二人の時間 鐘編 士郎は、息詰まるような雰囲気の中にいた。ここは新都にあるマンションの一室。そう、氷室家だ。鐘はデートではなく、自室に士郎を招いたのだ。二人で話がしたいと。ただそれだけが鐘の希望だったのだ。
士郎はそれに何の不安も感じずに了承した。故に今、彼は鐘と共にいるのだから。しかし、士郎が想像したような雰囲気ではなかったのだ。家に招かれ、鐘の自室へ入った途端、空気感が一変したのだ。
「……さて、では士郎……いいだろうか」
「あ、ああ……」
鐘の視線を受け止め、士郎は違和感を隠せなかった。普段から鐘はやや鋭い雰囲気を出す時はある。しかし、今はそれよりも厳しい視線を士郎へ向けていた。それを受け、士郎は戸惑いを禁じえない。
何故鐘が自分にそんな視線を向けるのかが理解出来なかったのだ。何か自分が怒らせる事をしたのかとも思ったのだが、心当たりはない。だが、鐘のそれは絶対に怒りを感じているものだ。
「まず聞きたいのは、一体君は何を隠している?」
「隠しているって……」
「分からないとでも思っているのか? ここ最近の君は妙に気持ちが安定している。まるで、何かを考えまいとしているように」
鐘の指摘に士郎は反論出来ない。誤魔化そうとも一瞬だが考えた。だが、鐘の目はそれを許さないと告げている。そう、鐘は気付いているのだ。桜やイリヤと二人で時間を過ごした士郎が、少しずつではあるが顔つきが変化してきた事に。
それだけではない。由紀香や楓からも話を聞き、その変化は間違いないと確信したのだ。その裏に何か重大な事があるとも。故に鐘は許せなかった。それを自分達に隠している桜やイリヤ達の事が。それだけではない。
(士郎……私は君を愛していると言った。それに君も同じ気持ちだと返してくれた。それにも関らず、私に隠し事をするのか? 間桐嬢やイリヤさん達には知られても、私達には言えないとでも言うのか?)
薄々だが、鐘は士郎の隠し事の内容を絞り込んでいた。おそらく魔術絡み。しかも、かなり良くない方法のものだと。そこまで悟り、鐘はどうして凛達が自分達へ詳しい説明をしないのかを理解はした。だが、納得は出来ない。
だから、鐘は士郎自身の口から聞こうと思ったのだ。他でもない愛する男の口から。その想いを込めた視線を鐘は士郎へ注ぐ。それに士郎はやや気圧されるものの、何かを決意したのか表情を引き締め、鐘の視線を受け止め返す。
「まずは謝らせてくれ。ごめん、氷室。俺……確かに隠してた事がある」
「謝罪はいいんだ。隠しているのは、魔術絡みか?」
「……いや、そうじゃないと……思う」
「思う?」
士郎の返答に鐘は自然にそう問い返していた。まるで自分でも何を隠しているのか、完全に理解していないと言うような士郎の発言。それに鐘は心底不思議に感じた。これが冗談や誤魔化しであれば鐘は烈火の如く怒っただろう。
しかし、士郎の声は紛れもなく真剣みを帯びていたし、何よりこの状況で嘘や冗談の類を言うような相手ではないと鐘は知っている。故に、鐘は士郎を見つめ待った。士郎が語る言葉。それを聞き逃さないようにと。
士郎は、ゆっくりと桜やイリヤから言われた事を思い出しながら話し出す。何故か自分は二年以上先の未来を想像する事が出来ない事。絶対に希望を捨てないで欲しいと言われた事。それらを話し、士郎は鐘に告げた。
「俺、何となくだが思った事があるんだ。これが意味する事を」
「……士郎、それはいい。それは……言わないでくれ」
鐘はその答えを拒否した。聞いてはいけないと直感で判断した。言わせてもいけないのだとも思った。そうだ。決して言わせてならない。自分が●●●しまうかもしれないなどは。鐘はその脳裏に浮かんだ嫌な発想を振り払うように頭を振った。
そして、鐘は気持ちを切り替え、もう一つの事を聞く事にした。それは、先程の事とは正反対の雰囲気の質問。いや、正確には質問ではなく要望とでも言うべきだろう。
