんな彼の顔と言葉は、今日までの彼への嫌悪感と迷惑感をタバサの中から吹き飛ばしてしまった。

 同時に、彼の様子がどことなく“自分の母親に近い”ような、そんな錯覚を覚えた。



[24918] 第百十二話【事実】
Name: YY◆90a32a80 ID:0f7e5018
Date: 2011/03/28 23:39
第百十二話【事実】


「珍しい客だな、よくここに姿を現せたものだ」

 笑いを隠しきれない、そういった様子でジョゼフは目の前に現れた美男子として形容していい男を見ていた。

 自分も大概“異常”ではあるが、目の前の男も“異常”の部類に分類されると確信する。

 もっとも、ココに現れようが現れまいがその男を“異常”だと認識していたことに変わりは無いが。

 だがまさか“このタイミング”で現れるとは思っていなかった。 

 予想の範疇、その外にある物事が起きることは、ジョゼフにとって例え不都合な事になろうと“楽しい”と感じられる。

 先が“わかってしまう”ジョゼフは、“予想もしえない事”を何よりも欲していた。

 だから“彼”を手中に収めたのだ。

 ジョゼフの“決まっていた未来”を悉く破壊してきた少年を。

「随分と機嫌が良さそうですね」

 来客の男は意外そうにジョゼフを見つめる。

 ジョゼフが意外だと思ったように、その男も自分が“客”としてすんなりと通される事は意外だと思ったようだった。

 ましてや上機嫌など、何かあるのではないかと勘繰りたくもなる。

「機嫌も良くなるさ、先日最高の“玩具”を手に入れたところでな」

「ほう、玩具ですか。その歳で機嫌の善し悪しの理由が玩具とは……随分と幼い面もお持ちのようですね」

 男も玩具がそのままの意味では無いと知りつつも皮肉交じりに言い返す。

「そうとも。俺は気まぐれで日々を生きている子供と何ら変わらない、大人の皮を被った子供だよ」

「仮にも一国一城の主が自身を子供扱いとは恐れ入れますね。貴方が子供なら私は赤ん坊と名乗らなくてはいけなくなる」

「謙遜は止めるんだな、お前こそ“一国一城の主”らしくない。そうだろう? 聖エイジス32世」

 ジョゼフの言葉で場の空気が変わる。

 そう、ジョゼフの前にはロマリア連合皇国の若きトップ、ヴィットーリオ・セレヴァレがいた。

 本来なら、彼がここにいるなど到底ありえない事態である。

 ましてやアポイントメント無しの“トップ会談”となれば尚更だ。

「ロマリアの教皇が俺に一体何の用だ?」

「……聞かずともお分かりでしょう?」

「……“聖地奪還”か。くだらんな」

 ジョゼフはつまらなさそうに教皇を見つめる。

「そうは言いますが貴方とて“知っている”のでしょう? このままではハルケギニアは未曾有の大災害に見舞われると。それを防ぐ手立てはもはや“聖地”に我々が到達するより無いのです」

「それで到達したとしてどうする?」

「決まっています。エルフが“シャイターンの門”と呼称する聖地、それを“解放”するのですよ。それが唯一にして絶対の……“決まっている解決策”なのですから」

「“解決策”だと? 笑わせるなよ、俺に言わせればただの無駄な“時間稼ぎ”だ」

「……たとえ時間稼ぎだろうと、そうすることが必要で、ハルケギニア……ひいては我々人類の希望そのものに繋がるのですよ。それは“歴史”が証明している。“我々”が聖地に到達することも含めてね」

「やはりくだらんな。貴様が言っている希望というのは面倒を後の者に押し付けて時計の針を巻き戻しているだけにすぎん。終わりというものはいつか絶対に来るものだ」

「それはそうでしょう、しかしそれは今でも無ければこの“世代”でもない」

「それは“これまで”の話だろう」

「私は“これから”もそうなると信じていますよ」

「話にならんな」

「ええ全く。そもそも“あれ”を知っていて“人類の敵である”エルフと協力関係を作っている貴方の考えが理解できない。我々は“今まで”ずっとそうしてバトンを渡してきたのです。ならばそのバトンを次代へと繋ぐのが責務でしょう」

 ロマリア教皇、ヴィットーリオは一息吐き、張りのある静かな、しかし鋭い声で告げる。




「我々は聖地、シャイターンの門に辿り着き、世界を“リセット”するべきなのです。“これまで”のようにね」




***




 そも、ハルケギニア中の風石の力が飽和し、大陸が大隆起すると“最初”にわかったのはいつのことだったのか。

 それは現在、正確には知ることは出来ない。

 ただ言えるのは、“現代”では無いということだ。

 ヴィットーリオが“それ”を知ったのは偶然であり必然だった。

 自身に伝説の系統、虚無が秘められていると知った時、彼は『記録(リコード)』という魔法を学んだ。

 しかし、彼がその魔法を使って視た物は想像を超えていた。

 それは過去、偉人として称えられている始祖、ブリミルの記憶そのものと言っても良かった。

 始祖が成した事、成そうとした事、それを驚きに満ちながら彼は知った。

 そも、ハルケギニアは“滅ぶ”運命にあると。

 大陸の地中深くに無数に存在する風石。

 これがやがて飽和状態となり、大地を隆起させ、人の住める環境では無くなると。

 これをどうにかするには、あまりにも時間も技術も足りなかった。

 だから、始祖は“リセット”を試みることにした。

 いつからそこにあったのか、何故そんなものが存在するのか、そんなことはわからない。

 それこそ“星”の創世時代から“神と呼べるような誰か”が作ったのか、はたまた“星の防衛本能”か。

 理由はわからないにしろ、確かに“それ”は存在していた。

 ヴィットーリオが“聖地”として知る場所に、世界……“星”の“歴史”を“リセット”する為のものが。

 過去、ブリミルは“それ”の起動に“一瞬成功した”ものの、不完全かつエルフの邪魔が入って完全起動には至らなかった。

 それでも東の地……聖地はサハラと呼ばれる砂漠……“原初の大地”へと還元された。

 まだ幼かったヴィットーリオは震えた。

 未曾有の大災害の有無に。

 “世界初期化”の事実に。

 何よりそれを知る権利を持った自分に。

 だがそこで、自分は気付いてはいけない、あるいは気付くべき懸念に行き当たる。

 ブリミルが失敗したその“リセット”……歴史上で“成功”した事は無いのだろうかと。

 そして気付いた、いや、『記録(リコード)』によって気付かされたというべきか。

 今の自分の世界は、“既に何度もリセット済み”であるという事実に。

 正確な回数などわからない。

 自分が調べる過程で遡れたのが最初なのかどうなのか、それが確実では無い以上、それを1回目と数えることが出来ず、最初がわからなければ正確な数など測り用が無い。

 そも、自分がそこまでわかったのは“過去”の自分が次代への自分宛に遺していたもののおかげだった。

 恐らく、やがて自分が虚無に目覚めるのはわかっていたのだろう。

 いや、“決まっている”というべきか。

 『記録(リコード)』を覚えてからはそれまで知らずにいた全てが、意味のあるような物に視えて来る。

 どうやら、“虚無”の力は“不完全”ながらリセットの影響をやり過ごせるようで、“過去の自分”はそれを上手く利用したようだった。

 これは虚無が、四系統の魔法よりもこの世の全ての物質を構成するとても小さな粒に影響を与えると言われているせいだろう。

 あまりに小さな粒、“始まりの粒”は星そのものと言っても良い。

 虚無を完璧に使える者は世の理さえ思うままに出来るとはよくいったものだ。

 そして存在がそれそのものと呼べる“精霊”もまた、“世界初期化”の影響を受けない。

 どんどんとハルケギニアの実情と真の実態を知っていくヴィットーリオだが、ある時、“知りすぎてしまった”

 星も“生きている”以上、寿命はある。

 初期化を繰り返しても、その寿命を戻すことは出来ないようだった。

 いわば星とは一枚の紙。

 紙一杯にハルケギニアという世界の歴史を書き連ね、上手く行かないことがわかったから消す。

 これを繰り返しているうち、紙媒体自体が傷んで来てしまっていた。

 最初に初期化をした者達は“初期化制限回数”など気にもしなかったことだろう。

 やがて、早い段階で事実に気付いた世代が、きっとなんとかしてくれると。

 そうしてずるずると、歴史は繰り返し初期化され、見えざる星の寿命という養分を吸って肥大化したツケは、回を追うごとに酷くなっていた。

 一度初期化した後の風石の飽和時期、これが段々と早まってきていた。

 理由は“長年生きている”星が、“いつか必ず来る”滅びへと緩やかに向かっている為だと思われる。

 次代にバトンを繋ぐのと同時に、より重たい負債を背負わせていると気付いたのは果たして何回目の自分達だったのか、検討もつかない。

 それでも自分達は“解決策”を見つけ、次代へ繋がなければならない。

 人類を生かし、発展させ、護る為に。

 


***




 ジョゼフはヴィットーリオの顔を最初とは打って変わってつまらなさそうに見ていた。

 とどのつまり、ヴィットーリオは人を生かすために今までしてきたことと同じ事をしようと提案しているのだ。

 人類を生かす為に。

 対してエルフはその土地の精霊と契約して魔法を使う種族だ。

 当然精霊は初期化が起ころうと起こるまいとあるがままそこにいるだろう。

 そんな精霊と共に生きてきたエルフはあるがままを受け入れるべきだとそう考えている。

 無理に“その時”を引き伸ばし、無駄に星の寿命を削っては意味が無い、と。

 理はどちらにもあるし、どちらにも無い。

 そも正答など無い問いなのだ。

 だからジョゼフの判断基準は己の感性に委ねられる。

 今までそうだったのならば、違う方が面白い、と。

 それだけの理由でジョゼフはエルフに“真実”を教えられた時、エルフの考えに付いたのだった。

 (やはり、こんなものか)

 頭ではヴィットーリオの言い分や考えなどわかるし“予想できる”

 “だからこそ”つまらない。

 彼が来たのは予想外だったが、所詮そこ止まりだった。

 ヴィットーリオの考えなどあらかたわかっている。

 聖地奪還の為に“虚無”とその“使い魔”を揃えたいのだ。

 何かの動きがあるか、とガンダールヴの少年を手に入れた事をリークしたは良いものの、正直イキナリ訪問された事を除けば期待ハズレだった。

 そう、実はジョゼフはロマリアの意向を探るエサとしてもサイトを利用していた。

 成果は無いに等しい結果に終わったが。 

 だが、彼はここで一つ、“重大なミス”を犯している事に気付いていなかった。



 ドォォォォォォォォォォォォン!!!!!!



 爆発音が城に木霊する。

「……何だ? ロマリア兵でもけしかける用意をしていたか?」

「いや、そんなはずは……」

 流石のヴィットーリオにも覚えが無いのか、表情を険しくしている。

 すぐに衛兵が報告に現れた。

「報告します!! 侵入者です!!」




***




「ちょっ!? ミス・ヴァリエール!? ここは一つ隠密行動という作戦だったではないですか!!」

 頭頂部の髪が乏しい男性が、額から光る汗を滴らせながら目前の桃色の髪の少女を弱々しく諫める。

 が、少女はそんなことは気にせず、頭は既に一つのことで一杯だった。

「そんなことは知りません。“サイト”の情報が入った。私もここから“サイト”を感じる。行動する理由はそれだけで十分です。サイトは、必ず取り戻します。必要なら城ごと吹き飛ばすのも吝かではありません。ああ、サイトサイトォ、今行くわ!!」



 ジョゼフのミス、それは、“知られてはいけない人”にまで情報が漏れる可能性だった。



[24918] 第百十三話【動乱】
Name: YY◆90a32a80 ID:0f7e5018
Date: 2011/05/01 06:34
第百十三話【動乱】


「いいですかミス・ヴァリエール、精神力は無限ではありません。貴方はどうやら普通のメイジよりも多くの精神力を内包しているようですが、飽くまで目的はサイト君を取り戻すことです。他のことには極力目を向けず、精神力の温存に努めて下さい」

 そう念を押して、彼女に新しい杖を与え契約させたのは昨晩のこと。

 その時は彼女もわかってくれていると信じたのだが……目の前ではイキナリの“爆発”である。

 事は隠密に、冷静かつスムーズに。

 そう作戦を練りに練って、侵入経路まで徹夜で相談していた昨晩の会議が無に帰した瞬間だった。

 コルベールは内心溜息を吐く。

 あれだけ冷静にと念を押したのに、彼女にその気が一切窺えない。

 全く予想できなかったわけではないが、出来ればこうはならないで欲しかった。 

 だが一方で、コルベールはルイズが“冷静過ぎるほど冷静である可能性”を考えていた。

 一見して無茶苦茶をやる彼女は冷静さが欠けているように見えるが、“行動と目的は一貫している”

 目的を見失わないということは、少なくともその目的を考えているということだ。

 となると、考えるという事が出来る人間に冷静では無いというレッテルを貼るのには些か疑問が残る。

 ではルイズは冷静なのかと問われれば頷き難いがしかし、もし本当に冷静なら、と考えて背筋が凍る。

 ルイズが“本当に”冷静にただ目的を果たそうとしているとしたら?

 “自身が傷つくのを顧みない”のではなく、それすらも“計算に入れて”尚、“目的”を自分の中で“最優先順位”に位置づけているとしたら?

 もし、本当にそうだとしたら……既に彼女は“人間”ならぬ“人間兵器”に外ならない。

 人は無意識に自己を護る“防衛本能”が存在する。

 火に手を近づけて行くと熱いと感じ、咄嗟に手を引っ込めるという具合に、『そうしよう』と思ってやることではなくいわばオートで『勝手にそうなる行動』を取るものだ。

 人間は何らかの限界を超える事によって“一時的に”防衛本能を無視することはある。

 精神が肉体を凌駕するとはよく言った物で、これ事態はそうありえない事ではない。

 例えば、ランナーズハイという言葉がある。

 走っていると気分が高揚し、疲れを忘れいつまでも走っていられそうな気分になることだ。

 これは脳内麻薬による分泌によって鎮痛作用が働くために起きる現象で、これも一つの防衛本能と言える。

 苦しいと思う体に、脳が苦しくないと“思わせる”事によって苦しみを一時和らげ、忘れさせる。

 だが、これは“忘れさせているだけ”であって、疲労は蓄積される。

 長いランナーズハイを味わった後は比較的体を壊しやすいのも、気付かないうちに疲労が蓄積している為だ。

 防衛本能とて万能ではなく、一時凌ぎに過ぎない。

 だが仮に、その防衛本能を無視……あるいは“完全にコントロール出来る”としたらどうだろうか。

 自分の意志によって常に脳内麻薬を分泌、又は体の不調を無視し続けられる程の精神力。

 外から見ればどちらも変わらないが、どちらにしろそれは“人の域を超えた物”だ。

 そも防衛本能とはその名の通り自己を防衛するためのものだ。

 それをコントロール出来るのなら、その人物には“本能”と呼べる物がない。

 生き物には生まれながらに本能と呼ばれる物が存在する。

 “生きよう”と思うから食事を摂取して栄養を補給し、自己を護ろうとする。

 それが無い人間は、人の……生き物の枠から外れた何物かでしか無い。

 自分の教え子をそうは思いたくないコルベールは、どうせ爆発させるならいっそのこともっと取り乱したり狂乱したりして欲しいと場にそぐわない願いも持っていたのだが、その願いは残念な事に叶わず、内心で溜息を吐く結果になった。

 コルベールはそんな彼女の小さい背中を見て、彼女の使い魔、サイトを取り戻すことによってルイズのその“人に在らざる様な異常性”……“常にランナーズハイ”のような彼女がただの思い過ごしであると証明されるのを願うばかりだった。




***




 ギーシュは目前のルイズのイキナリの“爆発”に唖然としながらも、口端には笑みが浮かんだ。

 それでこそルイズだ、と。

 彼女は怒っている。

 彼女は会いたがっている。

 それを妨げた輩がどうなるのかなど、味わった事のある自分が良くわかっている。

 そこに道理や理屈などという常識的な考えは通用しない。

 ただそこに、彼女にとって……いや、彼女とサイトにとっての障害があるのなら吹き飛ばす。

 彼女にあるのはただそれだけのことだ。

 それが何だか嬉しくて懐かしくて、ギーシュは俄然やる気が出てきた。

「ミスタ・コルベール。やってしまったことは仕方がありません、恐らく“キュルケ達”も動き始めているでしょうし、当初の作戦通り僕らは出来るだけ事を大げさにしながら見つからないように撤退しましょう」

