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[22799] 銀パイ伝
Name: koshi◆1c1e57dc ID:9680a4fa
Date: 2010/10/31 20:33

銀パイ伝 その0 英雄の条件



宇宙歴797年5月 自由惑星同盟領 ドーリア星域

この年の3月に首都ハイネンセンで蜂起、クーデターを引き起こした救国軍事会議は、政権奪取からわずか二ヶ月間で鎮圧の危機に直面していた。クーデター軍唯一の宇宙戦力である第11艦隊が、ヤン・ウェンリー提督率いる第13艦隊の前に敗北したのである。

ルグランジェ提督率いる第11艦隊は、魔術師とも異名を取るヤンの戦法の前に翻弄され、戦力を完全に分断された。そして、全ての局面で圧倒的な数的不利の状況に追い込まれたあげく、戦力をひとつづつ個別に包囲撃滅され、最終的には艦隊戦力がほぼ全滅という完膚なきまでの敗北である。

勝利に沸くヤン艦隊の中、しかし素直に喜んではいない者がわずかばかりいた。その筆頭は、艦隊を率いるヤン・ウェンリー提督であろう。単なる軍人でありたいと常々願っている彼ではあるが、いつのまにかそれだけでは済まない立場になっていた。いまだ首都に健在であるクーデター軍を鎮圧した後のこと、特に内戦により疲弊した同盟軍の立て直しと、その後に間違いなく勃発する銀河帝国との人類を二分した戦いについて考えはじめると、本来味方である第11艦隊を壊滅に追い込んだことを素直に喜ぶ気にはなれなかったのだ。



そしてもうひとり。旗艦ヒューベリオンに所属する艦載機の飛行隊長、オリビエ・ポプラン少佐は、戦闘後のパイロット控え室で同僚に対して不満を訴えていた。

「我らが司令官殿は、あいかわらずそつのない戦いをするもんだ。おかげで、我々スパルタニアンのパイロットは、ほとんど活躍する場面がないよなぁ」

ちびりちびりとアルコールを煽りながら、同僚のイワン・コーネフにむけて愚痴をたれる。

「仲間も部下も死ぬことが無く、戦争に勝てるのなら、それが一番だろう」

ペンを片手にクロスワードパズルを解きながら、イワン・コーネフ少佐はつまらなそうに応える。

端から聞いていれば、彼らが駆る単座式小型戦闘艇スパルタニアンがまるで戦闘に参加しなかったかのような緊張感のない会話に聞こえるかもしれない。しかし実際には、彼らの指揮するスパルタニアンの部隊は艦隊戦終了まで実に数十回の出撃をこなしており、永遠に帰ってこないパイロットも少なくはない。なんとか帰還したパイロットの多くも、戦闘終了と同時に身も心もへとへとの状態でタンクベットにとびこんでいた。

もちろんこのふたりも例外ではなく、指揮官として激戦の中に身を投じ、肉体的にも精神的にも激しく消耗している。だが、同盟軍の中でも屈指の撃墜王として知られる彼らは、やせ我慢だと自覚したうえで、不遜な態度をみせるだけの精神的な余裕があった。

「確かにその通りなんだが。だがな、艦隊の絶体絶命のピンチを、われわれパイロットの力で局面をひっくりかえす、てなことも、たまにはあってもいいんじゃないのか」

「俺たちには俺たちの役割がある。だいたい、お前さんのそのいいかただと、まず味方の艦隊がピンチにならなきゃならん。ヤン提督がそんな状況に追い込まれるとも思えんがね」

第11艦隊との戦いに限れば、極端に言ってしまえば、戦いが始まる前から勝負は決まっていた。敵艦隊主力の戦力を分断した時点で、ヤン艦隊の勝利は確定ずみだったのだ。開戦後の艦隊の砲撃戦やスパルタニアン同士の空中戦は、あらかじめ決められたゴールに向けての儀式のようなものでしかない。

ポプランは、祖父の代から同盟軍に仕えるプロの軍人である。ゆえに、自分の能力と果たすべき役割を正確に理解している。理解しているのだが、それでも巨大な艦隊の中のひとつの駒として働くだけでは、やはり不満が無いと言えば嘘になる。自らが駆るスパルタニアンで戦局を一気に変えるほどの戦果をあげてみたいと、夢を見ることもある。パイロットの性かもしれない。

「なぁ、別に提督や政治家や皇帝だけが、銀河の歴史をつくっているわけじゃない。『パイロット』が銀河の英雄になってもよいとは思わないか?」

コーネフは顔をあげ、ポプランの顔をまじまじと見た。

「……現代の艦隊戦の戦術じゃ、不可能だろう」

「たとえば、……あくまでも、たとえばの話だが。そうだな、こんなのならどうだ?」

ポプランはいったん話を区切ると、わざとらしく周りを見渡し、小声で続ける。

「スパルタニアンよりも航続距離が長く、戦艦の装甲をぶち破れる強力な主砲をたった一門だけでもいいから装備した戦闘艇があったとする。これにエースが乗り込み、単機で敵艦隊に飛び込んで、旗艦の敵指揮官のみを狙うとか、……どうかな?」

ポプランは、いつになく真剣な表情だ。

「……たとえそんな戦闘艇があったとしても、敵の大艦隊の懐まで飛び込んで、旗艦の側までたどり着けるパイロットがいるとは思えんがね。敵の砲撃をすべて先読みできるパイロットでもいなけりゃ不可能だ」

コーネフはあきれた顔で応える。そんな敵の心を読めてしまうパイロットなど、もはや人類とは言えまい。「ニュータイプ」はアニメの中にしかいないのだ。

だが、ポプランは引き下がらなかった。

「逆に言えば、そんなパイロットがいれば、英雄になれるってことだよな。しかも、それは男とは限らないわけだ……」

ポプランは、ひとりで勝手に納得すると、何度も何度もうなずいた。
 
 
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銀河英雄伝説のIFものです。妙な設定になりますが、勘弁してやってください。

短編で終了する予定ですので、最後までお付き合いいただけると幸いです。よろしくお願いいたします。

2010.10.31 初出




[22799] 銀パイ伝 その01 父と娘
Name: koshi◆1c1e57dc ID:9680a4fa
Date: 2010/11/03 02:54
宇宙歴797年 帝国歴488年8月 銀河帝国 ガイエスブルグ要塞


「お、……お父様。わたくし、良いことを思いついたのですが……」

巨大な人工天体であるガイエスブルグ要塞の中でも、最も安全な中心部に設えられたブラウンシュヴァイク公の執務室。護衛の兵士と共に入室した少女、エリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイクは、自分の父親に向かい、おずおずと声をかけた。

柔らかな金髪に青い瞳。細く整った顔立ち。14才という年齢の割に小柄で華奢な体躯。最前線であるにもかかわらず、深窓のご令嬢らしく派手な衣装で着飾っている。しかし、その立ち居振る舞いには、貴族にありがちな、まわりの人間にまったく気をつかわない尊大さは感じられない。それどころか、常に周りに気をつかい、まるで脅えるかのようにびくびくおどおどしている様子から、どこか小動物っぽい雰囲気を感じさせられる少女である。

部屋の主であるオットー・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵は、銀河帝国において最大の権力を欲しいままにする門閥貴族連合の盟主である。そして要塞の外は、彼を賊軍扱いしたあげく、すべての権力を力ずくで奪い取ろうと画策する金髪の小僧、ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥の大軍が包囲している。要塞周囲は文字通りの戦場であり、その一方の当事者の前に現れた少女は、あきらかに場違いであった。

「エリザベート。ここはお前の来るところではない。部屋に下がっていなさい」

ブラウンシュバイク公は、自らの娘を一瞥しただけで、会話する必要性を認めなかった。あるいは、自らの命令に異議を唱える腹心に対して一喝を浴びせている最中であった彼は、さすがにまだ14才の娘に自らの発する口汚い罵声を聞かせことを憚ったのかもしれない。

しかし、エリザベートは父の指示には従わず、しつこく食い下がる。

「お父様。お願いです、きいてください。この戦いを終わらせるための、よい考えを思いついたのです」

ブラウンシュバイク公は、実の娘のしつこさと声の大きさに驚いた。このような大きな声で、ハッキリと話す娘では無かったはずだが。そして気づいた。最後に娘の声を聞いたのは、いったいいつが最後だったろう。食事の度に顔を会わせてはいるものの、娘と会話らしい会話をした記憶は、すくなくともここ数年はなかったかもしれない。

「ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥は、次期皇帝になりたいのだと思います。ならば、わたくしが、ラインハルト様と、……その、あの、け、け、けっ……、ゴクリ(唾を飲み込む音)……結婚すればよいのです。そうすれば、お父様の命も助けてくれると思うのですが……。よっ、良い考えでしょう?」

ブラウンシュバイク公は絶句した。彼の娘、エリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイクは、前皇帝フリードリヒ4世の孫娘にあたる。彼の権力は、彼が皇帝の外戚であり、エリザベートの後見であることに由来している。エリザベートを金髪の小僧にくれてやるということは、奴に皇統を継ぐべき正当な理由を与えることに他ならない。

「お父様、……お父様の命だけではありません。帝国貴族も、臣民も、このガイエスブルグ要塞に集う多くの命が救われると思うのです。戦う理由が無くなるのですから。……いかがでしょう?」

ブラウンシュバイク公と同席していたアンスバッハ准将は、あまりにもいつもと違うエリザベートの様子に目を丸くしている。




アンスバッハ家は代々ブラウンシュバイク公爵家につかえる軍人であり、彼も現当主オットーの腹心と言ってよい存在である。エリザベートのことも、幼い頃からよく知っている。

エリザベートは、貴族平民を問わず帝国臣民の多くから、いつもうつむきかげんでほとんど口をきかない少女、決して笑顔を見せず常におどおどしている暗い少女だと思われている。実際、彼女は物心つく年頃になってから、自分の両親に対してほとんど口をきくことはない。また、銀河帝国の社交界は彼女が主役のひとりと言っても過言ではないのだが、彼女は他の貴族と個人的な付き合いをしようとはしなかった。

しかし、決して根の暗い少女ではないのだ。アンスバッハは、勢いに任せて大胆な事を言ってしまった自分自身におどろき、恥ずかしさで消えてしまいそうなくらい小さくなっているエリザベートを改めて見つめる。

アンスバッハの知るエリザベートは、良いところのお嬢様らしく多少、……いや、かなりのんびりとした雰囲気はあるものの、あの皇帝の血を引くとは思えないほど頭の良い素直な娘だ。彼女は、アンスバッハなど誠実に公爵家に仕える者とは、身分を超えて普通の日常会話をこなしている。さらに、乳母や侍女達、ごく少数の気の置けない友人の前では、まれにではあるが、年頃の少女らしい素顔を見せることさえある。

おそらくエリザベートは、両親がまだ幼い少女を権勢の道具としかみていないことを理解できているのだ。そして社交界で彼女に言い寄り媚びへつらう貴族達が、彼女を出世の道具としかみていないことも。

そのような大人達ばかりの中でうまれ育ち、しかも彼らの胸中がわかってしまう繊細な少女が、貴族の前では口を閉ざし、殻に閉じこもってしまうのも無理もあるまい。

アンスバッハは何度も大神オーディンを呪ったものだ。彼女が他の多くの貴族の子女がそうであるように、他人にちやほやされる境遇を自分自身の価値だと勘違いできるほど脳天気でお馬鹿であったなら、と。あるいは、数百年にわたる皇統の血、数十世代にわたって濃縮された「遺伝的欠陥」が彼女の身に発現しなかったなら、と。

そんなエリザベートが、父親に対してこのような形で直訴に及ぶとは、よほど思うところがあったのか。彼女は、自らの命だけ惜しむような人間ではない。むしろ、ローエングラム公からも道具扱いしかされないことを理解していてもなお、両親をまもるために自ら犠牲になるつもりであるに違いない。

「……あっ、あの、アンスバッハ准将。いかが思われますか?」

エリザベートは、実の父には視線を合わせることはできない。うつむき、上目遣いでアンスバッハの様子をうかがっている。勢いに任せて乗り込んできたものの、この場で彼女がまともに話を出来る大人は、古くからの知己であるアンスバッハしか居ないのだ。



アンスバッハは、エリザベートの視線をうけとめ、あらためて姿勢をただす。

お嬢様一世一代の決意、すなわちローエングラム公のもとにエリザベート自身が嫁ぐという策は、実のところアンスバッハ自身も検討したことがある。帝国の分裂を防ぎ、ブラウンシュバイク家の安泰をはかるだけでなく、なによりもエリザベートの命を救うためには、たしかに効果的だろう。だが……。

遅い。なにもかも遅かった。あと半年、いや、せめてリッテンハイム候と彼の戦力が健在なうちであれば、エリザベートの血筋をもって皇統の正当性を主張し、血を流すことなく合法的にゴールデンバウム王朝を簒奪するという手段は、ローエングラム公にとっても有力な選択肢だったはずだ。だがすでに、金髪の小僧はそのような小手先の技を必要としない力を持っている。彼は、ブラウンシュバイク家や皇帝の血筋などなくても実力で覇業を成し遂げ、それをとめられる者はいないだろう。

アンスバッハは覚悟を決める。のんびり屋で世間知らずでとんでもない人見知りだが、素直で聡明で、そして限りなく不幸な境遇のお嬢様に、悲しい真実を伝えるのだ。どうせ黙っていても、すぐに彼の心の中は見透かされてしまうのだから。

「お嬢様。お覚悟はご立派です。ですが、なにもかもすでに遅いので……」

アンスバッハは最後まで言うことが出来なかった。ブラウンシュバイク公がエリザベートの前に歩み出ると、実の娘に手をあげたのである。

「ばかもの!」「きゃっ!!!!」

アンスバッハは無礼を承知で後ろから主君を羽交い締めにするが、ブラウンシュバイク公は怒りのあまり顔を真っ赤にしたまま、実の娘をどなりつける。

「おやめください、閣下」

「お前は皇統に連なる身だ。儂のものだ。金髪の小僧になどくれてやるものか!」

自分を『もの』扱いされてもなお、エリザベートは父親にすがりつく。そして叫ぶ。

「おねがいです、お父様。この要塞のまわりは、兵士達の悪意と悲しみに満ちています。私にはもう耐えられません。おねがいですから、これ以上、人々を死なせないで……」

ああ、そうなのか。

アンスバッハは理解してしまった。彼女は、このバカバカしい戦いで死んでいった多くの兵士達の膨大な恨み、そして深い深い悲しみの感情を、そのすべてをこの小さな体で受け止めていたのだ。それは、彼女にとってどれだけ辛いことだっただろう。




銀河帝国でもほんの一部の人間しか知らないことだが、エリザベートには遺伝的欠陥がある。正確には特殊な能力と言うべきものだが、彼女の両親にとっては、そして彼女自身にとっても、それは欠陥としか感じられない、おぞましい能力でしかなかった。

エリザベートは、限定的ではあるが、他人の心を読むことができるのだ。

特に、他人の悲しみや怒り、そして自分に向けられる敵意や憎しみなどの激しい感情を、彼女は望まなくても自分のもののように敏感に感じ取ってしまう。その能力ゆえに、オーディンで自分にすり寄ってくる薄汚い貴族達の本性を見抜いてしまった彼女は、幼い頃から大人達に対して心を閉ざした。さらに、彼女の両親もまた、自分の心の内を知られてしまうのを恐れ、彼女を遠ざけてしまったのだ。

そのうえ、いま彼女がいるのは文字通りの戦場である。要塞の周りで戦闘が起こるたび、死んでいく兵士達の嘆き、悲しみの思いを、彼女は否応なく感じてしまう。兵士達の怒り、自分たちを死に追いやる門閥貴族に対する激しい怨嗟が、直接彼女の心につきささり、容赦なく責め立てる。それは、彼女にとって耐え難いものにちがいない。

「ええいはなせ! 平民の兵士が貴族のために死ぬのは当たり前のことだ。この要塞だけではない、ヴェスターラントも、銀河帝国すべての兵士が死のうとも、わがブラウンシュバイク家が生き残ればよいのだ!!」

ブラウンシュバイク公にすがりつくエリザベートが、はっと息を飲む。何かを読み取るように、父親の顔をのぞき込む。

「ヴェスターラント? ……えっ? お父様、ヴェスターラントで何をするつもりなのですか?」

ブラウンシュバイク公は、娘に対する怒りのあまり自制心を失っている。膨大な負の激情が父の心から溢れだし、娘の心の中に濁流となって流れ込む。

「そんな。……200万人の虐殺? いや! お父様、そんなことはやめてください」

「また人の心をよんだのか! この化け物め。部屋で謹慎していろ」

アンスバッハは声も出ない。ヴェスターラントは、ブラウンシュバイク家の領地であり、当主の甥であるシャイド男爵が統治する惑星であった。だがつい先ほど、圧政に耐えかねた民衆が蜂起、シャイド男爵をなぶり殺しにしてしまったとの連絡が届いたのだ。怒り狂ったブラウンシュバイク公は、報復として200万人の領民を皆殺しにすべく、惑星に対する核攻撃を命じた。エリザベートがオフィスに乱入してきたのは、あまりに無茶な命令に対して反論するアンスバッハと公の問答の、丁度さなかのことであったのだ。

「おっ、お父様。やめてください、お願いです」

「アンスバッハ、これを部屋に連れて行け。そして、ヴェスターラントは命令通りに攻撃するのだ。わかったな!」

ひとりでオフィスを出て行ってしまったブラウンシュバイク公を、アンスバッハは黙って見送るしかない。いかに権勢を誇るブラウンシュバイク家といえども、このような無茶をして平民達が黙っているわけがない。ブラウンシュバイク家と門閥貴族はおしまいだ。いや、ゴールデンバウム王朝そのものが、あの金髪の小僧に滅ぼされるだろう。

そして、目の前に座り込み、泣き崩れるエリザベートを見る。彼の主君はもう救えないだろう。だが、罪のないこの娘だけでも、なんとかして金髪の小僧から、そしてこの娘を化け物扱いする父親から逃がす方法はないものか。

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数百年間もつづく皇帝の血筋なら、ちょっとくらい特殊な能力をもっていても不思議はないかもしれないなぁ、ということで。

2010.11.03 初出




[22799] 銀パイ伝 その02 対面
Name: koshi◆1c1e57dc ID:9680a4fa
Date: 2010/11/07 19:41

ラインハルト艦隊 旗艦ブリュンヒルト

「ガイエスブルグ要塞から脱出したシャトルだと? これが初めてではあるまい。他と同様に処理すればよかろう」

オペレーターから報告を受けたラインハルトは、吐き捨てるように返した。既にブラウンシュバイク公の陣営は崩壊が始まりつつある。散発的ではあるが、兵士の逃亡や寝返りも起こっており、要塞から脱出し投降する兵士も初めてではない。

さらにラインハルトは、オーベルシュタイン参謀長の進言により、極めて不愉快きわまりない決定を自ら下した直後であった。その口調が普段の彼からは考えられないほどぞんざいになっていたのも、無理もないといえるかもしれない。

しかし、オペレーターの伝える報告には続きがあった。それは、ラインハルトを驚愕させるに足るほどのものであった。

「エリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイクが私に面会を求めているというのか? ……わかった。とりあえず、ここに通せ」



エリザベートと共にブリュンヒルトに乗り込んだのはただひとり。門閥貴族連合軍の司令官を務めるメルカッツ提督の忠実な副官、ベルンハルト・フォン・シュナイダー少佐である。要塞のアンスバッハも艦隊のメルカッツも、すでにブラウンシュバイク公を見限っていたが、この期に及んでも、彼らの正義感は主君を裏切ることを彼ら自身に許しはしなかった。そのかわり、アンスバッハとメルカッツは、シュナイダーにエリザベートの護衛兼パイロットの役目を託した。彼に与えられた任務はただひとつ。どのような手段をつかってでもよいから、エリザベートひとりだけでも助けることだ。

この期に及んでエリザベートの命を助けるというのは、非常に困難な任務であるのは間違いない。だが、シュナイダーは悲観してはいなかった。要塞の脱出は、アンスバッハの手引きにより問題なく実行できた。ブラウンシュバイク公は目の前の戦いに夢中であり、娘が要塞をでたことにも気づいてはいないだろう。要塞から出てしまえば、取り囲む敵艦隊から下手に逃げるよりも、ラインハルトを頼ったほうがはるかに安全だ。単身投降し停戦を請うために面会をもとめてきた未成年の少女に対して、いきなり危害を加えるなど、あの誇り高き金髪の小僧がするはずがない。

さあ、これからが本番だ。

シュナイダーは、こころから敬愛する彼の上司、メルカッツ提督より与えられた任務を果たすため、緊張に震えるエリザベートを見る。

頼みますよ、お嬢様。



会談は、ブリュンヒルトの中、応接スペースにおいておこなわれた。エリザベートとシュナイダーは、賓客あつかいである。

「……ラッ、ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥閣下。会談の機会を設けていただいたことに、こころよりお礼申し上げます」

エリザベートは、ラインハルトの後ろに立つオーベルシュタイン参謀長の刺すような視線に身をすくめながらも、なんとか視線だけはラインハルトの顔にむけ、口を開くことが出来た。そして、ぺこりと頭を下げる。

「フロイライン・ブラウンシュバイク。どのようなご用件ですかな?」

椅子に座るよう勧めると、ラインハルトはあくまで事務的な口調で尋ねる。

まだこどもではないか。

それがラインハルトによる、エリザベートの第一印象である。もちろんラインハルトは、エリザベートが14才であることを知っている。さらに、貴族のパーティなどで実際に会ったことも何度もある。だが、ほとんど印象には残っていない。ブラウンシュバイク公が、憎き金髪の小僧が娘に近づくことを阻止したせいもあるが、そもそもラインハルトは大貴族の子女である彼女に興味がなかったのだ。僅かに残る記憶の中のエリザベートは、いつもつまらなそうに下を向いている少女だった。

「戦いを、……戦いを、止めていただきたいのです」

ラインハルトの顔を見つめたまま数瞬の躊躇の後、エリザベートは口を開いた。

「ローエングラム元帥閣下と門閥貴族のどちらが正しいのかは、私には、……わかりません。しかし、銀河帝国の内輪もめで、これ以上の兵士達が死ぬ必要はないと、私は思うのです」

ほう、無条件で自分たちが正しいと思っているわけではないのか。あのブラウンシュバイク公の娘にしては、まともな感性をもっているようだ。




罠ではないのか?

エリザベートが投降してきたとの報を受けたラインハルトは、まずその疑念をいだいた。オーベルシュタインも同様であり、警戒するよう主君に対して進言している。

だが、エリザベートの血統が持つラインハルトに対する切り札としての値打ちなど、すでにほとんど無くなっていると言ってもよい。ラインハルトは、ゴールデンバウム朝の血筋など必要とはしていない。ブラウンシュバイク公本人がいくら愚鈍であっても、メルカッツ提督など彼の取り巻きすべてがそれに気づいていないはずがない。エリザベートには罠の餌としての価値はないのだ。

であるにもかかわらず、なぜこの少女はこのタイミングでここにいるのか。自分だけ命乞いをするつもりか? しかし、直に話を聞く限り、どうやらそれだけではないらしい。

ラインハルトは、緊張した面持ちで目の前に座る少女に対して、少々の興味を抱いた。そして、話だけは聞いてみる気になった。彼女の第一声によっては、のしを付けて即刻ガイエスブルグ要塞に返すつもりであったのだが。

「私がはじめた戦いではない。フロイライン、あなたはその思いを自分の父君にむけるべきではないか?」

エリザベートは一度うつむき、そして再び顔をあげる。その大きな瞳からは、いつ涙がこぼれ落ちてもおかしくないように、ラインハルトは感じた。

「お父様は、私の話など聞いてはくれないのです。……ラインハルト様」

ラインハルトは、エリザベートが自分を名で呼んだことに気づいた。彼女、まっすぐに自分の顔を見つめている。数瞬後、彼女の口からでた言葉は、ラインハルトにとって想像もしていない内容だった。

「ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥閣下。私を、……いえ、私と、結婚してください!」

さすがのラインハルトも、あっけにとられている。

「私と、……けっ、けっ、結婚すれば、ローエングラム元帥閣下は、皇統を継ぐべき正当さを手に入れることが出来ます。戦う理由が無くなるのです。これ以上、……これ以上、人々が死ぬ必要がなくなるのです」



言ってしまった。エリザベートは、おもわず顔を赤くして目を伏せる。初めて男の人に結婚を申し込んだのだ。恥ずかしくないわけがない。だめだ、顔をあげないと。そして、ラインハルト様の目を見るのだ。彼が何を考えているのか、心を読むのだ。どうすれば戦いをやめてもらえるのか、作戦を練るのだ。

それまでエリザベートは、自分のもつ能力、他人の心を読む能力を、憎んでいた。この能力さえなければ、両親が自分を化け物扱いすることもなかったはずだ。そして、この能力のせいで、大人になっても自分は小説のような恋愛は不可能だと思っていた。しかし、いまだけは、この能力をフルに活用したいと思った。自分を、戦いを止めるための商品として高く売りつけるためならば、化け物扱いされてもかまわない。




一瞬の苦笑ののち、ラインハルトはあらためてエリザベートを見る。火が噴きでるかとおもえるほど真っ赤な顔をしながらも、ラインハルトを正面から見つめている。

このお嬢様は、どうやら本気で停戦を呼びかけに来たらしい。かなりピントは外れているようだが……。

「フロイライン。素敵な提案だが、あなたは停戦のためだけに、好きでもない男と結婚して平気なのか? 私は、結婚というものに対して、もう少し夢を持っているのだが……」

ラインハルトは、もうすこしだけ、この少女と会話を続ける気になったのだ。



エリザベートの能力は、決して他人の考え全てが詳細に理解できるというものではない。怒り、悲しみなど、強烈な感情にともなう思考のみが、自然に感じられてしまうだけだ。中でも特に、自分に対する敵意については、意識しなくても思考が流れ込んでくる。今のラインハルトは、少なくとも自分に対して決して悪い感情を抱いてはいないようだ。

「いっ、いいえ。そんなことはありません。初めてお会いしたときから、ラインハルト様のことは、おっ、おっ、お慕いしておりました。ええ。ほっ、本当です」

真っ赤な顔で必死に訴えるエリザベートとは対照的に、ついにラインハルトは吹き出してしまった。

キルヒアイスなどがこの場に居れば、貴族の子女をからかい、楽しげに会話するラインハルトの姿をみて、驚嘆したかもしれない。



……だが、だからといって、ラインハルトは情に流されるような人間ではなかった。このお嬢様との会話の時間が無駄だとは思わないが、彼は他にやらねばならぬ事があるのだ。

「閣下、お時間です」

頃合いを見計らったオーベルシュタインが声をかける。ラインハルトもそれにこたえる。ソファから立ち上がり、エリザベートとの会話を断ち切る。

「失礼。フロイライン・ブラウンシュバイク。あなたの好意は嬉しいが、結婚はもう少しお互い深く知り合ってから考えさせてもらいたい。ここは、お帰り願えるかな。もちろん、ガイエスブルグ要塞までの安全は保障する」

えっ? アンスバッハ准将が言うとおり、今となってはもうラインハルト様は、私に流れる皇帝の血など必要としないということなのですか?

でも、……それでも、結婚はともかくとしても、戦わずに目的が果たせるとなれば、ラインハルト様だって心が動くかもしれない。たとえ一時的でもいい、戦いがとまれば死ぬ人も減るに違いない。

「ラインハルト様!」

立ち去ろうとするラインハルトに対して、エリザベートがさけぶ。

「ならば、私を、私を人質にしてください。そうすれば、もしかしたらお父様は、戦いをやめてくれるかもしれません」

「だめだ! 私は、人質などという不名誉な手段は使わない」

ラインハルトは、間髪をいれずに言い放つ。彼は卑劣な門閥貴族達とは違う。断じて違うのだ。

「……フロイライン、あなたはなぜ、それほどまでして戦いを止めさせたいのだ?」

「私は、……理不尽に死んでいく人々の恨みや悲しみを、感じることができるのです」

彼女の能力を、ラインハルトに理解してもらうのは不可能だろう。もう戦いは止められない。ならば、せめて……、せめて虐殺を止めさせなければ。

エリザベートはひとつ深呼吸をすると、ゆっくりと口を開いた。実の父の不名誉な行為を、敵の前で告発するために。

「ローエングラム元帥閣下。お父様は、……ブラウンシュバイク公は自らの所領ヴェスターラントに対して核攻撃を命じました。この虐殺をとめることができるのは閣下だけです。お願いです、せめてヴェスターラントの罪なき人々だけでも、お救いください。お願いです、ラインハルト様」

「ヴェスターラント……」

ラインハルトの表情が曇る。一瞬、エリザベートに向かって口を開きかけ、思いとどまる。

何を躊躇しているの?