「……コホン。では、もう一つ聞きたい事があるのだが……」
「何だ? 何でも聞いてくれ。俺に教えられる事なら何でも答えるぞ」
先程の雰囲気を引き摺るような士郎の声に、鐘はやや苦笑する。しかし、それもまた士郎らしいと思い直して問いかけた。
「私が両親に君を紹介したいと言ったら、どうする?」
「それは……ん? 両親に紹介って……」
「私は知っての通り長女でな。生憎兄弟もおらん。なので、議員をしている父は、最近然るべき相手と婚姻を、と言っているのだ」
鐘はどこか不敵に笑い、士郎を見た。視線の先では、士郎がそれが意味する事を察して見事にうろたえている。両親に紹介する。しかも鐘は、父親から将来然るべき相手との結婚をと言われていた。であれば、鐘が自分に望んでいるのはその説得。
しかも、跡継ぎ問題まで絡んでくるとなれば、これはもう士郎からすれば聖杯戦争以上の戦いだ。味方はいなく、敵は強大。援軍の見込みはなく、下手をすれば敵の増援がありえるかもしれないのだから。
そんな事を考える士郎を見つめ、鐘はどこか嬉しそうだった。それもそのはず。士郎がここまで悩むという事は、それだけ自分の事を考えてくれている事の裏返しなのだから。考えなしならあっさりと任せろとでも言うのだろう。鐘の父親が、どれだけ鐘の事を考えているかも思い馳せる事もしないで。
逆に、ここで考えずに断ればそれはそれで分かり易い。なので、士郎の反応は実に鐘にとって嬉しいものだった。父親の鐘に対する心配。それと同じぐらい鐘の思いを汲み取り、両者が納得出来るようにどうすれば出来るのか。それを士郎は必死に考えているのだから。
(まぁ、士郎は婿になると言う選択肢は選べんしな……)
凛も同じ事を考え、挫折したのだ。それは、士郎が衛宮家を継ぐからではない。士郎が選んだ進路にある。調理師の免許を取り、店を経営する。それを知り、凛は諦めたのだ。魔術師でも魔術使いでもない道。
魔術を使いながらも、普段は美味しい料理を作り、誰かを笑顔にしたい。そんな正義のヒーローの道を選んだ士郎。それに凛は呆れながらも納得したのだ。士郎らしいと。鐘もそうだった。桜は将来その店を手伝う事を明言していて、由紀香も店員になろうと考えている。楓は家業を継ぐか否かで迷っているし、凛は完全遠坂の家を継ぐ。
イリヤはもう、このままアインツベルンを終わらせるつもりらしく、ドイツには帰らないと断言しているし、セイバー達は言うまでもなく士郎と共に歩むつもりだ。そして、鐘は……
「……悩むのは分かるが、出来れば早めに返事を聞かせて欲しい。両親も色々と忙しいのでな」
「分かってる……でもなぁ……」
「ふふっ、まあいいさ。……君の出す答え次第で、私も道を決めよう」
士郎に聞こえぬように、鐘は小さくそう呟いた。将来、自分がどうしたいか。またはどうなりたいかを鐘は決めかねている。それは思いつかないのではなく、思いついているからこそ決めかねていた。
候補は二つ。一つは父の跡を継ぎ、議員として政界に進出するために、今のままの大学へ進学する事。もう一つは、士郎を支えるべく、経営や人間心理を学ぶために大学を変更する事だ。
金勘定には、士郎も桜も普段の買い物などで強いが、経営や客心理となると少し勝手が違うだろうと鐘は予想していた。だから、もし士郎が自分を必要とするのなら、鐘は士郎を補佐する道を行こうと考えていた。
凛が魔術の方面で支えるのなら、自分は日常の方面で支える。それも、暮らしではなく士郎の夢を。そう思って、鐘はちゃんと自分の将来と向かい合おうと思ったのだ。まず、両親。特に父親の期待に真摯に答えなければと。それには士郎の存在が必要だった。鐘の心の支えとして。
「……なぁ、氷室」
「ん?」
そんな事を考えていた時だった。士郎が突然鐘に視線を向けて声を掛けたのだ。それに鐘は何か違和感を感じたが、反応を返す。
「その……親父さんの跡継ぎってさ」
「ふむ」
