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[23719] The Parallel Story of Regios (鋼殻のレギオス 二次創作)
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2010/11/04 23:26
前書き


はじめまして、嘘吐きです。こんなペンネームですが、別に嘘はつきません。


初のss投稿です。
なにぶん初めてなので、拙いところも多々あるかもしれませんが、楽しんでいただけると嬉しいです。
悪い点や誤りがあれば、ご指摘ください。また、質問・疑問にはできる限りお答えしたいと思います。


内容は、鋼殻のレギオスの再構成物です。

ストーリーは、いちおう原作の流れに沿って、オリジナルの展開と設定を加えながら進めるつもりです。
主人公はレイフォンのまま。(レイフォン以上の魅力と存在感のあるオリジナル主人公が作れなかったため)
いわゆる「if」の世界だと思ってください。


オリキャラ、オリ技などが出るかもしれません。
もしかしたら残酷な表現、痛々しい描写などがあるかもしれません。
レイフォンの強さは、作者の「レイフォンならこんくらいはできるんじゃね?」という基準で描かれます。

セリフや展開は、原作小説、外伝小説、漫画、アニメなど色々なところから引用しています。

タイトルはいいのが思い浮かばなかったので、適当です。後で変わるかもしれません。



原作との違い

予定ではレイフォンは17小隊に入りません。とはいえ、ちょくちょく一緒に行動したり、レイフォンと関わったりはします。
原作とはレイフォンの性格が違うかもしれません。

ややこしくなりそうなので、廃貴族は登場しない予定です。名前くらいは出るかもしれませんが。
同じく、世界の謎、グレンダン王家の秘密なども出さないつもりです。そのため、天剣授受者は名前以外登場しないかもしれません
よって3巻はオリジナル展開に、5・6巻は省略または変更することになると思います。そのあとのことは、おいおい考えていくつもりです。


恋愛の展開は、希望としては レイフォン×メイシェン

最終的に恋人同士になるかどうかはまだ決まっていませんが、女キャラの中では彼女がメインになる予定です。




以上、前書きでした。




[23719] 1. 入学式と出会い
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2010/11/04 23:45



砂塵に汚れた窓の向こうには草一つない荒野が広がっている。

乾燥した大地はあちこちがひび割れ、その断面を鋭く盛り上がらせている。

汚染され、生き物たちが住めなくなった大地を、機械でできた多足を駆使して進むものがある。放浪バスだ。

外の世界では、人は呼吸すらも許されない。世界中の大地と大気を覆う汚染物質は、それに触れた人間の肌を焼き、肉を腐らせ、死に至らしめるからだ。

ゆえに人々はレギオスと呼ばれる自立型移動都市の上で生きている。巨大なテーブル状の胴体の上に無数の建物が立ち並んでおり、下部には太い金属の脚が生えている。都市はエアフィルターで覆われており、それが汚染物質を遮断し、都市内に流れ込ませない。そして都市はその脚を利用して、常に規則的な速度で移動している。都市の動力が生きている限り、都市はその脚を止めることはない。

これが、この世界で当たり前に見られる都市の姿だ。

そしてこの世界では、都市から都市へ移動する場合、放浪バスを利用しなくてはならない。荒れ果て、目印の無い大地では、汚染物質を内外で遮断でき、行き先があらかじめ決まっている放浪バスでなければ目的地へとたどり着くことはできないからだ。



「汚染獣だ!」

バスの乗客の誰かが声を上げた。

バスの窓から見える光景の中に、汚染獣がいる。歩みを止めたバスのそばを通過しようとしている。

乗客たちが騒然としだすが、運転手がそれを抑える。バス内に沈黙が満ち、乗客たちのおびえた息遣いが聞こえる。
誰もかれもが、すぐそばに迫った脅威を怖れ、それが行き過ぎるのを、息を殺して待っている。

汚染獣。

この汚染された大地を支配する、大自然の王者。
この世界に適応し、汚染物質を食んで生きることのできる、唯一の存在。

そしてこの世界に生きる、すべての人類にとっての天敵。
都市を襲い、そこに住まう人々を食いつくそうとする絶対的捕食者。それが汚染獣だ。

乗客たちがおびえる中、取り乱すこともなく落ち着いた顔でバスの窓から外の世界を眺める少年がいた。歳は15,6といったところか。茶髪に藍色の瞳、中肉中背で一見するとどこにでもいそうなごく普通の少年だ。

少年 ――レイフォンは、歳に似合わぬ大人びた表情で、外にいる汚染獣を見据えていた。

無意識のうちに右手を胸に当て、その内側にある感触を確かめる。

「いやだ、死にたくない…」

「お父さん、お母さん……」

「助けて…、誰か……」

乗客たちの小さく押し殺した声が聞こえる。
この世界では、人はとても無力だ。
ただおびえて、祈ることしかできないのだから。

「どうしよう…?どうしよう…?」

「メイ、大丈夫だから」

前の方の席から、泣きそうな少女の小さな声が聞こえた。隣にいる少女2人がそれを慰めている。
しかしその2人もやはり緊張し、恐怖を感じているようだ。

「心配いらないよ、ほら、遠ざかってく」

汚染獣はバスから離れていき、そして見えなくなった。
バス内が安堵の吐息に満たされる。

それからしばらく待ってから、バスは移動を再開した。

ツェルニへと向かって。











自立型移動都市、レギオスにはさまざまな種類があり、それぞれ異なる特徴や働きを持っている。

その中でも教育機関としての働きを特化させた都市である学園都市は、都市内のあらゆる機能が学生によって管理・運営されていおり、学生たちによる完全な自治が行われている。

そこには約6万人の人々が住み、その9割以上を学生が占めている。
学生はいくつかの学科に分かれ、それぞれ異なる分野について学ぶ。

その中でも他学科とは一線を画すのが武芸科だ。

外部からの脅威より都市を守るために高い戦闘能力を持つ、武芸者と呼ばれる者たち。
彼らは剄と呼ばれる生命エネルギーを自在に操る特殊能力を持ち、並の人間を大きく上回る身体能力と、普通の人間ではできないような技を持って外敵から都市を守るために戦う。

そんな武芸者を育成するのが武芸科だ。

学園都市ではその武芸科をはじめとして、医療科や機械科、商業科など、さまざまな科があり、将来どんな仕事に就きたいかによって、生徒達はそれぞれ己の進む道を選び、勉学に励んでいる。


ここは学園都市ツェルニ。多くの都市から集まる多種多様な知識・技術の交流によるさまざまな分野の新技術研究と、その中で優秀な人材を育成することを目的とする、教育機関であり研究機関でもある都市。自分の都市にいるだけでは得ることのできない成長を求める者たちの集う場所。

学生の、学生による、学生のための都市。








ツェルニでは今日、大講堂で今年度の新入生たちの入学式が行われていた。

大講堂には大勢の生徒が集まっており、学科ごとにさまざまな制服を着た在校生たちが新入生を出迎える。

その新入生の中に、レイフォンはいた。

眠たそうな目をした表情は力が無く、弛緩しており、バスの中で汚染獣を見据えていた時とは打って変わって年相応の少年のようだった。

現在大講堂の舞台の上では、生徒会長からの挨拶や諸注意などが行われている。それをレイフォンは聞くともなしに聞いている。

と、後ろの方からやや騒がしい気配がした。どうやら武芸科の新入生どうしが言い争いをしているようだ。
雰囲気がだんだんと険悪になっていくのを感じる。

突然悲鳴が上がり、人波が起こった。どうやら先程の言い争いが殴り合いの喧嘩に発展したようだ。レイフォンは剄の波動を感じた。

(マズイ)

こんなところで武芸者同士が剄を使って喧嘩などしたら、一般人が巻き込まれるかもしれない。
武芸者でない一般人が剄の力をくらったら、最悪死傷者が出てしまう。

巻き添えを怖れた者たちが、争っている彼らの周囲から逃げ出し、そこから離れようとする。
それによって起こった人波の中で、生徒たちはパニックに陥っている。

その時レイフォンの目に、今まさに人波に呑まれて体勢を崩し、倒れそうになっている女生徒が映った。このままでは大勢の足で踏みつぶされてしまう。

レイフォンはとっさにその女性徒に近づき、後ろ向きに倒れそうな彼女の背中に手をまわして支える。それから自らの背中ともう一方の腕を使って人波をかきわけ、少女をかばいつつ人の流れの外へと彼女を誘導する。
人波から少し離れたところまで少女を連れていき、立たせてやる。
ざっと見て少女に大きな怪我がないことを確認し、ホッと息をつく。

そして次の瞬間、レイフォンの姿がその場から消えた。
いや、消えたように見えた。

一瞬で喧嘩をしている2人の生徒のもとへと近づき、一方の生徒の腕を掴み、胸倉を掴み、足を払い、凄まじい勢いで床に叩きつけた。凄まじい音が大講堂に響き渡る。その生徒は背中を強打して、気を失った。

「なっ」

彼と喧嘩していたもう1人が突然の乱入に驚き、固まっている。
彼だけでなく、周囲のパニックに陥っていた生徒たちも、いきなりのことに動きを止めた。

場を沈黙が満たす中、レイフォンは再び霞むように動き、残ったもう1人にすばやく接近する。そして驚愕で動きを止めている相手の首筋に鋭い手刀を打ちこんだ。
それだけで相手は昏倒し、崩れ落ちる。

あまりの手際に、その場に驚愕と沈黙が満ちた。

「ふう……」

騒ぎが収まるとともに、周囲の者たちが平静を取り戻していく。
注目を浴びる中、レイフォンも落ち着いて状況を認識しだす。

さて、と

いきなりこんなことになっちゃったけど、どうしよう?
レイフォンはこれから先の学生生活に、早くも暗雲が立ちこめているような気がして、気が滅入る思いがした。



















生徒会長室。

レイフォンが呼び出され、案内された部屋の扉に掛けられていたプレートにはそう刻まれていた。

少し気後れするのを感じながら、レイフォンは扉をノックした。

「入ってくれたまえ」
「失礼します」

返事を待ってから声をかけ、部屋の中へと入る。

「一般教養科1年、レイフォン・アルセイフです」

部屋の中には、1人の男がいた。
扉の正面にある大きな執務机を前に腰を下ろしている。
レイフォンとは違い、もう大人と言われても問題ないような雰囲気を持っている。
長い銀髪に飾られた、知的に整った顔。
どこか柔和に微笑みながらも、表情とは裏腹に、銀の瞳は冷静に物事を判断しようとレイフォンを見つめている節がある。
その瞳を見ていると、こちらの知られたくないことまで見透かされそうな気持になり、レイフォンは居心地が悪くなった。

「よく来たね。私はカリアン・ロス。司法研究科の6年だ。そしてツェルニの生徒会長でもある」

生徒会長、すなわちこの学園の支配者であり最高責任者だということだ。

「まずは感謝を。君のおかげで新入生たちに怪我人が出ずにすんだよ」

柔和そうな笑みを浮かべたまま、礼を述べる。
そしてカリアンは、やや苦笑気味に言う。

「新入生の帯剣許可を入学半年後にしているのは、こういう、自分がどこにいるのか理解していない生徒がいるためなんだけどね。毎年のこととはいえ、困ったもんだよ」

カリアンがやれやれと嘆息する。レイフォンは何と言っていいかわからない。

「しかし、新入生とはいえ武芸科の生徒2人を一般教養科の君がああも簡単にあしらうとは……、君は何か武芸の心得があるのかい?」

「嗜み程度には」

レイフォンの返答を聞き、カリアンは笑みをより深めた。

「ほほう。嗜み程度……か」

その笑みにレイフォンはさらに居心地が悪くなる。

「用件がもう無いなら、そろそろ教室に戻りたいのですが」
「いや」

短い否定に、背を向けようとしたレイフォンは動きを止めざるを得ない。

「ここからが本題なんだが、君に1つ提案があるんだよ、レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフ君」

呼ばれたミドルネームに、レイフォンはあからさまに眉を顰め、目つきを鋭くする。

「……何のことでしょうか?」

「存ぜぬを通すつもりならそれでもいいけどね。実は先程の騒ぎで喧嘩した武芸科の2人には退学してもらった。他国の争いを学園内に持ちこむのは学則違反だ。誓約書にサインしておきながら入学初日にそれを破るなんて、とても武人とは言えないのでね。しかし、そのせいで武芸科の席が2つ空いてしまったんだよ。そこでレイフォン・アルセイフ君、物は相談なんだが、一般教養科から武芸科に転科しないかい?」

「は?」

「現在ツェルニでは君のような腕の立つ武芸者を必要としていてね。この都市の存続のためにも、どうしても協力が必要なんだ」

「存続……って」

深刻な単語につい反応してしまう。

「学園都市対抗の武芸大会は、知っているよね?」

「……いえ」

「要は2年ごとに訪れる、都市同士の戦争のことだよ。学園都市同士の戦争では、これを武芸大会などと呼んで、学生らしい健全な戦いになるように心掛けてはいるが、やはり戦争であることには変わりない。」

都市同士の戦争。自立型移動都市は2年ごとに同類の都市を探し歩き、縄張り争いの喧嘩を仕掛ける。
もちろん、都市同士の争いとはいえ実際に戦うのはその上に住まう人々だ。
そしてその戦争に敗れれば、都市にとって大切なものを失うことになる。

「もちろん非殺傷を心掛けて、刀剣には刃引きがなされるし、射撃系の武器は麻痺弾しか許可されない。しかしその敗北によって失うものは、普通の都市間戦争と同じなんだ」

すなわち、セルニウム鉱山。
都市は生きている。そして都市が生き続けるには燃料が必要になる。それがセルニウムだ。
都市は戦争によってこのセルニウム鉱山を取り合っているのだ。

より多くの鉱山を所有できれば、それだけ都市の寿命が延びる。
逆に全ての鉱山を失えば、都市は滅びるしか道はなくなる。都市が滅びればそこに住まう人々は生きる場を失う。

もちろん、鉱山を失ったからといって都市内のセルニウムがすぐに尽きるわけではない。すぐさま都市が死ぬわけではない。
とはいえ、ゆるやかに、しかし確実に滅びの道を進むのは確かだ。

「ツェルニは過去2回の武芸大会で連敗していてね。残りの鉱山は1つしかない。もう後が無いんだ。だから、今年の武芸大会では敗北が許されない。そこで、君に協力してもらいたい。戦争に勝って、鉱山を確保してもらいたいんだ」

都市の滅びを想像し、レイフォンは寒気に震えた。ここがなくなる。それは困る。とても困る。
だが、

(それでも僕は……、武芸なんて)

そう思い口を開こうとして、笑みを消したカリアンの、鋭く、冷たい視線に言葉を失った。
カリアンが、まっすぐにレイフォンを見ている。

息を呑んだレイフォンに、カリアンが口を開く。

「私は今年で卒業することになる。関係が無くなるといえば、そうとも言える。だが私はここを、この都市を愛しているんだ。たとえそこから自分がいなくなるとしても、二度とその地を踏むことがないとしても、その場所が失われるのは悲しいことだとは思わないかい?
愛しいものを守ろうという気持ちは、ごく自然な感情だよ。そしてそのために手段を問わぬというのも、愛に狂う者の宿命だとは思わないかい?」

最後の部分で、カリアンは笑った。
ほんの少しだけ、冗談でも言ったというように。

カリアンの言葉は、レイフォンの心を揺らしていた。
カリアンの気持ちに、共感する部分があったからだ。

でも、それでも、武芸は……。

「君は就労先に機関部清掃を希望しているようだね。給金はいいが、きつい仕事だ。君の今の奨学金ランクはDだが、もし転科してくれるのならランクをAにしてあげてもいい。学費は免除ということになる。そうなれば、何もきつい仕事をする必要もない。君は自分の生活費だけ稼げばいい。どうかな?」

再び柔和な笑みを浮かべて、カリアンは交渉に入る。

レイフォンとしては、正直この都市が無くなるのは、非常に困る。

ツェルニには後がなく、負ければ終わり。
しかしレイフォンが協力すれば、それを防げるという。

(でも)

今の自分に、剣が持てるのか。
今の無様な自分が剣を持ったところで、役に立つのか。
戦う覚悟も意思もない、そんな武芸者に意味は無い。

戦えないのなら、断るべきだ。
Aランク奨学金は惜しいが、今の自分に、それを受け取るだけの価値は無い。そこまでの金を必要とする、理由も無い。

戦うだけの、理由が無い。
少なくとも、自分にとっての戦うに値するだけの理由は無い。
昔のように、戦いに対する駆り立てられるような感覚が無い。

都市が無くなるのは困るが、必死になるほど、1度は捨てた武芸を再びその手に取るほど、それが自分にとって深刻な問題だとは感じられない。
とても、戦おうとは考えられない。武芸の道を選ぼうとは思えない。

カリアンの目を、まっすぐ見る。
その目に、ひるみそうになる。
だが言わなければ。

「…お断りします」

カリアンの顔から再び笑みが消えた。

「ふむ、条件が悪かったかな? 元とはいえグレンダンの天剣授受者に協力を頼むには、いささか誠意が足りなかったかな? だとしたら……」

「いえ、そういうわけではなく」

やはりこの人はレイフォンの素性を知っている。しかも、元とつけたくらいだ。こちらの事情も知っているのかもしれない。
そのことに苦い感情を抱きながら、レイフォンはカリアンの言葉を否定する。

「では、どういうことなのかな? 私の知るヴォルフシュテインという名の天剣使いは、名誉に固執することなく、ただ金を必要とする人物であるという話なのだが」

随分と的確なことを言ってくれる。少なくとも否定はできない。
成程。レイフォンのことをそんなふうに思っていたから、こちらが報酬を吊り上げようとしていると思ったのか。

まあ実際間違ってはいない。確かに天剣を持っていた時の自分は、そんな印象を与える人物だったろう。
しかし、

「その情報は、間違ってはいませんが完璧でもありません。ただ言えるのは、今の僕は金をさほど金を必要としていませんし、金を得るために戦おうとも思いません」

そう言ってカリアンに背を向ける。

「僕にはもう、戦う理由もなければ、その意志も覚悟もありません。そんな僕が武芸科に入ったところで役に立つとも思えません。それどころか、かえって迷惑になると思います。だから、武芸科には転科できません。では、失礼します」

「まあ、待ってくれたまえ」

そのまま外へ出ようとするが、呼びとめられる。
カリアンは机から1枚の書類を取り出す。

「これは転科申請書だ。条件は先程の通り。生徒会長のサインはすでにしてある。
何も早急に結論を出すことはあるまい。気が向いたらでいいから、転科のこと、もう1度ゆっくりと考えてみてくれたまえ」

そう言って、その書類を手渡された。

「その申請書はいつでも受け付けるよ。色よい返事を期待している」

受け取りを拒否する気力もなく、断る言葉も浮かばなかったので、レイフォンは無言で書類を受け取ると、今度こそ部屋から出て行った。











カリアンは1人部屋内に残され、レイフォンが出て行った扉を見つめる。
しばらく扉を見つめてから、視線を外しため息をついた。

「事を急ぎすぎたか」

焦りすぎていた。何としても彼の協力を得なければと思い、気持ちが急いてしまっていた。
前情報から彼の人柄を推し量り、自分の中で決めつけてしまったのも失敗だった。
認識を誤ってしまい、あんな愚かな交渉をする羽目になった。
おまけにこちらに対し悪感情まで持たせてしまったかもしれない。これでは今後の交渉に支障が出るおそれがある。

「今回は失敗だ。だが……」

ツェルニ存続のためにも、彼には何としても武芸科に入ってもらいたい。
そしてそのためにも、先程の申請書にサインさせる方法を考えなくては。

幸い、収穫が無かったわけではない。
彼の心がもっとも動揺した瞬間が確かにあった。
愛しいものを守りたい。その言葉を聞いた時、確かに彼の心は揺れていた。それがわかった。
ここに彼の人柄を知るヒントがあるのかもしれない。

「さて、やることは山積みだ」

これから生徒会長としてやらねばならぬことが沢山ある。
だがこの問題は、その中でも特に重要となるものだ。

まずは彼の人柄を知ることだ。それを知って初めて、彼がグレンダンでやったことの理由がわかる。そして、彼の戦う理由とやらも理解できるのかもしれない。
そして理由が分かれば、彼を味方に引き入れ、その協力を得られるかもしれない。

時間は限られている。しかし、焦って行動して彼の恨みを買うのは得策ではない。
慎重に、かつ迅速に。

これからの方針について考えながら、カリアンは執務机の中からさまざまな書類を取り出し、仕事を始めた。







「なんであの人、僕のこと知ってるんだ?」

廊下を歩きながら、レイフォンは思わず呟く。

今日は入学式だけであるため、すでに校舎の中に人の姿は無い。

人気が無く静かな廊下を、教室に向かって歩く。
本当はさっさと帰りたかったのだが、鞄は教室に置きっぱなしだ。

「あの様子だと諦めたとは思えないし、また絡んでくるだろうなあ」

先程の生徒会長の油断ならない目つきを思い出し、背筋が震える。

まだ入学初日だというのに、早くもこれからの学校生活が危ぶまれる。

先行きの不安さに、暗欝な気分となったまま廊下を進み、教室の前にたどり着く。
1度溜息をついてから扉を開ける。その途端、にぎやかな声が耳に飛び込んできた。

「あれ? 一般教養科? うっそ~、あんなすごい動きできる人が武芸科じゃないなんて!」

声のした方に目を向けると、栗色の髪をしたツインテールの少女がこっちを指さしていた。
隣には、鋭角的なデザインの武芸科の制服を着た女生徒が立っている。

「ほら見ろ。やっぱり一般教養科じゃないか。賭けは私の勝ちだな」

「そんなことないよ! きっと何かの間違いで、ほんとは武芸科なんだよ」

隣に立っていた赤い髪に浅黒い肌をした長身の少女に言葉を返すと、その少女はこちらに近づいてきた。

「ね、ほんとは武芸科だよね!? 何か事情があってたまたまその制服着ているだけだよね?」

「い、いや、僕は一般教養科だけど…」

相手のテンションに若干引きつつ、レイフォンは事実を告げる。

「え~、そんな~」

がっくり肩を落とした少女になんて言っていいかわからず、レイフォンが言葉を探していると、先程の赤い髪の少女がこちらに近づいてきた。

「ミィ、そのへんにしておけ。驚かせてすまないな。この子がどうしてもお礼を言いたいというんで、待っていたんだ」

そう言って横に移動する。
すると赤い髪の少女の後ろから、長い黒髪の少女が現れた。どうやら先程まで赤い髪の少女の長身の後ろに隠れるように立っていたようだ。

「メイシェン、ほら」

赤毛の少女は、彼女の背を押してレイフォンの前に押し出す。

おとなしげな少女だ。俯き加減で、おどおどとしている。今にも泣きそうな眉、上目づかいにこちらを見る大きな瞳の下、頬の辺りがかすかに赤らんでいた。

「ああ、さっきの」

入学式の騒ぎで、倒れそうになっていたのを助けた子だ。
レイフォンの呟きに、ぴくりと反応する。

「あの、さっきは……ありがとうございました……」

それだけ言うのが精一杯いという様子で、黒髪の少女は顔を真っ赤にして赤毛の少女の背中に隠れてしまった。

「悪いね、こいつは昔から人見知りが激しいんだ」

「でも入学式で助けてもらったからお礼がしたいって。ね?」

ツインテールの子に言われて、黒髪の少女はさらに赤毛の少女の背中に顔を押しつけてしまった。
赤毛の少女が呆れた吐息をこぼす。

「まったくこの子は……。自己紹介が遅れたな。あたしはナルキ・ゲルニ。武芸科だ」

「で、わたしはミィフィ・ロッテン。一般教養科。そんでもってこっちが、」

そう言って黒髪の少女を引っ張る。

「えっと……、メイシェン・トリンデンです」

黒髪の少女――メイシェンはおどおどと名乗った

「わたしたちは3人ともヨルテムから来たの。知ってる? 交通都市ヨルテム」

「知ってる、放浪バスの中心地だ。ここに来る時通ったよ。
 僕はレイフォン・アルセイフ。槍殻都市グレンダンの出身だ」

「わお、武芸の本場だね。だからあんなに強かったんだ」

「いや、そういうわけでもないけど……」

口ごもり、どう説明するかと言葉を探していると、

「ねえ、こんなとこで立ち話もなんじゃない?おなかも空いたし、どこかおいしいものでも食べにいかない?」

「確かに、もう昼過ぎだしな。色々とお前に聞きたいこともあるし、どこかで食事でもしながら落ち着いて話すとするか」

断る理由も思いつかず、レイフォンはその提案に従うことになった。








レイフォンと3人はすぐ近くにあった喫茶店に行き、ギリギリでランチタイムメニューに間に合った。
お昼時はやや過ぎていたため、客の姿は少ない。

「さて。さっそく質問なんだけど、レイとんって何か武術でもやってたの? 入学式のときすごい動きしてたけど」

注文を済ませると、ミィフィが開口一番そう言った。
それにナルキも同意する。

「確かに、あの動きはすごかった。スピードといい身のこなしといい。もしかしてグレンダンで、結構本格的に武芸を習ってたんじゃないか?」

それにレイフォンは、言葉を選びながら答える。

「いちおう、家の近所の剣術道場で剣を習ってたけど」

厳密には剣ではないが、さほど違いは無い。
レイフォンの返答に、ミィフィがさらに興味を示す。

「ほほう、やっぱり何かやってたんだ。わざわざ道場に通って剣を習ってたってことは、やっぱレイとんってグレンダンでも結構強いの?」

「どうかな? わざわざ道場にって言っても、もともとグレンダンには、数えきれないくらいたくさんの武門や道場があるからね。武芸者はみんなどこかしらの流派に所属してたし」

「へえ、やっぱりグレンダンは武芸が盛んなんだ」

「それに僕が通ってた道場は、グレンダンでもかなりマイナーで小規模なところだったから。門下生も数えるくらいしかいなかったし。
……ところでさっきから気になってたけど、レイとんって僕のこと?」

「そ、わたしが考えたあだ名。呼びやすいよね? レイとん」

ミィフィが楽しそうに同意を求めてくる。

「ナッキ、メイっち、レイとん、それでわたしがミィちゃんなわけ。オーケー?」

「お前だけ何のひねりも無いな」

「いいじゃん。自分のあだ名考えたって面白くないし。というわけで、レイとんはレイとんに決定なわけ」

「仕方ない。ではこれからもよろしくな、レイとん」

「そそ、レイとん、レイとん♪」

「……レイとん」

メイシェンにまでそう呼ばれて、レイフォンはなんだか、遠い場所に来たような気分になる。こんなあだ名をつけられるのは初めての経験だ。

「ところで、レイとんはなんで武芸科に入らなかったんだ? 通ってたのが小さい道場だったとはいえ、あれだけ強ければ、かなり活躍できると思うんだが」

ナルキがふと疑問を口にする。
ミィフィもメイシェンも、興味があるのかレイフォンの答えを聞きとろうとする。

その疑問に対し、レイフォンは若干身を強張らせ、言葉を選んでからそれに答える。

「グレンダンにいた時に、武芸でちょっと失敗しちゃってね。だから武芸は捨てることにしたんだ。それで、武芸以外に何かやりたいことを見つけるためにツェルニに来たんだ」

「武芸を……捨てた?」

「うん。失敗したときに、武芸を続ける理由が無くなっちゃったからね。武芸以外の、自分の進む道を見つけるために一般教養科に入ったんだ。まあ、まだ何がやりたいのかも、何になりたいのかも、全然決まっていないんだけどね」

「そうなんだ…」

「未練とか……ないんですか?」

メイシェンが心配そうに訊いてくる。

「まあ、もともと好きで武芸をやってたわけでもないしね。必要だったからやってただけで、特に思い入れも無いし。だからここに、自分が心からやりたいと思えるものを探しに来たんだ」

それはいわゆる夢というものなんだろう。
夢というものを持ったことが無いから、レイフォンにはよくわからないけれど。
レイフォンは、そんな自分の夢を見つけるためにここへ来たのだ。

「とはいえ、まったく何も感じないってわけでもないかな。必要にせまられて始めたこととはいっても、武芸は僕の人生の大半を占めていたわけだからね。少なくとも武芸をやっているときは一生懸命にやってたし。今の自分を見ると、何かが足りないような、欠落があるような気分になるのも確かなんだけど」

それは事実だ。武芸者の武器である錬金鋼(ダイト)を持たなくなって、すでに1年が過ぎた。それなのに、何も吊るされていない腰に、未だに違和感がある。
武芸を捨てたことを、寂しく感じる自分がいる。

「でも、だからこそなのかな? 強くなるために、ホントに必死だったから。だから理由を失くしたときに、武芸に掛ける意志も覚悟も根こそぎ失くしちゃったみたいでね。どうしても、続ける気になれなかったんだ」

どんなに今の自分に違和感を感じようと、心は武芸には向かわない。

ふと皆を見ると、3人とも心配そうにしている。
会ったばかりのレイフォンを心配してくれている。

それを嬉しいような、申し訳ないような気持ちになりながら、言葉を続ける。

「まあでも、いちおう心の整理はついてるからね。今の自分が嫌いなわけでもないし。
とにかく今の目標は、自分の夢を見つけることと、ここでの生活をできるだけ楽しむことだね」

それを聞いて、やっと3人とも肩から力を抜く。

「よっし、わかった! それならこのミィちゃんに任せて! レイとんがツェルニで楽しく暮らせるように協力してあげるから。何か面白い情報があったら教えてあげるよ」

「あたしもだ。せっかく友達になったんだからな。これから仲良くやっていこう」

「わ、わたしも……」

3人の言葉や態度に、レイフォンは温かい気持ちになる。

ほんのついさっきまで、これからの生活に不安を感じていたのに、それが晴れて行くのを感じる。

レイフォンは幸先いいスタートを切れた気がした。



そこで食事が運ばれてきた。
みんなでそれぞれ料理に手をつける。

「へえ。学園都市っていうくらいだから学生食堂しかないかもって心配してたけど、そんなことなかったね」

味に満足したミィフィが満面の笑顔で言う。ナルキも満足したようにそれに応える。

「学生のみの都市運営ってどんなものかと思っていたが、案外しっかりしてるんだな」

「う~ん、マップの作りがいありそう」

「マップ?」

レイフォンの疑問にミィフィが答える・

「そ、おいしいものマップ。食べ物以外にもいろんなマップを作るつもり。わたしの趣味は情報収集なんだ。いずれは雑誌か新聞の記者になるのが夢」

「こっちでも、そういった関係の仕事するのか?」

ナルキが訊く。

「そうだね。新聞社か…情報系の雑誌作ってるところ探してみるつもり」

「出版社か…。あたしは…そうだな…、警察に就労届を出してみるかな?」

「ナッキは警官になるのが夢だもんね」

「ああ」

と、ここでミィフィがレイフォンに質問の矛先を向ける。

「そういやレイとんは何かバイトするの?」

「ん? あ、ああ」

突然振られて、少しどもる。

「うん、機関掃除をするつもり」

それを聞いて、3人ともが一気にうわっと顔をしかめた。

「なんでまた、よりによって一番しんどい仕事を?」

「時間も不規則だし、生活リズムが崩れると思うぞ」

「……しんどい、よ?」

再び3人に心配顔をされて、レイフォンは苦笑する。
しんどいことはわかっているが、仕方が無い。

「ん。でも仕方ないよ。僕は孤児だからね。仕送りが無い。奨学金のランクも低いし、働かないと」

『孤児』という単語にぎょっとする3人に慌てて付け加える。

「でも大丈夫だよ。体力には自信があるし、掃除も得意だから。心配はいらないよ」

なんてことないように言うレイフォンに、ミィフィやメイシェンはまだ困ったような顔をしていたが、ナルキは気にするのをやめたようだ。

「そうか、なら何も言わないが。けど無理はするなよ。何か困ったことがあったら言ってくれ。できる範囲で協力してやるから」

「ありがと。その時はよろしく」

そう言ってレイフォンは微笑む。
それを見てミィフィも、気遣わしげな表情を収めて笑顔を浮かべる。

メイシェンだけは、気遣わしげな態度はやめたものの、今度は別のことを心配しているように見えた。
それを疑問に思いながらも、レイフォンはメイシェンに話を振る。

「そういえば、メイシェンは何かバイトするの?」

突然レイフォンに話を振られ、メイシェンは一瞬硬直したようになり、それから頬を真っ赤に染めて俯くと、ぽつぽつと話しだした。

「わ……わたしは……、お…お菓子を……作るのが好きで……、将来、お菓子屋さんになりたいんです。だから…、お菓子を作っているところで、働こうと思ってます。」

「お菓子?」

「は、はい」

途切れ途切れになりながらも、一生懸命に話す。

「……わたしが、好きで作ったものを食べて……、みんなが…、とっても幸せそうに……笑ってくれるのが嬉しくて……」

メイシェンはつっかえながらも、一生懸命に自分の気持ちを伝えようとする。

「わたしはこれまで、他の人に色々してもらうばかりで……でも、こんなわたしでも、人を喜ばせることができるんだなあって思って……、だから……」

すごいな。

(こんなおとなしい子でも、こんなふうに将来の夢を持っていて、目を輝かせて語るんだ。)

本当にすごい。
レイフォンは心からそう思う。

(眩しいなあ)

「お菓子屋さんに…」

「え?」

「お菓子屋さんに、なれたらいいね」

レイフォンはそう言って、メイシェンに笑いかけた。
メイシェンは再び真っ赤になって俯いてしまう。

本当に、眩しかった。
メイシェンが、ナルキが、ミィフィが。
自分の夢を持っていて、その夢を本当に大切にしていて、心からその夢を叶えたいと思っていて。
レイフォンには無いものを持っていて。

その姿が、本当に眩しくて、羨ましくて、そして少し……寂しかった。
自分には無いものを持っている彼女たちを見て。自分とは違う彼女たちを見て。

まるで彼女たちがガラスの向こう側にいるように感じてしまった。
目に見えているのに、声が聞こえるのに、触ることも踏み込むこともできない、そんなところにあるような。

だから、つい言葉を漏らしてしまう。

「僕も……、僕にもいつか、見つかるかな? 自分の夢が…」

僕もいつか、彼女たちのように、自分の夢を見つけられるのだろうか。自分の夢を語ることができるのだろうか。
この、目の前にあるのに、手が届きそうに見えないくらい眩しいものが、自分の中にも見つかるだろうか。

「き、きっと!……、み、見つかると…、お、思います!」

メイシェンが、突然大きな声を出したため、レイフォンは驚く。
ナルキもミィフィも驚いている。

大声を出したことに気付いたメイシェンが、真っ赤になって縮こまる。

こちらを一生懸命に励ます様子に、レイフォンは嬉しくなった。

(僕も頑張らなきゃな)

「ありがとう、メイシェン」

レイフォンが微笑みながら礼を言うと、メイシェンは再び沸騰するように赤くなった。




そのあとは、色々と雑談をして時間をつぶし、夕方に差し掛かったところで解散になった。





メイシェン達3人と別れ、レイフォンは帰路に着く。

夕日は沈みかけており、周囲は薄暗く、通りに人は少ない。

自分の住まう格安の男子寮に向かって歩いていると、前方で何かが光るのが見えた。

見ると、武芸科の制服を着た1人の女生徒が歩いており、彼女の髪から、わずかにこぼれる光の粒子が見えた。

(下級生? いや、僕が1年だし)

小柄な体躯だったので、最初年下かと思ったが、そんなはずないと思い直す。

(いったい誰だろう?)

そう思いながら女生徒を見ていると、突然彼女が立ち止まってこちらを振り向き、目が合った。

とても綺麗な少女だった。
腰まで届きそうな長い白銀の髪、色素が抜けたような白い肌、尖るような顎先と細い首筋、伏し目がちの銀の瞳の上で揺れる長い睫。

人形のように綺麗な少女だ。

彼女との距離は数メルトルしかない。

無言で見詰めてくる少女に何か言ったものかと思案するが、言葉が浮かばない。

すると、彼女の方から口を開いた。

「武芸科に……、転科しなかったんですね」

突然言われたことに、レイフォンは驚く。何故それを知っているのか。

言葉の見つからないレイフォンの様子を気にすることなく、人形のように無表情で、淡々と話す。

「でも、気をつけた方がいいですよ。あの人は、おそらく諦めてません。いつかまた、貴方に転科を持ちかけてくるでしょう」

それだけ言って、彼女は前に向き直り、再び歩き出す。

レイフォンはどうすべきか迷ったが、どの道彼女は自分の行き先と同じ方向に進んでいるので、とりあえず彼女の後ろを歩くように、男子寮へと向かって歩き出した。

そのまま2人して無言で歩く。

何か言うべきだろうか?レイフォンはそう考えたが、特に言うべきことは思いつかない。

しかし知らない少女と一緒に無言で歩くのは、微妙に居心地が悪い。
かといって立ち止まるのは不自然だし、追い抜くのも何となく気が引ける。

レイフォンがそんなことをごちゃごちゃと考えていると、また彼女の方から口を開いた。前を向いたまま、こちらを見ずに言葉だけを投げかける。

「訊いていいですか? あなたが何故武芸科に入らなかったのか」

「……武芸は…捨てたんです……。グレンダンで、武芸者として失敗して、武芸を続ける理由が無くなってしまったんですよ。だからここで、武芸者でない、それ以外の自分を見つけたくて、一般教養科に入ったんです」

1日に2度も同じことを話す羽目になっている自分に苦笑しながら、レイフォンは理由を話す。

その言葉に何か感じるところがあったのか、少女は1度だけ振り返ってレイフォンを見、再び前に向き直ってから再度レイフォンに話しかける。

「では、やはり気を付けてください。わたしの兄は、ツェルニの存続のためならどんなことでもします。おそらく、何かしら強引な手を使ってでも貴方を武芸科に入れようとするでしょう」

「えっと…、兄って?」

「申し遅れました。わたしの名前はフェリ・ロス。武芸科の2年です。生徒会長のカリアンは、わたしの兄にあたります」

生徒会長の妹と聞いて、少し警戒する。正直カリアンのことは少し苦手だ。
しかし、疑問がある。

「生徒会長の妹さんが、なんでそんな忠告を?」

「兄の犠牲者を他に出したくなかったからです」

「犠牲者?」

「ええ」

そう言うと、突然フェリは立ち止まり、目をつぶる。
それを見て、レイフォンも何となく立ち止まって様子を見る。

すると、フェリの銀の髪から、先程わずかに見えた光の粒子が大量にあふれ出してきた。髪が薄闇をはね散らして燐光のようなものを飛ばしている。レイフォンは目を瞠った。

「これは、さっきの…」

「先程は、少し制御が甘くなったんです」

今やフェリの髪は青い燐光をまとい、ほのかな光を辺りに振りまいている。熱は無く、波動のような微細な空気の揺れが、近くにいるレイフォンにも伝わってきた。

念威だ。外力系衝剄でもあり、内力系活剄もあり、同時にその2つとはまったく異なる。体内に流れる剄を利用しながら、訓練だけでは会得できない、本当の意味で選ばれた才能。
念威繰者は、この念威を利用して情報収集や通信を行う。

レイフォンは驚いていた。

髪は剄や念威にとって優秀な導体であり、念威によって髪が光る現象はレイフォンにも見覚えはある。だがそれは精々、髪の一部だ。しかしフェリは、特に力むことも無く、長い髪の全体を輝かせている。念威の量が尋常ではないのだ。

これほどの念威は見たことが無い。

「これのせいで、兄は一般教養科として入学したわたしを、無理やり武芸科に転科させました」

光を失った髪を押さえ、フェリがぽつりと呟いた。

「わたしは生まれつき尋常ではない量の念威を持っていました…。そして幼い時から念威専門の訓練を受けてきました。家族の誰もが、私自身でさえ、わたしが念威繰者になる将来を疑っていませんでした。……でも…」

その瞬間、フェリの感情が揺らいだように見えた。

「みんな、将来は決まっているのだと思ってた。みんな、自分がなにになるのか知っているのだと思ってた。
でも、違うんですよね……。他のみんなは自分で自分の未来を選択していくんです」

フェリは淡々と話し続ける。

「それに気付いた時、わたしは念威操者にならない自分を想像してみました。誰もが自分の将来を知らないのに、自分だけは最初から何になるのか決まっている。そんな状況に、耐えられなくなったんです。
だから生まれ故郷の都市から離れて、ここへ来ました」

都市の外へ出ようとするフェリに、両親が最大限の譲歩として示したのが、兄の在学しているツェルニだったのだという。

「わたしはここにいる間に、もう一人の自分を、念威繰者ではない別の自分を見つけられるのではないか、そう思っていました」

しかし、それはできなかったのだ。
ツェルニの状況と、フェリの才能を知るカリアンが生徒会長であったことが、それを許さなかったのだ。

「わたしは兄を恨みます。わたしに念威繰者の道しか示せない、示してくれない兄を恨みます」

淡々としたフェリの呟きを、レイフォンは黙って聞いていた。感情の揺らぎの見えない淡々とした声なのに、軋むような悲しみがその内側にこもっているように感じられてならなかった。

「そして、念威繰者にしかなれない、自分が嫌いです」

絶大な才能ゆえに、決まってしまった自分の将来から逃げられない少女はそう呟いた。

「あなたは、自分の思う通りの未来を、自分自身で選んだ道を進んでください」

まるで、自らの将来についてはほとんど諦めているかのようなフェリの最後の呟きに、レイフォンは言葉を返せなかった。

そのあとはずっとお互い無言で進み、途中で別れた。








男子寮の自分の部屋にたどり着くと、レイフォンは制服のままベッドに倒れこむ。

広い部屋だ。本来は2人用の相部屋らしいが、同居人がいないため、現在はレイフォン1人で使っている。

孤児院では、多くの孤児と同じ部屋で過ごしていたので、大きな部屋に独り暮らしというのは、なかなか新鮮に感じる。

ベッドの上で仰向けになりながら、レイフォンはこれまでのこと、そしてこれからのことについて考える。

ここに来てまだそれほど時は経っていないのに、色々あったように感じる。そもそも今日一日だけで色々ありすぎた。

「武芸……か」

武芸を捨てるためにここへ来たはずなのに、早くも躓いてしまった。
生徒会長には秘密を知られ、ツェルニには後が無い。

気付けばすでに追い詰められているように感じる。

これからどうすべきか考えるが、いい案は浮かばない。もともと考えるのは得意ではない。
ぐるぐる悩み過ぎて頭が痛くなってくる。

しばらく頭を使って慣れないことを考え、諦めて思考を放棄した。
今考えても仕方ない。結局、なるようにしかならないし。

とりあえず何か食べてシャワーでも浴びようと、ベッドから降りて着替えを始める。

他の寮生と共用であるキッチンに向かおうと部屋を出る際に、ふと、振り返って自分の机の上を見る。

そこにあるのは一つの箱。布に包まれた木箱である。

放浪バスに乗っている間、ずっと懐にあったもの。故郷を出る前日、養父から渡されたもの。

それを一瞥してから、レイフォンは部屋を出た。




[23719] 2. バイトと機関部
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2010/11/05 03:00



「レイとん~、お昼一緒に食べよ~」

教室で声をかけられ、そちらを向く。

ミィフィがこちらを手招きしている。その隣には、ナルキとメイシェンもいる。

入学式の日からこれまで、レイフォンは、ちょくちょく彼女たちと行動を共にするようになっていた。

何度か昼食を一緒に食べたり、放課後、一緒に寄り道したりしていたため、今ではレイフォンにとってクラスで一番親しい友達である。
……他に友達がいないだけとも言えるが。

ミィフィは1年にして、すでにかなりの情報網を持っているらしく、今後お世話になるであろう、寮や学校の近くの安い食堂などを色々と教えてもらい、レイフォンは非常に助かっていた。

4人で集まって教室の一角に座り、それぞれの昼食を出す。

レイフォンは売店で買ったパンを開け、もそもそと食べだした。

「レイとんは今日がバイト初日だっけ?」

「うん、まあね」

「機関部掃除でしょ? 大変そう~」

「まあ、掃除は慣れてるしね」

パンをかじりながら、言葉を返す。

ミィフィはミルクのパックを複数個、目の前に置いている。お昼はそれだけのようだ。

「ナッキはもう都市警に努めてるんだよね? 剣帯してるし」

「ああ。一昨日面接に行って受かった。とはいえ、武器は打棒限定だがな」

「へ~、わたしも出版社に勤めてるんだけど、まだまだ下積みの仕事ばっかなんだよね~」

「まあ、それは仕方ないさ。メイの方は?」

「…まだ……厨房に入れてもらえない」

「やっぱそういうのは調理実習で単位とった人優先なのかもね~。何にしても、これからみんなバイトで忙しくなりそうだね。一緒に遊ぶ機会減っちゃうかな?」

「バイトだけじゃなくて勉強の方も忙しくなるからな。当然だ」

「う、そっちはあんま忙しくなってほしくないな~。
 あ、そういえば、みんな来週の週末は予定ある?」

唐突にミィフィに訊かれた。

「僕は今のところ予定入ってないけど、どこか行くの?」

「うん。そろそろ対抗試合が始まるって聞いて、調べてみたら来週の週末だって。せっかくだからみんなで観戦に行こうかなって思って」

「対抗試合?」

聞き覚えの無い単語に、レイフォンは疑問符を浮かべる。

「知らないの? 小隊対抗戦。ツェルニの武芸科で最大のイベントだけど。今年は本番の武芸大会があるから特に盛り上がるって言われてるよ」

「……そもそも小隊って?」

メイシェンも知らないようだ。

「小隊というのは武芸科の中での幹部候補のことだ。スキルマスターって意味合いもあるが」

ナルキが説明する。

「ふう……ん?」

メイシェンはよくわかっていないようだ。
レイフォンも、ようは武芸科の中の上位組織だということはわかるが、具体的なことはわからない。

「武芸大会での部隊分けされた時の、中心になる核部隊のことだよ。司令部の下に小隊…その時は指揮隊って呼ばれることになるんだが、その指揮隊がさらに下にある大隊、指揮隊に属していない一般武芸科の生徒を配下に置くことになるんだ。
つまり小隊ってのは武芸科生徒の中でのエリート集団ってことになる」

「へえ」

「じゃあ小隊対抗戦って?」

メイシェンが更に訊く。

「小隊員はエリートだからな。それに相応しいか、その実力を問われるのさ。個々のスキルと同時にチームとしての総合力も問われる。当然、小隊同士での序列争いもある。それが学内対抗戦。ここでランキングを争って、成績が良ければ小隊内でも序列が上になるし、当然武芸科内では周りから尊敬されるようになる。当然ながら武芸大会では重要な役割を任せられる。
逆に成績が悪ければ、小隊は最悪解散。幹部候補のエリートから一般生徒に逆戻りだ。武芸者って人種は基本的にプライドの高い生き物だからな。これは屈辱だ」

と、ナルキは説明を終える。

「そういうこと。それでその小隊対抗戦の試合が来週あるから一緒に見に行こうって話なんだけど、どう? みんな?」

ミィフィが話を戻す。

「あたしは……その日は午後から都市警の仕事がある。午前の部だけなら行けるけど」

「……わたしは…、その日はバイト無いよ」

「んじゃナッキは午前中だけか……残念。レイとんは行けるんだよね?」

「うん、大丈夫だよ」

「そっか。じゃあ決まり!」

試合か……。

そういえば公式試合に出場したことはあっても、他人の試合を観戦したことはほとんどなかったっけ。

たまには他人の試合を観戦するのものもいいか。

そう思いながら、レイフォンはパンを食べ終えた。











放課後、レイフォンは寮に帰ると、すぐさま夕飯を食べてから数時間ほど仮眠をとった。

深夜に目覚まし時計の音に叩き起こされ、ベッドから降りる。
適当に寝癖を直してから作業着に着替え、寮を出る。

今日はレイフォンの機関部清掃の仕事始めの日だ。

事前にもらっていた地図を片手に、居住区郊外にある地下への入り口に辿り着く。
警備員の生徒に通行生を見せ、奥へ入ると、すぐに地下への昇降機がある。鉄柵が囲っているだけの武骨なそれを使いさらに地下へ降りる。

機械油と触媒駅の混じり合ったなんとも言えない臭いが濃厚になっていく中、昇降機は全身を震わせて停止した。

最低限の照明が、目の前の光景を淡く映し出している。
パイプの入り組んだ狭い通路に、あちこちで一定のリズムに合わせて様々な動きを見せる歯車たち、ガラス上の透明なパイプの中で触媒液によって溶かされたセルニウムが、まるで血液のように一点に向かって奥のほうへ流れていき、そして色を淀ませた液体が隣にあるパイプを逆に流れて行く。

都市の地下にある、機関部。
自立型移動都市、レギオスの心臓部の光景だ。

「これは、すごいな」

初めて見る光景に、レイフォンが昇降機の前で呆然としていると、通りがかった就労学生らしき青年に声をかけられた。
彼に従って責任者のもとへと行き、そのまま機関掃除を始める。通路のブラシがけだ。

ひたすら迷路のように入り組んでいる通路の割り当てられた範囲を磨いていく。

レイフォンはすぐにコツを掴み、通路にこびりついた混合液をきれいにしていく。

単純作業は嫌いじゃない。その間は何も考えなくていいからだ。ただ一心に体を動かしていると意識が次第に自分の体の内側に向かっていく。その感覚は嫌いではない。

腕の力だけでなく、体重を使って全身運動でブラシを滑らせる。
汚れたブラシを水と洗剤の入ったバケツに入れ、再びブラシがけを行う。

それを繰り返しているうちにバケツの水が汚れてきたので、水場に行ってバケツの水を交換し、そしてまた続きを行う。
ただひたすら無心になって、ブラシを動かし続ける。自分の磨いた部分が綺麗になっていくのを見ていると、少し楽しくなった。

しばらくして、またもバケツの水が真っ黒になる。

「水を換えに行かないとな」

自分に対する確認として呟くと、以外にも声が返ってきた。

「そこの新人。なら、ついでにわたしのも頼む」

いきなりそう言われて、レイフォンは驚いて声がした方を見た。

「その代わり弁当の方は、わたしがお前の分も確保しておこう」

そこにいたのは短い金髪の少女だった。レイフォンよりも2つ3つ年上くらいか。レイフォンと同じ作業着を着ており、足元には水の汚れたバケツがある。手には柄の無いブラシが握られていた。整った顔立ちだが、鼻や頬、さらに髪までもが汚れで黒ずんでいる。

格好は汚れているが、言動や態度は堂々としている。また立ち居振る舞いなどから、おそらくは武芸者なのだろうと思われる。

「え?あ、は、はい」

「では頼んだぞ。わたしは弁当を買ってくるから水を換えておいてくれ。集合場所はここだ」

言うと、少女はバケツを残して売場へと歩いて行った。

数分後、レイフォンが両手にバケツを提げて戻ってくると、少女もまた戻ってきていた。

「ほら。そろそろ休憩を入れておけ」

「あ、ありがとうございます」

バケツを置き、少女から差し出された弁当を受け取る。

自然、そのまま一緒に夜食をとる流れになった。
2人並んでちょうどいい高さのパイプに腰掛け、弁当の入った箱を開ける。

弁当の中身はサンドイッチだった。

隣に座ってサンドイッチを食べる少女に習い、レイフォンも箱からサンドイッチを取り出して頬張ってみる。
そして驚きに目を見開く。

美味い。

鶏肉と野菜と辛味のあるソースがうまい具合に混ざり合っている。適度に疲労していた身体によく染みる美味さだ。

「美味いですね」

「だろう?配達される弁当の中でも人気の一品だからな。すぐになくなる。配達時間を把握しておかないと手に入れるのは難しい」

少女はさらに紙コップに入った紅茶を差し出してきた。よく冷えている。砂糖が嫌味にならない程度で、これまた美味い。

「こっちも売ってるんですか?」

「いや、これは自前だ。忠告しておくが、次からは飲み物は自分で用意しておけ。ここの飲み水はまずいからな」

「はあ。ありがとうございます」

礼を言って、レイフォンは食事に専念する。やはり美味い。
少女も隣で上機嫌にサンドイッチを食べる。

2人はほぼ同時に食べ終わり、紅茶を飲んで、ほっと一息つく。

と、ここで少女が口を開いた。

「さて、自己紹介が遅れたな。わたしはニーナ・アントーク。武芸科の3年だ。見ての通り、ここでバイトをしている」

「一般教養科1年、レイフォン・アルセイフです」

「レイフォンか。お前、新人にしては随分掃除の手際がいいな。わたしがバイトを始めたころは、なかなかはかどらなくて苦労したものだ」

「いちおう掃除とか洗濯は慣れてますから。家でいつもやってましたし」

孤児院では、家事は全員で分担してやっていたし、特に年長者であるレイフォンはその中心となっていた。

「そうなのか。あいにくわたしはツェルニに来るまでまともに掃除なんてものしたことがなかったからな。慣れるのに随分時間がかかった」

「先輩はどうしてこのバイトを?」

「給金がいいからな。わたしのような貧乏人には、ここの高報酬はありがたい」

貧乏人という言葉に、虚を突かれる。

「意外か?」

「ええ、まあ……」

正直に頷く。
実際、意外だった。

立ち居振る舞いに、武芸者独特の雰囲気だけでなく、上流階級特有の、洗練されたものがあるように感じていたからだ。

「まあ事実、実家は貧乏ではない。これは確かだ」

「え? じゃあ……」

「言ったろう。あくまで実家は、だ。親が学園都市に行くのを反対してな。内緒で試験を受けて、半ば家出のようにここに来た。だから、実家からの仕送りは無い」

聞いて、驚いた。そこまでしてでも自分の都市を出たかったのだろうか。

「なんでまた、そうまでしてツェルニに?」

「わたしは、外に出たかった。そして他の世界を見てみたかった」

ニーナが遠くを見るような目をして呟くように言った。

「わたしの家は、代々武芸者を輩出する、故郷シュナイバルではそれなりに高名な武芸者一家でな。小さいころから、将来は自分の都市を守る立派な武芸者になるように言われて育ってきた。そしてそのために、必要なものは何でも与えられてきた。
大きな屋敷、大勢の使用人、優秀な家庭教師。そういったものに囲まれながら、いい物を食べ、綺麗な服を着て、何不自由なく暮らすことができた。だがいつからか、そのことに疑問を持つようになったんだ…」

やや苦みを含んだ顔をする。

「確かにあの家で暮らしていれば生きるために必要な全てが与えられただろう。だがそれでは篭の中の鳥と同じ。何一つ自分の手では得ていない。わたしはただ与えられただけのものを、自分のものだと言い張って生きたくなかった。
与えられた環境、与えられた物、それだけに縋って生きるのが嫌になった。目の前に用意されたものだけに従って、それ以外のことを何一つ知らないまま一生を終えたくなかったんだ」

そう言って、視線を下げて自らの手のひらを見る。

「レギオスに生かされているわたしたちは、そのほとんどが1つの都市で一生を終える。しかし、一方で都市間を放浪バスで旅する者たちもいる。彼らは、他の人たちが1つしか見ない世界をたくさん見ている。わたしはそれが羨ましかった……。
わたしも、旅行者になることはできないだろうが、それでも、少なくともあそこ以外の、外の世界を見てみたかった。そして自分の手で何かを得てみたかった。それで、学園都市に来ることを決めたんだ」

だから、わたしはこうしている、と最後にそう締めた。

レイフォンは驚いていた。故郷に残っていれば何不自由のない生活を送れただろうに。それではだめだと、自分の力を試すために、わざわざ危険な旅をしてまで外の世界を見ようとするなんて。

正直その感覚はレイフォンには理解できない。できるはずもないのだが。

「ところでわたしの方も訊きたいのだが、お前は何故武芸科に入らなかったんだ? 入学式でお前のことを見て、かなりの実力があると思ったんだが」

唐突に訊かれて、レイフォンは一瞬言葉に詰まるも、何とか答えを返す。

「僕は、ここに武芸以外の道を、武芸者以外の生き方を探すために来たんです。だから、一般教養科に入りました」

「ふむ、それは見つかったのか?」

「いえ、そんな簡単じゃありませんよ。自分の将来について、何度か考えようとしたことはありますけど、はっきりとしたものが何一つ見えてこないんですから。
何がしたいかなんて決まっていません。それでも、何かがしたいんです。自分の本当にやりたいことを見つけたいんですよ」

「それは武芸ではだめなのか?」

「武芸ではだめなんです。それはもう、失敗しましたから」

「失敗? どういうことだ?」

答え辛いことでも、まずは尋ねるのが彼女なのだろう。苦笑しつつ、レイフォンは首を振る。

「失敗の内容なんてどうでもいいんです。終わったことですし、僕はもう気にしていませんから。
ただ、失敗したときに、武芸をする理由を失くしてしまったんですよ。それと同時に、戦う意志も覚悟もまとめて失ってしまった。武芸者として生きられなくなった。だから、武芸は捨てたんです」

自然と、自分の声が暗くなるのを感じた。
ニーナがこちらをじっと見ているのがわかる。

「武芸をする理由? 武芸者は都市とそこに住まう人々を守るために戦うのが義務であり存在意義だろう? それが当然だと思うが?」

確かに、たいていの都市では武芸者として生まれた時点で、将来は都市を外敵から守るために戦う役目を与えられることが決まっている。実際に戦う機会があるかは別として。

大多数の武芸者にとって、戦うことは生まれながらに持つ義務であり、責任である。そしてそれが武芸者というものの存在意義でもある。

そして、いざという時に命を懸けて戦う義務があるかわりに、武芸者は基本的にどの都市でも、金銭的にも立場的にも一般人より優遇される。

もっとも、レイフォンはそれに当て嵌まらないが。

「普通はそう考えるのが当然なんでしょうけどね。僕には、そういうふうに考えられないんですよ。都市を守るためって感覚がよくわからないんです」

「何故だ?」

ニーナがすぐさま訊いてきた。目つきなどが若干キツくなり、少し怒っているように感じる。

「別に僕に限ったことじゃないですよ。僕の故郷グレンダンは、武芸の本場なんて呼ばれてますけど、実際本気で都市を守ろうという気持ちを持って戦っている人は少ないんです。武芸を神聖視したり、武芸者として品行方正であろうとする人はいますけど、心の底から『都市を守らなくては』って必死になる人はほとんどいませんよ。まあ、武芸者としての義務感くらいは持っているでしょうけど」

「それは……何故だ?」

今度は疑問を感じているように言う。

「グレンダンでは、武芸者にとって、戦うのは権利であって義務ではないんですよ」

レイフォンは端的に言うが、ニーナにはよくわからないようだ。
仕方なくレイフォンは一から説明することにする。

「グレンダンには武芸者が多いんですよ。剄を使える人間が大勢いて、武芸が盛んで、いろんな流派や道場があるんです。けど、その全員が武芸者として戦場で戦うわけじゃないんですよ」

他の都市をあまり知らないので自分では比較できないが、グレンダンの都市民における武芸者の割合は、他の都市と比べてとても大きいと聞いたことがある。
そして街を見渡しただけでも、そこいらじゅうに武芸の道場がある。このことからも、グレンダンでは武芸がとても盛んだとわかる。

「グレンダンは他の都市と比べて汚染獣との遭遇率が異常に高くて、その分武芸者にはより高い質が求められるんです。だから実際に汚染獣と戦うのは、たくさんいる武芸者の中でも限られた者だけで、実力があると判断された者しか汚染獣との戦いには参加できないんですよ」

剄脈を持っているというだけでは戦えない。武芸者として、本当に力ある者だけが戦うのだ。

「そして当然、優秀な武芸者が多いわけですから、都市が本当の意味で危険にさらされることはないんです。どんな汚染獣が来ても絶対に負けることは無いと、都市民すべてが心から信じているくらいですから。
優秀な武芸者が大勢いるから、ほとんどの人が、自分1人いようがいまいが、都市の防衛力に大差無いとわかってるんです」

だからこそ、武芸者たちは戦わなければいけないという感情が非常に薄い。本来戦いという行為は、武芸者として生まれた者の義務であるのだと分かってはいても、己個人の義務としては感じられない。戦うことは強者だけに許された権利であるように思ってしまう。

「実際、武芸者だからというだけじゃ、グレンダンでは尊敬も優遇もされないんですよ。他の都市みたいに、剄脈を持っているというだけでは生活の保障もされませんし、武芸者補助金も支給されません」

グレンダンでは、公式試合で一定の成績を収めた者しか戦場に出ることは許されないし、同時に武芸者補助金も受けられない。それ以前にある幼年武芸者補助金は15歳までしか適用されない。

「だから、グレンダンの武芸者たちは他の理由のために戦おうとするんです。そしてそれぞれに、求める物は違います。強き者として認められること、武芸者としての名誉や称号だったり、戦いの報酬、戦時手当や補助金だったり、あるいは戦うこと、より強くなることそのものが目的だったり。そういった理由のために戦うんです」

ニーナは驚いているようだ。それはグレンダンの武芸者たちの意識に対してなのか、そんな考え方をしてしまう、することが許されるほどの強さに対してなのか、それはレイフォンにはわからない。

「僕が武芸をやっていた理由も、都市を守るためだなんて大きな理由じゃありません。もっと個人的で小さな理由です。たった1度の失敗で見失ってしまう程度のものです。それでも、僕はずっとその理由、その目的のためだけに武芸を続けてきました。だから、その理由を失った僕に、今更戦うことができるとは思えないんです」

レイフォンは自嘲するように言う。自分は随分と暗い顔をしていることだろう。ニーナはかける言葉を見つけられない様子で、ただじっとこちらを見ている。

「『力無き武芸者に価値は無く、意志無き武芸者に意味は無い』力が無ければ何物も守れず、どれほど優れた力があろうと、戦う意志が無ければ戦えない。武芸者とはそういうもの。僕はすでにその意志を失った。すでに武芸者としての僕には、何の意味もありません」

そこでレイフォンは口を閉じた。しゃべりすぎたように思う。
ニーナは、何も言わない。

しばらく、その場に沈黙が流れた。






と、突然、通路の奥からカンカンカンという足音が近づいてくるのがわかった。

足音の聞こえる方向を見ると、同じ作業服を着た、無精ひげの、年長らしい男が走ってきた。機械科の上級生らしい。

「おい、このあたりで見なかったか?」

「なにを?」とレイフォンが尋ねる前に、ニーナが口を開いた。

「またか?」

「まただ、悪いな!頼む!」

やけっぱちな様子で大声を上げると、男はまた走り出した。

「やれやれ」

呟きながら、ニーナが立ち上がる。

「あの、なにが?」

「ああ、手伝え。今日はもう掃除はいいはずだ」

「は?」

状況のわかっていないレイフォンに、ニーナは楽しそうに笑みを作った。

「都市の意識が逃げ出したのさ」

「は?」

「まあいいから、ついて来い」

ニーナに従って、レイフォンも歩き出す。

「緊急事態なんですか?」

「機関部の管理を任されている連中からしたら、失点に繋がる大事態だな」

「はあ……」

よく理解できない。都市の意識?
それが何なのかレイフォンにはわからない。

ニーナはどんどん奥へ進んでいく。その足取りに迷いはない。
分かれ道に差し掛かっても、迷うことなく進んでいく。

「探してるんじゃないんですか?」

「探す必要などないさ」

「は?」

さらに混乱する。
ニーナの横顔を見るが、彼女は楽しそうな顔のまま、まっすぐに前を見ている。

「都市の意識というものは、好奇心旺盛であるらしい」

ニーナが足を止める。
落下防止の鉄柵が行く手を阻んでいた。そこから見下ろせる下層には、山のようにこんもりとしたプレートに包まれた機械が、駆動音で空気を揺らしている。

その天辺に、なにかがいた。
金色に近い色で発光しているのが見える。

「だからこそ、己の内に何か新しいものがあると興味が寄せられてしまうそうだ。今の時期ならば、新入生だな。お前とか」


「ツェルニ!」

ニーナがそう叫ぶと、発光体は飛び上がり、クルクルと天辺の上で円を描いた。

「整備士たちが慌てていたぞ」

もう一度声をかけると、発光体はまっすぐにこちらへと飛んでくる。
レイフォンが「危ない」と声をかける前に、発光体はニーナの胸に飛び込んだ。

「はは、あいかわらず元気な奴だ」

発光体を抱いて、ニーナが笑う。

間近でそれを見て、レイフォンは言葉を失った。

発光体の正体は、小さな子供だった。

「しかし、ちゃんと動いてやれよ。お前が手を抜くと、整備士たちが困ることになるんだ」

赤ん坊のような大きさで、長い髪は足元まで届きそうだ。くりくりとした大きな瞳で、嬉しそうにニーナを見上げる。

(これが、意識?)

レイフォンは唖然としてその発光する少女を見つめる。
と、ニーナの肩越しに、少女と目があった。

「ああ、これが新入生だ。紹介してやろう、レイフォンだ。レイフォン、これがツェルニだ」

「それは、あの、この都市の名前と……」

「当り前だろう?この都市は、すなわちこの子そのものなのだからな。いわゆる都市の電子精霊というやつだ」

あまり実感が湧かない。理屈はわかるのだが、目の前にいる少女と、自分たちのいる巨大な都市が同一であるというのが信じられない。

「えと、レイフォン・アルセイフです。よろしく」

じっと見つめてくる少女に、とりあえず握手を求めるつもりで手を伸ばす。

と、ツェルニはニーナの腕から脱して、レイフォンの腕の中に飛び込んできた。
咄嗟に受け止める。小さな体には相応の重さも無く、ただ暖かさだけが感じられた。

胸の辺りの作業着を掴んで、ツェルニは無垢な瞳でレイフォンを見上げている。

「ほう、気に入られたようだ」

「は?」

「気に入らない相手だと、触らせてもくれないからな。触ることはできても、結束を緩めるとその子の身体を構成している雷性因子が相手の体を貫くからな。人に落雷するのと同じようなことになるらしい」

聞いて、レイフォンはさらに唖然とする。こんな可愛い女の子が人に害をなすなんて信じられない。そう思った。

「整備士たちが慌てていたのは、機関が不調になるからというだけでなく、そういう理由もある。だが、わたしはこのお人好しが、誰かに危害を加えるなんて信じられないのだがな」

そう言って、ツェルニの頭を撫でる。

「さて、もう充分に見たか?ならそろそろ元の場所に戻ってやれよ。整備士たちが困っているからな」

ニーナはレイフォンの腕からツェルニを取り上げる。
そのまま胸に抱いて、語りかけながら、通路を戻っていく。

レイフォンはその様子を驚きとともに眺めながら、ニーナのあとについて通路を歩いた。

ツェルニが元の場所に戻るのを見届けた後、ニーナはレイフォンに向かって口を開いた。

「ツェルニはこの都市の意識であり、都市そのものでもある。その存在は、セルニウムの供給が絶たれれば消えてしまうものだ。もし今期の武芸大会で敗北し、セルニウム鉱山を失ったら、都市は死に、彼女も死んでしまうことになる」

都市の死は、その都市に宿る電子精霊の死。
先程の、可愛らしい無垢な少女が消える様を想像して、レイフォンは背筋が震えた。

「わたしは武芸者としての誇りにかけて、自分の住まう都市を守りたいと思う。だがそれだけではない。ここで彼女に出会って、彼女と友達になって、この都市を己の手で守りたいと、本気でそう思った。彼女自身のことを、誇りではなく本心から守りたいと思ったんだ。そしてそのためには、どんな困難にでも打ち勝ってやると決めた」

その瞳には、強い意志が宿っていた。

「お前は戦う理由を失ったと言ったな。正直わたしは、お前が何のために戦っていたのかは知らないし、予想もつかない。だがもし、いつかお前にもここで戦う理由ができたなら、お前のその力を、この都市を守るために活かしてほしい。その時は、武芸科の一生徒として、お前のことを心より歓迎する」

ニーナがレイフォンに背を向ける。

「今日は色々と訊いてすまなかったな。侘びといっては何だが、弁当は奢りにしておいてやる。今晩の仕事は終わりだ。帰って休むといい。では、これからもよろしく頼む」

それだけ言うと、ニーナは去って行った。
その背を見送る。

レイフォンの心には、ニーナの強い意志が宿った瞳が印象に残っていた。

何か重たいものが、体の中に溜まっている感覚がある。

(都市を守るため、か……)
「はあ……」

レイフォンは大きく溜息をつき、自分も帰路に着いた。







家に帰って布団に入り、登校時間まで、わずかながら睡眠をとる。

いろいろ話をしたからだろうか。その短い眠りの中で、少しだけ、昔の夢を見た。





















おまけ:キャラクタープロフィール(身体データは作者のイメージです)


レイフォン・アルセイフ ♂

年齢:15 
身長:170cm  体重:58kg (成長中)
性格:優柔不断、消極的、自己犠牲的
趣味/特技:家事全般、武芸




メイシェン・トリンデン ♀

年齢:15
身長:152cm 体重:40kg
性格:人見知り、臆病、控えめ
趣味/特技:料理(特にお菓子)




ミィフィ・ロッテン ♀

年齢:15
身長:159cm 体重:48kg
性格:明るい、好奇心旺盛
趣味/特技:情報収集




ナルキ・ゲルニ ♀

年齢:15
身長:172cm 体重:57kg
性格:真面目、正義感が強い、仕事熱心
趣味/特技:仕事、捕縛術




フェリ・ロス ♀

年齢:16
身長:151cm 体重:38kg
性格:マイペース
趣味/特技:読書



ニーナ・アントーク ♀

年齢:18
身長:167cm 体重:54kg
性格:真面目、頑固、熱血漢
趣味/特技:訓練








あとがき

投稿してから、思った以上に感想が早く書き込まれていて驚きました。読んで下さりありがとうございます。
レイフォンの台詞には、「こういう時はこんくらい言えよ」という、作者の気持ちというか願望というか、とにかく原作を読んだ時にもどかしく思っていたところなどに変更がなされていたりします。作者の中でのレイフォンのイメージというか魅力を壊さない範囲でですが。


1話と比べてかなり短いのでおまけをつけてみました。とはいえ、性格とかは原作読んだ方は知っているでしょうけど。オリキャラが出た時はもう少し詳しく書きたいです。
ストーリー中に天剣は登場しないと思いますが、いつかおまけくらいになら出してもいいかなと思います。












[23719] 3. 試合観戦
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2010/11/06 22:51


週末、小隊対抗戦の会場である野戦グラウンドでは、午前中にもかかわらず、大勢の生徒たちによる喧騒で溢れていた。

あちこちに樹木が植えられたデコボコなグラウンドを囲むようにして観客席が設置されており、その広いグラウンドの上を、運営委員の念威繰者による撮影用の中継機が飛び回っている。撮影された映像は、観客席のあちこちに設置された巨大モニターに次々と映し出される。

レイフォン、メイシェン、ナルキ、ミィフィの4人は、観客席の中の一ヶ所に陣取っていた。

「おお~、予想以上に盛り上がってるね~」

周囲の喧騒の中で、ミィフィが感嘆の声を上げる。

「売店も随分と並ばされたしな。かなり人が詰めてるみたいだ」

「やっぱり対抗戦ってかなりの大イベントなんだね~。わたしも自分で記事を書けるようになったら小隊とか対抗戦の担当にしてほしいな~」

ナルキとミィフィが会話する中、レイフォンはあまりの人の多さに圧倒されていた。下から観客席を見上げるのと観客席の中にいるのとでは大違いだ。

周囲では、観客席から誰かの名前を呼ぶ声も聞こえる。

(確かファンクラブがあるとか言ってたっけ)

ミィフィによると、小隊員たちは武芸科のエリートであると同時に、一般生徒たちにとってのアイドルのような存在でもあるらしい。
ほとんどの小隊、または小隊員個人にはファンが付いており、肩入れしている隊の旗を振ったり、名前を呼んで応援したり、目当ての隊員がモニターに映るたびに歓声を上げたりしている。

「メイ、大丈夫?」

とりあえず、さっきからやや表情の優れないメイシェンに声をかける。
人見知りの彼女は、どうも人の多さに気後れしているようだ。

「う、うん。大丈夫…」

それでも気丈に振舞おうとする。あまり成功していないが。

いちおう本人が大丈夫と言っているので、レイフォンも彼女から視線を外し、モニターに目を向ける。

「あ、そろそろ始まりそう」

たった今、今日行われる試合の紹介が終わり、これから一試合目が開始されようとしている。

今日の試合は5試合。午前中に第三小隊と第四小隊、第八小隊と第九小隊、第十六小隊と第十七小隊。昼休憩を挟んで第十小隊と第十一小隊、第十四小隊と第十五小隊の試合がある。

グラウンドの入り口近くで、第三小隊と第四小隊が向かい合っている。
お互いに挨拶を済ませ、離れていくようだ。


そして、試合が開始された。

小隊対抗戦の試合の形式は、攻守に分かれての旗取り合戦である。
攻撃側が敵陣にある旗(フラッグ)を取りに行き、守備側がそれを妨害するのだ。

攻撃側の勝利条件は、敵のフラッグを破壊するか、敵小隊を全滅…行動不能にすること。
守備側の勝利条件は、制限時間までフラッグを守り切るか、敵司令官…すなわち敵小隊の隊長を撃破することだ。

小隊の人数は、最低でも四人、上限が七人と決まっている。
ほとんどの小隊では、上限である七人をそろえている。

第三と第四は、共に上限に届いておらず、隊員数は六人だ。
数は互角。しかし現在、趨勢はやや第三小隊に傾いているようだ。

モニターでは、武器を持った選手同士が激しく打ち合っている。
その戦いの場に新たな選手が現れ、参戦する。

彼は腰の剣帯に吊るされた手のひらサイズの金属塊を抜き放ち、起動鍵語を唱えながらその金属塊に剄を流しこむ。
途端、彼の手の中でわずかな光が発生すると共に、金属塊がその形状どころかサイズまで変え、武器の形を取った。音声信号による錬金鋼(ダイト)の記憶復元による形質変化だ。

錬金鋼とはこの世界における錬金学によって生み出された合金のことだ。この合金は起動鍵語と剄を通されることによって、あらかじめ記憶された形状を瞬時に復元する。武芸者の武器には、全てこの錬金鋼が素材として使われている。
さらに、錬金鋼にはさまざまな種類があり、それぞれ異なる特徴を持っている。武芸者は自分に合った種類・形状の錬金鋼を選び、それを武器として戦う。

モニターでは、並はずれた速度で動きまわり、打ち合い、剄を使って戦う選手たちが映る。

武芸者の剄を使った技には、大別して2種類ある。内力系活剄と、外力系衝剄だ。

内力系活剄は、生命エネルギーである剄を体内で循環させることで肉体を活性化し、身体能力や治癒力を高め、感覚器官を強化する技。
外力系衝剄は、剄を体外に放射することで、それを衝撃波や力場として扱う力だ。

剄脈という器官を持ち、体内から剄という名のエネルギーを生み出し、操ることができる者たち。それが武芸者だ。
彼らはこの2つの剄技を駆使して敵と戦う。

野戦グラウンドで、また新たに現れた選手が、同じく錬金鋼を復元させて戦いに加わる。

モニターの中では複数の選手が同時に戦っていた。


と、第四小隊がやや焦りを見せたところで、第三小隊が虚を突いた動きに出た。

そのため、第四小隊は大きな隙を見せることになる。

そして…、

『おお~っと! ここで第三小隊のウィンスがフラッグを破壊! 敵アタッカーの隙を突いた見事な動き! 本日の第一試合は第三小隊が勝利を決めました!!』

会場に司会のアナウンスが響き渡り、試合の終了を告げる。

応援していた側が勝った観客たちは歓声を上げて喜び、負けた側は沈むように肩を落とす。


「おお~、やっぱり第三小隊の勝ちか~。ま、下馬評通りだね」

試合の終了とともに、ミィフィが声を上げた。

「ふむ、確かに見事な作戦だったな。相手の隙をうまく突いていた」

「第三小隊は飛び抜けた武器が無い代わりに平均的な強さがあるんだって。戦い方も堅実で隙が無いって言われてる。ただし、そういうとこは不慮の事態とか変則的な戦術が苦手らしいけど」

「成程」

ミィフィとナルキが試合についての意見を交わす。

「ところで…、さっきから実況の人が言ってるアタッカーとかディフェンスって何?」

メイシェンがレイフォンに訊いてくる。

「さあ?」

が、レイフォンも実はよくわかっていない。

それを聞いていたナルキが嘆息する。

「メイはともかく、武芸者のレイとんが知らないってのはどうなんだ?」

「う~ん。グレンダンの公式試合じゃ、こういうチーム戦みたいなのはなかったからね。そもそも多対多の対人戦を想定した訓練自体ほとんど無かったし」

それを聞いて、ナルキが意外そうな顔をする。

「武芸の本場って言われてるぐらいなのに、そういう訓練はしないのか?」

ナルキの疑問に、レイフォンは考えながら説明する。

「う~ん。まあ、ねえ。グレンダンって汚染獣との遭遇戦は多いんだけど、都市間の戦争ってめったに無いんだ。だから、武芸者は基本的に汚染獣戦を想定して訓練してるんだよ。対人戦の訓練も確かにするけど、それも基本一対一だし」

対人戦は、公式試合や犯罪者との戦闘、精々が道場などでの手合わせくらいでしか起きないし、そういったものに、この対抗試合のような緻密な戦略などは必要ない。

「いちおう集団戦の訓練もあるにはあるけど、そういうのもやっぱり汚染獣との戦い用なんだ。だから、こういうチーム戦のイロハは分からないんだよね」

確かにグレンダンでも、集団での連携訓練はあるにはある。けど、それは所詮対汚染獣用のものであるし、汚染獣に対して、こんなルールだらけの試合で使う作戦や戦術が、役に立つわけが無い。

さらに、レイフォンは汚染獣戦にしても、集団戦をした経験が少ないし、そのための訓練もしたことがない。
する必要が無かったとも言えるが。

「ふ~ん、そういうものなんだ」

ミィフィが曖昧に納得する。

「それで、結局アタッカーとかって何なの?」

メイシェンが再度質問する。
それに対し、ナルキとミィフィが説明する。

「アタッカーとかディフェンスってのは、ようはこの試合における役割、ポジションだな」

「そうそう。小隊の隊員は試合の時、それぞれの役割によってポジションが違うの。ま、全員が同じことやってても意味無いし、当然のことだろうけどね。で、そのポジションには、前衛の攻撃手(アタッカー)、後衛の防衛手(ディフェンス)、遠距離射撃の狙撃手(スナイパー)なんかがあるんだ」

「他にも、司令官(コマンダー)とか探索者(サーチャー)、通信士(コミュニケイター)、囮役(デコイ)とかもあるな」

「ま、必ずしも一人一役って訳じゃないけどね。いくつかのポジションを兼任してる人もいるし、作戦によっては途中で役目が変わったりもするしね。攻守によって役を変える人もいるだろうし、状況次第だね」

「攻撃側の場合、アタッカーの仕事はフラッグの奪取および敵アタッカーやディフェンスとの戦闘だな。逆に守備側の場合は敵アタッカーの迎撃とか司令官の撃破が仕事になる」

「サーチャーとコミュニケイターは、要は念威繰者のことね。チーム内での通信のやり取りとか敵側の探索が仕事。んでもってコマンダーの役目は隊員の指揮。これは隊長のポジションだね」

そしてディフェンスは旗の守り、スナイパーは後方からの火力支援や側面からの遊撃、あるいは敵陣の奥に潜り込んでの隠密行動とそこからのフラッグ破壊が仕事であるという。

もちろん、常に全てのポジションがそろっているわけではない。作戦や隊の都合によって、必要なポジションや可能な役割が違ってくるだろうし、一人が1つのポジションを専任することもあれば、複数を兼任することもある。
また、戦況の成り行きによって役目を入れ替えたりもするだろう。

この対抗戦では、それら全てを吟味した上で作戦を練る必要があるということだ。

「結構複雑なんだね。隊長の人は大変そうだ」

レイフォンにはとても真似できそうにない。
個人レベルの戦術、戦略ならともかく、ルールとチーム全体のことを考慮して作戦を練るのは無理だ。

と、話している間に次の試合が始まる。

この試合では、守備側はあらかじめ自分の陣地内に罠を仕掛けることが許されている。

攻撃側は、敵の守備と罠の両方を掻い潜らなければならない。

「おおっ。迫力あるね~」

第八小隊と第九小隊の隊員が切り結んでいる様子がモニターにアップで映し出され、ミィフィが感嘆する。
どちらの隊員も必死の形相で打ち合っている。

「今年は色々と追い詰められてるからな。どこの小隊も勝つために躍起になっているんだろう」

「今年ってそんなに危ないの?」

モニターの映像にびくびくしながら、メイシェンが不安げに訊ねる。

「まあ、セルニウム鉱山が1つしか無くてツェルニにはもう後が無いし、今年は本番の武芸大会があるしね。お陰で今、武芸科は上級生を中心に風当たりが強いんだよね。今年や来年で卒業の先輩方からしたら、もしツェルニが無くなったら、ここで得られるはずだった資格とかが全部パーになるわけだし」

ここが無くなった場合、他所の都市へ行けば済む下級生と違い、上級生にとって、これまで積み重ねてきたものが無意味にされかねない今の状況は、不安で仕方が無いのだろう。

自然、前回の武芸大会で大敗し、今のツェルニの状況を作り出した武芸科の上級生たちは非難の的である。そのため、上級生たち、特に小隊員たちは訓練により熱を入れているのだろう。

そしてその成果を一般生徒たちに示すため、小隊対抗戦に勝つことに必死になっているのだろう。ここで活躍して、名誉を挽回しようとしているのだ。

グレンダンにいたころには、考えられない状況ではある。

(外の世界に出ると、今まで見てきて、感じていたものとは違ったものが見えてくるんだな)

レイフォンは何となく感慨深い気持ちになる。

(陛下が言っていたのはこういうことなのだろうか)

ふと、そう思う。

グレンダンを出るとき、女王陛下に言われた。
外の世界を見てこいと。

追放処分となり、都市を出なければならなくなったレイフォンに、女王はそう言ったのだ。

レイフォンがしでかしたことは、世界に対する認識の不足さと、武芸者としての実力に見合わぬ人としての未熟さが招いたものであると。
だから、外の世界を知れと、自分のしたことがどういうことだったのか理解しろと、女王、アルモニス陛下は言ったのだ。

外に出てからレイフォンが新たに知ったことはまだ少ない。これまで見たことだけで、陛下の言いたかったことが理解できたわけではない。
だが、これはその一面ではあるのかもしれない。

そう思いながら、レイフォンは目の前の試合を観戦する。



勝負がつき、ひととおり後処理がおわってから、次の試合の準備が始められる。

そしてモニターには、次の試合に出場する小隊員たちが映し出されていた。

そこに、短い金髪の整った顔をした、女性の選手が映る。その近くには長い銀髪を後ろでくくった、こちらもまた随分と整った顔の小柄な少女もいた。

「ん? あれは……ニーナ先輩? それに、フェリ先輩も」

知っている顔を見つけて、レイフォンが怪訝そうな声を出す。

「ん? 何々? レイとん、十七小隊のニーナ先輩とフェリ先輩知ってるの?」

途端にミィフィが食いついてくる。

「う、うん。ニーナ先輩はバイト先が一緒で知り合ったんだ。フェリ先輩は……入学式のことで会長に呼ばれたときに…」

フェリとの会話は、他の人に教えない方がいいと思ったので、とっさにごまかす。あながち間違いというわけでもない。

「ああ、フェリ先輩ってロス会長の妹さんだっけ。なるほど、そんな繋がりが…」

ミィフィが興味津々といった様子で、さらに情報を引き出そうと詰め寄ってくる。また、横で話を聞いていたメイシェンが、なぜか若干不安そうな顔をしているように感じる。

「いやあの、知り合いって言っても別にそれほど親しいわけじゃないから」

少ししどろもどろになりながら関係を示す。

「ふ~ん。じゃあ2人について何も知らないの?」

「うん。そもそも2人が小隊員だってことも知らなかったし」

「ちぇ~。ま、いっか。いずれもっと親しくなったら取材の取次頼もう~っと」

「…………」

一応ごまかせたようだが、後々面倒なことになりそうだ。

ミィフィはそこで、十七小隊について話し始める。

隊長のニーナは一年生の時から小隊員に選ばれるほどの実力者で、最年長のシャーニッドも去年までは別の小隊に狙撃手として所属しており、昨年の対抗試合ではかなり活躍していたらしい。

シャーニッドとは、グラウンドから撮影機に向かって愛想を振りまいている、金色の長髪を後ろでくくった背の高い男のようだ。甘いマスクをしており、彼が手を振る様子がモニターに映し出されると、観客席の一角から黄色い声が上がる。

そして残る一人の藍色の髪をした少年はハイネというらしい。こちらも、やや鋭いながらも顔立ちは整っており、精悍な雰囲気がある。ニーナとは同級生で、昨年度の1年間で急激に実力が伸びたらしい。そこに目を付けたニーナに誘われ、第十七小隊に入ったそうだ。

ミィフィ曰く、第十七小隊は去年の終わりごろに、当時十四小隊に所属していたニーナが脱退してから立ち上げた小隊であり、今年が対抗試合初出場で実力は未知数、人数は規定数最低の4人ながら、すでに一般生徒からの人気は高く、期待が集まっているとか。

レイフォンとしては、一年生でありながらこれだけの情報を集めているミィフィの方が驚きだが。

「つまりこの試合はデビュー戦ってわけ。機動力が売りの第十六小隊に、実力未知数の第十七小隊がどう対抗するか?みんなの興味はそこだけど、賭けになるとみんな手堅いんだよね。十七小隊は大穴扱い」

「賭けなんかやってるのか?」

ナルキの目がきらりと光った。対抗試合での賭博は許可されていない。そしてナルキは都市警に所属しているのだ。腰の剣帯には都市警のマークが入った錬金鋼が吊るされている。

「言っとくけど、あたしは賭けてないわよ」

「当り前だ」

「あと、止めてもむだむだ。あくまで公認されてないってだけで、実際は黙認状態よ。ごたついたりとかでもしない限り、都市警も動く気ないでしょ」

ミィフィに言われて、ナルキはむぅと唸った。

怒りに満ちた目で不埒者を探そうとするナルキを見て、ミィフィは呆れた溜息を零す。

「まったく……どうしてこう、武芸をしてる人って潔癖証が多いんだろうね。娯楽じゃん」

「馬鹿を言うな! 武芸とはこの世界で生きるために人間に送られた大切な贈り物だ。それを私欲で穢すなど許されるわけが無い!」

多くの人は武芸を、都市を外敵から守るためにあるものとして神聖視している。特に、武芸を志す者たちには、その考え方は根深い。
神聖なものは、人の欲で穢れてはならないのだ。

とはいえ、こういった祭りの雰囲気は生徒たちを酔わせ、禁じられた行為に手を染めさせる。
対抗試合がツェルニの学生の、それも一般生徒にとってはただの大きなイベント、娯楽であるのも確かである。

だがそれは、武芸者であるナルキにとっては納得のいかないことなのだろう。

「レイとん! お前もそう思うだろう!」

ナルキが元武芸者であるレイフォンに詰め寄って訊いてきた。

「ああ、イヤ……僕は特に、そういうのはあまり気にしないというか……」

レイフォンは若干視線を逃がしながらそれに答える。

それにナルキが怒ったような顔をし、ミィフィやメイシェンが意外そうな顔をした。

「へ~、レイとんって結構真面目そうなのに、そういうの気にしないんだ? ちょっと意外」

「レイとん! お前は神聖な武芸が穢されてもなんとも思わないのか!?」

ナルキの剣幕がより激しくなる。
それに対し、レイフォンはたじたじになりながらも返す。

「僕は別に…それほど武芸を神聖視しているわけでもないし……。それにこの対抗試合だって、僕から見てもほとんど遊びっていうか娯楽みたいなもんだし……」

それを聞いて、ナルキはますます怒気を込める。
レイフォンは慌てて言葉を紡ぐ。

「だってほら、武器は安全装置付いてるし、ルールだって最大限選手の安全に気を使ってるし……こんなのちょっと激しいスポーツみたいなものでしょ? それにわざわざこんな大きい舞台で公開してるわけだしね。せっかくのイベントなんだし、だったら楽しまなきゃ損じゃない?」

そう、こんなものは武芸ではない。これは武芸の真似事、ただの戦争ごっこにすぎない。
人死にのない戦場などありえるはずもなく、本当の戦場を知らない彼ら学生武芸者たちがいくら本気になっていようと、どうしても幼稚に見えてしまうし、生微温く感じてしまう。

そしてこの、一種娯楽のようなイベントで賭けが行われていようと、目くじら立てて怒るほどのことではない気がするのも確かだ。

レイフォンの言葉に、ナルキがむぅと唸る。

「それに、武芸を神聖視するのって、武芸者を一般人と比べて特別だって言っているようなものだと思うんだよね。まあ、多くの人はそう思ってるのかもしれないし、そう考えるのが間違いだって言い張るつもりも無いけど……でも、僕個人としては武芸もそれを扱う人も、それほど特別だとは思えないんだよね。自分が一般人と比べてより優れてるだなんて思えないし、自分の力がそれほど神聖だとも思わないから。…所詮、力はただの力だしね」

そう、レイフォンから見れば武芸はただの技術であり、剄はただの力。それ以上でも以下でもない。
それを聞いてナルキは、納得いかなそうでありながらも、渋々怒りを収めた。

と、そこでミィフィの興奮した声が上がる。

「お、そろそろ試合始るよ。さてさて、どんな結果になるかな~?」

その言葉につられて、レイフォンとナルキも試合会場に目を向ける。

モニターの1つに、第十六小隊と第十七小隊のメンバーの名前が映される。

今回の試合は、第十七小隊が攻め、第十六小隊が守りだ。

第十七小隊の隊員は4人。 

対する第十六小隊は5人。人数差は1人。
覆せない差ではないが、そう簡単にいくものでもないだろう。

試合開始のブザーが鳴った。

開始とともに、ニーナとハイネは、ほぼまっすぐ敵陣に向かって駆け出していった。
罠を警戒するようなそぶりを見せながらも、止まることなく突き進んでいく。

ニーナの手にはつやの無い黒色をした黒鋼錬金鋼(クロムダイト)製の鉄鞭が2本、ハイネは銀灰色の巨鋼錬金鋼(チタンダイト)製の双剣を持っている。

シャーニッドは開始とともに殺剄をしながら姿を消した。おそらく、銃による狙撃ポイントを探しているのだろう。

彼が持っているのは銀白色の軽金錬金鋼(リチウムダイト)製の狙撃銃だ。錬金鋼製の銃は、外力系衝剄を凝縮し、弾丸として撃ち出す仕組みになっている。もっとも、学生同士の試合では安全措置として麻酔弾しか許可されていないが。

フェリは開始時と同じ場所で、重晶錬金鋼(バーライトダイト)を展開している。これは念威繰者専用の錬金鋼であり、一部が分解して念威端子となる。この念威端子を介することによって、より念威の探査精度が上がり、また、より広範囲の情報を収集できる。

さらに、念威端子は隊員同士の連絡を取り合う通信にも使われる。念威による通信は、普通の通信機を使うよりも盗聴されにくく、精度も高い。

フェリの情報支援によるサポートを受けながら、ニーナとハイネは前へと進む。
特に罠にかかることもなく、敵陣近くまで接近することに成功した。
いや、まるで罠など最初からなかったかのようだ。

2人は一旦止まり、物陰に隠れて何かしら相談している。
おそらく、罠が1つもないことに不審を感じているのだろう。

第十六小隊は、開始からずっと動いていない。陣内に狙撃手と念威繰者、陣前にアタッカー3人で待機している。

「何を話し合ってるのかな?」

「さあな。作戦を練り直しているのかも。それより、十六小隊のほうはどういうつもりなんだ? 罠もなしに、消耗していない敵を陣前で迎え撃つ気か?」

当然まっすぐ進んできた2人のことは、十六小隊も感知しているだろう。それでもなお自陣の前から動くことはない。正面から迎え撃つつもりなのは確かだろう。

しばらくして話は終わったのか、2人は物陰から飛び出し、再び敵陣に向かって走り出す。

と、2人が樹木の隙間から飛び出し、開けた陣前にたどり着いたと同時に、第十六小隊のアタッカーが衝剄を飛ばした。
衝剄は2人の足元に当たり、土煙を巻き起こす。眼潰し狙いだ。

足を止めて周囲を警戒する2人に、敵のアタッカーが襲いかかる。

内力系活剄の変化、旋剄

剄によって大幅に強化した脚力での高速移動。視認できぬほどの凄まじい速度で襲いかかる敵の一撃を、ニーナとハイネは何とか防ぐ。

2人が体勢を立て直した時には、三つの人影が2人の間に立ちはだかっていた。
おそらく、第十六小隊は旋剄を集中的に訓練しているのだろう。だからこその、あの速度だ。

敵の姿を視認してから衝剄で目くらまし、その次に旋剄による高速攻撃。そのコンビネーションは、訓練されていなければできないことだろう。
ちゃちな罠など必要ない。旋剄による同時攻撃。これこそが罠なのだ。

第十六小隊のアタッカー三人が再び旋剄による高速攻撃を繰り返す。
ニーナに向かって槍と剣を持った敵が2人、ハイネには剣を持った相手が1人。

ハイネは双剣で攻撃を防ぐも、衝撃を抑えきれず、後ろに弾き飛ばされる。
旋剄はほぼ一直線にしか移動できないが、その分、その速度が生み出す攻撃の重さはかなりのものになる。

何とか体勢を立て直すも、さらなる高速攻撃を受けて、再び弾き飛ばされる。
それを繰り返すうちに、徐々にニーナとの距離を離されていく。

そのニーナは、敵アタッカー2人の旋剄による高速攻撃を見事に防いでいた。
その場にしっかりと足を食い込ませ、二本の鉄鞭を振るい、連続で繰り出される高速攻撃をしのぎ続けている。

ニーナは本来、攻めるよりも守る方が得意なのだろう。彼女の瞳は冷静に2人の攻撃を見極め、衝剄を利用して相手の攻撃の威力を最小限に落として防御する。まるでそこに頑丈な鋼の砦でもできているかのようだ。

彼女の持つ黒鋼錬金鋼は、剄の通りはやや悪いものの、密度が高く頑丈でかなり重い。その硬度と重量は彼女の防御主体の戦い方に合っているといえる。

ニーナの戦いぶりに、レイフォンは内心舌を巻く思いだ。女性であり、細身の体躯であるにもかかわらず、体格に見合わぬ重くて武骨な鉄鞭を二本も自在に操っている。

一方のハイネは、何とか防御はできているものの、攻撃を受ける度に体勢を崩し、後ろに弾かれる。余裕が無いのか、焦るような険しい顔をしている。すでにニーナとの距離は大きく離されていた。

攻撃を受け、弾かれ、距離を取る。そしてまた攻撃を受ける。
そんな攻防がしばらく続いた時、レイフォンは何かが変わったことを感じた。
再度攻撃を繰り出そうとする敵と向かい合ったハイネの顔から、ほんのわずかに険しさが薄れ、気配が変わる。
微妙にだが、確かに何かが変わった。
まるで、やっと準備は整ったというように、これからが本番だとでもいうように。
佇まいに、わずかに闘志のようなものが感じられた。

敵アタッカーが、再び旋剄を繰り出す。
一直線に突き進んでくる相手に、ハイネは防御するのではなく自ら攻撃を仕掛けた。
手に持った巨鋼錬金鋼の剣に全力で剄を込め、攻撃を繰り出す。

第十六小隊のアタッカーの攻撃と、ハイネの攻撃が真正面から衝突する。

っ!!

金属のぶつかり合う凄まじい音が響き、ハイネと第十六小隊の隊員はお互いに弾き飛ばされる。

2人は衝撃で、ともに大きく体勢を崩す。

しかしハイネは双剣を振り回し、その勢いと反動を利用して相手より素早く体勢を整えた。そして即座に地を蹴って敵に肉迫し、凄まじい勢いで斬りかかる。
相手はとっさにそれを剣で防御した。

再び鋭い金属音が鳴る。

が、ハイネは一撃を防がれたのも構わず、もう一振りの剣でさらに斬りかかる。
第十六小隊の隊員はそれも何とか防御する。

防がれるや否や、再度ハイネの斬撃が繰り出される。
幾度防がれようとも、なおも斬りかかる。
止むこと無き連続攻撃。

必死に防御する敵に対して、ハイネは凄まじい速さで次々と斬撃を繰り出す。
その連撃は、斬撃を繰り出すごとに加速していき、激しさを増す。
両の手から繰り出される変則的かつ高速の剣捌きに、相手はただひたすら防ぐことしかできない。

攻守は完全に逆転していた。ハイネの苛烈なまでの攻めに対し、相手は防戦一方である。

おそらく、ハイネはもともと防御よりも攻撃の方が得手なのだろう。先程まで苦戦していたことなど感じさせないほどの激しい勢いで斬撃を繰り出す。
双剣による息をもつかせぬ連続攻撃。それこそがハイネの真骨頂なのだ。

そしてそれを可能にするのが、ハイネの持つ巨鋼錬金鋼だ。巨鋼は錬金鋼の素材の中でも黒鋼に次いで硬度が高いが、黒鋼と比べてはるかに軽い。その軽量さゆえの取り回しやすさが武器だ。

ニーナの持つ黒鋼錬金鋼の利点がその重量と硬度による打撃の破壊力や防御力だとするならば、巨鋼錬金鋼の利点はその軽量さゆえに連続攻撃が可能なことだ。

ハイネは軽量の巨鋼錬金鋼を使うことで、両手にそれぞれ一振りずつ剣を持ち、それを自在に、そして高速で振るうことができる。
その軽量さを活かした素早い連続攻撃こそが彼の最大の武器だ。軽量ゆえに一撃の威力は黒鋼錬金鋼に劣るが、手数の多さは比べるべくもない。

『お~っと! ハイネ選手、凄まじい勢いで攻める! 相手に息をもつかせぬ怒涛の攻撃! 第十六小隊アボット選手、なすすべが無しか!?』

実況する司会の熱の入った声が響く。観客たちも、激しく切り結ぶ選手たちに興奮し湧き上がる。

激しい攻防の末に、遂に相手はハイネの猛攻を支えきれず、強烈な一撃をくらって地に沈んだ。

戦っていた敵アタッカーに戦闘不能判定が下るや、ハイネは未だ敵2人と戦っているニーナを無視してフラッグへと向かう。
それに慌てた第十六小隊は、とっさにニーナと戦っていたうちの1人がハイネの足止めに動いた。
目の前に立ちふさがった敵に、ハイネは迷わず斬りかかる。

先程までは三対二であったが、これで二対二となる。

第十六小隊の面々の表情に、やや焦りが浮かぶ。

ニーナは相変わらず防御に専念している。若干疲労を見せながらも、その瞳には未だ強い光が宿っている。

ハイネは、再び苛烈なまでに激しく斬りかかる。それは攻撃一辺倒の戦い方。相手が攻勢に出ることを許さぬ、凄まじい高速連続攻撃だ。
しかし、攻撃に特化した戦い方には弱点がある。目の前の相手しか見えず、周囲への警戒がおろそかになることだ。一対一ならばともかく、これはチーム戦である。

苛烈なまでの攻撃の勢いに押され、後ろに退いて距離を取ろうとした敵を、ハイネはすかさず追撃しようとする。

ターンッ!

と、そこに突然、グラウンドの空気を切り裂くように銃声が鳴り響いた。第十六小隊の狙撃手が撃ったのだ。
目の前の敵に集中していたハイネは対応できず、もろに弾丸をくらった。

『おおっ! ここで第十六小隊の狙撃手、スキナー選手の銃口が火を吹いたー! ハイネ選手が攻撃を仕掛けようとする一瞬の隙をついての正確な射撃! ハイネ選手、たまらずその場で崩れ落ちた!』

おそらく、防御を固めているニーナよりも攻撃に偏っているハイネの方が撃ちやすいと踏んだのだろう。
ハイネが崩れ落ち、戦闘不能判定が下る。

ハイネが倒れたことで、第十六小隊の2人の表情に安堵が浮かび、余裕が戻る。
そして2人ともがその場にいるニーナに目を向ける。次はお前だ、と。

が、

ターンッ!

グラウンドに再び銃声が響く。

『何と! 今度は第十七小隊のシャーニッド選手が火を吹いた! 相手の居場所がわかるやいなや、わずか一射でスキナー選手を捕えました!』

先程の狙撃から敵狙撃手の潜伏位置を即座に割り出し、正確に敵を射抜いたのだ。

そして敵アタッカー2人が驚き動きを止める中、さらに二度、立て続けに銃声が鳴る。

第十六小隊のフラッグが射抜かれた。試合終了のサイレンが鳴る。第十七小隊の勝利だ。

『決まったー! 試合終了! 勝負を決めたのは第十七小隊狙撃手、シャーニッドの一撃だ! 
結成間もない新小隊、初の試合にして初勝利を収めました!」

司会の興奮気味のアナウンスに、会場が沸く。
観客たちからは大きな歓声が上がり、選手たちの健闘を讃える声が飛び交った。

「おおっ! すごいじゃん! 十七小隊が勝ったよ!」

ミィフィが興奮気味に身を乗り出す。
ナルキやメイシェンも試合の結果に驚いているようだ。

「確かにすごいな。結成してまだ一月かそこらだっていうのに」

「まあ確かに。とはいっても、結成間もないだけあって、まだ連携とかチームワークは拙いんだろうけどね。だからこそあんな作戦だったわけだし」

「ん? どういうこと?」

レイフォンの感想に、三人が視線を向けてくる。

「十七小隊って一人ひとりの能力はかなり高いと思うんだ。個々の技量だけなら他の小隊の人たちよりも上だろうと思うし」

ニーナのあの鉄壁の防御力、ハイネの双剣による嵐のような攻撃力、シャーニッドの高度な殺剄と精密射撃。どれも、この未熟者が集まる学園都市ではトップクラスの実力なのではないだろうか。
少なくとも今日見た3試合に出場していた選手たちの中では、彼らの実力が抜きんでていたように思う。

「でもやっぱり個々が強いだけじゃ連携とかはできないからね。できて間もない小隊じゃ、訓練時間もたかが知れてるだろうし。
だから今回は、連携は諦めて隊員それぞれの力を最大限に発揮できる作戦にしたんじゃないかな」

「そうなの?」

「うん。推測だけど、多分最初から第十七小隊の狙いは、シャーニッドって人の狙撃によるフラッグ破壊だったんだと思うんだ。ニーナ先輩とあのハイネって人でそのための時間稼ぎをしてたんじゃないかな。フラッグを破壊するためにはどうしても二射する隙が必要だったみたいだし」

シャーニッドは敵狙撃手を倒した後、フラッグを破壊するのに二射していた。彼が潜伏していた場所からして、おそらく一射目で障害物を破壊し、二射目でフラッグを撃ったのだろう。

そして、その射撃の精密さにはレイフォンも舌を巻いた。照準を合わせてから撃つまでの早さといい、射撃の正確さといい、グレンダン出のレイフォンから見ても大したものだった。
今回の作戦では、彼のその射撃能力が最大限に活かされていた。

「それとニーナ先輩とハイネ先輩の戦いも、一人ひとりができるだけ力を発揮できるように計らってたみたいだしね」

ハイネが最初苦戦して見せたのは、自分の相手を他の2人から引き離すためだったのだろう。一対一ならともかく、二対三では数が少ないうえに連携能力に劣る第十七小隊では分が悪い。だからこそ他隊員からの邪魔が入らないよう、なおかつ相手が仲間同士で連携したりできないように、仲間と引き離してから攻勢に出たのだ。

そして一対一の接近戦なら、そうそう簡単に負けることは無いくらいに彼らは強い。

たとえハイネが狙撃されて倒されても、すぐさまシャーニッドが敵狙撃手を倒せば、敵からの狙撃を警戒しなくてもよくなる。
シャーニッドの腕ならば、仮に最初の一射で居場所がばれても、敵アタッカーが向かってくる前に二射してフラッグを破壊することも可能だろう。

だからこそ、ニーナは終始防御に専念していたのだ。指揮官が倒されれば敗北してしまう。
そしてそれはうまくいった。

とはいえ、これは人数の少ない第十六小隊相手だからできたことだ。規定人数七人を揃えた小隊相手に、同じような策は通じないだろう。少なくとも、次の試合までにもっと連携を鍛える必要はある。

「へ~。そういうことだったんだ」

レイフォンの説明にミィフィが納得しつつ感心する。

「ふむ、なるほどな」

ナルキも感心している。

実際、第十七小隊の面々は、ツェルニの中ではかなり強いのではないかと思う。

先程のシャーニッドの狙撃もそうだが、ニーナは2人がかりの高速の連携攻撃を見事に捌いていた。敵の攻撃を一切寄せ付けない鉄壁の防御には、レイフォンも感心した。

また、攻勢に出てからのハイネは、敵にまともな抵抗を許さぬほどの勢いだった。おそらく攻撃力だけならばツェルニでもトップクラスだろう。

ただ、フェリだけはあまり実力を発揮しているようには見えなかった。フェリが本気を出せば、少なくとも、もっと早く敵狙撃手を倒すことができていたように思う。
確かに彼女ほどの天才が本気を出すのはなんとなくフェアではないように感じるし、出す必要もないのかもしれないが、それが理由ではないように感じる。
まるで、あえて本気を出さないように自分に言い聞かせているような。

おそらく、それはカリアンに対するフェリなりの抵抗なのだろう。自分は本気を出すつもりはない。自分を無理やり武芸科に入れた兄に、そう意思表示しているのだ。そして兄が諦めるのを待っている。

誰よりもすぐれた才能と高い実力を持ちながら、当たり前のようにその力を振るえない。
むしろ自分の力を使うことにひどく抵抗と忌避感がある。

そうなるに至った経緯は違うし、武芸に対する考え方も違うのかもしれない。
しかし、彼女のそういうところはレイフォンと似通っているような気がする。

と、そんなことを考えていたら、司会が昼休憩のアナウンスをした。次の試合まで時間が空き、観客たちにも動きが起こる。
外に出てパンや弁当などの昼食を買いに出る者、または外に食べに行く者、持参した弁当を食べ始める者など、各自で昼休憩に入る。

「あたしたちも一旦出よっか?」

ミィフィの提案で3人して外へと出、近くの食堂に入る。

店内は試合会場である野戦グラウンドから来た生徒たちで、やや混み合っていた。

昼を食べながら、今後の予定について話し合う。

「ナッキはこれから仕事なんだよね?」

「ああ。都市警の武芸科は数が少なくてな。物騒なことが多い割に人手が足りない。だから入学したばかりのあたしでも、いろんな仕事に駆り出される」

「大変そうだね~」

「まあな。とはいえ、やりがいはあるさ」

ナルキの様子を見る限り、休日すら潰れるような仕事に対する不満は無いようだ。

「ところでレイとんに頼みがあるんだけど」

ミィフィが改まって言う。

「なに?」

「実を言うと、一昨日急に仕事が入ってさ。わたしもこれから行かなきゃいけないところがあるんだよね」

「そうなの?」

「うん。ごめんね~。今日、誘ったのわたしなのに。で、お願いなんだけど、わたしもナッキも帰りは遅くなるかもしれないし、今からメイっちだけ帰っても家で一人ぼっちになっちゃうから、せめて夕方くらいまではメイっちにつき合ってあげてくれないかな?」

ミィフィが手を合わせてお願いする。メイシェンはその横で驚いたように一瞬硬直し、それからミィフィに向かって何やらあうあう言っている。

「ほら、メイっちは痛そうなの苦手だし、試合会場に戻っても何だからさ。適当にその辺ぶらついて時間つぶすだけでもいいから。頼めないかな?」

「僕は別に構わないけど…」

言いつつ、メイシェンの方を見る。
話の展開に、彼女は真っ赤になってうろたえている。

「でも、彼女人見知りするって聞いてたけど、僕なんかで大丈夫なのかな?」

レイフォンもあまり社交的な方ではないし、おまけに大人しくて気弱なタイプの女性と接した経験もほとんど無い。
それを心配して訊ねるが、ミィフィは問題ないと言うように頷く。

「大丈夫だって。それにメイっちも、わたしたち以外の人にも慣れた方がいいと思うんだ。これもいい機会だと思うしね。相手がレイとんなら問題ないし」

「確かに、レイとんなら信用できるしな」

ナルキもそう言い、賛成の色を示す。

そこまで言われては、レイフォンも断れない。それに信用されてるのだと思うと、少し嬉しくなる。

レイフォンは問うようにメイシェンの方を見た。

メイシェンは、真っ赤な顔でミィフィとナルキを交互に見て、何かしらあうあうと口を動かした後、俯きながらレイフォンの方を上目遣いに見て、躊躇いがちにおどおどと口を開いた。

「えと、その……よろしくお願いします」

「あ、うん。こちらこそ」

話はまとまった様だ。


………何となくミィフィが横で邪悪な顔をしているように感じたけれど……。













あとがき

読んで下さりありがとうございます。嘘吐きです。以下、今話についての説明。

この作品では、原作未読の人(いるのかわかりませんが)に配慮して、ところどころに世界観や設定などの説明をあえて入れてます。そのため、若干不自然なところがあるかもしれません。既読の方にとっては冗長に感じられるかもしれませんが、お許しください。

試合時のポジションについてですが、原作ではアタッカーや狙撃手以外あまり触れられていないので、私なりの解釈で説明してみました。サバイバルゲーム(やったことないけど)や団体球技のスポーツなどのノリで考えました。


オリキャラ:ハイネ
彼についてはあまり掘り下げる気はありません。いくつかの設定はありますが、基本的にレイフォンの穴埋めとして考えただけのキャラです。とりあえず、レイフォンなしでもそれなりに強い第十七小隊ということで、ある程度実力者ではありますが。いちおうニーナの対極として考えたため、攻撃力重視のキャラとして考えました。今後も登場しますが、特別レイフォンと関わる予定はありません。(つまり伏線としてのキャラではありません)

第十六小隊の隊員たちは、名前があった方が都合がよかったので適当に付けただけです。今後の出番は、今のところ予定にありません。


巨鋼錬金鋼(チタンダイト)はオリジナル。宝石系の名前の付いたオリジナル錬金鋼は他の作品でも見ましたが、金属系はあまり見ないので考えてみました。
別にレアで特別な錬金鋼というわけではなく、黒鋼や白金と同じ、一般的な錬金鋼の1つとして考えています。

巨鋼はチタンの和名ではないので気を付けてください。
チタン=ティタン=ギリシャ神話の巨人⇒巨鋼  つまりは当て字みたいなもの。
和名が見つからなかったので自分で作りました。










[23719] 4. 戦う理由
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2010/11/09 17:20
レイフォンとメイシェンは、食堂を出たところでナルキやミィフィと別れて別行動となった。

多くの生徒は会場か、もしくはモニターのあるところに試合を見に行っているのだろう。人気の少ない通りを、2人で並んで歩く。

(さて、と。)

どうしたものかとレイフォンは考える。
はっきり言って、これからどうすればいいのか皆目見当がつかない。
女の子と2人きりで行動した経験なんて数えるくらいしかないし、それだってずっと幼いころであり、まだ異性を異性として意識するような年齢ではなかった。
おまけにメイシェンは人見知りで気弱なため、先程からずっと緊張しているのが伝わってきて、レイフォンもあまり落ち着かない。

「とりあえず……、メイはどこか行きたいところある?」

「う、ううん……わたしは…どこでも……」

いちおうメイシェンの意向を尊重しようと思って訊いてみたのだが、メイシェンは遠慮してか、レイフォンに判断を任せようとする。
少々困った。

女の子と2人きり。いわゆるデート。
しかしデートと言えばどこに行けばいいのか、レイフォンにそんな知識は無い。

(う~ん。どうすればいいんだろう)

正直、やりづらい。
レイフォンもメイシェンも、それほど社交的な方ではないし、あまり積極的な方でもない。
おまけに基本的に2人とも受身な性格であるため、どちらかが主導権を握るということもない。

とはいえ、お互いに遠慮してばかりでは何も進まない。
ここは男であるレイフォンの方が何とかするべきなのだろうと思い、デートと言えばどこだろうかと、いろいろと考えてみる。

カラオケ? いや、行ったことないうえに僕はあんまり歌は知らないし。
ゲームセンター? やっぱり行ったことないうえに、メイシェンもそういうのは苦手なイメージがある。
ボーリング? 彼女あまり運動は得意じゃなさそうな…。

頭の中に候補を挙げては自分で却下していく。
そもそも昔からあまり遊興施設などに縁が無かったうえに、今でもそれほど関心は無い。ゆえに、女の子と一緒ならどこに行けばいいのか、まったくもってわからない。

(仕方ない)

「それじゃあ、どこか甘いものでも食べに行こうか? さっきの食堂じゃデザートは食べなかったし」

女の子は甘いものが好きだろうし、彼女はお菓子作りが趣味なくらいだ。食べるのが嫌いということは無いだろう。

「う、うん。…いいよ」

「メイはどこかいいところ知ってる? 僕はあんまり知らないんだけど」

「えと、その、この辺だと……前にミィちゃんに教えてもらったお店が……」

言いながら、メイシェンはレイフォンを誘導していく。

メイシェンが選んだ店は、野戦グラウンドから比較的近いところにある繁華街の、入り口のそばの喫茶店だった。静かで落ち着いた雰囲気の、小規模な店だ。

すでに昼食時を過ぎており、人が試合会場に集まっているのもあって、店内は空いていた。
飲食店によっては店内にモニターが設置されており、試合の様子が見れるのだが、この店にはそういったものが無く、だからこそ人も集まらないのだろう、とても静かだ。

奥の方にある窓際の席を選び、向かい合って座る。
メイシェンはショートケーキと紅茶、レイフォンはチーズケーキとコーヒーを、それぞれ注文する。

「あの、えっと…今日は……つき合わせちゃってごめんなさい」

ケーキを待つ間、メイシェンが申し訳なさそうに言った。

「いや、いいよ。どうせ今日は暇だったし」

これくらい大したことは無いと、レイフォンは答える。
しかし、メイシェンはひたすら恐縮して、俯いている。

「でもわたし、レイとんに迷惑かけちゃってるし…」

つき合わせたことだけでなく、行く所などもこちら任せにしてしまったことを言っているのだろう。申し訳なさそうにする彼女に、レイフォンは気にしないようにという気持ちを込めて言う。

「そんな、迷惑だなんて思ってないから」

実際、何かとやりづらいし、困ってはいるが、それを迷惑だとは思っていない。
故郷でもあまり同年代の友達がいなかったレイフォンにとっても、こうして休日に友達と出かけるというのは、新鮮であると同時に、単純に楽しいとも思う。

そう説明すると、メイシェンも多少は気を緩めたようだ。

そこで飲み物とケーキが運ばれてきたので、2人してそちらに取り掛かる。
ケーキを食べながら雑談をしていると、自然、話題は先程の対抗試合へと移っていく。

「第十七小隊の試合、すごかったよね」

「そうだね。どっちも少人数だったのに、今日見た試合の中じゃ一番いい試合だったし」

「あ、そういえば……レイとんは残りの試合見なくてよかったんですか? わたしにつき合わせちゃったけど」

「ん? ああ、大丈夫だよ。別にそこまで見たいわけでもないから」

再び恐縮しそうになったので、慌てて否定する。

「あんまり、試合とか興味無いんですか?」

「うん、まあ。今日だって誘われたから来ただけで、そうでもなきゃ観に来なかったと思うし」

「…それは……武芸はもう……捨てたから?」

メイシェンが少々気まずそうに問う。

「いや、それとは関係ないんだけど…」

言いつつ、レイフォンは頭の中で言葉を探す。

「正直に言って、あまり見る意味が無いって言うか…グレンダンで、もっとすごい試合をたくさん見てきたからね。今更学生武芸者の試合をわざわざ自分から見ようとは思えないっていうか…」

要領を得ない言葉に、メイシェンが首を傾げる。

「つまり……レベルが低すぎて見る価値が無いってことですか?」

「うーん。極端に言っちゃうとそうなるのかな…。正直僕にとってこの都市の武芸者は、全員が全員、すごく生温く感じちゃうんだよね」

確かに、試合に出ていた武芸科の生徒たちはそれなりに強そうではあったが、それもあくまで学生武芸者としてはというレベルだ。熟練の武芸者と比べれば、はるかに未熟であるとわかる。

そして生温いのは何も実力だけの話ではない。その考え方もだ。
彼らは、おそらく全員が戦場というものを知らない。本当の命懸けの戦いというものを一度も経験したことがないのではないだろうか。
だからこそ、あんな試合に勝つことに必死になれる。
命の危険も無い試合に勝つことに一生懸命で、そのために訓練し、戦術を練り、作戦を立てる。
そして本番でも相手の命を気遣うような戦いをする。そんなものは戦場ではない。
彼らは本当の戦いも、本当の勝利も、それがどんなものであるか知らないのではないだろうか。

カリアンが言っていた学園都市同士の戦争そのものにも疑問を感じる。
武器には安全性が求められ、さまざまなルールが人を縛る。武芸大会とは、悲惨で過酷なはずの戦争を、死者の存在しない遊技へと変化させたものだ。

別に死者がいないことを悪いことだというつもりはない。むしろそれはいいことだと思う。被害は少ない方がいいに決まっている。
だが現実には、そんなことありえないはずなのだ。死者の存在せぬ戦場、そんなものがあるはずがない。
そしてそんなものに慣れてしまえば、いざ本当の、命懸けの戦場に立った時、まともに対応することはできないだろう。

そのうえ、多くの規則を定めて安全性を求めておきながら、都市間戦争の絶対条件は揺るがない。
すなわち、勝敗によって鉱山の取り合いが行われるということだ。人死には出ないくせに、都市の生き死にには関わってくる。
戦いに緊張感や悲壮感は無いくせに、そういったところだけは差し迫った気分を押しつけてくる。
それが疑問なのだ。

もっとも、これはレイフォンがカリアンにこの戦争を押しつけられそうになっているからこそ、それに対する抵抗からそう感じているのかもしれないが。

「やっぱり、レイとんはすごく強いんですね。 小隊員の人たちの試合でさえ低レベルに感じるくらいですし」

「あ、いや、それは……」

「あ、……ごめんなさい」

武芸を捨てたレイフォンが、強いと言われて喜ぶはずがないと思ったのだろう。答えに詰まるレイフォンに、気を悪くしたと思ったのか、慌ててメイシェンが謝ってくる。

「そんな、謝る必要はないよ。……うん。……そうだね。確かに、僕は武芸者としては強い方だよ。多分、小隊員の人たちにだって、そうそう負けないと思うし。
そもそも、この都市の武芸科の人たちって、僕から見たら武芸者ですらないんだよね。僕から見てっていうか、グレンダンの基準ではって意味だけど」

「……そうなんですか?」

「うん。なんていうか……グレンダンだと、武芸者でいるのはすごく大変なんだ」

「……大変…って?」

「知ってるかな? グレンダンは汚染獣との遭遇戦が異常に多いって」

「……うん」

「汚染獣と戦うことが多いだけに、グレンダンではそれだけ武芸者に質が求められるんだ。だから武芸者同士の交流試合もすごい多いし、小隊対抗戦みたいな、政府公認の汚染獣撃退要因を選定する試合もあるんだ。グレンダンだと、まずはその試合でいい成績を取って、政府から実力を認められて初めて武芸者として名乗ってもいいみたいな空気もあるから」

だからこそ、実戦経験も無く技量も未熟なのに堂々と武芸者を名乗るツェルニの武芸科生徒たちには違和感を感じる。
そのうえ武芸科の中には、武芸者であることを殊更強調し、実力を笠に着てやたらと偉そうな態度を取る輩もいて、はっきりいってバカバカしく思う。

「じゃあ、レイとんもその試合に出てたんですか?」

「うん。出てたよ」

そして、それだけではない。レイフォンはそのさらに上に進んでいた。
だがそれ以上は、話す勇気がない。

「……じゃあ、汚染獣と戦ったことも?」

「うん。あるよ」

あまりにも簡単に答えすぎたのか、メイシェンが驚いた表情のままで固まってしまった。

「……怖くなかったんですか?」

「え?」

「わたし、ツェルニに来る途中で、1度汚染獣を見ました。とても……とても怖かったです。遠くからだったけど、生まれて初めて本物の汚染獣を見て……もしかしたらここで死んじゃうかもしれないって思って……。人間があんなのと戦って勝てるわけがないって、そう思いました。
でも、レイとんはあんな怖ろしいものと戦ったんですよね? ……それって、怖くなかったんですか?」

レイフォンを傷つけるかもしれないと思ったのか、メイシェンはやや俯きながら、躊躇いがちに訊いてくる。
それに対しレイフォンは、少しだけ昔を思い出しながら、やや儚さのにじむ声で答える。

「……あのころは……戦う理由があったから…」

「え?」

「グレンダンにいたころは、どうしても戦う必要があった。戦わなくちゃ、もっと辛い思いをすることになるから。死の危険よりも、遥かに怖ろしいものがあったから……。だから、戦った。ひたすら、ひたすら戦った。恐怖なんて、感じる余裕なかった。戦っていて、怖いと感じたことなんて、なかった」

レイフォンは若干空虚な目をして、呟くように言葉を続ける。
メイシェンは、何も言えなくなったのか、黙ってレイフォンを見つめている。

実際、戦場で恐怖を感じたことは無い。

いや、もしかしたら初めて戦場に出た時などは感じていたのかもしれない。
だが、そんな感覚はとっくの昔に忘れてしまった。少なくとも覚えている限りでは、恐怖を感じた記憶は無い。

グレンダンでは、頻繁に汚染獣との戦闘が起こる。それだけ多くの戦場が生まれる。
そしてレイフォンは、幼いころから何度もその戦場に参加した。数えきれないくらい、汚染獣とも戦った。
度重なる戦いの中で、レイフォンのそういった感情は摩耗しきってしまったのかもしれない。

しかし、決して恐怖を感じることがないというわけではない。
むしろ何よりも怖ろしいものがあったからこそ、戦場に恐怖を感じなかったのだ。

レイフォンの意識が、過去へと沈んでいく。



次々と衰弱し、倒れていく子供たち。

ベッドの上で熱にうなされ、苦しそうにしながらレイフォンを見上げる瞳。

少しずつ熱を失い、冷たくなっていく身体。

それを見て、共に涙を流す者たち。

そして彼らのすすり泣く声……



「レイとん? レイとん!」

突然意識が現実に戻った。

ふと我に返って目を上げると、メイシェンが心配そうにこちらを見ていた。

「ん? あ、ああ。ごめん。ボーっとしてた。………そろそろお店出ようか? ケーキも食べ終わったし」

「う……うん」

2人ともすでにケーキの皿は空になっている。

メイシェンは余計なことを質問してしまったことに後悔しながら、気まずそうに、残った紅茶を喉に流し込んだ。





レイフォンとメイシェンは、喫茶店を出てから繁華街に入り、ウィンドウショッピングをすることにした。
さまざまな商店が立ち並ぶ通りを、2人並んで歩く。

今日は多くの生徒が対抗戦を見に行っているはずだが、繁華街であるこの通りは今もそれなりに人通りが多い。
大勢の人の中を歩きながら色々と見て回っていると、先程までの気まずさが薄れていくような気がした。レイフォンの表情にも、暗い影は残っていない。

繁華街には、出身都市では見たことがないような品物が数多く見られる。学園都市はその性質上、数多くの都市から人が集まり、その結果さまざまな文化が入り乱れている。そういった特徴は、このように多数の商店が並ぶ繁華街などでは特に顕著だ。

2人ともこの繁華街に来たのは初めてで、故郷では見たことのないものが数多く売られており、見ているだけで飽きさせない。
いろんな人とすれ違いながら、2人はショーウィンドウに並んだ商品を眺めて回ったり、食品店の試食をつまんだりしながら歩く。
それらの感想を言い合ったり、他愛無いことで談笑したりしていると、それだけで楽しい気分になってくる。

しばらく歩いてから、服飾品やら家庭用品やらが売っている、他より大型の店舗に入り、そこに飾られた多様な衣服を見て回る。
ふと、メイシェンが立ち止まった。その視線は、ある可愛らしいデザインのワンピースに注がれている。
なんとなくレイフォンも立ち止まり、彼女の様子を見守る。

メイシェンはしばらくその服を凝視し、何かしら迷うようなそぶりを見せた後小さく溜息をつき、それから未練の残る顔で渋々その場から離れる。

「買わなくていいの?」

いちおう訊いてみる。ファッションについてはよくわからないが、そんなレイフォンから見ても彼女に似合いそうな服だなと思ったのだ。

「うん……。まだバイト始めたばかりで、貯金少ないし……」

いかにも未練が滲む声色でメイシェンが言った。

「そっ…か…。じゃあ、また次に来たときに買おうか」

確かに、その服はなかなかいい物のようで、値段が結構高い。
本当ならば、少し出そうか? と言いたいところだが、あいにくとレイフォンもバイトを始めて間もなく、手持ちは少ない。
見るからに無念そうなメイシェンを連れてその場を離れる。

それから2人は装飾品売場に移動した。宝石を使った豪華なアクセサリー類から実用本位の簡素な装身具まで、さまざまな品が陳列棚に並んでいる。
2人でそれらを見て回るが、未だにメイシェンは残念そうな顔のままだ。先程の服がよほど気に入っていたらしい。

せめてもと思い、レイフォンはそこにあった髪留め(バレッタ)の中から、控えめなデザインの、それでいてできるだけ可愛らしく、彼女に似合いそうなものを選んで買い、その場でメイシェンにあげた。

驚いたメイシェンはしきりに遠慮していたが、せっかく買ったんだしとレイフォンが言うと、非常に恐縮しながらも、とても嬉しそうにそれを受け取った。大事そうに手の中に抱え、幸せそうな笑みを浮かべる。

(安物だけど、気に入ったみたいでよかった)

機嫌の直った彼女を見て、レイフォンはそう思った。

その後、店を出て再び繁華街の通りを歩き、食品から生活雑貨までいろんなものを見て回り、和やかに時間を過ごす。

しばらくしてふと空を見ると、日が随分と傾いていた。

「そろそろ帰ろうか?」

「はい」

少しだけ名残惜しそうではあるが、それでも十分楽しんだのか、笑顔でメイシェンは答える。

レイフォンも随分と楽しんだ。最初こそどうなるかと不安だったが、今はそんな気持ちは微塵も無い。

2人連れだって出口に向かい歩き出す。



レイフォンとメイシェンは繁華街を抜け、居住区へ向かう途中で休憩として公園に立ち寄った。

空いているベンチを見つけ、荷物を置く。

「ふう」

メイシェンは長時間歩いて疲れたのか、息をつくと脱力するようにベンチに座り込んだ。
武芸者であるレイフォンからすれば全然大した距離ではないのだが、やはり一般人の、特に運動の苦手なメイシェンには辛いのだろう。
時刻はそろそろ夕刻で、公園内にはすでに人気は無い。

「僕、何か飲み物を買ってくるよ」

「あ、わたしも…」

「いいから、メイは休んでて」

言って、レイフォンは公園の入口近くにある自販機へと向かった。

自販機の前でしばし考え、メイシェンにジュースを、自分用にコーヒーを買う。
缶を両手に持ってメイシェンのいるベンチに向かおうとする。

と、


「まて!」

突然鋭い声が聞こえた。

声の方を見ると、3人の男が公園に向かって走ってくる。彼らの後ろからは都市警の制服を着た6人の男女が追いかけている。
走る速さから考えて、男達は3人とも武芸者であり、それを追う都市警の者たちも武芸者のようだ。その都市警の中にはナルキもいた。
おそらく、都市外から来た武芸者の犯罪者を都市警が追っているのだろう。

どうするか。レイフォンがそう考えていると、男たちはベンチで座るメイシェンを見つけ、そちらに向かって方向を変える。

まずい。
そう思った時には遅かった。

男たちは、メイシェンの腕を掴み引っ張って立たせると、そのうちの1人が左腕でメイシェンを後ろから抱えるように拘束し、右手に錬金鋼の剣を復元させる。

「てめぇら! それ以上近寄んじゃねぇ!」

「メイ!」
「メイシェン!」

ナルキが叫ぶ。レイフォンも叫びながらその場に駆けつける。

「ナッキ…、レイとん…」

メイシェンがいつも以上に泣きそうな表情でこちらを呼ぶ。

「何だ? お前ら友達か? ちょうどいい。おい、動くな。おとなしくこっちの要求に従ってもらうぞ」

「くっ」

ナルキが悔しそうに歯を噛みしめる。

レイフォンも焦っていた。このままではメイシェンが危ない。
どうする。どうすれば。

見れば、メイシェンを捕まえている男の後ろで、もう2人の男たちもそれぞれ槍と短剣を復元している。

「どの道放浪バスは無い。そんなことをしても無駄だ。どうせ逃げられん。おとなしく人質を放せ」

この場の責任者らしき、年配の都市警の1人が言う。
しかし男たちは忠告に耳を貸す様子は無い。

「うるせぇ! てめぇらこそこっちの言うことをおとなしく聞きやがれ! この女ぶっ殺すぞ!」

「一般人を人質に取るなど、貴様らそれでも武芸者か!」

「はっ、知るか! 俺たちが自分の力をどう使おうと俺たちの勝手だ。グダグダ言ってねぇで、武器を捨てやがれ!」

都市警の面々は悔しそうにしながらも、言われた通り打棒を捨てる。

「よーしよし。最初からそうしてりゃいいんだ」

都市警が錬金鋼を捨てたのを見て、男たちに余裕が出てきた。
その余裕ゆえか、剣を持った男は人質であるメイシェンのことをじろじろ見だす。

「しっかしコイツ、ガキのくせに結構いい身体してんなぁ。顔もなかなかだしよ。せっかくだし、今晩は楽しませてもらうかな」

「おっ、そいつぁいいな」

男の言葉に、その仲間たちも便乗し、下卑た声を出す。

レイフォンはその言葉に怒りを感じ、声を出そうとした。
が、ナルキの方が早かった。

「ふざけるな貴様ら! そんなこと許さんぞ!」

しかし男たちは、ナルキの怒声にもまるで堪えない。

「ああ? 許さないからどうだってんだよ? 何ならテメェも混ぜてやろうか?」

「なっ!」

ナルキは怒りに絶句し、憤然と近づこうとするが、メイシェンに剣を近づけられ、足を止めざるを得ない。

「勝手なことすんじゃねぇよ。この子の可愛い顔が血みどろになるのはイヤだろ?」

ナルキはその場で立ちつくし、怒りに震える。

レイフォンはこの場をなんとか収めようと考えるが、いい案は浮かばない。
力ずくという手もあるが、それは人前で武芸を使うということである。
メイシェンを助けなければと思うが、それでも躊躇してしまう。
人気が無い公園とはいえ、少なくともメイシェンやナルキ、都市警の連中に見られることになる。

人前で力を発揮してどうする? また武芸を始めるのか?
戦う意志も無いのに、武芸者となるのか?
そしてグレンダンのときのような失敗を繰り返すのか?
そう考えると、身体が強張り、動かなくなる。
だがこのままじゃメイシェンが……。

どうする。どうすれば。
考えるが、いい手は思い浮かばない。

「とにかくこっちの要求に従え。まずは宿を用意してもらおう。次の放浪バスが来るまでそこを使う。それまでこの女は預かる。下手な真似したらコイツの身体を切り刻むぞ」

「くっ」

都市警の面々は悔しがる。しかし、この状況では立場的にも実力的にも逆らえない。下手に手を出すと、人質がどうなるかわからない。

「次に金だ。今回はいろいろと出費が嵩んだからな。帰りの旅費として、いくらかもらおうか」

男の顔にはひどく下卑た表情が浮かんでいる。
さらに、自分たちが優位にいると思って、男たちの要求がエスカレートする。

「それからテメェらが俺たちから奪いやがったデータも渡せ」

「ばかな! あれはもともとツェルニの……」

「るっせぇ! 口ごたえすんな!」

男は気が短く、すぐさま声を荒げる。

状況が全く好転しない中、レイフォンは未だに力を使うべきか否か悩んでいる。
レイフォンが頭の中でごちゃごちゃ考えていると、事態が動いた。

レイフォンたちが望まない方向へ。

「いちいち口ごたえしやがって。いい加減うるせぇな。こうなりゃ見せしめにちっとばかり遊んでやらぁ!」

そう言って、男は右手に持った剣でメイシェンの衣服の前部分を縦に切り裂く。

「きゃあっ!」

メイシェンが悲鳴を上げる。
縦に裂けた衣服が左右に開き、白い下着が露わになる。

それを見て、男の仲間たちが下卑た声をあげて笑う。
晒しものにして、弄び、辱めるつもりだ。

そう思った時、レイフォンの頭に血が上った。
そしてレイフォンの顔から一切の表情が消える。
能面のような無表情になり、その実、心の内では荒れ狂うような怒りが渦巻いていた。

先程まで悩んでいたものが完全に頭から消え去り、ただ目の前のことに集中する。

刹那、レイフォンがその場から消えた。

そして次の瞬間には、メイシェンを捕えている男のすぐ目の前にいた。

「えっ? なっ!」

男は突然のことに驚愕しながらも、とっさにレイフォンに向かって右手の剣を振り下ろす。
レイフォンはその剣を迎撃するように、斜め上に向かって左手の手刀を振り上げた。

そして、
「なにっ、ばかなっ」

剣がレイフォンの手刀で砕け散る。

外力系衝剄の変化 蝕壊

相手の錬金鋼に剄を流し込んで破壊する、武器破壊用の技だ。

敵の錬金鋼が砕けると同時に、レイフォンは右手で相手の左腕、メイシェンを押さえている方の腕を掴み、膨大な剄による活剄で強化した握力で、思いきり握りつぶす。

グシャリ

骨の折れる鈍い音と一緒に、何か湿ったような、肉のつぶれる音がした。
相手の左腕が力を失う。

「ぎっ、いっ、あ、あああああああああぁぁああ!!」

苦悶に喚く男から、メイシェンを引き離す。

男の手から離れたメイシェンの背と膝裏に手を回し、抱え上げ、その場からすばやく離れる。
いや、離れる前に男の膝を足刀で蹴り砕いておく。

レイフォンが離れると同時に、その男は崩れ落ちた。
倒れる男のことなど一顧だにせず、レイフォンはナルキ達都市警のいるところまで退く。

その場にいた者は、全員が驚きに動きを止めていた。

ナルキは咄嗟にメイシェンに近寄ろうと、一歩踏み出したところで足を止め、レイフォンを凝視している。
都市警たちも、突然のことに口を開けて固まっている。
残る2人の犯人も、目の前で起こったことがうまく認識できていない。

動きを止めたその場の者たちのことなど気にもせず、レイフォンはメイシェンを優しくその場に降ろす。
メイシェンもまた、言葉もなく、少しボーっとした様子でレイフォンを見ている。
見たところ怪我は無い。それに少し安堵する。

腕と膝を砕かれた男の呻き声だけが聞こえる中、再びレイフォンの姿が掻き消えた。

一瞬で距離を詰め、レイフォンは残る2人のうちの1人、槍を持った男へと肉迫した。
そして凄まじい速度の蹴りを放つ。

男は咄嗟に反応し、槍を掲げて蹴りを防御しようとした。
だが、

ボギィ!
「っぐ!」

活剄によって強化した足から繰り出す神速の足刀は、その名の通り刀のごとき鋭さを持って男を襲う。
衝剄を纏ったレイフォンの足刀は、相手の槍を一撃でへし折り、なおもその勢いを殺すことはなく、男の肋骨を蹴り砕いた。

後ろに向かって吹き飛ぶ仲間を見て、残る1人、短剣を持った男は、再び驚愕に固まる。

レイフォンは吹き飛んだ男から視線を外し、硬直した最後の1人に目を向けると、再度地を蹴り、凄まじい速度で接近する。
一気に至近距離まで寄り、相手の懐に入った。

男ははっと我に返ると、右手の短剣を、懐に入ってきたレイフォンの左わき腹に突き入れる。



しかし何か、固い、鋼鉄の壁を突いたような固い抵抗を受け、刃が弾き返される。

至近距離まで近づいたレイフォンは、その男の腹に手を当てる。

次の瞬間、男は背を仰け反らせて全身を硬直させ、白目をむいて泡を吹く。
何をしたのか、男は体中から血が吹き出す。

そして最後の1人も地に沈んだ。




後には、驚愕と沈黙が残った。

レイフォンは犯人たちがすでに抵抗できないとわかると、それに背を向け、ナルキとメイシェンに体を向ける。

あまりに突然起きた事態に、2人は何を言えばいいかわからない。
そんな沈黙する2人に、レイフォンはゆっくりと歩み寄る。


そして、どこかしら呆然とした様子で歩きながら、その場で………………転んだ。























「左手と左わき腹の裂傷、それに右脚の脛の打撲だそうだ」

ここは病院のホール。
連絡を受けて駆けつけたミィフィを迎えたナルキが、レイフォンの容態について説明する。

「それで、大丈夫なの?」

「怪我そのものは大したことないそうだ。傷口はすでに塞がっているし、打撲も1日2日で治るだろうって。第一、レイとんは武芸者だしな」

先程レイフォンが転んだのは、脚の怪我が痛くてバランスを崩したようだ。怒りで痛みを感じなくなっていたのが、気分が落ち着くと同時に痛みを思い出したらしい。

「メイっちは?」

「外傷は一切ない。今は病室でレイとんについてる。レイとんも、検査が済んだら帰れるそうだ」

「そっか……よかった~」

ミィフィはやっと安心したのか、ホールの椅子に座り込んだ。

「メイっちが犯罪者に襲われたうえに、レイとんが怪我したって聞いた時はホントに驚いたよ。でも、無事でよかった~」

ミィフィはふ~っと大きく息を吐く。
それから気持ちを切り替えて、知りたいことを訊ねる。

「それで? 一体何があったの?」

ナルキは都市警から逃げた外部の犯罪者達を追いかけていたこと、逃げた先に運悪くメイシェンがいて、巻き込まれて人質にされたこと、それをレイフォンが助けて、さらに犯罪者たちを捕えたことを順序を追って説明した。

「ふ~ん。やっぱりレイとんってすごく強かったんだね。相手は都市外から来た熟練の武芸者だったんでしょ? それを1人で3人も倒すなんて」

「ああ、確かにあれは凄かった。本人は、火事場の馬鹿力だとか何とか言っていたが」

レイフォンの怪我は、犯人たちを捕まえる際に負った物だ。手刀で剣を砕いた時、槍を蹴りでへし折った時、短剣でわき腹を突かれた時。

「錬金鋼を素手で破壊するなんてな。もしかするとレイとんは、あたしたちが思っているよりも遥かに強いのかもしれない」

素手で錬金鋼を砕くなど、ナルキではとても無理だ。小隊員でも無理かもしれない。わき腹を思いきり突かれたのに、軽傷で済んでいるのも驚いた。火事場の馬鹿力という言葉だけで済む話だろうか。

そして、それだけではない。
最後に倒された犯人は、体中から血を吹いていた。

それを診た医者の話では、どうも全身の剄路がずたずたになっていたそうだ。
おまけに、剄脈が過負荷によって機能不全を起こしていた。いわゆる剄脈疲労だ。

どうも体内に剄を流し込んで剄脈を刺激、それによって剄脈を急激に暴走させられたらしい。剄脈は過剰稼働によって故障。その際に生じた大量の剄の過剰供給により、体中の剄路が耐えきれず、破裂したのだそうだ。そして噴出したエネルギーが肉体を傷つけ、全身から血を吹いたのだろうという。

相手の体内に剄を放って内部にダメージを与える技を徹し剄という。
レイフォンが使ったのはその一種だろう。

徹し剄はそれなりに有名な技で、大抵の都市の武芸者なら知ってはいるが、その会得難易度はかなり高く、実際に扱える者は少ない。
それもこれほどの効果を発揮する技を使える者は、ナルキも聞いたことが無い。

とても、火事場の馬鹿力で片づけられる話ではない。

レイフォンは、武芸者としてただ単に強いだけでなく、その技量も並はずれているのかもしれない。
それこそ達人と呼べるほどの腕前を持っているのだろうと思う。

「へぇ~。一体何者なんだろうね、レイとんって」

「さあな。あたしにもわからん」

よくよく考えてみれば、自分たちはレイフォンのことを何も知らない。
どんな人物で、どんな過去を歩んできたのか。

(ホントに、一体何者なんだ?)

心の中で独りごち、ナルキは嘆息した。

気にはなる。だが、あまり詮索してほしくない事情など、誰にだってある。
ならば訊かない方がお互いのためなのかもしれない。

「まあ、悪いやつではないだろうがな」

それだけは確かだろう。













「あの、大丈夫?」

ベッドの上に腰掛けているレイフォンに、脇の椅子に座ったメイシェンが訊ねる。
その目はいつも以上に涙ぐんでいて、今にも泣きそうだ。

「うん、大丈夫。大したことないよ」

そう答えるが、メイシェンは心配そうな顔をしたままだ。
何を言えば彼女を安心させられるか、それを考えながら今いる場所を見渡す。

ここは病室だ。
すでに傷の処置はほぼ終わり、最後に検査をするため、その係の人が来るのを待っているところだ。

ナルキは先程ミィフィに連絡していた。そしてこちらに向かう彼女を迎えて事情の説明をするために、今はホールにいる。
そのため、この部屋にはレイフォンと付添いのメイシェンしかいない。
そしてメイシェンは、怪我をしたレイフォンと病院に来てからずっと泣きそうな顔をしている。

何を言おうかレイフォン悩んでいると、メイシェンの方から口を開いた。

「えと…さっきは……助けてくれて……、ありがとう、ございます」

礼を言って、頭を下げる。

「そんな、気にしないでいいよ」

レイフォンはそう言って手を左右に振る。

「それよりごめんね、恐い思いさせて。もっと早く助ければよかったのに、僕が戦うのを躊躇ったせいで、メイが酷い目に遭って」

メイシェンは今レイフォンの上着を着ている。さっき犯人たちに服を切られたせいだ。レイフォンが人前で力を使うのを躊躇ったがために、メイシェンが辱められることになった。

しかしメイシェンは勢いよく首を振ってそれを否定する。

「ううん、そんなことない。レイとんがいたお陰でわたしは助かったんだし…。あれくらい、何でもないから…。
それより、わたしの方こそごめんなさい。わたしのせいで、武芸を捨てたがってたレイとんが戦う羽目になっちゃって……」

「そんなこと……」

否定しようとするが、メイシェンの目を見て、出かかった言葉が消える。ただ否定するだけでは効果が無いような気がした。

「迷惑掛けて……本当に……ごめんなさい……。でも……」

そこで、少しだけ嬉しそうな顔をした。

悲しそうな顔をほんの少しだけでも収めたことに、レイフォンは内心ほっとする。

「恐かったけど……でも、レイとんが助けてくれて……入学式のときみたいな、かっこいいレイとんが見れて……少し……嬉しかった……。」

言いながら、頬をわずかに赤く染める。

「レイとんは……本当に……すごいです。あんな年上の……大人の武芸者を…3人も倒しちゃって………。けど……そんなに強いのに…なんで……」

そこまで言って、はっとしたように口をつぐむ。
つい疑問に思っていたことを訊こうとしてしまったのだろう。

それでも、レイフォンの気持ちに配慮して訊くのを止めたのは、彼女の心遣いだろう。
メイシェンのその気遣いに、レイフォンは少し申し訳ないような気持ちになる。彼女たちに対して隠し事をしているのが、なんとなく心苦しいのだ。

それでも、どうしても話す気になれない。彼女たちに自分の過去を、グレンダンでレイフォンがしたことを知られるのが、怖くて仕方が無い。

知られることで、彼女たちが自分から離れていくかもしれないから。
そうなることを、レイフォンは怖れている。

そこまで考えて、レイフォンは、メイシェン達がすでに、自分にとって失いたくない存在になり始めていることに気付いた。まだ付き合いは短いが、それでも彼女たちと共に過ごす時間を大切に思っているのだと。

(いつかは、話すべきなのかもしれない)

彼女たちとこれからも共に過ごしていくつもりなら、いつかは話すべきなのかもしれない。

隠し事をしたまま、距離をとったまま、彼女たちに接し続けるのは不誠実なのかもしれない。

そしてレイフォン自身、知られるのが怖いと感じると同時に、知ってほしいという気持ちもある。
知って、それでも彼女たちが傍にいてくれるのか、確かめたいとも感じる。

(今は無理でも、いつかは……)




メイシェンは再び何かを言おうとして、また口を閉じる。
それでもやや迷った後、口を開いた。

「訊いてもいいですか? レイとんの戦う理由って何なのか…」

言って、また口をつぐむ。

戦う理由。レイフォンが、グレンダンで失敗したときに失ってしまったもの。

「ごめんなさい…。ただ…、グレンダンにいた時、レイとんがどんな気持ちで戦ってたのか……知りたくなって…」

つっかえながら、それでもメイシェンは声を絞り出す。

「もし、話したくないなら……無理に訊きません……。レイとんに……嫌な思い、してほしくないから…。
ただわたしは……レイとんのことを……もっとよく知りたいです…。もっと…お互いのことを解り合えたらいいなって…そう、思うから……」

それだけ言うと、メイシェンは真っ赤になって俯いてしまった。

グレンダンでの失敗について話すのはやはり怖い。
だが、少しだけなら、グレンダンにいた時の自分のことを話してもいいのではないか。
自分がどんな人間か、少しでもわかってもらうためにも…。

「戦う理由……か…」

嘆息するように言う、レイフォンの言葉に、メイシェンがビクッと肩を震わせる。

「はっきりと言ってしまえば、お金のため……だね」

「……お金?」

メイシェンが首を傾げる。

「僕が孤児だって、話はしたよね?」

メイシェンが少し気まずげに瞳を揺らして頷いた。

「うちの孤児院の園長は金策が下手でね。いつもお金に困ってた。食事がどんどん粗末になっていくのを見て、いつか何も食べられなくなる日が来るんじゃないかって、脅えてた……。そんなときに、剣に出会ったんだ……」

孤児院の暮らしは貧しかった。全ての孤児が満足な衣食を得、人並の教育を受けることもできないほどに。
普通の人として生きることすら、困難なほどに。
孤児たちはみな、とてもみじめな暮らしを強いられていた。

そして孤児の中には、貧しさの中で命を失う者もいた。それを見るたび、レイフォンの心は砕けそうなほど痛んだ。
もう二度と失いたくない。そんな感情を何度も抱いた。だがそれでもなお、失い続けた。
失うたびに、心は痛んだ。己の無力を嘆いた。目の前で失われる家族の命に、何もできない自分が許せなかった。

そんなとき、武芸を知った。
失いたくないものを失わずに済むための方法を見つけた。

「才能があるって言われて、僕は、じゃあこれでお金を稼ごうって決めた。お金さえあれば、みんな辛い思いしなくて済むと思ったんだ。貧しさに苦しむことなんてないって。だから、色んな試合や大会に出て、汚染獣とも戦って……」

そして僕は……天剣を……手に入れて……。

そして……。

「そうやって、お金をたくさん稼いだんだ。賞金とか戦場手当とか、とにかく、武芸でお金を稼げるところには全て出向いて、ひたすら戦ったんだ。戦って戦って、戦いに明け暮れた。ただお金を稼ぐためだけに…。お金を稼いで、孤児院のみんなを養うためだけに、僕は、自分の持てる力全てを武芸に費やしたんだ」

おそらく、レイフォンほど幼い頃から戦場にいた武芸者は、歴史的に見てもほとんどいないだろう。武芸の本場グレンダンといえども、レイフォンは異例の存在だった。

だが、それでも戦わなければならなかった。
生きるために、生きていてもらうために、命懸けで戦わなくてはならなかった。

そして戦うために、強くならなければならなかった。
命懸けといえど、死ぬわけにはいかない。もしもレイフォンが死ねば、孤児院の仲間たちが飢えることになる。それだけは許せない。
だから強くなるためには、一切の努力を惜しまなかった。

戦場で生き残るために、血の滲む様な努力を重ねた。どれ程辛い鍛錬であろうと、耐えきってみせた。
そしてその結果、レイフォンは強くなった。余人の及ばぬほどに、強くなった。
子供が戦場で戦い、生き残る。普通の人間ならばできないことを、レイフォンの境遇と才能が可能にした。

そして己の持つ力全てを、武芸に注いできたのだ。

「お陰で園は潤ったよ。みんなが僕に感謝してくれた……」

レイフォンの戦う理由。戦う目的。それは生きること、生き抜くことだった。
そして大切な者達に、生きていてもらうことだった。
失いたくない者たちを、愛する者たちを守り抜くこと。それこそがレイフォンが武芸をしていた目的であり、戦う理由なのだ。

そしてそれ以外は、どうでもよかった。

「それで、武芸をする理由が無くなったんですか?」

「うん。孤児たちを養うのに十分なお金は稼いだからね。もうあれほど必死になって稼ぐ必要は無い。自分ひとり養うのに、わざわざ武芸をする必要は無いし」

すでにグレンダンを出た、そして戻ることのできなくなったレイフォンに、これから先も孤児のために戦うことなどできない。ここで、この都市で戦ったところで意味が無い。
それに孤児院は女王がなんとかしてくれると言っていた。もはやレイフォンの助けは必要ない。
ゆえに、戦う理由など、ツェルニで武芸を続ける理由など、何1つ無い。

「それに僕は、どうも理由が無いと戦えない武芸者みたいでね。そういうふうに育ってしまったから。今更、変われるとは思えないし、変わりたいわけでもない。もともと戦いにも武芸にも、それほど深い思い入れも無いしね」

だから、武芸科には入らない。
戦う理由も、意志も、覚悟も、目的も無い。それゆえに、戦うことができない。そんな状態で、そんな者が、武芸者を名乗るべきじゃない。
レイフォンは、そう思う。

「……じゃあ…さっきはどうして戦ってくれたんですか?」

「え?」

「わたしは、助けてもらって、感謝してるけど……でも、武芸は捨てたのに、戦うのを嫌がっているのに…どうして、戦ってくれたのかなって……」

メイシェンの言葉はだんだん小さくなっていき、聞こえなくなっていったが、何が言いたいのかは伝わった。

「さっきは、戦う理由があったから」

「え?」

メイシェンが虚を突かれた顔をする。

「メイが傷つけられそうになって、すごく頭にきて……同時に、メイを助けたいって、確かにそう思ったんだ。それは紛れも無く僕の意思で、本心からの気持ちで……僕にとっては戦うのに十分な理由だった…。
だから、迷惑をかけたなんて思わないでほしい。僕自身が、1度は捨てた武芸を使ってでも絶対に助けたいって思っただけだから。メイに対して迷惑なんて、少しも感じてないから……」

とっさに戦った時は、頭の中は真っ白だった。あるいは怒りで真っ赤に染まっていたのか。
1度は捨てた武芸だとか、今後とか、秘密の露呈とか、そんなことは一切考えてはいなかった。

でも、こうして冷静になってみても、先程の自分自身に苦笑はしても後悔は感じない。
間違ったことをしてしまったとか、失敗したとか、そんなふうには感じない。

ならそれは、少なくともレイフォンにとっては正しいことだったのだろう。あの時、レイフォンには戦う理由が確かに生まれていた。
メイシェンが謝罪する必要など、どこにもない。

「メイもナッキもミィも、僕にとってはもう大切な人だから……。
あの時、僕はメイを失いたくないって心から思った。だから、メイを助けるために武芸を使ったこと、少しも後悔してないよ。本当に、無事でよかった…」

レイフォンは淡く微笑みながら、自分の本心からの気持ちを、正直に伝える。

途端、それを聞いたメイシェンの顔が沸騰したように真っ赤に染まった。今にも湯気を吹きそうだ。
目尻に涙を浮かべながら、口をパクパクさせ、あうあうと唸っている。何か言おうとするが、言葉にならないようだ。

レイフォンは、そんなメイシェンの反応に驚いた。何かまずいことを言ってしまったのだろうか。
何と声をかけていいか分からず、レイフォンは言葉を探す。

お互いに声を出せず、場に微妙な沈黙が流れていた時、突然、病室のドアが開いて、賑やかな声が飛び込んできた。

「やっほ~レイとん! 怪我大丈夫?」

仕切られていたカーテンを開けて、ミィフィが現れた。

と、レイフォンとメイシェンの間に流れる微妙な空気を、ミィフィは敏感に感じ取った。
しばし黙考すること数秒。

「ごめ~ん。邪魔しちゃった~」

言いつつカーテンを閉めながら後ろに下がる。

「どうぞ、ごゆっくり~」

「「ミィ(ちゃん)!!」」

わざとなのかそうでないのか、何やら誤解しそうになっている彼女に向かって、レイフォンとメイシェンが大声を上げ

る。
ミィフィの後ろにいたナルキが、呆れたように溜息をついた。




その後、検査をするための医師が来て、レイフォン以外は追い出された。すでに時間も遅かったため、しかたなく3人は帰路に着いた。








あとがき

レイフォンの実力が入学式以来改めて明らかに&レイフォンの身の上話の回です。
デートは今後の展開上、レイフォンとメイシェンの仲を深めておくために入れました。
レイフォンが使った技は封心突の応用かな。


そろそろ(というか早くも)書きためておいた話のストックが切れそうです。リアルも忙しくなってきたので、今後は更新速度がどんどん遅くなっていくかもしれませんが、飽きずにお付き合いいただければ幸いです。




[23719] 5. 束の間の日常 (あるいは嵐の前の静けさ)
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2010/11/13 22:02
生徒会長室で、カリアンは1人、思案に暮れていた。

目の前には、1人の生徒に関する調査結果がある。
レイフォン・アルセイフの人となりを知るために、彼がツェルニに来てからの普段の様子や生活態度などを、さまざまなツテを使って調べていたのだ。

「ふむ、やはり最初に予想していた人物像とはかなり異なるようだね」

カリアンは他に誰もいない部屋で独りごちる。

調査によれば、レイフォン・アルセイフは基本的に善良な人物であるらしい。
人付き合いが苦手であまり社交的とは言えないが、話し方や普段の態度はやわらかく優しげで、人当たりは良いという。
また、性格的に押しが弱く、頼まれたことをあまりイヤとは言えないタイプであるとか。

しかしこれらは、カリアンの知る彼のグレンダンでの様子とは大いに異なるように思う。

己の目的のためならば手段を選ばず、自らの手を汚すことすらも厭わない。それでいて、金銭にとても強い執着があり、金のためならどんなことでもする。
それがグレンダン時代の彼の行動から与えられる印象だ。

だが実際には、その人物像から随分とかけ離れている。性格もそうだが、それだけではない。
彼はさほど金銭に執着していないのだ。
カリアンの調べた限り、彼はお金の使い方に対して、とても質素だという話だ

彼は今、機関掃除のバイトだけでなく、さまざまなバイトを掛け持ちしているらしい。そのおかげで、仕送りが無くともそれなりの生活を送れるはずである。

にもかかわらず、私服はいつもくたびれた古着ばかり着ており、食事もできる限り安く済ませようとする。
若者向けの娯楽や遊興施設などにも興味はなく、遊びに金を使うこともない。
クラスには仲のいい女生徒が何人かいるそうだが、女遊びが派手なわけでもないし、貢いでいるわけでもない。
稼いだバイト代は、学費と生活費以外はほとんど貯金しているとか。

やたらと働いてバイトに精を出しているところなどは金銭に執着しているようにも見えるが、稼いだ金をほとんど使っていないので、なぜグレンダンであれほど金を稼ぐことに固執したのかがわからない。
それに本当に金が欲しいのならば、素直にカリアンの提案を受け入れているはずである。

これだけの情報では、彼の真実の姿は見えてこない。

とはいえ、わかったことはある。

彼は人に頼まれると断れない性格だという。クラスでは、周囲からお人好しとみなされているらしい。
にもかかわらず、カリアンの申し出には頑として首を縦に振らなかった。つまりはそれだけ、武芸に何らかの強い感情があるということではないだろうか。
それは彼が故郷で犯した罪に対するものなのか、それとも他に何かがあったのか。

そしてもう一つ。彼はグレンダンにいた時、確かに金銭に執着していた。金のために、法を破り罪まで犯した。
それは何故なのか……。何が彼をそこまで金に執着させたのか。
そして、それほど固執していたにも関わらず、何故今は金銭に執着しないのか。

彼にとっての、戦う理由とは何なのか。
それを知ることさえできたら、彼を武芸に向かわせることができるかもしれない。

と、そこまで考えて、少しだけカリアンの視線から力が失われた。

(残酷かな……私は……)

カリアンは、おそらくは彼が他者から触れられたくないと思っているであろう過去を掘り出そうとしている。
そして彼を無理やりに望まぬ道へと押し込めようとしている。
全ては己の目的を果たさんがために。

そこに罪悪感が無いと言えば嘘になる。
レイフォンだけではない。妹にも、できるならば望むとおりの生き方をさせてやりたい。
だが、状況がそれを許さない。この都市を守るためには、何としても2人の協力が必要なのだ。
2年前の敗北を繰り返さぬために。

(たとえどれほど残酷な仕打ちであろうと、私はツェルニを……)

守る。そしてそのためには、手段を選ばない。
どれほど汚れた剣であろうと、それを振るおう。
どれほど邪悪な者であろうと、その手を借りよう。
たとえ恥知らずと罵られようと、卑怯者と責められようと。
ありとあらゆる手段を持ってツェルニを守る。

再びカリアンの目に力が戻る。あらためて、気持ちを入れ替える。
カリアンは今後についてさらなる思案に暮れていった。






















周囲では騒々しい音が常に響いている。工事の音だ。
ここら一帯では、ひっきりなしに建物が建てられたり壊されたりしている。

「おい君、それはこっちに運んでくれるか?」

「あ、はい。わかりました」

言われ、レイフォンは肩に担いだ建材の束をそこまで運ぶ。

ここは建築科の建設実習区域である。レイフォンはそこで、バイトとして休日の朝から建材の運搬を行っていた。
山のように建材が積み上げてある一角から、建物を建設中の現場まで運ぶ仕事だ。力仕事であり、かなりの重労働だ。

一般人では、余程体力があっても運べなさそうな多数の建材を、レイフォンは一人で担いでいる。もう何往復もしているというのに、まるで息が切れていない。多少汗をかいているくらいで、さほど疲れているようには見えなかった。

現場まで着くと、レイフォンは肩から建材を丁寧に下ろす。
着ている作業着の袖で額の汗を拭き、再び次を持ってこようとその場を離れようとする。

「待った。一旦休憩だ。そろそろ昼だしな。弁当が配達されて来るから、一息つこう」

声をかけてきたのは、この現場を取り仕切る建築科の生徒だ。実質ここの責任者ではあるが、まだ4年生だ。名前は確かストラットと名乗っていた。

それぞれ作業をしていた者たちも手を止め、配達されてきた弁当を受け取る。
みなで近くの建材に腰掛け、弁当を食べ始めた。

「しっかし、君が来てくれて助かったよ。お陰で費用も時間も随分浮いた」

ストラットがレイフォンに向かって言う。

レイフォンのクラスメイトに彼と同じ都市出身の生徒がおり、そのクラスメイトの紹介でこのバイトを知ったのだ。レイフォンが一般教養科でありながら実は武芸者であるということは、入学式の一件のせいで多くの人が知っているし、クラスメイトなら全員が知っている。

「ああ、そうだな。お陰で運搬用の機械を借りずに済んだ。ホント、助かるよ」

「はあ、どうも」

他の建築科の上級生も言う。

本来なら運搬用の機械を機械科から借りてきて建材の運搬をするのだが、それには金がかかる。リーダーが建築科に入ったばかりの4年生である彼らのチームでは、その出費は痛い。かといって、人力で運搬しては時間がかかる。あまり時間をかけていては工事を打ち切られかねないので、それは避けたい。
そこで、一般人をはるかに凌駕する膂力、体力を持つ武芸者の出番というわけだ。

だがそこで問題なのは、武芸者は基本的にプライドが高く、あまりこういった雑用染みたことや泥臭い仕事を好まないことだ。人員を募集しても、なかなか集まらない。

そこで、ちょうどいろんなバイトに手を出していたレイフォンに声がかかったのだ。レイフォンは基本的に仕事を選り好みせず、それでいて体力があり、力仕事に向いている。
実際、何時間も重労働をしていたにもかかわらず、未だ平然とした顔をしている。顔に出ていないだけかもしれないが。

レイフォンも、武芸者であることはすでに知られているので、さほど力を出し惜しみすることもせず多数の建材をいっぺんに運んだりしていた。
最初こそ、何故一般教養科に入ったかなどと訊かれたが、一度それに答え辛そうな態度をとってしまって以来、再度質問されることは無かった。
ここのメンバーは皆が皆、なかなか気のいい者たちばかりらしい。レイフォンの、並の武芸科生徒を遥かに上回るのではないかと思わせるほどの膂力や体力を目にしても、彼らは何も問わない。

「どうかな? これからも建設実習がある時はちょくちょく仕事頼みたいんだけど」

「機関掃除とかもしてますから、協力できるかわかりませんけど、他のバイトと被らない範囲でなら構いませんよ」

「そうか、助かるよ。しかし、君もすごいな。機関掃除は都市でも一番辛い仕事の1つだっていうのに、他のバイトにも手を出すなんて。よく体が持つもんだ」

「掃除とか、単純作業は慣れてますから。体力にも自身ありますし。……というか他に取り柄がないんですけど」

「いやいや……」

談笑しながら、弁当を食べる。
労働をして、仲間と一緒に昼を食べて、再び働く。美味い弁当は疲労した体によく沁みる。
こういうのもいいな、とレイフォンは思った。

休憩が終わると、それぞれ持ち場に戻って仕事を再開した。レイフォンも建材置き場に向かう。
今日は建材運び以外にも、地面を掘ったり、逆に均したりもした。
仕事が終わったのは夕方だった。

「今日はお疲れさん。給料は後で振り込んどくから」

「どうも。ではまた」

仕事仲間たちと別れ、帰路に着く。
歩きながら、明日も休日なので一日中寝ようかなどと考えていると、見覚えのある人影が見えた。

「ニーナ先輩?」

「む?」

こちらの声に、ニーナが反応する。

「レイフォンではないか。どうしたんだ? こんなところで」

「僕はバイトで…。というか先輩こそどうしたんですか?」

「どうしたも何も、私の寮はこの近くだからな」

「え?」

このあたりは建築科の実習区域で、ほとんどの建物は建てられては壊されているはずだが。

「私が住んでいるのはいわゆる記念寮でな。設計者が故郷でかなり有名な建築デザイナーになったそうだ。だから、本来なら壊されるはずだったのだが記念に残すことにしたらしい」

「へえ…」

「広くて内装も豪華だが、なにより家賃が安い。ただ、校舎から遠いうえに騒音がひどくてな。人気は今一つだが…」

「ああ、成程」

確かに、この辺はひっきりなしに工事の音が聞こえていて、あまり快適とはいえない。それに近くにほとんど商店も無く、遊べるような施設も無い。若者が好む様な場所ではないのかもしれない。
とはいえ家賃が安いというのは、貧乏人であるというニーナにとっては好条件なのだろう。若者向けの遊興施設などにも、彼女はあまり興味なさそうだ。

「お前の方はバイトと言ったな。何をしてたんだ?」

「建築実習の手伝いですよ。建材を運んだりとか、諸々。要は力仕事ですね」

「そうか。機関掃除もしているというのに、大変そうだな」

ふと、ニーナが時計を見る。

「おっと、そろそろ帰らねばな。お前も仕事のしすぎで体を壊すなよ」

言って、歩き出す。
まっすぐ歩くその背中に、「そういえば」とレイフォンは声をかけた。

「この間の試合、初勝利おめでとうございます」

「む、見に来てたのか。ありがとう」

ニーナが振り返って礼を述べる。

「まあ試合結果はともかく、隊の実力自体はまだまだだがな。これからも精進するつもりだ」

「そうですか。先輩も、無理しないでくださいね」

「ああ、わかっているさ」

そこで、ニーナは力強く微笑む。

「ツェルニは、私が守って見せる」

その言葉と瞳に宿った力強さに、レイフォンは眩しい物を見るように目を細める。
己の信念を、これほどまでに迷いなく、純粋に口にできる者がいるだろうか。

ではな、とニーナは再び背を向けて去っていく。
その迷いのない背中を、レイフォンは眩しそうに見つめていた。












家に帰り、夕飯も食べ終わり、シャワーも浴びたので、することもなくベッドで仰向けになりながら天井を見つめる。
ツェルニに来てからの、これまでのことを考えてみる。

今のところ、うまくいっていると思う。最初こそ躓いたけれど、現時点では割と良い線いっているのではないだろうかと思う。
友達もできたし、自分で生計も立てている。勉強は今一つだけど、なんとか付いていけている。
全てが全てうまくいっている訳ではないが、取り立てて問題も無く過ごせている。

だが、これでいいのか?

