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[20952] Muv-Luv 帝国戦記 第2部
Name: samurai◆b1983cf3 ID:3fa3f4a1
Date: 2016/10/22 23:47
samuraiと申します。

拙作『帝国戦記 第1部』に続き、第2部を書きたいと思い、今回開始させて頂きました。

基本は第1部の『続きモノ』です。

・オリキャラ主人公(一部原作キャラも少し登場予定)

・ご都合主義

・妄想展開

・解釈・設定独自(一部、公開設定準拠)

・独自戦術機、有

・話の始まりは1998年、本土防衛戦の直前




引き続き、生暖かくお付き合い頂ければ、幸甚です。

宜しくお願い致します。



[20952] 序章 1話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:3fa3f4a1
Date: 2010/08/08 00:17
1998年3月30日 日本帝国 帝都・京都 陸軍京都衛戍刑務所内


一人の囚人が連れ出されてきた、初老の男だった。
これから銃殺刑に処せられるものとは思えない程に、穏やかで落ち着いて表情をしている。
要員の傍らの従軍僧が読経を上げている。 その声さえも楽しんでいるかのような様子だった。
やがて1本の太い木製の拘束具に両腕を拘束され、頭にフードを被される段になって、不意に読経が止む。

「・・・閣下、最後に残されたお言葉、どなたかにお伝えしたい御言葉がござれば、拙僧が代わってお伝えいたしまするが・・・」

「・・・私は義務を果たさんが為に、死に逝くのです。 何の言葉が有りましょうか」

その言葉に、そうは思わず絶句する。
その表情を見て、やや困った笑いを浮かべ、その死刑囚はこう言った。

「導師、今まで大変お世話になりました。 平安の心境にて逝ける幸、感謝致します。 
もし宜しければ、私の遺品の中に手紙が2通。 私の娘と、息子とも思う青年に対して・・・」

「確かに、承りました」

その言葉にニコリと頷いたその男は、脇に控える要員達に向かいこう言った。

「―――今まで、大変にお世話になりました。 おさらばです」










1998年2月26日 帝都 首相官邸


「国連は? 米国は何と?」

「国連軍事法廷への出頭を要求していります」

「駄目だな、そんな事になれば軍部が、確実に国粋派軍人が暴発する」

「世論でも、特に右派言論が騒ぎ出すでしょうな。 国民を騒擾させかねない」

「議会は?」

「賛否両論、日和見も有り。 四分五裂、と言った所ですか」

「如何します? 総理?」

背後の声を聞きながら、榊是親首相は窓の外に映る官邸の中庭を、無言で見つめていた。










―――2028年 情報公開制限切れ 帝国軍公文書資料より

≪宛:陸軍参謀本部第3部  発:統合幕僚総監部第3部≫
国防省内部監察局より先だっての通達事項に関し、部内統制を厳に心得されたし。

≪宛:統合幕僚総監部第3部  発:陸軍参謀本部第3部≫
貴信につき、部内統制の結果もその効果捗々しく無し。

≪宛:国防省軍政局  発:国家憲兵隊内事本部≫
先だっての貴信内容に対する部内検討の結果、相互協力関係は現時点で限定されるべしと心得置かれたし≫

≪宛:国家憲兵隊内事本部  発:国防省軍政局≫
貴返信内容に付き、当方遺憾の意をもって返信と為したる処、ご承知置かれたし。 政府内示事項を確認されたし。

≪宛:各管区国家憲兵隊司令部  発:国家憲兵隊中央作戦司令本部≫
中本令第35号に基づく予備調査を、可及的速やかに実施されたし。









―――1998年3月2日 帝国衆議院での演説

『この国家危急の時局に於いて、有為の将才をみすみす米国の魔手に委ねる事が、果たして国家存続の道に繋がるでありましょうや!?
大陸は蹂躙され、半島も陥落した今! 正に決戦の時はこの本土! 我らが揺籃の地であります事は明らかであります!
一兵、一門の砲が何よりも必要とされる今この時に! 幾万もの兵を導き、来襲せるBETA共を殲滅させ得る将星を、何故政府は処断すると言うのか!
本職は帝国議会の末席を汚す身として、声を大にして申し上げたい! 国連の、米国の要求は不当であると!
数多の最前線国家の声を聞くべきであると! 人類は今、1人でも多くの生存を必要としていると言う事を、議員諸兄はご理解頂けるものと確信する次第であります!』









1998年3月6日 2030 日本帝国 大阪 陸軍軍人会館『大阪僭行社』


「米国と言う外圧に負け、みすみす我が軍の将星を刑場の露と消すなどと! 政府の弱腰! 軍上層部の欺瞞! 正に極まる!」

「そうだ! 政府・外務省は元より、統制派が占める軍上層部は、中将閣下の両手両足を縛ったままに、BETAの前に贄として放り出した!
その閣下のギリギリの選択を! 盟邦への信義を貫いた行為を! それをなんだ、抗命だと!? ふざけるな!」

「これでは、死んでいった数多の戦友も浮かばれまい! 一体どれ程の戦友達が鬼籍に入ったと思っている!」

「上層部は即刻九段へ行け! 靖国で亡き英霊に土下座して来いっ!」


向うでえらく気焔をあげている連中が居る。
見ればまだ若い中尉、少尉連中だ。 記章を見れば第3師団、大陸で壊滅した第4師団に変わり、この商都を守る『お城の軍隊』だ。

「・・・ケツの青いヒヨコ共が。 酒の勢いで随分と威勢のいい事を放言しているな」

「戦場を知らん、生粋の本土防衛軍の連中だ。 威勢のいい筈だな」

「ま、ガス抜きだ、言わせておけ」

在京阪神の6個師団(禁衛、第1、第3、第6、第14、第18師団)に在籍する者が集まっての同期会を、僭行社で開いていたのだが。
途中から聞こえてくるのは、『あの事件』に対する憤りの罵声ばかりになっている。
周りにはベタ金の将官や、金線2本の佐官級の高級将校も卓を囲んで酒宴を開いているのだが、一向に気にした様子も無い。

ここでは基本的に軍の階級は関係しない。 陸軍将校の互助組織である僭行社では、会員である全ての将校は平等に扱われる。

「でも、聞いてて美味しくない」

「・・・お前は、結局そこに行きつく訳なのだな・・・」

「折角の御馳走だよ? 美味しく食べたいじゃない?」

「真理だ。 ついでに酒も美味く飲みたい」

―――同期の連中も、いい加減うんざりし始めている。
端から見ていて、滑稽にも見える。 顔を真っ赤にして、口角泡を飛ばして、目を血走らせて。

「・・・陸士の連中か?」

「訓練校も居るかもよ? あの世代は結構問題になったよな、皇道派思想教育で」

「ウチの連中は、その傾向は殆どないぞ?」

「個人差もあるでしょ、それに訓練校に違いも」


そうこうしている内に、更に激発の度合いがヒートアップしたようだ。 これには流石に他の客も渋い表情になってきている。 
居合わせたお偉いさん方も、若かりし頃の青年将校時代はここで随分と気炎を上げたものだ。 
時代が変わっても、これは変わらない。 かく言う俺達も訓練校卒業直後や、大陸に出張開所していた僭行社の分会館で盛んにやったものだ。

だけど程度ってものが有る。 自分達だけの宴席ならともかく、ここには他にも宴席を張っている者達が居ること位、判りそうなものだ。
さてさて、どうしたものか・・・?

「・・・周りを見渡してみる。 尉官は私ら以外に居ない・・・」

「はあ、とんだ貧乏籤だ・・・」

「おい、3師団。 貴様等、行かんのか?」

「後々、しこりが残りかねんなぁ・・・」

「ここはひとつ、歴戦の14と18師団に」

「調子の良い事言うな。 ・・・ったく、しょうがない」

俺と圭介、緋色と愛姫、それに永野と古村。 14と18師団の同期生と言えば、この6人だが・・・

「愛姫、18師団の先任、行かんか?」

「直衛! アンタってば、私にばかり押し付けるなぁ!」

「14師団は永野だったな? 先任は」

「・・・神楽、道連れよ、一緒に来なさいな」

「先任命令! 14と18師団、全員出動!」

「・・・面倒くさい」

「勘弁してよ・・・」

「長門、古村、逃げられると思って?―――周防、何を他人事の様に笑っているの!?」

先任2人に引っ張られ、渋々従う後任の4人。 他の師団の連中はニヤニヤ笑ってやがる、くそ・・・

気炎を上げる連中の傍に近づいた時、その中の一人が俺達に気付いた。
中尉だった。 一瞬、大尉の階級章にたじろいた様だが、僭行社の趣旨を思い出したか全員が訝しげながらも見返してきた。

「・・・大尉殿、何か御用でも・・・?」

「御用って程じゃないんだけどね、もう少しボリューム落としてくれたら、有り難いのよ」

「ここは確かに、全ての将校は平等よ。 だから諸君の酒席にどうこう言う気は無いわ。
でも、他にも客がいる事を思い出してくれると嬉しいのだけれど?」

愛姫と永野が、先陣を切った。
言っている事は至極当然。 別に軍人では無くとも、世間一般の『大人』だったら普通に持ち合わせる『常識』だ。
が、どうも悪酔いしている目前の連中―――中尉が4人に、少尉が5人―――は、どうもそれを失念している様だ。

「端から見ていて気分が悪い。 上層部批判は他でやれ」

「別に上官風を吹かすつもりは無い。 戦場帰りを言いたてるつもりも無い。 だがな、貴官等に、あの時半島で戦った者達の心情を少しでも斟酌して貰いたいものだ。
どちらも真実だ、中将の心情も、戦死したバークス大将の状況判断も。 皆、ギリギリだった。 ギリギリの判断をして、ギリギリの戦いをしていた」

ややつっけんどんな物言いの圭介に苦笑しながら、少しおせっかいかと思ったが、それでも何とか平静な感情で目前の連中に話しかけた。
俺の軍服のサラダ・バーにやや気押されながらも―――色んな従軍記章や、戦勲略章が付いている―――酔いの勢いか、一人の少尉が問いかけてきた。

「では、大尉殿は・・・ あの判決は正当だと仰るのでしょうか!?」

「・・・帝国の内外情勢から判断すれば、あの判決は致し方無いのかもしれん」

「ッ! それはどう言う事ですか、大尉殿!?」

「米国の外圧に負けて、我が帝国軍の将星をむざむざと刑場の露と消す事が、致し方無いとは!」

「それが、歴戦の方々の所見ですか!? あの判決が当然だと!? 一体どう言う了見なのですか!」

―――ああ、しまった、失敗した。

この手の血の気の多い若い連中に、この言い方は逆効果だった・・・

「喚くな、馬鹿者共が! 誰が『当然』などと言った! 『帝国の内外情勢から判断すれば、あの判決は致し方無い』、そう言ったのだ!」

怒声にびっくりして振り返れば、背後に立っている緋色が顔を紅潮させて怒鳴っていた。
いや、普段から生真面目な女だが、ここで最初にキレるとは想像していなかった。

「お、同じ事です!」

「馬鹿者! 正解は無い! 間違いも無い! 在るのは結果だけだ! そしてそれが全てに優先する!―――それがBETAとの戦いだ!
米国の外圧!?―――ああ、そうだ、それこそが今の帝国をBETAの脅威から守り抜く為に、無くてはならない『必要悪』なのだ!
それこそが帝国の国益! ひいては民をBETAの暴虐から護る為の傘! 我々は御国の剣であり、盾だ。 そしてかの国は御国を覆う傘でも有る!
その傘が無くなろうと言うのだ、こればかりは如何ともし難い・・・!」

「それでは、帝国の自主防衛の権利が!」

「我が国は、米国の属国では有りません!」

緋色の言葉に気押されつつも、それでも連中が反論する。 ・・・実は薄々判っているのだろうな、この連中も。

「貴官等は判っているのか!? 米国の凄まじさを!? 貴様等は知っているのか!? 米国の冷徹さを!
散々見てきた、見せつけられてきた。 大陸で、そして半島で・・・ あの国の後ろ盾の無い戦場が、どれ程脆いかを!」

「むっ・・・」

「・・・」

「どれ程多くの戦友を失ってきたか! 上官を、同僚を、部下を・・・!」

―――駄目だ、緋色の奴、感情を抑えきれていない。 仕方が無い、ここは引き取るか。
他の同期生に目配りして、この場を俺が引き取る事にした。 何故って?―――何故だろうな?
愛姫と古村が、緋色を押さえて宥めている。 永野は周囲の高官(将官まで居る!)に、バツの悪そうな表情で頭を下げている。

「・・・貴官達が憤る感情は、自分も戦場で感じた。 頭では戦略的に間違っている、そう考えた。 だが感情は付いて行かなかった。
しかし我々は何者だ? 衛士である前に、士官だ。 ならば個の感情より、陛下と国家と―――国民に奉ずるべきじゃないのか? どうだろう?」

「それは・・・ 軍人の本分は、小官等も承知しております」

「うん、そうだ、そうだろうな。 なら、判るだろう?」

「・・・全ては、国益の為、ですか・・・?」

「そこまで言い切れば、身も蓋も無いが・・・ だが冷静になって考えて欲しい。 我々軍人は国家の番犬だ、そして陛下と国民の『醜の御盾』だ。
番犬が盛って、国家をどうこう言いだしてどうする? 道具が、持ち主をどうこうしてどうする?
忘れているのであれば、思い出して貰いたいものだな。 我々が士官学校や衛士訓練校に入校した時、営門で何を捨てたのかを」

だんだんと連中の表情から固さが取れてきた。 同時にバツの悪そうな表情になって来る。

「おい、もうよかろう、その辺にしたらどうだ? 端から見ていて気分の良いものではないし、酒も不味くなる。
この話はこの辺にしておいてだ。 どうだ? 景気直しに一杯、飲っていかんか?」

―――最近、圭介を見ていると欧州に居た頃のファビオを思い出す。
あいつはこんな場を和ませながら纏めるのが上手い奴だった。 圭介もだんだんそんな気がしてきた。 ・・・美味しい所をもって行きやがって。
最初は躊躇していた連中だが(当然だ、見知らぬ他部隊の上級士官といきなり飲んでも、気が張るだけだ)、第3師団の連中を見つけてホッとした表情になった。

「何、同期会だったんだがな。 君等のトコの師団の連中も居る、それに近々には我々も畿内防衛の部隊になる。
これから宜しく―――そう言う訳だ」

「飲み代は第3師団の連中にツケておくから、遠慮しないで飲みなよ?」

「お、おい! 伊達! 聞いとらんぞ!?」

「うっさい! ケツの穴の小さい事言うなぁ!」











1998年3月7日 深夜 帝都・京都 祇園


「政府は、どうするつもりかね?」

「・・・正直申し上げて、国連へ委ねる事は下策であると」

「しかし、半可な対応では国連も、ひいては米国も納得はしまい」

「はい」

「議会は・・・ ああ、左右に中道、咲き乱れておるね」

「それぞれ、背後の思惑も有りますれば・・・」

「うん。 ああ、そうだ。 この間、元老院に五摂家から内々に話があってな・・・」

「・・・」

「元枢府は米国の要請には応じる事は能ず、とな。 そう言ってきおった」

「・・・政威大将軍ですか?」

「傅役を始め、侍従武官や教育係をも務めた男だ。 思い入れは格別であろうよ」

「・・・子供の感情で言われても、苦慮致しますな」

「釘はさしておいたよ。 最悪、内府から奏上申し上げる」

「今はそこまでは。 御宸襟をお騒がせ奉る訳には、参りません」

「抑える肝は、間違えてはならんよ、いいね?」









―――旭日新聞 1998年3月8日付朝刊 社説より抜粋

『・・・そもそも、主権国家とは何か? 対外主権、対内主権、最高決定力、この3つを備えた国家である。
翻って今回の日米関係を顧みるに、対外主権は米国追従、対内主権に於いてその介入を許す事態であり、最高決定力を外圧に左右される。
朝鮮半島での事件を振り返るに、我が国にとって同じく対BETA戦争で共に手を携えて共闘するべき、大東亜連合、統一中華との信義は非常に重要である。
その意味では、光州残留民間人数十万人の命を救った今回の判断は妥当とも判断出来る。
我が国は91年以来、周辺諸国と共に対BETA戦争を戦い、正にその流した多くの若者の血で大東亜の信頼を回復してきたのだ。
(中略)
反面、対米同盟を疎かにする事は最早不可能である。 
環太平洋方面に展開するその巨大な兵力もさることながら、何より世界最高と言われるその支援能力無しには、帝国軍とて本土防衛を全うする事能ず、とさえ言われる。
補給、輸送、通信、情報、医療、建設と言った前線支援は元より、生産計画、汎世界規模の兵站作戦企画と実行、それを支える総合的な国力。
政府・議会は元より、軍内部でも混乱が生じていると言うのも無理からぬ事であろう。 BETAとの戦争がどの様なものなのか、最も知り尽しているのが軍部だ。
(中略)
願わくば、政府が国家の舵取りを違えぬよう、切に願う。 そして我が国民が、自ら選んだ選良を信じる事を切に願う』










1998年3月10日 帝都 首相官邸


「米国からの要求には、これ以上の引き延ばしは無理です。 先程、駐日米国大使が押し掛けてまいりました。 
ポトマック河畔の主人の意向を伝えに、です」

「米議会民主党の『お友達』からは?」

「抑えるのは無理だと。 米国内世論も、益々加熱しつつあると。 
これ以上、議会での対日擁護は次の選挙での議席を大幅に減らす事になる、そう言っております。
戦死した米軍将兵の遺族の中には当然ながら、共和党支持者だけでなく、民主党支持者層も居る訳ですし・・・」

「八方塞だな。 見たまえ諸君、案の定だ。 右派言論が盛んに煽っておる」

「―――『米国の横暴を許すな! 国際世論は米国世論だけでは無い!』か・・・ 確かにそうだが、だが最も気にかけるべきは、米国世論だ・・・」

「米国世論ばかりを気にかけていては、足元を掬われる。 まずは国内だよ」

「・・・本当に、八方塞だな」








≪宛先不明  発信者不明―――1998年≫

『米国との関係悪化は、我が国経済に甚大なる痛打を及ぼす結果と相なりましょう。 
大東亜との関係維持もさることながら、尚かの国の世界経済に占める存在は絶大なるものであります。
願わくば、先生のご尽力にて我々の憂慮が杞憂たらしめられん事を願います』








―――2028年 情報公開制限切れ 帝国軍公文書資料より

≪宛:国家憲兵隊中央作戦司令本部  発:内務省警保局公安本部
過日より検討致したる案件に付き、至急の協議を要すると判断致す次第。 ついては来るXX月XX日、XXXにて協議参集されたく。
(2050年まで一部情報公開制限中)

≪宛:内務省警保局公安本部  発:国家憲兵隊中央作戦司令本部≫
貴信、了解。

≪宛:各管区国家憲兵隊司令部  発:国家憲兵隊中央作戦司令本部≫
中本令第35号に基づく予備調査は、XX月まで継続せよ。

≪宛:国防省軍政局  発:国家憲兵隊内事本部≫
貴信内容に対する部内再検討の結果、新たな相互協力関係を構築する方法を確立した事をご連絡す。

≪宛:国家憲兵隊内事本部  発:国防省軍政局≫
貴信、了解。 当方、内務省より打診有り。

≪宛:統合幕僚総監部第3部  発:陸軍参謀本部第3部≫
要綱知らせ。

≪宛:国防省軍政局  発:統合幕僚総監部第3部≫
軍の大方針、如何にすべき哉。 全軍が知らんと欲す。









1998年3月12日 帝国国防省より、帝国全軍緊急布告


『ひとつ、軍人は忠節を尽くすを本分とすべし。
忠節とは国に報ゆるの心也。 報国の心堅固にして国家を保護し国権を維持するは、是聖上の御恩に報い、民平成に安んじる為也。

ひとつ、軍人は礼儀を正しくすべし。
些かも軽侮驕傲の振舞い、有るべからず。 常、慈愛を専一と心掛け上下一致して大事に勤労せよ。
もし軍人たる者にして礼儀を乱り、上を敬わず、下を恵まずして一致の和諧を失いたらんには、只に軍の蠹毒なるのみかは、国家の為にも許し難き罪人なるべし。

ひとつ、軍人は信義を重んずべし
されば信義を尽くさんと思わば、始めより其事の成し得るべきか、得からざるかをつまびらかに思考すべし。
小節の信義を立てんとて大綱の順逆を誤り、或は公道の理非に践迷いて私情の信義を守り、あたら禍いに遭い身を滅ぼす。
屍の上の汚名を後の世まで残せる事、その例し、少なからぬものを深く戒め有るべき』










1998年3月14日 1330 大阪・帝国陸軍 豊中駐屯基地


「・・・最近、何やら監視されている気がするのだ」

将校集会所での昼食時、第1大隊の緋色―――神楽緋色大尉がぼそっと呟いた。

「監視? 誰に?」

「・・・心当たりは?」

同時に聞いたのは、第3大隊の伊達愛姫大尉と俺―――第2大隊の周防直衛大尉。

「判らんし、心当たりも無い。 だが、誰かに監視されている気がする・・・」

「・・・あれかな?」

「あれかもな・・・」

「迷惑な! 私は実家とは何ら関係は無い!」

2日前に出された全軍布告。 
同時に警務隊が周辺をうろうろとし始めたし、外出すればどうにも地方人(一般人の陸軍での隠語)とは違う雰囲気の連中を見かける。
どうやら、軍内部の締め付けを強化しようと言う方針らしいのだが・・・

「・・・漏れ聞こえてくる話じゃさ、将軍さんは処罰に反対らしいね? 緋色の実家ってさ、煌武院家の譜代筋じゃん?」

「実家は実家、私は私だ!」

「怒鳴んないでよ、それ位判ってるってばさ。 でもさ、『あの連中』は判んないじゃん? 緋色個人の事までなんてさ。
山吹の子爵家の武家で、煌武院家の譜代筋で、確かお母様は将軍家出仕だっけ? お父様が城内省の高官で、実のお姉さんと弟さんは斯衛の将校。
同期としての忠告だよ、緋色―――大人しくしなよ? 激発しちゃ、駄目だからね?」

憮然とした表情で、昼食をかき込みながら食べだす緋色。 育ちの良い彼女にしては、珍しい光景だ。
181戦術機甲連隊で、警務隊のマークが付いているのは今のところ緋色だけだ。 彼女の場合、実家の存在が立場を微妙にさせている。

国粋派の将校―――皇道派、勤将派問わず―――以外でも、それに近しい者や、緋色の様な武家出身者。
今回の騒ぎで騒いでいるのは主に前者なのだが、元枢府が内々に元老院に『協力不可』と伝えた―――その噂が広まって以来、後者も監視対象になった様だ。

―――いや、その前からか?
先日の僭行社でのあの珍しい緋色の激発。 あれはその前から『監視されているかもしれない』事への苛立ちだったか?
或いは、その監視しているかもしれない連中への、無意識の意思表示か。 いやいや、両方とも無意識に出たものか?

「お前自身が、そんな思想を持っている人間じゃ無いこと位は、部隊の者ならだれでも知っている。 普段通りにやれば良い。
貴重な歴戦の衛士指揮官に、見境なくちょっかいかけて来る程、連中も馬鹿じゃないだろうさ」

「そうそう、ここの準備ももうすぐ終わるし。 そしたら一旦向うに戻るし。 気晴らしにパーっと春モノでも買いに行こうよ!」

「・・・パーっと、食べに行くの間違いじゃないのか・・・?」

「直衛! アンタ、ケンカ売ってんのっ!?」

いい感じで喚く愛姫の横で、緋色が笑いを堪えている。 
良い傾向だ、実家の事は少し聞いているが、今思い悩んでも仕方が無い事だろう。

「それにしても、今度は中部軍管区かぁ・・・ 関西は初めてだよ。 緋色は地元だよね?」

「・・・京都だがな、生まれ育ちは。 まあ、この辺も馴染みが無い訳ではない」

「木伏さんとかは、喜びそうだねぇ・・・」

大陸と半島から叩き出されて以降、帝国軍はそれまでの外征専門即応集団である大陸派遣軍を解体した。
そしてその指揮下に有った各部隊を、本土防衛軍に組み入れ、大幅な再編成を開始しようとしていたのだ。
特筆すべきは、今やBETAの巣と化した半島―――鉄原ハイヴからの直接脅威を受ける九州の西部軍管区を最重点管区とした。
ここに5個軍団、18個師団を集中配備した。 その内の7個師団が戦術機甲師団だ。

そしてその後背地であり、帝都を含む帝国の中枢を守る中部軍管区には、2番目に多い部隊配置―――4個軍団、14個師団を配備している。
俺達の第18師団、その『兄弟師団』である第14師団は、中部軍管区の戦略即応予備として配備される事となった。
俺達はその移転受け入れ準備の先発隊、引越しの前準備の為に先月から関西に入っている。
準備自体はもうじき終わる。 その後、一度関東へ戻り、師団を上げてのお引越し、と言う訳。
移転場所は以前に廃棄されていた豊中分駐屯所、伊丹基地の分所だった所だ。


「・・・いよいよ本土で、か」

「英国の例も有る。 戦い抜き、守り抜くまでだ」

「あ、私はこの先数十年、死ぬ予定無いからね」

3者3様。 しかし俺達も昔の青道心では無い。 
先だって緋色が言ったな。 正解は無い、間違いも無い、全ては結果だけ―――受け入れよう、その通りだ。
猛りもせず、憶しもせず、受け入れるのは結果のみ。 求められる事は結果のみ。










1998年3月16日 2325 帝都 首相官邸


『では、遂に結論は出たと言う訳かね?』

「はい、その通りです、閣下。 政府は閣議一致で結論を出しました」

『彼の元へは?』

「私自らが参ります」

『・・・首相たる君がかね?』

「私は、国軍の統帥権代行を司っておる内閣総理大臣です。 せめて・・・ せめて、私自身の口から言い伝えたいのです」

『・・・君の判断を支持しよう。 元枢府は私が押さえる、貴族院も。 衆議院はどうかね?』

「・・・右派議員からの攻撃は、承知の上」

『宜しかろう。 軍内部には私もまだ頼るべき人脈も有る、何とか抑え込んで貰おう』

「有難うございます」

『・・・榊君』

「は・・・?」

『それが、国を指導する者の判断であると、私は理解する』

―――唐突に電話が切れた。

受話器を握りしめたまま、榊是親首相は暫く無言で首相執務室内を見つめていた。








『判決
 元所属 陸軍第8軍団司令部
   元陸軍中将 彩峰萩閣
右の者に対する反乱被告事件に付き、当軍法会議は帝国陸軍法務官・柳沢重太郎関与審理を逐て、判決する事左の如し

主文
被告人・彩峰萩閣を死刑に処す。

理由
被告人・彩峰萩閣は夙に陸軍士官学校・陸軍大学校に学び、爾来深く尽忠報国の志を固むる処有り。
翻って四囲の情勢を顧み、痛く世界の頽廃、人心の動揺、内外の情勢緊迫し有るを痛感す。
然るに皇紀二六五八年、盟邦・友軍、窮地打破に克己すべし半島撤退戦闘指揮下、被告は私心私情抗い難く其の軍命に相反す。
然れば盟邦・友軍危地に直面す事、損失甚大、有為の材、数多幽冥に没す事、幾万余とせし也。

被告の犯したる罪状
一 利敵
率いたる軍を無断にて配置から逃避させたる罪。
一 檀權
率いたる軍を私令移動させたる罪。
一 辱職
率いたる軍を無断にて配置から離脱させたる罪。
率いたる軍を無断にて敵前から離脱させたる罪。
一 抗命
敵前にて上級司令部軍命に抗じたる罪。

被告人国家非常の時局に当面し、憂国の至情と其の進退を決するに至れる諸般の事情については、是を諒とすべきもの有りと云えども、其の行為行動、聖諭に惇る也。
理非順逆の道を誤り、国際信義を無視し、国憲国法を蔑とし、建軍の本義を妄り、いやしくも大命無くして動かすべからざる帝国軍を私用す。
あまつさえ率下将兵を率いて反対行為に出でしが如きは、赫々たる国史に一大汚点を印せるものにして、其の罪実に重且つ大也と云うべし。

よって主文の如く判決す

皇紀二六五八年三月二〇日 帝国陸軍帝都軍法会議
裁判長判事 陸軍大将 斎条英徳
             他裁判官六名』









1998年3月22日 日本帝国 帝都・京都 陸軍京都衛戍刑務所内


死刑囚独房の一室で、その男は手紙を認めていた。
1通は愛娘に、1通は息子とも思える青年に対して。

何時の日か、我が心境を理解して貰いたいが為に。 
決して俯く事無く、世を拗ねる事無く娘には育って欲しいが為に。
決してその誓約を違う事無く、国と民の為にその剣を青年に振るって欲しいが為に。

まだ冷え込む京の夜、十分な暖房設備など無きに等しい独房で、無心になって認め続ける・・・










1998年3月30日 1000 日本帝国 帝都・京都 陸軍京都衛戍刑務所内



「―――今まで、大変にお世話になりました。 おさらばです」

その言葉に、要員達は無意識に悔し涙さえ浮かべそうになっていた。
どうして、この人が―――皆が無言でそう言っている。

やがて、銃殺隊を率いる憲兵中尉に率いられ、6名で編成された銃殺隊が隊伍を組んでやってきた。
皆が緊張した表情だった。 脇に控える僧も、要員も。 銃殺隊の指揮官も、隊員達も。

最後に囚人の頭にフードが被せられ、首筋の部分で軽く結わいだ後、要員が下がる。
それを確認した指揮官が、緊張のせいでやや裏返った甲高い声で号令をかける。

「―――構え!」

6名の隊員が、射撃位置に立ち自動小銃の銃口を斜め上に保持しつつ、『目標』を凝視する。

「―――狙え!」

6丁の銃口が、一斉に狙いを付けた。

「―――撃てぇ!」

連続した銃声が響き渡る。

―――遠くから、春の歌声を奏でる鳥達のさえずりが聞こえてきた。




この日、従軍僧を務めた京の寺の住職は、数カ月後の京都防衛線の折に行方不明となっている。
恐らくは、仏法を記した経典を守り持ち出す為に独り寺の残ったと言うその僧は、BETAによって喰い殺されたものと思われる。
死刑囚の今際の願いは、遂に果たされる事は無かった。










1998年3月30日 1600 日本帝国 帝都・京都 下京


1人の老軍人がその夕刻、割腹自決を遂げた。

傍らの遺書には、昨年来から年初にかけての大任にて、その任を果たし得ず、己が不明により国際調整の不備に直結した事。
その結果もたらされた帝国の外交的立場の悪化の責、そして今上陛下及び当代摂政殿下に対する、己が不明の謝意。
何よりも、己に先立ち刑場の露と消えていった元部下に対しての謝罪が綴られていた。


『一死、不明を謝す。 一死、不忠を謝す。 一死、悔恨の許しを欲す』


作法通りの割腹を為した時、その老いた体から絞り出すように呟いた。

「これで、儂の仕事は終わったな・・・」

陸軍大将・梅津芳次郎。 享年61歳。









1998年4月2日 2010 石川県輪島市 帝国国家偵察局 衛星情報センター 中部受信管制局


「・・・おい、これは・・・!」

「当直管制統制官に連絡だ! 至急!」



1998年4月2日 2013 北海道苫小牧市 帝国国家偵察局 衛星情報センター 北部受信管制局


「なんてこった・・・」

「飽和個体数、10万以上だって・・・!?」



1998年4月2日 2015 鹿児島県阿久根市 帝国国家偵察局 衛星情報センター 南部受信管制局


「・・・重慶ハイヴが・・・」

「あ、溢れかえっている・・・?」



1998年4月3日 0330 東京府市ヶ谷 市ヶ谷衛星情報中央センター


「深夜だから!? ふざけるな! 四の五の言わずに統合幕僚総監部を呼び出せ! 国防省には送ったな!?」

「内務省!? 市ヶ谷だ! 重大情報を送る!」

「首相官邸! 内閣危機管理センター! 国家戦争指導委員会! 叩き起こせ! 首相でも構わん!」




その日、衛星情報がH16・重慶ハイヴ周辺の地表が、類を見ない数のBETA飽和個体群で埋まっている事を確認した。
そして数時間後、その個体群が北東方向―――東シナ海を指向している事が確認された。
その先は、H20・鉄原ハイヴ。 これほどの個体群をフェイズ2ハイヴが支えきれる道理は無い。 ならば、その次は・・・?


帝国の震撼は、まだ始まったばかりであった。





[20952] 序章 2話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:3fa3f4a1
Date: 2010/08/15 18:30
1998年4月4日 1830 日本帝国 東京府


関西での部隊受け入れ準備がひと段落し、こっちに戻って報告やら何やらの雑務をこなした後で、昨日から3日間の休暇が貰えた。
考えてみれば昨年末に師団が九州へ緊急移動して以来、全く休みと言うモノが無かったものな。
九州から選抜されて半島へ。 半島で撤退戦を戦って、対馬経由でまた九州へ。 その後、一旦関東へ戻ってからまた関西へ。
4カ月以上働き詰だったのだ。 休暇くらい貰っても、バチは当たらないと思う。


(もっともこうやって、実家に帰っているのは俺と、同じ東京の永野くらいか。 
圭介は名古屋、愛姫は仙台、緋色は京都、古村は・・・確か金沢か。
行って帰ってくる事は十分出来るけど、慌ただしいからあの4人は今回、帰省を見送ったな・・・)

家の縁側でぼんやりとそんな事を考えながら、随分暗くなってきた夕暮時の空を眺めていた。 
で、無意識に煙草の箱を手にとって、煙草の一服でも・・・

「直ちゃん! 小さい子供がいるんだから! 煙草は止めて頂戴って言っているでしょ!?」

唐突に横から煙草を奪われ、あっという間に灰皿に・・・ はあ、自由に吸えないってもの、不自由な家だよな。

「姉さん、せめて縁側でホタル族位させてよ・・・」

「ダメです! それに直ちゃんも衛士なのでしょ? 煙草は肺にも悪いし、体力も落ちるのよ!?」

「あ、いや、これは軍専用の、ちょっと特殊な煙草で・・・ 別に肺に悪い訳でも、体力が落ちる訳でも・・・」

「ダメです!」

眉を顰めて、ちょっと頬を膨らまし加減でお説教モードに突入しそうな、我が姉上。
こうなったら最後、ちょっとうんざりする位にお小言が飛び出してくるのは、ガキの頃からの経験上判っている。
だけどそれを回避する程度には、貴女の弟は人生経験を積んでいるのですよ。

「・・・あ~っと、そろそろ夕飯時だよな? チビ達、ちょっと呼んで来るわ」

「あ! 直ちゃん!」

そのまま縁側から雪駄を引っかけて、カラン、コロン、と玄関口へ。
後ろで姉貴が何やかやと言っているけど、無視。 あの人、昔から俺へのお小言が好きだったからな。

家の前の道をちょっと行って、途中で何度か曲がった先に小さな公園が有る。
俺自身は子供の頃は主に横浜で過ごしたし(記憶に無い程の幼少時分は、大阪と福岡だ)、中学の2年からは名古屋だったから、ここは正直馴染みが無い。
大体がこの実家へは、訓練校在校中と卒業時に1回づつ、そして欧州へ出発する前に1回。 帝国軍に復帰後は、3回位しか帰っていない。

(・・・考えてみれば、俺って『故郷』ってものが無いのか・・・?)

強いて言えば、4歳から13歳まで過ごした横浜がそうか。 1駅向うの街に軍の横浜基地が有ったな、そう言えば―――今は国連軍が接収しているけど。
そんな事を漠然と考えながら、ブラブラと公園まで辿り着いた。 何人かの子供が無心に遊んでいる。

「―――おおい、お前達、そろそろ晩飯だぞー」

その声に何人かが振り向く。
まだ遊び足りなさそうな小さな子供達。 まだ早いよ! とでも言いたそうな表情だ。

「叔父ちゃん! まだ遊ぶー!」
「こっち、こっち!」

―――子供は元気だ。

「ん・・・ もうダメ、晩ご飯の時間だよ。 いいのかぁ? 良い子にしてないと、お母さんに言いつけるぞぉ? ご飯無くなっちゃうぞぉ?」

このセリフはテキメンだな。 ちび助達の遊ぶ手が、一斉に止まったものな。

「さ、帰るぞ? もうご飯出来てるしな?」

―――うん!

子供は現金なものだ。 まだ遊ぶと言った口が、もう「ご飯、何ー?」ときたもんだ。 いや、純真で素直と言うべきか。
駆けっこで走り去っていくのは、姉さんと兄貴の子供達。 俺の甥っこ達と姪っ子達。 まだ8歳から3歳の小さな子供達。
まとわりついて来る子供達の相手をしながら、家に戻る。 この子達の未来には何が用意されているのだろうか?
俺達の様な、果てしないBETAとの絶望的な戦いだけだろうか? それとも、別の何か心躍る未来が現れるのだろうか。

―――願わくば、せめて平安が有りますように。

そう願わずにいられなかった。











夜も更けて、子供は寝る時間だと言う事で、チビ達は客間に押し込まれて寝ている。
今残っているのは俺と両親に姉。 そして兄と義姉。 姉の旦那は仕事の都合で来る事が出来なかった。

元々は、花見にかこつけて親戚一同が押し寄せてきた、と言うのが事の真相の、今回の集まり。
子供の学校の始業式もまだだし(春休み中だ)、丁度土日が重なった。 しかしそれ程大きく無い実家にこの人数、ちょっと無理が無いか?
瑞希姉貴の所に、直武兄貴の所の家族、それに親と俺。 大人が6人に子供も6人。 我が実家の人口密度は今日、非常に高すぎだったのだ。

「まあ、良いじゃないか。 久々に会えたんだし」

そう言って兄貴が横からお猪口を差しだした。

「ん・・・ 兄貴、今はどこに居るんだ?」

「俺か? 今は1艦隊だよ、『青葉』の主計長だ」

―――第1艦隊の重巡『青葉』。 第9戦隊の中核か。
兄貴も艦隊と陸上のお役所とを(海軍も、れっきとしたお役所組織だ)、交互に勤務で大変だな。 その都度、勤務地移動で家族は引っ越しだし。

「だったら、今の母港は?」

「ああ、呉(広島県呉軍港)だ。 今回はタイミング良く横須賀に入港していてな。 ちょっとしたドックでの改修工事中だ」

「義姉さんや子供達は、このままこっちに疎開するのだろう?」

「渋っていたがな、ようやく説得した。 なに、ここの近所だ。 親爺もお袋も居るし、あいつの実家も近いしな」

呉のある広島県は、全域に行政戒厳令が発令されている。
恐らく近い将来、対BETA最前線になると予想される九州。 その側面策源地として重要度が増している場所だ。
政府は軍からの突き上げもあって、大急ぎで九州・山陰・山陽地方の疎開計画を推し進めているが、はっきり言って捗々しくない。

「そうか。 なら、ひとまずは安心か。 後は姉さんは・・・」

「姉さんは大丈夫だろう。 今年になって、東京府の厚生局に転勤になった。 義兄さんは昨年からこっちに単身赴任中だったしな」

―――そうか、それは良かった。 って、どうして俺には知らされてないんだ?

「その頃はお前、前線だっただろう? それに帰ってからも、あっちこっちと飛び回っていたしな。
それより直衛、お前は18師団だったな? 確か、畿内防衛に代わるのだったか?」

「うん。 今月末には、向うに全部隊が移動するよ。 俺と、叔父貴の所の直秋も」

従弟の直秋―――周防直秋陸軍少尉は、俺と同じ18師団の所属だ。
あいつも、なんだかんだで初陣もこなして、『死の8分』も乗り越えて少しは経験を積んだ。
身内が同じ中隊だと私情が入るかもと思い、愛姫の中隊に転出させたが・・・ 正解だったようだな。

当時、人員に空きが有った他の中隊は祥子の所と、緋色の所が有ったけど。 真っ先に祥子の中隊は除外した。
別に彼女の中隊指揮官としての技量が、どうこう言う訳じゃない。 ただ、直秋は俺と祥子の関係は知っているし、直秋が俺の従弟と言う事は皆が知っていたから。

それじゃ、愛姫と緋色も同じじゃないか、って事だけど。 緋色は生真面目な所が有る分、彼女の部下達は良い加減に力が抜けている連中が多い。
精神的に余裕が有ると言うのか、性格と言うか。 直秋じゃ、ちょっと中隊長相手に委縮しそうな気がした。

で、最後に残ったのが愛姫だ。 結局、彼女の下が一番良いと思った。 
余計に気に掛けず、肩を張らず、あいつを伸ばしてくれる。 愛姫なら最適だと判断して、編入を申し入れた。

『―――その代わり、扱くよ?』

そう言って笑っていたっけな、愛姫の奴。


「畿内防衛か・・・ 九州程には直接脅威は受けていない。 が、最終防衛線でも有るな。
今となっては、鉄原ハイヴからの侵攻はほぼ確約された様なものだ。 重慶ハイヴのBETAも最近、活発化している。 気を付けろよ?」

「そこら辺で下手を打つような、柔な実戦経験はしていない。 それより、そっちこそ下手を打つなよ?
打撃重巡だろう? 『青葉』は。 戦艦と一緒になって、対地艦砲射撃の主役だ。 光線属種にやられるなよ?」

「戦術機乗りのお前よりは、マシだろうさ」

―――それでも、渤海湾で爆沈した戦艦『陸奥』の様な例も、有るんだけどな・・・

「兄貴、あんたがやられたら、義姉さんと子供達はどうなる? 頼むから、気を付けてくれ」

「・・・お前も判っている筈だ、直衛。 戦場での生死など、天秤の両端。 傾くのはほんの少しだ。
当然、帝国軍人として任務に最善を尽くす事は義務だ。 天秤を生に傾ける努力もな。 だが傾くのはほんの少し、ほんの一瞬だ」

―――その一瞬で、さっきまで元気に隣で戦っていた戦友や上官、部下があっさりと死んでしまう。
兄貴も俺も、今まで散々そう言う場面に直面してきた。 だが、それでも言いたかった。

「それは知っている、判っている。 今まで散々、そんな場面を見てきた。 それでもな、兄貴。 あんたは長男で、妻子が有るんだ。 頼むよ・・・」


「直武? それに直ちゃんも。 何を暗い顔をしているの?」

「あなた、それに直衛さん、頂いたお茶菓子が有るの。 こんな時分になんですけど、お茶を入れましたわ」

―――姉さんと義姉さんが、こっちを訝しげに見ている。 向うじゃ、親爺とお袋も。

「ああ、判った。 貰うよ」

「有難う、義姉さん。 何でも無いよ、姉さん」

拙い、拙い。 危なかった。
軍人になってこの方、帰省で何が気を使うかって、家族に戦場の『匂い』を感じさせない事だった。
兄貴となら良い、同じ軍人同士だ。 『この間、やられてなぁ』 『戦争だ、それも仕方ないさ』、と、軍人同士の乾いた会話で済む。
だが、他の家族だとこうはいかない。 これは兄貴も同様の様だ。 そうだろう、あの戦場を家族に感づかせる事は無い。 
内心、不安で一杯になっていて、息子の、夫の変化を感じ取ろうとする家族を不安にさせる事は、絶対に駄目だ。


菓子を頬張って、それをお茶で流し込んでいると、姉さんが妙に神妙な表情で聞いてきた。

「あのね、直ちゃん。 姉さん、聞きたい事があるのよ?」

「聞きたい事? 何だい・・・?」

「あのね、綾森大尉、綾森祥子大尉って、どんな女性なの?」

「ぶっ!?」

な、なんで祥子の名前が・・・!?

「あのね、長門君っていたわよね? ほら、直ちゃんのお友達で、一緒に衛士訓練校に行った子よ」

「あ、ああ・・・」

そして、どうして圭介が?

「先月・・・ いえ、先々月だったかしら、立川方面に仕事で行った帰りに、軍人さんに声を掛けられてね。
誰かと思ったら、長門君だったのよ。 懐かしかったわぁ・・・ 中学の頃、良くウチに遊びに来てたものね」

「う、うん、そうだね・・・」

確かに、圭介の所属する14師団の駐屯地は立川だ。
外出でその辺をうろうろしていても不思議じゃ無い。
だけど、そこから話がどう繋がる!?

「懐かしくて、色々とお話させて貰ったの。 そうしたら、その女性の名前が彼からね・・・」

―――あの野郎め・・・

兄貴はそっぽを向いている。 
義姉さんは可笑しそうに、笑いを堪えている―――兄貴から聞いているな?

「あ、綾森大尉? ・・・良い人だよ? 衛士としては歴戦だし、中隊長としても実戦経験豊富だし、部下の面倒見も良い人だし・・・」

「もう! そうじゃなくてね。 姉さんが聞きたいのは、『女性として、どんな女性なの?』って事よ!」

―――恨む、今度こそ恨むぞ、圭介・・・

「あ~・・・ ま、何と言うか・・・ 綺麗な人、だね、うん。 温厚で優しい人だし、よく気がつく人・・・かな?」

「確か、年上だとか?」

「うん、1歳年上」

「で、直ちゃんの好きな人ね?」

「う・・・ そう、だけど・・・」

「その女性も、直ちゃんの事が好きなのね?」

「まあ・・・ うん」

ああ、親の目が痛い。
親爺、意外そうな目で見るな。
兄貴、なんだ、その面白そうな目は!?
義姉さん、微笑んでないで、助けて下さいよ・・・!
母さん・・・ あ、駄目だ・・・

「直衛、母さん初耳だわ。 どうして話してくれないの、そんな良いお話。 
で、ちゃんと紹介してくれるのよね? そのお嬢さん」

「・・・ハイ・・・」

「年貢の納め時だな、直衛。 海軍じゃな、『中尉には婚約者がいてしかるべきだ、大尉は結婚しているべきだ』って言ってな」

「・・・むぅ・・・」

悔しい、悔しいが、兄貴に反論できない。
母と姉は、もう勝手に盛り上がっている。 
義姉も、『じゃあ、私にも義妹が出来るのですね』なんて言っているし。 まだ早いよ!


「・・・7人目の孫の顔は、何時見せてくれるのかな?」

親爺、アンタが一番ズレているよ・・・












1998年4月8日 2200 神奈川県 鎌倉


「あっはっは! そりゃ、悪かったな! でも、今まで一言も話して無かった、お前の自業自得だ、直衛!」

グラス片手に、そうのたまって笑い飛ばすのは、目前の圭介。
ここは鎌倉の俺の下宿。 もっとも、もうじき引き払う予定なのだが。

今夜は祥子が駐屯地当直司令なので不在、俺は非直。 
独り寂しく寝るとするか、そう思っていた矢先、14師団の圭介から連絡が有った。

『暇か? 暇だよな? そっち行くから、ツマミ用意しておけよ』

暇と端から決めつけてやがる。 
もし祥子がいたらどうしたんだろうか? そう思って聞いてみたら・・・

『その時は、お前とじゃ無く、綾森さんと飲むよ』、だと? 良い度胸だ・・・

先日、国際便(国連公用便)が届いた中に、懐かしい欧州の連中からの便りが有った。
ファビオにギュゼル、ミン・メイ、その他の連中、アルトマイエル少佐からも―――翠華からの便りは、随分と落ち着いた文面だった。
懐かしさに思わず郷愁に近いモノを感じたな。 都合1年半ほどとは言え、共に背を預け合って戦い、共に笑い、共に泣いた連中だった。

そんな感傷に浸っていたら、圭介から連絡が有ったのだ。 あいつの所には、同じ中隊だった連中からスコッチ・ウィスキーが送られてきたという。
そこで昔の思い出と、先に逝った連中をツマミに(何せ、俺達を残して先に逝きやがったんだ)、今や宝石並みに貴重品の、天然スコッチ・ウィスキーを楽しもうと。
大いに賛成しながらも、ファビオやフローレス、同じ中隊の男連中の気遣いの無さに歎息したものだ。

勤務を終えて2時間後、14師団の駐屯する立川から鎌倉までやって来た圭介を駅前で拾い、最近見つけた旨い店で軽く夕食をとる。
その後、下宿へ帰ってからこうして2人、飲み続けている訳だ。

「とうとう年貢の納め時か、直衛、お前も。 でもま、良いんじゃないか? 訓練校を卒業して丸6年、今年で7年目。 俺達も大尉の2年目だ。
同期で生き残っている連中の半数近くは、身を固めた。 このご時世だ、結婚するにも、子供を残すにも、早いって事は無いさ・・・」

「・・・結婚に、子供か、実感が全然湧かない。 そう言えば、久賀は先月だったな」

「ああ、お前は軍務で忙しくて欠席だと伝えておいた。 笑っていた、『周防に先んじてやったぞ』、ってな」

「まさかあいつに先を越されるとは、思ってもみなかった・・・」

九州の師団にいる同期の久賀直人大尉から便りが来たのは、半島撤退戦終了直後の2月だった。

『結婚するぞ』

その一言だけ。 いや、驚いたと言ったらなかった。
相手は同じ師団の通信科の中尉だそうだ。 堅物で通していたあいつがと、久賀を知る皆は一様に驚いたモノだ。
そして先月、籍を入れて簡単ながらも、身内と仲間内だけの式を挙げた。 
どうやら半年以上も前に決まっていた話だそうだが、時節柄とあいつ自身の意外にシャイなところが、連絡遅延に繋がったと言う事らしい。
俺と愛姫、それに永野は偶々、軍務で予定が合わずに欠席。 圭介と緋色、それから古村が出席した―――祝電は打っておいたけどな。


「それそうと圭介、そう言うお前はどうなんだ? 
昔からそうだ、お前って結構、女関係は派手そうに見えてその実、身が固い。 
いや、結構身構える」

―――ふん、これ位は言ってやっても良いだろう。

「いい加減、誰かに決めたらどうだ? 圭介、お前の言った通りだ。 このご時世、特に衛士の俺達は、いつ、どこであっさり死ぬか判らない。
別に子供を残すとか、親を安心させるとか、そんな道徳的な事は言わん。 でもなぁ、想う相手がいるなら、お前も考えろよ・・・」

カラン―――グラスの中の氷がぶつかって透明な音を立てる。
琥珀色のその色と、氷で屈折した色彩を楽しむ様に見ていると、その輝り乱れた様が何とも切なさを感じる。

今度の休日、関西に移動する前に実家に祥子を紹介する事にした。
事の顛末を聞いた彼女は、最初驚き、事の次第に呆れ、そして、ちょっとはにかみながらも喜んでくれた。 
もっとも最近は、俺の実家に行く事に、じわじわと緊張を覚えてきたようだけど・・・

でも丁度良いかもしれない。 知り合って6年、付き合い始めて5年。 俺は今年で24歳になる。 祥子は25歳、もう大人の女性だ。
出来れば関西に行く前に、彼女の実家にも挨拶に行きたい。 いずれは言わなきゃならないだろうな―――『お嬢さんを、私に下さい』、と言う、あれだ。
それを考えると俺も緊張する。 果たして彼女の実家はどう思うか? 娘の相手に、軍での花形とはいえ、戦死率も尋常じゃ無い衛士が、となれば・・・


「・・・知っているか? 直衛。 緋色な、あいつ、誰に惚れていると思う?」

「何だ? 藪から棒に・・・ 緋色? 知らん、あいつはそう言う事、殆ど話さないだろう?」

「ああ、そうだな。 俺も直に本人から聞いていない、愛姫から相談された」

「愛姫から? ああ、あの2人は親友同士だしな。 で? 誰だ、緋色の意中の相手は?」

生真面目で、多少融通の効かない所は有るが、それでも歴戦の衛士で指揮官としての腕も確か、部下の面倒見も結構良い。
それにかなりの美人だ。 見た目少し硬質な美形だが、気取った所は無く、気さくな一面も持っている。
実のところ、緋色はかなりの人気が有る・・・

「宇賀神少佐だ、ウチの師団の」

「・・・なっ!? 宇賀神少佐だって!?」

宇賀神勇吾少佐―――14師団、141戦術機甲連隊第3大隊長。 広江中佐がまだ少佐だった頃、93年当時に第1中隊長を務めていた。
確かあの頃は・・・ ああ、緋色は宇賀神さんの中隊だったな・・・
でもあの人は広江中佐と同い年、俺達より9歳年長の今年で33歳になるのか。 未だ独身だが、理由は聞いた事が無かった。

「緋色の生い立ちは、知っているな?」

「聞いた事が有る」

本当の生まれは、山吹の色を許された家格の武家の家、だが妾腹。 生まれて直ぐに京都の商家に養女に出された。
その後、中学に上がる頃だったかに、実家に戻されて・・・

「少し、人間不信がかっていたな、最初の頃は。 気付かない連中も多かったが、すんなりあいつの中に入っていけたのは、愛姫くらいだった」

新任の頃の緋色か。 余りそう言う事は考えた事は無かったが・・・ そう言えば、突っ込んだ会話は無かったかも知れない。

「そんな訳で、特に男関係は全くの初な奴だった―――おい、何だ? その目は。 
にやけるな、直衛! ああ、そうだよ! あいつの最初の『男』は、俺だったよ!
でもなあ、男と違って、女はそんな事余り関係無いみたいだよな? そうじゃない例も有るぞ? 綾森さんなんか、そうだよなぁ?」

「やかましい、それより緋色の事だ」

「ああ、そうだったな。 そんなあいつが、長年まじかで見てきた『男』が、宇賀神さんだよ。
最初は中隊員として。 中尉に昇進してからは小隊長として、宇賀神中隊長を。 大尉になってからは、宇賀神少佐の大隊で中隊長だった、去年までな。
都合4年だ。 4年間、あいつは宇賀神さんの元で、あの人を見続けてきた。 あの人の背中をな」

俺達の知らない、『空白の時間』か。 
その頃の俺達―――俺と、圭介、それに久賀の3人は、国連軍に出向していた。

「・・・同時に、相手に父性的な感情も、求めているんじゃないか?」

「否定はしない、愛姫もそう言っている。 でも良いじゃないか? それであいつが生き残ろうと思えるのなら」

―――確か、血の繋がらない義妹がいるとか聞いた。 昔の養家の娘で、縁の切れた今でも妹の様に気にかけていると。
その義妹が安心して暮らせる様になれば良いと、その為に戦いたいと、その義妹の笑う笑顔が見たいのだと。
その緋色が、本当に個人的な、自分自身の欲求の為に生き残りたいと思えるのなら・・・

「あいつらしいと言えば、あいつらしい。 普段から実家の事を引き合いに出される事を、嫌っていたからな。
どうであれ、山吹の家格の武家の姫さんだ、あいつは。 そのあいつが、いくら有能とは言え、それも士官学校出じゃ無い人とか・・・」

宇賀神少佐は、士官学校卒業生では無く、衛士訓練校の卒業生だ。

「別に、実家への当てつけとか、そんな所まで考えて無いだろう。 そもそも、そんな考えが出来る女じゃないさ。
正真正銘、惚れているらしい。 本人がそれをどこまで自覚しているのかは、怪しい限りだけどな」

―――それも酷い言い草だ。 
だけど、あの生一本の女だ、確かにその懸念は有るな。 だけど、その前に・・・

「・・・『最初の男』のお役目、ご苦労さん。 乾杯だ」

「・・・嫌な言い方、する奴だな」

それでも笑いながら、グラスを合わす。
カチン、と良い音がする。

「で? 延々と緋色の話で引っ張って、そこがお前の話にどう繋がるんだ?」

「・・・だから、俺はそんな、他人の事ばかり気遣っているあの馬鹿を、放っておけない」

「馬鹿は酷いな・・・ 俺も冗談で口にするが、あいつは機転も利くし、よく気がつくし、思い遣りも有る、佳い女だ」

「直衛、お前の口から聞くとはなぁ」

ちょっと意外そうな、苦笑じみた声で圭介が言う。
そうか、圭介がな、あいつとな―――お節介同士、案外合うかもな。

殺伐とした戦場が、俺達の青春だった。 それしか知らない、知る機会が無かった。
それでも―――それでも、俺達はその中に慰めを見出してきた。 それを糧に戦ってきた、生き抜いてきた。
主義や信条なんかとは違う。 誇りや矜持とも違う。 俺達が人として生きんが為の。 人の為に生きんが為の。

「・・・さっさと口説け」

「難敵だ、作戦が必要だ」

「支援はしてやる、だけど突撃は自分でやれ」

「言われなくともな」










1998年4月21日 1730 東京 深川


東京の下町、深川辺りはまだ昔の掘り割り後が、ホンの少し残っているんだな。
周りの風景を見ながら、無意識にそんな事を考えていた。


「そう、そんな事が有ったの」

彼女の実家にお邪魔した帰り道の道すがら、祥子に話した。
圭介の事、緋色の事、愛姫の事。 彼女にとっても長年共に苦楽を共にしてきた、仲の良い後任達だ。

「でも、緋色は別に不思議じゃ無かったわよ?」

「・・・そうなのか?」

「ええ、彼女は気付いていないでしょうけど・・・」

そう言って言葉を切った祥子が、思い出したようにクスクスと笑う。

「宇賀神少佐の前に居る時はね、彼女、とても気を遣っているの。 気張っているのじゃなくって、身だしなみとかね。
本人は無意識だと思うし、周りに気付かれていないと思っているのでしょうけれど。 でも、私も麻衣子も沙雪も、みんな気付いていたわ」

・・・げに、恐ろしきは女の勘。

「愛姫ちゃんからもね、ぼかしてだけれど相談受けたわ。 でも彼女自身の事も、上手くいけばいいわね」

華やかに笑う祥子の笑顔を見ていると、何かひとつ、肩の荷が降りた感じだった。
俺も祥子も、互いの実家に紹介された。 概ね、印象は悪くなかったと思う(実家の母と姉は、祥子を気に入った様だ)

だけど俺自身はまだ、ちゃんとした言葉を彼女に告げる勇気が無い。 まだどこかで、躊躇している自分が居る。
彼女は俺の生きる理由で、俺は彼女の生きる理由。 それは変わらない、そう信じているし、確信している。
だけど、今の祖国を取り巻く暗雲の様なものを、俺も感じている。 どうしてもまだ、切り出せずにいる。

「・・・小心者って訳か」

「え? 何か言った?」

呟いた声を聞かれた様だ。 全く、情けないな。

「いいや、何でも。 まだ帰隊時間には間が有るし、どこかで食事でもして行くか」

嬉しそうに頷く彼女を見ていると、やっぱり俺が、俺の中であれこれ後付けの理由を付けているだけなんだよなと、そう思う。

(もう少し、もう少し待ってくれないか? ごめんな・・・)

内心でそう謝って、彼女と共に歩きだす。
ずっと共に歩いてゆきたい、そう願いながら。





[20952] 前兆 1話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:3fa3f4a1
Date: 2010/08/18 23:14
1998年4月25日 1430 東シナ海 北緯31度10分 東経123度05分 旧上海沖合80海里(約148km)


東シナ海で発生した温帯低気圧はそのまま日本列島へと東進し、この発達した低気圧に南風が吹き込み、フェーン現象を生じさせていた。
洋上は晴天だが強風が吹き、波が随分と立っている。 あちらこちらに白波が立ち、波長の大きな波が艦体を持ち上げては、波間に叩きつける。

この日、哨戒に出動していた第4護衛艦隊(佐世保)第44護衛戦隊・第442護衛任務隊(沖縄・那覇)に所属する第84海防艦は波に揉まれつつ、哨戒行動を続行していた。
しかし基準排水量はたかだか1060トン、全長で100m程の小艦である。 艦は左右、上下に振り回され、乗員の中には顔を青白くしている者も居た。
数海里離れた洋上では、僚艦であり任務隊を構成する第81、第93、第96海防艦が、各々同様に航行していた。

目に見える武装は大変貧相に映る。 
目ぼしい武装は艦の前後に配された62口径76mm単装速射砲が2基2門。 そして艦橋両舷に配されたボフォース40mm連装機関砲のみ。
しかし電子戦装備は充実しており、インサルマット/J-バード衛星通信リンク装置をも完備している。

何より今時BETA大戦では、水上哨戒艦艇は対BETA海中探査能力が必須とさえ言える。
その中枢はフランクアレイ・ソナー、艦首ソナー・TASS(Towed Array Sonar System)が一体になった、ZQQ-6を水上艦として装備。
対BETA海中攻撃兵装として、71式を改良した85式4連装・375mm対水中ロケット・ランチャーを両舷に4基と艦尾に1基搭載。
但し、アスロック(ASROC対水中ロケット・ランチャー)は、艦体の大きさの都合上省略されている。


第84号海防艦長・荒木努海軍少佐は、荒くなってきた前方の海原を見つめていた。
この先には、既に廃墟と化した旧上海市街が有る。 まだBETAが侵攻する前、新任士官当時に親善航海で寄港した事が有る。
モダンとレトロが見事に融合した、素晴らしい街並みだったのを覚えている。

(―――あの街並みも、もう無いのだろうな・・・)

BETAは有機・無機問わず貪り喰らう、上海は既に丸裸の廃墟と化している事だろう・・・

「艦長、変針点5海里」

傍らの航海長の声が、意識を現実に戻す。 
今は過去の追憶に浸っている時ではない、それどころか帝国本土が上海の轍を踏むかどうかの瀬戸際だと言うのに。
意識を艦の指揮に戻し、哨戒区域の折り返し地点での変針指示に集中する。

「面舵、10度」

「面舵、10度。 ヨーソロー」

艦体が波間を遮り、ググッと右方向に回頭を始める。 艦首が波濤を切り裂き、砕けた波しぶきが艦橋にまで降りかかる。
左右の僚艦も、波間に見え隠れしながら同じ動きを見せるのが判った。 タイミングが問題だ。 ここでばらけては、後で隊司令からお小言を頂戴する事になる。

「270度・・・ 275度・・・ 280度」

「舵戻せ」

「舵戻せ、ヨーソロー。 285度・・・、290度・・・」

艦長の操艦号令に、操舵員が小刻みな当て舵を細かく当てる。

「舵中央、290度」

「舵中央、ヨーソロー・・・ ヨーソロー、290度」

「はい」

単横陣からの各艦一斉旋回頭で悌形陣へ。 
各艦の距離・位置を違う事無く、哨戒行動中にこれだけの艦隊運用をやってのける技量。
旧ユーラシアの陸軍国の海軍では考えられない、昔からの海軍国ならではと言える。
やがて変針を終えた各艦は、新たな進路を取り哨戒行動を続けてゆく。
ここ数日前までは変わらぬ日常の哨戒行動だった、だったのだが・・・

「艦長! 戦務長より『ソナー、感有り。 的測、深度42(m)、距離48(4800m)! 的針、0-6-8』、です!」

「隊司令、第81号海防艦より入電! 『ソナーに感、対BETA水中戦準備と為せ』です!」

「僚艦、第93、第96海防艦から、『感有り、BETA発見』の報、有り!」

同時に複数の報告が入った、BETA群の発見だ。

「よし! 総員、戦闘配置!」

急に艦内が慌ただしくなる、第1警戒配置から戦闘配置へ。 各員がラッタルを駆け上がり、また駆け下がり、防爆・防水扉が閉鎖され、通風が制限される。 
射撃指揮所では砲術長が射撃指揮管制装置の前に陣取り、射撃準備の為に前後の砲塔が急旋回し、砲身が上下する。 
対水中戦闘指揮所の水雷長の指示の元、対水中ロケット・ランチャーには掌水雷長以下の水雷員が配置に付き、ランチャーを『熱く』する。


モノの数分で、各部署から配置完了の報告が次々に入って来る。 恐ろしい程の練度だ、例え世界最強と言われる米海軍でも、これほど素早い行動は出来ないだろう。
主戦力たるGF(聯合艦隊)からは一段低く見られがちなEF(護衛艦隊)であるが、帝国の四海を常に警戒する彼等の練度は、GFと全く遜色が無い。

「艦長! 戦闘配置完了!」

先任将校である戦務長の大尉が、後部電測室付近から艦橋の荒木少佐に向って、怒鳴る様に報告する。
大艦と異なり、海防艦の様な小艦だと艦橋は吹きさらしに近い。 合成風力の音で、大声で無いと聞こえない。

「航海(航海長)、舵任す! 戦務(戦務長)!」

航海長に戦闘操艦を任せ、傍らに戦務長を呼び寄せ状況を確認する。
事前情報を確認した戦務長が、素早く要点のみを纏めて報告する。

「J-バード(JB-10)からの衛星情報は2時間前です。 旧上海、旧杭州、旧寧波を基点に、杭州湾一帯に飽和BETA群が溢れておりました。
全体で約1万9000から2万。 恐らくその中の1群が、押し出されて東進を始めたのでしょう」

「数は? 目ぼしい連中は居るか?」

駆けつけた、電測・水測を担当する戦務士(若手の少尉)から測的結果を受け取った戦務長は、その記録紙に目を落とし、無意識に鼻を鳴らした。

「ちょっと豪勢ですな、約3000おります―――大物喰い、出来るかもしれませんな」

「おるかな?―――見張り長!」

「・・・11時、4海里(約6400m)、6ツ、露頂しとります―――間違いありません、『海坊主』です!」

―――『海坊主』 要塞級BETAの、EFでの隠語だ。
東シナ海は比較的水深が浅い。 大陸棚が南西諸島まで大きく張り出しており、特にこの辺りの水深は精々40m程の浅い海が広がっている。 
この深度は朝鮮半島付近の最も深い場所でさえ、ようやく100mに達するかどうかだ。
その為、BETA群が渡洋侵攻を行う時に注意深く見れば時折、体高60mに達する要塞級BETAの頭部と装甲脚上部が露頂(海面から出ている状態)しているのが見える。
これを、EF乗り組み将兵は、『海坊主』と言い現わしているのだ―――『海坊主』の周りには、多数のBETAが海底を這っている。

「ふん、『海坊主』か・・・ 砲術(砲術長)! 狙えるな!?」

『照準完了、何時でも』

射撃指揮所で既に目標への照準を済ませていた砲術長から、自信に満ちた声が返って来た。

「どうせ腹の中には、厄介な『ひとつ目玉』を抱え込んでいるのだろう。 ここで始末するに越した事は無いな。 よし、命令有り次第、叩き込め」


4隻の小部隊は、露頂している要塞級BETAと一定距離を保ちながら追尾を開始する。
その下には、多数の大小のBETAが潜んでいる筈だ。 不用意に接近し過ぎると、浅い海底から『飛び付き』をされかねない。 用心に越した事は無い。

左翼に位置する第93海防艦が大きく迂回し、BETA群を挟んで反対側の海域に艦を占位させた。
第96海防艦が大きく右に進路を変える。 同時に司令海防艦である第81号海防艦がBETA群の進路上最後尾に占位する。
そして第84号海防艦も、BETA群に少し距離を開けて占位するように艦を持って行った。
やがて、BETAの進路上の前後と左右を挟み込む様に、4隻の海防艦が攻撃位置を占めた。

「艦長! 隊司令より『攻撃始め』、です!」

「よぉし! 撃て!」

号令から数瞬の間をおいて、前後2基2門の62口径76mm単装速射砲が毎分85発の猛烈な勢いで、76mm砲弾を撃ち出した。
砲の最大射程は1万6300m、今回の標的は6400mから6500m―――必中距離だ。 4隻の海防艦の76mm砲弾が、要塞級BETAに殺到する。
瞬く間に前後左右から数10発の76mm砲弾を受け、露頂していた要塞級BETAの頭部が弾け飛び、次々にその姿が波間に消える。 
やがて視認範囲にいた『海坊主』―――6体の要塞級BETAが全て波間に姿を消した。 頭部を破壊され、海底に横たわっている事だろう。 その間、僅か数分。

「戦務、危険範囲は?」

「ソナーの感から推定ですが、先程の目標から1海里(1850m)以内は危ないでしょう」

水深が精々40m程だ。 下手に真上を航行して、要撃級BETAなどに『飛び付かれ』ては、海防艦の様な小艦はひとたまりも無い。

「数は?」

「変わらず、3000」

「隊司令からは?」

「はい、『対水中戦を以って殲滅と為せ』です。 パターンB、発射4回」

ほんの一瞬考え込むような仕草を見せ、次の瞬間に荒木少佐は新たな攻撃命令を出した。

「それが妥当か。 よし、水雷(水雷長)、対水中戦! 射距離2500、パターンB、4回!」

『了解。 散布パターンB、発射4回、了解―――発射!』

5基の対水中ロケット・ランチャーの内、BETA群に指向できる左舷と後部の3基から、各々4発ずつの対水中ロケット弾が射出される。
最大射程は4200m、今回は2000から3000mにかけての距離に、12発の対水中ロケット弾が、遠近交互になる散布パターンで射出された。
僅か4秒の内に全弾を射出し終え、直ぐに再装填が始まる。 その間にソナーで攻撃評価を行い、次の散布範囲を決定する。

『上げ1つ、右2つ! 続けて撃て!』

水雷長の命令が響く。 僅かに散布海面をBETA群の前方方向にずらしながら、更に12発の対水中ロケット弾が発射され、海面に着水する。
対水中ロケット弾の沈降速度は毎秒9m、設定された起爆深度は40mであるから、着水後4秒ほどで海面が勢いよく盛り上がっている。
その下ではロケット弾炸裂による衝撃波(水中伝播、海底反射)、そしてそれに伴う急激なホギング・サギング震動がBETAの体表面を襲う。
最後にバブルジェットが生じて、その強固な体殻をも切り裂いているのだ。

他の僚艦からも、次々と対水中ロケット弾が発射されていた。 小型種BETAはこれだけで、影響範囲内に存在する個体はズタズタに切り裂かれているだろう。
同時に炸薬の炸裂によって生じた無数のキャビテーションが急激な伸縮を繰り返し、水面へと上昇する効果は大型種に対し、その体底面を破壊する。

少しづつ散布海面を変えながら、4隻の海防艦はBETA群の想定位置海面に万遍無くロケット弾を叩き込んで行く。
途中のソナーによる攻撃評価を挟み、都合8回の(4隻合計で384発の)対水中ロケット弾攻撃が続いた。

やがて唐突に攻撃が終わった。
洋上での戦闘では、対岸からの光線属種のレーザー照射見越し距離圏外ならば、そして比較的浅深度ならば、人類側が一方的に叩ける。

「どれ位、片付けられたかな・・・?」

「3000全て・・・ と言いたい所ですが、精々700から800体と言った所でしょう。 少しばらけて分布していましたし」

「うん、まあ、そんな所だろうな。 残りは後続に任せよう。 航海! 進路を哨戒航路に戻す! 第1警戒配置!」

隣接する哨区には、第443護衛任務隊が待ち受けている筈だ。 その他にも連絡を受けた他戦隊の艦が、朝鮮半島に至る哨区へ向けて急行中だろう。
少なくともBETA群は朝鮮半島に至るまでに、5つの哨区を通過する事になる。 3000程の個体群で有れば、海底で殲滅も可能な筈だ・・・

第84号海防艦を含む第442護衛任務隊は、それまでの戦闘が嘘のように静まり返った海域を所定哨戒海域に向け、変針していった。

「通信、隊司令海防艦に報告―――」

戦闘詳報を通信させている最中、荒木少佐はたった今先程の戦闘を振りかえっていた。
この数日と言うもの、BETAの海底移動が活発化している。 華中・華南の大陸沿岸から東シナ海を押し渡るBETA群と言えば、重慶ハイヴの個体群だ。
これが実に活発な行動を示している。 東シナ海を渡り、洋上からの攻撃で数を大幅に減らしつつも、朝鮮半島へ、鉄原ハイヴへと。
この兆候は北緯25度線以南を担当する統一中華海軍―――台湾海軍も確認している。
台湾海峡を『押し渡る』のではなく、『北上して通過』していく個体群が多く確認されているとの事だ。

(―――嫌な感じだ)

重慶ハイヴからの個体群移動によって、もし鉄原ハイヴが飽和状態になったとしたら・・・ その矛先は間違いなく帝国本土、九州地方だろう。

(―――上層部は、軍令部はどう考えているのだ? いや、統合幕僚総監部は? 国防省は? 
どう考えても、一刻も早く西日本の防備体制を、完了させねばならんのじゃないか?)


それは、荒木少佐のみならず、対BETA戦線の現実を肌でもって感じている全ての将兵が、漠然と不安に感じている事だった。











1998年4月28日 1230 神奈川県藤沢市 辻堂 第18師団駐屯基地


「ではな、元気でやれよ」

「中隊長・・・ いえ、周防さんも、お元気で。 四宮、瀬間、後は頼んだぞ」

「お任せ下さい」

「了解です」

それぞれの言葉で別れを惜しむ。
今日付けで最上が俺の中隊、いや、第18師団から北関東の朝霞駐屯地に駐留する、第35師団に転属するのだ。
この話は前々からあった。 と言うのも、最上は19期のB卒、俺の1期半下だ。 そして丁度この4月1日付けで、彼の期が大尉に進級したのだ。
大尉で小隊長も無い。 かと言って、連隊の中隊長の席は埋まっている。 そこで東部軍管区の第35師団の増強を受け、そちらに転属となったのだ。

因みに30番台から50番台までの師団は、昨年初頭より増強整備が続けられてきた後備師団(特設師団)で、35師団は13師団の後備師団だった。
この様な後備師団を増強整備した特設師団は、東海地方以東に多い。 逆に現役兵で構成された『常備師団』は、西部と中部軍管区に集中している。

「当分は練度向上に手間がかかるだろうが・・・ 大丈夫だ、今までの経験を生かせばな。 特に望まれての転勤だ、頑張れよ」

「この時期に東部軍管区とは、気が引けるのは確かなんですが。 兎に角、1日でも早く練成を完了させて、戦略予備の列に加わりますよ」

これから直に18師団は畿内に移動する。 その直前の転勤、それも関東に居残り。 最上が、気が引けると言うのも判らんでも無い。
しかし実際の話、東海と東部軍管区は戦略予備として機能して貰わないと困るのだ。
西部に19個師団、中部に14個師団を配備しているとはいえ(帝国全軍、54個師団中の33個師団、60%以上だ!)、対BETA戦では保証の限りでは無い。
東海軍管区の6個師団、東部軍管区の6個師団、合計12個師団が後背で戦略予備として見込めるかどうかで、戦略立案が大きく変わって来る。
特に東北・北海道・樺太方面の北部軍管区の9個師団が、対H19・ブラゴエスチェンスクハイヴを睨んで動かせない状況では尚更だった。

「後ろを頼りにしている―――お疲れ様でした。 ご健闘を、最上大尉」

「お世話になりました。 ご武運を、周防大尉。 四宮中尉、瀬間中尉も」

「ご武運を、最上大尉」

「お世話になりました。 ご健勝で、最上大尉」

敬礼と答礼を交わし、最上が営門を出ていった。 
正直、中隊長拝命当時より頼りにしていた、右腕とも頼む彼を手放すのは痛い。
痛いが、逆に帝国軍はそれを要求している。 実戦の経験を積んだ、若く有能な指揮官を、と。
ならばそれに従うのも、帝国軍人だ。 それに今回の転属は、彼自身の向上に繋がるだろう。 
小隊長から中隊長へ。 最小単位ながらも、戦術戦闘部隊指揮官へ。 小隊長は未だ戦術単位の指揮官とは言えないのだから。

その後ろ姿を暫く見送った後、背後の2人を振り返る。

「―――さて、これから忙しくなる。 瀬間、中隊副官だ、諸々頼む事になる。 四宮、小隊指揮は初めてだろうが、今までの経験を生かせ」

「了解」

「はっ!」

新たな小隊長と、新たな中隊副官を顧みる。
俺の仕事は、この2人を伸ばし、そしてこの2人が部下を伸ばす事を後押しする事。 中隊全体のバランスと技量の向上を。
これが戦果に直結し、部下達が生き残る可能性を1%でも増やす事だ。 そしてそれは、俺自身が生き残る可能性の向上でも有る。


営門から、中隊事務室のある管理棟まで戻る。
晴れ渡った空、午後の日差しが暖かい。 その日差しの中、営門から連隊管理棟まで戻る道筋。
春の風が吹き渡る。 海岸が近いせいか、何となく潮風の様な気がするのは気のせいか。
日本は春真っ盛りだ。 生命の春、希望の春、光に満ちた春。 古より日本人が愛してやまない春。
果たしてこの春を、何時まで見る事が出来るのだろうか。






「さて、午後は機体の搬出作業が有る。 大隊第3係主任(運用・訓練幕僚)と調整が要るな」

「今、摂津中尉が行っています」

最上を見送った後の、管理棟の中隊事務室。 ここも随分とすっきりしたものだ。
機体を戦術機輸送車両(87式自走整備支援担架)に搭載し、兵装関係も支援輸送車両に搭載を行う必要が有る。
その後は師団後方支援連隊の輸送隊と、各大隊に張り付きの整備中隊に任すだけだ。
各中隊から運幹(運用訓練幹部)を兼ねる中隊副長が、大隊や連隊の運幹(3係)と順番や手順の調整中の筈だ。

最上が転出し、それまで中隊副官だった四宮が3小隊長に移った。
その穴はこの4月に中尉に進級した、瀬間 静中尉が埋めている。 元は3小隊で最上をサポートしていた衛士だ。
同時に摂津が中尉の先任者として、中隊副長兼第2小隊長、中隊の運用訓練幹部を行う事に。 他の係業務は四宮と瀬間が分担担当している。

「運搬作業は1330からか。 終了予定は1700、但し搬出開始は2330。 我々自身は翌0100から移動を開始・・・」

「ルートはどうなるの? 瀬間? 藤沢街道(467号線)は論外として、新湘南バイパスから129号線を北上して東名?」

「基本的にそうらしいですけど、田村の辺りで伊勢原方面へ折れて、271号線(小田原厚木道路)に乗るそうです。 そこから東名厚木ICまで」

そこから延々、小牧まで東名を飛ばして名神に入り、吹田ICで中国道に乗り換えて中国豊中ICで降りる・・・
いっその事、伊丹が使えれば楽なんだが。 厚木の基地から官民両用の伊丹空港に降りれば、新しい駐屯地の豊中までそう時間はかからない。

「伊丹は今、6師団の移動でごった返していますよ」

「間が悪い。 よりによって6師団の移動日程とぶつかるとはな。 途中の牧ノ原と養老で休憩を入れる。 
都合8時間近い移動だ、トラックじゃケツは痛いぞ、体調は整えさせておけ」

「判りました」

「了解です」








1930 辻堂 第18師団駐屯基地


「直衛、聞いた?」

出発前の慌ただしさの中、僅かな時間を見つけて、将集(将校集会所)で大急ぎで晩飯を食っていたら、愛姫がいきなり主題抜きで話しかけてきた。

「・・・色んな話を聞いたが、お前が何の話を聞いたのかは、俺は知らん」

「屁理屈ぬかすな、屁理屈! 機体よ、機体!」

機体? もう輸送車両に搭載は完了して、後は夜半の搬出を待つだけなのだが。 それがどうかしたのだろうか?
愛姫と言えば、何やらもどかしそうな、当惑したような表情で言葉に詰まっている。

「機種変更だってさ! 今の機体は向うに着いたら、そのまま佐賀まで運んで第34師団に持って行くって」

「・・・何処からのネタだ?」

「連隊の本管(本部管理中隊)よ、さっき聞いたのだけれどね」

愛姫がやはり戸惑った様に言う。 珍しいな、こいつがこんな物言いをするなんて。

「・・・で、機種変更って、何に?」

連隊は、と言うより第18師団は94式『不知火』と92式弐型『疾風弐型』で混成編成された、数少ない部隊だ。 
最新鋭機である94式で固めた部隊は、禁闕守護の禁衛、帝都第1、広島の第2、福岡の第9師団。 この4個師団は94式『不知火』で固めている。
そして僚隊の第14師団は我々と同様に、94式1個大隊、92式弐型2個大隊で戦術機甲連隊を編成する。
他の戦術機甲師団は7個師団が92式壱型と92式弐型の『疾風壱/弐型』配備部隊、1個師団が89式『陽炎』で、残る7個師団が77式『撃震』だ。

数を揃える事が出来た理由は、それまでの『甲師団』を全廃した事。 そして『乙師団』編成を全戦術機甲師団に適用した事がひとつ。
これで甲師団編成だった禁衛師団や、第1、第2師団、第9師団が抱えていた20個戦術機甲大隊の内、8個大隊が浮いた。
これを元に、全戦術機甲師団の再編成を行ったのだ。 もっとも第14、第18師団はそのままだったが(元々、乙編成師団だ)

第2にメーカーの生産努力、これが大きい。
メーカーの海外生産拠点建設は95年から逐次着工されて、今はオセアニアを中心に、東南アジアでもフィリピンのルソン島でも立ち上がっている。
そこの生産工場では、1年前から24時間体制のフル操業に入っているし、国内生産拠点は2年前から生産現場は完全戦時体制に移行していた。

その為、94式も92式も、部隊配備分以外のストックはまだ少し、余裕が有るはずなのだ。
ここでいきなり機種変更と言う事は、部隊の再配備先から考えて・・・

「94式よ、『不知火』。 92式弐型装備の第1、第3大隊を、全て94式装備部隊に変えるんだって」

「・・・結構な事じゃないか。 俺は半年以上乗っているけど、良い機体だぞ、94式は。 細かい改善要望点は有るけど、基本的に機動性も即応性も良好だ。 
欲を言えばもう少しフレームの強化と、電磁伸縮炭素帯のレイアウトを考えて欲しいけどな」

「砲戦能力で、支障が出る・・・?」

「支障って程じゃない。 だけど、高速・高機動中の近接砲戦なんかやっていると、心無しか砲撃のリコイルも合わさって、『捻れ』を感じる。
まあ、第3世代機は押し並べて華奢だからなぁ、フレームも新素材が出来ない限り、太くすればそれだけウェイトが増えるし。
そうなれば主機出力の問題も出る、燃費もなぁ・・・ それを改善する為の『壱型丙』は、あの通りだしなぁ・・・」

最後は愚痴になってしまったが、以前搭乗していた92式弐型と比べても、機動性は若干ながらも向上している。
ただ、思ったよりフレーム剛性が低い気がする。 急激な機動をすれば、ホンの半瞬にもならない時間だが、追従が遅れる感覚が有る。
逆に言えば、操縦系に『遊びが有る』とも言うけどな。 ピーキー過ぎる操縦・機動特性は衛士の体力を急激に奪う。
短期決戦ならともかく、ピーキーな操縦特性は持久戦になったら、体力の低下は急激になるだろう。 
その辺を考慮に入れての事かも知れない。

「打撃支援や、砲撃支援には支障無いと思う。 近接格闘能力は良いと思うよ、力任せの打撃は第1世代機に劣るが、それは仕方無い。
ただし、あくまで『ガンスリンガー』タイプの俺個人の見解だ。 『ソードダンサー』タイプの意見は、ウチの大隊長にでも聞いてくれ」

「アンタ、近接格闘戦は余りやらないもんね」

「やらない事は無いけど、それを主体にしてないだけだよ。 ただし、瞬間的な瞬発力は第2世代機を十分上回る。 総合力では92式弐型のチョイ上、って所か」

「突撃前衛小隊の連中には、特に念入りに慣らさせておかないと、ってトコね?」

「砲戦好きの連中にはな。 で、今まで使っていた92式は34師団にか?」

「そう。 ウチと、あと14師団もそうらしいから、34師団へは4個大隊分の92式の内、3個大隊分。 
これで34師団も77式から卒業って事ね。 残る1個大隊分の機体は、大分の12師団に。 
あそこ、今まで1個大隊が77式だったけれど、こっちからの1個大隊分を受け取って完全充足の92式配備部隊にするんだって」

完全に、西部・中部重視の機体配分だな。
これで西部軍管区は94式配備の戦術機甲師団が、第9の1個師団。 残る6個戦術機甲師団は全て92式弐型で固めたか。
中部軍管区も似たようなものか、戦力的にはこちらが上かもしれない。 94式装備の戦術機甲師団が5個と89式装備師団、77式装備師団が各1個の7個師団。
逆に東海地方以東はお寒い限りだ。 92式装備は東部軍管区に1個師団と、北部軍管区に1個師団。 残る5個師団は全て77式装備師団。
最上が転出した35師団も、77式装備だったな。 今頃は、ぼやいているかもしれない。

「向うに着いたら、第1と第3は大変だな。 慣熟訓練、頑張ってくれや」

「アグレッサーに指名してやるから、アンタも精々気張りなさいよ?」

―――性悪女め。

と、そう思った瞬間、別の事を思い出した。

「おい、愛姫。 最近、圭介から連絡有ったか?」

「え? 圭介? ううん、無いけど・・・?」

「・・・なら良い、いや、大した事じゃないんだ、うん」

―――あの馬鹿、何グズグズしてやがるんだ? さっさと口説け!













1998年4月29日 0230 神奈川県厚木市 東名高速厚木IC付近


長々とした車両の列が移動している。
その中で1/2tトラックの後部座席から、外を何気無しに眺めていた。

「・・・下り(車線)は、今日も満員御礼だな」

恐らく、東北方面への疎開をするのだろう。 
長蛇の列となって、先程から動きもしない下り車線の渋滞を横目に、思わず独り言がこぼれた。
そんな俺の呟きに、隣に座る摂津が苦笑しながら答える。

「そりゃ、中隊長。 西日本全域から民族大移動ですぜ? 1カ月や2ヵ月じゃ、収まりませんて・・・」

沖縄を除く近畿以西の西日本、1都1府21県の人口約4750万が、大混乱の中での大疎開を開始し始めているのだ。
正確には行政戒厳令が発令された九州全域と、山口、広島、島根の3県、その合計約1850万人がだ。
そして第1種避難勧告の発令された鳥取と岡山、第2種避難勧告の発令された四国4県と、近畿1都1府4県の併せて2900万人も避難準備を始めている。

だが、その計画は遅々として進んでいない。
当然だろう。 誰しも生まれ育った土地を、我が家を手放したくないのは同じだ。 
それに今回は行政戒厳令、避難後の土地家屋は全て行政が接収する。
つまり、家も土地も取り上げられて、無一文で疎開先へ行け。 極論すればそうなる。

受け入れ先の準備も整っていない。
国内では信越地方と東北・北海道地方が受け入れ先指定を受けているが、元々が人口の少ない山岳地方が殆どだ。
いきなりこんな大人口を受け入れる社会基盤が無い。 指定先の地方自治体はどこもかしこも悲鳴を上げている。
思い余ったとある県の県知事が、内務省に直談判に及んだが、その直後に解任されたと言う話だ(知事は内務省の高級官僚だ)


国外への移民計画も捗々しくない。
受け入れ先として打診しているのは豪州とニュージーランド、そしてフィリピン。
豪州は移民資格枠での折衝が難航していると言う。 昨今、またぞろあの国で台頭してきた白豪主義がネックになっているのだ。

アラブ諸国やインドから大量の難民を受け入れた結果、『生粋の』オージー連中が拒絶反応を起こしたと言う訳だ。
それでも帝国の場合はまだ有利な交渉が続いていると聞く。 重工、電機、造船、その他の企業群が生産工場の移転・増設を積極的に行っているからだ。
これで現地政府は、雇用の拡大と税収の増加を見込める。 その見返りとして、帝国からの移民枠の制限緩和と拡大、権利の保障を、という訳だ。

だからと言って、明日にでも直ぐ、という訳にはいかない。 
移民する側にも、心理的な壁は多々有る。 難しい問題だ。

ニュージーランドも豪州と似たような状況だった。 もっとも最近は豪州とは反して、向うから積極的にアプローチをかけていると言う。
人口にしても、人間より羊の数の方が10倍も多いと言われる国だ、土地はまだまだ余っている、そこに帝国の資本を誘致したいのだろう。

フィリピンは・・・ 帝国政府がルソン島以外の移民を奨励していない。
特に南部諸島はイスラム教が強い上に、反政府組織の巣窟だ。 今日も元気に、朝の挨拶代りの銃撃戦を展開していると聞く。
移民するにしても、場所も数も限られている。

予定では、豪州への移民枠は約800万人、ニュージーランドへは約100万人、フィリピンが50万人。 1000万人に満たない。
―――もっとも、不法渡航難民となれば、その限りではないが・・・ その代わり、正規移民と異なり、受けられる権利・保障は一切ない。


「・・・嫌になりますね。 大陸と同じ光景だ」

摂津が外を眺めながら、ボソリとこぼす。
この男も、満洲戦線の中盤戦で初陣を飾っている。
国境を越えて朝鮮半島へ、着の身着のままで長蛇の列を作り、疲労し果てた表情で歩き続ける避難民の列を、嫌という程見てきたのだろう。

俺も同感だ。 そんな光景は散々見てきた。 そして故郷を捨てがたく思っている人々の心境も、実際に直面した経験が有る。
それでも―――それでも、と思う。 それでも、BETAに喰い殺される危険性を1%でも少なくすべきなのだ。
喰い殺された死者は悲劇だが、残された者にとっては生きている限り、記憶から消えない悪夢になるのだから―――翠華はよく、夜にうなされていた。

「・・・嫌だな、そうだな。 だが、やらなきゃならんな」

「・・・そうっスね」

ハンドルを握る瀬間も、助手席の四宮もさっきから無言だ。
彼女達も半島での戦いを経験している。 避難民の悲哀や苦衷、そして苦労を目の当たりにしてきた。
何より2人とも、西日本の出身だ。 四宮は岡山、瀬間は鳥取。 恐らく家族の安否が心配な事だろう。

「・・・四宮、瀬間。 向うに着いたら、帝都の第1師団まで連絡業務で行って欲しい用件が有る」

「中隊長?」

四宮が怪訝な声を出す、瀬間も同じだ。
隣接部隊同士だが、そんな事は連隊司令部付きの連中にやらせれば良い。

「何しろ、天下の頭号師団だ。 口煩い事この上ない、時間もかかる―――ああ、日夕点呼までに帰隊すれば良いから」

そんな用事、単に書類を渡すだけだ。 ものの数分で用事は終わる。

「ああ、そういえば、帝都には各県の出張連絡所が有ったなぁ・・・ あ、これ、独り言ね?」

摂津が何時もの調子の口調で、何気に大切な事をフォローしてくれる。 飄々として見えて、その実は部下や後任への面倒見のいい奴だ。
県に問い合わせれば、家族の状況も把握できるだろう。 出張事務所であれば、その種の情報も、データベースアクセスできる筈だ。

「中隊長、摂津さん・・・」 
「あ、有難うございます・・・!」

「中隊の者で、西日本出身者は誰か、把握しているな? 瀬間」

「は、はい!」

「いや、流石はお優しき3小隊長殿と、中隊副官殿! 連中、喜ぶぜ?」

飄々として、かつ、シレっとして摂津がニヤケながら『独り言』を続ける。
それに対して四宮が、判っているくせに、わざと訝しげに聞く。

「・・・摂津中尉がなされては如何です?」

「俺? 俺は中隊長と居残り組さ。 
こう言う事はな、怖い親爺や口うるさい兄貴じゃなくてよ、優しいお袋さんや姉貴がやるもんさ。 ねえ? 中隊長?」

「・・・親爺って年じゃないけどな?」

笑いを含んだ俺の言葉に、車内に少し笑い声が漏れる。
出発してからこの方、この先に予想される任務の重さに、少し雰囲気が暗かった。
これで少しは内心の負担が軽くなるのなら、親爺でも年寄りでも構わないさ。

「1日だけ、3小隊は先任の森上(森上允(まこと)少尉)に任す。 副官役は1小隊の松任谷にでも代行させる。
あいつら22期B卒組も、半年後には中尉だ。 そろそろ予習させても良い時期だろうさ」

―――早いものだ。 97年初頭の遼東半島撤退戦。 その時に初陣だった22期のB卒連中が、もうそんな時期なのか。
同時に、そんな若い連中がもう小隊長をしなきゃならないとは。 まだ20歳そこそこだと言うのに。

俺もそうだった。 横に座る摂津や、前方の四宮も瀬間もだが、本当に厳しい。 
人の生死の意味がどうのと、突き詰めて考えた事も無い若い連中。 それが、実戦の中で揉まれ、そして生き残り、指揮官として部下の命を預かる。
そして戦場の戦いの中で、無理やり考えさせられる、思い知らされる、そして覚悟をさせられる。
死生観を。 何の為に生き、何の為に戦い、何の為に生き抜き、そして何の為に死ぬのか。 それが戦争であり、我々の生きている道だ。 今のBETA大戦だ。



「向うに着いたら忙しくなる、覚悟しておけ」

ヘッドライトが照らす夜の道が、この国の、我々自身の未来への道の様な気がした。
縁起でもない。 そう思い、その考えを振り払おうとしたが、どうしても脳裏の片隅にひっついて離れなかった。






[20952] 前兆 2話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:3fa3f4a1
Date: 2010/08/28 22:29
1998年5月20日 1425 日本帝国 北大阪 能勢・豊能


比較的低い山、と言うか丘陵と言うか。 そんな地形が折り重なった様な場所。 日本ではどこでも見かける地形。
木々の緑が深く鮮やかだ。 梅雨に入る前の晴天、気候は穏やかで、気温も平野部と違い涼しく感じる程だ。
視界は余り良くない、もっともこれは戦闘行動という前提でのものだが。 折り重なった小山や丘陵が連続して入り乱れ、遠方の視界を防いでいる。


≪CP・フラガラッハ・マムより、フラガラッハ・リーダー。 BETA群前衛はエリアC7GよりルートN-28-36をN-33-42方面に移動中、個体数約200≫

「距離、速度、会敵時刻、知らせ」

≪距離1万2000、約70km/h、会敵予定、10分25秒後。 敵中衛は距離1万7000、個体数約2700、50km/h、会敵予定、20分22秒後。
敵中衛にレーザー属種確認、光線級です、約30。 レーザー照射危険圏内侵入は22分45秒後≫

「フラガラッハ・リーダー、了解」

CPからの報告と、網膜スクリーンに映し出した戦術MAPの地形情報とを見比べる。
BETAは蛇行する国道沿いを移動中。 こちらはその南側の終点付近で、3箇所に分かれて布陣している。
普通に考えれば、位置関係はこちらが圧倒的に有利。 周囲の狭さ、占位した高度、共に相手の行動を著しく制限する。

「・・・筈なんだがな」

この地形ならば、敵前衛を片付ける事はそう難しい事では無い筈だ。 BETAの動きを制約する狭隘な地形、部隊が占位した地形高度。
ただ問題が無い訳じゃない。 そもそも戦場に『完全』など無い、今回のこの状況での問題点・・・
そこまで思考を進めた時、通信表示ログと共にC小隊長―――第3小隊長の四宮の姿が、網膜スクリーンに浮かび上がった。
向うも情報を確認しつつなのだろう、視線を俺と周囲と、せわしく動かしながら聞いて来る。

『中隊長、このままでは、敵前衛の殲滅戦闘の後半で中衛と接敵。 中衛との戦闘開始直後に、レーザー照射被弾の危険性が大きくなります』

―――それは、そうだが・・・

『フラガラッハ04より03、しかし、この後ろは既に最終防衛ラインです。 
それも地形が開けています、前面の狭隘な地形で可能な限りの殲滅、これは大方針なのでは?』

『04、結局は直ぐに押し出されるわ。 レーザー照射を避けようとすれば、後方に下がる以外に無いわよ。
北向うの尾根筋を取られたら最後、こちら側との間に遮る地形は無いわ』

中隊副官の瀬間が、四宮の提言に異議を唱えた。 それに対して四宮も反論する。
どちらも理が有り、非が有る。 さて、どうしたものか?―――敵前衛会敵まで、後8分20秒。

『フラガ02より、03、04 井戸端会議じゃねぇンだ。 意見なら、ちゃんと具申しな。 
02よりリーダー、兵力分散になりますが、前後同時挟撃を具申します』

「ふん・・・」

BETA群の侵入経路、連中は比較的平たんな谷間の、国道沿いの場所を突進してきている。 ただ問題は、後続のBETA群中衛にレーザー級が確認されている事だ。
前衛との会敵時間は約10分少々、そこから敵中衛の会敵時間まで約10分。 つまり、前衛の突撃級にかまけられる時間は約10分少々。
となれば、中隊長としての俺のすべき事は―――


「―――フラガラッハ01よりユニコーン・リーダー、意見具申」

『ユニコーンだ。 フラガ、周防、何か?』

網膜スクリーンに、大隊長の荒蒔少佐の姿がポップアップする。 唐突な意見具申にも、別段驚いていない様だ。 
部隊の方針、『現状に計画が合わないと判断すれば、意見を具申しろ。 但しそれは上級者の権威を蔑にするものではない』
その他にも幾つか方針が有るが、基本的に少佐は大方針を曲げる事にならない限り、部下の意見具申をよく考慮して、修正を加えるタイプの指揮官だった。


「側面尾根筋の外側をC8Eまで、ルートN-30-38から北西を迂回してN-32-43から尾根を越せば、BETA群中衛の後背に回り込めます。
光線級は敵中衛の最後尾付近と推定されます。 BETA群前衛との接敵と同時に最後尾へ攻撃開始、飛び道具を潰すべきと考えます」

『・・・前衛の突撃級は約200だ、2個中隊は欲しいぞ?』

「言い出しっぺですから、迂回攻撃は自分の『グラガラッハ』が。 突撃級相手には『セラフィム』、『ステンノ』と本部小隊で対応可能でしょう」

大隊長は暫く思案顔だった。
ここで兵力を分散させて、前後同時攻撃を行うか。 それとも事前計画の通りに攻撃を行うか。
事前の迎撃計画では、まず突撃級を大隊全力で殲滅した後に遅延後退戦闘を行い、BETA群主力を後方の地形出口まで誘導。
出てきた所を、後方側面に配置された戦車・自走高射砲部隊と協同して叩く。 この際、地形高度を取られないように、戦術機部隊は左右の尾根筋出口に占位する。

『計画の変更は、特に必要無いんじゃないですか?』

通信回線に第23中隊、『ステンノ』中隊長の美園―――美園杏大尉が割り込んで来た。 

『下手に兵力を分散させちゃ最悪、BETAの前衛を取りこぼしますよ? そんな状況になったら、後方左右の機甲部隊への『護衛』が必要になります。
最低でも2個小隊、左右両翼に送らなきゃなりません。 取りこぼした数によっては、1個中隊を割く事になります』

どうやら美園は、事前計画通りに迎撃を行うべきとの判断らしい。

「どの道、取りこぼしは出る。 この地形だ、BETAが動きを制限されるのと同様、こっちも機動空間は制限される。
10分で200体全ての突撃級は、始末できないだろう。 密集されたら、後ろを取る事もままならない。 120mmも数に限りが有る」

『結局はこの地形を出た後で、突撃級の始末をしながら、光線級の排除を同時進行させなければならない事態に陥る、と?』

『セラフィム』リーダー―――第21中隊長の祥子が、更に割り込んで来た

「最悪の場合は。 似たようなケースは過去にも有った、遼東半島―――大連と旅順でも。
遡れば大陸戦線でも他に、腐るほどあったのでは? 俺はペロポネソス半島で経験した」

『南満州で2回』

美園が間髪入れずに答える。 但し口調は乾いた口調だった。

『1回は成功。 1回は失敗して、機甲1個大隊が喰われましたよ。 こっちも光線級に背後から狙い撃たれて、中隊で3機損失』

「・・・こっちは光線級が出張って来るまでに、突撃級を始末しようと無理をした。 お陰でベテランが1人、再起不能の重傷を負った」

―――94年の2月、ペロポネソス半島。 南部のスパルチィ(スパルタ)での間引き作戦、あそこでイヴァーリ・カーネがリタイヤした。
一瞬過去の記憶に想いをはせ、次の瞬間に脳裏へしまい込む。 語るべきは彼等の生き様、戦い様で、感傷では無いのだから。
無意識に一瞬だけ目を瞑っていた。 再び現れた視界に、大隊長の姿が映る。

「大隊長、最大の脅威は、最初に除くべきです。 突撃級への対応は2個中隊、取りこぼしへの対応は、1個小隊で可能でしょう。
とにかく、ここを抜かせる訳にはいきません。 第1、第3大隊戦闘団の後背にBETA群を送り込ませる事になります」

『貴様は、上官でも遠慮なくこき使う男だな、周防? よし、綾森、美園、敵前衛迎撃は右翼の『セラフィム』と、左翼の『ステンノ』で対応。
地形の底に長居はするな、斜面を有効に使え。 取りこぼしは本部小隊で片付ける。 周防、言い出したのは貴様だ、きっちり後ろを始末して来い』

「フラガラッハ・リーダー、了解」

『セラフィム・リーダー、了解です』

『・・・だったら、楽しい方をやらせて欲しいんだけどな・・・』

『ステンノ・リーダーは異議有りか? 美園大尉?』

『周防大尉が、是非に綾森大尉と協同したいと・・・』

「言ってない」

『・・・美園?』

俺の一言よりも、祥子の氷点位まで温度の下がった笑みの方が、怖かったようだ。 美園は首を竦めて『異議無し』とやりやがった。
とにかく計画は微修正、大隊CP経由で協同する機甲部隊へ通達。 大隊長以下の指揮小隊が地形出口へ移動して、両翼の21、23中隊がスタンバイ・・・

「22中隊、『フラガラッハ』 ルートN-30-38から北西を迂回してN-32-43から右の尾根を越す。 丁度敵中衛の最後尾付近だ、光線級を狩る!」

―――『了解』

部下達の復唱が、間髪いれずに入った。 連中、有る程度予想していたな・・・?

『ユニコーン・リーダーより大隊全機、行動開始!』

『セラフィム各機! 国道右手の400高地に布陣する、続け!』

『ステンノ全機、こっちは左手だよ、500高地! 
北北東の550高地に光線級が陣取ったらタイムリミット、谷間の戦闘は止めるんだよ、いいね!?』

大隊指揮小隊が国道沿いに南南西に下がり、『セラフィム』、『ステンノ』各中隊が左右に展開を始める。

「リーダーよりフラガラッハ全機、NOE開始。 制限高度、300」

中隊12機の94式『不知火』のFE108-FHI-220が一斉に咆哮を上げ、噴射跳躍からNOEへと移る。
高度を気にしつつ、地形をなぞるように飛行するのは、毎度の事ながら気を使う。

『うっ、おっ!』

『ん~!』

ヘッドセットから聞こえる無意識の声からも、大体誰か判る。 まだ経験の浅い連中、B小隊の浜崎と、C小隊の鳴海か。
昨年9月末に訓練校卒業後直ぐに、半島撤退戦に投入されながらも、辛くも生き残った2人だが。
まだ技量の面ではB-評価か、甘くてB評価といった所。 俺としてはせめてあと3カ月で、B+評価までは向上させたいと考えている。

「11、浜崎。 12、鳴海。 ドジを踏むなよ? 操作ミスで斜面に激突、墜落死じゃ物笑いの種になるだけだ」

急速に次の斜面が近付いて来る。 機体の上半身をやや上げ揚力を増しながら、推力を少し増す。 
上昇に移ったと同時に機体を左に傾けながら、左前方の稜線鞍部をフライパスする。
越したと同時に推力を抑え、機体姿勢を元に戻しながら機首を針路上に戻す。 N-31-40を通過。

「リーダーより各機、最終フライパスポイント、前方2時、500!」

12機の『不知火』が一斉に右手の尾根をフライパスして、パワーダイブに入った。
同時に網膜スクリーンに飛び込んで来る情景、狭い平地一杯に広がった多数のBETA群。
戦車級、闘士級、兵士級、そして光線級!

「タリホー! エネミー、インサイト! 『フラガラッハ』、エンゲージ・オフェンシヴ! オールハンズ、アタック、ナウ!」

『セラフィム、エンゲージ・ディフェンシヴ!』

『ステンノ、エンゲージ! アタック・ナウ!』

3個中隊がBETA群の前後で、同時挟撃を開始した。
レクチュアルに小型種の群れを捉える。 120mmキャニスターを着地地点へ叩き込み、数10体の小型種を粉微塵にしてスペースを確保する。 
同時に逆噴射パドルを全開放して降下速度を急激に殺し、着地と同時に背部兵装担架の突撃砲をも前面展開して、36mm砲弾の弾幕を張る。

「制圧支援、前方に誘導弾を叩き込め。 特に戦車級の接近を許すな! B小隊、突撃! 光線級を狩れ! A、C小隊、周辺掃討開始!」













大阪平野北部の千里丘陵から北、箕面、豊能、能勢に至る丘陵・山岳地帯には、広大な陸軍の演習場が広がっている。
隣接する兵庫の猪名川、川西の演習場区域を含めれば、実に約141平方キロメートル。 
富士演習場が北と東を合せて約134平方キロメートルであるから、その広大さが知れよう。

その広大な演習場の一角に、いくつもの野戦テントが張られていた。 今現在、この演習場で演習中の第18師団、その本部テント群だった。
既に1830時。 日は殆ど傾き、日没間際の紅い夕空が広がり、濃い陰影をテント群に映し出している。

「・・・第2大隊前面の戦況はその後、光線級の殲滅を早期に為した事により、我が軍の優位に推移。 
突撃級の一部が第1防衛線を突破するも、第2防衛線の戦術機小隊と機甲部隊の協同にて殲滅」

演壇に立つ師団G2(情報主任参謀)が、本日の演習結果を報告している。

「敵BETA群本隊も、前後からの挟撃が功を奏し、狭隘部を抜ける頃には約2200まで減少。 その後は第2防衛線の火力に寄り殲滅。
結果として師団左翼戦線が安定化した事により、第1派は殲滅・撃退に成功した」

何とか面子を保った結果が出せたと思う。 いくらJIVESでの演習とは言え、難易度は落としていない。

「・・・しかし第2段階に入り、北方、及び北西方面からの大規模なBETA群に対する、流入阻止戦闘が生起。 
この際、隣接部隊との連携不備により、一部部隊が防衛線を突破される事態に陥った」

横目でチラッと、隣の列に座る愛姫を盗み見る。 案の定、渋い顔だ。 
突破された部隊とは、彼女の中隊だったのだから。 G2の戦況推移説明が続く。

「その結果、空いた穴よりBETA群前衛が雪崩込み、後方に配備されていた機甲部隊前面に殺到。
戦術機甲連隊は2個中隊を割いてこれに当るも、逆に防衛線に空いた穴を拡大する事態となり、全防衛線に渡ってBETAの侵入を許す結果となった」

―――その結果が、機甲1個半大隊分の壊滅と、機動高射大隊1個が全滅。 機械化歩兵連隊も機装兵部隊を投入して阻止に当ったが、4個中隊を失った。
戦術機甲連隊も、今回での演習で総計32機を喪った、120機中の32機。 俺の中隊も、3機が喪失判定とされた。

「最終的に師団防衛線は南東25km地点まで後退。 
この結果、阪神地区から帝都の西側面・亀岡盆地に抜ける477号線、423号線を含む能勢・豊能防衛ラインは陥落した」


苦虫を潰した表情のG2が、戦況報告を終わる。 
続いて壇上に現れたのは、作戦を担当する師団G3(作戦主任参謀)だった。

「戦況結果については、今しがたG2より説明の有った通りです。 この結果、中部軍集団(中部軍管区の戦闘序列名称)の戦略目的が危地に陥った事を認識して貰いたい。
近畿南部海岸線を進撃してくるBETA個体群と、北部山岳地帯を進撃してくる個体群、この2つが合流出来る要素が生起した。
この事により、軍集団の戦略目的である『帝都防衛』と、『大阪平野への侵攻阻止』、この双方が、非常に難しくなったと言わざるを得ない」

G3がここで一旦言葉を切り、周りを見渡す。 皆、一様に難しい表情だ。
中隊長級以上の指揮官が集まったこの場で、その状況を理解し得ない者など、1人も居ない。

「阪神防衛線に戦力を集中するのか? それとも帝都の側面である亀岡への防衛に注力するのか?
キャスティングボードはBETAに握られた。 我々はその時々の状況に引きずられながら、戦力の移動と逐次投入を繰り返す羽目になる」

そうなっては、近畿の防衛線は崩壊する。 帝都にはいずれBETAが雪崩込む事になるだろう。 
琵琶湖運河の『本流』、新淀川で阻止出来なければ、大阪市以南の堺泉北臨海工業地帯も危ない。

今回の演習の想定状況は、近畿中部での防衛。 
既に近畿西部の兵庫県は陥ち、播磨臨海工業地帯、阪神工業地帯はBETAに蹂躙されているという状況想定。
更には山陰方面からの浸透を図るBETA群が福知山・篠山方面に侵入。 一部が阪神方面へ南下の動きを見せ、残余は更に亀岡方面へ突進しつつあった。

「状況は、彼我の戦力は我が方が7個師団、BETA群の想定個体数、約8万5000。 大陸での戦訓から考慮するに、些か以上に心もとない。
今年初頭の朝鮮半島南部撤退戦では、約13万のBETA群に対して、11個軍団(約25個師団)の戦力で阻止しきれなかった」

俺は多分、思わず無意識に渋い顔になっていただろう。 あの戦いはどちらかと言えば、政治や国際外交に戦場での戦略が足を引っ張られた典型だ。
満洲での戦例を見ればわかる。 あれだけの戦力を集中していれば、13万前後のBETA群は阻止出来た可能性が高い。

「・・・光州の事かい? 僕はリハビリで参加出来なかったけど、正直どうだったんだい?」

横から32中隊長の源さんが小声で聞いて来る。 この3月下旬にようやく傷も癒え、部隊に復帰してきたのだ。
同時に転勤の季節ゆえか、32中隊の市川大尉が、東京衛士訓練校の教官として転出して行った。
市川さんは元々、教育者志望だった人だ。 うってつけの適材適所ではなかろうか? その交替として、源さんが32中隊長になったのだ。

「93年の1月、それに9月。 あの時と比較しても彼我の戦力比は、悪くは無かったです」

俺も自然、小声になる。

「・・・政治ですよ、政治。 それに噂では韓国軍や大東亜連合からも、泣きつかれたらしいです」

「それは何時もの事だけどな・・・ 光州は例外的かな?」

「ですね。 後は人口密集地が近かった、そしてその避難が全く進んでいなかった、この点も大きい」

「正に今回はその状況、そのものじゃないかい・・・?」

「そこは軍の管轄範疇外ですよ」

2人して苦笑しか出ない、正に問題はそこなのだ。
一体、何時になったら政府の疎開計画が軌道に乗るのか。 何時になったら、軍はその防衛計画を十全に実行できるのか。
俺達前線の将兵は皆、その点にやきもきしている。

いつの間にか、G3の『修正防衛作戦案』は、最後の局面についての説明に入っていた。

「・・・このように、都市部での防衛戦闘は非常に困難を伴う。 そして、その結果は捗々しくないと予想される。
最悪の事態では、『畿内中部防衛計画案』、その第5案の発動も視野に入れねばならない。 その第7項、『都市部に於けるBETA殲滅』 
都市と言う『エサ』に喰いついたBETAを、十分おびき寄せた後でのS-11飽和砲撃。 大阪市南部の堺泉北臨海工業地帯へのBETA群侵入阻止。
近畿に残された最後の工業地帯だけは、何としても防衛せねばならん」

これには軍集団砲兵任務群の全てと、大阪湾に展開予定の海軍第1艦隊からの、戦艦主砲によるS-11砲弾の一斉砲撃を含む。
400年前からの商都は、これで草木1本残らない焦土と化す、か・・・ 
第1大隊の木伏さんが、怖い表情だ。 当然だ、大阪は彼の故郷だ。 その故郷を公然とBETAの餌とし、消滅させる作戦など、気分が良い訳が無い。

それにこの計画も、まだまだ検討を行わなければならない点は山ほどある。 果たしてBETAが大人しく、大阪市内に釣り込まれてくれるだろうか? 
もしも針路を新淀川沿いに北東方向へ曲げられたら最後、帝都の下腹を突かれる事になる。 その際の防衛戦力は、第6師団といくつかの独立混成旅団のみ。 
そこを突破されれば、最後の綱は帝都防衛任務の第1軍団にかかって来る。

結局今回の演習後検討会では、部隊間連携の齟齬と、初期部隊配置の問題点が指摘された。
そして再度の部隊間連携の確認と、状況に対する初期部隊配置の見直し。 その上で明日以降の再度の演習、そしてその結果の検討。
―――これが後1週間続く事になる。 

「諸君らの懸念は判る。 師団としても、検討事項はすべて洗い出した後に、軍団、軍集団作戦会議に提言の予定だ。
だが我々に与えられた、人員と資材は有限なのだ。 その与えられた範囲に於いて、我々が為すべき義務を、責務を、我々は全うせねばならない。
諸官には、各々の職務・職責の範囲に於いて、最大限の努力を期待する」

最後に、それまで一貫して沈黙を保っていた師団長のその言葉で、本日に演習は終了した。











「周防大尉」

本部テントから大隊へ戻る途中、大隊長と話しながら歩いていると、後ろから第3大隊長の森宮少佐から声をかけられた。
ちょっと珍しいな、と思った。 直属上官では無い上、正直あまり接点の無い人だった(戦術機甲連隊の中では、だが)

「何でしょうか? 森宮少佐」

立ち止まって姿勢を正しながら問う。
向うも俺に傍らの荒蒔少佐に黙礼しながら(森宮少佐の方が、荒蒔少佐より後任だ)、少し言いづらそうに話しかけて来る。

「周防大尉、もしかしたら君なら知っているかもと思ったのだが・・・ 伊達君の事だ」

―――愛姫?

無意識に不審げな表情でも出たのか。 森宮少佐は無言で小さく頷くと、話を続けた。

「ここ数日、時折なのだがミスが続いている、彼女らしくない。 手を抜いているとかでは無いのだ、何と言うか、心此処に非ず、と言った感でな。
本日の演習でも、らしからぬミスをしている。 ミスを犯した後の挽回は、流石と言う程なのだが・・・」

「そう言えば、そうだな。 何もあそこで強襲する事も無かった。 一旦引いて、縦深陣形を連携して構築すれば、逆に押し込めて殲滅出来た。
確かに、伊達大尉らしからぬミスだったな。 森宮君、3大隊の事前方針は無論、強襲では無かったのだろう?」

荒蒔少佐も想う所が有るのか、思い出しながら不審げに言う。

「周防大尉、君、何か心当たりは有るか?」

森宮少佐が重ねて尋ねて来る。 
心当たりか・・・ もしそうなら、仮定出来る事は一つだけなんだが、ここで断定も出来ないしな。

「・・・済みません、森宮少佐。 はっきりとした事は、何も。 それとなく、伊達大尉に当ってみますが?」

「うん、そうしてくれると助かる。 僕から言っても、もしかしたら遠慮してしまうかもしれないし。
源大尉は先任だし、仁科大尉は後任でかつての部下だった。 もしかしたら同期生の君や、1大隊の神楽大尉になら、と思ってね」

少し苦笑を浮かべた、そして困った感じの笑みでそう言って、森宮少佐は荒蒔少佐に(俺にも)軽く目礼して自分の大隊へと戻って行った。
その後ろ姿を見送りながら、荒蒔少佐が視線を移さずに話しかけて来る。

「・・・心当たり、無いのか?」

「漠然とは、ですが。 しかし、断定も出来ませんし」

「この際だ、お節介焼いてみたらどうだ? 同期生同士だ」

「夕食後にでも、それとなく」

「そうしろ」

それだけ言うと、荒蒔少佐もさっさと大隊まで戻って行った。
何とまぁ、演習以外にちょっと面倒な事を頼まれたものだ。 知らず肩を竦めていると、ある意味一番声を掛けられたくなかった人物から、声をかけられた。

「おい、周防。 伊達と神楽の事で、聞きたいのだがな・・・?」

後ろを振り向くと、ちょっと不機嫌そうな顔の広江中佐が手招きをしていた。
思わず胃の辺りに圧迫感を覚える。 ホント、頼むよ、愛姫。 それに緋色もだと・・・?













「伊達大尉」

愛姫を呼ぶ声が聞こえる。 聞き覚えのある事だ。
野外テントで夕食を済ませ、部隊に戻る途中の愛姫を捕まえた途端の事だった。

「伊達大尉」

なのに愛姫は聞こえぬ振りで、すたすたと部隊の方へ歩いている。

「・・・おい、呼んでいるぞ? あから様に過ぎないか?」

「私は、話す事無いよ」

「向うは、有るみたいだけどな?」

ややあって、大きく(そしてわざとらしく)溜息をついた愛姫が振り返り、声の主に返答する。

「―――何か御用でしょうか? 神楽斯衛大尉?」

向うから追いかけてきたのは、神楽緋紗斯衛大尉。 俺達の同期の戦友、神楽緋色陸軍大尉の双子の実姉だった。
今回の演習で、陸軍・斯衛の協同の一環として派遣されている、斯衛の機甲聯隊戦闘団。 
その中で1個戦術機甲中隊を指揮していて、且つ最先任中隊長として、斯衛の3個戦術機甲中隊を統括指揮していた。
今回、彼女達の部隊の大隊長は来ていない。 聯隊の各大隊から抽出された3個中隊が、臨時編成を組んでいた。

双子だけあって、流石に顔立ちはそっくりだ。 が、性格は違うようだな。 93年9月の南満州。 国連軍への出向直後に、ひょんな事で共に戦った事が有った。
あの時にも思ったが、妹の緋色より何と言うか、思慮深い性格と言うか・・・ 緋色が聞いたら、また怒るな。
この演習場でさえ、山吹色の斯衛軍の軍服を着用している。 俺達陸軍の様に、野戦服着用で無い所が、斯衛らしいと言えばらしいか。

「伊達大尉、本日の演習での連携の齟齬、当方に非が。 謝罪します、それをお伝えしたくて・・・」

「神楽大尉、戦場に齟齬はつきものです。 あの状況下での対応をし切れなかった事は、私のミス。 謝られても困ります」

「しかし・・・」

「実戦でのミスは、死に直結する。 十分判っている筈なのに、私は今回ミスを犯しました。
その結果は私の中隊戦力半減と、斯衛の中隊で2個小隊が全滅。 自分の情けなさが腹だたしい限りです」

それだけ勢い良く言い放って、『それでは』と、話を打ち切って愛姫は歩き去って行った。
残された神楽斯衛大尉は、全くバツが悪そうだ。 そりゃそうだろう、謝罪に来て見れば、相手に全くされずに去られたのだから。

そして、そんな中に話の流れ上、取り残された俺の身にもなれって・・・

「あ~・・・ 神楽大尉、お気になさらず。 伊達大尉も自分の判断ミスだと言っておるのですし・・・」

「いいえ、私のミスです。 後任の、同僚の突出を抑えきれませんでした。 その結果、空いた隙間に突撃級に入りこまれ・・・
伊達大尉は無理をして、その間隙を塞ごうと。 その結果、彼女の中隊は戦力の半数を失う結果になりました」

―――演習後の講評では、愛姫の奴、連隊長から叱責されていたモノな・・・

離れていたから直接目撃した訳じゃないが、記録を見る限りでは神楽大尉の指揮する3個中隊のうち、左翼の迎撃任務中隊が何故か突出してしまった。
そのあおりを受け、隣接部隊である愛姫の中隊との間に突撃級の群れが殺到してしまったのだ。
戦術的に見れば、突出した中隊はそのままに、戦線をやや下げてでも、途切れた線を繋ぎとめるのが上策だった。
その場合、下がった底の阻止部隊を愛姫の中隊が務め、隣接部隊が各々間隙を詰める。 縦深陣形を形成すれば、前後左右から殲滅も可能だ。
突出した中隊?―――BETA群の中で生き残れば良し。 駄目なら囮役兼、縦深の蓋として消耗させる。 全滅は計算上許容できる。


「神楽大尉、記録を見る限りでは、それまでは実に良く左翼からの支援を、的確に行っていたと見ましたが。
失礼ながら、実戦経験のない指揮官としては、いかにJIVESとは言え、BETAの姿を目の当たりにして、あの指揮は上等かと。
なので余計に解せない。 どうしてあの局面で、左翼の迎撃中隊が前面に突出してしまったのかが」

お陰で、本来は突撃前衛役の中隊が、慌ててそのフォローに回る始末。 右翼で迎撃任務に当っていた神楽大尉の中隊も、急遽転進せねばならなかった。
確か左翼迎撃中隊の指揮官、あの女性斯衛中尉は、斯衛の赤ではなかったか?―――斯衛の赤か。 正直、別世界の存在だな。

「・・・焦っているのでしょう」

「焦っている?」

自嘲気味に話す神楽大尉の横顔に、微妙な色が加わったように思えた。

「斯衛とは、実に面妖な組織なのですよ、周防大尉。 階級とは別に、家柄、家格、一族の伝統・・・ そして面子。
様々なしがらみに縛られているのです、我々は。 黒の者達は違います、彼等はただ一身をもって忠誠を尽くすのみ。
ですが、我々は・・・」

―――『我々』と言うのは、家格の認められた白以上の武家の事だろう。
そう言えば国連軍時代に、英国出身のロバート・ウェスター少佐―――当時は大尉―――から聞いた話を思い出した。 第1次世界大戦での事だ。
あの戦争で英国は(他の国もだが)尋常ならざる戦死者を出した。 そしてその傾向は、下級指揮官―――小隊長や中隊長に顕著だったと言う。
当時の英国軍の下級指揮官は、貴族やジェントリーの階層が占めていた。 『将校たる者、戦場で身を伏せるべきではない』
砲弾が炸裂し銃弾が雨あられと飛び交う中、身を晒したままでは、ただの標的に過ぎなかっただろう。

ウェスター大尉は、このBETA大戦でも欧州各国にはその残滓が色濃いと自嘲していたが、それは我が帝国も似たようなものか。

「焦っているのです。 彼女は普段では、斯衛でも恐らく3指に入る程に協調性の有る人物です。
およそ、人と争ってまで何かを為そうとはしない。 常に和を心がける人柄です」

―――なかなか、息苦しい生き方をしているのだな・・・

「ですが、彼女の家は、赤を纏うを許された家格の武家。 そして同じく赤の家格の武家には、代々高名な武門の一族が有ります」

「・・・正直、武家の世界に関心は無いのですが。 そんな自分でも知っている赤の武家と言えば、真っ先に出て来るのは月詠家ですね」

神楽大尉はこくり、と叩頭する。

「その月詠家の惣領の姫、その姫と彼女は同年代なのです。 常々、周りから比較されてきました」

―――向うは、何処の部隊だったか? それ程高名な家の出身なら、多分斯衛第1聯隊当りなのか?
ふぅん、比較されてきた相手が、斯衛の花形である第1聯隊だとしてだ。 で、自分はどちらかと言うと、斯衛の中では傍流の第5聯隊。
それも、本来の斯衛の任務ではなく、陸軍との協同部隊に抽出された臨編大隊。 例え演習でも、功を焦って先走ったか? 恐らくは無意識に。


「・・・ひとつ、話をしましょう。 私の知人である、あるドイツ貴族出身将校の話です。 少々長くなるかもしれないが、宜しいか?」

家柄、家格、伝統。 それはそれで尊重すべき事かも知れない。
先祖代々、その一族が守り伝えてきた証。 それを伝えていく事に非を唱える気は無い。
だが、人の生き方はそれだけでは無かろう。 それだけに縛られる事が、生き方の全てなのだろうか?
その葛藤に苦しみ、その中で答えを出し、その答えを失っても尚、前を向いて生きて行こうとしている一人の男を、俺は知っている。

もし、この話を伝え聞いたとしても、自分自身の答えを直ぐに出せるものでもないだろう。
しかし、今までの自分の世界以外にも、この世には他の世界が有る事だけは、知っておいても無駄ではないだろう。

本当は、愛姫を捕まえに来た筈なんだけどな? 
どうして俺は、今こうして斯衛のお節介を焼いているんだろうな?


「・・・彼は、欧州総撤退の中で、一度全てを失いました・・・」


―――ちょっと、話が長くなりそうだ。










1998年5月20日 2310 石川県輪島市 帝国国家偵察局 衛星情報センター 中部受信管制局


『重慶ハイヴ周辺の飽和個体群、約8万2000を計測。 旧上海から以北の旧江蘇省沿岸部に、個体群約2万4000』













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Spcial Thanks!
grenadier様 『等身大の戦場』




[20952] 前兆 3話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:3fa3f4a1
Date: 2010/09/04 01:00
1998年6月15日 1950 日本帝国 大阪 豊中駐屯基地 第18師団


「直衛。 そう言えばあんた、先月の演習の時、彼女と何を話していたのよ?」

中隊事務室に入るなり、愛姫の不機嫌そうな声が飛んできた。
しかし、よりによってお前が言うか? さっさとその場をトンずらしたお前が。

「彼女? 彼女って?」

「しらばっくれないでよ、緋色のお姉さんとよ」

あの時の話しか。

「大した事は話していない。 ちょっと愚痴を聞いていただけだ。 それと、四方山話をな」

本当は、四方山話と言う訳でもなかったのだが。

「・・・ふん、手を出したら駄目だからね?」

「誰が出すか、そんな恐ろしい事」

「恐ろしい? 彼女が?」

「彼女の双子の妹が」

―――何より、祥子が・・・

「どーせ、誰かさんにばれたら怖い、とか思っているんでしょう?」

「お陰さまでな」

「馬鹿! そこで惚気るな!」

―――話を振ったのは、お前だろうに。

「で? どうしてお前がここに居るんだ? ウチの中隊の連中は?」

ここは第22中隊の中隊事務室。 
そこにどうして部下達がいなくて、他の中隊のボス、しかも大隊まで違う愛姫が、何故堂々と居座っている?

「摂津は美園と一緒に、PXよ。 四宮と瀬間は、仁科の所ね。 今頃はのんびりお茶でも飲んでいるんじゃない?」

―――昔の部下や後任を使いやがったな? 半ば脅し、半ば物で釣ったか?

「じゃ、俺も・・・」

「却下」

一刀両断で却下かよ。

「・・・何か、話しか?」

「だから、わざわざ人払いをしたんだよ!」

―――何を怒っているんだ? こいつは?
それに珍しく、酒なんか飲んでやがる。 酒豪の緋色と違い、愛姫は酒が弱い。 下戸とまではいかないが、数杯ですっかり出来上がる。
なのに、酒の席が嫌いじゃないんだよな、こいつは。 多分、楽しい酒と言うか、そう言う雰囲気が好きなんだろう。
もっともこれには、某所から迷惑千万と苦情が出ても居るのだが。 特に、愛姫の元部下だった仁科辺りから。 
愛姫の酒には、部下だった頃の仁科は、さんざん苦労したらしい。

「余り急ピッチで飲むなよ。 弱いのに」

愛姫が持っているフラスコを取り上げ、ひと口飲る―――へえ、結構良いウィスキーじゃないか。

「・・・知ってるよね? アンタ・・・」

「何を?」

もう一口、飲む。 喉がカッと熱くなると同時に、口内に芳香が広がる。
うん、良い酒だ。 愛姫に飲ますのはもったいない。

「ッ・・・! もう・・・ 先日さ、休みの日に呼び出されてさ」

「誰に?」

「・・・判ってて、言っているでしょう!?」

「いいや? で? 誰に?」

「~~~ッ! 圭介にッ」

―――ふん、あの野郎、ようやく動いたか。
フラスコからひと口飲みながら愛姫を見ると・・・ 多分、アルコールのせいだろう、彼女の顔が赤らんでいるのは。
うん、多分そうだ。 絶対そうだ。 顔を赤らめて、戸惑う様な、恥じらう様な表情など、愛姫じゃ無い。

「で、呼び出されて? どうしたって?」

「・・・絶対、後で覚えてなさいよ。 言われたわ、『おまえが好きだ、俺の女になってくれ』って」

―――何と言う、直球ど真ん中な言い方だよ・・・

「いきなり、そんな事言われてもさ。 大体、今までそんな事、考えてもみなかったし・・・」

「・・・あのな、愛姫。 お前、あいつの事、嫌いか?」

「嫌いじゃないよ、どちらかと言われたら・・・ 好き、かな? でもそれは、何と言っても今まで付き合いの長い仲間だったし。
大体、初陣の頃から一緒の戦場這いずり回って、駆けまわって来た戦友だし。 途中で、中断は有ったけどさ?」

あいつも国連軍に、一緒に飛ばされたからなぁ・・・

「・・・お前自身は、そう言う相手、居るのか?」

「えっ!?」

「好きな相手。 相思相愛でも、一方的な片思いでも、どっちでもいいけど」

―――少なくとも、今まで聞いた試しが無いんだよな、そう言う話は。
などと思っていたら、何やら妙に愛姫が言い表し難い表情をしている。 困惑した様な、気恥ずかしい様な、何とも言えない表情だ。

「・・・昔の子供の頃以外、居ないわよ・・・」

―――それこそ、ガキか? お前は?

「お前さ、人へのお節介焼きは相当だけどさ。 ちょっとはお前自身を見てやれよ?」

「・・・同じ事、圭介にも言われたわよ。 『少しは自分を見ろ』って」

愛姫が恥ずかしさと、困惑が混ざった表情で、やや早口になって続ける。

「自分を見て、自分を見ている周りの人間を見ろ、って。 私、最初、何の事か判らなかったのよ。
そうしたら圭介、怒りだして・・・ 『お前の人生、他人の事ばかり気にかける事なのか!?』って。 多分、緋色の事言ってたんだろうけど」

―――神様、仏様。 こいつは酷い。

「・・・言うのよね、『お前の事を見ている奴がいる事にも気付かずに、他人へのお節介ばかりか!?』って。
しょうがないよ、それが私の性分だもん・・・」

―――ここまで言われる愛姫も、愛姫だが・・・ それより、内心相当テンパっていたんだなぁ、圭介の奴も。 まるで奴らしからぬ情景だ。

「でさ、私も流石に腹が立って・・・ 『何が言いたいのよ、アンタは!』って、やっちゃたのよね」

―――そうなったか、やっぱり・・・

「・・・そしたら?」

「そしたら、最初に戻る、よ。 いきなり告白されたのよ」


―――で、どうしたものか、俺に相談したと。 
少し茫然と呆れながらふと、無意識にさっきから愛姫が手に遊んでいるCDに目が行った。

「・・・そのCD、どうした?」

「え? ああ、これ? その時に、圭介から貰ったのよ。 良い曲だからって」

「ちょっと待て。 休みの日に、何処に行った? 何処でそう言われたんだ?」

「近くの、市内のBARよ。 ちょっと洒落た」

「店の名は?」

「え? ええと・・・ 『黒猫』とかってお店だったかな?」

「・・・そこで、そのCDを渡されたのか?」

「うん」

ちょっと記憶が怪しいが、おおよそ間違ってないだろう。 思い出しながらあのメロディーを口ずさむ。

「ああ・・・! それ、その曲! このCDの曲よ」

―――あのな? 圭介よ。 日本国外は、戦場の大陸しか国外経験の無い愛姫に、それは流石にハードルが高いだろう?
いくら作戦だとは言え、それは無茶だ。 愛姫は全く気付いていないぞ? それが通用するのは、向うの連中だけだって・・・

「はあ・・・ 『おまえが欲しい』、か。 まさにその曲通りだよな」

「えっ?」

―――『黒猫』か。 で、さっきの曲は『ジュ・トゥ・ヴー』
曲の中で男女がお互い言っているよな、『お前が、あなたが、欲しい』って。

「自分を見ている周りの人間を見ろ、か。 違うな、『おまえを見ている、俺に気付いてくれ』じゃないのかな?」

―――違うか? 気付いてくれない、『俺の苦しみを鎮める為に』、か。 
言っていたよな、あいつ。 『だから、俺はそんな、他人の事ばかり気遣っているあの馬鹿を、放っておけない』
放っておけないと言うか、ずっと見てきたというか。 欧州に居る間も気にかけていたのかね? 多分、そうなんだろうな。
きっかけは? 想像はつくが、確証は持てない。 でも多分あの頃からか、新任の頃、同期の美濃が戦死した時期からか。


「なあ、覚えているか? 昔の事だ、確か新任の頃の冬だ。 俺とお前、それに永野と、あいつの好きだった同期の奴―――戦死した奴だ、名前は忘れたけれど。
4人で臨編の小隊を組んで、偵察行動を行った事が有っただろう? 93年初頭の大混乱の直前だった」

「・・・あったね、そう言えば」

―――俺はあの時、臨時ながらも、そして同期生同士ながらも、初めて『部下』を喪った。

「あの後、お前ってさ、永野にフォロー入れてくれたんだよな?」

「ちょっ!? 何で知っているのよ!?」

「永野本人から聞いた。 同じ大隊になった直後かな? 93年の4月か5月だ。 ・・・愛姫、お前ってさ、仲間の事は本当に良く気遣う奴だよな?」

「な、何よ、急に・・・」

「祥子から聞いた事が有る。 何年か前、1期下の奴の事でも、お節介焼いてやったんだって?」

1期下の奴って、神宮司の事だ。 国連軍最後のご奉公、戦術機教程の教官をしていた頃に、彼女自身からも聞いた事が有った。
今はどうしているのだろうな? 相変わらず、鬼教官しているのかね? 元気でやっているといいのだけどね?

「だからさ、たまには自分自身の事も、気遣ってやれよ」

「・・・それって、圭介の言葉に応じろって事なの?」

「それはお前の自由。 そこまで言わない。 たださ、お前の事を気遣っている奴もいるって事だ。 それを知って、別に損は無いと思うぜ?」

―――そこから先は、自学自修しろよな? ただ生きて、ただ戦って、ただ死んで、じゃ、何も残らないぜ?

「・・・なんか、悔しいんですけど?」

「悪いが、こっちの方が先達だ。 悔しかったら、追いついてみな。 ああ、それと―――森宮少佐が心配していた、頭を切り替えろよ?」

「あ、うん。 そうだね、流石に拙いよね・・・」

「―――あと、広江中佐には話しておいた、お前と、緋色の事」

ちょっと見物だったな、愛姫の顔は。 
真っ赤になって。 ついでに真っ青になって。 で、また真っ赤になって。

「そろそろ、呼び出しでも有るんじゃないかね? ま、覚悟して行きな、骨は拾ってやる」

「むっ、無責任な事、言うなぁ!」

確かに想像するだに怖いけれど。 人生の先輩としては、まして今回の様な事に関しては、頼っても良いんじゃないかな?

そんな無責任な事を考えながら、五月蠅く騒ぐ愛姫を中隊事務室から追い出して、ふと独りで笑ってしまう。
良いじゃないか、別に。 『どんなに愛しているかを話す事が出来るのは、少しも愛していないからである』

「・・・直球勝負、結構な事じゃないか? 『愛とは2人のエゴイズムである』、か。 言葉なんて多く要らないと思うよ、ホントに」












1998年6月17日 日本帝国 国防省


「・・・何も、性急に部隊の再編成を行う必要は有るまい? 受け入れ先の準備も整っていないのだ」

「大体、小隊や中隊の移動とは訳が違うのだ、師団や軍団規模の再編成だぞ? 軍団長ともなれば、親輔職だ。 曲がりなりにも、陛下のご裁可と殿下のご承認が必要なのだ」

「軍政面でも、編制を変えるともなると、基本は勅命での事だ。 おいそれと叶わないよ」

集まった多くの軍官僚から、否定的な発言が相次いだ。
反対に軍令を司る多くの参謀将校達からは、それに反発する声が次々に上がる。

「今更それは無いでしょう! 再編成の話は随分と前から上がっていた! 国防省の怠慢でしょう!」

「衛星情報からでも判る、事態は切迫し始めている! 防衛計画の見直しが必要なのだ!」

「殿下の承認? 何を今更! これまでも事後承認だったじゃないか! 
該当する地方は既に行政戒厳令が敷かれている。 そこに展開する部隊の再編成に、今更承認が必要か!?」

「軍団長の罷免や任命では無いのだ。 殊更、親輔職がどうこう、そんな理由は無かろう!?」

様は縦割り官僚世界と、現場で暴走しがちな実戦部隊組織の対立、その縮図の様な会議になっていた。
九州に展開する19個師団の内、いつくかを山陽・山陰方面に移動させる計画。 だがそのためには軍集団(軍管区)に所属する軍、乃至、軍団を再編制する必要が有った。
『編成』ではなく、『編制』の変更。 軍令では無く、軍政の範疇。 実戦部隊が国防省の動きの悪さに苛立っているのは、そこが原因だった。

「そちらはそう言うが・・・ 今現在、活発化しているのは重慶ハイヴだろう? 無論軽視して良いハイヴでは無い。
軽視して良い訳では無いが、我が帝国にとって直接的に最も重要な関心は、鉄原ハイヴ、そしてブラゴエスチェンスクハイヴの2つだ」

「その2つのハイヴは、特に活発化しているという情報は無い。 ハイヴ周辺の飽和個体群も未だ僅かだ。
予想では、その2つのハイヴが飽和状態となり、帝国に対し直接的な脅威となるのは、明年以降との予想では無かったか?」

衛星情報、過去のハイヴ内個体群の増加統計、そこから弾き出された予想計算結果。 その全てが、明年以降の帝国本土への侵攻を予測していた。
それを受けて国防省は、更なる人員の動員計画を発令し、部隊の拡充と教育訓練計画の大幅な見直しに着手している。
そして関連各省庁と諮り、軍需生産の増加と生産動員計画の改定案の策定も、ようやく完成した所だった。

「腑抜けたか!? 重慶の飽和個体群がこの数カ月、どう言う経路を辿っているのか、EF(護衛艦隊)司令部から報告が入っているだろう!?」

「衛星情報からでもはっきりしている! 奴等は比較的距離の近い東南アジアに南下していない、渡海距離のずっと短い台湾海峡を押し渡るでもない!
未だ万単位の渡海は無いモノの、数千単位のケースはこの2、3カ月の間に頻発している、いずれも朝鮮半島へ向けてだ!」

「既に重慶ハイヴ周辺の飽和個体群は、10万に迫る勢いだ。 そこから弾き出された個体群は、江蘇省沿岸に集まりつつある、その数2万以上!」

「もし、その2つの個体群が弾けてみろ! 今までの経路からして最も確率が高いのは鉄原ハイヴへの移動!
鉄原ハイヴに10万以上の収容が可能か? 無理だ、フェイズ2ハイヴでは! では、そこからもあぶれた連中はどこへ?―――帝国本土しか、無いだろうが!」

状況から予想し、想定を元に実行に移る現場。 完全な裏付けが無ければ、何一つ稟議も申請も通さないお役所。
結局、最後は現場の統計資料がモノを言って、お役所側が折れた結果となった。 しかし、本格的な部隊移動開始は半月後。 書類仕事もそれなりに時間がかかる。

当てつけの嫌がらせと感じた現場組だったが、それでも自分達の主張が一応通った事で、矛を収めた。
但し、その事により貴重な半月の時間が無為に喪われたのは、事実なのだが。














1998年6月20日 2030 日本帝国 大阪 豊中駐屯基地 第18師団


「この前の演習の想定状況、やはり上は・・・」

その日の課業も終わった夕食後の、のんびりした時間帯。 
将校集会所で寛いでいたら、隣で酒を飲んでいた葛城大尉が、ぼそっと呟いた。

「部隊配備体制を、再検討している。 そう言う噂だね」

反対側でグラスを傾けていた源さんも、難しい顔だ。

「・・・九州から8個師団を引き抜く、あの話ですか」

現在、19個師団を集中配備している九州の西部軍集団。 
そこから8個師団を引き抜き、中部軍集団に再配備すると言う噂が、流れてきたのはこの数日だった。

「北九州での水際防衛は、不可能と踏んだのでしょうか?」

「葛城君、流石にそこまでは。 ただ、側面の山陽・山陰方面が手薄なのは確かだよ」

正面戦線の北九州に戦力が集中している半面、下関を渡った山口から山陽・山陰方面の戦力配備はお寒い限りだった。

「山口・広島に第2と第10師団、島根に第24師団と岡山に第15師団。 長い山陽・山陰に、4個師団しか配備されていない。
九州の戦力集中密度に比べたら、中部軍集団の西方守備兵力の密度は、確かにお寒い限りだね・・・」

他は四国に第12軍団(第19、第43、第50師団)が配備されているが、四国の3個師団は動かせない。 山陽方面の下腹を護ると同時に、貴重な戦略予備兵力だ。
近畿は第1軍団を構成する帝都の禁衛、第1師団に、大阪の第6、奈良の第3師団の4個師団が防衛戦力として配備されている。
そして中部軍集団戦略予備兵力で、遊撃軍的存在である、我々の第9軍団(第14、第18、第29師団)
長く手薄な山陽・山陰地方が突破されたら、畿内防衛は7個師団しか兵力が無い。

「確かに九州は、あれだけの戦力集中が出来ていれば、そう簡単には押し込まれないでしょう。 
それが8個師団減の11個師団でも何とかなるかと。 ですが、もしそこから脇に逸れて下関を越されたらと思うと・・・ ゾッとします」

「少なくとも、海軍は呉周辺に第2海兵師団を配備している。 陸軍の師団編成と違い、海兵師団は軍団規模に匹敵する大部隊だ。
岩国にも、国連軍第11軍指揮下の第3軍団がいる。 それを加えれば、山陽・山陰方面は約3個軍団相当の戦力だ、そうそう簡単に破られはしないだろうが・・・」

「しかし周防さん、程度問題ですよ。 今回の演習想定、あのBETA群の数は、確実に山陽・山陰方面の友軍が全滅したと言う想定ですよ。
海軍は、海岸線上陸後のBETA群殲滅には自信アリ、とか言っていますけど。 実際はどんなイレギュラーが生じるか、判ったモノじゃ無い・・・」

心配症と言うなかれ、俺達の様に戦場暮らしが長い程、その辺は疑わしく思えて来る。
だからだ、今回の話は。 九州から引き揚げた8個師団を2分して、山陽方面の広島・岡山に1個軍団(3個師団)を後詰に配備する。
山陰の島根に同じく1個軍団(3個師団)。 余った2個師団は戦略予備として、兵庫県西部に再配備する。
これに畿内防衛の7個師団と、山陽道側面支援の四国の3個師団とで、縦深防御を形成するという噂だった(山陰方面は、舞鶴から海軍が出張って来るらしい)


「オイコラ、何を辛気臭い面揃えて、辛気臭い愚痴言い合っとんねん。 やめい、やめい!」

「木伏さん」

突然の怒鳴り声に振り向くと、集会所の入口から、しかめ面の木伏さんが近付いてきた。どうやら酒の輪に入ろうとしたら、今の話を耳にした、と言う事らしい。

「お前らが辛気臭い面しとってみい! 連隊全体が辛気臭さなってまうわ! 判っとんのか!?」

「は、はあ・・・」 
「それは、そうですが」 
「はは・・・」

「忘れとるンやったら、思い出させたるで? ワシ等は連隊の中核の中隊長や、中隊を預かる身やで!?
シンドかっても、楽やって言えや! 痛かっても、痛ないって言えや! 絶望的でも、楽観せぇや!」

木伏さんも、俺たちと同じ心境の筈なんだが。 腐っても連隊最先任大尉と言った所か。

「何やったら、もう一回思い出させたんで? 新任の頃を。 どないや?」

「いえ、もう結構です」

「大丈夫ですよ」

「思い出しました、思い出しましたから」

3者3様で、思いっきりご遠慮する。
今更ながらに、あんな真似は情けなさ過ぎる。

「ふん。 そやったら、シャキッとせい。 頼むで、ホンマに・・・」

そう言いながら、片手に持った日本酒をテーブルの上にドンっ、と置く。 
手酌でグラスに注ぎながら、酒保で買ってきたと思しき肴をつまんで呑み始めた。

「それにしてもや、全くなぁ、いよいよこんな日が来るとはのぅ・・・」

「・・・腹括るしか有りませんね。 英国の例も有ります、本土を守り切れないと言う訳でもないでしょう」

残っていたウェスキーを一息で空けて、余っていたグラスに、木伏さんが持ち込んだ日本酒を拝借して注ぐ。
ビールに始まり、ウィスキー、そして日本酒。 明日が2週間ぶりの非番で良かった。

「そう、それ、その話。 聞かせてくれませんか、周防さん。 向うでドーヴァーの防衛戦を、経験しているんでしょう?」

葛城君が、ここぞと身を乗り出して聞いて来る。 彼自身も大陸での戦いが長かった歴戦だが、渡海侵攻阻止作戦は経験していない。
もっともこれは殆どすべての帝国軍将兵が同様だ。 お陰さまでこの手の話になると、俺も圭介もやたらと良く聞かれる羽目になる。

「・・・俺が経験したのは、英本土防衛戦じゃないよ?」

「何も、そこまで年寄り扱いしてませんって」

「年寄りって・・・ 君とは半期違うだけじゃないか。 うーん、ドーヴァーか。 
北九州に当て嵌めた場合、似ている部分と似ていない部分が有るから、必ずしも参考になるとは言えないと思うよ」

「例えば?」

「例えば・・・ そう、海峡を隔てた戦いと言う事では同じだけれど。 俺が経験したのは海峡の向う側、大陸側の橋頭堡維持の戦いだったから。
色んな意味で違う。 大体、あの時大陸側に民間人はもう、誰一人としていなかった。 戦火を避けるべく、避難する避難民の事を気遣う必要も無かった。
純粋に戦闘行動で言えば、戦域は北九州より広い。 戦略迂回も、縦深防御も、自由度は向うの方が大きいと思う。 
その反面、必要とされた戦力も半端じゃなかったけどね」

本当を言えば、かの英本土防衛戦が、一番条件的に参考になる戦いなのだろうけど。
果たしてあの戦いの教訓を、帝国が飲めるかどうかだ。 最悪は西日本全域を焦土と化してでも、BETAを殲滅する覚悟が有るのかどうか。

手段は問わない。 手段を選択できる贅沢は恐らく無い。 恐らくその事を最も早く、本能的に悟ったのが米国なのだろう。
カナダに戦略核を纏めて撃ち込んだ結果、あの広大な国土の半分が居住不可能になりはしたが、第2のオリジナルハイヴの出現だけは防いだ。
―――もっとも、こんな事を言ったら、今の帝国じゃ、何を言われるか判ったモノじゃ無い。 それでなくとも俺は国連寄りだと、陰で言われているしな。

「五月雨式に1万、2万で来襲してくるんやったら、何とか九州で撃退できるやろ。 せやけど、5万越したら危ないわ」

「大陸で発生した10万規模の個体群の侵攻が有った場合、九州や山陽・山陰地方では防げないね。
どうしても、畿内まで引き摺り込んでの、縦深防御戦闘を展開する事になると思う」

「瀬戸内海は、艦隊行動はとれませんからね。 英国南部と違って、艦隊支援が受けにくい。 日本の国土状況がネックになる・・・」

気がつくと、随分時間が経っていた。 
酒もビール瓶は全て空き瓶、ウィスキーもボトルが空いているし、日本酒もそろそろ底をつく。

「・・・まあ、大戦略は上層部の専管事項や。 ワシ等、前線の部隊指揮官の為す事は・・・な? 何時も通りや」

「何時も通りに戦って、何時も通りに生き抜いて、何時も通りに部下を生き残らせて・・・」

「何時も通りの人に会う、ですか? 源さん?」

「周防君、君に言われるとは」










2250 日本帝国 大阪 豊中駐屯基地 第18師団 第181戦術機甲連隊長室


「若い連中も、動揺は隠せないかね?」

「中隊指揮官連中は、あれで歴戦です。 今更泣き事を言う者はおりませんが、早く方針を示して欲しいとは思っているでしょう」

連隊長の曽我部大佐と、副連隊長・兼・先任大隊長の広江中佐が、連隊長室で話しこんでいた。

「軍団司令部で聞き込んで来たよ、君の旦那にね。 彼曰く、『少なくとも、現段階で大規模侵攻が生起すれば、九州・山陽山陰の維持は不可能』だと」

「・・・軍団では無く、軍司令部がそう判断していると?」

広江中佐が苦虫を潰した表情で確認する。 彼女の夫は、軍団司令部主任作戦参謀(作戦部長、G3)の藤田大佐であり、曽我部大佐が聞きこんだ相手である。
軍団G3である以上、上級司令部である軍司令部の作戦会議への出席は必須だ。 立場上、軍団参謀長でもあるのだから。

「本土防衛軍は、それなりに戦訓を理解しとるよ。 水際での防衛など絵に書いた餅以下だとな、海軍も聯合艦隊はそう思っておる筈だ。
英国で、かのGF(グランド・フリート:英国艦隊)は、BETA群の上陸を阻止出来たかね? ホッホ・ゼー・フロッセ(ドイツ大海艦隊)は?
勇ましいのは、国民向けのプロバカンダを連呼する国防省と、今更お上に真実を伝奏出来ない、軍首脳部だよ」

「その話は、ここだけで・・・」

「判っておる、判っておるよ、広江君。 でもなぁ、政争と国際政治と、省庁間のエゴに両手両足を縛られて戦う羽目になるのは、ゾッとしないぞ?
君のご主人、藤田君も随分とげっそりしていたよ。 無理も無い、軍や軍団の作戦参謀なんぞ、無理と無茶と無謀を形にして、尤もらしい言葉で部隊に押し付ける役目だしな」

「・・・それが、主人の責務です」

ここしばらくの夫の激務と、思い込んだ様子を見てきているせいか、普段の中佐の様子では無い。

行政戒厳令が発せられた今となっても、その地方に選挙基盤を有する議員や、その所属政党と与党との駆け引きが有り、更には政党内でのパワーゲームも生じている。
国内移動に関して衝突する、軍部と地方自治体、そして管轄省庁。 メディアがそれを煽っている。
より広範囲な指揮命令権を確立させようとする国連軍―――米軍と、それに反発し、何とか阻止しようとロビー活動を展開する、N.Yの帝国政府外交団。
国内避難民に関して対立する、内務省と国防省。 横から省利省益を守る為、そして責任を逃れる為に割り込んで来る商務省と農水省。
それに踊らされ、不安と焦燥に苛まれながらも、後ろ髪を引かれる思いで生まれ育った故郷を捨てて、避難してゆく国民。

帝国軍は未だ、計画当初の防衛線構築を半分どころか、その更に半分も完成出来ていない。

「兎に角だな、『畳の上の水練』でも何でもいい、忙しくさせておこう。 下手な心配事を抱えたままでは、いざと言うとき役に立たん。
指揮官連中には、その辺を言い含めてな? 僕から連中を集めて言い含めるよ、それが仕事だしな」

「内々のフォローは、私の方で。 荒蒔少佐、森宮少佐には?」

「うん、それについても僕から言おう。 彼らに隠し立てする事も有るまい」

本土防衛軍の、防衛方針が示された。 『縦深防御戦略』―――北九州での水際防衛は、放棄されたのだ。
様々な国内問題を抱えながら、様々な犠牲を許容する戦略方針が、軍内部でのみ、密かに策定され、決定した。


「・・・水際防衛か。 13世紀の『神風』同様の神風が吹かん限り、絵に書いた餅だ。 いや、なまじそんなモノが吹いたら最後、行動が制限されて終わりだよな」

深いため息をつきながら、曽我部大佐が独り言のように言う。
その言葉を聞きながら、つい今しがた報告の入ったハイヴ情報を目にした広江中佐は、内心の動揺を隠すのに困難を覚える程であった。








1998年6月15日 2013 北海道苫小牧市 帝国国家偵察局 衛星情報センター 北部受信管制局


『重慶ハイヴ周辺の飽和個体群、約9万に到達。 江蘇省沿岸部の個体群、約2万8000 双方の数字は、尚も増加する見込み』






[20952] 前兆 4話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:3fa3f4a1
Date: 2010/09/05 00:47
1998年6月23日 1550 日本帝国 玄界灘上空


≪CPより『サラマンダー』、ベクター3-4-5(方位345度)、エンジェル10(高度1000m)エリア・ブラヴォー経由で対馬ベースへ向かえ≫

「サラマンダー・リーダー、了解。 リードより全機、ヘッドオン3-4-5、エンジェル10 まだ半島の目玉の認識範囲外だが、調子に乗って登り過ぎるなよ?」

―――『ラジャ』

指揮官機の『不知火』が、跳躍ユニットを吹かして上昇を開始する。 続く中隊の11機も指揮官機に続き、上昇に入った。
排気炎が日中の陽炎の様に揺らめく。 網膜スクリーンに映る先行機体が、その陽炎でゆらゆらとぶれる様に見えた。

やがて予定高度に到達し、機体を水平飛行へと持って行く。 中隊長機を頂点に、各小隊が菱型のフォーメーションを形成して、お互いが1km程離れた距離を保っている。
右手遥か下方に壱岐島が見える。 まだこの高度では、半島に巣くう光線属種のレーザー照射見越し認識範囲外だ。

≪CPより『サラマンダー』、現在対馬には、レーザー照射警報は発令されず。 繰り返す、対馬には現在、レーザー照射警報は発令されず、送レ≫

「サラマンダー・リーダー、了解。 半島の連中はお休み中か?」

≪CPよりサラマンダー・リーダー、光線級の活動不調の要因は不明。 送レ≫

CPの声は硬質でそっけない。 その声に交信していた中隊長はコクピットで苦笑しながら首をすくめた。
戦術機中隊の編隊は、巡航速度で飛行を続けていた。 背部兵装担架には推進剤の増槽タンクを背負っている。
対馬の基地までの、定期交替便である。 対馬基地には、福岡の第9師団から毎週1個戦術機甲中隊が、ローテーションで駐留しているのだった。


≪CPよりサラマンダー・リーダー、対馬ベースより35kmポイント。 チャンネル・05にて対馬・アプローチと交信せよ。 以降の管制は、対馬アプローチが引き継ぐ≫

「サラマンダー・リーダー、了解。 さて、浮世を離れた離島のバカンスと行くか?」

≪CPよりサラマンダー・リーダー、対馬は最前線です、不謹慎ですよ・・・ お願い、気を付けて。 オーヴァー、アウト≫

CPとの通信が終わるや否や、中隊の各機から囃したてる様な口笛が上がる。
同時に対馬基地の管制官―――対馬アプローチから通信が入った。

≪こちら対馬アプローチ、『サラマンダー』、どうぞ≫

「対馬アプローチ、サラマンダー・リーダーだ。 半島の連中はお休み中か?」

≪さあな、判らん。 少なくとも10日ほど前から、ご無沙汰なのは確かだ≫

「そのまま忘れてくれたら、誠に有り難い」

≪ハイヴにそう、手紙でも届けな。 それと、毎度毎度のお惚気は控えてくれと。 こっちにゃ独り者ばっかなんだ、言っただろ? 久賀大尉?≫

「気にするな。 俺は気にしない」

≪全く・・・ ポイント・チャーリー通過、エンジェル05に下げろ。 エリア・デルタからファイナルアプローチに入れ≫

「ラジャ。 エンジェル05、100ノット―――エリア・デルタ侵入。 リーダーよりサラマンダー各機、B小隊からファイナルアプローチ」

基地上空で大きく弧を描いて旋回に入り、東側からゆっくりと高度と速度を落として降着態勢に入った。
やがて次々に降着場に戦術機が降り立ち、最後に中隊長機がピンポイント降着を決める。
地上誘導員の指示に従い、降着場脇のハンガーへと各機が侵入する。
そのまま主機をオフ。 整備員が機体に群がるのと同時に、管制ユニットから衛士達が降り立った。

「・・・暑くなってきたな」

ハンガーの外に出て、梅雨の合間の晴れ渡った空を見上げた久賀直人大尉は、ふと呟いた。
無意識にそのまま半島の方向の空を見ていると、駆け寄って来た基地基幹要員から声をかけられる。

「久賀大尉、基地司令がお呼びです」

「早速か・・・ はいよ、今行く」

のんびりしていられる訳も無い、ここは紛れも無い帝国本土の最前線なのだ。
そう意識を切り替えて、基地本部等へと足早に向かって行った。









「第91戦術機甲連隊、第21戦術機甲中隊。 久賀大尉以下、12名。 到着致しました」

「おう、ご苦労だったな」

到着申告をすべく管理司令室に入室すると、不機嫌顔の基地司令がモニターを睨んでいた。
確かあれは、対岸の監視モニターだったな―――そう思いながら、脇から覗き見る。

「見ろ、この数日だ。 BETA共が海岸線に固まり始めた。 まだ光線級は確認されちゃいないがな」

「―――結構な数ですな」

「ああ、衛星情報でも確認した。 少なくとも釜山辺りにゃ、6000体からの個体群が確認されている。 昨日までは1000体だった」

「・・・鉄原から移動してきた?」

「それも有る。 もう一つは重慶からの遠征組だ。 海軍さんが昨日、一昨日の時化でロストしたからな」

天候が悪化し、洋上での渡海BETA群の補足・殲滅を失敗したのだ。 かと言って海軍―――海上護衛総隊を責める事も出来ない。 
小型艦が主力の彼等にとって、天候の悪化は艦の復元性の限界という問題に直結する。 下手をすれば、転覆も有り得るのだ。

「ま、今のところは固まっているだけで、大人しくしている様だ。 動きが有ったら、直ぐに判る。 おい、ちょっと付き合え」

そう言って基地司令は久賀大尉を連れて司令棟を出て、脇の管理棟にある基地司令室まで連れて行った。
基地司令室は見た目以上に質素だった。 最前線基地の内装など、殆ど実用一点張りなのはどこの国も共通だったが。
コーヒーモドキを注いだコーヒーカップを渡される。 不味いがもう慣れた味だ。
簡易椅子に腰かける様に勧められ、ひとまず腰かけてコーヒーモドキを飲む。

「なあ、久賀君よ、あれはマズイ、マズイぞ?」

開口一番、基地司令の中佐が切り出した。 半島沿岸の事だろう。

「・・・多分、万以上が固まったら、海峡を渡って来るのは時間の問題ですな」

過去の戦歴から、あの様な状況で次の様相は判断出来る。 
鉄原と重慶の活発化がどうなるかに寄るが、下手をすれば1カ月以内にも実現しそうな悪夢だ。

「軍集団司令部からは、24時間体制での監視命令が発せられた。 基地全体もデフコン3だ。 君の中隊も、警急態勢に入って貰う」

「了解です」

否やは無い。 既に九州北部全体が準警戒態勢と言っても良い。
暫くの間、駐留中の防備体制や戦術機部隊の運用方法について、基地司令と確認をし有っていた。
それがひと段落ついた時に、ふと、基地司令がニヤリとした笑いを浮かべて聞いてきた。

「で? どうなんだ、新婚生活は?」

「・・・最近、何処に顔を出しても、その話ですよ」

ややうんざりした表情で、久賀大尉が嘆息する。

「そりゃー、そうだろうさ。 何せ、部隊でも1、2の堅物だった久賀大尉がいきなり結婚だ。
しかも、通信士官の中でも、人気の美人女性士官を『撃墜』したとあっちゃな! やっかんでいる連中だっているだろうさ!」

「正攻法で当ったら、向うが砕けてくれただけですよ」

「・・・それ、他の連中に言ったら、悔しがる馬鹿が多いからやめておけよ? ま、独身10年で判らん事も、結婚生活3日で悟る事も有る。
大事にしてやれよ? 君は師団でもトップクラスの歴戦衛士だ、今更俺が言う事も無かろうが、嫁さん、あの年で未亡人は早すぎる」

「判っております」

久賀大尉が苦笑する。 結婚後のこのかた、何処に顔を出しても同じ様に、同じセリフを聞かされる。
それ程に自分は、頼り無さ気に映るのだろうか? これでも実戦経験では、帝国軍中でもトップクラスと自負しているのだが。
それとも、司令の言っていた通り、やっかまれているのかな? モノに出来た幸運は、自分でも最初は疑ったモノだ。
何しろ自分の妻は、師団でも指折りの美形と称される女性士官だ。 あの時、何かに突き動かされる勢いで突撃した事が、未だに信じられない。

(―――ああ、あいつもこんな気分だったのか?)

ふと、今は別の部隊に配属されている同期生を思い浮かべた。
あいつは良く言っていたな、国の為でも、名誉の為でも、人類を護るなんて大義の為でも無い。 
生きて再び、彼女に会いたいから、戦うのだと。 戦って、生き延びて、再び彼女に会いたいのだと。

(―――確かに、そうだな)

彼―――久賀大尉もそう思った。 誰の為でも無い。 妻を護る為に戦う。 
普段は真面目で、少し潔癖な所の有る、それでいて本当は性根の優しい、そんな妻の元へ。
必ず帰る。 妻をもう一度抱きしめたい為に、必ず生きて帰る。

(―――人なんて、そんなものだよな・・・)











1998年6月28日 1430 大分県 別府湾


多数の、いや、無数のと言いたくなる程の車両の列が続いている。
湾口へ、港へと続く道路には軍用車両―――トラック、牽引車両、果ては自走砲から自走高射砲、戦車に至るまで―――が長い列を為している。
九州からの兵力移動の第1陣である、第7軍団(第5、第20、第27師団)が佐伯湾から海路、四国沖を回って大阪湾から瀬戸内海―――兵庫県西部へ移動するのだ。

完全装備の歩兵部隊が、フェリーへの乗船待ちをしている。 港湾のクレーンは重量物である戦闘車両や支援車両、そして戦術機を輸送艦や戦術機揚陸艦へ積み込む。
燃料・弾薬の詰め込まれた各種補給コンテナが、コンテナ船へと積み込まれ、軍用の軽車両が次々と輸送艦へと呑みこまれてゆく。

「閣下、搭載作業完了は翌29日、0930です。 出港は29日1130、姫路港着予定は30日の1415。
直ちに揚陸を開始し、揚陸完了は31日0530。 部隊移動開始0630になります」

軍団G4(後方・兵站担当主任参謀)から報告を受けた軍団長が、湾内に広がる光景から視線を外さずに叩頭する。
辺り一面、まるで災害にでも有ったような騒ぎになっている。 無理も無い、数万人を擁する軍団兵力を、その装備丸ごと短期間で輸送さすのだ。
佐伯湾は民間港湾であると同時に、海軍の有数の錨泊地でもある。 お陰で急な移動命令も、港湾軍用施設は有る程度整っていた。
しかしそれだけでは到底足りず、現在は民間港湾地区まで全て使用しての荷揚げ作業が続行されている。


国防省と統合軍令本部、陸軍参謀本部、本土防衛軍、この4者合意の結果実現した兵力移動。 しかし土壇場で用兵側が一部折れた形となっている。
当初は8個師団の兵力移動で一旦は同意したものの、対象となる第7、第8軍団が共に3個師団で編成された部隊である事が問題となった。
8個師団の兵力移動を行うには、残る第10軍団の3個師団の内、2個師団を移動させねばならない(主力の第3、第13軍団は5個師団編成)
どうするのか? 軍団司令部ごと、1個師団減で移動さすのか? それとも第10軍団を解隊、再編成を行うのか?

西部軍集団は、3個軍団の残留を強硬に希望した。 任せられる戦略戦域司令部を多く持ちたい事は、上級司令部として当然である(直接指揮の負担も減る)
中部軍集団は、追加配備兵力の減数に難色を示した。 何と言っても、帝国の中枢を防衛するのはこの軍集団である。

再び4者による緊急にして、最重要の会議が開かれた。 

第10軍団を解隊するのか? 馬鹿な、皇帝陛下から親補されたる職である軍団長を、そうおいそれと解任は出来ない。
1個師団減で第10軍団を再編成し、残った1個師団を第3か第13軍団へ編入するのか? もしくは西部軍集団の直率戦略予備兵力に?
これには西部軍集団司令部が反発するのは、目に見えている。 九州北部を第3軍団と第13軍団に分割防衛させ、残った地域を第10軍団が予備として担当する。
この戦略指揮構想が最低限必要とされる事は、国防省や統合幕僚本部も理解している。 全域を第3軍団と第13軍団の2個軍団に任せるのは、軍団司令部への負担が大きい。

短いが、白熱した、そして深刻な議論が展開された。 その結果、西部軍集団から中部軍集団への兵力移動は第7、第8軍団の2個軍団(合計6個師団)
第10軍団は引き続き九州の留まり、西部軍管区の戦略予備として『前線』への援軍・支援に当る。
その合意がなされた翌日、第1陣の第7軍団の移動が開始された(元々、移動予定で会った為、事前準備は完了していた)


湾内にはこれまた多数の船舶が停泊していた。 輸送艦、徴用した輸送船、兵員輸送用のフェリー、コンテナ船、そして輸送用軽戦術機母艦に戦術機揚陸艦。
兵員のみならず、各種機材、燃料・弾薬を始めとする各種物資。 軍用車両、そして戦術機。 様々な物を港湾から積み込み、そして離岸してゆく。

「・・・避難民には、迷惑な事となったな」

視線を民間港湾地区の奥に向けた軍団長の口から、悔悟にも似た調子の声で呟きが漏れた。

「致し方無い事かと。 統合軍令本部、本土防衛軍総司令部の命令では、今月中に軍団全兵力の移動を完了させよ、との事です。
その為の協力として、内務省が民間人の避難移動を一時的に制限したのですから・・・」

港の待合室ならまだマシだ。 多くは野外の露天で地べたに座り込み、軍の移動が早く終わり、フェリーへの乗船が早く再開してくれる事を心待ちにしている民間人達。
しかし、その乗船すべき船の多くは今回、第7軍団の足代わりに徴用されている。 そして次に控える第8軍団も、この佐伯湾を使う予定だった。

「彼等は・・・ あと2週間は、ここに座りこむ事になる」

済まなさそうな、後ろめたい様な、そして悔しい様な、複雑な声色で軍団長が独り言のように言う。

疲れ果て、不安に苛まれ、戸惑いと苛立ちを募らせた避難民達。 家や土地を手放し、家業を捨て、見知らぬ土地での疎開生活を強いられる事となる人々。
会社務めの者はまだマシだった。 政府はかなりの助成金を出しているし、企業の側も国内外に新しいポストを用意する事が出来た。
悲惨なのは自営業を営んで来た人々だ。 避難・疎開が本格的になり始めると同時に、土地や家、他の資産を売り払う人々が急増した。
そしていつの時代にも、人の不幸は我が世の春とする者達もいる。 二束三文で資産を買い叩き、それを仲間内で転売を重ね最後に市場に出し、利益を得る者達。
中には政党議員の息のかかった団体の名さえ、囁かれる程に社会問題化している(そして、政党や議員に司法のメスが入る事は無い)

その虚ろな目に、軍は一体どう映っているのだろうか?

「地元の自治体が、公民館や学校を開放する予定だそうです。 この地区はもう随分と疎開が進み、無人に近い地域もありますから・・・」

そう言う軍団G4も、歯切れが悪い。 何やら免罪符を自らこじつけた様な気分になったからだ。

着々と進む、軍団の移動作業。 殺気立った、しかし一面で奇妙な活気のある情景。
そのすぐ横で、疲労と不安を抱え込んだ避難民達が醸し出す、澱んだ停滞感の情景。

もうすぐ夏がやって来る。 その晴れた日の昼下がりの、奇妙な情景が続いていた。













1998年6月30日 1130 日本帝国 神奈川県大倉山 帝国海軍気象部 気象観測管制室


「台風6号の中心気圧、945hPa(ヘクトパスカル)、最大風速、83ノット(42.7m/s)、暴風域の最大半径165nm(ノーチカル・マイル:約306km) また成長してやがる」

「南西諸島から北上するな、そいつは。 その後でフィリピン沖から7号が北上してきている、中心気圧922hPa、最大風速96ノット(49.4m/s)、暴風域最大半径157nm(約290km)・・・」

「太平洋高気圧が、東の洋上に後退している。 このままだと、超大型台風が日を置かずに連続して西日本に上陸するぞ・・・」

海軍気象部は憂慮に包まれていた。
中心気圧が940hPaを下回る程の強烈な、そして広い暴風域を有する超大型台風が2個、連続してマリアナ海域とフィリピン南方海域で発生してから数日。
それまで帝国本土上空に張り出していた、勢力の強い高気圧がその勢いを弱め、太平洋上へと後退して行った。
その事で、台風はその縁、つまり帝国本土を直撃する公算が非常に大きくなったのだ。 そればかりでは無い・・・

「おい、これが今朝入った気象衛星の観測結果だ。 またぞろ、マリアナ西方沖合とフィリピンの東南海上で、熱帯低気圧が発達しているぞ」

観測官の一人が、やや顔を青ざめさせながら、観測結果を提示する。 その内容を見て、そして天気図の等圧線をなぞるように、皆が確認する。

「・・・駄目だ、これも直撃するぞ・・・」

「最悪だ、ほぼ同時発生か・・・!」

「気象庁にも問い合わせろ! それと、大東亜連合連絡部にも! 現地の観測結果を取り寄せるんだ!」

これほどの超大型台風ともなると、艦艇の行動は無理だ。 大型の戦艦群でさえ、この中に突っ込む事は自殺行為に等しい。
ましてや、中小型艦艇がこの暴風域に入ってが最後、最悪の場合『第四艦隊事件』の二の舞である。

「九州と四国、それに山陽・山陰の海上疎開計画を、一旦止めなければならん」

それまで、観測担当官達の背後で黙っていた観測課長が、絞り出すような声で言った。
当然であろう。 民間船舶に避難民を満載、そしてこの超大型台風の暴風域の広さ。 簡単に転覆・遭難事故が多発するのは目に見えている。

「部長へ報告する。 引き続き観測精度を高めるんだ、到達コース、時刻、勢力、見極めろ。 気象庁へも連絡確認を怠るな!」

「はっ!」





6月30日 1500 沖縄県宮古島 気象庁沖縄気象台管内 宮古島地方気象台


『・・・台風6号の中心気圧938hPa、最大瞬間風速86ノット(44.2m/s)、平均速度20.3ノット、暴風域最大半径182nm(約340km)
最大気圧低下、12時間で58hPa、針路を北東に向け、尚も勢力を増し北上中・・・!』


6月30日 1930 沖縄県南大東島 気象庁沖縄管区気象台内 南大東島地方気象台


『繰り返します、台風7号は中心気圧918hPa、最大瞬間風速98ノット(50.4m/s)、暴風域最大半径160nm(約300km)!
平均速度22.1ノットで北北東の進路を取っています。 最大気圧低下、12時間で45hPa! このままの進路では、6号と合流します・・・!』


6月30日 2000 九州 大分県 別府湾


「出港取り止め! 出港取り止めです!」

港の係員が声を枯らして叫んでいる。 真っ暗な曇天、すでに風雨はかなり強く、横殴りの強い雨と風が吹きつけていた。

「おい! もう5日もここで、足止めされているんだぞ!」

「何時になったら、船に乗れるの・・・!?」

「小さい子供がいるんです! なんとか屋根の下で・・・ 乗船出来ないのですか?」

疎開しようとして、乗船待ちをしている数万人もの避難民達の多くは、気休め程度の日射し避けのビニールシートや傘程度しか持っていない。
こんな所に台風が直撃すれば・・・ 風雨に晒され、全く間に体力を奪われて、疲労凍死してしまうだろう。

「わっ、私に言われましても・・・! と、とにかく、軍の命令です! 最寄りの公民館や、学校に避難するようにと・・・!」

「そこがもう、満員なんじゃないか!」

「何処に避難すればいいのよ!?」









6月30日 2230 長崎県 佐世保軍港 帝国海軍佐世保鎮守府


「台風6号は、勢力を強めて現在は奄美大島沖合を北上中。 明日朝には、九州南西岸を通り、五島列島に昼前に到達する見込みです」

「7号は?」

「7号は北大東島沖から北上、明日の夕方に日向灘に到達の見込みです」

「勢力が強いな・・・ 6号の中心気圧936hPa、最大瞬間風速88ノット(45.3m/s)、最大暴風域半径が185nm(約343km)」

「7号はもっと酷い。 中心気圧は915hPaに落ちた、最大瞬間風速100ノット(51.4m/s)、最大暴風域半径160nm(約300km)・・・」

「九州全域に、四国の半分、それに岡山から山陰の米子辺りまでが、猛烈な暴風域にすっぽり入るな・・・」

「港務部に連絡しろ、港内停泊中艦艇の係留を厳にと。 もう他に避難する事は間に合わんからな」

「施設部より連絡が入りました。 現在設営中の唐津湾防御陣地、松浦川の増水の為、作業を中断すると」

「唐津はどこの隊だった?」

「第3213設営大隊です。 大塚少佐の部隊です」

「東松浦に中森少佐の部隊が居たな、第3214設営大隊が。 増水対策の応援に行かせろ」

「第6艦隊(潜水艦隊)第63潜水戦隊司令部より入電。 『海中攪拌が激しく、探知できず』、以上です」

「・・・衛星情報も駄目、海上哨戒は不可能、海中探知も絶不調。 BETA共、大人しくしておるのかな?」

「4日前の情報では、重慶の周辺飽和個体群が、とうとう10万を突破しました。 江蘇省沿岸部には、3万を超える個体群も」

「拙いな、拙いぞ・・・」










1998年6月31日 2310 福岡県 築城駐屯基地 第9師団


「対馬から戻った途端、今度は台風か・・・」

当直司令室で、今夜の基地当直司令である久賀大尉がぼやく。
既に九州南部は暴風域に入り、猛烈な風雨が襲いかかっている。 この北九州でも朝から強い雨風が続いていた。

「2個が殆ど同時ですからねぇ・・・ わたしゃ、熊本の出ですが、心配です」

当直副官の上級曹長が、コーヒーカップにコーヒーモドキを注いで、久賀大尉に手渡す。
不味い事この上ない代物だが、体が温まる事だけは間違いない。

「おや? 曹長の実家は熊本かい? 直ぐ近くを台風が通過するからな、心配だろう」

「大尉は、どちらで?」

「俺は福岡だよ。 よりによって2個の台風、両方とも直撃コースらしい。 もっとも実家は東北に疎開したけどね」

「そりゃ、良かった。 ワタシんトコもですね、親が年寄りでゴネてましたけどね。 女房子供と一緒に、ようやく出発してくれましたよ・・・」

「お互い大変だ。 ああ、そうだ、ハンガー前に土嚢は積んだか? ハンガー内に浸水して、戦術機が濡れるのは、いただけない」

「ご心配なく。 向うの先任は、ワタシの同年兵ですよ」

なら、大丈夫か。 そう内心で思い、心配毎の一つをしまい込む。
ただ飯の数だけで、上級曹長にまで昇進できる筈も無いのだ。 言ってみれば、兵隊の大佐、それも実力で昇りつめた。
その実力たるや、ヤクザな大尉程度が及ぶ所では無いのだから。

「・・・この調子じゃ、当直明けても家には帰れんなぁ・・・」

「台風が通過するのは、明日の夜以降ですからね。 新婚さん、ご愁傷様です」

―――またその話題か?
下手をすれば、当直中ずっと引っ張られるかもしれない。 好意的な受け止められ方なのであるが、毎度毎度とくれば。
久賀大尉も、これには流石にうんざりした気分になって来た。 今は当直を無事に終え、一刻も早く妻の待つ家に帰りたかった。
彼女も通信管制士官だから、この騒ぎでは大変だろう(各地からの通信が大量に入電している)、ただし、明日は非直の筈だ。
対馬から1週間ぶりに戻って、いきなりの基地当直司令。 その不運に嘆いたものだが、明日は2人揃っての非番だったのだ。


『・・・繰り返します。 超大型で猛烈な勢いの台風6号は、明日朝に九州南部を通過する予想です。
中心気圧は936hPa、最大瞬間風速45メートル以上、最大暴風域半径は340kmを越し、九州全域が暴風雨圏に覆われます。
この為気象庁では、各地に洪水、土砂災害に対する厳重な注意を呼び掛けております。 繰り返します・・・』

全く。 この台風さえ無ければ、明日は久しぶりに妻と外出をと思っていたのに。
疎開が進み、半分近い民間人が避難した街は寂しい姿だが、未だ開いている店も有る。 
軍人だとて、少しくらいの小さな幸せを味わってもバチは当たらないだろうに・・・

TVの気象情報を見ながら、漠然とそんな思いが込み上げてきた。












1998年7月2日 2330 帝都・京都 首相官邸


「先だっての台風6号、7号による被害は、九州全域を中心に、各地に深刻な被害を及ぼしております」

秘書官より報告を受けた榊首相は、沈痛な表情でその報告に聞き入っていた。

「未だ想定では有りますが、家屋被害11万2210棟、浸水被害31万1215箇所、死者3015人、行方不明者659人、負傷者2万1058人・・・」

疎開避難中で有った事が、被害を更に拡大させてしまった。 九州だけでもいくつもの河川が氾濫し、堤防が決壊して辺りを濁流が押し流してしまったのだ。
簡易避難所は元より、ほぼ野外で風雨に凍えながら寄り集まっていた避難民に、増水した濁流が押し寄せ、呑み込まれたケースも有ったと言う。

「九州戒厳令司令部(西部軍集団司令部)は、災害復旧については、防御陣地の復旧を最優先せざるを得ないとの事です。
軍の施設、基地、軍港、その他にも少なからぬ被害が出ております。 海軍も、佐世保鎮守府の設営部隊を軍事設備復旧に回すと・・・」

「内務省は、何と言っておるのかね?」

「消防庁の全力と、警保局広域緊急援助部隊を至急、災害地に派遣する方針です。 更には近畿一円と東海地方の各都府県からも、警察緊急援助隊が抽出されました」

「・・・軍の災害復旧協力は、得られないのかね?」

「難しいかと・・・」

連続した超大型台風の上陸は、九州や四国、中国地方に甚大な損害をもたらした。
これはとりもなおさず、対BETA本土防衛を想定し、準備していた軍にとっても手痛い損害だったのだ。
今、軍は大急ぎで防御陣地の復旧に全力を挙げている。 民間人への災害支援活動は、恐らくその後になるだろう。

「BETAの状況が状況です。 それさえなければ、真っ先に軍が災害復旧活動に乗り出すでしょうが・・・」

3日間続いた天候不順による、ハイヴとBETA群監視の空白時間。
今日の昼過ぎに送られてきた衛星情報を目にした帝国軍上層部は、血の気が引く思いをたっぷりと味わう事となった。
重慶ハイヴ周辺のBETA飽和個体群が、綺麗さっぱり姿を消していた。 そしてその直後に送られてきた、江蘇省沿岸部の衛星情報を目にしてパニックに陥りかけた。
そこには、青島から上海にかけての沿岸部が、一面無数のBETA群で埋まっている様が映されていたのだ。 その数、10万超。
更には海底の赤外線探査情報、海上護衛総隊が未だ荒れる洋上を突いて、強行哨戒を行った結果。 海底を約3万近いBETA群が、東シナ海を北東に向け移動中だった。

こうなったが最後、軍の協力は得られまい。 彼等はまず、BETAに対する守りを固めなければならない。
報告を聞き終えた榊首相は、最高度の秘匿措置が施された首相専用回線電話を取り上げ、とある番号を呼び出すよう指示した。
この時間、向うは朝の9時過ぎ。 とうにスタッフ全員はスタンバイしている事だろう。
コール数回で、相手が出た。 無意識に息を吸い込み、意を決して話しかける。

「・・・おはようございます、ミスター・プレジデント。 ええ、その件につきまして。 ええ、仰る通りです。 是非とも、貴国の支援を・・・」


ワシントンのオーバル・オフィス(大統領府)からペンタゴン(国防総省)へ。 そしてハワイ・オアフ島、キャンプ・H・M・スミスのUSPACOM(合衆国太平洋軍)司令部へ。
USPACOM司令官、アレクサンダー・F・ウィラード海軍大将はこの日、指揮下の全軍―――第3、第7艦隊、太平洋陸軍、太平洋海兵隊のデフコンを4から3へ引き上げた。
同時にUSFJ(在日米軍)に戦時即応体制を発令。 カリフォルニア州サンディエゴの第3艦隊は、第7艦隊支援に向けて急ピッチで水師準備に入った。


国連軍事参謀委員会は、太平洋方面総軍司令官にウィラード米海軍大将の兼務を打診。 
国連軍太平洋方面第11軍司令官には、アルフォンス・パトリック・ライス米陸軍大将(在日米軍司令官)を。
政治力学上、第11軍副司令官に韓国軍(日本駐留)の白慶燁陸軍中将が就任した。








1998年7月5日 0620 北海道苫小牧市 帝国国家偵察局 衛星情報センター 北部受信管制局


「江蘇省沿岸部のBETA群、移動開始しています!」


1998年7月5日 0835 石川県輪島市 帝国国家偵察局 衛星情報センター 中部受信管制局


「A群、約3万8000。 B群、約2万9000。 C群、約4万。 先行するD群、約3万2000。 合計約13万9000体・・・」


1998年7月5日 1040 鹿児島県阿久根市 帝国国家偵察局 衛星情報センター 南部受信管制局


「C群針路、鉄原ハイヴ。 A群針路、朝鮮半島南西沿岸部。 B群針路、対馬。 D群は済州島に上陸、一部が対馬沖合100km地点まで進出」


1998年7月6日 1450 東京府市ヶ谷 市ヶ谷衛星情報中央センター


「BETA群、対馬に上陸しました。 はい、先行していたD群の3万2000です。 後続するB群の2万9000も、今夕には上陸の見込みです。
対馬防衛隊が撤収した跡地は、既に喰い尽された模様です。 辺り一面、BETAしか映っておりません。
はい、はい・・・ はい、A群は西海岸から旧釜山辺りまで移動しております、約3万8000。 鉄原ハイヴ周辺個体群は、C群が合流して約5万7000です・・・」









1998年7月7日 0435 日本帝国 佐賀県唐津市 唐津湾防衛線 第13軍団第32師団


鏡山展望台監視所からは、虹の松原(にじのまつばら)を見下ろせる。 
日本三大松原のひとつで特別名勝に指定され、玄海国定公園の一部でも有る美しい松原だ。
沖合にひっそり佇む高島、右手遥かに串崎の岬が見える。 

「0430、異常無し、と・・・」

監視所の監視兵が、眠い目をこすりながら湾を見下ろしていた。
0400時に当直を交替したばかりだが、穏やかな早朝の湾を見ていると段々と眠気が襲ってくる。
静かな浪打ちの音、微かな風の音。 台風が通り過ぎた後は酷かったが、ここ数日でようやく海の色も元の綺麗な色に戻って来た。
今日は晴れそうだ。 晴れた日の監視所勤務なら、文句は無いのだけどな・・・ 晴天の日、監視所から見下ろすその絶景は素晴らしい。
出身地ではないが、出来るならずっとこの地で勤務したいと思えて来る程、その監視兵はこの地の景色に心を奪われていた。

「・・・ん?」

不意に遠くの海面から、何かの射出音が聞こえた。
双眼鏡を取り出し見てみると、沖合で海軍の海防艦が数隻、盛んに爆雷を投下し、対水中ロケット弾を発射しているではないか!

「ま、まさか・・・」

あの辺りは姫島の沖合だ、神集島との中間海域、丁度佐賀県と福岡県の境の海面・・・ 海岸から10km程しか離れていない!