「……そうですね、ミス達の事を考えると時間もあまりない。ではミス・ヴァリエール、御武運を。くれぐれも見つからないように行動し……もう行っちゃいましたか……」

 コルベールがルイズに注意を促そうと思った矢先、既にルイズは駆けだしていた。

 コルベールはやれやれ、と肩を竦めつつ大げさに外壁を壊し始める。

 今回の作戦はある意味単純だった。

 まず城の一角で騒ぎを起こす。

 連鎖的に別の場所でも騒ぎを起こす。

それによって内部を混乱させ、相手の戦力も分散させる。

 騒ぎを起こした後は見つからぬうちに撤退。

 その騒ぎに乗じてルイズが一人、単身でサイトを救出に行く、というもの。

 この作戦はルイズが自身の虚無魔法、『幻影』と『瞬間移動』を使える事を明らかにしたために組まれたものだった。

 『幻影』があれば見つかりにくい。

 何でもかの有名な“烈風”をも一度は出し抜いた程のものだというのだから、その性能は折り紙付きだろう。

 加えて『瞬間移動』があれば脱出も容易い。

 それでもコルベールは当初、危険だと猛反対していたが、ルイズは一向に折れず、「一人でもやる」という彼女の言葉と彼女の魔法にコルベールがとうとう折れる形となった。

 だがだからこそコルベールはルイズの精神力の枯渇を何より恐れていた。

 彼女はまだ幼い。

 それ故に自分の精神力の“底”の把握はまだ未熟だろう、と。

 そう思っての魔法使用の制限を念押ししていたのだが……こうなっては彼女を信じてこちらも仕事をするより他は無い。

 コルベールは知らない。

 ルイズの精神力の膨大さを。

 知っていた所で忠言は変わらなかっただろうが、彼の心の波紋は大分違っただろう。

 今のコルベールは見た目にはわからない、ほとんどの隙も無いような動きだが、それだけでやや鈍る物もある。

 だが、だからといって時間は無駄には出来ない。

 彼にはみんなには内緒の、もう一つの“目的”があるのだから。

 その目的の為には、“時間貯蓄”は少しでも多い方が良い。

 コルベールのその考えが、気付かぬうちにやや荒くなっている行動と思考が、“焦り”から来ているものだと彼本人が理解しているのか否か。

 どちらにしろ、“紛れもない人間”である彼の心はルイズの件を発端に揺れ、それが、最終的に彼にとって最悪な結末へと向かう事になるとは、まだ気付いていない。




***




「何だか騒がしいな」

 ベッドに腰を落としたサイトが外の喧騒を聞いて不思議そうに言う。

 タバサもまた、同意見だった。

 ここ数日、ずっと静寂だった城がこうも喧騒に包まれるとはただごとではない。

 タダでさえ“あの気分屋の狂王”の城である。

 何か事を荒げて死刑、などというのもありえないとは言い切れないこの場所で、この騒ぎは“妙”の一言に尽きる。

 と、タバサはそれとは別にもう一つの“妙”な事に気付いた。 

 扉の向こう、常に警備の者が常駐していたハズだが、いつの間にか気配が消えている。

 この騒ぎで少し席を外しているのだろうか。

 そう思って何の気無しにノブに手をかけて見ると、驚くほどアッサリとその外界とを隔てていた扉は開いた。 

「あれ? 開いたのか? 見張りは?」

 サイトも扉が開いた事に気付いて立ち上がった。

「……わからない」

 タバサは息を殺しながらそっと外……廊下を覗いて見る。

 ……そこに人の気配は無い。

 これは明らかに“異常事態”と呼べる状態であると共に脱出の好機でもある。

 しかし、タバサは脱出案を考えあぐねていた。

 自分一人ならまだいい。

 脱出を試み、失敗しても傷つくのは己の身一つで済む。

 しかし、一緒に居る“もう一人”が問題だ。

 ここでの判断でもし万が一、“彼の身に何か起こってしまった場合”、その責は間違いなく一緒に居た自分に降りかかる。

 先の一件から彼の存在を足枷とは思わないが、彼女の判断を迷わせているのは間違いなかった。

 だが、タバサのそんな葛藤は何処吹く風とばかりにサイトは部屋から出てしまった。

「……!?ダメ、危険……かもしれない」 

 タバサは咄嗟に止める。

 もし見つかり、脱走者として捕まればこれまでのような生活をさせてもらえるかどうかすら怪しい。

 地下深い石張りの不衛生な牢にでもぶち込まれたら、“彼女”を見たその日が命日になる。

 そうでなくともこちらは捨て身。

 武器一つ無い着の身着のままの姿でしか無いのだ。

 追跡者を絶つ術は非常に少ない。

 そう冷静に考え、タバサは彼の安全の向上を第一にしようと思った……のだが。

 何を思ったか、サイトは廊下をすたすたと歩き始めてしまった。

「!?……ダメ、戻って」

 タバサは慌ててサイトの腕を掴む。

 だが、サイトは振り向かずにまだ前進しようとする。

「ダメ」

 タバサの制止の声が聞こえているのかいないのか、サイトは未だ歩みを止めず、少しずつ引きずられるようにタバサも廊下を進み始めてしまった。

 おかしい。

 彼は聞き分けは良くなかったが、別に悪意ある人間では無かった。

 その彼が、話も聞かずに危険に飛び込むとは考え難い。

「……どうしたの?」

 少し悩みながら、タバサは手を離すと立ち止まって彼の背に問いかける。

 サイトはその問いにようやく足を止めると、背中越しに口を開いた。



「わからない。何故なのか俺にもわからない。ただ、俺の中にいる何かが、ぐんぐんと俺を引っぱっていくんだ」




──────わからない。なぜなのかぼくにもわからない。ただ、ぼくのなかにいるなにかが、ぐんぐんとぼくをひっぱっていくんだ──────




その言葉は、タバサの大好きな物語の、“勇者”の一言によく似ていた。



[24918] 第百十四話【愛比】
Name: YY◆90a32a80 ID:0f7e5018
Date: 2011/05/01 06:35
第百十四話【愛比】


───────ひきかえそう。りゅうをおこしたら、おれたちみんなしんでしまうぞ。おまえはりゅうのこわさをしらないのだ───────




「引き返した方がいい。もし見つかったらどうなるかわからない。最悪、殺されることだってありうる。貴方はジョゼフの恐さを知らない」




 イーヴァルディはいいました───────ぼくだってこわいさ。でも、こわさにまけたらぼくはぼくじゃなくなる。そのほうが、りゅうにかみころされるよりもなんばいもこわいのさ───────




「俺だって恐いよ。でも、ここで動かなかったら何だか俺が俺でなくなりそうで、それがもっと恐いんだ」




***




 ルイズは走っていた。

 走って走って走り続けていた。

 肺に酸素が行き渡らず呼吸が苦しくなろうと、そのスピードを落とすことなく走り、その光の感じられない鋭眼で全てを見通すように通路を注意深く睨んでいた。

 足が痺れてこようと、酸素欠乏によって胸に痛みを感じようと、頭の中が霞がかったようにぼんやりしはじめようと、彼女はその足を止めない。

 何故なら、



 (近づいてる……わかる……!!)



 彼女の中の何かが、彼……自身の使い魔にして最愛の人を感じ取っていたからだ。

 それだけで、彼女はまた一段スピードを上げる。

 どれだけ体が悲鳴を上げていようと、聞くのはサイトの声のみで良い。

 ルイズはそのシルクのような滑らかな桃色のロングヘアをなびかせながら止まらない……ハズだった。

 今も止まる……いや留まるつもりはない。

 だというのに、彼女は前進しようとしてしかし、何故か動けないでいた。



「そんなに急いで何処にいこうと言うのかしら?」



 自身が動けない、という事実を認識してすぐ、女性の声を脳が理解する。

 この声は、忘れようと思っても忘れられない。

 いや、“忘れてはならない”相手の声だ。

 ルイズは全身のうち、唯一少しばかり動く首を動かし、声の主をその双眸に納める。

 長く艶のある黒髪にひょろりと長い背丈。

 スレンダーと形容するに相応しい体でありながら整った抜群のプロポーションも備える女性。

「あんたは……」

 こいつは、間違いなく“サイトを傷つけよう”とし“サイトを攫った奴”に外ならない。

「動けないでしょう? 貴女は今影を“縫われてる”んだから」 

 ルイズの背にある影。

 そこにはいつの間にか、数本のまち針のような物が刺さっていた。

 スラリとした長い腕が伸び、ルイズのシャープな顎を撫でる。

「顔だけは綺麗ねぇ、顔だけは」

 黒髪の女性、神の頭脳ミョズニトニルンであるシェフィールドはそんなルイズの顔を見て表情を歪め始める。

「貴女の使い魔をジョゼフ様はいたくお気に召されたわ、全く持って忌々しい程に。わかる? 私よりも“あんな男”を今ジョゼフ様は気に入っているのよ。私がこんなにお慕いしているのに!!」

 シェフィールドはギリギリとルイズの頬を力強く摘む。

「貴女があんな男を召喚しなければジョゼフ様はきっと私だけを見て下さったわ!! 全くよくもあんな男を召喚してくれたわね!!」

 己の不満の丈をぶつけるようにシェフィールドは力を込め、ルイズを睨み付け、さらに何か続けようとしたところで、




──────────────ゾクリ──────────────




 悪寒がした。

「……言いたい事はそれだけ?」

 ルイズが震えながら搾り出すように呟く。

 震えながら?

「ハッ、何だ怖いのかい? 強がっても所詮小むす……め……?」 

 ルイズが震えている。

 ぷるぷると震えている……いや、奮えている。

 奮えて?

 パキンと音がする。

 それが、“無理矢理床から針が抜けた音”だと気付くのに、シェフィールドは少々の間を要した。

 何故なら、その事が“些細”だと思えるほどの“圧倒的な存在感”を目の前の少女が発していた為だ。

 先程までの、自分に掌握されていた事実が嘘のように、彼女はそこに圧倒的な存在感を持って屹立していた。

 彼女が一歩をこちらに踏み出した事で、ようやく彼女が自由になった事実に気付く。

 (アレを無理矢理抜いた!? 馬鹿な!? どれだけ体に負荷がかかると思っているの!? そんなの出来るわけがない!!) 
 目前の出来事を信じられないシェフィールドは、事実を事実として認識せず、それによって視界が黒くなった事にも気付くのが遅れる。

「ギャッ!? ……あ、あ、あああ……!! 痛っ……!!」

 シェフィールドは自身の鼻頭を押さえた。

 突然の激痛。

 おそらく、鼻骨は折れている。

「あ、貴女……女でありながら女の顔を……!!」

 ……タラリ。

 そこまで言って、シェフィールドのその“整っていた”鼻から血が滴る。

 それを、ルイズは何の感情も映さない瞳で見ていた。

 ルイズの拳は依然握られたまま、やや血が付いている。

「お、おのれ……!! もう許さないわ!!」

 こいつは許さない、そう敵意ある目をルイズに向けると、そこで“初めて感情のこもった言葉”がルイズから発せられた。



「許さない、ですって?」



 その声は高いソプラノ調でありながらどこまでも低く、重い。

「それは、こちらの台詞よ」

 ルイズがまた一歩踏み出す。

 自然、シェフィールドは一歩引いた。

「よくもまぁベラベラと……サイトを悪く言ってくれたわね。“あんな男”ですって? 貴女程度にサイトの良さが理解出来ないのは仕方が無いとしても……サイトへの侮辱、サイトの誘拐……“貴女如き”がしていいことでは無いわ」

 正確には、この世の誰もそれをルイズに許されてはいないが、そこは問題では無い。

 サイトを侮辱した、そこだけがルイズの中で許されない事実として認識される。

 また一歩を踏み出す。

「う、うるさい!! あのお方のお気に入りは……あのお方と一緒に居るのは私だけで良いのよ!! 私だけがあのお方を真に愛している!! あのお方の為ならなんだって出来る!! そう、だからあんな奴はいらないのよ!!」

「いらない、ですって?」

 ルイズがピタリと止まる。

 その目は大きく見開かれ、体は未だ小刻みに奮えている。

 「いらないですって? いらないですって? いらないですって? いらないですって? いらないですって? いらないですって? いらないですって? いらないですって? いらないですって? いらないですって? いらないですって? いらないですって? いらないですってェェェェェェェェェェェェ!?」

 ルイズは怯えて震えていたわけではない。

 あまりの怒りに、自身の体の中を駆けめぐる情動を抑える事が出来なかっただけだ。

「くっ!!」

 シェフィールドはウエストウッド村でも使った魔法銃を構え、ルイズに放つ。

 入っていたのはエア・ハンマー。

 ルイズは風の鎚によって飛ばされるが……すぐにムクリと起きあがる。

 もう一発、とばかりにシェフィールドは撃ち放つが、同じ威力の魔法のハズなのに、今度はルイズは倒れない。

 倒れないどころか、前進してくる。

「く、くぅぅぅぅぅぅ!!」

 シェフィールドは来るなとばかりにありったけの魔法を撃つが、命中しているはずのそれに、ルイズが意に介すような素振りは無い。
 気付けば、ルイズはシェフィールドの目の前に戻ってきていた。

「サイトがいらない?」

 ぐっと顔を近づけられる。

 その瞳は大きく開かれ、黒一色でしか無い。

 何も映っていない何もない。

 本当意味で何も無い黒というものは、“他”を認識出来ない。

 それほどの真の闇を、シェフィールドは見たことが無かった。

「いらないのは貴女の方よ」
 
 ぐっとルイズがシェフィールドの喉を掴む。

 先程自身が頬をそうしてやられたように、力強くギリギリと締め上げる。

「ぐ……あ、が……ぐる……じ……」

 バタバタと両手を暴れさせるが、ルイズは微動だにしない。

 が、ルイズは唐突にその手を離した。

「うえっ!? ゲホッゲホッ!!」

 シェフィールドは急速に呼吸を再開し、大きく息を吸い込んだ所で、

「アウッ!?」

 ルイズのローキックが腹を抉った。

 空気を吸い込んでいる途中での強力な蹴り。

 シェフィールドはあまりの痛みと打ち所の悪さに、呼吸が出来なくなった。

「……!! ……!!」

 悶え、床を転がる。

 その顔は涙を浮かべながらも怒りの形相でルイズを睨む。

 ルイズは既に何の表情も映していない。

「所詮貴女はその程度よ」

 な、なにを……とは未だろくに呼吸が出来ない為に言えないが、ルイズには伝わっているようだった。

「苦しい? 痛い? “そんな余分な感覚”を使う暇があるなら、私はサイトの為だけにそれを使うわ、所詮、貴女は自分が可愛い口だけの女よ」

 ただ、その顔の通り既にシェフィールドに興味が無くなったのは事実のようで、それだけ告げるとシェフィールドを無視してまた走り出してしまった。

「っ!! ……ううううううううう!!!!!!! あああああああああああ!!!!!!」

 それを床に転がったまま見送って、ようやく出るようになった声で、最初に口にしたのは、慟哭だった。

 叫ばずにはいられない。

 自分は彼女に負けたのだ。

 戦いにおいてのことではない。

 好きな相手を“想う”というただそれだけの“感情比べ”に完敗を喫したのだ。

 無論ルイズの言っていることは極端で、それが正しいとも誰にでも出来る事とも言えない。

 しかし、限りなくその感情に近い位置にいるシェフィールドだからこそ、わかる。

 自分は彼女には敵わない。

 それが、とてつもなく悔しい。

 何をおいても、ジョゼフの為なら捨てられると、彼を一番に考え彼を愛している事には誰にも負けないと思っていた自分が、負けたのだ。

「だああああああああああああっ!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 叫ばずにはいられない。