何度もそう考えることがある。
考えるたびに、答えを出せず諦める。

うまくいっている。問題は無い。
だが、それだけだ。何かが大きく進展したわけではない。

未だに自分の夢も目標も見つけられていない。武芸以外の道、戦い以外の生き方を。
それでいいのか。いいとは思えない。

まだ1年目だし。そう自分に言い訳することはできる。
だが、誰よりも自分自身がそれに納得できない。このままではいつまで経っても先へ進めない。そんな気がする。
自分の中に常に焦りがあるのも事実だ。少しでも早く先へ進みたい。

……いや、違う。
おそらく自分は、未だに迷っているのだ。武芸を捨てることを。それ以外の道を選ぶことを。
メイシェン達にはいかにも未練は無いように言ったけれど、本心では武芸を捨て切れていないのだ。
何年もの間、己と共にあったものを、そう簡単に捨てられるはずが無い。

だからこそ、焦りがあるのだ。
自分の中の迷いを断ち切らなければ。そう考えてしまう。
新たな何かを見つけることで、己の過去を、迷いを捨てたいのだ。いつまでも迷いを持っていては、一生何もできないような、そんな気分に陥りそうになる。

だからこそ、自分の中の気持ちに、早くけりをつけたい。
それはレイフォンにとって、強迫観念のように重くのしかかる感情だ。

何かがしたい。何かを見つけたい。常にそう思っている。
職種の統一性も無く、さまざまなバイトに手を出しているのもそのためだ。
何かを成したことを、自分自身で確認したい。
先へ進めたと、自身で感じたい。

「友達ができたのは嬉しいけど……」

他に誰もいない部屋で、独りごちる。
進展があったとすれば、それくらいか。

友達。
今のレイフォンにとって、失いたくないと願うものだ。

自分にとっての、大切な存在。愛する人たち。
グレンダンで、1度は失ったもの。
ツェルニに来て、再び手に入れたもの。
そして二度と、失いたくないと思うものだ。

だからこそ、武芸は捨てなければならない。
武芸を続ければ、再び失うかもしれないから。
グレンダンでそうなったように、みんな自分から離れていってしまうかもしれないからだ。

過ぎた力が、自らにとって分不相応な力が、人を傷つけ、苦しめ、そして多くの人を悲しませた。
自分の大切な人をも、悲しませてしまった。失望させてしまった。

己のしたことに後悔は無かった。あのときは、どうしてもそうする必要があったのだ。
だが、彼らが自分から離れていったとき、とても悲しかった。こんなこと、もう嫌だと思った。
大切な人たちに憎まれることが、辛かった。

そして戦うことが、武芸を続けることが、とても馬鹿馬鹿しくなった。
彼らを恨む気は無い。憎む気も無い。今でも彼らを愛していると、心から言える。
だがそれでも、戦う気にはなれない。

レイフォンが戦えば、また同じことになるかもしれない。
武芸を続ける限り、その可能性は付いて回るものだ。
レイフォンが強者である以上、再び起こりえることだ。

戦う理由が無い。だから戦わない。それも確かにレイフォンの本音だ。
だがそれと同時に、自分はもう戦うべきではないとも思う。同じ失敗を繰り返さぬためにも。
すでに戦う必要性は失われてしまったのだ。それなのに、わざわざ再度の失敗を恐れながら再び武芸を続けることに意味は無い。

だからこそ、他の何かを探さなければならない。そう、思う。

「とりあえず……何か趣味でも作ろうかな……」

必要最低限の家具以外何も無い、がらんとした部屋を見渡して、レイフォンは呟いた。

(ミィフィに相談してみようかな)

そんなことを思いながら、瞼を閉じる。
眠りはすぐに訪れた。




















「そういやレイとん今日もバイトだったんだって。休日なのによくやるよね~」

椅子に逆向きに座ったミィフィが、ふと思い出したように言った。

「何か欲しいものでもあるのかな? いろんなバイトをいくつも掛け持ちしてるらしいし」

その言葉に、同じ部屋にいたナルキも反応する。

ここはとある女子寮の一室だ。ルームシェアが条件の、3LDKの部屋である。
同じ都市出身であり幼馴染でもあるメイシェンとナルキとミィフィは、この部屋に3人一緒に住んでいた。
今は3人そろって一つの部屋に集まり、駄弁っていたところだ。

「あんまりそういうことに興味なさそうだけどね~」

ミィフィの言葉に、ベッドに座るメイシェンも心中で同意する。
メイシェンの知る限り、レイフォンにはそういった人並の欲求があまりないようなのだ。これといった趣味も聞いたことが無い。
だからこそ、躍起になってお金を稼ごうとする理由が分からないのだが。

「それとも彼女でもできたのかな? その彼女がお金のかかるタイプだとか」

「え……」

ミィフィのセリフに、メイシェンは凍りつく。まさか、そんな……。

「あ、嘘ウソ! 冗談だから! 本気にしないでメイっち! 大丈夫! レイとんにそんな人いないよ」

つい想像してしまい、メイシェンの目にうっすらと涙が浮かぶ。慌てて慰めるミィフィに、ナルキが呆れて溜息を吐いた。

しかし、安心はできない。メイシェンが見る限り、レイフォンは他の女の子からモテていてもおかしくないからだ。
顔立ちは整っているし、性格もおだやかで優しい。
それに、とても強い武芸者だということで話題にもなっている。入学式の一件では、多くの1年生がその場を見ていた。
さらにはこの間の公園での騒動だ。あの時、公園に人気はほとんど無かったが、騒ぎを聞きつけて来た野次馬がいなかったわけではない。
本人の前でこそしないが、色々と噂が飛び交っているらしいし、周囲からの関心も多く集まっている。

(もしその興味が好意に転じたら……。)

そう考えると、不安で仕方なくなる。
それにレイフォンは性格的に押しが弱い。もしも、気の強い女の子に迫られたりしたら、そのまま流されるようにして付き合ってしまうかもしれない。

そんなのはイヤだ。そうなる前に、自分がもっと距離を縮めておきたいと思う。
しかし、どうすればいいかわからない。
今まで恋愛など経験したことのないメイシェンは、心中で苦悩する。



あまりにも不安そうにしているメイシェンを見て、ミィフィは内心驚いた。

(レイとんのこと、本気で好きになっちゃったんだなぁ……)

入学式の一件から、メイシェンがレイフォンに並々ならぬ関心を持っていたのも、彼のことを憎からず思っていたのも気付いていたが、ここまで本気とは思わなかった。
もちろん気付いていたからこそ、メイシェンとレイフォンの間を取り持って仲良くなるように仕向けたのだが。

ミィフィやナルキにしてみれば、今まで2人以外の人間関係を拒絶するように怖れていたメイシェンが他の人間、それも異性に興味を持つなんて思ったことも無かった。だが、この様子を見る限りでは、もはや完全にレイフォンに熱を上げているようだ。そしてすでに、そんな自分の感情を自覚している。レイフォンと仲良くなりたいと望んでいる。
だからこそミィフィは、それが嬉しくて、よろこんで彼女の恋に協力したいと思う。

(メイっちのせっかくの初恋だもんね。絶対成就させなきゃ!)

と、ミィフィは心の中で決意する。大切な幼馴染には、幸せになってもらいたい。

(結構面白くなりそうだしね)

………若干邪悪な感情も抱いているが。




「よし、それじゃあレイとんにメイっちの可愛さアピールといきますか」

「え?」

突然のミィフィの発言に、メイシェンは再び動きを止める。

「な~に。このミィちゃんに任せておきなさいって! ちゃあんとレイとんとメイっちの仲を取り持ってあげるから」

ミィフィは胸を張って請け負う。

「……あんまり無茶なことはするなよ」

「ダーイジョブ、ダイジョブ! 無茶なんて一切しないって」

ナルキの忠告にも適当に答える。ナルキは不信感の滲む顔つきをする。

「えっと…何するつもりなの?」

「それはその時のお楽しみってヤツで♪」

ニヤニヤ笑いを浮かべたミィフィに不安になるメイシェンだった。






「そういえば、何だかんだで訊きそびれてたけど、この間のデートは上手くいったの?」

そろそろ解散して寝るか、というところでミィフィがメイシェンに訊ねる。

「え?…えっと…」

「夕方まで2人っきりで色々と回ってたんだよね? 何か進展あった? それに病院でも密室に2人っきりだったし」

「へ、変な言い方しないで……」

好奇心というか野次馬根性をみなぎらせながらミィフィが詰め寄ってくる。それに対し、メイシェンは色々思い出して真っ赤になりながら必死に懇願する。

思い出す。2人でいろんなお店を回ったこと。いろんな話をしたこと。レイフォンが、メイシェンに気を遣って髪留めを買ってくれたこと。
どれもそれほど特別なことではないのかもしれないが、異性と接した経験のほとんど無いメイシェンにとっては、どれもが新鮮で、かつ気恥ずかしい体験だった。
思い出すだけで、顔が赤らむ。

それに都市外から来た犯罪者たちに襲われた時、助けてくれた。
あの時のレイフォンは、とてもかっこよかった。それまで感じていた恐怖が、吹き飛んでしまうほど。

そして病室でした会話。
メイシェンを大切だと、失いたくないと言ってくれた。
メイシェンのために戦ったのだと、それを後悔などしていないと言ってくれた。
それがとても、嬉しかった。

そして……そして病院で見たレイフォンを思い出す。
ちょうど治療を終えたところで、上半身に何も纏っていない時の姿。
あの時はそれどころではなかったため、あまり意識しなかったが、今になって思い出すと、いろいろと込み上げてくるものがある。

痩せてはいるが、貧弱さをまるで感じさせない、鍛えられた体。
贅肉のない、一切の無駄をそぎ落としたような筋肉。
手足の均整のとれた、バランスのいい肢体。

思い出した途端、恥ずかしさに顔中が真っ赤に染まる。

「あうぅ……」

「やっぱり何かあったんだ! 何々!? 何があったの!?」

それを見て何を思ったのか、ミィフィはより勢い込んで訊いてくる。

その夜は、ミィフィが眠気に負けるまで延々と質問攻めにされた。
























数日後。

随分と日が傾き、空が赤みを帯び始めている。昼と夕方の境目くらいの時刻。

「レイとん~。バイト終わってこの後暇でしょ? せっかくだからこれからお茶しようよ」

レイフォンがとある商店での商品の搬入のバイトを終え、店から出て帰ろうとしていると、後ろから声がかかった。
振り向くと、案の定ミィフィがいた。

「ミィ? どうしてここに?」

「今日はここでバイトだって聞いてたからね。そろそろ終わったころだと思って」

この仕事を紹介してくれたのは彼女なので、知っていても不思議ではない。
見ると、ミィフィの隣にはナルキもいる。

「お茶ってどこで? というかメイシェンは? 見当たらないけど」

「メイっちはまだバイト中。心配しなくてもあとで合流するから。とりあえず行こう。すぐそこの喫茶店だから」

言って、ミィフィは率先して歩き始める。彼女たちと知り合ってから、すでに何度か同じような経験はしているので、とくに警戒することも無く付いて行く。

「いや~それにしても、レイとんって一体いくつバイトしてるわけ? ほとんど毎日働いてない?」

「いや、毎日って訳じゃないけど……働けるうちにできるだけ働いて貯蓄しておきたいんだよね。今後何があるか分からないし」

もしもお金に困った時、あの生徒会長に頼る羽目になったらどうなるかわからない。だからこそ、今の内に稼げるだけ稼いでおく。体力だけが取り柄だし。
こういう時だけは、自分の武芸者としての力に感謝したくなる。

「ナッキもそうだけど、みんな働き過ぎじゃない? 体壊すよ?」

「心配いらないよ。これでも自分の身体のことは自分でわかってるから」

「あたしも心配ない。自己管理はできてるからな」

話しつつ、歩いていた通りの角の喫茶店に入る。
この店はケーキが売りのようで、店内の大きなショーケースにさまざまなケーキが並んでいる。

3人で窓際の席に座り、メニューを開く。

メニューには、目移りしそうなほど多くの種類のケーキが載っている。

その中から、レイフォンはビターなチョコケーキとコーヒーを選ぶ。
ミィフィとナルキも決まったので、注文を頼もうとする。

鈴を鳴らすと、奥からウェイトレスが出てきて、こちらに近づいてきた。

「ご注文はお決まりで……って、え? うそ? なんで?」

「え?」
「ん?」
「おっと」

レイフォンが驚き、ナルキもそれに気づく。ミィフィは楽しそうに口元を緩ませる。

注文を取りに来たのはメイシェンだった。
3人を目にしたメイシェンは、あからさまに顔を青くし、硬直する。
次に顔を赤くし、恥ずかしそうに震えだした。

「な、なんで……みんながここに……?」

「なんでって、ケーキ食べに来たに決まってるじゃん♪ ささ、早く注文とって」

「う、うぅ……」

メイシェンは小動物のように震えながら、恨めしそうな目でミィフィを見る。
それから仕方なく、注文を取り始めた。





「メイはここで働いてるの?」

「そ。ケーキが美味しいお店らしくてね。ここでケーキ作りの勉強をしてるんだって」

メイシェンが奥に入って行くのを見送ってから、レイフォンはミィフィに訊ねた。
ミィフィの答えに、へぇ、とレイフォンは相槌を打つ。

「で、さっきのは?」

「うん。メイっちの仕事っぷりを見学してやろうっていう嫌がらせ企画」

「嫌がらせって……」

「あのメイっちがウェイトレスしてるとこなんて想像もつかなかったからね。バイトしてるとこ見られるの恥ずかしかったみたいだから、これはもう見に行かなくちゃって思って。で、せっかくだからレイとんも誘ってみたわけ。眼福だったでしょ?」

成程。恥ずかしがるメイシェンを見て楽しもうという魂胆だったのか。だからメイシェンには内緒で来たわけだ。おまけにメイシェンがより恥ずかしがるように男であるレイフォンまで巻き込んだと。
悪だくみをするミィフィの顔は、生き生きとしていて、実に楽しそうだ。

レイフォンは呆れて溜息を吐く。

「ま、それだけじゃなくて、メイっちがちゃんと人と接する仕事できてるのか心配だったからでもあるんだけどね。だから、ナッキと様子を見に行こうって」

ミィフィの話し方を見る限り、それも本心なのだろう。やや疑わしいが。

「あの子に積極性が出てきたのは良い傾向だと思うしな。少し寂しくも感じるけど」

ナルキも苦笑しつつ同意する。

「……3人って、結構古い知り合い?」

「だね、ちっちゃーい頃からのご近所付き合いだよね」

「親同士の付き合いの延長だな。生まれた頃からだ」

「……それはすごいな」

よくもまあ、15年間もこれほど良好な関係が続いたものだと感心する。

「よく一緒にここまで来たね」

「まあね。知らない場所でも3人いれば寂しくないかなって。うちの親達もそれで納得してくれたんだ」

「へぇ」

話していると、ケーキが運ばれてきた。ケーキを運んできたのは、またもやメイシェンだ。
未だに緊張で震えながらも、それぞれの前に皿を並べていく。

「あれ? 1つ多いよ?」

ミィフィが疑問の声を上げる。テーブルには4種類のケーキが並んでいた。

「あ、店長が…今暇だから、わたしも休んでいていいって……」

自分の姿を見られるのが恥ずかしいのか、メイシェンはトレイで赤くなった顔を半ば隠すように覆っている。
びくびくしながら、彼女も同じテーブルの空いた席に座った。「はぁ…」と溜息をつき、ミィフィを恨みがましい目で見る。

「うぅ……ひどい、ミィちゃん。いきなり来るなんて……」

「いいじゃん、いいじゃん。減るもんじゃなし。それに可愛いし」

「確かにな。見ていて悔しくなってくるぞ。あたしではそんな格好できないというのに」

ナルキは実際に悔しそうだ。確かに、可愛いというより格好いいといった趣のある彼女の容姿には、メイシェンの着ているメイド風のウェイトレス衣装のような服は似合いそうにない。

「ねっ、レイとんもそう思うでしょ? メイっちのウェイトレス姿、可愛いよね?」

「うあ?」

いきなり話を振られ答えに詰まるも、自分の正直な感想を口にする。

「まあ、特別その衣装が可愛いとは思わないけど、確かにウェイトレス服を着たメイシェンは可愛いよね。すごく似合ってるし」

実際、トレイに顔を隠すようにして恥ずかしがっているメイシェンの姿は、まるで愛玩用の小動物のようでもあり、とても可愛らしいと思った。
脅えるようなその様子に、ちょっと申し訳なくも思ったが。

レイフォンの言葉に、メイシェンは耳まで赤くなり、俯いてしまう。ナルキは意外そうな顔をしながらもやや楽しげに見える。ミィフィは、「ほほーう」と、いかにも面白いネタを見つけたと言わんばかりの顔を浮かべる。

……正直に答えすぎたかな? レイフォンとしては、自分に制服マニアの気は無いという意味で言ったのだが。

「可愛いってさ。よかったね~、メイっち。高感度アップだよ~」

「ミィちゃん、怒るよ」

メイシェンが赤い顔で頬を膨らませる。
あははは~とミィフィが笑い声を上げる。

「それで? どうなのメイっち? ケーキの作り方、教えてもらえそう?」

「……まだ、あんまり厨房は任せてもらえない……。泡立てとか、生地づくりの手伝いはさせてもらえるけど……」

「やっぱりまだ、ケーキ丸ごと一個作らせてもらうのは難しいか~。調理実習の単位とってからだと考えると……半年後くらいになるのかな? それまではウェイトレスだね」

「うう……半年……」

メイシェンががっかりしたように肩を落とす。

「まぁ、お店的にはその方が売り上げ上がりそうだから助かるかもしれないけど。可愛い店員さんってそれだけで武器だし」

「……ミィちゃん……」

メイシェンが再び恨みがましそうにミィフィを見る。

「仕事大変そうだね、メイ」

レイフォンが、現状に不満そうなメイシェンの様子を見て言う。
声を掛けられて、メイシェンは若干慌てたようなそぶりを見せた。

「は、はい。……あ、け、けど…ここのケーキ、すごく美味しいんです。ここの味を知って、いつかこんなケーキが作れるようになりたいなって思ったから……だから、ここで働いてるんです。確かに、まだケーキ作れないのは残念ですけど、でも、ここで働けてすごくうれしいんです」

メイシェンが珍しく熱を込めて自分の気持ちを語っている。その姿は、いつになく生き生きとして見える。それくらい、ケーキ作りというものが、彼女にとって特別なものなのだろう。
当然だ。自分の夢の実現に繋がることなのだから。

「そっか……頑張ってね」

「は……はい」

メイシェンは顔を赤くしながらも、笑顔で頷いた。
ナルキとミィフィは、それぞれ微笑ましそうに、あるいは楽しそうにニヤニヤとその様子を眺めている。

と、そこでミィフィが口を開く。

「あ、ところでさ。今後の予定立てておきたいから、それぞれバイトとかの予定教えてもらえる?」

「ん? また遊びに行くの?」

「当然。これからどんどん忙しくなってくんだから、今の内にたっくさん遊んでおかないと」

「前もそんなこと言ってなかったか? お前は一体いつ忙しくなるんだ? 勉強は良いのか? 家で教科書開いてるところ見たことないが」

「うっ、い、いいから! 大丈夫! それよりほら! 予定教えて」

「まったく……」

呆れながらも、ナルキは自分の予定を述べていく。ただし、急に予定外の仕事が来る時もあるとも言っていた。

レイフォンとメイシェンも、それぞれ自分の予定について教えておく。

「オッケー。これをもとにして遊びの予定作っとくね」

ミィフィが満足した顔で言う。

それからは、他愛も無い話が続いた。

ミィフィがメイシェンをからかい、ナルキがそれを窘め、あるいはそれに乗り、メイシェンがそれに顔を赤くしたり頬を膨らませたりするのを、レイフォンは何とはなしに見ていた。

しばらくして、メイシェンが仕事に戻らなくてはならなくなり、この日は解散した。
店の前でミィフィとナルキと別れ、レイフォンは帰路に着く。


帰り道、1人で歩いていると、前方に見覚えのある後ろ姿が見えた。

「あれ……? フェリ先輩?」

つい声が出る。
すると、前方にいた人物が振り返った。

「……レイフォンさんですか。お久しぶりです」

「はあ、どうも……」

何となく既視感を感じる。
確か入学式の日も、メイシェン達3人と別れた後の帰り道でフェリと出会ったのだ。

特に話すことも無かったが、どの道方向は同じなので、そのまま連れだって歩く。
しばし、互いに無言で歩く。
と、唐突にフェリが口を開いた。

「……あれから……兄が何かしら接触してきませんでしたか?」

「いえ。あれ以来、特に何か言ってくることもありませんでしたけど」

「そうですか」

それだけ言って、また少し沈黙が続く。
そして再び口を開く。

「とはいえ、油断はしない方がいいでしょう。何も言ってこないということは、それだけ外堀を埋めるのに苦心している証拠です。何としてでも貴方の協力を取り付けるために、用意周到に準備している最中だと思われます」

「そうなんですか?」

「おそらくは」

それを聞いて、レイフォンはげんなりする。ここ最近は比較的楽しくて平和な時間が続いていたので、カリアンのことをすっかり忘れていた。このままでは、足元をすくわれかねない。

「忠告、ありがとうございます」

「いえ、当然のことです。これ以上、あの最低の兄の犠牲者を出すわけにはいきませんから」

その声には、兄に対する嫌悪と侮蔑が感じられた。フェリのカリアンに対する感情は、レイフォンがカリアンに抱く物よりも、随分と厳しい物のようだ。

「嫌いなんですか? お兄さんのこと」

「嫌いです。私を見てくれませんから」

冷たい声で言う。感情を感じさせない淡々とした声なのに、吐き捨てるような響きがあった。

「恨んですらいます。自分の目的を遂げるために、私の意思も都合も無視して、私の、自分で望んだわけでもない力を利用しようとする。そんな兄、好きになれるはずがありません。……昔は……あんな人ではなかったのに……」

淡々とした口調の中で、最後の方だけ、湿った様な、悲しむ様な響きがあった。

「あの人は、己の目的のためなら手段を選ばないような人です。今年の武芸大会に勝つためなら、どんな卑怯なことでもするでしょう。そんな人のために、私やあなたが何かしなければならないなんて、馬鹿げています」

フェリの声には、先程までのわずかな感情の残滓は感じられなかった。まるで感情を感じさせない口調で、自分の兄を糾弾する。

「少なくとも私は、あんな人のために武芸をするつもりはありません。兄が生徒会長である以上、その意思を無視して一般教養科に戻ることはできないでしょう。だから私は自分にできる範囲で抵抗しています。それに、したくもないことに全力を出すなんて、間違っています」

武芸で本気を出していないことを言っているのだろう。対抗試合を見た時、フェリはあえて手を抜いているようにレイフォンには見えた。それがフェリなりの、自分を不本意な道へと追いやる兄への意思表示なのだ。

「この学園にいる以上、私は兄から逃げることはできません。だとしたら後は、兄に私を諦めてもらうほかありませんから。戦いたくないのに結果を見せていたら、下手に期待させてしまいます」

あのカリアンが、手を抜いているだけで諦めてくれるとは思えない。
だが、たとえそれがほんのわずかな抵抗にしかならないとしても、根本的な解決にならないのだとしても、反発せずにはいれない。
無駄とわかっていても、抵抗してしまう。それだけ彼女は兄の仕打ちに怒りを感じているのだろう。
あるいは、すでに半ば諦めている中で、わずかな可能性にでも縋っていたいのか。

掛ける言葉が見つからず、しばらく沈黙が続く。
お互いに無言のまま、並んで歩く。

「では、とにかく気を付けてください」

分かれ道に差し掛かかったところで、フェリは口を開いた。
そしてレイフォンに背を向け、去って行く。

その後ろ姿を見送りながら、レイフォンは溜息をつき、再び自分の住む寮に向けて足を動かし始めた。





























あとがき

ちょっと長くなりすぎたかな? どれも日常をメインにしたパートなので、1つにまとめたのですが。

いよいよ汚染獣戦か と予想していた方々、期待を裏切ってしまいすみません。作者的にどうしてもここでワンクッション入れておきたかったので。

汚染獣襲来は次になります。とはいえ、色々とエピソードを入れたいので、レイフォン参戦はさらにその次になりそうですけど。物語の前後で整合性を図るのって難しい。

とりあえずここで書きたかったのは、暗躍するカリアンとメイド風ウェイトレスのメイシェンですね。それと機関掃除以外のバイトをしているレイフォン。フェリとニーナも、汚染獣戦前に一度絡めておきたかった。

何かと心理描写が多くなるのは聖戦の影響かもしれません。おかげで文章が長くなる長くなる。


読んで下さりありがとうございました。今後も頑張りたいと思います。





[23719] 6. 地の底から出でし捕食者達
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2010/11/14 16:50


学園都市ツェルニには6万人近くの学生が住んでいる。ここは学生によって運営される都市であると同時に、彼らの成長を促す場でもある。ゆえに、学生たちの自活を促す場も数多くある。
たとえば労働などがそうだ。
学生たちの多くは、何かしらの労働をしている。しかしその目的は様々だ。単純にお金が必要な者。将来就きたい仕事の予行演習として働く者。アルバイトや仕事を通じて、都市の運営や仕組みを学ぼうとする者などだ。

ツェルニでは、学生が労働という形で都市の運営に関わることを積極的に推進している。講義や授業では教えられない経験を積ませ、社会人としての自覚や態度を身につけられるようにするためだ。これによって、学生たちは卒業後、スムーズに都市社会に参加できるようになる。


学生の1人であるレイフォンも様々なバイトをしている。その目的はお金を稼ぐことと、将来の夢を見つけることだ。そして彼の友人であるメイシェン、ミィフィ、ナルキもまた、それぞれの夢に向けて己に合ったアルバイトをしている。そこで身に付けた経験を、自都市に戻ってから活かせるようにするために。

4人は友人同士ではあるが、それぞれ得意とする物も将来の夢も異なる。ゆえに、全員が全員、異なる職場で仕事をしている。
そのため、一緒に遊ぼうと思ってもお互いに予定が合わなかったり、仮に4人全員の休みが合ったとしても、4人のうちの誰かに急な仕事が入り、予定を変更せざるを得なくなることも多々ある。

つまり、



「ごめんなさい。待ちましたか?」

「ううん。それほどでも」

恐縮するメイシェンに、レイフォンはやんわりと告げる。実際来たのはついさっきだ。お互い随分早く待ち合わせ場所に来たものだ。

「今日は、よろしく、お願いします」

メイシェンが、緊張しながらぎこちなく頭を下げる。

「こちらこそよろしく。けど、ホントによかったの? 何なら日を変えてもよかったけど……」

「だ、大丈夫です。2回目ですし」

噛み噛みになりながらメイシェンが主張する。とはいえ、あまり大丈夫には見えない。はたから見ても緊張してるのが伝わってくる。

(まあ何とかなるか)

そう結論付け、レイフォンは一応納得する。

「そっか。それじゃ、行こうか?」

「は、はい」

「けど残念だね。せっかく割引券があるのに、ミィもナッキもバイトで来れなくなるなんて」

「そ、そうですね」



こういうこともある。

今日は4人で一緒に、あるレストランに昼食を食べに行く予定だったのだが、ミィフィとナルキは急な仕事が入り、行けなくなってしまったのだ。
レイフォンは違う日にしようかと言ったのだが、ミィフィが持っていた割引券の期限が今日までだったため、「もったいないからせめて2人だけでも行ってきて」とミィフィに言われたのだ。

すでに1度、2人だけで出かけたこともあるのだが、もともと人見知りの気が強いメイシェンは、2回目といえどもやはり緊張せずにはいられないらしい。
挙動のぎこちない彼女を連れて、ミィフィに教えられた店へと向かう。

連れだって歩きながら、レイフォンはメイシェンの姿をそれとなく観察する。
私服を見るのはまだ2度目のせいか、今日のメイシェンはいつもと若干違って見えた。服装は控えめでありながら可愛らしいデザインであり、比較的買って間もないものに見える。髪は頭の後ろでまとめてポニーテールになっており、バレッタで留めている。

何となくだが、普段よりお洒落をしているように見えた。
洗いざらしの上下に着古した上着のレイフォンと比べると、随分と差が際立つ。
あまりファッションに気を遣わない方だとはいえ、少々申し訳なくなる。

と、そこであることに気がついた。

「あれ? その髪留めって……」

「あ……」

メイシェンが頬を赤くする。何となく嬉しそうでもあり、恥ずかしそうでもある。

「はい……。せっかく買ってもらったんだから、付けてるところ見てもらおうかなって……」

恥ずかしそうにしながらも、笑顔を浮かべて答える。その様子に、レイフォンは少し嬉しくなった。

「へぇ…。買った僕が言うのもなんだけど、似合ってるね」

「あ、ありがとうございます」

顔をさらに赤くしつつ、メイシェンが礼を述べる。

そうこうしているうちに、目的地のレストランに着いた。2人で店内に入る。
そこはパスタ屋さんだった。普段から、食事時には多くの人が並ぶ人気店でもある。特に女性人気が高く、まだお昼時には早いのに大勢の客が入っており、その大半が女性客だった。

店員さんに案内され、奇跡的に空いていた席に座る。レイフォンもメイシェンも待ち合わせ場所に早めに着いていたからよかったが、そうでなければ並ばされる羽目になっていただろう。

2人でメニューを開き、パスタを選ぶ。
運ばれてきたパスタに舌鼓を打ちながら、身の回りの出来事や学校生活について、他愛もない雑談に興じる。
始めこそぎこちなかったが、話が弾むうちにメイシェンの緊張もほぐれてきたように感じる。それだけレイフォンに慣れてきているのかもしれない。
受け入れられてきているのだろうと思うと、レイフォンも嬉しく感じる。

食べ終わる頃には店内が混雑し始め、騒がしくなってきていたので、レイフォンはメイシェンを連れて外に出た。
今日は天気も良く、エアフィルターを透過して、心地よい日が差している。
明るく暖かい通りを、2人はのんびりと歩く。公園が見えたところで、メイシェンがおずおずと入るように促した。

2人は公園のベンチに並んで座り、一息つく。

「あの……」

メイシェンが手に持っていたバスケットをおずおずと差し出し、レイフォンを上目遣いに見る。

「家で…焼いてきたので……よかったら……」

言って、バスケットを開く。
中には、いっぱいに手作りらしきクッキーが入っていた。

「これを……メイが?」

「は、はい。もしよかったら……一緒に食べようかなって思って……それで……」

もじもじしながらバスケットをレイフォンの方に差し出してきたので、とりあえず1つ摘まんで食べてみた。
口の中に、嫌味にならない程度の甘みが広がる。
美味い。

「美味しいね。すごく」

それを聞いて、固唾をのんで見守っていたメイシェンの顔から、ホッと安堵するような表情が浮かんだ。

「あ、もっと食べて良いですから…」

「そう? それじゃ、遠慮なく」

言って、さらに2個3個とクッキーを頬張る。やはり、美味しい。
お菓子作りが趣味だとは聞いていたが、すでにこれほど美味しい物が作れるとは思わなかった。

「すごいね。もうこんなに美味しいお菓子が作れるなんて」

「そ、そんな…大したことないです……。わたしなんて、これしか能が無いから……」

「いや、そんなことないよ。ホントに、メイシェンはすごいよ……。すでに将来の目標が決まっていて、そのために努力しているし、結果も出してる。本当……僕なんかとは比べ物にならないよ……」

未だに何者になるかも決まっていない自分などとは、本当に比べ物にならない。メイシェンは、レイフォンなどよりも遥かに先に進んでいるように感じる。
羨ましく、そして眩しい。本心から、そう思う。

「……僕にも、早く見つかるといいんだけどな……自分の道が…」

ポツリと、そんな呟きが漏れる。

「きっと、見つかりますよ」

メイシェンが、レイフォンをまっすぐ見て言う。その言葉に、レイフォンはついメイシェンの方を向く。
彼女は赤くなりながらも、真剣な顔でこちらを見ている。

「そう……かな……?」

「小さい頃から、人に頼ってばかりだったわたしでも見つけられたんです……。ずっと自分の力で生きてきたレイとんに、できないはずないです……。わたしが言っても説得力無いかもしれませんけど……レイとんは、もっと、自信持ってもいいと思います」

途切れ途切れになりながらも、こちらを見て一生懸命に言葉を紡ぐ様子に、レイフォンは胸が痛いくらいに嬉しく感じる。
自分を信じてくれている。そしてレイフォンにも信じるように言ってくれる。それがこの上なく嬉しい。

「……ありがとう。メイシェン」

礼を言って、笑顔を向ける。できる限り曇りの無い笑顔を。
それを見て、メイシェンは耳まで赤くする。そして照れたように俯いた。

レイフォンはそんな彼女に、さらに言葉をかけようとする。


その時





突然、地面が激しく揺れた。

「っ!」

「きゃあっ!」

あまりの揺れの激しさに、メイシェンはベンチから放り出されるように体が浮き上がった。
地面に倒れそうになるのを、間一髪でレイフォンが受け止める。
揺れはなおも続き、レイフォンは何とかバランスを取りながら、メイシェンを抱えたまま踏みとどまる。

しばらくして、揺れが収まった。

「いったい、何が……?」

メイシェンが呟く。しかし、レイフォンは答えられない。頭の中に警報が鳴り響き、答える余裕が無い。

(まさか……まさかまさか……)

膨れ上がる嫌な予感に、心が圧迫される。

「レイ……とん……? どうしたの? ……今の……都震、だよね?」

メイシェンが不安そうにレイフォンを見上げる。

都震。
普段はあまり意識しないが、都市は常に移動を続けている。
そしてほんのたまにだが、多脚を使って歩いている都市そのものが大きく揺れることがある。足場が悪い時や、何かを踏み外した時などに。

だが、グレンダンの人間にとっては、都震にはもう1つの可能性が示唆される。

レイフォンはじりじりとした緊張感を感じた。肌を痺れさせる不穏な因子が空気に混ざったような感覚。
グレンダンにおいて、長年を戦場で過ごしたレイフォンだからこそ感じられる、これからおこる危機や脅威の予兆。

(何かが迫っている。何か、非常に危険な物が)

そして、そんなレイフォンの予測を証明するかのように、けたたましいサイレンが都市中に鳴り響いた。
それはまるで、都市が悲鳴を上げているかのようでもあった。

それを聞き、レイフォンは愕然として呟いた。

「汚染獣だ」

























悲鳴のようなサイレンを聞いたカリアンは、寮の電話で事情を聞き、生徒会棟へと駆け込んだ。
武芸大会の時などは司令部と呼ばれる、都市のもっとも中央にある尖塔型の建物だ。
カリアンは自分が普段いる生徒会長室ではない、建物内の一角にある会議室に入る。そこにはすでに何人かの生徒がいて、入ってきたカリアンに視線を向ける。

「状況は?」

カリアンは緊迫した顔で短く問う。その問いに役員の1人が顔を青ざめさせながら答える。

「ツェルニは陥没した地面に足の3割を取られて身動きが不可能な状態です」

「脱出は?」

「通常時なら独力でも脱出できるのですが、現在は……その、取り付かれていますので」

電話でも聞いていたが、やはり汚染獣か。

「具体的にはどのような?」

「都市の脚が地下にいた汚染獣の巣を踏み抜いてしまったようです。生態に関する情報が無いので詳しいことは分かりませんが、どうやら母体が子を生んでいるようで。もう3,4時間もすれば、生まれた幼生たちが地上へと這い出て都市に上がってくると思われます」

つまりはそれまでに準備を整える必要があるということか。
カリアンは次に、部屋にいた浅黒い肌の巨漢、武芸長のヴァンゼ・ハルデイに視線を向ける。

「生徒たちの誘導は?」

「都市警を中心にシェルターへの誘導を行っているが、まだ混乱が大きくてまとめきれていない」

ヴァンゼは苦い顔で首を振る。

「仕方が無いさ。実戦の経験者なんてほとんどいない。とにかく、できる限り速やかにお願いするよ」

次に錬金科長を見る。

「2年生以上の全武芸科生徒の錬金鋼の解除を。都市の防衛システムの起動も急いでください」

「只今、行っています」

「ヴァンゼ、各小隊の隊員をすぐに集めてくれ。彼らには中心になってもらわねばならない」

「了解した。できるだけ早く集める」

ヴァンゼが頷き、都市全体に放送で呼び掛けるために部屋を出ていく。

その後も、いざという時のために質量兵器の稼働準備やシェルター周辺の警備などの指示を下していく。

一通り指示を出し終え、カリアンは一息つく。

周りでは、役員や各科の代表者たちそれぞれが、自身の役割に従い動いている。会議室内は、慌ただしい空気に包まれていた。
喧騒に囲まれながら、カリアンは心中で独りごちる。

(まさか、汚染獣とは)

想像もしていなかった事態に、苦々しい思いがする。

学園都市の最大の欠点は、プロが存在しないことだ。住人は全てが生徒。
学園都市には、大人がいない。
あらゆる面での、熟練経験者の不在。

本来ならば……これまでならばそれでも問題は無いはずだった。学園都市は汚染獣との遭遇率が普通の都市と比べて限りなく低い。それだけ学園都市の電子精霊が優秀かつ慎重であるということだろう。だが、それも完璧ではないようだ。

(これまでが大丈夫だったからといって、今後も大丈夫だとは限らないというのに)

あくまで確率が低いだけであって、絶対ではないのだ。
それなのに、いざという時の備えを怠ってしまった。高をくくってしまっていた。
自らの生きる世界がどれほど過酷で困難であるかを失念してしまっていた。

未熟なのだから仕方が無い。経験が無いのだから仕方が無い。
そんな言い訳は、今そこに迫っている危機には通用しない。
汚染獣たちは、こちらの事情を斟酌してくれたりなどしない。ただ餓えを満たすためだけに、こちらに襲いかかってくる。

周囲で動きまわる生徒たちも、顔から不安の色を隠せない。全員が全員、予想だにしなかった事態に動揺している。見ているだけで、極度の緊張に精神を圧迫されているのがわかる。

それも当然だ。ここにいる者たちは全てが未熟者。このような事態に直面し、なおかつ対処に携わったことなど無いのだから。
そしてそれは武芸者とて同じ。汚染獣の脅威に触れた事のある者など、どれほどいるか。

実戦経験の無い未熟者たちだけでこの危機を乗り越えられるのか?
誰の脳裏にもその思いがある。すぐ傍まで迫った死への恐怖がある。

だが逃げることは許されない。都市の外の世界は、人類を拒絶している。都市の外に出ることができない以上、ここにいる者たちだけでこの問題に対処しなければならない。

(何としても、生き残らなければ)

絶対にツェルニを守り切る。でなければ、武芸大会の前に都市が滅んでしまう。
そして一人の生徒の顔が思い浮かぶ。

(レイフォン君に協力を頼めれば非常に助かるのだが)

そう考えると、カリアンは自分の表情に苦味が滲むのがわかった。

彼には汚染獣戦に関して、この都市の誰よりのも多くの知識と経験がある。
そしてそれ以上に、汚染獣と戦えるだけの実力がある。
だが、彼の協力を得るのは難しいだろう。レイフォンは、交渉の際に彼の過去を持ちだそうとしたカリアンに対して、良い感情を持っていない。この不信感を拭うには、時間が足りなさ過ぎる。

入学式で騒ぎに巻き込まれた女生徒を助けた時のレイフォンならばあるいは、よほど頼めば引き受けてくれたかもしれない。目の前で危ない目に遭っている見ず知らずの他人を思わず助けてしまうような、そんなお人好しな彼だったなら、誠心誠意頼めばあるいは。
だが、カリアンが下手な交渉をしたせいで、かえって武芸に対して頑なにしてしまったように感じる。それに、こちらに誠意なんてものがあるとも思っていないだろう。今のレイフォンに協力を頼んだところで、さらに武芸を拒絶するだけだ。

妹のフェリも同様だ。寮の部屋を出る際、小隊員として集まるように呼びかけたが、頑として首を縦に振らなかった。そして口論の末1人で部屋を飛び出して行ってしまった。すでに連絡の取りようも無い。
あの時の彼女の様子には、カリアンに対する強い嫌悪と拒絶があった。

(この都市を守るために憎まれ役を買って出たというのに、それが裏目に出るとは)

己の失敗のせいで、この都市でもっとも頼りになる助けを失ってしまった。
が、そんなことを嘆いている暇さえ無い。

(とにかく、今ある戦力でなんとかせねば)

カリアンは決意を新たにすると、会議室を出、その隣の部屋へと入った。















都市全体がざわめいている。大勢の避難する人々が、列を作り通りを歩いている。誰の顔にも不安と恐怖が張り付いていた。

「慌てずに避難してください! まだ時間はあります! パニックを起こさず、ゆっくりと避難してください!」

都市警に所属する上級生の生徒が声を張り上げる。しかし、避難する生徒たちからは動揺が拭えない。少しでも安全を求めて、焦燥に駆られている。自然、シェルターへと向かう彼らの足は速まる。
そんな一般生徒たちに、混乱や無用な騒ぎが起こらないよう、都市警たちは注意を呼び掛ける。

「ナッキは戦いに出るんだよね?」

「ああ、あたしは都市警だからな。錬金鋼も持っているし、戦うことになるだろう。多分、もうすぐ召集されるはずだ」

大通りから外れたところで、列から離れたミィフィはいつになく心配顔で問う。
それに答えるナルキの顔も、緊張で強張っていた。

「大丈夫? 危険なんじゃ?」

「当然、危険に決まっているさ。だが、逃げるわけにはいかないよ。逃げ場なんて、どこにも無いんだしな」

それは自分に言い聞かせているようにも見えた。ナルキも、怖いのだ。
当然だ。彼女は実戦を経験したことなど1度も無い。それはこの都市にいるほとんどの生徒にも言えることだろう。
ほんの少し前までは平和な時間が流れていたのに、それが突然にして崩れ去っていくのを感じる。

「メイっちは、大丈夫かなぁ?」

ここにメイシェンはいない。緊急事態なため、生徒たちは取る物も取らず、最も近くにあるシェルターに避難しているのだ。
おそらくメイシェンは他のシェルターに避難しているのだろう。

「大丈夫だろう。レイとんが一緒だったはずだしな。不測の事態が起こっても、レイとんなら何とか出来るさ」

「ん……そうだね……。レイとん、強いもんね」

心配は消えないのだろうが、それでもミィフィは微笑む。

「逆にこれがきっかけでさらなる進展があるかも」

「ああ。そうなるといいな」

ミィフィの冗談を交えたセリフに、ナルキも笑って返す。
2人して笑みを交わしていると、離れたところにいる都市警の上級生から声がかかった。

「おっと。そろそろ召集かな。じゃ、あたしは行くから。気をつけて避難しろよ」

「ん、わかった。ナッキも気をつけてね」

「もちろんだ」

言って、ナルキが離れていく。
ミィフィも、列に加わりシェルターを目指した。























そこには、ヴァンゼの呼びかけで集まった小隊員たちが揃っていた。

カリアンは部屋の前の方にある演台の前に立つと、集まった生徒たちを見渡して、それから言葉を紡いだ。

「諸君。よく集まってくれた。状況については既に聞いていると思う。これから汚染獣との戦闘に入る。君たちには、その中心となって戦ってもらいたい」

その言葉を聞き、小隊員たちは青ざめた顔を見合わせる。
1人が手を上げて言った。

「会長。都市は汚染獣を回避しているはずでは?」

「おそらく都市が感知できるのは地上にいる物だけなのでしょう。今回は地下にいた個体のようですから。それに、理屈がどうあれ、すでに事は起こっています。現実に対処する方法を考えましょう」

それを聞き、その生徒が唾を飲み込む。
そこでヴァンゼが1人の男に声をかける。

「ゴルネオ。確かお前はあのグレンダンの出身だったな。汚染獣について何か知らないか?」

声をかけられたのは、ヴァンゼにも劣らぬ巨漢の男だった。第五小隊の隊長、ゴルネオ・ルッケンスである。

「生憎と俺は実戦経験は無い。多少の知識はあるが」

「ふむ、ではできる限りその知識を我々にも教えてくれないかな」

カリアンも、できる限り情報を得ようとする。

「あまり大した知識ではない。俺達がこれから戦うのは、汚染獣の中でも幼生体と呼ばれるタイプであるということ。こいつは強さはあまり大したことないが、数が多いのが特徴で、場合によっては大型の個体よりも厄介だとかいうことくらいだ」

「強さは大したことがないというのは本当かね?」

「少なくとも、汚染獣の中では最弱なのは確かだ。だが、だからといって勝てるとは限らん。むしろかなり分が悪いだろうな。生まれたばかりであろうと、汚染獣が人間にとって脅威であることには変わりない。俺たちが束になったところで、勝てるかどうか……」

「それでも君たちに戦ってもらわなければならない。頼れる大人はここにはいない。ならばここにいる者たちだけで立ち向かうしかない」

その言葉に、部屋中で不安の声が囁き合った。
自分たちに、汚染獣を撃退することができるのか? 生き残ることができるのか?

「できなければ死ぬだけです」

カリアンの、鋭く、力強い、断じるような声がその囁きを断ち切った。
小隊員たちは口を閉じ、カリアンを仰ぎ見る。

「君たちだけではない。君たちが敗れれば、この都市に生きる者たち全てが命を失うことになる。それを心に置いたうえで戦ってもらいたい」

カリアンが言い切る。それを聞き、この場にいる全員が緊張に顔を強張らせながらも、己の決意を新たにする。
あふれ出しそうな恐怖を抑えつけて、自分自身に誓う。

絶対に、この都市を守り切る と。

「我々は、なんとしても生き残らなければなりません。ツェルニに生きる人々の、いや、自分自身の未来のために!」

窓からは夕日が差し込んでいる。もうすぐ日が沈む。

これまで経験したことの無い、生存をかけた命懸けの戦いが始まる。

長い夜の始まりだ。






























あとがき

前回と比べて随分と短いですが、区切りがいいので出すことにしました。汚染獣襲来編です。

この回はアニメ版を意識しています。
前回ワンクッション入れたのは、メイシェンとのデート ~ 汚染獣襲来という流れがやりたかったから。(入れなかったらレイフォン連続でデートしてるように見えますし。いくら設定上時間差があるとはいえ)

カリアンのセリフにもアニメ版の影響があります。


さて、次回はレイフォン決断の時。また心理描写が多くなりそうだなぁ……。

できるだけ早く更新したいと思います。




[23719] 7. 葛藤と決断
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2010/11/20 21:12

赤く煤けた大地に、ツェルニを支える無数の脚の一部が突き刺さっていた。
そしてそのツェルニが割った大地の隙間から這い出て来るものがある。
日が落ち暗くなった世界に、赤い光が小さく灯る。その光は次々と数を増していき、やがてツェルニの下を赤い光で満たした。

突如周囲に異様な音が響き渡る。それはまるで巨大な羽虫が飛んでいるかのような、羽音のような音に聞こえた。
そしてその光の集団は飛び上がった。無数にも思える赤い光点の群れが都市の上へと飛翔してきたのだ。
やがてそれらは都市の外端、外縁部へと降り立った。
外縁部を照らす灯りが、その集団の姿を浮かび上がらせる。

それは錆びた血のような色をした甲殻を身に纏っていた。全身が丸みを帯びた殻に包まれており、背中には半透明の筋の通った翅がついている。そして体の下には昆虫のような節足が何対もついていた。それらをせわしなく動かし、ギチギチと異様な音を立てながらこちらに近づいてくる。
そして赤い光。胴体に不釣り合いに小さい頭部にある2つの複眼は、闇夜に浮かびあがる赤い光を零していた。

見るからにおぞましく、その様相より恐怖を与える異形たち。
先程生まれたばかりの汚染獣の幼生だ。
彼らは今、非常に餓えていた。
そして目の前には、餓えを満たす餌がある。
ただその食欲を満たすために、すぐ近くにある餌たち、人間どもを捕食しようとしている。
千を超えるのではないかと思わせるほどの群れが、餓えに任せて襲いかかって来ようとしていた。


目の前の地面を、異様な音を鳴らしながら這って進んでくる集団の他にも、多くの汚染獣たちが騒々しい羽音を響かせつつ視界一杯に次々と飛び上がってくる。それはまるで古い書物に写真付きで記述されていた津波のようであった。
彼らは外縁部に降り立つことなく、その翅を使って直接都市内部に乗り込もうとしてきた。
そこに、


「射撃部隊、撃てぇぇぇ!!」

通信機を押さえて叫ぶ指揮官の声が響き渡る。

それと同時に後方に控えた射撃隊が、外縁部に設置された汚染獣迎撃用の剄羅砲に剄を送り、巨大な砲弾を撃ちだす。
増幅され、凝縮された剄の塊は、空を飛んで向かってくる幼生の先頭に命中し、弾ける。
群れのあちこちで爆発が起こり、幼生たちの甲殻が弾け飛び、殻につつまれた細い足がばらばらと周囲に落ちる。
勢いを殺された幼生たちは、その場に次々と着地もしくは落下した。
外縁部に着地した汚染獣たちは、翅を萎れるようにくしゃくしゃにすると、甲殻の下にしまいこむ。

「長くは飛べんか。好都合だ。シャーニッド、飛んでいる奴らを重点的に狙え。都市部に行かせるわけにはいかん」

指揮官――この戦闘区域における指揮を任された第十七小隊の隊長であるニーナが、射撃部隊を指揮するシャーニッドへと告げる。

「了解だ。明日はデートの約束があるんでね。こんなところで死ぬわけにはいかんのよ」

シャーニッドが冗談めかしたように言う。これほどの脅威を目の前にしても変わらない彼の軽薄さに、少しだけ気が楽になった。隣に立つハイネも、やや苦笑している。
それからニーナとハイネは緊張に強張る手のひらをほぐすように、握ったり開いたりを繰り返す。
そしてそれぞれ剣帯に差した錬金鋼を抜き、その手に復元した。
ニーナは手の中に現れた重量と感触を確かめる。安全装置の外された二振りの鉄鞭は、普段よりもすがすがしいまでに剄を通した。

「さて、と。フェリの奴がいないが、いない人間のこと考えても仕方ないしな。いよいよ戦闘開始と行くか」

ハイネが両手の剣を軽く振り回しながら言う。

「ああ、そうだな。……まったく。この非常時にどこへ行ったのだ」

汚染獣の襲来が告げられ小隊員の非常招集がかかった時、フェリはその召集に応じもしなかった。シェルターにその姿は確認されていないという。ではどこにいるのか……? もともとやる気の無い様子ではあったが、こんな非常時にまで来ないとは、一体どういうつもりなのか……?
疑問はある。が、ハイネの言う通り、今はいない者のことを考えていても仕方がない。その余裕も無い。敵はすぐそこまで迫っているのだから。

目の前には、腹を空かせた汚染獣たちがこちらに向かって這ってきている。
群れをなした汚染獣たちは我先にとこちらへ迫ってくる。
胴体に比べてあまりにも小さな頭部。複眼を赤く光らせたその下で、小さな口が開かれる。
顎が伸びて、四つに分かれた牙のようなものが蠢いている。もしあれに喰らいつかれたら、体を少しずつ削るようにして生きたまま食われることになるだろう。
そんな想像に対する恐怖を振り払い、ニーナは叫ぶ。

「あんなものに食われてなるか! 突撃!!」

後ろに部隊を引き連れ、ニーナはハイネと共に先頭に立って走り出し、汚染獣の群れへと飛び込んだ。

































レイフォンはメイシェンと共にシェルターの中で、区分けされた空間の1つにいた。
都震と緊急事態を知らせるサイレンから汚染獣が来たのだと悟り、すぐさまメイシェンを連れて避難したのだ。
シェルター内には、大勢の生徒たちがいる。周囲の生徒たちは、全員が突然の事態に怯えきっていた。

休日だったためか、私服の者が多い。が、制服姿の者もいる。なかには武芸科の制服を着ている者もいた。剣帯をしていないことから、1年生であるのだとわかる。1年生の武芸科生徒は、都市警などの例外を除き錬金鋼を所持していないため、戦いには参加せずシェルターに避難している。そんな彼らもまた、その多くが不安を表情に湛えていた。

ふと、その中の1人に目を向ける。透き通るような水色という、あまり見た事の無い髪の色をした少年だ。男にしては髪が長く、男子の制服を着ていなければ女の子にも見えたかもしれない。顔のつくりは精緻に整っており、まるで人形のような印象を受ける。表情からは感情が読み取りにくく、どことなくフェリに似たところがある。

彼は今、両手を側頭部に当て、まるで耳を澄ませるように目を閉じていた。
と、彼の色素の薄い髪が、わずかに光る。髪のところどころに、光の粒子が生まれた。

(念威繰者だ)

それも、かなりの才能を持った。
腰まで届く長い髪全体を光らせるフェリほどではない。むしろ遠く及ばない。フェリの才能は桁外れだ。だが、普通の基準で見れば、十分瞠目に値する才能の持ち主。
彼は今、念威を使っているのだ。おそらくは、外の様子を窺っているのだろう。
錬金鋼による念威端子があった方が探査精度ははるかに高いが、念威自体は端子が無くても使える。彼ほどの才能があれば、錬金鋼なしでもそれなりに外の様子を知ることができるのだろう。

「外はどうなってるの?」

「戦況はやや劣勢です。個体ずつ倒すことはできていますが、数が多すぎる。すでに負傷者も出ている模様。しかし、いちおう現在は膠着状態が続いています。相手の動きが単調で鈍いことが幸いしているようですね」

初対面だったが、外の様子が気になったレイフォンは思い切って訊いてみた。それに対し、彼は特に気にすることなく簡潔に事実を告げる。その表情と声からは、どんな感情を抱いているのかはわからない。
レイフォンは礼を言い、彼から視線を外す。
それから壁に寄りかかり、天井を仰ぐ。

(劣勢、か)

心中で独りごちる。
当然だろう。この都市には汚染獣と戦った経験のある熟練の武芸者などいない。個々の実力もそうだが、それ以上に心構えが足りない。
この都市の武芸者たちは、命懸けの戦闘というものを経験したことが無いのだ。
彼らがやっているのは、極端に言えばお遊びのような戦争ごっこだ。どれだけ真剣にやっていようと、遊びと同レベルなのは変わらない。
そんなものに慣れ切ってしまった彼らが、いざ本当の戦場に放り出されて冷静に対処できるはずがない。
そして戦場で冷静さを失えば、本来の実力を十全に発揮できるはずがない。

冷静に対処すれば…最低でも、各々が自分の実力を最大限発揮できさえすれば、ツェルニの武芸者たちの技量でも幼生体くらい倒せるだろう。被害は出るだろうし、死者も出るだろうが、勝つことはできる。
だがそれができない。できたとしても、とても素直に勝ったとは言えないほどの多数の犠牲者を出すことになるだろう。

でも……レイフォンには関係ない。そう、自分に言い聞かせる。
自分はもう武芸を捨てたのだ。戦うことに絶望し、戦う理由を失った。その時点で、彼はすでに武芸者ではなくなったのだ。
そんな彼が戦う必要などない。戦う義務も義理も存在しない。
繰り返し、そう言い聞かせる。


ふと、すぐ傍にいる少女に目を向けた。メイシェンだ。

メイシェンは膝を抱えるようにして床に座り、俯きながら震えていた。
おそらくは不安なのだろう。汚染獣が攻めてきていることもそうだが、いつも一緒にいる2人がいないことが彼女の精神を圧迫しているのだ。その目には、すでに涙が浮かんでいる。
レイフォンは少しでも元気づけようと声をかけた。

「大丈夫。きっとすぐにいつも通りになるよ」

薄っぺらい、何の根拠も説得力も無く、本心から言っているとは到底思えないような声音だった。意識したわけではないが、自然とそうなってしまった。
当たり前だ。レイフォン自身、自分の言ったことを欠片も信じていないのだから。
汚染獣の恐ろしさはよく知っている。そしてだからこそ、ツェルニの武芸者にどうこうできるとは思えないのだ。
しかしそれでも、メイシェンは頷いてくれた。泣きそうな顔のままだったが、否定することもなく、疑問や不安を述べるでもなく、レイフォンの薄っぺらな言葉に頷いた。

優しい子だ。レイフォンはそう思う。
メイシェンは、レイフォンに戦場に行けとは言わなかった。
レイフォンが強いことも、汚染獣と幾度も戦った経験のある熟練の武芸者だということも知っているはずなのに、レイフォンに戦えとは言わなかった。シェルターに避難したレイフォンを責めることは無かった。
それは、武芸を捨てたがっているレイフォンの、戦いたくないという気持ちを慮ってくれたからか。それとも、近しい者に危険な目に遭ってほしくないと思っているからか。どちらでも、彼女らしいといえばらしい。
どちらにせよ、それは彼女の優しさだと思う。
この状況で他者の身を案じ、気遣うことができる。今も戦場で命を落としているかもしれない武芸者たちをまるで気にも掛けず、どこか突き放して考えているレイフォンとは違う。

レイフォンは戦場で戦っている者たちのことを全く心配していない。だからこそ、これほどの緊急事態でありながら、未だに平然と座っていられるのだ。
汚染獣との戦いは常に死と隣り合わせである。武芸者が戦場で命を落とす瞬間など、グレンダンにいたころにいくらでも見てきた。
レイフォンにとって、戦場で武芸者が死ぬことは、何ということもない当たり前のことだ。何人死のうと、さして興味は無い。若年であろうと未熟な学生であろうと、戦場に立った時点でそんなことは関係ない。
しいて言えば、フェリやニーナといった顔見知りが死んでしまうのは、あまりいい気はしない。特に念威繰者であることを嫌っていたフェリが、戦場に引っ張り出されて死ぬようなことは理不尽だと思うし、間違っていると思う。

しかし、それだけである。
戦場とはそういうものだ。残酷で、理不尽で、不条理に満ちている。汚染獣という脅威は、都市に住まう者たちに容赦なく牙を剥き、それらを突き付けてくる。
そして武芸者とは、力無き者を守るために、そういったものに立ち向かっていかなければならない存在である。
自身の生き死になど、最初から勘定に入ってなどいない。己の意思で戦場に立ったからには、その結果にある死は自身の責任である。弱いからこそ戦場で命を落とす。そして弱い武芸者に価値は無い。
強さこそが、武芸者の存在価値。
それは戦場の冷たい倫理。そしてレイフォンは、幼いころからその倫理の中に自ら飛び込んだ。そしてその過酷な世界で、ずっと命懸けで戦ってきたのだ。
ゆえに、レイフォンは他者の生死に対して冷酷でさえある。
戦いに対するレイフォンの考え方には、常にその冷たい倫理が根底にあるのだ。

だが、別にその倫理に心から納得していたわけではない。自分の命がいらなかったわけでも、死への恐怖が無かったわけでもない。命を懸けてでもやらなければならないことがあっただけだ。
むしろレイフォンは何があっても生きていたかった。絶対に死にたくなどなかった。死ぬわけにはいかなかった。
だからこそ、生きるために、生きていてもらうために、罪をも犯した。
何があろうと生き残る。それがレイフォンの学んだ武芸の流派が持つ精神性だったからだ。
たとえ武芸者であることに何の誇りも無いとしても、その流派の信念だけは捨てるつもりは無かった。

何とはなく、自分の懐を探る。そしてその感触に眉を顰めた。そこには何も無い。
すぐ近くで戦いが起きているのに、手元に武器が無い。その不安もあるが、それだけではない。
大切な物を寮に置いてきてしまった。グレンダンを出る前、養父から渡された物。鋼鉄錬金鋼製の刀である。

レイフォンは、かつてグレンダンで武芸者として戦っていた時、剣を使っていた。
だが、本来学んでいたのは剣術ではない。レイフォンが武芸者として最初に学んでいたのは刀術だ。
レイフォンはもともと刀を使う流派だった。同じ斬撃武器でありながら、決定的なところで剣とは異なる物。剣以上に斬るという機能に特化した武器。それが刀だ。
幼少のころより、レイフォンは一武門の主である父から刀術の手ほどきを受けていた。

サイハーデン刀争術。それがレイフォンの学んだ武術。戦場の刀技にして、生き残るための闘技。
その極意とは、過酷な戦場で生き残ること。対人、対汚染獣を問わず、戦いに勝利し生き残ることだ。
戦場で生き残ること。それを至上の目的として創意工夫を凝らし、生み出された流派。
武芸者としてのレイフォンの、根幹を成すもの。

しかしレイフォンは、十歳の時に刀を捨て、剣を取った。
生きるために、そして生きていてもらうために、罪を犯すことを、武芸者の律を犯すことを、その時点で決めていたからだ。
別に罪の意識からではない。むしろ罪の意識などまるでなかった。
ただ、父の技を汚したくなかった。武芸者としての律を犯すような行為に、尊敬する父の技を使いたくなかった。
たとえレイフォンがどれほど汚れようと、サイハーデンの刀術までが汚れてはならない。そう思ったのだ。

レイフォンに武芸の技を伝えた養父は清貧を旨とする武芸者だった。良く言えば潔癖、悪く言えばお金に無頓着な人物だった。そしてそのせいで孤児院の経営は常に苦しく、孤児たちは貧しい暮らしを強いられていた。
だがそんな父を、レイフォンは深く愛し、尊敬していたのだ。血は繋がっていなくとも、本当の父親のように思っていた。レイフォンだけでなく、院に暮らす多くの孤児たちがそうだった。

しかしレイフォンが行おうとしていたことは、そんな父を裏切るような行為だった。
少なくとも、武芸者として潔癖に徹していた父の目には、それは裏切りに映るに違いないとレイフォンは感じていた。
だからこそ、刀を、サイハーデンの技を捨てた。
犯した罪の償いではなく、父を裏切ることへの代償として、2度と刀を振るわないと決めていた。

だが、たとえ刀を捨てても、サイハーデンに学んだ戦場の極意までもを捨てるつもりは無かった。たとえ剣を握っていても、サイハーデンの教えはレイフォンの中に常に生きていた。
それくらい、レイフォンにとって養父は大切な存在だった。尊敬する人だった。
だからこそ、父の武門に泥を塗るような事をしたくなかった。


レイフォンの罪が露呈し、グレンダン中に知れ渡った時、それまでレイフォンを英雄のように見ていた孤児院の弟や妹たちは、レイフォンを罵倒し、石を投げ、憎しみの目を向けてきた。
そして養父もまた、驚き、失望した。罪が発覚したのち、王宮で罰として女王に直々に痛めつけられ、打ちのめされるレイフォンを、父は冷たい目で見ていた。

他にも方法はあったかもしれない。尊敬する父を裏切るような真似をする必要は無かったのかもしれない。
しかし、あの時はそれ以外に方法は無いと思っていた。
そして家族を守るためには、どのようなことでもすると心に決めていた。
だからこそ、金を稼ぐためにあえて罪を犯した。そして人を傷つけもした。それは後悔していない。
しかしその結果、養父を失望させてしまったこと、悲しませてしまったことは辛かった。悲しかった。
決して許されることはないだろうと思っていた。
父に見放されること。失望されること。それは悲しかったが、仕方ないとも思った。自分はそれだけのことをしたのだ。露呈すればどうなるかわかった上でやったことだ。当然、最初から覚悟はできていた。
どのような罵倒も、どのような罰も、甘んじて受けるつもりだった。

だがそれでも、父は……





















グレンダンを発つ前日の夜、レイフォンは養父であるデルク・サイハーデンに道場に呼び出されていた。

全てが終わったあの時以来、養父とは長いことまともに顔を合わせていない。
養父だけではない。孤児院にいる孤児たちとも、長いこと会っていなかった。
たとえ会うことがあっても、こちらを冷たい目で見てくるか、こちらを避けるようにして離れていくだけだった。
だから、養父に呼ばれた時、とても驚いた。
そして恐怖した。これから起こるであろうことに不安になり、とても緊張した。

養父はレイフォンの罪を知った時、何も言わなかった。
孤児たちに責められ、項垂れたレイフォンを慰めるでもなく、かといって罵倒することも叱責することもなかった。
ただ黙って、厳しい目をレイフォンに向けていた。

だからこそ、何らかの罰か、あるいは叱責があると思っていたのだ。
グレンダンを出る前に、師として愚かな弟子を罰するつもりなのだろうと思っていた。
あるいは、絶縁状でも突き付けられるか。師弟の縁、親子の縁を切られるか。そう思っていた。
だが、どのようなこと仕打ちであろうと、甘んじて受けるつもりだった。
それが、大切な人を守るために大切な人を裏切った、そのことに対する自分なりのけじめだったから。


道場の中央で向かい合って座り、お互いしばらく無言が続いてから、やがて養父が口を開いた。

「ここを発つ前にお前に渡しておきたいものがある」

そう言うと、デルクは布に包まれた一つの箱を取り出した。
それを見てレイフォンははっとする。

デルクは丁寧に布を解き、箱を開けて中身を見せた。

中にあったのは、一つの基礎状態の錬金鋼だった。

「これをお前に渡しておきたい」

「これはっ……、でも……」

「できればもっと早くに渡しておきたかったがな。生憎と、その機会は一度失ってしまった」

レイフォンが刀を捨て、剣を取った時のことだ。

「だから改めてお前に渡しておきたい。これを、サイハーデン流免許皆伝の証であるこれを、息子であり弟子であるお前に受け取ってほしい」

レイフォンはひどく狼狽した。それから苦しそうな顔をし、絞り出すように声を出した。

「無理だよ…、受け取れないよ」

言って、レイフォンは断ろうとした。あんなことをした自分に、武芸を汚した自分に、尊敬する父の流派を継ぐ
資格なんてあるわけがない。だからこそ、レイフォンは刀を捨てたのだ。
それに、この時レイフォンは武芸を捨てることをすでに決めていた。

「僕は、武芸を捨てるつもりで……、それに僕には、これを受け取る資格なんて……」

「お前にあんなことをさせてしまったのは私だ」

弱々しく養父を見上げるレイフォンを、デルクはまっすぐ見て言った。

「お前が罪を犯したのは、私が不甲斐なかったからだ。そしてあそこまで追い詰められていたお前に、私が気付いてやれなかったからだ」

「そんなことない! 父さんは立派だった! 僕がっ、父さんやみんなを裏切って……」

父は幼いレイフォン達をずっと守ってくれたのだ。レイフォンは、そんな父に憧れて武芸者となった。父のように、他の兄弟たちを守っていきたいと思った。それが武芸者としてのレイフォンの始まりだったのだ。
たとえ道を踏み外しても、自らの手を汚すことになっても、その気持ちだけは捨てるつもりは無かった。

「私は戦場を離れすぎた」

声を上げるレイフォンに対し、デルクは穏やかな調子を崩さず話し続けた。

「戦場を離れ、道場で人に教えるようになって、いつのまにか武芸者として潔癖さに囚われてしまった。そしてサイハーデンの教えのなんたるかを忘れてしまっていた。そのせいで、お前達に苦労をかけることになってしまった。サイハーデン流は生き残るための刀技であり、闘技。お前は私などよりも、はるかにサイハーデンの意思を継いだ武芸者だ」

言葉の出なくなったレイフォンに、デルクは穏やかに、しかし言い聞かせるように話し続ける。

「お前が刀を捨てた時、最初私はお前に見限られたと思った。天剣授受者となった自分に最早刀は必要ないと、そう言われたように感じた。名誉と称号を得て、増長したのかとも思った。
しかしそれを責めることはできなかった。すでにあの時点で、お前は私よりも遥かに強くなっていたからな。そんなお前が私の武門を継ぐことを拒んだとしても、仕方が無いことだとも思った。お前が一人の武芸者として私の刀術を見限り、捨てたのならば、私がそれに口出しすべきではないと思った。
だが違った。お前は、私に対する贖罪のつもりで継がなかったのだろう?」

言って、愁いを帯びつつも優しい笑みを浮かべる。

「そのことに気付くのに、こんなにも時間がかかった。気付いた時、私はひどく後悔したよ。お前にどれほどの重荷を背負わせてしまったのかとな。しかし気付いたところで、今更取り返すことはできん。すでに全てが決してしまっているからな。
だが、完全に手遅れというわけではない。お前がここを離れる前に気付くことができたのは、せめてもの救いだ」

デルクは箱をレイフォンの目の前に置いた。
そして改めて、レイフォンと視線を合わせる。

「お前が武芸を捨てるというのなら、それでも構わん。とことん悩んで考え抜いた末にそう決めたのなら、それでいい。だが、私への罪の意識から進む道を狭めてしまうのはやめてほしい。お前が選ぶこれからの未来に、武芸者という一つの生き方を残しておいてほしい。そしてできるなら……」

まっすぐに目を向けてくるレイフォンの頭に手を置き、デルクは、あくまで優しい声で言う。

「もし、お前がこれからも武芸者としての道を進むのなら、その時は私の教えた技を、サイハーデンの技を持って進んでほしい。このようなことになってはしまったが、お前にサイハーデンの技を伝えたことを、私は少しも後悔してはいない。お前という1人の弟子を、お前という才能を育てることができたのは、一武門の主として最高の誉れだ」

デルクは手を離し、佇まいを正した。

「これは私からの、許しであると同時に謝罪の印だ。お前に重荷を背負わせ、一番助けが必要な時に助けてやれなかった私の、お前に対するせめてもの償いだ。……すまなかった」

そう言ってデルクは、床に両手をついてレイフォンに頭を下げた。

すでにレイフォンは涙で前が見えなくなっていた。

二度と握らないと決めた刀を、他の誰でもない父が握るように言ってくれている。
許されるはずのない罪を犯した自分を、父が許してくれている。
まだ武芸を続けると決めたわけではない。武芸者として生きると決めたわけではない。
しかしそれでも、レイフォンはうれしくて仕方がなかった。

誰よりも尊敬し、慕っていた師であり親である養父が、罪を犯した自分を、なおもサイハーデンの武芸者として認めてくれたのだ。
嬉しくないはずが無い。これほど嬉しいことはない。

レイフォンは泣きながら、それでも養父に向かって頭を下げて、震える声を絞り出した。

「今まで育ててくれて…、僕に武芸の技を教えてくれて…、ありがとうございました……。 それと………、ごめんなさい…」

そのあとは言葉はなかった。ただひたすら泣き続けていた。

そして養父の目にもまた、涙が浮かんでいた。





















レイフォンが犯した罪を、許されることはないだろうと思っていたレイフォンを、養父は許してくれた。
一度は捨てた刀を、再び持つように言ってくれた。
それはとてもうれしいことだ。これほど嬉しいことは無い。

だがそれでも、レイフォンは武芸を続ける気にはなれない。
目の前にある選択肢の中から、武芸者という生き方を選び取る気にはなれない。
戦う理由が、自分にとって戦うに値するだけの理由が見当たらないからだ。

レイフォンが刀を捨てたのは、父に対する贖罪であり、代償のためだった。
だが武芸を捨てたのは、罪の意識からではない。ただ単純に、戦う理由が無かったからだ。
レイフォンは、ずっと理由を持って戦ってきた。
それゆえに、普通の武芸者とは考え方が違う。

大概の武芸者は、武芸ありきの理由で戦うものだ。
武芸者だから、武芸者として生まれ育ったから、だから都市を守るために戦うというように。
武芸者として生まれたがゆえに、そして武芸者として育てられ、教育されたがゆえに、大抵の者は武芸者として生きることに疑問を持たない。
ただ武芸者であるからという理由だけで、戦うことを当然のこととして考えられる。

レイフォンは違う。レイフォンは戦う理由ありきの武芸者だ。いや、武芸者だった。
武芸者として教育される前に、武芸者としての技を身につける前に、家族を、孤児たちを守りたいと思うようになった。
家族を守りたい。大切な者、愛する者を守りたい。そう思うようになった。
その気持ちがレイフォンの原点だ。

そして守るためには戦うのが、武芸を利用するのが有効だと考えた。
だから武芸者になった。
家族を守るため、養うために、武芸者として生きることを選んだ。戦うことを選んだ。
理由があったからこそ、戦いの道を選んだ。そしてそのために、武芸を覚えた。

武芸者となる前に、戦う理由ができてしまった。
そしてずっとその理由のために戦ってきた。
武芸者だから守りたいと思ったわけではない。守りたいと思ったから武芸者になったのだ。
意志が、目的が、理由があったからこそ、レイフォンは武芸者として生きてこれたのだ。

だからこそレイフォンは、理由が無くては戦えない。理由が無ければ、戦う意志も覚悟も生まれない。
そして戦うことのできない武芸者など、何の意味も無い。そんな者が、武芸者を名乗るべきではない。レイフォンは、そう思う。
思うからこそ、グレンダンで戦う理由を失ったレイフォンは、武芸者として生きることができなくなっている。
どれほど他を圧倒する力があったところで、心が戦いに向かおうとしない。

しかしその一方で、レイフォンは今、戦うかどうか迷っている。
戦いたくない、戦えない。その気持ちも本心だ。だがそれと同時に、レイフォンは心の奥底に戦おうとする意志があるのを感じていた。
汚染獣が迫っているのに戦場にいない。そんな今の自分に違和感を感じる。
体がうずく。心が落ち着かない。

(戦場にいる間に……戦うことが習慣になってたのかな……)

自分の心の中にあるモヤモヤとした物に対して、苦笑する。

(それに、結局は決断しきれてないんだよな)

武芸を捨てることをだ。
ここに来てから、すでに二度戦った。戦いといえるほどの物ではなかったかもしれないが、自分の実力を他者の前で発揮してしまった。
そしてそのどちらにも、メイシェンが絡んでいた。
彼女が目の前で危険に晒されるのを見て、咄嗟に助けようとしてしまった。

それを後悔している訳ではない。武芸に対してはっきりとしない自分自身の態度に呆れてはいるが、入学式のとき、そして公園のときに、危ない目に遭っていた彼女を助けることができてよかったと思っている。
だがそんな自分が無様にも感じる。
いざとなると、体が勝手に動いてしまう。捨てようと思っているのに、咄嗟に力を使ってしまう。
力を使わないことに違和感を感じる。
武芸者としての力を使うことが、当たり前のようになっている。

何度も捨てようと思っていた。捨てたつもりになっていた。
だが本心のところでは、捨てきれていないのだ。
それは、心の底では武芸に対して未練があるからか。
それとも、父からの許しを得たからか。
もしくはその両方か。
自分自身のことなのにわからない。己の本心が見えない。
なぜ、武芸に対してここまで悩むのか。

戦うか、否か。
その答えは、未だに出ていない。


その時、突然その場に焦りと恐怖の滲む声が響いた。



















どれくらい時間が経っただろうか。長引く戦いに、ニーナはすでに時間の感覚を失っていた。
額に流れる汗を袖で拭う。しかし着ている戦闘服はすでに汗を大量に吸っており、まるで拭えた気がしない。そのことを苛立たしく思いながら、全身に活剄を走らせて強化し、ニーナは目の前で動けなくなっている汚染獣に2本の鉄鞭を叩きつけた。
その結果に舌打ちする。
内力系活剄によって肉体強化し、さらに外力系衝剄による衝撃波を乗せた鉄鞭の一撃は、幼生の殻をわずかに歪ませただけで終わってしまった。

「くそっ、なんて硬さだ」

つい呟きが漏れる。


汚染獣との戦いに、ツェルニの武芸者たちは苦戦していた。
その要因の1つは、汚染獣たちの甲殻の硬さである。そのあまりの硬さに攻撃はまともに通らず、ろくにダメージを与えられない。
幸いなのは、相手の動きが鈍重で単調なことか。基本的に直進しかしてこないし、相手を押さえつけてからしか、あの凶悪そうな顎は使えないらしい。
注意すべきは胴体部や額から伸びた角だ。個体によって形は違うが、幼生達はその角でこちらを突き刺そうとしてくる。それがわかっているから、他の武芸科生徒たちもなんとか対処できている。

今のところは、殻の上から頭部に打撃を撃ちこむことで、何とか衝撃を通して倒すことはできている。
周囲では、汚染獣1体に対し武芸科生徒複数人でかかり、陽動と攻撃を繰り返すことで、1体ずつ確実に潰す戦法が取られている。
またニーナの近くでは、ハイネが一体の汚染獣を相手に1人で戦っていた。二本の剣を振るい、果敢に立ち向かっている。
ハイネの攻撃は一撃の威力は低いものの、一体に対し連続で何度も攻撃を加えることでダメージを蓄積させ、一体ずつ確実に倒していた。
無理にとどめを刺そうとはせず、脚の関節などにある甲殻の隙間を攻撃することで動きを封じようとしている。

戦えている。それは確かだ。
自分でも初めての実戦に緊張しているのがわかる。今まで人間相手の戦闘を想定した訓練しかしてこなかったため、初めて相手取る人間外の敵との戦いに、戸惑いと無用なほどの緊張を強いられている。そしてそのせいで、必要以上に疲労している。
しかしそれでも戦えている。戦場には、決して少なくない数の汚染獣の死体が転がっている。

だが、

「きりがないな。まったく……」

苦戦しているもう1つの要因は敵の数だ。倒しても倒しても、次から次へと都市の下から飛び上がってくる。
空を飛んで都市部に入り込もうとする幼生を、シャーニッドたち射撃部隊が撃ち落とし、それをニーナたち地上部隊が迎え撃つ。今のところはそれでなんとか汚染獣を都市部に行かせずに済んでいるが、現状では撃破数よりも増加数のほうが多いため、この状態もいつまでもつかわからない。
このまま、いつか呑みこまれてしまうのでは。
そんな絶望的な気持ちに陥りそうになるのを、自身に喝を入れることでなんとか振り払う。

(指揮官である私が倒れたら、この戦線は一瞬にして崩れてしまう)

戦線を保てなくなれば、汚染獣たちは一気に都市部へと雪崩れ込むだろう。それだけは避けねばならない。
そう自分に言い聞かせ、再び敵に向き直る。

その時、

『大変です。C-3で戦線の最終防衛ラインが破られました。汚染獣二十体近くが都市内に侵入。第十三小隊は隊員の半数以上が負傷。隊長は意識不明の重体です』

「なっ」

第一小隊の念威繰者からの通信に、ニーナは絶句する。
だが動きを止める余裕は無い。すぐ傍まで汚染獣が迫っているからだ。
一体の突進をかわし、もう一体の脚に鉄鞭をたたき込む。脚を砕かれた汚染獣はバランスを崩し、突進の勢いを殺すこともできずに侵入防止柵に受け止められる。柵に流された高圧電流が周囲を青く輝かせ、汚染獣は殻の隙間から煙を出して動きを止める。

(都市内に入りこまれただと!?)

突然もたらされた情報に焦りが浮かぶ。
すぐにも都市部へと向かわなくては。そう思うが、できない。
この場の司令官であるニーナがここから離れるわけにはいかない。かといって討伐隊を編成しようにも、ここの部隊はすでに総力戦となっており予備戦力は残っていない。

(他の部隊で対処できるのか?)

そうであってほしいと願う。でなければ、守るべき一般人たちが汚染獣に食い殺されてしまう。
都市の危機に何もできない、自身の無力に歯噛みする。

「くそっ」

こちらにできること、やるべきことがあれば、本部にいるヴァンゼの方から指示があるはずだ。
今は目の前の敵に、自分の戦場に集中する。
そう自分に言い聞かせるが、心の内で焦りが膨らんでいくのを抑えられなかった。














「最終防衛ラインが破られただと!?」

司令部の部屋にヴァンゼの怒号が響き渡る。

「追撃は!?」

「現在、前線にいる武芸科生徒たちは戦線維持に手一杯で追撃に回す余裕がありません!!」

「くそっ!」

ヴァンゼが壁を殴る。
最終防衛ラインが破られた。つまり、都市内部に汚染獣が入り込んだということだ。
そして前線にいる武芸者たちには、すでにそれを追いかける余力さえ無い。

戦闘が始まって数時間が経っている。負傷者は次々と増え、疲労によって動きの鈍ってきた者たちも多い。すでに何人か死傷者すら出ている状態だ。
とてもじゃないが、いつまでも戦闘が続行できる状態ではない。
今はまだ持ち堪えられるだろう。持ち堪えるだけならば、もうしばらくは大丈夫だ。
だが、それは時間稼ぎにしかならない。このままでは、いずれは持ち崩すだろう。

いや、すでに持ち堪えきれなくなっているのだ。戦線に穴があき始めた。
だから、防衛線が突破された。そして都市内への侵入を許してしまったのだ。
汚染獣たちは、今もなおその数を増やし続けているという。倒しても倒しても、次々と地中から這い上がってきているのだ。このままでは、拮抗が保てなくなった途端に呑みこまれてしまう。

戦線がそんな状態なのだ。とてもそれ以外に戦力を回す余裕は無い。
だがこのままでは、シェルターは破られ一般人に被害が出る。武芸者として、そして武芸長として、そんなことを許すわけにはいかない。一般人に1人でも死者が出れば、それは武芸者達の敗北だ。

(俺自身が行くか? いや、最高司令官が本部を離れて指示が滞れば、前線に悪影響が出る。そうなれば、同じ事の繰り返しになる)

もともと第一小隊を含む三つの小隊は、いざという時のために都市内に待機していた。防衛線の維持が難しくなった所を援護するためだ。
すでにその三小隊はいない。ヴァンゼ以外の第一小隊のメンバーも、指揮を副隊長に任せて前線に向かわせている。
そしてヴァンゼはここで、念威や通信機を通して全体の指揮を行っていた。今まで膠着状態を保っていられたのは、たとえ前線で不慮の事態が起こっても、ヴァンゼが適確な指示を出すことでなんとか対処できていたからだ。

(くそっ、自分自身が動けないということがこれほど歯痒いとは)

何とかこの場を打開しなくてはと思うが、いい案は浮かばない。ただ時間だけが過ぎていく。そして時間が過ぎれば過ぎるほど、一般人たちの危険は増していく。



カリアンも焦っていた。
突破された防衛線は、応援として向かわせた第一小隊によってなんとか持ち直すことができている。
だが、すでに都市内に入り込んだ汚染獣に対しては、何の対策もとれていない。
ツェルニに最早予備戦力は無く、討伐隊を編成する余力は無い。
かといってもしこのまま都市内に入り込んだ幼生たちを見過ごせば、一般人に多くの犠牲が出る。そしてその事実は、前線にいる武芸者たちの士気をも低下させるだろう。
それはさらなる戦線の崩壊に繋がりかねない。

目の前に迫った事態だけではない。
先程、小隊員たちをそれぞれの持ち場に送り出した時だ。他の者たちが部屋を出るのを見計らってから、ゴルネオはカリアンとヴァンゼに汚染獣に関するさらなる情報をもたらしたのだ。

『敵は幼生体だけではない』

彼の話では、敵は目の前の幼生体だけではなく、地下にいる汚染獣の母体である雌性体も倒さねばならぬという。
なぜなら、もしも幼生体たちが全滅すれば、地下にいる母体が付近の汚染獣を救援に呼ぶからだ。そして救援にやってくる汚染獣が幼生体とは限らない。
生まれたての幼生体相手でもこれほど苦戦しているのだ。もしも成体の汚染獣が攻めてくれば、都市は間違いなく滅ぶだろう。いや。今の状況を見れば、救援を呼ぶまでもなく幼生体達に滅ぼされかねない。

そんな事態だ。目の前のことの対処に手一杯で、当然、地下の母体を潰す余力などツェルニには無い。
だからこそ、ゴルネオは皆の前でこの話をしなかったのだ。してしまえば、さらなる焦りと絶望を与えるだけだと判断した。そうなれば武芸者たちの士気は下がり、余計に勝ち目がなくなると。
その判断は賢明だったろう。だが、現状でそれを打開する術が無いのであれば意味が無い。

(何とかせねばなるまい)

そうは思うが、方策は思いつかない。
普段から色々と策を練ることは多いが、どれも所詮は人間を相手にしたものだ。化物相手ではまるで役に立たない。
表面上は冷静を装ってはいるが、カリアンの胸の内はこれまでにないほどに焦っていた。

(彼の協力を得られれば)

切実にそう思う。しかし、現状それはほぼ不可能と思われる。そんなことを今更考えても無為だ。
それに来る保障の無い助けを当てにして作戦を立てるわけにはいかない。
なんとか、今ある戦力だけでこの事態を打開しなくては。

今、司令部には生徒会役員と各科の代表である幹部たちがいる。彼らの意見が部屋中を飛び交っているが、この場を打開できそうな名案は出てこない。
刻一刻と近づいてくる最悪の事態を前に、カリアンはただ手をこまねいているしかなかった。























「最終防衛ラインが突破された!?」

先程の念威繰者の少年が悲壮な声で叫んだ。普段ならば感情に乏しいであろう表情と声に、うっすらと恐怖が浮かんでいる。

「汚染獣の群れが十体以上も、こっちに向かって近づいてきます!」

少年の言葉に、その空間にいた者たちは騒然としだす。そこかしこで死の恐怖に怯える声が聞こえ、絶望に泣き喚く声がする。誰の顔にも拭えぬ恐怖が浮かぶ。

「どうしよう? このままじゃ……」

メイシェンはあまりの恐怖に涙を浮かべている。
レイフォンの顔にも焦りが浮かぶ。これほど早く戦線が崩れるなんて。まさかツェルニの武芸者のレベルがここまで低いとは。

(どうする? どうすれば)

レイフォンは心の中で逡巡する。戦うか、否か。

戦えば、再び失うかもしれない。離れていってしまうかもしれない。
でも戦わなければ、彼女たちが命を落としかねない。
いや、確実に死んでしまう。

すぐに応援が来るか? その保証は無い。おそらくは目の前の敵で手一杯のはずだ。都市内に入った汚染獣を追う余裕があるとは思えない。そしてシェルターの壁が破られれば、ここにいる生徒たちの命は無い。

目の前には、震えながら自分の身体を抱きしめるメイシェンがいる。
そして汚染獣は、レイフォン達がいるシェルターを目指している。

(このままでは、メイシェンが……)

その時レイフォンの脳裏に、出会った時の彼女たちの姿が浮かび上がった。楽しそうに夢を語る、眩しい姿が。
このままでは、彼女たちは夢も命も、あらゆるものを失ってしまう。

(ダメだ)

想像してしまう。彼女たちが汚染獣に無惨に喰い殺されていく姿を。
血に染まる、彼女たちの姿を。

(ダメだ、ダメだ。それだけは、絶対に嫌だ)

大切な存在になっているのだ。失いたくないと思える存在なのだ。
グレンダンで一度は失い、そしてツェルニに来てもう一度手に入れた物なのだ。
そんな彼女たちが、命を落としてしまう。

その様子を頭に浮かべた時、レイフォンの中で何かが切れた。

いや、それは頭の中でギアが噛み合ったようにも感じた。
とにかくその時、レイフォンの心の中で何かが決した。


かつてレイフォンは、武芸のせいで、己の強さのせいで大切な者を失った。
愛していた者たちに、憎まれることになった。
そして戦う理由を失った。

だからこそ武芸を捨てた。たとえ女王に禁じられなくとも、捨てていただろう。
同じことを繰り返さないために。あの悲しみと絶望を再び味わいたくないがゆえに。
罪の意識ではなく、失うことの、憎まれることへの恐怖から、武芸を捨てた。

そして理由を失ったからこそ、戦うことを止めた。
理由が無ければ戦えなくなってしまっていたレイフォンは、家族を守るという理由を失った。
だから戦い以外の道を探していた。武芸者以外の生き方を見つけようとしていた。
もう戦いたくないと思ったし、戦えないだろうと思った。

だが、戦ったことを後悔したことは無かった。
武芸の道を歩んだことを後悔したことは無かった。
罪を犯したことを後悔したことは無かった。
たとえみんなから憎まれても、責められても、己のしたことを間違いだとは思わなかった。

大切な者を守るためならば、己の手がどれほど汚れようと構わない。誰に憎まれようとも構わない。そう思ったからだ。
武芸者として生きると決めた時に、すでにそう心に決めていた。

大切な人に、愛する人に、憎まれるのも失望されるのも悲しかった。辛かった。
だが、それでも生きていてほしかった。彼らが生きていてくれるなら、憎まれたって構わなかった。
たとえ憎まれようとも、死んでほしくなかった。
愛されたまま死なれるより、生きて憎まれた方が遥かにマシだった。

だからこそ、己の手を汚してでも彼らを守ろうとしたのではないのか。
愛する者を守るためなら、愛する者に憎まれたって構わない。己一人の悲しみで大切な者が救えるのなら、それ以上は求めない。
あの時、そう決めたはずだ。
いや、それ以前から、武芸に出会うよりも遥か前からそう心に決めていた。


それこそが、レイフォンの本質であるはずなのだ。


ならば戦おう。

立ち上がり、武器を取り、戦場に向かおう。
メイシェンを、彼女たちを守るために、戦おう。
その結果、同じことを繰り返すことになるかもしれない。彼女たちを失うことになるかもしれない。
憎まれ、嫌われ、失望されるかもしれない。
だがそれでも構わない。
たとえ失うことになったとしても、憎まれることになったとしても、彼女たちに生きていてほしい。
そして彼女たちに、夢を失ってほしくない。レイフォンには無い物を持っている彼女たちに、それを失わせたくない。
心の底から、そう思う。

そのためならば……たとえ一度は捨てた武芸であろうと、それを使おう。
レイフォンが戦うことで彼女たちを守れるのなら、今一度、武芸者となろう。
そして彼女たちとの時間を守るためならば、これから先も戦い続けよう。

戦う理由は、生まれた。







心を決め、レイフォンは立ち上がった。

それに気付いたメイシェンが、怯えつつも怪訝な顔をする。

「レイ…とん……?」

「ごめん。ちょっと外出てくるね」

レイフォンはできるだけ軽い調子で言った。

「外出るって……」

「うん。汚染獣、片づけてくる」

「そんな!?」

メイシェンが驚きに目を見開く。

「駄目だよ! 危ないよ! レイとん、武器も持ってないのに」

「心配いらないよ。たいしたことないから」

珍しく大きな声を上げるメイシェンに背を向け、その場を離れようとする。

が、後ろから服の裾を掴まれ、足を止めた。

「イヤだよ……レイとんが……危ない目に遭うなんて……」

メイシェンは先程よりもさらに泣きそうな顔で、行かないでくれと懇願する。

「お願い……危険なことしないで……きっとすぐ助けも来るから……」

自分の身を案じてくれる彼女に、レイフォンは胸が痛くなるのを感じた。
だがそれでも、行かなくてはならない。このままでは、みんなが死ぬ。たとえ応援が来たとしても、ツェルニのレベルでは解決にはならない。いずれは同じことになる。
ここは、レイフォンが動くしかない。

「大丈夫だよ」

裾を掴む手のひらをはずし、レイフォンはメイシェンに向き直る。そして自らの左手でその手を優しく握り、右手はメイシェンの肩に置いた。
肩に手を置いたまま、優しい口調を意識しながら口を開き、言葉を紡ぐ。

「絶対に生きて帰るから。だから安心して。僕が、みんな守ってみせるから」

言って、安心させるように、できる限り明るく優しい笑みを浮かべて見せる。
それでも、メイシェンはいやいやをするように首を振る。近しい人間を失うことへの恐怖からか、その体は震えている。肩に置いた手からも、その震えが伝わってくる。

レイフォンは着ていた上着を脱ぎ、メイシェンの肩から羽織らせた。
再び怪訝な顔をするメイシェンに、優しく、それでいて軽い調子で話しかける。

「悪いんだけど、これ預かっててもらえる? 外に出たら多分汚れると思うんだけど、代えがないからそれは困るんだよね。僕が戻ってくるまでの間預かってくれると助かるんだけど」

これから命懸けの戦場に向かおうというのに、あまりにも軽い言葉。自分が死ぬ可能性など微塵も考えてはいないのではないかと思わせるほど、その声は普段と変わりなかった。
まるで、ちょっと外に出かけてくると言っているような、そんな何気ない調子で。
まるで、戻ってくることが当然であるかのように自然な声で。

「約束する。必ず帰ってくる。だから、僕を信じて」

掛けた上着の上からメイシェンの両肩に手を置き、まっすぐに目を見て言う。メイシェンは、呆然としたようにレイフォンを見上げる。

「じゃ、行ってきます」

少しだけ冗談めかして出発の挨拶を告げる。

そしてメイシェンに背を向け、シェルターの出入口へと向かった。

メイシェンは一瞬引き留めようと手を伸ばしかけたものの、思い直したように手を降ろした。
そして肩に掛けられたレイフォンの服を握りしめながら、離れていくレイフォンの背中を心配そうに見送った。













「待ってください」

シェルターの出口に向かって通路を歩いていると、後ろから声がかかった。
振り向くと、先程の念威繰者の少年がレイフォンの後を付いてきていた。

「僕も行きます。手伝わせてください」

顔を若干青ざめさせながらも、はっきりとした口調で言う。

「錬金鋼が無いので戦闘中の補助まではできませんが、索敵くらいならできます」

「……汚染獣はかなり危険なんだけど……わかってる?」

「もちろんです。念威で見ていましたから」

少年は即答する。
レイフォンはほんのわずかに思案するが、すぐに頷いた。
彼は己の意思で戦場に向かおうとしている。ならば身を案じる必要も思い直させる必要も無い。
危険だとわかっていても何かがしたいのだろう。

「わかった。行こう」

言って、踵を返し出口を目指す。
少年は黙って付いてきた。





















司令部は揉めていた。差し迫った事態にどう対処するかでだ。
役員や幹部たちはそれぞれ自分の意見を述べていくが、どれも打開策としては不十分だ。
かといって何もしないままでは、大勢の生徒を見殺しにすることになる。

ただ無為に時間は過ぎていく。
そして時間がたてばたつほど、汚染獣は生徒たちのいるシェルターへと近づいて行く。

「仕方ない。ここは、負傷して一旦後方に退がった者たちの中から、比較的軽傷の者を選んで討伐隊を編成するしかあるまい」

カリアンがそう結論付けた。
はっきり言って苦渋の選択だ。確実性の無い、危険な作戦といえる。この作戦の結果、武芸科生徒にさらなる被害が出かねない。
しかし他に良案は思いつかない。

「ヴァンゼ、後方の医療科のテントにいる武芸科生徒の中から、動ける者を……」

と、そこまで言った時、司令部にいた第一小隊の念威操者が声を上げた。

「えっ? 嘘?」

それを聞き、ヴァンゼが焦りを浮かべていた顔を怪訝そうにする。

「どうした?」

彼女はもともと戦場全体の通信の統括を任されており、前線からの情報を司令部に伝えたり、司令部からの指示を各戦域にいる部隊に伝える仕事をしていたのだが、汚染獣が都市内に入り込んだために、その汚染獣たちの捕捉も行っていたのだ。

「都市内に入り込んだ汚染獣たちの生命反応が、次々と消えていきます」

「何っ!?」

突然もたらされた情報に、ヴァンゼだけでなくその場にいた者たちすべてが驚きに固まる。

「どういうことかね?」

「視認状態にしていなかったので詳しくは分かりません。ただ、おそらくは誰かが汚染獣たちと戦っているのではないかと」

カリアンの問いに、躊躇うように報告する。念威で拾った情報を自分でも信じられないのだろう。
だがカリアンには、一つの予感があった。予感というより、他に考えられなかった。

その時、司令部に1つの念威端子が入り込んできた。













あとがき

長かった。自分で書いておきながら「レイフォン、お前悩みすぎなんだよ!」と言いたくなってしまいました。結局戦闘パート入らないし。
レイフォンの葛藤シーンは、なかなか納得いかず何度も書き直したので大変でした。ホント、ここ書き終えるだけでどれだけ時間かかったか。心理描写って大変です。

とはいえ、レイフォンは悩みまくる割に決断すればまっすぐなので、今後はレイフォンの心理描写は減っていくと思いますけど。代わりにバトルパートを増やしていきたいです。


レイフォンの性格には、作者の好きなマンガ「サイレン」の主人公、夜科アゲハの影響があります。彼は、なんだかんだで殺人行為を忌避し避けようとする少年ジャンプの主人公の中で、数少ない己の意思で人を殺そうとする人物です。
「大切なものを守るためなら、己の手がどれほど汚れようとかまわない」という考え方は、彼と重なるところがあります。
「“守る”だの“救う”だの叫んで、何もしない奴よりは、手を汚せるだけいくらかマシだ」という敵キャラの台詞には強く共感しました。


さて、次回はやっとレイフォン参戦です。いちおうここで一巻分が終了する予定。
文字でどこまで伝わるのかわかりませんが、迫力のあるバトルが書ければいいなと思います。



[23719] 8. 参戦 そして戦いの終結
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2010/11/24 22:46

念威繰者の少年はアルマと名乗った。

「このまままっすぐ行けばちょうど向かってくる汚染獣とぶつかります」

現在、レイフォンとアルマは通りをまっすぐ走っている。
すでにレイフォンの強化された聴覚は、こちらに近づいてくる汚染獣たちの足音を捉えていた。
シェルターからある程度離れてから、通りの真ん中で立ち止まる。

「ここで迎え撃つ。アルマはどこかに隠れててもらえる?」

「わかりました。気を付けてください」

言って、近くの建物の中へと入っていくアルマの後ろ姿を見送る。
辺りに人気は無く、汚染獣の進行が生み出す異音以外は何も聞こえない。

「さて、と」

一旦深呼吸し、心を落ち着ける。
静かに佇みながら、体内で剄を練り上げる。
体の内側で流れるエネルギーを感じる。その流れを、少しずつ加速させていく。
全身に力が満ちていくのが分かる。あふれ出しそうになるその力を、体の内側に抑え込み、収束させる。
その時、前方から汚染獣の幼生体が群れを成してまっすぐ向かってくるのが見えた。
数は……十一体。

その姿を確認すると同時に、レイフォンは跳んだ。
活剄で強化した脚力によって周囲の建物群よりも遥かに高く跳び上がり、それから群れの先頭にいる汚染獣めがけて降下した。
空中にいるレイフォンの背中で衝剄の爆発が起こる。その反動によってさらに落下速度を増し、矢のような勢いで汚染獣に突っ込んだ。
活剄によって強化した脚に、衝剄を纏わせる。そして先頭にいた汚染獣の頭部を全力で踏み潰した。

周囲に衝撃が広がり、凄まじい破砕音が起こる。
汚染獣の頭部は砕かれ、潰れ、弾け飛び、一瞬で絶命した。
地面はひび割れ、石畳はめくれ上がる。破壊的なまでの衝撃は四方に拡散し、周囲に砕け散った破片を撒き散らせた。
巻き上がる粉塵の中、レイフォンが立ち上がる。

後続の汚染獣たちは、そんな様子を見ても速度を落とすことなくまっすぐ突き進んでくる。餌がすぐ近くにあるのが分かっているのだろう。その進行に迷いや躊躇いは無い。餓えという根源的な欲求に従い、本能のみでこちらに向かって来る。
その群れに、レイフォンは真正面から突っ込んだ。
最も近くにいた一体に肉薄し、蹴りを放つ。神速の蹴りは一撃で幼生体の頭部を吹き飛ばした。頭部の周囲の甲殻にも大きなひびが入る。レイフォンの膨大な剄による活剄で強化された脚は鋼のごとき強度を誇り、衝剄を纏った蹴りは凄まじいまでの破壊力を生み出した。

いつかのような感情任せの垂れ流しの剄ではない。凝縮され、洗練された衝剄は、刃のごとき切れ味を持つ。
この時、レイフォンの放つ剄は大気を震えさせるほどに巨大でありながら、なおかつ静謐にして一切の無駄を感じさせぬほど限界まで研ぎ澄まされていた。
強靭な意志で制御され研ぎ澄まされた剄は、余人の及ばぬほどの強度と威力を誇る。
この時のレイフォンは、無手にして、鋼の鎧と剣を身に付けているかのようであった。

さらに後続の汚染獣に、膨大な剄の伴う攻撃を叩きこむ。
武芸の本場グレンダンにおいて、レイフォンを強者たらしめていた要因の1つが、この剄力である。
レイフォンは幼少のころより膨大な剄を持っていた。
武芸者の剄量というものは、一生を通してあまり変化することは無い。剄脈を鍛えることで瞬間の発生量や持続力を高めることはできるが、剄量そのものが大きく増えることは稀である。
ゆえに武芸者の才能の一つには、この剄量があげられる。そしてレイフォンはこの剄量という点において、他者を圧倒するほどの才能があった。
レイフォンは生まれつき並の武芸者よりも大きな剄を持っていた。そしてその剄量は希有なことに、レイフォンの成長の過程でさらに増加していった。
この剄力があったからこそ、レイフォンはグレンダンで他の武芸者を超絶する力量を誇ってこれたのだ。

汚染獣たちは進路を変え、目の前の餌、すなわちレイフォンに向かって襲いかかってきた。
レイフォンのいる方向へと、愚直なまでにまっすぐ突っ込んでくる。
先頭の一体がその額の角でレイフォンを突き殺そうとするのを、敵の側面に回って躱す。そしてそれと同時に、相手の胴体に強力な掌底を叩きこむ。

外力系衝剄の変化 剛力徹破・咬牙

レイフォンの掌底は汚染獣の甲殻を砕き、さらに内側の細胞をも破壊した。
徹し剄による浸透破壊系の技だ。外側からの強力な衝剄と徹し剄によって、敵の体を内外から破壊する。
破壊の嵐が体中を駆け巡り、汚染獣は全身を震わせて息絶えた。

息を吐く間もなく、もう一体がレイフォンの側面から襲いかかる。
それを再び躱して跳び上がり、その汚染獣の背中に拳を叩きこんだ。

外力系衝剄の変化 剛力徹破・突

鋭い衝撃は背中から地面まで突き抜け、周囲の地面に再び破壊を巻き起こし、破片を散らす。
体内の奥深くまで突き抜けた破壊の力は、汚染獣の甲殻の下にある体組織を完全に死滅させる。

剛力徹破は浸透破壊系剄技の類型であり、グレンダンに古来より伝わる格闘術系流派の1つの技だ。戦場で生き残ることを目的としたサイハーデンの技の中には、刀を失った時のための素手による戦闘用剄技も存在するが、それでもやはり、格闘術専門の流派には及ばない。
この流派は、そんな格闘術を伝える流派の中でも、最も隆盛を誇る武門に伝わるものだ。
他流派の技ではあるが、しかしレイフォンはそれを生半可な使い手などよりも遥かに高次のレベルで使いこなす。

レイフォンが強者たるもう一つの所以は、その剄技における習得の早さであると言える。
幼いころより、レイフォンの目は武芸者の発する剄を視認することができた。ある程度の実力者ならば剄の波動を感じ取ることは容易だが、剄の流れを目で見ることができる武芸者は稀だ。
そしてレイフォンには生まれつきその希有な才能があった。他者が技を使う際に生じる剄の流れを読み取ることで、その剄技の仕組みを理解することができる。そしてその剄の流れを再現することで他人の技を使うことができた。

他者の剄技を一目見るだけで理解し、習得することができる。レイフォンは武芸者として、技を盗むこと、覚えることにおいて、グレンダンでも類をみないほどの才能を持っていた。
この武芸者としての器用さこそが、レイフォンが幼くして戦場に立つことができたもう一つの要因といえる。
そしてこの力があったからこそ、刀を捨ててもなお戦場で戦い続けることができたのだ。

汚染獣の幼生たちは策も何もなく、ただ餓えに任せてレイフォンへと向かってくる。そんな幼生体を、レイフォンもまた、先頭から順番に潰していく。
頭を潰し、甲殻を砕き、内臓をぶちまける。
蹴り脚は一撃で甲殻を砕き汚染獣の体を抉り取り、拳打は敵の体細胞を同時に内外から破壊する。
レイフォンの持つ膨大な剄は静謐なまでに研ぎ澄まされ、目で見ることができれば美しく思えるであろうほどに洗練された流れを形成していた。
一方でその剄が生み出す破壊の力は嵐のように荒れ狂い、獰猛かつ暴力的なまでに汚染獣たちを蹴散らしていく。

外力系衝剄の変化 爆導掌

汚染獣の胴体に当てた手のひらから剄を流し込み、相手の体を内側から爆砕させる。
破裂するように全身が弾け飛び、最後の一体は絶命した。

「ふう……」

とりあえず目前に迫っていた脅威を取り除き、一息つく。
後には四散した汚染獣の死体と技の余波による破壊痕だけが残された。

「お疲れ様です」

建物から出てきたアルマが背後から近づきながら言った。

「他には?」

「あちらの方角に五〇〇メルトルほどのところで七体の汚染獣が他のシェルターを目指して進んでいます」

「ん? この方向って……うわぁ、まいったな。僕の寮があるところだ」

「そうなんですか?」

「うん。建物とか壊されてなきゃいいけど」

「では、早く向かった方がいいですね。少し急ぎましょう」

「わかった。それじゃ行こうか」

と、そちらに足を向けようとするが、人の気配を感じて立ち止まる。それから気配のする方に目を向けた。
建物の陰から一人の少女が現れた。
まるで精緻な人形のように整った顔立ちには見覚えがある。

「フェリ先輩?」

それは第十七小隊の念威繰者、フェリだった。













フェリはカリアンと口論した後、部屋を飛び出し人波とは逆の方向を選んで走った。
戦場には向かわず、かといってシェルターに入るでもない。今は人気の無い通りを1人で歩いていた。
すると、通りに並ぶ建物を挟んで反対側から汚染獣の地面を這う音が聞こえてきた。都市内に侵入を許したのだ。
戦うつもりは無いが、だからといって素直に食われる気も無い。仕方なくどこかに身を隠そうと思っていると、突然、通りの向こうから凄まじい破砕音が響き、それから激しい戦いの音が聞こえてきた。
その戦いは非常に激しく、衝撃がここまで伝わってきた。まるでこの空間そのものが震えているようだ。

しかしその戦闘の音は、さほど時間もかからず消え去り、辺りには静寂が満ちた。
やや迷ったが、何が起こっていたのか気になり、様子を見に行くことにする。
建物の間を抜け、向こうの通りに出ると、そこには激しい戦闘の痕と2人の少年の姿があった。
少年の内の1人がこちらを向き、驚いたような声を上げる。

「フェリ先輩?」

「レイフォン……さんですか……」

少年は、今年知り合ったばかりの、不幸にもカリアンに目をつけられている1年生のレイフォンだった。

「フェリ先輩、どうしてここに?」

「……戦場に……行きたくなかったので」

「だったらシェルターに……」

「不本意ではありますが、私は武芸科の、それも小隊員です。シェルターに行ったところで入れてもらえるとは思えませんし、見つかれば無理やり戦場に引っ張り出されかねません。そんなのは御免ですから外にいたんです。
それで、たまたまこの近くにいて……先程この辺りから大きな音がしたので来てみたのですが……」

それからフェリは辺りを見渡した。周囲にはそこいら中に汚染獣の死骸が散乱している。地面の石畳にも多くのひびが入っていた。

「これは……もしかしてあなたが?」

「ええ、まあ……」

曖昧に頷くレイフォンを見て、フェリは信じられない物を見たような気持ちになった。

「……にわかには信じがたいですね。まさかあなたがこれほど強かったなんて……。成程、道理で兄が欲しがるはずです。………まあ、それはそうとして……」

口調に、少し責めるような響きが滲むのを自覚する。

「あなたは戦うのが嫌だったのではないのですか? だから武芸科に入らなかったのでは?」

彼は自分と同じで武芸以外の道を探しにこの都市に来ていたはずだ。戦う理由を失くしたと、武芸は捨てたと言っていたはずだ。
それなのに、なぜここで汚染獣たちと戦っていたのか。しかも、見たところ錬金鋼も持っていないように見える。ただでさえ戦うことを忌避していたはずなのに、どうしてここまで無茶をするのか理解できなかった。
そんな疑問を訴えるフェリに、レイフォンはやや困ったように答える。

「ツェルニの戦力はもう限界です。これ以上は持ち堪えられないでしょう。放っておけば、いずれさらに多くの汚染獣たちが都市に入り込んできます。そうなれば、シェルターは破られて、たくさんの人が死にます」

「だから何なんです? あなたはもう武芸者ではないんですよ? 戦う義務も義理も無いはずじゃありませんか?」

納得がいかない。戦うことを拒否していたはずだ。武芸者としての使命感か? 何故今更そんなものを?
淡々とした口調に、わずかに熱がこもり始める。

「けど他の人では無理です。僕にしかこの都市を守ることができないなら、僕がやるしかないじゃないですか」

「できる人間はやらなければならないのですか? 欲しかったわけでもないのに、ただ才能があったという理由だけで、力があるという理由だけで、私たちは戦わなくてはいけないと言うんですか?」

そんなのは……嫌だ。そんな理屈は、自分がこの都市に来た目的を否定されるようなものだ。
自分は念威繰者でしかいられないのだと言われているようなものだ。
嫌だ。他人から念威だけで評価されるのも、その力を利用されるのも。
絶対に、嫌だ。

「……そんなのは……納得いきません……。あなたが何と言おうと、私は戦いたくない……。望んでもいなかった自分の力を、他人に利用されるのは嫌です……。たとえその結果としてどれだけの人が死ぬことになっても、私が命を落とすことになっても、私は、戦場には行きません……」

「フェリ先輩に戦えなんて言いませんよ。戦う意志が無い人を、無理やり戦場に連れていくつもりはありません」

レイフォンは、やや困ったような、苦笑するような顔で言う。

「僕だってさっきまで同じ考えでした。たとえ何人死のうと構わない。どれだけ被害が出ても僕には関係無い。そう思ってました。戦場で命懸けで戦っている人たちがいる中でシェルターに隠れてた僕に、フェリ先輩をどうこう言う資格は無いですし、そのつもりもありません。ただ、今この都市は戦う力を必要としている。そして僕にはその力がある。だから、僕は戦います。この都市が無くなってしまうのは、僕も困りますから」

「………だからといって……何故あなたが戦うのですか? 戦いを望んでいなかったのでしょう? 戦う理由が無い、武芸をする理由が無い、そう言っていたじゃないですか」

なのになぜ戦うのか? 
苛立ちながら疑問を述べるフェリに、レイフォンは静かな笑みを浮かべて答える。

「戦う理由ができたんです。今、この都市に消えてもらっては困るんですよ」

「戦う……理由……?」

「ここで……ツェルニで……大切だと思えるものが……守りたいと思えるものができたんです……。たとえもう一度失敗することになってもいいと思えるくらい大切なものが……。僕は、それを失いたくない。だから、戦います。
この都市を守ることがみんなを守ることに繋がるなら、都市間戦争だろうと汚染獣だろうと戦います」

迷いは感じられなかった。以前話した時、彼の態度や口調には何らかの迷いが感じられていたのに、今はそれが無い。
あらゆることを考慮した上で、すでに覚悟を決めている。そんな様子だった。

「……では、武芸者以外の道は諦めるということですか? 当初の目的は捨てて、これからは武芸者として生きていくと決めたのですか?」

己の口調が激しくなっているのに気づく。
自分と同じ立場だと思っていた者が、自らの意思で戦場に赴くという。それを見て、言いようの無い不安が押し寄せたのだ。
結局自分もいつかはこうなるのではないか。いつか諦めざるを得なくなるのではないか。
自らの目的を完全に諦めなければならない時が来るのではないか。そう思ってしまう。

「諦めたつもりはありませんよ」

だがレイフォンの答えは意外なものだった。

「え?……でも、あなたは……」

「別に、一生武芸者でいると決めたわけじゃありません。これからも僕は、ここで自分が本当にやりたいことを探すつもりですから。でも、この都市が無くなってしまえばそれもできなくなります。僕だけじゃない。僕にとって大切な人たちも、自分の夢を失ってしまう。彼女たちに、こんなところで夢を諦めさせたくない、将来を失わせたくないんです」

「……他人を守るために、自分を犠牲にするつもりですか? 命を危険に晒して、己の目的まで曲げて、それでもみんなを守りたいと? 自己犠牲の精神。ご立派です。まるで正義のヒーローですね」

苛立ちから揶揄するように言葉を吐き捨てるフェリに、レイフォンは怒ることも無く、ただ少し悲しそうな表情を浮かべて、自分の本心を吐露する。

「そんないいものじゃありませんよ。ただ、僕が失いたくないだけです。そして彼女たちが失うところを見たくない。それだけです」

自己犠牲なんて美しいものじゃない。ただの自己満足。個人的な願望でしかない。
レイフォンはそう言う。

「昔、いろいろと失いましたから。また失われていくのを、ただ黙って見ていたくないだけです」

フェリは激昂しそうになっていた感情が沈んでいくのがわかった。
先程まで心の内で渦巻いていた感情が萎んでいく。
やはりそれは自己犠牲ではないのか。そう思うが、言えなかった。
それでもフェリは弱々しく言葉を紡ぐ。

「それでも……私は……武芸なんて……」

「心配いりません。フェリ先輩が戦う必要はありませんから」

レイフォンが断言するように言う。
普段は気弱で頼りない態度なのに、今は声にも姿にも自信が窺えた。
戦うことに、すでに完全に迷いが無いのだ。
そして自分の力量に自信を持っている。それが過信ではないのは、この場に残る戦闘痕が証明している。

「汚染獣は僕が倒します。この都市も、みんなも、それにフェリ先輩も、僕が守ってみせますから。それまで先輩はどこかに避難しててください」

言って、レイフォンはフェリに背を向ける。
咄嗟に呼び止めそうになるが、寸前で思いとどまった。
レイフォンが歩き出す。すると、レイフォンとすれ違うようにもう一人の少年が近寄って来た。
何か? と問う前に、少年の方から口を開く。

「すみません。せめて、その錬金鋼を貸してくれませんか? それがあった方が、彼をサポートしやすいと思うので……」

フェリは少しだけ沈黙し、やがて嘆息すると、無言で重晶錬金鋼を復元し、それを手渡した。
少年は念威端子をいくつか飛ばし、それからレイフォンの方を振り返る。

「ありがとうございます。ではレイフォン、行きましょう。僕は司令部の方に連絡を入れておきます」

「わかった」

言うや、レイフォンはその少年を肩に担ぐように抱えて、その場で高く跳び上がった。
通りに並ぶ建物の一つの上に着地し、さらに跳ぶ。
あっという間にその姿は見えなくなった。

フェリは一人その場に残された。

「はぁ……」

一人佇み、溜息を吐く。

レイフォンはフェリに戦わなくていいと言ってくれた。
けれど……あれほど嫌悪し、拒否していた力なのに、実際に必要無いと言われると………少し……寂しかった。

























司令部内にいる者たちが疑問を感じていると、外から念威端子が入り込んできた。

『突然お邪魔して申し訳ありません。少々ご報告に参りました』

端子から聞こえてくるのは、聞き慣れない声だった。少なくとも、小隊員ではない。

『お伝えします。第三シェルターに向かっていた汚染獣十一体は殲滅しました。これから第五シェルターに接近中の汚染獣との交戦に入ります』

突然もたらされた情報に、司令部内が騒然とした。
誰もかれもが信じられないような顔をしている。それはそうだ。先程までの絶望的な状況が一変し、目前の脅威が取り除かれたというのだ。恐怖が強かった分、信じがたいと思うのも無理は無い。
そうは思っていても、やはり信じたいのだろう。彼らの顔には、縋るような気持ちが透けている。
こいつが言っていることは、本当なのか? シェルターにいる者たちは、無事なのか?
そんな気持ちを抱いているのが分かる。

「事の真偽はともかくとして……君は一体誰なのかな? それとどうやって汚染獣を倒したんだい?」

カリアンは自分の感情を抑えながら、努めて冷静を装って訊く。
ここが重要になってくるかもしれないのだから。この間のような失敗をして、再びツェルニを滅亡の危機に陥れるわけにはいかない。

『失礼しました。僕は武芸科の一年、アルマ・テラスといいます。汚染獣の方は……見てもらった方が早いかもしれません』

言うと、端子が司令部内にあったモニターの方へと移動し、とある映像を映し出す。
そこに映っていたのは都市内のある一画の風景だった。広い通りに多くの建物が面している。
と、その通りの向こうから、汚染獣の群れが向かって来るのが見えた。数は七体。
そしてその進行方向上には、一人の少年が立っている。

(やはり……)

カリアンの予想通り、そこにいるのはレイフォンだった。
どんな心境の変化があったかはわからないが、彼は戦うことを決意してくれたのだ。
だが、疑問と懸念が残る。彼は錬金鋼を持っていないはずだ。それでどうやって戦うのか。
そんなことを考えている間に、汚染獣たちはレイフォンめがけて襲いかかった。司令部内にいた女性たちが悲鳴を上げて目を覆う。
が、

「っ!!」

向かって来る汚染獣たちの内、先頭の一体がその角で突き殺そうかという瞬間、レイフォンが無造作に汚染獣の頭を蹴飛ばした。
その一蹴りで………、汚染獣の頭部が消し飛んだ。

「え?」
「な?」

見ていた者たちの口から間の抜けた声が漏れる。
その蹴りは、あまりに無造作に見えた。
確かに恐るべき速度の伴った蹴りではあったものの、その挙動は、まるで足元の小石を蹴飛ばしたかのように何気ないものであった。
だが、それが生み出す結果は凄まじい。
ただの一蹴りで、汚染獣の甲殻は砕け、頭部が潰れ、弾け飛んだのだ。

おそらくモニター越しでは分からなかったであろう。否、仮に直に見ていたとして、それに気づくことができただろうか。
レイフォンの、一見無造作にすら見える一蹴りが、実際はどれほど高度な技量に裏打ちされたものであったかを。
活剄によって強化された蹴り脚は、自らの動きに合わせて最適かつ効率的に一切の無駄なく集束された剄により、より強くより早く振るわれる。
そしてその脚を覆う衝剄は刃のごとく研ぎ澄まされ、その蹴りは凄まじいまでの切れ味と破壊力を生み出した。
レイフォンは他者を圧倒する膨大な剄を持ちながら、それを誰よりも完璧に制御し、誰よりも正確に操ることができる。

レイフォンはさらに押し寄せる汚染獣たちを駆逐していく。
武芸科生徒たちがあれほど苦戦していた汚染獣たちが、小隊員の攻撃ですらまともに通じなかったその甲殻が、ただの蹴りや拳打で打ち砕かれ、絶命していく。
時には、レイフォンが手で触れただけのようにしか見えないのに、汚染獣の体が爆砕し、弾け飛ぶ。
それは戦いと呼べるようなものではなかった。
圧倒的な力による蹂躙。
七体の汚染獣が全滅するのに一分もかからなかった。

『終了です。見ていただいた通り、都市内に入り込んだ汚染獣は全て殲滅しました』

その言葉に、司令部にいた者たちはやっと意識を現実に戻す。
カリアンは正気に戻るや、すぐさま第一小隊の念威繰者に指示を飛ばした。
彼女もまたあまりに常軌を逸した光景に呆けていたが、すぐに気を取り直し、念威で確認する。

「確かに、都市内にあった汚染獣の反応は全て消えました」

「わかった。そのことを前線にも伝えてくれ。汚染獣は倒したから心配はいらないと」

「了解」

言うと、その念威繰者は前線の指揮官たちとの通信に入った。

「アルマ君といったね。すまないが、レイフォン君と繋げてもらえるかな?」

「分かりました」

映像の中で、念威端子が1つレイフォンの方に向かって飛んで行くのが見えた。
カリアンは降って湧いた幸運を手放さないようにと、内心緊張しつつ口を開く。

「やあレイフォン君。まずはお礼を言わせてもらうよ。君のおかげで助かった」

「気にする必要はありません。僕は僕の都合で動いただけですから」

「それでも助かったことに変わりは無いさ。……それで、来てくれたということは、協力してくれるということだと考えてもいいのかな?」

「ええ。条件付きですが」

「ふむ。それで、条件とは?」

「とりあえず今からそちらに向かいます。話はそこでしましょう」

「わかった。待っている。できるだけ早く来てくれ」

「わかりました。では」

通信が切れた。
司令部に、なんとも言えない空気が漂う。先程の映像が未だに信じられないのだろう。
しばらくして、ヴァンゼが口を開いた。

「カリアン、今のはどういうことだ?」

「どうもこうも聞いてた通りだよ」

「今の奴は確か、入学式のときの一般教養科の生徒だったよな。一体何者なんだ?」

「それは今は関係ないさ。今大切なのは、彼が我々を助ける気があるかないかだ。この都市の命運は、すでに彼に託すしかないとさえ私は思っているよ」

「それほどの……いや、そうなのだろうな」

先程の映像を思いだしているのだろう。あれはまさに常軌を逸していた。
カリアンですら予想していなかった。いや、想像以上だった。
天剣授受者というものが、まさかあれほどの力を持っていようとは。

「だが、あれほどの力を持っていながら、何故今まで出てこなかった?」

ヴァンゼの声には怒りが含まれていた。
すでに多くの犠牲が出ている。中には死傷者もいる。
彼がもっと早く戦っていれば、そんなことにはならなかっただろう。
都市の仲間を見殺しにした。ヴァンゼはそう感じているのだ。

「それは仕方ないさ。彼は一般教養科だ。戦う義務は無い」

「何を言う。武芸者ならば、都市が危機に瀕したときには戦うのが当然だろう!」

「その武芸者としての生き方を捨てようとしていたんだ。そんな彼に、戦うことを強制なんてできない」

「だからといって許されるわけがあるか。あいつは他の武芸科生徒たちを見殺しにしたんだぞ!」

激昂するヴァンゼを、カリアンは何とか宥めようとする。
レイフォンとの交渉はこれから始まるのだ。それをぶち壊しにされるわけにはいかない。今は都市の存続がかかった瀬戸際なのだ。しかし怒りに駆られているヴァンゼにはそれが伝わらない。

言い合っていると、司令部の窓が外から叩かれた。見ると、窓の向こう側にレイフォンがいる。
カリアンは話を打ち切りヴァンゼに背を向けると、窓のそばの役員に命じ、それを開けさせる。

「よく来てくれた。レイフォン君」

「どうも」

窓が開くと、レイフォンは司令部に入ってきた。後ろに透き通るような水色の髪をした少年を引き連れている。おそらくは彼がアルマ・テラスだろう。
レイフォンは全身に汚染獣の体液を浴びており、衣服が斑に汚れているが、その身には傷一つ無い。

「さて、状況は切迫している。早速本題に入ろう。とりあえず……力を貸してくれるんだね?」

「ええ、まあ」

言いつつ、レイフォンが懐から一枚の書類を取りだし、それをカリアンに渡す。
見ると、それは入学式の日に彼に渡した転科申請書類だった。氏名記入欄に、レイフォン・アルセイフと書いてある。
それを見て、カリアンはこんな事態だというのに胸の内に喜びが膨らんでいくのがわかった。
ここが正念場だ。と自身に言い聞かせる。

「今、この都市が消えるのは僕にとっても不都合ですから。条件付きですが、力は貸しますよ」

「ふむ、それで条件とい―――」
「ふざけるな!!」

突然怒鳴り声が響き、カリアンの後ろからヴァンゼが詰め寄ってきた。カリアンの脇を通り、レイフォンの目の前まで来ると、その胸倉を掴み上げる。

「ヴァンゼ!」

「貴様、それほどの力がありながら、何故今まで姿を現さなかった!?」

ヴァンゼの顔には隠しようも無いほどに怒りが浮かんでいた。

「今まで高みの見物を決め込んでおきながら、言うに事欠いて条件だと!? ふざけるな!」

「ヴァンゼ! 止すんだ!」

「都市に危険が迫った時は命懸けで戦うのが武芸者の義務だろう! 他の武芸者たちを見殺しにして、今更出てきてなお我が儘を通す気か? 貴様、それでも武芸者か!?」

先程までの焦り、絶望、無力感。それらが反動となってますますヴァンゼの怒りに火をつけたのだろう。カリアンの制止の声も聞こうとしない。
それに対するレイフォンは、徐々に表情から温度が失われていった。いっそ冷やかなほどに、その瞳は感情を映さない。

「一体どういう―――!」

言葉が途切れ、大きな音が響いた。
ヴァンゼの大柄な体が床に叩きつけられたのだ。
あまりに素早い手際に、その場にいた誰もが何が起こったのか分からなかった。
仰向けに倒れて呻くヴァンゼの胸板を足で押さえつけ、レイフォンが口を開く。

「うるさいですね」

冷ややかな声。感情の薄い声色だが、そこにわずかに苛立ちが含まれているように感じる。
レイフォンの足の下で、ヴァンゼは身動き一つ取れない。

「生憎ですけど、僕は武芸者ではない。そこの書類を会長が受理して、初めてこの都市の武芸者になるんです。先程まで一般人だった僕に、武芸者の義務だのなんだのと言われる筋合いはありません。偉そうに説教しないでください」

レイフォンの放つ静かな、それでいて圧倒的な迫力に、部屋にいる者たちは口を挟めない。
沈黙を保つその空間で、レイフォンの声だけが響く。

「そもそも武芸者の義務は戦うことじゃない。外敵から都市を守ること、都市民たちを守ることです。敵を倒せず、まともに都市を守ることもできなかった、武芸者の義務を果たせなかったあなた達に、僕をどうこう言う資格は無い。
武芸者たちを見殺しにした? だからなんです? 自分の意思で戦場に立ったのなら、その命はその人自身の責任でしょう。何人死んだところで、それはその人達が弱かったのが悪いんです。同情にも値しません。守るべきものを守ることもできないくらい弱いのなら、せめて口を挟まず引っこんでてください」

それだけ言うと、レイフォンはヴァンゼの上から足を退けた。
押さえる力が無くなっても、ヴァンゼはその場から動けなかった。
自分でもレイフォンの言っていることが正しいと分かっているのだろう。事実、自分たちだけでは都市を守れなかったのだ。それをすんでのところで救われた。そんな自分達に、文句を言う資格は無い。
床に倒れたまま、悔しさに身を震わせることしかできない。

「では条件を」

レイフォンはヴァンゼに背を向けると、改めてカリアンと向かい合う。

「何かな? できる限りそれに従うつもりだが」

「まず一つ、僕は錬金鋼を持ってないので用意してほしいんです。さすがに千体もいる汚染獣を素手で皆殺しにするのは骨が折れますし、時間がかかります。母体に救援を呼ばれたりすれば、僕でも危ない。ですから至急都合してくれると助かります」

「わかった。すぐに用意しよう」

「それともう一つ、都市を守るために戦うことは決めましたが、僕は人前で力を使うつもりはありません。遠距離から攻撃する予定です。ですから前線の武芸科生徒たちには僕の存在は明かさないでください。錬金鋼も遠距離用の物でお願いします」

「ふむ。私の記憶では、君はグレンダンで剣を使っていたように思うが?」

「ええ。でも、他の武器が使えないわけじゃありません」

「それで、勝てるのかい?」

「この程度の相手に全力を出すまでもありません。幼生体相手なら、むしろそれくらいの方が有効なくらいです」

先程の映像を見れば、それが過信や不遜ではないとわかる。むしろここで拘泥してへそを曲げられるほうが困る。

「……いいだろう。君の言葉を信じよう」

「それと緘口令を敷いてほしいんです。今回僕がしたことは、他の誰にも知られたくない」

「本当にいいのかね? 英雄になれるかもしれないよ?」

「興味ありません。名誉も他人からの称賛も僕にとってはどうでもいいことですから」

「そうか……。わかった。では、錬金鋼技師を紹介しよう。来てくれたまえ」

カリアンは司令部にいる他の者に後のことを指示して、レイフォンとアルマを引き連れて、部屋を出る。
歩きながら、先程まで口を挟もうとしなかったアルマに向かって口を開いた。

「ところで……君は一年生だったね? その錬金鋼は?」

「フェリ先輩から借りました」

「成程。あの子は……来なかったのか……。まあ、それは仕方ないか。私の責任だ。それで、君はレイフォン君をサポートしてくれるのかな?」

「ええ、そのつもりです。ただ……」

「ただ……なんだい?」

「僕のことも他の人には知られたくないので、僕が彼を手伝ったことも含めて口外しないでください」

「……やれやれ、何故こうも人前で力を使いたがらない人間が多く集まるんだろうね」

カリアンは苦笑しつつ、足を進めた。
















そして今、レイフォンは戦線のある外縁部よりいくらか後ろの建物群の中にある、建築物の一つの屋根の上に立っていた。
そこで、少しだけこの想いにふける。

(結局捨てきれないんだよね)

武芸のことだ。
結局自分は、武芸者であることを辞めきれないのだ。
入学式の日に渡された転科申請書類を、破りも捨てもせずに大事に保管していた時点で、自分が武芸に未練があったことは明らかだ。

(いや、今はいい。今はただ、目の前の敵を倒すだけだ)

そう自分に言い聞かせる。
レイフォンは外縁部の戦況を観察しながら、手元の錬金鋼を復元した。
その錬金鋼を見て、つい苦笑してしまう。

(まさかこんな錬金鋼が学園都市にあるとはね)

先程紹介された錬金科の錬金鋼技師のことを思い出す。







「それは半分遊びで作ったヤツだぞ?」

遠距離攻撃用の武器で、できるだけ射程が長く強力なのがほしいと言うレイフォンに、その錬金鋼を見せた技師の青年は言った。
線の細い顔立ちに、青白い肌をした美形の青年だ。脚が悪いのか、車椅子に座っている。
彼がここにいるのは、戦場の後方にあるテントではいざという時に素早く逃げられないからだろう。

「遊びって言っても、実戦でも使えますよね?」

「当然だ。武器を作るのが俺の仕事だ。もちろん実戦で使うことを前提にして作っている」

青年はせっかくの美貌を台無しにするような不機嫌面で言った。

「だがこんなもの、実際に使うとなったらかなりの弾薬が必要になる。それによる都市資源の多大な消費は、商業科長にとって看過できないだろうからな」

「心配いりませんよ。実弾仕様じゃなくて剄弾仕様で使いますから」

それを聞いて、青年は疑うような、呆れたような顔をする。

「それはそれで無茶だと思うが? こんなもの、剄弾仕様で使ったら射出速度と剄の供給のバランスがすぐに崩れてしまう。こんな武器を実際に扱えるやつなんてそうそういやしない。だからこそこれは遊びで作ったものなんだ。誰かが実際に使うことなど予想していなかったからな」

「大丈夫です。多分扱えると思いますよ」

レイフォンは何てことないかのように言う。

「……その大口が出まかせでなければいいがな……。まあいい。それよりもう一つの方、こっちはお前の注文通りに作ったやつだ。ただし、急場で作ったから、お前に合わせた微調整はできていないぞ」

青年は持っていたもう一つの錬金鋼を取り出して見せた。

「しかし、同じ遠距離用の武器ではあるが……お前の本当の専門はどっちなんだ?」

「専門は剣士ですね」

レイフォンの答に青年は眉をしかめてより一層不機嫌そうな顔になり、そして同じく不機嫌そうな声で言った。

「剣士だと? ならばなぜこんな状況で、お前は本領を発揮しない?」

いちおう転科申請書を取りに寮に立ち寄った時に、祖父から渡された鋼鉄錬金鋼の刀は持ち出してきているし、今も懐にある。
だが今それを使う気にはなれない。
たとえ戦うことを決意したとしても、だからといって人前で全力を発揮するつもりは無い。
再び失敗することになっても彼女たちを守りたい。それは確かだ。だが、だからといって簡単に失敗を繰り返すわけにはいかない。
レイフォンは青年から目をそらしながら言った。

「色々ありまして。できれば僕の戦うところを他の人にあまり見られたくないんですよ。まあ、幼生体相手ならこの武器で十分です。むしろこっちの方がやりやすいくらいですし」

実際多数の敵と戦うなら、こちらのほうが有効なのも確かだ。
レイフォンの声は自信満々というわけではなかったが、それでも、ただ事実をそのままに話しているかのように自然な調子だった。とても嘘やはったりを言っているようには見えず、外にいる汚染獣に対する恐怖は微塵も感じられない。
それを聞いてどう思ったのか、青年は不機嫌そうな顔を保ちながらも、それ以上追及はしてこなかった。

「ふん…。まあいい。お前の望むとおりに準備はした。さっさと行って片づけてこい」

そう言うと彼は車椅子を回して背を向けた。

「わかりました…。あ、そういえば先輩の名前ってなんて言うんですか?」

「キリク・セロンだ」

青年――キリク・セロンは背を向けたまま答えた。
それを聞いてからレイフォンは彼に礼を述べ、部屋を出て行った。











そして今、レイフォンの手にはある錬金鋼が握られている。

それは大型の機関砲だった。多数の銃身が筒を形成するように並べられ、回転しながら弾を撃ちだす機構の銃である。
サイズはかなりの大型で、見るからに重そうであり、実際かなり重い。とてもレイフォンの体格には合わないように見える。
さらにその威圧感を与える凶悪な外観がゆえに、ますますレイフォンには似合わない。
それをレイフォンはベルトで肩から下げ、両手で抱えるようにして持っていた。

さて、と呟くと、レイフォンはその機関砲を持ち上げて、外縁部に向かって構える。
強力な内力系活剄による視力の強化で、戦況をより詳しく観察する。
レイフォンの目には、戦場の様子が直接そこに立って見ているかのごとくにはっきりと見える。
今現在も、一人の哀れな犠牲者がその命を散らしていた。

それを見てもレイフォンの心が大きく波打つことはない。
戦場で死者が出るのはあたりまえのことだからだ。

グレンダンの過酷な戦場を見てきた自分にとってはすでに慣れた光景である。
幼くして、冷たい現実と戦場の倫理の前にさらされて生きてきたのだ。
汚染獣の脅威は、たとえ相手が学生武芸者であろうとも容赦などしない。
そして未熟者であろうとも、自らの意思で戦場に立ったからには、自分の命は自分の責任で守らねばならない。

「では、僕は母体の捜索に入ります」

「うん、お願い」

そばに浮いた念威端子に向かって言うとレイフォンは構えた機関砲に剄を送り込み、銃爪を引いた。


!!
 