途端に、海岸線近くの水面が爆発した。

「ッ! ベッ・・・BETA!」

海岸線は瞬く間に、異星起源の醜悪な来襲者―――前衛の突撃級BETAで埋まった。 途端に鳴り響く野戦電話。

『本部より鏡山ポスト! 至急撤収しろ! 既に効力射は第1射を発射済みだ!』

その声と同時に2km程先の海岸線に、多数の火柱が立ち上る。 腹に響く衝撃と重低音が遅れてやって来る。 間違いない、203mm重榴だ。

「ッ! 鏡山ポスト、了解!」

既に相棒は監視所の外に停車させてある高機動車に乗り込み、エンジンをかけていた。
大急ぎで走り寄り、飛び乗ると同時に高機動車両が発進した。

「クソッ! どうして対馬のBETA共の動向が判らなかったんだよ!?」

「俺が知るか! 戻って小隊長にでも聞いてみろ! 舌を噛むなよ!? 飛ばすぞ!」


1998年7月7日、0445 日本帝国本土における対BETA防衛戦、『帝国本土防衛戦』が開始された。









7月7日 0610 大阪府豊中市内


早朝の電話で目が覚めた。
綾森祥子大尉はベッドから手を伸ばし、近くのベットサイドに置いてある受話器を掴む。

「はい、綾森・・・ 大隊長? はい、はい・・・ えッ!? 判りました! 至急! はい! はい!」

慌てて飛び起きようとし、ベットの中の人の温もりに気がつく。

「直衛! 大変! 九州にBETAが上陸したわ! 全軍緊急呼集、基地へ急がないと!」

それだけ言って、ベットから跳ね起きようとした―――が、腰から肩を掴まれ、逆にベットの中に押し倒されてしまう。

「ちょ、ちょっと、直衛!? 何をふざけているの! こんな時に・・・ んんッ!?」

いきなり唇を塞がれる。 そして力強い腕で抱きすくめられた。

「駄目よ・・・! こんなッ・・・ んんぅ!」

もがくが、全く身動きが取れない程に強く抱きしめられ、また唇を奪われる。
覆いかぶさった相手から、低く小さく、絞り出すような呻き声がした。

「・・・くそ、くそ・・・ くそっ!」

出口の無いマグマの様な、幾重にも積み重なった感情をぶつける様な、荒々しい愛撫。
押し寄せて来る感覚に息が荒くなりながら、そのまま相手の頭を自らの胸に抱きしめていた。









1998年7月7日 0700 沖縄県石垣島 気象庁沖縄気象台管内 石垣島地方気象台


「―――台風8号情報。 中心気圧895hPa、瞬間最大風速120ノット(61.7m/s)、最大暴風域半径220nm(約407km)、平均速度24.3ノット。 フィリピン東方沖海上を北上中・・・」





[20952] 本土防衛戦 西部戦線 1話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2010/09/19 01:46
D-Dayプラス1時間50分 0635 福岡県博多市 国鉄博多駅


「押さないで! 押さないで下さい! 列車は増発しています、直ぐにでも乗車できますから! 押さないで!」

「さっきから、そればかりじゃないか! 全然、列が動かないのに!」

「早く! 早く乗せろ! BETAが直ぐそこに上陸したんだろう!?」

「子供! 子供だけでも! お願い、乗せて!」

「押すなっ! 人が倒れた! おい、押すなって言ってるだろうが! この馬鹿!」


早朝の博多駅前構内は、既に飽和状態。 駅前の国道から既に大博通りの果てまで、既に人込みの大渋滞と化している。
BETA上陸直前での、福岡県の疎開率は約22%だった。 500万人程の県人口の内、110万人程が疎開できていたに過ぎない。
残る400万近い県民は、各種地方行政等で止むなく居残っていた場合も有るが、大半は疎開先が決定せずに『疎開待ち』だった人々だ。

彼等は明け方前のBETA本土上陸と言う、未曾有の非常事態を知らせる緊急サイレンによって眠りから叩き起こされた。
そしてTVやラジオ、それに自治体が行う広域放送で事態を理解するや否や、我先に家を飛び出した。
駅へ、港へ、そして車で高速道へ。 福岡市内だけでも、100万人以上の人々が一斉に限られた場所に集中したのだ。 
何とか事態を整理しようと、そして管制しようとしていた福岡県庁、そして現場で整理に当った福岡県警の努力は、大波の前の砂上の楼閣に等しかった。

駅構内では怒号が響き、子供の鳴き声が聞こえ、ヒステリックに騒ぐ声がそれをかき消す。 駅の外はもう既にカオスだ。
道路は人と車で埋まり、全く動かない。 中には群衆に押されてひっくり返り、そのまま打ち捨てられた車輌すらある。

「指揮官! 本部より連絡が入りました! 空港周辺道路、百年橋通りと空港通りを、軍が封鎖しました!」

部下の報告に、何とかこのカオスを少しでも統制しようと、躍起になっていた県警の現場責任者が思わず目を剥く。

「福岡空港を第12師団砲兵連隊と、西部軍集団の第2砲兵旅団が占有すると! 付近道路は戒厳令での合囲地境宣言によって、軍司令部が管轄すると!」

頭に上った血が、血管を千切りそうだった。 西方からの避難ルートのど真ん中に位置するエリアが、一切の立ち入り禁止。
地図を見る。 市内中心部へは、県庁側か、大きく南を迂回するルートか。 いずれにせよ、混乱に拍車をかける事は必定だ。


「吉塚通りから県庁前、東公園、妙見通りがマヒ状態です!」

「比恵新橋で、群衆が御笠川に転落事故! 第17班から緊急応援要請!」

「消防本部からです! 身動きが取れず、事故現場まで到達は不可能!」

福岡市民だけでは無い。 上陸地点となった古賀市や隣接する新宮町、その他、付近の自治体から一斉に群衆が殺到してきているのだ。
この、地獄の入口から脱出するには、鉄道・道路等の交通インフラが最も整った博多市から脱出するのが最も早い。
そして群衆心理。 今現在、推定で200万人弱の群衆が一斉にこの場所に殺到してきていると、県警では想定していた。

「博多港の港湾管制本部からです! 『博多港は、0630時を以って封鎖。 港内避難民を、駅へと誘導する』、です!」

「無茶言うな! これ以上増えたら、もうどうしようもない!」

「天神(西鉄福岡)の方へ、回せないのか!?」

「無理だ、向うもマヒ状態だ! 国体道路を見ろ! 向うからこっちに人の流れが出来ている!」

「封鎖しろ! 封鎖だ! 阻止線を張れ!」

「出来るか! 何処にそんな余白が有る!? もう人込みで、那珂川にさえ行く事も出来ないんだぞ!」

どうしようもない―――本当に、どうしようもない。 国鉄は普段の過密スケジュールの更に上をいく、超々過密スケジュールの運行ダイヤをこなそうとしている。
私鉄も採算など、遠い宇宙の彼方にすっ飛ばしたかの如くの運航協力をしてくれている。 消防はもう既にフル回転状態、そして県庁と市庁、県警は職員総動員で事態に当っている。

―――それでも、どうしようもない。 もう、本当に、どうしようもない。

「・・・つまるもんかい(良い訳ないだろう)」

警察に奉職して30年。 自分の使命は、市民の安全の保護だ。 
そうやって30年間、地道に奉職してきた、ここで『どうしようもない』などと。

「もう一度、国鉄に打診しろ! 客車で無くともいい、最悪は貨車を解放して運べと! 本部に連絡! 避難民の1次避難経由地を増設の意見具申!
宮崎や佐賀、熊本辺りまで行けば空路がまだ使える筈だ。 航空会社のパイロットは半分軍人だろう! 低空飛行で近畿まで運ばせろと!」

やるしかない。 やるしかないのだ。 生き残る為に、自己の責務を果たす為に。
ふと、家に残してきた家族の事が、一瞬脳裏をよぎった。 優先移民の話を断った。 第1次疎開の優先枠も蹴った。
仕事馬鹿の夫を、父を、長年見てきた家族だ。 理解してくれると信じたい。 或いは冷たい夫、冷たい父親と思っただろうか?
だが、これだけは信じて欲しかった。 自分は何よりも、家族を愛していると。 そして何よりも、仕事に誇りを持っていると。
だからこそ、信じて欲しかった―――本当は、何よりも、真っ先に脱出させたかったのだと、それが本心だったのだと。

「軍は国を護る。 我々警察は、市民の安全を守る―――必ずだ、一命に代えても」















D-Dayプラス2時間45分 1998年7月7日 0730 熊本県熊本市 帝国陸軍西部軍集団総司令部(西部軍管区総監部)


次々に情報が入電し、オペレーター達は血相を変え、次第に声のトーンが高くなってゆく。 

「第3軍司令部より入電! 『博多の第3軍団、唐津の第13軍団、両戦線を維持中。 増援を乞う!』、です!」

「第3軍団57師団司令部より、『遠賀川で道路網寸断、現在工兵隊による応急架橋を実施中。 終了予定、4時間後』、以上!」

「第4軍司令部より入電、『大分自動車道、湯布院、九重付近で避難民車両の事故渋滞! 戦力移動は宇佐別府道路から10号線経由』、大分県警、消防庁からも同様の連絡有り!」

「博多戦線に第9師団到着! 『我、これより全力応戦を開始す』、以上です!」

「第21師団司令部より、『唐津湾到着予定、10分後。 戦域支援砲撃開始、5分後の見込み』、第13軍団へ転送しますか!?」

「佐世保鎮守府より入電! 『第2艦隊第2遊撃部隊、出撃す。 今暫し持ち堪えられたし』、呉からも第2艦隊第1遊撃部隊、出撃しました!」

連絡将校は各地の部隊への通達に躍起になり、情報将校は次々に舞い込む戦況報告を整理しようと、脳の血管が切れそうな思いで情報を整理する。


「戦況の状況整理は? どうなっている?」

その喧騒を見下ろす形で、1段高い場所に設けられた戦闘管制指揮所。 西部軍集団司令官・横山勇雄陸軍大将が、居並ぶ参謀弾を見まわし問う。 
その表情は捗々しくない。 当然であろう、遂に帝国本土へのBETA上陸、そしてその矢面の九州防衛を一身に負う身ともなれば。
司令官の問いに、G2(情報参謀部長)が努めて平静な口調で報告する。 G2自身、動揺は少なからず有ろうが、それをいちいち表すのは参謀では無い。

「はっ! 上陸地点は2箇所、福岡市北東の福津市南部と古賀市北部の海岸線。 そして佐賀県唐津湾一帯です。
福岡方面に上陸したBETA群は約1万2000、師団規模です。 唐津には約9000、こちらもほぼ師団規模、総計約2万1000」

―――2箇所に師団規模のBETA群、約2万強。 事前情報では、対馬にはB群2万9000と、D群3万2000が確認されている。 総計6万1000。
恐らく今後も五月雨式に1万、2万と言った師団規模・軍団規模のBETA群の上陸が発生するだろう。 最低でもあと2回、多くて6回。

「現在、福岡防衛線には第3軍の第3軍団から福岡駐留の第12師団(戦術機甲)と、古賀駐屯地駐留の第33師団(機甲)が即応。 
更に10分前に第3軍団主力の第9師団(戦術機甲)も到着、応戦を開始しました。 北九州方向への突破阻止任務です。
第3軍団予備の部隊、第27師団(機械化歩兵)は大宰府を防衛、これには斯衛第3聯隊戦闘団を指揮下に置きます。
ただし、北九州市駐留の第57師団(機械化歩兵)は、道路網寸断の影響で移動が大幅に遅れております」

「・・・東部方面の突破阻止、9師団だけで可能かね?」

その問いに、傍らの参謀長が難しい表情で答える。

「今後のBETAの動向次第かと・・・ 現在の戦況は海岸線から縦深4kmラインを死守中、九州自動車道への突破阻止です。 北東は東福間で宗像・北九州方面への突破阻止。 
南西は無論、博多市内への突破阻止を、神宮町を拠点に対応中。 現在戦線を維持、突破を許しておりません」

BETA上陸後約3時間弱。 たまたま、本当にたまたま、第3軍団主力の1つ、第12師団の直近に上陸してくれたのが、せめてもの救いだ。
上陸地点に布陣していて、侵攻を真正面に受けた第33師団は、流石に損耗が激しいとの報告が入っている。
が、しかし未だ戦闘力を喪っていない。 主力の片割れの第9師団も到着した。

「唐津方面は、第13軍団第39師団(機械化歩兵)防衛陣地正面への上陸でした。 接敵直後から全力応戦を開始、戦闘初期段階での南と東への突破を防ぎました。
これは海軍のEFから、海中進行中のBETA群警報を、直前にですが受ける事が出来たのが大きな要因です。
軍団主力の第34師団(戦術機甲)が1時間前に到着、応戦を開始。 更には第21師団(戦術機甲)も、間もなく戦場到着予定です。
現在は唐津道路(西九州自動車道)内面の防衛ラインを維持しております」

唐津方面はBETA群9000に対し、3個師団を投入した。 まずは何とか阻止出来る戦力だろう。
しかしその前に手を打たねばならない。 唐津後背の佐賀平野に侵入されれば、北九州西部防衛が破綻する。

「13軍団予備・・・ 25師団と32師団の対応は?」

「現在、多久市と小城市で待機中です。 命令有り次第、北上が可能」

「ふむ・・・ 海軍は玄界灘に出る気だな。 ならばその支援を受ける為にも、海岸線にBETAを縛り付ける必要が有るか」

「軍集団砲兵旅団群、各部隊、投入可能位置に着いております」

「では、仕事をさせたまえ」













D-Dayプラス6時間45分 7月7日 1130 福岡県博多北西防衛線 福津市光陽台南付近 国道3号線 第9師団


36mm砲弾が小型種の群れを一掃する。 両腕に保持した87式突撃砲の残弾は、36mmが右1400発と、左が1550発。 120mmはまだ残している。
不意に視界の右片隅に、レクチュアルが赤く点滅するのを認識した。 同時に無意識の動作で機体を軸回転で90度旋回させ、正対する。

『02より01! 3時方向、600! 要撃級6、戦車級30、小型種100!』

戦域MAPを確認する。 海岸線付近に光線級が居る、不用意な跳躍は出来ない。

「制圧支援、残弾叩き込め。 B小隊、突っ込んで片付けろ、跳躍は使うな、ランで行け!A小隊、Bを支援! C小隊は左翼警戒!」

『了解! いくぞ! B小隊、続け!』

『C小隊、上西郷方面からの突進を警戒! 陣形を崩すな、トライアングルを維持しろ!』

B小隊の3機が、要撃級にランで突っ込んで行く。 要撃級BETAがその硬い前腕を振り上げたその瞬間、ショート・ブーストを使い横方向へ軸回転させながら移動する。
同時にそのタイミングに合せ、A小隊が120mm砲弾を撃ち込む。 前腕でその砲弾をブロックした事で、B小隊の目前には無防備な側面を晒した要塞級の姿が飛び込んだ。

『撃ッ!』

小隊長の射撃命令と同時に、36mm砲弾が柔らかい横腹に叩き込まれる。 連続した砲弾命中で体液と内臓物を吐き出しながら、要撃級が横転する。

「B小隊! 3時、戦車級!」

中隊長の警告と同時に、3機が一斉にバックステップで距離を取る。 同時にA小隊から120mmキャニスター弾が戦車級の群れに降り注いだ。

『ビンゴ! 吹っ飛びました!』

B小隊長の声が弾む。 これであとは、さして脅威の無い小型種ばかりを掃討すればいい。

『03より01! 新たな小型種の群れ、海岸線方向! 1600!』

「全部相手どるな! こんな廃墟の場所じゃ、どれだけ探しても見落とす!―――『クマソ』! こちら『サラマンダー』だ、任せて良いか!?」

協同する、自走高射砲中隊の指揮官を呼び出す。

『クマソよりサラマンダー。 国道沿いの連中は、こっちで片付ける。 10時方向の廃墟に突っ込んで来る連中、任せて良いか?』

視界の限られた戦闘車両では、大方倒壊したとはいえ、家屋や雑居ビルの並ぶエリアは発見が難しい。

「判った、そっちはこちらで何とかする。 もう無人の廃墟だしな、上からキャニスター叩き込んでやるさ」

『あまりいい気はせんがね、仕方が無い。 よし―――来るぞ! 中隊、800で射撃開始!』

「リーダーより各機! 弾種、キャニスター! 撃て!」

2機を喪い、10機に減じた戦術機中隊は、何とか担当戦区を防衛する為に奮闘を再開した。






戦闘開始から、4時間以上が経過した。 BETAの上陸後も、一気の突破を許さず、何とか海岸線から4kmラインを死守している。
最もその間、休みなど全くない。 防衛ラインの高速道路後背に設置された補給コンテナから、武器弾薬と推進剤の補給を行うだけだ。
機内備え付けの流動食は既に呑み込んだ。 残っているのはペットボトルの水と、各種ビタミン配合の錠剤、それと塩の錠剤。 味気ない事この上ない。

戦闘直後の小休止、錠剤をのみ込む以外は、水は僅かに喉を湿らす程度に済ませる。

後方から飛翔音が連続して鳴り響く。 途端に前方のBETA群のなかから、数十本のレーザー照射が上空に向かって立ち上った。
途端に発生する爆発、そして蒸発したAL砲弾が生み出す重金属雲。 砲撃は一時的に全力射撃を開始したのだろうか、砲弾量がそれまでとは段違いだ。

≪CPよりサラマンダー・リーダー。 これより第12師団、全力攻撃に転じます。 9師団はこれに呼応、戦線を福間南=上西郷のラインまで押し上げます!≫

CPから全体攻勢の概略を知らされる。

「お休みは終了か。 CP、当然、他の連中もだよな?」

9師団だけが戦線を押し上げても意味が無い。 連動させなければ何処かに隙が出来るし、そこにBETAが入りこんで来る。

≪12師団は戦線を、古賀市と新宮町の境まで押し上げます。 33師団が九州自動車道沿いのラインを確保、海岸線に圧力をかけます。
支援は師団砲兵の他に、軍集団の第3砲兵旅団(5個大隊基幹)が全力支援を行います≫

3師団の師団砲兵(連隊)に、軍集団直率の砲兵旅団。 都合、砲兵14個大隊の全力支援。 203mm自走榴弾砲が36門、75式155mm自走榴弾砲が108門。
多連装ロケットシステムMLRSが6個中隊で、M270自走発射機が54輌。 それと師団砲兵の227 mm ロケット弾12連装発射機が9個中隊で81輌。

「で、俺達にはどれ位の配当が? 出来れば203榴の1個連隊に、MLRSもてんこ盛り、なんて有り難いが?」

≪第2大隊前面は、師団砲兵から1個大隊と、第2砲兵旅団のMLRSが1個中隊、割り振られます≫

「海岸線付近は、ちょっと近付けないな」

≪制圧砲撃中は、当然ですが接近禁止です―――全力砲撃開始、10秒前・・・ 5、4、3、2、1、開始!≫

とたんに彼方からとてつもない、連続した重低音の砲撃音と、ミサイルに飛翔音が聞こえてきた。 そして着弾。
いや、何割かはレーザー照射で叩き落されている。 全弾着弾など、BETA相手に、光線級相手に有り得ない。

≪続いて第2射、今!≫

再びの轟音、そして飛翔音。 立ち上るレーザー照射。 発生する重金属雲。

「・・・さて、野郎共に女朗共! 楽しい地獄めぐりの再開だ! いいか! 余計な事を考えるな、俺の指示通りに動け! いいな!?」

―――『了解!』

部下の唱和に、ふと思う。 自分の新任時代は、苛烈な戦場で有ったが、それでもまだ余裕が有ったと言う事か。
今の新任達は、初陣からして下がるべき場所すらない、故国での戦闘を強いられるのだから。

≪CPよりサラマンダー! 面制圧砲撃終了後に攻撃開始!―――無事でッ・・・!≫

CPより攻撃開始指示が入る。 そして最後の一言が、普段は冷静なCPが漏らした本心だと判る。
それにしても―――それにしても、本来なら連隊本部付き通信士官である彼女が、前任者が事故入院した為にまさか自分の中隊CPになるとは。
久賀直人大尉は、CP―――自分の新妻の顔を網膜スクリーンの片隅に見ながら、今は違う部隊に居る同期の戦友に向かって呟いた。

(―――確かに、生きる理由だよな、周防・・・)














D-Dayプラス7時間25分 1998年7月7日 1210 玄界灘 帝国海軍第2艦隊 第1遊撃部隊(第4航戦) 戦術機母艦『天龍』


迫りつつある台風の影響か、波濤が高い。 艦の動揺はスタピライザーで最小に抑えられる筈が、発艦限界に近い揺れに感じる。
第1次攻撃隊が発進してから20分近い。 そろそろお呼びがかかる筈だ、1回こっきりの支援出撃で済む筈が無い。

ジリジリと時間が過ぎてゆく。 緊張してか、先程から身じろぎもせず固くなったままの者、ソワソワと辺りを見回す者。 初陣か、初陣間もない新米衛士達。
隣と雑談する者、見た目のんびりと何か飲み物が入ったカップをすする者、目を閉じて軽く寝息を立てている者。 虚勢でも、それを張る余裕のある中堅やベテラン衛士達。

『第2次攻撃隊、発進準備。 第2時攻撃隊、発進準備。 搭乗員、搭乗開始せよ』

やがて搭乗開始の指令がかかる。 ハンガー脇の衛士待機室から飛び出した各衛士達は、自らの『愛機』に駆け寄る。
リフトでパレットに乗り上がり、戦術機ガントリーに固定され、上半身を起立させた状態の機体のコクピットに乗り込んだ。

各機付き整備長が搭乗ハッチの閉鎖を確認し、デッキクルーに合図する。 
整備パレットが押し上げられ、ガントリーの自走機構が作動してリフトまで戦術機を乗せた状態で移動する。
完全にリフトに乗った時点で、戦術機が起立。 ガントリーはそのまま逆の手順で、元のハンガー位置まで戻ってゆく。
やがて戦術機を乗せたサイドリフト(舷側リフト)が、飛行甲板まで上げられる。 第2次攻撃隊の84式戦術歩行戦術機『翔鶴』、12機が次々と姿を現す。

『リードより各機。 古参は今更だから聞き流せ。 新米共は、よーっく聴け。 発艦はコントロールがタイミングを全て指示する。
貴様等はそのタイミングを逃さずに、スロットルを開ければ良い! それと離艦した瞬間は機体が沈み込むが、我慢してゆっくり引き起こせ!』

網膜スクリーンに映った部下達の顔。 古参連中は余裕か虚勢か、それでもふてぶてしい表情だが、今回が初陣の半数以上の部下達は顔が引き攣っている。

『いいか! 機速は十分だ、そのまま浮かび上がる! 慌ててスティックを引くなよ? 逆に失速して海にドボンだ!』

それにしても、母艦戦術機甲部隊で今更ながら、この様な指示を出さなくてはならないとは。 母艦乗りなら、発艦の初歩だと言うのに。

―――『了解!』

うん、何とか声は出る様だ、喉に詰まりそうな声だが。 攻撃隊指揮官はその様子を一瞬眺めた後、発艦ルーチンに集中し直した。
網膜スクリーンの中、黄色いジャケットとヘルメットを被った誘導員が、誘導用の指示発光体を持って、右前方の方向へ指示を出す。
指揮機の操縦衛士は戦術機の右腕をL字に曲げ、上下に振る―――脚部ロックを外せ。

誘導員は注意深く主脚に取り付けてあったロック解除ボタンを操作し、固定が外れた事を確認すると元の位置に戻り、右腕を水平に伸ばしてサム・アップする。
これでカタパルト上まで何の障害物も無い事が確認された、 そして別の誘導員を指し示す。 
誘導引き継ぎ。 誘導員が両腕を肘から先だけ上に曲げ、前後に揺らす―――前進せよ。

『タキシング―――デッキ・アプローチ』

スティックに設けられたオート・ラン・ボタンを作動位置に入れる。 ゆっくりと歩き出す戦術機。
誘導員の指示に従い、機体を発進甲板前部に設けられた2基のカタパルト、その左舷側真後ろへ進入さす。
赤いジャケットの兵装要員が、機体各部の目視点検を行う。 搭載装備―――問題無し。 機体状態―――問題無し。

兵装要員が機体から離れるのを確認した緑色のジャケットとヘルメットの発進関係兵装要員が、手にしたボードを掲げる。
射出重量が記載されたボードを、衛士とカタパルト・コントロール・ステーションに示している。
指揮官は網膜スクリーンの機体情報エリアから、その数字を確認。 機体の右腕を前に突きだし、肘から先を2度、上に曲げて同じ値である事を合図する。
衛士とコントロール・ステーションの確認を取り、この重量に合わせたカタパルト蒸気圧がセッティングされる。

そして先程とは別のカタパルト要員が、発艦制御用のトレイルバーを主脚につける。 衛士はスティックの別のボタンを押し、機体のランチバーを下ろした。
カタパルトクルーがこれを、カタパルトシャトルのスプレーダーにくわえ込ませる―――発艦準備が完了した。
これで機体は何時でも『空中への投身自殺』への準備がOKになった。

(―――第1次の12機は、生還7機。 2艦で24機中、生還15機、生還率62.5%。 第4次で実質攻撃力は無くなるな・・・)

93年の『九-六作戦』と、94年の『大陸打通作戦』の戦域支援任務、そして96年の南満州支援。
出撃に度に、衛士の損耗率は30%から多い場合は60%を越した。 96年末時点で海軍母艦戦術機甲部隊の衛士充足率は、底を打っていたと言っていい。

その為に97年度から、それまでの少数精鋭主義をかなぐり捨てて、衛士訓練生の大量採用を行った。 
だが焼け石に水だ、練度は訓練と経験に比例する。 1年少々では、まだまだ圧倒的に時間が足りない。
足りないのは、新米達の訓練時間や経験だけでは無い。 指揮官すら足りないのだ。 本来なら未だ小隊長をしている筈の、中尉の中堅連中でさえ、中隊長に抜擢されている者もいる。

(―――連中の悪運を、信じてやるしかないか・・・)

やがて右舷艦尾近く、比較的コンパクトに纏められた艦橋構造物―――アイランドの頂点から『神託』が下る。

『エア・ボス(飛行長)より“アーチャーズ”(第242戦術機甲中隊)、発艦を許可する。 送レ』

『アーチャーズ・リード、ラジャ。 リードより発艦する。 送レ』

『海岸線付近は地獄の大釜だ。 陸軍が苦戦している、全力支援だ。 それと今回はジャク(未熟練者)が多い、気を付けろ』

『多い、ではなくて、ジャクばかりですよ』

『生きて帰れば、次の機会が生まれる。 困難だが―――だが全員帰還しろ、でなければ軍法会議だ』

飛行長の言葉に、第242戦術機甲中隊指揮官が思わず苦笑を洩らす。 『帰還せず』とはすなわち戦死だ、軍法会議もない。 
飛行長の声色が全てを物語っていた。 困難な戦場に、新人や未熟練者さえ投入せざるを得ない現状。
『何としても全員、無事に生還してくれ』―――部下達を送り出す、飛行長の本心だろう。 自分もそうだ。


JBD(ジェット・ブラスト・ディフレクター)が立つ。 同時に網膜スクリーンに映った、発艦管制指揮所の発艦管制将校から合図が入る。
右手でV字、常用定格推力(ミリタリー推力)―――ロケット点火を行わない状態での最大推力だ。 

『スロットル、ミリタリー(常用定格推力)』

『ミリタリー、了解』

タンデム配置された砲手席から、RIO(兵器・索敵管制衛士)が復唱を返す。 そして同時に操縦衛士がスロットルをミリタリーまで押し込む。 
2基のJ79-GE-3Aが咆哮を上げて推力値が高まり、やがて規定推力に達する。
衛士はその推力値を確認し、異常が無い事を確かめ、網膜スクリーンに映る発艦管制将校敬礼を送る。

これを合図に、カタパルト将校が大きく脚を曲げ、甲板に倒れ込むようにしながら手を振りおろしカタパルト操作員に合図を送る。
カタパルト操作員が射出ボタンを押し―――カタパルトが作動、蒸気シリンダ内部を猛烈な勢いでピストンが走行する。 
ピストンに連結されたシャトルが、繋げられた機体を同時に猛烈に加速させた。 そして射出。 
機体は2秒の間に300km/hまで加速され、猛烈なGを衛士に加えながら中空へと舞い上がってゆく。


振り向いて母艦を見ると、既に2番機がカタパルトにセッティングされていた。 僚艦の『神龍』からも、 “バッカニア”(第244戦術機甲中隊)が発艦しつつあった。
15分後、全機発艦を終えた第242戦術機甲中隊“アーチャーズ”、第244戦術機甲中隊“バッカニア”の第2次攻撃隊24機の84式『翔鶴』は一路、海岸線を目指す。
背後の95式自律誘導弾兵装担架システムに、比較的大型の92式改弐型多目的自律誘導弾システムを2基、そして肩部にも2基背負っている。
陸軍戦術機が使用するより大型の、95式多目的自律誘導弾を搭載する為、1基当たりの装弾数は9発に減少していた。

≪FAC『ニンジャ・コマンド』より“アーチャーズ”、“バッカニア”! 目標は福岡市北西の福津=古賀の海岸防衛線、西南方2kmのBETA群!
突撃級が突破を図っている、陸軍の第12師団が相手にしているが、さっきから悲鳴しか入ってこない!
第1次が95式をお見舞いしているが、上陸したBETA共の数が増えてきた。 福岡市内方面への突破は何としても阻止してくれ!≫

『アーチャーズ、ラジャ』

『バッカニアだ、任された』


やがて目標から80km地点に達する。

『ようし! アーチャーズ、高度30!』

『バッカニア全機、匍匐突撃!』

海軍母艦戦術機甲部隊の、海面スレスレの低空突撃が始まった。 24機の『翔鶴』が、海軍戦術機特有の低空高速機動で突進していく。

『うあっ・・・!』

『こ、こんな高度ッ・・・!』

悲鳴を出しているのは、半年程古い新米達だろう。 この春に卒業した連中は、声も出ない状況だろう。

『リーダーより各機! 高度を上げるな! 上げたら海岸線と対馬の光線級に、狙い撃ちされるぞ!』

『し、しかしッ・・・!』

『うわッ! う、海がッ・・・!』

ほとんど海面に激突寸前の超低空突撃。 レーザー照射から身を護る為に、海面激突の危険を無視して突撃する。
ベテランでさえ、無意識に恐怖を押さえ込む。 慣れないジャク連中でそれを完全に為せと言うのは、端から無理だったのか。
堪え切れなかったか、無意識の操縦ミスか。 数機の高度がほんの僅かに上がった。 ほんの僅か、ほんの20mも上がっていない。
途端に、先程から上空から飛来する砲弾やミサイルを迎撃していたレーザー照射が、直ぐ上空を擦過する。 

『アーチャーズ7番機、被弾、爆発!』

『バッカニア8番機、11番機、レーザー直撃!』

『高度を下げろ! 30以上に頭を出すな!』

『陣形を維持! B、C小隊、トライアングル(陣形)に変更、穴を埋めろ!』


衛星情報リンクで目標の座標は掴んでいる、既にロックオンした状態だ。 そして75km地点。
ミサイルに『火を入れる』様に指示を出す。 兵装担架システム起動―――70km地点

『アーチャーズ4番機、レーザー直撃! 12番機、海面に突っ込んだ!』

『バッカニア5番機被弾! B小隊長戦死!』

『全機、95式発射!』

『撃て! 全弾発射!』

1基の92式改弐型多目的自律誘導弾システムから、9発の95式多目的自律誘導弾が発射される。 
戦術機1機でこれを4基搭載、合計で36発。 6機減った18機で実に648発。

アクティブ・レーダー・ホーミングによるレーザー誘導弾が、音速の数倍の早さで低空を突進してゆく。
F-14Dに搭載されるフェニックスミサイルに比べると、小型で威力も劣る。 反面、小型・軽量故に搭載弾数は1.5倍となり、自律誘導性能、飛翔速度も大幅に優る。
改良型は射程距離70-80kmで『撃ちっ放し』能力が付加された為、光線級のレーザー照射を直接気にしない位置から攻撃が可能になっていた。

戦術MAPにミサイルを示すマーカーと、BETA群が映し出される―――海岸線付近は赤色で、ほぼ塗りつぶされている。
発射後、20秒―――レーザー照射が開始された。 自律回避が起動するも、やや高度が高かった2割強が墜とされる。
25秒―――レーザー照射がいったん止まった、光線級のインターバル。 残ったミサイルは70%強、504発。
30秒―――インターバルは、後7秒で終わる。 だが勝負はこちらの勝ちのようだ、95式多目的自律誘導弾の速度はマッハ6.0に達した。 到達時間は24秒後。
やがて戦術MAP上でミサイルのマーカーが、BETA群の中で次々と消滅する。 続いて通信回線から初めて聞く声。

『ベア01より、海軍! オン・ターゲット! 良い腕前だ、BETA共は吹き飛んだ!』

スクリーン情報には『第121戦術機甲連隊・第22中隊“ベア”』とあった。 恐らく中隊長だろう。
洋上からも、母艦戦術機部隊による誘導弾攻撃の結果がはっきりと見えた。 博多市内方面へ突進しているBETA群に、叩きつけたのだ。 
何回かレーザー照射が上がっていたから、数十発は喰われたと思えるが、それでも数百発もの中型誘導弾が白煙を引いて殺到する様は見物だった。

『アーチャーズ01より、陸軍。 残念だが今日中に出前できる回数は、あと2、3回が限度だ。 ところで、地上戦闘支援は必要無いか?』

『ベア01より、海軍。 気遣い感謝する。 が、必要無い。 取りあえずまだ戦力はある。
それより、また支援要請をすると思う。 早速母艦に戻って、再出撃準備をしてくれないか?』

『人使いの荒い事だな。 判った、陸軍、持ち堪えろよ―――健闘を!』

『ここで潰されても、守らにゃならん。 お互い様だ、海軍―――そっちこそな!』













D-Dayプラス7時間55分 1998年7月7日 1240 福岡県博多市 国鉄博多駅


「久留米で脱線事故!?」

「鹿児島本線と久大本線、両方とも現在は不通です! 復旧の目処は、未だ立っていないとの事です!」

悲鳴の様な部下の報告に、呆然とする。

(―――脱線事故。 不通。 群衆・・・ BETA!)

県警の現場指揮官は、背筋に冷たい汗が流れ落ちる感触に、身震いし続けた。







[20952] 本土防衛戦 西部戦線 2話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2010/09/27 01:16
1998年7月7日 1435 玄界灘 第2艦隊第1遊撃部隊旗艦 戦艦『出雲』


『第12斉射―――開始!』

『第8、第10戦隊、第16斉射。 第2駆戦、AL弾第14斉射』

『第2補給任務部隊旗艦、AOE(総合補給艦)『摩周』より入電。 『邂逅地点、油谷湾』、です』

『陸軍部隊より入電! 上陸BETA群、35%に減少、継続砲撃支援を乞う!』

『第2遊撃部隊旗艦『穂高』より入電。 唐津湾上陸BETA群の70%を殲滅。 光線級による被害、最小』

『第13斉射、開始!』

『第1母艦打撃任務群旗艦、『天龍』より入電。 第4次攻撃隊収容。 第4航戦の損失、戦術機27機、衛士戦死54名。 残存21機』

『第2遊撃部隊、第2母艦打撃任務部隊の損失、戦術機24機、衛士戦死48名。 残存24機です』

『佐世保鎮守府、聯合海兵隊司令部より入電。 第232戦術機甲団(大隊:96式)、第331戦術機甲団(同:84式)、第431強襲戦術機甲団(同:81式)、展開完了』


BETA上陸から、丁度10時間が経った。 
現在の所、博多戦線の第3軍団と、唐津戦線の第13軍団(共に第3軍)は、海上からの支援を受けられる時間まで粘り通し、戦況を優位に保っている。
戦艦・巡洋艦の大・中口径砲、駆逐艦の小口径速射砲、そしてVLSからの対地ミサイル。 艦隊が持ち得る全火力を、海岸線に向け叩きつけている。
しかし迫りつつある台風の影響で、空は完全な曇天、海上の波頭はますます荒くなっていた。
艦隊は現在、宗像市大島の沖10kmの海上から、海岸線に向け艦砲射撃を繰り返しているが、それも間もなく不可能になるだろう。

博多戦線の陸軍部隊は、最も参戦の遅かった第9師団が戦力の85%を維持。 第12師団は77%、最も損失の大きい第34師団は64%―――交替させるべきだった。
第3軍団の予備である残存部隊の内、大宰府の第23師団は博多の後詰だけに動かせない。 北九州の第57師団がようやく移動を開始し、戦線に向かっている所だ。

「長官、現在の天気図ですと、現在海域に留まれる時間はあと2時間程です。 既に強風域に達しました、間もなく暴風域が到達します」

航海参謀が天気図を手に報告する。 表情は冴えない、当然だろう。
艦隊の航路決定に対し、艦隊司令長官を補佐し、その提言に責任を持つ彼としては、これ以上の荒天下での艦隊行動は望ましくない。
反面で、ここで艦隊が離脱する事に危惧を抱く事に、戦場を知る海軍軍人としての不安もまた抱いているからだ。

司令長官は航海参謀の報告に、艦橋から外の荒海を眺めながら無言で頷く。
暫く無言で外の光景を眺めていたが、ややあって、ポツリと言葉を漏らした。

「・・・大型艦だけでも、戦艦や重巡だけでも踏みとどまる事は無理かね?」

「可能ではありますが・・・」

歯切れの悪い航海参謀の言葉を、情報参謀が引き継ぎ捕捉する。

「長官、支援砲撃開始から既に4時間近くが経過しております。 戦艦の残存弾薬量は20%を切りました。
第8、第10戦隊の重巡4隻(『最上』、『三隈』、『足柄』、『羽黒』)の残存弾薬量は15%を先程下回ったと報告が。
このままでは艦隊の主力艦全て、当海域で攻撃力を喪失する事になります」

更に、全体の状況を参謀長が補足する。

「第2遊撃部隊からも、至急の補給要請が入っております。 向うも同じ様な状況です、平均残弾量は20%を切りました、後1時間程の交戦が限界です」

弾薬が無ければ、いくら艦が無事でも戦闘は出来ない。 
そして第2艦隊への洋上補給全般を任務とする第2補給任務群は、現在山陰沖合に居る。

「・・・判った。 第2艦隊全艦艇に通達。 全力戦闘をあと1時間、その後は油谷湾へ向け全速。 補給を受けた後・・・ 台風の影響は?」

「予想では日向灘を直撃します、その後針路を西方に。 暫くは油谷湾(山口県長門市)で波待ちをした方が宜しいでしょう。
戦線からも近いですし、緊急出撃後は2、3時間もすれば本海域に到達可能です」

「判った、油谷湾で待機だ。 通信(通信参謀)、陸軍部隊にも通達」

「はッ!」

艦橋が再び慌ただしくなる。 陸軍部隊との調整、別行動中の第2遊撃部隊への連絡、補給任務部隊との邂逅調整。
司令長官は、参謀や司令部付き士官たちが慌ただしく動き回る姿を見ながら、不意に思い出した様に傍らの参謀長へ問いかけた。

「参謀長、母艦戦術機甲部隊だがね。 いっそ一まとめにするか?」

「その方が宜しいでしょう。 戦術機甲参謀の報告では第1が残存21機、第2が24機。 併せて戦術機甲団(陸軍の大隊に相当)定数を少し上回る程度です。
丁度、油谷湾の第2補給任務部隊に『余呉』(貨物弾薬補給艦:AKE)と、『幌尻』(給兵艦:AE)、『高滝』(給油艦:AO)が戦術機部隊指定でおります。
補給を済ませた後に、まとめて運用する方が損失を押さえる事にもなります。 今のままでは、少数を小出しにする愚になります」

「―――その愚を今回やらかしたのは、僕だな」

「あ、いえ・・・ 失礼しました、長官」

第2艦隊司令長官は、参謀長の気不味そうな声に、苦笑を浮かべ『いいよ、いいよ』と、手を振って見せた。
実際の所、佐世保と呉、双方の軍港を母港とする艦艇が多い第2艦隊。 
対馬へのBETA上陸の報を受け、急遽艦隊を各母港から出港さす準備をしていた矢先の、九州上陸だった。

その為、呉在泊の戦艦『出雲』と、戦術機母艦『天龍』、『神龍』を中核とする第1遊撃部隊。
佐世保在泊の戦艦『穂高』、『高千穂』、戦術機母艦『瑞龍』、『仙龍』を中核とする第2遊撃部隊。
ふた手に便宜上分散しての、出撃・支援を行う羽目になった。 当然ながら、支援密度は落ちる。

「それにしても、母艦部隊は痛かったな。 練成中の若い連中が、多く喪われた様だ・・・」

「各隊指揮官からの報告では、損失の殆どが未熟練者だったと。 訓練搭乗時間が150時間に達していない者達ばかりです、いきなりの海上突撃は厳しかったと」

それに、母艦の搭載定数すら満たしていなかった。 雲龍級(改飛龍級)戦術機母艦の搭載機定数60機。 
今回はその内24機の搭載しかしていなかったのだ。 2艦合計で48機、第2艦隊全体でも、定数240機に対し実数は96機、充足率40%
戦術機が足りない、衛士も足りない。 大陸で喪われた損失から、未だ立ち直っていない矢先のBETA上陸。

「佐世保は・・・ 3個団(3個戦術機甲大隊)が居るか。 よし、では母艦戦術機甲団は補給が済み次第、第1遊撃部隊指揮下に入れ。
第2遊撃部隊も対地砲撃支援終了後は速やかに、補給隊との邂逅地点に急がせろ。 連中の懐も、寂しくなっておるしな」

「了解しました。 それと、4護隊(第4護衛艦隊:佐世保)から連絡が入りました。 やはり出港は無理だそうです」

「ふむ・・・ 『秋月』級以外は全て小艦ばかりだしな、EFは。 明日にかけて、台風の直撃が予想される、西日本以西の海域は地獄だ」

他に、2護隊(呉)、3護隊(舞鶴)が、軍港で身動きが取れなくなっている。 
大型艦が多い第2艦隊は全艦が出撃した。 そして呉軍港在泊の第1艦隊所属各艦もまた、出撃準備を急いでいた。

「後は、BETAがどれだけ時間をくれるかだ・・・」










1610 福岡県 福津市南東部


「BETA群発見、小型種ばかり50体程。 B小隊、右の20体殺れ、A小隊は中央の20体を殺る。 C小隊、周辺警戒。 『クマソ』、逃げようとしている10体、頼む」

『B小隊、了解』

『C小隊、バックアップ入ります、全周警戒開始』

『こちらクマソ(第91自走高射大隊第3中隊)だ、瞬殺出来るな、これじゃ―――長車よりカク、カク、目標10時、小型種10体。 射撃開始!』

廃墟の陰に消え隠れする、小型種BETAの群れ。 だがレーダーからは隠れきれていなかった。 
突撃砲の36mm砲弾が短い連射で四方から撃ち込まれ、自走高射砲の35mm機関砲が重低音と共に砲弾を吐き出す。
僅か50体程の小型種の群れは、歩兵相手ならば優位に立てるその俊敏性を発揮するまでも無く、瞬く間の内に赤黒い霧に変わって霧散した。


20分後、戦術機甲部隊の指揮官と、自走高射砲部隊の指揮官が状況の確認をしあっていた。

「そっちの塩梅はどうなんだい? 久賀大尉」

87式自走高射機関砲のキューポラから降り立った自走高射砲中隊の中隊長が、戦術機甲中隊の指揮官に聞く。
久賀大尉と呼ばれた戦術機甲中隊の指揮官も、自機の管制ユニットから降り立ち、自走砲部隊指揮官に歩み寄って答える。

「1/4減だよ、大崎大尉。 3機損失、3名戦死。 これでもまだマシな方だ、92式配備の12師団でも、1個中隊消滅なんてのも有る」

「34師団じゃ、師団戦術機甲大隊がほぼ、壊滅状態らしいぜ。 残存、11機だと。 1個中隊にもなりゃしねぇ」

「77式だからな、あそこの師団は。 それにBETAの突撃前面を受け持った、被害が大きくて当然だ・・・ で、そっちは?」

「中隊8輌編成で、2輌が喰われた。 6名戦死だ。 残りも残弾僅少だ、さっさと補給させて欲しいモンだ」

1時間前に、博多・唐津両戦線とも組織的な防衛戦は終了したと判断した。 
現在は撃ち漏らした残存BETA群―――殆どが小型種―――の掃討中だった。

「それに、そろそろ雲行きが怪しい。 これは本格的に台風直撃だぞ」

大崎と呼ばれた自走高射砲の中隊長が、忌々しげに空を見上げて吐き捨てる。
既に空は黒く分厚い雲に覆われ始めている。 風もきつい。 お陰で砲撃の射線が流され、命中率が落ちて無駄弾が増える事この上ない。
このまま暴風域が到達すれば、風速にもよるが戦闘自体が不可能になる場合も予測される。

「そちらさん以上に、こっちは自立できるかどうか、怪しくなる。 いくらコンピューター制御で姿勢制御しているとは言えな」

「コンピューターの古典文句かい?」

―――屑な入力を入れれば、馬鹿な出力しか出てこない。 そう言いたいのだろう。

「ちょっと違うかな。 演算処理能力以上に、外乱が多いとな」

ホンの数秒も経たずに、四方八方よりランダムに吹きつける暴風。 その風向・風速を計測し、演算して姿勢制御を行う―――演算処理速度と容量を超過してしまう。
そうなってしまえば、戦術機などまともな自立さえ不可能だ。 まして、姿勢制御無しでは不安定極まりない第3世代機。 BETAとの戦闘以前の話だ。

大崎大尉がポケットから取り出した煙草を強風の中、苦労して火を付けている。 久賀大尉にも1本差しだし、それを受け取った相手に火を貸す。
お互い、やや疲れた、そして難しい表情で戦場を眺めながら煙草を吹かす。 お互い言葉は交わさないが、胸中は似た様なものだろう。

―――第2派が上陸してくれば、次こそ地獄だ。

廃墟と化した市街地を眺めながら、そう目が語っていた。 
お互い戦場暮らしが長い、久賀大尉は満洲、欧州での戦歴が有る。 大崎大尉も大陸派遣軍上がりだ。
戦場経験の無い者も多い本土防衛軍の中にあって、旧大陸派遣軍に身を置いていた者達には、この次の地獄は確定した未来として捉えられていた。

「―――57師団がやってくるらしい」

ポツリと久賀大尉が漏らす。 その声に大崎大尉がちらりと視線を向け、半ば落胆したような声で言った。

「援軍は有り難いが、歩兵(機械化歩兵)じゃな。 穴埋めにもならんが・・・ せめて大宰府の23師団も北上させなきゃ」

「難しいだろうさ、あそこの師団の打撃戦力の中核は、斯衛第3聯隊戦闘団だ。 斯衛の補給所は、九州じゃ大宰府にしか無い」

「はん! 『我らが守護するは、本邦の民と魂』か! モノは言い様だ! 緊急展開能力すら碌にない、穀潰し共め!」

そのセリフに、久賀大尉も苦笑する。 何しろ、斯衛の緊急展開能力を潰してきた一方の当事者が、国軍なのだから。
もう一方は斯衛自身だ。 正面戦力の整備にのみ注力し、後方支援能力の充実を疎かにしてきたのは、斯衛軍自身だ。

もっとも、将軍と摂家の警護を主任務とする警護部隊から発展した彼等にとっては、その判断自体あながち間違いではない。
しかし、国防の分野にも口を出すようになってからは、明らかに国軍―――それも陸軍とはその運用性の貧弱さ故に、衝突を繰り返した。
陸軍も国防での主導権を渡すまいとして、あの手、この手で斯衛の展開能力を削ぐ工作を、延々と続けてきたのだ。 今の状況は、そのツケと言っても良い。

(―――だが、ここにきて、特に戦術機戦力の増強が無い事は痛いな・・・)

斯衛の82式『瑞鶴』は、陸軍が今尚運用している77式『撃震』から派生した機体では有るが、徹底的な改造と国産部品の使用とで、『撃震』との部品共有率はかなり悪い。
いざ戦場に投入したとしても、完全撃破された機体以外でも、小破・中破機体の修理は、大宰府まで下がらないと応急処置すら不可能だろうと言われる。
そうなれば、戦場での『消耗率』は瞬く間に跳ね上がる。 博多戦線に第23師団を投入できない理由の一つがそれだった。


「―――ん?」

不意に久賀大尉が曇った空を見上げた。

「―――雨、か・・・!」

とうとう降って来た。 半ば内心で恐れていた空模様になって来たらしい。 大崎大尉も忌々しげに、降りかかる雨に顔を濡らしながら空を見上げる。
やがて、急速に雨足が強くなってきた。 雨粒から大雨へ、そして横殴りの風雨へと瞬く間に天候が悪化したのだ。

「くそっ! こりゃ堪んねぇな!」

「機体に戻る! 大崎大尉、リンクは暫く繋いでいてくれ!」

「承知した!」

大急ぎで機体の管制ユニットに潜り込んだ久賀大尉の網膜スクリーンに、CPの姿がポップアップする。

≪CPよりサラマンダー・リーダー。 気象警戒警報発令。 至急、野戦基地まで帰還せよ。 尚、残存BETA掃討は終了したとの師団報告です≫

「サラマンダー・リーダー、了解。 何はともあれ、最初の地獄は回避できたか」

≪・・・次も地獄で有って堪るものですか。 サラマンダー、RTB!≫

「戦場帰りの声は、尊重しろ。 大丈夫、守ってやるさ。 サラマンダー、RTB」












1850 大分県日田市 玖珠川・大山川合流点付近


夜が近づくにつれ完全な曇天となり、1時間ほど前から雨が降り出してきた。 今では風雨が更に激しく、横殴りの風雨となっている。
同時に傍を流れる河川の水量が増し、水位が上がってきている。 このままでは渡河どころか、氾濫しかねない。

「第2中隊に、堤防の低い箇所の補強を急がせろ」

轟々と音を立てて流れる川を、降り注ぐ風雨に叩かれながら工兵連隊長が声を張り上げて指示を出していた。
風音と雨音が激しく、大声でないと聞きとり難くなっている。

「第4中隊から連絡です、210号線と212号線の合流地点、橋が落ちております!」

「復旧は!?」

「中ほどで橋脚が、ボッキリ逝っているそうです! 今、88式自走架柱橋で渡河点を確保すると!」

「81式ではダメか?」

「81式では74式(戦車)は通過出来ますが、90式(戦車)を渡す事が出来ません」

橋の長さこそ30mも無いが、仮設する場所だと対岸の道路までの幅が50mは有る。 最大の6両は必要だろうとの報告だった。
そして従来の81式自走架柱橋では、重量制限で主力戦車が通過出来ない。 その為に数の少ない新型の88式自走架柱橋を投入せざるを得ないのだ。

「連隊長! 師団司令部から、矢の催促です! 戦車部隊の渡河は何時になるのかと!」

「暫し待て! そう言っておけ! 第3中隊は!? 西の渡河点の確保は出来たのか!?」

「92式浮橋、70式自走浮橋、総動員で2本の橋を掛けました! 但し、向う側の民間人の移動も有ります、70式の方はそちらに回すと!」

「片側だけだぞ! もう片側は歩兵を渡せ! 可能な場所なら軽徒橋も使え! 第1中隊!」

「第1中隊、91式戦車橋を重連でいけます! パネル橋MGBも投入! 90式、渡河可能です! 作業完了は20分後!」

先日、2つ続けて直撃した大型台風の影響で、あちらこちらで橋が落ちたり、土砂で道路が埋まったりと、部隊移動が困難な状況が続いている。
九州戦線の戦略予備である第4軍、その中で東部方面(大分・宮崎)方面を担当する第10軍団(第8、第42、第46師団)は、福岡県内に入る事が出来ずに往生していた。
今も各師団の工兵連隊が、各所で寸断された道路網の復旧や仮設橋を設置するのに躍起になっていた。

「器材中隊より連絡! 土砂排除箇所にドーザー、投入開始しました!」

「第5中隊を応援に投入しろ! 本部中隊、向うから渡ってくる避難民の交通整理だ! 本隊とかち合せるな!」

「了解! 第1小隊続け! 第2、第3小隊、渡河点両側で管制に当れ!」

大分自動車道は既に上下線の別なく、福岡方面からの避難民で埋まっている。 車輌だけでなく、徒歩での避難民もいる有様だ。
鉄道はあちらこちらで脱線事故や、信号事故が頻発し、そのお陰で未だ博多駅構内に人が溢れている有様。
空路も使えず(完全に閉鎖された)、国道や県道は人で埋まっている。 ならばと、比較的目的地まで真っすぐ(感覚的に)行ける高速道路に、人が入って来たのだ。

その有様で軍の移動が支障をきたし、「下の」国道や県道を使う以外に方法が無くなったのだが・・・
落ちた橋や、土砂で埋まった道路を仮復旧しながらの行軍で、かなり時間を喰われている。


「・・・どこもかしこも、こんな状態です、酷いモノですな」

傍らの連隊幕僚が、雨合羽の下から疲れた顔をのぞかせ呟く。 
命令を受け、別府から移動してくるまでの10時間以上の間、何度こうして崩壊した道路網の復旧に手古摺った事か。
普通なら部隊の移動にこれほどの時間はかからない。 最悪でも大分道路が使えれば、いや、国道が普通に使えさえすれば!

「仕方有るまいよ、自然にはどう逆立ちした所で、コントロールは出来ん」

「今回は、自然災害以外の要素が大きいと思うのですが」

「それを言うな。 軍人がそれを言っちゃいかんよ」

「しかし・・・!」

政府主導の大規模疎開計画。 掛け声ばかり勇ましかったが、各所・各界の有言・無言の抵抗や利権争い、組織間の対立、政府の交渉の失敗。
あらゆる負の要素が合さり合って、九州全体で未だ1000万人以上が避難出来ていない。 これが西日本以西となると、まだまだ多数の民間人が残っていた。
中国地方で630万人、四国で350万人、近畿に至っては2000万人の残存民間人が残っている有様だ。 合計4000万人超。

「とにかく、我々は、我々の仕事を為すまでだ。 部隊を戦場まで運びこむ、足止めされている避難民に道を作る。
ここから東へは、軍団の工兵旅団が補強した仮設橋や埋まった道路の復旧を行っている、少しは避難の移動も早まるだろう」

既に師団の先鋒として、各工兵連隊が手を付けてきた場所は、軍団直属の工兵旅団が各所を補強している最中だ。
徒歩での避難になるが、それでも橋が落ちて川を渡れなかったり、道路が土砂で埋まっていたりと、避難民だけではどうしようもない事態だけは回避できる。

「予定より5時間の遅れだ、何としても日付が変わるまでに福岡との県境までは到達しておきたい」

「本来なら、とうの昔に戦線に到達している時間の筈ですし。 各中隊、作業を急がせます」

果たして先程の自分の言葉が夢物語に近いであろう事を、連隊長は自覚していた。
そして雨の中、各中隊との調整に走る幕僚の背中を見ながら、この先どれ程の苦労を部下に強いる事になるのかと、暗澹たる気持ちになって来た。













2010 久留米市 久留米駅付近


「はい・・・ はい、そうです、未だ横転した列車の中に、数10人の避難民が閉じ込められています。 ・・・は?」

脱線事故現場で、救出と復旧作業に当っていた工兵大隊の指揮官が、通信機を一瞬怪訝な表情で見る。

「し、しかし、それでは閉じ込められた人々が・・・ は、はっ! いえ、了解しました!」

信じられない―――そう物語る表情で通信機の受話器を置き、振り返る。
その視線の先には、この応急合同救出本部に詰めている、大宰府の第23師団から派遣された工兵大隊と、地元の福岡県警、そして久留米市消防本部のレスキュー隊が揃っていた。

「少佐、何と言ってきたのかね?」

福岡県警機動隊大隊の指揮官―――県警の警視が問いかける。 傍らで消防本部のレスキュー隊大隊指揮官の消防司令長も、何やら聞きた気な表情だ。
工兵大隊の大隊長であるその陸軍少佐は、彼らを前に言いづらそうな表情だったが、意を決して師団本部よりの命令を伝える。

「状況を総合的に判断し、救出作業より、横転した列車の除去作業を最優先させます」

その一言に、機動隊の指揮官と消防レスキュー隊の指揮官が気色ばんだ。

「おい、どう言う事だ!? あの中には未だ、数10人の要救助者が残っているのだぞ!?」

「軍は民間人を見捨てると言うのか!?」

「・・・致し方、ありません」

「何が、致し方無いんだ、この野郎!」

県警機動隊の警視が、工兵少佐の胸倉を掴みあげる。 消防司令長も顔色を変えて迫り寄って来た。
工兵少佐はそれでも気不味そうな表情で、「致し方ありません」と繰り返すばかりだ。 少佐と警視と消防司令長、官吏としてはほぼ同格の3人。
だが後者の2人は明らかに叩き上げの中年に近い、現場の強者と言った感が有るのに対し、士官学校出身の少佐は未だ30代に入ったばかり。
最年少者と言う事も有り、かつ、自分が受けた命令に内心素直に承服できないでいる事と併せ、強気に出れないでいた。

「まだ車内から、負傷して助けを求める声が聞こえるんだ! まだ生きているんだ! それを!」

「列車の除去などしてみろ! 閉じ込められている人々は圧迫死するしかないんだ! 軍はそんな事も判っていないのか!?」

口ぐちに詰め寄り、詰問する。 周りに居る県警や消防の幹部達も、非難がましい視線を送っている。
いや、それだけでは無い。 自分の部下達も―――中隊長達も、何とかならないのか、と、視線がそう物語っている。

「―――師団本部よりの情報では、未だ対馬に4万以上のBETA群が存在するとの事です。 いつ何時、第2派の上陸が有るか判りません」

その一言に、場が凍りつく。

「博多戦線、唐津戦線共に、第1派は撃退しました。 しかし、損害も無視できない状況です。 加えて、第2派上陸が有った場合、何処に上陸するかの予想がつきません・・・」

胸倉を掴んでいた、機動隊の警視の力が緩む。

「民間人は、何としても避難させねばなりません。 未だ博多には100万以上の人々が、避難待ちの状態です。 九州全体で1000万人弱の人々が。
ここの脱線事故で、各地の鉄道ダイヤが大幅に狂っております。 何としても、1秒でも早く復旧させねばなりません・・・」

抑揚の無いその声に、誰も一言も出ない。 何よりも現状に対して。

「超大型の台風は、既に沖縄本島を通過しました! 今夜半には豊後水道に到達します! そうなってからでは、作業は何も出来ない!
納得しろとは申しません、が・・・! 理解頂きたい! 致し方無いのです・・・!」

茫然とした表情で、力なく掴んだ手を降ろした機動隊の警視が、肩を落として背を向けた。
そして本部テントを出てゆくその時、力なく呟いた。

「・・・忘れられんだろうなぁ、今日と言う日は・・・」





工兵隊がバーナーで列車の連鉄部を焼き切っている。 ドーザーが数輌、連結を焼き切られた列車に取り付き、最大ギア比で全力で押していた。
やがて線路上を塞いでいた列車が1輌、更に1輛と、横転しながら轟音を立て、脇の土手を転がりながら落ちて行った。
同様の作業が10数か所で行われている。 既に軍司令部より派遣された直轄の鉄道連隊と、国鉄の作業班が総がかりで破損個所の修理に入っている。

夜半になって数10基のサーチライトに照らされ、益々激しくなって来た風雨に晒された事故現場。
指揮を続けながらその様子を見ていた工兵大隊の少佐は、先程の県警機動隊指揮官の言葉を脳裏で反芻していた。

(『・・・忘れられんだろうなぁ、今日と言う日は・・・』)

今まで実戦経験は無かった。 任官してからこの方、殆ど国内勤務だった。 
数少ない海外派兵経験は、92年の中韓国境線の軍用鉄道・道路網の建設作業と、94年に大東亜連合軍(当時はASEAN軍)が計画した、ジットラ・ラインの構築に参加しただけだ。

同じ工兵科の先輩や同期生で、実戦を経験した者達の言う言葉が、それまではどこか理解できなかったのも事実だ。
脳裏に刻み込まれ、忘れようにも忘れられない。 そんな経験が無かった事も確かだ。

(―――これは、まだまだ、序章なのだろうな、多分・・・)

淡々と進む作業。 しかしその光景の裏では、未だ生存していた要救助者の命が今まさに失われている事だけは、忘れてはいけないのだと、そう内心で唱え続けていた。












2230 博多戦線東部防衛線 第9師団 第91戦術機甲連隊 第2大隊


野戦テントの中で、指揮官達が顔を突きつけ合わせている。 今日1日で被った損害を調べ、明日以降、投入可能な戦力を把握する為に。

「第1中隊は全損3機、小破1機、残存8機。 第2中隊、全損3機、残存9機。 第3中隊が全損2機、小破2機、残存8機。 指揮小隊全損1機・・・」

大隊CP将校が、部隊の損失状況を読み上げる。 全損(衛士は戦死)が9機、小破が3機。 大隊戦力は28機に減少している。

「第1中隊、第3中隊の小破した3機は、現在修理中です。 が、完了まであと1時間はかかると先程、整備中隊長から報告が有りました。
また、軍医の診断を受けていた、機体が小破した3名の衛士ですが、軽いPSDTとの診断が出ました。 軍医の判断では、後方へとの事ですが・・・」

―――どうされます?

CP将校が大隊長に、そう眼で問いかける。
本来なら、軍医がそう判断したのであれば、後方へ下げる事は妥当なのだろう。 衛士は貴重だ、そうおいそれと消耗品扱いできない程に。

「・・・第1と第3中隊の新任だったな、確か。 1中隊長、3中隊長、君らの意見は?」

大隊長が当事者の直属上官である、第1、第3中隊長に問いかける。 その声に、第3中隊長が少しの逡巡を込めた声で返答した。

「私としましては、戦力減にはなりますが、ここは後方へ送り返してやりたいと・・・」

「2個小隊しか残らんぞ?」

「前衛小隊と、後衛小隊で再構築します。 それで何とか・・・」 

「反対だな、無理でも引き戻すべきだ」

その時、隣の第2中隊長が話を遮って発言した。 その声を聞いた第1、第3中隊長が眉をひそめる。
その表情を横目で見ながら、第2中隊長―――久賀直人大尉が話を続ける。

「BETA相手の戦いは、結局は数の勝負だ。 相手の無限にも感じる程の物量を押し止める為には、例え1機でも、2機でも多い方が良いに決まっている。
3機復帰できるのなら、それに越した事は無い。 1中(第1中隊)は3機編成の小隊3個を再編成できる。 3中は4機と3機の各小隊を3個。
カヴァー出来るエリアが広がる、それに対応して協同部隊との阻止戦闘の選択肢も広がる。 戦術機部隊だけで戦争する訳じゃないからな」

「しかしな、久賀君。 あの3名はPSDTだ、戦場で何時混乱するか判らん。 そんな不安定な状況の部下を、戦場に投入できるか?」

「何の為に後催眠暗示が有るんです? いざとなれば、薬物投与も指揮官の権限内だ。 『それ』が存在すると言う事は、軍はその措置を是認していると言う事ですよ」

相手の無情? とも聞こえる言葉に、先任中隊長である第1中隊長が、やんわりと反対意見を言うが、久賀大尉の言葉はそれを切って捨てるかのようだった。
思わず気色ばみそうになった第1中隊長を目線で制して、久賀大尉が今度は後任である第3中隊長に問いかける。

「なあ、本当に2個小隊だけで、今日と同じ戦いをやれる自信が有るのかい? 俺だったら無い。
ウチの中隊は戦力25%減だ、多分どこかに穴が空くし、明日以降も同じ戦力だとしたら、また部下を喪うだろう」

「それは・・・」

「仮に同じ規模のBETAが、再上陸したとしてだ。 今回、俺達第9師団は途中からの参戦だった、それでもこれだけの損害を受けた。
第12師団は、戦術機甲戦力の35%を喪った。 第33師団は師団戦力自体が、60%にまで落ち込んでいる。
もし、同数のBETA群を今後迎え撃てば、次かその次には、全滅するぞ?」

寧ろ淡々としたその声に、2人の中隊長も、大隊長さえも言うべき言葉が出ない。 実際に旧大陸派遣軍の経験を有するのは、この場では久賀大尉だけだった。

「1機でも多い方が良い。 その1機がもしかしたら決定的な場面で、役に立つかもしれない。 
役に立つ前にくたばるかもしれないが、僅かな可能性は否定できない。 そんな場面を散々見てきた―――大隊長」

言葉を切って、久賀大尉が大隊長を見据える。

「軽度のPSDTならば、戦場に復帰さす手段を軍は用意しております。 今は戦力を維持する事が重要かつ、不可欠であると判断します」

それだけ言うと、後は大隊長の判断に任せるかのように、口を閉じた。
残りの中隊長、そして大隊幕僚、CP将校達が、大隊長を見つめる。 その視線を受けながら、暫し考える様に眼を瞑っていた大隊長が、口を開いた。

「―――部隊に復帰させる。 ここで3機を戦列から外す事は、実際に痛い」

その言葉に全員が叩頭する。 だが、第1と第3中隊長は、何処か納得のいかない表情を微かに見せていた。





「―――あなた」

大隊本部テントから出て、中隊へ戻ろうとしていた久賀大尉を、背後から呼び止める声が聞こえた。
振り返ると、大隊本部テントから大隊通信幕僚―――臨時編成で彼の中隊のCP将校をしていたが、正規のCPが着任した為、大隊通信幕僚に戻った彼の妻だった。

「何だ? どうかしたか?」

走り寄るその姿を見て、思わず場違いな想いを抱いてしまう。 欧州から帰還した後に配属となった第9師団。
その時に初めて出会った彼女は、近寄りがたい雰囲気を持った才女で有ったのだが。 いつしか、日本女性には見られない、自分をはっきりと持ったその姿に魅かれて行った。
周囲からはキツイだの、何だのと言われている様だが、久賀大尉にとってはつい先頃まで共に戦ってきた仲間―――欧州での女性衛士達を見る様だった。

懐かしさが先に立ち、その間に次第にその姿を追ううちに、自覚した。 そして気付いたら、プロポーズしていたと言う訳だ。
堅物で通っていた自分が、何と言う大それた事を。 ポロポーズの言葉の後で、思わず内心そう思ったものだが、返ってきた言葉に、間違ってはいなかったと思った。
彼の妻は、冷静で、生真面目で、職務に熱心で―――そして、実に性根の優しい、実はよく笑う女性だった。 多少、感情面で他人に寄り添う事に、不器用な面が有るのだが。

「あなた、さっきの事・・・ 本田大尉と元木大尉には後で一言、言っておいた方がいいと思うわ」

本田大尉とは、第1中隊長。 元木大尉は第3中隊長だ。

「あなたが、大陸や欧州の戦場を転戦してきた事は、師団の誰もが知っています。 
でも、まだ誰も戦場を過ごした後の事、その時をどう過ごしたらいいのか知らないのよ。
私だってそう―――さっきは一瞬、耳を疑ったわ」

「・・・俺が、おかしくなったのかって?」

「違う、違うの。 何と言うか・・・ 私の夫は、そんな冷血な人じゃないわ。 戦場の厳しさを知っているその反面、とても情のある人。
だから、耳を疑ったその後で、自分が恥ずかしくなったの。 あなたが本心で、あんな事を言っているのじゃないって言う事に、一瞬でも疑った事を」

―――聞いているこちらが、気恥ずかしくなる。

慣れない、相変わらず慣れない。 だが心地良いのは、『あいつ』が言っていた事と同じなのだろうな。
真摯に語る妻に、そんな想いを抱いた事に少しだけ内心で謝ってから、久賀大尉は妻に同意した。

「―――判った。 次の戦闘が何時発生するか知れないしな、2人には時間を取って話しておくよ」

「ええ、それが良いと思うわ」

その言葉に微笑む妻の姿を見ていると、不意に感情がこみ上げてきた。 黙って妻を抱きしめる。

「優香子」

「あ、あなた!?」

吃驚している妻を抱きしめる。 その柔らかな肢体の感触を、その甘い香りを、貪るかのように。

「死にはしない、俺は死にはしない。 お前を残して死にはしない」

「あなた・・・」

「必ず帰ってくる、お前の元に、必ずだ。 お前を―――守ってみせる」

その言葉が、どれ程根拠の無い言葉で有るか。 幾多の激戦場を渡り歩いてきた久賀大尉には、肌で判っている。
しかし、言わずにはいられない。 自分は、この女の為に戦っているのだ。 国の為でも、皇帝や将軍の為でも無い。 名誉の為でも無い。

「帰ってくる、帰ってくる―――必ず、生き残ってみせる」








[20952] 本土防衛戦 西部戦線 3話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2010/10/04 00:25
1998年7月7日 2355 気象庁情報

「―――台風8号情報。 中心気圧890hPa、瞬間最大風速120ノット(61.7m/s)、最大暴風域半径220nm(約407km)、平均速度24.7ノット。 
針路を北東に転じ、四国に上陸の見込み。 予想上陸地点、高知市。 なお、九州全域は暴風域より外れるも、強風域に留まる見込み」


1998年7月8日 0025 福岡県北九州市 第57師団

「おい、この震動波・・・!」

「間違いない、BETAの移動震動波だ! 推定数・・・ 1万! アラート発令!」

「若松半島にBETA群上陸! 推定数、約1万! 至急来援乞う!」


1998年7月8日 0035 長崎県松浦市 第39師団

「くそっ! 岩陰が邪魔で・・・!」

「撃て! 撃て! 市内に侵入させるな!」

「北松浦半島、松浦市沿岸にBETA群! 1万! 我の被害甚大! 増援乞う! 増援乞う!」


1998年7月8日 0045 福岡県博多市 第33師団

「戦車は!? 戦術機は!? 早く! 早く!」

「1中より大隊本管! もう幾らも保たない!」

「糸島半島にBETA群再上陸! 個体数1万以上! 博多市内への突破を阻止出来ない! 駄目だ、抜かれる!」


1998年7月8日 0055 佐賀県唐津市 第21師団

「畜生! 風に流されて射線が・・・!」

「駄目だ! 防げない!」

「唐津湾にBETA群、再上陸開始した! 推定1万! 光線級もいる、頭を上げられん! 砲撃支援を! 砲撃を頼む!」










1998年7月8日 0230 熊本県熊本市 西部軍集団司令部 作戦会議室


「北九州の第57師団、損失47%に増大!」

「博多市内、第12師団突入するも被害甚大! 戦力68%に減!」

「唐津湾防衛線、突破されました! 第21師団の損失、54%! 第34師団の損失、60%!」

「大宰府から第23師団、出撃しました! 斯衛第3聯隊戦闘団、帯同します!」

「松浦の第39師団司令部、応答有りません!」

「第3軍砲兵支援軍団より入電! 『風雨が激しく、制圧砲撃不可能!』です!」

「博多市西部の第33師団司令部、応答無し。 第33師団、応答無しです・・・!」

「第13軍団第25師団、伊万里市に急行中!」

「第3軍司令部より入電! 『第4軍の増援を乞う。 我、支えるを能わず』・・・!」


軍集団司令部内は最早パニック状態に陥っていた。
夜半、それも、超大型の台風が間もなく直撃しようかと言う状況下での、約4万ものBETA群の再上陸。
前線に張り付いていた第3軍で、無傷なのは3個師団のみ。 頼みの戦術機甲戦力の中核である第9、第12、第21師団は、多かれ少なかれ損害を受けていた。
そして悪夢のような、4か所同時上陸。 第1派上陸時の様に戦力を集中する事が出来ず、各所で1~2個師団づつの防衛を強いられてしまった。
それも、多くが手負いの状態の部隊が。 現時点で、2個師団から応答が無い。 恐らく師団本部までが陥落、全滅の憂き目にあったのであろう。

九州北部を担当する第3軍司令部からは、悲鳴のような増援要請が飛び込んで来ていた。

「・・・閣下、第4軍を北上させますか?」

参謀長が、暗に今手を打たなければ、手遅れになる、そう言外に滲ませて確認する。
先程までの会議では、強硬に戦略予備を北上させるよう進言してきたのが、この参謀長だった。

「しかし、参謀長、そうなってしまっては、九州中南部の避難民脱出拠点の確保がままなりません」

異を唱えるのは、作戦主任参謀だ。 彼の中では、九州北部防衛は既に破綻したと踏んでいた。
元々、迅速な部隊移動での、機動防御戦を想定していたのだ。 それが相次ぐ台風の影響で、根底から崩れ去った。

「第4軍はこのまま、中部防衛線に張り付けるべきです」

作戦主任参謀の言葉が続く。

「第3軍は第13軍を佐賀西部・長崎の防衛に。 第3軍団を北九州市の増援に回すべきです、関門海峡は守らねばなりません」

そうでなければ、九州防衛全体のバランスが崩れる。 そうしなければ、避難民脱出の為の拠点の維持が困難になる。

「関門海峡防衛は、第3軍団に。 今からでも遅くない、第12師団を博多から足抜けさせるべきです。
関門海峡の向こう側には、中部軍集団第2軍の第2師団と第10師団(共に第2軍団)が配備されています。
岩国には国連軍―――米第2戦術機甲師団と、大東亜連合派遣の統一中華軍が1個旅団、韓国軍1個戦術機甲旅団もいます」

合計、4個師団相当。 北九州の残存兵力をかき集めれば、2個師団は集まる筈だ。 そうなれば6個師団程の戦力になる。
それに山陰沖に展開中の海軍部隊からも、支援を当てに出来る筈だ。 戦術機部隊がこの悪天候で展開できずとも、戦艦の巨砲なら問題は少ないだろう。

「・・・」

「閣下、ご決断を」

「閣下!」

参謀長以下の幕僚が、それぞれ必死の形相で迫る。 が、未だ決断がつかない。
その時、通信士官が血相を変えて会議室へ飛び込んで来た。

「中部軍集団司令部より緊急電! 『本日0215、島根県出雲市海岸線に、BETA群上陸。 約3万8000』です!」

会議室が凍りついた。

「・・・釜山に集まっていたA群だ。 連中、海底を移動していやがったんだ・・・」

一瞬の静寂。 そして怒号がそれを打ち破った。

「第3軍司令部に通達! 現時点を以って博多=唐津の防衛を放棄! 第3軍団は北九州、第13軍団は長崎に至急移動させろ!」

軍集団司令官が大声で指示を出す。

「第4軍司令部には、中部防衛戦を固めさせろ!」

「はっ! 佐世保の海軍には!?」

「協力要請を出せ! 向うにも1個連隊規模の戦術機部隊が残っていた筈だ!」

「別府湾だ! 何としても防衛するんだ! 避難民が集中している!」

「博多!?―――済まん、放棄だ・・・!」

「第23師団を大宰府まで下がらせろ! 出来る限り、南下を喰い止めるんだ! 斯衛!? 使え! 使える者は何でも使え!」


戦況図を見直す。 北部九州は4ヵ所で同時上陸を喰らったお陰で、各戦線が分断された。
まず、第4軍の6個師団で大分=熊本のラインを防衛しなければならない。 そして第3軍の方割れ、第13軍団残余で佐賀西部と長崎を。
BETAが有明海に進出すれば、その後の捕捉が困難になる。 そして第3軍団は北九州、そして関門海峡を死守。
それ以外の土地は―――放棄するしかない。 土地も、人も。

「中部軍集団司令部より続報! 『第50師団(第12軍団、愛媛)、瀬戸内海を渡る』、『第7軍団(岡山)、出撃準備中!』、『第9軍団(大阪・兵庫)、西進』、以上です!」

中部軍集団が動いた。 指揮下の17個師団の内、11個師団を一斉に投入したのだ。
これで残る手持ちは、帝都防衛軍団である第1軍団の4個師団と、四国の第12軍団の内の2個師団のみ。

「・・・堪え切れるか?」

西部軍集団司令官の呟きは、とても小さく、周りの者には聞こえなかった。
だが、彼は恐れていた。 今まで上陸したBETA群は、A群、B群、D群の9万9000。
では、確認されていた残る鉄原ハイヴに到達していた筈のB群、4万はどこだ? それ以前に鉄原ハイヴ周辺に溢れていた、推定1万以上のBETA群は!?


「堪え切れるのか・・・?」

その呟きは、恐怖が滲んでいた。










7月8日 0310 博多市西部 第12師団


「撤退? 撤退だと!? 何処に撤退すると言うのだ!」

暗闇の中、赤外線探知モードの網膜スクリーンの視界の中から、妙に温度分布の均一な怪物が迫りくる。
要撃級の前腕の一撃をサイドステップで交わしつつ、側面を取った92式弐型の突撃砲から、36mm砲弾が吐き出される。
柔らかい横腹を瞬く間に蜂の巣にされた要撃級が、旋回途中の慣性のままに回転しつつ倒れ込む。

≪CPよりベア・リーダー! 師団命令です、北九州市へ即時移動、第57、第9師団と共に関門海峡を防衛せよ、との事です!≫

「ふざけるな! 我々がここで引いたら、未だ市内に残る100万以上の市民はどうなる!? BETAの餌だ! 退かんぞ!」

≪それでは、軍令違反になります! 戦場での命令違反は、即時銃殺になってしまいます!≫

―――銃殺でも何でもしろ! 今ここで無力な民間人を置き捨てて逃げ出す、後味の悪さに比べたら!

網膜スクリーンの中で、レティクルとピパーが合さった。 ロック・オン!
突撃砲から36mmの高初速砲弾が吐き出される。 腹に響く重低音と、射撃の反動が僅かに伝わってくる。 
5秒程の射撃で突撃級の片側前後2本の脚を吹き飛ばす。 片脚全てを吹き飛ばされた突撃級がバランスを崩して横転、その場でもがく様に止まる―――よし、次だ。

「兎に角だ! 実際問題として今ここを引いたら、一気に後方部隊まで突っ込まれるぞ! 寝言は寝てから言えと、師団本部に返してやれ!」

≪し、しかし! 既に第1、第3中隊共に徐々に後退を始めています! このままでは中隊の両翼が! BETA群の中に孤立する事に!≫

―――ちっ! 日和りやがって!

同じ大隊の同僚達に、内心で八つ当たりする。 中隊長である彼とて判っているのだ、このまま市内中心部への阻止は既に不可能である事は。
博多市の直ぐ西に突き出た糸島半島にBETAが再上陸した時、その方面には守備部隊が全く存在しなかった。
この方面の主力である第9師団は、博多市北東部の福津市に、同じく機甲打撃戦力である第12師団は、博多市内を挟んで反対の東に位置していた。

第1派との戦闘での損失が大きく、一時的に市内南部に下がっていた第33師団が最も早く動けたのは皮肉か。
最もそのお陰で、第33師団は第1派、第2派ともに初期阻止戦闘で真正面から、BETAの圧力を受けると言う羽目になってしまった。
現在、第33師団は、師団司令部ごと応答が無い。 レーダーの広域モードで見ると、司令部の有った市内西部外縁は既にBETAで赤く染まっていた。

今はやや市内西部に喰い込まれながらも、第12師団が全力で防衛戦闘を展開していた。 だが、全てを完全に防げている訳ではない、市南部への侵入を阻止出来ていない。
このままでは、BETA群に九州中央部への突破を許す事になってしまう。 博多市南部の大宰府には、第23師団と斯衛第3聯隊戦闘団が展開しているが・・・
挟撃して殲滅出来る程の戦力では無い、第12師団は相当数の戦力を喪っている、もう2、3個師団は投入しなければ。 


『こちら“サンダーボルト(大隊本部)、“ベア”、命令に従え!』

大隊長の声が飛び込んで来た。

「ベア・リーダーよりサンダーボルト! 我々の任務は、博多の防衛で有った筈です!」

倒壊したビルの陰から、戦車級の一群、約20体程。 数が少ない上に、随分と『開けた』場所となってしまっては、さほどの脅威に感じられない。
目標が僚機と被らないよう、確認しつつ可能な限り素早く、正確に射撃―――そろそろ、36mm砲弾も心細くなってきている。 予備はあと2本。
新手の突撃級が、もうそこまで迫って来ていた。 サーフェイシングで交わし、エレメント機と挟みこむように左右に展開して、120mm砲弾を叩きつける。

『任務内容は永劫ではないぞ! 貴様のやっている事は、個人的な感情に従っているだけだと、何故判らんのか!?
指揮官が、個人の感情に走ってどうするか! それで部下を死地に追い込む気か!』

「しかし! このままでは多くの市民が!」

『馬鹿者!―――最新情報だ、BETAが山陰地方に上陸した。 中部軍集団が全力阻止に当る予定だが・・・ 下関の第2軍団も、移動する事になるやもしれん。 
そうなったら最後、関門海峡は無力だ、BETAに押し渡られる! 北九州の第57師団は、すでに継戦が困難な程に叩かれている!』

「・・・第9師団は? 増援に向かった筈・・・」

『移動に何時間かかると思っている!? この悪天候だ、第9師団が向うに着く頃には、第57師団は存在せんかもしれん。 しかし防衛せねばならん。
第33師団は壊滅した、第57師団も悪戦苦闘だ。 我々第12師団と第9師団が向かわねば、関門海峡はBETAの草刈り場だ』

「第23師団は、どうするのです? ここで孤軍奮闘、全滅せよ、ですか!?」

『感情的になるな、23師団と斯衛部隊は、一時的に第13軍団指揮下に入る事が決定した。 大宰府から小郡市まで下がって、第8軍団の先鋒と合流する。 
判ったら、戻って来い!―――貴様の部隊、現在地は西区だな?』

「今宿、光菱電機の工場跡です。 85号線以北の今津湾沿岸は、BETAがひしめいています!」

『よし、そこからバイパスまで下がれ。 今宿新道沿いを福重JCTで南下、外環状道路を月隅JCTまで迂回、空港に入れ。
空港に陣取った砲兵旅団群が、最後の突撃破砕射撃を準備中だ、それまで外縁陣地を死守せねばならん。 
いいか、“ベア”? 我々の背後には、未だ1億以上の国民が居る事を忘れるなよ?』

「・・・了解」

通信はそこで切れた。 内心の葛藤は兎も角、大隊長の言葉にも『軍人として』頷ける所は有った。 後は、自分の中でどう折り合いをつけるかだ。
九州北部と、残る日本帝国の国土。 100万人と1億人。 少数と多数。

「ひとつ、軍人は忠節を尽くすを本分とすべし・・・」

中隊長の口から、知らず呟きが漏れた。

「忠節とは国に報ゆるの心也。 報国の心堅固にして国家を保護し国権を維持するは、是、聖上の御恩に報い、民平成に安んじる為也・・・」

本当に忠節を尽す事になるのだろうか? 本当に国民が平成に暮らしてゆけるのだろうか?
葛藤する内心を隠し、指揮下の中隊残存全機に命令する。 ここを離れ、撤退の為の―――いや、博多放棄の為の移動を行う事を。

「ひとつ、軍人は信義を重んずべし・・・」

まるで呪文の様に、唱える様に、問い続ける。

「されば信義を尽くさんと思わば、始めより其事の成し得るべきか、得からざるかをつまびらかに思考すべし・・・」

部下達から、撤退命令に対して意見の具申が相次ぐ。 それは先程まで、指揮官自身が大隊長に言った事と殆ど同じ内容だった。
そして、その事に対する答えは、指揮官自身が大隊長に言われた内容と、同じ内容で有ったのだ。

忠節とは何だ? 信義とは何だ? 国に、陛下に忠節を誓う事とは? 国民に対する信義とは? 内心で問い続ける。

「小節の信義を立てんとて大綱の順逆を誤り、或は公道の理非に践迷いて私情の信義を守り、あたら禍いに遭い身を滅ぼす・・・」

国家の興亡。 国民の生死。 己が忠節と信義。 その誓約と行為―――そして今ここに在る現実。

「屍の上の汚名を後の世まで残せる事、その例し、少なからぬものを深く戒め有るべき・・・」

―――畜生め。 汚名など、後の世など。 BETAに喰い尽されたら最後、そんなモノ、在る未来など考えられん・・・

それでも彼は軍人だった。 忠節を誓い、そしてその行いを国と民に誓約したのだ。

7機に減じた中隊各機が、サーフェイシングで公道上を高速移動を始めた。 まだ比較的背の高い建物が残っている、光線級の認識範囲から逃れる事も可能だ。
振り返れば、港湾地域に無数のBETAが侵入してきている。 いずれ喰い荒されれば、あの個体群は市内に侵入してくるであろう。
その時に惨状を思い浮かべて戦慄する。 一体軍とは、そして国家とは、何なのだろうか? 国民を護る為に、国民を切り捨てる軍と国家。
自分の行う事は、果たして己が誓約に従った事なのだろうか? 

「リーダーより各機、これより外環状道路沿いに空港まで急ぐぞ」

砲兵部隊が、最後の全力突撃破砕射撃を行うと言う。 恐らくはそれ以降は撤退支援の為の砲撃に変わる。
ある程度、BETAが『そこに居る』と想定しての無観測射撃、面を想定しての盲撃ち。 流れ弾は当然、逃げ遅れた市民の上にも降り注ぐ。

7機の92式弐型が疾走する。 まるで何かから逃げるかのように。













0335 大宰府 第23師団 師団本部


「馬鹿な! 今ここで博多を放棄せよと!? 国防軍は無辜の民、100万以上を・・・ いや、九州北部に点在する300万以上の民を見殺す所存か!?」

「今ここで決断せねば、九州全域に散らばる1000万以上の民間人が、BETAに喰い殺される可能性が高まるのだ。 国防軍としても、苦渋の決断である!」

「自らの備えの不備を、無辜の民の命に押し付けるとは、是如何に!?」

「何を言うか! では斯衛こそ一体何なのか!? この大宰府から、一歩も出られずにいる貴官らこそ!」

「我らを愚弄する気か!?」

「そちらこそ、全責任を国防軍に押し付ける腹だろうが!」

師団司令部の中で、師団先任参謀の陸軍大佐と、臨時に編入されている斯衛第3聯隊戦闘団長の斯衛大佐が、一触即発の状態で睨み合っている。
事の発端は博多放棄、そして大宰府より南下した小郡市までの撤退、そこで友軍と合流しての防御線の再構築。
その決定により、当初は博多方面への増援とされた第23師団が、反対の南へ『転進』する事になった決定で有る。

「我ら斯衛の任は、将軍殿下、そして摂家、更には皇家縁の地の警護! そしてこの国に生きる民の守護!
己が誓約と責務、その双方により、南への転進は承服しかねる!」

「貴官らは今現在、第23師団指揮下の部隊だ! その言は、戦場での命令不服従、ひいては敵前逃亡にもなるのだぞ!?」

「敵前逃亡、ふむ、貴官らにこそ、国防軍にこそ相応しい罪状で有るな」

「何だと!?」

「斯衛は退かぬ!」

そう言い放つと、斯衛大佐は師団長で有り、臨時の『上官』である陸軍少将を見据えて言い放った。

「閣下、我々、斯衛第3聯隊戦闘団は、これより博多戦線へ進撃致す。 貴師団は心置きなく、南へ下がられたい!」

余りと言えば、余りの暴言。 司令部内は一斉に息を飲む音が響いた。

「・・・上級司令部、そして城代省辺りからも、貴官の部隊を無事に畿内へ撤退させろと、言ってきておるのだがな? 伊集院斯衛大佐?」

師団長は軽く睨みながら、伊集院と呼ばれた斯衛大佐を見る。 しかし伊集院斯衛大佐は、その言葉を一向に気にした風では無かった。

「所詮、城代省内の小役人共が、世間体を気にしての言で有りましょう。 あの者達は多くが地下(じげ)の者達(一般市民出身者)、斯衛の何たるかを理解出来ませぬ。
閣下、我ら斯衛第3聯隊、今ここでその責務を放棄するは、まさに何故に我らが今まで存続を許されてきたのか、その根幹に反しまする。
―――どうか、斯衛の今際の我儘、お許し願いたい!」

1.5世代機とは言え、1個連隊108機に上る『瑞鶴』を戦力外とする事は痛い。 師団の固有戦術機甲戦力は、師団戦術機甲大隊の36機の『撃震』しかないのだ。
しかし―――そう、しかしだ。 実際問題として、もう博多の防衛線は穴だらけだ。 偵察報告では、各所で破れた戦線からBETAが南へ突破しつつあると。
では、師団が小郡まで転進する間の時間をどうするか? このままでは友軍との合流以前に、BETAと会敵してしまうだろう―――時間が欲しい。

「先任参謀、小郡までの移動時間は?」

「約2時間、迎撃準備を完了するのは3時間30分を想定しております」

「では―――伊集院斯衛大佐、師団命令を発する。 斯衛第3聯隊戦闘団は、師団の殿軍を務めよ。 BETAを押し止めるのだ、師団が小郡に達するまで」

「閣下・・・ では?」

「戦闘戦域の設定は、戦闘団長が判断せよ。 但しこれだけは厳命する、師団が迎撃体制を完成させる0700時までは、BETAを一歩も通すな。
0700時以降の行動判断は、戦闘団長に一任する。 西へ向かうか、東へ向かうか、はたまた南か―――生き残っておればな」

苦虫を潰した表情の師団先任参謀の横で、奇妙に達観した表情の伊集院斯衛大佐が、微かに笑みを受けべ敬礼し、本部を出て行った。
その後ろ姿を見、そして師団長に振り返った師団先任参謀が、師団長に問う。

「―――名誉か、死か、ですか?」

その言葉に、奇妙なものを見たかのような表情を浮かべた師団長が、言い放った。

「名誉? 違うな、単なる遅滞戦闘だよ―――生還を許されない、な」

師団長は斯衛第3聯隊戦闘団に対し、絶対死守の遅滞戦闘―――殿軍の戦さを厳命した。
引く事は許されず、例え生き残っても『そこ』はBETAの大群の真っただ中だ、援軍は一切来ない。
その代償として、『博多市内を戦闘戦域に認める』事を、暗黙のうちに承認したのだ。 ただし、あくまで口頭での暗黙の承認、文書では無い。
例え、後から城内省辺りが噛みついてきたとしても、一指揮官の暴走で有り、逆に斯衛が陸軍の命令権威を軽視した、と言い返せる余地を残して。

「時間が欲しい。 その為に、時間を稼ぐ為に、全滅してくれる部隊が必要だ。 彼等で有れば、うってつけではないかね?」

「・・・確かに、第23師団は一兵も失わずに、ですから。 軍団司令部への報告は如何されますか?」

「ん・・・ 『損失、1個戦術機甲連隊、及び支援部隊』、それで良かろう」













0345 島根県斐伊川町 穴道湖西岸・出雲空港管制棟 中部軍集団第2軍 第2軍団第15師団


『面制圧、第12射開始』

『第151機甲連隊より入電、『損失29%、戦術機甲部隊の来援乞う』です』

『第15機械化歩兵連隊、戦線下がります!』

『師団砲兵連隊、弾薬消費率35%!』

『師団戦術機甲大隊、鳶が巣山、鼻高山防衛線から動けません! BETA群2700と交戦中!』

『工兵隊より連絡、山陽自動車道、山陽本線、山陽道、161号線、全ての橋脚に爆薬セット完了』

『第24師団、穴道に到達しました! 第241戦術機甲大隊、出雲空港に展開完了、出撃します!』

未明のBETA群上陸。 そして益々酷くなってゆく天候。 恐らく戦術機甲部隊が行動出来るのは、あと1時間程しかないだろう。
それまでに何とかして、『事を』済ませねばならない。 それを思うと気が重くなる事は事実だが、為し得なかった場合を考えるとそれ以上に恐ろしい。
既に出雲市内は阿鼻叫喚の地獄だった。 全くの不意打ち、海岸防衛線に展開する時間さえ無く、斐伊川を挟む東側から面制圧砲撃を加えつつ、戦力を後出しするしかなかった。

多くの市民は、寝入った所に突如として現れたBETAによって、訳も判らぬままに喰い殺され、踏みつぶされて行った事だろう。
或いは気がつかぬままに、冥土へと旅立った者も多かったかも知れない。 案外それは救いか、BETAに喰い殺される自分を見つつ、残末魔に苦しみながら死ぬよりは。
師団将兵の少なからぬ数が、市内に家族を残してきている。 彼等の親兄弟は、妻子は、今頃は既にBETAの腹の中なのだ。
たった1個師団―――僚隊の24師団はお隣の松江駐留―――で、3万8000ものBETAの大群を1時間30分もの間、釘づけにしている。
この戦果の根源は、そう言った家族をまじかでBETAに殺された、そして見ているしかなかった将兵達個人の戦意の高さ、いや、個人的復讐心の高さ故だ。

「戦線を、斐伊川以東に移動させろ。 工兵隊に連絡、部隊が渡り終えたタイミングで、橋を全て爆破」

「・・・前線部隊からは、未だ市内に民間人が残っていると、報告が入っておりますが」

「間に合わん、何もかも、間に合わんよ、先任参謀」

恐れているのは、出雲市から穴道湖を経て松江に侵入される事だ。 南は余り心配せずとも良かろう、西日本でも屈指の山岳地帯が連なっている。
標高は低くとも、険しい地形の連続する地形だ。 BETAの習性からすれば、出雲から東へ突進する危険性は高いが、南への侵入は可能性が低い。

「松江から鳥取までの海岸線、あの低地部を突進されては敵わん。 防衛戦力が展開出来ていない。
南下されて、軍団主力(第2、第10師団)の背後に回られたら厄介だ」

「第7軍団が、岡山方面を強化しております」

「連中は、広島方面への戦略予備だ。 山越えは現代でも難しいぞ? 日本海側へは来ないだろうよ」

「現実問題としまして、2個師団のみで3万8000ものBETAの大群を、阻止出来ません」

「・・・オフレコだ、まだ誰にも言うな?」

「は・・・」

「京都は、西日本を諦めた。 状況が急激に過ぎ、対応は不可能と判断したようだ」

「・・・では?」

「九州南部と四国を、将来の反攻拠点として維持する為の死戦は展開されよう。 だが、西日本戦線は今後、鳥取=岡山のラインにまで下がる事となる。
山口、広島、島根は放棄が決定した。 九州北部も放棄、中部での防衛戦闘となる―――未だ、統合軍令本部内の一部での決定事項だ、漏らせば軍法会議での極刑だぞ?」

師団長が何故知っているのか―――そうか、この人は親族が軍令本部に居たな。
そうぼんやり考えながら、余りの事の異常さに先任参謀はしばし立ちすくんでいた。

「斐伊川の橋を爆破後、師団司令部は松江に移動する。 穴道湖北部は24師団、南部は我々15師団の受け持ちだ! 急げよ!」

師団長の声が、何処か別の世界の声の様に聞こえた。













0415 大阪府豊中市 第18師団駐屯基地


「中隊長、全機、移動準備完了しました」

連隊本部を出た周防大尉の元に、中隊副官である瀬間中尉が報告に来た。 
基地の中は、皆が緊張感と殺気を漂わせた雰囲気に満ちている。 その中でも歴戦の連中は表向き、動じていない様にも見える。

「全員、飯は食ったか? クソは済ませたか? 『おむつ』は持ったな?」

「準備万端です」

「よし、行くぞ。 まずは岡山だ。 そこから西に行くか、北へ上がるかは・・・」

「BETAのご機嫌次第、ですね?」

歩きながら報告を受け、指示を出す周防大尉の目に、本来ならここに居る筈の無い機体が映った。
82式戦術歩行戦闘機、『瑞鶴』 伊勢の斯衛第5聯隊戦闘団が移って来たのだ。
軍上層部は、第18師団が近畿から抜ける事を危惧した。 そして戦時体制における国防軍=斯衛軍協同体制協定を逆手にとったのだ。
平時ならば、斯衛が国防軍の移動命令に従い、その指揮下に入る事はない。 しかし戦時はその限りに非ず。
その文言を盾に、強引に畿内中央部の結節点であるこの地の防衛戦力として、三重県から引っ張り出した。

その機体の前に、見知った人物が立っていた。 斯衛の軍服を着用している。 向うもこちらに気付いた様だ。 歩み寄ってくる。

「周防大尉、いよいよ西部戦線へ出撃ですね」

「初陣以来、6年と2ヵ月。 まさか本当に本土で戦う事になるとは、思いもよりませんでしたが。 この場を宜しくお願いします、神楽斯衛大尉」

周防大尉の初陣は92年5月。 神楽斯衛大尉の初陣は93年9月。 いずれも大陸戦線だった。
あの頃、大陸国家が抱えていた苦悩を、今まさに帝国が直面しているのだ。 その困難たるや、一体どれ程の日本人が自覚しているだろうか。
お互い何も言わないが、その危惧は両者の共通で持つ危惧だった。 彼等はそれを直に見てきたのだから。

「・・・斯衛で、鼻息の荒い連中が居る様ですね」

「私の出来得る限りで、鎮める所存です。 この戦い、名誉も無ければ、伝統を守る事でも有りません。 ただひたすら、生存の為の戦い」

その言葉に周防大尉も頷く。 そしてそれが判っているのならば、猛る者達をどう鎮めるかも判ると言うものだ。
これは『戦争』ではない。 生存を賭けた『喰らい合い』なのだ。

「何にせよ、ご武運を」

「悪運だけで生き残って来ましたから。 底をついていなければ、しぶとく生き残るでしょう」












0430 副帝都・東京 帝国国防省


「・・・全く」

不機嫌そうな声で、高級参謀の准将が受話器を置く。 その姿を見た課員である参謀中佐が、訝しげに問いかけた。

「どうされました?」

「どうもこうも・・・」

准将の話では、電話の相手は与党に所属する帝国議会議員。 
なんでも、九州から未だ脱出できていない家族の身の安全の確保と、一刻も早い脱出を。 そう捻じ込まれたらしい。

「余分な兵力は、もう一兵たりとも有りませんよ。 しかしまた、どうして議員先生の家族がまだ脱出していなかったのです?」

「選挙対策だ。 戸籍謄本、住民票などの書類が完備している限り、避難所生活であっても選挙権を失わない、そう議会で承認されたな?」

「・・・地元を最後まで見捨てなかった、我らが先生、ってヤツですか? それにしても、その為に家族を置いておくなんて・・・ 迷惑な話です」

多かれ少なかれ、帝国議会に所属する議員は今回の国難をすら、次期選挙の格好のPRの場と捉えている。
西日本選出議員の多くが、ギリギリまで家族を地元に置き止めた事が確認されていた。

「どうせ連中、地元を後継に譲って世襲しようって連中でしょう。 その跡取りが死んでは、元も子も無かろうに・・・」

「知らんよ、京都に愛人の子でもいるのだろうよ。 いざという時のリザーブにな」

「洒落になりませんな」

この、胃に穴が空きそうなほど忙しい時に。 全く何と言う。
しかし受けねばなるまいな、准将はそう判断した。

「家族は、小倉から南へ脱出中だそうだ。 幸いと言うか、未だ喰い殺されていない事は確認されている。 身近な部隊は?」

「第9師団が、一番近いですな」

「どうせ、今から北九州へ向かっても、第57師団は壊滅しているだろう。 よし、本土防衛軍総司令部第2部(作戦)に話を付けろ。
現場が文句を言ってくるようなら、俺の名を出していい。 場合によってはウチの部長の名を出せ、大抵はそれでケリがつく」

今回泣きついてきた議員は、世間では軍部べったりの国防族議員として名が通った男だ。
何の事はない、軍部と軍需産業に寄生するだけの男だが、軍部にとっては何かと使い道が有る。
何より、議会で軍事予算をもぎ取ってくる為の手駒でも有る。 その程度のサービスはしてやっても良いだろう。

「1個小隊も付けてやれば良い。 どこか適当な港まで護衛して、畿内までの船便を見繕ってな」

それだけ言うと、准将はその件は解決済みとばかりに頭の中から追い出した。
実際問題、彼の管轄する職務では、現在の大混乱はその忙しさに拍車をかけていた。 
一議員の泣き事にこれ以上付き合う時間など、逆さに振っても出てこないのだ。









1998年7月8日 0600 帝国軍統合軍令本部、本土防衛軍総司令部は、国内防衛線を九州中南部、四国、そして岡山=鳥取間に決定する事を密かに内定させた。





[20952] 本土防衛戦 西部戦線 4話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2010/10/17 00:24
1998年7月8日 0450 副帝都・東京 帝国国防省


「馬鹿な! 国連は、いや、米国は、帝国に第二のカナダを出現させる気か!?」

「半世紀前のベルリン! そして24年前のアサバスカ! 自国に核の惨状が出現すると言う、そんな想像すらできないのか、米国は!?」

「何度でも言う! 断固、反対する!」

会議室の中、並居る帝国軍側の高官達は、血相を変えて交渉相手に喰ってかかっている。
主に統合軍令本部の武官たちだが、国防省の軍務局、企画局の文官達も顔色を変えている。
当然だろう、BETAの日本上陸と言う事態を受け、急遽開催された極東国連軍作戦委員会。 その席上で国連側から、戦術核の一斉使用が提案されたのだ。

「ならば、貴国の防衛計画、この急激な破綻をどの様に修正し、そして失われた戦略・戦術のイニシアティヴを取り戻すのか?」

「我々が知りたいのは、『必ず喰い止めて見せる』、などと言う抽象論では無い。 『何を、どの様に、どうやって』、阻止出来るか、そのバックデータも込みで確認したいのだ」

「具体的な彼我の戦力差、そして想定消耗率、補充部隊の規模と装備、そして練度。 展開までの日数と、それまでに想定されるBETAの侵攻範囲。
それを提示してくれた上で、尚且つ、貴国が侵攻を阻止出来ると言う、そのバックボーン、数字を具体的に示して貰いたい」

「それらが無ければ、我々は貴国の作戦立案を一切信用出来ない。 岩国に展開中の国連軍派遣部隊は、無駄に消耗させる為に派遣した戦力では無いのだ」

会議は日本側と、国連軍でも主に米軍関係者との間で、先程から平行線を辿っている。 米国側の、用兵理論の基本に基づいた主張は、帝国側も理解している。
しかしその理性も、『戦術核』の一言で吹き飛んだ様子だった。 無理も無い、先の大戦が終了した直後に公開されたベルリンの悲惨さ、被爆したドイツ人の無残な様子。
そして最早、人の住める土地では無くなった(核物質の半減期以上の期間に限定して)アサバスカの様相。
国連―――米国の主張する戦術核使用に踏み切れば、この2つの地獄が一挙に再現されてしまうのだ。 同然の反応とは言える。

「では、今現在、九州北部を蹂躙し、直に中国地方に侵攻の気配を見せている2万のBETA群に、どう対応する気なのか!?」

「それだけではない。 出雲地方に上陸した3万8000のBETA群、即応防衛部隊の2個師団は既に壊滅状態だ。
このまま放置すれば、東進すれば鳥取、兵庫、京都の北部を通り、首都へと突進する。
南下すればしたで岡山、神戸、大阪、と言った重工業地帯が壊滅する。 貴国の継戦能力は喪われる事になる!」

「広島、山口の防衛を担う岩国の第2戦術機甲師団は、合衆国陸軍中の最精鋭部隊では有るが、それでも限界がある。
そして我々合衆国は、国家と軍が、将兵に求められる辛苦の限界以上の事を、将兵に対し押し付ける事は出来ん」

そんな米軍側代表団のセリフを聞いていた帝国陸軍参謀本部の、ある参謀大佐が鼻で笑う様な表情で吐き捨てる。

「はっ! これだから米軍は・・・!」

「軟弱だと言いたいのかね? 日本帝国軍参謀大佐?」

「それ以外の言い様が? 合衆国連邦軍少将閣下?」

「やれやれ、君等のメンタリティは、本当に44年以降も変化が無い様だな・・・」

「他人の土地を、無神経に土足で踏みにじった上に、厚顔極まりないこじ付けを吐く米国人のメンタリティも、44年から変わりませんな―――いや、建国当時からか!」

互いに、段々と感情的になってゆく―――帝国軍側は既に、だが。

「止めないか、貴官等! ここは互いの暴言の投げ合いの場では無い!」

「そんな余裕は無い、この国がBETA共の手に落ちると、人類の防衛ラインは一気にハワイにまで下がる事になってしまう」

「欧州人の私が言うのも何だが、いい加減にされた方が良い。 歩調が揃わねば、連中に対抗など、とても敵わん」

そう口々に制止するのは、『国連軍』に参加している中韓両国の指揮官達、そして国連軍事参謀委員会からオブザーバーで派遣されている、仏軍の中将。
会議は堂々巡りに陥りそうな気配が、濃厚となっていた。







「閣下、如何な国連軍と言えど、加盟国の主権は尊重すべきです」

国連軍太平洋方面第11軍副司令官で、韓国軍出身の白慶燁中将が、ゆっくり椅子ごと体を動かし、上官であるアルフォンス・パトリック・ライス米陸軍大将を振り返り言う。
赤レンガの古い建築物。 ジョサイア・コンドルが設計したゴシック・リヴァイヴァル建築様式の旧海軍省ビルは、現在国連軍へ『貸し出されて』いる。
そのビルの中、旧大講堂脇の小部屋。 半世紀前には対米戦を戦う帝国海軍の頭脳達が、その命運を決する作戦を練っていた場所。
会議を一旦中断し、控室に戻ったライス大将、白中将、そして『国連軍』のスタッフが対策を検討している最中だった。

「しかし副司令官、戦況はかなり混乱しておる。 日本軍とても、既に西部軍集団は攻勢力を喪失した」

参謀長であるインド軍出身のヴィスワナサン・シング中将が、目の前に組んだ両手をそのままに、憂慮の滲んだ声色で言う。
目前には戦略情報スクリーンから同調させた、戦略MAPが各々のコンソール上に表示されている。

既に九州は北部が赤く染まっている、BETAに浸食された地域だ。 
日本軍の主要防衛線は、佐賀県南部・長崎南部のラインから熊本県北部・大分県北部のラインまで下がっている。
博多から太宰府、そして福岡県南部にかけて、南北に細長い防衛線が辛うじて存在するが、そこも消滅するのは時間の問題だろう。

「日本軍統合軍令本部から連絡が入りました、中部軍集団の展開が台風の影響で大幅に遅れています。
岡山東部の第7軍団(3個師団)はまだ、岡山市に入る事が出来ておりません。 途中の国道、高速道路、全て逆流する避難民で埋め尽くされていると」

「鉄道網は? 海上輸送路はどうなのだ?」

情報参謀の報告に、作戦参謀が問いかける。 使える戦力と使えない戦力、そして配備状況、更には『外乱』でもある避難民状況。
全ての情報が集中しても、トップで全てを捌き切れない。 しかし、必要な情報は全てを把握しなければ判断を誤る。

運用参謀が、その言葉に対し捕捉を入れる。

「直撃した台風の影響で、線路上への土砂崩れ、倒木、電路の断線、それが全域で11箇所。 
現在は広島から岡山中部まで、そして島根から広島、鳥取から岡山、兵庫の間で交通網が遮断されている」

その情報に全員が絶句する。 それでは西日本の本州域での移動は全く不可能と言っているに等しい。

「海上は・・・ 暴風域下での勧告無視の出港で、中小型船舶の横転沈没事故が9件、船舶同士の衝突事故が17件、操船不能状態での座礁事故が11件。
死者は1300名以上、行方不明1600名以上、史上最大の海難事故になった。 日本海軍は、瀬戸内海の航行を封鎖しました」

運用参謀の最後の言葉に、誰かが唸った。 
陸上・海上共に移動手段は麻痺している。 民間人は元より、防衛戦力の移動すら著しく制限されている状況。
四国・高知に上陸した台風は、その後に速度を上げて香川から岡山に抜けた。 
その後もやや勢力を弱めながらも、現在は岡山県中部・津山市付近を、猛威を振りまきながら北上中だった。

九州は暴風雨圏から完全に抜けた。 しかし雨足は相変わらず強く、1時間に60mmから70mmと言う豪雨が続いている。
その為、まず地上部隊の移動が著しく制限されている。 風も強く、戦術機の自立制御も戦闘機動を行える限界値に近い。
何より、豪雨と強風のお陰で面制圧砲撃の効果が出ない事が痛い。 AL砲弾、ALミサイルを撃ち込み、レーザー照射で迎撃させても、重金属雲を形成出来ないのだ。
発生した重金属は、瞬く間に雨に吸収され地上に降り落ちる。 僅かに空中に残った重金属雲も、強風にかき消されてしまう。

九州の西部軍集団は、苦戦しつつ徐々に戦線を後退させていた。 
同様の事態は、中部軍集団でも生起している。 いや、中部軍集団の方が事態は深刻だった、台風のまさにど真ん中で行動を著しく制限されているのだ。

「出雲地方の防衛戦力、第2軍団の2個師団はBETA群の突進を受けて壊滅状態だ。 既に松江は陥ちた、米子市防衛線も風前の灯だ。
その後は南東に下って岡山に入るか、海岸線を東に突進して兵庫の北部に向かうか・・・」

「鳥取の海岸線に入ったら、広島への増援に向かっている日本軍第7軍団を、北へ差し向けねばなるまい。
しかしこの嵐の中、山岳地帯を移動するのは無理がある。 鳥取の海岸線を突進してくれば、対応するのは兵庫から大阪に居る第9軍団の方が・・・」

「急には無理だ、第9軍団は兵庫南部を移動中だ。 ようやく宝塚を抜けて神戸の北に入る所だと連絡が有った。
瀬戸内海にせよ、日本海にせよ、第9軍団が戦場に到達するには、あと5時間かそこらはかかる」

作戦参謀、情報参謀、運用参謀、それぞれが何かしらの可能性を探ろうとするが、出て来るのは否定的な現状ばかり。

「5時間・・・ 日本海の戦線は保たない、その頃には岡山南部か鳥取市辺りまでBETAに喰い込まれている。
下関の状況も心配だ、まだ第2軍団主力の第2師団は広島県内だ。 岩国の第2戦術機甲師団と、中韓の2個旅団も出撃態勢が整ったばかりだ。
日本軍第10師団(第2軍団)だけで、増援到着まで関門海峡を支えきれるか・・・」

「海軍はどうなっている? 呉にもまだ艦艇は残っているだろう? 日本海側にも第2艦隊が待機していた筈だ」

「動けん、この気象状況では。 主力艦の艦砲射撃は可能だが、母艦からの戦術機の発進は無理だ。 中型艦以下だと、対地攻撃でさえ照準に苦労する」

副司令官の白中将の問いかけに、参謀長のシング中将が首を振る。 傍らで海軍作戦を統括する副調整官である、米海軍の少将が無言で頷いた。
寧ろ、呉に在伯中の第1艦隊所属艦艇は、一刻も早く豊後水道をなんかしようと急いでいる。
陸軍の防衛線次第だが、大分北部に再構築しようとしている防衛線がもし破られれば、一気に別府湾まで下がるだろう。
いや、国東半島にBETAが侵入したら最後、艦隊は撤退を意識せざるを得ない。 
別府湾を挟んだ対岸の佐賀関半島と、四国・愛媛の佐田岬半島の間の速吸瀬戸(豊予海峡)の幅は10km程しか無い。
グズグズしていると、瀬戸内海に閉じ込められてしまう。 瀬戸内海東部海域は、大型艦の航行は可能だが、戦闘行動はまず不可能だ。

八方塞がりの状況下、誰もが息苦しさを感じるその雰囲気の中、ドアをノックする音がした。 参謀長が誰何する。 外から通信士官が、司令官宛の緊急信だと告げた。
情報参謀がドアを開けて通信用紙を受け取る。 一瞥して顔色を無くし、慌てて司令官へと手渡す。 その通信用紙の内容を読んだ、ライス大将の表情が変わった。 

「・・・ハワイの太平洋方面総軍司令部からだ。 ウィラード大将はホワイトハウスの意向に賛同した様だよ」

その言葉に、室内の全員が慄然とした。 太平洋方面総軍司令官のアレクサンダー・F・ウィラード大将は、同時にUSPACOM(合衆国太平洋軍)司令官だ。
国連と合衆国、双方からの指示系統を有する困難な立場にあるとはいえ、基本的には合衆国軍人なのだ。 そしてUSPACOMあっての、国連軍太平洋方面総軍である。

「戦術核の、局地的大量使用・・・」

国連軍事参謀委員会から派遣された、アルセーヌ・ヴェンゲル仏軍中将が慄く様に呟いた。
フランス人―――実はアルザス・ロレーヌ地方に代々住んでいたヴェンゲル中将の一族にとって、核は忌まわしき記憶を伴うものだった。
先の世界大戦当時、ドイツ第3帝国領であった『エルザス・ロートリンゲン地方』に住むドイツ系アレマン人だったヴェンゲル一族。
その中には、1944年にベルリンで原爆投下により、被爆死した者が居るのだ。 それだけではない、カナダに移住した親戚にも、核に拒否反応を示す者たちが多い。
『ドイツ系フランス人』たるアルセーヌ・ヴェンゲル―――アーセン・ベンゲルにとっては、悪夢よ再び、であった。










1998年7月8日 0510 帝都・京都 帝国外務省


「貴国の言われ様、まるで我が国の主権を無視している!」

「あくまで、米日安保条約に基づいた判断である、その言われ様は心外極まる」

帝国外務省事務次官、そして合衆国国務省東アジア・太平洋担当国務次官補、日米のアジア・太平洋外交の実質上のトップ会談は、最初から荒れていた。
帝国政府の決定を受け、何とか日米安保の枠内での各種支援と、米軍の戦術核使用の中止を求める日本帝国。
支援の継続と、安保行動の裏付けとして、戦術的自由度―――つまり、戦術核の日本国内での使用―――を要求する合衆国。

ネックとなっているのは、『日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約』、その第5条である。
この内容は、『各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、
自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危機に対処するように行動することを宣言する』 とある。

その文中の『either Party in the territories under the administration of Japan』とは、日本の行政管理下内での両国共ではなく、
いずれかの国、すなわち日本の主権に対して治外法権を持つアメリカ合衆国の大使館、領事館とアメリカ合衆国軍事基地が一方の『Party』であり、
アメリカ合衆国の治外法権の施設を除いた部分、日本国の地区がもう一つの『Party』である、という定義をすることも出来る。

この定義に基づけば、それらのいずれか一方が自分にとって危険であると認識した時、『共通の危機』に対処する。
合衆国軍の行動は、『共通の危機』が対象であり、『共通の危機』とは、日本国内の合衆国の施設と、その他の部分の日本に共通の危機のことである。
つまり、日本国内の合衆国の施設(軍事基地等)とその周辺(日本の一部地区)に対する危機に限定されると考える事もできる。
そして合衆国軍が行動する場合は、合衆国憲法に従わねばならない、そう条文で規定されている。
また合衆国憲法では、在外のアメリカ合衆国軍基地が攻撃を受けた時は、自国が攻撃を受けたと看做され自衛行動を許すが、駐留国の防衛まで行う規定はない。

「如何に安保条約文中で、合衆国軍の行動が合衆国憲法に基づいて、とあっても! それが我が帝国内で戦術核を使用して良いと言う風に、どうしてなるのか!?」

「原則論をここで確認する時間は有りませんよ、次官。 最近ではまたぞろ、下院議会で日本側に有利過ぎると、安保条約が非難され始めた。
合衆国には、日本を防衛する事を必要とされるが、日本は必ずしも合衆国を防衛する事は必要では無い状態になっている。
古い意見だが、『日本の二重保険外交』だと。 それに世論も非難が強まっている、貴国の在米公館から報告は?」

「・・・聞き及んでおります。 世論の過半数で、極東の戦況を一気に打開する方法を望んでいると」

外務次官が、苦々しげに答える。 国防は彼の範疇では無い、だがその軍事方面での後手、後手が、彼の責務範囲を縛っている事は事実なのだ。
そんな外務次官の表情を見た国務次官補は、ある程度の同情を滲ませながらも、自国内の状況を補足する。

「宜しいか? 次官。 我が国では中間選挙において、与党は散々な選挙結果に終わった。 本来の支持者層、その中の母親達が『No!』を突きつけたのだ」

「・・・」

「誰しもそうでしょう? 棺に入った我が子を、出迎えたいと思う母親は居ない。 『人類の存亡をかけた聖戦』! 確かに立派だ―――身内を喪いさえしなければ!」

合衆国内では、保守派層の政権離れが顕著な形で現れ始めていた。 そして今の保守政権は、対日支援に積極的な行動を起こしていた政権だった。

「結果です、結果が必要なのです。 この先、このBETA大戦がどの様な方向に進むにせよ。 我が国の継戦世論を維持する為の結果が!
貴国とて、このまま本国の西半分をむざむざと喪う愚だけは、避けたいでしょう?」

無言で返答に窮するようにみえる事務次官に、国務次官補は畳みかける様にカードを切って行った。
密室内のゲームは、合衆国側の勝利に終わるかに思えた。 日本側は有効なカードを一枚も切れていないのだ。

「・・・であれば、我が国は世界の世論に訴えかける以外、方法は有りませんな」

不意に事務次官が顔を上げ、据わった目で国務次官補を見据えた。

「今後、貴国の『我儘』に付き合わされる可能性、いや、危険性のある国々・・・ 英国、フランス、ソ連、それに中国も賛同するでしょう。 
あの国は『大家』の台湾への遠慮も有る、そして我が帝国は、台湾を承認している、アジア唯一の国家だ・・・」

「・・・何を、仰りたいのか?」

「豪州は、或いは貴国の側に立つかもしれない。 しかし、あの国も英連邦の1国。 国内の保守派の影響力も無視できない程には有る」

「事務次官、まさか・・・」

「国連安保理での、緊急提議を行う。 国連軍太平洋方面総軍は、貴国の指揮下にある軍事組織に非ず。 
そして貴国もまた、国連加盟国であるからには、その決議に従わねばならぬ」

「ッ・・・!」

「我が日本帝国とて、国連安保理、常任理事国である事を、お忘れか・・・?」









1998年7月8日 0545 九州・パラオ海嶺北端 深度350m 合衆国海軍・シーウルフ級攻撃型原潜・SSN-22『コネティカット』


「艦長、ハワイより入電。 『アルファ・ジュリエット・チャーリー・10(対日状況想定No.10)』です」

『AJC10』―――核搭載トマホークの発射作戦中止命令。 通信長より報告を受けた艦長は、CICの薄暗い照明の中で、知れずホッと一息をついた。
合衆国に忠誠を誓った彼で有るが、流石に同盟国に向けて核弾頭(W80)搭載トマホークの発射ボタンを押す事は、心理的な重圧となっていたのだ。
だがこれで、兎に角も民間人が残っていると伝えられる地域に向けて、W80核弾頭を炸裂させる事は無くなった様だ。

何しろ、W80は戦術核とは言え、核出力は最大で200ktに達する。 1944年、ベルリンに落とされた史上初の原爆が、核出力15ktなのだ(約13倍!)
1発で、半径10km圏内が地獄の業火と変わってしまう。 そして『コネティカット』だけで、6発を撃ち込む予定だったのだ―――僚艦を合わせれば、6隻合計36発。

「・・・ホッとしましたよ。 流石に妻の悲しむ顔は、見たくありません」

横からミサイル管制士官である少佐が話しかける。 彼の妻は日本人だ(結婚と同時に、合衆国市民権を得た)

「それは私も同様だよ、息子は昨年、東京で結婚式を挙げた。 今年生まれた孫は、半分日本の血を引いているよ」

「息子さん夫婦は、どちらに?」

「ロスだ、UCLAの研究室に戻ってね」

―――彼等にとっては、それこそが世界だった。









1998年7月8日 0625 大分県宇佐市 国道10号線付近 第10軍団第42師団 第422歩兵連隊第3大隊


降りしきる大雨の中、黙々と敷設作業が行われていた。
国道の脇には対大型種BETA用地雷が、そしてその合間を埋める様に対小型種BETA用地雷が、延々と敷設されている。

「・・・なあ、おい、こんなので本当にBETAを防げるのか?」

「俺が知るかよ。 でも、大陸帰りの古参連中の話じゃ、結構有効らしいってさ。 満洲や半島でも、突進してくる進路に嵌れば面白いように吹き飛んだって」

「連中、ばーっと、突っ込んで来るだけだもんな」

作業中の兵たちが、小声で話しあっている。 
冷たい雨、強い風、夜は明けたと言うのに、真っ黒な雨雲が立ちこむ憂鬱な状況。
ぼやいていないと、やり切れない。

「なあ、向うの土砂崩れ、どうするんだ?」

「工兵隊が反対側から、ドーザーで作業するってさ」

「倒木も?」

「らしいよ?」

「―――おい、そこ。 話すなとは言わん、だが手を休めるな」

横で黙々と作業を続ける古参の伍長が、顔を振り向きもせずに注意を与える。
まだ若い下士官だが、徴兵されて即、大陸派遣軍に歩兵として送られ、生還した男だった。 隊では小隊軍曹でさえ、一目置いている。

「生き残りたけりゃな、手間を惜しむな。 無駄になる事の方が多いけど、最後の最後で自分の命を救うのは、手間暇かけた細工だって事も多いんだ」

ポンチョから雨水を滴らせながら、それでも作業の手を休めずにそう言う伍長の姿を見て、それまで愚痴を言っていた3人の兵も作業に戻っていった。

『小隊本部班より、2分隊2班、進み具合はどうだ?』

無線から小隊軍曹の声が流れてきた。

「第2班、作業終了は10分後」

『了解した。 それと判っているだろうが、側道には入るな。 周囲にはクレイモア(対小型種BETA用指向性地雷)が山ほど設置されている』

「了解」

第10軍団が―――いや、第4軍が防衛線一体に長大な地雷原を構築し始めたのは、つい先刻になって本土防衛軍司令部からのトップ・オーダーによるものだった。
何故急に?―――そう思った将兵は数知れない。 まるで攻勢を一切放棄して、殻に籠るかのような態勢になった。
それが、国家間同士の思惑が介在した結果だと、考えつく者はいないだろう。
戦術核を撃ち込まない代わりに、少しでも長くBETAを今の範囲に拘束する。 そしてその時間で、防衛部隊を速やかに展開する。
米国はまるきり信じていないが、それでも国連安保理で太平洋方面総軍の指揮権を奪われる可能性について、日本帝国から譲歩を引き出せるメリットの方が大きい。

第2班の行っている作業は、その両国の綱引きが生み出した、ホンの片隅の、ホンの小さな結果だった。

やがて全ての作業を終えた第2班は、装甲車両に飛び乗る様にして乗車した。 乗り心地の悪さは最早定評がある軍用車両でも、せめてこの雨風だけは防ぐ事が出来る。
キャタピラを軋ませながら、後方の防御陣地内に退避したその後で、彼等は後日になって、後味の悪い事実を知る事になる。









1998年7月8日 0645 大分県宇佐市 国道10号線


『こちら“クロウ”、少し速度を落とします、“ラビット”宜しいか?』

先行する73式装甲車から、車輌小隊の小隊長である少尉の声が、無線から流れた。

「こちら“ラビット”。 “クロウ”、やはり、これ以上の速度は無理?」

『視界が利きません! 強風域の真っ只中ですよ! 雨も相変わらず強い! それにもう30kmも行けば別府湾です、1時間以内に到着します』

「判ったわ、ここまで距離を稼げば、ひとまずBETAの脅威は心配無いわ。 少尉、そのまま進んで」

『アイ、アイ、マム!』

1個小隊4輌の73式装甲車と、2輌の73式小型トラックから構成される小部隊は、それまで何かに急かされるかのような速度を緩め、ゆっくりした速度で前進を開始した。
車列の真ん中に位置する、73式小型トラックの助手席に座った久賀優香子中尉は、内心でホッと安堵をついていた。

「中尉、何とか別府まで行けそうですね・・・」

運転している女性下士官の伍長も、ホッとした声を出している。 
後席に座っている、もう一人の部下である1等兵(女性、と言うよりまだ少女だ)も、体に似合わぬ11.4mm短機関銃M3A1を抱いて、ホッとした表情だ。

「・・・ほ、本当に、大丈夫なの?」

後部座席から、恐る恐る、恐怖が滲んだ声をかけて来る人物が居た。 
民間人だ、まだ30代半ば程の女性だった。 隣には10歳前の年頃に見える少年が座っている。

「大丈夫です。 戦況情報は常に確認しております。 現時点で前線は最も近い場所で、ここから60km以上離れています。
途中には山間部も有りますし、万が一BETAが突進したとしても・・・ 2時間以上の時間がかかります」

「別府まで30分ですから! 2時間も有れば、豊後水道を随分と南下していますよ!」

怯える同乗者に説明していると、横からハンドルを握った女性伍長も、意識して明るい声で合いの手を入れてくれる。
最初、同乗者が女性将兵ばかりで不安がっていた同乗者達だったが、こう言う気遣いが出来る今となっては、逆にホッとしている様だ。

どうやら、軍上層部から降りて来たらしい唐突な命令。 小倉市南部で要人の家族を救出し、別府湾まで護送する。
身柄は既に、57師団の生き残り部隊が確保していた。 怯える彼等をなんとか宥め、命令によって臨時の警護小隊を編成して出発したのが1時間半前。
本来なら、師団の偵察部隊か、そう言った連中が適任なのだろうけれど、生憎と余分に戦闘要員を割く余裕はない。
その為に臨時編成されたのが、直接戦闘兵科では無い部隊から、無理やり都合を付けて抽出された人員で組織した混成警護小隊。
指揮官の久賀優香子中尉は、戦術機甲大隊の通信将校。 仕事は先任の通信幕僚(大尉)が肩代わりした。
他には補給隊、車輌輸送隊、通信隊、はたまた師団主計部の会計隊から人員を割いて、臨時警護小隊を編成した訳だった。

『こちら、“クロウ”です。 “ラビット”、前方に倒木、それに土砂崩れです!』

「迂回路は? 無いかしら?」

『500m程引き返した所に、迂回出来る県道が有った筈です。 どうします? 引き返しますか?』

「・・・そうしましょう。 どうやら専門の部隊じゃないと、手に負えなさそうだし」

前方に、かなり大きな倒木が連なって倒れている。 それにこの豪雨で地盤が緩んだのか、斜面が土砂崩れを起こし道路を埋めていた。
これでは、工兵隊でなくては手に負えない。 幸いさっき通り過ぎた脇道は、この先で迂回しながら別府へと繋がっていた筈だ。


迂回路に侵入して、10分も経った頃。 どうやら道路は1車線の田舎道から、片側2車線の広い道路に出てきた。
雨の勢いは相変わらず激しいが、少しずつ視界も明るくなって、恐る恐る走行しなければならない状況は過ぎたようだ。

久賀優香子中尉も内心でホッとした。 いくら緊急の命令とは言え、本来は畑違いの任務。 それに本当にBETAに襲われない保証など、どこにも無かった。
しかし、ここまでくれば本当に大丈夫だ。 この先には友軍が防衛線を張っている筈だった。 その先は、脱出の為の港が有る。

「少し遠周りになりましたが、あと20分もすれば別府湾です。 この先には 第10軍団の防衛網が有る筈ですし・・・」

そう言った時。 その声を聞いて、同乗者達が安堵の表情を浮かべた時。 突然の轟音と、運転手の女性伍長の悲鳴が同時に聞こえた。

「クッ、クレイモア(対BETA用指向性地雷)!?」

咄嗟に前方に振り向いた久賀中尉の視界に、先頭を走っていた73式装甲車が車体を蜂の巣にされて、吹き飛ばされる姿が映った。

『こっ、後進、全速! い、急げ!!』

「ひぃ!」

警護小隊長が搭乗する2輌目の73式装甲車が、急ブレーキと同時に全速後進をかけてきたのだ。
フロントガラス一杯に迫ってくるその姿に、運転手の女性伍長が悲鳴を上げる。

「バックよ! 伍長、早く!」

急ブレーキがかかる。 思わずその反動に、フロントガラスに頭部をぶつけそうになりながら、今度は73式小型トラックの急バックにまた体を持って行かれかける。
不意に後ろから、けたたましいドラム制動の音が聞こえた。 後続するもう1台の73式小型トラックが急ブレーキをかけたのだ。
そして突然の衝撃。 体ごと前に持って行かれる、そして迫りくる73式装甲車。

「・・・ひっ!!」

雨に濡れた路面のお陰で、ブレーキの制動力が低くなっているのも災いした。 完全に速度を殺せず、73式装甲車が緩やかな速度で前方から突っ込んだ。

「きゃあ!」

「うっ、くう!」

「ひい!」

衝撃と大きな衝突音。 その時だ、また何か乾いた音が聞こえた。 連続して。

『ぎゃ!』

『ごっ!!』

『クレイモアだ!!』

通過する時の振動では作動しなかったのか。 そして今回の衝突時の衝撃の振動を捉えたのか。
どうやら遠隔操作では無く、震動探知起爆に設定していたのか。 そしてこの道は、第10軍団の対小型種BETA用のキル・ゾーンだったのか。
ほんの一瞬の出来事。 その瞬間に、幾多の悲鳴が聞こえ、無数の破片とボール弾が車体を蜂の巣に変え、そして内部の人体を切り裂いた。

『・・・しろ! こちら第422歩兵連隊第3大隊だ、そこの車輌群、応答しろ! 
そこは小型種BETA用のキル・ゾーンだ! クレイモアが山ほど設置してある!
引き返せ! 侵入は自殺行為だ! おい、聞こえているか!? 応答しろ!』

衝撃と同時に、何か生温かい液体が降り注いだ事は覚えている。 途切れがちになる意識を必死に保とうとして、久賀優香子中尉は僅かに首を回した。
運転席の女性伍長は、首から上が無かった。 ハンドルを握る両手首がぶら下がっている、両肘から切断されていた。
後部座席を辛うじて振り返ると、同乗者の女性は顔が半分吹き飛ばされていた。 全身もズタズタになっている。 その子供は上半身が無かった。
後部座席に居た1等兵―――思い出した、まだ16歳の少女の主計兵だ―――は、呆然とした表情でこちらを見つめていた。
いや違う、その目は何の光も宿っていない。 下半身が切断され、ズタズタのミンチになっている。

車内は酷い有様だった。 血糊が盛大にぶち撒かれ、あちこちに肉片がこびりついている。
身を起こそうとして失敗した。 バランスが悪い、ふと見ると右肩から先が無かった、骨が僅かに覗いている、出血も酷かった。
妙に視界が赤い。 音も聞こえづらい。 苦労して上半身を起こし、座席に背を預けてバックミラーを向けようとして・・・ 左手の指、3本が無い事に気付いた。

「はっ・・・ はっ・・・ はっ・・・」

息苦しい。 どうしてこんなに呼吸が苦しいのだろう? バックミラーを覗く―――右目と右胸に、破片が突き刺さっていた。
急に激痛が蘇った。 声にならない悲鳴を上げ、悶絶しそうになる。 体をよじる度に、全身に激痛が走った。

「ぐぎ・・・! ぎいい・・・!!」

『そこの車輌群! そのプレートナンバーは第9師団か!? 第9師団だな!? 応答しろ! クレイモアの振動検知は切った!
衛生隊が直ぐに行く、生き残っている者はいるか!? 応答してくれ!―――糞っ! こんな所で同士撃ちかよ!!』

誰かが、何かを叫んでいる。 でも、何を言っているのか判らない。
次第に痛みが和らいできた。 同時に意識が朦朧となってゆく。

「あ・・・ あな・・・ た」

薄れゆく意識の中で、夫が微笑みかけていた。






『ええ―――そうです。 連絡の手違い、いえ、混乱が生じました。 
土砂崩れの処理は、第42師団(第10軍団)工兵連隊が処理中で・・・ あと15分もすれば通れる筈だったのですが。
警護小隊への連絡が、防衛線構築の混乱の中で遅れました。 その為に、わざと封鎖していなかった県道へ迂回して―――ええ、キル・ゾーンです。
戦死確認は、久賀優香子中尉以下、38名。 それに同乗の民間人が4名の、合計42名。 遺体? 無理です、余裕が有りません。 認識票と、民間人は身の回り品を回収するだけで・・・』











[20952] 本土防衛戦 西部戦線 5話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2010/10/24 00:34
0655 福岡県北九州市 小倉南区 第9師団


『転進、転進、また転進! 一体どうなっているんでしょう、中隊長?』

曇天と驟雨の支配する薄暗闇の中、迫りくる戦車級の群れに、突撃砲の36mmを一斉射浴びせかけて穴を開ける。 
そこに後方から砲撃支援機がキャニスター砲弾を浴びせかけ、BETAをなぎ倒した。
後退中―――遅滞防衛戦闘の最中、部下がそう問いかける。 部隊は今、九州自動車道を苅田北九州空港ICで降り、南の大分県内を目指している。 
そこから国道10号線に入り南下。 師団の本拠地である築城を通り越し、大分の中津で第4軍第10軍団と合流する予定だった。

倒したばかりのBETAの残骸を見下ろしながら、久賀直人大尉は北の方角―――BETAが上陸した北九州市内を見ながら答えた。

「・・・既に第57師団は全滅だ、関門海峡はBETAの支配下になった。 残る戦力を結集して、九州中部から南を死守しようと言う所だろう」

唐津でも第13軍団が、相当酷い損害を出している。 松浦半島にもBETAが上陸した結果、各個撃破された形になってしまったのだ。
残存戦力は伊万里市に展開していた第25師団が、長崎県佐世保まで後退した。 第21師団と第34師団は佐賀平野まで後退し、第8軍団(第4軍)に合流している。
第32、第39の2個師団は、文字通り全滅したようだった。 5個師団を数えた第13軍団も、実質戦力は2個師団相当まで激減している。

もっともこれは第3軍団とて同じだった。 未だ辛うじて戦闘力を残す部隊は、第9師団、第12師団のみ。 
第23師団は第8軍団に『お預け』となったし、第33、第57師団は全滅した。 実質戦力は1個師団半を少し越す程度の状況だった。

「・・・俺達は、九州北部防衛に失敗した。 そう言う事だ」

ぶっきらぼうに答える久賀大尉の顔を、部下が凝視する。 不安、困惑、苛立ち、そして恐怖。 
初の実戦を経験し、そしてこうしてBETAに押され後退し続けると言う事態に、誰もが慣れている訳ではない。

「いいか? 試合の序盤戦は連中に先制された。 だが、まだ中盤戦以降が残っている。 
九州にも第4軍が無傷で残っているし、俺達も1個師団を越す程度の戦力を残した。 まだやれる、まだ戦える。
先は長い、先制された事は仕方が無い、事実は事実だ。 それよりも次を見据えろ、連中に逆転してやる手を考えろ、それを強く想像しろ」

何より心配なのは、士気の低下だ。 緒戦で叩かれ、意気消沈したままズルズルと消耗して行き、大敗北を喫した例は数多い。

≪CPよりサラマンダー・リーダー。 BETA群先頭集団は前進を停止。 集団の本隊は北九州市内に留まっています≫

どうやらBETAは、都市と大人口と言う餌に喰らい付いたか。 
これで後退して防衛線を再構築する時間が稼げる―――その餌は北九州市と、未だ残っていた数10万人の民間人の命だったが。

『俺達・・・ 軍人なんですよね? 宣誓して、誓約を誓った、帝国軍人なんですよね・・・?』

茫然とした声色の主は、この4月に訓練校を卒業して配属されたばかりの、新米少尉だった。
誰も、何も言えない。 この向う、僅か数10km北では、軍が『見捨てた』北九州市の地獄絵図が展開されている筈だった。
第9師団が到着する寸前に、第57師団司令部からの通信が途絶えた。 最後の通信は『これより、師団本部、突撃す』、だった。
ただの自動車化歩兵師団でしか無い、機械化歩兵師団でさえ無い第57師団にとって、単独でのBETAとの交戦は、全滅を意味していたのだ。
それでも数時間の時間を稼いだ。 関門海峡を渡り、下関市へと逃げ延びた民間人が少なからず居た事が、第57師団がこの世に残した存在の証になった。

『・・・57師団、皆、やられたのかな・・・?』

『支援部隊の一部しか、合流出来なかったし・・・ 南側はもう、BETAに遮断されていたし・・・ 駄目だろ?』

なのに、自分達はどうだ? 当初防衛する筈だった博多を放り出し、増援として赴く筈だった北九州市を脇に見つつ、南へと移動中―――後退中だ。
情報では、博多防衛の第33師団は全滅したようだ。 師団本部は情報を封じているが、そんなモノは古兵達の手にかかれば、ザルも同然だ。
唐津や松浦でも、第13軍団の中には全滅するまで、防戦を行った部隊が有るらしい。 彼等は全滅し、誓約は守れなかったが、宣誓は守った。

『喧しいぞ、ヒヨコ共。 何だったら、今からでも引き返すか? 貴様らなら包囲網を突破して、防衛戦を完遂できるとでも?』

『軍人だったら、まず命令を完遂する事を覚えろ。 あれこれ考えるのは、その後だ』

小隊長達が諌める。 大陸での悲惨な撤退戦の経験が無い、それどころか、BETEとの本格的な交戦は今回が初めてという連中が殆どだ。
バイタル・パートをチェックする限りでは、少なくとも2名がかなり不安定な心理状態であることが認められる。 他に1名も、その兆候が出ている。
既に3名を喪っている、ここでまた3名を後方送りにするのは、中隊戦力の半減を意味する。 それは流石に拙い。


≪CPよりサラマンダー・リーダー、師団はこれより南下、築城を経由して中津へ転進します。 
大隊は殿軍で後方警戒、サラマンダーは右翼に占位。 なお、ROEは“タイト”≫

CPから、後退開始の連絡が入った。 BETA群の最進撃が確認されるまでは、武器の使用は“タイト―――限定”だ。

「サラマンダー・リーダー、了解。 早く後退しろと、前方部隊に言っておいてくれ。 それと、1番風呂は確保しておけよ?」

中津には、耶馬溪と言った温泉の名所もある。

≪CPよりリーダー、職責範疇を越えています! そ、それに、こんな時に不謹慎です!≫

「なんだ、融通が利かないな」

そう言って、笑いながら通信を終える。
そんな指揮官を見て、古参の部下達から冷やかしが入った。

『何て言いますかね? やっぱ結婚すると、こうまで違うもんですかね? 中隊長』

『着任当時の、熱血健児って感じからは、想像もつかないですよ』

「ほざけ」

そんな言葉に、自分でも苦笑する。 確かに言われてみれば、昔からこの手のちょっとした冗談なんかも、期友達と比べれば『暑い』方の部類だった。
欧州に飛ばされている間に、すっかり向うの水に馴染んだ(染まった?)2人の同期生と比較してもだ。
それが今では、こんな戦場のちょっとした合間でも、軽い冗談が出る様になったものだ。

(『―――あなた、もう少し、柔らかくなった方が良いわ』)

妻にも、良く言われた。

『にしても、あれですね。 CPがいきなり変わるのも、何か異和感有り、ですね』

『そうそう、今までずっと“奥さん”が、やっていましたしね』

2人の小隊長が、殊更に自分をダシにしている気がしてきた。
それでも、ここで石部金吉のような模範的態度は、ちょっと気拙いだろう。

「おいおい、元々のCPに戻っただけだぞ? そんな事言っていると、いざって時にヘソ曲げられて、オペレートしてくれなくなっても、俺は知らんからな。
それとだ、俺の嫁さんは元々が大隊付通信士官だ。 本来なら、拝めるのは中隊長以上。 お前らなんかにゃ、もったいなくてな」

その言葉に、小隊長達も、他の部下達もブーイングを飛ばす。 何しろ相手は、美人で聞こえた女性士官だ。

≪・・・CPより、リーダー。 申し訳ありません、後任は全然、もったいなく無い、十人並みで・・・≫

「むくれるな、きっと誰か引っかかる。 なんだったら、宣伝してやろうか? 西部だけじゃ無い、中部軍集団にも、知り合いは多いぞ?」

≪けっ、結構ですッ! CPよりサラマンダー! 早く、移動を開始して下さい! アウト!≫

顔を真っ赤にしたCP将校―――まだ、管制官学校を卒業して2年も経っていない、若手の女性少尉が、頬を膨らませて通信を切ってしまった。
隊内に笑い声が湧きあがった事を確認して、久賀直人大尉は改めて部下に周辺警戒態勢を取らせ、ゆっくりと陣形を維持しつつ後退を開始させた。


視界が薄明るくなってきた。 風雨は相変わらずだが、夜は明けたのだ。 厄介な台風も、多分もう直ぐ通り過ぎる筈だろう。
そうすれば―――また、本格的なBETAとの戦闘の再開だ。 何時間後になるか判らない、何日後かもしれない、だが確実に地獄は再開される。

「向うに着いたら、体が空いている連中は眠らせろ。 睡眠導入剤を使っても良い。 時間が有る時に、食事を取り、睡眠を取る。
一人前になる前に、死なさない為にな。 せめて半人前になるまで、生き残らせる為にな」











0700 博多市


曇天の空に、一斉に大音声の重低音と、空気を切り裂く様な発射音が鳴り響いた。 空港の方角からだ。
福岡空港に展開している砲兵部隊が、203mm、155m榴弾砲とMLRSの一斉射撃を開始したのだ。
かれこれ2時間近く続く、突撃破砕射撃。 個体数の割に光線属種の比率が高い為か、半数以上が空中でレーザー照射による迎撃で蒸発してしまう。
既に那珂川以西は陥落した。 今現在は川にかかる橋を全て落とした上で、鹿児島本線を死守する戦いが展開されている。
しかしそれも、間もなく終わろうとしていた。 第12師団はこの後、南東方面―――大分方面への転進を命令されている。
僚隊の第9師団も移動中だ。 結局、北九州市へは間に合わなかったのだ。

『第38射、今!』

第12師団第121戦術機甲連隊に所属する、“ベア”中隊は、残存全機が博多駅の次の駅―――竹下駅付近の那珂川の『西岸』に布陣している。
ここは川筋と鹿児島本線が非常に近い。 その為に防衛重心を師団が置いたためだった。 
しかし、最早6機にまで減少した戦術機甲中隊と、1個小隊4輌の90式戦車、そして僅か1個中隊の機械化歩兵部隊で、防衛も何もあったものではない。

『こちら“アックス”。 “ベア”、そろそろ終わりか?』

いや、戦術機は6機だけでは無かった。 全滅判定を受けた第33師団の師団戦術機甲大隊の生き残り、4機の『撃震』が、“ベア”中隊の横に布陣していた。

「こちらベア。 予定ではあと2射で終わりだ。 その後は尻に帆をかけて、トンずらするしかない。 そう言う事だ、“アックス”」

博多市内だけでも、昨夜だけで推定で約40万人以上が死んでいる。 恐らくその数字は、那珂川以東の避難民を合せて、今後100万のオーダーを越す事になるだろう。
だが、自分達の受けた任務はあと少しの間の、目の前の川を守る事。 そしてその後は九州中部防衛線を確保する事。
例え目の前で民間人が戦車級に喰い殺されようと、入院患者が未だ脱出できていない病院の側壁に、突撃級が突入しようと。 赤子が兵士級に喰われようと。
それが防衛計画に影響しないのであれば、全てを見捨ててきた。 そうする事によって、今までの時間を稼いできた。
そう、今のこの時間になっても尚、博多市東部を維持できているのは、市内西部の全てを切り捨てた結果だ。

もう、人間らしい感情が失せた気分だった。 何を見ても、感じられなくなっている。

『戦術広域MAPが正常作動しているのなら、南区・・・ 若久通り辺りから、戦術機の集団が押し上げてきている。 判るか?』

「さっき、大隊本部から連絡が有った。 太宰府に陣取っていた斯衛の連中だ、1個聯隊戦闘団。 戦術機72機、戦車2個中隊と自走高射砲1個中隊、機械化歩兵2個大隊」

『連隊って割に、結構叩かれているな。 ま、太宰府からここまで血路を切り開いたんだ、当然か。
それに制圧支援兵科―――砲兵が居ないのが、ご愛嬌と言うか、斯衛らしいと言うか』

「元々、戦車部隊だって保有に際しては、陸軍の反発が大きかったしな。 京都の第1、第2に次ぐ、有力な部隊だって事だが・・・」

『・・・で? 何しに来たんだ? あの連中は?』

「武門の誇りとか何とか、そんなホコリを被ったモノの為だろう?」

『ふうん? ご苦労な事で・・・ ま、お陰でこちらは、太宰府まで撤退する道が出来たって事か』






司令部内に設けられた通信ブース。 先程から師団本部と、とある部隊との間で、指揮官同士の実りの無い会話が続いていた。

『では、第12師団は撤退なさると、そう仰られますのか、師団長閣下?』

「撤退、転進、敗走、どう言われても良い。 好きなように呼びたまえ。 しかし斯衛大佐、言っておくぞ、我々は未だ戦う事を放棄したのではない」

疲労を滲ませた、しかし眼の色だけは未だ失っていない師団長は、突如の来援に駆け付けた斯衛第3聯隊戦闘団長に対してそう言い切った。

『それは結構、大変に、大いに結構な事です、閣下。 我等とて、戦う事を放棄に来た訳では有りませんからな。
が―――閣下の部隊と、小官の部隊とでは、戦う事の方向性が些か異なっている事が、不幸と言えば不幸でしたか』

12師団長は、その言い様にムッとする。 陸軍と斯衛、所属は違えど、こちらは少将、向うは大佐。 
2階級も下の佐官風情に、戦略判断を感情だけで断じられる謂れは無い。 例え相手が、山吹を纏う武家であろうと!

「勝手にするがいい。 だが未だ九州全域には、900万人近い民間人が残っている。
陸軍―――本土防衛軍は、ここで守るべき国民をむざむざ失う愚だけは犯さぬ、そう言う事だ」

『博多に残る100万人も、閣下の仰る『守るべき国民』である、そう愚考しますが?』

痛い所を突く―――感情的にだ。 戦略判断的には、無慈悲だが切り捨てる事は妥当だ。 そう、軍事戦略的には。
そして、師団長ともなれば、戦術行動に伴う感情などに、関わっていられる贅沢など許されない。
そんな余裕は無いし、そんな事にいちいち関わっていては、精神が保たない。 これは指揮する部隊の規模が上がれば上がる程、顕著に表れる。
従って師団長もその『原則』に従い、務めて『盤上の駒』に対して感情を持たないよう努めてきた。

無論、部下達に対する愛着は有る。 善き上官たれ、そう自らに言い聞かせてきた。 
しかし詰る所、将官クラスでの『善き上官』とは、部下を極力消耗せずに、最大の戦果を出す、これに尽きる。
部下の死に幾ら涙しようと、どれほど温情的に接しようと、いざ戦場で損失を出し過ぎてしまっては、部下にとっては『最悪の上官』なのだ。

そして今現在で、師団長として求められる行動とは、もはや防衛は不可能と判断される九州北部から、如何に損失を押さえて友軍の待つ九州中部へと撤退するか。
そこでは未だ健在な友軍が存在する。 その友軍と協同して、残る国土を、そして守るべき国民を、如何に多く守り切るか、それに限る。

「・・・戦略判断に縁遠い斯衛で有らば、そう判断する事は致し方無い。 存分に、自らの戦術的欲求を堪能し、満足しろ。
だがこれだけは言っておく、斯衛大佐。 この戦いがどの様な結末を迎えるにせよ、同じような悲劇、上回る悲劇は必ず生じる。
その度に、貴官の様な判断をしていれば・・・ それこそ、この国は瞬く間に消滅する事だろう」

『・・・『世の中には勝利よりも、もっと勝ち誇るに足る敗北があるものだ』―――モンテーニュ。 
我等は、我等の誓約に従う以外の道は有りません。 これ以上は平行線かと。 小官と部下達は、これより博多防衛の一端を担います』

そう言って、一方的に通信が切れた。
最後の最後まで、上官を上官と思わぬその不遜さに腹も立ったが、それ以上にその思考が腹立たしかった。
もはや通信の切れた装置の画面を見つつ、師団長は忌々しげに吐き捨てる。

「・・・勝手にくたばれ! この戦争屋め!」









0715 山口県下関市 油谷湾外 角島灯台沖3海里(5.56km) 帝国海軍第2艦隊 旗艦『出雲』


「両舷前進、原速黒15(12ノット+1.5ノット)」

「よーそろー、両舷前進、原速黒15」

艦長の繰艦命令に、脇に控える航海士が復唱する。 直ぐにデジタル運転指示装置により、機関指揮所へダイレクトで命令が伝わる。
一昔前ならば、エンジンテレグラフをいちいち操作して、それを機関指揮所へと伝えていたモノだが、今や完全デジタル化され、姿を消している。

風速20m、波高4m、随分と『穏やかに』なった海面を眺めつつ、艦長は後続する各艦を艦橋内モニターで見ていた。
第5戦隊の戦艦『穂高』、『高千穂』。 第8、第10戦隊の重巡(イージス/打撃)『最上』、『三隈』、『足利』、『羽黒』。 更に第2駆戦の2隻のイージス駆逐艦が続く。
その後ろから、中型戦術機母艦『雲龍』、『神龍』、『瑞龍』、『仙龍』の4母艦に、最後に第2駆戦の残り8隻の駆逐艦が続いていた。

基準排水量で7万トンを超す改『大和』級であるこの『出雲』や、巡洋戦艦から高速戦艦へ、最後に近代化改修を受けて6万トン超級となった『穂高』、『高千穂』の2戦艦。
そしてやはり5万トン級の『中型』戦術機母艦である、4隻の戦術機母艦。 3万トンの『最上』級2隻、2万トン『足柄』級2隻の4重巡は、この波濤にも危なげなかった。
だが、基準排水量で7000トンを超す『秋月』級イージス駆逐艦である、第2駆戦の2隻以外の駆逐艦は、基準排水量4600トンと3800トン。 この荒天で苦労していた。

そこには、指揮下の第4駆逐戦隊の姿は無い。 彼等はこの後、油谷湾で補給作業が終了した第2補給任務部隊の護衛として、舞鶴軍港までエスコートする事になっている。
やがて艦隊は原速(12ノット)から強速(15ノット)、第1戦速(18ノット)へと増速して行った。 既に艦隊位置は、左舷に神田岬を望む響灘に出ていた。

「長官、現在地、神田岬沖10海里(18.5km) 艦隊速力18ノット。 変針点まで40分、攻撃可能海域まで55分」

旗艦艦長からの報告を受け、同じように洋上を見つめていた第2艦隊司令長官は、僅かに叩頭し、確認する様に行った。

「・・・情報参謀、陸軍が九州北部の防衛を放棄した、この情報は確かだな?」

「はい、長官。 本土防衛軍陸軍部より、3時間前正式に海軍部へ通達が有りました。 統合軍令本部でも、承認されております。
GF(聯合艦隊)司令部からは『決六号作戦(九州防衛作戦)』の第3段階移行に伴い、『捷二号作戦』その第3段階が発令されました」

「捷二号第3段階・・・」

幕僚の誰かが呟く。 本当なら、ここまで移行する予定では無かった筈だ。
九州北部が早々に防衛不可能と判断され、そして未だ脱出し得ていない避難民が存在する時の、聯合艦隊作戦行動指針。

「・・・北九州、強行突入作戦か・・・」

ごくり―――何人かの息を飲む音が聞こえた。 確実に、主力艦が何隻か沈む。 下手をすれば、第2艦隊自体が消滅する。
そんな作戦を決行するのか? 既に放棄が決定した戦域の、如何に民間人が残っているとはいえ、戦略的に最早過去の存在となった場所へ?

「・・・閣下、先刻も申し上げましたが、小官は本作戦に反対です」

艦隊参謀長が、その場の総意として作戦に対する反対を言い出した。 その言葉に、艦隊司令部ばかりか、旗艦艦橋要員も無言で頷く。

「捷二号第3段階は、未だ陸軍が九州北部を保持している事が、大前提でした」

改めて、参謀長が艦隊司令長官へ向き直る。

「九州北部防衛が不可能であると判断されても、未だ脱出の為の港湾が確保されている事が、です。
しかし、今やその大前提は崩れております。 唐津湾は既にBETAで埋まっており、北九州市も同様です。 
博多市の港湾地区は、北西の糸島半島からの光線級によるレーザー照射の、格好の的となりました」

情報参謀と作戦参謀を振り返り見る。 2人とも無言で頷いた、戦域情報に誤りは無い。

「その様な場所への、艦隊突入など・・・ 民間人救出はおろか、博多湾が第2艦隊の墓場となってしまいます。
いえ、最悪の場合、湾への突入すら難しい。 この『出雲』に『穂高』、『高千穂』の3隻は耐熱耐弾装甲、レーザー蒸散塗膜装甲などの改修を受けております。
しかしそれ以外の艦艇は、重巡ですら、耐熱耐弾装甲の追加のみ、戦術機母艦や駆逐艦などは、レーザー照射を受ければ一気に艦内部まで貫通されます」

それでも、レーザー照射1発や2発で沈没する訳ではない。 艦の沈没は、そのほとんどが艦内に流入した大量の海水により、バランスが崩れた時だ。
しかし、当りどころが悪ければ即、轟沈する場合も有る。 良い例が弾火薬庫―――保管されている砲弾の装薬や、ミサイルにレーザーが直撃し、一斉に誘爆した時だ。

その時、GFから連絡将校として来艦していた参謀中佐が、言いにくそうに口を開いた。

「・・・昨日深夜、政威大将軍、元枢府諸卿が宮中へ参内致しました。 今後の本土防衛戦全般についての、報告の為です」

宮中に―――皇帝陛下へ奏上申し上げた。 その一言で、知らず全員の背筋が伸びた様だった。

「縦深防衛作戦でゆくと、そう申し上げた所・・・ 『もう、九州や中国地方は救えないのか。 海軍に艦隊は無いのか、陸軍に師団は無いのか』、そう、ご下問が有り・・・」

全員が押し黙る。

「政威大将軍、奏上して曰く・・・ 『いえ、総軍を挙げて救出致します』と。 また、元枢府諸卿曰く、『帝国軍、なお逆撃を企図するものであります』とも・・・」

馬鹿な―――既に防衛作戦の大綱は固まった筈だ。 それ故に、その大綱に従い、帝国軍は作戦を展開していると言うのに。 しかし、そこで思考は停止した。
 
19世紀中葉、旧幕藩体制崩壊以降、近代国家建設の為の『象徴』として中世以降、埃を被っていた『尊皇思想』を利用してきたのは、代々の為政者達だ。
近代化初期こそ、五摂家の威光を盾に近代国家を構築しようとしてきたが、大半の民にとっては『余所のクニの殿様』に過ぎない摂家を敬う下地は無かった。

そして近代国家としての日本帝国は、『国民・臣民』としての意識が必要だったのだ。 『国民国家』として成長する為に、必要不可欠なその意識が。
その為に思いつかれたのが、幕藩体制末期に勃興した『尊皇思想』だった。 新政府はこれを徹底的に利用した。

その影響は、20世紀が終わろうとしている現在においても、未だ強烈な呪縛として残っている。
五摂家や将軍家に対し、内心で不満を持つ者、公然と異を唱える者は、先の大戦以降急激に増えている。
しかし、1世紀以上に渡って教育の名のもとにすりこまれた意識は、そうそう消えるものではない。 ましてや海軍は殊の外、尊皇意識が強い組織だった。

「・・・艦隊進路、変わらず」

司令長官の声に、幾人かの幕僚が唇を噛みしめる。 
海軍軍人として、その用兵論に於いて明らかに誤ってはいるものの、意識が反対できない。

「旗艦より、艦隊全艦に達する―――『天佑を信じ、突撃せよ』、以上だ」










0755 博多市 福岡空港


「第2大隊! 滑走路北端、大井中央公園との間の空港通りを死守せよ! 第3大隊は二又瀬の交差点、突破を許すな!」

第1大隊残存11機、第2大隊残存13機の『瑞鶴』が、サーフェイシングで高速移動してゆく。
どの機体も、あちこちを損傷していた。 中には戦車級に齧られたのだろう、装甲が露出している機体も有った。

「第1大隊、筥松の小学校校庭に展開! 橋を渡ってくるBETA共、1匹たりとも通すな!」

太宰府からBETA群を撃破しつつ、博多防衛線に合流した時点で、戦術機72機、戦車2個中隊と自走高射砲1個中隊、機械化歩兵2個大隊を数えた斯衛第5聯隊戦闘団。
現在は3個大隊で戦術機35機、戦車7輌、自走高射砲2輌、機械化歩兵2個小隊を残すまでに減少していた。

既に博多市内中心部は放棄された。 第12師団が撤退を開始したのは、約40分前。 25分前には那珂川の渡河を許し、鹿児島本線は使用不可能となった。
それから僅か25分の間に、博多駅にBETA群が殺到し、県庁も突撃級の突進で崩落した。 犠牲となった避難民の数は、80万人を越した。
現在は篠栗線の柚須を確保し、辛うじて生き残った市民を誘導しつつ、筑豊本線の桂川を目指す列車に押し込んでいる最中だった。

「最後の鉄道路線は、これだけは何としても死守せよ! 未だ脱出できておらぬ、10万の民を救う為にも!」

斯衛第5聯隊戦闘団長・伊集院斯衛大佐は、自ら戦術機『瑞鶴』に搭乗し、部下を叱咤し続けていた。
僅かに残った戦車―――2輌の74式―――が、105mm砲を橋の対岸に向けて発砲した。 丁度、突進しかけていた突撃級の節足部に命中し、横転させる。
損傷を負った個体が、橋を塞ぐ形で停止した為、後続の個体群がそれに詰まり、ちょっとした渋滞状態になっている―――好機。

「左門! 4機を率いて右翼から押せぃ! 隼人、吾主は3機にて右翼! 行けい!」

部下である嘉納左門斯衛中尉、来嶋隼人斯衛大尉が、各々指揮する隊を率いて、すし詰めになっている突撃級の群れの両翼から迫る。
小さな川を一足飛びに飛び越え、突撃級の群れの後背を占位した7機から、120mmと36mm砲弾がばら撒かれ、柔らかい後部胴体を引き裂かれた突撃級が行動を停止さす。
よし、いける。 このままここで粘り切れれば。 後方に避難した民だけは、何とか救う事が出来る。

網膜スクリーンに映った光景、視線を南に向ける。 博多市内の阿鼻叫喚は、つい先ほどの事なのに。 もう随分と昔の様な気さえする。

目前で、老若男女問わず、多くの民がBETAに襲われた。 
首を引き抜かれた者。 体を半分喰い尽された者。 我が子を護ろうとその小さな体に覆いかぶさり、突撃級に踏みつぶされた母子。
いや、最早その様な感傷さえ無意味だ。 惨劇は無数に発生し、そしてその情景は人としての何かを喪わさせるに、十分過ぎる。
山吹の武門の一族に生を受け、定めに従い斯衛に身を投じ、戦場にその身を晒す事に、何ら疑問を持たない半生を生きてきた。
我が身は、我がものに非ず。 我が命、我がものに非ず。 代々受け継がれてきた武門の伝統、先祖の為した誉を胸に、一身を忠義として捧げて生きてきた。

だが―――違う、何かが違う。 この場所には、武門の誉れも、名誉も無い。 己が命をかけるに相応しい敵すらいない。 ただひたすら、破壊と殺戮のみ。

『義烈1番より、武烈1番! 空港南部より大規模なBETA群が侵入開始!』

第2大隊長機から、緊急の通信が入ったのは、まさにそんな感傷を抱いていたその時だった。

「武烈1番より、義烈1番! 防げ! 何としても防げ! そこを突破されれば最早、民の逃げ場は無い!」

『無理です! 数が多すぎる! 2小隊! 南西の要撃級を阻止しろ! 3小隊! 応答しろ、3小隊!』

『義烈33番です! 第3小隊全滅! 小隊長以下、2機喰われました! 自分だけです!』

『くっ! 2小隊、この場を死守! 1小隊、滑走路に侵入したBETA群を阻止する!』

伊集院大佐が戦術MAPを確認する。
11機に減じた第2大隊が守る福岡空港の滑走路に、少なく見積もっても4000体以上のBETA群が侵入してきている。
戦力は『瑞鶴』が11機、戦車3輌、機械化歩兵2個分隊―――10分もかからぬうちに、全滅するだろう。

『輝烈1番より武烈1番! 二又瀬にBETA群、約3500!』

『武烈2番より1番! 筥松の橋の対岸、光線級、15体確認・・・ うわあ!!』

『武烈3番より1番! 2小隊全滅! レーザー照射直撃! BETA群、約3000が動き出した、退避します!!』

『報国2号(戦車隊2号車)です! 突撃級が前進を開始! 阻止出来ないッ・・・』

―――カタストロフは、一気にやって来た。

まるで津波の様に、3方向から1万を超すBETA群が押し寄せる。
スウェイ・キャンセラーを効かせてさえ、機体から伝わる振動は管制ユニットを揺らがせる。

『輝烈3番です! 輝烈、残存4機! ・・・訂正、残存3機! 戦車全滅!』

『義烈隊、残存2機です・・・ 2機・・・ があ!!』

『義烈隊、全滅!』

『武烈12番より1番! 3小隊長機被弾! 残存4機! 全戦闘車輌部隊、全滅! 機械化歩兵、応答無し!』

次々に悲鳴の様な報告が入る。 最早空港方面の部下達は全滅した、直ぐ南の二又瀬の第3大隊―――輝烈隊も、『瑞鶴』3機の残すのみ。
大きく息を吐き出し、周りを見る。 直率する第1大隊、『瑞鶴』で構成する武烈隊も、自分を含め4機しか残っていない。 
残存全兵力、戦術機7機―――BETA群、約1万。

通信回線を、官用一般回線に繋いで相手を呼び出す。

「・・・こちら、斯衛第5聯隊戦闘団長。 柚須駅、応答乞う」

暫くして、相手の姿が網膜スクリーンに映し出された。 福岡県警の警部、もう定年近い年齢に見える。 
と言う事は、現場の叩き上げか。 単眼式網膜投影装置を付けている、疲労の色が濃い。

『県警地域課、迫水警部です。 大佐、こちらでも聞こえます、あの音は・・・』

博多駅から移動した後も、最後まで民間人の避難誘導という責務を全うしようと、危険を顧みずに居残った警察官。
今まさにその命が終わろうとすると言う時に、穏やかに微笑んでいられるのは、どう言う訳だろうか。

「済まぬ、我らが力及ばず、だ。 部下は残存7機―――たった今、6機になった」

『はあ・・・ 国防軍が尻をまくって逃げ出した後、1時間でも時間を稼いでくれたのは大佐、あなた方、斯衛です。
お陰さまで、全員とは言いませんが、数千人を大分県まで送り出す事が出来ました』

それが、どう慰めになろうか。 市の中心部では都合100万人以上の民が、BETAによって殺戮の憂き目にあった。
そして今まさに、残る10万人近い民が、目前に迫った死の恐怖に、慄いていると言うのに。

『これも、人生ってヤツですか・・・ 居残りの市民が出た事は残念です。 ですが、あたしら、神様じゃ無い。
結果は残念ですが、自分の仕事は全うできたと思っていますよ。 奉職以来30余年、最後の最後まで、自分に恥じる事の無い仕事をできた』

彼は己と、残った民の命運をはっきり理解した上で、在りのままの自分を見据えて、そう言っているのだ―――神ならぬ身で、能うる限りを尽くしたと。

「立派なお心構えだ、警部。 失礼だが、心残りは無いのか? 最早、我等は・・・」

『このご時世、人生、半値八掛け、二割引き。 60歳近くまで生きました、女房子供も息災、孫の顔も見る事ができましたしね。
それに、家族は運が良かった。 此処に来る前に、博多から脱出する列車の順番に、乗り込めた様でね・・・』

恐らくこの警部の事だ、家族の為に一切の便宜は、図ったりしなかったのだろう。 そうか、では、幸運を喜ぶべきだ。

『それとですな、これは、誠に身勝手なお願いごとですが・・・ やはり、生きたまま喰い殺されるのは、良い気分じゃない―――お願い出来ますかな?』

「―――心得た」

伊集院大佐はそれだけ言うと、通信回線を軍用回線に切り替え、部下達―――最早、4機に減っていた―――に指示を出した。

「各機、柚須駅周辺に集合。 駅舎を中心に、半径300mの範囲に位置を取れ。 場所は―――今、転送した」

丁度、駅舎を取り囲むように5箇所。 『瑞鶴』が占位する。
片腕を喪った機体、管制ユニットが歪んだ機体、既に突撃砲も長刀も無く、短刀のみを装備した機体。

「各機に告ぐ、良く奮闘した。 最後まで諦めず、この弧軍の中、最後まで民を護る為の戦いを、戦い抜いてくれた」

BETA群が迫ってくる。 もう、時間は無い。

「我等、斯衛、その本分は将軍殿下の御身の警護と、摂家衆の守護。 その場に非ずして死するは、本来無念なれど―――」

部下達の表情を見る―――達観したような笑み、笑み、笑み。

「民の平安を願うは、将軍殿下の御心に沿う故な。 我等、斯衛、ここで民の黄泉路の灯明たらん」

S-11の起爆スイッチ、その保護カバーのロックを解除する。 
起爆シーケンス起動、同時に管制ユニット内に警報音が響き渡る。 網膜スクリーンに起爆警報の文字。

(・・・我が命、我がものに非ず。 だが・・・)

保護カバーを開ける。 赤い起爆ボタンを見つめつつ、ふと思った。

(だが・・・ 彼等も、そして我等もまた、民の一人なのだったな・・・)

人間、死を前にして、本心に嘘はつけないものだ。 
斯衛とて人の子、この防衛戦に、この全滅に、果たして意味は有ったのだろうか? 
自分と、部下達の死に、生きてきた事の終末に、果たして意味は?

「全機―――起爆!」

5発のS-11が、一斉に起爆した。
その内周に含まれていた多くの民間人、そして迫りつつあったBETA群を巻き込んで―――斯衛第5聯隊戦闘団は、最後の一兵に至るまで、全滅した。










0805 玄界灘 博多湾口から5海里 帝国海軍第2艦隊


「衛星情報、受信。 S-11弾頭の起爆を確認しました」

「斯衛第5聯隊戦闘団、応答途絶しました」

艦橋を静寂が包む。 聞こえるのは機関の音と、艦橋を切る海風の音。
全員が、艦隊司令長官を凝視する。 報告の内容は歴然としている。 最早、博多には救うべき何物も存在しない。

「・・・艦隊針路、0-1-5」

「・・・よーそろー、針路、0-1-5 おーもかーじ一杯!」

司令長官の一言の指示で、旗艦艦長が艦の進路変更を指示する―――針路、0-1-5 北北東へ転針せよ。

やがて艦隊は博多湾を背に、来た航路を辿り離れて行った。








0950 大分県 中津 第9師団


「残念だ・・・ ほんの少しの差だった。 だが、それが致命的だった」

師団参謀から状況を聞かされた久賀直人大尉は、無表情のまま、その声を聞いていた。

「君の奥さんの他に、30数人もの仲間が死んだ。 誰のせいでも無い、しかし・・・」

師団参謀はそこで言ったん言葉を切り、久賀大尉の横顔を見た。
普段は活力の溢れる青年士官。 実戦経験の豊富さから、師団の中核将校の一人と期待されている、歴戦の衛士。

だが、それが何だと言うのだ。 彼は今、人として限りない喪失感を味わっているというのに。

「・・・本当に、残念だ」

そう言って、悲痛な表情で久賀大尉の肩を叩いた師団参謀が離れてゆく。


背を向けて、暫く独りで佇んでいた大尉の背が、僅かに震えた。
ややあって、静かな、とても静かな嗚咽が、漏れ始めた。









九州北部、民間人犠牲者数、推定615万余人。 軍損失、戦死2万余、戦傷死1万5000余、戦傷3万5000余。








[20952] 本土防衛戦 西部戦線 6話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2010/10/30 22:26
『帝国本土防衛軍 第1局(作戦局)第3部(情報部)第5課(国内)作成―――本土防衛戦 戦況推移 1998年7月14日』


・1998年7月7日 
0435 佐賀県唐津市 唐津湾防衛線にBETA群、約9000が上陸。 第39師団応戦開始。 0715、第34師団応戦開始。
0505 福岡県福津市南部海岸線にBETA群、約1万2000が上陸。 第33師団応戦開始、後、第12師団応戦開始。
0720 第9師団、福岡県福津市到着、応戦開始。 0735、第21師団、佐賀県唐津市到着、応戦開始。
1130 唐津湾戦線に、海軍第2艦隊第2遊撃部隊、母艦戦術機甲部隊による支援攻撃開始。
1145 博多戦線に、海軍第2艦隊第1遊撃部隊、母艦戦術機甲部隊による支援攻撃開始。
1355 第2艦隊第2遊撃部隊、唐津湾に艦砲射撃開始。
1415 第2艦隊第1遊撃部隊、博多戦線に艦砲射撃開始。
1620 唐津上陸のBETA群9000、殲滅を確認。
1650 博多東方上陸のBETA群1万2000、殲滅を確認。

・1998年7月8日 
0025 福岡県 北九州市にBETA群、約1万上陸開始。
0030 長崎県 北松浦半島にBETA群、約1万上陸開始。
0040 福岡県 糸島半島にBETA群、約1万上陸開始。
0050 佐賀県 唐津湾にBETA群、約1万再上陸開始。
0215 島根県出雲市海岸線にBETA群、約3万8000上陸開始。
0240 西部軍集団司令部 博多=唐津の防衛の放棄を決定。
0245 中部軍集団司令部 デフコン1B発令 指揮下各軍、戦闘出撃開始。
0600 帝国軍統合軍令本部・本土防衛軍総司令部、国内防衛線を九州中南部、四国、岡山=鳥取間に決定。
0655 北九州戦線 BETA群7000、関門海峡を渡る。 BETA群3000、北九州市に残留。
0705 博多戦線 第12師団、福岡県南部=大分県北部へ撤退。
0715 山口県油谷湾 第2艦隊出撃開始。 『捷二号作戦』第3段階発令。
0800 博多戦線 最後まで防衛線に残留していた斯衛第5聯隊戦闘団、全滅。 
0805 第2艦隊、作戦中止。 反転開始。
0830 呉の第1艦隊在泊艦艇、出撃開始。 山口県瀬戸内海沿岸部に艦砲射撃。
1015 松浦戦線 第21師団、第34師団残余、佐世保近辺に撤退。 海軍基地隊と合流。
1035 佐賀戦線 第23師団、第25師団、佐賀平野撤退。 熊本県北部に後退。
1125 大分戦線 第12師団、第9師団と合流。 別府防衛線を構築。

・1998年7月9日~7月13日
九州戦線 
福岡県、佐賀県、長崎県北部、大分県、放棄。 阿蘇山を基点に、中部九州山地防衛線を構築。 天草諸島、長崎南部は保持。
残存戦力、12個師団(書類上) 実質戦力7個師団(他に、佐世保から脱出した海軍混成陸戦隊)
BETA群、熊本方面に1万4000、宮崎方面に1万2000、合計2万6000。 膠着状態が続く。

中国戦線 
山口県、島根県、鳥取県西部を放棄。 広島県西部で防衛戦闘を展開中。 関門海峡より流入したBETA群、1万2000。 出雲方面より約3万7000。 合計4万9000
出雲方面の3万7000の内、約1万3000が南下開始。 現在、広島=岡山県境北部で第7軍団と国連軍(中韓2個旅団)交戦中。
関門海峡からの約1万2000と、出雲からの分派約4000、合計1万6000が西と北から広島方面へ侵攻。 国連軍(米軍第2師団)、帝国軍第2師団防戦中。
出雲方面のBETA群残余約2万、鳥取市西方30km地点。 第9軍団が防衛線構築中。
第10師団、第15師団、第24師団全滅。










1998年7月14日 1730 広島県岩国市 国連軍岩国基地前面 門前川防衛線


『ジャッカル・リード(米第17戦術機甲大隊長機)より、“ヴァンパイア”、“ディーバック”、“タロン”―――ファッキン・ガイズ&ビッチ! 
よく聴け、このボーンヘッド共! 絶対にBETAを対岸には渡すなよ!? お家を喰い尽されたくなければな!』

―――『ウィルコ!』

岩国前面の防衛戦を担当する、国連軍部隊―――米第2戦術機甲師団、第2重旅団戦闘団(HBCT02:Heavy Brigade Combat Team 02)第17戦術機甲大隊。
33機に減じたF-15E≪ストライク・イーグル≫が、防衛線の最南端、国道113号線と188号線の間の陣地で、鋼鉄の壁を作っている。

大隊長の言葉に、一切の誇張は無い。 背後の門前川の向こうは、国連軍岩国基地―――在日国連軍の、西日本での最重要拠点が控えている。
もっとも現在に至っては、その80%以上が放棄されていた。 日本帝国軍と国連極東方面軍の、しこりの残る合意によって数日前に放棄が決定したのだ。
現在部隊は、西日本の最重要拠点―――瀬戸内海の突き当たり、大阪湾に面した堺工業埋立地に隣接基地の設営を急ピッチで進めている。
当初は臨海工業地帯の増設目的で造成された埋め立て地も、主要工業地帯の海外移転のあおりを受け、今は堂々たる広大な空き地になっていた。


≪CPより“ジャッカル”・リーダー! BETA群、約6000、6マイル(約9.6km)南を北上中! 接敵予定時刻、1938! 3分後に師団砲兵が、全力面制圧砲撃開始! 
なお、HBCT01(第1重旅団戦闘団)はポイント・ブラボー(岩徳線高架付近)。 HBCT03は、戦術予備で待機!≫

「ジャップの第2師団は、どうした!?」

≪IJA(日本帝国陸軍)第2師団は、1個旅団がポイント・アルファ(岩国城付近)に布陣完了! 
他に1個旅団がハイウェイ(山陽自動車道)のIC付近に展開! 残る1個旅団は、HBCT03と共に戦略予備です≫

最前面に、日米の4個旅団戦闘団が展開し、その後方に2個旅団戦闘団が予備戦力として待機。

「保って、1日だな。 2個師団・・・ 6個旅団だけだなんて、泣けてくる」

大隊長がそうぼやいた時、後方から重砲とMLRSが一斉に攻撃を開始した。 面制圧―――BETA群が4マイルまで迫っていた。
重砲弾やミサイルが地表に激突して炸裂する前に、遥か後方から上空に向けて伸びた光の帯に絡め取られる―――光線級の迎撃レーザー照射だ。
途端に発生する重金属雲。 それは瞬く間に濃厚な濃度を持った、レーザーを遮る厚い膜として上空に広がった。

何せ米軍の、本気の面制圧砲撃だ。 日本帝国軍や、中韓両国軍の様に戦場備蓄を気にしつつ、ここぞと言う時にAL弾を発射する、などと貧乏くさい事はしない。
端から、全力でAL砲弾・ALMを湯水の如く撃ち込んでいる。 彼らにとっても、戦場での物量こそ正義―――方向性はBETAと同じである。

そんな圧倒的とも見える面制圧砲撃に、大隊各機の衛士達のヴォルテージも自然に上がってくる。

『Suck my dick!(かかってこいよ!)』

『Hey! Don't get hyper about that.(おいおい、そんなのめり込むなよ)』

『Yo man, whassup?(ヨウ、調子はどうだ?)』

『Chuuch!(順調だぜ!)』


やがて、面制圧砲撃の猛火を潜り抜けたBETA群がその姿を現す。 同時に砲撃の最中、攪拌されていたレーダー情報が再表示された。 
その画面を見た米軍衛士から、落胆にも似た声が漏れた―――砲撃前と、殆ど数が変わっていない!

『That's bogus smh!(それってインチキよ!)』

『Holy shit!(なんてこったい!)』

『Damnit!(チクショウ!)』

小型種はある程度削ったのだろうが、大型種の数に至っては余り減っていなかった。
AL弾の比率が高かった為か、そして砲撃時間がまだ短い為か。 BETA群約5000が、土煙と重金属雲の彼方から湧き出してきた。

「ジャッカル・リーダーよりCP、支援砲撃は続行されるのだろうな?」

≪こちらCP。 “ジャッカル”・リーダー、米国は、いざとなればトイレの便器を製造する工場で、砲弾を作れる国よ!
面制圧砲撃は継続! 日本軍の砲兵旅団も、2分後に砲撃を開始! 流れ弾に当らない様にね、アタック・ラインから2マイル以上の進出は不許可!≫

大隊CPである女性大尉の、少々強気がかったセリフに、大隊長も不敵な表情を見せる。 そう、物量こそ、我が常道にして、正義。
心なしか、後方からの支援砲撃の勢いが増してきた気もする。 日本軍の砲兵部隊も、このパーティに参加を表明したのだろう。

目前を、M1A1≪エイブラムス≫戦車が、車間を取って布陣を済ませた。 その向こうには、日本陸軍の主力戦車である90式戦車が、120mm砲をBETA群に指向する。
やがてBETAとの距離が、1マイル半(約2400m)を切った。 途端に、はたく様な甲高い音が無数に響き渡った。
M1A1と90式戦車が、高初速120mm砲弾を一斉に発射したのだ。 約2秒後、先頭を突進してきた突撃級の集団から、数10体が脱落する。 
続けて第2射、そして第3射。 100体以上の突撃級が強固な装甲殻を射貫され、節足部を吹き飛ばされ、骸を晒し、そして横転する。

「ジャッカル・リーダーより戦車隊、下がれ! 次はこっちで、おもてなしする!」

『“ハーケン”リーダーだ。 “ジャッカル”、後は頼む! こっちは第2ラインまで下がる!』

日米の戦車部隊が、後方の射撃ラインまで下がってゆく。 
アウトレンジ攻撃が信条の戦車にとって、BETA群に差し込まれた乱戦は死を意味する。それは、戦術機部隊の役目だった。

「リードより各機! クソッたれの腕っこき共! マンチュリアとコリアでの借りを、たっぷり返してやれ! アタック―――ナウッ!」

米陸軍第2戦術機甲師団―――米太平洋軍の最精鋭にして、大陸と半島から叩き出され、プライドに傷を付けられた部隊。
幾多の戦いで勝者となり、そして敗者となった歴戦の部隊。 彼等は戦場での、自らの粘り強さを知っている―――『Second to None(右に出る者、無し)』として。

最前線に展開した4個旅団戦闘団から、4群の戦術機部隊―――4個戦術機甲大隊が、BETA群に襲いかかった。
米陸軍第2師団のF-15E≪ストライク・イーグル≫が、その大出力にモノを言わせた一撃離脱で、すれ違いざまに火力をBETA群に叩きつける。
94式≪不知火≫を装備した日本帝国第2師団戦術機甲部隊が、小刻みで変幻な機動でBETA群を左右に分け、その真ん中に最後の1隊が突っ込み群れを切り裂いてゆく。
上空には集中豪雨の様な支援砲撃、そしてそれを迎撃するレーザー照射が夕暮の空に乱舞していた。











1998年7月14日 2130 愛媛県 今治市 糸山公園


「ジューファ・リーダーより各中隊! 索敵情報では5分前にBETA群、約5000が大三島から大島に到達した!
あと10数分で対岸に視認できる、警戒を厳にせよ! なお、エンゲージまではROEは“タイト”、宜しい!?」

―――『是! 大姐!』

UFC(統一中華戦線)から派遣された国連軍太平洋方面第11軍所属、第303旅団戦闘団に所属する6個戦術機甲中隊の指揮官達から、了解の応答が入った。
いや、違う、4個中隊分だ。 1個中隊は彼女自身が直率しているし、残り1個中隊の指揮官は微妙な笑みを返してきただけだった。

「・・・文怜? どうかしたかしら?」

2歳年少の僚友の笑みが気になったので、何とはなしに聞いてみた。

『ムーラン・リーダーより、ジューファ・リーダー。 いいえ? ・・・統合指揮、頑張ってね、美鳳。 アウト』

少し茶目っ気に片目でウィンクして、朱文怜大尉が通信を切った。 その言葉に、無意識に溜息が出る。
よりによって―――よりによって、自分が現場総指揮官だなどと。 いくら少佐のバックアップが有るとは言え・・・

(『美鳳、無理に気追い込む必要は無いからね。 後ろから私がバックアップする、何時もの通りに指揮すればいいわ。
ちょっとだけ―――そう、ちょっとだけ、周りに気を向ければ、それで何とかなる。 大丈夫! 私にだって出来た事よ!』)

今や、旅団幕僚に収まって、本人いわく『隠居』してしまった周蘇紅少佐の顔が浮かぶ。
冗談ではないと思う、自分に少佐の様な統率力や指揮能力は・・・ 考えるのは止めよう、実戦を前に、ネガティヴな思考は宜しくない。
改めて戦術MAPを確認する。 網膜スクリーンに投影されたMAPモードを、3Dモードに。 やはり尾道からの流入は、まだ止まっていない。
BETA群の先頭集団は大島に入った約1500。 中段は因島から生口島を蹂躙中だ、約2500。 最後が尾道から向島で約1000。
RKA(韓国陸軍)から派遣された第304旅団戦闘団の6個戦術機甲中隊が、岡山方面から流れて来るBETA群を少しでも阻止しようと、福山付近で激戦中だった。

『ブルーバード・リーダーより、ジューファ・リーダー! 美鳳、聞こえますか!?』

(ッ―――!)

突然、網膜スクリーンに一人の衛士の姿がポップアップした。 全く予期していなかった為、内心の動揺を抑えるのに苦労する。
自分の表情がおかしくは無いか、どうか平静であって欲しいを思いつつ、通信チャンネルを入れた。

「ジューファ・リーダーです。 ブルーバード・リーダー、珠蘭、どうしました?」

相手はRKA所属の国連太平洋方面軍第11軍、第304旅団戦闘団の李珠蘭大尉だった。
彼女の部隊は今、瀬戸内海対岸の福山から尾道にかけての戦域で、BETA群の渡海阻止戦闘中の筈だ。

『美鳳、ごめんなさい、これ以上の突破阻止は不可能! 日本の第7軍団から戦力が北へ引き抜かれてしまって・・・ 
その穴埋めの為に3個中隊、岡山方面の防衛に引き抜かれてしまったわ』

と言う事は、珠蘭達韓国軍は3個中隊だけで、約5000からのBETA群の突破阻止戦闘をしていたと言うのか。
全く焼け石に水だ、それでは―――勿論、それは珠蘭の責任ではない。

「・・・いいえ、ありがとう、珠蘭。 後はこちらが。 貴女は予定通り、そのまま三原から竹原へ抜けて下さい。
大崎の上島から下島はまだ、BETAに荒らされていません。 そこから梶取ノ鼻まで洋上をNOEで合流して下さい」

『判りました。 念の為、光線属種の位置を知りたいのですけれど?』

「ちょっと待って―――大丈夫、生口島よ、まだ。 大三島が遮断してくれるわ、但し高度制限は50m」

『夜間の洋上飛行、それも超低空―――成功すれば、JIN(日本帝国海軍)の母艦戦術機乗りにも、自慢できるわね』

やや引き攣った笑みで、それじゃ、合流するまで頑張って頂戴、そう言って李珠蘭大尉が通信を切った。
視線を目前に移す。 昼間なら緑に囲まれた島々と、それにかかる大橋、そして流れの急な来島海峡が素晴らしい展望を与えてくれる。
だが、今は夜だ。 以前はそれでも、大橋がライトアップされて大変美しい夜景を見る事が出来たと言う。
ちょっと、残念だわ―――趙美鳳大尉は内心、戦場には似つかわしく無い感想を、ほんの少し抱いた。
故郷はもう、BETAの腹の中。 今まで戦ってきた戦場も、荒廃した土地ばかりだった。 豊かな自然は、それだけで贅沢なご褒美なのに・・・
今や、かつて美しかった夜景も、後方から撃ち出される照明弾の光によって、微妙な陰影を作る戦場の光景になってしまった。

目前に、中ほどからポッキリと破壊された大橋が見える。 
尾道側は破壊をする暇も無く、BETAの侵入を許してしまったが、辛うじて大島=今治間の大橋は破壊に成功したのだ。

≪旅団HQより全戦術機甲中隊! BETA共がご来場だぞ、歓迎してやれ! 支援砲撃開始!≫

いつの間にか、HQで戦術機甲部隊のミッション・オペレートをしている(本当は別に担当官が居た筈だ)周蘇紅少佐が、妙に嬉しそうな声で状況を伝えてきた。
同時に旅団の砲兵大隊と、共に展開する日本帝国軍第19師団の砲兵連隊が、203mm、155mm砲弾を一斉に発射し、MLRSを射出する。
夜空に曳行弾とロケット弾の推進炎が光の帯を煌めかせながら飛来して行き、彼方から暗闇を付いてレーザーの光が舞い上がる。

≪HQよりジューファ・リーダー、美鳳。 マリーナ側は日本の第19機甲連隊戦闘団が引き受ける、お前は公園側だけを守れ。
気を抜くな? そこを光線級に取られたら、市内の頭の上が『熱く』なってしまうからな!≫

「了解です、少佐」

≪ああ、それとだ。 日本軍は1個機甲連隊戦闘団と言えど・・・ 残念ながら、F-4J(77式『撃震』)の部隊だ、それに向うも戦術機は1個大隊―――判るな?≫

「・・・既に浄化センター付近に、S-11を設置済みです。 日本軍には内緒ですが」

≪仕方ないさ、気に病むな、そうなっては仕方がない。 我々は滅びゆく祖国でそれを学んだ。 日本人がどう学んでゆくかは知らんが、歴史は類似するものだよ≫

網膜スクリーンに、音紋センサーのアラームが響いた。 そして振動センサーも。 どうやらお出ましの様だ。

「最後の手は、用意してあります。 初手から使う気は、ありませんけれど―――BETA群視認! 戦闘指揮、開始します!」

今回派遣されたUFCの6個戦術機甲中隊―――人民解放軍系の殲撃9型(F/A-92C)が3個中隊と、台湾軍系の経国Ⅰ型(F/A-92T)が3個中隊。
最先任中隊長は、超美鳳大尉。 つまり、そう言う事だ。 私がこの戦場の片翼を担わなければ!
気負うなと言われても、性格はもう直し様がない。 せめて、これまで培ってきた経験をアテにするしか―――

「ジューファ・リーダーより全中隊! BETA群の進路は対岸の大島南端、地蔵鼻から渡海してくる!
馬島への跳躍は禁止! こっちの方が高度を取れるわ! マリーナ側は日本軍が担当する、戦闘境界線は『しまなみ海道』! 
絶対ではないけれど、焦って飛び出し過ぎない様に! いい事!?」

文怜は自分と同じほどに実戦を経験している。 解放軍から派遣されたもう1人の中隊長も、満洲から散々実戦を経験してきた古強者だ。
台湾軍の3人も、対岸の福建省防衛戦で解放軍と協同経験のあるベテランだ。 今更の感がしないでもないが、言ってみればこれは儀式だ。

5人の中隊長達が、スクリーンの先でニヤリと不敵に笑う。 
隣には『戦闘処女』の、日本帝国本土防衛軍部隊。 ここはひとつ、教育してやろうじゃないか―――

(ああ、もう! また向うから嫌味の一つも言われるわ! ・・・文怜、貴女まで!)