 涙を流さずにはいられない。

 自分は“愛する”というもっとも自信ある比べ事において、勝てなかったのだから。

 だが、それでも彼女はジョゼフを愛していた。

 まだ、負けたくないとも思っていた。

 ジョゼフの為なら、とそう思う心は死んではいなかった。

 だから……ルイズが立ち去ってしばらくしてから、彼女は声が枯れるほど叫び続け涙が枯れるほど泣いてから、再び立ち上がった。

 ジョゼフの元へいかなくてはならない。

 あの女に自分がどれだけジョゼフを大事に想っているかを見せつけなければ終われない。

 その為にはどうすればいいか、既に答えは出ていた。



「待っていなさい、虚無の小娘……待っていて下さい、ジョゼフ様……今、貴男のミューズが“貴男と永遠に”なるために、そちらへ行きます」 




***




「そろそろ撤退しましょう」

「そうね」

 その頃、別口から騒ぎを起こしたレディ組、キュルケとエレオノールは撤退の準備に取りかかろうとしていた。

「でもまさか、こうして宿敵のツェルプストーと肩を並べることになるとは思っていなかったわ」

「あら? 私だってそうですわ。でもこれも全てミスタの為。中々刺激的ではなくって?」

「言うわねツェルプストー」

 満更でも無いようにエレオノールは笑う。

 実際家柄的な宿敵でありながらも現在の立ち位置によって良きライバルだと認定している二人は、お互いに背を預ける人間として申し分ないと感じていた。

 これが終わったら改めて恋の戦いが始まる、そう思って疑わなかった二人だが、



「ほう、何やら騒々しいかと思えば蛮人か」



 その、疑わなかった未来を、消し去る存在が現れた。



[24918] 第百十五話【先住】
Name: YY◆90a32a80 ID:0f7e5018
Date: 2011/05/01 06:36
第百十五話【先住】


 その美しいと形容するに相応しい風貌はまさに美男子と呼ぶべき姿ではあるが、その彼の耳は人のそれよりも長く尖っていた。

 それの意味するところは一つしかない。

「エルフ!? 何故こんなところに!?」

 驚愕する。

 エルフと相対するなど予想外中の予想外だ。

 通常、エルフと戦うならその十倍は戦力を用意しなければならないと言われている。

 それもまた比喩であって、例え十人のメイジがいたとしても一人のエルフには敵わない事も多々ある。

 つまり、エルフはたかが二人のメイジで勝てる相手ではない。

「私はビダーシャル、争いは好まない。大人しく捕まりこの城の主に突き出されると言うのなら、“私は”命までは奪わない」

 一見紳士的な提案にも聞こえるが、それはつまり作戦の失敗及び自身の終わりにも繋がる。

 彼の言う“私は”とはそういうことだ。

 彼自身が危害は加えないが、城の主がどうするかは知らんということ。

 さらに言えば侵入者として捕らえられれば良くても終身刑、悪ければ打ち首だろう。

 加えて実家にも迷惑がかかる。

 貴族の家は何より誇りと見栄を重んじる。

 大貴族の令嬢がそんなことをやらかしたと事が広がれば、それだけで戦争や没落の原因になりかねない。

 もはや、二人に退路は無いと言っても良かった。

 だが退路が用意されていないからと諦める二人でも無かった。

「レディ故に見逃すという選択肢は無くて? 格好良いエルフのお兄さん」 

「私もこの城の主との協定によってここにいる身。残念ながらそれは出来ない。どうする? 蛮族」

「じゃあ無理にでも見逃して頂こうかしら!?」

 エレオノールは床を錬金によって隆起させ、ビダーシャルの足場を崩し、さらに彼との間に壁を設けた。

「今の内に!!」

 二人の頭には逃走の二文字しか無かったが、

「無駄だ」

 ビダーシャルの声と共に崩れる即席の錬金壁にそれすら叶わない事を改めて悟る。

「流石は蛮族ということか。余程争いが好きらしい。やむをえん、実力行使に出るとしよう」

 言うが早いか、崩れた壁の破片が二人に降り注ぐ。

 先住魔法。

 人間の使う系統魔法とは種類を別にしたその土地の精霊と契約することによってより強力となる魔法。

「既にこの城一帯の精霊との契約は終えている。抵抗すれば抵抗しただけ余計な怪我が増えるだけだ」

 系統魔法と違い、“自然”を味方にする先住魔法は、それだけで系統魔法を凌ぐ威力を持っている。

 破片の一つが勢いよく二人に向かって降り注いでいく。

「きゃあ!?」

「あんっ!?」

 悲鳴に似た声を上げて二人は蹲った。

 その姿を一体誰が責められよう。 

 元来、魔法の才はあっても実戦などとはほど遠い二人である。

 いざ実戦となって体が竦み上がってしまうのは些か仕方のない事ではあった。

 ましてや相手はエルフである。

 歴戦の兵士でも相対しては杖を投げるというものだ。

 一際大きい破片がエレオノールに向かって飛んでいく。

 死にはしないだろうが、かなりの質量を持ったそれを受ければ大怪我は免れない。

 エレオノールは目を瞑り、恐怖に肩を震わせ、次いで来る痛みに身構え、



 彼女へ飛んでいく破片が“巨大な炎の蛇”によって粉砕された。



「お二人とも、ご無事ですか!?」



 それは炎蛇の二つ名を持つ教師、ジャン・コルベールその人であった。




***




 コルベールは当初の打ち合わせた“予定とは違い”、城内を駆け回っていた。

 彼はシェフィールドの言を覚えている。

 そも、その言葉から“ここ”を特定したと言っても過言ではない。



『全く“ガーゴイル娘”に近接戦闘の手解きをしたことといい……邪魔な奴だね』



『さてねぇ、まぁあの身の程知らずな“ガーゴイル娘”も今は捕まって“明日をも知れぬ身”さ』



 その後の話し合いで、彼女の言う“ガーゴイル娘”がタバサであることを確信した彼は、サイトと同時に彼女も助けられないかと考えていた。

 彼女は自分の教え子である。

 救出目的はそれだけで十分だった。

 その為、彼はギーシュに先に予定通り逃げるよう伝え、自分は城内に残り、出来る限り見つからぬようにタバサを探していたのだが、わかっていたこととはいえ、一城から女性一人を見つけることは難しい。

 その上内部構造も詳しくないとあっては、しらみつぶしにいくより無かった。

 そんな中、彼は聞き覚えのある声を聞いた。

 別チームの女性陣の声である。

 比較的安全な方を選ばせたが、この世に完全などと言う言葉は無い。

 もしやと思い、声のする方に馳せ参じたコルベールは、何とかエレオノールへ向かって来た瓦礫を粉砕するのに間に合った。

「ミ、ミスタ!?」

 目を丸くするエレオノール。

 こうして助けられたのは実に二度目だ。

「すみません、なるべく警備の手薄そうな場所を選んだつもりだったのですが……まさかエルフがいようとは」

 コルベールは種族に対して差別を行うような真似はしない。

 しかしこと戦闘において、相手がエルフだった場合の勝算の低さは理解していた。

「蛮族が増えたか、一応お前にも聞いておこう。大人しく投降するなら無駄な危害は加えない。だが、その気が無いなら手荒にいかせてもらう」

 エルフは人間嫌いではあるが争いを好まない、というのを文献で読んだことがあったが、どうやら概ね本当のようだ。

 だが、エレオノール達同様、その条件は呑めない。

「彼女達だけでも見逃してもらうわけにはいきませんか」

「残念だが無理だ。先もその蛮人達には言ったが、私も協定によってここに居る身。協定を犯すわけにはいかない」

「では私も貴男の条件を呑めませんな。大人しく捕まったところで先は見えている」

「ふん、蛮族らしい答えだ。では手荒にいかせてもらおう。私もこの後やらねばならぬ用事がある」

「用事、ですか。それなら私達の事は後回しにしてくれてもいいのですぞ?」

 コルベールは少しでも隙を作ろうと会話を続けるが、

「そのような口車には乗らんさ。何、あの“蒼髪の少女”はどうせ部屋から出られまい。それほど急ぐ必要は無い」

 聞き捨てならない言葉が発せられた。

「蒼髪の少女?」

「この城の主の考えることはわからない。同族の、それも自分の姪にあたる少女に母親が飲んだ薬と同じ精神喪失薬を飲ませよう、とはな。私はそれを届けるところだ」

「なん、ですと……?」

 コルベールは絶句した。

 彼の言う少女は、恐らくタバサに間違い無い。

 ここに来て、このエルフから逃げるという選択肢が無くなってしまった。

「どうやら、私は貴男を行かせるわけにはいかないようです」

 彼から逃げた場合、コルベールは自身の目的も失う可能性があるのだ。

 ギラリ、とコルベールの瞳に炎が宿る。

 コルベールの杖から突然、勢いのある炎が吹き出す……が。

「所詮は蛮族の魔法」

 ビダーシャルにその炎は届くことなく、“跳ね返された”ように炎がコルベールに戻ってくる。

「何と!?」

 コルベールは勢いのある炎に再び同じだけの炎をぶつけて相殺する。

 が、瞬時に精神力を練り上げ切れなかった為に、幾分服を焼かれた。

 加えて急だった為に精神力を多大に無駄遣いしてしまった。

 肩で息をしつつ、エルフを睨み据える。

「無駄だ、この“反射(カウンター)”の前ではいかなる魔法をも跳ね返す」

「ならば!!」

 コルベールは一息で距離を詰めて杖で横殴りに物理攻撃を加えよう……としたのだが、

「な!?」

 同じだけの衝撃が自身に返って来る。

「無駄だと言っただろう。物理攻撃もまた跳ね返す」

 ビダーシャルが冷たい目と現実を突きつけて来た。

 打つ手無し。

 今の戦闘を見ていたエレオノールとキュルケは絶望感で一杯になる。

 コルベールもまた、内心で諦めかけるが、

「諦めろ、蛮人」

 最後通牒のように告げるビダーシャルの姿を見つめていてふと、気付く。

「……!!」

 目に覇気が戻る。

「まだ、やれることがありそうです……!!」 

 何かに気付いたコルベールは、今再びエルフに対峙した。




***




 ルイズはサイトの残り香を追っていた。

 いや残り気配とでも言うべきか。

 サイト自身は動いているようにも感じられるが、未だ正確な位置は掴めない。

 そこで一番サイトを強く感じた部屋に直行してみたのだが、そこはもぬけの空だった。

 恐らく、ここにサイトは閉じこめられていたのだろう。

 大きなシングルベッドが一つとテーブルセットが一組あるだけの、他には何も無い一室。

 窓は一箇所、開けばバルコニーとなっているが、それだけの部屋だ。

 久方ぶりのサイトの残り香が強い場所だが、彼はここにはいない。

 一緒に“覚えのある女の匂い”がそこそこ強くするのが些か気になるが、今はサイトを見つけるのが先だ。

 踵を返したルイズは、入り口に一人の男が立っている事に気付いた。

 男は蒼髪蒼髭で、やや意外そうにこちらを見ている。

「ほう、まさかとは思ったが虚無の小娘か。ここを見つけるとはな。お前のだった使い魔でも取り戻しに来たか?」

「だった、ではなく今もそうよ」

「いいや、今“アレ”は俺の“モノ”だ」

 ルイズの米神がビクリと動く。

「貴男の“モノ”ですって?」

「そうだ、“アレ”はもう俺の“モノ”だ。俺の“最高の玩具”だ」

 その言葉が、ルイズの琴線に触れる。

「寝言は寝てから言いなさい……いえ、例え寝言だろうと許さないわ」

「許さなかったらどうするというのだ?」

 挑発するような男の言葉に、ルイズが顔を伏せて小さく、しかし重い声で呟く。



「……サイトを返しなさい」



──────ルーをかえせ──────



「あの男はお前の夫なのか?」



──────あのものはおまえのつまなのか?──────



「……まだ違うわ」



──────ちがう──────



「ではお前にとってあの男は何だ? 使い魔だからというだけでは無さそうだが」



──────おまえとどのようなかんけいがあるのだ?──────



「最初は何の関係も無かった。ただ、初めて私を“見て”くれて……“愛”を教えてくれた」



──────なんのかんけいもない。ただ、たちよったむらで、パンをたべさせてくれただけだ──────



「“愛”だと? 目にも見えない不確かな、そんな物の為にお前は死を覚悟でここに来たのか?」



──────それでおまえはいのちをすてるのか──────



「たとえどんなにくだらなく見えたとしても、それがサイトの為なら私はいつだって命を賭けるのよ」



──────それでぼくはいのちをかけるんだ──────



[24918] 第百十六話【爆炎】
Name: YY◆90a32a80 ID:0f7e5018
Date: 2011/05/01 06:36
第百十六話【爆炎】


 異国と呼ぶに相応しい上着を着た一時の間の同居人は未だ足を止めることなく歩いていた。

 その足に淀みはない。

 淀みは無いが、迷走してはいた。

「ここはさっきも通った」

「わ、わかってるって!!」

 淀みなく進む歩とは裏腹に、目的があるのか疑いたくなる進行方向だった。

「おかしいな……“行きたい”というか“行かなきゃならない”って場所がさっきからちょこちょこ移動している気がするんだ」 
「………………」

 一見すると彼の言い分はおかしい。

 少し前の自分なら彼の言葉には耳を傾けすらしなかっただろう。

 そんな彼女がこうしておとなしく彼に付き従っているのは、先の彼の一言が彼女に彼を優先させていた。



『わからない。何故なのか俺にもわからない。ただ、俺の中にいる何かが、ぐんぐんと俺を引っぱっていくんだ』



 イーヴァルディの勇者という御伽噺。

 昔大好きで、憧れていた物語。

 その一節を思わせるかのような言動。

 かつて、彼の“立場と有り様”がその主人公イーヴァルディではないかと思った事もあって、今の彼女は彼にそう咎めるような口調は出来なくなっていた。

 不思議と誰とも会わず、警戒が弛んでいたせいもあるのかもしれない。

 先程からはずっと現状の再認識だけを口にしていた。

 サイトもその指摘を理解している。

 自分が先程もここを通った事などわかっているのだ。

 それでも、自分は“何か”を追いかけるように足を止められなかった。

 不思議だとは自分でも思っている。

 先も通った場所が目的地になり、到着する頃には目的場所がまた動いている。

 ここまで来ると自分の感じる“感覚”が本当に正しいのか不安にもなってくるが、今信じられる物はそれしかない。

 同時に、この“感覚”は信じて良いものだと、根拠を説明できない自信だけはサイトの中に強くあった。

 はたしてその想いと感覚が報われてのことなのか、次の曲がり角を曲がった時、二人は部屋を出て初めて自分たち以外の人間と遭遇した。

「おや? 探す手間が省けましたね。これも始祖のお導きでしょうか」

 その相手は、ニコニコと笑顔を絶やさない美青年と呼ぶに相応しい男、ジョゼフに謁見していたロマリアの教皇その人だった。

「私は貴方を捜していたのですよ、“ガンダールヴ”」

 その言葉を聞いた瞬間、タバサはサイトの襟を引っつかみ後ろに下がらせる。

「のわっ!?」

 情けない声を上げてサイトは尻餅をつくが今はそれを気にしていられない。

「“ミス・シャルロット”、そう警戒されずとも大丈夫です、私はただ虚無の使い魔である彼と手を取り合いたいと思っているだけなのですよ」

 姿勢を低くして即座に動けるよう構えたタバサに対し、ロマリア教皇……ヴィットーリオは朗らかに微笑んだ。

 しかしタバサは警戒心を益々強くする。

 この期に及んで自分の本名を使うこの男を、信用するなと今までの自分の経験が告げていた。

 そんなタバサの懐疑の目を知ってか知らずか、ヴィットーリオは彼らに近づきながら口を開くことを止めない。

「今世界は、大げさではなく実際に存続の危機となっているのです。これを回避するためには虚無の担い手とその使い魔の力が必要不可欠。世界を救うため、私は彼、ガンダールヴの力を借りたいのです」

 また一歩、ヴィットーリオが歩み寄る。

「……今この人は記憶がない、他を当たった方が賢明」

 じり、とタバサは一歩後退しつつもヴィットーリオの一挙一動から目を離さない。

「ええ存じていますよ。ですが私ならその記憶回帰のお手伝いをして差し上げられるかもしれません」

「……え?」

 その言葉に、サイトは呆然となる。

 記憶が……戻る?

「……もし貴方が水メイジで腕に覚えがあると言うのなら止めておくべき。彼は恐らく、普通の水メイジでは治せない」

 タバサはサイトの現状を何となく予想していた。

 最初に彼の記憶喪失が母に似ていると思った。

 それは恐らく、効果は同一でなくとも同種によるものの仕業の為だ、とその解答に行き着くまで時間はかからなかった。

 経緯はどうあれ、自分の母と同じように“ジョゼフ”によってここにいるのだからその可能性は高い。

 だが、ヴィットーリオは未だ微笑みを崩さず、

「果たしてそうでしょうか?」

 杖を一振りする。

「記憶は人が持つ物に限りません。例えばその少年が首から提げている不可思議な形のアクセサリー、“聞けば”長くその身に付けているものだとか」

 サイトが首にかけているシルバーアクセサリー。

 それが杖に反応してうっすらと輝きを帯びる。

 同時、サイトには自分の頭に鮮明に何かが見えた。






『お前のだよ!! ブレスレット壊れたって泣いてたから、新しいの何か買おうかなって。ああもう!! 折角秘密にして格好良く渡そうと思ったのに台無しだ!!』


『ああこれ、それとお揃いってか……対、なんだ』


『知らねぇの? これは月だよ、三日月』


『ルイズ、俺があげた首飾り持って来てるか?』


『俺の世界では、本来月は自分からは光らないんだ』


『混乱させて悪いな。俺の世界ではさ、月ってのは太陽の光を反射するものなんだよ。だから月が光って見えるのは、太陽の光を反射してるからなんだ。この世界でもそうかはわかんないけど』


『……だからさ、その、お前に太陽を贈ったんだ』


『太陽がいないと、月は輝けないんだ。その、だから、俺も……だぁぁぁぁ!! 恥ずかしくて言えねぇぇぇ!!』






 彼女にあげたアクセサリー、“太陽”

 それと対になる“月”