途端、轟音とともに無数の剄弾が放たれた。

秒間数十発という剄弾が容赦なく空を駆け抜け、外縁部で今なお群れをなして向かってくる幼生体を薙ぎ払った。
それは宙を流れる大河の激流のように外縁部に殺到し、それに触れた幼生体たちを貫き、駆逐し、無力化していく。
レイフォンは錬金鋼に剄を込め続け、銃爪を引きっぱなしにしながら屋根から屋根へと移動する。
移動に合わせて射線は動き、そこに重なった幼生体を蹴散らしていった。
幼生体たちは甲殻を貫かれ、頭を吹き飛ばされ、胴体を四散させ、体液を撒き散らしながら死に様を晒していく。

それは圧倒的な力による蹂躙だった。
先程までツェルニの武芸者たちを苦しめ、追い詰めていた者たちは、今度はお前たちの番だと言わんばかりに、抵抗すら許されず一方的に駆逐されていく。
無数の剄弾は、暴力的なまでに破壊の嵐を巻き起こす。
ほんの短時間の間に、千を超えるほどいた汚染獣たちはその数を減らしていった。


「ん、こんなものかな」

呟き、レイフォンは引き続けていた銃爪から指を離した。
汚染獣の数は残り百と少しといったところだ。
レイフォンは熱のこもった銃を下ろすと、次にもう一つの錬金鋼を復元した。
剄の収束率に優れた、碧宝錬金鋼(エメラルドダイト)製の長弓である。
身の丈ほどもある大型の弓を構え、レイフォンは錬金鋼に剄を送り込んで衝剄の矢を形成し、弦を引き絞る。
その矢を外縁部に向けて、射った。

外力系衝剄の変化 迷霞(まよいがすみ)

凝縮された衝剄の矢は、弓から解き放たれたと同時に、いくつもに分化した。
輝く滴となって放射状に広がる剄雨は、しかし直進することなく方向を転換し、それぞれが幼生体たちを貫き、爆砕する。
一度の矢で十~二十もの幼生体を屠るその矢を二度、三度と続けて放ち、さらに汚染獣の数を減らしていく。
残り三十体弱というところで射るのをやめた。

「母体の捜索は完了した?」

「見つけました。今位置情報を送ります」

母体の位置は地上から見ると、踏み抜いた都市の脚から少し離れたところの、地下数メルトルにある空間にいるようだ。
それを確認すると、レイフォンは外縁部への移動を始めた。残りの幼生体程度なら、ツェルニの残存戦力でもなんとかなるだろう。

「ありがとう。僕はこれから母体を潰しに向かうから」

「!っ、危険です。都市外装備もなしに外に出るなんて」

「大丈夫だよ。そんな長時間出るつもりはないから」

言って、レイフォンは前方に集中する。
アルマは、なおも心配するような声を出すが、それでもレイフォンは目的地に向かって進む。
母体はできるだけ早く倒さねばならない。
幼生体が全滅すると、母体は救援を呼んでしまう。近くにいる汚染獣を呼び寄せるのだ。

外縁部に向かって、屋根から屋根へと飛び移り、移動する。
そしてあっという間に外縁部へとたどり着いた。
外縁部に立ったレイフォンは、脚に剄を集中させて思いきり跳び上がった。そしてエアフィルターを抜けてツェルニの脚の最頂部に飛び乗る。地上から見た母体の位置に一番近い脚だ。

汚染物質によって身体のあちこちが焼かれ、体中に激しい痛みが走る。
しかしレイフォンは、そこからさらにまた思い切り跳躍した。
上空高くまで跳び上がったレイフォンは、そのまま空中で弓を構える。
母体のいるちょうど真上の地面に向かって、レイフォンは矢を放った。

外力系衝剄の変化 霧崩れ(きりくずれ)

レイフォンの放った光の矢は、地面に当たるとともに溶けるように、染み込むように消えていく。
しかしレイフォンはそれを気にもせず、同じ矢を二度、三度と立て続けに射る。
そして最後に普通の衝剄の矢を放った。衝剄の矢が地面に当たり、爆発する。

そこで変化が起きた。
矢の当たった地点の周囲の地面がいっきに崩落したのだ。
弓による武器破壊の技。剄を流し込むことによって分子同士の結合を緩め、崩壊をおこりやすくする。
それを使って地面を脆くし、最後の衝剄によって完全に破壊したのだ。

細かく砕けて崩れ落ちる地面から、一体の大型の汚染獣が這い出してきた。
すでに幼生体を生んだことで体力のほとんどを使い果たしていたはずだが、突然巣穴が崩落したために、残った力を振り絞り、慌てて出てきたのだ。

汚染獣の眼が空中のレイフォンを捉える。その眼には明確な敵意と殺意が込められていた。
己の敵を見定めたのだ。

レイフォンはその汚染獣に向けて弓を構える。
視力を強化し、強く、相手を見据える。
錬金鋼に剄を送り込み、弦を引く。

「生きたいという気持ちは同じなのかもしれない」

碧宝錬金鋼の弓に限界まで剄を送り込み、収束させ、衝剄の矢を形成する。
目に痛みを感じるが、それでも目を見開いて相手を見据える。

「死にたくないと思う気持ちは同じなのかもしれない」

活剄による腕力で、限界まで弦を引き絞る。
汚染物質による痛みが全身に走る。だが、構わず腕に力を込める。

「生きるだけで満足できない人間は贅沢なのかもしれない」

形成した衝剄の矢を、凝縮させ、研ぎ澄ませていく。
汚染物質による痛みが増す。常人ならば耐えきれぬほどの激痛を、精神力でねじ伏せる。

「でも、僕たちも生きたいんだ」
(たとえこのちっぽけな 人工の箱庭の中でしか生きられない 脆弱な存在だったとしても)

鋭く、鋭く、ただひたすら敵を貫くことだけに特化した矢を生み出した。

敵はレイフォンを睨み続けている。その眼からほとばしる殺気で己の敵を刺し貫こうとするかのように。

狙いを定め、こちらも瞳に殺意を込める。

「詫びるつもりはない」

射った。


外力系衝剄の変化 華閃葬(かせんそう)


放たれた矢は視認できぬほどの速度で飛来し、一瞬にして汚染獣の頭を貫き、撃ち抜く。
凝縮され、研ぎ澄まされた衝剄の矢は、一撃で母体である汚染獣の命を刈り取り、死に至らせた。






























『戦闘終了です。全ての汚染獣の排除が確認されました』

ツェルニ全体に放送が流れる。
戦いの終わった戦場では、歓声が響いていた。
多大な被害を出しながらも、汚染獣の脅威から都市を守り抜いたのだ、
大多数の者は、途中から何が起きたのか理解していない。
突然生徒会から、防衛兵器の起動という知らせが入り、それまで苦戦していた汚染獣たちがいっきに数を減らしたのだ。そのおかげでツェルニ側が攻勢に出ることができた。
そして勝ったのだ。

何が起きたのかはわからない。
ただ1つ確かなのは、自分たちが生き残ったということだ。
今はその喜びを噛みしめたかった。








戦場では、歓声と同時に、悲嘆に暮れる者のすすり泣きも聞こえてくる。
今回の戦いでは、多数の被害が出た。
死者、再起不能者は二十人以上。重傷者多数。軽傷者は残るほとんどの武芸科生徒だ。
近しい者を失い、悲しみに暮れる者。終わってなお戦いの恐怖が拭えぬ者。
彼らの泣き声は、歓声にかき消されながらも、確実にその場に響いていた。





























「やっほ~、お見舞いに来たよ~」

明るい声とともに、病室のドアが開けられた。

個室である病室にいるのは1人、レイフォンだけだった。

「入院したって聞いて心配したよ。レイとん調子どう? 元気?」

「元気な奴が入院などするか」

ミィフィの言葉に、後ろから続いたナルキが応える。ナルキも軽く怪我をしているようだが、歩き回るのに支障は無いようだ。

「……けが、大丈夫?」

さらにナルキの後ろにはメイシェンもいた。
病院のベッドの上に転がったまま、レイフォンは答える。

「大丈夫だよ。もともと大した怪我じゃないし。汚染物質でちょっと焼かれただけだから。
 明日の夕方には退院できるって」

汚染物質という単語に表情を曇らせるメイシェンだったが、退院という言葉を聞いて表情が少し明るくなった。

「明日、ということは学校に来るのは明後日からになりそうだな」

ベッド横の椅子を引きながらナルキが言う。
ミィフィやメイシェンもそれに倣い、椅子を引いて座る。

「ん? あれ? これって武芸科の制服じゃあ……」

レイフォンの枕元の台に置かれたものを見て、ミィフィが驚く。

「あ、うん。転科することになったから。
 それはさっき生徒会長が見舞いに来て置いて行ったんだ」

その言葉に、さらに驚く。ナルキとメイシェンも驚いているようだ。

「生徒会長直々に? いやそんなことより、転科するの? なんで?」

「武芸はやらないんじゃなかったのか?」

レイフォンはミィフィとナルキの質問に苦笑する。

「ここがなくなるのはイヤだからね。ツェルニには存続してもらわないと困るし。そのために、僕にできることはやろうかなって思って」

「……いいんですか? やりたくなかったんじゃあ……」

メイシェンも心配するように言う。

「今はそれほどイヤじゃないよ。完全に割り切れたのかは自分でもわからないけど」
(戦う理由もできたことだし)

最後の言葉は言わずに、呑みこむ。

少なくとも今の自分は、彼女たちと過ごす時間を失いたくないと思っている。
その時間を守るためならば、一度は捨てた武芸の道を歩むことも辞さないくらいに。
たとえ、いつかまた再び失うことになるとしても、今のこの時間を大切にしたい。
強く、そう思う。

「そうか」

ナルキがその答えに納得する。
メイシェンとミィフィも、安堵するような顔を見せた。

「あの、これ」

そう言って真っ赤になりながらメイシェンが鞄から何かを取り出す。

「あ、僕の」

「あ、預かっててって言われたから、あの、返しに……」

メイシェンが取り出したのはレイフォンが預けていた上着だった。

「わざわざありがと」

「い、いえ」

それからしばらく口ごもり、やっとの思いでメイシェンは口を開いた。

「あの、おかえりなさい」

その言葉に、何となくレイフォンはうれしくなった。
久しく聞いてなかった言葉だったからだろうか。
そんなことを考えながら、レイフォンも返事を返す。

「うん、ただいま」

それを聞いて、嬉しそうにしつつも、メイシェンがさらに赤くなる。
そしてそれを見ていたミィフィが、なぜかニヤニヤしていた。















あとがき

ということで、レイフォン大暴れの回でした。ちなみにレイフォンの強さは作者基準です。
レイフォンが刀でどう戦うのか? と期待されていた方、すみません。今回はまだ刀は使いませんでした。
しかし、二巻以降のストーリーでは、主に刀で戦っていく予定です。

今回迷ったのはアルマの名前とレイフォンの技名です。ちょうどいいのがなかなか思いつかず、かなり苦労しました。
特に技名の方は、漢字に意味を持たせたうえで、ティグリスっぽい技名にしようと思っていたので、なんとなく渋い感じの響きと字面を考えたんですが、上手くいったのかは自分でもわかりません。かっこいいと思ってもらえれば幸いです。

レイフォンとヴァンゼのやりとりにはやや違和感を感じた人もいるかもしれませんが、あれがこの作品内でのレイフォンのキャラのつもりです。多分、ゴルネオ相手にも同じような態度をとることになると思います。


以下、少々釈明をば。

感想掲示板の方でほんの少しだけ触れられていましたが、この作品は、以前銀泉さんが連載していた「異なる道、異なる未来」という作品と展開的に似ているところが所々にあります。まずレイフォンが一般教養科のまま1巻分のストーリーが進むという点で共通していますが、それ以外にも似ているところがいくつか。まあ、レイフォンが武芸科に入らない場合は話の展開がある程度限られてくるので、多少似たところがあるのは仕方ないとも言えますが(言い訳)。いちおう文脈やら会話やらが少しでも重ならないように努力してはいますが、影響を受けるというか引っ張られるというか、どうしてもどこか似通ってしまうんですよね。

ただ、レイフォンが選んだ武器が弓で被ってしまったのは完全に偶然です。もともとこのシーンでは鋼糸を使わないつもりだったので(原作と同じだと作者的に面白くないから)。ちょうどレイフォンに何を持たせるか考えていたところ、14巻を読み返して、挿絵のティグリスがカッコよかったことと、複合錬金鋼の形体に弓への変化があったことから弓を選びました(ssを書くと決めた時、最初に考えて決めたのがこのシーンでしたから)。しかしいざ書きだそうという時に銀泉さんの作品を読んで、「うわ、もう弓出てんじゃん!」となってしまい、だからといって弓という案を捨てるのも憚られまして。せめて少しでも違ったものにしようと、同じく14巻に出ていたバーメリンの機関砲を登場させました。

もしもパクリだと感じて不快に思った方がいたら申し訳ありませんでした。

しかしあんまり展開が同じだと、両方の作品を知っている読者にとっては面白くないと思うので、2巻以降のストーリーにはオリキャラ、オリ技、オリ展開を思いつく限り入れていき、できる限り他者とは被らないように気をつけていこうと思っています。ですので、読者の皆様には今後もお付き合いいただければ幸いです。


とりあえず、2巻は初っ端からオリ展開で行くつもりです。



[23719] 9. 勧誘と要請
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2010/12/02 22:26


汚染獣との戦いから数日。戦闘の事後処理に追われ、学校が再開されてから2日目。
レイフォンは汚染物質による怪我で入院していたが、昨日の夕方には退院することができた。よって今日から再び学校に通い始めることになる。
休んでいた時間は1週間にも満たなかったが、随分と久しぶりに登校する気分だ。
朝の日差しが差し込む教室に入ると、明るい声が出迎えた。

「おっ、レイとん! おっはよ~」

声のする方を見ると、ミィフィがこちらに向かって手を振っている。

「おはよう、レイとん」

「お、おはようございます」

ミィフィのそばにいるナルキとメイシェンも、こちらに向かって挨拶する。
レイフォンはそちらへ足を向けながら口を開いた。

「おはよう、3人とも」

言って、笑顔を浮かべる。
レイフォンに周囲の生徒から好奇の視線が向けられた。
しかしそんなことはお構いなしに、3人のもとへと歩いて行く。

「無事退院できたようで何よりだ」

「そうそう。よかったね~、長引かなくて」

「もともと大した怪我じゃなかったから」

「そうなんだ。それはそうと、武芸科の制服も似合ってるね」

「ん、ありがと」

「でも、ホントに転科してよかったの? 無理しない方がいいんじゃ」

「大丈夫だよ。 自分で決めた事だから。決めたからには、真面目にやるよ」

「ふ~ん。でも、ほどほどにね」

「うん、心配してくれてありがと」

「いえいえ」

そう、今レイフォンが着ている制服は以前までの一般教養科のものではなく、武芸科の制服だった。
汚染獣によってツェルニが危機に陥った時、レイフォンは目の前にいる彼女たちの命とその夢を守るために、再び戦うことを決めた。
そして彼女たちと少しでも長く共に過ごせるように、カリアンの求めるツェルニの存続に力を貸すことを決めた。
ゆえに、今年の武芸大会に参加できるよう、武芸科に転科したのだ。

「あ、そうだ。今日はお昼一緒に食べない?」

「お昼? いいよ。どこで?」

「中庭で」

「中庭?」

「そ、今日はメイっちがお弁当作ってきてくれたから、一緒に食べようってこと」

そう言いながら、ミィフィはメイシェンの方に視線を向ける。
レイフォンがメイシェンの方を見ると、彼女は湯気が出そうなほどに顔を赤くし、それからこくこくと頷いた。
あからさまに緊張しているのが伝わり、少々心配になる。

「えっと……いいの?」

「は……はい」

「メイっちは料理が趣味なんだから、ありがたく受けときなさい」

「う、うん。 それじゃあ、ありがとう」

メイシェンの挙動があまりにぎこちないのでやや恐縮してしまうが、嬉しいのは確かだ。
礼を言って、笑いかける。
すると、メイシェンは赤い顔をしたまま、硬直するように動きを止めた。

「あ、あれ? メイ? 大丈夫?」

心配して声をかけつつ近づくが、余計に顔が赤くなり、今度は立ち眩みでもしたかのようにふらふらしだす。
するとミィフィが視界を遮るように2人の間に立った。

「あはは。大丈夫、大丈夫。ちょっとのぼせただけだから」

「でも……」

「ホラ、授業始るよ。 後はわたしたちに任せて席に着きなよ」

「う、うん」

気になったが、ミィフィに促されて自分の席に着く。
3人の方を見ると、ようやくメイシェンは正気に戻ったようだった。彼女に向かって2人が何かを言っている。メイシェンは申し訳なさそうで、ミィフィとナルキはどこか呆れているような顔をしていた。

やがてチャイムが鳴り、教師役の上級生が教室に入ってくる。
授業を行う上級生の言葉に耳を傾けながら、レイフォンは自身の今後について思案をめぐらせた。
武芸科に転科したこと。それは自分の意思で決めた事であるし、レイフォンがこの都市の存続を望んでいるのも確かだ。そのことに後悔は無い。少なくとも、今年一年は武芸科の生徒として過ごすことを決めている。
しかし、だからといってこの先ずっと武芸者として生きると決めたわけではない。今まで通り、武芸以外の道を模索していくつもりではある。
だが、こうして実際に武芸科に転科してみると、武芸に対する抵抗がすでに随分と薄れていると感じるのも確かだ。父の許しを得たのも関係あるだろう。このまま武芸者として生きていくのも悪くはないとも思う。
この先どうするか。ここ最近あまり考えなかったことが、再びレイフォンの脳裏に浮かぶようになった。
しかし、答えは出ない。答えは出ないまま、時間は流れていく。

(ま、今は武芸大会に勝つことだけを考えよう)

やがてレイフォンは自分の思考を打ち切った。



午前中最後の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、周囲に慌ただしい空気が満ちる。昼食を持参してこなかった生徒たちがそれぞれ購買部へと買い出しに行ったり、食堂へと移動を始めるからだ。
レイフォンは、普段のようにそんな人の流れに混ざらず、メイシェン達と連れだって中庭へと移動する。
中庭の一角にある丸いテーブルを囲むように設置された円形のベンチに腰掛け、4人でメイシェンの持ってきた大きな弁当箱を囲む。
弁当箱の中には様々な食材が並んでいた。いちおうそれなりに料理ができるレイフォンには、随分と手の込んだ作りであることが一目でわかった。
量も多く種類も多彩、傍目にも色鮮やかで食欲をそそった。

「へぇ、すごく美味しそうだね」

「でしょ、でしょ。今日はレイとんの退院祝いにメイっちが腕によりをかけて作ったからね。 しっかり味わって食べるように」

「あ、あの、たくさん作りましたから、遠慮せず食べてください」

「そう? じゃ、お言葉に甘えて」

さっきまで気持ち遠慮していたが、こうして一度目にしてしまうと、自身の根源的な欲求に抗えなくなってしまった。

(このお礼はいつか必ずするということで)

そう自分を納得させ、弁当に手を伸ばした。一つ取り、口に入れる。
美味い。
彼女はお菓子作りが趣味だとは知っていたが、お菓子以外の料理もかなり美味しかった。
自然と、顔に笑みが浮かぶ。

「美味しい。こんなに美味しい料理が作れるなんて、すごいね」

こちらが食べるのを固唾をのんで見守っていたメイシェンは、レイフォンの言葉に顔を真っ赤にし、それから安堵するように息を吐いた。
ミィフィとナルキもそれぞれ料理をつまむ。

「うん。相変わらず美味しいねぇ」

「そうだな。むしろどんどん美味くなっているくらいだ」

3人が口々に褒めるのを、メイシェンは照れたように、しかし嬉しそうに聞いている。
弁当を食べつつ、雑談に興じる。

「そういやレイとんって都市戦で勝つために転科したんだよね?」

「うん、ツェルニはただでさえ後が無いのに、今回の戦いでさらに戦力が低下しちゃったからね。武芸者は一人でも多くいた方がいいだろうし」

「ふ~ん。ま、レイとんなら強いし活躍できるかもしれないね。もしかしたら小隊員に選ばれるかも」

「あんまりそういうのには興味無いけどね」

「え、何で? 小隊員に選ばれるのってエリートとして認められるってことだよ?」

「僕はあくまで自分の目的のために戦うだけだから。他人にどう思われてもあんまり関係ないかな」

「そうなんだ。変わってるね。武芸者って基本的に自己顕示欲が強くてプライドが高いものなのに」

確かに、レイフォンの価値観は普通の武芸者と大きく違っているのだろう。
誇りやプライドに重きを置かないレイフォンは、武芸者として異端にすら見えるかもしれない。
周囲からの評判だって、目の前にいる彼女たちさえ自分の傍にいてくれるのなら、他の者にどう思われようと知ったことではないと思っている。

と、ここでミィフィが話題を変えた。

「ところでさ、レイとんってバイトとかはどうするの? 武芸科は体力使うはずだし、今までみたいにいくつも掛け持ちするのは無理なんじゃない?」

「確かにな。いくらレイとんでも体を壊しかねないと思うぞ」

「大変……だよ?」

3人に口々に言われ、レイフォンは苦笑する。

「わかってるよ。奨学金の額も増えたことだし、バイトの数は減らすつもりだから」

「ああ、その方がいいだろうな」

「そうそう。バイト減らして、その分たくさん遊んだほうがいいよ。若者なんだし」

「お前は遊び過ぎだ」

「そう言うナッキは仕事のしすぎだよ。もっと青春を謳歌しないと! あ、ところでレイとん、今晩は機関掃除だって聞いてるけど、明日は暇?」

何故教えてもいない機関掃除のシフトを知っているのか疑問ではあったが、それには触れず、明日の予定を思い出そうとする。

「あ、明日は無理だ。予定がある」

「え、何? バイト?」

「いや、バイトじゃなくって、引っ越しの手続きとか、諸々」

それを聞いて、ミィフィだけでなくメイシェンとナルキも怪訝な顔をする。

「引っ越し? レイとん、家引っ越すの?」

「うん。この前の汚染獣戦の時、僕の寮、壁とか水道管とか色々壊れちゃってさ。僕の部屋も壁に大穴空いてるし」

「そういえば、防衛線が突破されて都市内に汚染獣の侵入を許したとか言っていたな」

「そうだったんだ。大丈夫なの?」

「うん。もともとあんまりたくさん物は置いてなかったからね。引っ越し先も決まってるし、メンテナンスが終わったらその部屋に移るつもり。今はまだ都市全体が忙しいからもう少し時間かかるらしいけど、これといって問題は無いよ。引っ越しについては生徒会長が色々と手伝ってくれてるしね」

「生徒会長がわざわざ?」

ナルキが驚いた声を出す。

「ま、レイとん、汚染獣戦で活躍したんでしょ? 一般教養科だったのに、都市を守るために命懸けで戦ったんだもん。おまけに武芸科に転科までしてくれたんだし。生徒会長としても何かしら礼をしないと示しがつかないんじゃない? むしろこれくらい当然でしょ」

「……はは」

レイフォンの口からやや乾いた笑い声が漏れる。
………寮を破壊したのは汚染獣ではなくレイフォンの技の余波であることは黙っていた方がよさそうだった。

「……それじゃ、レイとん今どこに住んでるの? まだ引っ越し済んでないんだよね?」

「ああ、それは……」

レイフォンは若干苦い顔をしながらメイシェンの疑問に答えた。





















自立型移動都市、レギオスの心臓部、機関部。
時刻はすでに深夜という頃、レイフォンはそこでひたすらブラシを動かしていた。

「そういえばレイフォン、お前武芸科に転科したのか?」

同じく隣に並んでブラシを動かしていたニーナがふとこちらを向いて訊いてくる。

「ええ、まあ。けど、なんで知ってるんですか?」

答えつつ、疑問に思って訊いてみる。レイフォンが武芸科の制服を着て登校したのは今日が最初だ。基本的にバイト以外で顔を合わせることが無いニーナが、何故レイフォンが転科したことを知っているのか。

「いや、ヴァンゼ武芸長からその話を聞いてな…」

「武芸長から?」

「ああ、入学式で騒ぎを収めた1年生が一般教養科から武芸科に転科したと聞いた。確か汚染獣戦で協力してくれたとか何とか」

「確かに汚染獣を倒すのを手伝いましたけど……」

言いつつ、レイフォンはニーナの言葉を訝しがる。武芸長とは汚染獣戦の時に揉めた記憶がある。あの時の様子を見る限り、彼は少なくともレイフォンのことを快くは思っていないはずだ。
それなのに、何故わざわざニーナにレイフォンのことを話したのか?
まさか……。

「他には何か言ってましたか?」

「いや、特に聞いてないが」

「そう……ですか……」

秘密をばらしたというわけではなないようだ。
しかもニーナの態度を見る限り、レイフォンのことを悪く言っていたということもなさそうだ。ニーナからは、レイフォンに対する敵意や嫌悪は感じられない。
ニーナが本心を隠しているということも無いだろう。彼女はあまり演技の得意な方ではない。
不思議に思っていると、再びニーナが口を開いた。

「しかし、武芸科の生徒としてお前が転科してくれたのは素直にうれしいが、どうして転科しようと思ったんだ?」

「どうして、って……」

「いやな、確かにお前が都市戦に参加してくれればかなりの戦力になるとは思うが……もしかして、私たちのせいでお前に無理をさせてしまったのではないかと思ってな……」

ニーナはレイフォンをちらちらと見つつも、こちらに顔を向けることはしない。
その様子は、やや気まずげな、申し訳なさそうなものだった。

「ただでさえ前二回の都市戦で連敗して後が無いというのに、今回の汚染獣戦でさらに戦力が減ってしまったからな。私たちが頼り無いせいで、お前に心配をかけてしまったんじゃないかと思ったんだ。それで、自分の気持ちや目的を曲げさせてしまったんじゃないかと、少し気になってな」

「ああ、成程」

自分の力でツェルニを守りたいと願っている彼女だ。それなのに自分たちが不甲斐無いせいで、レイフォンに望まぬ道を強いてしまったことが申し訳ないのだろう。

「確かにそういう気持ちが全く無いわけではありませんけど、でも、最終的には自分で決めましたから」

「そうなのか?」

「はい。ただ僕自身に、戦う理由ができたんです。武芸者の誇りとか、そういう立派なものじゃないんですけど……ただ、この都市で守りたいものができたから、それを守るために、都市を守ろうと思ったんです」

レイフォンにとっては、所詮は都市を守ることすらも目的のための過程にすぎない。
しかしそれでも、メイシェン達を、その生活を、そして彼女たちと共に過ごす時間を守りたいというのは、レイフォンにとって本心からの気持ちだ。
そしてそのためにも、何としてでもツェルニを守り抜かねばならないと思っているのも確かなのだ。

「そうか。それはよかった」

ニーナが安心したように言った。

「それより、先輩、怪我とかは大丈夫なんですか? 確かあの戦いじゃかなりの負傷者が出たって聞いてますけど」

これ以上自分を責められても気まずいので、レイフォンは話題を変えることにする。
幸い、ニーナはそれに乗ってきた。

「ああ、確かに大勢の武芸科生徒が負傷していたな。かくいう私も、一昨日までは病院のベッドの上だった。活剄のおかげで怪我の治りは早いが、今もまだ完治したとはいえない。
とはいえ日常生活に支障は無いがな。だからこうして機関掃除にも参加している」

「そうですか。それは何よりです」

「お前の方はどうなんだ? 怪我とかはしなかったのか?」

「少しだけ。僕も昨日退院したところなんです」

「そうなのか。退院できて何よりだ。とはいえ病み上がりなんだ。あまり無理するなよ」

「わかってます。先輩の方こそ気を付けてください」

言い合いながら、並んで通路のブラシがけを行う。
しばらくして、2人は休憩に入った。 
いつものように並んでパイプに腰掛け、夜食の弁当を食べる。
ちょうど食べ終わろうかという頃に、ニーナがやや躊躇うように口を開いた。

「ところでな、レイフォン。折り入ってお前に頼みがあんだが」

いつもはきはきと喋るニーナが口ごもるのは珍しい。
怪訝に思いつつも先を促した。

「お前も知ってるだろうが、私は第十七小隊の隊長をやっていてな。しかし今、うちの隊はメンバーが小隊最低限の数しかいないんだ。それで、できればお前に第十七小隊に入ってもらいたいと思っている。入学式での身のこなしを見る限り、お前なら小隊員として十分にやっていけると思うのだが……」

どうだろうか? ニーナがそう訊いてくる。
それに対し、レイフォンはやや申し訳なさそうにしながらも、自分の思いをはっきりと口に出した。

「折角ですけど、僕は小隊に入るつもりはありません。申し訳ありませんけど、他を当たってください」

「む……何故だ? 小隊員に選ばれるということは武芸科生徒にとってかなり名誉なことなんだが……」

ニーナはレイフォンの言葉に残念そうにしながらも、未練を感じる声で訊いてくる。

「生憎ですけど、僕は名誉とか栄光とか、そういうものに興味はありません。エリート意識もプライドも特にありませんし、わざわざ自己顕示するつもりもないですから」

「そうなのか?」

「ええ。それに、これから六年間ずっと武芸者として生きていくと決めたわけではありません。確かに、大切なものを守るために戦うことを決めましたし、今年いっぱいは都市戦のためにも武芸科にいようと決めましたけど、最初の目的を捨てたわけではありません。これからも僕は、自分のやりたいこと、進みたい道を探していくつもりです。
そんな中途半端な気持ちで小隊員などになるべきではないと思いますし、後々にあまりしがらみを作りたくもないですから。だから、お断りします」

小隊員とはツェルニの武芸科の規範となるべき存在のはずだ。レイフォンのような半端な気持ちでなるべきものではないし、武芸大会が終わった後にしがらみを作りたくない。
一度小隊に入ってから途中で抜ければ、他の者に迷惑をかけてしまうかもしれないからだ。

「そうか……それは、残念だ」

言葉の通り、ニーナは見るからに残念そうな表情で肩を落とした。
それを見て、やや申し訳なくなる。

「すみません」

「いや、私がなかなか隊員を集められないのは、私自身が隊長として未熟だからだ。お前を責めるつもりは無い」

ニーナは気を取り直したのか、すぐさまいつも通りの態度に戻る。

「お前の気持ちはわかった。突然こんなことを言い出してすまなかったな。では、掃除に戻ろう」

言うと、ニーナは立ち上がり再び仕事に戻る。
レイフォンは黙ってそのあとに続いた。


























3日後の夜。
アルバイトの数こそ減らしたが、未だに複数のバイトを掛け持ちしているレイフォンは、とある飲食店の材料搬入のバイトを終えて、生徒会棟へと赴いた。

「やあ、おかえりレイフォン君」

そのレイフォンを出迎えたのは、いつも通り遅くまで仕事のために残っていた、いつも通りの白々しいほど爽やかな笑顔を浮かべた生徒会長のカリアン・ロスだった。

「……どうも」

レイフォンは眉間に皺が寄るのを自覚しつつ、短く言葉を返す。
正直この人は苦手だった。何を考えているのかまるで読めないからだ。笑顔の裏にどんな毒を持っているのか予想もつかない。
レイフォン自身はあまり本心を隠すのが得意ではないことも理由の1つだ。
レイフォンからすれば、まだしも汚染獣の方が与しやすい。
と、カリアンが手元の書類に目を通しつつ、口を開いた。

「それにしても、引っ越し先、ほんとにあそこで良かったのかい? 君ならもっと条件のいい部屋を取れそうなものだが」

「僕にはあれで十分です。部屋は広くて家賃は安い。これ以上ないってくらいの好物件ですよ」

レイフォンが引っ越し先に決めたのは、学園都市のはずれ、倉庫区の近くにある古いアパートだった。
周辺には様々な倉庫と何かの工場くらいしかなく、わずかにある住居なども、おそらくはほとんど住人がいないであろうことが予想される。
しかしその間取りと広さが他の物件とは大きく違う。一人暮らしには分不相応な物件かもしれないが、レイフォンはその広い居住空間に惹かれた。
また、外観こそ古いが内装や住居設備などは存外しっかりしている。それでいて家賃が安いのも、レイフォンにとっては魅力的だった。
案内してくれた先輩は安さと広さ以外に見るべきものが無いと言っていたが、その2つを最も重視するレイフォンにとってはこれ以上ないくらいに良い部屋だった。

「確かにそうだけれど……周囲にはめぼしい商店街や遊学施設なんてほとんど無い上に、校舎からも遠い。あまり良い立地であるとは思えないがね」

「買い物は学校帰りに済ませれば事足りますし、遊学施設にはそれほど興味ありませんから」

「君はあまり若者らしくないね」

「……あなたにだけは言われたくありません」

嘆息しつつレイフォンは言う。

引っ越し先が決まったとはいえ、すぐさまそちらに移れるわけではなく、掃除やメンテナンス、その他諸々の手続きが終わるまで、レイフォンは仮宿を探さねばならなかった。
それを知ったカリアンは、快く(?)宿を提供してくれた。
生徒会棟では役員が泊まり込みで執務を行うために、仮眠室やシャワー室など最低限の宿泊設備があるため、一時的にそこを宿代わりとして使うことを許してくれたのだ。
他に行くあても無く、レイフォンは渋々カリアンの厚意(?)に甘えることにした。
たまにそれを後悔しそうになるが。

「そういえばレイフォン君。小隊入り、断ったそうだね」

カリアンが唐突に話題を変える。レイフォンは内心虚を突かれた。
なぜそれを知っているのか、そうも思ったが、訊くだけ無駄だと思い直す。油断の知れないこの人のことだ。グレンダンでのことのように、こちらの素行を調べたのだろう。

「ええ、まあ」

内心を悟られないよう、レイフォンは努めてぶっきらぼうに返す。

「どうしてだね? 武芸科の生徒にとって小隊員に選ばれるというのは非常に名誉なことなのだが」

「別に興味ありませんから。名誉なんてどうでもいいです」

「それに小隊員になれば小隊補助金が出るし、対抗戦に勝てば報奨金も出るよ?」

「Aランク奨学金があれば十分です。贅沢な暮しがしたいわけでもありませんし、これといってお金のかかる趣味もありませんから」

「ふむ、私としては、できれば君に小隊に入ってもらいたいと思っているのだがね」

「あなたの望みを叶える義理はありません」

「しかし君は私の望むツェルニの存続に協力してくれるのではなかったかな? 武芸大会に勝つためにも、君には小隊員として活躍してほしいんだが」

「確かに協力するとは言いましたが、それはあくまで僕の目的のためです。ツェルニ存続というあなたの望みが僕の目的と合致しているから手を貸すだけですよ。逆に言えば、それ以外のところであなたの希望に従うつもりはありません。それに、わざわざ小隊員にならなくても武芸大会でツェルニを勝たせることはできます」

「君が小隊員になってくれれば、都市戦の際に、こちらの裁量で君を個別に動かすことができるのだがね。基本、潜入部隊などは小隊単位で編成するものだし」

「別に小隊員にならなくても僕を個人で動かせばいいでしょう」

「私やヴァンゼは君の力量を知っているからそれでもいいが、他の者が納得しないだろう。武芸大会の作戦会議は各小隊長たちを集めて行う。そこで君のことを持ちだしたところで、他の小隊長たちがそれを認めるとは思えない」

カリアンはあくまで穏やかな調子を崩さない。
レイフォンは眉をひそめる。

「最終決定権はあなたと武芸長にあるのでしょう? なら特に問題は無いと思いますけど」

「しかし上からの意見をゴリ押しすれば小隊員たちの反感を買うことになる。できればそれは避けたい」

「小隊員っていったって、ほとんどは前回の大会で大敗した人たちでしょう? そんな人の意見なんて僕には知ったことじゃありませんし、わざわざそんなものに従って不自由な思いはしたくはありません。あなたがそれを嫌だというのなら、僕が勝手に動きましょうか? ようは相手の都市旗を奪えばいいのでしょう。都市戦に勝つことだけを考えるなら、僕が一人で突貫して旗を奪って来れば済む話です。それなら、僕一人の命令無視の独断行動として処理できるでしょうし」

「ふうむ。しかしそれだと他の武芸科生徒たちに悪影響が出かねない。プライドの高い小隊員たちはいい気持ちしないだろうし、一般武芸科の生徒たちは君を当てにして努力を怠るかもしれない。君さえいれば負けることは無いと高をくくってしまう。しかしここが学園都市である以上、そんな事態は看過できない。人々の成長を促すのが学園都市の役割なんだ。一人の戦力に依存するようになってしまっては意味が無い」

「……それをあなたが言いますか? しかも僕に向かって」

そもそも都市戦に勝つためにレイフォンを利用しようとしているのは他ならぬカリアン自身である。
そんなカリアンが一人の武芸者に依存するべきではないとは、どの口が言うのか。
カリアンは苦笑しながら言葉を紡ぐ。

「確かに私はツェルニ存続のために君の助けを得ようとした。それは確かだ。しかし、それはあくまで私自身の、いわば個人的な願いからだ。私は何があってもツェルニを守りたいと思っているからね。
しかし生徒会長としては、この都市に住まう者たちの成長を妨げるようなことをしたくはないのさ」

「いずれにしろそれはあなたや武芸長が解決すべき問題であり、僕には関係ありません。仮に都市戦に勝つために僕のしたことが他の武芸科生徒に悪影響を及ぼすというなら、そうならないようにあなたたちで対策を打てばいいでしょう。他人を利用しようとするからには、それくらい当然です。僕に何でもかんでも押し付けないでください」

「対策と言っても、そう簡単なことではないんだがね」

「だったら僕に頼らなくてもツェルニが都市戦で勝てるように努力するのが、あなた方の義務であり責任だと思いますが? 僕をどう使うかの前に、他の武芸科生徒たちを育てて、全体的な実力を底上げするべきでしょう。あなたは口では色々言ってますけど、結局は僕に頼ることが前提になってるじゃないですか」

そもそも本気で他の武芸科生徒の成長を促したいのなら、レイフォンのような、武芸者として例外的な存在を参加させるべきではない。
それでもカリアンがレイフォンを使おうとしているのは、それだけなりふり構っていられないからだ。勝てる可能性を最大限上げるために、レイフォンを戦力として投入しようとしている。
別にそれだけなら構わない。だが、カリアンの都合に合わせて余計な面倒に巻き込まれるのはごめんだ。
レイフォンからすれば、自分はあくまで保険として存在すべきだと思っている。

「成程、確かに。君の力をどう使うかばかり考えていたかもしれないな……。
しかし現状この都市で最大の戦力が君であるのは確かだ。いくら奥の手とは言っても、それを使わないまま負けてしまっては元も子もない。いざという時のためにも、やはり君の強さをある程度他の武芸科生徒たちに知っておいてもらう必要がある。ではどうするか……」

ふうむ、とカリアンは口元に手を当ててしばし黙考する。
レイフォンはそれを見て、悪い予感がした。
よし、と頷き、カリアンがレイフォンの方を見た。

「つまり小隊には入らず、それでいて君の実力を他の武芸科生徒たちに認めさせられればいいわけだね? そうすれば都市戦で君を個別で動かすことも可能になるかもしれないな。まあ反対意見も出るかもしれないが、君に実績さえあれば上から無理に意見を通すことも不可能ではない。
たった今、そのための良い方法を思いついた。おまけに今回の汚染獣戦の影響で、最近都市全体にやや陰りがあったからね。それに関しても丁度いい」

にこやかな顔をしたカリアンの言葉に、レイフォンは嫌な予感しか感じない。
一体何を思いついたのか。不安になりながらレイフォンはカリアンの次なる言葉を聞いた。






















あとがき


今回は気持ち会話多め。
今までは状況説明やら行動描写、レイフォンの心理描写などのためにどちらかというと地の文が多かったのですが、今回はテンポよく進めるため、あえて会話を多く入れてます。何となく、その方がラノベっぽいかなと思いました。
今後はレイフォンが悩んだりするシーンも減ってくると思うので、会話主体でストーリーを進められればいいかなって思います。その方が作者的にも楽ですし。
とはいえ会話だけに頼るというのも見栄えが悪いので、その辺のさじ加減に気をつけていこうと思います。今後の課題の1つ。

しかし、3人娘との会話は、油断するとセリフのほとんどがミィフィになってしまいますね。
もう少しメイシェンを前に出したいんですけど、なかなか上手くいきません。

レイフォンの引っ越しイベント。
今後の展開を考えると、レイフォンが広い部屋に住んでいた方が何かと都合がいいので、引っ越しイベントを前倒しにすることにしました。
新居は当然、15巻で出ていたあのアパート。

カリアンvsレイフォン。
舌戦でレイフォンがカリアンを押している!? とはいえ、レイフォンは本心を正直に吐き出しているだけですけど。少し喋りすぎだったかな?
カリアンに対してはあまり言葉に容赦がないのも、押しているように見える要因でしょうか。

さて、カリアンの提案とはいったい?
次回、ヴァンゼvsレイフォン。(別に戦いません)




[23719] 10. ツェルニ武芸科 No.1 決定戦
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2010/12/09 21:47

昼休み、レイフォンは教室でいつもの3人と共にメイシェン作の弁当を囲んでいた。
以前に1度弁当をごちそうになって以来、メイシェンは度々多めに弁当を作ってきてくれる。
今や昼休みには4人でそれを囲むのが恒例となっていた。

「武芸科ナンバーワン決定戦ツェルニ武闘会?」

「そ、つまり武芸科で小隊対抗戦とは別に個人戦の公式試合を行おうって話」

驚きの声を上げたのはナルキだ。
それに対し、情報をもたらしたミィフィが答える。

「なんでも会長と武芸長で開催を決めたらしいよ。 要は武芸科生徒の中で誰が1番個人技に秀でているか確かめようってこと。 ま、参加は任意だけど、武芸科なら学年問わず出場できるってさ。 近いうちに一般生徒に先んじて武芸科生徒全体に伝えるつもりみたい」

いつも通り、何故そんなことを武芸科生徒でもないのに武芸科のナルキより先に知っているのか疑問ではあったが、いい加減慣れてきていたレイフォンはそのことには触れなかった。
ナルキがさらに問う。

「なんでまたそんな試合を?」

「色々狙いはあるみたいだけどね。 一般武芸科の生徒の中から小隊員になれそうな生徒を発掘したり、小隊員の中でも誰がより個人技に優れているかとか確認したり。 あとはまあ、前回の汚染獣戦でツェルニ全体の雰囲気が少し暗くなってるから、大々的なイベント開いて盛り上げようって狙いもあるらしいけど」

「成程な」

ミィフィの話に、ナルキが納得する。

「それと、最近一般生徒の間でツェルニの先行きに対する不安が高まってたからね。 だから武芸科生徒の試合を公開することで不安を払拭しようっていうつもりもあるのかもね」

「……成程」

もともとツェルニは前2回の都市戦で全敗したために、セルニウム鉱山の保有数が残り1つと、後が無かった。
そんな時に汚染獣の襲来が起こり、複数の死者や再起不能者が出た。
ただでさえ低いと見られていたツェルニの戦力がさらに低下したのだ。 多くの生徒には、特に上級生にとっては、この状況は不安で仕方が無いだろう。
そこで、多くの一般生徒の目の前で武芸科生徒による試合を行い、実力を示すつもりなのだ。
個人戦ならば、小隊員のように連携や作戦指揮・実行の能力が無くとも、純粋な戦闘力さえあれば活躍できる。 この試合で、普段目にすることの無い小隊員以外の戦いぶりを一般生徒に見せ、武芸科生徒全体の強さをアピールするつもりだ。
つまりは一種のデモンストレーションだろう。

「それで……どんな大会なの?」

メイシェンがいつも通りのおどおどとした態度で問う。

「簡単に言えば、トーナメント方式の勝ち抜き戦だってさ。 詳しいルールまでは知らないけど、1日目はいくつかのブロックに分かれて予選をやって、2日目に勝ち抜いた人たちで本選をやるって聞いてる。 ちなみに優勝したら賞金がもらえるらしいよ。 それと他にもいくつか特典があるみたい。 例えば1年生なら特別に早めの帯剣許可とか、小隊員なら武芸大会の時に進言した作戦とかが優先的に採用されるらしいし、小隊員じゃなくても作戦会議に参加できるようになったりもするって」

「随分と大盤振る舞いだな」

「逆に言えばこのくらいしないと今年の武芸大会は危ないのかもしれないけどね。 実力のある武芸者の意見なら小隊員じゃなくても聞いておきたいってくらい」

「つまりは一石で2鳥も3鳥も狙おうってことか」

ナルキがやや呆れたように言う。

「ま、わたしたちにとっては楽しければそれでいいけどね。 イベント事が増えるのは大歓迎」

「まあ、お前はそうだろうな」

「どう? せっかくだしナッキも出場してみない? いいとこまで行けるかもしれないよ」

「遠慮しておく。 まだ外力系も使えないあたしが出たところで小隊員に勝てるわけがない」

「なーんだ。 残念。 レイとんはどう? 出場してみない?」

「うん。 僕は出るつもりだよ」

「「「え?」」」

勧めてきたミィフィだけでなく、メイシェンとナルキも驚いて声を上げた。 

「レイとん、出るつもりなの?」

自分で勧めておきながら、ミィフィは真っ先に意外そうに訊ねる。

「意外だな。 レイとんはこういうのに興味無いと思ってたんだが」

「……いいの? もともと武芸をする気はなかったのに……」

ナルキも意外そうに、メイシェンは心配そうに口々に言う。

「大丈夫。 心配いらないよ」

レイフォンは軽い調子で言う。

「武芸科に転科したからには、武芸者として真面目に頑張るつもりだしね。 小隊入りは御免だけど、強くなるための努力はするし、ちゃんと良い成績を取れるように気をつけるつもりだから。
だから心配しないで。 以前みたいに、戦いに対する拒否感も無いしね」

そう言ってもやはりメイシェンは心配そうではあったが、少しは安心したのか淡く微笑んで頷いた。

「そ……っか。 良かった……」

他の2人も隣で頷いている。
と、ここでミィフィが疑問の声を出す。

「それはそうと……だからってまたなんでそんな大会に出ようと思ったの? っていうか、もしかして武闘会のこと先に知ってた? なんか最初から出場するつもりだったみたいに見えたけど……」

ナルキとメイシェンもはっとする。
確かに先程のレイフォンの言葉は、あらかじめすでに出場を決めていたかのように感じた。

「うん。 実は会長に是非参加してくれって頼まれててね。 武闘会については会長から直接……」

レイフォンは会長に参加を頼まれた時のことを思い出しながら、やや苦い顔をして答える。







「…というものを開いてみたいと思っているんだが、どうだろう? 君もこれに出場してくれないかな?」

夜、生徒会棟の一室。
レイフォンはソファーに座って対面に座るカリアンと向かい合っていた。
そのカリアンの提案に、あからさまに渋面を作る。 今度はいったい何を企んでいるのか。

「なんでまたそんなものを?」

「いや、以前グレンダンに寄った時に武芸の大会がたくさん開かれていたのを思い出してね。 一般生徒にとってもこういったイベントは娯楽になるだろうし、武芸科生徒にとっては自らの実力を測る、もしくは示すために丁度いいだろう。 それに私や武芸長、小隊長たちからすれば、他の武芸者たちの力量を知るためのいい機会になる。
この間の汚染獣戦のせいで生徒全体にあまり好ましくない雰囲気が流れてたからね。 それについても、この催しは都合がいいのさ」

カリアンの言い様に、レイフォンは若干呆れる。
というか軽く聞き流してしまったが、カリアンはグレンダンを訪れた事があったのか。 だからレイフォンの過去を……いや、それは今はいい。

「それで……何故僕がそれに参加するんですか? 正直、あんまりそういうのに興味無いんですけど」

「おや? 君はグレンダンでこういった試合には積極的に出場していたんじゃなかったかな? てっきり喜んで乗ってくるものと思ったのだが」

「……別にイベントが好きで参加してたわけじゃありませんよ。 必要だから出てただけです。 そして今はもうその必要がありません」

「ふうむ……」

カリアンは少し考え込む様な素振りをした。

「私としては、君にこの試合に参加して、そしてできれば優勝してほしいと思っているのだが。 大勢の前で実力を示せば、君を都市戦で個別に動かすこともできるかもしれないからね。 小隊長たちも、たとえ納得できずとも、強く反対もしなくなるだろうし」

「そんな試合で優勝したら、小隊入りの勧誘が余計に増えるような気がするんですが。 正直、そんな面倒くさいのは御免です」

「どの道小隊に入るつもりは無いんだろう? なら多少勧誘が増えても問題は無いのではないかな。 どうせ断るのだし」

「かもしれませんが、そもそも試合に出るメリットが無いです。 僕は特別自分の実力を確かめたいとも示したいとも思っていません」

「もちろん優勝すれば賞金を出すつもりだよ? 他にも、武芸科生徒として色々優遇措置を取るつもりだ」

「別にお金には困ってませんし、武芸者として優遇されたいとも思いません」

「ふむ。 いささか回りくどかったかな……。 では、礼儀を持ってちゃんと頼むとしよう」

言って、カリアンは先程まで顔に張り付いていた笑みを消し、レイフォンに面と向かって居住まいを直す。
そしてこちらの目をまっすぐ見て、口を開いた。

「私はこのツェルニを守りたい。 そしてそのためには、何としても君の協力がいる。 私には君の望むような礼をすることはできないが、それでも、君の力が必要なんだ。 ツェルニを守るためにも、多くの生徒たちのためにも、私の頼みを聞いてくれないだろうか」

「う……」

カリアンの、いつもとは違う真摯な態度に、レイフォンは若干たじろいだ。
今までのような取引ではなく、ただの頼みごと。 報酬も見返りも提示せず、ただ面と向かって頼み込む。
だが、カリアンのそんな態度に対し、逆にレイフォンは強気に出られなかった。

「君にとっては何の得にもならないかもしれないが、それでもこの都市のために必要なことなんだ。 だから君に協力してほしい。 ただ一度でいい。 他の武芸者たち全員の前で君の実力を示してほしいんだ。 頼む……」

言って、カリアンは深々と頭を下げた。
カリアンの態度と行為にレイフォンはうろたえる。
言葉の出ないレイフォンの目の前で、カリアンは頭を下げたまま微動だにしない。
だが、その姿に何故かプレッシャーを感じた。
レイフォンはしばらく逡巡し、やがて溜息を吐いて首肯した。

「……わかりました。 いちおう、出場はしますよ」

「本当かい? ありがたい!」

途端、カリアンは顔を上げる。 そこには明らかな喜色が浮かんでいた。 先程の深刻そうな色はどこにもない。
しかし、レイフォンはそれを指摘する気にもなれず、もう一度溜息を吐く。
が、念のため釘は刺しておく。

「でも、言っておきますけど全力を出すつもりはありませんからね。 必ずしも優勝できるとは限りませんよ」

「ああ、それで十分だとも。 君に全力を出されたら、それこそ他の武芸科生徒全体に悪影響を与えかねない。 優勝のための努力はしてもらいたいが、だからといって他の者をあまりにも易々と倒されては逆効果だからね」

カリアンはすでにいつものにこやかな笑みを顔に張り付けている。
それを見て、レイフォンは脱力しそうになった。

(ま、いいか)

別に今は武芸そのものに拒否感があるわけではない。
これといって得は無いが、かといって何か特に不利益があるわけでもない。
色々と世話になっているし、宿代替わりに頼みごとの1つくらい聞いてもいいか。 いちおう賞金も出るし。
そう自分に言い聞かせて、無理やり納得させる。

……実は正攻法に弱いレイフォンだった。









「へ~え、会長から……」

ミィフィが何か含む様な、少々邪悪さを感じる顔で呟く。

「相変わらずすごいなレイとんは」

ナルキはやや感嘆したように言う。

「ホント。 主催者でもある会長から直々に参加要請があるなんて。 よっぽど汚染獣戦で活躍したんだね」

「いや、そんなことは……」

はっきりと否定もできず、レイフォンは曖昧に答える。
と、ここでミィフィが疑問の声を上げる。

「あれ? でもレイとんって錬金鋼とか持ってたっけ?」

「確かに、一年生だってこともあるけど、もともと武芸は捨てるつもりだったのなら、自分用の錬金鋼なんて持ってきてるはず無いか」

「ああ、それは……」

レイフォンは苦笑して2人の疑問に答える。

「一年生には、生徒会から錬金鋼の貸し出しがあるってさ。 もちろん故郷から持ってきたヤツがある人は、学園都市規定の安全装置をかけたうえで使用していいみたいだけどね。
僕の方は……」

説明しつつ、弁当をつまむ。
やがて4人が食べ終わると、予鈴のチャイムが鳴った。
昼休みの開始と同じく喧騒に包まれる中、弁当箱を片づけ次の授業の準備をした。
























「――というわけで、よろしくお願いします」

「会長から話は聞いている」

レイフォンの言葉に応えたのは車椅子に座った錬金科の生徒、キリク・セロンだ。
放課後、レイフォンはメイシェン達3人とは別れて、一人で錬金科研究棟の一室に赴いていた。
そんなレイフォンに、錬金鋼技師でもある彼は、その美貌を台無しにする不機嫌面で、同じく不機嫌そうな声で口を開く。

「お前のために錬金鋼を都合してやれとな。 今度、武芸科で大会を開くそうじゃないか。 お前がそれに参加するから、武器を用意してほしいと言われた」

「ええ、まあ」

レイフォンは曖昧に頷く。
しかしキリクはそんなこと気にせず、すぐさま本題に入る。

「それで、どんな武器がお望みだ? 確かこの前は剣士が専門だとか言っていたはずだが」

「剣士って言うか……」

言いつつ、レイフォンは持ってきていた錬金鋼を復元する。 養父から渡された、鋼鉄錬金鋼製の刀だ。
レイフォンの手の中で、光と共に刀身が現れた。
それを見て、キリクが微かに目を瞠る。
ほんのわずかの間だが、彼が言葉を失ってしまうほど、綺麗な刀だった。
刃長はレイフォンの腕ほど、幅広く豪壮で切っ先がやや伸びている。 刃紋はのたれ乱刃、切っ先は火炎帽子。
刀身は透き通るように美しく、その透明感は見ているだけで目が眩みそうなほどだ。
感嘆の息を押し殺し、キリクは目を細める。

「成程。 刀……か」

「はい。 これと同等以上の性能の刀を用意してもらえますか?」

「それは構わないが……そいつは使わないのか? 見たところ、かなりの業物だと思うが」

「これは大切なものなんで、戦闘には使いたくないんですよ。 僕にとってこれは武器ではなく、心の支えみたいなものですから……」

「……ふん……」

「それで、作ってもらえますか?」

キリクはレイフォンから刀を受け取り、目を近づけてより細かく観察してから、首肯する。

「わかった、いいだろう。 材質は鋼鉄錬金鋼でいいんだな。 これと全く同じヤツをもう一本作ればいいのか?」

話しつつ、手に持った刀に近くにあった機械から伸びる何本ものコードを繋げていく。
さらに、基礎状態の鋼鉄錬金鋼を取り出し、そちらにもコードを繋げる。
それを見ながら、レイフォンは注文を付けた。

「切れ味とか、性能は同等かそれ以上で。 ただ、サイズを少し変えてほしいんです。 これは僕が十歳の時に握ってたサイズなんで、このままじゃ少し使いにくいんですよね。 だから刃長をもう少し長くして、重さも、もっと重くしてくれますか?」

「本当か? お前の体格に丁度合った大きさだと思うが」

「はい。 もともと子供のころから大きめの刀を振ってましたから」 

「……ほう」

キリクは怪訝そうにしながらも、言われたとおりに数値を打ち込む。
錬金鋼はすぐに出来上がった。
機器から外した基礎状態の錬金鋼をレイフォンに差し出す。

「復元してみろ」

「はい」

言われ、レイフォンは「レストレーション」と呟き、その手に鋼鉄錬金鋼製の刀を復元する。
手の中で金属の塊が急激に質量を増し、美しい刃紋の浮かぶ刀身が現れた。

「どうだ?」

「そうですね……」

さすがに素振りまではできないが、その場で構えを取ったり、持ち上げてみたりする。
それから感じた違和感をキリクに伝え、機械につないで修正し、再び具合を確かめる。
それを何度か繰り返して、ようやくレイフォンは丁度いい手ごたえを感じた。

「うん。 特に違和感はあありません。 手に馴染みます」

「そうか」

実際、すでに何度か使った後のように手に馴染む。 キリクの錬金鋼技師としての技術力の高さが窺えた。
錬金鋼が出来上がると、キリクはそっけなく、かつ端的に告げる。

「武闘会までに何度か使ってみて、問題が無いか確かめておけ。 何かあったら持ってこい」

「わかりました。 ありがとうございます」

レイフォンは一礼して研究室を出た。

























キリクのいる研究室を後にし、錬金科研究棟から出たレイフォンはそのままの足でバイトに向かった。
バイト先に向かって通りを歩いていると、前方の角から知った顔が現れた。

「む、」

「あ、」

フェリだ。
ばったりと鉢合わせてしまった。 道端で偶然出会うのはこれで3度目である。
しばし無言で向かい合う。 レイフォンはやや気まずげに、フェリは少々不機嫌そうに。
それからどちらともなく歩き出した。 どうやら行き先は同じ方向らしい。
レイフォンはやや気まずい思いをしながらも、気になっていたことを訊く。

「えっと……フェリ先輩、あの後大丈夫でしたか?」

「ええ。特に危険な目には遭いませんでした。 後日、召集に応じなかったことについて隊長に色々と言われましたが

、それ以外は特に何もありません。
兄がそのことで私に何か言ってくるようならこちらにも考えがありましたが、幸いというか意外というか、兄の方は特

に何かを言ってくることはありませんでしたね」

フェリの方は、すでに先程の不機嫌そうな色は消え、いつも通りの無表情に戻っていた。

「ああそういえば、フェリ先輩が来ないのは自分の責任だとか何とか言ってたかな」

「兄がそんなことを? あんなクズの様な人間にもそんな自覚があったんですね」

フェリはやや怪訝な顔をしつつも、いつも通り辛辣なセリフを吐く。
それからまたしばらく無言で進む。
一度こちらをちらりと見たが、すぐに目を逸らした。
と、フェリがぽつりと呟くように言葉を漏らす。

「武芸科に……転科したんですね」

「ええ、まあ……」

自分の着ている武芸科の制服を見下ろし、レイフォンは顔を合わせないまま答える。

「……本当に……よかったのですか? それで……」

「はい……。戦うって、自分で決めましたから。 また失うのは嫌ですし、どの道ここがなくなったら、自分のやりたいことを探すこともできなくなりますしね。 僕はもうグレンダンに帰ることはできません。 ここで何かしら進む道を見つけないと、他所の都市に移ってもまともな生活できませんから」

「そう……ですか……。 まあ、私とあなたでは事情が違うでしょうから、転科したことについてはこれ以上とやかく言うつもりはありませんが……それにしても、つくづく嫌になりますね。 あなたの弱みに付け込んで利用しようとする兄も、呆れるほどレベルの低いツェルニの武芸者も」

「……はは」

曖昧に笑ってごまかす。
と、フェリが話を変える。

「隊長から聞きましたが、小隊入りの誘いを断ったようですね」

「ええ、断りましたけど……ニーナ先輩、何か言ってましたか?」

「いえ、ただ残念そうに『駄目だった』と言っていただけでした。 あなたのことを誘ってみるつもりだと勢い込んで

いましたが、次の日に見たら、めずらしく随分と肩を落としていましたね」

想像すると若干罪悪感を感じる。 ニーナはカリアンと違って裏や企みなどが無い、まっすぐな人間だからだ。

「……すいません」

「別に私に謝る必要はありません。 小隊が強くなろうとなるまいと、私にとってはどうでもいいことですから。 しかし兄もあなたには小隊に入ってもらいたがっていましたが、何か言われませんでしたか?」

「確かに会長にも頼まれましたけど、断りました。 ツェルニの存続に協力するとは言いましたが、僕には僕の都合が

ありますし、何もかも会長に従うつもりはありません」

それを聞いて、フェリはこちらを向く。
それからしばらくレイフォンをじっと見つめた。

「……あの……どうかしましたか?」

フェリは多くの念威繰者がそうであるように、感情が表に現れにくい。
視線はじっとこちらに注がれているが、その目から考えていることを察することはできなかった。
問うと、フェリはレイフォンから視線を外す。

「いえ……。 少し安心しただけです」

「安心?」

「ええ。 あなたが汚染獣と戦った挙句に武芸科に転科までしたと聞いた時は、新たな兄の犠牲者が生まれてしまったのではと心配しましたが、少なくとも無理やり転科させられたわけではないとわかって、安心しました。 それはそれで残念な気もしますが、いちおうは自分自身の意思で武芸を続けているようですし」

「えっと……残念って?」

「いえ、こちらのことです。 それに、もしもあなたが身も心も兄の操り人形になっているようならば、私が責任を持って更生させてあげなくてはと思っていましたが、そんなことになっていなくて何よりです」

「操り人形って……」

レイフォンは苦笑する。

「心配してくれてありがとうございます。 けど、今のところは特に問題はありませんよ」

「そのようですね。 しかし、もしまた兄が勝手なことを言い出すようなら言ってください。 こちらできつい灸をすえておきますので」

「は、はは……」

レイフォンは再び曖昧に笑う。 先程と違って若干引き攣っていたが。
そういえば、とフェリは続ける。

「武闘会に出場すると聞きましたが、それも本当ですか?」

「ええ、そのつもりです」

「どうしてまた? 実力を見せれば、来年一般教養科に戻りたいと思っても戻れなくなるかもしれませんよ」
 
「いえ。 むしろいざという時のためにある程度実力を示しておくべきだと思うんです」

「? 何故ですか?」

「武芸者が我が儘を通そうと思ったら、やっぱりそれなりに強さが必要になってきますからね。 来年は武芸大会もありませんし、ある程度知名度があったほうが転科の交渉がしやすいと思うんですよ。 生徒会長も違う人に替わるでしょうしね」

「知名度が高かったら、逆に転科が難しくなるのでは?」

「うーん。 正直、僕はツェルニで武芸者として学ぶことって基本的に無いんですよね。 集団戦とかについては知らないこともありますけど、そういうのは僕と同格の実力がある人がいないと学ぶ意味はありませんし、仮にここで学ぼうとしたところでモノにならないと思うんです。
得るものも無いのに武芸科に在籍し続けるのは学園都市の役割に反していますし、それを主張すれば余程のことが無い限り転科も可能かなと。
鉱山に余裕さえあれば、僕みたいな例外的な存在を武芸科に留めておく必要も無いでしょうしね」

「ふむ……確かに、あなたの言うことにも一理あるかもしれません」

言って、フェリは歩きながら何事かを考える。
レイフォンは続ける。

「それにたとえ一般教養科に戻っても、汚染獣が来た時には戦うつもりですから。 この都市に失いたくない物があるのは事実ですし、それを守るためにも、都市が滅びそうになるのを黙って見ているつもりはありません。 それを言えば、次の生徒会長も僕を無理に武芸科に押し込めることも無いと思います」

「成程……」

フェリはしばし思案し、それから口を開く。

「興味深い意見、ありがとうございました。 それでもやはり、私は人前で本気を出す気にはなれませんが、あなたの言うやり方は今後の参考にさせてもらいます」

「いえ、お役に立てたなら嬉しいです」
 
「では、私はこちらなので」

言うと、フェリは途中の道を曲がり、レイフォンと別れる。
フェリの進む方角を見ると、練武館が見えた。

(ああ、小隊の訓練か……)

そんなことを思いながら、レイフォンはバイト先へ向かった。





























日が随分と傾いた時刻。
レイフォンはバイト帰り、とある食堂に立ち寄った。
そこの料理は安くて量が多いため、武芸科生徒の、特に男性に人気の店だった。
店に入るとそれなりに客が入っており、レイフォンは店内を見渡して空いている席を探す。
カウンター席に空きがあったのを見つけ、そこに座った。
と、気配に気づいたのか、その隣の席に座っていた武芸科の制服を着た大柄の男が何気なくこちらを見た。

「ぬっ、」

「あ、」

お互いに目が合い、言葉を失くす。
そこにいたのは武芸長のヴァンゼだった。 手には大きなどんぶりがあり、山のように盛られた料理を食べている最中だ。
不意を打たれたような顔をして、しばし無言のまま顔を見合わせる。 
その後、ぎこちなく互いに目をそらした。
やや間があってから、ヴァンゼは無言で再び食事を始め、レイフォンはカウンターから料理を注文する。
頼んだ料理が来るのを待つ間、レイフォンは居心地の悪さを感じていた。
ヴァンゼと話したのは一度きり。 それも司令部内での言い争いの時だけだ。 あの時はお互いかなり険悪な態度だったため、正直顔を合わせづらい。
決してヴァンゼの方は見ずに周囲を見回しながら、何となくそわそわする。

しばらくして頼んだ料理が運ばれてきた。
レイフォンはそれを食べ始めるが、味はよくわからない。
と、唐突にヴァンゼが口を開いた。

「……あの時はすまなかったな」

「え?」

思いがけない言葉に、レイフォンは間の抜けた声を出す。

「汚染獣が来た時、司令部でお前を怒鳴りつけたことだ。 自分のことを棚に上げて、一方的に責めてしまってすまなかった」

レイフォンは何と言っていいかわからず、言葉を聞きつつも口は食べることに集中する。
それに構わず、ヴァンゼはなおも言葉を紡ぐ。

「あの時のお前は武芸者として決して褒められたものではないと今でも思っている。 だがあの時俺の言ったことは、都市を守れなかった俺たちが、結果的に都市を守ってくれたお前に向かって言っていいことではなかった。
本当に、すまなかった」

「仕方ないんじゃないですか?」

こちらに向き直って頭を下げるヴァンゼに向かって、ここでやっとレイフォンは口を開いた。

「あなた達は汚染獣と戦った経験は無かったのでしょう? 初めての事態に、少しくらい混乱したり焦ったりするのは当然ですよ。 特に、武芸長であるあなたは他の人たちよりもより多くの重圧を背負っていたんでしょうし、多少取り乱しても仕方ありません。 あの時僕が言ったことが間違っているとは思いませんし、訂正するつもりもありませんけど、だからといって今更あなたを責めるつもりはありません。 だから、気にしないでください」

謝られても何と言っていいかわかりませんし。 そう言って食事を再開する。

「そう……か。 わかった。 ……では、改めて礼を言う。 この都市を守ってくれて、ありがとう」

ヴァンゼはこちらをまっすぐ見ると、居住まいを正して言った。
そして再び頭を下げる。
レイフォンは思わず、再度食事の手を止めた。

「いや、そんな」

レイフォンはやや恐縮しながらも、それに応える。 
その姿には、司令部で見せた冷淡な姿は微塵も感じられなかった。

(あれがこの男の全てというわけではないのだな)

ヴァンゼは内心でそう独りごちる。
それから、2人は食事を再開した。

「そういえばレイフォン、第十七小隊の勧誘を断ったらしいな」

「……ええ、まあ」

食べる合間に、ヴァンゼが訊いてくる。

「何故断った? お前ほどの力があれば、小隊員として十分にやっていけるはずだろう?」

「しがらみが増えるのは嫌でしたから。 それに不利益ばかりでメリットがありませんしね」

「しかし小隊員に選ばれるということは己の実力を認められたという証明だぞ。 実力主義が本質の武芸者にとって、これほど名誉なことは無いだろう」

「そもそも名誉に興味ありませんから。 別に他人から実力を認めてほしいとも思いません」

「それだけの力がありながら、都市戦で他の未熟な者たちと同じ、ただの一兵卒として扱われてもいいのか?」

「他人の評価なんてどうでもいいことです。 それに、僕からすればあなたも小隊員の人たちも、他の生徒とさして変わりません。 どちらも未熟者です。 そんな未熟者の中でお山の大将気取るつもりもありません。 正直、そんなことしても大人げないですしね」

「ふむ……。 悔しいが、まあ反論はできんな。 しかし、メリットは無いと言ったが、小隊に入るというのは自身を磨く上でも有効だと思うぞ。 小隊内で、あるいは小隊同士で切磋琢磨し互いを鍛えていくというのは、十分に意義があることだと俺は思う」

「確かに、競い合うことでより上を目指すのは有意義かもしれませんけど、それは自分と同等、もしくはそれ以上の実力者がいる場合だと思いますよ。 あいにくと、ツェルニには小隊員の中にだってそんな人は一人もいません。
正直小隊に入ったところで学ぶことは無いんですよね。 集団戦や連携の訓練は重要かもしれませんけど、それだって同格の相手がいないと意味ありませんし、背中を預けられない相手とチームを組んでも実戦で役に立ちません。
それに僕には僕の都合や目的もあります。 それを諦めてまで小隊に入る理由は無いです」

「……成程な」

レイフォンはあえて事実をそのままに、決して優しく言い換えることなどせずに本心を吐露した。
しかし、ヴァンゼは短い言葉を言ったきりで、何事も無かったかのように食事を続けている。
レイフォンは好奇心から訊いてみた。

「もしかして……怒りましたか?」

それに対して、ヴァンゼはわずかに苦笑し言葉を返す。

「いや。 お前の言い様が気に食わないのは確かだが、未熟者の俺が強者であるお前に文句をつける筋合いは無いからな。 カリアンの話では、お前は武闘会には参加するようだし、ならば小隊に入れるのは諦めるさ」

「……そうですか」

レイフォンも、それ以上ヴァンゼの気持ちを確かめようとはしなかった。
が、一つ気になることがあったので訊いてみる。

「そう言えば……僕が転科したこと、ニーナ先輩にわざわざ教えたんですか?」

前から気になっていたことだ。
何となく、ヴァンゼはそんなことをわざわざ口にするようなタイプではないと思っていた。
ましてや司令部であんなことがあったのでは。
と、ヴァンゼは急に眉をしかめて、渋面を作る。

「ああ、カリアンの奴に頼まれてな」

それを聞いて、レイフォンは脱力した。

「ニーナの奴に教えてやれ、きっと飛びつくだろう、とかなんとか言われてな。 自分で言えと言ったのだが、俺が言った方が怪しまれずに済むなどとぬかしやがった」

「……成程。 ほんと、あの人は裏で表で色々企んでくれますね。 油断も隙も無い」

「まったくだ」

ヴァンゼが渋い顔のまま同意する。

「昔からそうだが、毎度毎度あいつに振り回されるのは骨が折れる。 いくらツェルニ存続のためとはいえな」

「武芸長は、会長と付き合い長いんですか?」

ふと、思ったことを訊いてみる。

「ん? ああ。 ツェルニに向かう途中に立ち寄った都市で偶然会ってな。 武芸者と一般人、性格も境遇もまるで違っていたが、何故かお互い不思議と気が合った。 それから何だかんだで腐れ縁が続いている。 仲が良いというのとは少し違う気もするがな。 もう六年目になるというのに、未だにあいつの腹の中は読めん」

「確かに。 あの人はいつも胡散臭い笑顔を浮かべてばかりで、何を考えているのかがまるでわかりませんからね。 ま、お腹の中は多分まっ黒でしょうけど」

「だろうな。 とはいえ、ツェルニを守りたいという気持ちだけは確かなようだから、俺も一応はあいつに従っている。 都市を守る、その気持ちは俺も同じだからな」

「そうですね。 少なくともそれだけは本心からの気持ちだと思います」

ツェルニを守りたい。 少なくともそれだけはカリアンの正直な気持ちだろう。
そしてカリアンの目的と望みが、レイフォンの望みを叶える上で必要なことだからこそ、レイフォンはそれに力を貸すために再び武芸を始めたのだ。
ツェルニの存続という点で、レイフォンとカリアン、2人の目的は重なっている。
だからこそ、その過程の一環として、武闘会にも出ることを決めた。
そして出るからには、中途半端な結果にする気は無い。

やがてヴァンゼはどんぶりの中身を食べ終わった。

「では、俺はそろそろ行く。 武闘会、俺は審判やら催しの責任者やらの仕事があって出場はできんが、出るからには真面目にやれよ。 全力を出せとは言わんが」

「わかってます。 せっかく出るんですし、もちろん優勝賞金を狙っていきますよ」

「……そうか……。 健闘を祈る……」

レイフォンの言葉に、ヴァンゼは何か言いたそうな顔をしたが、結局言葉少なに激励しただけでこちらに背を向けた。
そしてそのまま店の外へと出て行く。
それを見送り、レイフォンは再び食事に専念した。




















日は完全に沈み、周囲を闇が覆っている。
特にこの辺りは人気も無く、街灯なども無い。
周辺は倉庫ばかりが建ち並び、住居などはほとんど無い。 あったとしても、人は住んでいない。
明りといえば月明かりと、遠く離れた居住区から漏れてくる光くらいだ。
そんな場所でレイフォンは一人、刀を振るっていた。
活剄や衝剄は使わず、刀技の純粋な型を繰り返し練習する。
構え、踏み込み、切り下ろし、切り上げる。
ただひたすら素振りを繰り返し、一度は捨てた技を、かつての動きを再確認する。
懐かしい気持ちに捕われながら、サイハーデン流の型の練習をする。
それを小一時間も続けた後、ようやくレイフォンは動きを止めた。

「ふぅぅぅ……」

大きく息をつき、構えを解く。
集中していたせいで気付かなかったが、いつのまにか結構汗をかいていた。
濡れた額に風が当たり、それを心地よく感じる。
レイフォンは手に持った刀を目前まで持ち上げ、感慨深い目でそれを見つめた。

(久しぶりだったけど、案外体は覚えているものだね)

サイハーデンの技の練習は長いことやっていない。
十歳のときには刀を捨て、剣を握っていたからだ。
それなのに、こうして再び刀を持つと、剣よりもはるかにしっくりとくる。
まるで、あるべきものがあるべき所にしっかりと収まっているような。
そしてそれは、事実なのだろう。 武芸者としてのレイフォンの技の本質は、やはり刀技なのだ。
どれほど多くの戦場で剣を振るおうと、自分がサイハーデンの武芸者であることを覆すことは、やはりできないのだ。
それでもサイハーデンを捨てようとしていた過去の自分はやはり中途半端であると思う反面、なおも自らの中で残るサイハーデンの技と教えに嬉しくなる。
こうしてグレンダンと遠く離れた地でさえ、尊敬する養父と繋がりがあると感じられるからだ。

やがてレイフォンは錬金鋼を基礎状態に戻し、その場を後にした。
広い空地を出て、新しく引っ越した家へと向かう。
レイフォンが住み始めたアパートは他に住人がいないため、若者が寝るにはまだ早い時間帯であるにもかかわらず、建物内には光一つ無かった。
自分の部屋に入り灯りを点ける。 当然、中には他に誰もいない。
まだ家具が揃っておらず、だだっ広く感じる空間で、レイフォンはソファーに座りこむ。
この部屋に越してきて正解だったと常々思う。
私物の少ないレイフォンでは随分と持て余しているようにも感じるが、その分かなりの解放感があった。
とはいえ、今後もう少しくらい物を増やすのも良いかとも思っている。
広い部屋に一人でいると、自然と物思いに沈んだ。

(武闘会か……)

カリアンから聞いた時は正直気が進まなかったが、後から考えてみるとそれほど悪いことでもないように思えてくる。
自分がサイハーデンの技をどれだけ覚えているのか、実際に戦って確かめることができるのだ。
もちろん手加減しなければならないし、武器も安全装置がかかっているが、対人戦の中でその技の確認ができるのは、そう悪いことではない。

(ま、せっかく出るんだし、できるだけ前向きに考えるべきか)

それに賞金も出る。 引っ越しで貯金がやや減ってしまっているし、お金というものはありすぎて困るものでもない。
そう結論付け、ソファーから立ちあがる。
そして先程の鍛錬でかいた汗を流すため、バスルームへと向かった。





















あとがき

というわけで、ツェルニ武闘会開催。
今回は次の展開の前置きと、フェリやヴァンゼがあの後どうなったのかについての話ですね。
特にフェリは武闘会中は登場しませんし、早めに出しておかないとならないなと思って。アルマについてはどこかしらで番外編を。

武闘会に関しては、今後のための布石と、ここらで対人戦の戦闘シーンを入れておきたいという作者の願望から。この作品のレイフォンは小隊対抗戦には出ないので。

次回は武闘会当日。楽しんでいただければ幸いです。



[23719] 11. ツェルニ武闘会 予選
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2010/12/15 18:55
朝の日差しが窓から差し込む中、レイフォンは自宅であるアパートのダイニングで朝食を食べていた。
時間にはまだ余裕がある。 ボーっと窓の外を眺めながら、もそもそとパンを咀嚼する。 すでに3つ目だ。
あまり栄養に気を遣った食事ではないが、レイフォンとしては朝食は腹さえ膨れれば何でもいいと思っている。
パンを食べ終わると、食料棚から出してきた大きなチーズの塊から1口サイズの欠片をいくつか切り分け、 それを口に放り込んでからコップの中の牛乳を飲み干す。
このチーズは以前近所の倉庫区で仕事を手伝った時に、そこで働いている人たちから分けてもらったものだ。 かなり大きな塊で日持ちもするためレイフォンは随分と感謝していた。 食料品を収納している棚の中にはまだ2つほど残っている。

「さて、と」

朝食が終わると、慣れた手つきで食器を片づけ、着替えを始める。 もともとあまり良い服は持っていないので、特に迷うことなく適当なものを選んで着替えた。 どうせ向こうに着いたらすぐにもう1度着替えることになるのだ。 
それからスポーツバッグに必要なものを詰めていく。 とはいえ、それほど数は多くない。
武闘会用にカリアンから渡されたツェルニ武芸科共通の戦闘衣(用意するのがやたら早かった上に、何故か図ったようにサイズがぴったりレイフォンに合っている)やタオル、スポーツ飲料などを詰め込み、最後にベッド脇の台に置いてあった錬金鋼を手に取った。
目の前まで持ち上げ、じっと見つめる。
それから小さく「レストレーション」と呟き、鋼鉄錬金鋼製の刀を復元した。
美しい刀身が現れ、窓から差し込む陽光を照らし返す。 眩い光に、レイフォンは目を細めた。
キリクにこの錬金鋼を用意してもらってから、何度か素振りなどを繰り返して感触を確認、そして調整を行ってもらった。 今では長年を共に戦った戦友のように手によく馴染む。
しばらく刀身を見つめて物思いにふけってから、やがて基礎状態に戻して腰の剣帯にそれを納める。

「よし」

声に出して気持ちを切り替えると、スポーツバッグを肩に提げて家を出た。
そしてメイシェン達と待ち合わせしている場所に向かって歩き出す。
その挙措に焦りや緊張は見られず、普段学校へ行く時の様子と何ら変わりない。
しかし、今レイフォンが向かっているのは学校ではなく野戦グラウンドである。
今日はツェルニ武闘会の開催日だ。





























ツェルニ武闘会当日。
その日は朝から快晴だった。
エアフィルター越しに強い日差しが差し込んでくる。
照りつける陽光の下、野戦グラウンドは喧騒で満ちていた。
観客席では、早くもこれから行われる試合の結果について予想し合っている者もいる。

「いやー、随分盛り上がってるね~。 小隊対抗戦にも引けを取らないよ」

周囲の喧騒に負けないよう、隣にいる2人に向かって大きな声出で話しかけているのはミィフィだ。

「確かに、すごい盛り上がりだな。 ところでレイとんの試合はどこでやるんだ?」

ナルキもまた、大きな声でミィフィに向かって訊ねた。

「確かHブロックって言ってたから……あっちじゃない?」

言いつつ、ナルキとメイシェンを先導する。
武闘会では、野戦グラウンドを闘技場として八つの区域に分け、それぞれの区域でA~Hまでのブロックに分けられた出場者が同時に予選を行う。
三人は八つに分かれた戦闘区域のうち、Hブロックの予選が行われる闘技場が見えるところまで移動した。
奇跡的に空いている席が3つ並んでいたので、そこに腰を下ろす。

「さてさて、レイとんは何試合目かな?」

「さあな。 予選じゃ一回戦の相手はランダムで、順番も決まってないみたいだからな。 レイとんがいつ出るのかはわからん」

「……レイとん、怪我しないかな?」

「大丈夫でしょ。 生徒会長にも実力を認められてるくらいなんだし。 もしかして優勝なんかしちゃったりして」

「さすがにそこまで甘くはないと思うが」

「でも可能性はゼロじゃないでしょ? もし勝ったらインタビューしなきゃ」

そういえばと、メイシェンは思い至る。
ミィフィとナルキは、レイフォンがグレンダンで汚染獣とも戦った経験のあるプロの武芸者であるということを知らないのだ。
レイフォンがそれを話してくれたのはメイシェンと2人っきりの時だったし、その時の話の内容は誰にも教えていない。
2人にも教えるべきかとも思うが、レイフォンはあまり多くの人に知られたいとは思っていないようだし、彼の許可も無く他言するのは気が引ける。 いくらこの2人でも。
それに、レイフォンと秘密を共有しているような気持ちになれて、少し嬉しいというのもある。
結局、やっぱり黙っていた方がいいか、と結論付けた。
3人はあれこれと会話しながら、武闘会が始まるのを待つ。

「この大会って何人くらい出場するんだ?」

「少なくとも100人以上は出るらしいよ。 武芸科なら誰でも参加可能だしね。 そのうち小隊員は20~30人くらいだって。 大体各小隊で1人か2人が代表して出るみたい」

「結構参加するんだな。 2日で終わるのか?」

「だから8つに分けて同時にやるんでしょ。 予選の方は試合に時間制限もあったと思うし」

「ミィちゃん、誰が出場するかとか知ってるの?」

「全員って訳じゃないけどね。 小隊員とか、ある程度有名な人とか、その辺はいちおう調べてあるよ」

「ほう。 どんな人が出るんだ?」

「大体各小隊の隊長とかエースなんかが出てるみたい。 まあ、勝てば自分の小隊にも利益があるしね。 実力をアピールするのにも丁度良いし」

「レイとんはどうだ? 勝てそうか?」

「う~ん、どうだろ? そもそもわたしはレイとんがどんだけ強いのかもよく知らないし。 ナッキは一度戦ってるとこ直に見たんじゃないの? 都市外の武芸者相手に」

「まあそうだが、あたしには小隊員がどれくらい強いのかもよく分からないからな。 対抗試合を見るだけじゃ小隊の人たち個人の実力は分からないし」

「じゃあ、尚更わたしにはわからないよ。 ただ、下馬評はあんまり高くないみたいではあるけどね。 入学式のことで多少は注目されているみたいだけど、やっぱり一年生だし」

「それもそうか」

と、話していると司会のアナウンスが流れた。

「お、いよいよだね~」

まず最初に司会が挨拶し、それから武闘会についての説明を始めた。
内容は、試合の形式やルールについてだ。 
武闘会では、選手はまずA~Hまでの8つのブロックに分かれ、それぞれのブロックでトーナメント形式の勝ち抜き戦を行う。
そして各ブロックで1位通過した者だけが決勝トーナメントである本戦に進むことができるのだ。
また予選では、参加ブロックだけはあらかじめ決められているが、試合の組み合わせや順番はランダムに決められる。
そのあとは、先に勝ち抜いた人から順番に戦っていき、本戦参加者を決める。
本選はA対B、C対D、E対F、G対Hと、それぞれのブロックを1位通過した者たちでさらに勝ち抜き戦を行う。
そうして最終的な優勝者を決めるのだ。

試合のルールは、旗取り合戦ではないこと、個人戦であること以外は基本的に小隊対抗戦と同じだ。
錬金鋼は学園都市指定の安全装置がかかった物しか認められておらず、試合で使うには運営部の認可がいる。
勝敗に関しては、どちらか一方が負けを認めるか気絶するまで、もしくは一定時間以上倒れたままでいることで決まる。 その場合は審判から戦闘不能判定が下る。
また、予選では複数の試合を同時に行うためスペースが限られているので、戦闘区域の範囲外に一定時間以上出ることも敗北の原因となる。
試合をあまり長引かせないよう、時間にも制限がかけられている。 時間切れの場合は、それまでの攻勢から勝敗が判断される。 つまりは審判から見て優勢に試合を進めていた方が勝ちとなる。 とはいえ、普通、武芸者同士の戦いはそうそう長引くことが少なく、大抵は時間内に終わるだろうが。

司会のルール説明が終わると、次に開催の責任者である生徒会長と武芸科長からの開会の挨拶が行われた。
内容は主に、会長からは激励の言葉、武芸長からは諸注意などだ。
それらが終わると、いよいよ試合が始まる。
スタジアムで一番大きなモニターにブロックごとの第一試合の選手名が映し出された。
その中にレイフォンの名もある。

Hブロック 第一試合 レイフォン・アルセイフ(1年) vs ガトマン・グレアー(5年)

「おお、いきなりレイとんの試合! って……あちゃ~運悪いねぇ。 初戦の相手があのガトマン・グレアーなんて」

「誰だ? 有名な奴なのか?」

「うん、まあ。 小隊員って訳じゃないんだけど、色々噂があったりしてそれなりに有名かな。 武芸科の五年生で、なんでも実力は小隊員にも引けを取らないくらいなんだけど、素行が悪くて小隊入りのチャンスを何度も逃してるんだって。 多分、この試合にもそれが理由で参加したんじゃないかな。 自己顕示欲が強いみたいだし」

「ほう。 あまりお近付きになりたくないタイプだな」

「まあね。 聞いた話じゃ性格は陰険で嫉妬深くて、その上いつも偉そうに威張り散らしてるってさ。 しょっちゅう人前で小隊員の特に下級生の悪口を言いふらしてるとか。 人気のある小隊員に裏で酷い嫌がらせをしたこともあるって噂だし。 おまけに下級生とか一般人には輪をかけて居丈高に振る舞うらしいよ。 思いっきり見下して。 夜の繁華街でもよく女生徒に絡んでるところが目撃されてるみたい。 ほんと、嫌んなるよねぇ~」

「随分と悪評が流れてるんだな。 まあ基本的に学園都市って言うのは不良武芸者が流れてきやすいところではあるけど、それにしてもひどいな。 レイとん、大丈夫なのか?」

ナルキとミィフィのやり取りに、メイシェンが心配そうに顔を曇らせた。

「個人的には、友達ってことを抜きにしてもそんな奴には負けてほしくないけどね~。 ちなみにガトマン・グレアーの戦法は、一撃を狙わないでじわじわといたぶって、時間をかけて相手の力を削いでいくってやり方らしいよ」

「戦い方まで陰険だな。 それも一つの戦術かもしれんが、性格も合わせるとやはり好きにはなれそうもないな」

「だよね~。 レイとん、がんばれ~!」

最後は闘技場に向けて応援の言葉を発する。
そこには、モニターを見てグラウンド脇の通路から出てきた、噂のガトマン・グレアーとレイフォンが対峙していた。
メイシェンは思わず唾を飲み込んだ。 まだ試合も始まってないのに、早くも緊張している。

「メイっち、そんなに固くならなくても……」

言いつつ、ミィフィも視線を闘技場に向けた。 ナルキもそれに倣う。
上背のある相手を見上げているレイフォンの顔つきは、まるで凪いだ水面のように静謐だった。
表情からは感情が抜け落ち、普段のどこか気の抜けた面持ちとは異なる、冷たい顔をしていた。

「へぇ~。 レイとんのことだからもっと緊張してるもんだと思ってたけど、そんなこと無かったね。 むしろすっごく落ち着いてるし」

「ああ。 あれは明らかに場馴れしているな」

「これはもしかすると、ほんとに勝っちゃうかも!」

「ミィ、興奮するな」

鼻息荒く目を輝かせるミィフィを、ナルキが宥める。
と、闘技場で向かい合った2人が、一旦距離を取ってから武器を構えた。
開始の声と共に、審判が高く上げた腕を振り下ろす。
そして試合が始まった。























Hブロック闘技場、第一試合。
そこで、レイフォンは最初の対戦相手と向かい合っていた。
隣で小隊員から選ばれた審判役の武芸科生徒が、改めてルールの確認を行っている。
目の前に立つ選手、ガトマン・グレアーは、ニヤニヤとした笑みを口元に浮かべながら、見下すような目でこちらを見ていた。
背の高い、大柄な男だ。 身体は当然鍛えられており、細身のレイフォンと比べてはるかに肉厚だ。
顔はいかにもチンピラ然とした柄の悪そうな容貌で、目つきは鋭く、陰険そうに濁った光がある。 立ち姿や表情からも傲慢な性格が見て取れた。
諸注意と説明を終えた審判がその場から離れていくと、ガトマンはこちらを馬鹿にするような口調で口を開いた。

「貴様のことは知っているぞ、レイフォン・アルセイフ。 入学式で少しばかり目立ったからって、調子に乗って武闘会にまで出て来るとはな。 一年の分際で随分と生意気な奴だ。 この俺が貴様に身の程ってやつを教えてやるぜ」

せせら笑う対戦相手に対し、レイフォンは口ごたえどころか表情一つ変えない。 まるで目の前の相手に欠片ほどの興味も無いといった風情である。
その様子に、ガトマンは笑みを浮かべたままこめかみに青筋を浮かべる。

「はっ、臆病者が!」

やや引き攣った笑みで吐き捨てると、ガトマンはレイフォンに背を向けて離れていく。
レイフォンもその場から離れ、対戦相手と距離を取る。
そして改めて向かい合った。

「両者、構え!」

審判が声を張り上げ、手を高く上げた。

「レストレーション!!」
「レストレーション……」

審判の声と共に、お互いに自身の武器である錬金鋼を抜き出し、復元する。
レイフォンの手には鋼鉄錬金鋼(アイアンダイト)製の刀が現れた。
対するガトマンは、右手に大ぶりのナイフを、左手に数本の小型のナイフを復元する。
それらを手に、二人は向かい合って各々の武器を構えた。
ガトマンは先程までと同様、相手を見下すように唇を嘲笑に歪めながら両手のナイフを構える。 右手を前に、左手は身体の後ろに隠すように。
それを見てもレイフォンは無表情のままだ。 静謐な面持ちで、刀を正眼に構える。 普段の気の抜けた顔つきからは想像できないほどに真剣な表情だが、その姿からはまったく気負いが感じられない。 その立ち姿や目つきからは、虚ろな印象さえ受ける。 観客席でも緊張感が高まる中、レイフォンはただ感情の薄い目で相手を窺っていた。

「試合……開始!!」

試合開始の合図と共に、審判は勢いよく手を振り下ろす。

と同時に、ガトマンが仕掛けた。
なかなか侮れない素早い挙動で左手を振るう。 その手から三条の光が立て続けに走り、レイフォンに向かって飛来した。
投擲された小型のナイフを、冷静なままレイフォンは二つを躱し、一つを刀で叩き落とす。
が、その動作のほんの僅かな隙に、ガトマンはレイフォンに肉薄する。
右手に持った、大ぶりのナイフを勢いよく振り下ろす。 衝剄を纏ったその一撃を、レイフォンは刀で受け止めた。
金属音が響き、しばし刃が噛み合う。 
しかし、鍔迫り合いを好まずガトマンは素早く後退した。 すかさずレイフォンは追撃しようとするが、牽制として投げられた小型ナイフに足を止める。

一旦仕切り直して対峙する。
わずかな膠着状態の後、再び先に仕掛けたのはガトマンの方だった。
レイフォンからは距離を取りつつ、弧を描くように周囲を移動する。 その間にも、立て続けにナイフを投げる。
それらを躱し、あるいは刀で防ぎながらも、レイフォンの目は相手の動きを追っている。

ガトマンの戦い方は持久戦だ。 距離を取りながら時間をかけて攻撃を繰り返し、少しずつ相手の体力や集中力を削いでいく。 そうして相手に隙が生まれれば、接近戦を仕掛けて大ぶりのナイフで止めを刺すつもりだ。
最初の攻防でこちらがただの一年生ではないと分かったのだろう。 相変わらず侮るような目でこちらを見ているが、先程のように迂闊に飛び込んでくることはなく、距離を空けたまま攻撃を繰り返す。 しかしこちらが少しでも隙を見せれば、近づき、斬りかかってくる。 
一体いくつ武器を持っているのか、繰り返し小型ナイフを投擲し、レイフォンの動きを制限する。
そして隙ができるたびに接近し、大ぶりのナイフを振るう。 その度にレイフォンは危ういところで一撃を防いだ。
自らの攻撃を防がれても、ガトマンはその結果に固執することなく後退し、再度、間合いの外からの攻撃を繰り返す。 そのせいで、レイフォンは反撃のタイミングを悉く外された。

そんな攻防がしばらく続く。
そして、

「むっ」

ガトマンの投げたナイフが、レイフォンの危ういところをかすめる。
レイフォンは大きく仰け反り、体勢を崩していた。
すかさず、ガトマンが素早い動作で左手を振るい、連続でナイフを投げた。
と同時に方向転換し、レイフォンに向かって直進する。

(勝った!)

あの体勢では全てのナイフは躱せない。
小型のナイフにはさほど殺傷力は無い。 刃引きが為されているのだから尚更だ。
しかし衝剄を乗せたその一撃は、まともに喰らえばそれなりの威力がある。
急所にでも当たれば、武芸者といえど大ダメージを受けるだろう。 相手の意識を刈り取るくらいの威力はあるし、場合によっては命にかかわる。
仮に全てのナイフを躱せたとしても、さらに体勢を崩した状態でガトマンの追撃を防げるはずが無い。
勝利を確信し、ガトマンの顔が勝ち誇ったような笑みに歪む。
だが、

「何っ!」

ガトマンの顔に驚愕が浮かぶ。
レイフォンの刀が、それまでとは比べ物にならないほど素早く動き、全てのナイフを叩き落としたのだ。
だけでなく、衝剄と刀を振るう際の反動を利用して、予想以上に早く体勢を立て直す。

「ちっ!」

思わず舌打ちする。
それでもガトマンは、接近しながら新たなナイフを二本投げた。
レイフォンは一切慌てず、刀の柄から左手を放す。
そしてその手を素早く動かし、飛来してきたナイフを空中で止めた。 指の間に二本のナイフが挟まっている。
それを見て、再びガトマンは顔を驚愕に染めた。
思わず足を止めたガトマンに向けて、レイフォンが霞む様な速度で左手を閃かせる。

「っく!」

矢のように飛来するナイフをガトマンはぎりぎりのところで回避する。
が、虚を突かれたために巧く躱せず、大きく体勢を崩してしまった。
その隙を見逃さず、レイフォンが鋭く踏み込んで来る。
振り下ろされた一撃を、ガトマンはなんとか右手のナイフで受け止めた。
だがそのあまりの威力に、まともに受け切れず後ろに弾き飛ばされる。
しかしレイフォンは追撃の手を緩めることはなく、再度斬りかかってきた。
再び受け止める。 すさまじいまでの速度と重さが伴う一撃。
あまりの圧力に、思わず新たに抜き出していた投擲用の錬金鋼を捨て、両手でナイフを支えた。

「ぐっ!」

しばし押し合いになるが、こらえ切れず、刀身を強引に逸らしてから距離を取った。

(あの細い身体のどこにあんな力がある!?)

そう吐き捨てようとするが、刀を引き連れたレイフォンは遅滞なく動き、ガトマンに迫る。 速い!
横薙ぎの一閃が胴を狙い襲いかかる。 それをギリギリで受け止め、渾身の力で弾き飛ばした。
しかしレイフォンはさらに立て続けに刀を振るう。 息をも吐かせぬ連撃。
幾筋もの斬線が走り、連続でガトマンに襲いかかった。
ガトマンはそれらをなんとか防ぐが、押さえきれず徐々に後退する。
袈裟斬、逆袈裟、横薙ぎ、兜割り。
レイフォンは表情一つ変えずに、無数の斬撃を繰り出してくる。
それらをすべて紙一重で防ぎながら、ガトマンは後退を強いられる。
先程まで攻めていたのはガトマンだったが、いつの間にか形勢は逆転し、防戦一方に追い込まれていた。

(くそっ! 初戦で、それも一年なんかに負けてたまるか!)

「う、おおぉぉぉぉあぁっ!」

咆哮と共に、全身から衝剄を放つ。
と同時に、活剄によって限界まで強化した筋力でナイフを振るい、渾身の力を込めてレイフォンの一撃を弾き返した。

「っ!!」

ありったけの剄を込めた反撃に、レイフォンは思わず仰け反る。 相変わらず表情に乏しいが、やや眉を顰めており、その顔にはわずかに驚きが浮かんでいた。

(ここだ!)

千載一遇のチャンスとばかりに、ガトマンは大きく踏み込んで右手に握った大ぶりのナイフを振るった。
全身の力と体重を乗せて、相手の胴体のど真ん中に、思い切り突きを放つ。

(勝っ……)

だが、その突きは一切の手応えも無く通過し、ガトマンの身体が大きく泳いだ。
レイフォンの姿は先程までいた場所から消え、いつの間にかガトマンの真横に現れていた。

内力系活剄の変化 疾影

速度の緩急によって相手の感覚を狂わせ、同時に気配のみを周囲に放って混乱を助長、自らは殺剄をすることで偽の気配をあたかも本物であるかのように思わせ、瞬間の判断を誤らせる技だ。
ガトマンが貫いたのは残像ではなく、自身の錯覚によって生まれた虚像だ。
レイフォンは隙だらけの背面に、刀の柄頭を振り下ろす。

「ちぃっ!」

咄嗟に振り向こうとするが、その前に後頭部に重い衝撃が叩きこまれた。

「がっ!」

ガトマン・グレアーは柄頭による一撃で意識を刈り取られて昏倒した。
一声呻いて、ガトマンの体が崩れ落ち、そのまま沈黙する。
「おおっ」と観客席でどよめきが起こり、それから一瞬の静寂が訪れる。
そして、

「勝者、レイフォン・アルセイフ!!」

審判の高らかな声が上がり、判定が下った。
それと同時に、観客席で歓声が上がる。 そこかしこから称賛の声がかけられた。
中には、ミィフィの声も混じっている。 レイフォンの聴力は、大勢の歓声の中からそれを捉えた。
愛想を振りまくのは得意ではないが、これでもグレンダンで試合慣れしている。
刀を納めると観客席の方を向き、深々と一礼した。 より一層歓声が大きくなる。
顔を上げ、先程聞こえたミィフィの声を頼りに客席を見渡す。 メイシェン達三人がいる場所を見つけると、先程までの冷たい顔つきから一転し、そちらに向かって笑いかけた。
三人とも手を振っている。 ミィフィは元気に大きく、ナルキはそれを見て苦笑しながら、メイシェンは真っ赤になりつつ恥ずかしそうに。
それを見てレイフォンは笑みを深くし、控えめに手を振り返した。
しばらく歓声に応えてから、やがて観客に背を向ける。
そして気を失って運び出されるガトマンを横目に、レイフォンは闘技場を後にした。

























「いや~、レイとんすごかったね。 あのガトマン・グレアーに勝つなんて。 あの人性格とか素行はともかく実力は確かなはずなのに、結局レイとん無傷で勝っちゃうし」

「確かにあれはすごかったな。 最初は劣勢に見えたのに、途中からは圧倒的だった。 まだ結構余裕もありそうだったし、もしかすると小隊員にも勝てるんじゃないか?」

ナルキとミィフィが口々に言うのを、メイシェンは聞くとはなしに聞いていた。
未だ体から緊張が抜けきっておらず、無意識のうちにレイフォンが去った闘技場を見つめている。
やがて大きく息を吐き、体から力を抜いた。
試合中、レイフォンが怪我をするのではないかと気が気ではなかった。
特に、相手は見るからに柄が悪そうな顔つきをしており、負けたらただでは済まないのではないかとさえ思っていた。
が、結果を見ればレイフォンの勝ちだ。 怪我ひとつなく、完勝といえる。
その事実をやっとのことで認識し、ようやく安堵することができた。
力が抜けて沈み込む彼女を見て、ミィフィが苦笑する。

「メイっちったら、そんなに気を張らなくても大丈夫だよ。 試合は安全に気を遣ってるし、何よりレイとん強いしね。 そうそう負けないよ」

「う、うん。 いちおう、分かってはいるんだけどね」

やや気弱な笑みを浮かべて、メイシェンが答える。
それを見て「ハァ~」と嘆息し、闘技場に目を向ける。
そこでは次の試合の準備が終わるところだった。 時間は限られているため、予選はできる限り手早く進められる。

「ん~、レイとんの次の試合まで結構あるね。 今の内に飲み物とか買い出しにでも行っておく?」

「そうだな。 あたしが行くから、メイとミィはここで待っててくれ」

「ん、了解。 迷わないようにね」

「ああ、わかってる」

二人は売店に向かうナルキを見送り、再度闘技場を見る。
丁度、次の対戦者二人が対峙しているところだった。
一人は大柄なおそらくは上級生、もう一人は小柄で細身の少年だ。

「うわ~、あの人随分と体格違うけど大丈夫かな? 小柄だし、体の線も細いし、危ないんじゃ」

言いつつ、対戦者の名前が表示されたモニターを見て誰なのかを確認する。

「えーっと…フェイラン・バオ、1年生。 やっぱり1年生なんだ。 相手は……4年生か。 小隊員じゃないけど、それでも厳しいかも。 ていうかそもそもあの子戦えるのかな?」

「う~ん、ここから見る限り、相手の4年生の方が強そう……だよね」

やっと緊張の解けたメイシェンも、闘技場の方を見て眉をひそめる。

「だよね~。 ま、順番的にここで勝った方が次の試合でレイとんと戦うわけだからあんまり肩入れするのもなんだけど、わたし的にはあの1年生の方を応援しようかな。 同じ1年生だし、結構可愛い顔してるし」

「……ミィちゃん」

メイシェンはやや呆れながらも嘆息するだけに留めて、改めて闘技場に目を移す。
観客席にいくつかあるモニターの1つには、アップにされた少年の横顔が映っていた。
顔は色白で細面、長くて癖の無い黒髪を頭の後ろでまとめて結んでいる。 線の細い身体や白皙の肌、繊細で端正なつくりの顔立ちを見ると、少女もしくは男装の麗人にも見える。
試合開始直前だというのに、あまり気負っている様子が無い。 かといってまるで緊張していないというわけでもなく、静かながらも真剣な目つきで相手を見据えている。
なんとなく、試合開始直前のレイフォンにも似ていた。 もっとも、冷静で落ち着いた佇まいではあるが、表情からはレイフォンほど感情が抜け落ちてはおらず、静かな闘志のようなものを感じさせる。

やがて審判が手を上げると、対戦者二人はそれぞれ錬金鋼を復元し、武器を構える。
奇しくも、二人とも長柄武器だった。
が、その形状はまるで違う。
大柄の四年生が構えているのは大きな斧だ。 太くて長い頑丈そうな柄の先に、これまた大きくて分厚い刃の斧頭が付いている。 見るからに重そうで、かなりの破壊力がありそうだ。
フェイランという名の一年生は珍しい形状の槍のような武器を構えていた。 少年の背丈よりも遥かに長い柄の先に蛇の体のように波打つ刃が付いており、穂先は蛇の舌のように二叉に分かれている。 柄は相手の長柄戦斧と比べるとあきらかに細く頼りないが、その波状の刃は安全装置がかかっているにもかかわらず鋭く剣呑な光を放っていた。

相手の上級生はその武器を見て若干目を瞠ったが、それ以上は気にしていないようだった。
先程のガトマン・グレアーほどあからさまではないが、やはり相手を軽んじている節がある。
それに対し、相手の持つ大きな斧を見てもフェイランの表情には変化が無い。 緊張するでも気負うでもなく、自然体のまま相対している。
もしかして、強いのかも。
メイシェンが何となくそう思った時、「試合開始」の合図と共に審判が手を振り下ろした。
Hブロックの二試合目が始まった。






















あとがき

というわけで、武闘会開始。
まずは噛ませ犬としてガトマン・グレアーの登場。
まあ、手加減された上に傷一つ負わせられず敗北と、あまりいいところはありませんでしたが。

しかし、個人的にレイフォンは刀を持っている時が一番かっこいいと思います。
私の中では、簡易・複合錬金鋼>鋼鉄錬金鋼>天剣>複合錬金鋼>青石錬金鋼という順番ですね。あくまで外見というか絵面ですけど。


今回は少し短かったかもしれませんが、作者的に区切りがよかったのでここまでです。
次の相手は……想像ついてるかもしれませんね。

では、次の更新を楽しみにしていてください。


12/13 23:00 すでに読んでしまった読者様へ。 個人的な気持から、新キャラの名前を変更しました。



[23719] 12. 武闘会 予選終了
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2010/12/21 01:59
試合後、レイフォンはいくつかる選手控室の1つにいた。
部屋の中は広く、数十人の選手がそこで自分の出番を待っていた。
入口から見た側面の壁際には貴重品などを保管するためのロッカーがあり、室内のいたるところにはベンチが置いてある。 
また、室内にはいくつかのモニター用画面が天井から吊るされており、そこには現在行われている試合がリアルタイムで映し出されていた。 控室にいる選手たちは、大抵がその映像を見ているか、ベンチに座って精神集中しているかのどちらかだ。
そんな中、レイフォンは一人、部屋の奥の壁際にあるベンチに座って、ボーっと虚空を見上げていた。 わざわざブーツまで脱いでその上に体育座りしている。 その姿は、どう見ても精神集中しているようには見えず、明らかに気の抜けた様子だった。
そこに突然声をかけて来る者がいた。

「よっ、見てたぜ、さっきの試合。 見かけによらずやるな」

レイフォンは特に驚いた様子も無く、首を廻らして声のした方を見る。 近づいてくる気配には気付いていた。
声をかけて来たのは上級生の武芸科生徒だった。 当然ながら、武闘会参加者だろう。
精悍な顔立ちに、藍色の髪をしている。 目つきはやや鋭いが、態度は柔らかい。

(見覚えがあるな)

そう思い、記憶をたどる。 
やがて相手が誰なのか思い至った。

「えっと……第十七小隊の、ハイネ先輩……ですよね?」

以前、メイシェン達と対抗試合を見に行ったときに見た覚えがある。 ニーナのチームメイトだ。
巨鋼錬金鋼(チタンダイト)の双剣を操り、ツェルニでも上位の攻撃力を誇る小隊員である。

「お、知ってるのか? 嬉しいね。 対抗試合、観に来てくれてるのか?」

「試合を観たのは一度だけですけど、えっと……ニーナ先輩とかフェリ先輩と知り合いなんで、その時の試合が印象に残ってて」

「成程。 そういやニーナの奴がお前のこと話してたな。 んじゃ、改めて名乗るわ。 俺はハイネ・クランツ。 武芸科の三年で第十七小隊所属。 ポジションはアタッカー。 ニーナとは一年の時に同じクラスでな、その縁で小隊に誘われたんだ。 ……で、お前は?」

訊かれ、レイフォンもベンチから立ち上がり、自己紹介する。

「えっと、はじめまして。 レイフォン・アルセイフ。 入学時は一般教養科でしたが、今は武芸科の一年です。 ニーナ先輩とはバイト先が一緒で知り合いました」

「そうなのか、よろしく」と手を差し出されたので、やや躊躇いがちにその手を握る。
お互い自己紹介が終わったところで、ハイネが疑問に思っていたことを訊いてくる。

「ところで、なんでお前こんな部屋の隅っこで体育座りなんかしてんだ? 随分と気の抜けた様子だったが」

「はぁ、いえ、特にやることも無いですし、暇なんでボーっとしてただけですけど」

レイフォンは基本的に退屈や暇な時間が嫌いではない。 やることもなくただ時間が流れるままに身を任せているのが好きだったりする。
……以前、このことを話した時、ミィフィに年寄りくさいと言われたのはさすがにショックだったが。
レイフォンのセリフに、ハイネは思いっきり呆れた顔をする。

「やること無いって……次の試合に向けて精神集中するなり、対戦相手の分析をするなり色々あると思うぞ。 あそこのモニターで丁度今Hブロックの試合をやっている。 その試合で勝った方が次のお前の対戦相手になるはずだ」

「まだ試合が始まったわけでもないのに緊張してたって仕方ありませんしね。 それに対戦相手のことは知らない方が、実際に試合で戦った時にやる気出ますし」

レイフォンとしては、正直そのほうがモチベーションが上がる。
そもそも最初から乗り気ではないのだ。 学生武芸者と自分では実力も経験も桁違いであり、普通にやっては勝負にすらならない。
そのうえ対戦相手の前情報まで知ってしまっては、余計につまらない試合になってしまう。
相手がどうやって攻めてくるのか知らないまま戦った方が、ある程度緊張感を保つこともできる。
ゆえに、レイフォンは他の人の試合を見るつもりは無い。
とはいえ、そんなことをハイネに向かって言うわけにもいくまい。 相手はレイフォンのことを知らないのだから。

「ほう。 随分と自信家だな。 油断してると足元すくわれかねないぞ」

「いえ、自信っていうか……でも、本来の武芸者同士の戦いって相手の手の内を知らないまま戦うのが普通じゃないですか。 実戦では特にそうですし。 最初から相手の実力がわかってる戦いの方が少ないと思いますよ」

これもまたレイフォンの本音だ。 ツェルニでは小隊対抗戦において、あらかじめ相手小隊の戦力を調べるのが普通であり、大抵の小隊は他小隊の戦術研究に余念がないようだが、正直これには疑問を感じる。
実際、本番の都市戦では敵の情報など何も無いのが普通だと思う。 仮に前回の都市戦で戦ったことがあるとしても、2年もあれば大きく様変わりしていても不思議は無い。 
それなのに、都市戦の予行演習も兼ねているはずの対抗戦でそんなことをしていたら、本番の武芸大会で手痛い失敗をしかねない。

武芸者にとって重要なのは、どんな敵にも負けないくらいに強くなること、相手のどんな動きにも対応できるように鍛えることだとレイフォンは思う。 地力の強さと戦いにおける駆け引き、つまりは臨機応変で柔軟な対応力こそが必要なのだ。
たとえ1度は武芸を捨てたと言っても、今もさほど積極的というわけではないと言っても、常にそう心掛けているのが武芸者としてあるべき姿、目指すべきあり方だと思うし、武芸科に転科した以上それを放棄するつもりも無い。
だからこそ、レイフォンは自分を鍛えることを怠るつもりはないし、武芸科にいるうちは強くなる努力もするつもりである。
そして戦いう以上、どんな相手にも負けるつもりは無い。

レイフォンの言葉に、ハイネは思案顔で頷いた。

「……成程な。 確かに、お前の言う通りかもしれない。 とはいえ、いきなりそんな方針にするのは難しいだろうが……」

と、その時モニターから歓声が聞こえてきた。

「お、言ってるうちに試合終わったみたいだな」

ハイネは首を回してモニターへと視線を向ける。

「……へぇ。 あの一年が勝ったのか。 こりゃ意外な結果だな」

呟き、再びレイフォンの方へと向き直る。

「お前の次の相手、どうやら同じ一年みたいだぞ」

「はぁ」

「気の無い返事だな。 ……まあいいか。 にしてもお前といいあいつといい、今年の一年はすごい奴が多いな。 ぱっと見そこまで強そうには見えないのに、お前はお前であのガトマン・グレアーを倒しちまうし。 もしかすると他でも番狂わせがあるんじゃないか?」

「先輩は何ブロックなんですか?」

「俺はEブロックだ。 正直一位通過はかなり難しいけどな。 すごく手強い人がいるし」

「へぇ」

話しているうちに、Eブロックの次の試合が決まった。 対戦者の片方はハイネだ。

「お、来たみたいだな。 んじゃ、俺は行くから。 機会があったらまたな」

言うと、ハイネはレイフォンに背を向けて控室から出て行った。
レイフォンは再びベンチの上で膝を抱え、取りとめの無いことを考える。
ふと、思いついたようにモニターへと目を向けた。
そこには、まるで少女のように線の細い整った顔をした、黒髪の小柄な少年が映っていた。 レイフォンの次の相手だ。
が、レイフォンはそれ以上興味を向けず、視線を外すと再び無意識の思考の流れに意識を任せた。



































ツェルニ武闘会、Hブロック、二回戦。
レイフォンは闘技場で次の対戦相手と向かい合っていた。
近くにあるモニターにはレイフォンともう一人の名前が表示されている。

レイフォン・アルセイフ(一年) vs フェイラン・バオ(一年)

二回戦にして一年生同士の対決。
観客たちは予想もしていなかったカードに興味津々である。
一回戦でレイフォンが倒した相手は小隊員でこそないものの、実力的にはそれに匹敵する上に武芸科でも有名な人物だったらしく、その一戦でレイフォンには注目が集まっていた。
一方、目の前にいるフェイランも、一回戦ではそれなりに実力者である上級生を破ったため、レイフォンに負けず劣らず関心が集まっていた。

レイフォンは目の前に立つ少年を何とはなしに観察する。
背はあまり高くない。 平均的な体格のレイフォンよりもいくらか低く、また体格もレイフォンより細身だ。 むしろ華奢といっていい。
顔は色白の細面で端正なつくりをしており、後ろで縛った癖の無い長髪も相まって少女にも見える。
すでに一回戦を戦った後のはずだが、見える範囲では特に怪我もしていない。

「準備はいいか?」

審判が声をかける。 レイフォンとフェイランは同時に「はい」と答えた。
頷き、こちらに背を向けて二人と距離を取る。
それを見送ってから、唐突にフェイランが手を差し出してきた。

「では、よろしくお願いします」

「え、う、うん」

虚を突かれたレイフォンは、流されるようにその手を取り握手する。 その手もまた、少女のように白くて細かった。
が、こちらの手のひらに伝わる感触には、少女のような柔らかさは無い。
手のひらの皮膚は硬くなっており、マメが何度も潰れたような痕がある。
長い間武術の修練を重ねてきたことを感じさせる、そんな手だった。 おそらくは、相手も同じような感想を持っただろうが。

「あなたの試合は見せていただきました。 とてもすごかったと思います。 おそらく僕では勝てないと思いますが、その実力に直に触れることができて嬉しく思います」

「あ、うん。 どうも」

レイフォンは曖昧な言葉しか返せなかったが、フェイランは気にすることなく一礼してから手を放し、こちらに背を向ける。
離れていく背に、何となくレイフォンは声を投げかけた。

「君はどうして武闘会に出場したの?」

ふと、口を衝いて出た言葉だ。
それに対し、振り返ったフェイランは真面目な顔で答える。

「出来る限り強くなりたいから。 そして自分がどれくらい強いのか知りたいからです」

それだけ言うと、再び背を向け離れていく。
レイフォンは僅かの間その後ろ姿を見ていたが、やがて嘆息し、自分も相手と距離を取る。

(少なくとも、僕よりは真面目にこの武闘会に臨んでるんだな)

そう思うと、若干申し訳なくなる。

(せめて真剣に相手するべきか)

もとより手加減はしても手抜きをするつもりはなかったが、改めて自分自身に言い聞かせる。
お互い適度に距離を空けたところで、両者は再び向かい合った。
審判が手を上げる。
と同時に、二人はそれぞれ武器を復元した。
レイフォンは鋼鉄錬金鋼の刀だ。 対するフェイランは……

(蛇矛……か)

彼が持っているのは槍に似た長柄の武器、蛇矛(だぼう)だ。
使い手の身の丈よりも長い棒状の柄の先に、蛇のようにうねった波状の刃が付いている。 刃の穂先は先端が二叉に分かれており、蛇の舌を連想させた。
珍しい武器に一瞬目を引かれたが、それ以上は捕らわれず、意識を戦いへと切り替えていく。
一回戦と同じように、レイフォンは刀を正眼に構え、感情の薄い目で相手を窺う。
フェイランは左半身の構え。 右手には穂先をやや下に向ける形で蛇矛を持ち、左手は空手のまま手のひらを上に向けた貫手の形で差し出されている。
冷静な佇まいに静謐な面持ちだが、切れ長の目は油断なくこちらを見据えている。 そこに、一回戦の相手のような驕りや侮りの色は皆無だ。
闘技場だけでなく観客席も緊張で満たされる中、審判が合図と共に手を振り下ろした。

「試合開始!」

途端、静かな闘志と共にフェイランが距離を詰めて来た。
蛇矛の刃が霞む様な速度で旋回し、下から斬り払うように振るわれる。
掬い上げるような軌道で首筋を襲う刃を、レイフォンは難なく刀で受け止めた。
フェイランの顔に驚きは無い。 もとより何の工夫も無い、ただ速いだけの一撃で仕留められるとは思っていない。

「ふっ!」

短い呼気と共に、噛み合っていた刃が再度旋回し、違う角度からレイフォンに襲いかかる。
しかしやはり、レイフォンはそれを危なげも無く受け止めた。
フェイランは繰り返し蛇矛を旋回、反転させ、レイフォンに反撃の隙を与えまいとするかのように高速で連撃を繰り出してくる。
そのすべてを防御しながら、レイフォンは冷静に相手の動きを観察する。

(なかなかやる)

フェイランの見た目に似合わぬ力量に、レイフォンは内心感嘆する思いだった。
自らの振るう武器の丈や重量と自身の筋力を正確に把握した上で、速さと威力を絶妙な一線で兼ね備えた攻撃を繰り出してくる。
フェイランは己の身の丈よりも長い武器を、まるで手足の延長のごとく自在に操っていた。
その攻撃の型は槍や矛の本来の役割である刺突にとどまらず、波状の刃による斬撃、柄や石突を使った打撃や薙ぎ払いなど多岐にわたる。
蛇矛の持つ長い間合いを最大限に活かした攻撃を行い、こちらが長柄武器の弱点である懐に入ろうとすれば、すぐさま武器を反転させて迎撃する。
回転運動を利用して打撃や斬撃を連続で繰り出し、さらに一瞬の隙を突いた刺突は速度、タイミングとも実に絶妙。
その実力は、とても一年生とは思えない。 体捌きと武器の取り回しだけなら、小隊員にも遅れを取らないだろう。

(資質もあるし、修練も積んでいる。 そして何より戦い慣れている)

防御に専念しながら、思考は分析を続ける。
やがてフェイランの動きに僅かな隙が生まれ、レイフォンが見逃すことなくそこを突く。
いや、正確にはレイフォン自身が攻防のリズムを崩して隙を作ったのだ。
しかし、フェイランは慌てることなくレイフォンの動きに対処する。
蛇矛を素早く持ち替えて防御の形を取り、レイフォンの斬撃を受け止めた。
袈裟斬、横薙ぎ、打ち下ろし。 なおも立て続けに繰り出された追撃を難なく防ぎ、躱す。

(反応は上々。 剄の流れは安定してるし、攻防共に隙が無い)

素早い動作で蛇矛を操るフェイランの活剄には目を見張るものがある。
レイフォンの知る武芸科の一年生(ほとんどいないが)の中で実力のある生徒と言えばナルキだ。 まだ外力系を修めておらず内力系に偏り過ぎの気はあるが、その分、活剄と体術の練度は一年の中でも群を抜いている。
しかし目の前にいる相手はそれを上回る。 体中をめぐる剄の流れは安定しており、かつ洗練されている。
その活剄はパワーよりもむしろスピードに重点を置かれており、しなやかな身のこなしとも相まって、より変則的かつ高速の連続攻撃を可能としている。
また、活剄ほどの練度ではないが、ナルキと違い衝剄も身につけているようだ。 その分、衝剄を纏った蛇矛の一撃はより強力かつ鋭い一閃となる。

(一年生でこれほどなんて、なかなかどうして。 学園都市にもこんな人がいるのか)

学園都市に来る武芸者は大抵実力や才能が低い者ばかりだと聞いていたが、例外もあるらしい。
とはいえ、一番例外的なのはレイフォン自身だろうが。

再び攻防が逆転し、石突の一撃をレイフォンが柄頭で受け止める。
フェイランの蛇矛は三種の錬金鋼を組み合わせて形成されていた。
柄は軽量で取り回しやすい巨鋼錬金鋼(チタンダイト)製であり、穂先の刃は斬撃武器にもっとも適した鋼鉄錬金鋼、さらに石突には打撃の際の威力と回転の遠心力を高めるための黒鋼錬金鋼が取り付けられている。
やや膂力に乏しい彼が、己の技量を最大限発揮できるようにするために作られた彼専用の錬金鋼だろう。 おそらくは学園都市からの支給品ではなく母都市から持ってきたものだ、
そして彼の実力ならば、武闘会で予選を勝ち抜くことも可能だったろう。
ここでレイフォンと当たらなければだが。

(武闘会に参加する動機はこっちの方が不純だけど、だからといって遠慮してやるわけにはいかないか。 いちおうカリアン会長にも頼まれてるし、さすがに予選落ちするわけにはいかない。 それに、こういうタイプは下手に手加減されて勝つのは嫌だろうしね)

試合前のフェイランの言葉を思い出しながら、そう、自分の中で結論付ける。
強くなること、己がどれほど強いのか確かめること、それがフェイランの目的だ。 
そんな相手にわざと負けてやるのは失礼だろう。
思考を巡らせつつ、蛇矛の一撃を刀で受ける。 幾度となく攻防が反転し、そして……

「くっ!」

先程までよりも強力な刀の一撃に、フェイランが数歩後ろに退く。 
一旦距離を空けて対峙する。
フェイランは、なおもレイフォンを油断なく見据えながらも、眉を顰めている。

(なかなかに勘も良い。 冷静に状況を見極めて、相手をよく観察している)

おそらくは気付いたのだろう。 先程から、レイフォンが打ち込みの威力を徐々に引き上げていたことに。
そしてすでにその威力はフェイランの技量では受け切れなくなっている。
最初、レイフォンは力を加減して打ち合っていた。 そして切り結ぶ中で徐々にその力を強めていったのだ。
それはフェイランが試合前に言っていたこと。 己の強さがどれほどのものなのか知りたいという彼の望みを叶えるために、あえてやったことだ。
レイフォンにどこまで対抗できるか確かめさせてやるためでもあるし、レイフォン自身が相手の力量を推し測っていたのでもある。 それがレイフォンなりの、己よりも誠実な、強さを求める相手に対する厚意であった。

フェイランもこちらの意図に気付いている。 眉を顰めながらも、表情にはわずかに感謝の色があった。
そしてこのまま普通に打ち合いを続けても勝てないことも分かっているだろう。 距離を空けたまま、攻め方を思案している様子だ。
レイフォンはあえて自分からは攻撃せず、相手の出方を窺う。 他者を教導した経験など無いが、おそらくはこんな気持ちなのかもしれない。

(さて、どうくる?)

ふと、フェイランが口を開いた。

「成程。 やはり、あなたは強い。 先程の試合を見てそれは分かっていましたが、僕の認識はまだまだ甘かったようです。 僕では、とても勝てそうにない」

相手の言葉に対し、レイフォンは肩を竦めるだけに留めた。

「しかし、だからといってそう簡単に負けるわけにはいきません。 もうしばらく、お付き合い願いますよ!」

強く言い放つとともに、蛇矛の穂先を地面に突き立てる。
そして穂先で衝剄を爆発させながら、その場で一回転する。 
地面が円形に抉られ、回転と衝剄によって生まれた旋風で大きな砂塵が舞い上がり、レイフォンの周囲を覆い隠す。

「煙幕…。 苦し紛れの目くらまし……ってわけでもないか」

レイフォンは呟き、刀を構え直す。 相手のどのような出方にも対処できるよう呼吸を整え、神経を研ぎ澄ませる。

(気配が読めない。 足音もしない)

相手の気配は完全に消えたわけではない。 殺剄を使っている訳ではないだろう。
だが、気配を薄めたまま常に煙幕の中を無音で移動しているらしく、目や耳では所在を掴めない。

内力系活剄の変化 虚歩(うつほ) 潜蛇の型(せんじゃのかた)

虚歩は特殊な歩法を用いることで移動の際に生じる気流の乱れを抑えながら、同時に足音を鳴らさずに活剄による高速移動を行う技だ。 
煙幕による隠形を併用した潜蛇の型ばらば、通常の武芸者のように音や空気の流れを見るだけではその姿を捉えられない。
その様は、さながら死角に潜んで獲物を狙う蛇のように、土煙に紛れてレイフォンの隙を窺っている。

(なかなかに厄介な技だ……が!)

金属音。

上段に振りかぶる様にして背中に回された刀の刀身が、背後の死角から突き出された蛇矛の刺突を受け止めていた。
立てられた刃が丁度、二叉に分かれた穂先と噛み合っている。
土煙に隠れた蛇矛の向こうから、驚く気配が伝わって来た。
が、驚きつつもその結果に執着することなくフェイランは蛇矛を引き、再び煙幕に紛れる。
レイフォンは深追いすることなく、その場に留まって相手の出方を待つ。
そして、再度煙幕を貫いて繰り出される刺突を二度三度と見事に防御してのけた。
フェイランの攻撃を防ぎつつ、小さな声で、しかし相手にはっきりと聞こえるように、レイフォンは語りかける。

「確かに君の技は厄介だ。 音も姿も無く死角から攻撃するその手腕は大したものだと思うよ。 でも、あいにくと僕には通じない」

たとえ完全に音と姿を消すことができたとしても、そんな技はレイフォン相手には意味が無い。
なぜなら、レイフォンは目や耳だけでなく、剄脈によって敵の剄の流れをも感じ取ることができるからだ。
レイフォンにとって剄はただの攻撃の手段ではない。 念威繰者の念威同様、レイフォンにとっての剄とはもう一つの目であり耳であり肌であり、そして神経でもある。 むしろ戦闘中は、その身に生まれつき備わった感覚器官などよりもはるかに鋭敏に音を、色を、形を、そして剄を感じ取ることができる。 
特に他者の剄を感じ取ることに関しては、レイフォンは幼少のころから他の誰よりも秀でていた。 
たとえ無音にして無明の闇の中であろうとも、武芸者の剄を伴う動きならば、その全てを把握することができる。

「それに、仮に通じたとしても、こんな開けた場所で面と向かっての一対一じゃ効果は半減だよ。
 せめてもっと障害物があるところか、複数の敵相手、もしくは不意打ちを仕掛ける時じゃないと」

姿の見えない相手の攻撃に対し、適確に対処しながら淡々と告げる。
何度目かの攻撃を防がれた後、フェイランが退いて煙幕に紛れると同時に、レイフォンは横薙ぎに刀を一閃させた。

サイハーデン刀争術 円礫

レイフォンを中心に衝剄が巻き起こる。 

「ぐぁっ!」

衝撃と共に剛風が周囲に吹き荒れ、煙幕の役割を成していた砂塵が霧散し、視界が開ける。
そこには、刀を振り切った姿勢のまま悠然と立っているレイフォンと、円礫を喰らって地面に倒れているフェイランが現れた。
驚愕の表情を浮かべつつもフェイランは素早く起き上がり、油断なく蛇矛を構える。
が、不意に喰らったダメージはそう簡単に抜けないのか、僅かに構えが乱れていた。

「さて、そろそろ終わらせるよ」

宣告と共に相手に迫る。
鋭い踏み込みからの逆袈裟の一撃。 フェイランは蛇矛でそれを受けるが、先程の衝撃で痺れた腕では支えきれず、その手から武器が弾き飛ばされる。
レイフォンは返す刀で首を狩る―――寸前で刃を止めていた。
首筋に刀を押し当てられ、フェイランは動きを止める。
刃引きこそされてはいるが、まともに喰らえばただでは済まないだろう。
刃を挟んで、しばし視線が交差する。
やがて、

「僕の……負けです」

フェイランが敗北を認めた。

「勝者、レイフォン・アルセイフ!!」

審判が手を上げて高らかに宣言する。
レイフォンは刀を下ろし、相手から離れる。

「ありがとうございました。 感謝します」

「いえ。 どういたしまして」

頭を下げるフェイランに対し、レイフォンもまた頭を下げて言葉を返す。
ツェルニ武闘会、Hブロック予選、レイフォンの二回戦が終わった。






























武闘会会場、控室。
今はちょうど昼時だ。 とはいえ、予選中は少しでも早く進めるため基本的に昼休憩というものは無い。
選手たちは、試合が近い者以外は各自で時間を見つけて昼食を取っている。
レイフォンもまた控室のベンチに腰掛け、サンドイッチを咀嚼していた。
先程の試合で多量の土汚れがこびり付いた防具と戦闘衣の上衣を脱ぎ、上半身はインナーだけの姿で弁当を食べる。

(ホント、美味しいな)

声には出さずに心中で独りごち、口を食事に専念させる。
この弁当は武闘会開始前にメイシェンが手渡してくれたものだ。 テーブルや食器が無くても食べやすいよう、サンドイッチを選んでくれている辺りに気遣いを感じる。
真っ赤な顔でいきなり差し出された時には随分と遠慮していたが、結局は恐縮しつつも受け取ってしまった。 誘惑に負けたとも言えるが。

(武闘会が終わったら賞金で何か奢ろう)

と自分の中で心に決める。 自分が負けるとは思っていないし、負けるつもりも無い。

「美味そうなもん食ってるな」

レイフォンの隣に腰掛けつつ声をかけてきたのはハイネだ。 その手には昼食が入っていると思われる紙袋を持っている。
丁度試合を終えたところなのだろう。 レイフォンと同じく戦闘衣の上衣を脱いでいたが、ブーツには土がこびりついていたし、頬や腕には掠り傷があった。 

「売店で売ってるやつには見えないけど、どうしたんだそれ? 女の子から差し入れでももらったのか?」

やや冗談交じりに揶揄する響きを込めた言葉だったが、レイフォンはそれに気づかず、真面目にかつ正直に答える。

「ええ、友人からの差し入れで。 試合に出るって知ってわざわざ作ってきてくれたんです」

「……そうか。 しかし彼女のお手製弁当とは、羨ましいねぇ」

「いえ、彼女というわけではないですけど。 その子料理が趣味なんで」

「ふーん」

会話しつつ、ハイネも紙袋からハンバーガーを取りだしかぶりつく。

「そういやお前試合どうだったんだよ? 俺は見てなかったけど、勝ったのか?」

「ええ、まあ。 先輩はどうだったんですか?」

「俺も一応は勝った。 問題は次だけどな。 ったくなんで予選であんな人と……」

最後の方は独り言だった。 もしかすると自分より強い人と当たるのかもしれない。

「お前の次の相手は?」
 
「……えっと」

「ああ、そっか。 確かめてないのか。 次の対戦相手のこと調べたりとかしないんだもんな」

「ははは……」

曖昧に笑いつつ、最後のサンドイッチを口に放り込む。 それからこちらは自販機で売っていたコーヒーを飲み干して一息ついた。
やがてハイネも食べ終わり、ベンチから立ち上がった。 モニターの近くまで移動し、次の対戦相手の試合を観戦する。 おそらく油断できない相手なのだろう。 映像を見据えるハイネの顔は真剣だ。
レイフォンはモニターではなくそれを見ているハイネを何とはなしに見ていたが、やがて目を離すと今度は虚空に視線を向ける。
そのままどれくらい時間がたっただろうか。 ハイネは次の試合に出るために控室を出て行き、しばらくしてレイフォンもまた試合に呼び出された。

「やれやれ」

嘆息しつつ立ち上がり、戦闘衣と防具を着直す。 腰の剣帯を確認してから、控室を出ようとした。
ふとその時、横から強い視線を感じて、レイフォンは立ち止まった。
ゆっくりと首を巡らせて、視線の主を見る。
背の高い、ヴァンゼにも劣らぬほど大柄な男だった。 短く刈りあげた銀髪に、角ばった厳つい顔をしているが、目鼻立ちのところどころに甘い雰囲気があり、愛嬌があるようにも感じる。 しかし今その目は鋭く引き締まっており、こちらを射抜く眼光にはありありと敵意が感じられた。

(見覚えが……ある……いや、無い……か?)

ほんの僅かにだが、その顔に既視感があるように感じた。
会ったことは無いはずだが……

と、相手は突然我に返ったかのように視線を逸らした。 そしてもうこちらを見ようともしない。
訝しく思ったものの、それ以上は気にせず、レイフォンは控室を出た。







武闘会一日目。
その日の夕方に差し掛かろうという頃、武闘会の予選は終了し、本戦参加者八名が決定した。






























おまけ:キャラクタープロフィール



シャーニッド・エリプトン ♂

武芸科 4年生  19歳
身長:184cm 体重:71kg
性格:軽薄、冷静沈着
趣味/特技:ナンパ、隠密行動





ハイネ・クランツ ♂

武芸科 3年生  18歳
身長:175cm 体重:64kg
武器:双剣 
趣味/特技:ボードゲーム、両手で同時に別々の文章が書ける(手は左右両利き)

藍色の髪に深緑の瞳。
性格はそこそこ真面目。基本的にはごく標準的な武芸者思考。ただし、ニーナほど堅物でもなければ頑固でもない。どちらかというと冷静で柔軟。
実力は小隊員の中でも比較的高く、攻撃力だけなら武芸科の三年の中でトップ。ニーナとは同級生で一年時のクラスメイト。





フェイラン・バオ ♂

武芸科 1年生 16歳
身長:165cm 体重:50kg
武器:蛇矛
性格:真面目、礼儀正しい

長い黒髪に黒い瞳、色白で線の細い顔立ち。細身というより華奢な体格。
礼儀正しい性格で、基本誰に対しても丁寧語。
1年の中では飛び抜けた実力を持つ。体捌きと武器の扱いは小隊員レベル。
しなやかな足腰と特殊な歩法による高速かつ無音の移動が得意。高い技量を持つ一方、やや腕力に乏しい。




















あとがき

まだ二試合ありますが、冗長になるので今回で予選は終了です。思いつかないというのもありますが、早く本戦を書きたいので。
できれば年内に武闘会編は終わらせたいです。年末は実家に帰るので。実家では更新できないと思いますから。さすがにレギオス全巻実家に持って行くのは文字通り荷が重いですし。
うまくいけばあと二回の更新で終わるかなと思います。


オリキャラにつてはあまり多く決めてません。必要に応じて作った部分があるので。いつかこのページでさらに情報を付け加えることがあるかもしれません。


さて、次はいよいよ本戦です。原作にもあった技だけでなく、自分で作った技も出していきたいと思っています。楽しんでもらえるよう頑張りますので、また次の更新で。
では。





[23719] 13. 本戦進出
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2010/12/31 01:25

ツェルニ武闘会、予選結果。

Aブロック一位通過 ゴルネオ・ルッケンス 5年生 第五小隊所属

Bブロック一位通過 ダルシェナ・シェ・マテルナ 4年生 第十小隊所属

Cブロック一位通過 ウィンス・カラルド 5年生 第三小隊所属

Dブロック一位通過 エドガー・バークス 5年生 第七小隊所属

Eブロック一位通過 シン・カイハーン 5年生 第十四小隊所属

Fブロック一位通過 メルヴィン・レイノルズ 6年生 第一小隊所属

Gブロック一位通過 ニーナ・アントーク 3年生 第十七小隊所属

Hブロック一位通過 レイフォン・アルセイフ 1年生 一般武芸科生徒




「って感じらしいよ」

武闘会会場である野戦グラウンドへと向かう道すがら、ミィフィはメイシェン、ナルキ、レイフォンに向かって、昨日の予選の結果について解説する。

「ふむ。 こうして見ると、レイとん以外は全員小隊員なんだな」

「まあね。 しかもほとんどが隊長かエース格かのどちらかだし。 下馬評通り、番狂わせは特になしか」

「となるとレイとんにはこれまで以上に注目が集まりそうだな」

「っていうかもう集まってるけどね。 昨日の試合すごかったもん。 でも賭けになるとレイとんは大穴扱いなんだよね~。 やっぱり一年生だからかな?」

それを聞いてナルキが顔を顰める。

「また賭けなんかやってるのか?」

「あれ、知らないのナッキ? 今回の武闘会じゃ賭けが公認されてるんだけど。 ていうか運営側がトトカルチョ開いてるみたいだよ」

今度は顔に驚きを浮かべて問い返す。

「ちょっと待て! 何でそんなことが大っぴらに許されてるんだ? 仮にも公式行事だろう」

「だからこそでしょ。 最近都市全体が暗かったし、このイベントはできるだけ盛り上げたいんだと思うよ。 誰が勝つかとか予想し合ったり賭けたりした方が観客も盛り上がるだろうし。 
武芸科の人たちも、こんな時くらいはって結構賭けに参加してるみたいだよ。 って言っても賭け金には上限があるんだけどね。 ギャンブルで身を持ち崩すような人出すわけにもいかないし」

それを聞いてレイフォンは納得する。
そもそも生徒たちは対抗試合などでも、別に真剣にお金が欲しくて賭けに参加しているわけではない。 イベント事の祭りのような雰囲気に酔って、少しばかりハメを外すくらいのつもりで参加している者がほとんどだ。
運営側が取り仕切り、さらに上限を定めることで賭博行為にありがちな金銭トラブルを防ぐことができる。 賭けそのものを禁じるよりもその方が有効だろう。

「しかしだな……そもそも武芸というものは……」

「ナッキは真面目だね~。 いいじゃん、こんな時くらい。 折角のイベントなんだし楽しもうよ」

「そうは言うが、うぅむ……」

ナルキが渋い顔で唸る。
未だ納得がいっていない様子だが、強く非難することもできずにいるようだ。

「あの……それで、レイとんが大穴って……?」

メイシェンがおずおずと訊いてくる。

「ああ、うん。 レイとんは今のところ人気最下位なんだよね。 倍率は100倍近いし。 ちなみに人気1位はAブロックのゴルネオ先輩。 倍率は約2倍。 賭けに参加してる人の半数が票入れてるみたいだね」

「その人って……強いの?」

「そりゃあ、ねぇ。 ゴルネオ先輩が率いる第五小隊はツェルニ最強と言われてる第一小隊と同等レベルの強さを誇るらしいよ。 個人の実力もかなりのものみたいだし。 副隊長のシャンテ先輩とのコンビネーションもすごいらしいけど、一対一でもヴァンゼ武芸長に勝るとも劣らない腕前って聞いてる」

それを聞いてメイシェンが心配そうな顔をする。

「レイとん、大丈夫?」

先程まで黙って会話を聞いていたレイフォンに不安げな声で訊いてくる。 レイフォンが元はプロの武芸者だと知ってはいても、それを実感できてはいないのだろう。 無理も無い話だ。 実際にレイフォンが汚染獣と戦っているところを見たわけではないのだから。
心配させないように、レイフォンは努めて明るく答えた。

「大丈夫だよ。 絶対大怪我なんてしないから」

「およよ? 随分と自信満々だけど、そんなこと言って良いのかな? 相手だってツェルニじゃエリートなんだし、グレンダン出だからって油断してると足元掬われるよ」

ミィフィのからかうようなセリフに、昨日も似たようなこと言われたなぁなどと思いつつ、レイフォンは軽い調子で続ける。

「じゃあ賭けようか? 僕の優勝に上限一杯賭けるから、代わりに胴元のところへ行ってもらえる?」

言いつつ、ポケットから財布を取り出す。
途端にナルキが眉を顰める。

「レイとん、さすがにそれは……」

「まあまあ、折角だし。 勝負にかける意気込みってことで」

軽い調子で言うレイフォンにナルキは苦い顔をしていたが、結局はそれ以上何も言わなかった。
以前、レイフォンの武芸に対する考え方を聞いたからかもしれない。 法律などで禁止されているのならともかく、少なくとも今回は公に認められているのだ。 これ以上、無理に取り締まる理由も無い。

「んー、了解。 んじゃ、わたしが代わりに賭けとくね」

言って、ミィフィはレイフォンからお金を受け取る。
それからレイフォンは改めてメイシェンに向き直り、笑顔を向ける。

「心配はいらないよ。 今回のはただのイベント、遊びみたいなものなんだし、大して危険は無いよ。 だから安心して。 絶対優勝するから」

あえて普段あまりしないような自信に充ち溢れたような言葉を使う。
メイシェンはしばしポーっとレイフォンを見つめていたが、ふと正気に返ると顔を赤くして俯いた。





「にしても珍しかったね。 レイとんがあんなに自信満々な態度なのって」

野戦グラウンドの観客席で、隣に座る二人にミィフィが話しかける。
試合に参加するレイフォンとは会場に入ったところで別れた。 今頃は控室で待機しているだろう。
目の前の闘技場では、ちょうど大柄な銀髪の男と豪奢な金髪の女性が試合をしていた。

「まあな。 武芸科に入る前は、どことなく不安そうな顔をよくしていたからな」

入学して間もないころのレイフォンは、いつもどこか迷っているような雰囲気をしていた。
平静を装ってはいても、そんな空気は常に滲みでていた。 
しかし今はそれが無い。 おそらくは、武芸科に入ったことがその理由だと思う。
初めて会った頃から、レイフォンは口で言うほど武芸を捨てきれていなかった。 だからこそ、いつも迷いを心に抱いていたのだと思う。
そうして見ると、レイフォンが武芸科に転科したことは良い方向に働いているのかもしれない。 少なくとも、今のところは。
そしてそれはレイフォンが自分自身の意思で武芸を選んだからだろうとも思う。 他人から強制されていたのでは、これほど前向きにはなれなかったろう。

「ま、メイっちのためにも、レイとんには元気でいてほしいからね。 後ろ向きのままじゃ、恋愛も上手くいかないかもしれないし」

「ミ、ミィちゃん」

からかい交じりに言うミィフィに、メイシェンが赤面しつつ抗議する。 
と、周囲で大きな歓声が上がる。 闘技場で試合が終わったようだ。

「あ~、やっぱりゴルネオ先輩が勝ったか。 さすがは1番人気、評判通りだね~」

そのセリフにメイシェンもグラウンドの方を見る。
大柄の男の前で、豪奢な金髪縦ロールの女性が倒れていた。

「ダルシェナ先輩もかなり強いはずだけど、やはり1対1じゃゴルネオ先輩には勝てないか」

ナルキも真面目な顔で呟く。

「次のCブロック対Dブロックの試合は第三小隊隊長のウィンス先輩が勝つだろうし、準決はゴルネオ先輩対ウィンス先輩だろうね。 問題はその次以降かな。 レイとん、一回戦はニーナ先輩と、二回戦は多分シン先輩と当たるだろうしね。 特にシン先輩は、実力上位の第十四小隊の隊長で個人の腕も相当、賭けの人気も二位の実力者だし」

再び心配そうな顔をするメイシェンに、ミィフィは明るく言う。

「でもま、レイとんなら負けないでしょ。 昨日だって小隊員レベルの相手に勝ってたんだし。 
 それにわたしも個人的にレイとんに1口乗せてもらってるからね。 負けてもらっちゃ困る」

「……お前まで賭けに参加していたのか」

ナルキは怒る気も失せて、呆れたように嘆息して言う。
それから3人は闘技場に目を向けて、次の試合観戦に入った。





























「まさか武闘会でお前と戦うことになるとはな」

ツェルニ武闘会2日目、一回戦の第四試合。
昨日と同じく快晴の空の下、闘技場の中央で向かい合ったニーナがレイフォンに向かって苦笑気味に言った。

「小隊入りは断られてしまったからな。 これまでお前の実力を目にする機会は無かったが、丁度良い。 武芸の本場グレンダンの出身だというお前の力がどれほどのものか、ぜひともこの目で直に見ておきたいと思っていた。 
とはいえ、上級生も参加していた予選を勝ち抜いたんだ。 グレンダンの肩書が伊達ではないのは確かなのだろうな。 私も、全力を以って相手をしよう」

口元に小さな笑みを浮かべつつも、力強い表情でニーナは手を差し出してきた。
レイフォンはやや戸惑いがちにその手を握る。
挨拶が終わると、これまでの試合同様二人は適度に距離を取り向かい合う。
そして審判が手を上げると同時に共に錬金鋼を抜いた。

「「レストレーション」」

レイフォンの手には刀が、ニーナの手には二本の鉄鞭が復元される。
一度対抗試合で見た事はあるが、このように近くで、しかも対戦相手として対峙して見ると、黒鋼錬金鋼(クロムダイト)の鉄鞭が持つ重量感が、その武骨な外見からもはっきりと見て取れた。
ニーナはその重い鉄鞭を両手に持ち左半身に構える。 応えるように、レイフォンもまた刀を構えた。
二人の間の空間で、かすかに空気が震えたように感じた。

(すごい気迫だ)

ニーナはすでに顔から笑みを消し、鋭く引き締まった表情でこちらを見据えている。
その目には燃えるような闘志が迸っているように見えた。 遊び感覚など微塵も無い、真剣勝負に臨むかのような様相だ。 ニーナの体からこれまでの相手とは比べ物にならない、凄まじいまでの気迫が滲み出ている。

(こっちも真剣にやらないとな)

レイフォンもまた表情を消し、意識を戦いへとシフトさせる。
感情の色が薄い目は鋭く、しかし虚無的であり、ニーナとは対極に凍えるような冷たさを宿していた。 
凪いだ水面のように静かな闘気がレイフォンの体から溢れだし、周囲の温度を下げる。
やがて審判が声を張り上げ開始の合図を告げた。

「いくぞ!」

試合が始まるや否やニーナが叫びと共に勢いよく足を踏み出し、レイフォンに向かって飛び込んできた。 
ほんの数歩で間合いに入り、踏み込みの勢いに腰の回転の力を乗せて、斜め上から右手の鉄鞭を振り下ろし気味に叩きこむ。 狙いはレイフォンの左肩。
それに対し、レイフォンはミリ以下の単位で鉄鞭の攻撃範囲を見切り、ほんの僅かの後退、最小限の動きでその一撃を回避した。
鉄鞭が空を切る。 しかしニーナは放心することなくそのまま振り切り身体を半回転、一撃目の勢いを乗せた左の鉄鞭を裏拳気味に振るう。 
横薙ぎの二撃目を、レイフォンは上体を後ろに反らすだけで躱した。

しかしニーナは止まらない。 
後退して距離を取ろうとするレイフォンに対して、反撃を警戒していないかのような愚直さで接近し、立て続けに両手の鉄鞭を振るった。
レイフォンはそれを躱し、あるいは刀で受け流す。 刀身でまともに受け止めはしない。 相手の武器は硬く、そして重量級だ。 無理に受け止めようとすれば怪我をしかねないし、あるいは武器を折られる危険もある。
猛獣のごとき獰猛さで襲いかかる鉄鞭の双牙を、レイフォンは見事な体捌きと刀捌きで防ぎきった。

やがてレイフォンが大きく後ろへと跳んで距離を取ると、ニーナが一旦攻撃の手を止める。
こちらの間合いや呼吸を測るかのように、油断の無い目でじっとレイフォンを見据えた。
じりじりとお互いの出方を探り合いながら、レイフォンは内心で相手の技量に舌を巻いていた。

(あの体格で、あれだけの重量武器を二本も自在に操るとは)

鉄鞭という武器は、要は頑丈な打撃武器だ。 それを取り回しやすいように短くしている。
剣のように刃こぼれを気にする必要も無く、また折れる心配もなく自由に振り回すことができるし、相手の攻撃を受け止めることもできる。
その使いやすさから、レイフォンの故郷であるグレンダンでは都市警察が標準的に鉄鞭を装備していた。 とはいえ、普通の警察官が持つのはもっと軽量のものだが。

レイフォンはちらりと一瞬、自身の手に視線を落とした。 まともに打撃を受け止めたわけでもないのに、刀を握る両手にかすかな痺れを感じている。 その外観に相応しい重量を備えていることが改めて実感できた。
そしてその重い武器を華麗なまでに巧みに振るう筋力と技量。 成程、確かに学生武芸者としてはかなりの腕だ。
特にその技量、体術の練熟度には目を見張るものがある。
武器の重量が生み出す力の慣性を上手く流すことによって身体にかかる負担を最小限に、それでいて振るわれた鉄鞭の打撃力を最大限に高める。 レイフォンの見る限り、ニーナは筋力よりもそちらの方に力を入れているようだ。 
そして力の流し方とその利用は、体術の奥義にも繋がる。 

(来る!)

ニーナが再び地を蹴り、怒濤の勢いで打ちかかってきた。
あたかも舞うような華麗さでニーナは鉄鞭を振るう。 しかし見た目の優美さとは裏腹に、打ち込まれた打撃は重く、力強い。
対抗試合を見る限り、ニーナは攻撃よりも防御の方が得意だろうと踏んでいたが、攻撃における技量もなかなかのものだ。
レイフォンもまた鋭い足捌きによって体を入れ替えながら、ニーナの攻撃を躱す。
距離を取ろうとするレイフォンに対し、逆に距離を詰めようとするニーナ。 こちらに向かってくる様はあまりに愚直かつ素直で、敵の攻撃に無頓着のようにすら見える。
しかし攻勢の中にあってもニーナの防御に隙は無い。
何度か大振りの後の隙をついてレイフォンも刀で斬りかかるが、ニーナは振り切った方とは別の鉄鞭を素早く振るってレイフォンの斬撃をことごとく打ち払った。 重量武器を振るう際の反動を利用して体勢を立て直しながら、重い打撃でこちらの刀を弾いてくる。
やはりニーナの真骨頂はその堅牢な防御力だ。 ちょっとやそっとではその守りを破ることはできない。 レイフォンは止むを得ず防戦に徹する。

しばらく攻防を繰り返した後、再びレイフォンが大きく飛び退き距離が開く。
手首を振って痺れを振り払い、体勢を立て直しながらニーナの動きを窺うと、相手はすでに次の攻撃の態勢へと移っていた。
左足を前に出し、腰をひねって両の鉄鞭を体の右後方に回す。 まるで弓を引き絞る様に両手を後ろに引く。
鋭い眼光でレイフォンを射抜くや、ニーナが力強く地を蹴り、バネが弾けたような勢いと速度で前方へと飛び出した。

内力系活剄の変化 旋剄

活剄で大幅に強化した脚力による高速移動。 体の後ろに回した鉄鞭を引き連れるように、ニーナの性格そのものを表しているかのごとく一直線にレイフォンへと突っ込んでくる。 
回避が間に合わず、刀を体の前に構えるレイフォンへと肉薄しつつ、衝突する寸前に腰の力で全身を一回転、渾身の力を込めて旋回させた両手の鉄鞭を同時に叩きつける。 
旋剄による突進速度に円運動の勢いを上乗せした二撃一対の打撃。 さらにインパクトの瞬間、殴打と同時に鉄鞭から衝剄を放つ。

活剄衝剄混合変化  剛鎚旋 (ごうついせん)

横殴りに振るわれた二本の鉄鞭は、ほぼ同時にレイフォンの刀に衝突する。
轟音と共に刀と鉄鞭から火花が散り、衝剄同士のぶつかり合いに空気が振動する。
拮抗は一瞬。
レイフォンはその威力と衝撃に耐え切れず、刀ごと後ろへ向かって吹き飛ばされた。


(いや、違う)

ニーナは即座にそう感じた。

(手応えが無さすぎる)

いくらレイフォンが細身であるからといって、振り切った瞬間の手応えがあまりにも軽すぎる。
レイフォンは自ら後ろへ飛んで威力を殺している。 ニーナはそう判断し、さらなる追撃のため再び地を蹴る。
予想通り、あの一撃をまともに喰らったにしては、レイフォンは思ったほどダメージを受けていない。
空中で身を捻り、無駄の無い動きで見事に着地してみせた。
しかし技の威力を完全には殺しきれなかったのだろう。 僅かにだが、足元がふらついている。

(好機! ここで決める!)