難しい夜間戦闘。 都合2個大隊で、約5000のBETA群を相手取る。 本来なら別の緊張と恐怖を抱く場面なのだが・・・

「ジューファ・リーダーより全中隊! 少しは協調性ってものを学習しなさい!―――来たわよ、フォーメーション・ウィング・ダブル! 迎撃開始!」










1998年7月15日 1330 広島県広島市 佐伯区 広島防衛線


戦場には不似合いな光景―――豊かな緑と、広々とした起伏のある芝生が広がる。 そしてそこに多数の攻撃ヘリ。
何の事は無い、攻撃ヘリ部隊が、前線近くの待機場所に丁度都合が良い場所として、ゴルフ場に陣取った話だった。

『ホークアイより“ダカー”、エリアD8Sに中規模のBETA群、約5000、旅団規模だ。 
廿日市市から広工大の方へ抜けるルートだ。 阻止攻撃を要請する、5分で行けるか?』

OH-1≪ニンジャ≫観測ヘリから、BETA群発見と、阻止攻撃要請の報が入った。

「ダカーより“ホークアイ”、承った。 そこは我々のまな板の上だ、捌くのは任せてくれ」

『先頭を突っ走っている連中の甲羅は、えらく固そうらしいがね? まあいい、任せる。 そこからバイパスに乗っかられたら、市内まであっという間だ』


瞬く間に、静かな緑地が騒音にまみれる。
飛行隊長の大尉は、大股の足取りで愛機へと歩み寄った。 そこには、鋼鉄製の危険な猛禽が羽を休め、狩りの時間を待っていた。

AH-1W ≪スーパーコブラ≫ 帝国陸軍が配備を進めてきた、AF-1S≪コブラ≫の発展型。 
AH-64D≪ロングボウ・アパッチ≫を次期主力攻撃ヘリに、と言う話も有るが、現在はこのAH-1シリーズが、帝国陸軍攻撃ヘリ部隊の主力を占めていた。

コクピットに乗り込み、ショルダー・ハーネスを固定する。 コンソール・パネルのメイン電源、オン。
僅かに唸りを上げ、パネルの計器類が一斉にオレンジの光に包まれる。 スターター・スイッチ、オン。
後部のエンジンが金属音を上げ、回転を始めたタービンが膨大な空気を吸い込んで行く。燃料流量計、筒機温度計、回転計―――エンジン系統、正常を確認。
オール・グリーン。 前のガナー・シートに座った砲手からも、準備完了の報告が入った。 ゆっくり、コレクティヴ・スティックを動かす。

「ダカー・リーダーより全機、エリアD8Sで対BETA阻止攻撃。 光線属種は、まだ岩国辺りで迷子になっているらしい。
戦闘高度制限、200m 念には念をだ、それ以上は上がるな。 戦闘巡航(150ノット)以上は出すなよ?」

―――『ラジャ!』

部下達、7機のAH-1W≪スーパーコブラ≫から、一斉に唱和が帰って来た。

「よおし、上がるぞ! アタック・フォーメーション2でいく! “ダカー”、リフト・オフ!」

コレクティヴ・レバーを引く。 同時に両足の間に有るサイクリック・レバーを引いた。 僅かにGがかかり―――≪スーパーコブラ≫が宙に舞い上がった。

高度は高く取れない。 余り取り過ぎると、岩国辺りにいる(筈の)光線級の認識空間に、身を晒す事になってしまう。
高度50m ビルや地上の障害物を回避しつつ、地形をなぞるように飛行する―――地形追従飛行。
コントロール・パネルの機体姿勢を示すフライト・ディレクター、高度計、そして前方の3点を目まぐるしく確認しつつ、250km/hを越す速度で超低空を曲芸飛行する。
やがてバイパス上空を横切り、低い丘陵部を飛び越したその時―――目前にBETA群が広がっていた。 禍々しい、死の色彩。

「リードより各機! タリホー! コンバット・オープン!」

―――『テン・フォー!』

4機1フライトに分かれ、左右に展開を始める。 大尉の直率する4機がまず機首を下げ、ピッチを変えて横転に入った。
急機動で右から左旋回をかけ、ほぼ垂直の角度でバンクした4機のスーパーコブラは、突撃級の集団の後方上空にピタリと占位した。

コクピットの中で大尉はコレクティヴ・レバーを引き、サイクリック・レバーを引き上げる。 攻撃に必要な運動エネルギーを確保する為、高度を100mまで引き上げた。
そのままHUDの照準にピパーが重なる様、慎重に機体を操ってゆく。 やがてピパーがレクチュアルに重なった。 その先には、突撃級BETAが無防備な後ろを晒している。

「ファイア!」

ガナーがトリガーを引いた。
機体の両サイドに取り付けてあった4基16発の95式対BETA用ミサイル。 海軍が開発した95式誘導弾の技術を流用した、新型空対地小型ミサイルが発射された。
『Fire-and-Forget(撃ちっ放し)』能力の為、機体と標的間に遮蔽物が有る射線が形成されていても、全く問題がない。
ミサイルは微妙に飛行経路を変えながら、高速で突撃級の柔らかい後部胴体へと吸い込まれ、その体内で炸裂した。

「1体、撃破!」

米軍使用のAGM-144N・ヘルファイアⅡよりやや小ぶりだが、装甲貫通力は上回る。 
体内にダメージを受けた突撃級が、95式ミサイルを撃ち込まれる度に、次々と停止する。

やがて、4機合計64発の95式ミサイルを撃ちつくした≪スーパーコブラ≫は一度、突撃級の上空をフライパスし、今度は右旋回で後方上空に編隊を持って行った。
フォーメーションを整えながら、300m程の距離で突撃級の集団と合間を取る。 60体以上を片付けたとはいえ、旅団規模。 まだ300体前後の突撃級が残っている。
各機のガナーが、緑色に光るレクチュアルを突撃級の後部胴体に合せる。 トリガーを引いた途端、凄まじい音と震動が襲う。
機首下部のユニバーサル・ターレットに取り付けられた、M197・3砲身20mm機関砲が突撃級に向けて、雄叫びを上げたのだ。
毎分650発の高速で吐き出される20mm砲弾を、30発前後ずつのバースト射撃で突撃級の腹に叩きこむ。

「無駄弾、撃つなよ! 確実に、徹底的に殺れ!」

足元から、痺れる様な震動が断続的に伝わる。 
その振動の先から吐き出される曳光弾の先には、柔らかい胴体をズタズタに引き裂かれ、醜い体液と内臓物をぶち撒いた突撃級が、次々に活動を停止させてゆく。
やがて750発の携行砲弾を撃ち尽した時、更に80体以上の突撃級BETAが屍を晒している様が、上空から見下ろせた。

『ダカー02よりリーダー、ハイドラ(ハイドラ70ロケット弾)は撃ち尽しました。 20mmはアウト・オブ・アンモ』

もう一方の4機を率いていた小隊長機から、通信が入った。
後方の要撃級以下のBETA群に対して、ハイドラ70ロケットランチャーを各機4基。 4機合計で304発のM255E1ハイドラ70ロケット弾をばら撒いた。
これは砲兵部隊以外では、かなり効果的な面制圧攻撃だ。 戦術機部隊の制圧支援機による面制圧力を、遥かに上回る。
胴体面の防御力に比較的優れた要撃級ならば、まだ耐えるかもしれない。 しかし戦車級以下の小型種では、この一斉発射には耐えられない。
その上に、M197の20mm砲弾の豪雨を上空から浴びせられた旅団規模のBETA群は、2000体以上を残骸に変えていた。

「よし、まずはこんな所か。 “ホークアイ”、補給を済ませ次第、再出撃する! 状況はどうだ!?」

『こちらホークアイ。 “ダカー”、お前さんの関心事は、光線級だろう? 安心しろ、まだ岩国を出ちゃいない、もう少し楽しめるぞ』

「それは、それは。 結構な事だ。 よし、“ダカー”、一旦戻るぞ! 高度100!」


ローターの轟音を残しながら、8機のAH-1W≪スーパーコブラ≫の編隊が戦場上空を去って行った。
光線級が確認されない戦場に於いては、BETAとの直接戦闘で最も威力を発揮するのは、航空機―――意外かもしれないが、この情景が事実だった。

“ダカー”飛行隊長は、過ぎ去る戦場の光景を振り返り、無意識に溜息をついていた。
既に戦場は広島市を放棄する所まで来た。 西に目を向ければ、岡山市内が戦場となっている。
昨夜半には、BETAが瀬戸内海を渡海した。 現在は松山市内前面で第12軍団が、国連軍(中韓所属)の2個旅団と共に防衛戦闘を展開中だ。
部隊はこの後、全力で西に向かって撤退を開始する。 岡山でBETA群の相手をしている第7軍団に助力し、兵庫県内まで何とか撤退出来れば。
そうなれば、軍集団主力と合流できる。 第7軍団の北には、強力な打撃力を有する第9軍団が、鳥取市西部でBETA群約2万と睨みあっている。
四国の戦場は、何とか持ち直しそうだと言う。 5000程のBETA群の渡海を許したが、それ以上は侵入しなかった。
現在は国連軍戦力を入れて、約4個師団の戦力で迎撃中―――何とか殲滅出来るだろう。 渡海点の今治市は残骸と化してしまったが。

そこまで思考を進め、そして不意に苦々しい想いに突き当った。 今思い描いた戦場、そこは無人では無いと言う事に。
中国地方に残留していた民間人、その内の未だ脱出できていなかった650万人は、もう救えない。
九州は、北部で500万人以上が犠牲になった。 中部の一部放棄で、その数は150万人程追加されたらしい。
これで西日本だけで1300万人がBETAの腹の中に消えたか、消える予定となってしまった。
ここで更に四国の350万人が加わるのか? いや、それは今のところ大丈夫か―――今のところは、と言う注釈付だが。
政府は近畿・東海の残留民間人の強制避難を実施中だが、捗々しくない。 近畿だけでも未だに2000万人前後が残っている、東海地方を加えれば・・・ 考えたくない。


ローターの轟音が響き渡る。 タービン・エンジンの振動も。 そして現実に戻された。
1300万人―――だが国内には、まだ1億からの国民がBETAの恐怖に怯えているのだ。

(・・・大の為、小を・・・ と言うには、多すぎるがな・・・)

それでも、まだ残っている多数の同胞を、そして祖国を、BETAの猛威から守る事が己が使命だ。
そう、無理やり内心で言い張って、“ダカー”飛行隊長は眼下の惨劇を無視しようとした。 逃げ纏う数百人の民間人が見えたからだった。











1998年7月15日 1840 広島県広島市 広島湾上 練習戦艦『長門』


『第22斉射、開始!』

『後部艦橋に、レーザー直撃! 後部指揮所、応答無し!』

『後部VLS、スタンダードAL-2、残弾20発!』

『前部VLS、スタンダードAL-2、発射!』

『陸軍第2師団、練兵場跡に後退! 国連軍、米軍第2戦術機甲師団は新住吉橋を防衛中!』


既に、広島市の西半分は約9000のBETA群に喰いつかれていた。 
それでなくとも、日米の第2師団は戦力の1/3を北東の向原に差し向けている。 BETA群4000が、北から迫っているのだ。
その中、練習戦艦『長門』は単艦、海上に在って支援砲撃を続けていた。 既に何度か、光線級との交戦で損傷を出している。

「陸軍部隊は、あと10分後に無観測一斉砲撃を敢行。 その後、東広島方面に撤退し福山へ。 第7軍団と合流すると連絡が有りました」

広島と岡山の県境では、山陰から南下してきたBETA群、約1万2000と陸軍第7軍団が交戦中だった。
そして呉に在泊していた艦艇は、台風の影響が収まり次第、次々と出港して行った。 豊予水道は既に大分が放棄された関係上、通過は出来ない。
狭い瀬戸内海を、ノロノロした速度で、いつBETAのレーザー照射を喰らうか緊張しながら(瀬戸内海では、艦艇の戦闘回避行動は不可能だ)脱出して行った。
途中、四国に戻る最中の第50師団が渡り切るのを確認して、西瀬戸自動車道、瀬戸大橋を艦砲で砲撃しながらの脱出行だった。

しかしながら、未だ呉周辺に居残っている艦艇もいる。 主に第3、第4予備役艦籍で、減人員数である為に、満足に航行が出来ない艦艇群だった。
練習戦艦『長門』も、そんな予備役艦艇の1隻だった。 かつては聯合艦隊旗艦を長く務めた栄光の戦艦。 『老後』を、海軍将校の学びの庭で過ごしていた『老嬢』
戦火が広島市に迫ったこの日、在泊艦艇各艦長の同意を得て、不足乗員を各艦からかき集めて、急遽、出撃したのだ―――戦場に向かって。

「他の艦、残りの乗員は?」

「ランチ(連絡艇)で、四国まで脱出しました。 各艦、弾火薬庫に時限信管を満載して、です」

残っているのは、『長門』以外は老齢の小型艦や、雑役艦が殆どだったが、中にはドック入りしていた修理艦艇も2、3隻いた。
それらの艦艇は、BETAの腹の中に入る前に、自らを木っ端微塵にして自沈する。 乗員はその前にランチに分乗して、対岸の四国まで脱出していた。

やがて対岸から、重砲の連続した砲撃音が響き渡った。 いよいよ、陸軍部隊の撤退が開始されるのだ。

「艦長よりホチ(砲術長)、主砲、一斉射撃開始。 目標、市内西部のBETA群」

『ホチより艦長、了解』

4基8門の45口径16インチ砲が、砲塔毎に一斉に陸上を指向する。 砲の仰角を定める為に、砲身がやや上下した。

『射撃指揮所より、上下良し、左右良し―――主砲、撃て!』

8門の主砲から、重量1トンに近い巨砲弾が一斉に発射された。 やがて、目標上空で炸裂し、無数の破片と子弾をばら撒く。
クラスター砲弾とも言うべき、虎の子の九四式通常弾を一斉に砲撃したのだった。
それでも数発は、レーザー照射の直撃によって途中で蒸発されていた。 恐らく重光線級だろう、戦艦主砲弾を、ああも短時間で蒸発させるとは。

『本艦に向け、レーザー照射警報!』

『光菱重工工場跡に、光線級8、重光線級3! 本艦を狙っています!』

『速射砲、発砲開始!』

艦の右舷に設置された127mm単装速射砲が2基、毎分45発の高発射速度で127mm砲弾を光線級、重光線級に向けて撃ち出す。
瞬く間に5、6体の光線級、重光線級が弾け飛んだが、同時に残った個体からのレーザー照射が数本、直撃した。

『右舷電機室、全滅!』

『後部艦橋、倒壊! 第3、第4砲塔使用不能!』

『第3弾火薬庫、庫内温度上昇!』

『機関出力、65%に低下!』

『右舷後部装甲、剥離! 浸水します!』

一瞬の差し違えで、この損害。 やはり水上艦艇にとっては、光線級は脅威だ。
艦長以下、各部署の責任者が次々に指示を飛ばす。

「電路切り替え! 電源供給を切らすな!」

「左舷注水! 第3弾火薬庫放棄、注水開始!」

「ダメコン、急げ!」

その間にも、主砲、VLS、速射砲が休みなく、地上のBETA群に向けて砲弾と対地ミサイルを浴びせかける。
しかし、艦隊での攻撃と違い、戦艦とはいえ1隻だけではどうしても、砲撃密度の面で薄過ぎた。
残った数体の光線級、重光線級から、更に数本のレーザー照射の直撃を受ける。 差し違えで全ての光線級、重光線級を撃破したが、艦体からは爆炎が噴出していた。

『こちら、陸軍第2師団だ! 『長門』、もういい! 退避されたし!』

陸軍部隊から、悲鳴の様な通信が入る。
ただし、それを受け取る『長門』の艦内は、阿鼻叫喚だった。

「速射砲弾火薬庫、誘爆!」

「機関指揮所、応答有りません! 機関科全滅!」

「右舷浸水、6000トンを越しました! 左舷注水量、5800トン! 艦体、沈降開始します!」

「左舷電機室、損傷! 電路、遮断されました!」

「主砲射撃指揮所、レーザー直撃!」

「舵機室、応答無し! 舵機故障!」

「第1砲塔弾火薬庫、庫内温度上昇止まらず! 注水開始します!」

「ダメコンチーム、全滅!」

各所から、断末魔の報告が入ってくる。
既に『長門』は、戦闘力を喪失したに等しい。 機関はほぼ壊滅、舵機の故障で針路の変更も出来ない。 
更には電力供給も、ほぼ途絶えた。 これでは主砲も撃てない、VLSも発射出来ない。
これ以上の交戦は、生き残った乗員を無駄に死なすだけになってしまうだろう。 口惜しいが、ここらが潮時だった。

「・・・航海長、この辺かな?」

「本艦は、持てる全力を出し切りました。 広島の陸軍部隊の撤収も、想定された損害を下回る程度で脱出できると、先程第2師団より感謝の通信が・・・」

「うん、そうか。 ならば、良かった」

艦長の居る場所は、CICでは無かった。 危険だと諌める部下の声をしり目に、戦闘艦橋での指揮を執り続けたのだ。
よくもレーザー照射の直撃を受けなかったものだ。 直撃を受ければ最後、一瞬にして蒸発してしまっただろう。

西の空が、赤々と燃え上っていた。 台風が通過して、大気中の余計な粉塵を洗い流したからだろうか、とても見事な夕焼け空だった。
その赤々とした夕日が、艦橋に照り注いでいる。 その夕日に照らされた艦長の顔を見て、傍らの航海中はふと、それが清冽なまでの返り血の様に、一瞬思えた。

「航海長」

不意に艦長に話しかけられ、航海長はそんな想像を頭の中から追いやった。
改めて艦長を見る。 差し込む夕日に照らされたその顔は、長年海上の武人として鍛えた顔に、穏やかな満足感にも似たものが有った。

「君は生き残りをかき集めて、左舷から脱出しろ。 本艦の艦体が盾になってくれるだろう。
副長も、砲術長も機関長もやられた、生き残りの先任は君だ。 ただし、急げよ。 BETA共が海に飛び込んで来たら、それ程時間は無い」

「艦長・・・」

「まずは、江田島まで行け。 そこからなら、島伝いに四国まで苦労はせんだろう。 兵学校は既にもぬけの殻だろうが、カッター位は残っていよう」

「艦長・・・!」

「・・・定年間近で、ようやく満足のいく戦が出来た、私は満足だ。 惜しむらくは、この老兵の我儘に、多くの部下を付き合わせ、死なせた事だ」

「・・・」

「靖国で、頭を下げて来るよ。 それと、感謝もな」

「・・・全員、自ら望んで、この戦いに身を投じました。 艦長の指揮下で、戦って、満足に死んでいったに違いありません」

それだけ言うと、艦長は少しだけはにかむ様に微笑んだ。 航海長が敬礼する。
それを受けて艦長も答礼する。 お互いの敬礼と答礼を済ませ、航海長が辛うじて生き残っている艦内放送で、生き残り総員に指示を出した。

「―――総員、退避。 繰り返す、総員、退避。 左舷より離艦せよ」

すでに『長門』の行き足―――推進力は止まっていた。 心なしか、右舷側に傾き始めている。

「では、艦長―――」

想いが万感過ぎて、言葉が出ない。

「うん―――諸官の、今後の武運長久を祈る」


そして航海長は艦橋を出た。 彼には未だ、為すべき仕事が有るのだ。





数隻のランチ、それにカッターに兵員を満載して、『長門』の左舷から生き残った将兵が脱出してゆく。
後ろを振り返ると、広島市内から赤々とした炎や、真っ黒な爆炎がわき上がっている。 時折、大きな爆発音がする。 都市ガスに誘爆したのか。

その手前には、ちっぽけな存在である脱出艇を、身をもって守るかのように『長門』が停止していた。
右舷への傾きは、益々酷くなっている。 電力が停止し、流入する海水に対してトリムバランスを取る為の、左舷への注水が出来ないからだ。

「急げ! 急げ!」

艇指揮の中尉や少尉達が、下士官兵たちに声を枯らして叫び続けている。 オールを握る兵達が、顔を真っ赤にして漕ぎ続ける。
もし、『長門』が横転すれば、彼らとても巻き添えを食うかもしれない。 少しでも離れる必要が有った。

ようやく、似島の沖に達した。 右手彼方に宮島、そして左手前方に、懐かしい江田島が見えた。 その時―――





艦橋に一人残った艦長は、さてどうしようか、と、不意に思案に暮れた。
昔ならば、舵輪にホーサー(綱)で体を巻きつけ、艦と共に沈む―――だが、昨今の艦艇はデジタル化されている。
取りあえず、艦長席に座り、下半身をホーサーで椅子に括りつけた。 念の為、長年使っている愛銃を取り出す。
如何に覚悟を決めたとはいえ、BETAに喰い殺されるのは頂けない。

艦橋から眺める景色は、美しかった。 夕日が照りつける赤焼けの山々、市街は真っ赤に照らされ、海面は夕日を反射して輝いていた。
最早BETAなど、どうでもよい。 1秒でも長く、この景色を脳裏に焼き付けたかった。 故国の夕焼け空、美しいこの景色を。

不意に、無意識に、懐かしい歌を口ずさんでいた。

「・・・夕焼け、小焼けの、赤とんぼ。 負われて、みたのは、いつの日か・・・」

そう言えば、故郷の街も、いずれは廃墟と化すのだろうか。
海軍一家に生まれ、軍港所在地を転々として過ごした子供時代。

「山の畑の、桑の実を。 小かごに、摘んだは、まぼろしか・・・」

祖父母の元に遊びに行った、あの山々。 友と遊んだ、あの海辺。

「十五で姉やは、嫁に行き。 お里の便りも、絶え果てた・・・」

家族は無事だ。 疎開した。 親族の幾人かは、連絡がつかない。

「夕焼け、小焼けの、赤とんぼ。 とまっているよ、竿の先・・・」

―――視界が、急転した。







突然、轟音が発生した。 そして暫くして、大きな波長の波が押し寄せてきた。
小さなランチやカッターが、上下左右に振られる。 全員判っていた、北の方角、その海面上に黒々としたキノコ雲が、聳え立っている様を見たのだ。

「長門が・・・ 横転したのだ。 弾火薬庫が、誘爆した・・・」

誰かが、掠れた声で呟いた。
赤い夕焼け空に、高々と爆炎のキノコ雲が舞い上がっていた。







『Indomitable Battleship “NAGATO” sinks―――July 15,1998』(米第2戦術機甲師団 戦闘詳報)





[20952] 本土防衛戦 京都防衛前哨戦 1話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2010/11/08 23:24
―――『有朋自遠方来 不亦楽乎(朋有り遠方より来る また楽しからずや)』(孔子)




1998年7月18日 1430 兵庫県須磨区 須磨寺 第18師団


初夏の海風が、海岸から山裾を通って心地良く吹き上げる。 
南に向かって眼前から左を向けば、陽光を湛えた大阪湾―――古来より『茅渟(チヌ)の海』と呼ばれた、産豊かな海が広がる。
そして僅かに右、西に目を向けると緑豊かな淡路島。 『古事記』、『日本書紀』で伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)が産んだ、最初の『くに』を見渡せる。
そしてこの地は、古来より畿内と山陽道、そして淡路を経て四国に至る分岐であり、合流であり、多くの文物・人々が行き交ってきた―――今も変わらない。

2日前、第7軍団の3個師団(第5、第20、第27師団)と、第2軍団唯一の生き残りである第2師団が通過して行った。
俺の所属である第18師団自身、3日前に兵庫北部からこの南部に移動してきたばかりだ。が、結局まともなBETAとの交戦は無かった。
だが我々と異なり、西部に展開していた部隊はかなりの損害を出しつつ、ここまで撤退してきたのだ。

その中に見知った顔を見つければ、思わず安堵する。 それが、もう残り半数近くまで減ってしまった同期生ならば、尚更だ。

―――『おう、周防。 やられちまったよ・・・』

―――『久しいな、元気だったか?』

―――『・・・あいつもやられたよ。 それに、ほら、あいつと、あいつも』

―――『なぁに、こんな傷。 直ぐに直してやるさ。 それまでは周防、戦場を頼むぞ!』

―――『周防! 今はまさに国難! だがこれからだ! 大いにやってやろうぜ!』

―――『夫が戦死したわ・・・ 周防、貴方、結婚は? ああ、まだだったわね・・・』

―――『畜生、悔しいなぁ、こればっかりは・・・ まだ、助けを求める子供達の声が、耳を離れないぜ・・・』


国連軍から帝国軍に復帰して以来、途中の教育期間を除けば、大陸に半島にと、相変わらず前線を往来する日々だった。
同じ第9軍団の僚隊、第14師団や第29師団とは、何かと行き来も有り、長年の僚友や同期生達と顔を合わす事も多い。
そして畿内防衛の任に就いて以来、第1軍団配備になっている同期生達と、久方ぶりの再会を持てた事は嬉しかった。
だが、その他の軍管区に配属されている同期生達とは、久しく会っていない。 中には訓練校卒業以来、顔を見ていない同期生達も居た。
そんな同期生の近況を、混乱と敗色の色が濃い戦況の中で、訃報として―――戦死したと聞く。 正直、モチベーションが下がり気味なのは自覚している。


「帝国陸軍衛士訓練校、第18期A卒、卒業368名。 戦死182名、残存186名。 戦死率49.5%・・・ 卒業してから6年で、半数が逝っちまったな」

横で圭介―――長門圭介大尉が、神妙な表情で呟く。 その言葉に俺も内心で、神妙に頷いていた。
同師団ではない、14師団のこいつがどうして俺と一緒に居るのかと言うと・・・ 何の事はない、師団防衛戦区が隣接していて、今日は連絡将校としての用事が有ったから。
―――だけとは、俺は思っていない。 俺に会いに来る前に、ちゃっかり愛姫の所に顔を出していやがった。
連れだってやってきた、海の近くの小高い公園。 晴天の瀬戸内、程良い陽気、心地良い海風―――いずれ、血と硝煙に汚される。

そして再び、同期生の事に想いを馳せる。 未だ10代半ば過ぎの少年少女の頃に、志願して入校し、そして寝食を共にし、共に学び、共に訓練に励み・・・ 時には衝突もした。
だが、多感な10代後半の一時期の時間を、共有し合った同期生達だ。 思い入れは強く、時に親兄弟より深い絆が有ったとも言える。
その彼等が、もう半数がこの世に居ない。 もう、あの笑顔を、あの声を聞く事は適わないと言うのだ。 ふと思う、あの若い顔、顔、顔は、何処へ行ったのかと。

「・・・戦争だからな」

「ああ、そうだ、戦争だ。 俺達の商売だからな・・・」

俺の呟きに、圭介も達観の中に悲哀を込めた声色で呟いた。 多分、俺の声色も同じだっただろう。
手元に数通の手紙が有る、負傷した同期生から託されたモノだ。 中には封が破れ、血糊が付いたものさえある。
死に瀕した同期生達が、運よく死の間際に会えた他の同期生に託し、またそいつが死に際して他の同期生に託し・・・
西部方面戦線で死んで行った同期生達が、その想いを綴った遺書。 そして、何としても伝えたかった相手に、送りたかった想い。

『―――生前の恩顧を謝して、御挨拶に代えさせて頂きます。 御両親様、姉上様、妹達、宜しく御取計らい下さい。 残す妻子の事、宜しくお願い申し上げます・・・』

『国に報いる誓いを為す光栄を得るは、生を帝国に受けたる身に言を問わず。 
しかれど父母哺育の恩、兄姉庇護の情、恩師指導の鴻恩、先輩同僚鞭撻の好意に寄る所、明らか也。
不肖、恩情に報いるに道は唯一つ、帝国非常の今こそ一身を以って、帝国飛躍の一礎石たらんとす・・・』

『お母様へ。 娘が先立つ不孝、お許し下さい。 
弟達へ。 お母様を、宜しくお願いします。 
亡きお父様へ。 僅か数年でお父様の元に向かう娘の不孝、申し訳ございません。
私は、私は、皆様方に愛され、皆様方を愛し、幸せに生きてまいりました。 そして死の瞬間、その幸せを想い出す事とします。
―――私のバイオリンは、どうか処分しないで下さい。 そして・・・ たまの時で良いです、少しだけ、弾いてあげて下さい』

『・・・戦場に立つ身、生死は無きものと覚悟致候も、決して無為に終る事無きを確信致候間、御安心下され度候・・・』

『前線は、予想以上に厳しいものとなりましょうが、上官・同僚・部下、一体となって和気藹々、気分は清涼にして士気横溢です。
XX(姪)も大きくなった事でしょう、○○(甥)はもう、歩き出しましたか? 暑くなってまいりました、幼い甥姪達の事が気にかかります。
暑気益々厳しくなる折、御身御大切に。
隣家の□□さん(幼馴染の女性)に・・・ 幸せを願っていると。 そう、お伝え下さい。
照和63年7月1日     敬具
兄上様            雅彦
姉上様』

『―――亡き友を想いて
後々は いくさの庭に 散らす身は 君の仇討ち 地下に報ぜん。
―――故郷を想いて
雨蛙 鳴けるを聞きて ふるさとの いたく偲ばれ 耳そばだてる。
―――母上へ
ふるさとの さなかに立ちて 田植えする 老いたる母の 濡れじとぞ祈る。
照和63年7月9日     出撃10分前に詠む』

『○○(娘)へ。 お元気ですか? お父様はいたって元気、大いに頑張っています。 
この間、○○に会えた時は、お前はお父様の腕の中でぐっすり眠っていましたよ、抱っこしてあげたら、良く笑っていましたね。
(中略)
お前がこの手紙を読んでいる時、お父様は既にこの世にはおりません。 ですが、お父様はそれを悲しくは思いません。
どうして? お前はそう聞くでしょう! 考えて下さい、お前がこの手紙を読むと言う事は・・・ お父様は戦って、お前を守り、成長する時間を与えられたのですから!
(中略)
父親が居ないと、卑屈になってはいけませんよ。 お祖母様も、△△の叔母様(手紙主の妹)も、お前がお父様にそっくりと言っておられました。
ですから、お父様は何時でもお前の中で生きているのですよ。 それでももし、お前がお父様に会いたいと思ったのならば―――靖国に来なさい。
靖国で、強く想いなさい。 そうすれば必ず、お父様はお前の元に参る事でしょう。
辛い事は多々あると思いますが、お母様に孝行をして、素直に、真っすぐに育って下さい。
お前は幸せな女の子です、お前の周りには、お前の幸せを願う人達に溢れているのですから・・・
照和63年7月2日  
○○へ        父より』


俺も圭介も、何通かを渡された。 渡した奴は、昼前に野戦病院で息を引き取った。
今は国内全てが混乱している。 郵便網など、麻痺しているのも同然だ。 手堅いのは、こうやって手渡しで受け継いでいく事だけ・・・

初夏の陽光、心地良い潮風。 そして野郎が2人、黄昏ている―――絵にならないな、全く。
圭介がポケットから煙草を取り出し、俺にも1本勧める。 それを手にして・・・ ああ、何人かの同期は、子供が生まれたから禁煙した奴等も居たっけな・・・
オイルライターを取り出し、火をつける。 ゆっくりと一息吸い込んで、ゆっくり紫煙を吐き出し―――西の方角には、煙が上がっていた。

「・・・姫路か?」

「多分な。 既に加古川辺りでも、確認されたらしい」

3日前の7月15日、広島が陥落した。 
同時に岡山との県境で防衛戦闘を展開していた第7軍団も撤退を開始し、第2軍団の生き残りと共に兵庫県内に辛うじて撤退してきたのが先日の17日。
それを追う様にBETA群も移動速度を速め、16日には岡山市内にBETAが突入、17日には兵庫県内に侵入してきた。
そして昨日夜から今日の朝方にかけ、赤穂市、相生市、姫路市と言った兵庫県南部諸都市に、BETA群が次々に侵攻を始めたのだ。
その数、約4万4000。 その他にも、H20・鉄原ハイヴ周辺に集まっていた最後のBETA群、約5万の移動が確認されている。

「次、来ると思うか?」

「来るな、間違いなく」

現在の防衛線は、俺達のいる神戸市西部の須磨を基点に、北は三田、篠山を北上し、京都の福知山に抜ける。 福知山から北へ宮津へ抜け、丹後半島に至る再編第1次防衛ライン。
そして須磨の対岸に位置する淡路島を通って四国に入り、讃岐山脈を東西に貫き、香川と愛媛の県境で四国山地に合流する、四国山岳防衛線。
九州は随分と後退した。 今は阿蘇山を基点に、東は宮崎県北部防衛線、西は少し下って熊本県中部から宇土半島に抜ける。 熊本市内は陥落した。
長崎は松浦半島への上陸を許しはしたが、その後、BETA群の大半は佐賀平野へ流れて言った為、今は陸海軍残存部隊が佐世保付近に集結し、防衛線を張っている。
現在の所、対岸の佐賀や熊本のBETA群は、有明海や島原湾を渡海する動きは見せていない。

BETA群は九州西部に約1万4000と、西部に1万2000。 西部軍集団の生き残り戦力が、ざっと8個師団前後。 無理に攻勢をかけなければ、持久出来る状況だった。

「それなのに、俺達の前面にはBETAの団体様が4万4000。 俺達第9軍団は、たったの3個師団。 上はどうする気だろうな?」

「三田と篠山に第7軍団が陣取っている、3個師団。 
それに国連軍―――米軍第25師団も、俺達に合流した。 米軍の第2師団と第6空中騎兵旅団も三田だ。
いざとなれば、数時間で北から側面を突ける」

「・・・第2師団のあいつが言っていただろう? 広島方面の戦いで、米軍も結構損害を出した。
御得意の大規模砲撃戦じゃ無く、突っ込まれてからの近接戦闘を強いられた。 上層部同士で綱引きの結果だそうだが・・・ 米軍の連中の視線、冷たかった事!」

圭介が、共通の同期の友人の名を出して、そいつから聞いた西部戦線でのしこりの事を言っている。
漏れ聞くところによると、米国は戦術核の使用を求めたらしい。 これに対して帝国は断固拒否。 
結局、西日本に大規模なBETA群を迎え、米軍としては本意ではない戦闘を強いられた。
岡山から兵庫西部を経由し、先日通過して行った米軍第2師団の連中から、冷たい視線と罵声を聞かされたものだ。
余りのスラングに、他の連中は意味が判らなかったようだが―――N.Yの下町当りじゃ、よく耳にした下品なスラングだ。 経験も善し悪しだと思った。

「篠山と言えば・・・ 昨日、美鳳と文怜に会った。 珠蘭にもな」

圭介の言葉に、懐かしさがこみ上げた。 そう長く会っていない訳ではないが、それでも戦場で安否を確認出来たからだろうか。
中国軍の趙美鳳大尉に、朱文怜大尉。 そして韓国軍の李珠蘭大尉。 彼女達は本国軍から抽出され、極東国連軍に派遣されて帝国本土防衛戦を戦っている。
美鳳と文怜にとっては、2度目の国連軍出向だ。 もっとも部隊は母国軍で編成されている。前回の様な、完全な混成された国連軍固有部隊では無い。
圭介の第14師団は、俺の第18師団の北に隣接するから、途中で14師団戦区を通過して北上したのだろうか。

「ああ、あの3人か。 無事だったんだな、良かった・・・ 何か、言っていたか?」

「取り立てては。 今更、戦場に怯えるタマでも無いし。 時間も短かったから、お互い近況なんかをな」

短くなった煙草の先を見つめながら、圭介がぼそりと話す。
彼女達も、内情は大変の様だ。 美鳳と文怜は台湾に撤退したが、どうにも居心地が良く無いらしい。
USC(統一中華戦線)と言っても、彼女達、解放軍系は言わば居候だしな。 台湾軍とは微妙にズレが有ると言う。
珠蘭の韓国軍残存部隊は、半島撤退後は6割がマリアナ諸島に移動した。 残る2割は大東亜連合の援軍として東南アジアに転戦し、2割が帝国本土に残留している。
いずれも居候だ、そしていずれも最前線を任される。 亡国の軍の悲哀とは言え、彼等の消耗ぶりを見るのは痛ましい。


潮風に乗って、微かに土を踏みしめる音が聞こえた。 数人、近づいて来る。

「―――圭介、直衛」

愛姫だった。 それに緋色、永野と古村。 14師団、18師団に所属する同期生達。 他に2人いる、大友に国枝。 29師団(第9軍団)所属の同期生。

「手紙は、軍団司令部で預かって貰う事になった。 ほら、あいつ。 95年に負傷して、今は通信に転科した。 あいつが預かってくれる」

大友―――大友祐二大尉が、負傷して衛士資格を失い、今は通信将校となっている同期生の名を上げた。
そうか、確か今は軍団司令部付きの通信大隊に居たな。 後方支援部署なら、最前線部隊の俺達より生き残る確率は高いだろう。
もう一人の国枝宇一大尉が、公園から下を見渡し溜息をついてから振り返り、俺達同期生達に言う。

「・・・見ろよ、この光景を。 まさか、本土でお目にかかる事になるとはなぁ」

国枝の示す先には、長い、長い列が出来ていた。 
鉄道網は既にパンク状態、道路網も渋滞で動かない。 国鉄の幹線路と、主要な道路は軍が押さえている。 しかし、避難民の流れは終わらない。
国枝も大友も、長く大陸で戦った経験を持つ大陸派遣軍出身組だ。 何度も見慣れた光景だが、それでも本国で見る事はまた違う。

「大体が、つい数日前に慌てて近畿・東海・北陸に対して戒厳令が敷かれて、全面避難命令がようやく出されたていらくだ」 

「岡山、そして四国からの避難民も、続々と畿内に集まっているわ。 だと言うのに避難人口は、流入人口を下回っている・・・」

圭介と永野も、溜息をつきながら見降ろしている。

中国地方各県では、岡山県以外の県で全県民の75%が犠牲になった。 BETAの渡海侵攻を受けた四国の2県、愛媛と香川も50%から70%の民間人被害を出したと言う。
四国から200万人が、中国地方から命からがら100万人が、続々と畿内に流れ込んでいるのだ。
それだけでは無い、近畿だけでも未だ2000万人からが避難待ちをしている。 中部・東海地方で1200万人、北陸に280万人が、未だ残っていたのだ。

「・・・心配なのはさ、今日明日にもBETAが動き出そうかって、今の状況だよ。 下手したら、また数百万人単位で民間人を切り捨てる無様だよ・・・」

「九州だけじゃないわね、広島、岡山・・・ 中国地方全域もそうだし、四国じゃ松山と高松、それに直ぐ先の姫路も・・・」

「北九州や広島・山口じゃ、BETAに喰い付かれた数万の民間人ごと、砲撃で吹き飛ばしたらしいな」

愛姫、古村、大友も、うんざりした口調だった。 ここに居る8人、大陸派遣軍で長く戦ってきた連中だ。 過去にそんな光景は何度も見たし、経験もした。
今更、戦う自分の手が綺麗だなどと、世迷い事を言う連中じゃないが、それでもああ言った事態は出来れば勘弁したい―――大尉風情じゃ、根本の解決なんか出来やしないのだ。

「大体が、政府の対応が後手過ぎる。 半島陥落から一体、何カ月経っていると思っている?」

「―――当初、国防省が出したBETA上陸予想は、来年だった」

憤慨する国枝に、圭介が淡々と応える。 その口調が気に障ったか、やや嘲笑加減に国枝が切り返した。

「はっ! 来年! そう、来年だ、立った1年しか無い、そう言っていた!―――BETA上陸前の調子で、1年で一体どれだけの国民が疎開できた? 推定で800万人だ」

「・・・西日本の残留人口、約4000万人。 いずれにしろ、3200万人はBETAの直接脅威に晒された訳だ」

国枝の声に、大友も半ば同調する。 余り良い雰囲気じゃないな。
国枝も大友も、派閥と言う派閥に属している訳じゃないが、日頃の言動は統帥派に近いものがある。

「・・・全面戒厳令が出されていれば、強制執行で避難さす事は出来たわね。 議会の一部が強硬に反対した事と、城内省からもかなり横槍が入ったと聞くわ」

「あら、珍しい・・・ 優等生の永野の口から、そんなセリフを聞くとは、ね・・・?」

「茶化しているの? 古村? 私はひとつの可能性を言ったまでよ。 議会の反対勢力も、横槍を入れた城内省―――元枢府もね、代案さえ出さずに反対ばかり。
国民の権利を守る? 大いに結構! 民に犠牲を強いる事は慙愧に堪えぬ? 慈悲深い事で、涙が出ますわ!―――口ばっかりじゃね・・・」

こっちもこっちで、日頃は仲の良い永野と古村までが・・・

「はあ・・・ ちょっと、止めなよ、みんな・・・ アタシらは軍人で! 軍人は国家の番犬で! 国民の牧羊犬で!
どっかの口の悪い連中から、『狗』呼ばわりされても、その事だけは捨てたつもり、無いでしょう!? ここで政治議論しても、始まらないって!」

ついに愛姫がキレ始めた。
永野と古村が、ちょっと気拙そうに首をすぼめ、大友と国枝が、バツが悪そうに頭を掻いている。
圭介は―――横を向いて、シレっとしてやがった。 愛姫に睨まれて、片目つぶって謝っていたが。

何だか、言いたい事の大半を他の連中が一気呵成に行ってくれたお陰で、何となく話に割り込む隙が無くなったじゃないか。
みんな、内心で苛立っているんだ。 色々な問題山積みの現状だが、本当に同胞込みでBETAに対して『射撃命令』を出さねばならない場面は、確実にくる。
長年の実戦経験がそう言っている。 このまま避難民が無傷で脱出する時間を、現状の防衛戦力だけで作り出す事は不可能だ。 何処かを切り捨てない事には・・・


避難民の行列を見ながら、ぼんやりとそんな事を思っていた。
疲れ果て、BETAの恐怖に怯え、着の身着のままで避難してきた人々。 しかしその避難する先にさえ、彼等の安住の場はない。
これからも、彼等にとって苦難の避難行きは続く。 果たして今の日本に、安住の地が有るのか甚だ疑問だが。

「それより、部下の士気が心配よ・・・」

古村が眼下の避難民の行列を見ながら、溜息をつく。 言っている事は判る。 これまでに西日本全域で、推定でも1300万人が犠牲となった。
そしてその地域に住んでいた民間人の49.8%が犠牲になったのだ。 実に、2人に1人が。当然、軍人にも西日本出身者は居る。
俺の中隊の部下の中にも、家族を戦火の中に喪った連中がいる。 第3小隊長の四宮杏子中尉が岡山県、同小隊の鳴海大輔少尉が山口県の出身。
他には第1小隊2番機で、中隊副官の瀬間静中尉が鳥取県、第2小隊の河内武徳少尉が広島県―――岡山県は50%を犠牲にし、他の3県は75%の犠牲を出した。
心配の種は尽きない。 表向き平静を保って軍務に就いているが、鳥取の瀬間、広島の河内、山口の鳴海の家族は音信が途絶えた。 岡山の四宮の家族も未だ行方が知れない。

「・・・ここに居る8人は皆、実家や家族は、近畿以東ね」

「何とか言ってやりたいが、何とも言えん・・・」

永野と大友が溜息をつく。 指揮官の手前、彼等に特別な配慮はしてやれない。 しかしやはり指揮官として、部下の心情は痛いほど伝わる。
内心を押し殺し、必死に、健気に軍務に精勤する部下達を見るのが辛い。 しかし眼を反らす事は出来ない、指揮官としてしてはならない。

「暫く、様子を見てやる事ぐらいしか出来ないな。 何か変化があったら、それとなく個人的に接してやる位しか・・・」

「言い方は悪いが、他人の心中までは判らん。 指揮官とて、神様でも仏様でも無い、察してやること位までだ」

「部下が、必死で内心を押し殺して任務に就いているのだ。 上官が惑わす様な事は出来ぬ」

「頭、痛いよね、ホントに・・・ まさか自分にこんな出番が回ってくるとは、思ってみなかったよ・・・」

圭介、国枝、緋色、愛姫が口々に溜息をつきながら呟く。
こうして愚痴を言い合えるのも、同期生だからこそだ。 先任や後任の同僚はおろか、ましてや部下の前では、こんな態度すら見せられない。
ましてや、大義がどうの、名誉や忠節がどうのと、そんな世迷い言で言いくるめようなんて、したくも無い。

大義の為に、私事を殺せ―――国粋派連中が、良くがなりたてるお題目だが、ああ言った連中に限って口と行動が一致しちゃいない。
大体が、親しい間柄や身内・親族がBETAに喰い殺されて、そのセリフを叩けるのか、そう言いたい。
無論、俺達は正規軍人であり、士官だ。 私事を優先する事は許されないし、してはならない。
だが、それは己の内に秘めておくべきものであって、声高に口に出すものじゃない筈だ。 そして如何に軍人とて、生身の人間だと言う事だ。
お題目を声高に叫びたてる連中、それを強制しようとする連中、力を使ってまで己に酔う連中、俺はそんな連中は全く信用しない。


「にしても、今回は俺達軍人ばかりじゃ無い、寧ろ自治体や政府の避難計画担当者の方が、大戦(おおいくさ)じゃないか?」

ちょっと行き詰った空気を変えようと、圭介が無理して話題を変えようとする。 かなり無理な話題の変更のし方だが、皆は内心でホッとしていた。

「大阪府の防災室にな、知り合いがいるんだ」

折角、圭介の無理な(?)話題変更に感謝しつつ、ある事を思い出した。
そして先月ばったり出会った、昔の知り合いの事を思い出した。

「姉の古い知り合いでな、府の防災室で室長補佐をやっている人だが・・・」

いや、『元室長補佐』か。 あの人も召集令状が届いたと言う。 姉の縁で良くして貰ったし、関西に来てからも時々会っていた。
その時話してくれた事だが、関西の広域避難計画委員会の席上で、彼女は軍とかなり派手にやり合ったらしい。 いや、コテンパンにやりこめた、と言った方が良いか。
昔から女傑風で、それでいて何処か飄々として、動じず、揺るがず。 あの人が相手じゃ、話に聞いた参謀大尉もやり難かっただろうな。

一通り話す頃には、他の連中もニヤニヤしていた。 内心じゃ、司令部に収まった参謀大尉(エリート連中だ)より、その府防災室長補佐殿に拍手を送りたい心境だ。
前線に身を置く者としては、後方の司令部、それも上級司令部になる程に、『前線を見に来い!』と、何度言いたくなった事か。

「にしても、良い度胸だな、その室長補佐殿。 その席上にゃ、斯衛のお姫様も居たのだろう?」

国枝がひとしきり笑った後に、呆れたようにそう言う。
陸軍内にも、斯衛に対し微妙に距離を感じる者も多いが、地方自治体や民間では未だに『殿様、お姫様』な感覚が残っている。
ましてや、大阪府は帝都のお隣。 一見、武家に対する反発や、政府に対する反発は少なそうに思えるが・・・
そこは古くからの商人の街だ、『実益の無い権威』など、商売の種になりもしないと、結構反骨精神が根強い―――木伏さんを見れば、判り易いな。

「まあ、あの人は特別印だしな。 それに、元々は結構な家格の武家の出身だ、分家筋だそうだけどな」

「武家出身? それで、自治体の室長補佐?」

古村が怪訝そうに言う。 永野に愛姫もちょっと訝しげだ。 そうだろうな、あの人の家の本家は、赤を許された武家だった筈。
そこの分家筋ともなれば、普通は城内省の高級官僚、もしくは斯衛士官、その辺が妥当な線だろう。

「ちょっと待て、周防。 武家出身で、大阪府の地方公務員など・・・ 私は聞いた試しがないぞ?」

緋色が疑問を口にする。 流石は山吹の家格の武家の出だ、その辺はよく知っていると見える。
武家社会は狭い。 大抵の家は、本家・分家を問わず、誰それが、どこの役に就いているとか、その辺は大抵知っているらしい。
一般的な武家社会とは一線を画している緋色でさえ、実家の情報は把握しているようだ。
その彼女が『知らない』となると・・・ あの人、実家と絶縁したってのは、本当らしいな。

「普通の市民の男性と結婚して、家を飛び出し立って聞いた。 今も結婚後の姓を名乗っているし・・・」

「結婚前の姓は? 何処の家だ?」

緋色が喰いついてきた、なんだかんだで、この手の話には関心を捨てきれない様だな。
別に隠す事でも無いので、あの人の結婚前の姓を告げた。 緋色は酷く驚いていた、随分な名門一族らしい。

「で、普通の、名も無い市民の男性と恋をして・・・ 武家の実家と絶縁してまで、結婚を!?」

「やるわね・・・」

「むむむ・・・」

永野で、古村で、愛姫だ。 
なんだかんだと、女はこの手の話題に喰いつくね?

「いや、そこまで想われると、男冥利ってヤツか?」

「貴様に、そんな甲斐性は無かろう?」

「貴様も、だろう?」

国枝に、大友に、圭介だ。
いやはや、武家のお姫様に、実家と絶縁してまで慕われるとはね。 
でも、ちょーっと、重いかね? そう言うのは―――俺は、彼女が一番だ。

「まさか、そんな・・・ でも、この数年、顔も見ないし話も聞かなかった。 彼女が、そんな・・・ いや、在り得るかも・・・」

緋色が混乱している。 実際に知っているのだろう、あの人を。

何時の間にやら、話が変な方向に逸れて行ったけれど、これはこれで良しとするか。
それにあの人も良く言っていたな、『悲しみに効く薬は、時間薬だよ、直坊!』―――御主人が戦死された後、見舞った時にそう言って無視して笑っていた彼女。
今頃は、府民の避難計画を最後まで見届けられず、不本意な心地で軍務に就いているのだろうか? いや、多分それも割り切っているのかもしれないな。


風が少し冷たくなってきた。 もう1500時だ、何だかんだで30分程も経っていた。 いい加減、サボるのも拙い。

「そろそろ、仕事に戻るか。 中隊長が雁首揃えて8人も。 流石に拙いぞ?」

「お互い、先任や副官がしっかりしてくれているから」

「それは長門、貴様に限ってだ。 貴様の所の八神中尉、嘆いていたぞ?」

「・・・流石、圭介。 あの八神が、まともな中隊副官をやらざるを得んとは」

八神涼平中尉は、以前の俺の部下だ。 中尉進級と同時に、圭介の中隊に移動した。 今は中隊副官か、あいつがねぇ・・・

ひとしきり、圭介を話のネタにした後、本当に部隊に戻る事にした。
と言っても、2人を除いた6人が示し合わせたのだが。 この辺、流石は同期生同士だと思う。

「さて、俺は中隊に戻る。 緋色、行こうか」

「うむ」

同じ師団の緋色に声をかけ、公園を降りる階段に向かう。

「じゃ、私達も・・・ 古村、行きましょうよ」

「了解、先任」

永野に、古村がちょっと茶目っ気な態度で、止めてあった高機動車に向かって歩いてゆく。

「じゃ、俺達も・・・」

「手紙は俺から渡しておくよ」

国枝と大友も、乗って来た高機動車に乗り込んだ。
必然的に、その場には圭介と愛姫の2人が残された。 俺が愛姫を振り返って止めを刺す。

「おい、愛姫。 3大隊の当直、仁科に代わってくれるよう、言っておいたからな」

「はあ!?」

「あ、長門。 私と古村、29師団にちょっと寄って行くから。 帰りの足は、伊達に用意して貰いなさいよ?」

「なにぃ!?」

永野が、ナイスなアシストを決めた。

「因みに29師団の車輌は、士官は2人以上の乗車は拒否だ」

国枝と大友が笑っている。

同期生同士だ、俺がバラさなくとも、皆が何となく判っていたらしい。
別に事前に示し合せた訳じゃないが・・・ いいだろう、この位。 もう直ぐ本当に地獄の戦場が開幕する。 罰は当たらないさ。



圭介と愛姫を置いて中隊へ戻る道すがら、緋色と二人で73式小型トラック(市販車ベースの新型だ)に乗っていたら、助手席の彼女がポツリと呟いた。

「なあ、周防。 家柄とは、何だと思う・・・?」

海岸沿いの国道2号線、上り車線が避難民の行列で埋まっている。 疲れ果て、中には怪我をした人やお年寄りなんかも多い。
みな徒歩だ、軍が制限した下り車線を走る俺達の車輌を、恨みがましく見つめる視線がちょっときつい。 大陸や半島で、何度も経験した視線だったが。
ハンドルを握り、視線を前に向けたまま、緋色の問いに敢えて単純に応える。

「先祖の功績、子孫の自慢」

「・・・手厳しいな、相変わらず。 その子孫の、努力と言うモノは?」

「見合った努力と、結果を出しているのなら、逆に家柄なんて気にかけないだろうさ。 自分の実力と功績だ」

「つまり、普段から家柄云々を言う者とは、その双方を満たしていない、と・・・?」

何を気にしているのか? 確かにこいつの家は、それなりに高い家格を誇る武家の家だが。
暫く車輌を走らせる間、緋色は避難民の行列を眺めていた。 時折、首を回して目で追いかけるのは、家族での避難民だった。
やがて無言だった緋色が、小さく呟いた。 少し投げやりな口調に感じたのは、気のせいではないだろう。

「緋色、お前、何か悩みでもあるのか?」

「・・・いや」

何だよ・・・ 顔に思いっきり『悩み』って文字、張り付けた表情しておいて。 拙いな、この調子じゃ。 
今にもBETAの侵攻が開始されるかというこの時期に。 よりによって、中隊指揮官がこの調子じゃ。

「言ってみろよ。 何か引っかかったままで戦場に出る気か? 俺じゃ大したアドヴァイスは出来ないかもしれんが・・・ 聞いてやる位なら、出来る」

暫く無言を通していた緋色が、やがて小さな声で聞いてきた。

「・・・直衛、貴様はこの先どうするのだ?」

「どうする、とは?」

「・・・綾森大尉、祥子さんだ。 一緒になるつもりなのか?」

「・・・ああ、いずれ、そうなりたいと思っている」

何だと言うのだ、急に。 横目で緋色を見ても、表情がイマイチ掴み切れない。

「緋色、お前さん、実家から何か話が?」

「相変わらずだ、斯衛に転籍せよと。 それに・・・ 結婚話もな」

斯衛。 双子の姉と、弟が斯衛の士官だったな。 山吹の家格の武家だ、斯衛軍に、と言うのは不思議じゃないが・・・
それに向うも、歴戦の中堅指揮官を欲しいのだろう。 それが山吹の家格の武家ならばうってつけだ。
斯衛の現状、階位による進級速度の大幅な違い。 陸軍から移籍した実戦経験を積んだ衛士は、しかし所詮普通の市民出身が殆ど。 色は、『黒』だ。
少尉から中尉、中尉から大尉。 陸軍で有れば普通はそれぞれ2年から3年の経験年数、それに所定の教育を受けて進級する。
しかし、斯衛の『黒』は据え置かれる時間が長い。 聞いた話では、少尉を5年、中尉を6年やって、ようやく12年目にして大尉になれた『黒』の中隊長が居るとも。

反面、赤の家格の武家などは、少尉1年、中尉1年から1年半で大尉に進級するとも言われる。 山吹では少尉1年半、中尉2年で大尉だそうだ。
『蒼』など、斯衛の衛士養成所を卒業と同時に斯衛中尉に任ぜられ、1年後には大尉だと言う。

その結果として、前線の下級・中堅指揮官に若い、経験不足の武家貴族士官が主流を占める事となっている。
そして経験豊富な実力者だが、『黒』である為に長期間その下で指揮を受けるベテラン、と言う歪さが目立ってきているとも。
軍としては、望ましい姿では無い。 それを少しでも解消する為に、『黒』の士官の進級速度を速めようとしているらしいが・・・
格式社会の弊害だ、武家連中の反発も強いらしい。 その内情も聞こえてくる為か、以前なら『名誉』と考える者も少なからず居た斯衛への転籍も、最近はとんと不人気だ。
そので、緋色の様な武家出身でありながら陸軍に籍を置き、しかも実戦を経験している人材をしきりに誘っている様子だ。

「・・・希望を出したのか?」

転籍は基本、本人の合意が為されて初めて実現する。

「まさか! 私は・・・ 私は、斯衛に行く気などない!」

思わず声を荒げて、俺の方を振り向いて、緋色がムキになって否定する。
確かに、こいつの生い立ちを聞く限りでは、転籍しようとは思わないだろう。

「いや、済まん。 俺もお前が希望を出すとは思っていない。 ・・・結婚話は、そんな一環か?」

「ああ・・・ ここの所、実家が煩い。 相手は同じ家格の家なのだが・・・」

「お前、双子の姉がいただろう? 神楽緋紗斯衛大尉。 彼女には?」

「―――姉には、既に婚約者がいる。 赤の家柄の、総領息子殿がな」

緋色はそう呟いて、顔をそむける。 向う側の車線に避難民の行列が続いている。 
休憩しているのか、幼い子供を連れた若い夫婦が道端に座っていた。

「あの頃のままで、居たかったのだ・・・」

一瞬、その姿が目に入ったか、小さく、ポツリと緋色が呟いた。

「・・・家柄など、欲しく無かった。 普通の、市井の女でいたかった。 子供の頃のままで・・・ あの頃のままで、居たかったのだ・・・」

―――そうであれば、私もこんなに悩んだりするものか・・・

最後に小さく呟いた緋色の声が、微かに耳に聞こえた。

どうしようもねぇな―――山陽塩屋を過ぎ、滝の茶屋の前まで来た。 
このまま東垂水までいき、その先で488号線に折れて北上すると、特別支援学校の辺りが連隊本部だ。
緋色の第1大隊はその北、第2神明の名谷IC付近、俺の第2大隊は更に北の神戸市外大付近。

「―――あのな、お前も知っているあの人な、実家と絶縁したけどさ。 でも、不幸じゃ無かったとさ。 そう言っていた」

「・・・」

あれっていつの頃だった?―――ああ、確か斯衛との合同演習の直前だったか。
休暇で祥子と2人で大阪の街に出た時に、府庁の前でいきなり拉致されて・・・ 後で祥子に疑惑の目で見られて、酷い目に遭った・・・

「誤算は、旦那が思いのほか早くしんでしまって、『未亡人になるスケジュールが、かなり前倒しになってしまったわ』って、笑っていたけどな」

「・・・らしい、な・・・」

「旦那さんは結局戦死して、自分はその菩提を弔い続けているけれど、後悔していないと。
後悔すれば、旦那と出会えた事さえ、無にしてしまうと。 だから後悔はしていないとさ」

「後悔、か・・・」

いや、相変わらず竹を割った様な、男前な性格は健在で何より―――もう少し、その場の雰囲気を察して欲しかったけどね。

「1回きりの人生、しかもこんなご時世、自分の意に反した生き方なんてさ。 せめて、ひとつ位は自分の我を通しても良い、なんて思うけどな」

それが出来ない、決して許されない立場の人間もいるけどね。 
代わりに俺達は、名も無き墓標を戦場に立てる事を要求される訳で。 どっちもどっちか。

福田川の交差点が見えてきた。 川向うは完全な戦場予定地。 右折して488号線に入り北上する。
山陽本線の高架を潜り、車輌を走らせる。 暫く無言だった緋色が、不意に口を開いたのは、連隊本部を通り過ぎ、もうじき第1大隊の陣地、と言う時だった。

「―――決めた」

「ん?」

「決めたぞ、私は決めた。 もう、実家など知った事か。 私は市井の、京都の呉服屋の娘だ、そうして育ってきたのだ」

―――あ、何だか、複数人に恨み事を言われそうな予感がする・・・

「そんな市井の女が、想いのたけを告白して何が悪いと言うのだ!? いや、悪くない!」

―――謹厳実直、歴戦の衛士、それも男30代の分別盛りの顔に、困惑が浮かぶ様が想像されて・・・

「うむ! そうだ、その通りだ! このご時世、後悔して死んでしまっては、それこそ親不幸と言うものだ!」

―――いや、俺、そこまで言ってないし・・・

そんな俺の困惑をよそに、とうとう第1大隊陣地前に着いてしまった。 そこで緋色と別れた。
車輌を降りた緋色の顔は、吹っ切れて清々しかったとだけ、言っておこう・・・





1600時 第181戦術機甲連隊 第2大隊野戦陣地 神戸市垂水区


「愛姫ちゃんに、緋色。 何時の間に、恋のキューピット役をするようになったの?」

大隊指揮所のテントの外。 折椅子に腰かけ、コーヒーカップを両手に持った祥子が、可笑しそうに笑う。
同じ様に折椅子に腰かけ、だらしなく天を仰いでいる俺。 脳裏には、羽を生やし、小さな弓を持った自分の姿―――気持ち悪い。

「・・・成り行き、だよ」

軍団本部情報によれば、BETA群は今日の黎明時から動きを見せていない。 相変わらず30kmほど西の姫路に集まっているそうだ。
一部の小型種が数十体、20km先の加古川で確認されたが、強行機甲偵察隊との交戦で殲滅されたらしい。
嵐の前の静けさ、いずれ本格的な侵攻が始まる事は目に見えている。 せめてそれまでは静かに過ごしたい。 戦場での贅沢だ。

不意に祥子が椅子を持って、俺の直ぐ横に寄って来た。 周囲を見渡した後、顔を近づけて小声で聞いて来る。

「それでね・・・ どうなのかしら? 愛姫ちゃんと、緋色は?」

体温が感じられるほど近い。 良い香りがするのは、香水って訳じゃないよな、こんな戦場では。
艶やかで弾力のある唇、今日は赤い口紅か。 祥子の好きなブランド、なんだっけ・・・? 
そうだ、イヴ・サンローラン・ボーテ。 それのルージュピュール。 伝説のフューシャピンクNo.19。 散々聞かされたから、もう覚えてしまったよ・・・

お固いと言われる帝国軍であっても、特に前線では不問律の様に黙認される事は、実は結構ある。 衛士で言うと、女性衛士の場合が多い。 
祥子が今している、ちょっとした化粧。 これさえも、激戦続きで顔色を悪く見せない為に、大陸派遣初期に始めた事らしい。
確かに、指揮官が青白い顔色だったり、土色の顔色だったり、なんてのは士気を維持する上で、ちょっとな・・・ と言う気もする。

最も今は、女性衛士の『ストレス発散』としての側面もあるのだが。 それに少しだけ香水を振りかける女性衛士も多い。
長期間に及ぶ防衛戦闘にもなると、何日も強化装備を碌に脱ぐことすら出来ない。 汗と排泄物、その他諸々、その匂いたるや・・・ である。
男の場合、慣れてしまえば気にしない。 大体がそう言う生き物だろう、男ってのは。 だけど女性衛士の場合、そんな体臭を少しでも和らげようとしたいモノらしい。

俺個人としては、彼女がそうして身綺麗にしてくれるのは、嬉しい限りでは有るのだが。

「愛姫は・・・ 愛姫と圭介は、なるようになるんじゃないのか? 愛姫も結局、断る理由は持ってない様だし。 最近はよく、連絡つけ合っている様だしね」

「そう・・・ そう、よかったぁ・・・」

祥子にとっては、何だかんだで、新任の頃から一番可愛がってきた後任だしな、愛姫は。
ちょっと元気者の妹を見る様な感覚なのだろうか? あれが妹・・・ 遠慮する、胃が痛くなってきそうだ。

「緋色は・・・ そうだな、この大騒ぎが終わった頃には、宇賀神少佐の困惑顔を拝見出来るんじゃないかな?」

「それはそれで、楽しみね」

可笑しそうに、それでも嬉しそうに、祥子が頬を緩める。 祥子にとっては、緋色も新任少尉時代からの、付き合いが長い後任だ。
嬉しそうに笑った後で、不意に祥子が微妙な表情をして、ちょっと真顔で見つめて来る。

「でも、そうなったら・・・ 私、彼女達に先を越されちゃうのかしら・・・?」

―――やはり、そう来ましたか。
最近、意識して祥子の前でこの手の話を避けてきたのは、最後は必ずこうしてプレッシャーを受ける訳で。
それが嫌な訳ではなく。 ただ、柄にも無く戦場を目前にして、自制していただけの話で。

「この大騒ぎが収まったらさ、結婚しよう」

「・・・え?」

―――鳩が豆鉄砲を喰らった様な、って、今の祥子の表情だろうか? 何て言ったら怒るかな?

「せめてひと段落したら、結婚しよう、祥子。 今はまだ、2人だけの話しで。 ひと段落したら、皆にも話して」

「・・・な、直衛・・・」

「ああ、せめて君の御両親にもう一度ご挨拶に行かなきゃ・・・ ウチの両親にも報告か―――っと、その前に、返事を聞いてなかった・・・」

「バカ・・・ 返事だなんて・・・ OKよ、ええ、OKです・・・」


同期の事や、部下達の事。 悲惨を極め始めた本土防衛戦の事、多分まだやって来るだろう新手のBETA群も、頭が痛い。
色んな事が山積みだった本日。 どれ一つとして解決してはいないけれど。 俺個人だけでは、解決できない問題ばかりで頭が痛いけど。

―――良いじゃないか、こんな締めくくり方も。 
そろそろ夕日になりかけている、陽の光に照らされた祥子の泣き笑いの笑顔が、とても眩しかった。










1998年7月18日 1950 帝都・京都 二条堀川 本土防衛軍中部軍集団司令部


「何!? また渡海侵攻だと!?」

「はい、鉄原ハイヴ周辺で、最後まで残っていたBETA群の所在が判明しました。 G群、約2万6000と、H群、約2万4000。 日本海を渡海中です。 
舞鶴の第5護衛総隊、その早期哨戒ピケットラインに引っかかりました。 現在、対BETA水中戦闘を展開中です」

「・・・戦果は?」

「芳しくありません。 海軍から、海底地形が複雑で、効果が薄いと報告が有りました」

「予測される上陸地点は? 何処に来る?」

「このままの進路でBETAが侵攻すると仮定して・・・ 丹後半島から山陰海岸国立公園、香住の辺りと想定されます。 上陸推定時刻、2200から2230」

作戦室内の温度が、一気に下がったようだった。 一人の作戦参謀が、呻くように声を絞り出した。

「まずいぞ、北近畿は配備兵力が手薄だ・・・」

「手負いの第2師団が福知山に再配備された他には、舞鶴の海軍連合陸戦旅団しか配備されていない・・・」

「手持ちの予備は!? 即応戦力だ! 斯衛? 斯衛の第3聯隊戦闘団!? 出せ! 斯衛でも何でもいい、出せ!」

「後方からの増援はどうなっている!? 6個師団の増援は!?」

「まだ、1週間はかかる!」

「重点防御拠点は福知山、亀岡、篠山! 帝都への北と西の玄関口だ、守れ!」

「三田は!? 突破されれば南西から帝都の下腹を突かれる!」

「兵庫南部と連携させるしかない! 海軍部隊は!? それと国連軍にも緊急信!」

「京都の北部と兵庫の半分は、見捨てるしかないな・・・」










2030 帝都郊外 西京区 斯衛軍・桂分屯所


「“ブレイヴ”リーダーより全機! 噴射跳躍後はNOEで福知山まで急ぐぞ! 第2師団で推進剤の補給を受けた後、宮津へ急行! 遅れるな!」

―――『了解!』

中隊各機から、一斉に応答が帰って来た事に神楽緋紗斯衛大尉は、内心で満足した。
色々と言われる事も多いが、自分の中隊は陸軍に対しても遜色の無い程に、対BETA戦闘を叩き込んだという自負がある。
93年の『九-六』作戦当時、成り行きで大陸に渡り、これまた成り行きで国連軍の指揮下で、あの大規模防衛戦闘を戦った。
思えばあれ以来、自分の中で意識が変わったのだと思う。 それまで斯衛で重要視されてきた対人戦闘よりも、より対BETA戦闘を意識した訓練。
斯衛も『軍』を名乗るのであれば、その任務は国土の防衛であるべきだと。 もっとも、上層部には受けが悪く、神楽家の長女で有りながら傍流の第3聯隊所属であったが。

12機の82式『瑞鶴』が、跳躍ユニットから青白い焔を立ち上げ、次々に跳躍を開始する。 
先頭は彼女自身が操る、山吹色の『瑞鶴』 両脇の第2、第3小隊長機は『黒』の『瑞鶴』だった。

「宮本、佐倉、宜しく頼むぞ」

両腕と頼む2人の小隊長に、通信を入れる。 直ぐに2人の姿が網膜スクリーンにポップアップされた。

『お任せを、中隊長』

『なに、我々の初陣―――94年の大陸打通作戦に比べれば・・・ ですよ』

頼もしい。 わざわざ伝手を頼って、陸軍から願って転籍して貰っただけの価値はあった。
この2人は新任当時に、94年の大陸打通作戦を生き抜いた。 その後も大陸と半島で戦い、生き残った本物の歴戦の衛士だ。
陸軍側も随分と難色を示したものだったが、何としても引っ張って来たかった。 これからの斯衛の為にも。

後方映像を見ると、僚隊の2個中隊も追随していた。 
斯衛第3聯隊は、大隊長を置いていない。 9個中隊が聯隊長の指揮の元、自由度の高い行動を行う為だ。
果たしてそれが、BETAとの叩き合いの場でどう出るか、やってみるしか無かった。

(『彼女も、功を逸らなければ良いのですけれど・・・』)

後続する中隊の片方、その中隊長機―――『赤』を纏う『瑞鶴』を見て無意識に思う。
何時だったか、陸軍との合同演習の際、妹の戦友に言われた事が有った。 『―――なかなか、息苦しい生き方をしているのだな・・・』、と。

仕方がない、それが我々、武家の生き方なのだ。 不意に双子の妹の事が、思い浮かんだ。
多分、今頃は家からの話に、思い悩んでいるのではないか。 あの子は生真面目すぎるから。
言いたかった、会って、言いたかった。 家の事は考えなくとも良い、己が思う生き方をしなさい、と。

LANTIRN(夜間低高度 赤外線航法・目標指示システム)越しの視界は、妙に無機質な明るさを湛え、目前の脅威も、全ての感情さえも呑み込んでしまいそうな気がした。







この後1カ月に及ぶ、最終的に帝都・京都をめぐる戦いの、その前哨戦の幕が切って落とされた。







[20952] 本土防衛戦 京都防衛前哨戦 2話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2010/11/14 22:52
1998年7月24日 0955 兵庫県神戸市須磨区名谷 第18師団第181戦術機甲連隊第2大隊


「フラガラッハ・リーダーより、フラガBリード! 摂津、BETAの突破を許すな! 機甲部隊の側面がガラ空きになる!」

『Bリードよりリーダー、了解! B小隊! お仕事だぜ、ついて来い!』

―――『了解!』

廃墟と化した住宅街、その彼方から押し寄せて来る禍々しい色彩の悪夢―――数千のBETA群を視認する。
B小隊長の摂津が水平噴射跳躍をかけると同時に、続く3機の94式『不知火』が追随する様に噴射跳躍をかけ、BETA群の頭上を押さえつつ背後に飛び込む。

『Cリードより中隊長、左翼10時方向より戦車級! 約150! 制圧します!』

左翼を守るC小隊長の四宮からの通信で、左翼から廃墟に紛れて戦車級が接近しつつある事、そしてC小隊が阻止戦闘を開始した事を確認する。
同時に右翼で、大隊規模のBETA群を相手取っている第21中隊『セラフィム』をちらりと見る。 想定以上のBETA群に対し、苦戦している。
しかし、仲間の苦戦よりも今は正面から突破を図る、連隊規模のBETA群への対応が急務だった。 こちらも楽な戦いでは無い、いや、正直苦戦中だ。
このまま突破されれば、妙法寺から高尾山と高取山の間を南下され、BETA群主力への集中斉射を加え続けている師団機甲部隊の背中に突っ込まれる。

幸いと言うべきか、大型種の中に装甲殻の固い突撃級はいない。 厄介な光線級も、この方面には出張っていなかった。
しかし要撃級が都合400体強、他に小型種が2500体以上。 今回、中隊各機は制圧支援機以外、強襲前衛装備にさせた。
兎にも角にも、火力、火力、火力。 1個大隊で連隊規模を上回るBETA群相手に、近接戦闘をしかける気は大隊長も、俺達各中隊長にも無い。

『Bリードより各機! 目標、目の前の要撃級、距離100! まだA小隊の陽動にかかっているぜ! こっちを向いてねぇ! 120mmをぶっ放せ! 以後、兵器使用自由!』

―――『了解!』

B小隊の4機が、要撃級の背後から120mm砲弾の雨を浴びせかける。 柔らかい胴体部分をミンチの様に切り裂かれた要撃級が10数体、瞬く間に倒れ込んだ。
ようやく後方から攻撃してくる『障害』に気づいた要撃級が、素早く高速接地旋回をかける。 群れの両端は急激な弧を描いての接地回頭をかけ、B小隊を包囲する動きを見せた。

「フラガA、ヘッドオン!」

同時に俺が直率するA小隊が、水平噴射跳躍をかけながらBETA群―――要撃級の一団の全面まで接近し、再度の陽動正面攻撃をかけた。

兵装選択―――右・突撃砲、120mm 弾種・APCBCHE弾  左・突撃砲、36mmHVAP
目標選択―――右・1時方向、距離450の要撃級  左・2時方向、距離570の小型種多数
目標補足―――左右同時、マルチロックオン、ファイア!

『A02、FOX01!』 『A03、FOX01!』 『A04、FOX03!』

部下の3機の『不知火』からも、120mmと36mm砲弾が一斉に吐き出され、誘導弾が発射される。
旋回しつつあった要撃級、その横腹を120mm APCBCHE弾が貫く。 10体以上の要撃級が、体液を吐き散らしながら倒れた。
4機の戦術機はフォーメーションを保ったまま、BETA群の右翼方向へ瓦礫を交しつつ、高速機動旋回をかける。

目前の倒壊したビルの陰から小型種が数10体、唐突に飛び出してきた。 咄嗟に狙いを付けずに36mmを左右にばら撒く。
部下達も俺の背後から36mmと120mmキャニスターで周囲の小型種を一掃しつつ、左側面に見える要撃級の『横腹』へ36mmを近距離より叩き込む。 
更に20体以上を無力化しつつ、瓦礫やビルの陰に隠れた小型種、更に視界の向うに居る大型種をレーダーで確認しつつ、攻撃ポイントを指示する。
同時にそれまでA小隊が占めていた攻撃ポイントには、C小隊が素早く詰めていた。 包囲されまいとB小隊は左翼方向―――A小隊の前方に高速移動しつつあった。

『ステンノ・リーダーより、フラガラッハ! お客さん、ケツ向けましたよ! これから全火力を叩きこみます! 陽動、頼みますよ!』

『彰義隊(第18師団第18機甲連隊第4機甲中隊)よりフラガラッハ! 中隊効力射、開始する! 流れ弾に当るな!?』

右翼方向に向けて、旋回を終えた要撃級の群れ。 
その左側面後方から、第23中隊『ステンノ』の94式が12機と、機甲連隊から分派された第4機甲中隊『彰義隊』の74式戦車14輌が、砲口をBETA群に向けていた。

「フラガラッハ・リーダーより、ステンノ、了解した! 彰義隊、下手な射撃はするなよ!?』

『下手糞が避け損なう責任までは、とれねぇな!』

「走行間命中率98%以上は所詮、訓練上だってか?」

『ほざけ、周防! よぉし! 長車よりカク・カク! 目標! 前方800! 要撃級! 斉射3連! 
フラガのボケ共に、戦車兵の意地を見せてやれ!――――――――射ぇ!!』

『ちょ、彰義隊! 近いって、危ないって、当っちゃうって!―――ステンノ全機、馬鹿の戦車屋がぶっ放し終わったら、突っ込むよ!』

協働部隊である74式戦車の、105mm滑空砲が咆哮を挙げる。
3個中隊・14輌の戦車から吐き出された高速105mm砲弾は、戦術機の突撃砲を上回る高初速で要撃級の後ろや横腹に殺到する。
そして3連射全てが、その『柔らかい胴体』を抉り、射貫し、炸裂した。 40体以上の要撃級が骸を晒す。
同時に俺のA小隊、摂津のB小隊は群れの側面から右前方に攻撃を仕掛けていた。 四宮のC小隊は、『彰義隊』の射撃に連動して、120mm砲弾を撃ち込む。

「よし! 良い腕だな、彰義隊! あの数字は伊達じゃないか!』

右前方から群がり始めた小型種に、36mmで掃射を浴びせてから高速水平面機動でかわしつつ、戦車隊の戦果を確認する。

『へっ、任せな!―――っとぉ! やばい! こっち向き始めやがった! 一旦ずらかる! 『ステンノ』、お後は宜しく!』

『さっさと逃げた方が良いですよ! リーダーより『ステンノ』全機、今だ、突っ込め!』

『・・・フラガC、『ステンノ』中隊の接触と同時に、残りの120mmを全弾、撃ち込みなさい!』

戦車隊が後進全速で道路上に入り、そのまま路上移動して行く。 同時に美園の指揮する『ステンノ』中隊の不知火12機が一直線に、後ろを向ける要撃級へ突進する。
同時にタイミングを見計らって、四宮のC小隊が『ステンノ』に接触直前の要撃級の一群に向け、120mmキャニスター砲弾を残り全弾、浴びせかけた。

『ステンノ・リーダーより、フラガC! 四宮、サンキュ!』

『どういたしまして・・・ Cリードよりリーダー、バックス、入ります!』

『ステンノ』中隊が左後方よりヘッドオンで攻撃を仕掛け、そのまま右翼後方へと高速で抜ける。 四宮のC小隊が俺の直率小隊の後ろに陣取った。
A小隊の摂津も要撃級の群の右前方へ急速移動している。 BETA群の右翼を『フラガラッハ』の12機、後方を『ステンノ』の12機で半包囲した。 距離300。

「A小隊、B小隊は要撃級に対応しろ! C小隊、小型種の接近を阻止!」

『フラガとの間隙、抜かれるんじゃないよ! B小隊、引っ掻き廻せ! A、C小隊は小型種の突破阻止!』


2個中隊での『薄い』半包囲に感づいたBETAが、再び高速旋回をかける。 摂津のB小隊と美園の所のB小隊、2個突撃前衛小隊が群れの隙間を狙って、高機動でかき混ぜる。
1個エレメントが突進していた機動を、急激に右水平噴射跳躍で方向転換。 そのままBETA群の旋回方向と逆回りの高速旋回機動を行う。
そして同時に2機4門の突撃砲から、36mmの斉射を浴びせかける。 同時にバックステップで反撃を交わし、即座に後方へ退避。
次の瞬間、もう1個エレメントがヘッドオンで突進。 距離100で噴射跳躍。 BETAを飛び越しざまに、120mmキャニスターを連射。 
要撃級3体を仕留めて着地。 そのまま水平跳躍噴射をかけ急速旋回機動で危険なBETAの群れの中から脱出する。
その機動につられて旋回したBETAの裏腹を、他の4機が36mmで掃射。 そして一気に水平噴射跳躍でBETAの外側をすり抜けながら、短刀で切りつけ、抜き去る。
一連の『不知火』8機の異なる機動に翻弄され、要撃級を主としたBETA群は動きの統一を失った。

「美園、お前さんの所の突撃前衛も、なかなか良い動きをする!」

『仕込みましたからね!』

「お前さんを仕込んだのは、俺だからな! って事は、俺のお手柄か!」

『早々に、地球の裏側にトンずらした人に、偉そうに言われたくないですよ!』

一瞬、密集して本来の動きが止まった要撃級に、『フラガラッハ』、『ステンノ』、両中隊の残る4個小隊が右側面と後方から砲撃を加えつつ襲いかかる。
戦術機の装甲をさえ軽く打ち破る、その前腕で防御する要撃級。 だが2個中隊の戦術機は、その前に短距離噴射跳躍で頭上に飛び上がり、上から砲弾を叩き込む。
そして、そのまま更に急速旋回・水平噴射。 その動きに追従して、横腹や裏腹を曝した5体に、2個小隊の突撃前衛部隊が、120mmと36mmを浴びせかける。


「要撃級、残り200強! 美園、残弾数は!?」

『1/3を切りましたよ! 120mmは予備弾倉無し! 36mmは2本! 中隊の部下達も似たようなモノです!』

「こっちも同様だ。 このままじゃ、弾切れの揚げ句に、短刀で斬り合いだな。 今回は長刀さえ持ってこなかったしな」

『ゾッとしませんよ、まだ小型種がごまんといます―――リーダーよりCリード! 左前方550、小型種多数! 阻止しろ』

「フラガラッハ・リーダーよりユニコーン・リーダー! 大隊長、師団の阻止攻撃はまだ終わりませんか!?」

海岸線を須磨から長田に向け、突進してくるBETA群が約3万。 そしてその少し北、六甲山地の裏を抜けて宝塚・三田方面へ突進しようとするBETA群が4000。
第18師団と第14師団、そして第29師団の第9軍団は、この3万4000ものBETAの大群の矢面に立たされ、徐々に後退しつつあった。

『ユニコーン・リーダーだ。 周防、美園、海岸線は既に国鉄新長田駅付近まで後退した。 河崎と、和田岬の光菱の工場群はS-11の設置を完了させた!』

指揮小隊を伴い機甲中隊に随伴し、大隊指揮と、師団主力の間隙を埋める戦闘に忙殺されている荒蒔少佐の声が響いた。 かなり焦った声色だった、珍しい。
連隊本部、そして師団司令部との(限定的にだが)連絡も取れる大隊長には、絶望感が募る戦況が刻々と入って来ていたのだろう。
そしてその戦況は―――阪神工業地帯で最も有力な生産拠点群が、今まさに壊滅しようとしている。 このままでは、神戸市中央部に突入されるのは時間の問題だ。

「こちらも、戦術機2個中隊と戦車1個中隊では、連隊規模のBETA群を押し返せません! 既に名谷まで押されています! 『セラフィム』は―――」

戦術MAPで戦況を確認する。 俺と美園の中隊は2時間前布陣していた、学園都市防衛線―――県立大、外語大、看護大、私大が集まっていた場所から、3km後方まで押されていた。
そこから北、白川台方面は祥子の『セラフィム』が約1000のBETA群を阻止すべく、単独で阻止戦闘を展開中だった。

だった筈だが・・・

『ッ! フラガ! 周防さん! BETA群が分派した!』

美園の声が悲鳴じみていた。 前面の約3000のBETA群の内、最後方に居たおよそ1000体前後が北に向かって突進を始めた。 
俺の顔色も一瞬変わっただろう、拙い、あの方向には1個戦術機甲中隊しか―――『セラフィム』しかいない!

「くっ! フラガラッハより『セラフィム』! そっちに新手のBETA群、約1000!」

冷や汗が止まらない。 背筋に嫌な悪寒が走る。 今でさえ、『セラフィム』は1個中隊で1000体以上のBETA群を相手に、後退しつつ阻止戦闘を続けていた。
これに更に1000体もの新手―――1個中隊で2000体ものBETA群の相手など、まともにやり合えば全滅は必至だ!

『セラフィム・リーダーよりフラガラッハ・リーダー! こちらは何とかするわ、それよりもそちらの状況、知らせ!』

「突破阻止に手が一杯だ! 済まない、当分そちらへ援軍には駆けつけられない!」

『・・・了解、セラフィム・リーダー、了解しました。 なんとか時間を稼いでみせるわ、大丈夫、何とかする・・・』

くそっ! 何とかするって! こちらでさえ、何とも出来なさそうな状況なのに!
それに廃墟の住宅街と、倒壊した建物が邪魔で迅速な移動が出来ない。 完全な野戦なら、余り気にならない事が、市街戦では徹底的に邪魔になる。
光線級が確認されていないからと言って、安心は出来ない。 もし、数体でも北上していたら・・・ 高度を取り過ぎた途端、丸焼けになる。
しかし補給がしたい。 本当にこのままでは弾薬が尽きる、短刀だけで小型種の殲滅と言うのは、ゾッとしない。 あれは大型種相手の方が扱い易い。

突撃砲のトリガーを引く度に、網膜スクリーンに映る兵装状態表示の残弾数カウンターが、目に見えて減ってゆく。
残す所、36mm弾倉はあと2本だけ。 装填済みの弾倉には、残弾は36mmが右で620発、左が590発。 120mmは左にキャニスターが1発のみ。

「リーダーよりフラガラッハ全機! BとCはこのまま側面突破阻止! A小隊は正面! 美園! 『ステンノ』は、先に補給を済ませてこい!」

『無茶だ、周防さん! ただでさえ苦しいのに! 1個中隊で2000のBETA群の突破阻止戦闘なんて!』

「さっさと補給を済ませて、戻って来い! こっちを片付けない限り、北の『セラフィム』は孤立して全滅する!」

ああ、何て言うか・・・ 私情を挟んでいる気がして、ちょっと気が引けるセリフだな・・・
本音を言えば、今すぐこの場を投げ出して北へ増援に行きたい。 弧軍で必死の防戦をしているだろう、祥子の窮地を救いたい。
だが無理だ。 今この場所を離れたら師団主力の、それも近接戦に無力な機甲部隊や砲兵部隊の側面に、数千体のBETA群が殺到する。
軍団の他の戦術機甲部隊は、正面の3万に達するBETA群の猛攻に抵抗するのに必死だ。 通信回線が何処かで混線しているのか、余所の部隊の通信も聞こえた。
第1大隊の広江中佐や、第3大隊の森宮少佐の、切羽詰まった声も聞こえる。 それだけじゃない、第14師団や、第29師団も悲鳴を上げていた。

「さっさと行けって! お前さんが戻るまで、なんとしても持ち堪えてやる! その代わり、次に俺の中隊が補給を済ませるまで、きっちり持ち堪えろよ!?」

『言われなくとも! 私が戻るまで、死んだら承知しませんよ、『先任』!―――あんだけの数、いっぺんに通したら流石にヤバいですしね!』

そう言って、美園が部下を率いて後方へと急速後退して行く。
その姿を後方視界用スクリーンの中に見ながら、思わず苦笑がこみ上げてきた。

「・・・ったく、よりによって『先任』ときたか。 そう言われちゃ、下手を打てないじゃないか」

93年の夏。 俺はとある事情で下手を打って、新任少尉だった美園―――当時、同じ小隊の後任少尉だった―――の初陣に、一緒に居てやれなかった。
薄暗い独房の中で幾度、後悔した事か。 宜しい、あの時の借りは返してやる。 盛大に熨斗を付けて、利息もたっぷりとな。

一瞬、祥子の姿が脳裏をよぎる。 大丈夫だ、心配無い、大丈夫だ。 彼女は俺より実戦経験が長い。 無理な戦況でも、部隊を纏めて何とかする方法を知っている。
それに、間違っても悲壮感と共に、全滅覚悟の突撃をかます様な指揮官じゃない。 引くべき時と状況は心得ている筈だ―――無理やり、自分にそう言い聞かせる。
1個中隊で2000体ものBETA群―――軍が、中級指揮官に求める戦術指揮の範疇を越えている。 
最悪の場合は、突破されても文句は言えない。 その先に三田・篠山方面守備の第7軍団と、国連軍―――米第2師団が陣取っている。

問題は俺の方だ、どうやっても目前の2000体、突破さす訳にはいかない。 しかし―――その方法が、どうしても思い浮かばない。

「・・・あと、1個大隊。 1個大隊、居ればな・・・」

目前に迫った要撃級に砲弾を撃ち込み、倒れたその姿を見つめながら、出て来るのはそんな愚痴だとは、自分でも思わなかった。

『しゃあないぜ、周防さんよ。 こうなりゃ、諸共だ。 こっちも腹を括った、付き合うぜ』

網膜スクリーンに現れた戦車中隊の指揮官―――宮里大尉だったな、名前は。 彼の表情も俺と同じか、シニカルな笑みを浮かべている。
有り難い、少しでも有効な戦力が欲しい所だ。 しかしまず、戦車隊を前面には出せないな。 そんなことすりゃ、数分で全滅だ。 

「宮里さん、BETA共はユニバー競技場からくるぞ、線路の北側だ。 アンタの戦車隊、南側の高校の校庭に陣取ってくれ」

『線路越しに、側面砲撃か? お前さんの隊はどうする?』

「こっちは北向かいの団地群の北側、小学校の校庭に陣取る。 悪いが、『ステンノ』が戻って来るまで後退は不可にさせてくれ」

『判っているよ。 いま此処から引いたら、北の『セラフィム』は袋叩きだしな』

網膜スクリーンの先に映る宮里大尉が、男らしい精悍な顔にぎこちなく、しかし好意的な笑みを浮かべ、そう言ってくれた。
内心で申し訳ないと、そう思う。 彼の中隊は、大隊との合流命令が出ていたのだから。 そう思いながら、急速陣地変更を行っている戦車隊を見つめた。

『周防大尉、こっちは何時でも良いぜ。 そろそろ始めるか?』

「ああ、距離500で開始しよう。 意外と高台が残っている、視界が悪い。 それと―――感謝する、宮里大尉」

『遠慮するな。 俺の婚約者は助からなかった、お前さんは・・・ 助けてやれよ。 じゃないと、俺も目覚めが悪いし、彼女に怒られる』

それだけ言うと、彼は通信を切った。
同時に、前方の高台―――競技場の向うからBETA群が移動を開始した、真っすぐこっちに向かっている。
距離、1500、1000、500―――

「射撃開始!」

『撃てぇ!』









7月24日 1025 兵庫県神戸市中央区 ハーバーランド跡地 第9軍団司令部


「第18師団、戦術機甲部隊消耗率、16%!」

「海岸線の第14師団、2km後退します!」

「第29師団、戦術機甲部隊2個中隊全滅!」

「機甲部隊全般損耗率、21%に増加!」

「阪神高速、3号神戸線、湊川大橋の橋脚破壊を確認! 現在、二葉町、庄田町から駒栄町前面で、14師団機械化歩兵が小型種の浸透阻止戦闘中!」

「18師団防衛線、板宿から下がります!」

次々に入る芳しくない戦況報告。 その度に軍団司令部スタッフの怒声が上がり、前線部隊への指示と上級司令部への打診が飛び交う。

「14師団、後退は1kmまでに押し止める様に伝えろ! 2kmも下がれば、左右の18師団と29師団の側面が、がら空きになる!」

「軍団予備の戦術機部隊! 残り3個中隊? よし、1個中隊を29師団に差し向けるんだ!」

「面制圧! 砲兵部隊に伝達、全力面制圧砲撃を続行!」

「残弾が足りなくなるぞ!?」

「河崎の工場が、ハーバーランドの南にあるだろう! 搬出出来なかった弾薬が、まだ残っていた筈だ。 おい、補給(補給参謀)! 人数連れて、分捕ってこれんか!?」

「国防省への言い訳は、そちらで考えておけよ!? 司令部中隊、完全武装で付いて来い!」

「18師団、下がるな!―――無理? 何が無理だ! 支えろ! 西代まで下がったら、22号線が無防備になるだろうが! そっちの1個大隊が孤立するぞ!」


司令部スタッフの狂騒を眺めながら、戦況表示スクリーンを凝視している軍団長に、傍らの参謀長が小さく話しかける。

「閣下、1個軍団では到底、この数のBETA群を押し止める事は不可能です」

「・・・」

「せめて、第7軍団からの増援を。 第2軍司令部に要請されては如何でしょうか・・・?」

無言だった。 軍団長とて、今の戦況の困難さは理解している。
3万4000ものBETA群、それをたった1個軍団―――3個師団で抑えこもうなどと。
それが出来るのであれば、人類はここまで窮地に立たされていない。 ユーラシアを失ったりはしない。
この状況を打開するのであれば、何より増援が必要だった。 それも最低でも1個軍団、出来ればその倍は欲しい。
だが第2軍司令部とて、無い袖は振れないだろう。 第2軍を構成するもう一つの軍団司令部―――三田方面の第7軍団も、約2万のBETA群と激戦を展開中なのだ。

戦況は7月18日の夜を境に、激変した。
あの夜、兵庫県北部から京都北部の丹後半島に、それぞれ2万6000と、2万4000ものBETA群が上陸した。
ピケットラインからの情報を受け、舞鶴より出撃していた海軍第2艦隊主力は、上陸直後の海岸線でのBETA群殲滅を企図し、夜間出撃を敢行した。
しかし結局、BETAの殲滅は適わなかった。 九州で被害を受けた母艦戦術機甲部隊の補充を受けた母艦部隊は、夜間洋上攻撃を敢行したが、『全滅』に等しい被害を受けた。
なによりも、その補充は未だ練成中の未熟練者が多かったことが、災いしたと言う。 夜間低空突撃時に、バーディゴ(空間識失調)を起こし、海面に激突する戦術機が多数あったと。
生き残った中堅・ベテラン衛士が操る戦術機甲攻撃隊も、まさに上陸した直後の光線属種に近距離で捕捉され、殆ど戦果を上げる事無く全滅した。

舞鶴の海軍連合陸戦旅団、宮津の斯衛第3聯隊戦闘団は奮戦したが、しかし多勢に無勢。 一晩で多大な犠牲を出して撤退した。 海軍陸戦隊は敦賀方面へ、斯衛は福知山方面へ。 
その撤退支援の為に、第2艦隊は海岸線付近まで接近し、光線級との打撃戦を展開しなければならなかった。
そして相次ぐレーザー照射に耐え続け、砲撃戦を展開した結果、戦艦『穂高』、『高千穂』、巡洋艦『足利』、『羽黒』、『能代』、『名取』が沈んだ。

根拠地隊要員の脱出支援の為に、舞鶴軍港に強行突入した戦術機母艦『天龍』、『仙龍』が港湾内で沈み、『神龍』、『瑞龍』は中破し、よろめきながらも脱出に成功した。
他に4隻の母艦の盾となった戦艦『出雲』が中破、巡洋艦『三隈』、『阿賀野』の2隻が大破し、駆逐艦8隻もレーザーの直撃を受け沈んだ。
収容できた舞鶴軍港の要員は、全部で1055名。 聯合陸戦旅団の生き残りは986名。 沈没艦の戦死者数、1万4000余名。 旅団・軍港要員の戦死者数は1万8000余名。

帝国海軍第2艦隊は、事実上消滅した。

これを受け、大湊の第3艦隊が日本海を急遽南下中だった。

その後、戦況は混迷の一途を辿った。
7月19日に山陽道・姫路に集まっていたBETA群4万4000が侵攻を開始。 同時に兵庫北部の2万6000、京都北部の2万4000も動き出した。
翌7月20日には、山陽道の4万4000の内、1万4000が分離、やや北上しつつ山岳部を抜け三田方面へ侵攻を開始。 3万は姫路から加古川、明石を蹂躙して神戸市西部に迫った。
北部は舞鶴の2万4000の内、4000が分派行動を起こし、兵庫北部から南下する2万6000と豊岡で合流した後、1万が更に分派して兵庫南部に南下を開始。
豊岡の残るBETA群、2万は現在福知山に迫りつつあった。 更に舞鶴を蹂躙し尽した2万のBETA群は7月22日になって丹波高地をゆっくりと南下、現在は亀岡の北で防戦中だった。
そして昨日、7月23日になって、兵庫北部より南下して来たBETA群1万が南部に到達した。  約4000が海岸線に到達し、6000は東に進路を変え、三田方面に合流する。

現在の戦況は、福知山盆地防衛線にBETA群約2万、東の丹波高地防衛戦にも同じく約2万。
三田・篠山方面防衛線にBETA群2万と、兵庫南部海岸線にBETA群3万4000。 総計9万4000の猛攻に晒されていた。

これに対する防衛戦力は、甚だ心もとない。
福知山方面は第2、第6師団と斯衛第3聯隊戦闘団の残存戦力。 丹波高地には第1、第3師団と、御所警護の任を一時的に解かれた禁衛師団が。
三田・篠山方面は第7軍団の第5、第20、第27師団と米第2師団。 兵庫南部は第9軍団の第14、第18、第29師団、後詰に国連軍派遣の米第25師団。
兵力が手薄な兵庫北部・京都北部のテコ入れに、国連軍の米第6空中騎兵旅団が丹波高地に、中韓2個旅団戦闘団が福知山に、それぞれ急派されていた。


「ここで第7軍団から戦力を引き抜いたら最後、篠山から亀岡に侵入を許す。 もしくは三田から川西、池田を突破されて、茨木、高槻・・・ 帝都の下腹を突かれる。
無理だな、大阪府北部に緊急展開出来る戦略予備は、海軍の第2聯合陸戦師団しか無い。 第3は佐世保で防衛中だし、第1はまだ横須賀だ」

「せめて、海軍第5艦隊(基地戦術機甲部隊)を・・・」

海軍第5艦隊は、『艦隊』と名が付いてはいるが、完全な陸上部隊だった。 
主に拠点防衛を主任務とし、上陸作戦後の聯合陸戦師団への戦術機補充も行う。

「第12戦術機甲戦隊は、四国の防衛に手が一杯、第72戦術機甲戦隊は、既に長崎の大村に1個大隊だけだと言う事は、承知しております。
しかし、最も有力な第13戦術機甲戦隊が残っております。 鈴鹿、河内、大和、宝塚、大津の5か所の基地に、各1個大隊。 せめてそれを・・・」

参謀長の進言、いや、願望に、軍団長が首をゆっくりと横に振る。

「海軍大津基地の1個大隊は急遽、小浜に移動したよ。 海軍第4連合陸戦旅団と合流して、BETA群の北陸への移動を阻止する為にな。
鈴鹿の大隊は、比良山地に籠った。 あそこを失陥すれば、琵琶湖全体が光線級の的になる。  大和の1個大隊もおっつけ合流する」

残るは、大阪府北東部の河内基地、そして兵庫県南東部の宝塚基地、それぞれの戦術機甲大隊のみ。

「・・・5艦隊の宇佐中将から、何とか2個大隊を出して貰う事になった。 これで5艦隊は戦力全てを吐き出したよ。 残るは大阪警備府の根拠地隊だけだ」

「堺の工業地帯の空き地に展開している、第2聯合陸戦師団は・・・?」

「あれは、本土防衛軍の指揮下に無い。 海軍軍令部が手放さないだろう、他の聯合陸戦師団もな」

海軍と陸軍の確執。 本土防衛軍の主導権はその性質上、陸軍がかなりの比率を握っていた。 
これに海軍が強く反発した結果、海軍側は第5艦隊などの基地隊、陸上部隊、鎮守府・警備府警護艦隊の本土防衛軍編入は認めた。
しかし、聯合艦隊主力と強襲上陸専門の海兵隊、緊急展開部隊である聯合陸戦師団は手放さなかった。

「今も統合軍令本部と、本土防衛軍総司令部との間で、大喧嘩中だよ」

逆に、統合軍令本部は海軍が主流を占める。 陸軍は傍流だったし、航空宇宙軍は我が道を行く、である。
諦観にも似た表情を浮かべる(いや、呆れ顔か?)軍団長と異なり、参謀長の表情は怒りがありありと見える。
当然だろう、本土にBETAの上陸を許し、今まさに帝都の前面にまでその侵攻を許している状況下で、軍官僚たちは相変わらずの縄張り争いと来た。

「それに本来なら、あと1個師団相当の戦力を使えた筈なのだ、京都の北部でな・・・」

「・・・斯衛、ですか?」

参謀長の問いかけに、軍団長が無言で頷く。
帝都には、斯衛第1、第2聯隊戦闘団が存在する。 いずれも増強戦力で構成され、2個戦闘団を合わせると、陸軍の1個師団戦力を優に上回る、有力な部隊だった。
その部隊が、現在は帝都に逼塞して出てこない。 表向きは帝都城(二条城)警護が主任務だから、と言うが。
しかし、斯衛第3聯隊戦闘団は宮津に投入されたし(半数近い戦力を失った)、九州と山陰では、第4と第5聯隊戦闘団が、全滅するまで戦っている。
副帝都・東京に駐留する第6聯隊戦闘団は、今更間に合わないとはいえ、斯衛の主流である第1、第2聯隊戦闘団が逼塞している様は、何とも歯がゆい。

「禁衛師団が、丹波高地に出撃しただろう?」

軍団長が、苦虫を潰した表情で話を続ける。

「あれはな、政府の奏上をお受けなされた陛下が、既に東京に遷御(せんぎょ:御座所の場所を移動する事)為された為だ。
既に遷幸(せんこう:都を他の場所に移す事)は為されたのだよ。 京都は最早、帝都では無い・・・」

皇帝陛下の警護の任は、禁衛師団第1聯隊第1大隊が担って、既に4日前に京都を脱出したと言う。
そして残る禁衛師団主力は、純粋に野戦部隊として、本土防衛の任に当っているのだ。

「城代省が、横槍を入れてきた・・・ らしい。 政威大将軍は、未だ京都に残っておるそうだよ」

「・・・何故です? 摂政(政威大将軍)が陛下の元を離れて、どうすると? 政府も大半は、疎開が完了しておりますぞ?」

「知らんよ、出来者の聡い娘と聞くが・・・ 今更、京都に残って戦意を鼓舞されてもな。  将兵の中には、純粋に感動する者も居るかもしれん。
しかし、政府内や軍部には、非常に不評だ。 さっさと東京に避難して欲しい、それが本音だよ」

当然だ。 軍の最終方針の中には、三方を山に囲まれた盆地である京都にBETAの大群を誘導し、S-11の一斉飽和砲撃で殲滅する、と言った作戦案も有るのだ。
それだけでは無い、政威大将軍が京都に留まり続ける限り、一定の防衛戦力を京都に張り付ける必要がある。
例え他の戦区が酷い状況となったとしても、政威大将軍をBETAに喰い殺させる訳にはいかないのだ。 民族性が、それを許さない。

「斯衛が使えればな・・・ 海軍の5個戦術機甲大隊、全て西に回せたものをな」

最後には、愚痴になっていた。

「しかし、そうも言ってはおれん。 我々軍人は、政治に関与すべからず―――統制派の軍官僚が、どう考えていようとな。
それに、あと6日だ。 6日すれば、東海・東部・北部の各軍管区から6個師団の増援が到着する」

部隊移動だけなら、2日も有れば済む。 しかし6個師団を賄う兵站全般がそれでは整わない。  どうしてもあと数日が必要だった。

「はい、国連軍も中韓が各1個師団の増援と、大東亜連合軍から2個師団。 既に中継集結点の台北を出港しました、到着予定は3日後です。
それと、米海兵隊の第3海兵遠征軍と第7艦隊は、既にグアムを出撃しました」

「海軍も、第1艦隊が水師準備(出撃準備)を完了させたと言う、明日の夜には紀伊水道に突入してくる。
絶望だけじゃないよ、参謀長。 士気を維持する範囲で、情報は部下達にも教えておこう」

「先に少しでも光が見える方が、戦う気力も違うでしょう。 判りました」









7月24日 1520 兵庫県神戸市北区鈴蘭台 第18師団第181戦術機甲連隊第2大隊


『B小隊4番機、レーザー直撃!』

『島崎! 島崎! 脱出しろ!―――脱出してぇ!』

『だ、ダメです! 芳川少尉! 管制ユニットが変形して・・・ エジェクト出来ない! うわあああ!』

3時間前、白川台を突破された。 第9軍団は全面的に後退し、今は神戸市内―――中央区のど真ん中で、市街戦を展開している。
そして第18師団戦術機甲連隊の第2大隊は、単独で北へ抜けるBETA群の突破阻止を担っていた―――担っていた筈だった。

『中隊長! 残存8機です!』

中隊副官の支倉志乃中尉が、悲鳴のような声で報告する。
鈴蘭台に後退した時点で、中隊は中破した1機を除き、11機の戦力を保っていた。 それが続く2時間の間に3機を失い、残弾数は限りなく乏しい。
第21中隊『セラフィム』、中隊長の綾森祥子大尉は、充血した目を血走らせながら、各種情報を確認し、BETA群の動きを確認し、部下のバイタルデータを確認する。
結論は―――このままでは、あと1時間も持たずに中隊は全滅する。 自分も此処で死ぬだろう。

「編成を変える! 高橋、後衛小隊を指揮! 宮城と諏訪は、高橋の指揮下に入れ!」

―――『了解!』

第3小隊長の高橋智中尉、宮城直子少尉、諏訪義彦少尉が、トライアングルを組んで後衛に位置した。

「支倉、Bエレメントの指揮を取れ! 芳川は私のAエレメント、伊庭は支倉と組め!―――芳川、まだ行けるわね!?」

『だ・・・ 大丈夫です、中隊長!』

芳川慶子少尉のバイタルデータが、酷く乱れている。 つい先ほど、エレメントを組んでいた後任少尉を、戦車級に喰い殺されたばかりなのだ。
最後に残った新任少尉である、伊庭秀直少尉は大丈夫そうだ。 これが初陣だと言うのに、随分と落ち着いている。
『死の8分』も無事に越した、案外図太い神経を持っている様だ。 そろそろベテランの部類に入って来た支倉と組ませれば、大丈夫だろう・・・

苦戦の理由、それは光線級に頭上を押さえられつつある事だった。 
西の小高い山地部、標高にして200mから300mしかないその場所に、数10体の光線級に陣取られつつあった。

「くっ! 中隊、フォーメーション・アローヘッド・ツー! 北に向けて突破する! 箕谷駅まで突っ切るぞ!」

最早南側は、BETAで埋まっている。 そして箕谷から東、そして北東に伸びる有馬街道を維持しなくては、三田と篠山方面は南からBETAの奇襲を喰らう事になる。

『ユニコーン・リーダーだ、『セラフィム』! 箕谷まで突破出来るか!?』

大隊長の荒蒔少佐の声も、苦しそうだった。 今は第23中隊、『ステンノ』と共に、西の光線級を何とか排除しようとしている。
レーザー照射の直撃を避ける為に、稜線を見え隠れしながら、アクロバットもどきの高速機動中だ。

『ステンノも、3機を失った! 南の、BETAの津波の前で阻止戦闘中の『フラガラッハ』は2機損失! 
何としても箕谷を確保してくれ! 最早あそこからしか、本隊との合流は不可能だ!』

『ステンノ・リーダーより、セラフィム・リーダー! 箕谷の確保、お願いします! こっちは、正直ヤバいです! 光線級の排除は、無理かも・・・!』

「残存、8機です、大隊長。 やってみせます! 美園! もう少し頑張って、お願い!―――中隊、突撃!」

8機に減った94式『不知火』が、フォーメーションを維持しつつ、水平噴射跳躍で突進する。
少しでも高度を取れば、あっという間に光線級の認識空間に身を晒す事になる。 
要撃級の前腕をギリギリで回避し、集る戦車級にキャニスター砲弾を撃ち込み、ひたすら前進する。

綾森大尉が先頭を切っていた。 本来この役目をする筈の、突撃前衛小隊長は既に戦死している。
それに、顔に似合わず大尉も、元々は突撃前衛上がりなのである―――そう言うと、10人中10人とも、耳を疑うが。

「高橋! 両翼の支援砲撃! 支倉、伊庭! 喰い残しに構うな! 芳川! 私に付いて来い!」

後衛小隊の3機が、両翼から迫りくる小型種―――主に戦車級に狙いを定めて、36mmで掃射する。
前衛のBエレメントの2機が、Aエレメントが仕留めそこなった針路上の大型種に、止めの砲弾を叩き込む。
その時、酷く懐かしく感じられる―――実際はそうではないのだが―――声が綾森大尉の耳朶を打った。 今、一番傍に居て欲しい人の声が。

『・・・フラガラッハ・リーダーよりユニコーン・リーダー! 正直、タイムリミットは後10分と考えて下さい!』

『周防、BETA群は!?』

『益々、意気盛ん・・・ どうしようもない位に! 摂津! 四宮! 各小隊、抜刀! かかれ!』

信じられない。 あの、普段から近接格闘戦を、『最後の手段』と言っている第22中隊長が―――綾森大尉の恋人が、戦場で中隊に抜刀を、近接格闘戦を命令するなど。
心臓が飛び跳ねる気がする。 近接砲戦でこそ、その力を出し切るスタイルの衛士が、近接格闘戦と言う事は―――最早、予備弾倉の最後の1本まで、撃ち尽したと言うのだ。


『ぜっ! はっ!』

エレメントを組む芳川少尉の声が、次第に荒くなってきていた。
チラリと見たバイタルデータは、かなり乱れた波形を示している。

(・・・拙い・・・)

このままでは、ちょっとした操縦のミスを引き起こしかねない。 この場では、それは即、死を意味する。

『中隊長! 前方に箕谷駅を視認!』

支倉中尉の声が聞こえた。 咄嗟に顔を向ける、有った。
あそこまで行けば取りあえず、西の光線級から身を隠せる起伏が有る。 何としても、1秒でも早くあそこへ。

『ッ! 中隊長! 左! 左前方!』

その声は支倉中尉だったか。 或いはエレメントを組む芳川少尉だったかも知れない。
視界の片隅に捉えた光景。 要撃級が2体、今まさに自分の機体の直ぐ前で、その強固な前腕を振り上げているその姿を。

『ちゅ、中隊長!!』


―――意識が、暗転した。







[20952] 本土防衛戦 京都防衛前哨戦 3話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2010/11/30 01:29
1998年7月26日 1130 大阪府大阪市内 陸軍臨時野戦病院


「―――血圧低下!」

「強心剤投与だ、NA(ノルアドレナリン)を・・・ このクランケ、体重は!?」

「計測できていません。 しかし、標準的な女性衛士です」

「よし、じゃあNAを6Aで・・・ 5%ブドウ糖希釈を48mlだ、急げ!」

手術室―――いや、かつては待合室だったのだろうスペースに、無理やりオペ台を設置した臨時執刀エリアと言うべきか。
正規の手術室など、とうの昔に処理能力を飽和させていた。 余程、空気感染の危険が危ぶまれる場合だけ、使っている。
それでさえ、患者の数―――負傷兵の数が多すぎる。 『只の』外傷なら、こうした臨時手術台で、しかも恐ろしく大雑把な処置を施すのが精々だった。

「右脚、膝部から下部、壊疽を起こしています。 右胸部陥没、肋骨が4本」

「まずは脚だ、このままでは壊疽ガスの毒素が回ってしまう―――切り落とすぞ」

あちらこちらで、平時なら数時間から10数時間をかけて『治す』為に手術が行われたであろう重傷者達を、『生かす』為に必要な『パーツの除去』が行われている。
向うのオペ台では、朦朧としつつある意識を何とか保っている負傷した衛士が、しきりに何かを呻いている。

「脚を切らないで、だ? 馬鹿モン! 中尉、貴様、死にたいのか!? この脚を切り落とさなきゃな、貴様はあと数時間で、壊疽の毒が回って死ぬんだぞ!」

悲鳴が上がる、どうやら麻酔が余り効いていない為か。 看護兵が数人がかりで暴れる負傷兵に覆いかぶさり、その体を押さえつけていた。

「騒ぐな! 喚くな! 腕の1本や2本で助かるのだ、我慢しろ!」

「猿轡を噛ませろ! 舌を噛み切る恐れがある!」

「おい、余り麻酔が効いとらんぞ? ・・・酒飲みだぁ? ったく、しょうが無い。
おい軍曹、貴様、自業自得だ。 戦車級に集られて、両脚無くすだけで済むんだ、幸運だぞ、貴様は!」

廊下には前線で衛生兵による応急処置を、軽く施されたままの負傷兵たちが何十人と、呻きながら順番待ちをしている。
立っていられる者達は少ない。 殆どの負傷兵は、毛布が敷かれた廊下の床に並べられ、苦痛に耐えながら、遠ざかろうとする意識と必死になって戦っていた。

「これ、E(死亡)、モルグ(死体置き場)に。 こいつはB(生存可能負傷者)、向うへ連れて行け。 こいつはA(軽傷者)、至急処置・・・」

看護兵(予備役の看護婦)を引き連れながら、軍医(これも予備役の軍医将校)が、廊下に寝かされた負傷兵の様子を見て回っている。

「こいつはC(生存可能重傷者)、こいつは・・・ お、運が良いな、Bだ。 貴様、助かるぞ。 お次は・・・ D(生存困難重傷者)か?」

ペンライトの光を瞳孔に当てて、反応を見る。

「・・・いけねぇ、もうEだ。 運び出せ。 次は・・・」

軍医の『選別』が続く。 最前線後方の野戦病院に指定された、このかつての市民病院。 大阪や京都南部に病院の数は有れど、負傷者の数も恐ろしい数字に上っている。
そして残った医者や看護婦達は、即日予備役招集によって、予備軍医将校、予備看護下士官兵として、こうして野戦医療に従事していた。
そこには戦場並みに、いや、或いは戦場以上に冷酷な『現実』が存在していた。 軍医の数が足りない、看護兵の数が足りない。
それにベッドが足りないし、何より医療スペースが飽和状態だ。 医薬品も恐ろしい勢いで、消耗され続けている。

よって、『選抜』―――簡単な処置を施すだけで、戦場復帰できる『予定者』が最優先とされ、次に傷の程度の軽い順に治療を施される。
重傷者などは、軽傷者の処置が終わるまで、モルヒネと抗生物質投与だけで何時間も放置される。 当然、その間に命を落とす者も多い。
運良く治療の番が回ってきても、この不衛生な(医療現場と言う意味で)場所で長時間放置された結果、感染症になった者、壊疽を起こして四肢を切断される者が相次いだ。


そんな様相を片隅に見ながら、大尉の階級章を付けた女性衛士が溜息をつきながら、廊下を進んでいた。
ただでさえ、真っすぐに歩けない。 廊下は横たわった負傷兵で溢れかえっているし、彼等を脚にかけないよう、気を付けねばならない。
先導する看護伍長(多分、以前は市民病院の正看護婦だったのだろう)の女性伍長の後ろを、気を付けながら歩く。

「・・・伍長、酷いモノだね・・・」

周りを見ながらそう声をかけるが、当の看護伍長からは何の返事も無い。

「・・・伍長? おい、看護伍長!」

「えっ!? あ、はっ、はい! 私でしょうか!? 大尉殿!」

「・・・君以外に、誰が居るって言うのよ?」

呆れ顔で、その大尉が呟く。 大尉と言う階級で想像される年には見えない、精々20代半ばか、その少し前の若い女性士官だった。
しかし、その顔は20代半ば前の若い女性―――本来、その年ごろの女性にあって然るべき色は少ない。
疲労と、苦悩と、悲劇を知った者に刻まれる、そして決して目には見えない跡が刻まれた面立ち。

「も、申し訳ありません。 まだ、慣れていないもので・・・」

「・・・召集されて、どの位なの?」

「今日で、10日です・・・」

小さな声で、震える様に呟く目前の看護伍長。 10日―――10日前までは、普通の市民生活を送っていた若い女性。 多分、自分と同年代。
勿論、外科の看護婦として、様々な患者と接してきた事だろう。 中には虚しく死んで行った患者も居ただろう。
だが、それは『生きて、治そうと』、医療関係者が持てる知識と技能を、最大限に振るった結果だ。
今の様に戦場で戦う『駒』を、『修理』するが如き様相では無かっただろう。 そして、その落差に対して、目前の看護伍長が内心で衝撃を受けている事も判る。

「まさか、こんな・・・ 病院で、こんな・・・ 先生方も、何も感じない様な・・・ 信じられません・・・」

多分、この病院の医師団には、野戦従軍した経験者が比較的多かったのだろう。 
負傷兵にとっては、ある意味で幸運だ。 人道的見地に立てば―――冗談では無い。

「慣れろ、そうとしか言えないわね。 馴れてしまって、医療従事者の矜持まで失う事は恐ろしいわ。 だけど、慣れなさい。 戦争はまだまだ続くから・・・」

大尉自身、戦場では戦死者同様、多くの負傷者を見てきた。 人体とは、これほどまで破損するモノなのか。
そしてこれほど破損しても、人は生きていられるのか。 そう恐怖した経験も、何度も有った。
馴れてしまうのは、自分自身、怖いと思う。 しかし、慣れなければ戦えない。 これは彼女自身が、戦場の経験で得た教訓だ。

「・・・はい、大尉殿、はい。 あ、こちらです。 昨夜に手術も終わって、眠っておられます」

看護伍長の指さす先、広いホールに所狭しと並べられた簡易ベッドに、点滴のチューブを付けて横たわる女性の姿が有った。

「先生の・・・ いえ、外科部長の・・・ もとい! 軍医少佐殿の所見では、一命は取り留めたと。
しかし、ここでは感染症の恐れも有りますから、明日の病院船の便で、東京陸軍衛戍病院に搬送する予定です」

大阪湾は、既に戦の海と化している。 病院船はまだ『安全な』伊勢湾から、琵琶湖運河の伊勢水道を経由し、河川港の滋賀県甲賀港に停泊している筈だ。
主要幹線道路、それに名神高速道路は既に軍の移動・兵站路として占有されているから・・・ 久御山まで一般道で、そこから京滋バイパスを瀬田東まで。 そこから新名神か。

「・・・仮にも、大尉の階級にある人なのよ。 それなのに、こんな大部屋? いえ、もっと酷いか、仮スペースで簡易ベッドだけ?」

思わず、非難がましい声になってしまったか。 看護伍長が済まなさそうに、本当にすまなさそうな声で、弁明する。

「も、申し訳ありません・・・ ですが、大尉殿、本当にもう飽和状態なんです。 患者さんは次から次へと。
でも、病室もベッドも、全然足りなくって。 せめて他の病院に、ってお願いしているらしいんですけど、どこの病院もこんな状態で・・・」

―――彼女を責めても、どうしようもないのだ。 彼女の責任ではない。 それが証拠に、まだ若い女性が顔の水分がこそげ落ちた様な、カサカサの肌になっている。
恐らく、もう何日も不眠不休で、負傷兵の治療にあたって来たのだろう。 彼女を責めるのは、お門違いだ。
その時、入口の方からまた、大きな声が聞こえてきた。 同時に呻き声に悲鳴、哀願の声、そして怒声。

「27師団衛生隊だ! 負傷者が31名! 頼む!」

「31人!? 冗談じゃない! 既に朝方から、400名以上を受け入れているのだぞ!?」

「こっちはもう、5か所の野戦病院をたらい回しだ! これ以上、放っておく気か!」

「お、おい! 銃をしまえ!」

「警備兵! 警備兵!」

衛生隊の先任下士官と思しき男が、頭に血が上ったのか、所持していた拳銃を抜いて看護兵を脅し、治療を強要している。
軍医や看護兵の声を聞きつけ、慌てて駆けつけた警備隊に押さえつけられるが、それでも叫ぶ事は止めなかった。

「頼む! 本当に、頼む! 死にそうな連中ばかりなんだ! 簡易処置だけじゃ、どうしようもないんだ! 
俺たちじゃ、もう手の施しようが無い! 師団の衛生隊じゃ、もう手に負えないんだ! 本当に死んじまう、頼む!」

「・・・こっちも順番が有る、先着した負傷者を診た後になるが―――おい、何とかして、空きスペースを作るんだ。 全員を収容する!」

「あ・・・ ありがとう、ありがとう・・・」

警備兵に両脇を抱えられながら、野戦病院から引きずり出されていく衛生隊の下士官が、疲労と汚れが滲んだ顔に、安堵の色を滲ませながら涙ぐんでいた。
その様子を見ながら、大尉を先導していた看護伍長が、本当に遣り切れなさそうな声色で、ポツリと呟く。

「個室に3人も4人も詰め込んだり、4人部屋に8人も10人も・・・ どんどん、死んで行くし、私、もう・・・」

慰めるべきか、励ますべきか―――結局、どっちつかずになった自分に、舌打ちする。

「心を折るな、看護伍長! ここは君の戦場だ、ここで君が負けてどうなる!?―――できれば、気丈になってもらいたいわね。
そうすれば、私も安心して負傷できるしね。 美人の看護、なかなかいい感じじゃない?」

最後は、我ながら下手な冗談だな、そう思う。 どうも自分自身でも、普段の余裕が無さそうだ。
それでも、疲れきった顔に多少は安心感を与える『何か』を、出す事に成功した様だ。 
ふと、それまで余裕の無かった看護伍長が、キョトンとした後で、少しだけ笑った。

「大尉殿、私は女ですし、大尉殿も女性ですよ?」

「私もノーマルだよ。 だけど・・・ むさくるしい衛生兵が、付きっきりってのは余りゾッとしないなぁ。 やっぱり、美人の方が良いよ!」

そう言って、二カッと笑う女性大尉―――兵科章は衛士だ―――の笑顔につられて、看護伍長もやや余裕を取り戻した。


「こちらです。 一命は取り留められましたが、しかし外傷が酷くて・・・」

眠っているその女性―――大尉で、先任の衛士で、かつての上官―――には、手足が欠けていた。
正確には、左足が大腿部から下、そして左腕は肘下から先が無い。 頭部は包帯で巻かれていて、両眼も包帯に隠れて見えない。

「搬送された後、術式にかかれたのは5時間経過した後でした。 手術の時にはもう、右足と右腕は壊疽が進んでいました。 
傷口から腐っていたんです、切り落とすしか方法が・・・ それに、多分管制ユニットの内装材が飛び散って、それが刺さったのだと思います、両眼に細かい破片が。
全て除去はしましたが、網膜が剥離しかかっています。 このままでは失明の恐れが有ると、軍医殿は仰ってられます」

「・・・疑似生体を使っても?」

「疑似生体処置を受ければ、多分、失明は免れるだろうと。 ただ、背骨に多少の損傷が有りますので、精密検査が必要ですけれど、もしかしたら衛士資格は・・・」

「そう・・・ 判ったわ、有難う。 ここは良いから、職務に戻りなさい、伍長」

「はい! では、失礼します、大尉殿!」


急ぎ足で去る伍長の背中をチラリと見て、視線をベッドの上に戻す。 微かに唇が動いた気がする。 苦痛は無さそうな眠りだった。
眠っているその姿を見ながら、こんな姿を見たくはなかった、そう思う。 いつも自分の前の道を、微笑みながら歩いているような女性だった。
自分が新任少尉の頃の、直属小隊長。 中尉に進級し小隊長となった時には、直属の中隊長として、その指揮下で戦い続けてきた。
その後も、戦場を共にしてきた。 大尉に進級し、中隊を率いる様になってからは、先任中隊長として、様々な事を教えてくれた。

「本当に・・・ 見たくなかったですよ。 見たくないですよ、綾森さん」

ベッドの傍らで立ち尽す女性大尉―――美園 杏大尉が、ポツリとこぼす。 その声に応える筈の女性は、眠ったままだ。

前線の戦況が小康状態となり、部隊も補給・修理が必要だった。 それに戦術機甲連隊も、何機もの被撃破機を出してしまった。
一時的に前線後方(と言っても、20km程だが)に下がった際、最後任大尉と言う事で、連隊の負傷者の様子を確認しに派遣された訳だ。
同期の仁科大尉―――仁科葉月大尉は、こちらはこちらで、整備や補給の連中と遣り合っている事だろう。 少しでも早く、部隊のコンディションを回復さす為に。

自分が所属する第2大隊は、第21中隊が戦死3名、負傷2名(内、1名が中隊長の綾森大尉)で、5機損失。 残存7機。
自分の率いる第23中隊は、戦死2名、負傷1名の3機損失。 残存9機。 指揮小隊も1機を失い、現在は大隊長を含め3機。
第22中隊だけは、中隊長の図々しさが浸透しているのか、負傷は1名で、他に1名が無傷で脱出した。
結局第22中隊は機体損失2機、衛士の損失は1名で済んでいる。 予備機を使用して、残存11機。
大隊は、完全充足戦力40機の内、10機を喪い、現在の戦力は30機。 実に25%の戦力を、数日の戦闘で喪ったのだ。

特に須磨からこちら、単独阻止戦闘を担ってきた第21中隊の損失が大きい。 中隊長まで戦線離脱の重傷を負った。
綾森大尉は、あの怪我では恐らく今後の衛士復帰は、望めないだろう。 他の重傷者の様子も見たが、1人は多分復帰できそうだが、残り2人は無理だと思う。
隊に帰ってから、報告する事を思う時が重い。 将校として、その責務は果たさねばならない事は理解している。 が、頭と感情は往々にして合致しないものだ。
大隊長や連隊の幹部に対しては、務めて事務的な報告で済ませられるだろう。 他の部隊の負傷者に付いても同様だ。 だけど・・・

(だけど、何て切り出そうかなぁ・・・ 無理してるっぽいしなぁ・・・)

同じ大隊の先任中隊長。 綾森大尉が負傷後送された今、大隊長を補佐して大隊の中核を担う立場の、男性衛士。 そして後送された彼女の恋人。
今のところ、外目には変わらずに軍務に励んでいる。 もっとも、最前線の戦術機甲大隊の先任将校ともなると、体が幾つ有っても足りないほど忙しい。
意識してかどうかは判らないが、自分に負傷者の様子を見に行くよう指示を出した際にも、特別に綾森大尉の事は一言も口に出さなかった。

(多分、かなり無理しているよね・・・)

付き合いの長い相手だ、その位は判る。 だから、報告するのは気が重いと思うのだ。
しかし、そう言ってもいられない事も事実。 ベッドの上で眠るその姿に静かに敬礼をし、美園大尉は来た時とは少し異なる足の重さを引きずって、野戦病院を出た。









1998年7月26日 1850 兵庫県芦屋市 六甲山系


六甲の山頂付近から、眼下の市街地を見下ろせる。 
いや、『市街地だった』場所か。 今も続く砲撃と、BETAの悪食によって、かつての賑わい華やかだった街並みは、廃墟と化している。
それは、この六甲山系も同じだ。 緑の豊かな山系は、今も撃ち込まれ続けるクラスター砲弾や榴弾、ミサイルのお陰で、辺り一面禿山状態になっている。

≪CPより、フラガラッハ・リーダー。 哨区B3RからB4Eまで、現在の所はBETA発見の報告無し≫

『ろゆう』(芦有ドライブウェイ)の山頂付近で、75式指揮通信車でオペレートをしている渡会(渡会美紀少尉)の声が聞こえた。 
半瞬して網膜スクリーンに姿がポップアップ。 何か計器情報を確認しているのか、視線を落したまま、哨区情報を伝えて来る。

≪中隊はこのまま前進、六甲山トンネル直上付近まで戦闘哨戒。 六甲アイランドの海軍第133戦術機甲団(河内基地所属:大隊編成)から情報です。
BETA群は芦屋から神戸市灘区にかけて、主力集団が密集中。 光線属種は中央区付近です。 『ろっこうケーブル』入口付近から、少数の小型種が稜線に向け、移動中を確認≫

「・・・小型種の種類と数、判るか?」

≪照合中です・・・ 照合、出ました。 戦車級、約100。 他の小型種が約250、合計350体前後です≫

小型種ばかりが350体。 1個戦術機甲中隊であれば、殲滅は問題ない。 問題は、他の方向から登って来る連中がいるかどうか。

「三田方面からの情報は? それと、摩耶山方面は? どうなっている?」

≪現時点で、BETA発見、乃至、侵入の報告は有りません。 25分前に再度山の『アレイオン』(第14師団第12戦術機甲中隊)が、100体の小型種を殲滅しました。
それ以外は、『ウォードック』(第29師団第22戦術機甲中隊)からも、BETA発見の報告は有りません≫

西と北は、今のところ動きは無し。 東も俺の中隊が確認した。 だとすると、後は南だけか。
時々、渡会の表情がムッとした表情になる。 移動中だからだろうか。 73式装甲車と93式装輪装甲車の配備が進んだ為、退役寸前の60式装甲車。
その容量に余裕のある車体を再利用して、通信機材を詰め込んででっち上げた75式指揮通信車の内部は、実は恐ろしく狭く乗り心地が悪い。
大陸派遣軍からの編入組である第9軍団各部隊には、82式(指揮通信車)なんて贅沢な装備を与えられていない。
でっち上げでも何でもいいから、十二分な指揮通信性能を有した75式は重宝されている。 乗車するCP将校達には、酷く不評だったが。

「フラガラッハ・リーダーよりCP。 稜線の北側を通って、六甲山牧場付近まで進出する。
地形から判断して、小型種は頂上には来ないだろう。 平坦な牧場に集まって来る、そこを叩く」

≪CP了解。 『アレイオン』、『ウォードック』へ連絡します。 変化が有れば即時管制連絡を入れますので、中隊通信系はオープンでお願いします≫

「リーダー、了解」

渡会の姿が、スクリーンの片隅に小さく収まる。 初陣の頃は全く子供っぽい、少し慌て者のCPだったが。
遼東半島と光州、そしてこの本土での戦い。 いつの間にか落ち着いて戦闘管制をするようになった。
考えてみれば渡会も、そして同期生に相当する衛士連中も、無事生き残れれば、この10月には中尉に進級する。
ヒヨコだった連中が、いつの間にか、しっかり飛べるようになったものだな・・・

「リーダーより02、03。 NOE開始。 N-30-38から稜線沿いを迂回して、北からN-32-43へ。 六甲山トンネル直上で待機。 制限高度、650」

『02、了解』

『03、了解です』

B小隊の摂津、C小隊の四宮から応答が帰って来た。 続いて瀬間から報告が上がる。

『04です、中隊各機の推進剤残量、88%  弾薬は完全充足』

補給コンテナは、山系の各所に分散設置されている。 連隊が全力戦闘を数時間は行える数が。

「了解した。 リーダーより全機、NOE開始」

11機になった中隊の94式『不知火』のFE108-FHI-220が一斉に咆哮を上げ、噴射跳躍からNOEへと移る。
高度を気にしつつ、地形をなぞるように飛行する。 間違っても稜線より上に頭を出すのは拙い。

左手に山の斜面が近付き、視界の片隅を猛烈な勢いで流れ去って行く。 スロットルをやや開けて、推力を少し増す。
そのまま稜線の北側、やや下方沿いに複雑な曲線飛行を行う。 西の空は、既に夜の闇が迫りつつある。 夕日の残滓が、山麓を照らし出す。
海岸部に蠢いているであろう光線級に、捕捉されるリスクを低減させる為とは言え、山腹に激突しそうなスレスレの飛行だ、神経を擦り減らす。

上昇に移ったと同時に機体を左に傾けながら、スラスターノズルの角度を微妙に変えて揚力を増し、左前方の稜線鞍部をフライパスする。
越したと同時に推力を抑え、機体姿勢を元に戻しながら機首を針路上に戻す。 跳躍ユニットの噴射制御パドルを全閉塞、同時に逆噴射制御パドルを一気に全開。
接地する直前に再度噴射制御パドルを全開にし、緩降下からゆっくりと目標地点に降下。 後続する部下達も危なげなく着地する。

「リーダーより各機、LANTIRN(夜間低高度赤外線航法・目標指示システム)セットアップ」

1850時―――そろそろ、目視での機動が心許ない時間帯になってきた。 早いうちに『LANTIRN』を使う事にし、部下へ指示を出す。
網膜スクリーンに薄暮の薄闇の世界が映し出される。 薄暗闇や完全な夜間の作戦行動には欠かせない装備だ。 
だが、それが映し出す世界の色調は、好きな世界では無い―――ああ、そう言えば前に文怜、今は国連軍派遣で、少し離れた場所で戦っている朱文怜も、同じ事を言っていたな。

「リーダーよりB小隊、谷の向こう側、摩耶山の方に陣取れ。 C小隊は現地点を確保。 A小隊は俺が直率して、牧場の奥で底に蓋をする」

―――『了解』

「いいか、摂津、四宮。 突っかかるな、近接戦闘は許可しない。 下から上がって来る連中を、撃ち下ろしで上から片付けろ。
それと判っているだろうが、稜線の向こう側―――海岸線を視認できる場所には、位置取るな。 光線属種は中央区付近だ、こっちが頭さえ上げなければ、連中は認識できない」

小型種が這い上がってこようとしている場所は、丁度光線級が集まっている場所からは、山腹が邪魔をして直接視認できない地形だ。

≪CPよりフラガラッハ! 小型種約350、来ます!≫

渡会の声に、戦術レーダーを確認する。 ケーブル乗り口から、丁度B、C小隊の間の谷筋が赤く染まっている。

「リーダーよりB、C小隊、まだ撃つな。 まだだ、連中が全て、完全にこちらの懐に収まるまで、撃つな」

一気に片付ける。 それこそ、下のBETA群が認識できる暇を与えない程、ごく短時間で。戦闘集団の戦車級が、ズームで視認出来た。 薄暗闇の中、禍々しい赤い死神の姿が。
群れの長さは、約400m 先頭集団は距離1000を切った。 まだだ、群れの後方はケーブルの入口付近―――BETA群の主力集団から、それ程距離は離れていない筈だ。

『03よりリーダー。 後方集団、山腹の陰に入りました・・・』

四宮からの接敵情報が入る、レーダーでも確認した。

「・・・リーダーより02、03 先頭集団が牧場入口付近に達したら、射撃開始」

あと、500m、450m、400m・・・

『02よりリーダー、南の主力集団に動きなし。 小型種先頭集団、射撃開始地点まであと200m・・・』

「リーダーより全機。 弾種、キャニスター。 1斉射後は36mmで掃討する」

あと、100m、50m・・・

「目標、視認! 中隊、射撃開始!」

突撃砲から120mmキャニスター砲弾が、一斉に発射される。 
瞬く間に狭い地形で密集していた先頭集団―――戦車級の群れの前と左右上方で炸裂した。
高速で飛び散る細かい子弾と破片によって、BETAをズタズタに引き裂き、吹き飛ばす。

「続けて撃て! 距離は50を維持! C小隊、集団のケツを削れ! B小隊、中ほどを殺れ! A小隊、退くなよ!?」

谷筋の下から、BETA―――戦車級に闘士級、兵士級が湧きあがって来る。 感覚的にそう感じるが、実際の数はずっと少ない。
既にB、C小隊がかなりの数を削っている、A小隊の前面まで這い上がって来た数は・・・ 精々、100体を少し越す程度か。
レクチュアルがロックオンしたターゲットに対し、機械的にトリガーを引く。 高速で射出される36mm砲弾が数体纏めて切り裂いてゆく。

(・・・ッ!)

無意識にトリガーを引く指に、力が入っていた。 もう残骸と化しているBETAに、尚も砲弾を撃ち込んでいる自分がいる。
そう、どこか離れた場所から、自分を見ている感じだ。 多分、無意識に頭に血が上っているのだろう。 ここ数年、記憶にない自分の姿。

『中隊長! BETAは全て殲滅しました! 中隊長!』

不意に瀬間の声が耳を打ち、我に返った。 反射的にトリガーから指を離す。 ようやくの事で、山中に殷々と響いていた射撃音が鳴りやむ。
酷いものだ、36mmを散々撃ち込まれた山肌が、随分と削れている。 BETAなど、もうどこにも居ない。 赤黒い染みとなって、地面に撒き散っている。

「・・・中隊、射撃止め。 戦闘止め。 各小隊、ダメージ・レポート」

『・・・B小隊、損失無し。 推進剤残量、80%』

『C小隊、損失無し。 推進剤、79%』

『A小隊、損失無し。 推進剤残量、平均80%です』

部下の損失無し、推進剤残量・弾薬残量共に充分、BETAは殲滅。 上々だ、上々の戦果だ、喜ぶべきだ―――喜ぶべき・・・

(・・・ふう・・・)

大きく息を吐いて、腹の底に溜まった何かを吐き出そうとした―――上手くいかなかった。
判っている、判っているのだ、今の自分のコンディションくらいは。 そして、なかなかそれを上手くコントロール出来ていない事も。

「中隊、集合。 陣形・サークル・ワン。 CP、他の哨戒中隊の状況は?」

≪CPより、フラガラッハ・リーダー。 『アレイオン』、『ウォードック』、共に哨区警戒を完了。
現在、次直の『ガンスリンガー』、『アレクトー』、『タイタン』が発進。 10分で交替します≫

稜線の陰から、摂津のB小隊と四宮のC小隊が噴射跳躍で姿を見せた。 A小隊の周りに―――俺の機体を取り囲む形で、円形に布陣する。

「了解だ、CP。 ランデブー・ポイントは?」

普段なら、任務完了の時には軽口の一つも飛ばしてくる摂津が、妙に大人しい。 その摂津へ、結構容赦ない突っ込みを入れる四宮も無言だ。
連中、どこか遠慮しているのか。 しているのだろうな、やっぱり。 自分でも、自覚はしているのだけれどな・・・

≪エリアB5D、ポイント・デルタ01です。 それと大尉、先程、美園大尉が帰隊されたと、連絡が・・・≫

「エリアB5D、D01でランデブー。 哨戒任務交替、了解。 渡会、任務以外の報告は止せ」

≪もっ、申し訳ありません・・・ッ≫

誰かが溜息をついたのが聞こえる。 蔑視や嘲笑の類では無く、どことなく息苦しさを感じる溜息。
中隊通信系は、中隊長には全機の様子が判る―――いかんな、いかん。 これじゃあ、いけない。
網膜スクリーンに映る渡会の表情。 それに小さく映っている他の部下達の顔。 通信系をそのままに、CPに対してのみ、通信を行う。

「・・・が、個人としては、心遣い感謝する、渡会」

≪はっ? は、はい!≫

シュンとした表情が、瞬く間にホッとした表情に切り替わる。 こう言う素直な点は、彼女の伸び代だろう。
実際、CPとしてもなかなか的確な、落ち着いたオペレートをするようになった。 初陣の頃からの頑張り屋は変わらず。 良い傾向だ。
通話は出来ずとも、音声は聞こえる。 中隊員の表情が、少しホッとしたような、和らいだような気がしたのは、気のせいじゃないだろう。

周囲を音紋・震動センサーで探索しながら、主脚歩行でゆっくりとランデブー・ポイントまで移動する。
取りこぼしたBETAの個体が居ないか、再侵入してくる集団の兆候は無いか、ゆっくり、確実に探索している内に、他の2個中隊と合流した。

西の方向からサーフェイシングで、高速移動してくる94式『不知火』が10機。 圭介―――長門圭介大尉指揮の、第141戦術機機甲連隊第12中隊、『アレイオン』
北から主脚歩行で移動してくる、89式『陽炎』が9機。 29師団第291戦術機甲連隊第32中隊、『ウォードック』 同期の国枝宇一大尉の指揮中隊。

『どうやら、ちょっと大きな戦闘が有ったのは、周防大尉の所だけらしいな。 美味しい所を持って行かれた』

国枝が開口一番、軽口を叩く。

『なに、一番怠けている奴の所に、神様が仕事を押し付けたんだろうさ』

圭介もそれに乗る。

『何処の神様だ? 長門大尉?』

『さあてな、何せ『八百萬の神』だからな。 中には仕事の割り振りを仕切る神様も、いるんじゃないか? どう思う? 国枝大尉』

『同意する、長門大尉』

「・・・いてたまるか、そんな神さんなんぞ。 もしいたら、真っ先にやり玉に挙げられるのは貴様だ、長門大尉。 それと、国枝大尉、下手な与太を飛ばす奴の所にもな!」

通信回線上に、悪意の無い失笑が駆け巡る。 どうやら指揮官達の下手な(そして故意の)与太の意味を理解しての、同調の意味での失笑の様だ。
網膜スクリーン上に映った圭介と国枝と。 視線を交わして、暗黙で了解する。 それぞれ、各小隊長と中隊副官に指示を与え、警戒を続行させた。

不意に秘匿通信が入った、圭介からだ。 受信先指定は俺と国枝の2機。 2人の姿が視界にポップアップする。

『どうやらBETA共は、一息入れている様だな。 助かるが、動き出した後が怖いな・・・』

『いや、どうせこっちも時間が欲しい所だった。 後方の備蓄弾薬量は、危機的なレベルにまで落ち込んでいたし、部隊も補給と修理が必要だった』

これでようやく、『同期生同士』の会話が出来る。 オープンチャンネルでは、例え周知でも体裁は必要だからな。

2人が言うのも当然だ、ここ数日の、BETAの猛攻。 正直あと数日も、あの調子で力押しされると防衛線は瓦解していただろう。
昨夜、25日の夜遅くに聯合艦隊―――海軍の主力である第1艦隊が、紀伊水道に突入した。  別動隊の第4戦隊(大和、武蔵)も、伊勢水道から琵琶湖に入った。
同時に大湊の第3艦隊も日本海を南下し続け、今日の未明に若狭湾一帯に到着し、支援攻撃を開始し始めている。

そして明日には、地上部隊の援軍が到着する。 大東亜連合軍の1個師団と、統一中華戦線、そして東南アジア派遣韓国軍から、各1個旅団。
4日後には国内6個師団の増援も到着するし、国連軍―――米太平洋軍主力も、直に到着する。 米第7艦隊と、米海兵隊第3遠征軍。
4日以内に10個師団相当の増援が到着する、それまで何とか戦線を維持しなくてはならない。 先に戦線が瓦解すれば、戦力の逐次投入と言う愚を犯す事になる。

『あと2日・・・ いや、1日大人しくしていてくれればな。 戦線が後退したお陰か、皮肉な事に今は、兵力の集中度は以前より大きい』

『・・・兵庫で400万、京都で100万の民間人を、見捨てて死なせた結果だがな』

民間人の犠牲者数は1800万人を突破し、1900万人に迫ろうとしている。 俺自身の戦歴でも、ここまで短期間にこれ程の民間人犠牲者を出した経験は無い。
大陸での経験で、大量の民間人犠牲者を出した作戦が取られた事は有った。 それを経験した事も有った。 
93年の『九-六作戦』当時。 あの時に中国軍は、BETAの猛攻から『極東絶対防衛線』を守る為に、自国民1000万人を見殺しにした。
当時、賛否両論を呼んだあの事態でさえ、今の帝国本土の状況に比べると、犠牲者の規模は半分だ。
欧州各国の犠牲者数も、時間規模で見れば今回より少ない(相対的な総数では多い) 如何に異常事態か、判ろうと言うものだ。

気が滅入る。 只でさえ、自分のコンディションが不調だと、自覚しているのに。
不意に、その『不調』の元凶に関して国枝が、ためらいがちに話しかけてきた。

『なあ、周防、その、な・・・ 余所の部隊の俺が言うのもなんだが・・・ 帰還したら、上官に頼んで少し時間を貰ったらどうだ?』

ためらいがちに、気拙い様な表情で、それでも言わずにはおけない、そんな感じだ。

『まあ、その、こんな状況下だからな。 許可が下りるかどうか、だが。 その、な。 お前の所の先任中隊長の事な、伊達や神楽から聞いてな・・・』

愛姫と緋色の、口の軽い事!―――いや、彼女達にも、心配かけていると言う事か。
祥子と国枝は、同じ第9軍団だから合同演習なんかで顔は合わすが、特に親しく口を聞く間柄じゃ無かった筈だ。
純粋に、同期生として気遣ってくれている、そう言う事か・・・

「ん・・・ 有難う、国枝、心遣いだけで。 今はこんなんだしな。 それに、部下の中には家族を喪った者も居る。 流石に、それは出来ん」

『そうか・・・ そうだな、済まん、由も無い事を言った。 許せよ、周防』

不器用に、それでいて実直に謝る国枝を見ながら苦笑する。 謝るのは、俺の方だと言うのに。
部下の事や、自分の家族の事、或いは密かな想い人の事。 自分の抱える事でも大変だと言うのに、俺は同期に余計な負担をかけさせてしまって・・・

『・・・修理と補給と、それに多少は休養も必要だ。 流石に連日、不眠不休の出撃だったからな。
直衛、お前、睡眠時間を削る覚悟が有るのなら、行ってこい。 部隊から戦死確認の報告は、入っていないのだろう?』

圭介がスクリーンの向うから、真っすぐに視線を向けて話しかけて来る。
見透かされている気がするが―――実際、見透かされているのだろうが、しようがない。

「・・・後方に下がっても、やる事は山盛りだ、時間は割けない。 部下の容体を、と言うのなら、それも考えるが。 今回は完全に私事だ」

本音を言えば、ここから直ぐに飛んでいきたい。 今すぐ確認したい―――無事だと信じ込もうとしている感情を、納得させたい。

だが、駄目だ、出来ない―――行きたい、確認したい―――駄目だ、駄目だ。

もう、考えるのも嫌になる程の、この感情と自制のループ。 正直言って、堪らない。

「判るだろう? 圭介、国枝・・・ 判るだろう? 判ってくれるだろう・・・?」

2人とも無言だった。 国枝は無言で天を仰ぎ、圭介は表情を顰めたまま。

「今まで、大陸から半島の戦線を生き抜いてきた衛士だ。 そうなんだ、そうなんだよ・・・」

何の根拠も無い思い込み。 しかし、今はそれを無理にでも、自分に言い聞かせる以外の方法を知らない。

「大丈夫だ、大丈夫だよ・・・」


東の方角から、サーフェイシングで接近しつつある戦術機部隊を確認した。 交替の3個中隊だ。
今から基地に戻る、ここより彼女に近い場所へ。 それでも、彼女から遠い場所へ。

「気を遣わせたな、済まん。 ・・・リーダーよりCP、交替部隊とランデブーが完了した、これよりRTB!」

≪CP了解。 『フラガラッハ』、RTB、了解!≫







[20952] 本土防衛戦 京都防衛前哨戦 4話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2010/11/30 01:29
1997年7月27日 0750 大阪府豊中市 豊中駐屯地 第18師団


意外と近くで砲声が聞こえる。 ああ、今日も間引き砲撃が続いているのか。 連隊本部棟に入って聞こえてきた砲声に気付いた。
神戸を巡る一連の戦闘の後、何故か一時的に前進を停止したBETA群。 それを幸いと、防衛線の再構築(早い話が、負け戦で撤退した)を行っている。
師団は最前線の張り付きから、一時的に後方へ回されて、補給と整備を超特急で行っている最中だった。
お陰でホームグラウンドに戻る事が出来たが、今は他に14師団と29師団も同居している、狭苦しいこと甚だしい。

中隊事務室で、永遠に終らない雑務処理に追われていたら、連隊長から呼び出しを喰らった―――正式には出頭命令だが。

―――コン、コン

『はい』

連隊長室のドアをノックすると、中から野太い声が帰って来た。 間違いなく、連隊長の声だ。

「周防です」

『おう、入れ』

一呼吸置いてから、徐にドアノブを回す。 ドアを開ける前に一言。

「周防大尉、入ります」

室内に入って、ドアを閉めると同時に中を見渡す。
正面の執務卓の椅子に座っているのは、連隊長の曽我部啓三大佐。 一見強面の豪傑肌だがその実、細かい所まで気を配っている人だ。
―――死んでも、そんな素振りを見せようとしないが。

傍らには、先任大隊長で副連隊長でも有る広江直美中佐。 この人には新人の頃から、散々扱かれてきた。 
但し俺の今は、この人に教えられて来たからこそ在る様なもので、頭の上がらない人の筆頭でも有る。
反対側には、直属上官である荒蒔芳次少佐。 少佐としてはまだ中堅直前の部類だが、指揮官としては視野の広い、確かな戦術眼を有する人物。

(―――で、どうしてここに広江中佐と、荒蒔少佐が居るのだ? 確か、連隊長に呼び出された筈なのだが・・・?)

そんな思いが顔に現れたのだろうか? 曽我部大佐がニヤリとした嫌な笑みを浮かべて、切り出した。

「何だ? 周防、その表情は?―――頭の上がらん夜叉姫がおると、居心地が悪いか?」

何て事を言い出しやがる、このおっさん。 見ろ、広江中佐の表情を。
餌を見つけた猛禽の・・・ もとい、格好のオモチャを見つけた、ガキ大将の笑みを浮かべている。

「・・・ほほう、周防。 貴様が私に対して、常日頃どう思っているか、よぉく判ったよ?」

悪乗りするなよ、おっさん&おばさん(失礼!) 内心で悪態をつきながら、表面は冷静に対応する―――しなきゃ、いいオモチャにされる。

「いえ、連隊長がお呼びとの事でしたので。 広江中佐と荒蒔少佐がいらっしゃるとは、存じませんでしたもので、失礼しました」

思いっきり澄ました顔で言ってやる。 連隊長は苦笑しつつ、広江中佐は面白くなさそうな顔だ(そうそう、オモチャにされてたまるか)
荒蒔少佐は笑いを堪えている―――普段の俺の苦労が良く判る縮図だ、全く。 そんな俺の顔を見て、広江中佐が少し表情を綻ばす。

「・・・ふん、あの新米坊主が、一端になったものだ。 で、連隊長?」

「うん、まあ、俺から言おう。 周防大尉、貴様、今から直ぐに大阪城まで行け」

・・・は? 俺の表情は、一瞬あっけに取られていた事だろう。 
今まさにBETAの大侵攻が再開されようかという状況だと言うのに、よりによって、最前線の戦術機甲部隊指揮官に後方へ、それも総司令部に行けとは?

「勘違いするな、周防。 何もお前を、後方に下げるとは言っておらんし、下げる余裕なんぞ有りはせんわ。
大阪城―――軍集団司令部まで行って、向うの戦略予備に編入されとる暇な衛士を数人、見繕って連れてこい、そう言っとる」

ああ、そう言う事か。 だったら最初から・・・ 何? 戦略予備から、衛士を引き抜いて来いだと!?

「し、失礼ですが、連隊長! 小官は大尉で有ります。 軍集団付きの戦略予備、それの戦術機甲部隊ならば、指揮官は大佐殿・・・ どうやって引き抜けと!?」

一介の大尉が軍集団司令部に行った所で、窓口の尉官に散々に規則尽くめで対応された揚げ句、精々が司令部の少佐辺りに叱られて、追い返されるのがオチだ。
大体が、戦略予備部隊の人員を、最前線部隊にそうそう回すものか。 いざという局面での保険―――それが戦略予備部隊だ。 いちいち引き抜かれては、頭数を保てない。

「なに、実は軍司令部からのお達しだ。 各師団―――戦術機甲連隊で、人員に穴が空いた部隊は、補充申請する様にとな」

それは喜ばしい。 実際問題、我が連隊も少なからぬ損害を被っている。 補充の衛士と予備の戦術機、喉から手が出るほど欲しい。
だが、それと戦術予備の部隊とどう繋がりが? と思っていたら、連隊長の言葉を、横の広江中佐が補足する。

「正規の戦略予備部隊では無いのだよ、周防。 
中国戦線や山陰方面で壊滅した第10、第15、第24師団の所属で、何とか生き残った連中でな、まだ戦える者が30名少々居る。
その連中は今現在、軍集団本部付きでプールされている訳だが、大隊を構成できる訳でも無いのだ。
そこで、『新しい群れ』を与えようと言う事でな。 はぐれた子犬は、新しい群れで新しい牙を与えられて、狼に変わる。 そう言う事だ」

頭の中でざっと計算する。 軍集団には今現在、戦術機甲連隊を有する師団は8個師団。 30数人を奪い合ったとして、平均で4名程度。
戦術機甲連隊は3個大隊編成だから・・・ 1個大隊当り1名から2名の補充。 実にささやかだが、無いより余程ましだ。

「で、だ、周防。 18師団・・・ 181連隊からは、貴様が『仲買人』として行ってこい」

広江中佐の言葉に、納得がいかない。 ・・・普通、大隊長クラスが行かないか? 
広江中佐は役目柄、抜け出せないとしても。 荒蒔少佐か、3大隊の森宮少佐か。

「こんな状況だ、各大隊長は場を外せん。 そこで、各部隊共に中隊長クラスを出す事になった。 
我が連隊からは周防大尉、貴様が適任と言う訳だ。 是非、余所の部隊を出し抜いて、優秀な奴を引き抜いて来い」

「・・・大尉は、他にも居ますが?」

無駄だとは判っていても、ささやかな抵抗はしてみたい。 が、返って来た連隊長の言葉は実に明快だった。

「木伏は、最先任中隊長と言う事でな、ここを外す訳にはいかん。 源は、あれは気が優しすぎる、厚かましさという点でな。
葛城は正直者と言う点で駄目だ、余所の部隊を出し抜いて、欲しい人材を掻っ攫ってこれん」

連隊長の後を継いで、広江中佐が続ける。

「美園と仁科では、まだまだ貫目が足りん。 大尉の中でも、まだ後任の部類だしな。 伊達は一見良さそうだが、あれでいて自分好みの衛士を選ぶ癖が有る。
神楽は・・・ 駄目だな、あの一本気の性格では。 余所様と喧嘩になりかねん―――判るか? 周防?」

―――あまりの言い様に、流石に腹が立つ。

「・・・つまり、自分が一番厚かましく、ねじくれた性格で、シレっと余所様を出し抜く適任者だと?」

「拗ねるな、周防。 つまり貴様が一番ニュートラルに選ぶ目を持っていて、交渉力が有って、大尉の中でも中堅としての貫目が有ると言う事だよ」

荒蒔少佐が苦笑しつつ、フォローを入れてくれる―――拗ねてなんか、いやしませんけどね。
広江中佐がニヤニヤしながら、『荒蒔君は、周防に甘い』なんて言っているが。 判っていますけどね、中佐が遊ぶ相手を選んでいること位は。

「第1大隊は欠員9名、第2大隊は10名、第3大隊8名、合計27名。 連隊の衛士定員120名で、現存93名。
4名程度の補充では、焼け石に水と思うか?―――違う、断じて違う。 今や『最後の大隊』では無い、『最後の小隊』が必要なのだ」

曽我部大佐が、今までの表情とは打って変わって、厳しい表情となってそう言った。 
確かにそうだ、『最後の小隊』―――この近畿を抜かれたら、後方の各軍集団では、大規模な防衛線を張る余裕はかなり少ない。

「・・・了解しました。 周防大尉、これより軍集団司令部へ赴き、補充要員の確保に参ります」

姿勢を正して敬礼する。 答礼を返してきた曽我部大佐、広江中佐、荒蒔少佐、皆一様に厳しい表情だった。





「―――周防」

連隊長室を辞し、連隊本管(本部管理中隊)の指揮官に車輌を出して貰うよう頼みに行く途中、後ろから広江中佐に呼び止められた。

「何でしょうか? 中佐?」

少し急ぎ足で歩み寄って来た中佐が、ちょっと周りを見渡して小声で言う。

「周防、人員は既に割り当てられている。 本来は本管から人を出せばいい筈だったのだ・・・ 判るな? 私の言っている事が?」

―――全く。 何が、『荒蒔君は、周防に甘い』だよ・・・? 甘やかされているよ、俺は。 
中佐の表情が真摯だったので、余計な事は言わないでおこう。 つまりだ・・・

「軍集団本部には、0900に行け、帰隊時刻は1200。 車輌は2台出してやる、本管から担当将校が1名と、下士官が1名出る」

補充の衛士4名を乗せても、本管の車輌―――『73式』1/2トラックは7人乗りだ。 本当は1台で済む。

「野戦病院は、そこから直ぐだ、車で10分程。 明日の朝には、東京に移送されると、連絡が有った」

確か、美園が様子を見に行ってくれたのだったな。

「荒蒔君から、相談を受けてな。 彼にとってはこの重要な時期に、先任中隊長が離脱した上に、次席中隊長まで平静な状態で無いのは厳しい。
まあ、その・・・ 貴様も何だ、その、命が助かったのだ、気落ちせずにいてくれれば、我々も助かる。
それに、もう意識も戻っているらしい。 せめて、顔だけでも見に行ってやれ―――いや、見に行った方が良い」

何時の間に、この人はこんなに『優しく』なったのだ?―――いや、元々こう言う人だったな。 部下達にも、それとなく気を回している人だった、不器用だが。
思えば、昔に俺と祥子が大連で謀略絡みの騒ぎに巻き込まれた後も、何かと気を使ってくれていた。 当時は気付かなかったが、今になってみればよく判る。

「・・・部下の中には、家族を喪った者も居ます。 それでも、それを表に出さずに戦っています。
中佐のご厚意は有り難いのですが、自分は彼等の『健気』を、指揮官自らが汚す事に耐えられません」

そう言った俺の言葉は、果たして本心か? それとも見栄か? 中佐が小さく、しかし声を荒げて、俺を見据えて言う。

「馬鹿者! 周防、酷な言い様だが、生者と死者には歴然な壁が有るのだ! 
死者には哀悼を表せ。 亡き戦友には、その足跡を語り継げ。 だがな、生者は違う、違うぞ、周防」

思いのほか真剣な表情だ、真っすぐ俺を見据えて来る。

「傷ついた者、それを案ずる者、いずれも心に傷を負う。 しかしな、生きている限り、その傷を癒せる機会は有るのだ。
死んだ訳ではない、一命は取り留めた、その次だ。 周防、気持ちに区切りを付けろ。 向うも同じだ、そうしないとな・・・」

中佐の言葉の最後、尻すぼみになった言葉の続きが、脳裏に響く。

(『そうしないとな、気持ちに区切りが付かないまま戦場に出るとな、貴様も、貴様の部下達も、碌な事にならん』)

―――甘やかされているよな、本当に。

「生者は前に進まねばならん、貴様も、綾森も。 その為だ、周防。 その為に、会って来い。 貴様と、綾森の為に」

―――生者と、死者と。 大切に思う心は同じだ、違うのは只一つ。 生きているか、死んでしまったか。
生きている限り、前に進まねばならない。 ああ、中佐の言う通りだ。 それは俺も祥子も、そして部下達も同じ事だ。

ならば、俺は・・・

「―――中佐は、本当に私に甘い」

「ふん、手のかかる子ほど可愛い、そう言うだろう。 貴様は本当に、手のかかる奴だった」

苦笑しつつ敬礼をする俺に、やはり苦笑いを浮かべた中佐が答礼を返す。 だがその笑いは、純粋な笑みだと思えた。
踵を返して、出口に向かう。 歩きながら思った、指揮官の見栄?―――大いに結構! だが、時と場合による。
俺のその見栄が、俺自身のコンディションを狂わせたとしたら。 それは部下達に対する責任放棄なのか?
いい訳に聞こえるかもしれない、そう言う人はいるだろう、そうかもしれない。 だが俺は今回、その見栄を放棄する。


時間は少ない。 それにいつ、BETAの再侵攻が生起するか。 本管に急ぐ事にした。










1998年7月27日 1030 大阪府 大阪城内 元第6師団司令部ビル 本土防衛軍 中部軍集団司令部


怒声と混乱が支配する作戦司令部とは打って変わって、司令官室内は静寂が、いや沈黙が支配していた。
砲撃の音が、遠くで雷鳴の様に響いている。 時折甲高く鳴り響くMLRSの飛翔音は、さながら大粒の雹でも大量に落ちて来るかのような。
曇天の空を見つめながら、中部軍集団司令官の大山允(まこと)陸軍大将は、ただ泰然と窓の外を眺め続けていた。

「閣下、防衛計画の変更は、只今ご説明した通りです。 現有兵力での防衛は、当初の計画を満足する事は最早不可能な状況にあり・・・」

司令官の背中を見ながら、報告を行う中部軍集団参謀長の田村守義中将は、その背中に何とも言えない分厚さを覚えていた。
当初は中部軍集団の総力と、海軍(聯合艦隊)の支援を受けての縦深防御計画を以って開始された、中部防衛戦。
しかし、やはりBETAの動向は当初の予想を大きく裏切った。 今やあちらこちらで、破綻の綻びは大きく開き、指揮下各部隊からは悲鳴のような戦況報告が舞い込んでいる。

「我々に与えられた戦力を以って、与えられた戦略目的を果たす為には、与えられなかった目標の放棄を行う以外、方法はございません。
すなわち、戦線を兵庫=大阪の境を南端とし、淀川を北の防波堤と化し、そのまま琵琶湖、敦賀湾に抜けるラインを死守します」

参謀長の言を聞いた者ならば、そしてこの帝国に生を受けた者ならば、誰しも気が付くであろう―――その防衛ラインの内側に、帝都『だった』京都が含まれない事を。

「転進司令部は、大阪府合同庁舎の一部接収を含め、移転は完了しました。 本日正午より、最終防衛線への兵力展開を開始致します。
なお、本1300時には、大東亜連合よりの増援2個師団が到着。 また、海軍聯合陸戦第1師団が堺臨海基地に揚陸を完了。
聯合陸戦第3師団と共に、淀川防衛線に展開を開始する予定で有ります。 完了予定、1630時」

大山大将は相変わらず、黙って窓の外を向いている。
報告を終えた参謀長は、そのまま口をつぐんで司令官の様子を凝視している。 背後に控える数人の高級参謀達も同様だった。
作戦計画を根本的に見直す、その結果は国内に大きな反響を与える事だろう。 特に政治的に。 参謀達が固唾を飲んで、司令官の言葉を待っているのも道理だ。

「・・・参謀長、どこかで砲撃の音が聞こえる。 兵達は、今も戦っておるな」

野太い、そして低く響く声がした。 大山大将が呟いたのだ。

「はい、閣下。 少しでも数を削る為の、間引き砲撃で有ります。 数か所で中規模なBETA群との衝突も発生しております」

また、無言になる。 参謀長や高級参謀達からは覗えぬが、その時大山大将の表情には、ある種の決断をした者の目の光が有った。

「・・・作戦を承認する。 宜しい、大いにやりたまえ。 責任は儂が持つ」

「はっ! では―――諸君、かかれ」

数人の高級参謀達が、一斉に敬礼してその場を出てゆく。 
軍集団司令部はこれから、蜂の巣を叩いたような騒ぎと、喧騒に見舞われる事だろう。

一人残った参謀長が、司令官の背中に問いかける。

「閣下・・・ 総司令部へは?」

「儂の受けた命令は、近畿以東へのBETA侵入の阻止だ。 在りのままを連絡する、政治は関知せん」

そう言った後で、少しだけ溜息を付いて、言葉を続ける。

「しかしまあ、お客さんを放ったらかしには出来んか。 これもまた、儂の仕事だ」

「・・・小官が対応致しますが?」

「参謀長は、スタッフを纏めろ、それが仕事だ。 これは、儂の仕事だよ」

そう言うと、視線だけで参謀長を促し退室させる。 大山大将は、ほんの少し窓の外を見ながら沈考する仕草を見せたが、短く瞬きしてその場を離れる。
司令官公室から横の扉を開けると、応接室となっている。 客人が先刻から、そこで待っているのだ。
ドアを開け、応接室内に入る。 通された時からずっとその様子だったのか、訪れた相手はソファに腰掛けたまま、姿勢を正して黙想しているように見える。

「・・・お待たせしましたな、官房局長」

「急な訪問、非礼をお詫び申し上げます、司令官閣下」

「いや、こちらこそ。 なかなか時間が空かず、お待たせしてしまった、申し訳ない」

立ち上がり、折り目正しく丁寧に頭を下げる相手に、仕草で据わる様に言う。 副官が茶を持って入室し、直ぐに副官室に戻ってゆく。
据わると同時に相対する客人の様子を、礼を失しない様に観察した。 年の頃、50歳前後と言う所か。 
白いものが目立ち始めた髪を丁寧に撫でつけ、恐らくはオーダーメイドの背広を隙無く着こなしている。
若い頃は斯衛軍に在籍していたと聞く、今でも身体つきは引き締まった印象を受けるのは、その頃からの習慣か。

「・・・今日も、砲声が鳴り止みませんな」

相手が窓の外をチラリと眺めながら、囁くように小さな声でそう言った。 その声色の中に、先程自分が感じたのと同種の印象を受けたのは、気のせいか。
ほんの半瞬、相手を探るような視線を向けた大山大将だったが、直ぐに何時もの泰然とした様子に戻り、相槌を打つ。

「はい、今日も何処かで、部下達は戦っております。 昨日も、今日も、そして明日も戦うで有りましょうな」

恰幅の良い大将が、重々しい声でそう言うと、妙に安心感の様なものを感じる。 最もそれは軍事の専門家以外の事だ。
専門家は逆に、この人がこう言った泰然とした態度を崩さないのは、逆に窮地か、それに近い状況に追い込まれつつある、と言う事を知っている。
大将がゆっくり湯呑を冷ましながら、少しだけ喉を湿らす様に茶を飲む。 その水面の文様を眺める様に暫く見つめていた視線を戻し、相手を見据えて言う。

「官房局長、軍集団は与えられた戦略目標を達成する為に、あらゆる手段を講じる所存ですぞ」

「成程、御国にとって、誠に喜ばしい事です」

お互いの牽制が始まったかのように見える。 が、それを直ぐに破ったのは大山大将の方だった。 
やや身を乗り出し、相手によっては重圧と感じるかもしれない威を発しながら、真っすぐに見据えて言う。

「儂は、只の軍人だ。 政事向きの事はよう判らんし、判りたくも無い。 統合幕僚総監部や本土防衛軍総司令部の、政治士官じみた連中の考える事は判りたく無い。
儂が判るのは、純粋に軍事面の事だけだ。 そして、その軍事がそう言っておるのだ、『京都を放棄せよ』とな。 それが理由じゃよ、神楽宗達(そうたつ)殿」

その大山大将を真っ正面に受け止めながら、顔色一つ変えず端然としつつ、その視線を見返すのは、城代省官房局長である神楽宗達。
山吹の色を許された武家の当主であり、若かりし頃は斯衛軍将校でも有った。 先代の父が没した後に軍から身を引き、城代省高級官僚の道を歩いている。

「・・・帝都市内には、未だ50万近い民衆が取り残されております。 摂政殿下(政威大将軍)は、その事に大変ご心痛なご様子。
皇帝陛下の殿軍を担う殿下にとって、無辜の民が易々とBETAの蹂躙にまかされるままと言う状況は、陛下への、己が不忠の極みであると」

―――そう言わせておるのは、己れらであろう?

内心で毒づきながら、大山大将は大きく頷いた。

「誠に。 摂政殿下の仰り様、誠に御覚悟天晴。 されば殿下に於かれては統帥府(元枢府が兼ねる)を御された後に、早々に東下を為されたく。
我等帝国軍は、陛下と帝国、そして帝国臣民の『醜の御盾』 京都の民間人には、早急に脱出の手筈を取りましょう」

「・・・流石は国軍。 東海道、名神、国道1号線、何れも国軍が占有した状況では、如何様にも出来得ると?」

「何、貴き方々の身辺警護には、念を入れねば、でしてな。 列車ダイヤには必ず、不測の事態を想定した運用を組みこまねばならず、道路が渋滞したままでは役に立たぬ。
兵站全般も、その事に遠慮せねばなりませぬわい。 運用できる兵力が限られる手前、間引き砲撃も弾薬の消耗が激しい。 補給も、なかなか追いつかぬ状況でしてな」

お互いが、皮肉と嫌味の応酬となった。 そしてお互いが沈黙し合い、視線をぶつけ合う。

城代省は、帝国軍がこれまで本土領域のかなりの部分を易々と手放し、その結果として膨大な数の民間人が犠牲になった事。
そして今まさに、『帝都』を独断で放棄する決定を為した事、その事で想定される『帝都』残留民間人の犠牲が、多数発生するであろう事。
その事を皮肉と嫌味で塗し、皇帝陛下の国事全権代理である摂政政威大将軍が、不快に思っていると言う意味で味付けし、差し出した。

それに対し、帝国軍側は『醜の御盾』―――皇帝陛下の承認を得た政府の決定した、大戦略方針に基づく防衛計画であると反論。
更には政威大将軍が、このまま京都に留まり続ける不明と不具合を指摘し、斯衛軍と言う固有武力を、城代省が手放さない事を非難した。

(それに、今回の差し金は将軍自らの指示では無かろう。 昔、彩峰から聞いた事が有るが、聡い娘と聞く。 民間人の犠牲に心を痛めているのは、間違いでは無かろうが)

だが、何と言っても代替わりしたとは言え、未だ15歳の娘だ。 そんな少女が、国事の何たるかを理解し、実践出来るには少なくともあと数年の時は必要だろう。
恐らく今回の件、元枢府が動いているな。 大山大将は無言の外見とは裏腹に、内心で忌々しく感じていた。 あの、老いぼれ共。
恐らくは、『内政の煌武院家』の一門衆筆頭―――聖護煌武院、青蓮煌武院、大覚煌武院の3分家。 
後は斯衛を掌握する斑鳩家(分家の当主が、現斯衛軍総司令官)、そして官界に強い崇宰家辺りか。

元枢府内で、軍部や政府との衝突が多い斑鳩家と崇宰家。 年少の、それも未成年の女性当主を戴くに至り、なにかと家内が騒がしい煌武院家。
表向きは最もな理由だ。 軍としても忸怩たる思い以上の、痛恨極まりない結果に内心、腸が千切れそうな想いだ。
その事を指摘されれば、何とも弁明のしようが無い。 陛下や国民に指弾されれば、軍は今後、身を以ってその存在意義を示さねばなるまい、全将兵の命で購ってでも。

(―――だが、軍部統制派と同類の、権力闘争にうつつを抜かす元枢府の老いぼれ共が、言うに事欠いて何を言わん哉)

腹立たしかった。 何より自分の様な単純な軍人にとって、出来れば近づきたくも無い国内権力闘争の一端に、己が責務を巻きこんで欲しくない。

「閣下、帝都は千年の都であります。 今は副帝都に―――東京の仮御所に陛下がおわすとは申せ、日本人の心には、都は京都。
その千年の都が、為す術も無く異形の輩の欲しい侭に蹂躙されるは、日本人の、民族の魂を蹂躙されるに等しい」

今度は感情論か。 内心で罵声を浴びせかけたくなってきた。 よりによって、感情論とは! 
お涙頂戴でBETAを撃退できるのなら、ユーラシアは陥落などしない!

「そうなれば、軍内部の士気にも問題が生じるのでは? 現実問題、西日本出身の将兵は多い。 
BETAに家族を殺された者、東日本に疎開した家族を待ち受ける受難を案ずる者・・・」

―――痛い所を突く。

思わず顔を顰めてしまう。 事実、軍内部にもかなり動揺が広がっているのだ。 

「・・・最早、手は無い。 無いのだよ、神楽官房局長」

軍の威信の為にも、何より実際的な防衛戦闘に於いても。 最早、京都を守り抜く事は不可能だと、全ての検討結果がそう言っている。
それに、これ以上軍内部の動揺を放置する訳にもいかない。 現場指揮官達から、部下の動揺を抑え、士気を上げる事の困難さが悲鳴の様な報告として上がっている。
特に、生まれ育った故郷を見捨てざるを得ないと言う経験をした将兵に、それが顕著に表れていた。

懐かしい家や街並み、慣れ親しんだ風景、家族、見知った親しい人々。 それらが阿鼻叫喚の中で業火に焼かれ、BETAに蹂躙される。
中には精神に失調をきたす者も、少なからず居るのだ。 当然ながら、軍はその様な実態は公表しない。 
公表出来ない、『強き帝国軍』で有らねばならないからだ。 その為には、例え京都を道連れにしようと、BETAへ大規模な打撃を与えた、その実績が必要だった。


そこまで考えて、舌打ちしたくなる。 
未だ党利党欲にしがみつく政党、紛糾と分裂を繰り返す議会。 営利の追求を止める術を、最早完全に失った企業群。
その存在意義を昨今、厳しい目で見られるようになった落日の藩塀たる武家。 軍内部の実権を握りつつある、軍上層部の統制派高級将校達。
その連中と手を結び、同調しつつある各省庁の実務官僚団。 軍部統制派と省庁の実務官僚団は、ここで一気に全土に戒厳令を敷くよう画策していると聞く。
―――そして、それらを統制する事が出来ぬ政府。

大山大将自身は、皇帝への尊崇の念が強い軍人だった。 その為か、皇道派寄りの軍人と看做されている。 皇道派の若手・中堅将校からの接触も多い。
しかし同時に、中堅将校時代は欧米への留学経験も有する、国際感覚の豊かな軍人でも有る。 祖国がまた、過去に遡って歪みつつある事に、危惧を抱いてもいる。

「・・・閣下、実際問題としまして、私は殿下の東下は半月以内に行わねばならぬ、そう考えております」

それまでの無言の応酬から一転して、現実的な実務官僚の顔に戻った神楽官房局長の顔を見返す―――少なくとも、そこには一切の希望的妄想は入っていない。

「京都市内に居残る民間人は、約50万人強。 他の市町村も合わせれば、約130万人。 軍の支援が有れば、1日に数万人は東に運び出せましょう。
その直後の殿下脱出に関しては、私が責任を持って承ります。 但し、やはり最後の壁として斯衛は、動かせません」

大山大将も現場の軍人の顔に戻り、頭の中で現状を整理する。
今日の時点で援軍が、2個師団相当が到着した。 大東亜連合から支援の1個師団、中韓両国から追加の2個旅団。
伊勢湾から琵琶湖運河の伊勢水道を通り、琵琶湖に入り上陸を開始している。 京都北部と西部への援軍は、当面何とかなる。
3日後には、国内6個師団の増援展開が完了する。 大阪方面に4個師団を割かねばならないとしても、京都方面に2個師団。 ああ、米軍も到着する予定だ。

「・・・宜しい、では京都防衛の最終日は、8月15日とする」

「互いに、有益な合意がなされた。 そう理解しますぞ、閣下」





客が退出した応接室内で、大山大将はふと或る事に思い至った。 あの男、京都に残る『全ての』民間人脱出に関しては、言及しなかったな、と。
約130万人が残っている。 確かに京都市内に残る50万ならば、半月も有れば全て脱出させる事は可能だ。 だが、他の80万人は?