その瞬間、エリザベートには、ラインハルトの心がみえた。彼の心中は後悔の念と絶望でみたされている。……まさか。

「ローエングラム閣下。まさか、……まさか、お父様の命令について、あなたは知っていたのですか?」

ラインハルトの顔が引きつる。だが、それに気づく暇もなく、次の瞬間それはやってきた。




「!? これは、なに?」

エリザベートは、核攻撃がいつおこなわれるのかまでは知らなかった。彼女は、死にゆく膨大な数の人々の感情が一気に流れ込んでくることによって、まさにこの瞬間、ヴェスターラント全土に核攻撃が行われたことを知る。

「いっ、いや。やめて!」

それは、まったく突然に襲った理不尽な死に対する悲しみ。核兵器の閃光の中で焼かれた200万人もの人々の怒り。ブラウンシュバイク家に人間に向けられた凄まじい怨嗟。

惑星ヴェスターラントに住む人々は、この攻撃が、自分達の領主であるブラウンシュバイク家によって行われたことを、直感的に理解した。皆殺しにされた瞬間、彼らの怒り、悲しみ、恨みの感情が爆発的に放たれ、ブラウンシュバイク家の一員であるエリザベートの脳髄に突き刺さり、その感情を焼き尽くしたのだ。

エリザベートは、無限に遠くの人の心を読んでしまうわけではない。近くにいる人の感情は強く感じ取ることができるが、距離がはなれるにしたがって読み取るのが難しくなる。ヴェスターラントは、いつものエリザベートが他人の感じ取る限界をはるかに超える距離にある。だが、彼らの怒りと悲しみは、あまりにも強かった。あまりにも多くの人間が、ブラウンシュバイク家を恨みながら死んでいった。その膨大な感情は、時空を超えてエリザベートを飲み込むのに十分過ぎるほど強かったのだ。

「ヴェスターラントで、ひっ、ひかりと人の渦が溶けていく。あれは、憎しみの光。あれは光らせてはいけないのよ!!」

「どうしたのだ、フロイライン。大丈夫か?」

エリザベートをおそった負の感情の奔流は、数分間にわたってつづいた。内乱が始まって以来、彼女の周囲には、日常的に人の死がつきまとっていた。死にゆく軍人達の悲しみを、彼女は毎日のように、その小さな体で受け止めてきた。しかし、これほど多くの人々、しかも覚悟する間もなく理不尽な死を強制的に受け入れざるを得なかった人々、さらにブラウンシュバイク家に対する激しい恨みを持つ人々の負の感情に直接さらされたのは、初めての経験である。

エリザベートは顔をあげることが出来ず、涙を流しながら、全身を小刻みに震わせる。ラインハルトはおもわずテーブルの上で握られたエリザベートの両手に自らの手を添え、彼女が落ち着くのを待つ。

ラインハルトと物理的に触れあうことにより、エリザベートは確信した。悲劇を引き起こしたのはブラウンシュバイク公であるが、それを防ぐことが出来たにもかかわらず見逃したのは、ラインハルトなのだ。

エリザベートは、みずから涙をふき、立ち上がる。ヴェスターラントの死者達の怨念は、まだ完全には消えていない。一度頭をふり、深呼吸して視線を現実に引き戻す。そして、顔をあげ、ラインハルトの目を見つめる。

「元帥閣下は、ヴェスターラントのことを知っていて、あえて……、見捨てたのですね?」

ラインハルトが口を開く前に、後ろに控えるオーベルシュタイン参謀長が問いに答える。感情のまったく含まれていない声が、エリザベートの耳に冷たく突き刺さる。

「元帥閣下に進言したのは私だ。ブラウンシュバイク公の悪行があきらかになることで、門閥貴族連合の瓦解が加速され、この内戦はより早く終わるだろう。200万人の犠牲で、数億人の命がたすかるのだ」

エリザベートの表情は、ラインハルトに対する怒りではなく、多くの人間が殺されたことに対しする悲しみと、自分の無力さへの自嘲、そして無邪気にも自分の力で戦いを止められると考えていた自分への羞恥が入り交じっているように見えた。こぼれ落ちそうになる涙を必死にこらえ、口をへの字にして、ラインハルトを正面から見つめている。

「……失礼なお願いをしたことを、お詫びいたします。私の力で戦いを止められると考えた私が愚かでした。帰ります。ごきげんよう、元帥閣下」

ラインハルトは、彼女をとめることができなかった。


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管理人様、おつかれさまです。

2010.11.04 初出
2010.11.07 アイゼナッハとアンスバッハを間違えていた部分を修正。気をつけていたつもりだったんですが……。




[22799] 銀パイ伝 その03 決別
Name: koshi◆1c1e57dc ID:9680a4fa
Date: 2010/11/07 19:42

ブリュンヒルトを発艦した二人乗りの小型シャトルの中、エリザベートは特別製の豪華なシートに深く座り込み、膝の上で両手を固く握ったまま、うつむき、口を開くことはなかった。死にゆくヴェスターラントの人々から叩きつけられた激しい恨みの感情は、彼女の頭の中にまだ残っている。吐き気がとまらない。

それに加えて、エリザベートは自分を恥じていた。自分の力で戦いを止めさせることができるかもしれないと、ほんの少しでも思ってしまった自分自身の甘さ、幼さを自覚すると、死んでしまいたくなる。

「……結局、エリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイクという人間の価値は、皇統の血統しかないのですね」

誰に向けるでもなしに、エリザベートはつぶやく。そして、ため息をひとつつく。

「それを価値と認めない者にとっては、私はただの小賢しい子どもでしかないのです」



誰の目からみてもショボンと落ち込んでいる彼女の前の座席、操縦席につくシュナイダー少佐が、正面のモニタから目をはなすことなく、返事を返す。

「フロイライン。その年齢でそれが理解できるのなら、まだ望みはありますよ」

エリザベートは、ハッと顔をあげる。そして、シュナイダー少佐の後ろ姿をまじまじと見る。

彼女に対して、このような親しげな口をきく人間は、ほとんどいない。シュナイダー少佐は、メルカッツ提督の副官と聞いているが、遠くから顔を数回見た程度の仲のはずだ。この行程においても、ガイエスブルグ要塞を出航して以来ほとんど口をきいていない。

「失礼。高貴な方々に対する口のきき方を知らないと、上官にはよくしかられます。故に、門閥貴族の前では口を開かないように気をつけているのですが、あなたとは話す価値がありそうだ」

シュナイダー少佐は振り向き、エリザベートに微笑みかける。改めて少佐の顔を至近距離からみると、ドキッとするほどハンサムだ。エリザベートは、あわてて涙をふき、姿勢を正す。

「……シュナイダー少佐。あなたは、私がローエングラム公に追い返されることを、事前に予測できていたのではないですか? ガイエスブルグ要塞を出る前に止めてくれればよろしかったのに」

シュナイダーは、苦笑いを浮かべながら、ふたたび正面を向く。エリザベートに背を向け、シャトルの操縦桿を握ったまま答える。

「私がメルカッツ提督とアンスバッハ准将からうけた命令は、あなたの命を守る事です。あの時点でもっとも安全なのは、ローエングラム公の懐にみずから飛び込み、その身を彼にあずけることでした。戦いを止めさせるために単身敵陣に乗り込んできたお嬢さんを、彼が害するとは思えませんからね」

シュナイダーの目的は、とにかくエリザベートをガイエスブルグ要塞から、いや、ブラウンシュバイク公から引き離すことだったのだ。だが、さすがに主君の娘を力づくで誘拐するような真似はできなかった。そのような状況で、彼女自身がローエングラム公に結婚を申し込みに行くと言い出したのだ。シュナイダーにとって、これは渡りに船以外のなにものでもなかった。

「でっ、でも、結局、私は追い返されてしまいました。私のやったことは、……無駄だったのです」

「そうでもありません。正直に言いますと、あなたの求婚作戦が上手くいくとは、私も思ってはいませんでした。しかし、おかげで時間を稼ぐことができました。なにより、ローエングラム公から、帰りの安全は保障するとの保障をもらうことが出来ました」

シュナイダーは、正面のモニターを切り替える。

「ごらんなさい、ガイエスブルグ要塞から貴族連合軍が出撃してゆきます。これが最後の戦いになるでしょう」

エリザベートは立ち上がり、背伸びをしてモニタをのぞき込む。そこには、要塞から出撃する堂々たる艦隊のすがたが映っている。だがそれは、リップシュタットの盟約によって結成された当初の門閥貴族連合軍艦隊と比較して、大幅に数を減らしている。ローエングラム公の大艦隊とは比べようもない。

シュナイダーはパイロット席から立ち上がる。そして、エリザベートの正面に膝をついてひざまずくと、彼女と視線の高さを合わせた。家族以外の男性と、これほど近い距離で見つめ合ったことはない。端正な顔が、正面からまっすぐに見つめている。エリザベートはおもわず目をそらす。顔が赤くなったかもしれない。シュナイダーは少女の左右の手をとり、体の前で合わせると、手のひらで優しく包み込む。大きな温かい手。エリザベートの動悸が、早鐘のように高鳴る。どうしてよいかわからない。

だが、シュナイダーの口から出た言葉は、少女にとって残酷なものだった。

「お嬢様。この戦いは負けます。いかにメルカッツ提督が奮戦しようとも、全体としてはおそらく一方的な追撃戦になります。ローエングラム公や彼の部下達の目が最終的な目的であるガイエスブルグ要塞、そしてブラウンシュバイク公に引きつけられているうちならば、私たちが逃げることも可能かもしれません」

「……そっ、それでは、お父様は」

「ローエングラム公は、要塞内にいるブラウンシュバイク家の人間を絶対に逃がしはしません。さらに、敵はローエングラム公だけではありません。この状況で要塞内にいれば、敗戦のどさくさにまぎれて味方の平民達になぶり殺しにされる可能性さえあります。リッテンハイム候のようにね」

エリザベートは絶句する。シュナイダーは、彼女の家族は既に死んだも同然だと言っているのだ。そして、彼女ひとりだけ、家族を捨てて逃げろと言うのだ。ブラウンシュバイク家の命運が既につきていることは、エリザベートにも薄々わかっていた。だが、味方の口からはっきりとそれを指摘されると、やはり平静ではいられない。

「お嬢様。あなたがブラウンシュバイク公や門閥貴族達と運命を共にしたいというのならば、ガイエスブルグ要塞までお送りします。しかし、ブラウンシュバイク家と運命を共にする決意をしているアンスバッハ准将の、あなただけでもお救いしたいという気持ちを、どうかご理解ください」

両親とはもう会えない。エリザベートの瞳からは、ふたたび涙がこぼれおちる。いかに両親から酷い扱いをされてきたとはいえ、彼女はまだ14才の少女なのだ。

シュナイダーは、エリザベートの手を握る力をこめる。そして、正面から顔をのぞき込む。エリザベートの中に、シュナイダーの感情が流れ込んでくる。そこには、皇帝の孫に対する妬みも、貴族に対する反感も、あるいは小生意気な少女に対する嘲りもない。恐れも、下心も、媚びへつらいもない。さらに、ほんのわずかに期待した、自分を女として意識する感情もない。軍人である彼は、エリザベートという少女を守るという任務を果たそうとしているだけなのだ。

心の中のわずかな部分で失望を感じつつも、エリザベートは、シュナイダーを信頼することが出来た。この男は、他の貴族達とは異なる。

「わっ、……わかりました。私を、安全なところまで、連れて行ってください」

エリザベートは涙をこらえる。そして、まっすぐに前をむいてこたえた。



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たくさんの感想ありがとうございます。

たしかに我ながらちょっと無理がある設定だなと思わないこともありませんが、なるべく世界観を壊さないよう努力します。

2010.11.07 初出
2010.11.07 アンスバッハとアイゼナッハを混同するという、致命的な間違いを修正。もうしわけありません。



[22799] 銀パイ伝 その04 逃亡
Name: koshi◆1c1e57dc ID:9680a4fa
Date: 2010/11/08 00:19


旗艦ブリュンヒルト

門閥貴族連合軍は、完全に統制を失い、崩壊しつつあった。もともと、指揮官の能力や兵士の練度は、ラインハルトの艦隊とは比較にならない。そのうえ、ヴェスターラントの虐殺により、兵士達の士気が地の底まで一気に下がったことが、決定的だった。すべての戦線において、ラインハルト麾下の艦隊は門閥貴族艦隊を撃破した。辺境から帰還したキルヒアイス艦隊も加わり、いまや完全にガイエスブルグ要塞は包囲されている。

「フロイライン・マリーンドルフが言ったものだ。貴族の士官に対する平民兵士の反感が、私の勝因のひとつになるだろう、とな。みごとに的中したな」

ラインハルトが、ブリッジの中でつぶやく。

「正直なところ、今年中に終わるとは思っていませんでしたが、案外、はやく決着がついたものです」

横に控えるオーベルシュタイン参謀長がしずかに応える。そして、思い出したように告げる。

「閣下。エリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイクは、ガイエスブルグ要塞には帰還せず、逃走中です。味方の高速艇が追跡していますが、いかがいたしますか?」

ラインハルトは宙を見上げ、しばらく考えた後、こたえる。

「放っておけ。いまさら何も出来まい」

エリザベートをブリュンヒルトから追い返す際、ラインハルト自身が彼女の安全は保障すると告げたのだ。

「しかし閣下。フリードリヒ4世の血を引き、門閥貴族の盟主であるブラウンシュバイク家の娘である者を生かしておいては、大きな禍根を残すことになるでしょう。しかも、彼女はヴェスターラントの虐殺を我々が見逃したことを知っております。彼女がオーディンでこの事実を喧伝すれば、リヒテンラーデ侯に利用される可能性もあります」

ヴェスターラント……。ブラウンシュバイク公による虐殺が行われることを、ラインハルトは事前に知っていた。知っていてあえて見逃したのだ。結果として、彼と参謀長の狙い通り一気に民心は門閥貴族連合から離れ、戦争集結は大幅に早まり、多くの人命が救われた。

だが、盟友キルヒアイスは、やるべきことをやらなかったラインハルトを責めた。ラインハルトの覇権は、ゴールデンバウム王朝にはない公正さによるべきであると、キルヒアイスは悲しい顔で訴えた。

ラインハルトがものごころついて以来、キルヒアイスはつねに彼と共にあった。ラインハルトにとって、姉と共にこの宇宙でもっとも重要な人間である。ラインハルトは、自ら決断したヴェスターラントの件で、自らの半身といってもよいキルヒアイスとの間に大きな溝をつくってしまった。溝はまだうまってはいない。より多くの人々の命を救うためとはいえ、キルヒアイスの信頼を裏切ってまで実行した策が、ブラウンシュバイクの娘ごときのために無駄になることなど、絶対にあってはならない。……毒を食らわば皿まで、だ。

「わかった。ブラウンシュバイクの娘の件は、卿にまかせる」

「御意」

オーベルシュタイン参謀長が、義眼を光らせ、頷いた。




ラインハルトの艦隊から逃走するシャトルの中、エリザベートがシュナイダーに尋ねる・

「私たちは、どこに逃げるのでしょう?」

「私の上官であるメルカッツ提督の旗艦です。この宇宙でもっとも安全なところです」

エリザベートは、社交界において以前からメルカッツとは面識があった。だが、彼女からみて、提督は頑固そうなおじいさんという印象しかない。しかし、シュナイダーがメルカッツの名を出す際の表情をみれば、彼が上官を心の底から信頼しているのがわかる。

実のところ、シュナイダーがエリザベートをメルカッツの元に連れて行こうと計るのは、親に見捨てられた不幸な少女を救いたいというメルカッツやアンスバッハの意志に従っただけではない。彼の心中には、命令以上の理由があったのだ。

シュナイダーが最も恐れているのは、責任感が強いメルカッツが貴族連合に殉じ、自ら死を選ぶことであった。不幸な少女がメルカッツを頼ることにより、彼は生き延びることを選んでくれるのではないか、シュナイダーはそう考えたのだ。

一方エリザベートは、シュナイダーを信用しきっている。彼女は体の力を抜き、シャトルを操縦するシュナイダーの後ろ姿に視線を定める。数回の短距離ワープでメルカッツの艦にたどり着くという彼の言葉を聞きながら、いつのまにか軽い寝息をたてはじめる。



突如、シャトル内に警報が鳴り響く。後方警戒用のレーダーの中に、複数の機影が見える。

「ワルキューレ! ローエングラム公の追っ手か?」

帝国軍の単座戦闘艇ワルキューレが3機、あきらかにシャトルを攻撃する意志をもって、後方に展開している。

「えっ!」

エリザベートも反射的に目を覚ます。とっさに周りを見渡しながら、そっとよだれをふく。この状況で深く眠れるわけもなく、何が起こったのかは一瞬にして把握することができた。

「そっ、そんな! ローエングラム元帥は、ガイエスブルグ要塞までの安全を保障すると言っていたのに……」

「我々の行き先は要塞ではありませんからね。それに、あなたが知ってしまったヴェスターラントの件は、ローエングラム公にとってまずい情報なのでしょう」

「でっ、では、どうするのですか?」

「彼が本気で追っ手をだしたのなら、降服しても無駄でしょう。この場で闇に葬られるだけです。ここは逃げの一手。シートベルトをしっかり締めて下さい」

ワルキューレの編隊がシャトルに接近し、中央の一機が真後ろからビームを放とうとした瞬間、シュナイダーは操縦桿を倒しシャトルを急旋回させる。

「非武装のシャトルに対して、無警告で発砲するとはな!」

危機的な状況であるにもかかわらず、シュナイダーの声はあかるかった。彼は操縦桿を握り直すと、あらゆる操縦テクニックを駆使し、帝国軍が誇る戦闘艇の襲撃から逃げ回る。

戦闘艇のパイロットは本職ではないが、士官学校で一通りの課程はこなしている。それに、さすがは門閥貴族の中でも盟主のためにつくられた最高級のシャトルだ。通常空間の機動性だけなら、ワルキューレにもひけをとらない。シュナイダーは、自らの血が騒ぐのを感じた。いま自分は、戦艦の中から命令を下すのではなく、自分の力だけを頼りに敵と戦っている。艦隊司令官の副官という立場では通常はありえない状況に、彼は興奮していた。多勢に無勢で徐々に追い詰められていることを自覚していてもなお、彼は上機嫌だった。うしろにエリザベートがいなければ、操縦桿を握りながら歌い出していたかもしれない。

人工重力発生装置を備え、慣性制御すら可能な超高級シャトルといえども、設計限界を超えた激しい機動をおこなえば、内部の人間に大きなGがかかることは避けられない。エリザベートは、シートに必死にしがみつき、間断なくあらゆる方向にかかる加速度に耐える。それでも、操縦席のシュナイダーの背中からは目を離さない。彼の背中越しにみえる正面のモニタには、色とりどりの美しいマークがいくつも輝き、それぞれがめまぐるしく移動している。一瞬、画面の真ん中に真っ赤なマークが点滅し、詳しい意味はわからないが警告の文字が目に映る。

きれい

エリザベートが見とれた瞬間、耳をつんざくような爆発音がシャトル内部に響き渡った。激しい振動。鳴り響く何種類もの警報音。数秒後、エリザベートが恐る恐る目を開けると、正面にいるはずのシュナイダーの背中がみえない。いや、彼はいる。上半身が、操縦卓に突っ伏しているのだ。

エリザベートは、シートベルトを外し、シュナイダーのもとに走る。

「シュナイダー少佐! 大丈夫ですか?」

右腕と脇腹に、血が滲んでいる。

「……大丈夫で、……す。ミサイルの直撃をくらいましたが、キャビンは無事です。破片がいくつかここまで飛び込んできただけでしょう」

シュナイダーはいちど頭をふり、コンソールを操作しようとした。だが、右腕がまったく動かない。

くそ、調子に乗りすぎたか。よろよろと左腕をのばし、いくかのスイッチを操作する。画面をクリックし、表示される文字を読み取っていく。

「生命維持装置に異常はないようです。破壊されたのは、……ワープエンジンだけ。他の通常航行用のエンジンは無事です」

「シュナイダー少佐。ちっ、血が! 血がこんなにたくさん!!」

シュナイダーは、改めて自分の脇腹を見る。軍服に穴が開き、真っ赤な血が床に流れ落ちている。破片が貫通してしまったようだ。

まずいな。操縦系統は無事だが、自分が操縦できなれば意味がない。どうやって時間を稼ぐか……。




「お嬢様。手を、貸して下さい」

「はっ、はい」

エリザベートは、ハンカチをとりだすと、シュナイダーの傷口をふさごうとした。きれいなドレスに彼の血がべっとりとつくが、まったく気にしない。

「ちがいます!」

シュナイダーが大声を出すと、エリザベートは硬直する。

「私の右手のかわりをして下さい」

エリザベートは意味がわからず、彼の顔をのぞき込んだまま停止している。

「私の膝の上に座り、私が指示するとおりに操縦桿を操作するのです」

「えっ、あっあの、でも、私には、……その、できません」

「……あなたを無事に届けるのが私の任務です。このままでは、撃墜されるだけです。お願いです、言うことをきいてください」

シュナイダーの顔色は、どんどん蒼白になっていく。エリザベートは、シュナイダーの膝に数秒視線を固定した後、彼の顔をみないまま、意を決しておずおずと腰を下ろした。もちろん、家族以外の男の膝の上に座るなど、うまれて初めての経験である。心臓の鼓動が自分でも信じられないくらい激しい。それをシュナイダーに気づかれないかが、なによりも気になる。

直後、ふたたび警報が鳴り響く。第二波の攻撃が始まったのだ。

「右手で操縦桿を握って、そう。……今です。つよく引いてください」

耳元でささやくように響く低い声に反応し、エリザベートはわけもわからず言われたとおりにする。機体が急上昇し、ワルキューレの攻撃を間一髪でかわす。Gに圧迫され、エリザベートの体はシュナイダーに密着する。


シュナイダーの左手はコンソールに伸びており、いくつものスイッチやボタンの間を激しく動き回っている。彼の肘が動くたび、彼女の脇腹がやさしくくすぐられる。シュナイダーの両脚がフットペダルの操作するたびに、その微妙な振動がエリザベートにまで伝わる。シュナイダーが息をするたびに、エリザベートの首筋に快感が走る。脳髄がしびれ、体の芯があつくなる。

「あっ、あの、少佐……」

エリザベートが真っ赤な顔で何か言おうとしたのを、シュナイダーは無視する。ワルキューレの攻撃を避けるためには、余計な事を考える暇はないのだ。

「操縦桿を左に倒して。もっと強く! 次、逆に、ちょっとだけ。そう、……そして前!」

何度目かの攻撃をかわした頃、シュナイダーは感嘆した。……おどろいたな。自分が指示したこととはいえ、苦し紛れの策が、これほどまでに上手くいくとは思わなかった。このお嬢様は、俺の意図するとおり、極めて正確に操縦桿を操っている。俺の意志を読み取っているとしか思えない。これならば、……逃げ切れるかもしれない。

シュナイダーの気持ちに余裕が生まれる。正面のモニタに固定されていた視線を下げ、膝に座り必死に操縦桿を操作している少女を肩の上から見下ろす。よい香りが鼻腔をくすぐる。さらさらの金髪。白く滑らかなうなじのライン。ドレスの胸元がひろくあいている。ふむ、もう少し体に凹凸がほしいところだが……。

「しょっ、しょっしょ少佐!」

エリザベートが唐突にさけぶ。声が裏返っている。空いている左手で、胸元を隠す。いつのまにか、うなじから首まで真っ赤になっている。

「へへへ、へんなこと、へんなことを考えないで、ちゃんと前をみてください!!!」

シュナイダーは我に返る。

あれ? 俺はいつのまにか思ったことを声に出していたのか?

とっさに浮かんだ疑問を押し殺しながら、慌てて視線を正面に戻す。

だが、モニタが見えない。シュナイダーは、自らの体の異常に気づいた。視界がぼやけているのだ。左手も思うように動かない。まずい。判断力があきらかに鈍っている。口が回らない。エリザベートに指示が出せない。

出血多量による血圧低下だ。戦闘による極度の興奮状態のため気づかなかったが、ついに肉体が限界を超えたのだろう。全身の力が抜けていく。

「少佐! 少佐! 少佐! しっかりしてください少佐!!」

エリザベートは操縦桿から手を離し、振り向く。シュナイダーの顔を見上げる。

……だめだ、エリザベート。まだ攻撃は続いている。前を見ろ。そして操縦するんだ。……そうしなければ、二人そろって宇宙の塵になってしまう。

シュナイダーの心の声を聞き、エリザベートは唇をかみしめる。そして前を向く。

機体を右に倒せ。そうだ、……今度は左の敵が撃ってくるぞ、上昇してよけるんだ! 

シュナイダーが心の中で思うだけで、エリザベートが機体を動かしてる。左腕の操作パネルも、フットペダルすらも、いつのまにか操作しているのはお嬢様だ。こいつはすごい。俺が頭の中で考えたことを、そのまま読みとって実行してやがる。

エリザベートは、生まれて初めて自分の能力に感謝していた。彼女は、シャトルの操縦などまったく経験がない。だが、包み込むように座るシュナイダーの肉体から、彼の思考が激しい奔流となり彼女の中に流れ込む。たとえ操縦の経験などなくても、流れ込む彼の思いの通りに体を動かすだけでよいのだ。今や彼女は、シュナイダーと一体化していると言っても良い。彼の知識も、経験も、すべてはエリザベートのものだ。

エリザベートは自分の五感を周りの空間すべてに開放する。シュナイダーだけではなく、敵の意志を読み取るために。



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2010.11.08 初出





[22799] 銀パイ伝 その05 亡命
Name: koshi◆1c1e57dc ID:9680a4fa
Date: 2010/11/13 02:32


ワルキューレのパイロット達は、焦りはじめていた。3機小隊の戦闘艇が、非武装のシャトルをとりかこみ、数度の攻撃をしかけてもなお撃墜できないのだ。

決してあなどっていたわけではない。しかし、その価格は正規軍の戦艦一隻にも匹敵するとも言われる、民間用としては最高グレードの贅を尽くしたシャトルの機動力は、ワルキューレといえども侮れるものではない。さらに、パイロットの腕がよい。攻撃に対する回避運動が、民間のパイロットとは思えぬほど、的確でかつ素早いのだ。いったいどんな者が操っているのか?

彼らは、標的であるシャトルに誰が乗っているのかは知らされてはいない。ただ、このようなシャトルを所有しているのが、普通の貴族でないことはわかる。しかも、彼らが艦隊司令部から直接受けた命令は、非武装の相手に降服を認めず、あくまで隠密理に、そして痕跡を残さずに完璧に対象を破壊しろというものだ。これが普通の任務であるはずがない。

……世の中には知らない方が良いこともある。パイロット達は、それ以上詮索するのをやめた。そしてフォーメーションを組み直す。遊びは終わりだ。反乱軍共の戦闘艇を相手に命をかけて鍛えてきた操縦技術を見せてやる。



「えっ?」

正面のモニタに集中していたエリザベートは、おもわず声を上げる。敵の動きが明らかに変化したのだ。つい先ほどまでは、こちらからの反撃の恐れがないのをよいことに、1機1機が順番にそれぞれ単純な攻撃を仕掛けてきた。しかし、いまモニタに映る敵は、それぞれの戦闘艇が味方をフォローしつつ、別々の軌道から同時に攻撃する態勢のように見える。エリザベートには、安全な進路が見えない。

……まずい、な。本気に……なったか。

シュナイダーのうめきが、頭の中に飛び込んでくる。同時に、近い位置のワルキューレ2機が、レーザー砲の発射姿勢をとる。

上……だ、エリザベート。

シュナイダーが、上に逃げるべきだと判断する。エリザベートにその思考が流れ込み、操縦桿を引く。その時、彼女の頭の中に、第三者の思念が飛び込んできた。エリザベートとシュナイダーに対する、明確な、そして強烈な敵意。エリザベートは理解した。これは、私たちを殺そうとしている人の意志。ワルキューレのコックピットから放射され、私たち向けて叩きつけられる殺意。



「かかった!」

ワルキューレ編隊を率いる小隊長はおもわずほくそ笑む。シャトルを後方から追跡し接近した2機の僚機が下方から、しかも左右から挟み込むように同時に発射態勢に入れば、シャトルは上方に逃げるしかないだろう。逃げる方向がわかっているシャトルなど、たとえ遠距離からであろうとも、残りの隊長機がレールキャノンで狙撃可能なはずだ。

だが、シャトルは、彼らの思い通りには動かなかった。一瞬機首をあげ、上昇すると思えた瞬間、そのまま機体の姿勢だけをひっくり返し、機種が真後ろを向くと同時にメインエンジンを最大出力で噴射したのだ。レールキャノンの砲弾は、シャトルの遙か上方の空間を、むなしく通過していく。まさか民生用のシャトルがそのような機動を行うとは予想していなかった。ワルキューレの編隊は、完全に裏をかかれ、シャトルを通り過ぎてしまう。

「ばかな! こちらの意志を読んだとでもいうのか?」



その瞬間、エリザベートには見えたのだ。研ぎ澄まされ、細い絹糸のように周囲の空間に張り巡らされたエリザベートの五感が、自分に向けられた殺意を捕らえたのだ。3人のワルキューレパイロットが引き金をひくタイミングが、完璧にわかったのだ。

エリザベートは、自分の周りの時間の進み方が遅くなったように感じた。すべてのものがスローモーションのように動く中、敵の発射する弾道の未来位置が正確に予測できた。反射的にシュナイダーの指示を無視、自分の意志でシャトルを安全な方向に向けようとした。もともと操縦に関しては素人である彼女の操作によって、実際にシャトルが彼女の意図したとおりに動いてくれたのは、幸運だったというほかない。



シュナイダーは、自分のシャトルの機動に驚愕していた。彼は空戦のセオリーを知るが故、ワルキューレ編隊の作戦に完全にはまっていた。エリザベートが彼の指示の通りに操縦していれば、確実に撃墜されていただろう。ところが、エリザベートは彼の指示を無視し、自分の力で危機を脱してしまったのだ。

……まいったな。俺の意志だけでなく、敵の心も見えるのか? これなら、……これならば、俺がいなくても逃げ切れるかもしれない。

シュナイダーの体から、徐々に力が抜けていく。

必殺の攻撃をかわされてしまったワルキューレの編隊は、それでもあきらめてはくれなかった。すべてのエネルギーを使いはたす勢いで、怒濤の連続攻撃をしかける。さらに、ワルキューレの母艦である高速艇までもが砲撃を開始している。

今のエリザベートには、敵の攻撃は全て見える。母艦の砲撃すら、乗員の敵意をプレッシャーとして感じ、完全に読み切ることができる。だが、命の恩人であるシュナイダーがいなくては、自分だけ逃げ延びても意味はない。

シュナイダーの意識が一瞬途切れる。

「少佐! 目を覚ましてください!! 少佐!!」

エリザベートの意識がシュナイダーに向いた瞬間、ワルキューレが1機、正面からシャトルにせまり、レーザー砲の発射態勢にはいる。

とどめだ!

エリザベートが接近するワルキューレに気づいたときには、すでにシャトルは敵の必殺の間合いに入っていた。敵パイロットの口元がつり上がったのがわかる。彼は勝利を確信し、引き金を引く。

だめ、逃げられない!

エリザベートは操縦桿から手を離し、後ろをむいてシュナイダーに覆い被さる。



……大丈夫だ。そろそろ、メルカッツ提督が来てくれるはずだ。



敵のワルキューレが爆発、ばらばらに吹き飛んだのは、まさにその瞬間だった。遠距離から戦艦の大口径ビーム砲で狙撃されたのだ。シュナイダーから連絡をうけたメルカッツの旗艦は、ぎりぎりのタイミングで間に合った。残りの敵機も、次々と撃墜されていく。



ほらな……。メルカッツ提督に任せておけば安心だ。エリザベート、生きろ。提督とともに、……イゼルローンへ行くのだ。



「少佐! 少佐! 目を開けてください少佐! 」

エリザベートに流れ込むシュナイダーの意識が消えていく。エリザベートは、どんどん細くなっていく彼の意識を、必死にたぐり寄せる。

「シュナイダー少佐! 死なないで!!」

シュナイダーの意識は、糸が切れるように、ぷつりと途切れた。同時に、彼の肉体も停止する。



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2010.11.13 初出




[22799] 銀パイ伝 その06 専用機
Name: koshi◆1c1e57dc ID:9680a4fa
Date: 2010/11/16 00:53
宇宙歴798年1月 イゼルローン要塞

「……で、これが、お前さんがいうところの、パイロットが英雄になるための機体なのか?」

格納庫に並べられた3機の真新しい機体を眺めながら、イワン・コーネフはあきれたように尋ねる。

巨大な機体。通常のスパルタニアンの後部に、本体よりも巨大なエンジンブロックが追加されている。さらに、機体の横には、無理矢理取り付けられた一門だけの巨大な主砲。文字通り、戦艦並みの主砲だ。

「覚えてないのか? 以前、軍とメーカー合同の次世代戦闘艇に関する研究会に参加したろ? その時に俺が提案したのが、これだ」

オリビエ・ポプランが、視線を機体に向けたまま、振り向きもせず得意そうに応える。

「……そういえば、そんなこともあったな」

コーネフは、ペンで頭をかきながら、記憶を反芻する。

「しかし、たしかあの時、研究会のメンバーのほとんどは、おまえさんの案のバカバカしさに失笑していたはずだが……」

コーネフ自身もバカバカしいと思い、まるっきり記憶からは消去していたのだ。

「……で、どうして、そのバカバカしい案が今さら具現化して、このイゼルローン要塞に存在しているんだ?」

「ここ数年の予算削減による調達数の激減で困ったメーカーが、藁にもすがる思いで試作したのだそうだ。ぜひとも最前線でテストして欲しいと、こないだのクーデター騒ぎでハイネセンにいったとき、重役陣に泣きつかれたのさ」

ポプランが、満面の笑みを浮かべながらこたえる。やっと俺の思想が理解される世の中になった、とその顔には書いてある。



前年、クーデター鎮圧のために首都ハイネセンの地を訪れたヤン艦隊は、彼らが救ったトリューニヒト議長が牛耳る政権より、数々の恩賞を与えられていた。勲章や感謝状、報奨金から、昇進、人事上の便宜、艦隊や要塞のこまかな備品に至るまで、有形無形のあらゆる物が、いちいち恩着せがましく与えられたのだ。

強大な帝国軍と最前線で対峙する立場のヤンにとっては、要塞司令部の面々が昇進し権限が増したこと、そして帝国から亡命してきたメルカッツ提督を要塞司令官顧問に任命できたことが、もっとも喜ばしいことだったらしい。

だが、クーデター騒ぎの結果ヤンと彼の艦隊が得たものは、それだけではなかった。いまやヤンの一挙一動は、軍内部だけではなく、広く国民からも注目を浴びている。イゼルローン要塞周辺の軍事情勢は、同盟全体の経済にも大きな影響を与えている。同盟におけるヤンと彼の艦隊の社会的影響力は、いつのまにか本人が想像する以上に大きなものになっていたのだ。

必然的に、嗅覚の鋭い民間企業は、ハイネセンの方向ばかりを向いているわけにはいかなくなる。司令官に私利を追求する度胸は無く、また他の司令部の面々も基本的に良き市民であるため、贈収賄など法を犯すような露骨な行為こそ行われないものの、民間企業の多くが要塞に対してなにかと協力的になった。イゼルローン回廊周辺の自治惑星政府も同様である。そして、ハイネセンの政府や軍の中枢は、それを黙認せざるを得ない状況にある。心中では苦虫をかみつぶしていたとしても。

ポプラン肝いりの新型機は、メーカーによる強烈な工作をうけた軍の上層部により、正式なルートを通じてテスト機としてイゼルローン要塞に送られてきた。もちろん、軍内部におけるヤン艦隊の影響力を期待してのことだ。もしイゼルローンで良好な結果がでれば、同盟軍としては正式採用せざるを得ない。すなわち、ポプランやコーネフの実績によって、それは左右されるのだ。



イワン・コーネフは、ひとつため息をついた後、口を開いた。

「……確かに、単座のスパルタニアンに巡航艦なみのワープ可能なエンジンだ。加速と航続距離は並以上だろう。敵の旗艦に接近できれば、あの主砲で司令官ごと吹き飛ばすことも可能かもしれん。だがな、いったい誰がこんなものを操縦して、敵の大艦隊に単機でつっこんでいくんだ?」

コーネフの問いに、ポプランは不思議そうな顔をしながら振り向く。今度はその顔に、こう書いてある。俺とお前に決まっているだろう?