どこか照れるような表情。それを感じ取り、鐘は益々違和感を覚える。何も照れるような要素はないと思ったのだ。別に結婚する事で説得になるとは鐘は考えていないのだから。しかし、士郎の表情から察するにそれに近い事を考えているのではと、鐘は考えた。
「……俺達の子供とかは無理、かな?」
「ふむ。それはそれ…………何?」
士郎の告げた意見に頷き、思考を巡らせようとした鐘。だが、その内容をもう一度思い返してはたと気付く。今、士郎は何と言ったのかと。
「……士郎、今君は何と言った?」
「あ~……俺と氷室の子供じゃ無理かなって」
その言葉に鐘は顔を真っ赤にした。確かにそういう行為自体は何度かしたが、それはきちんと避妊をしてきた。鐘とて女。好きな男の子が欲しいと思った事はある。しかし、幾ら何でも突然そんな事を言われては動揺するというものだ。それに、子供の歩く道をある種自分達が決めてしまうのもどうかと思い、鐘は士郎を見た。
士郎もどうも本気でそう考えている訳ではないようだが、可能性の一つとして考えてはいるのか、それに窺うような視線を返す。鐘はそれに少し意外そうな印象を受ける。士郎ならば、そういう事を嫌うはずと思ったからだ。
「意外だな」
「ん?」
「士郎はそういう事を否定するかと思った」
鐘の言葉に士郎は苦笑した。それに鐘がやや疑問を感じて見つめていると、士郎はこう告げた。決めるのは、どうしたって結局子供本人になるから、親の言った事など関係ないと。それを聞き、鐘は笑った。つまり士郎は、鐘の父親へ生まれてくる子供に跡を継がせればいいと言って説得し、結論は本人に決めさせると言いのけたのだ。
それは、詐欺にも近い説得。だが、士郎の言う通りなのだ。要は、鐘の父親が理解を示すか、納得するようにしなければならないのだから。そう考えれば、士郎の発想は実に有効性が高い。納得出来る部分もありながら、結局判断は本人に委ねる事が出来る。
「それにさ。いざって時は俺達がちゃんと守ってやればいいだろ?」
「……そうだな。しかし、意外と喰えない部分もあったのだな、見直したよ」
鐘の少しからかうような声に、士郎は若干戸惑うものの、凛やイリヤの相手をしていれば嫌でもそうなると返した。それに鐘がニヤリと笑みを浮かべたのを見て、士郎は慌てた。それを本人達に言われたのなら、きっとまたにこやかな笑顔で酷い目に遭わされると感じ取ったのだ。
しかし、鐘はそんな士郎の心の動きを読んでいたのか、少し考える素振りを見せて告げた。二人きりの時だけ、自分の事も名前で呼んで欲しいと。そうすればこの事を黙っていてもいい。そう言われ、士郎はどこか拍子抜けした感さえあったが、お安い御用とばかりに頷いて言った。
「……鐘」
「っ……中々恥ずかしいものがあるな、これは」
「……実は俺も」
そう士郎が言うと、鐘はおかしいとばかりに笑い出す。士郎もそんな鐘の笑い声に応じるように笑い出した。室内に響く二人の笑い声。それがしばらく続き、どちらともなく笑うのを止める。そして、互いの顔を見合わせて柔らかな表情を浮かべた。
「……士郎」
「ん」
「約束してくれないだろうか? 絶対に私達を置いて……いかないと」
鐘が何に対して置いていくのを危惧しているのかが、士郎には分からない。だが、鐘の優しげではあるが力強い笑みを、士郎は曇らせたくなかった。故に頷く。安心させるように。誓うように。
決して置いて行きはしないと。それが何かを指しているのかを士郎が知る時、この日々の原因が判明するのだ。しかし、それを鐘も士郎も知らない。凛やイリヤさえ理解している訳ではないのだから。
―――分かった。絶対に鐘達を置いて行ったりしない。
その言葉に鐘は満足そうに頷き、微笑みを返す。その美しさに士郎は一瞬言葉を忘れる。そんな士郎の表情に鐘は少し疑問を抱くものの、何かを理解したのか、嬉しそうな視線を向ける。
―――何だ? 見惚れたのか?