(成程な、その辺が城代省内部を説得させる、妥協点と言う訳か)

あの男、武家の中でも現実的な人物と言われ、それ故に同じ武家の中にも、敵がいると聞く。
しかし、それでなくば官房局長などと言う、現実調整役の元締めなどは、到底務まらないか。
走り去る車―――城代省が使用する国産の高級車を見つつ、これから別種の戦いに赴くであろう『同志』を見送った。
立場も、恐らく考え方も違うであろう相手だが、今この瞬間に、この局面を現実問題として戦わねばならぬ、その意味では間違いなく『同志』だった。





車中から、流れ去る市内の情景を眺めつつ、城代省官房局長の神楽宗達は軍との一応の妥協が成った事に安堵しつつ、これから省内での説得に胃が痛くなる思いだった。
神楽局長自身は、どちらかと言えば現実派、或いは中道派と看做されている。 自身では単に調整役であると考える。
これから彼が城代省に戻り、『戦う』相手は何れも一筋縄ではいかない。 大山大将の予想とはやや異なり、五摂家の本家当主達は、それ程頑なでは無い。
寧ろ厄介なのは、それぞれの一門衆(分家筋)と、門流衆(旧家臣筋)の家々だった。 その家々はそのまま、城代省の高級官僚と、斯衛軍上層部でも有る。

今更、将軍家が現実政治に韜晦する必要は無い、寧ろ混乱する元だ。 
もう1世紀以上も昔、まだ近世と近代の端境期に咲いた徒花、それが政威大将軍で有り、元枢府だ。
過去を現代の尺度で見るのは誤りの元であるのと同様、現代を過去の尺度に戻そうと言うのは、無理な話なのだ。
あの連中も、そして最近軍部や民間に増え始めている『同調者』達も、その辺を全く理解していない。

自身、爵位を有する武家貴族で有りながら、その立ち位置を否定する。 それでいて必要性を認めれば、その立ち位置を強化する事も辞さない。
神楽宗達と言う人物が、『今様の表裏比興之者』と揶揄されるのは、そうした行動に起因する。 無論、否定的な意味でだ。

結局は、政治の世界における現実的機会主義者、そう言っても良いのだろう。 いや、より本能に忠実と言うべきか。
生き残るためには手段を選ばず、と言う生物の本能の意味に於いて、彼は実に忠実な男だった。 武家社会を今後、どの様にこの国に対応させてゆくべきか、という面で。
世界を見渡せば、完全な成功とは言えないが、見本は有る―――大英帝国。 しかし、この国の武家の意識を変えるには、まだ時間と相応の犠牲は必要だと考えている。

軍との合意。 城代省内部には反発も多かろう、彼等は現実を知らない。 軍が内心、どの様に思い、九州からこちら、撤退してきたのかを。
軍上層部の統制派高級官僚などは、或いはそんな思いなど関係無いのかもしれない。 だが、現場で戦う軍人達はどう思っている事か。
それを非難する事は、出来そうになかった。 現実的では無かった。 先刻、敢えて感情論を出したのは、言わばメッセージだ。
短兵急に用兵を変換する事への危険性を、あのような形で言ったつもりだった。 どうやら大山大将は、完全かは判らないが、掴んでくれた気がする。

何より先日、斉御司家の門流筋でも有り、外務省に籍を置く人物から耳打ちされた情報。  合衆国の『オレンジ・プラン』
既に素案は昨年の末には、練り上がっていたらしい。 全容は未だ見通せない状況らしいが、明らかに帝国内部への介入目的である筈だ。
ならば、この状況下で連中が打って来る次の一手は?―――憶測だ、憶測故に、下手には動けない。 今は兎に角、帝国内部を統制する事だ。
例えば京都。 この一件で政府・軍部と元枢府の間に隙間が出来てはならない。 それは政党、議会、官界に及ぶ。
その余波は真っ先に、経済界に波及するだろう。 そして今の経済界は、BETA大戦の副産物として、半ば以上にグローバルな存在になりおおせた。
連中の後ろ盾は、もはや日本帝国だけでは無い。 日本帝国だけでは、様々な海外拠点を有する複合企業群の統制は、出来なくなっている。
そして真っ先にその食指を動かす相手は、ウォール街。 その背後には・・・

そう考えて苦笑する、これではまるで、世に言う統制派と同じではないか。 
そうだな―――連中にも伝手を持っておくか、保険はかけた方が良い。 情報省・・・ は、今回止めておこう。 連中の制御は難しい。
外務省国際情報統括局―――うん、軍事ならばともかく、政治・経済動向ならば、向うの方が相手をし易いか。

脳裏でそれだけの事を、瞬く間に思い描く。 城代省官房局長―――実質的な参謀長として、省内情報部門を統括する人物だけは有った。


「・・・戻るのは、何時頃になるかね?」

助手席に座る部下に尋ねる。 BETAの再侵攻がいつ生起するか知れない状況では、一刻も早く次の手にかかりたい。

「はい、道路事情も有りますので、1時間半はかかるものかと」

正午か。 では、午後一番の省内会議には間に合うか。
そう考えていたその時、信号で車が止まった。 目前を戦場に向かうのか、戦術機甲部隊が通り過ぎる。 94式『不知火』の部隊。
唐突に、娘の事を思い出した。 親と一門の都合で、人生を振りまわせてしまった次女。  もう、あの娘との関係は修復出来ないのか?
斯衛を嫌い、陸軍に入隊した次女。 それも士官学校をわざと蹴って、衛士訓練校に入校した次女―――もう何年も、まともに話してくれない実の娘。

双子の姉である長女の話では、中部軍集団に所属していると聞く。 今も何処かで戦っているのだろうか?
指揮車両から身を乗り出した女性衛士の姿が、車中から見える。 まだ若い、娘と同年輩位か。 
今や帝国は、あのような若い女性―――いや、もっと若い10代の少年少女さえ、戦場に投入しているのだ。

(『父上、私に生を授けて下さった事、感謝致します』)

もう何年前になるか。 娘が大陸派遣軍の一員として大陸に渡るその直前の夜半、実家を訪れ、それだけ言い残して戦場へ向かった。
生を授けた―――それだけを、感謝すると。 言い換えれば、自分はそれ以外であの娘から、父親として思ってくれていなかったと言う事か。

(私は、お前を愛しているよ、緋色・・・)

最早、父娘の関係は修復できぬだろう。 だが、この内心だけは判って欲しかった。









1998年7月27日 1045 大阪府大阪市内 陸軍野戦病院


足の踏み場も無い―――それほど、あちらこちらに負傷兵が寝かされている。
軍集団司令部で、補充の衛士を5人(他の師団より多かった)引き継いだ後、本管の中尉に後を任せ、10分ほど走ったこの野戦病院に着いた。
普通の市内の病院だったのだろうが、今は待合ロビーは軽傷者の臨時収容スペースとなり、通路も臨時ベッドで埋まっている。
受付(軍病院でも、受付は受付だ)で、官姓名を名乗り、照会して貰う。 やがて1人の女性看護伍長が、器用に患者を避けながら走り寄って来た。

「お待たせしました、大尉殿。 照会終わりました、ご案内しますので、こちらへ」

そう言って、今度はゆっくりと歩き出す。 1階の奥から階段を上り(踊り場にまで、軽傷者が座り込んでいた)、2階奥の病室に案内される。
病室に辿り着くほんの少しの間、負傷者の様子をチラッと見ていた―――精神的なダメージを受けた者が、やはり何割か居る。
自身の経験上、その中の何割かは前線に復帰してくるだろうが、何割かは加療が必要だろう。 そして最後の何割かは、もう駄目だ。 日常にも支障が生じる。

やがて通された病室は、かつては小間を区切った診察エリアだったのだろうか。 今はブチ抜きの空間だった。
そこに何十人もの重傷者が収容されていた。 ただし、ここの重傷者は何れも一命を取り留めた者達ばかりだと言う。
そうなのだろうな、戦場での医療は助かる者から治療をして行く。 助かりそうにない重傷者は、ここでこうして術後に収容されていない―――モルグに居る。

その空間―――広い大部屋の隅の方。 壁に面した窓際のベッドで、上半身を起こして身動ぎしない女性将校が居た。
左の手足が無い。 頭部を包む包帯が痛々しい。 長かった黒髪は、手術の為か、ばっさりと肩口辺りで切り落とされている。

「あ・・・」

声をかけようとして、一瞬声が出なかった。 差し出しかけた手が止まる。 
次の言葉を、次の行動を、どうしたらいいのか、頭の中が真っ白になってしまった。
隣のベッドに同じ様に、上半身を起こしていた女性士官(肩にかけた軍服から、斯衛と知れた)が、こちらに気付いた。
肘を使って体を動かし、隣の女性に手で触れて合図している。 小声で何か言っている様だった。
彼女がこちらを向いた。 目は包帯で見えない、音で探っているのか、そんな仕草を見せる。

―――意を決して、声をかけた。

「・・・祥子」

一瞬、祥子の体が震えた様な気がした。

「・・・直衛?」

右手を差し伸べ、探るような仕草をしている。 その手を握りしめて、もう一度名を呼んだ。

「祥子、祥子・・・」

「直衛、貴方・・・ どうして、ここまで・・・?」

「甘やかす人が居るからな」

「・・・広江中佐ね? 昔から、貴方を可愛がってらした」

―――随分と、不器用なやり方だったけどね。

そこで困った。 言葉が出ない。 
言いたい事は山ほどある、伝いたい気持ちは張り裂けそうなほどだ―――言葉が出ない。

「私・・・ ドジ踏んじゃった。 情けないなぁ、もう」

「祥子・・・」

「駅舎が見えて、一瞬気が緩んじゃった・・・ もう、恥ずかしいやら、情けないやら」

「・・・」

「でもね、見てて。 疑似生体移植で、直ぐに戦線に復帰してやるんだから。 こんな怪我、どうって事無いわ!
中隊の部下達の事も心配だし、貴方と美園だけじゃね! 私は、先任なのだもの。 私が、私が居ないといけないのだもの」

「祥子、あのな、祥子・・・」

「だ、大体、こんな怪我で休んでいる状況じゃないのよ、今のこの国は! 
私が戦わないと! 私が戦わないと、両親や弟妹を誰が守るの!? 私が戦わないと・・・!」

俺の腕を掴む祥子の手に、力が入る。 その手は震えていた。

「わ、わたしが・・・ッ わたしが、たたかわないと・・・ッ」

「・・・祥子」

震える彼女の体を引き寄せ、頭を抱え込む。 声は慟哭になっていた。

「も、もう・・・ッ もう、左腕が無いのッ 直衛、貴方を触る事が出来ないのッ 左足が無いの! 貴方と一緒に歩く事だって・・・!」

言葉が出ない。 だた、抱きしめる力が増すばかりだ。

「しっ、知らなかった・・・! こ、こんなに辛いだなんて! こんなに、こんなに怖いだなんて! わたし、知らなかった・・・ッ」

嗚咽を漏らし続ける彼女を抱きしめながら、掛ける言葉を見出せない自分が、腹立たしかった。
俺自身も、負傷の経験は有る。 右のこめかみから右頬にかけて薄ら残る跡は、その名残だ。
それでも、俺は五体満足に生き抜く事が出来ている。 今の彼女の苦悩や言い知れぬ不安、それに恐怖―――掛ける言葉が見つからない。

怖い―――と思った。 戦場では感じる事の無い、異質の恐怖。
しかし―――そうだ、しかし、それでも、まだ・・・

「・・・それでも、生きている。 生きている。 そう、生きている。 祥子、生きているんだ、祥子」

喉がひり付いたようで、上手く声が出ない。 掠れた声。

「俺は、祥子。 俺は、君に生きてこうして会えた。 嬉しい。 悲しいけど、悔しいけど、でも嬉しい」

ああ、もう、何を言っているのか自分でも判らない。
相変わらず、言葉が詰まる。 何を言いたいのか、頭は相変わらず真っ白だ。

「君の左腕が無くなった―――悲しい。 君の左足が無い―――すごく、悔しい。 君が怖がっている、泣いている―――俺も怖い。
でも、それでも・・・ 君が生きている。 こうやって抱きしめて、温かさを感じる事が出来る、君の声を聞ける―――嬉しい、嬉しくて、泣きそうだ・・・」

腕の中で、祥子の嗚咽が少し大きくなった。
戦場での死は、もう見飽きるほど見てきた。 いつの間にか、死者を弔う流儀にも慣れてしまっていた。
朝、親しく話し込んでいた戦友が、夜、部屋に居なくなっている。 そんな情景は、日常だった。

「俺は、嬉しい。 生き残ってくれた事に。 今、生きてくれている事に」

戦場での生死とは違う。 例え結果が、その延長線上だとしても。
生きる事に、生きてくれている事に、これ程感謝した事は無い。 これほど嬉しいと思った事は無い。

「怖いのだろうか、不安なのだろうか・・・ 結局、俺は祥子、君の今の気持がどんなものか、最後まで判らないだろう。
でも、これだけは・・・ これだけは、言える。 嬉しい、嬉しい、と・・・」

祥子が、声を上げて泣き出した。 
その体を、今度はゆったりと抱きしめる。 祥子が生きていてくれて、嬉しい。 素直に、泣きだしたい程、嬉しい。

「・・・嬉しい・・・」

腕の中で、嗚咽と共に祥子が呟く。 そうだ、嬉しい。 誰だって、どんな人だって、嬉しい。 嬉しいと思う、そう思う。






結局、碌な事も言えないままに、面会時間が過ぎてしまった。
病院を出て、後ろを振り返る。 色々と話したかった。 色んな事を伝えたかった、もっともっと、励ましたかった。
祥子の左腕と左足が失われた―――俺が、その代わりに、なんてのは、結局は俺自身の自己満足だ、そう思う。

でも、別れ際に祥子が小声で言ってくれた。

『―――私、生きる。 不安で、怖いけれど。 でも、生きるわ。 だから約束。 直衛、貴方も生きて』

数年前、国連軍に派遣される直前に、彼女と交わした言葉。 今もあの気持ちは変わらないし、つまるところ意味は同じだ。
それでも・・・ それでも、あの頃より何か、明確な何かを掴めた気がする。

時間が無い―――名残惜しいが、それでも何か晴れた気分だ。 行こう。

踵を返して車輌へと向かう途中、ふと見知った姿が見えた。 思わず声をかける。

「神楽? 神楽斯衛大尉?」

「―――周防大尉、どうしてここに?」

祥子の横に居た斯衛士官が、以前に斯衛軍との合同演習で会った事が有ると思いだしたのは、その後だった。






―――直衛は戦場に戻って行った。 私は相変わらず不安で、まだ怖くて。 でも、それでも、心が少しずつ、和らいでいくのが判る。
嬉しい、そう言ってくれた。 さっきまで自責の念で、正直押し潰されそうになっていた。   これからが不安で堪らなかった。
今でも考えてしまう。 自分の事、部下達の事、そして彼の事。 でも、少しだけ、心が和らぐ。
嬉しい、そう言ってくれた。 そうね、私も嬉しかった。 本音を言えばホッとした。 何かから、救われた気がした。

窓の外を見た。 生憎の曇り空。 でも、ほら、少しだけ陽が差し込んでいるわ。

「・・・うれしい、ですか・・・?」

隣のベッドの斯衛士官が、小さく呟いた。
彼女の横顔を見ていたら、その向うに見知った姿が見えた。 鮮やかな山吹色。

「・・・ええ、私も、嬉しい。 貴女もきっと、そう思う日が来るわ」






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Spcial Thanks!
grenadier様 『等身大の戦場』




[20952] 本土防衛戦 京都防衛戦 1話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2010/12/05 23:51
1998年7月30日 0430 京都府亀岡市 第40師団

「―――動き出しやがった!」

「数は!?―――3万以上!? よし!」


1998年7月30日 0433 兵庫県川西市 第37師団

「震動センサー、音響センサー、共に感! 推定個体数、約1万5000!」

「デフコン1B!」


1998年7月30日 0438 兵庫県西宮市 第31師団

「BETA群、約3万! 再侵攻を開始!」

「面制圧! 全力阻止砲撃を要請!」


1998年7月30日 0455 大阪府大阪市 中部軍集団司令部

「BETA群、約8万、3方向より再侵攻を開始しました!」

「・・・よし、現時刻を以って、防衛計画、『捷三号作戦』、第3段階を発動する!」






1998年8月9日 0930 大阪湾 泉州沖 


「チョッサー(首席1等航海士)、入港予定は変更無しかな?」

船橋で当直に当っていた1等航海士の背後から、声が掛けられた。 
振り向くまでも無く船長だと判る、首席1等航海士とは、船のNo.2だからだ。

「はい、キャプテン。 1000、大阪南港に入港変わらず。 軍は一刻も早く入港して欲しい所でしょうが」

「だろうね、だが急げば良いってもんじゃないよ。 港の運用問題も有る、着いたは良いが、岸壁が空いてない、なんて事もな。
軍がせっつく気分は、判らんでも無いが・・・」

「本船を含む、輸送船団14隻。 兵站物資を満載しておりますからな。 軍にとっては、お宝の山ですが」

太陽はすっかり昇り、夏の日差しが海面を輝かせる。 気温は上昇し、強い日差しが甲板を照り付ける。
輸送船団は喫水を深く沈みこませ、12ノットの速度でゆっくりと進む。 間もなく針路上に入港予定の大阪南港が見えて来る筈だった。

「・・・あん? なんだ、ありゃ・・・?」

左ウイングで臨時に見張り員として付いていた船員が、備え付けの大型双眼鏡を覗いたまま素っ頓狂な声を上げる。
その声を耳にした船長と首席1等航海士が、訝しげな表情でウイングを見る。 見張り員は双眼鏡を覗いたまま、半ば硬直していた。

「どうした? 何か確認したのか?」

1等航海士の問いかけにも、口を開け閉めしながら双眼鏡を覗いている。 やがて、見張り員はようやくの事で声を出せた。

「ろ・・・ 六甲の山頂に、何か見えます!」

「何か? 何かとは、何だ? 報告は正確にせんか!」

1等航海士が叱責する。 怒鳴られた見張り員は、無意識に一旦双眼鏡から目を離した後、もう一度覗きこみ、悲鳴のような声を上げた。

「じゅ・・・ 重光線級! 重光線級です! BETAが居ます、複数!」

その声とほぼ同時に、山頂から複数の光の帯が湾上に降り注いだ。

「レ、レーザー照射!?」

「フル・アスターン(後進一杯!) ハード・ポート(取り舵一杯)!」

1等航海士の悲鳴と、船長の指示はほぼ同時だった。 悲鳴のような機関の音が聞こえる、しかし既に遅かった。 
先頭を進む輸送船の船体に、レーザーが直撃する。 そして次々とレーザーの直撃を受ける輸送船が続出した。

「左列先頭、『あるぜんちな丸』、行き足止まりました! 右列先頭、『第一佐渡丸』沈みます!」

益々船団の被害が大きくなる。 左右2列の並びで航行していた船団は、もう四分五裂の状態だ。
レーザーが船体を貫通し、大量の海水を飲みこみ、沈みつつつある船。 片側に横転して転覆した船。
やがて、とてつもない大音声と共に震動が襲いかかった。 咄嗟に視線を向ける、しかしそこには巨大は火柱しかなかった。

「・・・『信濃丸』だ、あの船は砲弾を満載していた・・・」


この日、本土防衛軍中部軍集団に向け大量の武器弾薬、食料医薬品を運んでいた輸送船団14隻が、重光線級のレーザー照射を受け、大阪湾上で全滅した。









1998年8月10日 1350 兵庫県南部 六甲山系山麓 芦屋市 第18師団第181戦術機甲連隊


瓦礫と化した、かつての高級住宅地。 明治の頃より関西の富裕層のステータスでも有ったこの土地も、度重なる防衛戦闘で瓦礫の山と化した。
南の低地から、さほど速く無い速度で突撃級が駆け上がって来る。 その後方に、大群から分派した数百の本隊も見える。
高度はこちらが上だ、引き付けて、頃合いを見て確保撃破。 大丈夫だ、もう何度もこなしてきた戦闘パターン。 光線級は居ない。

「―――来るぞ! 第12派! 中隊、フォーメーション・アローヘッド・ワン! 敵前衛を突破、後ろから叩く!」

―――『了解!』

突撃前衛小隊を矢じりの先として、中隊陣形を組み直し突進する。 前方に突撃級が30体程。 その後ろの要撃級はまだ距離が有る。
跳躍ユニットが咆哮を上げ、中隊の11機が一斉に水平噴射跳躍に移る。 瞬く間に距離が詰まり、同時に照準レクチュアルに目標をロックオン。
先頭を吶喊する突撃前衛小隊は1機を欠いた状態で、突撃級との接触の直前に小隊長機を頭に一直線の陣形にフォーメーションを変えた。
そのまま、サーフェイシングで突撃級の個体間をすり抜ける様な多角機動で、左右に砲撃を加えつつ、群れの中を突っ切る。

『フラガB、後ろを確保!』

「よし、そのまま攻撃を加えろ! フラガA、C、続いて突入!」

主機出力を一気に上げ、サーフェイシングで突撃級の群れの中に飛び込む。 小隊の先頭は俺だ。
B小隊が開けた突入路―――僅かに数体分の空間、それも次第に塞がりかけている―――に機体を滑り込ませ、左右に咄嗟砲撃を撃ち込みながら一気に突っ切る。
直後に位置する瀬間機が後方から、俺の機体に向かってくるやや遠間の突撃級に対して阻止砲撃を加える。 激しく動きながらの砲戦、120mmはまず当らない。
36mmの集中射撃で節足部に砲弾を叩き込み、行動の自由を奪ってゆく。 その間に瀬間後方の松任谷機と倉木機が、左右の突撃級を撃破して行く―――C小隊の行動範囲を広げる為に。

(右―――20m、射撃。 左前方―――35m、節足部を。 前方40m、2体―――右の方にスペース、節足部に叩き込んで、奴の針路を曲げる!)

考えている訳じゃない、咄嗟に頭に浮かんだ意識を行動に移す―――反射的に。 前方に空間が開けた、群れを突破したのだ。

「A小隊、左翼に展開! B小隊は右翼! C小隊、突破次第、中央を固めろ!」

『B小隊、了解! 突撃級残存、14体! ものの数分で仕留めますぜ!』

『C小隊、突破完了。 Bリード、後続との距離が詰まっています、数分後には接触』

≪CP、フラガラッハ・マムより、フラガラッハ・リーダー! 後続BETA群、約600! 球場跡地付近に出現! 接敵予想、3分20秒後です!≫

600体か。 光線級は居ない様だ、それならば何とかなる。

「リーダーより全機、突撃級は3分で仕留めろ! 120mmはまだ使うな、後ろを取っている、36mmで充分だ」

トリガーを引き、突撃級の柔らかい後部胴体に36mm砲弾を叩き込む。 2、3連射で動きが止まる、それ以上は無駄だ。
A小隊の目前には、旋回をかけつつある突撃級が4体。 部下に合図を送り、手近な2体を先に仕留めて行く。
水平噴射跳躍で機体をスライドさせ、旋回中の突撃級BETAの後方を占位する。 Bエレメントの瀬間中尉、倉木少尉の機体もピッタリ付いて来ている。
距離、25m―――ギリギリまで接近し、短い1連射を浴びせかける。 狙いすまして撃ち込んだ箇所から、体液が噴出しBETAが止まる。

「松任谷、残り1体、譲ってやろう」

『お任せ!―――くたばれっ!』

松任谷機の突撃砲から、シャワーのように36mm砲弾が吐き出され、突撃級の胴体に吸い込まれる。 
爆ぜた胴体から、大量の体液と内臓物を吐き出し、突撃級BETAが唐突に、つんのめるように停止する。


残る個体を片付けるのに、3分も必要無かった。 残り50秒、陣形をウイング・ワンに組み直し、A小隊を中央に置く。
40秒 ≪CPよりフラガラッハ、BETA個体数は588体。 要撃級は33体、戦車級が250体、他に闘士と兵士級≫

30秒 戦車級の数が少し厄介だ。 要撃級にかまけていれば、あっという間に集られる。

20秒 瓦礫の彼方から、粉塵が舞い上がって来た。 連中がやって来たのだ。 芦屋川の東岸に陣取らせたB小隊は、最後の突撃用に置いておくとしよう。

10秒 「面制圧、開始」 『了解! フラガラッハ07、FOX01!』 『フラガ09、FOX01!』 誘導弾が白煙を引きながら発射された。

5秒 BETA群に誘導弾が炸裂する。 要撃級は余り削れていないが、いい具合に戦車級の群れの中ほどで炸裂した。

3秒 「キャニスター!」 右翼迎撃後衛―――俺と、左翼迎撃後衛の四宮中尉、そして右翼打撃支援の瀬間中尉と、左翼打撃支援の森上少尉。 4機から120mmキャニスター砲弾を見舞う。

1秒 「―――叩け!」

中央のA小隊と、左翼のC小隊、併せて8機の『不知火』から、十字火網を形成したキル・ゾーンに向けて登って来るBETA群に、火力を叩きつける。
正面からの砲弾を、その硬い前腕で防いだ要撃級のその横腹に、今度は別方向から120mm砲弾が叩きこまれ体内で炸裂する。
前方と右手からの36mm砲弾のシャワーに対して、殆ど防御力を持たない戦車級以下の小型種BETAが多数、赤黒い霧に変わって霧散して行った。

やがて、生き残った要撃級が10数体ほど、東の方向に高速接地旋回をかけ、突撃する姿勢を見せた。 前方―――登り口には戦車級の群れが100体程。
BETAの群れが割れる。 要撃級の群れが左翼のC小隊へ、戦車級の群れが俺が直率するA小隊へ、それぞれ向かい始め、速度を上げたその時―――チャンスだ。

「―――B小隊! かかれ!」

芦屋川東岸の瓦礫の中に隠しておいたB小隊の3機が、一斉に飛び出して要撃級の群れの背後に迫る。 
そのまま柔らかい後部胴体に向け、36mmを叩き込んで要撃級を7、8体始末する。 残った個体が、後方からの攻撃に反応した。
接地旋回をかける、その瞬間を今度はC小隊が見逃さなかった。 B小隊が即座に移動したのと同時に、横腹を見せた要撃級に生き残りに砲弾を叩き込んで始末する。

俺は部下の小隊の戦闘、その様を視界の片隅に確認しつつ、目前の戦闘をこなしていた。

「松任谷、左の群れだ!」

―――『了解』

松任谷が120mmキャニスター砲弾を、至近に迫った戦車級の群れに叩き込む。 俺がその横から這い上がって来た10数体の戦車級に対し、36mm砲弾を横殴りの連射で薙ぎ払う。
その隙にBエレメントの2機は漏れ出した戦車級の個体を、狙いを付けて1体1体始末する。 120mmと36mmの近遠両方の掃討役を割り振って、戦車級の接近を許していない。

やがてBETA群の斜め後方から、B小隊が戦車級の掃討に加わり始めた。 C小隊はそれ以外の小型種の掃討にかかっている。
どうやら大型種の殲滅は完了した様だ、小型種の残り個体数も残り200を切った。 今回の掃討戦闘は終わり始めている。

≪CPよりフラガラッハ・リーダー。 機械化歩兵2個中隊、頂上付近に布陣完了。 攻撃開始は10分後、1420。 フラガラッハは所定の攻撃発起点に移動せよ!≫

「フラガラッハ・リーダー、了解」

CPの渡会少尉の姿が、網膜スクリーン上にポップアップする。 目は充血し、隈まで出来ている。
それも仕方が無い、この数日間休みなく戦闘管制を続けているのだから。 それにその様子は部下達や、俺自身も同じだ。

戦術レーダーで近づいて来る友軍部隊を確認する。 自走機関砲が1個中隊、それに有り合わせに重機を車輌に搭載させた部隊が2個中隊。
取りあえず大型種以外に対しては、突破阻止はできるだろう。 大型種が来れば退避すれば良い。 この先の山岳道は連中では進めない。
状況を再確認する。 攻撃目標、友軍制圧部隊の位置、遊撃部隊の布陣状況―――俺の中隊が位置する場所。

(・・・囮部隊か。 仕方が無いと言えばそれまでだが、いい気分じゃ無いな)

だが、機動力の高い戦術機甲部隊が囮にならなければ、他の兵科では接近する事も出来ない。

(地形を利用しろ・・・ 危ないのは、蛇谷から東お多福山を抜けた瞬間だ。 山頂から南に、一目瞭然に見下ろされる)

そこでまごまごしていると、あっという間に焼き殺されてしまう。

(一気に谷間を上って行くのは危険だ、その間ずっと照射を受ける、下策だ)

戦術地図を3D表示に直す。 等高線が浮き上がり、六甲山系の起伏が一目瞭然に判る様になった。

(東お多福山の北山麓を迂回して、本庄橋後まで一旦南下する・・・ そこから北西に針路を取り、西お多福山の西山麓を、頂上西側まで駆け上がる・・・)

目標が陣取る場所からは丁度、西お多福山の稜線が邪魔をして認識出来なくなる。 
ロープウェイ頂上付近に陣取った連中からも、300m程の高度を優位に立てる筈だ。


「・・・リーダーより各機、ポイントB7R-88まで移動開始。 攻撃経路は今転送した、C6回線を開いて受け取れ」

―――『了解』








1415 六甲山山頂付近 第18機械化歩兵連隊第2大隊第6中隊


『こちらシックス(中隊本部)、各小隊、良く聞け。 光線属種は山頂から一軒茶屋付近にかけて、重光線級が10体、光線級が26体確認されている。
他に戦車級が160体程と、闘士級、兵士級が400体前後。 小型種は光線属種の周りを囲む様に位置している、これを排除しない事には、光線属種を狩れん』

何人かが舌打ちした音が聞こえた。 あちこち砲弾の破片でささくれ立ち、なぎ倒された樹木の間に多数の機械化歩兵装甲兵が見え隠れする。
探知能力の高い小型種BETAを避ける様に、自動車道や開けた場所には陣取っていない。 中にはパイルバンカーを斜面に突き立て、辛うじて踏み止まっているのも居る。

『5分後に戦術機部隊が、頂上の光線属種相手に陽動を仕掛ける。 宝塚方面の砲兵隊も、一部をこっちに振り分け面制圧砲撃を行う。
だが、それだけで山頂の連中を片付けるのは無理だ、光線属種の数が多い。 砲弾は殆どが迎撃されるだろうし、戦術機部隊も小型種の掃討任務が有る』

そこで中隊長が一旦言葉を切った。

『だが、その時がチャンスだ。 目玉共(光線属種)がレーザー迎撃に気を取られ、小型種BETAも戦術機相手にかかったその時こそ。
チャンスは一度きりだ、合図と同時にフルブーストで噴射跳躍。 一気に光線属種の懐に潜り込め!』

機械化歩兵装甲部隊での、捨て身の殴りこみ作戦。

『六甲山頂は、この辺りじゃ最も標高が高い! そこを光線属種に陣取られたんじゃ、大阪湾も、大阪平野も、頭の上から狙い撃ちにされる!
何としても排除せねばならん―――例え中隊が全滅してでも、だ! いいか!? 覚悟を決めろ! 何としても、山頂を奪い返す!』

7月30日から再開した、BETA侵攻防衛戦闘。 その流れの中、中部軍集団は新たな増援を得て善戦を続けてきた。
しかし状況が変化したのは、3日前の8月7日。 まず最初に、六甲山系のなかでも神戸市街のすぐ北に位置する摩耶山山頂を、BETAに奪われたのだ。
以来、戦術機部隊と機械化歩兵装甲部隊との共同作戦で、何度か奪回作戦が行われた。 しかし南の神戸市街から這い上がって来る小型種、特に戦車級に行動を阻まれ、撤退を余儀なくされた。
以来、一進一退を続けるも、海岸線付近で大規模な波状侵攻が生起した結果、戦術機部隊がその阻止戦闘にかかりきりになってしまった。
機械化歩兵装甲部隊に、軽歩兵部隊まで投入しての山間部阻止戦闘を展開するも、物量と個々の攻撃力の差はいかんともしがたく、ズルズルと後退して行った。

そして昨日の朝、8月9日の0930時、最悪の場所に光線級が出現したのだ。 六甲山の山頂、標高931m地点。 
瀬戸内海東沿岸の最高峰から大阪湾と大阪平野に向けて、数本のレーザー照射が放たれた。  丁度、紀伊水道から北上する輸送船団が直撃を受け、轟沈している。

パニックに陥りかけた司令部を、一喝して落ちつかせた中部軍集団司令官の大山大将は、新たな増援部隊6個師団の内、3個師団まで阪神防衛線に張り付けた。
そして一時的に前線で奮闘していた第14、第18師団から一部の部隊を引き抜き、六甲山頂の奪回攻撃を命じた。
以来、29時間近い間に、都合11回も奪回したり、奪取されたりを繰り返している。 投入した機械化歩兵は6個大隊、戦術機6個中隊。
歩兵は残すところあと4個中隊のみ、戦術機部隊も30%を越す損害を受けている。 今回奪回できなければ、状況はかなり苦しくなってしまう。

『有馬からの韓国軍の1個中隊も、展開を完了させた、同時に飛びかかるぞ。 いいか! ここは本土だ! 日本の本土だ! 助っ人連中に主役をかっ攫われるなよ!?』

―――『応!』

やがて、麓から戦術機の跳躍ユニットから発する轟音とともに、数機の戦術機が一瞬姿を見せた。
機械化歩兵中隊の中隊長は、予め知らされてあった戦術機部隊との通信チャンネルに合わせ、相手と通信を行う。

『こちら、18機連6中、戦術機部隊、応答せよ』

『―――181戦術機甲、22中、≪フラガラッハ≫、これから西お多福山の山頂まで、一気に駆け上がる』

タイムラグが有り、やがて網膜スクリーンに1人の衛士の姿がポップアップした。 その姿を見て、ちょっとびっくりする。

『おい、22中、周防さんよ。 アンタは京都方面に、出稼ぎに行ってたんじゃなかったのかい?』

『向うは、お固い頭号師団や禁衛師団、それに斯衛ばかりでね。 粗野な庶民は稼がせてくれない』

『で? 結局は?』

『増援が来て、少し余裕が出来た。 それにこっちが悲鳴を上げていたから、呼び戻された』

『それは、ご愁傷様だ』

『全くだ―――光線属種の注意を惹き付ける時間は、精々3分が限度と思ってくれ。 それ以上は、戦車級と遊びながらの準備照射回避は無理だ』

3分―――それだけあれば、山頂付近の小型種は全て戦術機部隊に向かうだろう。 いや、1分で充分だ。 それだけあれば小型種は全て戦術機に向かう。
そうなればしめたものだ、光線属種は丸裸も同然だ。 自分達の手持ち兵器でも、充分仕留める事が出来る。

『3分、判った。 お前さんの隊が攻撃を開始した1分後に、こっちが強襲を仕掛ける。 光線属種の殲滅には、2分だ―――いいか? 崔中尉?』

付近に展開している(筈の)協同部隊である韓国軍機械化歩兵部隊に、確認の通信を入れる。
英語の苦手な彼だが、同時通訳機能が付いたヘッドセットのお陰で、概要は伝わっているだろう。

『―――了解した、大尉』

そっけない程簡潔に、韓国軍から返答が有った。 その声に動揺も何も感じる事は無い。

(―――そりゃ、そうだ。 連中はもう、何年も国境付近で戦ってきて、本国の陥落も経験しているのだしな)

帝国が失われるかどうかの、この瀬戸際で、援軍に駆け付けた各国軍部隊の中でも、韓国軍と統一中華戦線の旧解放軍系の連中は、何処か異色だった。
極東防衛戦、その最後の要の日本列島防衛にかける意気込みは変わらぬものの、彼らが帝国軍将兵を見る目は、何処か乾いた、そして複雑な目で見ている、そう思う。

(―――本国を失った連中が、今まさに本国を失うかどうかの、瀬戸際の帝国軍と共に戦っている。 ま、色々複雑だろうな)

やがて、轟音と共に突撃砲の射撃音が聞こえた。 彼方から203mm榴弾砲の発射音も聞こえる―――やがて、頭上付近でレーザー照射を受け蒸発した。

≪HQより6中隊、第3射からAL砲弾の連続砲撃を開始する。 酸素供給サイクルをクローズ系に切り替えろ≫

『了解。 シックスよりオールハンズ、酸素供給をクローズ系に切り替え』

呼気循環システムを、予備の酸素ボンベから供給される、クローズ系に切り替える。 
外気を取り込むオープン系にしたままだと、重金属雲が発生する下の戦場では、それだけで命取りだ。

耳障りな、砲弾が大気を切り裂く音。 戦術機の跳躍ユニットが咆哮する轟音。 突撃砲の射撃音。 そして切羽詰まった、悲鳴も聞こえる戦術機部隊の交信。

『稜線上に長く留まるな! 推進剤をけちるな、南北の谷間を使え!』

戦術機甲中隊の指揮官が、声を枯らして部下に指示を飛ばしている。 30秒が経過した。

『C小隊! 戦車級の突出を止めろ! B小隊、稜線から落ちてきた小型種を薙ぎ払え!  A小隊、噴射跳躍! 光線級の注意を惹きつける!』

流石に光線級に睨まれた状態で、その準備照射を回避しつつ、戦術機の装甲など軽く噛み破る戦車級を交しながらの交戦は、歴戦部隊でも手に余る―――45秒。

『準備照射来るぞ! 回避! 回避!』

殆どの光線属種が、戦術機部隊に目が行っている。 小型種もこぞって移動してしまった、チャンスだ―――5秒。

『・・・中隊、攻撃―――開始!』

2個中隊の機械化歩兵装甲部隊が、一斉にフルブーストで跳躍ユニットを吹かし、光線属種の裏に飛び出た。
目前に後背を晒す光線級に、12.7mm機銃弾を浴びせかける。 僅か67名に減じた中隊全員が、一斉に射撃を開始した。

『第1、第2小隊! 光線級の排除! 第3小隊続け! 重光線級を殺る! LAM(110mm個人携帯対BETA用装甲弾)だ!』

一軒茶屋から脇に逸れた頂上へ至る山道、そこをフルブーストで駆け上がる。 目前に重光線級、でかい!
韓国軍の1個小隊も加わった、こちらはTOWを装備している。 歩兵には大きすぎて不評だが、機械化歩兵装甲部隊には丁度良い、対装甲ミサイルだ。
攻撃位置に着いた時、群れの最後尾にいた小型種―――兵士級の群れが数10体、こちらに気付いた。 接近を許せば厄介だ、早く仕留めなければ。

『1体に最低でも3発叩き込め!―――発射!』

見上げる形で重光線級に向け、対装甲弾を撃ち込む。 至近距離だ、外しはしない。
次々に重光線級に命中する。 やがて8体の重光線級が全て、体液を撒き散らせながら倒れ込んだ。

『光線級の排除に成功!』

『兵士級、闘士級、約70体、向かってきます!』

『撃て! 撃て!』

『フラガラッハより6中! 退れ! あとはこっちで始末する!』

『6中よりフラガ、任せた! 中隊、後退だ! 後退しろ!』

迫りくる小型種の群れに、12.7mmを浴びせかけながら後退する。 その背後から戦術機部隊が、突撃砲の36mm砲弾を小型種の群れに叩き込んでいた。
やがて、山頂付近に陣取っていた全てのBETAの殲滅に成功する。 改めて戦術機部隊と合流を果たし、周囲の警戒を部下に命じた後、通信回線を開いた。

『・・・何とか、奪回出来たな。 今回は運が良かった、厄介な戦車級の数が少なかったよ』

『5派と9派の時は、かなり損害が出たらしいな?』

『ああ、酷かった、6個中隊が全滅した。 戦術機部隊も、2個中隊出張って来たが・・・ 4機やられた』

一部、米軍部隊や国連軍部隊も参加したが、繰り返される争奪戦と1回毎の損害の多さに、ある米軍兵士がこう叫んだ。
―――『マウント・ロッコウは、『ハンバーガー・ヒル』だ!』

こうして、12回目の六甲山山頂奪回作戦は終わった。 しかし、これで全てが終わった訳では無い。
多分、またBETAは群れを為してこの山頂に登って来るだろう。 そうしたら、また『ハンバーガー・ヒル』には、血肉がばら撒かれる事になるだろう。

『・・・明日からは、戦艦部隊が山頂付近に艦砲射撃を加えるらしい』

『そりゃ、いいや・・・ そうすれば、俺達も苦労して山登りせずに済む。 周防さんよ、アンタらも毎度毎度の綱渡りをしなくて済むな』

『・・・京都方面じゃ、そればかりやっていたよ』

京都西部と北部の山岳地帯と、盆地を巡る防衛戦。 
戦術機部隊にとっては戦闘機動がかなり制限される、苦しい戦いが続いていた。

―――そりゃ、大変だな。

そう言い返したその時、機械化歩兵装甲部隊の指揮官は、不意に気が付いた。 あれ? こいつ、こんな昏い目をした奴だったかな?









1998年8月10日 2315 大阪府守口市 臨時野戦基地


ハンガーは相変わらずの戦場だ。 帰還した戦術機、それに取り付き、損害状況を確認する整備兵達。
向うでは衛生班が負傷した衛士を、大急ぎで応急処置を加えながら野戦病院に搬送しようとしている。
一時的に京都方面の防衛線に駆り出され、そして呼び戻された途端に、六甲山頂を巡る戦いに投入された。
そして今、中隊は38時間ぶりにまともな整備を受ける機会を得た。 当然ながら、その間は断固として休む様、部下には厳命している。

俺自身疲れ切っていたが、まだ仕事も残っている上、妙に目が覚めている。 書類仕事に半ば嫌気がさし、気分転換にブラブラしているとハンガー前に来ていた。

中隊の戦術機を見上げる。 定数で12機、現在は10機。 神戸方面の戦闘で、B小隊4番機の浜崎(浜崎真弓少尉)が負傷した。
続く京都の北西、亀山盆地での戦いでは、損失無しで乗り切ったものの、今日の六甲山の戦闘で、C小隊3番機の宇佐美(宇佐美鈴音少尉)が負傷した。
戦死者はまだなく、負傷した宇佐美も浜崎も、骨折程度で済んだのは幸いだった。 師団軍医部に確認した所では、3ヵ月もすれば復帰出来るらしい。

(『・・・こ、怖い・・・』)

浜崎が搬送される直前、小さく漏らした呟きが耳に残っている。 あいつとて、遼東半島や、朝鮮半島での戦闘経験が有る。 昨日今日、初陣を迎えた新米じゃ無い。

(・・・浜崎は、復帰は難しいかな)

人には個体差があって当然だ、当然ながら精神面でも、その差は歴然と存在する。
衛士としての適性とは別に、戦場で受ける衝撃、死への恐怖、そう言った負の要素に対する抵抗力、或いは鈍感力と言う意味で、浜崎は繊細過ぎたのか。
復帰する、しないは軍が判断する事だが、もし復帰してきた場合は良く考えなければならないな、そう思う。
ただ闇雲に叱責して、無理やり戦闘に参加させるだけでは、無為に無駄死にさせるだけかもしれない。

そう考えた所で、急に可笑しくなった。 今現在、帝国は亡国の瀬戸際を戦っている。 無力な民間人を、数千万人も犠牲にしてまで。
その状況下で、1人の将兵の精神状態を云々する事が。 それを許される状況で無いと言う事が。 それを許容すべきと判断している自分が、妙に可笑しく思えた。

「周防」

背後から呼びかけられる。 振り向くと、今回の六甲山頂奪回作戦に抽出された6個戦術機甲中隊の先任指揮官である、和泉大尉が歩み寄って来ていた。

「和泉さん、アンタも書類仕事から逃げ出したクチですか?」

正直、気分がすぐれているとは言い難いからか、我ながら下手な言い様だ。 
もっとも当の和泉大尉も同じなのか、眉間にしわを寄せて鼻を鳴らしながら、言い返してきた。

「アンタ『も』って何さ。 私は少なくとも、アンタよりまともに中隊長やっているよ」

酷い言い草だ、まるで俺が中隊長職を、ちゃらんぽらんにやっている様に聞こえるじゃないか。
しかしそこで、毒舌合戦になる前に会話が途切れた。 普段の和泉さんらしくない。 まあ、俺もそうか。

暫く、2人してハンガー内の作業を無言で見つめていた。 整備の連中は、上は指揮官の大尉から下は1等兵まで、しゃかりきになって働いている。
腕を破損した戦術機、管制ユニットを半ば齧られた戦術機、跳躍ユニットが脱落した戦術機。 よく帰還したものだと思う。

「・・・アンタのトコ、今までの損失は何機?」

「・・・2機。 負傷2名ですね」

「ふうん、大したもの。 私のトコは、3名戦死で1名負傷、残り8機だよ」

「すっと、阪神防衛戦の最前線に張り付きでしょう、和泉さんのトコは。 ウチは京都で数日間楽させて貰いましたから」

京都方面は、ここ数日散発的な再侵攻以外、不気味なほどBETAの活動が振るわない。 お陰で中隊も、連続稼働での防衛戦闘から解放されていた。
しかし、阪神防衛戦は逆だった。 3万以上のBETA群が、繰り返し数千規模の波状突撃を仕掛けてきた。 そして決定的な戦果を出す前に引き上げる。
BETAに戦略戦術無し―――あの言葉は既に大陸や欧州の戦場経験から、誰が広めた戯言だと思っているが、今回もBETAは厄介な行動をしている。

「ウチの連隊じゃ、伊崎(伊崎真澄大尉)の13中隊は9機、佐野(佐野慎吾大尉)の23中隊は8機・・・」

そして、和泉大尉の31中隊も8機。 141戦術機甲連隊から抽出されている六甲山系防衛分遣部隊は、残り25機。
俺の属する181戦術機甲連隊分遣隊も、俺の指揮する22中隊は10機が残っているが、葛城君(葛城誠吾大尉)の13中隊は9機、仁科(仁科葉月大尉)の33中隊は8機。
181戦術機甲連隊分遣隊は、残す所27機。 141と181で合計52機。 20機を失った、25%以上の損耗率だ。

「・・・沿岸部も、そろそろヤバそうだよ。 さっき美弥さん(水嶋美弥大尉)と連絡が取れてね、ヤバいって。
29師団がボロボロ。 14と18師団も3割以上の損耗率。 増援の3個師団(第31、第38、第49師団)は頑張っているけど、ね・・・」

「海軍は? 確か堺の聯合陸戦師団が2個・・・ 第1と第3聯合陸戦師団も、戦闘序列に入った筈ですよね?」

海軍の地上戦力は、大別して2つに分かれる。 敵前強襲上陸専門の『海兵隊』、これは81式強襲歩行攻撃機『海神』装備の部隊だ。
この海兵隊の敵前上陸、そして橋頭堡確保の後で、拠点確保と支配地域拡張の為の戦闘を引き受けるのが、『聯合陸戦師団』―――陸軍の戦術機甲師団と、ほぼ同じ編成の部隊だ。

今回は、壊滅した呉から脱出してきた第3聯合陸戦師団と、横須賀から出張って来た第1聯合陸戦師団が、防衛線に参加している。
佐世保の第2聯合陸戦師団は、九州に張り付け状態。 舞鶴の第4聯合陸戦旅団(舞鶴のみ、規模の小さい旅団編成)は、福井県南部の嶺南地方に防衛戦を張っている。

「ああ、海軍さんの増援も、かなり助かっているよ。 他に中韓の2個旅団、都合8個師団に2個旅団。
・・・3万以上のBETA相手だと、これで何とか、かんとか、ってトコだよね」

既に第1防衛線は、8月5日に放棄されている。 
翌8月6日から始まった第2防衛線防衛戦闘は、激しさを増しながら今もなお継続中だった。
淀川以北の大阪市から京都府南部、そこから京都盆地の入口である明神ヶ岳と愛宕山の間、そこから鞍馬に抜けるライン。
嫌な出来事を思い出した。 無意識に顔が歪む。

「・・・どうしたんだい?」

「いや・・・ ちょっと、嫌な事を思い出しまして、京都で」

「聞いているよ。 こっちも同じ様なもんさ、私も経験した、皆もね」

とうとう、本国でも民間人に対し発砲する羽目になってしまった。 亀岡市内での事だ、逃げ遅れた数千人の民間人、迫りくるBETA群。
このまま民間人を保護しながらの、突破阻止戦闘は無理だった。 非難してくる民間人の最後尾は、既にBETAに喰い付かれていた。
悪夢の阿鼻叫喚、古い記憶が蘇った。 このままでは、BETAに突破される。 そう判断した瞬間、命令を下していた―――『射撃開始!』

BETA群は撃退した、しかし同時に数千人の民間人も全て死に絶えた。 あの時と異なるのは、同時に民間人とBETAに向け発砲したのは、俺の中隊だけじゃないと言う事か。
当時は第1師団、第3師団から抽出された部隊と共に、協同戦線を張っていた。 それらの部隊もまた、同時に発砲していたのだ。

「軍集団司令部の法務部は、今回の件は不問にすると・・・」

「アンタが国連軍に飛ばされた当時とは、帝国軍自身も勝手が違うよ。 もう、そんな『人道的』な判断を下せる余裕なんて、ありゃしないんだから・・・」

阪神防衛戦に於いても、複数の部隊がBETAに喰い付かれた民間人を、BETA毎吹き飛ばすと言う事態が発生したと言う。
此処にいる和泉さんもその一人だし、ウチの連隊でも木伏さんに愛姫、それと仁科がその命令を下さざるを得なかったようだ。

「ウチ(141連隊)じゃ、私に美弥さんと伊崎・・・ ああ、長門もね。 アイツはアンタと同じだね、真っ先に判断を下したよ。
29師団じゃ、地元出身の指揮官がね、命令下した後、基地に帰還してから拳銃で頭を撃ち抜いたってさ。 見知った顔でも居たのかね・・・」

経験の浅い少尉と、経験豊富な大尉との差か。 俺が初めて経験した少尉当時の混乱は、和泉さんからは窺い知れなかった。
しかし彼女も、血の通った人間だ、何も感じていない筈はない。 

「・・・俺の、国連軍時代の戦友が言っていましたよ。 『マッキナになるしかねぇ』って。 出来れば後悔もしたくない、人生、そんなに長く無いのだから、とね。
死んでから、あの世とやらでゆっくり苦情を受け付けたらいい、後悔や悔悟なんて贅沢、楽しんでいる暇は無いから、ってね」

確か、イベリア半島の戦闘の後だったか。 うん、94年の夏が終わった頃だ。 負傷が癒えて退院したあと、酒場で飲んだ時だ。
ファビオと・・・ ああ、スペイン軍のあのおっさん、レオン・ガルシア・アンディオン中尉―――欧州を離れる直前、便りを貰った時は少佐になっていた―――も居た。
その時、珍しく酔っ払ったファビオが、そう言っていたんだったか。 ファビオ自身、満洲で民間人に向けて発砲した事がある、俺と一緒に。

「・・・じゃ、そうするよ、私も。 何時まで生きてられるか、判んないけどね」

「憎まれっ子、世に憚る、そう言いますが?」

「長生きするよね、周防、アンタは!」

少しだけ、普段の調子が出てきたか? 苦笑しつつ肩をすくめる。

「ま、私が滅入ってられないのも確かよね。 部下達の手前、あいつらのフォローもしなきゃね」

「141の方は、和泉さんに任せますよ。 伊崎はこっちに居るのでしょう?」

「うん、そうだね。 ま、あの娘も満洲や半島の経験が長いから。 目撃経験はいくらでも有るしね」

中国軍や韓国軍が、同様に除隊に陥った時に自国民ごとBETAを吹き飛ばす場面は、多々有った。
大陸派遣軍で戦った者にとって、自分で経験してはいないが、友軍がそう言った処置を行う場面に遭遇した経験を有するの者は多い。

「ウチの仁科は、俺の方から」

「頼んだよ」

そう言って、和泉さんはその場を離れて行った。 時計を見ると、もう2400に近い。 流石に俺も休まないと体が保たない。
粗末な作りの将校用兵舎に向かう事にした。 少しでも休まないと。 その前に、仁科に一言掛けておくか。 ああ、部下達にも明日の朝、それとなく・・・

そんな事を思いながら歩いていた。 そして無意識に思っていた―――祥子が、こんな思いを経験せずに済んだのは、或いは幸いだったか、と。
恐らく彼女が聞いたら、顔を真っ赤にして怒るだろう。 もしかしたら、悔し涙さえ浮かべるかもしれない。 或いは彼女を、貶める事になるのか?

―――全ては俺の本音で、全ては正鵠を得ているのか。

ああ、俺の我儘な本音だ。 彼女の負傷を差し引いても、この負の感情は味あわせたくない、それが本音だ。 例え部下が味わったとしても、だ。


「・・・一生、口に出来ないな」

気が付いたら、自嘲しつつ独り言を呟いていた。

砲声が聞こえる、今夜もまた間引き砲撃か。 
真夏の熱帯夜が鬱陶しい、星が曇って良く見えない、朧月が霞んでいる―――我儘で、何が悪い。











[20952] 本土防衛戦 京都防衛戦 2話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2010/12/12 23:01
1998年8月12日 早朝 『帝都』東京 霞ヶ関 某所


各省庁が立ち並ぶ官公庁街の一角、目立たぬ背の低い建物の一室に複数の男達が集まっていた。
部屋の調度は機能的を通り越して、殺風景と言っても良い。 唯一、壁に立てかけられた大時代的な大時計だけが、奇妙な存在感を出している。

「・・・いかんな、このままでは」

背広をきちんと着込んだ、見るからにキレ者と言った印象の男が、手にした資料の束を見つめて呟いた。
男の周囲に居る同様の印象を受ける複数の者達も、一様に頷く。 商工省から来ている高級官僚の一人が、呻くように言う。

「阪神の重工業地帯を失うのは痛い、いや、帝国の重工業生産の15%を失う事になる、致命的だ。 既に九州と瀬戸内、併せて14%を失った」

「それに、既に兵庫県は播磨工業地帯も壊滅だ、阪神工業地帯は半数近くを失っている。 実質的に6.3%を失った、併せると今までに20%を失っておる」

帝国内の主な無重工業地帯は、京浜、中京、阪神、北関東、瀬戸内、東海、北陸、北九州。 この内、北九州と瀬戸内は全滅した。 阪神も4割を失っている。
総生産額7890億円(※)の内、実に1600億円相当、20%以上の国内生産拠点を喪失したのだ。 痛くない筈が無い。
商工省の官僚に続き、大蔵省の高級官僚も苛立たしげな声を上げる。 工業地帯と共に喪われた、地方自体にまで及んでいる。

「それだけではない、近畿以西の人口は帝国全体の4割に達する。 この地方から得られる所得税、消費税、法人税・・・ 一般会計歳入の15%が駄目になった」

「来年度の一般会計歳入は、大よそで35%の減収入だ。 翻って、一般会計歳出は今年度比で15%の増加・・・ 50%もの財政赤字だ!」

「国債は? 市場状況はどんな様子だ?」

大蔵官僚の吐き捨てる言葉に、内務省の官僚が確認する。 その質問に商工省の官僚が答えた、自虐気味だった。

「芳しくないな、格付けがS&P(スターズ&プアーズ)で、AAからBBBに2段階落ちた。  ムーディーズではBaaにまで落とされている。
売りが入っているよ、外国市場は元々発行額が比較的小さいが、国内市場で売りの気配が濃厚だ」

「拙いぞ、それは拙い。 国債での公債金収入は、最早半分近く―――昨年度で48%に達する。 このままでは・・・」

「デフォルトか? その前に国が破産して、戦争を継続できんな。 戦おうにも、武器弾薬に食料、衣料品・・・ 物はあっても、国家がそれを調達出来ない、資金が無い」

内務省、大蔵省、商工省、それぞれの官僚が顔を見合す。 その表情は暗い。
その時、それまで黙っていた外務省の官僚が隣に座る人物に声をかけた。 軍服を着て、参謀飾緒をぶら下げた将官―――陸軍准将だった。

「・・・軍としては、どうなのかね? 阪神の工業地帯を、守り抜けるのか?」

「これ以上、BETAに言い様にやられて見ろ、市場は完全に帝国を見放す。 国債だけでは無い、企業の株価―――日経平均株価も、大幅な下落状況なのだ」

「この辺で、何かしらの成果を見せておかないと。 本当に帝国はBETAに滅ぼされる前に、借金で国が潰れる」

「この所、ウォール街が活発な動きを示している。 帝国企業の株を積極的に買い漁り始めている」

相次いで、内務省、大蔵省、商工省の官僚も口を開く。 もう、半ば哀願状態だ。
そんな官僚たちを横目で見ながら、カミソリのような印象を受けるその軍人は、冷ややかな口調で言った。

「・・・そんな事は、言われずとも判っておる。 ふん、君等が怖がっているのは、『闇財布』―――特別会計に、手を付けられたくない為だろうが」

『特別会計』―――その言葉に、居並ぶ高級キャリア官僚たちが押し黙る。
お互いを探るような視線で伺う様は、『生き馬の目を抜く』以上の陰湿で激烈な競争(愛の引っ張り合いと押し付け合い)を生き抜いてきた、帝国官僚団の姿を物語っている。
その様子を見た参謀准将―――国防省の、どこぞの部長クラスか―――が、更に冷ややかな視線を向けて言い放った。

「何が、『借金で国が潰れる』だ。 特別会計収入は、一般会計収入の約4倍だ。 今年度は一般会計収入3200億に対し、特別会計収入1兆3200億。
特別会計の歳入と歳出との差額は、想定で897億円の黒字だろう? 本年度の国防予算は430億円、その約2倍だ。 どこが『金が無い』と言うのだ?
ふん―――そろそろ、首が危うくなってきているのではないかな? このご時世だ、やり過ぎは身を滅ぼすぞ?」

誰も、何も言わない。 言えば、その言葉に責任が付いて回る。 官僚とは、省利省益を確保する場合以外に、絶対に余分な言葉を言わないものだ。
軍の方も、その様な事は判っている。 大体が、軍自体が帝国で最大にして、今や最強の官僚組織なのだから。

「阪神は、防衛して見せよう。 軍としてもこの先、BETAの動向は不明だ、軍需生産拠点はなるべく確保したい。
それとは別にだ―――特別会計、国防省にも『事業特別会計』の枠を振り分けろ。 内務省や商工省、農林水産省、法務省・・・ 美味しい思いをしてきたのだろう?」

各省庁の官僚達が、顔を見合わせる。 その様子を余所に、准将は言葉を続けた。

「見た目は確かに、ウォール街の介入―――ホワイトハウスの介入は頂けない。 それは理解した、軍としても国家統制には協力しよう」

今更、ペンタゴンの完全な従属下に入る事は出来ない。 それでは軍内部が、特に皇道派の馬鹿共が、完全に暴走してしまう。

(ふむ・・・ ここはひとつ、『国連派』の連中を引き込むのも手か。 親米派と言うより『知米派』、親欧派と言うより『知欧派』なのだ。 防波堤位にはなろう)

多くを望みはしない、第一、帝国の舵取りは我々が行う。 政府も政党も、結局は党利党益に走る輩だ。 
今の首相は多少骨があるが・・・ 選挙で負ければ、その座も霧散する。 政党の大綱には反対できない。

いっその事、帝国全土に対する戒厳令を前倒しで出すか。 そう思った。 進言してみるのも良いだろう。 今回の会合の結果を見れば、いずれ国家統制は必要なのだから。
首相は抵抗するだろうが、構わん。 今や軍の意向に逆らってまで、この難局を乗り切ることなど不可能なのだ。 京都が良い見本になる。

(・・・京都か)

「その前に、京都だな・・・ 何時まで居座るつもりなのか、あの小娘は」

そう思った矢先、内務官僚が忌々しげに呟いた。 内心の驚きを隠し、ポーカーフェイスで周りを見渡す。

「お陰で、大規模な避難計画が実施できん。 京都の民間人移送の為に、客車ダイヤを大幅に振り分けねばならん」

「当初の予定では、兵站物資を運んだコンテナ車輌に詰め込む、だったか? 窒息死せんか?」

大蔵官僚が、准将に聞いてきた。 詐欺じみた数字の操作には天才的な才を発揮する大蔵省だが、こう言った事はからきしなのだ。
相変わらず表情を崩さずに、准将は言い放った。 内心で、少しは過去の事例位調べておけ、そう毒づきながら。

「扉を開けておけばいい。 この季節だ、凍死する心配は無い。 脱水症状は起こすだろうがな―――何、既に前例を作った国がある」

「どこだ?」

「ナチス・ドイツと、スターリン統治下のソ連」

その例えに、並居る官僚達がバツの悪そうな、しかし罪の意識すらない笑みを浮かべる。
その笑みを自覚したからだろうか、自分を大きく見せようと思ったからだろうか、一斉に京都への批判を口にし始めた。

「計画では、既に最終段階に移行出来ていたのだ、それを・・・」

「ふん、『民の安全を、最大限に保証せよ』か! よりによって、陛下へ奏上するとは! 政府も政府だ、腰砕けな!」

「周りの国を見てみろ、そんな甘い態度で国土を守れた国家があるか!?」

そんな官僚団の様子を、最後まで冷ややかな表情で見つめていた准将が、最後に言い放った。

「だからこそ、だ。 政府も政党も、ましてや元枢府など、頼るに及ばん。 この国は、我々が守る」

軍部統制派高級将校団と、各省庁の実務キャリア官僚団。 
帝国において真に国政を動かすのは、政威大将軍でも元枢府でも、政府でも政党でも無い事を自覚しているのは彼らだった。








国防省への帰途、車中から新しい『帝都』の様子を眺めていた准将が、不意に副官に確認した。

「・・・中部軍集団へは、命令は出したのか?」

「はい、閣下。 本日、軍務局より数名派遣されております」

「そうか・・・ ならば、良し」

それっきり沈黙してしまう。 しかし内心では反対に、様々な事案に対する思考を展開させていた。

(・・・今更、政治的な駒には成り得ぬとは言え、見捨てるには国内の影響は大きいからな、あの殿下は。
仕方有るまい、京都市内の民間人脱出までの時間は、呉れてやろう。 それで満足しろ。  その為には・・・)

現在の戦況では、南の大阪方面―――琵琶湖運河の淀川水道の防衛が、ジリ貧状態だ。 手を拱いていては、いずれ突破される。
予定では、南から誘引して北の京都へ誘い込む。 そのまま、市内と市郊外に多数設置させた定点型のS-11を複数、指向性を持たせて起爆させる。
京都は盆地だ、爆発エネルギーは開けた場所以上に、相互干渉して破壊力を増すだろう。 千年の都は灰燼に帰すだろうが、国を守る為だ、犠牲になって貰う。

だが、流石に軍上層部―――軍政・軍令の実権を握る統帥派将校団でも、数十万の民間人を諸共に吹き飛ばすのは躊躇した。
国内への影響が大き過ぎる。 それに未だ影響力を喪失していない、武家社会全般を敵に回す事にもなる―――政威大将軍も未だ、残っているのだ。
何よりも、陛下―――皇帝陛下は、お許しになられないであろう。 政治の実権は内閣に帰する立憲君主国家である帝国だが、陛下の『御不興』と言うのは政治的に非常に拙い。

その為の時間を、何としても作らねばならなかった。 狭隘な地形故にBETAの活動が不活発で、地形利用の防衛戦闘が機能している京都方面はまだいい。
では、より地形的に不利な阪神方面で時間を作る。 南の崩壊を少しでも先に引き延ばす(いや、崩壊させるのは元も子もないが)
要は、北方への誘因作戦、このタイムスケジュールを引き延ばす。 その為に、阪神防衛線を少しでも押し戻させる。
その後は、阪神に展開する第2軍をこぞって防衛線の枠内に吸収する。 守りを固め、打って出る事はしない。

ああ、一部部隊を使って誘引さす事は必要だが。

国家戦略を論じる者に、現場は見えない。 只の駒に過ぎないからだ。
逆に現場からは、国家戦略を論じる者など見えはしない。 動かされる駒であるが故に。










1998年8月12日 0830 大阪市内 第9軍団司令部


子の字型に配置された作戦室の座席。 最前列に各師団長や師団参謀長、その背後に参謀や連隊長、大隊長。 最後列に中隊長や参謀大尉。
離れた前方に、軍団長や軍団参謀長、そして軍から派遣された高級参謀と、本土防衛軍総司令部辺りから来たと言う参謀大佐。
作戦室内は殺気とも言うべき、一種異様な熱気に包まれている様に感じる。 無理も無い、ここにいる将校は、下は大尉から上は少将まで、つい先ほどまで最前線に居たのだから。

やがて、軍団作戦主任参謀の藤田伊与蔵大佐が立ちあがり、作戦内容を説明し始めた。

「ここに参集頂いた諸官には、今までの奮戦敢闘、誠に感謝に堪えぬ所で有ります。 ついては、今後の軍集団方針に伴う、我が第9軍団作戦方針をご説明する」

プロジェクターに映し出された戦略地図、そこに比我の戦力位置や動向、被害状況、勢力状況が追加されてゆく。
それを見れば一目瞭然だった、我が軍は押し込まれつつある。 既に第2防衛線は半ば以上の範囲で差し込まれ、個々の部隊間の協同が困難になりつつある。
南部―――大阪市北部沿岸地帯は、いよいよ琵琶湖運河の淀川水道前面近くまで、BETA群に押し込まれている。
第9軍団3個師団に増援の3個師団、海軍2個師団と中韓4個旅団。 海上からは第1艦隊の一部が対地攻撃を開始した。 それで何とか阻止している所だ。
北部―――京都の西、亀岡盆地からの突破阻止に必死の第1師団や禁衛師団も、被害大にして、一部の小型種を後ろに逸らす場面が多発していた。
京都市内の民間人脱出は、まだ完全に終っていない。 残す所、あと10万人程は残留していると見られている。 侵入した小型種BETAの脅威は、斯衛軍が掃討戦を展開中だ。
中部―――淀川水道沿いの京阪間は、山岳戦が展開されている。 兵庫から浸透してくる、主に戦車級以下の小型種の淀川到達の阻止。
ここの戦区は結果として最も薄く・最も広く、部隊が展開せざるを得なかった。 少しずつ、しかし確実に戦力を消耗し続けている。

現状の戦力配置は、北から第1軍の第1軍団(第1師団、禁衛師団、第3師団、斯衛第1、第2聯隊戦闘団)が京都北部から亀岡の北東側に展開。
北部山岳地帯からの浸透阻止、及び東の比良山系への突破阻止に加え、西の亀岡盆地北東からBETA群に打撃を加えるという、困難な3方面作戦を強いられている。
同じ第1軍の第2軍団(第2師団、第6師団、増援の第37、第51師団)は、亀岡盆地の出口に陣取り、BETA群の京都市内突入を阻止している真っ最中だ。
北東から第1軍団の支援を受けてはいるが、狭い地形での1点集中突破を仕掛けて来るBETA群に対し、かなりの損害を出していた。

吹田、摂津、高槻、茨木、京都の長岡京市、向日市にかけての範囲に、長く広く展開しているのは、第2軍の第7軍団(第5、第20、第27、第40師団)
この第7軍団には、大東亜連合から派遣されたインドネシア軍第2師団、米陸軍第25師団が協同部隊として共に戦線を形成している。
この方面の特徴は、小型種BETAの比率の高さだ。 山間部を縫う様に、小集団に分かれて浸透してくるBETA群に対し、最大で大隊単位、下手をすれば小隊単位で対応している。
そして大阪市北部沿岸地帯の前面。 兵庫県尼崎の杭瀬付近を最前線とし、大阪市の北部・淀川区、西淀川区の攻防戦を展開中なのが第2軍の主力である第9軍団。
現在は本来の3個師団(第14、第18、第29師団)に加え、増援3個師団(第31、第38、第49師団) それに海軍連合陸戦第1、第3師団と中韓4個旅団。
最大戦力を抱え込む戦区だが、同時に最大規模のBETA群と対峙している戦区でも有る。  既に何度か神崎川(淀川同様、拡張されている)を越されたが、何とか撃退した。


「・・・このままでは、ジリ貧だ。 海上支援は、どこまで受けられるのだろうな?」

隣に座っている師団の参謀大尉(名前は失念!)が、小声で聞いてきた。 俺が知る訳が無い、階級は同じでも向うは司令部の参謀大尉だ。 
その彼が知らない情報を、前線の野戦将校である俺が、持っている訳無いだろう。 が、向うもそれは承知だろう、結局は苛立っているだけだ、それはお互い様だが。

「さあね・・・ 第1艦隊は、戦力を分けたと聞いたが?」

こちらも小声で、囁くように言う。 この場で大尉など、只のお供に過ぎない。 発言権も無ければ、ただ神妙に聞いているしかないのだから。

「・・・第2戦隊(戦艦『信濃』、『美濃』)の2隻を、伊勢水道から琵琶湖に入れたらしいよ」

反対側の隣から、一緒に上官の『お供』で来ていた源さん(源 雅人大尉)が、これまた囁くように言う。
その話だと、大阪湾に突入してきたのは第1戦隊(戦艦『紀伊』、『尾張』)と、第3戦隊(戦艦『大和』、『武蔵』)の4戦艦。
他には巡洋艦戦隊の第7、第9、第11、第14戦隊当りか? これだけで、イージス巡洋艦が7隻と、打撃巡洋艦(ミサイル巡洋艦)が6隻になる。

「いや・・・ 大阪湾へは第7と第9戦隊が入ったらしいよ。 第11と第14戦隊は、第2戦隊のお供で琵琶湖に居るらしいね」

源さんの情報―――大阪湾には、戦艦が4隻とイージス巡洋艦4隻、打撃巡洋艦4隻。 琵琶湖には、戦艦2隻とイージス巡洋艦3隻に、打撃巡洋艦2隻。
他の戦力はどうなったのだろう? 第1艦隊は、帝国海軍最強の艦隊だ。 規模だけで言えば、世界最強の米第7艦隊にも匹敵する。

「・・・航空戦隊(母艦戦術機部隊)は、和歌山沖に第1、第2航戦(戦術機母艦『大鳳』、『海鳳』、『飛龍』、『蒼竜』)が展開中だ。 1駆戦(第1駆逐戦隊)がお供している。
他に伊勢湾に第3航戦(戦術機母艦『雲龍』、『翔龍』)が展開している。 こっちには3駆戦が付いている・・・」

参謀大尉が答えてくれた。 第1艦隊は、大阪・京都両方面への支援を可能にする展開をしたと言う訳か。
玉虫色だが、仕方が無い。 どちらか一方では無く、両方面とも今は支援が必要なのだ。 その結果、支援が薄くなってしまい危険が大きいが。

「そういえば参謀、若狭湾はどうなった?」

参謀大尉に聞いてみる。 生き残った海軍連合陸戦第4旅団が、舞鶴から福井県の小浜まで後退して、北陸への防衛線を張っている筈だった。

「あそこは、今は開店休業状態だ。 BETAは、ほぼ全てが南下したからな。 今は東海軍管区の45師団(金沢)と共同で、防衛線の構築作業中だ」

小康状態、そう言って良い様だ。 少しホッとした。 若狭湾には、東北の大湊から急行した第3艦隊が展開している。
第3艦隊の主力、戦艦『駿河』艦長は、俺の叔父・周防直邦海軍大佐だ。 叔父の性格からして無茶な戦はしないだろうが、いざという時にはどうなるか判らない。
そしてもう一人、兄の周防直武海軍主計少佐は、第1艦隊の打撃重巡『青葉』の主計長として、今は大阪湾に展開中の艦に乗り組んでいる。
こちらはかなり心配だ。 打撃重巡―――戦艦と組んで対地攻撃の主役を張る艦だが、戦艦程には対レーザー防御力は高く無い。
下手な場所に喰らったら、一撃轟沈と言うケースも考えられるのだ―――自分がBETAとの戦闘の最前線で対峙すると言うのに、身内の心配かと言われそうだが。

そんな下っ端の勝手な想いを余所に、会議はいつの間にか佳境に達していたようだ。
部隊に帰ってから、何も聞いていませんでした、では済まない。 意識を会議に集中しよう・・・

「・・・最終的に、京都放棄後の防衛線の死守が絶対条件となる。 しかしその前に南部が蹂躙されては、その条件が根底から崩れる事となる」

藤田大佐の説明が続く。 確かに、京都放棄の代償は大阪湾沿岸、いや、西日本に最後に残った重工業地帯の確保だ。
国家としての継戦能力を確保する為にも、ここの重工業地帯は是が非でも確保しなければならない―――政治都市・京都は工業地帯で無いが故に。

「最終目標、琵琶湖運河の淀川水道の死守。 だが現状況では、何時防衛線が破られるか予断を許さぬ状況だ。
同時に、あと数日は何としても現状況を確保せねばならない」

場がざわめく、大半が不満の声だ。 中には小声で罵倒する声も聞こえる。 聞こえている筈だが、藤田大佐は聞こえていない素振りで話を続ける。

「最終段階への移行は、最短でもあと3日。 あと3日は何としても持ち堪える必要がある。 そこで―――本作戦を敢行する」

作戦概要がプロジェクターに映し出される。 それを目にした瞬間、各級部隊指揮官達から怒声が巻き起こった。

「作戦主任参謀! 藤田大佐! この作戦は一体どう言う事だ!?」

「馬鹿な! 今でさえ、戦線を支えるのが精一杯だ! それを、神戸まで押し戻せ、だと!?」

「そんな戦力が、一体どこに有ると言うのか!? 軍団司令部には、明確な説明を頂きたい!」

「いや、それよりもだ。 苦労して神戸まで戦線を押し戻したとしてだ、結局は数日後には放棄する。 一体、部下達の戦意をどうやって保たせればよいのだ!?」

「現実を見ろ! 先日、大阪湾で兵站物資を満載した輸送船団が沈められたお陰で、特に弾薬備蓄量は危機的な状況だ! 間引き砲撃すら制限中だぞ!」

「・・・一体、どうやって。 いや、軍集団上層部は何を考えている・・・?」

「今すぐにでも、最終段階への移行を進言する! もう、各戦線は限界だ!」

会議室内は更に混沌としてきた。 師団長の中には、藤田大佐に掴みかからんとする人も居た程だ。
大佐と言えば―――苦渋の表情で顔を歪め、無言で罵声を受け止めている。 軍団長の安達二十蔵中将、参謀長の久世四朗少将も、同様の表情で敢えて何も言わない。


「・・・宜しいか?」

中ほどの席から、挙手と共に立ちあがったのは第31師団長の佐倉幸徳少将。 どうぞ―――藤田大佐の声に頷き、ゆっくりと発言する。

「我々は帝国軍人である。 命令には忠実に従い、その責務を完遂する事がその本分である。 その点に於いて、我々は戦う事に恐れを為すのではない。
しかし、聞かせて欲しい。 今のこの状況下で―――BETAの大群に圧迫され、残り少ない兵站物資を遣り繰りしながら、それでも最前線の部下達は必死になって戦っている。
神戸までBETAを押し戻す! 大いに結構!―――それが、戦線を好転させるのであれば! しかし、数日後には放棄される? 全く無意味だ、本作戦の意味は?」

佐倉少将の発言を受け、主に師団長級の将官の発言が続く。 第39師団長の佐々助三少将が立ちあがった。

「第39師団長、佐々です。 只今、31師団・佐倉少将の仰った事は、この場の全員が理解している所である。
増援部隊である我が師団は、まだ損失は少ない方だ。 だが、第14、第18、第29師団に至っては、継戦能力の限界に近い。
成程、確かに未だ戦力の70%前後を確保してはいる。 しかし、軍事上30%の損失は『全滅判定』ではなかったか?」

続いて、第49師団長・竹原季三郎少将。

「我々の増援3個師団だけでは、攻勢に出るなど夢のまた夢だ。 一体、軍司令部は第9軍団前面のBETA群の数を把握しているのか?
軍団司令部は、それを理解して作戦を立案しているのか?―――理解に苦しむ!」

師団長達の『弾劾』は続いた。

「第29師団長、神村利道少将です。 一言・・・ クソ喰らえ! 以上!」

遂には俺の師団の師団長、森村有恒少将まで顔を主に染めて、立ち上がった。

「・・・私は、1万名以上の部下将兵の命を、陛下よりお預かりしている。 なればこそ、私の判断一つ間違えれば、無為に部下を死なせる事を承知している。
その判断を下す大元、根源たる事項が、非常に不明瞭極まる! 指揮が出来ぬ指揮官とは、是即ち単なる大量殺人者に過ぎぬ!」

その声は壇上の藤田大佐では無く、ましてや安達軍団長や、久世参謀長に対して向けられた声ではなかった。
脇に控え、先程から冷笑している参謀飾緒をぶら下げた高級将校―――『帝都』から来た、参謀大佐に向けられていた。
その、見た目にいやらしい感じのする参謀大佐が、藤田大佐の代わりに壇上に立った。 ゆっくり周囲を見渡し、傲岸さを湛えながら言い放つ。

「・・・是非とも、諸官には御理解頂きたい。 これは近畿防衛のみならず、帝国全体の防衛、ひいては帝国の浮沈に関わる作戦なのですぞ」

皆が一瞬にして判った。 この大佐、軍集団の所属じゃない。 前線の参謀将校に、こんなタイプはいられない。
いや、本土防衛軍総司令部の所属でも無い。 恐らく統合幕僚総監部か、国防省の統制派高級将校だ。 

皆の嫌悪の表情を余所に、その大佐の『演説』が続く。

「一局面の戦闘には、それを統括する戦術作戦があり、その戦術作戦の上位にはその戦域の戦略作戦がある。
然るに、戦略作戦の上位には全体を見通す大戦略が存在する。 その大戦略とは、国家戦略策定に従属するものであります。
今回の『作戦』とは実に、この国家戦略に基づいた結果、策定された戦術作戦である事を、諸官には帝国軍人として自覚して頂きたい」

―――説明になっていない。 全く、何も説明していないに等しい。
流石に腹が立ってくる。 何か言ってやりたいが、場の最下級者としては何も言えない、腹立たしい。

「・・・あ~、第14師団、福田です」

第14師団長・福田定市少将が立ち上がった。 相変わらず、緊張感と言うものを表さない人だ。

「ちょっと聞きたいんでっけどね。 軍団長、軍団長は本件、承認されはったんでっか? 参謀長、軍団司令部は彼我の戦力差、判っとって言うてはるんでっか?」

お国言葉丸出しも、相変わらずだ。

「・・・軍団司令部としては、充分に検討を重ね・・・」

「悪いけどな、君に聞いてへんねん、藤田君」

以前、藤田大佐は福田少将の指揮下で戦術機甲連隊長をしていた。 昔の上官・部下の間柄で無意識に割って入ったのか、それとも意識して自分に目を向かせようとしたか。
しかし福田少将は、そんな藤田大佐の思惑を一言で切り捨てた。

「軍団長、安達閣下、どないです? 参謀長、久世君、どないや?」

この場に居る少将達の最先任者から、こう言われては軍団長とて無視はできない。 
ましてや、この南部戦線で最初から奮戦している第14師団長の言葉とあっては。

「・・・軍団としては、作戦の大綱に従うも、より損失の少ない方法を選択する」

苦渋に満ちた声色で、安達中将が腹から絞り出すような口調で、口を開いた。

「防衛戦力が枯渇してしまっては、元も子も無い事は重々承知の上だ。 最後の引き際については、私が判断する」

「安達閣下、それは聞いておりませんぞ!」

「軍司令官閣下、嶋田大将(嶋田豊作第2軍司令官)も、承認して頂いておる! 現場レベルの指揮系統に、君の様なスタッフが口を出す事では無い!」

横合いから不満を入れようとする参謀大佐に、安達中将がそれを許さない。
当然だ、統合幕僚総監部だろうが、国防省だろうが、参謀はラインでは無い、スタッフだ。  スタッフに指揮命令権は無い。

「・・・宜しいでしょう、しかしご承知置き下さい、本作戦は軍集団司令官、大山閣下もご承認頂いた作戦で有ると言う事を。
国家戦略に従属した、戦術作戦であると言う事を。 重々、ご承知置き下さい、軍団長閣下。 宜しいですな?」

「―――くどい」






全く釈然としないまま、作戦会議が閉会した。 結局俺の様な下っ端は、始終腹にすえかねる想いで悶々としながらも、無言で居るしかなかった。

「・・・胃に悪いね、こういう場は」

横を歩く源さんが、辟易した表情で言う。 一緒に会議室を出た141連隊の三瀬大尉(三瀬麻衣子大尉)と、同期の永野(永野蓉子大尉)も似たような表情だ。
それぞれ、連隊長のお供として幕僚の他に大隊長1人と、中隊長が2人同行していた。 ウチからは広江中佐が、141は早坂中佐が出席していたが、2人とも苦虫を潰していたな。

「でも、現実問題として、どこかで打撃を加えない事には、ジリ貧なのは確かなのよね・・・」

三瀬さんが溜息をつく。 判る、確かに打撃を加えない事には、この『圧力』は止まない。 しかし、その為の戦力が十分ではないのだ。

「神崎川から押しだすのは、31、39、48師団に、海軍の聯合陸戦第1、第3師団。 
これに呼応する形で、14、18、29師団の戦術機甲戦力が六甲山系を北から迂回して、神戸の後ろに逆落とし。
隙間を抜き出てきた連中には、中韓4個旅団が始末する。 東西から挟撃をかける、か・・・ 源平の合戦じゃないのですけどね」

永野が頭の中で戦況地図を思い描きながら、歎息する。 形としては、大昔に実際に行われた戦闘と同じだ―――源平の合戦、そのひとコマ『一ノ谷の戦い』

「・・・とんだ、九郎判官だな」

「BETAが平氏ほど物分かり良く撤退してくれれば、助かるけどね・・・」

俺の歎息に、源さんも自嘲気味に合わすしか無い様だ。
歩を進めていると、その内にトンでも無い場面に出くわした。 廊下の突き当たり、人の動線から外れた一角で、中佐が大佐の胸倉を掴んでいた。
その内、当の中佐が相手の大佐に平手を喰らわして―――拙い、巻き込まれるぞ、このままじゃ。 と思っている内に、見つかった。

「―――ッ! 源! 周防! さっさと隊に戻るぞ! いつまでタラタラしている!?」

「了解です、中佐」

「今すぐに」

触らぬ女神に祟りなし―――向うで苦笑(自嘲か?)している大佐に敬礼し、慌てて広江中佐の後を追った。
本部ビルを出て、高機動車に乗り込む。 もう一台には連隊長と連隊幕僚が、他にも師団長の車や他連隊の車が数台。
走り出し、暫くしてから恐る恐る中佐に話しかけた―――さっきから、源さんにつつかれていたのだ。 全く、こう言う時に都合よく先任風をしないで欲しい。

「・・・あの、中佐、先程の『アレ』は一体・・・?」

「・・・あれ?」

「藤田大佐と・・・」

そう言った瞬間、睨まれた。 いやもう、『夜叉姫』の異名通りの迫力で。

「・・・その名を口にするな! 離婚だ、離婚! 今度こそ離婚だ!」

り、離婚!? なぜそうなる!?

「今度こそ、あの優柔不断さには愛想が付きた! 私は指揮官だぞ!? 大隊長として、部下の命を預かる身だぞ!? それを、それを・・・ッ!」

―――藤田大佐、奥様に何を言ったんだ?

「何と言ったのです? 大佐は?」

み、源さん、そこで火に油を注ぐか!?

「何と言ったか、だと!? ああ、教えてやる! こう言ったのだ、あの馬鹿者は!―――『せめて、君だけでも助かってくれ。 最悪、後退してでも』 どう思う!?」

ああ―――軍団作戦主任参謀としてではなく、夫として妻にそう言いたかったのだな、藤田大佐としては。
だけど、時と相手が悪かった。 今のこの状況で、『広江中佐』に言うセリフとしては・・・   最悪だな。
常日頃、部下に対して『諦めるな、足掻け、諦めず足掻いて戦い、そして生き抜け』、そう言っている中佐にとって、侮辱されたに等しい。

「軍団作戦主任参謀としてではなく、夫として言いたかったのではないですかね? 藤田大佐としては」

「・・・周防?」

まだまだ声に怒気がある。 俺はハンドルを握り運転席に座っている為、後部座席から恐ろしい声色が襲いかかって来る。 
横の助手席に座っている源さんが、さっきから首を竦めっぱなしだ。

「軍人としては、言えませんよ。 それこそ、先の会議での大佐がそうでしょう。 本音は・・・ 言えませんよ、あの場じゃ」

「・・・私に、生き残れ、と言う事がか?」

・・・物分かり悪いなぁ、いや、わざとか。 拗ねているな、これは。

「広江直美中佐に対してでは、ありませんよ。 奥さんである、『藤田直美』さんに対して、でしょう? 旦那さんが奥さんに、不自然じゃないでしょう、本音としては」

「・・・あの場で、言う事か?」

「もしかしたら、あの場が最後かもしれませんし・・・」

戦線崩壊ともなれば、多分軍団司令部もBETAに対して突撃を敢行するだろうな。 そうなったら誰も生き残れない。
改めて思う、誰だって建前と本音の乖離に苦しんでいるのだ。 だけど、戦争だ、戦争なのだ。 生き残る為に、敢えて本音を潰す時だってある。
ああ、そうか―――だったら、俺は祥子の負傷を飲み込もう。 俺は本音を言えたのだ、彼女がどう受け止めたか、彼女の本音は聞けなかったけれど。

建前を押し立てて戦う為に、その儀式は済ませているのだから。

「多分、大佐は作戦遂行上、その様な行動を絶対に許可しないでしょう。 例え、中佐が戦死しようとも。
でもその前に、個人として言っておきたかった―――そんな所じゃないですかね? 源さん?」

唐突に、源さんに話を振ってやる―――最後まで、我関せずを決め込ませてなるものか。
突然の指名に、キョトンとした顔をしていた源さんが、やがて苦笑しつつ口を開いた。

「・・・以前、遼東半島で負傷した時ですが。 三瀬に怒鳴りました、『僕の事は放っておけ、さっさと前線に戻れ』と」

遼東半島撤退戦の時か。 確かあの時に源さんは、機体をレーザー照射が掠って大破させた。 自身も重傷を負った。
三瀬さんが自分の機体で抱えて、後方の母艦まで連れて行ったのだったな―――確か、三瀬さんの機体も損傷していた筈だが?

「彼女の機体も、中破していた事は知らなかったのですが・・・ それでも、母艦に収容されるまで、彼女に言い続けました、『僕を置いて行け』と。
本音は・・・ 嬉しかったですよ、本当は。 でも、言えませんよね。 それに、もしあの時に彼女が本当に僕を置いて、前線に戻ったとしても恨みませんよ。
一瞬でも、彼女の本音を知る事が出来ましたし。 多分、その事に感謝して死んだと思います」

―――ここまで、惚気るとは想定外だ。

バックミラーで中佐を見ると・・・ 珍しい、顔を赤くしている。

「・・・くそっ、部下が成長するのは喜ばしいが、変な後知恵まで身につけるのは、考えものだな。
貴様等、何時の間に一端な言葉を吐くようになって・・・ 可愛くない」

中佐の不貞腐れ顔に、源さんと顔を合わせて小さく笑い合う。 ああ、笑えたな、俺。












1998年8月12日 1030 西太平洋上 第7艦隊第70任務部隊(CTF-70) 第5母艦打撃群(CSG5)戦術機母艦『カール・ヴィンソン』


アイランド・デッキから見下ろすフライト・デッキには、様々な要員が動いているのが見える。
ジョージ・M・バートン米海軍中将は、何時も外界が見えるこの場所が好きだった。 薄暗いCICなど、気が滅入るだけだ。
先月に入って急遽、艦隊の出撃準備が進められた。 第7艦隊は大半が真珠湾に停泊していたが、一部艦艇がサン・ディエゴの工廠に入っていた。
その為、全艦艇の合流・訓練の最終仕上げなどで、日本への出撃がつい先日となってしまった。 今頃は第3艦隊もサン・ディエゴから出港している筈だ。

洋上、遥か彼方に2個の空母打撃群が居る筈だ。 『ドワイト・D・アイゼンハワー』母艦打撃群(CSG7)、『セオドア・ルーズベルト』母艦打撃群(CSG9)の2群。
空母打撃群を構成する巡洋艦に駆逐艦。 他に水陸両用任務部隊である第76任務部隊は、艦隊の後方1日半の場所を航行中だ。

「司令官、USPACOM(合衆国太平洋軍)司令部から入電が入りました、日本の戦況詳細です」

情報参謀からレポートを受け取ったバートン中将は、その内容を一瞥し、傍らに控える参謀長に囁いた。

「・・・どうやら、向うに着いた途端にパーティー会場は乱痴気騒ぎの様だ。 ドラ猫共と、レザーネックのスズメバチ共に、牙と毒針を磨かせておけ」

「イエス・サー。 所で、ライス将軍の通信ですが・・・」

「本当の様だ、残念だ、我が国は重要な同盟国を喪おうとしている―――彼ら自身の傲慢によって」

手元の別のレポートを眺める。 国連軍太平洋方面第11軍司令官、アルフォンス・パトリック・ライス米陸軍大将(兼在日米軍司令官)からのレポートだ。
1文が記されている、『第2師団壊滅原因は、日本軍の背信行為による』と。 内容は怒りと不信に満ちた内容だ。

『三田事件』―――指揮権の二元化が引き起こした悲劇。

三田市を確保しようと戦い続ける米第2師団の側面に居た、日本軍第7軍団が上級司令部の命令により、一部部隊を転出させた。
その結果、第2師団の側面はがら空きとなり、BETA群1万以上に側面から急襲され、米第2師団は壊滅状態に陥ったのだ。
在日米軍司令官、ライス大将はこれに激怒し、本国政府に対して国連安保理での指揮権一元化を要求する騒ぎに発展した。
短いが、激しく深刻なロビー活動の結果、僅差で日本帝国軍独自の指揮権は保証された。  だが、これが米議会の反日感情に火を付けた。

現在、下院では米日安保の継続か、破棄かの議論が激烈に展開されていると聞く。

「まあ、外交はポトマック河畔の連中に任せておこう。 我々は星条旗の元、合衆国軍人として戦う、それだけだ」








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※:旧円で設定しています。 レートは架空。
1ドル=2円50~60銭で設定(現実の円想定で、1旧円=280~290円位)




[20952] 本土防衛戦 京都防衛戦 3話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2010/12/25 01:07
2日前―――1998年8月10日 1530 九州戦線 宮崎県北部 下赤付近国道326号線沿い 第9師団前線監視哨


照りつける太陽の光が暑い、既に季節は真夏であり、九州の夏は暑いのは当然の事。 しかしそんな事実は、最前線の将兵には何の慰めにもならない。
ましてや、樹木の生い茂る山岳地帯で、偽装した監視ポストの中で当直の間籠らねばならないとしたら、もう冗談では無い。
気温が上がる毎に、不快な湿度も急上昇している気分だ―――実際、上昇している。 しかも、つい先日またも中型の台風が掠めて行った。
地上から立ち上る水分は不快なまでに熱気を帯び、時間と共に体力と集中力を容赦なく奪ってゆく。

「―――ポイント・デルタ08、定時連絡。 現在までBETAを確認せず、異常無し」

無線機が暫く空電の音をたて、そして彼方から声を運んできた。

≪ザッ・・・ こちら・・・ 本部、ポイント・デルタ08、異常無し、了解。 デルタ08は・・・ ザッ・・・ 続き、警戒を続行せよ≫

随分と声が割れる。 山岳地帯だから? 馬鹿な、FM無線機だ。 型が古いから? それもない、85式携帯無線機だ、制式化からまだ13年だ。

(・・・くそっ、無線までかよ! いい加減、兵站をまともに直せよな!)

九州の防衛を担当する(実質は、阿蘇防衛ラインの南に引き籠っている)西部軍集団の目下最大の懸案事項は、兵站だった。

「・・・しかし、変だな」

傍らの班長である伍長が、双眼鏡を覗きこみながら訝しげな声を出す。

「・・・何がッすか? 班長?」

問いかけられた伍長は、双眼鏡を覗きこみながら傍らで無線機に忌々しげな視線を送っている部下(1等兵だ)に答えた。

「何がって・・・ 貴様、気がつかんか? BETAだよ。 つい3日前まで、あれほど元気に突っかかってきてやがったのに。
それがどうだ? 2日前から散発的になって、昨日はポツポツ、今日は全戦線で全く戦闘が発生していねぇ、おかしいと思わんか?」

「・・・BETAだって、年中無休って訳じゃねーでしょうよ。 たまの休みかもしれませんぜ? もしかして、夏休みとか」

「阿呆、だったら関西はどうなんだ? えらく元気らしいぞ、BETA共。 ・・・噂じゃあよ、帝都を放棄するらしい」

その言葉に、下っ端の一兵卒である1等兵がギョッとした表情を見せた。

「帝都を放棄!? マジですか!? じゃ、じゃあ、西日本は全滅・・・?」

「・・・通信に同年兵が居るんだけどよ、そいつが50師団(四国・愛媛、中部軍集団)の通信を盗み聞きしてな。
なんでも向う(中部軍集団)は大騒ぎらしい、もう神戸辺りまでやられたってよ。 京都の北にもBETAが上陸したらしい、ヤバいよな・・・」

上官の言葉に、1等兵が無意識にゴクリッ、と生唾を飲み込む。 その話が本当なら、帝国はいよいよ、その国土の半分をBETAに明け渡す事になる。
いや、それよりも本土防衛軍中で最大戦力を有し、最精鋭部隊で固めた中部軍集団でさえ、そんな有様だとは・・・

(・・・ヤバい、この国、ヤバい・・・)

亡命、難民、生活苦―――国を逃げ出そうか。 無意識に、様々な邪念が頭をよぎる。

「・・・でよ、ついでに司令部付きの同年兵の話だけどな。 どうも、九州全域でBETAの数が減っているらしい」

「・・・え?」

BETAが減っている? 九州で?―――生き残れるのか?

「そ、それって・・・ 戦果が上がっているって事じゃ・・・?」

そんな淡い期待を、戦場暮らしの長い下士官が、一言で無情にも砕く。

「違うな。 ほれ、あの人、戦術機甲科の・・・ 久賀大尉、あの人が言っていたぜ。 『自分の糞をBETAに投げつけるしか、もう方法が無い』ってよ。
弾薬が底を尽きかけてんだよ、実際の所。 戦術機は有る、戦車も残っている、大砲も有る・・・ でも弾が無え! どうやって戦えってンだ!?」

―――西部軍集団の目下最大の懸案事項は、兵站だった。
戦略的要衝、列島の中央部であるばかりか、昔からの政治・経済の中心地を抱え、大都市圏を形成する近畿地方を抱える中部軍集団への兵站の集中。
目下の最激戦地である事は明白だし、兵站が途切れればそれで近畿全域を失う事は目に見えている。
従って、統合幕僚総監部の戦略兵站計画部門は、まず近畿への兵站補給を最優先で計画したらしい。

話は判る、判るが、それ以外の軍管区(軍集団)にとっては、自分達の要求が常に後回しにされる事は、些か以上に腹立たしい。
ましてや、実際にBETAと対峙している西部軍集団は、他の軍集団(東海、東部、北部)とは違うのだ。 兵站が無ければ、辛うじて確保している南九州を失う事になる。
群中央もそれを認識している様だ、一応ではあるが、兵站優先序列は中部軍集団に次ぐ2番目ではある、しかし少ない、少ないのだ。
理由は―――やはり、中部軍集団だ。 目下の最激戦地帯、消費する兵站物資の量は日々膨大な量に達する。
そしてその膨大な浪費によってのみ、戦線を支えていると言うのが実情だ、近畿への兵站補給重視は変えられない。

お陰で西部軍集団は、爪の先に灯をともすかのような、涙ぐましい努力の結果の防衛戦闘を強いられている。
前線の将兵の中には、最早自分達は棄兵か、という気分さえ漂い始めていた。


「・・・まあ、BETAが少なくなってるってのは、大歓迎っすよ。 これで戦闘が無くなりゃ、万々歳だ」

「だよな。 ・・・しかし、どこへ消えやがったんだ? 観測班の連中から仕入れたネタじゃ、地中侵攻しかけている様子もなさそうだしよ?」

「案外、半島のねぐらに帰っちまったんじゃ?」

「鉄原ハイヴか? ・・・ま、そうなってくれりゃ、助かるけどよ」

相変わらず、視界にBETAは視認できない。 見えるのは夏の日差しを浴びて、鬱陶しい程生長した緑樹木ばかり。
そのずっと向うは―――BETAに喰い荒された土地だ。 まだ所々緑が残っている、連中は全部平らげる前に、どっかに消えたようだ。


「ま、戦術機さえ最近は出撃制限かかってるらしいからよ、もっけの幸いさ」

「ですね。 あ、戦術機って言えば・・・ 俺、最近の久賀大尉、怖いっすよ。 なんか、鬼気迫るって言うか・・・
前は結構気さくで、明るい感じの良い人だなぁって思ってたんすけど。 こっちに籠ってから、人が変わった様で」

「・・・ああ、あの人かぁ・・・ 確かにな、以前は良い兄貴分って感じの人だったけどな」

「やっぱ、BETAとの戦闘って、あんなに人が変わるンすかね? 俺達も小型種相手の戦闘は散々してきましたけど・・・」

その言葉に、言うまいかどうか、暫く思案している素振りの伍長が、ためらいがちに小さな声で話し始めた。 誰も居ない周りを見渡しながら。

「いいか? 滅多に言いふらすなよ?」

「な、なんですか・・・?」

「あのな、大尉はよ、92年から大陸や欧州で散々戦ってきた人だ、今更BERAとの戦闘で、あれほど人が変わるか?」

「か、変わりません・・・ よね?」

上官の静かな迫力に、少しばかり気押されながら1等兵が答える。
その言葉に小さく頷きながら、伍長は話を進めた。

「嫁さんが居ただろ? 通信科の。 その嫁さん・・・ 久賀優香子中尉な、どうやら戦死したってよ、それも友軍誤射って話だ」

「えっ・・・?」

初耳だった。 最も彼の様な下っ端に、そんな情報がそうそうはいって来る事は無い。 
伍長が知っているのは、要所要所に配された彼の同年兵―――全員、下士官だ―――からの『裏情報』と言う奴だ。

「新婚早々だぜ? それもよ、惚れて、惚れて、決死の想いでプロポーズして結ばれた新妻をよ? よりによって、友軍誤射とはよ」

確かに、無常だ。 未だ年若い独身の1等兵には、正直言ってどこまで理解できたか自信は無かったが、それでももし自分の親兄弟がそんな風に死んだら・・・

「やりきれませんよね・・・」

「ああ、やってられねぇぜ、正直よ・・・」




この日、西部軍集団が確認した九州全域に存在するBETAの総数は、熊本戦線で約6000、宮崎戦線で約5000、合計約1万1000であった。
8月に入ったばかりの5日前には、熊本方面に1万4000、宮崎方面に1万2000を数えていた。 総数で約2万6000
では、残りの1万5000は何処へ消えたのか? 将兵達の願望の通り、半島へ、鉄原ハイヴへ帰ったのか? それとも・・・

その答えは、2日後に別の場所で得られた。 多大な血と、そして死と引き換えにして。

そしてこの情報は即日、本土防衛軍総司令部に送られた。 しかし何故か中部軍集団には、情報が転送されなかった。
官僚主義の弊害か、或いはサボタージュか、はたまた偶然か。 後の世に、戦史上の謎のひとつとなる出来事であった。











1998年8月12日 1455 大阪湾 南港付近 第1艦隊第1戦隊 旗艦・戦艦『紀伊』


「第2防衛線前のBETA群、補足! 約3万5000! 距離、25,000!」

「防衛線管制より、照射危険域内に光線級多数!」

「主砲射撃指揮所、砲術長より、≪主砲発射準備よし≫」

「7戦隊、8戦隊より ≪砲撃準備完了≫」


大阪湾の奥深く、BETAが押し寄せる阪神間の沿岸を目視できる海域に、4隻の戦艦群が遊弋している。 その主砲は全て、陸地―――BETA群へ指向されていた。

「参謀長、琵琶湖の展開状況はどうかね?」

第1艦隊司令長官・近藤信武大将が、分離行動をしている指揮下戦隊ついて参謀長に尋ねた。 どこかしら、逡巡が伺える。
本音を言えば、あの2隻も手元に置きたかった事だろう。 琵琶湖へ分派させた第2戦隊の2戦艦、『信濃』と『美濃』
あの2隻が有する50口径460mm砲3連装4基の砲力は、陸軍6個師団の攻撃力に匹敵しよう。

「はっ、本日1300、伊勢水道を無事通過して湖南水面に到達した、と連絡がありました。 現在、本土防衛軍第1軍の面制圧支援任務に当っております」

「そうか・・・」

大口径砲を備え、充分な装甲を有する主力戦艦を、一時とはいえ分派してしまった事は、やはり痛い。
水上艦艇、それも砲撃戦を主任務とする戦艦や重巡とBETA、それも光線属種との殴り合いは、結局のところ根比べだ。 
光線級ならば内部装甲でも何とか保たせるが、重光線級の大出力レーザー照射にかかっては、当り所が悪ければ、などと言う問題では無い。 
一気に艦内部を破壊されてしまう、運が悪ければそれで誘爆・爆沈だ。 海軍は過去に渤海湾で『陸奥』を失う事で、それを実地で学んだ。

(しかし、それでもタフネスさこそが、戦艦の真髄だ)

最悪の場所に直撃を喰らわない限り、艦の全てが蒸発してしまわない限り、戦艦の頑丈さは瞬時に沈没まで至る事は無い。 
実際に先月、広島湾で沈没した『長門』がそうだったし、渤海湾で沈んだもう1隻の戦艦、『薩摩』もそうだった。
もっとも、徐々に嬲り殺しにされる状態である事は確かだが、こちらもそれまでの間は、奴等をまとめて葬り去る事が出来る。

(今考えても、仕方ない事だ)

我々は、海軍軍人。 乗艦は戦う為に生を受けた艦だ、ならばその宿命に従おうじゃないか。
想いに耽っていたその時、見張り長(旧来よりの役職名)がBETA発見の報を告げる。

「BETA群視認! 距離21,500! 約2万! 更に後続、約1万5000!」

『ホチ(砲術長)よりCIC(戦闘情報指揮所)。 第1射、発射します』

主砲射撃指揮所の砲術長の言葉が終わった瞬間、前部第1主砲塔から50.8cm砲が火を噴いた。 僚艦の『尾張』、第3戦隊の『大和』、『武蔵』も同様だった。

『弾着、5秒、4、3、2、1、だんちゃーくッ!』

第2防衛線の前面中程に赤と青、2色の砂柱が上がる。 各々が1戦隊、3戦隊の色だ、砲撃認識用染料が主砲弾に込められている。
直後に巨大な爆煙が発生する。 同時に衝撃波で周囲のBETAが、大型種、小型種の区別なく吹き飛ばされる光景が見えた。

「艦隊戦なら初弾挟差、と言ったところですな」

「陸上への砲撃なのだ。 外したらもう一度砲術学校の、少尉の普通科学生からやり直しだよ。
・・・っと、これは5年前に有賀君(有賀幸平中将、現第3艦隊司令長官)が言ったセリフだな」

参謀長の感想に、近藤大将が苦笑交じりに答える。

「よし、参謀長、統制砲撃戦でいく。 統制艦は本艦と『大和』だ。 移動しているとはいえ、あれだけ密集した地上目標だ、初手から斉射でいくぞ」

「はッ! 各戦隊の砲撃時間差は10秒とします。 各戦隊、通達します」

「良し。 では、大いにやってやろうではないか。 この土地が、この星が誰のものか、連中に教育してやれい!―――砲撃開始!」










8月12日 1500 六甲山系東部 第18師団第181戦術機甲連隊


大阪の北摂地帯から、六甲山系に至る山岳地帯は比較的低い山、と言うか丘陵と言うか。  そんな地形が折り重なった様な場所だ。
折り重なった小山や丘陵が連続して入り乱れ、遠方の視界を防いでいる。 お陰で視界は余り良くない。
もっともこんな地形の中を、それこそ機体が斜面を擦る様な地形追従・低空NOEをやらかすなど、戦闘行動以外ではあり得ない話だ。

≪フラガラッハ・マムよりフラガラッハ・リーダー。 1455、海軍第1艦隊が面制圧艦砲射撃を開始しました≫

―――始まったか。

当初の作戦手順では、大阪湾に遊弋する第1艦隊の戦艦群・巡洋艦群からの、主砲の艦砲射撃とVSLの発射を皮切りに攻勢が始まる。
続いて神崎川と淀川に挟まれた地域まで前進した陸軍砲兵部隊―――第2軍の砲兵旅団群が、全域に面制圧砲撃をしかける。
この大中小の砲弾の豪雨を『傘』にして、最終防衛線に張り付いている第31師団、第38師団、海軍連合陸戦第1師団が、初期突破攻勢をかける。
その後第2派として、開けた穴に第49師団と海軍連合陸戦第3師団が頭を突っ込み、戦線をねじ開け拡大する。
第2派に呼応して、六甲山系北部の山陰に隠れながら進出した第14、第18、第29師団の戦術機甲部隊が、山を飛び越え一気にBETA群後方へ殴りかかる予定だった。
なお、急速な山岳越えが出来ない遊撃部隊3個師団の他の戦闘兵科(機甲、機械化歩兵、機動砲兵)や支援兵科は、各々第1派、第2派と合流して攻撃に参加する。

「リーダー了解。 渡会、我々の攻撃開始予定は? 変更無いか?」

≪CPよりリーダー、変更は有りません。 攻撃発起点はエリアE8F、ポイント・デルタ。 攻撃開始は1600です≫

―――あと60分。 長い、長いな。 

もっともただじっと待っている訳ではない。 時折、稜線に登って来る小型種は確かにいる。 そう言った連中を野放しにすれば、後は芋蔓式で六甲を蹂躙されてしまう。
だから3個連隊の戦術機甲部隊(定数の3割減)は、各中隊単位で割り振られた警戒区域を、慎重に移動しつつ警戒しながら、作戦開始の時を待つ。

裏六甲の道路道、九十九折りで山頂付近から下って来る道の中ほどに、少しだけ開けた場所が所々存在する。
駐車場だったり、路線バスの停留所だったりした場所だ。 無論全機が駐機するスペースなど無い、それでも目印にはなる。
今もそうだ、有馬方面を見下ろす場所に俺が直率するA小隊が布陣し、右翼200mの地点にB小隊、少し下がった左翼180m付近にC小隊。


『・・・長いっすね、待つってのは』

不意に摂津から通信が入る、どうやら奴も内心の苛立ちに困っているようだ。

「ん・・・ 『急いては事を仕損じる』、摂津よ、貴様も散々見てきただろう? 統制のとれない攻撃を繰り返して、BETA共に喰われていった友軍の姿を?」

『確か孫子でしたっけ? 『天の時』とか何とか・・・ へっ、BETA相手にね・・・』

「俺としては、貴様から『孫子』なんて言葉を聞く事の方が驚きだ。 ・・・部下の手綱を緩めるな? 適度に集中力を維持させろ」

『相変わらず、難しい事を仰る・・・』

「給料分の仕事はしなきゃな? 俺は大尉で、貴様は中尉だ」

『つまり、そう言う事っすか?』

「つまり、そう言う事だ」

苦笑と、ふてぶてしさの交じった笑みで敬礼を返し、摂津が通信を切った。
ああは言ったが、俺自身この間の長さには辟易している。 時折確認する部下達のバイタルデータ、それにもいずれは如実に表れるだろう。
今はまだいい、集中力は維持できている。 だが人間の限界など、たかが知れている。 データによれば、最も集中力が高まるのは出撃後30分程してから。
しかしピークは、それ以降30分程しか続かない。 人間は機械では無いのだ、どうしても避けようが無い生理的な限界は存在する。

俺自身は今、軽く目を瞑り、体を休ませている。 この山の向こう、海岸沿いではいよいよ作戦が始まった、盛んに砲声が聞こえる。
しかし、だからと言って直ぐに出番が来る訳ではない。 周囲の警戒は各種センサーを充分にばら撒いている、BETAが現れれば即反応するように設置した。
部下達もそうだ、3個小隊のうち、警戒任務は常に1個小隊。 15分置きに交替させ、次直は定点監視、交替した3直は体を休ませる。

四六時中、緊張していては戦う前に体と神経が保たない。 戦場でも休める時は、1分でも2分でも、目を瞑り、両手を操縦スティックから離す。
色々と異論は有るかもしれない、しかしこれが、俺が長年の戦場経験で得た教訓だ。 こうして俺は生き残ってきた、部下を生き残らせたい。










8月12日 1530 大阪湾 南港付近 第1艦隊第1戦隊 旗艦・戦艦『紀伊』


『主砲、第28斉射―――撃ッ』

砲術長の号令と同時に、まず1戦隊の2戦艦、『紀伊』、『尾張』が、その巨砲から巨弾を吐き出す。 15秒後に3戦隊の『大和』と『武蔵』が。 
更にその15秒後、再び1戦隊の『紀伊』と『尾張』が砲撃を開始する。 全艦が一斉に砲撃しては、第2射までに光線級の12秒のインターバルが終了する。 
そして戦艦の主砲弾は、光線級のレーザー照射程度では1度では阻止できない。 何体かの光線級が連続照射をし続けてようやく、迎撃無効化出来るのだ。 
光線級が発射するレーザー直径に比較して、総重量1トンを超す戦艦の主砲弾が巨大だからだ。
光線級のレーザーは、砲弾に穴を穿つ事は出来ても蒸発さす事は出来ない。 単体での迎撃照射なら、砲弾を無力化する前に着弾してしまう。 
砲弾はそれ自体、高速で飛来する質量兵器でも有るのだ。 重光線級のレーザーであれば、その大出力・大直径で単体での迎撃も可能だが、個体の数が少ない。 
インターバル時間も長い。 それ故に戦艦の対BETA艦砲射撃は全艦一斉射撃では無く、光線級の照射インターバルより短い時間間隔での、交互射撃を基本とする。
第1艦隊は、対BETA砲撃戦のセオリーの通り、この砲撃パターンを繰り返していた。 BETA―――光線級の阻止レーザー照射を喰らわない為に。
一度レーザー照射を行った後、再度の照射まで光線級で12秒、重光線級で36秒のインターバルが有る。
そして4隻の戦艦の主砲発射速度は、各戦隊で15秒間隔―――1分間に2回の砲撃が可能―――だった。

『第1戦隊、第4戦隊、損害無し。 第7、第9戦隊、レーザー照射報告無し』

『1駆戦、VLS発射開始、艦砲射撃開始』

だがこれだけでは、重光線級はともかく光線級のインターバルは終了してしまう。 そこでより発射速度の速い巡洋艦戦隊がその間隙を担う。
イージス重巡の『高雄』、『愛宕』、『摩耶』、『鳥海』の4隻、そして対地攻撃力の重要性から、より打撃力の高い艦砲を搭載した打撃重巡の『加古』、『青葉』、その発展型の『利根』、『筑摩』の4隻。
この8隻が搭載する55口径203mm砲は、米海軍の在来型重巡の最高峰、『デ・モイン』級が搭載したMk16・203mm砲のパテントを買い取り改良した砲だ。
それを『高雄』級は連装2基4門、『加古』以下の艦は3連装2基6門。 モデルとなったMk16の発射速度毎分10発を上回る、毎分12発の高発射速度を可能にしている。

戦艦主砲に比べると半分かそれ以下の『中口径砲』だが、逆に陸軍の基準から見れば203mmと言う口径は、立派に『大口径野戦重砲』である。
8隻合計40門の203mm砲が、5秒に1回の割合で発射される様は、見る者に壮観ささえ与える光景だった。(203mm重砲40門という数字は、陸軍の師団砲兵の保有数を上回る)
その他に駆逐艦の127mm艦砲、そしてVLSから撃ち出される艦対地ミサイル。 第1派は確実にレーザーに捕捉されてしまうが、構わない。
第2派以降の艦砲射撃、艦対地ミサイルはごく短い間隔で、集中的に発射され続けるからだ。 短時間でもこの火力投射量は、陸軍にはそうそう真似の出来ないものだ。

『レーザー迎撃再開を確認。 レーザー本数―――約580本』

3万体前後のBETA群ともなると、想定される光線属種の数は大よそで700体前後。 30分近い艦砲射撃の間に、120体程は潰せたと言う訳だ。
砲撃開始から30分が経過した。 15秒毎に24発ずつ撃ち込まれる508mmの巨弾と、やや小振りながら充分な巨弾である460mmの巨弾。
そして巡洋艦、駆逐艦から撃ち込まれる203mmと127mm砲弾、そして無数の誘導弾。 第1射こそ殆ど迎撃阻止されたが、砲撃回数を追うご毎に阻止される数が減ってゆく。
反対に着弾によってなぎ倒されるBETAが急増し、迎撃に立ち上るレーザーの光の数が減ってゆくのがはっきりと判り始めた。

『陸軍防衛線管制より入電! ≪光線級、重光線級多数、海岸線へ移動しつつあり。 照射警戒を要す≫』

「来たか・・・」

近藤大将はその報告を、まるで予定調和の如く受け止めていた。 
BETAが大規模な破壊力を見せる艦隊を、第1に破壊する対象と認識するのは過去の戦例から明らかだ。
そしてこれからが、艦隊と光線属種BETAとの根比べが始まると言う訳だ。

(―――まあ、馬鹿正直に根比べをしていても、始まらん。 そろそろ、作戦第2段階と言う訳か)

このペースで行けば、艦砲射撃は後15分程もすれば一旦打ち切らねばならない。 弾薬消費量が半端ではないのだ、それに誘導弾のストックは尽きかけている。
代わりに戦線の後方に位置する、陸軍野戦重砲旅団群が今度は砲撃を開始する予定だ。 艦隊程の火力投射量は見込めないだろうが、それでも光線属種の『邪魔をする』位にはなる。
同時に、その火力の『傘』に守られた陸軍2個師団と海軍陸戦隊1個師団―――第1次攻勢部隊―――が、前線に突入する予定だ。
それに合わせて別動部隊の陸軍3個戦術機甲連隊が、六甲山系の裏からBETA群の背後を強襲する。

(さてさて、タイムスケジュール通りに事が運べば良いがな・・・)

戦場ではいったん走り出すと、修正は難しくなる。 そしてより修正を確実に―――よりミスが少なかった方に軍配が上がる。
BETA相手にミスをどうこう言う訳ではないが、より状況の変化に対応できるかどうかが、勝敗を左右する事は間違いない。

『陸軍第2群より入電―――第1派、攻勢開始しました!』

『陸軍野戦重砲部隊、砲撃を開始!』

東の方向から、濃密な火線が延びて来る。 やがてBETA群の戦闘集団上空で炸裂した。

「・・・艦砲射撃は、あと15分間継続。 その後、一旦泉州沖まで下がるぞ、補給を済ませたい」

「はっ! 了解しました」











1998年8月12日 1545 六甲山系東部 第18師団第181戦術機甲連隊


≪CP、フラガラッハ・マムよりリーダー! 攻勢任務第1派の3個師団、行動開始しました!≫

渡会の声が聞こえる。 目を開け、戦域情報を呼び出した。 第31師団、第38師団、海軍連合陸戦第1師団が初期突破攻勢を開始している―――15分経ったのか。

「・・・警戒交替、2直、C小隊」

『C小隊、了解。 Cリードより小隊各機、周辺警戒に入る、続け』

四宮の声。 うん、まだ平静だ。 他の部下のバイタルデータ―――よし、大丈夫。

「A小隊、その場で定点監視。 センサー情報を見落とすな?」

―――『了解!』

『B小隊、午睡の時間に入ります』

「寝過ごして、目が覚めたらBETAの腹の中、だけはすなよ?」

『渡会、優しく起こしてくれよ?』

≪中隊長にお願いします≫

『つれないなぁ・・・ そりゃ、BETAの方がマシだわ』

摂津が情けない声を出しながら、通信を切る。 その様子を聞いていた他の部下達から、小さく笑い声が漏れる。 うん、それで良い。
俺達の出番は、本当の地獄は、まだこれからだ。 それまでの間、どうやってコンディションを維持させるか―――全く、階級が上がるのも楽じゃない。

情報を確認したところでは、どうやら海軍さんは艦砲射撃をひと段落させたらしい。 残存する光線属種、約580体。 BETA総数、推定約3万2000体。
総数の割に光線属種の数が減っている、どうやら先手必勝の火力集中が功を奏したか。 だが問題はここからだ、艦隊は後ろに下がった。
そして陸軍の重砲では、現在光線属種が陣取る場所までは砲の射程が足りない。 前線への面制圧砲撃を、途中でレーザー迎撃されては・・・

≪CPよりリーダー、光線属種が移動を開始しました。 時速30km/hで東に向け移動中、現在位置、神戸市中央区付近≫

時速30km/h―――40分もすれば、前衛3個師団を照射できる場所まで前進されてしまう。
そう思った時、大隊系通信が入った。 相手は言わずもがな、大隊長の荒蒔少佐だ。

『周防、美園、光線属種の移動速度は想定内だ。 予定通り15分後に神戸市の東はずれ―――東灘区辺りで逆落としをかける』

戦術モニターに戦況MAPが表示される。 光線属種の頭を押さえる強襲役は、我々181連隊の3個大隊。
時間差を置いて中ほどから突っ込む急襲役は、291連隊の2個大隊(既に1個大隊分の戦力を失っている)
最後に後ろから方位の環を閉じるのが、141連隊の3個大隊。 都合8個大隊、246機の戦術機を投入し、残存する光線属種の殲滅を行う。

『タイミングが勝負だ、一気に懐に潜り込めれば、後はこちらのモノだ。 出来なければ・・・』

そう、出来なければ・・・

『こっちが、こんがりとローストにされる、と。 あ、その前に蒸発しちゃうか・・・』

「美園、ローストでも蒸発でも良いが、その前に仕事だけはし終わってから、くたばれよ?」

『つれないなぁ・・・』

その声に苦笑する。 まったく、さっきの摂津と言い、こいつと言い、この緊張感の無さはどうしたものか。 
これで祥子の指揮下に居たとは、到底思えない。 間宮辺りは、かなり影響を受けていると感じているが、この2人に関しては・・・

『そう言えば美園は、新任当時は周防の後任だったそうだな? 確か摂津中尉が美園の後任か。 『三つ子の魂、百まで』、とは良く言ったモノだ』

・・・断じて、俺のせいではない。

『さて、そろそろ第2派も準備完了と言った所か。 周防、美園、先に言っておく。 事が始まれば恐らく乱痴気騒ぎだ、大隊単位での戦闘管制は困難になるだろう』

右も左も、光線属種と恐らくは要塞級、それに小型種が多数。 その中に突っ込もうと言うのだ。

『最悪の場合は、各中隊長の判断で行え。 作戦目的を逸脱しない限り、私はその判断を支持する、いいか?』

「・・・了解」

『了解です』

特に我々第2大隊は、大隊長自らが中隊指揮を行う事になる。 祥子の負傷後送が、ここに来て響いていた。

『・・・下らん作戦だ。 用兵上の要求から策定された作戦ではない、恐らく政治上の要求から策定された、下らん作戦だ。
だが我々は軍人だ、一度下された命令には従わねばならん、それが軍人だ。 国家の番犬―――例え、死地に飛び込まされようともな』

誰に、と言う訳では無かろう。 恐らく少佐の本心の吐露か。

『だが、それで良い。 そう在るべきだ。 でなくば・・・ 軍人とは、殺戮の幻想に飢えた、只の狂人の集団に過ぎん』

それは暗に、上層部の一部を指しているのか。

『生き残れよ。 恐らく私は、今回も何人かの部下を失うだろう。 私自身、どうか判らん、しかしそれでも言う―――死ぬなよ、周防、美園』

俺と美園、その名の向こうには、大隊の部下たち全員の名前がある筈だ。

『攻撃開始まで、あと10分。 部下を掌握しろ、周防、美園』











1998年8月12日 1550 兵庫県尼崎市 第1派攻勢任務部隊


『戦術機部隊! 北から攻撃してくれ! こっちからじゃ、瓦礫が邪魔して阻止砲撃が出来ない!』

『第393機甲大隊、そっちにBETA群が行った! 突撃級、約30!』

『第392機械化歩兵大隊第2中隊! 武庫川の国道2号線を確保! 繰り返す、武庫川を確保! 急いでくれ、戦車級が向うにうじゃうじゃと居る!』

『第392機甲大隊だ、歩兵第2中隊、5分持ち堪えろ!』

『砲兵旅団群、面制圧砲撃第11射!』

『陸戦隊第1師団、43号線、武庫川を突破!』

『第31師団、甲東園に到達!』

『BETA群、更に突進を開始! 主力集団、今津から甲子園に向け突進を開始した!』

『阻止砲撃! 阻止砲撃乞う!』

『小型種の浸透だ! 自走高射部隊! 早く片付けてくれ!』

『こっちは手が一杯だ! 機械化歩兵装甲で何とか対応してくれ!』

『何てこった! おい、ありったけの重機を持って来い!―――MINIMI!? 馬鹿、5.56mmなんて豆鉄砲が効くか!
12.7mmだ、ありったけのキャリバー50を並べろ! 7.62mmでも構わん、62式持って来い!』

『はあ、『62式単発機関銃』ですか!?』

『単発でも、『無い方がマシンガン』でも、何でもいい! 火力だ、火力! 急げ!』



第31、第39師団と海軍連合陸戦第1師団からなる攻勢第1派は、3kmから5km程の距離を押し戻す事に成功していた。
武庫川の対岸までBETA群を押し戻し、その真ん中を第2派の2個師団が突撃をかける。  それに呼応して、3個戦術機甲連隊が六甲から逆落としをかけるのだ。

廃墟と化し、随分と見通しの良くなったかつての市街地に、戦車隊が横隊で陣を敷く。 やがて突撃してきた突撃級BETAに向け、105mm砲が火を吹く。
90式の120mm滑腔砲ほどの貫通力は見込めないが、それでも74式の51口径105mmライフル砲から放たれた105mmAPFSDS弾が、距離700で装甲殻を射貫する。
立て続けの連続射撃で、数10体の突撃級が沈黙する。 外見は派手な損傷こそないが、内部はズタズタに引き裂かれている為だ。
距離が縮まる、約500。 再度の砲撃でまた、10数体の突撃級BETAが停止した。 この調子でいけば、この調子で邪魔が入らなければ・・・

『ちっ! 要撃級だ、出てきやがった! 長車よりカク・カク! 後退しつつ、斉射3連! こちら第311機甲大隊! 後退する、要撃級のお出ましだ! 戦車級もいやがる!』

『311、600後退せよ。 311戦術機甲、第2大隊、阻止戦闘!』

『311、了解。 戦車隊、下がれ!』

74式戦車にとって―――いや、地上車両にとって、ある意味天敵とも言えるBETA種の出現に、機甲部隊が砲撃しつつ全速で後退する。
代わりに前線に出てきたのは戦術機甲部隊―――77式『撃震』の部隊だった。

『ストーム・ワンより大隊全機、ここは我々が支える! 中部の『不知火』や『疾風』乗りに、『撃震』乗りの意地を見せてやれ!』

―――『応!』

第1世代機―――度重なるヴァージョンアップによって、準第2世代機相当の性能を得ているとはいえ、第3、準第3世代機と比較すればその性能差は否めない。
だが半面、それらの機体には無い『力強さ』―――今次BETA大戦をその初期から支えてきた古強者が醸し出す力感が、地上部隊には頼もしい。

『ストーム・ワンより≪ハリケーン≫! 右翼の小型種を制圧しろ、掃除終了と同時に≪サイクロン≫と≪タイフーン≫が突撃。 前面の要撃級を始末する!』

『了解! ハリケーンB、突入! ハリケーンA、CはBの喰い残しを全て平らげろ! 行くぞ!』

12機の『撃震』が、小型種の群れに向かって突進をかける。 同時に大隊の全制圧支援機から誘導弾が発射され、接敵寸前の『ハリケーン』中隊前面で炸裂した。
戦車級を含む数10体の小型種が吹き飛ぶ。 間髪を入れず、突撃前衛小隊が120mmキャニスター弾を纏めて叩きこんだ。
大きく空いた穴に、4機の『撃震』が踊りこんだ。 それに続行する形で続く2個小隊8機もまた、突撃砲の36mmを放ちながら群れの中に踊りこむ。

『全周陣形! 周り中、BETAだらけだ、撃ちまくれ! 大型種は気にするな、こっちには居ない!―――1匹残らず消し飛ばせ!』

BETA群の輪に飛び込んだ1個中隊の『撃震』が、徐々にその輪を広げてゆく。 やがて、その外周が要撃級を主体とした中央集団と接触した。
10数体の要撃級が、接地旋回をかけて正対する。 そして『撃震』中隊に向かって飛びかかろうとしたその時―――

『よし! ≪サイクロン≫、≪タイフーン≫、かかれ!』

残る2個中隊の『撃震』が横合いから要撃級の集団に襲いかかった。 同時に小型種の脅威が排除された事で、急速前進をかけた戦車隊も砲撃を開始する。

『撃て、撃て!』

『足を止めるな! いくらこいつの装甲が分厚いからって、戦術機の装甲なんざ気休めだ!』

『1体撃破!』

『C小隊、側面に回れ! 挟みうちにするぞ!』

『くそ! 長刀が弾かれる!』

『無理に格闘戦をするな! 弾がある限り、砲戦に徹するんだ!』

機動につられて旋回を開始した要撃級の横腹に、エレメントを組む別の2機が120mmを叩き込み続け、反対側へ横噴射滑走で抜ける。
誘導弾が着弾する。 要撃級の隙間にいた戦車級や闘士級と言った小型種BETA群に、キャニスターの散弾が降り注ぐ。
背後から戦車隊が支援砲撃を行っている。 今しも戦術機の背後からその硬い前腕を振り上げていた要撃級―――その後方に105mm砲弾を叩き込んで始末した。


『陸戦第1師団、甲子園に到達! 球場跡を確保!』

『39師団先遣隊、西宮北口に到達した!』

『31師団、上甲子園付近! 名神高速道路跡を視認!』

上空には、盛んに砲弾と誘導弾が飛び交い、それを迎撃するレーザー照射が空中を舞っている。
重金属雲も盛んに発生していた、そろそろ光線級のレーザー照射も、その迎撃力が削がれる頃合いだった。


『HQより各級部隊に告ぐ! 第2派行動開始! 繰り返す、第2派行動開始!』

第2派として控えていた第49師団、そして海軍連合陸戦第3師団が、突破攻勢を開始したのだ。

『これより、全力面制圧砲撃を開始する! 各部隊は砲撃諸元を確認せよ! 間違っても巻き込まれるなよ!?』









1998年8月12日 1605 六甲山系東部 第18師団第181戦術機甲連隊


『―――攻撃開始!』

連隊先任大隊長―――第1大隊長の広江中佐の声が響いた。
同時に引き絞られた矢が放たれるかのように、裏六甲の山陰から一斉に戦術機が噴射跳躍をかけ、稜線を飛び越して海岸線へと襲いかかった。
第1大隊28機、第2大隊29機、第3大隊27機、合計84機―――定数120機の連隊戦力の内、生き残っているのは70%
稜線を飛び越えた所で、機体姿勢を制御する。 着地地点はもう少し先だ、同時に降下角を浅く持って行く、距離を稼ぐ為に。

「ッ! 照射警報・・・!」

早速見つかった。 まだだ、まだ距離がある―――まだ照射準備段階だ、まだ数秒は時間がある!
心臓が飛び跳ねる。 冷や汗が止まらない。 無意識に息を止め、目を見開いていた―――まだだ、まだ撃つな、撃つなよ、BETA!

「ランディング、用意―――パドル閉塞! 逆噴射!」

本照射が始まる直前、ギリギリで光線級の群れの直前に着地する。 同時に突撃砲の36mmを左右に薙ぎ払う様に撃ち込む。
中隊全機が無事に着地した。 左翼に第1中隊、右翼に第3中隊。 第1、第3大隊も寸前のタイミングでレーザー照射を受ける前に潜り込む事に成功する。

「中隊陣形、アローヘッド・ワン! 目標、1時の重光線級!」

全速サーフェイシングにかかる。 目前に数体の要塞級、重光線級の近くまで分散して動いている。 いい塩梅だ、照射避けに使わせて貰う!

「要塞級には突っかかるな、後回しだ! 盾にして重光線級までの突入経路に使え! 摂津、針路を転送した!」

『了解、受信しました! B小隊、露払いだ、行くぜ、続け!』

「四宮! 横合いからの光線級の照射に注意!」

『了解、12時方向、掃射します!』

10体程の光線級が、正面から狙っている。 四宮のC小隊が誘導弾と36mm砲弾を叩き込み、これを始末した。
同時に摂津のB小隊が突撃経路を変更し、再度突進にかかった。 俺の直率するA小隊をその後ろに付け、時折姿を見せる数少ない戦車級を始末して続行する。

「叩ける限り、ここで叩く! 前衛と中衛は向うの5個師団に任せろ! 光線属種を片付ける!」

―――『応!』


果たして、何処までやれるかな? 熱くなってゆく体とは別に、頭の芯はとことん冷えてゆく。 出来れば、出来る事ならば、損失に見合った戦果をあげたいモノだ。
戦場に願望など期待しない方が良い、そもそもそんなモノは存在しない。 まずは再補給までにどれだけ仕留められるか。 どれだけ損害を抑えられるか。

(―――恐らく俺は、今回も何人かの部下を失うだろう。 そして、これからも失うだろう)

それでも、それが番犬のせめてもの矜持だと、これまで戦ってきた。 戦い続けてきた。 それを―――下らない作戦だ!









1998年8月12日 1830 兵庫県淡路島 江崎燈台 第19師団偵察中隊


「・・・おい、何だ、あれは?」

「ん?」

傍らの同僚の声に、備え付けの大倍率双眼鏡を構えて西の方角を見る。 加古川辺りの海岸線だろうか、やけに土煙が舞い上がっている―――土煙!?
慌てて双眼鏡を見直す。 土煙だ、確かにそうだ。 しかしあの辺りは先月来、BETAに蹂躙されて久しい筈だ・・・
無意識に唾を飲み込む、やけにその音が大きく聞こえた。 暫く同僚と2人、声も出ずに硬直していたのだ。
やがて我に返る。 あの付近で、大規模な土煙。 あそこには、もう誰一人として居ない。  居るのは・・・

「・・・BETA、だ・・・」

間違いない、BETAだ。 それも恐らく万以上の個体数の。
一体どこから?―――九州しかない。 警報は? 有ったか?―――無かった、何も聞いていない!

「・・・馬鹿野郎! 西部軍集団の大ボケ共! あれだけのBETA群の移動に気付かないとは・・・ 底抜けの、大間抜け共め!」






[20952] 本土防衛戦 京都防衛戦 4話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2010/12/31 20:42
1998年8月12日 2130 兵庫県芦屋市付近


夜の闇の中からBETAが飛び出してきた。 目前を要撃級の前腕が掠め過ぎる、無意識の操作でバックステップをしていなければ、管制ユニットごと持って行かれていた所だ。
次の瞬間、突撃砲の銃口を押し当てる位の距離から、120mm砲弾を叩き込む。 殆ど同時に射貫口から体液が噴き出た。
同時に追加装甲を、左手から迫ってきたもう1体の要撃級に押し当てる―――起爆。 体表のかなりの面積を吹き飛ばされ、要撃級が倒れ込んだ。

「リーダーより各機! エレメントを崩すな! 単機戦闘はするな、喰われるぞ!」

後方から曳航弾―――36mm砲弾が右に着弾する。 エレメントを組む松任谷機が、俺の機体に接近してきた戦車級を薙ぎ払ったのだ。
同時に正面から突進してくる突撃級が2体、距離300で1体目の左節足部を吹き飛ばし、250でもう1体の右節足部を吹き飛ばす。
2体の突撃級はそれぞれ撃ち抜かれた側に倒れ込み、接触して停止する。 止めは刺さない、そんな暇は無い。

「いいか! 大型種は行動を奪うだけで良い! 小型種―――戦車級を確実に始末しろ!  接近を許すな!」

周囲は既に夜の帳が落ちている。 夜間補正スクリーンモードの世界は、どことなく現実の世界とは違う感じがする。
スウェイキャンセラーを切っていた為、震動がダイレクトで伝わった。 要塞級だ、距離200、近い。 それも2体が接近してくる。
残弾確認―――右、36mmが1042発、120mmが2発。 背部兵装ラックに予備の突撃砲が1門、丸々残っている。 他は長刀が一振りだ。
どうする? 要塞級、仕留めるか? その向うに重光線級が4体、脅威度の高さは後者だ。  よし。

「瀬間、ここを倉木と維持しろ。 松任谷、付いて来い、重光線級狩りだ」

『了解です、3分は保たせます。 倉木、私の左後方に!』

『120mm、残弾1発です、中隊長』

「残りモノは俺が片付ける。 36mmで周囲を制圧しろ、松任谷―――いくぞ!」

全速サーフェイシングに移る。 途中で突撃級の残骸やら、戦車級の小集団に出くわすが、それは高速機動出回避する。
重光線級は2時の方向、要塞級2体は1時方向。 機体を暫く直進させ、機体と重光線級を結ぶレーザー照射射線上に、要塞級を置いて突進をかける。
感覚的にはほんの数秒の高速機動、あっという間に対要塞級戦闘の危険範囲内―――60m圏内に侵入する。
例の触角が一瞬、後ろに反りかえったのが見えた、同時に機体を左に一瞬だけ持って行く。 次の瞬間、元々機体の有った空間を触角が貫いていた。
松任谷の機体も、俺の機体機動をトレースする様に動いている。 良い動きだ、実戦に出てそろそろ2年、こいつも育ったな。

そんな意識は、俺の脳裏の片隅で生じていただけで。 思考の大半は要塞級の動きと重光線級の位置を掴みながら、攻撃経路の判断を行っていた。
触角が戻り始める、同時に機体を要塞級の前面に急機動で戻す。 そのまま反対側まで出た所で、一気に直進。
2体目の要塞級をそのまま盾にして、側面を素通りして重光線級の左前方直前に躍り出た。

「―――くたばれ」

距離にして10mも離れていない、殆どゼロ距離。 突撃砲の銃口を目玉―――照射粘膜に殆ど押し付け、トリガーを引く。
120mmのゼロ距離砲撃を喰らったその個体は、照射器官の殆ど全てを吹き飛ばされ、地面に倒れ込んだ。
砲撃と同時に短距離噴射跳躍をかけ、そのまま後続の1体に迫る。 着地する直前に、ぶつかるかぶつからないかの距離で、最後の120mm砲弾を喰らわせ始末する。
その隙に松任谷も、1体の重光線級を始末していた。 残り1体、何処だ?―――いた、拙い、要塞級との射線上を外れてしまっている。
唐突に松任谷が、36mmを重光線級に浴びせかける。 意外に防御力の高い種だ、36mm程度では粘膜への直撃、それも連射でない限り倒せない。
しかし、注意を引く事が出来たようだ。 重光線級が松任谷機の方を向いた、そして彼女の機体と重光線級との延長線上には、要塞級―――レーザー照射は撃てない。

部下が作ってくれた一瞬の隙、その隙を逃す馬鹿はいない。 一気に距離を詰めて―――120mmは弾切れだった、追加装甲を振り上げ、そのまま重光線級の照射被膜に叩きつける。

1回、2回―――まだ壊れない。
3回、4回―――やっとの事で、被膜が壊れた。 重光線級が倒れ込む。

『中隊長! 後方、要塞級!』

「ッ! 離脱! Bエレメントと合流!」

背後に迫る要塞級、触角が至近に迫るその瞬間、片側だけ跳躍ユニットを吹かしスピンターンで高速急旋回をかけ、触角をやり過ごしてそのまま水平噴射跳躍。
松任谷は機体を俺とは反対側に持って行く、要塞級の目標認識が混乱した隙を突いて、そのまま一気にBエレメントが戦っている場所へ。
松任谷機が右後方につける、意識を正面と左側に集中させる。 その時に視認した、同時に戦術レーダーの警告音、戦車級の群れに光線級が混じっている。

「瀬間、倉木! 動け!」

足を止めて戦うのは拙い、特にこの状況では。 その俺の声に反応するかのように、瀬間機が水平噴射跳躍をかける。 一瞬遅れて倉木の機体も。
途端に鳴り響く、レーザー照射警報音。 しまった、ミスだ。 重光線級に気を取られ過ぎたか・・・!?

「撃て! スイープ(掃討射撃)!」

左右に薙ぎ払う様に、36mm砲弾をばら撒く。 瀬間も松任谷も、そして倉木も機動しながら36mmをばら撒いている。
お陰で命中率が落ちる、しかしひとつ所に留まっていたら、確実にレーザー照射を受ける。  警報音が断続的に続く。
高速機動でレーザー照射を外し、また捉えられ、また外し。 それを繰り返しながら、戦車級と光線級を掃討し続ける。

『ッ!―――弾切れ!』

倉木の声だった、悲鳴のような、焦った声。

「止まるな、倉木! 動け、動き続けろ! 予備弾倉は有るか!?」

『36mmが1本だけ、有ります!』

『瀬間、松任谷! 倉木の前面に出ろ! 周囲は俺が排除する!―――倉木、さっさと換装しろ!』

『りょ、了解!』

この超近距離だ、光線級は激しく動き回る動体目標を近距離で捉える事が苦手―――過去の戦訓から、俺はそう判断している。
重光線級になるともっと顕著だ、だから光線属種と出くわした時は距離を取って離脱するよりも、大きな高速多角機動で思いっきり接近した方が良い。

(―――連中は、言わば超大倍率のスコープを持った、超長距離狙撃銃だ)

高速サーフェイシングをかけながら、右に左に、3秒以上同じ直線機動をせず、兎に角動き回る。 5秒以上同じ直線機動をすれば、どこかからレーザーを喰らう。

『弾倉交換、完了!』

「よし、Bエレメントは北から頭を押さえろ! 松任谷、Aエレメントは西から南西に回り込む、半包囲で殲滅するぞ!」

―――『了解!』

短距離水平噴射跳躍で、一気に距離を消す。 そのままサーフェイシングに映り、急な弧を描きながら機動射撃を行う。
前面に戦車級の群れ。 最早デッドウェイトと化した追加装甲を叩きつける様に投げつけ、その群れを圧死さす。 同時に兵装ラックから予備の突撃砲を取り出す。
残弾確認―――右、36mmが412発。 左、36mmが2000発、120mmが6発。 120mmの内、最初の3発はキャニスター砲弾。
纏めて120mmキャニスター砲弾を叩き込む。 半径50m程の範囲で戦車級と光線級が吹き飛んだ―――その向うに、地表一杯に溢れた小型種の群れ。

『フラガBよりリーダー! 海側はダメっす! 光線属種がハーバーランド辺りに居る、洋上への脱出は狙い撃ちされます! いいカモですぜ!』

海岸線付近の様子を、探らせに行っていたB小隊が戻ってきた。 摂津の言う通り、洋上に向かって西の方からレーザー照射が飛び交っている。

『フラガCです。 後方の291連隊、141連隊、共に確認できません! 混戦状態過ぎて・・・!』

くそ、141と291も同じ状態か、無理も無いかもしれない、大隊が俺達181でさえ、どうなっているのか判らない状態だ。

「よし、摂津、四宮、戻れ! 損害は?」

『今ンとこ、無しです』

『損失無し、3機です』

B小隊は宇佐美を、C小隊は浜崎を、既に戦列から失っている。 それでも中隊残存10機とは、この状況で我ながら良く保っていると思う。

「こうなったら、何とかして光線属種の隙を突いて、六甲の山越えをかけるしかないか・・・」

噴射跳躍をかければ、ほんの1秒かそこらだ。 だがその1秒をどうやって生み出すか。 
こうしている間にも、断続的にレーザー照射警報がコクピットに鳴り響いている。

「ここに留まっていても埒があかんか・・・ 摂津、四宮、西宮まで下がるぞ」

『西宮、ですか・・・』

『・・・ここで訳の判らない乱戦で消耗するより、少なくとも目標だけははっきりしますね』

四宮は消極的賛成、摂津も他に手は無し、そう考えていると踏んだ。 従来のBETA群主力である3万余の個体群、そいつらが西宮に屯っている。
あそこはまだ光線属種の数は少ない、代わりに要撃級や戦車級が無数にいるが。 それでもここでジリジリと消耗するよりはマシだ。
中隊を終結させ、目的座標までの移動経路を設定しようとするが、どの経路もBETAが溢れかえって尋常には行きそうにない。

そんな思考を進めている間にも、戦場の様相は刻一刻と変わってゆく。 後続集団の一部から、突撃級を主体としたBETA群が直近に迫って来ていたのだ。
それに直前まで気付かなかった。 お陰で突撃級の突進を回避しながら、直ぐ傍まで接近してくる戦車級を排除し、光線級の照射警報を外す機動を強いられる。

「とにかく止まるな! 足を止めるな! 3秒以上、同じ機動をするな!」

もう何度、同じ事を叫んだか判らない。 目前に突撃級が迫る、回避しようと一瞬視線を右に移す―――駄目だ、右側の奥に光線級がいる。

『中隊長! 動いて!』

松任谷の声か、今は無視する。 距離100・・・ 80・・・ 50! 左側節足部に、残った120mm砲弾を2発、纏めて叩きこむ。
右側にバランスを崩した突撃級の進路が、一瞬右側に逸れる。 同時に短距離水平噴射跳躍―――直後に右跳躍ユニットの噴射をカット。 機体が急激に右に振り回される。

「ッ―――むぅ! くっ!」

コンマ数秒の差で、再び右跳躍ユニットを吹かす。 機体を強引に左に捻り、スパイラルを防ぐ、そのまま一気に直進―――射撃。
突撃級の奥に居た光線級の直ぐ直前まで、逆に突撃級を壁にして一気に迫り、36mmの掃射を叩きつける。
他に闘士級や兵士級もいた様な気がする、一瞬の射撃―――離脱の為に、どの種がどのくらいいたか咄嗟に把握は出来なかった。
だが、取りあえずのレーザー照射の危険だけは排除できた。 戦術レーダーを視界の隅に捉える、赤いエリアは随分と消えた。 少なくともこの戦区では。









1998年8月12日 2150 兵庫県尼崎市 神崎川前面防衛ライン


「奶奶的小孙子!(クソッたれ!)」

殲撃10型の管制ユニット内に、罵声が響く。

『小日本!(くそったれの日本人め!) 随意地死、别卷进我!(勝手にくたばれ! 俺を巻き込むな!)』

統一中華戦線派遣、第312機動旅団の第2戦術機甲大隊、その第3中隊長である梁光順(リォン・コァンション)大尉は、先刻命令を受けた作戦を罵り続けていた。

『なんだってこの俺が! こんな東海の僻地の島で、死ぬような想いをせにゃならんのだ!』

作戦内容は西宮の北部、苦楽園を死守し、そこに逃げ込んで来るであろう日本陸軍戦術機甲部隊の別動隊―――141、181、291の3個連隊の撤退を支援する事。

『割にあわねぇ! まだBETA共はウジャウジャ居やがるんだ! そんなトコに出張って行って、クソッたれの小日本人(シャオリーベンレン:蔑称)を助けろだと!?
くそっ! 俺が死んだら、どうしてくれるんだ! しかも、逃げ帰って来る連中を支援しろだと!? 連中は碌に戦い方も知らんガキ共かよ!?』

低空スレスレを高速NOEで移動中の殲撃10型、統一中華戦線の主力戦術機。 
隊長機を先頭に、12機が綺麗なダイアモンド・トライアングルを組んでいる様は、この部隊がかなりの手練である事を示している。

『青龍(チンロン)・リーダーより白虎(パイフー)リーダー! 光順! 何時まで愚痴っているんだい!?』

隣を進むもう1個の戦術機中隊―――こちらも殲撃10型だ―――の指揮官機から、少し呆れた声が流れる。

『ここで日本軍に踏み留まって貰わないと、僕らも大変な事になる! それにここは極東最終防衛線の要衝だ! 
だからこそ、上層部は我々を送り出したんじゃなかったのかい!?』

第312機動旅団の第1戦術機甲大隊、第2中隊長の曹徳豊(カオ・ドゥオフェン)大尉が諭す様に言う。

統一中華戦線は台湾本島と、その対岸の福建省―――福州(フーチョウ)、覆門(アモイ)、汕頭(シャントウ)に挟まれた『台湾海峡防衛線』の維持に必死になっている。
その彼等が、この日本本土防衛戦に2個旅団とは言え、戦術機甲大隊4個を含む増援部隊を送り込んでいる訳―――極東最大の兵站基地である日本を維持する為だ。
呉越同舟、そう巷で言われる2国制度が内包する諸問題は、この際遠い棚に置いておく。   台湾にしても、『友邦』である日本帝国の崩壊は死活問題だ。
そして、既にその国土のほぼ全てを失陥した共産党も、表向きのプロパガンダと実際にメシを食う為の手段は別物、そう心得ている。

『はっ!―――徳豊! お前さんも外国帰りのあの、小生意気な女共と同じ事を言いやがる!』

『趙大尉に、朱大尉の事か? おい、君と同じ解放軍出身だろう、あの2人は。 それに彼女達は、友軍の危地に立派に手助けをしている。
どうも君を見ていると、彼女達と同じ解放軍系の軍人とは思えないな』

『けっ! 同じだと!? 馬鹿抜かせ、あんな冷や飯食いの4野軍(第4野戦軍)上りと一緒にするな! 俺は軍主流の3野軍(第3野戦軍)だ!』

事実だった、解放軍は国共合作から国共内戦時の5軍(第1~第4野戦軍、華北軍区)が元となって拡大して行った。
そしてその主流は、権力闘争に勝ち抜いた第3野戦軍系の部隊が、主力精鋭部隊として維持されてきたのだ。


網膜スクリーンに映る僚隊指揮官機を横目で見ながら、曹徳豊大尉は何かやり切れない溜息と苦笑を洩らす。
台湾の少数民族、高砂族の出身であり、1940年に日本帝国陸軍の兵士として志願入隊した祖父を持つ彼にとって、日本とは常に親近感を抱く国だった。
実際、彼は日本語さえ流暢に操る。 この国に着任してからと言うもの、日本軍指揮官との打ち合わせは全て日本語でこなし、相手を驚かせたものだ。
それが、統一中華戦線結成後に大陸の連中がやってきて、その連中のなかには酷く日本を嫌う者達もいる事を知らされた。

(―――前の戦争なんて、もう何十年も前の話だろう? 僕たち自身どころか、父親の世代だって経験していない。
祖父や曾祖父の世代の話だ、なのにどうして彼等は、ああも自分自身が被害者であるかのように語るんだろうな・・・?)

もっとも曹大尉は、彼自身が台湾軍の中でも特異な感覚を持つ少数派である事は、薄々理解している。
台湾でも『本省人(国共内戦後に、大陸から移ってきた人々)』は、時として口汚く日本を罵る。

(ああ、そう言えば・・・ 後ろの韓国軍の片方、確か郭鳳基(カク・ボンギ)大尉だったか? 彼も日本嫌いだと言っていたな・・・)

中国軍2個中隊の後方に、韓国軍派遣旅団から抽出された2個戦術機甲中隊が続行している。 
機体はF/A-92K、日本軍の主力戦術機であるF/A-92『疾風弐型』の、韓国軍配備型だ。
その片方、ファラン(花朗)中隊を指揮する郭鳳基(カク・ボンギ)韓国軍大尉もまた、強烈な反日感情の持ち主だった。

(・・・おかしなものだな、それぞれこの国に対して否定的な指揮官と、肯定的な指揮官、それぞれが居るなんて)

韓国軍のもう一方の戦術機甲中隊で有る『チルソン(七星)』中隊指揮官の韓炳德(ハン・ビョンドク)大尉は、逆に『日本好き』と言われているらしい。
ああ、そう言えば向うにも日本贔屓の女性衛士が居たな。 確か・・・ 李珠蘭大尉。 なんだって言うんだろうな? 全く。

廃墟と瓦礫ばかりの、元は繁華であった市街地の跡を飛行する事暫し。 やがて4個戦術機甲中隊の前に、『死守拠点』と指定された苦楽園が見えてきた。

『あそこか。 チンロン・リーダーよりパイフー、ファラン、チルソン各リーダー! 前方に目標地点確認! 手筈通り、半円周防御陣形だな?』

『ファラン・リーダー、確認した』

『チルソン・リーダー、了解』

『・・・チッ! パイフー・リーダーだ、了解! 言っておくが、俺は中隊をここから一切動かさねぇぞ! 大事な部下を、こんな所で使い潰してたまるか!』










1998年8月12日 2200 兵庫県芦屋市付近


中隊陣形はもう、まともに組めない状況に陥っている。 
小隊単位、いや、もうエレメント単位で戦闘を強いられている状態だ。 お陰でジリジリと、押され始めてきた。

「ッ! くそ、このままでは手詰まりになる・・・!」

右の突撃砲が黙る、弾切れだ。 予備の弾倉も無い、目前の戦車級の群れに投げつける。  2、3匹は巻き込めたか。
左の突撃砲を放ちながら、兵装ラックから最後の武器―――長刀を取り出す。 コイツを遣う事になるとは。

『うっ、うわああああ!』

突然悲鳴が上がる、見ると倉木の機体がダウンしていた。 機体上部が焼け焦げている、レーザーが擦過したか!?

「瀬間! 松任谷! 倉木を! 俺が防ぐ!」

迫りくる戦車級の群れ、要撃級もいる。 36mmを放ち、120mmを叩き込むが数が多い、なかなか倉木に接近するBETA群の排除に行けない!

『倉木、倉木! 脱出よ! 脱出しなさい!』

瀬間が喚く。 どうやら瀬間も周りのBETAに邪魔をされて動けないらしい、松任谷も同じだ。 くそ、益々小型種―――戦車級が集まって来る。

『だ・・・ だめです、管制ユニットが変形しています、エジェクトが利きません! 助けて・・・ 助けて下さい、中尉! 助けて・・・ 中隊長ォ!』

「ッ! B小隊! C小隊!?」

『駄目っす! こっちも手が回りません!』

『こ、こいつら・・・!』

―――摂津も四宮も、自分と自分の小隊を守るのに必死だ。

『ッ! 松任谷! 下がれ! 下がって!』

『え? う、うわあ!』

咄嗟に後方にバックステップを打った松任谷機の、その直前まで位置していた場所を、突撃級が猛速で突進して行った。
見ると後続の大型種が次々にやってくる、瞬く間に小隊と倉木機の間に壁が出来た。 目前には絶望的なまでのBETAの壁。 くそ、何とかしないと・・・!

『うわっ! ぎゃあああ! 来るなあ! 畜生、畜生ォ!』

―――駄目だ、目前の要撃級数体と、戦車級の群れの向う。 ダウンした倉木の『不知火』に、次第に戦車級の群れがたかり始めた。

『畜生! 畜生ォ! こ、こんなところで・・・ 畜生ォォ!』

『倉木! 倉木! 脱出・・・ 脱出しろぉ!』

倉木の絶望と、瀬間の絶叫が聞こえる。

『ちゅ、中尉・・・ 無理っす、もう、無理・・・ 周りにBETAが山ほどいやがる・・・  俺、もう無理・・・』

36mmでありったけ横殴りに掃射する、瀬間と松任谷も同様に。 だが倒れるBETA、消し飛ぶBETA以上に、新たに現れるBETAの数の方が多い!
頭の中が切れそうだ、何とか、何とか方法は無いか? 正面突破? 駄目だ、大型種の向こう側に光線級。 飛んだら一発で蒸発させられる。
右側面? 要撃級の山だ、あそこを突破するのは難しい。 左は? 突撃級の壁、隙間に戦車級が居る。 こちらも小隊で突破する事は困難だ。

『中隊長・・・ 俺、食い殺されんの、ゴメンです』

「ッ! 倉木・・・」

不意に、倉木の静かな声が聞こえた。 
網膜スクリーンに映し出される部下の顔、妙な加減に歪んだその表情。

『スンマセン、中隊長。 スンマセン、俺・・・ お願いします・・・』

まだ生きている。 もう赤黒い戦車級に山の様に集られ始めているが、まだ倉木は生きている。

「・・・瀬間、松任谷、10秒保たせろ」

『中隊長!?』

『―――ッ!』

まだ、通信機能は生きている。 網膜スクリーンに映し出された倉木の表情が、一瞬変わった。
向うでも見えるのか、俺に気付いた倉木の表情は、『死』と言う未知への恐怖と、絶望と、哀しみと―――ほんの少しばかりの安堵の色が、見えたと思う。

(―――済まんな、文句は後で、あの世で聞いてやるからな)

泣き笑いの表情の倉木。 涙と鼻水と、涎も流れている。

『うっ・・・ ぐっ・・・ ぐふっ・・・』

照準を合わせる。 最後に残った120mmAPFSDS弾―――こんな事に使うとはな。 
時間がゆっくり流れる、まるでスローモーションのように。

『止めて! 止めて下さい、中隊長! あいつは、倉木はまだ生きています!』

『瀬間中尉! 射線に入ったら駄目ですってば!』

BETAを掃射しながら、瀬間が必死になって頼んでいる。 松任谷が120mmを迫る要撃級に叩き込みながら、瀬間機を制止していた。
耳にBETAが装甲を齧る音が聞こえた、倉木の機体の管制ユニットはもう保たないのか。

照準が合う、フレンドリーファイア防止の為のIFFは既に切った、もはや『あれ』はターゲットだ。

『ぐふっ・・・ ぐうぅぅぅ・・・!』

スクリーン越しに倉木と視線が合った、色んな事を俺に叫びかけているその目。
BETAに喰い殺されたくない、いっその事、早く楽に。 でも、助けて、助けて、助けて―――殺さないで、生きたい。 そう言っている。

「・・・俺を恨め、俺だけを恨め。 いいな、倉木? 俺だけをだ」

静かに、そっとトリガーを引いた。
120mmAPFSDS弾は、僅か100m程の距離をゆっくりと進み―――コクピットを直撃した。

『倉木ぃ!』

『駄目ですって、瀬間中尉! あいつは、倉木はもう駄目でした! 助けようが無かったんですってば! 落ち着いて!』

時間の流れが急激に戻った、周囲の砲声、怒声、悲鳴、そんな諸々が通信上に無秩序に乗って聞こえて来る。
戦車級ごと管制ユニットを撃ち抜かれ、大破した倉木の機体が視界の片隅に映る。 俺が失った部下、俺が最後を・・・

「・・・瀬間! 松任谷! トライアングルを組め! 摂津! 四宮! 下がるぞ、脱出経路を再設定し直す! 
ここに居ては全滅だ、何とか生還の確率の高いルートを探し出す! 暫く防御戦闘の指揮を取れ!」

『りょ、了解! B小隊、固まれ! AとCとの距離を保つんだよ!』

『C小隊、了解です!』

部下の小隊の動きを確認しつつ、迫ってきた戦車級の群れに36mm砲弾を浴びせかけ始末する。 残弾数、816発。 120mmは尽きた、もう長くは保たない。
視界の片隅、網膜スクリーンの一角に、憤怒と自制と、そして悔しさとを滲ませた表情の瀬間の姿を捉えた。

瀬間―――戦うとは、こう言う事だ。 部下を指揮して戦うとは、こう言う事だ。

「・・・軍人は、戦場に幻想を持ち込むな・・・」





その後の移動しつつの経路設定、摂津と四宮が俺の代わりに、中隊の防御指揮を続けている。 海岸線から西宮―――駄目だ、話にならない、BETAの数が多すぎる。
夙川方面から北東へ―――31師団と後続の49師団が激戦中だ。 一見良いように見えるが、叩き合いのど真ん中に飛び込むのも考えものだ。
ここは一旦夙川から真北に、苦楽園まで北上して一旦山間部に入るか。 そして、そこから宝塚まで出る―――よし。 その前に、目前の集団を片付けなければ。

―――では、どうする?

そう考えたその時、左後方から砲弾が降り注いだ。 少し離れた場所に固まっていた小型種の集団が吹き飛ぶ。
レーダーを見ると友軍部隊が接近してくる、コードを確認すると『181-A3』に、『141-B3』 181連隊第1大隊第3中隊と、141連隊第2大隊第3中隊。

(―――1大隊の葛城君(葛城誠吾大尉)に、141の佐野君(佐野慎吾大尉)か・・・)

ようやくお目にかかった友軍部隊だ、これで少しでも楽になる。 ・・・にしても、かなり叩かれているな。

「フラガラッハ・リーダーより≪ランサーズ≫、≪ソードマン≫、そのまま北東だ、ポイント・ゴルフ-8」

『ランサーズ・リーダーよりフラガラッハ! 無事でしたか!』

『フラガラッハ、周防さん! ソードマン・リーダーです、ようやく友軍と合流出来た!』

随分と叩かれている、6・・・ いや、7機ずつか? 他の隊はどうなった?

『ランサーズ、残存7機。 一気に2機を失いました』

『ソードマン、同じく7機。 こっちは1機を失いました・・・』

両中隊とも、残存機数は7機ずつか。 葛城君も佐野君も、俺とは半期違いの18期B卒だ。   92年の10月から大陸派遣軍で戦ってきた、歴戦の猛者だ。
あの、92年の末から93年初頭の大作戦にも参加した、そして生き残ってきた。 その彼等をして、今までの継続した戦闘でとはいえ、指揮中隊の半数近くを失わせるとは。

くそ、愚痴を言っても始まらない。 この場の3人の大尉の中で、最先任者は俺だ。 俺が方針を決めなければ。 その為には先ず、この重包囲とも言えるBETAの壁を抜かねば。
俺の隊が9機、葛城君の隊が7機で、佐野君の隊も同じく7機の合計23機。 これで何とかなるか? 何とかしないと、本当に手詰まりだ。
それにしても、一体戦況はどうなった? 大隊は? 連隊は? 共に突入した他の連隊は? 大隊長とも、美園の中隊とも連絡が取れない。

「こっちはついさっき、1機を失った。 どうだ? 一気に夙川から苦楽園まで抜けようと考える。 僅かだが、その方面のBETAの数が薄い。 葛城君、佐野君、手伝うか?」

『・・・戦線を放棄する事になりますが?』

『葛城、もう既に戦線は崩壊している、作戦は失敗だ。 これ以上、ここで踏ん張る必要は無いと思う』

『佐野、放棄命令は出ていないぞ?』

『出す上官の所在すら、全く不明だ。 葛城、貴様、ここで死ぬ気か?』

葛城君と佐野君、同期生同士のやり取りを聞いている内に、自分の同期生の事を思った―――大丈夫だ、あいつらは生き残る術を知っている。

「葛城君、佐野君の言う通りだ。 既に戦線は崩壊した、ここで戦っていても、援軍は来ないと思う」

『・・・周防さん』

俺が生き残ってきたのは、俺が戦場で学んだ生き残りの術は、『戦場を見極めろ』だ。 
命令に最後までしがみついて、自身と部下の命を無駄に捨てる気は無い。 捨てる場所と状況を見極めろ、そう言う事だ。
ほんの一瞬だけ、考え込む様子を見せた葛城君だが、今度は視線に力を込めて言う。

『・・・確かに、ここじゃ何も出来ません。 それに、他に経路は無いですね』

『仕方なし、ですか』

よし、これで脱出経路は決まった。 そして移動経路を設定する僅かな時間の間に、他の部隊の状況が判明した。 
141連隊は最後方に位置した為、1時間半前に突如現れた1万を超すBETA群の出現に咄嗟に対応が出来なかった。 

(『―――退け!』)

141連隊先任指揮官の早坂中佐が、咄嗟に連隊全部隊に発した命令は、その言葉だったと言う。 

その後は第1大隊『フラッグ』、第2大隊『アルヴァーク』、第3大隊『ライトニング』共に先鋒の突撃級に突っ込まれ、そしてこの初期段階で2個中隊が壊滅したと言う。 
141の13中隊長・伊崎真澄大尉、22中隊長で同期の古村杏子大尉が戦死したそうだ。 伊崎大尉は葛城君や佐野君の同期で、俺の半期下。 昔、広江少佐の大隊で一緒だった。
そして古村。 訓練校は別だったが、92年から大陸で一緒だった同期生の一人。 彼女も少尉時代に同じ大隊に所属して、共に戦った。

(―――くそ、これでまた、同期生が一人減った・・・)

141連隊はこの時点で、四分五裂状態に陥ったと言う。 帝国陸軍戦術機甲連隊中、最も歴戦の部隊のひとつをして、この様だとは。

俺の所属する181連隊は、恐らくその15分後にBETAの急襲を受けた。 
最初は何とか組織的な抗戦を維持できていたが、光線属種や要塞級に加え、後続集団の突撃級に突っ込まれた時点で混線に陥った。
大隊長・荒蒔少佐の指揮する第1中隊、美園の第3中隊とはそれから5分後には、お互いの場所を確認出来なくなっていた。
おまけに山間部に配置していたCPを撤退させた為に、状況がますます混乱した。 第1大隊も似た状況だと、葛城君が言う。

第1大隊長の広江中佐は、緋色の指揮する第2中隊と行動を共にしていたらしい。 
しかし木伏さんの第1中隊、葛城君の第3中隊も怒涛のBETAの突進を阻止している内に、各中隊の連携が不可能な状況に陥ったと言う。
他の大隊は、全く判らない。 森宮少佐指揮の第3大隊も、途中でロストしてしまった。   源さんに愛姫、それに仁科・・・ 簡単にくたばるタマではない筈だ。

291連隊については、全く情報が無い。 後方から抜けてきた141の佐野君が、その姿を見なかったというから・・・ 下手をすれば全滅か?
あそこにも同期生が居る、大友祐二大尉に国枝宇一大尉。 帝国では珍しい、89式『陽炎』に長く搭乗してきた『イーグル・ドライバー』の2人。
あの2人も、大陸派遣軍上がりだ。 折角、長い間大陸の地獄を戦い抜いてきたのだ、ここで死んでは、人生大損だぜ? 大友、国枝・・・

「・・・よし、葛城君、佐野君、D2回線を開いてくれ、この経路で行く。 大型種が比較的多いが、相手にしなければ返って脱出し易い」

『ですね、戦車級が多い戦区より、機動に気を付ければ・・・』

『賛成です、周防さん』

ランサーズを先頭に、ソードマン、フラガラッハの順でサーフェイシングを開始する。 針路上には大型種が多い、しかしそれを回避すれば何とかなる。
左右に120mm砲弾、36mm砲弾を叩き込みながら、しかも途中で群れの前で立ち往生しつつ、北東を目指す。
しかしもう、弾薬が少ない。 特に後方から突破してきた佐野君の中隊、≪ソードマン≫各機の残弾数はもう、致命的なまでに減っている。
くそ、どうするか。 このまま一気に飛び越すか? 光線級に何機か食われる、確実に喰われる。 しかしこのままでは、全機が喰われるかもしれない。
そんな手詰まり感で気付かぬうちに焦りが出ていたか。 要撃級の群れに半包囲されていた。 後方には光線級のレーザー照射危険範囲―――しまった。

『さっさと逃げろ、リーベンレン(日本人)!』

突如、前面に迫る数体の要撃級が、背後から次々に撃ち抜かれた。 僅かにできた隙間、そこに飛び込むしか手は無い。

「フラガラッハ! ランサーズ! ソードマン! あの隙間に突っ込め!」

群がるBETA群、その中に出来た一条の隙間。 その向うにBETAに向け突撃砲を撃ちかける戦術機の姿があった。









1998年8月12日 2300 大阪府合同庁舎内 第2軍司令部


「新たなBETA群、約1万5000! 神戸市内を突破、芦屋市内に突入しました!」

「第1派攻勢任務部隊、第2派攻勢任務部隊、後退しつつあります!」

「海軍第1艦隊より入電! 『これより艦砲射撃を開始す』、以上です!」

「別動部隊の戦術機甲3個連隊、応答有りません!」

「武庫川ラインを放棄! 全戦線で武庫川ラインを放棄! 神崎川ラインまで下がりつつあり!」


第2軍司令部に入る戦況報告は、どれもこれも作戦の失敗を知らせる報告ばかりだった。 オペレーターが声を枯らし、参謀達は彼我の状況の把握に追いまくられている。
それまで無言で、戦況の推移を映し出すプロジェクターを見つめていた第2軍司令官の嶋田豊作大将は、振り返り背後の参謀長に簡潔に命じた。

「―――作戦中止。 第9軍団は、淀川防衛線まで後退せよ。 第7軍団に下命、側面支援を為せ。 海軍第1艦隊に通達、洋上支援を乞う、以上」

場が一瞬、静まる。 そして数瞬の逡巡の後―――

「第9軍団司令部に伝達! 『作戦中止、淀川防衛線まで後退せよ』、急げ!」

「第7軍団司令部! 2軍司令部だ! 第9軍団が後退する、側面支援に出せる師団は!?―――2個? 5師と40師? よし、豊中から吹田にかけて、側面攻撃を為せ、だ!」

「最後の戦略予備を投入しろ! 海軍第5艦隊(基地戦術機甲部隊)に連絡! 第381、第323戦術機甲隊(大隊)の投入を乞う!」

「国連軍の連絡将校は!? どこだ!?―――サーマート中佐! 中韓の4個旅団、投入をお願いする!」

「海軍聯合陸戦総隊司令部! こちら陸軍第2軍司令部! 聯合陸戦第1、第3師団の後退を!―――そうです! 淀川防衛線です!」

「第1艦隊! 作戦中止! 作戦中止! 全力洋上支援を乞う!」

その様子を、司令部内の片隅で見つめる数名の参謀団が居た。 先程から無言で様子を見つめているが、時折小声で何かを話し合っている。
その様子を目にした嶋田大将が、冷ややかな目でその集団を見ていた。 やがて一人の大佐参謀が、その視線に気付いた。

「閣下、当初の予定では、14日の夜に淀川防衛線へ撤収との計画でしたが・・・」

「・・・見たまえ、部下達は殆ど奇襲に近い打撃を受けつつも、戦線を崩壊させる事無く後退戦闘を継続中だ。
これ以上を望めん、海軍と協同してもだ。 BETAの総数、4万8000だと? 1個軍で支えられる数を越しておる」

「第1艦隊の全力支援が有れば、あと1日は攻勢を掛けられるかと愚考致しますが?」

「ああ、まさに愚考だ。 攻勢、ああ、可能だよ、あと1日はな―――その後はどうする? 戦力は残らんぞ?」

両者が静かに、火花を飛ばした様な気がした。
大将と大佐、階級で4階級もの差がある事を思えば、その大佐参謀の態度は不遜にすら見える。
暫くして、大佐参謀の表情から張りつめた様な気が、不意に抜けた。

「・・・ですな、仰る通り。 淀川防衛線は、是が非でも支えなければなりません」

「ならば、帰って伝えたまえ」

「・・・失礼します、閣下」

にべも無い嶋田大将の口調に、少しばかりの苦笑を浮かべた大佐参謀は、形だけは見事な敬礼をし、その場を去って行った。






「宜しいのですか? 閣下」

参謀長が背後から、やや心配そうな声色で聞いて来る。 その声に振り向かず、しかし声は達観した声色で、大将は呟いた。

「・・・構わんよ、別に。 どうせ私は本省や、統合幕僚総監部に居座っている統制派の連中からは、煙たがられている。
あわよくば、ここで戦死してくれれば、そう思っているのだろう。 そうでなくとも、この戦場に当分は釘付になるしな」

その言葉に、参謀長は今現在、軍中央で主流となっている将官、高級将校達の顔ぶれを思い出す。
あの連中、確かに頭脳明晰では有るのだろうが。 その政治的行動は、どうにも反発を覚える。
海軍や航空宇宙軍の連中はあれ程でもないが、逆にその政治的行動を自ら制する事で、陸軍の『政治将校』達の行動に掣肘が効かない。
司令部を出て行った大佐参謀―――統合幕僚総監部作戦局第1部作戦課長、河邊四郎陸軍大佐の背を見送った参謀長は、彼らが逆に簡単に引き下がった事を気味悪く思えた。


「それよりも、最前線に出した3個連隊。 まだ連絡はつかんかね?」

「はい、9軍団司令部からも、消息不明との報告が・・・ 下手をすれば、あたら歴戦の3個連隊を・・・」

参謀長のその言葉と、後悔の表情を見ながら嶋田大将は、僅かな望みを探る様な声色で言う。

「・・・他の部隊なら、その可能性は有る。 しかし9軍団のあの3個連隊は、派遣軍上がりだ」

「と、仰いますと?」

「連中は多くの戦場で、勝者になった。 だがまた、多くの戦場で敗者の屈辱を舐めてきた。 つまりは打たれ強い連中だ。
戦況がこうなった段階で、現場指揮官の判断で退くべき時は、退いておろうよ。 それが出来る連中だ」

無論、無事では済まないだろう。 多くの衛士、それも指揮官クラスの戦死も有るかもしれない。 しかし、3個連隊全滅と言う最悪のケースは、回避してくれるはずだ。 
今や宝石よりも貴重な、長年大陸で経験を積んだ衛士達。 せめて、半数でも生き残ってくれれば・・・






「帝都に打電―――『京都放棄は、予定を1日繰り上げられたし』だ」

「はっ!」

「ああ、それともう1件。 内務省警保局の芝野特高公安部長に繋いでくれ、緊急の相談をしたいと」

「判りました」

宛がわれた一室、秘匿回線付きの通信装置をわざわざ持ち込んで、各所と連絡を付けている。
河邊四郎陸軍大佐は、秘匿回線が繋がった事を確認してから、相手と話し始めた。

「もしもし、河邉です。 ええ、その件で・・・ ええ、1日繰り上がります。 ついては、騒ぎ出すと予想される面々のネタを・・・ 
ええ、場合によっては、国家憲兵隊にも。 帝都管区憲兵司令官の右近充中将には、こちらから・・・ 予防拘禁も視野に入れましょう、ええ、全面戒厳令です」

暫く話した後で、通信を切る。 椅子の背にもたれかかり、軽く目を閉じて瞑想するかのように動かない。

(―――判っていない連中が多過ぎる)

議会? 連中は所詮、利益の分配を貪るだけの集団だ。 国家戦略の何たるかを理解し、その方向性を模索し、立案し、決定する能力も無ければ、その意志も無い。
政府に政党? 同じ事だ。 今の首相は、確かに政党政治家としては硬骨の人物だろう。  成程、確かに視野も広く、決断力も有る―――しかし、首相独りだけだ。
元老院? もうじき墓場に入る老いぼれ達に、何ができる? 元枢府? 浮世離れした前世紀の遺物に、もはや用は無い。
国政の実権を、政威大将軍に? 愚かな、何と言う愚かな冗談だ。 将軍家が政治を決定した時代は、もう3世紀以上も昔の話だ。

(―――判っていないのか? 連中は・・・ 己の、奴隷根性を? 己が意志をすら、他人に預けて喜ぶその滑稽さを?)

ああ、その前に米国のちょっかいは極力排除しておかねば。 何もあの国と断絶する訳ではない、それは亡国を意味する。
国際外交のパワーゲーム。 如何にこちらのカードを伏せたまま、向うにカードを出させるか。 片方が倒れては、或いは片方が隷属しては、成立しない。
帝国は、米国と袂を別つべきでは無い。 同盟とは外交の一手段だが、外交に敵も味方も存在しない。 在るのは国益だけだ。
もはや1国で世界に独り立てる国など存在しない。 その為には、互いに右手で握手しつつ、左手で相手の懐を探る、そう在るべきだ。

(―――判っていない連中が多過ぎる、本当に困った事だ・・・)

場合によっては、核の行使も辞さぬ。 彼と彼の派閥は、実はそう考えている。 そのままなら、どうせBETAに汚される事になる土地だ。
近年の核弾頭は、加速器駆動未臨界炉で長半減期物質を分離して、短半減期核種に変換されたものを搭載している。
その為にごく短時間に多量の放射線を発するが、逆に半減期はほんの数年、と言う所まで技術的に可能になっているのだ。
結果として核物質は、僅か数年の崩壊過程で、放射線を発しない鉛へと変わり果てる。 世で言われる程に、核弾頭攻撃は土地を長期間不毛にはしない。

(―――アサバスカに核を撃ち込んだ74年当時とは、技術の進歩は格段の差なのだ)

しかし、一度染みついた意識はなかなか変えられない。 そこが悩み所では有った。
恐らく、帝国本土に核を撃ち込めば、殆ど全ての日本人は激昂する事だろう。 例え、その被害が数年のうちに無効化されるとしても。
そして、今現在で核の運用能力を有する国家は、米国と英国、そしてシベリア・アラスカに逃げ込んだソ連が僅かにその能力を有する。
とすれば、帝国で核攻撃運用を可能にする国は米国に限られる、それは流石に拙い。 国家戦略―――米国との、つかず離れずの基本戦略が崩れてしまう。

帝国軍内の統制派高級将校団、各省庁の上級キャリア官僚団、既に国際企業と化した帝国内大企業群。 帝国における軍官産複合体の総意は、そうであった。










1998年8月12日 2340 兵庫県神戸市灘区付近 


目前の要撃級を交し、後部胴体に側面から長刀を振り降ろして引き切る。 スッと切り筋が出来、次の瞬間、体液を撒き散らしながら胴体が切断される。
同時に左側面から突っ込んで来た要撃級の前腕をスリ抜ける様に、もうひと振りの長刀を突き入れる。
突撃級が1体突進してくる。 僅かに機体をずらし、その突進を交すと同時に左の長刀をすれ違いざまに節足部に突き立てる。
突撃級は自身の持つ突進力によって、節足部全てを長刀によって根こそぎ切れ裂かれ、北面に倒れ込みながら停止した。

「・・・ふむ、これはもう、鈍らだな」

左の長刀を見る。 もう随分と刃こぼれが激しい、もはや殴打用にしか使えまい。 その長刀で群がってきた戦車級の1団を、下生えを刈り取る様に薙ぎ払う。
最後に闘士級や兵士級の群れに投げつけた、10数体が長刀の持つ物理エネルギー―――重量と投げつけた速度でもって、押し潰される。
周囲を見渡すと、破損した機体の傍らに突撃砲が転がっている。 チェック―――大丈夫だ、使える。
誰のであろうか。 破損した『不知火』の管制ユニットはもぬけの殻だ、どうやら衛士は無事脱出できたようだ、なら代わって自分が使ってやろう。

残弾数確認、36mmが1156発、120mmが4発、まだまだ戦える。

「・・・三方はBETA共、背後は山か。 この状態では万策尽きた、とでも言おうか?」

第14師団第141戦術機甲連隊の最先任大隊長、早坂憲二郎中佐は周囲を見渡し、いっそ呆れた様な口調で言う。
141連隊は当初、中央区付近で六甲の稜線を越え、BETA群の最後尾に対し攻撃をかけた。 当初は計画の通り、攻撃は順調にいくかに思えた。
しかし、あの時がやってきた。 重光線級を相手取り、何とか駆逐しつつあったその時、CPから悲鳴のような報告が入ったのだ。

(≪ッ! 後方にBETA群多数! 約・・・1万5000! 急速接近中!≫)

自分は一言、『―――退け!』としか言えなかった。 
直率する第1大隊、岩橋少佐の第2大隊、宇賀神少佐の第3大隊、それぞれが充分な迎撃態勢を整えられぬまま、BETAの大津波の中に飲み込まれてしまったのだ。
何とかして大隊だけでも掌握しようとしたが、余りにBETAの数が多過ぎ、その進撃速度が速すぎた。 気がつけば、第291戦術機甲連隊の受け持ち戦区まで押されていた。

そして撤退戦の最中、目前で部下の中隊長を一人失った。
第3中隊長の伊崎真澄大尉は、崩れそうになる部隊の先頭に進出し、部下を叱咤激励しつつ奮戦する途中に、光線級のレーザー照射の直撃を受けた。
今は早坂中佐が、中隊長亡き後の第3中隊を直率している―――指揮小隊を入れても、9機しかいない。

『大隊長、防御布陣完了です』

網膜スクリーンに部下の一人、第2中隊長である長門大尉の姿がポップアップする。 この騒ぎの中、最も早く冷静に状況を把握した男だ。 
あの初期の混乱の最中、『海岸線は駄目だ! 山腹に退くんだ!』と、この男の咄嗟の声が無ければ流石の歴戦連中でさえ、一瞬の隙を見せたであろう。

「生き残りは、どの位になった?」

途中で合流出来た友軍の数は、少ない。

『・・・ウチの1中隊(水嶋大尉指揮)が6機、自分の2中隊が7機。 指揮小隊と3中隊合わせて9機の、大隊戦力は22機です。
他に3大隊の2個中隊と指揮小隊。 宇賀神少佐が5機を直率しています、和泉大尉の中隊は7機、間宮大尉の隊が6機で18機です』

第2大隊は行方が判らない。 第141戦術機甲連隊は、把握出来ているだけで僅か40機にまで減少してしまった。

『3大隊の古村大尉が、戦死したと。 損傷した部下の機体を庇っての戦闘中、背後から要撃級の一撃を管制ユニットの真後ろに受けたと・・・』

声に悔しさが滲むのが判る。 確か古村は、長門の同期生だったな。 ならば、余計か・・・

戦車級の群れに36mm砲弾を1連射、赤黒い霧のように霧散する。 
しかしまだ突撃級と要撃級がそれぞれ数百体、小型種が数千体は居る。 そして・・・

「あの4か所の重光線級、あの連中を、どうにかせねばな・・・」

今丁度、残存部隊は六甲ケーブル直下に集結している。 
第3大隊長の宇賀神少佐が部隊を纏め、後は噴射跳躍ひとつで稜線を飛び越せば、そのまま山間部を利用して後方へ脱出できる・・・ 筈なのだ。

『合計で14体・・・ 周囲の光線級も30体程おります、最初の一撃で全ての機体が狙い撃ちにされます』

長門大尉が忌々しげに応える、そう、あの光線属種を何とかしなければ、今の集結地点から一歩も動けなず、ジリ貧に陥ってしまう。
早坂中佐は比我の位置関係を戦術MAPで確認した後、直率する部下の機体ステータスをチャックする。
無言で何度か頷き、秘匿回線で直属の部下に通信を入れる。

「おい、宮永、斎藤、松田。 貴様等、俺と付き合わんか?」

呼ばれた3人の衛士の姿が、網膜スクリーンにポップアップした。

『ここで置いてけぼりは、恨みますよ、中佐』

宮永総次郎中尉が答える。

『・・・ひよっこ共を守るのも、古参の役どころですからな』

斎藤信義中尉が、乾いた笑みを浮かべた。

『もうかれこれ10数年、中佐と一緒でした。 最後までお供しますよ』

松田三郎中尉が、にこやかに答える。

その顔を見て、感謝と自責と、そして静かに覚悟を決めた表情で笑い、早坂中佐は後方で生き残りを纏める宇賀神少佐を呼び出した。
何事かと訝しげな宇賀神少佐の姿を網膜スクリーンに認め、その顔に未だ諦めの表情が無い事に嬉しくなってくる。 この男も流石の、歴戦の古参衛士だったのだ。

「宇賀神君、君は生き残った若い連中を引き連れて脱出してくれ。 時間は俺が、直率の連中とで稼ぐ」

その一言で、宇賀神少佐は全てを悟ったようだ。 一瞬無言で絶句したが、直ぐに表情を引き締めて答えた。

『・・・了解です、長らくお世話になりました、早坂中佐』

その通信に、若い声が割り込んできた。

『中佐、4機だけでは早々時間も稼げません。 自分の中隊もお供します』

長門大尉だった。 その若々しい、そしてこの場に有っても絶望を感じていない、静かに自信に満ちた顔。
この男は、今のこの状況で有っても何とか戦い、そして生還しようとしている、そう出来ると自分を信じている。

「・・・残念だが、長門。 ここは大人の宴会場だ、20代の小僧は出入り禁止なのでな」

『確か、宇賀神少佐も30の声を聞いた筈ですが?』

「貴様の様な気の強い小僧を、引き留めて引率する大人も必要と言う訳だ。 良いから聞き分けろ、坊主」

ムッとした表情を見せる長門大尉。 それはそうだろう、彼とてもう6年も戦場で暮らしてきた歴戦の衛士で指揮官なのだから。
しかし、そう、しかしだからこそ、彼の様な実戦経験豊富な若い指揮官が、今後はずっと重要性を増す。 彼はこれからも、生きて戦って貰わねばならない。
ふと思い出す。 この若い大尉と初めて出会ったのは、何時の頃だったか・・・ ああ、92年、満洲。 自分はまだ大尉で、この青年は未だ少尉だった。

「聞き分けろ、長門大尉。 俺の機体の跳躍ユニットは、既に左右共に死んでおる」

『ッ! 中佐・・・』

長門大尉の絶句が聞こえる、同時に直属の部下達の声が通信に流れた。

『ついでに言えば、俺の機体は跳躍ユニットの推進剤切れだ。 斎藤の機体は左がオシャカで山頂まで跳躍出来ないし、松田は推進剤切れの上に右がやられている』

『と言う訳でな、長門大尉。 お子様は大人しくお家に帰ってくれ』

『じゃないと、引率の大人としてはだな、気が気でないんだよ』

宮永、斎藤、松田の3中尉が、おどけた口調で実情を話す。 その言葉を耳にした長門大尉が、悔しそうな声を絞り出す。

『・・・宮永さん、斎藤さん、松田さん・・・ それって、卑怯だぞ・・・』

その悔しがる若い長門大尉の顔を見つつ、早坂中佐も、宮永中尉も斎藤中尉も、そして松田中尉も、年の離れた負けん気の弟を見る様な表情で微笑む。
そして早坂中佐が、改めて宇賀神少佐に向かって『命令』を発した。

「宇賀神少佐、連隊最先任指揮官として命ずる。 残存全戦力を率い、後方へ後退せよ。 我々が恐らく最後尾だ、まだ291も181も幾らかは生き残っているだろう。
彼等と合流せよ、合流して継戦を果たせ。 ここでくたばる事は許さん、いいな?」

『・・・宇賀神少佐は、残存部隊を指揮の上、後方へ後退。 友軍との合流を果たした後、継戦を続行―――命令、受領しました。
長門大尉、貴様は私の下に付け。 中佐の指揮していた5機、貴様に預ける。 いいな?』

『・・・少佐』

『伊崎大尉・・・ 貴様の同僚で、後輩が死を賭して守った、その部下達だ。 貴様、まさか放っておくとは言わぬだろうな?』

『ッ! ・・・了解!』

悔しげな表情の長門大尉が、それまで早坂中佐の指揮下に入っていた第3中隊の生き残り5機を、自分の中隊の指揮下に纏めて後方へと下がってゆく。
その姿を見ながら、早坂中佐が宇賀神少佐に最後の通信を入れた。

「すまんな、宇賀神君。 岩橋君(第2大隊長・岩橋譲二少佐)の所在も知れん、君に全てを託す」

『・・・お任せ下さい』

「ああ、それとな、もう一つ・・・ 生きていたら、広江さんに謝っておいてくれ。 悪いが、先に楽隠居させて貰うとな。 ま、彼女がくたばるとも思えんが」

『・・・正直、あの怒声を浴びるのは敵いませんが。 他ならぬ中佐の頼みでは、致し方ありませんな、承知しました』

スクリーンから、宇賀神少佐が敬礼を送ってきた。 視線が少し左右に振れたのは、他の3人の中尉達に対しても敬礼していたのであろう。
感謝の気持ちを込めて、答礼を返す。 そして、お互い笑って通信を切った。


「さて・・・ これまた、盛大に集まったものだな」

『4000体はおりましょうか、しかしいつもに比べれば、大型種の壁はそう厚くありませんな』

目前に集まってきたBETA群を眺めながら、やや呆れた様な口調で呟く。 呆れているのはBETAの数か、それともこれから事を為す自分達にか。

「連中も移動途中だしな、返って幸いだ。 俺が中央右側をやる、宮永は中央左、斎藤は右翼、松田は左翼、いいな?」

『了解、指向性はどの範囲で?』

『重光線級の位置関係から見れば、角度は60度程ですか、距離200から250』

『起爆後の最大有効範囲からすれば、それが妥当か。 どうです? 中佐』

「それで良いよ、じゃ、行こうか」

―――『応』

4機の『不知火』がサーフェイシングを開始した。 後方へではなく、前方のBETA群の真っただ中に向かって。
突撃砲を放ち、36mmと120mm砲弾を見舞う。 近距離から装甲殻を撃ち抜かれ停止する突撃級、胴体をズタズタにされて倒れる要撃級。

部下の機体を見る。 もう10年以上、一緒に戦ってきた部下達であり、戦友だった。

『・・・兵隊から選抜されて、衛士資格試験に受かって。 ようやく准士官に任ぜられた時は、嬉しかったよなぁ』

宮永中尉が、懐かしそうに言う。 長刀で要撃級の前腕を切り落し、返す刀で後部胴体を切り落とす。

『もっとも、その後で待っていたのは鬼の万年中尉殿だった。 正直あの頃は怖かったぜ、この人』

斎藤中尉が笑いながら、突撃砲の120mmキャニスター砲弾を戦車級の群れに叩き込む。

『でもな、休みの度に隊でレス(待合、料亭)に連れて行ってくれたよな、万年中尉殿が先頭に立ってさ。 ・・・正直、嬉しかったよ』

松田中尉が、機体の脚で兵士級の小さな群れを踏み潰す。

その頃の自分は訓練校上がりの衛士で、何かと士官学校出身者を斜めに見ながら燻っていた。
そして軍内部の衛士増強案の一つとして、兵隊から部内選抜で選ばれ訓練を受けたこの3人を部下として任された時だ、小隊長だった。

『ま、そんな隊長と部下だからよ、よく喧嘩もしたな。 訓練校甲種(一般訓練校生)上りの子供や、士官学校上がりのボンボンともな』

『お陰さまで人事に睨まれた。 俺たちゃ、今や立派な万年中尉だ。 30歳なんかとうに過ぎたってのによ』

『お陰さまで、相変わらず中佐の子分だ』

重光線級まで、あと300m
部下の声を聞き、苦笑と共に懐かしさがこみ上げて来る。 些か問題のある部隊では有ったが、代わりに訓練は死ぬほどやった。
お陰で連隊の実機演習では、負け無しの小隊にまでなった。 一時とはいえ、帝都防衛第1聯隊にまで配属された程だった。
その褒美か何かは知らないが、91年の第1次大陸派遣部隊にも選ばれる栄誉を得た。

『そう言えば、長門大尉もようやく聞き分けたな』

『うん、覚えているか? 92年の満洲の事。 丁度さ、92式の戦場運用検証をしていた時期だ。 対抗戦であのひよっこ共に負けたのは、ちょいショックだった・・・』

『あった、あった、そう言えばそんな事が! あれは・・・ 当時の長門少尉に? ああ、伊達少尉に神楽少尉、それに周防少尉だったか。 今は181の中隊長殿だ』

『・・・嬉しいねぇ、あの、ピヨピヨのヒヨコだった新米少尉達が、今や中堅の大尉で中隊長殿かい』

思う事は皆、同じか。 あと240m、左翼の松田中尉の前進が止まった。 大型種に阻まれ、これ以上の前進が出来ないでいた。

「松田、少しだけそこで頑張ってくれ」

『ういっす』

疲労からだろうか、体が重い。 そう言えば自分も来年は42歳になる、立派な厄年だ。 
戦術機に乗って早21年か。 生きていたとしても、今年一杯で降ろされる羽目になるだろうな。 もう正直、昔の様には体が言う事を聞かない。 
ひと戦闘やらかした後は、翌日に疲労が溜るのを自覚するようになった。 もう10代、20代の若い連中と同じにはいかない。
しかし戦術機を降ろされて、後方のどこか場末の基地で細々と定年退官までの時間を潰すなど、到底考えられない。
運が良ければ、訓練校の教官職くらいは回って来るかも知れないが。 やはり自分は戦場に生きたい。 戦場で生きて、戦場で果てたかった。

(―――そう言えば、こいつらも最年長の宮永が37歳、斎藤が36歳。 一番若い松田でさえ、34歳だ―――まれに見る『年寄り小隊』だな)

『・・・どうやら、ここが最後の場所の様です』

右翼の斎藤中尉機の動きも止まる。 突撃砲は既に弾切れで、片腕に長刀、片腕に短刀を保持して近接格闘戦と展開していた―――あと、220m

自分の機体も、3人の部下の機体も、もはや跳躍ユニットが役立たずだ。 六甲の稜線を越すには、主脚歩行でえっちら、おっちらと山登りする羽目になる。
そうなったら、光線属種の格好の的だ。 中腹まで登り切らないうちに、レーザーで蒸発させられてしまうだろう。

『こっちも壁にぶち当たりました、中佐。 ・・・しかし、最後に良い死に場所を得た』

隣の宮永中尉が、会心の笑みを浮かべる。
そう、戦術機に乗り続けて自分は20年以上、部下達も15年から18年ほど。 今まで決して満足のいく戦いばかりでは無かった、負け戦も多かった。
それが、祖国を守る戦いの中、これからも祖国を守ってくれるであろう、年若い連中を生かす為に死ぬのだ。 これ以上の死に場所が、今の日本に有るだろうか。

「むう、こっちもここまでだ。 ・・・俺は、本望だよ」

重光線級まで195m、捉えた。
大型種の壁は相変わらず分厚いが、ここで起爆させればもはや距離は関係無い。

『中佐、全攻撃地点、確保』

宮永中尉の声が弾む。

「ご苦労。 後でな・・・ 向うで、一杯飲ろうか」

その言葉に3人が破顔する。 もう、一切の憂いも見受けられない。 自分はとうとう、結婚をしなかった。 両親は既に他界している、後顧の憂いは無い。

(―――そう言えば、こいつらも俺の悪い所を真似やがったな・・・)

宮永中尉が笑って敬礼をしている。 
斎藤中尉は静かに目を瞑って微笑んでいる。 
松田中尉はどこか楽しそうだ―――この男、BETAを倒す時はこんな表情をする。

「―――よし、S-11、起爆」






後方で強烈な光を放つ光球が4つ発生した。 指向性を持たせたのか、次の瞬間にそれは歪な形の円錐状になって放射していった。

『―――全機、噴射跳躍! 六甲を越せい!』

30数機の『不知火』が、次々と飛び上がる。 恐れていたレーザー照射は・・・ 1本も上がらなかった。

「・・・酷えですよ、中佐。 俺はアンタの背中を、追い続けなきゃならなくなった・・・」

そしてその壁は、決して乗り越えられるものではないと言う事も、長門大尉は背後に拡散してゆく光の帯を見つめながら、気が付いていた。








[20952] 本土防衛戦 京都防衛戦 5話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/01/05 22:42
1998年8月13日 0430 大阪府摂津市


「・・・そうか、早坂さんが死んだか・・・」

広江中佐が、やや茫然とした声で繰り返し言う。 その前には宇賀神少佐が立っていた。

「最後のご命令は・・・ 『継戦せよ』でした」

「うん、あの人らしいな・・・ あの人らしい! 私に全部押し付けて! ご自分はさっさと楽隠居してしまわれた! 全く! 何時もながらあの引き際の良さには、腹が立つ!」

不意に広江中佐が爆発した。 いや、誰もが予想はしていたのだ、こうなると言う事を・・・

「本当に、腹が立つ! ご自分だけ、良い死に場所を見つけてさっさと! 私にこの小僧、小娘共を押し付けて・・・! 助ける為にッ、ご自分が・・・!」

拳をテーブルに叩きつける。 内心の感情が溢れて、コントロールが効かない様子だ。
暫く荒い息で、肩で息をしていた中佐だったが、やや落ち着いきたか声を整え、周囲を見渡して言った。

「・・・残存部隊の統一指揮はこの私、広江直美中佐が執る。 宇賀神さん、岩橋君、森宮君、手助けを頼む」

その言葉に、宇賀神少佐、岩橋少佐、森宮少佐が無言で叩頭する。
大隊指揮官は2人を失った。 141の早坂中佐は戦死。 181の荒蒔少佐は、撤退戦の最中に重傷を負った。

「残った大尉クラスの指揮官は、木伏大尉、水嶋大尉、源大尉、和泉大尉、三瀬大尉の5名が先任クラス。
伊達大尉、神楽大尉、周防大尉、長門大尉、永野大尉の5名が中堅。 葛城大尉、佐野大尉、間宮大尉、美園大尉、仁科大尉が後任。 合計15名」

「古村と伊崎も死んだのか・・・ 先月には、綾森が戦線を離脱してしまった。 それに早坂さんと荒蒔君か、痛いな・・・」

そして各中隊とも、残存機数は6機から9機。 中佐や少佐達の指揮小隊も、自身を入れて2機か3機。

「残存機数は119機です、2個連隊合計で」

「半数を失ったか・・・ 森宮君、291は?」

「さっき確認しましたよ、岩橋さん。 残存4個中隊、こっちも半分以上を失っている。  生き残りは纏めて我々に合流せよと、師団命令が出た」

「29師団は、本隊自体がかなり叩かれた。 残りは軍団予備に回ったらしい」

一度目を閉じた広江中佐が、ゆっくりした口調で3人に言った。

「作戦は、淀川前面を死守しつつ、BETA群を北東・・・ 京都方面に釣り上げる。 もっとも京都まで到達はさせん、淀川沿いを北上する間に、側面から叩き続ける」

京都の西では、未だに第1群が侵入阻止の死戦を展開中だった。

「・・・再編成をする、大至急で。 なるべく今までを弄らない様に」

原隊である14師団、18師団、そして29師団は今現在も、淀川防衛線を死守する戦いに投入されている。
その状況下で、移動は出来ない。 そして各連隊長からは、一部を淀川防衛線に至急回す様にとの命令が出ていた。

「・・・宇賀神さん、アンタの下に長門を入れる、古村の代わりだ。 水嶋と周防、美園の3人で臨時編成の大隊を作る、指揮官は水嶋にさせよう」

大隊と言っても、24、25機程度しか戦術機は無い。

「291の4個中隊は、それぞれ我々4人の指揮下に置く、1個中隊ずつだ。 『不知火』と『陽炎』、機動特性は多少異なるが・・・ 気にする程柔な神経は、持っていないだろう?」

3人の少佐が苦笑する。 そして宇賀神少佐が今後について質問を発した。

「で、都合5個大隊が出来上がりましたが・・・ どう展開します?」

命令では、京阪間を北上するであろうBETA群を、第7軍団と協同して可能な限り叩き、その数を削れ、だった。 しかし同時に、苦戦中の本隊に対する支援も必要だ。 
淀川防衛線は現在の所は8個師団と、洋上の艦隊からの支援でもって、BETAの攻勢正面を固めて何とか維持している。
例え定数を大幅に割った大隊戦力でも、今は猫の手も借りたい程らしい。

「・・・最低でも2個大隊は、本隊の支援に戻らねばならん。 宇賀神さん、森宮君、頼む」

「承知」

「了解しました」

「私の大隊はここ摂津市から、前方の吹田市にかけて布陣する。 岩橋君、君の大隊は対岸への突入阻止だ、淀川南岸の大阪市北東部から守口市にかけて布陣してくれ。
後方には第7軍団の4個師団が控えている、1000や2000、後ろに逸らした所で向うで片付けてくれる・・・ 兎に角、時間を稼ぐ、その時間で可能な限り削り取る」

「判りました」

「水嶋の所は、どの様にしますか?」

宇賀神少佐が、最後に残った部隊の配置を確認する。 暫く考えた末、広江中佐が地図上の1点を指して言った。

「ここに、増援の中韓連合旅団から派遣された戦術機甲部隊が、6個中隊居る。 茨木市だ」

そこは丁度名神高速道路、近畿自動車道が交差する地点だった。 古くは山陽道もそこを通っている。

「橋脚の爆破が進んでいない、下手をすればBETAのご一行様に格好の突撃路を提供する事になりかねん。 今は中国軍の周少佐が指揮を取っている、その下に入れる」

「・・・確か彼女、負傷で戦術機を降りたのでは?」

「指揮車両を、危険な程前面に出しながらも元気一杯だよ、我が朋友は・・・ 周防は彼女と顔馴染みだ、美園も大陸で一時指揮下に入った事がある、大丈夫だろう」

些か呆れた笑みを浮かべ、広江中佐は思う。 
負傷し、疑似生体移植を受け、衛士資格を失い、司令部幕僚に大人しく収まったかと思いきや・・・ 多分、自分と同類の女なのだな、と。
小柄な、しかし生気溢れる活発な友人を思う。 しかしそんな贅沢は一瞬、今はやるべき事が盛り沢山で、食い切れない程だ。

「よし、まずは整備と補給。 整備班の出張サービスは、何時頃になると?」

「1時間後に到着の予定、補給部隊も軍団直轄の連中が来てくれるそうです」

「ん。 では、整備完了と補給を済ませるのに・・・ 3時間?」

「急がせましょう、2時間半。 それと部下達には交替で、食事と休息を1時間づつ」

「判った、それで良いよ。 宇賀神さん、岩橋君、森宮君、君等も交替でな?」












8月13日 0910 大阪湾 米第7艦隊 第75任務部隊 (Task Force 75, CTF-75) 旗艦、BB-67・戦艦『モンタナ』


『第19斉射―――サルヴォー!(斉射)』

『2番艦『メイン』、3番艦『アラスカ』、第19斉射!』

『CTU-752(第75-2任務群)、『アイオワ』、『ニュージャージー』、『グアム』―――第20斉射!』

『4番艦、『ヒュー・シティ』より入電。 VSLにALM装填完了。 巡洋艦、駆逐艦群、ALM発射開始!』

『CTU-753(第75-3任務群)、CTU-754(第75-4任務群)、ALM発射開始しました!』

旗艦の奥深く、CICにまでその砲声が聞こえる様だ。 アメリカ海軍の誇る巨艦群の1隻、そのクラスのネームシップでも有るBB-67・戦艦『モンタナ』
彼女が今まさに、50口径18インチ砲(456mm砲)を放ったのだ。 外部モニターに映し出されている僚艦であり、姉妹艦でもある『メイン』も同様だ。
やや離れた海域では、『モンタナ』に比して小さくは有るが、それでも十分以上の大口径砲である55口径16インチ砲(406mm砲)を『アイオワ』、『ニュージャージー』の両艦が放っている。

やや小振りな、しかし小気味良い砲撃を継続するのはCB-1・大型巡洋艦『アラスカ』と、その姉妹艦であるCB-2・『グアム』の2隻が、55口径12インチ(305mm)砲を放つ。
その周囲では、戦艦群に付き従うタイコンデロガ級イージス巡洋艦、バージニア級ミサイル巡洋艦、アーレイバーク級イージス駆逐艦、スプルーアンス級ミサイル駆逐艦が、VSLから雨霰とALMを発射している。

別の外部モニターに目を移す。 そこには合衆国海軍艦艇―――合理性と機能美を突きつめた艦型の艦艇群―――とは別の艦艇群が映し出されている。
どこかしら、古の古武士の様子を想わせる。 威厳の様な雰囲気さえ、認めるに吝かではないその艦艇群―――日本帝国海軍が誇る、東太平洋での最強艦隊。 帝国海軍第1艦隊。

前代未聞である世界最大の巨砲、45口径508mm砲から、天雷の鉄槌の如く巨弾を叩き込んでいるのは、第1艦隊旗艦である戦艦『紀伊』、そして姉妹艦の『尾張』の2隻。
合衆国海軍の至宝、『ユナイテッド・ステーツ』級が搭載する50口径20インチ砲(508mm砲)より砲長身はやや短いものの、搭載門数は3門多い3連装4基12門。
その2艦に続くのが、就役当時合衆国海軍を恐慌に貶めた巨艦である『大和』級の2隻、ネームシップの『大和』、姉妹艦の『武蔵』
相次ぐ近代化改装により、全くの新型砲となった50口径460mm砲を3連装3基9門の巨砲から、負けじと巨弾を陸上に叩き込んでいる。

更には日本のイージス巡洋艦、ミサイル(打撃)巡洋艦、駆逐艦群からも、中小口径砲の豪雨の様な砲撃と、雨霰とばかりにALMが発射されていた。

日米両艦隊合わせて戦艦が8隻、大型巡洋艦が2隻、イージス巡洋艦10隻、ミサイル(打撃)巡洋艦6隻、イージス駆逐艦17隻、ミサイル(打撃)駆逐艦17隻。
合計60隻にも及ぶ大艦隊、それも『只の大艦隊』では無い。 世界第1位の海軍である合衆国海軍と、今や世界第2位の海軍である日本帝国海軍。
その両海軍が持てる艦隊戦力の主力として位置付ける、世界最強の水上打撃戦部隊―――現代の『アルマダ―無敵艦隊』だった。

「・・・流石に『紀伊』級の砲は規格外ですな、1撃で数百のBETA群が木っ端微塵です」

参謀長が、陸上を映し出した外部モニターを眺めながら、やや呆れた様な口調で呟く。
その呟きに少しだけ肩をすくめながら、CTF-75・第75任務部隊―――合衆国最強の水上打撃戦部隊を指揮する、スコット・ラムディン海軍中将が答えた。

「砲口径では、我が国の『ユナイテッド・ステーツ』も負けちゃいないさ。 ただ、惜しむらくは門数が少し少ない事と、姉妹艦が居ない事だな」

日本の『紀伊』級2隻に対抗して建造された、合衆国海軍最強戦艦である『ユナイテッド・ステーツ』
しかし残念ながら、その建造費用の余りの高額さに2番艦以降の建造計画は、議会の承認を得られなかった。 彼女は孤高の女王として、合衆国海軍に屹立する。

(―――そしてもう1点残念なのは、『ユナイテッド・ステーツ』が大西洋艦隊に配属された事だな)

2年前の4月、第2艦隊配属としてドーヴァー防衛戦で初陣を飾った『彼女』 しかしその時は地上部隊への支援艦砲射撃だった。
その後、ジュニア―――当時の第2艦隊司令長官であった、アレキサンダー・レイモンド・スプルーアンス・ジュニア米海軍中将からは、散々愚痴を聞かされたものだ。

(―――今時、戦艦同士の撃ち合いなど有るまいに。 合衆国最強の戦艦を指揮する事が出来ただけでも、ジュニアは幸運だ)

とは言え、この『モンタナ』も捨てたものではない。 いや、日本の『紀伊』級、合衆国の『ユナイテッド・ステーツ』、この3隻を除けば、『モンタナ』は正真正銘の『ディーヴァ(怪物)』だ。
日本帝国海軍の『出雲』級は、50口径460mm砲3連装4基12門と砲門数で勝り、『信濃』級はカタログ上では、『モンタナ』級とほぼ互角の性能を有する。 
しかし電子戦装備、戦闘情報管制システム、対レーザー防御、そしてダメージコントロール、総合力では『モンタナ』級が上回る。

第7艦隊が紀伊水道を通過し、大阪湾に突入して3時間。 砲撃開始から1時間。 日本海軍第1艦隊と協同しての対地攻撃支援は、想定の効果を発揮し始めたようだ。

「―――ロブリング(テッド・ロブリング海兵中将・第3海兵遠征軍司令官)から連絡は? デューイ(デューイ・ヴァン・ヴァスカーク海軍中将・第7艦隊司令長官)からは何も?」

「先程、『エセックス(強襲揚陸艦)』のCTF-76(第76任務部隊:第7艦隊水陸両用部隊/第7遠征打撃群)から連絡が入りました、海兵第3のジルマー少将(アイザック・C・ジルマー海兵少将)からです。
20分前に『Fighting Third(ファイティング・サード:米第3海兵師団)』が大阪湾沿岸への上陸に成功。 現在は防衛線のボトム・アップ中であると」

「確か陸軍はまだ、第25師団が残っていたな?」

「サー、京都の後背で戦略予備として控えている様です。 あのような事件(『三田事件』、米第2師団が壊滅)の後ですから、流石に日本軍も前面には出せないようですな」

「・・・議会には、日本からの撤兵を主張する声が未だ根強い。 従来の民主党だけでなく、本来対日協同を主張している共和党内からもな」

司令官と参謀長が溜息とも苦笑とも言えない表情をしたその時、通信士官が新たな報告を持ってきた。

「サー! CTF-70(第70任務部隊:空母打撃任務部隊)からです。 『0930、矢を放つ』―――以上で有ります」

「ん、ご苦労」

通信士官が敬礼をして下がる。 ふむ、そろそろ本格的な攻勢防御を開始する時か。

「・・・第1派は、海賊どもですか」

「それにぶっ壊し屋と、鉄壁のクォーターバックだね」

「期待出来そうですな、我が海軍の誇るオフェンス・ラインです」

「ファースト・タッチダウンは陸軍でも日本軍でも無く、我々が貰うとしよう」

「・・・『Anchors Aweigh』、まさにその様に」

合衆国海軍行進曲、『Anchors Aweigh(錨を上げて)』
1906年、アナポリス(米海軍兵学校)が、ウエストポイント(米陸軍士官学校)とのフットボール対抗戦で10対0の圧勝を収めた。 その時に初めて外部に演奏された、記念の曲だ。
そして今日のこの日、合衆国海軍は陸軍にも、日本陸海軍にも先立って、BETAに勝利を収めるだろう。 まさに『Anchors Aweigh』の如く。











8月13日 0920 大阪府大阪市北東部 淀川河川敷


対岸に現れた光線級、間には淀川の流れだけ、このままでは格好の的だ。

「下がれ! 一旦堤防の向こう側まで下がりなさい!」

永野蓉子大尉が、部下に向かって大声を上げる。

『ッ! 永野さん、左翼に突撃級!』

咄嗟に佐野慎吾大尉の声。

『永野! 危ない!』

これは先任である、三瀬麻衣子大尉の声か。

咄嗟の回避。 慌てて部下に退避を指示していた永野蓉子大尉だが、その時に崩れた大橋の残骸を乗り越え、突進してきた突撃級に一瞬気付かなかった。

「くっ、くそっ・・・!」

次の瞬間、機体のほんの数m先を突撃級が、掠める様に突進し過ぎさる。 咄嗟に機体を捻り、その突撃を交した永野大尉は突撃砲を反射的に放っていた。
36mm砲弾の連射で、突撃級の柔らかい後部胴体が吹き飛ばされた。 しかしまた後続の突撃級!―――隣で突撃砲が火を噴き、120mm砲弾の近距離射撃で装甲殻に大穴があく。
バックアップに入っていた『陽炎』の1個中隊―――291連隊の行き残り中隊が、突撃砲を両手と背部兵装ラックからも前面に展開し、全機が4門をフルに使って掃射する。

『中隊長! 今の内です、早く!』

エレメントを組む部下が、間一髪で突撃級を始末したのだ。 大急ぎで短く噴射跳躍をかけ、素早く堤防を盾にする―――機体は膝立て姿勢だ、まともに戦闘は出来ない。
機体ステータス・チェック―――OK、損傷は無い。 残弾確認―――まだ大丈夫、それに背後には補給コンテナも幾つかある。
部下は?―――残存6機、朝から2時間程の戦闘で、1機を喰われた。 今は4機と3機の変則2個小隊編成。 部下のバイタル・チェック―――OK、異常無し。

『・・・手詰まりだな』

上官である大隊長の岩橋譲二少佐が、忌々しげに呟く。 対岸に光線級に陣取られてしまった、このままでは頭を上げる事さえ出来ない。
そして南西―――大阪市内方面からは、続々とBETAが北上を開始し始めていた。 誘因作戦が功を奏しているのだが、逆に大隊は今までに無い圧力を受け始めていた。

≪CPより『アルヴァーク』リーダー! 東淀川区から北東へ移動中のBETA群、約4500! 他に一部が渡河! 『ライトニング』、『ホーネット』が殲滅戦を展開中ですが・・
約2500! 都島区から旭区に到達! 河川敷を北東方向に向けて移動中、速度を上げています!≫

BETAが2500! このままでは中隊の左側面を直撃されてしまう、しかしこっちは対岸の光線級が邪魔で・・・ 畜生!
やがて、土煙を盛大に上げてBETA群が姿を現した。 戦闘は突撃級、後方に要撃級も確認出来る。

『・・・大隊、戦闘態勢! アルヴァーク・リーダーより『雷神(第3砲兵連隊第3大隊)』! 面制圧砲撃要請! ポイントゴルフ・21、東淀川の河川敷一体だ!』

数瞬の空電、そして砲兵部隊から応答があった。

『こちら『雷神』! 無理だ、FH70(155mm榴弾砲)も、MLRSも、配達先が手一杯でそちらまで回せん!』

『何とかならんのか!? こっちは光線級に頭を押さえられている! BETA群が2500、直ぐそこまで接近中だ、このままじゃ随分と楽しい事になってしまう!』

『こっちだって支援してやりたい! してやりたいんだが・・・ おい、違う! 3中の目標は、ポイントジュリエット・09だ!』

頼みの面制圧砲撃が来ない、大隊長と砲兵部隊管制官との通信を聞いていた永野大尉は、一瞬目前が暗くなった気がした。
手詰まりだ、本当に手詰まりだ。 南へ戦線を移動する事は出来ない、精々直ぐ南の国道1号線のラインまで。 そこから数100m南の私鉄駅には、まだ避難民がいる!
ここが正念場―――知らず、操縦スティックを握る手に力が入る。 スキン・スーツ・グローブの下で汗がにじむ。 正面を見据え、攻撃のタイミングを計る・・・

『≪アルヴァーク≫! 10秒持たせろ! ≪ゲイヴォルグ≫制圧支援全機、兎に角ありったけ前に撃ちこめ! 木伏、神楽、両翼任す! 指揮小隊、大友大尉(291連隊)、続け!』

唐突に僚隊の指揮官の声が聞こえた。 181の先任大隊長、そして今現在は141、181、291の3個戦術機甲連隊の生き残りを統一指揮する、広江中佐だった。
網膜スクリーン、そのサブスクリーンを呼び出す。 見ると淀川の対岸、北東の摂津市から東淀川区の河川敷に向けて、20数機の戦術機がサーフェイシングで突入してくる。

数10発の誘導弾が白煙を引いてBETA群へ向かっている、案の定、迎撃レーザー照射。 しかし全弾が落とされた訳ではない。
何割かは生き残り、そして光線級の頭上や地表近くで炸裂した。 爆風に吹き飛ばされる光線級が見えた、他の小型種も。

『よし、今だ! ≪アルヴァーク≫全中隊、攻撃開始!』

岩橋少佐の号令に、それまで頭上を光線級に抑えられていた大隊の戦術機が一斉に飛び出した。
早く片付けなければ。 こちらはBETA群2500、しかし対岸の『ゲイヴォルグ』大隊の正面には、大型種と未だ残っている光線級を含め、4500近いBETA群が居る!