ニーナは先程までよりもさらに勢いを増して追撃の鉄鞭を振るう。
左足で踏み込み、斜め上から振り下ろされる右の鉄鞭による一撃、勢い余って踏み出した右足を軸に、振り抜いた勢いのまま半回転しての左の鉄鞭による二撃目、そしてさらに再度振るわれた横殴りの右。
ニーナは軸足を入れ替えながら円運動を繰り返し、連続で鉄鞭を振るう。
動きがやや鈍ってはいたものの、レイフォンは立て続けに打ち込まれた打撃を絶妙な刀捌きで見事に受け流し、防ぐ。
しかし、裏拳気味に振り抜かれた左の鉄鞭による四撃目を捌こうとした際、誤ってまともに打撃を受けてしまった。
鉄鞭の重量が生み出す威力に、レイフォンの刀が柄を握っていた右手ごと弾かれる。
武器を取り落としこそしなかったが、レイフォンの左手が柄から離れ、体を大きく開いて体勢を崩した。

「終わりだ!」

ニーナが短い叫びと共に、隙だらけになった左の肩口へと右の鉄鞭を打ち下ろした。


(まずいな)

レイフォンが心中で独りごちる。
刀は右腕ごと外側に弾かれ、ニーナに胴体の前面を晒している状態だ。

(さすがにあの一撃をまともに喰らうわけにはいかないか)

空気を引きちぎりながら振るわれる鉄鞭を見据える。
黒鋼錬金鋼の鉄鞭による重い一撃が肩に振り下ろされた。

活剄衝剄混合変化  金剛剄


「つっ!」

途端、ニーナの手に鋼鉄の壁を殴ったかのような衝撃が伝わり、凄まじい反動が跳ね返る。 その表情には隠しようも無い驚愕が浮かんでいた。
予想もしなかった硬い手応えに、ニーナの右手が痺れる。
その隙にレイフォンは体勢を整え、刀を構え直す。
そして反動で仰け反り、逆に体勢を崩しているニーナへと、刀を引き連れるようにしながら鋭い踏み込みで肉薄した。
たたらを踏んで後退するニーナへと、やや低い姿勢から斬撃を繰り出す。
逆袈裟に斬り上げられた刀を、ニーナは先程弾かれた右の鉄鞭でなんとか受ける。
しかし衝撃で痺れて握力が落ちていたために、斬撃の威力を受け止めきれず鉄鞭が右手から弾き飛ばされた。 さらに、勢いに押されて後ろへ倒れ込んでいく。

レイフォンがさらなる追撃のために、大きく左足を踏み出した。
それを迎撃しようと、ニーナが仰け反りながらも強引に左の鉄鞭を振るい、横殴りの一撃を放つ。
これに対し、レイフォンは体を深く沈ませて鉄鞭の一撃を頭上にやり過ごした。 躱しながら、踏み込んだ左足を軸にして、這うような前傾姿勢のまま半回転する。 レイフォンの右足が地面を削りながら旋回し、下段の屈み後ろ回し蹴りを放った。 蹴り脚は、すでに体勢が大きく傾いていたニーナの両足を刈る。
足を払われ、ニーナが背中から倒れ込んだ。 地面に叩きつけられた衝撃で一瞬息が止まる。
しかし戦意は衰えない。 素早く立ち上がり構えを取ろうとする。 が、

「くっ」

ニーナは仰向けの状態から地面に手を突いて上体を起こしたところで動きを止めていた。 目の前には、刀の切っ先が突き付けられている。
尻餅を突いた様な姿勢のニーナを跨ぐような形でレイフォンが立っていた。 左手の鉄鞭は足で踏みつけるようにして押さえられている。
レイフォンの鋭く、それでいて感情の薄い瞳はまっすぐにニーナの目を射抜き、油断なくこちらを窺っている。
加えて目の前に突き付けられた刀の切っ先は微動だにしない。
とても反撃を試みられるような状況ではなかった。
それでもニーナは、しばらく悔しげにレイフォンの目を見返していたが、

「ふぅ……」

やがて目線を落とし溜息をつくと、起こしていた上体を地面に投げだして天を仰いだ。
脱力して地面に寝転がる様な体勢で、小さく呟く。

「私の……負けだ」

それが聞こえた審判が判定を下した。

「試合終了! 勝者、レイフォン・アルセイフ!」

途端、観客席から大きな歓声が上がり、実況していた司会の熱の入った声が会場に響き渡った。


レイフォンはニーナの上から退くと、地面に身体を投げ出しているニーナに向かって手を差し伸べた。
ニーナは未だに悔しそうな表情ながらも、口元には笑みを浮かべ、レイフォンの手を取って立ち上がる。

「驚いたよ。 お前がこれほど強かったなんてな。 小隊入りを断られたことが、改めて悔やまれる」

苦笑しつつ、ニーナはレイフォンとしっかり握手する。

「先輩も結構手強かったですよ。 良い試合だったと思います」

レイフォンも笑みを返しながら、相手の健闘を讃えた。

「またこんなことを言って済まないが、もう一度考え直してくれないか? 前にも言った通り、お前には是非私の小隊に入ってほしいんだ。 いや、今はその気持ちがさらに強くなっている」

「……済みません。 申し訳ありませんが、やはり小隊員というのは……」

ニーナのまっすぐさに若干罪悪感を感じつつも、レイフォンは頑として勧誘を断る。
やはり小隊員というのは、レイフォンの性に合わない。

「そう……か。 わかった。 この後も試合があるのに、こんなことを言って済まなかったな」

残念そうな様子ながらも、ニーナは引き下がった。
が、そんな感情はすぐに顔から消えて、力強さが戻る。

「優勝できなかったのは残念だったが、ここでお前と戦うことができてよかった。 機会があったらまた手合わせを頼む」

そう言って、グラウンドの出入り口へと歩いて行った。
その背を見送り、レイフォンも反対側の出入り口へと向かう。
ここに、ツェルニ武闘会、本戦の一回戦が全て終わった。


















「いや~、やっぱりメイっちの料理は絶品だね~」

ミィフィが感嘆の声を上げる。
野戦グラウンドの観客席では、観戦していたメイシェン達3人と合流したレイフォンが一緒に昼食を取っていた。
昨日の予選は試合数が多かった上に時間がやや不規則だったため、特に昼休憩という時間は無かったのだが、今日は全部で7試合しかないため、スケジュールの進行はある程度余裕を持って組まれている。
今は昼休憩の時間だ。 弁当の持ち合わせが無い者たちは、会場内の売店か、あるいは会場近くの飲食店に出向いている。 対して弁当を持参している観客たちは会場のどこかで適当に場所を見つけて、それぞれ昼食を食べていた。
メイシェン達は後者だ。

「えっと、たくさん作ったから、遠慮なく食べてください。 特に、レイとんは試合で疲れてるだろうし…」

「昨日も今日も、メイっちは試合で戦うレイとんのためにわざわざ精の付く料理を選んできたんだからね。 これ食べて体力回復して、しっかり頑張んなさい」

「なんでお前が偉そうなんだ?」

メイシェンは恥ずかしそうに、ミィフィはやたら明るく、ナルキはやや呆れ気味に。 3人のいつも通りの様子に、レイフォンもまたいつも通りの穏やかな態度で返す。

「ありがとう。 お言葉に甘えて、しっかりエネルギー補給させてもらうね」

言いつつ、弁当に手を伸ばす。 自由にとって食べやすいように、料理は複数の弁当箱に分けられていた。
そのうちの1つを取って口に入れる。 相変わらず美味しい。 レイフォンもある程度料理はできるが、メイシェンの料理にはまるで及ばない。 
そこに懸ける情熱の差だろうかなどと考えながら、もぐもぐと咀嚼する。

「どう? メイっちの愛情たっぷりお手製弁当は?」

「ミ、ミィちゃん!」

顔を真っ赤にしたメイシェンがミィフィの口をふさごうと身を乗り出す。
それを見ながらミィフィはからからと笑った。
レイフォンは何と返していいか分からず、曖昧に笑う。
ナルキはそれを見て、2つの意味で呆れた溜息を吐いた。
それから4人で一緒に弁当をつまみながら、いつものごとく他愛も無い雑談をする。 すぐ後に試合が控えているというのに、レイフォンには特に緊張した様子はない。 まるで普段通りである。

やはり他の武芸科生徒とはどこか違う。 談笑しながらも、メイシェン達はそんなことを思った。
違うからといって、それが問題というわけではないのだけれど。
だが、その違いがどこから来るものなのか、気にならないと言えば嘘になる。 レイフォンの様子は、ただ試合慣れしているというだけではないような気がするのだ。
特に、メイシェンは以前、レイフォンから少しではあるがグレンダンにいたころの話を聞いている。
そして、その時話したことがレイフォンの全てではないだろうとも感じていた。
今はまだそこに踏み込むことはできない。 その勇気が無い。
そしてレイフォンも、それを望んではいないだろうと思う。
だがいつか、それを知りたいと思っている。 レイフォンが、それを自分の意思で話してくれる時が来ることを望んでいる。
そんな内心の気持ちを呑みこんで、メイシェンは談笑に参加した。
やがて話題が次の試合へと向かう。

「さっきの試合でニーナ先輩に勝って、この後は準決勝か。 相手は第十四小隊の隊長、シン・カイハーン。 ニーナ先輩の元同僚かつ先輩に当たる人だね。 第十四小隊は戦略や連携といった点で特に優れた隊らしいけど、シン先輩は個人の技量も相当らしいよ」

「やっぱり強いのか。 まあここまで勝ち抜いたんだから当然ではあるが」

「ちなみに賭けの人気は二位だね。 知名度も結構あるし」

「へぇ、そんなに強い人なんだ」

レイフォンが気の無い声で相槌を打つ。

「て言うかレイとん、次の対戦相手について戦術研究とかしてないの? 普通は相手の他の試合とか見て対策とか練るもんじゃない?」

「僕はあまり、そういうことはしないかな。 相手が誰だろうと倒すだけだからね」

「すごい自信だねぇ。 相手は強敵だよレイとん。 そんなこと言ってて、勝てるのかな~?」

「大丈夫だよ。 いかなる相手、いかなる戦場でも勝利し、生き残るのがサイハーデンの極意だからね」

「ん? サイハーデン? なんだそれ?」

レイフォンの言葉に、武芸者であるナルキが反応を示す。

「僕が学んだ刀術の流派だよ。 数えるくらいしか門下生のいない零細道場だけどね」 

「強いのか?」

「うーん……歴史は長いけど、今まであまり名のある武芸者を出したことが無いって聞いてる。 当たり前だけど、大抵の場合、道場の規模っていうのは知名度とか門下の実力と比例するものだから、少なくともメジャーな武門ではないよ。 流派が伝える技自体は結構優秀だと僕は思うけど」

「? 優秀なのになんでメジャーじゃないんだ?」

「流派の持つ精神性とか、戦いに関する考え方が普通の武芸者と違うって言うか、受け入れられにくいんだよね」

ナルキはどういう意味かと訊こうとしたが、それより先に時計を見たレイフォンが立ち上がる。 そろそろ昼休憩の時間が終わり、客席にちらほらと観客たちが戻って来ていた。

「ごめん、そろそろ行かないと。 人が増えると移動しにくくなるし」

「ん? ああ、わかった。 健闘を祈る」

「ありがと。 じゃ」

3人に背を向け、客席の出口へと向かう。
レイフォンは戻ってきた大勢の観客と擦れ違うようにして出て行った。
それを見送りながら、手早く弁当箱を片づける。
しばらくして観客席が元通りに人で溢れ返り、司会が放送で次の試合について紹介を始めた。

「お、もうすぐ準決勝が始まるみたいだね。 賭けの一番人気、第五小隊のゴルネオ隊長対四番人気、第三小隊のウィンス隊長か。 さてさて、面白い試合になりそうだね」

「どちらも同じ学年で、同じ隊長格。 対抗戦の成績も、今のところは互角か」

「まあ、小隊対抗戦はまだ三分の一も進んでないけどね。 とはいえ前回の成績じゃ判断できそうにないか。 去年は二人ともまだ隊長じゃなかったし。 いちおう下馬評ではゴルネオ先輩が優勢ってことだけど」

「ほう」

ナルキとミィフィは会話しながら、視線を闘技場に向ける。
ちょうど、対戦者である二人の男が中央で向かい合っていた。
やがて二人が距離を取り、それぞれ構えを取る。

審判の合図と共に、試合が始まった。


























野戦グラウンドスタジアムの選手控室。
そこでレイフォンは、昨日と同じくベンチに座って自分の出番が来るのを待っていた。
昨日と違うことといえば、控室にはレイフォン以外に人がいないことだ。 別に不思議は無い。 今日行われるのは本戦であり、出場するのは8人だけだからだ。
さらに今は午前中の試合でその数が4人に減っている。 現在試合を行っている二人を除けば、残るのはレイフォンの次の対戦相手1人。 控室はいくつかあるので、その1人は別の部屋で待機しているのだろう。

『勝負ありました! 試合終了! 第三小隊隊長でもあるウィンス選手を下し、ゴルネオ選手が決勝進出を決めましたー!』

やや離れたところにあるモニターから、司会の女の子の興奮した声が聞こえてくる。
レイフォンは僅かに首を動かしてそちらを見やったが、すぐに視線を外した。 決勝の相手がどんな選手かは、決勝の時に直接見ればいい。
やがてモニターから聞こえていた歓声が収まってきたころ、控室へと向けた放送でレイフォンの名が呼ばれた。
それを聞いて、レイフォンはベンチから立ち上がる 戦闘衣を着直し、ブーツを履いてから控室を出た。

腰の剣帯を確認しながら通路を歩いて行く。
と、通路の途中で見覚えのある男と鉢合わせた。 お互いに相手に気付き、足を止める。
相手は大柄の体躯をした、短い銀髪の男だった。 昨日、控室でレイフォンのことを睨んでいた男だ。 試合が終わった直後なのか、体には所々擦り傷があり、戦闘衣も汚れている。
ほんのわずかの間、視線が絡み合い、二人はその場で直立し続けた。
やはり相手の視線には隠しきれない敵意のようなものが滲み出ている。 だが、レイフォンに心当たりは無い。
はっとしたように先に視線を逸らしたのは、昨日と同じく相手の方だった。 レイフォンの方を見ないようにして、足早に横を通り過ぎていく。
レイフォンはかける言葉も無く、疑問を感じながらも黙ってその背を見送った。 やがてその背からも視線を外し、再び通路を歩き始める。

しばらく歩いて、野戦グラウンドの出入口へと到着する。
そこを通って外に出ると、昨日と同じく、眩しい陽光と大勢の観客がレイフォンを出迎えた。
中央にはすでに対戦相手の男が来ており、こちらを見ている。
レイフォンも中央へ向かって足を進め、その男と対峙した。

『さあ、ツェルニ武闘会、準決勝の二戦目が始まります。 対戦者は、こちら!』

司会の声と共に、大きなモニターに準決勝で戦う二人の名前が映し出される。

シン・カイハーン(五年) vs レイフォン・アルセイフ(一年)

『一方は、第十四小隊の隊長にして優勝者予想の人気二位、シン・カイハーン! もう一方は、今大会のダークホースと目される新入生、レイフォン・アルセイフです!」


司会が賑やかな声で対戦者二人について簡単に紹介する中で、当の対戦者たちは闘技場の中央で向かい合っていた。

「お前か。 ニーナが欲しがってる一年生ってのは」

レイフォンの前に立った選手が軽い調子で口を開く。

「成程、一年でここまで勝ち抜くとはねぇ。 確かに、有望な物件みたいだな」

おまけにニーナまで倒しちまうし。 と、対戦相手――シンは表情に笑みを浮かべた。
「はぁ」とレイフォンは相槌を打ちながら、相手を観察する。
ぱっと見、悪目立ちしそうな外見の男だ。 
派手な色に染められた髪を攻撃的に逆立てており、耳や眉にいくつもピアスを付けている。 
しかしレイフォンよりも上背があり、細身だが鍛えられた身体をしているのが戦闘衣の上からでも分かった。
威嚇的な外見をしているが、その佇まいや態度、言葉遣いなどからは、むしろ軽薄な印象を受ける。
今もレイフォンの目の前で、軽薄な笑みを浮かべながら軽口を叩いていた。

「ま、入学式の活躍は俺も見てたからな。 前からちょいと興味もあったし、お前の実力、試させてもらうぜ。 ニーナに勝てたのがまぐれかどうかも確かめたいしな」

態度こそ軽薄だが、その身が纏う雰囲気は決して侮れるものではない。
その立ち姿や挙動などからも、相当の実力者であるとレイフォンは感じていた。 準決勝まで勝ち抜いたことからも、おそらくはツェルニでもトップクラスの腕であろう。 レイフォンの見立てではニーナよりも上だ。

やがて審判に促され、改めて挨拶を交わしてから、お互い距離を取る。
そして審判の合図と共に腰の剣帯から錬金鋼を抜いた。 手に携えた武器を同時に復元する。
シンの武器は、碧宝錬金鋼(エメラルドダイト)製の細剣だ。 速度を重視した細身の剣身が陽光を反射している。
それを見て、レイフォンは鋼鉄錬金鋼製の刀を構える。

お互いに武器を構えた時、二人の表情は先程までと一変していた。
普段は力の無い顔をしているレイフォンの表情は、試合が近付くにつれて感情の色が薄れていき、今は完全に消えていた。 その目は鋭く引き締められながらもどこか虚無的であり、そこからは思考がまるで読めない。

対するシンもまた、表情からは先程までの軽薄さが完全に抜け落ちていた。 
細剣を構える姿は悠然としていながらも、その目つきは鋭く、表情は厳しい。 先程まで叩いていた軽口もなりを潜め、真一文字に引き結ばれたその口は沈黙を保っている。
剣を構えてこちらを見据える様は、まるで獲物を狙う猛禽のごとくだった。

審判が、合図と共に高く上げた手を振り下ろす。
試合が始まった。




しばし、お互いに動きは無かった。
これまでの試合、レイフォンは基本受けに回り、先手は相手に譲ってきた。
相手の出方を見て戦い方を決めるためであり、上手く手加減できるようにするためでもある。
しかしシンは今までの相手のように試合が始まるや否や先手を打ってくることが無い。 レイフォンと同じように、相手の出方を窺っている。
その様子は、レイフォンの実力を見極めようとしているように見えた。

(多分、自分の実力にすごく自信があるんだろうな)

おそらくだが、ニーナとの試合を見てもなお、シンは自分が負けるとは思っていないのだろう。 それだけ己の力量に自負があるのだ。
しかしそれだけでなく、この男は世話好きなのだろうともレイフォンは思った。
フェイランと戦った時の自分と同じように、レイフォンの実力を確かめたうえで、先輩として指導してくれるつもりなのだろう。 こちらを見据えるシンの目から、レイフォンはそう感じた。
ただ己の実力を過信して驕っているだけなら滑稽だが、シンにはそういう嫌な感じはしなかった。 少なくとも、悪い人間じゃなさそうだとレイフォンは思う。
とはいえ、シンがレイフォンの力量を見誤っているのは確かだ。 そしてこのままでは、試合が始まらない。

(仕方ない。 こちらから攻めるか)

そう判断し、短く息を吐く。

瞬間、レイフォンが霞むような速度でシンへと肉薄した。

獣のような低い姿勢でシンに迫り、鋭い斬撃を放つ。
シンはレイフォンの動きと速度に瞠目しながらも、無駄の無い剣捌きでその一撃を打ち払った。
初撃を外してもレイフォンは慌てない。 間髪入れずに返す刀で次なる一撃を繰り出す。
シンは冷静に太刀筋を見極め対処する。 剣身で斬線を逸らすようにしてこちらの攻撃をいなした。
だけでなく、シンもまた手首を返して素早い反撃をレイフォンへと見舞った。 常人では視認できぬほどの速さで斬りかかり、突きを放つ。
レイフォンはその斬撃を刀で受け止め、上体を微かに傾けるだけで刺突を躱した。
そして再度自分から攻撃を繰り出す。
時間にすれば僅か数秒。 しかしその間、両者の刃はめまぐるしく交差し、激しく切り結んだ。
最後、お互いの衝剄の乗った刃が激突し、二人の間で火花と共に空気が爆発する。
レイフォンとシンは弾かれるようにして飛び退き、お互いに距離を取った。
共に一旦動きを止め、油断なく武器を構えたまま、再び相手の出方を窺う。


(まいったね)

シンは険しい顔のまま、内心で独りごちる。
すでに彼は相手に対する評価が誤っていたことに気付いていた。

(予想以上だ。 こりゃニーナが負けるわけだ。 俺でも危ないな)

今の攻防、傍から見れば互角に見えたかもしれないが、実際は違う。
シンの武器は細剣だ。 剣という武器には様々な種類があるが、その中でも特に小回りが利き、切っ先に速度を乗せる上でこれ以上ない武器である。 さらにはシンの細剣は碧宝錬金鋼製であり、剄の収束率という点に優れている。 剄を凝縮させた斬撃や刺突の鋭さは随一だ。 ましてやシンの腕なら尚更である。 だが、

(あいつの斬撃の速度と鋭さは俺以上だ。 刀っていう武器の特性もあるかもしれねぇが、それ以上にあいつの技量がすげぇ)

レイフォンの持つ刀は鋼鉄錬金鋼だ。 斬撃武器としてもっとも繊細な調整ができ、匠の技を反映させやすいのが鋼鉄錬金鋼である。 武芸者が剄を使って戦うための武器、錬金鋼としての性能以上に刃物としての性能を追求したものだとも言える。 その分鋼鉄錬金鋼製の武器は、他の武器よりも使い手の体術や技量がより明確に表れる。 当然、半端な技量で扱っても、その性能の半分も発揮できないだろう。 
しかしレイフォンは使い手を選ぶその武器を十全に活かしている。 単純な斬撃の速度だけでなく、小回りでもシンの細剣を上回っている。 速度と鋭さという点で、互いの得物の特性上有利であるはずのシンが僅かに押されたのは、それだけ使い手のレベルに差があるということを表していた。
さらにレイフォンの使う刀という武器は普通の剣と比べて、叩き斬るよりも斬り裂くことに特化している。 そしてレイフォンの持つ技術は、手の動きから足捌き、身のこなしに至るまで、全身がその刀を使う上で最適な動きを体現しているのだ。 少なくとも近接戦ではシンに勝ち目は無いだろう。 あのまま斬り合いを続けていれば、いずれは押し負けていたのは明らかだ。

(接近戦は不利。 なら……)


(ん?)

レイフォンが眉を微かに動かした。
シンが構えを変えたのだ。 先程まで下段に構えていた剣を持ち上げ、切っ先をレイフォンへと向ける。
体の内側に腕を引き、柄を抱きしめるようにした独特の突きの構え。 シンの周囲で剄が発生し、それが剣身へと流れ込んでいた。 錬金鋼に込められた衝剄が切っ先に収束していく。
そして、

外力系衝剄の変化  点破(てんは)

凝縮された衝剄が突きの動作に従って高速で撃ち出された。

「っ!」

(速い!)

レイフォンは咄嗟に上体を傾けながら衝剄を纏った刀で相手の攻撃をいなした。 軌道を逸らされた衝剄がレイフォンの背後で木の幹を貫く。
第一撃を見事に防いだのも束の間、シンはすでに次の一撃の準備を終えていた。
先程と同じ構えから、再度、点破を放つ。
いくら速くとも一度見た技だ。 レイフォンは先程よりも余裕を持ってそれを躱し、前に出て距離を詰めた。
おそらくシンが得意とするのは点破という技を活かした中距離戦だ。 距離を開いたままでは立て続けに技を放つ隙を与えてしまう。
相手の攻撃を見極めつつ、素早い挙動でレイフォンはシンへと接近する。

だがシンは慌てない。 レイフォンの動きから目を離さず、俊敏な足捌きで円を描くように移動してレイフォンと距離を取る。 その間にも連続で点破を放ち、近付こうとするレイフォンを迎撃する。 レイフォンは防御や回避のために足を止めざるを得ず、結果距離を詰めることはできなかった。
点破による遠隔攻撃と、足捌きによる間合いの維持。 これらを併用した中距離戦がシンの得意戦法なのだろう。レイフォンはそう判断する。

(さて、どう攻めるか)

考えようとするが、その隙は無い。
対策を練る間も与えず、相手は連続で点破を放ってきた。
その全てをレイフォンは刀でいなし、あるいは体捌きで躱す。 そうして相手の攻撃を防ぎながらも前に出て距離を殺そうとするが、やはりシンはそれを許さない。
攻防を繰り返しながら、両者は互いに円を描くようにして移動を繰り返す。 レイフォンは回り込んでシンに近付くため。 シンは逆に距離を取り己に有利な間合いを保つために。 二人は攻撃を放ち、あるいは防ぎながら凄まじい速度で立ち回る。 レイフォンのすり足による足捌きと体移動もまたシンに負けず劣らず俊敏だったが、防戦一方の状態では距離を詰めるには至らない。

激しい攻防がしばらく続いた後、やがて二人が動きを止めた。
レイフォンが足を止めたのだ。 立ち止まった位置で最後の点破を防いだ後、刀を構え直し油断無くシンを窺う。 
対するシンも、ただ素直に技を撃つだけでは効果が無いことを悟っているため、一旦攻撃の手を止めてレイフォンを観察する。
両者ともに武器を構えたまま、しばし睨み合う。
沈黙が続いた後、レイフォンがおもむろに構えを変えた。


(むっ?)

シンは僅かに目を見開く。
刀を持った腕を体の内側に引き、柄を抱きしめるようにした突きの構え。
シンに向かって鋭い視線を注ぎながら、刀の切っ先を向ける。
これは……

(まさか)

信じられない思いに駆られるよりも先にレイフォンが突きを放つ。
刀の切っ先から凝縮された衝剄が凄まじい速度で撃ち出された。

「くっ!」

シンは素早く細剣を閃かせ、衝剄の軌道を逸らす。 
悠然と刀を構えるレイフォンを鋭く見据えながら、しかし表情には余裕など無く、ありありと驚愕が浮かんでいた。

(今のは、確かに点破だった)

技を放つ前の構えも、撃ち出された一撃も、シンの得意とする技と全く同じだった。

(もともと同じ技を知っていたのか? それとも、今この場で覚えたのか?)

普通に考えれば前者だが、相手が使った点破は、技の性質だけでなく、構えも挙動も全てが鏡映しのようにシンと同じだった。 同系統の技だからといって、そんなことがあり得るのか。
さらに、こちらを見据えるレイフォンの虚無的な瞳を見ていると、シンには何故か後者のように思えて仕方なかった。
そしてもし後者であるとすれば、

(あいつは俺の技を、この短い時間の中で完全に見切りやがったってことだ。 そして奴にはそれだけの実力がある)

シンは背筋に冷たい物が差し込まれたような気持ちがした。
予想以上なんてものではない。 レイフォンの実力は、それこそこんな学園都市で学ぶことなど何も無いくらいに並外れているのかもしれない。

(やれやれ……。 ホント、会長やニーナが欲しがるわけだ)

そう思いながらも、シンは構えを解かない。
たとえ己よりも強いと分かっていても、降参する気は無い。
そんなことをするのはカッコ悪いと思っていることもあるが、それ以上に、折角の強者との手合わせの機会だ。 より高みを目指す武芸者として、放棄するのはもったいない。
シンは僅かに笑みをこぼすが、すぐさま口元を引き締める。

再度レイフォンが点破を放った。
シンがそれを躱し、自らも同じ技を撃つ。
互いに点破を駆使しながら、再び激しく立ち回り始めた。 しかしすでに中距離戦におけるシンの優勢は無い。
レイフォンは先程と同じように距離を詰めようとする。
それに対してシンは距離を開こうとするが、先程とは反対にレイフォンの点破によってシンは動きを制限され、上手く立ち回ることができない。
お互い素早い足捌きで円を描くように移動を繰り返すが、徐々にその距離が縮まっていく。
やがて、

ギィン!

「くっ!」

至近距離へと接近したレイフォンの刀がシンを捕えた。
低い姿勢から斬り上げるような一撃を、ギリギリで受け止める。 あまりの速さと鋭さに、攻撃をいなすことができなかった。
レイフォンの斬撃をまともに受けたシンの腕に痺れるような衝撃が走る。 腕ごと持っていかれるのではないかと感じるほど重さのこもった一撃だった。
シンは渾身の力を込めてそれを弾くが、レイフォンの刀は再び霞むように閃き、先程とは逆方向からの一閃がシンへと襲いかかる。
シンは飛び退くように後退してその一撃を躱した。 さらにそのまま距離を開けようとする。
しかしレイフォンは逃がさない。 振り切った刀を引き戻しながら、地面を削るようなすり足で素早く前進し、滑るように肉薄する。

追撃の横薙ぎを、これもまたシンは紙一重で受け止めた。
腕に残る痺れに舌打ちしつつ、腕だけでなく全身の力を使って刃を弾く。 それだけでなく、弾いた勢いのまま至近距離にいるレイフォンへと斬りかかる。
シンの振るう刃を、レイフォンは引き戻した刀の柄頭で受け止めた。 そこは極小の面積しかないにもかかわらず、レイフォンは見事にピンポイントで防いでいた。 その技量に、シンが改めて感嘆する。

レイフォンとシンは、お互いに体の位置を入れ替えながら、舞うように優雅に、かつ激しく切り結ぶ。 シンの飛ぶように軽快な足捌きに対して、レイフォンはすり足を使った滑るような体移動を行う。 シンが手首の返しを利用した高速の連撃を見舞えば、レイフォンは全身を使った円運動による強烈な一撃を打ち込む。 苛烈な応酬を繰り返しながらも、徐々にシンの方が押されていった。

(まるで小さな竜巻だ)

レイフォンの激しい攻めに顔を険しく歪めながら、シンは内心で呟く。
自分の予想以上に、レイフォンの強さは凄まじかった。
神速の打ち込みは剣を圧し折られてしまいそうなほどに重く、太刀捌き、体捌きは俊敏にして一切の無駄が無い。 すり足による体移動は、時に激しく地面を削り抉るほどに荒々しくも、同時に静謐かつ優雅ですらある。
刀を振るうレイフォンの姿は、こちらを喰い散らさんとしている獣のごとく荒れ狂いながら、しかしそれでいて、まるで完成された芸術品のように美しかった。
こうして目の前で戦っていなかったら、シンもその姿に見入っていたかもしれない。
だが、

(いつまでも続けるわけにはいかない)

シンの武器である細剣は小回りが利く分、強度に問題がある。 レイフォンの打ち込みを何度もまともに受け止めていては耐え切れない。 そのために、相手の力をいなし受け流す技術をずっと練熟させてきたし、この試合の中でもそのことに精力を割いてきた。 
が、レイフォンの斬撃の速度はすでにシンの目ではまともに追えない速度になっている。 太刀筋が見切れない。 このまま打ち合えば、いずれは武器の方がシンよりも先に限界を迎えるだろう。

何度目になるか分からない、レイフォンの振るう神速の一撃をシンが受け止めた。

(ここだ!)

渾身の力でレイフォンの刀を打ち払う。 そして同時に後退しながら全身で衝剄を放った。
レイフォンが僅かの間動きを止める。 その間に、シンはほんの数歩分距離を開いた。
まだシンの得意とする間合いではない。 だが、シンはすでに点破の構えを取っていた。
細剣の切っ先に意識を集中させつつ、レイフォンが滑るように肉薄する。
シンは構わず突きを放った。

外力系衝剄の変化  点破・裂華(てんは・れっか)


「っ!」

先程までの技とは違う。
突きの動作と共に、細剣の切っ先に収束された衝剄が散弾のように破裂した。 
衝剄の弾丸は広範囲に広がり、至近距離では躱す隙が無い。

(防ぎきれない)

刀では捌ききれないと判断し、レイフォンは咄嗟に金剛剄を張る。 
直後、衝撃が全身を叩いた。
衝剄の塊一つ一つの威力はそれほどでもないが、攻撃の面積が広い。
レイフォンがその攻撃を凌ぎ切った時には、すでにシンは第二撃の準備を終えていた。
引き戻した腕から、再度、突きを放つ。

外力系衝剄の変化  点破

動きを止めていたレイフォンはその一撃をまともに喰らい、後方へ吹き飛んだ。
空中で身を捻り、なんとか着地するが、こらえ切れずに膝を付く。
そこへシンが、今度は自ら距離を詰めた。 飛ぶように疾駆し、高速の連撃で畳み掛けようとレイフォンに迫る。
それを見やったレイフォンは、膝をついたまま刀を振り上げた。
そしてシンが攻撃を繰り出すよりも先に、その刀を振り下ろす。

自らの足元の、地面にだ。


サイハーデン刀争術  砂上楼(さじょうろう)

途端、レイフォンを中心とした周囲一帯の地面が崩れ落ちた。
いや、地面の土が砂状になったのだ。 
シンは突然砂に足を取られてつんのめる。 ただの砂ではない。 流砂のように砂上の人間を呑みこもうとする。
足を止めた途端、あっという間に膝まで沈み込んでしまった。 身動きが取れない。

一方レイフォンは軽快に走り、シンへと迫る。 砂上で足を取られる様子は無い。
目の前に迫るレイフォンを見て、シンは咄嗟に細剣を構えるが、足腰に力が入らない。
逆袈裟に振り上げられた斬撃が細剣を打ち据える。 こらえ切れず、シンの手から武器が弾き飛ばされた。
レイフォンは即座に手首を返し、刀身を閃かせる。
静止した刃は、シンの首筋に当てられていた。
両者ともに動きを止める。
しばし目線が絡み合い、やがて、

「参った。 俺の負けだ」

シンが両手を上げて降参を示した。
審判の判定が下る。 レイフォンの勝ちだ。
ツェルニ武闘会、レイフォンの決勝進出が決まった。






















あとがき


長かった。
リアルが忙しかったのもありますが、それだけでなく予想以上に執筆に時間がかかってしまった。結局年内に終わらないし。
バトルの展開や殺陣の流れは最初から決めてあったのに、実際に文章で描写しようとすると非常に骨ですね。というかちゃんと伝わっていれば良いのですが。

まあ、諸事情により実家に帰ることができなくなったので、正月休み中も執筆できるかもしれないのは僥倖かもしれません。とはいえ、冬休み中の課題とかもあるので、さほど更新速度は上がらないかもしれませんが。


さて、事情説明はこの辺にして、今回は vs ニーナとシンです。殺陣シーンを書くのが一番時間がかかりました。おまけに書いててメチャ疲れます。やっぱりセリフが多いシーンの方が楽ですね。

ニーナの技は、小隊員なのに独自の技が無いのはどうかなぁと思って考えました。いちおう父親から色々教わっているはずですしね。

シンの方は原作でも技を使ってましたから。ただ、キャラがイマイチ掴みにくいですけど。以前はドラマガを読んでいなかったので、外見描写とかも結構想像です。


さて、次はいよいよ決勝ですね。圧倒的な実力差のあるレイフォンに対し、ゴルネオはどう戦うのか? まあレイフォン手加減してますけど。




[23719] 14. 決勝戦、そして武闘会終了
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2011/01/26 18:51
野戦グラウンドスタジアムのモニター室。
そこには今回の武闘会の責任者であるカリアンとヴァンゼがいた。 他にも数人の生徒会役員や、運営にかかわった者たちが先程までは集まっていたが、皆それぞれの仕事でここを離れているため、今は二人だけだ。

「一応、お前の思惑通りにはいっているようだな」

モニター画面の前の椅子に座っているカリアンに、後ろに立ったヴァンゼが声をかける。

「まあ、一応はね。 もっとも、彼が小隊に入ってくれれば一番良かったのだが」

先程準決勝が終わり、現在闘技場に選手たちはおらず、いるのは先の試合の後始末をしている者たちだけだ。
決勝へと進んだ選手たちは控室で待機していることだろう。 さすがに休みなしで連戦するのは酷だということで、準決勝と決勝の間にはしばし時間を空けていた。 その間客席では観客たちが退屈しないように、あちこちに設置されたモニターで昨日の予選から今日の本戦のうち、すでに終わった試合の映像を様々な角度から代わる代わる流している。

「まあそうだな。 だが無理強いもできまい。 少なくとも、俺にそのことをどうこう言う資格は無いからな」

ヴァンゼは自嘲気味に言う。
前回の汚染獣戦の際の司令室での一件がまだ少し尾を引いているようだ。
と、そこで試合へと話を戻す。
 
「それはそうと、次はいよいよ決勝か。 しかし、あいつも随分と器用なことをする。 力だけでなく技量も相当のもののようだな」

レイフォンが常に対戦相手に合わせた戦い方をしていることを言っているのだろう。 今までの試合、どれも傍目には接戦のように見えていたのは、レイフォンが戦闘中の自分の強さを相手に合わせて変えていたからだ。 もっとも、接戦といってもレイフォンはどの試合でもほとんどダメージを負っていないが。

「確かにね。 汚染獣との戦いの時といい、彼の強さは私にとっても予想以上だった。 まあ彼が接戦を演じているのは、私が手加減しろと言ったのもあるだろうが、彼に武芸科生徒たちの実力を測ってほしいと頼んだからでもあるだろうね。 だからあえて時間をかけているんだ」

「何故またそんなことを?」

「この間の汚染獣戦のようなことがまた起こらないとも限らないからね、彼に武芸科生徒たちの実力を見せて、そして彼らの力を理解しておいてほしいと思ったのさ。 その上で、彼から忌憚の無い意見をもらいたいと思っている。 毎回彼に頼ってばかりはいられないし、今後の武芸科の方針を決める上でも彼の見解は参考になる。 なにせ数少ない実戦の経験者だ」

レイフォンという存在を武芸科に迎え入れることができたのはかなりの幸運だ。 未熟者が集まる学園都市では実戦の経験者というだけでも十分貴重な存在だ。 もともと学園都市に来るような武芸者の大概は、才能が無いか、もしくは何かしらの問題を抱えている者たちばかりだ。 実力のある武芸者は都市が外に出したがらない。
もちろん才能の無い者が学園都市に来るのは、自都市ではできない成長を求めてのことであり、上級生ともなれば普通の都市の学生武芸者よりもずっと高い実力を身に付けている者だっている。 ツェルニで言えばヴァンゼ達小隊員がそれに当たる。 だが、それでも未熟者であることに変わりは無い。

この追い詰められた状況の中で、レイフォンがツェルニに来ると知った時、カリアンは救世主が来たと思ったくらいだった。
ならばこの幸運を最大限活かすべきだろう。 カリアンはそう思う。
が、ヴァンゼが気になったのは別のことのようだった。

「……前にも思っていたが、もしかしてお前、あいつが何者か知っているんじゃないのか? 汚染獣戦の時も、それ以前に武芸科の転科を勧めていた時も、お前はあいつのことを前から知っているような様子だった」

ヴァンゼの疑うような視線に、カリアンは平然と答える。

「まあ……知っている、と言えなくもない。 ツェルニに来る前に1度見た事があるからね。 向こうは私のことなど知らないだろうが。 
とはいえそれを人に話すつもりは無いよ、たとえ君でもね。 そもそも私の持っている彼の情報は完璧ではなかったらしい。 もし彼が私の思う通りの人間だったなら、彼の転科や小隊入りであれほど交渉に苦戦したり、ましてや失敗などするはずがなかったからね。 もっと簡単に操ることもできた」

「ほう……。 まあいい。 それで最後の相手は……ゴルネオか。 レイフォンと同じグレンダンの出身だな。 実力的には順当と言ったところだが」

ヴァンゼがいくつかあるモニターの1つ、トーナメントの進行具合を映しているものを見て呟く。
カリアンもそれを見上げた。

「……レイフォン君と同じ、グレンダン出身か……」

カリアンが漏らした独り言をヴァンゼが聞き咎める。

「なんだ? その、さも何か懸念がありそうなセリフは。 相手がゴルネオだと何か問題があるのか?」

カリアンはしばし沈黙するが、やがて首を横に振った。

「いや、杞憂であればいいと思うことが一つあるだけさ。 どの道、たとえその懸念が当たっていたとしても、今のところ私にできることは無い。 今回何も無くても、いずれまた形を変えて起こることだろうからね。 とりあえずは成り行きを見るつもりだ」

「……ふん。 まあいい」

ヴァンゼはカリアンから目を離し、再びモニターに向ける。
丁度闘技場の整備も終り、次の試合が始められるところだった。 実況する司会の声と共に対戦者の二人が闘技場に入って行く。

(課題も懸念も山積みだ。 しかし残された時間は少ない)

カリアンやヴァンゼ達責任者にとってはこの武闘会すらも、今年の武芸大会、そしてツェルニ存続のための布石でしかない。
カリアンの視線は画面上の試合に向けられたまま、思考は今後の方針へと流れて行った。



















『さあ! 武芸科ナンバーワン決定戦、ツェルニ武闘会。 いよいよ次は決勝戦です。 昨日の予選から今日の本戦準決勝までを勝ち抜いてきた二人が、これよりツェルニ最強の座を賭けて戦います。 では、対戦者入場!』

司会の景気の良い声と共に、闘技場の一方の入り口から一人の巨漢が歩み出て来た。

『まずは、第五小隊の隊長にしてツェルニ最強アタッカーの呼び声も高い、ゴルネオ・ルッケンスの登場です! 小隊対抗戦でも活躍し、その力量はヴァンゼ武芸長にすら勝るとも劣らぬ実力者。 今大会においても、優勝候補の筆頭と目されています』

次に出て来たのは茶髪に藍色の瞳、中肉中背の少年レイフォンだ。 

『対するは今大会のダークホース。 一年生にして予選を勝ち抜き、本戦でも小隊員を相手に見事な戦いぶりを見せた超新星、レイフォン・アルセイフ!』

実況の声が響く中、レイフォンは闘技場の中央まで歩いていく。 歩きながら、同じく中央へ向かっていく対戦相手の方をさりげなく観察する。

(ルッケンス……か)

眉間にやや皺が寄るのを自覚する。
相手の男は大柄だった。 予選でも大柄な選手はいたが、こちらは別格だ。 上背も肉厚もレイフォンを遥かに上回っており、ヴァンゼにも匹敵するかもしれない。
鍛え抜かれた全身は分厚い筋肉で覆われ、手足は丸太のように太い。
短く刈り込まれた銀髪に角ばった厳つい顔立ち。 それでいて顔のつくりはどこか甘い雰囲気もあり、愛嬌のようにも取れる。 なんとなくだが、レイフォンはその顔立ちの甘いつくりに見覚えがある気がした。
笑えば意外にいい男かもしれないその目は、今は鋭く引き締まっており、レイフォンを強く見据えている。
中央まで進み出てきた二人は、無言で向かい合ってお互いに礼をする。
これまでの試合通り審判からの繰り返しの諸注意を聞き、やがて審判が離れていくと二人も適度に距離を開いた。
ある程度距離を置いたうえで改めて対峙する。

審判の合図と共に錬金鋼を復元し、レイフォンとゴルネオはそれぞれ武器を構えた。
鋼鉄錬金鋼の刀を構えるレイフォンに対し、ゴルネオは手足に手甲脚甲を装着した状態で、左半身に構えた。 体の正中線を隠し、相手に対する面積を小さくする構えだ。 左腕は前方の相手に対して構え、右腕は胸の前で胴を守る様に構える。

(格闘術、か……)

レイフォンにはその構えと立ち姿が醸す雰囲気に覚えがあった。 グレンダン時代の知り合いに、同じ構えで格闘術を使う武芸者がいる。
ましてやこの相手の姓はルッケンス。 とても偶然とは思えない。
見たところ、相手が装着しているのは紅玉錬金鋼(ルビーダイト)製の手甲と脚甲だ。 レイフォンにとっては、紅玉錬金鋼というのにも引っかかるものがある。
昨日今日とこちらへ向けてくる、戦意というよりも敵意や殺意と言うべき感情を込めた視線も含めて、

(色々気になるところはあるけれど)

しかし今はそれは関係ない。 今考える必要があるのは、この試合で勝つことだ。
それも、レイフォンが常識はずれな実力の持ち主であることを周囲の者たちに悟らせないように気を付けつつ、しかし武芸者として特別優秀であることを他の武芸者たちの前で示さねばならない。
それらを考慮した上で如何にして勝つか、レイフォンは相手を観察しつつ思案する。
傍から見れば刀を持ったレイフォンの方が有利に見えるかもしれないが、格闘術を使うものにとっては己の四肢全てが武器であり凶器だ。 高レベルの使い手ならば、錬金鋼なしでもかなり手強い相手である。

(さて、どう勝つか。 相手の出方次第かな)



審判の開始の合図と同時にゴルネオが仕掛けた。

両腕を体の前面に構えながら、巨体に似合わぬ素早い疾駆でレイフォンへと接近する。 そして間合いに入るや否や、先手必勝とばかりにその丸太のような両腕から拳打を繰り出した。
レイフォンは素早い足捌きによる必要最小限の体移動のみで拳を躱す。
第一撃を避けられたことに執着せず、ゴルネオはなおも手足を駆使して激しく攻め立てる。 
牽制のジャブに大振りのストレート、フック、さらに両脚から繰り出す多彩な蹴り。 それら全てをレイフォンは躱し、あるいは刀で捌く。 防ぐだけでなく、大振りの後の隙を突いてレイフォンの方からも刀で斬りかかった。 静謐でありながら峻烈な斬撃。 しかしゴルネオはそれらを手足の手甲と脚甲を駆使して受け止め、捌ききる。 的確で無駄の無い、見事な防御。

『お~っと! 開始早々、凄まじいまでの技の応酬です。 刀を駆使して戦うレイフォンに対し、己の手足を駆使して戦うゴルネオ。 両者、一歩も譲らず苛烈な攻防を繰り広げます!」

息をも吐かせぬ激しい攻防に、司会の実況にも熱が入る。
しかしレイフォンからすればまだ小手調べの段階だ。 今のところはお互い剄技は使わず、肉体の純粋な強度と技量のみでの打ち合いである。
斬撃と打撃の応酬を繰り返しながら、レイフォンは相手の実力を推し測る。
まだ戦いは体術のみの段階だが、レイフォンの見る限り、ゴルネオの実力はなかなかのものだ。 今大会でやり合ったツェルニの他の武芸者たちとは格が違う。 肉体の強度と練度はどちらもニーナより上だ。 レイフォンが戦った相手の中で対抗できそうなのは、せいぜいシンくらいか。

(おっ)

激しい攻防の中、ゴルネオの岩のような拳に剄が集中するのが分かった。 
それに反応し、紅玉錬金鋼が赤く発光する。
そして身を低くして相手の攻撃を躱していたレイフォンに向かって、上から叩き潰すように拳を放った。 寸前、拳が途中で手甲とは違うものに覆われる。 
頭上より打ち下ろされる拳を、レイフォンは素早くその場から飛び退いて回避した。 数倍にも巨大化した拳が地面を爆散させる。
土砂が弾け飛ぶ。 ただの土砂ではない。 ゴルネオの一撃は舞い散る土砂すらもそのままにはしない。 飛散する土砂には変化させた剄が練り込まれ、槍のような形状となってレイフォンに襲いかかる。 

「化錬剄、か」

飛び退いた先で呟きながら刀を一閃、刀身に収束させていた剄を解き放つ。

外力系衝剄の変化  渦剄

レイフォンの正面で大気が激しく渦を巻き始める。 さらに大気の渦の中では嵐のように衝剄が荒れ狂う。
渦巻きながら放たれる無数の剄の塊が、槍となって飛来する土砂を爆発させて撃ち落とした。
さらに細かくなった土砂が煙幕となり、僅かの間互いの姿を覆い隠す。
相手の出方を窺いながら、レイフォンは思考を巡らせた。
敵の使う化錬剄という剄技は、剄に特殊な変化をもたらせることで普通の衝剄ではできない攻撃を行い、変幻自在の戦闘を可能とする剄術だ。
さらに相手の身につけている錬金鋼、紅玉錬金鋼には剄に変化を起こしやすいという作用があり、化錬剄を使う武芸者にとってもっとも相性のいい錬金鋼と言える。

(格闘術をメインに化錬剄を使うルッケンス。 やはりと言うか何と言うか……思った通り、)

「グレンダン出身の武芸者か……」

僅かに苦い顔をして呟く。
ルッケンスという家名には、レイフォンも覚えがある。 というより、グレンダンで知らぬ者がいないほどの名家である。
しかし、

(どうしてそんなところの武芸者が都市の外に出てるんだ?)

疑問よりも苦々しさを強く感じる。
レイフォンにとっては、相手がグレンダン出身というところもあまり歓迎すべき事柄ではないが、ルッケンスというのはさらに都合が悪い。 自分がグレンダンを出た事情とも関連するし、個人的な因縁もある。 それにルッケンスならば、レイフォンに向けて来た敵意の視線の理由にも思い当たる。
とはいえ、今はそんなことを考えている時ではない。 試合中であり、自分にはそれに勝つ必要がある。 そのためにも、目の前の戦闘に集中しなくてはならない。
化錬剄は変幻自在を旨とする剄技だ。 思考に捕われていては、致命的な隙を生みかねない。

やがて煙幕が晴れ、互いの姿を視認する。
ゴルネオはやや離れた位置に立っていた。 こちらの姿を確認するや、剄を集中させていた両手を頭上高くに振り上げる。 そして裂帛の気合と共に振りかぶった両の拳を地面めがけて振り下ろし、叩きつけた。

外力系衝剄の化錬変化  土濤衝波 (どとうしょうは)

ゴルネオの両手から土中に剄が練り込まれる。 柔らかくなった地面に、石を落とした水面のように波紋が広がった。
突如、ゴルネオの面前で地面が大きく盛り上がる。 
大きく膨らんで盛り上がった地面は、弾けるようにその姿を土砂の大波へと変えた。 津波となった土砂が、レイフォンを呑みこまんと押し寄せる。
レイフォンが見たところ、土砂には変化した剄が練り込まれていた。 おそらくは直接攻撃用の技ではない。 敵を押し流すだけでなく、呑みこんだ相手の動きを封じるタイプの剄術だ。

(回避…いやダメだ)

自分の背丈よりも遥かに高くそびえる壁のような大地の波が目前に迫るのを見ても、レイフォンは冷静さを崩さない。 状況を見極めながら、素早く思考を巡らせる。

(化錬剄の本質は変幻自在さと、それによって相手の意表を突くことにある。 目の前で起こっていることに馬鹿正直に反応しては命取りになる) 

相手の攻撃の規模はなかなに大きいが、決して躱せぬほどではない。 小隊員レベルの実力があれば、左右へ素早く移動するなり上に跳ぶなりして躱すことは難しくない。
つまり、

(こちらが躱すことを予期した上で次の手を準備しているはずだ)

一瞬の思考でそこまで判断し、レイフォンは刀を持ち上げる。
そして振りかぶった刀を勢いよく地面へと突き立てた。

サイハーデン刀争術  地走り (じばしり)

衝撃が地面を砕きながら大波へと突き進む。 技を放つと同時にレイフォンは前方へと走り出した。
切っ先から放たれた衝剄はレイフォンの足元から大波までの地面を一直線に斬り裂き、さらにその土砂の波濤までも両断する。
それを追うように走っていたレイフォンは、斬り裂かれて左右に割れた大波の裂け目へと飛び込み、土砂の壁の向こう側へと降り立った。
その姿を見たゴルネオの顔に驚愕が浮かぶ。
レイフォンは構わず相手に肉薄し、切っ先が霞む様な斬撃を横薙ぎに繰り出した。 

サイハーデン刀争術  鎌首 (かまくび)

ゴルネオは咄嗟に手甲で刀身を受け止める、と同時に首筋に殺気を感じ、即座にしゃがんで頭を下げた。
直後、刀の切っ先に込められた衝剄が鎌のように変化し、ゴルネオの頭上を薙ぐようにして空を切る。
ゴルネオは背筋が冷たくなるのを感じたが、停滞する余裕は無い。
レイフォンは受け止められた刀を引き戻しながら、しゃがんだゴルネオに前蹴りを叩きこむ。 咄嗟に両腕を交差させて防いだものの、ガードごと後ろへと蹴り飛ばされた。
ゴルネオは二度三度と地面を転がった後、素早く立ち上がる。 レイフォンは追撃しようとするが、立ち上がったゴルネオがその場で正拳突きを放った瞬間、それが当たったわけでもないのに彼は仰け反って足を止めた。

(これは……)

レイフォンは素早く自分の体を確認する。 右肩に拳で直接殴られたような感触があった。 しかし相手には衝剄を使った痕跡は無い。 
そして気付いた。 レイフォンと、後は精々術者であるゴルネオくらいにしか見えないであろう剄の糸がレイフォンの体のあちこちに繋がっており、その糸の先はゴルネオの四肢から伸びている。

(化錬剄の糸。 そして相手はルッケンス)

レイフォンは咄嗟に身構える。
その時、ゴルネオが改めて構えを取り、その場で拳打を繰り出した。

外力系衝剄の化錬変化  蛇流 (じゃりゅう)

レイフォンの体を衝撃が叩く。 今度はまるで腹を殴られたかのように体をくの字に折った。
ゴルネオはその場にとどまって立て続けに拳打と蹴りを放つ。 その度にレイフォンの体が見えない力で殴られたように揺れた。 
傍から見ればまるで格闘術の型の練習をしているようにも見える。 しかし実際には、拳打や蹴りの衝撃が、ゴルネオの手足から伸びる糸を伝ってレイフォンを叩いているのだ。
しかしレイフォンは敵の攻撃を意に介さず、金剛剄でダメージを無効化しながら、相手の動きと技を観察し続けた。 


先程からレイフォンはまったく抵抗していない。 そのことに、周囲の観客たちはあまりの猛攻に抵抗できないのだと思い始めていた。
しかしゴルネオは攻撃の手を止めない。 そもそも、まるで効いていないことが彼には分かっている。 どのような剄技を使っているのかまでは分からないが、最初の一撃以外は全て防がれている。
攻めているのはゴルネオなのに、その顔には一片の余裕さえ浮かんではいない。

その時、レイフォンが何も無い空間に向かって蹴りを放った。

当たるような間合いではない。 衝剄を放ったわけでもない。 にもかかわらず、強烈な衝撃がゴルネオの腕を叩いた。 その顔に驚愕が浮かぶ。
レイフォンは立て続けに蹴りを繰り出す。 その度に、ゴルネオは見えない力で手足を殴られた。

(こいつ、まさか……)

信じられない。 だが、実際に目の前で起こっている。

(俺の剄の糸に干渉している?)

先程から衝撃を受けているのは自分の糸が繋がっている手足ばかりだ。 つまり相手はこちらの糸を逆手にとって打撃を伝道させてきているのだろう。 
だからといって、

(俺の剄の糸を見切るだけでなく、それを利用までするとは)

そのようなこと、蛇流の技の仕組みを理解していなければできないだろう。
信じられない思いに駆られながらもゴルネオは即座に剄糸の接続を切った。 このままでは逆効果だ。


レイフォンは動きを止めた。 糸が体から離れるのが見えたのだ。
それを見届け、改めて刀を構え直す。
レイフォンから離れた剄の糸は、周囲を漂うように空中に伸びていた。 未だにゴルネオの手足とは繋がっている。
再度その糸を利用する気かもしれない。 そう思ったレイフォンは、ゴルネオの剄の流れを読もうとする。
見ると、ゴルネオは再び拳に剄を集中させていた。 そしてレイフォンを鋭い視線で射抜く。
レイフォンが身構えた瞬間、ゴルネオは拳を振り下ろした。
先程と同じく、目の前の地面にだ。

外力系衝剄の化錬変化  霧塵煙砂 (むじんえんさ)

地面に打ち下ろしたゴルネオの拳で剄が爆発し、巨大な砂塵が巻き上がる。 爆発による衝撃は広範囲に及び、周囲一帯が砂煙で覆われた。 レイフォンの視界も、立ち上る砂塵によって覆い隠される。

(煙幕か? いや、)

ゴルネオは先程までと変わらぬ位置にいる。 剄の流れを読む限り、煙幕に乗じて攻撃を仕掛けようとしている素振りは無い。

(では何を?)

レイフォンは自分を包み込んでいる砂煙を見る。 周囲を漂う砂塵にはゴルネオの剄が練り込まれているのが分かった。 しかも、化錬剄によって何らかの変化が施された剄である。 
レイフォンはどのような変化が起きているのか見極めようとするが上手くいかない。 もともと化錬剄による技は、剄の流れを見るだけでは性質や変化までを完全に読み取ることができないのだ。 
どうすべきか思考していると、煙幕の中でゴルネオが動きを見せた。 ゴルネオは両手に剄を集中させながら、後ろに飛び退いて粉塵の外へと移動する。
手甲に覆われた両拳に、化錬剄による炎が灯った。
炎は両手から伸びた剄の糸を伝い、放射状に広がる。

(まさか……)

粉塵、化錬剄、炎。
レイフォンは一瞬で思考し、体の奥で剄を練り上げた。


外力系衝剄の化錬変化  連環発破 (れんかんはっぱ)


サイハーデン刀争術  水鏡渡り (みかがみわたり)


直後、巨大な爆発が起こり、周囲一帯に炎と爆風が吹き荒れた。

砂煙を利用した粉塵爆発だ。 土中に含まれていた木片や葉片などの可燃物に加え、巻き上がった砂塵に化錬剄による剄を練り込むことで可燃性を持たせる。 仕上げに剄の糸を導火線として砂煙に着火、周囲一帯を巻き込む粉塵爆発を引き起こしたのだ。 昨日今日と快晴が続き、空気と土が乾燥していたこともさらなる効果を生んでいた。

多くの観客が試合の終わりを予感したが、ゴルネオの目は油断なく爆発地点を見据え続けており、臨戦態勢を解く様子は無い。
そもそもこの技は、見た目は派手だが破壊力自体はそれほどでもない。
剄のエネルギーによる爆発ではなく、あくまで剄を利用して自然現象的な爆発を引き起こしているだけだからだ。 狭く密閉された空間ならまだしも、このように開けた場所では爆風が周囲に散ってしまい、肉体を強化している武芸者、それも小隊員以上の実力を持つ者を戦闘不能にするほどの威力は無い。
ましてや相手は……、

「!? くっ!」

突然横から強烈な気配を感じ、ゴルネオは咄嗟に身を躱す。 鋭い斬撃が鼻先をかすめ、背筋に冷たい物が走った。
レイフォンが返す刀でさらに斬りつける。 相手に向き直りつつ、ゴルネオはその刃を手甲で防いだ。
攻防の中、ゴルネオは相手を観察する。 顔や戦闘衣は土や煤でやや汚れていたものの、その身には傷一つ無く、火傷すら負っていない。 あの爆発を回避していたのだ。
なおもレイフォンが繰り出す連撃を捌きながら、ゴルネオは舌打ちする。

(これほど近付かれるまで気が付かなかったとは。 いや、違う)

あれほど強い気配が近付くのに気付かなかったはずが無い。 あえて気配を放ってこちらに気付かせたのだ。

(遊んでいやがる)

ゴルネオはそう思った。 あの一瞬で試合を終わらせることもできたはずなのに、そうしなかった。 それを、ゴルネオは弄ばれているように感じたのだ。
もともと感じていたレイフォンに対する怒りや憎しみがさらに強くなる。
しかし今はそんな場合ではない。 レイフォンは息をも吐かせぬ勢いで矢継ぎ早に刀を振るってくる。 ゴルネオは反撃もできず、ただひたすら防御に専念していた。

「ちぃぃっ!」

敵の攻撃を捌きながら、ゴルネオは化錬剄による膜を生み出し、目の前の大気を圧縮させる。

外力系衝剄の化錬変化  気縮爆 (きしゅくばく)

突如、ゴルネオの眼前で圧縮された大気が爆発した。
レイフォンは素早く後方へ飛び退き、衝剄を纏った刀を一閃させて爆風を切り裂く。
逆にゴルネオはもろに爆風を浴びて後ろに吹き飛んだ。 吹き飛びながらも、空中で身を翻してなんとか着地する。
そして素早く身を立て直して相手を窺った。
レイフォンは追撃せず、その場にとどまってこちらを窺っている。 今の爆発で傷を負った様子は無い。
一旦距離を取るためにあえて被爆したとはいえ、こちらはダメージを受けたのにレイフォンが無傷とは、正直言って割に合わない気分だった。

レイフォンはその場に立ったまま、悠然と刀を構えている。 手加減、あるいは余裕のつもりか、こちらに向かってくる素振りは無い。
ゴルネオは手足を軽く振って痺れを振り払い、仕切り直すように構えを取った。 一瞬視線が絡み合う。
再びゴルネオから仕掛けた。 レイフォンへと肉薄しながら両の拳に剄を集中させ、間合いに入ると同時に拳打を叩きこむ。
それを躱しながら、レイフォンは刀を素早く背中に構えた。
刀身に殴られたような衝撃が走る。 しかしそれだけだ。 ゴルネオはそれを見て舌打ちする。

再度、ゴルネオは立て続けに拳打を放つ。 レイフォンはそれら全てを躱しながら、死角から襲いかかる見えない打撃を刀で防ぎ続けた。

外力系衝剄の化錬変化  双蛇

ゴルネオの拳と連動するように、レイフォンの死角から衝剄の拳が打ち込まれる。 目の前の蛇(ゴルネオ)に気を取られれば、死角から迫るもう一匹の蛇に噛みつかれる。 相手に隙を生み出し、そこを突く攻撃。
しかしレイフォンは前後から同時に襲いかかる双蛇の攻撃の全てを、躱し、あるいは刀で防ぎきった。
最後の拳打を、レイフォンは大きく飛び退くことで躱す。 同時に背後からの衝剄を背中に回した刀で切り裂いた。
後退する相手をゴルネオは追撃する。 開いた距離を素早く詰めながら拳を振るい、衝剄の砲弾を撃ち出した。
しかし無駄だ。 これだけの距離があれば、レイフォンなら楽に躱せる。
直線的に飛来する衝剄の塊を、自身の体を横方向へとわずかに逸らせることで回避する。 いや、したつもりだった。

外力系衝剄の化錬変化  風蛇

レイフォンの目の前で衝剄の軌道が突然変化した。 躱したレイフォンを追尾するように軌道が曲がる。 それにすら反応したレイフォンは咄嗟に後退して躱そうとした。 しかし躱しきれず、横からの打撃が刀の鍔元に直撃する。
レイフォンの手から錬金鋼が弾き飛ばされた。 感情の薄い表情が、僅かに歪む。


好機とばかりにゴルネオは一気に距離を詰め、レイフォンに向かって渾身の力を込めた拳打を叩きこんだ。
咄嗟に腕を体の前で交差させて防御したものの、その威力に、レイフォンは後方へ吹き飛ばされる。
そこにゴルネオが追撃のため再度距離を詰めようと足を踏み出した。
その時、

「がっ!?」

突如ゴルネオの視界が揺れた。 
いや、死角から迫った何かに後頭部を打ち据えられたのだ。 あまりに不意を突いた攻撃だったために足腰から力が抜け、ゴルネオは思わず膝を突く。
空中で身を翻して綺麗に着地したレイフォンは、地面に立つや否や今度は自ら距離を詰めた。 徒手空拳のまま、霞むような疾駆でゴルネオへと肉薄する。
ゴルネオは身構えようとするが、まだ視界が揺れているため、手足に上手く力が入らない。

至近距離まで近づいたレイフォンが中段の回し蹴りを叩きこむ。 ゴルネオは頭を振って衝撃の影響を振り払い、次の瞬間レイフォンの蹴りを腕で受けた。 
しかしそれで終わらず、即座に真横から拳打を打ちこまれる。 ゴルネオはそれをも防御してのけた。
レイフォンは止まらない。 さらに逆方向から、目の前から、後方から、矢継ぎ早に蹴りや拳が叩きこまれる。 四肢全てを駆使しても防ぎきれない。
当然だ。 いつのまにかレイフォンの姿が一人ではなくなっている。 五人、十人、それ以上。 残像ではなく、実体を持ったレイフォンの分身がゴルネオを取り囲んでいた。

(これは、)

活剄衝剄混合変化  千人衝

実際には千人もいない、精々が十数人といったことろだ。
しかしそれだけいればゴルネオに対抗するすべは無い。 前後左右から繰り出される打撃を捌ききれず、ゴルネオは全身を打ち据えられた。
最後、目の前のレイフォンが放った強烈な蹴りが胸板に叩きこまれ、ゴルネオは後方へと文字通り蹴り飛ばされる。
無様に地面を転がりながらも、ゴルネオはなんとか体勢を立て直して構えを取ろうとする。 しかし、顔を上げた時にはすでに目の前にレイフォンがいた。 いつの間にか手に戻っていた刀の切っ先をこちらに向けている。 レイフォンは微動だにせず刀を構えながら、感情の無い目でゴルネオを窺っていた。
ゴルネオの鋭い視線がレイフォンを射る。 そこには悔しさだけでなく、隠しようも無い怒りと敵意が漲っていた。 しばし視線が交差する。
ゴルネオは小さく「畜生……」と呟き、やがて両手から力を抜いた。

「俺の負けだ」

それを聞きとり、審判が声を張り上げる。

「試合終了! 勝者、レイフォン・アルセイフ!!」

わっ、と観客の間で大きな歓声が上がった。 司会が熱の入った声で何がしか叫んでいる。
レイフォンはそれを聞きながら、刀を引いて後ろに退がった。 
立ち上がったゴルネオと形式通りの礼を交わし、お互い背を向けて離れる。
その途中、鋭い敵意の視線を感じて微かに振り返った。
すでに視線は逸らされていたが、それが誰のものかは考えるまでも無かった。

(近いうち、面倒なことになりそうだな……)

歓声の中出入り口に向かって歩きながら、レイフォンは内心で独りごちた。





























武闘会の表彰式も終り、レイフォンが帰る準備をしていた時、

「レイとんー! 優勝おっめでと~う!」

賑やかな声と共に、選手控室のドアが開かれた。
他に誰もいない室内で、丁度着替え終わったところだったレイフォンがそちらに振り向く。
思った通りミィフィがそこにいた。 後ろにはナルキとメイシェンもいる。

「……せめてノックくらいした方が良いと思うけど」

「いいからいいから。 早速打ち上げしようよ! ホラ、急いで急いで!」

一応注意したが反省の色はなさそうだった。
……まあいっか。

「ありがとう。 今行くよ」

レイフォンはベンチの上の荷物を肩に掛け、ドアへと向かった。
控室を後にし、建物の玄関ホールに向かって通路を歩く。

「試合すごかったね~。 あ、これ賭けの取り分。 大勝ちだよ~」

ミィフィがお金をレイフォンに渡す。 かなりの金額だった。

「じゃ、どこかで美味しいものでも食べながら打ち上げしますか!」

「そうだな。 どこにする?」

「どこでもいいよ。 僕がおごるから」

「いやそれは……今日の主賓なのに」

「いいじゃんナッキ、折角だしごちそうになろうよ。 今日のレイとんはお金持ちなんだし」

「いやそうは言ってもな、なんと言うか常識的に考えて……」

ナルキとミィフィが言い合う中、メイシェンがレイフォンを見上げて遠慮するように問う。

「えと……いいの? 試合で頑張ったのはレイとんなのに」

レイフォンは笑って返す。

「全然構わないよ。 今回の武闘会で随分と懐も暖まったし。 それに悪銭身に付かずって言うしね、こういうお金は早めにパーッと使っちゃった方がいいと思うから」

所詮はあぶく銭だ、さほど執着は無い。 賭けに参加したのもあくまでお遊びであり、賑やかな祭りの雰囲気に乗ってみただけだ。 
奨学金のおかげで昔のように生活が困窮しているということもないし、他にお金を使う予定も無い。 
普段レイフォンがあまり贅沢な暮しをしないのは、ただ単に無駄なことにお金を遣いたいとは思わないだけだ。 意識的に倹約している部分が無いわけではないが、それほど頑なでもない。 
逆に言えば、友達と食事を楽しむための費用はレイフォンにとって無駄ではないということでもある。 この3人がそれくらい大切な友達なのは確かだ。

4人で話しながら玄関を通り抜ける。
丁度外に出たところで、知った顔と出会った。

「あ、」
「む、」
「おっ」

そこにいたのはニーナとシンだった。 傍にもう一人、ツナギを着た見覚えの無い少年もいる。

「レイフォンか、決勝戦は見せてもらった。 優勝おめでとう。 それで、そちらの3人は?」

真っ先にニーナが口を開いた。 シンもこちらに向き直る。

「クラスの友達です。 武闘会に出場するって言ったら試合を見に来てくれて」

「へぇ。  女の子の応援たぁ羨ましいねぇ」

「君がレイフォン君か。 話には聞いているよ」

ツナギを着た少年がこちらに近寄りつつ言う。

「えっと、あなたは?」

「ああごめん。 僕は錬金科3年のハーレイ・サットン、第十七小隊の錬金鋼整備を担当してる。 君のことはキリクから聞いていたんだ」

「キリクさんから?」

「あいつとは同じ研究室で合同開発チームを組んでいるんだ。 君も何回かうちの研究室に来てたでしょ。 顔合わせるのはこれが初めてだけど」

そういえば錬金科は研究室を共同で使って個人的な開発を行うと聞いていた。 レイフォンが顔を出した時はいつもキリク一人しかいなかったので、てっきり彼個人の研究室かと思っていたのだ。

「最近キリクのヤツはしゃいでいたからね。 まあ、傍から見ればいつも通りの不機嫌面だけど、普段以上に錬金鋼の開発に乗り気だったし、昨日も一日中新型錬金鋼の研究に勤しんでいたんだ。 どうも新しい発見があったみたいでね、近いうち君に協力を頼むことになるかもしれない。 それから、」

「あのう……」

このままでは延々と話し続けそうだったため、意を決したナルキがそれを止めた。

「積もる話もあるかもしれませんけど、あたしたちこれから打ち上げに行くつもりなんでこの辺で」

「ああ、すまなかったな」

ニーナが謝りながらハーレイの服の後ろを掴んで引っ張った。

「邪魔して悪かった。 色々訊いてみたいこともあったが、それはまた次の機会にしよう。 ではまたバイトでな、レイフォン」

「あの!」

と、ここでミィフィが後ろから乗り出して来た。

「もしよかったら、打ち上げ一緒に参加しませんか?」

ニーナが驚いたような顔をする。

「いやしかし、関係の無い人間が邪魔するのは……」

「でもレイとんとは知り合いなんですよね? なら大丈夫ですよ。 わたしもニーナ先輩とシン先輩に訊いてみたいことあるし、それに人数が多い方が盛り上がりますから。 レイとんも、いいよね?」

「僕は別に構わないけど……」

言いつつ、メイシェンとナルキの方を見る。

「あたしも構わないぞ」

「あの、私も……」

二人とも了承する。 人見知りのメイシェンまでそう言うのであれば、特に反対する理由は無い。

「んじゃ、お言葉に甘えて、参加させてもらうとしますか」

シンが明るく告げる。 ハーレイも乗り気だ。
それを見て、ニーナも遠慮がちに同意した。




七人が入ったのは、ツェルニで最も栄えている繁華街であるサーナキー通りの中でも、特に飲食店が多く並ぶ区画にある焼肉屋だった。 大食漢である武芸者が四人もいるため、追加注文がしやすく、なおかつ大声で盛り上がってもあまり迷惑にならない場所を選んだ。
レイフォン達は全員で座れる場所を探し、店の奥の机を囲んで座った。
適当に肉を注文し、それから各々飲み物を頼む。 さすがに未成年ばかりなため(ついでに真面目な武芸者が二人いるため)酒類を頼む者はいない。 シンも皆に合わせて酒は選ばなかった。
肉より先に到着した飲み物のグラスを掲げて、真っ先にミィフィが口を開く。

「それじゃあ改めて、レイとんの勝利を祝って、かんぱ~い!」

ミィフィの声に合わせて全員がグラスを持ち上げた。
それから皆で、運ばれてきた肉を熱した網に乗せていく。

「それにしても強いだろうとは思っていたが、あれほどとは思わなかったよ」

肉が焼けるのを待つ間、ニーナがレイフォンに話しかける。
それにシンが続いた。

「確かに驚いたな。 俺やニーナだけじゃなく、同じグレンダン出のゴルネオまで倒しちまうとは。 しかも試合を見る限り、ただ強いだけじゃなくて圧倒的に戦い慣れているように感じたんだが、どうなんだ?」

レイフォンは若干慎重に言葉を選びながらそれに答える。

「ええとまあ、それなりに。 グレンダンにいたころは結構試合とか出てたんで。 あ、グレンダンでは今日みたいな武芸の公式試合が頻繁に開かれるんです。 僕もそれに何度か参加したことがあって」

「成程。 噂通り、グレンダンは武芸が盛んなんだな。 正直言って、その歳でここまで強い奴は始めて見た」

「同感だな。 ところでだが、お前さんは誰に武芸を習ったんだ? それだけの腕なんだし、結構本格的な訓練を受けてきたんじゃないのか?」

「ええと、刀術に関しては型とか基本的な剄の扱い方なんかは父さんから。 他の人からも技とか戦い方を習ったり参考にしたりしてますけどね。 グレンダンには優秀な武芸者が多いですから、いろんな人の戦い方を見れますし」

「ん? しかしレイとん、お前確か……」

ナルキが疑問を感じたような顔になり、その後やや気遣わしげな顔で言葉を濁す。
しばしその理由を考え、やがて「ああ」とレイフォンはナルキの言わんとしていることに思い至った。

「父さんっていうのは養父、つまり孤児院の園長のことだよ。 うちの園長は結構手練の武芸者でね、武門の長、道場の師範もやってるんだ。 都市の隅っこにある、小さい道場だけどね」

ナルキだけでなく、メイシェンやミィフィも成程といった顔をしていた。 近所の道場に通っていたことは以前も話していたが、それは師範が養父だからでもあるのだと納得したのだ。
対してニーナ達は孤児という言葉にやや気まずい顔をする。 もともとグレンダンには孤児が多いためレイフォン本人はあまり気にしたことは無いが、やはり孤児という境遇は随分と特殊であり、同情の対象となるもののようだ。
空気が重くなりそうなのを察したのか、ミィフィが努めて明るい声で話題を進める。

「そういや昼休憩のときにも少しだけ話したけど、レイとんの習ってたサイハーデン流ってどんな流派なの? いかなる戦場でも勝利し生き残るーとか言ってたけど」

「ああ、それはあたしも訊きたかった。 流派は優秀なのに道場の規模は小さいとか、他の武芸者には受け入れられにくいとか言ってたけど、あれってどういう意味なんだ?」

「ん? ああ」

相槌を打ちつつ、レイフォンは網から肉を取り頬張る。
それを呑みこんでから、ナルキ達に向かって口を開いた。

「うーん、どんなって言うか……そもそもグレンダンには数えきれないくらい沢山の道場があるんだけど、基本的に道場の規模はその流派の歴史の長さと比例するものなんだよね。 規模が大きいもの、小さくても拡大に成功した流派が生き残るし、逆にいつまでも小さいままだと、その流派は自然と衰退して消えていくことになる。
グレンダンだと規模が大きい流派っていうのは、要は過去に強力で高名な武芸者を輩出したか、もしくは現時点で有名な武芸者が所属している武門ってことを意味するんだ。 実力主義のグレンダンじゃ、どの武芸者もひたすら強くなることを求めているから、必然的に門下生は実績のある武門に集まっていく。 逆に名の無い武門では門下生が集まらない。 交流試合で負けたりすれば入門希望者は減っていくし、道場主が汚染獣戦で戦死したりすると後継者不在で流派が潰れてしまうこともある。 自然、長年生き残る武門は規模が拡大していくことになるし、小さい流派は潰れたり新しく創られたりして次々と入れ替わっていくものなんだ」

そう言う意味では、グレンダンは武芸者にとって競争の激しい都市でもある。 強さこそがモノを言う社会。
より多くの門下を引き入れるためには武門の名を上げなければならないし、そのためには度々開かれる交流試合で勝ちぬくか、頻繁に起こる汚染獣戦で活躍しなければならない。 そしてそれができなければ衰亡していく。

「僕が所属していた武門、サイハーデンはそういった中にありながらも道場の規模に不釣り合いなほど長い歴史を持っていてね。 過去に高名な武芸者を出したことこそ無いけど、それでも途絶えることなく長年を生き残り続けている、グレンダンでも異例の流派なんだ」

そこで一旦グラスに口を付け、喉と唇を潤してから言葉を続ける。

「まあ歴史だけの流派だっていう見方もできるし、大抵の人はそう思ってるんだろうけどね。 実際、優秀な武芸者を何人も出してはいるけど、名前が都市中に轟くほどの強者は過去にいなかったらしいし」

「では何故そんな流派が存在し続けられるんだ?」

レイフォンの話に興味が沸いたのか、ニーナも横から訊いてくる。

「サイハーデンの流派が長年の間途絶えずに存続しているのには理由があるんです」

「理由?」

「技を受け継いだ武芸者たちの生存率が著しく高かったからですよ」

言い切った後、再び肉を取って口に入れる。
シンやハーレイも、肉を頬張りながらレイフォンの話に聞き入っていた。

「門下の数こそ少なかったけど、それでもサイハーデンの技を継承した武芸者は多くの戦場で生き残ってきた。 武芸者の死因の中でも最も多いのが汚染獣戦における戦死であるグレンダンでは、はっきりいって異常なくらい、サイハーデン流の武芸者には死者が少なかったんです」

だからこそ、小さな武門でありながらこれまで途絶えることなく存続してこれたのだ。 
皆が驚きを顔に浮かべる中、レイフォンは言葉を続ける。

「そもそもサイハーデン流というのは、人に汚染獣に、普通の武芸者が勝利し生き残ることを目的として、常に戦うことに創意工夫してきた流派なんです。 戦場の刀技であり生き残るための闘技。 いかなる相手、いかなる戦場でも生き残ることを主眼に置いた流派、それがサイハーデン流の刀術です」

「生き残るための闘技……」

感心か驚きか、レイフォンには分からない感情をこめてニーナが呟く。

「有名なところだと、グレンダン出身の武芸者で構成された集団、サリンバン教導傭兵団なんかがありますね。
 人伝に聞いた話ですけど、サリンバンの中核を成している武芸者はサイハーデンの使い手が多いと聞いています。 加えて現団長のリュホウ・ガジュという人は、父さんの兄弟子だったそうです」

「サリンバン教導傭兵団!?」

ニーナだけでなく、シンとナルキも顔に驚きを浮かべていた。
それもそうだろう、サリンバン教導傭兵団といえばグレンダンの外でも有名な集団である。 いや、むしろグレンダンの名を世界に知らしめた者たちこそサリンバンの武芸者たちだ。
都市間を専用の放浪バスで行き来し、行く先々の都市で雇われて汚染獣と戦い、また都市間戦争に参加する。 時にはその都市の武芸者たちを鍛える役目も担う。 それがグレンダン出身の武芸者たちで構成された傭兵集団、サリンバン教導傭兵団だ。
他都市との交流の少ない槍殻都市グレンダンの名が武芸の本場として世に知られているのは、彼らのはたらきによるところが大きい。 ニーナたち武芸者ならば、その名を1度くらいは聞いたことがあっても不思議ではない。

「そんなにすごい武門なのに、どうして規模が小さいんだい? もっと有名になっても良いと思うんだけど」

ハーレイが不思議そうに問う。 それにレイフォンは苦笑しつつ答えた。

「武門の伝える技や、それを扱う武芸者こそ優秀ではあったんですけど、流派の持つ精神性が他の、特に典型的な思考を持つ武芸者たちに受け入れられにくかったんです」

「精神性?」

「理念というか信条というか、とにかくそういったものですね。 サイハーデンでは、戦いで勝つことよりも生き残ることに重きを置いているんです。 けどそういった考え方は普通の武芸者、特に命を懸けて汚染獣と戦うことこそ武芸者の誇りであり、武芸者のあるべき姿だと考えている人たちにとっては納得のいかないものらしいんですよ」

グレンダンの武芸者は、命懸けで都市を守ろうという意識こそ強くないものの、それでもやはり他都市の典型的な武芸者と同じような考え方をする者は多い。 すなわち、武芸者とはこうあるべきだという、誇りや名誉を重んじる考え方だ。 
武芸者とは命を懸けて汚染獣と戦う存在。 外敵の危険に対する意識の薄いグレンダンにおいても、その考え方は変わらない。 仮に本心ではそう思っていなかったとしても、体面上はそう言い張る者が多い。
そしてだからこそ、サイハーデン流は他の武芸者たちに受け入れられにくいのだ。 

「成程、確かに武芸者の中でもお堅い考え方の奴には受けが悪そうだな。 特に命懸けで戦って戦場で死ぬことこそが名誉だって考えてるような奴にとっては不愉快なのかもしれねぇな」

シンが得心がいったという顔で頷いた。

「確かにな。 非難する気は無いが、正直私もあまり共感できそうにない考え方であるのは事実だ」

ニーナが少し言いにくそうに告げる。 確かに、ニーナのような典型的な武芸者思考の者にとってはあまり納得のいかない理念だろう。
レイフォンは特に気を悪くすることはなく、ただそのことに納得した。 価値観は人それぞれだ。

「まあそれは置いといてだ」

と、ここでシンが話を変える。

「ところでだけどよ、お前が試合で使っていた技には見慣れねぇものも多かったんだが、あれもサイハーデンの技なのか? 決勝で使った分身みてぇなやつとか、刀を飛ばして操ってたのとか」

ナルキも決勝の試合を思い出す。 確かにレイフォンは見たこともないような技を使っていた。
ゴルネオに刀を弾き飛ばされた時、ナルキはさすがにレイフォンも負けたかと思った。
しかし驚くことに、レイフォンの手から離れた刀は突然空中で静止し、そしてどうやったのか、さながら見えない手で握られているかのように、ひとりでに宙を舞ったのだ。
滑空するように飛来した刀は、レイフォンへと突進するゴルネオの後頭部を死角から柄頭で打ち据えた。 打たれたゴルネオが膝を突き足を止めたところで、今度はレイフォンが徒手空拳で仕掛ける。 さらに実体を持った分身による多方向からの攻撃の後、空中に浮いていた刀は再び宙を舞い、レイフォンの手へと戻っていた。

「ええと、いえ、あの分身技は父さんじゃなくて別の人から教わったんです。 飛刀術の方は技と呼べるほどのものじゃないんですけどね。 どちらかというと序の口というか基礎レベルの技術ですし」

やや考え、少しだけ嘘をつく。 分身技、千人衝の方は、実際には教わったのではなく、グレンダンの使い手が技を使用するのを見て仕組みを理解し、独力で覚えたものだ。
手元から離して刀を操る技の方は、また別の使い手から学んだ技術をレイフォンなりに応用したものだが。 

「いったいどんな技なんだ? グレンダンの流派の技なんだよな?」

「ええ、まあ。 化錬剄と格闘術を複合させた技なんです。 難易度が高くて、僕じゃ本来の使い手の十分の一の効果も発揮できませんけど」

「そりゃすげぇ、あれで十分の一とはな。 んじゃ俺との試合で使ってた、刀の一撃で足場を崩す技はどうやったんだ?」

「あれは別にあの一撃で足場を崩したわけじゃありませんよ。 すり足移動の際に足から武器破壊系の衝剄を極低い威力で放ち続けて地面を脆くして、最後の一撃で連鎖的に崩壊を引き起こしたんです」

「なーるほどねぇ」

興味深いのか、いつのまにかシンだけでなくニーナやナルキといった武芸者二人も熱心に聞き入っていた。

「では私との試合で最後の方に使ってた技はどうやるんだ? 鉄鞭で打った時、まるで鋼鉄の壁を殴ったかのような手ごたえだったのだが」

「ああ、金剛剄ですね」

「金剛剄?」

「グレンダン最硬の防御力を誇る武芸者の使う、高等防御系剄術です。 本家本元の使い手はこの技で大型汚染獣の牙すらその身で受け止められるくらいの防御力を持っています」

「レイフォン君、そんなすごい技が使えるの?」

「高等といっても、技の仕組み自体はかなり単純ですから、覚えるだけなら結構簡単なんですけどね。 使いこなそうと思ったら少し大変ですけど。 僕じゃオリジナルの足元にも及びませんし」

「へぇ」

ハーレイが納得する。
一方ニーナはしばし考えるような仕草を見せた後、改めてレイフォンに向かって口を開いた。

「レイフォン、こんな場でこんなことを頼んで申し訳ないのだが、できればその技を私に教えてはくれないだろうか? 私の渾身の一撃をいとも簡単に防ぎきるあの防御力、本来防御主体で戦う私にとってはどうしても必要な技なんだ。 だから頼む、金剛剄とやらを私に教えてくれ」

言って、深く頭を下げる。
その様にレイフォンは面食らうが、やがてニーナが本気で頼んでいるのだとわかり、しばし思案する。

(人に教えるっていうのはあまり得意じゃないけど、一度くらいは経験しておいてもいいかもしれないな)

自分の中で答えを決め、口を開く。

「分かりました。 いつにしますか?」

ニーナは一瞬嬉しそうに顔をほころばせ、それから真面目な顔を作り思案した。

「そうだな、さすがに私が技を会得するまで毎日付き合わせるわけにもいかないし……放課後の小隊訓練の時間、バイトなどの予定が無くて時間に空きがある時に練武館で教えてくれないだろうか? もちろんお前の予定は尊重するし、無理を言うつもりは無い」

「了解しました。 じゃあ3日後か4日後あたりどうですか?」

「そうだな、では……」

ニーナとレイフォンはしばらく話しあい、訓練の予定を決める。
それが終わると、再び肉を食べながら雑談に興じていった。














「ごちそうさん。 悪いね、後輩なのに奢らせちまって」

「いえ、気にしないでください。 丁度、臨時収入もありましたし」

焼き肉屋の支払いはレイフォンが持った。 武闘会の賞金と、ニーナたちには言っていないが賭けで大勝ちした分の金もある。 ここの支払いくらいは訳無い額だ。

家の方向が違うので焼き肉屋の前で別れ、それぞれ個別に帰路に就いた。
レイフォンはぼんやりと空を見上げながら、すっかり暗くなった夜道を歩く。 家に近付くにつれ、周囲の建物の数は減っていき、辺りはさらに暗さを増していく。

大人数で賑やかにしゃべりながら食事するというのは随分と久しぶりな気がした。 孤児院にいた頃は毎日のように賑やかな食卓を囲んでいたものだったが、ツェルニに来る一年ほど前からは義理の兄弟たちとも疎遠になっていたのだ。
ニーナに技を教える約束をした後も、今日の試合での戦い方やグレンダンでの修練方法、得意な技などについて色々と質問された。 レイフォンは周囲の興味津々な様子にややたじろいでいたものの、答えられる範囲でその質問に答えていった。
さらにミィフィが小隊員二人に質問したり、ハーレイがレイフォンに向かって専門的な錬金鋼談義を始めて周りが辟易したりとしたが、概ね楽しい時間を過ごせたと思う。


家に到着し、部屋の明かりを付ける。
戦闘衣を洗濯かごに放り込み、浴場で風呂の準備をする。
風呂が沸くまでの間、リビングで試合に使った錬金鋼の点検をする。 わずかだが疲労していたので、近いうちにキリクのところへ持って行ってメンテナンスを頼もうと決めた。

やがて風呂が沸いたので、レイフォンは錬金鋼をテーブルに置き、ついでに今日手に入れたお金の残りもテーブルの上に放ると、あくびをしながらリビングを出る。
満腹感と心地よい疲労感に、今夜はよく眠れそうだと思った。






















あとがき

前回から結構時間が空いてしまいましたが、なんとか更新できました、嘘吐きです。
できればもっと早く更新したかったのですが、大学の論文やらレポートやらテスト勉強やらで時間が無かったもので。
特に論文は、終わった後しばらくキーボードに触るのも嫌になるくらい大変でしたから。遅くなったのはそれが一番の原因ですね。できればもう二度と論文は書きたくありません(無理でしょうけど)。

さて、今回はようやく武闘会編の終了です。次は原作の2巻のストーリーに入っていくことになりますね。
色々と原作とは変更しているところもあるので、そういったところも楽しんでもらえれば嬉しいです。



[23719] 15. 訓練と目標
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2011/02/20 03:26


都市警察署、強行警備課オフィス。

「ふぅむ……」

「課長、どうしたんですか?」

書類片手に自分のデスクで難しい顔をしている男に、近くを通りかかった都市警察所属の女生徒、ナルキが声をかけた。
男は自分を見下ろす部下の顔を見上げると、苦い調子で口を開く。

「いや、今度の捕り物についてちょっと、な」

「ああ、例のキャラバンの」

捕り物と聞いて即座に思い当たる。

「今度の件は十中八九、荒事になるからな。 だが、正直こちらの戦力には不安がある。 向こうに武芸者が何人いるかは分からないが、ゼロということはありえんだろう。 対してこちらで動かせる武芸者はお前を入れてもわずか6人、しかも全員、対人戦の実戦経験はほとんど無い。 どうすればうちの戦力でホシを捕まえられるか考えていたんだが、良い案が浮かばなくてな」

「成程」

「小隊員の手が借りられりゃあ手っ取り早いんだが、連中はプライドが高い分、こういうことには非協力的だからな。 とりあえず放浪バスの出発を遅らせて時間を稼ぐつもりだが、それだけじゃ根本的な対処にはならない。 なんとか向こうに対抗できるだけの戦力を集めなくちゃならんのだが、どうすりゃいいもんか……」

男はがりがりと頭を掻き、再び難しい顔で思案する。 それを見てナルキも何か案が浮かばないか考えてみるが、自分よりもはるかにやり手の上司が思いつかないものを、そう簡単に思いつくわけがない。
しばし無言で唸る二人を見て、話を聞いていた近くのデスクの女性、ナルキから見て先輩に当たる女生徒が彼女に向かって声をかけてきた。

「そういえばだけどさ、この間の武闘会で優勝した1年生ってナルキのクラスメイトじゃなかったっけ? 彼に協力を頼んでみるのはどう?」

それを聞いた男が顔を上げる。

「ナルキ、本当か?」

「え? ええ、そうですけど」

「そうか……」

男はまたわずかの間思考を巡らせ、再び顔を上げる。

「ちょいと訊くが、そいつとは親しいのか?」

「ええ、まあ。 友達同士ですし、クラスでもよく話します」

「友達なのか。 そりゃ丁度良い。 なら、悪いがそいつに協力を頼んでみてもらえないか? 何せ小隊員以上の実力者だ。 戦力としては申し分無いだろうしな」

「それは、でも……」

「ついでに今後も有事の際には協力してもらえるように頼んでみてほしい。 ちょうど武芸科の臨時出動員枠には空きがあるしな」

ナルキはなんとなく、それを自分が頼むのは卑怯なような気がした。
人の良いレイフォンなら、おそらく余程のことが無い限りナルキの頼みを断りはしないだろう。 しかしだからこそ、友人という立場を使って彼に物を頼むのは気が引ける。
だが現在都市警は人手不足であり、さらに今度の件にはレイフォンの助けが必要であることもわかっている。 ならばやはり協力を要請すべきだとも思う。

「ま、いちおう声をかけておいてくれ。 こっちでもできるだけ対策を考えておくから」

「……わかりました」

ナルキはまだ少し迷っていたが、結局は不承不承了解した。

「ああ、頼んだぞ」

















「というわけなんだがレイとん、どうだろう? 力を貸してもらえないか?」

「わかった、いいよ」

「もちろん迷惑なら断ってくれても構わないし、引き受けてくれるとしてもできる限りレイとんの都合に合わせるようにする。 ギャラの方も極力……って、え?」

「だからいいよ。 その都市警の……臨時出動員、だっけ? 引き受けても構わないよ」

朝教室に入り挨拶もそこそこに持ち出された話に対し、レイフォンは軽い調子で答える。 そのことに、ナルキはかえって戸惑ってしまった。

「いや、あたしの方から頼んでおいてなんなんだが、1日2日考えてからでも遅くはないんだぞ? 危険な仕事だし、その割に特別給料が良いわけでもない。 それに臨時出動というくらいだからいつ呼ばれるかもわからないんだ。 ただでさえ機関部清掃のバイトで生活が不規則になってるレイとんにこんな仕事を頼むのは迷惑なんじゃないかと思ってたんだけど」

上司に言われダメもとで頼んでみたのだとナルキは言う。
それに対しレイフォンはあくまで簡単そうに言葉を返した。

「危険な仕事にはグレンダンで慣れてるし、今のところお金には困ってないよ。 機関掃除も、上の人に話を通しておいてくれれば問題無いと思うしね。
何より友達が困ってるんだから、力を貸すのは当たり前だよ。 僕にできることがあるのなら何でもする。 とは言っても、僕にできることなんて戦うことくらいだけどね」

捜査の手伝いとか頭使う仕事じゃ力になれないかもしれないと、苦笑気味に付け足す。
最後の方だけやや自嘲的な言葉だったが、声の調子は軽く、表情に陰は無い。 まるでちょっと自虐的な冗談を言ってみたという感じだ。
それを見て、ナルキはやや肩から力を抜いた。

「そうか、助かるよ。 正直に言うと、うちは今深刻な人手不足でな、レイとんに手伝ってもらえるなら非常に助かる」

「別に何てことないよ。 ナッキにも、メイやミィにも普段から世話になってるからね、こういう形ででも返せるなら僕としても嬉しいよ。
それに実戦の勘を鈍らせないようにするには丁度良いし、治安を維持するのは僕にとっても好都合だからね。 犯罪者を野放しにして前みたいな事になるのは嫌だし」

それを聞いて、ナルキは都市外の武芸者とレイフォンが戦った時のことを思い出した。 今回も、何だかんだ言って引き受けた本当の理由はメイシェンやミィフィといった友達を守るためなのかもしれない。 
そう思うと、ナルキとしても嬉しく感じる。
と、そこで1限目のチャイムが鳴り、生徒たちは各々の席へと戻る。

「じゃ、詳しいことはまた後で話すから」

「わかった、それじゃ」

教室に教師役の上級生が入ってきたので、レイフォンとナルキもそれぞれの席に戻った。






























「それで都市警のバイトも引き受けたのか?」

レイフォンの手の中にある錬金鋼につないだ計器の動きを目で追いながら、キリクが口を開く。
錬金科研究棟の彼の研究室の中で、レイフォンは乱雑に散らかった室内を見回していた目をキリクへと向ける。

「ええ、まあ。 武闘会の時に感じたんですけど、正直グレンダンの頃よりも腕が鈍ってたんですよね。 腕というよりも勘とか精神的な部分の方が鈍ってる感じですけど。 だから錆落としに丁度良いかなって思ったんです。 小遣い稼ぎにもなりますし」

キリクはもうすでにレイフォンが学生武芸者の範疇を大きく超えた実力者であることは知っている。 汚染獣戦の時や武闘会での錬金鋼は彼が用意してくれたものだ。 キリクほどの技術者にとっては、使用後の錬金鋼を調べるだけでレイフォンの強さ(少なくともその戦闘でレイフォンが発揮した力の程度)を推し測ることができるらしいので、レイフォンもキリク相手には自分の実力を必要以上に隠そうとはしない。 もしまた汚染獣と戦うような事態になれば彼の協力が必要不可欠だからだ。 いざという時のために、こちらの能力をしっかりと把握しておいてもらった方がレイフォンとしても助かる。
……まあ、彼はあまり(というかとても)社交的とは言えない人種なので、知られたところで他の人間に広まったりはしないだろうというのもあるが。

「武闘会で優勝しておきながら腕が鈍っていた、か……他の武芸科の連中に聞かれたら憎まれそうなセリフだな。 おまけに都市外の武芸者との戦闘を錆落としに丁度良いとは、つくづく舐めた事を言う奴だ。 余程自分の実力に自信があるんだな」

「そりゃ、いちおう自信はありますよ。 これでもグレンダンでは毎日のように命懸けで戦ってましたからね、はっきり言って学生武芸者との訓練は生温く感じるくらいです。 たまには実戦も経験しておかないと戦いの勘は鈍る一方ですし。 まあ、以前は錆付くのに任せておくつもりでしたけど、今はちょっと無視できない理由もありますからね」

レイフォンはもともと武芸を捨てるためにツェルニへ来た。 幼少のころから鍛え続けていた技も力も、時間と共に錆付いてゆくのに任せるつもりだった。 
しかしもうそんなわけにはいかない。 メイシェンを、ミィフィを、ナルキを、そして彼女たちと過ごす時間と空間を守るためにも、レイフォンは戦うと決めたのだ。 
そして戦う道を選んだからには自己鍛錬を欠かすわけにはいかない。 いざという時に錆びたままの腕で戦って取り返しのつかないことになったら悔やむに悔やみきれない。 だからこそ自身の力を出来る限り高めておきたい。 都市戦だけではない、前回のように汚染獣が再び襲ってこないとも限らないのだ。

「しかしなぜまたそんな仕事をする? お前ならそんな仕事せずとも、小隊にでも入れば助成金なり報奨金なりで良い暮らしができそうなものだが」

「ええと、それは……」

「小隊員になれば普通の武芸科生徒よりもレベルの高い訓練ができるだろう。 小隊に入るつもりはないのか?」

すでに色んな人から幾度となくなされた問いだが、やはり少しだけ答えに窮した。
しかしそれでも、しっかりと自分の意思を述べる。

「小隊に入るつもりはありません。 都市戦に勝ちたいという気持ちもこの都市を守りたいという気持ちもありますけど、そのために、必要以上に自分を犠牲にするつもりはありませんから。 
それに僕みたいな人間は小隊員には向きませんよ。 僕なんかが小隊に入ったら絶対に迷惑をかけることになると思いますし」

やはり小隊には入りたくない。 武芸科の中に自分を固定する居場所を作りたくないのだ。
再び武芸を捨てたいと感じた時に、それができなくなるかもしれないから。
そしてそんな覚悟で戦場に出たら、命を落としてしまうかもしれないからだ。

「……そうか」

キリクは少しの間レイフォンの顔を見据えていたが、やがて計器に目を戻した。
それに、とレイフォンは思う。
どんなにレベルが高いと言ったところで所詮は学園都市の訓練だ。 錬金鋼には安全装置が設定されているし、本当の意味で殺意と殺傷力を持って戦う人間はいない。 そしてそんな場所では実戦の空気を感じ取ることはできない。
都市外から来た武芸者、特に犯罪者は基本的に他人を傷つけることに抵抗を持たない。 おそらくその都市の警察などが立ち塞がれば悪意と殺意を持って応えるだろう。 レイフォンからすれば小隊の訓練や対抗戦などよりも遥かに実戦的だとすら思う。
そんなことを考えながら、何気なく手元に視線を落とした。

「……それはそうと、これ……なんですか?」

レイフォンは先程からずっと計器に繋がった錬金鋼に剄を送り続けていた。
その計器から目を離すことなくキリクは答える。

「少し確かめたいことがあってな。 お前の剄力を計っている」

「はぁ……」

よくわからないままに、レイフォンは錬金鋼に剄を流し続けた。 
しばらくして、再びキリクが口を開く。 人付き合いを好まないらしいキリクがこれほどたくさん話すのは珍しい、とレイフォンは思った。

「随分と剄の総量が多いな。 収束も凄まじい。 これなら青石(サファイア)か白金(プラチナ)の方がよかったんじゃないか? そっちの方が剄の伝導率は上だぞ」

「そうなんですか? グレンダンにいた頃はずっと鋼鉄錬金鋼(アイアンダイト)を使ってましたから、そういうのはあんまり分からないんですよね。 どっちみち全力は出せませんし、だったら刃物としての性能を追求した方がいいかなって思ってたんで」

「全力が出せない? どういうことだ?」

キリクが訝しげな顔をする。
レイフォンは彼がなぜそんな反応をするのが分からなかったので、ありのままを答える。

「大抵の錬金鋼は僕が全力で剄を送り込むと許容量を超えて壊れちゃうんですよね。 だから普通の錬金鋼で戦う時はいつも剄量を加減してるんです。 戦場で得物を失ったら終わりですからね。 白金や青石は鋼鉄よりはましかもしれませんけど、全力出したら結局は壊れてしまうと思いますし」

「……成程な。 そういえばこの間お前に渡した弓型錬金鋼を調べたら赤熱化していたが、あれは剄の過剰供給のせいだったのか。 道理でアレが使えるはずだ」

アレというのは汚染獣戦で使った機関砲のことだろう。 確かに、あんな武器を使える者がそうそういるはずもないし、使うには相当の剄量が必要になる。 それを苦も無く扱えた時点でレイフォンはすでに規格外の強者だ。
剄の過剰供給によって錬金鋼が壊れるというのは、理論上はともかく実際に起きた前例が少ないので、直に見た事の無いキリクにとっては少々信じがたいことではある。 しかし、前回調べた弓型錬金鋼が外ではなく内側から壊れかけていたことから考えて、そういうこともありえるだろうとキリクは納得した。

「ん? 普通の錬金鋼?」

「あ、」

レイフォンがしまったという顔をするが、キリクは構わずそこを追求する。

「つまりグレンダンには普通じゃない錬金鋼が存在するということか? お前の剄量でも壊れないような錬金鋼が」

レイフォンはしばし迷う様な素振りを見せた後、言葉を選ぶようにして問いに答えた。

「えっと、まあそんなところです。 詳しいことは分からないんですけど希少金属でできてる錬金鋼らしくって、どんなに剄を流し込んでも壊れないんです。 グレンダンには時々普通の錬金鋼じゃ全力を出せないような剄量を持って生まれる武芸者がいますから。 とはいえかなり貴重な物なんで誰でも使えるわけではありませんけど」

「ほう……。 一度お目にかかってみたいものだ」

それだけ言うと再び口を閉じる。 あとは作業が終わるまで計器のほうに意識を向けていた。
レイフォンの態度からそれだけではないと気付いているのかもしれないが、それ以上は追求してこなかった。

「よし、もういいぞ」

やがてキリクが終了を告げ、剄の供給を止めるように言う。
それから彼は計器に観測したデータを他の機会に入力し始めた。

「えっとそれじゃ僕、もう行きますね」

「ああ」

レイフォンは錬金鋼を基礎状態に戻し、荷物をまとめて部屋を出ようとするが、なんとなく気になってキリクに訊ねた。

「そういえば、結局これって何のためにやってたんですか?」

「新型錬金鋼の開発だ。 詳しいことはもう少し研究が進んでから教える。 その時にはまた実験に付き合ってもらうぞ」

「はぁ」

それくらいは構わない。 彼には色々と世話になっていることだし、その研究はレイフォンにとっても有益になりえるだろう。
キリクが自分の作業に没頭していくのを見届けてから、レイフォンはその研究室を後にした。
向かう先は小隊員専用の訓練場――練武館だ。






























小隊員用の訓練場、練武館。
そこでは大きな空間を防音・耐衝撃材質のパテントで仕切り、それぞれのスペースを各小隊にあてがっている。
その中の第十七小隊に割り当てられた空間では、他とは随分と違った訓練をしていた。

「うわっ」

バランスを崩したニーナが派手に尻餅をつき、痛みに顔を顰める。 転んだ際に足元に転がった硬球を弾き飛ばしてしまった。

「おいおい、大丈夫か?」

床に転がる硬球の内一つの上で立ったまま、シャーニッドが声をかける。 ハイネも少し離れたところで苦笑していた。
ニーナは痛みに呻きながらもそれに答えた。

「ああ、大丈夫だ。 しかしお前は随分と覚えるのが早いな」

「ま、そりゃ俺はばれないように移動するのに普段から色々と気を遣って動いてるからな」

飄々と答えると、シャーニッドは硬球から硬球へと移動を始めた。 とはいえ、まだ少しぎこちない。 それを見ながらニーナも再度挑戦する。
現在彼らが行っているのはレイフォンから教わった剄の基礎訓練方法だ。 活剄の流れで筋肉の動きを制御してバランスを取ることで活剄の基本能力を高め、同時に武器に剄を流す要領で足元のボールにも剄を流し転がるのを防ぐことで衝剄の訓練を行う。 ただ硬球の上に立っているだけならさほど難しくもないが、その上を移動しようと思ったら、硬球から硬球へと移るたびに剄を練り直さねばならないため非常に難しく、結果的に活剄と衝剄を同時に鍛え、剄を効率的に扱う訓練になるのだ。
彼らが転んだり、ボールの上でふらふらしながらバランスを取っている様を同じくボールの上に立ったレイフォンが見守っていた。 こちらは足元のボールも微動だにせず、移動しても硬球はその場からほとんど動かない。 それだけでも、レイフォンとニーナたちの間で熟練度に大きな差があることが分かった。

「それはそう…と、いつに、なった…ら、金剛剄を、教えてくれ、るのだ?」

ニーナが硬球の上でバランスを取るのに苦労しながらレイフォンに声わかけた。
そもそも小隊員でもないレイフォンがここにいるのは、武闘会で使っていた金剛剄という技を教えてほしいとニーナが頼んだからだ。 それをレイフォンは快く引き受け、こうして暇な時には練武館に顔を出して教えてくれることになったのだが、今のところ金剛剄を教えようとする素振りは見せない。
初めて練武館に顔を出した時に、レイフォンは正直にこう言ったのだ。

『ニーナ先輩に限ったことじゃありませんけど、はっきり言ってこの都市の武芸科の人は全員基礎ができていません。 金剛剄を教える前に、武芸を学ぶ上での最低限の基礎能力を身につける必要があります』

もちろん仮にも小隊員だ。 未熟であると自覚はしていても、長年武芸の修練を積んできたという自負がある。 基礎訓練には特に時間と精力を割いてきた。 にもかかわらず、基礎がまるで出来ていないと言われるのには、多少なりとも反感を感じた。
しかし、続く言葉にその反感も押さえこまれる。

『汚染獣戦の時、たった数時間の戦闘だったはずなのにみんな随分と疲労していたでしょう。 本来なら、あの程度の相手にそこまで疲労するはず無いんですよ。 達人レベルの活剄なら一週間、一か月は戦闘を続けられるはずですし、そこそこの実力でも三日は耐えられます。 たとえ学生武芸者であっても、基礎がしっかりと身に付いてさえいればまる一日くらいなら疲労で力が落ちることなく戦っていられたはずなんですよ。 それができなかったのは、初めての実戦で精神的負担が大きかったこともありますけど、それ以上に基礎能力が低すぎて非効率的な剄の使い方しかできていなかったからなんです』

その言葉にニーナはぐうの音も出なかった。
実際ニーナは戦闘の終盤の方では目に見えて動きが落ちていた。 肉体的な疲労もそうだが、倒しても倒しても一向に数が減らない敵に対する精神的な疲労の方が大きかった。 生徒会が持ち出した防衛兵器の起動があと少しでも遅れていたら、都市に甚大な被害が出ていたかもしれない。
しかし基礎さえしっかりとしていればそんなことにはならなかったという。

基礎能力の向上は大切、それはわかっているのだが、やはり今はできるだけ早く金剛剄を習得したいというのがニーナの本音だ。 なにせ小隊対抗戦はまだ序盤なのである。 ここで良い成績を残さなければ、小隊設立の際に迷惑をかけた人たちに申し訳が立たない。
そう思って訊ねてみたのだが、やはりレイフォンはまだ技について教える気は無いようだった。

「まずは基礎能力を高めることに集中してください。 金剛剄は単純な技ですけど、まともなレベルで使おうと思ったらそれなりに武芸者としての基本ができていないとだめです。 それは金剛剄だけじゃありません。 より強力な武芸の技を覚えようと思ったら、やはり土台となる基礎がしっかりしている必要があります。 逆に言えば、基礎さえしっかりしていれば大抵の技は習得できるはずなんですよ。 もちろん向き不向きはありますが」

レイフォンの言葉に、ニーナは溜息をついた。
これまでそれなりに必死でやってきたつもりだったが、レイフォンから見れば、それはまだまだ足りなかったようだ。 
気持ちを切り替え、硬球の上を移動する訓練に戻る。 見ためこそ地味だが、やってみるとかなり難しく、また非常に疲れる訓練だった。 毎回、終わる頃には全員へとへとになっている。

レイフォンに教わったのは硬球を使った訓練だけではない。
まず最初に教わったのは相手の剄を見ることだった。 肉体の動きと同時に剄の動きをも捉えることで、相手が技を繰り出す時にどういう剄の動きをしているのかを知ることができるというのだ。 レイフォンはそうやって相手の技の仕組みを見て取り、さらにそれを再現することによって相手の技を使えるようになるという。 実際、武闘会の時には初見であったはずのシンの技、点破を使って見せているので、嘘ではないだろう。

しかし、ニーナが実際にやっみようとしても上手くいかない。 方法を教わってからそれなりに練習してはいるものの、いまだに相手の剄を見切るところまではいかないのだ。
だが、これができるようになれば相手の技を盗むことができるだけでなく、戦闘中に敵が何をしようとしているのかをある程度読むこともできるようになるという。 
また、剄を読み取る能力が上がれば、視界の悪い中でも戦うことができるらしい。 実際武闘会では、レイフォンは煙幕に乗じて無音攻撃を仕掛けて来た相手の技を難なく防いでみせていた。

もちろん見ただけで相手の技が使えるというレイフォンは武芸者の中でも特別な存在なのだろう。 あの若さであれだけの実力を持つ者がそうざらにいるとは思えない。 しかし、その強さはやはり長年このような厳しい鍛錬を積んできた結果であることもまた確かだろう。
基礎の積み重ねこそが武芸の奥義に繋がる。 今になって考えてみると、レイフォンの武闘会での戦いぶりはそれを端的に表していたように思えた。


訓練時間が終わり、それぞれに練武館を出ていく。 ニーナとしては、できれば個人訓練にも付き合ってもらいたかったが、小隊員でもないレイフォンにそこまで頼むことはできない。

「では僕はこの辺で。 あ、それと剄息の訓練の方も忘れないでくださいね」

それだけ言うと、レイフォンは練武館を後にした。 基本的に訓練に不真面目なフェリやシャーニッドもいつの間にか消えている。
仕方なく、ニーナはハイネと二人で個人訓練を開始した。 とはいえ、言ってみればただの組み手である。 戦闘スタイルの違いから、自然とハイネが猛攻を繰り出し、それをニーナが防御するという形になっていた。
素振りなど型の確認をしたのち、何度か手合わせを行う。 それから各々の欠点を自己確認したり、互いに言い合ったりしてから個人訓練を終了する。 
二人は第十七小隊に割り当てられた空間を出ると、更衣室へと向かった。

「しっかしグレンダンってのはすげぇところだな。 あの歳であれだけの実力者が存在するとは。 おまけに武芸に関する知識もかなりのもんだ。 あんな訓練方法があったなんて今まで知らなかったぜ」

「ああ、それは私も同じだ。 おそらくグレンダンの武芸者が強いのは、戦うことに関して長年かけて創意工夫をしてきたことが一番の理由なのだろうな。 より強くなるために、技だけでなくそれを磨く方法をも次々と編み出し、昇華させてきたのだろう」

会話しながらも訓練は続いている。 剄息―――武芸者が剄を練る際に行う呼吸法―――の訓練だ。
レイフォンが言うには、戦闘中に必要以上に疲労するのは剄息に乱れがあるからだそうだ。 しかし疲れをごまかすために活剄を使っていれば乱れが出るのは当然である。 ならば最初から剄息を行っていれば、剄脈も常にある程度以上の剄を発生させるようになり、それに慣れれば剄を練る能力が上昇する。 ゆえに、常日頃から剄息を行っていれば自然と剄脈は鍛えられ、剄の量も、剄に対する感度も上がり、さらには剄を神経と同じように使えるようにもなるのだ。 最終的には、日常生活を剄息で過ごせるようになることが理想である、とレイフォンは言っていた。
剄脈こそ剄の基本、武芸科の教科書の最初の方に載っている説明文だが、レイフォンの提示したやり方はその内容以上のことを具体的に表している。

レイフォンに言われた通り、ニーナやハイネ、シャーニッドはここ数日、普段の生活でも剄息をしながら過ごすように心掛けていた。 最初の何日かはすぐに疲れてしまったり、体内で燃える剄を持て余すような感じがしたが、今ではある程度落ち着いている。 とはいえ、やはりまだ完璧とはいえない。 究極的には寝ている時も剄息なのだが、まだそこまでの段階には達していなかった。
だが自分より年下であるはずのレイフォンはすでにその域に達している。

武闘会で、小隊員の中でもツェルニ最強アタッカーと言われていたゴルネオを下したレイフォン、おそらくその実力はツェルニ随一だろう。 それにはっきりと聞いたわけではないが(レイフォンはあまり昔のことを話したがらない)、実戦の経験があるようなことも言っていた。 汚染獣との遭遇戦が異常に多いグレンダンの出身だということを考えれば、過去に汚染獣と戦った経験があると考えて間違いないだろう。
これまでのことを考えれば、レイフォンは熟練の、それも達人レベルの武芸者であることが窺える。
彼のような実力者が何故自都市を出たのかは気になるが、それは今はいい。 ただ言えるのは、彼がこうしてツェルニへと来たのは自分たちにとって限りなく幸運であるということだ。 せっかく訓練を付けてもらえるようになったのだ。 今の内に彼から学べることは可能な限り学び、彼と同じ領域に到達したいとニーナは思っている。

(まずはアイツに、レイフォンに追いついてみせる)

せっかく身近に丁度良い目標が現れたのだ。 まずはその域に達しなければならない。
それさえできれば、自分は今よりも強くなったと確かに実感することができるだろう。
ニーナは心の中で自分自身に強くそう言い聞かせた。





























あとがき

前回同様、随分と長く間をあけてしまい申し訳ありませんでした。
いちおうテストは2月上旬に終わったのですが、その後も身の回りがバタバタとしていたので、結局こんなに遅くなる始末に。
まあ、小説の新刊読んだり、買ったはいいけど読んでなかったやつを読んだり、映画のDVDを借りたりもしていましたが(実はそれが1番の理由かもしれない)。

それとこの作品以外にもう一作、思いついたやつをチマチマと書いたりもしていました。投稿するかは今のところ決めてませんが、なんとなく思い浮かんだ分だけでも残しておきたいと思ったので。

できれば今後はここまで遅くなることの無いようにしたいですが、これから免許をとったりもしなければならないので、再び忙しくなるかもしれません。なんとか頑張りますので、今後も楽しんでいただければ幸いです。



[23719] 16. 都市警察
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2011/03/04 02:28


頭痛がする。
カリアンは思わず額に手を当てて溜息を吐いた。
何故こうも連続して問題が発生するのか。 せっかく武闘会の効果もあって都市に賑わいが戻ってきていたというのに。
カリアンは疲れた顔で手の中にあった写真を机の上に投げ出した。

「それで、どうする? まずは小隊員達に知らせて対策を練ってから武芸科全体に布告するか?」

傍らにいるヴァンゼがカリアンに声をかける。
それに対しカリアンは、しばし黙考してから首を横に振った。

「その前に、まずは彼に相談してみようと思う」

カリアンの言う彼が誰なのか、すぐさまわかったのだろう。 
ヴァンゼは若干表情に渋みを含ませる。

「何か言いたげな顔だね」

ここ最近の過労のせいで若干疲れた顔色をしながらも、カリアンが面白がるような声を出す。
しかし、ヴァンゼはあくまで渋い顔のままそれに答える。

「確かに言いたいことはあるが、どうせ言っても無駄だろう」

「何を言いたかったか当ててみようか?」

「言ってみろ」

「いくら実力的に上とはいえ、仮にもツェルニ武芸科の上位集団である小隊員を無視して、ただの武芸科の一生徒、それも今年入ったばかりの新入生にだけ先んじて事実を伝えて助力を乞えば、小隊員達の立つ瀬が無いと言いたいのだろう?」

ヴァンゼが顔の渋みをさらに強くする。

「よくわかってるじゃないか」

「ふむ、しかしそれを言うのが無駄だと分かったということは、私がその言葉に対してどう返すのかも分かっているということだろう?」

「長い付き合いだからな」

「実際、彼はこの都市の誰よりも多くの経験と知識を持ち合わせているし、それを最大限に活かすだけの実力もある。 再びこの都市に迫ろうとしている脅威に対しても、彼ならば対処するための最良の方法を考えてくれるだろう。 少なくとも、他の武芸科生徒よりはね」

カリアンの言う他の武芸科生徒には、ツェルニのトップである小隊員達も含まれているのだ。
いくら学園都市で上位とはいえ、熟練の武芸者から見ればアマチュアもいいところなのだろう。
それは前回の汚染獣戦の時に嫌というほど思い知らされている。

「君たち武芸者にしてみれば、武芸者としての誇りや名誉は命よりも大切なのかもしれないが、生徒会長である私にとって最優先すべきは都市の存続であり都市民たちの命だ。 君たちのプライドや面目を保つために、都市を危険に晒すわけにはいかないのだよ」

「それは俺も理解しているし、納得もしている。 ……あくまで理屈の上ではだがな」

憮然とした様子のヴァンゼを、カリアンはあくまで笑みを浮かべたまま眺めていた。

































「うわっ」

赤い髪を跳ね散らしながら、相手が緩衝材の入った床に背中から倒れ込む。
派手な音が体育館の中に響いた。

「つぅ……」

「大丈夫?」

倒れた相手にレイフォンが手を差し伸べる。 ナルキはその手を掴んで起き上がった。
乱れた髪を直しながら、ナルキが苦笑気味に言う。

「しかし格闘術にはそれなりに自信があったんだが、まさか一本も取れないとはな。 少しばかり落ち込むよ」

「ナッキはできる方だと思うよ」

レイフォンは正直な感想を述べる。
実際、ナルキは一年生の中ではかなり上手な方だ。 体術だけなら上級生ともそれほど明確な差は無いとレイフォンは感じている。
ふと周囲の様子を見渡すと、ほとんどの一年生が三年生相手に、半ば一方的に打ち倒されていた。

今は武芸科のみの格闘技の授業だ。
複数のクラスの武芸科生徒が一緒になって、一年生と三年生の合同で授業を行っている。 基本的に一年生と三年生が組んで組み手をしているのだが、レイフォンだけは前回の武闘会で優勝したこともあって3年生たちが組むのを敬遠したため、この時間はナルキと組んでいた。

レイフォンが見る限り、一年生が三年生相手に勝っている姿は見受けられない。
と思っていると、一人の一年生が相手の三年生を床に叩きつけるところが見えた。
思わず意識がそちらへと向かう。

(あれは確か……)

長い黒髪を頭の後ろで結んだ髪型と、女の子と見間違いそうなほど端正で線の細い顔立ち。
その1年生の容姿には見覚えがあった。

「ん? あいつはレイとんと武闘会で戦ってた奴じゃないのか?」

ナルキもレイフォンと同じ方向を見て呟く。

「うん、確か予選で戦った記憶がある」

一年生の割にはなかなか強かったことを覚えている。 名前は確かフェイランとか言っていただろうか。
レイフォンが見ていると、彼は立ち上がった相手の三年生と再び組み手を開始した。 しかし相手の三年生はやや頭に血が上っているようだ。
フェイランは無駄の無い身のこなしで相手の攻撃を巧みに捌き、流れるような動きで打撃を打ち込んでいく。 その姿は一種の舞いのように華麗に見えた。
再び三年生が床に押さえ込まれるのを見て、ナルキが感心したように呟く。

「すごいな。 レイとん以外にもあんな奴がいるなんて」

レイフォンも素直に感心する。
実際、一年生とは思えないほどの腕だった。

「よし、こっちもそろそろ再開するか。 この時間中に少なくとも一本は取ってやる」

それに感化されたのか、ナルキが先程よりもやる気の滲む声で言う。
それに苦笑しながら、レイフォンも向かい合って構えた。

「きみ、ちょっといいかな?」

しかし、いざ始めようか、というところで後ろから声をかけられる。
振り向くと、そこには見知らぬ三年生がいた。 それも3人だ。
さらに、その三人の背後に数人の一年が囲むように立っている。 一年生の方はレイフォンに対して好奇の目を向けていた。
それに対して三年生の方は……顔つきや態度はともかく、纏う空気はあまり友好的とはいえなかった。

「なにか御用ですか?」

訊ねつつも、この種の空気には覚えがあった。 かつてグレンダンにいたころ何度も経験したものだ。
この後に起こることへの予感から、レイフォンの表情から感情が薄れていく。

「実は僕たち、先日の武闘会を観戦していてね、君の活躍にとても感動したんだよ。 それで、よければ僕たちに少しばかり手ほどきしてもらえないかと思ってね」

友好的かつ紳士的な口調や態度ではあるが、その裏に隠れた悪意や侮るような空気は存分に伝わってきた。
そしてレイフォンがそれに気付いていることも分かっているだろう。 あえて気付かせて、こちらを挑発しているのだ。
こういった手合いはグレンダンで慣れたものだった。

幼くして頭角を現し、幼少のころから様々な試合に出場して優勝していたレイフォンは、グレンダンでも随分と名の通った武芸者だった。
当然、そんなレイフォンに対して他の武芸者が抱く感情は限られてくる。
年少者であるとことへの見下し、自分でも勝てるのではないかという侮り、そしてそんな子供に追い抜かれているということへの嫉妬。
そんな感情を持った連中は一様にレイフォンに戦いを挑んできた。

「構いませんけど………三人同時に、ですか?」

「む……」

そしてレイフォンもまた、そういった輩への対処は一様であった。
すなわち、相手の挑戦を受けて立つこと。
言葉を濁してこの場をごまかしたところで、この手の輩は後を絶たない。 次から次へと、同じような連中が現れるだろう。
それこそキリが無いくらいに。
ならば力づくで分からせてやるべきだ。
そうすれば、少なくともこの三人は今後挑戦してこなくなるだろう。

「僕は三人相手でも問題ありませんけど」

このままでは前置きが長くなりそうだったので、あえてこちらから挑発してやる。
こういうことは、早めに終わらせるに限る。
予想通り、相手を軽んじるようなレイフォンのセリフに、三人の機嫌は目に見えて悪くなった。

「いいのかい?」

「その方が手早く済みますし、いちいち一人ずつ相手するのは面倒ですから」

「きみ、剣は持ってないみたいだけど?」

先程声をかけてきた真ん中の一人が引き攣った笑みで聞いてきた。
やや怒りを隠せなくなってきた相手に、レイフォンはあくまで淡々と答える。

「今は格闘技の授業ですし、なくて当たり前です」

「大した自信だね」

相手は怒りながらもあくまで紳士的な態度を保とうとする。

「自信ではなく、事実です。 それに剣なんて、あなた方相手では、あってもなくても大した違いはありません」

が、レイフォンはあえて挑発し、怒りに油を注いだ。
それで我慢が限界に達したのだろう。 三人は隠しようもないほどの怒りを表情に滲ませた。

「……わかった」

彼らの怒気を感じ取ったのか、周囲の野次馬たちが息を飲む。 ナルキもレイフォンから距離を開けた。
相手の三人は、それぞれレイフォンの正面と左右に移動する。
レイフォンは構えるでもなく、悠然と立ったまま一歩だけ後ろに下がり、三人が視界に収まるようにした。

「では……」

正面の一人が呟いた瞬間、左右の二人が同時に動いた。

「いくぞ」

言い終わる頃にはすでにレイフォンの至近まで迫っている。
内力系活剄による肉体強化。 二人は霞むような速度をもって、左右から挟み打つようにレイフォンへと肉薄した。
レイフォンから見て右から胴を薙ぐような蹴り、左から頬を撃ち抜く弾丸のような拳打が放たれる。
その同時攻撃に冷静さを失うこともなく、レイフォンは素早く持ち上げた膝で蹴りを受け止め、僅かに上体を後ろに反らすことで拳打を回避した。

さらに眼前を通り過ぎた拳打を左の手刀で側面から打ち据える。 体が泳いで体勢を崩した相手の首筋に、即座に翻した手刀を打ちこんだ。
間髪入れずに持ち上げた膝から凄まじい勢いで右脚を跳ね上げ、蹴りを放ったもう一人の腹に、今度は自分から強烈な蹴りを叩き込んだ。

「がっ」

「ごふっ」

わずか一瞬の攻防。
ほぼ同時に、二人が床に崩れ落ちた。 一人は昏倒し、もう一人は床で悶絶する。
レイフォンは倒れた男たちの姿を意に介することもなく、二人と時間差をおいて向かってきた三人目を迎え撃った。

正面の一人は顔を驚愕に歪めている。 あっという間に仲間が倒されたのが信じられない様子だ。
しかし今更止まることもできず、その男はこちらに向かってくる勢いのまま拳打を放った。
対してレイフォンは、真っ直ぐに放たれた拳を腕で逸らしつつ、半回転しながら相手の懐に入る。
そしてその円運動の勢いのまま、相手の鳩尾に強烈な肘鉄を打ち込んだ。

「ぐっ」

かすかな呻き声と共に三人目も床に崩れ落ちる。
わずかの間の静寂の後、わっ、と一年生たちから歓声が上がった。
レイフォンはほっと息を吐くと、無表情になっていた顔を緩めた。



















「いや~すごかったらしいね、レイとん。 三年生を三人同時に相手して勝つなんて、流石はツェルニ武芸科のナンバーワンだね」

昼休み、いつもの面子でメイシェンの作った弁当を囲んでいた時、ミィフィが興奮したように言った。
どうやら体育の時間に起きた一件のことを言っているらしい。 一体全体どこで知ったのか、相変わらず耳が早い。

「? 何かあったの?」

こちらはその話を知らなかったのか、疑問符を浮かべたメイシェンがミィフィに訊ねた。
ミィフィが嬉々とした様子でメイシェンに説明する。

「今日の武芸科での体育の時間なんだけど、三年生が武闘会で優勝したレイとんをやっかんで絡んできたらしいんだ。 組み手の時間だったから、名目上はあくまで手合わせって言ってね」

「へぇ」

「そんでもってレイとんが三人同時に相手したんだけど、これが圧倒的だったらしくって。 あっという間にその三年生全員がのされちゃったんだって。 一緒に授業出てた武芸科生徒の間ですごい評判。 いや~、わたしも直に見たかったなー……」

「あれは、少し感心しないな」

「え?」

と、ミィフィが話していたところに、ナルキが横槍を入れるように口を開いた。

「あの時の、レイとんの三年生に対する態度だ」

「……えっと?」

何か悪かったのだろうか。

「まるで挑発している風だったぞ」

「ああ、うん」

実際、挑発していた。 それも意図的にだ。

「もっと他にやりようや言いようがあったんじゃないか?」

「あー…、そうかな? あんまり考えた事無かったけど」

「たとえば相手するにしても一人ずつにするとか、仮に三人同時でも相手からそう言わせるとか。 あれではレイとんの方が悪者みたいだったぞ」

確かにそうかもしれない。
自分より弱い者を挑発して、憤って向かってきたところを上から潰す。 傍から見ればそういう傲慢な態度だったかもしれない。
レイフォン自身としては、別に相手を馬鹿にするつもりで挑発したわけでも、恥をかかせるために打ちのめしたわけでもなかったが。

ただ単に、面倒だっただけだ。
ああいった嫉妬や僻みに対して真面目に相手してやるのが億劫だった。
相手の口上を省くために挑発したのであり、三人同時に相手したのも長引くのが嫌だったからだ。
他人からどう見られているのかを、あまり気にしていなかったというのもある。

「あんまりそういうこと気にしたことなかったからね。 ああいうのはグレンダンにいた時もよくあったし」

グレンダンにいた時も、ああいった嫉妬や侮りの混じった挑戦をしてくる者たちは大勢いた。
そしてレイフォンはその悉くを受けて立ち、打倒してきた。 口で丸めこむのは苦手であったし、力づくで解決した方が手っ取り早かったからだ。
それに、ああいう手合はキリが無い。 いくら言葉を濁して争いを避けたところで、次から次へと現れる。
そんな連中を一々真面目に相手するのはひどく馬鹿らしい。

「それに挑発されたら乗ってやるのがグレンダンの武芸者の流儀でもあったからね。 挑まれたら受けて立つ、侮られたら叩き潰す、二度とデカイ口は叩かせない、っていうのがグレンダン流だし」

実際グレンダンでは、大抵の武芸者は挑発された時、それを無視することなどできない。
武芸者として、侮られることは不名誉であるだけでなく不利益でもあるからだ。 自身の流派の評判が落ちれば、武門を背負う者にとっては死活問題でもある。 
また、それぞれが自分の実力に相応の自信があり、プライドがあるからこそ、他者から軽視されることは我慢ならない。
強者たらんとする者は、弱者として見られることが許せないのだ。

グレンダンでトップクラスの実力者たちでさえ、挑発されればそれを無視することなどできない。 挑発を受け流して余裕を見せつけるよりも、挑発してきた相手の鼻っ柱をへし折る方を選ぶ。
戦闘はあくまで手段であると割り切っているレイフォンもその例外ではない。 名誉にも風評にも興味はないが、長年厳しい修練を積んできた、そして多くの実戦経験を経てきた者としての自負がある。
ゆえに、侮られることも見下されることも許容することなどできはしない。

「それならそれで別に良いんだがな。 あんな風に喧嘩売られて、力が信条の武芸者に大人しく引き下がれというのも酷だと思うし、わざと負けてやれなんて言うのは論外だ。 ただ、受けて立つにしてももう少し周囲に気を配った方がいいと思うぞ。 レイとんにとっては他人の風評なんてどうでもいいのかもしれないけど、周りにいる者は多少、困ることになるかもしれない」

そう言ってナルキがメイシェンを見た。

「わ、私は気にしないよ」

メイシェンが慌てて否定する。
だが、確かにレイフォンの行動は周りを顧みな過ぎたように思う。 目の前の問題を解決することを優先して、その後のことを全く考えていなかった。

「うん、ごめん。 考えてなかった」

だが、ここはもうグレンダンではない、実力だけが物を言う場所ではないのだ。 軽率な行動は、自らの立場を危うくしかねない。
それに自分はここに、学園都市に、新しい生き方を探しに来たのだ。
ならば今までのような力任せの方法ばかりではだめなのだろう。

レイフォンの力は、武芸の本場グレンダンにおいてさえ危ういものだった。
普通の都市、それも未熟者ばかりが集まる学園都市ならば尚更である。
自身の状況や立場を常に考えて行動しなければ、グレンダンの時よりも容易く居場所を失いかねない。

「まあ、レイとんが悪いわけではないからそんなに気に病む必要はないんだけどな。 ただ、これからはもっと後のことも考えた方がいいと思うんだ。 あたしも、友達が周りに悪く言われるのはあまり良い気分じゃないからな」

「うん、ありがとう」

レイフォンは素直な気持ちでナルキに礼を言った。

「ま、別に悪いことしたわけじゃないんだしさ、今回のことはあまり気にしなくてもいいと思うよ」

「うん、レイとんが気にすることない」

「……ありがとう」

礼を述べると、メイシェンが真っ赤になって俯いた。
それにこれは自分個人だけの問題ではない。 レイフォンがまずい事態に陥れば、この場の友人たちにまで害が及ぶ可能性すらあるのだ。 それだけは避けたい。
自分一人のリスクならばどうとでもなるが、彼女たちまでそんな目に遭わせるわけにはいかない。
レイフォンはかつての失敗を改めて胸に刻みながら、心中で独りごちた。
と、ここでナルキが話題の矛先を変える。

「ところで話は変わるんだが、前に言ってた都市警の仕事、今夜なんだけど大丈夫か?」

言われて、すぐに思い至る。 先日、ナルキに頼まれて都市警の臨時出動員として登録していたのだ。 近いうちに荒事があると聞いていたが、それが今夜になるらしい。

「うん、大丈夫だよ。 特に予定はない」

「そうか。 それじゃ、放課後あたしと一緒に来てくれないか? その時に詳しい説明をするから」

「ん、了解」

レイフォンは頷き、しばらく手つかずだった弁当箱に手を伸ばした。

























放課後、レイフォンがナルキに連れられてやって来たのは都市警察のオフィスだった。
中に入ったところで、こちらに気付いた一人の男が笑みを浮かべて近付いてくる。

「やあ、初めまして。 俺はフォーメッド・ガレン。 養殖科の五年で、都市警察強行警備課の課長をやっている」

名乗った男を見て、レイフォンは内心で首を傾げた。 その男の外見が、とても学生には見えなかったからだ。
背はあまり高くないが、がっしりとした体つきに大工か鍛冶屋と見紛うほどの太い腕、さらにその顔はやや厳つく、本人が口にした学年よりもはるかに老けて見える。 ぱっと見30代と言われても納得できそうな顔立ちだった。 学年からして、実際は二〇歳前後といったところだろうが。
とっつきにくそうな顔をしているが、根は悪くなさそうだとレイフォンは思った。
そんな心中を吐露することなく自分からも名乗る。

「レイフォン・アルセイフ。 武芸科の一年です」

「ああ、噂は聞いている。 今日は突然呼びだしてすまなかったな。 実は今、厄介な案件を抱えてるんだが、ちょいと人手不足なもので、君の力を貸してほしいんだ」

「わかってます」

「ではこれから詳しい説明をさせてもらう。 ナルキ、資料を持ってきてくれ」

ナルキが手渡した書類を見ながら、フォーメッドが説明を始めた。

「君には今夜行う捕り物を手伝ってもらいたい。 相手は都市外から来たキャラバンの一団だ」

言って、レイフォンに書類の中の一枚を渡す。 そこには今回の捕縛対象に関する情報が載っていた。
相手は二週間ほど前からツェルニの宿泊施設に滞在しているという、碧壇都市ルルグライフに籍を置く流通企業ヴィネスレイフ社のキャラバン――都市間を移動して商売を行う集団――だ。 このキャラバンは主に都市間での情報の売買を行っているらしく、ここツェルニでも、いくつかデータのやり取りをしたらしい。
だが、彼らの目的はそれだけではなかったのだ。

「キャラバン? その人たちが何をしたんですか?」

「情報窃盗だよ。 一週間前に農業科の研究室が荒らされる事件が起きたんだが、その際農業科のデータバンクに不正アクセスの痕跡が確認されたんだ。 しかも持ち出されたデータは未発表の新種作物の遺伝子配列表。 学園都市連盟での発表前の、これは立派な連盟法違反だ」

「でも、彼らが犯人だという証拠は?」

データチップは非常に小さい。 最小で爪ほどの物なのだ。
隠す方法なんてそれこそ無限大にある。 しかも、そのキャラバンが商品として扱っているのもデータだ。 彼らが持っていたとしても、証拠品を見つけ出すのは困難となるだろうと予想される。

「証拠ならある。監視システムの方も沈黙させられていたが、機械はごまかせても生の人間の目はごまかせない」

つまり、目撃者がいたのだ。

「今夜、うちの交渉人があの宿泊施設に出向き、盗んだデータの返還、そしてデータコピーによる不正持ち出しを防ぐため、データ系統の商品と所持品の全没収を宣言しに行く」

それぞれの都市に法律があり、その拘束力は実際に適用される都市内でしか効力が無い。
そしてツェルニには犯罪者を長く拘置する刑務所の類は無い。 学生が罪を犯した場合には停学か退学の二択しかなく、宿泊施設を利用するような異邦人には都市外退去が執行される。
加えて、今回のように企業、あるいは何らかの団体が絡んでいる場合には、その団体が居を置く都市政府とその団体に報告を行うぐらいしかできない。 
その都市で犯罪者たちに新たな罰が下されるかどうかは、こちらが干渉できることではない。

だが、都市は放浪バスでもない限りは閉鎖された場所だ。
さらに犯罪者が異邦人ときては逃げ場などあるはずもない。大抵は無駄な抵抗も無く都市警の指示に従う。
下手に抗って死刑や都市外への強制退去……すなわち、むき出しの地面に投げ出されるよりははるかにいい。
二度とその都市に近づかなければ、罪は消えてなくなるのだから。
だが……

「本来ならこれで上手くいくんだが、最悪のタイミングで放浪バスがやってきた」

フォーメッドが表情を苦く歪ませる。
基本、放浪バスというものに定期的な到着時間はない。 おのおの自由に移動する都市間を渡るのだ、スケジュールなど組み立てられるはずもない。 目的地へ向かうバスに乗るために、一月待つことさえある。
しかし、今回に限ってはかなり間が悪い。

「出発は?」

「補給と整備に三日、手続き等で管理の連中に時間稼ぎさせてみたが、明日の早朝には出てしまう」

退路があるとわかっていれば、向こうも力づくで脱出を図ってくるだろう。

「今夜が勝負というわけですね」

「ああ……目撃者の発見が早ければもう少し余裕があったかもしれんが、今更悔やんでも仕方ない。 問題は、実力行使になった際の向こう側の戦力だ。 武芸者の数は把握できていないが、零ということは絶対にないだろう。 ああいう団体は護衛として武芸者を何人か連れているのが常だからな。
だが、いま都市警にいる武芸科の連中で対人の実戦経験がある奴は希少だ。 生身の人間と本気でやり合うとなったら、少々荷が重いというのが正直なところだ」

「それで僕を?」

「まあ、そういうことだ。 本当はこういう時、小隊員の力を借りられれば一番手っ取り早いんだがな。 何せあいつらは普段から対人戦を想定した戦闘訓練を積んでいるし、対抗試合で集団戦も経験している。 純粋な腕前だけなら、プロの武芸者にだってそうそう引けを取らない奴もいるくらいだ」

「? それなら僕じゃなくても、小隊の人達に協力を要請すればよかったんじゃないですか?」

「それができれば幸いだったんだがな。 生憎と連中はこういうことには消極的でね。 めったに協力なんかしてくれんのだ」

「え?」

さらに疑問符を浮かべるレイフォンに、フォーメッドは話を切り上げるように声を高めた。

「とにかく、今夜はよろしく頼むぞ。 学生の成果を横からかすめ取るような連中を、みすみす逃すわけにはいかんからな」

そう言いきると、次は今回の捕り物の段取りについての説明に入った。














そして今、レイフォンたちは夜空の下、あるビルの上から宿泊施設の中の1つ、例のキャラバンが滞在している宿を監視していた。
ここは外縁部の一角にある、宿泊施設の集合している場所だ。 近くには放浪バスの停留所があり、都市外から来た旅人や商人たちは、次の放浪バスが来るまでここで寝泊まりするのが原則となっている。
都市内はあくまで学生たちの物であり、旅人達の自由はある程度制限されるのだ。

「すまん」

ビルの上から下を見下ろしながら、ナルキがぽつりとそう言った。

「なに?」

「こんなことを、お前に頼んで」

「別に、僕がいいって言ったんだから」

「だが、これは卑怯な交渉だ。 あたしという知人を使って……」

生真面目なナルキらしい、などと考えながらも、目は監視対象から離さない。
眼下では、宿泊施設の周囲に隠れるようにして都市警の機動部隊が配置され、二人組の交渉人が宿泊施設へと向かっていくところだった。

「ナッキが気にすることないよ。 給料だって出るんだし、それにナッキ達には普段から何かと世話になってるし、こういう時くらい頼ってくれた方が僕としても気が楽だよ。 人に頼りっぱなしなのは好きじゃないし」

「でも、仮にも武闘会で優勝したレイとんにこんなこと頼むのは、どうも……な」

「? 別に優勝とか、そんなこと仕事と関係無いと思うけど」

「そうか? レイとんは知らないのかもしれないけど、普通、小隊員は都市警の臨時出動員なんて仕事受けないんだ。 エリートのやる仕事じゃないって。
 あたしの都市でも、警察とか治安維持に当たる武芸者は大抵、交叉騎士団とかと比べると低く見られるしな」

交叉騎士団というのは、交通都市ヨルテムにおいて都市防衛の主軸を担う、いわゆるエリート集団なのだそうだ。
彼らは大概、プライドが高くてエリート意識が強く、都市警などに所属する武芸者を見下す傾向にあるらしい。
そういえばフォーメッドも、小隊員はこういう仕事に消極的だと言っていた。
レイフォンは小隊員ではないが、実力的には小隊員よりも上にいる。 だからナルキは気を揉んでいるのだ。
都市警の仕事などを頼むのは、レイフォンのプライドを傷つけるのではないかと思っているのかもしれない。
しかし、理由は聞いてもレイフォンには納得できなかった。

「それはおかしなことだよ。 力は必要な時に必要な場所で使われるべきだ。 小隊員の力がここで必要なのなら、小隊員はここで力を使うべきだよ」

レイフォンははっきりとそう言いきる。

「レイとん……」

「そもそも小隊員とか交叉騎士団っていったら、言うなれば権力に与する武芸者のはずでしょ。 そんな人たちが力の使いどころの好き嫌いを語るのはおかしいよ。 ああいう人たちは、政府側の方針や指示に従う代わりに色んな権限や手当を受けているはずなんだから。 なのに戦いを選り好みするなんて、そんなの許されることじゃないと思うよ」

あくまで戦う土俵を決めるのは上の仕事であり、小隊員は都市の決めた場面で戦うべきだ。 レイフォンはそう言っているのだ。
でなければ、組織としての意味が無い。
レイフォンの淡々とした、しかし厳しい言葉に、ナルキは口を噤む。

「大体、小隊員が他の武芸科生徒と比べて色々と優遇されているのは、決して強いからじゃない。 有事の際に、誰よりも力を発揮することが期待されているからだよ。 報奨金や援助金、それに尊敬や名誉は、自身の義務と責任の対価のはずだ。
 強さは武芸者の存在価値だけど、決して存在意義じゃない。 実力があっても都市を守ろうとしない武芸者に存在する意味はないし、そんな人は武芸者とは呼ばないよ。 たとえばツェルニに来たばかりの頃の僕とかね」

最後だけ、自嘲するような、やや冗談めかした言い方だった。
実力主義が信条の武芸者とはいえ、強さだけがその立場を保障している訳ではない。
強者の特権があるのなら、同じく、強者の責任というものがあるはずだ。

強いからではなく、その強さを必要な場で存分に振るうことが義務付けられているからこそ、強い者はその立場を保障されているのだから。
責任を果たさずして権利や立場だけを振りかざすのは、いかにも滑稽で愚かなことだろう。
武芸者としての誇りや矜持など持たないレイフォンだが、それでも、責任ある立場にいた時は自身の役目を忠実にこなしていた。

「治安維持だって都市を守るための大切な仕事だよ。 本気でこの都市を守りたいって思っているのなら、自分のやるべきことじゃないなんて言えないんじゃないかな」

そこまで言って、レイフォンは口を閉じた。
ナルキはしばらく呆気にとられていたが、やがてその顔に微笑が浮かぶ。

「成程な。 確かに、お前の言う通りだ。 都市の治安を守るのも、武芸者の重要な仕事の一つだな」

当然だよ、とばかりにレイフォンが頷いた時。
突然、眼下で動きがあった。

激しい音と共に件の宿泊施設のドアが吹き飛び、その破片に紛れるように交渉人役の二人が転がり出てくる。 負傷したらしく、衣服がところどころ朱に染まっていた。
そしてドアの破片を蹴散らしながら、五人の男が建物から出てくる。
書類に書かれていたキャラバンの人数は五人。 つまりはあれで全員だ。
その中の1人が手に古びたトランクを持っている。 あれの中に例のデータチップが収められていると見て間違いないだろう。
レイフォンは表情を引き締め、慎重に五人を観察する。

「どうだ?」

「五人ともだ」

「全員?」

「うん。 しかも、けっこう手練だ」

レイフォンの目には五人の体の中で走る剄の輝きが見えていた。 
ナルキには見えていないようだが、それでもレイフォンの言葉を疑うことはない。

「まずいな。 施設を囲んでる機動隊員で武芸者は五人、数は同じだが……」

「うん。 急いだ方がいいね」

話している間に、施設の周りでは機動隊員たちが警棒を構えてキャラバンの五人を囲んだ。

「抵抗するな!」

隊長らしい生徒が叫びつつ、武芸者の五人を前に出す。
こちらの五人が顔に緊張を浮かべているのに対して、キャラバンの五人はどこか悠然とした様子で機動隊員たちを眺めていた。
余裕を感じさせる挙措で、その手を腰の錬金鋼に掛ける。

「先に行くよ」

「頼む」

ナルキに声をかけ、レイフォンはその場から飛び降りる。
レイフォンが地上に落ちる僅かな間に、キャラバンの五人が錬金鋼を復元し、機動隊員に向かって疾走した。
五人が手に持っているのは剣に槍に曲刀と、近接戦用の武器ばかりだ。

相手の構えた武器の鈍く光る刃を見て、機動隊員たちの間で緊張が高まる。
ツェルニでは基本的に、武器には殺傷力を抑える安全装置が取り付けられている。 学園都市では人死にの出ない戦いを心掛けているからだ。
だがそれは裏返せば、学園都市の大半の武芸者が本当の刃のついた武器を相手に戦った経験が無いということを意味している。

都市警の面々が手にしているのは全員が打棒だ。
対する相手の武器はどれも、実際に肉を切り骨を断つことのできる刃がついている。
加えて切れる刃と相対したことのない学生と、自分の命のかかった戦いを経験したことのあるキャラバンの武芸者とではやはり動きが違う。

「うわっ!」
「ぎゃっ!」

迫る白刃から身を守ることに意識が向かい、動きが硬くなる。
恐怖に強張った体では普段の半分も実力が発揮できず、その動きは隙だらけだった。
機動隊員たちは簡単に隙を突かれ、次々と無様に地べたを舐める。 程度や場所こそ違えど、わずかな間に機動隊員の武芸者全員が怪我を負っていた。

「流石は学園都市。 武芸者も未熟なヒヨッコばかりだ」

嘲るような台詞を吐き捨て、放浪バスの停留所に向かって再び走り出す。
そこに、レイフォンが降り立った。 丁度、キャラバンの男たちの行く手を遮る位置だ。
五人は飛び入りのレイフォンに警戒の目を向けながらも、足を止めることはしない。

レイフォンは剣帯から錬金鋼を抜き、復元させた。
その手に、鋼鉄錬金鋼製の刀が現れる。
緩やかに刀を構え、次の瞬間、横をすり抜けようとした五人に刀を一閃した。
すぐ近くにいた二人が跳躍することでその一閃を躱す。
しかしレイフォンの狙いはもとより人ではない。

「あっ……!」

ゴトリという音と共に、取っ手を切られたトランクケースがレイフォンの足元に転がった。
突然手の中が軽くなったことに驚いた一人が声を上げる。
レイフォンは素早くトランクケースを後ろに蹴り、機動隊員たちの足元まで滑らせた。

「貴様っ!」

キャラバンの五人が全員、足を止める。
どうやら、あのトランクケースに目当てのデータチップが入っていると見て間違いなさそうだ。

「泥棒は感心しないよ」

短く言うと、五人が無言でレイフォンに殺到した。
三人が先行し、残る二人が時間差で後を追う。
対して、レイフォンは刀を構えたまま、悠然と敵の動きを見据えていた。

至近まで迫り、先方の三人が手に持った武器を振るう。
刃が閃き、鋭い穂先が突きこまれた。 反応もできずに切り裂かれ、貫かれたレイフォンに、一瞬、三人の顔に笑みが浮かぶ。
が、すぐさまその笑みが凍りついた。
先程まで確かにいたはずのレイフォンの姿が、霞むように掻き消えたのだ。

内力系活剄の変化  疾影

三人が攻撃したのは偽りの気配だ。
その気配に惑わされた三人とすれ違うようにして、レイフォンは後方の二人へと向かっていた。

「う、うわっ」
「なっ」

突然、隣に現れたように見えたレイフォンの姿に、並走していた後方の二人は僅かに混乱する。
その二人の中間地点で、レイフォンは素早く刀を一閃させた。

サイハーデン刀争術  円礫

レイフォンを中心として衝剄が全方位に放たれ、二人が吹き飛ばされる。
先行していた男たちが、そこでやっと後ろに回ったレイフォンに気付いた。
慌てて振り返り、倒れた二人の仲間を見て驚愕する。
残るは、三人。
いや……

「お、おいっ!」

先行していた三人の内の一人が、声も上げずに崩れ落ちた。
仲間が慌てて声をかけるが、気絶したのかまるで反応が無い。

外力系衝剄の変化  針剄

円礫を放った際、同時に凝縮された衝剄を後方へと撃ち出していたのだ。
まさしく針のごとく個体へと凝縮された剄の塊は、先行していたうちの一人の後頭部を強打し、昏倒させていた。
これで残るは、二人。

「お、お前……一体……」

相手の思わず零れたような言葉には一切答えず、レイフォンは再び動いた。
霞むような速度で地を蹴り、一瞬で残った相手の懐に入り込む。

「動くな」

一人の男の首筋に刀を当て、冷たい声で呼びかける。
もっとも、言われなくともすでに相手の抵抗の意思は消え失せていた。
男が先程まで手に持っていた剣はすでに剣身を失っている。 首筋に刀を押し当てられた男の横で、もう一人がゆっくりと倒れた。 
男は動けない。 動くなと言われたからではなく、目の前で起きた事が信じられないという驚愕と、過去に見た事もないほどの強者に対する恐怖からだった。

レイフォンがやったことは単純だ。
残った二人に素早く接近し、一人を刀の一撃で昏倒させる。 そしてそいつが倒れるよりも早く、もう一人の武器を圧し折り、返す刀を相手の首筋の寸前で止めたのだ。
問題は、その一連の動作を、熟練の武芸者ですら一切目で追えないほどの速度で行ったというただ一点だけだ。
刀を突き付けられた男は呆然と立ちつくし、レイフォンを驚愕と畏怖の目で見つめている。

「な、なんで……お前みたいなのが……こんな、学園都市なんかに……」

「大人しく、投降してください」

震える男がやっとのことで絞り出した問いには答えず、レイフォンは淡々と命じる。
相手は大人しく、剣身が折れて柄だけになった武器を捨てて両手を上げた。






「よくやってくれた!」

誰もが唖然として言葉を失い、沈黙が漂っていた中で、その静けさを打ち破るようにフォーメッドが声を上げた。
すでに機動隊員が確保していたトランクを受け取り、中身を確認している。
それを見て、呆然として動きを止めていた者たちもようやく活動を再開した。
都市警の面々が、投降した男を含めたキャラバンの五人全員を拘束し、身体検査を行う。

「持ち物は全て没収だ。 服もな。 水と食料以外はすべてだ! 徹底しろ。
 囚人服を着せて罪科印を付けたら、すぐに放浪バスに押し込んでしまえ」

フォーメッドの指示で、機動隊員はナイフで服を引き裂く。 衣服にデータチップが縫い込まれている可能性を考慮してのことだ。
レイフォンはトランクを検めているフォーメッドに近寄り、その背に声をかけた。

「ありましたか?」

後ろからのぞくと、中には防護ケースに入れられたデータチップがぎっしりと詰まっている。

「さてな。 全部確認してみないとわからないが、まぁ、間違いないだろう」

フォーメッドはレイフォンに向き直り、改めて礼を言った。

「今日は本当に助かったよ。 たった一人で五人も倒すなんてな。 そうそう、報酬の方も色を付けさせてもらうよ。 何せかなりの大手柄だったからな。 これからも何かあったらよろしく頼む」

笑顔で手を差し出すフォーメッドに、レイフォンは躊躇いがちにその手を握り返した。
手を離すと、フォーメッドはレイフォンに背を向け、キャラバンの男たちの衣服を検めている機動隊員に混じっていく。
その背中を見送ったあと、レイフォンは都市警の生徒たちが作業を進めるのを見るともなく見ていた。
自分にできるのは戦うことだけだ。 それ以外に手伝えることなど無い。
事後処理や手続きは、自分の領分ではないのだ。
そんなことを考えていると、ナルキが近くに寄って来た。

「ありがとな、レイとん。 お陰で助かった」

「なんてことないよ、これくらい。 それに前にも言ったけど、ああいう犯罪者が野放しになるのは僕としても歓迎できないしね」

やや恐縮しているナルキに、あくまで気軽な態度で返す。
実際、迷惑などは感じていなかった。
都市の治安を守ることは、間接的に大切な友人たちを守ることにも繋がるからだ。
力を持たない彼女たちを守るためにも、危険分子はできる限り排除しておきたいと思っているのは確かだ。

「そうか……。 まぁ、これで正式に都市警の臨時出動員になったんだし、これからもよろしくな」

そう言ってナルキが先程のフォーメッドのように差し出してきた手を、今度は笑顔で握り返した。


























あとがき

レイフォンが上級生と喧嘩&初めて都市警の仕事をする回ですね。
それと次話への伏線としてカリアンの場面を入れました。

思うんですけど、グレンダンの武芸者ってなんだかんだで挑発に乗りやすいですよね。 まあ挑発に乗ったところで隙だらけになるわけでもありませんけど。
7巻でリンテンスがサヴァリスとレイフォンを挑発してましたし、14巻ではリンテンス自身も挑発されて、無言でそれに乗っかってましたし。
というか天剣の人達って全員、挑発されたらすぐに乗ってきそうですけど。


さて、原作とはやや順番が違いますが、次はカリアンとの汚染獣対策会議になります。




[23719] 17. 迫り来る脅威
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2011/03/20 02:12

時刻は夕刻。
場所は練武館の第十七小隊に割り当てられた空間。
今日もまたレイフォンは、ニーナの頼みで第十七小隊の面々に訓練を施していた。

「では、僕はこの辺で」

いつものごとく、シャーニッドとフェリは訓練時間の終了と共に我先にと退出してしまったため、レイフォンの言葉に答えたのはニーナとハイネの二人だけだった。
二人が居残り練習を始めるのを見届けて、その場を後にする。
軽くシャワーを浴び、更衣室で着替えてから、建物の外に出た。
いつもならこのまま真っ直ぐ帰るか、あるいは夕食の買い物でもしていくのだが、今日はいつもと違った。

「遅かったですね」

ふとかけられた声にそちらを向くと、先に出たはずのフェリがそこに立っていた。

「フェリ先輩? どうしてここに?」

驚いて声を上げるレイフォンに、フェリは淡々とした様子で返す。

「用がありますので。 少し付き合って下さい」

「ええと…僕に、ですか?」

「他に誰がいるんですか?」

「あ、いや……」

レイフォンは言葉を濁すが、フェリはそんなことを一切意に介さず、こちらに背を向けて歩き出した。
後ろを振り向こうともしない。 レイフォンがついて来ることをまるで疑っていないようだ。
僅かに逡巡した後、誰にともなく溜息を吐き、レイフォンは仕方なくフェリの後ろ姿を追った。
こんな時間に何の用だろう、と考えてみるが、特に思い当たる節は無い。
だが黙々とフェリの後ろを歩いていると、その足が生徒会塔に向かっているのだと分かった。

「あの、フェリ先輩? 用って、先輩の用なんですか?」

「いえ、私ではありません。 兄が、あなたに話があるそうです」

「会長が?」

自分の声が低くなるのを自覚するが、どうしようもない。
レイフォンはフェリの兄、生徒会長でもあるカリアンのことを苦手としていた。
いつも腹の中で何かしら企んでおり、しかも、まるで考えが見えないからだ。

「どんな話かは聞いていませんが、大切な話だとは言っていました」

背を向けているので表情までは確認しようがないが、伝えるフェリの声も若干不快そうな響きを含んでいる。
その類稀な才能ゆえに武芸科に転科させられたことで、フェリは実の兄を恨んでいるのだ。 レイフォンは最終的に自分で決めて転科したが、フェリは不本意なところを無理やりに転科させられたのだから、その怒りも当然だろう。

レイフォンは再び溜息を吐く。
あの生徒会長からの重要な話……。 正直嫌な予感しかしない。
しかし、だからといって逃げたところで何かしら好転するとも思えないのも確かなので、レイフォンは大人しくフェリの後に続いた。

しばらく歩くと、やがて生徒会塔の前に着いた。 入口の前に背の高い男が一人立っている。
フェリとそっくりの長い銀髪に、眼鏡を掛けた知的で怜悧そうな顔立ち、ツェルニ生徒会長のカリアン・ロスだ。
カリアンはいつも通りの柔和な笑顔を浮かべてレイフォン達を迎えた。

「やあレイフォン君、こんばんは。 わざわざ呼び出してすまなかったね。 フェリも御苦労だった」

「あの、それで話って……?」

「まあ、それは後にしよう。 まずは移動しようじゃないか。 立ち話するには少々長くなりそうだし、落ち着ける場所に行こう。 それにそろそろ夕飯時だ。 食事でもしながら話そうじゃないかね」

そう言って、カリアンは歩き出した。 フェリは不快そうな顔をしながらも、黙ってそのあとを追う。
レイフォンはもはや諦めて、同じく二人の後ろを歩いた。
ふと、カリアンが思い出したように口を開く。

「そういえば、最近はどうだね? 身の周りは」

「身の周り? 特に変わったことはありませんけど」

「そうかい? 小隊の勧誘なんかが来たりしてるんじゃないかと思ったんだが」

嫌なことを思い出したのか、レイフォンの眉間に皺が寄る。

「ええ、来てますよ。 ……あれからしょっちゅう」

実際、武闘会が終わってから……というより武闘会でレイフォンが優勝してから度々、小隊員たちから入隊を勧められるようになったのだ。
以前から予想していたことではあったが、実際にその身に起きてみると想像以上に面倒な状況である。
特に人数の揃っていない小隊の勧誘はしつこく、レイフォンは心底から辟易していた。 安易に武闘会に出場したことを後悔し始めているくらいである。

「まあ、彼らも君にその気が無いと分かれば収まると思うから、それまでは辛抱してほしい」

「……気軽に言ってくれますね」

カリアンは本当に申し訳なさそうな様子で言うのだが、逆にレイフォンはそれを信用できず、声にも不機嫌さが混じる。
それからレイフォンは再び大きなため息を吐いた。 本当、早いところ諦めてほしいと切に願う。
勧誘してくる小隊は皆しつこく食い下がり、レイフォンが断固として小隊入りを拒めばその理由を聞きたがる。
それらに対して一々言い訳するのは非常に面倒で、レイフォンはうんざりしていた。

積極的に勧誘してくる小隊の中でも、特にしつこいのは第三小隊だ。
人数が既定の数に達しておらず、さらには隊長が非常に堅物かつ神経質であることもあり、レイフォンとしては非常に面倒な相手である。
第三小隊の隊長であるウィンス曰く、力のある者がその力を最適な場で発揮するのは当然のことであり、それは力を持って生まれた者の義務であると同時に責任でもあると言うのだ。 ゆえに、レイフォンは小隊に入ってツェルニに尽くすべきだという。

別にその考え方を否定する気は無いが、自身の価値観を他人にまで押し付けないでほしいと思う。
しかも彼はそんな自身の考えに一片の疑念も抱いていないのだ。 言うまでもないくらいに当たり前のことだと信じ切っている。 それがまた、さらにも増してやりにくい。
大体そういうことは自分の義務や責任を全うしている者が言うべきことであり、現時点でそれができていない者が使うべき言葉ではない。
己自身を戒めるための矜持として口にするならともかく、そうあることを他者に無理強いするのは間違っているとレイフォンは思う。 

そのしつこさや高圧的な態度に、レイフォンは皮肉の一つでも言ってやりたくなったものだが、なんとか堪えた。
しかしやはり、都市警察の仕事の時のナルキの話から、小隊員の武芸者としての在り方には疑問を感じているのは確かであり、そんな状態で小隊に入ろうとは思えない。
それどころか、勧誘してくる時の小隊員たちの口ぶりを聞いていると、小隊やこの都市の武芸科制度に対する不信感はさらに募っていくのである。

それに、そもそもレイフォンには小隊に入るメリットが無い。
小隊に入ったところで戦い方の幅が広がるとも思えないし、小隊員の特典などにも全く興味はない。 余計な苦労が増える分、むしろマイナス要素の方が大きいくらいだ。
大体、自分よりも遥かに弱い者たちとチームを組んだところで、集団という数の利が活かせるわけもない。
一人で多種多様な戦術・戦法・技を持ち、あらゆる状況に即座に対応できる臨機応変さと、戦いにおける柔軟さを持っているレイフォンならば尚更だ。

中途半端な連携では物の数にならない。
弱者の助力は時に味方の首を絞めることもある。
自分より遥かに実力の劣る者たちは、前方で戦えばレイフォンの攻撃を妨げる障害物となり、後方からの火力支援は逆にこちらのリズムを崩すだけで、煩わしいことこの上ない。
弱い味方は、時に、強い敵よりも重荷となる。

少なくとも、レイフォンは自分からわざわざ要らぬ荷を背負うつもりはない。
背負うと決めた物は、自身と大切な者たちの命だけ。
責任も名誉も、背負うつもりはない。
それに自分には、相手が人間だろうが汚染獣だろうが、独力でも十分戦えるという自負がある。
弱い仲間は、必要無い。 傲慢な考え方だとは自覚しているが、だからといって、その考え方を捨てるつもりはさらさら無い。
事実、この都市にはレイフォンが背中を預けられるだけの力を持った武芸者は存在しないのだから。

(けど、今の状況が続くのも、それはそれで憂鬱なんだよなぁ)

現状、小隊員たちのしつこい勧誘に迷惑しているのも確かだ。 いい加減、我慢の限界に達しそうなほどうんざりしている。
いっそのこと、「自分よりも弱い者の下につくつもりは無い」とでも言ってやろうか。
そうすれば今度は小隊の連中が次々と決闘を申し込んでくることになるかもしれないが、力で解決できる分、そちらの方が手っ取り早いし、自分としても与しやすい。
と、そこまで考えて、レイフォンは頭を振った。
一昨日、ナルキから注意されたばかりではないか。 下手に敵意を招く発言は控えなくてはならない。

実力が低いとはいえ、小隊員たちは仮にも武芸科のトップ集団。 不興を買えば、面倒なことになりかねない。
武闘会で優勝したレイフォン自身はともかく、一般生徒である友人たちは立場が危うくなるかもしれないのだ。 レイフォンと近しいというだけで、要らぬ恨みを買いかねない。
レイフォンとしては、それだけは避けたかった。 赤の他人からどう思われようと興味も無いが、そのとばっちりが友人たちに向かうのは絶対に御免だ。

ならばそうなったときのために、都市のトップであるカリアンやヴァンゼを味方につけておくべきかもしれない。 そうすれば、友人たちの立場が悪くなってもどうにかできる目算がある。 特にカリアンはレイフォンの正体を知っており、かつ、その力を必要としている。 交渉次第では味方につけられる可能性は高い。
しかし、それはそれでまた面倒事に繋がるような……

などと、思考が堂々巡りに陥っている間に、レイフォン達は目的地へと着いたようだった。
目の前の建物を見て、レイフォンの意識が現実に戻ってくる。
カリアンが食事でもしながらといった通り、そこは飲食店だった。
そして店の前に、武芸科の制服を着た二人の男子生徒が立っている。
一人は大柄な体に浅黒い肌をした男、武芸長のヴァンゼ・ハルデイ。
そしてもう一人は……

「久しぶりですね、レイフォン」

透き通るように淡い水色という珍しい色をした、男子にしては細くて長い髪に、色が白くてやや少女めいた、あるいは人形めいた顔立ち。

「ああ、久しぶり。 元気そうだね」

以前の汚染獣戦の時、レイフォンに協力してくれた念威繰者の少年、アルマだった。

「あの時は手伝ってくれてありがとう。 すごく助かったよ」

「お互い様です。 汚染獣に都市が滅ぼされてしまえば、僕も命を落としていましたし」

そう言ってアルマは、やや感情の薄い、それでいて整った顔に、微かな笑みを浮かべた。

「あれ? でも、なんでアルマがこんなところに?」

と、そこでようやくレイフォンは疑問を浮かべた。

「僕は武芸長に呼ばれて来たんですけど、レイフォンは生徒会長に?」

「うん、まぁ……」

答えつつ、カリアンの方を見やる。

「今回は君たち二人に話があってね。 こうして場を設けたんだよ。 本当はフェリにはレイフォン君の呼び出しだけを頼んだんだが……君に重要な話があると言うと、自分もその場に参加すると言ってきかなくてね」

そうなんですか? という問いを込めてフェリの方を見るが、フェリはレイフォンから目を逸らしていた。 やや不機嫌そうな面持ちである。

「ま、話は中に入ってからにしようじゃないか。 こんなところで立ち話をしているのも滑稽だろう」

言うと、カリアンは率先して店に入って行った。 ヴァンゼとフェリも無言で後に続く。
レイフォンはアルマと顔を見合わせると、どちらからともなく店内へと足を向けた。




五人が入った店は飲食店としてはなかなかに大きく、奥に行くと予約制の個室まで設置されていた。
壁の装飾や調度品なども上品かつ高価な物のようで、ここに入るのは一部の実家が裕福な生徒たちくらいだろうなとレイフォンは思った。
個室の一つに入り、テーブルを挟んでカリアン、ヴァンゼとレイフォン、フェリ、アルマが向かい合う。