 そうだ。

 自分は月なんだ。

 そんな“当たり前”のことを忘れていた。

 自分は月だ。

 自分は使い魔だ。

 自分は平賀才人だ。

 特に特別な力を持っているわけでも無いただのアクセサリー。

 だが、何故かこれだけはいつも肌身離さず持ち歩いていた。

 そのアクセサリーは覚えていた。

 アクセサリーの意味を。

 持ち主の記憶を。

 彼の居る場所を。

「あ……あ……!! お、俺は……そうだ俺は……!!」

 自分は月である。

 月はそれ単体では輝けない。

 視認されない。

 光源がいる。

 そう、太陽が必要だ。

 太陽……ルイズが必要なんだ。

「ルイズ、そうだルイズだ……ルイズなんだ!!」

 何かが足りないと感じていた。

 言うなれば埋まらない空白の1ピース。

 ソレが何だか、今ならわかる。

 いつも当たり前にある太陽。

 彼女の存在無くして、月である平賀才人はありえない。

「何か思い出されましたか? それは良かった」

 ヴィットーリオはニコニコと微笑む。

「虚無の力を使えばこういった事も可能となるんです。どうです? 私の事を信じて頂けましたか?」 

 ヴィットーリオは微笑む顔をタバサに向けた。

 タバサはサイトの記憶回帰に目を丸くすると同時に一つの可能性を思考の片隅に入れた。

 その片隅を突くように、ヴィットーリオが告げる。

「虚無はまさに始祖が与えたもうた神の御力。私は“救いを求める信心深い方々”には“いくらでも救いの手を差し伸べましょう”」

 その言葉が、タバサの心を揺り動かす。

 母に似ていると思ったサイトが、程度の差はわからずとも記憶の回帰に成功しているようだ。

 もしかしたら、同じ魔法で母が治るのではなかろうか。

 そう考え出すと止まらない。

 思考は既に今の力のことだけで埋め尽くされていた。

 それを微笑みながら見ていたヴィットーリオはサイトに視線を移す。

「さぁ私と共に行きませんかガンダールヴ。共に世界を救うため戦いましょう」

 自信満々に仰々しく、ヴィットーリオはサイトに手を伸ばす……が。

「……ルイズだ、ルイズを探さなくちゃ」

 サイトはヴィットーリオを見ない。

「……? 聞いていますか?」

 初めて、ヴィットーリオは笑顔を崩し、困惑の表情を浮かべる。

「……捜し物はルイズだったんだ、ルイズの所へ戻らないと」

「ルイズ? ああ、貴方の主のことですか? それも大事でしょうが私の話も……」

 ヴィットーリオは話を続けようとするが、サイトは聞く耳を持たないようにぶつぶつと呟いている。

 やがてサイトが一人で歩き始めてしまった為、ヴィットーリオはサイトの手を掴んだ。

「お待ちなさい、人の話は聞くものですよ」

 やや表情が変わってきたヴィットーリオにサイトは、これだけは譲れないと言い放つ。



「離せよ!! 俺はすぐにルイズのところに戻らなくちゃいけないんだ!!」



 その剣幕に一瞬ヴィットーリオは怯むが、すぐに落ち着きを取り戻す。

「……成る程。今は主の事以外考えられない、と」

 敵意の篭もっているような目で見るサイトに、再び優しそうな声でヴィットーリオは問いかけた。

「そうじゃないけど急がないといけないんだ!! 何でかわからないけどゆっくりはしていられないんだよ!!」

 サイトは怒ったように腕を無理矢理振って駆け出そうとし、

「そうですか、残念です」

 ヴィットーリオの声が遠くに聞こえ、



「え……?」



 背に、激しい痛みが奔った。




***




「無駄と知りつつもまだ立ち上がるのか、蛮人」

 ビダーシャルは特に感情を込めずにコルベールに言い放つ。

 戦力の差は圧倒的だ。

 魔法が効く相手と効かない相手。

 それだけで既に詰んでいると言っても良い。

 だが、ある“一点”を見たコルベールは、勝機を捨ててはいなかった。

「貴方達エルフの使う魔法は確かに強力です。ですが、人もエルフも変わらないものがある」

「私達と蛮族の共通点、だと?」

 今まで感情をまるで感じさせなかったビダーシャルが初めて、コルベールに対し戸惑いという名の感情を見せる。

「それは、至極簡単な事。同じように生きて、生命活動を存続させる上で必要不可欠な……“呼吸”をしていることです!!」

 コルベールは杖を掲げ、かつて学院が襲撃された際に使用した、“爆炎”を使用する。

「なっ!?」

 ビダーシャルはこと戦いにおいて初めて、危機を感じさせる声を上げた。

 エルフの魔法は精霊と契約し自然の力を使う。

 だがその力は飽くまで自然を味方にするだけである。

 先住魔法は“理”を曲げることは無く、また出来ない。

 それが逆に先住魔法の強みでもあった。

 故に、“性質”に干渉は出来ない。

 みるみる、“周り”が点火し、爆発し、“燃える”

 決してビダーシャル個人を狙っているわけではないそれは、周りの酸素を暴虐のように喰い尽くす!!

 自然は味方である。

 しかし燃えるという現象に対し、必要になる酸素が、味方故に燃えないでいる……という事は出来ない。

 そうなっては“理”に適わない。

 故に、味方の筈の酸素は燃え続ける。

 辺りの酸素を暴虐の限り喰い尽くして。

 ビダーシャルが酸欠で膝を付く。

 まだ意識を保っているあたりは流石だった。

 (正気か!? コレでは自分も死にかねないぞ)

 苦々しくコルベールを見、嗤う彼を見て玉砕覚悟である事に気付く。

 女性陣は離れた位置に避難させているあたり、見事な手腕だった。

 (このままでは蛮人に……くっ、これだけは使いたくなかったが……やむをえん!!)

 ビダーシャルは小さく呟く。



「ワ……ル……ド……!!」



 その途端、とてつもない暴風が吹き荒れた。



[24918] 第百十七話【激怒】
Name: YY◆90a32a80 ID:0f7e5018
Date: 2011/05/01 06:37
第百十七話【激怒】


 小娘にしては良く吼える。

 最初に感じたのはその程度だった。

 しかし、次の瞬間には自分の前歯が折れていた。

 その次の瞬間には鼻から血が垂れていた。

 ようやくと今を認識した時、膝が笑って立ってはいられなかった。

「か……カハッ……!!」

 ガクンと膝を床に落としてボタボタと垂れる血を見つめる。

 まさに一息。

 それだけの間に目の前の少女は自分にその怒りの丈の“一部”をぶつけて来た。

「サイトは誰の“モノ”でも無いわ。私はサイトの“モノ”だけど」

 その声は何処までも冷たく鋭く、そして研ぎ澄まされていた。

 張りのある高いソプラノの声は絶対的な自信と力強さを秘めている。

 ジョゼフは膝立ちになりながら自分の流している血を見て、嗤った。

「ククク、クハハハハハハハハハ!!!!!」

 高らかに嗤い、顔を上げた瞬間、顎を蹴り上げられる。

 だがジョゼフは嗤う事を止めない。

「クハハハハハハハハ!! 最高だ、コレを最高と呼ばずして何と呼ぶ!?」

 背中から倒れようとも、ジョゼフは嗤うのを止めなかった。

 顔は既に、原型を留めなくなりつつある。

 重傷と言っても差し支えない。

 だというのに、ジョゼフは痛む素振りすら見せずに嗤う。

 ただ、嗤い続ける。

 嗤う度に吐血し、その血が自分の瞳を赤く染めて、世界を紅くする。

 だが、視界が紅くなっていっても、ジョゼフはその胸の裡に沸き上がる狂喜に抑えがきかなかった。

 知らない事なのだ。

 自分がこうも一方的に殴られるなど。

 予定に無いのだ、激痛と言って差し支えない痛覚が自分に襲い来るなど。

 ああ、それもこれもどれも全部みんなあの少年のおかげなのだろう。

 あの少年が来てから全く持って思い通りにならず……“面白い”

「クハハッ、ハハハハハハハハハ!! 傑作だ!! やはりあの少年は俺に必要なものだ!! 俺のモノだ!!」

「………………」

 聴覚を通して正常に伝わるその音声がさらにルイズに拍車をかけ、よりジョゼフを絶頂へと導く。

 ボロボロにされながら、確かにジョゼフは幸福を感じていた。

 痛みであれ何であれ、それが知らぬ物ならばジョゼフにとっては最高の肴となる。

 ああ、このまま好物のブランデーを流し飲みしたいところだ。

 しかし口の中が裂けすぎて今は満足に飲めないだろう。

 飲める予定であったものが飲めなくなる。

 最高だ。

 この上ない“未知”だ。

 初めて酒より“肴”を美味いと思えた。

 味は、血の味だ。

 鉄の味などと無粋な味ではなく、未知という甘美な味である。

 ジョゼフは確かに絶頂の中にいた。

 このまま身が滅んでもいっそ構わないというほどの。

 しかし、その幸福は続かなかった。



「ジョゼフ様!!」



 一人の女性が、それを阻んだのだ。

 二人の間に割って入った女性が、ジョゼフの快楽を中断させる。

「おのれ、よくもジョゼフ様を……!!」

 それは彼の使い魔にして興味対象外の位置づけとなりつつあったミョズニトニルン、シェフィールドであった。

 彼女は長い黒髪の隙間から、ギラつく目を覗かせていた。

 ユ ル サ ナ イ 

 その目はそう告げていた。

「ミューズ……!!」

「ジョゼフ様、“間に合って”良かった」

 苛立ちを含んだジョゼフの声に、名前を呼ばれたシェフィールドは嬉しそうに言葉を返す。

「ミューズ……今俺は最高に愉しんでいる。邪魔をするな」

「ええ、わかっておりますとも。私はあなたの為に駆けつけたのですから」

「ならば消えろ」

 ジョゼフがゆっくりと立ち上がりながらシェフィールドを睨む。

「これから私が」

「……消えろ」

 これ以上お前の声は聞きたくないとばかりにもう一度言う。

「貴方様の為に」

「消えろ」

 それでも口を開くのを止めないシェフィールドに苛立ったジョゼフは、持っていた短剣を彼女に向け、

「永遠を……」

「いいから消えろ!!」

 刺した。

 ぬめり、と人体に深く深く突き刺さる短剣。

 刃が見えない程深く突き刺さったそれに血が滴り、彼女の命の灯火を急速に奪っていく。

 シェフィールドはジョゼフを見てから自分に刺さる剣の柄を見、もう一度ジョゼフを見た。

 段々と変色していく唇を震わせ、瞳には涙を一杯に溜め、彼女は言う。



────────“良かった”────────



「な、に……?」

 流石にジョゼフも訝しむ。

 刺されて、死にそうになって、“良かった”と彼女は言ったのだ。

「ジョゼフ様も“同じ気持ち”だったのですね」

「何を言っている……?」

 ジョゼフは狂ってはいるが一般常識を理解出来ないわけではなく、また人の人格を客観的に捉えることは出来ていた。

 そのジョゼフから見て、彼女は広義的にはいわゆる普通の部類に分類されると見込んでいた。

 だが、ジョゼフの知る普通の人間は、刺されて喜びなどしない。

 ジョゼフの知るシェフィールドとは、何かがズレていた。

「ああジョゼフ様……」

 シェフィールドはジョゼフに血の付いた手を伸ばす。

「私と“永遠”になってくださるのですね」
  
 言うが早いか、シェフィールドの体から無数の“鎖”が飛び出す。

「むおっ!?」

 その鎖は力強くジョゼフを捕縛し、同時にシェフィールドも捕縛した。

 鎖に引かれるように二人は絡み合い、さらにがんじがらめに鎖が絡みつく。

「見ていなさい小娘。私は……私の、私達の愛は貴方になんか負けないわ」

 ずる、と重い鎖が二人を引っぱる。

 見れば、いつの間にか鎖は部屋のバルコニーから外へと伸びていた。

 またずる、と鎖ごと二人が動く。

「ミューズ、貴様……!?」

 ここに至ってジョゼフはシェフィールドの考えに気付き、目を見開く。

 何かが違う彼女の“間に合って”の真意とは彼をルイズから助ける為だけではなかった。

「さぁ、永遠に一緒になりましょうジョゼフ様!! 大丈夫、この“天の鎖”は精霊はおろか“神”でさえも束縛できると言われるほど強固なもの。離れることはありませんわ!!」

 途端、急に勢いよく二人はバルコニー側へ引っぱられた。

「なぁっ!?」

 宙に浮く。

 それをジョゼフが理解した時には、体は既にバルコニーから外へ出ていた。




「ミュュュュウウウゥゥゥゥゥゥズゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!!!!!!」




 あらん限りに叫んだ言葉は彼女の名。

 それが、シェフィールドにはたまらなく嬉しく、血色の無い顔で微笑んだ。

 その時のジョゼフの思いを知ることは永遠に叶わない。

 ただ二人は鎖によって離れることなく加速度的に落下していき、





────────────────グシャ





 “音”だけが城下に響いた。




***




「いや本当に残念です」

「あ……か、くっ……!!」

 サイトは床に倒れ伏した。

 かつても感じた事のある背中の切られた痛みが、彼に未だ意識を保たせているが、それも時間の問題だった。

「私としては快くお手伝い願いたかったのですが、仕方ありませんね。まぁ使い魔の“変更”は担い手よりは幾分楽ですからね」

 ヴィットーリオは先程からずっと変わらない優しそうな声で話し続けている。

「使い魔は死んでしまえば再召喚可能。担い手ではこうはいきませんからねぇ」

 その話し方は優しくとも、世間話をしているかのようなそれだった。

「でも安心してください。私は貴方の事は結構買っているのですよ。何せ“あのジョゼフ”に気に入られた程なのです。だから……」

 ニタァとヴィットーリオは笑う、いや嗤う。

「この城に来た本当の意味……“アンドバリの指輪”によって貴方を素直で協力的な子として蘇らせてあげましょう」

 ヴィットーリオの指にある、不気味な指輪が淡い光を放っている。

「だから、安心して早く死んで下さいね」

 そのヴィットーリオの笑顔は先程までと変わらぬ物だったが、一部始終を見ていたタバサにはその笑顔がとても恐ろしく見えた。

 同時に、この男は最も手を出してはいけない物に手を出したと悟る。

 タバサの目には、とんでもない速度で駆けてくる桃色の鬼神が見えていた。




***




「馬鹿な女ね」

 ルイズは一言、そう吐き捨てた。

 二人の悲劇とも喜劇ともとれる様を見ていた彼女だが、シェフィールドの見せつけるような愛の形は、彼女の心を掴む事は無かった。

「二人一緒に死んで永遠? もし本当にそうなるなら“私はあの時既に死んでいた”わよ」

 決して届くことの無い手向けの言葉はそれだけ。

 ルイズすぐに踵を返した。

 先程から嫌な予感が止まらない。

 これはいつかの予感に似ている。

 学院で、会ったばかりのサイトが血塗れになっている姿を見た時も同じような予感がしていた。

 そうして、彼女は目の前の光景を見て、かつての学院での出来事がフラッシュバックする。



 背から血を流すサイト。 



 血塗れのサイト。



 動かないサイト。


 
「あ、あ、ああ、あああ亜亜亜アアアアアァァァァアアアア亜亜亜アア!?」



 ただ、嘆きの声を上げるだけの自分。

 その自分が発する声すら煩わしいと思えるほど不快感。

 今、サイトが■に直面していた。

 ■ぬかもしれない。

 ■んでしまう。

 ■ぬ。



 ■ ン デ シ マ ウ カ モ シ レ ナ イ 



「──────────────────!!」



 喉が再び焼け付くような声ならぬ声を上げて、ルイズはサイトに飛びついた。

「ル、ルイズ……」

 か細い彼の声が、“さん”付けの取れた彼の声が、ルイズを一瞬我に返させる。

 だが同時に、必要の無いノイズも捉えさせられた。

「おや、来てしまいましたか」

 ウルサイ。

 今は全神経をサイトに集中していたのだ。

 邪魔をするな。

「やれやれ仕方ありませんね、本当は“彼が完全に死んでから”ご対面願いたかったのですが」

 ジャマヲス……ナンダト?

 汚いノイズ。

 だがそのノイズの中に聞き逃してはならない言葉があった。

 ギギギ、とルイズは首を横に振る。

 途中で視界に見知った蒼い髪の少女が入った気がしたがどうでもいい、今は激しくどうでもいい。

 その一切の輝きの無い目は、サイトの傍に立つ一人の男に向けられた。

 男はニコニコ顔で言う。

「安心して下さい。彼が死んでも私が生き返らせてあげましょう、この指輪でね」

「貴方が、サイトを殺そうと、したの……?」

 それに、ルイズは恐る恐る尋ねた。

「おや? 見ていなかったのですか?」

「何を……?」

「いえ、しかし……ふむ……」

 ヴィットーリオは僅かに悩んだ。

 このままうやむやにした方が虚無の少女を御しやすいのではないか、という打算もあった。

 しかし、その間が決定的になった。



「この男が彼を刺した。この男は彼が思い通りにならなかったから殺そうとした」



 唯一の目撃者、タバサが一足早く口を割ってしまったのだ。

「……っ!!」

 ルイズの空気が変わる。

 これはまずい、嘘は逆効果になりかねないとヴィットーリオは嘘は言わない事にした。

 ことここに至ってまだ彼は彼女を御せると思っていた。

「ええ事実です。しかしそれも大義の為。それにこの指輪があれば彼を蘇ら……がっ!?」

 ヴィットーリオは言葉を最後まで紡げなかった。

 ルイズに見せつけるように見せた指輪。

 それを彼女はあろうことか“指の付け根から指輪ごと喰いちぎった”のだ。



[24918] プロローグにしてエピローグ
Name: YY◆90a32a80 ID:0f7e5018
Date: 2011/05/01 06:38
プロローグにしてエピローグ


「あ、あ、あああああ!?」

 一本指の足りない手に、ヴィットーリオは叫びを上げる。

 一息遅れて痛みが来たのだ。

「あああ、ぎゃああああああああああああ!!」

 彼は甘く見ていた。

 同じ虚無の担い手の人間性を。

 ヴィットーリオは数歩ルイズから距離を取り、ボタリと垂れる血に気が遠くなりながらもルイズを睨んだ。

 かつて“使い魔”からその異常性は聞いていたが、ここまでとは思わなかった。

 その時は大げさだとさえ思ったが、その説明ですら生温いほど、彼女は狂っている。

「や、やってくれましたね……!!」

「ほれは……ペッ!!……こちらの台詞よ……!!」

 既に原型を留めていない血と肉の塊。

 それがルイズの口から吐き出される。

 彼女にとってサイトに仇成すものは須く敵である。

 サイトを刺した?