『―――中隊全機、一旦南の国道まで下がる! そこから南西に迂回、マンション群を盾にして一気に北西へ! BETA群の後ろに回る! 続け!』

まだだ、まだ間に合う、まだ何とかなる―――ここは通さない!










8月13日 0930 和歌山 紀伊水道南方 田辺沖 米第7艦隊 第70任務部隊 (Task Force 70, CTF-70) 旗艦、CVN-70・戦術機母艦『カール・ヴィンソン』


海面は多少荒れ始めていたが、それでも太平洋の真ん中の荒波に比べれば『さざ波』と言った所だった。
フライト・デッキの前半分―――前部カタパルト・デッキの後ろに、10機のF-14D『トムキャット』が並ぶ。 2機は既にカタパルトに具え付けられていた。
右舷艦尾近くに比較的コンパクトに纏められた艦橋構造物―――アイランドの頂点から『神託』が下る。 さあ、出撃だ。 地獄の大釜に向けて。

『エア・ボス(飛行長)より“Diamondbacks”(ダイヤモンド・バックス:VFA-102 第102戦術攻撃戦闘隊)、発艦を許可する。 オーヴァー』

『ダイヤモンド・バックス・リード、ラジャ。 リードより発艦する。 オーヴァー』

『OK、ダイヤモンド・バックス。 “QB”、見事なタッチダウンを期待するぞ。 ファースト・タッチダウンを奪い取れとの、司令官のお言葉だ』

『こちら“QB”、受け手による』

『はは! “RB”は“Dambusters”(ダムバスターズ:VFA-195、『ドワイド・D・アイゼンハワー』)、“WR”は“Jolly Rogers”(ジョリー・ロジャーズ:VFA-103、『セオドア・ルーズベルト』)だ、文句は有るまい?』

VFA-195にVFA-103。 ふむ、タッチダウンを取るのに、ランでもパスでも自由自在。 歴戦の僚友達だ。

『OK、エア・ボス。 見事に決めてきますよ』

『グーッド! 全員帰還しろよ? でないと軍法会議に送ってやるぞ?』

飛行長のセリフに、指揮官―――グイド・マクガイア少佐は思わず苦笑する。 『帰還せず』とはすなわち戦死と同意だ。 今更、軍法会議も何もない。
飛行長の声に滲んでいた含み笑いが全てを物語っていた。 “全員、何としても無事に戻って来てくれ” 彼の本心だろう。 勿論『タッチダウン』を決めてだ。

網膜スクリーンの中、イエロージャケットの誘導員が誘導方向に合図を送っている。 指揮官は戦術機の右腕をL字に曲げ、上下に振る―――脚部ロックを外せ。
誘導員は注意深く主脚に取り付けてあったロック解除ボタンを操作し、固定が外れたのを確認。 元の位置に戻り、右腕を水平に伸ばしてサム・アップする。
そして別の誘導員を指し示す。 誘導引き継ぎ。 誘導員が両腕を肘から先だけ上に曲げ、前後に揺らす―――前進せよ。

『タキシング―――デッキ・アプローチ』

誘導員の指示に従い、機体を発進甲板前部に設けられた2基のカタパルト、その左舷側真後ろへ進入さす。
すると今度は、レッドジャケットの兵装要員が機体各部の目視点検を行う。 搭載装備―――問題無し。 機体状態―――問題無し。
兵装要員が機体から離れるのを確認したグリーンジャケットのカタパルトクルーが、射出重量の書かれたボードを操縦衛士とカタパルト・コントロール・ステーションに示す。

『・・・チェック。 NAVI?』

『チェック、サー。 FCS(火器管制システム)、NDB(航法管制システム)、オール・グリーン。 LINK-11、チェック―――OK』

後席から柔らかい声が聞こえる。 後席のRIO(航法・火器管制担当衛士)の女性衛士、レティシア・バレーヌ中尉が鼻にかかった甘いフランス訛りの英語で報告する。
その声に、いい年をした30男が毎度毎度・・・ と苦笑しつつ、マクガイア少佐は網膜スクリーンの機体情報エリアからその数字を確認する。 
そしてボードとスクリーンの情報エリアに表された数字が、一致している事を確認した。機体の右腕を前に突きだし、肘から先を2度、上に曲げて同じ値である事を合図する。

カタパルト・オフィサーが少佐とコントロール・ステーションの確認を取り、この重量に合わせたカタパルト蒸気圧をセッティングする。
先ほどとは別のカタパルトクルーが、制御用のトレイルバーを主脚につける。 少佐はスティックの別のボタンを押し、機体のランチバーを下ろす。
カタパルトクルーがこれを、カタパルトシャトルのスプレーダーにくわえ込ませる―――発艦準備が完了した。

JBD(ジェット・ブラスト・ディフレクター)が立つ。 カタパルト・オフィサーが右手の人差し指と中指でV字を作って合図する。 
常用定格推力(ミリタリー推力)―――A/Bを使用しない最大推力だ。 指揮官はスロットルをミリタリーまで押し込む。 2基のF414-GE-400が咆哮を上げる。
推力値を確認し、異常が無い事を確かめ、網膜スクリーンに映るカタパルト・オフィサーに大きく敬礼を送る。

これを合図に、カタパルト・オフィサーが大きく脚を曲げ、甲板に倒れ込むようにしながら手を振りおろしカタパルト操作員に合図を送る。
カタパルト操作員が射出ボタンを押し―――カタパルト作動―――射出。 機体は僅かの間に充分に加速され、猛烈なGを衛士に加えながら中空へと舞い上がってゆく。


『んんっ・・・ くうう・・・』

後席から悩ましい声が聞こえる―――まったく、何時まで馬鹿の事を考えている、俺は。
暫く上空旋回を続け、部下の発艦を待つ。 数分後ようやくF-14D・12機、全機の発進が終わった。 空中集合を命令する。

『NAVI―――レティ、“RB”と“WR”は?』

務めて内心を隠した声で、後席に指示を出す。 ようやくGの呪縛から解放されたバレーヌ中尉が、後方スクリーンを呼び出し確認した。

『・・・“RB”、≪ダムバスターズ≫、 “WR”、≪ジョリー・ロジャーズ≫、発進完了。  定位置に着きます』

『よぉし、“RB”、ウィンクラー! “WR”、アイマール! このままJIN(日本帝国海軍)とのランデブー・ポイントまで直進する!』

左右後方の僚隊指揮官に告げる。 第1次攻撃隊の指揮官は、マクガイア少佐が指揮する事になっていた。
“RB”、≪ダムバスターズ≫指揮官・レイモンド・ウィンクラー少佐、“WR”、≪ジョリー・ロジャーズ≫指揮官・ジョゼフ・アイマール少佐から了解が入った。
ただしウィンクラー少佐からは、一言苦情が。

『ヘイ! “QB”、グイド! 何時も言っているだろう!? 俺は“ウィンクラー”じゃ無い! “ヴィンクラー”だ! いい加減に発音を覚えろ!』

ドイツ系のレイモンド・ウィンクラー・・・ ライムント・ヴィンクラー少佐が、うんざりした声で抗議する。
笑い声が通信回線に溢れかえる。 もっともウィンクラー少佐の抗議に耳を貸す者などいない、これは言わば何時もの“儀式”なのだから。
何時もの儀式を終え、紀伊水道上空に突入する。 そろそろ『危険な』空域だ、戦艦群が相手をしているとはいえ、何時なんどきレーザー照射を喰うか判らない。

『≪ダイヤモンド・バックス≫リーダーよりオール・アタッカーズ、高度を下げろ、エンジェル500(高度500フィート:約150m)』

機体姿勢を変え、降下角度を取った36機のF-14Dは、やがて高度500フィートで熊野灘上空を駆けていった。











8月13日 0935 大阪府大阪市北東部 淀川河川敷


『―――むん!』

長刀の一振りで、要撃級の後部胴体が切断された。 その勢いをそのままに、反動を付けて逆に振り切った。 もう1体の要撃級の前腕を切断する。

『ふう、はあ、ふう・・・』

息が荒い、喉が焼ける様だ。 情けない、息が上がりそうだ。 私ももう年かな? 何と言っても、もう30歳を過ぎた。 子供さえいる母親だ。
広江直美中佐は内心で自嘲とも、苦笑とも言えない換装を抱きつつ、戦場を睥睨する。 部下達はよく戦っていた、半数近い戦力にまで落ち込みながら、それでもまだ踏ん張っている。

『木伏! 葛城! 左右を固めろ! 国枝大尉(291連隊)、後ろ任す! 神楽、次が来るそ!』

『中佐、全面は私が!』

神楽大尉の機体が前に躍り出る。 まるで軽やかな舞踊を舞っているかのように、機体の慣性を利用して次々にBETAをその長刀で屠ってゆく。
彼女の部下が隊長機に続行する、この中隊は特に近接格闘戦をやらせれば、連隊で1番の実力を持つ隊だ。

『取りこぼしが有ろうかと! それを頼みます!』

凛とした声、相変わらず戦場でも、その雰囲気を壊さない女だな―――うん、佳い女になったな、神楽。
左右で木伏大尉と葛城大尉の中隊が、それぞれ阻止戦闘を行っている。 木伏大尉の中隊は神楽大尉の所に似ている、近接戦が主体だ。
葛城大尉の中隊は、どちらかと言えば2大隊の周防大尉の隊に似ているか。 機動力を駆使した近接砲戦が得手だった。
後方で291連隊の生き残り、国枝大尉の指揮する6機の『陽炎』が、4門の突撃砲を全て全面展開して、すり抜ける小型種に猛射を加えていた。

少しだけ息を整える、もう4時間以上戦い詰めだった。 流石に一息入れねば、酸欠で戦闘指揮まで頭が回らない。
実際には、整備・補給に要した明け方の2時間半以外、昨日の1600時からすっと戦い詰めだ。 そろそろ機体も、部下達も限界が近い。
無茶は承知、だが無理はしなくても良い、無謀は言語道断。 部隊の後方には、まだ第7軍団が控えている、第5師団が摂津市に入った。
その後方には第20師団が控えている、自分の役割は少しでも長く戦力を維持しつつ、京都方面へ北上するBETA群の数を削り続ける事。

対岸では森宮少佐の大隊が約2500のBETA群を相手に、支援砲撃も無いまま良く奮戦している。 向うは光線級が存在しない様だ、任せていても良かろう。
それにさっき、朗報が入った。 第7軍団から1個師団、第27師団が淀川を渡河して南岸に入った。 今は寝屋川市内だ、これで対岸にも後詰が出来た。


もう一度戦場を確認する。 神楽大尉の中隊が正面で大型種の相手をしている、余り突っ込み過ぎないよう、見張っておかねば・・・
両翼は? 左翼で木伏大尉の部隊が、淀川に入ろうとするBETA群を狙い撃ちしている、こちらは流石、危なげない。 
右翼で葛城大尉の部隊が、側面を突いた。 要撃級の1群がそれにつられ向きを変える―――神楽大尉の部隊がそこを突いて突っ込む。

後方から『陽炎』が6機、短距離噴射跳躍で一気に右前方に展開して行った。 国枝大尉の部隊が、右翼の更に右から迂回して、光線級の群れに急速接近する。
『仲間』と、葛城大尉の部隊がスクリーンになったのか、光線級はまだ気付いていない。 よし、そのまま・・・

その時、CP将校である江上聡子大尉の声が耳を打った。 

≪3時方向、内環状線道路上に重光線級3体! 照射危険範囲です!≫

咄嗟に頭を振る。 同時に網膜スクリーンの映像が連動して、『真横の』光景が飛び込んできた。 道路上に禍々しいその姿が見えた、あれか―――よし!

『―――指揮小隊、続け! 重光線級を狩る!』

その声と共に、広江中佐機を先頭にして指揮小隊の生き残り2機が続く。 
まだ重光線級はこちら気にづいていない、その内に距離を詰めなければ。

『な、何やて!? 無茶や! 中佐、そら無茶や!』

『中佐、引き返して・・・! むう! 中隊、続け!』

『神楽、馬鹿者! そこを放棄するな! 木伏、一時指揮を任す!』

む―――拙い、気付かれた。 3体の重光線級、そのレーザー発振器官がこちらを見据えていた。 途端に響き渡る、レーザー照射注意警報。 重光線級が照射準備態勢に入った。

『くっそ! 制圧支援機、まだ誘導弾は残っているか!? 残っている!? 木伏さん、神楽さん、支援はこっちで! 国枝さん、後頼みます!―――全弾発射だ! 中佐を支援しろ!』

『頼むで! 葛城!』

管制ユニット内に鳴り響く、レーザー照射の予備照射警報。 頭上を飛び去る誘導弾―――果たして、間に合うか?
距離1000、突撃砲の120mmを撃ち放つ。 意外に重光線級は防御が固い、この距離では射貫は無理か―――構わない、このまま距離を詰める!
跳躍ユニットを吹かし、一気に水平噴射跳躍をかける。 部下の2機も追従している。 問題はタイミングか・・・!

『ッ! 予備照射が終わる! 跳べ!』

道路上を突進して来た3機が咄嗟に片方の跳躍ユニットを閉塞し、その急激なモーメントで方向転換をかけるのと、重光線級からレーザーが照射されるのと、ほぼ同時に見えた。
最後の120mm砲弾が放たれる、急激な機体制動を行ったに関わらず、ロックオンは外していない。 重光線級のレーザー発振器官が光った気がした―――衝撃が走った。










8月13日 0940 和歌山市沖 紀伊水道 和歌浦湾上空


『・・・おい、見ろよ。 ごっつい眺めだぜ・・・』

≪ダイヤモンド・バックス≫のA小隊3番機・アルファ03、ロナード・フォックス少尉の声が聞こえた。 確かに『ごっつい』眺めだった。
大阪湾北部一帯に布陣する米日双方の巨艦群が、一斉に砲火を吐き出し、巨弾を陸上に叩き込んでいる。
少しのタイムラグで、地上にとてつもない火柱が上がる。 弾着したのだ。 そして50隻以上の巡洋艦・駆逐艦からは、中小口径砲が間断無く火線を送り続ける。
更にはVLSからは、ひっきりなしにALMが白煙を上げて放たれている。 その数は数百本も有ろうか。

そして東方に目を向ければ、陸上部隊―――砲兵部隊が203mm、155mmと言った野戦重砲(海軍で言えば、中口径砲だが)を多数、連続砲撃で面制圧砲撃をしかけている。
発射の際の白煙と、着弾の際のドス黒い土煙。 MLRSからはVLS同様、誘導弾が発射されている。

しかしその無尽蔵とも思える砲撃も、沿岸部から撃ち上げられるレーザー照射に絡め取られてゆく。 
不謹慎だが、美しいとさえ思える純白の光線が乱舞し、所々で赤い爆発の火球が発生する。
突き抜ける様な真夏の青い空、その下に暗灰色の重金属雲が発生していた。
その重金属雲の下で煌めく無数の砲火、時折小さく戦術機が跳躍する様まで確認出来た。

突然、通信回線に英語が入ってきた。 少し発音が変だが、正しいクィーンズ・イングリッシュだ―――嫌味な野郎だ。

『・・・ごっつい眺め、か。 確かにね! では―――ようこそ、地獄へ! 楽しいパーティーさ!
日本帝国海軍第205戦術機甲戦闘攻撃隊(VFA-205)指揮官、長嶺公子少佐だ。 まずは私がパーティー会場まで、エスコートするよ!』

同じく紀伊水道に展開する、日本帝国海軍母艦任務部隊から発進した、戦術戦闘攻撃部隊だった。 その指揮官と思しき衛士の姿が、スクリーンにポップアップする。
誰かが口笛を吹いた―――訂正、『野郎』では無い。 多少年は喰っているが、それでも十分魅力的な、妙齢のレディだった。
米海軍でも、女性衛士は存在する。 事実、後席のバレーヌ中尉がそうだ。 しかしそれは近年になってからの話で、実は大尉以上の指揮官に女性衛士は存在しない。
故に米海軍衛士にとっては、女性指揮官―――それも女性の海軍衛士少佐と言う存在は、全く珍しい存在だった。

瞬く間に、日本海軍の戦術機部隊が集合する。 3個戦闘中隊規模、36機。 マクガイア少佐は、その機体にまず関心が行った。

『・・・リュテナント・コマンダー・ナガミネ。 その機体は・・・ タイプ96か?』

タイプ96―――96式戦術歩行戦闘攻撃機『流星』 日本海軍が独自開発を行い、2年前から配備を進めてきた、第3世代戦術戦闘攻撃機だ。
米海軍が運用するF-14D、F-18Eはいずれも第2世代か、第2.5世代―――準第3世代機だった。 
それ故に純然たる第3世代機、それも艦上戦術機の開発・運用を行っている日本海軍の戦術機情報は、実は喉から手が出るほど欲しい情報だった。

『そうよ、マクガイア少佐。 ・・・残念ながら、寝物語でもこの機体情報は呟けないわ、ゴメンね?』

『・・・そいつは、残念』

その言葉に、部下達が一斉に笑う。 マクガイア少佐が敬虔なクリスチャンであり、ホノルルの官舎には、彼が愛してやまない愛妻と愛娘がいる事を知っているからだ。

『ご歓談中、失礼します、長嶺少佐。 そろそろポイントデルタ4―――変針点です。  右2時方向、和泉山脈。 金剛山を確認』

後席のRIO(火器・航法管制衛士)である、宮部雪子海軍大尉だ。 
大陸での初陣で撃破され、救助された際に泣きじゃくっていた新任少尉も、もう立派に歴戦の大尉になっていた。
米軍部隊から、誰かが口笛を鳴らしたのが聞こえた―――こちらはこちらで、まるで『日本人形』の様なジャパニーズ・ビューティだ。

『・・・ちっ、猫被りやがって・・・』

『何か?』

『何でも無いよ! 宮部、他の隊は? ちゃんと付いて来ているでしょうね!?』

そんな指揮官の我儘(?)にはすっかり慣らされた―――もうコンビを組んで4年だ―――宮部大尉は、そんな指揮官の様子を無視して報告をする。

『ご心配無く、皆、優秀ですから・・・ ≪ドライドン≫、≪ネプチューン≫、共に続航中です』

通信回線に忍び笑いが聞こえる。 VFA-207、≪ドライドン≫の鈴木裕三郎大尉、VFA-209≪ネプチューン≫の加藤瞬大尉だった。 彼等ももう4年来の部下達だ。
鈴木大尉の96式『流星』が微かに片腕を振って『問題無し』と合図を送って来る。 加藤大尉の機体もまた同様に―――古参連中は、これだから可愛くない!

『・・・ふん、マクガイア少佐、それに他の紳士淑女かぶれ! ここから一旦山脈の南を通って、奈良盆地の上空に入るよ。 そこを真っすぐ北上、生駒山地を隠れ蓑にしてね。
京田辺の辺り・・・ ポイント・ブラヴォー17で一気に西に変針、淀川沿いに南西へ突入! 守口の上空辺りで、フェニックスと95式誘導弾をありったけぶっ放す!
悪いけど、今回はギリギリまで突っ込むよ! 米軍お得意のアウトレンジ攻撃は無し! 戦線が入り乱れている、友軍誤射だけは避けたいからね』

『―――ウィルコ』

『ん。 で、その後は来たコースを逆戻り! ああ、そうだわ、M-88(M-88支援速射砲)持っているわね? そっちも。 じゃ、帰り道で適当に全弾ばら撒いて。 OK!?』

『了解!』

『イエス、マーム!』

その唱和に、ようやく長嶺少佐も破顔した。

『よぉし! じゃ、行くよ! 付いてきなさい!』

96式『流星』36機、F-14D『トムキャット』36機、合計72機の打撃戦力がBETA群の裏をかく為に、機体を急角度で変針させていった。







[20952] 本土防衛戦 京都防衛戦 6話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/01/15 17:06
1998年8月13日 1015 大阪市東淀川区付近


周囲にBETA群が集まってきた。 定数大幅割れの2個大隊―――実数では1個大隊程か?―――が、サークル・ワン陣形を取る。
中央にはダウンした機体が数機、それを守る様に円周陣形で防御戦闘を展開している。

『ごっ・・・ ごふっ・・・』

『・・・まずい、中佐のバイタルが低下! 早く後方に下げないと・・・!』

『包囲網を突破出来ん! 光線属種がまた・・・ くそう!』

突撃砲が唸る、36mm砲弾が絶え間なく吐き出され、120mm砲弾が命中した大型種の体表に大穴を開ける。
もう誘導弾は無い、補給コンテナはBETAの群れの中だ。 突破の機会を狙うが、なかなかその機会を掴めないでいた。
突撃級の群れの突進を交し、数機がかりで左右から挟むように突撃砲を放ち、撃破する。
要撃級も同様、小型種は36mmの掃射を数機がかりで薙ぎ払う様に、撃ち込み侵入を阻止する。

≪BETA群、尚も増加中! 約4800!≫

181の第1大隊CP将校、江上聡子大尉の悲鳴のような声が響く。 無理も無い、先任指揮官の広江中佐が負傷、しかもBETA群の重包囲下で脱出もままならない。

≪BETA群、一部が摂津市へ突破! 第5師団、迎撃を開始しました!≫

≪新たなBETA群、約2800! 向かってきます!≫

各中隊のCPからも、次々に戦況の報告が入る―――どれもこれも、悪い方向ばかりだ。

≪141連隊第3大隊、181連隊第3大隊より入電! あと数分で到着予定!≫

『こちら≪ライトニング≫! 岩橋少佐! 木伏! あと3分保たせろ! 森宮少佐!?』

『今、神崎川のラインだ! ≪ホーネット≫が北から突き崩す! 宇賀神さん、岩橋さん、南と東を抑えていてくれ! 木伏! 何とか堪えろ!』

『長門! 貴様の中隊は先行しろ! まずは連中の気を引け、移動速度を落とさせろ!』

増援の2個大隊をそれぞれ率いる宇賀神少佐と、森宮少佐の声も切羽詰まった声だった。

『ゲイヴォルグ』大隊が、円周陣形で辛うじて壊滅を防いでいる。 重光線級を3体始末したとはいえ、その代償が大隊長機の大破破損・大隊長負傷と、指揮小隊の全滅。
ダウンした大隊長機を、後続していた第13中隊長の葛城大尉が指示して、急ぎ回収した。 しかし直ぐにBETA群が迫った為、後送出来ないでいる。

今は淀川北岸に移動した岩橋少佐の大隊が、291連隊の大友大尉、国枝大尉の2中隊を指揮下に入れ、8個中隊―――実質戦力4個中隊で、東への突破を阻止している。
全てを阻止出来る訳ではない、半数以上は突破される。 その半分以上を後方の第5師団が後方で砲火を並べ、迎撃していた。

『しっかし・・・ 元気だぜ、こいつら!』

南から付き上げる様にして、淀川を噴射跳躍で押し渡った長門大尉が、中隊をBETA群の側面に突き入れながらぼやく。
突撃砲を並べ、残存全機の36mm砲の掃射をかけて小型種を掃討する。 ランディングポイントを確保した長門大尉の≪アレイオン≫中隊が、そのまま多角機動で群れの中に突入した。
長刀や短刀は使わない。 只でさえ酷使し続けている機体だ、打撃の衝撃に機体の緩衝機構が保たないかもしれなかった。

『ちっ! アウト・オブ・アンモ!』

残弾が切れた、まだ群れの中だ。 こうなったら近接格闘戦しかない。 しかし今回は長刀を装備していない、両アームから短刀を取り出し装着する。
目前に迫る要撃級、その前腕の攻撃をバックステップで交し、掠め過ぎた前腕を根元から切り落とす。

『く・・・ そったれ!』

アラームがまた鳴り響いた。 機体ステータスを確認するまでも無い、左腕がロックした。 酷使し過ぎた。
部下の機体が中隊長機を中心に、サークル・ワン陣形を取る。 河を渡って間もないと言うのに、早くもBETAの群れの中で孤立状態だ。

『アンタは! 何やってんの!』

北の方角から砲弾が飛び込んできた、1群の戦術機が突っ込んでくる、森宮少佐指揮の1個大隊。 
その先頭を切って突っ込んで来る『不知火』のデータを確認して、長門大尉が呆れたように言う。

『中隊長が、突撃前衛長をしてどうする? 大体お前、突撃前衛の経験は無いだろう!?』

部下の機体の背後から前腕を振り上げる要撃級、その背後に短距離噴射跳躍で迫り、後部胴体の後ろに短刀を突き立てて倒す。

『アンタが馬鹿な事やっているからよ! 馬鹿みたいに乱射して! アンタは直衛か!?』

『・・・あいつが聞いたら、怒るぜ?』

『うるさい! そんな所で孤立して! 私が行くまで死んだら、承知しないからね!』

喚きたてながら、181連隊第32中隊長の伊達大尉が中隊を突っ込ませて来た。 
普段の戦い方とは全く異なる強引さで、BETA群の壁を突き破る。 2個中隊が合流した。

『伊達! そのまま、そこを確保しろ!』

『長門、そのまま待て! 大隊、突入!』

後続の両大隊主力が南北から突入してくる、一時的にBETA群の列が分断される。

『第5師団本部だ、141、181連隊! 15分保たせてくれ! こっちに流れ込んだ個体群を殲滅する!』

『第27師団より、第141、第181連隊! 今より支援面制圧砲撃開始する! 但しこっちも前面にお客を抱えている、1-5-5ホテル(155mm榴弾砲1個中隊)だけだ!』

後方から重い砲撃音、やがて100m程遠方に着弾する。 後続のBETA群が吹き飛ぶ。

『有り難いが・・・ 1個中隊だけじゃ、砲撃力不足だ。 15分、支えられっかね?』

『意地でも支える!』

『・・・愛姫、何でそう気合入っているんだ?』

『アンタが馬鹿な事するからだよ! あんな無茶苦茶な突進! 死ぬよ!?』

伊達大尉が、自機の予備突撃砲を長門大尉機に渡す。 全弾装填済みだ、これで暫くは時間を稼げる。
見ると、円周陣形を敷いた≪ゲイヴォルグ≫大隊も、陣形をウェッジ・スリーに転換していた。 但し、大隊長機を守る様に奥に入れて。
これで4個大隊、定数を遥かに割ったとはいえ、何とか生き残れそうか?

『許さないからね! 私をその気にさせたんだから! 死んだりしたら、絶対、絶対許さないからね!』

『・・・自分の女に守って貰うのって、けっこう新鮮だわ・・・』

『うっさい! 恥ずかしい事言うなぁ!』


だが、所詮は定数を大幅に割った4個大隊に過ぎなかった。 徐々に数を増してゆくBETA群に押され始める。
後方ではまだ、第5師団が全面のBETA群の殲滅を終えていない。 対岸では第27師団が突進して来た新手のBETA群の相手に、手が一杯だった。

『くそ・・・ 第5師団だけじゃ! 後詰の第20師団は!?』

『茨木市方面に行った! あっちにも新手だ! 最後の第40師団は山崎から動かせん、最後の護り手だ!』

『淀川前面からの釣り上げ作戦が、上手いっているのは良いが・・・ 圧力が・・・!』

『仁科! そっちに500! 行ったよ!』

『ッ! 千客万来は勘弁して!』

―――その時だった。

『陸軍! 退きな! 怪我するよ!』








まだ距離がある。 まだ突っ込める―――網膜スクリーンに映る光景と各種情報を睨みながら、長嶺少佐は自分に言い聞かせていた。
本音は、直ぐにでも荷物をぶっ放したい。 幾ら低空突撃とはいえ、飛行中は光線属種の格好の的になるからだ。 米海軍の指揮官達も、幾分顔が強張っている。
とは言え、まだ少し距離がある。 ここで発射すれば、下手をすると乱戦中の陸軍部隊を巻き込みかねない。 今は光線級が地上部隊に、気を取られているようだった。
それに先程通信回線に流れ込んできた声―――どうやら陸軍の先任指揮官機が損傷したらしい。 広江中佐―――満洲時代、『女帝』の異名を馳せた、歴戦の指揮官がだ。

(―――ちょっとさ、ヤキが回り過ぎだよ、広江さん・・・)

面識のある陸軍将校の顔を思い浮かべる。 何時だったか、大連で痛飲し有った事がある。  陸さんは余り好きじゃないが、それでも気持ちのいい女だったな。

不意に管制ユニット内に、レーザー照射警報が鳴り響いた。 内心で心臓が飛び跳ねる。

「ちっ、宮部! 距離!」

『7500!』

7500―――全弾発射には、まだ少し遠い。 よし。

「セイレーン・リーダーより205、207、209! 95式を半分ぶっ放せ! 宮部、パターンR1!」

『ラジャ、パターンR1―――ファイア!』

機体背後の兵装担架システムから、95式自律誘導弾が18発、発射された。
自機だけでは無い、36機の『流星』全機から各々18発ずつ―――648発の中型誘導弾が発射された。 白煙を引いて前方のBETA群に向かう。
途端に地上から大小2種類のレーザーが天に伸びる。 光線級と重光線級、やはりまだ生き残っていやがった。
誘導弾が次々に、レーザーに絡め取られる。 前方のそこかしこで爆発炎、しかしそれは織り込み済みだ。 広範囲に、且つランダムな軌道で発射した誘導弾、一度に迎撃出来ていない。
レーザー照射迎撃自体は、ほんの数秒で終わった。 しかし目的は達成された、レーダーがキャッチしたレーザーの本数と、推定光線属種個体数が一致したのだ。

「よし、これで最低でも12秒稼いだ! 突っ込め!」

96式『流星』と、F-14D『トムキャット』が更に距離を詰める為に突進する。
網膜スクリーンに、米軍の指揮官3名の姿が映った。 マクガイア少佐が感心したような表情で笑う。

『成程! 半数をデコイにして、時間を稼ぐと言う事か!』

『半数をデコイで使っても、まだ半数―――650発近い誘導弾が残る。 これが本命か・・・!』

『数こそ正義―――やられたな! 我々の十八番を、まんまと取られた! フェニックスじゃ、こうはいかんな!』

ウィンクラー少佐、アイマール少佐も感心したように、そして興奮している。
そんな3人を見ながら、長嶺少佐は苦笑しつつ答える。 『本番』はまだなのだから。

「只の苦し紛れさ・・・ それよりこれからだ! こっちも結構な制圧力だけど、フェニックス! 期待しているよ!」

『任せたまえ』

ようやく破顔する。 よし、これまで嘘の様に上手くいっている。 何しろ、低空突撃を敢行して、被撃墜機はまだ1機も無いのだから!―――あと8秒

距離が詰まる、4500・・・ 4000・・・ 3500! あと6秒!

『≪セイレーン≫リーダーより全攻撃部隊、全弾一斉発射。 その後は低空をフライパスしつつ、掃射をかける―――いいね!? ケチって残弾残すんじゃないよ!?』

―――『イエス! マーム!』

英語と、日本語の様な英語で、全員が唱和する。 いつの間にか米軍の指揮官達も、その場の雰囲気に当てられたようだ、自然と長嶺少佐が全体の指揮を取っている。
攻撃ポイントを確保する為、更に高度を下げる。 高度100m 76機の戦術機がその速度を一気に上げる。 轟音と共にヴェイパーコーンが発生していた。

直前で一気に機体態勢を変え、高度を稼ぐ。 距離3000!

高度100―――誘導弾兵装システム、起動。 95式自律誘導弾兵装担架システム起立。 92式改弐型多目的自律誘導弾システム、カバーオープン。  F-14Dもフェニックスの発射態勢に入った。
高度200―――目標、同時ロックオン。
高度300―――逆噴射制動。 発射態勢、OK。 残り2秒!

『いよぉし・・・ 放てぇ!』

『発射! 発射!』

『オール・ファイア!』

北東より轟音を上げて飛来して来た数10機の戦術機から、一斉に大型・中型ミサイルが放たれた。 その数、実に860発以上。
当然何割かは、インターバルを終え、生き残っている光線級のレーザー照射によって爆散する。 しかし全てを捉えるには、時間が無さ過ぎた。
海軍機はレーザー照射の危険を冒してまで、通常攻撃距離よりずっと突っ込んで来たのだ。残った何割かのフェニックスと95式誘導弾が殺到する、それを確認した地上の陸軍戦術機甲部隊各指揮官が、声を枯らして部下を後退させた。

『ッ! 後退! 後退!』

『巻き込まれるぞ! 急速後退!』

『中佐の機体を!』

陸軍部隊の頭上を飛び越した直後、フェニックスミサイルが四散する。 同時に無数の子弾が広範囲にばら撒かれた。
瞬く間に地上に無数の火の玉が降り注ぐ、それは放射状の火網を形成して、BETA群の上に降り注いだ。
小型種BETAが消し飛ぶ、闘士級や兵士級が雲散霧消し、焼き潰される。 戦車級が細切れの物体へと瞬時に変わる。

大型種も只では済まない。 要撃級が上方からクラスター弾子を多数直撃され、穴だらけになって倒れ込む。 突撃級さえ、節足部を損傷して動きを止める個体が続出した。
更に95式誘導弾の直撃―――メタル・ジェットを生成させて装甲殻を溶解射貫させる。 直後に遅延信管が作動し、開けた穴にサーモバリック爆薬が入り込んで炸裂した。
そのサーモバリック爆発は、一部が外部に向け拡散爆発してゆく。 大型種の周りに居た小型種BETAがその爆発に巻き込まれ、飛散する。

全弾命中した訳ではない、何割かがレーザーで撃ち落とされた。 
それでも尚、戦域制圧に特化した兵装を有する海軍部隊が出現させた地獄は、集まりつつあった1万以上のBETA群、その大半を一気に葬った。


『喰らえ!』

『イ~~ヤッハァ!』

『YO! HO! ファッキン・バスタード!』

一瞬のうちにその戦果を出した戦術機群―――日米の海軍機の一群が頭上をフライパスしつつ、M-88支援速射砲を地上に向けて撃ち込む。
真上から撃ち込まれる57mm砲弾に、突撃級の装甲殻さえ射貫される。 あっという間に無数のBETAの骸を作って飛び去る96式『流星』と、F-14D『トムキャット』


『陸軍! 海軍第205戦術機甲戦闘隊、長嶺少佐だ! 第1次はこんなもんだね! 今日中にあと確実に3次! 損害が少なけりゃ、4次も来る! 頑張りな!』

『アメリカ海軍、VFA-102“ダイヤモンド・バックス”、グイド・マクガイア少佐だ。 ヤンキー・ステーションにオン・ステージ。 
安心しろ、“アラモ砦”にはさせん、諸君には友軍がまだ居る、その事を忘れんでくれたまえ!』

『VFA-195“ダムバスターズ”だ! BETAの津波は止めて見せる!』

『“ジョリー・ロジャーズ”、VFA-103だ。 但し“バスターズ”の連中は、ダムまでぶっ壊すからな。 ご用命は我々に何時でもどうぞ、淑女なら尚の事、歓迎する!』

まるで通り魔の様な攻撃―――しかし、絶大な局地面制圧能力。
その遠ざかる機影に敬礼を送りつつ、今や最先任指揮官となりおおせた宇賀神少佐が下命した。

『―――突破せよ!』

大幅に数を減らしたBETA群、そしてその重包囲網が完全に破れた、チャンスだった。

『ソードマン03! 大隊長機の自律制御を渡す! 後方へ移送しろ、大至急だ!』

『了解!』

1機の『不知火』が、損傷した広江中佐の機体を引きずって噴射跳躍に移る。 中佐は負傷している、余計なGを加えない為に巡航飛行で南へと飛ぶ。

≪広江中佐機、離脱しました! 中佐は負傷ですが、意識は有り!≫

CP将校の、江上大尉がバイタル・データを確認する。 何とか助かるかもしれない、このまま野戦病院まで運び込めれば!

『141、181! 第5師団第51戦術機甲連隊だ! 遅れて済まない! ご苦労、下がってくれ!』

『第27師団、第271戦術機甲連隊! 対岸の掃除が終わった、これより渡河する!』

後方と、淀川の対岸から77式『撃震』配備の、2個戦術機甲連隊が進出して来た。 第7軍団の第5、第27師団だ。
第1世代戦術機、しかし後方の支援部隊は未だ健在だ。 機甲部隊に砲兵部隊、自走高射砲部隊。 機械化歩兵部隊も揃っている、何とかなるだろう。

傷つき、ボロボロになるまで何とか戦線を支えた94式『不知火』の横で、古強兵の77式『撃震』が、その機体を庇うように前面に出て攻撃を開始する。
見ると機甲部隊の一部が前進していた、右翼方向―――北西の方向に迂回しつつ、側面から大型種に向け戦車砲を放っている。
その背後に自走高射砲、そして機械化歩兵部隊。 砲兵部隊は遠方の、後衛集団に向けて榴弾砲を撃ち込んでいた。

やがて戦線が前進した頃、第5師団、第27師団双方から戦闘工兵部隊と野戦衛生部隊が出張ってきた。 戦術機改修器材で、損傷した戦術機を回収する。
ダウンした戦術機から救出された衛士―――その中には広江中佐も居た―――を、機内に担架を装備した救急用のUH-1H・イロコイに運び込んで、超低空で飛び去る。

その様子を見ながら、森宮左近少佐が宇賀神少佐、岩橋少佐に問いかけた。

『・・・宇賀神さん、岩橋さん、向うの様子は・・・?』

向う―――師団本隊が防戦している、大阪湾沿岸部、大阪市内への入口方面の事だ。

『どうやら、功を奏したようだ。 これで、この辺りで殲滅したBETAの数は、凡そ1万程か。 
洋上支援―――戦艦の艦砲射撃と誘導弾の猛射で、大方1万以上を削ったそうだ、1万3000前後。 併せて2万2000から2万3000は削った』

『作戦開始前の戦線正面のBETA群は、およそ4万2000程だった、これで残るは2万前後だ。 米海兵第3師団が上陸した、大阪市内中心部への突破は阻止出来る』

第2軍第9軍団正面戦力は、現在は第31、第38、第49の3個師団に、海軍連合陸戦第1、第3師団。 そして米海兵隊第3師団の6個師団。
第14、第18、第29の3個師団は、主力たる戦術機甲部隊が半減以下にまで落ち、機甲連隊、自走高射砲部隊も4割の損害を被った。 機械化歩兵連隊は6割減だ。
その為、現在も戦線を支える6個師団の後方に下がり、大至急の再編制をしている所だった。 もっとも補充は殆ど無きに等しい、今の戦力では各々1個旅団以下と言った所だ。
その代わりに、中韓の4個機甲旅団が前面に出ていた。 これで2個師団相当の戦力になる、防衛線は8個師団相当の地上戦力を以って、洋上支援を受けつつ戦況を挽回していた。


『そうか・・・ なんとか市内中心部や、大阪市以南の重工業地帯は守れるか・・・』

『ああ、何とかな。 それと連隊本部から連絡があった、負傷した荒蒔君、大丈夫だ。 数か所骨折をしているが、どれも単純骨折らしい、復帰は早い』

その言葉を聞いて、森宮少佐は心底ほっとした。 141連隊も先任大隊長の早坂中佐を失ったが、まだ歴戦の宇賀神少佐と岩橋少佐が健在だった。
2人とも、94年から大隊指揮官を務める、中佐進級5分前と言うべき古強者だ。 早坂中佐を失ったとは言え、この2人が残っていれば連隊の再建は問題ない。
翻って我が181連隊は? 先任大隊長の広江中佐は、何とか助かるだろう。 しかし衛士としてはどうか? 重光線級のレーザーが機体を擦過し、あちこちが爆発してしまった。
自分は軍医では無い、しかし過去の経験上、あの機体破損の状況では中の衛士はとんでもない重傷だろう。 もしかすれば、衛士資格を失う程の重傷であったら・・・

それに対して自分はどうか? 97年の10月に大尉から少佐に進級したばかり、大隊を指揮してまだ1年未満の、最も若い部類に入る少佐だった。
そこまで考えて、自嘲する。 情けない、何と情けない事だと。 自分は部下の命を預かる大隊長だと言うのに。 それがどうした、こんな弱気で。
これでは、部下に命じることなど出来やしない―――『森宮君、気にするな。 なあに、その内に嫌でも板に付く、余計に意識する事は無いぞ?』―――広江中佐に言われたな。

それでも、3人いる大隊長の内2名が負傷し、その内の1名は復帰が怪しまれそうなほどの重傷とくれば・・・ 荒蒔少佐の負傷状況にホッとしたのは本心だった。
彼は森宮少佐の、陸軍士官学校の1期先輩に当る。 年も近く、同じ若手の少佐同士と言う事も有り、常から気が合う相手だった。

『・・・何とか、それまでは、何とかせねばなりませんね』

『ああ、そうだ、何とかせねばならん。 森宮君、君がだ』

宇賀神少佐の声に、振り返り戦場を見回す。 飛散した、あるいは弾けたBETAの残骸で埋まった、かつての市街地。
立ち上る黒煙、見渡す限りの瓦礫の山、そして戦術機の残骸、破壊され、齧られた戦車。 隠れて見えないが、そこかしこに死体も有る事だろう。

『・・・ええ・・・!』

―――頼るのではない、頼られる立場なのだ、自分は。










1998年8月13日 2230 京都・大阪府境 三島郡 某ゴルフ場跡地


「周防」

元々はゴルフ場のクラブハウスだった建物。 今は臨時の戦術機甲戦闘団本部と化している。
夜半に本部の外に出ていたら、背後から声をかけられた。 先任の水嶋大尉だった、美園も居る。

「周防、ちょっといいかい?」

「水嶋さん、何です? 美園も?」

手招きしている水嶋さんの方に歩み寄る。 連日の戦闘の疲れか、やや疲労の見える顔に苦笑を張り付けつつ。 美園は渋い顔だ。 3人集まった所で、水嶋さんが話を切り出した。

「周防、アンタのとこ、何機残ってる?」

「・・・9機ですけど?」

今更言われるまでも無い、さっきまで一緒に出撃していたのだ、水嶋さんも把握している筈だが? そんな疑問を余所に、さっさと話しを進めて行く先任中隊長。

「だよね? 私の中隊は8機残っている。 美園の中隊は今日の損失で、残り7機・・・」

合計24機、2個中隊分。 大隊戦力と言うにはお粗末な数字だ、中隊戦区には多過ぎ、大隊での阻止戦闘では不足する。

「それにさ、どこも中隊にしては機数が足りない。 どこかで無理が出るよ、実際今日の戦闘じゃ、美園のトコがそうだったし」

8機では組めて2個小隊、前衛にも、後衛にも負荷が大きくかかる。 9機だと無理をすれば3個小隊を編成できるが、小隊毎の負荷が嵩む。 7機では・・・ 論外だ。

「でしょ? じゃあ、周防も賛成だね?」

「・・・美園が渋い顔をしているのは、この事ですか」

「仕方ないでしょ、アンタのトコは3機不足、私のトコは4機不足、併せて7機の不足。  で、美園のトコが7機・・」

その言葉に、それまで渋面をして無言だった美園が、頭をクシャクシャとかき混ぜながら、溜息をつきつつ言った。

「はあ・・・ 判りました、判りましたって。 私の中隊、一時解隊しますよ」

「悪いね、美園。 一時、アンタの指揮権を預からして貰うよ。 でもこうしなきゃ、生還率が下がる一方なんだよ」

結局、こうするしかないな。 エレメントを組めれば、3個小隊が充足出来れば、中隊戦闘での成果も、生還率も上がる事になる。
とは言え、美園はあくまで第2大隊所属であって、他連隊の中隊指揮官である水嶋さんが、その指揮権をどうこう出来る訳では無かった。
なので、建前上は美園自身が自分の隊の『一時的な解隊』と、『指揮権の一時委譲』を宣言する他、編成上なかったのだ。

「じゃあね、早速だけどさ。 美園、アンタは4機でウチの中隊に入って頂戴。 丁度、ウチの突撃前衛長が負傷して離脱したんでね」

「了解。 ま、元々私は突撃前衛上がりですし。 良いですよ」

水嶋さんの中隊の突撃前衛長が、美園か・・・ 綱引きが手強そうだ・・・

「周防、アンタのトコには3機編入するけど・・・ 配属は?」

「・・・制圧支援2機に、強襲前衛が1機ですか。 制圧支援は1機残ってますので、ちょっとバランスが悪いな・・・」

「あ、それなら大丈夫。 前は砲撃支援やっていた奴ですから」

組み合わせに悩んでいる所に、美園から助け船が出た。 それなら丁度良い、戦死した倉木が打撃支援、負傷した宇佐美は制圧支援で、浜崎が強襲前衛だった。
これで俺と水嶋さんの中隊が、定数を充足させる事が出来た。 編制上、3個中隊が2個中隊に減った訳だが、それでも定数減・戦力減で戦うより余程良い。

「後は・・・ 周少佐に報告するとして、だ。 問題は・・・」

「はあ・・・ あの、『政治協理員(連隊付政治将校)』ですよね・・・」

厄介な話だ、国内でこんな問題を抱える羽目になるとは、考えもしなかった。 
今、俺達は分派されて中韓連合軍団(4個旅団で構成)の、独立機甲戦闘団の指揮下に入っている。

元々、『国連軍』の大枠の元で増援として派兵されたのは、大半が米軍なのだが(陸軍、海兵隊、海軍)、他に大東亜連合から1個師団(インドネシア軍第2師団)と中韓連合軍団がある。
この内、米軍の第2師団は壊滅した(後々、厄介な事にならなければ良いが・・・) 米第25師団と第6空中騎兵旅団は淀川の対岸、八幡辺りで戦略予備と言う名の引き籠りに入った。
インドネシア軍は米第25師団と共に、淀川南岸の防衛線を担当している。 『引き籠り』と揶揄する者も多いが、実際あそこを抑えなければ、奈良盆地への入口がガラ空きになる。
そして中韓連合軍団本隊は、現在の所は南部防衛線―――大阪市内中心部への突破阻止を戦っていた。 
あそこには第2軍主力と海軍陸戦師団が2個師団、それに米海兵第3師団が陣取っている、大丈夫だろう。

そして北部防衛線は、亀岡盆地からの約3万のBETA群の圧力を支える第1軍が、激戦を展開中だった。 
その南北両戦線の間隙を突く様に、約1万のBETA群が川西市から高槻市北部へと侵入して来たのだ。
この方面の本来の防衛部隊は、第2軍第7軍団。 しかしその第7軍団も指揮下の4個師団の内、2個師団を南部防衛戦の増援に出していた。 
1個師団は山崎の辺りで、対岸の米軍・インドネシア軍と防衛線を張っている。 残るは1個師団―――第20師団のみが即応出来るに過ぎなかった。

そこで急遽、中韓連合軍団から6個中隊の戦術機部隊と、4個中隊の機甲部隊、2個中隊の自走機関砲部隊が抽出された。
規模的には大隊以上、連隊以下。 取りあえず連隊相当の独立機甲戦闘団として、第20師団の増援にかけつけた訳だ。

そこに、本隊から分離された俺達3個中隊が臨時に分派された訳だが・・・ 大陸でも経験はしたが、各国合同部隊は指揮系統が難しい。
取りあえず、戦闘団長(連隊戦闘団司令)は最大兵力を抽出した中国軍から、杜月栄(ドゥ・ユェロン)大佐(上校)
彼に下に戦術機甲中隊8個(中国軍3個、日本軍2個、韓国軍2個、台湾軍1個)と戦車4個中隊(中国軍2個中隊、台湾軍2個中隊)、そして韓国軍の自走機関砲2個中隊が配された。
戦術機甲部隊指揮官は、周蘇紅(チュウ・スゥホン)少佐(少校)。 戦術機甲中隊は当初9個だった。 だがこちらの都合で今は8個中隊、この説明が面倒くさいのだ。

戦闘団の指揮権は一応、中国軍の杜大佐が持っている。 戦術機甲部隊の元締めも、中国軍の周少佐だ。
ここまでなら、取り立てて厄介な話にはならない。 事後承認にはなるが、杜団長も周少佐も承認してくれるだろう。
ところが中国軍、いや、共産圏の軍には厄介な存在が居る、『政治将校』と言う奴だ。 ご多分に漏れず、今回も同行してきやがった。
しかも厄介な事に、中国軍の政治将校は共産圏の軍隊の中で、最も権力を有する事で知られている。 歴とした副指揮官なのだ。
主に部隊長の次席として政治工作を担当するが、第二梯隊や予備隊を指揮する職責でもある。 それに副署権限を有していて、政治将校の署名無き命令は無効だと言う。
この厄介な政治将校、今回は団(連隊)規模なので『政治教理員』と言うらしいが、その担当官の羅蕭林(ルゥオ・シャオリン)中佐(中校)が、これまた堅物だった。


「・・・あの『冷血女』が、果たして部隊数減に納得するかどうか・・・」

「聞いた話じゃ、所謂『太子党』らしいですし。 団長の杜大佐も、強くは出られないとか」

「さっき、周少佐を面罵していましたよ、あの女・・・」

羅中佐(中校)の一族は過去、中国共産党中央政治局委員や全人代常務委員長、更には共産党中央政治局常務委員を輩出した、超一流の『名門』だそうだ。
実父は党中軍委(共産党中央軍事委員会)委員だと聞く、親戚には党のお歴々が並ぶとも。  夫は上海閥の党経済官僚だ、立派な『太子党』―――特権階級だった。

団長の杜大佐は所謂叩き上げで、大陸で戦っていた頃はもっぱら地方の集団軍に居たらしい。 見かけはうだつの上がらない50男だ。
悪い事に、周少佐は上海出身で・・・ 上海閥を抱え込む『太子党』には頭が上がらないそうだ。
彼女の父親は普通の、中堅の党経済官僚らしい。 ここで無茶をすれば、台湾に避難した父親に火の粉が降りかかる。
羅中佐もその辺の身辺情報を把握していて、周少佐には強気で出て来るから始末に負えない。

「さっき、台湾軍の曹大尉(曹徳豊大尉)と、韓国軍の韓大尉(韓炳德大尉)からも相談を受けましたよ。
我々は臨時的に指揮下に入っているが、中国共産党の『政治指導』を受ける立場では無い、と・・・」

「場合によってはさ、こっちは本隊に連絡して、20師団の指揮下に入り直す事は出来るね。   台湾と韓国も誘う?」

「最悪はそうですが、その前に連隊本部に連絡して・・・ 師団か、軍団本部から正式な『一札』を貰った方が良いんじゃないでしょうか?
台湾軍と韓国軍も同じでしょう、ここで下手にあの『冷血女』を刺激したら、周少佐に迷惑がかかりますし」

部隊編制上、機甲部隊と自走機関砲部隊は、杜大佐が直接握っている。 そして戦術機甲8個中隊の内、中国軍の3個中隊は予備隊として羅中佐が握っていた。
問題は、日本・台湾・韓国の5個中隊が周少佐の指揮下だと言う事だった。 我々があの羅中佐に面と向かって対立すれば、それは周少佐に跳ね返ってくる。

「判った、じゃ、私からウチの連隊経由で貰う様に話してみるよ。 曹大尉と韓大尉には周防、アンタから話して」

「了解です」

「んじゃ、私は趙大尉(超美鳳大尉)と、朱大尉(朱文怜大尉)を慰めてきますよ~」

―――唐突に、美園が変な事を口走った。

「美園・・・ なんだ? それ・・・?」

「いやね、あの『冷血女』が握る予備隊じゃないですか、2人とも。 胃に穴が空きそうだって、さっき。 もう1人の梁大尉(梁光順大尉)は、取り入ろうと露骨だし」

そう言えば、美園も遼東半島撤退戦以来、あの2人とは面識が有ったな。 
物おじしない所が気に入られたか、2人には結構懇意にして貰っているらしい―――どこか、翠華を連想する所が有るのかね?

「・・・ああ、じゃ、頼む。 くれぐれも梁大尉や郭大尉(郭鳳基大尉・韓国軍)と喧嘩するなよ?」

「まさか。 周防さんじゃあるまいし」









「日本軍に韓国軍、おまけに台湾軍まで。 ふん、ご丁寧にまあ・・・」

3通の電報文を見ながら、羅蕭林中校は縁無しの眼鏡を片手で僅かに上げつつ冷笑する。  見た目は美人と言えるだろう、艶やかな髪をアップに纏めている。
しかしその冷笑する口元が、如何にも冷淡さを示している。 目に宿す光も冷たい性を示す様に、冷え冷えとした印象を与える。
電文を読みながら、羅中校(中佐)は内心でせせら笑っている。 大方、党の制約を嫌った資本主義の走狗共が浅知恵を発揮した、そう言う事か。

「・・・ならばそれでも良い、私にとって京都の防衛など、どうでもよい事だしな」

本国にBETAを迎え撃ったこの国が、一体何時まで保つと言うのだ。 日本帝国自体が消滅しかねないこの状況で、京都に固執してどうなる。
私は純粋に、生きて戻りたいだけ。 そうすれば無事、総政治部入りが出来る。 生きて帰る事だ、極力自国戦力を維持して。 それが最優先されるのだ。 
その為に、自国の戦術機甲3個中隊を『予備隊』として自分の手元に置いた、いざとなれば自分を守らせる為の『盾』としても使える。
もしかしたらあの2人―――超美鳳と朱文怜は反発するかもしれない、しかしだからどうだと言うのだ? 所詮何の後ろ盾も持たぬ野戦将校だ。
いざとなれば尻尾を振ってきた狗―――梁光順を督戦として使う手も有る。 小娘の一人や二人騒いだところで、どうだと言うのだ。

(今更この国で武勲を挙げてもね。 死に体一歩手前のこんな国に、旨味は無いわよ。 外交カード? この国が保てばいいのでしょうけれどね)

そして周蘇紅、あの女は必死に、それこそ命がけで指揮するだろう。 それだけの餌は与えてやった、後はその餌を喰らう為に命をかけるだろう。
あの女の内心など知った事では無い、その結果が大切なのだ。 それはすなわち、自分の身の安全がそれだけ保証されると言う事。 
ああ、そうだ。 あの老いぼれが形式上指揮している戦力も、握っておいておく必要が有るだろうな。

(その為には周蘇紅、頑張りなさい、潰れたって構わない。 大丈夫よ、いざとなればお前の子飼いの部下・・・ 趙美鳳と朱文怜も一緒に潰してあげる、寂しくは無いでしょう?)

所詮は手駒だ、軍内非主流派の将校を2、3人潰した所で影響など無い。 団長の杜大佐(上校)は、戦死させるのは少し拙いかもしれない。 
いや、いざとなったら『名誉の戦死』も有りか? 自分が団の総指揮を手に入れる事が出来る。 あの男にとっては望外の将官への昇進だ―――戦死後、2階級特進で。
まあいい、余程邪魔にならない限り、放っておいても良いだろう。 予備隊の梁光順大尉、あの男はしっぽを振り続ける限りは、飼っておいても良いだろう。

とにかく、生きて帰る事だ。 日本が保てば、それはそれで喜ばしい事だ。 短い派遣期間だったが、それなりの人脈は作れた、何より日本の参謀本部に繋がる人脈が。
彼女が内示を受けている次の部署―――人民解放軍総政治部連絡部(諜報機関)では、持っておいて越した事は無い、いや、持っておいた方が良い人脈だ。
それにこんな僻地に飛ばした相手こそ、自分が戦わねばならない『敵』だ―――党内部こそ、己が生きる場所であり、戦う場所なのだ。
なんとしても、総政治部内の競争を勝ち抜かねば。 党の頂点への階段、その有力候補の党中央軍事委員。 その枠は総政治部と総参謀部が、最も多く握っているのだから。


夜空を窓から見つつ、結局は国益、そして個人の欲望。 それしか確かなものは、この世には無いのだと、羅蕭林中佐は確信していた。










1998年8月14日 0215 大阪市内 大阪城内 元第6師団司令部ビル 本土防衛軍 中部軍集団司令部


「・・・拙い状況、そう言うべきかな・・・」

中部軍集団参謀長、田村守義中将が戦況スクリーンを見つつ、渋面で呻く。 その声を聞いた傍らのG3(作戦主任参謀)も、無言で頷いた。
司令部G2(情報主任参謀)がスクリーンを操作し、戦況を報告する。

「現在、南部戦線(大阪市内前面)のBETA群―――A群は約2万まで削ぎました、南部戦線防衛戦力は陸海、そして米軍と中韓連合併せて約8個師団。
これに第9軍の3個師団―――第14、第18、第29師団を戦略予備として有します。 もっとも最後の3個師団は、戦力50%減ですが」

皆が頷く。 この方面は大丈夫だろう、何と言っても他に日米両艦隊の洋上支援を受ける事が容易な位置だ。
第14、第18、第29の3個師団を安易に潰してしまったと言う苦い思いは有るが、それでもこのまま後方に置いておけるだろう、再建は可能だ。

「北部戦線(京都西部)のBETA群はB群の約3万、これを第1軍(第1軍団、第2軍団)が防戦中です。 状況は推され気味であると、先程参謀長の笠原閣下(笠原行雄中将)より報告が」

「・・・それでも、あの方面は亀岡から通じる狭隘部を抑えれば、まだまだ抵抗は可能だ。   山間部が多い」

田中参謀長が横合いから口を挟む。 その言葉にG3(作戦主任参謀)がやや遠慮勝ちに異論を返した。

「お言葉ですが、参謀長閣下。 逆に申せば支援部隊―――特に機甲部隊の展開が困難な地形でも有ります。
戦術機甲部隊だけでは全てを掃討できません、山間部の残敵掃討―――小型種の掃討は機械化歩兵装甲部隊が行いますが、その損害も無視できません」

それはそうだ、如何に戦術機が、現在人類が持ち得る最良の対BETA兵器で有ろうと、決して万能ではない。
無数とも言える小型種の補足・殲滅は、地形が険しい程、複雑な程困難となる。 実際に見落として後方へ侵入されるケースも目立ってきていた。
それに対応するには、平地で有れば機甲部隊や自走高射砲・自走機関砲部隊をズラリと並べての阻止砲火を展開する所だが、山間部はそうもいかない。
結局は機械化歩兵装甲部隊、或いは機動歩兵(自動車化歩兵部隊)で『戦線』を構築して対応するしか方法が無いのだ。
そこが悩み所でも有った。 視界が限られる山間部では、歩兵の視認範囲も限られる。 咄嗟に出現した小型種との肉薄戦闘、歩兵の精神を蝕んでやまない状況だ。

戦況報告が続く。

「現在は第1軍団が右京区の愛宕山(924m)を中心に、亀岡盆地出口の北側を押さえております。 第2軍団はその南、老ノ坂峠を北端に西京区に布陣、阻止戦闘を展開中。
後詰に斯衛第1聯隊戦闘団が花園に、斯衛第2聯体戦闘団は桂に布陣。 なお、斯衛第1聯隊から1個警護中隊が、将軍家居城に残留しております」

この方面も、実質8個師団相当の戦力。 それに琵琶湖には先日来、海軍第1艦隊第2戦隊(戦艦『信濃』、『美濃』)を主力とする水上打撃戦部隊が入って支援砲撃を行っている。
昨日夕刻には、米第3艦隊第35任務部隊(CTF-35)の戦艦『ミズーリ』、『ウィスコンシン』と大型巡洋艦『ハワイ』、そしてイージス巡洋艦が3隻、琵琶湖に展開した。
他に第30任務部隊(CTF-30)の戦術機母艦『ニミッツ』、『エンタープライズ』の2隻を中心とする、米第3艦隊主力が伊勢湾に展開中だった。
伊勢湾には他に、第1艦隊から分派された第3航戦の戦術機母艦『雲龍』、『翔龍』が展開している。 米第3艦隊のイージス巡洋艦3隻、イージス駆逐艦10隻、日米の打撃(ミサイル)駆逐艦10隻が随行していた。
他には海軍第5艦隊(基地戦術機甲部隊)の5個戦術機甲戦闘団(大隊規模)が、各所に布陣している。
北陸の小浜に1個、滋賀県の比良山系に2個、そして淀川防衛線後方に2個。 今の所、動かせられる部隊は淀川防衛線の、2個戦術機甲戦闘団のみ。

「第1軍の負担は大きいモノが有ります、しかし琵琶湖からの艦砲射撃、伊勢湾からの長駆強襲支援のお陰で、何とか戦線を維持出来ております。 問題は・・・」

G2がそこで言葉を区切る、そして皆の視線が一点に注がれた。

「残るBETA群のC群1万2000に、南部戦線に居たBETA群5000と北部亀山方面から迂回南下したBETA群約4000、併せて2万1000が高槻市北方で合流。
大部分が淀川まで南下後、北東方面―――京都の『柔らかい下腹』に殺到しかけております」

BETA群総数、約7万1000。 先月18日から再開されたBETAの大規模侵攻時、近畿西部域に居た約9万4000程だったBETA群を、一時は7万を切る程まで猛攻を加えた。
しかし2日前の8月12日夕刻から夜にかけて、九州に居たBETA群のうち、約1万5000が長駆加わった事により、再び個体数が8万を越したのだ。
この際に南部防衛線の精鋭部隊である3個師団―――第14、第18、第29師団が継戦能力を喪失する程の損害を受けた。
これを受け、中部軍集団は京都の放棄を前倒しにする事を決定。 本土防衛軍総司令部も承認を下した。
現在京都では、最後の脱出作業が行われている。 しかし未だ残る22万の市民、そして38万の周辺市町村の住民は、間に合わないだろう。

そんな矢先の、南北両戦線の中間地点への、BETA群の強襲であった。

「現在は第7軍団(第2軍)が急遽防衛線を構築しております。 しかしながら第5師団(第7軍団)は南部防衛線に増援として派遣しており、動かせません。
残るは第20、第27、第40師団の3個師団。 ただこれだけでは如何にも戦力が不足します。 このうち第20と第40個師団は丙師団、保有する戦術機部隊は各々1個大隊です」

呻き声が漏れる。 対BETA戦闘の要とも言える戦術機部隊が、合計で5個大隊しか無いとは。 これでは阻止出来ない。
その時、G2に変わりG3(作戦主任参謀)が前に出た。 手にした紙にチラリと視線を落とし、説明を始める。

「確かに第7軍団のみでは、2万以上のBETA群を阻止する事は不可能です。 如何に周辺の地形が狭隘な(軍事的に見て)地形で有ろうとも。
今回これに、八幡市に予備として展開中の大東亜連合軍1個師団(インドネシア『シリワンギ師団』)と米軍第25師団を加え、5個師団で防衛線を構築します」

米第25師団―――その名に周りがざわめく。 G4(補給主任参謀)が躊躇いがちに発言した。

「G3に質問。 米第25師団を動かすとの事だが・・・ ライス大将(国連軍太平洋方面第11軍司令官・兼・在日米軍司令官)は了承したのか?」

ついこの前、今月の初旬に発生した米第2師団壊滅事件、『三田事件』の余波は未だ収まっていない。 現在、帝国軍と在日米軍の間には、微妙な壁の様な空気が有った。
ライス大将はあの事件の直後、怒り心頭で本国政府に対して、国連安保理での指揮権一元化を要求した程だ。 
帝国にとって幸いにも指揮権の独立は守られたが、反対に在日米軍の協力体制が微妙な変化を起こしている。

G4の質問に対し、G3はやや冷ややかな目で見据え、言い切った。

「そんなもの、あの頑固な将軍が承認する訳が無かろう? 確かに米25師団は『国連軍』指揮下だ、我が帝国軍が命令を下せる系統には属さない。
しかしな、彼等も馬鹿では有るまい。 今の位置関係を把握できる能力さえあれば、協力せざるを得ないこと位は判る」

そう、少なくとも将官の地位に達した者であれば、その位の結論を出せて然るべきだ。 出来ない者は―――知った事か、勝手に死んでしまえ。

G3の言に、G4とG1(人事主任参謀)が反対する。 如何にも後々、しこりを残し過ぎる決定だ。 今でもライス大将の堪忍袋が切れかけなのだ、これ以上の刺激は・・・
そこまで考え、G1もG4も押し黙る。 実際問題として、G3の言う事は『正しい』のだ。 ここで山崎から八幡にかけて防衛線を構築しなければ、南から京都を直撃される。
それだけでは無い、そこからもし南下されれば京田辺市、更に一直線に奈良市。 現在大阪に集中している避難民を脱出させる輸送経路が、BETAによって直撃されてしまう。
それでなくとも、京都と大阪府北部が戦場となった今、民間人の犠牲者数は推定で2000万人を越し、2200万人に達する。 近畿だけでも900万人がBETAに殺されたのだ。
この上、奈良を蹂躙されてしまえば、未だ脱出を果たせていない民間人の残り約2000万人も犠牲になってしまう。
光線属種の脅威が無視できる距離に、大規模な港湾施設は存在しない。 現時点では陸路を大阪から奈良に抜け、そこから三重、そして愛知県に脱出する経路しか残っていない。
東海道は未だ滋賀県までは健在であるが、このルートは完全に軍が占有している。 貴重な兵站路だ、ここを民間人に開放する訳にはいかなかった。

「・・・判っただろう? もう、動かすしかないのだ」

G3が腹から絞り出す様な声で言う、彼とて米25師団を動かすリスクは承知の上だ。 しかしここで動かさなければ、全戦線は崩壊する。
皆が押し黙ったその時、片隅から誰かが小さく呟いた。 その声は小さなものだったが、静まり返った室内で予想以上に大きく聞こえた。

「・・・だから、さっさと京都を放棄して、東京に脱出すればよかったのだ。 そうすればこんな事には・・・」

「ここで政治批判は止めたまえ! 我々は軍人だ、戦場を論じるは良いが、それ以上を―――『戦争』と『政治』を論じるのは止めよ!」

田村参謀長が厳しく叱責する。 その視線の先で、若手の参謀少佐がバツの悪そうな表情で頭を下げていた。
一連の流れを、それまで無言で聞いていた中部軍集団司令官の大山允大将が、ゆっくり口を開いた。 視線は戦況スクリーンを見据えたままだ。

「・・・第2軍に下命。 現時刻を以って第7軍団指揮下に大東亜連合1個師団、米軍1個師団を置き、防衛戦闘を為せ」

「はっ!」

参謀長の田村中将が一礼し、G3に合図する。 G3はそのまま命令文書作成を部下に命じ、更に詳細な戦力評価を命じた。
司令部内が慌ただしくなる、G2は各軍、各軍団に最新の戦況情報を知らせる様、部下に命じている。 G4は兵站本部へ走った、新たな戦場への兵站路を確立せねばならない。

「―――閣下、参謀長」

その騒ぎの中、G1がやや躊躇いがちに司令官と参謀長へ話しかけた。

「何かね? G1?」

参謀長が書類に視線を落したまま、聞き返す。 G1の口調は変わらず躊躇いがちだった。

「先刻、第2軍司令部より報告のありました・・・ その、分派されて第20師団と協同しております、独立機甲戦闘団の事で有りますが・・・」

その言葉に最初、司令官の大山大将も参謀長の田村中将も、一瞬どの部隊か判らなかった。 ややあって、田村参謀長が思い出したように言う。

「・・・ああ、あの部隊か。 それがどうした?」

「実は、中韓連合軍団司令官(司令員)の張震少将より連絡が入りまして・・・ 政治将校、厄介な存在だとの事です。 共産党要人の親や親族が多い人物だと。
出来ればその・・・ 後方へ回せないかと、相談が。 軍団政治将校の夏武大校(上級大佐・准将)からも内々に連絡が」

その言葉に大山大将は無言で首を振り、田村中将は呆れた口調で言った。

「おい、ここは日本だ、日本本土だ。 今更、中共の内部のゴタゴタを持ち込むなと言っておけ。 それに今や貴重な戦術機甲戦力だ、後ろに下げられる訳はなかろう?」

その言葉にG1はバツの悪そうな表情で敬礼し、その場を下がった。 司令部を出て自身の執務室に戻る間、さて何と言って断ろうか、思案が纏まらなかった。
それでなくとも、京都の城内省(の、残留部局)との折衝が続いている。 やるべき事は山ほどあった、確かに今更中共の内部事情に煩わされる余裕はない。
それに未だ政威大将軍が、東京への脱出を納得しないのだ。 さっさと逃げ出して貰わねば困る、最終的に京都盆地をBETAの墓場にする事が出来なくなってしまう。 
その為の準備は、決して将軍家や斯衛に気取られてはならない―――政治的に拙い。 国民感情的に拙い。

(―――『戦争』を語るな、か・・・)

先程の参謀長の言葉を反芻する。 『戦争』は外交手段の一環、『政治』に属する国家行為。
では一体、今の準備は何なのだろうか? 『政治的』に、『国民感情的に』、拙い―――これはもう、立派に『政治的判断』ではないのか?
滑稽だった、だがこの世の中に滑稽以外の事が有ろうか? どれもこれも、真剣に考え、事を為そうとする事は、何時でも滑稽そのものだ!










1998年8月14日 0350 大阪府高槻市北部 ポンポン山(679m)山麓 国道79号線付近


夜の闇の中、人工的に輝度調整された網膜スクリーンの視界は、どこか別の世界の様に感じる。 しかしその視界の先に有る脅威は、実在するのだ。
北摂の山岳部から平野部に降り立ったその場所は、京都の南に位置してその『柔らかい下腹』の入口であり、そして淀川の過ぐ近くまで山間部が迫る『防衛地形』でもあった。


淀川沿いに突進して来たBETA群に向け、中国軍の88A式戦車、台湾軍のM60A3戦車が、それぞれの105mmライフル砲を一斉に発砲した。 
120mm砲滑腔砲と比べるとパワー不足の感が否めない105mmライフル砲だが、近距離での砲撃なら充分突撃級の装甲殻を射貫通出来る。
横合いから一斉射撃を受けた突撃級が20数体、装甲殻や節足部を撃ち抜かれて内臓物や体液を撒き散らしながら数10mを進み、停止する。
次の瞬間、突撃級の後方を進んでいた要撃級、そして戦車級が一斉に方向を転換した。 戦車部隊を認識し、そちらに向かったのだ。
機甲部隊が3連射を加えた後、一斉に後退を始める。 全速後進で新幹線の高架下を潜り抜けかつては田畑で有った荒れ地に侵入し、そのまま停止。 
向かってくるBETA群に戦車砲を浴びせかけ、同軸機銃を撃ちまくる。 しかしその程度で全てのBETAを殲滅出来る訳ではない。 
ましてや戦車部隊は2個中隊しか居ないのだ。 対してBETA群は1000体以上、動きの速い小型種は捕捉も出来ない。

更に北西へ向かって全速後退を続け、やがて国道を越し、国鉄の線路をも超える。 左手に小高い丘陵を見つつ更に奥、山間部の麓近くまで後退したその時。


『フラガラッハ・リーダーより≪イシュタル≫! そっちに大型種! 要撃級50、抜けた!』

『イシュタルよりフラガ、了解! 美園、潰すよ!』

『了解! B小隊、突っ込め! 光線級はまだ居ないよ!』


北側の丘陵部から、一群の戦術機が噴射跳躍で一斉に飛びかかった。 
瓦礫と残った家屋、空き地、そしてBETA群。 その位置関係と最適な攻撃位置を瞬時に把握し、最適な位置取りを選び、ピンポイントで着地する。
BETA群の右側面を占位した戦術機群、2個中隊から突撃砲の砲弾が降り注ぐ。 節足部を撃ち抜かれて停止する突撃級。 無防備な横腹を射貫される要撃級。
小型種は120mmキャニスター砲弾からばら撒かれた子弾によって、ズタズタにされ、細切れの塊へと変貌する。

戦車部隊が後退する足を止めた。 混乱が生じたBETA群に向け、再び105mm砲を発砲する。 
いつしか丘陵部を隠れ蓑にしていた自走高射砲・自走機関砲も頭上の位置を占位して、40mm、35mm機関砲弾を浴びせかけ、20mmバルカン砲が唸りを上げる。
固い装甲殻を持つ突撃級や、それに匹敵する前腕を持つ要撃級と違い、比較的脆い小型種BETAが、この猛射で次々に飛散して行く。

『戦車隊、そのまま一旦後方の斜面を高台まで上がってくれ! 上から俯角を取って砲撃出来るか!?』

『出来ん事もない、しかし近づき過ぎた小さい連中には、ちょっと対応できんぞ!』

『それは、こちらに任せな!』

通信回線に割り込んできた声。 見ると自走機関砲部隊が1個中隊、道路上を高速で自走してきている。

『こっちは右手の高台に陣取る! 丁度十字火線を形成できる地形だ、小型種はこっちが引き受ける、デカイ奴は頼むぞ!』

そして北側の高台に上った戦車隊が、105mm砲を並べて突撃級や要撃級に砲火を浴びせ、東側の高台の自走機関砲部隊が20mm砲弾の猛射で、小型種をなぎ倒してゆく。
その状況を確認した戦術機部隊が動いた。 素早くBETA群の後方を迂回し、半包囲を構築する。 小型種には36mm砲弾を、大型種には背後から120mm砲弾を撃ち込む。
ほぼ全周囲の火網によって、BETA群の統制は完全に乱れた。 高速接地旋回をかけた要撃級が、突っ込んできた突撃級をぶつかり合う。
もつれ合っているその場に、複数の120mm砲弾が叩き込まれる。 小型種が密集した場所には、自走機関砲弾と戦術機の突撃砲から曳航弾が、細長い光の帯の様に降り注いだ。


やがて1000体程のBETA群の殲滅に成功する。 辺り一面、BETAの内臓物や体液で酷い有様だ。 
かつては人々の営みが為されていた家々、そして田畑。 賑わった商店街、子供達の笑い声が絶えなかっただろう通学路、公園・・・
今はBETAの残骸で埋め尽くされている、やがて凄まじい腐敗臭を放つようになるだろう。 上空からは重金属雲も流れ込んできていた。


『イシュタル・リーダーよりフラガラッハ・リーダー、この辺は片付いたようね?』

『フラガよりイシュタル、ええ、残存BETA無し。 戦車隊、そっちからは?』

『・・・見えねぇな。 少なくとも有視界範囲には居ない。 ま、2個戦術機中隊に2個戦車中隊、自走機関砲1個中隊で叩いたんだ。
光線属種の居ない1000程のBETAどもだったからな、これで店じまいだろうよ。 どうだい? 韓国軍?』

『同意する、ここにBETAはいない』

指揮官達が同意した。 念の為暫く全周警戒陣を敷き、周辺警戒に当る―――やはりいなかった。
やがて別方面から戦術機部隊が合流する、韓国軍の2個中隊と、台湾軍の1個中隊だった。

『チンロン・リーダーよりイシュタル、フラガラッハ、エリアC2Rの掃討は終わった。 600体程だった、時間はかからなかったよ。
ファラン、チルソン、各中隊とも損失無し。 そちらは?』

『イシュタル・リーダーだ、こっちも損失無し。 悪いね、曹大尉。 支援部隊の大半を回して貰っちゃって』

『ご心配無く、水嶋大尉。 我々の方は光線級も居ない、小型種ばかりの集団でしたし。 大型種の居るこの方面に支援部隊を回すのは、理に適っています』

あくまで真面目に対応する曹大尉。 チルソン中隊(韓国軍)の韓大尉も好意的な笑みを浮かべている。
反面、ファラン中隊(韓国軍)の郭大尉は面白くなさそうな表情だ。 しかし『仕事』はキチンとこなしている。 ここはあえて波風を立てる必要も有るまい。

『さて、じゃあそろそろ防衛線に戻りますか。 ここで何時までも居たら、へたすりゃ孤立する』

周防大尉が意識的に明るい声で言う。 深刻な表情はいずれ嫌でもする事だろう、ならせめて小さな勝利でも、喜ぶべきだ。

『そうだね、そろそろ戻っておかないとね―――イシュタル・リーダーよりCP、周辺掃討完了!』

≪CP、了解。 各隊は防衛線内に撤収せよ≫

『了解。 よし、各隊、撤収する!』

大阪方面からの流入も始まっている、そろそろ高槻市内に流入したBETA群の、本格的な前進も始まるだろう。
ようやく第7軍団、そして増援の大東亜連合、米軍部隊も布陣を完了した。 合計5個師団、そして独立戦闘団(旅団規模)、これで2万からのBETA群を支えねばならない。
いや、何とかなるか? 支えるにしても、この24時間程が勝負だ。 噂では、あと数時間後には京都撤退作戦が発令される見込みだと言う。

『・・・にしても、クソ、司令部の連中め。 中共の戦術機部隊は、きっちり温存してやがる』

『周少佐も、何を考えているのだか・・・ 前評判と違わないか? どう思う? 水嶋大尉、周防大尉?』

問われた2人も、苦笑しつつ首を横に振るしか無かった。 
何が有ったのかは知らない、しかし2人が知る周蘇紅と言う女性と、今現在、団の戦術機甲部隊指揮を執っている周少佐との乖離には、彼ら自身も戸惑いを隠せないでいた。





1998年8月14日 払暁―――最後の24時間の幕が上がる。






[20952] 本土防衛戦 京都防衛戦 7話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/01/24 23:10
1998年8月14日 0435 大阪・京都中間点 中部防衛線 京都府大山崎町 山崎


「・・・何とか、ならないかな?」

「無理だ、直やん・・・ あいや、中隊長。 中隊は12日の夕方からずっと連続稼働ですよ?」

「・・・『直やん』でいいよ、『修さん』。 今更アンタに、畏まられてもな」

お互いに苦笑する。 知り合ったのは俺が新米少尉の頃。 向うは整備伍長だった。 今は中隊長の大尉に、中隊整備班長の整備少尉。 お互い長い付き合いだ。
2人の目前には、中隊の稼働戦術機が並んでいた。 どの機体も整備兵が取りかかり、付きっきりで整備をしている真っ最中だった。

「じゃあよ、直やん。 この前の出撃で、連続36時間稼働だ。 その前に簡易整備したのは何時だ? 10日だぞ、2日前だ。 更にその前は連続38時間稼働。
如何にお前さんが、機体の負荷をかけない乗り手だって言ってもな、本格的なオーバーホールも無しに、74時間も稼働させているんだ。 関節部分なんかは、悲鳴を通り越してるぜ?」

中隊整備主任―――児玉修平整備少尉の言葉に、ぐうの音も返せない。 確かに言う事は判る、実際搭乗していても機体ステータスは、かなりがイエローだ。 レッドも点灯している。
それでもだまし、だまし、使ってきたのだが、ここに来てとうとうガタが来た。 数時間前の小規模阻止戦闘の帰還途中、遂に機体の左脚部関節がロックした。
辛うじて逆噴射パドルを小刻みに微調整しながら、緩やかに着地したお陰で、機体の破損は免れたのだが・・・

「いいか? 直やん。 俺が見る限りお前さんは、機体に負担をかけずに乗り回す技術じゃ、大したものだ。 多分、陸軍の衛士の中でも有数だろうよ。
それでもな、そんな芸当を、それも戦場でやれる奴は一握りだ。 余程戦場慣れした、ベテランじゃなきゃ無理だ。
中隊を見てみろよ、アンタの次に経験のある摂津中尉の機体ですら、もうオーバーホール確実な状態だ。 他の若い連中の機体は、殆どスクラップヤード行き、5分手前だぞ?」

それは判る、判るんだが・・・

「・・・何とか、ならないかな?」

「あ~! も~! アンタはオウムか!? さっきから、そればっかじゃねぇか! 俺だってどうにかしたいよ! してやりたいよ!
でもなぁ、予備パーツが届かないんだよ! 『不知火』の! 向う(南部防衛線)でも不足気味なんだ、それに京都の第1軍も消耗は半端じゃ無い、余分が無い!
しかもよりによって、今ここに居る第7軍団は・・・ 『疾風弐型』と、『撃震』の運用部隊ばっかなんだよ、『不知火』の予備パーツが無いんだ!」

修さんが頭を掻き毟っている。 彼は彼なりに、整備の責任者として胃が痛くなる以上のプレッシャーと格闘しているのだ。 無理は言えない、言いたくない、だけど・・・

「・・・このままじゃな、中隊の稼働戦術機は、7機にまで落ち込む事になるんだ。 衛士は居る、居るんだが、機体が無い」

「・・・連隊本部には?」

「とうに言ってある、水嶋さんの中隊も同じ様な状況だしな。 でも良い返事は来なかった、連隊も人員・機体共に枯渇状態だと・・・」

「・・・広江中佐に、荒蒔少佐が負傷したんだってな。 連隊の戦術機も、とうとう半数を切ったと聞いたよ。 
それも予備機を総動員してだ。 くそう、打つ手は無いのかよ・・・」

美園の中隊を解体して定数割れ3個中隊を、完全充足2個中隊に再編成したまでは良かった。 だが機体に蓄積された疲労度は、こちらの予想を上回った。
水嶋さんの中隊は12機中、稼働6機。 俺の中隊が12機中、稼働7機。 11機が何らかの不具合を起こして、稼働できない状態だ。
それだけでは無い、稼働状態とされる13機にしても、機体ステータスの大部分がイエローだ。 正味の所、あと1回か2回の戦闘で故障する事、請け合いの状態だった。

本隊が死闘を展開している南部防衛線で、戦術機の消耗が恐ろしい程その比率をはね上げているのが原因だった。 完全破損には至らなくとも、出撃の度にどこかを損傷する。
その内、修理部品が底を尽きかけて来る。 師団や軍団、果ては軍の兵站・補給関係者の顔が渋くなってくる。 それでもBETAとの戦闘は続く、堂々巡りだ。
お陰で合同独立戦闘団に派遣された俺達、日本軍戦術機甲部隊の兵站物資―――主に戦術機の予備パーツが底をついた。 修理もままならない。

「―――どうするよ、直やん? 冗談じゃ無く、このままじゃ中隊壊滅だぞ?」

「・・・ちょっと時間をくれ、そう長くは待たせないから」





0445 独立戦闘団 日本軍戦術機甲部隊 野外戦術機ハンガー付近 


『おい、四宮。 連中は、休んでいるか?』

『ええ、とにかく横になる様に命令しておきました。 摂津さんと瀬間は、休まないのですか?』

『お前さんが休んだら、俺も横になるよ。 おい瀬間、お前さんはいいから、さっさと横になれ』

『・・・まだ、大丈夫です』

『あのな・・・ 『まだ』じゃ、ねぇんだよ。 『まだ』が来てからじゃお終いなんだよ、その前に回復させておけって』

『・・・』

『瀬間、言いたくないけれど・・・ 中隊長の事、恨んだりしちゃ駄目よ?』

『・・・四宮さん?』

『倉木の事は、仕方がなかったわ。 あの状況では、どうやっても助けだす事は不可能だったし、あの状況に陥ったのも仕方がなかった。
貴女の感情も、理解出来なくは無いわ。 エレメント・リーダーとして、倉木は瀬間の直接の部下だったのだしね。
でもね、考えてみなさい、私達の中隊が相手取っていたBETAの数を。 あの時の戦況を。 あれでよく、中隊が壊滅せずに生還できたと思うわ』

『・・・それは、そうです。 でも、あいつは最後まで助けを・・・』

『そして、最後は覚悟を決めやがったじゃねぇか。 自分を助けようとすると、小隊も中隊も道連れにしちまうって。 そう覚悟を決めやがったじゃねぇか。
俺はな、倉木に引導を渡した中隊長を、悪し様に思う事は出来ねぇ、逆に敬意を表すべきだと思っている―――誰だって、部下を死なせたくねぇよ、だからな・・・』

『中隊に対する責任、部下全員に対する責任、そして―――死に行く寸前の、部下が抱く恐怖。 全てを全う出来る指揮官など、いないわ。
だから、出来るどれかを選択して、確実に為さなくてはならない。 その為に中隊長は・・・ 判るでしょう、瀬間?』

『・・・』

『兎に角よ、不満が有るなら生き残ってから、後で言えよ。 今ここでは封印しておけ。  じゃねぇと・・・』

―――俺が、お前を排除する事になるぞ。

摂津の内心が聞こえたようだった。 目的地に向かう途中、中隊幹部には言っておこうと思い、衛士詰め所のテントの前まで来て、漏れ聞こえてきた会話。
ある程度の予想はしていたが、だからと言って俺が一から十まで、説明するでも無い事だ。  あいつは中尉―――指揮官の一人なのだから。
そう自分に言い聞かせて、言葉にして言いたい内心を押さえ込んだ。 瀬間にとっとも、そして自分にも、それは甘えになる。
少しの間をおいて、声をかける。 漏れ聞こえた話の中身は、当面は仕舞っておく事にした方が良いだろう。

「―――中隊長?」

摂津がテントから出てきた、後ろに四宮と瀬間が続く。 少しだけ意識して表情を隠し、事実だけを伝える。
流石に3人とも難しい顔になった、当然だ、生死に直結する問題だ。

「では、どうするのですか? 稼働機は大幅に定数割れ、残存機も急速に稼働停止状態になると予測されます」

四宮が細面の顔を少し傾げて、表情を曇らせながら聞いて来る。 肩口辺りで切り揃えた髪が、少し顔に張り付いている。 こいつもかなり、消耗しているな・・・
摂津と瀬間も、難しい表情で問いかけて来る。 恐らくBETAの再侵攻はもう余り時間が無いうちに始まる予想だ、そして中隊戦力は半数に近い。

「・・・この方面の戦闘が、あと1回、2回で終わる可能性は無い。 そうなれば我々は戦う術を失う」

一旦言葉を切る。 今更説明する事でも無い、しかし敢えて言う。

「連隊本隊もかなりの損害を被った、予備機も予備パーツも払底している、こちらに回す余裕は全くない、141も同様だ。 戦線維持の為には、軍団予備から回して貰う事も出来ない」

一旦ここで言葉を切る。 軍団予備レベルまで回して貰う事が不可―――この言葉には、流石に3人とも顔色を変えた。 最後の頼みの綱が、切れたのだから。
だとしたら、どこか余所から引っ張って来るしか無い。 こう言う時にモノを言うのは、階級は上でも経験の浅い若造・小娘ではなく、軍歴に苔の生えた古強者なのだが・・・
そちらは余り心配していない、了解さえ取れれば、古参の整備将校は何処からともなく必要な物資を集めて来るだろう。 それが出来なければ、軍で叩き上げの将校にはなれない。
問題は、どうやって了解を取るかだ。 今は20師団と協同しているが、あそこは丙師団だ、戦術機は定数で1個大隊。 予備機もそれに見合った数しか無い。

「・・・第7軍団兵站部に、直接掛け合う。 第5師団が第9軍団の支援に入っている関係で、向うで兵站支援を受ける立場になっている。
1個師団分の兵站負担が減っている、当然、戦術機の予備機も含めてだ。 その分の機体を回して貰えるよう、交渉しに行く」

「7軍団は、『不知火』を使っていませんぜ?」

「機種は問わない、戦えればそれで良い。 この際『撃震』でも構わない、『疾風弐型』ならオンの字だ」

スクラップ寸前の機体で戦うより、準第3世代機、準第2世代機とは言え、完調の機体の方が良いに決まっている。
それに『疾風』系列の機体なら、部下達も馴染みが有る。 大陸派遣軍時代の搭乗機だ。 それに『撃震』は訓練校で散々搭乗している筈だ。

「まあ、『疾風』系列でも『撃震』でも、整備された機体で有れば助かります・・・ が、『撃震』かぁ、操縦、覚えてっかな・・・?」

「・・・『撃震』は正直、訓練校以来ですが・・・」

「私もです・・・」

―――そうか、『撃震』で実戦を経験したのは、この中では俺だけか。 『疾風』系の機体はかなり早い時期から、大陸派遣軍の主力機として使われてきたからな。
ただ、それについては、実際は楽観している。 第7軍団では『疾風弐型』で、戦術機甲戦力を装備しているのは、第5師団のみ。
第20、第27師団は『撃震』装備の丙師団。 第40師団は『疾風弐型』1個大隊に、『撃震』2個大隊で編成された戦術機甲連隊を有する乙師団。

「さっきも言った通り、第5師団が今は第9軍団の指揮下で戦っている。 第7軍団には、その分の『疾風弐型』の予備に余剰が有る筈だ」

「その分、本来俺達が受け取る筈の『不知火』の予備機が第5師団に流れていると・・・ 
連中、大丈夫ですかね? 初めての機体だし、システムデータリンクも最初は戸惑いますぜ?」

「システムについては、それはこちらも同じだが・・・ 戦場でそんな贅沢は言えないな、死にたく無ければ、人間がシステムに合せなければな。
取りあえず俺と水嶋さんとで、話を付けに行く。 摂津、お前は美園と水嶋さんトコの・・・  前田中尉と3人で、整備主任と同行して機体管理部に先に行け。 後で連絡を入れる」

「了解。 うへぇ・・・ 美園大尉とかぁ・・・」

摂津が心底、苦手な表情を見せる。 もっとも否定的な言い方ではないのだが。 
その表情が少し可笑しくて、俺も四宮も、そしてずっと無言だった瀬間も笑いが漏れた。

「どうした? 仮にも以前の上官だろう?」

「・・・誰かさんの仕込みのお陰で、新任当時の俺が、どれ程苦労したと思っているんですか・・・」

美園は俺が2年目少尉の頃に、小隊の新任少尉として配属されてきた。 ああ、仁科も居たな、あの頃は。 小隊長が祥子で、先任少尉が俺で・・・
そこまで思い出して、頭を軽く振る。 意識して封じ込めていた想いが、溢れそうになったからだ。

「・・・俺が居なくなってからは、間宮が代わりに先任で。 その後か? お前が新任で入ってきたのは?」

「そうですよ。 小隊長が当時の綾森中尉、先任が間宮少尉で次席が美園さん、俺が下っ端・・・ どれだけ振り回された事か・・・」

確か、美園のエレメントをしていたと言っていたな。 美園は俺のエレメントをしていた、だとしたら・・・

「文句を言うな、この『孫弟子』」

「孫弟子!?」

今度こそ、心底嫌そうな顔をした摂津の顔を見つつ、笑いながらその場を立ち去った。
時間が無い、部下の様子も確認出来た、次の仕事に取り掛からなければな。


「・・・俺は、あんな『吶喊野郎』じゃねぇよ・・・」

「自覚ないのですか? 摂津さん?」

「誰しも、自分の事は見えなくなるモノですね」

「おい!? 四宮、瀬間!?」

背後に、部下の声を聞きながら。






0520 京都府長岡京市 国鉄長岡京駅付近 第7軍団司令部・兵站部


「・・・こっちもな、言う程余裕は無いのだ、大尉」

もう何度目になるか。 第7軍団G4(兵站参謀部)の参謀中佐が、苦り切った声で繰り返し言う。
だがこちらも死活問題だ、おいそれと引き下がる気は毛頭ない。 だから延々と押し問答が続いている。

「ですので、予備全機をとは申しておりません、中佐殿。 こちらの機数分、24機。 その予備パーツの補充。 2個中隊分です、何とかお願いします」

横で水嶋さんが喰い下がっている。 彼女の方が先任の為、主に交渉はさっきから彼女がやっていた。

「しかしだな、水嶋大尉。 正直言って、第5師団の支援を止める訳にはいかない。 先程も予備機を8機、急遽送り出した所だ。
ああ、そうだ、確かに5師団は9軍団が兵站支援の面倒をみる。 その前提で増援に出した。 だがな、考えてみろ。 戦場でいきなり別機種への乗り換えが、如何に難しいかを」

―――君等も衛士なら、その辺は判るだろう。

言外にそう言っている。 それは判る、判るがそれは平時の理屈だ。 戦時の、最前線では通らない。

「・・・失礼します、中佐。 我々は独立戦闘団に派遣されております、その兵站は第7軍団が行う事と、第2軍司令部より通達が来ておる筈ですが」

「ああ、来ているよ、来ているがな・・・」

「独立戦闘団は、当初戦術機甲部隊は9個中隊でした、今は8個中隊。 そこから更に2個中隊が戦力を喪失しようとしております。
1個連隊規模から、1個大隊分の戦力減です。 桜井(大阪府島本町)の最前線に布陣する20師団は丙師団。 その機甲戦力の増強として見込まれた部隊です」

段々、参謀中佐も俺が何を言いたいのか判って来たらしい。 
少し表情が変わる、そうだろう。 正面戦力、それも戦術機甲戦力が手薄になるなど、悪夢だ。

「後詰の40師団はおりますが、正直対岸の国連軍(大東亜連合軍、米軍)と比べて戦術機甲戦力が手薄気味なのは、第7軍団司令部が良くご存じかと。
確かに本来の指揮下部隊である第5師団への兵站補充は重要では有りますが、最悪でも向うには第9軍団が控えております、第2軍司令部も」

中佐が少し嫌な顔をする、誰しも『身内』には肩入れをしたくなるのは心情か。
俺の言葉を受け、水嶋さんが後を引き継いだ。

「独立戦闘団の使用機種は、他には中国軍の『殲撃10型』と台湾軍の『経国』、それに韓国軍のKF/A-92Ⅱ(F/A-92Ⅱのライセンス生産モデル)です。
中国軍は兵站部隊を引っ張ってきておりますが、台湾軍と韓国軍にはそれが有りません。  今は8個中隊ですが、じきに6個中隊、時間が経てば3個中隊にまで減ります」

今は4個大隊規模の戦術機甲戦力が布陣しているが、さほど長い時間がかからずに、それは2個大隊にまで減少する。 戦闘での喪失では無く、整備不良の為に。
目前の参謀中佐が、腕組みをして無言で宙を仰いでいる。 彼の主管は兵站管理だ、戦況に対応する戦術・戦略作戦の検討は入っていない。
しかしそれでも軍団参謀だ、この方面の状況、そして全体の戦略状況は把握しているのだろう。 自分の主管と戦略状況を、天秤にかけているのだろうか。

ややあって、参謀中佐がゆっくり口を開いた。

「・・・第2軍司令部から、正式に命令は出ておる。 9軍団からも、確かに言付かっておる。 最終的な判断は参謀長(第7軍団参謀長・鈴木啓次少将)に伺うが・・・
確かに北摂から京都南部への防衛線が手薄になるのは、いただけない。 その辺は軍団司令部も判っておる」

「では・・・?」

「どれだけ出すかは、俺の主管範囲だ。 7軍団の兵站が維持される範囲で、出してやろう。ただし『撃震』は需要が多い、5師団用に取っておいた予備の『疾風』だ。
ところで、君等は14師団と18師団だったな、親部隊は。 ウチは『不知火』じゃないぞ?」

暗に機種変換訓練なしで、ぶっつけ本番の機種変更は大丈夫なのか? と聞いて来る。
思わず水嶋さんと顔を見合わせ、少しだけ笑みが浮かんだ。 よし、これで分捕った。

「ご心配無く。 14師団も18師団も、元々は大陸派遣軍の所属です。 『疾風』系の機体を、最初に戦場で使い始めたのは我々です」






0545 第7軍団 兵站部機体管理ハンガー


「・・・疾風か、何か久しぶりの気がしますよ」

横から美園が呟く。 彼女にとっては、初陣以来の長い時間を共に戦った機体だけあって、感慨深そうだ。
師団が再編制されて、搭乗する機体が『不知火』に変わっても、共に戦ってきた信頼感は格別らしい。

「それほど長い間、『不知火』に乗っていた訳じゃないだろう? 全員が搭乗経験有りなんだ、心配は無いだろう?」

「ええ、そうです。 一番心配なのは周防さんですけどね。 一体何年、『疾風』系の機体に乗って無かったんですか?」

「・・・93年の6月以来だ、もう5年前になるか」

「機種転換訓練なしで、大丈夫ですかね? この人は・・・」

美園がからかう様に言う。 全くだ、本当に久しぶりに搭乗する機体だ。 同時に昔の思い出が蘇る、色々と思い入れも深い機体だったしな。

「・・・見損なうなよ? これでも戦場でぶっつけ本番の機種変更は、国連軍時代に散々やってきた。 今更、そんなお上品な文句を言う気は無いさ」

「そうでした、そうでした。 誰かさんは、誰かさんを放っぽって、あちこちで色んな戦術機を乗り回して、喜んでいたんでしたっけね?
お陰さまで私、小隊長時代は誰かさんの落ち込みを、フォローするのが大変でしたよ? その内、精神的慰謝料を請求しますからね?」

「酒の1本で、手を打て」

「2本ですね」

そう言って笑いながら、美園は搬出指揮に戻って行った。
しかし、2本?―――で、済むだろうか? あの『隠れ酒豪』が、果たしてそれだけで? きょうび、まともな酒など大尉の薄給では、なかなか手を出し辛くなっているのに。

そこまで考えて、思わず苦笑してしまった。 この状況で、何と言う太平楽な事を、と。

F/A-92Ⅱ、24機。 それに予備パーツ一式。 更には韓国軍用に、24機分の予備パーツも。 これで当面は戦える、機体にも文句は無い、準第3世代機だ。
韓国軍は基本的に、同一の機体と考えていい。 細かい変更点は有るそうだが、F/A-92Ⅱ-Kは、ほぼ90%以上は同一の機体だ。

台湾軍の『経国』はどうしようもない、米国のF-18E/F『スーパーホーネット』をベースにした機体だ。 今この戦場でF-18E/Fを使用する部隊は、熊野灘の米第7艦隊しか無い。
台湾にも『疾風』系の機体は輸出しており、実際に新竹の台湾軍第499戦術機甲連隊と、台東の第737戦術機甲連隊はF/A-92Ⅱ-Tを配備している。
このどちらかから派遣されていれば、問題は無かったのだが・・・ 因みに台湾軍は残りをF-CK-1『経国』、別名『IDF戦術機』とF-5系の発展型が占める。
統一中華戦線と言えば、『殲撃』シリーズと思いがちだが、あれは解放軍の機体だ、台湾軍は使用していない。


「直やん、搬出は終わった。 これから向うで、超特急でシステム調整をやる」

背後から修さん―――児玉修平整備少尉が声をかけてきた。
両手を使って、部下達にあれやこれやと、指示を出している。 この辺の実務は彼に―――整備主任達に任せた方が良い。 俺達はその責任だけを取る。

「システム調整、どの位かかりそうだ?」

BETAも何時までも大人しく逼塞している訳ではないだろう。 この数時間ほど大人しかった、お陰で戦線の再構築に有する時間が稼げたが、それもそろそろだろう。
実際に南部と北部では、相変わらずの激戦が続いている。 この中部防衛線は、ちょっとした台風の目のような状態に過ぎない。

「・・・噂やで、あくまで噂やがな。 さっきこっちに居る、司令部付きの同年兵と会ってな。 あと、2時間程やそうや、京都放棄の命令が発令されるンは」

―――京都放棄。

いよいよか。 あと2時間程、恐らく0800頃になるか。 周囲を見渡す。 さっきから国鉄の列車が、ひっきりなしに通過していた。 
大阪市北部の淀川南岸辺りまで行って、そこから徒歩と電車とで生駒山地を越す。 最後の避難経路に残った民間人が殺到しているのだ。
それでも未だ京都市内には、10万以上の民間人が取り残されている。 周辺市町村にも、20万近い人々が―――恐らく、逃げ切れまい。
そしてその人々を救う余裕は、軍には無い。 戦力的にも、時間的にも。 そして背後に残った近畿の避難民、残り1100万人の安全確保の為にも。

「超特急でやる事はやるが、それでも中隊12機、全機の調整はギリギリ間に合うかどうか、やな・・・」

「まずは、若い連中の機体から完調させてくれ、次に中堅。 古参は後で良い・・・ 俺の機体は最後だよ、整備主任」

片方の目だけ、器用に釣り上げてこちらを見た修さんが、僅かに笑ったように見えた。

「・・・基本のインストールとアップデートだけは、何とか終わらせとくわ。 後は、な?」

「それだけやってくれれば、上出来だよ。 調整は戦場でやる」

「そう言う事が言える衛士も、年々減ってきよったなぁ・・・」









0610 独立戦闘団本部 大阪府島本町 水無瀬付近


「日本軍がF/A-92を2個中隊分、新規補充すると?」

「はい、同志中校。 先程日本軍から連絡が有りました。 連中の94式は、もう相当ガタが来ている状態でしたので、これは歓迎すべきかと」

部下であり、戦術機甲部隊付き政治教導員(政治将校)である馬大尉の報告に、少し首を傾げる。 連中、それ程余裕は有ったのか?
暫くして、日帝の第5師団が南部防衛線に張り付いていたのを思い出した。 そうか、それで余剰が。 それに韓国軍の機体も、ほぼ同じ機体だ。

「・・・喜ばしい事だな、これで『前線』の5個中隊の内、4個中隊は憂い無く戦えると言うものだ」

「台湾軍も、F/A-92系戦術機の運用実績が有ります。 いざとなればその分も・・・」

「流石に、そこまで融通は利かぬだろう。 連中も予備は出来るだけ確保したいはずだ、余り虫の良い事ばかり言えまい?」

その言葉に、馬大尉が最初吃驚した表情を見せ、次に苦笑する。
何しろ『中華文化圏』に於いては、まずはともあれ自己の主張を止める事は出来ない。 相手の事など知った事か、一歩引けば相手は百歩踏み込んで、根こそぎ奪ってゆく。
嘘も方便、白髪三千丈、面子が立つなら手段は選ばない、相手との協調や謙虚さなどは、悪徳であって美徳では無いのだから。

そんな文化背景を、マルクス・レーニン主義の皮衣に、毛沢東思想、鄧小平理論で味付けした『地球最後の専制王朝』である中国共産党。
その暴力装置である人民解放軍の『党の監視装置』である政治将校が、事も有ろうに協調や謙虚さなどとは!
しかし現実を見れば、余り大声ばかり出しても居られない。 何せこの地は、周りは日帝軍ばかりだ。 国連軍や統一戦線を組む台湾軍など、心細い限り。
ここで日帝軍の機嫌を損ねたら最後、下手をすれば全員、この東海の僻地で骸をBETAに喰われる事になりかねない。

「・・・周少校には、日本軍の『協力』をよく伝えておきましょう。 同時に我が党は、『友誼に篤く』なければならぬと言う事も」

「宜しい。 ・・・何か変わった所は?」

「特には。 任務に精勤しております。 少し前に前線の韓国軍1個中隊と台湾軍中隊を、我が方の2個中隊と変えるべきだと。
或いは予備隊3個中隊の内、1個中隊を前線に回すべき、等と言っておりましたが」

「・・・何と言い返したのだ?」

「は、取りあえず『あまり異機種混成部隊だと、指揮の効率が低下するのでは?』と。 それ以来、なにも言ってきませんが」

気になるセリフだ。 あの女、確実に自分の意図を見抜いているな。 その上で、形をしては申し分の無い『妨害』を仕掛けて来るか。
日本の本土防衛部隊に、統一中華戦線、そして韓国軍の各部隊が並んで共に戦う。 『戦闘』の結果はどうであれ、日帝軍の前線部隊からは好評を得るだろう。
後方の参謀本部や、この国の政府は違う。 連中は裏の政治的判断を働かせるだろうし、そうして然るべきだ。 しかし『国際協調』の美名の下では、模範回答だ。
暫く考え込んだが、その案は却下した。 何より当初の目的を覆す気は毛頭ない、それに周蘇紅も、これ以上煩く言ってこないだろう。

「・・・事前の計画通りとする。 部隊内の士気はどうか?」

「あれや、これやと餌をぶら下げました。 この地で『不法に』入手した物についても、余程ではない限り目をつむっておきます。 お陰でなかなか、良好では有ります」

「ああ、それで良い。 どうせそのままにしておけば、BETAの腹に収まる代物だ」

暗に、統一中華戦線将兵―――主に解放軍将兵が行った、不法侵入と略奪行為に対して不問にする、そう言っていた。
避難民が大慌てで脱出した無人の家屋。 その中に残された物品には、値打ちモノの残留品も少なく無かった。
本来であれば軍刑法に従い、厳罰に処すべき所だ。 だがこんな僻地まで派遣させられて、BETAと戦わねばならない将兵のフラストレーション、その捌け口として黙認していた。

「後はせいぜい、余計な摩擦を起こさせないようにしろ。 特に日本軍とはな」

「承知しました。 周少校は?」

「引き続き、手綱を握っておけ」

「―――はっ」

馬大尉がテントを出てゆく。 その姿が見えなくなった後、羅蕭林中校は小さな声で独り言を呟いた。

「超美鳳、朱文怜―――厄介な子飼いを持ったものだな。 だから貴様は、党から目を付けられたのだ、周蘇紅」

総政治部から『危険分子』候補としてリストアップされていたのは、超美鳳大尉と朱文怜大尉の2人だった。
2人とも国連軍出向経験が有り、そして主に欧州方面で大西洋方面総軍に所属していた、と出国前に総政治部のファイルを読んだ。
その影響でか、リラベル的な言動が目につく、とも。 共産党支配体制を存続させるためには、将来的に禍根を残す可能性あり、とも記載されていた。

その影響だろう、直属上官だった周少校のファイルにも『政治的信頼性は、かなり低い』と、解放軍に於いては致命的な評価が下されていた。
今回の派兵、多くがそう言った『政治的信頼性』の低い前線指揮官が多く含まれている。 あわよくば、激戦が予想されるこの国の戦場で『名誉の戦死』を、そう言った所か。
そして自分にお鉢が回ってきた。 であるならば、自分の思惑と党の裏の意向、それを満足させるためには、今のままが一番宜しい。

「・・・総政治部の基本的任務は中国共産党中央、中央軍事委員会の決議と指示に従って、軍隊全体の政治活動の方針・任務を確定し、
下級機関の執行を指導し、中国共産党中央、国務院、中央軍事委員会から軍隊に与えられた諸任務の完成を保障する事である」

小さく、『人民解放軍政治工作条例』の一節を口ずさむ。 
下士官兵、それに下級将校の士気の維持は、政治教導員(大隊付き政治将校)、政治指導員(中隊付き政治将校)の役目だ。 直接兵に接するのは、精々が大隊までだ。
自分の様な政治協理員(連隊付き政治将校)以上ともなれば、その任は如何に各級指揮官の政治的信頼性を見極め、党の任務を完遂する保障を作るかを求められる。
その意味で、政治教導員までは将兵を鼓舞し、指導し、時に信賞必罰を行う。 我々政治協理員や政治委員(師団付き以上の政治将校)は指揮官を監視し、助言し、未然に防ぐ。

「周蘇紅、超美鳳、朱文怜・・・ 残念だよ、本当に残念だ。 私は本心から、そう思っているよ」

貴重な歴戦の衛士にして、部隊指揮官。 今の党には、宝石並みに貴重と言える。 羅中校の内心の一部は、本当にそう思っていた。
しかし彼女は、党の人間だった。 総政治部は党の政治的監督機関であり、解放軍は党の軍隊なのだ、この事実は変わらない。
それ故に、彼女の内心の他の部分では、今回の処置を是としていた。 繰り返すが、彼女は党の人間なのだ。


そこまで考え、不意に喉の渇きを覚えた。 この国の夏は蒸し暑過ぎる、台湾もそうだ。 何もかも、故郷の北京―――今は無い北京とは、大違いだ。
急須からお茶を入れる。 生憎と台湾から持ってきた茶葉は既に切らして久しい、仕方なくこの国の茶葉で我慢している―――緑茶と言うのは、どうも好みに合わないな。
そんな感想を思いながら、これまた私物の茶器を手にテントから出る。 既に東の空は白みがかっていた、真夏の暑い1日の始まりだ。
その空に時折、爆発光が見える。 明け方の空に立ち上る、鮮やかな光の筋も。 南部防衛線は今も戦闘が続いているのだ。
不意に砲声が聞こえた、北西方向だ。 恐らく日本軍の第2軍団、その面制圧砲撃だろう。 あの方角の山岳地帯には、日本第1軍の第2軍団が布陣している筈だった。


戦場の遠景と音楽を意識しながら、熱いお茶を飲み、漠然と考える。
日本に派遣される前、密かに入手した情報。 米下院が騒ぎ出している。 米上院も米日安保条約の見直しを、いや、批准の見直しをと言い出していると聞く。
ワシントンにばら撒かれている、中国の情報網に引っかかった機密情報。 情報源は上院少数党院内総務―――民主党上院院内総務を務める大物議員だ、確実な情報だろう。
可能性として、米軍の日本撤退も有り得る。 そうなればこの国はお終いだ、後はBETAの胃袋に収まるだけ。

党も極力、兵力を日本で潰したくないと考えている。 統一中華戦線―――台湾との建前上、派兵こそしたが本音は乗り気では無い。
それにここで戦力をすり潰せば、自分とて無傷と言う訳にはいかない。 いずれ総政治部入りは果たせるだろうが、下手をすると回り道を強いられる可能性もある。
いざとなれば、父に・・・ とも思うが。 しかし他の兄弟姉妹の手前、余り弱みを見せたくない。

(―――結果だ、何よりも結果だ。 それを示さねば何にもならぬ)

この場合の結果とは、増援として派遣された日本本土の防衛を達成する、と言う事では無かった。







0640 独立戦闘団 戦術機甲部隊 野外戦術機ハンガー付近 京都府大山崎町


「・・・台湾もな、一枚岩じゃないんだよ」

曹徳豊(カオ・ドゥオフェン)大尉が呟いた。 場所は野外の仮設ピスト―――只の野外用テントの中だ。
俺の他には、韓国軍の韓炳德(ハン・ビョンドク)大尉、郭鳳基(カク・ボンギ)大尉。  水嶋さんと美園は、野外駐機場に行っている。

先程、補充機体の搬入が終わった。 今は整備班が総出で、各調整作業に入っている。 それが終わるまでは、専門外の衛士は待機状態。
最前線の警戒は20師団が行っている、周囲には27師団が師団司令部ごと前進して来たし、最後尾に40師団も布陣を完了させた。
対岸の南岸には国連軍が2個師団、展開を完了させた。 ついでに良いニュースも有った、南部戦線に出戦していた海軍部隊が1個大隊、増援に駆けつけてくれた。
元々は奈良の大和基地を本拠にしていた、海軍第204戦術機甲戦闘団。 陸軍の編制で言えば戦術機甲大隊に相当する。
奈良県北部の基地から、支援部隊込みで駆けつけてくれた。 それも今のこの状況では予想もしなかった第3世代機『流星』の近接・高機動型(AB-17A)が40機。

文句が有るだろうか。 現在世界中を探しても、この機体以上に高性能の第3世代戦術機は存在しない。
欧州の実証試験機はややもたついているし、スウェーデンのJAS-39は総合性能でAB-17に一歩及ばず、が定評だ。
フランスの第3世代機、漏れ聞く所によると『ラファール』と言う機体は近々、今年中に配備が始まるそうだが、まだ実戦を経験した機体では無い。
ソ連のSu-37『チェルミナートル』は2.5世代機、或いは準第3世代機だ。 米国の第3世代機は、未だEMD(先行量産型)のフェイズ2相当機が9機だけだ。

―――何はともあれ、後は整備班の仕事待ち。 その後は死力を尽くして戦うだけだった。
そんな中、台湾軍の曹大尉と韓国軍の韓大尉の、何気ない会話から、統一中華戦線が内部に持つ様々な歪みの話になったのだった。


「元々、歴史的にも内省人と外省人の対立も有ったし、政治的にも泛藍連盟派(『邦連制』を主張し台湾独立には反対)と、泛緑連盟派(台湾本土派および独立派)が有ったし」

クソ暑い真夏の夜中、強化装備を脱ぐ事も出来す待機するのは厳しい。 クーラーボックスからペットボトルのドリンクを出して、盛んに水分を補給する。
数本取り出し、他の連中に手渡す。 飲み易い様に辛うじて味が付いているが、妙に甘い感じがする飲み物だ。

「でもなぁ、今更『独立反対』は無いだろう? 中共は国土のほとんどを喪失した、今は台湾対岸の福建省の沿岸部を残すのみだし」

「そこさえも、橋頭堡として軍事的に維持しているだけで、住民はいない筈だ。 どうして共産党が、あれ程の影響力を持つ?」

韓大尉と郭大尉が訝しげにそう言う。 それはそうだろう、中国共産党は大陸の国土のほぼ全てを喪失している。
そこを逃げ出して台湾に避難した、言わば『亡命政府』がどうして避難先で、言わば大家に対して強く出れるのか?

「韓大尉、郭大尉、君等は台湾の複雑な状況を知らない・・・ 元々1944年までは日本領だった事は、君等のお国と同じさ。 だろう? 周防大尉」

そう来たか―――思わず苦笑しつつ頷く。 今ここで東アジアの歴史を持ち出されるとはな。 しかしそれを語らずして、東アジアは語れないしな。
横から睨みつける郭大尉の視線が痛い。 彼がどう言った経緯で、ここまでの反日感情を抱くようになったのかは、大体想像できるが・・・ 今は止めておこう。

「・・・1944年に帝国は、米国を始めとする連合国との戦争で、条件付き降伏をした。 そしてその結果として、幾つかの海外領土を放棄した。
その中で独立したのが大韓民国。 そして台湾は国共内戦後に、国民党が1949年に大陸から移転して、成立させた・・・」

「で、大陸と台湾と、台湾海峡を挟んで睨みあいか」

郭大尉が、少し横柄な口調で言う。 半島は1945年以降、統一政体を確立したのに、中華民族は・・・ と言いたい様な。
その言葉にも、曹大尉は苦笑するだけだ。 そう言われるのも、もう慣れっこの様だった。 そして気にした風もなく、話を続ける。

「台湾にやってきた国民党政府の余りの腐敗ぶりに当時、僕等の曾祖父や祖父達は驚いたのさ。 で、起こったのが国民党支配から独立を目指す、『台湾独立運動』だよ。
それが今は民進党や、国民党から分離した台湾団結連盟(台連)なんかの泛緑連盟派が受け継いでいる。 台湾は台湾、大陸の中共とは異なる国家だとしてね。
反対に大陸との統一を主張して来たのが、国民党や親民党なんかの泛藍連盟派さ。 『中国の正統政府』を主張して、『台湾の独立』には反対している。
最も近年は『邦連制』なんかを言い出していたけどね、その矢先の共産党の台湾移転さ。     国内は大混乱だよ」

ふむ? 『邦連制』とはあくまで、大陸と台湾、この双方が並び立つ方便、そう言う事か。
それが今や同居状態。 連邦制も何もあったもんじゃないな、確かに。 しかしな・・・

「・・・よく判らないのだが、その状況では共産党が影響力を持てるとは思えない。 言わば四面楚歌じゃないのか?
方や台湾独立派、方や中国正統政権主張派。 共産党が味方につけられる勢力は、無い気がするんだが・・・?」

思わず疑問を挟んでしまう。 聞けば聞く程、中国共産党に有利な政治条件が見えてこないからだ。 韓大尉も、郭大尉も頷いている。
それに対して曹大尉は、相変わらず苦笑をしたままだ。 いや、自嘲と言った方が良いのか? 溜息さえついている。

「君等は・・・ ああ、台湾の国土面積を知っているかい? 約3万5980km²だよ、これは日本の九州島よりやや小さい。 そこに元々2300万人程の『台湾人』が住んでいた・・・」

3人して頷く。 その位は軍教育でも、地誌概要として教えている。

「そうだな、我が国の関東地方に面積は近いか。 関東は3万2400km²位だった筈だ、人口は4240万人程だったか・・・」

「関東と関西の中間位だね、でも今はそうじゃない・・・」

「大陸からの流入?」

「そうだよ・・・ 流入人口はおよそ1655万人、今現在の台湾の総人口は、約3970万人。  日本の関東地方に似ている」

台湾の人口は、かなり増加していると言う事か。 最もその増加分、殆ど全てが大陸からの流入人口―――難民なのだろうが。 しかしそれでも、どの位の比率になるかだな。 

「え~っと? 元々の台湾人が、総人口の58%程。 で、大陸からの流入人口が約42%位か。 確かになぁ、無視出来る数字じゃないな、これは・・・」

「それでも過半数は維持しているだろう? 確かに国内のバランスは大幅に崩れているが・・・」

余りに多過ぎると、台湾政府の統制を嫌う人口がそれだけ大きくなっている事を示す。 それだけ国内の政情が不安定になりかねない。
しかし6割近くを確保しているのなら、取りあえずの過半数は確保していると言う事か。  難しいが、それでも台湾側が主導権を取れる数字だろう・・・?


「・・・台湾には、戦術機を開発・製造出来るメーカーが存在しなかった」

「ああ・・・?」

「韓国だって、アメリカや日本のメーカーが開発した機体の、ライセンス生産だけだっただろう?
確かに台湾軍はアメリカからF-18や、日本からF/A-92Ⅱを購入して装備している。 それに『経国』は純然な国産機じゃないよ」

「ああ、それはそうだな。 『経国』のベースはF-18E/Fだしな。 ライセンス料も馬鹿にならないか」

「TAIDC (Taiwan Aerospace Industrial Development Corporation)は台湾最大の軍需企業だけれど・・・ まだ戦術機の独自開発には至っていない。
そこへ瀋陽(瀋陽戦機工業公司:Shenyang TSF Industry Corporation、STIC)や、盛都(盛都戦機工業公司:Changhe TSF Industry Corporation、CTIC)が声をかけてきた。
連中もJ-10(殲撃10型)やJ-11(殲撃11型)の生産拠点が欲しい。 J-10はイスラエルのIEIでも生産は出来るけれど、IEI自体がアフリカに移転したとあってはね。
J-11はもっと厳しい、アラスカのソ連政府は余剰分を生産する程の余裕は無いし。 それにTAIDCにとっても渡りに船さ。
STICやCTICは元々、ボーニングやノースロック・グラナンのパーツ制作の下請けも請け負っていた。 その技術力は実際の所、高いんだ」

瀋陽(STIC)にせよ、盛都(CTIC)にせよ、中国が誇った3大半官半民軍需企業のひとつ、『中華航機工業集団(China Aviation Industry Group:CAIC)の傘下企業だ。
CAICは中華北方工業公司(North Industries Corporation:Norinco・ノリンコ)や、中華南方工業集団公司(South Industries Group Corporation:SIGC)に匹敵する。
国土を追われたとはいえ、この3つの企業群で世界中に散らばった、200社近い傘下企業を抱える一大企業群だ。 その規模はCAICだけで、未だにTAIDCを上回る程だ。

「つまりは、TAIDCに対しては戦術機関係技術、台湾政府に対しては経済力。 それをカードにしていると?」

「もうね、立派に『邦連制』さ。 まだ国内は完全な住み分けが為されている訳じゃないけれど、台湾人と中共人は交わりたがらない。
共産党も強気さ、人口の40%を支配して、台湾経済のかなりの部分まで浸透してきている。 総統府も立法院(議会)も行政院(内閣)も、扱いに苦慮しているよ」

未だに中国共産党が台湾でその存在を誇示している理由と、戦闘団司令部の羅中佐の強気な態度が判る様な気がした。
そして統一中華戦線内部の混乱も、この辺に起因するのかもしれない。 普通に考えれば台湾主導でと思われるのだが、共産中国は相変わらず一定の力を有している。
台湾にしても、自国の防壁たる『台湾海峡防衛線』を単独で守る事は困難なのだろう。 何と言っても兵力が足りない。
中国軍―――人民解放軍は台湾海峡防衛線の対岸、福建橋頭堡を死守する戦いを未だ継続している、ここを失うと台湾は風前の灯。 成程、共産党が強気な訳だ。

「・・・さっき、連合軍団本部から、1人の大尉が来ていただろう? あれは軍人じゃない。  いや、軍の階級を持っているが、共産党の人間だ」

「どう言う事だ、曹大尉? どうして中共の人間が、こんな戦場に?」

「知らないよ、知りたくもない、でもあいつは確かに共産党の人間だ。 台湾を出る時に見た、統軍委(統一中華戦線・中華統一中央委員会傘下・統一軍事委員会)だ。
こっち(台湾軍)の人間から聞いた、元は統中委(中華統一中央委員会)中央弁公処直属の人間らしい。 嫌な連中だよ」

「・・・キナ臭いな」

郭大尉が不機嫌そうに、鼻を鳴らして言う。 余りソリの合わない相手だが、今回ばかりは全面的に同意する。
そろそろBETAの本格的な前進が予想される状況で、政治的な厄介事は持ち込まないで欲しいものだ。






0650 独立戦闘団 戦術機甲部隊 野外戦術機ハンガー付近


指揮官達のテントから、会話が漏れ聞こえてきた。 台湾軍の曹大尉に、韓国軍の韓大尉と郭大尉、そして日本の周防大尉か・・・
自嘲がこみ上げる。 何をやっているのだ、私は。 階級が上がると、こういう面倒事が多くなって困る。

先だって、台湾に避難している母から便りが有った。 その中で弟の事を特に心配していた。
弟も軍人だ、福建橋頭堡を死守する戦いに赴いている。 そして家には男の後継は弟だけ、自分と妹は『女』だ。
もし弟が戦死する様な事になれば、一族の祭祀が途絶えてしまう。 女の私では駄目なのだ、儒教の教えでは、男の直系子孫の祭祀しか先祖は受け付けない。
そして一族の祭祀が途絶えると言う事は、漢民族にとっては死に勝る恥辱でも有るのだ。 両親はその事を、酷く恐れている。

(―――もっとも、そんな『恥辱』など、巷に溢れかえってもう、インフレ状態だけれど)

一体、何億人が死んだと言うのだ、中国だけで。 何億の家族が消滅したと言うのか、中国だけで。 何千万の一族が途絶えたと言うのか、中国だけで。
台湾に渡った人々の中には、何百万もの祭祀を祭れない人々が居る。 今更、特別な事でも無い―――それでもやはり、恐ろしい。 染みついた価値観と言う奴か。

多分あの女は・・・ 羅蕭林はそんな私の『弱み』を、突いてきた気でいるのだろう。
それならそれで良い、正直、親の事も心配ではある。 しかしそれ以上に、生き残りたい。 そしてあの2人を死なせたくは無かった。
超美鳳、朱文怜。 懇意にしているとある政治将校から、以前にこっそりと耳打ちされた事が有った。
国連軍から帰ってきて以来、何かと党批判とも受け止められる様な発言を、あの2人からしばしば聞いた事が有る。
その時は自分が注意をしておいたが、余所の場所での発言は、そして自分以外の者への発言は、流石に隠せない。
何度か呼び出して、それとなく注意を喚起したつもりだったのだが・・・ どこからか、政治将校の耳に入ってしまったのか。

多分、羅中校は私を含め、美鳳も文怜も、この地で使い潰す気だろう。 或いは党が暗黙のうちに、指示したのか。
だが、今の状況は味方につける事が可能だ。 日本軍の指揮官2人は旧知の仲だし、台湾軍の曹大尉とも話は合う。 韓国軍の2人は常識の範囲内で従ってくれればいい。
日本軍の2個師団も前後に居る、これを上手く利用すれば・・・ 美鳳と文怜は、予備隊に回されたのは却って良かったかもしれない。

(・・・友軍には悪いが、利用させて欲しい・・・)

贖罪にもならないが、その代わりに部隊指揮は全霊で打ち込もう。 もはや戦術機を駆る事の適わぬ身ではあるが、指揮官の責務は果たせる、果たして見せる。



大阪方面から砲声が鳴り響いている。 かなりの大音声だ、戦艦の主砲か? 
背後では京都市内への突破阻止の死闘を展開している、日本軍第1軍の砲兵部隊が砲撃を再開していた。 

夜はすっかり明けた、気温がじりじりと上昇してきているのが判る。 激戦の再開だ。 暑い1日になりそうだった。






[20952] 本土防衛戦 京都防衛戦 8話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/02/06 15:37
1998年8月14日 0710 大阪府大阪市 淀川防衛線南岸


「・・・動き出した、北西方向、河沿いに京都方向に向かい始めました!」

対岸の僅かに残された建物の残骸―――廃墟の中に陣取っていた観測班が、その動きを確認した。
密集して動いていないかのように見えたBETA群、その中の一部がゆっくりと、しかし確実に動き始めていた。

「・・・中隊本管に連絡。 『山動く、都、0710』、急げ」

―――0710時、BETA群、京都方面に移動開始。

明け方前から小規模な動きを見せていたBETA群だが、ここにきて一気にその動きを加速するかもしれない。
そう判断した第2軍司令部は、対岸の数か所に設置した観測点をさらに増強して、BETA群の動きを注視していた。
一見、迂遠に思えるかもしれないが、衛星情報は前線部隊に辿り着くまで、そのシステム運用上時間がかかり過ぎる。 無人偵察機はこの戦場では、光線属種の単なる的だ。
従って、ある程度の隠密性を確保出来るのであれば、人海戦術的な偵察・索敵部隊による監視手段が有効とされる。 それが当ったようだ。

この移動でどれ程の数が減るかは、未だ不明だ。 だが南部防衛線から見れば、目前の圧力が減じる事は有り難い。
大阪湾中南部の工業地帯も、守りきれる可能性が飛躍的に高まる。 それに背後にはまだ1000万を越す民間人が残っている。
しかしそれは反対に、京都方面の南の入口を守る中部防衛線―――第7軍団にとっての悪夢となる。 京都を守る第1軍にとっても同様だろう。

(・・・それはお偉方の考える事だ、俺達の考える事じゃない)

観測班の指揮官―――歩兵小隊の指揮官である少尉は、自分ではどうしようもない『戦略状況』を、軽く頭を振って振り落そうとした。
今は自身に課せられた任務に集中すべきだ、それが自分に求められた責務であり、部下に対する責任なのだから。

双眼鏡の倍率を上げて、対岸をもう一度見た。 外宇宙から来た異形の侵略者の群れが醜悪な、おぞましい姿で地響きをたてて動いてゆく。
それは古今東西どの宗教の宗教画でも描き切れなかった、生々しい『地獄絵』そのものである様に思えた。










1045 奈良県奈良市 上空200m


『ドライドン・リーダーより全機! 突入経路は毎度同じの、奈良上空経由! 随分な数のBETA共が、既に大阪と京都の境に達している! 壁になる生駒山系を抜けて直ぐ攻撃態勢に入るから、気を抜くな!』

―――『了解!』

攻撃隊第13派を指揮する鈴木裕三郎大尉は、8機に減った戦術戦闘隊全機から応答が有るのを確かめ、操縦スティックを握り直した。
ややもすれば、集中力が散漫になりがちになりそうだった。 洋上支援を開始してから丸2日、ほとんど休みなく出撃・帰還、少しの休息の後、再度の出撃、この繰り返しだった。
常にBETAと戦場で向き合う陸軍とは違い、こちらは一撃離脱が主な戦い方とは言え、光線属種を避けての地形追従低空飛行と低空突撃。
地に足を付けての戦い方とどちらが神経を使うか、戦術機乗りなら自ずと判る。 低空突撃時は、下手をすれば光線級の格好の的になる。 それを2昼夜。
墜された3機の部下達にせよ、集中力が切れた時につい高度を上げ過ぎて、レーザーに絡め取られてしまったのだ。

―――今まで以上に、集中しなければ。

損害がより酷くなってしまうだろう。
もう、最初の頃の様にまとまった機数での力押し、と言う訳にもいかなくなってきた。 前線からの支援要請は、ひっきりなしに入って来る。
最早、戦隊単位での出撃は不可能。 艦単位での出撃も昨夜辺りから無理な話になった。  今は戦術機甲戦闘隊(陸軍の戦術機中隊に相当)単位での出撃だ。
それだけ、支援要請を送ってくる場所が多く、間隔が短くなってきたのだ。 そして比例する様に、損害も増えてきた。
今も同じ艦から、長嶺少佐の≪セイレーン≫が大阪湾沿岸部への支援攻撃に飛んでいる。 僚友の加藤大尉の≪ネプチューン≫は、30分前に京都方面の支援に飛び立って行った。

(・・・正直、そろそろどうにかしてくれないとな、こっちも弾切れ寸前だ)

海軍母艦戦術機部隊の主任務である面制圧、その手段としての95式誘導弾が残り僅かとなってきたのだ。
後方に控える補給船団から何度か補充を受けたが、それさえも使い果たしそうな状況だった。 作戦開始前の予想を大幅に上回る、弾薬消費増加率だった。
米第7艦隊は、フェニックスの使用制限さえ開始し始めている。 当然、F-14Dの出撃回数は減少し、その分『流星』、『翔鶴』の負担が増大し始めた。

やがて前方に戦場が見えた、野砲が砲火を吐き出し、MLRSが白煙を噴きながら誘導弾を射出している。 野戦重砲部隊の射線上を避け、突入経路をやや北寄りに変える。 
奈良盆地上空を突破し、そのまま京田辺から木津川沿いに巨椋池上空で急速左旋回。 目前には今まさにBETAを迎え撃っている最中の友軍部隊が見えた。
眼下遥か前方には、地形を巧みに利用し、光線級のレーザーを避ける様にダックインした戦車部隊が、大型種に向け戦車砲を放っていた。 
重金属雲高度、約500m その上に『乗りながら』、毎度の心臓が鷲掴みになる気分の突撃準備に入った。

『リーダーより全機! 重金属雲は、BETA群主力上空まで形成されている! このまま突っ込む、距離ゴーマル(500m)で全弾一斉発射、即時反転! いいか!?』

―――『了解!』

『よぉし―――突撃!』





後方警戒レーダーが、迫りくる多数のミサイルを捉えた。 同時に回避勧告警報がけたたましく鳴り響く。

「中隊、300後退!」

指揮官の咄嗟の命令に関わらず、全機が統制のとれた即時後退で誘導弾の危害範囲から離脱する。
次の瞬間、100発近い誘導弾がBETA群の中ほどで一斉に着弾した。 弾け、吹き飛び、切り刻まれ停止する個体が続出する。
その上空、地表スレスレにも思える高度を、海軍の戦術機部隊がM-88支援速射砲を滅茶苦茶に撒き散らしながら、全速でフライパスして行く。

≪VFA-207だ、陸軍、この後は少し支援攻撃が途絶える。 再開は1時間後だ、洋上補給にいったん下がる!≫

「了解した、さっさと済ませて、パーティーに参加してくれ」

≪固い甲羅や、蟹バサミを喰うのは好きだけどな! 目玉焼きは苦手だ、始末しておいてくれ!≫

飛び去る海軍機の後には、多数のBETAの残骸が散らばった。 節足部を吹き飛ばされ、動けなくなった突撃級、内臓物を吐き出して停止している要撃級。
前衛集団と中衛集団の間に空白が生じた、その間隙に向かって両翼から戦車砲が一斉に放たれる。 120mm砲弾と105mm砲弾が飛翔し、大型種BETAの横腹に大孔を空けた。

『よし、今だ! ≪イシュタル≫、≪チンロン≫、≪チルソン≫、各中隊は間隙に突っ込め! 拡張戦闘だ! ≪ファラン≫、≪フラガラッハ≫は201大隊(第20師団戦術機甲大隊)の支援だ、穴を塞げ!』

指揮車両から戦闘の指揮管制を行っている指揮官の指示に即応する様に、3個中隊の戦術機甲部隊が大きく開いたBETA群の間隙に向かって突っ込んで行く。
同時に2個中隊の戦術機部隊が左右に分かれ、それぞれ斜め前方からBETA群の前衛集団に向かって、攻撃を再開した。

「201! こちら≪フラガラッハ≫、左側面支援に入ります。 右翼に≪ファラン≫!」

『頼む! 201、≪バトルアクス≫、近藤少佐だ。 ≪フラガラッハ≫―――181の22中隊だったな? 周防大尉? 宜しく頼む、この数を1個大隊では面倒見切れん! 
それに≪ファラン≫・・・ 韓国軍か!? 助かる、友軍! 右を抜かれると山間部に入りこまれる所だった、感謝する!』

『・・・아니예요(アニエヨ:いえいえ)』

既に30機を割るまでに激減した『撃震』で構成される戦術機甲大隊の両翼を、それぞれ12機の『疾風弐型』と、F/A-92Ⅱ-Kの2個中隊が側面支援に入った。
これで正面戦力は50機以上、BETA群内部を引っ掻き廻し始めた別動隊が36機。 その直後に、後ろに展開していた27師団の戦術機甲連隊の内、『撃震』の1個大隊32機(8機減)が増援に駆けつけ、正面戦力に更に厚みを加える。
淀川と北側の山間部に挟まれた狭い地形の南北両側では、20師団、27師団の機甲連隊の全稼働戦車が、山間の傾斜面や運河南岸の堤防斜面にダックインしつつ、砲門をズラリと並べて一斉に発砲を開始した。

反転して来た海軍戦術機部隊が9機、上空から重金属雲を突っ切ってM-88支援砲を連射し57mm砲弾を叩き込みつつ、轟音を残して高速で北東へフライパスして行く。
その直後に甲高い飛翔音。 後方の師団砲兵連隊、軍団砲兵群から重砲とMLRSによる誘導弾が殺到する。 たちまち立ち上るレーザー照射。
その照射のタイミングを見計らうように、楔としてBETA群の前衛と中衛の間に割って入った3個戦術機甲中隊が更に中衛集団を内から撃ち倒し、斬り刻んで行く。

『バトルアクス・リーダーより≪フラガラッハ≫、≪ファラン≫、陣形・ウィング・ダブル・ファイヴ。 中央をバトルアクス、左翼はフラガ、右翼をファラン』

「フラガラッハ、了解。 突撃級を側面から崩すぞ、中隊陣形・ウィング・スリー」

『・・・ファラン、ラジャー。 ウィング・スリー』

山間部と河川に挟まれた狭隘な地形では、BETA群もその突進力を先端化せざるを得ない。  厚みを持たせた中央部で受け止め、同時に両翼から包み込む陣形は有効だった。
大きな鶴翼が3個集団、瞬く間に出来上がった。 そこに向けて直接砲撃で数を減じながらも、前衛集団の突撃級BETAが突っ込んで来る。
それを正面から迎え撃つ形で、201大隊の『撃震』が120mm砲弾を連射で浴びせかける。 更には制圧支援機から誘導弾が一斉に発射される。
同時に両側面の鶴翼を構成する2個中隊も、側面を急速移動しBETA群を包み込むように陣形を変えつつ、柔らかい横腹や節足部を狙って120mm、36mm砲弾を叩き込んで行く。
その横を27師団の『撃震』で構成される戦術機甲部隊が通り過ぎてゆく。 先程突入した3個中隊の後を追って中衛集団との間隙に突っ込んだ。 戦果をより拡張する為に。

「・・・くそ、数が多い。 フラガラッハ・リーダーより≪バトルアクス≫、左翼南岸には国連軍が布陣しています、陣形を変形させて後背を突くべきです。 左翼の安全は確保出来ます」

『・・・右翼はそのままでもいい、ってか? イルボン(日本人)?』

「そうは言っていない、郭大尉。 寧ろ右翼は少し後退して中央と合流すべきだ。 突撃級は『山登り』は全く不得手だ、この際は地形を包囲網に利用するべきだ」

『・・・よし、左翼はそのまま迂回前進し、BETA前衛集団の後背を取れ。 中衛から抜け出してきた要撃級と戦車級には、十分気を付けろ。
郭大尉、韓国軍はそのまま後退。 我々と合流してくれ。 27師団から更に1個大隊を送ってくれる段取りだ、十分保たせる事は出来る』

『了解・・・ 中隊、陣形そのまま、300後退する!』

3個の鶴翼の内、左翼の1個が時計回りに急速機動でBETA群の左側面を迂回し、その後背に出る。 同時に右翼の1個が後退して中央に合流した。
陣形はBETA群の突撃方向に大きな鶴翼が1個と、その後背に小さな鶴翼が1個の形となった。 北は山間部の斜面、南は河川、事前の地形を利用した包囲陣形が完成した。

「よし、裏を取った・・・ 中隊、全力射撃! たっぷり喰らわしてやれ!」

突撃級BETA最大の弱点―――固い装甲殻に覆われていない、柔らかい胴部がむき出しの後背部分に次々と120mm、36mm砲弾が叩き込まれる。
射貫孔から体液を噴出し、内臓物を吐き出しながらもなお、数10mを慣性で突き進みながら、次々に突撃級がその突進を止めてゆく。
正面の鶴翼を形成する友軍部隊からも、連続射撃で装甲殻を撃ち抜き、節足部を吹き飛ばして更にその数を減じて行っている。

「・・・ッ 放っておくのは、流石に拙いか」

不意に『フラガラッハ』中隊指揮官―――周防直衛大尉が戦術レーダーに視界をやって、呟いた。 
後方から10数体の要撃級が接近している、中衛をかき回していた連中が取りこぼした個体群か、流石に全滅さすのは不可能だ。

「摂津、四宮、ここを平らげろ。 淀川方向に行こうとする個体は、特に念入りに始末しておけ。 A小隊、俺に続け、要撃級を殺る」

『B小隊、了解』

『C小隊、了解です。 お気をつけて』

―――貴様等もな、ここで死ぬのは任務に入れてないからな。

そう言って周防大尉が直率小隊を引き連れ、迫る10数体の要撃級と、数10体の戦車級の群れに突入して行った。










1345 大阪府島本町 中部防衛線


『―――独立機甲戦闘団より日本軍20師団、27師団へ。 このまま、まずは推す事を進言します』

『―――20師団より独機団、所定の行動通り、繰り返す、所定の行動通り。 7軍団単独で、3万からのBETAを押す事は適わない』

『―――軍団司令部より27師団、20師団、独機団へ通達。 南岸の国連軍が南西に移動中、 枚方の北部地点で側面攻撃開始。 それまでは所定の作戦行動と為せ』

『―――20師団より軍団司令部! 前面のBETA群、尚も増加中、約3万5000! 堪え切れない!』

『―――第2軍司令部より第7軍団! 南部防衛線前面のBETA群が、ほぼ総出で北上を開始! 30分後の推定個体数、約4万以上!』

『―――第7軍団司令部より緊急信入電! 第9軍団主力を北上させて欲しいとの事です! 現有戦力での維持は不可能だと!』










1425 大阪市内 中部軍集団司令部


「無理だ! 1個軍団だぞ!? それをそんな短時間になどと! 戦闘部隊だけじゃ無い、支援部隊に大量の各種物資、移動にどれだけの時間と労力が必要だ!?」

司令部内で、一人の兵站参謀が悲鳴を上げた。 彼の職掌から見れば、前線から届いた要請はまさに悪夢以外の何物でも無かった。

「せめてまだ戦力が十分残っている31師団と38師団! この2個師団だけでも分派すべきだ!  元々第7軍団は九州から引っ張ってきた予備部隊だ、こんな正面きっての戦線を任す事は、想定していなかった!」

そんな様子を尻目に、作戦参謀が卓上を激しく叩きながら、即時移動を力説する。
叩いた拍子に巨大な作戦地図上の駒が散らばる。 それを見た参謀部付きの若手大尉参謀が、そっと眉を顰めた。

「駄目だ、駄目だ! ここで徒に戦力を潰してどうする!? この南部防衛戦力が半減するのだぞ!?」

「盲しいたか!? 目前を見ろ! どこにBETAが居る!? 連中、こぞって淀川沿いを北上中だ! 6個師団に4個旅団、これだけの大兵力が、ここで案山子にでもなっておれと言うのかっ、貴官は!」

情報主任参謀と、作戦主任参謀が激しくやり合う。 お互いの言葉にそれぞれの理が有り、故に互いに一歩も引く気配がない。
そんな上官たちの様子を、遠巻きに眺めていた若手の参謀が、ややおずおずとした調子で『意見を具申』した。

「せめて、戦術機甲部隊だけでも急派しては・・・?」

「馬鹿か!? 貴様は! 戦術機だけ突出させて見ろ! ものの数時間で戦力が無くなる!」

「整備! 補給! 支援部隊が間に合わん! 第7軍団支援部隊は飽和状態だ! 居眠りでもしとったのか、貴様は!」

途端に、双方から罵声を浴びせ掛けられる。 
首を引っ込めるような無意識の仕草で黙りこくった若手参謀を無視して、作戦主任参謀が周囲を見渡して言う。

「ここで長々議論している暇は無いぞ。 既に4万以上のBETA群の猛攻に晒されて、20師団は壊滅寸前だ、27師団も満身創痍。 戦略予備だった後詰の40師団さえ、最前線に詰めねばならない状況だ」

「・・・第7軍団だけでは、あと2時間も保つまい」

「国連軍はどうした? 南岸に居る国連軍は?」

作戦主任参謀の怒気を含んだ声に、兵站主任参謀と人事主任参謀が中部防衛線を構成する『友軍』の所在を確認する。
しかし、帰ってきたのは情報主任参謀の、疲れた様な、困り果てた様な、そして苦り切った様な声だった。

「駄目だ、そっちも渡河しようとしてくるBETA群の対応に手が一杯だ。 第1軍から罵声と慇懃無礼が並んだ要請が来ておる。 
本来第1軍支援に回る筈の琵琶湖の戦艦群、その支援砲撃の半数が八幡(国連軍陣地)の支援に回った。 お陰で亀岡方面のBETA群の阻止が難しくなったと!」

琵琶湖の戦艦群―――第1艦隊の2戦艦『信濃』、『美濃』と共に、第1軍への制圧砲撃支援を続けていた米第3艦隊の2戦艦『ミズーリ』、『ウィスコンシン』
この2隻が国連軍―――端的に言えば、自国軍の米第25師団の支援に回ったと言うのだ。  そして米25師団は暫定的に第7軍団指揮下で戦っている。
第1軍からは『勝手に支援砲戦力を奪うな! 返せ!』と。 米第3艦隊からは『自国軍の窮地を助けて、何が悪いのだ!』と。

「とにかく半数、増援に出せ! このままじゃ、京都放棄作戦が崩れる!」

「馬鹿野郎! こっちはさっきから、その『京都放棄後』の淀川南岸地域の防衛戦力、それが不足すると言っているだろうが! 何の為に九州にあれだけの戦力を残していると思っているのだ!」

「馬鹿はそっちだ、この大馬鹿野郎! このままじゃ、『京都放棄後』もクソも無いんだ!  本土防衛戦略構想の根幹が崩れるんだよ!」

再び騒然となった作戦会議室。 皆が皆、今の危機的な状況を理解している。 しているのだが、一点においてその見解の違いが、意見の相違が生じていた。

つまり、『京都放棄』をどのように考えるか、だった。

他地域へ十分な戦力を残したまま、おびき寄せる『餌』として京都をBETAに与え、準備中の『工作』で3方向から一気に爆発力を盆地に叩きつけ、殲滅する。
戦術の根幹は、これに決まっている。 問題はその時期だ。 今京都方面に兵力を移動させれば、あと数時間は時間の余裕を加えられるだろう。
しかしそれでは、『京都放棄後』の南部地域防衛戦力が払底する。 出せるのは第9軍団の第31、第39、第49師団。
しかしこの3個師団を出せば、第9軍団に残るのは戦力半減か、半減以下の第14、第18、第29師団のみ。 
海軍陸戦隊の2個師団は、この後別方面に引き抜かれる。 米海兵師団は言うまでもない、中韓の部隊も同様だ。
つまり、ここで増援3個師団を抽出すれば、淀川以南の大阪地区は今後、丸裸となる。 九州にあれ程の戦力を未だ張り付けている理由―――半島の鉄原ハイヴからの備え。
その備えが、大阪地区では今後無くなってしまうのだ。 少なからぬ重工業地帯を何とか無傷で防衛できそうな現在、何としても戦力は張り付けておきたい。

しかし、今この時点で京都にBETAの大群に突入される事は、北部防衛を担う第1軍の損害を極大化してしまう事となる。
亀岡盆地からの突破を、あの手この手で防いでいるのは、最後の工作までの時間を稼ぐ事と、中部軍集団全体のバランスを考えての事だ。
ここで一気に京都盆地にBETAが流れ込めば、まず第1軍は孤立する。 そして京都から大津、そして東海道、乃至、琵琶湖運河伊勢水道が丸裸となる。
BETAにとっては、琵琶湖湖畔から北陸街道沿いに一気に北陸方面へ(1個師団半の戦力しか無い)、或いは伊勢湾に抜け、名古屋の横腹へ。
そうなっては、帝国本土防衛戦構想は根底から崩れてしまう。 何としてもまだ京都南部の入口は死守せねばならなかった。


それまで部下の参謀達の罵声と言うか、議論を黙って聞いていた中部軍集団参謀長・田村守義中将が、手元の予備戦力リストを見つつ、司令官に具申する。

「閣下、やはり大阪前面から3個師団を引き抜く事は無理でしょう。 しかし山崎方面への増援は、焦眉の急です。 そこで・・・」

田村参謀長は一旦視線を司令官から外し、戦況地図の上の駒を幾つか動かした。

「本来、第7軍団の所属である第5師団。 この部隊は守口辺りに張り付いております、これをこのまま北上させ、第7軍団の側面援護に回します」

駒を移動させる。 大阪府三島郡水無瀬付近で、BETA群前面に張り付いている3個師団(今や2個師団半)、そしてその対岸の樟葉付近で、渡河BETA群を防いでいる国連軍2個師団。
国連軍部隊の後ろを回して、双方の支援が可能な八幡市駅近辺に布陣させる。 そうすれば樟葉方面へ押し出すにも、水無瀬方面への側面援護にも、急展開に対応可能だ。
今居る森口付近からの距離は約20km、部隊移動は大よそで3時間も有れば済むだろう。 無論、支援部隊も込みで。

「・・・しかしながら、その時間を稼ぐ必要がある事も確かであります。 そこで・・・」

比較的小さな駒を数個、図上で移動させる。 大隊規模、連隊規模の部隊を複数、集めては移動させた。

「現在、国連軍の機動防御支援に海軍第5艦隊から第13戦隊の一部・・・ 第215戦術機甲戦闘団(VFA-215)が回っております。
そこでこの南部からも、戦略予備として取っておいた2個戦術機甲戦闘団、第204と第217の2個戦術機甲戦闘団を急派します。
更には比良山系に張り付きの第323戦術機甲戦闘団も、第7軍団指揮下とします。 支援部隊は、軍集団総予備の中から機甲大隊、機械化歩兵連隊、自走砲大隊を幾つか。
それぞれ組ませて、独立機動旅団戦闘団を3つ、4つ作れば、火急の火消しに役立ちましょう。 大阪湾の海軍部隊へは、今後は中部戦線への支援に重点を移すよう、要請します」

湾に展開する戦艦群から、今の主戦場までは大体35~40km。 戦艦主砲の通常最大射程に近いが、面制圧支援できない距離では無い。
ロケット砲弾を使用すれば、京都方面まで届かせる事は可能だ。 艦載の大型誘導弾は射程距離にまだ余裕が有る、艦載戦術機部隊の戦闘行動半径も、まだ何とか圏内だ。

「・・・良いじゃろ、それでやって呉れたまえ」






「急げ、急げ!」

「自走車両はそのままついて来い! おい、弾薬車輌は優先順位第一だぞ!」

「戦車トランスポーター? あとでついて来い、戦車は自走しろ、20kmかそこいらだ、それに舗装道路だぞ」

「おい、交通整理は誰がしてくれるんだ!?」

≪ザッ・・・ 増援を早く! 喰い込まれている・・・ ザッ・・・ 保たん、早く・・・!≫

「1号線は第5師団でごった返している、門真まで南下して第二京阪に乗れ! 京田辺松井で降りて、そのまま251号線を北上、旧京阪国道から迂回して八幡だ!」

「兵站部隊は、独立戦闘団の後に続け。 1号線は使うな、渋滞するし、BETA群の脅威に近過ぎる!」

≪撃て、撃て! 連中の脚を狙え、装甲はここからじゃ、撃ち抜けん!≫

≪本部、本部! こちら1中! 中隊長車が殺られました!≫

「戦術機甲部隊! 海軍! 一足先に行ってくれ、支援部隊の到着は1時間30分後!」

『了解―――なるべく早くしてくれ、こっちも支援も補給も無しでは、幾らも保たない』

「判っている、何とか1時間少々で到着して見せる、それまで粘ってくれ!」










1515 大阪府島本町 水無瀬付近


「防げッ! ここを抜かれたら、京都の下腹をまともに突かれる!」

あらん限り声を振り絞って、周防直衛大尉は中隊の部下を叱咤する。
ひと山越した山麓に布陣した軍団砲兵旅団から、155mm 自走榴弾砲とMLRSが猛砲撃を加えていた。
彼方から鳴り響く重低音は、大阪湾に遊弋する戦艦部隊の艦砲射撃―――大口径主砲の発射だろう。 甲高い飛翔音はVLSから発射された誘導弾か。
第7軍団の総力を挙げた防衛戦闘が展開中だった。 既に北の京都西部では、一部の防衛線が破られて市内にBETAが浸透し始めている。
桂に展開していた斯衛第2聯隊がその掃討戦を行っており、花園の斯衛第1聯隊も急遽移動して掃討戦に先程加わった。

そかし、もうそろそろ限界だ。 

≪戦闘管制よりフラガラッハ! ゴルフ場跡から迂回して採石場に出ろ! 小型種が多数、79号線に侵入した!≫

「ッ! フラガラッハ、了解。 中隊全機、噴射跳躍をかけろ! 西北西からゴルフ場跡に入る、そこから逆落としだ!」

―――『了解!』

12機の戦術機が一斉に跳躍ユニットから噴射炎を吐き出し、左側面の斜面を一気に駆け上ってゆく。
なだらかな緑が場違いな程鮮やかな緩い地形を高速サーフェイシングで移動し、その縁で一旦停止する。
戦術レーダー、そして網膜スクリーンに投影された視覚情報でも確認出来た―――戦車級を含む、約300体程の小型種の群れ。

『・・・戦術機部隊にとっちゃ、大した相手じゃありませんが・・・』

『しかし、ここに自走高射部隊はいません、機械化歩兵部隊も下の戦場で手が一杯です。  残弾数が少し心もとないですが・・・』

摂津中尉と四宮中尉が、眼下を見下ろしながら忌々しげに呟く。 本来は自走高射砲か、自走機関砲部隊の仕事だ。 火力の大きい機械化歩兵でもこなせる。
しかしどちらも低地の『主攻正面』の対応で手が一杯だった。 こっそり脇道に入ってきたBETA群の対応まで手が回らない。
しかし、この道を抜かれたら最後、背後の長岡京市に入り込まれてしまう。 大型種が通れるような地形ではないが、対応する為に部隊を避けねばならなくなる。
その分、防衛線正面は確実に手薄となる。 背後の小型種を気にしつつ、その殲滅を行いながら正面の圧力に耐える―――悪夢だった。

「・・・蟻の一穴から、とも言うしな。 ここは確実に殲滅する、貴様たちも今まで嫌と言うほど味わっただろう?」

周防大尉の眼下に、狭い林間道路一杯に小型種BETAの群れが這い上がって来るのが見えた。 人工物と言わず、自然の木々と言わず、食い散らかしながら迫りくる醜悪な姿。
一瞬の、何分の一かのごく短い瞬間、嫌悪感を露にして、直ぐに表情を平静に戻す。 そして簡潔に命令を下した。

「殲滅しろ、一匹漏らさず」

その声と同時に制圧支援機から、誘導弾が一斉に発射される。 白煙を引きながら短い距離を飛翔し、BETA群の先頭から中ほどで炸裂した。
同時にB小隊が噴射降下をかけ、採石場からほど近い路上に着地する。 そのままトレイル陣形で狭い舗装道路上をサーフェイシング。 頭上からA小隊、C小隊が砲撃支援にあたった。

『馬鹿正直に近接格闘戦に入るなよ!? このまま一気に駆け抜けろ! 駆け抜けざまに撃ち倒せ!』

摂津中尉の機体が直線に近い、しかし細かな軌道修正を行いつつ、一気に採石場付近から79号線へと抜ける。 
エレメントを組む機体と、バックアップのBエレメントもそれに従う。 前面に兵士級の群れ―――脚で踏み潰した。
残りのBETA群が反転し、79号線に戻ろうとする。 その背後に残っていたA、C小隊が噴射降下をかけ、一気に着地し背後を取った。

「摂津、そのままそこを維持。 四宮、キャニスターで始末をつける」

『了解です。 C小隊、左側の集団を潰せ!』

「A小隊、右側だ。 79号線に出ようとする個体は集中的に潰せ―――撃て!」

背後からの集中砲撃に、それまで以上に数を減じていた小型種の群れが、吹き飛ぶように殲滅されてゆく。
36mm砲弾の直撃を喰らった小型種は、殆ど原形を止めない赤黒い霧状の何かと化して、霧散していった。
やがて全個体の掃討を完了する。 低い山間でも、砲声の轟音が殷々と木霊していた。

「・・・フラガラッハより戦闘管制、C9Dの掃討完了」

『戦闘管制、了解した。 周防、悪いが次だ、対岸に渡ってくれ。 米第25師団の一部がBETAに突破されそうだ、男山(鳩ケ峰:143m)を何としても死守』

「男山・・・ 確か、石清水八幡宮が有る場所ですか?」

『そんな事、中国人の私が知る筈ないだろう? とにかく、あそこを光線級に取られると京都市内は一望にされてしまう。 日本軍からのリクエストだ、頑張ってくれ?』

男山(鳩ケ峰)は決して標高の高い山では無い、むしろ丘に毛が生えた程度の低山である。  しかし問題は標高では無く、周囲の地形だった。
大阪方面から北上した場合、北摂や生駒の山々によって地形は淀川に沿って、大阪と京都の間で急激に狭くなる。
その中で京都の最南端にあるこの低山は、平坦な地形の中でポツンと標高を稼ぐ形に聳えていた。
そして南の底から、西は宇治から伏見、北は京都市内全域、東は長岡京市、向日市から京都市西京区まで。 『帝都』だった地域のほぼ全域を満遍なく、射程に収める事が出来る。

「・・・喰えない人だな。 中隊、ENE-45-18から東北東へEN-52-25に噴射跳躍で抜ける、そこからESE-60-12までサーフェイシング。
“トロピック・ライトニング(米第25師団)”が樟葉の河川敷付近を突破されそうだ、木津川合流点の少し前を渡る。 海軍部隊も支援に入る、交錯するなよ?」

―――『了解!』

「よぉし、中隊、続け!」










1550 『帝都』東京 市ヶ谷 国防省ビル


「京都を! 千年の都の帝都を! 貴公等は自らの手で、焼き払おうとてか!?」

1人の高級将校―――斯衛大佐が顔を紅潮させて、卓上を叩きつけた。 
帝国軍と斯衛の臨時合同会議の席上、遂に堪忍袋の緒が切れた、まさにその状態だった。

「このままでは、手をこまねいてBETAの腹の中に収まるのは必定! ならば予定通り京都を、あの醜悪な奴輩の墓場にしてやろうと言うものだ!」

「然り! それでこそ、我が日本民族、千年の都の矜持と言うもの!」

それに応じたのは、参謀本部所属の陸軍参謀大佐と、陸軍参謀中佐。 どちらも目が据わっている。
その強圧的な物言いにもめげず、先程の斯衛大佐が糾弾する様に断ずる。

「黙れ! 所詮、米国の核使用の代案に出したものであろうが! よりによって、千年の都を、我が日本の魂を、業火の元に売り渡すとは・・・!」

斯衛大佐の発言を受け、その言に同調する一部の陸軍高級将校達が、声を荒げて非難をし始めた。
その顔触れは、軍部内に於いて皇道派、乃至、勤将派と呼ばれる国粋派軍人が多かった。
但し、言っている内容は一理ある。 それにこの場に残った微かな理性は、彼等の方に有る様にも聞こえた。

「詭弁もたいがいにしろ! 米国の核使用の圧力を反らす為に、京都を生贄にしようと言うのであろうが! S-11は標準爆発威力では、戦術核に匹敵するのだぞ!?」

「それを纏めて6発もなどと・・・ 京都は盆地だ、相乗作用での破壊力は戦略核に匹敵すると言う想定も出ておる、そうなっては最早残骸も残らぬわ!」

「93年に中共が満洲でS-11の集中使用を行った時だ、相乗作用で通常の数倍の破壊半径となった事は忘れてはおるまい!?
京都盆地はあの当時の戦域より遥かに狭い、三方の山々に遮られたエネルギーが一体どう言う伝播変動を為すか、予想出来ないのだぞ!?」

「下手をすれば、友軍部隊を巻き込む! 93年当時も巻き込まれ壊滅した大隊や連隊は多かったのだ! あの愚挙を、今度は我々が本土でやらかそうと言うのか!?」

口々に非難する相手を、反対の立場に属する者達が冷ややかな視線で言い返す。 
その言葉は冷たさと、そして軍事が抱える救い様の無い『現実』が込められていた。

「可能な限りの想定は計算済みだ。 それに戦場に完璧な想定など、存在しない」

「許容範囲での損失ならば、それを許容する、それが軍であろう」

「このままでいけば、約6万から最大7万のBETAを京都に入れる事になる。 市街戦で一体どれだけ叩けると思っている?
2万も叩けんわ、精々が1万弱! 淀川=木津川防衛ラインを死守したとしても、北陸方面や伊吹山系にそれだけの数が流入してみろ、北陸や東海地方は全滅するぞ?」

ひとしきりの意見が出た所で、両者の睨み合いが再開される。 先程からこの繰り返しだった。
現地軍では、既に既定路線と認識されている京都放棄。 だが帝国上層部では実は、その手法の可否を巡り、未だ決着が付いていない。
詰る所、軍部の完全な暴走、政治上ではそう言っても過言ではない。 現実に照らし合わせれば妥当な方針であるが、ややこしい事に組織の数だけ、事なった面子が有るのは事実だ。
帝国内部での、静かな、しかし陰湿な内部工作合戦の結果、軍部主流派―――陸軍統制派と海軍艦隊派の連合―――が、主導権をほぼ握り始めていた。
当然、反対派はあの手、この手で反対する。 そこに城内省―――斯衛が割り込んできた(航空宇宙軍は、最初から我関せず、を貫いている)

主流派は、三方を山に囲まれた京都盆地にBETA群を引きずり込み、山間部に設置された指向性を持たせた複数のS-11を一斉起爆させ、一気に殲滅する腹案を出した。
これに対し反対派は、S-11の遠隔機爆は事態がどの様に流動的に動くか判らぬ状況では、信頼性に乏しい面を指摘。 そして有線での起爆は、不可能に近い事も併せ主張。
盆地の開けた出口である京都南部=巨椋池のラインを固守し、琵琶湖と大阪湾からの大口径艦砲の威力面制圧砲撃と野戦重砲の一斉砲撃案を出してきた。
(この案には、航空宇宙軍からも軌道爆撃を行う様、協力を取り付けても居る)
主流派はこの反対案の場合、それに伴い発生する友軍の損害を無視できないと主張。 確かにこれ以上の戦力消耗は、許容出来ないレベルにまでなっていた。

しかし、その両案共にクリアしなければならない懸案事項が有る―――『政威大将軍の京都脱出』であった。

主流派案も、反対派案も、京都を瓦礫の山と化すには違いは無い。 
しかしそれでも尚、その後の戦力投入での殲滅を図ろうとする反対派案の方が、まだ気分的に――日本人の心情的に、まだ傷は小さい。
主流派案では、根こそぎ『京都』と言う文明は、消滅するだろう(文化、では無い。 それは今後の日本人次第だ)
将軍も、その内心を大いに痛めつつも、何とか寛恕してくれるかもしれない。 してくれないかもしれないが、理解はしてくれるだろう。
しかし主流派案では完全に、感情が理性を押しつぶす可能性が高い、大いに高い。 聡いと言われる人物であっても、今だ10代半ばの女性だ、いや、多感な年代の少女だ。


「だからと言って、何時までもこう、押し問答している時間は無いのだがな!」

「現地軍からは、矢の催促だ。 もういくらも時間稼ぎは出来んとな。 それまでに何とか『やんごとなき』お方には退避して頂いて・・・ 
どちらの案にしても、工作状況を見られるのは拙い、またぞろ城内省が煩く言ってくる。 まったく、大人しく奥向きに専念すれば良いものを、政治や軍事にまで口を挟みおって」

「殿下は帝国の国事全権代理人者だ。 その輔弼機関とも有れば、ある程度は致し方なかろう?」

統制派高級将校の愚痴に、国粋派高級将校が些か怒気を含ませた声で返す。
その言葉への返答は、冷ややかさと侮蔑が入り混じったものだった。

「・・・ふん、貴様、取り込まれたか? 尻尾を振ったか? 見返りは『士族籍』か?」

「白の斯衛服でも、ぶら下げられたか? 山吹色ではあるまい。 ふん、今更そんな時代錯誤の名誉など・・・」

「貴様等ぁ! 愚弄する気か!?」






相変わらず、怒号と罵声の応酬と化した会議室を抜け、隣の控室に気付かれぬように2人の主流派将校が移動して来た。
普段は図上演習などの準備に使用する為の、割と小さな部屋だ。 今は小さめの机と椅子が数脚、その他には特に目ぼしい調度品は無い殺風景な部屋だった。
そして入室するなり開口一番、年かさの陸軍参謀大佐―――細面の、鋭い雰囲気を持った陸軍大佐が、隣の将校を向いて尋ねた。

「・・・見ていられんな、トサカを立てての喧嘩だ、まるで。 おい、海軍さん、誰か岡田閣下(岡田啓蔵、元帥海軍大将・元老)の所に、人を遣れないか?」

「一人、用意してある。 以前は周防(周防直邦海軍大佐・前国防省軍務局軍事部軍務課長)の下で、あれこれ動いていた奴だ」

軍令部から国防省に移動して来た、参謀飾緒を下げた海軍大佐が答える。 中背だが引き締まった体躯を持つ男だった。

「使える奴か?」

「使える奴だ。 そうでなくては、周防の下で動けんよ」

その言葉に陸軍参謀大佐が苦笑する。 周防海軍大佐―――思い出した、以前は同じく軍務局の同輩だった男の顔と名前を。 
剃刀の様な切れ味では無い。 鉈で叩き割る様な力感を持った、参謀にしては珍しいタイプの男だった。

「賢しらな奴ではない、どちらかと言うとズベって(「のっそりした」海軍隠語)いる奴だが。 それでも度胸と機転は保障する。 それにまあ、茶目な奴ではあるな」

最後の一言に、陸軍出身の大佐が苦笑する―――どうにも、海軍の判断基準は理解出来ない、と。

「どんな奴でも良い、こっちの言う通りにしてくれれば。 岡田閣下を動かして欲しい、参内して頂く」

「・・・玉を動かすのか?」

参内し、皇帝陛下に謁見を賜り、奏上申し上げ・・・

「言ってみれば、潔癖症で世間知らずの聡しい小娘の意地っ張りだ。 それでこの帝国がどうにかなっては、目も当てられん」

「玉声ならば、逆らえんか。 それでも留まれば、それこそ叛意有り、と言われても致し方ない。 うん、城内省も斯衛も、文句は言えんな」

一人納得する海軍将校を横目に見て、テーブルの上の水差しからグラスに冷水を注ぐ。 冷たい液体が喉を通り、火照った体と感情を冷ましてくれるようだった。
飲み干して空になったグラスを、タン! と音を立ててテーブルに置き、暫く何気なく突いた水滴を見つめていたが、数瞬後、顔を上げて言い切った。

「向うが将軍と五摂家を有するのならば、こっちは帝室を押さえるまでだ。 幸い、海軍さんは元老院や内府に近い」

「良いのか? この件じゃ、完全に陸軍は海軍の下風に立つぞ?」

「構わんよ。 陸軍は陸軍で、得意分野はちゃんと押さえてある」

「陸軍、と言うより、統制派だろう?」

「そちらこそ、海軍と言うより艦隊派が、だがな?」

最後に、陸軍も武藤閣下(武藤信好、元帥陸軍大将・元老)か、畑中閣下(畑中俊蔵、元帥陸軍大将・元老)を押さえておいてくれ、そう言って海軍大佐は小部屋を出て行った。
そうした方が良いな、そう思った。 元老たる元帥を押さえておけば、軍内部への睨みも利く。 只もう一手、欲しい。 他の元老・元帥で目ぼしい人は・・・
寺内閣下か? 駄目だな、あの人では政治家連中との折り合いをつける事は出来ない。 杉元閣下か? 駄目だ、あの人はどっしりしている様で、どちらからの風にも動く。
梨乃宮殿下? 在郷軍人会総裁で、日本武徳会総裁でもある。 伊勢の神宮祭祀も兼任している。 政治的には「殆ど忘れ去られた元帥殿下」だが・・・ 
しかし、何と言っても国民とは身近な帝族だ。 腐っても元老・元帥で帝族、よし、押さえるべきだ。

あとは海軍の河東閣下(河東友三郎、元帥海軍大将・元老)か、志摩邑閣下(志摩邑速夫、元帥海軍大将・元老)、この辺りを押さえれば何とかなるか・・・

最後にふと思う、果たして時間は間に合うのか?