「そういえばレイフォン。 今更だが、武闘会優勝おめでとう。 良い試合を見せてもらった。 一般武芸科生徒には良い刺激になっただろうし、小隊に入って天狗になっていた者たちには良い薬になったと思う。 あらためて礼を言う」

「は、はぁ。 どうも」

席に着くなりヴァンゼがそう言うので、レイフォンは曖昧に返事をする。
その武闘会が原因で、今現在、少々面倒な目に遭っていることは言わない方がよさそうだった。
それはさておきと、レイフォンはカリアンの方に目を向ける。

「それで……話というのは?」

「まぁ、それはまた後で。 まずは食事を楽しもうじゃないかね。 勘定は私が持つから」

「はぁ……」

レイフォンとしては早めに要件を終わらせたかったのだが、カリアンは笑みを浮かべてそれを受け流す。
そうこうしているうちに料理が運ばれてきた。 メニューも予約制であり、あらかじめ決まっていたようだ。
見たところ、学生が運営している店にしてはなかなかに豪勢な料理だ。 少なくとも、レイフォンが普段食べている物とは食材からして比べ物にならない。
皿に乗った料理の美味そうな匂いを感じ、そこでやっと自分も空腹であったことを自覚した。
仕方なくレイフォンは目の前の料理に手を付ける。 周りの者たちもそれにならって食事を始めた。

「私はこの店の常連でね。 ここでは食材の選別から調理のやり方まで細部にわたってこだわっているんだ。 その分、料理の味は絶品だよ」

裕福な家の出身で舌の肥えたカリアンが勧めるだけあり、ここの料理は確かに美味かった。
先程まで不機嫌だったフェリの顔も、いくらか和らいでいるように見える。
……おそらく目の前にカリアンがいなければさらに美味しく感じられただろうが。
できればもっと別の機会に食べたかったな、などと考えながらレイフォンも眼前の料理を片づけていく。
まぁカリアンの奢りだからこそ食べられるわけで、そうでなければわざわざこんな店に入ることは無いだろうが。

「美味しいですね。 僕、ツェルニに来てからこんなもの食べたことありません」

アルマが嬉々として感想を述べる。

「そうなの? アルマは上流階級出身かと思ってたんだけど」

なんとなくだが、物腰の丁寧さや品のある顔立ちから裕福な家の出に見える。

「確かに実家は裕福なんですけどね。 色々あって仕送りが無いんですよ。 まぁ、そこそこ奨学金がもらえてるから、今のところ生活に不自由はないですけど」

「へぇ……」

仕送りが無いというのにやや驚いたが、おそらくニーナと似たような境遇なのだろうと思い、深くは訊ねなかった。
もともと学園都市に来るような武芸者は、大なり小なり個人的な事情を抱えている者が多い。
レイフォンもその1人だ。

やがて食事が終わると、店員がテーブルの上の食器が片付け、代わりに食後のお茶を運んできた。
芳醇な香りの湯気が立つカップを持ち上げ口元へと運ぶ。 美味い。

「さて、と」

仕切り直すように一口だけお茶を飲んだカリアンが、おもむろに傍らに置いてあった鞄を開けて中から大きめの封筒を取り出した。
その封筒をレイフォンに差し出し、開けるように促す。

「この間の汚染獣の襲撃から、遅まきながらも都市外の警戒に予算を割かなくてはいけないと思い知らされてね」

「いいことだと思いますよ」

そのことに今まで気付かなかったのは、それだけツェルニが汚染獣の脅威から無縁でいられたということなのだろう。
ここは学生だけの都市。 だからこそ、都市の意識をつかさどる電子精霊も、汚染獣には最新の注意を払っていたに違いない。
ここにいるのは、いざという時に己の身を守ることもできない未熟者たちばかりなのだから。

「ありがとう。 それで、今渡したのは試験的に飛ばした無人探査機が送ってよこした映像なのだが……」

レイフォンが封筒を開けると、中には何枚かの写真が入っていた。
そのうちの一枚を取り出し、まじまじと見てみる。

その写真の画質は最悪だった。全てがぼやけていて、詳しく映っている物は何も無い。
これは大気中にある汚染物質のためだ。無線的な者はほぼ全て汚染物質によって阻害されてしまい、短距離でしか役に立たない。
唯一、長距離でも何とかなるのは念威繰者による探査子の通信だが、これも都市同士繋げるには無理がある。
写真を撮った無人探査機には、念威繰者が関わってはいないのだろう。

「わかりづらいが、これはツェルニの進行方向500キルメルほどのところにある山だ」

カリアンがその山を指でなぞり、ようやくレイフォンもそう見える気がしてきた。

「気になるのは山の……この辺だ」

言って、写真に映っている風景の一部を指で丸を描いて囲んだ。

「どう思う?」

カリアンはこれ以上、特に何も言わなかった。 レイフォンに無用な先入観を持たせないためだろう。
レイフォンもそれ以上質問はせず、写真から離れてみたり目を細めたりして何度も確認した。
しばらくそうやって写真を注視していたが、やがてレイフォンは写真をテーブルに置き、深く溜息を吐く。
それを見届けると、フェリとアルマも左右から顔を出して覗き込む。

「多分、御懸念の通りだと思いますよ」

「ふむ……やはりか……」

レイフォンの答えに、カリアンが難しい顔で椅子の背もたれに体を預けた。
ヴァンゼも唸るような低い声を出して顎に手を当てる。

「なんなのですか、これは?」

しばらくレイフォンの真似をして写真を眺めていたフェリが聞いてくる。
アルマも疑問符の浮かぶ顔でレイフォンの方を仰ぎ見た。
それに対し、レイフォンは端的に答える。

「汚染獣ですよ。 それも成体の」

それを聞き、アルマはもう一度写真をじっくりと見てみる。 確かに、山の一部に大型の生き物らしい影が見えた。
それも……一体や二体ではない。
フェリは目を丸くしていたかと思うと、すぐにきっと兄を睨みつけた。

「兄さんは、また彼を利用するつもりですか?」

「実際、彼に頼るしか生き延びる術がないのでね」

詰問されたカリアンは落ち着いた様子で淡々と答える。

「なんのための武芸科ですか!」

「その武芸科の実力は、フェリ……君もこの間の一件でどのくらいのものかわかったはずだよ。 戦いに参加しなかった君だって、戦場がどんな様子だったかは聞き及んでいるだろう?」

「しかし……」

やり取りを聞いているヴァンゼの顔に苦渋が浮かぶ。 前回の戦いで自らの力の無さを思い知らされているからこそ、フェリにもカリアンにも反論ができないのだ。
実際、目の前の少年に頼る他に手段がないのだから。

レイフォンは無言で、封筒に入っていた他の写真を取り出して見てみる。
先程のよりも近くから撮ったものらしく、画像の悪さは同じくらいだが、そこに写った生き物らしき影は、その形がややはっきりとしていた。
やはり、この影が汚染獣であるのは間違いない。
過去に多くの汚染獣と戦ってきたレイフォンは、自らの経験からそう断じた。

「私だって、できれば彼には武芸大会のことだけを考えてほしいけれどね。 状況がそれを許さないのであれば、諦めるしかないさ。
 で、どう思う?」

レイフォンはしばし考え、やがて口を開いた。

「おそらくですけど……汚染獣の雄性体でしょう。 さすがにこの写真からじゃ、何期のかはわかりませんけどね」

写真に写った影は一体や二体ではない。 見えるだけでも十体以上はいる。
仮に成体になりたての個体だとしても、この数は脅威だ。
難しい顔で考え込んでいるうちに視線を感じ、ふとレイフォンは顔を上げた。 皆の方を見ると、全員が説明を求めるような顔をしている。 レイフォンの言葉の意味がよく分からなかったらしい。
仕方なく、レイフォンは汚染獣の生態について詳しく説明し始めた。 どの道、彼らが都市の責任者である以上、この先も知っておくべきことである。

「そうですね……グレンダンでは、まず母体から生まれたばかりの汚染獣を幼生体と呼んでいます。 前回武芸科の人達が戦ったのがこれですね。 特徴としては、動きが鈍くて知能も低く、汚染獣の成長段階の中では最弱に入る個体です。 ただし幼生体は基本的に数が多いので、大概は群れを成して都市を襲撃します。 ですから決して危険度が低いわけではありませんが」

レイフォンの説明を聞き、それぞれ前回の汚染獣の姿を思い浮かべる。
確かに動きは鈍くて単調だったが、その甲殻は頑丈で力も強く、何よりその数が絶望的なほどに多かった。
もしもレイフォンが参戦していなかったら、多大な被害が出ていたに違いない。 否、ツェルニが滅んでいてもおかしくはなかった。

「生まれたばかりの汚染獣は汚染物質を栄養として吸収できないので、母体は休眠する前に溜め込んでいた栄養を子供に分け与えます。 それが足りない場合は幼生体同士で共食いを行い、それでも足りなければ母体をも喰らって幼生体は成長する。 前回は近くに人間がいたから、母体は餌にならずに幼生達が地上に上がってきましたけど」

そしてそれだけでなく、仮に幼生達が全滅した場合、母体は付近の汚染獣を救援に呼び、幼生を殺した人間たちを喰らわせるのだ。
汚染獣の繁殖に対する凄まじいまでの性質に、全員が息を呑む。

「そうやって栄養を蓄え成長した幼生体は、やがて脱皮を行うことによって成体となります。 汚染獣には生まれついての雌雄の別はなく、幼生体は一度目の脱皮によって雄性となるため、これをグレンダンでは雄性一期と呼んでいました。 雄性体は脱皮を繰り返して成長を続けるんですけど、この脱皮の回数を一期二期と数えるんです」

つまり成体となった汚染獣は、脱皮するごとに雄性一期から雄性二期、雄性三期へと成長していくのだ。
そして脱皮するたびに、より大きく、より強くなっていく。

「成長した個体……大体、雄性三期から五期くらいの時に汚染獣は繁殖期を迎えます。 そうなった雄性体は次の脱皮で雌性体へと変わり、腹の中に大量の卵を抱えて地下に潜ります。 そこで孵化の時まで眠りにつく」

そして生まれてきたのがこの間襲ってきた幼生体たちなのだ。
あとは、同じことの繰り返しである。
汚染獣の生態についての説明を聞き終わったカリアンは、ふむ、と口元に手を当てて僅かに思案した。

「あいにくと、私の生まれた都市も汚染獣との交戦記録は長い間なかった。 だから、その強さを感覚的に理解していないのだけれど、どうなのかな?」

そう。 問題は、今も都市がその距離を縮めている汚染獣の強さがどのくらいかということだ。
今回の相手は成体だ。 どう考えても、前回の幼生体たちよりも遥かに大きく、強い個体であることがわかる。

「一期や二期ならば、それほど恐れることはないと思いますよ。 被害を恐れないのであれば、ですけどね」

「ふむ……」

「ただし、今回の相手は複数です。 そこが厄介と言えば厄介ですね。 これだけの数の成体が相手では、普通の都市でも多大な被害が出るでしょうし、未熟者ばかりの学園都市なら尚更です。 むしろ滅んだって不思議じゃない」

淡々と語るレイフォンに、カリアン達が言葉を失う。

「それに、汚染獣の中にはさらに怖ろしい個体もいます。 老性体……繁殖することを放棄し、ただ自らが成長することのみを目指すようになった個体……。 これは、年を経るごとに強くなっていく。 その強さに上限はなく、また、変化の幅にも際限がない。 特に老性の二期以降では、姿が一定でなくなり、個体によっては特異な変化を遂げることもあります。 そして中には特殊な能力を発現させ、単純な暴力で襲ってこない場合もある。 その危険度は……老性一期ですら、都市が半滅するのを覚悟して、初めて勝てるかどうかというものです」

「……倒したことがあるのかい? その、老性体というものを」

「ええ、何度か……。 僕が戦った中で最も強かったのが老性の六期。 グレンダンではベヒモトと呼ばれた個体です。 ……ああ。 グレンダンでは、一度の戦闘で倒せなかった強力な老性体には名つきといって固有名をつける習慣があるんですよ。 それで、あの時は確か僕と同僚が三人がかりで、三日三晩戦ってやっと倒しましたね。 あんな厄介な敵は後にも先にもいませんでした。 実際、あの時は死ぬかと思いましたし……。 ちなみに、一緒に戦った二人は技量も経験も僕より上です」

レイフォンの強さを知る者たちは一様に驚く。
まさかあの、幼生体とはいえあれほど手強い汚染獣を素手で倒し、大群ですらあっという間に蹴散らしたレイフォンと、さらに彼よりも強い武芸者が二人も一緒に戦って、それでもなお倒すのに三日もかかった相手がいるとは。
そして……そのレイフォンが死を覚悟するほどの敵がいるとは……。
そんなものがこの学園都市に攻めてきたりなどすれば、確実にツェルニは滅ぶことになるだろう。
カリアンは一瞬絶句するが、すぐさま冷静さを取り戻し、さらに訊ねる。

「それで、今回の相手……勝てるのかね? ここには君がいるわけだが」

今回の相手がその老性体であると決まったわけではない。
そして、並の都市ならば滅亡を覚悟する必要がある危機かもしれないが、現在、ツェルニにはレイフォンがいる。
学生武芸者の枠を、否、並の武芸者の枠を遥かに超えた強者が。
彼ならば、この脅威にも対抗できるかもしれない。

「残念ながら、この写真では相手がどのくらいなのか分からないので断言はできません」

「この間の奴よりも厄介なのか? 前回より数はずっと少ないようだが」

ヴァンゼも真剣な面持ちで聞いてきた。

「正直、前回の幼生体よりもかなり手強いです。 成体と幼生では、個体の強さが桁違いですから……。 外皮だって幼生体のように柔らかくはありませんし。 少なくとも、前回みたいに易々と蹴散らすのは無理ですね。 一体ずつ順番に各個撃破していくしかありません」

汚染獣の成体は、幼生とは比べ物にならないくらいにパワーもスピードも生命力も跳ね上がっているのだ。 体を覆う外皮も同様、強固で分厚く、大抵の攻撃は通さない。
前回の幼生体のように、まるで草を刈るように虐殺するのは無理だろう。
ツェルニが現在直面している危機の大きさに、全員が息を呑む。
幼生体相手にすら苦戦するツェルニの武芸者たちが、はるかに強い雄性体に勝てるとはとても思えない。

「では、至急対策のための準備を始めなければなるまい。 これほどの相手……ツェルニの武芸者が一丸となって事に当たる必要がある。 まずは小隊員たちに敵の存在とその脅威を伝え、会議を開いて対抗策を講じよう。 レイフォン、お前もその会議に参加してくれ」

ヴァンゼが青い顔をしながらも、決然と言い放つ。
それに対して、レイフォンはしばし黙考した後、首を振りながら答えた。

「いえ、必要ありません」

「必要ない? どういうことだ?」

「僕一人で戦います。 他に戦力はいりません」

その場の全員の目が大きく見開かれた。

「何を考えている! これほどの相手に一人で戦おうなど、無謀にもほどがあるぞ!」

ヴァンゼの怒号に、しかしレイフォンは冷静なまま答える。

「成体の汚染獣相手に、学生武芸者では手も足も出ません。 戦いに参加したところで、何もできず一方的に喰われるだけです。 むしろ他の人間は足手まといになります」

レイフォンの、一種冷徹にさえ聞こえる声に、ヴァンゼは頭に上っていた血が一気に引いた気がした。

「雄性体はパワーもスピードも幼生体とは比べ物になりません。 敏捷に宙を飛びまわり、その力と質量とで人間を軽々と押し潰す。 体を覆う外皮は幼生の頃よりも遥かに硬く、そして厚い。 幼生体の甲殻すらまともに破れない学生武芸者の攻撃じゃ、雄性体に傷一つ負わせることはできませんよ。 仮に傷を負わせることができたとしても、小さな傷ならすぐさま再生してしまいますしね」

もちろん、学生武芸者とはいえ自身の実力を最大限に発揮できさえすれば、攻撃にそれなりの威力を出すことはできる。
純粋な実力で見れば、幼生体の甲殻ぐらいなら破ることもできただろうとレイフォンは思う。
しかし、前回は突然の事態にパニックを起こし、さらには恐怖に委縮したため、ツェルニの武芸者たちは本来の実力を発揮できなかったのだ。

だが、そんなことは言い訳にもならない。 実力が十分に発揮できなかったのは、覚悟ができてなかったからだ。
覚悟もできていない武芸者の攻撃が、汚染獣にまともに通じるわけがない。 成体ならば尚更である。
そもそも幼生体相手にすらパニックを起こすような者たちが、サイズも動きも遥かに上回る成体の汚染獣相手に、冷静なまま戦えるはずがないのだ。
そして混乱したまま勝てるほど、汚染獣との戦闘は甘くない。
敵はこちらの都合など、考慮してはくれないのだから。

「しかし、俺たちだけが安全圏で待機というのは……」

「どの道、完全な安全圏なんてものは存在しません。 まぁ、どうしてもというのなら参加してもいいですけど……その場合、僕が戦っている間他の汚染獣を足止めするための生き餌として利用することになりますよ」

平静そのままの口調で冷酷なことを口にするレイフォンに、ヴァンゼが絶句する。
そして気付く。
レイフォンは決して、武芸科生徒の身の安全を慮って一人で行くと言っているのではないということに。
彼が助力を拒むのは、あくまで邪魔だから。 足手まといになるからだ。
そして、それでも来ると言うのなら、そこで命を落とすことを前提として来いと言っているのだ。

自分には他者を気遣いつつ戦う余裕はない。
だから助け合いなど期待するな。
自分は助けなど期待していないし、助けるつもりもない。 来るならせいぜい利用してやる。
そう言っているのだ。

そして実際、数多の戦場を生き抜いてきたレイフォンから見れば、ツェルニの武芸者など戦力たりえないのだろう。
事実、幼生体相手にすらあれほど苦戦していたのだから。
小隊員でさえ、その甲殻をまともに破ることはできなかった。 これが成体ならば、さらに困難だろう。

「正直そうしてもらった方が僕としても戦いやすくはあります。 足止めと戦闘を僕一人で同時に行う必要がないなら、より確実に敵を倒せますからね。 ただしその場合、僕以外の武芸者はほぼ全員死ぬことになりますよ。 それに本気で生き餌として投入するつもりなら、それなりの人数を揃える必要もあります。 なにせ、敵の数が数ですから」

他の武芸者たちを囮にする場合、その武芸者たちは一定以上の逃避行動を取ることができない。 それでは囮として機能しないからだ。 敵を引きつけながら都市に向かって逃げては本末転倒になる。
つまり、汚染獣に食われない程度に注意を引いて、敵をそこに足止めしなければならないのだ。
だが実際、学生武芸者たちが成体の汚染獣からそうやって逃げ続けるのはほぼ不可能である。 自然、囮役の者たちは次々と喰われながら時間を稼がなくてはならない。
そして当然ながら、囮とするにもそれなりの大人数を戦線に投入する必要がある。 つまり、ツェルニの武芸者では囮の役目も満足にはこなせないのだ。 だからこそ、数で補う必要がる。

しかし実際にそんなことになれば、武芸科生徒に甚大な人的被害が起こるだろう。 そんなことは都市の首脳として看過できない。
普通の都市ならともかく、ここは学園都市だ。 人材を使い潰すようなことは本来すべきではないのである。

選択肢は二つだ。
可能性は未知数でもレイフォン一人に都市の命運を任せるか、他の武芸者を大勢失ってでも、より確実に勝てる方を選ぶか。
カリアンはレイフォンをまっすぐに見た。

「君一人でも……勝てるのかね? 相手はこれだけの数だが」

「やってみなければわかりません」

レイフォンは即答する。
カリアンはしばし黙って思案していたが、やがて決断した。

「仕方あるまい。 ここは……レイフォン君に任せよう」

「カリアン!」

ヴァンゼは一瞬驚いた様な顔をしたが、反論はしなかった。 ただ、悔しそうな顔で俯くのみだ。
対してカリアンはすぐさま気持ちを入れ替え、具体的な準備について話し合う。

「ではよろしく頼む。 それで、実際にはどのようにすればいいかね。 必要な物、方法、段取り、なんでも言ってくれたまえ。 可能な限り手を打とう」

「そうですね……。 まず、軽量で動きやすい都市外戦用装備を準備してください。 都市外活動用の道具も一式。 汚染獣との戦闘は都市外戦闘が基本です。 あんな怪物と都市の上で戦ったりなんてしたら、尋常でない被害が起こりますからね……。 それと移動用のランドローラーに、別の錬金鋼も必要です。 対人戦ならともかく、汚染獣相手に剄の通りが悪い錬金鋼じゃ戦いにくいですから……」

レイフォンは一つ一つ、必要な物を述べていく。
カリアンはそれを逐一メモしながら、同時にそれらを揃えるための手順や段取りを頭の中で構築していった。

「ふむ……。 錬金鋼の方はこれまで通り、キリク君に要請しておこう。 あとは機械化と技術科の方でそれぞれランドローラーと都市外用装備を準備してもらうよ。 他に、何か必要な物は?」

「あと……一番重要なのは、現場までの案内役ですね。 都市は常に移動している上に、外は一面荒野ですから……目印も無く闇雲に走ったら、あっという間に帰れなくなってしまいます。 できれば実力のある念威繰者の協力が必要なんですけど……」

言いつつ、ついフェリの方を見てしまう。
対してフェリはそっぽを向いたままだった。 レイフォンの視線を意図的に避けているようにも見える。
正直、フェリに手伝ってもらえれば最適だ。 レイフォンが未だかつて見た事の無いような才能を持った彼女ならば、他の誰よりも頼りになるだろう。
だが、不本意に武芸科に入れられたフェリにそんなことを頼むわけにはいかない。 彼女が忌避しているその力を、レイフォンの都合で使わせるわけにはいかないのだ。
そんなレイフォンの内心を知ってか知らずか、カリアンは気負いなく答える。

「わかっている。 君が戻って来れなくなるのは困るからね。 というわけでアルマ君、協力を頼めないかな? 君は念威繰者としての実力も高いようだし、前回の汚染獣戦でもレイフォン君の手伝いをしていただろう。 君なら他の生徒よりもレイフォン君と上手くやれると思うのだが……」

フェリに頼むことはできそうにない。 だからアルマを呼び出していたのだろう。
カリアンの頼みにアルマはしばし沈黙する。
が、やや苦渋の滲む顔で首を振った。

「手伝うのは構いません……。 ただ、僕では力不足だと思います。 都市から五〇〇キルメル先……まぁ、都市が進路を変えずに進み続けている以上、距離は徐々に縮まっていくとは思いますけど……都市の安全を考えると、僕の念威の有効範囲まで近付くのを待つのは、あまり得策ではないと思うんです。 案内だけならともかく、戦闘の補助なんかも考えると、さすがに……」

確かにアルマは優れた才を持つ念威繰者ではあるが、たとえ彼でも都市から何百キルメルも離れた場所まで端子を飛ばすのは難しい。 ましてや案内や戦闘補助をするならば、その間は不眠不休で働かなくてはならない。 いくら才能があるとはいえ、未だ技量が未熟な上に経験の少ないアルマでは、少々荷が重いのが実情だ。
それこそ、フェリほどの才能があれば話は別だろうが……

「何? そうなのかい?」

カリアンは当てが外れて、やや思い悩む様な素振りを見せる。 戦いや武芸とは無縁の一般人ゆえに、優れた念威繰者というものがどの程度できるものなのかまでは、はっきりと把握できていなかったのだろう。
あるいはフェリのような天才が身近にいたがゆえに、逆にそういったことに疎かったのかもしれない。
当然だ。 いくら大人びて見えても、彼もまた未熟な若輩者の一人。 人並外れた知恵や才覚があろうとも、経験が圧倒的に足りないのだ。

ましてや政治や都市運営ならばともかく、汚染獣などという脅威に対する対処法など知る由もない。 それだけ、彼もまた平和に慣れ切っていたのだろう。
いや、そもそもこのような事態に適切な対応ができる都市責任者が、この世界に何人いるだろうか。
グレンダンならばいざ知らず……

「……では、私が手伝いましょうか?」

突然横から聞こえた澄んだ声に、レイフォンは驚いた。
その声を発したのがフェリだったからだ。 カリアンやヴァンゼも意外そうな顔をしている。

「……えと、本気……ですか?」

レイフォンがおずおずと訊ねる。 彼女は自身の才能を嫌悪し、念威繰者として働くこと、能力を利用されることを拒んでいたはずだ。 

「本気ですよ。 今回だけは、手伝ってあげても構いません」

「はぁ……」

正直なところ、レイフォンとしてはフェリの助力を得られるのはありがたかった。
実際フェリの実力はかなりのものだ。 それこそツェルニどころか、他のどの都市の念威繰者をも凌駕するほどに。
その才能……特に念威量は、グレンダン出身のレイフォンですら見た事もないほどに桁外れなものだった。
しかしなぜ、今回に限って助けてくれる気になったのだろうか……。 そんな疑問が頭から離れないのだ。

「えっと……ほんとにいいんですね?」

「問題ありません」

一応念を押してみたが、フェリの決意は固いようだ。

「……ありがとうございます」

やや釈然としない思いをしながらも、レイフォンは礼を言った。
それに対しフェリは……レイフォンから目を背けるようにそっぽを向いた。






暗い夜道を、レイフォンはフェリと並んで歩いていた。
お互いに会話はなく、沈黙を保ったまま真っ直ぐと歩く。 分かれ道までは、まだしばらく歩かなくてはならない。
カリアンとヴァンゼは仕事があると言って生徒会塔に戻り、アルマは逆方向だと言って離れていった。 ゆえに、今は二人きりだ。

「やはり、あなたは戦うんですね」

静寂に包まれる中、唐突にフェリが口を開く。

「ええ、まあ」

「どうして嫌だと言わないんですか? 断ることもできたはずですよ」

フェリの声には若干不機嫌さが滲んでいるように感じた。 戦うことを望んでいない、戦い以外の道を探すためにツェルニに来た、そういう似た立場であるレイフォンが自ら進んで戦場へと赴こうとしていることに、含むところがあるのかもしれない。

「そういうわけにもいきませんよ。 こちらが何と言ったところで、汚染獣は襲って来るんですから」

「だからといって……わざわざあなたが、あなただけが危険を一人で背負う必要は無いと思いますが? ヴァンゼが言ったように、これは武芸科全体で取り組むべき問題です」

「他の人じゃ無理です。 人数が増えたところで犠牲者が増えるだけ。 それなら僕一人の方がマシですよ」

整った顔の眉間に皺が寄る。 今日の彼女は随分と感情が表に現れやすい。

「それで、戦いを望まないあなたが皆の代わりに戦うと? 随分とご立派なことです」

「そんないいもんじゃないですけどね」

「わかっています。 あなたに武芸者としての“崇高な”理念などというものが無いことは存分に理解しているつもりですから。 今のはただの八当たりです」

蔑むような言葉だが、その声にはレイフォンを嘲笑うような響きは無い。 どちらかというと、武芸者の理念とやらの方を揶揄しているようだった。

「……まったく、この都市の武芸者のレベルの低さには、心底嫌になります」

「仕方ないですよ。 ここは学園都市なんですから」

レイフォンは苦笑しつつそう告げる。
平和な都市であったがゆえに、今まで本当の脅威と向き合うことが無かった。 当然、危険に対する備えなどは無い。
それゆえに、一度そのような危機的状況に陥れば、もはや抗すべき手段を持たないのだ。

「弱いくせにプライドだけはご立派で、ホント、うっとうしいです」

「ははは……」

「あなたもあなたです。 あっさりと引き受けてしまって」

「他に方法がありませんしね」

レイフォンはやや諦観の滲む声で言う。
あの場合、引き受けるほかに道はないだろう。 拒否したところで脅威が去るわけではないのだから。
他の誰にも解決できないのなら、自分が目を背けたところで仕方が無い。

「フェリ先輩の方こそ、よく手伝う気になりましたね。 前回の時は、たとえ死ぬことになっても戦場へ行くのは御免だと言っていたのに」

ふい、とフェリはレイフォンから顔を逸らす。

「あなたが言ったのではないですか。 この都市が消えてしまっては、自分のやりたいこと、念威繰者以外の道を探すこともできなくなると。 それは私も困りますから……都市戦はともかく、汚染獣戦なら力を貸すのも致し方ないと思っただけです。 私だって、別に喰われたいわけではありませんから……」

「……そうですか」

「それに、同じ立場であるはずのあなたが戦場に行こうというのに、私だけが駄々をこねていては、まるで子供みたいじゃないですか。 そんなのは屈辱です。 少なくとも、ツェルニの武芸者たちが弱いからといって、あなただけに負担を押し付けるのは私自身が許せません。 他の人ならともかく……。 これは武芸者としてではなく、同じ境遇にある者としての意地です」

フェリは強い調子で言い放った。
自身が武芸者であることを肯定し、望んでいる者たちがリスクを背負うのは当然のことだ。 だからこそ、彼らは尊敬や優遇を勝ち取り、またその状況を望み、受け入れているのだから。
だが、それら全てを捨ててでも一般人として生きたいと望んでいた自分やレイフォンがリスクを背負うのは間違っているとフェリは思う。 ただ力があるというだけで、他の力無き武芸者たちの分まで重荷を背負う理屈は無いはずだ。

しかし、現実は自分たちにその不条理を押し付けようとしている。 それなのに、自分だけがそこから逃げるのは卑怯だろう。 ましてや彼をその境遇に押し込めたのは兄であるカリアンなのだ。
たとえレイフォンが自身の意思でその道を選んだのだとしても、やはりその責任はカリアンにある。
そして兄の横暴によって望まぬ場所に立っている者に対して、我関せずを通す気にはなれない。
他人から卑怯と呼ばれようと気にもしないが、自分でも譲れない一線というものがある。

とはいえ、そんなことをレイフォンに向かってはっきりと言う気にはなれない。 言えば、レイフォンはさらなる重荷を背負い込むことになるかもしれないからだ。
自分のことで他者が責任を感じることを、レイフォンは望まないだろう。 ゆえに、やや婉曲的な言い方になってしまった。
そんな内心の思いを隅に追いやり、フェリはレイフォンを強く睨む。

「というかそんなことはどうでもいいんです。 それより、問題はあなたでしょう。 兄の理不尽な要求に対して、ろくに交渉もせずに引き受けてしまうなんて。 あなたは馬鹿なんですか?」

フェリの舌鋒がさらに鋭さを増した。

「それに、引き受けるにしろ、それなりの報酬を要求するべきだと思いますが? なのに、見返りが最低限の保障だけだなんて……」

レイフォンは今回の汚染獣戦に際して、相応の見返りを望まなかった。
ただ準備期間中と戦闘中はアルバイトに顔を出せないため、その間のバイト料の立替えと、戦闘後の医療費その他の補償を求めただけだった。

「僕は傭兵ではありませんからね。 都市の問題は結局、都市民の……僕の問題でもあります。 だったら、解決できる人が解決するべきですよ。 もちろん、そのために必要な経費は都市政府から出してもらうのが筋でしょうけど、それ以外で、必要以上に見返りを求めるつもりはありません」

グレンダンの時とは違う。 あの時は、都市を守るためでなく、金銭を得るためだけに戦っていた。
なぜなら、グレンダンにとって汚染獣というものは、決して都市全体の脅威ではなかったからだ。 たとえ自分が戦わなくとも、都市が滅びるなどということはあり得なかった。
だが、ここツェルニは違う。 レイフォンが戦わなければ、数多くの犠牲者が出る。
そしてその中には、レイフォンの大切な人たちも含まれるかもしれないのだ。
ならば、たとえ無償であっても、レイフォンが戦わないわけにはいかないだろう。
そんな事情を知ってか知らずか、嘆息したフェリは淡々とした声でレイフォンを評した。

「まったく……。 あなたはお人好しです」

「そうかもしれませんね」

「これから先も利用されるかもしれませんよ?}

「そうかも………しれません」

「そしてまた同じ失敗を繰り返すことになるかもしれませんよ」

「………」

「そうなったらどうするつもりですか?」

「どうって……」

レイフォンは一瞬、答えに窮した。

「同じ失敗をして、周りに憎まれて、嫌われたらどうするつもりですか?」

「……その時は、おとなしくこの都市を去りますよ」

レイフォンは儚げな笑みを浮かべて言う。

「あなたはそれでいいんですか?」

「良いも悪いも、僕が1番に望むのは、大切な人たちが生きること、彼らが笑顔で暮らせることです。 僕がこの都市を出ることで他のみんなが幸せになれるのなら、僕はここから出ていきますよ」

「嫌われてもなお、彼らを守りたいというわけですか?」

「ええ」

表情は儚げだが、その声に気負いや苦みは無い。 ゆえに本心からの言葉であるとフェリには分かった。
レイフォンにとって最優先すべきは、大切な者たちを守ること。 逆に言えば、それ以外はどうでもいい。
皆を守った末になら、たとえ憎まれることになろうとも、孤立することになろうとも、甘んじてそれを受け入れる覚悟がある。

レイフォンのやや悲しげな、しかし強い決意のこもった言葉に、フェリはしばし口を閉ざしていた。
が、やがて呟くように言葉を紡ぐ。

「……させませんよ」

「え?」

「そんなことにはならせません。 誰よりも重荷を背負うあなただけがそんな目に遭うのは間違っています。 たとえ兄に脅しをかけてでも、あなたが出ていかなければならない事態にはさせません」

語調こそ厳しかったが、フェリの言葉にはレイフォンに対する気遣いと思いやりがこもっていた。
レイフォンはどう返すべきかしばし迷った末、

「……ありがとうございます」

結局はありきたりなセリフで感謝の気持ちを示した。




















あとがき


今回は汚染獣接近の知らせと対策会議ですね。
リーリンの手紙が無いので、フェリが対抗心から料理をするエピソードなどは省略、というか変更しました。

お気づきの通り、今回の汚染獣戦は老性体ではありません。 十数体の雄性体です。 形としては、5巻の終盤のような感じでしょうか。(数は2倍以上ですけど)
変更した理由としては、最強の汚染獣である老性体との戦いはもう少し後に回そうと思ったのと、すでに多くのss作品で老性一期との戦闘が行われているからですね。 今更、他の作品よりも劇的で目新しい戦闘シーンが描けるとも思えないので。
代わりに、オリ技とかたくさん出してみたいですね。


ちなみに、フェリはレイフォンの過去を具体的には知りません。
知っているのは、グレンダンにいた頃にレイフォンが武芸で失敗し、守ろうとした者たちから憎まれる結果となって、失意の内に都市を去ったということ。 また、その失敗の原因の1つが、レイフォンの異常なまでの強さであるということくらいです。
天剣やら闇試合に関しては、今のところカリアンとゴルネオしか知りません。




[23719] 18. 戦闘準備
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2011/04/03 03:11

トントントントントントン……

まな板を包丁でたたく軽快な音が一定のリズムで調理室に鳴り響く。
周囲の注目を集めながら、音の主はそれにも気付かぬ様子で手元の野菜を切り続けている。
そばで作業をしていた女生徒たちが意外な物を見るように目を丸くした。

「はや……」

「しかも切った野菜のサイズが全部均等になってるぞ」

「レイとん………料理上手いんだね」

メイシェンの言葉に、野菜を切っていたレイフォンが顔を上げる。 目を離しながらも野菜を切る手は一切止めない。

「年季が入ってるからね。 台所の手伝いは小さい頃からやっていたし」

言葉を紡ぎながら、切り終わった野菜を脇に寄せて2つ目に取りかかる。
慣れた手つきで不要な部分を切り落とし、皮を剥き、それからあっという間にスライスしてしまった。 早さといい正確さといい、包丁捌きだけなら料理上手のメイシェンよりも上だ。
切り終わった野菜類をまとめてフライパンに放り込み、白ワインとからめて炒めた後、煮込み用の鍋に移した。
鍋の中にはメイシェンが作っておいたクリームソースがなみなみと入っている。
蓋をして料理が出来上がるのを待つ間に、再び女生徒達が口を開いた。

「にしてもレイとん、料理できたんだね~。 不器用そうだからてっきり毎日レトルトとか出来合いばっかり食べてるのかと思ってた」

「同感だ。 まさかレイとんにこんな隠れた才能があったなんて」

ミィフィとナルキが口々に言う。 その声の響きは、若干悔しそうだった。
レイフォンは苦笑しつつそれに応える。

「まぁ、これでも子供の頃から家事は一通りやってきたからね。 家庭料理なら大抵の物は作れるよ」

「へぇ~、意外。 レイとんって料理好きなの?」

「いや、そういうわけじゃないけど……僕が育った孤児院じゃ料理は皆で作るものだったからね。 特に僕は年長だったから、台所では中心になってたし」

「成程」

「ただ、こっちに来てからは料理をする頻度が減ってるかな。 朝はできるだけ寝ていたいし、バイト帰りの夜は料理する気も起きないから」

「機関掃除だもんね」

「正直いつも昼食をメイに作ってもらってるのは悪い気もするんだけど……実際のところ、かなり助かってるんだよね」

メイシェンが飛びあがるように髪を跳ね上げ、それから勢いよく首を振る。

「う、ううん! わ、私が好きで作ってきてるだけだから……き、気にしなくていいよ」

「ありがとう。 でもやっぱり貰ってばかりじゃ悪いから、ナッキの時みたいに何か困ったことがあったら気軽に相談してね。 出来る限り力になるから」

「う、うん……。 わかった……」

メイシェンが頬を紅潮させたまま頷いた。
話しているうちに鍋の中身が完成したので、コンロの火を止めてから、お玉を使って鍋の中のクリームシチューを人数分の深皿に盛りつける。
同時にオーブンで焼き上がった鶏肉を取り出し、調理台の傍にある食事用テーブルの皿に載せていった。
テーブル上に皿を並べ、手早く調理器具を流しに入れてからそれぞれ席に着く。
レイフォン達の班のテーブルでは良い匂いが漂っていた。

「それじゃ、いっただっきま~す」

真っ先にミィフィがスプーンを取ってシチューを食べる。
すると、その顔がみるみるとほころんでいった。

「う~ん。 やっぱしメイっちの料理は絶品だねぇ~」

「うん、美味い。 やはりというかなんというか、流石だな」

「レイとんが作った鶏肉の香草焼きも美味しいよ」

「それは何より」

今日の昼休憩前の授業は調理実習だった。
教師役の上級生は飲食店で厨房を担当している女生徒数人だ。
今日の授業でのメニューはクリームシチューとサラダ、鶏肉を使った自由料理。
ツェルニには一人暮らしをしている生徒が多いので、中には自炊している生徒も大勢いる。 そういった者たちがそれぞれの班の中心になって調理を進めているのだが、まだ家事などに慣れていない者も多く、大抵の班では作業があまりはかどっていない。
それに比べると、レイフォン達の班は早さといい料理の出来栄えといい他の班とは一線を画していた。
一足先に美味しい食事にありついたレイフォン達に周囲の生徒の羨望の視線が集中する。

「ふっふっふ。 いいでしょ~。 これがうちの班の実力さ」

ミィフィが近くの生徒に向かって自慢げに胸を張る。
対してナルキが呆れたようにツっこんだ。

「お前は大したことしてないだろう。 いや、あたしも野菜切ったり鍋をかき混ぜたりとか簡単なことしかしてないけどな」

メイシェンは味見させてほしいと申し出てきた女生徒達に、おどおどしながらも軽くシチューをよそってあげている。
美味しいと言って微笑む彼女たちに、メイシェンも恥ずかしそうな笑みを浮かべた。

それに比べてレイフォンに向かう周囲の男子生徒たちの視線は鋭かった。
女子3人と班を組んでいたことや、クラスで1番可愛いメイシェンの料理を公然と堪能できることもそうだが、それだけではないだろう。
レイフォンは武闘会で優勝した実力のある武芸者であり、ツェルニでの知名度も高い。
それでいて、武芸者にありがちな気取ったところも無く、基本的に優しい性格をしており、おまけに顔立ちも整っていて武芸で鍛えられているために均整のとれた体つきをしている。
当然、そんなレイフォンを見るツェルニの女生徒達の視線には分かりやすいほどにある種の感情が浮かんでいた。

普段、あまり社交的ではないレイフォンは、メイシェンやナルキ達以外の生徒とは若干距離を置いている。
ゆえに、これまではあまり話す機会が無かったのだが、この女生徒達は調理実習といういつもと少し違った雰囲気を利用してレイフォンと“お近付き”になろうとしているのだ。
ただでさえスペック面で他の男子を圧倒しているレイフォンが、意外に料理ができて家庭的であるということでクラスの女子たちにチヤホヤされているため、多くの男子生徒は嫉妬の炎を燃え上がらせていた。

結果として、何対もの視線がシチューをすするレイフォンに突き刺さっている。
しかしレイフォンは、そんな周囲の態度にも気付かぬ様子で黙々と料理を食べていた。
大勢の女生徒の賛辞にも、照れた様子も無く平然と受け答えをするレイフォンに、メイシェン達は喜ぶべきか呆れるべきか少し迷う。
と、ここで教師役の上級生がレイフォン達のテーブルに集まっていた生徒達に自分の班の作業に戻るよう言ったため、女生徒たちは渋々と自らの調理台に戻っていった。
周囲がやや静かになったところで、再びミィフィが口を開く。

「お昼も食べちゃったしさ、今日の昼休みはどこかでデザートでも食べにいかない? この校舎の近くに良いお店があるらしいよ」

「それもそうだな」

「僕もかまわないけど」

「わ、わたしも大丈夫」

「んじゃ、決定で」

その後、レイフォン達が食べ終わる頃には終業のチャイムが鳴った。
レイフォン達の班よりも料理の完成が遅かったため、大半の生徒たちはまだ自分の作ったシチューを食べている。
すでに食べ終わったレイフォン達は手早く食器を片づけてから教師役の上級生に挨拶をして調理実習室を出た。
校舎から出て、ほんの少し歩いたところでミィフィが言っていた店に到着する。
店に入って席に着いたところで、注文を取りに来た店員にいくつかのケーキと飲み物を頼んだ。

「そういえばさ、今日の放課後はみんな用事ある?」

ケーキが来るのを待つ間に、ミィフィが3人に訊ねた。

「あたしは特に何も無いぞ。 どこか行くのか?」

「うん。 午後の授業が終わったらみんなで遊びに行かないかなって話。 まぁ食べ歩きじゃなくて買い物の方なんだけど。 サーナキー通りで新しい百貨店が開くらしくってさ。 今日はそこで開店セールやってるから見に行かない?」

「別に構わないが……何を買うんだ?」

「まずは服とかかな。 入学してしばらくはそんな余裕なかったけど、最近バイトで稼いだお金も貯まってきたし、この機会に色々と買い揃えとこうと思ってさ。 メイっちとレイとんはどう?」

「わたしはいいよ。 今日はバイト無いし」

「可愛い服いっぱい買わなきゃね。 あ、折角だからレイとんに好きなやつ選んでもらうってのはどう?」

「ミ、ミィちゃん!」

「僕は………」

今日の予定を思い起こす。
一瞬、心に冷たい物が走った。
そんな内心を押し殺し、申し訳なさそうな態度でミィフィに答える。

「悪いんだけど……今日は放課後に用事があるんだ。 だから百貨店には行けないかな」

「おろ、用事って? 今日はバイト無かったはずだと思うけど」

教えた覚えの無いレイフォンのバイトのシフトを何故知っているのか疑問ではあったが、今さらだろうと思い、レイフォンは特に触れなかった。

「野暮用って言うか、バイトとかじゃなくて個人的な用事。 もしかすると夜までかかるかもしれないから、遊びに行くのはちょっと無理だと思う」

「そっかぁ……残念。 また今度ね」

「うん。 ごめんね。 また今度」

ミィフィに向かって謝るレイフォンの様子を、メイシェンは不安げに見ていた。




放課後。

「はぁ~……」

我知らず溜息が洩れた。
正直、これからやることを思うと憂鬱になってくる。 クラスメイトと遊びに行く方が何百倍も楽しいだろうに。
何が悲しくてこんなことを………。

フェリの言葉も引っ掛かっていた。
戦いを望まないレイフォンが何故戦うのか。
どうして断るそぶりも見せないのか。

何故か。
そう問われれば答えは一つ。 他にやりようが無いからだ。
問題は目先の戦いだけで済む話ではない。 この戦いだけを乗り切れば全てが解決するわけではないのだ。

汚染獣の問題がこれで終わりだという確証は無い。
その度に他の武芸科生徒を動員していては、相当数の被害が出ることになるだろう。
ツェルニの防衛力は確実に低下していくだろうし、武芸大会にも響いてくる。

あらゆる可能性や危険性、状況を鑑みた結果、レイフォンが戦う以外に道は無いと判断したに過ぎない。
それが最善とは言わずとも、最良の選択だとレイフォンは思っている。
あくまで消去法。 カリアンの言葉を借りれば、「状況が他の道を許さない」ということだ。
レイフォンは取り乱すこともせず、極めて冷静なままその現実を受け止めていた。

しかしやはり理性と感情は別だ。 内心、含む物が無いと言えば嘘になる。
最初は武芸を捨てるつもりでツェルニに来たというのに、今のレイフォンはそこから最もかけ離れた状況にいるような気がしていた。
武芸を続けていること自体に対しては既に葛藤や忌避感は感じていない。
だが、こうも状況がレイフォンを武芸の道に押し込めようとしているのを思うと、嘆きたい気持ちになってくる。

「やあ、しばらくだね。 準備はできてるよ」

錬金科研究室の一つに入ったレイフォンを出迎えたのは、以前、武闘会の打ち上げで顔を合わせたハーレイだった。

「とはいっても、錬金鋼はまだ完成してないんだけどね。 材料はできてるけど、形の方は今から君の注文に合わせて決めるから」

そう言ってハーレイは机の上の箱から数本の基礎状態の錬金鋼を取り出してみせた。

「さて、どんな武器がいい?」

笑顔で聞いてくるハーレイに、レイフォンは自分が求める武器について説明する。


こんなこと………迫る汚染獣との命懸けの戦いのための戦闘準備。

昼休みまでの和やかな時間をどこか遠く懐かしい物のように感じる。
そう思うと、今のこの状況に苦い物を感じずにはいられなかった。

























時刻はすでに深夜だが、周囲は音で満ちていた。
当然だ。 ここは都市の心臓部である機関部。 常にさまざまな作動音がひしめいている。 都市が移動を続ける以上、その音が止むことは無いのだ。
そんな中で一人、ニーナはモップで床を磨いていた。
仕事を始めた頃は授業中にもここの音が聞こえているような感じがして随分と落ち着かなかったものだが、今ではまるで気にならない。

床を磨きながら、時々、何とはなしに周囲を見渡す。 しかし目当ての人物は見つからない。
もともと今日はシフトから外れており、いないことは分かっているのだから当然と言えば当然だが、それでもどうしても気になってしまう。
気になっているのはレイフォンだ。

レイフォンとはここのバイトで初めて顔を合わせて以来、シフトの被った日は毎回ペアを組んで作業していたのだが、ここ数日の間に2度もレイフォンがバイトを休んでいるのだ。
1日だけならそう気にする必要も無いだろうが、一昨日の欠席で当番の日に機関掃除に来なかったのは2回目だ。 しかも、それほど日を開けずに連続で休んでいる。

まだ短い付き合いとはいえこんなことは初めてだし、レイフォンらしくないような気がする。
班長の話では、どうも生徒会長の用事で来れないとのことだったが、何をしているのかまでは知らないらしい。
その話に、ニーナは表現しようの無い不安を感じていた。

レイフォンの行動に違和感を覚えたのはそれだけではない。
数日前、十七小隊の訓練にレイフォンが参加した時、珍しくレイフォンはニーナの居残り訓練に付き合ってくれた。
それだけでなく、以前から教えてほしいと頼んでいた技、金剛剄の修行をつけてくれたのだ。

練習は大変だったし、未だモノにできているとは言い難いが、それでも手応えのようなものは感じていた。
それに今までは基礎能力が足りないから教えないと言われていたのに、言った本人であるレイフォンから教えようと申し出たのだ。
その時ニーナは、自分よりも数段上手にいるレイフォンに実力を認められたような気がして嬉しかった。

武闘会の少し前に対抗試合で第十四小隊に敗北した時は悔しかった。
しかしレイフォンに訓練を付けてもらうようになってからは、自分が少しずつ、しかし確実に強くなっていることを実感していた。
少し前に開かれた十七小隊にとって三回目の対抗試合で勝利したことも、ニーナの自信をより深めていた。

だからこそ、レイフォンが金剛剄を教える気になったことが嬉しかったのだ。
ただ新しい技を覚えることができるというだけでなく、実力者であるレイフォンに自身の成長を認められたような気がしたのである。
日々の訓練の中で、自分が以前よりもずっと強くなれたのだと思った。
レイフォンに師事して訓練を付けてもらった時間は無駄ではなかったのだと感じていた。

しかしニーナに金剛剄を教えた辺りから、レイフォンはバイトを休むようになった。
詳しい理由も言わないまま、すでに2回連続で休んでいるのだ。
事情を聞こうと思っても、数日前に金剛剄を教わって以来、レイフォンは練武館にも顔を出していない。
もともと、それがなければバイト以外で特に接点も無いのだ。 ニーナは急にレイフォンとの縁が切れたような気持ちがした。

そう考えると、いきなりニーナに金剛剄を教えようなどと言いだしたことも引っ掛かる。
何か別の思惑があったのではないかと感じるのだ。
たとえば、もう二度と顔を出すことは無いから、今の内に教えられることは教えておこうとでも思ったのではないか、などと。

そこまで気になるのなら教室を訪ねて直に訊いてみればいいとも思うのだが、何となくそれは気が引けた。
そもそも自分はレイフォンにとってどういう人間なのか。
ニーナはレイフォンから教導を受けてこそいるが、師と弟子というほど近しい関係だとは言いづらい。 せいぜい距離感としては、教師役の上級生と一般学生、といったところだ。 それは大して深い関係とは言い難い。

となると、ニーナはレイフォンにとって単なるバイト先の先輩でしかない。
そんな自分が教室を訪ねるのは、レイフォンにとってもあまり嬉しいことではないだろう。

結局のところニーナにできることは、レイフォンと次に顔を合わせるまで詳しい話を聞くことを我慢することだけだ。

レイフォンの身に何か起きているのではないか?
もしそうなら、自分に何ができるのだろうか?

そんな漠然とした不安を感じながら、ニーナは機関部の床を磨いていった。

































日はすっかり沈み、光一つ存在しない野戦グラウンド。
広々としたその空間の中央で、レイフォンは悠然と佇んでいた。

手にした基礎状態の錬金鋼を復元させる。
レイフォンの右手に呆れるほど大きな刀が現れた。
全長がレイフォンの身の丈ほどもあり、刀身は黒く幅広で、かなり肉厚だ。

それを顔の高さまで持ち上げてみる……重い。
ずっしりとした重量感を手首に感じながら、左手で柄尻を握り正眼に構える。 それから大きく振りかぶり、上段から勢いよく振り下ろした。
もともとの重量に遠心力が合わさって、振り下ろした後で体が崩れる。

「ふむ……」

一旦深呼吸を行い、内力系活剄を走らせる。
肉体を強化。 全身の筋肉の密度が増したような、それでいて空気にでもなったかのように体が軽い。
その状態で再度、刀を振る。 空気を引きちぎり、風が巻き起こった。
立て続けに横薙ぎ、斬り上げ、袈裟斬と型を繰り返すが、どうもしっくりとこない。 
どうしても、遠心力に振り回されそうになる感じが消せそうにない。

「ふぅー……」

一旦大きく息を吐き、もう一度巨刀を構える。
そして再度刀を振るった。
先程と同じように基本の型を一通り。 再び刀の重さによってレイフォンの重心が揺さぶられる。
しかし今度はそれに合わせて自らの重心の位置を修正していく。
巨刀の重さが起こす体の揺れを力任せに御するのではなく、その重さによる体の流れを制御するのだ。
巨刀にかかる運動エネルギーの流れに逆らわず、むしろそれを利用し、力の流れに乗る。

レイフォンはその場にとどまらず、グラウンドを縦横無尽に移動しながら刀を振り続けた。
さらにその動きをコントロールし、刀を振るいながら自身の意図した方向に移動する。
その動きは、普段刀を振るっている時とはまったく異なっていた。

鋼鉄錬金鋼の刀を振るう時のような重心の据わった動きではない。 むしろ刀を振るうと同時に地面から足が離れ、体が宙に浮く。
さらに空中で体を回転させ、刀の重量と力の反動を利用して次の一撃を放つ。 その一撃で起こる力の流れを即座に次の一撃のための流れに変化させる。
それを繰り返しているうちに、レイフォンの足はほとんど地面に着かなくなった。
さらに数回地面を蹴る間に、十数回の斬撃の型を行う。
やがてレイフォンが静かに動きを止めると、吹き荒れていた風が徐々に収まっていった。
静寂が満ちる中、

「ふっ!」

短い呼気と共に剄を両脚に集中し、強化した脚力で地面を蹴る。
真上に跳躍し、宙に舞い上がったレイフォンは、空中でさらに刀を振るう。
刀が生み出す力の流れが、レイフォンの体を振り子のようにあちこちに移動させながら落下させる。
着地、そして再びの跳躍。

何度も何度もそれを繰り返していくうちに、滑空時間が少しずつ延びていく。
刀の重量による力の流れを制御して空中で移動するのは地面にいるよりも遥かに難しいが、レイフォンはそれを何度も繰り返すことでコツを体に刻んでいく。
十数回ほど跳躍したところで、レイフォンは一旦動きを止めた。
息を整えた後、左手で剣帯からもう1本の錬金鋼を抜く。

「レストレーション01」

錬金鋼に剄が流れ込み、鮮やかな光を伴って復元される。 レイフォンの左手に、青い刀身を持った刀が現れた。
それを何度か左手だけで振り回し、具合を確認してみる。 鋼鉄錬金鋼製の刀よりもやや軽いが、問題視するほど違和感は無い。 剄の通りだけでいえば、むしろ鋼鉄錬金鋼よりも具合が良かった。
宝石のように輝く刃をさらに数回振るった後、再び起動鍵語を呟く。

「レストレーション02」

途端、左手に持った刀の青く輝く刀身が消えた。
レイフォンの手の中には、刀身を失った柄だけの錬金鋼が残る。
いや、違う。
レイフォンが握った柄の先端から、かすかに青く光る物がまるで糸のように伸びていた。
鋼糸、と呼ばれる武器がある。 その名の通り、鋼でできた糸だ。
レイフォンが左手に持った錬金鋼の刀身が無数に分裂し、肉眼ではほとんど視認できないほどに細く長く伸びた糸状になっているのである。

瞬間、柄の先端付近で無数の光が閃いた。
レイフォンの手元から伸びた極細の糸が四方八方に飛びまわり、周囲の木々に絡みつく。
しかしレイフォンの左手はピクリとも動いていない。 手に持った錬金鋼の柄を一切動かすことなく、鋼糸だけを操作している。
剄を錬金鋼の糸に走らせることによって己の手足のごとく自在に操っているのだ。
ただ動かすだけではない。 鋼糸に流れるレイフォンの剄は、触れた物の形や触覚までもを伝えてくれる。
感覚器官の代替……いわばもう1つの目であり耳だ。

独りでに宙を走った鋼糸は木から木へと飛び移り、あたかも蜘蛛の巣のように木々の間に張り巡らされる。
それを確認するや、レイフォンは再び跳躍した。 
一足飛びで一本の鋼糸の上に着地する。 非常に細い糸だが、その強度は錬金鋼だけあってかなり強靭だ。 レイフォン1人の体重くらいわけなく支えられる。 いや、その気になれば、遥かに重いものでも持ち上げることが可能だろう。

僅かに沈んだその鋼糸の張力を利用して、レイフォンは再度跳び上がる。
それを繰り返し、レイフォンは右手に巨刀を携えたまま空中を縦横無尽に動き回った。
鋼糸から鋼糸へと跳び移り、あるいは木々の間に渡された鋼糸の上を走ることによって、本来では身動きの取れない空中での移動を実現する。 時には手元から新たな鋼糸を飛ばして他の木に縛り付け、滞空状態から方向を変えたりなどもして見せた。
傍から見れば、レイフォンが何も無い空中で走り回っているようにも見えただろう。

そういった移動の練習を何度も何度も繰り返す。
しばらくの間それらを続けていたレイフォンは、数分ほどしてようやく動きを止めて地面に降り立った。
それと同時に、周囲に広がっていた鋼糸を一斉に閃かせる。
鋭い風斬り音が鳴ったかと思うと、周辺一帯に生えていた何本もの木々が同時に斬り倒された。
レイフォンが鋼糸で斬り裂いたのだ。
研ぎ澄まされた鋼の糸は、ただの便利な道具ではなく、それだけで鋭利な凶器となる。
まるで森のように木が生い茂っていた空間の一角が、空地のように見晴らしがよくなった。

それを見届けるや、レイフォンは大きく息を吐き、剄の余波を払う。 それから両手の錬金鋼を基礎状態に戻した。
終わりを察したのか、野戦グラウンドに照明が灯る。

「どうだった? 複合錬金鋼(アダマンダイト)の感触は」

近付いてきたハーレイが訊いてくる。

「そうですね……ちょっと重いですけど、取り回しにはさほど問題ありません。 あとは……」

レイフォンは正直な感想を口にする。 ハーレイがそれに頷きながらメモを取っていった。

「それにしても……近くで見るとまた随分大きいねぇ」

ハーレイに続いて近寄って来たカリアンがレイフォンの持った刀を見て、若干呆れたようにそう漏らした。
その隣には今回の汚染獣戦を手伝うフェリと、開発を担当しているキリクがいる。

「基礎密度の問題で、どうしてもこのサイズになっちゃうんですよね。 すでに1度完成してるわけですし、改良すれば軽量化もできると思いますけど……。 まぁそのためにはもう少しデータを取る必要があるんですけどね」

「ふむ。 それじゃあ、開発そのものは上手くいっているのかな?」

「そっちはまったく問題ないですよ。 もともと、基本の理論はキリクが入学した時からできてましたし。 あとは実際に作った上での不具合の有無の確認。 まぁ、微調整だけですね」

「作れる機会があるとは思っていなかったがな。 前回の時の機関砲もそうだが、こんなものを使える人間が学園都市などにそうそういるはずもない」

「……まさかこういう形でその機会が来るとは思わなかったけどね」

キリクの言葉にハーレイの表情が曇る。
汚染獣の接近は今のところ秘密ということになっており、都市民たちには知られていない。 知っているのは上層部のなかでも限られた者たちと、当事者および関係者だけだ。
当然、開発者たちにまで秘密というわけにもいかないので、ハーレイやキリクといった開発陣には知らされていた。
カリアンが仕方ないというふうに首を振る。

「これも都市の運命だと諦めてもらうしかないな」

「……そうですね。 来てほしくない運命ですけど」

呟きはやや悲しげだったが、すぐさまハーレイは顔から曇りを消し、気を取り直して質問を続ける。

「そういえば鋼糸の感触はどうだった? いちおうレイフォン君の言う通りの数値で作ってみたけど」

「大丈夫ですよ。 剄の通りも良いですし、特に問題はありません」

「それはなにより。 でも、ホントによかったの? 1つの錬金鋼に2つの形状を設定するなんて、普通はかなり使い勝手が悪くなるものだけど……。 多少かさばっても2つの錬金鋼を持った方がよかったんじゃ?」

ハーレイの意見は至極真っ当だ。
錬金鋼を復元する場合、武芸者は起動鍵語と共に剄を流さなければならない。
だが、剄の性質は個人によってそれぞれ違う。 加えて錬金鋼というものは、長く使っているうちに使用者の剄に馴染んでいき、その性質を記憶していくものだ。
結果、長年使われた錬金鋼はその所有者以外には使えなくなる。 使うだけならばともかく、基礎状態から復元できるのは剄を記憶させた所有者だけだ。

ゆえに、1つの錬金鋼に設定を2つ持たせるためには、2種類の性質の剄を記憶させる必要がある。 あるいは起動設定に剄の発生量を設定するほかない。
だが、これらの方法はどちらも非常に難しく、使い分けられる者など滅多にいないし、できたとしても普通はあまり意味が無い。
ゆえに、あまり現実的とは言えない方法なのだ。
しかしレイフォンのように多様な技を使いこなし、場合と状況に合わせて剄や武器を使い分けるような戦い方をする者にとっては、これらの技法は容易であると同時に有効でもある。

「大丈夫です。 グレンダンでも同じようにしてましたし……。 それに、いざという時のためにも、やっぱり刀の形状を持たせておきたいですしね」

レイフォンが鋼糸用に選んだのは青石錬金鋼(サファイアダイト)だった。
青石は剄の許容量・伝導率がともに優れており、そのほか耐久性などにおいてもバランスの良い材質だ。
どちらかといえば軽量で、スピード重視の錬金鋼でもある。
基本的に青石は鋼糸として使うつもりだが、戦いの流れ次第では刀としても使うつもりだった。
と、ここで再びキリクが言葉を挟む。

「それにしても随分と器用だな。 ただでさえ扱いの難しい鋼糸という武器に、さらにそんな使い勝手の悪い設定までつけてなお使いこなせるとは」

「確かにね。 正直、錬金鋼をあんなふうに使う武芸者は初めて見たよ。 その鋼糸もサイハーデン流なの?」

「いえ、鋼糸の方は父さんに教わったものじゃありません。 リンテンス・ハーデンっていう、凄腕の武芸者から教わったんですよ。 確か、その人が独自に編み出した技だって聞いてますけど」

「へぇ……。 そのリンテンスって人も、やっぱり強いの?」

「ええ、かなり強いです。 正直、僕ではまるで歯が立ちません。 というか陛下を別格とすればグレンダンでも最強と呼ばれる武芸者ですしね」

「へぇ~!? 武芸の本場、槍殻都市グレンダンで最強? そんなすごい人に技を教えてもらったんだ」

「さて、もう話はいいかな? さすがにそろそろ引き上げないと」

カリアンが口を挟み、今日のところはこの辺りで終了となった。
全員で連れだって出口へと向かう。
グラウンドから出たところで、カリアンは施錠のために分かれた。
キリクとハーレイも、建物から出たところで別れを告げる。

「これから研究室に戻るつもりなんだ」

「これからって……もう夜ですよ?」

「でもせっかくデータ取ったんだから、今日のうちに分かったところはまとめとこうと思ってね。 まぁ珍しいことじゃないよ。 研究に没頭しててそのまま夜が明けたりとか結構あるし」

そういえば何度か訪ねた事のある研究室で毛布やらレトルト食品やら、やたらと生活感あふれる品を目にしたことがあったが、しょっちゅう泊まり込みで研究を続けていたのか。
しかしそれでも、幾分か申し訳なくなる。

「すいません。 僕のために……」

「いいんだよそんなこと。 汚染獣の問題は君だけのものじゃないんだから。 むしろ僕たちの方が謝らないといけないよ。 命懸けの危険な戦いを、君だけに押し付けようとしてるんだから……」

「まったくです」

フェリが憮然とした態度でそう言うと、ハーレイがますます小さくなる。
と、そこでキリクが前に出てきた。

「とにかく、開発について詫びる必要は無い。 武器を作るのが俺たちの仕事だ。 お前はそれを最大限に活かせばそれでいい」

キリクに気を遣うような事を言われて、レイフォンは少々驚いた。 とはいえ言葉はあくまでぶっきらぼうであり、顔は普段通りの不機嫌面のままだったが。

「お前の鋼糸の使い方を見て、複合錬金鋼の改良の仕方にもある程度の見通しができた。 時間はかかるかもしれんが、必ず戦いには間に合わせる。 とにかくお前はこの戦いに勝つことだけを考えろ」

それだけ言うと、キリクは車椅子を動かして錬金科棟の方へと向かって行った。 ハーレイもそのあとを追う。
人気の無いグラウンド前の通り。 あとにはフェリとレイフォンだけが残された。

「では、私たちも帰りましょうか」

「え? でも会長は?」

「兄は兄で勝手に帰るでしょう。 それともあんな陰険腹黒男とわざわざ一緒に帰りたいのですか?」

「まさか」

思わず即答してしまった。

「では早いところ帰りましょう。 いえ、その前にどこかで夕飯でも食べていきますか。 あなたは運動してお腹が空いているでしょうし」

「それは構いませんけど………僕、あんまりお金持ってないですよ?」

「心配いりません。 兄から軍資金をせしめておきましたから」

そう言うと、フェリはポケットから数枚の紙幣を抜き出してみせた。

「今日は私が奢りますから、遠慮せずに食べてください」

「え、でも……奢ってもらうのは何となく悪い気が……」

「そんなこと気にする必要はありません。 こちらの……というか兄の都合で付き合わせたのですから、このくらいの役得は当然の権利です。 どうせ兄の出費なのですから、びた一文残さず使いきってやりましょう」

「いや、そんな意地にならなくても……」

そう言いつつも、カリアンのお金と聞いてレイフォンも遠慮する気持ちが薄れていった。 なんとなくだが、あの人にはあまり遠慮や気遣いはいらないような気がする。
………色々と迷惑や気苦労も掛けられてきたことだし。

「では、お言葉に甘えて」

「最初からそう言えばいいんです」

言うとフェリは先に立って歩き出す。
レイフォンも、一歩後ろからそのあとを追った。





















生徒会長室に戻ったカリアンは残っていた雑務を片づけにかかった。
汚染獣が近付いているからといって、通常の執務を怠けるわけにはいかない。
結果的にカリアンは、これまで休憩や睡眠に費やしていた時間を削って仕事に当たらなければならなかった。

様々な書類に目を通しながら、秘書としての仕事を任せている生徒会役員が運んできた夜食を喉に流し込む。
味は感じない。 栄養さえ取れれば問題ないので、気にすることも無い。 味にはうるさい方だが、仕事中の食事はあくまで作業の一つとしてみなしているのだ。
徹夜に備えて眠気覚ましのコーヒーを飲む。 その間も書類からは目を離さない。

戦闘に備えてやるべきことは山のようにある。
レイフォンの戦闘準備 ――― 錬金鋼の開発・研究費、ランドローラーの整備及び燃料、都市外用装備の改良など ――― の監督と、それらに必要となる費用の捻出。 その予算編成。
今日のレイフォンの複合錬金鋼の試用もその一つだ。 今夜の野戦グラウンドの使用許可を出したのはカリアンとヴァンゼである。
時間は限られているが、汚染獣と遭遇するまでには、レイフォンが全力で戦えるように準備を完了させたかった。
レイフォンの敗北はそのまま高い確率でツェルニの滅亡にも繋がるのだ。

しかし都市責任者として、レイフォン一人に都市の命運全てをゆだねてしまうのは危険だとも判断している。 いざという時の備えを怠るわけにはいかないのだ。
いざという時………すなわち、万が一レイフォンが汚染獣に敗北した場合だ。

その時は他の武芸科生徒たちが矢面に立って戦うことになるだろう。
未熟者とはいえ武芸者である以上、敵が迫った時には都市の防衛を司る者として戦う義務と責任があるのだから。
しかし今回の相手は雄性体。 前回のような体たらくでは都市を守りきることは不可能だ。
現在ツェルニでは、そんなことにならぬよう、武芸科生徒の間で指揮系統を確認し、また、汚染獣戦に関する記録をもとにした対抗策のマニュアル作りなども行っていた。

いざ汚染獣が襲ってきた時、武芸者たちが慌てることなく戦えるようにするためだ。
最低でも、幼生体戦の時のように恐怖や焦りで力が発揮できないなどという事態にだけはしたくない。

もっとも、こちらの方は主にヴァンゼがやってくれているので、カリアンは特に気にしていない。
ヴァンゼならば上手くやるだろう。
たとえどんなに上手くやったところで、レイフォンを破るような敵を相手には何の意味も無いのかもしれないが……。

今回の戦いにおいては、カリアンは状況次第でミサイルなどの質量兵器の使用をも考慮に入れている。
武芸者の攻撃も通用しない汚染獣の頑丈な外皮も、質量兵器の前ではひとたまりも無い。
すでに機械科の方には、質量兵器をいつでも使えるように整備の指示を出してある。 名目上は、前回のことを教訓として、常に危機に備えておくためだと言って。

また、質量兵器を投入した結果の都市資源の枯渇に備えての対策もあらかじめ練っておかねばならない。
都市が移動を続ける以上、一時的に保有できる都市資源の量には限界がある。 ミサイルなどの質量兵器は使い捨てであり、一度使えば次の補給までは作ることも使うこともできなくなるのだ。
だからこそ、都市防衛においては武芸者による戦闘が主な手段となるのである。 どの都市でも、余程のことが無い限りは質量兵器の使用にまでは踏み切らない。

しかし事ここに至っては、そんなことも言ってはいられない。
出し惜しみをした結果、都市が滅んでしまっては意味が無いのだから。
そしてだからこそ、質量兵器を使用した場合に備えて、今後の予算の編成などもあらかじめ決めておく必要がある。

ただ人々の命さえ守れば、都市を守ることができるというわけではないのだ。
人々の生活を守り、夢を守り、未来を守る。
それが都市責任者としての役目なのだから。


戦う前にも、戦った後にも、やるべきことは山のようにある。
だが、どれだけのことをしたところで、最終的に戦いそのものはレイフォンに任せるしかないのが実情だ。
どんなに用意周到であっても、結局のところ一番危険を背負い込んで戦うのはレイフォンなのだから。

カリアンにできることは、事前準備と事後処理の手伝いだけだ。
いや、都市責任者とは本来そういうものなのかもしれない。
だがそれでも、一人の人間に任せきりにならねばならないこの現状が歯痒いのは確かだった。

自分にも力があれば。 そう考えたことが無いわけではない。
そうであったならば、妹やレイフォンの目的と生き方を邪魔することも無く、業を背負わせることも無かっただろうに……。

だが、そんなことを言っても栓無きことだ。
全ての人間が自分の望む力を持って生まれるわけではない。
全ての人間が自分の望んだ生き方を選べるわけではない。
ならば状況をあるがままに受け止めた上で決断するしか方法は無い。

だからこそ、カリアンは今自分にできることをする。
所詮、自分のような凡人にできることは、レイフォンやフェリが何の憂慮も無く戦えるよう、できる限り場を整えることだけなのだから。


















あとがき

せっかくの春休みであるというのに、あまり執筆・更新速度は上がりませんでした。
むしろ下がってる?

新学期が始まってこれから忙しくなるというのに、先行きが心配になってきます。ちゃんと完結できるのでしょうか?
とはいえ、できる限りストーリーを進めていきたいと思いますので、これからもお付き合いいただければ幸いです。

次はそろそろレイフォンの出発になると思います。
汚染獣との衝突はその次あたりでしょうか。




[23719] 19. Silent Talk - former
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2011/05/06 02:47


複合錬金鋼の性能テストから数日たった放課後、

「な~んか、ここ最近忙しげ?」

レイフォンがすぐさま教室を出ようと席を立ち上がった時、その背に声をかけてきたのはミィフィだった。
当然ながら、すぐ後ろにはナルキとメイシェンもいる。

「え、そうかな?」

「そうでしょ。 ここんとこ、いっつも放課後都合つかないじゃん。 遊びに誘おうと思ってもなかなか捕まらないし。 わざわざバイトの無い日を選んで誘おうとしてるのに、レイとん、いつの間にか教室からいなくなってたりするもん」

まずい。 レイフォンは内心でそう思う。
自分では極力平静かつ普段通りに振る舞っていたつもりだったが、ここ最近はやはり、普段とは行動パターンなどが変わっていた。 どうやらミィフィはそこに不審を感じているらしい。
レイフォンはとっさに誤魔化そうとするが、上手い言葉が出てこない。 もともと言葉で他人をあしらうのは得意ではないのだ。
かといって本当のことを言うわけにもいかない。
カリアンから口止めされているというのもあるが、それ以上に、彼女たちには余計な不安や心配をかけたくなかった。
汚染獣の脅威など、知らずに済むならそれに越したことは無い。
レイフォンは必死に言葉を選びながらミィフィの問いに答える。

「えっと……最近ちょっと錬金科研究室の方に顔を出してたんだ。 キリクさんには以前から世話になってたし、新しい錬金鋼の開発を手伝うって前々から約束していたからね」

いちおう嘘ではない。 以前からキリクには複合錬金鋼の開発の協力を頼まれていたのは本当だ。
忙しかったのは汚染獣戦の準備のためだが、その一環として何度か研究室を訪ねていたのも本当である。
しかし、明らかに声が苦しそうなのが自分でも分かった。
ミィフィの表情にさらに不信感が募る。

「ほんとにそれだけなの? 最近はバイトの方にも顔出してないって聞いてるけど」

そんなことまで知っているのか。
確かに、レイフォンはここのところ何回かバイトを休んでいる。
戦いに備えて疲れを溜めないようにという理由もあるが、それ以上に、汚染獣が突然動きだしてツェルニに近付いてくる可能性を考慮しているのだ。
すでに都市の進行方向上に汚染獣がいる以上、都市が危険を回避するという前提自体を捨てて考えなくてはならない。
今は活動を止めている汚染獣が突然動き出して襲ってきた時に備えて、ここ数日、レイフォンはいつでも戦えるように待機していた。
他にも、フェリとアルマが交代しながら定期的にツェルニの周囲を探索し、敵の接近に備えたりなどもしている。
ツェルニの首脳陣は、生徒たちの預かり知らぬところで、完璧とは到底言えないまでも着実に防備を固めていたのだ。
が、そんな事情を説明できるはずもなく、レイフォンがどう答えるべきか迷っていると、ミィフィが重々しい口調でさらに訊いた。

「もしかして………女ができた?」

「は?」

ミィフィの予想外の台詞にレイフォンは目を丸くした

「………なんでそんな結論に?」

「だってここ最近、十七小隊のロス先輩と一緒にいるところ、よく目撃されてるみたいじゃない。 先輩目立つからね。 隠したって無駄よん」

レイフォンは言葉に詰まった。
さらに横で話を聞いていたメイシェンの顔が青ざめる。
それらに構わず、ミィフィはさらにまくしたてた。

「それに夕飯もよく一緒の店で済ませてるらしいじゃない。 昨日の夜も一緒だったんでしょ? あんな美人の先輩と夜遅くに一緒に帰宅して、おまけに仲良く夕飯まで一緒してるっていうのに、それでもまだ付き合ってないって言うの?」

「………なんでそんなことまで知ってんの?」

確かにフェリとはここ数日、何度か夕食を共にした。
大抵はカリアンの奢りだったが、カリアン自身が同席したことは一度も無く、いつもフェリと二人きりだった。
一応理由としては、カリアンから呼び出しを受けて何度か会長室などに出向いた時に、フェリが同席していたことがその理由だ。
ちなみにカリアンの要件は、主に汚染獣に関することの相談だった。
汚染獣との戦いがこれで終わりという保証は無い。 万が一に備えて(すでにこの状況が万に一つだが)グレンダンで採用されている汚染獣の対処法や有効な戦術などについて、レイフォンが知っている限りの情報を提供することを求めたのだ。

その際、一緒に説明を聞いていたフェリと何度か連れ立って帰宅し、ついでに夕食を共にしていた。
それ以外にも、フェリがカリアンからの伝言を伝える時や、第十七小隊の訓練に付き合った時などに、そういった機会が何度かあったのも確かだ。
しかし、そう頻繁に行動を共にしていれば周囲の目が集まるのも当然と言えば当然だった。
そういったことに疎いレイフォンから見ても、フェリの容姿が非常に人目を引くことは分かる。
ましてや彼女は小隊員だ。 普段から公の場で姿を晒しているのだから、その知名度も相当の物のはずである。
さらにレイフォン自身も武闘会の影響で顔を知られていることもあって、そんな二人が行動を共にしていれば、当然、大勢の注目を集めてしまうだろう。
そういうところにも気を遣うべきだったと、今更ながらレイフォンは悔やむが、すでに遅い。

「話を逸らさないで。 で、どうなの? やっぱり先輩と付き合ってるわけ? それとも現在攻略中? 昨日の夜とか、まさかそのままお持ち帰りしちゃったんじゃ……」

「いや、ありえないから」

このまま喋らせておくと話がどんどん飛躍して行きそうだ。
おまけにミィフィが口を開くたび、隣で話を聞いていたメイシェンがだんだん顔を青ざめさせていくので、仕方なくレイフォンは否定の言葉で遮った。

「たまたまだよ。 先輩とは最近、小隊の訓練の時とか錬金科での用事の時とかによく話す機会があって、そのまま成り行きで夕飯食べてっただけだから。 キリクさんと共同で錬金鋼の研究開発してるハーレイ先輩もよく実験に顔出すんだけど、先輩は第十七小隊のバックアップもやってる人でさ、その縁で関わることが増えたんだ」

いちおうまったくの嘘ではないのだが、ミィフィは依然、納得いかなそうな顔をしていた。

「ほんとにそれだけなの?」

「ほんとだよ」

「ほんとにほんと? だってあんなに綺麗で可愛いんだよ? 少しくらいそんな気持ちになったりしないの? こう、むらむらぁっときたりとか、2人っきりになった途端に押し倒そうとしたりとか……」

「ないから」

まだ結構な数の生徒たちが残る教室でなんてことを口にしようとしてるのか。
レイフォンは思わず強い口調で否定した。
ミィフィはしばし口を閉ざすが、すぐさま、はっと思い至ったような顔をしたと思うと、慄くような顔でさらに爆弾を投下する。

「まさか……ほんとはキリク先輩と? そういえばあんまり見た事は無いけど、確かあの人って結構美形だったよね? てことは……いつもいつもあの狭い研究室の中で、美少年が2人っきりであんなことやこんなことを……」

「違うよ! そんなわけないじゃないか!」

つい声を荒げてしまった。
言ってることの内容はイマイチ理解できなかったのだが、なんとなく、このまま喋らせるわけにはいかない気がする。

「まぁ冗談は置いといて……結局、何やってんの?」

ふと、ミィフィの顔に真剣な物が浮かんでいるのに気が付き、レイフォンは口を閉ざした。

「何か起きてるんでしょ? レイとんの様子、最近ちょっと変だったもん。 明らかに何か隠し事してる風だったし」

「………」

「言えないようなことなんだ?」

「…………うん………まぁ………」

カリアンからは、汚染獣のことはできる限り内密にするように言われている。
強力な汚染獣が都市の進行方向上に存在するというのは、汚染獣と戦った経験の無いツェルニの生徒たちにとって耐えられない恐怖だろう。 下手に生徒たちの間でその話が広まれば、抑えきれないほどのパニックが起こりかねない。
前回の戦いから都市の防衛に力を入れる方針を定め、汚染獣の迎撃体制を強化することを決めたというが、一朝一夕で実現できるものではない。 これまでが平和だったのならば尚更だ。
だからこそ、今回の汚染獣のことは一部の者にしか知らされていないのだ。

しかし、たとえそう言われていなかったとしても、レイフォンは彼女たちに今の状況を話すつもりは無かった。
話したところで何か解決に繋がるわけではない。 そして現状、この問題を片づけることができる人材はツェルニでレイフォンしかいないのだ。
一般生徒に余計な不安を与えるくらいなら、誰にも知らせず、レイフォンが一人で秘密裏に処理した方がいい。
何より、大切な友人である彼女たちに余計な心配をさせたり、いらぬ恐怖を感じさせたりしたくなかった。
レイフォンにとって彼女たちと過ごす日常はかけがえの無いものだ。
それを自ら破壊するようなことをしたくはない。

それでもやはり友人たちに嘘を吐くのは心苦しい。
彼女たちのことが大切だからこそ、本当のことを言うわけにはいかない。 しかし大切だからこそ、これ以上嘘を重ねたくもない。
そんな葛藤があるがゆえに、結果、レイフォンは歯切れ悪く当たり障りの無いことを話すしか無く、それ以上は口を閉ざさざるをえなかった。
自然、そんなことで彼女たちを誤魔化し切れる訳も無い。
どうやって本当のことを言わずにこの場を収めるかとレイフォンが考えていると、まだ何か言い足りなそうだったミィフィが時計を見て顔を顰めた。
改めてレイフォンと向き合い、詰問するように問いかける。

「レイとん、今日も用事あるの?」

「う、うん。 キリクさんのところに」

「それって夜中までかかる?」

「分からないけど……そこまで時間はかからないとは思う」

「じゃあ、今日はその帰りでいいからメイっちをバイト先まで迎えに行って家まで送ってあげて。 わたしとナッキは夜遅くまでバイトあるから」

「「え?」」

声が重なったのは、レイフォンだけでなくメイシェンも驚いたからだった。
しかし二人のそんな反応に構わずミィフィは言葉を続ける。

「いいでしょ、そのくらい。 メイっちみたいな子が夜道を一人で歩いてたら何があるか分からないし。 それに最近レイとんがあんまりつれないもんだから、メイっちが寂しがってずっと元気なかったんだよ。 だから今日はフェリ先輩じゃなくてメイっちと一緒に帰ってあげて」

「ミ、ミィちゃん!」

途端、視界の端でメイシェンが挙動不審に陥った。
頬を赤く染めてミィフィとレイフォンを交互に見やる。
しかしミィフィはそちらを見ることなく、レイフォンの方を強い視線で見据えていた。
その視線の圧力に呑まれ、レイフォンは半ば無意識のうちに頷いていた。

「う……うん。 それは構わないけど」

「じゃあ決まりで」

そう言うと、ミィフィはあっという間に荷物をまとめて教室から出ていった。
どうやらバイトに向かったようだ。

「ではあたしもこの辺で。 またな」

先程まで黙っていたナルキも後を追うように教室を出た。
ひとまず追求の手が止んだことにレイフォンは安堵する。
とはいえ、あとに残されたメイシェンが緊張したようにうろたえているのを見て、レイフォンは無意識のうちに溜息を吐いた。

(ま、心配かけてた僕の方が悪いんだし)

もともと隠し事や嘘の類は得意ではない。
しかしそのせいで級友たちに心配をかけていたのは事実だ。
どの道、これから戦いに向かうのだ。 ならば、せめて今だけは大切な友達と時間を共有していたい。

「とりあえず……教室出ようか」

「う、うん」

メイシェンを促して廊下に出ると、二人で連れだって校舎の正面玄関に向かった。
廊下を渡り玄関を通り抜けて校舎前の通りを歩く間、レイフォンはできるだけ自然な態度を装いながら、他愛も無い話題を振っていた。 人見知りの上にあまり口数の多い方ではないメイシェンはやや緊張気味でありながらもレイフォンに言葉を返してくる。

いや、メイシェンが緊張しているのは性格ゆえではないだろう。
ツェルニに来て間もないころとは違い、彼女も今ではレイフォンに随分と慣れてきている。
そんな彼女の言葉がぎこちないのは、おそらく、レイフォンが隠している事を気にしているのだろう。
こちらのことを気にしながらも、それについて問いかけてくることはしない。 レイフォンが何かを隠していることには気付ているのだろうが、こちらを困らせないように気を遣っているのだ。
その心遣いに感謝しながら、レイフォンはバイト先へ向かう道の途中までメイシェンを送っていった。

「じゃあ、あとで迎えに行くから」

「う、うん………ごめんね」

「どうってことないよ」

分かれ道に差し掛かったところでメイシェンとは別れる。
ひたすら恐縮して頭を下げるメイシェンに向かって手を振りながら、レイフォンもその場を離れた。
向かう先は………錬金科研究棟だ。











そしてその日の夜。
日がすっかり沈んだ真っ暗な道を、レイフォンはメイシェンと二人で歩いていた。
すでに帰る途中で夕飯も済ませている。 今はメイシェン達3人が住む女子寮に向かっているところだ。
ちなみにレイフォンの住むアパートに帰るには、この道は若干遠回りだったりする。

「あ、あの……ごめんなさい、送らせちゃって。 も、もし迷惑だったら、ここまででも………」

「気にしなくていいよ。 これくらい大したことないし。 それに、こんな時間こんな場所で女の子一人放って帰るのは気が引けるしさ」

「あ、ありがとう」

「ううん。 こっちも色々と心配かけちゃってたみたいだし」

いちおう自分なりには普段通りに振る舞っているつもりだったのだが、どうやら、いつも一緒にいる三人には筒抜けだったらしい。
もちろん何が起きているのかまでは知らないだろうが、何かしら看過できない問題が起きており、その対処にレイフォンが駆り出されていることくらいは気付いてるのかもしれない。

(つくづく、嘘や隠し事に向かない人間だな)

内心で自嘲気味に呟く。
と、メイシェンが再び申し訳なさそうに口を開いた。

「あの……さっきは詮索するようなこと言っちゃってごめんなさい。 ミィちゃんもナッキも、別にレイとんを困らせたかったわけじゃないんです……。 ただ最近のレイとん、たまに冷たい顔してることがあったから」

「冷たい顔?」

そう言われても、自分ではよく分からない。
ただ、レイフォンは昔から武芸や戦いに感情を持ちこまないように努めている。
戦いに向かうまでは、つまりはその動機や理由には感情が絡んでいることもあったが、いざ戦いのことを考える時や実際に戦場に立った時には、まるで拭い落としたように感情が消えている感覚を保つようにしていた。

余計な感情は動きや判断から効率性と合理性を奪い、戦場に置いては命取りになり得る隙に繋がるかもしれない。
それを回避するために、レイフォンは戦いに携わる時、自ら感情を断つのだ。
今では戦場を前にすると、半ば無意識のうちに意識が切り替わる。 心が自動的に戦いへとシフトする。
その瞬間の感覚が非常に冷たいものであることは自分でも感じ取っていた。
そしておそらく、そんな内心が外に漏れた瞬間を、彼女たちは見逃さなかったのだろう。 

「べ、別に悪い意味じゃなくて……ただその、何か抱え込んでるんじゃないかなって、ちょっと、気になって………」

レイフォンの反応に気を悪くしたと思ったのか、メイシェンがしどろもどろになった。
かと思うと、途端に表情が沈み込み、悲しそうな、寂しそうな顔をする。

「レイとんって、放っておくと全部自分で背負いこんじゃいそうに見えるから………。 そのうち、急に消えていなくなっちゃうんじゃないかって……時々、そんな予感がすることがあるから………」

メイシェンの言葉が胸に突き刺さる。
なんでもかんでも一人で背負い込む。 確かにそうかもしれない。
ツェルニにレイフォンをサポートできるような人材はいない。 それは事実だし、カリアン達にもそう言って支援を拒否した。

では、グレンダンにいた時はどうだったのか?
グレンダンには実力のある武芸者たちが大勢いる。 中にはレイフォンよりも高い実力を持つ強者だっていただろう。 だが、そのグレンダンにおいても、レイフォンは他者の助けを当てにしたことがあっただろうか?
おそらくは、無い。 
力の有る無しにかかわらず、他人の助けを当てにしたことなど、レイフォンには無い。

それは他者に頼ることを恐れているからか。
それとも自らが無力でないことを信じたいからか。
なぜ、これまで自分は全てを一人で終わらせようとしてきたのか。
自分でも、それはわからない。 答えを出すだけの猶予も無い。

そんな内心を隠したまま、レイフォンは答える。
レイフォン自身、自分の真意はわからない。 だが、それでもこれだけは、この言葉だけは本心からであると言える。

「大丈夫。 いなくなったりなんかしないよ」

今のレイフォンにとって、帰る場所はここ、ツェルニだ。
二度と自分の居場所を失わないためにも、二度と大切な人たちを失わないためにも、決して負けるわけにはいかない。
もう一度ここに帰ってくるために、たとえ何があろうとも、絶対に生き残ってみせる。

「何も心配はいらないから」

メイシェンと正面から向かい合い、レイフォンは言葉を紡ぐ。
自分を案じてくれる大切な友人を安心させるために。

「ほんとに何も問題は無いよ。 すぐに全部片付くからさ」

僕が、すべてを終わらせるから。
口にすると同時に、自分の心にそう言い聞かせる。

「あと何日かはまだ忙しいけど、全部終わったら、また一緒に遊びに行こう?」

レイフォンはできる限り、明るく、優しい笑みを浮かべる。
顔から憂慮の色を消し、相手に安心感を与えるように、努めて優しく微笑んだ。
メイシェンはなおも不安そうな顔をしていたが………やがて消え入りそうな声でぽつりと呟いた。

「何も、危険は無いよね? レイとん、怪我したり、危ない目にあったりしないよね?」

無意識のうちに小さな手のひらでレイフォンの胸元を掴みながら、必死な面持ちで言葉を紡ぎだす。
それはもはや懇願にしか見えなかった。

「絶対に、いなくなったりしないよね?」

「大丈夫だよ」

メイシェンの手を優しく外しながら、レイフォンは先程と同じ言葉を繰り返す。

「約束する。 絶対にいなくなったりなんかしない。 何があっても、必ずみんなのところに戻ってくるから………だから、僕を信じて」

目の前の少女の、自分と比べてはるかに小さなその肩に手を置き、相手の目を真っ直ぐに見つめながら、レイフォンは言う。
強さと優しさ、そしてそこはかとない儚さを湛えたレイフォンの眼差しを受けて、メイシェンは思わず視線を逸らす。
それからしばらく黙って俯いていたが、やがてこくりと頷いた。





二人は再び歩き出し、暗くなった夜道を進む。
お互いに言葉は無く、人気のない通りをただ黙々と歩く。
やがてメイシェン達の住む女子寮の前まで来たところで、レイフォンは踵を返した。

「じゃあ、僕はここで。 おやすみ、メイシェン」

「お、おやすみ」

短く言葉を交わしてから自分の家に向かって歩き出したが、

「レイとん」

背中に掛けられた声に、レイフォンが振り返る。
メイシェンはやや躊躇うようなしぐさを見せた後、消え入りそうな声で言った。

「あの、えっと……また明日ね」

ふと、レイフォンの表情に一瞬、先程と同じ儚さが滲んだ。
しかし、メイシェンが不審を口にするよりも早くそれは消え、その口から出たのは普段となんら変わらない言葉だった。

「うん…………また明日」

それだけ言うと、レイフォンはメイシェンに背を向けて歩き出す。 背中にメイシェンの微かに不安そうな、戸惑い躊躇うような視線を感じたが、足は止めなかった。
そのまま声が聞こえないところまで離れたところで、

「…………嘘ついちゃった」

苦渋の滲む声で、小さく呟いた。






















前日の夜。

「これを、兄から預かってきました」

これまでに何度か一緒に来たことのあるレストランで、向かいの席に座るフェリがレイフォンに見覚えのある封筒を差し出した。
料理の皿が片付けられたテーブルの上で、中身を取り出して並べてみる。
封筒の中身は予想通り、数枚の写真だった。

「今朝、2度目の探査機が持ち帰ったそうです」

写真の映像はこの前のものと同じだが、前回よりもずっときれいに写っていた。 都市が以前よりも近付いているからだろう。
もはや見間違いようも無い。 どこからどう見ても、汚染獣の雄性体の群れだ。
写真では何期かまでは分からないが、流石に一期の成り立てということはなさそうだった。
また、個体によってサイズにそれなりに差があるようにも見える。 おそらくは二期から四期くらいだろうと見当を付けた。

「都市は……ツェルニは進路を変更しないのですか?」

自立型移動都市は汚染獣を避けて移動するはずである。 世界中にある都市がそうだし、ツェルニのような学園都市ならば尚更だ。
しかし、フェリは小さく頭を振る。

「ツェルニが進路を変更する様子はありません。 向こうの察知範囲がどれほどなのかはっきりとは分かりませんが、このままいけば、あと二,三日で汚染獣に察知される距離になるだろうと予想されています」

「……そうですか」

レイフォンは溜息を吐いて写真を封筒に戻した。
フェリが封筒を受け取りながらさらに告げる。

「戦闘用の都市外装備は改良が終わったそうです。 新型錬金鋼も完成したそうですので、兄は明日のうちに準備と確認を終えて、できるなら明後日の早朝には出発してもらいたいと言っていました」

「わかりました」

明後日の早朝。 出発まで、実質二日も無い。

「大丈夫ですか?」

頭の中で予定を反芻していると、不意にフェリが訊いてきた。

「大丈夫です。 明日にはキリクさんのところに行って、ちゃんと明後日までには支度を整えておきますから」

「そういうことを言っているのではありません」

フェリがやや怒ったように言う。

「怖くないのですか? と聞いているんです。 わかっているんですか? あなたはこれから一人で汚染獣と戦うんですよ。 それも都市の外で、さらに相手は前回の幼生体よりも遥かに強いとあなた自身が言ったのではないですか。 そんな敵と戦うことが怖ろしくないのかと私は思ったんです」

「ああ、成程」

レイフォンは勘違いしていたことに気付いた。
フェリの言いたかったことは、普通に考えれば当たり前の疑問である。
汚染獣との戦いは常に死と隣り合わせだ。
汚染物質の満ちる世界で生身の人間が戦うことがどれほど危険なことか、グレンダン出身のレイフォンはよく分かっている。

たとえ敵を全滅させることができたとしても、生き残れるとは限らない。
たった一撃、敵から攻撃を受けただけでも、スーツは裂け、汚染物質によって命を落とすことになるのだ。
そんな過酷な戦場に赴こうというのに、レイフォンは至って落ち着いており、平然とその状況を受け止めていた。
天才といえど一般的な都市の出身であるフェリにとってはそれが解せないのだろう。

「なんていうか……それほど不安は感じていませんね。 グレンダンで何度も経験してきたことですし」

「汚染獣が怖くないのですか?」

「まったく恐怖が無いっていうわけでもないんですけどね。 負けるつもりはありませんけど、だからといって絶対勝てると断言できるわけでもありません。 当然、負ければ命はありませんし、やっぱり死ぬのは怖いんですけど………なんて言うか、恐怖を冷静に受け止めているっていうか、取り乱すほど怖がってるわけでもないっていうか………」

グレンダンでは頻繁に汚染獣との遭遇戦がある。
都市に汚染獣が近付いている(実際は逆だが)というこの状況も、レイフォンにとっては日常の一部でしかない。
もちろん命懸けの戦闘に一切重圧を感じないと言えば嘘になるが、その重圧に潰されるくらいなら、当の昔に戦場で命を落としていただろう。
今現在こうして生きている時点で、汚染獣に対する精神的な問題はすでに克服できている。

「成程、釈迦に説法でしたか。 元とはいえプロであるあなたには今更な質問でしたね」

「まぁ、グレンダンの武芸者にとって汚染獣戦は日常茶飯事ですから」

やや誇張表現かもしれないが、あながち間違ってもいないだろう。
所詮は慣れだとレイフォンは思う。
ずっと昔から……若いを通り越して幼いころから汚染獣と戦ってきたのだ。 まともな人間が抱くような感性は、とっくの昔に摩耗しきってしまっていた。
フェリはしばらくじっとレイフォンの眼を覗き込んでいたが、やがて嘆息した。

「まぁ……あなたが特に気負っていないのなら、特に言うことはありません。 あなたのように豊富な経験の無い私に有効なアドバイスができるとも思えませんし………でも一つだけ、言っておきましょう」

それから再び瞳をこちらに向ける。

「このわたしに戦いの手伝いなんてさせるんです。 手伝わせるからには、絶対に生きて帰ってきてください」

淡々とした口調の中に真剣さと力強さを感じ、レイフォンは口をつぐんだ。
構わず、フェリは続ける。

「戦場に出るからには死を覚悟するのが当然だとか、絶対なんて無責任な約束はできないとか、そんな定型句は聴きたくありません。 私を戦いに引っ張り込んでおいて、勝手に死ぬことなんて許しませんから。 だからあなたは、何があっても、必ず生きてツェルニへ帰ってきてください」

レイフォンはしばし目を見張っていたが、やがて口元に微苦笑を浮かべた。

「言われるまでもありません。 今の僕にとっては、ここツェルニが帰るべき場所なんです。 誰でもない、僕自身のためにも、そう易々と命を捨てるつもりはありませんよ。 必ず汚染獣に勝って、生還してみせるつもりです」

「………それを聞いて少し安心しました」

言って、フェリが分かるか分からないかくらいの、微かな笑みを浮かべたように見えた。
しかしそれをレイフォンが確かめる間もなく、フェリはいつもの無表情に戻ると、席から立ち上がった。

「私の用は以上です。 今日はもう遅いですから、出発の時にまた会いましょう」

言って、フェリがこちらに背を向ける。
出口に向かう背中を見送ったあとも、しばらくの間レイフォンは席に座ったままだった。
物思いに耽りながら、僅かにカップの中に残ったコーヒーを飲み干す。

やがてレイフォンはフェリの後を追うようにして店を出た。
空を見上げながら、大きく息を吐く。
それからふと遠くを見やった。
レイフォンの視線の先………そこには、ツェルニを支え、外敵の危険から人々を守るために動いているはずの、都市の脚があった。


























そしてメイシェンを寮まで送って行った次の日の早朝。
もうすぐ日が昇ろうという頃合いに、レイフォンは都市の地下部にいた。
機関部よりもさらに下、都市の脚部と繋がる、腰部とも言える場所の、隙間のような空間だ。
都市外での作業………その多くは脚部の修復だが、そういうことを行う場合、ここから外に出る。

その空間の一角にある個室の中でレイフォンは自分の身体を見下ろした。
彼が今着ているのは武芸科用の戦闘衣だが、その下にも1枚、身体にぴったりと張り付いたスーツを着こんでいる。 着る前はやや暑苦しい印象があったのだが、着てみると意外に通気性が高く、思ったよりも煩わしさは無かった。
これは都市外戦闘用の汚染物質遮断スーツだ。 以前からツェルニにあった都市外行動用のスーツはやたらと分厚く、とても戦闘用とはいえなかったものを、技術科に頼んで改良してもらったのだ。
スーツの上から戦闘衣を着た状態で軽く身体を動かしてみるが、特にこれといって支障は無い。
そのことに安堵しながら、レイフォンは与えられていた個室から出た。

「戦えそうかね?」

「問題無いです」

個室から出てすぐのところで待っていたのはカリアンだった。
他にも、複合錬金鋼の開発にあたっていたハーレイや、スーツの改良を担当していた技術科の長など、今回の戦いを知る数人の生徒たちがいる。
しかし複合錬金鋼の開発を主導していたキリクの姿が見えなかった。
なんとなく気になり、近くに来ていたハーレイに訊いてみる。

「あの、キリクさんは?」

「来ないってさ。 話すことは話したし、わざわざ見送る理由も無いって。 まぁ、もともと出不精な奴だしね」

ハーレイが肩をすくめながら告げる。
昨日ので説明は十分ということなのだろう。
見送りには来ないのは、信用されてるのかキリクが面倒くさがりなだけなのか判断に困るところだが。

「それより、複合錬金鋼の調子はどう? 昨日の内に性能確かめておいた?」

「ええ、まぁ一応は」

前日の内に、一通り使い方は確認してある。
レイフォンは腰に巻かれた変わった形状の剣帯に手をやりながら、錬金科研究室での昨日のやり取りを思い出した。











前日の放課後、メイシェンと一旦別れたレイフォンは錬金科研究室のキリクを訪ねていた。

「時間ぎりぎりになったが、昨日ようやく完成した」

言って、キリクは机の上に何本もの種類の違う基礎状態の錬金鋼を並べていく。
そのうちの1つに、少し変わった形状の物があった。
他の錬金鋼よりもやや長めで、側面に3つのスリットがついている。
レイフォンは前回のテストの際にそれを見た覚えがあった。

「そう言えば改良するって言ってましたけど、具体的にはどう変わったんですか?」

複合錬金鋼(アダマンダイト)
ハーレイやキリクはその錬金鋼をそう呼んでいた。

「複合錬金鋼がどのような特性を持ったものかは前に説明したな」

「はい」

複合………ようは種類の違う複数の錬金鋼を合成して作られた新しい錬金鋼だ。
しかしただ合成しただけではない。
すでにして合成された存在である錬金鋼をさらに合成する。 それ自体は今までも決して不可能なことではなかった。
だが、その結果出来上がるのはどうということもない、普通の、種類が違うだけの錬金鋼だ。

それを、組み合わせた3つの錬金鋼の長所を完全に残した形で合成させる、あるいはその長所をさらに引き伸ばす、その触媒となるのが複合錬金鋼だ。
現在の設定では、側面に刻まれた3つのスリットに種類の違う3つの錬金鋼を差し込んだ状態で復元することで巨大な刀が現れるようになっている。
前回試した限りでは、剄の通りと許容量、さらには硬度や耐久性も含めて、既存の錬金鋼を遥かに凌ぐ性能だった。
これこそ、ツェルニへと来たキリクがこの都市で行ってきた錬金鋼研究の成果である。

しかし全てにおいて完璧というわけではない。 決定的な短所はその重量だ。
複数の錬金鋼の長所を両在させる際、三種の錬金鋼の持つ、復元状態での基礎密度と重量を軽減させることができなかったのだ。
つまり、復元した刀は、四つの錬金鋼全ての重量が合わさった重さになっているということである。 大抵の者ならその重さに翻弄されてまともに剣を振れないことだろう。
これまで、作成の理論はできていても実際に作ることができなかったのはそれが理由だった。 使い手のいない剣に意味は無い。
レイフォンのような強者だからこそ、その欠点を差し引くことができるのである。

「今回はそれに加えて、さらに複数の形状を記憶させることにも成功した。 お前の青石錬金鋼の使い方を参考にしたわけだ。 簡単に言えば、三つのスリットに入れる錬金鋼の組み合わせと起動鍵語、復元時に流す剄の質や量によって、それぞれ性質・形状の異なる武器が復元されるということだ」

そう言って、沢山ある錬金鋼の中から三つ選んで複合錬金鋼に差し込んでいく。

「お前の場合、基本はこの組み合わせになる。 形状は前回と同じ刀だ。 もちろん、テストの時のお前の注文に合わせていくらか細部に修正は加えてあるがな。 さらに組み合わせを変えることによっていくつかの武器に変換できる。 現状では剣、刀、糸、槍、薙刀、弓、棍、鎚鉾(メイス)への変化が可能だ」

「わかりました」

「剣には両刃片刃含めていくつかのバージョンがある。 クレイモアにツヴァイハンダー、フランベルジェ。 刀と槍にも何種類かある。 普通の太刀から曲刀、直刀、柳葉刀………まぁ、どれもサイズはほぼ同じだがな。 さすがに今回は小型化までには手が回らなかった」

「はぁ………」

「槍に関しては、普通の長槍から十字槍(クロススピア)、突撃槍(ランス)、三叉槍(トライデント)……派生してハルベルトや蛇矛、方天戟といったところか」

「………………」

「鋼糸の数値は青石(サファイア)同じだ。 ただし用量が増えているだろうから一度使って手ごたえを確認しておけ。 打撃武器に関してもいくつかの派生バージョンがある。 鎚鉾なら狼牙棒にモルゲンステルン、金砕棒。 棍なら金剛杵に多節棍。 他にも」

「あのう……」

「………なんだ?」

「いやその……確かに刀や剣以外の武器も使えますけど、流石にそれだけの武器を実戦で使い分けるというのは………というか、どうしてまたそんなに沢山設定を作ったんですか?」

「遊び心だ」

……………さいですか。

「別に全部持って行けとは言わん。 組み合わせと形状を確かめた上で、使えそうなものだけを持って行けばいい。 その辺の選別と判断はお前に任せる。 今後の参考のためにも、できればより多くの武器を試してもらいたいものだがな。 データが多ければ多いほど、今後の研究や改良の役に立つ」

「はぁ……まぁ、善処します」

というかさらりと流してしまったが、そんなに余裕があったんだろうか。 結構ぎりぎりになるような事を言っていた気がするが。
………まぁいっか。

「設定と組み合わせについては簡単に説明書を書いておいた。 これを参照しておけ」

言って、キリクは横の棚から数枚の用紙を取って寄こした。
ざっと見ただけだが、どうやら組み合わせと武器の種類、その性能について書かれているらしい。
ご丁寧にも媒体となる錬金鋼にはそれぞれ数字が振ってあり、触媒となる複合錬金鋼のスリットにも同じく数字が振ってあった。
組み合わせる錬金鋼の種類と差し込むスリットの位置によって武器の形状が変わる様だ。

「用は終わりだ。 帰っていいぞ」

「ありがとうございました」

「礼を言う暇があったらさっさと帰って明日の準備をしろ。 俺も今日はもう帰って寝る」

そう言うとキリクはこちらに背を向けて机の上を片づけ始めた。
レイフォンは黙ってその背中に頭を下げると、静かに研究室を後にした。












ふと声をかけられ、レイフォンの意識が現実に戻った。

「準備ができたならこちらに来てくれ」

カリアンに呼ばれ、そちらに足を向ける。
歩きながら、技術科の学生長がレイフォンにヘルメットを手渡した。
内側にレイフォンの頭部の形に合わせた骨組みがあり、汚染物質遮断スーツと同じ布地が縫いつけられている。
促され、ヘルメットを頭にかぶってみる。 さらにそれをスーツに固定すると、レイフォンの体は外気から完全に覆い隠された。

「それからこれも付けてみてくれ」

足を止めたところで学生長に渡された板状の物を、言われた通り、ヘルメットの顔部分に嵌め込んだ。
光が遮断され、何も見えなくなる。 真っ暗な中で、学生長が誰かに合図を送ったのが分かった。
と、次の瞬間、レイフォンの眼前に普段見慣れない光景が浮かび上がる。
ここではない別の場所だ。
赤く焼けた大地に、巻き上がる砂塵。 鋭くひび割れ、荒れ果てた岩山。
都市の外の荒廃した世界が、レイフォンの目の前に広がっていた。

「へぇ……」

思わず声が漏れた。

「これはフェイススコープだ。 念威端子と接続することで、念威繰者が拾った視覚情報を映し出しているんだよ」

そこに映る景色は非常にクリアだった。 生の視覚で見るのと何ら変わりない。 いや、むしろ遥かに鮮明に見えた。
これならば、生身のように汚染物質で目を焼くこともなく、ゴーグルのように砂塵に貼りつかれて何も見えなくなるということも無い。

「上手くリンクしていますか?」

耳元から、その場にいないはずのフェリの声がした。
どうやらフェイススコープに内蔵されたフェリの念威端子から聞こえたようだ。
このスコープはレイフォンの視覚の代わりを務めるだけでなく、フェリが得たさらに様々な情報を届けることができるらしい。

「完璧です」

「そうですか」

フェリの淡々とした声と共に、スコープの映像がレイフォンの今いる場所に変わった。
やはり、目で見ているのと遜色のない光景だ。
と、そんなやり取りをしている所にカリアンが近寄ってきた。

「問題無いようだね。 なによりだ。 さて、ランドローラーの用意はいいかい?」

後の言葉は奥の空間に向けてかけられたものだ。
それを合図に、一人の上級生………機械科の学生長が人間の体よりもやや大きい金属製の物体を手で押しながら運んできた。

「大丈夫です。 整備も終わりましたし、燃料などの準備も完了しました」

それは遥か昔に実用性を失った車輪式の移動機械だった。
縦に並んだ二つの車輪に、幅広の割にスマートなデザイン。 黒の外装は僅かな照明の光を浴びて艶光っている。
基本、都市の外に広がる荒れ果てた大地にゴム製の車輪は耐えられない。 長距離の移動はほぼ不可能であり、短距離の移動は意味を成さないため、現在の放浪バスのような機械の足のよる多脚式の歩行移動が主流になったのは当然の帰結だろう。
それでも移動速度はこちらの方が遥かに優れているため、遭難者救助用にどの都市にも何台か用意している。

促されたレイフォンはランドローラーに跨り、機関に火を入れた。
腹に響く重低音を放ちながら、ランドローラーが全身を震わせる。
カリアン達が別室にある制御室に移動し、外部へのゲートを開いた。
レイフォンは昇降機を使ってランドローラーごと地面に降り立つ。

「では頼んだよ。 健闘を祈る」

フェリの念威端子による通信を介したカリアンの声を聞きながら、レイフォンの乗ったランドローラーが走り出した。
そのまま都市の進行方向へと先行するように、ぐんぐんと速度を上げて赤く焼けた大地を突き進む。
目指す先にいるのは十体を超える汚染獣の群れ。 戦場に向かい戦うのは、自分一人。
到着まで一日はかかる。
長い孤独の始まりだった。




















あとがき


前回の更新からだいぶ日が開いてしまいましたが、なんとか更新することができました。
前までの内容を忘れられてしまっていないか、少々心配ではありますが。

しかし、ここしばらくの忙しさは異常でしたね(前も似たようなこと言っていたような気がしますが)。 大学の時間割の関係で、新学期が始まってからこっち、日が沈む前に帰宅できた例がありません。
おまけに毎日のように課題が出たりもしたので、執筆がまったく進みませんでした。 今後はもう少し早く更新したいところですが………正直、難しそうですね。
楽しみにしてくださっている読者様方には本当に申し訳ありません。


今話についてですが、戦闘準備の回第二弾ですね。 まぁ準備よりも人間関係やレイフォンの心境の方に重点を置いてはいますが。
次はいよいよ汚染獣との邂逅です。 一人で戦場に向かうレイフォンに対して、他の人物たちがどう動くのか(あるいは動かないのか)。
何はともあれ、あと一度か二度の更新で二巻分のストーリーが終了すると思います。

更新は不定期で、決して早いとはいえませんが、これからも楽しんでもらえれば幸いです。



[23719] 20. Silent Talk - latter
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2011/06/05 04:14


荒れ果てた大地以外には何も見えない荒野の上を、一台のランドローラーが走っていた。
時に足場の悪いところを迂回しながらも、ある一つの地点を目指してただひたすら真っ直ぐに走る。
無人の荒野に話しかける者などいるはずもなく、ランドローラーに跨ったレイフォンは、人間を拒絶する外の世界の冷たさを感じながら無言でハンドルを操作していた。




「なんだか暇ですね」

突然、フェイススコープに接続された念威端子から先導役であるフェリの声が聞こえてきた。

「………それは言わないでほしいんですけど」

その気持ちはよく分かる。 でも、できれば口に出して言わないでほしかった。
ただでさえ退屈な気分が余計に増すような気がするから。

「仕方が無いでしょう。 暇で暇でしょうがないんです。 かれこれ7時間以上も、ひたすらあなたを案内していたんですから」

いかにも不満そうな声でフェリが言う。
まぁフェリの気持ちにはレイフォンも同感だ。
命懸けの戦いを前に不謹慎かもしれないが、フェリの案内に従ってただひたすらランドローラーを運転しているのは、ぶっちゃけかなり退屈だった。
長期間にわたる都市外での活動もグレンダンで多少は慣れていたとはいえ、やはり憂鬱になってくるほどつまらない。 それに、さすがにここまで都市から離れるのは初めてだ。

近くに自分以外誰もいない状況といい、何時間も変わり映えのしない風景といい、飽き飽きするほど退屈極まりない。
ずっと先導ばかりしているフェリも手持無沙汰で仕方が無いのだろう。
かといって先導に手を抜くわけにもいかないので、ずっと真面目に念威端子を飛ばしていたのだが、流石にうんざりしてきたようだ。
とはいえ、運転している最中であるレイフォンにはどうすることもできない。 どの道、念威繰者の案内が無ければ目的地には辿り着けないのだし、フェリ以外にここまで端子を飛ばしてレイフォンを補助できる者はいないのだ。

「退屈ですから少し話し相手にでもなってください」

と、唐突にフェリが要請してきた。

「え、どうしてまたいきなり……?」

「言ったでしょう。 退屈なんです。 黙ってただ案内するのもいい加減に飽きました」

「はぁ……まぁ、別に構いませんけど」

暇で退屈していたのはレイフォンも同じなので、おとなしく要求に従う。

「ええと、それで何を話すんですか?」

「こういう時、咄嗟に何か小粋なジョークでも言えないんですか?」

「うーん、そういうのはあまり得意じゃないんですけど」

「そうですか。 まぁ別にいいですけど。 あなたがシャーニッド先輩のようになるのは好ましくありませんし」

「………」

訓練に顔出している時から薄々そうじゃないかとは思っていたけど……シャーニッド先輩、フェリ先輩にはあんまり良く思われてないみたいだ。
……まぁ、わからないでもない。

「では少し質問してもいいですか?」

「どうぞ、何でも訊いてください………答えられるかどうかはわかりませんけど」

「では………以前から不思議だったのですが、あなたはどうしてグレンダンで戦っていたのですか?」

「え?」

思いがけない質問に、レイフォンは念威端子の方を見やる。

「戦いを止めたのは武芸で失敗したからだと聞いていましたが、そもそも何故戦っていたのかがわからないんです」

念威端子越しのためその表情は分からないが、レイフォンにはフェリがこちらの表情の変化から反応を窺っているように感じた。

「何故って………武芸者が戦うのは特におかしなことではないと思いますけど」

「確かに普通はそうかもしれませんが、あなたは武芸者だから都市を守るために命懸けで戦うのは当然だ、などという事を言うタイプではないと思います。 汚染獣との戦いは常に死と隣り合わせのはず。 そんな戦場に立つからには、それ相応の理由や事情があったのではありませんか?」

やや探るようなフェリの言葉に、レイフォンはどう答えたものかと少々思案する。

「よしんば武芸者が敵と戦うのが当然であったとしても、あなたのような子供が戦う理由にはならないでしょう。 あなたの戦いに対する姿勢を見る限り、これまでかなりの実戦経験を積んできたものだということは容易に想像できます。 しかしその若さでそれだけの経験を積むには、普通では考えられないほど幼いころから武芸者として戦っていたのではないのですか?」

フェリの言葉は正解だ。
確かに、レイフォンは武芸の本場グレンダンでも例外的なほど若い頃から戦場にいた。
子供だからという理由で逃げるわけにもいかなかったし、逃げる必要も無かった。

「子供にすら頼らなければ都市を守れないほど、グレンダンの武芸者の層が薄いとも思えません。 あなたが幼くして戦っていたのは、あなた自身に、それに値するだけの理由があったからだと思ったのですが」

「……まぁ、個人的な事情から戦っていたのは確かですね」

レイフォンはどう答えるべきか迷った末、結局、本当のことを話すことにした。
フェリは既にレイフォンの実力を知っているし、武芸で失敗したために自都市を出てツェルニに来たのだということも知っている。 無理に隠し通す理由も無い。
さすがに全てを詳細に打ち明ける気は無いが、フェリはあまり他人の個人的な事情を吹聴するタイプではなさそうだし、多少は話しても大丈夫だろう。

あるいは自分の心の内に、誰かに話してしまいたいという気持ちがあるのかもしれない。
全てではなくとも、自分の本質の一端だけでも知ってもらいたい。
そしてそれを知った上で、なおも自分を肯定してほしいと………心のどこかでそう望んでいるのかもしれない。

「では、なんのためにあなたは命懸けの戦場で戦っていたのですか?」

「色々と理由はありますけど……一言で言うとお金のため、お金を稼ぐためですね」

「お金のため……ですか」

端的に答えるレイフォンに、フェリが若干意外そうな声を出す。

「解せませんね」

「そうですか?」

「あなたはそういう俗な欲求が薄いように感じられましたが」

フェリの言うことは間違っていない。
確かに、レイフォンは普通の人間が持つような欲が薄いように自分でも感じていた。
娯楽や嗜好品などに対する、社会に生きる人間ならだれでも持っているような物への執着心が弱いのだ。
同年代の少年少女が集まる学園都市に来てからは特にそう感じるようになった。
だが、レイフォンが金を稼ぐために戦っていたのは事実だし、金銭に執着したがために道を踏み外し、都市を追放されたのも確かだ。
一瞬、過去の映像が脳裏に浮かび上がる。
貧しさゆえに苦しんでいる家族たちの姿がはっきりと思い浮かんだ。

「あの頃は……どうしてもお金を稼がなくてはいけない理由がありましたから」


その声に滲んだ様々な感情に、フェリは思わず口を噤む。
以前、汚染獣の幼生体との戦いに向かう際に、レイフォンが昔色々と失ったのだと言っていたことを思い出す。
彼が命懸けで戦っていたのは、二度と失うことが無いようにするためだったのかもしれない。
あくまで推測の域でしかないが、レイフォンのこれまでの態度や姿勢からも、そんな感情が窺い知れた。

「そうですか」

フェリはレイフォンの台詞に大きな反応はせず、あえて淡々とした声のまま相槌を打った。 下手に深入りすべきではないと悟ったのだ。
よくよく考えてみれば、フェリはレイフォンの過去を何も知らない。
武芸に失敗したとはいっても、具体的にどんな失敗をしたのかは知らないし、どんな気持ちで戦場に赴いていたのかも知らないのだ。

だからといって、根掘り葉掘り聞くのも無粋だろう。
訊ねてみたいという気持ちも無いではないが、誰にでも他人に言いたくない過去の一つや二つあるものだ。
この話がレイフォンにとって言いたくないような内容であるのかは分からない。 何となく、似た立場である自分になら教えてくれそうな気もする。
だが、聞いたところで自分に何ができるというものでもない。
代わりに背負ってやる覚悟も無いのなら、下手に首を突っ込むべきではないだろうとフェリは判断した。


レイフォンの声に滲んだ僅かな苦渋に気付いたのだろう、踏み込み過ぎると重い話になりそうだと悟ったフェリは、結局それ以上その話題について訊ねることはせず、質問を変えた。

「まぁいいです。 その話は置いておきましょう。 ではもう一つ訊きます」

「どうぞ」

質問の変化に僅かな悔恨と安堵を感じながらレイフォンは頷く。
フェリはほんの数秒躊躇うような間を開けた後、やや言いにくそうにレイフォンに訊ねた。

「今日のあなたは何となく調子が悪そうに見えるのですが……何かあったのですか?」

「え?」

レイフォンが怪訝そうに首を巡らせて、再び前方の念威端子の方を見やる。

「一昨日会った時と比べて、何やら落ち込んでいるというか気を揉んでいるというか……とにかく、何かしら気がかりのありそうな様子ですけれど……何かあったんですか?」

これもフェリにとっては少々訊き難かったことなのだが、レイフォンの精神状態はこの戦いの行方にも影響する大切なことだ。 無視して放置するわけにもいかない。
彼の状態如何では、一旦進行を中断することも考えなくてはいけないし、場合によっては引き返すことも考慮すべきだろう。
レイフォンが敗北すればツェルニが滅ぶからではなく、半端な気持ちで戦いに臨めば彼の命にかかわるからだ。

「いえ、大したことじゃないんですけど……昨日ちょっと友達に嘘を吐いてしまったんです。 それで、今頃心配してるだろうなって……。 どうも隠し事してるのがばれちゃったみたいで……僕が危険なことしてるってことにもそこはかとなく気付いてるみたいでしたし……」

レイフォンはやや寂しげな口調で問いに答えた。

「余計な不安を与えたくないから嘘吐いたのに、結局心配かけてしまって……おまけに、また明日って言ったのに学校休んじゃったり……まぁ、気に病んでると言えばそうですね」

別れ際の不安そうな顔が未だに脳裏にこびりついている。
安心させようと嘘を吐いたのだが、結局は余計に心配をかけてしまっているかもしれない。
今思えば、自分は決して相手のことを思いやったが故に、彼女たちに事実を話さなかったのではないのだと気付く。
ただ単に、レイフォン自身が彼女たちの悲しむ顔を、こちらを案じて不安に揺れる顔を見たくなかっただけだ。

本当に彼女たちが大切であるなら、事実をありのままに話した上で、心配をかけないように説得するべきだったのではないのか。 今では少しそう思っている。
だが、それにはレイフォンの本当の実力だけでなく、知られたくない自分の過去を話さなければならなくなるかもしれない。 それはまだ、怖い。
結局のところ、レイフォンが彼女たちに本当のことを話せないのは、ただ単に臆病だったからなのだ。
そんな自分の狡さと弱さに嫌気が差す。 気がかりがあるとすればそれだろう。
朝から時々そんな思考に捕われていたのが、顔に出ていたのかもしれない。

(ま、お世辞にも嘘や演技が得意とはいえないしね)

つい昨日もメイシェンやミィフィに隠し事を悟られたばかりなのだ。
聡いフェリを相手にとても内心を隠し通せていたという自信は無い。

「大丈夫なのですか? 心苦しいのは分かりますが、気を引き締めてかからないと命を落とすことになりますよ。 ただでさえ危険な戦いなのですから」

「わかってますよ。 戦う時には、ちゃんと気持ちを入れ替えますから。 戦場に私情は持ち込まない主義ですし」

主義というよりは習い性だ。
確かに今、レイフォンの心には不安や憂慮が存在している。
だが、現在こうして胸を押し潰しそうなほど心を苦しめている感情も、一度戦端が開かれれば、拭い去ったように消えてしまうだろう。
長年戦場で過ごす中で、レイフォンはそういったことが自然にできるようになっていた。
戦いに向かうまでには理由や感情が介在しているが、一旦戦いが始まれば、それらはすべてレイフォンの中から消え失せる。
あとに残るのは、戦って生き残った方が勝つという、単純明快であると同時に冷たく厳しい戦場の倫理だけだ。

「それに……一昨日も言いましたけど、僕は決して死ぬわけにはいきませんから。 何があろうと絶対に生き残るつもりです。 ……ちゃんと帰って、みんなに謝らないといけませんしね」

努めて軽い調子でに言うレイフォンに、フェリの声からも緊張の色が若干薄れていった。

「そうですか。 では、気を抜かずに、しっかり生き残るとしましょう」

「了解」

短く答え、レイフォンはランドローラーを走らせる。

汚染獣の姿は、まだ見えない。

























放課後。
いつものように終業のベルが校内に鳴り響き、それを合図に授業から解放された生徒たちが教室や校舎から飛び出してくる。
周囲が喧騒で溢れ返る中、一人、沈んだ顔で教室の一角を見つめる女生徒がいた。

「大丈夫、メイっち? ずっと浮かない顔してるけど」

「う、うん。 なんでもないよ」

幼馴染のミィフィに心配げに声をかけられ、メイシェンは慌てて顔を上げて表情を取り繕った。
もっとも、お世辞にも上手くいっているとは言えなかったが。

「気持ちは分からないでもないが、必要以上に心配し過ぎると身体を壊すぞ。 もしかしたら、明日には何事も無かったみたいに登校してくるかもしれないんだしな」

近付いてきたナルキも励ますように言葉をかけた。
メイシェンが不安を感じている理由が分かるだけに、おのずと声が気遣わしげになる。
ナルキ自身も言い知れぬ不安を感じていた。

「う、うん。 そうだね」

メイシェンは小さく応えつつも、すぐにまた表情が曇ってしまう。
視線がおのずと先程から見つめていた場所に吸い寄せられた。
その先にある席に、今は誰も座っていない。 朝からずっと空席のままだ。

「レイとん………どこ行ったのかな?」

メイシェンの呟きに二人は答えることができず、声はただ虚しく響いた。
誰も座っていないレイフォンの席を見つめながら、メイシェンの心は不安に押しつぶされていく。
昨日の帰り道、たとえ迷惑がられてでも何が起きているのかレイフォンに訊ねるべきだったのではないか。
自分が聞いたところで何もできないのかもしれない。 自分が知ったところで何も変わらないのかもしれない。
だけどそれでも、真実を知っているのと何も知らないのとでは大きな違いがあるのではないか。 そう思わずにはいられない。
何も知らないということが、自分たちとレイフォンとの間に大きな隔たりを生んでいるようにメイシェンは感じた。

「何か危険な目に遭っていなければいいが……」

ツェルニ武芸科最強と言われるレイフォンが学校を欠席してまで向かう用事が、ただの雑用だとは思えない。
何かしら都市に危険が迫っているのではないか。 そしてそれを解決するためにレイフォンが引っ張り出されたのではないか。 どうしてもそう思ってしまう。
最近のレイフォンの様子がおかしかったことを知っているだけに、ナルキも絶対に大丈夫だとは言い切れない。

「………よし」

と、突然力強く声を発したミィフィに、メイシェンとナルキが驚く。

「どうしたの?」

「こんなとこで鬱屈してても仕方ないでしょ。 レイとんが今どんな状況にあるのか調べに行こう」

思いがけない言葉に二人が目を丸くする。

「調べるって言っても、どうやって?」

「レイとんがどうなってるのか、知ってそうな人が一人いるじゃん。 とりあえずその人に訊きに行ってみよう」

言うと、ミィフィは率先して教室から出ていく。
その迷いの無い足取りに、戸惑いながらもメイシェンとナルキが後を追った。










そうして三人がやって来たのは、小隊員たちが訓練するための建物、練武館の一室だ。
第十七小隊と書かれた表札が出ている扉の前に立ち、三人は呼吸を整える。
扉を少し強めにノックすると、その向こうから入室許可の声が聞こえた。

「失礼しまーす」

扉を開けて中に入ると、そこには四人の男女がいた。
第十七小隊の隊長ニーナと、隊員のシャーニッドにハイネだ。 部屋の隅の方に、計器や錬金鋼をいじっているハーレイもいる。
しかし隊員の一人であるはずのフェリの姿だけは見当たらなかった。 いったいどうしたのだろうか?
三人が室内を見渡していると、こちらを認めたニーナが近付いてきて口を開いた。

「誰かと思えば君たちか……。 何か用か?」

「ええ、いきなりですみません。 レイと……レイフォンはいますか?」

「いや、生憎と今日は来ていない」

「じゃあフェリ先輩は?」

「あいつは今日はサボりだ。 まったく……せめて連絡くらい寄こすのが普通だと思うがな」

ニーナの苦々しそうな言葉に、三人があからさまにがっかりした顔になる。

「フェリ先輩ならレイフォンがどこに行ったか知ってると思ったんだけどな……。 最近、よく一緒に行動してたし」

レイフォンが姿を見せないのは、てっきりフェリ絡みだと思っていた。
あるいはレイフォンが関わっている案件に、フェリも一枚噛んでいるのだろうと。
しかし、その肝心のフェリがいないのでは確かめようがない。
いきなり当てが外れてしまった。

「やはりこれは何かあるんじゃないか? レイとんとフェリ先輩が揃って所在が掴めないなんて」

「うーん……そうかもしれないけど、その二人がいないんじゃ確かめようが……」

「確かにな。 先輩たちも、事情は知らないようだし……」

「レイフォンがどうかしたのか?」

三人のただならぬ様子にニーナが怪訝そうな顔を浮かべる。
メイシェン達はお互いに顔を見合わせた後、ナルキが代表して説明した。

「実は今日、レイフォンが学校を休んだんですよ。 しかもどうやら公欠扱いになってるみたいで……。 それだけならあまり気にすることもないのかもしれませんけど、最近ちょっと様子がおかしかったもので、なんとなく気になったんです」

「様子がおかしい?」

何か引っ掛かるものがあったのか、ニーナが眉を顰めて問い返す。

「なんかやたらと忙しそうだったり、頻繁に生徒会長とかフェリ先輩と会ってたりしてたんで……もしかして何かあったんじゃないかな~って」

ミィフィの言葉に、ニーナもレイフォンの様子を思い返してみる。
言われてみれば、確かにここ最近のレイフォンの様子は少しおかしかった。
これまでは、金剛剄を教えるのは基礎ができあがってからだと頑なに言っていたのに、いきなり技の型を教えると言い出したり、機関掃除のバイトを立て続けに休んだりと、何となく不自然さを感じさせる行動が目についた。
だが、それだけでは判断のしようが……

「それだけじゃないんです」

考え込むニーナに、メイシェンが躊躇いがちに近付いて言った。

「昨日、最後にレイフォンを見た時……あの時と同じ顔してたんです」

「あの時?」

「前に汚染獣が襲ってきた時………シェルターを出て戦場に向かおうとしていた時と、同じ顔をしていたんです」

その言葉にニーナが凍りついた。
近くで話を聞いていたシャーニッドやハイネも表情を硬くさせる。

「あの時も………笑いながら『大丈夫だよ』って言って……」

昨日の別れ際にレイフォンが浮かべた笑顔が、メイシェンには以前見た表情と重なって見えた。
こちらを心配させまいというレイフォンの気遣いが伝わってくる。 優しく力強い……それでいて、ふとした拍子に消えてしまうのではないかと思わせるような儚さをも感じさせる笑顔。
戦場に向か直前の、普段とはまるで違った顔つき。
あるいは戦う覚悟を決めたレイフォンを見て、彼が別人に変わってしまうような予感がしたのかもしれない。 それほどまでに、戦いに臨もうとするレイフォンの姿は普段と違って見えたのだ。

そして昨日のレイフォンの様子は、メイシェンにその時と同じ不安を感じさせた。
力強さと儚さの混在した、消えてしまいそうな笑顔。
「また明日」と言った時の、辛そうな、悲しそうな表情。
それらが思い浮かぶたび、メイシェンの心は不安で掻き乱される。
あの時、レイフォンはメイシェンに優しく声をかけながら、心の中では何がしかの冷たい覚悟を決めていたのだ。

メイシェンの深刻な様子に、ニーナも黙り込む。
ここ最近のレイフォンの不自然な様子といい、杞憂と言い切るには少々不安要素が大きすぎる。
おまけに普段からよく行動を共にしている彼女たちが言っているのだ。 とても的外れだとは思えない。
かといって何か手掛かりがあるわけでもなく、ニーナはどうやって確かめるべきか思案する。

「ま、事情が分からねぇんなら、知ってるやつに訊くのが一番だわな」

と、それまで黙って話を聞いていたシャーニッドが横から口を挟む。
思わず目を向けて来るニーナやメイシェン達の目の前で、シャーニッドは部屋の隅にいたハーレイの方に歩み寄り、突然その胸倉を掴み上げた。

「え? わ、わぁ!」

「シャーニッド!!」

「先輩!」

ハーレイが悲鳴を上げ、ニーナとハイネが驚きの声を上げる。
それらを意に介さず、シャーニッドはハーレイを皆のところまで引っ張ってくると、普段の飄々とした声の中に微かに厳しさを込めて問いかけた。

「さて、ハーレイ。 お前さんは知ってるんだろ? レイフォンは今何やってんだ?」

「い、いや、何も知らな……」

「嘘を吐くな。 お前、さっき嬢ちゃん達がレイフォンやフェリちゃんの名前を出した時、明らかに動揺してただろうが。 俺の目は節穴じゃねぇぞ」

その言葉を聞いて、ニーナははっとハーレイの顔を見やる。
ハーレイは表情に苦渋を滲ませながら顔を俯き気味に背けていた。
その視線がその場の全員から逃げるように逸らされる。
明らかに何かしら隠し事がある顔、そして隠し事を暴かれそうになっている顔だ。
やはり何か起きている。 そしてそれにはレイフォンとフェリ、さらにハーレイが関わっているのだ。
シャーニッドはその狙撃手ならではの観察眼でハーレイの態度からその不審さを見抜いていたのだろう。

「それに、だ……レイフォンがここ最近お前らの研究室に頻繁に出入りしてたのは知ってる。 確かに前々から交流はあったみてぇだが、流石にあの勤労少年がバイト休んでまでお前らの研究に付き合うわけねぇだろ。 しかも二回も。 それこそ、余程のことが起きねぇ限りはな」

「それは………」

「ま、ただ聞こうと思えば他の連中を問い詰めてもいいんだけどな。 何か起きてんなら、うちの会長殿が知らねぇはずはねぇし……武芸科のレイフォンを引っ張り出すんだ、ヴァンゼの旦那だって知ってるだろ。 けど、できればお前の口から聞きてぇよな。 お前も第十七小隊の仲間なんだからよ。 フェリちゃんとお前が知ってんのに、隊長のニーナや年長の俺に秘密ってのは酷すぎねぇか?」

「…………」

「さぁ、何が起きてんだ? あの真面目なレイフォンが学校休んでまで、いったいどこに行ってる? あいつは今、何をやってんだ?」

決して大きな声ではないが、重く力強い声でシャーニッドは再度問いかける。
ハーレイは心苦しそうにシャーニッドから顔を背けた。
どの言葉も核心を突いていただけに、否定の言葉が出てこないという様子だ。

「……その顔見る限り、二人で学校サボってデート、ってなオチじゃなさそうだな。 言え。 あいつら今何やってんだ?」

シャーニッドがさらに強く詰問する。
メイシェン達三人も息を呑んでその様子を見守っていた。
ニーナもハーレイの顔を真っ直ぐに見る。
ハーレイは顔を強張らせたまま、その場にいる者たちの顔を窺うように見る。
ほんの僅かの沈黙の末、メイシェン達三人やニーナの張り詰めたような様子を見て、ハーレイの表情に諦めのような色が浮かんだ。

「ハーレイ?」

「ごめん……」

名前を呼んだニーナに、目を合わせることなくハーレイが謝罪を口にする。
そして微かに震える口から紡がれた話の内容に、ニーナは絶句した。






















ニーナが扉を蹴破らんばかりの勢いで生徒会長室に入ると、そこにはカリアンと武芸科の制服を着た男子生徒がいた。
二人が同時にこちらを向く。 カリアンの隣にいる男子生徒は随分と整った人形のような顔をしているが、その生徒には見覚えが無い。
それ以上その男子生徒のことは気にすることなく、ニーナは真っ直ぐにカリアンの方へと歩み寄ると、開口一番怒りの滲む声を叩きつけた。

「レイフォンを一人で戦いに行かせたというのは本当ですか!」

質問ではなく詰問である。
ニーナの後ろで気まずそうな顔をしているハーレイを見て、カリアンは否定しても無駄と判断し素直に頷いた。

「本当だとも。 理由は分からないが、ツェルニの進行方向上に汚染獣がいるのでね。 しかも今度は幼生ではなく成体の群れらしい。 ゆえに、彼に殲滅を依頼した」

聞いた瞬間、ニーナの顔が怒りに歪む。

「何故あいつを一人で行かせたのですか!? 汚染獣が近付いているのなら、武芸科全体で対処すべきでしょう!」

憤りに震えるニーナの声に、カリアンはあくまで平静を保ったまま答えた。

「戦闘での協力者をレイフォン君自身がいらないと言ったのだよ。 私はそれを信じることにした」

「信じるのと放置するのは違うでしょう! あいつを殺す気ですか!? たった一人で汚染獣の群れと戦わせるなんて! いくらレイフォンが強いからといったって、成体の……それも群れを成した汚染獣相手に敵うわけがない!」

そう考えるのが普通だ。
一般的な……学園都市とは違って熟練の武芸者がいる都市でさえ持てる戦力全てを尽くさねば倒せない。 汚染獣とはそういう存在だ。
たとえレイフォンが学生離れした実力の持ち主であるとしても、一人で汚染獣の群れと戦うのはいかにも無謀だろう。
少なくとも大抵の人間はそう考える。 ましてやツェルニの武芸者たちは汚染獣の脅威に直に触れたことすらあるのだ。 その恐ろしさは身に滲みて分かっているはずである。

「彼には過去にグレンダンで幾度となく汚染獣と戦ってきた経験がある。 汚染獣の恐ろしさはこの都市の誰よりも承知しているだろう。 その彼が言ったのだよ、学生武芸者では戦力にならないと。
 事実、前回の戦いでも君たちはかなり苦戦していただろう? 今回の相手は、この間の幼生体などとは比べ物にならないほど強力な汚染獣の群れなんだ。 君たちでは傷一つ負わせられるかも分からないような……ね」

「だったら、尚更あいつ一人に戦わせるのはおかしいでしょう! それほどの相手、ツェルニの全戦力を以ってしなければ対抗できません!」

カリアンはどう言うべきか迷った。
ニーナはレイフォンの過去や正体を知らないのだ。 おそらくは、武闘会で戦った時の姿をレイフォンの実力だと思っているのだろう。
自分とレイフォンとの力の差を正確に把握できていない。 仕方が無いとはいえ、この状況では少し厄介だった。

「成体の汚染獣を倒すのに必要なのは数ではなく個々の力量なのだそうだ。 数も確かに重要だろうが、それは各人に一定水準以上の実力があることを前提とした場合の話であり、今の君たちではそれだけの力が無い。 それでは助けにならないのだよ。 犬死にすると分かっている人材をわざわざ戦線に投入する気は無いね」

「それでも……私たちにだって何か手伝えることがあるかもしれません。 相手の気を引くとか、撹乱するとか、やりようはいくらでもあるはずです。 何もしないよりはましでしょう!」

ニーナが強く言い放つ。
しかしカリアンはにべも無く追い払うように手を振り、淡々と告げる。

「今回の件は君たちが関わるべきものじゃないのだよ」

「私たちにだって関係のあることです。 戦場にいるレイフォンは私たちの友人であり、サポートをしているフェリは第十七小隊の仲間です。 決して無関係ではありません」

「この汚染獣の問題に対して無関係の者などツェルニにはいないさ。 だが関係があるかどうかと、その案件に関わるかどうかは別の話だ。 そして君たちは関わるべきじゃない」

カリアンは断言するような調子で静かに言うが、ニーナは決して引こうとはしなかった。
ただ鋭い目でカリアンを見据えつつ口を開く。

「私を救援に行かせて下さい」

「そういうわけにはいかない。 私は今回の件をレイフォン君の判断に任せると決めた。 そのレイフォン君が助けは必要無いと言ったんだ。 彼が必要としない以上、こちらの独断で勝手に人を送り込むわけにはいかない。 下手をすれば、かえって彼を窮地に追い込む事態にもなりかねないのでね」

「ですが、我々は小隊員です。 都市を外部の脅威から守るのが我々の役目のはず。 ツェルニが危機に晒されているというのに、ただ指をくわえて成り行きを傍観している訳にはいきません! ましてや小隊員でもない一年生が一人で戦っているんです。 小隊員として、上級生として、何より一人の武芸者として、こんなところでのんびりと事態の終息を待つなど許されるはずが無い!」

カリアンは僅かに言い淀んだ。
彼女のこの頑なさと真面目さは、決して否定すべきものではない。
ニーナの持つこれらの要素は、いずれツェルニの武芸科にとって必要な存在となるだろうと、以前よりカリアンは思っていた。
だからこそ、若さゆえの浅はかさだと分かっていながら、他の隊長と比べ遥かに未熟な彼女の小隊設立を容認したのだ。
しかし事ここに至っては、手放しで褒められたものではない。 彼女の頑なさは、今この場ではただ単に厄介でしかないのだ。
カリアンがうんと言うまで、彼女はここでいつまででも粘り続けるだろう。

説得するには材料が足りな過ぎる。
当然だ。 彼女の意見こそが都市政府の本来下すべき判断なのだから。
ニーナの言っていることは正論であり、レイフォンという規格外な存在を考慮しなければ、誰もが同じ答えに至るだろう。
だからこそ、得意の口先で丸めこむことは難しい。 かといって、無理に制止して実力行使に出られても困る。

ならばいっそのこと許可を出すか。
彼女の存在が戦場において、吉と出るか凶と出るか……武芸者ではないカリアンでは判断がつかない。
それに今からでは戦端が開かれるのに間に合わないかもしれない。
いや、間に合わないだけならば問題は無いが、間の悪い時に居合わせることにならないとも限らない。
その結果レイフォンが敗北などすれば、ツェルニはもはや終わりだ。
逆にニーナたちが命を落とすことになるのも、ツェルニの行く末を思えば歓迎できることではない。
レイフォンとは別の意味で、カリアンやヴァンゼはニーナのことを買っているのだ。 できればここで失うようなことはしたくない。

だが、これもまた必要な段階であるとも思う。
より先のことを考えるのならば、汚染獣という脅威の本当の恐ろしさを武芸科の者たちに知らしめるのは、決して間違っていない。 その経験は、再び都市が窮地に立たされた時のための布石となるだろう。
特にニーナは来年、あるいは再来年の武芸科を引っ張っていく一人になるであろう人物だ。 経験を積ませるのに早すぎるということは無い。
ではどうするか……。
カリアンはしばらくの間迷っていたが、結局は頷いた。

「わかった。 ランドローラーの使用を許可しよう。 レイフォン君の補助をしているフェリの手を煩わせるわけにはいかないから、現場までの案内はこちらのアルマ君に任せる。 彼なら都市外まで君たちを案内できるだろう。
 ただし、現場に着いたらその後はレイフォン君の指示に従うように。 これは絶対だ。 勝手な行動を取れば、逆にレイフォン君の足を引っ張ることになるかもしれないからね。 それと、他の小隊まで向かわせることはできない。 救援は君たちだけということになる。 それでもいいかね?」

それがカリアンからの最大限の譲歩だ。
都市責任者として、そしてレイフォンの過去を知る者として……。

「わかりました」

短く言うとニーナは踵を返した。

「行くぞ、みんな。 汚染獣がいるのは都市の進行方向なのだから、レイフォンとの距離はそれほど開いていないはずだ。 あいつは移動の途中で一度休憩を入れるだろうから、距離と時間から考えて……今日の早朝に出発したのなら、こちらが休みなしで走ればレイフォンが戦闘を始める前に合流できるかもしれん。 ……うまくいけばだがな」

シャーニッドもハイネもやれやれといった顔をしていたが、口ごたえすることは無い。 黙って自分たちの指揮官の言葉に従い、足早に廊下を歩くニーナの後を追う。
三人が出ていくのを見届け、カリアンは深々と溜息を吐いた。
すでに重晶錬金鋼を展開して念威端子を飛ばしているアルマが訊ねる。

「いいんですか? 行かせてしまって……。 レイフォンが怒るかもしれませんよ?」

「止むを得ないさ。 拘泥して、強行に出立しようとされるよりは、こちらである程度行動を把握できる分、いくらかマシだよ。 彼女たちが力づくで行こうとするのを止めるのは難しいからね。 騒ぎになれば、他の生徒たちにも知られてしまうかもしれない。 それはできれば避けたいのさ」

「成程」

もちろんそれだけではないのだろうが、アルマは別段それ以上を訊ねたりはせず、淡々と自分の役割を果たす。
現在は端子を使ってニーナたちの動向を捕捉していた。
彼女たちは今、都市外への出入り口のある地下へと向かっている。
さらに端子を飛ばして、いざという時のために指揮系統や避難誘導の手順などを確認していた武芸長のヴァンゼにもたった今起こった事の次第を報告した。
それを横目に見ながら、カリアンは再び溜息を吐いて深く椅子に沈みこむ。

「まぁ……せめてこれがきっかけで彼女が多少なりとも成長してくれれば、せめてもの救いなのだけどね」

カリアンの誰に向かうでもない呟きは空気に溶けて消えた。





















あとがき

遅くなりましたが、なんとか更新できました。ただ、いつもより少し短いかもしれません。
ほんと、もう少し執筆が早くならないものか……今のパソコン、2年以上使っていますが、未だにブラインドタッチができないんですよね。

それとすみません。 前回のあとがきで嘘吐きました。
結局汚染獣戦にまではいけませんでしたね。 思ったより時間と文字数が喰ってしまって……

今度こそ、次の更新で汚染獣戦に入れると思います。


とりあえず今回は移動中の様子とツェルニでのやり取りの回ですね。
不安に揺れるメイシェン達3人に、何も知らされなかったことに憤るニーナ。
キャラそれぞれのらしさが出ていればいいですが、上手くいったかどうか……

アルマも再び登場。 フェイランも合わせて、今後出番を増やしていきたいなと思うキャラです(こちらはフェリがいるので難しいですけど)。

さて、レイフォンが生きて帰る決意をする中、結局戦場に出しゃばってしまうニーナ。 彼女の命運やいかに?




[23719] 21. 死線と戦場
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2011/07/03 03:53
レイフォンは無言で荒野に佇みながら、腰の剣帯に差してある数本の錬金鋼の内の一本に触れる。
養父から譲り受けたものと同じ、刀の形状を記憶した鋼鉄錬金鋼だ。
その錬金鋼を手で撫でながら、精神を徐々に研ぎ澄ませていく。
心が冷たく冷えていき、感情が凍りついていくような、あるいはだんだんと消えていくような感覚。
意識をただ戦うためだけに存在する思考回路へとシフトする、戦闘前のいつもの習性。



サイハーデンの極意は、戦いに勝つことではなく生き残ること。
その考え方は多くの武芸者にとって受け入れがたいものであった。
それは武芸の本場であるグレンダンにおいても同様だ。
都市を襲う脅威を相手に命を懸けて戦うことこそが武芸者の存在意義であり、自身の生存を第一に考えるなどあるまじきことだと言うのである。 ましてや死を恐れて戦場から逃げ出すことなど論外だと。
ゆえに、生き残ることを何よりも優先するサイハーデンの教えに対し、多くの武芸者たちが眉を顰めた。

だがしかし、その見方は間違いであるとレイフォンは思う。
生き残ることを優先することと、命を懸けて戦うことは、決して矛盾することではない。
生きるためには、時にあえて自ら死線を潜らなければならない時もある。 戦場とはそういうものだ。
サイハーデンの武芸者たちだって、戦いでは常に命を懸けてきた。 数多くの戦場を戦い抜いてきた。
そして戦いの中で、何度も死を覚悟してきた。
レイフォン自身、他のどの都市よりも過酷な戦場を数え切れないほど潜り抜けてきたし、時には戦いの中で死を覚悟したこともある。

そして今、ツェルニに来て再び戦場に立っている。
これから始めるのは死に繋がるかもしれない、いや、一歩踏み外せば即、死に繋がる戦い、まさしく死闘だ。
生きるために、そして大切な人達に生きていてもらうために、レイフォンは命懸けで戦わなければならない。
逃げ場などどこにも存在しない。 都市に逃げ帰ったところで、汚染獣は都市を襲撃するだけだ。
レイフォンがここで戦い勝利しなければ、ツェルニは確実に滅んでしまう。
だから、逃げるわけにはいかない。 

だが、命を捨てるつもりは全く無い。
どんなに立派に戦おうとも、死んでしまえば何の意味も無いのだから。
死ぬことが名誉なわけがない。 死ぬことが正義なわけがない。
人は死ぬために戦うのではなく、生きるため、生きていてもらうために戦うのだ。
生き残らなければ戦えず、生者の腕でなければ何物をも守れない。
死者はただ土に還るだけ。
だから………

「僕は生き残る」

戦い、勝利し、殺して、生き残る。
敵への恨みでもなければ、金のためでも、正義のためでもない。
ただ一つの生命として生存本能に従い、生き残るために戦う。
そして生き残るために………敵は、全て殺す。





























「しっかしこのスーツ…硬いし分厚いし暑苦しいし……おまけに動きにくいな」

無人の荒野を二台のランドローラーが並走している。
そのうちの一台を運転しながらシャーニッドがぼやいた。
それに対し、もう一台に跨っているハイネが苦笑しながら答える。

「仕方ないですよ。 もともと戦闘用には作られていないんですから。 あくまで都市外で活動できるように汚染物質から守ってくれるってだけです。 都市外戦闘用に改良できたのはレイフォンに渡された一着だけだそうですしね」

「ま、そりゃしゃあねぇか。 んで、現場にはいつ頃着くんだ? いい加減、帰りが不安になってきたんだけどよ」

「お前は愚痴ばかりだな、いつもは格好つけてばかりの癖に。 心配せずとも念威繰者の案内があるんだ。 帰りのことよりこれからの戦いのことを考えろ」

「へいへい」

ツェルニを出発して十時間以上経っただろうか。
すでに後方に都市の姿は見えず、周囲には一面の荒野が広がっている。
もともと遭難者救助用の乗り物のため、ランドローラーの側面にはそれぞれサイドカーが付いており、ニーナはハイネの運転している方のサイドカーに座っていた。
当然ながら三人とも、都市からこれだけ離れるのは初めての経験だ。

「それにしても……まさかこれほど遠方まで念威を飛ばせる者がいるとはな」

都市から遠く離れてなお鮮明さを失わないフェイススコープの映像に、ニーナが感嘆するように呟いた。
すると、眼前にある菱形の念威端子から声が聞こえてきた。 実際の年齢よりもやや幼げな声だ。

『いちおう先に言っておきますけど、戦闘中のサポートまでは期待しないでくださいね。 さすがにこの距離だと精度が若干落ちてますし、消耗も激しいですから。 まぁ、都市の方が汚染獣に近付いた分、少しはマシになってますけど』

本人は謙遜しているが、このアルマという少年は念威繰者としてかなり優秀だ。
少なくとも、ツェルニの武芸科に――小隊員も含めて――これほどまでの念威繰者は存在しないだろう。
ニーナの出身都市シュナイバルでも見たことが無いほどの使い手だ。
この実力が周知になれば、すぐにでも小隊間で奪い合いになるだろう。

だが彼ほどの巧者でも、やはりここまで都市から離れるとかなり消耗するらしい。
当然だ。 ここまでやって平然としていられたなら、それこそ天才だ。
しかし、今回の件に協力しているというフェリは、ここまで都市から離れた場所でレイフォンの戦闘の補佐をしているという。

それも話しによれば、本人はあくまで都市に留まったまま、昨日の朝から一睡もせずにだ。
まさかフェリにそれほどまでの実力があるなどと、ニーナは想像もしなかった。
あのカリアンが入隊を勧めるほどだったので才能はあるのだろうと思ってはいたが、まさかそこまでとは。
規格外――まさにそう評すべきだと言えるほどフェリの実力は飛び抜けているのだ。

(では、まさかレイフォンも?)

口には出さず、内心でそう思う。
怒りの激情と武芸者としての義務感、そして危険の渦中にいるレイフォンに対する心配と焦燥で、ほとんど勢いに任せて都市を飛び出してきてしまったが、よくよく考えてみればおかしな話だ。
群れを成した汚染獣を殲滅するのに、武芸者をたった一人で送り込むとは。 それも今年入ったばかりの一年生を。

いくら武闘会で優勝したからといって、一人の武芸者の実力などたかが知れている。
ましてや今回の相手は、前回とは比べ物にならないほどの強敵だ。 とても一人で戦える相手ではない。
少なくとも、やり手で有名なあのカリアン会長がそんな無謀な決断を下すとは考えにくい。
それとも、グレンダン出身であるというレイフォンの実力はそんな常識を覆すほど並外れた物なのだろうか?

(まさか)

思い浮かんだ考えを、すぐさま自身で否定する。
いくらなんでもそこまで常識外れな者がいるはずはない。 いれば、それはすでに天才ですらない、化物だ。
だいたいそんな力があるのならば、前回の汚染獣戦であれほど苦戦することは無かったはずだ。
それに武闘会で手合わせした限り、レイフォンが自分よりも数段優れた武芸の技を持っていることは明らかだが、そこまで並外れた力があるようにも感じなかった。

おそらくは何かしらの作戦があるのだろう、ニーナはそう考える。
レイフォンはグレンダンで汚染獣戦の経験があると言っていた。 それもかなり豊富にだ。
おそらく、その時の経験に基づいた何らかの策が用意してあるのだろう。
もしかすると、カリアンがハーレイ達には言わなかっただけで、実際には他の小隊もその作戦に参加しているのかもしれない。
ならば、ツェルニの武芸者として、ニーナもそれを手伝うべきだろう。

(確かに実力も経験も負けているかもしれない……。 けど、私にも何かできるはず、何か手伝えるはずだ)

心の内でそう強く念じながら、剣帯に収まった二本の錬金鋼に手をやり、グローブ越しのその感触を確かめる。
武芸者とは都市を守る存在だ。 外敵と戦い、都市の安全を守るために存在している。
その武芸者が、都市が危機に陥っているその時に、安穏と事態を傍観している訳にはいかない。
ましてや自分は小隊員だ。 まだ未熟者の新参とはいえ、その矜持だけは誰にも負けるつもりはない。

「よし」

ニーナが声に出して決意を新たにした、その時……


グォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!


突如、進行先の遥か彼方から、大気を震わせるような咆哮が響いてきた。
一瞬の驚愕のあと、思わず三人は顔を見合わせる。
今のはまさか………汚染獣?

(戦いが始まったのか!)

その答えに至ると同時にニーナが二人に向かって叫ぶ。

「急ぐぞ! 飛ばせ!」

『ダメです! 一旦止まってください! 会長に言われたでしょう、レイフォンの指示に従えと! 今通信を繋げますから、少し待ってください! ……ってちょっと!? ダメですってば!!』

アルマの念威繰者に似合わぬ焦ったような声が周囲に響くが、ニーナの耳にはすでに聞こえていなかった。


























汚染獣の群れは身動き一つせず、その場に佇んでいる。 その数、十五体。
レイフォンはランドローラーを現場から離れた岩山の陰に停め、そこから離れて歩き出す。
死んだように動かない汚染獣達にゆっくりと近付きながら、小さな声で起動鍵語を呟き、複合錬金鋼を復元する。
レイフォンの右手に長大な刀が現れた。

刀身は夜を映しているかのような漆黒。
普段使っている鋼鉄錬金鋼の刀よりもずっと幅広で肉厚な刃。
刃長は長く、柄も合わせるとレイフォンの身長よりも長い。
それは刀というよりもむしろ野太刀、あるいは大太刀と呼ぶべき得物だった。

レイフォンは右腕にかかるずっしりとした重量感を確認し、視線を汚染獣たちに向ける。
地面に横たわる汚染獣たちのうち一体に動きがあった。
ピシリ、という音と共にその汚染獣の体にひびが入る。
汚染獣の体は表面がボロボロと崩れ落ちていく。
胴体を覆う鱗が剥がれ落ち、破れた翅が千切れていく。
そしてその汚染獣の背中から新たな翅が広がった。 さらに大気を震わすような咆哮が起こる。

グォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!