 死刑には十分すぎる大罪である。

 指の一本など生温い。

 ましてや……、

「サイトを……生き返らせるですって!?」

 彼女はアンドバリの指輪の存在は覚えていた。

 それによって蘇った者のことも。

 いや、あれは蘇ったとは言えない。

 傀儡なのだ。

 この男はサイトをそんなものにしようと言うのか。

 全く持って、



──────────────度し難い。




 かつてルイズは、“前の”ルイズであった時、父親がルイズの状態に見かねて「ほら、お前の使い魔だよ」と連れてきた人物がいた。

 その人物は凄腕の“偽物師”で、“今のこの世界”においては“ウェールズに化けたり”もしている人物だった。

 “前の”ルイズはその男をサイトと言われた事に我慢ならなかった。

 本物とは匂いが違いすぎたのだ。

 その時のルイズは周りが無理矢理に押さえつけるまでそのフェイカーを殺そうとするのを止めなかった。

 そんな事実は無論ヴィットーリオの預かり知る所ではない。

 だが、サイト命のルイズにとって、“サイトを騙る”者は何人たりとも許せなかった。

 だからこそ、ルイズはサイトを失いたくなく、彼の■を何よりも恐れたのだ。

 ルイズとヴィットーリオは互いに視線だけで相手を殺せるんじゃないかと言うほどの形相で睨み合っていたが、終幕はあっけなく訪れた。



ドォォォォォォォォォォォン!!!!!!!!!



「っ!?」

 大きい音と共に城が揺れる。

「何だ!? 地震か!? うわぁぁぁぁ!?」

 突如として揺れる城。

 その勢いの強さは凄まじく、床板は割れ、天井は崩れ始め、その塊がヴィットーリオを襲った。

 ヴィットーリオだけではない。

 天井からの瓦礫はルイズと倒れているサイトにも降り注いだ。

「!!」

 瓦礫といえどサイトを害為す事は許さない。

 ルイズはサイトを抱きしめながら慌てて杖を振ってその姿をサイト共々城から消した。




***




 暴風が吹き荒れる。

 燃やし尽くした筈の酸素が暴風によって運ばれてくる。

 いや、暴風は衰えることなく吹き荒れ、最早“燃える環境”を許してはいなかった。

「な、な……!?」

 コルベールは驚愕する。

 最後の賭けであった。

 同じ呼吸をしている生物として、その呼吸源を絶つという戦法。

 それが破られてしまった。

「惜しかったな蛮人……!! 私もエルフとしてこの手だけは使いたくなかったが」

 吹き荒れる暴風。

 しかしその風は徐々に大きな人型を作りつつあった。

 その姿を、女性陣は見たことがあった。

「あれは……!!」

「知っているのか、蛮人の女。こやつは“元風メイジの人間”だからな。ジョゼフもとんでもないことを考えるものだ。人の“人工精霊化”など」

 その姿はかつてトリステインを裏切り、ルイズとサイトに杖を向け、レコンキスタに与していた風メイジ、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドその人だった。

「この男は非常に稀なケースだ。余程強い思いがあったのだろう。元々こいつはお前達風に言うと風のスクウェアスペル、“遍在”とかいう魔法の魔法体であったのだ。本体……人間の体は死にながらにして魔法の結果だけが残る……本来なら早々お目にかかれるケースではない」

 ジョゼフはそのワルドの存在を見て、人ならざるものとして喜んだ。

 同時に、どうせ人では無いのなら、精霊に出来ないかとビダーシャルに持ちかけたのだ。

 当初、精霊を重んじるエルフであるビダーシャルは断りたかったが、協定内容がそれを許さなかった。

 蛮族との協定など護る必要は無いとも思ったが、それによって蛮族よりも“蛮族”扱いされては堪らない。

 そんなエルフとしての格式高い葛藤と所属するネフテスとの相談を経て、渋々ビダーシャルは研究する羽目になったのだ。

 結果から言えば、精霊化は不可能だった。

 やはり精霊とは格式高いものだと思ったが、結果を求められる身として何も出来ないのでいるのも癪だとあれこれ手を出して見ると、これがとんでもない出来になった。

 精霊には出来ないが、意思ある魔法としての確立は出来た。

 言うなればワルドというオリジナルに近い風魔法だ。

 しかし、これは元々ワルドという遍在が存在するために使用できる魔法で、単に人間の使う風のスペルを扱えるというものだった。

 そこでビダーシャルは当初の精霊化計画に近づくよう、まずは風の精霊と魔法の意識の契約が可能かどうか、それを試してみたところ、これが出来てしまった。

 ここから、彼の予想外のことばかりが起り始める。

 まず、風の精霊はあっという間にワルドという意識体に屈服させられてしまった。

 信じがたいことだが、人で無くなったワルドの意識が精霊を上回る意志の強さとキャパシティを見せたのだ。

 人で無くなったことで可能になったことだろうが元人間とは思えぬ妄念だった。

 加えて風の精霊を半ば取り込むような形になったことで、ワルドは自分の力を自給自足できるようになってきていた。

 風がワルドにどんどん力を持ってくるのだ。

 始めのうちは放っておくだけでも消滅の危機があるほどの存在だったのでこれで少しは楽になったと思ったのだが、予想に反してワルドは“強くなりすぎた”

 無限に、無制限に風を取り込むワルドはどんどん肥大化し、無理矢理押さえつけなければビダーシャルですら制御できない存在になりつつあった。

 そのワルドが、今解き放たれた。

 解き放たれてしまった。

 もう、彼を止めることは出来ない。

 ビダーシャルが何度も聞いた、妄念と妄言が風に乗って聞こえる。



『せい、ち……せいち……聖地ィィィィィィィィィィィィィィ!!!!!!!!!!!!!』



 その言葉だけを叫び続け、風が暴風となって吹き荒れる。

 しかしここでさらに誰にも予想できない事が水面下で起こり始めていた。

 風の強さが増すのと同時に、ハルケギニアの大地に眠る無数の風石……いつかは飽和状態になりあちこちが大隆起するといわれていたそれが、ワルドによって急に活性化されつつあった。

 城が、大地が、ハルケギニアが今、揺れだす。

 ガリアを中心に大地が隆起し始める。

 城が崩れるのは時間の問題だった。

「くっ!! このままでは……!!」

 コルベールは何とかしようとワルドを形作る風の塊に炎の蛇をけしかけるが、効果は無い。

「無駄だ、こうなっては私でも止められん」

 ビダーシャルの諦めにも似た声が無情さを告げる。

「それでも!!」

 諦めるわけにはいかない、そう思いなおした瞬間、彼の胸には大きな穴が開いていた。

「……っ、あ」

 目を一際大きく開き、彼はそれ以上話すことはできなくなった。

「ミスタ!? ミスタァァァァァァァァ!?」

 エレオノールが悲鳴を上げてコルベールに近づく。

 遅れてキュルケも近寄るが、彼は既に息をしていなかった。

「う、そ……?」

 キュルケは力なくその場に崩れる。

 エレオノールは彼の胸に顔を乗せて泣いていた。

 が、ワルドは止まらない。

 風の塊がビダーシャルを除く三人を思い切り吹き飛ばす。

 ワルドにはもはや正常な思考回路は残っていなかった。

 ただ聖地へ、というそれだけの妄念が今の彼だった。

 そんな彼に攻撃したコルベールは彼にとって目障りでしかない。

 目障りだから風の槍で刺して、ついでに群がる“その他”を吹き飛ばしたのだ。

 今の彼にとって、先の行動はただそれだけでしかなかった。

「蛮族はやはり蛮族か……」

 ビダーシャルの悲しむような声が、風に乗って飛んだ。




***




 ドォォォォォォン!!

「っ!?」

 こちらも逃げなければ。

 そうタバサが思っていた矢先、壁を突き破って何かが飛んできた。

 何事かと思えば、それは見知った先生と同級生、そして同級生の姉だった。

 そう思って近づき、絶句する。

 彼女の目から、輝きが消え始める。

 師匠だと、父親に似ているとそう思った先生が、胸に文字通り風穴を開けていた。

 彼は動かない。

 気絶しているわけではないのはすぐわかった。

 他の二人は幸い無事なようだが、意識は無い。

 だが、コルベールはダメだ。

 そう思った時、彼女の中で何かが弾けた。

 彼が、彼の■タイが、父にダブる。

 それだけで正常ではいられない。

 瞬間、ふと思いだす。



『アンドバリの指輪』



 死者を蘇らせるという指輪。

 それがあれば!!

 そう思ってタバサはルイズが吐き出したヴィットーリオの指を捜す。

 天井から瓦礫が崩落してくる中、その汚い血と肉の塊はすぐ見つかった……が。

「……ない。指輪は、無い」

 そこに指輪は無かった。

 天井が、そのまま迫って来る。

 何も出来ない自分。

 また、何も出来なかった。

 今度は瓦礫などと生易しいものではなく、本当に天井そのものが降ってくる。

 もう、助からないのは目に見えていた。

 辺りには自分以外に動いている人間もいない。

 ヴィットーリオも先ほど瓦礫に押しつぶされた。

「……あはは」

 タバサは視線を降って来る天井に向け、数日振りに笑った……いや、嗤った。

 その瞳からは、“彼女のように”一切の輝きが消えていた。




***




 がむしゃらだった。

 本当に適当に、できるだけ遠くへという思いで瞬間移動を使った。

 そうして移動した先は、ラグドリアン湖だった。

「サイト……サイト……」

 頬を撫でる。

 久方ぶりに触れるサイトは、冷たかった。

「ル、イズ……」

 サイトがゆっくりと目を開ける。

 それだけでルイズはほっとできた。

 しかし油断は許されない。

 彼は相当な量の出血をしている。

 どうにか助けなれば。

 医者と水の秘薬。

 どちらも良質なものが大量に必要だ。

 だと言うのに、

「……はぁ、はぁ、ルイズ、聞いてくれ、俺、思い出したんだ」

 サイトがルイズを力なく掴んで離さない。

 サイトが話したがっている。

 そのサイトの願望を、ルイズは跳ね除けられなかった。

 自分もずっとこうしてサイトと触れたくて、話したかったのだ。

 ずっとこうしたかったのだ。

「はぁ、はぁ……俺、生き残れたら、お前に、もう一度言おうって……決め、てたんだ」

 ルイズはサイトの頬を愛おしそうに撫でる。

「生き残れたら、俺はきっと前の自分よりも自分に自信を持てるって、そう思えたんだ」

「うん」

「お前は、俺の、太陽だ……ルイズ、だから……」

「うん」

「だから……」

「うん」

「……だから、好きだルイズ。今度は、返事を、聞かせてくれ、ないか」

「うん……私も好き、いいえ大好きよサイト」

 ルイズの嬉しそうな言葉に、サイトは薄っすらと微笑みながら、

「そうか、良かった。へへ、これで俺も本当に彼女持ちだな。童貞喪失も、遠くない、か、な……」



 ゆっくりと、



 力を抜いて、



 その首を、



 力なく、



 落とした。



「……サイト? サイト!? サイト!?」

 ルイズはサイトを揺するが、彼は動かない。

 再び、もう二度と、動く事は、無い。

「サイト」

「サイト」

「サイト」

 呼んで、名前を口にして、涙を一杯に零して。

 そしてようやく、その現実が彼女を“数十年ぶり”に認識させる。

「死んじゃ嫌だよサイト、一人にしないで……一人にしないで!!」

 思えば、彼が死んだ事を理解したくなくて、認めたくなくて方々手を尽くした。

 再び彼と会えるとわかった時、これは運命なんだと狂気乱舞した。

 その目をそむけていた現実が今、彼女に追いついてくる。



「う、う、うわああああああああああああああああ!!!!!!」



 泣いた。

 あの時以上に、かつて以上に、人生でこれ以上無いほどに泣いた。

 叫びはしても、ここまで純粋に涙を流した事はきっと無い。

 世界が動いている。

 動くのも辛いほど大地が鳴動している。

 でもそんなことはどうでも良かった。

 酷い地震になるだろうとか、損害は計り知れないとか、そんな結果より。

 ただ彼がもう目を開けないのが悲しくて泣きたかった。

 木々が倒れる。

 地面が割れる。

 湖面が振動によって揺れる。

 それでもルイズはサイトの■……『死』以外に意識を割けなかった。



『きたか……』 



 だから、揺れる湖面が人の形をして声を発しても、気になんかしていなかった。

『また、約束を果たしにきたか。これで“何度目”だろうな』

 揺れる湖面の水の塊はルイズを覆う。

 ルイズはそうなっても気にせず意識を割かずただサイトに抱きついて泣いていた。

『指輪は……体の中か』

 ルイズですら考えてもいないことだったが、彼女はヴィットーリオの指を噛み千切った時、指輪は飲み込んでいた。

『さて、これでようやく我の元に秘宝が戻った、約束を果たした事、感謝するぞガンダールヴ。と言ってもいつも貴様は礼を聞ける状態ではないが。なぁ“元”単なる者よ、お前もそう思わないか』