[20952] 本土防衛戦 京都防衛戦 9話 ~幕間~
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/02/14 00:56
1998年8月14日 1600 大阪府庁舎 大阪府危機管理室


「ですから、第2阪奈や163号を軍に占有されてしまっては、避難民の避難経路が確保されなくなってしまいます」

見た目は腰の低い、温厚そのものの中年男性。 と言った感の有る府の職員が、押しかけた第2軍兵站部の将校に困惑顔を作って対応している。

「しかしだな、危機管理室長! 今は少しでも有効な兵站路が必要とされておるのだ! 一体どこまで避難民用に占有すれば気が済むのだ?
大体が、大阪府の独自判断だけで占有出来る筈もなかろう!? 判ったらさっさと、第2阪奈を譲りたまえ! 163号でも良い!」

「え~・・・ それにつきましては、木津に抜ける163号、奈良市に抜ける第2阪奈、郡山から天理に抜ける西名阪、この3本は避難民の為の大動脈です。
我が大阪府知事も、奈良県・三重県知事も了解のもとでの決定事項です。 通達は内務省に承認されておりますので、確認はそちらに」

「ッ! ・・・この、国家危急の折だぞ・・・!」

如何に軍人が幅を利かす様になったとは言え、内政向きを統括する内務省が決定した事項を現場の現地軍が、それも一将校がどうこう出来るものではない。
思わず歯ぎしりしそうになっている兵站将校に対し、危機管理室長はあくまで丁寧に、穏やかさを失わずに、それでも言いたい事はズケズケと言う。

「ですので、府としましても府民を始め、他府県からの避難民輸送に限界まで協力させて頂いております次第で・・・
それに、軍の兵站路としましては名神、新名神の2大道路網を始め、鉄道路線では東海道、それに関西本線も占有して頂いております。
いや、自治体としては国鉄を使いたかった気分は大いに有るのですが・・・ 何しろ、私鉄各社さんへの補償金とか、痛いモノですので・・・」

―――ああ、これは関西の自治体で割りカンですがね・・・ 予算とか、胃が痛いモノです。
そう言って、やや貫禄の出てきた腹のあたりを、わざとらしくさする。 そんな様子に、今しも血管が切れそうな想いの兵站将校が、最後の言葉とばかりに言い放った。

「・・・兵站量が増大しておるのだ、今のままでは途中で詰まると予想される。 そうなっては最後、BETAからこの関西を防衛する為の行動に、支障をきたす事に・・・!」

「ほう? 確か・・・ 徴兵で連れ去られた私の部下が以前、その辺りの想定計算をしていたような気が・・・ ああ、あった、あった。
これによりますと・・・ ふむ、今の1.5倍の兵站量でも、このままの兵站路で充分。 そうなっておりますな、本土防衛軍作戦本部の承認済みですなぁ・・・」

「くっ・・・!」





「・・・ちょっと、やり過ぎたのではないですか?」

「いいんですよ、あれで。 あの位で、丁度良いクスリです、あの手の軍人には・・・」

最後には『どうなっても知らんからな!』と、些か子供じみた遠吠えを吐いて去って行った件の将校を管理室の窓から見下ろし、大阪府危機管理室の三城室長は苦笑しながら言った。
背後で部下が頭をかきながら、バツの悪そうな表情をしているのを見て、更に苦笑する。  今はこの場に居ない、かつての部下ならばこその、その配役だっただろう。 自分には似合わない。

「・・・でもねぇ、結局、名神は軍に取られてしまいましたしねぇ。 せめて、琵琶湖運河に最も安全に出る事が出来る幹線路は、確保しておきませんと。
それさえも手放してしまえば、彼女が戦地から帰って来てから私、怖くて顔を見れませんよ、ホントに・・・」

「・・・想像したくないですね」

「その時は、久須君、君も一緒に矢面に立って下さいね」

「んな!? 冗談じゃありませんよ! どうして下っ端の自分まで・・・!」

自分は出征して行ったかつての室長補佐・兼・危機管理課長の元で、主に危機管理・府民保護政策担当として動いていた、一介の府職員だ。
ちょっとした情報収集の才が有って、そこを室長補佐に目を付けられたのが、身の不幸の始まりだった。 なんやかやと、引きずりまわされたモノだ。

「どうやらBETAは、大阪から出て行こうとしている様ですよ・・・」

しかめっ面をしながら、本来は一介の府職員でしかない筈の部下が、入手できない筈の軍事情報をサラッと言い放った。
しかしそんな事にも、気付きながらも何も言わず、『ああ、そうですか』と、三城室長は温和に笑いながら言うだけだった。

「何とかね、生き残った人々は、避難させる事が出来そうですよ。 良かった、良かった。 もうこれ以上、故郷を失う目には遭いたくありません」

「・・・室長は、故郷は確か・・・」

「はい、九州は博多です。 母方の従兄が県警に居ましたが、最後まで居残ったらしくてね。 多分、助からなかったんじゃないかなぁ・・・」

久須職員は思わず目を見張った。 そう言いながら、穏やかに大阪の街並みを眺める室長の横顔に、いつもと変わらぬ笑み以外の何ものかを見た様な気がしたのだ。

「もう、2度目は嫌ですね。 本当に、嫌なモノです・・・」


―――さて、最後の詰めが残っていますね、さっさと片付けましょう。

三城室長の声に、我に返る。 そうだ、まだここには非難を待って、怯えている人々が無数にいるのだ。
彼等の避難計画を十全に立てて実行する。 一人残らず、ちゃんと避難させる。 それが仕事なのだから。

―――それに、サボってたら後が怖い・・・










1605 大阪府枚方市 樟葉 米第25師団“トロピック・ライトニング”防衛戦区


「チックショー! 何なんだよ、こいつら!」

F-15E・ストライクイーグルがAMWS-21から、36mm砲弾を周囲に撒き散らかしている。
その向こうには戦車級を始めとする小型種BETAの大群、そして要撃級BETAの姿も見える。
この方面には幸いにも、未だ光線属種の直接レーザー照射範囲には入っていない。 戦場を経験したベテランならば『ピクニック代り』とでも言おうモノだ。
しかしその衛士は、正真正銘、今日が初陣だった。 しかも大規模砲撃戦を大前提とする米軍ではあり得ない(少なくとも新米にとっては)、食い込まれた上での接近戦闘。

『クロウ03! フリーッツ! 騒ぐんじゃねぇ! クロウ02、アデーラ! 小僧の子守はどうなっている!?』

小隊長のラルフ・フォルカー中尉の声が響く。 エレメントの僚機を気にしながらの小隊指揮、そして戦闘。
師団が朝鮮半島で被った損害の補充として派遣されてきた彼等にとって、この極東の島国が最初の実戦の場であった―――不幸なその他大勢の一部。

『クロウ02より01。 隊長、無茶言わないで! こんな近接戦闘で、新米のお守しながらだなんて・・・! こら、フリッツ! 前に出るなって、言ってるでしょう!』

Bエレメント・リーダーで先任少尉である、アデーラ・フォン・エインシュタイナー少尉の声も、悲鳴に近い。

『こっちはこっちで、別口の新米抱えて小隊指揮なんだぜ、勘弁してくれや! アズサ! お前もだ、何遍言わせんだよ! 俺より前に出るなって!』

『す、スミマセン、中尉!』

東洋系と思われる女性衛士―――日系4世の少尉だ―――が、涙目で謝っている。

既に中隊単位どころの話では無かった。 あちらこちらで小隊毎に孤立し始めている、米陸軍第25師団第1旅団戦闘団、その第51戦術機甲大隊。
戦線最右翼を任されたこの部隊が、数千のBETA群の圧力をまともに受けたのは、約1時間ほど前だ。
一時は日本帝国軍や他の国連軍の救援で戦線を立て直したモノの、数度に渡る波状突撃に次第に戦線の維持が困難になってきたのだ。

『クロウ・リーダーよりシックス(中隊長機)、クロウ・リーダーよりシックス! 応答願う! ヘイ、大尉! 本当にくたばっちまったのか!?』

4機のF-15Eの周囲に群がる小型種の数が、次第に多くなってきた。 心なしか、いや、確実に大型種の数も増えている。

『つまりは、俺達が戦線のゴールキーパーってか!?』

『自分で言うのも何だけど・・・ 頼りないディフェンス・ラインだわ・・・』

『うう・・・ くううっ・・・』

協同で戦っていたM1AIの姿は何処にも見えない。 そうだ、5分前に戦車級に集られて全滅したんだ、戦車中隊が。
管制ユニットの中でフリッツ・シュヴァルツフリューゲル少尉―――合衆国陸軍、フリッツ・ブラックウィング少尉は汗だくになっていた。
彼は幼少の頃にドイツから移住して来た、欧州の陥落前の頃だ。 従ってあの地獄を知らない。 遠い親戚の一人に出会って話は聞いたが、実感は無かった。
軍の訓練でも、これほどまでに生々しい実感を得た事は無かった。 動いている、蠢いている、それは『死』と言う名の実感だとは、未だ気付かなかった。

「くっそ・・・ こんなトコで、死ねない、死ぬもんかよ・・・!」

エレメントを何とか維持し、小隊戦闘を辛うじて続けているが、それも時間の問題か。
胃の辺りがズシンと重く感じる、喉が渇いてヒリ付く様だ、小便がしたい。

突撃級が数体、突っ込んできた。 日本や中韓の部隊ならば、サーフェイシングで咄嗟に側面を取るか背後に回り、柔らかい部分を攻撃するだろうが。
如何せん火力戦重視の、それも初陣の米軍部隊では切羽詰まった時の戦闘行動は―――ひたすら、120mm砲弾を固い装甲殻に撃ち込むしかできなかった。

「くそ! くそ! くそ!」

『いい加減、くたばれよな!』

『しつこい奴って、嫌いなのよね!』

『し、死んでください~!』

やがてようやくの事で装甲殻を射貫するも、120mm砲弾は弾切れ状態に陥ってしまう。 これでは他に大型種が出てきた時、対応の選択肢が大幅に減じてしまう事となる。
恐らく援軍は来ない。 合衆国市民だけで編成される州兵軍と異なり、大多数が難民上がりで編成される陸軍の遠征部隊。 今時、市民権欲しさの志願者は掃いて捨てるほどいる。
唐突にその考えに至り、内心で激しく動揺する小隊長のフォルカー中尉の耳に、聞き慣れない声が聞こえてきたのは、その時だった。

『さっさと下がって、補給を済ませろ。 全く情けない、我が軍でも近接戦の訓練は『一応』行っている筈だがな?』

「!? “ヘル・オン・ホイールズ”! 第2師団!?」

その声の主の機体のエンブレムに真っ先に気付いたのは、初陣の新米少尉だった。

『ご名答、“ヘル・オン・ホイールズ” 第2戦術機甲大隊第3中隊≪アタッカーズ≫、中隊長のオーガスト・カーマイケル大尉だ。
クロウ隊、ここから2マイル後方に補給コンテナが揃っている! 補給を済ませた後は、私の中隊の指揮下に入れ!』

『ラジャ! しかし、第2師団がまだ残っていたとは・・・』

孤立無援と思っていた戦場に、友軍。 それも上級指揮官付き。 思わず安堵の声色となったのにも、気付いていなかった。

『全員戦死では無いよ、生き残りはいる、25師団に居候の身だがな。 そこでこんなお鉢も回って来る。 さあ、さっさとケツを上げろ!』

『サー! イエス・サー!』










1610 京都 将軍家居城 黒書院


「・・・何と?」

「は、はい。 只今、城内省より官房局長様が参られ、至急、殿下にお目通り願いたいと・・・」

「前触れも無しに、ですか?」

「は、はい。 今は遠待一の間に。 ・・・如何致しましょう、女官長様・・・?」

如何に城内省高官と言えど、将軍殿下へのお目通りには必ず前触れの使者を立てるのが、礼儀と言うもの。 
それすら行わず、いきなりの訪問にてのお目通りを乞うとは、何と言う無作法な・・・ 
暫し眉を顰めていた女官長だが、しかし直ぐに表情を改め、部下の女官に指示を出した。

「宜しい、ではここ(黒書院の間)へお通ししなさい」

「は? く、黒書院の間へ、ですか? 大広間三の間ではなく?」

普通、将軍家と城内省高官との謁見は、大広間の3つある間のどこかで行われるのが通例であった。 それより一段、奥に近い黒書院の間とは・・・

「大広間は、一の間、二の間に斯衛の者が詰めております。 恐らくは内々のお話、話し難い事も有りましょう。 これ、早うお通しして参らぬか」

「は、はい! 只今!」

早足で、しかし裾も乱さず足音も小さく、行儀に適った捌きで去ってゆく部下の後ろ姿を、少しだけ満足そうに見て、周りを片付け始める。
黒書院はその昔は政治の場であったが、今や将軍家の私的な居城となった二の丸御殿では、奥向き筆頭の女官長の執務室とも言える。
どの様な無礼であれ、来客を待たせるなど言語道断。 将軍家出仕女官の筆頭であり、奥向きの最高責任者としては、どの様な客でも粗略にはしない。

佇まいを直し、周りを満足そうに見つめた女官長の元に、部下の女官が来客の到着を告げたのは、ほぼ同時であった。





「・・・何の冗談ですか? 官房局長殿?」

突然の無礼な来客―――城内省官房局長の言葉に、女官長は無意識に眉を顰め、聞き返していた。
それさえ、礼に適った所作では無いのだが、そんな態度が無意識に出る程、官房局長の言葉は聞き捨てならなかった。

「冗談では無いですぞ、女官長。 一刻も早く、殿下には京都を脱出して頂く。 その手筈は揃っている筈」

「・・・確かに、斯衛の者共が控えております。 しかし、『殿下は国軍統帥権者全権代理として、最後まで京都にて全軍を督戦せしめたり』は、城内省より通達の有った・・・」

「そうも言っては、おれなくなった。 従って、至急に脱出して頂く」

その口調に、女官長の顔が朱に染まった。 純粋な怒りだ、相手の、その無責任極まる変節に対する怒りだった。

「・・・殿下の御身を思うのであらば、皇帝陛下が東へ下向為された際に、共に随身有るべきではありませなんだか!
殿下は摂政政威大将軍、常に陛下の御側近くお仕えし、その玉声を賜り奏上申し上げるが、殿下が摂政たるの責! それを・・・!」

城内省が、押し止めた。 他の摂家も暗黙の了解を与えた。 それなのに、殿下はその責務を未だ幼い身で、一身に果たそうとされていると言うのに。

「同時に、帝国軍統帥権全権代理人者でも遊ばされる。 現に軍が死戦を展開しているこの最中、殿下が京都に残っての督戦は、意味が有る事だった」

「ッ・・・!」

女官長が無意識に唇を強く噛みしめる。 四十路を過ぎてなお、まだまだ美しさを残すその顔立ちが、悔しげに歪んでいるのを判らぬ程、意識が沸騰する気分だった。
何を今更―――内心で激しく抗う。 元々は殿下が未だ京都に居残っているのは、城内省の意向ではなかったか。 城内省と元枢府の総意ではなかったか。
京都を守る為に、その戦いの最中に最後まで殿下が残って、帝国軍を督戦する。 その姿を全ての民に見せつける。 その事で政治的優位を確立させる。 そう言わなかったか!?

「・・・殿下に対し、常から『将軍たれ』、『責を負う者の自覚を持たれよ』、そう言い続けてきたのは、摂家の方々、それに煌武院分家御当主方。
その言葉は、常に殿下を縛り付けておりますぞ! あの御歳で、常に責任あるのみ、と・・・ 摂家たる者、ましてや将軍たる者、自由は無く責任あるのみ、と・・・」

政威大将軍とて、万能の身では無い。 人に非ざる天の身では無い。 殿下とて人の子、それも未だ御年15歳―――14歳と8カ月。 この非常の時でさえ、本来は未だ親がかりの御歳。
それが御両親の早逝、祖父君たる前政威大将軍の急逝、そして降って湧いた政威大将軍位の宣下。 10代半ばの少女の潔癖、そして生来の生真面目さと責任感の強さ、それが自縛しているのだ。

「そう言うものではないのかな? そう在るべきだ、それ以外の何ものでも無かろう」

「官房局長・・・!」

「心得違い為さるな、女官長。 殿下は女官長の『姫さま』では無い。 日本帝国政威大将軍なのだ」

―――そこに私情は無い。 ひたすら帝国が求める『将軍』と言う鋳型の中に押し込み、鍛え上げ、『完成品』となって初めて『価値のある』存在となるのだ。
私情など以ての外、その様な不純物が混入しては、『将軍』と言う商品の価値が下落してしまう事になる。

そうなのだ、『将軍が最後まで京都に残る』事は、今後大いに商品としての付加価値を上げる事になろう。 これからも続く不毛な政争、その切っ先として大いに役立つ筈だった。
城内省としては、いっそ『名誉の戦死』も視野に入れている。 そうなれば現政府や軍部に対する、相当の揺さぶりになろう。 民の『支持』もかなり期待出来る。
元枢府の事務局・書記局・秘書局でも有る城内省としては、かつて半世紀前に喪った政府と軍部に対する優位を取り戻す好機にもなろう。

『戦死』した政威大将軍はどうなるのか?―――摂家の人間は、現将軍一人では無い、代わりは幾らでも居る、その為にさっさと東へと逃がしたのだ。
今頃は愚かしい『後継争い』が、水面下で激しさを増している頃であろうか。 国民も軍部も、ましてや斯衛の者共さえ知らぬ事だが、摂家の闇は計り知れない底なし沼だ。
謀略、計略、裏切りに切り捨て、あの連中はまず、自らの生き残りを最優先する、そうして生き残ってきた。 それこそ何百年も前から。
大政奉還後も変わらない、大体があの『革命』は当時の大名家にとっては、死活問題でも有った。 その中で五摂家のみ、数々のしがらみを切り捨てる事で生き残り、『摂家』たりえたのだ。
摂家が大政奉還を為したのではない、摂家は大政奉還から生き残ったのだ、表には出せぬ程の数々の闇を生み出しながら。 そして『表向き』、その後を主宰する事となった。

「将軍家たる身であらば、その責務は果たして頂かねばならぬ。 早晩、この京都は陥ちよう。 その際に殿下がBETAの災禍に遭われては、困るのだ」

「・・・よくぞ、その舌で言える物言いよ・・・!」

よくぞ、申した、その口で! よくぞ、吐いた、その言葉を! 己らは、殿下の死さえもその諍いの手段として、計算していたのではなかったか!?
大方、東下りした他の摂家衆が、この期に及んでの将軍位を忌避したのであろう! この未曽有の国難、その責を背負う事となる当代摂政政威大将軍では、割に合わぬと!
城内省としても同じ事! 全面戒厳令以降、その威を奮い始めた軍部との対立。 その争いの先鋒として、自在に操れる『将軍』が欲しいだけの事ではないのか!?

「時間がない。 先程、東京より連絡が入った。 軍部は元老院を動かすつもりだ、恐らく狙いは玉声を賜る事」

「・・・玉声?」

皇帝陛下の御言葉を? 一体、どう言う・・・?

「無論、殿下に対し、至急に東下向するように、とな。 軍部は現状の状況をも皇帝陛下に奏上するだろう、将軍が京都常府では、本土防衛の責務を果たし切れぬ、とか何とかな」

「なっ・・・ 何と言う・・・!」

それでは、殿下が―――女官長の『姫さま』が、一方的な悪者とされてしまう。
その責務に従い、己が運命をも覚悟し、今ここに残っておられる殿下が。 皇帝陛下の御不興を被り、軍部から不信を買い、あまつさえ民の信をも喪おうと言うのか。

「そっ・・・ その様な事は・・・ 許せませぬ・・・ 許しませぬ!」

女官長の握りしめる手が、蒼白になっている。 綺麗に切り整えた爪が皮膚を破り、浅血が滲んでいる事に気が付いていない。
そんな女官長の様子を、表面上無感情に眺めていた官房局長が、ややため息交じりに言う。  その表情は、怒りとも、後ろめたさとも、何とも言えないものだった。

「であれば・・・ そなたの『姫さま』を一刻も早く説得する事だ。 愛し子であらば、なおの事な」

「ッ・・・!」

「将軍家出仕として10有余年・・・ 最早、己が子の事は、気にもかからぬか?」

「息子は今や、斯衛の者。 己が宿命は、己で受け止めましょう・・・」

「・・・娘達の事は、どうでもよいか・・・」

「貴方様の御子でございますれば、殿・・・ 宗達様、我が背の君(夫)よ」

女官長―――神楽静子は、もう数年来まともに夫婦の会話など無い夫である、目前の官房局長―――神楽宗達を見据えて言った。
元々、家同士の政略結婚。 そこに愛情など有りはしなかった。 ましてや、夫たる人物は結婚前に、故人となっていた愛妾に娘さえ産ませていたのだ。
それでも我慢した。 武家同士の結婚など、古今東西この様なものであると、そう自らに言い聞かせた。

為さぬ仲の義理の娘達をも、愛そうと努めた。 そしてようやく内心に踏ん切りが付きかけた、結婚して半年後のあの日、娘の一人を半ば強引に手放さなくてはならなくなった。
抵抗した、己の娘として育てる、そう決心した矢先だったのだ。 泣いて夫に懇願した、しかし聞き入れてはくれなかった。 煌武院家譜代の重臣の血筋たる家の掟である、と。
心が壊れかけた。 一人残った娘を見る度に、もう一人の事を思い出さずにいられなかった。 夫とは愛情など無かった、幼い赤子の娘達の、その無垢な笑みだけが支えだった。

数年後、後継の男子を産んだ時にはもう、この家には居たく無かった。 娘は守役に奪われ、産まれたばかりの息子は乳母―――夫と家の息のかかった女に奪われた。
失意と絶望とを伴侶とした数年間、彼女は生きる屍だった。 そんな折、将軍家出仕の話が来た。 躊躇わなかった、もう、この家には居たくなかった。

夫は何も言わなかった。 何も言わず、家を出た。 そして仕えた主家で、生きる希望を見つけた想いだった。
娘達同様、いや、元々はこの主家が元凶なのだが、その結果として産まれた半身を喪ったばかりの、赤子の姫。

誰かの手作りで有ろうか、拙い造りながらも愛情が滲んでいる様に見える人形に、己が喪った半身の如く笑いかけ、無心に遊んでいる赤子の姿を見つけたのだ。
それ以来、その姫―――煌武院家初姫たる悠陽―――は、彼女、神楽静子にとって掛けがえ無き『姫さま』となったのだ。 全身全霊で育て、仕え、そして愛してきた。

息子や義娘達が愛しくないと言えば、嘘になる。 斯衛に身を投じたあの子達は、無事であろうか? 危ない目に会ってはいないであろうか?
そして今一人の娘―――陸軍への道を選んだあの義娘は、どうしているであろうか? 大陸出征から、無事生還したと聞いた時は、泣きたい程嬉しかった。
しかし、あの娘はもう自分には会ってくれぬだろう。 私の心弱さ故に、あの娘達には随分と冷淡な態度を示してしまった。 
そうでなければ、自分が仕え、育て、愛してきた幼子への忠誠が、ともすれば揺らぐとも思えたから。

―――死なせはしない、傷つけさせはしない、何者であろうと。

私の『姫さま』は、何がどうあろうと、お護り通して見せる。

「・・・大広間に控えておる、斯衛の者共に至急、準備をさせましょう」

「そうしてくれると、助かる。 では、私はこれより城内省に戻る。 色々と準備も有るのでな」

家の事など、どうでもよいのか―――いや、この夫の事だ、既に始末は付けているのであろう。 そう言うお人だ、この殿は・・・
黒書院を出て、式台の間を大股で歩き去ってゆく夫の後姿を見ながら、女官長―――神楽静子は、彼女に残された最後の愛し子の部屋へと静かに歩いて行った。







将軍家居城を出て、城内省に戻る車中、赤々と燃え、轟音が鳴り響く西の空を見ながら、城内省官房局長・神楽宗達は考えていた。
今回の軍部の動き、政府は察知しているだろう。 それでいて、見逃している筈だ。 今回の政争で得る果実、軍部だけでは無い、政府や政党も欲しがるだろうから。
半世紀前の敗戦、それを機に低下した将軍家の権威と求心力。 そして喪われた城内省の力。 今更復活を望む者は、軍部や政党には誰ひとりおるまい。
自分にしても、同様に考えているのだから。 今更、国事全権代理など、その様な権力の集中は必要無いのだ。

だが、このままでは摂家、いや、広く武家貴族社会に根を張った古き因習と言う毒は、確実に自らを立ち腐らせてしまうだろう。
ややこしい事に、その腐ってゆく社会は未だなお、この国の上流社会に位置づけられる存在だと言う事なのだ。
最早、『国事全権代理』などと言う甘い果実は不要なのだ。 あの果実は確かに甘い、それ故に多くの者共がそれ群がる。 しかし、甘さの裏に隠された毒に勘づく者は少ない。
それ故に、自分はあの男―――榊是親の策に乗ったのだ。 皇帝陛下は『象徴としての国家元首』、政威大将軍も同様。
将軍は皇帝陛下の代理として、象徴・儀礼的な役目を果たし、実際の政治は議会が選出した首相と内閣が行う議院内閣制へと。 真に民の意志を反映出来得る国へと。

そうする事によって初めて、摂家も武家社会も生き残れるのだ。 もはやこの国は1世紀以上前の封建社会では無い、民意も十分に育った、近代を経験した現代国家なのだ。
そしてそうなって初めて、90年以上前に先々代の皇帝陛下がお出しになられた『万民輔弼勅令』―――平民の広範囲な自由を保障した、『四民平等』の宣旨―――が為されるのだ。
その元で我々武家は、将軍家も摂家も含めて、この国の上流で敬われつつもひっそりと、生きてゆく事が出来よう。 時代に淘汰され消え行くのではなく、時代の片隅で静かに生きてゆけるのだ。

平和な世の中では、返って難しかったかもしれない、人は急激な変化を厭う。 しかし、この未曽有の国難たるBETA大戦。 
本土にBETAを迎え撃っての、帝国の荒廃を決するこの非常の時。 これは或いは、天が与え給うた一瞬の機会ではないのか、自分はそう判断する。 恐らくあの男も。

それに、あの男としては今更将軍家問題が表面化する事は、本意では無かろう。
政党、財閥、官界、そして軍部。 帝国におけるこの四位一体は、既に隠れた統制政治を為し得ているのだから。
政党などは、複数存在するこの巨大利権集団である政産官軍複合体の、各々の議会での代弁者に過ぎない。
BETA大戦以降、年々膨れ上がる軍事予算。 当然そこには様々な、そして莫大な利権が生じる。 諸外国との繋がりも無視できない、いや、無視していては成り立たない。
全面戒厳令を機に、より全国に統制をかける様になった今、国政は政産官軍複合体同士の、『調和ある競争』の場となっている。 或いは『予定調和』と言うべきか?

そこには将軍家も、摂家も割って入る事は出来ぬ話だ、国が割れる。 そして城内省の中にも、それを判ろうとせぬ大馬鹿者達が居る。
そしてある意味、理想主義者の面をも持つあの男にとって、今の帝国の状況はこれ以上悪化する事は望ましくない。
利権の複合体を牽制しつつ、さりとて復古主義の復活を為すのではなく、その調和のもとに民意を反映させた国体の確立を目指す、その筈なのだ、あの男の真意は。

それに伝統的な『外国嫌い』の武家社会や摂家の台頭を望まぬ理由として、あの男は米国との関係を必要悪として容認している節が有る。
理想を言えば、以前に少しだけ話した事がある『環太平洋戦略』、そのものであろう。 故に大東亜連合、統一中華戦線、必要とあらばソ連にさえ、外交の手管を駆使している。
噂にある第3世代戦術機に関する、欧州連合との『密約』もその一環で有ろう。 オセアニアの豪州とニュージーランド、北米のカナダは英連邦の一員だ。

しかし、それでもまだ足りない。 今BETA大戦を戦い抜くには、それだけでは足りないのだ。 米国が必要なのだ。
世界最大の経済超大国であり、更には世界唯一の軍事超大国であり、世界中のどこへでも戦略的兵站路を確立できる唯一の国家。
米国の兵站支援無くば、如何に環太平洋国家群との協力体制が有ったとしても、日本は半年と保たないだろう。 弾薬備蓄は現消費量換算で、あと5ヶ月分を切ったと言う。
フィリピン、インドネシア、豪州、ニュージーランド、後方国家群に工場を移転させた帝国の軍需企業群は24時間のフル操業体制に移行しているが、まだ足りない。
第一、海外に移転した企業群にとって、『顧客』は帝国政府だけでは無いのだ。 移転受け入れ先の国家群とて、そんな甘い条件は絶対に飲まない。 それが外交と言うものだ。

そして、帝国政府が推し進める『あの計画』 国連との繋がりは最早、絶対に切れるものではない。
そして国連と付き合う以上、米国とはかなりの部分で腹の探り合いを兼ねた、グレーな付き合いが必須になる。

あの男は『現実的理想主義者』、或いは『理想に恋焦がれる現実主義者』なのだ。 そうでなくば今のこの国で、国を何とか変えようと足掻く事など、出来はしない。
だから自分も乗った、あの男の思惑など知った事か。 自分は何より城内省の人間なのだ、求めるべきは生き残り、その道だけだ。










1620 将軍家居城 二の丸御殿 白書院―――将軍家自室


狩野興以(かのうこうい)、そして長信(ながのぶ)作の水墨山水画が掛けられた居間。 神楽静子女官長は頭を垂れたまま、主に向かい説得を続けていた。

「・・・恐れながら殿下、状況は流水の如く変わりゆくものにて。 今はまず、御身のご安全が大切。 何とぞ、至急の東下向を」

その声に、背を向ける将軍からは何も声は発せられない。 しかし、まだ赤子の頃より養育を任されてきた身だ、何を考えているかは、手に取る様に判る。
恐らくはその内心で、激しく葛藤をしているのであろう。 脱出すべき事も理解しているであろう、しかし最前線で兵どもが未だ死戦を展開している事も、耳には入っている。
兵権の統帥を皇帝陛下より預かる身として、この帝国本土を、そしてこの千年の都を守る戦いに殉ずる者達を置き去りにして、自ら東へ落ち延びる事への躊躇。
聡明なお方だ、とうに理解は為さっておいでで有ろう。 しかし、感情を支配する術は未だお持ちでは無い。 何と言っても、未だ15歳に成らずの御歳なのだ。

しかし、だからこそ、自分が敢えて言おう。

「殿下、戦場にて兵と共に苦労を共にするは、将の為すべきに非ず。 それは士の為すべき事」

無言だった将軍の、その華奢な肩がピクリ、と震えた。

「更に申し上げれば、将の為すべき事は殿下の責務に非ず。 殿下の責務は大君の責。 大君の責は、将を将たりと戦場で働かす為に、その場を整え、与える事」

将軍の肩が、微妙に上下する。 内心の動揺―――感情の揺れが、その後ろ姿に現れている。

「どうか殿下、将を将たらしめんとする場を、お与えください。 士に、兵と労苦を共にする責務をお与え下さい。 
兵に、彼等の故郷、愛するものを守る為の戦場を、お与えください―――さすれば皇帝陛下の御稜威(みいつ)のもと、殿下お仕置きに帝国は、遍く邁進致しましょう」

静かに、女官長は再び頭を垂れた。
既に将軍家脱出は決定しているのだ、今自分はここに、その覚悟を申し出てきただけ。 ああ、それだけでは無い。 己が愛し子が心配になったのだ。
畳の上に視線を馳せ、やがてゆっくりと頭を上げる。 その表情は、先程とは打って変わって、慈愛に満ちたものになっていた。

「・・・姫さま、そろそろおへそを曲げるのは、お止めなさいませ。 姫さまが頑張っておいでで有った事は、このばあやは、ずっと見て参りましたよ・・・」

将軍の肩が、またピクリと震えて止まった。 一瞬息を飲み、ややあって静かに、そして細く、長く吐息するのが聞こえた。

「ばあやは、嬉しゅうございますよ、姫さま。 そして心配でございます、昔から根を詰める御子であられました故なぁ・・・
そろそろ、このばあやを安心させて下さいませ。 そして皆を安心させて下さいませ。 皆が、姫さまを心配しております故・・・」

暫くして、将軍の後ろ姿から、大きく息を吐くのが聞こえた。
その姿を見て、神楽女官長は微笑みながら再び頭を垂れ、静かに退室して行った。











1625 大阪府枚方市 樟葉 米第25師団“トロピック・ライトニング”防衛戦区


―――抜かれる。

右翼の河川敷を突進して行くBETA群を、引き攣った笑みで見つつ、オーガスト・カーマイケル大尉が内心を蒼白にさせ、そう思った時に後方から砲弾が降り注いだ。
今しも部隊と河川敷の間をすり抜けようとしていた要撃級の一群が、真正面から120mm砲弾に貫かれて、体液と内臓物をぶち撒けて停止する。
網膜スクリーンに移る後方映像から、IFFが認識したフレンドリー・コードが映る。 日本軍だった、『ファッキン・ファルコン』、いや違う、タイプ92―――いや、いや、タイプ92Ⅱか、12機。

『こちら第2戦術機甲大隊第3中隊≪アタッカーズ≫、中隊長のオーガスト・カーマイケル大尉だ。 日本軍、援軍感謝する』

対する日本軍指揮官の応答は、一瞬の間が有った。 そしてやや驚きの声色で応答して来たその声、そして名に、今度はカーマイケル大尉自身が驚く事となった。

『日本帝国陸軍、第18師団。 現、独立機甲戦闘団戦術機甲第5中隊、≪フラガラッハ≫、中隊長の周防直衛大尉。 ・・・君なのか? オーガスト?』

『なに!? 周防? 直衛? 君なのか? 直衛! なんとまぁ・・・!』

3年ほど前、ルームシェアをしていた同居人。 極東のこの国出身の、初めての年下の友人。 あの頃は何かと、ステイツと自分の祖国との違いに戸惑っていた若者。
間違いない、彼だ。 やや表情が大人びて、いや、歴戦の将校の顔になってはいるが、あの頃の面影―――ちょっと不敵で負けん気な、それで時折沈考癖のある青年、変わっていない。

『旧交はあとで温めるとしよう。 直衛、ここはヤバい。 “トロピック・ライトニング”は幹線道路の維持に必死だ、側面に手が回らない』

『その様だな。 オーガスト、君の中隊は何機残った?』

『14機、さっき迷子の1個小隊を指揮下に入れた。 君の所と会わせると26機だ、ここの阻止は可能だろうか?』

突撃級が4体、突っ込んできた。 米軍のF-15Eが今度ばかりはサーフェイシングで位置を変え、側面から2体を突撃砲の120mmで葬る。
残る2体は出来た間隙に日本軍の92式『疾風弐型』に入り込まれ、後背を取られた揚げ句柔らかい胴体を後ろから36mm砲弾をたらふく叩き込まれ、停止した。

『俺の中隊は、後ろの男山の死守を命じられている。 どうだろう、オーガスト? 君の部隊はディフェンシブライン、俺の部隊がラインバッカー』

『連中、今の所はラン攻撃ばかりだしな。 厄介なパス攻撃はまだ無い―――よし、ディフェンシブラインから漏れたBETAを止める役は、直衛、君に任すよ』

『第5師団機甲連隊から、1個大隊が増援に来てくれるそうだ。 阻止は可能だ、オーガスト』

2人の指揮官が同意した。 F-15Eが14機、前面に出てスクリーンを張る様に展開する。 その後方でF/A-92Ⅱ『疾風弐型』がウィング陣形を敷き、撃ち漏らしを掃討する態勢を取る。
数分後、幹線道路方面からまた数百体のBETA群が分離して来た。 前衛に突撃級が数十体、後続に要撃級が見える。 要塞級、光線級は見当たらない。

『よし、≪アタッカーズ≫! 最初のブロックを確実に決めろ! 要撃級は後ろのラインバッカーが押さえてくれる、全部を止めようと思うな!』

―――『サー! イエス、サー!』

『リーダーより≪フラガラッハ≫、各機へ。 突撃級はディフェンシブライン―――米軍が押さえる。 我々は漏れてきた要撃級と戦車級を排除する。
他の小型種はディフェンシブバック―――後方の機甲部隊に任せておけ、自分の役割を果たせ、いいか!?』

―――『了解!』

≪CP・フラガラッハ・マムよりフラガラッハ・リーダー、幹線道路上にBETA群侵入! 迎撃命令出ました! 戦区のBETA数、約5800、旅団規模!
中隊前面BETA数、約1600! 進入経路、N-55-22からN-48-21へ! 迎撃はN-46-19からで頭を押さえられます! 光線級は未だ確認されませんが、十分注意を!≫

中隊CP将校の渡会美紀少尉の戦闘管制が入る。 どうやら光線級はまだ後ろらしい、だとすれば少しは楽に戦える。
前方に土煙が見えた、BETAだ。 戦闘はお馴染みの突撃級、後方には要撃級や戦車級、それの他の小型種も居る事だろう。


『“First to fight for the right, And to build the Nation's might, And The Army Goes Rolling Along,”(正義の為に戦い、国威を揚げるのだ。そして陸軍は進軍してゆく)』

通信回線から、軍歌が聞こえた。 行進曲だ。 通信回線から、摂津中尉の呟きが聞こえた。

『・・・連中、どーしてああも、テンション高くなったら軍歌を歌うんでしょうね? 海兵隊の連中も、所構わずだし』

『・・・私達も歌いますけど?』

『時と場所位、弁えてるつもりだぜ? 俺が言いたいのはよ、四宮、どうして連中は、ああも節操無しなのか、って事さ』

『・・・私に聞かないで下さい。 中隊長の方が良く御存じなのでは?』

『・・・俺に振るな』


『“Proud of all we have done, Fighting till the battle's done, And the Army Goes Rolling Along.”(かつての業を全て誇りとし、戦闘止むまで戦い抜き、陸軍はまた進軍してゆく)』

米陸軍行進曲、『The Army Goes Rolling Along』―――いつの間にか、米軍衛士の全員が歌っている。 『迷子』と称されたクロウ隊の4人の衛士達も。


『“Then it's Hi! Hi! Hey! The Army's on its way. Count off the cadence loud and strong, For where e'er we go,”(さあさあ 今こそ 陸軍が出発するぞ!歩調を高く大きく数え上げよ!)』

BETA群が迫りくる、距離3200。 射撃開始まで、もう少し。


『“You will always know, That The Army Goes Rolling Along.”(さすれば どこにゆこうと 陸軍が進軍していると知ることが出来るだろう)』

ターゲット、ロックオン―――まだ早い、それにファーストアタックは、米軍の仕事だ。


『“Valley Forge, Custer's ranks, San Juan Hill and Patton's tanks, And the Army went rolling along.”(ヴァリー・フォージ、カスターの隊伍、サン・ファン・ヒルにパットンの戦車隊。 かくて陸軍は進軍したのだ)』

前面のF-15Eが突撃砲の銃口を向ける。 主機の音が高まる、サーフェイシング待機態勢に入ったか。 どうやらここに来て、近接戦止む無し、と判断したか。


『“Minute men, from the start, Always fighting from the heart, And the Army keeps rolling along.”(ミニットマンの昔より初め、常に心より奮闘し、陸軍は進軍を止めはしない)―――オープン・ファイアリング!』


F-15E・ストライク・イーグル―――白頭鷲の群れが、BETA群に襲いかかって行った。





[20952] 本土防衛戦 京都防衛戦 10話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/02/20 23:38
1998年8月14日 1630 大阪市内 中部軍管区司令部


「・・・20師団は戦術機甲大隊40機の内、残存17機。 27師団は残存29機で、2個師団の撃震の数は合計46機か」

「40師団の撃震は、連隊120機で残存90機。 5師団は流石に激戦を連戦した為だな、連隊で残存は72機。 その内疾風弐型が26機、残りは撃震で46機。 2個師団で合計162機」

「独立機甲戦闘団が・・・ 疾風弐型が2個中隊で21機、韓国軍が10機の、台湾軍が11機。 中国軍は3個中隊で34機。 合計76機。 米軍とインドネシア軍は?」

「米軍のF-15Eは残存29機、F-15Cが56機で、師団合計85機。 インドネシア軍は虎の子のF-18E・スーパーホーネットが27機と、F-5E・タイガーⅡが49機の76機。
合計で161機だから、我が軍と独立戦闘団の残存機数を合わせると・・・ 445機。 それに海軍の基地戦術戦闘団が、4個戦闘団(大隊規模)で133機。 総数578機」

「578機―――5個戦術機甲連隊規模の戦力だが・・・ 第7軍団前面のBETA群は約4万1000に達した。 倍の戦術機甲戦力が有っても、支えきれる保証は無い」

「それに京都北西部だ、第1軍からの連絡だ。 戦術機戦力が65%にまで落ち込んだと、現有戦力は782機。 
重戦術機甲師団(甲編成師団:3個戦術機甲連隊編制)の禁衛師団、第1師団を含んでだ―――南部の6個師団の状況は? 海軍と米海兵隊は?」

「第9軍団は、第31、第38、第49の3個師団で70%を切った、残存246機。 第14、第18、第29師団は酷いモノだ、3個師団で残存141機。 40%を切った、39%。
もっともこの3個師団は独立戦闘団に21機を送り込んでいるから、実際は残存162機・・・ それでも50%を割った、45%だ」

「・・・現時点で、帝国軍中最も経験豊富な3個師団が、『全滅』判定になろうとはな。 あの九州からの大突撃を、まともに喰ったのが痛かった」

「海軍連合陸戦隊第1、第3師団は残存戦術機が508機、70%を少し越す。 2個師団とも、流石は陸軍の重戦術機甲師団並みの大部隊だ、まだ余裕が有る。
同様に、米海兵隊第3師団の残存戦術機数は268機、74%ちょっと残った。 ま、こっちはご登場が最後だからな・・・」

「日米の両海兵戦力で、776機。 南部戦線合計で1163機。 これを遊ばせておく手は無かろう? 米海兵隊は無理としてだ、海軍の2個師団、何とかならんか?」

「内陸への進撃を、海軍が渋っている。 元々、敵前強襲上陸が専門の部隊だ、内線防衛は想定しちゃいない」

「だがな、そうなると第9軍団を動かすしか手は無いぞ? まだ何とか戦える3個師団の246機、それに半死人の3個師団の141機、併せても387機。 海軍2個師団に及ばん」

「だが、その387機を投入すれば、京都南部の戦術機甲戦力は965機。 9個戦術機甲連隊の戦力規模に迫る、何とか支えて時間を稼ぐ事は出来る」

「近視眼だな、その後はどうする? 海軍も、米海兵隊も、この後は引き上げるぞ? まさに『敵前強襲上陸』専門部隊だからな、常駐防衛には向かない。
淀川以南を守る戦力が枯渇する、BETAの何かを止める戦力が無くなるのだ。 駄目だ、第9軍団を動かす事は出来ない。 せめて、海軍の1個師団だけでも・・・」









1998年8月14日 1635 大阪府 帝国陸軍八尾基地


「・・・そっち、何機残った?」

「酷いものよ、8機・・・ 一気に4人も部下を失うなんて、さ・・・」

「俺も似たようなものだ、拙い指揮をやらかしたな・・・ 余所さんは?」

「ウチは仁科のトコが酷いよ。 あの娘の指揮中隊は淀川で、真っ正面から突破阻止戦闘していたから。 源さんの所は、私の隊と似たようなモノ。
後は葛城のトコかな? 祥子さんの中隊は荒巻少佐が直率していたけど・・・ 今は支倉(支倉志乃中尉)が、臨時指揮官で率いているわ」

「そうか・・・ ウチは戦死した古村と伊崎の中隊が酷い、殆ど『全滅』だ、小隊も残っていない。 
他は佐野と間宮の中隊かな。 流石に木伏さんと和泉さん、それに三瀬さんの中隊は、こっちと似たような状態だ」

「緋色に確認したよ、あの娘の中隊も、1個小隊分を失ったって。 流石に落ち込んでいるわね、表面上はそう見えないけどね」

「何とか2個小隊の戦力を残しているのが、7個中隊。 戦力半減が6個中隊。 ほぼ壊滅状態が2個中隊。
水嶋さんに直衛、それに美園の3個中隊が引っこ抜かれているから、戦力は2個連隊で96機。 29師団が残存45機か、合計で141機」

「あそこは大友と国枝、2人とも生き残ったわね」

「・・・俺達の同期は、しぶといからな―――古村は、残念だった」

「そうだね・・・ 古村は、そうだね、残念だったね。 ・・・でも、私は生き残ったよ?」

「・・・愛姫?」

「私は、生き残ったよ? 圭介?」

―――周りに人目は・・・ 無いな。











1998年8月14日 1645 京都府南部 男山


視界の隅に、何かを捉えた。 それが何かを認識する前に、頭の中で危険信号が盛大に悲鳴を上げるのが判る―――光線級! 危険! 退避!

「ッ! リーダーよりフラガ全機! 山陰に隠れろ! 至急!」

叫びながら、強引に跳躍ユニットを吹かす。 脚元で小型種が数10体、踏み潰されたり噴射炎に焼かれたりしているが、確認する余裕もない。
途端に機体の管制ユニット内に響くレーザー照射警報。 網膜スクリーン上にも鬱陶しい程アラームメッセージが映し出される。
水平噴射跳躍で一気に山陰へ逃げ込む―――何の事か最初判らなかったらしい部下達も、指揮官機の挙動を見て警報発報と同時に行動を起こした。
次々に男山の山麓に飛び込んで来る『疾風弐型』、しかし1、2機、タイミングが遅い機体が有る。 間に合うか?

「ALM!?」

『弾切れ!』

山陰へ逃げ込み、噴射パドルを解放して逆制動をかけつつ、光線級への嫌がらせの手段も尽きたことを思い知らされた。
ズシン! と来る逆制動着地の衝撃を感じ、同時に周囲の部下達の機体を視界に入れて確認する。 その視界の片隅で戦術レーダーを捉え・・・

≪CPよりフラガラッハ! 光線級、レーザー照射開始!≫

『・・・!!』

『がはっ!』

声にならない悲鳴と、何かを吐く様な悲鳴が耳を打った。 咄嗟にステータスを確認する、2機殺られた。

(・・・Bの4番機に、Cの3番機!)

B小隊4番機は、マーカー自体が消滅している。 レーザーの直撃で爆散したか。 
C小隊3番機はレーザーが擦過したようだ、機体が大破、衛士のバイタルパターンが危険レベル。

「CP! 野戦衛生班を呼べ! 1機大破、衛士が重傷!」

≪了解です! こちら、フラガラッハ・マム! 7軍団衛生団本部、野戦衛生班を要請します! 衛士1名が重傷!≫


渡会の声がして、ほんの少しの間が空いただけだが、随分長い時間がたったように思える。 それだけ俺が焦燥感に苛まれている証拠か。
情けない、そう言われるかもしれない。 だがこればかりは慣れるモノでも無い。 表向きは俺も随分、ふてぶてしくなったとか言われるが・・・ 演技も大変だ。

『アタッカーズ・リーダーより全機! 顔を出すな、まだ出すなよ、ローストチキンにされたくなければな!』

『クロウ01より02、03、04! 生きているか!?』

『02、何とか!』

『ゼ、04! います! 03もいます!』

『03です、くそ、チビッちまった・・・』

どうやら、オーガストの中隊も何とか避難に成功した様だ。 ステータスで見る機数は12機、どうやら向うも2機喰われたらしい。
両手と背中の兵装ラック双方に突撃砲を搭載したF-15E。 以前、欧州での最後の作戦で搭乗した経験が有る機体。 
機動性は第3世代機や、第2.5世代機でも『疾風』系や他のF-16系、トーネードⅡ系に比べると重々しさが隠せないが、そのパワフルな動きと安定感は頼もしかった記憶が有る。
全速度域で、安定したトルクで安心して振り回す事が出来た。 軽量型の機体とは異なり、突出した機動領域は無い代わりに、全領域で確実な機動が出来る。
そう言う意味では、新米からベテランまで、乗り手を選ばない機体と言おうか。 第3世代機はともすれば、新米は乗りこなすのが難しい所が有る。

レーザー照射が終わるまでの数10.秒間、山陰に隠れながらそんな取り留めの無い事ばかり考えていた。

『ザッ・・・ こちら、第7軍団衛生団本部。 そっちに回せる連中を物色中だ、ちょっと待ってくれ・・・ 
よし、第7227野戦衛生班、≪ナイチンゲール≫だ、近場で隠れている。 接近経路の安全確保は、そちらで頼む』

≪フラガラッハ・マムより衛生団本部、了解しました。 マムよりリーダー、野戦衛生班のマーカー、確認しました、北300mの位置。 接近経路の確保をお願いします、ルート転送しました≫

「・・・ルート確認。 よし、10分確保する。 フラガラッハ・リーダーより≪ナイチンゲール≫、接近経路を10分間確保する、その間に頼む」

光線属種がレーザーを照射している間と言うのは、逆に言えば他のBETA群も動かないと言う事だ。 連中は同士撃ちだけはしない。
従って、光線級の認識範囲の陰になっているこの山麓に他の方向からBETA―――特に小型種が浸透して来るのだけを防げば良い。
頭の中で彼我の位置関係を把握して、それは可能だと踏んだ。 そして返答した後、ほんの数瞬の間が有って、野戦衛生班の指揮官から応答が有った。

『こちら、第7227野戦衛生班、≪ナイチンゲール≫、指揮官の小林衛生軍曹です。 確保をお願いします、これより救助・収容を行います!』

網膜スクリーンに移ったのは、まだ20歳を少し越したばかりに見える女性下士官だった。
次いで、別口の通信が入る。 どうやら輸送部隊の様だが、どうして輸送隊が?

『こちら第1755輸送隊、≪ナイチンゲール≫の足代わりをしている。 もう『アンビ(アンビュランス:救急車)』は満員だよ、あちこちで拾い集めているからね。
重傷者らしいけど、状態は? 内臓破裂? 骨折? 火傷? 具合によっては『カーゴ(73式大型トラック)』に詰め込ませて貰うよ』

続いて網膜スクリーンに移った輸送隊指揮官の顔を見て、思わず無意識に天を仰いだ。 どうして、戦場でこの人に・・・
向うも気付いた様だ、最初吃驚した顔だったのが、次の瞬間、魔女のような笑みに変わっている。

『で? どうなの? 『大尉殿』? 悪いけど、上官風を吹かして割り込みは無しね? 戦場は平等ってね』

「・・・ああ、そんな事は言いませんよ、中尉。 ステータスを見た限り、火傷の様です。 ≪ナイチンゲール≫、小林軍曹、どんなものかな?」

『はっきりとは診てみないと判りませんが・・・ 恐らく、カーゴでの搬送でも大丈夫かと』

中尉が大尉に向かって、偉そうな態度と口調で接し、大尉が中尉に丁寧な対応をしている。  余程不思議だったのだろう、衛生班の小林軍曹は訝しげな表情だ。
やがて野戦衛生班が、損傷機体に取り付いた。 既に管制ユニットはこじ開けられている。 数人の衛生兵が機体の中から衛士を引っ張り出す様が見えた。
直撃ではないが、管制ユニット内に高温が発生した為だろう。 強化装備はあらかた焼け焦げている。 少しだけ見えたが、肌が黒く焼けて頭髪も焼け落ちていた。
手際良く、抗生物質やら強心剤やらを投与して、衛士をカーゴへと運び込む。 その僅かな時間、沈黙が気拙くて何となく聞いてみた。

「・・・輸送隊に居たんですか。 ご無事で何より、姉にも知らせておきますよ」

『元々、兵站の予備将校だったしね。 瑞希は元気にしている? 彼女が京都から東京に移ってからは、連絡してないのよね。 チビちゃん達は?』

「姉は、元気です。 甥や姪も、変わらずで―――どうして、輸送隊が衛生隊の真似事を?」

『人手不足、これに尽きるわね。 全く、考えなしの後方参謀の馬鹿共め、兵站路を確保しても、それを戦場に運ぶ足が不足するってのに・・・
直坊、気をつけなさいよ、最前線の兵站確保量は事前想定の60%を切っているよ。 全力戦闘した日には、次は丸腰での戦闘になるからね』

「・・・輸送隊は、本当に地獄耳で。 しかし、60%?」

『幹線道路をまともに使い無いんじゃね、脇道はどこも瓦礫で埋まるか、避難民で埋まっているわ。 近畿地区の主要兵站路は限られている、そこを戦闘部隊が占有したんじゃね・・・』

それから暫く、上級部隊司令部の戦闘指揮の拙さを一通りくさして、野戦衛生隊の収容完了の報告と同時に、大急ぎで走り去って行った。
最後に、友人とその子供達―――俺の姉と、甥に姪―――に、俺が生き残ったら宜しく言っていて、そう言い残して。


『中隊長、BETA群の動きが止まっています。 砲兵部隊から、5分後に面制圧砲撃を開始すると―――何か結構な貫禄の、おっかさんでしたね?』

「・・・よし、面制圧砲撃後、重金属雲発生の後に光線級狩りを開始する。 摂津、A小隊から強襲制圧機をそっちに移す―――俺の姉の、古い友人だ。 確かに三十路半ばの女性だが、子供はいない、そして戦争未亡人だ」

『あのご年齢で予備の中尉と言う事は、予備役に回らず現役のままでしたら、今頃は少佐位にはなっていらしたかも―――済みません、中隊長。 咄嗟の掌握が出来ずに、1機失いました・・・』

「実家は武家だ、もしかしたら斯衛にでも居たかも・・・ それは無いか、勘当同然で家を出たそうだしな―――美園大尉には、俺から詫びを入れる。 摂津、四宮、貴様たちは指揮に専念しろ、雑念を入れるな、いいな?」

『了解・・・』

『・・・判りました』

戦死した1名と、先程運ばれた重傷の1名は、美園の中隊から預かった衛士達だ。 倉木が死に、宇佐美と浜崎が負傷後送された中隊で、補充の意味で3名を預かっていた。
その3名の内の2名。 初陣では無い、もう経験も積んだ連中だったが、初めて余所の中隊での行動となると、どこかで意志の疎通に問題が出る。
俺の部下達は、俺の指揮に馴染んでいるから、咄嗟に自分の上官がどういう行動を取らせるか、薄々は判る。 だが、あの3名は・・・

「・・・ミスだな、俺の」

もっと、気を付けてやらねばならなかったのだ。 幾ら激戦の最中とはいえ、気を付けてやるべきだったのだ―――それが、求められる責任であり、技能なのだから。
小声で呟いたつもりが、聞こえてしまったか。 網膜スクリーン上の四宮が怪訝な表情をしている、摂津は何か察したか、こいつもバツの悪そうな表情だ。
ああ、そうか―――摂津は新任当時から、美園の下に居た。 死んだ1名と負傷した1名は、摂津にとっては言わば『同門』の連中、そう言う事か。

「繰り返すが、美園大尉には俺から話をする、貴様たちは部下の掌握に専念しろ、いいな?」

≪CP、フラガラッハ・マムよりリーダー! 野戦衛生班、離脱を確認しました。 BETA群に動き有り、約1000体が淀川沿いに北東へ移動中!
野戦砲兵旅団、面制圧保撃開始まであと1分、重金属雲発生後にBETA群のインターセプトをお願いします! 光線級の対処は、米軍部隊と海軍第215戦闘団が行います!≫

戦術レーダーに、BETA群の集団から一部の群れが分離して、淀川の河川敷沿いに上がって来るのが見えた。
摂津と四宮の精神状態も少々気になるが、戦闘指揮に影響が出る程ではあるまい。 連中もそれなりに地獄は見てきている。 『死』と言うものに、向き合ってきた連中だ。
後方の第5師団砲兵連隊と、第7軍団直轄野戦砲兵群が一斉に野戦重砲の口火を切る。 MRLSから甲高い飛翔音を残し、誘導弾が放たれた。
瞬く間に迎撃レーザー照射が立ち上る。 レーザーに絡め取られ、ALMやAL砲弾が蒸発し、次いで重金属雲が発生する。
黒がかった灰色に、所々燐粉の様な煌めき―――BETAに喰い荒される前に、こうして大気と土壌が汚染されてゆく。 しかし他に手段は無い。
重金属雲を突いて、最初の実弾頭砲弾が大地に着弾し、炸裂したその時―――「主機を戦闘出力に上げろ! 水平噴射跳躍で一気に距離を詰める!」

―――『了解!』

目標は、南西から上がって来るBETAの小集団。 しかし放置しては、後方の支援部隊が喰い荒される。
噴射跳躍のGを感じつつ、網膜スクリーンに浮かぶ各種情報―――高度、距離、方位、気温、湿度、相対速度と衝突時刻を読み取り、操縦スティックを微妙に、小刻みに動かしコースに乗せる。
目前に小型種の小集団、戦車級の数は少ない、闘士級や兵士級が大半だ。 殲滅は直ぐに行える、その後は反転して側面から大型種を盾に光線級に肉薄する・・・

「制動、かけろ! B小隊、正面! A小隊、C小隊は側面援護! かかれ!」

跳躍ユニットの噴射パドルを閉塞、逆噴射パドルを全開にしてBETA群の直前にランディングする。 同時に120mmキャニスター砲弾を全機から撃ち出し、面制圧を行う。 吹き飛び、弾け飛ぶ小型種の群れ。 
攻撃をかけつつ、視界の隅で戦術レーダーを確認する。 丁度米軍、オーガストの中隊と、海軍の戦闘団―――『流星』の近接攻撃型が緩やかに弧を描きつつ、光線属種へ接近して行く様が判った。

「5分で殲滅しろ、光線属種の注意は逸れている、ターキー・シュートだ」

光線属種の注意が逸れた隙に、ここから一気に懐へ飛び込めれば。 それが出来れば、この方面の戦況は暫く一息つける。

「陣形、ウェッジ・フォー! 半包囲陣形を取れ、殲滅する!」










1655 大阪府 帝国陸軍八尾基地


「96機。 再編成すれば、2個大隊が出来る。 増強中隊を1個、予備戦力として持てるな」

「29師団は?」

「陽炎であろう、あそこの師団は。 連携はどうかな・・・ いや、45機有るのだ、1個大隊を編成できる。 そうすれば1個戦術機甲連隊を再編制可能だ」

「師団をまたぐ事になる、編制上の問題をクリアしないと画餅だぞ、緋色、それは」

「長門、貴様、ここで指を咥えて見ておれと?」

「まったく・・・ 相変わらず、血の気の多い女だな。 宇賀神少佐に同情する・・・」

「何だと!?」

「ちょっと、落ち着きなさいって、緋色。 圭介もまぜっかえすな! 今、宇賀神少佐と森宮少佐がそれぞれ連隊長に直談判しに行っているわよ。
話の判らないおっさん連中じゃないし、14師団の福田少将も、ウチの師団長も、そうそう頭の固い人じゃないでしょう?」

「・・・福田少将は、あれは柔らかいんじゃない、『変』なんだ・・・」

「実感が籠っておるな、長門?」

「兎に角さ、先任達も乗り気だし。 後任連中の中隊を潰す事になるけれど、そこは泣いて貰うとして・・・」

「ひどい女だ」

「後で覚えておきなさいね、圭介?」

「・・・頼む、惚気は余所でやってくれぬか? 愛姫、長門・・・」











1705 京都市西部 西京区 京都丹波道路『京都縦貫自動車道』 新老ノ坂トンネル東側出口 霊園跡付近 第1軍第2軍団、第37師団機械化歩兵第226連隊


『震動探知、震動探知! トンネルから、小型種多数接近してくる! 推定個体数、約1100!』

『自走高射機関砲! 並べろ、並べて水平射撃で薙ぎ払え!』

『87式の数が足りない! ガスター(M42自走高射機関砲)を出す!』

『ガスター? 40mm砲ならいける! 何でもいい! 87式(87式自走高射機関砲)や89式(89式装甲戦闘車)なんて贅沢は言わん!
ガスターでも73式(73式装甲車)、60式(60式装甲車)でも良い! 12.7mmでも小型種相手なら殺れる! とにかく数を並べろ!』

師団の戦闘車両―――重火器を備えた各種車両が、道路上と言わず、両側に設けられた遮蔽陣地と言わず、数10輌が集まってきた。
40mm、35mm、12.7mmと言った重火力の砲口をトンネルの出口に向け、BETAの出現を待ちかまえる。

『トンネルは対応出来るが、上(山岳部)はどうなっている!? 降ってこられたら、事だぞ!?』

『戦術機部隊に聞け! そっちで対応中だ!』

連隊本管では、師団戦術機甲部隊との状況確認に大わらわだ。 小型種なら、そして今回の様な限られた狭い地形なら、機械化歩兵部隊でも対応は十分に可能だ。
しかし大型種、それも高い機動性を有する要撃級なんかに上から降ってこられたら、どうしようもない。 蹂躙されて終わりだ。

『来た、来た、来たぁ!』

『よぉし・・・ 射撃、開始! 撃て、撃て、撃ちまくれ!』

太い連続した数種類の重低音が、夏の夕日に照らされた山間に響き渡る。 
凄まじい数の火揃がトンネルの出口付近に集中し、這い出て来る小型種BETAが見る見る赤黒く霧散してゆく。
師団が保有する自走高射機関砲、装甲戦闘車、装甲車の大半、いや、偵察車両まで敷き詰め、火網のキル・ゾーンを形成していた。

『弾薬車、こっちだ、早く!』

『気を付けろ、少しだけ掻い潜った連中がいるぞ!』

『重火器中隊! 狙い撃て、始末しろ!』

霊園に陣取った機械化歩兵連隊各大隊の重火器中隊が、重機関銃や迫撃砲を火網から這い出てきた少数の小型種に向け、発砲する。
連隊に各々1個大隊配属される機械化歩兵装甲部隊が、重々しい足音を立てて前進し、装着したブローニングM2重機関銃をBETAに向け、射弾を送り続ける。

―――ポン、ポン!

1個小隊の機械化歩兵装甲部隊がトンネル出口に向け、強化外骨格に1基外付けされているマルチディスチャージャー用のサーメート(AN-M16/TH6テルミット焼夷弾)を射出した。
数瞬の間をおいて出口付近に半径10数m、燃焼温度が摂氏4000度の火炎地獄が出現した。 戦車級が高温で体内圧を膨張させ内部から弾け飛び、兵士級や闘士級が消し炭に変わる。
暫くの間、その高温故に射撃が止まる。 火炎が収まった後には、赤黒く焼け爛れたBETAの残骸が残り、焼け焦げた臭い匂いが辺りに漂っていた。

『・・・殺ったか?』

『まて、視覚を信用するな、センサーで確認しろ!』

指揮戦闘車両の中で、各種センサーのデータが確認される。 震動、音紋、熱源・・・

『畜生! まだ居やがる! 続けて来るぞ、応戦再開だ!』

『第2大隊、下り車線に布陣しろ! 第1大隊は上り射線! 第3大隊、分離帯付近までいったん下がれ、突破してくる奴を殲滅しろ! 機械化歩兵装甲大隊、南側の霊園に布陣! 側面から叩け!』

トンネル出口付近に堆積したBETAの残骸を、新たにトンネル内から現れた小型種の集団が押しのけ、押し潰し、やがてトンネルから這い出してきた。
夕方の西日を受け、既に暗くなって見にくくなっている視界の中で、その暗いトンネル内から異形の集団が再び押し出してきた。

『ぐっ・・・ くそ・・・!』

誰かが我慢しきれず、声を洩らす。 幾ら倒しても、倒しても、湧きでて来るその物量もさることながら、全く感情と言うものを感じないその存在に、恐怖するのだ。
人間相手ならば、大損害を与えれば相手は怯む、その感情は部隊行動にも表れて来る。 その機に乗じて、一気呵成に戦局を決める事すら可能だ。
しかしBETAにはそんな話は通じない。 どれ程『仲間』が倒されようと、一向に気にした様子も感じられず、ひたすら物量で押してくるのだ。
異星起源種と言うより、最早キリング・マシーンの大群と対峙している感覚に陥る。 緒戦を優勢に進めても、時として最後に破れてしまうのはそう言う『感情』と言うファクターが大きい。

『怯むな! 連中は只真っすぐ押してくるだけだ! 光線級がいなけりゃ、只の射的と同じだ! 
地形を利用しろ! 火力網を築け! 人類には知恵と言う武器が有る事を、思い知らせてやれ!―――射撃開始!』

再び唸る重火器群。 もう、銃身加熱などと心配している場合でも無い。 ひたすら、目標に向けて火力を叩きつける。
40mm、35mm砲弾が小型種に直撃し、粉々に吹き飛ばす。 12.7mm機銃弾が兵士級や闘士級の胴体を、真っ二つに引き裂く。
出口がさほど大きくない事も幸いした。 出て来る先から重火器の火力を叩きつけられ、小型種の群れは大きくその数を減じ、醜悪な肉の堆積と化して行く。

『よし・・・ この調子なら。 この調子で片付ければ、ここは阻止出来る・・・!』

指揮車両で各種モニターを見つめ、戦況を確認した連隊長がそう呟いたその時、悲鳴のような通信が入ってきた。

≪371戦術機甲大隊より226連隊! 西山の無線中継所跡を抜かれた! 要撃級約30、戦車級約500、そちらに向かう!≫

その声に司令部内が慄然とする。 西山の無線中継所!? ここから直線距離で600m程しか離れていない!
連隊長が咄嗟に部隊配備状況を示すモニターを見る。 第1、第2大隊―――無理、抗戦中。 第3大隊、大半は第1、第2の支援に回っている、1個中隊なら抽出できるか。
機械化歩兵装甲大隊、丁度背後に強襲される形になる、ならば急速反転させて迎撃に。 山間部なら大型種も動きが制約を受ける、強化外骨格装備の部隊ならば・・・!

『迎撃しろ! 迎撃だ! ここを抜かれたら―――後ろは京都市内だぞ!』









1720 大阪府 帝国陸軍八尾基地


「何とかゴリ押しを通した。 但し、後で指揮官連中は全員、始末書モノだ」

「100枚でも、200枚でも書きまっせ」

「そこまで書いたら、もう懲罰モノでは? 木伏さん?」

「源、気分や、気分!」

「で? 具体的にどう再編制するんですか? あ、麻衣子は源と一緒の隊の方が良い?」

「・・・一言多いわよ、沙雪」

「2個大隊、指揮は私と森宮君で行う。 岩橋君には、予備隊を率いて貰う」

「って事は、6個中隊と2個指揮小隊・・・ 若い衆には泣いて貰わなアカンなぁ」

「決定事項ですか・・・ 葛城、佐野、仁科。 だそうよ?」

「仕方ないさ、間宮。 俺のトコもお前のトコも、佐野と仁科のトコも、2個小隊を維持出来ないしな。 だろう? 佐野?」

「まあ、今回は泣きますか。 なあ? 仁科?」

「葛城さんも佐野さんも、間宮さんも物分かりが良過ぎる・・・ はあ、向うで杏(美園杏大尉)も泣いているそうですし、仕方ないかぁ・・・」

「そう言う訳だ、では編制は次の通りとする。 混成第1大隊、指揮官は宇賀神少佐。 第1中隊、木伏大尉。 第2中隊、源大尉。 第3中隊、三瀬大尉。
混成第2大隊は私、森宮少佐が指揮を執る。 第1中隊、和泉大尉。 第2中隊、長門大尉。 第3中隊、伊達大尉。
予備隊は岩橋少佐。 佐野大尉と葛城大尉、間宮大尉はここで各小隊の指揮を執れ。 大尉に小隊指揮とは済まぬが、こちらとしてはより安心出来る」

「構いませんよ、森宮少佐。 なあ? 佐野、間宮?」

「・・・岩橋少佐、私と仁科は? まさか、ここに来て居残りとは聞けません」

「最後まで聞け、神楽。 仁科大尉は混成第2大隊・・・ 私の指揮大隊で、指揮小隊の指揮を執れ。 神楽大尉は混成第1大隊の指揮小隊指揮官だ。
期数でいけば、貴様にも中隊指揮を、と思ったのだが。 済まんが神楽、指揮小隊の指揮官は大隊長の守り手だ、頼む」

「ッ! そ、そう言う事でしたならば・・・!」

「・・・この女ってば、張り切っちゃって、まぁ・・・」

「何か言ったか? 愛姫?」

「いいえ?」

「では、1745には達する! 各部隊指揮官は機体の整備状況を確認! 1750にブリーフィング・ルームに集まれ。 以上!」










1725 大阪府大阪市北部 南部防衛線 中部軍管区司令部


「京都の西で戦線を突破されました」

「どこだ? 突破したBETAの規模は?」

「老ノ坂防衛線です、第37師団戦区です。 突破したBETA群は約2800、現在第2師団残余と、斯衛第2聯隊戦闘団が防戦中。 斯衛第1聯隊戦闘団の一部も急行中です」

「・・・数が足りないな?」

「はい、しかし第1軍には予備戦力はもうありません。 南に展開する第2軍第7軍団から抽出するしか方法は・・・」

「第7軍団とて、ギリギリの防戦を展開中だ。 ここで戦力を抜いてしまっては、あっという間に戦線が瓦解する、ううむ・・・」

軍集団参謀部の高級参謀達が頭を抱え、唸るその時、参謀部付きの通信将校が1枚の通信紙を手に報告に来た。
その若い通信将校の表情は、喜んでいいのか、非難していいのか、どうにも判らず困惑した表情だった。

「たった今、米海兵隊第3師団のジルマー少将(アイザック・C・ジルマー海兵少将)から連絡が入りました。 『京都に向かう』―――以上です」

「なにぃ!? 京都へだぁ!? そんな要請は誰も・・・」

素っ頓狂な声を上げる作戦参謀を意識的に無視し、通信将校が続きを言う。

「それと・・・ 海軍連合陸戦隊第3師団の大田中将(大田稔海軍中将)からも、師団を北上させる旨、連絡が入りました。 
既に柴崎少将(柴崎恵三海軍少将)の第32陸戦団(旅団戦闘団)が移動を開始。 岩淵少将(岩淵賢次海軍少将)の第31陸戦団も15分後に行動を開始すると・・・」

本来、海軍連合陸戦第3師団も、米海兵隊第3師団も、臨時とはいえ第2軍の指揮命令下にある。 戦場での独断専行は厳に罰せられる所だ。
しかし今回の独断専行は、陸軍―――本土防衛軍のジレンマを解消して呉れる、またとない機会だ。 京都への増援兵力の不足、それを補って余りあると言う。
元々、第9軍団から増援を出すべきだが、そうすると今後の南部防衛戦力が全く不足をきたす事になってしまう。 
しかし、京都方面の第1軍も、第2軍第7軍団も悲鳴を上げて増援を要請し続けている。 そしてその要求に軍集団司令部は頭を悩ませていた。
同盟国軍や、命令系統の異なる海軍部隊に当初の予定には無い、消耗を強いる激戦場への投入命令は憚られる(時に米軍は、帝国の内部問題故に)
かと言って、現在最も戦闘力を有する『予備戦力』は、この同盟軍部隊と海軍部隊しかないのだ、これはジレンマ以外の何物でもなかった。

その矢先の、動かしたかった当人達による、独断専行。 まさに渡りに船。 情報参謀が戦力リストを再確認し、独り得心して作戦参謀に向かって言った。

「おい、G3、ここは大丈夫だ、達しろよ」

「・・・うむ、達する。 『連合陸戦第3師団、米海兵第3師団は北上、京都防衛に参戦せよ』―――達したぞ、書面は事後を持って為す、だ」

「よし、通信! おらんのか!? 通信! 緊急電だ!」

「軍集団司令官閣下、参謀長閣下には、俺から話を通す。 G4(後方主任参謀)、兵站計画の変更は?」

後からおっとり刀で入室して来たG4(彼の主戦場は、後方兵站本部だ)に、作戦主任参謀が声をかけた。

「予備計画の乙案、その3だ。 直ぐに達する。 それと相談だがな、第二京阪(第二京阪道路)を使わせてくれ。 宇治の辺りに前進兵站拠点を作っておきたい」

「・・・1号線が混雑する。 枚方から307号で、田辺西から京奈和(京奈和自動車道)では駄目か? それなら巨椋から京滋バイパスで宇治まで近い」

「判った、それで良い」





「・・・最前線で負傷者拾いの次は、民間避難民のタクシー代わり! ようやく本来の輸送隊任務と思ったら、今度は交通整理って、どう言う事よ!?」

「しかし、中尉殿、誰かがやらなきゃ・・・」

「私はね! 輸送隊指揮官なの! 交通整理は野戦憲兵隊辺りの仕事でしょうが!」

「近畿管区国家憲兵隊は、大半が重武装機械化歩兵部隊として最前線ですよ。 連中も人手不足の様で・・・」

「こっちも人手不足なの! こら、そこ! 割り込みするな! 順番を守って! 何? 『さっさと通せ、この年増』、だと・・・!?」

「・・・ああ、思いっきり地雷を踏んだ・・・」

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」

「・・・良い度胸だね、そこの坊や。 いいか? よぉく聞きな? 貴様の部隊は今後、戦場での補給は要らないって言うんだね? そうなんだね・・・? 貴様の上官、連れてこいッ!!」





『“From the halls of Montezuma To the shores of Tripoli, We fight our country's battles In the air, on land, and sea.”(モンテズマの間から トリポリの海岸まで 我らは祖国のために空、陸そして海で戦う)』

米海兵隊の戦闘車両が、長々と連なって移動を開始している。 戦闘にM1A1エイブラムス戦車、その後ろにLAV-25装甲兵員輸送車やHMMWV(ハンヴィー)高機動多用途車が列を為している。
轟音と共に先に進出するのは、海兵隊所属機であるF-18Eスーパーホーネット。 強襲戦闘大隊(戦術機甲部隊)所属機だ。

『“First to fight for right and freedom,And to keep our honor clean, We are proud to claim the title Of United States Marines.”(正義と自由を守り最初に戦う者として そして我らの高潔な名誉を守るため 我らが誇りとするその名は 合衆国海兵隊)』

延々と連なるその隊列を横目に、やや冷めた目で見つめながら、隣接する部隊の指揮官が部下を振り返り確認する。

「・・・第32陸戦団は、予定通りの時刻に到達可能かな?」

「はっ、閣下。 途中の会敵さえなければ、2時間後には京都市内への突入となります。 第31陸戦団もその20分後には到達可能」

「うん、良いね。 出来れば柴崎君(第32陸戦団長)を孤立させたくない、岩淵君(第31陸戦団長)には少々急ぐようにと」

「了解しました、では至急電で」

走り去ってゆく部下の後ろ姿を見ながら、指揮官―――大田稔海軍中将は内心で上官に感謝した。
今回の独断専行、大田中将の行動を『事後承認だぞ』と言って見逃してくれたのは、陸戦部隊の統一指揮を執っていた、海兵同期の連合陸戦第1師団長・市之丸利助海軍中将だった。
米海兵隊のアイザック・C・ジルマー海兵少将から打診を受けた時は、流石に迷いはした。  しかしジルマー少将の言葉に『米軍だけに任せていられるか!』と、年甲斐もなく熱くなったのは確かだ。

―――『Vice Admiral Oota. If the Army and the Navy Ever look on Heaven's scenes, They will find the streets are guarded By United States Marines.
(大田中将、もし陸軍と海軍が天国を見上げたならば、彼等は知るでしょう。 天国への道を護るのは、合衆国海兵隊なのだと)』

そう言って、彼は独断専行を為す事を宣言した。 実際に京都の南部では米陸軍第25師団が、帝国陸軍と共に苦戦している。
今もなお、琵琶湖には米第3艦隊の2戦艦『ミズーリ』、『ウィスコンシン』が帝国海軍戦艦部隊と共に、砲撃支援を行っている。
そればかりでは無い、大阪湾からは第1艦隊と共に米第7艦隊が、泉州沖と伊勢湾からは日米の母艦戦術機部隊が、長駆支援を続行中だった。

その中で『帝国の』国内事情に拘泥されて、友軍の危地を見逃す事は出来ないと言う事か。
帝国海軍軍人としては、陸軍―――本土防衛軍のジレンマは良く判る。彼等とて増援を出したくない訳ではない。 しかし出せない、大局的に、今後を鑑みて。
軍事戦術的には、早々に撤退すべきなのだ。 その後、盆地へ大火力の集中攻撃をかける。 敵を分散させ、同時にこちらの戦力も分散してしまう愚を避け、集中して殲滅する。
或いは各個撃破。 特に京都はBETAに喰わせるに任せて時間を稼ぐ。 その間に全兵力を別のBETA群に叩きつけて始末を付ける。
しかし現状は、それは許されない―――国内政治がそれを許さない。 どうしても受け身になってしまう。 そして戦力の逐次投入という愚を犯す。

米軍としては、その様な帝国内部の情勢などに関わっておれない、そう言う事か。 いや、米軍の将官は帝国の将官より余程、政治的判断に秀でている。
彼等は大佐時代に、将来の将官として徹底的に国内・国外政治に対する対応を叩き込まれるのだ―――将官へ昇進する予定者だけであるが。
つまり、そう言う事だ。 本土防衛軍のジレンマを解決し、京都防衛に参戦する事で自国の(米国の)立場を有利にする。
独断専行? 中部軍集団司令部よりの『一札』は、手にしたではないか。 『書面は事後を持って為す』と。

その辺は恐らく、市之丸も判っていたに違いない。 そして米国の優位性を少しでも抑える為には、連合陸戦隊のどちらかが付き合わねばならぬ、と言う事も。
そして市之丸は先任だった、連合陸戦隊のこの場での指揮官だった、独断専行は許されない。 そしてあいつは、俺の性格をよく知っている。

「・・・師団全部隊に達する。 米海兵隊第3師団に遅れる事は許されない、各員一層奮励、努力せよ」


大田中将の指揮車両の通信アンテナに、小さな『Z旗』がへんぽんと翻った。










1800 大阪府 帝国陸軍八尾基地


『結局、29師団も話に乗って来たって事!?』

『連中も、殴られっぱなしは腹に据えかねていたんだろうさ!』

『何はともあれ、1個戦術機甲連隊戦力! 丙師団が多い第7軍団にとっては、喉から手が出る程ってね!』

『先任指揮官より各隊! 余計な損害は出すなよ? それでさえ、師団の戦術機甲戦力は枯渇寸前だ、ここで壊滅して見ろ! 先に逝った連中に、靖国で合わす顔が無い!』

『靖国かぁ、予定では、当分先の話でんなぁ・・・』

『あれ? 木伏さん、木伏さんって戎神社に行くんじゃ・・・?』

『こら、和泉! ワシャ、えべっさん(戎様)かい!?』

『・・・毎度ながら、このノリは苦労するよな』

『思えば、新任当時から変わらないよね・・・』

『で、ここに周防がいたら、美弥さんから木伏さんとセットでからかわれる、だったな・・・』

『で、祥子さんが笑顔で怒る・・・』

『29師団、混成第3大隊、黒河内少佐だ。 宇賀神さん、森宮君、そろそろか?』

『先任指揮官より各部隊長へ、口を閉じろ、馬鹿モン。 黒河内君、宜しく頼む―――全機、主機を上げろ、戦闘出力だ!』

―――『了解!』











1805 京都府南部 淀付近


≪BETA群、第9派! 推定個体数、約2万2000! 距離、1万1200! 接敵予想時刻、1811! フラガラッハは旧京阪国道沿い、第5師団側面をサポートして下さい!≫

「独機団戦術機甲指揮官より各中隊に告ぐ! 地形を使え、起伏を盾にしろ! 河を利用しろ! 
≪イシュタル≫、≪フラガラッハ≫、≪チンロン≫、淀川の渡河を何としても防げ! ≪パイフー≫、≪ファラン≫、≪チルソン≫、日本軍27師団の側面支援だ!
≪ジューファ≫、≪ムーラン≫、日本海軍部隊と一緒に久御山で孔を塞げ、そこを突破されると京都市内に一直線だぞ! 全中隊、いいな!?」

周蘇紅少佐が声を枯らして戦闘管制に当っている。 彼女の戦歴でも、ここまで切羽詰まった状況は久しぶりだ。
戦闘団本部がある中書島からでは状況が把握しづらいとして、より最前線に近い淀まで戦闘指揮車両を前進させての戦闘指揮管制だった。

状況は刻一刻と悪化している。 停滞していたBETA群が行動を再開したと思ったら、いきなり約半数―――2万以上の個体群が一斉に突進をかけてきたのだった。
日本軍第7軍団司令部は全力迎撃を命ずると同時に、悲鳴のような増援要請を第2軍司令部と、中部軍集団司令部、その双方に発していた。

そして、今現在も戦況は刻一刻と悪化している。

『第20師団司令部、音信途絶!』

『第27師団司令部より、援軍要請!』

『第40師団第402戦術機甲大隊、全滅! 第402戦術機甲大隊、全滅です!』

『米第25師団より、『1号線の維持困難、可能な限り耐久す』―――“KIP”・ワード少将(アレクサンダー・E・ワード米陸軍少将)から入電です!』

『インドネシア第2師団“シリワンギ”、田辺から米25師団の支援に入りました!』

『海軍第323、第204戦術機甲戦闘団、市消防団本部のラインを塞ぎにかかった! 第215戦術機甲戦闘団、男山の増援に入ります!』

『北の山間部の守り!? 他に部隊は・・・ 海軍の第217だ! 第217戦術機甲戦闘団、あれを出せ!』

『“宮様大隊”をか!?』

『海軍から了解は得ている! 他に戦力が無い!』

『砲兵旅団群、第18斉射!』

『機甲部隊を正面からどけろ! 突撃級に踏みつぶされるぞ!』

『自走高射部隊、側面から掃討を行え! 正面は戦術機甲部隊だ、大型種の突進に戦車や自走砲は役に立たん!』

戦線は淀川対岸の島本町から、河を挟んで橋本、男山前面の八幡市北部、そして国道1号線を守るラインを死守しようとしていた。
ここを突破されれば、広大な巨椋池の南北両岸沿いに京都市内へ、そして木津川沿いに平坦地を南進すれば、奈良盆地へと突入されてしまう。
それは今なお、脱出が済んでいない政威大将軍の身の安全が保てず、そして近畿の一大避難場所と化している、大阪の後背をBETAに奪われる事になる。

『第1中隊、イシュタル・リーダーだ! イシュタルが右翼から突っ込むよ! BETA群の側面を突破する! 
第5中隊! ≪フラガラッハ≫! 周防、アンタのトコは正面だ! 突撃級の突破を阻止!  曹大尉、第7中隊≪チンロン≫は間隙を塞いで!』

『フラガラッハ、了解。 中隊陣形、ウェッジ・スリー! ここで押し止めるぞ、誘導弾をありったけ放て!』

『チンロン・リーダー、ラジャ。 ≪フラガラッハ≫、周防大尉、左翼の間隙を埋める! 正面、任せた!』

周蘇紅少佐は、先程から刻一刻と変化する状況に振り回されていた。 つい先ほど出した指示を、直ぐに修正せねば状況に対応できない、そんな場面に直面していた。
南岸の戦況は、あと数100mで光線級が照射危険範囲に入る所まで切迫していた。 地形を利用し、起伏を盾に防戦するが、元々それ程起伏に富んだ地形では無い。
そしてBETA群は中小規模の集団で、四方八方から絶え間なく襲いかかってくる。 これが小型種だけであるとか、大型種の1群であるとか。 そんな纏まった集団で有ればまだ対応はし易い。
だが小型種を掃討している隙に、突撃級が突進をかましてくる。 突撃級を撃破しようとすると、その背後から要撃級が高機動突撃を仕掛けてくる。 それにかまけていると、纏まった数の戦車級が四方から群がってくる。

日本軍第5師団も、国連軍の2個師団(米軍とインドネシア軍)も、無秩序なBETA群の波状突撃に対応を迫られ、統一された戦術防御が取れないでいた。
救いは日本海軍基地戦術機甲部隊が4個戦闘団(4個大隊)、増援として参戦して来た位か。 その内半数はF-4系の機体だが(84式『翔鶴』)、残りは最新の第3世代機だ。
自分の指揮する部隊の持ち場には、その内1個戦闘団(大隊)が新たに加わった。 『部下達』の負担がこれで減ってくれれば・・・!

―――その時だった。

『米25師団、後退します!』

『インドネシア第2師団、予定地点まで進出できず! BETA群の圧力が強い・・・!』

『八幡の第5師団、独機団、海軍第215戦闘団、孤立します!』


―――馬鹿な。

思わずわが耳を疑った。 ここで後退!? 後退する場所など有るものか! 
しかし、現実に米第25師団はこちら―――淀方面へと巨椋池、そして木津川を渡って後退してくる。 インドネシア軍は田辺方面の阻止に懸命だった。

「馬鹿な・・・ そんな、馬鹿な! あそこには、あそこには私の『部下』達が、未だ死戦をしているのだぞ!?」






[20952] 本土防衛戦 京都防衛戦 11話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/03/08 07:56
1998年8月14日 1820 京都府南部 男山


『くそっ! BETAだ、喰い込まれた!』

『防げ! 弾幕だ、弾幕!』

『残弾僅少! 弾がもうない! 補給は無いのか!?』

『2時方向、小型種多数! 戦車級だ、機関砲!』

『正面の斜面に取り付かれた! 歩兵じゃ対応しきれない! 戦術機、取り払ってくれ!』

『無理だ、向う側に光線級が居る、これじゃ只の的だ!』

『9時方向、突撃級! 突っ込んで来るぞ!』

120mmAPFSDS弾を至近距離で喰らった突撃級が、体液と内臓物を吐き出しながらつんのめる様に急停止する。 36mm砲弾のシャワーが小型種を纏めて霧散させた。
要撃級がその硬い前腕を振り降ろし、戦車の上面装甲をブチ抜く。 乗員はあっという間にミンチか圧死だろう。 その背後から別の戦車が105mm砲弾を叩き込んで仇を討つ。
戦車級が10数体、戦車小隊に群がってきた、最後尾の1輌が取り付かれる。 通信回線に響き渡る悲鳴と絶望の声、やがて聞こえなくなる。
1機の戦術機が短刀を手にして、車輌に取り付いた戦車級の排除しようとする。 瞬く間にその周囲にも戦車級が群がり始め、そして僚機がそれを阻止する為、突撃砲が唸る。

狭隘な地形に戦術機、戦車、自走機関砲、そして機械化歩兵部隊がひしめき合う。 その中に左右からBETA群が突っ込んでは、至近距離で撃破されてゆく。
人類側としても、綱渡り以上の危うさだった。 撃破が半瞬でも遅れたら、あっという間に内部に喰い込まれ、掻き廻されて崩壊する。
男山近辺に『取り残された』第7軍団戦力―――第5師団の一部、米第25師団の一部、海軍第215戦術機甲戦闘団、独立機甲戦闘団の一部は、男山を中心とした全周陣形を張って必死の防御を展開していた。
BETAの『圧力』に抗し切れなくなった米第25師団が一歩後退した後にBETA群に踏み込まれた為、男山周辺の戦力は左翼をBETA、右翼と背後を河川に囲まれた。
更に間の悪い事に、右翼方向の淀川対岸では第20師団が壊滅的な打撃を受け、第27師団と第40師団が守る戦線が、若干後退した矢先の出来事だった。


≪CP、フラガラッハ・マムよりリーダー! 淀方面の野戦砲兵群より、全戦域に対し全力面制圧支援砲撃を3分後に開始します!≫

「フラガラッハ・リーダー、了解した。 こっちには、どれだけ割り当てが有る?」

≪軍団直轄の2個砲兵旅団です! あと、米第25師団の砲兵部隊から1個砲兵大隊です!淀川北部に1個砲兵旅団と、各師団の砲兵連隊が支援に当ります!≫

孤立した部隊のひとつ、独機団戦術機甲第5中隊―――帝国陸軍第18師団第22戦術機甲中隊長の周防直衛大尉は、CPからの情報を頭の中で反芻していた。
支援は2個砲兵旅団。 旅団編成ならば5個大隊、その内1個大隊は203SPH―――M110A2・203mm自走榴弾砲8門を装備した砲兵中隊、3個で編成されている。
他の大隊は、第2から第4大隊が75式155mm自走榴弾砲装備で、各大隊27門を装備。  第5大隊は5個中隊編成で、各中隊は9組のMLRSを装備している筈だ。
2個旅団合計で203mm榴弾砲が48門、155mm榴弾砲が162門、MLRSは90組―――大火力だ、編制表の通りならば。
ああ、それに米軍の砲兵大隊? M110A2か? いや、違うだろうな、多分155mmのM109A6『パラディン』だろう、27門。
240門近い自走榴弾砲と、90組ものMLRS。 瞬間投射火力量はかなりモノになる、酷使で砲身摩耗分を含めても、8割は期待出来るだろうか。 190門程の火砲と、80組程のMLRS。

「判った。 おい渡会、下がっておけよ? 今はどの辺に居る?」

≪はい、淀付近です。 真後ろに競馬場が見えます! 周少佐の管制本部と合流しました!≫

「よし、そのまま一緒に居ろ。 間違っても少佐より前には出て来るな、いいな?」

≪了解です、砲兵群、射撃開始20秒前・・・ 10秒前・・・ 5、4、3、2、1、射撃、開始しました!≫

轟然と砲声が鳴り響き、連続した甲高い飛翔音が尾を引きながら近づいて来る。 同時に前方から赤く焼けた夕暮の上空に向け、レーザー光が立ち上る。
初弾は全弾が迎撃された。 しかしこれは想定の範囲内だ、迎撃された初弾は全弾がAL砲弾、又はALMだった、瞬く間に重金属雲が発生する。
砲兵部隊は最大連射速度での砲戦を行う腹積もりのようだ、初弾から10秒後には次弾が発射されていた。 これも全弾が迎撃されるが、迎撃地点が次第にBETA寄りに近づいてきている。
光線級相手の『対砲迫戦』、そのセオリー通り光線級のレーザー照射のインターバル時間―――光線級の12秒、重光線級の36秒―――を逆手に取った速射砲戦を展開するようだ。
次第に迎撃地点が奥へ、奥へと移動して行く。 そして遂に砲弾が地表に炸裂し、多数の光線属種が宙に舞う姿が観測された。

「―――よし、フラガラッハ全機、噴射跳躍! 山頂付近を掃討後に、逆落としで山の向う側を片付ける! 続け!」

中隊長機を先頭に、10機の『疾風弐型』が跳躍ユニットから排気炎を吐いて、一気に跳躍に移った。
幸いにも山頂付近のBETAは小型種ばかりで、数も少なかった。 突撃砲の120mmキャニスター砲弾、36mm砲弾の一斉射撃で一気に殲滅する。
全機が着地し、そして前方を確認する―――誰かが息を飲む音が、通信回線上に流れた。  遠く大阪湾まで続く大阪平野、その北端から無数と言いたくなる程のBETA群が群がる姿を見出したからだ。
東から夜の闇が迫る真夏の夕暮空、その中に乱舞するレーザー光と爆発光。 あちこちで乱れ飛ぶ火線、立ち上る土煙。
弾け飛ぶBETA、撃破される戦車や戦術機。 突進してくるBETAを迎撃する為、必死の戦闘機動を続ける戦術機とその支援に当る戦車や自走高射砲。
小型種との死闘を、残骸と化した市街地で繰り広げる機械化歩兵装甲部隊。 そして不意にとんでも無く太い火柱が立ち上り、多数のBETAが吹き飛ぶ―――大阪湾の戦艦の主砲弾が着弾したのだ。

フラガラッハ中隊に続き、他の2個中隊―――独機団の≪イシュタル≫、≪チンロン≫、各中隊も山頂付近に駆け上がって来る。
やがて3個中隊、30数機の戦術機が眼下を見下ろした。 そこには無数の小型種と、多数の大型種が群れ、今まさにこちらを押し潰すかのように蠢いていた。

『・・・ごっつい眺めねぇ、いつ見てもさ』

『好きな眺めじゃありませんがね、水嶋大尉』

『私だって好きじゃないよ、曹大尉。 で、周防?』

暫く無言で戦場を見下ろしていた周防大尉は、機体を一歩前進させ、全機の先頭に立った。  光線属種は砲兵部隊が拘束してくれている、こちらへのレーザー照射も無い。
突撃級はどうやら国道1号線―――米25師団前面と、インドネシア第2師団側面に集中しているようだ。 その方向へも多数の弾着を確認出来た。
眼下には戦車級を含む小型種が大半、要撃級が数百体。 要塞級は数10体程いるが、光線属種と共に最後尾をゆっくり動いている。 
何体かは砲撃の直撃を受け、斃れたようだ―――いいぞ、凄くいい。 これぞ、戦場。 人類が実現すべき戦場。

「―――心躍る、まさに。 あの姿は自分も大嫌いだが。 さて、楽しめる時間は少ないと思う。 どうでしょう、水嶋さん? どうだろうか? 曹大尉?」

『楽しむとは。 まあ、そうとも言えるけれどね・・・ 左翼、市役所跡から南に突き入れる、そのまま時計回りに戦闘機動。 どうだろう、水嶋大尉、周防大尉?』

「否応は無い、それしか俺も思い浮かばないね、曹大尉」

『思うんだけどさ、周防。 アンタ、昔とずいぶん変わったよ、そう言う所。 異論は無いね、そのまま大型種の背後を取りつつ殲滅、小型種は後続に任せる―――よし、行くよ!』










1845 第7軍団司令部 京都府 淀近辺


「淀川北岸はどうなっている? 第20師団は壊滅、第27と第40師団が継戦中? 阻止は? 前面のBETA群は約8000? 減少したのか?」

「対岸に渡った、南岸に約2万2000。 北岸には約1万6000、その内の半数弱が活発だ」

「南岸の個体群は全個体が活発に動いている。 主な侵攻方向は国道1号線、一部が木津川沿いに向かっている、約4000体。 インドネシア軍が阻止戦闘中だ」

「第5師団と米25師団だけでは、残る主力の1万8000を支えきれない。 いくら砲撃支援が有ってもな・・・」

「孤立した戦力はどうなった? 男山の北側の戦力だ―――未だ孤立状態? 側面から木津川沿いに1号線方向を叩けんか?」

「無理を言うな、北岸の戦線が後退している。 お陰で南岸河川敷方向からのBETA群の阻止が困難なのだ、北岸から光線級に狙い撃ちにされてしまう」

「・・・引き付けて、内懐で殲滅するしかないのか。 それでは確かに、1号線方面への突き入れ所では無いな」


部下の参謀達がモニターや戦力編制表を見比べつつ、苦しい台所事情で何とか遣り繰りしようと悩む様を、2人の高級将校―――将官達が見ていた。
第7軍団長、寺倉昭二中将。 参謀長・鈴木啓次少将、共に厳しい表情で視線を戦況を映し出すモニターに移し、睨みつけている。
元より第7軍団だけで、これだけの数のBETA群を撃退できる道理は無い。 そして戦線を支えるにしても、それ程長時間支えられる物でも無い事は判っていた。

「閣下、27師団、40師団とも、現状を支えるのが精一杯です。 20師団が壊滅した今となっては・・・」

「・・・永津君(永津久重少将、第20師団長)には、済まぬ事をした。 戦力の劣る丙師団であの数のBETAを、これまで防いで時間を作ってくれたと言うのに」

「勇躍、出撃して行きました、永津は。 及びはしませんでしたが、悔いはしていないでしょう、恨み事も言わない男です」

鈴木参謀長の声は確信と、どこか寂寥感と、そして羨ましさが感じられるものだった。

「君とは陸士同期だったね、永津君は・・・ 竹下君(竹下義輝少将、第27師団長)と天谷君(天谷直次郎少将、第40師団長)に伝えてくれ、『無理はしても、無茶はするな』と。
どだい、この戦力で4万近いBETA群を支え切れる道理は無い。 作戦がフェイズⅡの現在は、些かの無理も必要だがな。 それもフェイズⅢへ移行するまでの時間稼ぎだ」

「は、その事は重々。 しかし閣下、その時間を作る為の方策、考え直さねばなりませんな」

参謀長の言葉に、寺倉中将は改めて戦況モニターに視線をやり、そこに映し出される戦線の状況、そして指揮下各部隊の損害状況を再確認する。
現在BETA群は淀川北岸に約1万6000、南岸に約2万2000の、合計3万8000が行動を開始していた。
対して防衛戦力は、北岸に第27、第40の2個師団と、海軍機甲戦闘団が第323、第204、第217の3個戦闘団(各々増強大隊規模)
海軍部隊は各々、戦術機甲1個戦闘団(大隊)を基幹として、戦車、自走高射砲各1個中隊と陸戦隊(機械化歩兵)2個中隊から構成される。
陸軍式に言い直せば、合計で戦術機甲1個連隊と戦車・自走高射砲各1個大隊、機械化歩兵2個大隊、と言った所か。 旅団戦闘団に相当する戦力だ。 2個師団プラス1個旅団。
南岸の防衛戦力は、第5師団と米第25師団、大東亜連合(インドネシア)第2師団、そして南部から抽出された独立機甲戦闘団(増強連隊規模)と、海軍機甲戦闘団(第215)が各1個。 戦力は3個師団プラス1個旅団相当。

「ポンポン山から釈迦岳方面が手薄なのが、気に食わんな。 海軍部隊をそっち方面に喰われている。 第2軍団から抽出してくれんかな・・・」

「先程、内々にですが磯谷さん(第2軍団参謀長・磯谷和磨少将)に打診しました。 『市内南部への対応で、それどころでは無い』と断られましたが・・・」

「李殿下(李公 鍝(ぐう)中将、第2軍団司令官)も、市内入口の防衛に必死だ。 一部防衛線が破られて、1個師団をその対応に割かねばならないからな・・・」

現在京都西部(北部戦線)は、市内西方の入口である老ノ峠を一部BETA群に突破されていた。 
そしてその殲滅に、広島で『全滅』判定を受けた第2師団残余と、戦略予備の第51師団を割いて掃討戦を展開していた。
第7軍団としては、その状況がもどかしい。 下手をするとBETAに、後背の山間部に潜り込まれる可能性が出てきたのだ。 その為に海軍部隊をその警戒に充てねばならなかった。

「現在、第1軍司令部が調整中の様ですが、最終的には斯衛をその任に充てる方向であると」

「斯衛? 第1は動かせんだろう? フェイズⅢでは盾になって貰わねばならん、戦力が減るのは好ましくない。 第2か?」

「はい、斯衛第2連隊戦闘団。 支援兵科も少しは軍予備から回せるようで、現在進行中の市内南部の掃討戦が終了次第、ポンポン山から釈迦岳一帯の警戒に投入する様です」

「他には?」

「北近畿で半壊した斯衛第3聯隊から、生き残りを市内の掃討戦に投入すると。 これで第2軍団は第57師団を戦線に復帰させ、我々は後背の一応の安全を確保出来ます」

再び戦況モニターを見る。 部隊移動は左程の時間を有しないだろう。 であるならば・・・

「連絡の有った、南から突進してきている友軍。 到着予定時刻は?」

「米海兵隊は1920時には、南岸のBETA群の右翼後背に到達予定。 連合陸戦隊第3師団は、1935時に京田辺付近に到達予定です」

時計を見る―――あと30分から、最大45分。 第2軍団の手配も、あと30分有れば完了するだろう。 45分、そうすれば強力な増援2個師団が到着する。
そして第7軍団はここで一時にせよ、BETA群を押し返す必要が有った。 今のままジリジリ後退したのでは、フェイズⅢに移行した際、大きな支障が生じる。

「・・・よし、1940時を持って、全力で逆撃を加える。 フェイズⅢへの移行は予定では1時間から最大でも2時間の内の予定だ、それまで全力で時を稼ぐ」

「孤立している部隊の救出にもなります」

「ああ、あそこには第5師団の一部以外に、国連軍(米25師団の一部、独機団の一部)も取り残されておったな。 飯田君(飯田祥一郎少将、第5師団長)もやきもきしておるだろう」

「飯田は、今しも突入しかねない剣幕です。 が、暫し押さえておきましょう」

陸士後輩の猛る表情を思い浮かべ、鈴木参謀長が苦笑いを浮かべた。

「より、指揮下全部隊に通達。 『1940時、逆撃と為す。 総員、奮起せよ』だ」

「了解しました」










1855 京都 右京区 愛宕山(標高924m) 第1軍第1軍団 第3師団防衛戦区


『メイディ! メイディ! ブルー03! くそ、管制ユニットのエジェクトが効かない!』

取り付いた戦車級を何とか排除した『不知火』だったが、あちこちを齧られた時にどうやら機体に不調をきたした様だった。
既に跳躍ユニットは全損、両脚の関節部も完全に壊れていた。 脱出するしかないのだが、肝心の管制ユニットのエジェクト機能が死んでしまっていた。

『ブルー04! 03の管制ユニット前面装甲を引っぺがせ!』

『04より01! ダメです、戦車級が・・・! 近寄れない!』

『うっ、うわあああ! 畜生、来るな! 来るなぁ!』

小隊長が自分のエレメント機に指示を出すが、西の山麓から次々と這い上がって来る小型種BETA―――それも戦車級―――の群れに阻まれ、損傷機に近づけない。
今や10数体の戦車級BETAに囲まれた損傷機から、衛士の悲鳴が響く。 何とかしなければ、このまま喰い殺されてしまう。 小隊長は一時的に現位置の放棄を決意した。

『くそったれ! 04! 右から掃討しろ! 俺が左から行く! 03! もう少し頑張れ、必ず助ける!』

『隊長、中尉! た、助けて・・・!』

『助ける! 助けるから頑張れ! おい、04! 行くぞ!』

『了解! ・・・? ひっ!? ぐぎゃ!』

『? おい、04? ・・・04! 畜生! 要撃級かよ!?』

小型種ばかりと、油断した。 ゆっくりとではあるが、大型種も山麓から登ってきている事を失念していたのだ。
夕焼けの残光に照らされた歪で醜悪なその存在―――1体の要撃級BETAの前腕が部下の機体、その管制ユニットを完全に破壊した様子を歯ぎしりしながら睨みつける。

その直後、断末魔の悲鳴が小隊長の耳をうった。

『うわああ! くっ、喰うなぁ! お、俺を喰うなぁ! た、助けて! 中尉! 助けて・・・! ぎゃああああ!』

『ゼ、03!? くっそう、全滅かよ!? ブラヴォーよりシックス! ブラヴォー残存1機! 繰り返す、残存1機!』

≪・・・ザッ・・・ ザッ、ザッ・・・≫

『おい、まさか・・・? 冗談だろ!? シックス、応答を! シックス!―――中隊長!大尉!』

中隊長機からの応答は無かった、ただ虚しく空電が聞こえるだけ。 そして周囲に恐れていた大型種、要撃級BETAが10数体、姿を見せた。






凶報は瞬く間に第1軍司令部に飛び込んだ。 知らせを受けた司令部参謀団の顔色が変わる。

「山頂を取られた!」

「山頂!? どこだ!?」

怒声が渦巻くその中で、決して大きな声ではなかったが、誰ひとりその言葉を聞き逃した者はいなかった。
それ程現在の第1軍にとっては、悪夢以外の何物でもない状況を知らせる言葉だったからだ。

「愛宕山から地蔵山(標高948m)にかけての一帯だ! 布陣していた第3師団の第31戦術機甲中隊が全滅した!」

「・・・冗談じゃない! あの一帯からは、京都市内全域を見下ろせるんだぞ!?」

京都市西部、右京区の西端に聳える愛宕山と地獄山は、市内西部に位置する『高峰』である。 その山頂からは京都市内を一望に臨めた―――重光線級ならば。
司令部内が一瞬静まり返る。 真夏だと言うのに空気が冷たい、背中の冷汗が止まらない。 頭上を―――戦術的に非常に拙い位置を光線属種に占位される。
その想いが全員の認識する所となった瞬間、静寂は瞬時に怒号と化した。

「奪い返せ! 軍戦略予備をありったけ投入しろ! それと、市内南部の掃討は斯衛の2聯隊だけでやらせろ!」

「第2師団の生き残りと、斯衛3聯隊の生き残りも山頂奪回に投入するんだ! 全部磨り潰しても構わん! 奪い返せ!」

「斯衛の1聯隊、直接護衛の1個大隊を除いた2個大隊も、投入するんだ! 命令系統?  そんなもの―――文句があったら、直接言いに来いと言え!」

「砲兵兵団司令部! 愛宕山と地獄山に向けて、ありったけ撃ち込め! 何? 座標変更に10分?―――3分でやれ、馬鹿野郎!」

怒号と罵声が飛び交う最中、1人の高級参謀がふと壁にかかった時計に無意識に視線をやり―――顔色を変えた。

「・・・しまった」

「ん? どうした?」

「拙い・・・ おい、誰か! 斯衛第1聯隊本管に緊急電だ! 『脱出、待て!』―――下手すりゃ、蒸発しちまうぞ! 急げ!」





「皆の者、準備は整ったであろう哉?」

将軍家居城、その広大な敷地内にある専用ハンガー。 斯衛第1大隊指揮官が、乗機である82式戦術歩行戦闘機、その赤い『瑞鶴(Type-82F)』を見上げながら問う。

「はっ! 斯衛第1大隊総員、殿下の御側に!」

大隊副官である、山吹色の強化装備を身に纏った斯衛士官が、敬礼と共に報告をする。
その様子に頷き、大隊指揮官がチラリとハンガーから出てきたばかりの1機の戦術機―――将軍家専用機体の『瑞鶴(Type-82R)』を見る。
今まで脱出に時間がかかった理由。 誰もが己が不明を呆れる様な理由。 将軍家は未だ15歳にならず―――専用機を操縦出来ないと言う事に。
数日前に誰かがようやくその事に気付いた。 そして大慌てで複座の管制ユニットを―――斯衛にも、陸軍にもそんなモノは、有りはしなかった。
大至急、海軍省に打診が行われた。 海軍の現行機種、84式戦術歩行戦術機 『翔鶴』に使っている管制ユニットを1基、譲渡願うと。
陸軍の『撃震』改良機種として、海軍機は複座型の管制ユニットを使用している。 『瑞鶴』とのマッチングが懸念されたが、戦闘を行う訳では無いので黙殺された。
ようやくの事で管制ユニットが到着したのが、本日の未明。 突貫作業で機体への搭載、調整作業が進められ、ようやく30分前に終了したのだ。

「殿下の機体、誰が操縦するか?」

「はっ、将軍家警護小隊指揮官の月詠中尉が」

「・・・ふむ、宜しき哉。 しからば出撃致す! 皆の者、殿下の御盾とならん! 続けい!」





「斯衛第1大隊、既に出撃しました!」

「間に合わなかった!? くそう! だからこっちの管制に従えと、あれ程・・・! 戦闘管制通信系で呼び出せ!」

「観測班より緊急信! 愛宕山山頂に光線属種を確認! 個体数8! 重光線級、3! 光線級、5!」

「奪回部隊はどうした!」

「突入経路の162号線付近で接敵! 抗戦中!」





『ッ! 第1中隊、レーザー直撃! 全滅!』

『全機、全速! 粟田口の裏に飛び込めい!―――殿下! 暫しの御不便! 御寛恕の程、御許し下され!』

『レーザー照射第2射、来る!』

『皆の者! 総員、盾となれい! 殿下の御盾となりて、御護り致せ! 御護りして死ねい!』





「将軍機、御稜(みささぎ)付近で停止! 斯衛第1大隊、残存18機! 将軍警護小隊、残存2機!」

「御稜? 何とか東山の陰に隠れる事が出来たか・・・ よし、打電しろ、『待たれよ』だ」

「直接通信では無く、でしょうか?」

「・・・顔を見たら、どんな罵声を吐くか、自分に自信が無いのでな!」









1910 京都府南部 淀付近


『今から?』

「そうだ、周少校。 今ならまだ辛うじて、北岸の光線級に気取られずに戦術機部隊を『向う側』に進出さす事は可能だ」

『しかし、2個中隊だけでは押し返す戦力にもなりません! 無駄に消耗するだけに・・・!』

「日本軍は近く、逆撃を企図している。 貴様も聞いた筈だ。 その間に孤立部隊が全滅するのはいただけない。
あの場所をBETAに奪われる事は、戦術的に非常に拙い。 判るな? 周少校。 何としても、1分でも1秒でも長く、あの場所を確保せねばならない」

『それは、判りますが。 しかし・・・!』

「杜司令員(杜月栄上佐(大佐)、独機団司令)も承認下さった。 吐き違えるな、少校。  正式な命令だ」

『ッ! ・・・了解しました』


不承不承、言葉通りの表情を浮かべた『部下』が通信スクリーンから去った後、羅蕭林中校(中佐)は改めて戦力リストに視線を落とした。
孤立部隊に含まれる独立機甲戦闘団の部隊は第1中隊(日本)、第5中隊(日本)、第7中隊(台湾)の3個戦術機甲中隊。
第3中隊と第8中隊(共に韓国軍)は現在、米軍とインドネシア軍への支援に回している。 ここで孤立部隊の3中隊が壊滅したら・・・ 無傷は中国軍の3個中隊のみ。

(・・・流石に、それは外聞が悪かろう?)

中国軍の指揮下の元、日本、台湾、韓国の部隊が壊滅、或いは損害を受け、当の中国軍は無傷とあっては・・・
羅中校が手元に置いてある3個戦術機甲中隊の内、2個中隊を『孤立エリア』の増強に投入する決心をしたのは、そんな状況が大きな要因だった。
投入するのは第2中隊≪ジューファ≫、そして第4中隊≪ムーラン≫の2個中隊。 内々に『絶対死守』命令を下している。
例え日本と国連軍がその場を離れようと、最後まで留まって戦い続けよと。 全滅しても構わない―――いや、全滅してくれた方が有り難い。

(もし、この国がこのまま保ってくれたならば・・・ 美国(米国)の洋上支援に頼らず、連中の海軍を今後も当てに出来る。 
東南アジア・オセアニアに分散した生産工場からの海上輸送手段の融通も、日本の船団を融通してくれる様、交渉が出来る。
実績よ、実績。 連中のなかでも『特別な』存在である京都の防衛戦で、我が軍が為し得た協力。 実績を作れば・・・)

党にとっても、彼女自身にとっても、非常に有益な事となるだろう。










1915 琵琶湖 第1艦隊第2戦隊 戦艦『信濃』


『目標座標、N-35-88。 標定完了、主砲発射準備よし』

『主砲射撃指揮所、砲術長より、『斉射開始』です!』

50口径460mm砲3連装3基9門の巨砲から、一斉に発射炎が吐き出される。 同時に轟音と発射の衝撃波が、周囲の湖面に大きな波紋を生じさせた。
琵琶湖北部湖水面に布陣していた第1艦隊第3戦隊の2戦艦、『信濃』、『美濃』から、京都西部に向けて巨砲の制圧支援砲撃が為された。
一拍遅れて僚艦であり、姉妹艦でも有る『美濃』からも、同じく主砲の一斉射撃が開始された。 巨艦の巨砲、その発射音が湖面を囲む山々に殷々と木霊する。
同時に行き従うイージス巡洋艦『大淀』、『仁淀』、打撃巡洋艦『川内』、『神通』、『那珂』(いずれも2代目)から、多数のALMが発射される。

『米第3艦隊、発砲開始しました』

湖面中部に遊弋する米第3艦隊第35-1任務群(CTU35-1)の2戦艦『ミズーリ』、『ウィスコンシン』も、55口径406mm砲3連装3基9門の巨砲を振りかざし発砲している。
それに着き従うアラスカ級大型巡洋艦『ハワイ』は16インチ砲戦艦のそれより発射速度の速い55口径305mm砲を全力で比良山系の『向う側』に放り込み続けている。
更にはタイコンデロガ級イージス巡洋艦『ケープ・セント・ジョージ』、『ヴェラ・ガルフ』、『ポート・ロイヤル』の3艦からALMは白煙を挙げて飛翔してゆく。
戦艦4隻、大型巡洋艦(日本海軍呼称は『巡洋戦艦』)1隻、イージス巡洋艦5隻、打撃(ミサイル)巡洋艦3隻。 京都を防衛する第1軍への支援部隊が、全力砲撃を開始した。

『航空管制より司令部。 伊勢湾の3航戦、米第70-1、第70-2任務隊より支援第12派、野洲水道(琵琶湖運河野洲水道)を通過。 比叡山北方より鞍馬・貴船を迂回し攻撃ポイントへ接近中』

第1艦隊第3戦隊と、米第3艦隊第30任務部隊の戦術機甲打撃力、戦術機母艦『雲龍』、『翔龍』、『ニミッツ』、『エンタープライズ』から各々12機の戦術機が接近している。
大阪湾からも、戦艦群が最大射程で主砲の一斉射撃を開始し、全戦闘艦艇がVSLから誘導弾を雨霰と発射していた。 
日米の戦術機母艦群も大阪湾に突入し、堺市辺りの沖合からひっきりなしに攻撃隊を発進させている。

京都西部の山岳地帯に、光線属種出現―――その報を重く見た日米両艦隊司令部は、『フェニックス・ミサイル』と『95式自律誘導弾』の使用制限を全面解除した。
そして持てる全攻撃力を、一気に京都の南部と西部に向けて叩きつけ始めた。 戦術機部隊はこれまでの支援で少なからず被害を受けていたが、全力出撃を開始している。

『主砲第5斉射、撃ぇ!』

砲術長の声がスピーカーに流れる。 同時にCICの中まで僅かに震える程の、主砲発射の震動。 そして僅かながらの砲声。
外から見れば、夕日の僅かな残滓に薄暗く照らされる黒々とした艦体から、槍の様に突き出た主砲が真っ赤な炎を吐き出す様が、世紀末の世の様に見える事だろう。
実際、赤黒く照らされた湖面を、ウェーキ(航跡)を引きつつ遊弋する巨艦群から吐き出される、鮮烈な赤い発砲炎。
そして周りの中型艦から発射炎と共に、白煙を引きながら飛び去る多数の誘導弾、と言う光景はある種の荘厳ささえ醸し出している。


「参謀長、このまま暫く全力攻撃。 フェイズⅢまで継続する。 フェイズⅣ突入と同時に伊吹水道(琵琶湖運河伊吹水道)に突入する、全砲門を開きつつな」

「了解です。 米第3艦隊には、野洲水道を使う様、伝えてあります」

「うん、あっちの方が伊勢湾と直通な分、文句も無かろう。 我々は伊吹水道を経て本隊から分派、若狭湾の第3艦隊と合流する」


艦隊が火力支援砲撃を行っている最中、都合48機に及ぶ日米の戦術機甲部隊が、琵琶湖西岸の比叡山に向けて飛び去って行った。










1920 京都府久世郡 第7軍団司令部付近 第9軍団混成戦術機甲大隊


「待て?―――どう言う事です? 現に友軍が包囲下で、苦戦しておるのですぞ!」

通信スクリーン越しに怒声を浴びせかけられた第7軍団司令部参謀中佐は、ややうんざりした表情を一瞬だけ見せ、改めて説明調で言った。

『何もそのままにしておく訳ではない、と言っておるだろうが、宇賀神少佐! ここで小出しに、バラバラに少数戦力を逐次投入した所で効果は無いと言っておるのだ。
帝国と米国の海兵戦力(帝国は陸戦隊)、この2個師団が戦場に到達した時に、軍団全兵力を挙げて逆撃をかける、そう言っておるのだ』

それは判る。 その戦術意図は十分理解出来る、そして宇賀神少佐自身、戦術指揮官としての頭脳は、その案を是としている事も。
だが内心が抑え難い。 孤立部隊の中には連隊の下級指揮官達―――彼らが指揮する3個戦術機甲中隊も取り残されているのだ。
延々、阪神間の防衛戦からこの方、激戦に激戦を重ねて、報われぬ力戦を黙って戦ってきた連中。 そして連隊から引き抜かれ、他国軍指揮官の元で今尚、戦っている連中が。

「・・・せめて、淀から八幡への突入路確保を。 我々が切り開きます」

『却下だ。 未だ攻撃準備射撃中だ、光線属種共に対する火光標定も終わっておらん―――宇賀神少佐、気持ちは判る。 判るが、焦るな』

「・・・!」

『孤立部隊の中に、貴官と同じ連隊の部隊が居る事は承知しておる。 この状況で戦術機甲3個大隊の増援、誠に有り難い。
だからな、だから、突入第1陣は貴官等に任す。 だから、焦るな。 我々は見捨てはせん。 せぬよ、その様な事は』


そう言われては、上級士官相手にこれ以上我を通す事は出来ない。 無言で切られた通信網膜スクリーンの跡を見つめながら、無意識に歯ぎしりする。
視線を彼方に向ければ、南西方向に向けて盛大に撃ち込まれる砲弾の曳光が見える。 そして彼方から立ち上る迎撃レーザー照射と、爆発光。
立ち上り、広がりつつある重金属雲。 その下で今尚苦闘し続ける友軍、その中には負傷した先任者から後を託された、かつての部下達もいるのだ。

『大隊長、各中隊所定位置に着きました。 混成第2、第3大隊も配置完了―――3人とも、しぶとい古参です。 これまでも、今も、これからも』

「・・・貴様は、そう信じるのか?」

網膜スクリーンに現れた副官に向けて、そう問いかける。 戦場では時として、信じ込む、或いは思い込む事も必要だ。 結果がどうであれ。

『今となっては、そう信じる他に術は有りません。 彼らが、我等の突入まで部隊を掌握し、生き残るで有ろうと信じる以外』

「随分と冷静だな。 貴様の事だ、真っ先に吶喊しそうになると思ったが?」

『どなたかが普段と違い、我を忘れそうになられておりますので。 諌め役は必要かと、少佐』

普段と異なり、あくまで冷静に言い放つ『副官』に少しの苛立つを覚えつつ、逆に普段の練達の歴戦指揮官らしからぬ様子の宇賀神少佐が、苛立つ声で独り言のように言う。

「我を忘れる? はっ! 忘れたくもなる! 一体、何の為に奮戦を続けてきているのか。  軍集団の動き、余りに不自然過ぎるわ!
一体何時になったらフェイズⅢに移行するのだ!? 本来ならとうの昔に移行して然るべきだ! この不自然さ!」

吐き捨てる様に言い放つ。 少佐の『副官』は、その様子を制するでもなく、諌めるでもなく、静かに見つめている。

「政治だ、政治。 確かに軍事行動は政治の延長線に位置する、しかし軍事行動に、純然たる軍事作戦に政治が介入して良かった試しは無い!」

珍しいものだ。 常は静かに、しかし歴戦古参衛士の貫禄を以って、先任指揮官の後ろで睨みを利かせる役割の宇賀神少佐が、ここまで我を失するような言を吐くのは。

「その結果を見ろ、この有様だ! 早坂さんは逝き、広江さんと荒蒔君は重傷を負った。  死んだ古村や伊崎とて、普段ならばむざむざ殺られる程、柔な連中では無かった!
私は軍人だ、軍人としての誓約を誓った、その事に怖気づく事は無い。 しかしな、時として思うぞ、せめて意味のある死を迎えたいとな!」

彼方の戦場を見つめつつ、宇賀神少佐の声は、腹の底から絞り出す様な声になった。
大陸派遣軍、最初期からの古参衛士。 数々の戦場で、苦渋に満ちた敗北と死を見つめてきた衛士。 そして『死』そのものに意味は無いのだと。
そしてその想いを、自らの内に秘め、黙して来た衛士。 その彼が、恐らく初めて他人の―――それも部下の前で胸中の一部を吐露し続けていた。

少佐自身不思議だった、自分は何故、今、こうして話しているのか? 最早半ば諦観すら抱いている事に対して、どうしてこうまで?
今や祖国が戦場と化したからか? それもあるだろう。 上官や同僚、それに多くの部下を失ったからか? それもあるかもしれない。

(何を言っているのだ、俺は。 こんな時に、恨みがましい事をグダグダと・・・ さっさと指揮に戻らんか・・・!)

そうは思うが、一向に開いた口は閉まる様子を見せない。
何故だろう? どうも普段と違う気がする、違和感の様な何か。 そして不意に、スクリーン越しに自分をじっと見ている『副官』と目が会った―――これか。
普段は猛々しい程に攻性の女が、どう言う訳か今は静かに自分の『愚痴』を聞いてくれている。 そして何も言わず、ただじっと見ているだけ。
その雰囲気につい流されたのか? つい、普段は胸中に仕舞っている感情を吐き出してしまったのは、その為か?

「・・・やけに静かだな、貴様らしくない」

『時には、内心を吐き出す事も必要です。 誰も責めはしません。 ・・・責めさせません』

そう言った表情―――静かに微笑んでいる、その表情―――に、内心で思わず狼狽しそうになる。
全く、何と言う事だ。 この自分が、今まで散々戦場を見尽くしてきた自分が。 戦場での負の感情を。 この表情に。 くそ、自制が。
無意識に視線を外す。 何となく後ろめたい感情、いや、自分は何も後ろめたい所など―――違う、気恥ずかしいのだ、どうしようもなく。

「・・・もうじき、逆撃が始まる。 大隊のコンディションを再確認しろ!」

『了解しました』

最後まで物静かな笑みを浮かべて、副官は通信を切った。 






「・・・ふう」

(似合わない―――私には、似合わないな、本当に)

スクリーンアウトした後の周囲の情景を素早く確認しながら、神楽緋色大尉は少しだけ苦笑する。
思えばひと月ほど前、同期生の前で『想いのたけを告白して何が悪いと言うのだ!? いや、悪くない!』、などと啖呵を切ってみたものの・・・
やはり自分には、どうすればよいか判らなかった。 部隊の同期生に相談しようにも、あの女は自分の事で一杯、一杯だったし、先任に相談するのは何となく気恥ずかしかった。
そんな時、苦笑しつつアドバイスをくれたのは、他ならぬ直属上官―――広江中佐だった。  余りのギャップに面食らう自分に、中佐はこう言った。

(『いいか? 神楽。 男なんて生き物はな、本当は可愛いものだ。 少しだけ、黙って愚痴を聞いてやればよい。 何も言わずに、微笑みながらな』)

それに、こうも言っていたな。

(『世の妻や彼女でな、上手くいっている場合はな、女が妻や恋人の他に、男の母親役もしているのだよ。 ほんの少しだけでいい、そうしてやれば男はお前にひれ伏すだろうよ』)

ひれ伏すとは、如何にも中佐らしい言い様だと思ったが。 要は少しだけ引いて、向うを受け止めてやればいい、そう言う事かと思った。
思えば、自分の同期生と1期先任の彼女との間も、言われてみればそんな感じがする。 成程、そう言うものかと思った。
いつも、いつも、では無い。 そんな事、こっちの身が保たないし、男も何時も弱みを見せる訳でもない―――見せたくないだろう。
だけれど本当にまいっている時に、少しだけ黙って話を聞いてあげればいいのか、そう思った。 そしてそうしてみた―――第1撃は、見事に命中した気がする。

(嫌な女だな、私は。 ズルイ女だ、本当に・・・)

大隊各中隊の状況、戦況の確認、BETA群の侵攻方向と個体数、友軍部隊の配置状況とゼロ・アワーまでの残時間の確認。
大隊副官として必要な処理や確認を滞りなく行いつつ、神楽大尉は自分の内心の変化について、くすぐったい喜びを感じていた。










1925 京都府南部 男山


『もう保たない! 直衛、そっちに要撃級8体抜けたぞ!』

「抜けが多過ぎるぞ、オーガスト! 曹大尉、≪アタッカーズ≫のフォローを頼む!」

『了解した。 美国(アメリカ)はザルだよ、全く・・・』

『独機団1中隊、水嶋大尉です! 海軍第215戦闘団! 宮野少佐、右翼をお願いします!』

『宮野だ、陸軍部隊、左翼に専念してくれ、こっちは海軍が防ぐ―――菅野!(菅野直海大尉) 対岸に向けて長モノ(M-88支援速射砲)をありったけブチ込め!』

『もう、やってますって!』

『第1中隊、笹井(笹井醸次大尉)です。 隊長、2時方向に戦車級多数。 引き込んで殲滅します』

『よし、大野!(大野竹義大尉) 『軍鶏(笹井大尉のあだ名)』のバックアップは、君がやれ!』

『了解』

「5師団! ≪サンダーボルト≫、≪ムーンライト≫! 底を頼む、そこが最後の防御線だ!」

『了解した、≪フラガラッハ≫。 最後の取りこぼしは俺達で始末する!』

孤立エリアでの激戦が続いていた。 戦線前面に約2万2000のBETA群。 その内4000は、インドネシア群が陣取る木津川方面に侵攻していた。
残る1万8000の内、約1万4000が第5師団と米第25師団前面に。 最後の4000が『孤立地帯』を取り囲んでいた。
木津川を背後に控えた男山を中心に、左右両翼からの大型種の侵攻阻止と、男山南山麓から這い上がって来る小型種の掃討戦が並行して展開されている。
戦闘車両を円周の最内に入れ、外周を戦術機甲部隊が展開する陣を敷いて早1時間と20分。 戦術機部隊は各中隊とも、残存10機を割っている。

(・・・周少佐から連絡のあった、『逆撃』開始まであと20分。 それまで保つかどうか)

左翼で迎撃戦闘の指揮を執っている周防大尉は、中隊残存各機のステータスを横目で確認しつつ、内心暗澹たる思いに駆られていた。
中隊残存は9機。 美園大尉の中隊から抽出され編入した2機を失った1時間後、乱戦の最中で突撃前衛小隊の河内少尉(河内武徳少尉)が戦死した。
手薄になった突撃前衛の穴を埋める為左翼迎撃小隊から、美園大尉の部隊から預かっていた強襲掃討の武藤少尉(武藤剛久少尉)を充てた。
各小隊は3機。 エレメントは組めず、3機一体のトライアングル・フォーメーションで遣り繰りをしている。

「正面、戦車級20体! 薙ぎ払え!」

各機の突撃砲が唸り、36mm砲弾が吐き出される。 僅か20体程の戦車級BETAの群れが一瞬で霧散する。

『直衛! アウト・オブ・アンモ! 補給に一旦下がる!』

「了解した、オーガスト。 水嶋さん! ≪アタッカーズ≫が弾薬の補充に一旦下がる!  ≪フラガラッハ≫と≪イシュタル≫で全面展開、どうです!?」

『よし! 私の中隊が南側を守る! 周防、アンタのトコは北側を頼むよ! 曹大尉! アンタは300進出(300m前に出る)して!
エリアN-55-R、ポイントGT! ≪イシュタル≫と≪フラガラッハ≫の間隙を埋めて頂戴! いける!?』

『是(シー)! 没問題(メイウォンティ)!』

僅か9機と8機に減った『不知火』の2個中隊が、数千のBETA群の前に立ちはだかる。 その中間地点後方で8機の『経国』が左右を支援する位置に着いた。
突撃級の1群が突進してくる。 光線級の脅威が排除出来ていない現在、回避機動に縦方向の跳躍は選択出来ない。
各機が水平噴射跳躍で個体と個体の間隙を縫うように、多角機動ですり抜ける。 無論、その間に柔らかい横腹に36mm砲弾を叩き込んで。
突撃級の壁を突破した2個中隊は、そのまま中隊陣形を保ったまま、綺麗なスピンターンを決めて残る突撃級の群れの背後に喰いついた。

「全機、そのまま相対距離と速度を維持! 120mmと36mmを叩き込め!」

『無防備な後ろを晒し過ぎだよ! 全部喰いなさい!』

17機の『不知火』から120mm、36mm砲弾が吐き出される。 120mmの一撃を受けた個体が、胴体後部に大きな孔を開けて、体液を吐き出しつつ数10m進んで停止する。
36mm砲弾を多数受けた個体が、胴体内の圧力が弾けて内臓物をブチ蒔けながらつんのめる様に停止した。 他にも節足部を撃ち抜かれ、もがく様に停止している個体も有る。
突撃級と他のBETA種との速度差、そのタイムラグを最大限生かさないと、途中で背後を突かれてしまう。 各機は『撃破する』のではなく、『行動不能にする』戦いを選んだ。
目前で背後を見せる突撃級に120mm砲弾を撃ち込み、残る片腕に持った突撃砲を大旋回をかけつつある外縁部の突撃級、その節足部を36mmで狙い撃つ。
節足部を撃ち抜かれ、停止した突撃級BETAに内側から旋回中の別の個体がぶつかり、揉み合う形になった。 部下の機体がそれを狙って砲弾を撃ち込み、始末する。

殲滅は上手くいきそうだった、だが周防大尉の表情は厳しかった。 戦術MAPに映し出される後続BETA群の位置と数、その侵攻方向。
そして対岸をジリジリと北上する別の大規模BETA群―――27師団と40師団が押されている、このままでは真横から光線属種のレーザーを喰いかねない。

(・・・現在時間、1930。 あと10分、あと10分だが・・・ くそっ!)

正直、打つ手が見つからない。 大幅に定数割れした9個中隊の戦術機甲戦力と、残り少なくなった戦車を含む戦闘車両群、1個中隊にまで減った機械化歩兵部隊。
3方向から押し寄せる数千のBETA群相手に、あと10分―――永遠に等しいじゃないか。 そこまで考えて、自嘲した。 似たような状況は、今まで何度も有った。
何度も死地を経験した、その度に生き残った。 ならば、今度も同様だ。 生き残る手段を考えろ、無い知恵も絞り出せ、あらゆる手段を講じて見せろ。

(問題は、10km南に屯している重光線級、それに8km南西の光線級。 それより後ろと、北岸の光線属種は砲撃戦で拘束に成功している。
あの連中だけが、レーザーを撃っていない。 個体数は重光線級が6体と、光線級が16体。 距離と数なら、M-88で十分狙える・・・)

そこまで考えて、通信回線を繋ぐ。 相手は旧友の米軍部隊指揮官。 回線はオープン回線にしてある。

「オーガスト、男山の山頂部から10km先の重光線級、米軍なら狙えるか?」

『・・・6.25マイル。 場所を選んで、10秒の時間を貰えれば。 M-88で狙撃できる腕のヤツは、3人しか居ない、5機は周辺警護に使う。 でもM-88自体、今回装備していないぞ?』

「海軍さんが持っている。 宮野少佐?」

『残念だが、海軍にはそこまで狙撃できる者はおらんな。 菅野、貴様の部隊が持っているM-88を3基、米軍に渡せ』

『了解―――ちょっと悔しいけど、任せるよ。 カーマイケル大尉』

そこまで考え、次の手筈を考える。

『水嶋大尉、独立機甲団の支援火力は? どの位ある?』

『全く有りません。 直接砲撃力だけです』

『では、生き残った制圧支援機、都合8機で何とかするしかないか』

『―――12機です、少佐』

その時、聞き慣れた声が周防大尉の耳に飛び込んできた。 スクリーンの後部視界域に映し出される、サーフェイシングを行いつつ高速で迫る戦術機群。

『殲撃10型? 中国軍?』

宮野少佐が訝しげな声を挙げる。 予備として後方に控えていた独機団の中国軍戦術機甲部隊が2個中隊、途中で小型種BETAを蹴散らしつつ急速接近中だった。

「美鳳? 文怜? どうして?」

『どうして? お言葉じゃない、直衛? 援軍よ!』

『・・・今更か?』

台湾軍の曹大尉の声には、微かな毒が籠っている様に聞こえたのは、気のせいではあるまい。

『今更でも何でもいい、制圧支援機が12機―――3機ずつ、ランダム全力発射、96発。 タイムラグは10秒で3斉射、最後は12秒後。 光線級ならこれでいくらかは始末できる。
最低でも南西の光線級のタイムラグ、12秒は稼げる。 重光線級は気にするな、30秒以上のインターバルがあるからな―――どうだ? カーマイケル大尉?』

言い終わった宮野少佐の機体の直ぐ傍に、中国軍の2個中隊―――24機の『殲撃10型』が停止した。 即座に警戒陣形を取る。

『イエス・サー、リュテナント・コマンダー・ミヤノ』

海軍に敬意を称し、陸軍呼称である『メイジャー』では無く、海軍呼称で呼び、カーマイケル大尉がスクリーンの中で敬礼する。

『よし、山頂に≪アタッカーズ≫。 右翼は我々海軍部隊と中国軍―――超大尉、君の中隊。 左翼は陸軍と台湾軍、それと中国軍の朱大尉の中隊。
第5師団の2個中隊、真ん中で左右双方と≪アタッカーズ≫との調整を取ってくれ。 支援は随時、各中隊長の判断に任す』


米軍機の中で、カーマイケル大尉が『狙撃手で食っていける』と指名した3名の機体が、気を付けながら男山の斜面を主脚歩行で登ってゆく。
何しろ北岸には光線級が確認されている、下手に北寄りの登り口を選ぶと、瞬く間に蒸発させられてしまうからだ。
残る5機がそれに続く。 まずはカーマイケル大尉機。 最後は臨時に指揮下に入ったクロウ隊の4機。 狙撃手役の3機がポジションを取った、まだ山肌に隠れている。

『制圧支援、攻撃用意』

宮野少佐の声と同時に、残る10個中隊が散開した。 山頂へBETA、特に戦車級を近づかせない為にだ。

『攻撃―――開始! 撃て!』

3機の戦術機、そのランチャーから白煙が舞い、誘導弾が全弾発射される。 瞬く間にランダムな高速機動でBETA群に向け、飛び去ってゆく―――レーザー照射!
全弾が迎撃されるまで、約8秒。 2秒後に更に次の3機が全弾を発射。 更に2秒後から再度のレーザー照射、今度は重光線級の照射が無い為か、全弾迎撃に10秒。
その2秒前には第3弾が発射されていた―――『左翼、11時、要撃級40体!』 水嶋大尉の声と同時に、左翼に配された4個戦術機甲中隊が飛び出す。

(いける―――か!)

白煙を引きつつ飛び去る誘導弾を視界の片隅に、周防大尉は戦術的成功を確信した。 目前に迫った要撃級をサイドステップで交す。
大尉の機体につられた個体が急速接地旋回をかけた瞬間、後続する部下の2機が突撃砲から36mm砲弾の雨を降らせた。 
大尉自身は奥に居た1体に、120mm砲弾を直撃させている。 そのまま短距離噴射跳躍を使って多角高速機動をかける。
第3弾発射から12秒後、今度は重光線級も加わった迎撃レーザー照射が立ち上る―――これを待っていた。 第4弾が発射されるのを確認した。

―――同時に、有り得ない光景を目撃する。 南東1km、いや、数100m強の地点に重光線級が1体。

(―――くッ!)

背筋が凍った。 何故、ここに1体だけ。 殲滅し損ねた個体か? 考えられない、重光線級が単独で。 照射警報? こっちを向いている―――いや、違う。

「ッ・・・! 交せ、水嶋さん! 10時、800、重光線級1体!」

明らかに水嶋大尉の機体が狙いを付けられていた。 叫ぶと同時に、中隊指揮を放り出して全速水平跳躍をかけ、重光線級に迫る。

『!? 周防!? 重光線級!』

『ちゅ、中隊長!?』

『直衛! 何を!?』

『重光線級!? どこ!?』

『―――10時!』

(―――間に合え!)

水嶋大尉、摂津中尉、朱大尉、そして美園大尉と曹大尉の声を同時に聞きつつ、焦る内心を押さえ跳躍ユニットを全速で吹かす。 急激なGに、体がシートにめり込む様だ。
120mmAPCBCHE弾ならば、この距離なら重光線級なら1発で―――2回目の背筋が凍る思いを味わう、120mm砲弾が弾切れ!
咄嗟に36mm砲弾を両腕に持った突撃砲から弾幕の様に撃ち込む、同時に重光線級の照射粘膜の光度が増し、レーザーが照射された―――この間、僅か3秒弱。

「むううッ!」

至近距離に達して、36mm砲弾を数100発撃ち込み、ようやく重光線級のレーザー照射が止む。 そしてその巨体がゆっくりと倒れた。

「はあ・・・ ふう・・・」

息が荒い、遠くで呼ぶ声がする。 恐る恐る、スクリーンモニター越しに視線を転じてみた。 友軍部隊が要撃級の1群と死闘を展開している。
米軍機がどうやら長距離狙撃に成功した様だ。 第5師団の2個中隊と共に、男山南側斜面を駆け降りつつ、小型種の制圧と要撃級の側面攻撃に転じている。
向うから部下達の機体が急速接近してくる、周りに達すると同時にウィング陣形を取った。  迎撃には最適な陣形だ―――誰かが、何かを叫んでいる。

『ッ―――! ≪イシュタル≫は爾後、美園大尉が指揮を執る! 中隊、ウィング・スリー! 1時方向の要撃級を迎撃する!
繰り返す、水嶋大尉戦死! ≪イシュタル≫は爾後、美園大尉が指揮を執る! 周防さん!  アンタ、何時まで呆けているんだ! しっかりしろ、馬鹿野郎!』


水嶋大尉の『疾風弐型』、その機体の上半身部が蒸発していた。





[20952] 本土防衛戦 京都防衛戦 12話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/03/22 22:45
『中部軍集団 戦闘経過詳細 1998年8月14日
1650 中部防衛線 第7軍団、八幡市方面侵攻BETA群、第8派、撃退。
1710 北部防衛線 第1軍第2軍団第37師団、老之峠一部突破される。
1725 南部防衛線 米海兵隊第3師団、日本海軍連合陸戦第3師団、北上行動開始。
1805 中部防衛線 BETA群侵攻第9派、2万2000。
1815 中部防衛線 米25師団後退。 男山周辺戦力、孤立。 全周陣地防御戦闘開始。
1855 北部防衛線 西京区が戦場となる。 西北山岳地帯、一部に光線級出現。 将軍家脱出開始。 斯衛第1聯隊、光線級に大損害。 一時退避。
1915 大阪湾の艦隊、最大射程で砲撃支援再開。 琵琶湖の戦艦部隊、主砲一斉射撃開始。 大阪湾・伊勢湾の母艦戦術機部隊、全力出撃開始。
1940 中部防衛線 第7軍団、逆撃開始。 海兵隊第3師団・海軍連合陸戦第3師団、戦域突入。
1955 北部防衛線 第1軍、山岳部奪回作戦再開。 支援の母艦戦術機部隊、大損害。
2025 中部防衛線 米海兵第3師団、男山到達。 海軍連合陸戦第3師団、淀川渡河。 北岸の突破阻止に成功。
2035 北部防衛線 老之峠が完全に突破される。 京都市内戦開始。 山岳地帯は依然、奪回戦闘中』










1998年8月14日 2040 京都市内西部 第1軍司令部


土煙が上がった―――次の瞬間、地響きと共に押し倒された建物の構造材が宙を舞いながら、瞬く間にその幅を広げる。
そして信じがたい速度で『それ』が近づいて来る。 『それ』の下には異形の集団―――死と破壊のレギオン、BETA群が見え隠れしていた。

『BETA群、市内に侵入! 既に桂を抜かれました、BETA群主力約2万が西五条通で桂川を渡河! 西京極に侵入しました!』

『BETA群別動群、約8000、132号線を北上中。 太秦に達しました!』

『第1師団、葛野七条から西大路七条にかけて、七条通に展開完了。 阻止砲撃開始しました!』

『禁衛師団、天神川四条から西院(さいいん)の四条通に展開。 第3師団主力、天神川五条を中心に西大路通に展開を完了。 接敵しました!』

『第2軍団、第6師団が太秦方面、有栖川から帷子ノ辻(かたびらのつじ)に急行中! 第37、第51師団、天神川三条から太秦広隆寺にかけての三条通に展開しました!』

『斯衛第1聯隊第11、第16大隊、西院から西大路三条に展開。 後詰に入りました!』

『第2師団、洛西口に展開。 BETA群南下に備えます』

『第2軍第7軍団より入電! 中部防衛線淀川北岸の突破阻止に成功! 第40師団、向日市に北上展開しつつあり!』


BETAがとうとう、京都市街地へと侵入し始めた。 第1軍は保有する戦術機戦力と、機械化歩兵装甲部隊戦力の大半を、山岳地帯奪回作戦に投入。
そして山岳部での行動に適さない戦闘車両、機械化歩兵部隊と斯衛を主力とする戦術機部隊を市街地防衛に充てた。
戦略上の幸いと言うべきか、BETA群は亀岡から西京区へと侵入した後、山岳部を目指さず平地に溢れかえった。

さながら津波の如くビルや工場、住居を押し潰しながら突進を続けている。 その為に侵攻速度は僅かながらも低下していた、第1軍各部隊の展開が間に合ったのはこの為だ。
もっとも戦略上の幸運は、必ずしも戦術上の幸運とは成りえない。 よりによって市街地での対BETA戦闘を余儀なくされた第1軍司令部は、内心盛大な罵声を吐いた後、下命した。

―――『絶対死守!』と。

戦術機部隊の数は少ない、斯衛第1聯隊の2個大隊。 そして半減以下となった第2師団の生き残り。 残る6個師団から各1個大隊。 都合、9個戦術機甲大隊。
それだけが頼みの綱だった。 17個戦術機甲大隊が、BETAに奪われ光線属種が居座る山岳部の奪回作戦に投入されていたのだ(第1、禁衛両師団は甲編成師団で、3個戦術機甲連隊基幹)
第2師団の残余は、京都市内南部の抑えとして動かせない。 九条から十条の辺りを抜かれてしまえば、現在将軍家が避難している御稜まで直ぐに東進されてしまう。
斯衛第2聯隊は、大阪との境に位置する山岳部防衛に投入した。 あそこを守らねば、今度は南西方向からも光線級のレーザー照射を喰らってしまう。


轟音が木霊した。 市外東部に布陣した砲兵旅団群が、全力面制圧砲撃を開始したのだ―――京都市内に向けて。










2100 京都市右京区 四条通前付近


『第1中隊、外大校舎に陣取れ。 第2中隊は東のマンション、第3中隊は四条通南の車備品屋だ。 重迫中隊はマンション北側の駐車場跡、対装甲中隊は四条通東』

大隊長の声が85式携帯無線機から聞こえる。 布陣状況からして、どうやらここでキル・ゾーンを作って殲滅、と言うのが大隊長の腹積もりらしい。
照明弾がひっきりなしに打ち上げられている。 ゆらゆらと発光しながら、ゆっくりと周囲を照らして落ちてゆくその光に照らされた街並みは、まるでゴーストタウンだ。
周囲を見渡す、夜の帳が落ちた街はどこもかしこも瓦礫だらけだ。 夜の闇の中に、黒々と倒壊した建物の残骸が横たわっている。
背の高いビルは当然の事、一般住宅まで引き飛び、更地にされていた―――帝国軍がそうしたのだ。
ただでさえ、通りが入り組み行動の自由度が極端に低い京都市内。 そんな場所で機動戦闘など出来はしない、『都市は軍を飲み込む』の良い凡例になってしまう。
第1軍司令部はそう判断し、BETA群の市内突入が避けられないと判断した時点で、戦略予備の砲兵部隊群に対し、BETA針路上へ大量の砲弾を撃ち込ませた。
直撃によって倒壊するビル、吹き飛ばされる住居。 かつて『日常』が営まれていたその場所、場所には砲弾の暴風が吹き荒れ、吹き飛ばし、なぎ倒していった。
住民は避難した後の無人の街区だったが、自らの手で守るべきその情景を破壊する事は流石にいい気分では無い。 しかし、やらねばスペースの確保も出来ない。
軍は敢えて更地を作る事によってその場所にBETAを誘引し、予め配備しておいた部隊でキル・ゾーンを形成して殲滅しようとしていた。

(・・・果たしてBETA共が、素直に誘引されてくれれば、良いのだがな)

第1中隊の中隊長は、壊滅したかつての街並みを眺めながら、内心でそう呟いた。 誘引してくれなければ困る、折角潰して作った場所だ。
これで役に立たなければ、銃後の国民に何と言って詫びればいいのか判らない―――例え、BETAの腹の中に収まる予定の街区で有ろうと。

既に南の方では機甲部隊、機械化装甲歩兵部隊が接敵を始めた。 第1中隊が陣取った外語大学の校舎からも、戦術機や機械化装甲歩兵が噴射跳躍で瓦礫を飛び越す様が、噴射炎で判る。
不意に甲高い音が連続して聞こえた、隣接する第2戦車大隊の90式戦車がL44・120mm滑腔砲を発射したのだ。 方向は南東、突撃級が10体程節足部を撃ち抜かれ、往生していた。

「中隊長、各小隊配備完了」

不安も恐怖も見せない表情で、中隊先任曹長が落ち着き払った声で報告して来た。

「ご苦労。 どうだった? 連中は?」

「まあ、普通ですな。 普通に、適度に怯えております。 ですが、恐慌をきたす者はおりません。 いけますな」

過度に恐怖を持たず、過度に実戦を侮らず、適度の恐怖感と緊張感を維持して目前の戦場を正視している。 うん、良いじゃないか。
それでこそ、禁衛師団。 帝国陸軍全軍から選抜された最精鋭部隊、中隊長の過去の実戦歴から見ても、恐怖感と緊張感の無い兵隊は直ぐに死ぬ。
その辺、禁衛師団は安心出来る。 主に大陸派遣軍帰りの連中を中心に再編制され、より実戦的な猛訓練で音に聞こえた師団だ、対BETA戦を知る者が多い。

「どうやら、四条通と葛野大路通の交差付近をキル・ゾーンにする腹積もりらしい、大隊長は」

「戦車隊と自走高射部隊が、天神側四条と西小路四条の二手に分かれましたからな。 残る1個中隊が山ノ内池尻まで真っすぐ下がりました」

先任曹長の報告も、想定を裏付けるものだった。 戦車、自走高射砲、機械化歩兵、各1個大隊でキル・ゾーンを形成し、南から抜けてきたBETA群を殲滅する。
勿論、厄介な大型種は最前線で戦術機部隊が相手をしている。 戦車級なども機械化装甲歩兵が、あの暑苦しい強化外骨格を装着して相手取っている。
この戦闘団の任務は、最前線から抜け出た小型種の掃討。 大型種への対応の為、念の為に戦車1個大隊が付随している。

背後から空気の抜ける様な発射音が聞こえた、大隊重迫中隊の120mm迫撃砲が射撃を開始したのだ。

『大隊本管より各中隊、BETA群、高辻葛野大路交差点付近を北上中! 突撃破砕射撃、開始!』

「ッ! 迫撃砲、撃ち方始め!」

「迫撃砲、撃ち方始め、了解!」

大隊の重迫程ではないが、それでも小型種相手には十分に威力を見込める中隊迫撃砲小隊のL16・81mm迫撃砲がBETA群に向け、砲弾を発射し始めた。
第2、第3中隊も同様に突撃破砕射撃を開始する。 崩れ落ちた建物の瓦礫に半ば埋まった大通りの向うに、着弾の白煙が立ち上る。 あっという間に数十本に達した。

「・・・ありゃあ、いけませんな。 突撃級が2体、先頭にいやがります。 もっと着弾点を後ろに持って行かんと」

「1中より大隊本管、先頭に突撃級2体。 着弾点、上げ2(200m)」

双眼鏡を除きながら呟いた先任曹長の言葉を、中隊長は即時大隊本部への状況確認報告と弾着修正要請として伝える。
同時に部下の迫撃砲小隊長へ、弾着修正を行うように指示する。 やがて迫撃砲弾の弾着位置がやや後方に伸びた―――小型種が千切れて宙に舞う様が確認出来た。
よし、後は・・・ キャタピラの音が急に大きくなった。 北側に位置していた戦車中隊が全身を開始したのだ。 途端に甲高い戦車砲の発射音が響く。
感覚的には殆ど同時に、突進を続けていた突撃級BETAがつんのめる様に停止した。 1体は右によろけて、無人となった半壊したビルに突っ込む。

停止した2体の間隙から、戦車級を含む小型種BETAの1群が飛び出してきた。 凡そ500体。 距離にして300m。
四条通の左右に布陣した戦車2個中隊の90式戦車が、榴弾を撃ち込む。 自走高射中隊から87式自走高射砲が35mm機関砲弾を叩き込んだ。
同時に交差点脇に配置していた中隊の89式装甲戦闘車からも35mm砲弾が吐き出され、96式装輪装甲車から96式40mm自動擲弾銃から、40mm擲弾が連続発射される。
距離が近づくにつれ、やがて89式小銃や分隊支援火器・MINIMIの5.56mm銃弾も加わった。 大小の火力が、前方あらゆる方向からBETA群に降り注ぐ。
胴体を千切られて倒れ込む兵士級BETA、榴弾砲弾に吹き飛ばされ、粉々になる戦車級BETA、高初速35mm砲弾に霧散される闘士級BETA。

少なくとも今、この場では人類側が優勢な戦いを展開していた。 

『大隊本管より1中! そこを店じまいしろ! 急いで三条まで抜けて二条へ急行するんだ! 第3師団から通報だ、西院の巽町辺りで小型種が少数、北へ浸透した!
付近の住宅やビルの『掃除』が終わっていない地区だ、どの辺まで進んだか判らん! 第3師団と野戦憲兵隊からも各1個中隊を急派する、御池の付近で合流しろ。 将軍家居城に行かせるな!』

思わず内心で激しき舌打ちする。 あの辺は第3師団の受け持ちだ、あの連中は小型種の相手すら、満足に出来んのか!?

「1中より本管、了解―――先任曹長! 店じまいだ! 三条の御池辺りで合流して二条まで急ぐ、5分でやれ!」

「判りました、3分でやります―――貴様等ぁ! とっととケツを上げろ! ズベっている奴は、BETAの口の中に放り込む! 急がんかぁ!」










1998年8月14日 2125 『帝都』 将軍家居城


「にょ、女官長! お、お急ぎを・・・!」

部下の女官の声が青ざめている、当然だろう、報告によればBETA共が帝都内にとうとう侵入して来たと聞く。

「そなたはよい、早う斯衛の者共と共に、脱出致せ」

「し、しかし・・・!」

「良いのじゃ、ここは私一人で良い。 これ、早うせぬか。 誰ぞ、この者を!」

その声に応えてやって来たのは斯衛軍では無く、意外にも帝国陸軍の者達であった。

「・・・斯衛は、如何した?」

「全部隊、市内防衛に出撃しました。 我々は第1軍野戦憲兵隊です、司令部より将軍家居城に残留している方々の保護を命じられております」

「・・・左様か。 ならば、良しなに」

皮肉を感じないでもない。 常日頃から水面下では激しく衝突を続けている斯衛と軍部、それも正面装備の取り合いで上層部は実は不仲の斯衛と陸軍。
本来、この城の警護を務めるべき斯衛が全て、『帝都』の防衛戦闘に出払っており、今ここに居る者は陸軍の、しかも憲兵とは―――いや、憲兵は国家憲兵隊の所属であったか。
いずれにせよ、本来はこの城に在ってはならぬ者共。 しかし今の状況では、他に頼る者も居ない。 誇りだの、矜持だのと言ってみても、戦時では所詮軍部の指揮下で戦うより他無し、か。

部下の女官を、数名の野戦憲兵隊員に託し避難させる。 今ならまだ間に合う筈だ、御城の直ぐ南には、普段は将軍家や摂家、城内省高官と言った人々専用の地下鉄駅がある。
そこからならば、今現在殿下がご避難されている御陵まで路線が走っている、まだ動いている筈だった。 そこから山科まで行けば、大津までは逢坂の関を越すだけ。
大津から名神、そして山間部の新名神まで逃れれば、安心だ。 後は伊勢水道の途中で海軍の用意した艦艇に座上して頂く。 伊勢湾から洋上で『新帝都』まで。

西の丸御殿の大広間を抜け、式台の間を足早に。 表向きは平静に、しかし内心は未知の不安と恐怖と、責任感。 そしてなにより母性本能を隠しつつ進む。
とうにこの城を脱出した筈の文官―――それも、奥向きの女官が未だ将軍家居城に居残っている訳。 いや違う、戻ってきた訳。
神楽静子女官長は有る『モノ』を探しに戻ってきた。 場所は判っている、彼女の『姫さま』が脱出時の慌ただしさ故に、それすら持ち出す事を許されなかった為だ。

帝都の臣民の多くが、着の身着のままで脱出を余儀なくされ、己が家屋敷はおろかその財さえ碌に持ち出せなかった。
あまつさえ、作戦上の都合とはいえ軍はその家々を破壊しつつある。 そんな臣民の悲嘆を思えば、己が『ささやかな』我儘は一顧だにするべきでは無い。
政威大将軍―――女官長の『姫さま』はそう言った。 ならば自分が『それ』を取り戻そう。 この国の権力機構から『道具』として扱われ様が、心の支えは絶対に必要なのだから。
やがて目的の場所の前室、かつて己が執務室でも有った黒書院の間に入った。 そこで背後を振り返り、付き従う憲兵隊員―――重武装野戦憲兵隊―――に言う。

「そなたたちは、ここから先へ入る事は許されませぬ。 ここで暫し待つが良い」

「・・・我々の任務は、女官長殿、貴女の身辺警護で有ります」

鋭い視線の憲兵中尉が、無駄と知りつつ一応の『申し出』を行う。 しかし神楽女官長は首を縦には振らなかった。

「駄目じゃ。 この黒書院から先の白書院までは、ほんの1間(約1.8m) 何かあればすぐにこちらへ逃れられよう。 案ずるな、数分も有れば済む」

黒書院を出て廊下に移り、そして静かに白書院の間の障子を開ける。 つい先刻まで彼女の『姫さま』の居室で有った場所。 そこかしこに残り香を感じる事も出来る。
ほんの数瞬、目を瞑り感傷に浸った後、直ぐに目的のモノを探し始める。 大体がどこにあるかも判っている、本当に大切なものは愛用の手箱に入れている筈・・・ あった。
手箱を手に取り、そっと開けてみる。 大丈夫だ、有った。 それは外見が奈良の『身代わり猿』に似ている、群青と白の小さな人形。 幼児のお遊びの相手。

(・・・姫さまにとっては、あのお方の代り身同然の・・・)

そっと手箱の蓋を閉じる。 あだや疎かにする物ではない、それは只の人形に非ず、姫さまのお心の具現でもあるのだから。
手元に持った高麗組の伊賀組み紐で、大事に、そして確実に手箱を結ぶ。 そしてその手箱をそっと持ち上げ、胸に抱く。 まるで我が子の様に。

(・・・?)

不意に気配を感じた、室内を見回す―――誰も居ない。

「気のせい・・・ か?」

不意に庭に面した壁が崩れた、思わず振り返った視線の先には・・・ 禍々しい、見た事もない凶悪で醜悪な存在が、こちらに向かってゆっくり歩み寄って来ていた。

「あ・・・ ああ・・・」

(な、なんじゃ、『これ』は・・・!? 一体、何なのじゃ・・・?)

軍人でも無い神楽女官長は、当然ながらBETAに関する知識は無い。 そして近づいて来るその存在―――兵士級BETAの姿形さえ、知らなかった。

「あ・・・ ああ・・・・」





突然、大きな音が白書院から聞こえた。

「ッ! 突入!」

指揮官の憲兵中尉が先頭に立って、一気に黒書院から白書院に突入する。 そして隊員が手にしたM4A1カービンの銃口を向けつつ目にしたのは、蠢く1体の兵士級BETA。 
そして両脚を食い千切られ、畳を大量の鮮血に染めて倒れ伏す神楽女官長の姿だった。  『撃て!』 咄嗟に隊長の憲兵中尉が命令を下す。
至近距離からのフルオート射撃で、9丁のM4A1カービンから5.56mm NATO弾が吐き出される。 20発入りの弾倉が瞬く間に空になると同時に、兵士級BETAが倒れた。
訓練された条件反射で弾倉を交換しながら、憲兵中尉が倒れ伏した女官長に寄る―――駄目だ、太股の大動脈を食い千切られている、それにショック状態が酷い。

「こ・・・ これ、を・・・」

辛うじて声を絞り出した女官長が差し出したもの。 見事な彫刻が表面に彫られた優美な装飾の手箱だった。

「こ、これを・・・ で、殿下に・・・」

息も絶え絶えに、そう言う。 憲兵中尉はまるで聖上からの御下賜を賜るかの如く、真摯な態度と表情でそれを受け取った。

「・・・必ずや。 ご安心を」

「よ・・・ よしな・・・ に・・・」

そう、小さな声で神楽女官長が微かに微笑みながら言ったその時、部下の大声と射撃音が被さった。

「小隊長! 兵士級BETA、3体接近!」

見れば中庭の向う、土塀が崩れている。 恐らく市内防衛部隊の防衛網を掻い潜ってきた個体だろう、3体の兵士級BETAが急速接近中だった。

「グレネード!」

憲兵中尉の声と同時に、M4A1に装着されたM203 グレネードランチャーから40×46mmグレネード弾が発射される。
一瞬の間をおいて、5.56mm NATO弾が吐き出された。 3体の兵士級BETAは全身に数10発の5.56mm弾と3発ずつのグレネード弾を浴び、ようやく倒れる。

「撤収する! 即時撤収開始!」

部下達が無言で、しかし即座に反応し行動を始める。 訓練が行きとどいている、練度の高い部隊の証拠だ。 傍らの小隊軍曹が、小声で確認する。

「・・・あのお方、あのままで宜しいので?」

「既に、お亡くなりになっている。 ご遺体を運ぶ余裕は無い、了解して頂く」

それに―――倒れ込み、最早ピクリとも動かなくなった女官長を見下ろす。 それに、この場は多分この女性にとって、最も相応しい死に場所なのではなかろうか?
己の最も大切な何か。 命であり、家族であり、そして愛する者であり、それ以外の何か全生命を掛けるに値する何か。 多分ここにはそれが有ったのだと思う、この女性にとっての。

「・・・死に場所を得た者は、或いは幸運か・・・」

「は? 何か?」

「・・・いいや、何でも無い。 それより急ぐぞ、この調子では市内には『はぐれ』の小型種が結構いそうだ。 『御城の駅』の入口を何としても死守する―――禁衛と3師団は?」

「了解です。 駅周辺を警戒中です」

撤退するその寸前、憲兵中尉は一瞬だけ後ろを振り返った。 壊れた壁から差し込む月明かりに照らされた女官長の遺体が、そのまま昇って行きそうな気がしたからだ。
何を馬鹿な事を―――そう内心で自分を叱責し、野戦指揮官の顔に戻った憲兵中尉は遺体に向かって敬礼した後、部下と一緒に駈け出した。 手箱だけは、何があっても丁寧に抱きながら。










2145 大阪府高槻市北部 


『・・・どうやら向う(京都西部山岳奪回作戦)は、カタがついた様だ』

通信回線に上官の声が流れる。 その声を聞きながら、本当にカタを付けるのは、むしろこれからだと、周防直衛大尉は内心で毒づいていた。
17個戦術機甲大隊を投入し、一気に短時間で山頂を奪回した事はいい、それは戦術的に頷ける―――代わりに、京都市内のかなりの所まで、BETAに押されてしまった事を除けば。
戦術MAPを呼び出す。 現在の戦場の様子は、京都市内の西半分近くまでをBETA群に差し込まれている。 但し、北と西の山間部は第1軍が確保していた。
光線属種はまだ市内に侵入してきていない、こればかりは助かる。 山頂付近で下から狙い撃ちされては、逃げ場が無い。
市内南部では巨椋池を挟み、米海兵第3師団と海軍連合陸戦第3師団、そして第9軍団混成戦術機甲大隊2個の増援を受けた第7軍団が、何とかBETAの京都市内突破を阻止している。

「いよいよフェイズⅡ最終段階、そしてフェイズⅢへ移行・・・ ですか」

周防大尉の言葉に上官―――宇賀神少佐が、精悍な顔立ちを引き締めて頷く。 京都防衛戦、その総仕上げの時が近づいてきたのだ。
現在、この付近の山岳地帯防衛に当っている戦力は斯衛が1個連隊(第3、第9、第14大隊)で戦術機は『瑞鶴』が89機。
そして海軍第217機甲戦闘団(賀陽正憲中佐指揮)の『翔鶴』が29機と、第215戦術機甲戦闘団(宮野慶次郎少佐指揮)の『流星』が32機。 総計150機。 
その戦力が明神ヶ岳、黒柄岳からポンポン山、釈迦岳にかけて広く分散配備されていた。  そしてその山麓に布陣するのが、陸軍混成3個戦術機甲大隊と海軍2個機甲戦闘団。

『兎に角も周防、ご苦労だった。 後ろに下げてやりたいが、生憎余裕が無い。 貴様、そのまま第1大隊に入れ、第4中隊だ』

「了解です。 しかしウチの中隊だけ機種が異なります、どの様に?」

『大隊の突破戦力は、木伏の中隊に任す、もっとも突破戦闘などせぬがな。 両翼の源と三瀬との間隙を、後ろから塞げ』

「・・・支援戦闘は、久々です。 最近は先陣ばかり切っていましたので」

『ああ、そうなのか。 しかし、出来るだろう?』

「国連軍時代に。 判りました、遊軍もたまには良いですよ」

『間違っても、突っ込んでいくなよ? 貴様の中隊は定数を割っている。 まあ、今更言わんでも・・・ だろうが』

それだけ言って、宇賀神少佐が通信を切った。 
第7軍団の『逆撃』によって孤立状態から脱した後、『国連軍』に貸し出されていた2個中隊(1個中隊欠)が本隊に復帰した。
もっとも14師団、18師団の混成部隊故に、便宜上、周防大尉の中隊が第1大隊第4中隊に。 美園大尉の中隊が第2大隊第4中隊に、それぞれ臨時編入された。

(・・・他の連中も、それぞれ本隊に合流出来たか)

オーガスト・カーマイケル米陸軍大尉の中隊は、『居候』先の米第25師団に。 曹徳豊大尉の中隊は、台湾軍第251機甲旅団に。
趙美鳳大尉、朱文怜大尉の中隊は中国軍第331機甲旅団に復帰、周少佐も旅団司令部に復帰した。 それぞれ何とか生き残った。 カーマイケル大尉以外は南部戦線へ移動した。
(忌々しい事に、羅蕭林中佐も無傷で中韓合同司令部に復帰した。 第7軍団司令部から、増援に対する謝意を受けて、だ!)

目前に布陣する中隊が見える、機体は94式『不知火』 定数は充足しているのか、12機揃っている―――木伏大尉率いる、第1中隊だ。
心の中に僅かなわだかまりを感じる。 左翼第2大隊の先頭に位置する第1中隊は、1期先任の和泉沙雪大尉が率いている。 本来なら、あの場所には・・・
大きく息を吸い込み、無意識に両手を顔に当てながら長く息を吐き出した。 暫くそのままで沈思する。 やがてゆっくり目を開き、操縦スティックを握り直した。

(『―――周防、この馬鹿。 甘ちゃんだねぇ、幾つになっても、アンタは!』)

脳裏に自分を叱りつける姿が浮かんだ、確かにそう言いそうだ、あの人だったら。 それに、自分はもう一体何年、戦場で人の生き死にを見てきた?
一体どれだけの戦友の死を、見続けてきただろう。 一体どれだけの部下の断末魔を、聞いてきただろう―――生死自体に意味は無く、そのプロセスとリザルトだけが意味を持つ。

(・・・感傷は断ち切れ。 より良き結果の為の行動と、その方法に集中しろ。 そして―――生き残れ)


『―――周防、あと5分で最終段階に入る。 しかしそれからが本番だ、我々はこの戦力しか無い。 済まぬが支援、宜しく頼む』

大隊指揮小隊の指揮官―――今現在、大隊副官をしている神楽大尉から通信が入った。 網膜スクリーンに見慣れた強化装備姿の女性衛士の姿が、ポップアップして映し出された。
神楽緋色大尉。 本来は第18師団第12中隊長だが、現在は混成第1大隊副官・兼・指揮小隊長を務めていた。

「・・・緋色、ひとつだけ教えてくれ。 広江中佐の容体は?」

14師団も18師団も、かなりの損害を受けた、上級指揮官とて例外ではない。 周防大尉の直属上官である荒蒔少佐も負傷したが、比較的軽傷で有ると聞いた。
ただ第1大隊長―――広江中佐の負傷度合いは、『国連軍』に貸し出されていた間の事なので判らない。 公私に様々に恩義のある人だ、気にかかる。

『・・・全治、6か月。 師団の軍医はそう診断した。 詳しくは後方の軍病院に収容された後でないと判らぬが、負傷の様子からそう想定したとの事だ。』

「6か月―――戦術機は、もう無理なのか?」

『判らん、私は軍医では無い。 ただ・・・』

「ただ?」

『例え戦術機を降りようと、あの人は帝国陸軍の戦術機界にとって、必要な人だ』

2人の大尉の視線がぶつかる。 数瞬後、周防大尉の方が折れた。

『・・・判った、由もない事を聞いた。 支援は任せてくれ、先任達の戦闘指揮の癖は判っている』

「助かる。 今更ながらだが、貴様と美園が無事に復帰してくれて、ホッとした―――木伏さんは、何も言っておらんがな・・・」

少し気弱になっているな―――周防大尉はスクリーンに映る相手を見て、そう直感した。  恐らく神楽大尉にとっても、長らく精神的な支柱だったのだろう、水嶋大尉は。
そして思い返してみた。 本国から補充でやって来た新任当時の、大陸派遣軍時代の事を。そして初陣の衛士達が恐ろしい程の勢いで消耗し、戦死して行った事実を。
自分達が『死の8分』に称される、BETAとの最初の戦いの試練を無事に乗り越えられたのは、無論自分自身の運もあろう。 しかしそれだけでは無かった。
自分達の様に新米少尉時代から戦場を歴戦し、生き残って来た所謂『戦場叩き上げ』とは、叩き上げてくれた上官や先任がいてこそなのだ。
彼等はBETAとの戦闘をこなしつつ、そして後任のフォローや部隊指揮をもこなしてきたのだ。 全く称されて然るべき、そして今は自分達が。

「緋色、お互い思う事は山ほどあるな? しかしそれは後だ、後回しだ。 兎に角、支援は任せてくれ、何処をどう押さえれば良いかは察しがつく。 大隊の背中は安心していい」

『・・・それは、有り難い話だな。 それと、同期生と言うのは、厄介なものだな! 内心を見透かされていると言うのは!』

「だからな・・・ 最後まで足掻こう。 『最早これまで』などとは、考えないでな。 そんな贅沢は許されない、許される状況では無い」

『うむ、まさに。 それこそ、新任当時に戻って嫌という程、『修正』されるからな!』

帝国陸軍には、状況が切羽詰まってしまうと『吶喊!』をかける指揮官の比率が多い傾向がある。 そしてその傾向は、本土防衛軍で更に高まる事が判った。
かと言って今回、それを容認する気はお互いさらさらない。 容認してしまえば最後、いざという時に自分の周囲が丸裸になる。
フェイズⅡ最終段階から、フェイズⅢまで。 何とかして背後の、この山岳地帯を守り抜かねばならない、少ない戦力で。 思考停止の吶喊など、そんな贅沢が出来る境遇では無いのだ。

≪CP、フラガラッハ・マムよりリーダー! 現在2150を以って、フェイズⅡ最終段階、発動しました!≫

―――来た。

と同時に、全方向から全制圧砲撃が開始された。 それまでの、目標を絞っての制圧砲撃では無い。 ほぼ戦域全域に対して、能限りの砲弾が撃ち込まれ始めた。
同時に立ち上るレーザー照射、そして空中爆発、発生する重金属雲。 夏の夜空に禍々しい影を落としながら、次第に夜空一面に広がってゆく。

と同時に、全方向から全制圧砲撃が開始された。 それまでの、目標を絞っての制圧砲撃では無い。 ほぼ戦域全域に対して、能限りの砲弾が撃ち込まれ始めた。
同時に立ち上るレーザー照射、そして空中爆発、発生する重金属雲。 夏の夜空に禍々しい影を落としながら、次第に夜空一面に広がってゆく。

≪CPよりリーダー! 前面3500、BETA群約750、接近中!≫

「渡会、光線級は? 重光線級位置、知らせ」

≪光線属種の位置、A群、茨木市北部、重光線級約80、光線級約120。 B群、枚方市南部、重光線級約100、光線級約130―――当方を照射認識する個体は、現在検知せず≫

「了解した。 摂津、四宮、西側の河川敷から前面に出る。 気を付けろ、光線属種の位置からすれば気付かれれば最後、格好の的になる」

『楽しい遊び場ですよ、まったく!』

『大陸や半島では、よくあった事ですね』

「拙いと思ったら、西側の稜線の陰に入れ。 そこなら陰になってレーザーは届かない」

『混成第1大隊、島本から南へ押し戻すぞ! 高槻市北部の山麓地帯を確保する、続け!』

混成第1大隊の戦術機、『不知火』40機と『疾風弐型』9機が跳躍ユニットを一気に吹かして水平噴射跳躍に入った。 次いで第2大隊の『不知火』48機と、第3大隊の『陽炎』40機も。
先任達が指揮する3個中隊が先行して水平噴射跳躍に入り、そして瞬く間に接敵した。 周防大尉は僚隊の動きを確認し、最後に直率中隊の投入ポイントを見極める。

「中隊全機、西南方向、距離500。 公園墓地の下を確保しろ、≪ガンスリンガー≫と≪ブリューナク≫の間隙を埋める。 そこから先には通すな―――叩け!」

最後の1個中隊―――周防大尉直率の92式『疾風弐型』が9機、市街の残骸を飛び越え、全力でパワーダイブに入った。
左右の気色が猛烈な勢いで視界の後方に流れる。 僅か数kmの距離、あっという間に地表が、そしてBETA群が迫る。

「―――誘導弾」

『07、FOX01!』

『09、FOX01、ファイア!』

2機の制圧支援機から、誘導弾が数10発全弾発射される。 数瞬後、BETA群の先頭を蠢いていた戦車級の一群が文字通り吹き飛んだ。
噴射パドルを全閉塞、同時に逆噴射パドルを全開にして落下速度を殺し、意外な程丁寧な着地を決める。 
同時に突撃砲をBETA群に指向し、120mmキャニスター弾と36mm砲弾を撃ち込む。 左右からは曹大尉と韓大尉の中隊が、側面からの猛射を加えていた。
弾け飛ぶ戦車級BETA。 霧散する兵士級BETAに闘士級BETA。 大型種の居ない、小型種ばかりの第1派と言うのは幸いだった。

「摂津、四宮、突っ込むな、半包囲で包みこめ」

『了解。 小隊、距離150! しっかり守れよ!?』

『判りました。 C小隊、A小隊の左翼100、BETA群との距離150。 間隙を突いて来る個体に注意!』

戦術機甲中隊の兵装は、基本は有るが作戦によって様々に変わる。 日本帝国陸軍の場合は、近接戦闘兵装を選択する指揮官が多い。
しかしこの中隊は指揮官の特色と言うか、帝国陸軍の標準とは少々異なる兵装を選択する事が多かった。 今回も両腕に突撃砲を装備している機体が殆どだ。
火力重視。 野戦では極力、近接格闘戦は行わない。 ハイヴ内では無いのだ、光線属種の脅威が無い、もしくは低い戦場でわざわざ近接格闘戦を行う必要は無い―――指揮官自ら、常日頃広言している。
エレメントを組む事が出来ない為、各小隊は3機1組で戦っていた。 2機が前面に出て、左右を掃討する。 1機はやや後方、前の2機の中間に位置し、撃ち漏らしを掃討している。

『周防! ≪ロスヴァイセ≫の西方に迂回するBETA群、100! 掃討しろ!』

大隊長・宇賀神少佐の声が響く。 見ると、三瀬大尉の指揮する中隊、≪ロスヴァイセ≫の西から一群のBETAが山間部に入り込もうとしていた。

「了解。 中隊陣形、アローヘッド・ワン! 頭を押さえろ!」

前面で阻止戦闘を行う3個中隊の背後を、猛烈な勢いで水平噴射跳躍をかけて移動しつつ、BETAの小集団の動きを見据える。

相対速度、距離、BETAの侵攻方向、中隊の突入角度―――決まった。

「針路このまま、距離500、射角0度、弾種36mm・・・ 撃て!」

9機の戦術機が装備する突撃砲から、一斉に36mm砲弾が吐き出される。 BETA群に向けてでは無く、その進行方向に向けて。
やがてBETA群が前方に張り巡らされた弾幕の中に突っ込むように突進し、瞬く間に砲弾によって霧散した。

『へっ! 戦闘機動中の見越し射撃ってのは、こうやるんだ! 覚えとけ、クソBETA共!』

『霧散しましたから、覚えておけも何も、無いですけれど?』

『気分だよ、気分! 四宮、相変わらずノリが悪ぃぞ!』

『摂津さん、私も四宮さんと同意見です』

『瀬間、お前もかよ・・・』

軽口を叩きながらも、周辺警戒を怠らない古参の部下達のやり取りに苦笑する。 そう言えば、この連中を叩き上げたのは自分だったなと―――ならば、もう思うまい。


数分後、約750体の小型種の群れは、原形を留めない腐肉の堆積と化していた。 
視界を東に転じれば、BETA群の主力の方割れ、約1万5000以上が第27師団、第40師団、海軍陸戦第3師団と激戦を展開中だった。
その更に河向こうでは、約2万のBETA群を相手に、第5師団、米海兵隊第3師団、米第25師団、インドネシア第2師団が死戦を展開中だろう。
果たしてどれだけのBETAが、稜線上を目指してやって来るだろうか? 山崎辺りの狭隘な地形を利用した防衛線は、予想以上に機能している様だ。

(・・・だとしたら、蓋をされて溢れかえった個体は・・・)

嫌な予想しか、思い浮かばない。 淀川を南岸に渡るか、それともこっちの稜線上に向けて谷筋を上って来るか、そのどちらかだろう。
その時轟音と共に上空―――東の方向から戦術機群が、低空突撃をして来る様が見えた。 日本海軍の機体では無い、F-14Dが8機。

『ヘイ! ≪フライング・イーグルス≫、VFA-122だ! フェニックスのデリバリー・サービスに来たぞ!―――ところで、どこに配達すれば良い?』

米海軍とて、かなりの被害を受けている筈だ。 それが証拠に12機が定数の筈が、8機しか居ない。

「間抜けな配達員め、住所くらい確認して来い―――知らん、海軍のFACはさっきくたばった様だ。 兎に角そこら中、大騒ぎだ。 適当にばら撒きな」

『冷たい野郎だ。 まあいい、頭を低くしてな、巻き添え喰らっても知らんぜ!』

次の瞬間、8機のF-14Dの両肩から白煙と共に、大型の誘導弾が発射される。 合計48発のフェニックスミサイルが、前方に群がっていたBETA群に向け殺到した。
そして次の瞬間、大きな花火が炸裂したかの如く、子弾をばら撒きながらBETA群を業火の元に焼きつくした。 クラスター誘導弾―――海軍機による瞬間的な局地面制圧。
フェニックスを撃ち尽くしたF-14Dは上空で急旋回を掛け、さらに高度を落としつつ高速でフライパスして行く。 レーザー照射の被害を極限する為の手段だ。

『・・・毎度ながら、派手だぜ。 それにぶっ放してそれでお終い、と言うのは少し羨ましいと、昔は思っていたよ』

摂津中尉が苦笑する様に呟いた。 実際、陸軍の戦術機衛士の中には、一撃離脱戦法を基本にする海軍戦術機乗りを『チキン野郎』と言う者も少なくない。
しかし実戦を重ねるにつれ、彼らが何を為し得ているのかを理解する。 光線級に睨まれ、そのレーザー照射に怯え、大小を洩らす程の恐怖と戦い生還した連中に、そう言う者はいない。
如何に一撃離脱とはいえ、光線属種に狙われ、レーザー照射警報が管制ユニット内に鳴り響く状況での、低空突撃。 全弾発射まで回避機動は取らない。
海軍母艦部隊の実戦参加頻度が、陸軍部隊のそれより低い理由だ。 一度の実戦で被る損害は、母艦部隊の方が遥かに大きい。
それを承知で、地獄の大釜に突っ込んで支援面制圧攻撃を掛ける。 それで助かった陸軍衛士も多い、歴戦の連中なら誰しも経験がある。

摂津中尉の苦笑は、彼自身が大陸や半島を失う戦いの最中で経験して来た事と、そして理解の上でだ。 陸軍部隊は、海軍母艦部隊より長時間、BETAと向き合って戦うのだ。

『どっちもどっちです、このクソみたいな戦争、戦場はクソだらけですよ。 皆が皆、クソに塗れて死に物狂い』

四宮中尉が、そのお淑やかそうな外見から想像もつかないセリフを吐く。 彼女も大陸派遣軍の一員として戦ってきた経験がある。 
帝国海軍や米第7艦隊は、渤海湾や黄海、日本海での支援も行っていたから、米母艦部隊の戦いは知っている。
そうこうするうちに、次のBETA群の移動が確認された。 CPから報告が入る、今度は少し厄介な連中がいるらしかった、渡会少尉の表情も緊張している。

≪CP、フラガラッハ・マムよりリーダー! BETA群1100、距離2200! 大型種居ます、突撃級150、要撃級220! まもなく接敵します!≫

『木伏、中央。 源、左翼。 三瀬、右翼そのまま。 大隊陣形、ウィング・スリー。 2大隊! 3大隊! 現在位置!?』

CPの報告と同時に、大隊長・宇賀神少佐の声が響いた。 間髪いれずに、第2大隊・森宮少佐、第3大隊・黒河内少佐の声も。

『第2大隊、現在位置は第1大隊の東北2km! 小型種の群れの殲滅を終えた』

『第3大隊、現在第1大隊の南西1km地点。 海軍の2個大隊は淀川沿いにいるぞ、宇賀神さん』

『結構、大いに結構。 申し訳ないが、付き合ってくれないか? 大型種のお出ましだ、併せて370程居る』

『了解です。 但し第2大隊は1個中隊を稜線上に移します。 水無瀬の辺りから登って来る小型種を確認』

『判った、森宮君。 貴隊の位置、そこから西へ。 名神に沿ってBETA群の後ろを急襲して欲しい。 タイミングは任せる』

その時だった。 待ちに待った報告と、聞きたくもない報告が同時に入って来たのは。

『中部軍集団司令部より、全部隊各級指揮官通達! 2210、将軍家、脱出開始! 繰り返す、将軍家、脱出開始! 
全部隊は現時点より30分間、現在地を死守せよ! 後退は許可されない、現在地を死守せよ!』

≪CP、フラガラッハ・マムよりリーダー! 接近中のBETA群1100の後方に、新たなBETA群1800! 更に東よりBETA群が約3900! 接近中!≫

―――BETA群6800、旅団規模。

奇妙に現実から乖離した気分だ。 その様な数、この戦力で対抗出来る訳が無い。 だが絶望しているかと言えば、そう言う訳でもなかった。
逆に、どうやってこの数を相手に戦おうか、そんな事を考えていた―――内心で湧きあがる高揚感も感じながら。

(―――俺はまだ当分、この戦場に身を置けそうだ)

今に始まった訳ではないが、自覚した今となっては妙に変な気分だった。 多分、自分はこの場では、死にはしないだろう。







[20952] 本土防衛戦 京都防衛戦 最終話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/03/30 00:48
1998年8月14日 2215 大阪府高槻市北部


≪CP、フラガラッハ・マムよりフラガラッハ・リーダー! 第7軍団より緊急信! 対岸のBETA群から約3000が枚方付近で淀川を渡河、そのまま北西の進路をとっています!≫

≪ライトニング・マムよりライトニング・リーダー! BETA群、約9800に増加! 突撃級約900! 要撃級約1500! 南東方向、4km先です! 光線級はいません!≫

中隊CPを務める渡会と、大隊CPを務める富永大尉の報告は、極めつけの悪報だった。 
旅団規模のBETA群でさえ持て余すと言うのに、更に3000とは。 これでBETAは約9800、もう師団規模に達した。
目前の戦車級の小集団に向けて120mmキャニスター弾を叩き込み、霧散させたと同時に戦術MAPを確認する―――本当だ、南東方向が真っ赤に染まっている、クソ!