やはりそのつもりか……。イワン・コーネフは、もうひとつため息をつく。

「まぁ、そんな辛気くさい顔せずに、テスト飛行につきえあえよ。司令部には話をとおしてある」



「……たしかに凄い機体だ」

「だろ?」

イゼルローン要塞近傍の空域を、巨大な単座戦闘艇が、矢のような速度で飛行する。単純な加速力・機動力だけなら、通常のスパルタニアンの数倍以上は余裕にあるだろう。しかも、ワープ可能であり、航続距離は巡航艦と同程度の能力を持つ。そして、極めて近距離まで近づけばという条件付きだが、一撃で戦艦の電磁シールドごと装甲を打ち抜ける主砲。これは、戦闘艇を大型化したというよりも、戦艦をパイロットひとりで操縦可能にするため極限まで小型化したといった方が適切かもしれない。

だが、あたりまえであるが、これは戦艦の代わりにはならない。総合的な火力も防御力も、巡航艦にすらはるかに及ばない。それでいて、費用は3機そろえれば戦艦なみだ。要するに、仮想戦記によく登場するトンデモ兵器というやつだ。

こんなものが作られてしまうということは、同盟は負けつつあるということだな。

コーネフはひとり納得する。有史以来、負けが込み戦況が絶望的になった国の軍隊は、少数のエリートによるトンデモ兵器部隊の戦果をもって、一発逆転を試みるものと決まっている。だが、やはり有史以来、そのような試みが成功した試しはない。

「ヤン司令官が、こんなものを戦力としてあてにするとは思えんね」

彼らの司令官は、魔術師などと呼ばれてはいるが、採用する戦術はきわめてセオリー通りで、理にかなったものを好むのだ。奇想天外な兵器をつかった運だのみの作戦など、採用するはずもない。

「コーネフ。誤解しているのはお前の方だ。……我らが自由惑星同盟軍は、すでに正攻法ではどうしようもないところまで来ているんじゃないのか?」

ポプランの切り返しに、コーネフは答えに詰まる。

たしかにその通りかもしれない。アムリッツァの大敗。その後のクーデター騒ぎによる分裂。同盟軍の戦力は、ほんの数年前とくらべても、お話にならないくらいレベルまで低下している。内戦が終結し、大貴族の没落によりかえって財政が健全化しつつあるといわれる帝国軍の物量の前には、すでに対抗不可能にまで落ちぶれてしまったかもしれない。

だが、それでもコーネフは、この機体を認めたくなかった。正確に言うと、この機体に部下や仲間を乗せたくなかった。

コスト的に、この機体を大量にそろえることは不可能だ。現在の艦隊戦の戦術においては、そんな金があるのなら一隻の戦艦を造ったほうがはるかに戦力になる。戦艦一隻あたり数百人以上の乗員の命もコストに換算すれば、また別の計算も成り立つかもしれないが、その結果を受け入れるためには軍の編成や戦術・戦略すべてを全面的に変えてしまう覚悟が必要であり、そんな覚悟は同盟にも帝国にもないだろう。

すなわち、コストの面から考えれば、わざわざこんな機体をつかって単純に空中戦で勝つことだけでは、まったく割に合わない。現在の艦隊戦におけるこの機体の存在意義は、少数の機体をもって敵の司令官の旗艦だけを狙い、一発で戦局を決定づける決戦兵器いがいにはありえないのだ。そのためには、敵艦隊の奥深くまで飛び込必要がある。

そこでなによりも致命的なのは、この機体の防御力がスパルタニアンと同等程度しかないということだ。旗艦にたどり着く前までには、数千隻におよぶ強大な戦艦からなる敵艦隊の集中砲火をあびるだろう。たった一発くらえば確実におしまいだ。

「これを乗りこなせるパイロットが、そうたくさん居るとは思えない。すくなくとも俺の部下に、そんな無謀な任務をあたえるのはごめんだね」

「俺とお前ならできるだろ?」

ポプランは、あっさりと言い放つ。コーネフは、またも答えに詰まる。自分自身の本音を正直にいえば、俺はこの機体に乗りたい。敵艦隊の真ん中に単身躍り込み、旗艦を一撃の下に葬り、自分自身の手で戦局をひっくり返してみたい。これは、パイロットとしての本能だ。



いかんいかん。

コーネフは頭を振り、むりやり意識を現実に戻す。

こんなことを考えはじめたら、いくら考えても答えがでないあの『疑問』に、また悩まされることになる。同盟軍、帝国軍を問わず、全てのパイロットが一度は必ず悩まされる、極めて重大で本質的で、そして決して答えが出ないあの『疑問』に。

……現在の大規模な艦隊戦の戦術において、スパルタニアンやワルキューレなど単座戦闘艇のパイロットは、はたして存在意義があるのか? 我々が存在する理由は、「敵がそれをもっているから」だけではないのか?




「……ふん、まぁいいさ。同盟軍の戦術の基本は、三機一体の集団戦法だ。実戦投入は、もうひとりのパイロットがみつかってからにしよう」

コーネフの答えをまつことなしに、ポプランは勝手に結論をだしてしまう。

このイゼルローン要塞だけでも、何百人ものパイロットがいる。俺やコーネフには及ばなくても、こいつを乗りこなせるパイロットはいるだろうさ。オリビエ・ポプランは、同盟軍のすべてのパイロットの腕を調べなおすつもりでいた。

そして、ふともうひとり候補者を思い出す。

そういえば、メルカッツ提督が従卒としてつれている正体不明のお嬢さんは、パイロットもできると言っていたな。

ポプランは、自分のストライクゾーンよりも僅かに若すぎる少女の顔を思い浮かべていた。帝国軍の美少女パイロットがどの程度の腕なのか、試してみる必要もあるだろう。


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たくさんのコメントありがとうございます。いつも参考にさせていただいます。

2010.11.16 初出





[22799] 銀パイ伝 その07 帰化
Name: koshi◆1c1e57dc ID:9680a4fa
Date: 2010/11/21 03:00

宇宙歴798年1月 イゼルローン要塞。


はぁ。

同盟軍の軍服であるスラックスにジャケットを身にまとい、ふわふわの金髪の上にちょこんとベレー帽を乗せた少女は、公園のベンチに腰掛けため息をひとつつく。

自分は買い物をするために、要塞内でも繁華街と呼ばれる場所に来たはずだった。だが、まったく目的を達することができないまま、貴重な休暇が終わろうとしている。



ガイエスブルグ要塞より脱出、逃走したエリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイクが、メルカッツ提督に救われた時、彼女は自分を助けるために犠牲になったシュナイダー少佐にすがりつき、半狂乱だったという。さらに、直後にガイエスブルグ要塞が陥落、両親を含む一族郎党が皆殺しにされた事を知った彼女は、声が出なくなるまで泣き続けた。

だが、人が感じられる悲しみの限界を極め、さらに絶望の底にたたき落とされてもなお、エリザベートは自ら命を絶つことはしなかった。命をかけて守ってくれたシュナイダー少佐は、彼女の存在がメルカッツ提督に自殺を思いとどまらせることを期待していた。その期待に応えるため、彼女は自らの涙を振り払い、立ち上がり、顔をあげ、口をへの字にして、必死の形相でメルカッツに訴えたのだ。ともにイゼルローン要塞に行きましょう。そして、ヤン提督を頼り、同盟に亡命しましょう、と。

メルカッツは、門閥貴族連合の敗北と共に責任を取り自分が死ぬことが当然だと考えていた。しかし、シュナイダーの目論み通り、かつての主君の血を引く不幸な少女を見捨てることは、彼にはできなかった。忠実な副官であったシュナイダーの命をかけた訴えを、彼が無視することなど出来ようはずもないのだ。

はたして、同盟軍のヤン・ウェンリー提督は、シュナイダーが主張したとおり、風変わりだが寛容な男であった。ヤンは、メルカッツ提督本人の亡命を快く受け入れると、メルカッツが自らの従卒だと主張するエリザベートすら、少なくとも表面上は疑う様子も見せることなくあっさりと信用してしまい、共に引き受けてしまったのだ。

こうしてエリザベートは、メルカッツ提督の従卒兼パイロットとして、イゼルローン要塞での生活をはじめることになった。ちなみに、さすがに本名を名乗ることはできず、彼女はエリザベート・フォン・メルカッツ、……メルカッツ提督の遠い親族ということになっている。



だが、彼女の新天地における新生活は、決してバラ色に彩られたものではなかった。シュナイダーの死による悲しみと、亡命に伴う身の回りの混乱の嵐が通り過ぎた後も、エリザベートには一息つく暇すら与えられなかったのだ。

エリザベートは、軍人としての教育など受けたことはない。したがって、メルカッツの従卒として同盟軍に籍を得たとはいえ、彼女は実質なにもできない日々を送っている。メルカッツは、エリザベートの正体を隠し、今後は平凡な少女として生きることを望んでいる。そのため、イゼルローン要塞に来て以来、メルカッツは決して彼女を特別扱いすることなく、あくまでただの従卒として扱っている。

だが、要塞内でも戦艦のブリッジでも、エリザベートは提督の後ろで黙って控えていることしかできない自分を情けないと感じていた。性格的なものもあり、ボーッとしていることは決して苦痛ではないが、提督をはじめまわりの軍人達が命をかけて戦っている間、それをただ見ているだけなのは申し訳ないと思う。彼女は、シュナイダー少佐の代わりとまでは行かなくても、すこしでもメルカッツ提督のお役に立ちたいと望んでいた。それがまったく出来ないのは、正直言って悔しい。

唯一の取り柄(?)とも言える『他人の意志を感じる能力』も、直接自分に対して激しい感情を向ける相手以外の人間の心を読めるほど強力ではないし、たとえ読めても今の立場ではなんの役には立たないだろう。

さらに、より深刻で重大な問題は、日常生活に潜んでいた。

メルカッツ提督とともにイゼルローン要塞にたどりついた際、エリザベートは着の身着のままといってもよい状態であった。とりあえず、同盟軍から官舎と日用品が支給されたものの、それ以外の私物はなにもない。彼女はあまり物欲が強い人間ではなかったが、つい数日前までの何不自由ない生活と比べれば、あまりの落差の大きさに戸惑わざるを得ない。

十数年間のこれまで人生を、彼女は銀河系でももっとも裕福で権力のある家で過ごしてきた。親の愛情こそまったく知ることがなかったものの、次期皇帝の有力候補として、いわば究極の箱入り娘として、なんの不自由もなく育てられてきた。

だが、イゼルローン要塞は、少なくとも建前上は、自由と平等の国の一部である。貴族の特権などというものは、初めから存在しない。メルカッツ提督の従卒扱いでしかないエリザベートは、特別国家公務員とはいえ給料は安い。もちろん使用人など雇えるはずもない。

そして、彼女は、料理洗濯掃除等々、家事というものの経験が一切ない。家電製品も多くは使い方がわからない。自分で買い物すらしたことがない。日常生活は途方にくれるばかりで、最低限の衣食住が保障された軍人でなければ、そうそうにのたれ死んでいたかもしれない。



要するに、彼女はこの国において、なんの取り柄もない無能なのだ。日常生活のあらゆる局面でそれを自覚させられる毎日は、決して幸せなものではない。

出るのはため息ばかり。油断すると涙がでてしまう。イゼルローン要塞は、エリザベートにとって辛い場所であった。



さすがに見かねたメルカッツ提督が、休日に気分転換を兼ね買い物にでも出かけることを勧めてくれた。それを機会に、エリザベートは一大決心をした。ただ生きるだけという情け無い生活を脱却し、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を行使するため、彼女はもらったばかりの給料を握りしめ、イゼルローン要塞が誇る繁華街まで単独で買い物に出かけたのだ。

……だが、結論から言って、勝負はエリザベートの完敗であった。

まずはかわいい服でも買おうかと思っていたのだが、どこのお店で何が売られているのか、さっぱりわからない。適当に店に入ってみても、店員さんに何と言えばいいのかわからない。そもそも、誰が店員さんなのかわからない。金銭感覚が完璧にゼロなので、値札を見てもそれが高いのか安いのかわからない。

もともと人と話すのが苦手な彼女が、まったく面識のない人にむかって話しかけられるはずもなく、ただ時間が過ぎていく。同じ調子で、食事の店にも入ることすらできない。

そして、繁華街をうろうろしながらふと気づいて周りをみれば、若い女性でやぼったい軍服を着ているのはエリザベートひとり。同盟軍は女性兵士の割合が決して少なくはないが、昼間から繁華街を軍服で歩く女性はほとんどいない。帝国貴族のように派手なドレスで着飾ってはいないものの、女性はみなオシャレをして颯爽とあるいている。

突然、エリザベートは自分がたまらなく惨めに感じ、敗北感のあまり本能的に公園らしき場所に逃げ込んでしまったのだ。



草の臭い、生い茂る木々、小鳥のさえずり、そして柔らかい光。そこは、人工的な要塞の内部とはとても思えない、人に癒しを与える広大な空間。要塞が帝国軍の所有物だった頃、ここは司令官や軍幹部専用の庭園とされ、兵士や民間人は立ち入り禁止とされていたらしい。しかし、現在は要塞の住人ならだれでも利用できる癒しの空間だ。座り込んだ少女の前を、そこを帰り道とする勤務を終えた軍人達、ハイスクール帰りの学生、晩ご飯の買い物の途中の親子連れが、のんびりと歩いている。

そんなのどかな風景の中、少女の周りの空間だけは、どんよりとした灰色のオーラが漂っていた。ベレー帽からこぼれる豪華な金髪もくすんで見える。

ここでは、貴族でもなくただの一兵卒に過ぎないエリザベートのことを気にかける人間など居ない。彼女の能力を持ってしても、自分に向けられる感情以外を読み取ることなどできはしない。彼女はいま、自分が無能であるという自己嫌悪とともに、この宇宙でひとりぽっちであるかのような激しい孤独感に襲われている。

はぁ。

今日、何度目のため息だろう。エリザベートは、知らずに涙ぐみはじめていた。



「隊長、あそこにいるの、メルカッツ提督ともに亡命してきた例の女の子じゃありませんか?」

薔薇の騎士(ローゼンリッター)連隊のカスパー・リンツ大佐がエリザベートの姿を見かけたのは、いつものように勤務後の食事とアルコールを摂取するため繁華街に向かう途中だった。問いかけた相手は、いつものとおり彼と一緒にいる要塞防御司令官シェーンコップ少将である。

「そのようだな。ひとりでいるとはめずらしい。メルカッツ提督はそばに居ないのか?」

エリザベートがブラウンシュバイクの娘であり、銀河帝国の皇帝の血を引く人間だと知る者は、イゼルローン要塞には存在しない(……ということになっている。少なくとも司令官を初めとする要塞司令部は、知らんぷりをしている)。また、彼女が目立ってしまうことをメルカッツ提督は望まず、要塞司令部もその意図を汲み、メルカッツと共に亡命した少女の存在そのものを公表はしなかった。したがって、同盟軍においてエリザベートが亡命者だと知るものは、ごく少数しか居ないはずだ。

それでも、人の口に戸を立てることはできない。もともと帝国からの亡命者を集めた薔薇の騎士連隊の面々は、おなじく亡命者であるメルカッツ提督がつれている、なにがしかの事情があるに違いない少女のことを、常に気にかけていた。もちろん、少女はあまりにも幼すぎ、リンツをはじめとする連隊の隊員はけっして、……けっして不埒なことを考えているわけではない。ないが、同郷であろうと思われる美しい少女にまったく興味がないと言っては、やはり嘘になる。

だが、普段は、少女の側には常にメルカッツ提督がいた。彼女は提督の従卒なのだから当然と言えば当然なのだが、リンツ達の目にはメルカッツ提督がエリザベートをガードしているように見えた。さすがに、ヤン提督の客将たるメルカッツ提督のガードをかいくぐってまで、エリザベートに声をかけようという勇者はいない。

ところが、今日は休暇なのだろう、そんな彼女がひとりでいる。しかも、なにやら悩んでいるように見える。ここで助けてやらねば男ではない。誇り高き薔薇の騎士連隊の現隊長は本能的にそう思い、同時に『これは男としてではなくひとりの人間としての当然の事だ』と自分で自分に言い訳をしながら、彼女の方向に歩をすすめようとした。

しかし、それを止める者がいた。薔薇の騎士連隊の元隊長であり現要塞防御司令官である。

「まて、リンツ」

シェーンコップ少将に肩をつかまれたカスパー・リンツ大佐は、意外そうな顔で振り向く。

「えっ、なぜです?」

「帝国出身の人間が彼女に近づくのを、メルカッツ提督は望まない」

「はあ……」

リンツは、シェーンコップの意図がいまひとつ理解できなかったが、深く追求する気にもならなかった。シェーンコップがそう言うのなら、なにか理由があるのだろう。メルカッツ提督の亡命直後、エリザベートの扱いについて、シェーンコップを含む要塞司令部のお偉方が連日会議を開き、大もめにもめ、紛糾を極めたという噂は、本当なのかもしれない。

だが、帝国からの亡命者が躊躇している間に、エリザベートに気楽に声をかける者が居た。生粋の自由惑星同盟市民であり、自称3代前から軍人一族の末裔、オリビエ・ポプラン少佐である。



「お嬢さん、どうぞ」

ベンチに腰掛けうつむくエリザベートの前に、ソフトクリームが差し出される。驚いて顔をあげると、そこには軍服をラフに着崩した若い士官が立っていた。

「俺はオリビエ・ポプラン少佐、こっちはイワン・コーネフ少佐。二人とも空戦隊のパイロットだ。もしよかったら、いっしょに食べないか?」

エリザベートは一瞬躊躇したが、素直にソフトクリームを受け取った。メルカッツとともに戦艦に乗り出撃する際、事前の作戦会議の場でこの二人の顔は確かに見たことがある。それに、なによりもエリザベートは空腹だった。朝から何も食べていない。

「あっ、ありがとう、ございます。ポプラン少佐」

「エリザベートさん……だったっけ? エリザと呼んでいいかい?」

ポプランは全く遠慮することなく少女のとなりに座り込むと、ごく自然に親しげに話しかける。コーネフはあきれたようにそれを眺めているが、落ち込んでいる少女を励ます気まんまんのポプランを止める気はなさそうだ。

「えっ? あっ、その、……エリザで、いいです」

「エリザ、今日は買い物かい? 要塞の中のことがわからなくて大変だろう? 俺が付き合ってやるよ。……なんなら食事もどうだい? 美味い店知ってるんだ」



一瞬の隙をつきエリザベートになれなれしく接近してしまったポプランをみて、カスパー・リンツは悔しげにうめく。

「あっ、あの野郎! 隊長、あいつはいいんですか?」

シェーンコップは、わずかに微笑みつつ、リンツの肩をたたく。

「まぁ、あいつなら心配ないだろう。お嬢様、……いや、お子様のお相手にはもってこいだ。いくぞ」

意外とポプランのことを信用してるんですね、……などとは口に出せるはずもなく、リンツはこの場は黙って去ることにしたのだった。



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2010.11.21 初出




[22799] 銀パイ伝 その08 シミュレータ
Name: koshi◆1c1e57dc ID:9680a4fa
Date: 2010/11/28 18:06

なぜ、あたらない!!

ユリアン・ミンツ軍曹は、スパルタニアンのコックピットと全く同じにつくられたシミュレータの中で、おもわず舌打ちをする。

自分は落ちついているはずだ。決して相手を侮ってなどいない。索敵、機動、照準、そしてビーム砲の発射まで、すべて教本通りに行っている。なのになぜ、あの敵にはあたらない?

ユリアンがシミュレータの中で行っているのは、一対一の模擬空中戦だ。ポプランに言われたとおり、ユリアンは初陣のつもりで、本気で戦っている。

ユリアンは、イゼルローン要塞の第一空戦隊長であり、自他共に認める同盟軍最高の撃墜王、オリビエ・ポプラン少佐の一番弟子を自認している。実戦の経験こそまだないものの、すでに必要な資格はすべて満たしており、とりあえずの配属先としてアッテンボロー提督の分艦隊に世話になることも決まっている。分艦隊と帝国軍との遭遇戦でもあれば、出撃を命じられるだろう。

いま、イゼルローン要塞には、ユリアンと同世代の新兵が数多くいる。弱体化著しい同盟軍においては、新兵の補充が急ピッチで進められており、それは最前線であるイゼルローン要塞も例外ではない。ユリアンは、そんな同期ともいえる若いパイロット候補の中では、抜群の成績を収めている。

空戦技術に関してはおそらく銀河系でも最高の指導者のひとりであろうポプランから、公私の区別無くマンツーマンで教えを得られるという恵まれた立場は、彼の保護者であるヤン・ウェンリー司令官が口をきいてくれた結果である。だが、シミュレータ以外を含めたあらゆる課程においてトップをおさめているのは、ユリアンの実力だ。

一方、戦闘中の敵は決して優秀なパイロットでは無い。機体の動きがどこかぎこちなく、スパルタニアンの操縦にはあまり慣れていないようにも見える。戦闘機動の基本も理解してはいないようだ。なのに、それにもかかわらず、こちらの攻撃はまったくあたらない。ユリアンが必殺のタイミングで放ったビーム砲も、ひらりひらりとかわされてしまう。

まるで、こちらの意志を読んでいるようだ。

ユリアンの脳裏に、シミュレータに搭乗する直前、ポプランに紹介された模擬戦の相手の姿がうかぶ。

スパルタニアンのパイロット用の戦闘服すら身につけてはいない。ジャケットにスラックスの普通の軍服に、ちょこんと乗ったベレー帽からはみ出した、ふわふわきらきらの金髪がやけに目立つ小柄で華奢な体。とてもパイロットには、いや軍人にすら見えない女の子。

ユリアンは、彼女を見たことがある。要塞司令室でヤン提督とともに紹介された、メルカッツ提督といっしょに亡命してきた従卒の少女。ここ数日、ポプラン少佐とコーネフ少佐が、勤務時間外につきっきりで操縦を教えている相手がいるという噂をきいたが、それが彼女だったのか。

ポプランによれば、彼女は帝国でパイロットの経験があるらしい。スパルタニアンの操縦について簡易教程が終了したばかりで、腕試しをしてやってほしいとのことだった。ポプランの軽いノリにあわせて、ついかるくオッケーしてしまった。ユリアンとすれば、自分よりも年下の少女に対して、そしてポプランに対して、一番弟子の実力をみせつけてやるという気持ちもあったかもしれない。だが、……。

遊ばれているのか?

敵は、ユリアンの攻撃をかわすばかりで、決して反撃してこない。チャンスはいくらでもあるはずなのに、こちらに向けて発砲しない。のらりくらりと、まるでユリアンの必死の攻撃などないものとして、仮想空間上を楽しげにとび回っている。

ユリアンは、唇をかむ。あたまに血が上るのが自分でわかる。ひとつ深呼吸して、もういちど操縦桿を握り直す。

このままで、おわってたまるものか!




「……まいったな。ユリアンに相手をさせたのは、間違いだったかな」

シミュレータの動きをモニタしながら、ポプランがため息をつく。彼にしてみれば、単なる余興のつもりだったのだ。ユリアンは、司令官のお使いで空戦隊の訓練室に来ただけだ。たまたまそのとき、エリザベートはシミュレータの中におり、ポプランとコーネフからスパルタニアンの操縦を教えられていたのだ。

お友達がいない帝国出身の美少女パイロットと、同盟軍いち将来性豊かな純真の若者が、これを機会に仲良くなれば……などとお節介をポプランが思いついたのは、ほんの気まぐれでしかなかった。

同じ年頃の異性だ。しかも、美男美女。模擬戦とはいえ、命をかけた訓練をともに行い、シミュレータの中でいい汗をかけば、特別な感情もわくかもしれない。いささか色気のない出会いではあるが、純情なユリアン君にはこうでもしないと彼女なんてできそうもない。なんといっても、あの銀河一の朴念仁であるヤン司令官の薫陶あつい被保護者だからな……。

だが、ポプランのもくろみは、あっけなく無に帰してしまった。エリザベート嬢は、少なくともコックピットの中では、ユリアンなどまじめに相手にする気はないようだ。眼中にない、あるいは歯牙にもかけられない、という言葉は、今のユリアンのためにある。

このイゼルローン要塞に亡命してきてから、おそらくはじめて自分の能力を発揮する機会に恵まれたのだろう。エリザベートは、実にいきいきと楽しそうに、空中戦を楽しんでいる。



ポプランとコーネフが食事にさそったエリザベート嬢は、深い深い悩みを抱えている様子だった。ポプランは、新人パイロットの育成には定評があり、悩み多き少年少女の扱いには慣れているとの自負がある。彼は、この年頃の若者が抱きがちな悩みを、大きく二つに分類していた。ひとつは、自分の全能性を信じてやまず、それを理解しない世の中に不満を持ち暴走するタイプ。もうひとつは、自分の無力感に絶望し、コンプレックスにまみれたあげく、この世の全てを自分から拒否するタイプ。

このお嬢ちゃんの悩みは、どうやら後者のようだ。自分の生い立ちについては決して具体的に語らないが、自分は世の中でなんの役にも立たない人間だと思い込んでいるようだ。さらに、他人を傷つけること、他人から傷つけられることを極度に恐れ、他人と関わることを極力避けようとしている。

ならば、もっとも手っ取り早い解決法は、自分に自信を持たせてやることだ。なにか特別な能力があるのなら、それを自分の長所だと認識させればよい。

さいわい、彼女はパイロットの経験がある。同盟軍のパイロット資格を取れば、これからの人生にいろいろと役に立つかもしれないぞ。……ということで、まずはスパルタニアンの操縦を経験させてみようかと、手近にあったシミュレータに乗せてみたのだ。もちろん、無理矢理にではない。メルカッツ提督や、受け入れてくれたヤン艦隊のみなさんのお役に立てるかもと、彼女なりに考えた結果、彼女自身が決めたのだ。ポプランが帝国軍の女性パイロットの腕に強い興味があったというのは、否定できないが。



「単純な操縦教程では平均点そこそこだったはずだが……。人間を相手にしたとたん、いきいきしてきたな」

ポプランのつぶやきに、コーネフが相づちをうつ。

「信じられん、あれは敵の動きを完璧に読んでいるんだ。たしかにユリアンの機動は素直で教本通りだから、読みやすいのかもしれんが……。おまえ、勝てるか? 彼女に」

ポプランは小さく首をふる。そして、口の中だけで答える。

「まさか負けないさ。実戦経験に差がありすぎるからな、……今はな」

コーネフも、だまってうなずく。

「……そうだな」



360度、まわりはすべて闇。輝くのはいくつかの計器だけ。いま、エリザベートは仮想の宇宙空間の中にいる。

全天周モニタに映るのは、人工的に投影された銀河、星、銀色に輝くイゼルローン要塞、そして後ろから追う敵。

スパルタニアンの操縦には、やっと慣れてきた。帝国の民生用シャトルとは比べものにならないシンプルで合理的なコックピット。ただ戦うため、敵を倒すためだけに作られた、あまりにも機能的で美しい機体。パイロットであるエリザベートの意志にのみ従う、忠実なしもべ。彼女に対して、敵意も悪意も、決してむけることのない仲間。これに乗っている限り、暗黒の宇宙の中でも、彼女は孤独ではない。そして、こうして飛んでいる間、彼女は自由だ。他人の意志に脅える必要はない。

そんな彼女の自由な飛行を邪魔する存在。彼女を墜とすべく、敵意をむける相手。そう、ユリアンは敵だ。エリザベートは、ユリアンが自分に向けて発する強烈な敵意を感じている。だが、ここは宮廷ではない。ブラウンシュバイク家でもない。ひとりでスパルタニアンに乗っている限り、彼女は自分に向けられている敵意から、自分の力で逃れることができる。

見た目の第一印象のとおり、ユリアンの意志はとても素直なものだった。まっすぐにエリザベートに突き刺さる敵意は、帝国で追われたワルキューレのパイロットのそれよりも、よほど理解しやすいものだ。ユリアンが進路を向ける方向も、引き金を引くタイミングも、すべてが手に取るようにわかる。避けるのは簡単だ。攻撃をぎりぎりで避けた瞬間の、ユリアンの驚きと悔しさにまみれた表情まで、目に見えるようだ。自分から攻撃するのがイヤだったわけではない。ただ、逃げているのが楽しかったのだ。

本物のスパルタニアンに乗りたい。そして、自分の能力を活かしたい。

エリザベートは、心の底からそう思った。だが、この時の彼女は、パイロットの本分を忘れている。パイロットの任務は、逃げることではない。敵を殺すことなのだ。



「お二人さん、そろそろ時間だ。終わりにしよう。エリザ、逃げてばかりいないで、最後に攻撃も練習してみないか」

通信機からポプランの声がきこえる。知らぬ間に、時間がたっていたらしい。

「はっ、はい。了解です。攻撃します」

我に返ったエリザベートは、ポプランの指示に従うことにした。

これまで何度もそうしてきたとおり、背後から必死にくらいついてくるユリアンの攻撃を、ぎりぎりのタイミングで避ける。ビームを発射した直後、ユリアンは一瞬こちらを見失っている。その瞬間、エリザベートは進路はそのままで機首のみを180度まわし、あっという間にユリアンの機体に照準をさだめた。

突如、ロックオンの警報がコックピットの中に鳴り響く。ユリアンは自らの敗北を悟った。同時に、彼の心の中は激しい感情に満たされる。ふがいない自分に対する憤り。自分をばかにしているとしか思えないエリザベートに対する怒り。そして、このまま為す術無く負けてしまった後、自分の自尊心が完膚無きまでに破壊されてしまうのではないかという本能的な恐怖。普段は冷静でおだやかなユリアンだからこそ、本気であつくなってしまった時、その感情は自分でも驚くほど激しいものになった。

「バカにするな!!!!」

ユリアンの叫びと、その激しい感情が、エリザベートの脳髄に突き刺さる。

ひっっ

エリザベートは、息を飲む。声にならない悲鳴をあげる。ユリアンの激しい怒りと恐怖の感情が彼女の前に立ちふさがり、鎖のように彼女の体をしばりつける。

エリザベートは引き金を引くことができなかった。




結局、ふたりの模擬戦は、決着がつかないまま終了した。しかし、この勝負、関わった各人には、今後大きな影響を与えることになる。

「ユリアンには、……まぁ良い薬になっただろう。挫折を知らない優等生だからな。……実戦で生き残るためには、たまには完膚無きまでに負けることも必要さ、だろ?」

エリザベートを送って帰った後、ポプランがコーネフに話しかける。やはりユリアンに悪いことをしたと思っているのか、いつものように歯切れよく言葉がでてこない。模擬戦の後、ユリアンは放心状態のまま帰って行ったのだ。あとでフォローが必要かもしれない。

「ユリアンは大丈夫だろ。あの程度でショックをうけて再起不能になるようなたまじゃあるまい。……それよりも、エリザベートはどうするんだ? 本気でパイロットにするつもりか? あの少女を、危険きわまりない実戦に放りこむつもりなのか? まさか、あのバカげた新型機にのせるつもりじゃあるまいな」

コーネフには、そちらの方が気にかかる。自分の同僚が、自分の興味と野望だけで若者の才能を弄ぶような男ではないことは知っている。だが、彼女はヤバイ。ポプランが本気であるならばなおのこと、あの化け物じみた才能を御しきれるのか? うまくいかなければ、同盟軍の空戦隊全体に悪影響を及ぼす可能性もある。いや、そんなくだらない事よりも、彼女自身にとってそれは良いことなのか?

「エリザ自身が悩んだ結果、パイロットになって同盟軍の役に立ちたいと言っているんだ。なんとかしてやるのが俺たち大人の役目だろう。それに、メルカッツ提督と共に戦艦のブリッジにいるよりも、新型機に乗っている方が安全かもしらんぞ、彼女の場合」

それは理屈では理解できる。理解できるのだが。

……しかし、おそらく彼女は、実戦では撃てない。敵を殺せない

コーネフは、のどまで出かかったこの反論を飲み込んだ。ポプランがなんと言うのかわかっているからだ。敵を殺せないのなら、殺せるように、殺しても平気な顔が出来るように無理矢理教育するのが大人の仕事だ。経緯はどうあれ、彼女が軍人を選んでしまった以上、それは仕方がない。

パイロットとそれ以外の軍人の差は、直接引き金を引くのか、間接的に人殺しを命じるかの違いでしかないのだ。居所がコックピットであろうと戦艦のブリッジであろうと、あるいは要塞の司令室であろうと同じ事だ。

「なに、今すぐってわけじゃない。ゆっくりと教育していけばいいさ。まずは、メルカッツ提督とヤン司令官を説得しなけりゃならんがね。こちらの方が骨が折れそうだ」



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2010.11.28 初出




[22799] 銀パイ伝 その09 転機
Name: koshi◆1c1e57dc ID:9680a4fa
Date: 2010/12/06 23:48


宇宙歴798年1月 イゼルローン要塞



同盟軍のパイロットになりたい。

ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ提督が、自分の従卒であるエリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイクから、彼女の希望を聞かされたときの心境を一言で言い表せば、困惑の一語に尽きるだろう。

メルカッツは、かつての祖国、銀河帝国そのものに未練など微塵もない。だが、彼はゴールデンバウム朝に対する忠誠心を完全に失ったわけではなかった。なりゆきで被保護者となった不幸な少女、銀河帝国皇帝の血を引くエリザベートには、幸せになって欲しかった。

決して、ローエングラム公に簒奪されつつある王朝を奪い返えることを望んでいるわけではない。エリザベートには、今後はくだらない権力争いに巻き込まれることなく、ひとりの人間として平凡な幸せをつかんで欲しかったのだ。

そのエリザベートが、よりによってパイロットになりたいという。

危険だ。あるいは、お嬢様に人殺しをさせるわけにはいかない。……などとは、メルカッツは口には出せなかった。彼は、この時期の帝国軍において艦隊指揮能力はずば抜けていたが、中でも得意とする戦法は敵艦隊と接近した乱戦であり、必然的にワルキューレなど単座戦闘艇の部隊を効果的に活用することを好んだ。

自らが多くの戦闘艇パイロットに出撃を命じてきたにもかかわらず、エリザベートにだけ、自らの被保護者であるという理由でそれを行わないのは、生真面目なメルカッツには卑怯に思えたのだ。

そもそも、イゼルローン要塞は最前線である。同盟軍の軍人である以上、安全な場所などない。人殺しを避けることも出来ない。それは、メルカッツと共に戦艦のブリッジに居ても、スパルタニアンのコックピットにいても同じ事だ。

せめて民間人ならば……。エリザベートを常に自らの目の届く範囲におくため、軍人として亡命させたのが間違いだったか。メルカッツは、今さらながら自らの決断を悔やんでいた。



しかし一方で、メルカッツはエリザベートの決断を誇らしくも感じていた。彼は以前、エリザベートの父、ブラウンシュバイク公を「精神面での病人」と評したことがある。貴族の特権を自分そのものの価値だと勘違いし、醜悪な自尊心のみを極限まで肥大化させた門閥貴族達は、メルカッツに言わせれば、みな精神を病んでいるのだ。

だが、エリザベートは、そのような病とは無縁だった。自分を受け入れてくれたイゼルローン要塞の人々のため、自分に出来ることを自分から行おうとしている。メルカッツは、自らが忠誠を誓っていた銀河帝国皇帝の血を引く者の中に、エリザベートような少女がいることを、誇りに感じたのだ。

ここで、メルカッツははたと気づく。

自分は、年端も行かぬ少女を戦場に出すことを誇りと感じている……。この自分の精神こそが、実は病んでいるのではないか。いや、同盟も帝国も、この銀河の人類すべてが病んでいるのではないか?