 水の中でも泣くという器用な真似をし続けるルイズはサイトにかかりきりだった。

『やはり“元”がついても単なる者は単なる者か。“感情”とはかくも面倒なことだ』

 水の精霊はルイズとサイトごと湖面にその身体を沈めていく。

『“禁忌”を犯し“単なる者”でなくなってから幾星霜……私は忘れてしまったな、そんなもの。お前は、忘れずにいられるか? “元単なる者”にして“現同胞”よ……』

 返事はどこからも無い。

 だが、彼女の泣き止まぬその声無き声が、答えだろうと“今の”水の精霊は決定する。



『ならば、少し眠るが良い。“大いなる意志”は、ようやく次へ進む気になったようだからな』





































































 少年は歩いていた。

 場所は秋葉原。

 少年は普通のジーンズに青と白のパーカーを着て、脇には折りたたまれたノートパソコンを持っている。

 三日前の晩、というか朝(夜中の三時)に使用していたノートパソコンが急にフリーズしてしまい、電源がつかなくなった。

 もう大分古くなってきていたし予兆はあったのだが、まだ見たい動画が残っていたので無性に腹が立った。

 殆ど寝ずにバラしてみたがわからず、気付けば朝も十時を回っており、その日はやむなく電気屋に駆け込む事にした。

 そして今日、修理完了の旨を電話で受け、マイノートパソコンを受け取りに来たのだ。

「ふわぁぁ……」

 脇にノートパソコンを抱えた少年は眠い目を擦り欠伸をする。

 昨日の晩は動画の代わりにビデオを久しぶりに長い間見ていて万年睡眠不足は現在も進行中だ。

 母親がパソコンの無い時くらい早寝しなさいと怒っていたが、日付変更前に寝たら若者として負けだと思ってる。

 しかし、実際めちゃくちゃ眠い。

 負けという舌の根も乾かぬうちに今日は久しぶりに早寝しようか、そう思ってまた大きな欠伸をし、反動で目を閉じ、また開いた時、景色は一変した。

「ふえっ!?」

 まず力強く急に引っ張られた。

 それを理解してから開いた目前の光景は、

「才人!!」

 一般的に言って水準以上の美少女の顔のそれであった。

 ただ、桃色がかったブロンドから日本人ではない事が伺える。

「な、何だよ」

「もう、ようやく“この時”に捕まえたわ。“何度呼んだ”と思ってるのよ」

「はぁ? お前そんなに何回も俺を呼んでたか?」

「まぁ“今日”は一回目だけど」

「意味がわかんねぇ」

 才人と呼ばれた少年は不満顔でまた歩き出す。

「あ、待ってよ」

 遅れて少女も才人に続いた。

 が、すぐに振り返って少女は手を合わせて頭を下げる。

「どうした?」

 才人が遅れている少女に気付いて振り返ると、通路の奥に一瞬何か鏡のようなものがあった、気がした。

「なんでもない」

「ふぅん」

 瞬きした瞬間には無かったので錯覚だろうと頭を振り、また歩き出す。

「またパソコン? 目悪くなるわよ」

「うるさいなぁ、趣味だよ趣味」

「どうせまたエッチな動画でも探してたんでしょ」

「……黙秘権を行使する」

「もう!! だから私ならいつでも良いって言ってるのに」

「バッ!? お前天下の往来でそういうこと言うな!?」

 才人は辺りを見回し、誰も気にしていない事にほっとする。

「もう、シたいのかシたくないのかどっちなのよ。良い? 私のめしべと才人のおし「わーっわーっわーっ!!」……ぷぅ」

「お前はもう少し恥じらいって物を持て!!」

「いいじゃない、私はかつて恥じらいを持ってたせいで後悔したのよ。だから恥じらいは捨てるの」

「俺はお前が恥じらいある姿を見たことが無いぞ!!」

「気のせいよ♪」

「はぁ、ったく」

 才人は溜息を吐いてまた歩き出す。

「あ。そーだ。おばさまから聞いたんだけど才人また変な物買ったんだって?」

「うっせーな、いいだろ別に。何か気になったんだよ」

「“伝説の剣”なんて触れ込みのボロっちぃ剣なんてオタクでも買わないわよ。原典があるならともかく。しかもその剣が喋ったって言ったそうじゃない」

「本当に喋った……気がしたんだよ。何か時々勝手に動いてるし」

「電池式か何かのオモチャじゃないの?」

「俺もそう思ったけどどこにもそんな感じのが無いんだよなぁ」

「へえ、まぁそれはいいとして。ねぇ才人?」

「な、何だよ?」

「貴方この前下級生の“佐々木”っておかっぱ頭の巨乳な子にアタックされてたわよね?」

「な、なんのことだ?」

「とぼけても無駄よ!! 証拠は挙がってるんだから!! 罰として今度の休みは私と一日中一緒にいること!! いわね!?」

「ちょっ、おい!? 今度の休みは予定が……」

「ダーメ、絶対一緒に遊園地行くんだから」

「ったく、しょうがねぇなぁ。あーあ、パソコン修理で金が無いのに」

「ぷっ、ふふふふ」

「何だよ?」

 急に笑い出した少女に、才人は訝しげな顔をする。

「んーん、なんでも無い。ただ普通の日常っていいなぁって思っただけ」

「何だよそれ?」

「さあねぇ。あ、そうだ。おばさまから聞いた才人の部屋の新しい秘蔵物チェックするんだった!! さっそく処分しにいかないと!!」

「ちょっ!? おい!!」

 少女は駆け出す。

 才人もまた少女を追って駆け出した。

 少女は本当にやりかねないのだ。

 いつもどこからか調査して人の秘蔵物をこそこそ処分しにかかる。

 おこづかい欠乏の中、コツコツとせっかく手に入れたアレやソレなものを捨てて、自分のキワドイ写真集(どこで用意したんだこんなの)とかと入れ替えるなんてザラだった。

 だから急がねばなるまい。

 アレやソレを護る為に。

 それが、これから続いていく平和な日常のヒトコマ。

「待てよ!! おいってば!! ル───」






















 平賀、とそう書かれた表札の家。


 カチカチカチカチカチ。


 その家の中の一室から音がする。


 カチカチカチカチカチ。


 音源は、錆びたようなボロい剣のレプリカ、のようなものだった。


 サァ、と部屋に風が入る。


 カチカチカチカチカチ。


 誰もいない部屋で鳴るその音はまるで、『おでれーた』と言っているようだった。











END



[24918] 外伝1【それからのとある日常】
Name: YY◆90a32a80 ID:0f7e5018
Date: 2016/01/03 22:00

外伝1【それからのとある日常】


 キィ、とやや古びた蝶番が小さく音を上げる。
 同時に蝶番によって扉というその役割を果たしている木の板は僅かに開帳した。
 正確には開帳した際に蝶番が軋んだのかもしれない。
 フワリとした暖かな風がその開帳した僅かな隙間から扉の奥……室内に流れ込む。
 次いでギィ、ギィと床板が小さく撓る音がする。
 ギィ、と鳴るたびに黒いソックスが床板に触れる。
 正確にはソックスが触れ、そこに重量……体重がかかって床板が撓るのかもしれない。
 そのソックスの主は決して重い部類ではないが、必要最低限の重量は要しているので当然と言えば当然のことだ。
 それでも極力音を出さないように注意しているのか、ソックス内の足の指先だけで歩くよう心がけ、床と触れる面積を出来る限り減らして体重が乗り切らないようにしていた。
 だがその静かな歩みも部屋の隅にあるベッドの傍で止まった。
 ベッドの中心は静かに上下している。
 それはベッドの上……このシーツの下に眠っている人間が居ることを示していた。
 静かなる侵入者はそれを確認するとギシッと音を立てながらベッドに腰掛ける。
 今までの隠密に比べれば幾分配慮の欠けた大きな動きだったが、幸か不幸かベッドの住人は眠りの国から醒めることは無かった。
 と、腰掛けた侵入者は自らの黒いソックスをおもむろに脱ぎだした。
 膝下程まで履いていたそれはそれなりに長く、侵入者が女性で在ることを窺わせる。
 細くミルク色の肌をした指がスラリと踵までソックスを下げ、次いで爪先から一気に引き抜いてその綺麗な足を露わにした。
 同様にもう片方の足のソックスも脱ぎ、先程歩いてきた床板……フローリングの上に無造作に投げ捨てた。
 ソックスを脱ぎ捨てた侵入者は流麗な手つきでそのまま上着のボタンに手をかけ、その下にある真っ白なブラウスを外気に晒した。
 微塵も躊躇い無いその指は、侵入者の胸元から段々下降しスカートにまで伸びて、止まる。
 何かを考えているかのような僅かな間。
 
「……スカートは穿いたままの方がいいかも」

 無音に徹していた侵入者が、初めて口を開く。
 高いソプラノ調の声のそれは、侵入者がやはり女性……それも服装から高校生程度の少女である事を示していた。
 侵入者の少女はスカートまで伸ばしていた手を、目標を変えてシーツに伸ばす。
 そのままシーツをゆっくり静かに持ち上げて、自らの体をシーツの中……ベッドの住人の世界へとさらに侵入した。

「ん、はぁ……」

 侵入者は小さい吐息を漏らす。
 シーツの中に侵入した途端、濃厚な“自分ではない匂い”を感じて、鼻一杯にそれを吸い込む。
 侵入者の鼻の中一杯に広がるそれは、すぐに侵入者を恍惚へと導いていった。
 どんな香水でも麻薬でもたどり着けない、甘い香りの依存臭。
 侵入者にとって、例えるならそこはそんな匂いの発生源だった。
 スゥ、とまた鼻から息を吸い、また吸い、さらに吸う。
 吐き出すのがもったいないとばかりに吸ってばかりになり、シーツの中という事もあって軽く酸欠状態になった所でやむなく少し吐き出す。
 もし生物が呼吸するのに“放出する”という工程を必ずしも必要としないなら、彼女はここで吸った匂い付の空気を僅かたりとも吐き出しはしなかっただろう。
 吸って吸って吸って、ただこの匂いと空気を吸えればそれだけで良い。
 吐き出す必要性を侵入者の少女は微塵も感じなかった。
 侵入者の少女はせめて出来る限り吸収しようと鼻を鳴らしながらその匂いの発生源により近づいていく。
 もとよりシングルベッドのシーツの中、さほど動くことも無く発生源……眠っている住人には触れられた。
 眠っている住人は未だ眠りの国から醒めないのか、規則的に胸を上下させるに留まっていた。


 侵入者が笑った、ような気がした。


 部屋はカーテンが閉じている為に暗く、表情の判別などどう付かない。
 だというのに、確かに少女は笑った。
 
「サーイトー!!」

 突如、侵入者の少女は大きな声で眠っていた住人、この部屋の主である平賀才人の名を呼ぶと彼にのし掛かった。
 のし掛かった、とは言っても体重を乗せるようなものではなく、ただ覆い被さったというそれに近いものだったが。

「のわっ!? ちょっ!? な、ルイズ!?」

 自身の胸に重みを感じた才人は急速に覚醒する。
 慌てて胸の上を見れば白いブラウスにスカート、そして素足の少女が自分に跨っていた。

「また勝手に入ってきたな!? いい加減起こすなら普通に起こしてくれよ!!」

「ええー? 普通に起こしてるわよー? だって今日はキスしてないしー、舐めてないしー、『アソコ』を触ってもいないしー、今日は“匂いを嗅いだだけ”だしー」

 ルイズと呼ばれた侵入者の少女がその細い指を一つ一つ折りながら鼻高々に説明する。
 その説明に才人は盛大に顔を紅くした。
 キスはまだ良いとして(良くないけど)舐めるって何処を? 『アソコ』って何処? 匂いを嗅いだ“だけ”ってなんだ“だけ”って。
 そんな慌てた思考で脳を埋め尽くされながら才人は無理矢理起きあがる。

「きゃっ」

 そうなれば当然、彼の上に乗っていたルイズは体勢を崩し、スカートがめくれる。
 才人はそれを目の当たりにしてしまって、固まる。
 その思考は目前の視覚によってもたらされた情報、『今日は青の縞パンツ』で統一され、

「んもう、才人のエッチ♪ そんなに焦らなくてもいいのに」

 すぐに茶目っ気たっぷりの笑顔で我に返って慌ててルイズを着替えさせ、自分も着替えを始める。
 それが彼女、フランスからの留学生、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールと知り合ってからの平賀才人の日常だった。




***




「あれほど勝手に入ってくるなって言っただろ?」

 ルイズの「着替えさせてア・ゲ・ル・♪」というふざけた朝の決まり文句を切って捨てた才人は着替えをさっさと済ませて家を出た。
 彼女との付き合いはそれなりな期間になるが、それでもこの突拍子もない突然のスキンシップには閉口してしまう。
 
「でも才人、最近は鍵かけなくなったじゃない。それつまり、もうOKってことでしょ?」

「……いや、鍵の意味が無いようだからかけるのも面倒になっただけだって」

 彼女は鍵をかけていようがいまいが、部屋に侵入してきてしまう。
 一体どうやって鍵を開けているのかは謎だが、彼女曰く日本の鍵なら電子ロックでもない限り開けられる自信があるらしい。
 一度何かの“棒”のような物を振っているところを見たことがあるが、あんなもので鍵が開くはずがないので、その特技は未だ謎に包まれたままだったりする。
 まぁ大方、母親とグルになって合い鍵でも手に入れているのだろうとアタリは付けてはいるが。
 とにもかくにもそうして侵入してきた彼女はその侵入難度が高くなればなるほど過激なアプローチをして来る。
 自分とて年頃の男であり、“そういった”事に興味は津々だが、向こうから無防備を通り越して誘惑されるとやや躊躇ってしまう。
 別段彼女が嫌いなわけではないし、見るからにブサイクというわけでもない。
 背はやや低く、体の起伏も平均よりは下というレベルではあるが、それを補ってあまりある腰の細さと綺麗な顔立ちが全てをカバーしている。
 むしろカバーどころか補ってあまりある、“美人”と呼ぶに相応しい程のそれで、学校でも彼女の人気は高い。
 そんな彼女が自分にとんでもないほどの『好意』という名の『行為』を向けてくれるのは嬉しくもあり複雑でもある。
 彼女の『好意』から来る『行為』に、自分はどれだけ真摯でいられるかわからない。
 彼女が向けてくれるだけの『好意』を、自分は彼女に『行為』という『好意』で返しきれるかという不安と、返しきりたいという欲望が彼の中には渦巻いている。
 白状するなら、才人は間違いなくルイズの事が好きだ。
 自分に尽くしてくれる美少女を、どう嫌えというのだろうか。
 相手が自分を好きでいてくれればいてくれるほど、自分も相手を好きでいたいと思う。
 だが、彼女の『行為』の『好意』を受け入れるには、“覚悟”が必要だった。

「何考えてるの?」

「え? いや別にたいしたことじゃないよ」

「もしかしてまた一年の佐々木って子のこと? それとも同じくクラスのティファニアかしら?」

 スゥ、と彼女の瞳から先程までの溢れんばかりの輝きが消え失せていく。
 瞳の奥の奥、真っ黒なそれしか映さない瞳孔が開ききったかのようなその目は、才人に身震いを起こさせる。

「違う違う!! シエスタの事はこの間説明したろうが!! テファだって相手がいるんだから!!」

「……そう? ならいいけど」

 フッとルイズの目が元に戻る。
 同時に才人はホッと胸を撫で下ろした。
 彼女は異様に嫉妬深かった。
 ルイズ以外の女の影……どころか親密すぎる男友達でさえ彼女の嫉妬のレーダーには探知される。
 これが偏にサイトがルイズに“まだ”傾倒出来ない理由だった。
 例えば才人が歩いていて『あ、あの女の人綺麗』と言ったり思ったりした時、彼女のレーダーはその機微を遺憾なく察知し先のような表情になる。
 彼女は全てにおいて才人優先で、才人以外に眼中が無い。
 加えて、彼女は独占欲よりも“被独占欲”が強かった。
 才人を独占したいという思いは強いが、それよりもさらに才人に自分の全てを独占して欲しいと思っていた。
 彼女の中では彼が全てにおいて優先される。
 だが、そこに“他の存在”が入り込む事を良しとは思わない。
 彼には“自分だけ”を独占して欲しいのだ。
 才人には、何となくそんな彼女の考えがわかっていた。
 わかってはいたが自分はお年頃。
 ついつい目移りしてしまうのは仕方がないことと言えた。
 先程言われた“巨乳”の佐々木シエスタ然り、ルイズと同じく留学生の“爆乳”のティファニア然り。 
 だから、いずれ“彼女だけ”を見るという“覚悟”を決めるまでは、彼女の『好意』は受けられても『行為』は受けられないと決めていた。
 
「ん? 何? どうかした?」

 いつの間にかルイズの横顔を見つめていた才人は、ルイズの不思議そうな顔に苦笑して、いつかその日は必ず来るんだろうなあと胸の奥に本心を仕舞う。

「いーや、何でもないさ」




***




 学校というものは総じて退屈である。
 学生である以上勉学に励まなくてはならないという一般論は無論理解しているが、授業を聞いていると眠くなるのもわかりきったお約束の一つだろう。
 それでも教室内に響く鐘の音が授業の終わりを告げれば、不思議なことに眠気は吹っ飛びお昼休みという名の学校生活における一滴のオアシスタイムへと変貌する。

「才人、今日はどうするんだい?」

 癖の無い金髪の少年が、ややキツイ香水の匂いを振りまきながら才人へと声をかけてくる。
 その髪は決して世の中に反抗したい現れのそれではなく、地毛のそれであった。

「おうギーシュか、今日は弁当がある、と思う」

 ギーシュ、と呼ばれた彼もまた留学生の一人で、才人とは気の置けない仲だった。
 才人の通う学校は半数は留学生という海外交流盛んな学校で、逆にこちらからも交換留学生として向こうに行っている生徒も少なくない。
 この学校に入学する大半の学生はその海外交流目当てが多いのだが、才人はただ単に家が近いからというそれだけの理由だったりする。
 
「そうかい、“今日も”なワケだ」

「ウルセー」

 いやらしげな笑みを浮かべたギーシュに才人は頬を赤く染めて視線を逸らした。
 彼とは入学後、良く食事を一緒に摂る間柄だったのだが、それも最近ではめっきりと減ってしまった。
 その理由は偏に、

「はい邪魔」

 突如として現れるピンクブロンドの少女、今朝も一緒に登校してきたルイズが才人のお昼タイムを独占するからに外ならない。
 彼女はお手製のお弁当を毎日作って才人の元へとやってくる。
 クラスが違う為にギーシュの方が先手こそ打てるが、そのまま彼を連れて行った日には彼は暗い夜道を歩くことは叶わなくなってしまう。
 嘘でも誇張でも無くそうなった人間がいるし、ギーシュも何度かその被害には遭っているのだ。
 それでも彼は才人との友達付き合いそのものを止める気は無いらしく、こうしていつも声をかけてくれる。
 それが才人には有り難かった。
 ルイズは人気が高い。
 そんなルイズが好きだと公言して憚らない自分はそうたいした人間ではないと才人は自負している。
 それはルイズを覗いて自他共の周囲共通認識に外ならず、それによって僻みも生まれる。

『何で平賀なんかと』

『見せつけてくれるぜ』

『もげろバカップル』

『あのルイズって娘媚びすぎじゃない?』

『ルイズさんて何か近寄り難いのよね』

 と、様々な良くない噂や風潮も立っていて、才人にはやや居心地の悪さを感じる事がある。
 決して陰湿なイジメのようなものがあるわけではない上、半数が外国人なのも手伝ってさほど気にしたレベルまでいっていないのは幸いだが、ルイズは特に孤立しているように感じられた。
 才人は自分の事を好きだと言ってくれる彼女が孤立しているのをどうしても放っておけず、学校では彼女の味方でいることにし、結果才人もやや孤立するハメにはなったもののギーシュを始め外人の多くはそんな才人にむしろ好意的に接してくれた。
 そうして現状のような勢力バランスが生まれたのだ。
 最も一応の勢力図のようなものがある、というだけでさほどそれも意識されてはいない。
 大まかに言うなら、という程度のものである。