近付いてくる餌に気付いたのか、それはまるで歓喜の叫びのようだった。
古い体皮を吹き飛ばすように節足を振り回し、大きく広げた翅を羽ばたき始める。
念威端子からフェリのやや焦ったような声が聞こえてきた。

『報告が入りました。 ツェルニが進路を変えたようです。 都市が揺れるほどに急激な方向転換です』

「そうですか」

やはり、とレイフォンは思う。
つまり進路上にいる汚染獣の存在に気付いていなかったのだ。 あるいは死体だと思っていたのか。
そうではないと気付いて、慌てて進路を変えたのだろう。

『レイフォン、これは?』

「脱皮ですね。 実際に見たのは初めてですけど、間違い無い。 おそらく仮死状態に入っていたからツェルニは気付かなかったんだ」

見ると、他の汚染獣たちも次々とひび割れていく。
運の悪いことに、これほどの数の汚染獣がほぼ同時に脱皮を始めていた。

『ツェルニは進路を変えました。 逃げてください!』

「今更遅いですよ。 こいつらはもう気付いてしまっている。 すぐそばまで近付いた餌の存在に」

フェリが悲鳴を上げるが、レイフォンはあくまで冷静なまま大太刀を構える。
徐々に体内で剄を練り上げ、精神状態をより戦闘向きにシフトしていく。
感情を排し、まるで自分が一個の戦闘機械に変わってしまったようにも感じた。
最初に脱皮した汚染獣は湿った翅を羽ばたかせながら徐々に乾かし、飛び立とうとしている。

節足動物に似た形態の幼生体とは異なり、蛇のような長い胴体と爬虫類を思わせる頭部の形をしている。
しかし目と足には未だ虫の様な特徴が残っていた。 両目は昆虫の様な複眼になっており、個体によって数が違う脚の形は虫の節足に似ている。
大きさを見る限り雄性体の三期、その飛行速度は都市の足よりも速いだろう。

長期戦はレイフォンに不利だ。
人間が汚染獣相手に生命力や持久力で勝てるわけがない。
傷一つ負えば致命傷となるレイフォンと、小さな傷なら即座に再生してしまう汚染獣とでは、戦いが長引くだけレイフォンの方が苦しくなってくる。

狙うは、短期決戦。
一体につき一撃。
必殺必勝の威力を技に込めて、確実かつ迅速に一体ずつ潰す。 それが最善にして、唯一の手段。
ここで止めなければ、ツェルニは滅ぶ。
そうなればレイフォンの大切な人達も―――。


内力系活剄の変化  水鏡渡り

瞬間、レイフォンの姿が霞むようにその場から消えた。
次に現れた場所は、今まさに飛び立とうとしている汚染獣の傍。
レイフォンは目の前の汚染獣の首に上段から鋭い斬撃を振り下ろした。
衝剄を纏った鋭利な刃は、あたかも紙を裂くように汚染獣の岩のような外皮を容易く切り裂き、肉を斬り、骨を断つ。
その一閃で汚染獣の首が落ちた。 同時に夥しい量の体液が切り口から溢れ出す。
断末魔の叫びを上げる余裕も無く、その一体は絶命した。

「恨みは無いが、お前たちには全員ここで死んでもらう!」

叫びながら、長大な刃を引き連れるようにした鋭い疾駆で次に脱皮した一体へと肉薄する。 。
戦闘は危険と判断したのか、その一体は逃げるように空に飛び上がり、ツェルニを目指して飛び去ろうとする。

「逃がすか!」

レイフォンは大太刀の形をした錬金鋼に剄を込め、逆袈裟気味の一閃を放つ。
振り抜かれた刀身から、斬撃をそのまま巨大化したかのような衝剄の刃が飛翔した。

外力系衝剄の変化  閃断

放たれた衝剄は斬線の形を保って真っ直ぐに飛び、汚染獣の背中に襲いかかる。
空を裂いて飛来する斬撃はそのまま飛び去ろうとした汚染獣を背後から両断した。
それを見届けながら、レイフォンは腰から抜いた基礎状態の錬金鋼を手の中にある複合錬金鋼のスリットに差し込み、再復元する。

「レストレーションAD」

手の中に現れたのは大型の突撃槍(ランス)だ。 円錐状の長い穂先に同じくらい長い柄がついている。
レイフォンは突撃槍の柄を体の内側に引き込み、抱きしめるように構えた。 その構えから、裂帛の気合と共に鋭い突きを放つ。

外力系衝剄の変化  点破・螺閃 (てんは・らせん)

突きの動作に合わせて、突撃槍の先端から凝縮された衝剄が高速で撃ち出される。
螺旋回転と膨大な剄量によって速度、射程、貫通力を最大まで高めたその一撃は、すでに飛び上がっていたもう一体の汚染獣の下顎から突き刺さり、そのまま脳を破壊、さらには頭蓋骨までをも突き破った。
頭部を撃ち抜かれて絶命した汚染獣が地に墜ちていく。

と、さらに別の汚染獣が飛び上がろうとした。
すかさずレイフォンは空高く跳躍。 周囲の岩山よりも遥かに高く跳び上がり、その汚染獣の背中に降り立つ。
そして突撃槍を下に向けて構え、力一杯突き下ろした。
穂先が汚染獣の肉体奥深くまで突きささる。

外力系衝剄の変化  爆刺孔 (ばくしこう)

直後、突撃槍の先端で指向性のある爆発が起こり、汚染獣の胴体を吹き飛ばした。
腹部に大穴が開き、その汚染獣も地上へと向かっていく。
新たに二体が跳びあがろうとするのを視界に捉え、レイフォンは足元の汚染獣の体を全力で蹴り、再び空高く跳び上がった。

空中でスリットの錬金鋼を入れ換え、再復元。 レイフォンの身長ほどの柄に堰月の形をした大きな刃……その手に大薙刀が現れる。
空中で上昇から降下に転じながら、レイフォンはそれを大きく振りかぶった。
武器に膨大な剄を込め、そして眼下にいる新たな一体に向かって振り下ろす。

外力系衝剄の変化  餓狼駆 (がろうく)

レイフォンの振るう巨大な刃から放たれた衝剄が下にいた一体の体を薙ぎ払った。
汚染獣の肉体は斬線によって断ち割られ、衝剄によって破砕し、そこから生まれた熱量によって炭化する。
断裂と破砕と焼滅の連鎖はとどまることなく繰り返され、あとには破壊的で凄惨な死骸だけが残された。
その結果を見届けもせず、餓狼駆を放った勢いのまま大薙刀を振るい、次なる一体に向かって衝剄を飛ばす。

外力系衝剄の変化  群狼狩 (ぐんろうが)

放たれた衝剄が汚染獣の体に触れるや否や、その外皮は崩れるように剥がれていき、体細胞を粉々に喰い散らした。
それは一個の巨大な衝剄のように見えながら、実際は刃状になった極小の衝剄が集合したものだ。
乱回転する小さな刃の群れは、まるで無数の狼の群れが一体の獣に襲いかかり食い殺すがごとく、汚染獣の体組織を触れた端から粉々に消滅させていった。

「レストレーションAD」

無惨な様相を晒す二体の汚染獣を視界に収めながら、レイフォンは滞空したまま再び錬金鋼を組み換え、再復元する。
着地と同時に手の中に現れたのは、ややメイスに似た形状の武器……狼牙棒だ。
アーモンドの実を思わせる楕円体に一定間隔で鋭いスパイクが並んでおり、下部には棒状の柄が付いている。
柄を合わせた全長はレイフォンの身長よりも長い。

と、新たな一体が空へと飛び上がった。
レイフォンは狼牙棒を両手で肩に担ぐように構え、腰を落として両脚に剄を送り込む。
瞬間、足に込めた剄を爆発させ、全力で地を蹴り敵に向かって突貫するように跳躍した。

活剄衝剄混合変化  剛鎚旋・鳳烙 (ごうついせん・ほうらく)

一直線に飛びながら、空中で身体を前転させる。
レイフォンは風車のように旋回しながら汚染獣へと突撃し、狼牙棒の重量に回転の勢いを乗せた一撃をその頭部へと振り下ろした。
さらに打撃の瞬間に激しい衝剄を放ち、暴風のような破壊の嵐を巻き起こす。
凄まじい威力を伴った一撃は汚染獣の頭部を粉々に打ち砕き、四散させた。

絶命した汚染獣の頭上を行き過ぎながら、レイフォンは空中で狼牙棒を振り回し、落下の速度と位置を調整していく。
その間も、その目は油断なく残りの動きを捉えていた。
再度地面に降り立ったレイフォンは、素早く複合錬金鋼を組み換え、さらに剣帯から青石錬金鋼を抜き出す。

「レストレーション02」

起動鍵語と共に、両手の錬金鋼が刀の柄だけの奇妙な形状に変化する。
見えないほどに細い鋼の糸の群れ……鋼糸だ。
複合錬金鋼の鋼糸が周囲に散ると同時に、青石錬金鋼の鋼糸が空中に閃き汚染獣へと飛びかかる。
残る八体の汚染獣がほぼ同時に脱皮を終え、飛び上がろうとしているのには気付いていた。
その八体を地面に縫いとめるように、無数の鋼糸が絡みつく。
ちょうど体を浮かせたところだった汚染獣たちは、お互いにもつれ合って再び地に落ちた。
体に巻き付いた鋼糸は八体の動きを拘束し動きを封じている。

(リンテンスさんなら、この状態から切断できるんだろうけど……)

ふと、鋼糸の技を教えてくれた男のことが思い浮かぶ。
彼の使う鋼糸の技、繰弦曲は技巧の極致だ。
一本一本は些細な武器であろうと、それが無数に寄り集まり、さらにリンテンスという超絶的な技能者が扱えば、強大な剄を内包した、凄まじいまでの切れ味と破壊力を誇る最強の兵器にもなる。
その超絶の技の前では、雄性体の汚染獣など物の数ではない。

レイフォンはその技を伝授されてはいるものの、完成度はリンテンスに遥か劣る。
武芸において天才と言われているレイフォンでさえ、彼の技量には遠く及ばないのだ。
特に剄を自在に操るという分野においては、彼の右に出る者はいない。 その点に限って言えば、グレンダンにおいて歴代最強と言われる武芸者である現女王をも凌ぐ。

そのリンテンスならば、雄性体ごとき、技とも呼べないただの鋼糸術だけでも十分に倒せるだろう。
衝剄を纏ったリンテンスの鋼糸の切れ味は、扱い方次第で刀剣をも凌ぐ。
だが、レイフォンにはそれほどの力は無い。 幼生体のように柔らかい甲殻ならばともかく、技もなしに雄性体の肉体を一撃で両断することはできないのだ。
また、鋼糸の技を使おうにも、レイフォンでは必要な陣を編むのにリンテンスよりも遥かに時間がかかる。 
ゆえに複合錬金鋼で陣を編む時間を、青石の鋼糸で動きを封じることで稼いでいるのだ。

縛られた汚染獣たちが怒りと苦痛の咆哮を上げる。
鋼糸はその外皮に食い込み、切り口からは微かに体液が溢れ出ていた。
絡みついた鋼糸が引き千切られないよう注意しながら、レイフォンはできる限り迅速に複合錬金鋼の鋼糸を操作する。
時間にすれば数秒程度ではあるが、ようやく鋼糸の陣が完成した。
周囲に張り巡らされた鋼糸の陣がレイフォンの剄によって発動する。

繰弦曲  破軍 (そうげんきょく  はぐん)

瞬間、大きく周囲に広がっていた鋼糸が一斉に跳ね上がり、斬線が縦横無尽に乱れ舞う。
衝剄を纏った無数にして不可視の刃は、拘束された八体のうち、四体の汚染獣を一瞬で塵殺した。
破軍は多数の敵を一度に葬るための技の一つだ。 前回ツェルニを襲った幼生体の群れ程度ならば、一息で蹴散らすことも可能なほどの攻撃範囲と攻撃密度を誇る。
断末魔の声を上げる暇さえ与えぬ高速連続斬撃の前には、成体の汚染獣といえども耐え切れなかった。

「ぐっ!」

手の中の錬金鋼から感じた手応えに、思わずレイフォンは顔を顰める。
見ると、複合錬金鋼からは煙が上がっていた。 同時に周囲に広がった鋼糸がかなりの高温を発している。
おそらく、レイフォンの剄が許容量の限界に達しつつあるのだ。

(もう少しだけもってくれ!)

そう祈りつつ、レイフォンは汚染獣を縛めている青石錬金鋼の柄から手を離し、複合錬金鋼を再び大太刀に変換した。
両手で握った刀へとさらに剄を送り込みながら、大きく跳躍する。
と同時に、ぷつん、と張られた糸の切れるような音が立て続けに響いた。 剄の供給の断たれた青石錬金鋼の鋼糸が汚染獣の力に耐えきれずに切れたのだ。
いまだ絡まっている糸から抜け出そうともがきながら、残る四体の汚染獣が暴れまわる。

レイフォンは空中で刀を腰の高さに構え、敵を鋭く見据えた。
両手で握った刀にさらなる剄を送り込む。
剄の過剰供給に錬金鋼がさらなる煙を吐き、軋むような悲鳴を上げた。
限界まで剄を込めたところで、鋭い神速の一閃を放つ。

外力系衝剄の変化  断空 (だんくう)

巨大な刀が横薙ぎに振るわれる。
瞬間、大太刀の描く斬線に沿って、さらに巨大な衝剄の刃が真っ直ぐに空を駆け抜けた。
レイフォンの眼前で、三体の汚染獣が同時に両断される。 さらに、遥か遠方で斬線の軌道上にあった岩塊のことごとくをも切り崩していった。
断空で胴体を輪切りにされた汚染獣たちが次々と地に墜ちていく。

技の仕組みそのものは閃断とほぼ同じだ。
ただし、その規模と威力は比べ物にならない。
並の錬金鋼では耐え切れぬほどの膨大な剄量によって、その攻撃範囲と切れ味を極限まで高めた一閃を繰り出したのだ。
眼前の風景そのものを断ち切るがごとく、研ぎ澄まされた刃の描く神速かつ巨大な斬線は、軌道上にある物全てを空間ごと両断する。

「っく!」

咄嗟にレイフォンは振り抜いた大太刀を残心の形のまま空中で放り捨てた。
直後、赤熱化して煙を吹いていた複合錬金鋼が剄の過剰供給に耐え切れなくなり爆発する。

(ここまでよく持ってくれた)

空中で粉々になって落ちていく複合錬金鋼の残骸を見据えながら、レイフォンは着地した。

「………一体逃したか」

断空の軌道から逃れた一体が飛んで逃げていくのを視界の端に捉える。
汚染獣はツェルニの方向へと向かっていた。
しかしレイフォンは慌てない。 この距離ならば、汚染獣がツェルニへと到着する前に追い着いて仕留めることができるだろう。
複合錬金鋼はもう無いが、まだ腰の剣帯には鋼鉄錬金鋼が、少し離れた場所には青石錬金鋼もある。
雄性二期や三期の一体程度なら、これだけでも十分に戦えるだろう。

レイフォンは慌てず、腰の剣帯に手をやりながら飛び去ろうとする汚染獣の方を見やる。
と同時に硬直した。

(あれは………)

汚染獣の向かう方向。
その先に………レイフォンと似た戦闘衣を身に付けた三つの人影が見えた。






















甘かった。
焦りと恐怖に心を侵されながら、ニーナは歯噛みする。
前方からは見たことも無いほどの巨大な質量を持った生き物が飛翔してくる。

(あれが汚染獣……先程までレイフォンが戦っていた、この荒廃した世界の王者たる存在)

左右に大きく広がる翅は力強く空を叩き、開かれた口には獰猛な牙が並んでいる。
その体躯は、以前見た幼生体よりもはるかに大きい。
特に翅の生えた蛇か蜥蜴を連想させるその体型……鼻先から尾の先端まで10メルトルか、20メルトルか、あるいはそれ以上か………飛行しているために目測が定まらないせいか、恐怖にニーナの感覚が麻痺しているせいか、正確にはわからない。 とにかく大きく、そして恐ろしい。
その圧倒的な巨体と暴力の前では自分たちの力など羽虫に等しいものだろう。
いや、地を這う芋虫か……

そんな怪物が、ぐんぐん近付いてきている。
隣でシャーニッドが立て続けに狙撃銃の引き金を引いて剄弾を叩きこんでいるが、まるでダメージを受けた様子は無い。
むしろ空腹感と怒りが入り混じったような鬼気迫る勢いで真っ直ぐに突っ込んでくる。
その飛行速度は、都市の脚よりも、ランドローラーよりも、武芸者の疾走よりも速い。

(強い。 速い。 とても敵わない。 とても逃げられない)

ニーナの心に絶望が満ちていく。
何故こうなった? 私は何をやっている?
戦うために来たはずだった。 レイフォンを助けるつもりだった。
自分にも何かできるはずだと、何かレイフォンの力になれるはずだと、そう思っていた。

だというのになんだ? この体たらくは。
そしてなんだ? この桁違いの怪物は。
技量など何の役にも立たない。 鍛錬などなんの意味も持たない。 矜持などなんの助けにもならない。
この戦場にあって、自分はただ喰われるだけの存在でしかない。
近付いてくる敵のその圧倒的な存在感を感じるだけで、全身から力が抜けていく。
戦うことが役目であるはずの自分が、今この場では絶対的に無力な存在であることを思い知らされる。

以前、幼生体と戦ったことで慢心していたのではないか。
たった一度死地を潜り抜けた程度で全て分かったような気になっていたのではないか。
戦場は知ったつもりだった。 修羅場は経験したつもりだった。
だが、自分が目の当たりにしてきた戦いなど、本物の戦場と比べれば児戯に等しいものだったのだ。
ニーナたちが見てきたものは、汚染獣の本当の恐ろしさの、ほんの一端でしかなかった。
世界には人知の及ばぬ領域があるということを嫌というほどに突き付けられる。

自分も戦えると思っていた。 なんとかできると思っていた。
レイフォンが軽々と敵を倒しているのを遠くから見て、レイフォンの強さに驚くと同時に、心の奥で安堵していた。
汚染獣は、思っていたほど強く恐ろしい存在というわけではない。 たった一人の武芸者があれだけ戦えるのだ。 力を合わせれば、自分たちでも倒せるかもしれない。 そう、思ってしまった。
しかしその汚染獣の姿と存在感を間近で感じて、初めてその本当の脅威に気付いた。
これは……自分たちが今立っているのは………己の力を遥かに超えた世界だ。
汚染獣が眼前まで迫り、三人が諦めかけたその時……


ゴッ!!


突如、汚染獣の背後から一条の光が走り、後頭部から額へと抜けて空を貫いた。
頭部に風穴を開けられ脳を破壊された汚染獣は一瞬で絶命し、壊れた人形のように地上へと墜ちていく。
何が起こったのか分からず、三人は呆然と立ち尽くしていた。
ふと、今の光条が走った方向を見やる。
そこには……赤熱化した碧宝錬金鋼製の長弓を携えたレイフォンが、こちらに視線を向けたまま悠然と佇んでいた。



























三台のランドローラーが荒野の上を並走する。
すぐ近くには形状の違う二種類の念威端子も浮かんでいた。

「どうしてここにいるんですか? 誰も来ないように言っておいたはずなんですが」

レイフォンがやや温度の低い、責めるような目でニーナたち第十七小隊の三人を見る。
それに対し、ニーナたちは若干居心地の悪そうな顔で目を逸らした。

「たまたま弓も持ってきてたからなんとかなりましたけど、一歩間違えば先輩達全員死んでたかもしれないんですよ? そんなことにならないように、わざわざ会長に念まで押して一人で来たのに……」

眉間に皺を寄せるレイフォンに、アルマが言い訳するように口を挟む。

『一応言っておきますけど、ぼくはあくまで会長に言われてし・か・た・な・く案内しただけですからね? ほんとは乗り気じゃなかったんですよ? それに、さっきも一応隊長たちを止めようとしましたし。 いくら呼びかけてもまるで聞く耳持たなくて止まりませんでしたけど』

『隊長は相変わらずのイノシシ具合いで。 それと兄がわざわざ私以外の念威繰者に案内させたのは、私では断ると分かっていたからでしょうね。 レイフォンの負ける可能性に繋がる要素は極力排除しようとしたでしょうし』

フェリが淡々と、しかし僅かに苛立ちの滲む声で言う。
遠回りに足手纏いの役立たず呼ばわりされ、ニーナたちは軽くへこんだ。 実際、汚染獣を目の前にして何もできなかったのだから文句も言えない。

『いや、ぼくはてっきり会長には会長なりの策とか思惑なんかがあって許可したのかなぁ~って思ったんですが』

『あの男が優先するのは生徒各個人の都合ではなく、あくまでツェルニの存続と繁栄です。 仮に何かしらの思惑があったとしても、実際の目的はそちらでしょう。 そのために犠牲が必要なのなら、生徒の一人や二人くらい、躊躇わずに生贄に捧げても不思議とは思いません。 あの人ならあり得るでしょうね』

酷い評価だが、ある意味その生贄の一人でもあるレイフォンに反論の言葉は無い。
……まぁ、特に擁護してやる義理も無いが。
と、ここでシャーニッドがいつも通り飄々とした態度で声をかけてきた。

「ま、そう怒んなよ。 ぶっ壊れた錬金鋼の回収は手伝ったんだし」

「それくらい当然でしょう。 でなきゃほんと、先輩達一体何しに来たんですか?ってことになりますよ」

レイフォンが顔をしかめたまま呆れたように言う。
彼らが戦場に来てやった仕事といえば、レイフォンの剄量に耐え切れず大破した複合錬金鋼の破片の回収だった。
もう武器としては一切役に立たないが、キリクが戦闘のデータを欲しがっていたし、今後のためを考えて一応拾っておいたのだ。

「それに、俺たちが来たのは嬢ちゃんたちがお前さんのこと心配だって泣きついてきたからだぜ?」

「嬢ちゃんたち?」

「お前さんのクラスメイトの女の子たちだよ。 あの子は……メイシェンちゃんっていったっけ? いっくら事情があったとはいえ、女の子を悲しませた挙句に泣かせるってのは男としてどうかと思うぜ?」

今度はレイフォンが何も言えなくなった。
彼女達に心配かけていたのは事実だし、それを他の人の口から言われると、より一層罪悪感が沸き起こる。
やはりメイシェンを泣かせることになってしまった。 悲しませたくなかったから秘密にしていたというのに……
できるなら彼女たちが勘づく前に全て解決して帰りたかったのだが、どうやら失敗のようだ。

「俺は別にニーナみたいに武芸者の義務だとか正義感で都市を飛び出してきたってわけじゃないからな。 ただ、目の前で女の子が泣いてたら、手を差し伸べてやりたくなるのが男ってもんだろ? 少なくとも俺がここまで来たのは、嬢ちゃん達がレイフォンを助けてくれって泣いて頼んできたからだ。 流石に可愛い女の子に懇願なんてされたら、嫌とは言えないだろ?」

レイフォンは言おうとしていた言葉を呑みこんだ。
メイシェン達の行動は、一歩間違えば逆効果にすらなりかねないものだったが、それでも、純粋に自分の身を案じてくれたのだと分かるだけに、彼女たちを責める気にはなれない。
何も言わず、外面を取り繕うこともできなかったレイフォンにだって責任はある。 自分がもう少しだけでも彼女たちに心を開いていれば、また結果も違っていたかもしれない。
それに、自分のことをそうやって心配してくれる人がいるというのは、とても懐かしく、そして嬉しいことでもある。
結局レイフォンはそれ以上怒りをぶつけることはできなかった。

「ま、帰ったらちゃんと謝れよ?」

シャーニッドの苦笑交じりの言葉に、レイフォンはむっつりと顔をしかめたまま、黙って頷いた。
そんなやり取りを聞きながら、ニーナは心の内で考える。
今回目にした、レイフォンの常軌を逸したその強さについてだ。
自分たち小隊員ですら向かい合っただけで絶望せずにはいられない、あの圧倒的な殺意と存在感を前にしても一切怯まないその胆力。
人とは比べ物にならないような巨体と戦闘力を誇る汚染獣たちを、流れるような動きで容易く殲滅してみせたその技量。
その力はもはや人知を超えた領域であるとニーナは感じていた。
思わずやや前方を走るレイフォンの背に声をかける。

「レイフォン」

「なんですか?」

しかし振り返った相手と目が合った途端、ニーナは訊こうとしていた疑問を思わず呑み込んでしまった。
一体、あの若さであれほどの力を得るために、彼はどれだけの修練を重ねてきたのか。 そしてどれほどの代償を払ってきたのか……
その強さを、過去を、経験を、知りたくなってしまった。

だが、いきなりそんなことを詮索するのは不躾すぎるだろう。
レイフォンには何かしら秘密があること、それを他者に知られたくないと思っていることには以前から気付いていた。
そしてそれが、レイフォンの年に見合わぬ実力と武芸に対する姿勢に大きく関係していることも、何となくだが予想はできる。
あるいは、彼がグレンダンを出てツェルニへとやって来た事情にも……

しかし様子を見る限り、レイフォンは自分の秘密をクラスの友人たちにも話していない。 
彼女たちにすら話していないようなことを訊ねたところで、自分に打ち明けてもらえるとは思えないし、無闇に訊くのも失礼だ。 場合によっては相手を傷つけてしまう可能性すらある。
レイフォンがこんな都市から離れたところで戦っていたのは、ツェルニに被害が及ばないようにという理由もあっただろうが、おそらくは、レイフォン自身が戦うところを他者に見られたくなかったという部分もあるのかもしれない。
咄嗟にニーナは出かかった台詞を別の言葉に置き換えた。 とはいえ、これもレイフォンに言いたかったことだ。

「あ、いや……これからは、あまり無茶をするなよ。 お前が危険な目に遭えば、悲しむ人たちがいるんだからな。 私たちだって、お前が一人で危険に向かって行くのを見るのは辛いんだ」

あの巨大な汚染獣を見た瞬間は絶望した。
だが、その危険な戦場でレイフォンは一人戦っていたのだ。
その強さに羨望を感じると同時に、ニーナはレイフォンのそのあり方に一種の危うさも感じていた。
全てを一人で抱え込んで、いつか押し潰されてしまうような、あるいはふとした拍子に消えていってしまいそうな、そんな危うさを感じ取っていたのだ。
そんなニーナの内心も知らず、レイフォンは厳しい口調で苦言を呈する。

「無茶するなって……それはこっちの台詞ですよ。 こんな危険な戦場に勝手についてきて、一歩間違えばどうなっていたか……」

「お前の方こそ、誰の助けも無く汚染獣と、それも都市外で戦おうなんて無謀もいいところだろう。 今回大丈夫だったからといって、次も助かる保証は無いんだぞ」

「その言葉はそっくりそのままお返しします。 こういう言い方は好きじゃありませんけど、僕には学生武芸者の助力なんて必要ありません。 そもそもグレンダンにいたときだってずっと一人で戦ってきましたし、今更そのやり方を変えようとも思わない。 他人の助けなんかなくても、僕は十分戦えます。 むしろ戦場じゃ、自分以外の誰かの存在なんて枷にしかなりませんよ。
 それに汚染獣戦の危険なら誰よりも理解しているつもりです。 都市の外が危険だというのも、重々承知した上で戦っているんです。 戦場で命を懸ける覚悟くらい、とっくの昔にできてますよ」

その口調には、まるで気負いが感じられない。
強がりや方便ではなく、それが本心から来る言葉だということがわかる。
彼にとって命懸けの戦いというものは、さして特別な意味を持たないのだ。
この境地に至るまでに、彼は一体どれ程の死線を潜り抜くて来たのか、どれ程の戦いを経験してきたのか……
だからこそ、ニーナはレイフォンに危うさを感じてしまう。 感情すらも殺して戦場へと向かうレイフォンの戦い方に。

「だが、経緯はどうあれ、今はお前もツェルニを守りたいと思ってくれているのだろう? お前は以前、その卓越した技と力をツェルニ存続のために振るってくれると、そう決めたから武芸科に入ったのだと言っていたはずだ。 ならば私たちは同じ都市を守るために戦う仲間だ。 そして私は仲間を見捨てるようなことは決してしない。 したくない」 

その強い意志のこもった言葉に、レイフォンは僅かに口ごもる。
ニーナたちがそのように思ってくれるのは嬉しい。
少なくとも感情的には、ニーナの言葉を内心喜んでいる自分がいる。
だが、余計な感傷を戦いに持ち込むわけにはいかない。
それは戦場では愚かさと見做され、時には死を招くことになるのだから。

「生憎ですけど、僕はあなた達を仲間だと思ったことはありません」

辛辣な台詞に、思わずニーナの言葉が止まった。
シャーニッドとハイネも僅かに視線をこちらに向ける。

「先輩のことは、同じ目的を持った同志だと思っています。 けど、仲間というのは、その目的を達成する上で助け合い、協力することのできる関係を言うんです。 対等な力関係…せめて足を引っ張ることの無い同格の者でなければ、とても仲間とは言えませんよ」

レイフォンは冷たくそう言って、顔を前方に向けたまま驚きに固まるニーナたちを横目で見やる。
その瞳は、言葉同様冷たく冷え切っていた。

「あなた達は弱い。 戦場では仲間たりえない。 だから僕は一人でここまで来たんです。 力無き他人と肩を並べて戦うつもりも、背中を預けて戦うつもりもありません。 信頼できない相手に命を預けるほど、僕は命知らずじゃありませんから」

と、ここで流石に言い方が厳し過ぎたと思ったのか、最後に付け足した。
厳しい視線を僅かに緩め、その顔に似合わないやや皮肉げな苦笑を浮かべながら、

「まぁ置いてきぼりにされるのが嫌なら、せめてもう少し強くなってください。 僕もこんな危ない橋を渡るのは二度と御免ですから、弱いままで戦場に来られるのは心底迷惑です。 来るならせいぜい倒せないまでも戦えるくらいには実力を身につけてからにしてください。 僕も……手伝いますから」

それだけ言うと、あとは前を向いたままひたすらツェルニを目指してランドローラーを走らせた。
その様子を見守りながら、ニーナは心の中で決意する。
強くなるのだ。
次は、共に戦えるように。 たった一人の強者に全てを背負わせずに済むように。 孤独な戦場に送り込まずに済むように。
今回感じた悔しさを胸に抱え、絶対に強くなることを心に決める。

身近にこれほどの強者がいる。 そして自分たちを鍛えてくれると言っているのだ。 こんな好機を逃す手は無い。
追いつくことはできないかもしれない。 並ぶことはできないかもしれない。 そう思わずにはいられないほど、レイフォンは高みにいる。
だがそれでも、彼から学べば、自分は今よりもずっと強くなれるはずだ。
レイフォンから学べるだけ学ぼう。 そして可能な限り強くなろう。
二度と足手纏いなどと呼ばせないように。
仲間にはなれずとも、せめて戦友になれるように。


後ろでそんな決意を固めるニーナには気付かず、レイフォンはツェルニへと帰ってからのことに思考を巡らせていた。
すでに今までの会話のことは頭に無く、ひたすら前を向いたままランドローラーを走らせる。
自分の身を案じてくれる大切な友人たち。 彼女たちに何と言って謝ろうか、そんなことを考えながら。

























あとがき

ようやく更新できました。 原作2巻分終了です。
今回はラストをどんなふうに締めるかが中々決まらなくて随分と時間がかかりましたが、なんとか話を纏める事が出来ました。
レイフォンがメイシェン達にどんなふうに謝ったのかは、各々の想像にお任せします。


今回メインとなるレイフォンの戦闘シーンですが、かなり大味になってましたね。人外との戦闘はやはり難しいです。
結局、技→倒す→次の敵、の繰り返しに。 対人戦のような駆け引きや殺陣は、なかなか入り込めませんね。

ただ、色んな技を使わせることでレイフォンの高い才能を表現することはできたかなと思います。
単に技を真似るだけでなく、自己流でより汚染獣に対して有効な技に発展させたり、本家とは他の武器で応用したりとかですね。
もう何種類か違う武器を使わせてみたいな~とも思ったのですが、冗長すぎるので今回はこのくらいで。


さて、次は原作3巻のエピソードに入っていきたいと思います。
序盤の大筋は多分原作とそう変わりませんが、状況が違う分、レイフォンが原作とどう違う行動するのかを楽しんでいただければ嬉しいです。



[23719] 22. 再び現れる不穏な気配
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2011/07/30 22:37


それは見覚えのある光景だった。

それは聞き覚えのある歓声だった。


雲一つ無い快晴の空の下。

大きく開けた闘技場。

周囲を囲む大勢の観客。

会場に響き渡る無数の声援と歓声。

興奮に満ちた数多の視線。

そして向かいに立つ、一人の男。

レイフォンよりも随分と背が高い。 手足はしなやかに鍛えられた筋肉で覆われており、近くに立つと大人と子供の体格差がはっきりと表れていた。

その彫りの深い顔の口元には、余裕を表すかのような微笑が浮かんでいる。


「わかっているな」


男は遠く離れた観客には聞こえないよう、小さな声でこちらに囁きかけてきた。

念を押すような、警告するような声色。

対するレイフォンは………黙って頷いて見せた。

相手はそれを見て満足そうな笑みを浮かべ、徐に構えを取る。 体の正中線を隠した左半身の構え……格闘術だ。

応えるように、レイフォンは感情の薄い目のまま、無言で白銀に輝く剣を八双に構えた。

背中に、血の繋がらない弟妹たちの期待と羨望の混じった視線を感じる。

心にちくりと突き刺されるような痛みを感じながら、レイフォンは審判の合図を待った。

「これより、天剣争奪試合を開始する!」

高らかな声と共に、周囲の歓声がいっそう大きくなる。

目の前の男と視線が絡む。

レイフォンは感情のこもらない空虚な瞳で。

相手の男は勝利を確信しているかのような不敵な目つきで。

「では………試合、開始!!」



ゴッ!!!


瞬間、凄まじい破砕音と共に闘技場全てを埋め尽くすほどの巨大な光が走った。




























レイフォンは静かに目を開け、ベッドの上で起きあがった。
ボーっとした表情のまま虚空を見つめることしばし。

「はぁ………」

思わず溜息が洩れた。

「昔の夢……か」

先程まで見ていた夢の内容を思い返す。
昔の……いや、まだ一年と少ししか経っていないが、グレンダン時代の夢だった。

「なんで今更……あんな夢を……」

正直、あまり愉快な夢とは言えない内容だ。
とはいえ、不快感よりも疑問の方が強い。
何故今になって思い出したようにあんな夢を見たのか。 つい先ほどまで思い返すこともなかったのに。
そんなことを考えながら、何とはなしにベッド脇の時計を見た。

「あ」

思わず声が出る。
メイシェンやミィフィと交わした数日前の約束を思い出した。

「今日は対抗試合だったっけ」

そう呟いたレイフォンは、慌ててベッドから飛び出した。
































「三番! ミィフィ! 歌います!」

マイクを握り締めたミィフィのハイテンションな声がハウリングと共に店内に響き渡った。
誰かの持ち込んだカラオケ機器のスピーカーからハイテンポな音楽が流れ始める。 ミィフィがそのリズムに合わせて振付を交えながら歌い出した。


「ブレェービューアトゥルース! エンブレェービューアセル! ソォウィキャンゴサムワーウィーザダイト!
 キープォーパライヴ! ナウィワーナファインズニューワァァァーーゥルド!」


音程はともかく、随分と気持ち良さそうな歌声だ。 歌うことが心底楽しいという気持ちが伝わってくる。
ミィフィのノリノリのパフォーマンスに、周りで喝采を上げる連中が否応なく盛り上がった。
その集団の中には、第十七小隊のハイネやバックアップをしているハーレイの姿もある。 どうやら周りにいるのは彼らのクラスメイトらしい。 中には同じ小隊のシャーニッドのクラスメイトも含まれているのかもしれない。

そこからやや離れたところで、女生徒ばかりの集団が談笑している。
比較的真面目な印象のある生徒ばかりで、この場の賑やかな雰囲気にややそぐわないものがあるが、その様子は楽しそうだ。
その集団の中にはメイシェンやナルキの姿もある。 二人は知り合いの少ない状況にやや緊張しながらも、自然な様子で会話を交わしていた。
そしてその集団の中心にいるのは第十七小隊の隊長であり、この場の主役でもあるニーナだ。 周りの女生徒はどうやら彼女のクラスメイトらしい。

レイフォンはそこから少し離れたところにあるカウンター席に座りながら、彼らの様子を何とはなしに眺めていた。
ここはツェルニで最も栄えている繁華街、サーナキー通りにある店の一つ、ミュールの店だ。
半地下になったこの店では、普段はアルコールやつまみの類が振る舞われるのだが、今はアルコール類の大半が棚の奥に引っ込み、テーブルの上には大量の料理が載った大皿が並んでいる。

現在、この店では第十七小隊の対抗戦三連勝を祝う打ち上げが行われていた。
隊員たちだけでなく、彼らの誘いでその友人達も十七小隊の勝利を祝いに集まっている。
そんな集まりの中にレイフォン達がいるのは、勝利後のインタビューに向かったミィフィに付き添っていた際、折角だから参加しないかと声をかけられたからだ。
メイシェンやナルキも以前、武闘会後の打ち上げや、先日の非公式の汚染獣戦の際にニーナたちとも面識があったので、断る理由も無くその誘いに乗っていた。
人見知りしないミィフィなどは、早くも集団の中に溶け込んでいる。
と、隣のカウンター席に座っていたシャーニッドが、ビールの入ったグラスを傾けながらレイフォンに向かって呆れたような声をあげた。

「レイフォン、お前せっかく女の子たちに囲まれてたのに、何でこんなとこにいんだよ」

「えっと、なんて言うか……女の子同士の会話に馴染めないっていうか……」

先程までレイフォンはニーナのいる集団の中に混じっていたのだが、そこで興味津々という様子の女生徒集団に囲まれ、主役であるはずのニーナをも差し置いて質問攻めに遭っていたのだ。
好奇心に満ちた視線を躱すようにテーブル席を離れ、やっとのことでこのカウンター席まで逃れて来たのである。

「その若さでなーにおっさんみてぇなこと言ってんだよ、ったく。
 んで、今日はもちろん俺たちの試合を見に来てくれてたんだよな?」

「ええ、見てましたよ。 試合、勝って良かったですね。 おめでとうございます」

第十七小隊はここ最近調子が良く、立て続けに対抗戦で勝利を収めていた。
今日の試合で勝てば三連勝ということで、ミィフィが見に行こうとレイフォン達を誘ったのだ。
ちなみに現在の戦績は六勝四敗。 飛び抜けて勝ち進んでいるというわけではないが、出来て間もない小隊であることを考えると、かなり健闘していると言えるだろう。

レイフォンの目から見ても、ニーナたちは初戦の頃と比べて随分と成長したように思える。
実際、ここ最近では明らかに身のこなしや剄技の冴えが大きく向上していた。
レイフォンの施す訓練にも以前よりついて来られるようになっており、地力が付いてきたように思う。
未だ連携は未熟なものの、個々の実力が総じて高い分、作戦が嵌った時の勢いは凄まじく、特にその攻撃力は無類の強さを誇っていた。

「ありがとよ。 なんせ今日は俺様大活躍だったからな。 またファンが増えちまうぜ」

「確かにすごかったですよ。 先輩って、接近戦もできるんですね」

「まあな」 

言って、シャーニッドは抜く手も見せない素早さで腰の剣帯から錬金鋼を抜いて復元して見せた。
彼が普段使っている軽金錬金鋼製の狙撃銃とは違う。 材質は頑丈で重量感のある黒鋼錬金鋼製で、銃身の下部に打撃用の突起が付いた特殊な形状の拳銃だ。
その拳銃を手の中でクルクルと回しながら、シャーニッドは言葉を続ける。

「うちみたいに人数の少ない隊じゃ、狙撃だけってわけにもいかねぇからな。 手数が多いに越したことはねぇし」

「先輩が使ってたのって銃衝術…ですよね? そんなもの使える人が学園都市にいるとは思いませんでしたよ」

「さっすが、グレンダン出はよく知ってんな。 あんまし知られた技じゃねぇと思ってたんだが」

「や、グレンダンでも知ってる人は少ないと思いますけど。 というか、そもそも実戦レベルで使いこなせる人が少ないんですよね」

「確かにな……。 ま、大体こんな技使うのはカッコつけたがりの馬鹿か、あるいは相当な達人かのどちらかだろうが。
 ……ちなみに俺は、馬鹿の方な」

「……先輩でも謙遜することあるんですね」

「どういう意味だそりゃ?」

シャーニッドが苦笑いする。
銃衝術……簡単に言えば、銃を使った格闘術だ。
凝縮された剄弾による射撃だけでなく、銃身を使った打撃や防御を組み入れた近接戦闘用の技術である。
シャーニッドの拳銃は頑丈さに主眼が置かれた作りをしており、射撃の精密性や射程距離においては狙撃銃より遥かに劣るものの、打撃力や取り回しなど、近接格闘では大いにその威力を発揮するだろう。 もっとも、それは優秀な使い手あっての話ではあるが。
今日の試合では、今まで遠距離射撃だけだと思われていたシャーニッドが前線に登場して乱戦に参加したため、それが相手の予想を裏切る結果となり、奇襲としての効果を生んだ。

「これまで対抗試合で使わなかった分、先輩が前衛に現れた時は相手も意表を突かれたと思いますよ」

「ま、次からは敵さんも研究してくるだろうから、奇襲効果は一回こっきりだろうけどな」 

苦笑気味に言葉を交わしながら、ふとカラオケ機器のある方へと視線を巡らせる。
丁度ミィフィが引き下がり、代わりにニーナが舞台に押し上げられている所だった。
本日の主役の登場に、先程まで喝采を挙げていた集団がさらに盛り上がる。
ニーナは顔を真っ赤にして抵抗しているものの、周りにいた自身のクラスメイトや友人たちからも強引に勧められ、結局はマイクを受け取った。
再びスピーカーから音楽が流れ出す。


「うーつむーいた視線にー ちっぽけーなことを悩みー  今日という日が終わぁってー また…明日……」


音楽に合わせて頬を紅潮させたニーナが歌い始めた。
本人はかなり恥ずかしがっている様子だが、歌声や音程は存外安定しており、なかなか良い声をしている。 予想以上に上手い。
周囲の生徒たちはその意外な特技に驚いていたが、やがてリズムに合わせて拍子を取り始める。
シャーニッドはしばらくの間、面白がるような笑みを浮かべながらニーナの歌う様子を観察していたが、ふと視線をこちらに戻して再び口を開いた。

「それにしても……グレンダンにゃあお前さんみてぇな実力者が何人もいるのか? あんなたくさんの汚染獣を同時に相手できるような奴らが」

突然の話題の変化に、レイフォンは咄嗟に周囲へと視線を素早く走らせる。
幸い、こちらの会話が聞こえていそうな者はこの場にいなかった。
おそらくシャーニッドもあらかじめ周囲の者たちに聞こえていないか確認していたのだろう、特に動じる様子も無く言葉を続ける。

「前にお前さんの戦いを見た時だけどよ、正直あん時ゃ驚いたなんてもんじゃなかったぜ。 あんな馬鹿でかい怪物の群れをたった一人で相手しようなんてな。 んなこと考える方もどうかしてると思うが、それを実行できる奴がいるなんて、それこそ考えたことも無かったよ。 けど、そんな奴がいたわけだ。 しかもこんな身近に。 お前さんの戦いを実際に目の当たりにしてみて、正直、自分の常識がひっくり返っちまった気分だったぜ。
 で、どうなんだ? お前さんみたいなのは、グレンダンじゃ普通なのか?」

レイフォンはどう答えるかしばし考えた後、一応嘘ではない答えを返すことにした。

「強さだけじゃなく相性やスキルの問題もありますから、さすがに誰でもあんなことができるとは言いませんけど……純粋な戦闘能力で言えば、僕より強い人も当然いますよ。 顔見知りだけでも僕より高い技量を持つ人は10人以上いますし、あの程度の汚染獣の数と質なら、立っている場所から一歩も動かずにほんの数秒で殲滅できる人だっています。 まあ、その人はちょっと次元が違いますけど」

「とんでもねぇな、グレンダンってのは」

苦笑気味に言うレイフォンに、シャーニッドが嘆息しつつ呟く。
レイフォンは否定しない。
グレンダンの外に出て改めて感じるが、やはりあの都市は異常なのだろう。
その強さもそうだが、それだけの強さがなければ存続すらできない、その過酷極まる環境もだ。

グレンダンは他の都市よりも汚染獣との遭遇戦が多い。 その理由はグレンダンの移動範囲内に汚染獣の巣が多いからだと言われているが、どう考えてもそれだけではないような気がする。
本来、汚染獣を回避するのが都市の役割であるにもかかわらず、グレンダンという都市は自ら汚染獣に向かって行き、あえて戦いを挑んでいるようにすら見えるのだ。
普通ならばありえないはずのことだが、グレンダンの現状を見ると、とても間違いだとは思えない。

「とはいえ、グレンダンの武芸者全てが強いっていうわけでもありませんけどね。 確かに、強い人は桁外れに強いですけど、弱い人はほんとに弱いですから……。 まぁ、そんな人は戦場には出られませんし、剄脈があっても武芸者とは呼ばれないんですけどね」

「あん? どういう意味だ?」

「ニーナ先輩には以前話したんですけど、グレンダンでは強い人にしか戦う資格や権利は無いんですよ。 剄脈があっても、実力が無かったら武芸者として扱ってもらえませんし、優遇もされない。 なぜならその人は武芸者ではないから。 武芸の本場なんて言われてますけど、決して誰もが強くなれるわけじゃない。 強い者だけが覇を唱えることが許される都市、それがグレンダンなんです。 そういう意味じゃ、武芸者にとってはかなりシビアでもあるんですよね」

武芸者の役目は戦うことではなく、都市を守ること。 戦いはあくまで手段にすぎない。
逆に言えば、都市を守る力を持たない者、守護者たりえぬ者は武芸者ではないということだ。 少なくとも、グレンダンではそう見做される。

「成程ねぇ……。 お前さんが俺たちを戦場に連れて行こうとしなかった理由が分かった気がするぜ。 お前さんにとっちゃ、俺たちは仲間どころか武芸者ですらないってことか」

シャーニッドが相手の反応を試すような目をして言う。
それに対し、レイフォンは少しだけ申し訳なさそうな色を浮かべながらも、言葉を濁して誤魔化すようなことはしなかった。

「率直に言えばそういうことです。 まともに戦場を経験したことも無い、未熟な力しか持たない人たちと、危険な戦場で肩を並べて戦えるわけがありません。 生半可な支援は、助けどころか負担にしかなりませんから。 むしろ一人の方が何も気負わずに済みます」 

「はっきり言うねぇ」

シャーニッドは面白がるように苦笑した。

「しっかし、そう言われてかえってすっきりしたよ。 変に気を遣われるよりは、思ったことを正直に言ってもらった方が下手に勘違いせずにすむ。 ま、頑固で負けず嫌いのニーナなんかは躍起になってお前に追い付こうとするかもしれないけどな」

そう言うと、シャーニッドは手の中のグラスを傾け、中身を飲み干した。
レイフォンはその顔色をうかがい見るが、本人の言う通り、レイフォンの発言に対して特に含むところは無いようだ。
そのことに僅かに安堵しながら、レイフォンもコップに注いだジュースを飲む。

「ああ、駄目だな」

と、カラオケをしている集団の方を見やりながら、シャーニッドがぼやいた。

「何がですか?」

「あいつらの歌だよ。 まったく、どいつもこいつも歌ってもんをわかってねぇ」

シャーニッドはそう言って、嘆息しながら席を立った。

「しゃあねぇなぁ。 んじゃ、ちょっと行ってくるわ」

「え? どこへです?」

「カラオケ遊びのお子ちゃま共に、本当の歌ってのを教えてやりにさ」

言うと、シャーニッドはカウンター席を離れてカラオケ機材の置いてある方へと歩いていった。
これから歌おうというところだったハーレイを押しやり、その手からマイクを奪い取る。
話し相手がいなくなって手持無沙汰になったレイフォンがボーっとその様子を眺めていると、入れ替わるようにメイシェンとナルキが近付いてきた。

「随分と暇そうだな。 退屈なのか?」

「ううん、楽しいよ。 ただちょっと空気に酔ったって言うか、あんまりこういう雰囲気に慣れてないから疲れただけ」

苦笑しながらレイフォンは答える。
対するナルキも口元に笑みを浮かべた。

「レイとんらしい……が、相変わらず歴戦の武芸者とは思えないセリフだな」

「好奇心旺盛な女の子は汚染獣よりも手強いよ」

先程の質問攻めを思い出し、レイフォンが身震いする。 それを見てナルキとメイシェンが声を出して笑った。
ひとしきり笑った後、メイシェンがおずおずと進み出て口を開いた。

「あの……私たちはもう帰るね」

「ん? もう?」

「私もちょっと人に酔っちゃって……」

「そうなんだ。 送ろうか?」

「ううん、ナッキもいるから。 ナッキも明日、朝一で警察署に顔出す用事があるらしくって」

「そっか。 ……確かに、大丈夫そうだね」

ナルキは武芸者だし、一年生の中ではかなりの腕だ。 体術だけなら上級生にも引けを取らない。
彼女と一緒なら、他のどんな男性陣とよりも安心して夜道を歩けるだろう。

「ん? ミィフィは?」

見ると、メイシェンの隣にミィフィがいなかった。
メイシェンは困った顔でカラオケ機器の方を見やる。
そこではマイクを握ってノリノリで歌うシャーニッドと、その周りで喝采を上げる生徒たちの姿があった。
ビートのきいた音楽と共に、シャーニッドの力強い歌声が響き渡る。

「終わらない! 終われない! 巡りうしーなーわーれーてぇー  錆ついて! 開かない! 心ぉのートォビィラをぉ!」

言うだけあって、かなり上手い。
その歌声と端正なマスクに、女生徒の中には興奮とは別の意味で頬を紅潮させている者もいた。
そして、そんなシャーニッドの周りで盛り上がっている集団の中にミィフィも混じっていた。 歌に合わせて拍子をとりながら、ときどき曲のカタログを見て次の歌を選んでいる。

「……ミィは歌いだすと止まらないから」

困った顔のメイシェンの横で、ナルキも苦笑いをしている。
確かに、この勢いでは朝までカラオケを続けそうだ。
……明日はいちおう学校もあるのだが。

「あー……じゃあ、ミィは僕が送るよ」

「ああ、頼んだぞ。 だが……送り狼にはなるなよ?」

「ならないよ!」

「ただしメイを送る時なら許す」

「ナッキ!」

真っ赤な顔のメイシェンも悲鳴を上げる。 
それを見てナルキが快活そうに笑った。

「まぁ冗談はともかくとして……面倒かけて悪いが、適当なところでミィの奴を止めてやってくれ。 なんなら首根っこ掴んで引き摺って来てくれてもいいから」

「いや、まぁ、大丈夫だよ。 ニーナ先輩もいるし、流石に朝までは続かないと思うから」

ナルキはちらっと談笑しているニーナたちの方を見やる。

「ん、それもそうか。 ニーナ先輩は真面目だからな。
 それじゃあまた。 明日は武芸科の授業もあるんだから、レイとんもあんまり遅くなるなよ」

「わかってるよ。 また明日」

「……おやすみなさい」

連れだって店を出る二人を見送り、レイフォンはやや疲れた顔でカウンターに向き直った。
やり取りを見ていたこの店の主人らしい女性が笑みを浮かべながら飲み物のおかわりを注いでくれる。
その視線に気恥ずかしさを感じながら、レイフォンはその場の雰囲気に身を浸していった。


























ツェルニ外縁部。
人気の無いその片隅で、フェリは一人佇んでいた。
視線は眼前のエアフィルターを通り抜け、闇に沈んだ外の世界へと向けられている。
虚空を見つめながら、フェリは手の中の重晶錬金鋼(バーライトダイト)を握りしめ、小さく溜息を吐いた。

今頃、第十七小隊の他の隊員たちは、どこかの店で祝勝会をやっている真っ最中だろう。
ここしばらく十七小隊に訓練を付けていたレイフォンや、その友人たちも招待されているはずだ。
フェリも一応声をかけられたが、適当に言葉を濁して逃げてしまった。
自分の社交性の無さに若干呆れるものの、だからといって気が進まないのに人の多い場所に行こうとも思えない。

フェリは人の多いところが苦手だ。
というよりも、人との関わり方がよく分からない。 とくに賑やかな場では、何を話せばいいのか分からないのだ。
今まで友達というものができた経験があまり無いからかもしれない。
自身の交友関係が希薄なゆえに、多様な人間関係が展開される場所が苦手なのだ。
だから今、こうして誰もいない外縁部などに来ている。
それに……今は誰にも会いたくない気分でもあった。

「ああ………」

小さく吐息を洩らし、フェリは自身の中にある枷を外した。
途端、淡い光がフェリの長い銀髪から零れるように溢れ出す。
光を反射しているのではなく、髪自身が光を放っていた。
その光が、周囲の闇を柔らかく押しのけ、フェリを包み込む。

念威の光だ。
膨大な量の念威が、髪を導体としてフェリの体から外部に流れる際に、淡い光が発せられてしまう。
フェリは天才的な念威の持ち主だ。
生まれた時から、髪を光らせるほどの念威を放射していた。

普通の念威繰者では、フェリの様な長い髪を全て光らせることなどできない。
それはたとえ熟練した念威繰者でも変わらない。
瞬間的な念威の発生量が訓練ではそれほど上昇しないことは既に実証されている。
フェリの念威能力は、まさに天賦の才と呼ぶに相応しい力だった。

潜在する力を限界まで解放しながら、フェリは無造作に手中の重晶錬金鋼へと念威を流し込む。
錬金鋼は起動鍵語も無く眩い光と共に復元、展開された。
フェリに手に、半透明の鱗を寄せ集めてできたような杖が握られる。
その杖が、さらに分解された。

鱗の一つ一つ……空を舞っていると、あたかも花弁のようにすら見える無数の念威端子が周囲に飛び散る。
念威を通してフェリと繋がったそれらは全て、彼女のもう一つの目であり耳だ。
念威繰者だけが持つ特別な感覚器官である念威の力を拡張するのが、念威繰者専用の錬金鋼、重晶錬金鋼であり、そこから分化した念威端子である。
その念威端子を、フェリはエアフィルターの向こう側へと解き放った。
そうして、世界を感じる。

汚染物質の焼き付く感覚は選択排除し、それ以外の知覚情報を全開にすると、世界がとても鮮烈に感じられた。
エアフィルター越しではぼやけて見える夜の景色が、フェリの脳裏に展開される。
暗闇に沈んだ静謐な夜空には無数の星々が輝き、蒼白な光を湛えた月が地上を見下ろしていた。
人を拒絶する荒野が月明かりに青白く浮かび上がり、荒廃した世界は見る者に寂寥感を感じさせる。
他の誰にも体験できない、自然の風が肌をなでる感触を噛みしめ、フェリは小さく息を吐いた。
まるで、汚染物質の存在しない外の世界に降り立ったような感覚を味わいながら、さらに意識を外の世界へと傾ける。

こんなにも都市の外の世界を感じることができるのは、念威繰者の特権だろう。
他の人々は汚染物質遮断スーツを着なくては都市の外を歩くなんて真似はできない。
生身のままで外に出れば五分で肺が腐り、外気に触れた皮膚は無数の火傷を負う。
他の誰にも、世界を感じるなんてことはできない。 この世界は人を拒絶しているのだから。
そんな世界を感じられることに、フェリは優越感にも似た感情を抱く。

(まったく……)

馬鹿馬鹿しい。 そう思わないでもない。
普段は念威を戦いに使うことを拒否している癖に、こういうくだらないことには惜しみなく力を発揮する。
念威繰者であることを嫌悪しながら、念威繰者にのみ許された特権を無意識に誇っている自分がいる。
そんな矛盾したような自分の行動や感情に呆れると共に、そんな自分を認めたくないという気持ちが沸き起こる。
自分はどこまでも念威繰者でしかないのではないか、念威繰者である自分を否定することなど不可能なのではないか、そう思わずにはいられない。

(あの人はどうなのでしょうか?)

ふと、一人の人物の顔が思い浮かぶ。
彼もまた、ここで武芸を捨てるつもりだった。 他の道を探すつもりでツェルニに来た。
しかし、ツェルニの現状と生徒会長である兄の存在がそれを許さなかった。
その結果、彼は武芸者として戦い続けることになったのだ。

(とはいえ少なくとも、今は以前のように迷っている様子は見受けられませんが……)

ツェルニに来たばかりの頃の彼は、自分のあり方に戸惑っているような印象を受けた。
しかし、汚染獣と戦って、武芸科に転科した後の彼は、そういった迷いの様なものが消えているようにフェリは思う。 武芸に携わることに抵抗を見せなくなっているように感じるのだ。
さらに武闘会を経てから、十七小隊に訓練を付けたり、進んで汚染獣と戦ったりと、むしろ積極的に武芸者としてあろうとしているようにも見える。

最初は武芸を捨てるつもりだったはずなのに、今では誰よりも武芸者らしい。
そしてフェリもまた、念威繰者である自分を否定しようとしながらも、結局は念威繰者である自分を捨てきることができずにいる。
自分から汚染獣戦に介入したり、なんだかんだで対抗戦にも小隊員として参加している。
このまま自分は変われないのではないか。 ここ最近、特にそう考えるようになった。
武芸者として結果を出しているレイフォンを見ていると、余計にそう思う。

もっとも彼の場合、自分よりは明確な線引きが為されているようでもある。
あくまで武芸をするのはツェルニの存続のためであり、それ以外の目的……すなわち名誉や地位などのためには、頑なにその力を振るわない。
彼の戦う動機は一貫してツェルニを守るため、友人たちを守るためであり、それ以外には興味を示さない。
だからこそ、その目的のために必要無いものには目もくれない。 武芸科に転科しながら小隊入りを断ったのもその理由からだろう。

少なくともフェリよりは、感情と行動の間に矛盾が無いように思える。
それが少し悔しい。
悔しいからこそ、前回の汚染獣戦では進んで協力を申し出てしまったのかもしれない。
そんなことを考えながらもやもやとしていると、

「フェリ先輩?」

突然、背後からかけられた声に、フェリは意識を都市の外の端子から自身の肉体へと戻す。
それからゆっくりと振り返った。

「こんな所に先客がいるとは思いませんでした。 何をしてるんですか? 念威を使っていたみたいですけど」

視界に映ったのは透き通るような水色の髪と、同色の瞳。
いつの間にかフェリの近くに来ていたのは武芸科の一年生、アルマだった。
レイフォン曰く優秀な念威繰者で、以前の幼生体戦の時にはフェリが貸した重晶錬金鋼でレイフォンをサポートしていたらしい。
先日の汚染獣殲滅作戦に携わっていた時にも何度か顔を合わせているので、いちおうお互い見知ってはいるが、フェリにとっては特に親しい相手というわけでもなかった

とはいえ、今のフェリにとって重要なのはそんなことではない。
彼が誰かに言いふらすとは思えないが、だからといって自分が念威を使っている所を見られるのはあまり面白い状況とは言えなかった。
彼は既にフェリの実力を知っているが、同時に念威を使うことに消極的だということも知っているはずだ。
そんなフェリが内緒で念威を使っていたなどと知られるのは、あまり嬉しいことではない。
フェリはあえて眉間に皺を寄せて不機嫌を装いながら、逆に質問し返す。

「あなたの方こそ、こんな辺鄙な所に何しに来たんですか?」

「今日は天気が良いみたいなので夜景を眺めに来たんですよ」

質問に質問を返したフェリの失礼に気を悪くすることもなく、アルマは感情の色が薄い顔に微かな笑みを浮かべた。

「夜景を?」

「ええ。 今日は外で風が吹いていないようなので、特に見やすいかなと。 普段は砂嵐とかエアフィルターでよく見えませんけど、念威越しに見ると世界がすごく鮮明に見えるんですよね」

言うと、アルマは手に持っていた自身の重晶錬金鋼を復元する。
青みを帯びた半透明の、菱形の欠片の様な念威端子が無数に分裂し、エアフィルターを通り抜けて都市の外へと散っていった。

「………一年生の錬金鋼の携帯はまだ許可されていないはずですが」

「規則破りっていうのはバレなきゃ違反にはならないんですよ」

「私が誰かに言うとは考えないんですか?」

「では会長に告げ口しますか?」

悪戯っぽい口調で兄のことを持ち出されて、思わずフェリは黙り込む。
それから嘆息すると首を横に振った。
まぁ、もともと誰かに言うつもりは無い。
それに、他言すれば自分がここで念威を使っていたことも他の人に知られてしまいかねないのだ。
そんなフェリに、アルマは先程の質問を繰り返す。

「それで、結局先輩は何しに来たんですか?」

「……あなたと同じです。 私も……外の世界を見に来たんですよ」

フェリは淡々としながらも僅かに憂いの滲む声で答えた。
同時に、つい自分の心境をも吐露してしまう。

「こういう、風の無い日は珍しいですから。 それに……ときどき、どうしても念威を使わずにはいられなくなるんです。 どんなに使いたくないと思っていても、使わないことを体が拒否するんですよ」

「ああ、その感覚は分かります」

アルマは苦笑しながらフェリに同意した。

「もともと実力を隠そうとしていた僕がツェルニで武芸科に入ったのも、それが理由でしたから」

そう言えば、とフェリは思い当たる。
彼ほどの実力ならば、もっと武芸科内で有名になっていたり、小隊に勧誘されていたりしてもおかしくないはずだ。
にもかかわらず、未だに彼がそうなっていないのは、レイフォンや兄のカリアンは彼の実力を他言していないということになる。
理由まではわからないが、彼もまたフェリやレイフォンと同じく、自身の本当の実力を知られたくないと思っているのだろう。

「使わずに済めばそれに越したことは無いんですけど、そういうわけにもいかないって身に沁みていたんですよね。
 自分が念威繰者であることを否定することはできないってことは、ずっと前からわかってましたから。 十数年も自分の一部として存在していたんです。 力を磨く鍛錬も怠らなかった。 今更、それを無かったことになんてできませんし、そんなつもりもありません。 ならあとは、どうやってその事実と向き合っていくか。 それを考えるしかないんですよね」

それだけ言うと、アルマは目を閉じて意識を都市の外に集中した。
全身の力を解放するかのように端子へとさらに念威を送り込む。
同時に色素の薄い頭髪から光の粒子が漏れだした。

(どうやって自らの力と向き合っていくか……)

胸の内でアルマの言葉を反芻する。

(まったく、簡単に言ってくれます)

それが上手く出来ないから、フェリはこんな中途半端な立場にいるのだ。
フェリは小さく息を吐き、それから考えるのを止めた。
すっきりしたくてここに来たのに、終わりの見えないものをいつまでも考えていたらどうにもならない。
フェリはごちゃごちゃと考えていたことを一旦頭から消し、それから目の前のアルマに倣って念威端子の映し出す映像に意識を傾けた。

綺麗な星々の輝く夜空や、月の光で青白く染められた荒野が脳裏に浮かびあがる。
そう言った物を見ていると、胸に浮かんでいたもやもやとしたものが次第に消えていくように感じた。
何か答えが出たわけでもないのに、悩みや不安が薄れていく感覚。 ある種の爽快感。
そんな感覚に身を委ねながら念威端子を飛ばしていると、

「?」

その念威端子が何かを捕えた。

「あれは……」

アルマも同じものを感知したようだ。
ツェルニの進行方向の遥か遠方、山のように地面が盛り上がっている地点の近くに、見覚えのあるものが鎮座していた。
念威を通してそれを観察しながら、二人は顔を見合わせる。

「どうやら、結局会長には告げ口しなくちゃいけないみたいですね」

眉間に皺の寄ったフェリに向かって、アルマもまた苦い顔で呟いた。



























あとがき

3巻編の導入部分ですね。
あんまり話が進んでないような気もしますが、作者的にここで区切りたかったので。

ちなみにカラオケシーンはネタですね。分かる人には分かると思います。
ヒントはアニメ版レギオス。


どうでもいいですけど、レギオスの銃衝術って映画『リベリオン』のガン=カタから来てるんですかね?
そうだったら個人的に面白いなと思いますけど。(分からない人はスルーしてくれて構いません)


次回はまだツェルニ内でのお話の予定です。 廃都市に行くのはその次くらいでしょうか。


最近スローペースになってますが、なんとか今後も更新していきたいと思いますので、お付き合いいただければ嬉しいです。



[23719] 23. 新たな繋がり
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2011/08/19 04:49

「せいっ」

「はぁっ」

裂帛の気合と共に、金属同士の打ち合う音がそこかしこで響く。
現在、体育館の中では数十人の武芸科生徒たちが集まり、各々が練習用武器の中から選んだ得物で打ち合っていた。

「ふっ!」

眼前に振り下ろされた打棒の一撃をレイフォンが手にした刀で受け止める。
そこから間髪入れずに振るわれた反撃の一閃を、ナルキは上体を逸らすことで躱した。
が、

「足元がお留守だよ」

「うわっ」

刀を振る動作から、踏み込んだ足を軸にして、そのまま旋回したレイフォンの蹴り足がナルキの両足を払い、あっさりと転倒させる。
ナルキは勢いよく尻餅をつき、痛みに呻いた。
悔しそうな目で見上げるナルキに、レイフォンは苦笑しながら手を差し伸べる。

「まったく……相変わらず強いなレイとんは」

「ナッキも動きが良くなってると思うよ。 ただ、戦闘中に相手の武器の切っ先だけを見るのは危ないかな。 他への注意が散漫になるし」

「ああ。 わかってはいるんだがな……どうしても目が行ってしまう」

レイフォンの刀技は変幻自在だ。
振り下ろされたと思ったら、次の瞬間には下から切り上げられ、相手が反応するよりも早く横薙ぎの一閃へと変化する。
その速度と鋭さは凄まじく、めまぐるしく変化する攻撃のパターンに対処しきるのは至難の技だ。
自然、速度と攻撃力がもっとも高い切っ先に意識が向かってしまう。
速すぎて完全に視認することは不可能だと頭ではわかっているのだが、つい目で追おうとしてしまうのだ。

「まずは相手の目を見て戦えるようになることだよ。 目を見れば相手の攻撃の狙いやタイミングが読めるからね。 といっても、熟練者になると視線をフェイクに使ったり、相手を見ないで攻撃してきたりするようにもなるから、目だけに意識を集中し過ぎるのも危ないけど。
 やっぱり相手の動きを俯瞰で捉えられるようになるか、剄を見て戦えるようになるのが一番良いかな。 どんなにフェイントを入れても、剄の流れは嘘を吐かない…いや、嘘を吐けないからね」

「むぅ……難しいことをあっさりと言う」

不満げなナルキに、レイフォンは苦笑を返す。
レイフォン自身、そう簡単にできるとことだとは思っていない。
この戦闘方法は第十七小隊の面々にも教えたが、結局、完全に習得できた者はいなかった。
やはり、自分のように剄を視認し、鋭敏に感じ取ることができるという人間は稀なのだろう。
ツェルニのトップ集団である小隊員ですらできなかったことを、一年生のナルキができなくても不思議ではない。

「まぁその辺は追々かな。 それにしても、思ったより打棒の取り回しが様になってるね。 構えも打ち方もちゃんと基本を押えてるみたいだし」

「それはまぁ、な。 実は武芸科の授業以外でも練習してるんだ。 警察の訓練とか、空いた時間とかに」 

「へぇ、頑張ってるんだね」

「もちろんだ。 打棒は警察官の誇りだからな。
 それにちゃんと使えるようになっておかないと、いざという時に困る」

言葉を交わしながら、何とはなしに周囲の様子を観察する。
今日の授業は武器を使った戦闘訓練だ。 周りでも、それぞれの得意武器を手に武芸科の生徒同士が切り結んでいる。
本来、武芸科生徒の錬金鋼携帯許可が下りるのは入学から半年後になっており、一年生の前半は体術や剄術の基礎を徹底的に叩きこむのが通例だ。
実際、少し前まで体育の授業では格闘技をやっていた。 しかし汚染獣との遭遇を経て、早急に一年生の育成に着手すべきと判断され、武器の扱いを例年よりも早めに教えることに決まったのだ。
まだ決定ではないが、一年生の錬金鋼携帯許可が降りるのも早まるかもしれないと言われている。

現在、この体育館内には一年生と三年生が合同で授業を行っていた。
一年生は支給された模擬戦用の簡易型錬金鋼の中から自分の得意な武器、あるいは習得したい武器を選んで、極力同じ武器を持った三年生とペアを組み、試合形式で打ち合いながら三年生が一つ一つ指導する、という形をとっている。
ただ、武器を使った訓練ゆえか、授業全体の監督役として数人の五年生の姿も見えた。
基本的に一年生を指導しているのは三年生であり、五年生は生徒たちの間を歩いて指導風景を見て回りながら、ときどき一年生と三年生両方にアドバイスをしたりしている。

しかしここにミィフィがいれば、監督にあたっている五年生のほとんどが小隊員であることに気付いただろう。
彼らは教師として新人にアドバイスを与えつつ、一・三年生の中から芽が出るかもしれない人材を見つけようと目を光らせているのだ。
素質がありそうなら、小隊に勧誘しようというのだろう。 たとえ即戦力にはならなくても、才能のある生徒に小隊員向けの訓練を施すことで、次代の戦力として育てるつもりなのだ。

そんな上級生の視線を意に介することも無く、レイフォンは先程からナルキに訓練を付けている。
基本的に一年生は三年生と組んでいる中、一人実力の飛び抜けたレイフォンだけは、格闘技の授業の時と同じく、ナルキとペアを組んでいた。
レイフォンの刀術はすでに達人の域にあるし、ナルキも打棒の取り扱いは素人ではないので、わざわざ同じ武器を持った上級生と組んで懇切丁寧に教わる必要は無い。
その気になればレイフォンも打棒を使うことはできるが、より実践的な訓練を積んだ方がナルキの成長も速いだろうと考え、レイフォンも己の得意武器を選んでいた。

「それにしても……」

レイフォンは困った顔で手に持った模擬刀を持ち上げる。

「これ……手に馴染まないなぁ」

呟きながら、刀を軽く振ってみる。
普段使っている鋼鉄錬金鋼の刀よりも刀身がやや短く、体感的にはかなり軽量だ。
一年生用の模擬刀であるため、誰にでも扱いやすいように癖の無い形体・性能を持っているのだろうが、すでにある程度武芸を修めている使い手にとっては、むしろ自分用の武器との間に差があり過ぎて使いにくい。
おまけに強度といい性能といい、キリクの鍛えた刀と比べたらまるでオモチャだ。 正直に言って、非常に頼りない。
まぁ訓練だし仕方ないか、と溜息を吐いていると、不意に背中に声がかけられた。

「すみません。 少し、よろしいでしょうか?」

微妙にデジャビュのようなものを感じながら、後ろを振り返る。
前回と違い、声をかけてきたのは同じ一年生の武芸科生徒だ。
やや小柄で華奢な体型に、頭の後ろで一纏めに結んだ長い黒髪、細面に整った顔立ち。
レイフォンはその相手に見覚えがあった。

「えっと、君は確か……フェイランだったっけ?」

「覚えていてくれましたか。 光栄です」

先日の武闘会でレイフォンと戦った相手だ。 見ためによらず、一年生の割にはなかなか強かったのを覚えている。
何の用かと首を傾げるレイフォンに対し、フェイランは恭しく頭を下げてから再び口を開いた。

「いきなりで申し訳ないとは思いますが、折角の合同授業です。 もしよろしければ、手合わせしてもらえないでしょうか?」

「え?」

レイフォンは思わず戸惑うような声を上げ、次いで窺うようにフェイランの目を見た。
武闘会で敗北した時のリベンジのつもりかとも思ったが、その目に怒りや嫉妬の様な色は窺えない。
レイフォンは決して相手の心情を読むのが得意とは言えないが、そういった負の感情はこれまでにも数えきれないくらいに向けられてきた。 だからこそ、嫉妬や敵意といった感情はある程度感じ取ることができる。
フェイランの目には純粋な闘志、あるいはより強くなりたいという武芸者として当然の感情が窺えた。

「いいよ。 やろうか」

言って、レイフォンはフェイランに向き直り模擬刀を下段気味に構える。
それからやや申し訳なさそうな顔でナルキの方を見やると、彼女は『気にするな』という風に微笑んでみせ、二人から若干距離を取って傍観の姿勢に入った。 その顔には興味深そうな表情が浮かんでいる。
対峙した二人の様子に気付いた周囲の生徒たちも、心持ち距離を空けた。 

向かいに立つフェイランは小さく礼をすると、レイフォンと同じく自らの持つ武器を構えた。
授業中であるためか、その得物は武闘会の時の蛇矛ではない。 前に使っていた蛇矛と同じくらいの長さの槍を、フェイランは腰だめに構えた。
一瞬、二人の視線が絡み合う。

「はっ!」

鋭い叱声と共に、フェイランが素早く踏み込んだ。 同時に一瞬で槍の持ち方を変えて刺突の構えをとる。
そのまま滑るような体移動で前進し、風を切り裂くような神速の突きを繰り出した。
対するレイフォンは半歩だけ後退する。 槍の穂先はその鼻先数ミリのところで止まった。 ほんの僅か届かない。
しかしその結果に歯噛みすることなく、フェイランはさらに一歩踏み込みながら短く槍を引き戻し、再度刺突を放った。
体軸を狙ったその一撃を、レイフォンは最小限のステップで体を開いて躱す。

「ふっ!」

なおもフェイランは立て続けに突きを繰り出すが、その尽くをレイフォンは僅かな動作のみで回避してのけた。
全ての攻撃を紙一重で躱しながら、レイフォンは冷静に相手の動きを観察する。
やがて痺れを切らした相手が大きく踏み込み、間合いの長い突きを放ったところでレイフォンが動いた。

「シッ!」

相手が槍を引き戻すタイミングに合わせて、今度はレイフォンの方から斬撃を放つ。
フェイランは咄嗟に槍の持ち手を変え、横薙ぎの一閃を縦に構えた槍の柄で受け止めた。
激しい金属音が響く……重い。 両腕が砕けるのではないかと錯覚するほどの威力に、冷や汗が流れる。
武器越しにフェイランを見つめるレイフォンの視線には先程までの温かみは無く、今は凍るように冷たかった。

それからしばし力押しの鍔迫り合いが続く。
だが、この力比べはフェイランに不利だ。 体格もそうだが、筋力的にもレイフォンの方が大きく上回る。
武器を組み合ったまま徐々に押されていき、フェイランは少しずつではあるが後退を余儀なくされる。

と、いきなりレイフォンの左手が刀の柄から離れ、そこから真っ直ぐに伸びてフェイランの胸倉を掴んだ。
そのまま左手一本でフェイランの体を上空へ投げ飛ばす。 見ために似合わぬ凄まじい金剛力。
それだけにとどまらず、レイフォンは即座に落下点へと走り、落ちて来るフェイランを迎え撃とうとする。

しかし、フェイランもただ重力に身を任せていたわけではない。
自由を制限された空中にありながら、槍を振り回すことで体勢を立て直し、眼下に走り込んでくる相手に向かって槍を突き下ろした。
刺突と同時に穂先で衝剄が爆発し、レイフォンが足を止める。 ダメージを与えることはできなかったが、牽制には成功したようだ。
無事に着地してから、一旦距離を取って仕切り直す。

(へぇ)

レイフォンは内心で感嘆していた。

(前に戦った時よりも、随分と強くなっている)

武闘会からそれほど日が開いているわけではないが、フェイランの実力はかなり向上している。
僅か数回手を合わせただけで、この一月ほどの間に彼が想像以上の鍛錬を積んできたことがわかった。
最初に突きを放った際の鋭い踏み込みと槍捌きといい、先程の空中での反応といい、どれも適確で無駄が無い。
加えて、動きの一つ一つが精錬されている。

肉体的には成長途上であり、身体能力や剄力などの地力はやや低いが、技巧や体捌きだけなら既に練熟の域にある。
単純な戦闘力では、平均的な小隊員を上回っているだろう。 おそらく隊長陣にも引けを取らない。
むしろ実戦経験から考えて、一対一で戦えばニーナやハイネにも勝てるかもしれない。

レイフォンは無意識のうちに小さな笑みが浮かべていた。
と、それを余裕と受け取ったのか、フェイランは表情を引き締めると再び自分から仕掛けた。
見る者を惹きつけるような流麗な足捌きで肉薄すると、今度は刺突ではなく穂先の刃による斬撃を繰り出す。
弧を描いて振り下ろされる諸刃を、レイフォンは素早く刀を振るって打ち払った。

しかしフェイランの動きは停滞することなく、再び旋回した穂先が今度は反対側から袈裟気味に振り下ろされる。
レイフォンは慌てない。 視線で相手の目の動きを追いながら、矢継ぎ早に繰り出される攻撃に対し冷静に対処する。
フェイランの激しい攻めに対してレイフォンが冷静に防御する、そんな攻防がしばらく続いた。

フェイランの立ち回りは、まるで一種の舞いを見ているかのようだった。
穂先による刺突や斬撃だけでなく石突や柄をも利用した攻撃は変則的。 しかしその動きの中には共通して確かな芯が通っており、繰り出される技の全てが一連の舞踊のように見える。 さらに洗練された動きは流麗ですらあった。
しかし傍目の美しさに反して、その攻撃はまさに実戦的であり、斬撃・打撃の一つ一つが鋭く、重い。

武芸とはそういうものだ。
戦うための技術でありながら、究めれば究めるほど、その技はより美しさを増していく。
フェイランの実力そのものは、いまだ強者という域には及ばない。
だが、少なくとも技巧のみについて言えば、彼のそれはすでに達人の域に差し掛かっていると言えた。

ふと、相手の攻撃を防ぐ中で、レイフォンは不自然な剄の動きに気付いた。
いつの間にか二人の周囲で規則的な剄の流れが形成されていたのだ。
衝剄を絡めながら繰り出される槍の一振り一振りが、フェイランの体から周囲に漏れ出し漂っていた剄の流れに一定の方向性を与え、それらが寄り集まって一つの形を成していく。
やがて風車のように旋回する槍の穂先で、大きな風の渦が巻き起こった。
散り散りに吹き乱れ、暴れ出そうとする無数の剄の嵐をさらに収束させ、球体を形成しながら一つに束ねていく。

外力系衝剄の変化  渦蓮百華 (かれんひゃっか)

それはまるで、渦を巻く衝剄の嵐。
槍を振るう一連の動作と、その際の剄の流れによって生み出された、巨大な衝剄の渦の集合体だ。
縦横無尽に吹き荒れる無数の竜巻が一つに収束し、球体を描くように乱回転する剄の渦風の中に、無数の剄弾が内包されている。
その嵐に呑み込まれた者は、全身を強烈な風と剄弾に打ち据えられるだろう。
フェイランは全身で衝剄を放ちながら、最後の槍の一振りと共に破壊の渦と化した巨大な衝剄をレイフォンに向かって撃ち出した。

それを見たレイフォンは、右半身を相手に向け、刀を腰だめに構える。
刀身を体の左側に回し、刀身の鍔元を左手で掴む……居合の構え。
間髪入れず、レイフォンは抜き打ちの形で神速の斬撃を放った。

サイハーデン刀争術  焔切り

瞬間、刀身が焔を纏う。 刃を走る衝剄と発射台の役割を担う左手を包む剄との衝突と摩擦が生んだ、一瞬の焔だ。
その幻想のごとき焔を切り裂いて、逆袈裟に斬線が走る。
フェイランの剄技はその一閃に断ち切られ、刀身から放たれた衝剄がその余波をも吹き飛ばした。

「なっ」

技を完全に無効化され、フェイランが驚愕に目を見開く。
対するレイフォンは一瞬の停滞も無く刀を翻し、二の太刀を振るった。
先程の居合による斬線を逆になぞるようにして放たれる、袈裟斬の一撃。
その一閃がフェイランの左肩に振り下ろされる―――と見えたところで、その斬撃が止まっていた。
驚きに動きを止めたフェイランの肩に、刀身が押し当てられている。

「引き分け……かな」

「え?」

困惑しながら目を動かすと、レイフォンの握る刀の刀身がボロボロになっているのがわかった。
刃はそこらじゅう刃こぼれしており、さらにそこかしこに無数のひびが入っている。
激しい打ち合いとレイフォンの技の威力に耐え切れなかったのだろう。 これでは戦闘の続行は不可能だ。
レイフォンは刀を引くと、一歩下がって軽く礼をする。
我に返ったフェイランも武器を下ろして頭を下げた。

「ありがとうございました」

勿論フェイランは気付いている。
たとえ刀が酷く損耗していたところで、あのまま戦えば自分敗れていただろうことに。
すでに武器が限界を迎えていたとはいえ、レイフォンが最後の一撃を止めなければ、自分は倒れていただろう。
フェイランは、そんなレイフォンの実力に似合わない人の良さに苦笑した。

「できれば、またいつかお相手願いたいのですが」

「もちろん。 僕でよければいつでも相手するよ」

レイフォンは快諾しながら相手が差し出してきた手を握った。
再び礼儀正しく頭を下げてから離れていくフェイランの背中を見送っていると、終わりを察して近付いてきたナルキが声をかけてきた。

「お疲れ様。 武闘会の時にも見たけど、随分と強い奴だな。 レイとんほどじゃないにしても」

「まぁね。 前から一年生の割には強かったけど、あの時よりもさらに強くなってたし。 あれは、まだまだ伸びそうだね」

弟子の成長を喜ぶ師匠の様な顔をして言うレイフォンに、ナルキはやや驚いたように口を開く。

「それはそうと……最近のレイとんは武芸に積極的だな」

「え? そうかな?」

「ああ。 大勢が観戦してる武闘会で優勝したり、知り合いに頼まれたからとはいえ、わざわざ十七小隊の人達に頻繁に訓練を付けてあげたりとかしてるしな。 今だって、大して面識の無い同級生に指導してやったり……この間の汚染獣はやむを得なかったにしても、入学したころより積極的に武芸に携わっているように思うぞ」

「えっと………まずいかな?」

「いや、あたしは別に構わないんだが、レイとんはそれでいいのかと思ってな。 もともと武芸を捨てるつもりでツェルニへ来て……武芸科に入ったのだって仕方なかったからで、本当は不本意だったんじゃないのか?」

「それは……」

どうなのだろうか?
正直なところ、自分でも分からないというのが本音だ。
確かに、初めは武芸科への転科を勧めるカリアンに反発していたし、武芸に対する拒否感もあった。
しかし今は、進んで武芸者としての生き方を選んでいるように思うことがある。
そしてそのことに、最近ではあまり疑問を抱かなくなっていた。
以前は言い訳のように嘯いていた「止むをえない」という言葉にも、かつてほどの重みを感じなくなっている。

戦う理由を失ったから武芸を捨てようと思った。
けれどツェルニへ来て、再び戦う理由が生まれて武器を取った。
そしてそのまま惰性のように戦い続けている。
戦いに関して自分の中で一線を保ってはいるものの、武芸そのものに対しては既に一切の拒否感は無い。
レイフォンは今も、武芸を捨てたいと思っているのだろうか?
考え込むレイフォンに、気遣わしげにナルキが声をかけてきた。

「すまない。 困らせるつもりはなかったんだが」

「ううん、大丈夫。 何でも無いよ」

心配要らないと、レイフォンは手を振って見せる。
こんなところで深く考え込んでいたところで、答えが出るようなものでもない。
ツェルニでの生活は長いのだ。 今すぐに明確な結論を出す必要も無い。
とはいえ、今まではなんとなくこのままでもいいかと思っていたが、いつかしっかりと考えなくてはいけないだろう。
そんなことを思いながら、ナルキとの訓練を再開しようと武器を構えた、その時……、

ふと、レイフォンは視線を感じて振り向く。
するとそこには監督役の五年生の一人が立っており、レイフォンを射抜くような目で睨みつけていた。

(あの人は確か……)

長身で肉厚な体躯に、短く刈り上げた銀髪。
フェイランと同じく、以前、武闘会で戦った覚えのある武芸者だ。
名前ははっきりとは覚えていないが、姓がルッケンスであったことだけは覚えている。
男はしばらくの間、鋭い目でレイフォンを睨みつけていたものの、やがてはっとしたように視線を逸らすと、その場を離れて行った。

























昼休み。
ここ数日、ツェルニでは天気のいい日が続いており、建物の外では暖かい陽気が満ちている。
今日もまた雲一つ無い快晴で、レイフォンたちは自然と外で昼食を食べる流れになっていた。

「それはいいんだけど……」

中庭にいくつかあるテーブルを円形に囲んだベンチに座ってメイシェン手製の弁当をつまみながら、疑問符を浮かべたレイフォンが隣に座った人物に視線を向けた。

「なんでアルマがここにいるの?」

目を向けられたアルマは苦笑しながらミィフィの方を見やる。
そのやり取りを見ていたミィフィが首を傾げて答えた。

「ん? わたしが誘ったからだよ。 迷惑だった?」

「いや、迷惑ではないけど……なんでまた?」

というかそもそも知り合いだったのだろうか?

「実は色々と訊いてみたいことがあってさ」

「訊いてみたいこと? ていうかいつの間にミィは知り合ってたの?」

レイフォンの問いに、ミィフィはふふん、と得意げに胸を逸らした。

「この間の汚染獣騒ぎの時に第十七小隊の人達を現場まで案内したのがアルみんだって聞いてね。 隣のクラスってことも聞いてたし、折角だから声かけたんだ。 色々と話を伺いたいなぁって。 会長から直々に仕事頼まれるくらいなんだから、やっぱり優秀なんだろうし。
 そ・れ・に、その前の幼生体戦の時もレイとんの手伝いしてたんでしょ?」

すでにあだ名まで決まっているらしい。
て言うか、

「なんで知ってるの?」

あの時のことはまだ詳しく話したことはなかったはずだが……

「あ、やっぱりそうなんだ」

呆気にとられるレイフォンを見てミィフィが笑う。
どうやら鎌を掛けられていたようだ。

「最初の汚染獣戦でレイとんが入院した時、汚染物質で怪我したレイとんをアルみんが外縁部から病院まで運んだって聞いてたからね。 ていうかレイとんの入院をわたしたちに教えてくれたのもアルみんだったし」

確かに、汚染物質に蝕まれ、倒れそうになっていたレイフォンに肩を貸して病院まで運んだのは、直前までレイフォンの戦いを念威で捕捉していたアルマだった。
また、そのあと見舞いに来た時に『シェルターで一緒だった女の子に君が入院したことを伝えておいた』とも言ってはいたが……

「それだけでわかったの?」

「分かったのは二度目の汚染獣戦の後だけどね。 前の戦いの時、メチャクチャ強いはずのレイとんの活躍がわたしの耳に届かなかったのは、レイとんが実力を秘密にしてたからだって思ったの。 都市の外に出る時も誰にも言わなかったみたいだし……。 それなのに、人目を避けて戦ってたはずのレイとんを外縁部で発見して病院まで連れて行った、しかもそれが戦いに参加してないはずの一年生ってことになれば、何があったのかは大体想像できるよ。 アルみんが念威繰者としてレイとんの手助けをしてたんだろうな、って」

それもこれもこないだの汚染獣騒ぎで分かったことだけど、とミィフィは続けた。
どうやら断片的な情報をつなぎ合わせて答えを導いたらしい。
勉強は苦手のはずだが、こういうことに関してのミィフィの洞察力はかなり高いようだ。

「あ、あの……あの時はありがとうございました。 レイとんを助けてくれたこととか、入院してる病室を教えてくれたこととか……」

メイシェンが改めておずおずと礼を述べる。

「いや、そんなこと別に気にしなくてもいいですよ。 僕自身のためにもやったことですし……。 それにレイフォン君と比べたら、全然大したことはしてないですから。 それよりも……」

「あ、心配しなくても記事にするつもりは無いよ、今のところ。 ただの好奇心で訊いてるだけで」

少し不安そうな顔でミィフィに視線を向けていたアルマが、安堵したように小さく息を吐く。

「まぁ心配するな。 こいつの手綱はあたしがちゃんと握っておくから。 アルみんやレイとんに迷惑がかかるような記事は書かせないさ」

「あ、ナッキその言い方酷い! 失礼だよ!」

憤慨して抗議の声を上げ始めたミィフィをナルキが軽い調子で躱している。
随分と賑やかで、周囲の視線を集めているような気がしたレイフォンは、つい周囲を見回した。
すると、

「ん?」

「あ」

すると、たまたま近くを通りかかった武芸科の制服を着た生徒と目がかち合った。

「これは奇遇……ってほどでもありませんね。 同じ校舎の隣クラスですし」

「まぁ確かに。 とはいえ、二つ前の授業で会った人と昼休みにもう一度会うとは思わなかったけど」

そこには先程レイフォンと手合わせした武芸科生徒、フェイランが通りかかったところだった。
この中庭はレイフォン達が普段授業を受けている校舎のすぐ近くなので、ここで昼を食べているのもほとんどがその校舎で学んでいる生徒だ。
隣クラス(ちなみにアルマのクラスとは逆隣)のフェイランが通りかかっても不思議ではない。

「それにしても随分と賑やかな食事ですね」

「そうだね。 流石に少し恥ずかしいけど」

言いながらミィフィに目を向けると、すでに彼女は口を噤んでおり、フェイランの方をまじまじと見つめていた。

「ミィ?」

「あの~、ちょっといいかな?」

レイフォンの呼び掛けには応えず、ミィフィはフェイランに向かって口を開いた。

「前に武闘会でレイとんと戦ってた人だよね? それに今日の実技授業でも大活躍だったとか。 君にも訊いてみたいことがたくさんあったんだ。 こんなところで出会うなんてすごい偶然」

それからミィフィがフェイランの手の中にある開封前の弁当を見て声をかけた。

「お昼まだなんだよね? だったらあなたも一緒にどう?」

その勢いにややたじろいでいたものの、フェイランは二つ返事で了承した。




それぞれの名前とお互いの関係を一通り紹介し合ったところで、早速ミィフィが質問に入った。

「それでさ、フェイたんって出身どこ? 一年生であんなに強い武芸者がいるところだし、結構有名なところなんじゃない?」

興味津々といった態度を隠すことも無く、しかし、さしあたっては他愛も無いことから聞き出しにかかる。

「残念ながら、出身都市の名前は覚えていません。 幼い頃に都市を出て、旅人だった育て親に引き取られたものですから」

だが予想外の答えに、ミィフィは思わず口をつぐんだ。 ナルキとメイシェンの間でも緊張が走る。
レイフォンの前例があったためか、育て親という言葉がすぐさま孤児という単語に繋がったのだ。
しかし本人はいたって気にした風も無く言葉を続ける。 アルマとレイフォンも別段顔色は変わらなかった。

「武芸の師でもある養父は香街都市シネアスの出身だったそうなので、ボクの技はシネアスの流派ということになるのかもしれませんね。 実際にシネアスに立ち寄ったことは無いので断言はできませんが」

「義理の父親が師匠なんだ。 僕と一緒だね」

レイフォンはちょっとした親近感を覚えた。

「養父……もしかしてレイフォンも孤児なのですか?」

「うん。 僕は槍殻都市グレンダンの孤児院で育ったんだ。 そこの園長が練達の武芸者でね。 刀術とか武芸の基礎は父さんに教わったよ」

「それは奇遇ですね。 ボクも小さい頃に自都市を出る羽目になって……行き場を失くして帰ることもできずに、どうすればいいか分からなくなっていたところを父に引き取られたんです。 武芸の技も父から教わりましたし、何度か実戦も経験しました」

「やっぱりそうなんだ。 ツェルニの他の武芸科生徒と比べて、どうも場馴れしてると思ってたんだよ」

「レイとんと同じ孤児ってことは、もしかしてフェイたんも仕送り無いの?」

と、ようやく気を遣う必要は無いと悟ったのか、ミィフィが再び質問した。

「ええ、まぁ。 父は基本的には優しいですけど、厳しくもあって……在学中に必要な金は自分で稼ぐように言われているんです。 入学資金と数週間分の生活費だけは出してくれましたけど、他は自腹ですね。 とはいえ、今のところ生活はさほど問題ありませんが。 奨学金はBランクですし」

「そういえば、ぼくもこの間生徒会長に奨学金を上げてもらったんですよ。 有事の際に、一般生徒に実力を明かさない範囲で力を貸すことが条件ですけど。 お陰でバイトに余裕ができて助かりました」

「ああそっか、入試の時はまだ手を抜いていたはずだもんね。 それにアルマも仕送りが無いって言ってたっけ……。 でも、いいの? 実力は隠してたんじゃ?」

「ぼくはフェリ先輩と違って、自分の力が嫌いなわけではないんですよ。 少なくとも今は、実力をあまり多くの人に知られたくないだけで、念威の力を使うこと自体には特に忌避感もありませんから。 だからこそ最初から武芸科に入ったわけですし」

授業中に全力を出したことはありませんけど、と付け加える。
力を隠しているという点では同じでも、レイフォンやフェリとはまた事情が違うのだろう。
その会話を聞いていたフェイランが困惑したように口を開いた。

「そんな秘密をボクにも明かしてしまって良いのですか? あなたとは今日が初対面だと思いますが……」

フェイランの問いに、アルマは微笑を浮かべて応える。

「問題無いです。 レイフォン君とのやり取りを見る限り、きみは人の秘密をベラベラ喋るような人には見えないですし……それに、きみのような人には無理に隠す必要は無いですから」

「……そうですか……なら良いんですけど」

「それにしてもさ……レイとんもそうだけど、アルみんといいフェイたんといい、今年の一年生の有望株は訳ありな人ばっかりだね。 三人とも実力は高いのに、孤児だったり仕送りが無かったり実力を隠してたり……。 普通、どの都市でも武芸者っていったら自尊心とか自己顕示欲が強くて、おまけに家もお金持ちのはずなんだけどね。 特に強い人とか、先祖代々武芸者の家系の人とかは、何かにつけて名誉とか誇りとか掲げるし……」

ミィフィの言葉に、隣のメイシェンも頷く。

「ナッキも……自尊心とか自己顕示はともかく、武芸者としての誇りとか使命感はあるしね」

「それは当然だぞメイ。 力を持って生まれた以上、都市を守るために尽力するのは当たり前のことだ。 少なくともあたしはそう教えられたし、そのことに関しては特に疑問は無い。 ……まぁ確かに、レイとんたちが武芸者として色々と例外的だってのはあたしも思ってるが」

武芸をそっちのけてでもバイトに精を出す武芸者なんて聞いたことも無い、とナルキは苦笑気味に漏らした。
まぁ確かに、武芸科全体を見渡してみてもレイフォンのようなタイプはいないだろう。
ふと、アルマが訂正するように口を開く。

「いえ、一応ぼくの家はそれなりに裕福ではありますよ。 あくまで家は、ですけど」

「え? でも仕送り無いんでしょ?」

「これでも家出した身の上ですから。 おまけに家の者にはツェルニに入学したことも伝えてないんで、仕送りが無いのも当然ですね」

「そうなのか? それじゃあ、家の者が心配してるんじゃないのか? 親御さんとか」

驚いたナルキも心配そうに問いかける。
対するアルマは苦笑気味にそれに答えた。

「いえ、親はいません。 両親とも、三年くらい前に病で他界しましたから」

ナルキ達がまずい事を訊いたと顔を曇らせるのも気にせず、アルマはマイペースに言葉を続ける。

「家は歳の離れた兄が継いだんですが、兄弟仲はあまり良くなくて……というより憎まれてたくらいです。 ぼくがいなくなって、多分兄も清々してると思いますよ」

「憎まれてたって………でも、兄弟なんだよね?」

レイフォンがやや納得のいかなそうな顔で言う。
兄弟同士が憎み合うということに対しての実感が湧かないのだ。
孤児であるレイフォンには血の繋がった家族がいない。 レイフォンにとっての家族とは、孤児院の園長であり、そして孤児たちだ。
たとえ血の繋がりは無くとも、彼らはレイフォンにとってかけがえの無い家族であり、愛すべき、そして守るべき存在だった。

レイフォン達孤児は、血の繋がりというただそれだけの絆で無条件に愛してくれる存在を持たない。 何らかの事情で、その存在から引き離されているからこそ孤児なのだ。
しかしだからこそ、家族というものがそれだけ大切なものか、レイフォンは誰よりも理解している。 理解しているつもりだ。
その存在を失うことがどれほどの痛みを伴うものか、身を持って理解している。

「ぼく自身は、別に兄に対して怒りや憎しみは無いんですけどね」

そう言ってアルマは僅かに哀しげな笑みを浮かべた。

「けれど……兄弟だからこそ、家族だからこそ許せないこともあれば、憎まずにはいられないこともあると思いますよ」

「……そっか……そうかもね」

思うところがあるのか、躊躇いながらもレイフォンは納得した。
一瞬、何か辛いことを思い出したように苦しそうな顔を浮かべたが、その表情もすぐに消える。

「そ、それでさ、フェイたんやアルみんは小隊に入ったりする気は無いの? 二人なら勧誘されてもおかしくないと思うんだけど」

と、沈みかけた雰囲気を嫌ったミィフィが、敢えて明るい声を上げる。

「うーん……実はカリアン会長から勧められてはいるんですけどね……。 ぼくは今のところ、その気は無いかな」

「ボクはまだ勧誘されたことはありませんが、もしもそういう話が来たら、入ってみたいとは思います」

「およ、意外。 そういうのには興味無いのかと思った」

「自分から訊いたのにか?」

「フェイたんも小隊員とかに憧れてたりするの?」

ナルキの呆れた声を無視してなおもミィフィが問いかける。

「肩書そのものにはあまり興味ありませんけど、小隊に入れば今の授業よりもレベルの高い訓練が受けられるかもしれませんし、対抗試合とかで経験を積むこともできそうですから」

「ああ、成程。 フェイたん、指導役の上級生よりも強いんだもんね。 もっとレベルの高い人に教わった方が有意義だろうし」

「まぁそんなところです。 できれば自分よりも上手の人に訓練を付けてもらいたいところなんですが……さすがに、毎日レイフォンに訓練を付けてもらうわけにも行きませんし……。 その点、小隊に入れば定期的に強い人と訓練できますし、武芸大会や汚染獣戦で不可欠になる集団戦の訓練もできますから。
 ……ところでその……さっきから気になっていたんですが、フェイたんというのは?」

「ん? あだ名だよ? 友達同士なら普通でしょ?」

「………そうですか」

色々と思うところはありそうだが、言及は避けたようだ。

「さて、と。 フェイたんもそうだけど、アルみんとも折角友達になったんだし、この機会にお互いの趣味とか好きなものの話とかもしちゃおっか。 あ、恋バナも大歓迎だよ?」 

ミィフィが意味ありげな目でメイシェンを見、視線を受けてメイシェンが頬を赤く染めた。
ナルキがミィフィを窘めながら、そんな二人を優しい目で見守っている。
レイフォンはそんな三人の様子を穏やかな気持ちで眺めていた。
こういった何気ない日常の空気は好きだ。 一度は失われてしまったからこそ、ツェルニへと来て再び手に入れたこの日常を大切にしたいと思う。
こんな時間がずっと続けばいいのに。 そう思いながら、レイフォンは笑みを浮かべて会話に参加する。

それからも和やかな雰囲気で談笑が続いた。
やがて昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り、六人は広げていた弁当箱を片づけ始める。

「次の時間に授業があるのでボクはこれで」

「ああ、また体育の授業でな。 あたしたちのクラスも次は一般教養系の授業だ」

フェイランが立ち上がって一礼し、その場を離れていく。
それに倣ってナルキやミィフィも立ち上がった。
レイフォンもメイシェンに弁当の礼を言ってから席を立つ。
ふと、去り際に同じく立ち去ろうとしていたアルマがレイフォンの耳元に顔を寄せて口を開いた。

「近々、また面倒事が起こりそうです」

「え?」

思わず訊き返したが、その時には既にアルマはこちらに背を向けて歩き出していた。 特に振り返る様子も無い。
何となく気になったものの、結局は深く追求することもなく、レイフォンもその場を後にした。

























「そういえば、キリク先輩って昨日の打ち上げには来なかったんですか?」

放課後、レイフォンは錬金科棟の研究室の一つに来ていた。

「行っていない。 そもそも行く理由が無いからな。 俺は十七小隊でもなければ、その友人でもない」

キリクは錬金鋼につなげた機器を操作しながら、いつも通りの無愛想な態度で応じた。 手元から目も離さない。

「あれ? でも、ハーレイ先輩は?」

「あいつは十七小隊のバックアップを担当してはいるが、別に小隊員ってわけでもないだろう。 試合に出場していたのはあくまで隊員達だ。 その祝い事に俺まで参加する必要は無い。
 まぁ、仮にあいつが誘ってきたとしても、参加はしなかっただろうがな」

あけすけな物言いに、レイフォンは苦笑する。 別にあいつは友達じゃないと言わないだけマシなのだろう。
それから何とはなしに室内を見渡した。
そこいら中に書類や計器が散らばっており、非常に雑然としている。
というか最後に来た時よりも随分と散らかっていた。

「なんか……物が増えてます?」

「最近、色々と新しいことに手を出していてな。 必要な資料やデータを片っ端から集めている」

そう言って傍にあった用紙を一枚レイフォンに放って寄こした。
咄嗟に受け取り、何となく目を通してみる。 細かい文字でびっしりと文章が並んでいるが、当然、書いてある内容はちんぷんかんぷんだ。

「また新型の錬金鋼ですか?」

「ああ。 お前が以前持ち帰った複合錬金鋼の残骸から色々と発見があったからな。 その技術を利用して、応用型を創ろうとしている所だ」

「応用型?」

「応用というより簡易型か? 要は現在の性能を維持したまま、複合錬金鋼の小型化と軽量化を試みているわけだ。
 ……あれは対汚染獣用に開発したものだが、対人戦では逆に使いにくいだろう?」

「ええ、まぁ」

もともと複合錬金鋼は、汚染獣戦に際してその強靭な外皮を切り裂くために、頑丈さと切れ味、さらに剄の伝導率を両立させた武器を作ろうという考えから生まれたものだ。
しかし本来、人間が扱うには巨大すぎるそのサイズゆえに、対人戦では過剰戦力となってしまう。
規定が厳しく、死者を出さないように行われている学生武芸者同士の戦いでは、なおさらに使い勝手が悪い。

「今開発しているのは対人戦用、と言ったところか。 形状の設定値そのものはお前の鋼鉄錬金鋼とほぼ同じだが、上手くいけば耐久力や剄の許容量ははるかに向上する。 ……今のところバグだらけで、とても実用には程遠いがな」

「すみません、僕のために……」

「別にお前のためだけというわけではない。 もともと錬金鋼の研究は、俺たちがツェルニに来た目的でもあるからな。 むしろお前の協力を得られたのは、俺たちにとっても好都合だった。 使い手にある程度の実力が無ければ、性能のテストも満足にできない」

「そうですか……まぁ迷惑になっていないのなら、僕としても気が楽ですけど。
 それで、忙しいのはその簡易型? を作るのに手間取っているからなんですか?」

「そういうことだ。 お前の持ち帰ったデータからかなりの発見があったのは確かだが、それらを統合して新たな形にするのはまた骨が折れるんでな」

「大変そうですね」

二人の周囲にはびっしりと文章の書きこまれた書類が無数に散らばっている。
これだけの膨大な情報一つ一つを理解し、さらにそれを包括的、統合的に見て新しいものを創り出すなど、自分のような脳筋にはとても不可能だろう。

「とはいえ、開発しているのはそれだけではないがな。 他にも、いくつか新しい性能を持った錬金鋼を作ろうとしているところでもある。 近いうち試作品ができあがるかもしれないが、その時はまたテストに協力してもらうぞ」

「もちろん。 喜んで」

キリクには世話になっている。
前回の汚染獣戦も、彼の作った錬金鋼が無ければ殲滅は難しかった。
たとえ倒すこと自体は可能だったとしても、ツェルニに多大な被害が出ていたのは確かだ。
研究の手伝いくらいはお安い御用だし、レイフォンにとっても決してマイナスにはならないだろう。

その答えに満足したのか、キリクは視線を逸らして手元の作業に集中する。
それからしばらくは無言だったが、やがて手元を見つめたままぽつりと呟いた。

「そう言えばだが……お前が以前言っていたことは本当だったようだな」

「え?」

「全力で剄を込めると錬金鋼が自壊してしまうという話だ」

「……ああ」

思い出した。
汚染獣用の錬金鋼の開発を頼んだ時、確かにそんな話もしていた。

「正直、半信半疑ではあったが……お前が持ち帰った複合錬金鋼を見る限り、どうやら本当のようだな……。 確かに、複合錬金鋼は内側から崩壊していた」

無愛想な顔に、今は僅かに悔しそうな色を浮かべていた。

「……次は、もっと役に立つ武器を作る。 錬金鋼技師として、少しでもお前が力を発揮できるように尽力しよう。 だから、お前もそれを活かせるように、もっと強くなれ」

それだけ言うと、あとは黙々と作業を続けた。

























「短い銀髪に大柄な体格の五年生? もしかしてルッケンス隊長のことか?」

「そう、その人です」

その日の深夜、機関部清掃のバイトに来ていたレイフォンは、休憩時間中、ペアを組んでいたニーナに今日の授業で気になった武芸科生徒について訊ねていた。
名前はよく覚えていない。 小隊員であること、学生武芸者としてはそれなりの強さであること、格闘術を使うことなどをヒントにニーナに訊いてみたのだが、やはり知っているようだった。

「第五小隊隊長、ゴルネオ・ルッケンスだろう? ツェルニの武芸科でもかなり有名な人だぞ。 というかお前も武闘会の試合で戦っていただろう」

「いや、まぁ、そうなんですが……」

確かに以前武闘会では戦った相手であり、おそらくはグレンダン出身らしいということで、何やら因縁のありそうな相手ではあったが……武闘会の直後はともかく、その後特に身の回りで何も無かったため、いつの間にかレイフォンの記憶から消えていたのだ。
せいぜいルッケンス所縁の者かもしれない、ということくらいしか覚えていない。
そんなレイフォンを、ニーナは呆れたような目で見やる。

「一年生とはいえ、武芸科に所属しているのなら小隊員の……それも隊長の顔くらいは覚えておくべきだと思うが? 確かに、実力そのものはお前に及ばないが、いちおうこれでも武芸科の上位組織のうえに、武芸大会の時には中心になる部隊なのだからな。 いくら小隊や対抗戦には興味がないとはいえ……」

「あ、あはは……」

ジトっとした目で見てくるニーナに、誤魔化すように乾いた笑いを洩らす。

「そ、それで、ルッケンス隊長ってどんな人なんですか?」

「どんなと言っても、そうだな………対抗戦くらいでしか顔を合わせる機会も無いから、プライベートなこととか性格的なことはそこまで詳しくはないが、基本的に真面目で温厚な人柄だったと思うぞ。 あまり愛想のいい方ではないが、特別気難しいというわけでもない。 小隊の隊長という役職に相応しいだけの実力と人望もある。 戦闘スタイルは化錬剄を使ったやや変則的なものだが、戦略的にはヴァンゼ武芸長やシン先輩と同じ、堅実派で緻密性を好むタイプだな」

真面目なニーナらしく、他小隊についてしっかり研究しているのだろう。
なんだかんだでそれなりに詳しく知っているようだ。

「結構詳しいんですね」

「一応、対抗戦に備えてそれなりに戦術面での調査はしているからな。 特に、第五小隊は対抗戦の成績も上位で、隊員の練度も非常に高い。 他の隊よりも戦術研究に力を入れるのは当然だろう。 しかし……どうしてまたルッケンス隊長のことなど訊いたんだ?」

「いえ、ちょっと今日の授業で見かけた時にふと武闘会の試合を思い出して、少し気になったもので……。
 それに、あの人もどうやら僕と同じグレンダンの出身みたいですし」

「そうなのか?」

ニーナが驚いた様な声を上げる。 どうやら全く知らなかったらしい。

「はい。 ゴルネオ先輩とは直接会ったことはありませんけど、あの家名と格闘術の型には見覚えがあります。 それにルッケンスと言えば、グレンダンでは知らぬ者なしってくらい高名な武芸流派ですから」

「成程、ルッケンス隊長が……道理で強いはずだ」

それに勝ったお前はもっと得体が知れないが、とやや苦笑交じりに言う。
言外に先日の汚染獣戦についてほのめかしているように感じて、思わずレイフォンは目を逸らした。
そのまましばらく無言が続く。 その沈黙に耐え切れずレイフォンがニーナの方を窺い見ると、至近距離でこちらの顔を覗き込むニーナの目と視線がぶつかった。
咄嗟にレイフォンが仰け反ると、それに気付いたニーナもたじろいだように上体を引く。
それからわずかの間視線をさ迷わせ、何か訊きたそうにこちらを窺い見たものの、結局は何も言わず口を閉ざした。

「……先輩?」

「ああ、いや……なんでもない。 それはそうと体育の授業と言えば……お前、今日は強そうな一年生と戦っていたな」

レイフォンはすぐに思い至り、フェイランの顔を頭に浮かべる。

「ええ、まぁ」

「お前とは知り合いか?」

「武闘会でも対戦していたので、知り合いと言えば知り合いでしたけど……友達になったのは今日ですね」

「それは丁度良かった」

ニーナが今度は嬉しそうな笑顔を浮かべる。

「丁度良いって?」

「実はな……いや、その前に……お前の目から見て、彼の実力はどうだ?」

「フェイランの実力ですか? そうですね……」

レイフォンは僅かに思案してから、今日彼と戦ってみて思ったことを正直に話した。

「一年生としてはかなりの腕だと思いますよ。 戦闘中の剄の流れも安定していますし、反応速度や身のこなしも学生武芸者としてはトップクラスです。 それに武闘会の時よりも随分と成長していましたし、これからもまだまだ伸び代はありそうですね。 肉体的に成長途上なせいか身体能力はやや低いですが、個人としての総合的な戦闘力はすでに小隊員にも引けを取らないと思いますよ」

「お前にそこまで言わせるとは、かなりの実力なのだな。 そうか、そうか……」

レイフォンの評価を聞いて、ニーナの笑みがさらに深くなる。

「……もしかして、小隊に誘うつもりですか?」

「うん、もしかしたらそうなるかもしれない」

「どうしてまたいきなり?」

「いきなりではないぞ。 ずっと考えていた」

最後のサンドイッチを口に放り込み、飲み込んでからニーナが答える。

「もとより少数精鋭を気取るつもりは無いからな。 人数集めに難航していただけで、最初から上限七人は欲しいと思っていた。 しかし現状、今の武芸科生徒に小隊員になれそうな成績の者は見当たらない。 仮に実力があっても、上級生では私の様な若輩者が隊長を務める隊には入りたがらないからな。 ならば下級生の中から素質のありそうなのを選んでこちらで育ててしまった方が早いかもしれない。 ……そう考えて、一年生の授業風景を観察したり、噂を集めたりしていたのだが、その中でも彼は特に目を惹いたんだ」

さすがにお前ほどではないが、とニーナは苦笑気味に付け足し、レイフォンは肩をすくめた。

「とにかく、近いうちに声をかけてみるつもりだから、その時はお前も手伝ってくれないか? 彼ほどの腕なら他の隊からも声がかかるかもしれないからな」

「まぁ、それくらいは良いですけど」

フェイランも小隊に入る意志がありそうだったし、と内心で付け足す。

「頼んだぞ」

と、ここで話は終わりとばかりに弁当箱を片づけ、ニーナが掃除を再開する。
それに倣ってレイフォンもパイプの上から腰を上げた。




やがて時間が来て、二人はモップを動かす手を止めた。 丁度割り当てられた区域の床を磨き終わったところだ。
体を起こして額の汗を拭っていると、ふと廊下の奥から足音が聞こえてきた。

「ああ、ニーナ。 ここにいたか」

顔を出したのは無精ひげを生やした機関長だった。

「どうかしましたか?」

「さっき生徒会から電話があってな。 お前さんと……レイフォンに用があるそうだ。 それで、できれば今すぐ来てもらいたいそうなんだが……」

「僕に?」

思わず驚きの声を上げる。

「ああ。 伝えたぞ」

お疲れさん、と言って機関長は踵を返した。
残されたレイフォンとニーナはお互いに顔を見合わせる。

「……何かあったな」

「そうみたいですね」

生徒会が……というよりも生徒会長であるカリアンが、ニーナだけでなくレイフォンをも呼び付けるなど、何か不測の事態が起こったとしか考えられない。
そこはかとない不安を感じながら二人は用具を片づけに向かった。
















あとがき

これまで深く関わらなかったオリキャラ二人がようやくレイフォンと関わり始めた回でした。
せっかくなので、二人のバックボーンについても少々明かしてみたり。 まぁ、あくまでサブキャラなので、二人の生い立ちが今後の展開の鍵を握る、というわけではありませんが(多分)。
とはいえ、二人の活躍する話はすでに考えてあったりもします。

また、物語の進行上、キリクやらニーナやらとも絡めてみました。 詰め込み過ぎだったかな? とも思わなくもないですが。 予想以上に長くなりましたし。



ちなみに1年生ズの会話シーンでのキャラの書き分けですが、いちおう一人称と言葉遣いに多少の違いを出しています。

レイフォン、アルマ、フェイランは三人とも一人称が「ぼく」なので、会話シーンで区別しやすいよう、レイフォンは普通に「僕」、アルマはやや幼い雰囲気を出すために平仮名で「ぼく」、フェイランは中性的で凛とした雰囲気を出すため「ボク」、としています。(過去の話ではそこまで書き分けできてないので、違和感があるかもしれませんが)

また言葉遣いも、レイフォンは優しく温和そうな喋り方、アルマはゆるい敬語(イメージとしては、童顔の後輩キャラ)、フェイランは慇懃な丁寧語(真面目そうなイメージで)、といった感じでしょうか。


ついでに外見のイメージについても言っておくと、アルマは細くて柔らかい髪質に、ガラス細工の様に繊細かつ柔和で優しげな顔のつくりの美少年。見ための年齢は実年齢よりも1,2歳下くらいの感じで。
フェイランは涼しげで意志の強そうな切れ長の目に、色は黒くて癖の無い長髪のオリエンタル美人(男だけど)という設定。アルマが可愛い系の童顔美少年で、フェイランが真面目そうな美人顔、といった感じでしょうか。

大体ですが、作者の中ではこんなイメージです。
しかし……どうでもいいですけど美形ばっかですね。 エドの入り込む余地がありません。



ちなみにフェイランの技のビジュアルイメージは、ナルトの螺旋丸(大型サイズ)ですね。 こちらは渦潮みたいに内側に敵を取り込んで攻撃する技ですけど。



次回はようやく廃都市出征です。 できるだけ早く更新できるようにしたいです。




[23719] 24. 廃都市接近
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2011/09/19 04:00


ニーナとレイフォンの二人は生徒会長室の扉をノックしてから、中に向かって呼びかけた。

「ニーナ・アントーク、レイフォン・アルセイフ、到着しました」

「ああ、入りたまえ」

「失礼します」

扉を開けて中にはいると、そこには生徒会長のカリアンと第十七小隊の念威繰者フェリがいた。
ニーナは壁際で不機嫌そうにしているフェリを怪訝そうに見やりながらもそちらには触れず、カリアンへとまっすぐに歩を進める。
机から顔を上げたカリアンがいつも通りの柔和な笑顔で声をかけた。

「こんな朝早くから呼びつけてすまなかったね」

「いえ……それで、用件は?」

「もう少し待ってもらえるかな? まだ全員揃っていないのでね」

ソファを勧められ、飲み物が用意される。
女性の役員が飲み物と一緒にパンも持ってきてくれた。

「向こうはもう少し時間がかかるだろう。 仕事明けで朝食もまだだろうし、食べていてくれ。 私たちはもう済ませたのでね」

「では、遠慮なく」

ニーナがパンを取り、レイフォンがそれに倣う。
時刻はそろそろ6時だ。 重労働の仕事場から直接来たので腹も空いている。
二人はありがたくいただくことにした。
しばらくの間、部屋には二人の食事の音以外に何も聞こえなくなる。
やがて朝食が終わり手持無沙汰になっていたところで、再びドアがノックされた。

「武芸長……それに……」

大柄なツェルニ武芸科長、ヴァンゼの隣に立っているこれまた大男に、レイフォンは見覚えがあった。
というか、ほんの数時間前に噂したばかりだ。

「第五小隊ゴルネオ・ルッケンス、参上しました」

「二人とも御苦労様」

「こんな朝早くからなんだ?」

「緊急なんでね。 ヴァンゼには悪いが、事後承諾になる」

カリアンに勧められ、ヴァンゼとゴルネオがレイフォン達と対面のソファに座る。
ゴルネオが一瞬、こちらを見た。
刺すような視線は、しかしすぐさまレイフォンから逸らされる。
なんとなく居心地の悪さを感じながら、レイフォンはカリアンの説明を聞こうとそちらに目を向けた。

「それで、事後承諾とはどういうことだ?」

ヴァンゼが場にいる人間をひとしきり眺めてから質問する。

「そうだな……まずはこれを見てくれ」

カリアンは自分の机に置かれていた一枚の写真をソファの前にあるテーブルに置いた。

「これは2時間ほど前に帰還した探査機が捉えた映像データを現像したものだ」

「2時間前……随分と急いでいるようだな」

「ちょっとした事情があってね」

それ以上は追求せず、ヴァンゼも写真に集中する。
写真には緩やかな稜線を描く山が映っている。 高さはそれほどでもない。
そして問題にしているものもすぐにわかった。

「これは……」

写真の右端辺りに大きなシルエットがある。
その特徴的な形は自然物ではありえない。
テーブル状の中央部から上部に無数の塔の様な影が連なり、下部には半球状の構造物が貼り付いている。
そしてそれを無数の機械の脚が支えていた。

「もしかして……都市か?」

「そうだ」

「まさか戦か!?」

「さて、どうかな?」

カリアンがさらにもう一枚の写真をテーブルに置いた。

「こちらは、その都市を拡大したものだ」

「これは……」

ニーナが息を呑み、ヴァンゼとゴルネオが顔を顰めた。
写真に写った惨状に、レイフォンも表情を険しくする。
二枚めの写真に写っていたのは、完膚なきまでに破壊されて滅んだ無惨な都市の姿だった。

「随分と酷い……」

ゴルネオが低く唸る。
都市の全体を覆う第一層の金属プレートはあちこちが剥がれ、抉られ、そして崩れ落ちていた。
都市の脚のいくつかは半ばから、あるいは根元から折れて失われている。
滅びてからそれなりの時間が経過しているが、十年や二十年も経っているという感じではない。 あまり例を見ないので断言はできないが、もしかすると一年も経っていないのではないだろうか……。

「エアフィルターは生きているようだが……」

「汚染獣に襲われたな」

「私もそう思う」

写真の中は夜だ。 それなのに、都市のどこにも明かりは見えない。

「この近くに汚染獣がいるのか?」

「都市周辺も調べてみたが、今のところその様子は無い。 もちろん、この後で再調査はするけどね。 それよりも私が気にしているのはこっちの方だ」

カリアンが一枚めの写真を指差す。

「この山だけどね……ヴァンゼ、見覚えがないかい?」

「覚えも何も都市の外の風景など………いや、待て。 まさかこれは……」

撮影されたのが夜なためか少々分かりにくいが、山のあちこちに人工物らしきものが設置されているように見えた。

「もしかして………セルニウム鉱山ですか?」

ニーナがはっと顔を上げ、カリアンが頷くのを見た。

「現在ツェルニが唯一保有している鉱山だ。 どうやらツェルニは補給を求めているらしいね」

「では、あの都市も……」

「しかし、どうしてここに?」

都市は通常、自身が保有している鉱山以外では補給を行わないし、近付くことも無い。
どのような仕組みかは知らないが、都市は戦争でお互いに鉱山をやり取りし、己の有する鉱山を自ら識別して補給する。
そこに人間の力の入る余地は無い。

「推測だが、汚染獣から逃げようとして本来の自分の領域を出てしまったんじゃないかな。 そのために自分の鉱山に向かうのには間に合わなくなってしまった」

「飢えは都市さえも狂わせる、か」

「そこで、だ。 ゴルネオ・ルッケンス。 ニーナ・アントーク。 君たち二人にはそれぞれ自身の小隊を率いてこの都市の偵察に向かってもらいたい」

「偵察……」

「探査機からの画像データを見る限り、鉱山と都市の周辺には汚染獣の姿は無い。 だが、あの都市が汚染獣に襲われたのは明らかだ。 汚染獣の生態を我々が完全には理解していない以上、あの都市に汚染獣が次なる得物を求めて罠を仕掛けていないという確証は無い。 ゆえに、こちらから偵察員を先行させ、その確証を手に入れてきてほしいのだ。 他にも何か役に立ちそうな情報があれば入手してきてほしい」

「……偵察そのものに異議は無い。 が、いちおう聞かせてもらおうか。 この二小隊を選んだ理由は?」

「単純に数字だよ。 この間改良した都市外用のスーツは現状、さほどの数を揃えられていない。 定員数を満たした小隊二つに支給することができないほどにね。 なら、あとはその数に合わせるほかない。
 さて、君達の方に異論は無いと思うが、どうかな?」

カリアンがニーナとゴルネオに視線を向ける。
二人は顔に緊張を浮かべながらも、顎を引いて頷いた。

「任務了解しました」

「……了解です」

「あのう……」

と、ここでようやく我慢しきれなくなったレイフォンが口を挟んだ。

「それで…先輩たちはともかく、僕まで呼ばれたのはどういう訳なんですか?」

「ん? ああ、そうだった。 うっかり既定のことのように思って失念していた」

カリアンが白々しい口振りで(レイフォンはそう感じた)そう言うと、軽い調子でレイフォンに告げた。

「実は先程話した都市外用スーツなんだが、この二小隊全員に支給すると一枚だけ余ってしまうのだよ。 そこで、どうせなら君にもこの偵察任務に参加してもらえないかと思ってね」

レイフォンは眉間に皺を寄せながら、いちおう反論する。

「でも、それなら最初から隊員数が五人の小隊を選べば済む話じゃ……」

「数だけの話ではない。 ツェルニには都市外での活動の経験を持つ者が圧倒的に少ないのだよ。 特に君のように実力と経験を兼ね備えている者は非常に稀だ。 今回の任務では何が起こるかわからない。 危険度が未知数な以上、万全を期するならばより経験豊富な武芸者の協力が必要だと思ったのさ」

「…………」

「先程数に合わせたと言ったが、正確には君をメンバーに加えた上での数に合わせた、というのが本当のところだ。 幸い、君と第十七小隊には個人的な繋がりや付き合いもあるようだし、色々と都合が良いと思ってね」

レイフォンはしばらく不機嫌そうに顔を歪めていたが、やがて嘆息すると不承不承といった風に協力を引き受けた。
全てカリアンの思惑通りに進んでいると思うとあまり良い気持ちではなかったが、彼の言い分も納得できる。
それに接近中の都市に何かしらの危険が潜んでいるのなら、自身の目でそれを確認し、可能ならば先んじて排除しておきたい。
レイフォンは戦闘経験はともかく都市外での偵察や調査などの経験は無いが、それでも危険を察知することにかけてはその豊富な戦闘経験が役に立つこともあるだろう。 また実際に危険が迫った時には、その類稀な戦闘能力が必要になる。

「ではよろしく頼む。 それとこの任務では第十七小隊の隊員として同行してもらいたい。 任務中は基本的にアントーク君の指示に従ってくれ。 もちろん、君の経験を踏まえて彼らにアドバイスなどがあれば遠慮なくしてほしい。 アントーク君も、彼の意見は極力尊重してくれたまえ」

「わかりました」

と、これで話は終わったとばかりにカリアンは一つ手を叩く。

「さて。 それでは皆、よろしく頼むよ。 出発は二時間後を予定している。 君たちはそれまでに隊員たちを揃えておいてくれ」



ニーナ、ゴルネオ、レイフォンがそれぞれ部屋から出て行く。
後にはロス兄妹と武芸長のヴァンゼが残された。

「今度は一体何を企んでいるのですか?」

と、先程まで口を開かなかったフェリが、不機嫌そうにカリアンを睨んで言う。

「わざわざ小細工までしてレイフォンを巻き込んで、あなたは何がしたいのですか?」

「企むとは人聞きの悪い。 ただ単に彼の力が必要だと感じただけだよ」

カリアンはいつもの柔和な笑みを崩さない。

「小隊の選抜にも悪意を感じます。 レイフォンと縁の深い十七小隊はともかく、わざわざ第五小隊を選ぶなんて……」

「未知の危険が予想される以上、それなりに実力のある隊を選ぶのは当然だろう?」

「本当にそれだけですか?」

フェリは疑うような眼差しでカリアンを睨めつける。

「なにが言いたいんだい?」

「ゴルネオ・ルッケンスのレイフォンを見る目。 普通ではありませんでした」

それを聞いてヴァンゼもカリアンの方を見る。 彼もまた、ゴルネオのレイフォンに向ける不自然な敵意には気が付いていた。
前回の武闘会で負けたことを引き摺っている、というわけでもないだろう。 小隊員であるゴルネオとは、以前からそれなりに顔を合わせる機会も多かった。 その実直で誠実な性格もよく知っている。

「兄さんは何か知っているのではありませんか?」

「何かとは?」

「二人の間にどんな関係があるのか、です」

「……意外だね。 てっきり君も知っているものと思っていたのだが……そこまで親しいわけでもなかったか」

その言いようにカチンと来たフェリは、眉を吊り上げ舌鋒を鋭くしてさらに詰問する。

「話を逸らさないでください! レイフォンを厄介事に巻き込むだけでなく、わざわざ彼を敵視するゴルネオを偵察チームに加えるなんて、一体どういうつもりなのかと訊いてるんです」

実力だけを考えるなら、別に第五小隊でなくてもいいはずだ。
いざという時の備えである第一小隊は無理だとしても、たとえば第三小隊や第十四小隊などは対抗戦の成績も上位であり、チームワークにも優れている。
特に第十四小隊はニーナがもともと所属していた隊でもあり、現在もある程度の交流がある。 協力体制を考えるなら、むしろ十四小隊を一緒に行かせた方が遥かに妥当なはずだ。
であるにもかかわらず、カリアンはゴルネオ率いる第五小隊を行かせた。 何か作為があるとしか思えない。
ふと、カリアンが顔から先程までの笑みを消したため、フェリも思わず言葉を止めた。

「確かに、彼らには同じ都市出身であるということ以外にも何かしらの繋がりがある。 それがどういうものなのかは、私も詳しくは知らないがね。 情報を集め、それをもとに想像や推理をすることはできるが、実際に何があったのか、どんな因縁があるのかを完全に知ることはできない」

「そういうことではなく、何故レイフォンとゴルネオをわざわざ一緒に、それもこんな危険が予測できない場所に送り込むのか、その理由を聞いているのです」

「避けていれば、逃げていれば、それが無くなるわけではない。 ましてやそれが過去という、実体を持たず人の記憶に強く根付いた、しかし決して消し去ることのできないものであるというのなら尚更のことだ。
 逃げても逃げても、過去はいずれ追い付いてくる。 それならまだ取り返しのつく範囲で迎え撃つ方が安全だと思っただけさ。 どの道避けて通れない道なら、先に渡ってしまった方がいい」

「……なにが言いたいのですか?」

「二人の間に因縁や諍いがあるなら、早いうちに決着をつけてしまった方がいいと思ったのだよ。 本当に取り返しのつかない時点で問題が表面化するよりは、その方がずっと良い。 廃都市の安全調査も重要だが、レイフォン君の存在もまたツェルニの存続にとっては大切な要素だからね」

仮に、レイフォンが過去に何か問題を抱えているのであれば、今のうちに悩みの種を解消させておきたいということだろう。
カリアンは二人の間にある確執が武芸大会に悪影響を及ぼすことを懸念しているのだ。
だが、

「解決できなかったらどうするのですか?」

「いざとなったら私が何とかする。 少なくとも、レイフォン君がこれまで通りツェルニで武芸者として戦えるように取り計らうさ。 だが、それにはまずどんな問題であるのかを明確にしなくてはならない。
 如何に強くとも、どれほど賢くとも、絵に描かれた怪物を退治する方法など無いのだからね」 

黙り込んだフェリを見て、カリアンは顔に再び柔和な笑みを浮かべた。

「そう難しく考えたことではないさ。 問題が起きなければ、それはそれでよし。 何かしら起きるようならば、私もそれを解決するために力を尽くすまでだ」

「……それで任務に支障が出たら?」

「そこはレイフォン君を信頼している。 多少の不安要素が含まれようと、こと戦いや武芸に限っては、レイフォン君にもしもということはあるまい。 それにゴルネオも、任務に私情を挟んで支障をきたすようなことはないだろう」

あくまで一緒に行動させることで、二人の間にある因縁を表面化させるのがカリアンの目的なのだろう。
多少の確執があろうとも、レイフォンとゴルネオならば私情よりも任務の達成を優先すると確信しているのだ。

「……そう上手くいけばいいですが……」

フェリが眉間に皺を寄せたまま小さく呟く。
後はもう何も言わず、黙って部屋を出て行った。
決して納得した風でもなかったが、これ以上の議論は無意味と判断したのだろう。
その背を見送り、カリアンはそっと溜息を吐いた。



























レイフォンは一旦家に帰って出発準備を整えた後、集合場所に行く前に学校に立ち寄っていた。

「え? じゃあレイとんまた都市の外に出かけるの?」

早朝の教室で、ミィフィが驚きの声を上げる。

「うん。 ツェルニが向かっている鉱山に見覚えの無い都市が脚を止めているらしくてね。 はっきりとは分からないけど、どうも汚染獣に滅ぼされたみたいなんだ。 それで、ツェルニが到着する前に都市内に入って調査してくることになってさ」

カリアンからは特に内密にするようにとは言われていないので、さして隠すこともなくレイフォンは告げる。
それでもいちおう教室の他の生徒には聞こえないよう注意を払ってはいるが。

「学校は?」

「任務活動中は公欠扱いにしてくれるって。
 今日これから出発して、ツェルニが到着するまでだから……大体二日か三日くらいかな?」

「……大丈夫?」

汚染獣という言葉を聞いて顔を曇らせたメイシェンが心配そうに訊ねる。
おそらく先日の一件を思い出しているのだろう。

「心配しなくても、今回は戦闘じゃなくて偵察が仕事だよ。 それに一人でもないし」

「でも、危険なんじゃ……?」

「それを確かめに行くのが僕らの役目ってこと。 まぁ、絶対ってわけじゃないけど、多分大丈夫だと思うよ。 今のところ廃都市の周辺には汚染獣の姿も確認されていないし……あくまで情報収集が目的だから、危なくなったら一旦引き下がることもできるからね」

「メイっちは心配性だね。 そんなに心配しなくても、レイとんならきっと大丈夫だよ」

ミィフィが殊更明るく言い、メイシェンも多少は不安の色を和らげる。

「それはそうと……なんでレイとんなんだ? しかも、わざわざ小隊に混じって偵察なんて……」

「そう言えばそうだね。 別にレイとんは小隊員でもなんでもないんだし、好きで武芸科に入ったわけでもないんだから、そんな任務引き受ける義務は無いんじゃないの?」

不審そうな顔をするナルキに、ミィフィも同調する。
確かに、立場的に考えれば断ることもできただろう。
もともと武芸科に転科したのは、生徒会長であるカリアンに請われたから、そしてツェルニの武芸者のレベルの低さに危機感を覚えたからだ。
彼らに都市の命運を任せていてはツェルニの存続すら危ういと感じたからこそ、レイフォンは武芸科に入ってカリアンに協力することを決めた。

言い方は悪いが、いわばレイフォンは仕方なく武芸科に“入ってやっている”身の上であり、優遇されこそすれ、武芸大会と直接関係の無い厄介事を押し付けられる云われは無い。
ましてや、こんな何があるかも分からぬ面倒な任務に関わる義務や責任は無いのである。
だが、

「仕方ないよ。 この都市には僕より都市外任務の経験がある人は他にいないんだから。
万一のことを考えるなら、やっぱり実力や経験のある人間が向かうべきだろうし」

レイフォンは苦笑を浮かべて応えた。
何かと自分を巻き込もうとするカリアンを弁護するような形になり、あまり良い気分ではなかったが、いちおう事実なので仕方がない。
上目遣いにレイフォンを見上げるメイシェンが、不安そうに口を開く。

「……レイとんはそれでいいの?」

「あんまり気が進まないのは確かだけど……だからって、他の誰かに任せてしまうのわけにもいかないからね。 危険じゃないっていう確証が無い以上、自分の目で見て安全かどうかを確かめておきたいし」

万が一、情報収集に向かった者たちが戻ってこないなどという事態になったら、それはあの都市に何かしらの危険があるということだ。
そして、もしもその存在がツェルニに渡り害をもたらすようなことになれば、ここにいる彼女たちにも危害が及ぶ危険性もある。 それだけは絶対に避けたい。
レイフォンが先んじて廃都市に向かい、その脅威を見つけ出すことができれば、ツェルニに被害が及ぶ前に排除することも可能だろう。
学生武芸者では対処できない事態がありえるならば、誰よりも強いレイフォンが向かわなくてはならない。
それが最良の方法だと、レイフォンは思う。

「僕がいれば何があっても大丈夫……っていうわけでもないけど、他の人に任せるよりは遥かにマシだよ」

「……そっか」

メイシェンは少しの間じっとレイフォンの目を見ていたが、やがて僅かに目を伏せてから、ぎこちなくも優しい笑顔を浮かべてみせた。

「それじゃあ、頑張ってね。 待ってるから。 ……ちゃんと帰って来なくちゃダメだよ?」

「わかってるよ。 心配しなくても、絶対帰ってくるから」

途中からメイシェンの言葉がさらに弱々しくなったことには気付かないふりをして、レイフォンはあえて笑顔で答える。
そんなやり取り見て、ナルキも大きく頷いた。

「メイっちの言う通りだ。 帰ってこなかったら承知しないぞ。 だから気をつけて行って来い」

「授業のことなら心配しなくていいよ。 ちゃんとノート取っておいてあげるから。 ……メイっちが」

「うん。 皆ありがとう」

最後に彼女達に向かってもう一度明るい笑みを浮かべると、レイフォンは三人に背中を向けて教室を出て行った。
メイシェン達はそれを無言で見送る。
やがてその背中が見えなくなると、ナルキがやれやれという風に肩をすくめた。

「まったく……レイとんも相変わらずだな」

「ほんとにね。 お人好しというか、なんというか……」

ミィフィも僅かに呆れたような表情を浮かべた。
ただし口元には、どこか面白がるような、何かしら喜んでいるような笑みが浮かんでいる。
口には出さないが、レイフォンがいつも誰のため、何のためを思って戦いに赴いているのか、三人は何となく気付いていた。
そのことに対して申し訳ないと思うと同時に、自分たちを大切な存在だと考えてくれていることに嬉しくも感じる。

「まぁ出発前にわざわざ報告しに来るようになっただけ、心の距離が近付いたってことかな」

そう言って意味ありげな視線を向けてくるミィフィに、メイシェンは顔を赤くして俯いた。



























会長室を出てから2時間後、都市下部の外部ゲートに調査隊の面々が集まっていた。

「へぇ、これがこないだレイフォンの着ていたやつか」

ハイネが感心しながら戦闘衣に包まれた自分の体を見下ろす。
いつも通りの戦闘衣の下には、以前レイフォンが汚染獣討伐の際に着ていたのと同じ汚染物質遮断スーツを着ていた。

「ふむ。 確かに軽いな」

ニーナもその着心地に、驚くと同時に安心した。 
非常に薄いので普段の戦闘衣の下に着られる上に、着た後もすぐに慣れるだろう程度の違和感しか無い。 せいぜい一枚余分に着ているぐらいの感覚だ。
万一外で戦いになっても、これならば普段とそれほど差も無く戦えるだろう。
そうして二人が着心地を確かめていると、同じく遮断スーツと戦闘衣を重ね着していたシャーニッドが、面倒くさそうな調子で愚痴をこぼした。

「それにしてもよ、進行方向上の廃都市を調査をするってのはいいとして……なんでよりにもよって俺たちなんだ? 何があるかもわからねぇんだし、こういう任務は戦績上位の第一小隊とか第十四小隊の方がいいんじゃねぇのか?」

「馬鹿者、ツェルニで最も練度の高い三小隊から二つも出したら、都市の防衛力が大幅に下がってしまうだろうが。 それではもしものことがあった時に対応できなくなるではないか」

「もしものことがあった時って……それじゃあ俺らなら何かあっても良いってことかよ?」

ニーナが反論しようとするよりも早く、シャーニッドは自分で納得した。

「あ、成程。 そのためのレイフォンってわけか」

ニーナが若干悔しそうに首肯する。
カリアンが最も戦力として当てにしているのがレイフォンであることは分かっているが、それでも、小隊員としてはその現状に耐えがたいものがあるのだろう。 負けず嫌いなニーナならば尚更だ。
とはいえ、実際この都市で最も都市外活動の経験が豊富なのは明らかにレイフォンであり、実力的にも一番頼りになるのがレイフォンなのは動かしようも無い事実である。
彼の強さの前では、第十七小隊と第五小隊が束になってもかなわないくらいだ。 カリアンが彼を重宝するのも当然と言えば当然である。
今回の任務に限っては保険という意味合いが強いだろう。 少なくとも、カリアンはそのつもりで任務に参加させたはずだ。
そのレイフォンはといえば、今はニーナ達から少し離れたところでハーレイと話し込んでいた。

「はいこれ。 安全装置の解除、終わったよ」

「ありがとうございます」

「これも仕事だからね。 それにしても……こんな急じゃなかったら、新しい複合錬金鋼を渡せたのに……」

「昨日キリクさんが言ってた簡易型とかいうやつですか?」

「そうそれ。 軽量化の引き換えに錬金鋼の入れ替えができなくなってるタイプなんだけど、もう少しで完成するところなんだ。 できれば今回の任務で渡しておきたかったんだけど……流石に間に合わないね」

「まぁ今回は戦闘じゃなくて調査が目的ですし、なんとかなりますよ」

「暢気なことですね」

不意に背中にかけられた声に振り向くと、着替え終わったフェリが歩いて来るところだった。

「確かに周辺に汚染獣の存在は認められませんでしたけど、危険が無いと決まったわけではないんですよ? 気を緩め過ぎて足元掬われないようにしてください」

「わかってますよ。 あれだけ不自然な状態を見て、絶対に何も無いとは考えにくいですしね。
 けど、今から気を張り過ぎていても持たないと思いますよ」

「……いざ戦闘となれば思考が切り替わるのはわかってはいますが……やはり普段の姿を知っていると、どうしても頼りなく感じてしまいますね」

「はは……」

フェリの嘆息に曖昧な笑みで答えていると、ふと、レイフォンは背中に鋭い視線を感じて、思わず背後を振り返った。
少し離れたところで第五小隊が準備をしている。

(また……?)

視線は第五小隊の方から来ていた。
その第五小隊の面々は、ゴルネオを中心にして何かを話し合っている。
そのゴルネオはといえば、今はこちらに背を向けていた。

(あれ?)

視線の主はゴルネオじゃない。 彼は隊員たちに何か話している所だ。
こちらを見ているのは、彼のすぐそばにあるランドローラーの上で胡坐をかいている少女だった。
小柄な体躯に燃えるような赤い髪、ネコ科の動物を思わせる鋭い目つきの勝気そうな面立ちをしている。
その鋭い光を放つ瞳が真っ直ぐにレイフォンを睨みつけていた。

(え?)

てっきりゴルネオだと思っていたので、これには慌てた。
まるで面識の無い初対面の少女から向けられる不意打ちの様な敵意に、レイフォンはどう反応すべきかわからず、困ったような顔のまま立ち尽くす。
やがて少女はぷいっとこちらから視線を逸らしたので、レイフォンは溜息を吐いた。

「どうかしましたか?」

「ああ、いえ」

思わずレイフォンは再び少女の方へ目を向けてしまう。
その視線を追ってフェリが第五小隊の方を見やった。
再びこちらを向いた少女が「いーっ」と歯を剥いていた。

「……小生意気ですね」

「ははは……」

「随分とレイフォンを敵視してるみたいだね」

ハーレイが不思議そうな顔をする。

「何か怒らせるようなことしたの?」

「いえ……というか、そもそも会ったこともありませんし」

「ふーん……」

「ハーレイ先輩はあの人のこと知っているんですか?」

「そりゃあ、まぁ……小隊員で、それなりに有名人だし。
 シャンテ・ライテ。 武芸科の五年生で第五小隊の副隊長だよ。 化錬剄の使い手で、ゴルネオ先輩との連携攻撃はツェルニ内でも屈指の威力を誇ると言われているね」

「へぇ……」

そんな有名人だとは全く知らなかった。
というか………え?