―――ああ。鐘があんまりにも綺麗に笑うからさ。
そんなやり取りをし、二人はそのまま緩やかに時間を過ごす。とはいえ、ずっと話し続けた訳ではない。ある事実を鐘が告げた事が、会話の終わりを招いたのだから。
「今日から、その……両親がな、旅行に行っていてだな。私一人では……ほら物騒だろう? 士郎さえ良ければ……」
その恥じらいが見え隠れする鐘の様子に、士郎が愛しさを感じて暴走しかけたのは言うまでもない。こうして、二人は夕食の買い物へと外へと出て行く。そして、士郎はそのまま氷室家で朝を迎える事になるのだった……
女丈夫と乙女心「……この格好、おかしくないかな?」
もうこれで何度目になるか分からない呟きを綾子はした。普段は身に着けないミニスカート。露出が多いそれを見て、綾子はそんな事を何度となくしていた。現在彼女がいるのは、新都のバス停。
ここが待ち合わせの場所だからだ。相手は、あの柳洞一成である。デートだと思う者もいるだろう。だが、これはそんな色めいた話ではない。その原因は、とある恋人達のせいなのだから。
レオとラニが夏休みを利用し、二人でレオの実家へ遊びに行ったのだが、その際土産を全員へ買ってきたのだ。それだけならばいい。感謝の言葉と軽い思い出話で終わるだけだったろう。しかし、相手はあのレオとラニである。その土産のチョイスが庶民離れしていたのだ。
それを見越し、士郎と凛に桜は、前もって言っていたので菓子類だった。それも、かなり値が張る代物だったようだが、凛が遠慮などするはずもなく、ごく自然に受け取り、士郎と桜が若干気後れしているのを呆れてみたぐらいだ。
楓、由紀香、鐘はそれぞれ可愛らしい小物。ラニへ頼んでいたので、少々エキゾチックな雰囲気を漂わせるものだったが、三人は喜んで受け取った。問題は、何も注文していなかった綾子と一成だった。そう、一成へはレオが、綾子にはラニがそれぞれ選んでくれたのだ。
―――恐ろしく高価な物を。
(まさか指輪なんて……ねぇ。普通想像しないって)
ラニは綾子が一成を好きなのを覚えていて、いずれ必要になると思い婚約指輪を買ってきたのだ。となれば、レオが一成に同じ物を送らぬはずがない。かくして、一成と綾子は揃いの指輪を受け取り、途方に暮れたのだ。
ま、綾子はともかく、一成はそれが婚約指輪とは気付かなかったのだが。しかし、高価な物を貰ってそのままで済ませる一成ではない。よって、同じ値段は無理でも、何かお返しをと相成った。当然、同じ物を貰った綾子に声を掛けないはずはなく、今日の約束へと繋がるのだ。
「……これって、デート……な訳ないか」
苦笑。自分がそう思っても相手がそう取るはずはない。そう思い、綾子は小さくため息。そこへ近付く一人の男がいた。彼は、綾子の姿を確認するとやや申し訳なさそうな表情を浮かべ、声を掛けた。
「すまんな、美綴。少し遅くなったか」
「へ? ……あ、い、いやそんな事ないよ。あたしが早く来ただけ」
一成の謝罪に綾子はそう返した。実際、待ち合わせの時刻にはまだなっていない。だが、一成は綾子が待っていた事に対して詫びた。時間など関係ない。人を待たせてしまった事自体、彼にとっては謝罪するに値するのだから。しかも、相手が女性ならば尚の事。
そんな一成の態度に綾子は内心苦笑しつつ、好ましいと思っていた。堅物だが、頑固ではない。真面目だが、洒落の分からぬ男ではない。大人なのだ、一成は。目指す相手が葛木と兄である零観というある意味で対照的な男なのもそれに一役買っているかもしれないが。