『ライトニング・リーダーより各中隊、まずは目前のBETA共、1100を叩き潰す! 突撃級100、要撃級160、大物は約360体! 第1大隊で潰す! 
第2大隊、第3大隊、小さい連中を掃討してくれ。 海軍部隊、賀陽中佐、後続の1800への陽動をお願い出来ますか!?』

『了解した、宇賀神少佐。 すこしでも長く足止めしよう、その間に1100、殲滅してくれ。  宮野君、君の第215は右翼から牽制してくれ、私の部隊は左翼から行く』

『了解です、中佐。 宇賀神少佐、森宮少佐、黒河内少佐、15分以内に殲滅してくれ。 どうやら東からの3900、速度を上げた様だ』

海軍第215戦術機甲隊長の宮野少佐の声に、もう一度戦術MAPを確認する。 各種データを読み取る、本当だ、移動速度を上げやがった。
自機の残弾数確認―――右、36mmが1350発、120mmが3発。 左、36mmが1415発、120mmは4発。 背部兵装ラックに予備突撃砲が1門、長刀1振。
予備弾倉は36mm弾倉が3本、120mm弾倉が1本。 流石に心もとなくなってきた。 補給をしたいが、その前に目前のBETAを片付けなければその余裕もない。

部下の機体ステータス―――生き残り中の最後任、鳴海と美園のトコから預かっている武藤の両少尉機の残弾がやや少ないが、戦闘に支障は無いだろう。 他は大丈夫。
機体の損傷―――無し。 各部ダメージ―――許容範囲。 推進剤残量―――平均で68%、最も多く残しているのは四宮の72%、少ないのは摂津の64%。
突撃前衛小隊の投入の仕方を、考えておかないといけないな。 余り前面に出し過ぎると、いざという時に推進剤の数%の残量が、生死を分ける事になってしまう。

『ライトニング02よりリーダー、各中隊ステータスチェック完了。 A-OK』

大隊副官役の緋色が、各中隊からのチェック情報を確認し報告する―――準備は整った。

『よし、大隊陣形アローヘッド・ツー。 ≪ガンスリンガー≫(第1中隊)は中央、≪ブリューナク≫(第2中隊)左翼、≪ロスヴァイセ≫(第3中隊)右翼。 
≪フラガラッハ≫(第4中隊)は指揮小隊と共に中央を後続、大型種の群れを突破する。  突破後、≪ガンスリンガー≫、≪フラガラッハ≫、指揮小隊は即時反転、ケツを蹴り上げろ!
≪ブリューナク≫は左翼側面に展開、≪ロスヴァイセ≫は右翼側面。 後背と側面から一気に叩く、接近する小型種、特に戦車級に気を付けろ!』

―――『了解』

「了解です」

俺を含めた4人の中隊指揮官が応答する。 目前のBETA群の中央を突破、即時反転・側面展開でBETAの防御力の弱い箇所を突く。 第2と第3大隊が小型種を近づけさせない。
49機の戦術機で大型種を360体―――1機当たり7体ちょっと、そう悪いレートじゃないな。 悲観するにはほど遠い。

『よし、突っ込む!』

『≪ガンスリンガー≫、いてもうたれや!』

『リーダーより≪ブリューナク≫全機、水平噴射跳躍開始!』

『≪ロスヴァイセ≫全機、右翼に展開!』

―――始まった。

「フラガラッハ各機、ダブル・トレイルで≪ガンスリンガー≫に続行。 摂津、指揮小隊のフォローに入れ」

『了解っス。 B小隊、先頭張ります』

『フラガC、最後尾に付きました!』

先頭を木伏さんの≪ガンスリンガー≫、中央左翼に源さんの≪ブリューナク≫、中央右翼が三瀬さんの≪ロスヴァイセ≫。
その直後に宇賀神少佐直率の―――実際の指揮は緋色が執っている指揮小隊が入り、最後尾を俺の≪フラガラッハ≫が固める。
前方には40機もの戦術機が一斉に跳躍ユニットから排気炎をたなびかせ、高速で水平跳躍を掛けてBETA群に向かっている。
普通は中隊戦闘で使用する突撃陣形を、大隊で行おうと言うのだ。 49機もの戦術機―――『不知火』と『疾風弐型』―――が一斉に吶喊する様は、陣形内から見ても圧巻だった。

そんな感覚を懐いたのもほんの数秒、瞬く間に前衛の≪ガンスリンガー≫がBETA群と接敵した。 同時に前の3個中隊から制圧支援機が、盛大に誘導弾を発射する様が見える。
後方からこうやって僚友の戦いざまを見るのは、実は初めてだ。 大体が、俺自身が今まではほとんど先頭にいたから。 三者三様、先任達の戦いぶりが良く把握できる。
木伏さんはその中隊名に反して、近接格闘戦を好む傾向のある人だ。 だがそれは個人戦闘の場合であって、部隊指揮はミドルからショートレンジを場合によって使い分ける。
源さんはミドルレンジの戦いを好む。 同時にサポートする時は、普段とは別人の様に突っ込み、一気にカタを付ける。
三瀬さんのスタイルは、前から思っていたが祥子と同じだ。 ミドルからアウトレンジでの部隊指揮を多用する。 性格か? しかし近接戦指揮もかなりこなす。

BETA群―――突撃級と要撃級の壁に、大隊が突っ込んで行く。
木伏さんはこの集団に光線属種は居ないと判断したのだろう、≪ガンスリンガー≫の先陣を切る突撃前衛小隊が、噴射跳躍でBETAを飛び越す様が見えた。
突撃級を無視して後方の要撃級の群れに、120mm砲弾を上からたたき込んでいる。 同時にAとCの両小隊が短距離噴射跳躍で、突撃級の群れの中に飛び込んで行った。
源さんの≪ブリューナク≫と、三瀬さんの≪ロスヴァイセ≫が、前方の2個小隊に続行して突入し、穴を広げてゆく。
俺は中隊を直ぐには突入させず、前の3個中隊が撃ち漏らした個体の掃討を指示しながら、≪ブリューナク≫、≪ロスヴァイセ≫の間隙を埋める。

『ちょっとホネやな! 思ったより分厚いで、この『壁』は!』

『木伏さん、上がります! 周防君、あと頼む!』

≪ガンスリンガー≫の間横に、≪ブリューナク≫が進出した。 源さんは前の『壁』を突き破るには、1個中隊では不足と判断したのだろう。

「―――中隊、左翼前方に出るぞ。 摂津、≪ブリューナク≫のケツに付けろ。 四宮、A小隊と左右代われ、俺が左翼に出る。 
貴様は指揮小隊との距離を保ちつつ、撃ち残しを片付けろ―――緋色、ウチの四宮と三瀬さん所のC小隊との連携指示、頼む」

『了解した。 四宮、支倉、そのまま距離50を維持』

―――『了解』

・・・支倉? 支倉か、あいつ、今は三瀬さんの中隊に居るのか。 かつての部下、中尉進級と同時に祥子の中隊に異動させた。
向うではA小隊2番機―――中隊副官をしていた筈だ。 祥子が負傷してからは、彼女の中隊は荒蒔少佐が直率していたが、その少佐も負傷したのだったな。
大体が、今はどの中隊も言わば『寄せ集め』だ。 祥子の中隊人員も、他の中隊に散らばって再配備されているのだろう。
一瞬だけそんな事を考えていた、二瞬後には目前にBETA。 突撃級だ、11時方向に13体。 全部相手取っている暇は無い。

「瀬間、松任谷、すり抜けざまに斉射3連、側面に叩き込め」

『了解です』

『判りました』

瀬間と松任谷の落ち着いた声が、即答で返ってくる。 普段と変わらぬ声に暫く気付かなかったが、不意に思った。
松任谷も随分と戦場慣れしたものだ。 昨年の遼東半島で負傷した時はまだ新米で、随分とショックを受けていたモノだが。

前方から5、6体の突撃級が突進してくる。 間合いを見計らい、寸前で噴射パドルを微調整して機体針路を捻じる。 
ケツを振る様に機体を左前方へ向けながら、スライドする様に機体を進行方向に流しつつ、すれ違いざまに突撃砲を撃つ。 
36mmの太い重低音が連続して鳴り響き、突撃級の側面や節足部に赤黒い孔が多数開く。 同時に体液や内臓物を吐き出しながら数十を惰性で進み、突撃級が停止した。

考えてみれば松任谷も生き残れれば、今年の10月には中尉に進級する予定だ。 瀬間は松任谷の半期先任だったな。 
大陸で最後に戦った時は2人ともまだ、新米かそれに近い少尉だった。 そいつらが―――瀬間が更に2体を片付けた。 同時にバックアップに入った松任谷が1体を。
あれからもう、1年半以上の時が経つのか、早いものだ―――ピパーが捉えた陰に、連続して36mm砲弾を叩き込む、短く3連射を3方向に。 突撃級が3体、行動不能になった。

「四宮、突撃級1体抜けた!」

『排除します!』

瀬間のC小隊から、36mm砲弾が放たれる。 側面を無茶苦茶に破壊された最後の突撃級は、着弾の衝撃で横転しながら停止した。

『ガンスリンガー・リーダーより全機! 『壁』を抜ける!』

『ライトニング・リーダーより各中隊、手筈通りだ、殲滅開始!』

視界が一気に開けた。 同時に≪ガンスリンガー≫、指揮小隊、そして俺の≪フラガラッハ≫全機がスピンターンで今度は群れの後背に肉薄する。
≪ブリューナク≫、≪ロスヴァイセ≫の2個中隊は、左右に急速展開し始めた。 指揮小隊を真ん中に挟み、木伏さんと俺の中隊が左右から押し上げる。

『周防! ワシのトコが突っつくさかいな、こっち向いた要撃級、片っ端からイテまえや!』

「了解。 木伏さん、陽動の間合いを間違えないで下さいよ?」

『アホンダラ! 新米のお前に戦闘教え込んだの、誰や思うてんねん! そんなヘマ打つかい!―――大隊長、周防がヘマ打った時のフォロー、頼んますわ!』

『承知した、その時には広江さんに『針小棒大』で報告してやろう―――嬉しかろう? 周防?』

『ライトニング02より≪ガンスリンガー≫、指揮小隊との距離を50詰めて下さい。 周防、≪フラガラッハ≫はそのまま距離200を維持―――私からも、言ってやろうか?』

『・・・止めて下さいよ、本気で。 緋色、貴様には情が無いのか!?』

突撃砲から鳴り響く重低音。 跳躍ユニットを吹かす甲高い轟音。 砲撃が始まったか、甲高い飛翔音と腹に響く着弾の破裂音。
禍々しいBETA、死闘を繰り広げる戦術機の群れ。 相互破壊、生と死。 御馴染みの戦場に、ちょっとした笑い声が通信回線に流れる。
オープン回線でやりあったのは、意味がある。 部下のバイタルデータ、少しは鎮まったか? うん、緊張感は維持している。 余計な強張りは無さそうだ。

目前に旋回中の要撃級。 側面に120mmを叩き込み始末した。

「向うが押せば、こっちは引いて。 こっちが押せば、向うが引いて。 リーダーより中隊各機、要撃級に狙いを定めろ、≪ガンスリンガー≫と連携する」

先頭で大旋回中の突撃級の群れに、側面後方から源さんと三瀬さんが部隊をぶつけ始めた。 その周囲で第2大隊と第3大隊が戦車級の掃討を始めている。
どうやら他の小型種は無視する様だ、このまま山岳地帯に入り込んでも、まだ上には斯衛の第2聯隊3個大隊が陣取っている。 連中が始末を付ける。

『大型種と戦車級を、最優先撃破目標とする! 光線属種と要塞級が出てくれば、順位は繰り上げだ! まずはこの群れ、殲滅するぞ!』

宇賀神少佐が大隊の戦闘方針を再決定した。 まずはこの群れだ、次に後続を―――本番はその後に来る。











2225 京都市内東部 第1軍司令部


「禁衛師団、二条まで後退しました!」

「第1師団防衛線、下京区まで後退! 油小路通で防戦中!」

「第3師団第34機械化歩兵連隊、全滅! 防衛線、堀川通まで下がりました!」

「第6師団、烏丸から御池通に展開。 阻止戦闘開始しました。 第57師団、五条通に到達、第3師団の支援に入ります!」

「第37師団、東本願寺跡付近に展開完了。 第1師団の支援、入ります。 第2師団残余、河原町五条に最終防衛線を展開完了!」

「戦術機甲兵団長、原田少将(原田祐一郎陸軍少将:第1師団戦術機甲旅団長兼務)より、『山間部の確保、30分が限界』です!」


押されている。 最初から判っていた事だ、行動の自由を著しく制限される市街地、それも大都市での市街戦で、BETAを相手にした戦がどれ程困難か。
大陸や半島での実戦内容は、実は良く研究されていた。 半島が陥落した時点で帝国軍、特に陸軍(本土防衛軍)は来るべき本土決戦で、市街戦だけは避けねばならない、と結論していたのだが。
大陸の様な広大な広さを見込める戦場は、帝国国内には存在しない。 恐らく陥落した半島での戦いに似た戦場になるだろうとも。
ソウル、平壌、光州・・・ 半島での都市の戦いは悲惨の一言だ、入り込まれたら最後、人類側は有効な手立てを打てぬままに、ズルズルと消耗して行った。

「・・・フェイズⅢへの移行、早めた方が良いか・・・?」

「軍集団司令部へ意見具申、なさいますか? 閣下」

第1軍司令官・岡村直次郎大将の呟きに、参謀長の笠原行雄中将が反応する―――傍目を気にしながら。
その言葉を聞きつけたか、傍らで超然と戦況の推移を見守っていた1人の高級参謀が、チラリと横目を向けたあと、正面のスクリーンを再び見据え、上級者を見ないで言い放つ。

「・・・全てはタイムスケジュールの通りにお願いします、岡村閣下。 意見を具申されても、変わりませんな、笠原閣下」

「変わらない? 何を根拠に、そう言い切れるのだ?」

「・・・軍集団司令部は、統合幕僚総監部の意向を了とされております。 現地軍の独断専行は、厳に慎んで頂きませんと」

「半世紀前の悪夢よ、再び、だな。 ええ? 河邉大佐?」

笠原中将の怒気の籠った声にも、その高級参謀―――統合幕僚総監部・作戦局第2部の作戦課長である河邉四朗陸軍大佐は、表情を変えずにスクリーンを見続けていた。
第1軍としては、これ以上の損失を出す前にフェイズⅢ―――京都放棄に移行したい。 今ならまだ、相当数の戦力を温存しつつ撤退が可能だ。
だがそれが5分、10分と経過するうちに、もしかしたら最悪の状況に陥るかもしれない。 戦況はそれ程までに予断を許さない。
何より腹立たしいのは、こうして『後方の』連中が前線司令部に出張って『督戦』している事だ。 連中は『スタッフ』であって、部隊指揮の『ライン』には属さない、命令権は無い。
しかしながら人事権を含め、作戦、予算、運用、補充・・・ そう言った組織を維持運営する為に必要不可欠な、『権限』を有する。
実際にあからさまに表立っては無いが、連中の意向に反した高級将校が、閑職に追いやられるケースは実際に在る。 
部隊指揮官の中にはそれを避ける為に、『スタッフ』の意向を最大限、便宜を払う者さえいる有様だ。 こうして最前線にまで足を運ぶ度胸と、労苦を厭わない点は認めてやるが。
それにしても気に食わない。 自分の、自分達の指示が達せられて当然と、信じて疑わない点が―――まるで、半世紀前に滅んだと思っていた参謀将校、そのものだ。

「・・・政威大将軍の脱出が完了するのは、2240の予定です。 それまで戦線が崩壊する事は、許されません」

「・・・統幕は随分と、将軍家と摂家の世話を焼く様になったものだ」

皮肉っぽく岡村大将が呟いた。 どちらかと言えば統合幕僚本部は『統制派』―――軍主流派が牛耳っている。 
連中は武家社会や摂家、将軍家とはあからさまな対立はしないが、支持者と言う訳では勿論ない。 どちらかと言えば『道具』として見ている筈だ。
道具―――そうか、道具か。 何をやらかすかは知らんが、兎も角も今後の政争の『道具』として使う為に、その安全は最大限保障されねばならない、そう言う事か?

「もし、ここで将軍家がBETAによって『名誉の戦死』を遂げられる事になれば・・・ 一時的に国民は奮い立ちましょうが、長期的に見て帝国全体にとって非常にマイナスです」

帝国にとって―――では無かろう? 軍にとって、いや違う。 軍部主流派・・・ 貴様達『統制派』と、官界の上級実務官僚団にとって、であろう?
実際の権力を縦横に振るいたいと思えば、出来れば裏に隠れてやりたいものだ。 表に立って様々な制約を受けたり、矢面に出たく無かろう。
そうした面倒は、将軍家や摂家、或いは政党政府、そう言った連中に今後宛がってやる、そう言う事か? つまりは便利扱いして、己たちは裏で全てを画策し、決定し、実行する。

岡村大将と笠原中将が、いみじくも同じ感想を抱いたその時、次なる凶報が飛び込んできた。

「第2軍、第7軍団司令部より緊急信! 釈迦岳付近に光線級出現!」










2230 京都・大阪府境 ポンポン山~釈迦岳山麓一帯


『これで、最後!』

突撃前衛小隊を指揮する摂津の声に、レーダーを確認する。 集団の中に居た重光線級は、ひとまず全て始末出来た様だ。

「リーダーより各小隊、ダメージ・レポート。 1分だ」

同時に直率小隊の状況を確認する。 瀬間の機体が左腕にダメージ、使用可能。 突撃砲は予備を入れて3門。 それに追加装甲。
松任谷―――機体の損傷は無さそうだが、関節各部への負担が大きい。 イエローが各所に点滅している、兵装は突撃砲が4門。 但し残弾は少ない。
俺の機体は・・・ 松任谷よりはマシだ。 壊れた箇所は無い、関節部のダメージもまだ許容範囲内で済んでいる。 残弾は半分と言った所か、突撃砲2門と長刀1振。

『B小隊、小破1機。 戦闘継続可能』

『C小隊、1機中破。 戦闘は・・・ 不可能と判断』

「1機。 四宮、誰だ?」

『森上です。 跳躍ユニットが半壊、右腕と左膝部がレッド』

森上か、確か松任谷と同期だったな、あいつは。 痛いな、実戦慣れした先任少尉を、ここで1人手放すのは。

「・・・よし、森上は山へ入れろ。 79号線から北東へ抜ければ長岡京市、40師団が居る。  向うに話を付けておく。 四宮、貴様はB小隊に入れ。 鳴海をA小隊に入れろ」

四宮のC小隊はこれで残存2機、最早小隊どころでは無い。 中隊の残存8機、中隊を2個小隊に再編するしかないな。
A小隊で俺のエレメントに松任谷を、瀬間のエレメントに鳴海を。 B小隊は小隊長の摂津と蒲生でエレメントを、四宮と水嶋さんの隊から預かった武藤少尉でエレメントを。
CPの渡会を呼び出し、緊急用の予備回線を繋がせる。 師団、いや、所属軍さえ異なる40師団に繋がるまで、少しタイムラグがあった。
繋がった40師団の師団参謀に話を付け、森上機を収容して貰う事で話がついた。 ここで無為に潰すより余程マシだ、向うもそう言って苦笑していた―――派遣軍上がりの参謀か?
暗闇の中、デジタル処理された調光スクリーンの視界は、何となく現実離れしている。 その中に多数のBETA―――戦車級、要撃級、そして光線級と重光線級が少数、骸を晒している。

『ったく、これだからBETAってのは、予測がつかねぇ・・・』

摂津の吐き出す様な声が聞こえた。 同感だ、予測がつかない。 だから人類はここまで追い込まれている。
5分前だ。 最初の1100程の集団を殲滅し終わり、海軍部隊が対応していた約1800程の集団にかかり始めた時だ。
5個大隊、200機以上の戦術機で約1800のBETA群。 想定では10分以内に殲滅出来る、そう踏んだ矢先。 
淀川沿いに展開していた27師団前面のBETA群の一部が、針路を左に逸らしたのだ。 その先には大阪北部・京都南部の山岳地帯。 BETAは約4000。
位置的に最も近かった第1大隊が河川敷方向へ急速展開した。 元々山頂一帯には斯衛第2聯隊が布陣していたが、BETAの数が多い。
第27師団と協同して、1匹でも多くのBETAを山麓で葬っておく必要があったからだ。 正直な所、斯衛の実戦での『継戦力』を、陸軍は誰もが疑問の目で見ていた。

何とか第1派の過半数を山麓で殲滅したものの、無視できない数を山中に入れてしまった。  中には光線級も居たその集団を、斯衛第2聯隊総出で山中で殲滅したのはつい先ほどだ。
そして第1大隊が抜けた結果、第2、第3大隊と海軍第215、第217で約8700ものBETA群を捌き切れる訳が無かった。 彼等は奮戦したが、真ん中を割られてしまった。
『最後の大隊』が抜けた防衛線に、かなりの無理がかかったのだ。 結果として無視出来ない数のBETAに突破を許した。 これ以上、斯衛の負担を増す事は得策じゃ無い。

『ライトニング02より各中隊、BETA群第2派! 約1880体。 戦車級約400、要撃級約120! 今度は要塞級も10体居ます!』

『≪ガンスリンガー≫、≪ブリューナク≫は27師団の支援! ≪ロスヴァイセ≫、≪フラガラッハ≫は、釈迦岳山麓の登り口を死守!』

副官の緋色が、状況を伝えて来る。 宇賀神少佐は、他の部隊指揮官との調整に忙しいか。
迂闊に顔を出せない。 恐らく目前のBETA群、その後方には光線属種が潜んでいると思われるからだ。 下手に跳躍などすれば、即座に狙い撃ちされてしまう。
明神ヶ岳、黒柄岳からポンポン山、釈迦岳にかけての山麓・尾根筋に展開した陸軍、海軍、斯衛の戦術機機甲部隊は、非常に難しい戦いを強いられていた。

≪フラガラッハ・マムよりリーダー! 中隊正面のBETA群、約420! 突撃級40、要撃級60、戦車級200! 後方に光線級10体を確認しました!≫

『周防君、こっちの正面には約400。 1000以上が27師団の方に行ったわね。 ま、それが何の慰めになるのか・・・って話ですけど』

三瀬さんが珍しく、呆れ果てた口調で話しかけて来る。 いや、呆れると言うより、もう感情も湧かないと言った方が正解なのか?
俺だってそうだ、一体何日間、こうやって戦い続けているのだろうか。 過去にも経験したが、人間次第に感情が麻痺してくる。

「少なくとも、あと500ずつ相手にする事は無いでしょう―――面制圧砲撃終了と同時に、水平噴射跳躍開始! 摂津、突撃級を始末しろ、1機で10体だ、喰い甲斐があるぞ?」

『大喰らいは、趣味じゃ無いっすよ・・・ 支援砲撃、頼みます! 面制圧終わった! B小隊、続け! 四宮、久々の突撃前衛だ、漏らすなよ!?』

『・・・下品!』

スクリーンの向こうで四宮が目一杯、『べぇー!』ってな顔をしている。 摂津は破顔していた―――大丈夫か、まだ。
B小隊の4機が、跳躍ユニットから排気炎を吐き出し水平跳躍に入った。 その一瞬後、A小隊に命令を下す。

「A小隊各機、B小隊と要撃級の間に入り込め。 突撃級を始末する間、要撃級を近づけさせるな。 中隊、あと10分だ! あと10分持ち堪えろ!」

近接戦に備えて、背部兵装ラックから長刀を取り出す。 それを見た松任谷がスクリーンの向こうで一瞬、ギョッとした表情を見せた。
自分の上官が普段から長刀を使った近接格闘戦を好まないと、知っているからだ。 やる時はもう、どうしようもない時だけ。
突撃級とほぼ同時に、要撃級が突進して来た。 あの中に突っ込む―――1機で要撃級10体以上の乱戦、格闘戦しか手段は無いな。

A小隊を水平噴射跳躍に持って行く。 B小隊の進路から僅かにずらして、突撃級の群れの最後尾、要撃級の群れの最前列に突っ込ませる。
急速に迫った要撃級に向け、右腕に保持した突撃砲の120mm砲弾を至近で叩き込む。 同時に噴射パドルの左右を閉塞・全開に切り替えベクトルを急激に変える。
機体が急回転するそのエネルギーを利用して、左の長刀をもう1体の要撃級、その後部胴体に叩き込み、斬捨てる。
背後から砲声。 松任谷が俺の機体前面に迫った要撃級に向け、120mmを放った。 命中、前腕の防御が間に合わず、胴体正面から体液をぶち撒けて転倒した。

『砲弾をけちるな! 蒲生、全部叩き込む気で始末しろよ!? 四宮ぁ! 右の12体、ケツを見せた、殺れ!』

『了解! 武藤、肉薄する、付いて来なさい!』

B小隊が突撃級を狩って行っている。 今の所7体を始末した、残り33体。

「瀬間! エレメント間の距離を開けるなよ!? 松任谷、小型種が多くなってきた、掃討しろ!」

『了解!』

強襲掃討機の強み―――4門の突撃砲を全門、全面展開した松任谷機が36mm砲弾のシャワーを戦車級の群れに叩き込む。
僅か数十秒で100体近い個体が霧散した、これで暫くスペースを稼げる。 近づいて来る要撃級4体を見据える。 前に2体、後ろに2体。
一気に水平噴射跳躍を掛け、前面の1体に肉薄する。 要撃級が前腕を大きく振りかぶって、俺の機体に叩き込む―――その半瞬前に、噴射パドルを片方全閉塞。
機体はクルリと急回転し、前腕をギリギリで交してもう1体との間に入り込ませる。 回転力を利用して長刀を叩き込み、一瞬機体が止まった際の安定を利用して避けた1体に120mmを叩き込んだ。
即座に逆噴射、迫って来た要撃級を回避しつつ、36mmをガラ空きになった右前腕の方向から後部胴体へ連射。

これでBエレメントと合せ、要撃級撃破は10体。 残り50体。

『突撃級、22体を撃破! 残り18体!』

「摂津! 5分でカタを付けろ! そろそろこちらがシャレにならん状態だ!」

松任谷とBエレメントの武藤が、戦車級の掃討に躍起になっている。 他の小型種のまだ居るのだ。 実質、俺と瀬間の2機で残る50体の要撃級を相手取る―――正直厳しい。

「ッ!」

『中隊長!』

咄嗟に視界の左隅に映った『何か』を咄嗟に避けて―――要撃級の硬い腕だった、ヤバかった。 そう思った時には36mm砲弾を叩き込んでいた、戦場で慣らされた条件反射。
松任谷も2門の突撃砲から120mm砲弾を別々の要撃級に撃ち込み、始末した。 これで俺が6体、松任谷が3体。 Bエレメントも8体を始末した、残り43体。 

『三瀬! 周防! そっちの状況は!?』

宇賀神少佐の声が響いた。 どうやら向うは『物量』で1000体のBETA群を潰せたようだ―――27師団と協同だしな。

『三瀬です、食い込まれています! 幾らか稜線上へ抜かれました! 光線級はまだ前に出てきていません!』

三瀬さんのトコも、似た様な状況か。

「周防です。 状況はまあ、三瀬さんとどっこい・・・ です。 光線級は河川敷方面に。 拙い事に、要塞級が動き出しました」

スクリーン視界の遠方、小高い山が動いている様だ。 光線級は渡会の報告では10体、しかしあの要塞級の腹の中に、もし他に光線級がいたら?―――中隊は全滅必至だ。
機体を右に、左に機動させ、エレメント間の距離を目測し、B小隊の状況を確認しつつ―――こんな時に、急に前に出て来るな! 要撃級!
咄嗟にバックステップで交し、36mmを叩き込む。 が、途中で空転音。 兵装情報を確認すると、残弾無し―――何処の新米衛士だ、貴様は!
止めを長刀で刺し、少し大きめに後ろに引く。 最後の予備兵装の突撃砲を取り出す。 同時にもう一方の突撃砲の弾倉を交換しないと・・・

「リロード!」

『了!』

俺が弾倉を行う数秒間、松任谷が機体を前面に押し出し、4門の突撃砲から弾幕を張る。 弾倉交換と同時に今度は俺が前面へ、弾薬消費の激しい松任谷が弾倉交換に入った。
見ると瀬間のBエレメントが、要撃級の一群に押され始めている。 足元の戦車級に気を取られ、要撃級への対応が出来ていない。
摂津のB小隊は突撃級を24体まで撃破した。 残り6体は・・・ よし、無視しよう。 他の部隊にも、仕事はして貰う。

「瀬間! 引け! 合流しろ! 摂津、残りはもういい! 戻れ!」

要塞級がゆっくりと動き出した。 その動きに合せ、BETA群全体が同じ方向に動き出す―――中隊前面からズレつつある。
三瀬さんの中隊も同様だ。 もっと西、第2、第3大隊が戦っている方向へと移動して行く。 その先には稜線への登り口。 拙いんじゃないか? どう見ても拙いだろう、これは。
大隊長に報告して、せめて背後から強襲を掛けるべき。 そう意見具申しようと思ったその時、通信回線に聞き慣れない声が響き渡った。

『斯衛第2聯隊だ! この数は捌き切れぬ! 艦隊に突撃破砕砲撃を要請する!』

斯衛? の、指揮官か? 聯隊長? 突撃破砕砲撃だと?―――食い込まれたこの状況で、寝言を抜かすな!

『陸軍第9軍団、混成第1大隊、宇賀神少佐であります! 大佐殿、この状況で突撃破砕砲撃だと友軍を巻き込む! 陸軍部隊が迂回して要塞級と光線属種の裏を取ります、それまで何とか!』

『何!? 少佐、貴様は山頂の状況を判っておるのか!? 3個大隊が各所で寸断されておる! 最早中隊単位では無い、小隊単位で防戦しておる状況だ!
貴様等、陸軍の奮戦は見ていて判っておる、よくぞその戦力で今まで抑えた! だが、もう限界だ、斯衛も万能ではない。 部下の半数近くが、殿下の御馬前に散りおったわ!』

山頂の斯衛部隊の損失、50%!? 光線級はまだ到達していない様だが、それも時間の問題か!?
そうなったら最悪の最悪だ、特に第7軍団は直近の頭上を光線級に抑えられる事になる。 京都市内防衛の第1軍にも、甚大な被害が出る。

『S-11砲弾による突撃破砕砲撃を要請する! この場で諸共に、BETA共を吹き飛ばす!』

『大佐殿!』

『し、しかし! それでは、これからの防衛戦力が・・・!』

『無茶だ! 我々だけじゃ無い、第7軍団にも大きな被害が出るぞ!』

斯衛大佐の言葉に、宇賀神少佐、森宮少佐、黒河内少佐が一斉に反発する。
命は惜しい、正直惜しい。 しかし我々とて、陸軍で最も実戦経験の長い部隊だ、戦場で思い切る事の重要さは身に染みて判っている。
だからこれは、命惜しさの反発では無い。 ここはまだ、我慢すべき時なのだ。 まだ粘り尽くす時なのだ。 諦めて命を捨てる時では、まだ無い。
しかしこちらの指揮官は3人とも少佐。 向うは2階級も上の大佐。 決定されたら拒否は出来ない―――その時だった。

『・・・斯衛は相変わらず、簡単に討死しようとなさるな。 清水谷伯爵』

海軍の第217戦術機甲隊指揮官、賀陽海軍中佐が苦笑交じりに言い放った。 
その口調は、荒くれが多いと言われる海軍戦術機甲部隊の指揮官に似つかわしくない、上品な口調だった。

『・・・どなたかな?』

自身の爵位で呼ばれた斯衛大佐が、改まった口調で聞き返してきた。 どうやら俺の様な庶民には与り知らぬ世界の覚えでも、あるようだ。

『海軍第217戦術機甲隊長、賀陽海軍中佐。 実亮(さねあきら)卿、相変わらず血の熱い事だ』

『賀陽侯、正憲王殿下・・・』

『殿下は止して頂こう。 私は既に帝籍を離脱し、臣籍降下をしている身。 賀陽侯爵家の当主に過ぎない』

―――思い出した。 賀陽正憲海軍中佐、兄貴の3期上に当る人で、東桂宮家の出身だ。 父親は先々帝の皇子親王で宮様、歴とした帝族だ。(今上帝の従兄だ)
海軍には帝族出身士官が結構いる。 現役でも6、7人いた筈だ。 それにしても、戦術機甲指揮官にさえいたとは、驚きだ・・・

『あと5分、持ち堪えて下さらんか、海軍からもお願いする。 あと5分、貴下の者共の骸を、晒してくれぬか。 それでフェイズⅢへ移行する』

『侯爵・・・!』

『お分かりか? 伯爵。 我等は藩屛なのだ、御国と陛下の御為に骸を晒す、藩屛なのだ。  今この地で煌武院殿の為に、斯衛が者共の骸を晒す事も同様よ。
大義に於いては御国と陛下の、そして陛下の赤子の為。 その場に在るは、貴公等の責務。  全うして骸を晒されよ』

―――この国の頂点の、薄暗い部分を見た気がした。 そうか、こうやって生き残って来たのか。

『くっ・・・ くくっ、藩屛、藩屛か! さては貴き方々が為され様、相も変わらぬ・・・  我等の次は、軍部でござるか。 宜しかろう、ここで骸を晒し、末代まで見届けていましょうぞ』

―――ここで古来からの軋轢を、表面に出さないで欲しいな。 そんな暇は無いんだから。
そんな事を一瞬思ったその瞬間、彼方から跳躍ユニットを全開で開く轟音が近づいてきた。 咄嗟にレーダーに映る部隊標識を確認する。

VFA-147≪アルゴノーツ≫、VFA-136≪ナイトホーク≫、VFA-137≪ケストレル≫

米海軍だ、第7艦隊。 いや、≪ケストレル≫だけは第3艦隊か、『ニミッツ』の搭載戦術機部隊だ。 F-14Dが27機、全機がフェニックス装備。
それだけでは無かった。 南方、大阪湾方向から帝国海軍の母艦戦術機部隊が4隊、33機。 こちらも面制圧誘導弾をフル装備だと、情報システムが言っている。

『VFA-147、≪アルゴノーツ≫だ。 フェニックスのデリバリーに来た! ターゲットは京都市内西部のBETA群―――本当にいいんだな!?』

『日本帝国本土防衛第1軍より≪アルゴノーツ≫、間違いない。 繰り返す、間違いない』

『後で文句は言うなよ!? オールハンズ! ゴー・トゥ・ヘル!』

米海軍機部隊が、大津から山科を抜けて、京都市内へ突入するコースを突進する。
同時に今度は、海軍部隊からの通信が入った―――聞き覚えのある声だ。

『海軍第205戦術機甲戦闘攻撃隊(VFA-205)だ! 陸軍、頭を低くして居ろ! 基地隊もね!』

『205・・・ 長嶺! エリアE5からD9までは攻撃するな、友軍誤爆になる!』

『げっ、賀陽さん!? ・・・『殿下』をこんなトコに出すなよ、誰だよ、出したの・・・』

『何か言ったか?』

『いいえ! 何も! 全隊、聞いての通りだ! 207、209、211! 高度50で突入する! 光線級が居るぞ、腹を据えろ! 突入!』

轟音が増した、日米の母艦戦術機甲部隊が2方向から、一斉に低空突撃に入ったのだ。 途端に、案の定、迎撃レーザー照射があちらこちらから撃ち上がる。
それを確認した砲兵部隊の内、発射速度の速い軽榴弾砲や迫撃砲を装備する部隊が、一斉に撃ちかかった。 何本かのレーザーが砲弾を認識してそちらにずれる。

『シット! ≪ミス・ディキシー≫が殺られた!』

『ダム! ≪マイティ・サム≫、≪グラマラス・バーバラ≫にレーザー直撃!』

『ファーック! エンジンが片肺だ! パワーが上がらねぇ!』

『火が! 火が! ・・・助けて、ママ・・・!』

『バスタード! ファッキン・ガイズ&ビッチ! ビビるな! 地獄へ突っ込め! クソBETA共を殲滅するんだ! ファイティング・スピリッツを見せろ!』

くそ、確認出来ただけで一気に5、6機のF-14Dが殺られた。 それでも20機程度に減った米軍機は、低空突撃を止めない。
今度は帝国海軍部隊の方向にも、レーザー照射が集中し始めた様だ。 通信回線に怒号と悲鳴が充満する。

『第2小隊長機、レーザー直撃!』

『だ、第2中隊第3小隊、3機撃墜されました!』

『攻撃目標地点まで、あと10秒!』

『全隊、もう少し持ち堪えな! ・・・ぐがっ!?』

『長嶺少佐!?』

『総隊長! 総隊長機、被弾!』

『207、鈴木大尉だ! 指揮を引き継ぐ! 全機、攻撃地点まで5秒!―――機体起こせ!―――攻撃! 放てぇ!』

『オールハンズ! オール・ファイア!』

日米の海軍機から、盛大に誘導弾が発射された。 陸軍が使用する只の誘導弾じゃ無い、これは・・・

「・・・リーダーより全機! 耐衝撃防御姿勢!」

同時に、凄まじい衝撃波が到来した。 100発以上のフェニックス、900発を越す95式自律誘導弾。 瞬間的に2箇所の戦域が鉄の暴風と、火炎地獄と化した。
思わず、無意識に頭を竦めてしまう。 頭では理解しているが、網膜スクリーンに映る情景に無意識に身構えてしまう。 それ程凄まじい、瞬間面制圧攻撃。

『俺達はこれで最後だ! あとフェニックスを残しているのは≪ダイヤモンド・バックス≫、≪ジョリー・ロジャーズ≫、それに第3艦隊の≪ブルー・ダイアモンズ≫と≪イーグルス≫!
残りはもう打ち止めだ! 機体も満足な奴は残っちゃいない! スマンがそれ以上はお国の海軍に頼んでくれ! 戦艦はまだ砲撃出来るそうだがな!』

米軍機が2/3程に機数を減らしつつ、攻撃終了と共に反転離脱して行く。

『陸軍! あと3派が限界だ! 支援要請はタイミングを見てしてくれ! それと、長嶺少佐の機体が鳥飼付近に突っ込んだ! 救助を要請する!』

『第217、賀陽中佐だ、承知した。 宇賀神少佐、頼まれてくれるか?』

『了解しました。 CP、コンバット・レスキュー要請だ。 場所は鳥飼付近、北岸だ。 淀川に突っ込んだかもしれん』

『CP、ライトニング・マム、了解です。 ・・・海軍部隊へ、コンバット・レスキュー申請しました。 C4D回線』

『助かる! 207リーダーより全隊、RTB!』

まるで通り魔の様な海軍部隊の攻撃の後に残ったのは、無数のBETAの残骸で埋め尽くされた大地だった。
ただこれでも所詮は『数千体』がミンチにされたに過ぎない、それが証拠にまた前方や左翼から、数千体のBETA群が蠢き始めた。

『あれだけ潰しても、まだ居やがるのかよ・・・』

誰かが呟いた、誰か―――武藤少尉か。 こいつは確か、24期のA卒だったな。 と言う事は、今年の3月に訓練校を卒業したばかり。
大陸や半島での実戦経験は無い、初めての実戦が本土防衛戦。 キツイな、キツイだろうな、正直な所。

『・・・いやがるんだよ、これが。 覚えておけよ、武藤。 これがBETAだよ、俺の同期生、何人喰われたかもう、覚えちゃいないよ』

『鳴海さん・・・』

鳴海―――コイツは23期のB卒、武藤の半期先任。 こいつの初陣は半島撤退戦、かの『広州の悲劇』だった。
そう言えば鳴海の同期の浜崎は負傷、半期先任の倉木と河内は死んだ、宇佐美は負傷した―――何人、若い連中を死なせたのだ、怪我させたのだ、俺は。

―――いかんな。

「・・・覚えておけ、忘れるな。 しかし気押されるな、これは貴様等が乗り越えるべき光景だ。 貴様等がくたばる光景じゃ無い」

無意識に出た言葉。 責任は持てるか? お前は連中をして、そうさせる事が出来るか?―――やらなきゃ、一体何の為に、今まで部下を死なせて来たのだ。
絶対に死なせない、そんな事は無理だ。 しかし連中が『死ぬより、のたうち回って足掻いて生きる方がマシ』と思う位には、なる様にしてやらなきゃならん。


≪CP、ライトニング・マムよりライトニング・リーダー! 現時刻、2240時をもって作戦はフェイズⅢへ移行しました!≫

―――来た、フェイズⅢ

≪大阪湾の艦隊から、全力支援砲撃が開始されます! まず第7軍団全部隊が淀川水道南岸へ撤退! 淀川南岸のBETA群を全力で駆逐!
その後に京都市内の第1軍全部隊が、琵琶湖水道南岸へ撤退します! 京都市内北部・北東部の戦術機甲部隊は比叡山を迂回して大津へ。 補給後は比良山系に展開します!≫

と言う事は、将軍家と護衛の斯衛部隊は無事、琵琶湖南部から信楽辺りの山岳部に入れたと言う事か。 多分途中で伊勢水道のどこかから、護衛艦艇に乗り込むのだろう。

『・・・ライトニング・リーダーより各中隊指揮官に告ぐ、これからが我々の本番だ! 部下を失うな、明日の為の戦力だ、生きて帰せ! いいか!?』

『了解ですわ』

『了解』

『はっ!』

木伏さん、源さん、三瀬さん、三者三様だ。

「・・・了解。 地獄の門の前で、見張っておきます」

陸軍の3個大隊が一斉に行動を開始した。 淀川南岸に至るにはまず、目前の厄介な8000体以上のBETA群の真っ只中を突っ切らねばならない。
再開された面制圧砲撃。 光線級の排除。 そして突破。 次いで海軍の2個大隊も行動を起こす、陸軍同様に淀川南岸に到達しなければならない。
中隊に命令を下し、面制圧砲撃の合間を縫って光線属種の側面へ、地形を利用して移動させる。 あの位置からなら、突ける。 今なら、位置を占める事が出来る。






『伯爵、フェイズⅢが発令されましたな。 貴隊も撤収されては如何か?』

『心にも無い事を、侯。 我等がここを引いたが最後、真下の数千のBETAを如何なさるか?』

『・・・斯衛の奮戦に、敬意を』

『行かれよ、侯』

それだけ言って、清水谷斯衛大佐は通信を切った。 眼下に陸海軍部隊が移動を開始した様が見える、どうやら光線属種の裏を突く気らしい。
しかし全滅は無理だろう、やはり幾ばかはこの稜線上へとやって来るだろう。 そして、斯衛第2聯隊はここに居る。

『偶然ではあるがな・・・』

乾いた、皮肉っぽい口調だった。

『偶然ではあるが・・・ やはり、天性の機会主義者よな、あの御方等は・・・』

やはりここで骸を晒す以外に、道は無かったのか。 いや、我等がここで死戦を演じる事は戦術上、無駄では無い。 まだ北の山々では現実に第1軍の者共が頑張っておる。
だが、何故我々だったのか。 いや、偶然なのは判っている。 宿命であったやも知れぬ、だが・・・

『我等が死なねば、あの御方等は殿下をも、使い捨てにして恥じぬわ・・・』

それこそ、最も貴き御一族の・・・ ならば、我等は死して殿下の『藩屛』となろう。 その御身を御護り致そう。

『・・・聯隊長より総員に告ぐ。 皆の者、これよりが我等の戦ぞ。 見事、殿を務めん! 斯衛の姿、満天下に刻みつけて逝けい!』










2355 第7軍団司令部


『南岸の残存BETA群、約8800。 北岸のBETA群、約8500は京都市内に突入開始しました』

『第40師団、南岸に渡河完了。 側面よりBETA群を叩きます』

『第5師団、第27師団、第40師団両翼に展開完了しました。 攻撃再開します!』

『海軍連合陸戦第3師団、北方より押し出します。 側面を米海兵隊第3師団』

『京田辺方面、国連軍2個師団(米軍、大東亜連合軍)が布陣完了。 海軍4個大隊戦闘団、奈良市方面を塞ぎに入りました』

一時は2万以上を数えた淀川南岸のBETA群。 フェイズⅢ発動と同時に行われた艦隊の全力砲撃と、砲兵旅団の突撃破砕砲撃、そして7個師団相当の全攻撃力を叩きつけ、半数以上が残骸と化した。
損失は大きい。 どの師団も30%以上の損失を出していた(日米の両海兵師団は、20%強) だが30分前に行われた、戦術機甲兵力の半数を投入した光線属種への攻撃で、大半の光線属種を排除する事に成功した。
それ以降は面制圧攻撃へのレーザー迎撃密度が急速に薄れ、反対に砲撃で吹き飛ばされる光線属種が多く出てきた。 そして10分前、BETA群後方に居た光線属種を確認せず、との報告が入った。
第7軍団はこの報を以って以後、全部隊による一斉攻撃に転じた。 京都市内には未だ多数のBETAが存在し、光線級も確認されているが、そっちは第1軍で何とかして貰うしかない。

「閣下、第9軍団より派遣された軍団直轄砲兵旅団群、砲撃を開始しました」

情報参謀の言葉に、第7軍団参謀長の鈴木啓次少将が頷く。 同時に内心で大きな安堵のため息を漏らした。
本来は九州を防衛する西部軍集団に属していた第7軍団、それが急な戦力移動で中部軍集団に鞍替えさせられ、あまつさえ帝都防衛戦に参加する事になった。
そればかりか、その帝都防衛戦で南北両戦線の間を繋ぐ、と言う重要な場面を任され、あろうことか国連軍や海軍陸戦師団さえその指揮下に―――7個師団だ、軍の規模だ。

(まさか九州者が、帝都を防衛する戦いに参加出来るとはなぁ・・・ 死んでも本望と思っとったが、まずは恥じる事の無い戦が出来たわ)

戦況スクリーンを見つつ、鈴木少将は満足だった。










8月15日 0020 大阪府茨木市 鳥飼付近 淀川


「・・・うう、水が冷たい・・・」

「少佐、骨折しているのにそうやって這いずり回るから、川に落ちるんですよ・・・」

「・・・うう、宮部も冷たい・・・」

跳躍ユニットの半分を焼かれ、機体制御も出来ず、かなり高速で淀川に突っ込んだと言うのに、搭乗衛士達は生きていた。
長嶺公子少佐は右足を骨折、アバラも何本か折ったようだ。 宮部雪子大尉はどうやら両脚の骨が折れた様だ、右腕もだらりと垂れている。

が、2人とも生きていた。

頭から淀川の水を被り、濡れそぼった長嶺少佐が観念したのか、宮部大尉の傍らに這いずり寄って寝転がる。 見上げれば、満点の星空―――重金属雲は流れ去った。
ああ、これが平和な時代で、横に居るのが見栄えの良い男だったらなぁ・・・ などと、些か軍人にあるまじき感想を長嶺少佐が抱いた時、宮部大尉が溜息をついた。

「ん? どした、宮部?」

「はあ・・・ どうして少佐は、そう楽天的なんでしょうかね? この辺、まだBETAがうろついているんですよ? デカイ連中はいない様ですけど、小型種は居ますよ?」

「ん~・・・ そうなったら、私の銃を貸したげるさ、先に」

「ま、それしか無いですけど・・・ どうして私が、先なんです?」

「だってさ、あの世までの航法指示も、RIOの仕事じゃない?」

「・・・嫌だなぁ・・・」

お互いに苦笑し合う。 もうこうなったら、死ぬ時は死ぬ、助かる時は助かる。 ジタバタしても始まらない。
歴戦の2人の衛士がそう達観した時、遠くからエンジンの駆動音が聞こえてきた。 どうやら、お迎えが来てくれたらしい。

「やれやれ、助かった様だね」

「陸軍さまさま、ですよ・・・」

1本だけ残った発煙筒を焚く。 赤い発煙が立ち上り、車輌のヘッドライトがこちらを照らした。
やがて車輌が停止する。 どうやらトラック改造の野戦救急車か? 歩兵戦闘車が1輌、随伴しているから1個分隊?

トラックから1人の士官が降り立った、傍らに衛生部隊の下士官。 ふと士官の野戦服を見る―――輜重兵科だ。

「海軍の長嶺少佐殿と、宮部大尉殿ですか?」

声の主は、20代後半くらいに見える女性士官だった。 陸さんにしては、雰囲気が柔らかい―――目つきは鋭いけど。

「そうだよ、レスキュー隊?」

「だと良いんですけどね、本職の連中は、あちこち引っ張りダコでしてね。 我々、臨時雇いの衛生搬送班が駆り出されました」

そう言って、衛生下士官に合図する。 何名かの部下と共にその下士官が手慣れた手つきで応急処置を施してくれた。
護衛分隊の兵士が担架を持ってくる。 それに乗せられ、まさにトラックの荷台そのものに乗せられた。
発進する直前、その指揮官―――陸軍の女性中尉―――が振り返って言った。

「ま、BETAと出くわしたら、それまでと思って下さい。 何しろ1個分隊しか護衛はいませんので」

「・・・中尉は、腹が据わっているね?」

「慣れました、毎度毎度、お門違いの事ばかりやらされますと。 全く、軍も府庁も一緒だ! 馬鹿ばっかしだ!」










8月15日 0135 京都市下京区 五条大橋


「早く! 早く渡れ! もう直ぐ橋を爆破するぞ!」

対岸の橋の袂―――向うはもう東山区だ―――で、工兵隊の指揮官が声を張り上げている。 軋む体に鞭打って、最後の力を振り絞る。
下京区で最後の遅滞防衛戦闘を続けていた機械化歩兵装甲部隊の、その最後の小隊が橋を通過した。 ここから後ろに友軍はいない、BETAだけだ。

「はあ・・・ はあ・・・ お、俺達で最後だ、後ろにはもう誰も居ない」

「よし、判った。 おい、爆破用意!―――爆破!」

轟音を立てて、軍用爆薬が仕掛けられた橋が落ちる。 BETA相手にはクソ程の痛がらせだが、やらないよりやった方がマシだ。

「よし、強化外骨格を脱げ、車輌で運んでやる」

「助かる、もう駆動系がイカレてしまって、どうしようもなかったんだ。 ところでこの先、殿はどの部隊がしているんだ? 禁衛か? 1師団か?」

「運転手、このまま1号線を突っ走れ! 京都東で名神に乗れ、草津JCTで新名神だ―――殿? おいおい、『帝都』の殿だぜ? 『清水の舞台』付近に、斯衛第16大隊が陣取っているよ」

―――よし、出発!

工兵隊指揮官の声に、車輌群が急発進した。 まるで直ぐそこまでBETAが迫っているかのように(実際この時、BETAは1500m先の山陰本線付近に到達していた)
機械化歩兵装甲部隊の生き残りの指揮官―――少尉だった―――は、工兵隊指揮官の言葉に、改めて認識した。

(・・・斯衛が殿かよ。 本当に、帝国は帝都を失ったんだな・・・)

空を見上げると、真夏のねっとりした空気と、満天の夜空が煌めいていた。










8月15日 0155 大阪府東大阪市 中韓連合兵団本部


「撤収・・・ ですか?」

「そうだ、決定した。 ああ、いい、言わんでも判っている。 だから何も言うな、美鳳。 文怜も」

周蘇紅少校(少佐)の様子で、趙美鳳大尉は大体の事が判った。 要は我が中国軍は、十分に面子を立てる事が出来た、そう言う事か。
だけど、どうだろう? この京都を巡る防衛戦では、我々は後方に待機する事が多かった。 唯一、日本第7軍団が行った昨夜の逆襲の直前に、孤立部隊への増援に駆けつけただけだ。
そうか、その点を強調する気なのだろう、羅蕭林中校(中佐)は。 それ以外はもっぱら日本軍と韓国軍を使っていたし。

「・・・では、これから台湾へ、ですか?」

年少の僚友―――朱文怜大尉が聞いた。 あまり嬉しそうでもない、果たして自分もそうだ、どうもあの雰囲気に馴染めない。
その言葉に、周少校はようやくこの人ならではの、人を食った様な、それでいて憎めない悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「安心しろ、我々の様な『政治的信頼性』の低い連中は、『本国』への帰還に及ばず、だと。 暫くはこの日本だ。 国連軍太平洋方面第11軍へ出向せよ、だと」

その言葉に、朱大尉が嬉しそうな、困った様な、何とも言えない表情をする。 多分、自分も同じだろう、そう趙美鳳大尉は思った。
日本か―――この国は、本当に縁があるわね。 親しい戦友も日本軍に何人かいる、彼等は無事だっただろうか?
何はともあれ、戦いはまだまだ続く。 今後も危なっかしい上官の手綱を引いて、年少の僚友の気分を奮い立たせて。

(―――あら? 今まで通りね?)

急に可笑しくなった。









8月15日 0225 大阪湾 帝国海軍第1艦隊旗艦 戦艦『紀伊』


『陸軍中部軍集団司令部より入電。 全部隊、所定位置に退避完了』

『観測データ、入りました。 CIC、及び主砲射撃指揮所への転送完了』

『気象データ、気温29.8℃、湿度70.5%、北北東2m/s・・・』

砲撃準備が着々と整いつつあった。 大阪湾に遊弋する日米の大艦隊が、その最後の砲撃を行う為に。

「参謀長、全艦艇、攻撃準備整いました。 米第7艦隊より入電、『砲撃準備よし』―――以上です」

通信参謀の報告に、参謀長が無言で頷く。 時計を見る、最後の攻撃開始予定は0230。 丁度5分前。 海軍の伝統、『何事も、5分前に』か!
そして傍らの司令長官―――帝国海軍最強の第1艦隊を率いる上官に告げる。

「長官、攻撃開始、5分前です」

その言葉に、司令長官―――近藤信武海軍大将も無言で頷く。 そして短く言った。

「・・・砲撃、開始」

声色には万感の揺らぎが感じられた、と思ったのは、参謀長だけでは無かった筈だった。









8月15日 0230 大阪府 帝国陸軍八尾基地


命からがら、何とか部隊を纏めて淀川の南岸に到達した。 その後は第9軍団司令部の命令によって、混成3個大隊はこの八尾に移動した。
最後の撤退戦(信じ難い事に、八幡周辺のBETA群は逆襲に転じ、中央を割られた第7軍団主力を無視して、京都市内に突入して行った)を何とか生き延びた。
今こうして基地のハンガー脇に仮設された士官室で、皆死んだようにヘタっている事が信じられない程だった―――最も他の部隊はまだ、第1級警戒態勢だったが。

「・・・生き延びた、な」

「何とかな、今の所はな・・・」

隣のソファで両足を投げ出して、大仰に息をつく圭介も、顔色が土色だ。 多分俺もそうだろう。
木伏さんは部屋の隅でソファをひとつ独占して、死んだように身動きもしない。 和泉さんと三瀬さんが、1台のソファベッドに2人で寝転がっている。
向うでは美園と仁科が力尽きて、床に毛布を敷いて倒れ込んでいた。 目前のソファに座った愛姫が、隣の緋色にもたれかかって眠っている。 緋色もだ、死んだように動かない。

思えば8月12日の六甲山系東部での(失敗した)逆撃作戦以来このかた、まともな休息など取っていなかった。
部下達には事ある毎に機会を見つけて、無理やりにでも休息を取らせてきたが、指揮官はその間にもやる事が多かった。
実に2日半ぶりに、こうやって体を休めている。 他の皆も似た様なものだった。

誰も、何も言わず、ただただ体を休めている―――それが必要なのだと、義務の一つなのだと。

突然、彼方から途方もない轟音が鳴り響いた。 同時に無数の甲高い飛翔音。 全員が直ぐ様、目を覚ました。 ばね仕掛けの人形の如く、勢いよく飛び起きる。
俺も含め、士官室に居た将校―――全員が中隊長の大尉―――が目にした光景。 輝く炎を引きながら、超高速で飛び去る無数の誘導弾。
それが見えなくなった一瞬後、腹に響く震動と重低音、そして爆発音が連続して発生した。 方角は―――京都だ。

「・・・海軍が、最後の砲撃を開始しましたよ」

暗闇の中から、葛城君が姿を見せ、呟いた。 後ろには佐野君と間宮も居る。 予備隊に回っていた3人だ。

「琵琶湖の戦艦群も、砲撃を開始したと連絡がありました。 その後で伊勢水道を脱出すると」

「最初は米艦隊だそうですが。 まあ、ここまで良く付き合ってくれましたよ・・・」

間宮が夜空を見上げながらそう言い、佐野君が疲れた表情で言う。
皆が夜空を見上げる。 相変わらず大阪湾の方角から誘導弾が飛び去ってゆく。 一体どれだけ撃ち込むつもりだろう?

不意に誘導弾の嵐が途切れた。 一瞬の静寂。 その直後、湾の方角から轟音が聞こえた―――戦艦主砲の発射音だ。

数秒後、京都の方角に夜目にも鮮やかな白球が立ち上った。 音は静かだった。


「ふっ・・・ ふぐっ・・・」

最初は誰がか判らなかった。 周りを見渡し、見つけた。 緋色が―――無言で、唇を噛みしめながら、大粒の涙を流してその光景を正視し続けていた。

「ぐっ・・・ うっ・・・ ぐふっ・・・」

故郷、愛しい人達、懐かしき想い出。 人として持つ、心の奥底の不可侵の背景。 
それが今や、戦艦主砲弾搭載型と言う、特大級のS-11弾頭の炸裂で喪われたのだ。

「うっ・・・ ううっ~・・・」

愛姫が、その肩にそっと手を添えていた。






[20952] 晦冥
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/04/04 20:12
※今回小ネタ ネタ元『ブラック・ラグーン』(BLACK LAGOON、広江礼威先生)




1998年8月14日 京都防衛戦開始。


8月15日 未明、京都。


漆黒の夜の闇の中を、1群の戦術機が夜目に鮮やかな噴射炎をたなびかせ、低空を突進している。
もう突撃路は限定されている、琵琶湖湖上から比叡山上空を縫うように飛行し、一気に南下する、それしか他に無かった。

「リードより全機、ポイントデルタ通過、もう直ぐマウント・ヒエイの上空だ。 そこからは『サーカス』だ! フェニックスを撃ち込む前に山に激突、なんてアメリカ海軍の恥晒しはするなよ!?」

―――『サー! イエス・サー!』

7機に減じた米海軍CVN-71『セオドア・ルーズベルト』所属のVFA-103―――第103戦術歩行戦隊、戦隊長のスコット・マッケイ少佐が率いる最後の攻撃隊。
7機のF-14D≪トムキャット≫が編隊を維持しつつ、見事な夜間低空突撃を敢行しつつあった。 行く手は京都、東山。

「RIO、リズィ!?」

『サー、5ミニッツ。 ベクター2-9-5、エンジェル500(フィート)、タノダニ・パス(田ノ谷峠)からマウント・ダイモンジ(大文字山)を回って、アタック・ポイント!』

RIOのエリザベス・ヤング大尉の声は冷静だ。 流石は『アイス・ドール』、しかし本当は情熱的な女性だと知っている―――他言は一切出来ない関係だ。
10分前にJIN(日本帝国海軍)の母艦戦術機甲部隊が、連中にとって最後の攻撃を仕掛けた、被害は甚大だった。
しかしその結果、光線属種と言う『天敵』のかなりを排除できたと言う―――主よ、感謝します。 そして勇者達の魂に、安息があらん事を。
やがて編隊は田ノ谷峠上空を通過した。 攻撃開始地点まであと10数秒。 視界が目まぐるしく移り変わる。 大文字山の山肌が高速で視界を流れる。 そして―――見えた。

「リーダーより≪ジョリー・ロジャーズ≫全機! 攻撃態勢!」

―――『ラジャ!』

部下達が一斉に唱和する。 7機のF-14Dは、戦隊長機を中心にウェッジ陣形に空中で展開した。 夜間、低空突撃中、それは見事な空中機動だった。
眼下は地獄だ。 燃え盛り、爆発し、黒煙を噴き上げ滅びゆく、千年の都。 若かりし頃、横須賀に入港した際に足を延ばして観光した事が有った。 美しい都だった。
スコット・マッケイ少佐は微かに頭を振り、過ぎし日の感傷を振り払う。 感傷に浸って死んでしまっては、笑い話にもならない。 合衆国軍人の姿では無い。
同時にフェニックスを一斉全弾発射。 祇園から清水寺周辺にかけて展開中の斯衛第16大隊周辺に群がりつつあるBETA群を、一斉に吹き飛ばす―――大型種が姿を現した。

『シット! やっぱりデカイ連中は、しぶとい!』

2番機の操縦衛士であるジム・オコーナー大尉が、吐き捨てる様に言う。 それでも思いたい、自分達の支援は少しでも有効だったのだと。

「―――第103戦術歩行戦隊≪ジョリー・ロジャーズ≫、戦隊長より帝国斯衛軍! フェニックスを届けに来た! これが最後の手土産だ、貴軍の武運を祈るッ!」

『ザッ・・・より・・・ ザッ・・・≪・・・ロジャース≫、そなたら・・・心よりの感謝を・・・』

重金属雲の為に、雑音が酷い。 それでも聞こえた、『感謝を』と。 我々が支援する為の部隊は未だ、この地で奮戦している。 そして我々の支援は無駄ではなかったと。
戦域をフライパスする寸前に見えた、青色のファントム―――いや、インペリアル・ガーズのType-82か―――から聞こえた声に敬意を称して敬礼し、飛び去って行った。





8月15日 未明 京都放棄。

近畿1都1府4県人口約2250万人。 死亡約1020万人。 累計死者数約2380万人。

8月17日 BETA群3万8000、北陸方面へ移動。 敦賀市の海軍連合陸戦第3旅団、全滅。 琵琶湖運河敦賀水道、使用不能に。
8月18日 BETA群、福井県福井市侵入。 東海軍管区第6軍第15軍団、第45師団迎撃開始。
8月19日 第45師団、金沢市まで後退。 BETA群、石川県金沢市に侵入開始。
8月20日 第45師団全滅。 BETA群約3万6000、富山市内突入。 第15軍団第36師団迎撃開始。 
     北関東の第14軍団(第35、第48師団)、新潟県上越市に展開開始。
8月21日 第36師団、突破される。 BETA群、黒部から新潟県境へ。 第36師団残余、能登半島に。
     九州の西部軍集団、近畿の中部軍集団、再編成。 戦力の統合・他地域への抽出開始。

北陸3県人口約308万人。 死亡約280万人。 累計死者数約2660万人。

8月22日 早朝、上越市防衛戦。
8月23日 第14軍団、新潟市へ後退。 BETA群約3万3000の内、約2万5000が渡海開始。
8月24日 新潟市防衛戦。 BETA群、約8000。 BETA群約2万5000、佐渡島・小木海岸上陸開始。 
    「佐渡島防衛戦・佐渡島救出作戦(島民約6万3000人脱出作戦)」を海軍第3艦隊開始。
8月25日 0115時、BETA群、真野湾付近到達。 1420時、両津港防衛戦。





1998年8月25日 1630 新潟県佐渡島 両津港


「急いで! 列を乱さない! 大丈夫、脱出船は十分にある!」

「割り込むな! まずは女子供と年寄りが先だ! おい、貴様! 大の男が取り乱すな! 女性と子供が最優先だと言っておる!」

「ああ、ああ、大丈夫だ、大丈夫だよ。 向うでお母さんに会えるから・・・」

「第4陣、出港します! 続いて第5陣、入港予定は15分後! 収容人数3200名です!」

「これまでの脱出人数は!?」

「約1万2000名!」

避難民で溢れかえる港湾で、誘導を行っていた帝国海軍第3艦隊から派遣された士官達の間に、呻き声が漏れる。
1万2000人。 少ない数では無い、しかし島民の数は約6万3000人。 どれだけの数がBETAの犠牲になったかまだ判らぬが、額面通りだとあと5万1000人。
果たして時間は大丈夫なのか? 脱出する為の時間は? 第3艦隊主力は真野湾一帯に猛烈な艦砲射撃を加えているが、それでBETA群を押し止められるか?―――無理だろう。

第3艦隊は大陸や半島、それに統一中華や大東亜連合への支援攻撃に参加した、実戦経験豊富な連中が集まっている。
その実戦経験からして、時間は酷く少ない事を理解していた。 そしてその結末も、彼等は理解出来ていたのだ。
目前の、恐怖に怯える民間人の顔、顔、顔。 前にも経験した、その顔が永遠に失われてゆく様を―――経験したくなかったが。

「通信長! 藤崎中尉! 戦隊司令部より、収容完了予定時刻の確認が入っております!」

第3艦隊打撃駆逐艦『長波』通信長の藤崎省吾海軍中尉もまた、艦から派遣されて港湾で避難民脱出の指揮を執っていた。
両津南埠頭ビルに仮設された収容本部に入り、部下の下士官が差し伸べる野戦電話をひったくり、藤崎中尉は怒鳴る様に報告した。

「完了予定ですって!? 『完了』は有り得ません! タイムリミットまで間に、どれだけ助けだせるか、です!
は? 想定人数?―――戦術機部隊の頑張り次第ですよ! 精々、今日半日保たない! 船団はあと3陣か4陣が限界です、都合2万人前後!」

それだけ言うと、叩きつける様に受話器を置いて電話を切った。

(―――畜生! 駄目なんだよ! こういう場合は全員の収容なんて、無理なんだ! 俺は半島で経験した! あの釜山港の惨劇を!)

思い出す、思い出さずにいられない。 今年の1月。 世の中は『光州の悲劇』しか覚えていない。 しかしそれに匹敵する悲劇が、釜山でも有ったのだ。
1998年1月19日 半島南部、釜山港。 港湾ゲートに群がる避難民。 その群集に銃口を向け、発砲命令を出した自分。 そして・・・

(『―――藤崎中尉、大変心苦しいのですが、私の生徒達をお願いします―――ここに残る30人は、私の担任クラスの女生徒たちなのです』)

微笑んで、残る教え子達と共に死んでいった女教師。 何と言ったか―――ああ、白先生。 白愛羅(ペク・エラ)先生と言ったか。
佳人だった、実に佳い女性だった。 聖職者とは、彼女の様な存在を言うのだろう。 生徒達は大層慕った事だろう。

(・・・だけど、もう見たくないぞ)

あんな哀しい美しさは、もう見たくない。 本当に見たくなかった。
そんな回想はほんの一瞬。 直ぐに我に返ると本部を出た。 まだまだやる事は山ほどあったからだ。
本部を出て受け持ち担当区の市立小学校へ戻る。 そこに1群の戦術機部隊が補給の為に戻っている様子が見えた。
第3艦隊の母艦戦術機部隊―――『飛鷹』か、『準鷹』の部隊だろう。 どっちだ? 暫くして見知った顔を見つけた事で、『飛鷹』の部隊だと判った。

「おい、史郎!」

藤崎中尉の呼びかけに、その海軍衛士―――同じ海軍中尉―――が振り返る。 そして藤崎中尉を認めて、嬉しそうな人懐こい笑顔を見せた。

「ああ、省吾兄貴。 やっぱりここに居たか」

衛士の名は、右近充史郎海軍中尉。 藤崎中尉の母方の1歳年少の従弟。 海軍兵学校も1期下だった。

「やっぱり? どうして?」

「ウチの艦からも、通信(通信士)と航海(航海士)が派遣されているからな。 多分、『長波』からは省吾兄貴だろうなって」

「ま、そりゃそうか」

首を竦めて苦笑する。 そして直ぐに軍人の表情に戻った。

「で、史郎。 どうなんだ?」

「何とか日付が変わるまで・・・ いや、やっぱり駄目だな、保たないよ、それまで」

「そうか・・・」

最前線で阻止戦闘を展開している2隻の戦術機母艦所属の、合計48機の戦術機部隊―――84式戦術歩行戦術機 『翔鶴』
幾ら戦艦やその他の艦艇の支援があるとはいえ、たったの48機では防波堤にすらなりはしない。 やはり時間との勝負か。

「既に『準鷹』の部隊は半数にまで減った、12機だ、1個中隊。 僕達も10機を失ったよ、残存14機。 合計26機が正真正銘、最後の護り手だ」

疲れた表情で、それでも闘志を失っていない目で、右近充中尉がそう言う。 最後の護り手―――そうだ、帝国軍は『醜の御盾』なのだから。
どんな事があっても、どんな苦境でも、泥を啜ってでも生き抜き、皇帝陛下と帝国と、そして国民を護り抜く義務がある。

「・・・昨日な、『駿河』の叔父貴から連絡があった。 直衛兄貴と直秋の2人な、京都防衛戦を生き残ったって」

第3艦隊の戦艦『駿河』艦長・周防直邦海軍大佐は、2人の母方の叔父であった。 そして今出た名は、陸軍に所属して京都防衛戦を戦った、2人の母方の従兄弟達だった。
その事に、右近充中尉が嬉しそうに微笑む。 同年代の従兄弟同士として幼少の頃から良く遊び、仲の良かった間柄だ。 無事なのは、やはり嬉しい。

「直衛兄貴は歴戦の衛士だから、余り心配して無かったよ。 でも直秋は僕より2つ下だから、正直心配だった。
よかったよ、本当に。 だったら、またみんなで集まって・・・ 今度は一杯飲もうか? 従兄弟同士で集まるのも、久しぶりだしね」

「ああ、そうだな、そうしよう。 だから―――死ぬなよ、史郎?」

「省吾兄貴もね」

そう言って、2人の従兄弟達は別れた―――永遠に。





1998年8月25日 1830 新潟県佐渡島 両津港沖 第3艦隊戦艦『駿河』


『両津港の収容本部より通信が入りました!』

『BETA群、佐渡空港に到達! 一部が加茂湖に入りました!』

『戦術機部隊、収容完了! 残存機数、『飛鷹』が6機、『準鷹』が5機! 損失37機!』

『僚艦『遠江』、巡戦『鈴谷』、『熊野』より入電あります!』

戦艦『駿河』艦長の周防直邦海軍大佐は、CICではなく夜戦艦橋に陣取って、彼方に見える佐渡島を睨みつけていた。
もうタイムリミットは過ぎた。 多くの民間人を脱出さす事は出来たが、より多くの民間人を置き去りにする事となった。

『井口だ。 周防、突入はどうするか?』

僚艦である戦艦『遠江』の艦長で、海兵同期生でもある井口大佐が確認してくる。 同期生だが、周防大佐の方が卒業席次は上―――先任だった。
第3艦隊司令長官である小沢中将が30分前、重光線級のレーザー照射で倒壊した前部射撃指揮所の倒壊に巻き込まれて負傷した。 参謀長も巻き込まれたのだった。
その為に第6戦隊の2戦艦『駿河』、『遠江』と第11戦隊の大型巡洋艦(『最上級』、巡洋戦艦とも言われる)の2隻、『鈴谷』、『熊野』の指揮を周防大佐が執っていた。

『安倍です! 周防さん、突入しましょう! 4隻の一斉砲撃ならば、まだ救える!』

『田所です、周防さん、このままでは、我々は佐渡島を・・・ 多くの民間人を・・・!』

『鈴谷』艦長の安倍大佐、『熊野』艦長の田所大佐、海軍兵学校の3期後輩の指揮官達も聞いて来る。 安倍大佐は日頃の熱い情熱のままに、田所大佐も隠れた熱情を表して。
内心では周防大佐もまた、突入を命じたい欲求が荒れ狂っている。 しかし、先程負傷した小沢長官の言葉―――『戦は長いぞ、周防君』 それが耳に残る。

「・・・突入はせぬ。 全艦、要請有り次第、全火力を叩き込み、その後に離脱する」

『ッ! 周防さん!』

『佐渡島を・・・ 放棄すると?』

後輩の大佐2人が、憤懣やる方ない表情で悔しがる。 目前にはBETAに蹂躙される『我等が国土』があるのに! ここで引かねばならぬとは!

「安倍君、田所君、私も悔しいのだよ。 だが解れ、指揮官ならば。 諸君は一艦を預かる艦長だ。 井口、貴様、判るな?」

『・・・うむ、貴様の言う通りだろう、周防。 小沢長官も同様に言われるだろうな。 おい、安倍君、田所君、『周防伍長』の言う事だ、聞け』

―――『周防伍長』とは

海兵時代の懐かしい呼び名に苦笑する。 海軍兵学校での生徒隊は1学年10人程で、4学年40人程の『生徒分隊』を構成する。 大体30~40分隊程があった。
その中の指導役、最上級生の1号生徒(4年生)の中から成績最優秀者を『分隊伍長』に任じ、生徒自治を重んじる伝統があったのだ。
周防大佐の兵学校生徒時代、彼は1号生徒の頃に『分隊伍長』をしていた。 同じ分隊で補佐役の『分隊伍長補』が井口生徒―――今の井口大佐だった。
そして同分隊の3期下、入学後間もない4号生徒(1年生)の中に、安倍生徒と田所生徒がいた―――今の安倍大佐と、田所大佐だった。

『むっ・・・ むうう・・・!』

『・・・安倍、仕方が無い。 悔しいが、周防伍長と井口伍長補の言う通りだ・・・』

同僚達がようやく同意したその時、未だ佐渡島―――両津港の港湾ビルに取り残された脱出収容本部から通信が入った。

『本部より艦隊司令部。 これから指示する座標にありったけ、撃ち込んで下さい!』

転送されてきたその座標を見て、司令部要員も艦橋要因も、一様に絶句する。 予備の後部射撃指揮所に移っていた『駿河』の砲術長が、躊躇いがちに返信した。

『こちら『駿河』だ。 収容本部、この座標に間違いないのか? ここだと、君達は・・・』

『・・・収容本部、藤崎中尉です。 周囲はクソッたれなBETAで溢れかえっております。  ですので―――四の五の言わず、俺達の真上に、ありったけの砲弾を撃ち込め!』

その言葉に全員が目をつぶる。 恐らく収容本部の残員達は、逃げ出す事が出来なかった避難民と共に、BETAの重包囲下にある。
そしてBETAに喰い殺されると言う恐怖を、少しでも、ほんの少しでも和らげる方法は、今の艦隊にはひとつしか無いのだと、そう言っているのだ。
それまで沈黙していた『駿河』艦長・周防大佐が通信機の受話器を握る。 両津港の収容本部へ問いかけた。

「・・・『駿河』艦長、周防大佐だ。 収容本部、藤崎中尉。 この座標に全艦艇の、全火力を撃ち込む。 それで―――良いな?」

『・・・感謝します、艦長。 周防大佐、お願いします』

通信に一瞬の間があった。 軍人同士か、叔父と甥か、果たしてどちらとしての会話だっただろうか。
無言で周防大佐が片手を上げる。 それを見た艦橋要員が、後部射撃指揮所へ通達する―――『主砲、射撃用意!』と。
僚艦へも通達が行く。 全艦艇が針路を調節し、全砲門を佐渡島へと向け終わった。 周防大佐の片手が振り降ろされる。
同時に命令が通達された―――『主砲、発射! 全VLS、発射!』、と。 凄まじい轟音と甲高い飛翔音と共に、第3艦隊の全火力が佐渡島に向かった。


『叔父貴・・・ さっき、史郎が死んだ。 最後まで踏み止まって、機体をレーザーで焼かれた。 お袋や姉貴達に宜しく言っておいてくれ、史郎の分も』

不意に、通信回線にプライベートな内容が流れた。 誰も咎めようとはしなかった。 周防大佐は目を反らさなかった。 佐渡島に自分の姉達の顔が重なった。
藤崎省吾中尉は、周防大佐の次姉の息子。 先程戦死したと知らされた右近充史郎中尉は、長姉の息子だった。
着弾まで、あと5秒。 佐渡島から無数のレーザー照射が立ち上る。 艦隊からは連続した艦砲射撃が続く。 

『今度は、見捨てない。 もう、あんな事はしたくない・・・ 残念だよ、直衛兄貴や直秋、みんなと飲む事が出来なくて・・・』

周防大佐は佐渡島を凝視し続けた。 両津港一帯に爆炎が立ち上り、やがて見えなくなり、そしてレーザー照射も上がらなくなるまで。

「・・・射撃、止め!」

周防大佐の号令に、全艦艇から砲撃と誘導弾の発射が止まる。 殷々と木霊した砲声が収まった、やがて大佐の感情が全く欠落したような声が、艦橋に響いた。

「・・・艦隊針路、135度」

黒煙がもうもうと立ち上る両津港を暫く見据えたあと、艦隊は新潟へ向け反転して行った。





8月25日 1830時、佐渡島放棄。 島民の65%(約4万人)が命を落とす。
     2025時、新潟防衛戦、BETA群市内中心部侵入開始。 信濃川にかかる西区=中央区の全ての橋を爆破。
     2105時、住民は新潟港、新潟東港から脱出船乗船開始。 第3艦隊、海岸線付近まで接近・直接砲撃開始。
2355時、新潟市放棄。 
8月29日 衛星情報、佐渡島にハイヴ建設開始を確認。

新潟県人口約240万人。 死亡約190万人。 累計死者数約2850万人。


9月4日 第14軍団(第35師団、第48師団)戦力半減(阿賀野川防衛線) 佐渡島よりBETA群約2万7000、新潟に上陸。 新潟のBETA群、約3万4000にj。 南下開始(南下個体数、約3万2000)
9月5日 関西よりの第49師団(元第9軍団)、長野県に展開完了。 BETA群、三条から長岡・小千谷に到達。
9月7日 BETA群約2万4000、千曲川沿いに長野県内に侵入開始。 BETA群約8000、新潟=群馬県境威を突破。 北関東侵入開始。
    「関東軍管区」再編成完了。 新編第2軍団(第43、第50師団。 関西より第40師団の3個師団)北関東で防戦開始。
9月8日 南関東の第4軍団(第13、第44、第46師団)、静岡の第37師団第371旅団戦闘団、長野県内展開。
9月10日 重慶ハイヴ周辺の飽和BETA群、約3万を確認。
9月12日 米国政府、イカロスⅠよりの全データ解析完了と発表。





1998年9月12日 2100 アメリカ合衆国ニューヨーク州 ニューヨーク市


―――マンハッタン、アッパー・イースト・サイド。 
高級住宅地として知られるエリアの一角、かつて20世紀初頭にはとある大富豪の邸宅として建てられた豪壮な屋敷。
今は合衆国で最も力を有するある財団が所有する、『クラブ』として運営されている。 ここに出入り出来る人間は、極めて限られている。
英国上流階級の嗜好を引き継ぐその『クラブ』は完全会員制、女性は完全立ち入り禁止。 限られた東部支配階級―――エスタブリッシュメントだけだ。 
広大な敷地、豪壮で格式のある館。 その館内は豪華な食事を供する食堂、図書室、カード室、喫煙室など、50数部屋を数える。

「・・・第2師団は壊滅。 第25師団の損害も甚大。 海兵第3師団も戦力の35%を失った。 
戦死1万1500余名、戦傷2万1000余名、合計3万2500。 実に遠征部隊の半数に相当する―――未曾有の大損害ですな」

ソファに腰掛け、葉巻とブランデーを楽しんでいる初老の男が、まるで他人事のように言った。
その言葉に同席する何人かが、不愉快そうに顔を顰める。 その表情を可笑しそうに見つめ、初老の男が言葉を続ける。

「Times(N.Yタイムズ)、W.P(ワシントン・ポスト)が大騒ぎですな。 WSJ(ウォールストリート・ジャーナル)は、この下半期の株価下落を予想しております。
まったく、困ったものだ。 最近は環境団体や人権団体も煩い、何より婦人団体がね。 どんなモノ好きな篤志家でも、大切な息子を無駄に死なせたい母親は、おりませんからな」

その言葉を受けて、暖炉の前でコニャックのグラスを傾けていた鋭利な印象の中年男性が、壁にかかった絵画を眺めながら言った。

「・・・大統領支持率は、60%を割って50%台前半まで落ち込んでいる。 このままでは秋の中間選挙を勝つ事は難しい、政権運営に支障が出る事となる。
党としても、只今の議論は前向きに検討せねばならない、そう言う結論となった。 ああ、ジェネラル、無論の事だが軍の縮小は無い、安心したまえ」

思わずソファから身を浮かしかけた軍人に向かって、声と手で制止する。 軍部の『利権』を保障されたその将軍は、ほんの少し安堵の色を見せ坐り直した。

「だが実際問題、野党の追及は厳しさを増すばかりだ。 世論も逆風となれば、これはもう早期の撤退を実現せねばなるまい?」

「それはいい、既に確定事項だ。 ホワイトハウスへも通達済みだ、我々の『お友達』からな。 大統領は反対できぬよ。
それより大丈夫なのか? 我々の、合衆国軍の庇護を失った日本が早々にBETAの前に陥落したとあっては、今後の全体計画の見直しが必要になろう?」

「くっくっく・・・ 『トータル・プランニング』? 一体、誰にとってのプランかね?」

室内に失笑が漏れる。 この場に居る人物達は、合衆国内の複数の立場・勢力をまたに掛ける連中だった。 
特定の立場には無い、さながらアメーバの如く、合衆国の深い闇の底の、権力の源泉近くに生息する者達。

「・・・皆にとって、だよ、君。 共和党、民主党、連邦政府、財界、官界、軍部・・・ オルタネイティヴ4計画、オルタネイティヴ5計画、各々に関わる者達。 皆にとってだ」

彼等にとって、特定の集団は意味を為さない。 その全てを把握し、操作し、己が思う様を描き―――支配し、利益を得る。
その意味では合衆国大統領さえ、彼等にとってはチェス盤上の駒に過ぎない。 他の様々な勢力、諸外国―――そう、日本帝国もだ。

「くくく・・・ オルタネイティヴ5か。 『イカロスⅠ』の状態がどうなっておるか、公表されれば連中も青褪めるだろうて」

「・・・それは良い手ではないか? どうも第4計画の旗色が悪い、第5計画一辺倒ではバランスがな。 どうかね?」

「宜しいですな。 丁度明日、連邦政府が国連総会に捻じ込む予定だ。 その後が良いだろう、NASAとESAに根回しを―――予算の増額を餌にな」

「ああ、それがよかろう。 それと先程の兵站については、筋書きが既に整っておるよ。 一旦外国に売却した『新古品』をどう扱おうが、我々の知った事では無い。
それに向うの頑迷な民族主義者も、面子を潰さずに済む。 まったく、度し難い連中だ。 だが、餌を与える方法とタイミングさえ失さなければ、飼い馴らすに容易だな」

ラングレー(CIA)のペーパー・カンパニーが仲介の労をとる、一旦タックス・ヘブンの国にあるそのペーパー・カンパニーが輸入し、後は複数を経由して、日本へ。
連中をここで飢え死にさすのは、得策ではない。 大量消費が見込めるマーケットとして、大金を生み出す金の鵞鳥として、何よりステイツの防波堤として。

「精々、頑張って貰わねばならん、今回の『お仕置き』は別としてだ。 飼い主としては、飼い犬に餌を与える義務がある」

彼等にとっては、世界中の全てが『飼い犬』だ。 己と同等の存在など、認める事は無意味だ。

「では、全てはその方向で。 宜しいな、ジェントルメン?」

初老の男の声に、皆が頷いた。





9月13日 米国、国連総会においてオルタネイティヴ5計画への早期移行を要請。
9月14日 重慶ハイヴ周辺の飽和BETA群、約2万8000が移動開始(重慶A群)
9月15日 NASA、ESA、共同声明発表『イカルスⅠよりの通信途絶により、ダイダロス計画は失敗』 米国政府は否定。
9月18日 長野県、群馬県の戦線、膠着状態(BETA群、不活発状態に)
9月20日 重慶ハイヴBETA群、2分裂。 約1万8000(A-1群)武漢市から北東に移動。 約1万2000(A-2群)長沙市から福州方面へ移動。 
鉄原ハイヴ周辺の飽和BETA群、約2万3000を確認。
9月25日 中部軍集団より第14、第18、第29師団、後方へ移動。 戦力再編制を命じられる。





1998年9月26日 1330 和歌山沖 戦術機母艦『大隅』


黒潮の流れが荒い。 艦の舷側で海を見てそう思った、まるで今のこの国の様子の様だと。 そんな事を考えながら、煙草を吸える場所―――煙草盆、喫煙所を目指して歩いていた。
何となく艦内に居たく無かった。 中隊の連中は一足先に他の母艦に詰め込まれ、一路北日本を目指していた。 俺達指揮官は事後処理で出発が次の便になったのだが・・・
士官室の空気が暗い。 源さんや三瀬さん、間宮もだんまりだし、佐野君や葛城君も口数が少ない。 いつもの賑やか面子の和泉さんと愛姫、美園に仁科まで。
緋色はずっと塞ぎがちだ、圭介もむっつりして言葉少ない。 俺自身、自分のバイオリズムの低下を意識しているから、余計に気が滅入る。

そんな事を考えながら喫煙場所に辿り着いたら、先客が居た。 木伏さんだった。

「・・・なんや、周防。 お前もあの空気にウンザリした口かいな?」

見かけは変わらず飄々と。 しかし内心の奥底が示す影は消しようが無い。 黙って隣に座り(備え付けのデッキチェアだ)、煙草に火を付ける。
一息吸って、盛大に紫煙を吐き出す―――不味い、こんなに不味い煙草、久しぶりだ。 銘柄は変えていない、軍至急のヤツだ。 と言う事は、俺の内心が不味いと言っている。

暫く2人黙って海面を見ながら、煙草を吹かしていた。 と、唐突に木伏さんが話を振って来た。

「おい、周防。 お前、綾森とは結婚せぇへんのか?」

「・・・唐突に、何を。 しますよ、結婚。 彼女の傷が癒えたら、迎えに行きますから、絶対に」

「そりゃ、ええ事やな。 思い立ったが吉日、ってやつや。 どうせこの艦は仙台に行きよる。 綾森も今月、あっちに転院したんやろう? リハビリやったか?」

祥子は片腕、片脚の疑似生体移植手術を受け、その後はリハビリの為に仙台の軍病院分院に転院していた。
今頃は辛いリハビリを頑張っている事か。 疑似生体手術を受けた衛士の、復帰率は10%を切る。 大抵は神経接続の状態が、衛士復帰の条件に達しないからだ。
内心で、その方が良いとも思う自分が居る。 身勝手と言えば言え、俺は彼女にこれ以上戦場で生死を彷徨う目に、会って欲しくない。

「ですね。 衛士復帰は、可能性は低そうですが・・・ CP将校か何か、別の兵科に転科でもしてくれれば・・・」

「・・・それがええわ。 惚れた女が生きるの死ぬの、めっちゃ堪えるで、あれは・・・」

木伏さんは視線を海に向けたまま、手に何かを握り締めて弄んでいる―――指輪だった。

「まったくなぁ・・・ 殺しても死にそうにない様な女やって、そう思うとったけどな。 どうもワシの目は、とことん節穴やったらしいわ」

・・・水嶋さんの事か。 やっぱり、言うつもりだったんだな。

「あいつが死ぬとは、思うてへんかった。 お前ら後任連中にとっては、結構怖い肝っ玉姐御やったやろうけどな。 あれでいてな、中身は情の深い、ええ女やったんや・・・」

新任当時から、散々お世話になった。 情が深い、そうだ、あの人は本当に情の深い女性だった。 そして俺達後任の事を、いつも気にかけてくれていた。
木伏さんと水嶋さん、同期同士の2人。 出来れば・・・ 本当に出来る事なら、一緒になって欲しかった。 一緒に幸せになって欲しかった。

海風が冷たくなってきた。 まだ陸地は残暑が厳しいけれど、海上は秋の風が吹いている。

「この指輪なぁ、実は水嶋がくれたんや」

「・・・はい?」

「普通、逆やで? ホンマに・・・ ワシがな、『今度、結婚せえへんか?』って言うたらな、2日後にアイツ、この指輪買うてきよったんや。 『私を世間の尺で計らないでよね!』ってな」

「・・・本当に、世間の尺にはまらない人ですね・・・」

少し唖然とする。 でも、それを受け取る木伏さんも、木伏さんだと思う。

「結局、形見になってもうたわ。 正直、ワシには似合わんけどな、それでも最後までコイツと一緒や。
あいつが命かけて守ったこの国や、ワシがここで降参する訳には、イカンわな。 なあ、そうやろ?」

そう言う木伏さんの顔が、寂しそうで、切なさそうで、それでいて少しだけ誇らしげに見えた。





10月5日 米国、日米安保破棄。 在日米軍、総撤退開始。
     重慶A-1群、山東半島より黄海渡海。 鉄原ハイヴへ到達。 鉄原ハイヴ周辺飽和BETA群、約4万1000。
10月22日 鉄原ハイヴ周辺飽和BETA群、約3万8000が半島東岸に到達。 渡海開始(重慶・鉄源B群)
10月26日 重慶・鉄源B群のBETA群、佐渡島に上陸。 佐渡島ハイヴ周辺飽和BETA群、約4万を確認。






1998年11月2日 1355 インドネシア・ジャワ島 バンデン州・コタブミ


かつてはバンデン州の州都・スラン郊外の小さな町が、今や東南アジア経済圏でも有数の貿易港となっている。
ジャワ島の最西端、スンダ海峡を挟んで対岸はスマトラ島だ。 工業地帯を抜けた西の端、外港であるコタブミ港の埠頭近く、新市街の外れのビル群。
東アジア系と見える2人の男が、一室でひそひそと密談をしていた。 片方の男は40代半ば頃、暑い最中にも麻の背広を着込んでいる。

「では、ミスター・モアイ。 マージンはこの通りで。 大丈夫だ、支払代金はキチンと『綺麗にされた』資金が使われる。 オタクの『会社』に迷惑はかからんよ」

見かけに反して見事な発音のクイーンズ・イングリッシュで話す『商談相手』の素性は、調査通りなのだろうな、麻の背広姿の男はそう思った。
それにしても、ボラレたものだ。 合衆国からカリブ海の某国―――タックス・ヘブンの国―――の『お友達の会社』を経由して、このジャワ島へ。
ジャワ島で『ラベル』を張り替え、『大東亜連合製』に変身してから、船団に積み込まれて帝国へと『輸出』される訳だから、マージンの2重取りだ。
まったく、これだから国粋主義者と言う連中は! 付き合いのある2、3の陸海軍軍人の中には、『撃ち込んでしまえば、メイド・イン・USAだろうが何だろうが、関係無い』と言う人物も居ると言うのに。

「商売繁盛だねぇ、ミスター・バックジーシン。 シンガポールの『本社』も業績益々盛んで、羨ましい限りだよ」

「・・・この世の中、クソッたれな事ばかりだ、ミスター・モアイ。 しかし俺はね、あのクソッたれなBETA共は唯一、正論を示している、そう考えるのさ」

「ほう? それは、何かな?」

「くっくっく・・・ この世の中『力は絶対的な正義、暴力はその正当な手段』だとね! どうだい?」

「おやおや、君の故郷はその『絶対的な正義』の、腹の中に収まった筈だけどねぇ?」

「そうさ、だから俺は学習したのさ。 そしてここで―――現代の『ソドムとゴモラ』で、その実践と復習をしている訳だ。 どうだね? 勤勉じゃないか!」

ミスター・バックジーシン―――白紙扇。 三合会(サンヘィフィ)、既に陥落した香港を根城とした、かつての黒社会組織、その幹部職の名の一つ。
目前の男も、表向きは堅気の公司(会社)の総経理(社長)の肩書を持つが、実際はシンガポールに拠点を移した14K傘下の坐館(2次団体)のボスだ。
表向きは輸出入商事業の他、不動産業、証券業、運輸業を営むが、裏では娯楽業に関わる様々な合法・非合法の『シノギ』を持つ。

大陸から中国が叩きだされる数年前、三合会はこぞって香港を捨てた。 以後、本拠を華人国家であるシンガポールに移し、東南アジア全域に進出して行った。
今では南シナ海、ジャワ海、バンダ海、アラフラ海―――大東亜連合と豪州を含む地域の流通に、かなり食い込み、その影響力を強めていた。
その地域はやがて、大陸諸国の陥落と共に重要性を増し、今やアジア全域の中でも1、2を争う大商業地域と化した。
そしてここ、南国の新たなビジネスセンターにして、悪徳と背徳の栄える都、コタブミも例外では無かった。

「まあねぇ、私としては香港映画が存続する事は嬉しい限りでねぇ。 ああ、君、知っているかなぁ? 呉宇森(ウー・ユィセン)監督のあの映画!
サム・ペキンパーやセルジオ・レオーネへのリスペクト溢れるあの作風! いやぁ、漢とは、ああ有るべきだよねぇ・・・ ん? そう言えば、君の愛用も同じベレッタだったかな?」

「・・・その話は止めてくれないか、ミスター・モアイ」

心底うんざりした表情の相手を、内心楽しげに見つつ、恐らくは日本の関係者で有ろう麻の背広姿の男は、商談の最後のまとめに入った。

「では、保険はこのパーセンテージで。 ああ、心配していませんよ、この辺りの海の『商売人』は皆、あなた方の『お仲間』ですしねぇ」

「・・・仲間なもんか。 ま、いいさ。 連中だって俺達に盾着いたらどうなるか、重々弁えている。 ああ、そうだ。 最後にひとつ、『一口噛ませろ』―――赤い会社の、怖い姐さんからの伝言さ」

「―――『そちらについては、おたくのヴォールと話が付いている』、返答はこれで」

やれやれ、そんな表情で苦笑する相手を横目で見つつ、さてどうしようか、あの連中にはカンパニーもヴァチカン(既にイタリアから南米に脱出しているが、通称で呼ばれる)も影響力が無い。
そう言えば、確か日本国内に正教会の組織は有ったな。 そこから接触して見るか―――お土産は、イコンが良いだろうか? あれはあれで、なかなかに趣があって・・・





11月10日 長野のBETA群、突如活発化(佐渡島より新たなBETA群、約3万到達)  BETA群約5万4000の内、3万4000が長野県南部から静岡県内に侵入開始。 磐田=袋井間で太平洋に到達。
東海軍管区(軍集団。 第31、第41、第52師団、第37師団第372旅団戦闘団)『天竜川絶対防衛線』策定。
佐渡島よりBETA群約8000、新潟に上陸、一斉に南下開始。 北関東へ殺到する。
11月11日 重慶A-2群のBETA群、約1万2000、台湾対岸の福建省福州市近郊に到達。  統一中戦線軍、福州防衛戦開始。
11月12日 長野県内残余のBETA群約2万、甲府盆地に侵入開始。 第2軍団、司令部を大月に移動。
11月15日 国連、オルタネイティヴ4計画本拠地を第2帝都・仙台に移設。
11月16日 静岡のBETA群、東進開始。 山梨のBETA群、南下開始。 

甲信・東海の死者数、約480万人。 累計死者数約3330万人。

11月17日 北関東のBETA群、利根川防衛線前で停滞。 
11月18日 BETA群約3万1000が静岡県富士川に到達。 一斉に東進開始。 夕刻、沼津に到達。 一部が伊豆半島を南下開始。
11月19日 早朝、BETA群約3万、小田原到達。 南関東防衛第4軍団、八王子から相模原、平塚に展開。 
第1軍団(禁衛、第1、第3師団)、町田=横浜間に展開完了。
11月20日 北部軍管区より兵力移動完了。 南樺太の第47師団、茨城県鹿島港に到着。 『利根川絶対防衛線』支援の『鬼怒川防衛線』に展開。
11月21日 甲府盆地のBETA群約2万、甲府・大月から相模原へ侵入開始。 第4軍団、横浜防衛線まで後退。
      南関東のBETA群、約5万1000。 北関東のBETA群、約1万6000。
      北海道の第7師団、鹿島港に到着。 第1軍団増援として展開。





1998年11月23日 1610 東京湾 横浜港沖 第1艦隊打撃巡洋艦(重巡)『青葉』


『主砲、第19斉射!』

『幻の艦砲』、米海軍で不採用となったMk-71 8インチ砲の流れを組む55口径203mm連装砲、前部2基4門から高初速203mm砲弾が速射される。
砲弾は瞬く間に磯子の海岸線付近に着弾し、炸裂する。 同時に全VSLから誘導弾が発射された。 これも感覚的に瞬時に地表で炸裂していた。

『BETA群、湾岸線新森町高架付近! 距離、2海里!』

『磯子のゴルフ場に重光線級、3体確認! 照射しています!』

『高射砲、撃て! 撃て!』

両舷に設けられた、より速射能力の高い76mm単装両用砲が2基、毎分100発と言う高い発射速度で76mm砲弾を吐き出す。
僚艦『加古』、他に打撃軽巡洋艦『神通』、打撃駆逐艦『雪風』、『舞風』、この5隻が横浜港沖に残った最後の『連合艦隊』だった。

『重光線級、3体撃破!』

『磯子のBETA群、照準完了―――撃てぇ!』

再び各艦の火力が火を吹く。 陸軍部隊の防衛網をすり抜けたBETA群が、中小口径砲とは言え、陸軍の重砲に匹敵する火力で吹き飛ばされてゆく。
連合艦隊主力―――第1艦隊は浦賀水道を脱し、既に太平洋に出ている頃だ。 もしかすると三浦半島を、外洋から砲撃しているかもしれない。
少なくとも、この身動きが取れない東京湾に籠って全滅するより遥かにマシ―――海軍首脳部はそう考えた。
既に第1艦隊の母港である横須賀さえ、陥落した。 連合艦隊は数年前から建設の始まった新しい母港―――仙台市北東部の松島湾全域を、新たな一大軍港地帯として―――に帰還する。

大陸の戦況が芳しく無くなった頃、海軍部内では有力な軍港が横須賀を除き、西日本に集中している事を憂慮した。
そして持ち得る限りの政治力を駆使し―――帝家まで働きかけ―――大蔵省主計局の高級官僚がショック死しそうなほどの予算を獲得し。
その予算で以って、宮城県の松島湾、青森県の大湊湾、北海道の石狩湾―――小樽港全域―――に新しい軍港、『鎮守府』を設立した。
一連の動きは産業界にも波及し、造船、鉄鋼、化学工業、電機・電子工業、機械工業各種の企業群が工場を移転、或いは新たに建設した。
これには陸軍の嫌味を無視し、国内政治勢力の圧力を押し切り、海軍が主導した『護衛船団』方式による産業移転・育成政策がモノを言った。
北九州、瀬戸内海・播磨、そして阪神工業地帯の半ばを失い、国内最大の工業地帯である東京湾一帯を失いつつある現在、この『新工業地帯』の重要性は増すばかりだ。
第1艦隊の東京湾脱出は、松島軍港地帯の防衛も含まれている。 佐渡島で奮戦した第3艦隊は、今は大湊に入港していた。

「何としても、時間を稼げ! せめてあと30分! 最後の脱出船が大桟橋埠頭を離岸するまで!」

そこから大黒埠頭の北、『新帝都高速(今月改名)大黒線』の架橋の下をくぐれば、そのまま京浜運河を通過して川崎港に出る事が出来る。
川崎まで出る事ができれば、そこから羽田基地の沖を通過して千葉港へ行ける。 横浜の民間人脱出は陸路と海路、二手で進められていた。
但し陸路は既に飽和状態だ。 海路もそろそろタイムリミットだ、BETA群が横浜市内中心部の直ぐそこまで押し寄せて来ていた。

「艦長! 本艦の損害、後部艦橋倒壊、後部主砲塔全損、後部VSL、使用不能! 弾火薬庫の誘爆は、緊急注水で防ぎました。
機関は第3、第4機械室が全滅、ですが機関指揮所は健在。 機関長の報告では、出し得る速力、12ノット」

「うん、ご苦労、主計長」

本職の応急指揮官―――運用長が戦死した為、各科科長の中で『戦闘中、最も暇な』主計長である周防直武海軍主計少佐が、臨時応急指揮官を演じていた。
艦長と並び、艦橋で横浜の街並みを見た。 懐かしい、昔住んでいた街だった。 中学生の頃から、海兵入学まで。 ああ、母校はどうなっただろう? あの、丘の上の学び舎は。
砲弾が撃ち込まれ、炸裂する。 誘導弾が空中で炸裂し、無数の子弾が花火の様に地表に降り注ぐ。 かつて友と共に笑い、遊び、時には喧嘩もした故郷が壊れてゆく。

『金沢文庫付近に、BETA群1万1000! 重光線級居ます、約100体! 北上してきます!』

―――駄目か、そろそろ潮時か。

「・・・『新氷川丸』の出港予定時刻は?」

「25分後!」

―――間に合わない、恐らくその時にはBETA群は横浜市内中心部に到達している。

「陸軍第1軍団は? どこに居る?」

「既に鶴見川防衛線に入りました!」

―――だとしたら、手はひとつしか残っていない。

「・・・本艦針路、0-2-5 横浜港に入る。 『加古』、『神通』、『雪風』、『舞風』に通達せよ」





25分後、5隻の『連合艦隊』は横浜港内に侵入した。 既にBETA群は本牧ふ頭周辺に群がり始めている。
大桟橋から『新氷川丸』他の3隻の客船・フェリーが離岸しつつあった。 相互の位置関係、BETAの侵攻速度、船の速度・・・ いかんな、いかん。

「・・・艦を山下公園に突っ込ませろ! のし上げる気で行け!」

「艦長!?」

「他の各艦にも伝えろ! 『加古』、『神通』は本艦に続行せよ! 『雪風』、『舞風』は脱出船の後方に占位、盾となれ!」

つまり、『青葉』、『加古』、『神通』の3隻は、何がどうあっても助からない。 まさしく特攻による脱出船団護衛。
『雪風』、『舞風』は最後の盾。 『青葉』以下の艦が沈んだ後は脱出船の盾となって、レーザー照射を一身に浴びて沈む事が任務。
艦長の言葉を、乗組員総員が理解した。 帝国軍人とは言え、彼等とて人間だ。 生きたいと願う欲求は動物としての本能レベルで自覚している。
愛しい家族、愛する人、帰りたい家、懐かしい故郷―――それを、今、断ち切った。 守る人達がいる、守るべき人たちが。 ならば誓約に従おう。

「機関全速! 砲門開け! VLS残弾、オールファイア!」

「後方、『加古』、『神通』、本艦に続行します! 2隻とも全砲門開いた!」

「4番艦『雪風』、5番艦『舞風』、変針します! 『雪風』より発光信号! ≪武運長久を祈る、サラバ≫、以上です!」

「・・・返信。 ≪ワレ、誓って達する。 サラバ≫、以上だ」

陸岸が迫ってくる。 右手見える大桟橋から客船がゆっくりと離岸して行く。 その後方に無理やり2隻の駆逐艦が割り込み、盾となって護衛する様が見えた。

「ッ! 重光線級、照射始めました!」

「全砲門、目標、重光線級―――撃て!」

「重光線級、レーザーを・・・!」


そこから一連の戦闘を、周防主計少佐は良く覚えていなかった。 艦は全ての攻撃力を重光線級に叩きつけ、僚艦もそれに倣った。
対して重光線級はその圧倒的な破壊力を、たった3隻に集中したのだ。 おぼろげに『神通』が10数本のレーザー照射を同時に喰らって、爆沈した事は覚えている。
その直後に大きな衝撃が有り、体を投げ飛ばされた。 暫く意識を失っていたのか、ようやく正気に戻った。

艦橋内を見回してみる―――酷い有様だ。 戦闘艦橋の天井が消失していた。 さっきまで、元気に主砲発砲を命じていたホチ(砲術長)の声がしない、彼はどうしたのだ?
数秒してからようやく気がついた。 主砲射撃指揮所は戦闘艦橋の上部に在る。 そして戦闘艦橋の天井からは、夕焼け空が見える。
よろよろと立ち上がった。 途端に滑りそうになった、誰かの血で―――いや、艦橋に居た数名の血で、艦橋の床が酷く滑る。
艦橋窓まで行こうとした、外を確認しようとしたのだ。 そして何かに躓いて転んだ―――艦長が血まみれで転がっていた。

「・・・艦長、艦長!」

周防所少佐の呼びかけに、苦しげに呻いて艦長が薄眼を開いた。 そして息苦しそうに、咳と共に声を絞り出した。

「・・・主計長、か。 い、今は・・・ 現時刻は・・・?」

奇跡的に動いていた艦橋時計を見る―――1655時、横浜港突入後、15分が経過していた。

「現時刻、1655です、艦長」

「そうか・・・ なら、脱出船は大黒埠頭を過ぎたな。 りょ、僚艦は・・・?」

そうか、そうだ。 もう十分時間は稼いだ。 しかし僚艦は? どうなった?
再びよろよろと立ち上がり、艦橋から外を見た。 『神通』は艦体を真っ二つに割って横転していた、轟沈だっただろう。
姉妹艦の『加古』は、『青葉』から200m程先で横転している。 艦腹に確認しただけで5か所の大孔が開いていた、レーザーの直撃だ、穴の周囲は溶解している。
そして見える範囲の海面には、脱出船の残骸も、『雪風』、『舞風』の残骸も無かった。 彼等は無事に脱出したのだ。

「・・・『加古』、『神通』、共に義務を果たしました、艦長。 我々もです」

「そ、そうか・・・ そう・・・ か・・・」

不意に艦長の目から光が消えた。 大きな傷が2か所あった、出血多量による失血死だった。
艦はひどく静かだった。 遠くで未だ戦場音楽が聞こえる、しかし『青葉』は静かだった。 奇跡的に機能が生き残った艦内電話を手に取る。

「・・・主計長、周防少佐だ。 我々は義務を果たせた、諸官の奮戦に感謝する・・・」

果たして聞いている者がいるだろうか? 怪しいものだ、しかし言わずにおれなかった。

「本艦は沈む。 そして諸官等はここで果てるだろう・・・ 義務を果たし、名誉を護り、愛する者達を救った軍人として―――そして、一個の帝国国民として」

家族は父母に預けた、今頃は仙台に疎開しているだろう。 ああ、愛する妻と子供達。 お前達にもう2度と会えない事が寂しい、哀しい―――しかし、俺は悔やんではいない。

「・・・いつの日か、必ず反攻の烽火が上がる事を、我々は確信する。 この世に義務を果たし、名誉を護り、愛する者達を救おうとする人類が居る限り」

父よ、親より先立つ不孝、御許し下さい。 周防家の跡取りは、我が息子が。 母よ、悲しんで下さるな。 貴女の慈愛は、私の妻子には未だ必要なのです。
姉上よ、泣いて下さるな。 貴女の弟は、妻子を護り、軍人としての義務を果たし、死んでゆくのですから。 残した妻子を、貴女の義妹と甥、姪の事、よしなに。

「であれば、何を思い残す事が有ろうか・・・ 我々はここで果てる。 人類の最後の勝利を確信して―――有難う、諸君。 さようなら、靖国で会おう」

直衛―――結局、俺の方が先に逝く事になったな。 前にお前に言われた事、現実になっちまった、済まんな。
親爺とお袋の事、頼む。 親爺ももう年だ、お袋も弱ってきている。 ああ、俺の妻子の事も。 お前しか、頼める奴が居ない。
知っているか? 右近充の叔父さん所の史郎も、藤崎の叔父さん所の省吾も、佐渡島で戦死したそうだ。 
一族で男は拓郎(右近充拓郎海軍少佐)と直秋、それに直純(周防直純、直秋の末弟)、それにお前だけになっちまった。
頼む、直衛。 頼むよ、俺はもう、何だか体が重くなってきた。 眠くなってきたよ―――ああ、俺も大怪我をしていたのか、気付かなかったな・・・

「さようなら、諸君。 有難う、諸君。 後は・・・ 靖国で」

艦橋から山下公園が見える。 その視界の片隅に、重光線級が見えた。 途端に猛烈な光に包まれ―――周防直武海軍主計少佐の意識は、そこで途切れた。





11月23日 横浜市内にBETA群侵入。 第1軍団、第4軍団、第14軍団が神奈川県と東京都(新帝都)西部の町田市、八王子市等を放棄。 『多摩川絶対防衛線』策定。
11月24日 東北4県防衛の第6軍団(第54師団、第58師団)、阿賀野川、猪苗代湖、郡山市の福島防衛線まで南下。
11月25日 帝国政府、第2帝都・仙台に遷都。
11月26日 『多摩川絶対防衛線』、『利根川絶対防衛線』を正式に閣議決定。 戦線膠着状態。 軍部は以後、24時間体制の間引き攻撃を決定。

関東の死者数、約1060万人。 累計死者数約4390万人。









1988年12月2日 1700 日本帝国第二帝都 仙台。 


冬晴れの夕暮れ空、はや雪がちらつき始めた季節にしては少し暖かい―――などと、ここが故郷の愛姫は言うが、どこが暖かいと言うのだ。
仙台市―――今や遷都に次ぐ遷都で、帝国の首都となった北の『杜の都』 その市を構成する5区の内の一つ、太白区。
長町副都心に近い場所に、そこは有った―――帝国陸軍第1中央病院。 元は東北帝国大学医学部付属病院長町分院。 今は軍が接収して陸軍病院として使っている。
俺が今日ここを訪れた訳は、丁度非番だったからと言う事と、彼女の退院が今日だったからだ。 彼女―――綾森祥子陸軍大尉、俺の恋人は負傷が癒えて、今日退院する。
約4か月前の7月24日のあの日、祥子は阪神間の防衛戦で負傷した。 片手と片脚を失い、両眼にも怪我を負ったのだ。
最悪、失明も覚悟した。 幸いにも疑似生体視神経移植は良好で、視力に問題は生じなかったと聞いた時は、思わず安堵したものだ。

軍服の乱れを直し、病院の門をくぐる。 受付で病室を聞き、通りかかった看護下士官の案内で3階まで階段を上っていった。
病室は端の個室。 大尉クラスにしては贅沢だと思った―――本当は2人部屋だったらしい、相方は退院したとか。
病室前で看護下士官に礼を言い、扉をノックする。 『はい、どうぞ』―――長く聞きたかった懐かしい声が、ようやく聞けた。
静かにドアを開いて病室に入る。 彼女が―――祥子が立っていた。 既に軍服に着替え、身の回りの物も行李に入れて。
長かった、綺麗で真っすぐな髪は、肩口辺りで切り揃えられていた。 少し痩せたか?―――笑顔は変わっていない。

「・・・直衛」

「・・・久しぶりだ、元気そうでよかった、祥子」

ああ、こんな時なんて言えばいいのだろう? まったく、俺と言う人間はその辺、全く気が回らない奴だ。
結局何も言えず、気がつけば彼女を抱きしめていた。 お互い暫くそのままに、お互いの体温を確認する様に。

「ん・・・ こほんっ!」

不意に第3者の声がした。 見るとまだ幼い―――とは言え、中学生くらいの―――少女が祥子の荷物を持っていた。
ああ、覚えがある、祥子の実家に挨拶に行った時に会った。 祥子によく似た少女、多分中学の頃の祥子は、こんな少女だったのだろう。

「・・・済まないね、笙子ちゃん。 気がつかなかった訳じゃないんだ」

「いいえ、私の事はお気になさらず! 大尉とお姉ちゃんは、4か月ぶりなのでしょうから!」

何か、気に障る事をしたかな、俺? 目の前の少女―――祥子の妹の綾森笙子嬢は、明らかにご機嫌が悪い。 祥子を見ると、苦笑している。 原因は判っている様だが、はて・・・?
兎に角、いつまでも病室に居る訳にもいかないので、退院手続きをする為に1階に下りる事にした―――手続きと言っても、軍病院だ、簡単なものだ。
病院の駐車場に停めてあった車(こっちに来て購入した、中古車だが)を俺が運転する。 後部座席に祥子と笙子ちゃん。 向かうは祥子の実家の疎開先。
愛姫の伝手で祥子の実家は、そこそこの広さの1軒屋を借りていた。 それに祥子の父親は逓信省の上級官僚だし、政府は仙台に遷都している。
今は両親と末の妹の笙子ちゃんの、3人暮らしだそうだ。 祥子の直ぐ下の弟、喬(たかし)君は海軍兵学校の生徒(1号生徒・最上級生)で、今は松島に移転した兵学校に居る。
上の妹の蓉子ちゃんは17歳、陸軍の看護専科学校の2年生だ。 卒業は来年の春か―――その頃、この国はどうなって・・・ 馬鹿な、俺がそれを言うな。

郊外に入ると、緑が豊かな光景が飛び込んできた。 愛姫が言っていたな、いい街だよって。 『杜の都』か、確かにな。
やがて目的地に着く。 少し離れた駐車場に車を放り込み、俺が荷物を持って2人の後を歩いてゆく。
家には祥子の御母堂がお一人だった。 父親はやはり官庁務め、今は勤務時間中だな、当り前か。

「まあ、周防大尉、わざわざ申し訳ありません・・・」

祥子の母親は、彼女によく似ていた。 長女と三女が母親似、長男と次女は父親似なのが、ここの家系だ。
しかし余り恐縮されても、こちらもどう対応して良いか困る。 と、内心で苦笑していたら祥子が助け船を出してくれた。

「お母さん、何時までも玄関先で・・・ ただいま、お母さん」

「・・・おかえり、祥子。 さあ、早く家に入りなさい。 周防大尉も、どうぞ」

・・・こんな時は、素直に好意に甘えればいいんだよな? で、祥子の家にお呼ばれして小1時間程、談笑していた。
祥子は傍目に嬉しそうだ。 当然だろう、地獄の戦場で負傷しながらも生き抜いて、今こうして最愛の家族が居る家に帰って来たのだから。
祥子の母親も、妹の笙子ちゃんも、嬉しそうに祥子を見て話している。 愛する娘、大好きなお姉ちゃんが帰って来た。 銃後の家族にとって、これほど嬉しい事は無い。
だけどそろそろ時間か、今日は他にも用事が入っている。 名残惜しいが、ここで辞する事にした―――祥子はほら、ここにちゃんと居るのだから。

「・・・申し訳ないですが、私はそろそろお暇させて頂きます」

「あら、そんな。 お夕食をご一緒にと、思っておりましたのに・・・」

祥子の母親が、残念そうに言う。 何度かお会いして判ったが、祥子の性格もまた、母親譲りだ。 なので、本当に俺を夕食に招待する積りだったのだろう。
しかし残念だが、どうしても外せない用事があった。 心苦しかったが、敢えてこの場を辞する事にした―――後日の招待に応じる約束をして。
玄関で挨拶をし、外に出て車に向かうその時、小走りの足音が聞こえた。 祥子か? と思ったら、笙子ちゃんだった。

「待って、大尉―――直衛お兄さん!」

笙子ちゃんは俺を「お兄さん」と呼んでくれる。 姉の恋人―――近いうちの義兄だと、そう思ってくれていた。
振り返ると、白い息を吐きながら笙子ちゃんが走り寄ってくる。 表情が険しい、さては病院の続きか?

「・・・何だい? 笙子ちゃん、俺に言いたい事が有るのだろう?」

勢いよく走り寄って来たものの、どうもその先を考えていなかった様だ。 言うべきか、言うまいか、そんな感じで迷っている。

「何だい? 言ってごらん?」

「・・・約束・・・」

「ん?」

「約束、今度は守って。 直衛お兄さん、1回破ったわ、私との約束! お姉ちゃん、あんな大怪我したわ! 約束したのに、あの時! お姉ちゃんを守ってねって!」

・・・確かに、そうだ。 あれはこの春だったか、祥子の実家に初めて伺った時の頃か。  初めて会った時から、妙にこの子に懐かれた。 その時だ。
確かに約束したな、笙子ちゃんと―――『直衛お兄さん、お姉ちゃんの旦那様になるの? だったら約束! お姉ちゃんの事、守ってね! 約束よ!』

(・・・ああ、そうだな、俺は約束を破ったな)

あの時、神戸の西の戦場で俺は、自分の中隊の指揮で手が一杯だった。 そして祥子も自分の指揮中隊を、何とかして生き残らせようとしていた。
お互い、指揮官として全力で戦っていた。 生き延びるか死ぬか、無傷か負傷するか、それは天秤がほんの少し傾くだけの差だ。 俺達はそれを知っている。
しかし俺の目前で微かに涙さえ浮かべて、抗議の表情を示すこの少女に、それを言っても仕方の無い事か。

「ゴメンな、約束、守れなかった。 次は、今度は・・・ 今度こそ、守る、必ず」

「・・・本当に!?」

「本当に。 約束は守る」

―――そう、命に代えても守りたいモノは、確かに存在するのだ。

「笙子! 何を困らせる様な事を、言っているの!?」

「お、お姉ちゃん!?」

祥子だった。 俺に見せるのと同じように、ちょっと眉を顰め、腰に手を当てて妹を睨んでいる―――そんな表情も、可愛いのだが。
俺にとっては微笑ましい?表情も、妹にとっては怖い姉の顔なのだろう。 思わず首を竦めて目を瞑る笙子ちゃんの仕草が、何となしに可愛らしい。

「勝手にそんな約束して! お姉ちゃん、怒るわよ!?」

「だ、だって!」

「だって、じゃありません! もう、本当にこの子は・・・! ごめんなさい、直衛」

「・・・いや、いいさ。 俺がした約束だし」

怒る祥子と、意気消沈する笙子ちゃんと見比べて苦笑する。 何だかんだ言って、姉思いの良い子だ。
項垂れる笙子ちゃんの頭に手を置いて、改めて約束する事にした。 そう、笙子ちゃんとの約束で、俺自身の誓約だ。

「約束するよ、笙子ちゃん。 君のお姉さんは、俺が守る。 何が有っても、必ず守る。 今度は約束を破らないから」

「・・・本当? 絶対に?」

「本当に。 絶対に、だ」

絶対に―――世の中に『絶対』など、存在するものか。 ましてやBETAとの戦場では尚の事。 しかし、これは俺の誓約だ。 誓って言う、俺はそう誓約する。
俺の顔を暫く見ていた笙子ちゃんだったが、何か思う所でも有ったか。 不意に納得した表情で頷くと、勢いよく今度は家に戻って行った。

その場には俺と祥子の2人だけ、周りはもう暗くなっている。

「・・・そろそろ、家に戻った方がいい、祥子。 病み上がりなのだし」

無言で祥子が俺の軍服のネクタイを握りしめる。 頭を俺の胸に押し付け、少し震えていた―――抱き締めた。

「・・・戦場で、いや、この世の中で『絶対』なんか無い、判っている。 でも、俺は誓約した、昔に、93年の夏に」

大陸派遣軍から、国連軍に飛ばされたあの夏の日。 俺は確かに誓約した、彼女の、祥子の『生きる理由になる』と。
俺にとってそれは、彼女を守ると言う事。 彼女が生き続ける限り、俺は生きる。 俺が生き続ける限り、彼女も生きる。 そう誓約したのだから。
暫く、お互い抱き合っていた、無言で。 俺にとっては、己の誓約を確かめる為に。 愛する人が腕に中に居る、この人の為に生きる、この人を守る。

「・・・私の誓約も、同じよ。 私の約束も、同じなのよ」

―――祥子が、小さな声で言った。






2030 仙台市郊外。


俺の親爺殿は、ここに家を移していた。 いやまあ、本当の事を言えば親爺殿の会社の社宅、その一つなのだが。
政府の疎開によって、企業もその本社機能を仙台に移転させつつある。 親爺殿は一応、会社の役員なので(未だに信じられない)、こっちに移っていたのだ。
俺はこの日、ようやく非番で休暇が取れた。 部隊は―――第18師団は京都防衛戦で受けた損害が激しく、後方で再編成の真っ最中なのだった。
18師団だけでは無い、14師団も、29師団も。 陸軍全体で10個師団が再編成中だった。 そう言えば、久賀の第9師団も青森で再編成中だったな、会う機会は有るだろうか?
BETAの本土侵攻前には55個師団を数えた、帝国軍本土防衛軍。 今や健在な師団は28個師団に過ぎず、他に7個師団が戦力3割減の状態で戦っている。
戦力50%減で再編成中が10個師団。 他は―――7個師団が、編成表から姿を消した。 実に12万人以上、他の戦死者を含めれば20万人近くが、この本土で散って行った。

実家の仏壇に遺影があった。 兄貴―――周防直武海軍主計中佐(戦死後1階級特進)の姿が、そこに在った。
手を合せる。 様々な思い出が蘇ってくる。 幼い頃の俺と、少年時代の兄貴。 新任少尉時代の兄貴、俺は中学生になる前だった。
結婚前の義姉を連れて家に帰って来た時の事、嬉しそうな、照れくさそうな顔の兄貴。 横で義姉さんは微笑んでいた。
子供が生まれて大喜びしていたあの頃、次第に父親の顔になって行った兄貴。 子煩悩な父親だった。
大連で偶然再会したあの時、確か祥子と一緒だった。 『九-六作戦』の時、救助された母艦の艦上から兄貴の乗艦を見ていた。 無事でよかったと思った。

後ろで義姉さんが押し黙って、嗚咽を漏らしている。 傍らで駆けつけた姉さんが、その肩を抱いていた。
今日、正式に国防省から兄貴の戦死通知が入った。 重巡『青葉』が横浜港で爆沈した事は、既に軍内の情報で知っていた。
しかしそれを、その事を実家の家族に知らせる勇気は、俺には無かった。 目を開き、義姉さんの方を向いてお悔やみを言う―――俺だって家族だ。
子供達はまだはっきり判らないようだ、自分のお父さんとはもう、会えないという事実を。 どう言うべきなのか。

結局何も言えず、奥の座敷に引っ込む事になった。 お袋はショックだったのだろう、少し体調を崩して寝込んでいる。
義姉さんは―――今は姉さんに任すか、俺では大した事が出来そうにない。 情けない、本当に。
奥の座敷に入ると、右近充の叔父貴と藤崎の叔父貴が居た。 従兄弟も何人か。 親爺がぼそりと呟いた。

「・・・こんなご時世だ、息子や娘を死なせた親は、山ほどおる。 静香や可南子(親爺の妹、俺の叔母達)の所の省吾も、史郎も、佐渡島で死んだ。
しかしな・・・ しかしな、子供が自分より早く逝くなどと、思いもせんかったわ・・・ 本当にな、本当に、思わなんだわ・・・」

―――親爺殿の背中は、こんなに小さかったのか? 子供の頃、とても大きく見えたあの背中が、今は酷く小さく見える。
親爺殿の傍に座り、手を肩に置いた―――小さく、すすり泣く親爺殿の声が響いた。





庭に出ると、後から藤崎の叔父貴が付いてきた。 普段は厳めしい顔が、今は消沈している。 
遣り手の外交情報監督官、外務省国際情報統括局・第1国際情報統括官室長―――彼も人の親だ。

右近充史郎海軍大尉(戦死後1階級特進)―――右近充の叔父貴の息子で、俺の3歳年下の従弟。 海軍の母艦戦術機乗りだった。 その最後は、直邦叔父貴から聞いた。
佐渡島で最後まで防衛線を維持しようと奮戦して、最後の最後に光線級のレーザー照射の直撃を管制ユニットに喰らったらしい。
従兄弟達の中では一番穏やかな性格で、争い事を嫌う優しい従弟だった。 まさか戦術機乗りになろうとは、思ってもみなかった。
その史郎の最後を知らせたもう一人の従弟―――藤崎省吾海軍大尉(戦死後1階級特進)もまた、佐渡島で戦死した。
省吾の最後もまた、直邦叔父貴から聞いた。 叔父貴は内心で酷く懺悔している、叔母は―――可南子叔母さんは心の底では、弟を一生許さないだろう。
自分の弟が、自分の息子を殺した―――戦場の実情は、説明出来ない。 伝えきれない。 俺は省吾の覚悟も、叔父貴の覚悟も感覚として判る。 だが、可南子叔母さんは・・・

「・・・儂は、直邦を恨まんよ。 息子がBETAに喰い殺されるなどと・・・ 軍人として、人としての矜持を持ったまま、逝ってくれた。 直邦に感謝しとる、感謝・・・ しとる、よ・・・」

駄目だ、この場で俺が言える事は無い。 家族が死んだと言うのに、身内が死んだと言うのに。 この人達の様に、純粋に悲しめない俺は冷血なのだろうか?
兄貴が死んだ、悲しい。 仲の良かった従弟達が死んだ、悲しい。 身内の悲嘆を想うと、悲しい。 くそっ! 俺は生きてやるぞ。

叔父貴と入れ違いに、今度は従姉妹達がやってきた。 右近充涼香陸軍衛生少尉、史郎の姉で、陸軍病院で看護師をしている。
藤崎都子、省吾の姉で内務省警保局特別高等公安局の巡査部長。 肩書は強面だが、もっぱら内勤だ。 2人とも俺とは同年の従姉妹達だった。

「史郎と省ちゃんの次は、直武兄さん・・・ お母さんもおばさん達も、参っているわ」

「省吾と史郎ちゃんが戦死したって聞いた時は、もう目の前が真っ暗になったな・・・ 今度は直邦兄さん。 
直衛、アンタは死んじゃ駄目よ? 直邦叔父さん所の直秋も、同じ隊なのでしょ・・・?」

昔よく一緒に遊んで、悪戯してよく泣かせた従姉妹達。 その度に、兄貴の拳骨を喰らったな。
表面は気丈そうにしているけれど、お互い可愛がっていた弟が戦死したのだ、平静な訳が無い。
だけど、ここで何を言える? 省吾と史郎は立派に戦った?―――確かにそうだ、だがそれが、彼女達の慰めになるとでも?

結局、俺が言えたのは最も陳腐な言葉に過ぎなかった。

「・・・俺は、くたばらないよ、涼香、都子。 くたばってたまるか、生き抜いて、やる事が有るんだ」

―――彼女と、共に。

涼香と都子、2人の従姉妹が俺に向ける笑顔が、悲しげに見えた。 その顔に、祥子の顔が重なって・・・ いや、違う、断じて違う―――畜生!





[20952] それぞれの冬 ~直衛と祥子~
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/04/18 21:49
1998年12月10日 2200 仙台第2帝都 国防省軍務局長室


「再編成はどんな塩梅だね? ようやく完了したと、報告を受けたが」

「ええ、ようやくです。 何せ帝国全土に配備された部隊を、これをあっち、これを向こうと・・・ 詳細はこちらの書類です。 上に纏めを添付しております」

受け取った書類の一番上の纏めの部分を見ながら、知らずに唸ってしまう。 無理もない、BETA侵攻前には55個師団を誇った本土防衛軍―――帝国陸軍なのだが。

「・・・補充や何やで、充足出来ているのは35個師団。 他に13個師団が再編成中、か。 結局7個師団が、編成表から姿を消したか」

「侵攻して来たBETAの規模、防衛戦力、その他諸々、全てを計算に入れますと大陸や欧州での、過去の消耗率とほぼ合致します。
問題はどこまで戦力を素早く再編できるか、です。 手間取れば大陸の二の舞になります、それに兵站の不安も・・・」

「大陸云々は、ここだけの話にしたまえ。 統一中華からも『国連軍』の枠内で増援戦力が来ておる、余計な感情を損ねる真似はしたくない。
兵站については・・・ 表向きはまあ、なんだ、アレな状況だがな。 値は少々張ったらしいが、少なくとも腹が減って戦が出来ぬ、と言う事態にはならんそうだ」

「・・・情報省に借りを作る事は、余り気に入りませんが。 致し方ありませんな、背に腹は代えられない、と言う事で」

「うん、まあそうだ。 ところで随分とはずんだものだな、関東軍管区に14個師団か・・・」

「最重要防衛管区ですので。 同様に北部軍管区には7個師団、前線張り付きはその内4個師団ですが」

「あそこは北海道や南樺太の危険性もある、全部隊を南下させられんよ。 ふむ、南関東に9個師団、北関東は5個師団か・・・」

帝国軍内の再編成がようやく整い、今や『帝都』を含む最重要防衛軍管区となった関東軍管区には、合計2個軍が編入された。 
中部軍集団(現・近畿軍管区)での戦訓から最低でも2個軍、10~15個師団は必要と判断された為だ。
新編第1軍には、『多摩川絶対防衛線』の南部戦線を守る第4軍団(第13、第44、第46師団)と、北部戦線の第14軍団(第7、第47、第49師団)、
予備として帝都守備の第1軍団(禁衛、第1、第3師団)の9個師団。
もう一方の第5軍は、北関東の防衛を担当する。 第2軍団(第12、第40、第50師団)は埼玉県北部で『利根川絶対防衛線』を死守。
もう一方の第8軍団(第28、第43師団)はその東側面、栃木県側を固めて、併せて仙台方面への突破を阻止する任を持っている。

関東軍管区と連携し、主に佐渡島ハイヴ―――甲21号目標からの飽和BETA群に対し、東北方面を防衛するのが北部軍管区の第7軍だった。 
直接関東軍管区と連携するのは、福島県の第16軍団(第19、第23師団)である。 会津盆地に第19師団、郡山盆地に第23師団が布陣した。 
その北方、山形県には第6軍団の第38師団が米沢盆地に、第54師団が庄内平野に展開していた。 ただ新潟の直ぐ隣の戦力が4個師団のみ、と言う状況は不安視されている。
第6軍団の残る第58師団は、緊急即応予備戦力として仙台郊外に展開している。 この師団は実質上の『首都防衛師団』でも有る為、そうそう動かせない。
残る第11軍団(第53、第55師団)は甲19号目標、ブラゴエスチェンスク・ハイヴからの脅威を排除出来ない為、北海道と南樺太に配備されたままだ。

「これでも、九州や近畿、東海から戦力を毟り取って増強したのだがな・・・ 向うの連中には、酷な事をした」

「ですが、現在甲20号目標―――鉄原ハイヴは小康状態に在ります。 直ぐにでも防衛戦力の増強を、と言う局面は当分無いと言うのが、参謀本部の検討結果ですが・・・」

言ってみたものの、自信は無い。 どう計算しようが、BETAの実情など探り得る手段は無いし、それを知り得る存在は人類には居ない。
要は運任せの部分は多分に在る、と言う事だ。 しかも、もし今度また鉄原ハイヴから大規模侵攻が発生すれば―――九州は完全放棄だ、戦力を近畿に集中しなければならない。
現在、九州軍管区(以前の西部軍集団)は第3軍の2個軍団(4個師団)しか戦力が無い。 第3軍団(第22、第26師団)と、第10軍団(第8、第42師団)だ。
関東や東北に兵力を引き抜き、歯の抜けた状態になった戦力は沖縄駐留の第8軍団(第22、第26、第28師団)を、一旦解体して充当させた。 
第22と第26師団を第3軍団に編入し、第28師団を北関東に移動させた(第43師団とで、新編第8軍団を再編成)

本来第8軍団は、台湾の統一中華戦線支援の為の部隊だったが、敢えてそれを本土防衛に引き抜いた。 
当然、台湾島からは要請(懇願に近い)が矢の様に入ったが、軒を貸して母屋を取られては意味が無い。
結局沖縄には、予備役招集兵が主体の2個警備大隊と、1個砲兵大隊、1個戦術機甲中隊に海軍の根拠地隊しか残らなかった。
県民の不安はいや増し、県庁や県知事から国防省・内務省・帝国政府へ陳情が殺到した。  が、どうしようもなかった。

近畿軍管区も同様の憂き目を見た。 京都防衛戦の最盛期には、国内最大の17個師団を数えた中部軍集団。
それが相次ぐ戦力の引き抜き、後方での再編成で師団数を激減させ、現在では第2軍の3個軍団合計で6個師団しかない。
しかもその内の第50師団(第12軍団)は四国全域の防衛任務を帯びており、純粋に近畿圏、琵琶湖運河以南の防衛戦力は5個師団に減少していた。 
第7軍団(第5、第27師団)、第9軍団(第31、第51師団)、第12軍団(第43師団)である。
軍上層部は今後、もし鉄原ハイヴから万単位以上のBETA侵攻が有れば、戦況次第で九州を即時放棄し、その4個師団を近畿軍管区へ吸収させる方針だ。 
場合によっては四国全域の放棄も有り得る、近畿に再び10個師団を集中配備させる。 これ以上BETAの東進を、座視しては堪えようが無いからだ。

同様に薄氷を踏む思いなのが、東海地方を防衛する東海軍管区だった。 京都防衛戦後、BETA群が北陸に雪崩れ込んだ時には、軍管区司令部は最悪の状況を想定した。 
が、幸い峻険な山脈が周囲を取り囲む地形が幸いし、BETAの侵入は殆ど無かった。 しかしだからと言って、安心は出来ない。
元々この軍管区は第6軍の2個軍団しか配備されていない。 第5軍団(第30師団:愛知、第52師団:岐阜)と、第15軍団(第37、第41師団:静岡)である。 
特に『天竜川絶対防衛線』は戦力が不足していた。 幸いにもBETA群が東進してくれたお陰で、防衛戦の崩壊は免れた。 しかし小競り合いは続いている。

京都に戦艦主砲弾型のS-11砲弾を叩き込み、千年の都を灰燼に帰してまで、ようやく万単位のBETA群をようやく葬った。
そう思いきや、結局はまた遠路、重慶ハイヴから遠征して来たBETA群と鉄原ハイヴの連中に、再上陸を許してしまった。
直近のハイヴから侵攻して来た個体群を殲滅しても、隣接ハイヴからの『増援』がやってくるこの現象に、帝国軍上層部は顔色を無くした。 
前例が無い訳では無かったが、数万単位でのこの様な現象は世界的に見ても、今回初めて確認されたのだから。


「・・・ま、なんだ、無いものを強請っても、出てきはせんか。 所で再編成の状況は・・・ これかね、この項目か?」

「はい、そうであります」

「ふむ・・・ 『ニコイチ』か、やったか・・・」

「他に方法は有りません」

最初の『やったか』は、『それをやってしまったか』であり、それに対し早期の追加兵力投入の為には、『それしか手段は無い』と言っている。
つまり、大損害を受けて再編成中の部隊全てを、満遍なく再編成していたのでは、一体何時になったら終了するか判らない、と言う事情が反映されている。
大体50%前後の損害を受けた部隊ばかりだ、その中で優先順位を付け、不足する頭数を他の再編成中部隊から根こそぎ引き抜く。 これで『充足』させる。

「頭数は何とか揃えましたが練度、連携など、最前線に出すには、あと6カ月は必要です」

「暇は無いな、3ヵ月だ」

「了解しました、では戦略予備の扱いで警戒部隊兼、練成部隊と言う事で」

「再編成が完了したのは・・・ 第2師団、第9師団、第14師団、第18師団、第21師団の5個師団か。 
第21は兎も角、他の4個師団は元々、帝国陸軍で精鋭の誉れ高い部隊だ、期待出来るか?」

「一部の上級、中堅指揮官を失っておりますが、基幹要員は概して健在です。 何とかするでしょう」

広島防衛で多大な損害を受けながら、最後まで戦線を支え殿軍をも務めた第2師団。 九州防衛戦の『主役』を演じ、勇猛果敢の名を轟かせた第9師団。
大陸派遣軍時代から、大陸・半島の戦場を歴戦し続けた要員を多く抱え、帝国陸軍中最も戦歴の長い、歴戦の第14師団と第18師団。

「ん、そうだな。 連中は精鋭であると同時に、負け戦のなかでも打たれ強い。 真の強さは負け戦の中に在る、連中はそれを証明した。
よし、では編入先だが、第12軍団(第2師団、第9師団、第21師団)、第13軍団(第14師団、第18師団)共に、北部軍管区に編入予定の第4軍(新編)だ。
第二帝都への移転が進む今となっては、事実上の帝都防衛部隊だ。 第4軍にはよくよく言っておいてくれ、再編なった貴重な戦略予備戦力だ。
早々無駄にすり潰すなと。 当分は前に出ず、支援に徹するのだ。 幾ら連中でも、まだ前線に出すには時期が早すぎる」

「はあ、『畳の上の水練』ですか」

「練成部隊、そう言ったのは君だぞ。 例のな、来年の大反攻作戦の事も有る、戦力は出来るだけ温存したい」

「判りました、第4軍へは小官から直接」










1998年12月22日 1730 宮城県柴田郡柴田町 国鉄東北本線、船岡駅前


「じゃあ、もう部隊は福島に移ったのね?」

代用コーヒーのカップを傾けながら、祥子が真っすぐこっちを向きながら言う。 今日は課業が休みだから、彼女も私服で外出していた。
喫茶店の中は案外空いていた、俺達の他には軍服姿が2、3人。 徽章からして多分、船岡(船岡駐屯地)の第2工兵団か、北部軍管区後方支援隊だろう。
かく言う俺も、今日は軍服姿―――濃緑色(サージ織)の冬季常装に外套。 今日は寒い、流石に東北の冬だ。

「ああ、全く急な話さ。 10日前、師団長から命令が下された。 俺達、第13軍団が福島に入って、郡山の23師団が若松(会津若松)に進出して第16軍団が揃う。
同時に仙台の58師団と、米沢の38師団が庄内に移って第6軍団が勢ぞろい。 米沢には第12軍団(第2師団、第9師団、第21師団)が入る。
これで第7軍の、北海道と南樺太の第11軍団を除いても、2個軍4個軍団で10個師団。 関東軍管区に次ぐ大兵力、って訳だ」

「・・・それにしては、浮かない顔よ?」

「判っている癖に、言うなよ。 事実上の練成部隊だ、半数近くが直ぐに戦場に出せる状態じゃ、無いんだから」

「苦労しているようね?」

まったく、人事みたいに。 隣でクスクス笑う祥子が、ちょっとだけ憎たらしく思えてきた。 
人が苦労しているのに、少しくらい労わってくれても良いじゃないか、ぶつぶつぶつ・・・
苦労している―――ああ、苦労しているよ。 別に『練成部隊』だからって、ウチの師団に新米が多い、って訳じゃ無い。 
いいや、寧ろ実戦を経験して生き残った連中が大半を占める、殆どそんな連中ばかりだ。
なにしろ旧第35師団―――新潟防衛戦を上越市から新潟市、そして阿賀野川防衛戦まで戦い抜いた部隊、その生き残りを編入したのだ。 
京都を戦い抜いた第18師団と合せ、今や最も歴戦の連中が勢揃い、そう言っても過言じゃ無い。 再編成中の師団から見れば、まさに垂涎の的だろう。

じゃあ、何をそんなに苦労しているか?―――俺も大陸派遣軍時代に経験したが、戦場疲労症、その軽度な段階ってやつだ。
凄惨な戦場、それも全く異質な現代のBETA大戦、その実戦体験は言後に絶する。 戦いを切りぬけた将兵の精神状態は、普通とは言い難い。
つまり、荒み切っている訳だ。 昔から言われるように『ゆっくりと、戦場から遠ざける』事が出来ればいいのだが、そんな余裕は無い。
後方に下げたものの、戦場での精神状態が抜けきらないままだから、そのギャップに精神が付いて行かないのだ。 で、ちょっとした事で荒れる。
士気の問題も有る、あの生死を分ける戦いを経験した直後は、良く言っても士気は弛緩状態になる。 何をやらせても上の空、そんな状態だ。

「流石に指揮官クラスは、少ないのでしょう? 14師団も18師団も、戦死傷者は出たけれど・・・ それでも半数以上は残ったのでしょう?」

小首を傾げながら、カップを指先でチン、と鳴らして祥子が言う。 改めて思ったが、最近めっきり女らしい仕草が増えた気がする―――元々、そう言う女性だったが。

「ん、ああ。 なんとか両師団とも、戦術機甲部隊はそれぞれ2個大隊を指揮する位はね。 でもな、残る1個大隊分がね・・・」

「35師団からの移籍組? ああ・・・ 彼らは事実上の初陣だったのですものね、仕方が無いと言えば、仕方が無いのかもしれないわね・・・」

第35師団にも歴戦の連中は、少数ながら居た。 しかしその連中は、歴戦故に撤退戦の殿軍を務め、部隊を守りながら多くが散っていったという。
今は生き残った極少数の歴戦の者と、何とか凄惨な初陣を切りぬけたその他、と言う者達が第14と第18師団に吸収されていた。

「まあ、愚痴を言っても始まらないしね。 何とかするさ。 それに後、30分位しか時間が無い、味気ない話ばかりじゃさ・・・」

「ホント、吃驚したわ。 いきなり下宿に電話してきて、『今から駅前に来い!』なんて言うんだもの」

祥子が呆れた様な、それでいて嬉しそうな顔で言う。 いや、俺だって急過ぎるかな、とは思ったんだ。 でも折角の機会だし・・・
週末、祥子の休日に合わせて約束を取り、こうして短い逢瀬を過ごしている。 祥子は『管制官短期専修課程』に入っていた、CP将校になる為だ。
結局、術後の神経接続状態が良くなかった様だ。 衛士復帰を目指す再訓練課程で、周りがエリミネートに次ぐエリミネートで脱落していく中、最後まで頑張ったのだが・・・
最後の応用実戦戦技過程チェックで、とうとうイエローラベルからレッドラベル(イエロー3枚でレッドに変わる)を張られてしまったらしい。 
で、エリミネーション・チェックボード(衛士操縦適正審査会)にかけられて、『衛士復帰不可』を言い渡されてしまった。 

その夜、祥子は俺の部屋に来て泣きじゃくっていた、悔し涙だ。

「仙台に出張していたからさ、船岡は丁度途中駅だし、1時間位は時間が取れるし」

「コホン、公務中ですわよ? 周防大尉?」

「・・・ダメでしょうか?」

「ふふ・・・ 今回は大目に見ましょう。 次はお互い予定を合わせられたら、良いわね」

祥子が入校している陸軍管制官学校は、BETA来襲の為に神奈川県横須賀市からここ、宮城県柴田郡の船岡駐屯地に移転していた。 仙台市のちょっと南だ。
国鉄東北本線の船岡駅が最寄り駅になる。 俺の部隊―――第18師団―――が駐留する福島第2駐屯地の最寄り駅、国鉄福島駅から50分程だ。
だから非番の日などは、祥子に会いに行ける。 実は今日は公務出張だったのだが、仙台から福島に帰る途中で下車して、祥子を呼び出した訳だ。

「まだ冬だけれど、春になると桜が綺麗だそうよ。 『一目千本桜(白石川堤防沿いの桜並木)』と、船岡城跡公園の桜が一緒になって、それは美しい桜の景観なのですって」

「・・・桜か、観に行きたいな」

「ええ、観に行きましょう」

―――春か。 春を迎えられれば、な・・・

窓の外は冬景色、日も落ちて暗くなってきた。 でもいずれ春は来る、そう―――戦争の季節が。

「・・・そろそろ行くよ、列車が来るし」

「ホームまで送るわ」


それから駅の構内で列車待ちをする事、5分程で福島行きの列車が入って来た。

「じゃあ、また連絡入れてね、『周防参謀』?」

呼ばれ慣れないその呼び名に、ちょっと苦笑する。 何せまだ2週間も経っていないのだ。
改札に向かい、ホームに入る直前。 思い切って祥子を振り返り、抱きしめてキスをして―――周りは吃驚していた―――耳元で囁いた。

「なあ、祥子。 籍だけでも、入れないか・・・?」










1998年12月26日 2315 福島県 福島第2駐屯地 第18師団司令部第3部


軍団司令部より達せられた年度統合演習。 演習の目的、主要演練事項、時期に参加範囲。 
それを反映させた師団の作戦別統合訓練。 作戦別統合訓練の名称、訓練の目的、訓練の大要。 
統合訓練成果報告要領。 全般報告、訓練の概要、成果及び改善・検討を要する事項に所見。 
報告は当該訓練の実施(事後研究会を含む)後、2か月以内に師団本部経由で軍団司令部へ報告。

もう中隊長職の事務量など、遥かに超えている。 これ程の事務仕事をこなしているのは、任官以来初ての経験だ。
今日も夜遅くまで、各種報告書の作成や運用・訓練計画の企画草案、各部隊の訓練状況の確認と整理。 やる事は幾らでも有る。
現在、夜の11時過ぎ。 師団自体はとうに消灯時間を過ぎたが、司令部第3部運用・訓練計画課の課員は、誰ひとり帰っていない。

「おい、周防君。 先日の181連隊の訓練報告書、これで良いのか? 良いのだったら承認印を押して回すぞ?」

「はい、181連隊長の確認は得ております。 それと第5次統合訓練報告書、明日中には廻しますので確認願います、課長、補佐も」

課長の邑木(むらき)昇中佐、課長補佐の柴野季孝(すえたか)少佐が頷く。 俺の机の向かいでは、同僚の篠原恭輔大尉がパソコンに向かって報告書を作っている。
打ち合わせスペースを占拠して、データを睨んでいるのはやはり同僚の二階堂衛大尉と、真木泉大尉だ。

『―――第18師団司令部第3部勤務を命ずる』

2週間前、いきなり渡された辞令。 内示連絡も何も無かった、その1枚の辞令書で俺は181連隊第22戦術機甲中隊長の任を解かれた。
新しい任務は、第18師団司令部参謀部第3部(作戦部)の運用・訓練計画課勤務。 言うなれば運用・訓練参謀と言う所か。
もっとも師団の参謀会議で発言できるのは、課長の邑木中佐と補佐の柴野少佐。 俺の様な大尉の担当主務は、部内会議位しか出る事は無い。

自分でも驚いた、まさか師団参謀に任ぜられるとは。 自分では全くの、前線の野戦将校だと任じていたし、周囲もそう思っていた。
しかしあれだ、仮にも幹部上級課程修了者だからか。 普通は連隊本部付幕僚から始めるのだろうが、そっちは1期か1期半下の大尉が充てられている。

「周防大尉、連隊の整備データが纏まりました。 こっちに置いておきます」

要務士の大森匡准尉が、分厚い書類の束を置いて行く。 元々は兵から叩き上げの整備の古参准士官で、今回ウチの課の要務士―――参謀の補助役になった、50代前半の古強者だ。

「ご苦労さん。 これで必要な分は揃ったから・・・ 今日はもう上がりなさいよ、大森さん」

「はあ、じゃ、これで失礼します」

所帯持ちの大森准尉は、駐屯地近くに家族と住んでいる。 他の要務士達―――巨勢(こせ)尚道准尉、宮原五郎准尉、河田俊介准尉もそれぞれ帰宅の途についた。
後に残ったのは、課長と課長補佐、それに4人の担当主務だけ。 ページをめくる音、キーボードを叩く音、筆を走らせる音、それに壁にかけた時計の音が妙に響く。

「・・・キリが無いな、今日はここまでにしようか」

課長の一声に、皆がホッと息をつく。 正直、まともに取り組めば徹夜をどれだけやればいいのか、さっぱり見当がつかない程だ。
書類を整理し、周りを片付けて部屋を出る。 管理棟を出ると、所帯持ちの邑木中佐に柴野少佐、それに篠原大尉は駐車場へ。
独り者の俺と二階堂大尉、真木大尉の3名は幹部用宿舎へと別れた。 途中で女性幹部用宿舎へと戻る真木大尉と別れる。
北国の冬の夜、除雪されているとは言え、刺す様な寒気に思わず襟元を立てながら歩く。 暫くして二階堂大尉がぼそっと呟いた。

「・・・周防さん、やっぱり77式か?」

「ああ・・・ 94式や92式は、関東が最優先だ。 精々、7軍に余りが回ってくる程度だな。 4軍は77式だ」

「機甲も、90式なんぞ1輌も無いしな、全部74式だ。 後方の予備隊じゃ、少数残っている61式を装備している所さえある」

2人並んで、溜息をつく。 判っていた事だが、実際の話となると厳しいものだ。 今現在、24時間体制の間引き攻撃が続く西関東防衛線。 
佐渡島から五月雨式に来襲するBETA群を相手取る、北関東と南東北。 この2箇所に最新型が優先配備される事は、道理なのだ。
しかし、折角充当できた師団が、戦術機は全て77式『撃震』、機甲連隊の戦車は74式戦車とあっては・・・

「89式さえ見かけない・・・ 聞いた話じゃ、仙台に移転した極東国連軍に94式が1個大隊分、追加配備されたらしいな。
年頭の1個連隊分の配備に続いて、これで140機を越す。 只飯食いの連中に、それだけの器材を供給する必要が、果たして有るのか?」

極東国連軍には、機甲科も90式を多数供与している。 それだけでは無い、自走砲、自走高射砲、戦闘ヘリ。 今現在、帝国軍が喉から手が出るほど欲しい、最新の装備をだ。
お陰で実戦部隊、特に九州や京都の防衛戦を戦い、大きな損害を受けて再編成中の部隊からは、不満の声が積もり始めている。
師団の兵站や計画参謀達は、日々部隊からの突き上げを喰らっている有様だ。 かく言う俺も、仕事上そう言う声を良く掛けられる。

「・・・上の上の、そのまた上の判断だろう。 師団参謀の、それも大尉如きが言っても変わらんよ。 
現に4軍の第3部長(兵站主任参謀・少将)が掛け合ったが、剣もホロロだったらしい。 憤慨していたそうだが」

「2師団、9師団、14師団に18師団、21師団も77式『撃震』に、戦車は74式だしな・・・ 一体、いつの時代だと言いたいよ」

結局は愚痴の言い合いになってしまった。 宿舎等に入った所で、二階堂大尉と別れる。 彼の部屋は西棟で、俺の部屋は東棟だ。
そのまま部屋に戻ろうとした所に、背後から声を掛けられた。 見ると将集(将校集会所)から、摂津が顔を出している。

「お? 今帰りですか? ご苦労さんです、どうです? 一杯?」

「お前さん、独り酒か?」

「みんな、寝ちまいまして」

そりゃ、この時間じゃな。 苦笑しつつ、将集に入る。 見るとウィスキーのボトルが半分ほど残っている、つまみは・・・ スルメか、侘しいな。
もっとも昨今の食糧事情じゃ、こんな物でも有るだけマシだ。 難民キャンプは幾つかの場所で、この冬の食糧配給が困難になりつつあると聞く。
外套を脱いで、上衣も脱いでネクタイを緩めて・・・ 摂津が注いでくれるウィスキーを少しずつ、味わうように飲んだ―――旨いな。

「どうだ、もうそろそろ中隊長も慣れてきたか?」

「目の前の人が、さんざん苦労しているのを見てきましたんでね。 ま、ボチボチ、ってトコですよ」

摂津大介大尉(98年12月1日進級)が、肩をすくめて言う。 俺が師団参謀への転属辞令を受け取ったその同じ日、摂津が俺の後任中隊長となった。
同時に師団は大幅な編制変えを行い、何人かは転属した。 とは言え、14師団と18師団、その生き残りを万遍なく偏りが出ない様にしただけだ。
同時に、新潟で奮戦して壊滅状態に陥った、第35師団の生き残りを吸収した。 これにこの10月に訓練校を卒業した新米を含め、14師団と18師団は頭数だけは揃えた。

第14師団第141戦術機甲連隊長に、以前は第9軍団参謀をしていた藤田伊予造大佐が着任。 第18師団第181連隊は曽我部大佐が転任し、後任に名倉幸助大佐が着任した。
大隊長も幾らか入れ替えが有った。 14師団は第1大隊長を岩橋譲二中佐(98年12月1日進級)、第2大隊長・森宮左近少佐、第3大隊長・加納貞次郎少佐(35師団より編入)
18師団は第1大隊長・宇賀神勇吾中佐(98年12月1日進級)、第2大隊長は負傷の癒えた荒蒔芳次少佐、第3大隊長・木伏一平少佐(98年12月1日進級)

「まあ、新大隊長は良く知っている木伏少佐ですから、特にやり難いとかないです。 2中隊長の有馬さんも、俺が新米少尉の頃は一緒だったし」

中隊長の入れ替え、進級に伴う昇格も有った。 摂津もそうだし、第1大隊第3中隊長の羽田大尉も昇格組だ。 この2人は同期生同士だった。
バランスを取る為に、結構入れ替えが有った。 第1大隊は先任中隊長が緋色(18期A)、他は佐野君(18期B)と先述の羽田大尉(20期A)
第2大隊は和泉さん(17期A)と美園(19期A)、それに以前の部下で、新潟を生き残った最上(19期B)が戻って来た。
第3大隊は先任が俺とは同期の恵那瑞穂大尉(18期A)、彼女は新潟が初陣だった。 同期でも大陸派遣軍以外は、今回が初陣と言う奴は多かった。
他には訓練校教官から転出して来た、有馬奈緒大尉(18期B) 93年当時、同じ大隊の半期後任の少尉として一緒だった。 そして摂津大介大尉(20期A)

「強いて言えば、先任の恵那さんでしょうかね。 彼女、新潟が初陣だったらしいっすね。 まだちょっと、神経質になっていると言うか・・・」

出来れば先任中隊長には、早く立ち直って欲しいモンです。 でもまあ、気楽な下っ端で初陣を経験するのと、責任ある中隊長で経験するのとではね・・・
摂津も気にしている様だが、こればかりは本人次第だ。 確かに言う通り、俺達の様に下っ端の新米少尉時代に初陣するのと、大尉の中隊長になってからとでは、色々と違う。

「14師団は・・・ 仁科さんや天羽さんから聞いた話じゃ、やっぱり第3大隊の練成が一番遅れているようですね。
あそこは旧35師団が固まっている。 ウチ見たくバラけてないし、最上さんは元々同じ中隊だし、同期の羽田も大陸での実戦経験が有りましたしね」

14師団では第1大隊に三瀬大尉(17期A)、葛城大尉(18期B)、仁科大尉(19期A)が入った。 祥子の同期で有る17期Aは、今や最古参の大尉の期のひとつだ。
第2大隊は源大尉(17期A)が先任となり、間宮大尉(18期B)、天羽大尉(19期A)が居る。 天羽も新任当時は同じ大隊に居た、美園達の同期生だ。
第3大隊は全員が35師団からの転任組。 本間右近大尉(17期B)、向井忠彦大尉(18期B)、原田泰恵大尉(19期B)

「まあ、じきに戻るさ。 でも時間は余りないからな、訓練は徹底的にやる。 進級したてで大変だろうが、宜しく頼むよ」

「了解っす」

訓練校出身将校では、木伏さんの同期生―――2期上の16期A卒―――が、最若年の少佐に進級した。
最古参大尉はその半期下の16期B、次が祥子達の期である17期A。 それから17期B、そして俺の期である18期Aと続く。
大尉は16期Bから、摂津の期である20期Aまで。 いつの間にか、下に4期も大尉が居る事になっていた。 逆に上は3期しか大尉が居ない。
中尉は20期B(四宮中尉の期だ)から、22期Bまで。 摂津の中隊では先任小隊長が瀬間中尉、第2小隊長は蒲生中尉(98年10月1日進級)で中隊副官は松任谷中尉(98年10月1日進級)
以前に俺の副官をして、その後は第3小隊長をしていた四宮杏子中尉は、181連隊の第31中隊に転属した。 同期の恵那大尉の中隊だ。
他に森上允中尉(98年10月1日進級)が美薗の中隊に、そして従弟の直秋(周防直秋中尉、98年10月1日進級)は、緋色の中隊で突撃前衛長―――第2小隊長をしている。


「・・・何かなぁ、急に年を食った気分だよ。 欧州から帝国に戻って来て、中隊を任された当時に新米少尉だった連中が、もう中尉だしな。 摂津、お前さんも大尉になったし」

「はあ・・・ そう言や、俺の中で『大尉』って言えば、木伏少佐のイメージなんスよ。 俺が新任少尉当時の、中隊長でしたからね」

「ああ、そう言えばそうか。 俺の場合は・・・ 広江中佐だな。 訓練校を卒業してすぐに大陸に派遣されて、1月ほどで最初の部隊が壊滅してな。
その次に配属になった中隊で、当時は大尉だった広江さんが中隊長だった。 ホント、『大尉』ってのは、おっかないものだ、そう思ったよ」

任官して最初に直面する『恐怖』は、BETAでは無い、直属の上官―――中隊長だ。 反面、怖かったが色々と面倒も見てくれた。
その意味で広江中佐は『厳母』だったが、『慈母』の面も持ち合わせていた指揮官だったと、今なら良く判る。

「いやいや、周防さん。 アンタも十分、怖がられていましたって。 松任谷や蒲生に聞いてみなさいよ、当時の俺達がどれ程、新米達を気にしていた事か・・・」

「・・・そんなに?」

「そんなに。 でもあいつらも、周防さんに叩き込まれて生き残って来たんだ、感謝もしていますって」

生き残れなかった部下も多かったが、流石にそこまで自分に自惚れていない。 遼東半島で死んだ松原と藤林。 阪神防衛戦で死んだ倉木、京都で戦死した河内。
ああ、そう言えば―――最初に死なせた部下、国連軍時代だ、リュシエンヌ・ベルクール。 フランス出身の、西洋人形みたいに綺麗な娘だった。

「あの当時から言えば、八神に相田、四宮に支倉。 瀬間に蒲生に松任谷、それに直秋。 宇佐美に浜崎、鳴海・・・ 皆、周防さんが鍛えて生き残った連中ですぜ?
みんな、今や中尉か古参の少尉だ。 他の中隊に移った連中も、未だに周防さんの事を聞いて来る。 アンタは『厳父』だったが、連中は慕っていましたよ」

「・・・まさか、お前さんにそう言われる日が来るとはなぁ。 ありがとよ、摂津」

「どう致しまして。 ま、俺も精々、真似させて貰いますよ。 慣れない参謀職で消耗している様ですが、周防さんだって俺にとっては『大尉』なんすよ」

「ふん、気張らせて貰うよ。 そう言われたら、気張るしか無いじゃないか、この策士め」










1999年1月17日 1615 福島県 水原演習場


元々は中小規模野演習場だった水原演習場。 だが数年前に付近の広大な土地を政府(軍部)が買い上げ、東北で1、2の大規模演習場に生まれ変わった。
帝国内では北海道の矢臼別演習場、宮城の王城寺原演習場、山梨の北富士演習場、静岡の東富士演習場、大分の日出生台演習場の5大演習場が有った。
その内、北富士、東富士、日出生台は今やBETAの腹の中。 5大演習場に次ぐ規模だった関西の滋賀・饗庭野、大阪と兵庫にまたがる北摂、この2演習場も既にない。
その為に帝国陸軍は、東北・北海道に点在する演習場の規模拡大を行った。 北海道の上富良野演習場、鬼志別演習場、浜大樹訓練場。
東北の六ヶ所演習場、岩手山中演習場、白河布引山演習場、そして水原演習場が大拡張されて、残る矢臼別演習場、王城寺原演習場とで9大演習場を形成している。

『戦術機甲第23中隊、機甲連隊第21中隊、及び第65機械化歩兵連隊第22中隊、畳石から箕輪へ。 181第11中隊、18機甲第11中隊大隊、65機械化第32中隊、薬師方面』

戦術機部隊と機甲部隊が、雪煙りを挙げて進撃を開始し始めた。 想定では安達太良山付近に陣取った光線級の排除。
砲兵部隊が支援の面制圧を開始し始めた。 その間を、77式『撃震』の数個中隊が各々山腹を隠れ蓑にして、縫うようにNOEを開始する。
訓練本部では随所に設けられた各種モニター、それに戦術リンクシステムにより、傘下各部隊の状況が手に取る様に判る。

『残余部隊は戦術機甲第23中隊を主力に、塩沢より圧力攻撃開始。 BETA群、安達太良山頂、及び船明神山頂。 5分後に全力攻撃を開始』

攻撃スケジュールは今の所、順調に進んでいる。 目標山頂に向けて3方から面制圧攻撃後、同時攻撃を仕掛ける。
これで光線級の目標認識はかなりバラける筈だ、損害は出るだろうが、比較的早くに制圧できるだろう。

「・・・スケジュール通り過ぎて、面白味が無いな。 おう、運用。 戦術機甲で弄るとしたら、どこだ?」

演習統制官の機械化歩兵連隊長が、モニターを見ながら声を掛けてきた。 どうやら、状況を混乱させたいようだ。
だったら、最も練度の高い部隊の指揮官と、最も練度の低い部隊の指揮官、双方を『戦死』させてやればいい。
となれば、11中隊の緋色―――神楽緋色大尉。 この中では最も戦歴が豊富な指揮官だ、彼女を失えば少なからず動揺は広がる。
そして31中隊の恵那瑞穂大尉。 俺や緋色の同期だが、ずっと本土防衛軍に居て実戦経験は浅い。 彼女が『戦死』した場合、中隊はどう動く?

「11中隊と31中隊、指揮官戦死」

「よし、それで行こう。 おい、状況変更、『戦術機甲第11、第31中隊長機、被撃破。 中隊長戦死』、それと・・・ 『薬師山頂に、新たな光線級。 他にBETA群2500』、これでどうだ?」

これでどうだ? も何も。 指揮官を失った2個中隊の統制が、にわかに崩れ始めた。 それに薬師山頂の光線級出現で、正面に張っていた部隊も大混乱だ―――最上、済まんな。
本部に流れる通信回線の内容は、贔屓目に考えても酷いものだった。 指揮権を引き継いだ者は、何とかして部隊を掌握しようと頑張っている。
だが追加された条件が足枷になって、もう部隊間の連携が取れていない。 酷い部隊になっては、各小隊がバラバラになりかけている。
損害想定を行う要員から、計算結果を受け取った。 それを見て思わず眩暈がする、予想していたが、これは酷い。

「統裁官、損失状況、戦術機甲31中隊全滅、同23中隊40%、同11中隊33%喪失。 機甲、機械化歩兵損失、45% 戦闘続行不可能」

「よぉし・・・ 状況止め! 状況止め!」

統裁官の指示が通信回線に飛び、混乱しまくっていた訓練部隊各隊が動きを止める。 その間に最終損害状況を纏めて、今夜にでも報告書に・・・
ああ、にしても酷い。 連中、これじゃこっ酷く絞られるな。 部隊指揮をしていた時は当事者だったが、こうして離れて客観的に見ると、色々と見えて来る。

そうこうしている内に、訓練終了の合図と共に各要員が片付け―――システムダウンや、器材の収納を始めた。
俺も各種データを纏めてクリアファイルに種別毎に仕舞い、提出すべき資料・データを統裁官に提出する。
ひと段落ついた所で、テントの外に出てみようとした。 なにしろ中はこの真冬だと言うのに人いきれで熱気が籠っている。 冷たい空気が吸いたかった。


「おい、周防! おるか!?」

いきなり本部テントに勢い良く入って来た人物がいる。 思わず全員がその人物と、そして俺を注視する。

「・・・周防君、何かやらかしたの?」

隣の真木さんが、小声で聞いて来る。 しかし失礼な、『何かやらかしたのか?』とは・・・

「いえ、特に心当たりは・・・」

実際無い、多分無い、いや、絶対無いと言いたい。 それ程、テントを蹴破って(本当にそんな勢いだ)入って来た人物を見れば、そう思いたくなる。

「・・・作戦課長、広江中佐。 ウチの周防が何か?」

副統裁官の邑木中佐も、補佐の柴野少佐も、怪訝そうに両方を見比べている。 何なんだ、一体? 
勢い良く入って来たのは、第18師団第3部(作戦部)の作戦課長・広江直美中佐だった。 今回統裁官ではないが、作戦課長の立場上、演習を視察していたのだ。

京都を巡る戦いの終盤で重傷を負った中佐は、入院・リハビリを続けていたが、祥子と同様に戦術機から降ろされた。
最も中佐の場合、別の意図も有った。 現在の所、陸軍士官学校卒業生の女性士官の中では、出世街道のトップグループを突っ走っている彼女だ。
軍上層部が夢見る『帝国陸軍初の、女性将軍』、その第1号の最有力候補でも有る広江中佐を、そうそう死なす訳にはいかない。
周囲の説得と圧力、揚げ句に懇願、最後は夫君である藤田大佐にまで出馬されて、泣く泣く戦術機から降りたらしい―――盛大に夫婦喧嘩をしたらしいが、なに、犬も食わないってヤツだ。

「・・・何でしょう? 作戦課長」

しかし、理由が思い浮かばない。 見れば中佐の顔は上気しているし、口元は笑みが有ったのだから。

「おお、居たか。 少しいいか? 済みません統裁官、運用参謀、少しお借りしますが?」

「・・・持って行け。 ただし、長くならんように」

統裁官も、急を要する事はもう余りない状況で、特に反対はしなかった―――俺としては、反対して欲しかったが。
テントを出て、少し離れた白樺の樹木が茂る辺りまで、雪道を歩いてゆく。 北国の冬の夕刻、陽は既にかなり落ちて晴れた空は夕焼けに染まっていた。

「聞いたぞ!? 周防、貴様、とうとう身を固めると! 本当だろうな!? 今更『あれはウソでした』などと、そんな戯言は聞かんぞ!?」

「・・・はあ!?」

いきなりの言葉に驚く。 どうして中佐の口からその事が!? 兎に角、ここでこんな注視の的になるのはゴメンだ。 
周りを見渡し、声が聞こえる範囲に人がいない事を素早く確認してから、自然と声を顰めて中佐に問いただしてみた。

「・・・で、どこでその話を? まさか俺に、羞恥プレイを仕掛けるつもりとか?」

「ん? なんだ、その『羞恥プレイ』とは?」

「・・・気にせんで下さい、米国時代に悪友から、教えられた事ですので」

「? まあ、いい。 いや、実は先日にな、綾森から電話で相談を受けた」

・・・やっぱり、祥子か。 彼女はあれで結構、広江中佐を慕っていたからな。 中佐も可愛がっていた。
と言う事は、全てこの人に筒抜けになっていると、そう覚悟した方が良い。 ここはひとつ、腹を据えて答えないと酷い事になる。

「はあ、実は昨年の末に公用で仙台に行った帰り、途中で船岡に立ち寄りました。 その時に、籍だけでも入れよう、そう言いました」

「ッ! このッ、馬鹿者!」

うっ、いきなりカミナリかよ!? 流石に声が大きい、向うに居る連中が何事かと、こっちを見ているって!
しかし頭に血が上った様子の中佐は、そんなことはお構いなしに大声で説教を始めた。

「この、大馬鹿者の朴念仁め! 貴様は幾つになっても、まるっきり判っておらん! 『籍だけでも』だと? 馬鹿者! どうして強引にでもプロポーズをせん!?
綾森は悩んでおるぞ? あいつは貴様の実家の事も、良く知っている! 貴様の兄上が戦死なさった事も、従弟殿達が佐渡島で戦死された事もな!」

―――ああ、そうだ。 祥子は知っている。 それで俺の実家が、今は喪に服している事も。

「絶対、遠慮するぞ!? 綾森の性格だ、絶対に遠慮して、首を縦に振らんぞ? あいつはそういう女だ!―――いったい、いったい何年、あいつが貴様を待ったと思っている!?」

広江中佐が、本気で怒っている。 思えば5年半前、93年の夏、あの時俺達―――俺と圭介と久賀―――を送り出してくれた時も、裏では祥子にも気を使ってくれていたのだろう。

「貴様が、実家の御両親や戦死された兄上の奥方の事を想っている事も、良く判る! 判るが・・・ すこしは、あいつも身にもなれ!
もう、6年越しだ。 貴様が欧州に立ってからでさえ、5年半だ! その間、あいつは・・・ 綾森はひたすら、貴様の事を待ち続けてきた!」

5年半、6年・・・ いや、本当に俺って、祥子に心配と不安だけを掛けさせてきたのだな。

「おらんぞ!? 普通はおらんぞ? そんな女は!? 貴様達、お互い想い有っておるのだろう? お互い、一緒になりたいのだろう?
だったら・・・ だったら、少しはあいつの気持ちを汲んでやってくれ。 頼む、周防。 頼むから、な・・・?」

中佐の声が、次第にトーンダウンして行く。

「・・・こんな世の中だ、貴様達がいつまでも2人無事という保証は、全く無い。 貴様にしても、いつまた前線指揮官に戻るか判らん。
綾森もCP将校になるだろう、そうすればまた前線だ。 衛士ほど戦死率は高くないとは言え、CPはBETAに接近されれば最早、後は無いのだ」

中佐自身の経験か。 それに多分、同期の河惣中佐の事も頭に過っているのだろう。

「・・・場合によっては、本当に僭越で失礼ながら、私が貴様と綾森のご実家にお願いに伺いたい程なのだ。
常識を外れるし、礼も失する事だが、どうか若い2人を一緒にさせてくれと。 貴様も知っているな、私の親友は苦しんだ。
正直に言おう、貴様達には苦労を掛けさせられた、本当に色々とな。 その分、情もある、 これは私の私情だ。 だがな、我儘を言う、頼む、周防・・・」










1999年1月26日 1530 宮城県仙台市内 周防家


非番の1日、実家に足を運んだ。 仏間の兄貴の遺影に手を合せたあと、両親と姉、それに義姉がいる居間に顔を出した。 出したは良いが、さて、どう切り出そうか?

「・・・直衛? 何か言いたい事でも有るの?」

お袋が、真っ先に気付いた。 流石。 いや、義姉さんも気づいていたかも、それでいて俺が口にするまで黙っていたとか。
多分、気付いていなかったのは親爺殿だけだったろう。 姉さんも多分気付いている筈だ。 女って、本当に不思議だよな。

「ん? どうした、直衛。 何かあるのか?」

「あるから、あんなにモジモジしているのじゃ無い、お父さんは少し黙っていて。 で、直ちゃん、何なの?」

―――親爺、肩身狭いな。

「あ、いや・・・ ええと、な。 兄貴の49日も過ぎてまだ、そう日も経っていないし。 こんな事言うのは義姉さんに失礼かとも思うし、常識に外れるし・・・」

ああ、もう。 何を言いたいんだ、はっきりしろ!

「向うの家にも、まだちゃんと話してないし。 でも正直、これ以上は待たせたくないし・・・」

お袋と姉さん、それに義姉さんは真剣な表情で聞いている。 親爺殿は、ポカンとした表情だ。

「ああ、何て言うか、その・・・ 俺―――俺、綾森祥子嬢と結婚する」

そう、言い切った。 
確かに兄貴の喪に服す実家で、まだ言う事じゃ無いかもしれない。 家族だってまだ悲しみから完全に立ち直っちゃいない。 それに右近充や藤崎の親戚も。
だけど、今じゃ無いと、そう思う。 確かに俺がこの先、くたばらない保証は無い。 死ぬ気は全くないけれど、その保証はどこにも無い。
なら―――なら、せめてこんな世の中、自分が愛する人と一緒になりたい、そう願う位は正直になっても良い筈だと、そう思った。
そう言って、固唾を飲んで待つ事、ほんの10数秒だったようだが、俺には何10分にも感じられた。 やがてお袋が素っ頓狂な声を上げる。

「えっと・・・ あらまあ、大変! 向うのご両親には!? まだ? 今から行きなさい! とにかく早く、直ぐにでも行って来なさい!」

「ちょっとまって、母さん。 直ちゃん、祥子さんは、今日は? 居る? ご実家に? ああ、志摩子さん、直ちゃんの軍服は?」

「お義姉さん、ちゃんと掛けてありますよ、そこに。 嬉しいわ、義妹が出来るのね。 あの人もきっと喜ぶわ、気に入っていたもの、祥子さんの事を」

・・・俺の決心も、実家の女達にとっては、微塵も重くなかった様だ。


「・・・息子をひとり失って、娘がひとり増える、か。 まあ、これも仏さまの思し召しと言うものか」

親爺がそう呟いた。 兄貴が死んで以来、覇気が無くなって来たと思っていた親爺だったが・・・ それは、嬉しそうに微笑んでいた。









1750 仙台市内 綾森家


「・・・お嬢さんを、私に下さい!」

居間に通された途端、俺が口にした言葉に、祥子のご両親が目を丸くしている。 祥子自身、今日がその日とは思っていなかったのか、吃驚した様子だった。

「私は、軍人です。 死なぬとは、決して口には出来ません。 しかし、しかし、お嬢さんを、祥子さんを愛しております。
私の生が有る限り、彼女を不幸せには決してしません! どうか、お願いします、お嬢さんを、私に下さい!」

土下座して、畳に頭を擦り付ける位に。 それでも腹の底から、正直な気持ちを声にして出したつもりだ。
生ある限り―――そう、生ある限り、不幸せにしない。 愛し続ける。 彼女と2人で、生き抜いて見せる。
どれだけ時間が経ったのだろう? 数分? 数10分?―――実際には、10秒も経っていない(後で、笙子ちゃんが言っていた)
やがて祥子のお父さんが、少し困惑気味に声を出した。 内容は、予想の通り―――俺の実家の事だった。

「・・・そう言って下さるのは、嬉しいですが。 しかし大尉、娘に聞く所によれば、大尉は兄上が戦死なさったばかりとか。 
喪に服されているご実家に娘を嫁がせて、そちらのご両親がお気を悪くなさらんか・・・?」

「実家へは、既に話しております。 両親も姉も、義姉―――兄嫁も、賛同してくれました。
私自身、このような実家の様子の時に、このようなお願い、誠に失礼とは重々承知しております。
しかし・・・ しかし、そこを曲げて。 お願い致します、お嬢さんを、私に下さい!」

暫く沈黙が続いた。 頭を下げる俺の横に座った祥子の体が、強張っている様な気がした。 やがて祥子のお父さんが、祥子に向かって言った。

「祥子、お前はどうなんだね? どう思っている?」

「え・・・ わ、わたし・・・ 私は・・・」

最初は突然振られて、一瞬口ごもった祥子だったが、次には意を決した口調で、はっきりと言った。

「私―――私、結婚します。 お父さん、お母さん、お願い。 最後の我儘です、お願いします!」

そう言って、祥子も俺と並んでご両親に頭を下げた。 暫く沈黙が有って、お父さんが大きく息を吐く音と共に、しみじみと言った。

「大尉・・・ 周防さん、私も人の親だ、娘の幸せを願わん事は無い。 君が娘を大切に思ってくれている事は、重々判っておるよ。
しかし同時に、やっぱり娘には幸せになって欲しい。 軍人の妻となれば、いつ何時、未亡人になるやもしれん。 
娘自身が軍人だが、親としては、こんなご時世で有っても、もっと安全な幸せを願うものだ・・・」

―――もう、ここまできたら、俎板の上に乗った様なものだ。 最後まで聞き届けてやる。

「だが同時にな、娘は君以外の男とは、一緒にはならん、そんな気がするよ。 親として、娘に女の幸せを掴んで欲しいと願うのも、また本心だ・・・」

―――どっちだ? どっちを言っている? ああ、くそっ! 緊張で考えられない。 戦場でだって、これ程緊張した事は記憶にない!

「だから・・・ 不束な所のある娘だが、親として頼む。 どうか、幸せにしてやって下さらんか・・・」

ふっと、力が抜けた気がした。 一気に体の力が抜けて、あやふやになった気がした。
それも一瞬の間。 体の奥底から、何かが爆発しそうにこみ上げて来る!

「は・・・ はい! 必ず! 必ず!」

「あ、ありがとう、お父さん・・・ お母さん・・・」

祥子が涙ぐんでいる。 見れば祥子のお母さんは・・・ 娘を優しく抱いて、俺の方を向いて微笑んでくれていた―――良かった・・・










1999年2月18日 1530 仙台市内 第4軍司令部ビル


「で、どうするんだ? 式は?」

「このご時世だ、難民だって溢れかえっている。 流石に出来んさ、お互いの家に報告して、役所に行って手続きして、終わり」

「国防省へは?」

「先月、祥子の家に行った翌日に、国防省に婚姻願いを出してきた」

仙台の第4軍司令部。 参謀会議が有り、師団からも課長が出席している。 俺はそのお供で来ているのだが、会議には出席できず(まだ大尉だ!)こうして控室で待機していた。
そうするとやはり14師団から、上官のお供で付いて来ていた圭介と会った。 何も不思議ではない、コイツも俺と同様、14師団司令部第3部の運用・訓練課員なのだから。

もう、両家へはお互いに挨拶を済ませた。 俺の両親も、喜んでくれていた。 長男を失ったが、次男が新しい家族を連れて来てくれた、そう言ってくれた。
そして先月末には、国防省へ俺も祥子も、お互い婚姻願いを提出している。 将校の人事監督権は、国防省人事局が持つ(准士官は軍管区の人事部、下士官兵は師団の人事部)
そして将校の結婚には、国防省人事局の許可が必要だった。 人事局が然るべき手順で調べ、結婚相手に問題ないと判断して初めて、婚姻の許可が下りる。
これは将校の場合、任務によっては外国の公館勤務で外交の舞台にも、伴侶を伴って出席する事も有るからだし、階級が上がれば(将官にでもなれば)宮中へ参内する事も有る。
だから将校の結婚相手は、軍が徹底的にその周辺を調べるのだ。 差別的と言われるかもしれないが、時には国家の面子も背負う事になるから、これは重要な事だ。

もっとも、俺達の場合はお互いが将校同士だから、ほぼ問題は無い。 祥子の父親は逓信省の上級官僚だし、親戚も官僚が多い。
俺の実家は、親爺殿は民間会社の役員だが、軍とは繋がりのある会社だ。 直邦叔父貴は海軍大佐。 母方の叔父2人は国家憲兵隊の将官と、外務省の上級官僚。

「ま、お前の場合、婚姻願いと言っても形式だけの事だしな。 もうそろそろ、許可が下りるんじゃないのか?」

「課長がな、同期生が人事局に居るとかで、調べたそうだ。 明後日には許可が出ると」

「決まりだな―――この野郎、一体何年待たせたんだ? 綾森さんには、頭が下がるぜ」

「お前が言うな、愛姫に言うぞ?」

「私が、なに?」

急に愛姫が目前に現れたものだから、俺も圭介も思わずのぞけった―――でも不思議じゃない、本当は心の底から不思議なのだが、制度上は不思議じゃない。

「お前、会議室に居なくてもいいのかよ?」

圭介が、若干焦りながらそう言う。 ふん、次はお前の番だ。 精々、焚きつけてやるからな、覚悟しておけ。

「あ、良いの、良いの。 向うは信賀少佐(第14師団長副官)が居るから。 私はここで待機なの。 ほら、相原だって居るじゃない?」

愛姫の指さす先に、第18師団副官部の相原優子大尉が座っていた。 半期下の彼女も、93年当時は同じ部隊で少しだけ一緒に戦った戦友だった。
今は18師団副官部で、副師団長副官をしている―――愛姫は、14師団副官部の所属で、やはり14師団副師団長副官をしていた。
副官部は少佐1名、大尉1名、中少尉2名で構成される。 少佐が師団長副官、大尉が副師団長副官を務め、中少尉が庶務を行う。

そう、俺と圭介は共に一時、戦術機を降りて参謀勤務。 同じく愛姫は副官勤務。 お互い、似合わない事をやっているものだ。

「で、何の話をしていたの?」

「ああ、それだけどな。 聞けよ、愛姫。 直衛のヤツ、コイツとんでもない奴だ。 式は挙げないんだと。 綾森さん、花嫁衣装を着れずじまいだぜ?」

圭介がそう言った瞬間の、愛姫の顔―――夜叉か、はたまた般若か。 兎に角恐ろしかった。

「・・・良い度胸してるじゃん、直衛? あんた、私ら同期の女、敵に回す気の様ね?」

「・・・ちょっと待て、どうしてそうなる!? 俺はこのご時世だから、お互い相談して自粛しようと・・・」

「自粛!? アンタ、祥子さんが本心でそう言ったとでも!?」

「い、いや、それは流石に思わないが・・・」

「着たいに決まっているでしょう!? 何年も待たせて! ようやく一緒になると思ったら、こんなオチ!? 
あのね、直衛。 式を挙げなかったら、少なくとも私と緋色、麻衣子さんに沙雪さんは絶対、敵に回すからね・・・ 場合によっては、広江中佐に河惣中佐も!」

―――ちょっと待て、勘弁してくれ、その面子!

「いいや、それだけじゃ済まないね・・・ 間宮に美薗、仁科も敵に回すわよ。 その度胸、あんの!?」

どうしろと言うんだ! 今から式場を探せと!? このご時世、仙台市内もホテルは全て難民に解放されていると言うのに! 式場だって大半が休業状態で避難所と化している!
それに普通、何か月前から予約を入れると思っているんだ!? 今からだと、春は優に超してしまう、下手すりゃ夏になるぞ!?―――その頃は、次の『大反攻作戦』だ!

「ふふん、その辺は私に任せてよ。 伊達に地元じゃないんだから、幾らでも融通つけてあげるわ」

それだけ言うと、愛姫はその場を去っていった―――丁度会議が終わったからだ、将官を含む高級将校達が、次々に会議室から出て来ていた。
慌てて立ち上がり、すれ違う高級将校に敬礼をする。 上官を見つけ、圭介と別れて歩み寄って行った。

―――圭介と別れ際、聞いてみた。

「・・・なあ、圭介。 お前、愛姫の実家って知っているのか?」

「挨拶には、行った事が有る。 ちょっと凄いぞ、地元の名士ってやつだ」

「・・・あいつ、お嬢様?」

「見えないがな、あれでいて、結構育ちは良いんだ」

信じられねえ―――軍での愛姫しか知らない俺としては、俄かに信じられなかった―――やがて、思い知らされたのだが。










1999年3月18日 2230 福島第2駐屯地 第18師団司令部第3部


「じゃあ、結局式は挙げる事になったのかい?」

夜食を食べながら、同僚の二階堂大尉が聞いてきた。

「ああ、来週に1日休みを貰った。 丁度、彼女も課程を卒業して、配属されるまでの待命時期だし」

俺も夜食のうどんを食べながら、この1か月の目まぐるしさにやや呆然としていた。 あの日、愛姫が『任せろ!』と言った日から、目まぐるしく状況が変わった。 
愛姫は実家の伝手を総動員して会場を押さえ、祥子に直談判して式を挙げる事を了解させ(広江中佐と河惣中佐を同行させてだ!)、俺と祥子の実家をも説得したのだ。
驚いたのは、話を聞いた緋色も愛姫に同調して、色々と協力した事。 あいつは愛姫と違って、こう言う事でお祭り騒ぎするタイプじゃないと思ったのだがね。

「来週か。 残念だが、その日は休めないな。 例の案件も佳境に入って来た事だ、師団はおろか、軍団や軍司令部からもせっつかれているし」

「ああ・・・ 済まない、こんな忙しい時に、休みを取って・・・」

思わず謝ってしまう。 実際、ここの所は戦場のような忙しさだ。 夏に向けて帝国中が巨大な歯車の様に動き出している。
俺の部署も、ささやかながらその一部として邁進しているのだ。 こんな時に、自分の仕事を同僚に押し付けるのは気が引ける。

「何を言っているの。 人生で大切な時じゃない、誰も文句は言わないわ。 その代わり、私の時は代役、お願いね?」

そう言って真木大尉が笑う。 士官学校卒業生で、少尉任官時期は俺より後だが、大尉進級は同時期な彼女。 恋人がいると言う。

「その時は、喜んで」

「・・・何だか、俺も結婚したくなってきたぞ」

課内で唯一の独り者である二階堂大尉が、ボソッと呟くと同時に、課内に笑いが広がった。課長の邑木中佐も、課長補佐の柴野少佐も、家族持ちの篠原大尉も笑っている。 
要務士の4人の准尉達も、楽しそうに笑っている―――久しぶりじゃないか、こう言う笑い声。 いや、初めてじゃないか? こういう雰囲気は。

「いやいや、目出度いですな。 やっぱりこう言う話は、どんな時でも良いモンですな」

大森准尉が、目を細めている。

「若い人たちのそう言う話、最近は余り聞かなくなりました。 やっぱり嬉しいモンですよ、周防大尉」

巨勢准尉は、確か娘さんが結婚直前に戦死したのだったな・・・

宮原准尉、河田准尉も喜んでくれている。 兵から叩き上げて准士官に。 
もう50代の大ベテランの4人。 その胸中は伺い知れないが、それでも素直に受け取っておこう。

「・・・有難うございます」










1999年3月23日 1300 仙台市内 某所


「結構、集まったな」

「非番の連中は全て。 他にも公務で理由を付けて、とにかく足を運んだ者も」

「ふむ、普段なら厳重注意モノだがな。 今日だけは大目に見よう」

広江中佐と緋色が話している。 俺は軍の礼装に身を包み、上座に座って流れる汗をさっきから吹きっぱなしだった。
目前には、両側に並んだ周防、綾森両家の親族たち。 生憎と都合がつかず、出席出来なかった人たちも居るが、後日必ず挨拶に行こう。
その先には、ズラッと並んだ軍服姿の一団が居る。 課を代表して来てくれた、柴野少佐。 多分部下に留守を押し付けた、広江中佐。 
開発本部からすっ飛んできた、河惣中佐。 第4軍司令部への公務出張から駆けつけてくれた、藤田大佐。 少し遅れて、奥様に睨まれていたな。
融通を付けてくれて出席してくれた木伏少佐、緋色、美園、最上。 14師団からは三瀬さんと仁科。 それに徹夜を連続して仕事の都合を付けた圭介。

「にしても、豪壮なお屋敷よねぇ・・・ ここって、愛姫さんのご実家の?」

「らしいよ? あの人、見かけによらずお嬢様だったんだね。 緋色さんは知っていたけど」

うん、俺も美園と仁科の言葉に同意する。

優に50畳は有るんじゃないか? この座敷は・・・ 障子を取りはらって、何間か続けているけど、それでも広い。
愛姫が『任せろ』と言った言葉に、嘘は無かった。 どうしたかと言えば、彼女のおじいさんに甘えた様なのだ。 孫娘のお願いを、孫に甘い祖父が聞き入れてくれた訳だ。
この豪壮な屋敷、実は愛姫の実家が持つ家だと言う。 普段は市内の家に暮らしているそうだが、維持も兼ねて年に何日かは暮らすと言う。

『ああ、あの家? 私のお祖父ちゃんの持ち家よ。 ウチはこれでも、昔は結構な武家でね。 お殿様の一族で、家老もしていたのよ。
もっともね、1世紀以上前のあの政変でね、当時の新政府が気に入らなくって、時のご先祖様は武家の身分を捨てて、帰農したのよ。 だから今は農家ね。
でもね、そのままだったら、斯衛で最低でも白、場合によっては山吹位、貰える家格だったらしいわね。 私は興味無いけれど?』

世が世なら、お姫様かよ、愛姫・・・

そして列の端っこの座っている愛姫と目が合う。 途端にニカって笑いやがった―――良い奴だよ、お前は。 有難う。
こうして何とか、式を挙げる事が出来た。 ウチの親も、祥子の両親も、最初はそれは恐縮していた。 当然だろう、人さまのお宅を借りてだなんて。
しかし、愛姫の祖父―――孫娘に甘いお祖父ちゃん―――が言ったのだ。 『なに、目出度い事に、遠慮はいりませんぞ。 儂も孫の恩人たちに、恩返ししたいのですじゃよ』

俺は、お前に恩を受けてばかりの気がするよ、愛姫。 いつか返せるかな?

やがて三三九度の杯を交わす。 打掛―――白無垢姿の祥子の横顔は隠れて見えない、だけど盃を持つ手が少し震えている。 泣いているのか。
神前式でも、仏前式でも無い。 大体が両家共に避難先だ、そんな余裕は無いし、都合も付けられなかった。
だから完全に『人前式』だったが、それでも嬉しかった。 見ると、祥子のご両親が涙ぐんでいる―――幸せにしますから、生ある限り、必ず。
祥子の打掛は、東京の家から持ち出せた、数少ないお母さんの私物だったそうだ。 お母さんが嫁入りの時に着ていたそうだ、それを娘が着て結婚する。
今日、師団本部からすっ飛んできた時には、両家の親は勢揃いしていた(祥子も居た) その時もそうだった、そして俺のお袋が、そんなお母さんの肩を抱いて言っていたな。

―――『娘さんを、お預かりしますね。 私達、2人の娘ですよ』

やがて、仲人を買って出てくれた愛姫の祖父が、朗々とした良い声で『高砂』を詠い始めた。

“高砂や、この浦舟に帆を上げて、月もろともに入り汐の”

初めて出会ったのは、93年の4月。 俺はまだ訓練校を卒業したての、新米少尉だった。 そして同じ中隊、同じ小隊に祥子が居た。

“波の淡路の島蔭や近く鳴尾の沖過ぎて、はや住の江に着きにけり”

木伏さんと目が会った。 笑っていた、嬉しそうに笑ってくれていた。 同じ小隊に、当時の木伏先任少尉が居た。 中隊には、故・水嶋少佐(戦死後1階級特進)も居た。
笑ってくれていた、木伏さんが。 多分、水嶋さんも笑ってくれていると思う―――有難うございます。

“はや住の江に着きにけり~・・・”

愛姫、緋色、骨を折ってくれて、有難う。 美園、仁科、最上、祝ってくれて、有難う。 柴野少佐、お忙しい中、都合を付けて頂いて、恐縮です。
藤田大佐、広江中佐、河惣中佐、お世話になりました。 ご迷惑おかけしてきました、有難うございます。

“・・・はや住の江に着きにけり~・・・”

圭介―――有難う、今度はお前の番だ、絶対だからな。 中等学校以来、ずっと一緒に痩せ我慢し続けてきた間柄だ、お前とは。 だから、絶対だぞ? 有難う。


「・・・嬉しい・・・」

祥子が、小さな声でそう言った。 そう聞こえた。










1999年4月 福島市内 周防家


『・・・なお、政府に近い筋の情報では、『近いうちに必ず大反攻作戦を企図する』、と言われております。
これに対して軍部は明言を避けては居ますが、最近の大東亜連合軍との協調を観察するに・・・』

朝の国営放送、正直言ってその取材力は大したものだと思う。 軍内部でも極秘なのに・・・家で出勤前の朝食時、TVを見ながら思う。
戦況は一進一退を続けている。 西関東防衛戦は、甲22号――――横浜ハイヴから溢れて来るBETA群を、24時間体制の間引き攻撃で何とか押さえこんでいる。
軍は来るべき時に向けて、その巨大な歯車を恐ろしい勢いで廻しだしていた。 多分俺も、近々には新しい辞令が下りる事だろう。

「あなた、まだ時間は良いの? もうこんな時間よ?」

妻が台所から顔を出して言う。 そう言えばもうこんな時間か、そろそろ基地に出勤しなければな。
TVを消して、軍服のネクタイを結び直し―――彼女の手が、先にネクタイを手に取っていた。

「今日は遅いの?」

「多分、遅くなる。 祥子は?」

「私も、ちょっと遅いかもしれないわ。 新任達の教育係になったから」

妻は師団司令部の主任管制官になっている。 そしてこの春に管制官学校を卒業した新任少尉達の教育係にも、任じられていたのだ。
俺のネクタイを締め直し、見上げた妻の顔は笑顔だった。 世の中は益々重苦しい空気に包まれ始めている。 BETA上陸から8カ月余りが過ぎた、未だ駆逐出来ていない。
それでも笑顔が有る。 人は笑顔を見せる事が出来る。 だったら―――だったら、いつの日か必ず、本当に笑顔で暮らせる時が来る筈だ。

「さて、じゃ、出勤するか。 今日は俺が運転するよ」

「いいの? じゃあ、お願いしようかしら」

妻と連れだって、家を出る。 随分と暖かい、もう春だ。 そう、冬は越した、春なのだ。
通勤用に購入した、軍払下げの(公用に使っていた中古車だ)自家用車に乗り込む。 ゆっくりと車道に出て、基地へと続く道を走りだす。
この辺りは緑が多い。 良い天気だ、小春日和になりそうな―――美しい祖国の風景。 守るべき風景。 そして横には、守るべき愛する人がいる。

「・・・望むのは問答無用のハッピーエンド、失われた日々を上回る愛と幸福。 ア・モーレ、それと幸福。 これに尽きるさ・・・」

「え? 何か言った?」

「・・・いいや、独り言。 さて、そろそろ着くか。 今日、俺の方が遅かったら連絡入れるよ。 車のキー、第3部まで取りに来てくれ」

「判ったわ。 じゃ、頑張ってね」

駐車場で車を降りた妻とキスをしてから、別れる。 基地ゲートの衛兵はもう見慣れたものか、苦笑しか返してこない。

「・・・さて、誰が言った言葉だったか・・・?」

確か、だれか知り合いが言った言葉だと記憶しているが・・・ 帝国軍じゃないな、あんなセリフを吐ける人間は居ない。
本部棟へと歩く道すがら、ぼんやりとそんな事を考えていた。 じゃあ、国連軍時代? それしかないな・・・ ああ、思い出した、あいつだ。

『俺は、俺の大切な人の為に、人達の為に、この地で戦っている。 それを誇りにしている。 だからこそ、戦える!
だからお前達も、お前達の大切な人の為に、大切な事の為に、極東で戦え! 俺はそれが嬉しいんだよ!―――おれもこっちで戦うからよ!』

あいつは、そう言っていた―――ファビオ・レッジェーリ。

「・・・よう、まだ生きているか? 元気にしているか? まだ戦っているか? 俺は大切な人を、大切な存在を手に入れたよ。 お前はどうだ?―――なあ、戦友」



―――見上げた空は、青かった。





[20952] それぞれの冬 ~愛姫と圭介~
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/04/24 23:16
1998年11月25日 宮城県仙台市 霞目駐屯地 第18師団第181戦術機甲連隊第3大隊


「・・・」

手にした1枚の紙切れ―――って、そんな粗略なものじゃないけれど。 何せこの紙切れ1枚で、天国にも地獄にも、行く先が変わってしまうから。
その名を、『辞令』と言う。 私達軍人にとっては、それはまさに命を左右する程に重要、且つ重大な関心事でも有るのよ。

「・・・」

何度読み返しても、辞令の文面は変わらなかった―――って、当たり前なんだけどね、普通は変わりませんよ、まったく。

「・・・信じらんない・・・」

ようやく出た声が、それ!? 自分で自分に呆れてしまう。 アタシは一体、何を考えてんのよ!?
でも仕方ないじゃない、正直言って辞令の文面が意味する事が、信じられなかったのだもん。 それは次の私の配置を知らせる命令だった。

『帝国陸軍大尉 伊達愛姫 第18師団第181戦術機甲連隊 第3大隊第2中隊長の任を解く』

まずこの一文。 これで私は今まで指揮して来た中隊を、取り上げられる事となった。 別に不思議じゃないけどね、今の中隊を指揮してかれこれ2年は過ぎたし。
そろそろ転属の時期じゃないかなぁー、とは思っていたんだ。 普通は1年から1年半でローテーションさせて行くしね、階級が上がれば上がる程。 で、次の文面。

『帝国陸軍大尉 伊達愛姫 第14師団司令部副官部付を命ずる』

(・・・副官部!? わ、私に、副官をやれって言うの!? 帝国陸軍は!?)