「五年生……?」

思わずまじまじと少女―――シャンテの方を見てしまう。
確かに剣帯の色は隣にいるゴルネオと同じ色なので、同学年なのだということはわかるが……。
五年生……ツェルニ入学の最低年齢が数え年で16歳。 ということは、少なくとも20歳そこそこということになる。
しかしその小さな背に童顔という組み合わせは、とても年上には見えない。 纏う雰囲気や表情なども幼く、レイフォンはてっきり同学年かと思っていた。
いや、ここが学園都市でレイフォンが一年生でなければ、まず間違いなく年下だと思っていただろう。
戸惑っているレイフォンにハーレイが苦笑を浮かべた。

「ちなみに生まれは森海都市エルパで、獣に育てられた野生児だって噂もある。 とにかく小隊員の中でも色々と噂のある人物らしいよ」

「へぇ……」

「準備はできたか?」

いつの間にか近付いていたニーナの声が背中にかかった。
振り向いたレイフォンが準備完了と告げると、ニーナは一つ頷いてからゴルネオの元へ歩いて行く。
第五小隊の面々も既に準備を終えており、偵察隊のメンバーは各々ランドローラーに跨った。

十七小隊ではそれぞれハイネとシャーニッドが一台を運転し、サイドカーにはニーナとフェリが乗り込む。
任務中は十七小隊の隊員として行動するレイフォンは一人で一台に跨り、サイドカーにいくつかの荷物を乗せた。
ヘルメットを被ると、嵌め込まれたフェイススコープにフェリの念威端子を介した鮮明な映像が映し出される。

「行くぞ!」

外部ゲートが開かれ、レイフォン達は荒野へと飛び出した。

























あとがき

日が開いた割にあまり話が進んでいないような気もしますが、更新です。
今回は廃都市の接近と偵察隊の編成の話ですね。 セリフに関してはところどころ原作と同じだったり違っていたり。
まぁシャンテやゴルネオの態度は原作とそう変わらないかもしれません。 ただ、立場が違うのでレイフォンの反応は多少変わると思います。

それはそうと……今のところ、オリキャラの中ではハイネが一番影が薄いですね。 読者の方々も名前しか覚えていないのではないかと少々不安になったり。
もともと戦闘スタイル以外にあまり詳細な設定を決めていたキャラではないとはいえ、少し寂しい気もします。
この回でレイフォンを押しのけない程度には出番を作ってやりたいとは思いますが、難しそうですね。
さて、どうなることやら……


そういえば、文庫版『聖戦のレギオス』読みました。
感想は……若い頃のリンテンスがカッケぇ!
特に117ページと345ページの挿絵が個人的にすごくお気に入りです。
聖戦の主人公はディックですが、レギオスキャラの中でもリンテンスが一番好きな私の中では、あくまで彼が主人公でした。
また、本編は単行本と同じですが、最後にリンテンス視点の短編(というか過去編)があって、リンテンス大好きな私としては嬉しい限り。
おまけに天剣ロストエピソードもリンテンスという特典付きでした。
惜しむらくは、「純粋な瞳をした少年のリンテンスが、ぎこちない笑みを浮かべて立っていた」という写真の挿絵が無かったことでしょうか。

なんか感想がリンテンスばかりになってしまいましたが、聖戦2巻も楽しみです。
できればレアンとシャーリーの挿絵(カラーの口絵にも)があることを望みます。 あと錬金科の彼女も。
ライツエルは……どうでもいいや。


さて、次は廃都市での調査任務。
今後の更新もお付き合いいただければ嬉しいです。




[23719] 25. 滅びた都市と突き付けられた過去
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2011/09/25 02:17

ランドローラーを走らせて半日、目的地には何の問題も無くたどり着けた。

「こいつは、よくもまぁ……」

シャーニッドが驚きの声を漏らす。
現在、第十七小隊は第五小隊と分かれて、無数の脚に支えられた都市の土台を見上げながら、上に上がる手段を探していた。
それにしても……下から見上げるだけでもその崩壊具合がある程度分かる。 写真で見てもひどかったが、実際に目にするとさらに無惨だ。

「汚染獣に襲われて、ここまでやって来たって言ってたか?」

「推測だがな」

「会長様の推測か………まっ、外れちゃいないんだろうが」

都市の外部周辺をあらかた調べ終わると、念威端子を都市内に送り込んで調査していたフェリが第五小隊との通信に入った。

「外縁部西側の探査終わりました。 停留所は完全に破壊されています。 係留索は使えません」

「こちら第五小隊。 東側の探査終了。 こちら側には停留所はなし。 外部ゲートはロックされたままです」

向こうの念威繰者の声が通信機を通して聞こえてきた。

「あーらら」

「上がる手段はなしか」

「自力で上がるしかないようだな」

「そのようだ……レイフォン」

ニーナはハイネの言葉に頷くと、レイフォンの方を見やった。

「頼めるか?」

「了解」

錬金鋼を抜き出し、起動鍵語を呟く。
一瞬、手の中で青い光が弾けて消えるとともに、柄だけの奇妙な形状の武器が復元される――鋼糸だ。
レイフォンは中に舞った無数の鋼糸に剄を走らせ、都市へと繋げた。
さらに、分化した他の鋼糸を第十七小隊の面々の体にも巻きつけていく。

「先行します」

言って、レイフォンは鋼糸の補助を使い都市へと上がる。
一気に都市の上まで跳び上がると、エアフィルターを抜けて土台の上へと降り立った。
もしもの事態に備え鋼糸の一部を周囲に飛ばして防御陣を張っておき、それから下に残した第十七小隊の面々の引き上げにかかる。
まずは、念威繰者であり警戒や索敵を担当するフェリを先に上げた。
それから隊長のニーナ、シャーニッド、ハイネと、鋼糸を使い順番に引き上げていく。

「どうだ?」

「今のところ人影は、死者も含めて見つかっていません」

都市に入る前から念威端子で調査を行っていたフェリがニーナの問いに答える。

「そうか……よし、では近くの重要施設から順に調べていこう」

「都市の半分くらいなら一時間ほどで済みますが?」

「そうだぜ。 楽に済まそうや」

「フェリの能力を疑うわけではないが、それでは納得できない者もいるだろう」

「……はい」

フェリが不承不承頷く。
今までずっと実力を隠してきたため、彼女が念威繰者として類稀な才能を持っていることを知っているのは、カリアンやレイフォン、アルマを除けば第十七小隊の面々だけだ。
これまでさして目立った活躍をしていたわけでもないフェリが念威で調べたと主張したところで、第五小隊の面々が納得するとは思えない。
フェリの念威の能力は、並の念威繰者では想像も及ばぬほどの域にあるのだ。 その探索可能範囲も精度も速度も、学生どころか熟練の念威繰者をも遥かに凌駕する。
だからこそ、他者に納得させるのは難しい。

「……機関部の入り口は見つかったか?」

「いえ。 どうやらこの近辺には無いようです」

「そうか」

「ですが、シェルターの入口は見つけてあります」

「では、まずはそこからだ。 生存者がいればありがたいが」

「期待は薄そうだがな」

シャーニッドの呟きにニーナは人睨みし、第十七小隊はフェリの案内で都市の奥へと歩き出す。
しかし、バスの停留所があったところからほんの数メルトル歩いたところで再び足を止めた。

「これは……」

ハイネが息を呑み、ニーナは呆然と立ちつくす。 シャーニッドも目の前の光景に唖然としていた。
その光景を見て、レイフォンも目を細める。
フェリは無反応だ。 当然、すでに気付いていたのだろう。

「汚染獣……」

そこに横たわっていたのは、雄性体の汚染獣の亡骸だった。
巨大な死体に近付きつつ、冷静な口調でレイフォンが呟く。

「大きさから見て雄性三期……といったところですか」

その死体は異様だった。
汚染獣の巨大な体が頭から尾の先まで縦に分断されている。 
死体はすでに乾燥し干からびていたが、その切り口が尋常でないくらいに鋭いものであったことは容易に想像できた。
しかも外から見て見当たる外傷はその切り口だけ。 すなわちこの汚染獣を倒した武芸者は、ただの一撃、一刀で雄性体汚染獣を両断し、屠ってみせたということだ。
この都市には、少なくとも一人以上はそれだけの腕を持つ強者がいたということでもある。

「まるでレイフォンみてぇな強さだな」

レイフォンの見解を聞いたシャーニッドが驚きの滲む声で呟きながら死体に近付く。

「やはり汚染獣に襲われたというのは本当だったか」

ニーナが悔しげに唇を噛む。
いかな強者がいたとしても、この都市がすでに滅んだのは事実だ。
この都市を襲った汚染獣が一体だけということはまず無いだろう。 おそらくは群れで襲われたのだ。
だからこそ、これほどの強者ですら都市を守り切れなかった。 どんな強者であっても、汚染獣に群れで襲われれば一たまりも無い。
その事実に、自分たちの無力さ、人間の世界の脆さを、痛いほど実感させられる。

「とにかく、都市部に入ってもっと良く調べてみましょう」

レイフォンの言葉に頷き、ニーナたちは再び歩き出した。





























「ねぇ、ゴル」

「ん?」

肩からの呼び掛けに声だけを返し、ゴルネオは周囲の観察を続ける。
都市の東側から侵入した第五小隊は隊を三つに分け、念威繰者を含む三人を後方に待機し、残る四人が二手に分かれて都市内を調査していた。
現在、隊長のゴルネオと副隊長のシャンテの組は多数の建物が並ぶ商店街を歩いている。

「ここで仕掛けたら事故で済ませられるんじゃない?」

肩に乗ったシャンテの呟きで、ゴルネオは足を止めた。
周囲に人気は無い。 通りに並んだ店舗はまばらに打ち壊され、破片が散らばっている。
中には火災が起きたと思しき焼け落ちた痕跡のある建物もあった。

「そう簡単なことではない。 性根が腐っていようと、実力は確かだ。 武闘会での戦いぶりはお前も見ただろう」

「確かに見たけどさ……不意を打っちゃえばいけるんじゃない?」

ゴルネオが鼻で笑う。 彼女は勘違いしているのだ。

「天剣授受者に隙などあるものか」

「そんなの、やってみなくちゃ分からないじゃん」

シャンテがぶらぶらさせていた足でゴルネオの胸を叩く。
分厚い胸板は、それくらいではびくともしない。

「やってみなくちゃわからないのは、お前が未熟だからだ。 あの試合で見せたのは、奴の実力のほんの一端に過ぎん」

「むう……」

納得いかなそうなシャンテには構わず、ゴルネオは周りを見渡した。
鼻で空気を吸い込み、その匂いに顔を顰める。 腐臭と……血の臭いだ。
飲食店や食糧店を覗くと、腐った食材が床に散らばり蠅にたかられているのが見える。 腐臭の正体はこれだろう。
そして血の臭いは……

「……激しい戦闘だったようだな」

通りの地面には砕かれた痕があり、周囲には乾いて黒くなった血痕が残されていた。
血痕は一つだけではない。 そこかしこに夥しい量の血糊が付着した痕がある。
そしてさらに……

「汚染獣………」

通りを曲がったところで、倒壊した建物の瓦礫に埋もれる様にして横たわる汚染獣の死体が目に入った。
見たところ雄性体の一期か二期といったところだろうか。 巨大な体のいたるところに傷を負っている。、
死んですでに日が経っているのか、死体は完全に乾燥して干からびており、絶命しているのは傍目にも明らかだ。

「これが? この間ツェルニに来たやつとは随分違うね」

「この前のは生まれたばかりの幼生体だ。 こいつは雄性体、成長して成体となった汚染獣だ」

やや遠くを見ると、他にも汚染獣らしき姿がいくつか見える。
やはりこの都市は汚染獣に、それも雄性体の群れに襲われたようだ。
これだけの規模の都市、質はともかく武芸者の数はそれなりに揃っていただろう。
それでも、滅んだ。

「手強いの?」

「当然だ。 群れで襲われたら、並の武芸者が束になってもそうそう勝てる相手じゃない」

しかし、疑問もある。 なぜ、汚染獣の死体はあるのに人間の死体はどこにも無いのか?
武芸者によってつけられたと思しき傷を負った汚染獣の死体がいくつもあるということは、少なくとも、この都市にはこれだけの数の汚染獣を倒せるだけの戦力があったということである。
ここで起きたのはあくまで戦闘であり、決して一方的な虐殺ではない。 武芸者側にもある程度敵に抗しうる力があった。
人間全てがあまさず食われてしまったとは考えにくいのだが……

「まさかこれだけの被害で死者がゼロ、ということもないとは思うが」

都市は滅んだが犠牲者は一人も出さず、全員が脱出したというのか。
ありえない、とゴルネオは自分で自分の考えを否定する。
通りに付着した血液の量を見れば、死者が一人も出なかったなどとは考えにくい。
逃げ惑う市民の中にも、戦っていた武芸者の中にも、少なくない数の死者が出ていてもおかしくないはずだ。
ではいったい何が……

「でさぁ、ゴル」

考えに沈んでいたゴルネオをシャンテが引き戻す。

「ん?」

「だからって、あいつをほっとくつもりはないんでしょ?」

話は最初に戻ったらしい。

「当然だ」

腹の奥で唸りながら、ゴルネオは答えた。

「あいつは、許せない」

一年前、ゴルネオがツェルニにいる間にグレンダンで起きたとある事件。
事の顛末を手紙で知った時の衝撃は忘れられない。

「あいつが、ガハルドさんを殺したんだ。 武芸者としてのガハルドさんを」

それがただの事故だったのなら、嘆きながらもゴルネオは怒りを飲み込んだだろう。
だが、そうではない。
奴は……レイフォン・アルセイフは、最初から殺すつもりだったのだ。

「あいつは武芸者の恥だ。 許しておくわけにはいかん」

あれだけの罪を犯しておきながら、今度はツェルニで武芸者面をしている。
自身の悪行を忘れたのか、人前で実力をひけらかし、臆面も無く指導者面して他の生徒に教えたりなどしている、厚顔無恥の恥知らず。

「グレンダンから追い出すだけなどと、陛下は生温い」

今はまだ大人しくしているようだが、それがいつまでも続くとは思えない。
奴がいざ本性を現した時、ツェルニには対抗するすべは無いというのに。

「あいつの息の根は、俺が止める」

潰されたガハルドのためにも、ツェルニを守るためにも、奴はこの手で始末しなければならない。

「ゴル、あたしも手伝うからね」

それにはゴルネオも首を横に振った。

「これは俺とあいつの問題だ。 それに天剣授受者のことはよく知っている。 お前まで危険な目に合わせるつもりは無い」

「馬鹿!!」

断固とした拒絶に、シャンテはゴルネオの頭に拳骨を落とした。





























シェルターの天井には大穴が開いていた。
天井から落ちた瓦礫が放射状に広がっている。
その瓦礫の縁を、赤黒く染まった血が彩っていた。

「こいつはひでぇ」

シェルター全体に漂う腐敗の臭気に、シャーニッドが口と鼻を手で押さえた。
下に降りた他の面々も、同じく口元を手で覆っている。
フェリだけはシェルターに入るのを断固拒否して、念威端子だけを送り込んでいた。

「生存者はいるか?」

「今のところ都市内のどこにも人間の生命反応は見つかりません」

「そうか……くそっ」

苛立ちに、ニーナが床を蹴る。
エアフィルターが生きている以上生存者がいる可能性もあるが、今のところフェリの念威には人間レベルの生命反応は見つかっていないという。
生命反応があったとしても、食用の家畜や魚ばかりだ。

「おかしいですね」

シェルターの内部を歩き回りながら冷静に観察していたレイフォンがふと呟いた。
左手でライトをかざしながら、右手の指で何か白いものを摘まんでいる。

「何がだ?」

「人の死体が無いんですよ」

端的にレイフォンが言う。

「ここもそうですけど、僕らが通ってきた道にも建物にも、血の痕や破壊の痕跡は残っているのに、人の死体だけが見当たらないんです。 それこそこの都市の被害状況を考えれば不自然なくらいに」

レイフォンの言葉に、他の面々が首をひねる。

「そんなにおかしいか? 汚染獣は群れだったんだろ。 全員残らず喰われちまったんじゃねぇの?」

「それにしては汚染獣の死体が残り過ぎています。 連中に人間のような仲間意識や情はありません。 傷ついた個体や弱い個体は他の強い個体に食われてしまいます。 汚染獣は共食いを忌避する習慣はありませんしね」

少なくともこれまでに見た汚染獣の死体には、人間によって負わされたと思しき傷跡しか見当たらなかった。
これまで数多くの汚染獣と戦ってきたレイフォンの鑑定に、ニーナたちが異論を挟めるはずも無い。 黙って説明を聞く。

「人間を残らず食べてしまうくらい数がいれば、当然死んだ個体や深い傷を負った個体も喰われていたでしょう。 しかし、都市の上には干からびた汚染獣の死体が無数にあります。 共食いの痕跡は無く、汚染獣同士で共倒れという可能性も低い。 明らかに人間による攻撃で絶命した死体ばかりですし……。 共食いが起こったとしても、真っ先に食われるのは傷ついたものです」

つまり、犠牲者の数はともかく、戦いそのものは人間側の勝利だったということだ。

「先程の停留所にも、あまり放浪バスは残っていませんでした。 おそらく、生き残りの都市民たちは崩壊した都市から脱出したんでしょう」

「んじゃあ、生き残った連中が死体を片づけたんじゃねぇの?」

「いえ、その可能性も低いと思います。 この都市の惨状を見る限り、都市民たちにそんな余裕があったとは思えません。 ここまで破壊された都市に悠長にとどまって後始末をするような物好きがいるわけもないですし」

この都市はすでに滅んでいる。
たとえ生き残りがいたとしても、ここまで崩壊した都市にいつまでも居座ろうとはしないだろう。
戦いに勝利したのなら、可能な限り速やかに都市を離れたはずである。
当然、犠牲者の亡骸はそのままにして脱出するほかなかったはずだ。

「かといってこれほどの被害の中、死者が一人も出なかったとも考えにくい」

ここに来るまで通った道でもそうだったが、あちこちに黒く変色した血痕が残っていた。
そんな惨状で人が一人も死ななかったなどと考えるのは、あまり現実的ではない。
汚染獣に食い殺された者もいただろうし、倒壊した建物に巻き込まれた者、火災に遭って命を落とした者、あるいは逃げ惑う市民たちの人波に飲み込まれ、踏み殺された者もいただろう。
にもかかわらず、形をとどめた人間の死体が一つも無い。

「いちおう乾燥して血と一緒に壁にへばりついた肉片とか、肉が腐りきってなくなった骨の欠片は見つかりましたけど、指先以上のサイズの残骸がまったく見当たらないんですよ。 でも、それはおかしい。 もっとまとまった大きさや数の死体があっても不思議は無いはずなんです」

言って、レイフォンは先程拾った白い欠片を皆に見せる。
それはよく見ると人間の指先の骨だった。 すでに皮膚や肉は腐り落ちたのか、完全に白骨化している。
ただし臭いは残っているのか、つまみ上げたレイフォンも顔を顰めていた。 ニーナたちも嫌そうな顔をする。

「つまりあれか? もっと大きい……腕やら足やら頭やらが転がってないのが不自然だってことか?」

「率直に言えばそうです。 先輩も見たでしょう? あれだけの巨体で人間を喰おうとすれば、一片残らず喰い尽くすなんてことは不可能です」

人間が汚染獣に食われる瞬間は過去の戦場で数えきれないくらい見てきた。
手足を食いちぎられたり、あるいは手足しか残らなかったり。 胴体を半分にされた武芸者の姿も見たことがある。
だからこそ、この不自然な状況に猛烈な違和感を感じてしまう。
実戦経験に裏打ちされたレイフォンの見解に、ニーナたちも納得せざるを得ない。
それに先日、実際に成体の汚染獣をこの目で見たのだ。 確かにレイフォンの言う通り、あの巨体で食べ残しが全くと言っていいほど無いのはおかしい気がする。

「それだけじゃない。 都市の崩壊に巻き込まれて死んだ者もいたはずです。 実際、倒壊した建物の瓦礫の裏にも血痕が残っていました。 押しつぶされて死んだ人もいたということです」

なのに、そこにも死体が無かった。
破壊や死の痕跡は残っているというのに、そこにあるはずの死体だけが無いのだ。
それに一般市民はともかく、戦っていた武芸者の死体すら無いのは明らかにおかしい。
腕や足もそうだが、本来ならもっと人間の形をとどめた死体が残っていても不思議ではないのだ。
ようやくニーナたちもレイフォンの言う不自然な点がわかってきた。
同時に得体の知れない恐怖を感じ、薄気味悪さに身震いする。

「……とにかく、私たちの任務はこの都市の安全を確かめることだ。 謎解きは二の次で良い。 安全さえ確保できれば、そちらは他の人材……警察や生徒会に頼んでもいいわけだしな」

「……そうですね。 この謎がツェルニの危険と直結しているとは限りませんし……ひとまずは任務に集中しましょう」

「ああ」

レイフォン達四人は、一応シェルター内部を隅々まで調べてから地上に上がり、入口に待機していたフェリと合流した。

「フェリ、他に何処か人がいそうな場所、あるいは不自然な場所は無いか?」

「都市のこちら側半分の調査は一通り終わらせました。 特に危険要素は見つかりません。 ただ……」

「ただ?」

「……一つだけ……念威では上手く調べられない場所があります」

「なに? どういうことだ?」

怪訝な顔をしてニーナが訊ねる。

「都市の中央部にある建物なんですが、念威が通じにくくて内部が上手く調べられません。 どうも何かしらの力で念威が阻害されているような感じです」

フェリの報告に、レイフォンは驚いた。
彼女の実力はよく知っている。 その彼女の念威が通用しないとは、一体何が……

「……もしかすると、この都市全体の不自然な状況と何か関係があるのかもな」

「それで、どうしますか?」

フェリが指示を仰ぐ。 最終的に決めるのは隊長であるニーナの役目だ。

「第五小隊の念威繰者とも連絡を取りましたが、むこうも中央の建物については上手く調べられずにいるようです。 どうやらあの建物には念威の力を阻害する力場が働いているようですね」

「そうだな……」

ニーナは腕組みをして考え込む。
得体の知れない力が働いている以上、そこを調査しないわけにはいかない。
かといって、ろくに情報が無いまま現場に向かうのも危険が伴う。
どうすべきかと迷っていると、それまで黙っていたレイフォンが口を開いた。

「調べるにしても、そこは明日に回した方がいいと思いますよ。 今から調査を始めたら、途中で夜になってしまいますし、念威が上手く働かない場所で夜間に行動するのは危険です。 下手をすると、念威による通信や視界の補助も出来なくなる可能性がありますし」

「ふむ、それもそうか……。 フェリ、向こうにもそう伝えてくれ」

「了解」

そう言って、フェリはしばらく第五小隊との通信に入った。

「第五小隊から連絡です。 向こうも今日の調査活動は終わりにするそうです。 それと合流地点の指示が来ました」

「そうだな。 では、今から向かうと伝えてくれ。 ……移動するぞ」

フェリが指示された座標を告げ、十七小隊の面々とレイフォンが移動を開始した。




























第五小隊が見つけた泊まる場所は都市の中央にほど近い武芸者たちの待機所だった。

「電気はまだ生きていたんだな」

ニーナが感心した様子で、入り口前の廊下から駐留所内を見回した。
建物内は空調が効いており、都市中を侵蝕していた腐敗臭も、すでに建物内には残っていなかった。
フェリが第五小隊からの通信を受け取る。

「隊長、ルッケンス隊長から部屋割のことで話があると」

「わかった、行ってくる」

ニーナが建物の奥へと入っていく。
レイフォンと隊員たちは、何とはなしにその場で待っていた。
フェリは天井から流れる空調の風を浴び、シャーニッドは廊下の革張りベンチで寝転がっている。
その様子に苦笑しつつ、ハイネもベンチに腰をおろして手荷物の整理をしていた。
手持無沙汰だったレイフォンも、腰のポーチの中身や錬金鋼の調子を確かめる。

十七小隊の面々がそうやってニーナを待っていると、廊下の奥から燃えるように赤い髪が現れた。 第五小隊のシャンテだ。
シャンテは廊下に立っていたレイフォンに目をとめると、途端に顔を怒りで歪めて歩いてくる。
そのまま間近まで近寄ると、突然レイフォンに向かって声を上げた。

「おい、お前! あんな恥知らずなことしておいて、何でまだ武芸者を続けてる!?」

それを聞いて、レイフォンは一瞬で自分の心が冷たく、冷えていくのを感じた。
顔からも表情が消えていくのがわかる。
普段の温厚な顔はなりを潜め、もう一つの、武芸者としての顔が現れる。
シャンテは目を吊り上げながらなおも喚く。

「聞いているのか? 武芸を使って犯罪まで犯して、ゴルの兄弟子も傷つけて! あれだけ武芸を汚すようなことしてきて、なんでまだ武芸者を続けてるんだ!? 卑劣漢の犯罪者、恥晒しの外道の癖に!
 会長も会長だ! なんでこんな奴を、わざわざ武芸科に入れたりなんか……」

ハイネ達はシャンテの突然の剣幕に驚き、口を挟めずにいる。
ただ黙ってレイフォンの方を窺っていた。
そのレイフォンはというと……しばしシャンテの罵倒に無反応を貫いていたが、やがて大きく嘆息した。

「なんとか言ったらどうなんだ? お前みたいな恥知らずの卑怯者が、どうしてまたツェルニで武芸者面してんのかって聞いてんの!」

「あなた達が弱いからですよ」

レイフォンは冷え冷えとした声で、辛辣に言い放った。
あまりにも冷たい声に、ハイネやシャーニッドがぎょっとした顔をする。

「何っ!」

「あなた達が都市の守護者としての役割を果たせないほどに弱いから、仕方なく一度は捨てようとした武芸をもう一度拾って、あなた達の代わりに戦っているんじゃないですか」

否定したり、誤魔化したりなどという選択肢は即座に消えた。 おそらくゴルネオから聞いたのだろう。 彼女は全てを知っている。 少なくとも、表沙汰になっている事情については全て……。
ならば今更否定しても意味は無い。 言い訳するつもりは、端から無い。
レイフォンは決して、自分の行いを後悔してはいないのだから……

「なっ、てっ、てめえ!」

「会長から聞いてますよ。 あなた達の二年前の無様については。 恥知らず? どの口で言ってるんですか? 自分たちのことを棚に上げて、他人にどうこう言うのはやめてほしいですね」

シャンテはさらに激昂するが、レイフォンはただひたすら冷たい態度で返す。
普段とはまるで違うレイフォンの様子に、十七小隊の面々も驚き、言葉を失っていた。

「そっ、そんなこと言って、また同じようなことを繰り返すつもりか!」

「今のところ特にそんなつもりはありませんが、場合によっては繰り返すことになるかもしれませんね」

「なっ」

平然と答えたレイフォンの言葉に、シャンテは絶句する。

「あなた達が僕の邪魔をするというのなら、僕の目的の妨げとなるなら、また同じ方法をとることもありえるかもしれませんね。 そして今度は……しくじらない」

レイフォンの凍るような冷たい瞳と冷えた声に、シャンテは言葉を無くす。
十七小隊の面々も言葉が出てこない。
と、突然脇から冷たい沈黙を破る声が聞こえた。

「成程な。 あれだけのことをしておいて、何も悪びれないどころか反省もしていないということか」

「ゴルっ!」

そこにゴルネオがやってきた。 後ろにニーナも続いている。

「武芸を冒涜し、天剣の名を汚し、都市を追放されてなお、貴様は同じことを繰り返そうというのか……」

ゴルネオが怒りのにじむ声で言う。

「……やはりあなたはグレンダンの、しかもルッケンスの出身でしたか」

「そうだ。 ゴルネオ・ルッケンス。 天剣授受者、サヴァリス・ルッケンスの弟だ」

なるほど。 見ためや性格、雰囲気の印象はだいぶ違うが、確かに顔立ちに含まれる甘さには少し面影がある。
弟がいたなどとは知らなかったが、別にいても不思議ではない。
まさかその弟に、追放されて向かった先のツェルニで出会うことになるとは思いもしなかったが……。
鋭く睨みつけてくるゴルネオに対し、レイフォンはやはり冷たい声のまま言う。

「生憎ですが、僕にとっては武芸など、所詮はただの手段にすぎません。 武芸も、剄の力も、僕にとっては自分の目的を達成するための単なる道具です」

レイフォンの言葉に、ゴルネオの表情にさらなる怒りがにじむ。
少し下がって話を聞いていたニーナの目も鋭くなる。 ニーナもまた、レイフォンの武芸を軽視する言葉に対し怒りを感じているようだ。
だがレイフォンは発言を止めない。 あくまで淡々と言葉を紡ぐ。

「天剣も同じです。 天剣もまた僕にとっては、目的を達するまでの過程であり手段の一つにすぎません。 利用価値があったから武芸を覚えた。 目的を達するために便利だったから天剣を手に入れた。 あの男を斬ったのも、目的のための過程の一つ。 それ以上でも、以下でもない。 僕にとって重要なのは、あくまで目的であって手段ではありません。 そしてその目的のために必要となれば……」

ゴルネオの目をまっすぐ見て、言う。

「相手が誰であろうと、容赦はしません」

自分の邪魔をする者は全て排除する。
言外に含まれた意味に気付かなかった者たちも、レイフォンの放つ異様な迫力に身を震わせた。

「……成程な。 そんな考え方だから、ツェルニに来ても図々しく武芸者面ができたというわけか……。
 天剣授受者でありながら神聖な武芸を汚し、ガハルドさんにあんなことをしておいて、よくも……」

ゴルネオの声が怒りに震える。
その様子を心配げに見ながら、ニーナが疑問の声をかけた。

「天剣授受者だと? それに、武芸を汚したって……?」

「そうだ!」

ニーナの言葉が引き金になったかのように、ゴルネオが声を張り上げた。

「この男は……グレンダンで最高の栄誉である天剣授受者の称号を受けておきながら、金儲けのために非合法な闇の賭け試合に出場し……あまつさえ、それを突き止めた俺の兄弟子を口封じのために、それも神聖な公式試合を利用して合法的に殺そうとした! それがこの男……レイフォン・アルセイフだ!!」

全員が驚愕に声を失くした。
それからレイフォンの方を窺うように見る。
レイフォンの顔には………やはり、何の感情も浮かんではいなかった。

「俺の兄弟子は……ガハルドさんは、一命を取り留めたが……片腕を失い…剄脈を壊し……武芸者として完全に再起不能になってしまった……」

ゴルネオの声は熱が引いたように、小さく、悲痛になっていた。

「本当なのか? レイフォン」

ニーナが苦しそうな声で確かめるように訊いてくる。
全員が、レイフォンの答を聞こうと、目を向け、耳を傾けている。

「どうなんだ!? レイフォン!」

「本当ですよ」

レイフォンは疑いようもないくらいにはっきりと、ゴルネオの言葉を肯定した。
その場の全員がレイフォンを見ている。
ニーナはショックでよろめきながら。
ハイネは驚きつつ鋭い目をこちらに向けて。
シャーニッドは自然体ながらも、いつになく真剣な顔で。
フェリは、表情が乏しく内心は読み取れない。 しかし、少なからず驚いているのは確かだ。

「間違っているんだ……お前なんかが、のうのうと武芸者面しているのは……。 貴様のような恥知らずが、武芸を続けていることそのものが…」

ゴルネオからかすれた声が漏れる。
レイフォンは無表情の下で、わずかに苛立ちを感じた。 誰のせいで自分が武芸科に入ったと思っているのか、何故レイフォンが武芸を再び始めなくてはならなかったのか、この人はわかっているのか。
今ではもう武芸に対してさほど拒否感はない。 だが、それでもこの言いようは気に入らない。
レイフォンは冷たい瞳に僅かに侮蔑するような光を浮かべて、辛辣に返す。

「武芸者ですらないあなたに、そんなこと言われたくありませんね」

「何っ、どういう意味だ!?」

途端、ゴルネオの声に熱と力が戻る。

「幼生体ごときを相手に都市を守ることもできないような弱いあなたに、まだ武芸者とは呼べないくらい未熟なあなたに、武芸の何たるかを語ってほしくはないと言ってるんですよ」

「なっ、貴様……」

「あなたの兄が言ってましたよ。 汚染獣と戦えない武芸者などゴミ以下だ。 クソの役にも立ちはしない。 守護者たりえぬ武芸者など、社会には不要。 何の価値もないと」

「くっ……」

「僕は会長に頼まれて、仕方なくあなた達の尻拭いをしているんです。 もちろん私的な事情が無いわけではありませんが、少なくともそのことについて責められるいわれはありません。 他でもない、あなたちツェルニの武芸者にはね」

ゴルネオは一瞬悔しそうな顔をし……しかし何かを言い返すことなく踵を返した。

「シャンテ、行くぞ」

「えっ、ゴルっ? でもっ」

「いいから、行くぞ」

シャンテはゴルネオとレイフォンを交互に見て、最後にレイフォンに凄まじい睨みをくれてから、ゴルネオについて行った。
しかし苛立ちの収まらないレイフォンはその背になおも言葉を投げかける。

「そもそもあなたがたルッケンスの人間には、恨まれる筋合いはあっても非難される云われはありません。 武芸者の律とやらを犯したというのなら、それはお互い様です」

その言葉に、思わずゴルネオが振り返る。

「何だと!? どういう意味だ?」

レイフォンはゴルネオに軽蔑するような視線を向けて平然と返す。

「あなたは知らないんですか? ガハルドが何をしたのか。 あのとき、本当は何があったのか」

「だからどういう意味かと訊いている! 答えろ!」

「いやですね」

にべも無くレイフォンは拒絶する。

「本当のことを話したところで、どうせ今のあなたは信じないでしょうし、話すだけ無駄です。
 ただ一つ言えるのは、ガハルドが片腕を失ったのは秘密を知ったからでも、それを告発しようとしたからでもありません。 ただ単に、弱かったからです。
 天剣授受者はただ強ければいい、強くなくてはいけない……これは陛下の言葉です。 弱き者に天剣を握る資格などありはしない。 それすらもわからずに、天剣に相応しい実力も無くその座を得ようなどと、己の分をわきまえない過ぎた望みを抱くから、大怪我をするはめになるんですよ」

「何を言う!? あれは、あの試合は貴様が……!」

「試合に出るからには、場合によっては怪我をすることも、最悪死ぬこともあるということくらい覚悟しているはずです。 だいたい端から殺すつもりだったとはいえ、試合自体は不正なしの正々堂々、真っ向から戦ったんです。 別に自己弁護をするつもりはありませんが、そんな的外れな文句を言われたところで、あまり納得はできませんね」

公式試合である以上、戦いはお互いの合意の上で行われたものだ。 たとえ本心は違っていたとしても、試合に出た以上、結果がどうなろうと自己責任のはずである。
そしてガハルドが片腕を失ったのは、決して秘密を知ったからではない。 彼の実力がレイフォンよりも圧倒的に低かったから、レイフォンの攻撃にまったく反応できない程度のレベルでしかなかったからだ。

「とはいえ、まったく後悔も反省もしていない……というわけではありませんよ」

「なんだと? 何を今更……」

「未だに悔やんでも悔やみきれません。 あの時……ガハルドを殺し損ねたことを」

「なっ!」

一瞬ゴルネオが激昂しそうになる。
しかしレイフォンはなおも凍てつく様な瞳でゴルネオを見据えていた。
どこまでも冷たい声で話すレイフォンにゴルネオは歯噛みし、それから再び背を向けると、今度こそ廊下の奥へと去って行った。 シャンテが慌てたように後に続く。
ニーナは一瞬レイフォンとゴルネオを見比べた後、歩き去ったゴルネオの後を追った。
十七小隊の隊員たちは言葉が出ない。 ただ黙ってレイフォンの方を窺っている。
そのレイフォンは……依然として感情の抜け落ちた表情のまま静かに佇んでいた。


























あとがき

この作品の中ではようやくレイフォンの過去が明らかになる回でしたね。
実は天剣授受者という単語も、1話でカリアンと話してる時に一度出てきたきりだったりします(多分)。
地の文などでも、あえてその名前を出さないように気をつけていた記憶がありますね。

それと今回はレイフォンの冷徹な一面が再び現れた回でした。
シャンテ、ゴルネオの怒りに対するレイフォンの反応は、まぁ、読んでの通り。 なんだかんだでレイフォンのここまで辛辣な台詞は久しぶりな気がします。(幼生体戦の時のヴァンゼとのやり取り以来?)
ちょっと悪役っぽいですけど、私はこれくらい冷酷な方がキャラクターとして好きですね。


さて、原作通りだと次の回では廃貴族が出てきたりするんですが、この作品ではそうはなりません。
読んでいて気付いたと思いますが、原作の廃都市とは色々と状況が違いますし、そもそもここはメルニスクですらないという設定だったりしますので。 まぁその辺の話はまた後ほど。
汚染獣の死体が残されているのは、アニメ版の方の影響を若干受けているからですね。(とはいえガンドウェリアでもありませんが)


次回、レイフォンの過去を知ったニーナ達十七小隊の反応は!? そして廃都市に潜む謎とは!? (次回予告風)
今後も楽しんでいただけると嬉しいです。



[23719] 26. 僕達は生きるために戦ってきた
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2011/11/15 04:28

第五小隊の隊員たちの元へ戻ろうとするゴルネオを、後ろから廊下を走る足音が追ってくる。

「待ってくれ!」

背中に声がかかり、仕方なくゴルネオは足を止めて振り返った。
そして険しい顔を崩さぬまま、追いついたニーナと向かい合う。

「先程の話、本当なのか?」

こちらが口を開くよりも早く、ニーナが勢い込んで訊いてきた。

「ああ。 全て事実だ」

怒りを隠しもしない表情でゴルネオは答える。
ゴルネオも人伝に知った話だったが、他でもない本人が肯定していた。 もはや疑いようは無い。
あの男は……レイフォン・アルセイフは金儲けのために闇試合に出場し、その秘密を知ったガハルドを……ゴルネオの兄弟子を再起不能に追いやったのだ。

「賭け試合のことも、天剣争奪戦のことも、そして奴が追放されたことも……全て本当だ」

ゴルネオの言葉に、ニーナは目を伏せて唇を噛む。
相手の言葉が信じられないような、それでいて否定できずに苦悩しているような、そんな表情だった。

「まさかあいつが……」

思わずそう漏らす。
確かに初めて会ったときからレイフォンには謎が多かったのは事実だ。 心の底が見えない奴だとも思っていた。
だが、それでも法を犯すような、人を平気で傷つけるような人間には見えなかった。
穏やかで人当たりも良く、とても優しい。 武芸に関してだけはややシビアだが、かといってそこに冷たさや悪意は無い。 そんな人物だと思っていた。
レイフォンが自分を偽っていたのか、それともニーナの人を見る目が無かっただけなのか……。

「なんで……レイフォンはそんなことを……」

「それは俺にもわからん」

ゴルネオが苦々しい顔をしながら声を絞り出す。 シャンテがそんなゴルネオを心配そうに見上げていた。

「だが事情はどうあれ、あいつが罪を犯したのは事実だ。 奴は武芸を汚し、天剣の名声を自ら貶めた」

その言葉に、ニーナはいっそう唇を噛む。
しばらくその場に沈黙が流れた後、ニーナが口を開いた。

「聞いていいだろうか? ……天剣授受者とは、一体何なんだ?」

かつてレイフォンが手に入れ、そして貶めたという称号。
そこにはどのような意味が含まれているのか。 レイフォンの罪と、どのような関わりがあるのか。
ニーナの問いに、ゴルネオは僅かに思案した後、近くの部屋を指差した。

「お前も最早無関係ではないか………だが、あまり大きな声では言えん。 そこで話そう」

言って、シャンテと共に部屋に入っていくゴルネオに続き、ニーナも部屋へと足を踏み入れた。
そこで向かい合って、改めて口を開く。

「話す前に……先程は感情的になってしまってすまなかった。 任務中に揉めるつもりはなかったのだが……奴の言葉を聞いて頭に血が上ってしまった」

頭を下げるゴルネオにニーナが首を振る。

「いや、それはいい。 それで……天剣授受者とは一体……?」

「天剣か……」

ゴルネオは一旦息を吐き、それから改めて話し始めた。

「天剣授受者とは、槍殻都市グレンダンで最も武芸に優れた者十二人に与えられる称号だ。 すなわち、グレンダン最強の十二人の武芸者たちのことでもある」

その言葉に、ニーナは驚き、絶句する。
先程も言っていた。 天剣授受者とは槍殻都市グレンダンで最高の栄誉だと。
武芸の本場である槍殻都市で最高……すなわち、最強の証ということだ。
レイフォンが強いのは知っていた。 だが、まさか武芸が最も栄えていると言われるグレンダンの、それも最強にして最高位の武芸者だったとは。

「そもそも天剣とは、古よりグレンダン王家に伝わる、この世に十二本しか存在しない秘奥の錬金鋼のことだ。 そして天剣はグレンダンでも国王に実力を認められた者にしか与えられない。 当然ながら、天剣授受者に選ばれるということは、グレンダンの武芸者として最も名誉なことであり、誇るべきことでもある。 武芸者としてより高みを、強者を目指す者ならば誰もが憧れるものだ。
 奴は……レイフォン・アルセイフは五年前、その天剣授受者にわずか十歳の若さで選ばれた」

「なにっ!?」

ニーナは先程以上の驚きを感じた。

「まさか! いくらなんでも、そんな……」

「信じられんかもしれんが、事実だ。 当時の天剣授受者決定戦は俺も見ていた。 あの時は、俺も目の前の現実が信じられなかった。 会場にいた他の者たちも同様だろう。 引き摺るように剣を持った僅か十歳の子供が、大の大人たちをいとも簡単に叩き伏せたのだからな」

ニーナはその試合の様子を頭に思い浮かべようとして………まるで想像もつかなかった。

「言っておくが、相手は決して弱い武芸者ではなかった。 数え切れぬほど汚染獣との戦いを経験してきたグレンダンにおいても、実力と経験を兼ね備えた熟練の武芸者たち。 そんな者たちが、まるで赤子の手をひねる様に容易く倒されたんだ。 そしてその結果、奴は天剣の一つ、ヴォルフシュテインの称号を手に入れた。 天剣授受者、レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフの誕生というわけだ」

最後の方はやや皮肉げな口調だった。 
ニーナは驚きに呆然としながらも、これまでのレイフォンの言動を思い出す。

「天才だとは思っていたが、まさかそれほどとは……」

武闘会での戦い。
十七小隊との訓練。
前回の汚染獣戦。
武芸を前にした時の、普段とはまるで違うレイフォンの顔を思い浮かべる。
態度も、言動も、そして実力も。
全てが彼の圧倒的な強さを表していた。
だが、それだけの力があって、何故……

「では……何故、レイフォンは闇の賭け試合などに手を出したのだ? すでに武芸者として最高峰の地位にいたというのに、それ以上何を求めて……?」

レイフォンは、およそ武芸者が望むもの全てを手に入れていたはずだ。
地位も、名声も、名誉も、権力も。
力も、才能も、栄光も、その全てを………
にもかかわらず、罪を犯した。 武芸者として許されぬことに手を染めた。
わからない。 レイフォンが何を求めていたのか、わからない。

「金だろう。 他に何がある?」

しかしゴルネオは怒りの滲む声で切り捨てる。

「違法試合で手に入るものなど、それこそ金くらいのものだ。 あるいは人を斬ることが楽しくなったのか。
 闇試合など、所詮は道を踏み外した屑どもの掃き溜めだ」

多くの人々は武芸を、都市を外敵から守るためにあるものとして神聖視している。
特に武芸を志す者に、その考え方は根深い。
だが、逆に神聖であるからこそ、穢したいと思う者もいる。
礼儀に始まり礼儀に終わる綺麗事に満ちた表の大会では物足りなくなり、泥沼にはまり込んでしまったかのような血みどろの戦いを望む人々もまたいるのだ。
そして、そういう禁じられた試合は、ことがことだけに優勝賞金も大きい。

「どちらにせよ名誉ある立場の人間が……いや、そうでなくとも都市を守るべき武芸者がしていいことではない。 その上秘密を知った者を口封じのために殺そうなどと、まともな人間の考えることとは思えん。 どんな理由があろうと、奴は薄汚い犯罪者だ」

それを聞いて、ニーナは辛そうな表情で俯く。
信じたくない。 そんな感情がありありとその顔に浮かんでいた。 それだけ、ニーナに取ってレイフォンは信頼に足る人物だったということだろう。

「どうしても理由が知りたければ、本人に訊いてみろ」

だが、ゴルネオはそんなニーナの内心を考慮することなく、突き放したように冷たく吐き捨てる。
彼自身、この問題に関しては、他者を思いやれるほどに心の余裕は無いのだ。
ともすれば、怒りと憎しみで我を忘れそうになるのだから。

「俺にとっては、奴が闇試合に出ていた理由などはどうでもいい。 特別知りたいわけでもない。 知って面白いものでもないだろうからな。
 それに俺とて、公正無私の聖人君子ではない。 闇試合に出たということだけなら、これほど奴を憎むことも無かっただろう……。 俺が許せないのは、奴がガハルドさんを己の都合のために斬ったということ。 ただそれだけだ」

そう言うと、ゴルネオは扉に向かって歩き出した。 慌ててシャンテが後を追う。

「話は終わりだ。 奴は許せんが、任務を放棄するつもりも、そちらを妨害するつもりもない。 調査中は偵察隊のメンバーとして協力もする。 ……だが、それ以外では、極力距離を取らせてもらう。
 先程も言ったが、俺も聖人君子ではない。 奴が目の前にいて、自分を抑えきれるとは言い切れん」

それだけ言うと、ゴルネオは部屋から出ていった。 シャンテも一度だけニーナの方を振り向いてから、同じく部屋を出ていく。
その背を見送りながら、ニーナは苦しそうな顔で下を向いた。




















第五小隊は部屋割を決めた後、十七小隊には一切関わろうとはしなかった。 
正確には、ゴルネオがレイフォンと関わらないように計らったのだろう。 この任務の最中、レイフォンは第十七小隊の一人として行動することになっているからだ。
第十七小隊に割り当てられた部屋も、第五小隊とかなり離されている。 今は全員、割り当てられた区画にある応接室に集まっていた。

「いやしかしレイフォンが飯作れてよかった」

シャーニッドがレイフォンの作ったシチューに舌鼓を打ちながら感嘆する。
対するレイフォンは微笑を浮かべながらそれに答えた。

「イモ類はともかく、青野菜系は全滅でしたけどね。 あとは養殖の魚が生きていたからよかった」

現在、その第十七小隊が使っている応接室には食欲をそそるにおいが漂っていた。
本来ならば夕飯は持参してきた冷たい携帯食糧だけだったのだが、食べられるうちは暖かいものを腹に入れた方が良いと思ったレイフォンが腕を振るったのだ。
材料は近くの食料品店や飲食店の冷蔵庫、食料庫などを漁って見つけてきた。
流石に数カ月は経っているせいか、冷蔵庫に入っていてもキャベツやレタスなどの青野菜は傷みきっていたが、イモ類や豆類、根野菜などには使えそうな物がまだ残っていた。
他にも、レイフォンは目についた家の庭や花壇などで自生している植物の中から、食用にできそうな物を適当に見繕って採集してある。 肉屋の店の奥に冷凍された豚肉が残っていたのも幸いだった。

「ほんと美味いな。 お前が料理得意だとは意外だったぜ」

「一応台所の手伝いは小さい頃からやってましたからね。 家事は一通りできます」

「いいねぇ。 料理のできる男はモテるぜ。 そういやお前、クラスとかじゃどうなんだ? ぱっと見結構モテそうだが、彼女とかいねぇの?」

「いませんよ。 女の子から告白なんてされたことありませんし」

「へぇ…そりゃ意外。 んじゃあの子たちは? メイシェンちゃんとか、あのクラスメイトだとかの三人組」

「彼女たちはただの友達ですよ。 付き合ってるってわけじゃあ……」

シャーニッドの下世話な問いに、レイフォンは苦笑気味に答える。
お互いその態度に、なんら不自然なところは無い。 特にレイフォンの表情には、先程見せた冷徹さなど欠片も見当たらなかった。

「…………」

軽い態度のシャーニッドとは対称的に、ニーナたちの表情はやや固い。 先程の出来事を引き摺っているのは明らかだった。
ニーナは眉間に皺を寄せたまま黙々とスプーンを口に運ぶ。 その細かい心境までは窺えないが、機嫌が悪いのは傍目にも明らかだ。
ハイネはそんな空気を読んでか、ニーナに倣い無言で食事を続けていた。
フェリの口数が少ないのはいつも通りなので、先刻の件を気にしているのかはよく分からない。 ただ、いつもはシャーニッドの軽口に対して投げかけられる皮肉や毒舌が、今はなりを潜めていた。
雰囲気はお世辞にも良いとは言えないが、シャーニッドはそんな空気を気にする風も無く、飄々とした態度を崩さない。

「おいおい。 今時の若い奴が、そんなんじゃ駄目だぜ。 もっと欲望に忠実になって楽しく生きないとよ。 人生は短いんだ。 青春の学生時代なんてさらに短い。 そんな弱腰じゃ、あっという間に爺さんになっちまうぜ」

「いや、ええと……」

「なんなら今度一緒に夜の繁華街にでも繰り出そうや。 いつも武芸の訓練つけてもらってる礼に、俺が若者の遊び方を教えてやるからよ」

「……何かよからぬこと考えてません?」

「大丈夫大丈夫、そんなに心配すんな。 別に悪いことしようってわけじゃねぇんだ。 それに、たまには少しくらいハメ外した方が精神衛生上も良いと思うぜ?」

「……そう言うシャーニッド先輩は普段どういう生活してるんですか?」

「おっと、俺の私生活を聞きたいのか? 長くなる上に青少年には刺激が強すぎるぜ? それでも聞きたいってんなら仕方ねぇ。 あれはほんの二,三日前なんだが……」

「レイフォン」

話し始めたシャーニッドを遮るように、ニーナの硬い声が投げかけられた。
その声に重い雰囲気を感じ取り、シャーニッドが口を噤む。

「食事が終わったら、話したいことがある」

レイフォンはなんとなくその“話したいこと”に見当がついたが、ただ小さく頷き、あとは黙って食事を続けた。















夕食後、十七小隊とレイフォンは一つの部屋で向かい合っていた。
皆一様に押し黙り、時折レイフォンやニーナの方をちらちらと窺い見ている。
そんな中、沈黙を保っていたニーナが緊張の滲む声で口火を切った。

「聞きたいこととは他でもない。 ゴルネオ隊長の言っていた、闇試合と事の顛末についてだ」

レイフォンは表情を変えない。 彼女の言葉は予想通りなのだろう。 ただ静かにニーナの方を見返した。
その視線に僅かに気押されながらも、ニーナは自身の思いを口にする。

「都市の外の諍いを持ち込むべきでないことは理解している。 お前がグレンダンで罪を犯したからといって、その罪をツェルニの法で裁くことはできないし、するつもりもない。
 だが、私はお前の先輩として、都市を守る一人の武芸者として、知っておく必要がある。 お前がどんな人間なのか、何のためにツェルニへ来たのか……そして、何を考えて戦っているのか……」

これは詭弁だ。 そんなことはわかっている。
本当はただ単に知りたいだけなのだ。
レイフォンの本当の姿を知りたい。 今まで自分が信頼してきた後輩が本当はどんな人間なのか、彼の本心を聞きたい。
聞いてしまえばこれまでのように接することはできなくなるかもしれない。 かといって、聞かなければ今まで通りでいられるというわけでもない。
断片的にとはいえ、すでに知ってしまったのだから……

「だから、敢えて今、お前に問う」

ニーナは一旦区切ってから大きく息を吸い、再び口を開いた。

「レイフォン、お前は何故、何のために闇試合などに手を染めた?」

感情を無理やり押し殺した声で問うニーナをレイフォンは無言で見やる。 その瞳に感情の色は窺えない。
そんなレイフォンをニーナは真っ直ぐに見返した。 他の隊員たちも、レイフォンの言葉を待つように口を閉ざしている。

「無論、他の者に言いふらすつもりは無いし、ツェルニで殊更に騒ぎ立てるつもりも無い。 ただ、お前の本心が知りたい。 お前が何を思い戦っていたのか、何を思い罪を犯したのか、お前の口から聞かせてほしい」

そして、できればゴルネオの言葉を否定してほしい。 そんな内心の声を、ニーナは胸の家で押し留める。
あれは全てゴルネオの勘違いであり、レイフォンに非は無かったのだと信じたい。 レイフォンのことを、自分が信じてきた通りの人物だと思いたい。
だが、心ではそう願いつつも、ニーナはそうでないことを自ずと悟っていた。
何よりも彼女を静かに見返すその冷たい視線がニーナの願望を否定している。
それでも……問う。

「……やはり、金のためなのか?」

「………」

「答えろ! レイフォン!」

「生きるためです」

レイフォンの返答に、ニーナは言葉に詰まる。

「生きるため……だと…?」

「ええ」

レイフォンはニーナの目をまっすぐ見ていた。
冷たく、それでいて何も映していないかのように虚無的な瞳がニーナを見据える。

(ツェルニに来てまだ一年も経っていないっていうのに、またこの話をする羽目になるなんてね……)

感情の薄い顔色を保ったまま、レイフォンは内心で嘆息する。
金のために武芸を始めたことを話したのはツェルニに来て二度目だろうか。
確かあの時は病室で、レイフォンの戦う理由についてメイシェンに話したのだったか……。
そして今、再び同じことを口にしている。

「僕の育った孤児院は経営が苦しく、貧しかった。 孤児院に住むみんなが生きていくには、たくさんのお金が必要だったんです。 だからそのために僕にできることをしてお金を稼ごうと思った。 それだけです」

もはや隠したところで意味は無い。
事実を知る者がすぐ近くにいるのだ。 しかもレイフォンに恨みを持っている。
たとえここで口を噤んだところで、いつまでも事実を秘匿し続けられるとは思えない。 人の口に戸は立てられないということは、グレンダンで散々に思い知ったはずだ。
どの道知られてしまうのならば、むしろ全てを話してしまおう。 自分の預かり知らぬところで告げ口されるよりは、自ら口にした方がまだしもと言える。
話した上で、彼らがレイフォンのことをどう思うのか……それはまた別の話だ。

「そもそも僕が武芸者になったのも、最初からお金のためでした」

以前メイシェンに対して聞かせたのと同じ内容。
そしてあの時は話すことを避けていた部分にも、今回はあえて触れる。
自分が……レイフォン・アルセイフがどのような人間であるかを、自身の本当の姿を改めて示すために。
そして、それを知った上で彼らがどのような反応をするのか確かめるために。

「自分の才能が金になると、金を稼ぐ最も有効な手段たりえると知ったから武芸の修業を始めたんです。 都市を守るためだとか、武芸者としての誇りとか、そんな大それた目的は端から掲げていない。 もっと単純で、即物的です」

これは偽らざる本心からの言葉だ。
武芸者が本来掲げるべき崇高な理念など、最初から持ち合わせていない。 そんなことはずっと前から自覚していた。

「グレンダンでは武芸の試合が頻繁に開かれ、そしてあらゆる大会に賞金が出ていました。 僕はその賞金が目当てで武芸を鍛えたんです。 多くの試合に出場して、賞金を稼いでいきました……。
 けど、普通の大会の優勝賞金なんて微々たるもの。 到底、孤児院の孤児たち全員を養っていけるような額じゃない。 もっと効率よく金を稼ぐ手段が必要だった」

一人や二人ではない、孤児院には大勢の孤児がいる。
その子供たち全てに満足な教育と衣食を与えるには、普通の優勝賞金だけではまるで足りなかった。

「大会を勝ち進むうちに、僕は天剣授受者に……グレンダン最高位の武芸者に選ばれました。 けど、やっぱり俸給なんて高が知れてる。 これじゃあとても足りないと思っていた時、僕は知ったんです。 高額の賞金が用意された、闇の賭け試合が存在するということを」

ぴくりと、ニーナの眉が動いた。
怒りか、それとも嫌悪か……。

「その存在を知り、僕はすぐに闇試合に出ることを決めた。 天剣の権威を利用して興行者に近付き、脅迫して、その上で自分の武芸の腕を商売道具として売り込んだんです」

ニーナの表情が、今度は目に見えて歪む。 彼女もまた、武芸を穢されたと感じたのだろう。
多くの武芸者は、剄の力を神聖なものとして敬い崇める。 神聖なものは人の欲で穢れてはいけないのだ。
そういった者達にとって、レイフォンの行いはとても許せるようなものではないのだろう。 ニーナのように真面目で潔癖な人物ならば尚更だ。

「別に血に飢えていたわけでも、罪を犯す背徳を楽しみたかったわけでもない。 ただ、より効率の良い金儲けの手段が目の前にあったから利用しただけ。 それ以上でも、以下でもありません」

だが、レイフォンにとっては金の方が重要だった。
家族を養うために、武芸者の律や信念などより金を稼ぐ方を優先したのだ。

「賭け試合としては、あまり意味はありませんでしたけどね。 どちらが勝つかなんて分かり切っていましたし……けど、天剣授受者の……グレンダンで最高峰の実力を余すところなく見れるとすれば、それはまた別の話です」

賭けそのものは成立しなくとも、レイフォンのその超絶的な実力は、客寄せとして十分な価値を持っていた。
一般の試合に出ないため、滅多に見ることのできない天剣授受者の試合を見れるとなれば、多くの者がそれを望む。 それが綺麗事の公式試合などではなく、普段は見られない泥沼の戦いが繰り広げられる闇試合となれば尚更だ。
自身の持つ絶対的な剄を見世物として、血の気に飢えた客達から金を取った。

「けど、それも長くは続きませんでした。 僕の行いは都市民たちに露見し、結果都市を追放されることになってしまった」

「当たり前だ」

苛立ちを吐きだすように、ニーナが言葉を床に叩きつけた。

「先輩ならそう言うだろうと思っていました」

ほんの一瞬だけ、レイフォンの瞳に悲しみの色が映った。
先程までとは違う思いがけないその表情に、ニーナは少しだけ戸惑う。
しかしその色はすぐに消え、再び感情の無い冷たい色がその目に浮かんだ。

「僕の行動が暴かれるきっかけとなったのは、一年前に行われた天剣争奪試合です」

「天剣争奪試合?」

疑問の声を上げたのは、黙って話を聞いていたハイネだ。

「天剣授受者の上限は十二人と決められています。 その上限が満たされている場合、一般の武芸者が天剣を得るには公式試合で現役の天剣授受者を破るしかない。 一年前、その年で最高の成績を収めたある武芸者が天剣授受者への挑戦権を得ました」

「もしかしてそれがゴルネオ隊長の言っていた……」

先の展開を察したのか、シャーニッドが口を開く。
それに対しレイフォンは小さく頷いた。

「ええ。 ガハルド・バレーン。 グレンダンで最も隆盛を誇る武門の一つ、ルッケンスに属する武芸者です」

そして第五小隊隊長、ゴルネオの兄弟子。
秘密を知ったがために、レイフォンが斬ったという武芸者。

「ガハルドは天剣争奪戦の対戦相手に僕を指名した。 そして試合の前日、奴は闇試合に関する証拠をネタに僕を脅迫してきました。 秘密を暴露されたくなければ、翌日の試合で負けろと……」

「脅迫だと……?」

ニーナの表情に戸惑いが浮かぶ。
先程のやり取りからも分かっていたが、おそらくゴルネオもそこまでは知らなかったのだろう。 当然、ニーナも知らないはずだ。
事実、ガハルドの脅迫についてはグレンダンでも表沙汰になってはいない。 少なくとも、レイフォンが都市を出た時点では限られた者しか知らなかった。
ガハルドはあくまで秘密を知ったがために口封じされそうになったとされている。 レイフォンも、特に弁解はしなかった。
おそらくはルッケンス経由で顛末を知ったであろうゴルネオが知らなくても不思議ではない。

「けど、僕は脅迫には乗らなかった。 天剣授受者の肩書こそが闇試合では重要。 それを捨てるわけにはいかない。
 だから、奴を殺すことに決めたんです。 公式試合を利用して、合法的に……」

その瞬間、ニーナの顔が様々な感情で歪んだ。
武芸を冒涜した者への怒りか、己の勝手な都合で他者を傷つけた卑怯者への侮蔑か、それとも……道を踏み外した愚者への哀れみか……
相手もまた道を踏み外した罪人だからといって、己の行いが正当化され、罪が消えるわけではない。
ニーナの様な潔癖な人物にとって、レイフォンの様な人間はどこまでいってもただの犯罪者、外道でしかないのだ。
レイフォンは言葉を止めない。 己の犯した罪を、あくまで他人事のように淡々と語る。

「本当は最初の一撃で殺すつもりだった。 相手はこちらがわざと負けると思って油断していたし、そうでなくとも、実力には圧倒的な差がある。 簡単に殺せる、はずだった……」

だが、殺せなかった。
どうしてなのかは自分でも分からない。
無意識のうちに罪の意識が芽生えたのか、自分の試合を見ている弟妹達の目が気になってしまったのか。
ただはっきりしているのは、レイフォンのやろうとしていたこと全てが失敗に終わったということだけだった。

「僕の一撃は相手を殺せず、片腕を斬り落とすだけに終わった。 そこで試合は終了。 相手は戦闘不能と見なされ、僕は試合に勝利した。 そして病院に運ばれたガハルドの告発によって僕の罪はグレンダン中に知れ渡ることになった。 闇試合の件だけでなく試合で口封じしようとしたことも公けとなり……結果、僕は都市を追放されることになった。
 以上が、僕がこの都市に来た理由と、一年前にグレンダンで起きた事の全てです」

しばらく、誰も何も言えなかった。
やがてレイフォンがまっすぐにニーナへと視線を向けて口を開く。

「軽蔑しましたか?」

ニーナは怒りを吐き出すように大きく息を吐くと、感情を押さえつけたような声で答えた。

「はっきり言えば……正直、裏切られたような気分だな。 確かにお前は謎の多い奴だったし、武芸に関する考え方も他の奴とは大きく違っていた。 だが、それでも他人を平気で傷つけられるような……犯罪を犯しながら平然としていられるような奴だったとは、さすがに思わなかったよ」

対するレイフォンは顔色一つ変えない。
ただ虚無的な瞳でニーナを見たまま、感情を感じさせない声で言葉を返す。

「裏切り……ですか……。 まあ、どう思おうと先輩の自由ですし、あなたの解釈に文句を付けるつもりも無いですが……僕に言わせれば、これは裏切りでも何でもありません。 ただ、先輩が僕のことを全く理解していなかっただけ、あるいは人の一面を見て、それだけで相手の全てを分かった気になっていた、ただそれだけのことです」
 
レイフォンからすれば、別に彼女たちを騙していたわけでも、己を偽っていたわけでもない。
ただ単に、知られたくないことを他言しなかっただけ。 過去を隠し、ただのレイフォン・アルセイフとして振る舞っていただけなのだ。
彼女はそんなレイフォンの普段の姿を見ただけで、彼がどんな人間かを自分の中で決めつけていたに過ぎない。

「今も昔も僕の本質は変わらない。 あの時は、ただひたすら金が欲しかった。 どうしても金が必要だった。 僕はそのためにできることをやろうとした。 それだけです」

「金……」

どこまで行っても、それがレイフォンにとっての真実。
少なくともグレンダンにいた頃のレイフォンは、以前カリアンの言っていた、名誉に固執せずただ金を必要とする人物であるという評価で間違ってはいない。
自分にとって一番大切な目的を果たすためには金が必要だった。 だから、何をおいても金を稼ごうと思った。
そんな自分が周囲の人間から金に汚い人物と見られていても仕方が無いと思う。 同時に、どう思われようと構わないとも思っていた。

「金のために………」

怒りを抑えきれず、ニーナの声が震える。

「それが理由で……武芸を冒涜し…名誉を汚し……さらにはそれを暴こうとした者を……斬ったというのか!」

認めない。 認めるわけにはいかない。
ツェルニの小隊員として、一人の武芸者として、ニーナはレイフォンのやり方を許すわけにはいかなかった。
しかし激昂するニーナとは対照的に、レイフォンは冷え切った態度のまま言葉を返す。

「さっきも言った通り、僕にとって武芸とは生きるために必要なものであり、手段でしかありません。
 生きるために必要だから武芸を覚えた。 生き残るために、ただひたすら強くなろうとした。 天剣はその過程で目に入ったから手に入れたに過ぎません。 目的のための、手段の一つです」

他の天剣を目指す武芸者たちからすれば、許せないような考え方だろう。
だが、それこそがレイフォンの真実だ。
強さに憧れる純粋な少年のような気持ちはまるで無かった。
ただ天剣という地位と称号が金を稼ぐ上で便利だと思ったから手に入れたに過ぎない。

「ガハルドを斬ったのも同じです。 僕の目的を邪魔しようとしたから、殺そうと決めた。 他に理由なんて無い。 僕にとっては生きること、生き残ることこそが目的であり、それ以外はどうでもよかったんです。 そして自分と家族が生きるためには多くの金が必要だった。 金を稼ぐにはあの男が邪魔だった。 だから殺そうとした。 それだけです」

戦うことも、殺すことも、あくまで生きるため。
生きるためなら、己の手がどれほど血で汚れようと構わない。

「だからといって! 生き残るためなら何をしてもいいというのか!?」

「いけないんですか?」

「なっ……」

「生きるためにしてはいけないことなんて、あるんですか?」

それが不思議でならないのだ。
ただ生きていたかった、生きていてほしかっただけなのに、何故これほどまでに責め立てられなければならないのか、それが分からない。
レイフォンの罪が公になった時、グレンダンでは多くの人が彼を非難した。
天剣失格。 武芸者の面汚し。 恥知らず、卑怯者だと。

誰もかれもがレイフォンの行いを悪だと言う。 卑怯者と呼び、蔑んだ目で見てくる。
どうしてそこまで悪いのか、誰も明確に説明することができないにもかかわらず、皆一様にそう言うのだ。
レイフォンにはそれが理解できない。

「剄はこの世界で生きるために人間に与えられた大切な贈り物。 確かにそうでしょう。 だから僕は生きるためにその力を使った。 それがどうしてそこまで悪く言われなければいけないんですか?」

「っ!、貴様……!」

「ああ、答えなくてもいいですよ。 言われたところで理解できるとも思えませんし、別に答えが知りたいわけじゃありませんから」

何故それが悪いのか理解はできないが、それが世間的に見て悪いことだということは承知している。
納得はしていなくとも、知識としてそれは知っている。
そして知っていると同時に、どうでもいいと思っていた。
他人にどう評価されようと構わない。 見も知らぬ輩になんと思われようと気にもしない。
もとより武芸で他者から称賛を得ようなどとは思っていないのだ。
目的はただ生き延びること。 願うはただ家族の幸せだけ。
それさえ叶うのなら、他の人間に何を言われたところで知ったことじゃない。

ただ、己が助けようとした孤児たちにまで責められ憎まれたこと。 それだけは辛かった。
レイフォンの罪が明らかとなり天剣を剥奪されたその日、憔悴して帰ったレイフォンを出迎えたのは、孤児院の仲間たちの冷たい視線だった。
彼らは犯罪者となったレイフォンを裏切り者と罵り、憎悪の言葉を吐き、石を投げつけたのだ。
それまで彼を英雄を見るような目で見ていた子供たちの態度は一変し、憎しみのこもった目を向けてくるようになった。

怒りは無かった。 ただ深い悲しみと、言い表しようの無い虚しさだけがレイフォンの心を覆い尽くした。
もとよりこうなることは覚悟の上だった。 彼らを守るために己の手を汚すと決めた時点で、その結果として彼らに憎まれることになるかもしれないことはわかっていたのだ。
わかってはいても、止めるわけにはいかなかった。

だが、覚悟しているかどうかと感情があるかどうかとはまた別の話だ。
たとえそうなることがわかっていたとしても、覚悟ができていたとしても、辛いものは辛い。
孤児院の仲間に拒絶された時、レイフォンには怒りも憎しみも無く、ただひたすら重苦しい倦怠感がその身にのしかかっていた。
胸に占めるは深い悲しみと虚脱感。 当然だ。 愛する者に憎まれて、平気でいられるわけがない。

けれど、それでも後悔は無かった。
たとえ憎まれてでも、恨まれてでも、彼らを守ると誓ったからだ。
レイフォンにとって最も大切なのは仲間たちが生き延びること。 それを果たすためならば、その結果として彼らに憎まれることになろうとも構わない。
遥か昔に……天剣になるよりも前に、レイフォンはそう心に決めていたのだから。

「先程も言った通り、僕にとって重要なのは己の目的を果たすことです。 僕にとっての目的とは生き抜くこと、皆に生きていてもらうこと、そしてそのために金を稼ぐことだった。 その目的を果たす上で必要となれば、他者を犠牲にすることも厭いません。 場合によっては……殺すことも」

一瞬、ニーナの顔に凄まじい激憤が浮かびかける。
しかし、やがてその表情は苦しげなものに変わった。

「そうまでして……金が必要だったのか……? そこまでしなければ……家族を救えなかったのか……?」

「ええ、そうです」

ニーナの絞り出すような問いにも、レイフォンは冷たく応える。
レイフォンにとっては、すでに答えは出ているのだ。
他に道は無かった。 少なくともレイフォンに他の道は選び得なかった。

「金を稼ぐために、数えきれないほどの汚染獣を殺した。 金を稼ぐために武芸の試合に、そして闇試合にも出た。 その邪魔をしようとしたから、あの男を殺すことにした。 それだけですよ」

「だが! 他にもやりようはいくらでもあったはずだろう!」

ニーナにとって、レイフォンの言葉は決して納得できない、納得してはならないものだった。
やむを得ない……その言葉で全てが正当化されるのなら、これまで常に武芸者として正しくあろうと努力してきた自分自身を否定することになる。

「お前は強い。 私や、ツェルニの武芸者たちが及びもつかないくらいに。 お前の強さなら、私たちなどよりもずっと大きなことができたはずだろう! 私たちなどよりも、もっと大きなものを救えたはずだ! それだけの強さがあれば、他にも何かができたはずじゃないのか!? なのに、何故もっとよく考えなかった?」

ニーナの言葉はレイフォンの心に届かず、ただその口元に哀しげな笑みが浮かぶ。

「先輩は残酷ですね。 他にも何かができたはずだ? もっと良く考えろ? 僕にそれを求めるんですか? 戦うしか能の無い僕に……」

レイフォンの唇が自嘲するように歪む。

「何ができるって言うんですか? 戦うことしか知らず、戦うことしかできない。 戦うためだけに生まれ育った僕に、何ができるって言うんですか!?」

ペンより先に刀を持ち、読み書きより先に剄技を学んだ。
物心付いた頃から、大切な家族を守りたいと思った時から、ただひたすら戦う術を教わってきた。
家族を守り養うために、レイフォンは己の全てを武芸に……戦いに捧げてきた。
他に何一つ持たないレイフォンは、戦い以外の道を選ぶことはできなかったのだ。

「所詮僕にできることなんて、戦うこと、壊すこと、殺すことでしかない。 どんな綺麗事を並べたところで、それが武芸者の真実。 どれほど強くたって、どんなに大きな力があったところで、その本質は変わらない。 守るだの救うだの、そんなものはただの結果だ。
 少なくとも僕には戦いしか選べなかった。 他に選択の余地なんて見つけられなかった」

選ぶ余地も考える余裕もレイフォンには無かった。 あったところで、他により良い方法があったとも思えない。
家族が一人また一人と倒れていくのを黙って見ていられるわけもなく、レイフォンはただひたすら目の前にある一番の近道を選択してきただけなのだ。

「だが、それでも何かができたはずだろう! 確かに、お前のやったことは単純に金を求める上では間違っていなかったかもしれない。 だが、お前ほど強ければ、そんな地位と名誉を汚すような真似をしなくともよかったのではないのか!? そうすれば仲間を悲しませることも無かったかもしれない。 お前が救おうとした仲間たちがお前を誇りに思えるようになれば、それはお前の仲間の心をも救うことができたのではないのか?」

その言葉に思わず嘲笑しそうになった。 同時に、当時の実情をまるで理解していないニーナに対して苛立ちが募る。
口でなら何とでも言えるだろう。 レイフォンにしてみれば、ニーナの言葉はただ口当たりがいいだけの綺麗事だ。
そんな簡単に救えるものなら、今頃自分はここにいない。

「それが何になるって言うんですか? 心を救えたところで、死んでしまったらそこで終わりでしょう」

「では! 生きてさえいれば心がどんなに傷ついても良いというのか!?」

「僕だって皆を悲しませたくなんかなかった! 大切な人たちを悲しませることになって、平気なわけがないだろう!」

レイフォンの剣幕に、ニーナは思わず口を閉ざす。

「悲しませると分かってた。 だから誰にも言わなかった。 だからガハルドを殺そうとしたんだ!」

レイフォンの顔に先程までの冷徹さは無く、むしろ弱々しく感じるほどの深い悲しみが浮かんでいた。

「いくら綺麗事を並べたところで、死ねば全て終わりだ。 たとえ傷つけることになってしまったとしても、生きてさえいれば再び幸せになることはできる。 死んでしまったら何にもならない。 死んでしまったら、何の意味もない。 どんな死であろうと、人の死に価値などありはしない。
 仲間に憎まれるのも悲しまれるのも確かに辛い。 けれど! それでも僕はみんなに生きてほしかった! 愛されたまま死なれるより、憎まれてでも生きていてほしかった!」

感情を吐き出すように叫んだ後、急速にレイフォンの表情から熱が消える。
しかしそこに浮かんでいたのは先程までの冷徹さではない。 そこにあるのは寂しさか、それとも虚脱感か……そんな、虚ろな表情だった。
諦めているような、どうでもいいとさじを投げたような……ただひたすらに、儚く悲しそうな笑顔。 

「先輩には理解できないでしょうね……。 餓えの苦しさも、命を削る寒さも、周囲の人間から嘲られ、見下される屈辱も……先輩には、一生理解できません。 できるはずもないし、してほしくもない」

武芸者とは都市を守るために戦うことが生きる目的、それが普通。
だがそれは、あくまで生きている者、生きていられる者が掲げる目的だろう。
生きているからこそ、戦うことができる。 生きているからこそ、守ることができる。
守るために死ぬことですら、生きているからこそ可能な選択なのだ。
そしてそれを生きる目的とした者が武芸者という存在だ。

だがレイフォン達孤児は違う。
これまで生きていくことだけで必死だったのだ。
別に目的があって生きていたわけではない。 生きていくことに目的なんか必要無い。
レイフォン達孤児にとっては、生きること、生き抜くことそのものが既に目的だったのだ。
戦いはあくまでも手段。 ただ目的を果たすための過程に過ぎない。

「僕にとっては、生きること、皆に生きていてもらうことだけが目的であり願いだった。 そのために犠牲が必要なら……汚れた血刀の末に、家族みんなが平和に暮らせる未来があるのなら、いくらでも自分の刃を血に染める覚悟があった。 何をおいても、僕たちは生き残りたかったんだ」

この感覚はニーナのような人間には理解できないだろう。
当たり前のように良い物を食べ、当たり前のように良い服を着て、当たり前のように大きな家に住む。
そして当たり前のように、都市における武芸者としての在り方を教え込まれた。
都市の望む武芸者として生まれ、都市の望む武芸者として育ち、そして都市の望む武芸者として生きていくことに疑問を持たない。
そんな人間には、レイフォンの考え方を理解できるはずもないのだ。

「………そんな考え方は認められない。 たとえどんな事情があったとしても、人には……武芸者には、決して超えてはならない一線というものがあるんだ」

だから、こんなことが言える。

「お前の行いは、明らかにその一線を越えたものだ。 武芸者とは都市を守る役目を負うことと引き換えに、都市政府にその立場を保護された存在だ。 そのような者が己の都合で動いたら、都市は多大な混乱に陥ることになる。 いかな理由があろうとそんな勝手は許されない。 犯罪を、お前の行いを正当化できるようなものではないのだ」

それもまた正論だろう。
レイフォンほどの実力者が己の都合や感情を優先して動けば、都市全体にまで影響を与えかねない。
実際、レイフォンの罪が公けになった時、グレンダンでは都市内に大きな混乱をもたらした。
彼がグレンダンを追放されたのは、罪の重さそのものよりもむしろ彼の影響力に所以するところが大きい。

ニーナの言葉は決して間違ってはいない。
少なくとも、一般的な武芸者の基準では……あるいは、この世界における都市の倫理観としては、正し過ぎるほどに正しい。
公正無私であれ。 それが都市に所属する武芸者に求められるあり方なのだ。
だが、正しいことが常に人を幸せにするわけではない。

「お前や、お前の家族が辛い思いをしてきたのは分かった。 その貧しさゆえに、これまで多くの苦しみや悲しみを経験してきたことだろう。 孤児として辛い過去を送ってきたお前には、正直同情する。 ……だがな、お前は武芸者なんだ。 生まれながらにして戦う力を与えられ、同時にその責務を課せられた者、それが武芸者だ。 力ある者は常に己を強く律しなければならない。 武芸者として生まれた我々には、自らの立場に誇りと責任を持ち、武芸者の律を守る義務がある。
 お前の行いは都市の守護者としての誇りを穢し、武芸者としての掟を破るものだ。 ましてやお前は天剣授受者、都市の武芸者の頂点たる存在だったのだろう。 たとえ事情があろうとも、お前が武芸者で、強者である以上、お前のやったことは到底許されるものではない」
 
その言葉が、レイフォンの中にある何かを突き刺した。

「武芸者の掟?」

その顔が奇妙に歪む。
嘲弄するような、泣き出してしまいそうな、怒りに震えるような、
いくつもの感情が複雑に絡み合い、混濁するように混ざり合った、そんな不自然な表情。

思い出す。
脳裏に浮かび上がる過去の光景。
色褪せた壁と粗末なベッド。 目の前に横たわる衰弱した少女。
あの時の光景が記憶の奥から蘇る。

(リーリン……!!)











色の落ちた壁に囲まれた部屋。
床よりはましな程度の固いベッドの上で、薄っぺらい毛布を着た少女が横たわっている。
彼女はあえぐようにか細い呼吸を繰り返しながら、時折うなされるように弱々しい声を漏らしていた。
まだ幼いレイフォンは枕元の椅子に座り、痛みをこらえるように顔を手で覆っている。

「どうして……」

口から絞り出すような声が漏れた。 悲しみと苦しさが滲む声だ。
レイフォンは涙をこらえながら、言葉を紡ぐ。

「どうして、こんなになるまで……。 僕がいない間、なんで食べてなかったんだ。 そのせいで、こんなに弱って……」

「だって……あの子たちの食べるものが……」

少女がレイフォンに答える。
普段の彼女からは考えられないほど、弱々しい声だった。
それだけで、どれほどの苦しみが彼女を襲っているのかが分かる。
病による熱が、彼女の幼くか細い身体を蝕んでいるのだ。

「だけど、リーリンが倒れたらどうにもならないじゃないか」

言って、レイフォンは軋むほど歯を噛みしめた。
こんなにすぐ傍にいるのに、何もできない自分がただただ憎かった。
何が武芸者だ。 何が天才だ。
目の前で苦しんでいる家族一人救えない。 そんな力に何の意味がある。

「……寒いね、レイフォン……」

リーリンが呟くように言葉を漏らす。

「あの飢饉を思いだすよ……。 また、あんなことになったらどうしよう……」

かつてグレンダンを襲った食糧危機を思いだす。
二年前、都市では家畜の間で原因不明の病気が流行り、生産プラントに大打撃を与えた。
その結果、グレンダンの食糧生産力は一気に低下し、深刻な食糧不足に陥ったのだ。
あの時は都市全体で大勢の餓死者が出た。

特に孤児院は悲惨だった。
都市全体で飢えている時に、孤児のような底辺にいる者たちをわざわざ顧みる者などいない。
誰からも救われず、多くの孤児が命を落とした。
もともと財政難で蓄えも無いのだ。 ましてや飢饉などに耐えられるはずが無かった。

無力だった自らの手のひらから零れていった者たちのことを思い出す。
あんな思い、二度としてたまるか。
今の僕はあの時の僕じゃない。
今度こそ、絶対に守り切ってみせる。

「僕がもっと暖かい毛布を買ってくるよ。 それに食べ物だって……」

「待って……」

立ち上がり、部屋を出ようとしたところを呼び止められる。
あまりにもか細く、力の無い声。 だがそれゆえに、レイフォンは足を止めざるを得なかった。

「ここに……いて……」

弱々しい懇願。
泣きそうな顔をしながら、レイフォンは黙って枕元に座りなおした。
熱のせいだろう。 リーリンの目は焦点が合っていない。 
ただ虚ろな目つきで天井を見るともなく見上げている。
それを見て、レイフォンは悔しさに再び歯を食いしばる。
先程の決意が、ともすれば崩れてしまいそうになる。

「ごめんね、レイフォン……」

リーリンは朦朧とした中、わずかに残る意識で、うわ言のようにレイフォンに謝罪する。

「全然役に立てなくて……ごめんね……。 私が…弱くて、子供で……いつもいつも、レイフォンに頼りっぱなしで……」

レイフォンはその言葉を聞き、その姿を見て、己の身を切られるような気持ちになる。
まるで肉付きの無い、痩せた体だ。
筋肉どころかろくに脂肪も無い、今にも折れてしまいそうなほどか細い体躯。
幼いながらも鍛え抜かれた武芸者の……レイフォンの身体とは、まるで違う。
リーリンはその痩せた体から、小さく弱々しい声を絞り出していた。
レイフォンを労わるために。 ただ、レイフォンに謝罪をするために。

(なんで……!)

レイフォンは決して声には出さず、心中で怒りに叫ぶ。
その怒りは誰に対するものなのか、自分でもわからない。

(なんで謝る……! なんで……こんな……自分が苦しんでいる時に……人のことばかり気遣うんだ……!)

「ほんと……迷惑ばっかりかけてごめん……。 私がもっと大人だったら、レイフォンみたいに、お金、稼げるのに……。 そうすれば……みんな、貧しい思いしなくて済むのに……」

「大丈夫だから!」

耐え切れず、レイフォンは大きな声を上げていた。

「リーリンは何もしなくていい! 僕がやるから……」

ゆらゆらと頼りなく伸ばされたリーリンの手を、レイフォンはしっかりと掴み、自らに引き寄せる。
優しく、しかし力強くその手のひらを握る。 
リーリンの手は死人のように冷たかった。
額は燃えるように熱いのに、その体は逆に氷のように冷え切っている。 まるで血の通った人間の手には思えない。

とても防寒性があるとは思えない薄くて擦り切れた毛布の下で、育ち盛りの子供とは思えないほど痩せ細り、冷え切った身体がその寒さに震えている。
その手のひらを己の額に押しつけるようにしながら、レイフォンは絞り出したような声で言葉を紡ぐ。

「大丈夫だから……、お金は、僕が稼ぐから……食べ物でも、何でも、僕が何とかするから……」

自らの手の中にある、リーリンの、そのやわらかい手のひらの感触を必死に確かめる。
すでに一年以上戦場を経験してきた武芸者であるレイフォンの固い手のひらとは明らかに違う。
かといって、年相応の子供の手のひらというわけでもない。
 
日々皆の生活を支えるために、誰よりも率先して働いていたリーリンの手のひらは、乾燥し、ひび割れていた。
彼女はこんな細い腕で、こんなにも小さな手のひらで、孤児院のみんなの暮らしを支えていたのだ。
同じ年齢のレイフォンと比べても遥かにか細いこの身体で、数々の重荷を背負ってきたのだ。
そしてその結果として……今、彼女はこうして倒れてしまった。

「もっと……強くなるから……。 僕が、誰よりも何よりも強くなって……みんなを守るから……」

血の気の無い、薄く小さなその手のひらを、自身の額に強く押し付ける。
祈るように。 あるいは懇願するように。

「僕が、みんなを守るから……」

(どんなことをしてでも……)

レイフォンは心の内で誓う。
たとえどれほど汚れようと、みんなを守る。
どんなに見苦しくても、足掻いて見せる。

それは自分が武芸者になるよりも遥かに前から決めていたことだ。
その気持ちは、より強まることはあっても、褪せることは無い。
皆に生きていてほしい。 決して失いたくない。 それだけが望みだ。
リーリンに、生きていてほしい。

「だから……」

死なないで、リーリン……









「ふざけるな……」

意識が現実に戻る。
同時に、身を焼くほどの怒りが沸き起こった。

「武芸者の掟? 武芸者の誇り? そんなものが何になる!?」

突然火がついたように声を荒げるレイフォンに、ニーナは思わず口を閉ざした。

「誇りで飯が食えるのか!? 掟が僕らを守ってくれたのか!?
 何もしてくれない、何も与えてくれない、そんな存在に価値は無い! 僕が、僕らが欲しかったのは、名誉でも栄光でも誇りでもない、食べ物だ! そのための役に立たない掟なんて、くそくらえだ!」
 
血を吐く様なレイフォンの叫びに、皆は口を開けない。
意識は現実に戻っても、かつて救えなかった家族の姿が脳裏から離れない。
衰弱し、やせ細ったその姿を思い出すだけで、身を切るような苦しさと燃えるような怒りがレイフォンの中で荒れ狂う。

(リーリン!)

レイフォンと同時期に拾われ、同じ孤児院で育った少女。 レイフォンにとっての最も親しい、家族。
物心つく前からずっと一緒だった。 誰よりも大切だった。
何があろうと、守りたかった。

それが、レイフォンが武芸を志した最初の理由。
守るために、強くなろうと決意した。 生きていてもらうために、あらゆる手段も厭わなかった。
だが……守れなかった。

かつてレイフォンの無力さゆえに、手のひらから零れていってしまった少女。
かけがえの無い、そして二度と取り戻すことのできない存在。
あの時の悲しみと絶望を再び味わうことが無いように、レイフォンは力と……金を求めたのだ。
そしてそのためならば、たとえ法を犯すことになろうとも構わない。

「都市に住まう人々を守るのが役目だというのなら、どうして僕の家族は救ってくれない!? どうして家族を守ることが許されない!? 法や掟は人を守るためのものだろう! 苦しんでいる者たちを守ってもくれない掟なんかに何の価値がある!?」

そんなものに意味は無い。 そんなものを守るために家族を見捨てることなどレイフォンにはできない。
掟を守るために掟に殺されるなど、そんなことがあっていいはずない!

「っ!……だからといって! お前の行いが正しいことにはならないだろう! たとえ譲れぬ事情があろうとも、法を犯すことが許されるわけではない!」

もはや平行線どころかただの押し問答。
ただひたすら互いの感情と価値観をぶつけ合っているだけだ。
けどレイフォンは引かない。 これだけは、引くわけにはいかない。

「知ったことか! 僕は誰かに許しを乞うたことなんて一度も無い! 許してほしいと望んだことも無い! 法も掟もどうでもいい! そんなものを守るために、死にゆく家族を見捨てるなんてできるものか!」

別に法や掟を軽んじているわけでも、倫理や道徳を馬鹿にしているわけでもない。
かといって、政治を司る者たちを恨んでいるわけではない。
あの時は都市全体が餓えていたのだ。 王や中枢に全ての民を守る力が無いことぐらいわかっていた。
だが、わかっているからといって、それで全て納得できるわけではない。

理由はどうあれ、彼らがレイフォンの家族を守ってくれなかったのは事実なのだ。
たとえ仕方が無かったとしても、家族が救われなかったというただ一点だけがレイフォンにとっての真実。
だからこそ、法や掟に守る価値を感じなかったのだ。
軽んじていたのではなく、自分にとってはそれよりも大切なものがあったというだけ。

「別に自分を正当化するつもりなんて無い。 善悪なんかどうでもいい。 何が正しいか、何が間違っているか、そんなことを問うつもりはありません。 僕のやったことが世間的に見て悪いことだということくらい自覚しています」

己自身、悪事を働いているという自覚はあった。
動機はともかく、レイフォンの行為が法を犯し道徳に反したものであることは確かだったのだ。

「けれど、だからといって僕のやることが変わるわけじゃない」

しかし同時に、そのことにまるで罪悪感を感じていなかったのも事実だ。

「僕はただ、自分の守りたいものを守るためだけに武芸を使う。 己の望むがままに力を振るう。 それが勝手だと言うのなら好きに非難すればいい。 別に反論も否定もしない。 だが、何と言われようと僕は僕のやり方を変えるつもりはありません。 それでも僕の行いが間違いだと言うのなら、僕を許せないというのなら……力づくで、その鉄鞭で示してみせろ!」 

鋭い叱声に、ニーナは一瞬だけ腰の剣帯に手を伸ばした。
……だが、結局それを抜くことはできなかった。

「己の正しさを示すことができないというのなら、他人のやり方に口を出すな。 何一つ守ることもできない、何一つ示すこともできない、その程度の力しか無いのなら、聖人ぶって偉そうに説教を垂れるのは止めろ」

ニーナはしばし歯軋りしていたが、やがて絞り出すように言葉を漏らす。

「……強ければ何をしても許されると思っているのか? それは力ある者の傲慢だ。 力があるからこそ、武芸者には責任が付いて回るんだ。 力を楯に自分の都合を通そうなど、許されるはずが――」

「言ったでしょう。 僕は許しを乞うつもりはありません。 自らを正当化するつもりも無い。 ……ただ、弱くては果たすことのできない目的でも、強ければ果たすことができる。 それが武芸者です。 戦うしか能の無い人間が、強さ以外の何で価値を測れる? どんなに綺麗事で飾ったところで、僕達武芸者の根本にあるのは実力主義。 力無き武芸者に価値は無い」

「貴様………」

「では訊きますが、今まであなたの理想で何が救えた? どれほどのことを果たしてきた?
 都市間戦争では敗北し、汚染獣相手には手も足も出ない。 守護者としての役割をまるで果たせていないあなた達の言葉に、どれほどの重みがある?」

反論はできず、ニーナはただ唇を噛んで俯いた。

「先輩の言葉は理想ばかりで、実体がまるで無い。 実現する見込みの無い理想論なんてただの妄言です。 そんなものに付き合っていられるものか。 理想を追うのが悪いことだとは言いません。 でも、それを僕に押し付けないでください。 迷惑です」

再び冷気を帯びたその瞳に、その場の面々は凍りついたように動けない。

「別に力が全てだとまでは言いませんよ。 ただ、少なくとも僕には力がある。 そして力しかない。 だったら、その力と強さを用いて自分の意志を通すしかないでしょう。
 今までも、これからも、僕が武芸者である限り……武芸者として生きていく限り、この力は僕が目的を果たすための手段です。 これから先も己の目的を果たすために、この力を振るい続ける。 それだけです」

話は終わりとばかりにレイフォンは踵を返して十七小隊の面々に背中を向ける。
それから顔だけをわずかにニーナへと向けて冷たく告げた。

「あなたが僕をどう思おうと、それは先輩の勝手です。 好きに判断して、好きに評価すればいい。
 けど、もし僕の邪魔をするようなら、僕の目的の妨げとなるなら……」

一瞬だけ、その瞳に殺意の色が揺れる。

「たとえ先輩でも容赦はしません」

言葉が出ない面々をそのままに、レイフォンは出入り口まで歩み寄り、ノブを回してドアを開ける。

「理解してくれとは言わない。 味方してほしいとも思わない。 けど、敵に回るのなら……あなたも僕の目的を邪魔するというのなら……相応の覚悟はしてください」

それだけ言うと、あとは振り向きもせず部屋から出ていった。
部屋に沈黙が満ちる中、レイフォンの足音が遠ざかっていく。
あとには重苦しい空気だけが残されていた。



















あとがき

毎度のことながら、今回は特に遅くなってしまいすみませんでした。
前回、結構いいところで切ったので、お待たせしたことが本当に申し訳ないです。

今回はレイフォンの(過去の)告白編。
ニーナとの言葉のやり取りには非常に悩みました。 これだけは入れたい、というセリフがいくつかあって、一連の会話の中でそれらのセリフをすべて組み込むのが大変でした。 言葉のやり取りの流れとかお互いのセリフとかを調整するのが特に。 セリフが不自然になっていなければいいのですが。

廃都市編ではアニメを意識してますね。 レイフォンやニーナのセリフにも、ちらほらとアニメオリジナルのセリフが入っています。
アニメではニーナがレイフォンの過去を知ったのはこの話の時なんですよね。 ニーナがレイフォンを責めて十七小隊が崩壊しかけたりしてました。 ここではそうはなりませんんが。(もともと隊員ではないので)
そういえばアニメでもシャーニッドだけはまったく態度変わってませんでしたね。 あまり親子仲が良さそうには見えませんでしたが、なんだかんだで傭兵気質は受け継いでいるようです。
それとレイフォンの言葉遣いですが、原作でもハイアやルイメイ、サヴァリス(12巻での戦闘中)などにしていたように、年上でも嫌いな相手や敵対している相手には敬語を使っていなかったので、ここではニーナに対しても時々乱暴な口を利いています。

レイフォンと第十七小隊との関係の行方に関しては次回以降で。
メンバー達がギクシャクする中、調査隊に襲いかかる危機とは? といった感じで進めていきたいです。




ここで一つ謝罪を。
今までリーリンファンである読者の方々の反応が怖くて明言してきませんでしたが、さすがに読んでいて察した人もいたと思うので(というか明白ですが)白状します。 この作品内のリーリンは、実はレイフォンが天剣になるよりも前に、すでに貧しさによって命を落としていた、ということになっています。 ファンの方は本当に済みません。

以前感想の方で、この作品に「初期設定の違いから生じるバタフライ効果」という表現をしてくださった方がいましたが、それで言うとこの作品は、いわば「リーリンが過去の時点ですでに命を落としていたらレイフォンはどうなっていたか?」という話でもあります。 良くも悪くも、レイフォンの成長に多大な影響を与える存在ですからね。
もっとも大切な人を失ったことで無力感と悲しみに押し潰されそうになりながらも、他にも守りたい者たちがまだ大勢いる。 それは家族である孤児たち。 彼らを守るためにも、レイフォンは悲しみに暮れている間もなく戦い続けなければならなかった。 二度と同じ悲しみを感じる必要が無いように、レイフォンは心身ともに強くなること、そして守りたいもの全てを守り通すことを決意した、といった感じです。

こう書くとまるでリーリンがいない方が、レイフォンの成長にとっては良かったのじゃないかと思う人もいるかもしれませんが、レイフォン本人の立場で見れば、確実に不幸度は上がっていると思います。 悪事が発覚した時、レイフォンの理解者は一人もいなかったわけですからね。 苦しい時に支えてくれる人がいなかった。 レイフォン自身、そういった人間を必要としないくらい強くなってはいましたが(大切な人を失ったからこそ、人は強くなる場合もある、ということだと思います。 逆もまた然りですが)、それでもやはり感じる苦痛は原作よりも倍増していたでしょう。 必ずしもリーリンの不在がレイフォンに対してプラスに働いたとは言い切れません。 少なくとも、体感的な幸福度は明らかに低下しています。

と、この辺りはリーリンファンへの言い訳ですね。 私は決してリーリンを嫌っていたり不要な存在だと思っているのではなく、レイフォンの精神的な強さと考え方の歪さ(ある意味ではまっすぐですが)の背景として、彼女の死という出来事が最も納得できると感じた、ということです。
とはいえ、個人的には漫画や小説における不幸な生い立ち・境遇のキャラそのものは好きなんですが。 悲しみを背負ったヒーロー、薄幸のヒロインとか。
正直この話だけ見たらリーリンがヒロインに見えますし。(ただひたすら薄幸な少女なので。 あくまで私見ですが)

それはともかく、この原作のメインキャラ(しかもヒロイン)の死について、あまり良い感情を持たなかった人がいたらすみませんでした。
これでこの作品を嫌いになったりせず、これからも読んでもらえたら幸いです。

長々と失礼しました。




[23719] 27. 正しさよりも、ただ己の心に従って
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2012/01/05 05:48

人のいない都市は静まり返っている。
静寂の中、レイフォンは月明かりに照らされた街並みを宿泊所の屋上から見下ろしていた。
都市内に光源は無い。 レイフォン達のいる建物にはまだ電気が通っていたが、使う者のいなくなった所には一切の光も灯らない。

(襲われてる都市や滅んだ都市を外から見たことはあるけど、内側から見たのは初めてだな……)

汚染獣によって、滅ぼされた都市。
通りに並ぶ建物はことごとく打ち壊され、市街地には無数の爪痕が残されている。
それを見ていると、胸の内に形容し難い空虚さと寂寥感が込み上げてくるのを感じた。

(どんなに平和でも、どんなに栄えていても、滅ぶ時はあっという間か)

そんな風に考えると、自分たち人間が躍起になっている都市同士の争いが不毛にすら思えてくる。
どれほど戦い敵を倒しても、所詮は一時限りの平和を得られるだけ。 いずれ来るであろう滅びの運命からは逃れ得ないのかもしれない。
ならば自分たちは何故、一体何のために戦っているのか………
そこまで考えて、レイフォンは首を振って思考を打ち切った。

それから視線を巡らせ、都市の中央にある建築物を見やる。
この宿泊所からほど近い、せいぜい歩いて五・六分という距離にその施設はあった。
ここから見ても分かるが、随分と大きな建物だ。 おそらく余程重要な施設だったのだろう。
そのビルも今やすでに無人となっており、内側から光が漏れることはない。

(いや……)

無人と断言することはまだできない。
あのビルはフェリの念威の力を以ってしてもなお内部を調べられなかった場所だ。
どんな存在が待ち受けているか予想もつかないし、もしかすると、何かしらの事情で姿を隠していた生存者が見つかる可能性もある。
なんにせよ、明日の調査はあの建物がメインだ。 隅から隅まで調べれば不可解な謎も解けるかもしれない。
そんなことを考えていると、ふと、背後に近付いてくる人の気配を感じた。

「夜の一人歩きは危険ですよ」

背中へとかけられた声に、レイフォンが振り向く。

「まぁ、あなたに限って危ない目に遭うとは思いませんが」

屋上扉から出て来たフェリがレイフォンの傍まで歩いてきていた。
シャワーを浴び終わった所といった様子で、僅かに頬が火照っている。
彼女が隣に立つと、髪からはほのかなシャンプーの香りがした。

「…………」

お互いに言葉はなく、静かな時が流れる。
しかしそこに居心地の悪さは無い。 ただ無言で、眼下の風景を見下ろしている。
そのままどれくらい経っただろうか、やがてフェリの方から口を開いた。

「……先程の話」

「え?」

「失敗というのは、闇試合のことだったんですね」

「ああ」

そういえば、フェリには以前武芸を捨てようと思った事情について、断片的にではあるが話したことがあったのだった。
グレンダンで大きな失敗をしたこと。 それが理由で武芸者を辞めようと思ったこと。

「どちらかというと失敗したのは闇試合よりも天剣争奪戦の方でしたけど」

苦笑を滲ませながらレイフォンは言う。
闇試合に出ていたことは今でも後悔していないし、間違っていたとも思わない。
たとえ誰が何と言おうと、レイフォンにとって必要なものを得るためには、他に方法が無かったのだ。
いや、もしかすると方法はあったのかもしれない。 だが当時のレイフォンに、あるかどうかもわからない手段を探るような余裕はなく、多少のリスクを伴ってでも、あると分かっている方法を選ぶしか道が無かった。

「とはいえ、どこが失敗だったのかは、今でもまだはっきりとはわからないんですけどね……。 ガハルドに脅迫された時、僕は秘密の露呈を恐れて、全てを闇に葬ろうとしました。 けれど、それが正しかったのかどうかは、今になっても分からないんです」

あの時ガハルドを殺していれば……成程、確かにあの場で秘密が公けになることは避けられただろう。
だが結局は、新たにレイフォンを脅迫しようとする者が、それこそ第二第三のガハルドが現れていたはずだ。
人の口に戸は立てられない。 それは十分に思い知ったことだった。 だからこそ、ガハルドは闇試合の真相を知るに至ったのだから。
次に現れた脅迫者や告発者が、ガハルドよりもさらに悪質な者だった可能性もあった。 あるいは脅迫などせず、即座に公表する者だっていただろう。
その全てを合法的に消すことなど、到底レイフォンには不可能だ。
仮にそれが可能だったとしても、そんなことを繰り返していては、レイフォンと闇試合の関係を女王に知られるのは時間の問題だったろう。

……いや。 あの女王のことだ。 ガハルドが告発するよりも前から、闇試合について知っていてもおかしくはない。
もしそうだとするならば、何故女王は黙認していたのだろうか? それはわからない。
だがそこにどんな理由があるにせよ、事実が公表されてしまえば同じことだ。
仮に女王が闇試合の存在を知った上で、何らかの事情でそれを見逃してくれていたのだったとしても、レイフォンの罪が公けになれば、裁かないわけにはいかない。
公けにならずとも、次から次へと秘密を知る者を口封じのために殺したりなどすれば、流石に女王も止めに入るだろう。
つまりはあの時あの時点で、すでにレイフォンの立ち位置は八方ふさがりだったのだ。
ならば、結局自分はどうすべきだったのか……それはつまり、どうすれば最も上手く立ち回れたのか……

「素直に罪を認めて陛下に自首するべきだったのか……それとも、もっと確実な方法でガハルドを殺すべきだったのか……おとなしく言いなりになって、天剣を譲るべきだったのか……僕は、どうすべきだったんですかね……?」

フェリは答えない。 答えられないのだろう。
当然だ。 レイフォンの立場を自分と置き換えて考えることなど誰にもできはしない。
ましてや育った環境も生きてきた世界もまるで違うフェリやニーナなら尚更だ。
それでもレイフォンは訊いてしまった。 あの時、自分はどうすればよかったのか………

選択肢はあった。 自分はその一つを選んだ。 その結果が、グレンダンの追放だ。
他の選択肢を選んでいれば、こうはならなかったのだろうか。
けれど、結局はそのどれを選んだのだとしても、全てが上手くいく手段などなかったようにレイフォンは思う。
どの手段を取ったとしても、自分の中で、あるいは自分の周囲で、何かが壊れ失われる結果となっていただろう。
あの時どのような選択をすれば最善と言えたのか、今になっても確かな答えは出ない。
ただ……結果的にレイフォンの選択によって崩壊し失われたものは、兄弟たちとの関係、そしてレイフォン自身の地位と名誉だけだった。

「まぁ、今更考えても栓の無いことなんですけどね。 失敗したと言っても、僕自身は今の境遇に不満はありませんし」

レイフォンが一番に守ろうとしていたものだけは、守り切ることができた。
ならばこの選択の結果は、最善ではなかったかもしれないが、最悪と言うわけでもなかったということなのだろう。
失敗したのは確かだが、少なくともレイフォンにとっては致命的な過ちではなかった。
最悪さえ避けられたのなら、自分自身が追放されたことなど些細なことだ。

「……随分と自分を突き放しているんですね」

「え?」

「何があなたをそこまで駆り立てたのですか?」

フェリが感情を感じさせない、しかしどこか切迫したような声で問いかける。

「生きることに執着するのは人として当然だと思います。 けれど、それにしてもあなたの生に対する執着、そしてそれ以上の家族に対する献身は尋常とは思えません。 生きるためなら罪を罪とも思わない。 家族を守るためならその家族に恨まれることも厭わない。 それほどの覚悟、誰にでもできるようなことだとは思えません」

「それは………」

レイフォンは僅かに言い淀んだ。
視線をフェリから外しながら胸の内で考える。
自分がそこまで生に執着するのは何故なのか……金銭に固執するようになったのは、いつからだったか。
何が、レイフォン・アルセイフの心と生き方を形作ったのか……

「………昔、僕がまだ武芸者として前線に立つよりも前、グレンダンでは深刻な食糧危機が起こったんですよ」

「食糧危機?」

意味としてはわかるが聞き慣れない単語にフェリが首を傾げる。

「ええ。 七、八年くらい前でしたか、突然都市中に原因不明の伝染病が流行って、グレンダンの生産プラントが大打撃を被ったんです。 都市全体で食糧が不足して、多くの餓死者が出ました。 市場や流通は完全に麻痺し、食糧は配給制に……けれど、当然ながら都市に全ての住民を養うだけの食糧は無い。 そしてグレンダンはあらゆる都市の中でもっとも汚染獣との交戦が頻繁に起こる。 自然、食糧の配給は武芸者が優先されて、それ以外の者は後回しにされました」

日常的に汚染獣と遭遇を繰り返すグレンダンでは、武芸者の減少による戦力の低下は致命的だ。
ゆえに他の都市以上に都市戦力の維持が重視される。
そしてレイフォンは、孤児院の中で一人だけ、他の兄弟たちよりも多くの食料を食べることができた。
ただ武芸者だったからというだけで……ただ、剄脈を持って生まれたというだけで。

「皆は……僕が武芸者だというだけの、ただ剄脈を持って生まれたというだけの理由で、他の人よりもたくさんのご飯が食べられたことを責めようともせず……ただ、たくさん食べて、強くなって、グレンダンを守ってくれって………」

レイフォンの声が微かに震える。
他者より多くの食糧を都市から支給されたレイフォンは、それを孤児院の皆で食べるように主張した。 食糧は自分だけではなく、家族皆で分け合うべきだと。
だが、その主張は受け入れられなかった。
養父も、兄弟たちも、レイフォンが分けようとした食糧を拒み、皆頑なにレイフォンが自分で食べるようにと言い聞かせた。
レイフォンは武芸者だから、汚染獣から都市を守る存在なのだからと、そう言って。

しかしそれはレイフォンにとって耐えられないことだった。
自分が心の底から守りたかったのものは都市などという曖昧で漠然としたものではない。 目の前にいる家族たちだ。
その家族が満足に食べることもできないのに、自分だけがお腹一杯食べるなど、とても許容できるものではなかった。
ましてや、当時まだ戦場に出たことも無かった、ただ剄脈があるというだけの自分が……

その時の経験が今のレイフォンの価値観を形作ったと言える。
武芸者であるがゆえに兄弟たちの犠牲の中生き延びたレイフォンは、その武芸の技を以って仲間を守らなくてはならない。
だからこそ、生きるために守るために、武芸者としての力も立場も最大限利用することを決めた。
その時、家族を守りたいというレイフォン自身の願望と、戦いを生業とする武芸者としての存在意義が、レイフォンの中で完全に一致したのだ。

「やがて食糧危機が収まって流通は再開しましたけど、しばらくは物資も不足がちで物価は高いままでした。 これ以上家族が死ぬのは耐えられない。 けれど、皆が満足に食べるにはたくさんのお金がいる。 幸い、僕には他の人よりも遥かに優れた武芸の才がありました。 どんな都市でもそうであるように、グレンダンダンにおいても、やはり武芸は金になる。 公式戦で勝てば賞金がもらえるし、汚染獣戦に参加すれば報奨金が得られた。 だから僕は、武芸で稼ぐことにしたんです」

そこから先は、ニーナたちにも話した通り。
初めて公式戦に出た八歳の時から二年間、レイフォンはあらゆる大会に出場し、その全てで勝ち抜いた。
汚染獣戦にも幾度となく参加した。 普通ならば前例の無い、ありえないような若さではあったが、レイフォンの境遇と才能がそれを可能にした。
けれど………

「けど、それじゃ足りなかった。 そもそも、たとえ食糧危機がなかったとしても、孤児院が貧窮していたことに変わりはないんです。 僕一人で全ての兄弟たちを養うには、どうしても限界があった」

レイフォンの養父は清貧を旨とする武芸者だった。
お金に関して、良く言えば潔癖、悪く言えば無頓着。
そんな父だったから、いろんなところで金銭的な問題が出てくる。
レイフォンのいた孤児院は経営が苦しく、常に貧しい思いをしていた。

だからといって父を恨んでいるわけではない。
無口で、無愛想で、不器用で……だけれどとても優しく、孤児院にいる血の繋がらない全ての孤児たちを、本当の息子や娘のように愛してくれる。
そんな養父をレイフォン達も愛していた。 孤児院に住まう血の繋がらない兄弟たちはみな、デルクを本当の父親のように慕っている。
レイフォンも、他の孤児たちも、自身の損得を顧みないデルクのその優しさに救われたのだから。

恨みは無い。 グレンダンを出た今でも、レイフォンは心の底からデルクを愛している。
武門を継ぐことは拒んでも、レイフォンはデルクを本当の父親だと思っているし、武芸者として尊敬してもいる。
だがあの時のレイフォンは、父を敬愛すると同時に、父のようなやり方では家族を守りきれないとも感じていた。
父の潔癖さを間違いだと思っていたわけではない。 ただ貧しさに対する焦りと、恐怖だけがあった。

「ある日遂に、もっとも恐れていたことが起こりました。 何よりも守りたかった人が……誰よりも多くの時間を共有し、大切に思っていた人が………飢えによる病で命を落としたんです」

仲間であり、姉弟であり、同時にそれ以上に大切な存在だった少女……リーリン。
当時のことは今でもはっきりと覚えている。
ある日突然、数多の汚染獣が現れ都市を襲い、その対処に多くの武芸者たちが戦いに駆り出されたのだ。
戦いは丸二日にわたり、その間、都市民たちは地下のシェルターに避難していた。

当然ながらその戦闘にはレイフォンも参加していた。 そして彼が都市外に出ている間に……彼女が倒れたのだ。
ただでさえ普段から家族皆の生活を支えるために幼い体を酷使していた。 その上シェルターに避難している間も、少ない食糧を弟妹たちに優先して分け与えていたのだ。
そんな環境に成長途上の体が耐え切れるわけが無い。 そして、とうとう限界が来たのだ。
汚染獣を倒し、報奨金を手に家に戻ったレイフォンが見たのは、衰弱してベッドに横たわる彼女と、険しい顔で傍に立つ養父、その周りで悲しみに沈む弟妹たちの姿だった。

決して助からない命ではなかった。
不治の病というわけではない。 多少高価ではあっても、薬を使い、適切な処置さえすれば治せる病だった。
十分な栄養を得られるだけの食事を取れば、人並の体力さえあれば、発症すらしない病気だった。
それなのに命を落としたのは、お金が無かったからだ。
必要なのは正義でも名誉でもない。 金だ。 金さえあれば家族を守ることができる。
そして金を得るには戦うしかなかった。 戦い以外の手段を、レイフォンは知らなかった。

「それからの僕は、ただひたすら戦いに明け暮れました。 何よりも誰よりも強くなる。 そうしないと、また誰かが手のひらの上から零れ落ちてしまう。 そんな強迫観念に駆られて、僕は自身の技を高めることと、その技でお金を稼ぐことに邁進しました」

レイフォンが天剣授受者となったのは、リーリンの死から半年ほど経ったころだった。
そして天剣となってすぐ、闇試合にも出場するようになった。
皮肉なものだ。 ようやく家族を守れるようになったと思ったら、その時にはすでに最も大切な者を失ってしまっていた。
けれど、だからといって戦うことを止めるわけにはいかなかった。
レイフォンには、まだ他にも守らなければならない者たちが大勢いる。 彼らを見捨てることなど出来るはずが無い。
粉々に砕けて歪んだ心を引き摺りながら、それでもレイフォンは戦い続けるしかなかった。

「闇試合に出ている時も罪の意識はありませんでした。 それが倫理的、法律的に見て悪いことであるは知っていましたが、僕にとってはそれ以上に、家族の方が大切でしたから」

けして法や倫理を軽んじているわけではない。 レイフォンとて、何らかの事情が無い限りは、可能な限り法や倫理に従って行動している。
ただあの時……食糧危機が起きた時、政府や法律はレイフォン達を……レイフォンの家族を守ってはくれなかった。
別にそれを恨んでいるわけではない。 彼らは民を救わなかったのではなく、あの時の都市には全ての都市民を救うだけの力が無かっただけだ。

ゆえに、レイフォンは自身の力で仲間たちを守っていかなければならないと感じた。
都市に頼ることはできない。 だからこそ、何物にも頼らず、自分の力だけで家族を守る方法をレイフォンは求めた。
そして見つけた。 自身の超絶的な剄の力を利用して家族を守る方法を。
たとえそのために法を破ることになろうとも、己の価値観に従い行動した。
幼くして強大な力を持ち、類稀な才能に恵まれたがゆえに、レイフォンは己の力だけを信じるようになってしまったのだ。


フェリはしばらく口を開けなかった。
脳裏に先程の部屋でのレイフォンの言葉が甦る。
多くを失い、誰かに頼ることもできず……そして自身があまりにも才能に恵まれてしまったがゆえに、レイフォンは進む道を歪めてしまった。

そしてこれこそが、一度はレイフォンが武芸を捨てようと思った理由なのだろう。
あまりにも強く抱いた理由で戦ってきたがゆえに、その理由を失った途端、戦うことができなくなってしまった。
彼の戦う動機はどこまでいっても家族のためであり、家族のために戦うことができなくなった時点で、戦う理由は完全に失われてしまったのだろう。
彼は強かったからこそ、幼くして戦場に出られた。 そして幼くして戦場に出てしまったからこそ、武芸者として当然の考え方ができなくなったのだ。

それが幸福なのか不幸なのか、そこまではわからない。
弱ければ都市を追放されずに済んだのかもしれない。 だがそれでは、家族を守ることはできず、もっと昔に無力感で押し潰されていたかもしれない。
いや、すでに結果が出ている以上、それ以外の場合を想像しても意味はないだろう。 仮定の話をいくらしても仕方が無い。
今わかるのは、レイフォンの武芸を捨てた理由が、フェリとはあまりにも違っていたということだけだ。

「それにしても……やはり解せませんね」

そしてもう一つ、疑問がある。

「何がですか?」

「あなたが法を犯してまで……いいえ、多大なリスクを犯してまで金銭に固執した理由です」

あくまで声音は冷静なままだが、フェリの目はまっすぐにレイフォンを見ていた。

「先程、天剣授受者といっても報酬なんて微々たるものだ、というようなことを言っていましたが、仮にも最強にして最高位の武芸者の称号。 言うほど収入が低いとは思えません。 少なくとも家族を養う分には十分な報酬を得られるのが普通ではないですか? それとも、本当にそこまで生活が厳しかったんですか?」

グレンダンは他のどの都市よりも武芸が盛んな都市。
どこよりも武芸者の数が多く、どこよりもその質は高い。
だがだからこそ、武芸者一人一人に与えられる価値は他の都市よりも低いのかもしれない。
ゆえに天剣といえども、さほど贅沢ができるような立場ではないのかもしれない。
だがそれでも、やはりその地位は特別なものであるはずだ。
一般家庭よりも大勢の孤児がいるとはいえ、全員がまともな生活も送れないほど天剣の俸給が安いとは考えにくい。
フェリの問いに対し、レイフォンは僅かに逡巡したが、やがて小さく嘆息してから口を開いた。

「確かに、天剣授受者は基本給も戦場報酬も普通の武芸者より遥かに上でしたよ。 自分のいた孤児院にいる孤児たちを養うだけなら、天剣だけでも十分だったでしょうね。 けれど強くなって、多くの者たちを守れるようになって……それだけじゃ満足できなくなったんです。 欲が出たんですよ」

「欲?」

一瞬、フェリはレイフォンが初めて手にした大金に目がくらんだのかと思った。
だが、実際は違った。

「僕が武芸者として戦場に出るようになって、確かに僕のいた孤児院は潤いました。 天剣授受者になって、お金に困ることはなくなった。 飢えることも凍えることもなく暮らしていけるようになった。
 けど、それはあくまで僕たちだけの話。 グレンダンには貧窮している孤児院なんていくらでもある。 自分たちが飢えなくなったからといって、他の孤児たちが尚も苦しんでいるのを、放っておけなくなったんです。 僕にとっては、グレンダン中の孤児全てが家族であるように感じてしまったんですよ」

それは憐憫か、同情か、それとも共感か。
あるいは同じ境遇であることへの仲間意識か。
確かなことは自分でも分からない。 ただあの時は、彼らを放っておくことがどうしてもできなかった。
グレンダン中の全ての孤児を救わなければならないと、そう思ってしまった。

「………それで、闇試合に?」

「ええ。 大金を稼いで、寄付としてグレンダン中の孤児院に配りました」

人によってはそれを偽善と評す者もいるのかもしれない。
けれどレイフォンにとっては他者の評価などどうでもいい。
ただ見捨てられなかったから、助けたいと思ったから助けた。 それだけに過ぎない。
偽善であろうとなんであろうと、助けたいと思った者たちを助けられたのならそれで十分だ。

「それは……むしろ、褒められてもいいことだと思うのですが……。 グレンダンの人々は知っているのですか?」

レイフォンの話を聞いたフェリは怪訝そうに首を傾げる。

「いえ、都市民たちは知らないと思いますよ。 僕も別に大っぴらに宣伝して回ったわけではありませんし」

事情を知っているのは、レイフォンに直々に尋問を行った女王と、そこに居合わせた天剣達だけだろう。
あるいは彼らが他の者にも話したのかもしれないが、それだけで都市民たちのレイフォンに向ける感情が劇的に改善されるとも思えない。
それほどのことを、レイフォンは大勢の都市民たちの前でやったのだ。

「何故ですか? 本当の事情を話していれば、情状酌量は得られたでしょうし、少なくとも都市中から非難されるようなことにはならなかったと思いますが」

「いえ、所詮は犯罪で稼いだお金です。 たとえ正しい目的があったからといって、どんな行いも許されるというわけではありませんよ。 ニーナ先輩が言っていた通り、目的が手段を正当化するわけではありません。
 それに、所詮は自己満足です。 正義感とか道徳意識でやったわけじゃありません。 ただ、色々失ってきたから……他の人が、自分と同じ立場の者たちが失っていくのを黙って見ていたくなかっただけ。 ただ僕がそうしたいと思ったから実行しただけなんですよ」

レイフォンがやったことは、どこまでいっても犯罪行為であり違法行為。
加えて、その目的はあくまでも自分のため、自己満足のためにやったことに過ぎない。
言い訳しようが弁解しようが、それこそが覆しようの無い真実。
 
「それに僕がグレンダンを追放された本当の理由は、闇試合に出たことでも争奪戦でガハルドを斬ったことでもありません。 大勢の一般人の目の前で、武芸者の恐ろしさを見せつけてしまったことです」

「……それは、どういう?」

ピンとこないのだろう、フェリは再び首を傾げる。

「世間的に見て、僕のやったことは悪いことです」

「そうですね。 少なくとも品行方正を旨とする武芸者としては、あまり褒められたことではなかったかもしれません」

「では、何故それで僕が追放になったか分かりますか?」

「え? それは……」

フェリは僅かに思考し考えを纏める。

「……グレンダンの天剣授受者という地位がとても特別なもので、同時に武芸者全体の模範にならなければいけないから、でしょうか」

「まぁ、対外的にはそれで合ってますね。 『天剣授受者がグレンダン武芸者の代表的立場にいる以上、グレンダンの武芸者たちの規範とならねばならない。それを破ったレイフォン・アルセイフには天剣授受者たる資格なし。 天剣没収の上、都市外への退去を命じる。 猶予は一年』」

女王陛下の、どこか白々しさを感じさせるセリフを思い出しながら、レイフォンは言う。

「対外的……というと、本当の理由が別にあると?」

「ええ。 というか、そもそも天剣授受者の連中に一般的なモラルなんてものはありませんよ。 そんなものは選考基準にもありません。 彼らに求められるのは汚染獣に立ち向かう強さだけ。 品行方正で高潔な精神の持ち主なんて、僕を含めた十二人の中でもほんの僅かです。 ……とはいえ、当たり前ですが犯罪に手をつけたりはしないんですけどね」

最後はやや自嘲気味に、レイフォンが言う。

「普段から模範的な武芸者らしく振る舞っている人もほとんどいませんよ。 一日中家にこもってソファに寝転がってる人とか、天剣就任直後に女王に喧嘩売って戦いを仕掛ける人とか、毎晩女性をとっかえひっかえしている人とか、やたらと口が汚くてくそくそ連呼する女性とか……それこそモラルや規範なんて言葉を歯牙にもかけないような人たちばかりです」

生まれつきの強者には変人が多いのか、それとも強さゆえの周囲の環境がそうさせるのか。
どちらにせよ、天剣授受者の連中には変わった性格の、それこそ人間性に難のある癖の強い者が多いのは確かだ。
少なくとも普通の武芸者や一般人とは思考回路すら違うのではないかと思わせることもある。
自分自身にしたところで、模範的な武芸者らしいとはとても言えないだろう。
我が身を振り返りながら天剣連中のことを頭に思い浮かべて苦い顔をしているレイフォンに、フェリはとりあえず気になったことを訊いてみた。

「……女王に反逆するのは犯罪では?」

「あの女王に限って言えば、罪にはなりませんでしたね。 別に王座を狙って反逆したわけでもありませんし」

現在の女王、アルシェイラ・アルモニス陛下は、歴代でも最強と呼ばれる王であり武芸者だ。
その力は天剣授受者をも凌駕し、実力者にして問題児ぞろいの天剣たちを力づくで従える超越者である。
ゆえに女王は自らに歯向かう者に対し権限や立場を利用した制裁や懲罰を好まない。
文句があるなら腕づくで、不満があるなら力を以って、女王に直接訴え出ればいい。 それら全てを力で潰し、己の決定を押し通すのがアルシェイラのやり方だ。
そうやって自分に挑みかかる者を、むしろ歓迎する節すら見受けられる。 自分を打倒して王座に就くような者が現れれば、喜びこそすれ、それを責めたり恨んだりすることは無いだろう。
ある意味で、実力主義を信条とするグレンダンを象徴するような王だ。
レイフォンもまた全ての罪が明るみになった時、アルシェイラの罰によって打ち伏せられ、大勢の目の前で屈服させられた。
そう……その時に、言われたのだ。

「罰を受けて地面に這い蹲る僕に向かって、陛下は言ったんですよ。
『気付かせてはいけないのだよ。 我々武芸者や念威繰者が“人間”ではないということを、人類に、本当の意味で気付かせてはいけないのだ』って」

「それは……どういう意味ですか?」

やはりピンとこない言葉に、フェリが質問を重ねる。

「問題なのは闇試合に出たことじゃない。 天剣争奪戦での僕の行いだったんです」

「けれど……試合自体は不正もせず、真っ向から戦ったと……」

「そう。 天剣授受者になれるかもしれないと目されていた、グレンダンでも屈指の実力者。 そんな相手をただの一太刀で斬り伏せる。 それが本物の、実際に天剣授受者に選ばれるだけの力を持った武芸者なんです。
 武芸者とは外の脅威から都市を守ってくれる存在。 けれどふとした拍子にその力が都市に住まう人々に向けられた時、普通の人間は何一つ対抗する手段を持たない。 だからこそ、武芸者たちは強力な道徳観念で自分たちを律している……少なくとも、律していると人々に思わせなければいけない。 時には犯罪に手を染める者もいるにはいるが、そんな者たちは異端で少数で、たとえいたとしても他の、より多くの武芸者たちに駆逐されてしまう存在なんだと、そう思わせておかなければいけないんです」

そして、実際その通りなのだ。
道を踏み外す者の方が少数であり、大半の武芸者は自らを強く律している。
それはただ単に武芸を神聖視しているからという理由だけではない。 そうしなければ、都市運営が成り立たないからだ。
そこにあるのは単純な合理的思考。

「けれど、もし天剣授受者ほどの実力を持った武芸者が犯罪に走ったら、誰にもそれは止められない。 並の武芸者が束になってかかったところで、彼らの前では何の意味も無い。 そしてそういう犯罪に手を染める異端が天剣授受者にもいるなんてことが都市民たちに分かったら……天剣授受者の圧倒的な剄の前では、武芸者たちの律なんて笑って無視できるものなのだと知られたら……そして、そんな天剣授受者が他にもいたらどうなるか……
 そんなことに気付かれたら、都市はもう終わりですよ。 都市民たちの間では暴動が起こり、都市全体の機能が麻痺してしまうでしょう。 そうなれば一般人も武芸者も終りです。 都市は、戦争でも汚染獣でもなく、人の暴走によって破滅に向かう」

人は弱い。 武芸者の守護なくしては、汚染獣や戦争の脅威から逃れることはできない。
武芸者もまた弱い。 人がいなければ、社会を維持することもできない。 戦う力だけでは、都市は存続できないのだ。
群れなければ生きていけないのは人も武芸者も同じ。
互いが生きていくためには、この共生関係を維持し続ける他に道は無い。

「だからこそ、僕の行いは都市にとって見過ごせない問題だったんですよ。 大勢の一般人の前で、全力の力でガハルドを斬る。 殺す気で、口封じのために。 そしてそれは都市民たちに、気付かせてはいけないことを知らしめてしまう行為だったんです。
 天剣授受者である僕が武芸者の律を犯し、その秘密を知ったガハルドを口封じのために殺す。 ガハルドは……グレンダンでも指折りの武芸者ですら、天剣授受者の力の前ではまるで抗することもできない。 それを僕は大勢の目の前で証明してしまったんですよ」

天剣授受者という存在の恐ろしさを、本当の意味で都市民たちに教えてしまった。
それがレイフォンの失敗であり、女王ですら許容できなかった、レイフォンの罪。

「……実際、全ての罪が明らかになった時、陛下が即座に僕から天剣を剥奪して追放を決定しなければ、それこそ暴動になっていたかもしれないんですよ。 あの事件以来、僕はずっと表に出ないようにしていたし、陛下も監視という名目で僕に天剣を張り付かせていたから、それを防ぐことはできましたけど」

逆に言えば、そのどれかが違っていたら、それこそ都市に深刻な事態が引き起こされていたことすら予想された。

「そういう意味で、僕のやったことは都市にとって非常に危険な行為なんですよ。 だから酌量の余地もなく、僕はグレンダンを追放されたんです」

「……そうですか……」

レイフォンの行いの意味、それは理解した。
だが、今ここで問題となるのはそのことではない。 グレンダンで起きたことは、すでに過ぎてしまったことだ。
重要なのは彼の過去の行いが、ツェルニにおける彼の生活にどんな影響を与えるかだ。

「……それでも、あなたが闇試合に出た理由を知れば、隊長もあなたへの評価を改めると思いますが」

「それで、また相手に期待させて、失望させろと?」

突然硬くなった声に、フェリが言葉に詰まる。
構わず、レイフォンは寒気すら感じさせる声音で続けた。

「生憎と正義の味方扱いされるのは御免です。 勝手に祭り上げられて、勝手に期待されて……そしてこっちが向こうの希望通りの人物でないと分かった途端、勝手に失望される。 失望だけならまだいいですけど、声に出して非難までされて、否定されて侮辱される……そんなのはもう御免ですよ」

たとえ悪党と言われようが外道と思われようがどうでもいい。
何と言われようとも、自らの動機と目的のためには手段を選ばない、そんなレイフォンのやり方が変わるわけではないのだ。
だがそれでも、勝手に勘違いされた揚句に罵倒されるのは愉快とはいえない。 形容しがたい理不尽さを感じてしまう。
だからこそニーナに弁解する必要など感じないし、理解してもらおうとも思わない。
先程示した自分を見て、これまでの自分の姿を見て、その上でニーナがすでに判断を下したのなら、レイフォンとしてはもう十分だ。
これ以上自分の事情に関して話すことはない。

「そもそも僕は自分を正当化するつもりはないんです」

ゆえに……自らに対して、断じる。

「僕の行いがどうして悪とみなされるのか理解できないのは確かですが、だからといって自分が絶対に正しいと言い張るつもりもありません。 他人が自分と違う価値観に基づいているからといって、それを非難する気も無い。
 ……というより、そもそも善悪の区別に興味は無いんですよ。 僕にとって重要なのは僕自身の気持ちと目的だけ。 守りたいものを守り、欲しい物を手に入れる。 武芸も戦闘もその手段に過ぎない」

家族を守るために強くなった。 必要なものを手に入れるために戦いを繰り返した。
レイフォンにあるのは自身の目的意識と感情だけだ。 己の望み、己の願い、ただそれだけを叶えるために戦ってきた。
そこにあるのは単純にして明確な論理。
誰にでもある、個人的な事情。
人によって違うのは、それを表に出すかどうか、小奇麗な建前で包み込むかどうか、それだけでしかない。
少なくともレイフォンは、そう思う。

「……ニーナ先輩に否定されたことだって、僕は別に気にしてませんよ」

口にすると同時に、自分が言うほど平気ではないのだと自覚する。
自分を責める彼女の言葉を思い出し、レイフォンは胸に刺すような痛みを感じた。
やはり親しい者に……少なくともそれなりに好感情を持っていた相手に自分の行いを否定されるのは辛いことだ。 孤児たちに責められた時ほどではないにしても、辛いものは辛い。
そもそも先程の口論で感情的になってしまったこと自体が、自分が動揺し冷静でいられなかったことを表している。

(何を今更……)

そう思わないでもない。
辛いのも悲しいのも覚悟の上で道を選んだのだ。 今更それを悔やむことに意味は無い。

「………隊長は、決してあなたの目指したものを否定したかったわけではないと思いますよ」

それでも、フェリの言葉に揺れる自身の心を自覚せずにはいられない。

「そうかも……しれませんね……」

レイフォンが感情的になってしまったように、ニーナもまた、自身の信じていた者が理想と違い過ぎたことにショックを受けていたのかもしれない。
親しいからこそ憎まずにはいられない。 親しいからこそ、レイフォンの非道を許せなかったのかもしれない。
けれど、それでも……

「……先輩の真意がどうあれ、僕のやることは変わりませんよ。 僕はこれまで通り、自分の目的のために戦う。 自分の望みを叶えるために生きていく。 その過程であの人が敵に回るのなら打ち倒すだけ。 そうでないのなら、あの人がどこで何をしていようと関係……」

「あなたの兄弟たちも、決してあなたを嫌ったわけではないと思いますよ」 

フェリの言葉が遮るように切り込む。

「ただ、大好きだった自分たちの兄を失うことになって、自身の感情を制御できなくなってしまっただけで……」

内心の動揺を押し隠すように平静な面持ちを保ちながら話していたレイフォンが、フェリの台詞で一瞬言葉に詰まった。

「………わかってますよ。 なんで皆が僕を責めたのかくらい」

何年も共に過ごしてきた仲だ。 ニーナ以上に、その心情は伝わってくる。
大好きだったからこそ、憎まずにはいられない。
誇りに思っていたからこそ、失望せずにはいられない。
自分たちと同じ孤児院出身の者が都市で最高の栄誉を受ける。 それはグレンダンに生きる孤児全てに希望を与えたことだろう。 それが同じ孤児院に住まう兄弟たちならば尚更だ。
だが、レイフォン自身がそれを奪い取ってしまった。 彼らの誇る英雄と愛する家族を、同時に奪い去ってしまったのだ。
見捨てた、裏切ったと……そう思われてしまっても仕方が無い。

「だけど……たとえ悲しませることになっても、憎まれることになっても、生きていてほしかった。 死なせたくなかった。 だから、ばれたらどうなるか知った上で罪を犯したんです」

全ての孤児院を救いたくて罪を犯した。 それは嘘ではないが、完全な真実でもない。
レイフォンが何をおいても守りたかったものは、やはり同じ孤児院に生きる兄弟たちだった。
何を犠牲にしても、何を捨ててでも、彼らを守りたかった。 彼らに生きていてほしかった。
彼らを……喪いたくなかった。
だから自分に出来る方法で皆を守る術を……多額の金銭を得ようと思った。

他の孤児院を守ろうというのも、所詮は後付けの理由だ。
家族を守りたくて罪を犯し、しかしその時にはすでに金銭的・物質的な貧窮からは脱していた。
それでも途中で止まれなかった。 止まれたはずなのに、レイフォンの中にある金銭への執着意識と貧しさへの焦燥感が、それを許さなかったのだ。
家族を守るためには金が必要。 大切な者を喪ったその時からレイフォンの中でより強くなっていたその考えが、レイフォンをより先へと進ませた。

その強さゆえに、躓くこともできず、立ち止まるきっかけも掴めなかったのかもしれない。
少なくともあの時は、身を焼く様な焦燥と、掻き立てられるような衝動が、レイフォンにはあった。
その結果がグレンダンの追放だ。
それでも……やはり後悔はしていない。

「孤児院の皆は、僕なんかよりもずっと強くてたくましい子たちです。 僕がいなくなっても、自力で立ち上がって進むことができると思いますよ。 彼らなら、きっと自らの力で幸せを掴めるはず。 僕はそう信じています」

結果的に多くを失うことにはなったが、それでも喪わずには済んだ。 最大の望みだけは叶えることができた。
それに……少しは残すこともできた。
レイフォンが稼いだお金は、弟妹たち全員が一人前になるまで養い育てるのに十分な額がある。
彼らが普通にものを食べ、服を着て、十分な教育を受ける。 そんな人並の生活を送れるくらいには、貯蓄がある。
それに家族の暮らしについては女王であるアルシェイラが請け負ってくれた。
人格的に色々と問題のある人物ではあるが、決して冷酷非情な人柄ではない。 請け負ったからには、任せておいても大丈夫だろう。
自分が孤児院の家族たちのためにできることは、もうやりつくしてしまった。 これ以上、彼らに自分の力が必要になることは無い。
だからこそ、自分がいなくても、彼らは幸せに生きていけるだろう。

「では、今のあなたの戦う目的はなんですか?」

「決まっていますよ」

その顔から先程までの、どこか悲しげな、苦しげな色が消えていく。
レイフォンは、まるで重くのしかかっていた物全てをふっ切れたかのように、すっきりとした笑みを浮かべた。
ある種爽快さと、力強さすらも感じさせる、そんな笑顔。

「ツェルニでできた大切な人たちに生きていてもらうことです。 みんなに生きていてほしいから、僕は汚染獣とも戦った。 死なせたくないから、これからも守っていく。 そして皆と別れたくないから、あの都市にも存続してもらわなくちゃならない。 だから都市戦にも協力するんです」

目的はあくまで自己満足。
それでも、レイフォンはそれを貫き通すと決めた。
利己的と言われようと、自分勝手と言われようと、そんな風に生きていくと決めたのだ。
もう二度と後悔しないように。 もう二度と失うことのないように。

フェリはそれを自分勝手だとは思わなかった。
ただその迷いの無い姿に、僅かな憧憬の念を覚えていた。
二人の間で言葉が途絶え、あとはただ眼前の景色に見入っている。
そのまま都市を見下ろしていると、やがて隣でレイフォンが立ち去ろうとする気配がした。

「それじゃ、僕もシャワー浴びてきますね。 何があるかわかりませんし、暗くて危ないですからフェリ先輩も早めに中に戻ってください」

それだけ言うと、レイフォンは宿泊所の中に消えていった。





























翌日の朝。
偵察隊のメンバーは両小隊共に件の不審な建物の前に立っていた。

「しっかし……地下中央部の機関部が爆発したってのに、その真上にあるこの建物はまるで無傷かよ」

「よく見れば所々罅が入ってたり欠けてるところもあるけどな。 けど確かに、思ったよりも被害は少ないか」

「おそらく、それだけ重要な施設ということだろう。 たとえ機関部が破壊され爆発したとしても、衝撃を外へと逃がし壊れないように設計されているようだ」

「それに機関部そのものだってそう簡単に全破するようなつくりはしてないだろうしな。 一部で火災や爆発が起こっても、それが全体に広がらないようにするための安全機構くらいは備えているはずだ」

冷静に現状を分析しながら言葉を交わす面々だが、その表情はやや固い。
ゴルネオは頑なにレイフォンへと目を向けようとせず、対照的にシャンテは射殺さんばかりにレイフォンを睨みつけていた。
それに対しレイフォンの方はといえば、そんな二人の様子を気にも留めていない風で完全に無視している。 いや、実際何も感じていないのかもしれない。
十七小隊の間にも居心地の悪い空気が漂っている。 それでも努めて普段通りの態度を保とうとしているのが傍目にも明らかだった。
第五小隊の面々は、この任務が始まってからこっち妙に不機嫌そうな隊長と、それを心配そうに見つめる副隊長に困惑しながらも、それについて訊ねることができずにいる。
気休めにもいい雰囲気とは言えないが、だからといって任務を途中で放棄するわけにもいかない。
それぞれ含む所を抱えながらも調査の段取りを進めていく。

「とにかく、外が暗くなったら厄介だ。 日が傾く前に建物内の調査を終わらせよう。 そして可能なら機関部の方も探索しなくては」

「それで……調査の方法はどのように?」

隊員の問いかけに、ゴルネオは一旦全員を見渡してから再び口を開く。

「建物は広い。 何があるか分からないのは危険だが、時間は限られている。 全員で手分けして探索しよう」

「そうだな。 それがよさそうだ。 それぞれ小隊を二人から三人の組に分けて……」

ゴルネオの提案に、ニーナが賛同する。
しかしここでレイフォンが異議を唱えた。

「待ってください。 念威が通じず、外からでは内部構造も分からない状況で小人数に分かれるのは危険です。 小人数では不測の事態に陥った時、対処しきれないかもしれません。 仮に分かれるにしても、念威繰者はここに残して護衛をつけるべきです」

途端、むっとしたような顔でニーナが反論する。

「レイフォン。 私はゴルネオ隊長の案に賛成だ。 時間も人員も限られている。 都市がその足を止めない以上、ツェルニがここに到着するまでにせめて最低限の安全を確認する必要がある。 我々はそのために結成された偵察隊なのだからな」

「駄目です、危険すぎます。 僕らの仕事は安全を確認することであって、わざわざ危険な橋を渡ることではありません。 それに建物内では念威が通じない以上、通信どころか爆雷も使えないと考えるべきです。 そんな場所に念威繰者を連れていくのは得策とは言えません」

レイフォンが言葉を重ねるごとに、ニーナの口調に熱がこもっていく。

「もとより多少の危険は覚悟のうちだ。 そもそも危険が予測される任務でなければ、わざわざ小隊員を送り込んだりはしない」

「だからといって、自分から進んでリスクの大きい選択肢を選ぶ必要も無いでしょう。 危険が予測されるからこそ、可能な限り安全策を取るべきです。 それに念威繰者に何かあれば、予想外の脅威と遭遇した場合、ツェルニと連絡を取ることもできなくなります。 非戦闘員であると同時に通信の要である以上、余計な危険に晒すのは調査隊全体にとってもリスクが大きすぎます」

「この任務中に限りお前は十七小隊の一人で、隊長は私だ。 指示は私が出す」

ニーナは意固地になっている。 レイフォンはそう感じた。
己の感情を、昨日から抱くレイフォンに対する反抗意識を御しきれていないのだ。
こちらの意見を間違いだと考えているというより、レイフォンの言葉に従って意見を翻すことに抵抗を感じているように見受けられる。
その気持ちは分からなくもないが、かといって、個人の私的な感情のために危険を犯すわけにはいかない。

「それなら僕は都市外任務の経験者としてあなた方に助言するように会長から言い遣っています。 先輩も、任務中は僕の言葉を最大限慮るよう会長から言われたはずでしょう。 僕の意見に従うのが気に食わないのは分かりますが、任務中に私情を挟まないでください」

レイフォンはあくまで冷静を保ったまま断じるように言う。
ニーナが再び感情的になりかけたところで、ゴルネオが口を挟んだ。

「確かに、レイフォンの言う通りだ。 安全を最優先に考えても損は無い。 幸いこの都市のエアフィルターは生きている。 予想以上に時間がかかるようなら、接近してきたツェルニと連絡を取って、増員部隊を寄こしてもらうという手もある。 ここは慎重に行くべきだ。 両隊の念威繰者はここで護衛と一緒に待機させよう」

顔をニーナに向け、あくまでレイフォンの方を見ないようにしながら、それでもゴルネオはレイフォンの案を推した。
ニーナはそれでもまだ僅かに反論しそうな素振りを見せたが、ゴルネオが首を横に振ると、力が抜けたように肩を落として小さく頷いた。 あるいは、自分でも冷静さを欠いていたことに気付いたのかもしれない。
彼女が落ち着くのを確認すると、ゴルネオは自身の隊の者たちへと指示を下す。

その様子を、レイフォンは意外なものを見るような目で見ていた。
昨日は少々感情的になっていたが、今日のゴルネオは打って変わって理性的だ。 というよりも、こちらが本来の彼の性格なのかもしれない。
仮にもツェルニの五年生であり小隊員、そしてその隊長を務めるほどの武芸者だ。 まだ経験の浅いニーナよりは場数も踏んでいるだろう。
とはいえ、態度に私情を隠し切れていないところはまだ未熟と言えるかもしれないが。
それでも上級生として、隊を率いる者として最低限の良識は持ち合わせていたらしい、と、レイフォンは内心で思った。

「内部の調査は俺とシャンテ、ニールとアルスランに分かれて行う。 バレルとイルメナはここでリアンと十七小隊のロスを護衛しろ」

ゴルネオは第五小隊の面々に向き直ると、テキパキと指示を出していく。

「僕は一人で大丈夫です」

ゴルネオに続いて隊を分けようと隊員を見渡したニーナに、機先を制するようにレイフォンが言った。
ニーナは一瞬眉を跳ね上げたものの、何も言わず指示を下した。

「私とシャーニッドで調査に向かう。 ハイネとフェリは第五小隊の三人と共にここで待機しろ」

「うへぇ、まじかよ」

不平を洩らしたシャーニッドを横目で睨み、そしてすぐさま視線を外してゴルネオに向き直る。

「具体的にはどうする?」

「このビルは東西南北四面にそれぞれ出入り口があるようだ。 調査隊は四組いる。 それぞれ別々の入り口から入り、各々の判断で調査しよう。 念威による通信は使えんが、普通の電気式通信機は使える。 これで相互に連絡を取り合いながら、それぞれ他の回れない場所をカバーして行こう」

「了解した」

全員が通信機を身に付け、周波数を合わせる。
さて、と裏に回ろうと歩き出したところで、フェリに声をかけられた。

「まったく。 余計な気を回すんですね」

フェリは無表情ながら、どこか苦笑するような雰囲気を滲ませている。

(さすがに気付くか)

レイフォン自身も、己に向けて苦笑する。
私情、という意味ではレイフォンもニーナを笑えない。
先程のレイフォンの意見は、調査効率よりも自身の私情を優先したもの……もっと言えば、隊のリスクというよりもフェリ個人の安全に配慮したものだ。

「ただでさえ戦いを望んでいないフェリ先輩を危険に巻き込むのは、本意ではませんからね。 こう言ってはなんですけど、ニーナ先輩の覚悟にフェリ先輩を巻き込むのは理不尽だと思いますし」

そもそも安全という面に関してなら、余程のことが無い限り問題は無いとレイフォンは考えていた。
場合によっては他の調査隊メンバーには危険が及ぶかもしれないが、自分ならば大抵の危険には対処できる。
それに、いざとなれば都市内の調査も自分一人で十分に事足りると考えていた。
逆に言えば、そんなつまらないことのために、フェリをあえて危険な目に遭わせるのも馬鹿らしいと思っている。
得られた情報を都市に報告する分には、必ずしも全員が生還する必要は無い。
最悪の場合、自分一人でも生きて帰れば上々だ。

ゆえに、隊そのものに危険が及ぶこと自体は問題視していない。 それこそ、ある程度の危険やいざという時の犠牲はそれぞれ覚悟しているだろう。
仮に覚悟ができていなかったとしても、所詮それは自己責任に過ぎない。 少なくとも自分の意思で武芸科の小隊員となったからには、任務で命を落とす可能性も承知のうちのはずだ。
以前ナルキにも言ったが、小隊員が権力に所属する武芸者である以上、有事の際には都市政府の指示に従うのが当然の義務である。 だからこそ、小隊員は他の武芸科生徒よりも多くの面で優遇されているのだ。

もちろん、犠牲が出ないに越したことは無いし、可能な限りサポートはするつもりだが、たとえ犠牲者が出たとしても、レイフォンは必要以上にそのことに拘るつもりは無い。
戦闘時のような武芸の力が必要とされる場においてのみ、レイフォンは非常に合理的であると同時に、冷酷なまでに他者に対して無関心なのだ。
仲違いしているとはいえ、それなりに交流のあったニーナやシャーニッドが危険な目に遭うのはあまり良い気持ちしないが、シャーニッドはともかく、ニーナに関してはそれこそ心配しても無意味だろう。
彼女はこの場にいる誰よりも、危険を覚悟しているはずだ。
そんなふうに考えるレイフォンに、フェリは嘆息しつつ言った。

「人のことばかりでなく、少しは自分の心配をしたらどうですか。 中に何があるか、分からないんですよ?」

「それは今に始まったことじゃありませんよ。 老成体との戦いなんて、予備知識ゼロの方が多いくらいなんです。 この程度の不測事態は日常茶飯事でしたよ」

「そんなことを言って、もし本当に老成体がいたらどうするんですか? 狡猾な汚染獣の罠かもしれないと言ったのはあなたでしょう」

「その時はその時です。 相手がなんであろうと、敵としてそこに存在するなら戦う他ありません。 罠があろうとなかろうと、踏み込むしかないんですよ」

もしほんとに老成体なら他の者を行かせても無意味ですし、とレイフォンは嘯く。
それを見てフェリは、再びやれやれという風に嘆息した。
やがて調査担当の隊員たちが各自建物内の調査へと向かう。
レイフォンは苦笑しながら、自分に割り当てられた入口の方へと足を向けた。

「では行ってきます」

「念威が使えない以上、私には何もできませんが……気を付けてくださいね」

あくまで淡々としたフェリの言葉に見送られながら、レイフォンは正面玄関の反対側へと向かった。


























あとがき

また随分と遅くなりましたが、更新です。
とりあえず、ようやっと作品内で日にちをまたぎました。
その割にはさほど進んでないというか、いつもより若干短い気もしますが。
本当はもう一場面ほど書くつもりだったのですが、いい加減遅くなり過ぎたので更新しました。
つうか、たった1日の間に起きた出来事を書くのに数カ月もかけてしまってましたね。 少々、野球漫画の試合場面を連想させます。 ……それはまぁどうでもいいか。

さて、
今回はフォローというか、説明不足だった部分を補う話ですかね。 レイフォンの話相手はほとんどフェリだけですけど。 ニーナに関しては……まぁ、そのうち。
そしてようやく始まった謎の建物の調査(やっと話が先に進む)。 といっても、読者の皆さん的にはゴルネオやシャンテの動向の方が気になるのかもしれませんが。
今回でとりあえず一番難しい場面(というか描写が面倒な場面)を終えたので、今後はもっと早く載せていけるようになることを祈ります。


しかしなんていうか……キャラの心情描写が多い回は毎回執筆に時間かかるんですが、今回はそれに輪をかけて長くなりましたね。
やっぱりこういう話を書くときは原作やら自分の書いた前の方の話やらを読み返したり読み直したりする必要があるもので。
まぁ最近になってレギオス以外のSSを書き始めたのも遅くなった原因の一つかもしれませんが(というか間違いなくそうだ)
ちなみに書いている作品の原作はSAO。 アニメ化とか特に関係なしに二次を書いてみたいなぁと思ったり。
例によってオリ主の設定やら背景やらはすでに細かく決まっていたりします。

それはともかく、レギオスの方もなおざりになり過ぎないようにしたいのですが、如何せん時間が……。
というか、むしろこんなことしていていいのだろうかと思わなくもないのですが。 これでも今年の春で大学4回生ですし。
まぁ学業やら就活に支障を来さない範囲内でこれからも書いていきたいとは思います。 大まかな話の方針自体は結構先まで決まっていますし。
それにやっぱり書いていて楽しいですしね。 職業作家ほどではないとはいえ、大変ですけど。









いちおう、第五小隊メンバーの名前と性別、武器を載せておきます。
公式ではなく、あくまでこの作品内での便宜上として考えたものですが。


第5小隊

隊長:ゴルネオ・ルッケンス ♂:素手(手甲・脚甲)  副隊長:シャンテ・ライテ ♀:槍

アルスラン・レインシャー ♂:剣     ニール・スタット ♂:メイス  イルメナ・パーステッツ ♀:細剣

バレル・ビート ♂:狙撃銃       リアン・カートス ♂:念威繰者



[23719] 28. 襲撃
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2012/01/30 05:55


探索が始まって三十分ほど経った頃。
ニーナとシャーニッドは建物内の地下の一角を回っていた。
ホールに入ってすぐのところで案内板を見つけ、現在はそれを頼りに探索を行っている。 どうやら他の入り口の近くにも同じ案内板があるらしい。
それを見ながら通信機でお互いに連絡を取り合い、現在はそれぞれ個別に探索範囲を割り振ってから別々の階を調べている。

ニーナたちが今いるのは地下三階。
案内板の地図には地下二階までしか載っていない。 つまり、三階以降は一般向けに公開された施設ではないということだ。
上の階以上に何があるか分からず、シャーニッドの足取りも慎重になる。
それに比べて、ニーナの方はやや心ここにあらずといった様子だった。 まるで別のことに気を取られている様子だ。
その理由は分からなくもないが、こんな不可解な場所で気を抜いていては命取りになりかねない。 「こういうのはむしろ隊長の役目だろうに」などとぼやきながら、シャーニッドは渋々と前を歩くニーナの背中に声をかけた。

「おいニーナ」

「………」

「おい」

「……なんだ」

「レイフォンに対して苛立ってんのは分かるけどな、今は任務に集中しろよ」

「っ!、だがっ……」

「お前は隊長だろう? こんな場所で冷静さを失うなよ」

ニーナは咄嗟に反論しようとするが、シャーニッドの冷静な声を聞いて、結局は言葉もなく俯いた。
頭ではシャーニッドの言っていることが正しいと理解しているのだ。
思わず唇を噛み、それから絞り出すように声を漏らす。

「………だが、信じられるか? あいつは武芸者でありながら……都市を守るべき存在でありながら、非合法の闇試合に出場して、さらには秘密を知った者を平然と傷つけたんだぞ!?
 神聖な武芸を冒涜し、名誉に唾を吐いたんだ。 同じ武芸者として、許せるわけが無いだろう!」

わかっている。 許せないのは、ニーナの独りよがりなのだろう。
ニーナはレイフォンに憧れていたのだ。 あの圧倒的なまでの強さに、そして戦いの時の揺るぎないその姿に。
あれだけの強さがあれば、自らの手で武芸大会を勝利に導き、ツェルニを守ることができる。 そんな思いが、いつのまにかレイフォン本人をも頭の中で理想化していたのだ。 武芸者のあるべき姿を完璧に体現した者だと。
しかし、彼もまたひとつの人格を持った人間だった。
人より強い力を持って生まれただけの、ただの人間。
感情を持ち、欲望を持ち、そして己の頭で考え行動する。
その方向性が、自身の持つ理想とあまりにもかけ離れていたために、ニーナがその事実を受け止めきれずにいるだけだ。
頭ではそう分かっていても、心が納得できていない。 だからこそ、許せない。

「神聖な武芸……ね」

感情的に内心を吐露するニーナに対し、シャーニッドの方は少し醒めていた。
武芸者としての誇り、名誉。 正直に言えばシャーニッドにとってもあまりピンとこない言葉である。
自分に戦い方を教えた人物が人物だったから仕方ないのかもしれないが、やはり、ニーナの怒りにまったく共感を覚えないことを自覚する。
怒る理由は理解できるが、同じようには感じない。
いや、実際ツェルニの武芸者の中で心の底からその規範たらんとしている者が何人いることか。
しかし、そんな内心を口には出さない。

「なんだ?」

「いや、別に。 それよりも……ほんとに平気だったのかね?」

「何?」

代わりに口にしたのは別のことだ。

「あいつがほんとに平気で他人を傷つけられるような奴だったら、今頃相手は死んでたんじゃないのか?」

シャーニッドの言葉に、ニーナは再び唇をかむ。
確かに、話を聞く限りレイフォンとガハルドとの間にはそれほどまでの実力差がある。
そして本気になったレイフォンほどの達人が、何の理由もなくし損じるとも思えない。
ならば何故レイフォンはガハルドを殺し損ねたのか。
罪を犯していたことへの罪悪感ゆえか、それとも心に残る甘さゆえか。
理由はわからない。 だが何らかの要因が、彼を殺人に踏み切らせなかったのかもしれない。
ほんの僅かの躊躇いが、かすかにその太刀筋を鈍らせた。

「それに……」

「なんだ?」

「あいつは確かに罪を犯したんだろうさ。 でもよ……それであいつが今までやってきたことは無かったことになるのか?」

「なに………?」

目を上げてシャーニッドの顔を見上げると、普段の飄々とした態度とは違う、真面目な顔をしていた。
そのまま静かに、しかし言い聞かせるようにニーナへと告げる。

「あいつがどんな人間であれ……過去にどんな過ちを犯したとして、あいつがツェルニを守るために戦ってくれたことに変わりは無いだろ」

「っ!……、それは………」

ニーナの顔が苦渋に歪む。

「こないだの汚染獣戦もそうだし、その前の幼生体ん時だって、ほんとはあいつがやってくれたんじゃないのか? 最後は都市の防衛兵器によって汚染獣を一掃したってことになっちゃいるが、学園都市にそんな都合のいいもんがあるとも思えねぇ。 まだ千体近くもいた汚染獣があっという間に全滅したんだ。 あいつがやってくれたとしか考えられないだろ?」

そのことは、自分も疑問に思っていた。 レイフォンの本当の実力を知ってからは、もしかすると、とも考えていた。
ニーナは一瞬言葉に詰まるが、それでも無意識のうちに反論の余地を探そうとする。

「だ、だが! もしそうなら、あいつは他の武芸者たちが汚染獣に殺されるのを黙って放置していたということだぞ! レイフォンがもっと早い段階で参戦してくれていたら、あれほどの被害は生まれなかったはずだ!」

あの戦いでは多くの死傷者が出た。 戦いの相手や規模を考えればさほどおかしくもない数だったのかもしれないが、長い間汚染獣戦の経験が無いツェルニにとっては過去に例を見ない被害だった。
けれどあれほどの力を持つレイフォンが戦闘開始から戦いに参加していたなら、被害はもっと少なく済んだはずなのだ。
だがシャーニッドは冷静なままだ。 ただ静かにニーナに向かって言葉を紡ぐ。

「それじゃ道理が通らねぇだろ。 あいつはあの時点じゃ一般教養科だったんだぜ? 武芸科生徒と違って、金銭的にも制度的にも特に優遇されていたわけじゃねぇ。 戦う義務も責任も無いはずだろ」

ニーナは何か言い返そうとするが、何も言葉が出てこない。
シャーニッドの言ったことは、自分でもわかっていたことだ。
確かにレイフォンがもっと早く参戦してくれていたら、被害はより少なく済んでいたかもしれない。
しかしあの時のレイフォンには、戦う動機も、義務も、責任も無かったのだ。
都市を守護するのが武芸者の存在意義である以上、その責任はあくまで都市の武芸者のみに課せられるもの。 ツェルニにおける武芸者とは、すなわち武芸科に所属する生徒のことだ。

もちろん、戦い死にゆく者たちを助けられるだけの力を持ちながら、彼らを見殺しにするという行為が褒められたことでないのは確かだ。
たとえ武芸者でなくとも、他者から見てあまり快く思われない振る舞いだろう。
だがその行為を、よりにもよってツェルニの武芸者達が非難するのは間違いだ。 戦うことが役目でありながら、その役割を十分に全うすることのできなかった彼らに、自分のことを棚に上げてレイフォンを責める資格はない。
ましてや結果的に都市を守ってくれた、自分たちが果たせなかった責務を代わりに果たしたレイフォンに、感謝こそすれ、恨み言を口にするのは恥ずべきことと言えるだろう。

「それに、あいつは自分のしたことに対して何も感じなかったわけじゃないと思うぜ。 だから一旦は武芸を捨てようとしたんだろ? あれだけの力がありゃあどこの都市でも重宝される。 そうすりゃ思うがままの生活ができただろうに、あいつはわざわざ未熟者ばかりの学園都市に来て、一般人として新しく人生を始めようとしてたんだ。 武芸者として受けられるはずのありとあらゆる恩恵を全て捨ててまで一般人として生きる。 相当の覚悟が無きゃできないことだと俺は思うがな」

レイフォン自身が言っていた。
お前たちが弱いから再び戦わなければならなかったのだ。 お前たちが無能だからその尻拭いをしてやっているのだ。
言葉はゴルネオに向けたものであったが、真意はツェルニの武芸者全てに向けたものであったろう。

「あいつを再び戦いの世界に引き摺りこんだのは俺たちだろ。 俺たちが弱くて都市を守れないから、あいつは自分を曲げてでも再び武芸者として戦ってくれたんだ。 なのに、俺らがあいつを責めるのは筋違いだと思うぜ?」

少なくともツェルニの武芸者にレイフォンを非難する資格があるとは思えない。
彼らの未熟さが、戦いを望まぬ者を再び戦場へと引きずり出したのだから。
レイフォンの行いや考え方は決して褒められたものではない。 だがそれでも、現在のツェルニにとってはプラスに働いているのも確かなのだ。

(ま、ゴルネオの旦那に限っちゃ、そう簡単に割り切れるモンでもねぇだろうが)

「確かに、あいつはあくまで自分のために戦ったのかもしれない。 都市を守ろうなんて崇高な理由じゃなく、もっと身近な理由で戦ったのかもしれねぇさ。 けど、その結果として俺たちは生きてんだ。 そんな俺たちにあいつの意志を否定する義理は無いんじゃねぇのか? 自分の未熟さを省みるならともかく、な」

返す言葉が見つからず、ニーナはただ黙って俯いた。
シャーニッドもそれ以上何かを言うことなく、口を閉じて再び歩き始める。
お互い無言のまま、しばらく廊下を歩いていると、大きな部屋に行き当たった。
見ると、様々な機材や機械設備がいたるところに設置されている。
パニックに陥った人間たちによって荒らされたのか、あるいは都市が大きく揺れたのか。
床には割れた瓶やら機材やらが散らばり、所々薬品が零れてから乾いた様な痕跡も見受けられる。
ニーナはそこにある機械設備群になんとなく見覚えがある気がした。

「ここは研究所のようだな」

頭を冷やして気を取り直したのか、先程までの苛々とした様子はない。
若干声に硬さが残るものの、今は目の前の任務に集中しようという気持ちが窺えた。

「機材に見覚えがある。 これは確かハーレイ達の研究室にあったものだ。 ここはおそらく錬金学、とりわけ錬金鋼学の研究が行われていた部署のようだな」

話しながら、ニーナは何かしら手掛かりが無いかと周囲の書類やら機材やらを漁る。
シャーニッドもそれに倣い、室内にある機材やら設備やらを見て回り始めた。
しばらくは会話も無く、荒れ果てた研究室内には二人の家探しする音だけが響く。
やがてニーナはなんとなく拾い上げた書類の一つを見て手を止めた。

「何かあったか?」

「いくらか重要そうな書類を見つけた」

ニーナの答えを聞き、部屋の端にいたシャーニッドが傍に近寄ってくる。
手元を覗き込むと、ニーナは書類をめくりながらその中身を確認していた。
その中に、都市の名前らしき記述を見つける。

「鍛鋼都市………ヴァルカニア………か」

「それってこの都市のことか?」

「そのようだ。 どうも都市政府からの書類のようだしな」

顔を上げたニーナが書類の表面を軽く叩いて見せる。
それから顎に手を当てると、僅かに考え込んだ。

「ヴァルカニア………聞いた覚えがあるな」

「ほんとか?」

「ああ。 いつだったか、ハーレイの奴から聞いたことがあった。 鍛鋼都市ヴァルカニア。 確か錬金鋼学の研究が盛んな都市だと言っていたかな」

「へぇ。 あいつらしいや」

「武芸者の使う錬金鋼の新素材開発、性能や機能強化などの技術が非常に高いらしい。 ツェルニを卒業したら、すぐには帰らずここへ留学してみたいとあいつは言っていた」

「そりゃ……なんともはや」

嘆息しながら荒れ果てた部屋を見渡す。
すでに夢は断たれた後、といった感じか。

「まぁ、せめてむこうのケースに収められてるデータチップとかは持って帰ろうぜ。 何か都市の異常の手掛かりになるようなモンがあるかもしれねぇし、こんなでかい研究所に収められてるデータなら金になるようなものも多いだろうしな。 それに錬金鋼関連の研究データとか持って帰ればハーレイの奴も喜ぶだろうし」

「む……いや、だが……そんな空き巣か火事場泥棒の様な真似は……」

泥棒も何も、手掛かりを探して持って帰るというのが彼らの仕事なのだが、それが金銭的な利益につながると思うと途端に抵抗を覚えるらしい。
まぁそれでこそ潔癖なニーナらしいと言えるのかもしれないが、だからといってこんなところに放置して朽ち果てさせる手はないだろう。

「確かにあんま褒められたことじゃねぇが、だからって捨てて置くのも勿体ないだろ。 この様子じゃ持ち主も死んじまったろうし、脱出できた連中もわざわざ取りに戻ったりはしねぇよ。 こんな滅びた都市に置いといたところで宝の持ち腐れだ。 それならいっそ俺たちがツェルニのために有効活用した方がずっといいと思うぜ」

そう言いながら、シャーニッドは特に重要な情報の入っていそうなデータチップを選んで次々とポケットに入れていく。
難色を示しながらも一理あると思ったニーナは、結局シャーニッドに倣って探索を始めた。


























廊下に二人分の足音が響く。
場所は件のビルの五階だ。
案内板には地上四階、地下二階までの地図が載っていた。
ビルの大きさから想像した通り、ここは都市の中枢機能を司る重要な施設だったらしい。
地図に載っている範囲には、銀行などの金融関係施設や裁判所といった司法機関もある。
しかし外から見た建物は八階建てだった。 おそらく一般公開されている四階までは来館用の公共施設であり、それより上は都市の中枢を司る重要施設なのだろう。
廊下に並ぶ部屋の一つ一つには無数のモニターが並ぶ部屋や他より広い会議室の様な部屋、応接室の様な場所まである。
二人は廊下の突き当たりにある、机や書類、コンピューター端末などが見られる執務室らしき部屋に足を踏み入れた。

「随分と静かだ」

誰もいないオフィスの様な場所で、ゴルネオは独りごちる。
いつも肩の上に乗っているシャンテは、珍しく自分で地面を歩きながらゴルネオの後ろを付いて回っていた。
先程からほとんど口を開こうとせず、終始むっつりとした顔で黙り込んでいる。
彼女の気持ちが何となくわかるだけにゴルネオも不用意に声をかけられず、会話が無いまま建物内の調査を進めていた。

「とりあえずこの部屋を調べるぞ。 ここが都市政府の建物なら何か見つかるかもしれん」

念のため声を掛けると、シャンテは目を逸らしたまま無言で室内をひっくり返し始めた。
それを見届けてから、ゴルネオも探索を開始する。
電気は通っているようなので灯りを点け、しばし無用な懐中電灯は手近なキャビネットの上に置いた。
それから倒れた家具やひっくり返った備品などの散乱する部屋に踏み込んでいく。

上階であるためか人間の死体はもとより、市街地の様に人の死んだ形跡も無い。
汚染獣が来襲してきた時点で建物内にいた者はシェルターに避難しようと、あるいは放浪バスに乗って逃げようとするため、都市民たちが下に向かって移動するからだろう。
しかしその割に部屋の中は荒れている。 机や椅子はひっくり返り、窓ガラスは割れ、機械類などもひどく損傷している。
都震でも起こったのか、あるいは機関部の爆発の余波が来たのか。

いちおうひっくり返った机を持ち上げてみたり抽斗の中を漁ってみたりと手掛かりが無いか確かめるのだが、これといった情報はなかなか見つからない。
とはいえ、行政関連の施設だけあって都市の運営関連の資料は多い。
一つ一つ確かめながら、ゴルネオはツェルニにとって持ち帰る必要のありそうなものを選ぶ。
そんな作業に没頭しているうち……

「ん?」

ふと顔を上げると、自分以外の者が立てる物音が聞こえなくなっていた。 部屋に入った時は二人だったはずなのに。
周囲を見回しても副隊長であるシャンテの姿が見当たらず、ゴルネオは咄嗟に立ちあがって出口に向かう。
そしてオフィスを出ようとしたところで、入口の近くに電気式の通信機が落ちているのが目に入った。 誰のものかは一目瞭然だ。

「あいつ……まさか………!」

思い当たる節に顔を顰めると、ゴルネオは全力の勢いで部屋から飛び出した。




























レイフォンは地下一階の食堂にいた。
やや広い空間で、そこかしこに多数のテーブルと椅子が並んでいる。
地図によれば、この階にはここと同じくらいの大きさの食堂が四つあるらしい。
来館してきた一般市民やここに努める従業員の全てが利用することを考えればそれも納得だ。
レイフォンは食堂を一通り見て回った後、奥にある厨房と通じる扉へ向かった。

入り組んだ造りの厨房を通り、さらに奥の食糧貯蔵室まで到達する。
建物の規模ゆえか、そこは随分と広い部屋だった。
貯蔵室内の扉の配置を見るに、おそらくレイフォンが通ってきた以外の食堂と厨房も、全てここに繋がっているらしい。
つまりは大勢の従業員や来訪客の食事の全てをこの場所で賄っていたということだろう。
成程、床面積に限ればツェルニの倉庫区に並ぶ倉庫のような広さがあり、その空間を膨大な食糧で埋め尽くしている。

そして正直……臭いがキツイ。
玉ねぎやジャガイモの様な冷凍保存しないタイプの野菜が段ボール箱に詰められたまま放置されていたのだろう。
腐った野菜が凄まじい腐臭を放っている。 地下であるためか換気もされず、臭気は室内に籠り切っていた。
レイフォンは都市外活動用のヘルメットをかぶり、ひどく臭う外気を遮断する。
そうしてようやく一息吐いてから、この部屋の中の探索を開始した。

やがて一通り貯蔵室内を歩き回った頃。
ふと、部屋の奥の壁にある大きな扉の前で足を止めた。
おそらくは大量の肉類などを保存するための冷凍室だ。 冷蔵庫と思しき同じような形の扉も横にいくつか並んでいる。
レイフォンは目の前の大きな扉を見て、思わず息を呑んだ。

それはただの予感だった。

大きく息を吸い、それから冷凍室の扉を慎重に開ける。
そこにある物を見て………レイフォンは息を吐いた。
本来ならばそこには豚肉や牛肉などが巨大な塊のまま吊るされていたのだろう。
調理の際には使う分から順に解凍し、この場で必要な分を切り取ってから厨房へと運ぶ、といった形をとっていたようだ。
しかし冷凍室に保存されていたのはそんな普通の物ではなかった。 一体誰がこんなことを……

レイフォンは即座に考えるのを止め、冷凍室の扉を閉める。
確かに不可解だ。 が、あくまでもレイフォンの役目はこの都市の安全を確かめること。
大切なのは謎解きではなく、その謎が、今もここへ近付いているツェルニにとって危険となりえるかどうかだ。
とにかく、他の場所も調べてみる必要がある。 そう思ったレイフォンは、踵を返すと来た道を引き返した。
分厚い扉を通って厨房まで戻ったところで、

「え?」

ふっ……と、突然周囲が暗闇に包まれた。
食堂に入った時に点けておいた電灯が消えたのだとすぐに気付く。
どうやら廊下の灯りも消えたらしい。 ここは地下であるため一切の光が入らず、レイフォンの目には何も映らなくなる。

(電灯が切れた? 全部一斉に? それともブレーカーが落ちた? 重要施設ならその辺もしっかりしてそうだけど………)

何が起こったのか困惑しながらも、レイフォンは現状把握に努める。

(でも機関部が爆発したっていうなら、普段通りに電気が通らなくても不思議は無いかな? いや、でも、どうなんだろう……?)