ともあれ、二人は連れ立って歩き出す。一成は、どうにもレオの好みが分からないので、同じような物を返す事にした。それを聞いて綾子はやや考えて、それが一番いいかもしれないと告げた。自分達へ二人が送った意味合い。それは、レオとラニにこそ相応しいと思ったからだ。
綾子が、二人が結婚を前提に付き合っているのだから、自分達と同じように安くても揃いの指輪が一番お返しとしてはいいのではないかと言うと、一成もそれに成程と頷き、決定と相成った。
「では、どこに行けばいいのだろうか」
「う~ん……宝石店かな? 安いにしろ高いにしろまずは相場を知らないとね」
「ふむ……ならば宝石店に行くとしよう」
そう言って歩き出す一成。その横を並んで歩く綾子。二人は出せる金額の上限を話し合いながら、新都の街を歩いて行くのだった……
ショーケースに並べられた数々の宝石や宝飾品。それらを見て、二人は唖然。どう見ても、レオとラニが買った物はそこに並んでいる物よりも高いと思われる。そう、綾子が似たデザインの物を見つけたのだが、それも中々の値段がしたのだ。
しかも、二人が貰った物は宝石などははめ込まれていないものの、輝きがどこか違う。そう感じた一成は、比較対象として送られた指輪を持ってきていたので、それを店員に見せたところ、驚きの答えが返ってきた。
「……こちらはプラチナですね」
「プラチナ……白金ですか?」
「ええ。それもかなり良い物を使っているようです」
店員の答えにやや一成の表情にも困惑の色が浮かぶ。それを聞いていた綾子は、プラチナとの言葉に心底項垂れた。
(学生の買い物じゃないだろ、レオ。ったく、あんたって奴は……)
やはりお坊ちゃまは違うと思い、綾子は大きくため息。一成はその後も少し店員と会話し、何か聞きだすと礼を述べて綾子の方へ視線を向けた。
「美綴、こちらの予算で買える物で、これに近いデザインの物があるそうだ。どうする?」
「……なら、それにしよっか。きっと、こういうのって値段じゃないと思うし」
「うむ、要はどれだけ気持ちを込めるかと言う事だな。……では、それを」
「かしこまりました」
一成の言葉に頭を下げ、店員は一度その場を離れた。綾子はそれを見送り、視線を周囲のショーケースへと向けた。自分とて女だ。あまり着飾る事はしないが、宝石類が嫌いと言う訳ではない。憧れとて、人並みにはあるつもりだ。
故に、少し将来の事を夢見て宝飾品を見たくなってもおかしくない。煌びやかな世界は自分には相応しくないと思いつつも、綾子は一成に買い物を任せ、店内を軽く見て回った。初めて見るような値段の数々に、やや苦笑しながらも見るだけならただと言わんばかりに、綾子は次々と視線を移していく。
店内の半分程を見たぐらいで、綾子は呼びかけられた。視線を動かすと一成がいた。その手には、指輪が入っているのだろう紙袋がある。
「待たせたな」
「いや、退屈はしなかったよ。滅多に見るような世界じゃないからね」
綾子はそう言って苦笑する。一成はその言葉に同じような感想を抱いたのか、一度だけ頷いて呟いた。
―――何とも言えん場所だ。出来る事ならば、もう来る事がないと良いのだが……
それに綾子は笑った。実に一成らしいと思ったからだ。そんな綾子に一成は少しだけ気分を害したのか、やや顔をしかめて歩き出す。それに綾子が笑いながらも機嫌を取ろうと謝るが、一成はそれに益々機嫌を悪くしていく。
そんなやり取りを眺め、店員は小さく笑う。何となくだが、それがいつまでも続いていく関係に見えたのだ。それに、つい先程指輪を手渡した際に言った事に対する反応も、それに輪をかけていたのもある。
―――婚約指輪ですか?