実を言うと、帝国軍人として生きてきた彼の半生において、その疑問は何度も彼の胸中に浮かんだことがある。だが、答えは見つからない。おそらく死ぬまで見つからないだろう。メルカッツは一度首を振ると、それ以上考えるのをやめた。



第一第二空戦隊長の連名による推薦状によれば、パイロットとしてのエリザベートの腕はずば抜けているらしい。にわかには信じがたいことであるが、アンスバッハ准将から聞かされていた、例の特殊な能力のおかげかもしれない。もし本当ならば、彼女自身が操る戦闘艇は、戦艦のブリッジよりも安全である可能性もあるだろう。

結局、メルカッツは、エリザベートの申し出を認めた。彼女の希望を、ヤン・ウェンリー司令官に伝えることにしたのだ。




同日おなじ頃、イゼルローン要塞では、エリザベートに関わる重大な出来事が、もうひとつ起こっていた。




クーデター騒ぎ以来、イゼルローン要塞の司令部は、……正確にいうと司令官は、いまひとつ緊張感に欠ける毎日を送っていた。今も、本来は多忙なはずの要塞事務監キャゼルヌ少将を食堂でつかまえてむりやり三次元チェスに誘い、あと数手で連敗記録を達成しようとしていたところだ。

そこに、簡単な敬礼と共に割り込んできたのは、要塞防御司令官をつとめるシェーンコップ少将である。

「ヤン司令官。キャゼルヌ少将もごいっしょでしたか。ちょうどいい、ちょっとよろしいですか」

「ああ、かまわないよ。シェーンコップ少将。キャゼルヌ先輩がなかなか勝負をあきらめてくれなくてね。たすかった」

「おまえなあ……」

士官学校の先輩後輩のかわす親しげな会話に、シェーンコップは遠慮無しに割り込む。

「実は、エリザベート嬢のことなんですがね」

「メルカッツ提督の従卒のお嬢様か。……いまさら、なんだい?」



メルカッツ提督は亡命してきて以来、エリザベートの正体については一切なにも語ってはいない。司令官であるヤンにすら、自分の従卒兼パイロットであるとしか伝えていない。

だが、亡命の時期といい、彼女の容姿といい、あきらかに貴族としか思えない立ち振る舞い、そのような少女が従卒であるという不自然さ、そしてエリザベートという名前……。状況証拠しかないものの、彼女が銀河帝国の皇帝の血を引く、あのエリザベート・フォン・ブラウンシュバイクだということは、少なくともメルカッツから彼女を紹介された要塞司令部の幕僚達の目には、あきらかであった。

シェーンコップなどは、「せめて『エリザベート』ではなく完全な偽名を名乗ってくれれば、我々もごまかされたふりをできただろうに」と、メルカッツ提督の生真面目さにため息をついたものだ。



メルカッツの受け入れは問題ないとしても、エリザベートの扱いに関してはまた別の話だ。当然、イゼルローン塞司令部では、彼女の扱いについて何度も秘密会議が開かれた。お互い机を叩く勢いで、激しい議論がかわされた。

エリザベートの存在は、イゼルローン要塞や自由惑星同盟にとって、決して好ましいものではない。むしろ、混乱の種にしかならないと言っても良い。

本来ならば、彼女の亡命について、まずはハイネセンの政府に対して報告すべきことであろう。だが、もし彼女の正体を政府が知れば、メルカッツの立場が悪くなるかもしれない。彼女は帝国との外交の武器として扱かわれ、最悪の場合、帝国に売り飛ばされるかもしれない。さらに、情報がハイネセンやフェザーンを経由して帝国のローエングラム公に知られれば、同盟への侵攻の口実にされてしまう可能性すらある。

まだ幼い少女でしかないエリザベートが政治の道具に使われることを避けるため、共につれて亡命してきたメルカッツの気持ちは、ヤン達にも理解できた。エリザベート本人も、ローエングラム公を敵対視し、皇帝の座を取り返そうとかいう気はないようだ。けなげにも、要塞での生活になじもうと必死に見える。

メルカッツ提督は、おそらく一生真実を語ることはあるまい。

ならば、ただひとり真実を知るメルカッツが主張するとおり、彼女はいち兵士として扱って問題ないのではないか?

結局、イゼルローン要塞の司令部の結論は、このようなものとなった。司令部の幕僚以外には、帝国から亡命してきた少女の存在自体が秘密とされたのだ。

もっとも、要塞にかかわる他の多くの問題と同様、司令官であるヤンの胸中では初めから結論は決まっており、それを幕僚全員で徹底するために、わざわざ会議を開いて相談するかたちをとったのであるが。



「エリザベート嬢は、皇帝の血を引くだけではなく、銀河系有数の有力貴族の娘です。いわば究極の箱入り娘ですな」

ヤンもキャゼルヌも、シェーンコップが何を言いたいのかわからない。だまって続きをまつ。

「一応私もね、帝国貴族の末席に身を置いた者だからわかるのですが、貴族という人種は生活力という点では無能者がほとんどなんですよ。いきなり自由の国にきても、自分の力で生活することなんてできやしないんです。ましてや彼女は超箱入り娘。早い話が世間知らずだ」

「……つまり、シェーンコップ少将は、エリザベート嬢が日々の生活に困っていると言いたいのかい?」

生活力皆無という点では決して他人のことを言えないヤンが、わかったようなわからないような微妙な表情のまま確認する。だとしても、どうしたらいいのかヤンにはわからない。彼女の給料を100倍にして専属メイドをつけてやるわけにもいくまい。

「はい。彼女は真面目でよい子です。ですが、とつぜん権力と財産を失い、召使いも居ないイゼルローン要塞では、まともな日常生活すらままならずに困っているでしょう。このままでは、せっかく亡命してきた同盟に愛想をつかしてしまうかもしれません。最悪の場合、悪い男にひっかかって取り返しのつかないことになる可能性もありますね」

どんな悪い男に騙されても、単純な色恋沙汰ならまだましだ。もしフェザーンや帝国の諜報機関が彼女を狙ってスパイでも送り込んできたら、そっち方面に免疫のない彼女は簡単に騙されて、なにに利用されるかわかったものじゃない。シェーンコップはあえて口には出さないが、その点をもっとも恐れていた。帝国も同盟もどうなってもかまわないが、そんなくだらない政治の茶番に少女の人生が巻き込まれるのだけは許せない。

……なるほどね。

キャゼルヌは、なぜシェーンコップが、わざわざ自分がいるときを狙ってヤンのもとを尋ねたのか、理解した。たしかにこれは、ヤンだけでは解決することは難しい問題だ。シェーンコップは、ヤンの方を向いてさらに説明を続ける。

「生真面目なメルカッツ提督は、彼女をあくまでも一兵士としてしか扱わなないでしょう。そう、これは、我々が考えてやらねばならない問題だと思うのですがね」

ヤンは、まだよくわかっていない顔をしている。

「しかし、シェーンコップ少将。メルカッツ提督は、彼女を特別扱いすることを望まないだろう?」

ヤンの鈍さに、いい加減あきれたキャゼルヌ少将が、かわりに答えをだしてやる。

「わかったよ、シェーンコップ少将。彼女には平凡な同盟市民の家族が必要だというのだろ? 平々凡々なキャゼルヌ家の一員になってもらおうじゃないか。もちろん、オルタンスが許してくれたらの話だが」

ようやくヤンは合点がいった。同盟に亡命してきた貴族が、どのような苦労をしているかなど、ヤンは思いも寄らなかった。そもそも、帝国の貴族のものの考え方や日常生活など、ヤンは知識としては知っているつもりだったが、彼にとっては別世界のものでしかない。ましてや、エリザベートは年頃の少女である。彼女にとって今もっとも必要なものが何なのか、もともとヤンに解決できるはずのない問題であったのだ。

「……了解だ、シェーンコップ少将。すいません、キャゼルヌ先輩。メルカッツ提督には私から話をしておく。決して特別扱いではなく、前線におけるトラバース法の拡大解釈と言うことで、納得していただけるだろう」



こうして、エリザベートはパイロットとしての第一歩を踏み出した。そして同時に、イゼルローン要塞のお節介でお人好しな人々により、本人の知らぬ間に家族が出来たのだ。


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2010.12.07 初出





[22799] 銀パイ伝 その10 初陣
Name: koshi◆1c1e57dc ID:9680a4fa
Date: 2010/12/16 15:51


宇宙歴798年4月 イゼルローン回廊

初陣は、意外な形でおとずれた。



それは、単なる哨戒任務のはずだったのだ。いくらずば抜けた性能を誇る新型機と、さらにシミュレータにおいて化け物じみた才能を披露したパイロットといえども、いきなり帝国艦隊を相手とした実戦に投入するほど、イゼルローン要塞の司令部も空戦隊も、脳天気ではない。

イゼルローン回廊は、自由惑星同盟と銀河帝国が国境を接する最前線であり、帝国側の入り口付近には帝国軍の艦艇が、偵察や、あるいは嫌がらせのために常に出入りしている。要塞に駐留する同盟軍としても、本来ならば哨戒のための艦隊を多数つねに遊弋させ、帝国軍の動きを把握する必要があるのだ。

だが、いまや自由惑星同盟の経済は、破綻寸前であった。弱体化した同盟軍の再建は遅々として進まず、最前線であるイゼルローン要塞においてさえ、艦艇と人員の補充は決して十分にはなされぬまま放置されている。

そこで白羽の矢がたったのが、ポプランのおもちゃこと、新型戦闘艇だ。いつのまにか『スーパースパルタニアン』と呼ばれるようになった3機の新型機は、一連のテストとパイロットの慣熟を兼ね、回廊の哨戒任務を与えられたのだ。その卓越した機動力と長い航続距離を最大限に活かすことにより、艦隊による哨戒が及ばない領域を効率的にカバーできると期待されているのだ。



前後を飛ぶ僚機のエンジン光と星以外、周囲360度はすべて暗黒。聞こえるのはわずかなエンジン音のみ。ここには、彼女に悪意を持つ者などいない。誰に気兼ねする必要もない。いま、エリザベートは新型機のコックピットにいる。

相棒は、彼女の命令にのみ従う忠実でずば抜けた性能の機体。実戦の経験はないが、このコックピットに居る限り、彼女は自分の力を存分に発揮できるはずだ。みんなの役に立てるはずだ。飛行時間はわずかしかないエリザベートであるが、彼女は宇宙空間が、そしてコックピットが好きになっていた。

「エリザ、キャゼルヌ家はどうだ? 意地悪な義理の父に虐められていないか?」

静寂を破ったのは、3機編隊を率いる小隊長、ポプランの声だ。哨戒任務によほど退屈していたのだろう、エリザベートをネタに世間話をしたいらしい。

「えっ? みっ、みなさんによくしてもらっています。夫人とお買い物したり、シャルロット・フィリスにはお料理をおそわりました」

シャルロット・フィリスって、まだ8才じゃなかったか? きびしい突っ込みをいれることを、ポプランはかろうじて思いとどまった。

「司令官代理の少将はお忙しそうですが、本当に、……本当によくしていただいて。私、本当に、ここに来てよかった……」

エリザベートは、決して見えるはずのない遠方の彼方、銀色に輝く人工惑星、イゼルローン要塞があるはずの方向に視線をむける。今回の任務に出発する日、キャゼルヌ一家の人々はエリザベートの安全を祈り、手を振って見送ってくれた。任務が終われば、彼女はまたあのあたたかい家に帰ることが出来る。

まだほんの数ヶ月間であるが、キャゼルヌ家の生活はエリザベートにとってかけがえのないものになっていた。そして、便宜を図ってくれたメルカッツ提督、ヤン司令官、空戦隊、多くの要塞の人々には、どうやってお礼を言えばいいのかもわからないほど感謝している。単なる哨戒任務とはいえ、いま自分がコックピットの中にいることは、たしかに『家族』の役に立っているはずだ。家族の役に立てることが、いまの彼女にはたまらなく嬉しい。

「へぇ。そいつはよかったな」

家庭というものを持ったことがないポプランは、うまいかえしが思いつかない。たしかに、家庭人としてはまともな者が少ないイゼルローン要塞司令部の中にあって、キャゼルヌ一家は例外的にまともな家庭を築いている。

……まずい。この俺様が、一瞬とはいえキャゼルヌ少将を羨ましいと思ってしまうとは。

自らのアイデンティティの崩壊の危機を感じたポプランは、話題を変えることにした。

「それにしても、せっかくの実戦投入なのに、退屈な哨戒任務とはな。おまけに、ヤン司令官は留守中だ。もし手柄を立てても、この機体の能力をアピールできないじゃないか」

イゼルローン要塞を守るヤン・ウェンリー司令官は、いま要塞には居ない。ハイネセン政府の命により、首都に召還されたのだ。第三者の視点からみればまことに不可解きわまりないはなしではあるが、いつ帝国軍が侵攻してきてもおかしくはない状況であるにもかかわらず、しかも法的な根拠のない『査問会』なるものをでっち上げてまで、政府によって最前線に指揮官不在の状況がつくりだされたのだ。司令部を含む要塞内の全ての人々がその理不尽さに憤っていたが、シビリアンコントロールは民主主義の基本だ。軍人たる者が、政府の命令に従わないわけにはいかない。

「政府からの召還だ、仕方がないだろう。俺たちの役目は、司令官が留守の間、要塞を守ることさ」

最後尾を飛ぶコーネフが、いつものようにつまらなそうに応える。

「ハイネセンの連中はいったい何を考えてるんだ? アレが俺たちが選んだ政治家だと思うと泣けてくるね。いっそ帝国軍が襲来して、いちど痛い目をみるべきじゃないか?」

「……いま敵が現れたら、困るのは俺たちだろう。すぐに要塞に帰って、あらためて空戦隊を率いて迎撃にあたらねばならんのだから」

「望むところだ。いや、なんならこのままこの機体で迎撃してやってもいいな」

もちろん、要塞の司令官代理であるキャゼルヌ少将からは、仮に敵と遭遇してもすぐに逃げ帰れとの厳命をうけている。実戦経験のない機体とパイロット。そしてなにより、帝国軍との物量の差を知略で補ってあまりある我らが不敗の魔術師ことヤン・ウェンリー司令官は、最低でも数週間はもどってこない。司令部としては、遭遇戦からなし崩し的に無秩序な戦闘に突入することだけは避けなければならないのだ。

敵を発見し逃げ切るだけならば、新型機の性能をもってすれば容易なはずであった。出会った敵が、いつものとおりの小規模な偵察艦隊であれば。



回廊の端でポプランが無駄話をしているころ、要塞の司令部においても他愛もない世間話が行われていた。司令官不在の状況の中、決して気持ちが緩んでいるわけではないが、人間は24時間つねに緊張しているわけにもいかない。最前線の司令部幕僚とて、のんびりする時間は必要なのだ。

「で、どうです? 娘が増えた感想は?」

エリザベートがキャゼルヌ家の一員となるきっかけをつくった要塞防御司令官シェーンコップ少将が、キャゼルヌ家の表向きの主、要塞事務監件司令官代理をつとめるキャゼルヌ少将に声をかける。

「もうすっかり家族の一員さ。でも、はじめは大変だったんだぜ」

「やはりお嬢様は扱いにくいですか?」

いつのまにか側に寄ってきた分艦隊司令官ダスティ・アッテンボロー少将が、会話の横から呑気な声で割り込んでくる。となりにはユリアンもいる。キャゼルヌ家に遊びに行く機会が多いユリアンは、エリザベートの生い立ちについても当然しっている。

「いや、エリザは素直でいい娘だ。うちの娘達と同じくらいね。ただ、日常生活が……」

「日常生活?」

「炊事、洗濯、掃除……というか、家事全般なんて自分でしたことがなかったんだろうなぁ。オルタンスとシャルロット・フィリスにさんざん鍛えられて、やっと最近平均点に近づいたというところかな。とはいっても、料理はグリーンヒル大尉なみ、全体的にはユリアンの足下にもおよばないレベルだがね」

「まぁ、そうだろうな……」

シェーンコップが頷く。

「それだけじゃない。エリザがうちに来たばかりの時は、俺もオルタンスも驚いたものさ。日常生活にかかわる全てに関して、エリザは我々とはまったく常識がちがうんだ。身近なところでは、家電製品の使い方を全くしらない。買い物もしたことないうえ、金銭感覚があまりにも違いすぎる。とにかく我々が常識だと思っていたことが、ことごとく彼女にとってはそうではない。逆も同様だ。一時は本当に同じ人類かと疑ったものさ。……あれが帝国の支配階級の常識だというなら、同盟と帝国の講和なんて永久に不可能だと思ったね」

「ふーん。常識なんてものは、人それぞれなんでしょうが、そこまで違いますか」

相変わらず呑気な顔で、アッテンボローがうなずく。キャゼルヌは、言ってしまってからユリアンの存在に気づいた。そして、若者に対して、自分の新しい娘のためにフォローを入れる必要性を感じた。

「……ユリアン。生活能力がないという点だけてみて、お前さんの保護者と同じだと思ってもらっちゃこまるぞ。エリザはな、ヤンみたいにだらしないのとは違う。育ちが良いせいか、マナーは完璧だし、仕草がいちいち優雅だし、何よりも向上心がある。帝国貴族がみなエリザみたいだったら、戦争なんてすぐに終わるだろうよ」

なんと答えて良いかわからない顔をしたユリアンの横で、シェーンコップが微笑む。家族に迎えてからほんの数ヶ月だというのに、なんという親ばか。

なるほど、たとえ血が繋がっていなくても、家族というものは、人間にとってかくも重要なものであるのだな。……おそらく自分には一生縁のないものであろうが。

そして、「へぇ、こどものいる生活もいいかもなぁ」などと、独身主義を気取っていたはずのアッテンボローがちょっと羨ましそうにつぶやくのが耳に入るにいたり、彼はついに我慢できず声をあげ笑いはじめてしまったのである。



回廊内を哨戒中の小艦隊のひとつから、いきなりワープアウトしてきた敵発見の報が届いたのは、その時だった。司令室に緊張がはしる。

「数はひとつ。形状は球体。質量は……概算40兆トン以上?」

「兆だと!?」

キャゼルヌは普段から冷静な男だが、この時ばかりはおもわず叫んでしまった。冷静でいられるわけがない。

「質量と形状から判断して、直系40キロないし45キロの人工天体と思われます」

「……つまり、イゼルローンのような要塞というわけか」

すなわち、帝国軍は艦隊をその根拠地ごとここまで運んできたのだ。

非常事態である。完全に意表をつかれ、しかも敵の戦力は膨大だ。さらにこちらの司令官は不在。留守番の我々だけで、撃退できるのか。

無理だ。キャゼルヌは一瞬で判断を下す。自分はヤンとは違う。司令官としては平時に対応する能力しかない。

「ハイネセンに超光速通信を送れ。すぐにだ!」

シェーンコップ少将が防御態勢を整える。アッテンボロー提督がフィッシャー提督ともに艦隊の発進準備を命じる。メルカッツ提督が司令部に現れる。幕僚達はみな、慌ただしく自分の部署に戻る。ヤンが帰るまで最低でも数週間、なんとしてでも持ちこたえねばならない。キャゼルヌは覚悟を決める。頭の中に何かがひっかかるが、それどころではない。

敵の要塞からは艦隊が出撃、回廊内に展開をはじめているらしい。最悪の事態にそなえるため、頭よりも先に体が動き始める。機密情報の処分や民間人の避難準備の指示をだす。こちらは得意分野だ。なにも問題ない。

ふと、自分の家族が避難する姿を想像した時、キャゼルヌは重大な事に気づいた。

「すまん、エリザは、……いやポプラン少佐の小隊は、いまどこにいる?」

幕僚達全員の動きが一瞬止まる。オペレータのひとりが、答えにくそうに応じる。

「回廊の出口付近、ワープアウトした敵要塞と艦隊の向こう側のはずですが、……通信不能です」

キャゼルヌは一瞬目をつぶり天井を仰いだ。

「……わかった、ありがとう」

そして、息をひとつ吐いて、軍人の顔に戻る。

「四週間だ、四週間耐えれば、ヤンが帰ってくる! それまでの辛抱だ!」

キャゼルヌはあえて声に出した。司令部のメンバーを、要塞を守る全兵士を、なによりも自分自身を鼓舞するために。



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2010.12.16 初出






[22799] 銀パイ伝 その11 突入
Name: koshi◆1c1e57dc ID:9680a4fa
Date: 2010/12/30 15:30



回廊を守らねばならない同盟軍と、せめる帝国軍。人類を二分する両勢力の軍事拠点であり、かつそれ自身が最大の攻撃力を誇る兵器である人工要塞、イゼルローン要塞とガイエスブルグ要塞は、僅か百万キロたらずの距離を隔て、睨み合っている。

一触即発。銀色に輝くふたつの要塞の間の空間には、両軍兵士の緊張の糸がはりつめ、空間自体が歪んでいるかのように錯覚をおぼる者すらいた。

敵がいつ攻撃を仕掛けてくるのか。ヤン司令官が帰ってくるまで、どのように要塞を守れば良いのか。自分の肩にかかる巨大な責任と、新しい家族が行方不明になったという悲しい事実が、イゼルローン要塞司令官代理をつめるキャゼルヌ少将の胃を、きりきりと締め付ける。



だがしかし、この瞬間イゼルローン回廊に存在した人類すべてが、キャゼルヌとおなじほど緊張していたわけではない。睨み合う両要塞をはるか彼方から眺める位置に取り残され、味方の同盟軍からは行方不明扱いとなった哨戒小隊は、特に何をするでもなくのんびりと事態の推移を眺めていた。

「あの……、要塞の皆さんは、大丈夫なのでしょうか?」

エリザベートが、隊長機のポプランにむけて問いかける。彼女の視線は、自分の機のコックピットから、イゼルローン要塞のある方向に固定されたままだ。帝国軍に発見されないよう、すべてのエンジンを停止、3機まとめて漂流をはじめてから既に半日が経過している。

「……エリザ。要塞の連中のことよりも、自分の心配をするべきだとおもうぞ」

ポプランが、諭すように返事をかえす。確かに俺たちの帰るべき家であるイゼルローン要塞は危機に瀕しているが、だからといって今の俺たちに出来ることはなにもない。敵要塞だけではなく、敵の艦隊も回廊内に展開をはじめている。これらをまとめて背後から突破してイゼルローン要塞に帰るなど、博打にすぎるだろう。エンジンを止め、無線を封鎖し、小惑星の群れに紛れ込んでおとなしく身をすくめていることがせいぜいだ。

「……とはいっても、まあ、それほど心配することはない。いかに帝国軍といえども、小惑星にまぎれた単座戦闘艇の小隊を発見するのは難しいだろう。もともと航続距離の長い機体だから、酸素も燃料も十分に余裕がある。要塞同士の戦いを、ここからのんびりと眺めていようや」

コーネフが、クロスワードパルズを解くペンをとめ、実にあっさりとした口調で答える。深刻さなど微塵も感じさせないその口ぶりは、実戦経験のないエリザベートを少しでも安心させようという、彼なりの配慮であろう。

「でも、あれはガイエスブルグ要塞……だと思います。父は、帝国でもっとも安全な場所だと言っていました。イゼルローン要塞に匹敵する攻撃力と防御力を持ち、大規模な艦隊も駐留できます。私達がここで隠れている間に、帰るところがなくなってしまうんじゃ……」

しかし、エリザベートの不安は消えなかった。しかも、その不安は正鵠を射ている。ポプランとコーネフも理解していることだが、実は事態はそれほど呑気なものではない。

確かに、このまま戦闘が終了するまで隠れていることは可能だろう。食糧が多少心許ないが、最低限の生命維持だけなら数週間はもつはずだ。戦闘終了後、イゼルローン要塞まで帰る燃料もある。だが、その時、イゼルローン要塞が同盟軍のものだとは限らないのだ。

「要塞にはキャゼルヌ少将もシェーンコップ少将もいる。彼らがなんとかしてくれるさ」

自分で言いながらも、ポプラン自身も無理を感じている。いくらエリザベートが幼いといっても、自分の生死を託している司令部の人間の能力については、ある程度は理解していないはずがない。

ヤン提督なしで、要塞を守りきれるのか? キャゼルヌ少将やシェーンコップ少将には悪いが、彼らは彼らが専門とする分野では超一流であっても、最前線の要塞を指揮し敵の大艦隊から守り抜く能力についてはよくて平均点程度だろう。むしろ、情勢が不利となればあっという間に要塞を引き払い、数百万人の同盟市民に犠牲者を出さぬようあざやかに同盟領まで撤退することこそキャゼルヌ少将の得意分野であり、それは実にありそうなはなしだ。一介の空戦隊長でしかないポプランには司令部の方針などわかるはずもないが、もし仮にそのような事態になれば、3人は敵勢力のまっただ中に取り残されることになる。いざとなればポプランとコーネフは降服してもよいが、亡命者であるエリザが帝国軍からどのように扱われるのか、できればあまり想像したくはない。

「ポプラン少佐。要塞の方向から、えっと、あの、……どう言えばよいのかわかりませんが、とても、……イヤな感じがします。キャゼルヌ少将を助けにいかないと……」

この期に及んでさえも自分より要塞の人間の心配をしているエリザベートに半ばあきれながらも、ポプランはふたつの要塞が睨み合っているはずの宙域に視線を向けた。この娘がそう言うのならば……、そろそろ戦闘が始まるかもしれない。



エリザベートとポプラン、そしてコーネフの見つめる方向に、凄まじい閃光が輝いたのはその時である。超新星の爆発を思わせる白色の輝きは、数秒間にもわたり回廊内を明るく照らす。モニタに自動的にフィルタがかかってもなお、ふたつの人工的な球体のシルエットがこの距離からでもはっきり見える。いったいどれほどのエネルギーが放射されたというのか。

ガイエスブルグ要塞の巨大な主砲が起動、イゼルローン要塞に向けて発射されたのだ。7億4千万メガワットもの莫大なエネルギーがこめられたX線レーザーの光条は、イゼルローン要塞の装甲をいとも簡単に貫き、数千人の同盟軍兵士ごと、一瞬にしてひとつのブロックをまるごと焼き尽くした。

「ああ……」

エリザベートが声にならない悲鳴をあげた直後、ふたたび凄まじい閃光が輝く。イゼルローン要塞による反撃である。9億2千4百万メガワットの主砲、通称「トゥールハンマー」が、ガイエスブルグ要塞に突き刺さる。

「まさか、要塞主砲をお互いに撃ちあっているのか?」

共倒れ、という単語がポプランの脳裏をよぎる。合わせて数百万人の人間がいる二つの要塞が、全滅するまでお互いに最終兵器を撃ちあうというのか? 狂気の沙汰だ。

回廊の制宙権の戦略的な価値を考えれば、たとえ共倒れでも帝国にとっては決して損ではないということは、ポプランも理解している。しかし、俺たちの家であるイゼルローン要塞や仲間達を巻き込んでそれは、勘弁して欲しい。なによりも、いい年をした大人達が、子供の目の前でこのようなバカバカしい戦いはじめることに対して、ポプランは言いようもない怒りを感じていた。

「たっ、たくさんの人が……」

エリザベートが、声を詰まらせながら悲しそうに叫ぶ。無理もない。彼女にとって初めての実戦だ。しかも、一瞬にして数千人の命が焼かれたのを目撃すれば、叫ばずにはいられないだろう。

「エリザ! 大丈夫だ。心配するな、イゼルローン要塞は無事だ」

ポプランは、必死に少女を落ち着かせようとする。この状況でパニック状態に陥ることだけは、避けなければならない。だが、このときエリザベートが感じていた恐怖、このまま帰るべき「家」を失うかもしれないという恐怖は、ポプランの想像よりも遙かに大きなものだった。

「このままでは、キャゼルヌ少将やシャルロット・フィリスが……。私の家が、無くなってしまいます! ポプラン少佐。コーネフ少佐。イゼルローン要塞へ帰りましょう」

言うと同時に、エリザベートは愛機のエンジンを起動する。機首を敵要塞と敵艦隊、そしてイゼルローン要塞がある方向にむける。

「ちょっ、ちょっと待て、エリザ」

あわててポプランもエンジンを起動する。まさかひとりで行かせるわけにもいくまい。機体チェックをしながら、エリザを止める方法を考える。

さすがに彼女の機体を撃つわけにもいかん。体当たりで止めようとしても、……かわされるだろうな。

「……ポプラン。覚悟をきめるべきかもしれん。このままここにいてもじり貧だ。仮に同盟軍が優勢でも、帝国領から増援が来れば確実に見つかってしまう」

コーネフの冷静な声が、通信機から聞こえる。

「おっ、おまえ、エリザの出撃に反対だったじゃないか!」

「今でも反対さ。だが、彼女はパイロットになってしまった。どうせいつかは初陣を経験するのなら、それが今でもよいだろう」

同僚にまで裏切られ、ポプランは頭を抱える。もしエリザベートの身に何かあれば、メルカッツ提督やキャゼルヌ少将に何と言えばいいのか。

しかし、コーネフの言うことは間違いなく正しい。どうせいつかはエリザベートを戦場に出さねばならない。そして、他の部下のパイロット達には、もっと過酷な状況で出撃を命じたこともある。彼女だけ特別扱いにすることなぞ、もともとポプランにとってできるはずのないことなのだ。

初陣は、もっと条件の良い戦いでさせたかったのだが……。

ポプランは、信頼する同僚の言うとおり、覚悟を決めた。ひとつ深呼吸してから、エリザベートにむけて告げる。

「よし。エリザ、よくきけ。敵艦隊は密集している。警戒の薄い背後から懐に入ってしまえば、敵は同士討ちをおそれて本気で迎撃できない。迂回せずに敵艦隊の真ん中をつっきってイゼルローン要塞に帰るぞ。いいな?」

「はい!」

「エリザが先頭だ。とにかく逃げることに徹するんだ。攻撃はうしろから俺たちがサポートする。敵要塞は無視しろ、……いくぞ!」

ポプランが言い終えた次の瞬間、エリザベートを先頭に3機の戦闘艇が猛烈な加速を開始する。数時間後、3機編隊は非常識な速度をたもったまま帝国艦隊の背後から突入していった。



ガイエスブルグ要塞を用いたイゼルローン攻撃軍の総指揮官はカール・グスタフ・ケンプ大将、そして、副司令官として要塞から発進し回廊に展開中の駐留艦隊を率いるのは、ナイトハルト・ミュラー大将である。

苛烈きわまりない要塞主砲の撃ち合いの後、両要塞のあいだの戦闘は一転、地味な小競り合いがつづいている。イゼルローン要塞に工兵隊を降下侵入させ内部から攻撃を試みた帝国軍の作戦は、同盟軍の空戦隊と薔薇の騎士連隊の活躍により追い払われ、その後は睨み合いがつづいている。

「敵は何も仕掛けてこない。何を企んでいるのだ?」

キャゼルヌ司令官代理は、帝国軍の不気味な静けさをいぶかしむ。敵味方が無秩序に入り乱れた至近距離での艦隊戦は、ヤンが帰るまで時間を稼ぎたい同盟軍の望むところではない。キャゼルヌは、駐留艦隊を発進させるべきか否か、決断できないでいた。だが、そんな同盟軍司令官代理をあざ笑うかのように、ケンプとミュラーは新たな一手の準備をすすめていた。

突然、ガイエスブルグ要塞の主砲がふたたび咆吼をあげる。お約束のように同盟軍が報復の炎を発射する。双方の主砲による莫大なエネルギーが通信装置やセンサーを翻弄し、その機能が回復した直後、今度はイゼルローン要塞全体が主砲をくらった際とは異なる種類の衝撃に襲われた。外壁に巨大な穴が穿たれている。要塞主砲の撃ち合いを陽動として、その隙にミュラーの艦隊の一部がイゼルローン要塞に接近、大量のレーザー水爆を叩き込んだのだ。

「陽動だったか……」

キャゼルヌがうめいたとき、ミュラーは、イゼルローン要塞の外壁に口を開けた巨大な裂け目にむけて多数のワルキューレと装甲擲弾兵を投入、制宙権を確保したのち一気に大兵力をもって内部に侵入させようとしていた。

要塞近傍の宙域を守る同盟軍のスパルタニアン部隊は、エースでもある第一第二空戦隊長を欠いている。奮闘はしているものの、あきらかに劣勢である。イゼルローン要塞の駐留艦隊は、いまだゲートの内部におり、出撃できていない。同盟軍は、要塞失陥の瀬戸際にいた。



圧倒的な優勢な帝国軍の攻勢を、ガイエスブルグ要塞のケンプ司令官は上機嫌でながめている。

「この回廊は、やがて名を変えることになるだろう。ケンプ・ミュラー回廊とな」

ミュラーはさらに勝利を決定的なものにすべく、自らが率いる艦隊をイゼルローン要塞に近づける。敵艦隊が出撃する前に、ゲートを封鎖してしまえば詰みだ。トゥールハンマーを味方艦隊に向けて撃たれることが懸念材料だが、ここまで近づけば一撃で破壊される艦の数は限られる。仮に主砲の撃ち合いによる消耗戦になっても、要塞と艦隊が双方そろっているこちらが有利であり、反乱軍はそれを望まないだろう。

オペレーターが妙な報告をミュラーに告げたのは、その時である。

「艦隊後方が混乱しています。敵が艦隊内部に突入し、迎撃が行われていますが、既に輸送艦が数隻撃沈。その他、大破多数です」

「なんだと!」

艦隊の後方とは、すなわち帝国領の方向である。今回の作戦に参加する艦隊の編成にあたり、基本的にその方向から攻撃が行われることは前提とされていない。戦艦など攻撃力防御力が高い艦は、前方に集中的に配置されている。ミュラーの旗艦もほぼ最前列にいる。監視が甘く、補給艦など補助艦艇が集中している後方から攻撃をうければ、艦隊全体が一気に崩壊する可能性もある。さらに……。

後ろに反乱軍に予備選力があったのか? このままでは包囲され、帰れなくなるぞ!!