「うわっと、彼女のおでましだね。僕はもう行くとするよ。あ、そうだ才人、今度また祖国の“おみやげ”を持ってくるから楽しみにしていたまえ」

 ルイズの登場に長居は無用だと悟ったギーシュは片手を振りながらその場を去っていく。
 その背中を見ながら才人は彼の口にした“おみやげ”の内容を夢想した。
 日本では手に入らない海外製の“それ”はこちらの物とはレヴェルが違う。
 その為才人はそれの文字を読むためだけに英語を必死に勉強し、それが幸じて英語の成績だけは良いという不純から来る努力の副産物が生まれた程だ。
 最近全ての“ブツ”をルイズに見つけられ没収された身としては上質な“それ”の補充の目処がたったのは有り難い。
 有り難いが、

「ふぅん、“おみやげ”ねぇ……」

「っ!!」

 ルイズの視線がじぃっとこちらを射抜いているのは大変宜しく無い。
 この後、ギーシュが闇夜に襲撃される事件が起きるが、それは余談である。
 ついでに、その怪我が思ったよりも酷く、わざわざ日本留学にまで付いてきた香水好きの彼の彼女が付きっきりでの看病をしたのも余談である。
 ちなみに、彼女が看病と称して持ってきた物は一つ、“ノコギリ”だけだったとか。




***




 放課後を報せる鐘の音が鳴ると、頭頂部が寂しい教師は教科書を閉じて号令をかけ授業を終わらせる。
 それと同時に今さっきの授業で説明していた内容を質問しようと女生徒が数人教師に近づいた。

「……先生、こことここ」

 やや蒼みがかった髪をした背が低めの子は教科書とノートを一緒に見せ、質問を開始する。
 この先生は教え子にも人気が高かった。
 見た目こそ禿げかかっている中年にさしかかった男だが(本人曰く禿げではない!!)その授業内容と授業方法、真摯な生徒との付き合い方から彼は誰からも尊敬されていた。

「先生、その質問の回答が終わったら私と出かけませんこと?」

 もっとも、中には彼を一人の男性として誘う女生徒もいたが。
 赤茶けたロングヘアーに高校生にしてはダイナマイトボディ過ぎるその女生徒は、彼の腕を取って自身の体を使った誘惑を開始する。

「……まだ。この問題も」

 小柄で背の小さい眼鏡の子は質問中に先生を連れて行かれたくないのか、はたまた彼女に先生を取られたくないのか、必死に食い下がって難しそうな文を先生に見せつける。

「これは……まだまだ先にやる予定の分野ですよ? それとミス・ツェルプストー、私はこの後もやらねばならない仕事が残っていますので」

 苦笑しながら教師は二人を優しく諫め、他の生徒の質問にも答えていく。
 教師にとって生徒は皆平等で、力になりたいと思う相手達だった。
 一人一人丁寧に対応し、さぁこれで終わりだと教室を出ようとした時、目の前の扉がガラリと開いた。

「お、おと、おとうさ……禿げ教師!! 今日はアンタが食事当番だからな!! 忘れるなよ!!」

 そこには上級生の女生徒がいた。
 
「あ、アニエス先輩だ!!」

 その女性の登場に女生徒の黄色い声が上がる。
 がっちりとした体格ながらも女性らしさを決して失っていないアニエスと呼ばれた上級生は学校内で知らない人間はいないほどの有名人だった。
 特定の部活には入っていないがいつも体を鍛えていて、助っ人で部活に参加すれば度々大活躍し、勉学も成績優秀、顔立ちも悪くなく面倒見の良い彼女はまさに女性の間で神格化されていた。
 男子はその容姿と気っ風の良さからもちろんのことだが、女子の中にはアニエスお姉様などと呼ぶ連中もいるくらいでむしろ女性人気の高い人物だった。
 そんな彼女は幼い頃に両親を亡くし、まだ若かった目の前にいる教師が彼女を引き取ることによって法律上親子となっていた

「うわっ!? ここもか!! い、良いか!? 言ったからな!! 今日は速く帰って来いよ!!」

「はいはいわかりましたよ、ですがアニエス。学校では極力家庭内事情は持ち出さないようにと言ったでしょう? あと私は禿げではありません」

「う、う、ウルサイ!! 約束したからな!!」

 アニエスは集まりだした取り巻きから逃げるように教室を離れ、取り巻き達の幾分かは彼女を追いかけ教室から消えた。
 そんなアニエスの後ろ姿を見て、教師は変わったものだと微笑み今度こそ教室を出る。

「才人ー? 授業終わってるよー?」

 背後から、そんな女生徒の声を聞きながら。




***




「ねぇ才人、帰りに“ガリア”に寄っていかない?」

「“ガリア”? 何か欲しい物でもあるのか?」

「まあね」

 授業を終えた才人は、ルイズに“ガリア”への寄り道を誘われた。
 “ガリア”とは多国籍に渡る大型百貨店でそこへいけばたいていの物は手に入ると言われるほどテナントも商品も豊富なデパートだった。
 別段彼女が寄り道しようと誘って来ることは珍しくないが、“ガリア”へ寄り道しようと言うのは初めてだった。

「何を買うんだ?」

「お姉様の結婚祝いよ。本当に結婚するのかわからないけどお姉様は用意しときなさい!! ってうるさいし」

「結婚!? あの人とうとう先生を射止めたのか!?」

「まだよ、でもお姉様はきっと周りから固めて行くつもりなのよ」

「怖えー、女って怖えー」

「あら才人、女は好きな相手の為なら時に悪魔に魂を売るのよ? 例えばその代償がどんなものでも……“ヒト”じゃなくなったとしてもね」

「お前が言うと冗談に聞こえないぞ」

 才人が肩をぶるると震わせて笑う。
 ルイズはそんな才人を見て笑った。

「そう? じゃあ冗談じゃないのかもしれないわね」



 そんな女の怖い一面の話をされながら二人はガリアへと向かう。
 歩いても行くことは可能だが駅前にある為、徒歩ではやや時間がかかりすぎる。
 そこで二人はバスに乗って駅前まで向かう事にした。
 バス内は存外人が多く、空いている席は一つだけだった。
 当然才人はルイズに座るよう促すがルイズは中々首を縦に振らない。
 一人だけ座るのは納得いかないらしいがかといって女に立たせて男が座っているのは才人も許容できない。
 それなら、とルイズが才人の膝の上に座るという案も即刻却下し、二人がどちらも譲らぬ工房を繰り広げているうちに次のバス停でおばあさんが一人乗り込んできた。
 これ幸いとばかりにルイズはおばあさんに席を促し、自分たちのどちらかが座らなくてはならないという状況を打開する。
 それ自体は才人も口を挟むつもりは無く、おばあさんの「ありがとうね、初々しいカップルさんや」という言葉も恥ずかしくはあったが素直に受け取れる。
 が、ルイズは座れなくなったからと才人の胸に体を寄せて密着させる。
 おい!! と小声で抗議するも、返って来るのは他に掴まるところが無いという正論ばかり。
 確かにつり革も余ってはおらず、才人自身が掴んでいるのが唯一のライフラインとなっている。
 こんなことなら出入り口付近の棒にでも掴まっていれば良かった、と顔を赤らめながら才人は鼻腔をくすぐるルイズの髪の匂いにドギマギしながら思っていた。
 ルイズは無論満面の笑みで才人の胸に体重を預けて、口端を釣り上げていた。
 その顔は丁度才人からは死角になっていて見えないが、『計画通り』と物語っているようにも見えた。



 バスに揺られること数十分、バスは目的地に無事終着した。
 ここからは歩いて五分とかからない。
 ルイズは調子に乗ってそのまま才人の腕に絡みつきながら歩く。
 これは正直かなり恥ずかしいが、周りには似たようなカップルがいないこともないので、才人は不満そうな声を上げるに留め、無理にほどこうとはしない。
 才人にとっても、恥ずかしくはあるが嬉しくもあるのは間違いないのだ。
 そうして歩いた先のガリアへの入り口からすうっと上を見上げる。

「やっぱ何度来てもでかいよなあ」

「そうね、イギリスも同じようなものだったわ」

 “ガリア”は多国籍であり、世界中のあちこちに支店を置く大会社だった。

「儲かってんだろうなー」

「でしょうねぇ」

「でもさ、そんなに儲かってたら社長の息子とか娘とか誘拐されそうになったりしねーのかな? ほら、身代金目当てで」

「どうかしら? 少なくともあの子はそう簡単に拉致されるような子じゃないと思うわ」

「あの子?」

「あれ? 才人知らなかったの? それだけ私の情報が才人の中で占められているのね♪」

 ルイズは感激、とばかりに才人の腕に頬を擦りつけて喜びを露わにする。
 が、才人には何のことだかわからない。

「ほら、タバサって子いるでしょ? あの子ガリアの副社長の娘よ」

「マジ!? すげぇな、こういうの何て言うんだっけ? えっと、御曹司? じゃない……セレブ?」

 才人の驚きようと出てきた発想にルイズは笑みを零す。
 無邪気でいて裏表の無い、素直な才人の一挙一動はルイズの胸の中を常に暖かくしてくれる。
 首を少し傾ければ彼の匂いが、体温が、彼自身が感じられる。
 それがまた彼女の胸の裡を満たしてくれる。
 ずっとこうしていたい衝動にかられるが、立ち止まっていると他の客の邪魔になってしまう。
 案の定睨み付けてくる客もいるようだ。
 が、自分はともかく才人に敵意を向けるとは良い度胸だ。
 くいっと腕を引かれた才人は、ああ入るのかと何にも考えずに付いていき、

「ぎゃっ!?」

 誰かの奇声を雑踏の中に聞いた。 
 最近名も顔も知らぬ人の奇声をよく聞くなあ、とぼんやり才人は思いながら、引っぱられるがまま群衆の中に身を投じた。



 広いガリア店内には無数のテナントが乱立している。
 売上が多く人気のある店は面積がそれなりに多く、逆に人気の無い店の販売スペースは極端に少ない。

「聞いた話によると週ごとの売上高によってガリアがテナントのエリアスペースの広さを変えるんだって。一定以下になったらスペースも取れないから立ち退きになるそうよ」

 ガリア内はテナントの競争こそ激しいが中は多国籍化なだけあって幅広いジャンルがある。
 どこのガリアにもあるテナントエリアとその地域ならではのテナントエリアの層に分かれ、地元の客も他所からの客も退屈させない仕様が取られていた。

「でもこんだけあっても全部回るのメンドイよなあ、俺なんて知ってる店3~4軒しかいかないし」

「そう? 私は才人と一緒に回るなら何千軒回っても飽きないと思うわ」

「何千軒って……流石に疲れるだろ」

「才人と一緒なら大丈夫よ」

「そうですか……」

 才人は真っ直ぐな目のルイズに脱力したように肩を落とす。
 ルイズは心配げな顔をするが、これはただの照れ隠しの一種なので放っておいて欲しいと内心思う才人だった。
 二人はそんなやり取りをしながら目的もなくブラブラと歩く。
 競争激しいガリア内各店の店員は呼び込みも必死で、活気が溢れている。

「よっ、そこのカップル!! どうだい可愛い彼女の為に服でも買ってあげないかい? 今なら20%引きセール中だ」

「そこの冴えない君、そんな汚い靴では彼女に嫌われるぞ!! うちの靴は今30%引きセール中だ」

「あらそこお嬢さん、隣のぼーっとした彼氏に綺麗になった自分見て貰いたくない? 今日は化粧水が安いのよ」

 何処も「寄っていってくれ!!」と凄いオーラを撒き散らして呼び込みをしている。
 才人は大変そうだなあと苦笑しながら歩き去ろうとしたが、ルイズがくいっと手を引いて最初の呼び込みのお兄さんの服屋へと足を向けた。
 
「ルイズ? お姉さんのお祝いを服にするのか?」

「ううん、そういうわけじゃないんだけどちょっと見ていきたいかな、って」

「もしかして俺にお前の服を買えっていうのか? 俺今金欠なの知ってるだろ?」

「まさか。私が今まで才人にそんな事言ったことある?」

 笑うルイズに、“だからこそ”面白くないと才人はへそを曲げる。
 ルイズは言った通り物欲が極端に無い。
 服もバッグもそれなりに良い物を使っているが適当に選んでいるだけであって特段気に入ってる様子は無く、オシャレも周りの女性ほど機敏ではない。
 ただあるからそれを着る、使う、という観点が強い用に見受けられる彼女は今まで才人に“あれ欲しい、買って”とおねだりしてきた事は皆無だった。
 確かに才人は万年金欠貧乏学生ではある。
 しかし仮にも男であるなら少しは女に良い物を買ってやる甲斐性を見せたくもあるのだ。
 もっとも、ルイズは物欲がない代わりとばかりに“才人欲”は半端が無く、“才人が欲しい”と臆面もなく言ったりはするのだが。
 それも彼女の場合、その言葉が精神的な意味の場合と“肉体的”な意味の場合があるから侮れない。
 才人としてはそっちを少し抑えて物欲をもう少しくらい持っても良いと思ったりする。
 
「無いけどさ、じゃあ何で入ったんだよ?」

「それは……だって呼び込みの人がカップルって言ってくれたじゃない?」

 てへ、とはにかみながら照れるルイズの言葉の内容に「たったそれだけのおべっかで?」と頭を抱え込みたくなるも、その笑顔で全てを許してしまう。

「ま、まぁ悪くないけどさ……って何ケータイ弄ってるんだ? メールか?」

「あ、うん。ちょっとね。送信、っと」

「誰宛だ?」

「気になるの?」

「べ、別にそんなわけじゃ……」

 顔を逸らして素知らぬフリをするが、内心才人は気になった。
 自分でこんなことを言うのも気が引けるが、ルイズは自分に夢中な女の子だ。
 今までそうそう自分から意識を逸らした事なんて無かった。
 そんなルイズが自分の前で別人とコンタクトを取っているのは、不思議と奇妙な感じがした。
 何故か相手が男だったら、などという胸の裡にモヤッとしたものまで生まれる始末。
 が、そんな嫌な感情はすぐに氷解する。

「? タバサにメールしただけよ、ちょっと用事が“出来た”ものだから」

「あ、そうなのか。そっか……ふぅ」

 一気に脱力、何故だかとても安心した。
 安心したために、才人はどんな内容のメールだったのか聞かなかったのだが、それは正解かもしれない。




***




「貴方の靴屋は今日限りで“ガリア”から撤退して頂きます。さるお方の“通報”により我が“ガリア”内に相応しい店舗では無いと判断致しましたので」

「そ、そんな!?」

「あとそちらの化粧品店の方、残念ですが貴方のお店も“ガリア”から撤退して頂きます」

「え? だってまだ何とか約束の売上値は守っているんですけど!?」

「理由はさるお方からの通報、とだけ言っておきます。今後の為に助言するなら、言葉使いには十分お気をつけになることです」




***




「何だか外が少し騒がしくないか?」

「そう? 何かあったのかも知れないわね。例えば『客』に“冴えない”とか“汚い”とか“ぼーっとしてる”とか言って怒りを買っちゃったりとか。全く売るのは商品だけにしときなさいってのよ」

「?」

 才人はルイズの言葉には小首を傾げつつも深くは気にしない事にした。
 彼女がイマイチよくわからない事を言うのは今に始まったことではないのだ。
 既にルイズも気にせず近くの洋服棚を物色している。
 物欲は無いが、ルイズも女の子らしくこういった物を見て回るのは好きなようだった。

「ねぇ才人、これ似合うかな?」

「おう、可愛いんじゃね」

「こっちは?」

「う~ん……それはあんまり。あ、でもお前が前着てた赤いヤツと一緒に着たら結構いいかも」

 その実、ただルイズは見て回るのが好きなわけではなく、才人に自分を見て貰って批評されるのが好きだという事には、才人自身理解していなかった。
 ただそんな才人も、いやそんな才人だからこそ言ってしまう素の言葉もある。