―――ええ。まだ学生の身分ではあるのですが、将来を真剣に考えているもので。
当然、一成はレオとラニの事を告げている。しかし、どこからどう聞いても、それは自分達の事を言っているようにしか聞こえない。故に、店員は思った。若いのに、しっかりしたものだと。
そんな風に誤解されているとは露知らず、二人は店を後にするのだった……
「さて、どうするか」
「どうするも何も帰るんじゃないの?」
「いや、久しぶりに新都まで来たのだ。用事を済ませて終わりではな。多少なりの息抜きぐらいは良かろう」
綾子の疑問に一成はやや気まずそうに答えた。学校では厳格な生徒会長としている手前、いかな休みとはいえ繁華街を歩き回る事には抵抗でもあるのだろう。しかし、それに綾子は笑って頷いた。確かに一成の住む柳洞寺から新都まではかなりの距離がある。
なら、たまに来た時ぐらい遊んでも罰は当たらないだろうと思った。だから、綾子は一成にこう告げる事にした。
「なら、あたしが取っておきのストレス解消を教えてやるよ」
「……法に触れる事ではなかろうな?」
「慎二じゃあるまいし、そんな事しないよ。ゲーセンって分かる?」
「……何をする所だ?」
綾子の言った『ゲーセン』の意味が分からず、一成はそう若干訝しむように声を返した。それに綾子は苦笑。そう、それは彼女の親友である凛とまったく同じ反応だったのだから。
「何がおかしい?」
「いや、こっちの事。ま、ついてきなよ。行けば分かるさ」
綾子はそう言って嬉しそうに歩き出す。一成もそれについて歩き出すのだが、しきりに綾子へゲーセンとは何かを確認していた。それを軽くあしらうように答えながら、綾子は楽しそうに笑う。期せずしてデートの様相を呈してきたからだ。
そんな綾子の心の動きに気付くはずもなく、一成はただ、自分の知らない事がまだ世の中には沢山ある事を痛感し、もっと勉強しなければならないと呟く。そんなこんなで、二人は新都のゲーセン―――ゲームセンターに到着した。初めて見る完全なデジタルワールドに、一成は戸惑いを感じるものの、綾子が気後れする事無く進んでいくので、否応なくその後を追う事になる。
そして、綾子はパンチングマシーンの前で止まり、一成の方へ振り向いた。これが一番のストレス解消になると言って。そして、見本とばかりに綾子が百円を投入し、備え付けのグローブをつけて勢いよく拳を繰り出す。その動きを見て、一成が何か納得したといった反応を見せる。
そして、綾子からグローブを渡され、一成も機械相手に構えて拳を放つ。その衝撃に軽く機械が震動したのを見て、綾子は絶句。威力を表示する画面には、測定不能と出たからだ。
「……宗一郎兄達ならば、もっと無駄な力を入れずに出来るのだろうが……」
「りゅ、柳洞って意外と力があるんだね……」
結果に目もくれず、そう反省する一成へ綾子はやや呆れるように声を掛ける。その後、二人がやったのはもぐら叩き。これは中々いい鍛錬になると一成が言うと、綾子はそんな感覚でやってはないと苦笑を返す。
互いのハイスコアを競った後は、二人で協力して再挑戦。互いの分担を決め、実に良い感じでスコアを稼ぎ、終わってみれば、機械にあったハイスコアを更新していた。それに綾子が満足そうに頷くと、一成も達成感を感じたのか同じように頷いた。
「これは中々楽しめるな」