帝国軍の兵士達に大きな動揺が広がる。前方には難攻不落のイゼルローン要塞、そして後方の帰り道には栓をされてしまったのだ。

実際には、「反乱軍の伏兵」は戦闘艇3機でしかなく、とても戦力とよべるものではない。だが、あの魔術師ならばそのくらいのことは平気でやりかねないと、帝国軍兵士達は素直に納得してしまったのだ。

「敵の戦力は?」

ミュラーの問いに、オペレーターは答えられない。

「不明です。大型の単座戦闘艇が数機だという情報もありますが、確認できていません。艦隊の中央部を猛スピードで突っ切っているようです」

「なぜ迎撃しないのだ?」

「完全に不意を突かれ、艦隊の密集部に潜り込まれました。速度と機動性が非常識で、味方は翻弄されています。対空砲火により、味方の艦が多数まき添えを食っています」

なんということだ。艦隊全体の被害としては微々たるものだ。だが、このままでは兵士達の動揺はおさえきれまい。はるばる叛徒共の本拠地まで遠征してきたあげく、帝国領への退路をたたれてしまうというのは、兵士達にとってどれほど恐ろしいことか。

敵が戦闘艇ならば、こちらもそれで迎撃するのが定石だが、ワルキューレの大半はイゼルローン要塞攻撃に参加している。

「艦隊を散開させろ! 敵は多くはない。各個に迎撃するのだ」

たまらずミュラーは命令をだす。あと一歩でイゼルローン要塞をおとせたが、このまま放っておくわけにはいかない。まずは、艦隊の混乱を収拾することだ。

「敵、艦隊中央を突破してそのまま前衛に達しつつあります! 旗艦まで約5分」

バカな。我が帝国軍の一個艦隊のど真ん中を突破するつもりなのか?

「やらせるな! 何としてでも撃ち落とせ!!」

スクリーンに映る各艦の動きが、統制を失いはじめる。完璧な背後から奇襲のかたちになったため、秩序だった迎撃ができない。各艦が個別に迎撃コースをとっても、敵の戦闘艇は機動性が高く対空砲火だけでは追い切れない。直接戦闘に参加しているのはごく少数の艦に過ぎなくても、味方の対空砲火の巻き添えを食う艦、敵を回避した際に味方に衝突する艦、混乱が徐々に艦隊全体に広がっていく。

「ミュラー提督!」

「なにかっ!」

「6時の方向から接近するものあります。戦闘艇らしきもの。高熱源体接近!」

オペレータの叫びに、思わずミュラーは後方をふり返る。

「本艦にではありません」

スクリーンの中では、反乱軍の戦闘艇とおぼしき影が3機、矢のような速度でまっすぐこちらに向かっている。

「あれか! あの白い奴か」

司令部直衛の艦が、旗艦の盾になるべく動く。しかし、その巨大な艦影は一瞬にしてまばゆい光にかわる。メインエンジンを一撃でうち抜かれたのだ。ブリッジのモニタのフィルタが解除され、外の視界がもどった瞬間、ミュラーの目の前には反乱軍の戦闘艇が、その巨大な主砲をブリッジに向けていた。



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初陣はあっさりと終わるつもりだったのですが、長くなっちゃったので分割します。

2010.12.30 初出





[22799] 銀パイ伝 その12 突破
Name: koshi◆1c1e57dc ID:9680a4fa
Date: 2011/01/04 01:38

彼方には銀色に輝く巨大なふたつの人工惑星。そして、約一万隻にもおよぶのミュラー艦隊のメインエンジンの輝きが、エリザベートの前方の視野を覆い尽くす。目の前に広がるのは、人類文明を二分するふたつの勢力、同盟軍と帝国軍がぶつかり合う最前線の宙域だ。ここに両軍が展開し投入している巨大な戦力と比して、エリザベートら三人の小隊はあまりにも矮小な存在でしかない。だが、このちっっぽけな戦力の存在が、戦況を劇的に変化させようとしていた。

3機のスーパースパルタニアンは、相対論的な領域に達しようかという、戦闘艇としては非常識な速度をたもったまま、ミュラー艦隊に背後から突入した。

通常ならば、この程度の速度は迎撃の支障となるほどのものではない。艦隊同士の追撃戦の場合、亜光速の戦艦同士がすさまじい加減速を行いながら撃ちあうことも決して珍しくはないのだ。だが、ただでさえセンサーでは検知が困難な小型の戦闘艇が、まったく無警戒だった艦隊の背後から不意をついて突入したとなれば話は別だ。さらに、艦隊後方に配置されていたのは攻撃力の無い補助艦艇がほとんどだった。そのうえ、なにより帝国軍にとって不幸だったのは、突入した機体を操るパイロットの能力が、常識で対応できる範囲を超えていたことだ。

突如として艦隊に侵入した小型の「何か」が、味方の艦列の間を超高速ですりぬけていき、進路上にあった艦が次々と爆発していく。さらに、対空砲火の弾幕は、ひらりひらりと信じられない機動によりかわされ、密集した艦隊のあちらこちらで同士撃ちがひきおこされる。実際の損害は微々たるものであっても、それが帝国軍兵士達の心理に与えた影響は大きかった。

回廊の背後に敵の新兵器が伏兵として存在し、帝国領への帰路を絶たれた!

戦艦なみの火力をもつ戦闘艇による背後からの急襲は、艦隊全体に深刻な動揺に引き起こした。侵入者が艦隊中央の分厚い戦艦群をも突破し、旗艦のミュラーがやっと事態を把握した頃には、それはパニックと言ってもよい事態にまで拡大していたのだ。




エリザベートは必死に耐えていた。

一万隻以上が密集した敵艦隊のど真ん中である。自分の周りにいるの者は、全てが敵。360度すべての方向から向けられる激しい憎悪と敵意が、お世辞にも厚いとは言えない愛機の装甲を貫き、彼女の脳髄に突き刺さる。さらに、ポプランやコーネフに撃沈され、あるいは運悪く対空放火の流れ弾にあたった敵艦が光と熱に変わるたび、死んでいく兵士達の嘆きと悲しみが押し寄せる。彼女の心を、地獄まで道連れに引きづりこもうとする。

これが戦い……。

それでも、エリザベートは歯を食いしばって耐える。決して目をつむらず、耳をふさがない。イゼルローン要塞へ帰る、その一心だけが彼女をささえているのだ。

空間に満ちた膨大な敵意にあえて立ち向かい、自分達に向けられた攻撃を予測し、操縦桿を操る。そのことに集中するため、エリザベートは余計な思考を捨て去った。目に映るのは、コックピットのスクリーンのみ。そこに乱舞しているのは、派手な色使いの記号や表示だけ。全方位から間断なく発射されるビーム砲やレールキャノン、帝国軍の意地をかけたありとあらゆる攻撃は、無機質で非人間的な記号に変換され表現されている。もし、いまの彼女の顔を見ることが出来たなら、そこに一切の感情を見いだすことは出来ないだろう。




この俺様が、ついていくのがやっととはな!

もちろんポプランも必死である。彼の三機の小隊は、機体が接触するほどの至近距離を保ちながら、凄まじい速度で敵艦隊のど真ん中を突っ切っている。彼らを追って、土砂降りのような対空砲火の火線が全方位から降り注ぐ。帝国艦隊は、同士討ちにより味方に多大な損害を発生させつつも、それにまったくかまうことなく撃ちまくっている。ポプランの小隊を撃墜することこそが、帝国全軍の意地を示すとでもおもっているのか。

だが、ポプランが必死なのは、帝国軍によるバカバカしいほどの量のビームを避けることではない。あまり認めたくない事実であるが、彼の操縦技能だけでは、これだけの対空砲火をかいくぐることは不可能だろう。敵の火線を避け、安全なコースを見つけるのは、先頭のエリザベートに任せてある。ポプランとコーネフは、エリザベートについていくのに必死なのだ。

エリザベートは、大口径ビームの嵐の中を、まるでその軌跡があらかじめわかっていたかのように、ひらりひらりとすり抜ける。超高速を保ったまま、巨大な戦艦と戦艦のあいだをギリギリで通り抜け、敵の同士討ちを誘う。

しかも、彼女自身は、いまだ一発も撃ってはいない。特に事前の打ち合わせがあったわけではないが、あきらかに進路の障害となる敵艦に対して後ろから主砲を放ち破壊することは、いつのまにかポプランとコーネフの役割となっている。できれば彼女には撃たせたくないという、ふたりの暗黙の了解の結果である。戦闘艇としては常識を超えた破壊力の主砲は、一隻づつではあるが敵戦艦を一撃で破壊。爆発光と破片と帝国軍兵士の肉体の残渣、そして残留思念のまっただ中を、3機はくぐり抜けていく。

「みえた」

叫んだのは、先頭のエリザベートである。帝国艦隊のぶ厚い艦列の壁の隙間から、ついに銀色の人工惑星が姿をあらわしたのだ。

やっと着いた。やっと帰れる。

エリザベートはスロットルを全開、さらに増速する。イゼルローン要塞への最短距離の方向へ機種を向け、まっすぐにすすむ。だが、その方向は、帝国艦隊の艦列がもっとも厚い方向でもあった。

「まて、エリザ!」

ポプランが叫ぶ。目の前の帝国艦の艦影と赤外線放射パターンを分析したコンピュータが、パイロットに艦名を告げる。あれは戦艦「リューベック」、ナイトハルト・ミュラー提督の旗艦とその直衛艦だ。よりによって、艦隊の中でももっとも守りの厚い部分を通過しようというのか。

直衛艦が、ミュラーの盾になるべく動く。撃沈、あるいは激突を覚悟で、エリザベートの前にでる。一瞬イゼルローン要塞に気を取られていたエリザベートは、巨大な戦艦を避けきれない。反射的に引き金に指をかける。だが……。

やらせるか! 戦闘艇ごときに帝国軍艦隊が蹂躙されるなど、やらせるものか!

目の前の艦から突き刺さる凄まじい敵意。旗艦を守るため死を覚悟した全ての兵士から発せされる強烈な意志。その全てを正面から受け止めたエリザベートは一瞬怯む。巨大な艦影が迫る。戦艦の装甲が、目の前に壁のように広がる。

「エリザ、撃て! 撃たないと帰れないぞ!!!」

ポプランの叫びに、エリザベートは我に返る。僚機の二機は、主砲を発射したばかりだ。エネルギーが充填できるまで、あと数秒かかる。

エリザベートはとっさに目をつむり、引き金を引く。彼女の愛機の主砲は、初めて敵に向けてビームを放った。




旗艦を誤射することを恐れ、周りの艦は対空砲火を停止している。帝国軍艦隊を率いるナイトハルト・ミュラー大将は、静寂がもどった暗黒の宇宙空間の中で、自らの盾になった直衛艦が一瞬にして光球に変わるのを見た。まばゆい爆発光の中心からまっすぐに、凄まじい速度で旗艦に近づく3機の戦闘艇を見た。不格好な白い機体。単座戦闘艇には似つかわしくない巨大な主砲。ミュラーの目には、全てがスローモーションで見えた。そして、主砲が正面を向く。ミュラーだけではなく、ブリッジのすべての人間が、死を覚悟する。

だが、永遠のような数秒が過ぎても、ミュラーが覚悟した瞬間は訪れなかった。

「……敵は、どうした?」

ブリッジの誰もが沈黙する中、いち早く我を取り戻したのは、やはりミュラーであった。数瞬遅れて我に返ったオペレーターが、操作卓から得た情報を報告する。

「高速でまっすぐに艦隊を抜け、イゼルローン要塞近傍に達したようです」

「なぜ、……撃たなかったのだ」

ミュラーの問いには誰も答えることができない。かわりに、オペレーターが叫ぶ。

「反乱軍艦隊が要塞から出撃しています! 旗艦ヒューベリオンを確認、接近中!!」

同時に、ミュラー艦隊の前衛の艦が、次々と火球に変わっていく。ヒューベリオンから同盟艦隊を指揮するのは、メルカッツ提督である。要塞からの出撃のタイミングを計っていたメルカッツは、ポプランの小隊の突入によるミュラー艦隊の混乱を、見逃しはしなかった。出撃と同時に、要塞に上陸をはかる帝国軍装甲擲弾兵と揚陸艦を駆逐、そのまま混乱が続くミュラー艦隊に襲いかかったのだ。

ミュラー艦隊は、メルカッツ艦隊により半包囲され、さらに連携したイゼルローン要塞の対空砲塔群から横撃される。ガイエスブルグ要塞から救援が到着し、メルカッツ提督があっさりと撤退していくまで、ミュラーは、崩れかかった艦列をささえ、全滅を防ぐのが精一杯だった。



ミュラーの旗艦を目前にしたとき、エリザベートは茫然自失状態であった。目を閉じ、耳をふさぎ、頭をさげ、コックピットの中でただ震えていた。操縦も忘れ、機体は直線的に飛ぶだけだった。対空砲火が止み、艦隊全体が混乱し、さらにメルカッツ艦隊が接近している状況でなければ、簡単に撃ち落とされていただろう。

直前にミュラーの盾になった艦を破壊した瞬間、エリザベートによって殺された数百人の兵士達の恨み、悲しみ、憎しみが、直接彼女に襲いかかったのだ。真空の宇宙に散ったひとりひとりの残留思念、生への執着が、故郷に残した家族への想いが、そして直接手を下したエリザベートへの凄まじい恨みが、彼女にはありありと感じられてしまった。それらは、心の奥底に直接つきささり、少女の精神を激しく傷つける。

私が引き金を引いた。私が殺した。殺してしまった。

ポプランやコーネフが撃った艦の乗員も、間接的ではあっても彼女が殺したも同然だ。それは理解していたつもりだった。今回は、たまたま彼女が撃っただけで、本質的な違いはなにもない。それも理屈では理解している。理解していても、理性とは別の部分が、自分が撃ったという事実を拒否しようとしている。

「エリザ、エリザ、しっかりしろ!」

ポプランが、必死に呼びかける。

「お前は悪くない。顔をあげて前を見ろ! お前が守った俺たちの家が、イゼルローン要塞が目の前だ」

私がまもった?

エリザベートは、おそるおそる顔をあげる。涙を拭きゆっくりと目をあければ、ポプランの言うとおり、目の前には銀色の巨大な人工惑星、イゼルローン要塞が輝いている。通信用のモニタには、キャゼルヌ少将とメルカッツ提督の顔が映っている。懐かしい声が聞こえてくる。

「そうだ、イゼルローン要塞もキャゼルヌ一家も、お前が守ったんだ。お前のおかげで家に帰れるんだ。……前を向け。帰るぞ」

私は家に帰ってきた。

顔はこわばったまま、体の震えはまだ止まらない。だが、エリザベートは、前を向くことができた。




おなじ頃、同盟側・帝国側の双方からイゼルローン回廊に向かう艦隊があった。要塞の危機を救うべく急遽同盟首都から帰還するイゼルローン要塞司令官ヤン・ウェンリーの艦隊と、いっこうに成果があがらないケンプへの援軍として派遣された、帝国軍の双璧ことミッターマイヤー・ロイエンタール両提督の率いる大艦隊である。

二つの要塞をめぐる攻防戦は、まだ終わらない。



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あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

次はガイエスブルグ要塞に攻め込む予定です

2011.01.04 初出





[22799] 銀パイ伝 その13 司令官
Name: koshi◆1c1e57dc ID:9680a4fa
Date: 2011/01/23 22:13

イゼルローン要塞司令官、ヤン・ウェンリーの乗る巡航艦レダⅡは、約5千隻の艦隊に守られながら、イゼルローン回廊むかってひたはしる。

イゼルローン要塞は今、絶体絶命の危機に瀕している。戦いは膠着状態であるが、司令官不在のままでは、敵の増援があれば陥落する可能性が高い。ヤン・ウェンリーは、首都ハイネセンに巣くう同盟政府高官にこそ愛想を尽かしていたが、自由惑星同盟という国家に対しては今だ忠誠を尽くす気でいた。人類の民主主義の灯を守るためには、銀河帝国軍からイゼルローン要塞を守る事が、現段階では絶対的な必要条件である。十分条件ではないことが気にかかるが、とりあえずは彼に与えられた権限と力のなかで最善を尽くすしかあるまい。

ヤンは今、レダⅡのブリッジの司令官席で、一連の戦闘に関する報告書を読んでいる。ガイエスブルグ要塞がワープアウトしてからの戦闘記録をまとめたものを、超光速通信で送らせたのだ。

帝国軍の犯した多くの戦略的・戦術的ミスに助けられているとはいえ、完全な奇襲を受けたにしては同盟軍はうまくやっている。特にメルカッツ提督の働きは大きい。もともと期待していた艦隊の指揮のみならず、司令官不在の要塞全体の防衛体制がなんとか維持できているのは、メルカッツのおかげだろう。軍上層部に無理やりねじこんででも、彼を客員提督として迎え入れたのは成功だったようだ。

そして、特筆すべき事柄はもうひとつ。ポプラン、コーネフとお嬢様。3機小隊が帝国軍の一個艦隊のど真ん中を縦断したあげく、一時は旗艦に肉薄、艦隊全体の混乱を誘った結果、敵の要塞上陸を防いだそうだが……。

彼らの戦果(?)に関する報告を読んだ瞬間、ヤンは数秒間ポカンと口をあけていた。

そんな事が可能なのか。

ミュラー大将を間一髪で取り逃がしたのは残念だが、にわかには信じがたい凄まじい戦果といえよう。だが、問題は彼らが今回の戦いであげた戦果、それ自体ではない。彼らが示してしまった、高度に戦略的な可能性だ。

「……まいったな」

ヤンはおもわずつぶやく。もちろん、彼ら3人の空戦能力や新型機の性能に問題があるわけではない。彼らの働きは、勲章ものだ。

ヤンは、ローエングラム公との戦いにおいて、この戦力をどう使うべきかを考える。そして、司令官としてのヤンは、ひとつの結論に達した。彼ら3機の戦力は、使いようによってはとてつもない可能性を秘めている。

だが、自分が思いついてしまった作戦そのものと、そんな事を考えてしまった自分自身に対し、ひとりの人間としてヤンはひどい自己嫌悪を感じてしまう。その矛盾が、ヤンを悩ませるのだ。




ポプランの小隊がみせてくれたのは、大規模な艦隊戦の中で任意の目標をピンポイントで叩ける、という可能性だ。どんなに強大な艦隊でも、彼らならその奥深くまで飛び込み、そこに控える指揮官をピンポイントでたたける可能性があるのだ。敵の指揮官が有能であればあるほど、それは効果的な作戦になるだろう。そして、銀河帝国との戦争においては、それは戦争の帰結すら左右する、とてつもなく大きな戦略的な意味に繋がってしまう。

我が自由惑星同盟は、数年以内に銀河帝国とその存続をかけた戦いを強いられるのは間違いない。だが、強大な銀河帝国を、力でねじ伏せるのは絶対に不可能だ。同盟領への侵略を食い止めるだけでも、正面から戦うだけでは無理だろう。いかに負けない戦いをするかが、同盟軍の基本戦略になるはずだ。

今の同盟政府に、ローエングラム公を相手にした外交的な腹芸は期待できない。軍人であるヤンに可能なことは、攻めてくる帝国軍を軍事的に混乱させ、同盟を攻める気をなくさせることしかない。それにしたって、間違いなく大艦隊を自ら率いて侵攻して来るであろう戦争の天才、ローエングラム公を相手にしては、困難きわまりないであろうが。

だが、その点こそが、帝国軍の唯一にして最大の弱点となりえるのだ。

ローエングラム公は独身だ。跡継ぎは定められていない。

なんとかして、帝国軍の大艦隊の戦力をいくつかに分断する。なんとかして、ローエングラム公直属の艦隊だけを切り離す。そして、なんとかして各個撃破にもちこみ、なんとかして総旗艦ブリュンヒルトを、そのブリッジにいるはずのローエングラム公ひとりだけを狙う。「なんとかして」がいくつも重なるが、それをひとつづつ実行するのがヤンに肩に乗せられた重い重い課題だ。だが、これが成功すれば、遠征半ばにしてカリスマ的独裁者を欠く事になった帝国軍は混乱のあげく自分達の領土に帰っていくことだろう。ほんの僅かでもヤンに勝算があるとしたら、その作戦しかあるまい。

ポプラン達の小隊は、その「なんとかして」のいくつかを一気に解決してしまう可能性があるのだ。艦隊の分断さえ成功すれば、彼らをローエングラム公直属の艦隊に突入させる。万が一ブリュンヒルト撃沈が成功すれば、帝国軍全体を退けられるかもしれない。

ポプラン、コーネフ、そしてエリザベートは、この戦争を終わらせるためのジョーカーになるかもしれないのだ。……彼ら自身は、それに気づいているだろうか?

それにしても、酷い作戦である。ヤンは、幼い少女をラインハルト直属の大艦隊のど真ん中にむけて出撃させ、敵の司令官を直接殺せと命じる自分の姿を想像した。さらに、もし仮に作戦が成功したとしても、生還率は極端に低いだろう。カミカゼにちかい。そのうえ、エリザベートとローエングラム公は顔見知りの可能性すら有る。ヤンがひどい自己嫌悪に陥るのも無理はない。だが、そうせねばならない日が近づいていることを、ヤンは自覚していた。




険しい顔をしながらスクリーンで資料をながめるヤンに、副官のフレデリカ・グリーンヒル大尉がカップを渡しながら話しかける。

「閣下が敵の司令官だったら、とうにイゼルローンを陥していらっしゃったでしょうね」

ユリアンがいれたものほどではないが、紅茶はよい香りがした。たっぷりブランデーが欲しい気分だが、ここは既に戦場といってもよい空域だ。我慢したほうがよいだろう。ヤンは思考を現実に引き戻す。まずは、目の前のイゼルローン要塞を守る事だ。

「……そうだね。私だったら要塞に要塞をぶつけただろうね。もし帝国軍がその策できたら、どうにも対策はなかったが、敵の指揮官は発想の転換ができなかったみたいだ」

敵の司令官カール・グスタフ・ケンプ大将は、イゼルローン要塞を占拠することにこだわっているようだ。確かにイゼルローン要塞の攻撃力、防御力、そして艦隊に対する補給基地として能力は、回廊を支配するために有効だ。

しかし、今の銀河帝国には、仮にイゼルローン要塞とガイエスブルグ要塞を破壊しても、さらに別の要塞を構築する力がある。逆に自由惑星同盟には不可能だ。したがって、帝国の立場としては、本来ならばハードウェアとしてのイゼルローン要塞にこだわる必要はないはずなのだが……。

ヤンは、自分が発したことばについて10秒間ほど考え込んだのち、フレデリカにつげる。

「大尉。私たちがイゼルローン回廊に入るタイミングで、ポプラン少佐、コーネフ少佐、そしてエリザに、例の新型機で待機しておくように伝えてくれないか」

楽に勝てるならそれに越したことはない。しかし、最悪の場合にそなえておく必要はあるだろう。




帝国軍司令官カール・グスタフ・ケンプ大将は、決断を迫られていた。ミュラー艦隊の敗北により、戦力は減少してしまった。さらに、危険を顧みず回廊の同盟側まで進出していた哨戒部隊が、イゼルローン要塞に接近する同盟艦隊を発見したとの報を送ってきたのだ。このままでは、ケンプとミュラーは同盟軍に敗北、あるいは後方から救援に向かっているロイエンタール、ミッターマイヤーに手柄をさらわれてしまうだろう。

ケンプは、方針を定めた。敵要塞の駐留艦隊は優勢だが、決して要塞から離れることはない。ケンプが全軍を引く構えを見せれば、追わずに要塞に立てこもるだろう。そこで反転し一気に高速で要塞を通り抜け、数的有利をいかして敵の増援艦隊だけを叩く。帝国艦隊が回廊を同盟領側に通過してしまえば、駐留艦隊も追わざるを得ない。再反転して救援艦隊とともに挟撃しても良し、あるいはそのまま同盟領になだれ込んでも良し。

だが、ケンプの作戦は、同盟軍には通用しなかった。不自然な撤退は、魔術師ヤンとその保護者ユリアンによって、その意図を見破られていたのだ。ヤンの増援艦隊が時間を稼いでケンプ艦隊を引きつけている間に、背後の要塞からメルカッツに率いられた駐留艦隊が出撃、同盟軍は理想的な形でケンプを挟撃したのである。

ケンプは敗れつつある。撤退か、降服か、あるいは全滅か、ぎりぎりの決断を迫られる。そして、ここにいたり、ケンプは帝国軍にとっての要塞の戦略的な意義について、やっと気づく。そうだ、あれがあった。

「まだ最後の手段がある。艦隊戦では敗れたが、まだ完全に敗れたわけではない。ガイエスブルグ要塞をイゼルローン要塞にぶつけてしまうのだ!」




メルカッツのイゼルローン要塞駐留艦隊と、ヤンの増援監督は、ついに合流をはたした。

「メルカッツ提督、お礼のしようもありません」

スクリーン越しにヤンとメルカッツ、そしてユリアンが再会を祝す。だが、戦いはまだ終わってはいなかった。挟撃、包囲されたケンプ艦隊はガイエスブルグ要塞にむけて全面潰走しつつあるものの、かろうじて全滅してはいない。さらに、最大の攻撃力を誇るガイエスブルグ要塞自体は、いまだ健在である。要塞に帰り着いたケンプはついに、ヤンが恐れていた作戦を実行にうつした。だが……。

「気づいたな、……だが、遅かった」

ガイエスブルグ要塞がイゼルローン要塞にむけて動き出したと報告を受けたヤンは、小さな声でつぶやく。オペレータの声には、敵の常識はずれな策に対する恐怖がまじっていたが、ヤンは敵の司令官に同情している。

もう遅い。我が軍には、ピンポイントで任意の場所を破壊する手段がある。

「グリーンヒル大尉、ポプラン少佐に伝えてくれ。直ちに発進、敵要塞の稼働中の通常航行用エンジン、進行方向左端一個だけを破壊しろとね」

ヤンの脳裏に一瞬、ふわふわの金髪にベレー帽をちょこんと乗せた、のんびり屋だがなんでも一生懸命な、小さな小さな少女の顔が浮かぶ。エリザを敵要塞に送り出し、敵に向けて引き金を引かせることを想像すると、ヤンの自己嫌悪がより悪化しながら再発する。

だが、彼は頭をふってそれを吹き飛ばす。ローエングラム公を相手にした時、彼女たちに与えられる任務は、もっと過酷なものになるはずだ。ジョーカーとして使う前に、試しておくべきことは、いくらでもあるのだ。

私は地獄におちるのだろうなぁ。

ヤンのつぶやきを聞き取ることができたのは、フレデリカだけだった。



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ちょっと短い上に、主人公が出ませんでした。

続きは数日中になんとか。

2011.01.09 初出
2011.01.23 日本語をちょっとだけ修正




[22799] 銀パイ伝 その14 要塞
Name: koshi◆1c1e57dc ID:9680a4fa
Date: 2011/01/23 12:46


「グリーンヒル大尉、ポプラン少佐に伝えてくれ。直ちに発進、敵要塞の稼働中の通常航行用エンジン、進行方向左端一個だけを破壊しろとね」

ヤン司令官の命令は、ただちに副官であるフレデリカ・グリーンヒル大尉によりイゼルローン要塞の指令室に伝えられる。同時に、戦闘艇の格納庫で待機しているポプランら3人にも命令がとどき、3機のスーパースパルタニアンは発進のための準備を開始する。

ガイエスブルグ要塞は刻一刻と接近し、一秒ごとにその姿を大きくしている。同盟軍兵士の多くが恐慌状態におちいっているが、それでも一連の命令伝達と発進シークエンスは、軍隊らしく機械的に進行されていく。命令は、迅速にかつ確実に実行されるだろう。だが、その中にあって、司令室のアレック・キャゼルヌ少将は、ひとり苦い顔をしていた。

ヤンの奴、エリザがどんなおもいをして戦っているのか、知っているのか?

ミュラー艦隊のど真ん中を突破したエリザベート達が要塞に帰還したとき、凱旋(?)する小隊を迎えるため格納庫に向かったキャゼルヌが見たものは、小刻みに震えながら涙ぐみ、蒼白な顔をしてポプランに抱きかかえられた小さな少女だった。一時的な精神的ショックに見舞われた彼女は、自分の力ではコックピットから降りることすらできなかったのだ。

検査の結果、肉体的にはなんら問題はないそうだ。敵と直接殺し合うパイロットや陸戦隊員の初陣には、よくあることなのだろう。しかし、あれからまだ数日しかたっていない。そのような状況で、しかもまだ少女といってもよいエリザベートに対して、敵要塞に突入を命じるというのは、いくらなんでも過酷すぎやしないか。もしかしたら、ヤンは兵士を駒としてしか見ていないのではないか?

だが、司令官代理としてのキャゼルヌは、ヤンの命令に異議を唱えることはない。要塞事務監である彼自身、兵士を人ではなく数字としてしか考えないことがある。いや、ただの数字と考えることの方が多い。そうでなければ、常に帝国軍の脅威にさらされる最前線にありながら、一個艦隊の兵站をあずかり、民間人も合わせて数百万人もの人口があるイゼルローン要塞の機能を維持することはできない。その自覚があるからこそ、今や自分の家族である少女だけを特別扱いすることは、彼にはできなかったのだ。

「大丈夫。なに、あと数回出撃すれば、慣れてしまいますよ。エリザも、あなたもね」

そんなキャゼルヌの肩に手を置き、よくわからない慰め方をするのは、シェーンコップ少将である。

自分の娘が人殺しに慣れるのを望む親がどこにいる! ……とは、キャゼルヌは声に出して言えない。自由惑星同盟は、いまや経済活動全般に支障を来すほどの割合の人口を、軍に割かざるを得ない状況だ。軍の高官であるキャゼルヌがそれを言ってしまえば、我が子を戦場に送り出している多くの国民に示しがつかない。

確かに、エリザもじきに慣れてしまうのだろう。慣れてもらわねば困る。

「自分の娘に一刻も早く人殺しに慣れてもらいたいと考える親、か……。そして、俺自身、そのうちエリザを戦場に送り出すことに慣れてしまうんだろうな」

キャゼルヌはひとつため息をつく。そしてつぶやく。

「なあ、……俺たちはみんな、実は狂っているんじゃないか?」

シェーンコップが首をふりながら答える。

「否定はしませんよ。ですが、とりあえず目の前に迫った狂った戦いを、エリザ達に終わらせてもらいましょう。数百年間つづいた狂った時代そのものの終わりに、ほんのすこしでも近づくかもしれません」

敵要塞のエンジンをひとつ破壊するだけなら、イゼルローン要塞の火力で十分だろう。しかし、あのヤンのことだ。わざわざエリザベート達の戦闘艇を突入させるということは、今後の作戦を見据えているに違いない。もしかしたら、本当に戦争を終わらせることに繋がるのかもしれない。

キャゼルヌとシェーンコップは、みるみる大きくなる敵要塞に向け、猛スピードで迫っていく3機の戦闘艇のまぶしいエンジン光をスクリーン上で眺めながら、祈る。

ヤンの作戦が成功し、イゼルローン要塞が危機を脱することを。そしてなにより、エリザベートが無事帰ってくることを。




コックピットのメインモニタには、ガイエスブルグ要塞の銀色に輝く肌が、視界いっぱいに広がっている。敵要塞の防御力は、イゼルローン要塞にも匹敵するほど重厚だ。3機の戦闘艇など脅威とも感じていないだろうが、手が届きそうな距離まで黙って接近させてくれるほどお人好しでもあるまい。そろそろ対空砲が火を吹き始めるはずだ。引き返すなら、今しかない。

「エリザ、大丈夫か?」

ポプランは、エリザベートに問う。彼は、イゼルローン要塞を発進前にも、まったくおなじことを尋ねている。

「大丈夫です! ドクターもカウンセラーの先生も問題ないと言ってたじゃないですか」

小隊長の質問に対して、エリザベートも発進前と同じ内容の返答をかえす。

「少佐、はやくいきましょう! このままでは、イゼルローン要塞にぶつかってしまいます」

「……そうだな」

エリザベートの声は、いつもの彼女と比較して不自然なほど明るい声であるようポプランには感じられるが、それ以上追求することはない。

「いまのところ作戦に変更はない。30秒後、敗走する敵艦隊を追跡中のアッテンボロー艦隊とイゼルローン要塞の砲座が、陽動のため敵要塞への砲撃を開始する。俺たちはその隙に要塞表面にとりつき、通常航行用エンジンの左端一個だけを攻撃、これを破壊する。いいな」

「はい!」

「要塞本体にとりつくのは要塞主砲の逆側。迎撃のワルキューレはあまり残ってはいないだろうが、敵要塞の対空砲火は強力だ。避けるため外壁ぎりぎりを飛ぶぞ」

「はい!!」

「……3、2、1。いくぞ」

カウントダウンが終了すると同時に、前方の宇宙空間から、無数の細くまばゆい光の筋が、敵要塞に向かって雨のように降り注ぐ。敗走するミュラー艦隊を追撃中のアッテンボロー艦隊が、敵要塞に対して陽動の砲撃を開始したのだ。さらに、後方のイゼルローン要塞からも、より太くまぶしい光条が敵要塞に向かって突き刺さる。要塞表面に連続する爆発光、そして反撃のビームの光条が、宇宙を光で覆い尽くす。エリザベート達は、光と閃光が渦巻く荒海の中を、ガイエスブルグ要塞に向けて疾走する。




ミュラーは、全滅の瀬戸際にある艦隊をかろうじて秩序を維持したまま、ひたすら帝国領へ向け敗走をつづけている。ヤンとメルカッツの挟撃により戦力の大部分を失い、さらにイゼルローン要塞の軌道を横断する際、対空放火により壊滅的被害を受けている。ようやくガイエスブルグ要塞の近傍まで逃げ延びた時点で、ミュラーは追跡する反乱軍の艦隊からの砲撃の数が減ったのに気づいた。

「敵は、追跡をやめたのか?」

「いえ、ガイエスブルグ要塞に向けて砲撃をはじめたようです」

一足先にガイエスブルグ要塞に帰り着いたケンプ司令官による要塞そのものを使った破れかぶれの特攻戦術が、功を奏しているというのか。いや、要塞主砲による相打ち狙いならともかく、艦隊からの砲撃程度でガイエスブルグ要塞を止めることなど出来ない。あのヤン・ウェンリーが、無駄なことをするはずがないのだ。ならば、あの魔術師は何を考えている?