「まぁ、お前は何着ても似合うよ、素材が良いし」

「っ!!」

 才人の言葉に息を呑んでルイズの体が硬直する。
 彼からの誉め言葉は彼女にとって天にも昇る嬉しさとなる。
 才人が自分を誉めてくれた。
 彼の意識と彼の眼には自分が映っている。
 自分だけが映っている。
 それが、それだけが、なんて至福。
 ルイズはこの服屋に感謝した。
 この服屋がなければ才人からの誉め言葉をもらえなかったかもしれない。
 お礼に才人から誉められた服は全部買って行くことにしよう。
 ルイズは鞄からクレジットカードを出すと、カウンターまでぎこちなく歩き出して店員に説明しカードを渡す。
 才人はそんなルイズの背中を見ながら苦笑した。
 彼女が良いところのお嬢様なのは才人も理解していた。
 彼女は自分からは欲しがらないが、自分が誉めた物はどんなに高い物でも買おうとするやや金銭感覚が狂った人間でもあった。
 以前、将来住むならこんな家がいいよなあと彼女に何かの本を見ながら冗談めかして言った時、次の日に彼女が将来二人で住む家を買う手筈を整えたと言ってきた時には仰天したものだ。
 だから才人は不用意に彼女を誉めたりしないようにしていたのだが、今回はつい本音を出してしまった。
 家のことがあってからは(結局その家は才人の取りなしで話は無かった事にした)ルイズのブレーキ役を勝手に自分に戒めてもいたのだが、失敗失敗。
 時には口を出して買った方がいい、買わない方がいいと最近は上手く手綱を握れていたつもりだったのだが、本当に“つもり”だったらしい。
 でも仕方がないではないか。
 だってそれほどまでに彼女は間違いなく可愛かったのだから。
 後でいくら買ったか確認して、必要とあらば返品させようと才人は内心自分に言い聞かせる。
 この国にはクーリング・オフという制度もあることだし何とかなるだろう。
 そう思って才人はルイズから視線を外し、暇つぶしがてら商品棚をゆっくり見回した。
 と、ふいに目が引かれるコーナーがあった。
 服屋などにはよく見られる、角の売り場にあるアクセサリーコーナー。
 そこに、いくつものシルバーアクセサリーが並んでいた。
 それ自体は不思議でも何でも無かったのだが、何故だがそのうちの一つ……いや一ペアに目が引かれた。
 安っぽそうなシルバーアクセサリーではあるが、形状は様々で星やらハート型、髑髏なんてものまである。
 その中で、一際手抜きのように見栄ながらも何故か目が離せない一ペアのアクセサリー、“太陽”と“月”があった。

「ペアネックレス、かな」

 もしも在庫が店頭に並んでいるだけならこの“太陽”と“月”はあと二ペアで売り切れになる。
 普段ならこんなアクセサリーなど気にも止めないのに、何故だか才人はこれに引き込まれた。
 手にとって値札を見ると投げ売りセールと書かれていて一ペア千円。
 瞬間的にこれはここに並んでいるだけで在庫は無いと確信した。
 どうしようか、と才人が悩みながらアクセサリーを戻そうとして、

「あれ……?」

 不思議な事に気付く。
 今このコーナーには自分しかいないし、手に持つアクセサリーを見つめていたのも僅かな時間だ。
 だというのに、その僅かな時間で置いてあったもう一つの“太陽”と“月”のアクセサリーが消えてしまっていた。
 普通なら誰かが買っていったと考えるが、人の気配は感じなかった。
 まるで残っていたアクセサリーは、“異世界にでも消えた”んじゃないかと思えるほどそれは跡形も残っていない。
 不思議な事もあるものだ、と才人は思いながらアクセサリーを再び戻そうとして……躊躇った。
 この手に持っているのが、最後の一品。
 確かめてはいないけど間違い無いだろうと才人は直感していた。
 どうにも気になるこのアクセサリー。
 最後の一品、となればやっぱり買っておくべきかとまた彼に散財を悩ませる。

「才……トッ!?」

 そう長い時間は経っていなかった筈だが、思考の海に飲まれていた才人を背後のルイズの声が我に返させる。
 声をかけてきた彼女は、酷く驚いた顔をしていた。
 心なしか呼ぶ声のイントネーションもおかしかった気がする。
 が、彼女の姿を見て才人は決心した。
 偶には男の甲斐性を見せる時、彼女を見てそう思ったのだ。

「そ、それ……」

「ああ、これか? 何か気に入ってさ。ペアみたいだし、プレゼントするよ、ルイズ」

「あ、あうあうああああああ……!!」

 ルイズは呂律が回らない言葉を口にするとその場に座り込んで泣き出してしまった。

「え、ちょっと!? おい!?」

 才人は突然の彼女の豹変ぶりに驚きつつも、彼女が悲しくて泣いているワケではない、ということが少なくない付き合いから何となくわかった。
 ただ、純粋にプレゼントが嬉しいというわけでもなさそうで、結局何故ルイズが泣き出したのかはわからず終いだった。
 才人は泣きじゃくるルイズの手を引いて、周りの様々な好奇の視線を浴びながら、“ガリア”を後にした。
 目的だったお祝いの品はまたの機会にすることにした。




***




「ごめんね才人、取り乱して」

 夜の帳が落ちて数時間。
 夜中と言って差し支えない時間帯に、目を紅く晴らしたルイズは才人の寝顔を見つめながら呟いた。
 いつまで経っても泣きやまないルイズに、才人は面倒がらずに自分の部屋まで連れてきてずっと傍に居てくれた。
 すっと手を伸ばして才人の髪を撫でる。
 さらりさらりと黒い髪がルイズの細い指を撫でていく。
 もう一方の手には渡された“太陽”のアクセサリーがあった。

「また“サイト”からこれをもらえるとは思ってなかったわ。本当にありがとう」

 ルイズは愛おしそうにそのアクセサリーを撫でる。
 手にしっくりと来るそれはまるで“長年持っていたかのような慣れ親しんだ物”のようだった。

「そういえば、部屋に泊めてくれたのって初めてね」

 眠っている才人の横に顔を埋めて、クスリと笑う。
 才人は意外にも頑固で、何度かお泊まりには来ても一緒の部屋で眠ってはくれなかった。
 涙は女の武器、とは聞いていたがこうまで効果があるとは。
 これからも少し無理を言う時は使ってみようか、と思って即座に却下した。
 今日は多大に才人に迷惑と心配をかけた。
 そうでなくとも彼女は自分の都合で“才人”に返しきれない“迷惑”と“罪”を犯しているのだ。

「長い、永い時だった────────」 

 噛みしめるように、思い出すように、悔いるようにルイズは呟く。

「“サイト”が“才人”になって、“私の我が侭”でまた“サイト”へと────────」



『止めときな娘っ子』



「……アンタも“しぶとい”わね」

 部屋にはルイズと眠っている才人しかいない。
 だというのに、ルイズの静かな独白に口を挟む声があった、気がした。

『どっちも“同じ相棒”な事に変わりはねーんだ、お前さんが“やった事”は“些細な事”でそれを気に病む必要はねーさ』

 声のような音。
 暗く静かな部屋にカチカチと鳴るただそれだけの音。
 ただ、ルイズはもう独白じみた懺悔は口にしなかった。

「……私、もう娘っ子って歳じゃないんだけど」

 ルイズは最後に不満そうな声を上げて、才人の胸に頭を乗せ、彼と同じ眠りの世界へと旅だった。














『俺様からすりゃ娘っ子はいつまで経っても娘っ子だよ。しかし相棒も罪な男だね、どれだけ時間が経とうと娘っ子の心を手放さないんだから』








最後に鳴ったカチンという音は、誰にも聞き取れなかった。



[24918] 外伝 【END EPISODE ~終章~】
Name: YY◆90a32a80 ID:0f7e5018
Date: 2011/05/19 20:14
外伝 【END EPISODE ~終章~】


 始まりがあれば終わりが来る。
 それは本当に当たり前のことで、どんなものにも避けられない必然だった。

「母さん」

 一人の青年が、見た目まだ十代の少女と言っても差し支えない女性をそう呼ぶ。
 呼ばれた女性はやや桃色がかったブロンドの欧州人だった。
 彼女の年齢が実際には既に還暦を過ぎているという事実を聞いて、一体どれほどの人間が信じるだろう。
  
「■■■■、悪いけど二人にしてくれないかしら?」

「……うん、わかったよ」

 ■■■■と呼ばれた青年は特に異を挟むことなく病室を出て行った。
 そう、ここは病室だった。
 無機質な白い壁紙に大きなベッドがあるだけの、たいしたことは無い病室。
 見た目十代の、実際は妙齢の女性は、丸いパイプ椅子に座ってベッドで眠る老人を見つめた。

「才人……」

「……ルイズ、か」

 呼ばれて目が覚めたのか、老人は重そうにその瞼を持ち上げた。
 老人はもう老い先短いことがわかっていた。
 気を抜けばすぐにでも、ここでは無い何処かへ旅立ってしまうような気がしてならない。

「変わらないな、お前は。いつも綺麗で可愛いままだ」

 だから少しでも意識をしっかり保とうと、才人と呼ばれた老人は苦しそうにしながらも微笑む。
 事実彼は少しの挙動が思いも寄らぬほどの負担になる体になっていた。

「………………で」

 普段なら、今までなら彼に誉められればどんなことでも嬉しかった彼女だが、今は素直に喜べない。

「…………ないで」

 何故なら、これを最後にもう二度と彼に誉めてもらえなくなるかもしれないからだ。

「……死なないで」

「はは……また無茶な事を言うなあルイズは」

 人間には生まれつき寿命というものがある。
 いや、人間に限った事ではなく、どんな物にも、それこそ無機物にだって寿命はある。
 それを覆すことは、出来はしない。
 寿命が無い、もしくは限りなくそれに近い物がある、としたらそれは……、

「……無茶でもなんでもないわ、これまでと同じように、これからを過ごしましょうっていうだけの、極々簡単な事よ」

「簡単、か……、でもな」

「毎日同じベッドで起きて微笑みあって、おはようのキスをして」

「でもな」

「才人さえその気ならそのまま営みを始めたっていいし、偶には会社を休んでおでかけしてもいいわ」

「……でもな」

「ああ、そういえばここのところあのお店のパスタを食べに行ってなかったから食べに行くのもいいわね」

「……ルイズ」

「お昼過ぎはどうしようかしら? 映画でも見に行く? そういえば才人が好きだった映画のリメイクを今やっているのよ」

「ルイズ」

「その後は私が夕飯を作るわ。才人の好物ばかり「ルイズ」……」

 決して咎める類のそれではない彼の声は、彼女の息付く暇無い矢継ぎ早の言葉を止めた。
 優しげでありながら悲しそうな顔をしている彼は、申し訳なさそうな声色で口を開く。

「ごめんな、もう一緒に居てやれなくて」

 それは謝罪の言葉。
 彼女を残して一人遠い世界へ旅立ってしまう事になるだろう彼唯一の心残りの言葉。

「……や、いや、才人。そんな事言わないで。貴方はまだまだ死なないわ。死ぬわけ無い」

 才人の言葉にルイズは絶望の色濃い顔で縋り付く。
 その言葉が幻想であるかのように、幻想であってほしいように。
 彼女にとっての全ては彼で、彼無くして世界はありえない。

「ごめんルイズ。本当にごめん。■■■■と▲▲▲▲を頼むな」

「だめ、ダメよ。あの子達だってまだ貴方が必要よ。私にはもっと必要よ!!」

「ごめんな……」

 小さくなっていく声にルイズは嫌な予感がして彼の手を必死に掴む。
 この手を離せば、彼は“また”手の届かない所へ行ってしまうかもしれない。

「そ、それに才人言ったじゃない。“今度こそ二人の子供を作ろう”って。私だって■■■■と▲▲▲▲は本当の子のように思ってるけど、私はまだ貴方の子を産んでいないのよ」

「は、はは……この歳になっても求められるなんて男冥利に尽きるな」

「まだ、まだいなくなっちゃダメよ。貴方がいなくなったら貴方の子を産めなくなるわ。産んだら才人だってきっともっと子供の成長をみたくなるわ。孤児だった■■■■や▲▲▲▲を引き取って育てて来た時だってあんなにたくさんのことがあったんだもの。二人だって妹か弟が出来るのを楽しみにしているのよ」

「……大分歳の離れた兄弟になっちまうなあ、でも■■■■と▲▲▲▲ならきっとよくしてくれるよなあ」

「う、うんそうよ!! あの二人なら大丈夫!! だから……だから才人」

 才人の言葉に僅かにルイズは希望を見出し、



「……ごめんな、約束……守れなくて」



 彼の諦めに似た心からの謝罪の言葉が、彼女を絶望へと突き落とす。
 いや、頭では理解できている。
 人の寿命には限りがあるという理を。
 一方で認めたくない。
 才人がいなくなるという現実を。

「ごめ……なさい」

 口から漏れるのは、謝罪。
 何も出来ない無力な自分でごめんなさい。
 最後まで我が侭言ってごめんなさい。
 それでも諦められなくてごめんなさい。
 子供が出来なくてごめんなさい。
 言っていない事があって、ごめんなさい。

「わ、わたし……子供……産めなくて」 

「別にルイズが悪いわけじゃないさ。それにお前も言ったろ? 俺たちには■■■■と▲▲▲▲という血が繋がっていなくとも子供と呼べる存在が居たじゃないか」

 才人は何だそんなこと、と彼女を責めることはしない。
 だが、彼女は収まらない。



「ちが、ちがうの。才人には言ってなかったけど……ずっと秘密にしてたけど、私……本当は子供が産めないの。検査ではなんとも無かったけど、自分でわかってるの。私は、才人と……“ヒト”とは子供を作れないって本当はわかってたの」



 ぼろぼろと泣きながらルイズは口を開く。
 彼女は、“ある事情”から、子を成すことは出来ない体になっていた。
 あるいは、“その事情”が今も彼女を若々しい姿そのままにさせているのかもしれない。
 才人に子作りの為と言ってはずっと彼を求めてきた。
 ……自分は子を成せないと理解しながら。
 だというのに、今も浅ましく自分は“それ”を武器にして彼を現世に留めようとした。
 何と汚い女だろう。
 こんな汚い女は才人に嫌われてしまうかもしれない。
 でも何を敵に回しても彼にだけは嫌われたくは無かった。
 そんな彼女は、

「何だ、そんなことか。とっくに知ってたよ」

 いつも彼の一言によって救われる。

「え……?」 

「だって、なあ? あれだけその……連日ヤっていて出来ないってのも変だったし……何かあるんだろうなって事くらい気付くって。俺はお前の亭主だぞ?」

 呆けたようなルイズに、老人である筈の才人は少年のような照れを見せながら答える。
 そんなことはとっくに気付いていたよ、と。
 気にする事ないよ、と。
 お前は悪くないよ、と。
 嫌いにならないよ、と。
 
「ふぇ……、え……っ!!」

 感極まったかのようにルイズはシーツに顔を埋める。
 そんな彼女の髪を、才人はシワシワになった手で優しく撫でた。

「……俺なあ、最近夢を見るんだ」

「っく、ひっく……!!」

「どんな夢だと思う? 何とお前の夢だぜ!?」

「……っ!!」

「しかも舞台は魔法の国ときた」

「!?」

「……俺はお前に呼び出された使い魔でな、お前は伝説の魔法使いなんだ」

「ちょ……ちょっと才人……」

「そこでのお前は俺に冷たくてよぉ、泣きそうだったぜ、鞭で虐められるし犬呼ばわりされるし……でも、深いところがやっぱりルイズなんだよなあ」

「ね、ねぇそれって……!?」

「俺はそんなお前がやっぱり好きでさあ、お前の為に戦うんだ」

「才……ううん、“サイ、ト”……?」



「ルイズ、俺は今度はちゃんと、お前を惚れさせられたかなあ?」



「っ!! うん……うん!!」

 ニカッと笑う彼の顔は、皺が寄っていようとも、どれだけ苦しそうでも、かつての、彼女の愛した少年のそれそのものだった。
 奇跡だと、そう言うのならそうなのだろう。
 偶然だと、偶々だと言うのならそうなのだろう。
 必然だと、そうなるものだと言うのならそうなのだろう。
 それでも、二人はこうして巡り合った。
 再開と別れを経験し、本当の意味で再逢した。
 例え、それが彼が発し、彼女が最後に聞いた彼の言葉だったとしても、その事実が……“歴史”が変わる事は無い。
 


 それから、実に“十六年”の年月が経過する頃、彼女は自身の血の繋がらない娘と息子に看取られて、夫と同じ場所へ旅立った。
 最後の瞬間まで、彼女はその姿が変わることなく、若々しい出で立ちでその生涯を終えた。
 一見すると、彼女は死んだのではなくただ止まったってしまったのではないかと思えるほど、それはあっさりとしたものだったと言う。
 まるでいつまで“生きる”……いや“動く”という期限があったかのように。
 それでも、彼女の最後の十六年は、決して廃れたものではなく、血が繋がっていない子供達に支えられ、最後まで笑って過ごしていた。
 その顔は生前、夫に誉められ続けた笑顔であり、彼が好きだと言ってくれた顔だった。
 その生涯に、その生き方に、きっと不満は無かった。
 そう血の繋がらない彼女の子供達は母の生き様を確信する。
 夫愛溢れる彼女はきっと、夫に誇れる生を全うしたと。
















 そうして────────────────────
























 時は移り、所は変わる。























 まだ夜明けは遠い時間帯、金髪にモノクルを付けたまだ青年と呼ぶに相応しい男が、小さな小さな赤子を抱いていた。

「よくがんばったなカリーヌ、ほらお前に似て可愛い子だ。女の子だそうだぞ」

「まぁ、そうですか」

「名前は、そうだな……うむ、考えてあったうちの一つでこれにしようと思う」

「おや? どんな名前です?」




「うむ、ルイズだ。ルイズ・フランソワーズ」




 元気に鳴き声を上げる名前を付けられたばかりの女の子。

 その子は必死に窓枠の外、夜闇に浮かぶ“双月”に手を伸ばしていた。

 まるでそこに欲しい物があるかのように。

 そこに、自分の半身がいるかのように。


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