「だろ? いや、あたし結構好きでよく来るんだけど、あまり付き合ってくれる奴がいなくてさ。遠坂は機械オンチだし、衛宮はそもそも付き合い悪いだろ? 間桐は……ねぇ」
「うむ、確かに彼女はこういう雰囲気は合わん。衛宮に関しては……認めざるをえんが、遠坂に関しては、言う事は何もない」
「ま、とにかくさ、一人よりも誰かいてくれた方が楽しいって事が言いたい訳さ」
そう綾子が嬉しそうに告げると、それを聞いて一成は理解出来ると頷いて、やや考えてからこう言った。
―――ならば、暇さえ合えば俺が付き合おう。
その言葉に綾子は一瞬思考が止まった。そして、一成の言った事を確認しようとしたのだが、その前に一成が視線を別の物へ移して問いかけたため、それをする事は出来なかった。
「む、美綴。あれは何だ? 大きな球体のように見えるが……」
「あ、ああ……あれは色んなロボットを動かして遊ぶ体感系のゲームだよ。操縦席を意識した作りで人気があって、いつも賑わってる」
「ロボットか……成程、あの画面に映っているものか」
視線を中央にあるモニターへ向け、一成は興味深そうに見つめていた。綾子はそんな一成を見て、小さく笑う。普段からは信じられない程、一成が同年代に見えたのだ。いつもはどこか年上のようにも感じる姿が、今日はやけに近くに見えて、綾子は嬉しくなって思わず笑ってしまったのだから。
そうして、二人はその後も音楽系のものやレース系を遊び、帰路へついた。新都から深山町へ向かう道すがら、一成は綾子に今日の事の礼を述べた。楽しかったと。自分の知らない世界を教えてもらった事に、一成は感謝を述べたのだ。
それに綾子も礼を述べ返す。一人で遊ぶよりも断然楽しかったのだから。礼を言うのはむしろ自分の方だと、綾子は告げた。それに一成が何かを考え、ややあって頷いた。それに綾子は不思議そうに首を傾げるが、一成が告げた言葉に納得する。
―――では、互いに感謝し合う結果で終わった事を喜ぶとするか。
―――……そうだね。出来ればまた相手してくれると助かるんだけど……どう?
やや意を決した綾子の問いかけ。それに一成は意外にも考える事なく了承の意を返した。それにどこか驚く綾子に対し、一成は少し呆れたように告げた。自分は言ったはずだと。暇さえ合えば付き合う。それは、紛れもなく本心だったのだから。
それに綾子がどこか嬉しそうな表情を浮かべる横で、一成はこう言うのも忘れない。
「もし将棋や碁で良ければ、いつでも相手をするが?」
「……柳洞。あんた、あたしがそういうの苦手って知ってて言ってるだろ」
「喝! 苦手をそのままにするのではなく、克服しようとしなければならんぞ、美綴」
「はいはい……」
そんな会話をしながら、二人は歩く。説法もどきを始める一成に、呆れるような表情をしながらもちゃんと相槌を返してやる綾子。しかし、どこか二人は楽しそうにしていた。そんな二人の影は、まるで重なるように寄り添っているのであった……
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鐘編。次回は、やっとのセイバーズ。最初はルビーです。
そして、久々の綾子&一成。次に出すとすれば誰がいいのか……
そもそも、更新がいつになるのか自体、自分でも分からないですからね。……何とか一ヶ月以内にはしたい……