なんにしろ、これは反撃のチャンスだ。要塞そのものを爆弾として利用するという、凡庸な軍人では決して思いつかない異常な作戦ではあるが、よく考えてみれば戦略的には極めて有効なことは間違いない。ここにいたって、ミュラーはケンプの戦略眼にはじめて感心した。そして、この状況下における自分の役割を考える。彼がなすべき事は、激突したふたつの要塞が戦闘不能になった後、要塞から脱出した味方を救出し、混乱した敵の残存艦隊を叩くことだ。

「全艦反転。ガイエスブルグ要塞とともに反乱軍につっこむぞ!」

命令を下した瞬間、ミュラーはスクリーンにうつる3つの光点に気づいた。尋常ではない速度で、ガイエスブルグ要塞に向かっている。土砂降りのような対空砲火の火線を、すり抜けるようにすべてをぎりぎりで躱しているそれは、あきらかに人が乗っているものだ。

「あれは……、なんだ?」

「反乱軍の大型戦闘艇のようです。我が艦隊を襲撃したものと同じだと思われます」

自分の旗艦に迫る白い機体を思い出し、ミュラーは反射的に恐怖を感じる。

一方で、同時に用兵家としての好奇心がむくむくとわき上がる自分に気づく。ヤン・ウェンリーは、たかが戦闘艇で、要塞を相手になにをするつもりなのだ?

……もしかしたら、ヤン・ウェンリーは戦闘艇をもちいてガイエスブルグ要塞を撃退する作戦を思いついたのではないか? いや、あの魔術師のことだ。この戦場だけではなく、戦争全体に影響を及ぼすような、戦略的に大きな意味のある戦闘艇の画期的な運用方法を思いついたのではないか? 帝国軍の誰も知らない魔術を、俺は目にすることができるかもしれないぞ。

つい先ほどまで、いかに全滅を避けるかだけを必死に考えていたミュラーの顔色に、用兵家としての生気がもどる。

ヤン・ウェンリー。なにをするつもりかしらないが、魔術師の知略とやらをみせてもらおうか。




ガイエスブルグ要塞……。

コックピットのスクリーン、視界の下方に見えるのは銀色の液体金属。もし大気があれば、衝撃波によりはげしく波打つに違いないほどの低空飛行。さすがにこの高度では亜光速を保つことは出来ず、大幅に減速したとはいえ、外壁と構造物はすさまじい速度で後方に流れていく。そして、まるでエリザベートの帰還を祝福するかのように360度すべての方向から襲いくる、猛烈な対空砲火。

つい数ヶ月前まで、エリザベートはこの中にいた。そして、アンスバッハ准将、乳母、召使い、さらには両親、彼女とブラウンシュバイク家に縁のある者は、みなここでローエングラム公に殺された。

そのこと自体に、とくに感慨はない。彼女は涙が涸れるまで泣きつづけたが、今となっては仕方のないことだと思う。銀河帝国にもローエングラム公にも、特に恨みは感じない。どちらかが悪いわけではない。そうしなければ、彼女の父親がローエングラム公を殺していただろう。

ここにいた頃の彼女はただ、人が死ぬのを止めさせたかった。死んでいく人々を見るのに耐えられなかったのだ。だが、結局のところ帝国の内戦は、ブラウンシュバイク公や門閥貴族、そして膨大な数の兵士や民衆が死ななければ終わらなかった。

ミュラー艦隊を突破してイゼルローン要塞に帰還し、迎えてくれた人々の心配そうな顔を見たとき、そしてあたたかいキャゼルヌ家に帰ったとき、エリザベートは自分がしたことの意味を理解したのだ。この世界では、人が死ぬのを止めるためには、他の人が死ななければならない。平和のためには、血を流すことが必要だ。

エリザベートがミュラー艦隊を撃退したおかげで、彼女の家であり家族であるイゼルローン要塞の人々は守られた。そして今、イゼルローン要塞を守るためにはガイエスブルグ要塞を破壊せねばならない。最終的には、銀河帝国を支配する者を……。エリザベートは、自分の役割を理解してしまった。それで全てが終わり、愛しい人々が守られるのならば、やってやる。

彼女は、すべての感情をシャットダウン、かわりに五感を周辺の空間に開放する。感じるのは敵の意志。目に映るのはコックピット前方のスクリーンにうつる幾何学的な記号のみ。そして、死にゆく人々の嘆き、悲しみ、そして自分に向けられる敵意と憎しみには目をつむる。口をへの字にまげ、ひたすら耐えるのだ。




「すげぇ」

ポプランが口の中だけでつぶやく。

先頭をとぶエリザベートは、凄まじい機動により、猛烈な敵の砲火すべてかわしていく。エリザベートの先読み能力は、先日よりもあきらかにキレている。その操縦は鬼気迫るものだ。セルポプランとコーネフは、彼女が示してくれた安全なコースを、ついて行くのがやっとだ。

地平線の向こうから次々と現れる対空砲座を、ぎりぎりで避ける。あるいは、撃たれる前に主砲で吹き飛ばす。

さらに、要塞近傍の敵残存艦隊からも、3機を追いかけるよう無数のまぶしい火線が要塞表面にむかって伸びる。それを右に左に躱しつつ、敵対空砲座に命中するよう誘導してやる。それだけではない。エリザベートは、隙があれば反撃すらやってのけている。

迎撃のため後方から追跡するワルキューレは、3機のスピードについてこれない。無理についてこようとしても、要塞の対空放火により誤射されるか、あるいは要塞の構造物を避けきれず激突するだけだ。正面からの迎撃を試みる勇気ある敵パイロットは、引き金を引く前に閃光にかわる。

ポプラン、コーネフとの連携も完璧だ。通信など交わさなくても、まるでエリザベートがふたりの意志を読み取っているかのように、3機の主砲が狙う獲物の分配が無言のうちに効率良く定まる。順番に、そして確実に、敵は火球に変わっていく。

「……エリザの奴、いつのまにか開き直ったか」

今のエリザベートは、敵に向けて引き金を引くのを躊躇していない。

「それとも、パイロットとして成長したということか? なんにしろ、同盟軍にとってはめでたいことだが……」

だが、虫も殺せなかったお嬢様が、平気で敵の艦隊や要塞につっこんでいくようになるのを、成長といっていいものか? キャゼルヌ少将は、複雑な心境だろうな。

ポプラン自身はといえば、もともと戦いのない平和な世の中など空想の産物としか考えておらず、戦争状態にある国家の軍人であるならば殺し合うのは当然だと思っている。民間人ならともかく、エリザベートは望んで軍人になったのであるから、戦いに慣れてしまうのは仕方がない。エリザベートのような将来性十分な美少女が、パイロットスーツとヘルメットによってその容姿を隠してしまうのは実にもったいない、という点だけは、大いに悩ましい問題だと認識しているが。

エリザベートのおかげで、猛烈な対空砲火のまっただ中であるにもかかわらず、ポプランの意識に余裕が生まれている。

「それにしても……信じられるか? 俺はいま、悪の帝国の銀色の要塞惑星の外壁ぎりぎりを、猛スピードで飛んでいるだぜ」

ポプランは思わず声に出し、自分自身に語りかける。まるで映画だ。パイロットとしての夢、本懐といってもいいだろう。エリザベートがいなければ、歓喜のあまり歌い出していたかもしれない。

惜しむらくは、俺自身が主役ではないことか……。

そんなポプランを、主役がしかりつける。

「ポプラン少佐、ボーッとしないで! 目標が見えてきましたよ!!」

舌を出しながら肩をすくめるポプランの目に、銀色の地平線の向こうから、要塞の外周にそってリング上に備え付けられた巨大な通常航行用エンジンが見えてくる。コックピットのコンピュータが目標を示す。敵の攻撃はあいかわらず凄まじいが、俺たちが何をするつもりなのかまでは理解していないようだ。

右に左に攻撃を躱しながらも、三機は確実に目標に迫る。あと5秒、3秒、1秒。戦艦そのものよりも遙かに巨大なエンジンが、スローモーションのように目の前に近づく。

先頭のエリザベートがほぼゼロ距離から主砲を発射。戦艦の装甲を一撃で電磁バリアごとぶち抜く威力の主砲でも、エンジンの複合装甲カバーに亀裂を生じさせるのが精一杯だ。だが、間髪を入れずにポプラン、コーネフの機体から主砲が放たれる。主砲を撃ち込んだ3機が目標をギリギリかわし、猛スピードで通り過ぎた直後、エンジンは内部から白い閃光を炸裂させる。そして数秒後、エンジンはついにその機能を停止した。




攻撃を終了、要塞から離脱しつつあるポプランが振り向いたとき、そこにあるのは地獄だった。瞬間的に片側のエンジンひとつだけを破壊され、推力の軸がぶれたガイエスブルグ要塞は、イゼルローン要塞を目前にしてその場に停止、巨体をくねらせて猛烈なスピンをはじめたのだ。

そのまま味方の残存艦隊に突入した要塞は、瞬時に味方艦隊をその巨体の回転に巻き込み、そのほとんどを蹂躙した。さらに、これを勝機と見たイゼルローン要塞が、反撃をおそれることなくトールハンマーを連射、ガイエスブルグ要塞は一方的に破壊されていく。

ついに核融合炉が爆発したのは、トールハンマーを十発ほど撃ち込まれたその時だった。周辺の空域を、圧倒的な光が包み込む。すべてのモニタ、スクリーンにフィルタがかかる。数分後、最後の余光が消え去り、宇宙が闇を取り戻したとき、そこに残っていたのは、かつて要塞や艦隊だった残骸と、数十万人にのぼる帝国兵士の魂と、ほんの僅かな艦隊の生き残りだけであった。




「エリザ! エリザ!! 大丈夫か?」

ポプランが通信機に向かって叫ぶ。引き金を引いたエリザベートは、大丈夫なのか?

「……だっ、大丈夫。私は大丈夫です。大丈夫なんです!」

その瞬間、死んでいった帝国軍兵士の数は、要塞と艦隊を含めて数十万人に及んだ。その全てが、自らの不運を悲しみながら、そして自らを死に追いやった同盟軍をに恨みながら死んでいった。凄まじい憎しみの残留思念は、周囲の空間に渦を巻き、直接引き金を引いたエリザベートの精神の深部に突き刺さる。

エリザベートは、目を閉じ、耳をふさぎ、必死にそれに耐える。体全体を小刻みに振るわせ、涙と鼻水がとまらない。それでも耐える。死んでいった者達の声よりも、彼女には大事なものがあるのだ。

「そっ、それよりも、イゼルローン要塞は? みなさんはご無事ですか?」

「……あ、ああ。みんな無事だ。俺たちの任務は終了した。帰るぞ」

「はい!!」

後に第8次イゼルローン攻防戦と呼ばれる一連の戦闘は、いまだ終わってはいない。だが、敵要塞を破壊しイゼルローン要塞を守るという彼らの仕事は、おわった。戦場の後始末や敵残存艦隊の追跡は、彼らの仕事ではないのだ。



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2011.01.23 初出






[22799] 銀パイ伝 その15 正統政府
Name: koshi◆1c1e57dc ID:9680a4fa
Date: 2011/02/13 16:13
宇宙歴798年 8月

その日、自由惑星同盟最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトにより、全同盟市民にむけてひとつの歴史的な演説がおこなわれた。

銀河帝国皇帝エルウィン・ヨーゼフ2世が自由惑星同盟に対して亡命、さらに同盟政府は亡命政権を承認し、「銀河帝国正統政府」が樹立されたというというのだ。

エルウィン・ヨーゼフ2世は7才の少年である。既に帝国の実権はラインハルト・フォン・ローエングラムに握られており、幼帝の権力は名ばかりのものとなっていることは、同盟市民にも周知のことであった。だが、まさか皇帝自らが同盟に対して亡命し、同盟政府がそれを受け入れてしまうとは、多くの市民にとっては文字通りの寝耳に水であっただろう。

いや、それだけならばまだ、祖国を追われた哀れな幼帝を救うための人道的な措置ということで、理解可能な範疇だったかもしれない。だが、まさか民主主義を国是とする同盟政府が、数百年にわたって戦ってきたはずの専制国家の亡命政権樹立を受け入れてしまうなど、いったいだれが予想し得ただろう。

発表をうけた直後の同盟市民の反応はといえば、ひとことでいえば困惑につきた。自ら選択した政府の決定に対して、あっけにとられたと言っても良い。しかし、時間がたつにつれて人々は我を取り戻し、徐々に議論は盛り上がる。やがて国論は二分され、世論は沸騰した。建国以来もっともはげしい国を挙げた論戦は、皮肉にも、専制国家の君主によってもたらされたのである。



だが、イゼルローン要塞の面々にとっては、皇帝の亡命と臨時政権の樹立それ自体は、驚愕の前座でしかなかった。真の驚愕は、それに付随した正統政府の人事について知らされたとき、もたらされたのだ。

樹立された銀河帝国正統政府の軍務尚書にメルカッツ上級大将が就任するという発表を聞いたヤン・ウェンリーは、耳をうたがった。大抵のことでは驚かないイゼルローン要塞司令部の剛胆な面々も、これには心の底から驚かされた。そしてそれは、メルカッツ本人にとっても驚愕すべきニュースであった。彼は、この件について事前にまったく知らされてはいなかったのだ。

ほんの一瞬の狼狽から立ち直ったメルカッツがまず考えたのは、この驚くべき人事がイゼルローン要塞司令部にあたえる影響である。皇帝の亡命から正統政府樹立までの筋書きには、同盟政府も一枚噛んでいるはずだ。したがって、仮にメルカッツが正統政府への参加を受諾したとしても、現在彼に給料を払っている同盟政府への義理という点では、心配する必要はないだろう。

だが、メルカッツが最も恐れるのは、正統政府の軍事面での責任者を押しつけられることで、ヤンのもとを離れざるを得なくなることであった。イゼルローン要塞の若き司令官は、自分の能力を買ってくれている。バカバカしいとも言える正統政府の樹立にメルカッツがまったく関与していないことも、あたりまえのように理解してくれているようだ。ヤン・ウェンリーを裏切ることは避けたい。たとえ同盟政府や正統政府の意向と異なる行為たとしても、だ。

そのうえなによりも、正統政府とやらに正当性があるとは、メルカッツにはどうしても思えない。今やローエングラム公が握る銀河帝国の覇権を、正統政府が覆すことなど絶対に不可能だ。圧倒的多数をしめる平民達が、いまさらローエングラム公ではなく皇帝陛下を支持することなどあり得ない。しかし……。

しかし、皇帝陛下は正統政府の手の中にある。

メルカッツは、銀河帝国皇帝に対する忠誠心をいまだに捨ててはいない。だからこそ、陛下には政争と戦争の渦中に巻き込まれて欲しくはない。判断力すら具えていない幼い陛下には、権力などにこだわらず、平和に安穏と暮らして欲しい。正統政府の面々は、自分たちのエゴのために陛下を利用としてるだけだ。彼らの手から陛下を守る事ができるのは、メルカッツだけだろう。

はなはだ正当性を欠き、さらに名前だけのむなしい職ではあっても、銀河帝国正統政府の軍務尚書への就任要請は受けざるを得ないであろう。メルカッツは理性とは別の部分で判断していた。




メルカッツは、傍らに立つ少女に視線をあわせる。

エリザベート・フォン・ブラウンシュバイクは、かつて現皇帝エルウィン・ヨーゼフ2世陛下と皇帝の座をあらそった、皇統の血を引く者だ。この少女も、政争の道具として扱われたあげく、門閥貴族連合と共にローエングラム公によって滅ぼされる運命にあった。ぎりぎりのところで、メルカッツが共にイゼルローンに亡命することによって命をすくわれたのだ。いや、この少女の存在と、少女を命をかけて守ったシュナイダー少佐のおかげで、メルカッツ自身が亡命の決意を固めることができたと言った方が正しい。

せめて少女が成人するまでは、彼女を手元に置き、彼女を流れる皇帝の血が呼び込むであろう嵐から彼女の身を守るつもりでいた。だが、エルウィン・ヨーゼフ2世陛下に仕えながら、エリザベートを守ることは不可能だ。今はいち同盟市民として暮らしているエリザベートであるが、正統政府軍務尚書メルカッツとかかわっている限り、ゴールデバウム王朝の亡霊に取り憑かれた連中によって、再び政争に巻き込まれる可能性は否定できない。

「エリザベート」

提督の呼びかけに、少女はビクッと体を震わせる。普段からボーッとしているよう見える彼女も、さすがに一連の事件の報には驚愕しているようだ。そして、なんらかの火の粉が自分の身に降りかかることを、覚悟していたのだろう。緊張がありありとみえる声で応える。

「……はい、提督」

「すでに聞いているだろうが、私は銀河帝国正統政府とやらの軍務尚書に就任するらしい。正式な要請があるまでは、いままで通りヤン提督のもと、司令官顧問という立場を続けさせていただくがな」

メルカッツが一端話を区切る。エリザベートは、微動だにせずに続きをまつ。

「だが、エリザベート。君は正統政府などというくだらないものに付き合う必要はない。ゴールデンバウム朝はすでに滅びたのだ。門閥貴族連合と共にな。エリザベート・フォン・ブラウンシュバイク、……いやエリザベート・キャゼルヌ上等兵、君は従卒の任を解かれることになる」

「はい」

「とはいっても、既に君は実質的にイゼルローン要塞空戦隊の一員だったな。今後のことはヤン提督の指示に従いなさい。これからは、普通の人間として、平凡に生きてゆくのだ。それを見守ってやれないのは残念だが、君には新しい家族と仲間がいる。ひとりぼっちではない。そうだな?」

「はい!」

エリザベートが力強く返事をする。そして、まったく形になっていない下手くそな敬礼をする。メルカッツがお手本のような敬礼をかえす。祖父と孫ほど年の離れた二人は、そのまま数分間にわたって見つめ合っていた。




「……すると、ローエングラム公は、故意に皇帝を逃がしたというわけですか?」

口火を切ったのは、シェーンコップ少将である。

イゼルローン要塞のとある会議室に、メルカッツを除く要塞の幕僚達が自然と集まり、今後の対応について話し合っている。メルカッツが門閥貴族達の愚行に付き合わなければならぬのと同様、彼らは彼ら自身が選んだ同盟政府に付き合わなければならない。

「十分あり得ることだね。そして、彼はこれを大義名分として、同盟領に侵攻してくるだろう」

ヤンが重々しく答える。

今回の亡命騒ぎでいったい誰が得をしたのかを考えれば、おのずと答えはでる。誇り高いローエングラム公としては、幼い皇帝を簡単に殺すわけにもいかず、その扱いに困っていたはずだ。幼帝が表向き自発的に亡命してくれれば、みずから手を汚さずに済む。さらに、同盟政府の対応によっては、一気に同盟領に攻め込む大義名分にもなる。

「しかし、皇帝の身はともかく、同盟と帝国の戦争はすでに数百年間続いています。いまさらローエングラム公に大義名分など必要ないでしょう。しかも、イゼルローン回廊は我々が押さえています。侵攻と言っても難しいのではないですか?」

ムライ参謀長が、あえて常識的な反論を行う。阿吽の呼吸で、ヤンが答えをだす。

「これまでの戦いは皇帝と反乱軍との戦い、ひとことで言ってしまえば、多くの帝国臣民にとってはしょせん他人事だった。しかし、同盟に亡命政権が樹立されたとなれば、状況が変わる。ローエングラム公は帝国の平民に対して呼びかけるだろう。これは平民と門閥貴族残党の戦いだとね。要するに、銀河帝国250億人全てが、我々の敵となってしまったんだ」

ヤンはティーカップをもちあげ、茶色の液体をひとくちだけ口に含む。ブランデーが欲しい。

「そして、イゼルローン回廊を我々が確保していることは、同盟の安全を担保しない。幼い皇帝がどうやって、誰に連れられて同盟に来たのか考えればわかる。彼らはフェザーンと組んだと考えるのが自然だ。帝国軍の大艦隊は、大多数の平民の圧倒的な支持の元、フェザーン回廊を通って同盟領になだれ込むだろう」

亡命政権を承認すること自体は、同盟にとってマイナスの面ばかりではなかったはずだ。外交的に上手く立ち回る時間さえあれば、帝国内に僅かに残るであろう門閥貴族の残党を巻き込み、ふたたび帝国を内乱に持ち込むことも不可能ではないだろう。だが、自主的にしろ力ずくにしろ、フェザーンが帝国と組んだのなら話は別だ。安全な通路を確保したローエングラム公は、そのような時間を与えてくれはしない。銀河を統一するため、同盟領を侵攻することに躊躇しないだろう。

「我々の政府は、自分自身の死刑執行書に自らサインしてしまったのさ」

ため息とともに吐き出されたヤンの言葉により、会議室が沈黙で満たされる。少しでも場の空気をかえようと、キャゼルヌが話題をふる。

「首都では騎士症候群が蔓延しているらしい。暴虐な簒奪者の手から幼い皇帝を守って正義のために戦おう、というわけさ」

シェーンコップが、苦々しい表情でかえす。

「ゴールデンバウム朝の専政権力を復活させるのが、民主主義国家の正義ですか? ばかばかしい。反対論はないのですか?」

「慎重論を唱える者は非人道派よばわりさ。7才のこども、というだけで、おおかたは思考停止してしまう」

深く考えずに、アッテンボローが割り込む。

「これが、14、5才の美少女だったら、熱狂度はもっとあがるでしょうね、……あっ!」

自分で言ってしまったことに気づき、アッテンボローが息を呑む。ヤンが、ティーカップから顔をあげる。

ヤンの言うことが正しいとすれば、亡命してきた不幸な皇帝陛下は既に命運が尽きている。たとえ門閥貴族の残党がいたとしても、正統政府とやらと同じ泥舟に乗ろうとは思わないだろう。今は熱狂している同盟市民にしても、帝国軍がフェザーン回廊を突破した時点で邪魔者扱いするに決まっている。

だが、本来皇帝になっておかしくなかった者がもうひとりいたら? それが、身寄りはすべて殺されてしまったひとりぼっちの不幸な美少女だったら? そのうえ、少女自ら戦闘艇を駆り、憎きローエングラム公の大艦隊と戦っているとしたら? 彼女を守る騎士は帝国軍随一の名提督で、しかも同盟軍が誇る不敗の名将の保護をうけているとしたら?

帝国内に混乱をさそうのに、これほどの適材はおるまい。同盟市民の戦意高揚にもつかえる。仮にハイネセンが陥落し、ヤン艦隊の戦いがゲリラ戦に移行したとしても、各勢力から援助を受けるためのハッタリのネタとして不足はない。

エリザベートの存在を秘密にした理由のひとつは、それを口実にローエングラム公が侵攻することを恐れたことであった。だが、今やその心配は意味がなくなった。彼女の存在を公にしたとしても、いまさらマイナスはないはずだ。

「ちょっとまて! まさかエリザを政治的に利用しようなんて考えてないだろうな?」

キャゼルヌが声を上げる。

「まさか! ……ねえヤン先輩、そんなこと考えてませんよね」

アッテンボローは即座に否定する。そして、肩をすくめながら、ヤンに同意を求める。

「……もちろんさ。エリザはただの同盟市民だからね」

ヤンは静かに答える。それがヤン自身に対して言い聞かせているように聞こえたのは、キャゼルヌだけだったかもしれない。



ラインハルト・フォン・ローエングラムが、自由惑星同盟に対し、武力による懲罰を宣言したのは、その数日後であった。両国の戦争が始まり数百年、ここに初めて、公式な宣戦布告がなされたのである。


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次はロイエンタールと一騎打ち……かな?

2011.02.06 初出
2011.02.13 よりによって主人公の年齢をまちがっていたので、訂正しました。すいません。




[22799] 銀パイ伝 その16 伊達と酔狂
Name: koshi◆1c1e57dc ID:9680a4fa
Date: 2011/03/06 01:08



男は、もともとは帝国軍の装甲擲弾兵だった。

男が所属していたのは銀河帝国の正規軍ではなく、ブラウンシュバイク家の私設軍であった。公爵家がその膨大な資産のほんの一部を投じ領内の治安維持を目的として運用している宇宙艦隊は、帝国の敵である反乱軍こと自由惑星同盟軍との戦闘に動員されることは、基本的にはない。それなりに時間と金をかけて鍛えられた対人格闘戦の能力を発揮する場といえば、せいぜいが宇宙海賊の討伐において敵艦に強制的に乗り込み、悪人共を力ずくで制圧することしかなかった。それでも、給料は平民の仕事としては悪くはない。海賊退治は間違いなく正義の味方であり、さらに上官である貴族達の気分次第であるが、賊からの押収品のおこぼれにあずかることもまれにあり、その限りにおいて男は自分の仕事におおむね満足していたのだ。

だが、数年に一度の頻度で発生する、平民による反乱の鎮圧だけは、男の心を大いに傷つけた。反乱のおこった領内の惑星に降下しての治安維持活動、要するに反乱を起こした平民達を皆殺しにする度に、男は自らの精神に大きな傷をうけた。自らが貧しい平民である彼にとっては、生きるために領主に逆らった食うや食わずの平民達は、自分の家族と同じに見えたのだ。せいぜい軽火器による武装しかない人々に対して完全武装で対峙、重火器を撃ちまくり、あるいはトマホークで彼らの体を肉片に変えるのは、貴族の命令による任務といえども、耐えられるものではない。

それでも装甲擲弾兵をやめなかったのは、そうしなければ家族を養えなかったからだ。男は、ブラウンシュバイク領の中でも辺境、惑星ヴェスターラント出身だった。家族もそこで暮らしている。いや、暮らしていた。もともと豊かな惑星ではないうえに、無能な貴族による統治は全くの無策、そして法外な税を課された住民達はみな、生きるのがやっとのギリギリの生活を強いられていた。彼が私設軍に取り立てられたのは、たまたま体格が良く、そして単に運が良かったからだ。どんなに酷い仕事でも、家族のために続けねばならなかったのだ。

帝都オーディンや帝国の主要惑星、あるいは開明的な貴族の所領に住む者ならば、平民が自分の才覚だけで成功し、下級貴族をも凌ぐ財産をなす機会もあるだろう。軍の幼年学校に入学するという手もある。しかし、辺境においては、さらに銀河系でももっとも保守的な門閥貴族盟主であるブラウンシュバイク家の所領においては、貧しい平民が成り上がるチャンスなどほとんどないのだ。

男は、その日常が死ぬまで永遠に続くかと思っていた。しかし、ある時をさかいに、日常は大きく変化してしまう。リップシュタット戦役が始まったのだ。

男が所属する艦は、門閥貴族の拠点、ガイエスブルグ要塞に配置された。押し寄せるローエングラム元帥の大艦隊。わずかな勝利と度重なる敗戦。末端の兵士からみても合理性のない作戦が実行され、あきらかに理不尽な命令が乱発される。戦局が確実に悪化していくことは、下っ端の兵士達にも感じられた。艦内の雰囲気は次第に悪化、軍としての規律が緩み、兵士と士官、平民と貴族のあいだに軋轢がおこりはじめる。そして敗走に次ぐ敗走。装甲擲弾兵としての彼の役割を果たす機会もないまま、やがて破局が訪れた。

ヴェスターラントの惨劇。

彼の故郷が、彼の家族が生きたまま、彼の領主の手によって、地獄の業火に焼かれてたのだ。ローエングラム元帥により全帝国領にむけ発信されたその映像は、男に、そして他の平民兵士の心の中にわずかに残されていた領主に対する忠誠心を、完膚無きまでにたたきつぶした。平民達の士気は地の底までさがり、門閥貴族軍は一気に崩壊したのだ。

その後の男の人生は、下り坂を転がり落ちるかのように急展開を重ねた。仲間と共に艦内の貴族どもを皆殺しにした直後、乗艦は降服する間もなくローエングラム艦隊により撃沈されてしまった。救命艇で漂流中、男は死を覚悟した。いや、生きていても仕方がない、いっそ死んだほうがよいと思っていた。ぎりぎりのところで、イゼルローン要塞へ亡命する途中のメルカッツ提督の艦に拾われたのは、大神オーディンの気まぐれだろう。



数ヶ月後。

その日、男はイゼルローン要塞の軍用港にいた。銀河帝国正統政府の軍務尚書に就任するメルカッツ上級大将がハイネセンに向けて旅立つのに伴い、彼も正統政府の義勇兵として同行するためだ。

メルカッツ提督は、一度しか面会の機会はなかったが、噂に違わぬ人格者だった。もと帝国貴族であっても、救ってくれたことを感謝こそすれ、恨みは感じない。提督は彼のことなど覚えてもいないかもしれないが、男は、この提督に運命をたくしてみようと思った。生きる目的をほとんど失っていた男は、もう少しだけ生きていてもいいかと思うようになったのだ。



ほんの数ヶ月間過ごしたイゼルローン要塞での生活は、それほど悪いものではなかった。同盟においては、本来ならば亡命者はまず首都に送られ、その後収容所を経てしかるべき扱いをうけるところを、メルカッツの同行者ということで要塞司令部が独自に判断、それなりの待遇であつかってくれたらしい。もちろん常に監視され、数々の不自由はあったが、故郷での生活とくらべれば100倍ましだ。

気になるところといえば、どうもここの連中は、帝国軍と比較して、戦いにすこしばかり真面目さが足りない。伊達に自由と平等をを語り、酔狂で帝国と戦争をしている節がみえる。これであの残虐で強大で苛烈な専制国家、銀河帝国に勝てるとは思えないのだが、ここを去る男にとってそれはどうでも良いことだ。

港は、メルカッツと同行する者、それを見送る者で混み合っている。もっとも大きな人だかりの向こうが、たまたま見えた。警備の人間が取り囲む中、帝国の軍服姿のメルカッツ提督が、見送りに対して敬礼している。視線を横にずらすと、おそらく要塞司令官や幕僚の面々らしきひとびとが、同様に敬礼している。そして……。

軍人ばかりが並ぶ中、輝くような少女の金髪が目を引いたのは、偶然に過ぎない。

まさか。

男の足が立ち止まる。自然とそちらに向く。

亡命の途中、メルカッツの艦が大貴族の少女を救ったとの噂は聞いていた。しかし、メルカッツの元からの部下達のガードは堅く、男には詳しいことが知らされることはなかった。イゼルローン要塞についてからも同様だ。彼は常に監視され、他の亡命者と連絡することすら簡単ではなかった。男は少女の正体について常に気にかけてはいたが、調べることなど不可能だった。

同盟の軍服を着ているが、メルカッツ提督と親しげに話しているあの金髪の少女は……。

いつのまにか駆け足になっている。距離が詰まるにつれ、少女の顔がはっきりと見えてくる。後ろから、大声で叫びながら警備の人間が追いかけてくる。

まさか、本当に……?

さらに人垣をかき分けて進む。司令部の面々を守る警備兵がこちらに気づき、腰のブラスターを抜く。

ブラウンシュバイク公の私設軍にいたとき、領主の家族の顔は何度か見た。ガイエスブルグ要塞では、令嬢の護衛役をやったこともある。あの顔は絶対に忘れない。

向かってくる警備の人間を、素手で叩き伏せる。甘いな反乱軍。自軍要塞内の警備に関しては、帝国軍とは比較にもならない。装甲擲弾兵をなめるなよ。

男は、全速力で走りながら笑っていた。その顔には、狂気が貼り付いている。

……まさか、本当にブラウンシュバイクの娘なのか!




「えっ?」

メルカッツと談笑するヤンを後ろから眺めていたエリザベートの脳髄を、なにかが貫く。それは、とてつもなく激しい怒り、憎しみ、まっすぐ彼女に向かう殺意。そして、すさまじい狂気。

なに? どこから?