あるいは何者かが意図的にこの周辺の電気を消したという可能性もあるが。
もしそうだとするなら、一体誰が、何の目的で?
レイフォンはしばらくその場で思考を巡らせていたが、やがて懐中電灯を取り出して歩き出す。
ヘルメットはすでに脱いでいた。 念威を使えればフェイススコープで視界を確保できただろうが、この場ではまるで役に立たない。
仕方なく鋼糸を復元し、周囲を探りながらとりあえず地上に出る道を探そうとしたところで、

「……!」

それに気付いた。
首は動かさず、目線だけを横に向ける。
そこに、いつの間にか自分以外の生き物の気配があった。
暗闇で姿は見えない。 だが、確かにそこから感じる。
影の中から自分を見つめる、剣呑な視線。
そこから放射される、明確な殺気。

(敵………)

何者かはわからないが、こちらに攻撃意志を持っていることは明らかだ。
レイフォンは相手の出方を窺うために足を止める。
しかし視線の主は動かない。 ただ刺すような殺気をレイフォンの首元へと注いでいた。

(見えているのか?)

全てのドアを閉じ電灯を消した時点で、地下であるこの場には一筋の光もささない。
いくら武芸者が活剄で視力を強化できるといっても、一切の光源が無い場所では流石に見えないのだ。
にもかかわらず、向こうはこちらが見えているとしか思えないほど鋭い視線をレイフォンへと向けていた。

(汚染獣の生き残りか? それとも、人がいなくなって野生化した何らかの獣?)

こちらを窺う気配からは、人間よりも獣に近いものを感じる。
闇に潜み獲物を狙う、野生の猛獣。
相手の動向を窺いながらも、隙あらば即座に食らいつこうとする、攻撃的な空気。
レイフォンは首筋にチリチリとした視線を感じながら、静かに息を吐く。

手に持っていた懐中電灯のスイッチを入れようとして、途中で止めた。
今優先すべきことは相手の姿を確認するよりも、明確な敵である何者かから身を守ることだ。
戦闘となった場合、一方向しか照らせない中途半端な光源では、むしろ逆効果になりかねない。
仮に多少の光があったところで暗闇でも目が見えているであろう敵側の方が遥かに有利だ。
レイフォンはあえて懐中電灯をポーチにしまうと、鋼糸を周囲に走らせて防御陣を形成しつつ、敵の情報を探ろうとする。

(む……?)

と、レイフォンの感覚に、なんとなく引っかかるものがあった。
闇に潜む敵の気配。 その気配や醸す空気は確かに獣じみてはいるが、よくよく探れば人間のものであることがわかる。
しかし深く考える余裕はなかった。 疑問に意識を取られた瞬間を隙と取ったか、闇の向こうで気配が動く。
一直線に……は向かってこない。 レイフォンには見えない食器棚らしきものを蹴り、位置を変えながら襲いかかる。
それに気付いたレイフォンは素早く腰から錬金鋼を抜いた。

金属音。
一瞬で復元した鋼鉄錬金鋼の刀が、闇から突き出された槍の一撃を打ち払う。
見えていたわけではない。 ただ殺気の動きと攻撃的な剄の流れを感じて相手の攻撃を察知しただけだ。
目が見えていないはずの相手が完璧に攻撃を防いだことに対して、襲撃者から驚いているような気配がしたが、レイフォンからすればさして勝ち誇るほどのことでもない。
長年の戦闘経験の中で培われてきた実戦の勘は、時に生まれ持った感覚器官以上の性能を発揮する。
こういった突発的な事態には尚更だ。

一瞬の衝突の後、相手は再び闇の中へと退いていく。
だがレイフォンの知覚はすでに相手の動きを完全に捕えていた。
音や空気の流れ、さらに隠そうともしない攻撃的な気配が、相手の動きを細かく教えてくれる。
そしてたった今の攻防で、その正体もすでに分かった。
攻撃のリーチからして得物は槍。
踏み込みの勢いと突きの威力から考えて、体格は非常に小柄で軽量。
加えてこの都市にいる人間の中で、最もレイフォンを襲う動機を持っている。

「……やはりあなたですか、シャンテ・ライテ」

気配に向かって言葉を投げる。
最早考えるまでもなく、その正体は明らかだった。

「あんたは絶対にあたしが殺す!」

闇の中から返ってきた声は、予想通り高くて幼い。
レイフォンは警戒するどころかひどく脱力してしまった。
周囲に張っていた鋼糸を引き戻し、青石錬金鋼を基礎状態に戻しながら、闇の中の気配に向かって再び口を開く。

「よりにもよってこんな時にこんな場所で面倒なことをしないで下さいよ」

「あんたらは光が無きゃ何も見えないんだろ? けどあたしには見える。 あんたは強いって聞いてるけど、ここならその実力も発揮できないだろ!」

再び、攻撃。
レイフォンはそれを再度防いだ。
まるで見えているかのような反応に、シャンテの顔が闇の中で驚愕に歪む。
それを気配で察しながら、レイフォンは平淡な声で告げる。

「都市外の問題を持ち込むのは校則違反ですよ?」

「ここはツェルニの外だ! 馬鹿、ばーっか!」

「子供ですか? 外だろうと中だろうと、お互いツェルニという都市社会の枠組みの中に所属していることに変わりはないでしょうに。 お互い学生であるうちは校則の対象内ですよ」

自分が都市社会の道理を説くことにある種の滑稽さを感じながらレイフォンは言う。
正直相手するのは面倒臭いが、さすがに殺してしまうわけにはいかない。
相手はこちらを殺す気かもしれないが、だからといって全力で相手するのはいくらなんでも過剰防衛だ。
いや、カリアンが味方に付いている以上、別にそれで何か問題になるということはないだろうが、こんなつまらない事情で怪我人や死人を出す気にはなれない。 ニーナやゴルネオが自分をどう評価しているのかは知らないが、もともとレイフォンはそれほど攻撃的な性格ではないし、むやみやたらと暴力を行使するのが好きなわけでもない。

そもそもレイフォンは自分自身に対する悪意や害意に対してはひどく鈍感だ。 いや、無頓着というべきか。
友達や家族に手を出す相手に容赦する気は微塵も無いが、自分に直接向かってくる分には大して怒りも湧かない。 ましてや相手は実戦経験も無い未熟な武芸者見習いであり、自分にとって脅威というほどでもない。
殺意には殺意で返すという気分にもなれないし、癇癪を起こした子供(といってもレイフォンより年上だが)のような相手にむきになるのはみっともないとも思う。
逆に言えば、所詮はそれだけの相手でしかないということだ。 殺すまでも無い、自分にとっては取るに足りないどうでもいい相手。

「畜生! 死ねっ! 死ねぇー!」

子供のように悪態を吐きながら、シャンテは変則的な動きで立て続けに槍を突き入れてくる。
レイフォンはそれらをことごとく弾き、打ち払う。 この程度なら、まだしばらくは持ち堪えられそうだ。
しかし相手の動きは予想以上に不規則かつ立体的で、なかなか気配が読みにくい。
加えて、

(少し狭いか)

ここは厨房だ。
食堂の規模に比例して床面積だけならかなりの広さなのだが、如何せん、流し台やらコンロ台などがそこいら中に並んでおり、つっかえてあまり派手な動きはできない。
もう少し開けた場所である食堂に出ようにも、ただでさえ入り組んだ作りの上にこの真っ暗闇では、大まかな方向は分かっても扉の位置が分からない。
それに比べ相手はそういった地形を逆に利用して、あらゆる物を足場にして縦横無尽に飛び回っている。
状況的には圧倒的にレイフォンが不利だ。 もちろん戦って倒すだけなら簡単なのだが、このままでは勢い余って殺してしまうか、あるいは大怪我をさせてしまいかねない。

(仕方ない)

相手の攻撃を捌きながら、レイフォンは記憶を頼りに先程の食堂と壁一枚隔てた位置まで移動する。
シャンテはこちらの意図に気付いた様子も無く、猛然と槍を振るいながら後ずさるレイフォンを追ってきた。
何度目になるか分からない刺突を刀で捌き、シャンテは再び槍を引いて跳び退る。
仕切り直して距離が開いた瞬間、レイフォンは側面の壁に向かって強力な衝剄を放った。
凄まじい破砕音と共に、壁には大きな穴が開く。 その穴で厨房と食堂が完全に繋がった。
それを視認するや、レイフォンは素早く地を蹴り食堂へと移動する。
シャンテもすかさずそれを追うが、壁に開いた穴のところで一旦立ち止まった。
それを確認してから、レイフォンはシャンテに向き直る。
今の衝剄の余波で食堂内のテーブルや椅子もまとめて吹き飛んでおり、レイフォンの立った場所にはぽっかりと広い空間ができていた。
未だ目は見えないが、厄介だった相手の機動力は失われたも同然だ。

「これであなたにとっての地の利は失われましたが、まだやりますか?」

「当たり前だ! あんただけは絶対に殺す!」

変わらないその態度に、レイフォンの心もやや冷気を帯びる。
心に湧き上がる苛立ちが、逆にレイフォンの意志を冷たく凍てつかせていく。

「武芸者の律を犯したことが、そこまで許せないのですか?」

もしそうなら、あなたが今やっていることも同じでしょう。 
そう言おうとした。
そしてその上でなお向かってくるのなら、力ずくで叩き伏せるつもりだった。
以前ヴァンゼに対してしたように、打ち伏せたうえで、冷たく言葉を叩きつけるつもりだった。
だが、

「そんなもの関係無い! あんたはゴルの敵だ! ゴルの大切な人を傷つけて、ゴルから笑顔を奪った! ゴルの敵はあたしの敵だ! だからあんたは、あたしがここで殺す!」

シャンテのセリフに、レイフォンは出かかった言葉を止めた。
彼女を動かしているのは武芸者としての使命感ではなく、個人的な感情だ。
大切なものを傷つけられたことに対する怒り、大切なものを守ろうとする意志。
それらを持ってレイフォンに向かってきている。

(参ったな)

彼女に対して感じていた苛立ちや怒りが消えていくのがわかる。
相手に対して敵意や殺意といったものが沸き起こらない。
シャンテを動かす意志は、レイフォンを動かすものと同じだからだ。

(だからといって)

「ここで殺されてやるわけにはいかないけどね」

相手ではなく、自分に向けて独りごちる。
多少共感や親近感を覚えたからといって、相手の意を汲んでやるつもりまでは毛頭無い。
シャンテが己の感情で動いているように、レイフォンもまた個人的な都合や感情で動いているからだ。
レイフォンにはすでに帰りを待っていてくれる人達がいる。 自分の無事を祈ってくれる人がいる。
グレンダンで一度失い、ツェルニに来て再び手に入れたもの。 自分にとって大切な人たち。
これからも彼女たちを守るためにも、レイフォンは生きて帰らなければならないし、彼女たちを悲しませたくもない。
だから、こんなところで死んでやるわけにはいかない。
一人の人間としても、そしてサイハーデンの武芸者としても、絶対に生き残らなければならない。
ならば、方法は一つだ。

「いいでしょう。 あなたの気が済むまで、付き合ってあげます」

刀の切っ先を相手に向け、言い放つ。

「調子に乗るなぁ!」

叫びと共にシャンテの槍が炎剄を伴ってレイフォンに襲いかかってきた。



























あとがき

少し短いですけど、更新です。
とうとうシャンテが暴走に踏み切った回ですね。 全く相手にされてませんが。
レイフォンが容赦なく斬り捨てるのを期待した方もいたかもしれませんが、さすがにそこまではということでこんな感じに。
まぁなんだかんだで甘さが残った方がレイフォンらしいかな、と。 原作のようにフェリに危害が加えられていたなら、もう少し非情な手段をとっていたかもしれませんけど。
逆に言えば、そうならないためにフェリを外に残したということでもありますね。

さて、この2人の戦いにゴルネオは、そしてニーナはどう出るのか。
そしてこの都市に起きている異常とは……そんな感じで進めていきたいです。

あと2,3話で3巻の話も終わると思います。 そしてシャンテやゴルネオ、ニーナとの決着も。
これからも楽しんでいただければ嬉しいです。




[23719] 29. 火の激情と氷の意志
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2012/03/10 17:44


調査班が建物内の探索を行っている頃、残された面々はビルの前庭で待機していた。 各々、前庭に並ぶ休憩用のベンチに腰を下ろして、何とはなしに辺りの風景を見渡している。
とはいえ、彼らも完全に気を抜いているわけではない。 今も念威繰者二人は周囲に端子を飛ばして警戒を行っており、それ以外のメンバーも有事に備えて即座に戦闘へと移れる態勢を維持している。
だが、少し退屈しているのも確かだった。
調査を手伝おうにも、建物内では念威が機能しないので何もできない。 かといって、何も言わずこの場を離れたりなどすれば、中で非常事態が起こった時に対処できなくなる恐れがあるので、勝手な行動をとるわけにもいかない。
待っていることしかできないことに僅かな苛立ちを感じ、フェリは小さく嘆息した。
そこでふと思うところのあったフェリは、なんとはなしに周囲の様子を見回してみる。 第五小隊の面々は少し離れたベンチに座っていた。 普通に話す範囲内なら、活剄でも使わない限り盗み聞きされることはない距離だ。
丁度良いので、フェリは昨夜疑問に思っていたことをハイネに訊いてみた。

「ハイネ先輩はどう思っているのですか?」

「ん?」

「昨日の……レイフォンのことです」

昨夜、レイフォンが部屋から出ていった後、何となく気まずい雰囲気のままバラバラに部屋を出ていったため、ハイネやシャーニッドがレイフォンに対してどう思っていたのかはよくわかっていない。
今日の様子を見る範囲内では、ハイネも昨日の気まずさを引き摺っている感はあるものの、ニーナのようにレイフォンに噛みつく様子はなかったので、少し気になったのだ。

「ああ」

ハイネも得心がいったという風に頷く。
それから少しだけ迷うようなそぶりを見せながら自身の気持ちを話し始めた。

「まぁ……正直に言えば、あまり快くは思わないってのが本音だがな……」

「……そうですか」

当然かもしれない。
基本的に品行方正を重んじる世間一般の武芸者にとって、レイフォンのやり方はあまり納得のいくものではないのだろう。
いい加減な性格のシャーニッドはともかく、根が真面目なハイネもまたその例に漏れないのだ。

「けど、そんなに目くじら立てるほどのことじゃないとも思えるかな」

フェリの声の変化に気付いたのか、苦笑するように付け加える。

「俺の思う武芸者としての理想とニーナの掲げるそれにさほどの差異はないんだが、少なくとも俺はあそこまで頑なになるつもりは無い。 自分の理想や信条を他人にまで押し付けるのも好きじゃないしな。 そういうのは結局、自分の胸の中だけで持っているべきものだ。 他人にも自分にも厳しく、なんて……俺の柄じゃない。 月並みなセリフだが、所詮は人それぞれだ」

武芸者としては典型的な性格であるハイネから見ると、レイフォンの行動は明らかにその道から外れたものだ。
だが、それを責める気にはなれない。 レイフォンの行動でツェルニが何かしらの損害を被ったのならともかく、彼が問題を起こしたのはあくまでグレンダンでの出来事だ。
無論、レイフォンの考え方や価値観に対して反発が無いわけではないが、面と向かって非難できるほど自分ができた人間だとも考えていない。 

「確かに、どんな事情があろうと犯罪を正当化できるわけじゃない。 武芸者ならそれも尚更だとは思うけど、レイフォンの罪はもう裁かれたものだ。 あいつの理念が武芸者として正しいとは思わない。 が、たとえ間違っていようと、それがツェルニにとってマイナスに働かないのなら、あえて考えを改めさせる必要も感じない。 事情はどうあれ、今のあいつがツェルニを守るために戦ってくれているのなら、敵視する理由は……少なくとも俺には無いな」

「そうですね………隊長も、それくらいは分かっているはずだと思うのですが……何故あそこまで反発するのでしょうか?」

レイフォンの行いは、ニーナにとってそこまで許し難いものなのか。 そう問いたげなフェリに、ハイネは首を振りながら答えた。

「行いそのものよりも、そこに至る考え方の方が許せないんだと思うな。 なんせニーナの実家は名門の武芸者一家でお金持ちのお嬢様、おまけに親も家柄も非常に厳格なんだそうだ。 多分、小さい頃から武芸者としてのあり方を教え込まれてきたんだろうな。 家出同然に出てきたとは言っていたが、幼いころから叩き込まれた教えをそうそう簡単に捨てられるわけもない。 その家出にしたって、自身の武芸者としての矜持を確固たるものにするために自都市を出たらしいしな」

使命も志も、その全てが与えられたものであるという環境に耐えられなかったからこそ、ニーナはシュナイバルを出た。
そしてツェルニに来て、初めて心の底から自分のいる都市を守りたいと思うようになった。 その思いは決して与えられたものではなく、自ら手に入れたものである。
しかしそう思えるようになったのは、結局のところ、自都市で教わった武芸者としての理想像があったからこそだ。
そしてレイフォンのあり方は、その理想としての姿にあまりにも反している。 ニーナにとっては、己の理想を土足で踏みにじられたようなものなのだろう。

「だからニーナはレイフォンが許せないんだろうよ。 過去に罪を犯したってことより、自分の行いを悪いことだと思っていない、自分の目的のためなら、法を犯し他者を傷つけることも構わないって考え方そのものが、ニーナにとっては受け入れがたいんだと思う」

「………ハイネ先輩はそれほどでもないと?」

「さっきも言ったが、俺もレイフォンの考え方に賛同できないってのは確かだ。 これでもいちおう都市における武芸者のあるべき姿について、それなりに教育されてきたからな。 といっても、俺の実家はニーナとは違って、故郷じゃせいぜい中堅どころだ。 取り立てて目立つところの無い、普通の武芸者一家。 いちおう先祖代々続く家系ではあるらしいがな」

学園都市では、ニーナのように名家に生まれ、才能に溢れ、将来を嘱望されてきた武芸者たちは、むしろ少数派だ。
大半の者は、武芸者として生まれながらも才能に乏しかったがために、成長に行き詰まり自都市では得られぬ経験を得ようとして、あるいは周りから失望されて自都市から逃げるように、学園都市へと移ってくる。
ハイネもまた、そういった普通の武芸科生徒の一人だった。

「俺がここに来たのは、単純に才能が無かったからだ。 中堅どころの武芸者の家系で、俺は他の者よりもずっと能力が低かったから家を出た。 いくら訓練を受けても芽の出ない俺に、愛想を尽かした両親が学園都市への留学を勧めたんだ。 多くの都市からの情報が集まる、ここでならあるいは、ってな」

もともと、周囲から向けられる感情は期待よりも失望の方が多かった。
その状況を覆すことこそが、ハイネの学園都市に来た理由。
あくまで強さを求めて都市を出た自分にとって、その先にある、強い人間がどうあるべきかという考え方に、さほどの思い入れは無い。
だからこそレイフォンという強者に対し、ニーナほど強い感情をもってはいないのだ。

「俺は親父たちを見返したかった。 その結果が今の俺だ。 散々同世代の武芸者達から無能呼ばわりされていた俺が、二年と少し経っただけで、今じゃツェルニのエリートだ。 俺が強くなったのは、他でもない俺がそれを望んだからだ。 親から強くあるべきだって言われたからじゃなく、俺自身が強くあることを望んだ結果。
 人間ってのは、どうあるべきかじゃなくどうありたいか、それさえはっきりしてればいい。 少なくとも俺は、そう思う」

強者だからこそ斯くあるべき、というニーナに対して、レイフォンは己の望む姿――愛する者たちを守る存在――であるために強者たろうとした。
その点だけで見れば、むしろレイフォンの方が自分とは近いと言えるだろう。
少なくともハイネが力を求めた理由は、都市を守るためではなく、武芸者としての理想を体現するためでもない。
ハイネは誰にも馬鹿にされない自分でいたいという思いから、強くなることを望んだのだ。

「レイフォンは自分のありたいと思う姿でいただけだ。 少なくとも俺には、そこに文句をつける理由は無い。 やり方は気に食わないが、あり方について口を出す気は無い。 だからニーナほどレイフォンの過去や信条に不快感は感じてないよ。 自分と相容れないとは思うがな」

だがそれでも、目的が同じならば協力はできるし、あえて衝突する必要も無い。
レイフォンがツェルニを守るために戦ってくれるなら、相手の価値観を否定はしないし、必要に応じて力も貸す。

「ニーナももう少し柔軟になるべきだと思うけどな。 妥協癖をつけろとは言わないが、なんでもかんでも頑固なままじゃ、この先余計な苦労までしょい込む羽目になるかもしれない」

「心配ですか?」

「そりゃまぁな。 いちおう一年の時からの付き合いだし、今は同じ小隊の仲間であり隊長だ。 隊長としてしっかりしてほしいと思う反面、無茶し過ぎて体を壊さないでほしいとも思うよ」

俺は別に、ニーナが間違いだと思っているわけでもないし。
そこまで言って、話は終わりとばかりにハイネは立ち上がった。
フェリはその背を無言で見送る。
そう、結局はどちらが正しいかという問題ではないのだ。
生きてきた環境が違えば、価値観が異なるのも当然。
二人は結局、守りたいものも目指すものも違う。 だからこそ、武芸者としてのあり方にも違いが出る。
それをお互いに受け入れ、認められるか。 あるいは互いに否定し、拒絶するのか。
いや、この場合はニーナが、か。
そして受け入れられなければ……

「まぁ……流石に二人とも一線を越えることは無いでしょうけど」

むしろそうならないでほしいという感情をこめて、フェリは小さく呟いた。






















「炎剄将弾閃(えんけいしょうだんせん)!」

シャンテが吼えるように叫びながら槍を突きだす。
すると化錬剄によって火球と化した剄弾が勢いよく穂先から撃ち出された。
慌てず、レイフォンはそれを刀の一振りで断ち切る。 同時に刃に纏った衝剄が炎を吹き散らすようにかき消した。
シャンテの攻撃は止まらない。 揺らめく熱波を目眩ましに、レイフォンの側面を取って槍を突き入れる。
しかしレイフォンはその場から動こうともせず、脇腹に向かって突きこまれる一撃を目で見ることもなく刀で弾いた。
それを見たシャンテはムキになったようにやたらめったら刺突を繰り出す。 いずれもまともに喰らえば致命傷になりかねない鋭さでありながら、レイフォンの戦闘衣に傷一つ付けることもできない。
嵐のように繰り出されるシャンテの連続攻撃。 レイフォンはその悉くを難なく防ぎきった。

「くそっ! なんで攻撃してこない!?」

何度目になるかの攻撃をいなされながら叫ぶシャンテに、レイフォンは平然と言葉を返す。

「僕にはあなたを殺す理由がありませんからね。 特に恨みもありませんし」

レイフォンは自分を善人だなどとは思っていない。 むしろ、武芸者としては下衆や外道と呼ばれてもおかしくないとさえ思っている。
だが、だからといって理由も無く人を殺せるほど戦いや殺人が好きなわけでもない。 己にとって、それらはあくまで手段であるからだ。 レイフォンは別に戦闘狂や殺人鬼ではない。

「あなた程度、殺すまでもありません。 その価値も無い」

そして相手はこちらを殺そうとしているが、レイフォンにとってはこの程度、脅威でも何でもない。 
グレンダンにいた頃に比べて、武芸者として精神的に錆付いた部分があるのは確かだ。 それは認める。
だが、だからといってこのくらいで命を落とすほど腑抜けたつもりは無い。
そんな相手を殺してまで、再び己の手を汚す理由も無い。
言ってしまえば、シャンテごとき眼中に無いのだ。 そして眼中に無い相手に殺意を覚えるほど、レイフォンは荒んではいない。
相手のことを歯牙にも掛けないその態度にシャンテは歯噛みするが、殺すつもりで突きこんだ槍は尽く空を貫き、あるいは易々と刀で弾かれ、炎剄はその身に火傷一つ負わせることもできない。

「くそっ、くそーっ!」

それでも尚、怒りを増したシャンテは苛烈な勢いで突きかかってくる。
対するレイフォンはそれらの攻撃を何の危なげもなく軽々と防いだ。
何度目かの攻防の末、シャンテの突き出した槍をレイフォンの刀が受け止める。
そのまましばらく押し合いに入った。

「ぐぎぎぎ……」

シャンテは突き出した槍で相手を貫こうと、力一杯槍を押し込んでくる。
しかしレイフォンは、まるで巨大な壁のようにその場からびくともしない。
槍の穂先を刀の鍔元で受け止めたまま、ただ冷静な声で告げる。

「いい加減やめませんか? 時間の無駄ですよ」

その言葉に、シャンテの眉が一層つり上がった。

「調子に……乗るなぁ!!」

瞬間、その小柄な体躯からは不釣り合いなほどに大きな剄が溢れ出し、巨大な焔へと変化する。

「火龍咆(かりゅうほう)!!」

シャンテの槍の穂先から龍の息吹のごとく炎の奔流が溢れ出し、獲物を狩る獣のごとき勢いで敵へと襲いかかった。
レイフォンは素早く後ろに跳び退ったが、猛り狂う炎の波に呑み込まてしまう。
そのままシャンテからは姿が見えなくなった。

「はぁー……はぁー……」

先程までレイフォンのいた場所は一面の炎に包まれている。 とても生きているとは思えない。
仮に生きていたとしても、さすがに無傷とはいかないだろう。
一度に大量の剄を練り上げたために、シャンテは大きく息を切らしている。
それでも自分の技の結果に満足そうな笑みを浮かべ、大きな声で叫んだ。

「はっ! ざまぁみろ! 油断するからこうなるんだ! ばか、ばーか!」

だが、

「油断? 何のことですか?」

炎の向こうから聞こえてきた冷たい声にシャンテの笑みが凍り付く。

「油断などしていません。 これはただの余裕です」

次の瞬間、目の前で一筋の斬線が走り、燃え盛る炎が両断される。
そして二つに割れた炎の隙間から、右手に刀を携えたレイフォンが悠然と歩み出てきた。
防御用の剄で覆われたその身には火傷一つ無い。

「嘘……どうやって……」

シャンテは愕然としていた。 槍を握った両腕が目に見えて震えている。

「あいにくですが、この程度の奇襲はゴルネオ・ルッケンスと試合で戦った時に体験済みです。 今更同じような手が通用するはず無いでしょう」

言うと、手に持った刀を無造作に振るう。
それだけでレイフォンの周囲の炎が退いて行き、そこに空白地帯を生み出した。

「言っておきますが、あなた程度の火力では、僕の髪の毛一本燃やせませんよ」

シャンテは反論できない。 信じられない物を見たような顔でレイフォンを凝視している。
知らず知らず、レイフォンのその立ち姿に戦慄し、僅かに後ずさる。

「終わりですか?」

あくまで冷静に、淡々とした声で問う。
シャンテは「ギリッ」と歯軋りすると、なおも槍を持ち上げた。
その小さな体から、再び火のような闘志が沸き起こる。

「ふざけるな! このくらいで……」

「やめろ! シャンテ!」

が、それは横から投げかけられた声によって霧散した。






向かい合う二人の姿にゴルネオは一瞬肝が冷えたものの、シャンテが傷一つ負っていないのを見て取って安堵の息を吐いた。
ゆっくりと歩み寄り、レイフォンの姿を遮るようにシャンテの前に立つ。

「……下がれ」

「っ!? でもっ!!」

「いいから。 お前は下がれ」

尚もレイフォンに向かっていこうとするシャンテをゴルネオは強い調子で止める。
それからレイフォンの方に向き直ると、苦しげな顔で頭を下げた。

「大事な作戦中にうちの隊員が迷惑をかけた。 謝って許されるようなことではないが、部下の暴走の責任は隊長である俺にある。 本当にすまなかった」

「ゴルっ!」

憎い仇に頭を下げるゴルネオを見て、シャンテが泣きそうな声を上げる。
対するレイフォンは特に責めるでもなく、平然とした態度で武器を収めた。

「別に、気にしてませんから」

それだけ言うと、本当に何も気に掛けていないかのごとくその場を立ち去ろうとした。
まるで、たった今ここで起こったことの全てが無かったかのように。

「待て!」

ゴルネオは思わずその背中に声を投げかけた。

「なんですか?」

レイフォンが怪訝そうに振り返る。 それを見てゴルネオは言葉に詰まった。
もともと深い考えがあって呼び止めたわけではない。 ただ、あまりにもレイフォンが自然に振る舞うものだから、その心意に疑問を感じただけだ。
対するレイフォンは、何も言わなければ、何も訊かない。
恨み事も、非難も、嘲笑さえも、何一つ。
言葉通り、先程のことを全く気にしていない。 いや、むしろ自分たちに対してまるで興味が無いのか。
こちらが頭の中で言葉を練っている間も、レイフォンは静かに待ち続ける。
それを見て、ようやくゴルネオも冷静さを取り戻した。

「……何故、シャンテを斬らなかった」

そして真っ先に感じていた疑問を口にする。

「今回に限れば、たとえ斬ってもお前に責められる謂われはなかったはずだ。 非は完全にこちらにあった。 ツェルニの命令を無視して暴走したシャンテを斬り、怒りに我を忘れた俺をも斬ったところで、悪いのは全て俺たちだけ。 お前に何かしらの責や罰が下されるということは無い」

「何か勘違いしていませんか?」

大真面目な顔で物騒なことを言うゴルネオに対し、レイフォンは呆れたように嘆息する。

「あなた方がどう思っているか知りませんが、僕は別に快楽殺人者じゃないんです。 他人にちょっとばかり突っかかられた程度で、相手を殺したりはしませんよ」

正確には、ちょっと突っかかられたどころかシャンテはレイフォンを殺すつもりだったのだが、実際に殺すだけの力量が無いのであれば、レイフォンにとっては同じことだ。
特に怒りも憎しみも感じない。 強いて言えば、面倒事に対する苛立ちくらいか。
しかしそれを聞いたゴルネオは怒りに顔を歪ませて、なおも言葉を叩きつけるように吐き出した。

「何を今更! お前が、お前の秘密を知ったガハルドさんを口封じのために殺そうとしたのは知っているぞ。 そんなお前が何のために俺たちを見逃す? 一体何を企む? 俺たちを生かして、お前に何の得がある!?」

ゴルネオの言い様に、レイフォンは呆れを通り越して脱力した。
企むも何も……、

「逆に訊きたいんですけど……あなた達を斬って、僕に何かメリットがあるんですか?」

「シャンテを……そして俺をも斬れば、お前にとって不都合な過去を知る者はツェルニにいなくなる」

「今じゃニーナ先輩たちも知ってますけどね。 誰かさんが人前でぶちまけてくれたおかげで」

「まぁそこは挑発した僕も悪いですし、僕自身も皆に話したんですけど」と、どうでもよさそうに言う。
その口調は、別に非難している風でも、怒りを感じているようでもない。 こちらが自分の過去の秘密を明かしたことにすら、何らの感情も抱いてはいないようだ。

「そうだとしても、お前に恨みを持ち、他の者に秘密を話す可能性があるのは俺たちだけだろう。 ニーナ・アントークは他人の過去を触れ回るような者ではない。 その部下たちも同様だ。 俺たちさえ殺せば、お前の罪がツェルニで明るみになることは、まずもってない」

「暴露する気ならとっくにやっているでしょう」

レイフォンは少々うんざりしてきたのか、大きく息を吐きながら言う。

「あなたが何故今まで僕の過去をそこのシャンテ先輩以外に話さなかったのかは知りませんが、僕の秘密を暴いて破滅させるつもりならもっと前にできたはずです。 わざわざ僕の前に姿を現してから、予告して暴露することに意味はない。 そんなことをすれば、口封じに殺されるかもしれないと予想できたでしょうしね。 今までやらなかったのだから、今更やるとは思えない。 だから僕にはあなた方を殺す理由はありません」

そもそもレイフォンの過去を暴露したところで、それにどれほどの意味があるのかも不明確だ。
彼が罪を犯したと言っても、それは所詮ツェルニに来る前の話。 自都市でのいざこざを持ち込ませないという校則は、裏を返せば自都市のいかなる事情も学園都市内における制度上の障害にはなりえないということでもある。
故郷で犯罪者だったからといって、ツェルニで制度的に冷遇――例えば授業の参加資格や奨学金制度などの点で――されることはないし、退学などという措置が取られることもないのだ。
ましてや現在の生徒会長であるカリアンがレイフォンほどの実力者をそう簡単に手放そうとするはずがない。 
ゴルネオが彼の秘密を触れ回ったとしても、せいぜいが一般生徒の間でのレイフォンの評判を落とすことになる程度だ。
彼らの間で悪評が広まれば、確かにレイフォンはこの都市に居づらくなるだろう。 そうなれば、結果的にレイフォンはツェルニを出ざるを得なくなるかもしれない。 しかし、それすらも確実というわけではない。
まず大前提として、天剣授受者という存在がどういうものかを知る者が、ツェルニにはあまりにも少ないのだ。 レイフォンがグレンダンで大きな問題を起こしたからといって、その様子をはっきりと想像できる者はこの都市にはほとんどいまい。
最悪、レイフォンに嫉妬した一部の武芸科生徒が騒ぎ立てて終わるだけになるかもしれない。

何より都市の総責任者であるカリアンはレイフォンの味方をするだろう。
都市の存続をかけた武芸大会において、元とはいえ天剣授受者という戦力は貴重な鍵だ。
そしてツェルニにはもう後が無い。 今年の武芸大会で勝ち続けるには、どうしてもレイフォンが必要だとカリアンは判断するだろう。
そんな中でレイフォンの悪評を広めようとしても、カリアンがそれを止めるために尽力することは想像に難くない。
自身の立場や人望、人脈を利用して情報操作を行い、彼は全力でレイフォンを弁護しようとするはずだ。
場合によっては、都市に混乱をもたらしたという理由で、むしろゴルネオの方が処罰されかねない。
自分は小隊長という立場ではあるが、レイフォンと比べた場合、都市の首脳から見てそこまでの人材的価値があるとは考えにくいだろう。 小隊員一人いなくなったところで、レイフォンさえいれば武芸大会を勝ち抜くのは容易い。
カリアンとしては、仮に自分とレイフォンが対立した場合、ゴルネオを切り捨ててでもレイフォンをツェルニにつなぎ止める方が有効だと判断するはずだ。

ゆえに、レイフォンの過去を暴露するという方法はあまり意味が無いし、レイフォンにとっても大した被害にはならない。
せいぜい先の第十七小隊のようにレイフォンの周囲の人間関係に亀裂を生じさせる程度だ。
そちらの方がむしろレイフォンにとっては深刻な問題なのかもしれないが、報復手段としてはあまりにも姑息という感が否めないし、それでは卑劣な手段でガハルドを消そうとした相手と同じになる。
何より全体問題として、ゴルネオ自身がそういった搦め手の方法を好まないというのもある。
結局、レイフォンの過去の罪をツェルニで暴露するというのは、立場的に見ても感情面で見ても復讐の方法として現実的ではないのだ。

「なら、俺が復讐のためにお前を殺そうとするとは考えないのか? この際だ。 正直に言うが、俺はお前が憎くてたまらない。 この場ではシャンテを止めこそしたが、本心では今ここでお前を殺してやりたくて仕方が無いんだ。 武芸者の律を犯したとか、それがグレンダンにどんな影響をもたらしたのかとか、そんなことは関係ない。 ガハルドさんは、俺にとって本当の兄のような人だった。 誰もかれもが兄を見る中、あの人だけが俺を見てくれた。 そしてお前は、そんなガハルドさんを俺から奪ったんだ。 この憎しみを捨てることができるとは、俺には思えん」

「じゃあすればいいんじゃないですか?」

いっそ清々しいほどにあっさりと言う。

「僕は別に構いませんよ。 あなた方ルッケンスの武芸者に非難される謂われはありませんが、恨まれる理由はあると思っていますから。 どうしても恨みを晴らしたいのなら、いつでも僕にかかってくればいい。 不意打ちでも闇打ちでも、好きなようにしてくれて構いません。 僕のやることはこれからも変わらない。 身に降りかかる火の粉は自らの手で払うだけ。 その火が大きくなり過ぎるようなら火元から消す。 あなたが僕にとって脅威たりえない間は適当に手加減してあげますし、あなたの復讐が僕にとっての脅威となるようなら、全力であなたを打ち倒すだけです」

「………随分と舐められたものだな。 俺ごときに、自分が殺されることはないとでも思っているのか?」

「実際問題、僕とあなたではそんなものじゃないですか?」

身も蓋もない言葉に、ゴルネオは唇を噛む。
分かっているのだ。 自分とこの男との間には、それほどまでに埋めようの無い差があるということは。

「それに……殺された時は殺された時です」

続いて告げられた冷淡な言葉に、思わず身震いした。
自身の生き死にすらも突き放したような物言いに、自分との明白な違いを改めて意識する。
それは目の前の男が常に死と隣り合わせの世界で生きてきたことを感じさせるのに十分だった。

「僕はあなたの恨みと憎しみを否定するつもりはありませんし、非難するつもりもありません。 復讐でも報復でも、あなたの好きにすればいい。 ただ……」

そこで、レイフォンは少しだけ目を細める。
微かにその身から漏れ出た殺気に、ゴルネオは内心で戦慄した。

「一つだけ覚えておいてください。 もしあなたが復讐の過程で、僕だけでなく僕の友達までその対象に含めるようなことがあれば……僕の大切な人を、傷つけるようなことをすれば………」

「どうする? 俺を殺すか?」

ゴルネオは内心の恐れを隠すため、あえて挑発するように言った。
しかしレイフォンの声の調子は変わらない。 ぞっとするほどの冷気を秘めたまま、淡々と告げる。

「あなたの部下と友人、親しくしている人すべてを、あなたの目の前で細切れにします」

「なっ!?」

「それからゆっくりと時間をかけて、あなた自身も殺します。 己の行いを存分に後悔し、死んでいけるように、ね」

言いながらも、そうはならないだろうとレイフォンは頭の中でほぼ確信していた。
ゴルネオは理性的であると同時に、責任感が強く、そして武芸者として非常に真面目な性格だ。
今までさほど交流があったわけではないが、今回の調査の中で観察する限り、復讐のためといえど曲がったことや汚いことはしない人物だとレイフォンは見ていた。
とはいえそれも絶対ではないため、万が一の可能性も考えて釘は刺しておくが。
そして実際にゴルネオが一線を越えるようなことがあれば……脅迫や警告ですませるつもりはない。

「………随分と勝手な話だな。 俺からガハルドさんを奪っておいて、お前は自分から奪うことは許さぬというか」

「確かに勝手ですね。 自覚しています」

いっそ開き直ったように、レイフォンは淡々と述べる。

「僕は別に正義の味方になりたいわけではありませんから。 搦め手で攻めてきた相手を卑怯汚いと罵るつもりはありませんし、同時に僕自身そういった手段を特別拒否するつもりもありません。 あまり好きなやり方でないのは確かですが、かといって絶対的に拒絶するほど、僕は清廉でも潔癖でもない」

勿論、レイフォンとて状況が許す範囲でなら正しい手段を取りたい。
考えなしにただ暴虐を振るうのは、自分を育て鍛えてくれた父に対する冒涜のように感じられるからだ。
だが、それはあくまで状況が許せばの話。 他に道が無いのなら、どんな手段も厭わない。

「少なくとも敵に対しては一切容赦するつもりはありません。 僕にとっての敵というのは、すなわち僕から大切なものを奪おうとする者。 人間だろうが武芸者だろうが……汚染獣だろうが関係無い。 僕から何かを奪うというのなら、僕が逆に奪い取ってやる」

冷徹な眼差しに宿る、鋼のように強く鋭い意志。
氷で覆われた心の内側には、火のように荒れ狂う激情。

「ゆめゆめ忘れないでください。 本当の意味で僕を敵に回すということがどういうことか」

レイフォンはなおも凍るような視線でゴルネオを射抜く。
その強烈な威圧感に、我知らず後ずさった………その時、


「うわあぁぁぁぁぁぁぁ!」


突然、凄まじい叫び声が建物内に響き渡った。
思わずレイフォンとゴルネオは天井を見上げ、ついで顔を見合わせる。
さほど遠くない。 おそらくは一つ上の階から聞こえてきた声だ。
そう判断するや、レイフォンは素早く身を翻して食堂を飛び出した。 それを見てゴルネオも我に返ると、跡を追うように走り出す。 さらにシャンテが慌てたようにその背を追った。

(一体何があった?)

廊下に出た時には、すでにレイフォンの姿は見えなくなっていた。
しかしそのことを悔しがる余裕は今のゴルネオにはない。
廊下をひた走りながら、彼の胸の内では混乱が渦を巻いていた。
先程の悲鳴は、確かに自分の部下――第五小隊のメンバーの声だった。
仮にも小隊員の、ツェルニでもトップクラスの武芸者たちの、恐怖に我を忘れたかのような凄まじい悲鳴。
この都市で一体何が起きているのか………
焦りに内心を削られながら、ゴルネオは上階目指して走り続けた。





















あとがき

一旦外の様子を出したところで、前回のラストからの続き。 vsシャンテ(笑)編。
二人の諍いは結局ゴルネオの割り込みで有耶無耶に。 まぁ、明らかに勝負は付いてましたけど。

ハイネはなんだかんだでどっちつかずな意見ですが、ようは好き嫌いと善悪は別、という感じでしょうか。 その辺はレイフォンとも通じるところがあります。
武芸者としてレイフォンのやり方や考え方を好ましく思うことはできないけれど、それだけで相手を全否定したり非難したりすることはできない、ということですね。

そして、ようやくシャンテとの戦いが終わったところで新たなる展開に。
次回は廃都市編のラストに向かいます。 まぁ、長い場合はエピローグと分けると思いますけど。

ゴルネオの怒りと復讐の行き先は、そしてニーナとの確執はどうなるのか。




[23719] 30. ぼくらが生きるために死んでくれ
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2012/04/05 13:43
第五小隊のニールとアルスランが周囲を警戒しながら廊下を進み、一階には二人分の足音が響く。 
探索を始めてそれなりに時間が経ったが、今のところめぼしい物は見つかっていない。
実りの無い調査に辟易しつつ、ニールが眉を顰めながらアルスランへと話しかけた。

「それにしても薄気味悪い場所だ」

「汚染獣によって人の絶えた都市だしな。 大勢の死者が出たかもしれない場所を踏み荒らすんだ。 あまり良い気持ちしないのは確かだろうよ」

恐る恐る床を踏みしめながら、二人はより奥の部屋を目指す。 歩きながらも二人の会話は続いていた。

「ところでよ、ゴルネオ隊長のことなんだが……」

「ああ、いつもと様子が違うって話か?」

「まぁな。 なんていうか、口には出さないけどどこか苛付いてるというか、何かを耐えているというか……そのくせ、たまに上の空で物思いに沈んだりとかさ。 ……あのレイフォン・アルセイフとなんかあったのかな?」

武闘会で優勝したレイフォンのことはツェルニの誰もが知っている。
その彼に対し、第五小隊の隊長であるゴルネオが良い感情を抱いていないことにも、隊員たちは気付いていた。

「副隊長もなんか敵視してたよな。 まぁ、あの人は隊長にべったりな人だから、その理由も想像つくけど」

「やっぱりゴルネオ隊長にしては珍しいよな。 確かに、そこまで人当たりの良い方じゃないけど、だからって普段はあんなに人を寄せ付けないほど刺々しくはないし」

二人して首を捻りながらも、はっきりとした答えは分からない。
いっそのこと本人に訊いてみればと思いもしたが、流石にあそこまで不機嫌なところに不躾な質問をする気にはなれなかった。
それ以上は話すことも無く、お互い無言で探索を続行する。 しばらくして、二人は大きく開けた部屋に行き着いた。

「ここは……講堂、かな」

「みたいだな。 少し狭いが」

そこは他の部屋よりもいくらか広い空間だった。
講堂としてはそこまで大きくもないが、部屋の奥には床より高くなったステージがあり、その両脇に物置や音響室と思しき扉がある。

「いちおう、あの中も調べてみた方が良いかな」

「まぁ隈なく調べた方が良いだろうよ」

そう言うと二人は講堂の奥へと進み、ステージ横の部屋へと踏み込んだ。

「ん? なんだ、この臭い?」

「生臭いというか何というか……何かしら獣か生き物がいたような臭いだな」

若干不快な臭いに顔を顰めながら、ニールとアルスランはさらに小部屋の奥へと進む。
すると入口からは死角になっている隙間に、今まで見たことも無いものが嵌り込んだように鎮座していた。

「な……なんだ、これ?」

「わかんねぇよ。 こんなもん、見たこと無い」

そこにあったのは、異様な外観を持った物体だった。
全体的に球状の形体をしている何らかの塊が、束になった粘性のある糸のようなもので隙間の壁に張り付いている。 大きさは縦横2・3メルトルくらいか。
その球体には人間が簡単に出入りできそうなくらいの穴……というよりも裂け目ができており、中は空洞になっている。
見る限り人工物や無機物には見えない。 どこか有機的な、もっと言えば生物的なものを感じさせる外観だ。
色は毒々しく、爬虫類や両生類の体組織や細胞が無数に入り混じり寄り集まって形を成しているようにも見える。
まるで中にあったモノを覆うために無数の生物の細胞を貼り付けたような、そしてそこから中にあったモノが外へと出ていったような、そんな印象を二人は受けた。
強いて言うなら昆虫の蛹……いや、繭と言った方がより近いか。 もっとも、彼らの知識の中にこんなグロテスクな繭を作る昆虫はいないが。

「こ……こんなデカイ虫いるわけねぇし……いや、そもそもこれ虫か? 何かぶよぶよしてそうで気持ち悪ぃんだけど」

「同感だ。 なんなんだこれ。 こんな生物……かどうかはわかんないけど、とにかく人工物じゃなさそうだ」

「やっぱり何かの繭……かな……。 昆虫とかにはあんまり詳しくないが……見た感じ、すでに中の生き物は出た後みてぇだ」

その繭らしき球体はすでにほぼ乾いていたが、完全に干からびてはいない。 加えて、表面の裂け目から床に掛けて、何かしら粘性のある液体が付着して乾いた様な痕跡ができていた。
まるで、そう……ほんの数日前に、あるいは昨日か一昨日にでも膜を破って中身が出てきたような………

「と、とにかく、このことを他の皆にも伝えないと」

「あ、ああ。 そうだな」

震える足を無理やり動かしながら、二人はなんとか音響室から転がり出た。
講堂に出たところでようやく落ち着き、扉の前で大きく息を吐く。
と、そこで目の前の異常に気が付いた。 いつの間にか扉の前の床が濡れている。 それもただの水ではなく、泡の混じった粘性のありそうな液体だ。
そしてその粘液は天井から滴っているらしい。 それどころか、今尚粘り気のある滴がしたたり落ちている。
嫌な予感がし、二人揃って上を見上げると、

「「う……う……」」

天井に、見たことも無い“何か”が張り付いていた。

「「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁ!」」




























「ニール! アルスラン! 無事か!」

ゴルネオが講堂らしき広間に駆け込んだ時、そこには異様な光景が広がっていた。
先に到着し、こちらに背中を向けながら油断なく刀を構えるレイフォン。
そしてその肩越しに見えるのは……

「なんだ……これは……」

ゴルネオの口からかすれた声が漏れ出た。
部屋の中にいるのは、レイフォンと第五小隊の二人。
臨戦態勢をとるレイフォンと、床に倒れ伏したゴルネオの部下たち。
そして部屋にはもう一人………いや、もう一体か。

そこにいた“もの”は人のような形をしていた。
そのシルエットは二本の脚で立ち、二本の腕を持っていた。
腕の先には、五指の付いた人のような手のひらがあった。
胴体の上に頭があった。

だが“それ”は、とても人とは呼べない姿をしていた。
3メルトル近くある身の丈に、異様に長い手足。
全身を覆う、鎧のような甲殻。
その鎧の隙間から見える、皮膚のない、むき出しの筋肉。
仮面のようであり、兜のようでもある、丸い甲殻に覆われた頭部。
感情の光が見えない、落ちくぼんだ眼窩の丸い両目。
仮面が割れたかのように開いた、ひび割れのような口。
その口に並ぶ、鋭く、危険を感じさせる牙。

そして片手には………剣を持っていた。
人間の持つような鋼でできた剣――錬金鋼では、ない。
まるで骨を固めた角のような、甲殻を剣の形に押し固めたような、武骨で歪な大剣だった。
鎧に覆われた右腕から鎧の延長、あるいは角のように直接剣が生えている。
それは……そこにいたものは……、

「汚染獣……?」

レイフォンは思わず呟いた。

「汚染獣だと? まさか……老成体か!?」

ゴルネオは叫び、心の底からせり上がってきた恐怖でとっさに身構えた。 レイフォンも刀を握る手に力を込める。
目の前にいるそれは、とても人間だとは思えない。
さすがにレイフォンもこんな汚染獣は過去に見たことがないが、それ以外にないと思った。
老成体、それも二期以上の個体は決まった形を持たない。 中には単純な膂力や質量を捨てた代わりに、特殊な能力や性質、生態を持つことがある。
さらに老成体の変異体の中には、人間と同程度のサイズのものや、さらに小さいきわめて小型の個体も存在するという。 目の前の汚染獣も、そういったものの一つなのだろう。
汚染獣の足元にはんニールとアルスランが倒れている。 すでに戦ったのか二人とも血を流し、痛みに呻いていた。
とにもかくにも、まずはあの二人を避難させないと……

「炎剄衝弾閃!!」

いきなりシャンテが先制した。
跳躍して飛びかかりながら、汚染獣に向かって火球をまとった槍の穂先を突き出す。
巨大な火球が汚染獣の上半身を呑み込み、その身を焼いたかに見えた――――が、

「なっ!」

打ち出された火球を汚染獣は左手を振るだけでかき消した。
鎧で覆われたその身には――――火傷一つない。
驚くシャンテに向かって汚染獣は右手の剣を横薙ぎにふるう。
すさまじい速度と重量の乗ったその一撃をシャンテは咄嗟に槍で受け止めた。
いや、受け止めようとした。

「うぎっ!」

汚染獣の一撃のあまりの威力に、シャンテは吹き飛ばされ、壁にたたきつけられる。

「シャンテ!!」

ゴルネオは思わず叫びながら床に崩れ落ちたシャンテに駆け寄った。

「シャンテ!大丈夫か!」

抱き起したシャンテの状態を見て、ゴルネオは絶句する。
槍は一撃でへし折れ、腕が両方ともおかしな方向に曲がっていた。
驚きで固まるゴルネオに、汚染獣が凄まじい速度で迫る。 落ちくぼんだ眼窩の感情の無い両目がゴルネオを見据えた。
剣を振りかぶった汚染獣を前に、ゴルネオは思わずシャンテをかばう。
その時、汚染獣の横から刀を持ったレイフォンが斬りかかった。
機敏に反応した汚染獣がレイフォンの斬撃を剣で受け止める。

「ゴルネオ・ルッケンス!!」

レイフォンの叫ぶ声に反応し、ゴルネオはシャンテを抱き上げてその場から飛びのいた。
それを横目で見ながらレイフォンも後ろに跳び退る。 予想以上の斬撃の鋭さに警戒したのか、汚染獣は深追いせず、その場に留まりじっとレイフォンを見据えていた。

「隊長!」

「レイフォン!」

通信機越しに先程の悲鳴を聞いたのか、ニーナとシャーニッドが階下から上がってきた。
次いで、ここが一階であるためにはっきりと声が聞こえたのか、外で待機していた他の第五小隊の面々やフェリ、ハイネ達も集まってくる。

「な、なんだこいつは!」

「ば、化物!!」

そこにいた異形を見て隊員たちが固まった。

「気を付けてください! これはおそらく汚染獣の変異体です!」

「汚染獣だと!?」

「こ、これが!?」

前回見たやつとはあまりにも姿かたちが異なるため、そう簡単には信じられない。
だがそれでも、目の前にいる“それ”が自分たちにとって脅威であることはわかるのだろう。 ニーナやハイネは慄きながらも武器を抜いて身構え、シャーニッドも二丁の拳銃を復元した状態で油断なく敵を見据える。
第五小隊のメンバーも講堂内に散開しながら各々の武器を構えた。

「先程、食糧貯蔵庫の冷凍室内に無数の死体が詰め込まれているのを確認しました。 おそらくはこの都市の住人……“人間の死体”です」

その異様な姿の汚染獣と真正面から対峙しながら、レイフォンが静かな声で自分の見たことについて話す。
シャンテに襲われる前、食糧貯蔵庫を調べたレイフォンは冷凍室の中で確かに見た。
豚肉や牛肉の代わりに吊るされていた、凍った人間の死体。 吊るされた者だけでなく床にも多くの死体が横たわり、大勢の亡骸が折り重なるようにして積み上げられていた。

「冷凍室に死体だと? ………まさか、こいつがやったというのか!?」

信じられない話だが、事実、そうとしか考えられない。 この都市にいるのは、目の前の汚染獣を除けばそれこそ死人だけだ。
汚染獣が人間の死体を冷凍室に詰め込んでいた。 理由は簡単。 食糧貯蔵庫の名の通り、自分の食料を腐らせないように保存していたのだろう。
街中に残っていたのが血痕やごく小さな骨の欠片だけだったのも、おそらくはこいつの仕業だ。 異形の怪物が都市内をうろつき回って死体漁りをしているというのもシュールな絵面だが、この汚染獣の姿を見る限りありえないとは言い切れない。 どうやら五体の揃った死体はこの汚染獣が拾い集めて冷凍保存し、それ以外……すなわち千切れた手足などは、拾ったその場で食っていたようだ。 だからこそ、都市内に人の死んだ痕跡はあっても、まとまった死体が無かったのだろう。

「姿もそうですけど、どうやら行動まで人間を模倣しているようです。 食べた人間の知識を吸収できるのか、ただ単に知能が高いのかは分かりませんが……いえ、少なくとも並の汚染獣よりも遥かに優れた知性を持っているのは確かです。 奴にとっては幸いなことに、都市内には電源がまだ生きてますし。 何カ月も、あるいは何年も電源を入れっぱなしにしておくことを前提に作られた冷凍庫や冷凍室が、そう簡単に停止するとは思えません」

「わざわざ人間を腐らせずに保存してチマチマと食ってたってのか? 美食家の汚染獣とは恐れ入るぜ、くそったれ!」

顔を顰めたシャーニッドが吐き捨てるように声を上げる。 汚染獣が街中の死体を片づけて回っていたなどと、全くもって笑えない。 ニーナたちも、あまりに非現実的で信じがたい事実に口元を押さえる。
その時、痺れを切らしたのか汚染獣が咆哮と共に走り出した。 そのまま正面に対峙するレイフォンへと凄まじい勢いで斬りかかる。
レイフォンは脳天に振り下ろされるその一撃を躱し、次いで、霞むような速度で反撃の一閃を放った。
汚染獣はそれを危ういところで受け止める。 しかしレイフォンは動きを止めない。 素早く刀を引き戻し、さらなる追撃を繰り出していく。

「はぁっ!」

短く叫びながらレイフォンはなおも苛烈に斬りかかる。
相手もまた手に持った、いや、手から直接生えた剣をふるって迎撃する。
汚染獣の動きはとても洗練されているとは言い難いが、その速度と膂力、反射速度は凄まじい。
尋常ならざる頑丈さの剣を振るい、敵は神速で繰り出されるレイフォンの斬撃をことごとく防いでいた。

「イルメナ! シャンテを頼む!」

後から来た隊員の一人、細剣を持った女性にシャンテを預けると、ゴルネオは再び構える。
自分に倒せるような敵とは思えないが、もしも途中で標的を変えてこちらに向かってきたなら、なんとかして食らい付き時間を稼がなくてはならない。

「――っ!? つぅっ!」

と、背後で急にフェリが頭を押さえて呻いた。
ゴルネオと同じく武器を構えていたニーナが思わず振り返る。

「どうした!? フェリっ!」

「………あの汚染獣を念威で調べようとすると、何らかの力で阻害されます」

見ると、第五小隊の念威操者も頭を押さえていた。
おそらくは、それがあの汚染獣の特殊な能力なのだろう。 念威の働きを妨害する力。 そしてその力はこの建物全体に及んでいる。 かなり厄介だ。

(多くの武芸者や念威繰者と戦ってきたのかもしれん)

そして戦った相手を喰ってきたのだろう。 あの形体、そしてこの能力はその末に発現したものであるとゴルネオは予測した。
数え切れぬほどの武芸者を、念威繰者を喰らい、取り込み、その能力を己が身に還元した。
人を模したかのような五体や、あの右手に生えた剣なども、都市で戦う武芸者たちの姿と力、戦い方を体現しているのかもしれない。

(よりにもよって、滅びた都市にこれほど厄介な敵がいるとは!)

おそらく危険はないだろうという予測を前提にここへ来たのが悔やまれる。 しかし彼らを送り込んだカリアンを責めることはできないだろう。 誰がこんな無人の都市にここまでの強敵が現れると予測できる?
いや、レイフォンだけは予測していた。 正確には、何か危険なことが起こるという可能性を捨てなかった。 だからこそ、これほど異様な光景を前に取り乱すこともなく対処できる。 グレンダンでの日常が、レイフォンに常在戦場の心構えを刻み込んでいたのだ。
しかし疑問は残る。
何故、これほど危険な汚染獣がいるというのに、彼らの住まう都市は――、

――ツェルニはこの場を回避しなかったのか……。

ふと、先日のヴァンゼのセリフが思い出される。

『餓えは都市さえも狂わせる』

まさにその通りなのだろう。
これから戦争期に入ろうとしているツェルニとしては、どうしてもこのタイミングで補給を行う必要があったのだ。
そしてツェルニの保有している鉱山はここ一つしかない。
だから、危険だと分かっていても来るしかなかったのだ。
あるいは……この汚染獣には都市の感知すらもくぐり抜ける何かしらの能力があるのだろうか。
念威繰者の索敵を潜り抜けるような個体だ。 こちらの常識は通用しない。
どちらにせよ、

(こいつは……なんとしてもここで倒さなくては、ツェルニが危ない!)

ゴルネオはそう感じながらも、レイフォンに頼るしかないこの現状に歯噛みする。
小型とはいえ汚染獣の、それも老成体を敵に回して、自分などが相手になるわけがない。

「ぐっ!」

その時、汚染獣のふるう反撃の剣に、レイフォンが弾き飛ばされた。 レイフォンは部屋の隅まで吹き飛び、そこに積み重ねられていたパイプ椅子にぶち当たる。 そしてそのまま崩れてきた椅子の下敷きになった。
レイフォンが力で圧倒される姿に、ゴルネオは信じられない気持になる。
まさか元天剣授受者であるレイフォンが、あの兄と同格の存在であるはずの男が、敵の攻撃に耐えきれず吹き飛ばされるとは――!

と、邪魔者を撥ね退けた汚染獣の眼が新たに現れた闖入者達に向けられる。
獲物を見定めた汚染獣は、ニーナ達に向かって走り出した。
シャーニッドが咄嗟に両手に持った拳銃から剄弾を連射する。
しかし汚染獣の装甲はまるでびくともしない。 体を撃つ剄弾など意にも介さず、まっすぐに突っ込んでくる。
第五小隊の狙撃手バレルも銃を撃つがダメージを受けている様子はまるでなく、そのまま汚染獣は最も前に出ていたニーナに迫り襲いかかった。
ふるわれた一撃に、とっさにニーナは鉄鞭を交差し防御しようとする。 受けた両腕に凄まじい衝撃が走った。
しかし、踏ん張りきれずにニーナもまた吹き飛ばされる。

「ニーナ!」

シャーニッドが走り寄って様子を見ると、ニーナの両腕が肩で脱臼していた。 完全に外れている。
踏ん張ろうとして無理な力がかかったのか、膝の関節も捻挫したようになっていた。
これでは戦うことも逃げることも不可能だ。 それを見て、シャーニッドは驚愕する。
あの怪物は、ツェルニでも屈指の防御力を誇るニーナの鉄壁の防御をやすやすと打ち砕いたのだ。
いや、そもそもレイフォンが押された時点で、すでに自分たちの敵う相手ではない。 次元が違う!
汚染獣がこちらを向き直る。
剣を構え、再び突進しようとした時、

「ふっ!」

降り重なった椅子を撥ね飛ばして立ち上がったレイフォンが一瞬で汚染獣の背中へと肉薄し、閃光のような斬撃を放った。
汚染獣は己の肩に刃が振り下ろされる寸前で振り返り、その一撃を自らの剣で受ける。


そして再び剣戟の嵐が吹き荒れた。


レイフォンが縦横無尽に神速の斬撃を繰り出し、それを神懸かり的な反射速度で汚染獣が防御する。 そして強烈な一撃の後の隙とも言えぬ攻勢の空白に汚染獣の強烈な反撃が放たれる。 しかしレイフォンは焦らない。 一度突かれた隙を何度も突かれるほど間抜けではなく、無駄の無い動きでその一撃を躱し、再び降り注ぐ雨のような高速連撃を繰り出した。
レイフォンの怒涛の攻撃を汚染獣が防ぎ、攻撃から攻撃へと繋ぐ僅かな間隙を抜いて汚染獣が反撃する、そしてそれを躱したレイフォンが再度攻撃の嵐を生む。 そんな攻防が何度も繰り返された。
だが、やがて――――

「レイフォンが押され始めている?」

汚染獣が徐々に、しかし確実に先程よりも強くなっている。
それを証明するかのように、少しずつ汚染獣の反撃する間隔が短くなってきていた。
学習しているのだ。 と、その戦いを見守っていたゴルネオは内心で独りごちた。
汚染獣はレイフォンと刃を交わすたびにその動きをさらに鋭くし、剣捌きは徐々にその技量を増していく。
体捌きからは無駄が削がれ、繰り出される剣筋は理にかなった最も切れ味の発揮できる角度に。
強者と戦うことでその動きを模倣し、同時に自らの動きをより効率的な形へと改善させる。 戦いの中で急激に成長しているのだ。
この個体が武芸者を喰らうことでその力を己が身に反映させたとするのなら、それは何も不思議なことではない。
殺せば殺すほど、喰らえば喰らうほど、戦えば戦うほど、この汚染獣は強くなる。
レイフォンという達人と剣を交える中で洗練されたその動きと技は、すでに一流のそれとなっていた。

長引けばそれだけレイフォンが不利だ。
技量が徐々に互角へと近付いている。 だが、身体能力の差は如何ともしがたい。
敏捷性では小柄なレイフォンの方が上。 しかし膂力は汚染獣側に絶対の利がある。 加えて、持久力や耐久力においては比べるのも馬鹿馬鹿しくなるほど相手が上回るだろう。
レイフォンの武器と腕力では汚染獣の一撃を受け止めることはできないし、相手の反射速度を完全に上回れるほどの身体速度があるわけでもない。 何より体力や生命力で汚染獣に、それも老成体相手に敵うわけがない。 並の武芸者をはるかに上回る剄力を持つ天剣授受者であろうと、それは同様である。
そしてレイフォンの技量を身に付けた汚染獣を倒せる者は、ツェルニには存在しない。

だが、だからといって剣を退くことも既に不可能なのだ。
今はまだ、レイフォンの猛攻によって相手を防戦に押し込めることができている。
しかし攻勢を緩めれば、それだけであっという間にひっくり返されジリ貧になってしまうだろう。
このまま状況が膠着すれば、いずれレイフォンは命を落とすことになる。
その時、ゴルネオの心の中で小さな声が響いた。
わざわざ自分が復讐などせずとも、レイフォンは……ガハルドの仇は死ぬ。 ゴルネオでは一生敵わないであろう相手が。
わかっているのだ。 自分では、たとえ何年かかろうともこの男に追い着くことなどできはしない。 だが――、


――このまま傍観すれば、自ら手を下すことなく仇を死に追いやれるかもしれない……。


それは心を揺らす甘い囁き。
しかしそんな内心の声を、ゴルネオは全力で振り払った。
そして同時に、一瞬とはいえ自らの心に浮かんだ醜さに嫌悪し、怒りを覚える。

――ふざけるな!

仇敵が死ねば他はどうでもいいのか? 違う!
確かにゴルネオは復讐を望んでいる。 だが、こんな形での死など望んではいない。
何よりここでレイフォンが敗北すれば、ツェルニの武芸者でこの汚染獣を倒せる者は誰もいなくなる。
そうなれば、この場にいる者たちは皆殺しにされるだろう。 第十七小隊の面々はもちろん、ゴルネオやシャンテ、その部下たちも例外なく喰い殺される。 そして、何も危険を知らないツェルニがここに到着し、汚染獣が向こうへと渡れば、その上に住まう者たちは為すすべなく蹂躙されることになるのだ。
ここで逃せば、この狡猾で強大な捕食者はツェルニに住まう人々を次々と喰らい、恐怖のどん底へと叩き込むだろう。
ゴルネオは横目で他の隊員に介抱されるシャンテを見やる。

――ここで死ぬわけには、いかない!

それからゴルネオは少し離れた所に落ちている折れた槍の穂先を見た。
汚染獣の強烈な一撃でへし折られた、紅玉錬金鋼製のシャンテの槍だ。
ゴルネオは無言でそれを拾い上げ、手の中でその感触を確かめる。

(何とかなるか……? いや、何とかするしかない)

ゴルネオは静かにその場から離れると、レイフォンと激しい攻防を繰り広げている汚染獣の背後へゆっくりと回った。
汚染獣はこちらに気付いていない。 それだけレイフォンの攻勢が激しいのだろう。 いかに老成体と言えど、他に気を逸らしている余裕がないのだ。 だが、それも何時まで持つかはわからない。
周囲に展開した調査隊の隊員たちは、目の前で行われている人知を超えた戦闘の光景に目を奪われていた。 いや、むしろ言葉を失っている。
その場の全員の意識が汚染獣とレイフォンの戦いに向いている中、ゴルネオは静かに、しかしできる限り迅速に汚染獣へと接近した。
そのまま真っ直ぐに汚染獣の背中を見据える。

常に立ち位置を変えながら敏捷に動き回るレイフォンとは対照的に、汚染獣はその場からほとんど動かない。 冷静に相手の動きを見極めながら、適確に対処していく。
しかしその分、汚染獣の注意はレイフォン一人に向けられている。 とはいえ、現状この人外を相手にまともにダメージを与えられるのはレイフォンだけであり、そういう意味では、汚染獣がレイフォンを集中的に殺そうとしていることは正解と言えるだろう。 彼さえ倒せば、汚染獣にとってこの場での脅威は取り除かれるのだから。
しかしだからこそ、そこには隙がある。
両足に力を込め、ゴルネオは一足飛びに汚染獣へと飛びかかり、その背中にしがみついた。
そのまま槍の穂先を振り上げ……、

「ぐっ!」

突如、汚染獣の背中側の甲殻が盛り上がり、その隙間から角のように無数の棘が飛び出しゴルネオを襲う。 直後、体に走る鋭い痛み。
急所は外していたが、長く太い槍のような棘が脇腹と肩に深く突き刺さっていた。

「う……おおおぉ!」

それでも、穂先を振り下ろす。
首筋の、甲殻の存在しない筋肉が露出した部分へと――!

「ギィアァァァァァァ!」

穂先が深々と突き刺さり、汚染獣が悲鳴を上げる。
ゴルネオはさらにその槍に化錬剄で変化した剄を流し込んだ。

外力系衝剄の化錬変化 紫電

電流へと変化した剄が汚染獣の首筋から流れ込む。
いくら人外の化物とはいえ、体の形状が人間と似ている以上、その構造もある程度似通っているはずだ。 急所に電撃を受ければ、流石の汚染獣も平気ではいられないだろう。
狙い通り、汚染獣は全身を走る痺れに、僅かに動きが鈍る。 そしてレイフォンはその隙を逃さない。
振り抜いた刃が翻り、すくいあげるような斬撃が汚染獣の防御を掻い潜ってその右腕を斬り飛ばした。
歪な剣の生えた腕が宙を舞い、汚染獣の苦鳴が上がる。
レイフォンはそのまま右脚を引いて左半身に。 汚染獣の背中からゴルネオが離脱するのを見届けながら、返す刀を引き戻して刺突の構えを取る。
そして汚染獣の胴体――胸当てのような甲殻の鎧をめがけて鋭い突きを放った。

サイハーデン刀争術  刃紋抜き

まるで水に刃を突き立てたかのごとく、刀はするりと吸い込まれるように突き刺さった。
そして同時に、刀から放たれた衝剄が細胞レベルで汚染獣の肉体を破壊する。 武器破壊技を応用した浸透攻撃だ。
突き込まれた切っ先はその胸を深々と貫き、体内へと流れ込んだ剄は、汚染獣の甲殻だけでなく内側の体組織までもを次々と破壊した。

「グオォォォォォォォォォ!」

汚染獣が苦悶の叫びを上げる。
確かな手応えを感じ、レイフォンは刀を引きぬこうとした。

「くっ!」

その時、痛みにもがいた汚染獣が強固な鎧で覆われた腕を振り回して、胸元にいたレイフォンを弾き飛ばした。
レイフォンは咄嗟に引き抜こうとしていた刀の柄から手を離し、自ら後へ跳んで衝撃を緩和する。 そのまま空中で体勢を立て直すと、綺麗に床に着地した。
中途半端に引き抜かれた鋼鉄錬金鋼の刀が、汚染獣の体から抜け落ち床に突き刺さる。 それを視認しながらレイフォンは青石錬金鋼を抜いて復元、鋼糸を展開した。
無数の鋼糸が宙を走り、汚染獣の体に絡みつく。 全身を縛り上げられ、汚染獣は碌に身動きが取れなくなった。

とはいえ拘束は長く持たない。
いくら汚染獣として小型であろうと、その身に宿る膂力は老成体のそれだ。
筋肉の強度や外皮の硬度は並の汚染獣を遥かに凌ぐだろう。
事実、その膂力はレイフォンをして受け止めきれないものだった。
先程攻撃を受けたシャンテが怪我で済んだのはただの偶然だ。 槍を楯にしたこと、そして体重が非常に軽く、空中で打撃を受けたお陰で衝撃をまともに食らわなかっただけ。
ニーナに関しても、頑丈な黒鋼錬金鋼やレイフォンの教えた金剛剄が無ければ、まったく防御できなかっただろう。
一歩違っていれば、二人とも最初の一撃で胴体真っ二つになるか、ぺちゃんこに潰されて死んでいたかもしれない。
時間をかければ身体能力の差が響く。 だからこそ、少しでも早く決着をつけなくてはならない。
レイフォンは鋼糸で汚染獣の身動きを封じながら素早く接近し、大きく息を吸う。

「かぁっ!」

外力系衝剄の変化  ルッケンス秘奥 咆剄殺

瞬間、レイフォンの口から凄まじい振動波が発せられた。
物体の分子結合を破壊する振動が響き、波動となって汚染獣に襲いかかる。
これはゴルネオの先祖でもある初代ルッケンスが考案した、ルッケンス流格闘術奥義の一つ。 グレンダンの長い歴史の中で、初代を除けば現天剣授受者であるサヴァリスだけが使えたという秘奥中の秘奥。
手足を失っても尚戦い続けることを目的に編み出された、文字通りルッケンス最後の切り札である。
実際には習得が困難であるがゆえに秘奥とされているだけであり、使い手から見ればさほど勝手の良い技ではないが、それでも至近距離で食らわせれば十分な殺傷力を持っている。 人間の肉体ならば粉々になっていただろう。
だが――、

「くっ!?」

しかしまだ……倒れない!
すでに鋼糸による拘束は解けていた。 それでも、かなりのダメージを受けたはずなのだ。
なのに、

「まだ、なのか……」

全身の甲殻に罅が入り、すでにボロボロの体でありながら、汚染獣は尚も残った左腕を振り上げる。
その一撃をレイフォンは躱せない。 すでにかなり消耗していたところに慣れないルッケンスの秘奥を使ったせいで体に力が入らないのだ。
動きが鈍っていたのはほんの数秒。 しかし老成体の汚染獣を前にして、それは致命的な隙だった。
甲殻に覆われた歪で武骨な手のひらが、レイフォンの体を打ち砕かんと振り下ろされる。
その時、

「お、あぁぁぁぁぁぁ!」

数メルトル離れた先で、突如巨大な剄が膨れ上がった。
そこにいたのは両手に銃を構えたシャーニッドだ。 今、彼の剄脈は普段の何倍も活性化し、体内を凄まじい剄の奔流が荒れ狂っている。
その状態で、シャーニッドは両手に構えた拳銃を――――撃った。

「ギィッ!?」

撃ち込まれた剄弾に汚染獣がよろめく。
それで勢い付いたかのように、シャーニッドは雄叫びをあげて両手の拳銃を連射した。

「うおおおおおおおおお!」

先程までまるでダメージを与えられなかったことが嘘のように、シャーニッドの放つ弾丸は汚染獣の体を殴りつけ、罅が入っていた甲殻を打ち砕いていく。 剄弾で砕かれた甲殻の鎧は破片となって汚染獣の体から剥がれ落ちた。
彼が使っているのは剄の伝導率の低い黒鋼錬金鋼製の拳銃だ。 剄弾一つ一つの密度や威力はさほどでもない。
その剄弾が、確かに強力な汚染獣の肉体にダメージを蓄積していく。

内力系活剄の変化  照星眼

その時、シャーニッドの右眼とその周辺が、一点に集中した剄で光っていた。
正確な遠距離射撃のために視力を選別強化する。 それは、狙撃武器を扱う全ての武芸者が最初に覚えるべき活剄の基本技、照星。
今シャーニッドが使っているのは、そこからさらに一歩先へと進んだ技だ。
遠くの相手を鮮明に見据えるだけでなく、標的の致命的な部分を確実に見抜く。 その目は標的を捕えると同時に、瞬時に相手の表面上の打撃的弱点部位を精査するのだ。
老成体が相手では、流石にこれだけで絶命させることはできない。 だが、レイフォンの猛攻によって全身に傷を負い、甲殻の鎧の至る所がひび割れて、防御に綻びが生じた状態ならば話は別だ。
最も大きな打撃を効率的に与えられる一点を狙い、シャーニッドは雨のように弾丸を撃ち込んでいく。 罅割れた甲殻を無理やり剥ぎ取られ、体中の傷痕をさらに抉られた汚染獣は、たまらず腕で体を庇いながらレイフォンから離れた。
もちろん、敵の弱点が分かったからといって、そこを正確に射抜く技量がなければ意味がない。 剄力を一時的に高めたシャーニッドは、普段から使っていたこの技の精度を高めると同時に、その場所を正確に撃ち抜くために活剄で肉体も強化していた。

「ハアァァァァァァァァ!」

シャーニッドの横では、双剣を抜いたハイネもまたレイフォンを援護するように技を繰り出した。
両手に持った巨鋼錬金鋼(チタンダイト)の剣を霞むような速度で振り回し、動作に遭わせて無数の衝剄を連続で放つ。

外力系衝剄の変化  連槍剄(れんそうけい)

レイフォンの浸透剄技や分子結合を破壊する振動波ですでにボロボロになっていた鎧は、シャーニッドの射撃による追い打ちでさらに剥ぎ取られていた。
そうして剥き出しになった肉体に、鏃の形へと固く凝縮された衝剄の塊が立て続けに撃ち込まれる。
巨鋼錬金鋼の武器はその軽さであり、取り回し易さだ。 その真価は、連続攻撃の速さにおいて最も発揮される。 しかし武芸者の技はただ速く振り回せれば良いというものではない。 重要なのは、自らの動作の速度に合わせて正確に剄を練る技術だ。 凝縮された衝剄を一定の技の形で連射する。 言うほど簡単なことではない。 その動作それ自体を機能としている銃ならばともかく、衝剄を撃つたびに次々と体内で剄を練り上げ一つの形に固めるというのは、それだけで一つの技である。 その点において、ハイネはツェルニ武芸科の誰よりも優れていた。 だからこその高速連続攻撃であり、そのための巨鋼錬金鋼だ。

「おおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

さらに、一旦汚染獣と距離を取ったゴルネオが、好機とばかりに剄を練り上げる。
一矢は報いた。 だが、それだけでは足りない。 一つは腕を折られたシャンテの分。 そしてもう一つは――――、

(小隊員として、そしてグレンダンの武芸者としての、俺自身の誇りと矜持のために。 ガハルドさんの名誉を傷つけたレイフォン・アルセイフの記憶に、俺の存在を焼きつけるために)

視力を上げていたシャーニッドは気付いただろう。 いつの間にか、汚染獣の体に無数の剄の糸が絡み付いていたことに。 先程汚染獣の背中に組み付いた際、化錬剄を使って剄糸を貼り付けておいたのだ。
とはいえ、それ自体にレイフォンの鋼糸のような攻撃力や拘束力があるわけではない。 だがそれでも、敵はもはやこちらの攻撃から逃れることはできない。

「はぁっ!」

外力系衝剄の化錬変化  爆導炎鎖(ばくどうえんさ)

ゴルネオの両拳から化錬剄で変化した剄弾が無数に放出され、糸を通して汚染獣の体に着弾する。
剄弾は炎を伴う爆発を起こし、汚染獣の体表を火炎の奔流が舐めた。 すでにボロボロになっていた汚染獣の肉体に次々と剄弾が叩き込まれる。 傷んだ体を殴りつける衝撃と外皮を焼く炎に、苦悶の鳴き声を上げながら汚染獣がさらに後退した。
次の瞬間、ゴルネオの脇腹と肩口から派手に血が吹き出る。 先程の傷口が開いたのだ。
文字通り体を貫く痛みにゴルネオが呻く。 もはやまともに戦える余力は残っていない。 それでも、その顔には満足げな笑みが浮かんでいた。

(ここまでか……一学生としては上等、だな)

三人の攻撃が汚染獣の動きを止めたのはほんの数秒。
だが、それだけあればレイフォンが次の攻撃態勢を整えるには十分だ。
床から拾い上げた刀を体の左側で腰だめにし、左手で刀身を掴んだ右半身の構えを取る。 抜き打ちの構え。 
次の瞬間、居合抜きの要領で放たれた神速の一閃が焔を纏いながら逆袈裟に走った。

サイハーデン刀争術  焔切り

三人の連続攻撃で損傷した胴体に斬線が走り、汚染獣が苦悶の叫びを上げる。

サイハーデン刀争術  焔返し

レイフォンはすぐさま返す刀でやや低めに逆方向の袈裟斬を放ち汚染獣の左足を斬り飛ばした。
右手と左足を失った汚染獣は体勢を支えきれなくなり、這い蹲るように左手を床に突く。
こちらを見上げるように持ち上がった顔は、仮面のような甲殻の左顔面部分が剥がれ、生皮を剥がれた人間のように筋肉がむき出しになっていた。
落ちくぼんだ眼窩に見える白濁した眼球は、人間性どころか生物性すらも感じさせない。 ガラスのような……いや、まるで陶器のような瞳だ。
差し出されるように前に出た頭部を狙い、レイフォンは再び突きの構えを取る。 同時に両の手から個別に衝剄を放ち、その手に握る刀へと流し込んだ。 それぞれ別個の流れを持った二つの衝剄は、刀身を軸にして二重螺旋を描きながら切っ先へと収束される。
その時、不意に目の前の汚染獣からザラザラとかすれた声が聞こえた。

「ナゼ………オ前たちは……我々を殺ソウとする………。 あたかモ我々が悪しき存在デあるカのように………」

聞き取りづらい声だが、確かにその言葉は汚染獣の口から聞こえていた。 汚染獣が言葉を話すという事実に、僅かにレイフォンの目が見開かれる。
相手は言葉の意味を分かって言っているのか、それともただ単に人間の声帯を模しているだけなのか……それは自分にはわからない。
だが、それでもレイフォンは言葉を返した。

「僕がお前を殺すのは、お前が悪だからじゃない。 お前が人を食うからだ」

今ここで殺しておかなければ、この汚染獣はツェルニへと渡って生徒たちを食い殺すだろう。
学生武芸者では手も足も出ない凄まじい戦闘力に、獣とは思えぬほどの高い知能、念威繰者の探査をも掻い潜る特異な能力。
その全てを駆使して、こいつは多くの人間を喰らうのだ。 年齢も男女も一切区別せず、全て等しく喰らうだろう。
当然、レイフォンの大切な人たちでさえも――――――、

「デは……お前は人を食うことが悪シキことダというのか……。 お前たち人間モ、他の生物を喰ってイるのだろう……。 なのニなぜ、我々ダケが殺されなけレバならない。 なぜお前たちハ自分たち人間ダケを特別扱いスル……」

「二度言わせるな」

聞く必要は無いのかもしれない。
答える必要は無いのかもしれない。
それでもレイフォンは言葉を返す。
自分の意志を示すために。
自分の生き方を現すために。

「善悪じゃない………ただの感情だよ」

掲げるべき大義も、抱くべき矜持も、レイフォンには無い。
心にあるのはただ一つ。
大切な者たちを失いたくないという、単純で利己的で、それでいて決して褪せることなき感情だけだ。
それだけを胸に、レイフォンは戦い続ける。 それだけを思い、レイフォンは殺し続ける。
今までも………そして、これからも。
邪悪だから? 違う。 敵だから殺すのだ。

「許せとは言わない。 憎むなとも言わない」

詫びるつもりも、悔やむつもりも一切無い。
そんな資格は、自分に無い。

「僕がお前に望むのはただ一つ」

―――― 僕たちが生きるために、

「今ここで………死ね!」

叫びと共に突きを放つ。
切っ先は真っ直ぐに突き進み、怒りの咆哮を上げる汚染獣の口内へと突きこまれた。
刀身が呑み込まれるように口から入り喉を通る。 そしてそのまま汚染獣の胴体の胸の辺りまで貫いた。

サイハーデン刀争術  逆螺子 (さかねじ)

瞬間、切っ先に収束された二つの衝剄が解き放たれる。 肉体内部で解放された衝剄の刃は、汚染獣の体を内側から容赦なく切り刻んだ。
二重螺旋状に走る衝剄の猛威は、回転の輪を広げながらより深く体内へと突き進み、思うさまに破壊の牙を振るう。
口内に刀を突き込まれたまま、汚染獣が凄まじい叫び声を上げた。

「――っ!? くっ!」

と、限界を察知したレイフォンが咄嗟に鋼鉄錬金鋼の柄から手を放す。
直後、剄の過負荷に耐え切れなくなった錬金鋼が、汚染獣に突き立てられたまま内部から自壊し、爆発した。 さらに体内からの圧力で汚染獣の肉体が大きく膨張する。 耐え切れず、全身の皮膚と筋繊維が悲鳴を上げて断裂した。
それまでの攻撃ですでにズタズタになっていた汚染獣の肉体は、爆風と錬金鋼の破片によってさらに破壊され、上半身が粉々になって四散する。
レイフォンの攻撃の余波によって、周囲には汚染獣の体液が飛び散り、バラバラになった肉片が無惨に散乱した。

「はぁーっ……はぁーっ……」

素早く跳び退ったレイフォンはそこで大きく息を吐き、自身の技の結果を見やる。
後に残ったのは、肉体の上半分を破壊されて失った、汚染獣の死体だけだった。




























あとがき

と、いうわけでバトル回でした。
廃都市で人型の汚染獣と戦闘というこの展開は、私がこのss作品を書き始めた時から必ず書こうと思っていたシーンの1つでした。 なのでより一層感慨深かったです。
廃貴族を出さないからといって、何にも起こらずに帰還するのも味気ないし、敵がシャンテとゴルネオだけというのも物足りない。 そこで、アニメでもレイフォンが危惧していたように、汚染獣の変異体が潜んでいたという展開へと相成りました。
人型汚染獣の発想は11巻でデルクと戦った奴ですが、シチュエーションとして私がイメージしていたのは『エイリアン』などのようなSF・モンスターパニック映画ですね。 「無人の宇宙船やら建物、都市の中に探索のため乗り込んだら、目にしたものは不可解な痕跡と人を喰らう人外の化物」という感じでしょうか。 まぁ基本がレギオスなので、パニックやホラーよりはアクション寄りでしたけど。


さて、次話は廃都市編のエピローグ。 おそらくかなり短くなると思いますが、今回の話の纏めをするつもりです。
人間関係にケリを付けて、再びレイフォンは歩み始めます。



[23719] 31. 慟哭
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2012/05/04 18:04


戦闘後、調査隊の一行は怪我人を連れて落ち着ける場所まで移動し、怪我の手当てといくつかの確認作業を行っていた。 その一つが、都市内に見当たらなかった死体の行方である。

「隊長。 二人の報告通り、講堂の演台横音響室に汚染獣によるものと思しき異様な繭がありました。 それとリアンが念威で調べたのですが、アルセイフの予想通り、ここ以外にも大きな食糧室のある施設の冷凍室に人間の死体が詰め込まれていたそうです」

「そうか……ご苦労だった」

確認に向かっていた第五小隊の狙撃手バレルに労いの言葉をかけ、ゴルネオは息を深く吐いた。
レイフォンが報告した通り、中枢施設の地下食料庫には確かに死体があった。 だが、そこにあった死体の数は、この都市の規模を考えればどう見ても少な過ぎたのだ。
無論、戦闘の中で他の汚染獣に喰われた者もいただろうし、そもそも脱出して死を免れた者もいるはずである。 都市民の全てが冷凍保存されていた、ということはありえないだろう。
だが、それを踏まえた上でなお、死体の数が少ないのではないかとレイフォンが言ったのだ。
そこで念威繰者たちが改めて捜索した結果、他の死体も見つかった。 別の施設内――レストランのような大型の冷凍庫が備え付けられている建物――で、同じく冷凍保存されていたのだ。
昨日の段階では食料庫や冷凍室にまで気を配っていなかったことや、あくまで生者を探していたということもあり、念威繰者の二人も調査隊の面々も気付かなかった。

「それにしても随分変わった個体でしたね。 今までいろんな個体を見てきたけど、まさか汚染獣が電化製品やら人間の生活設備を利用するなんて、考えたことも無かった」

ふと、ゴルネオの手当てをしていた者が顔を上げて口を開く。
汚染獣の角で貫かれたその肩に包帯を巻いていたのはレイフォンだ。 正直、ゴルネオとしてはあまり良い気分ではなかったが、人手が足りないので贅沢も言っていられない。 何せまともに動ける者が限られている。
ここは先程の講堂から移動し、同じ建物内にある大きなホールのような空間だ。 壁際にはベンチもあり、落ち着いて手当てをするのに丁度良かった。
すでに汚染獣による妨害は納まっているため、現在は念威繰者二人が都市内の安全を改めて確かめている。 今のところ、新たな脅威や他の生物ぼ気配は無い。 油断はできないが、ひとまずの危機は去ったと見ていいだろう。

「それと、先程僕も鋼糸で繭を確かめました。 あくまで想像の域を出ませんけど、あの汚染獣はつい最近、おそらくはここ数日のうちに変異……というか脱皮したんだと思います。 さすがに繭で変体する汚染獣は見た事ありませんけどね。 ま、汚染獣の生態にこちらの常識なんて通じませんし、どこまでが限界なのかもわかりませんが。 冷凍室に死体を保存しておいたのは、長い眠りから覚めた時のために栄養を確保していたんでしょう。 脱皮の後は特に腹が減るようですから。 そういえば、獲った獲物を木の枝に刺して冬の備えにする鳥がいるって、昔図鑑で読んだことあったかな」

「……“はやにえ”とかいうやつか……」 

死者を悼むように目を瞑りながらゴルネオが独りごちる。
ツェルニが到着したら人手を送ってもらって丁重に弔ってやらねば、そう胸のうちで考えながら、ゴルネオは周囲で横たわる面々の様子を確認した。
彼の近くでは、第五小隊の女性隊員であるイルメナがもっとも大怪我をしたシャンテを介抱している。 ニールとアルスランも怪我をしていたが、重傷というほどではなかったため、簡単な応急処置を終えたところでベンチに寝かせてあった。
少し離れたところでは、両肩を脱臼し膝をねん挫したニーナをハイネが手当てしており、さらにその横のベンチでは、両目を濡れたタオルで覆ったシャーニッドがだるそうに横たわっている。
彼らも命に別条はなく、とりあえずはツェルニの到着まで安静にしていることを決めていた。

「ところでシャーニッド先輩、さっきのは何だったんですか?」

「ああ? さっきの?」

ハイネの問いに、目元を隠したままシャーニッドが胡乱げな声で訊き返す。

「ほら。 戦ってた時、急激に剄力が上昇してたやつですよ」

「ああ。 あれは……まぁ、簡単にいえば緊急避難用の奥の手、ってところだ」

珍しく、シャーニッドが若干言い辛そうに答えた。

「そんなすごい技あったんですね。 なんで今まで黙ってたんですか?」

「そうそう使い勝手の良いもんじゃないんだよ。 剄息をコントロールして剄脈を無理やり活性化、一時的に剄量を爆発的に増加させるって技なんだが、一度使っただけでこの通りの体たらくだ。 使い過ぎればどうなるか……考えたくもねぇよ」

「ああ、成程。 それはそうですよね」

「そもそも本来は逃げる時用に教わった技だしな。 ま、今回はあそこで敵を倒しておかねぇと危なかったから使ったが」

普通に動いている心臓を鷲掴みにして、もっと早く動けとポンプのように無理やり動かしているようなものである。 普段そんな剄量に慣れていない肉体がどうなるかは自明の理だ。
もっとも、今回ばかりは仕方ない。 逃げたところでツェルニまで追ってくればどの道喰われてしまっただろうし、レイフォンがいるうちに敵を倒せたのは、むしろ上等と言える。
とはいえシャーニッドとしては、倍力法のことを極力他者には知られたくなかったのだが。


そんな会話をする二人を横目に見ながら、ゴルネオはふと周りを見渡した。
シャンテを介抱していたイルメナは、水を汲みにこの場を離れている。 他の第五小隊や第十七小隊の面々ともいくらか距離が開いており、普通に会話する分には聞き耳でも立てない限りは聞こえない。
それらを確認し、ゴルネオは目の前にいるレイフォンに低い声で問いかけた。

「訊いてもいいか?」

「――? 何ですか?」

「グレンダンで起こったことの、真実についてだ」

ゴルネオが重々しく言う。 それを聞いたレイフォンが少しだけ目を細めた。

「お前は言っていたな。 武芸者の律を犯したというのならガハルドさんも同じだと……。 それはどういう意味だ? 一体、ガハルドさんに何があった?」

「………言ってもあなたは信じないと思いますけど」

声には微かに突き放すような響きがあった。
しかしゴルネオは引き下がらない。 ただ真っ直ぐにレイフォンの目を見据え、言葉を紡ぐ。

「それでも聞きたい。 信じるかどうかは別として、ただ、何故お前がガハルドさんを斬ったのか、その理由をお前の口から聞いておきたい。 それを聞かずして、一方的にお前を責めるのは筋違いだ」

顔を歪めているのは、昨日の己の態度を戒めているのかもしれない。
レイフォンはほんの僅かに瞑目し、それから感情を感じさせない声で語った。

「あの時……天剣争奪戦の前日、僕の闇試合の秘密を知ったガハルド・バレーンは、それをネタに僕を脅迫したんですよ。 犯罪を暴露されたくなければ、試合でわざと負けろと」

レイフォンの告白に、ゴルネオは一瞬言葉を失った。
自分の尊敬していた人物が……自身が、それこそ本当の兄よりも兄のように慕っていた男が、そんなことをするとは……
信じられない。 信じたくない。 そう叫びたい気持ちが湧き上がる。 しかしその感情は、レイフォンの乾いた瞳を前にして吐き出される前に勢いを失った。

「僕の罪が明るみになれば天剣は剥奪。 ならば同じ天剣を失うにしても、せめて名誉だけは守れる方法をとった方が良いのではないか。 そう言って、あの男は僕に八百長試合を持ちかけた。 それがあの時の、天剣争奪戦の真相です」

だが、レイフォンに必要なのは名誉などではなかった。
ただ金が必要で……そして、そのためには天剣という立場がどうしても不可欠だったのだ。
だから、殺すことにした。 殺そうと、した。

「そんな……まさか、ガハルドさんが……」

「信じるかどうかはあなたの勝手です。 あなたがどう思おうと、僕には興味ありませんから」

突き放すように、レイフォンは言う。
しかし返す言葉を、ゴルネオは持たなかった。

「…………ああ……」

噛みしめた唇から、小さく言葉が漏れる。
信じるしかなかった。 レイフォンが嘘を吐くような人間だと、最早ゴルネオは思っていない。 なぜならレイフォンには嘘を吐く理由が無いからだ。
この男は、ゴルネオのことをなんとも思っていない。 敵だとも、警戒すべき相手とも、和解し調和するべき相手とも……。 それこそ、同じ人間として見ていない。 だからこそ、シャンテに襲われても尚、こちらに殺気の欠片も見せることが無かったのだ。
この男にとって、ゴルネオとは路傍の石ころとなんら変わらない存在でしかない。 足元にあっても全く興味を示さない。 自分に向かって転がってくるようなら蹴飛ばす、その程度の存在。
ゆえに、嘘を吐いてまでゴルネオの怒りを躱そうとするはずがない。 自分にとって都合の良いように事実を捏造する必要も無いのだ。
ゴルネオがその言葉を信じようと信じまいと……その結果、彼がどのように行動しようと、レイフォンにとってはどうでもいいことだから……

そして何より……ゴルネオはガハルドが、一種狂的なまでに天剣という地位に……自分の兄であるサヴァリスに憧れていることを知っていた。
そんな兄と同じ地位に僅か十歳で辿り着いたレイフォンのことを、ガハルドが快く思っていないこともゴルネオは知っていた。 彼が天剣を得た時、試合を見ていたガハルドは、それこそ親の仇を見るような目で闘技場に立つ少年を見据えていたから。
ゆえにこそ、ガハルドの天剣に対する憧れは、最早執着を超えて妄執と言えるほどに強くなっていたのだろう。 武芸者の律を犯してでも、手に入れたいと望むほどに。
ガハルドが武芸者の掟を破り、レイフォンを卑劣な手段で失脚させようとしていたことを否定する材料が、ゴルネオには見つからない。 そのことが一層、ゴルネオの胸を締めつける。
もはやレイフォンの言葉は、疑いようもなかった。

「ぐ………お、おぉ……あぁ…………」

だから、ゴルネオは泣いた。
ぶつける場所を失くした怒りと、それでも尚、失望することも嫌うこともできない兄弟子に対する悲しみとで、ゴルネオは声を殺して泣きじゃくった。
レイフォンはそれを、やはり感情を映さない瞳で見つめていた。





どれくらい時間が流れたか。

「そう言えば……昨日は済みませんでした」

「――?」

すでに泣きやみ、どこか憑き物が落ちたような顔をしていたゴルネオは、レイフォンの言葉に怪訝そうな顔をした。 これまでまるで悪びれた様子の無かったレイフォンの今更な謝罪に、腑に落ちない気分になる。
いや、そもそも天剣争奪戦に関しては、レイフォンだけが悪かったとは言えない。 少なくともガハルドにも非はあったし、今までの態度から考えてもレイフォンが謝るのはどこか不自然に思える。
しかし、それは勘違いだった。

「あなた達を無能の役立たず呼ばわりしたことです」

「………ああ」

そっちか……、と思いながらも苦い顔でゴルネオは応える。

「それは……確かに腹も立ったが、決して間違いではないだろう。 事実、俺たちだけではツェルニを守れなかった。 前回も……そして今回も……」

僅かに、自嘲を込めて言う。
しかしレイフォンは首を横に振って続けた。

「いえ。 少なくとも今回は、先輩たちのお陰で助かりました。 あの人型の汚染獣は確かに強敵でしたから。 僕一人では、勝てたかどうか微妙なところです。 あなたや先輩たちの援護は、僕にとって十分助けになりましたよ」

レイフォンの真面目くさった言葉を聞き、

「……はっ」

ゴルネオは口の中で小さく笑った。
レイフォンの言葉を鵜呑みにしたわけではない。 この男なら、たとえ援護がなかったとしても十分に対処できていた可能性が高いとゴルネオは思う。
それでも、レイフォンは言うのだ。 助かったと。
そして、この男は嘘を吐くような人間ではない。 独力で切り抜けることも不可能ではなかったかもしれないが、危なかったのも事実なのだろう。
自分のような未熟者が、天剣授受者の手助けをした。 自分がいなければ、元とはいえ天剣授受者のレイフォンが命を落としていたかもしれない。
そのようなことを実家に話せばどんな反応をするか。
驚くだろうか? それとも信じないだろうか?
そんなことを考えて、ゴルネオは少しだけ笑う。

「ゴル………?」

その様子を、隣のベンチに横たわったシャンテが不思議なものを見るような目で見ていた。



















怪我人の手当てや大まかな事後処理が終わり、動ける者たちがようやく一息ついた頃。

「レイフォン! 少し来てくれ」

いつの間にかホールの出口の所に立っていたニーナが、何かを決意したかのような顔でレイフォンを呼んだ。
正直意外だった。 ほんの数時間前まで、あからさまにレイフォンを避けていたというのに。
しかしそんな内心を表に出さず、レイフォンは黙って立ち上がると出口の方へ向かった。 ニーナはレイフォンが自分の方へ向かって来るのを確認すると、踵を返して先に外へ出る。
ホールを出る直前、念威で周囲の探索を行っていたフェリがこちらを見ているのに気が付いた。
その目は、少しだけ心配そうだった。



「レイフォン。 私と戦ってくれないか」

ニーナの後を追って建物から出たところで、振り返った彼女は開口一番にそう言った。

「……どうしてまた?」

少々面食らいつつも、レイフォンは平静を保ちながら、それでいて怪訝そうに訊ねる。

「お前は言ったな。 己の正しさを証明したいのなら、力で示してみせろと」

「言いましたけど……まさか、その状態で戦うつもりですか? 結果を見るまでもないと思いますけど」

無謀な、とは言わない。 言うまでもない。 だが、何よりもその視線がレイフォンの心情を表していた。
脱臼した肩はすでに嵌め終わっているが、未だに鈍い痛みが残る。 包帯で覆われた膝も同じ。 壁に叩きつけられた背中には打僕もできているだろう。
控えめに言っても、満身創痍だった。

「そんなことは自分が一番よく分かっている」

こんな状態で勝負になるわけがない。 いや、仮に万全の状態で戦ったところで、レイフォンに勝てはしない。
そんなこと、戦うまでもなく分かっている。 今回の戦いを見て、その考えはより一層確信を強めた。
だが、

「これはけじめだ」

そう言うと、ニーナは両手に鉄鞭を復元し、体の前で交差するように構えた。
瞳には、既に見慣れた滾る様な闘志。

「本気ですか?」

「当然だ」

その言葉を受けて、レイフォンも気持ちを入れ替えた。
剣帯から最後の一本である青石錬金鋼を抜き、刀形態に復元してから正眼に構える。 それと同時に、レイフォンの瞳から感情の色が見えなくなった。
先程、念威の復活したフェリが都市中の索敵を済ませていた。 この滅びた都市で生き残っていた汚染獣は、あの老成体が一体だけ。 それを撃破した時点で、すでに脅威は去っている。 
レイフォンは無言で青石錬金鋼の刀を構えた。
対するニーナは腰を落とし、両脚を曲げた状態で引き絞る様に体を捻る。 武闘会で見た覚えのある、二振りの鉄鞭を体の後ろで揃えた構え。
張り詰めたような緊迫に、二人の間で僅かに空気が軋む。

瞬間、ニーナは活剄で限界まで強化した脚力で地を蹴り、レイフォンへと突貫した。
旋剄による高速移動で一直線に突っ込み、衝剄を纏った両の鉄鞭を同時に叩きつける。
己の持てる技と力全てをその一撃に乗せて――、

活剄衝剄金剛変化  剛鎚旋

交錯は一瞬。
鋭く澄んだ金属音と共に、レイフォンがニーナの横を駆け抜けた。
少しの間を置き、重い物が床に落ちる音――
そして、

「ふぅ……」

自分の手の中の錬金鋼を見て、ニーナが溜息を吐く。
硬度と頑丈さに優れた黒鋼錬金鋼製の鉄鞭が、真ん中で断ち切られていた。
切り口はぞっとするほどに滑らかで、その斬撃の速度と鋭さが一目で窺える。
考えるまでもない。 いや、最初から予想できた結果ではあった。

「私の……負けか……」

小さく呟き、ニーナはそのまま床に倒れ込んだ。

「先輩?」

一瞬、両腕と右脚の怪我が痛んだのかと思ったが、違った。
ニーナは仰向けのまま両腕で顔を覆い、嗚咽を漏らしていた。

「くそっ……私は……弱いなぁ……」

ツェルニを守ると誓ったはずなのに。
結局、いつも最後はレイフォンに守ってもらっていた。
幼生体が襲ってきた時も、雄性体の群れと衝突しそうになった時も、そして今回の変異体との戦いでも。
自分は足手纏いにしかなっていない。 目の前の脅威に対し為すすべもなく、ツェルニを脅かそうとしている敵に一矢を報いることもできず、ただ這い蹲って助けられるのを待つだけ。
惨めで、悔しくて、情けなくて。
口ばかりで何もできない自分が、許せなくて。

「畜生………畜生………」

しばらくの間、ニーナは顔を隠したまま泣き続けた。








「昨日は感情的になってすまなかった」

ようやく泣きやんだニーナは、視線を空に向けたままレイフォンの方を見ず、囁くように口を開いた。
どう応えるべきか分からず、レイフォンは口を噤んでニーナの言葉に耳を傾ける。 端から答えは期待していないのか、ニーナはさらに続けて自分の気持ちを述べた。

「私は、武芸者として己の正しさを示せなかった。 だから、これ以上自分の価値観を押しつけるような真似はしない」

小さく、しかしレイフォンの耳にはっきりと届く声で、ニーナは言う。
その顔には昨夜のような激情は見られず、むしろ清々しさを感じさせた。

「自分の理念と矜持を捨てるつもりはない。 やはり私にとって武芸とは神聖なものだし、戦いとは誇りを以って臨むものだからな。 これからも、私はツェルニを守るために全力を尽くす。 ……だが、お前にまでそれを強要はしない。 お前に、強くあること以上を求めはしない。 私自身が己の理想を体現できていない状態では、何を語ったところで相手の心には響かないだろうからな」

それでも、今後も互いの方針が衝突することはあるかもしれんが、と苦笑する。

「私は正しさを貫きたい。 常に人として、武芸者として規範となるべき行動を心掛けていきたいと思う。 そしてどんな時も自分の正しさを貫けるくらい強くなりたい。 もう二度と、力無き正義なんて言わせたくない。 己の無力を嘆くのは、もうたくさんだ」

「………そうですか」

レイフォンはニーナの言葉を否定も肯定もせず、ただ小さく頷いた。

「私はこれ以上、お前に何かを偉そうに説くような真似はしない。 できるはずもない。 だから、お前はお前の信じるもののために戦ってくれればいい。 それでも……もしもいつか、私も強くなれる時がきたら……私の力に、何かしらの感銘を受けることがあったなら……」

――その時は、志を同じくして戦ってほしい。

そんな内心の思いを込めて、ニーナは微笑んだ。
対するレイフォンは苦笑気味に、しかしどこか重荷が降りたような顔で、それに応える。

「心配しなくても、僕だってツェルニの存続のために尽力しますよ。 少なくとも、それが今の僕の戦う目的ですからね。 先輩と違って、そのための手段を選ぶつもりはありませんけど」

「……そうか」

少しだけ寂しげに笑い、ニーナはレイフォンから顔を逸らした。
しばらくは身体の痛みも取れそうにないので、仕方なく倒れた地面から上体だけを起こした体勢で、時間が経つのを待つ。その姿勢のまま、眼下の風景に目を落とした。
視線の先では、既に沈みかけた太陽が赤く染まっている。 そろそろ夕方、ツェルニが到着する頃合いだ。
レイフォンと並んで夕日を眺めながら、ニーナは今回の任務で起きたこと、知ったこと、そして……自身の行いや言動について考えていた。
昨夜の、感情的になった言葉のやり取りが脳裏に甦る。

自分はレイフォンを言葉で説得しようとした。
だが、自身が実現できていないものを、他人に納得させることなどできようはずもない。
ニーナは確かに武芸者として潔癖であり、品行方正と言えるだろう。 だが、その正しいやり方で何もかもを上手くやり遂げてきたとはお世辞にも言えない。
武芸者の誇りにかけてツェルニを守る。 それが今の、この二年と数カ月の日々の中で抱くようになったニーナの信念だ。
だが実際にツェルニを守り抜いたのは、常に武芸者として正しくあろうとするニーナではなく、どこまでも己の都合と感情で戦うレイフォンだった。
ニーナには、レイフォンを非難する資格も、軽蔑する資格もない。
役目を果たせなかった自分が、本心や動機がどうあれ、代わりに役目を果たしてくれた相手をとやかく言うなど、それこそ許されることではない。
正しいだけで力の無い武芸者など、それこそ害悪にすらなりうるだろう。

武芸者の世界は実力主義。
それは何も、強ければ何をしてもいいというわけではない。 だが同時に、武芸者が何かを成すには力が無くてはならないのも確かなのだ。
力が無ければ何一つ守れず、力が無ければ何一つ得られない。 あるいは得られる物があったとしても、己の力で得たものでなければ、いとも容易く失われてしまう。
ゆえに、武芸者にとって自らの在り方や信念を示す最良の手段……武芸者としてのあるべき姿を示すために、もっとも物を言うのが力なのだ。
力無き武芸者の掲げる理想や理念に、心の底から賛同できる者などいるはずもない。
あるべき姿を体現できていない者が、どんな理想を語ったところで、それは虚しく響くだけ。

――だからこそ、私は強くならなければならない!

音の絶えた都市で、ツェルニの近付く足音に耳を澄ませながら、ニーナは心のうちで強く叫ぶ。
そして、その瞳に強い意志を込めて決意を新たにするニーナの姿を、隣に立ったレイフォンは、どこか優しく見守るような顔で横目に見ていた。


























あとがき

と、短いですが廃都市編のエピローグ的な回。
廃都市に来て以来大荒れだった人間関係のもつれもようやく終息に。 とことんまで敵対させるとこれからの学園生活がギスギスしてしまいますので、適当なところで和解となりました。
ゴルネオは和解というより、事実を知って憎み切ることができなくなった、ってところでしょうか。
ニーナに関しては、お互いが相手の考えに対し妥協するのではなく、どちらも自分の信じる道を行く、といった感じで。


さて、そろそろさ~坊の登場です。
加えて、フェイランやアルマ達オリキャラ一年生も徐々に出番が増えていくと思いますので。
次回は番外編というか短編的な話を挟んでから、4巻のストーリーに入っていく予定です。





[23719] 00. Sentimental Voice  (番外編)
Name: 嘘吐き◆e863a685 ID:eb6ba1df
Date: 2012/07/04 02:22
『天剣授受者レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフ。 貴公はグレンダン武芸者たちの規範となるべき立場にありながら、都市の法を破り、違法な賭け試合に出場した。 これは極めて由々しきことであり、貴公の罪は法的にも立場的にも決して許されることのないものである。
 ゆえに今日これより、貴公の天剣授受者としての地位を剥奪し、天剣没収の上、都市外への退去を命じる。 猶予は一年。 それまでにグレンダンを出よ』


頭を垂れたその上から、女王の言葉が重く降り注ぐ。

僕たちの日常が崩れ去ったあの日から、一月ほどが過ぎ去っていた。




















槍殻都市グレンダン、居住区の一角にある安アパートの一室。 薄汚れた部屋の中央で、男が一人ソファに寝そべっていた。
三十代半ばの壮年の男だ。 癖の強い黒髪が手入れもされず伸び放題になっており、鋭角的な顎には無精髭が散っている。 よれよれのワイシャツは皺だらけで、洗いざらしのスラックスも擦り切れており、とても身だしなみに気を遣っているようには見えない。
しかしその目つきは刃のように鋭く、威圧感を与える長身や静謐とした佇まいから一見して近寄りがたい雰囲気を放っている。
時刻はもうすぐ昼になろうかという頃合い。 その男――グレンダン最強の武芸者の一人である天剣授受者リンテンス・サーヴォレイド・ハーデンは、ソファに転がったまま天井を見上げ、口に銜えた煙草から紫煙をくゆらせていた。

そんな彼の周囲をあちこち動き回る者がいる。 かつては彼と同じく天剣授受者であった少年、レイフォンだ。
つい先月その地位を剥奪された少年は、リンテンスの部屋で朝から忙しく動き回り、散らかり汚れた部屋を掃除していた。
放り出された雑誌類を一箇所に纏め、床の埃を掃除機で吸い込み、さらにこびりついた汚れを雑巾がけで拭き取る。
その動きに遅滞は無く、レイフォンは手慣れた様子で既に日課となった清掃を進めていく。 リンテンスはそれに文句を言うでもなく、かといって作業を手伝うでもなく、ただ天井を見上げながら紫煙をくゆらせていた。 その様子からは、レイフォンに対しどのような感情を抱いているのか分からない。

レイフォンが闇試合に出場していたことが発覚してから一月が経った。
既に少年への沙汰は下され、一年の猶予ののちに都市外退去を命じられている。
しかし都市民たちのレイフォンへの怒りは未だ収まらず、現在は監視(兼護衛)として彼の鋼糸の師でもあるリンテンスがレイフォンの世話を言い渡されていた。
周囲からの迫害に孤児院の者たちを巻き込むことを嫌ったため、また、孤児たち当人からの拒絶を受けたために、現在レイフォンは院を出てリンテンスの家に居候している。 それ以来、この家では自然とレイフォンが家事担当になっていた。 もっともレイフォンの存在如何にかかわらず、リンテンスは最初から家事などまったくしないのだが。
ふと天井から視線を外し、リンテンスはすぐ傍にいたレイフォンに向かって口を開く。

「お前はここを出ても武芸を続けるのか?」

ただなんとなく、訊いてみただけの言葉。
それに対し、床を拭いていたレイフォンは顔を上げると、少しだけ思案してから首を横に振った。

「いえ。 武芸は捨てようと思います。 あれだけのことをしておいて、今更武芸者面するつもりはありません」

淡々とした声で言った後、レイフォンの顔に浮かんだのは微かな恐怖と不安だった。
武芸を続ければ再び同じことを繰り返してしまうかもしれないという恐れ、かといって、自分にとって最も秀でた分野を捨ててこの先上手くやっていけるのかという不安。
不安を感じるのも当然だろう、とリンテンスは思う。
武芸者とは戦うための存在だ。 逆に言えば、戦い以外に能が無いのが武芸者である。
天剣授受者という存在はその最たるもの。 戦いに偏向した性質が特に強い者たちなのだ。
ましてや幼くして戦場に立ち、戦い以外に何も知らないレイフォンが武芸を捨てて生きていくなど、とてもではないが可能だとは思えない。
しかし、結局それはレイフォンが決めることだ。 リンテンスが口出しするべきことではない。
そしてレイフォンは、心を占める不安に苦しみながらも、武芸を捨てる道を選んだのだ。

「怒りましたか?」

レイフォンは表情から先程の色を消し、リンテンスに問いかける。
感情の見えない、空虚な顔。
リンテンスもまた、普段となんら変わらぬ調子で言葉を紡ぐ。

「いや、怒ってはいない。 そもそも、それは俺がどうこう言うことではない。 お前の力はお前の物。 生かすも殺すもお前次第だ」

そこまで言ってから一旦区切り、さらに言葉を続けた。

「とはいえ、惜しくはある。 お前のその才能と武芸の技がこのまま錆ついていくことには、思うところが無いでもない」

戦いのみを求め、戦うためだけに出身都市を出たリンテンスにとっては、戦う力こそがすべてだ。
ゆえに力を持つ者が消えていくのを多少は惜しむ気持ちがある。

「お前は俺の域に届かぬとはいえ、俺の伝えた鋼糸の技をほぼ完璧に再現してみせた。 形だけとはいえ、そんなことができた者も、そもそもできるかもしれんと思えた者もお前だけだ。 それらの技がこれから先使われることも無く消えていくのだと思えば、少しは惜しくもなる」

レイフォンの武芸における才能は、数多の強者たちがひしめくグレンダンにおいても例外的なレベルだった。
刀を捨てず、これから先も天剣授受者としてグレンダンで戦い続け、修練と実戦を積み重ねていけば、十年先、二十年先にはあるいは……リンテンスをも超えていたかもしれない。
そうして強くなったレイフォンと戦ってみたい……そういう気持ちもなくはない。
だが、だからといって自分の都合でレイフォンに武芸を続けろなどと言う気にはなれない。
何もせず朽ちていくというのであるなら、所詮、それはそこまでの存在だったというだけの話だ。
レイフォン自身が捨てると言ったのならば、それはもはや手の届かぬ物なのだろう。
他人の人生の流れを変えてまで、そこに固執するつもりは無い。

「先生は……どうして僕に鋼糸を教えてくれたんですか?」

不意に、レイフォンが問いかけた。

「ただの暇つぶしの実験だ」

リンテンスはそっけなく、しかし本心からの言葉で答える。

「俺たちに伝えられるものがあるのか。 残せるものがあるのか。 そして俺の残したものがどんな結果を迎えるのか……それを見てみたくなっただけだ」

リンテンスがレイフォンの方を見やる。 まるで相手を品定めするかのような視線で。

「所詮、俺たちは異常の中の異常だ。 奇異なる物の奇異。 人にして人にあらず。 俺たちに残せるものがあったとしても、それは俺たちにできることの千に一つ、万に一つ、億に一つ、最高によくて百に一つだ。 俺たちはそういう類のはぐれ者なんだ」

自嘲するような言葉を吐きながら、その実、顔には己に対する嘲りは感じられない。
ただ淡々と、目の前の文章を読み上げる様に、リンテンスは語る。

「俺が自ら編み出した鋼糸の技とて、俺が死ねばこの世から消えてなくなるだろう。 そうならないよう他の者に教えたところで、誰一人として俺の域にたどり着けるわけでもない。
 だから、お前で試してみることにした。 俺にどれだけのものが残せるのか、試してみようと思っただけだ。 ……結局は、消えていくことになるようだがな」

そこでリンテンスは言葉を切った。
本当はもう一つ理由がある。
ボロニア……。 
汚染獣によって滅ぼされたリンテンスの故郷。
彼が都市を出なければ、滅びることは無かった都市。

(感傷……とも言いきれんか……。 どちらにせよ、どうでもいいことだ)

内心で独りごちて首を振る。
リンテンスはそれ以上何も言わず、レイフォンも再び自分の仕事に戻った。
やがて掃除を終えたところで、レイフォンは手を洗って清潔にしてから台所に立つ。
最低限の設備しかない小さなキッチンだが、レイフォンは頓着せずに調理を始め、小器用に料理を進めていった。
しばらくして、部屋の中に食欲をそそる匂いが漂い始める。
そうやってレイフォンがキッチンで作業をしていると、突然、呼び鈴も鳴らさずに玄関の扉が開け放たれた。

「やっほー! リン、レイフォン、元気~?」

「………えっと……」

「何をしに来た?」

勝手に玄関を開けて入ってきたのは、長い黒髪に豊満なプロポーションをした、豪奢な美女だ。
その女性――グレンダンを統べる女王にして最強の武芸者であるアルシェイラ・アルモニスは、渋い顔で問いかけるリンテンスを無視して部屋の中に上がり込むと、レイフォンの方を見て口を開いた。

「追放されるっていうのに、案外元気そうね。 てっきりもっと落ち込んでるのかと思ってたのに」

「もともとある程度の罰は覚悟していましたから。 場合によっては公開処刑や強制退去させられることも覚悟した上で始めた事です。 当然、露見した時にはどんな罰だろうと甘んじて受けるつもりでしたし、むしろこの程度で済んだのは幸運だと思ってますよ」

「あなたってそういうところは子供っぽくないのよねぇ。 妙に冷めてるって言うか、達観してるって言うか。 やることは世間知らずのガキんちょ同然なのに」

アルシェイラは珍しくつまらなそうな顔で嘆息すると、(ごくごく僅かに)真剣さを含んだ調子で問いかけた。

「不満とかは無いの? 自分は人助けをするために頑張ったのに、なんでこんな目に遭うんだー、とか。 皆を守ろうとしただけなのに、どうして皆僕を責めるんだー、とかさ」

「人助けのためとか、そんな立派なものじゃありませんよ。 ただ自分がそうしたかっただけ。 誰のためでもない、自分のためにやったことです。 自分の望みを叶えた結果としてその罰を受けるのなら、それも仕方ないことだと思いますしね」

「ふーん」

「すべては僕の詰めの甘さが招いたことです。 自分のツケは自分で払いますよ」

そう言って、レイフォンは寂しそうな顔で弱々しく笑う。

「そう? いっそのこと孤児院のみんなにも借金の肩持ちさせてみればいいんじゃない? そうすれば彼らもあなたのありがたみが身に滲みて分かると思うけど」

冗談めかした言葉に、しかしレイフォンは血相を変えた。

「そんな必要はありません。 みんなに背負わせるなんて、それこそ僕のやってきたことすべてが水泡に帰します。 それじゃあ僕はただの犯罪者でしかない。 責も罪も全て僕が背負いますから、みんなにはそんな思いさせないでください」

途端に切実そうな顔になるレイフォンに、アルシェイラは不満げに鼻を鳴らしながらも首肯する。

「わかってるわよ。 心配しなくても孤児院のみんなに責任を追求するつもりなんて無いわ。 ま、あなたのやったことは決して褒められたことじゃないけれど、あなたは私の手にある間、一振りの剣として十分な働きをしてくれた。 そのことに免じて、あなたの大切な家族については私が保障してあげるわ。 だからあなたは何も気にせず外で勉強に励みなさい。 ……帰ってくるかはともかく、ね」

怠惰と傲慢が特徴のアルシェイラではあるが、けっしてそれだけの人間ではない。
怠惰ではあっても、努力の価値を否定はしない。 努力する者を蔑むこともない。
傲慢ではあっても、優しさを知らぬわけではない。 他者を思いやる心が無いわけではないのだ。
今も彼女は、その圧倒的な強さゆえに常人とはまるで違う感性を持つ心の隅で、レイフォンに対する僅かな同情の念を抱いていた。

彼は、この細い身体と幼い精神で、他の誰も背負えぬような重荷をたった一人で背負ってきたのだ。
逃げ出すことも、弱音を吐くこともせず、ただひたすら自らの剣を振るってきた。
なのにその辛苦が報われないというこの現状に、嘆くことも憤ることもしようとしない。 ただ悲しげな表情で笑うだけ。
いや、彼にとっては報われているのだ。
彼が守ろうとした者たちが生きているだけで、彼にとっては全てが報われていたのだろう。
だからこそ、愛した者に責められることに、悲しみは感じても、怒りや憎しみは生まれないのだ。

どこまでも自分を犠牲にして他者を守る。
いや、レイフォンには自分を犠牲にしているつもりすらないのかもしれない。
口先だけの武芸者たちに、どうして彼を責める資格があるだろうか。
彼のあり方こそが、本当の武芸者としての在り方ではないのか。
たとえやり方は間違えようとも、レイフォンの戦いに向かう姿勢は武芸者たちが理想として口にする、あるべき姿そのものではないのだろうか……。
しかしそんな内心を表には出さず、アルシェイラはあくまで明るい口調を維持して言葉を紡ぐ。

「ま、今更あれこれ言っても仕方ないか。 そんなことより今日のお昼は何かしら? もーお腹ぺこぺこなのよ」

「えっと、今日はビーフシチューと魚のムニエル、ポテトとベーコンのバター炒めに生野菜サラダ、それと昨日焼いたパンの残りですけど…………食べていく気ですか?」

「もっちろん♪」

「でも、僕の料理はお城のシェフが作ったものほど美味しくないですよ? 材料も貧弱ですし」

昼食の量自体は問題ではない。
もともとレイフォンは料理を多めに作ってしまう癖があるため、食べる人間が一人増えたくらいではさほど問題は無い。
しかし、普段宮殿で良い物を食べているアルシェイラには口に合わないのではないかと思ったのだが……

「いいのよ。 宮廷料理ばっかり食べてると、たまに家庭料理の味が恋しくなってくるものなのよねー。 それにレイフォンの料理は美味しそうだし」

「はぁ……」

「さっさと帰れ、くそ陛下」

「あーら何よリン、美味しい料理を独り占めする気? 卑しいわよ」

「お前がいると飯がまずくなる。 とっとと消えろ」

「こんな美人捕まえてなんてこと言うのかしら。 別にあなたが作ったわけじゃないんだからいいじゃない」

「ここは俺の家だ」

「はいはーい」

いい加減に応えながらも帰るそぶりは見せない。 彼女はすでに食卓についてスプーンを握っていた。
食卓といっても、この部屋にダイニングというものは存在しない。 やや広めのリビング以外には、寝室と小さなキッチン、それに風呂とトイレだけだ。
以前までくたびれたソファしかなかったそのリビングの中央に、つい先日レイフォンが何処からか調達してきた低い大きめの木製テーブルを置いて、その上に料理を並べていく。 そのテーブルも普段は壁際に立て掛けておいてあるため、それほど場所は取っていない。
そんな食卓で、女王は躊躇うことなく床に直接座りこんでテーブルの前に陣取っていた。 安アパートの薄汚れた一室(もっとも、ここ最近はレイフォンが掃除していたので、外観はともかくそれなりに清潔ではある)で、この都市の最高権力者が床に胡坐をかいて料理を待っている風景はかなりの違和感を伴ってしかるべきなのだろうが、何故かさほど不自然でもない。
レイフォンは苦笑しつつ部屋の隅に置いてあったクッションを拾い上げ、アルシェイラに渡した。 女王は、「気が利くわね」といわんばかりに笑みを浮かべてそれを受け取る。
そんな様子を女王の対面でテーブルにつきながら眺めていたリンテンスは、その不機嫌そうな顔をさらに渋くしていた。
料理を並べ終わったレイフォンが不思議そうに首を傾げながら、同じくテーブルについて食事を始める。 二人の姿に戸惑いながらも、料理を口に運ぶ動きに遅滞は無い。
食事中に口を開くのはもっぱらアルシェイラだ。 どうでもいい話からここ最近の出来事まで、ころころと話題を変えながら時折さも可笑しそうに笑う。 レイフォンはそれらに一々「はぁ……」と相槌を打ち、リンテンスは眉間に皺を寄せて聞いていない振りをしていた。 それでいて、時々女王の言葉に対して痛烈に毒を吐く。 しかしまるで堪えた様子の無い女王に同じく毒や皮肉で返され、結局は表情の不機嫌度合いをさらに深めて黙り込む。
そんな、決して和やかとは言えない一種奇妙な雰囲気の食事の後、アルシェイラは来た時と同じく嵐のように去っていった。





アルシェイラが王宮へと戻り後に残されたレイフォンとリンテンスは、先程までの騒がしさが嘘のように静まり返った部屋の中で普段通りの行動に移る。
すなわち、リンテンスは昼寝。そして一通りの家事を終えたレイフォンは、学園都市入学のための試験勉強を始めていた。
先程食事をしたテーブルに参考書などを広げてウンウン唸っているレイフォンを、リンテンスが時折横目で見やる。
しばらくして、勉強に疲れたレイフォンは教科書から顔を上げると、うーんと背伸びしながら立ち上がった。台所に行って水を飲み、一息吐いたところで不意に顔色を曇らせる。そしてリンテンスの方を窺い見ながら、どこか迷うようなそぶりを見せた。
リンテンスは何も言わず、ただレイフォンが何か言うのを無言で待つ。
急かされたように感じたわけでもないだろうが、結局レイフォンは思わずといった調子でリンテンスに問いかけてきた。

「僕は……間違っていたんですかね」

一月前から、漠然と感じていた疑問。

「間違っていたな」

それに対し、リンテンスは何の感慨もなさそうに即答した。

「人と都市を守るために存在するのが武芸者だ。 都市を守るために戦うことが武芸者の役目。 逆に言えば、それ以外は何もするなという意味でもある。 そういう意味で考えるなら、お前のやったことは間違い以外の何物でもない」

淡々と、それこそありふれた一般論を語るように、リンテンスは言う。

「都市の守護者として存在する。 それは正しいことだ。 武芸者の戦いは常に都市と人命を守るためのものであり、それ以外の理由・動機で力を振るうべきではない。 その考え方は、確かに正しい」

口から出るのは非の打ちどころが無いほどの正論。
しかし声音からは、決してリンテンス自身がそういった矜持を持って戦っているわけではないということを窺わせた。

「だが人というものは、正しいから満足するわけではない」

かつて別の人間に向けて言った言葉を、目の前の少年に向ける。
自分の故郷を見捨てたリンテンスを、同郷の者がなじった際に言った言葉だ。
都市と人命を守る。 確かにそれは正しいことだ。
だが、正しいだけであって、決して嬉しいわけではなかった。
どれほど正しい行いをしようとも、その結果としてどれほど物理的に恵まれようとも、どうしても満たされない物があった。
だから、故郷を出た。 だから、グレンダンに辿り着いた。
レイフォンもまた同じだ。
正しさだけでは満たされなかった。
武芸者として、ただ清く正しくあるだけでは、自分にとって最大の望みを叶えることはできなかったのだ。

「武芸者も人であることに変わりはない。 それぞれ異なる望みもあれば、信念もある。 全ての人が同じ理で動いているのではないのと同じように、武芸者もまた各々異なる理を以って戦い生きている。 だが、良くも悪くも武芸者の力とは都市にとって強大なものだ。個々の力がそれぞれ異なる方向に作用すれば、都市の存在が成り立たなくなるほどにな。 だから、一つの理念で縛ろうとする。 武芸者たちを優遇し、祀り上げることで、都市にとって都合のいいように動かそうとしているんだ」

逆に言えば、祀り上げられることに、優遇されることに価値を見出さない者たちにとっては、その正しさは暴力的なまでに厄介なのだろう。
その気になれば都市の支配者にすらなれたであろうリンテンスが、自都市を捨て、戦場を求めてグレンダンに来たのも同じことだ。

「人の行いの正しさを決めるのは、その行いを支持する人間が多いかどうかだ。 人間社会では、多数派の人間が支持することこそが正しいことであると認識される。 社会において武芸者が少数派である以上、そしてまた、武芸者が生きるためには一般人の存在が不可欠である以上、都市の守護者たることが武芸者にとっての正しいあり方となる。 そうすることで初めて武芸者は社会の一員として存在できるのだからな」

そこまで言って、リンテンスは口を閉ざした。
話し過ぎた、と思わないでもない。 それだけ、自分も過去を完全に忘れることができていないのだと自覚させられる。
天剣授受者リンテンス・サーヴォレイド・ハーデンはもともと外来の武芸者だった。
生まれ育ったのはグレンダンとは比べ物にならない、平和で、平凡で、どうということもない都市だ。
命を賭して守る必要なども無く、大した戦いも存在しない。 何年かに一度、成体の汚染獣が現れることもあったが、それすらもリンテンスにとっては相手にならないほど弱い存在だった。

彼が自都市を出たのは、極限の飢餓を感じたからだ。
リンテンスは戦いに飢えていた。 己の魂全てを注ぎ込めるような、絶望すら感じるほどの戦場を切に望んでいた。
それまで経験してきたのは、昂揚も緊張も無い退屈な戦いばかり。 練磨の必要すらも感じさせず、それこそ指先一つ動かすだけで全てが決するような戦場だけだった。
強さというものは、精神が弛緩したままでは維持することすら難しい。 必死に磨き上げてきた鋼糸の技が、使う場もなく錆ついていくことに、リンテンスは虚しさを覚えた。 何より自身の技が錆びることなど、武芸者として、戦う者としての己の心が許さなかった。
だから戦いを求めた。 自分の力全てを出し尽くせるような戦場を探して、リンテンスは故郷を出たのだ。
そしてグレンダンに辿り着いた。 自ら戦いを追い求め、汚染獣へと向かっていく、狂った都市へと――

故郷の壊滅を悲しむ気持ちは無い。
自分にとっては戦いへの欲求が全てだった。
どれ程の富があっても、どれ程の権力があっても。
どれ程の美酒を飲んでも、どんな美女を抱いても、己の心の奥底に満たされぬ思いがあったのだ。
だから何の躊躇いもなく故郷を捨てた。 どの道、リンテンスがいなくなった程度で滅びる様な都市なら、遅かれ早かれいつかは滅びていた。 それが数十年ほど早まっただけに過ぎない。

リンテンスは戦いに対し貪欲になれない武芸者を見下していた。 臆面もなくリンテンスに戦いを任せきり、己の非力を嘆くこともなく、安全地帯でのうのうと遺伝子タンクとしての役割を享受する。
戦う者としてこの世に生を受けながら、戦わないことを恥だとも思わない。 少なくとも故郷の武芸者たちはそんな者たちばかりだった。
しかしリンテンスには、そんなことはできない。 そんな者は、武芸者ではない。
だからこそ、都市を救えず死んでいったボロニアの武芸者たちに同情するつもりはなかった。
戦いを忘れたがゆえに滅びる武芸者など、いつまでも己の無力を嘆いていればいい。

だが、故郷の滅亡を知った時、自身の行いに対して思うところがあったのも確かだ。
戦う欲求が消えたわけではない。 だが、戦いへの欲望にひた走り過ぎて、自分の方こそ武芸者の本来の意義を忘れていたのではないかと、そう思った。
気負ってはいない。 ただ、やり方を間違えていたのだと……己が過ちを犯したのだと、自覚しているだけだ。
だから、試してみることにした。 一人の武芸者として、己が強くなることは当然としても、それ以外に何かやることが、できることがあるかもしれないと。

そうだ。
だからこそ、リンテンスはレイフォンを鍛えることにした。 そうすることで、何か見えてくるかもしれないと、そう思った。
だが、結局は何も見えない。 リンテンスが磨き上げた鋼糸の技は、リンテンス自身が死ねば消えてなくなる程度のものだったということだ。
所詮は……その程度か……
そこまで考えたところで、リンテンスは終わりの見えなくなりそうな思考を断ちきった。

「それじゃあ、やっぱり僕は……」

「お前は正しさが欲しかったのか?」

自嘲の言葉を吐こうとしたレイフォンをリンテンスが遮る。
基本的に人を寄せ付けない彼がこういうことを言うのは珍しい。レイフォンは不思議そうな目でリンテンスを見た。

「お前は自分の行いが正しいと思ったから、それをすることを決めたのか?」

その言葉に、今度は深く俯く。
話は終わりだとばかりに、リンテンスは再び視線を外すと昼寝に入った。
下を向いたままのレイフォンからは答えが無い。 リンテンスも、答えてくることを期待してはいない。
その問いに答えが出たのなら、それは自分の中だけで処理すればいいことだ。

























騒がしい食卓から数日後。
レイフォンは相変わらずリンテンスの部屋の片隅で参考書を広げている。しかし前日とは若干異なる風景が広がっていた。
まず部屋の中にリンテンスはいない。 代わりに、彼と同じく天剣授受者であり、なおかつ女王の側近兼影武者であるカナリスが傍に座っていた。
現在、リンテンスは任務で外に出ている。 今頃、汚染獣の老成体と戦っている所だろう。
しかしリンテンスがレイフォンを見張りという建前で居候させている以上、代わりの見張りが必要になる。
そこで、カナリスが女王の命でレイフォンの見張り役として来ているのだ。
ついでに学園都市入学のための試験勉強まで面倒を見てもらっている。
覚えの悪いレイフォンに対し、カナリスは嫌な顔一つせず、しかし感情の見えない表情のまま、淡々と作業をこなすように教えてくれる。

「おや、思ったよりも元気そうだね」

そこに顔を見せたのは、長い銀髪を後ろに垂らし、端整な顔に柔和な笑みを浮かべた優男風の男だった。

「サヴァリスさん……」

サヴァリス・クオルラフィン・ルッケンス。 優れた格闘術を伝える流派・ルッケンスの直系で、現天剣授受者の一人でもある男だ。
そして……レイフォンが斬ったガハルド・バレーンと同門の武芸者でもある。

「どうしたんですか? いきなり訪ねてきて。 門徒がやられた仕返しでも?」

「まさか。 単に様子見だよ。 君が落ち込んでるんじゃないかと思ってね」

サヴァリスは軽く肩を竦めると、本当に気にしていないといった様子で笑ってみせた。

「それに、あの試合のことなら気にしてないよ。 あれはただガハルドが弱かっただけ。 むしろ身内が君の立場を傷つけてしまったことを詫びたいくらいさ。 天剣を授けられるような実力者は希少だっていうのに、あんな雑魚のせいでそれを失うなんて、グレンダンにとっても大きな損失だ」

そう嘯くサヴァリスの顔には、しかし悲哀も無念も浮かんではいない。 今回の一件に関して、実際何も感じていないのだとわかる。
とはいえ今回の件に限らず、この男が復讐や報復といった動機で動くことがあるのかは甚だ疑問ではあるが。

「それに怪我だって自業自得だよ。 身の程もわきまえずに分不相応な望みを抱くから痛い目を見る。 その上右腕まで失ってしまって、もはや何の役にも立たなくなってしまった。
 ま、どうでもいいけど」

サヴァリスは言葉通り、心底どうでもよさそうに呟く。
それを見てレイフォンは不思議そうに眉を上げた。

「斬った本人の僕が言うのもなんなんですけど……同門の武芸者相手に冷たすぎませんか?」

「同門だろうと関係無いよ。 役立たずは役立たずだ。 それに、僕は別にルッケンスの流派そのものにさほど執着は無いからね」

サヴァリスは肩をすくめてみせる。

「僕が望むのは戦いだけだ。 己をただひたすらに鍛え上げ、強者と戦うこと。 それだけが僕の望みなんだよ。 たまたま最初に学んだ流派がルッケンスだっただけで、それ以上でもそれ以下でもない」

「はぁ……」

レイフォンには良く分からない考え方だった。
自分にとってサイハーデン刀争術とは、戦う技術であると同時に生き様であり、己の信念のあり方だ。
そしてそれ以上に、自身と養父を最も強く結びつける繋がりでもある。 だからこそ、レイフォンはサイハーデンを捨てたのだが。
もっとも、そういった繋がりを重視しないのは、何も彼に限ったことではない。 レイフォンにとって第二の師とも言えるリンテンスもまた、程度や感じ方の差はあれ、サヴァリスと似たような思考の持ち主なのだ。

「何にせよ、同門だろうとなんだろうとあの程度の男に興味は無いよ。 ま、ゴルの奴は結構世話になったみたいだけど、それだって僕にはどうでもいいことだしね」

ゴルというのが誰なのかレイフォンには分からなかったが、サヴァリスは構わず言葉を続ける。

「ましてや戦えなくなった武芸者なんて、それこそ僕にはどうでもいい。 同門じゃなかったら、名前すら覚えなかっただろう、そんな程度の存在だよ。
 汚染獣と戦えない武芸者なんてゴミ以下だ。 くその役にも立ちはしない。 そんな奴を記憶していたところで、何の意味も無いさ」

「…………」

その考え方で言えば、レイフォンはすでに役立たずということなのだろう。
地位を剥奪され、戦う理由と意志も失くし、己の腕を錆びるがままに任せようとしている今の自分は、武芸者として何の価値も無い存在ということか。
では、なぜサヴァリスはそんな無価値な存在の様子を見に来たのか。
あるいは、今尚無価値かどうか見極めに来たのか。

(………どっちでもいいか)

そう結論付け、レイフォンは勉強を再開する。
正直頭が痛いが、武芸者以外の道を探すと決めた以上、最低限必要不可欠な知識というものがある。
サヴァリスはそんなレイフォンをじっと観察した後、何を思ったのか、「ふむ」と一言呟くと踵を返して玄関に向かった。

「まぁ元気そうで何よりだよ。 今後色々と苦労するだろうけど、一般人の生活もそれはそれで楽しいかもしれません。 何はともあれ頑張ってください」

社交辞令のようにそう言うと、サヴァリスは部屋を出ていった。
レイフォンはそれを横目で見やってから、再び参考書に向き直る。
成り行きを傍観していたカナリスも、ようやく視線をレイフォンの手元へと戻した。
































さらに数か月がたった。今日はレイフォンがグレンダンを出る日だ。
猶予はまだ1月と少し残ってはいるが、放浪バスの数は限られている。出られるときに出ておかなければ、いつまでもその場に留まる羽目になるかもしれない。
ゆえに先日のうちに時刻表を確認していたレイフォンは、昨夜のうちに必要な荷物をまとめ、今朝リンテンスの家を出てきたところだった。
そして出立前、レイフォンはグレンダンの共同墓地に来ていた。
一言も発することなく、何も刻まれていない簡素な墓標の前でじっと立ちつくす。
孤児の墓に家名などは刻まれていない。生きている間は仮の姓を名乗ることもあるが、幼くして死んだ者は同じ境遇の者たちと一緒にまとめて葬られる。
他に人影のない墓地で、レイフォンは力無い表情のまま小さな無銘の墓標を見下ろしていた。

「……今日、グレンダンを出るよ。ここに来ることも、二度とないと思う」

ここにはいない誰かを思い浮かべながら、レイフォンは語りかけるように言葉を紡ぐ。

「寂しくないと言ったら嘘になるけど、心のどこかでホッとしているのも確かなんだよね。自分が将来どうなるのかはわからないけれど、全てを一から始められることに違いは無いんだし。少なくともここに居続けるよりは良いと思うんだ」

言葉通りその顔には寂しげな陰が浮かんでいた。
それでも、どこか重圧から解放されたような、微かに気が軽くなったような、そんな顔でレイフォンは続ける。

「今の僕を見たら、君は何て言うかな? 怒る? それとも、泣く?」

いや、そのどちらでもないだろう。
ただレイフォンの傍にいて、手を握っていてくれるだろう。
自分以外の誰かのために、どこまでも己を犠牲にする、そんな人だったから………
その時、レイフォンの胸に形容しがたい感傷のようなものが湧き上がった。
それは悲しみか……それとも痛みか……

「ぼくは間違ってたのかな?」

思わずもれた弱音に、自分で苦笑する。
これは数か月前にもリンテンスに対して問うたことだ。
そして最終的な結論は、自分で出したはずだった。

「いや……間違ってたかどうかなんてどうでもいいね。 大切なのは、どうしたいかだ」

再度、自分の問いに自分で結論付け、しばらくの間レイフォンは過去を思い起こすようにその場で俯き続けた。
自分は正しいと思ったから、正しくありたいからあんなことをしたのではない。
ただ自分にとって譲れないものが、何よりも優先すべきものがあっただけ。それを果たすために、結果として正しくない道を選んでしまったのだ。
失敗したとは思う。 だが今はもう、そのことに微塵の後悔も無い。
やがて顔を上げ、血の繋がらない大勢の家族達が眠る場所に背を向ける。

「それじゃ………さよなら………」

小さく紡がれた言葉を残して、レイフォンは共同墓地を後にした。
入口の脇に置いておいたトランクを手に取り、そのまま放浪バスの停留所へとい向かう。
外縁部に近付くに連れて、都市の足音が徐々に大きくなっていき、同時に停留所傍の喧騒までが耳に入ってきた。

「レイフォン様」

歩きながら時計を見て出発時間を確認していた時、ふと背後から声をかけられる。
振り向くと、そこにはレイフォンと同年代の少女がこちらを切実そうな目で見て立っていた。

「クラリーベル……様……?」

頭の横で結んだ長い黒髪に、一房ほどの白髪が混じった珍しい髪型。
まだ幼いが随分と整った、愛らしい容貌。
それは天剣授受者ティグリスの孫娘、クラリーベル・ロンスマイアだった。
彼女は放浪バスの停留所へと向かうレイフォンを真顔のままじっと見つめていた。

「どうしたんですか? こんなところで」

「もう戻ってはこないのですか?」

クラリーベルが、レイフォンの問いかけを遮るように言葉を重ねる。
やや面食らったものの、レイフォンはそれを苦笑気味に肯定した。

「都市外追放ですからね。 女王陛下が下した命令である以上、逆らうことはできませんし、逆らうつもりもありません。 それにレギオスは隔絶された空間です。 一旦外に出たら、元の場所に帰るのは簡単じゃありませんよ。 何より、グレンダンの人々がそれを望むとは思えません」

そこまで言って、再びレイフォンの頭に疑問が浮かぶ。
何故わざわざこんなところまで来てレイフォンに話しかけてくるのか。
彼女は王族だ。天剣授受者として王宮を出入りする内に幾度か顔を合わせる機会は確かにあったが、出立前に見送りに来てくれるほど交流があったわけではない。
共通点と言えば、年の近い……それでいて、年齢に見合わぬ実力を持っている、ということくらいだろうか。

「私はあなたより強くなってみせる」

そんなこちらの疑問をよそに、クラリーベルは強い意志のこもった目でレイフォンを見据えながら宣言する。

「あなたが武芸を捨てるのなら、すぐに追い抜いてしまうでしょう。 今の腑抜けたあなたなどより……いいえ、天剣だった頃のあなたよりもさらに強くなって見せます」

どこかでレイフォンが武芸を捨てるつもりだという話を聞いたのか、そんなことを言う。

「あなたが戻らないのなら、ヴォルフシュテインは私が戴きます」

「……頑張ってください。 クラリーベル様なら、できるかもしれません」

儚く笑いながら、レイフォンは言う。
クラリーベルは怒りを湛えた瞳で見つめていた。
やがて視線を下に逸らし、悲しげに言葉を漏らす。

「私に何かを強制することはできません。あなたに武芸を続けろなどという資格は、私には無いのでしょう。
 それでも……できるならば………」

そこから先は都市の足音にかき消されて聞こえなかった。

「………すみません。そろそろ出発時間なので」

そう言ってレイフォンは一礼してからクラリーベルに背を向ける。
彼女はもうそれ以上何も言わず、黙ってレイフォンを見送っていた。
背中に視線を感じながらバスに乗り込み、割り当てられた座席に腰を下ろす。
そうして、何とはなしにこれまでのことを思い出していった。

――見送りに来たのはさして交流も無い知人一人。

――家族との絆すらをも失い、たった一人で都市を出る。

今の自分の姿を自嘲するように口元を歪めながら、レイフォンは深く座席に座りこんで目を瞑る。
リンテンスは見送りには来なかった。 レイフォンが家を出る時も、彼はいつもと変わらずソファに寝転がったままだった。
アパートの部屋を出る際にちらりとこちらを見やっただけで、送り出しの言葉も無く。
レイフォンの「色々とありがとうございます。 お世話になりました」という言葉に対し短く「ああ」と答えただけで、あとはじっと天井を見上げていた。

養父も、見送りには来なかった。
おそらく言うべきことは昨日の夜に全て話したということなのだろう。
レイフォンも今更特に話したいことがあるわけではない。
兄弟たちと溝を作ったまま分かれることになってしまったことには多少思うところが無いでもないが、これ以上を望めなかったのも事実なのだ。
取り留めのない思考に捕われながら、レイフォンは出発したバスの揺れに身を任せる。

――目指すは、学園都市ツェルニ

「さよなら、皆」

これからのことに対し、胸の内で不安と希望をない交ぜにしながら、レイフォンは窓枠に頬杖を突いて思考の海に沈んでいった。




























他に誰もいない道場で一人正座していたデルクは、やがて静かに目を開いた。
昨晩、ようやく涙の止まったレイフォンを送り出した後、一人で再び道場に戻り、今に至るまでじっと座していたのだ。

(望むらくは、あの子の進む先に希望があらんことを……)

脳裏に浮かぶのは、昨夜の息子の姿。
あんなふうに二人きりで向かい合って言葉を交わすのは随分と久しぶりだったかもしれない。
5年前のあの日以来……天剣授受者となったレイフォンに武門を継ぐことを拒まれて以来、心のどこかでレイフォンを避けていたような気がする。
その後もお互い父子として接しながら、それでもどこか息子との間に壁を、触れ合うことに寂しさを感じていた。
息子が何故武門を拒んだのか、気付くこともなく。

だが、それももはやどうでもいいこと。
昨夜道場で言葉を交わした時、互いの間にあった壁は――デルクが一方的に感じていた壁は、消えてなくなったのだから。
レイフォンが同じく壁を感じていたのかまではわからない。 だが、それもきっと取り除くことができただろう。 あの時渡したサイハーデン流免許皆伝の証がそれを成してくれたはずだとデルクは信じている。
たとえ武芸を捨てることになったとしても、サイハーデンの教えが息子を守ってくれるはずだ。
そう、信じたい。

「そろそろ都市を出た頃か」

ふと、呟きが漏れる。
今日が出発であることは聞いていた。 だからこそ、昨日の夜に話そうと腹を決めたのだから。
今頃は放浪バスの中だろうか。 かつて武門に連なるものとしての責任感ゆえに自分にはできなかった旅をレイフォンがしているのだと思うと口元が綻ぶ。
デルクはレイフォンの見送りには行かなかった。
話すべきこと、伝えるべきことは昨日の夜に全て伝えた。 後をどうするのかは、息子自身が決めるべきことだ。
これから先、レイフォンには数多の苦労があるだろうが、息子は不器用なりに強い男だ。 年老いた自分などより遥かに強く、たくましい。 何も心配はいらないだろう。

(兄弟たちとも、いつかお互いに分かりあえる時が来るはずだ)

ただひたすら自分の手を離れた息子の幸せを願いながら、デルクは人のいない道場で瞑目し続けた。



どれほど時が経っただろうか。
ふと、道場の戸を控えめに叩く音が聞こえた。
午前中から人が訪ねて来るとは珍しい。
訝しげに思いながら、デルクは徐に立ち上がると道場の扉を開いて来訪者を出迎えた。

(おや?)

そこにいたのは三人の少年だった。 みな十歳にもなっていない、幼い子供だ。

「どうしたのかな?」

デルクは威圧感を与えないよう、腰をかがめて視線の位置を低めながら話しかける。
少年たちはお互いに顔を見合わせた後、一人が三人を代表して口を開いた。

「あの……この道場に、入門したいんですけど……」

入門希望者。
珍しくはあるが、まったくいないわけではない。
だからデルクも、これまでの通りに対応する。

「ここは道場だ。 入門希望ということならもちろん歓迎する。 ただ、君たちの歳だと、いちおう親御さんの同意がいるのだが……」

デルクの言葉に、子供たちは困ったように眉根を寄せた。

「えと、その……親はいません。 僕達、孤児で……」

聞いてみると、彼らは三人とも孤児であるという。
しかも全員が同じ孤児院というわけでもなく、別々の孤児院にいた武芸者の少年同士が集まってここを訪ねたらしいのだ。

「……そうか。 なら、そこの責任者……園長さんの同意をもらっておいで」

そこまで言って、デルクはなんとなく興味が引かれた。

「どうしてここに入門しようと思ったのかな?」

その質問に、再び三人は顔を見合わせると、今度は別の一人がそれに答えた。

「えっと……強く、なりたくて……」

「ほう。 どうしてだい?」

この言葉には二つの意味が込められていた。
どうして強くなりたいのか。 そして、どうしてこの道場を選んだのか、だ。
ただ単純に強くなりたいだけなら、もっと大手で栄えている流派で学ぶ方が一般的だろう。

「えと、義父さんに……園長さんに話を聞いて、それで………ヴォルフシュテイン卿が……レイフォン様が、心配しなくて済むように、と思って……」

「レイフォンが? それに話とは?」

訝しげに問うデルクに、少年たちはたどたどしく説明した。
レイフォンが、彼らのいた孤児院に多額の寄付をしていたということ。 その金を稼ぐために、闇試合に出ていたのだということ。
寄付先の孤児院の園長はレイフォンと顔を合わせていたらしい。 当然だ。 出どころの分からない金を寄付しても、相手に不安を与えてしまうだけだ。
その園長が、孤児たちに真相を教えたのだそうだ。 自分たちが、誰に救われていたのかを……。

デルクは事情を知らなかった自分を恥じた。 
レイフォンが家族を養うために大金を求めていたのは知っていた。 そしてそれ以外にも、金を必要としていたことも。
自分のいた孤児院を養うだけなら、天剣授受者としての地位があれば十分だったはずだ。 にもかかわらず、レイフォンはさらに多くの金を求めた。
レイフォンは決して利己的な人間ではない。 むしろ献身的で自己犠牲的と言ってもいいほどに重荷を背負い込むたちだ。
それがわかっていたからこそ、何故、闇試合に出てまで大金を求めたのか、後になっても面と向かって訊こうとはしなかったのだが……。
あの優しい息子が、罪を犯してでもなお金を求めた。 その理由が、今目の前にいる者たちなのだ。

「レイフォン様には、いっぱい助けてもらったから……なのに、レイフォン様だけが罪を負って都市を去ることになって……僕たちはあの人に何も返せなくて……。 だからせめて、これからは自分たちで孤児院を守れるようにしようって」

「だから……ここで強くなって、いつか天剣を手に入れて……レイフォン様みたいに皆を……家族を守れるようになりたいんです」

「……そうか」

デルクは後悔と喜びと寂寥と、そしてある種のすがすがしさを感じながら、それらを胸のうちに収め、少年たちに向かって優しく微笑んだ。

「よくわかった。 私に教えられることは全て教えよう」

やがて話を終え、帰路に着く三人を送り出す。
その背中を見送りながら、デルクは胸のうちで息子に語りかけた。

(お前のやったことは決して無駄ではなかったぞ。 お前がいなくなっても、お前の意志を継いだサイハーデンの子らが、きっとお前の守ろうとしたものを守ってくれる)

今の三人のうちの誰かが、将来本当に天剣を手に入れる日がくるかもしれない。
そんなことを考えながら、デルクはいつになく穏やかな気持ちで道場へ戻った。



























そしてさらに数カ月。
ツェルニ居住区の片隅、倉庫区の傍。

「ふう~~……。やっと帰ってこれた」

都市外での任務を終えてようやく帰宅したレイフォンは、アパートの自室に入ったところで投げ出すように荷物を下ろす。
そのまま倒れ込みそうな欲求になんとか耐えたところで、郵便受けに入っていた一通の手紙に気が付いた。
一目で長い旅を経てきたのだとわかるくらい多数の都市の印が押された、よれよれにくたびれた封筒だ。

(僕に、それも都市外からの手紙? 珍しい……)

首を傾げつつも封筒を手に取る。

「宛名は……父さん!?」

そこには確かにデルク・サイハーデンという名が記されていた。

(今更父さんが一体何の用で手紙なんか?)

レイフォンは疑問符を浮かべながらも封を開く。
そしてすぐに謎は解けた。封筒の中に納められていた手紙には、何人もの署名がしてある。
トビエ、ラニエッタ、アンリ……そこに記された名前は、どれもこれも知ったものだった。

(みんな……)

忘れるはずもない、兄弟たちの名前。
それは、レイフォンのいた孤児院で暮らす孤児たち全員からの手紙だった。
レイフォンは寝室まで移動し、ベッドの上に腰掛けてから、折り畳まれた手紙を慎重に開いていく。微かに手が震えるが、それでも、傷んでよれよれになったその手紙を破ることなく目の前に広げることができた。
こわごわと……しかしどこか縋る様な気持ちで、レイフォンは手紙を読み進める。
そして読んでいるうちに、涙で目が見えなくなってしまった。
『これからも心配はいらない』とか、『皆元気だ』とか、色々と書いてはあるが、目頭が熱くて内容が全く頭に入ってこない。
レイフォンの頭には、ただ三つの言葉だけが何度も響いていた。


『ありがとう』 と 『ごめんなさい』、そして …… 『また会える日を』


「ああ……」

思わず声を漏らし、レイフォンはベッドの上に倒れ込む。
目元を腕で隠すように顔を覆いながら、レイフォンは泣きじゃくった。
自分は失敗したのかもしれない。間違っていたのかもしれない。
それでも、彼のやったことは無駄ではなかった。
命だけでなく、心をも救うことができていた。
それだけが、レイフォンにとって何よりもうれしかった。






























あとがき

お久しぶりです。長いことお待たせして申し訳ありません。
公務員試験も終わり、就活も一番忙しい時期を過ぎたので、ようやく一息といったところでしょうか。
まぁ今度は定期試験が近付いているので、忙しいことに変わりは無いんですけど。自分の筆の遅さが憎らしい。

本編の続きを期待していた方々には悪いですが、今回は番外編というか、グレンダンが舞台の過去編です。微妙に廃都市編とも所々繋がりがあるような無いような。
主にツェルニに来る前のレイフォンのお話。 また、レジェンド一巻に出てきたリンテンスの過去にも言及しています。
それとレイフォンがグレンダンを出た後のサイハーデン道場と孤児院の様子も少し。 孤児たちは孤児たちで、レイフォンがいなくなって初めて自分たちの態度を反省し、後悔していたんじゃないかなと思います。

さて、次は4巻編に入りますね。 ハイアたちもようやく登場です。
また予定として、フェイランの出番が若干増えるかなと思います。



それにしても、一話でまとめようとしたせいで今回は結構な長さになってますね。お陰で見直しが大変だった。



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