エリザは意識を集中する。周囲のざわめきが聞こえなくなる。常軌を逸した狂気が、彼女の中に入り込む。気を抜くと、自分自身も狂ってしまいそうだ。

「どうしたの? エリザおねえちゃん」

隣にたつシャルロット・フィリスが、舌足らずの口調で問いかける。エリザの様子がおかしいことに気づいたのだろう。

「に、逃げなきゃ」

しかし、ひとりだけで逃げるわけにはいかない。周りの大人達はともかく、この狂気の持ち主をシャルロット・フィリスに近づけてはいけない。エリザは、隣の少女の手を引き、走りだそうとした。その瞬間、彼女の目前に、狂気が具現化した。それは、男の肉体をもっていた。

「フロイライン・ブラウンシュバイク?」

周囲から警備兵の怒号と叫び声が渦巻く中、エリザの前にひとりの男が立ちはだかる。すでに威嚇のための銃撃を何発か受け、体中が傷だらけであっても、その顔は笑っている。確かに笑っている。にもかかわらず、エリザには、目がつり上がり、口が耳元までさけた、鬼のような形相に見えた。冷たく冷静な声に反して、あきらかな怒りと殺意がその肉体から溢れ、まわりの空間にしみだしている。

「はっ、はい?」

反射的に返事をしてしまってから、本名を呼ばれたことに気づく。同時に、男の憎しみと殺意が爆発する。この感覚は、以前にも感じたことがある。ヴェスターラントのあの瞬間……。

それは、生物としての本能的な恐怖。

逃げられない。私はここで殺される。

エリザは反射的に一歩さがる。

かまわずに、男が拳をふるう。少女の顔をめがけて、一切の手加減の無い拳が躊躇無く叩き込まれる。

エリザの体は動かない。動かすことが出来ない。彼女は格闘の訓練など受けたこともない。装甲擲弾兵あがりの男が本気で放ったパンチをまともにくらったちいさな体は、文字通りふきとんだ。



多数のブラスターが同時に引き抜かれ、男に対して向けられる。何人もの警備の兵士が、男に飛びかかる。男は、そのうちひとりの突進から身を躱すと、手にしたブラスターを奪い取る。そして、数メートル先にころがった少女に向ける。低出力のブラスター。身内しかいない要塞内の警備とはいえ、こんなマメ鉄砲しか装備していないとはな。

たまたま近くにいた同盟軍兵士が、とっさにエリザに覆い被さる。分艦隊司令官ダスティ・アッテンボロー少将だ。男はかまわず引き金を引く。一発、二発、アッテンボローにブラスターの光条が突き刺さる。だが、おとなの体に隠れた少女までは届かない。

「ちっ」

いかに要塞内の警備陣が呑気者ばかりでも、このままでは目的を達する前に撃ち殺される。男は、自分のすぐ足下に、時間を稼ぐ方法を見いだした。

「シャルロット・フィリス!」

おそらくキャゼルヌ少将が叫ぶのと同時に、男は、標的の少女よりもさらに幼い女の子を抱え上げると、その頭に銃を突きつけた。

「関係ない人間に危害を加えるつもりはない。そこのブラウンシュバイクの娘、まだ生きているんだろう? 立て! こちらに来い」

数十人の屈強な軍人達に取り囲まれ、合わせて数十におよぶ銃口に狙われてもなお、男は笑っていた。



エリザは、殴られた瞬間、なにがおこったかわからなかった。唐突な浮遊感。殴られた頬、地面に叩きつけられた背中、全身を襲う衝撃。激痛はそのあとからきた。

息が吸えない。目が見えない。どちらが上かもわからない。口の中から止めどもなく血が流れつつける。

ぐがっ、うっ、くっ

口からでる音が、自分の声とはおもえない。

直後、大きな影が覆い被さる。そして数発の発砲音。アッテンボローの体越しに伝わる衝撃。

エリザ、大丈夫か?

顔と顔が接する程の近距離で、アッテンボローが優しくつぶやく。その声と全身の激痛が、ようやく彼女を現実世界に引き戻す。徐々に視界が戻りはじめるが、片目が開かない。顔が大きく腫れている。

仰向けに倒れるエリザの視界の端に、真っ赤な血だまりが見える。アッテンボローの血だ。

……なぁに、こんな傷、たいしたことはない。

実際に言語として口から発したのか、あるいは意志だけが伝わったのか、エリザにはとっさに判断がつかない。

「立て! こちらに来い。そこの男はそのまま寝ていろ。動くなよ」

凄まじい殺意をともなった男の声が、遠くから聞こえる。人質になった少女の泣き声と共に。

「おねえちゃん」

シャルロット!

……だめだ、行くな。

アッテンボローがエリザとめる。しかし、エリザは行かなくてはならない。ちょっと動くだけで体中に激痛がはしる。それにかまわずに、仰向けのまま、両肩を左右にずらしながら、ゆっくりと、ゆっくりと、アッテンボローの下から自らの体を抜く。アッテンボローはそれを止めることが出来ない。エリザが立ち上がらねば、シャルロット・フィリスは確実に殺されるだろう。

「たて! こちらにこい」

やっとのこと上半身を起こしたエリザに対して、男は一方的に命令をくだす。エリザは、よろよろと立ち上がる。頭の中ががんがんする。全身が、自分のからだじゃないみたいだ。

ひっ!

シャルロット・フィリスが、エリザの姿をみて息を呑む。髪は乱れ、顔の半分が大きく腫れている。涙、鼻水を垂れ流し、口の端からは自らの血が流れている。さらに軍服はアッテンボローの血で真っ赤にそまっている。

「……シャルロットを、ふぁなして」

口がまわらない。アゴがまともに動かない。

「おまえに命令する権利なんてないんだよ。はやくこちらにこい」

壮絶な姿のままエリザは歩き出す。よろよろと。いっぽづつ。



くそ、ブラウンシュバイクの娘は、命乞いをしないのか。

男は、予想通り行動しないエリザにいらだっていた。反乱軍の連中は、人質を救うために自らの命を捨てるつもりのエリザの姿を見て、どう思うのか? 貴族というものは、もっと腐りきった連中だ。

「俺の故郷では、罪もない平民がどんなに命乞いをしても、貴族はそれを平気で踏みにじっていた。こいつの親もだ。しまいには、俺の家族の頭上に核爆弾をおとしやがった!」

「シャルロット・フィリスを、ふぁなしてください」

「何人死んだとおもっている? お前の一族のために、数百万人が生きたまま焼かれたんだぞ! 貴族ども相手に情けをかけてはいけないんだ。やつらは平民を人間とは思っていない。やられる前にやるしかないんだ」

男は次第に興奮してくる。誰に向けて言葉を発しているのか、自分でもわからなくなっている。だが、叫びはとまらない。やがて絶叫になる。

「同盟の人間は伊達と酔狂で戦争しているようだが、専政政治との戦いとはこーゆーことだ。腐った貴族どもは皆殺しにするべきだ。お前達は甘すぎる。帝国に負けるということは、こいつの父親のような人間に、平民として支配されるということなんだぞ、わかっているのか?」



だが、男の叫びは、エリザには届いていなかった。

彼女は、自分はもう死ぬだろうと予想していた。殴られた傷は致命傷ではないだろうが、あの男は本気で自分を殺そうとしている。死ぬのが恐くないわけがない。死ぬのを納得しているわけでもない。エリザは、親の代わりに罪を背負う気などさらさらない。

しかし、ここでシャルロット・フィリスに何かあれば、エリザはキャゼルヌ家の一員ではいられなくなる。それが本能的にわかる。家族を失ってしまうことは、彼女にとって死ぬよりも辛い。だから、男にむかって、歩を進める。



そして、男の叫びは、ヤン艦隊の幕僚の面々にも届いてはいなかった。

「たしかに同盟軍の兵士は甘い。特に格闘戦に弱すぎる。警備兵を全員薔薇の騎士連隊に入隊させて鍛える必要があるもしれないな」

自らもブラスターをかまえながら、シェーンコップ少将が小声でつぶやく。照準の先の男は、子供相手でも本気で躊躇無く撃つつもりだろう。だから、百戦錬磨の彼と彼の部下達も迂闊に手を出せない。

「そんな事を言っている場合ではないでしょう。確かに警備の連中の銃は、もっと殺傷力のあるものに変えるべきだと思いますが。……奴は、人質をだきあげて、巧妙に急所をかくしてます。奴が人質を撃つ前に一発で即死させるのは難しい。エリザかシャルロット・フィリス、どちらかは救えないかもしれません」

やはりブラスターをかまえる薔薇の騎士連隊隊長カスパー・リンツ大佐が、シェーンコップに答える。

「……同じセリフをキャゼルヌ少将の前で言ってみろ。俺は、キャゼルヌ少将にも、メルカッツ提督にも恨まれたくない。この状況だと、アッテンボローの若造に死んでもらうしかないだろうな」

シェーンコップの提案には、さすがのリンツも同意しない。

「さっ、さすがにそれは……。提督に盾になれというのですか?」

「このままエリザが撃たれたら、奴は一生後悔するだろう。あの銃なら、運が良ければ死ぬことはない。ここはアッテンボロー提督に、伊達と酔狂を実践してもらおうか」

にっこり笑いながら語るシェーンコップに対し、リンツはそれ以上反論できなかった。



よろよろと一歩づつあるくエリザの前には、死んだふりをしているアッテンボローが転がっている。少なくない量の出血が続いており、放っておけば確実に死ぬだろう。だが、まだ生きている。かろうじて意識もある。そんなアッテンボローに、リンツが目と口の動きだけで合図を送る。

(奴が銃口を手元のシャルロット・フィリスに向けているうちは、どうしようもありません。銃口をエリザに向けた瞬間に盾になり、時間をかせいでください)

意図は正確に伝わったはずだ。しかし、数瞬考えたのち、アッテンボローは小さく首をふる。

(……無理だ)

奴は素人じゃない。銃口が動く瞬間を見てからじゃ、間に合わない。

声のない会話に、横からシェーンコップが割り込む。

(男を見るな。エリザの目を見るんだ)



「シャルロットをふぁなしてください、おねがいです」

エリザは、ゆっくりと、一歩一歩すすみつづける。

鬼気迫る少女の姿にも、男はまったく感銘など感じてはいなかった。この距離まで近づけばはずさない。なぶり殺しに出来ないのは残念だが、ここで死ね。

男は、銃口をエリザに向ける。

その瞬間、エリザにはわかった。その距離が彼にとっての必殺の距離なのだろう。エリザがその見えない線を越えた瞬間、男の殺意が歓喜にかわったのだ。

ついにブラウンシュバイクの人間をこの手で殺してやれる。

それが、その思いが、エリザにも伝わる。コックピットの中ならともかく、自分の運動神経で避けられるとは思えない。男の口元がつりあがる。男が手が動くまえに、エリザは自分の運命を悟り、目をつむる。周りには兵士がたくさんいる。自分は撃たれても、シャルロット・フィリスは助かるだろう。



アッテンボローは、エリザの顔だけを見ていた。ととのった顔だったのに、殴られた部分が大きく腫れて歪んでいる。顔中が血で汚れている。吹っ飛ばされ床に顔をすった擦り傷。そして青あざ。口からは血。涙と鼻水とよだれ。それでも、その目は悪人をまっすぐに見ている。

きれいだ。

アッテンボローは、おもわず彼女に見とれていた。

そして、エリザのうごきが一瞬止まり、目をつむる。観念し、安心し、死を受け入れた顔。

その瞬間、アッテンボローは床を蹴って立ち上がる。傷から血が噴き出すが、かまやしない。彼女の盾になるのだ。



男が銃口をシャルロット・フィリスからエリザに向け、引き金を引くまで、コンマ数秒しかなかったはずだ。このまま自分が生き残れるとは思わなかったが、すくなくともブラウンシュバイクの娘は殺せるはずだった。だが、引き金を引いた瞬間、まるでその瞬間を予期していたように、ころがっていた男がたちあがり、標的の小さな体に覆い被さった。

それでもかまわず、男は引き金を引く。一発、二発。三発目を撃つ前に、何十人もの兵士が、男に飛びかかる。腕を折る勢いで銃を取り上げられ、シャルロット・フィリスを引きはがす。



数分後、怪我人は医療施設に搬送され、あたりは静けさを取り戻しつつあった。拘束された男も、警備兵に囲まれ連行されるのを待っている。そこに、アッテンボローが近づく。軍服は血まみれのまま。撃たれた傷は止血のための応急処置だけで、両肩を部下に支えられている。小さな少女をねらった銃撃は、そのほとんどがアッテンボローの足にあたったのだ。

同盟軍においてもっとも若くして提督となった男は、そばかすだらけのどこか幼さを残した容姿に似合わぬ、一種異様な雰囲気をまとっていた。無表情。その顔は一切の感情を隠したまま、ただただ冷たく、そして射るような鋭い視線を、暴行犯に向けていた。普段から人当たりが良く、いつも陽気で、冗談好きとして知られた好青年の面影はない。

アッテンボローの放つ怒気に、男の周りにいた人間がおもわず道をあける。気づいたヤンが駆け寄ろうとするが、そのヤンをシェーンコップがとめる。

アッテンボローは、ゆっくりと男に銃を向ける。男はまっすぐに前をむいたまま、口を開こうとして黙る。

撃て。男が、視線だけでアッテンボローを促す。

かわりに、アッテンボローが口を開く。

「俺たちは今のところ銀河帝国という専制国家と戦っているんだ。個々の貴族と戦っているわけじゃない。平民と貴族の問題は帝国内部の問題だ。君たち帝国市民の責任だ」

いったん言葉を句切り、呼吸をととのえる。その姿は、目の前の男ではなく、自分自身に言い聞かせているようにみえた。

「俺たちは、自由と平等の建前を絶対に守る。だから、エリザを傷つけたお前を、どんなに憎くても、おれは撃たない。そのかわり軍事法廷で合法的に報いをうけてもらうがな。……これが伊達と酔狂だ」

アッテンボローは、銃をおろす。全身から放たれていた怒気が消える。そして、にやりと笑いながら言い放つ。

「相手が帝国軍でもそれ以外でも同じだ。俺たちは正々堂々と、……いや多少は汚いこともするかもしれないが、とにかく後世の人間から後ろ指をさされることのない手段で、自分自身が後悔しない方法で戦いに勝ち、俺たちの自由と平等を守ってみせる。伊達と酔狂を舐めるなよ」



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あまり全体のストーリーに関係のない、番外編のようなお話になってしまいました。

原作では、アッテンボローが「伊達と酔狂」と言い出すのは同盟軍を離脱後だったような気がしますが、それはそれとして。

つぎこそは、ロイエンタールとの一騎打ちです。たぶん。

2011.02.28 初出
2011.03.06 ちょっとだけ追加しました




[22799] 銀パイ伝 その17 神々の黄昏
Name: koshi◆1c1e57dc ID:9680a4fa
Date: 2011/03/08 23:56


宇宙歴798年 9月 銀河帝国 惑星オーディン ローエングラム元帥府


「作戦名はどのようなものになりましょうか?」

最高作戦会議が終了する直前、ナイトハルト・ミュラー大将が、帝国軍元帥ラインハルト・フォン・ローエングラムに尋ねる。

「作戦名は『神々の黄昏(ラグナロック)』」

ラインハルトは、まるで楽器が奏でる音色のような旋律で答えた。それが、自由惑星同盟というひとつの星間国家の歴史に終止符を打つはずの作戦の名である。

ラインハルトによる作戦の基本的な戦略は、既に全ての幹部の間で合意が得られている。先になされた宣戦布告にあわせるかたちで、まずはロイエンタール上級大将を司令官、ルッツおよびレンネンカンプ大将を副司令官とする大艦隊が、侵攻部隊としてイゼルローン回廊を攻める。

だが、これは陽動にすぎない。ヤンが既に看過しているとおり、ラインハルトはイゼルローン回廊を使うつもりはない。彼自ら指揮する本隊は、同盟軍がイゼルローン回廊に注視している隙をついてフェザーン回廊を通過、一気に同盟領に殺到する計画なのだ。

フェザーン回廊を軍事力をもって通過するなど、この戦争が始まって以来数百年間、一度もなされたことがない。ヤン以外の同盟軍人にそれを予想することができなくても、無理はあるまい。そこに、同盟軍全軍をも凌駕する戦力をもつラインハルト本隊が、一気に投入されるのだ。そのうえ、同盟軍最強を誇るヤン・ウェンリーの艦隊は、ロイエンタールによってイゼルローンから動けない。

完璧である。壮大かつ華麗な作戦といえるだろう。ラインハルトの部下はみなそう思い、作戦の成功を確信した。

だが、ほんの数名であるが、主君の作戦に対して疑念をいだく者がいないわけではない。その筆頭は、ラインハルトに作戦名を訪ねたナイトハルト・ミュラー大将、その人である。彼の懸念は、純軍事的なものだった。彼は、あくまで直感でしかないが、この作戦には重大な盲点があることを感じていのだ。

数ヶ月前、ケンプとともにガイエスブルグ要塞を利用してイゼルローン要塞攻略に望んだミュラーは、ヤンによって完膚無きまでに叩きのめされた。ガイエスブルグ要塞は破壊され、駐留艦隊はほぼ全滅。司令官であるケンプは要塞と運命を共にし、ミュラー自身も重傷を負っている。ロイエンタールとミッターマイヤーによる救援がなければ、彼は本作戦に参加することはできなかったであろう。

ミュラーの懸念とは、彼の艦隊を翻弄し、さらにガイエスブルグ要塞にトドメを刺した、反乱軍の大型単座戦闘艇の存在である。ミュラーを恐怖させたあの戦闘艇を、彼以外の帝国軍はそれほど重視していない。

たしかにあの会戦における戦闘艇の戦果は凄まじいものがあった。だが、エースの乗る機体がたまたま戦艦を沈めることは両軍において決して珍しいことではなく、要塞のエンジンの破壊も、それを思いついたヤンの知略は恐るべきものであっても、それを要塞主砲でなく戦闘艇がなしたのは単なる偶然にすぎない……というのが、ミュラーの報告を受けた帝国軍諸将の多くの見解である。

だが、ミュラーには、そうは思えない。あれは、魔術師があえてそうしたにちがいない。彼は、戦場の任意の場所に新型戦闘艇を送り込み、ピンポイントで攻撃するという、まったくあたらしい艦隊戦の方法を思いつき、それを試しているのだ。なんのために? 帝国軍の各艦隊の指揮官を直接的に狙うために。そして、帝国軍の最も重要な人物を直接狙うために、だ。

総戦力に置いて圧倒的な我が帝国軍を相手にして、局所的・戦術的な勝利をもって戦略的な勝利に結びつけるには、それしかない。ヤンは、艦隊戦での勝利などにはこだわらず、ラインハルトの本隊を孤立させ、旗艦に少しでも接近することに、全てをかけるだろう。もしそれが成功したら、たとえ戦力で圧倒し、さらにラインハルトの戦闘の天才をもってしても、あの戦闘艇を防ぐことは困難だ。

しかし、ミュラーは自分の懸念を主君や同僚に主張することはできなかった。さすがに、ヤンにコテンパンにやられた身で、主君の作戦に意見することは憚られたのだ。そのうえ、彼の懸念する内容は、この時代の軍事的常識からはあまりにも解離していた。本当にヤンはそのような作戦を実行するのか? ラインハルトはそれを防ぐことができないのか? ミュラー自身、自分の感じる懸念に、確信がもてない。

だが、もしもの時には……。

ミュラーは自らに誓う。

もしも、ヤン・ウェンリーがブリュンヒルトを捕捉し、ラインハルトを目指してあの戦闘艇が突入してきた場合には、……自分が盾になって止めてやる。ミュラーは改めて決意を固める。それが、彼にとってのはたすべきヤンへ雪辱であり、彼にその機会を与えてくれたラインハルトへの忠誠の証なのだ。



帝国軍に置いてラグナロック作戦に疑念を抱く者は、ミュラーだけではなかった。ラインハルトによる作戦名の宣言の直後、ひとりの提督の声が会議室に響いた。

「はたしてうまくきますかな」

魔術師ヤンと直接対峙する役割を与えられたロイエンタールは、そう思い、実際に口にした。自分に自信がなかったわけではない。あの恐るべき敵、ヤン・ウェンリーが、果たしてラインハルトの思惑通り動くのか。その点が、ロイエンタールには最大の懸念に思えたのだ。

ロイエンタールは、盟友ミッターマイヤーと自分自身を救うため、ラインハルトに救援を求め、忠誠を誓った過去がある。確かに今は、この金髪の若者に自分は及ばない。死ぬまで及ばないかもしれない。だが、いつかは超えるチャンスはあるはずだ。あると信じたい。それを確かめる機会を得たいが、今の段階で主君と直接に事を構えるわけにはいかない。

しかし、もしヤンがラインハルト以上の男であるならば、ロイエンタールはヤンを超えればよいのだ。敵であるヤンならば、堂々と挑むことが出来る。

もしかしたら、ロイエンタールは、ラインハルトの壮大な作戦をも凌駕する魔術を、偉大な敵手ヤン・ウェンリーに期待していたのかもしれない。それに自ら気づいたとき、彼は、自らが主君に対して屈折した想いを抱いていることを、あらためて自覚させられた。同時に、祈らずにはいられなかった。主君が敗者にならぬ事を。そして、主君が自分を失望させない事を。



宇宙歴798年 11月 イゼルローン要塞

ラインハルトの宣言通り、帝国艦隊は同盟に対する軍事的懲罰を名目として、大攻勢を開始した。その第一陣として、ロイエンタールを総司令官とする大艦隊がイゼルローン回廊に突入、ヤン一党が立てこもる要塞を取り囲んだ。

ロイエンタールは噂に違わず良将だ。全軍の囮であるという自らの立場を、しっかりとわきまえている。必要以上に要塞に近づかず、できるだけ派手に、しかし被る損害は少なくなるよう、同盟軍に対して嫌がらせ攻撃を続けてくる。

帝国軍全体を見据えた戦いを考えているヤンは、ロイエンタールの執拗な嫌がらせに閉口するしかない。たとえロイエンタールの意図を見抜いていたとしても、その攻撃は無視し得るものではないし、適度な反撃を行わないわけにはいかない。嫌がらせが目的の攻撃であっても、一瞬でも気を抜いて隙をつくれば、そこを突かれてそのまま要塞そのものを失陥しかねない、それだけの力量をロイエンタールは持っているのだ。



戦いが始まって数日後、ロイエンタール艦隊はいまだに嫌がらせに飽きてはいないようだ。むしろますますエスカレートしているといってもよい。要塞を一気に攻めると見せかけておいて、同盟艦隊が迎撃のために出撃すると一転して後退するのも、その一環だろう。ならばと同盟艦隊が帰還しようとすると、今度は逆に追いかける。ロイエンタールの巧妙な艦隊運動により、同盟軍艦隊は要塞主砲の射程ギリギリの線上で敵味方の艦列が交わる乱戦に持ち込まれてしまった。

「やってくれるじゃないか」

ヤンは、ロイエンタールの洗練された戦術能力に感嘆の声を上げる。だが、このまま消耗戦に持ち込まれるのはいただけない。さて、どうしてものかと思案している時、要塞防御司令官シェーンコップ少将が、ひとつの作戦を具申してきた。

シェーンコップの案は、一種の奇襲であった。そして、その目的とするところだけをみると、戦略的にまったくもって正しい。

ロイエンタール艦隊は全帝国軍の動きの中では陽動に過ぎない。したがって、できるだけ味方を消耗させずに、できれば戦わずして撃退しなければならない。そのためには、敵旗艦を乗っ取るか、司令官ロイエンタール大将を捕虜にすることで、敵全軍を混乱させるのが最もてっとりばやいだろう、というのだ。

しかし、シェーンコップの作戦は、ヤンから見れば決して合格点とはいえないものだった。確かに、シェーンコップの作戦が万が一にも成功すれば、大きな効果が見込めるだろう。一方で、失敗しても損失は薔薇の騎士連隊だけ。しかも、失敗の場合でも、その後ロイエンタールの行動が慎重になれば、乱戦がだらだらと続きいつまでも迎撃に忙殺されるよりは、ヤン艦隊にとって行動の選択肢が増えるかもしれない。

だが、成功率が低すぎる。シェーンコップは、自分が失敗して死ぬことなど髪の毛の先ほどの確率も考えてはいないようだが、これは客観的に見て博打以下、言葉を換えれば自殺でしかない。艦隊戦ばかりで出番が無い薔薇の騎士連隊が見せ場を欲しただけだと言われても、仕方がないだろう。

要するに、目的は正しくても、策としては落第点だ。しかし、ヤンは思い直す。それだからこそ、一流のロイエンタールを嵌めることができるかもしれないぞ。……いや、直接敵の指揮官を狙うという意味では、ヤンの考える帝国軍との戦いの本質をついた作戦といえるかもしれない。ヤンは、シェーンコップの作戦の成功率をあげるべく修正を加えると、すぐに実行の準備を命じた。



両軍の前衛が入り乱れる乱戦の中、ロイエンタールの旗艦トリスタンのブリッジにおいて、スクリーンを操作するオペレータが一瞬目をみはった。敵の戦艦が一隻、あきらかに突出した動きをしめしているのだ。

「敵旗艦ヒューベリオンです!」

まさか?

ロイエンタールは耳を疑う。ヤン・ウェンリーは、智将タイプの男だと聞いている。自ら乱戦の渦中に飛び込み、こちらの本陣をつくような動きをするとは思ってもいなかった。しかし、これはチャンスだ。これまで退屈な嫌がらせ攻撃に徹してきたが、一気に自分の手で戦局を決められるチャンスが巡ってきたのだ。ロイエンタールの脳裏には、決して超えられないと思っていた主君の顔が浮かぶ。勝てるかもしれない。ヤンだけではなく、ラインハルト・フォン・ローエングラムにも。ロイエンタールは、自分の血液の温度があがるのを感じた。

「全艦前進、最大戦速!」

ロイエンタールの檄の元、トリスタンは全艦隊の先頭にたつ勢いで加速、ヒューベリオンに迫る。しかし、ヒューベリオンにはヤンは乗っていなかった。単なる囮である。ロイエンタールは、シェーンコップの策に嵌められたのだ。

もちろんシェーンコップは、ロイエンタールがラインハルトに抱く複雑な感情など知るよしもない。しかし、軍人であるならば心躍るに違いない空前の大遠征において、もっとも手柄とは縁遠い陽動のために別働隊を任された男が、しかも間違いなく野心も才能もある男が、目の前にヤン・ウェンリーという巨大な餌をぶら下げられれば、食い付かないはずがないだろう。シェーンコップはそう思い、ロイエンタールは実際にそう動いた。彼は、自分より若い敵司令官の心理を、完璧に読んで見せたのだ。



あと一歩、あと数秒で、ヤン・ウェンリーが射程距離に入る。ロイエンタールの緊張が極限まで高まった瞬間、それは現れた。

「正面! 敵戦闘艇です!!」

オペレータの絶叫に、ロイエンタールの目は正面のスクリーンに向く。両軍艦隊が入り乱れ、お互いの探知装置への妨害が執拗を極めた空間において、要塞近傍を漂う膨大なデブリの影に隠れていた何かが、たった1機の何かが、一気に加速してトリスタンに迫る。そして、艦首の正面でピタリと相対速度を合わせる。ロイエンタールは見た。白く塗装された不格好な戦闘艇が、巨大な主砲を正面から彼に向けている。戦闘艇のパイロットが指を数ミリ動かすだけで、トリスタンは光にかわるだろう。旗艦そのものが人質に取られたのだ。

やられた!

ロイエンタールは自分の愚かさを呪いながら、口の中でつぶやく。

ミュラーが言っていたのは、……これか。



「いつでも撃てます。指示を」

エリザからの通信に、同じくデブリの陰に隠れた揚陸艦の中、シェーンコップはほくそ笑む。こんなに上手くいくとは思わなかった。

さて、どうするか。自分の立てたプランでは、敵旗艦を突出させた後、いきなり強制的に揚陸艦を接舷し、薔薇の騎士連隊が問答無用で乗り込み旗艦ごと乗っ取るつもりだった。もちろん、突入した連隊員の生還率は高くはない。成功した場合に得られるメリットと比較しても、リスクが高すぎる。ほとんど自殺と言っても良い。それを、あまりにも無茶だと言うことでヤン司令官に修正された結果が、エリザによる強襲だ。

このままエリザに撃たせて、ロイエンタールをあの世に送ってやるだけでも、十分な戦果だろう。損害無しで帝国軍が誇る双璧のひとりを葬ることができるのなら、お釣りが来るくらいだ。

……しかし、それだけでは面白くない。成功率が高い状況で、しかも時間がかからないならという条件づきではあるが、最初のプラン通りのトリスタン乗っ取り作戦の実行も、司令官から許可が下りている。判断するのは、シェーンコップの責任だ。

現在の状況では、敵旗艦は動けない。司令官を失うことを覚悟で、エリザを攻撃することはできまい。しかも、まだ周りの敵艦はロイエンタールを襲った不幸に気づいてはいない。もしトリスタンの乗っ取りが成功すれば、偽の命令で艦隊を撤退させることも可能だろう。なによりも、帝国軍の双璧とうたわれる敵司令官をこの目で見てみたい。ついでに、ちょうど一汗かきたい気分だ。

「エリザ。これから薔薇の騎士連隊が敵旗艦を乗っ取る。そこで応援しててくれないか」

エリザに主砲を突きつけられ動きがとれないトリスタンの艦体に、突然、大きな衝撃が走る。同盟軍の強襲揚陸艦が接舷、薔薇の騎士連隊が艦内に侵入してきたのである。



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2011.03.09 初出




[22799] 銀パイ伝 その18 白兵戦
Name: koshi◆1c1e57dc ID:78879059
Date: 2012/05/30 00:01


「敵兵侵入! 非常警戒態勢をとれ!」

ロイエンタールの目の前には、不格好な同盟軍戦闘艇の巨大な主砲がびたりと彼に照準を合わせ静止している。たった一機の戦闘艇によって、彼の旗艦トリスタンそのものが、同盟軍の人質に取られたのだ。その艦内に、完全武装に身をかためた「薔薇の騎士」連隊の猛者達が躍り込む。

「ゼッフル粒子濃度上昇!」

「雑魚にかまうな! 目標は司令官だ。ブリッジを探せ!」

「薔薇の騎士」連隊長シェーンコップはそう命じ、自らも帝国軍兵士に向け戦斧を振るう。立ちはだかる敵兵をなぎ倒しながら、艦内の通路を疾走する。彼と彼の部下達の通り抜けたあとには、帝国軍兵士の屍がいくつも重なっている。敵戦闘艇の巨大な主砲を突きつけられたトリスタンの艦内は、指揮系統が大混乱に陥っていた。戦意旺盛なシェーンコップとその部下達の進撃を阻める者はいない。



やられた!

ロイエンタールは自分の愚かさを呪いながら、口の中でつぶやく。そして正面の戦闘艇を睨む。

ミュラーが言っていたのは、……これか。

敵の魔術師をこの手で倒したい、そして自らの主君を越えたい、心の底から湧き上がるちんけな誘惑に逆らえず、ひとりで突出したあげくがこのざまか。自らの若さ故の過ちを敵にさらし、それを的確に突かれるなど、誇り高いロイエンタールにはとうてい認められるはずもない。

「閣下! ブリッジは危険です。まずは白兵戦で有利な場所に移動するべきです」

幕僚ベルゲングリューン中将が、ロイエンタールに進言する。この状況にいたっても「逃げるべし」とは彼は決して言わない。反乱軍の姑息な策に敗北しつつあることを認めたくなかったからだ。

心中の動揺を隠せぬまま進言したベルゲングリューンに対し、ロイエンタールはごくわずかに眉をうごかしただけで、少なくとも表面上はいつもどおりの余裕たっぷりの姿勢をくずしはしなかった。怒りと屈辱に煮えくりかえる己の内心をなんとか仮面の下に隠すことに成功したことに安堵しつつ、ロイエンタールは言い放つ。

「うろたえるな! 艦内に叛徒共がいるうちは正面の戦闘艇は撃てない。進入してきた敵から順にかたずければ良い」

言うと同時に、司令官自らがトマホークを手に取る。敵が彼の元に殺到してくるのを待ち構える。だが、敵陸戦隊がブリッジに突入するよりも前に、彼と対面を望む者が居た。



「正面の敵戦闘艇より通信です」

通信士が叫ぶ。いまさら降伏勧告もあるまい。ロイエンタールは敵の意図がみえず、怪訝な顔で再び眉だけを動かす。それを合図に通信が繋がれる。

スクリーンに映ったのは、小柄なパイロットだった。顔はヘルメットで見えない。

「私は自由惑星同盟軍のキャゼルヌ上等兵です。あなたが司令官ですね? 降伏してください。もし反撃したりブリッジから逃げ出したら、……私はこのまま引き金を引きます」

明らかな女性の声。しかも、かなり幼い。

ほお、どうやら敵は俺たちを逃がしてはくれないらしいぞ。

屈辱に拳をふるわせるベルゲングリューンを横目で見ながら、ロイエンタールはおもわず苦笑いをする。

それにしても、……パイロットが女とはな。

先ほどまでロイエンタールの心に吹き荒れていた激しい嵐は、いつの間にか消えてしまった。敵の女性パイロットに感謝すらしている。今のロイエンタールの精神には、まるでカードゲームに興じているかのように、この状況を楽しむ余裕がある。さて、どうやってこの局面を乗り切ってやろうか。



エリザベートによる降伏勧告は、指揮官であるシェーンコップの指示では無い。彼のもともとの作戦では、エリザは主砲の照準をロイエンタールにあわせたまま、突入部隊の戦闘が終了するまで黙って待機しているはずだった。

シェーンコップによる敵司令部制圧が成功すればよし。仮に失敗しても、連隊がトリスタンから撤退すると当時にエリザは引き金を引く手はずになっていた。万が一、シェーンコップが死んだり捕虜になった場合は、とにかく逃げろと厳命してある(エリザがシェーンコップごとトリスタンを撃沈できるとは、思えなかったのだ)。

にもかかわらず、突入部隊の戦闘中にエリザが降伏を勧告したのは、すこしでも「薔薇の騎士」連隊の役に立ちたいという彼女の思いつきである。

帝国艦隊を率いるのが並の将ならば、この時点で完全に詰んでいただろう。だが、ロイエンタールは並の人間ではなかった。彼はこの時代の艦隊指揮官として、その能力も胆力も精神力もずば抜けていた。軍人になったばかりの元箱入りお嬢様が正面から戦うには、相手が悪すぎたのだ。



女パイロットか……。少々興味がわいたな。

現在の戦場は艦内、しかも白兵戦の最中だ。ブリッジの司令官にできることはそう多くない。ロイエンタールには物理的にも精神的にも余裕があった。

ふん、退屈しのぎに付き合ってもらうぞ。

ロイエンタールは、自ら通信モニタの前に立り、敵パイロットと相対する。

「オスカー・フォン・ロイエンタール上級大将だ。キャゼルヌ上等兵、これもなにかの縁だ。ヘルメットをとって顔を見せてはくれないか?」

「あっ、あなたは人質です。要求する権利などありません」

エリザベートの可愛らしい怒声では、もちろんロイエンタールの余裕は崩れることはない。

「それは逆だろう。艦内に突入した君のお仲間の陸戦隊の命は、私が握っているとも言えるぞ」

ロイエンタールは、楽しそうに言い放つ。今のところ、艦内の叛徒と外との通信の妨害に抜かりは無い。戦闘艇のパイロットは、仲間の状況を知らないはずだ。

「えっ?」

敵パイロットの返事は、あきらかに動揺している。

「どうだ? 仲間が心配なら、ヘルメットを脱ぐんだ」

「……わっ、わかりました」

スクリーンに映る敵パイロットが、ヘルメットに手をかける。両腕が震えている。ゆっくりとすこしづつ顔が明らかになる。

豪華な金髪。整った顔立ち。どう見ても10代の少女。さすがのロイエンタールも、まさか年端もいかぬ美少女が戦闘艇パイロットとは想像してはいなかった。おもわず息をのむ。さらに……。

……この少女、見おぼえがある?



艦内通路での戦いは、まだ続いている。司令官を守るべく戦う帝国軍兵士の士気は高い。しかし薔薇の騎士連隊はそれ以上に強かった。もともシェーンコップがヤンに具申した作戦では、連隊のみが突入するはずだった。もしそのまま作戦が実行されていたならば、勝率は良くて五分五分だっただろう。だが、作戦にエリザベートも参加したおかげで、ロイエンタールの司令部が機能しない状況が作られた。今、トリスタン艦内の守備部隊は統制が取れてはいない。組織的な戦いができず、個々の兵士がそれぞればらばらに奮闘している状況だ。薔薇の騎士連隊は、立ちふさがる帝国軍兵士をなぎ倒し、一直線にブリッジに近づきつつあった。

「フルネームを、……いや、本名を教えてくれないか?」

ロイエンタールは、自分でも無意識のうちに少女の名を尋ねていた。答えを得るまでの数秒が、数時間にも感じられる。

「エッ、エリザベート、……キャゼルズ上等兵」

……まさか。本当に?

「フロイライン。……それが、あなたの本名なのか?」

強圧的に問いただす事もできたはずだ。むしろ、門閥貴族の敵であったラインハルトを主君と仰ぐ身としては、そうするべきなのかもしれない。だが、ロイエンタールはそうはしなかった。自分でもなぜかはわからない。

「本名です!! 私は同盟軍の……」




「エリザ! それ以上しゃべるな!!」

シェーンコップがブリッジに突入したのは、その瞬間だった。

「シェーンコップ少将! ご無事だったのですね!!」

エリザベートの歓声に迎えられながら、薔薇の騎士連隊の面々はブリッジの帝国軍兵士におどりかかる。連隊長シェーンコップの目標はただひとり。たった今までスクリーン越しにエリザを問い詰めていた男。黒と金を基調とした豪華な帝国軍制服を粋に着こなす高級士官だ。突然乱入してきた完全武装の同盟軍兵士を見てもまったく平静さを失わない胆力が、シェーンコップの鼻につく。

「ロイエンタール提督? 私はワルター・フォン・シェーンコップだ。死ぬまでの短い間、おぼえておいていただけるかな」

言うが早いか、シェーンコップの戦斧がロイエンタールの頭めがけて凄まじい速度で振り抜かれる。ロイエンタールはその長身を沈め、間一髪で炭素クリスタルの刃を避ける。数本の髪の毛が刈り取られ、ブリッジの中に舞う。

同盟軍少将と帝国軍上級大将の一騎打ちである。軍靴が床を蹴りつけ、刃同士が火花を散らす。お互いが繰り出す苛烈な攻撃と完璧な防御。第三者が近づけない激しい戦いの渦中にあっても、両者ともその表情には余裕があった。

「叛徒め。貴様らはおさない少女を戦わせて平気な恥じしらずと見える」

「ふん。自由惑星同盟の国是は平等だ。悪の帝国と戦うのに男女も年齢も関係ない」

「裏切り者が偉そうな口をきくな。あの娘もおまえに影響されたのか?」

「エリザは三代前から生粋の同盟軍人だ。妙な勘ぐりは止めてもらおう!!」



副官ベルゲングリューンも、司令官や他のブリッジ要員と同様、乱入してきた無礼な叛徒共と戦っている。だが、一騎討ちを楽しんでいるかにも見える司令官とはことなり、彼の顔には焦りの表情が浮かんでいた。

相手が強襲揚陸艦の陸戦隊だけなら、おそらくブリッジに届く前に撃退できただろう。あるいはあの戦闘艇だけなら、最悪でも旗艦を撃沈されるだけで済んだだろう。しかし、いまトリスタンのブリッジは、敵陸戦隊により制圧されつつある。たとえロイエンタールが一対一の勝負で勝ったとしても、戦況を覆すことはできまい。司令官を含めた艦隊司令部は全員捕虜か皆殺し。そして司令部を乗っ取られた艦隊全体が危機に……。

もちろんロイエンタールもそれは理解している。さらに、一騎討ちの戦いも、陸戦の専門家であるシェーンコップに徐々に押されつつある。だが、それでもなお、ロイエンタールには余裕があった。

これでいったい何度目なのか。頬をかすめるほどの凄まじい斬撃を間一髪でかろうじてかわし、ロイエンタールは数メートルの間合いを一気に後ろに飛ぶ。そして、反撃に移るかと思わせた瞬間、スクリーン越しにエリザベートを見た。

「フロイライン。その下品な主砲を向こうにむけてくれないか? 私は君の愛する同盟軍兵士達とともに自爆する用意があるのだが、君はそれを看過できないだろう?」

あくまでも紳士的に、そして憎らしいほどの余裕を見せながら、ロイエンタールは悠々と言い放つ。

「エリザ、はったりだ! 騙されるな!!」

間髪をいれず、シェーンコップが怒鳴る。だが、ロイエンタールの脅しは、エリザベートに対して驚くべき効果があった。

「やっ、やめてください!」

エリザベートの絶叫がスクリーンから聞こえる。ロイエンタールは、対峙するシェーンコップに視線を移す。口元が笑っている。

「お嬢様には効果があったようだな。貴様らの身を案じているのだ。けなげではないか」

「くそ、銀河帝国が誇る双璧の片割れともあろう者が、ずいぶんと汚い手をつかうじゃないか?」

だが、ロイエンタールはシェーンコップの挑発にはのらない。唇の端をつり上げながら、ふいに、トマホークで斬りかかる。それをシェーンコップが受け止める。息がかかるほどの距離。他の者には聞こえない言葉の応酬。

「さて、ひとつ提案がある。この状況だ、勝ちを譲れとまでは言わん。どうだ? お嬢様に免じて、ここは引き分けとしないか?」

シェーンコップが目を見開く。

「なにを寝ぼけたことを?」

「ここで俺が自爆すれば、彼女の戦闘艇もただではすまないぞ。それはおまえも望みはしまい。計算高いヤン・ウェンリーはなおさらにな」

ロイエンタールが笑っている。シェーンコップは理解した。奴は俺を、そしてヤン・ウェンリーを嘲笑しているのだ。けなげな少女を政治的な道具として使おうとしている卑怯者として。

数秒の沈黙の後、シェーンコップは絞り出すように言葉を吐きだした。先ほどまでの半ばおどけた口調とは明らかに異なる、まったく彼らしくない真面目で落ち着いた口調で。

「……それはヤン・ウェンリーだけではなく、エリザに対する侮辱だな。彼女は志願して、自分の意思でヤン・ウェンリーの元で戦っているのだ」

ロイエンタールは、目の前の亡命者の顔をあらためて見つめる。シェーンコップはその続きをくちには出さないが、何を言いたいのか理解できた。

”そもそも、政治的に利用するつもりならば、初めから前線になどだしはしない”

「ふっ、……はっはっはっは。そうか、そのとおりだな。どうやら邪推が過ぎたようだ。それでこそヤン・ウェンリーだ。やはり、ここは引き分けにしてくれないか。頼む」

「貴様、何を考えている」

「卿こそ邪推するな。単に女子供を巻き込んでの自爆など、みっともない事をしたくないだけだ。かといって卿に負けるわけにもいかん。それだけだ」



ブリッジの制圧まであと一歩だった敵陸戦隊は、トリスタンの異常に気づいた僚艦が接近してきた途端、潮が引くように鮮やかに撤退していった。敵戦闘艇も、激烈な対空砲火を華麗にかわしつつ悠々とイゼルローンに帰投していった。ロイエンタールは艦隊に後退を命じ、回廊は静けさを取り戻す。

戦闘の後始末で騒がしいブリッジの後方、ベルゲングリューンが上官に問いかける。

「よろしかったのですか?」

「なにがだ?」

「本隊への報告はいかがなさいますか?」

「事実を報告すれば良い。俺がヤン・ウェンリーの魔術にひっかかり、間抜けにもあぶなく死にかけた。だが、少々汚い手をつかって切り抜けたとだけな。ほかにあるか?」

「……いえ。ありません」



一方、イゼルローン要塞においても、シェーンコップがヤンに顛末を報告していた。

「すいません。エリザを巻き込んだあげく、とどめを刺せませんでした。あと一歩だったんですがね」

「まあいいさ。帝国軍の双璧を相手にしても、やれる目処がついた。僕らの相手はあくまでローエングラム公だからね。ここで勝ちすぎると、かえって警戒されてしまう可能もある」

ロイエンタールを倒せなかったことに対して、ヤンはそれほどこだわってはいない。確かに彼は超一流の恐るべき敵ではあるが、仮にここで倒しても別の一流の提督が新たな艦隊とともに送られてくるだけだ。ここで欲張っても仕方が無い。

「ところで、……エリザとロイエンタール提督とは面識があったんじゃないのかい?」

ヤンは、エリザベートが生きていることを帝国に知られるのを心配しているのだ。彼女のために。

「まぁ、心配することもないと思いますよ」

おそらくロイエンタールはエリザのことを彼の主君には報告しないだろう。シェーンコップはそう確信している。

「……君がそう言うのなら、問題ないだろう。ご苦労だったね」



宇宙歴798年12月。イゼルローン要塞攻略に失敗したロイエンタール艦隊は、銀河帝国軍司令部に対して増援を要請した。それに応える形で、ついにラインハルト艦隊本隊が動き出す。イゼルローン回廊ではなく、フェザーン回廊に向かって。



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がんばって完結させるぞ!!

2012.05.30 初出




[22799] 銀パイ伝 その19 それがどうした!
Name: koshi◆1c1e57dc ID:78879059
Date: 2012/11/25 15:10
 
 
「ダスティ、あなたそろそろ、誰かいいひとはいないの?」

ああ、これは夢だ。

自由惑星同盟軍イゼルローン要塞駐留艦隊分艦隊司令官ダスティ・アッテンボロー少将は、自分がいま病院のベットの中であることを思い出す。

これは、数年前の記憶だ。たまたま休暇で帰省したとき、お袋にいわれた言葉だ。俺は夢の中で、母との会話を思い出しているのだ。

「うるさいな。仕事が忙しくて、そんなこと考える暇が無いんだよ」

忙しいというのは決して嘘では無かった。祖国の命運をかけた大戦争は、激しさを増すばかりだ。同盟軍軍人として数千隻単位の艦隊を預かる立場であるダスティ・アッテンボローは、仮に銀河系に住まうすべての人類を多忙な順に並べれば、上位数%に入るのは間違いない。

「一生懸命仕事をして出世するのいいけど、世間体ってものもあるでしょ」

母は、命を賭けて祖国を守る息子を誇らしく思いつつも、一方で息子が浮き世離れした軍人バカなのではないかと心配しているのだ。息子が同年代の一般的な兵士と比較して異常な速さで出世を重ねているという点を除けば、当時の自由惑星同盟のどこでも見られるような、ごくありふれた軍人とその母の会話だっただろう。しかし、このような母親のお節介というものは、いつの時代でも疎ましいものと決まっている。

「ダスティは理想が高すぎるのよ。だから、なかなか理想の人が見つからないのかもね」

「艦隊や要塞にも若い女性兵士はいるんでしょ? 身近にいいひとはいないの?」

「そうよ。要塞にもひとりくらい、好みの娘はいるはずよ。忙しいのはわかるけど、さっさと決めちゃいなさい。そろそろ国のことよりも自分の幸せを追求しなきゃだめよ」

弟とタイミングをあわせて実家に帰省してきた3人の姉までもが、母親といっしょになってダスティに詰め寄る。久しぶりに会う弟を肴に、女子学生のような恋愛談義に花が咲く。彼女達も、ちょっと生意気でやんちゃで、しかし軍の中でも出世頭の自慢の弟が可愛くて仕方が無いのだ。

「あんた、いい年してまだ『伊達と酔狂』とか言ってるの? そんなこと言ってるから恋愛できないのよ」

「ガキね。『伊達と酔狂』って格好良く聞こえるけど、要するに理屈を放棄して格好だけつけるってことよね。あんた軍人にもジャーナリストにも向いてないわ」

「この人のためにこそ『伊達と酔狂』を貫きたい! と思えるような娘を探せばいいのよ。どうせ理屈じゃないんだから、自分の直感を信じなさい!!」

姉たちの弟に対する愛情表現は、実にストレートだ。彼女達は、息子を心配しつつも息子の職業を尊重しようと努力している母とは、まったくちがう。表面上は真面目な弟をからかっているようにみせながらも、他の何よりも彼の身を案じていることは隠しようが無い。

「俺はいま最前線で戦っているんだよ。だから、そんな事を考える余裕がないの」

ダスティにできるのは、これが精一杯の返答だ。さすがに、心配してくれる母や姉に向かって、『自分はいつ死ぬかわからないから』などと言ってしまうほど親不孝な息子ではないつもりだ。だが、それでも母は食い下がるのをやめなかった。

「最前線でも、あなたの同期や先輩だって、ちゃんと結婚して家庭を築いている人もいるじゃないの」

母にそう言われて、反射的に何人かの同僚の顔を思い浮かべてみる。……おそらく母は、キャゼルヌ先輩一家のことを言っているのだろう。だが、イゼルローン要塞司令部の幕僚の中でまともな家庭を築いているのは、キャゼルヌ少将のほかは少数派だ。それどころか、某要塞防御指揮官や某空戦隊長などは、世の一般的な母親からみれば息子には決してまねして欲しくないタイプの人間だろう。いや、それ以上に、もっとも問題があるのは……。

そこに思い至ったダスティがおそるおそる母親の顔をのぞき見てみると、彼女も案の定「しまった」という表情をしている。母は、言ってしまってから、息子がもっとも敬愛している上官であり士官学校の先輩である人物の事を思い出したのだ。アッテンボロー一家は、同盟軍の誇る不敗の魔術師ことヤン・ウェンリー大将と面識がある。そして、ヤン提督が市民として、軍人として、尊敬すべき人間だと知っている。しかし、ダスティの母親からみて、ヤンには重大な欠点があった。あの女気のなさ、朴念仁ぶりだけは、決して息子には見習って欲しくはない。

親子は顔を見合わし、そろって苦笑する。

ゴホン!

母はひとつ咳払いをして、口元を引き締める。

「ヤンさんの事はいいわ。と・に・か・く、次に帰ってくるときには、誰かいいひとをつれてくるのよ。いいわね!」
 
 
 

ダスティ・アッテンボローが夢から目を覚ましたのは、母親の顔がアップになった瞬間だった。

……なんて夢だ。

いい年した成人男性が見る夢として、これほど最悪のものは他にないだろう。あまりの夢見のわるさに、アッテンボローは頭を抱える。今がいつなのか、自分がどこに居るのか、いったいなぜ包帯をぐるぐる巻かれて寝ているのか、思い出すまで幾ばくかの時間がかかったのも無理もない。

そうだ。俺は帝国軍の捕虜に撃たれたんだ。エリザを守ろうとして……。

撃たれた傷は、両足にあわせて4発。小口径低出力のブラスターとはいえ、そのすべてが動脈をはずれたのは運が良かったとしかいいようがない。とはいえ、手術はそれなりに大がかりなものになり、完治するまで三ヶ月以上を要すると宣告されている。

すでに入院してから二ヶ月以上が過ぎた。あんな夢を見てしまうのも、退屈で退屈でたまらない毎日が続いるおかげにちがいない。今日も、鎮痛剤のおかげでうたた寝をしているうちに、一日が終わろうとしている。

司令官はともかく、同僚はみなニヤニヤしながら口をそろえて「名誉の負傷だ、休暇のつもりでゆっくり休め」と言う。しかし、労災のため病院で怠惰な日々を強いられることを有給休暇扱いというのも、考えてみれば酷い話だ。

アッテンボローの入院中も、イゼルローン要塞に対するロイエンタール提督の嫌がらせは相変わらず続いている。その執拗さ、勤勉さ、職務に対する忠実さは、敵ながら敬意に値するだろう。一方、我が身を振り返ってみれば、ただ寝ているばかり。

負傷箇所の大部分が足であったため、ベットの上でデスクワークは多少こなしていても、命をかけて戦っている他の兵士達に申し訳ないという気持ちは、やはりある。あの不良中年が単身敵旗艦に乗り込み、帝国軍の双璧と一騎討ちを演じたと聞けば、うらやましくもある。

ためいきをひとつつき、上半身をおこす。ベットの横に、小さな人影をみとめる。

……今日も来てたのか。

哨戒任務の後なのだろうか。お見舞い用の椅子にこしかけたまま、うつむき居眠りしている少女。同盟軍の制服のベレー帽から豪華な金髪がのぞく、ちいさなちいさな少女。

毎日こなくてもいいと何度も言ったのに。

エリザベートは、アッテンボローが入院して以来、戦闘がある日をのぞいて毎日のようにお見舞いに来ている。

アッテンボローの病室は個室である。同盟軍の病院の規則においては、基本的に、男性の上官と女性の部下が個室でふたりきりになることは禁じられている。エリザがここにいられるのは、アッテンボローの負傷に責任を感じているエリザの強い要望に押し切られた、キャゼルヌ少将の特別なはからいゆえだ。なんだかんだいってもキャゼルヌがアッテンボローを信用している証でもある。

こっくりこっくり、少女の頭がゆっくりと船をこいでいる。ベレー帽がずり落ちそうだ。

この娘の性格から言って、責任を感じるなと言っても無理だろう。しかし、重傷とはいえ命に関わる負傷でもないのに、毎日お見舞いに来る必要はないのになぁ。

コクッ

一瞬、少女の頭が前に垂れかかる。ベレー帽がずれる。それを支えようと、アッテンボローの腕が自然にうごく。が、わずかに間に合わない。ベレー帽が床に落ちる。空振りしたアッテンボローの手の平が、エリザの頭に直接触れる。第三者から見れば、「いい子いい子」と頭を撫でているかのような姿勢。

だが、それでも少女は目をさまさない。静かな寝息。安心しきった無防備な寝顔。口元から、……よだれ?

エリザの頭に手を乗せたまま、アッテンボローの頬が緩む。

そんなに疲れているのか? やれやれ。我が同盟軍は、いつからこんな少女までこき使う、非人道的な軍隊に成り下がってしまったんだ? ポプランの奴に、……いや、ヤン先輩に、俺は文句を言ってやるぞ。

アッテンボローはもうひとつため息をつく。そして、あらためて少女の顔をみつめる。重なるように、二ヶ月ほど前の凄惨な光景がよみがえる。

装甲擲弾兵あがりの捕虜に力任せにぶん殴られ、文字通り吹き飛ばされた小さな身体。傷だらけの肢体。苦痛に歪む血だらけの顔。

少女の顔を見つめたまま、アッテンボローは小さく安堵の息をつく。もう傷跡はまったく残っていない。肩の力が抜ける。

ああ……、この娘を守りきれてよかった。

気を抜いた瞬間。まぶたの裏に母の姿がうかんだのは、ちょうどそのタイミングだった。

『あなたそろそろ、誰かいいひとはいないの?』

アッテンボローは息をのむ。よりによってこのタイミングでこの台詞を思い出してしまう自分の神経に驚く。いったいなぜ、このタイミングなのか。なぜこの台詞なのか。なんてタイミングででてくるのだ、おふくろ!!

大きく首をふり、呼吸を整える。アクションがオーバーになるのは、もちろん心の片隅にやましい想いがあることを自覚しているからだ。

だめだ! 耳を貸すな! これは悪魔のささやきだ!

……だが。

アッテンボローの脳裏には、あの光景が強烈に刻み込まれている。今でも油断するたびに、その光景がありありと目に浮かぶ。まさに今、目の前の少女の姿が、記憶の中のそれに重なっている。

突如あらわれた暴漢に力任せにぶん殴られ、一度は吹き飛ばされたされた少女。しかしその数分後、少女は再び立ち上がった。人質となった妹を救うため、全身ぼろぼろになってなお、少女は銃を構える暴漢に立ち向かったのだ。

武装し、さらに人質をかかえた帝国軍装甲擲弾兵に対し、単身で相対する少女。おぼつかない足取り。乱れた髪。殴られた跡。青あざ、擦り傷、血によごれた顔。大きく腫れあがり、歪んだ頬。折れた歯。流血。よだれと鼻水と涙。それでもなお、銃を構えたテロリストに臆すること無く、正面からまっすぐと、まるで射るようなまなざし。

その姿に、アッテンボローはおもわず見とれてしまった。美しいと思ってしまった。あの瞬間「この娘を守りたい」と心の底から思ってしまった。だから、自然に身体が動いたのだ。彼女の盾になるために。

神々しいまでに美しかった少女の姿を反芻するアッテンボローの耳元で、悪魔たちがふたたびささやきはじめる。今度は姉たちだ。かしましい魔女達の顔が順番に目の前に浮かび、声を合わせてダスティに詰め寄る。

『ダスティは理想が高すぎなのよ』『身近にいいひとはいないの?』『要塞にも好みの娘はいるはずよ。さっさと決めちゃいなさい』

まてまてまてまて! やめろ!! だまれ!!!

アッテンボローは、何度も何度もおおきく首をふる。年齢なりにほどほど積み重ねてきた恋愛経験の記憶が、今この瞬間の自分の感情の高ぶりに対して激しい警報を発している。

俺の感情は、いま非常にヤバイ領域に迷い込みつつある。あと一歩で、人間としてとりかえしのつかないところに踏み込んでしまう瀬戸際だ。俺は、退屈な入院生活でおかしくなってしまったか?

ひとつ……、ふたつ……、みっつ……。深呼吸をして、頭を冷やす。




ダスティ・アッテンボローは、独身主義者を気取ってはいても、別に女が嫌いという訳では無い。一生独身でいる覚悟を決めているわけでも無い。事実、学生時代から数えれば、これまで付き合った女性の数は片手では足りない程度にはなる。なんといっても、彼は自由惑星同盟軍の歴史において史上最も若く閣下と呼ばれる身になった超エリート軍人だ。むこうから言い寄ってくる女性も決して少なくはなく、それをすべて無視できるほど彼は聖人君子でもなかった。

だが、アッテンボローは自由でいたかった。自分でもガキっぽいと自覚しているが、精神的に縛られるのがイヤだった。一度なにかに縛られてしまったら、自分はいったいどうなってしまうのか、それを知るのが怖かった。彼は、彼が生まれ育った祖国が内部から徐々に、そして確実に腐敗しつつある事実を、身をもって知ることができる立場にあった。もし、彼にとって祖国よりも大事なものができてしまったら、これまでのように命を賭けて祖国のために戦える自信がなかったのだ。

俺は、好きな女ができてしまっても、『伊達と酔狂』を貫くことができるのか?

そう! だ・か・ら、俺はいまだに独身なのだ。

うむ。実に合理的だ。アッテンボローは、自分自身の心理分析の結果に満足して、ひとつ頷く。そうだ、俺は冷静だ。自分の感情と心理をコントロールできるだけの理性がある。

伊達と酔狂を貫くため、俺はいま女とつきあうわけにはいかないのだ。
 
 
 

むりやり冷静さを取り戻したかにみえるダスティだが、姉の顔をした魔女達はまだ諦める気はないらしい。

『あんた、いい年してまだ『伊達と酔狂』とか言ってるの? 』『『伊達と酔狂』って格好良く聞こえるけど、要するに理屈を放棄して格好つけるってことよね』

アッテンボロー本人だって自覚しているのだ。『伊達と酔狂』などというものは、一言でいってしまえば照れ隠しの言い訳なのだと。

世間一般ではまだ若造と言われる年月しか生きていない俺だが、人間の行動原理について学んだ教訓がないわけじゃない。人は、少なくとも俺は、主義や思想のために行動するわけではない。主義や思想を体現した者のために行動するのだ。例えば、俺が戦うのは民主主義のためではない。民主主義を体現した者、要するにヤン先輩のために戦っている。理屈では無いのだ。しかし、いい年をした男が、こんなことを面と向かって他人に言えるはずが無い。自覚するだけでも照れくさい。だから俺は自分に言い訳しているのだ。『伊達と酔狂』のために戦っているのだと。
 
 
 

わずかにひるんだアッテンボローに対して、魔女がとどめの一撃をくりだす。

『この人のためにこそ『伊達と酔狂』を貫きたい! と思えるような娘を探せばいいのよ。どうせ理屈じゃないんだから、自分の直感を信じなさい!!』

たとえば、いま目の前にいる……。

言うな!!!

アッテンボローは全身全霊をもって否定する。それが姉の言葉だったのか、それとも自分の深層心理からしみ出してきた思いなのかはわからない。だが、彼は否定しなければならない。いま最も問題にすべきは、自分の気持ちなどではないのだ。もっともっともっとはるかに大きな問題がある!

おそるおそるもう一度、アッテンボローは視線をむける。あまりにも若すぎる、いや幼すぎる目の前の少女の寝顔に。

……せめて、あと5年、いや3年。それまでは、ダメだ。絶対にダメだ。
 
 
 

ピク!

アッテンボローの手のひらの下、金髪が小さく動く。

やばい。目を覚ましたか。このままの体勢じゃ、絶対誤解されてしまう!

しかし、アッテンボローは動かない。動けない。彼が反応する前にすでに、少女の目は見開かれていた。状況が理解できないのか、それとも顔の距離が近すぎることに驚いているのか、目を見開き、口が半開きのまま固まっている。澄んだ瞳がアッテンボローを見つめている。たった数十センチ、息がかかるほどの距離から、心の中までのぞき込むようなまっすぐな視線。

それは比喩ではない。アッテンボローは本能的にわかった。俺の心の中は、いま覗かれている。そして、俺はそれを許してしまっている。エリザの顔は、あっという間にトマトのように紅くなる。頭の上から、蒸気が吹き上がっている。

いったい何秒間見つめ合っていたのか。永遠にも続くかと思われた沈黙を破ったのは、いつのまにか入室してきた第三者だった。

おほん!!

おそるおそる咳払いの主に視線をむけたアッテンボローは、おもわず声をあげてしまった。

「キャ、キャゼルヌ夫人!」

病室の入り口に仁王立ちしている三つの影。ふたりの娘の手を引くキャゼルヌ夫人だ。アッテンボローのお見舞い用だろう、シャルロット・フィリスは大きな花束をかかえている。

キャゼルヌ夫人は、エリザが実の母以上に慕っている女性だ。そして、イゼルローン要塞を実質的に取り仕切るアレックス・キャゼルヌ少将だけではなく、要塞司令官であるヤン・ウェンリー大将ですら逆らえない女性だ。もちろんアッテンボローも、家族ぐるみで公私ともに世話になっている彼女には、決して頭があがらない。

そんなミセス・オルタンス・キャゼルヌが、ニッコリと微笑みながら、固まったままのふたりをみつめている。

「エリザを迎えにくるついでに親子でお見舞いに参りましたのよ。お元気そうでなによりですわ、アッテンボロー少将」

自分の手がいまだにエリザの頭に乗せられている事にこの時点でやっと気づいたアッテンボローは、腕をすばやく引き戻す。そのまま上半身を硬直させ、敬礼の姿勢をとる。そうする以外、どうすればよいのか思いつかなかったのだ。

「あっ、そっ、それはどうも。おかげでもうすっかり完治しましたよ、はっはっは」

「それはよかったですね。ところで、……ダスティ・アッテンボロー少将!」

一瞬前まで穏やかだったキャゼルヌ夫人の声が、突如ドスのきいたものにかわる。

「はっ!」

アッテンボローは反射的に背筋をのばす。上半身だけ、気をつけの姿勢をとる。背筋を冷たい汗がつたう。口の中が乾く。

「私は軍の規則には詳しくありませんが、同盟軍においてセクハラ行為を行った者は軍法会議のうえ懲役3年、そのうえで降格が普通だと聞きました。ちがいますか?」

「はっ、はい。その通りであります!」

「それだけではありません。我が自由惑星同盟の刑法では、16才以下の未成年に対する淫行は犯罪です。暴行罪もあわせて刑事告発されれば懲役20年は間違いないでしょう。わかっていますね!」

「はっ、はひ!!」

士官学校で教官から説教されている時でも、これほど背筋をぴんと伸ばしたことはなかった。そのうえ、返事の声が裏返っている。

「ならばよろしい。……エリザ、今日は帰りますよ」

「はっ、はい」

アッテンボローの隣でやはり身体を硬直させていた小さな肢体が、飛び跳ねるように立ち上がる。そして、床に落ちていたベレー帽をひろおうと手を伸ばした瞬間、その顔をアッテンボローに向けた。ふたたびふたりの間の時が止まる。

なっ、何か、言わなければ。

アッテンボローは、脳細胞をフル稼働させる。しかし、強大な帝国軍艦隊を相手に過激な挑発を繰り返し、あるいは同盟政府首脳や軍最上層部にすら痛烈な皮肉を吐き出すことを躊躇わない彼の毒舌は、この瞬間まったく機能していない。大人として、上官として、男として、言いたいことは沢山あるはずなのに、言葉にならない。ただ、見つめ合う時間だけが過ぎていく。

それは当人にとっては永遠にも思える時間であったが、しかし客観的にはほんの数瞬であった。いまだ表情が固まったままのアッテンボローに向かって、エリザはニッコリと微笑む。100点満点、まぶしいほどの笑顔。あっけにとられる同盟軍少将をその場に残し、少女は振り返り母の元に駆け去って行く。

満足そうな表情のキャゼルヌ夫人と3人の娘が去って行った後、アッテンボローは身体の力が抜け、ベットの中でへなへなと横になってしまった。

こんなに緊張したのは、人生においてはじめての経験だ。帝国の大艦隊に包囲されていても、ここまで冷や汗をかいたことなどない。なんといっても、もっとも得意とする戦術、必殺の『逃げるふり』ができなかったのだ。

退院、復帰したら、彼女の機体はアッテンボローの指揮下に配備されることになるのだろう。

「あー、どんな顔をして命令すればいいんだ、俺は」

アッテンボローは、ベットの上で頭を抱えてのたうち回る。

 
 
 
 
 
だが、彼の苦悩は杞憂となった。

次の日も、エリザはいつもの通りにお見舞いに来たのだ。キャゼルヌ夫人や妹とともに病室のドアの前にあらわれた彼女を見て、アッテンボローは目を丸くする。彼は困惑し、狼狽する。突然の事に、いったい何を話せばいいのかわからない。

しかし、彼女は、若き提督の狼狽など気にするそぶりすらみせなかった。幼い妹達はアッテンボロー相手にはしゃぎ、夫人は週刊誌を読む合間に世間話をする。その間、エリザはアッテンボローの横でボーッと時間を過ごすだけだ。そして、たった30分間ほどそうして過ごした後、彼女達は満足げな顔をして帰って行ったのだ。

翌日もその翌日も、そんな温く心地よい日々がつづく。そしてある日、キャゼルヌ夫人がさりげなくアッテンボローに告げる。

「ハイネセンに帰ったら、私たち家族を、少将のご実家に招待していただけるかしら?」

ハイネセン? 次にハイネセンに行くのは、……ローエングラム公の艦隊をおびき出すためにイゼルローン要塞を放棄する時、だろうな。ヤン提督なら、かならずそうするはずだ。しかも、それはそう遠い未来のことじゃない。

同時に、アッテンボローの胸中に、またもやお袋の顔がうかぶ。

『次に帰ってくるときには、誰かいいひとをつれてくるのよ!』

……降参だ。わかったよ。

誰も居ない空中に向かってつぶやく。

予想される障害は多い。無数にあるといってもいい。しかし、こんな時のため、俺にはとっておきの座右の銘がある。

「それがどうした!」

こうして、ダスティ・アッテンボロー提督の長い休暇は終わったのだ。


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年の差的にはケスラーさんよりはましということで。

書いてる最中はノリノリだったのですが、読み返してみるといまいち、というかぜんぜん銀英伝っぽくないですね。番外編ということで勘弁してください。

残りはそんなに長くない予定なので、がんばって完結するぞ! ヤザンナ様とどちらが先かは神のみぞ知る。


2012.11.25 初出
 



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