正直、腰を抜かしかけましたともさ。 何せ訓練校卒業以来、ずっと部隊指揮ばかりをしてきたのだもの。 自他共に前線の野戦指揮官よ、これでもね。
そんな私に、師団司令部の副官・・・ 何を考えてるのよ、軍中央の人事担当者は!? 副官なんて、普通は陸士(陸軍士官学校)出身の、将来性ある若手将校の仕事でしょう!?
今まで訓練校出身の、ノンキャリア将校が師団副官部に配属になったなんて、私は聞いた事無いぞ? 庶務を担当する副官部付の中少尉ならともかく・・・
大尉で副官部と言うなら、まず間違いなくそんな庶務的な仕事じゃない。 普通は少佐1名に大尉が1名だ。 そして少佐は師団長副官をする。
じゃ、私の場合は・・・? 大尉の副官は、『副師団長副官』だ。 副師団長たる、准将閣下の副官をしろと言っているのだ。

「中隊長、午後の訓練計画、出来上がりました」

中隊事務室で独り悶々としていたら、部下の小隊長の一人が訓練計画表を持って入って来た。 手渡されたその内容を確認し、可否を判断してハンコを押す。
私が計画表の内容を確認している間、部下は何やら興味深そうに私の執務机の上を見ていた―――あ、辞令、そのままだったわ。

「・・・司令部の副官部。 中隊長がですか? ・・・えらい度胸有るな、上層部も」

「・・・なんか言った!?」

「いいえ?」

わざと聞こえるように口に出して、それでいてシレっととぼけやがった。 ああ、腹の立つ。 こいつってば、段々と兄貴分に似て来たんじゃない!?

「ふう・・・ そ、転属よ、私は。 中隊も再編がなかなか進まないし。 第一、聞いた話じゃ14師団と18師団を混ぜこぜにするらしいしね。
直秋、アンタも転属は覚悟しておきなさいよ? まあ、14か18、どっちかの師団の戦術機甲連隊になるとは思うけれど」

「ああ、そいつは・・・ 前に一度、転属は経験してますからね、別に抵抗感は無いですが。 それより希望は通るんですかね?」

「さあ? 上か、上の上か、その辺りが決めると思うけれど? 推薦は私ら中隊長の意見を、ある程度聞いてくれるとは思うわね」

「あ~、だったら源大尉か、三瀬大尉辺りの中隊がいいな」

「なんで?」

「なんでって・・・ そりゃ、ごくごく常識的に、戦場以外じゃ平穏に勤務できそうだからですよ。 他の中隊長の下じゃ、結構波乱万丈っぽくありません?」

「・・・それは、私へのあてつけか?」

「自覚ないんすか?」

このヤロッ! 憎たらしい口を、一丁前に叩いて! 以前こいつを引き取った時は、まだまだ新米の少尉だったってのに。
同期の友人から頼まれて、こいつを私の中隊で預かって。 今まで散々面倒見て、育ててやったって言うのに!

「いやいや、それは感謝してますって。 中隊長の下で、色々と経験させて貰って、今まで生き残ってこれたんだし、うん。
でも人間、いつもいつも、波乱万丈じゃ身が保たないと言うか、平穏を求めると言うか。 判るでしょ?」

「それって、私がさぞトラブルメーカーだったと、暗に言っているの? 言っているんでしょ? 直秋!?」

目前の部下、周防直秋中尉(98年10月1日進級)が首をすくめてニヤニヤ笑ってる! 憎たらしい!
こいつを直衛の依頼で中隊に引き取った時は、まだまだ純真な?新米少尉だったのにな。 私が叱ったり、注意したりした事もあったけども。
それを真面目に言う事を聞いて、理解して、実践しようって態度は好ましかったけれど。 それがいつの間にか古参の少尉になって、そして中尉になって。
まるで手のかかる弟を育て上げた気分だったけど、それでも一端に生き残って、今では小隊長をするまでになった。 それは嬉しいんだけど・・・

「いや、『トラブルメーカー』だなんて、そんな。 訓練で斯衛と意地の張り合いをするとか。 14師団の某中隊長に素直じゃ無い態度取って、部下が裏でフォローするとか。
某作戦課長の夫婦問題に首突っ込みそうになって、慌てて押し止めるとか。 暴食が過ぎて俸給前に、真っ青な顔で通帳見ている隊長に気を使って、主計に捻じ込んで安い宴会で凌ぐとか。
いやいや、そんな苦労はこれっぽっちも感じちゃいませんから、うん。 命あっての苦労だし、生き残りの術を教えてくれたのは中隊長だし、うん」

「・・・やっぱりアンタ、従兄より性格悪いわよ」

「いやいや、『あれ』より達観した大人ですよ、俺は」

・・・ひ、否定はしないけど! 否定は出来ないけど! でもやっぱり―――やっぱり、性格悪いよ、コイツは!










1998年12月5日 0730 宮城県多賀城市 多賀城駐屯地 第14師団司令部


副官部の朝は結構速い、少なくとも他の幕僚より30分から1時間は前に登庁する。 他の部課と異なり、普通朝礼なんかはしないけれど、副官付との打ち合わせは必須。
師団長、副師団長のスケジュールの確認。 移動手段の確保と、その再確認。 訪問先への連絡、視察先部隊への通達。 上級司令部よりの命令受領、指揮下部隊への指示伝達。
やっている事は民間企業の秘書と、余り変わらないかもしれない。 違うとすれば企画立案にも携わると言う事と、サポートする対象へのアプローチの違いかな?
民間の秘書は、役職者『個人』をサポートする色が濃いのだけれど。 それに対して軍の副官は、『役職』の業務をサポートする。 『個人』のサポートの色が薄い事かな?

「それでは、本日のスケジュールと手筈は以上で良いな? 伊達大尉、他に有るか?」

主席副官―――師団長副官の信賀隆文少佐が聞いて来る。 陸士を優秀な成績で卒業した、恩賜の銀時計組(卒業成績、上位1割以内!)
機動歩兵科で大陸派遣での実戦経験も有り、次の『配置』は指揮幕僚課程(陸大!)だろうと言われるエリート将校。
でもそんなエリート臭は無く、けっこう気さくな人柄で、見た目は涼やかな感じの男前―――う~ん、早まったかしら、私?

「明後日の師団長のご予定、市庁舎訪問についてですが。 先方へは饗応(接待)不要の確認を、再度。 先だっても他の部隊で問題になりかけましたし」

「そうだな、このご時世だ。 先方の好意とは言え、難民でごった返すこの地方で軍の高官が饗応を受けていたなどと、新聞にでもすっぱ抜かれてはな。
判った。 遠藤中尉、多賀城市役所に再度、念押しの確認を。 他は? 副師団長は大和(大和駐屯地:宮城県黒川郡)の6機甲大隊視察だったな?」

「向うの本管(本部管理中隊)には、副師団長のバイオグラフィー(経歴)と趣向(飲物の好みや喫煙の有無など)について、連絡を入れております。
ですが、念には念を。 大野少尉、大和に再度確認を入れなさい。 向うの指揮官が恥をかかない様にする為よ」

「はい、判りました、伊達大尉」

「了解です」

副官付きの遠藤通輝中尉、大野美春少尉が、それぞれチェックボードに指示を書き込んでいる。 遠藤中尉は主計下士官上がりのベテラン、この辺は任せて心配無い。
大野少尉は高等女学校を卒業後、仙台陸軍予備士官学校を卒業した予備少尉だ。 まだまだ女学生風が抜けない娘だけど、経理などの事務処理は私以上にこなす。
普段は遠藤中尉が、信賀少佐付き。 大野少尉は私の補佐。 厳密にじゃないけれど、大隊そんな感じで分担している。

「よし。 ではそろそろ時間だな、私は師団長を迎えに行く。 伊達大尉、副師団長を」

「了解です」

師団長、副師団長となれば大抵は専属の下士官運転手が、官舎に迎えに行く。 副官はそれに同乗して上官を迎えに行くのだ。 車中で簡単なブリーフィングをする事も有る。
副官室を出て、本部管理棟の玄関へと向かう。 そろそろ他の部課の幕僚たちが出勤し始めていた、上級者に対して敬礼を行いながら玄関へ。
もう送迎の車は2台とも、運転手がスタンバイしていた。 この辺はちゃんと心得たベテラン下士官だ。
車に乗り込む直前、見知った顔が登庁して来た。 我が第14師団の運用・訓練計画参謀。 同期生で戦友、そして実は今朝、私はこの男のベッドから出勤した。

「おう、運用参謀、長門大尉。 オハヤス(おはようございます、の軍隊略語)」

信賀少佐の声がした。 

「おはようございます、信賀少佐。 ・・・オハヤス、伊達大尉」

「・・・おはよう、長門大尉」

見れば口元に微かにパンくずが付いている。 ・・・こいつってば、私が朝食作っておいたのに、あれから30分は二度寝してた訳ね? ふうん、良いご身分ね。
シレっとした顔で挨拶して、さっさと本部棟の中に入ってゆくその後ろ姿を見て、本当に思った―――私、本当に早まったかも? 私が作ったのは、和食だったのだから。










1998年12月12日 1530 宮城県 仙台市北部難民キャンプ群


酷い―――大陸でも散々見て来たけれど、祖国でこの風景を見る事になるとは。 前を歩く副師団長も、案内役の第405連隊(仙台)の少佐も、全く無言だった。
高森山を南端に、かつては『県民の森』が有ったちょっとした緑の多い場所。 今は木々が伐採され、代わりに粗末なプレハブ小屋が立錐する難民キャンプ群になった。
今日、私は上官のお供で、難民キャンプの『実情視察』に赴いている。 基本は政府(内務省)の管轄だけれど、それだけでは追いつかない。
キャンプとその周辺の治安維持は仙台師管区の任務の一つで、今は14師団と18師団が仙台市を境に南北を分担している。 14師団は北の担当だった。
そして副師団長は『基地・駐屯地司令官』を兼務する。 駐屯地内の軍政全般と、師管区北部管区の軍政は、副師団長の管轄事項だ(南部管区は18師団副師団長管轄)

キャンプの内情は、酷かった。 一応は雨風をしのぐ屋根は有るけれど、暖房は全く不十分。 難民達は何処からか手に入れた毛布を幾重にも被って、寒気を凌いでいる。
それ以上に心配なのが、衛生状態か。 キャンプのプレハブ小屋には、上下水道が全くない。 昔の公園の名残の公衆トイレが数か所あるだけ。
1日1回、給水車が回っているけれど、それも1家族4人計算で1日10L(リットル)だけ。 これはBETA本土来襲前の生活レベルの、100分の1に過ぎない。
トイレは穴を掘って、その上に掘立小屋を作っただけ。 週に1回、市の衛生局が回収に回っているけれど、十分とは言えない状況だ。

「・・・食糧事情は、どうなのかね?」

副師団長が、沈痛な声で確認していた。 それに応える405連隊の少佐の声も沈んでいる。

「はっ、一応は仙台に移転した食品加工会社、数社からこちらにある工場の完成品の一部を、無償で提供して貰っております。
しかし全て合成食材で、インスタント食品です。 栄養も偏りがちになります。 実際の所、高齢者や幼児を中心に、体調を崩す者が続出している有様で・・・」

「それに、衛生状態も悪い様だ。 伝染病は?」

「深刻です。 県や市の衛生局では手が足りず、師管区の防疫給水部も協力して事に当っておりますが、何分と難民キャンプはここだけではありませんので・・・」

難民キャンプはここ以外にも、仙台都市圏―――仙台市、多賀城市、塩竈市、名取市、岩沼市、宮城郡、黒川郡、亘理群だけで13キャンプ群の65箇所で約178万人。
宮城県全域で約395万人の難民が、劣悪な環境下での避難生活を余儀なくされていた。 東北6県―――宮城、青森、秋田、岩手、山形、福島で合計1600万人以上だ。
他には北海道に約1050万人、南樺太に約90万人。 択捉、国後、色丹、歯舞の千島列島諸島に4万人以上。 総数で2750万人を超す国内難民が居る。

かつて日本帝国の人口は、約1億2000万人を数えた。 しかしBETAの本土侵攻以降、国内の推定死者総数は約4390万人。
本土侵攻以前に海外へ避難した『指定避難者』の総数は、約1940万人。 その内各種産業・研究に携わる『政府指定避難者』の総数は約675万人。 
不法海外避難者数(海外難民化総数)は、1260万人を超す。 大半がフィリピンとインドネシアに、2割程がオーストラリア、ニュージーランドなどで難民と化している。

残った国内人口は、約5830万人。 その内の約半数近くが、難民と化していた。

近畿や東海、そして関東。 残った貴重な工業地帯を維持する為に必要な最低人口を残し、根こそぎ避難させていた。 受け入れ先は悲鳴を上げ続けている。
軍部・国防省が主導して新たに形成されつつある、新工業地帯。 それに従来は4大工業地帯の次、2番手グループだった工業地帯が、難民の受け皿にはなっている。
松島、大湊、石狩、北海道(石狩除く)、常盤、鹿島臨海の各工業地帯は、日々膨張を続けている。 これに生き残った阪神、中京、東海、京浜工業地帯(の、ごく一部)。
避難者が多く発生し、しかも最前線からの距離が比較的近い為に、生産量がかなり激減した関東内陸、京葉工業地帯。
日本海側も男鹿半島から津軽半島にかけて、新たな工場群が建設されつつある。 それでもBETA侵攻前の工業生産力の、50%前後を維持するのがやっとだ。


歩いている内に、違和感を感じる。 いえ、違和感じゃない、明らかに敵意に近い―――一人の難民と、目が有った。 まだ10代前半の少年と、5、6歳の女の子だった。
プレハブ小屋の前にトタンの屋根を付けて、毛布を幾重にも被って凍えている。 女の子(多分、少年の妹だろう)は疲労の為か、ぐったりしていた。 多分、孤児達だろう。
そして敵意はその兄―――少年が、私を睨みつけていたのだ。 彼にとって、自分の与り知らぬ事情故の、この惨状と困苦。 
飢えと寒さへの恐怖、親を失った悲哀と庇護を受けられない絶望、何をどうする事も出来ない苛立ちと、幼い妹を守らねばならぬ兄の責任感。
何処にぶつければいいのか判らない、その諸々の負の感情。 周りの大人たちの無気力感と貧困、多分彼らには辛く当たる大人も居るのか。
その捌け口を、私に見出したと言う訳か―――いや、私の着る『軍服』にだ。 少年は理解していないかもしれないが、それは国民を守れなかった軍に対する反感か。

「・・・少佐、随分と幼い孤児たちが多いようです。 彼らへの対応は?」

後ろめたさだけでは無い、そう思いたい―――自分にそう言い聞かせて、406連隊の少佐に聞いてみた。 副師団長も私の視線の先を追って、沈痛な表情を険しくしている。

「今、内務省と国防省が協議の上で、国営の孤児院を大増設する計画は有るが・・・ それも春先の話だ。 いま直ぐには無理だ。
当面は地域のコミュニティー、県営や市営の孤児院、少数ある軍の遺族孤児院で引き取る位しかないな。 予算も果たして確保出来るのか、どうか・・・」

相変わらず私を見据える少年の視線が痛い。 なぜなら彼の境遇、その原因のほんの一端かも知れないが、それは間違いなく私の背負う事でも有るから。
彼の視線が痛い、そう感じるのは私個人『伊達愛姫』としてではなく、帝国陸軍軍人である伊達愛姫『大尉』としての部分が、そう感じているからだろうか。
406連隊の少佐が、傍らの部下に命じて難民キャンプを管理する軍の管理本部へと走らせた。 まだ残っている親を亡くした難民の子供達を、軍の孤児施設に収容させる為に。

(・・・偽善だ、偽善だ、偽善だ、これは・・・ッ!)

内心、激しく動揺してしまう。 

「・・・銃後の国民を守れず、孤児を守る振りをしてその実、将来の兵役に直結させる、か。 これを偽善と言わずして、何と言うのか・・・」

副師団長の言葉は、私が内心で激しく動揺していた事と同じだった。

「だが、やらねばなるまいよ。 誰かが偽善を為さねば、最早この国は生き抜く事も出来ん」

「閣下・・・」

「副官、伊達大尉、我々は行わねばならんのだよ。 そして我々にも救いは有る、そう思うぞ」

「救い、でしょうか・・・?」

「そうだ、救いだ。 我々は『偽善』を為す。 それを自覚している、自己の善性に疑いを持てるのだ。
それは自己への思索に裏打ちされ、自己の行為の及ぼす影響に留意して為す行為だ。 それは単なる主観的な善悪を超越したものになり得る、私はそう考える」

詰まる所、私達は忘れてはならない、そう言う事なのだ。


「閣下、ここで予定の視察箇所は終了です。 これより師管区司令部に、お戻りになりますか?」

「うん、副官?」

上官の問いかけに、頭の中をフル回転させる。 ええと、現在時刻にこの後のスケジュール、要する移動時間は・・・

「司令部までお戻りになられ、そこから次の訪問先へ。 送迎の車は既にご用意しております、閣下」

「判った、では司令部へ戻ろう。 少佐、キャンプの実情は把握した。 師管区としては、国防省へ早速改善要求を出す」

「はっ!」

第406連隊は、郷土部隊であると同時に地域の治安維持部隊でも有る。 彼らにしてみれば、故郷に溢れかえる避難民に何とかしてやりたい、そう願うのは人情だろう。
同時に仙台市北部難民キャンプ群を含め、複数の難民キャンプ群の管理を行っている406連隊としては、日々の困難と歯痒さを少しでも上層部に判って欲しい、そう願っている。

司令部への帰途、もう一度あの少年と出会った。 彼の視線は、変わらず私には痛かった。









1999年1月15日 2210 福島県福島市 第13軍団官舎群 士官官舎


『・・・だからね、今は断ろうと思っているの』

電話機の向こうから聞こえる声に、正直私はちょっとばかり苛ついていた。 相手と会わないと言うのではないわよ? 電話の相手は祥子さんなのだし。

だけど今はちょっと・・・ね。 

「でも、そんな事言っていたらさ、誰もがいつまでも自粛、自粛になっちゃいません? 今のご時世、戦死者は良くある話だし。
私の同期生でも、お兄さんが戦死したから家を継ぐ為にって、弟が1カ月もしない内に結婚して家を継いだって、良くある話ですよ?」

『家』を継ぐ―――日本では、いえ、東アジアでは良く聞く話ね。 先祖代々の家系を失わない為に。 これって確か、先祖の祭祀を絶やさない為、だったかしら?
あ、でも圭介が言っていたっけ。 日本だけは娘が家を継ぐ、つまり婿養子や、親族から養子を貰って家を継ぐってのが有るのは。
中国や韓国みたいに、儒教道徳の権化のような国じゃ、直系の男子だけが家を継げる資格が有るとか無いとか。 ま、いいや。 そんな事より・・・

「今回ばかりは、私は賛成できないなぁ・・・ 確かにさ、祥子さんも言っているように、あいつはお兄さんが横浜で戦死したし、従弟達も佐渡島で戦死したよ?
だけどさ、今はたまたま参謀職に就いているけどさ、あいつだって本来は前線の部隊指揮官が本職だし。 そうなったら本当に、戦死しないなんて保証は無いよ」

だから、あのトウヘンボクがやっと言い出した今回の事、やっぱり受け入れた方が良いと思うんだよね、ワタシ的には。
勿論、『籍だけ』だなんて言わせないよ? どうせだったら式もちゃんと挙げないと。 こんなご時世だからこそ、だよ。

『それは・・・ そうなのだけれど・・・ でもやっぱり、ね・・・?』

ああ、もう! じれったいなぁ!

「とにかくさ! おめでたいお話なんだから! OKしちゃいなよ? 祥子さんだって、ずっと待ってたんでしょ!?
それこそ19の年から今まで6年も! その間に私が何度、『家から見合いの話が来て困る』って話、聞かされたと思う!?」

『そっ、それは・・・! そうなんだけど・・・』

くわあぁぁぁ! じれったい! あの朴念仁のトウヘンボクもさることながら、この人も本当にじれったいったら! 
それこそ有無を言わさず、押しかけ女房にでもなりゃ良いのに! 変な所で古風過ぎるのよ、この人は!

「と・に・か・く! OKしちゃいなよ! 6年越しのゴールインなんだからさ? この機会を逸したら、それこそ三十路なんてあっという間よ!?」

『ちょ、ちょっと、愛姫ちゃん!? 失礼なこと言わないで! まだまだ先よ!?』

「あー、あー、聞かないー、聞こえないー! じゃ、そう言う事で、OKしちゃいなさいね? 良いですね!?」

そう言って受話器を置く―――ちょっと勢い良過ぎて、叩きつけるようになっちゃったよ。 最後の方、電話口の向こうで何か喚いていたけど気にしない、うん。
はあ、何だか力が抜けた感じ。 本当なら嬉しいんだけどなぁ、結構仲の良い年上の友人と、これも仲の良い同期生が結婚する。
2人とも私が新任少尉の頃からの付き合いだし、良く知っている2人だし。 男の方が昔バカやって、欧州に飛ばされた時の事も知っているし。
その間、相手の女性がどんな思いで待ち続け、戦い続けてきたのかも良く知っているし。 本当なら、もう諸手を上げて祝福したい所なんだけどね・・・

「目出度い話の割には、随分と凹んでいるじゃないか?」

後ろから声を掛けられた。 って言うか、私のベッドに腰掛けて本を読んでいる圭介が話しかけてきた。

「べっ、別に! 凹んでなんかいやしないわよ! おめでたい話なんだし・・・」

「じゃ、どうしてそこで、語尾が尻すぼみになるんだ? 何時ものお前なら鬱陶しい程、上機嫌で喋りまくるってのに」

む? 鬱陶しいって、どう言う事よ?―――って、普通ならここで言い合いの一つも出るんだけれど、今は何だかそんな気になれない。
そんな私を見てた圭介が、少しだけ苦笑して『こっちに来い』って手招きしてる。 だもんで、傍によって、横に座った。

「・・・今日はえらく素直だな?」

「・・・悪い?」

「いいや? 嬉しいけどね。 つまりなんだ、お前は実は先月の事を今も引きずっている、そう言う事なんだな、これが」

「勝手に私のセラピー、しないで頂戴」

先月の事―――副師団長のお供で難民キャンプを視察した時の事。 確かにあれはまだ心の中にしこりとして残っている、それは認めるわ。
でも多分、それだけじゃない。 駐屯地基地司令を兼務する副師団長は、特に地域とのゴタゴタが有った場合、その対処責任者となる。
今までも難民と基地要員とのトラブルがあったり、地元住民と難民とのトラブル、それに師団要員と地元自治体とのトラブル。 色々と有った。
中には一向に改善されない劣悪な状況に不満が爆発した難民が、人数を集めて抗議の集会を開いて、無届デモをやらかそうとして、それを軍が抑え込んだり。
難民同士の間でも、格差が生じている。 日本人の国内難民と、東アジア―――中国や韓国から流れてきた、海外難民とでは、これまた生活面で格差が付いている。
お陰で難民キャンプ同士のいざこざも、日頃からた言えないのが頭の痛い所。 そう言った行政トラブルを、行政と一緒になって対処する軍側の責任者が、副師団長。

「・・・確かにさ、少し凹んでいるかも。 だってさ、しょうがないじゃん、こう言うのって」

そんなトラブル処理ばかりしている将官なんて、それこそ軍服のシミを付けまくっている様なもの。 軍歴にだって影響するわ。
だからか、副師団長ポストは別名、『お疲れ様ポスト』とも言われる。 旅団長から師団長への出世レースに取りこぼされて、万年旅団長の准将が定年間際に任されるポストだ。
師団長は大抵が、副師団長より陸士の後輩と言うケースが殆ど。 将来のある優秀な師団長―――次の軍団長や、軍司令官候補に、世俗の泥を啜らせる訳にはいかないと言う事。
だから副師団長が、そう言う面倒な雑事を一切ひっかぶる。 実際の所、軍事行動面では作戦は参謀長が、部隊指揮は各連隊長が行うし。
師団長も師団の方針―――攻撃か、後退か。 前進か、転進か―――と、各連隊への指示位なら、別に副師団長に任せなくとも十分だし。
副師団長も、実際は前線に出る事はほぼ無い。 普通は出撃した後の留守部隊を纏めて、補充の供給に専念するからだ。
そして定年退官5秒前に念願の少将昇進、即日予備役編入。 そして即予備役招集で、どこかの辺鄙な基地司令官か、補給処の駐屯地司令官と言う場合が殆ど。

で、そんなこんなで、今の帝国内の実情をこれでもかって言うほど見せつけられて、確かに私は凹んでいます。 ええ、そうよ、凹んでいるわよ。
自分がしている事への影響、それは全くの善性からじゃ無い事も、良く判っているわ。 例えば孤児院に引き取られた子供達。
彼等の将来は、軍人か軍属以外に選択肢は無い。 軍は衣食住を与え、保護する事で彼等の将来を買い取っているのだから。
これってある意味、古い古い時代の奴隷制度みたいなものじゃない? そしてその片棒の一端を、私は担いでいる。

「つまりな、お前が綾森さんに腹を立てているのは、そこが原因なんだよな」

「別に、腹なんか立てていないわよ・・・」

「いいや、立てているね。 つまりお前は、自分の偽善を自覚した。 でもそれは望んで行っている事じゃない、だから余計に苦しい。
で、綾森さんに対して『何を言っている! 自分がこんなに悩んでいるのに!』って。 そう無意識に八つ当たりしたいんだよな、これが」

「お・・・ 怒るわよ、圭介!」

な、何て事を言うのよ!? よりによって、私が八つ当たりですってぇ!?
余りの怒りに、声が出ない。 息が荒くて、息苦しい。 振り上げた手が、いつの間にか震えてる。
そんな私をじっと見ていた圭介が、急に私の手を握るや、力一杯抱き寄せた。 抵抗しようとしたのもつかの間、思いっきり力強く抱きしめられて身動きできない。

「おい、愛姫。 偽善って言うならな、俺はお前の何万倍も偽善者だぞ?」

「・・・圭介?」

「お前は、何百、何千の難民を撃ち殺した事は有るか? それ以外の何万の難民を守る為、って言うお題目をこじつけて。
BETAを殲滅する為に、難民キャンプの守備をわざと手薄にして、彼らを恐怖のどん底に落とした事は有るか?
故郷に留まりたいって言う人々を、保護の名の元にあれこれ理由をこじつけて、難民キャンプへ放り込んだ事は有るか?
薄汚れたスラムの不法難民街で、奴隷労働に等しい事が為されている事を承知で、それでも戦力維持の為だって、無理やり内心に飲み込んだ事は有るか?」

「け、圭介・・・」

「・・・俺は、有る。 俺と直衛は、有る。 それをやった、それの全てを経験した。 久賀もその半分はやった」

・・・そうだった。 圭介は、圭介と直衛、それに久賀の3人は、その為に国連軍へ飛ばされたんだっけ。
多分、向うの戦場でも色んな事が有ったのでしょうね。 私も色々と経験はしたけれど、難民を撃ち殺す経験はした事が無いわ。

「それでも俺は、俺の偽善を許容するぞ。 こんな世界だ、誰かがそんな偽善をやらなきゃ、その役を演じなきゃならない、そう言い聞かせてな。
世の中、偽善だらけさ。 善性だけの行為なんて、今の世に存在するものか。 そんな余裕は、人類には無いんだから」

「そう・・・かな? じゃ、私が圭介を好きなのも、圭介が私を好いてくれているのも、偽善・・・?」

「馬鹿・・・ 一緒くたにするな。 俺が言っているのは、集団としての行為だ。 集団としての意思の事だ。 
個人で偽善を為す奴は居るさ、主に利益が絡むと特にな。 でもそれと、人が人を求める欲求は、別だろう?
俺は別に、お前の実家が地主だからって好きになった訳じゃねぇ、大体が好きになったのはずっと昔だ、お前の実家の事なんか知らなかった頃だ」

「・・・それって、国連に飛ばされる前の話? 確か、圭介達が国に戻って来て直ぐ位の頃に、私の実家の事、話したわ」

「・・・うるさい。 お前は昔、俺が女にしたんだからな」

・・・うっわ~、すっごい男尊女卑的発言! って思いきや、照れなのかそっぽを向いているし。
カチッ、カチッ、って音がするけど。 ああ、煙草に火を付けているのかぁ・・・ って、私の部屋は禁煙!
圭介の背中に飛びついて、口元から煙草を取り上げる。 で、そのままの体勢で聞いてみた。

「やっぱりさ、私ってさ、八つ当たりしてたのかな?」

「してたね」

圭介が私の手を取って、私を引きよせてもう一度抱きしめる。 あ、何だか心地良いわね。

「謝った方が良いかな?」

「謝ると言うよりな、もっと親身に喜んでやりな。 綾森さんもあんな性格だ、本心じゃ、後押しして欲しいんだろうよ」

お互いの顔が凄く近い。 額がくっついた所に、こっちからキスしてやったわ。

「案外、厄介な性格だね」

「お前もね」

そう言った途端、ベッドの上に放り投げられた。 圭介が上に覆いかぶさって来た。










1999年2月22日 1350 宮城県仙台市郊外 伊達家


「と言う訳なの。 お祖父ちゃん、1日だけで良いんだけど、この家を使わせてくれない?」

精々可愛らしく、とは言えもうこんな年だし、無理はせず。 大丈夫、祖父の落し方は子供の頃から、心得ているつもりよ。
市の郊外に有る、かなり広い豪壮な『お屋敷』 実際に昔は上級武士だったと言うご先祖が、この辺の領主をしていた時に住んでいた武家屋敷。
3000坪は優に有るその敷地は、我が家がその昔は大名家に匹敵する領地を有する、主家の一族に繋がる有力な家臣だった証だ。
今は周りの地所は田畑に変わって、祖父が畑仕事をしている。 農繁期には父も市内から畑仕事を手伝いに来る。
今は冬、一面の雪景色。 これが春になると一斉に緑が芽吹き、花が咲き乱れてそれは見事な景色に変わるのだ。

「そりゃ、儂は構わんがの。 しかし愛姫よ、向うさん方は了解しとるのかの? お前の事じゃ、独りで突っ走ってはおらんのか?」

む、流石は祖父。 孫娘の事は良く判っていらっしゃる。 ・・・じゃなくて。

「それはこれから。 とにかく、友人や上官、使える人脈は総動員して事に当たるつもりよ。 大丈夫、こればかりは皆が賛同してくれるわ」

「だと良いがの。 まあ、この家は何時でも使うがええ、どうせ儂独りじゃ。 日取りが決まったら、数日前には掃除せねばならんがの」

「・・・何とか時間を工面するから、人数も・・・って、そっちは厳しいか」

お互い中堅処の指揮官や管理職だし。 かと言ってかつての部下の伝手は使えないし、ちょっと厳しいかも。

「心配するな、孫の手を借りねばならんほど、耄碌しておらんわい。 それより愛姫よ、お前はこのご時世に、どうして敢えてこんな事をする気になったのじゃ?
隣近所を見てみい、戦地に息子・娘を送った親御さんはたんと居る。 戦死者を出した家なんぞ、もう珍しくも無いわ。 皆が悲しいのを堪えて暮らしておる」

「だからこそ、よ・・・」

私の呟きに似た声に、お祖父ちゃんが珍しいものを見る様な眼で、見返してきた。

「こんなご時世だからこそ、よ。 恰好つけと言いたければ、言えばいい。 偽善と笑わば、笑え。 私は日常を取り戻したい。
万人に施しなんかしないし、出来ない。 私がするのは、私の周りの身近な人達だけ。 立場やコネを利用している? 利用出来るものを利用して、何が悪いの?
私は日常を取り戻したい、周りの笑顔を取り戻したい。 それで私が出来る事は、周りの人達にお節介を焼く事だけよ。 それって、悪い事?」

何だか物凄く手前勝手な事を言っているって事は、良く判っているわよ。 でも私は、私の周りに対してしか、出来ないのも事実だもの。
国民が大変? ああ、政府には頑張って貰いましょう。 民の塗炭の苦しみへの慈悲? 精々、お心を痛めて下さい、ご勝手に。 庶民はそんなの、お腹の足しにもなりません。
私達が欲しいのは、かつての平和な日常。 私はその為に戦っているし、戦いの最中でもその一端が得られるのならば、どんな手でももぎ取るわよ。
そして多くの国民は、自分の周りにしか手が回らないもの。 私に出来る事は、周りの身近な人達へのお節介だけ。 
あとは出来ないし、求められても無理、出来ない。 だってそうでしょ? みんな、そんな小さな事が集まって、世界は作られるんだから。
だったら私のする事も、そんなかつての平和な世界の一端を取り戻す事よ―――なんて屁理屈を、夕べ必死になって考えていたわね。

一気に言い切った私の顔を、祖父はまじまじと見ていて・・・ そして穏やかに笑ってこう言った。

「・・・そうじゃ、それでいいんじゃよ、愛姫。 我が家のご先祖も含めての、この地方の昔の武家はの、時代の流れに逆ろうてまで、最後まで領地在所を手放さなんだ。
なぜか? ま、色々有るがの、一番は民を守る為じゃ。 武士が己の食い扶持を得る為にはの、百姓が田畑を育てねばならんて。 武士はその百姓を守らねばならんて。
国への奉公はの、民百姓を守る事じゃというてな、己の領地在所を最後まで主家には預けなんだ、それがこの地方の武家じゃよ」

む・・・? 急にお祖父ちゃんの昔語りが始まった。 長いのよね、こうなると・・・

「我が家がの、1世紀以上前に爵位はおろか、士族の籍すら放棄して帰農したのはの、新政府の方針が気に食わなんだからよ。
あれらはの、『摂家』などと言いつつ、実の所は頭がすり変わっただけの事じゃ。 誰も民百姓の事なんぞ、考えてはおらなんだわ。
それが理由に、新政府に変わってから税は重くなるわ、それまで村落での自由な自治は無視されるわ、生活苦は知らぬ振りだわ。
どだい雄藩連合なんぞと言っても、下の事など見えてはせなんだからの。 酒田の本間の家も、そうして新政府を嫌った口よ、我が家もだわ」

それとこれと、どう繋がりが有るのだろう・・・?

「我が家はの、幸いにも広い地所を持っておった。 だもので、手を尽くせる村は多かったがの。 ま、それも時代と共に苦しくなってきて、今は只の農家じゃがの。
それでものぉ、家族への奉仕はまだまだ出来るもんじゃて。 人はの、端から公に奉仕するもんじゃないわ、まずは家族への奉仕じゃよ。
それが出来んで、なんぞ公への奉仕じゃ、笑わせるな。 女房子供を食わせ、一族を食わせ、それが出来て始めて公に口を出すものじゃ。
摂家はの、かつて失敗しよったわ。 先の戦争へと進む時代の舵取りを間違えよった、『国家』と言う家の女房子供―――国民を食わせる事に、失敗しよった。
それ故に、今更に復権を唱える昨今の大馬鹿者どもの戯言には、失笑するしかないがの―――おっと、話が逸れたの。 年寄りの愚痴じゃ、許せよ?」

つまり、式を挙げる事も、そのお節介を焼く事も、長い長い流れの果てには、公に繋がっていくと言う事?

「家族への奉仕、友人の世話、身近な事しか出来んしの。 皆がそうやって、小さな事でも積み重ねていけばいいんじゃ、儂ら庶民はの」










1999年2月25日 1930 福島県福島市 福島第1駐屯地 第14師団


全ての課業が終了した時間、こっそり隣接する18師団に連絡を入れて親友を呼び出し、裏工作を進める事にした。

「・・・と言う訳よ。 だから緋色、アンタも是非、協力して」

『うむ、委細承知した。 愛姫、貴様の言う通り、これは聞き捨てならん事だ。 こんな前例を作られては、後々でこちらが困る』

お? 流石は遅咲きで目覚めた恋する女、話が早いわ。

「んじゃ、麻衣子さん(三瀬麻衣子大尉、14師団)には、私から言っておくね」

『うむ、沙雪さん(和泉沙雪大尉、18師団)には、私から話そう。 それと念の為だ、美園(美園杏大尉、18師団)にも話しておこう。
仁科(仁科葉月大尉、14師団)には、愛姫から話を通しておいてくれぬか? あの二人も浅からぬ仲だ』

「判ったわ。 他には?」

『広江中佐は、外せぬだろう。 それに開発本部も仙台に移転しておる、河惣中佐へも連絡を』

「上と下、両方からの包囲殲滅戦ね、判った。 広江中佐には私から連絡するけれど、河惣中佐は実はあまり接点無いのよ」

『そちらは任せろ。 実は実家の伝手で、中佐のご実家とは接点が有るのだ。 河惣中佐には、私から連絡を入れる』

「ん、お願い。 何としてもこの作戦、完遂するわよ?」

『当然だ、私の未来にも関係する、何としても成功裏に終わらせるぞ』

電話を切った所で、大きく息を入れる。 ここで自粛して式を挙げないなんて、そんな前例を作られて堪るモノですか。
緋色も予想通り乗り気になっている、あの女、この調子じゃその内、強引に押しかけ女房の座に収まりかねないわね。
あとは祥子さんとあのトウヘンボクに、妙に情の有る広江中佐と、昔その手の傷持ちで賛成してくれるであろう河惣中佐の2人の上官。
それに麻衣子さんと沙雪さん、この祥子さんの2人の同期生も他人事じゃない筈。 それに美園と仁科、この2人も祥子さんとは仲が宜しい、こっちに引き込めると踏んだ。

こんなご時世だからこそ、ささやかな幸せは大切にしたい。 それが人生で最大級の慶事なら尚の事。 こんな時に変な前例は作らないで欲しいモノよね。
それに祥子さんも内心じゃ、未練たらたらの筈。 彼女の性格上、あの馬鹿には隠し通すだろうけれど、女同士の感を舐めて貰っては困るわ。

ようやく、あの馬鹿で朴念仁なトウヘンボク―――私の同期生で、別名を周防直衛と言う男―――が、祥子さんにプロポーズした。
6年越しのゴールインだ、本当に長かったわ。 どれ程やきもきした事か。 そんな感慨もつかの間、ついこの間出張先の仙台で、圭介がこう言ったのだ。

『―――聞けよ、愛姫。 直衛のヤツ、コイツとんでもない奴だ。 式は挙げないんだと。 綾森さん、花嫁衣装を着れずじまいだぜ?』

一瞬にして、キレたわね、我ながら。
目前の阿呆に腹が立ち事もさることながら、祥子さんの結婚前からの夫唱婦随っ振りにもね。
人がいろんな事で悶々と悩んで、彼女のお惚気?に苛立って。 それでも何とか内心で折り合いを見つけて(圭介に刷り込まれた所は、否定しない)
ようやく祝福した途端、その『自粛』はないでしょう!? そんな前例作られちゃったら、あとに続く予定の私達の立場はどうなるの!? と言いたい、声を大にして。

ま、いいわ。 これだけの戦力で包囲すれば、さしもの祥子さんも降参するわよ。 あの馬鹿への攻撃は、ちょっと考えないといけないけれど・・・










1999年3月1日 1850 宮城県仙台市 第4軍司令部ビル前


師団長と副師団長の車を見送り、ホッと息を吐く。 今日はこれで仕事はお終い、後は電車で福島まで帰るか。 それとも久々に市内で食事をしてからにするか。

「伊達大尉、私はこれから同期会の集まりが有る。 君はどうする?」

信賀少佐が聞いて来る。 最近知った事だけど、この人は既に婚約者がいるとか。 まあ、私には縁のない人だったと言う事よね。

「・・・市内で食事でもしてから、帰ります。 ここは私の故郷ですし、知った店も有りますので」

「そうか、ではここで失礼するよ。 明日、また」

そう言って私の敬礼に答礼を返して、外套の裾を翻して颯爽と―――何だか、キザに見えるなぁ・・・ 思わず苦笑してしまうじゃない。

暫く駅前通りへの道を歩いていた。 街並みは昔と変わらない、いや、少し変わったかな? 前より栄えている気がする。
でも余り雑多な街になって欲しくないなぁ、昔のこの街が、私は大好きだったから。 そんな事を考えながら、ブラブラと歩いていると声を掛けられた。

「あら? 伊達大尉?」

「あ、本当。 愛姫じゃない」

どことなくイントネーションのおかしい日本語。 振り返ればそこには・・・

「・・・美鳳、文怜。 どうして貴女達がここに? 国連軍は三沢(青森県三沢基地)じゃなかったっけ?」

中国軍―――今は国連軍の軍服に身を包んだ趙美鳳大尉と、朱文怜大尉だった。 彼女達は圭介や直衛の伝手で、何度も有った事が有るし一緒に戦った事も有る。
去年の10月に、日米安保を放り出して在日米軍が逃げ出した跡地には、国連太平洋方面総軍第11軍がその後釜に座っている。
美鳳たち、統一中華戦線から国連軍へ抽出された部隊も、三沢基地と一部は海軍の八戸基地に分駐していた筈。

「上官のお供で、仙台までね。 でも遅くなってしまって、もう帰りの列車が無いの」

美鳳が困惑気にそう言う。 ああ、軍用機を使用してこなかった訳か。 仙台ならまだ、関東や佐渡島の光線属種の射程圏外なんだけどね。
でもだとしたら、確かに仙台から三沢じゃ、まず一ノ関まで1時間半かけて行き、そこから盛岡行きに乗り換えてまた1時間半。 盛岡から三沢まで2時間強。
乗り換えの待ち時間も入れれば、優に5時間半はかかる。 今は夜の1900時過ぎ、三沢到着は深夜0030過ぎ。 駄目だ、もうダイヤが無いわ。

「ホテルは一杯だし、日本軍の宿泊施設(陸軍の偕行社、海軍の水交社)に泊まる手も有るのだけれど・・・ 最近は国連軍への風当たりもね」

そう言って、文怜も困惑気味だ。 確かに帝国軍内では国連軍への不満は高まっている、だけどその原因は主に米軍に対してだったけど?
アジア諸国軍の友軍には概ね友好的で、国連軍とは言え美鳳や文怜は、元は統一中華戦線―――中国軍で、大陸で共に戦った友軍だ。 申請すれば、歓迎してくれると思うけれど?

「ええ、そうなのでしょうけれど・・・ こう、ピリピリした雰囲気がね。 判っているわ、私達の祖国も大陸防衛戦の末期はそうだったし」

「だから何と言うか、息が抜けないの。 せめてゆっくり出来る空間は欲しいわ・・・」

なるほど。 確かにそう言うものかもしれない。 そうよね、私自身、大陸戦の末期はそう感じたものね。

「判ったわ。 じゃあ、三沢に帰るのは明日の早朝ね?」

「ええ」

「そうなるわね」

じゃ、決定ね。 余分に1時間程かかるけれど、そこは勘弁して貰いましょう。

「福島まで行けば、私が部屋を貸してあげるわ。 官舎がそこなの、見知った顔が多いわよ?」





2130 福島県福島市 第13軍団官舎群 士官官舎


「ええ!? 式を挙げないの!?」

「祥子、可哀そう・・・」

「あ、いやね、だからそうならない様に、色々と手を尽くしている最中で・・・」

「直衛、酷い! 翠華の事は我慢する事にしたけれど、それは酷いわ!」

「・・・祥子、可哀そう・・・」

「あ、だからね、あのね、話を聞いて・・・ お願い・・・」

怒り上戸(文怜)に泣き上戸(美鳳)なの!? 勘弁してよ!
傍らの緋色に視線で助けを求める―――そっぽを向きやがったわ、この女!

官舎に就いて、私の部屋に案内して。 それじゃ手狭だから緋色を呼び出して、美鳳を緋色の部屋に泊めて貰うように頼んで。
そこから将集の酒保で食事をしてから、流れで飲み会になっていた。 そこで祥子さんと直衛の話が出た途端、この有様だ。
ああ、この2人は余りお酒が強くないのかしらね? 私も余り強い方じゃないけれど、それでも彼女達よりは強いわね。 緋色? あの酒豪女はどうでも良いわ。

「うむ、そうなのだ。 周防は実にけしからぬ酷い男でな。 それに祥子さんも可哀そうな女性だ、人生の晴れの舞台を祝えぬとは。
ご両人とも同じく女であれば、この義憤は良く判ってくれような? いや、判る筈だ、判ってくれる筈だ、どうかな?」

「判るわ! よーっく、判るわ! 大体が直衛ってば、女関係に優柔不断過ぎるのよ! 直ぐに雰囲気に流されて!」

「昔、私の戦死した友人も嘆いていたわ、誠実じゃないって・・・ これはもう、お仕置きモノよ?」

「うんうん、そうであろう、そうであろう。 ではご両人に賛同頂いた所で、ひとつお願いが有るのだが・・・」

「ん? なに、緋色?」

「神楽大尉、私に出来る事なら聞きますわよ?」

私はその時のこの女―――緋色の表情を忘れない。 策士とはこういう顔なのだろうと思った。 しかしこの女、変わったわ、ホントに・・・

「是非、貴女方の上官・・・ 周蘇紅少佐へ、ご注進を願いたい。 少佐はあの男が頭の上がらぬ女性の一人だ。
それに祥子さんとも浅からぬ間柄故な、随分と外堀は埋めたが、ここはひとつ念を押しておきたいのでな」

「判ったわ、早速報告する」

「少佐もさぞ、義憤に萌えて下さいますよ」

「いや、美鳳、そこは『義憤に燃えて』じゃないの?」

「義憤は少佐の趣味です」

・・・あ、そう。 もう勝手にして・・・










1999年3月10日 福島県福島市 第13軍団司令部


軍団司令部の会議の後、師団本部へと戻る副師団長を待っていると、向うから見知った顔が歩いてきた。
一丁前に参謀飾緒なんか、ぶら下げてまァ・・・ 最も私も、副官飾緒を付けている訳だけれど。
そして私の顔を見るなり、苦虫を潰した顔しちゃって。 歩み寄ってくるなり、小声で苦情を言いやがるの。

「・・・愛姫、お前どう言う魂胆だよ!?」

「何が?」

「とうとう、周少佐にまで脅しを掛けられたぞ? 広江中佐や河惣中佐にもだ、昨夜は藤田大佐から電話が有った。 どこまで根回ししやがるんだ、まったく・・・」

ほほう? 藤田大佐とは。 広江中佐、旦那様を動員した様ね、結構、結構。

「いいじゃない、皆が祝福してあげる、そう言ってくれているのだから。 あ、そうそう、式の場所は確保したわ。
今日中にアンタと祥子さんに連絡するから、ご親族へはちゃんと伝えてね? 仙台の郊外だけど、ちゃんと交通の便は有るから」

「おい、それより答えろ! 何処まで根回しを・・・」

「・・・男がこの期に及んで、たらたら文句を言うんじゃないよ。 ドーンと構えな? んん?」

直衛が思わず面食らった好きに、その場をさっさと離脱する事にした。 全くあの男は、自分の甲斐性の無さを少しは自覚しろ!










1999年3月23日 2330 福島県福島市 第13軍団官舎群 士官官舎


「今頃、祥子さんと直衛は作並温泉?」

「日帰りで行けるからな、あそこは。 明日、福島に戻ってくる予定だってさ」

ベッドの中で、隣の圭介が天井を見上げながらそう言う。 ここは私の部屋。 週末は大抵泊まりに来るのが習慣になっている。
今日、無事に式が終わって、新郎新婦はその足で一泊二日の温泉旅行に。 慎ましいけれど、今の時代じゃ破格の贅沢だ。
それでもいいと思う。 あの2人はもうずっと、ずっと長い間戦ってきたのだもの。 この国を、国に住む国民を、そして人類社会を守る戦いを。

・・・ま、そんなこんなで、少し位のご褒美があっても、良いと思うのよね。

「はあ、やっと片付いたかぁ・・・ 長かったわぁ・・・」

「お前も、お節介のし甲斐が無くなって寂しいとか?」

「他にまだまだ、居ますから」

緋色とか、麻衣子さんとか、緋色とか・・・
そう言って笑うと、圭介が大きな手で私の顔を自分の顔の方に向けて言った。

「おい、俺はそんなに辛抱強い方じゃないぞ?」

「・・・へぇ~? じゃ、期待しても良いんだ? プロポーズの言葉。 勿論、然るべき時に、然るべき雰囲気で言ってくれるのよね?」

「・・・ああ、そうだ」

「楽しみ~、で? いつ? 期待しちゃうなぁ~?」

「その内だ、その内! 俺は直衛と違って、考えなしに言わないから!」

「え~? 聞きたいな~、早く聞きたいな~!」

「ああ、うるさい、うるさい! 俺はもう寝る、おやすみ!」

そう言って、布団を頭からかぶっちゃった。 私はその中に潜り込んで、体を合わせる。 お互い裸だから、体温を直接感じられて心地良い。
こんな時代だけれど、いいえ、こんな時代だからこそ、人との繋がりは大切にしたい。 お節介焼きと言われても良い、私は人との繋がりを大切にしたい。

それが―――それが、私の出来る『身近な、好きな人達への奉仕』なのだから。









1999年4月某日 士官官舎


「・・・やはり、押しかけ女房と言う手は、有りだろうか・・・」

「私もね、祥子どころの話じゃないのよ。 実際こっちも6年以上待っているのよね・・・」

「アンタは相手がいるだけマシ。 あたしは相手を見つける所から始めないと・・・」

「それは、私も同じですわ・・・ しかも日本は私にとっては異国ですし・・・」

「はあ・・・ 翠華はある意味、正解を取った訳ね。 ドイツ人とは言え、称号持ちの貴族で有能な指揮官、それにかなりの男前・・・」

ううむ・・・ ちょっと凄い事になっているわ。 先日来、冷やかし半分で新婚家庭に波状攻撃で押しかけたのだけれども、皆してあの雰囲気に撃破された訳よ。
圭介はさっさと逃げた。 美園と仁科も近づかない。 間宮なんて怖がって、顔が引きつっていたわね。 さて、どうしよう・・・?

「ちわーっす、伊達大尉、ウチの中隊長、居ますか?」

部屋の外から、何とも呑気な声が。 ドアを開けてみると以前の部下、今は緋色の部下の周防直秋中尉が書類を抱えて突っ立っていた。
緋色がどんよりした顔を上げて、部下を見る。 そしてその手に持つ書類のを見て、あっ、と声を上げた。

「中隊長、お願いしましたよね? この書類に判子を押して下さいと、それも昨日中までに」

「う、うむ、済まん、忘れておった・・・」

「今日の昼前までに提出しないと、また訓練参謀が煩いんですよ。 まあ、最近は新婚だからか、余り煩くないですけどね?」

その『新婚』の一言に、また場が固まった―――この馬鹿! 空気読め!

「にしても、良い年した妙齢の女性が、休日の昼前に集まって、まあ・・・ 他に何かやる事無いんですか?」

うわっ! 今、殺気が立ち上ったわよ! 殺気よ、殺気!

「くっ・・・ そ、そう言う周防、貴様とて独り者ではないか。 少しは従兄殿を見習えばどうなのだ? ん?」

緋色がダメージに屈せず、何とか言い返す。 だけどその必死の反撃も、直秋の次の一言で粉砕された。

「あ、俺、この書類を提出したらその足で、松任谷と外出しますんで」

「な、なに!?」

・・・へぇ~、知らなかった。 直秋ってば、松任谷(松任谷佳奈美中尉、18師団)とデキてたんだ?
ああ、そう言えば同期生同士だっけ、2人とも。 最初は直秋も直衛の中隊に居たし、松任谷も直衛の中隊だったし。 そう言う事。

「んじゃ、俺はこれから青春を満喫してきますんで! 中隊長、ぐずぐずしてっと、今年はもう25歳でしょ? 四捨五入したら30代ですぜ?」

「ッ! ・・・ッ!! ・・・ッ!!!」

―――あ、馬鹿・・・

緋色と麻衣子さんと沙雪さんと、それに美鳳と文怜が、一斉に殺気のヴォルテージを上げた。 それに勘づいた直秋が、『やべ!』と言い残して走り去ってゆく。

(・・・どうでも良いけれど、この事態の収拾、私がするの・・・?)

いくらお節介焼きが性分の私でも、それは勘弁して欲しかった。
溜息が出る。 見上げた空は憎たらしい程、良く晴れた小春日和の青空だった。






[20952] それぞれの冬 ~緋色の時~
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/05/16 22:43
『逃跑(タオパオ)、快速(クァィスゥ)!(逃げて、早く)』

『香梅(シィァンメイ)!』

『もう機体は満足に動かないわ、跳躍ユニットも大破した・・・ ここで12秒を稼ぐ、その隙に!』

瞬く間に戦車級が機体に群がり始める、咄嗟に残った最後の120mmキャニスター弾でその群れを薙ぎ払う、ボロボロになった『殲撃』8型。
そして最後の力を振り絞る様に、それまで遮蔽物として光線級から身を隠していた岩山の陰から、一気に荒野に躍り出た。

『私が囮になる! 貴方は逃げて!―――怪物ども! 私はここだ! ここに居るぞ、狙えぇ!』

『待て、早まるな、香梅!』

離れた岩陰に身を隠す、77式『撃震』の管制ユニットから、悲鳴に似た絶叫があがった。
その声を聞いた殲撃8型の衛士の口元に悲しそうな、そして嬉しそうな、最後に満足げな笑みが浮かぶ。
同時に82式戦術突撃砲から36mm砲弾が、連続した重低音と共に発射された―――元より狙っての事では無い、大半が前衛の要撃級、その前腕でガードされる。
次の瞬間、管制ユニット内に響き渡る照射警報のアラーム音、そして網膜スクリーンに浮かぶポップアップ・メッセージ―――無視する。

『馬鹿は止めろ、香梅!』

同時に耳を打つ、愛しい男の声。 ああ、この声を聞けなくなるのは、本当に残念だ・・・ やがて数秒が経過する、もう脱出は不可能だ、本照射は一瞬後にも放たれるだろう。
やがて眼も眩む様な光に満たされる、圧倒的な圧力を持った光の帯。 果たして人が知覚出来る時間だったのだろうか?

『香梅!』

―――ああ、最後に聞こえた。 最後に聞けた、もう一度、あの声を。

(『我愛你(ウォアイニー) ・・・愛しているわ、勇吾・・・』)

その瞬間、殲撃8型の管制ユニットが蒸発した。





1998年12月5日 0435 宮城県仙台市 士官官舎


「・・・香梅!」

視界に飛び込んできた真っ暗な部屋の情景、思わず身震いする肌寒さ―――違う、ここは違う。 ベッドに上半身を起こした状態で、混乱する頭を何とか目覚めさせる。
上級士官の部屋にしては、見事に何も無い、味気ない部屋。 カーテンが半ば空いた窓からは、微かな月明かりが差し込んでいる。 違う、ここは違う、日本だ。
大きく息を吐く。 気付かなかったが、喉がカラカラだ。 それに寝汗が酷い、これは着替えた方が良いな。
ベッドから降り立ち、汗で濡れたシャツを脱ぎ棄てて、クローゼットから新しいシャツを取り出して着こむ。

その足で洗面台に向かい、蛇口を捻って流れ出る水を掬って飲み、ついでに顔を洗う―――冷たい水のお陰で、正気が戻って来た。
水道を止めて、顔を上げる―――鏡に一人の男の顔が映っていた。 余計な贅肉など一欠けらも無い、鍛え抜いた鋼の様な細面の顔立ち。
人によっては男前だと言うだろうか、しかしその顔に刻まれた『何か』が、安易な形容を否定している顔。 瞳の奥には、言い知れぬ虚無の様な何か。

暫く己の写し鏡を見ていたが、やがてそこには何もない事を思い出し、場を離れる。 無意識に窓際に移り、外の景色を見つめていた―――ここは、違う。
冬の雪景色。 北国の仙台の雪景色、自分は今、故国に居る。 あの、砂塵と真夏の灼熱の太陽に照らされたあの地、西安では無い。

「・・・そう言えば、久しぶりに見たな・・・」

かつては毎夜の如く見た夢、見なくなって久しかった。 どうして今になって―――判っている、俺は後ろめたいのだ。
はっ、笑える。 何と言う未練、何と言う軟弱。 だが許して欲しい、俺は後ろめたいのだ、そう思う程に・・・

(・・・ヤキが回ったか、あんな小娘に)










1998年12月20日 1530 福島県福島市 福島第2駐屯地 第18師団 第181戦術機甲連隊第1大隊


「現在、大隊保有戦術機は定数を満たしています。 常用40機、補用12機。 ただし先般にも師団G4(兵站主任参謀)より連絡が有りました通り、機体は全て『撃震』です」

「撃震か・・・ 新任少尉の頃以来だな。 羽田、お前さんは訓練校以来になるんじゃないか?」

「そうですね。 俺の期が大陸に派遣された頃には、既に92式が出回っていましたし。 神楽さんは?」

「うむ・・・ 私も撃震は、そう長くは搭乗しておらぬ。 訓練校以外では、新任当時・・・ 92年の7月からはもう、92式に乗っていた。
それ以来、92式、92式弐型、94式・・・ 我ながら、贅沢な搭乗経歴だな。 当時の本土防衛軍では、撃震が多数を占めていた時代にだ」

目前でブリーフィング風景。 大隊の配備状況を説明するのは、大隊CP将校で大隊副官を兼務する江上聡子大尉。
そして第1中隊長の神楽緋色大尉、第2中隊長の佐野慎吾大尉、最後任中隊長である第3中隊の羽田亮大尉、3人の中隊長達。
大隊の戦力は、頭数だけは揃った。 旧第14、第18師団の生き残りに、これも新潟で善戦した旧第35師団の生き残りを加えて、中核と為した。
足らぬ頭数は、この10月1日に訓練校を卒業したばかりの、24期B卒の新米で補っている。 少なくとも練成に3ヵ月―――連中には、地獄の苦しみを味わってもらう事になる。

それにしても―――報告書をめくりながら、部下の中隊長達の会話に、内心で苦笑する。 未だ現役の77式『撃震』 それすら彼等にとっては、とんでもない旧式に映るのだから。
自分が訓練校を出たての新米少尉の頃、『撃震』とその祖となったF-4、そしてその系列に繋がる戦術機は、もう一方の雄であるF-5系と共に、人類が有する最強の剣だった。
忘れもしない、1983年の4月。 少尉任官後に初配属された部隊で、『自分の』搭乗機体で有る『撃震』を与えられた時の、誇らしげな想いは。
以来、92式系に乗り換えるまでの9年以上に渡って、自分は『撃震』と共に有った。 同じくF-4系の戦術機を有する友軍と共に、戦場を駆け巡ったのだ―――彼女と共に。

「・・・長、大隊長? 宇賀神中佐?」

「・・・ん? ああ、済まん。 何だ? 神楽大尉」

想いに耽って、部下の声さえ聞こえなかったとは。 どうも締まらんな、あの夢を見出して以来、集中力に欠ける。

「は・・・ 運用課(司令部第3部運用・訓練課)からの指摘事項ですが。 確かに新米達の技量を上げる為には、猛訓練しかありません。
が、それでも限界を超える訓練は逆の効果しか・・・ 所見内容は最もですが、小官としてはせめて、あとひと月ほどは練度を見極めての調整を続けたい、と考えます」

「ああ・・・ そうだな。 しかし周防の奴め、参謀に収まった途端に手厳しい事を。 流石、今まで散々に自分がやられてきた事は、良く見えると言う事か?」

報告書に添付された、運用課から回って来た所見内容は、思わず目を覆いたくなる様な文面―――事細かに部隊の状況の不備を、ひとつ残らず指摘する内容だった。
作成者が、つい最近まで戦術機甲中隊を率いて居た男だと言う事。 指揮官だった故に外から客観的に見た場合、不備の詳細とそれに至る問題点が良く見える事。

「それも有りましょうが。 しかしこの指摘は極めて客観的な事実のみを、言い当てております」

何よりあの男は、一時的に帝国軍以外―――欧州方面の国連軍に所属した経験が有る。 特に米国式の高等教育を一時的にとは言え、受けた経験も有る男だ。
『原因』を追求し、解決する為に古巣への感情の一切を排したその指摘は、指揮官の自信すら打ち砕く様な、客観的状況把握だった。

「ですね・・・ 確かに今のまま実戦に投入されたら、大隊は壊滅しますよ」

「ヒヨっ子共の面倒を見つつ、BETAとの殲滅戦・・・ ベテランでも、気がつけばあの世行き確定ですね。 生き残れるのは、3割も居ないでしょう」

部下達の言葉に頷き、再び報告書に目を落とす。 そこに記載された内容は指揮官ならば、誰もが頭を抱えたくなるような内容だった。
まず人員。 各中隊共に実戦を経験している者は6名から7名、つまり半数前後は今年3月卒業の24期のA卒と、9月卒業のB卒の新米達。
A卒組は卒業配属後3カ月で、BETAが本土に上陸した。 その頃はほぼ全員が東北の練成部隊に配属されて、技量向上の為の延長教育中だった。
大陸と半島で帝国軍が経験した、一連のBETA都の戦闘。 その結果が、訓練校卒業早々に前線に出た衛士の生還率の極端な悪さ。 
故に卒業後最低でも3ヵ月は前線部隊への配備は行わず、練成部隊で実戦技術の延長教育を行うと言うものだった。
したがって彼等は九州防衛戦に始まる一連の西日本防衛戦、京都防衛戦はおろか、北陸・新潟の各戦線は大半が経験していない。
極少数の西日本部隊配備になった者と、これも少数の関東配備組が実戦に参加した。 が、その殆どはやはり、再び生きて帰ってはこなかった。

この実情を見た軍部は、東北配属の新任衛士達を動かさなかった。 各々の教官連中もだ、半世紀前と同じ轍を踏む余裕は、今の帝国には無い。
そして9月卒業のB卒組、彼らは全員が東北・北海道の部隊で練成に入った。 その代わりに、十分な訓練を受けた先任者達が主に西関東防衛戦に引き抜かれている。
従って部隊の戦力は、頭数だけは充足しているものの、実質的な戦闘力は以前の半分程度。 そう判断されている。 あと最低でも3ヵ月は猛訓練が必要だと。

「新米どもには地獄を見て貰おう、戦場でBETAが優しく思える程には。 しかし何だな、神楽よ。 かつて間宮と言い争っていた内容、その全く逆を貴様が言うのも、面白い」

「エレメント・リーダーとしてならば、今でもかつての通りです。 しかし中隊指揮官としては・・・」

100の技量数人と、30から40の技量のその他大勢よりも、65から70の技量で中隊を纏めた方が生き残る確率が上がる。 そう言っている。
なるほど、かつて少尉時代はその突出した近接格闘戦の技量故に、突出しがちだった女武者も、今では少しは全体を見渡せる指揮官となりおおせたか。
少尉時代、そして中尉の小隊長時代と、長く自分の部下だったその女性衛士を面白そうに、そして本心は頼もしげに一瞥し、宇賀神中佐は部下に命令を達する。

「大隊の方針は、今までと変わらない。 最低でもあと1カ月は連携訓練を徹底させる、個々の戦闘技量向上はその後だ。
これ以上無駄に戦力を潰す贅沢は、もはや許されん。 徹底的に連携を叩き込め、個人戦闘は二の次だ―――訓練参謀の言う通りだな」









1998年12月26日 福島県 第13軍団司令部


連隊最先任指揮官―――先任大隊長・兼・副連隊長ともなれば、ただ大隊の事を見ていればいい、という訳にはいかない。
今日も軍団司令部の主宰する、戦術研究会に出席した後だった。 戦術機甲科、機甲科、装甲歩兵科、機械化歩兵科、砲兵科。
最低でもこれだけの戦闘部隊が、戦場でひとつの意志の元に連携し、戦わねばならない。 そして戦闘部隊を有機的に繋げる戦術管制部門。
陸軍では最小の戦術戦闘単位である大隊、その指揮官である大隊長は、『最も美味しい』と言われる役職だが、同時に連隊長を補佐する立場となれば、それだけでは済まない。

「おい、宇賀神」

研究会でのシュミレーション結果が記された書類を眺めながら、無意識に難しい表情になって歩いていたら、背後から呼び止められた。
振りかえると、軍団司令部で戦術管制の責任者をしている中佐―――同期生だ―――が居た。 かつては戦術機乗り、負傷後はリタイアして主任戦術管制官。

「・・・中島か。 何だ?」

「おいおい、つれないな。 久しぶりに会った同期だ、この後で一杯・・・ そう思ったんだが、どうだ?」

今日の予定は既に終わった。 この後は福島まで帰って、将集で晩飯を食って、官舎に戻ってひと風呂浴びた後で一杯ひっかけて寝る―――我ながら、侘しいものだ。

「ん・・・ よかろう、特に予定も無い。 だが貴様は? 嫁さんと子供はどうした?」

「札幌の実家に帰しているよ、軍の特権だな?」

北海道か。 今の日本では、『とりあえず』最も安全な大都市だ。 しかしそこまで疎開する手段は、一般難民には無い。 確かに『特権』だった。
しかしそれをどうこう言う気は無い、自分達とて日本国民なのだ。 家族は軍人では無い、最前線から少しでも遠ざけたいと願う事を、非難する理由が有ろうか?

「それは、良かった。 しかし今からでは偕行社(帝国陸軍将校・准士官の親睦・互助・学術研究組織)しか、開いていなさそうだな」

「十分だ。 それに今のご時世じゃ、娑婆の店より偕行社の方が、良い酒を確保しとる」

ああ、それもそうか。 確かに物資の統制が厳しくなった現在、娑婆の店には期待は出来ない。 
そして2人の中佐は、揃って市内中心部にある偕行社へ向かって行った。






「なあ、宇賀神。 貴様は結婚はせんのか?」

「・・・唐突に、何だ?」

偕行社のサロンで、今や貴重品となった寿屋のオールド・ウィスキーを、ゆっくり味わう様に飲んでいる。
寿屋は京都の山崎と、山梨県に有った蒸留所を、北海道の余市に移転させていて、ようやく生産が再開されたばかりだ。
既に2本のボトルが転がっている、今は3本目だ。 いくら中佐の俸給が、少佐のそれより飛躍的に多くなるとは言え、佐官の懐でそうそう飲み倒せる代物ではなくなっている。
だが家族持ちの中島中佐と違い、未だ独身の宇賀神中佐は極端を言えば、俸給の全てを飲み倒しても問題は無い―――将校の体面を維持する為の、最低限の金額を除けば。

「あのな、俺達9期で生き残っているのは13人だ、100人のうちの13人。 その中で未だ独り者は宇賀神、貴様だけだぞ?」

「・・・13人か。 随分死んだな、戦死率87%か」

「ああ、死んだ。 みんな死にやがった。 だからな、生き残った俺達は、死んだ連中が出来なかった事―――家庭を持って、子供を作り、育てる。
死んで行った奴らが、その夢に託した日本の未来だ。 それを実らせないと、ならんのじゃないか?」

「相手が居れば、その内な。 心配するな、俺とてなにも、独身主義を広言している訳じゃない」

「・・・疑わしいが、まあ、いい。 そう考えているのなら、いい」

空になった宇賀神中佐のグラスに、中島中佐がボトルの中身を注ぎながら嘆息する。 どうもこの同期生は、どう考えているのかいまいち判らない、そう感じながら。
グラスに注がれる琥珀色の液体を凝視しながら、同期生の嘆息に苦笑した宇賀神中佐がポツリと呟いた。

「・・・13人か。 一ケタ台の期は、もう殆ど残っていないな。 去年の8月に早坂さん(故・早坂憲二郎大佐)が戦死して、1期生もとうとう全滅した」

「ああ、早坂さんか。 衛士訓練校の『花の1期生(別名は地獄の1期生)』で、唯一生き残っていた人だったがな・・・ 
1期から俺達9期までで、文字通り『全滅』したのは1期、2期と4期に5期か。 誰ひとり生き残らなかった」

「うん、他にも3期、6期から8期が90%以上。 俺達9期が87%・・・」

「10期から12期までも、戦死率は80%を越しているさ。 13期からは前期(A卒)、後期(B卒)になったが、その13期も両方とも70%台だ。
その後の14期が60%台。 15期以降は50%前後。 大陸派兵の初期を経験した期は、特に戦死率が高い」

最初期の衛士訓練校出身者の、戦死率が凄まじい。 中島中佐の言う通り、1期生、2期生と4期生、5期生はそれぞれ卒業50名で、戦死50名。 全て戦死したのだ。
3期生は50名中戦死48名、6期生は50名中戦死47名、7期生は70名中戦死66名、8期生が100名中戦死92名と、軒並み90%台の高い戦死率となっている。
帝国陸軍にとっても、手探り状態での対BETA戦争だった当時。 正式な大陸派兵は未だ為されていなかったが、中国や東南アジア諸国、インドへの支援に各々派兵された世代だ。
そして手探りで戦争を模索していたが故に、当時の初陣での戦死率は文字通り、『死の8分』が誇張でもなんでもない事を示していた。

「今でこそ、JAIVSなんて便利なモノが有るけどな。 俺達の頃は、戦場で初めてBETAとご対面だった」

「ああ、それでパニックを起こす。 随分と死んで行ったな、それのお陰で」

宇賀神中佐達、9期生の初陣は1983年の秋、中国大陸の西安防衛戦。 当時は訓練校を卒業して半年が過ぎたばかりの、新米少尉だった。
そこでBETAの猛攻を食い止めるべく苦戦していた中国軍への増援、そして帝国陸軍にとっての『戦場研究』の為の派兵だった。
その数年前から個々の戦場への派兵は行われていた。 旧ソ連領―――シベリアへの派兵もまた。 それに東南アジア・インド方面へも。
1期生から9期生までの中尉や少尉達―――当時は訓練校出身者の昇進速度は、今と比べ物にならないほど遅かった―――は、各戦線で血反吐を吐きながら、戦ったのだ。

「うん、そうだな。 帝国軍だけじゃ無い、友軍も随分と死んだ。 気の良い奴、気に食わない奴、勇敢な奴、臆病な奴、みんな死んだ。 ・・・そう言えば」

「・・・ん? そう言えば?」

「何て名だったか、中国軍の・・・ ああ、そうだ、王香梅(ワン・シィァンメイ) 確かあの当時は中尉だった。 宇賀神、貴様、惚れていたのではなかったか?」

「・・・昔の話だ」

意識的に表情を殺しているが、声色の奥に秘められた感情は、当時を知る同期生には隠しきれなかった様だ。
宇賀神中佐の無感情な横顔を見ながら、中島中佐は当時を思い出すかのように、ゆっくりとした口調で、諭すように言う。

「酷い言い方だがな、宇賀神よ。 俺は貴様たち2人、決して結ばれる事は無かったと思うそ」

「中島・・・?」

「まあ聞け、いくら友軍とは言えな、相手は共産中国の軍人だ。 到底、国防省が認める訳が無い、下手をすれば憲兵隊がうろつくぞ?
向うも同様だ、我が国は、日本帝国は立憲君主国で資本主義国家だ。 そして俺達はその帝国の軍人―――共産党にとっては、悪夢のような相手だ」

そこまで言って、中島中佐はウィスキーのグラスの中の残りを、一気に飲み干す。 そして宇賀神中佐を見据えて、言った。

「当時、俺たち同期生は、貴様の事を心配していた。 もしかしたら取り込まれたのか、ともな、そう言う奴も居た。
まあ、貴様が向うさんのお題目とは、到底かみ合わない奴だと皆が知っていたから、それ以上深刻な話題にはならなんだが・・・」

「・・・一緒になれるなんて、思って無かったさ」

「宇賀神?」

「お互い、そんな夢想はしちゃいなかった。 判っていたよ、お互いな―――お互い、生きていればそれで良い、そう思っていた、そう願っていた」

「おい、貴様・・・」

「惚れていた、ああ、我愛你(ウォアイニー)―――何度も香梅にそう言った。 お互いが生きていれば、それで良いと・・・」

遠い昔を懐かしむ、そして封じた思い出を開き取り出す様に。

「生きてさえいれば・・・ 互いが生きている世界に、生きられれば。 そう、願っていた。 儚い願いだった・・・」










1998年12月28日 仙台市 神楽家


仏壇に手を合わせる。 正直馴染みのない義母だったが、それでも故人への弔意は示すべきだろうし、何と言っても家族だったのだから。
聞く所によれば、京都脱出の最終段階で義母は急遽、将軍家居城に引き返したと聞く。 何か重要なモノを取りに戻ったと言うが・・・ 
その中身を聞かされて、正直狂おしい程の負の感情が一瞬でも芽生えた事は、内心に仕舞っておこう―――自分はこの家で、それほどまでに愛された記憶が無い、そう思った。

「・・・随分とすっきりしたものだな、我が家も」

目を開き、部屋内を見渡し思わず呟く。 これでも庶民の家と比較すれば大きな方だろう、だが広壮と言えた京都の屋敷に比べると、雲泥の差だ。

「雨露を凌げる家が有るだけ、感謝しなければ・・・ 父上はもっぱら城内省の仮庁舎に泊まり込みですし、私も宗英も隊舎暮らしです。
もっぱら家の者達の仮の宿としていますけれど・・・ それでも手狭には変わりないですね」

「贅沢は言えぬ、家も無い難民が溢れかえっておるのだ。 我が家は武家、それも山吹の家格を頂くと言うだけで、これ程の家を無償で与えられているのだから」

京都を放棄した後、第2帝都である東京へ遷都したのもつかの間。 BETAの東進を押し止める事が出来ずに今は更に『新第2帝都』の仙台に移っている。
摂家を頂点とする武家社会もまた、それに従い仙台に移っていた。 昔の屋敷からすれば、あばら家とでも言いたくなる程の家を宛がわれて。

「判っていますよ、緋色。 本当に感謝しなければ・・・ 執事の長尾などは、当家の現状を嘆いていますが」

「・・・長尾か。 あの者にも、いい加減に現実を見よ、と言いたいものだな。 それより緋紗、お前も宗英も、ずっと隊舎なのか?」

「ええ、斯衛も京都の戦いで甚大な被害を・・・ 大宰府の第3聯隊、出雲の第4聯隊は文字通り全滅です。
私の属する第5聯隊も戦力は3割にまで落ちましたし、第1、第2聯隊も戦力は4割程度しか残っていません。
今は唯一無傷だった第6聯隊(関東)を解隊して、それに旧第3聯隊の生き残りも加え、第1、第2聯隊を再編成中ですよ」

神楽緋紗斯衛大尉は、北近畿での対BETA防衛戦闘、続く京都防衛戦を戦い、生き残った。 最早、斯衛に有っては『猛者』の一人である。
ましてその戦歴は、初陣は93年の大陸防衛戦―――『九-六作戦』当時に遡る、斯衛軍中の歴戦衛士でもあるのだから。

「陸軍からは、随分と苦情が出ておるぞ? 貴重な中堅の衛士を、けっこう引き抜いたのだからな」

「・・・陸軍の戦力総数から見れば、僅かな数字でしょうに。 斯衛の実質戦力は最早、2個聯隊だけ。 あとは警備部隊しか残っておりませんよ?」

「感情の問題だ、数字だけで論じるには戦況は余りに酷過ぎる。 ・・・戦死者を出した家が、随分とあるようだな?」

「ええ。 蒼や赤では今の所は居らっしゃらないですけれど。 山吹や白の家では、斯衛に子弟を出していた家の半数以上が・・・」

斯衛の人的損害は、元々が陸軍の様な予備兵力を有さない組織であるが故に、深刻を極めていた。
そして京都を巡る戦いの最後に於いて、九州大宰府、山陰出雲の戦いから続いた損失は頂点を極めた。 山吹や白と言った『中核』を為す人員が払底したのだ。

「陸軍では珍しくも無い話だ、海軍でもな。 斯衛もようやく、同じ舞台に立ったと言う事か」

「・・・それは少々、偽悪趣味に過ぎますよ? 緋色?」

「ふっ、許せ、『姉上』 それより何より、無事で良かった、緋紗も、宗英も。 特に宗英は初陣であったろう? 『死の8分』、よくぞ乗り越えた」

軽く姉に向かって苦笑しつつ、神楽緋色陸軍大尉はそれまで静かに脇に控えていた少年に向かって、普段はあまり見られない柔らかい笑顔で言う。

「有難うございます、緋色姉上。 しかし無我夢中でした。 武士(もののふ)たる者、いかなる時も平静を保たねばと、姉上たちに教えられましたが・・・ 
実際にあの醜悪な敵を目の当たりにした瞬間、我を忘れそうになりました、未熟な限りです」

2人の異母弟―――神楽宗英(むねひで)斯衛少尉が、まだまだ子供っぽさの残る顔を紅潮させて、生真面目に答える。
そんな弟の、少年期の生真面目さを微笑ましく思いながら、そこは生来の生真面目な性格ゆえに、つい説教じみた言葉が出てしまう。

「誰しもがそうだ、宗英。 私もかつてはそうであった。 斯衛とて人の子、心はなかなかな・・・ 何時いかなる時も平静を保つなど、古の名人でさえ至難であった。
ましてや戦場では、明鏡止水も心気力一致も、全ては画餅ぞ。 ・・・ああ、怒るでない、無論の事、修練は大切だ。 心構えひとつ有り無しで、大きく違う」

「まずは戦い、生き残った事を誇りなさい、宗英。 今はそれで良いのです、いずれ次の高みへ上る戦場が来ましょう。 それまで過ぎし戦場を振り返り、一層励みなさい」

姉2人に諭された弟が、少しだけ強がって不承不承、しかしそれでも面映ゆい気もしながら、頭を下げる。
それから暫くは、久しぶりに顔を合わせた姉弟3人での、身内の話に花が咲いた。 母親の違う姉達と弟だが、仲が悪い訳ではない。
今年17歳になっていた弟は、斯衛少尉として北近畿の戦場、そして京都を巡る戦いで、初めてBETAと相まみえた。 
内心で2人の姉達は大層心配していたが、杞憂に終わってホッとしていた。 多くの戦死者を出した斯衛の中で、17歳の新任少尉が戦いを切り抜け、生き残ったのだ。 
それは誇っても良い筈だった。


やがて所用で席を外した弟の後ろ姿を見送った後、姉が妹をみて嘆息しながら言う。

「もう、斯衛も人材の総動員です。 中には全く武人には向かぬと思える者さえ、家の者が半ば強制的に・・・」

「頭数を揃えた所で、その様な者たちは戦場に出ればそれこそ『8分で墓が立つ』、陸軍ではそう言う。
大体が斯衛は体面を気にしすぎるのだ。 ほら、あの家の・・・あの娘にしても、武人向きではなかった。 将軍家の女官か、はたまた宮内庁の女官か。 
あるいは『赤』の家格であるならば、宮中式部で国際親善の御役も良かろうし、書陵部でこの国の文化研究に励んでも良かった筈だ」

姉妹共通の知人でも有る、とある武家の娘の事を話題にする。 
およそ武人には向かぬ中庸の性格と資質、しかし今の斯衛はその様な『些細な』事を認める余裕は無い。

「・・・武家は須らく、上は将軍家から下は白の家格まで、皇帝陛下の藩屛ですよ? この国難の折、軍務に就いてもおかしくは無いでしょう?」

「一国全てが、軍部体制下か? それは? 緋紗、矛盾するぞ? 常日頃より軍部が暴走しがちな昨今を非難しておるのは、主に武家社会ではないか」

「・・・我等斯衛は、政には関与しません。 止めましょう、緋色。 この様な事で、久方ぶりに会えた妹と、仲違したくありません」

姉の憂い顔に、やや気拙い思いになった。 そうだ、折角生きて再び会えた姉妹だ、こんな事で仲違はしたくない。
ふと、仏壇の遺影が目に入った。 馴染みの薄かった義母、しかし自分から話しかけた記憶もまた、少ない事に気がついたのだ。
もしかしたら、と思う。 もしかしたら、生きていたならば、打ち解ける機会が有ったのだろうか? その機会を掴めたのだろうか?―――生きてさえ、いたならば。









1999年1月17日 福島県 水原演習場


『11機甲(第11機甲中隊)よりTSF-11(戦術機甲第11中隊)へ。 B戦闘団(機甲21中、TSF23中、装甲歩兵22中)が畳石から箕輪へ抜けた。 どう動く?』

1km離れた道路上に展開する戦車中隊の指揮官から、通信が入った。 その声に改めて戦術MAPを確認して、戦況を再確認する。
目標は安達太良山付近に陣取った光線級の排除、あそこに陣取られては東方からの反撃を封じこまれてしまう。
現在、自分達A戦闘団(TSF11中、機甲11中、装甲歩兵32中)はその南東から、安達太良山を迂回攻撃する位置に出ようとしていた。
更に南にはC戦闘団(TSF31中、機甲32中、装甲歩兵13中)が迂回攻撃を仕掛けるべく、移動を続けている。 あと5分もすれば攻撃発起点だ。

理想はB戦闘団が攻撃正面を受け持ち、自分達A戦闘団は側面支援。 その隙にC戦闘団が一気に南から安達太良山を突き、始末をつける。
AとBは上手くやるだろう。 戦術機甲部隊に限って言えば、A戦闘団の自分―――神楽緋色大尉も、B戦闘団の最上大尉も、大陸以来の歴戦指揮官だ。
この様な状況は実戦で何度も潜り抜けてきた、その対処方法は良く判っている。 不安はC戦闘団―――同期の恵那大尉だが、それ故に最後の吶喊役を任せた。

「TSF11中≪ソードダンサー≫より11機甲、B戦闘団の攻撃開始と同時に、側面攻撃に入ろう。 機甲部隊はダックインで視認できる範囲に砲弾を撃ち込んで欲しい。
その隙にこちらは山影を利してNOEで接近する。 32中(装甲歩兵32中隊)は向うの稜線との間の谷間、あそこまでを押さえてくれぬか?」

『32中よりTSF-11、歩兵に谷間を押さえろとは、これまた酷な依頼だな―――ま、それが妥当な判断だろう、帰ったら二杯は奢れ』

「私に飲み勝ったならな―――B戦闘団、攻撃開始した! 行動開始!」

『了解―――撃ぇ!』

『中隊、指示したラインを突破されるな!』

やがて南のC戦闘団も攻撃に参加した。 3方向から同時攻撃、BETA群の動きに変化が出始めた。 特に光線属種のレーザー照射密度が薄くなってきている。
よし、これならば山頂の連中を排除するのに、そう問題は無い。 そうそうに目標は達成できる―――部隊を指揮しつつ、目前の小型種を突撃砲の砲撃で排除しつつ思った矢先。

≪状況、TSF-11、TSF-31中隊長機、被弾、戦死。 薬師山頂に、新たな光線級。 他にBETA群2500≫

「な、なに!?」

いきなり自分が『戦死』したのだ。

『クソッ! C小隊長より中隊全機、中隊長機被弾! 中隊長戦死! A小隊、上苗! 指揮を取れ! B小隊、周防!?』

『B小隊、陣形崩すな! アローヘッド・ワン! ここまで来たら、後ろには下がれねえぞ! 古郷さん、付いて来てくれ! 突っ込む!』

『A小隊、フォーメーション・トレイル! C小隊に続けぇ!』

部下の先任小隊長で、第3小隊長の古郷誠次中尉が指揮を引き継ぎ、突撃前衛長である第2小隊長の周防直秋中尉が咄嗟の吶喊を行うも、僅かな隙は戦況に大きく響いた。
機甲中隊や機械化歩兵装甲中隊との連携に齟齬が生じ、その部隊への損害が発生し、B戦闘団全体に混乱が広がる。

『32機甲よりTSF-31、応答しろ! 次席指揮官は誰だ!?』

『B小隊長より中隊各機! 騒ぐな! 指揮はB小隊長が引き継ぐ―――うわっ!?』

『B小隊長機、レーザー被弾!』

『13中(装甲歩兵13中隊)よりTSF-32、31機甲! BETA群だ、約1500! 正面の山麓だ、阻止攻撃を乞う! 早く!』

駄目だ、C戦闘団はこちらより酷い、もう無茶苦茶に蹂躙されている。
見ると突撃した部下達が、正面山麓の中途で別口のBETA群、約1500に捕まっていた。 本来の攻撃目標のBETA群が、機甲部隊へ突進している。
通信回線から聞こえるのは、怒声と悲鳴、混乱し、指示を求める部下達の声。 しかし自分は何もできない、『死人に口無し』―――例えは違うが、まさにその通りなのだから。

「・・・くそう・・・」

この程度の戦場では、そうそう簡単に後れは取らない、その位の自信はある。 なのになぜ自分が『戦死』なのか?―――理由は判っている。

「くそう、周防め・・・ 参謀になった途端、やりたい放題しおって・・・!」

司令部の訓練幕僚である同期生が、自分と恵那―――同期の恵那大尉を『戦死』させたのだ。 お陰で3つの戦闘団は大混乱だ。
AとC、2つの戦闘団が所定の行動を為せなくなり、負担は残るB戦闘団にのしかかった。 先程、A戦闘団戦術機甲指揮官の最上大尉が盛大に罵声を洩らしているのを聞いた。

「・・・くそう!」

練度が、なにより練度が、足りなさすぎる。 指揮官連中はいい、連中はあれでも歴戦だ。 だが配属間も無い新米は―――どうしようもなかった。
ああ、これで帰還したら大隊長の大目玉だな―――それもまた良しとするか。 戦場で有れば、『戦死』したならば2度と大目玉さえ、喰らう事は適わないのだから。









1999年2月25日 福島市 福島第2駐屯地 第18師団


『・・・と言う訳よ。 だから緋色、アンタも是非、協力して』

電話口から聞こえる親友の言葉に、思わず力強く頷いてしまう。

「うむ、委細承知した。 愛姫、貴様の言う通り、これは聞き捨てならん事だ。 こんな前例を作られては、後々でこちらが困る」

まだ何もカタは付いていないのだが、それでもこの前例は困る。 いずれ攻略すべき要衝だ、折角ならその成果は大体的に飾ってみたいと思う。

『んじゃ、麻衣子さんには、私から言っておくね』

「うむ、沙雪さんには私から話そう。 それと念の為だ、美園にも話しておこう。 仁科には、愛姫から話を通しておいてくれぬか? あの二人も浅からぬ仲だ」

『判ったわ。 他には?』

そこでちょっと考える。 これは包囲殲滅戦だ、友軍は多いに越した事は無い。 それも強力で有能な味方が必要だ。

「広江中佐は、外せぬだろう。 それに開発本部も仙台に移転しておる、河惣中佐へも連絡を」

『上と下、両方からの包囲殲滅戦ね、判った。 広江中佐には私から連絡するけれど、河惣中佐は実はあまり接点無いのよ』

河惣中佐か。 自分も少しは関わりが有るが、あの2人程には・・・ いやまて、中佐の兄上の奥方は確か、自分の姉とは芸事の同門ではなかったか?―――よし。

「そちらは任せろ。 実は実家の伝手で、中佐のご実家とは接点が有るのだ。 河惣中佐には、私から連絡を入れる」

緋紗に少しだけ手伝って貰うとしよう。 あの面倒見の良い姉の事だ、訳を話せば労を惜しむ事は無い筈。 それに姉はあの男とも、少なからず接点が有る。 

『ん、お願い。 何としてもこの作戦、完遂するわよ?』

「当然だ、私の未来にも関係する、何としても成功裏に終わらせるぞ」

電話を切って、改めて闘志をかき立てる。 相手は難攻不落の独身主義者(なのだと思ってしまう)、しかしだからこそ、落して見せる。
でも―――そう、でもそうして自分は、これほどまでにあの人が好きになったのだろうか? 年は10歳近く違う。 お世辞にも、優しいなどという形容が似合う人でも無い。
失敗には厳しい人だ。 小隊長の頃、散々叱責された記憶が有る。 或いは当時の広江大尉より、厳しい人だったかもしれない。
だが同時に、自らにも厳しい人だった。 そして公正に見てくれる人でも有った。 上手く出来たと内心でホッとした時に、よくやったと言ってくれる目が、実は優しい人だった。
そんな背中を、ずっと見続けてきた。 気が付けば、その背中を追い掛けている自分が居た。 最初は戸惑った、そして気付いてしまった。

『実はさ、緋色ってば、そこに『得られなかった父性愛』みたいなものを、感じているんじゃないの?』

かつて親友が言った言葉を思い出す。 確かに自分は、実の父とはその様な間柄ではなかった。 幼少の頃の養父は、実に頼もしい『父親』であったが・・・
だが、親友はひとつ誤解している。 確かにきっかけはそうだったやもしれぬ、だが私は今や、その伴侶の座を狙っているのだ。

(仕方がないであろう? 気づいてしまったのだからな・・・)

最初は懊悩したが、あれはいつの話だったか―――ああ、阪神防衛戦の直前だ。 周防と話した時に、奴から聞いた元武家の女性の話。
人を好きになって、不幸な事など有るものか。 傍から見ればそうであっても、本人が幸福ならそれは、不幸などでは無いのだ。
それに『生きてさえいれば』などと悠長な事は言ってはおれない。 生きていても、伝えなければ想いは伝わらない。 想いは形にしたいのだ。

その想いと共に、さっそく電話をかけ始めた。 斯衛の隊舎の電話番号は聞いている、この時間なら当直以外ならば姉はまだ起きているだろう・・・









1999年3月5日 福島県 第18師団


「最近は賑やかなものだな、あの男の周辺は」

軍務に影響の無い範囲で、と言って色々と動いている部下の事を思い出し、自然に苦笑が出てしまう。
なにも部下だけでは無い、今は師団の副官部に居るかつての部下も、そしてあの『夜叉姫』さえもが、動き回っているのだから。

「はあ、どうやら周りは我慢の限界を越したようでんな。 そっち方面に関しては、全く煮え切らん男でしたさかい」

同僚であり、後任大隊長で有り、かつての部下でも有った第3大隊長の木伏少佐が、グラス片手に苦笑している。
そう言えばあの男は、木伏の後任や部下だったな。 新任の頃から面倒を見てきたからか、昔を思い出して苦笑しているのは。
酒保で仕入れた酒を、将集で飲んでいる。 最初はもう部屋に引きこもって寝ようかと思ったが、木伏少佐に捕まったのだ。

「あいつが結婚か。 それはまあ、喜ばしい事だ。 それにしても広江さんはやはり、あいつらが可愛くて仕方が無いらしいな」

「開発本部の河惣中佐も、脅迫じみた電話を入れたそうでんな。 妙に年上受けがええ男ですわ」

「河惣さんもか。 貴様も知っているか、満洲駐留時代にはあの人とも繋がりが有ったとか。 色々とまあ、世話を焼いたり、焼かせたりだったらしいな」

確か92式の採用直前の話だったか、直後に広江さんから話を聞いた。 河惣さんも、旦那の故・准将(故・河惣准将)の件が有って以来、結構とがっていたが。
あの直後からか、随分と雰囲気も柔らかくなった―――昔の余裕が戻って来たというか。 なにがどうなるか、判らんな。

「ところで宇賀神さん、結婚なさらんのでっか?」

唐突に木伏少佐が話を振って来た。 片目を少し上げるような仕草で相手を見つつ、無言で『どう言う事だ?』と言ってみる。

「この間、軍団司令部の中島中佐と、飲む機会が有りましてん。 王香梅中尉でしたか? まあ、ワシも人の事は言えまへんが・・・」

(中島め、要らぬ事を。 しかし、ああ、そうか。 こいつはやはり、水嶋(故・水嶋美弥少佐)―――戦死した同期生とは、いずれそう言う事に。 そう約束していた訳か)

それから暫くは、無言でお互い酒をあおっていたが、口火を切ったのは、木伏少佐だった。

「・・・荒蒔少佐は、再来月には結婚するそうでんな。 なんでも、お互いに再婚同士やとか」

「荒蒔君は新婚早々に、当時司令部に居た奥さんを戦死で喪っている。 随分と苦しんだようだ、内心でな。 相手も旦那を戦場で喪ったそうだ、お互いにもう数年前の話だが」

荒蒔少佐の相手は民間人だが、それが何の変わりかあると言うのだ。 愛する人を失った悲しみや苦悩は、軍人も民間人も変わりはしない。
あの空恐ろしい程の空虚さ。 そして孤独感。 無意識に自責の念でその埋め合わせをしようとする、そしてそれに気付く自己嫌悪。
実の所、自分は表向き立ち直るのに長い時間を有した。 しかし恐らく、まだ完全には立ち直ってはいないのだろう。

「あきまへんな、やっぱり。 夜に独りでおると、無意識にあいつの事を、考えてますわ。 色々と言いたい言葉も、仰山有りましたんや。
けどもう、伝えられまへん。 自分でもこんな女々しい奴やとは、思いまへんでしたわ・・・」

自嘲気味に笑う木伏少佐の顔を、じっと見つめる。 ここに居るのは、あの頃の自分の姿だ。
かつて自分もそうだった。 お互い生きていればそれで良い、お互いが生きる世界に生きられれば、それだけでいい。
そうは思ったが、それでも伝えたい気持ちはあった。 伝えたい言葉は多かった。 今はそれも適わなくなって久しい。

「・・・使い古された言葉だが、時が有る程度は癒してくれる。 それは本当だ」

「・・・中佐?」

「俺にも居た、そう言う女性が、昔な。 戦死した、もう会う事も、言葉を伝える事も出来なくなって久しい」

そう、もう伝える事も適わなくなった、そう長い間思っていた。 そして時は残酷で、そして時々優しい。 俺は今、別に伝えたい相手がいるようだ。

「どうやら、荒蒔君を見習うべきかもしれんな。 木伏、貴様も時が癒してくれる。 その時まで生き残れ」

「・・・あいつを、忘れろと?」

「違う、忘れるなど、出来るものか」

忘れられないからこそ、あれだけ愛したのだ。 忘れられないからこそ、伝えたいと思う気持ちが無くならなかったのだ。

「・・・忘れられないからこそ、伝えたいと願う気持ちもまた、忘れないものだ」






「神楽。 貴様、伊達と組んで、どこまでやらかそうとしているのだ?」

「人助けです、宇賀神中佐。 どこまでも何も、最後までやるつもりでありますが?」

傲然と胸を反らして、当たり前のように言う部下。 それを呆れながら聞く上官。
どうやら最近は、国連軍(に出向している中国軍)の知り合いすら、動員し始めていると聞く。

「他人の世話で、これか。 自分の時は、一体どうする事やら・・・」

独り言のつもりだったが、どうやら相手に聞こえた様だ。 聞きとめた彼女は、真っすぐこちらを見据えて言い放った。

「―――覚悟なさってください。 自分は本気ですから」

「・・・おい」

「本気ですから、中佐。 あなたに」

挑みかかるかのような視線と共に、その言葉を残して立ち去って行った。





1999年3月10日 福島県 第13軍団司令部


最近、軍団司令部に顔を出す度に、この男に絡まれる頻度が高くなってきたな―――宇賀神中佐は些かうんざりしながら、ニコニコと近づいて来る同期生を迎えた。

「おう、聞いたぞ、宇賀神! 貴様、とうとう身を固める決心をしたか!?」

「・・・ちょっとまて、中島。 貴様、なにをどう聞いたら、そう言う言葉になるのだ!?」

「照れるな、照れるな! いやまあ、なんだ? 9歳も年の離れた若い娘を貰おうと言うのだ、貴様が気恥ずかしく思う気持ちは判るぞ?
しかしなんだな、貴様も剛毅な奴だな。 相手は実家が武家、それも山吹の家らしいじゃないか?」

頭がクラクラして来た。 未だ何も話していないと言うのに、どうした事だ、これは!?

「ん? どうした?」

「中島、貴様、その話は誰から聞いた・・・?」

「誰からって・・・ さっきだ、18師団の作戦課長が嬉しそうに話していたぞ? 彼女にとっても、浅からぬ間柄だそうだな、相手の女性大尉は。
貴様も昔は、作戦課長と同じ隊に居たよな? ほれ、91年の大陸派兵の最初期の頃だ―――ああ、その前に少尉時代も同じ隊だったか、確か」

悪い予感しか思い浮かばない。 あの男―――周防大尉への『包囲網』を作る最中で、どうやら自分も巻き添えを喰らった事になったようだ。
自分は女心については正直疎い、そう自覚しているが、同時に彼女達の妙な一体感は無視できない、そう学習もしてきたつもりだったのに・・・

「戯け、そうなったらまず先に、貴様に話している。 残り少ない同期生を後回しにするものか」

「ふん・・・ なら、早い所決めちまえ。 神楽大尉だったか? 似ているな」

「・・・似ている?」

「顔立ちじゃない、雰囲気とか、伝え聞く人柄とか。 彼女も一本気で生真面目だった、そして情の深い女だったな―――王香梅中尉も」









1999年3月23日 福島県 第18師団第181戦術機甲連隊


「何とかまあ、カタが付いた様ですわ」

結婚式から帰隊した木伏少佐が、宇賀神中佐の顔を見るなり開口一番、そう言った。 その顔が妙に穏やかに吹っ切れている。 
ここの所見せていた、乾いた哀しさを伴った江見はまだ変わらないが。 それでも何かに悩み続け、思いつめる様な感じは無くなっていた。

「貴様も、ひとつ吹っ切れた様だな、木伏?」

その問いかけに、変わらず乾いた笑みを浮かべるだけの木伏少佐だったが、それでもひとつの峠を越した事は確かなようだった。

「・・・7ヶ月ですわ、あいつが逝ってから。 忘れまへん、忘れはしまへんけど、ワシもそろそろ前に歩き出しますわ。
せやないと、遠い将来あいつにばったり会うた時が、えろう怖いでっから―――あいつはワシを拘束する為に生きとったんや、あらしませんしな」

そうだな―――そう思う。 自分もそう思う。 思えば昔の自分は、彼女の死を免罪符にして、自らを拘束していたのだろう。
もうそろそろ、いいではないのか? 何時までも拘泥しているのは、自分自身だったのではないのか?

(『我愛你(ウォアイニー)、勇吾。 でもどちらかが死ねば、私達は別の道を探すべきよ』)

―――我愛你、香梅。 俺はそろそろ、別の道を行く事にする。 道の向うに、伝える相手が出来た。









1999年4月 福島県 第18師団


「正式に決定した、8月決行だ」

いよいよ、本土奪回作戦の歯車が回り始めた。 これからの数カ月、その為の準備に死ぬほど苦労するだろう。

「望む所です。 部下達もようやく、満足な実戦的な動きが出来るようになりました。 どの部隊にも、後れは取りません」

「気負い過ぎるなよ? 神楽。 今更だろうが、そうそう、くたばる事は許さん」

「ご心配無く。 せめて本土から連中を叩き出すまでは、死ぬ予定は有りません」

傍らの補佐役の女性将校―――先任中隊長が、静かに闘志を燃やしているのが判る。
そんな彼女を見ていたら、不意に思いがけない言葉が口から出た。 いや、本当に言いたかった言葉だ。

「―――いや、それも許さん。 お前は俺の傍に居ろ、ずっと、この先もずっと。 いいな? 緋色」

一瞬、軽く眼を見開いて、そして静かに微笑んで彼女は言った。

「―――はい。 ずっと、お傍に」






[20952] 明星作戦前夜 黎明 1話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/06/02 22:42
1998年12月12日 0025 合衆国ワシントンD.C. ホワイトハウス ウェストウィング(行政府)大統領首席補佐官オフィス


「トニー(アンソニーの愛称)、では保守派は、兵站支援1本で纏まりそうなのか?」

深夜のホワイトハウス、その中の執務室でホワイトハウス・オフィスの長として、ホワイトハウス行政を取り仕切る首席補佐官、レオン・エドワード・マクラーティは念を押した。
その視線の先には、これも疲れた表情でソファに座りこんだ、国家安全保障担当補佐官―――アンソニー・レイカーが、頷いている。

「そうだ、レオン。 特に共和党保守派層は、歴史的にもモンロー主義の色が濃い。 ハイヴが出来た後の日本など、武力介入は何の益も無い、そう言っているよ」

合衆国の共和党保守派勢力は、伝統的に大企業・資本家層の代弁者でも有る。 極論すれば、利潤が出ればそれで良い、そう言う事だ。

「ハリルッラー・ハリルザイード(合衆国国連大使)からは、安保理始め、国連内保守派がヨコハマ・ハイヴ攻略支持に回ったと、そう連絡が有った。
安保理では恐らく英、仏、ソ連、中国は賛成に回るだろう。 提議国の日本は当然、英国の影響力が強いオーストラリアもな。 事実上、決定事項だ」

レオン・マクラーティの言う事は、単なる確認だった。 『喪われた四大国』―――英、仏、ソ連、中国は国内にハイヴを抱えるか、BETAの本土侵攻を経験している。
日本は本作戦の提議国だし、オーストラリアは未だ英連邦の一員。 そして東南アジア戦線の最大の後背地国家だ。 各国とも他人事ではない。
いずれも安保理では賛成票を投じるであろう、そうなれば合衆国1国だけが抵抗しても意味は無い。 拒否権を発動すれば国際外交上、最悪の事態も考え得る状況だ。

「今回は、日本の国連ロビーに上手く飛び回られた。 欧州連合には、戦術機第3世代機のコンバット・プルーフ・データを餌にしたとも聞く。
ソ連や中国には、海上戦力の応援の継続を確約したそうだ。 中国はパートナーの台湾からも、突き上げられたらしいな」

「オーストラリアは英国からの『要請』だけではなく、日本企業群の大規模工場建設と雇用、これを条件提示されたらしい。
あの国に多数流入した日本の難民、その問題の解決の為の方策の一環としてな。 ロナルド・カンター(合衆国商務長官)が警戒している、あの・・・」

「ああ、リムパック(RimPac)EPA(環太平洋自由貿易経済連携協定:Rim of the Pacific Economic Partnership Agreement)か、今年の10月に締結された」

「そうだ、合衆国に対抗して作られた『アレ』だ。 オーストラリアはその最大の恩恵国でも有るし、日本は最大の市場の一つでも有る。
それに最近は日中韓統合軍事機構と、大東亜連合軍統合作戦本部との連絡会議、これにアンザック(ANZAC:Australian and New Zealand Army Corps)がオブザーバー参加している。
頭が痛いよ、国防総省は頭から湯気を立てているし、国務省内にも警戒心が高まっている。 欧州連合の他に、アジア・オセアニアブロックも合衆国の統制下を離れかねん、とな」

合衆国の地域戦略見直しのひとつとして、アジア・オセアニアブロックの戦略見直しが急浮上している。 直接のきっかけは、日本帝国へのBETA侵攻だった。
この事態は、当事国の日本のみならず、隣接戦域の統一中華戦線、そして日本とは特に経済的に依存度の高い大東亜連合に、非常な危機感を抱かせた。
そして東アジア・東南アジア諸国への経済的影響力を、日増しに伸ばすオセアニアの2大国、オーストラリアとニュージーランドにとっても、他人事では無くなって来たのだ。
それは今年の9月末、合衆国の日米安保破棄・在日米軍の総撤退を見た時から、急加速した。 一気に広域ブロックでの経済連携協定の締結へと突き進んだ。
それ以外に従来の大東亜連合統合作戦本部と、日中韓統合軍事機構、この二つの同盟軍事協定にオセアニアの2大国が参加した、連合軍事連絡会議が立ち上がった。
経済・軍事両面でアジア・オセアニアブロックは、独自の道を進む模索を始めたと言って良い状況だ。

マクラーティ首席補佐官が、続ける。

「保守派はフィリピンに楔を打ち込んで、対抗しようとしている。 革新派―――民主党も合衆国経済に関する戦略は、実は保守派とは大差が無い、反対はしないだろう。
それに安保復活も、民主党を中心に革新派からも疑問の声が出ている。 元々は連中の支持基盤、特に中流家庭の主婦層から疑問の声が上がったものだからな」

「フィリピンはCOSEAN(大東亜連合)に参加していないが、あの地域では今やインドネシアに次ぐ経済大国に成りおおせた。 確かに揺さぶりを掛けるには、良い選択だ。
日本への再派兵は、保守、革新、双方とも反対のスタンスだ、兵站支援だけで良いとな。 ただし革新派は支持基盤のマイノリティーの中の、東アジア系の連中へのポーズは必要だ」

「国連軍枠内での、再派兵か?」

レイカー国家安全保障担当補佐官の話に、マクラーティ首席補佐官が確認する様に聞く。 レイカー補佐官は肯定の意を示し、革新派の考えを披露する。

「そうだ、無論のこと、指揮権は合衆国が握る。 だが最前線には部隊配備されない」

最前線で血を流すのは、日本帝国軍。 そしてそれに同調する他のアジア諸国軍。 合衆国軍は戦略予備主力として、『最後の果実』を手に入れる。

「それが落し所か。 支持率は8月までの急降下から一転、10月以降は回復傾向にある。 世論に対して、連邦政府は『対日甘やかし』だけでは無い事を示した結果だ」

「実際、国防総省内からも撤退論が噴き上がっていた。 国際協定を無視した命令違反、安保理軍事参謀委員会の戦略決定を覆す作戦行動。
お陰で我々は歴戦の第2、第25師団を事実上失った。 第2師団は損失65%、第25師団は48%、再建に時間がかかる、予算も、人的にも。
第3海兵師団も、かなりの損害を被った。 合衆国の母親たちは声を大にして叫んでいる、『息子を、娘を返して! エンペラーとショーグンに、返してと言って頂戴!』とな」

「朝鮮半島からの分を含めれば、損失は遥かに上回る。 我々は第1軍団を始め、多くの将兵を失った。
バークス(国連軍派遣第11方面軍司令官、大将)、ガードナー(米第1軍団長、中将)始め、多くの将星をも失った。
国内の厭戦気分の高まりは、そろそろ無視出来ないレベルになっている。 古臭いモンロー主義者も、外面の良い革新派も、正直その事では打開策を見出せていない」

レオン・エドワード・マクラーティとアンソニー・レイカーが思考の袋小路に入りかけたその時、オフィスのドアをノックする音がした。
職員が新たな来客を告げる。 非公式に呼び出していた相手が数人―――いずれも合衆国の最高決定を裏付ける政策、その担当官達だった。

「やあ、遅くなって申し訳ない。 なにせこの雪でね、車が往生して大変だったよ」

「こっちは国連軍事参謀本部の馬鹿共の、際限無いおねだりを宥めるのに苦労した。 合衆国軍は巨大だが、無尽蔵では無い事を理解しない輩の相手は苦労する」

入室して来た男達は5人。 国務省政治担当国務次官のエリオット・リチャードソン。 その部下で、東アジア・太平洋担当国務次官補のクリスティアン・アーチボルド・ハンター。
同じく国務省の軍備管理・国際安全保障担当国務次官である、ウィリアム・フィリップス。そして国防総省政策担当国防次官のノーマン・デイヴィスに、取得・技術・兵站担当国防次官のロバート・オーエン。

国務省に国防総省。 国務省は他国の外務省に相当するから、合衆国の外交・国防政策の実務最高責任者たちが、一堂に集った事になる。
ようやく揃ったメンバーを見渡し、この場の議長役である首席補佐官のマクラーティが口火を切った。

「ジェントルメン、お聞き及びと思うが、日本が国連にヨコハマ・ハイヴ攻略を提議した。 そして恐らくこれは、早々に承認されるだろう」

「戦術作戦としては妥当だな。 ヨコハマ・ハイヴはまだフェイズ2だ、若いハイヴのうちに叩いてしまおうと言うのは、戦術的に見ておかしくは無い」

マクラーティの声に、デイヴィス国防次官が答える。 その声に皆が頷く。 その様な事はここに居る男達は周知の事だ。
問題はその次だ。 合衆国国連大使―――ハリルッラー・ハリルザイードからの報告では、どうやら日本はその作戦を合衆国抜きで、そうロビー活動していると言う。
合衆国に存在する複数の勢力から見れば、ある意味願ったりの事態ではある。 どの道ハイヴ攻略作戦となると、アジアやオセアニア連中だけでは兵站は確保出来ない。
最終的には国連を通じ、合衆国に泣きついて来るだろう。 ならば精々高値で―――有償の兵站援助は、やぶさかではない。
あるいはアジア諸地域にルーツを持つ、マイノリティー市民層への支持を必要とする勢力は戦略予備としてでも再派兵を、そう言うかもしれない。
その時は、日本を始めとしたアジア諸国への『配慮』を考えて、戦略予備部隊として後方に引き籠るのも手だ。 わざわざ血を流す必要は無い。

「日本国内では、特に軍部内の民族主義者(国粋派)と、民間の民族主義者層で、合衆国に対する反発が増大しています。
他には歴史的伝統主義者層―――日本の貴族社会全般でも。 BETA侵攻による被災難民の間からも、似た声が。 こちらは、日本政府への不満の方が大きい様ですが」

東アジア・太平洋担当のハンター国務次官補が、日本帝国内の調査状況を告げる。 
他には日本の革新派政党―――民政党が議会で、与党と論戦を張っているらしい。

「ジェファーソン(トーマス・ジェファーソン統合参謀本部議長、陸軍元帥)が苦虫を潰している。 朝鮮半島に続き、今回も派遣3個師団を日本に潰されたと。
国防省内では極東防衛プランの見直しも、別プロジェクトで進行中だ。 ただしこれはメインでは無い、万が一の保険だがね」

「ノーマン、それは例の連中への牽制の為の、ブラフだったのではないか?」

「エリオット、もうブラフのレベルでは済まないよ」

デイヴィス国防次官の言葉に、リチャードソン国務次官が首を傾げるが、デイヴィス国防次官は苦笑と共に否定した。
合衆国内外の状況が要求しているのだった、日本を『放棄』するオプションの正式検討でさえも。 それは合衆国内のとある勢力に対しての、ブラフで有った筈なのだが。

「基本的には、日本は極東防衛戦略上、絶対に必要となる存在だ。 本来なら重点的にテコ入れする必要がある」

レイカー国家安全保障担当補佐官が、周りを見渡しながらゆっくりと、確かめるように言う。

「しかしながら、国内外の幾つかのファクターが要因となり、それも難しい状況となりつつある。 あまつさえ、日本は独自路線を展開しつつある状況だ。
そして今回の『合衆国抜き』でのハイヴ攻略作戦。 我々はこの状況に、どの様なプランを持って当たるべきか?」

合衆国国内世論は、派兵反対に傾いている。 政治の世界でも、伝統的保守勢力は反対、革新勢力も条件付き反対。
積極派兵を唱えているのは、『新保守主義』―――ネオコン勢力のみ。 しかしこの勢力は、連邦政府内で日増しに力を延ばしてきている。

「しかしここで、『かつての同盟国』をまるきり見離せば、今後は非常にやり難くなる事は確実だ」

リチャードソン国務次官が、苦虫を潰したように言う。 合衆国外交政策を担当する彼にとって、それは自分で自分の首を絞めるに等しい。
合衆国は保守・革新共に国益上必要とあらば、他国を無視した武力介入を是とする。 そこに保守・革新の差異は無い。
だが今回に至っては、強行的武力介入―――ヨコハマ・ハイヴ攻略戦への兵力派兵―――は、国内世論の支持は取り付けられないだろう。 支持率が地に落ちる。
大企業・軍需産業を支持基盤とする共和党は、兵站支援のみに止めるべき、そう言う論法だし、中産階級を中心に支持を集める民主党は、条件付き派兵のみ支持している。
但しそうなれば最後、アジア・オセアニアブロックは日本を見習い、一気に合衆国離れが加速する危険性が大きい。
新保守主義層―――ネオコンはそうした流れを、合衆国的自由主義の後退、危機としてアピールに利用し、盛んに影響力の回復を唱え始めている。

「どこかで、合衆国の力を示す必要は、確かに有るな」

「しかし通常兵力の派兵は難しい。 残るは・・・核か、それともあの『新兵器』しかないが?」

マクラーティ大統領首席補佐官の声に、デイヴィス国防次官が疑問を呈する。 残されたオプションはまさに『禁断の箱』だ。
2人の会話に、それまで無言だった国務省軍備管理・国際安全保障担当国務次官のウィリアム・フィリップが静かに挙手して話し始めた。

「あの『新兵器』は、そう簡単に使用する事は反対だ。 仮にハイヴの攻略に成功したとしよう、真っ先にハイヴ内に突入出来る軍は、どこだ? 
合衆国軍か? 違う、日本帝国軍であり、大東亜連合軍だ。 或いはあの雌狐の息のかかった国連軍の私兵共だ。 
諸君、まさか忘れてはおるまい? 日本にはオルタネイティヴ第4計画が存在する。 G元素を確実に確保出来る保障は、その作戦では保証の限りでは無いのだ」

「・・・作戦が失敗すれば、極東の要衝が確実に陥落するぞ?」

「何億リットルでも構わん、連中に血を流させ続けるのだ。 通常戦力でのフェイズ2ハイヴ攻略―――その名誉は呉れてやればよい。
あの『新兵器』の威力は隠匿したままで、合衆国軍はまっしぐらに『アトリエ』に突入し、G元素を確保するのだ」

広域・大量破壊兵器不拡散政策を担当する、フィリップ国務次官ならではの発言だった。
同時に第4計画に対する不信感―――合衆国内に根強い、ファンタジーと現実とを区別すべき、と言う考えからでもある。

「しかし今回、通常戦力での攻略の保証は一切ない。 むしろ失敗する確率は非常に高いと、国防総省では考えておる」

デイヴィス国防次官が憂慮を示す。 なにしろ未だかつて、ハイヴ攻略に成功した例は無いのだから。
そして合衆国では、今回の攻略作戦は失敗する、そう言う意見が多数を占めていた。 それに従い、深刻な問題も表面化しているのだ。

「ネオコン(新保守主義者)共が、『新兵器』の積極使用を唱え始めている。 兵力損失の低減、『合衆国の力』を示すパフォーマンス、対日介入の為のブラフとしても。
連中、最近はロスアラモス(ロスアラモス国立研究所。 世界最大・最高の研究機関であり、G元素研究の最先端)に頻りに接触している。
それだけではない、ローレンス・リバモア国立研究所にサンディア国立研究所、複雑適応系研究のサンタフェ研究所にまで」

「裏を取っているのか? 確かに公表成果以上の研究結果は出ている。 ロスアラモスのアクロイド博士のチームは、G元素臨界後の重力多重乱数指向の制御理論を確立させた。
ローレンス・リバモア国立研究所に、サンディア国立研究所と共同でな。 サンタフェ研究所は、G元素臨界後の複雑適応系研究を進めている」

「連中、本気で日本でG弾の実戦投入実験をやる気らしい。 一般公開情報と機密情報、その差異の確認も含めて」

「一度見せたカードは、ブラフにはならんぞ? 一応のデータは『モーフィアス実験』で得られている筈だ」

「連中の情報アクセスレベルは、その結果を見る事が出来ないレベルだよ。 どこまで本気でG弾によるハイヴ攻略を考えているか、判らん。
寧ろ、日本国内の反米分子の炙り出しと煽動に使おうとしている、そんな気がする。 連中、日本の軍需企業寄り政治家連中と、接触を持ち始めたようだ」

「CIA情報か?」

「他にどこが? CIAが経済情報に傾倒して久しい、今や国家介入工作は、DIA(米国防情報局)がかなり侵食している。 そして残念ながら、DIA副長官はネオコン寄りだ」

ノーマン・デイヴィス国防次官が、自嘲気味に笑う。

結論は出なかった。 もっともこの場で結論が出るレベルの話では無い、言ってみればホワイトハウスのリアリスト達の、現状確認の会合だった。
やはり現状では、条件付き派兵が妥当だろうか? その方向で政府・与党を調整し、議会対策の為に野党の望む方向性も、少しは考慮すべきだろうか。
『新兵器』―――G弾の投入は、最後の、そして最悪の事態での最終カードだ。 やはり簡単に切れるカードでは無い。


7人の男達は、そう認識して深夜の会合を締め括った。 これから国内外対策に、国連ロビー対策―――合衆国軍を捻じ込む仕事が残っているのだ。










1998年12月16日 日本帝国 仙台第2帝都 仙台新港


港にはひっきりなしに、様々な船が入港している。 コンテナ船、タンカーを始め、様々な船が、様々な物資を帝国に送り込み、そして送り出してゆく。
『仙台新港』、あるいは『新港』と称される仙台塩釜港。 メインは当然仙台区であって、塩釜区は元々は取り残された、さびれた港だった。
だが皮肉にも、戦火が塩釜港に活気を取り戻していた。 主に軍需物資の荷揚げ港として―――今の帝国には、無限に必要とされる最重要の戦略物資だ。

その港の一角、帝国軍の巨大な倉庫群が立ち並ぶ外れに、帝国陸軍も仙台需品支廠・塩釜支所が、意外に慎ましく存在している。
主役は軍需物資で有り、その主役を収める倉庫群が重要なので有り、軍の施設としての支所建物は、必要最低限で有ればいい。 誰かがそう考えたのだろう。

船上から埠頭へ、巨大なクレーンで荷揚げされる無数のコンテナ。 それを次々に運び出す車輌群。 巨大な倉庫は、膨大な量の物資を飲み込んで行く。
その様を、書類仕事(の、補助)をしながら支所の窓から見ていた兵隊―――まだ若い1等兵だった―――が、声を弾ませて言った。

「凄いですね、こんなにたくさんの軍需物資・・・ これだけあれば、帝国はまだまだ戦える・・・」

若い兵にはそう映るのだろう(実戦を経験した古参・中堅は別の見解を抱くだろう)、そして10代後半に入ったばかりに見えるその兵の呟きを、傍らの上級兵が聞き止めた。
その上級兵は、何やら書類に記入していたその手を止めて、若い兵を向いて半ばせせら笑うように、半ば悲観する様に、同じく窓の方を向いて、つまらなさそうに言った。

「うるせえ、サボるな、手を止めるな、馬鹿野郎が―――『これだけあれば』? 馬鹿、全然足りねえよ」

上級兵の言い草に、内心カチンと来た若い兵が、表情に出さず(いや、実際、顔に出ている)言い返した。

「それは・・・ 確かにこの港だけじゃ、足りないかもしれませんが。 しかし兵長殿、こんな港は東北や北海道には、まだまだ沢山ありますよ。
それを全部併せれば・・・ それにまだ、北関東の港は生きていますし、名古屋港も健在で、大阪港もまだ、南半分は生きていますよ」

「うるせえ、馬鹿。 お前、その今言った港の港湾能力がよ、かつての東京湾一帯の何分の一か、知ってんのか?
それに名古屋や、大阪の生き残りの港に陸揚げされた物資は、こっちには届かねえ。 向うの軍管区で必要な分しか、荷揚げされねえよ」

「それは、そうですが・・・」

悔しそうに、若い1等兵が言い募る。 彼はそこに、一筋の光を見出した思いだったのだ。 息苦しい国内情勢。 恐ろしいBETAの脅威。
家族は今、どこで難民生活を強いられているのだろうか? そんな内心の負の感情を、目前の光景は一時であれ、光の様に見せてくれたのだ。
それを否定されたように感じたのだ、上級兵に対して反抗的な表情になってしまったのは、そうした無意識からだった。
それを知ってか知らずか、上級兵―――兵の中の最古参でも有る陸軍兵長が、先程までの表情を消して、無機質な声で呟いた。

「お前よ・・・ 阪神から京都を防衛する戦いでな、一体どれだけの兵站物資が消費されたか、知ってるか?」

「・・・え?」

「弾薬だけでもな、帝国陸軍の総備蓄量の45%を消費したんだぞ? あの時の中部軍集団が、陸軍全兵力の43%を占める、23個師団も集まっていたとしてもだよ。
元々、中部軍集団の備蓄だけじゃ、全然追いつかなかったんだ。 ここからも大量の備蓄が送り出されたんだ、九州を入れたら優に、60%以上を消費したんだぜ?」

「そんなに・・・」

「そう、そんなにだ。 でも、それでもクソッたれなBETA共を追い出す事は出来なかった、このざまだ」

そう言って兵長は苦々しげに、1等兵は茫然とした表情で、無言で港湾を眺める。 そして2人の内心は同時に同じ事を叫んでいた―――もっと、もっと、物資を!

そして、静かに部屋に入って来た上官の気配に、2人とも気がつかなかった。

「おい、貴様ら。 儂の目の前でサボるとは、良い度胸だな」

低く太いその声に、2人の兵がまるで地獄の閻魔にでも出会ったかのように飛び上がり、最敬礼をする。
この部屋のヌシ―――最古参の陸軍下士官であり、兵にとっての『大佐』でもある曹長が入って来たのだから。
緊張した面持ちで敬礼に姿勢を続ける若い2人の兵に、最初は強面で睨みつけ、それからぞんざいな様子で手を振って、座れと告げる。
自席に座った曹長が、顔を強張らせた部下、特に年若い1等兵を見て何やら関心が湧いたのか、その曹長はどうしたのか聞いてきた。
最初は言い辛そうだった1等兵だが、チラッとみた兵長が目線で『言え! 何か話せ!』と言っている様にも見えたので、正直に話す事にした。
1等兵が話している間、茶を啜りながら黙って聞いていた曹長だったが、聞き終わると軽く溜息をつきながら、2人の部下を見据えて言った。

「・・・まあ、確かにな。 これまでの兵站物資の消費量は、半端な量では無い。 弾薬だけでも陸軍は、総備蓄量の60%以上は吐き出しておる。
この調子で消費し続ければ、来年の春先まで保たんわ。 前線戦力が枯渇する前に、兵站が枯渇する。 人や兵器が有っても、弾薬や燃料が無い」

その言葉に、若い1等兵が蒼白になる。 兵長も、自分よりも、より内実に詳しい曹長の言葉に、表情を強張らせている。
九州、山陰・山陽、そして阪神間の防衛戦に京都防衛戦。 帝国軍は力戦を重ねたが、徐々に後退して今は北関東・東北南部のラインと、西関東を死守するラインに押し込まれた。
九州南部と四国・近畿南部に至っては、もはや遊兵化しており状況だ。 それでもそこでの生産力を当てにせねばならない。 何とも歯痒い現実だ。

だが、それ以上に痛手なのは兵站物資の消耗、或いは損失だった。 BETAに冒された地域には多くの重工業地帯が有り、兵站物資の生産と集散場所でもあったのだ。
そして今、それがボディーブローの様に帝国を痛めつけている。 特に底が見え始めた兵站物資を遣り繰りしつつ、膨大な消費量を再現している西関東防衛線の存在が重荷だった。

「・・・心配するな、帝国は軍需企業の生産工場を、数年も前から海外に多数、移しておる。 そこでは日々、膨大な量の兵站物資が生産されておる。
それに同盟国・・・ 大東亜連合からも、大量の兵站物資が日々届き始めておるわ。 今までは帝国が、向うを支援して来た。 今度は向うが支援してくれよる。
おい、貴様ら。 戦っているのは儂らだけじゃないぞ。 海の向こうにも、一緒になって戦ってくれよる仲間が大勢おる」

その言葉に、若い1等兵は顔を綻ばせ、兵長も表面上は少し笑みを浮かべた。


やがて、所用を申しつけられた1等兵が、やや遠い場所の倉庫まで伝令に出て言ったのを見て、兵長が上官に改まって聞く。

「・・・曹長殿、あの噂は本当で有りましょうか?」

「どんな噂だ?」

曹長の態度は、変わらず動じない。 兵長は無意識に周囲を見渡し、他に誰も居ない事を確認してから、意を決して聞き始めた。

「・・・この、大量の兵站物資の出所です。 いくら帝国が海外に生産拠点を移していたとしても、これだけの量は生産できない筈だと。
それに大東亜連合からの支援が有ったとしても、連中だって最前線国家だ。 自分達の戦場で消費する量は、半端じゃありゃしません」

「何を言いたいんだ? 貴様は?」

「・・・噂が飛び交っています、『兵站物資の過半数は、メイド・イン・U.S.Aだ』と。 ラベルは『COSEAN(Consolidation of South-East Asian Nation:大東亜連合)』ですが。
中には大東亜連合じゃ、ほとんど生産量の無い物資も有ります。 もっぱら米国が主な生産国である物資まで、メイド・イン・COSEANじゃ、誰だって疑いますよ・・・」

言い終わり、疑わしげな視線を上官に向ける。 相変わらず表情も変えず、茶を啜っていた曹長が湯呑茶碗を机に置いて、少し渋い表情を見せる。
その表情を見た兵長は、これは少し突っ込んで言い過ぎたか? そう内心で恐怖した。 何せ話題が際どい、しかも相手は兵にとっては『神様』の曹長だ。

「まあ、なんだ・・・ おい、貴様。 確か今度、下候(下士官候補生課程)に行くのだったな?」

「は? はあ・・・ そうであります」

―――いったい、それとこれと、何の関係が有るんだ?

思わずそう疑問に思ったが、口にはしなかった。 
軍に入隊して以来、事ある毎に叩き込まれた服従精神。 特に兵にとって下士官は『絶対的』な存在だったから。

「あ~、うん、じゃあ、これから話す事は何だ。 貴様もこれから先、身に付けておくべき『分別』ってヤツの、良い実例だ、話してやろう」

―――分別? 一体何の事だ?

「薄々判っておるようだが、ありゃ、COSEAN製じゃない、帝国製は正真正銘だがな。COSEANと銘打っておる兵站物資は、実は9割方が米国からの兵站物資だ」

―――やっぱり!

兵長は疑問が氷解すると同時に、内心に激しい憎悪が生じるのを自覚した。 彼の同年兵の多く―――共に徴兵されたかつての学友も、多くが戦死していた。
その中のかなりの数が、昨年の米国による一方的な日米安保破棄、それに伴う在日米軍の総撤退によって生じた兵力の空白故に、戦線に穴が空き、少なからぬ部隊が消えて死んだ。
仲の良かった、かつてのクラスメイトでも有った同年兵も、そんな状況下で戦死している。 思わず目前が暗く霞んでいる事に、気付くのには少し時間がかかった。

「そっ・・・ それではっ! 帝国は、裏切り者のお情けを受けていると言うのは、本当だったのでありますか!? 曹長殿!」

「声がでかい・・・ それにお情けかどうか、貴様、いっぺん最前線で戦っている連中に聞いてみろ、連中が何て言うか」

「曹長殿・・・!?」

激昂する若い部下を宥める様に、そして叱責の形をとって、曹長が言い聞かすように続ける。

「帝国製だろうが、COSEAN製だろうが、米国製だろうが、BETAに叩き込んであのクソ共を葬ってやれれば、どこのでも一緒だ―――連中はそう言うだろうよ。
特に古参の連中、91年や92年あたりから戦っている様な、悪運も極まるような古参連中なら、特にな。 連中にとっちゃ、主義主張より武器弾薬だ、それでしかBETAは倒せない」

気勢を削がれた様に黙りこむ部下を横目に、まるで昔話をする様に曹長の話が続く。

「儂は91年から大陸派遣軍に居った。 兵站屋だから、直接戦闘に参加した事は殆どないがな、それでも最前線に補給物資を届ける任務は、嫌って程やったもんだ。
その最中に、群れからはぐれた小型種BETAと遭遇した事は、2度や3度じゃきかんよ。 軽機や軽迫、自動小銃を撃ちまくり、手榴弾さえ投げて殺りあったもんだ」

補給・輸送部隊が装備する火器など、最大でも車載機銃程度だ。 兵士級や闘士級BETAなら良い勝負だが、戦車級BETAが出てくれば、後は神か仏に祈るしか手は無い。
それをこの曹長は、何度も経験したと言う。 巌の様な顔に、苔むしたかの様な表情を張り付けた、如何にも古参下士官然とした外見は、伊達では無いと言う事か。

「補給コンテナをな、衛星軌道からばら撒くと言うがな、ありゃ、実は非常に拙いやり方だ」

「・・・何故でしょうか? 帝国も、各国軍も、常套手段として使っておりますが?」

急に話が飛んで、兵長は正直付いて行くのがやっとだった。 確か自分は、帝国に入ってくる兵站物資の話をしていたのではなかったか?
そんな兵長の困惑をよそに、曹長は話を続ける。 因みにこの曹長が昔話を始めると長い、と言うのは周囲の定評である。

「コンテナを宇宙に上げて、それを降下ポイントまで運んで・・・ 宇宙屋の船に、一体どれだけのペイロードが有ると思う? 一体どれだけの補給量が必要だ?
1隻あたりで10万ポンド(約45トン)程度か、大型でも15万ポンド(約68トン)程度だ、戦術機を2機、カプセルに収める程度だな。 それを通常で20隻程運用しとる」

では最大で300万ポンド、降下中の消耗を2割と計算しても、240万ポンド(約1万トン)は投下出来る事になる。 大した量だと思うのだが、上官の見解は違った。

「コストが合わんわ。 宇宙船1隻辺りの運用コストはどれほどになるものか・・・ 大規模作戦の度に、コスト度外視して運用する度に、大赤字なんだよ。
表向きはな、補給部隊を地上展開させるリスクとコスト面、双方を考慮すれば、そっちの方が良いとか言っているがな、実は逆よ」

コストとは何も、宇宙船(この場合、輸送シャトルか?)の建造コストだけでは無い。 
それを運用可能たらしめる各種支援施設、そちらの方が馬鹿にならない。 まさに天文学的コストだ。

「大陸でも半島でも、補給作戦の大半は貨物輸送と車輌補給でやったもんだ。 貨物輸送のコンテナ1個の積載量を知っておるか? 
大体で約20トン強だ、コンテナ車輌1両で2個運ぶ、それを普通は30輌程度で編成する。 大きな作戦だと、それを1日で80本は運用する、兵站物資は約9万6000トン。
大体、30日以上は兵站作戦に費やすからな、補給物資は約288万トン。 1日当たりの1個軍団への弾薬補給量だけで、最低でも1万トン以上だ」

説明される数字に、頭がくらくらする。 兵站部に勤務する兵長だが、こう言った専門的な数字は、下士官教育を受けない限り実際にはタッチしないものだ。
改めて戦場が、戦争が膨大な物資の消費の場だと実感する。 1日1万トン、一体どれ程の数になるのだろう? 想像がつかない。

「コンテナ車輌だと大型のトレーラー車輌で6万6000ポンド(約30トン弱) 中型トラックで4万ポンド(約20トン弱)だ。
20隻の宇宙屋が衛星軌道から投下する補給コンテナ、それを400輌から500輌でカヴァー出来る。 軍兵站部の補給部隊が保有するトラックの数、知っとるか?」

「・・・確か、軍兵站部の所属で、400輌程です」

シャトル20隻の建造・運用コストと、輸送トレーラー・トラック400~500輌の調達コストと運用コスト。 どちらが安いかは自明の理だ。

「そうだ。 これがアメちゃんだと800から900輌にもなる、我々の倍以上だ。 これで帝国軍は1日当たり8000トンから最大で1万2000トンの物資を、前線に運ぶ。
米軍は1日当たりで、2万トン前後が平均的な補給輸送量だ。 当然、最前線の戦闘戦域予定の場所にまで、ばら撒きに行く。 おい、一体何隻の宇宙屋が必要だ?」

答えに詰まる。 計算できない訳ではない、そんな計算は小学生にだって出来る。 20隻の宇宙船で投下する補給量は、約1万トン。
前線で必要とされる補給物資は、弾薬だけでも軍団規模で1日当たり1万トン、宇宙船が毎日20隻必要だ。 そしてそんな運用は、米国航空宇宙軍でさえ無理だ。
1個戦術機甲師団、または1個機甲師団が本格的な対BETA戦闘で消費する、或いは必要とする弾薬量は、約3500トンとされる。
3個師団から成る1個軍団では、1日で約1万トンの弾薬が消費される計算だ。 確かに衛星軌道からの投下分だけでは、特に長期戦では腹の足しにもなりはしない。

「・・・それは、良く判りました。 ですがその話が、一体どう・・・?」

「ま、最後まで聞け。 大陸の戦場じゃあな、アメちゃんは戦闘部隊の派遣は少数だったがな、兵站部隊はごっそり派遣しておったんだ。 半島にもな。
半島には最後は戦闘部隊も、精鋭部隊をごっそり派遣しおったが、実は98年初頭まで保ったのは、実に米軍の兵站支援に負うところが大きい、非常に大きい」

内心にどす黒い憎悪を有する兵長にとって、その言葉は耳に障る言葉であったが、上官の話の腰を折る事は出来ず、聞き続けるしかなかった。

「何万ものBETAの大群をな、押し止めるには何と言ってもこっちも物量だ。 それこそ連日、集中豪雨の様な面制圧砲撃を続ける事だ。 それを可能にする兵站支援だ。
だがな、当時の大陸派遣軍にゃ、そんな兵站能力は有りはせんかった。 自分の口を養う程度には、帝国軍の兵站組織も有能だ。 しかし『おまけ』の面倒は厳しい」

「・・・『おまけ』?」

「中国軍に、韓国軍よ。 中国軍はもう、当時には兵站が崩壊しておった。 韓国軍はな、ありゃあ、正面戦力は熱心に整備しとったが、兵站能力はお粗末な限りだった。
お陰さまで当時の大陸派遣軍は、言ってみれば安月給で大喰らいの養い子を2人抱えた、勤め人みたいなものよ。 『働ケド、働ケド、我ガ暮シ楽ニナラザリ、ジット手ヲ見ル』だな?」

その昔の、若くして病に夭折した詩人の一節を引用した、曹長の茶化した最後の言葉が少し癪に障ったが、当時を知る古参兵たちからは散々聞かされた事だ。
自身も新兵当時は、半島の戦いに参加していた、もっぱら補給作戦だったが。 だから曹長の言いたい事は、判るつもりだ。

「そんな中でな、いよいよBETAの大規模侵攻が始まるって時にな、アメちゃんの大規模コンボイが延々、列を為して現れた時は嬉しかったもんよ。
ああ、これで戦える。 これで無駄死にせずに済む、ってな。 ある衛士なんぞ、感極まって泣き出した奴さえいた。 それほど前線で補給が途切れる事は、恐ろしかった」

想像だが、何となく曹長の言いたい事が判って来た気がする。 今の帝国は、帝国内の各戦線は、まさにその『貧乏ヒマ無し』ばかりなのだ。

「さっきも言ったがな、帝国の国内外の生産量は壊滅って訳じゃないが、かなり落ち込んでいる。 海外の工場プラント群が本格稼働するには、まだ数年かかる。
そして軍の兵站総備蓄量は、もう危険なレベルまで落ち込んでいるんだ。 俺は補給廠本廠勤務の、同年兵のヤツに聞いたのだがな。
このままじゃ、本当に春まで保たない。 帝国はBETAに滅ぼされるんじゃない、餓死して滅びる羽目になっちまうんだ・・・」


所用で部屋を出て言った曹長の言葉を、頭の中で反芻する。 幸い、部下の1等兵はまだ帰ってこない。 兵長は思う存分、内心の葛藤と言う贅沢を味わっていた。
米軍は憎らしい。 米国は大嫌いだ。 だけど連中の兵站物資は、喉から手が出るほど欲しい。 『武士は食わねど、高楊枝』? 国が滅んでは、元も子も無い。

(・・・畜生。 だけどどうして、アメリカは帝国にこっそり兵站支援をしているんだ? 安保破棄、在日米軍総撤退までやらかした連中が、どうして?)


―――答えは見つからなかった。










1998年12月19日 日本帝国 福島県 帝国陸軍水原演習場 臨時管制塔


「・・・酷いな。 満足な動きは、まるで出来ていない」

目前のログを見つつ、司令部第3部訓練参謀で、統裁官を務める周防直衛大尉が呟く。 その声に訓練管制官を務めるCP将校の江上聡子大尉が、上唇を噛み、表情を曇らせた。
現在、第1大隊が戦闘機動訓練中だった。 第18師団第181戦術機動連隊の中では、最も練度が高いと言われる第1大隊。
しかしその大隊の結果ログは、訓練参謀の満足を得る程までには至っていない。 第1大隊でこうだ、第2、第3大隊は推して然るべし。

「・・・実弾訓練が、まともに出来ません。 推進剤も制限される状況で、シュミレーターも3個大隊でローテーションを組んで使用する有様です。
周防さん、そんな状況で練度は上がりません。 何とか訓練資材の追加は出来ないのですか? せめて、シュミレーターの追加配備だけでも・・・」

「済まんが江上、そっちは俺の範囲外だ。 兵站(司令部第4部兵站課)の長岡さん(長岡文親大尉)辺りに言ってくれないか?」

「だったら、あからさまに落胆の声なんか、上げないで下さい! こっちだって限られた資材と制約された方法の中で、最大限の努力をしているんです!」

そっけない周防大尉の言葉に、流石に江上大尉も声を荒げかける。 様々に制限を掛け、制約を課しているのは第3部と第4部ではないか!
それでいて、部隊がその制限下で苦労して少しでも練度を上げようとしているその結果を、バッサリと切り捨てるかのように!

(・・・この人だって、少し前までは戦術機甲中隊の指揮官だったのに!)

江上大尉としては、まるで周防大尉に『裏切られた』様な気分になった。 少し前までは同じく労苦を共にした戦術機中隊指揮官だった周防大尉だ。
何と言っても、この夏に生起したBETAの本土侵攻。 その中で阪神間を防衛する戦闘から、京都防衛戦にかけて死戦を戦い、奮戦した人だったのに!

「戦技基準で、B-からBが大半か。 限定戦闘しか、任せられん。 江上、評価報告は纏めて後で宇賀神中佐に渡す。
今夜中に確認して、明日の午前中には提出して欲しいと伝えてくれ。 それと、伝言。 『限界は有り、されど訓練に上限無し』、以上だ」

「・・・周防さん!」

江上大尉の恨みがましげな声を背中で聞き流し、周防大尉は管制塔を出て言った。 途中ですれ違う要員から敬礼を受け、答礼を返しつつ次第に表情が険しくなってゆく。
彼自身、実働部隊への様々な制約は理解している。 その中で最大限努力している事も。 だが、それだけでは足りないのだ。

(・・・精神論は、最低の手法だけどな。 それでも、そう言わざるを得ない程には、切羽詰まってきたか)

部隊側が気付いていない所も、少しは見えた。 せめてその点を指摘しておこう、宇賀神中佐や、同期の神楽大尉ならば即座に修正を入れるだろう。
ああ、そうだ。 どうせならば第2、第3大隊へも流しておこう。 第2の荒蒔少佐は以前の上官だし、第3の木伏少佐は自分が新米の頃からの付き合いだ。
2人の大隊長は、第1大隊の結果を見れば、自分の指揮大隊へどう言う修正を加えればいいか、即座に理解するだろう。 理解出来て然るべきだ。
隣接する14師団の状況も確認するべきか? 向うはどんな事をしている?―――14師団の訓練参謀は、同期の親友である長門大尉だ。 今夜あたり、探ってみるか。

演習場の空が、茜色に染まりつつある。 雪が積もった山々の陰影が濃い、日本に残された、少なくなった自然の風景。 残したい故国の風景。 守りたいもの。 

(・・・米軍が安保を破棄して以来、何もかもこの調子だ。 帝国単独では、到底国土を守り切れない。 大陸でも、欧州戦線でもそれは証明されている)

なのに、最近とみに声を大にして叫び出した、反米感情の嵐。 感情だけで結果が出せるものか、マキャベリズムは感情とは対極にある。
利用できるモノは、例え虫が好かない相手であっても、徹底的に利用する。 国を、国土を、国民を―――命を守ると言う事は、そう言う事だ。

(まあ、今の不自然な程の兵站物資の『充実』振りからすると、上の方は案外、裏で手を組んでいる・・・ いや、まだ綱は切っていないかもしれないけどな)

比較的、国外を知る周防大尉は、そう検討を付けている。 国家間に友誼など無い、あるのは国益だけ。 その損得のさじ加減で、敵にも味方にもなる。
ならば『表向き』安保を一方的に破棄した相手であっても、腹芸の一つ出来ない様では、国家運営は無理だ。 多分、イリーガルな連中を動かしているのだろう。
寧ろ遅かった位だ、そう思う。 今頃、かつて学んだN.Y.の街では、デモのひとつやふたつ、起こっているのではなかろうか?

いずれにせよ、当面は有力な友軍は見込めない。 大東亜連合や統一中華戦線も、帝国と同じく最前線国家だ。 余力など有りはしない。
だとすれば、今の自分がすべきことは・・・ 例えかつての上官・同僚の面子を潰す事になったとしても、その結果として部隊練度が向上するなら、そうすべきだ。
それが国と国民を守り、愛する人々を守り、そして自分達が生き抜く事の最短距離に繋がるのだから。 なら、恨み事のふたつ、みっつは甘受しよう。 それが仕事だ。


(・・・米国は、ヒュドラだ。 どの頭が舵を握っているのか、どの頭と組むべきか、そこを見誤ると、大変な事になる)

せめて、その辺を間違えないでくれよ・・・ 周防大尉は無意識に仙台の方向を向いて、嘆息していた。







[20952] 明星作戦前夜 黎明 2話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/06/09 00:41
1998年12月24日 1530 日本帝国 東京『都』 大田区六郷


冬の夕空に、殷々と砲声が木霊する。 昼過ぎより開始された間引き攻撃、その第5派がようやく終わろうとしている。
FH70・155mm榴弾砲、203 mm自走榴弾砲、最新の97式自走155mm榴弾砲やMLRSが155mm、203mm砲弾を吐き出し、MLRSからは誘導弾が射出される。
そして本来なら、とうの昔に退役していた筈のM59・155mmカノン砲、75式自走155mm榴弾砲、M115・203mm榴弾砲に75式130mm自走多連装ロケット弾発射機まで。
せめて祖国への最後のご奉公と言わんばかりに、砲身命数など無視したかのような猛射を、遥か彼方の目標に向け、砲弾を撃ち込み続けていた。

「・・・相変わらず、派手に撃ち込んでいるな、ウチの鉄砲屋どもは・・・」

「撃ち込まなきゃ、こっちが食い込まれてお終いですよ」

「そりゃ、そうだがよ。 補給廠の同年兵がよ、悲鳴上げてたぜ?」

「いつの間にか、どこぞから、補給は届くんでしょ?」

「ま、そうだがよ」

前進監視哨を兼ねた塹壕で、班長の下士官と古参の兵長が、互いに双眼鏡を見ながら話していた。 オリーブドライの旧型防寒戦闘外衣を着こみ、白色首巻で寒さに備えている。
ユーラシア大陸の地形変動―――主に、BETAによる浸食―――の結果、日本でも冬には関東でも雪が積もる日が、珍しく無くなった。
折しも曇天、しかも粉雪が舞う悪視界。 彼方では重金属雲が発生している。 着弾により地中震動波は乱れまくり、音響センサーも馬鹿になっている。
そうなるともう、目視しか索敵手段は無いのと同じだ。 死にたくないから、口は遊んでいても目はしっかりと働かせる。

「一昨日、突破されそうになった44師団の場所、どうなりました?」

「予備の第3大隊が入ったらしいぞ。 今頃は連中、ブルって塹壕の中で漏らしているだろうさ。 最も砲兵は増強されたそうだけどな」

六郷土手沿いにズラリと砲門を並べた、第1軍第4軍団の砲兵任務群。 第1軍の守備範囲は、多摩川沿いに川崎から八王子まで。 
第4軍団は南部戦線、川崎から調布までを担当している。 現在、帝国陸軍に残っている大口径火砲の半数弱、855門を有する第1軍の火砲の6割、510門が敷き詰められていた。
第1軍には他に、MLRSと75式ロケット弾発射機が合計137基配備されている。 
第4軍団にはその65%、89基が配備されていた。 更には河川敷対岸には幅3km、総延長30kmに渡る、対BETA地雷原。
川崎から調布まで、直線距離にして約38km。 1km当たりにして16門の各種大口径火砲、またはMLRSやロケット弾発射機が配備されている事になる。

因みにこれまで人類が、人類同士で経験した最も悲惨な地上戦、と言われた半世紀前のドイツとソ連との間の東部戦線ではどうだったか?
大口径砲より配備密度の高かった対戦車砲でさえ、モスクワ防衛戦当時で1kmあたり5門。 スターリングラード防衛戦で6門から8門。
最も大規模で、最も凄惨な地上戦が行われたクルスク戦においてさえ、戦闘正面1kmあたり12門から15門『しか』、対戦車砲は配備されていなかったのだ。 
155mm以上の大口径砲が、戦線1kmあたり16門配備と言う数字が、如何に異常な数字であるか。 帝国陸軍はこの異常なまでの努力で、最終防衛線を守ろうとしていた。
その他にも90式戦車や74式戦車、古参のM42“ダスター”自走40mm高射機関砲や、新型の87式35mm自走高射機関砲が近接火力として配備されている。

「大型種より、俺たちゃ、小型種の方が怖いッスけどね。 半島でもそうでした、いつの間にか忍び寄って来やがる・・・」

「山がちの半島の方が、確かに厄介だったな。 平坦な大陸戦じゃ、数km先から丸見えだったからなぁ・・・ おい、水くれ」

「もう無いッスよ。 ションベンパック、持ってないんスか?」

「ねぇよ、さっき飲んだ」

「んじゃ、あげません」

「ケチな野郎だ」

どうやら、大陸派遣軍上がりの古兵らしい2人には、戦闘経験の浅い将兵なら緊張しまくる前哨陣地での監視任務も、『何時もの日常』のひとつらしい。
陣地火力として、L90・35mm連装高射機関砲、M1・40mm“ボフォース”高射機関砲はおろか、車載から降ろしたM2・12.7mm重機関銃まで据え付けられていた。
だがそれだけでは、迫りくる小型種BETAの数の脅威に対して、心もとない歩兵は他にも色々と員数外の装備で固めている。
退役した61式戦車から降ろして倉庫に眠っていた、三脚架を装着したM1919A4・7.62mm重機関銃と、二脚架を装着した同A6・7.62mm軽機関銃。 
『62式言うこと聞かん銃』、『62式単発機関銃』、『キング・オブ・バカ銃』、『無い方がマシンガン』といった蔑称にめげず、最後の花道を飾ろうとする老兵・62式7.62mm機関銃。
流石に現役で、車載銃の主役である96式40mm自動擲弾銃、74式7.62mm機関銃までは、かすめ取ってこれなかった様だが。
それでも『5.56mmはションベン以下! 9mmパラは自決用!』だと、兎に角各部隊が必死になって、重火器で陣地を固めていた。

「・・・お? ありゃ、跳躍ユニットの排気音か?」

「ですね。 音がかなりぶっとい重低音だ。 ありゃ、94式じゃ無いっすか?」

部下の言葉に、ほんの一瞬耳を傍立てる仕草をした下士官が、納得したように口を開いた。

「ああ、ありゃ、94式だ。 大陸で聞き慣れた77式や92式の音じゃねえな」

「んじゃ、そろそろ横合いから殲滅戦ですかね?」

「交替の1600時には、後ろの洞穴(塹壕)で、ポンチョにくるまって眠れそうだぜ? 『ホテル・六郷土手』だな」

「廃墟でも良いから、屋根のある場所を使わせて欲しいですよ」

「そりゃ、住居不法侵入だ。 内務省がカンカンに怒るぞ?」

案外きわどい話題を、サラッと流しながら2人の古兵は、頭上を轟音を立ててNOEで飛び去る戦術機中隊を見上げ、任務が終わりに近づいた事を察した。









1998年12月26日 カリブ海 英領ヴァージン諸島トルトラ島 ロードタウン


島の南部、入りこんだ湾と言うか、入り江の突き当たり。 山から海に迫る小さな土地にこの島の首都であるロードタウンが有る。
平和な時代には、クルーザーやヨットなどの停泊地に使われた、小さいが瀟洒で小奇麗な町。 その光景は今では沖合の軍艦―――英軍艦艇が停泊している様が物語っている。

「・・・昔と違って、随分と保養客は増えたがね、でも殆どが英軍や国連軍の高官連中ばかりさ」

島全体の人口は9000人足らず。 そこに保養客はピーク時には5万人は来る。 明らかに英国系と思われる白人男性が、呆れたように呟く。

「日本の八丈島と同じくらいの大きさか、そこに5万人もねぇ・・・」

その横で、こちらは東洋系―――日本人と思しき民間人(だろう)が、『センス(扇子)』と呼ぶ日本の簡易型扇を取り出し、パタパタしている。
だが、元々高温多湿のこの地方だ、扇いでもねっとりした空気しか来ず、うんざりした表情で舌打ちしている。

余談だが、『扇』は日本で発明された涼風器だ。 奈良時代に作られた『檜扇』を原型とする。 
それが中国へ輸出され『唐扇』となり、大航海時代に中国から欧州へ輸出され『洋扇』となった。


―――閑話休題。

山の中腹に建つ瀟洒な建物から、町と港を見下ろしていた日本人が、白人を振り返って言った。

「どうも最近、気配を感じる。 悪意は感じられない、けれど明らかに付けられている、そんな気がする」

「何時頃から?」

「1週間程だ、クリスマス休暇のシーズンだし、軍の『観光客』も多くなってきたから気がつかなかったかもしれん、或いはもっと前からか」

「調べさせよう」

白人系の男は電話を取って、何箇所かへ指示を出した。 その間、尾行されていると話した日本人は、嫌な感じをぬぐえず窓から身を離す。
彼は政府関係者でも、軍や情報関係者でもなかった、ただの日本の商社員だ―――ただし日本の商社とは、時として政府機関以上に危ない橋を渡るし、謀略じみた企てもする。
今回、この日本人商社員が英領ヴァージン諸島に居るのは、なにも商事業務の買い付けの為ではない。 大体、観光以外に資源など無い場所だ。
ではなぜ、こんな所に居ると言うと・・・ カリブ海諸国全般に言えるが、ここ英領ヴァージン諸島もご多分に漏れず、『タックス・ヘイブン』―――租税回避地だからだ。

米国から密かに日本帝国に『輸出』される兵站物資は、最初は米国からこのカリブ海諸国を『書類上』経由する。
そこから東南アジアの『タックス・ヘイブン』地域であるインドネシア・ジャワ島のコタブミを経由して、そこでラベルを貼り替えて日本へ送られる。
代金決算など、現地で行う必要は無いのだが、一応はエージェントを送り込んでいる。 そしてその『仲買人』をしているのが英国SIS(旧MI6)だった。
この建物も、以前とは比較にならぬ程のハートランドと化した、カリブ海地域での情報活動の拠点の一つとして、SISが確保している『セイフハウス』のひとつだった。

そして、最近の『気配』 もしかするとどこかの国に目を付けられたか? 最も可能性が高いのは、米国だ。 ここの隣には米領ヴァージン諸島が有る。
最近では米国商務省傘下の産業安全保障局が、連邦法執行官である輸出管理官(ECO)を、カリブ海全域をカヴァーする為に増員している。
この英領ヴァージン諸島の隣にある、米領ヴァージン諸島にも常駐管理官を置く様になった。 最も疑わしいのは、それか?

米国に日米安保を破棄され、同時に貿易最恵国指定まで外されるに至り、日本帝国は決して得意とは言えないアンダーでの資源輸入に注力を始めている。
米国の保守・中道派(リアリスト達)に接触しての、抜け道を作っての兵站物資輸入。 アフリカ諸国への、議会に計らず内緒で行っている技術供与の見返りとしての資源輸入。
最近では南米諸国に対し同様の接触を経て、レアメタル、レアアースの確保が重要視されてきている。 
これは国民レベルで反米感情の高いカナダへも同様だ。 ジスプロシウムやテルビウムと言った重希土類は従来、中国南部でしか生産していなかった。
今や生産地域がBETAに飲み込まれた現在、カナダのトアレイク鉱床に日本は期待を寄せている、埋蔵量640万トン以上。
他には南アフリカに埋蔵量300万トン以上のレアアース鉱山が有り、英国も参入しての開発が進んでいる。 豪州のマウントウェルドも有力な鉱床だ。
目下最大の開発が進みつつあるのは、グリーンランドに有る埋蔵量2500万トン以上を誇る重希土類鉱床だ。 EUが全力で開発中だが、ウラン濃度も高く難航している。


「取りあえず、君の身柄の安全確保と、ネズミの調査の手配は打った。 どうすべきかは、双方とも上にご相談、だな?」

「ふん、『本社に確認します』―――ジャパニーズ・ジョークにもならんな。 だがそれしか、今はする事は無いか」

何はともあれ、周りを色々と探られるのは良い気がしない。 ましてや今の仕事は、はっきり言ってしまえばアンダーな限りの仕事だ。
日本人商社員は、暗号化を掛けたメールを使って今は仙台に避難している本社へ連絡を入れた。 当然ながら、用語も語彙もありきたりの商用語にして。
後は上がどう動くかは、自分の与り知らぬ所だ。 多分、もっとアンダーな連中が、アンダーな場所で動いて解決だろう。

もう一度、窓から外の景色を見る事にした。 輝く太陽、ヴィヴィッド・カラーそのものの自然、晴れ渡った蒼空、白壁が鮮やかなコテージ群、蒼い海。
まさにここは『ヘイブン』―――天国に近い場所だった。 見た目も、悪徳の天国と言う意味でも。










1999年1月12日 日本帝国 福島県福島市 第18師団


「駄目だ、駄目だ。 無い袖は振れんよ」

相手の素っ気ない即答に、流石にムッとする。

「しかしだな、ここ1カ月ばかりはどの部隊も、まともな実弾訓練さえ出来ていない。 シュミレーターだけでは、実戦の勘は戻せない。
それにだ、配属されたばかりの新米どもに、実戦に近い環境での訓練をさせる事が出来ない。 いざって時に役に立たなければ、話にならないんだ!」

「何と言おうと、無い袖は振れないんだよ。 いいか、訓練(訓練参謀)? 師団の弾薬備蓄は、まだ定数の65%を少し上回る程度だ。
訓練用の弱装薬弾でさえ、殆ど備蓄されていない状況なんだぞ? どうやって都合を付けろと言うんだ、アンタは!?」

「それを探し出して、引っ張ってくるのが兵站(兵站参謀)、アンタの仕事だろうが! こっちは予定の訓練計画、その半分もまともに組めない状況なんだ!
JAIVSを使用するにしても、最低でも訓練弾は必要だ。 師団にシュミレーターが一体、何基有ると思う!? 配備予定基数のうち、半数以上は国連軍に流れてしまった!
それに推進剤の割り当ても酷い。 これじゃ、戦闘訓練はおろか、慣熟機動訓練さえ制限せざるを得ない有様だぞ!?」

訓練計画全般を管轄する訓練参謀としては、今の制約だらけの現状に文句の一つ、二つは大いに言いたい。 が、それでも兵站参謀は素っ気ない。

「文句が有るなら、本防軍兵站本部か、国防省に捻じ込め! こっちだって余所の部隊との奪い合いに、毎日が戦争なんだよ!」

「こっちは本当の戦争に生き残る術を、毎日叩き込んでやらなきゃ、ならないんだよ! 衛士連中を無駄死にさせるつもりか!? アンタは!」

「なんだと!?」

「やめんか! 2人とも! 長岡、苦労は判るが、本当に訓練制限を掛けねばならん状況だ、察してくれ。 周防、貴様も熱くなるな。 長岡も最大限の努力をしている」

第3部(作戦部)の部内会議、オブザーバー参加の第4部(後方支援部)兵站課の長岡大尉と、第3部訓練課の周防大尉が掴み合うように、遣り合っていた。
原因は燃料(及び推進剤)不足と実弾(訓練弾)不足による訓練計画の未達と、衛士の練度向上の未達。 師団に回ってくる兵站物資は、予定量を下回っている。
見かねた第3部作戦課長の広江中佐が制止するが、周防、長岡両大尉は睨み合ったまま、不服そうに席に座り込んだだけだ。

「しかし、正直参ったな。 このままでは本当に、所定の訓練計画の半分も達せられんぞ。 広江さん、アンタの所が立案したヤツ、あれも出来そうにない」

第3部運用・訓練課長の邑木中佐が、苦虫を潰した表情で呟く。 その言葉に作戦立案を担当する第2部作戦課長の広江中佐も、苦虫を潰した様な表情になる。
燃料、推進剤、弾薬、どれもこれも、一向に備蓄が進まない。 これでは部隊訓練がどんどん遅れてしまう、結果は練度の低下とはいかぬモノの、向上とは言い難い。
現在、佐渡島ハイヴからの飽和BETA群と直接対峙している3方面―――北関東の第2軍団、福島西部の第16軍団、山形の第6軍団―――の支援攻撃が画策中なのだが。
報告される限りの技量では、限定的な支援戦闘しか出来ない。 本格的な大規模阻止戦闘では、損害は増えるばかりの練度だ。

「・・・佐渡島からのBETA群は、一旦新潟から三条辺りに上陸した後、信濃川沿いに南西に移動し、旧長野市に入る。
そこから南、更埴(こうしょく)を南東に上田・佐久まで抜けて、軽井沢から高崎まで突破してくるルートがひとつ。
更埴を穂高に山越えして旧松本市まで進み、諏訪から甲府まで南下して、大月から八王子に突進してくるルート。 この2つが関東軍管区の悩みの種だ・・・」

作戦地図を睨み、広江中佐が唸る。 その2方向からのBETA群侵攻が、西関東の24時間間引き攻撃に与える影響は非常に大きい。
ただでさえ、横浜にハイヴが出来ているのだ。 未だフェイズ2とは言え、24時間体制の間引き攻撃で何とか多摩川の渡河を阻止している状況だ。
そんな最中に、東部や北東部から別のBETA群を迎え撃つのは厳しい。 北関東の第2軍団は『利根川絶対防衛線』から動かせない。
そこで関東軍管区と、北部軍管区が協議して、旧新潟県内での上陸BETA群を可能な限り削る作戦が画策されている訳だ。
福島西部の第16軍団、山形の第6軍団が進出して、BETA群に横から打撃を加え続ける。 もしくは東と北に誘引する。 
東では福島との県境の鳥井峠の前、鹿瀬辺りで誘引殲滅する。 或いは村上辺りに引っ張り上げ、米沢と庄内から包囲殲滅する。
ここで必要になるのは、包囲戦線を形成して攻撃に移った後、こぼれ落ちたBETA群を余さず殲滅する、第2部隊が必要となる事だ。
部隊配置の関係上、その任は福島東部の第13軍団(第14師団、第18師団)しかない。 そこで北部軍管区を上げて、作戦立案を始めたのだが・・・

「しかし、『落ち葉拾い』役に必要とされるのは、中小規模の部隊に分散しての、広域索敵・殲滅戦闘だ。 これは案外難しい。
必要とされるのは、部隊の独立性、各人の咄嗟判断に高い遊撃性・・・ 駄目だな、そんな高度な作戦をやらせたら、迷子になる連中が続出する」

運用・訓練課長の邑木中佐が嘆息する。 部下の報告を見る限りでは、今の師団戦術機甲連隊に、大隊はともかく、中隊単位に分散しての遊撃戦闘は無理だ。
それは同時に、広江中佐が計画している広域探索・攻撃計画を放棄する事になる。 それはすなわち、軍団司令部からのオーダーを叶えられない事になる。

―――それは、流石に拙い。

広江中佐、邑木中佐、共に内心の焦りを隠しきれない。 上級司令部の命令を、『まだ練度が上がらないので、出来ません』とは、軍では決して言えない事だ。

「兎に角、今の現状を打破する以外に、次期大規模作戦を円滑に進める余裕は生じない。 私から3部長(作戦部長)を通じて、4部長(後方支援部長)に打診する。
軍団司令部とも協議が必要だ、邑木さん、部長を襲撃するぞ。 あと、各参謀は現オーダーに沿って、もう一度問題点と対策をブラッシュアップする事。 以上だ」





会議が終わり、各々が部署に戻ろうと会議室を出た時、周防大尉は背後から呼び止められた。 振りかえり相手を見ると、先程やり有った兵站参謀の長岡大尉だった。

「周防さんよ、ちょっと良いか?」

少し気拙い意識も有ったが、さりとて断る理由も無い。 それに多分、仕事絡みだろう、拒否する理由など、全く無いので応じる事にする。

「ん? ああ、少し位なら。 なんだ? 長岡さん」

「ここじゃ、ちょっとアレだ。 ・・・向うの小会議室が空いている、向うで話す」

上官の邑木中佐に断りを入れ、長岡大尉と共に端の使われていない小会議室に入る。 普段から余り整備されていないのか、電灯がふたつ点灯しない、寒々した感じの部屋だ。
ドアを閉め、小さな打ち合わせ机の対面同士で椅子に座る。 ポケットから煙草を取り出した長岡大尉が1本咥えた所に、周防大尉がライターに火を付けて差し出す。
ちょっと意外そうな表情だが、黙って火を貰った長岡大尉が煙草を1本、周防大尉に差し出す。 それを受け取って、黙って火をつける。 2人とも結構なスモーカーだった。
少しの間、黙って紫煙を楽しんでいた2人だが、長岡大尉が最初に口を開いた―――意外に、後腐れの無い口調で。

「なあ、周防さん。 訓練課としては、何基欲しいんだ? シュミレーター」

「・・・最低でもあと16基、欲を言えば30基」

「30基はちょっと無理だな・・・ 16基って、理由は?」

天井を向いて煙を吐き出しながら、長岡大尉が聞いて来る。 周防大尉も椅子の背もたれに身を投げ、力を抜いた姿勢で応じる。

「今現在、師団が保有するシュミレーターは24基、2個中隊分だ。 あと16基、合計で1個大隊分揃えば、訓練計画も立て易い」

「と言うと?」

「1個大隊がJAIVSを使った実機訓練、1個大隊はシュミレーター訓練、残る1個大隊は整備や座学、机上訓練。 無理なくローテーションを組める。
今は順番待ちで、各中隊長同士で取り合いなんだ。 俺の所に捻じ込んで来る奴も多い―――3日に1回は、遣り合っている」

「和泉大尉とか、神楽大尉とか、恵那大尉とか?」

少し可笑しそうに、長岡大尉が心当たりの有りそうな中隊長の名を上げる。 今の3人は、周防大尉の先任か、同期生達だ。 さぞ派手に言い争っている事だろう。

「その3人だけじゃないさ。 有馬大尉や佐野大尉は半期しか違わないから、これも遠慮ない。 美園大尉もな、あれは元々『遠慮』なんて言葉を知らん奴だし・・・」

他に最上大尉、摂津大尉も元部下だけあって、結構遠慮なくモノを言ってくる。 それなりに控えめに、先任者に対する言い方をして来るのは、羽田大尉だけだ。
嘆息する周防大尉の様子を、可笑しそうに見ながら笑っていた長岡大尉が、煙草を灰皿に押し付けて覗き込む様に聞いて来る。

「じゃあ、その16基、分捕りに行く気は有るか?」

「伝手が有るのか?」

「伝手と言うか・・・ メーカーに乗り込む。 今日、仙台の国連軍基地に納品される予定のシュミレーターが、20基有る。 その内16基は、元々ウチが受領する予定だった」

「・・・また、横槍か」

長岡大尉の言葉に、周防大尉が顔を顰める。 帝国軍中には最近、横浜から仙台に移転して来た国連軍基地に対する不満が高まっている。
三沢など他の国連軍基地と比べて、異常なまでに機密レベルが高く設定されているその基地は、同時に対外的に横柄極まるとも、散々言われている。
何しろ帝国軍部隊に配備予定、或いは受領予定の機体や車輌、兵站物資の少なからぬ量を、横から掻っ攫ってゆくのだ―――政府レベルの承認済みだと言って。

「この前も、14師団と18師団が受領予定だったシュミレーターを40基ばかり、横から掻っ攫って行っただろう、あの連中は!?
お陰でこっちは、大幅に定数割れだ。 それに第1期納入分も含めれば、あの基地は優に80基以上は保有している筈だ!
そこに更に20基もだと!? 衛士1人に専用のシュミレーターを1基、宛がうつもりなのか!?」

流石に周防大尉も憤慨する。 通常の戦術機甲連隊だと、保有するシュミレーターの定数は最大でも1個大隊分だ。

「シュミレーターだけじゃない・・・ 先月ロールアウト分の94式『不知火』な、北部軍管区に配備予定だった12機丸々、掻っ攫って行きやがった。
これで連中の『戦術機甲連隊』は、108機が丸々、94式で編成される。 今時の帝国軍部隊で、そんな贅沢な部隊は無いぞ。
第1師団や禁衛師団でさえ、94式と92式弐型の混成だ。 他は89式や77式を使用している部隊が多い」

それだけでは無い。 あの基地では連隊編成を取っていない他の部隊―――大隊編制の、数個部隊―――にしても、89式『陽炎』を使用している。
生産数が限られ、生産ラインも限られている機体をだ。 帝国の生産工場は、わざわざその為にラインを割いて生産・供給していると聞く。
おまけに、訓練用の機体はこれまた生産数の少ない、貴重な第3世代訓練機である97式『吹雪』を、優先配備されている。
帝国軍の中で、『吹雪』配備の訓練部隊など、殆ど無い。 士官学校の衛士訓練課程に少数が配備されているだけだ、各訓練校は未だ77式『撃震』の訓練機仕様を使っている。

「・・・それを、今度はこっちが横から掻っ攫う、か?」

「下手すりゃ、飛ばされて即、最前線だ。 覚悟が有るか?」

「はっ! 最前線? 俺にとっては故郷みたいなものだ、心安まる―――いいぞ、あの連中の鼻をへし折ってやるか」

「よし、なら話は早い。 14師団の大江(大江正孝大尉・14師団兵站参謀)にも声を掛けてある。 向うも訓練の長門大尉が一緒だそうだ、同期だろ?」

「ああ、随分昔から、一緒に馬鹿をやって来た―――いいぜ、長岡さん。 早速行くのか?」

「今からな」






「い、いきなり言われましても! この器材は国連軍に納品する様、変更指示が出たものでして・・・!」

メーカーの工場、その生産管理担当者が困惑した声を上げている。 その目前には、険しい表情の青年将校―――陸軍大尉が4人、彼を囲んでいる。
記章から兵站将校と判る1人の大尉が、今度は笑みを顔に張り付けてその担当者に歩み寄って言った。

「何、問題は無い。 この器材は元々、我が軍団向けに納品予定だった器材だ。 それを横から国連軍共が、難癖を付けて掻っ攫って行こうと言う訳でね。
なあ、君も日本人だろう? 我々、日本帝国陸軍の各部隊は、国連軍の横やりで非常に器材の調達が難しくなっている。 ここはひとつ、同じ日本人として判ってくれないかね?」

「そ、そうは申されましても・・・ 上司の確認と承認を得ませんと、私の判断では・・・ そんな権限は・・・」

そう言った瞬間、今度は別の兵站将校が血相を変えて、胸倉を掴み上げて恫喝する。

「貴様ぁ! それでも日本人か!? 同じく帝国臣民でもある、我が帝国軍が困難な状況下におかれている様を見捨て、みすみす国連の圧力に屈して、唯々諾々と従う気か!?」

「ひっ!?」

「我が軍は、日々前線でBETAの侵攻を食い止める死闘を繰り広げておる! 我が部隊も近々、前線に出る予定だ! 
それが満足に訓練も出来ぬ状況で前線に出てみろ! 一体どうなるか! 貴様、そうなった時には英霊に詫びて、靖国で腹を搔っ捌くのだろうな!?」

「あ・・・ あの・・・」

「はっきり返事をせんかぁ! どうなのだ!? 腹を切るのか!? 切らんのか!?」

「・・・切らんのなら、せめて後ろから撃ち抜いてやっても良いのだがな・・・」

今一人の兵站将校に恫喝され、その迫力に後ずさりするメーカーの担当者に、今度は参謀飾緒をぶら下げた、若い大尉参謀が物騒な事を口にする。
今にも泣き出しそうな表情の担当者に、更に4人目の大尉―――これも参謀飾緒を下げた、大尉参謀だ―――が、笑みを浮かべて言った。

「何、別段難しい事ではないでしょう? 元々、これらの器材は我が部隊へ納品予定だったものだ。 そして出荷変更指示は、本日の1500時に連絡が有った。
しかし、貴方はこれらの器材を1330時、午後の1番の出荷で送り出してしまった。 部隊の受領は1450時。 お判りかな? 出荷伝票は『そうなっている』のだから」

「あ、あの・・・ いえ、出荷伝票は、まだ作成は・・・」

「作成しているんですよ、貴方は。 そして配送所でも、出荷作業は終了していた。 納品書も、受領書も、それぞれ印を押して有る。
貴方はそうした、そして器材は既に我々が受領済み。 ああ、そうだ、ついでに几帳面な貴方は既に売り上げ処理も済ませ、本社へ既に請求処理も済んでいる―――そうですね?」

「ぶ、文書偽造・・・!」

「貴様! どうなのだ!? 出荷したのか!? したのだな!?」

「したのなら、規定通りに仕事を進めればいい・・・ していないのなら、靖国で腹を切るか、頭を撃ち抜かれるか・・・」

脅し役と宥め役、双方から精神的圧力を延々30分ばかり加えられ、脂汗を大量に流したメーカーの担当者が、ようやく折れた。
出荷指示書に納品書と受領書、売上処理に請求処理。 『偽造された正式文書』を作成し、10輌近い大型トレーラーに積み込まれた器材が出荷されたのは、それから1時間後。
それを見送った直後、1台の汎用軍用車が、けたたましいブレーキ音を出して工場前に停車した。 降りて来たのは如何にも官僚然とした、国連軍の大尉だった。

「おい! これはどうした事だ!? 我々の基地に搬入される筈の器材が、全く来ないじゃないか!」

メーカーの担当者に詰め追って詰問するが、その担当者はもう、精根疲れ果てた表情で、離れた場所に居る4人の帝国軍将校達を指さす。
その仕草に察したか、国連軍大尉―――兵站将校だろう―――は、顔を赤く染めて抗議を始めた。

「貴官ら、一体どう言うつもりだ!? あの器材は国連太平洋方面第11軍横浜基地・・・ あ、今は仙台基地だが、我々が受け取る筈の器材だぞ!?
それを横領するのか!? 日本帝国軍は、国連協定に反する気か!? この事は正式に抗議するぞ!?」

騒ぎ立てる国連軍大尉を見ながら、お互い苦笑し合っていた4人の帝国軍大尉のうち、1人が前に出てきた。 参謀将校だ、数枚の書類を手にしている。

「帝国陸軍第18師団の周防大尉だ。 貴官が何を言わんとしているのか、我々には判らない」

「しらばっくれるつもりか!?」

「何を? 我々は職務上、不足しがちな貴重な器材の出荷を、現地まで確認しに来ただけだが?」

「・・・本日、1500時にこの工場には、出荷変更指示が出とる! 我々が受領する様との指示がな! 貴官ら、それを奪い取ったのだぞ! これは国際問題だ!」

―――国際問題ねぇ・・・

見かけも中身も、まるきり日本人で有ろう、その国連軍大尉を見ながら、周防大尉も、他の3人の大尉も苦笑する。
そのうち、もう一人の大尉が更に歩み寄って、如何にも馬鹿にした様な表情で説明を始めた。

「と言うと、何か? 貴官は元々、我が部隊が受領する予定の機材一式、横から掻っ攫おうとしていた訳か?」

「何だと!? 貴官、一体何者だ!?」

「帝国陸軍第14師団、長門大尉。 我々がここで立会検査をしていたのは、本日の1130時から1230時まで。 出荷確認は1330時で、部隊から受領連絡が有ったのは1450時。
どうやら、貴官は仕事が遅い様だな。 貴官の言う『変更指示』が出た時にはもう、我々の部隊に納品された後だった」

一瞬、ポカンとした表情を見せる国連軍大尉に向かって、笑いながら先程の周防大尉が、書類片手に言い加えた。

「そして、納品されて納品書を渡し、受領書を受け取ったとも。 もう既にあれらの器材は、我が部隊の―――帝国陸軍の固定資産だ、日本帝国の国家資産になっている。
如何に国連軍との協定が有ろうと、一度は日本軍の固定資産となった器材を、難癖付けて横から掻っ攫うと言うのは、如何なモノだろうか?」


数分後、『抗議する! この事は正式に書面で抗議するぞ!』と言い残して去って行った国連軍大尉を見送った後、
4人の日本陸軍大尉達はぐったりした表情のメーカー担当者に慰労の言葉を掛け、軍用車両に乗り込んで去って行った。
遠ざかるその車を見送りながら、メーカーの担当者からは疲れた様な独り言が、思わずもれてしまった。

「俺の知った事か、後は本社が何とかしてくれ・・・ 何もかも、BETAが悪いんだ・・・」

自分も日本人だ、心情的には日本軍に味方したい。 でも、自分は一介の会社員でも有る。 軍人が命令に従う様に、社名に反する事は、明日からどうやって食って行けばいいのか。
不意に手に取った書類に気付いた。 そう言えば上司に変更指示確認の連絡は、まだしていなかった。 それに今日は出荷作業が多くて酷く忙しかった―――うん、そうだ。
彼は部署に急ぎ戻り、複数個所の担当者に口裏合わせを頼み、それから上司に報告した―――変更指示の確認と、既に事前通りに出荷済みだったと言う事を。
何しろ、変更指示前に出荷した『証拠書類』があるのだ、自分のミスでは無い。 上司は更にその上に、最終的には随分上の人間が、色々と言い訳するだろう、それで終わりだ。

そう内心で納得させると、通常の業務に戻って行った。









1999年1月25日 2320 インドネシア・ジャカルタ 大東亜連合本部ビル


深夜の街に、大東亜連合本部ビルから出てきた男達が数人。 玄関に停車していた高級社に乗り込むと同時に、車が発車した。

「大使、如何でしたか、首尾の程は?」

助手席に乗り込んだ秘書官が、前を向きながら問い掛ける。 その問いに在ジャカルタ・日本帝国全権大使の前塚一郎は、若々しい顔に疲労を滲ませて言った。

「・・・何とか、派兵協力は取り付けた。 今後は実務者レベルでの調整に任せる事になる」

「それは・・・ おめでとうございます。 これで我が帝国にも、少しは光が見えてきたというものです」

目出度い事かな? いや、目出度い事なのだろう―――前塚大使は内心で反芻した。 横浜ハイヴ攻略計画、その為に大東亜連合へ協力を打診し、派兵の確約を取り付けた。
昨年の末に現地入りして以来、1カ月に及ぶ交渉の末にもぎ取った成果だ。 お陰で随分とこちらもカードを切らざるを得なかった。
経済・技術協力と支援、特に軍事技術に関して。 日本と同じ最前線地域である大東亜連合にとっては、喉から手が出るほど欲しい技術であり、情報だ。
同じく同席していた統一中華戦線代表部、そして亡命韓国政府からの全権大使にも、色々と餌で釣った。 お陰でかなりの戦力、そして兵站物資が集まるだろう。

「・・・オーストラリアとインドが、横槍を入れてきたよ」

「やはり・・・ 地上戦力ですか?」

「インドは大規模派兵を行う余裕は無い、オーストラリアは遠い極東で兵員を死なせる義理も無い、軌道作戦戦力だよ。 
まあ、我が国だけでは不足しがちだからね、大東亜連合の軌道作戦戦力はスワラージ作戦で枯渇したから、出すなら根こそぎ引っ張ってやるさ」

「オーストラリアは宇宙戦力を有しておりません、インドですか?」

「船はインドが、要員はオーストラリアが。 オーストラリアは近年、急速に宇宙戦力の整備を始めている。 要はその予習をしよう、そう言う事だろう」

「・・・腹立たしい気もしますが、確かに出すなら根こそぎ、出させるべきですな。 指揮権の問題で、また揉めそうですが」

「両国ともに、軌道爆撃部隊の指揮権を取ろうと言うつもりらしい。 爆撃部隊と降下部隊の指揮権が別々では、軌道作戦に支障が出そうだ・・・」

やがて車は、ジャカルタ市街中心部に入った。 近年の急激な経済成長で、今や1000万人以上の人口を抱えるジャカルタ都市圏、その中心部。
社会インフラが人口の急増に間に合わず、慢性的な渋滞はもはや日常となっている。 速度を落とした車の車窓から、繁栄を続ける東南アジア最大の都市を眺めた。

眺めながら、大使は別の事を考えていた。 大東亜連合は、何とかなる。 元々軍事同盟も結んでおり、今年に入って広範囲な経済協定も結んだ。
連中にとって我が国は、今や無くてはならない『保険』であり、『宝の箱』だ。 まず協力すると見込んだが、それは正解だった。
統一中華戦線も、そして亡命韓国も同様だ。 日本が落ちない限り、祖国奪還の夢を見続ける事が出来るからだ。 米国の下僕に落ちれば、それは不可能だ。
オーストラリアとインドも、それぞれ事情が有る。 それ故に協力を申し出て来たのだが、些かやり方があざとい。 いずれ相応の見返りを要求した方がよさそうだ。

「・・・問題は、国連か」

大使の呟きに、秘書官が反応した。

「N.Y.での交渉は、難航しているようです。 米国は国連拠出金のカードを切って来ました。 万年金欠の国連は、米国の要求を飲む方向に傾いているとか」

「・・・国民世論も、なにより軍部が納得しないだろうな。 安保破棄は我が国の大多数にとって、晴天の霹靂だったからな。 恨みに思う連中は多い」

「無理な話です、京都に核を使用しろだの、西日本一帯に戦略核を集中使用しろだのと。 ドイツ人の中には、半世紀経っても米国不信の連中が多い。
それに如何に政府間協定での使用だったとはいえ、カナダ国民の半数以上は今や、反米意識が顕著です」

「米国のパワー理論には、相手の心情を推し量る、等と殊勝な心理条件は存在しないよ。 全ては米国の国益に適うかどうかだ、保守も革新も同じさ」

車窓の外で、遅くまで飲み歩いているビジネスマンの姿が見える。 屋台を開いているのは現地の人間か、それとも難民上がりか。
そこにあるのは、紛れもない日常だった。 帝国では失われつつある、人々の日常。 それを取り返す裏で行われる、様々な闇。

「N.Y.は、大変だな・・・」










1999年2月10日 2030 N.Y.ブルックリン区 港湾地区


人影のない港湾倉庫の一角。 そこに数人の人影があった。 手に武装―――自動拳銃を突きつけている男達は、ヒスパニック系か。 4、5人いる。
その視線の先、縛られ、猿轡をかまされて恐怖に滲んだ視線を投げつけているのは、白人系の30代くらいの男性。
傍らにはやはり白人系の同年代の女性と、まだ幼い少女が同様に拘束されていた。 やはり同様に恐怖で顔を強張らせている。

「なあ、ミスター。 俺はアンタに何度も警告した。 アンタの身の安全、そして家族の身の安全、何度も保障すると言った。
しかしアンタは、それを悉く拒否した。 これはその結果だよ、ミスター。 この国じゃ、自分の行動は自分で責任を負う。
アンタは自分の行動で責任を負う義務が有るんだ、判るよな? これは必然なんだ、アンタが負うべき、必然なんだよ」

リーダー格の男―――40代くらいの、恰幅の良いヒスパニック系の男が、以外に理性的な声でそう言う。
縛られた男は激しく身をよじり、何か言おうとするが、猿轡の下では全てくぐもった呻きにしかならない。

「可哀想に、奥さんも死ぬには早い年だよ。 お嬢さんに至っては・・・ まだ6歳かい? 残念だよ、ミスター」

その言葉に、縛られた夫妻の目が恐怖に見開かれる。 この男達は、本当に―――

「最後の祈りは済ませたかい? じゃあ―――主に会ったら伝えておいてくれ、俺は最後まで律儀に警告したとね」

部下に合図し、倉庫を出る。 続いて響く、くぐもった銃声が数発。 後の処分は『業者』に引き継いで、終わりだった。
離れた場所に止めてあった車に移動する。 近くに人影が2人、彼に『仕事』を依頼した人物達だった。

「やあ、ミスター。 仕事は片付いた、報酬は例の口座に入れておいてくれるかな?」

「判った。 それと、くどいようだが・・・」

「他言無用。 俺はアンタの素性を知らないし、知ろうとも思わない。 アンタは俺の仕事の目こぼしをする、ビジネスだろう? お互いに」

「ああ、ビジネスだ」

それだけ言うと、その依頼主は自身の車に乗り込み、走り去って行った。 
そのテールランプを見ながらふと、一緒に居た奴は誰だったのだろう? そうぼんやり考えていた。





それまで無言だった助手席の仕事相手が、静かに口を開いた。

「・・・これで少しは、時間を稼げたのかな?」

「少なくとも、抜け道を作ってお国に兵站物資を渡している証拠は、全て押さえた。 捜査官も今はニューヨーク湾の底だ、ネオコン連中が知る時期は、大幅にずれた」

先程『処分』された親子は、父親が合衆国商務省産業安全保障局の局員だった。 彼は合衆国から不自然な流通に乗って、膨大な軍需物資が外国に流れている事件を調査していた。
真っ先に勘づいたのは、調査対象の当事者である日本の国策企業の現地派遣社員。 そこから複雑な経路を通り、最終指示が出された。
駐米日本大使館の情報工作官―――特別高等公安警察派遣の2等書記官に命令が出され、彼は本国の指示を全うする為に『協力者』へ連絡を入れた。

そして合衆国の裏社会に仕事が『発注』され、いましがたその依頼は完遂されたのだった。

「助かる。 今あのルートが摘発される事は、我が国にとっては非常に問題になるからね」

「僕は報酬が入ればそれで良い。 ウチのボスも黙認している、彼は保守派だからな、ネオコンとは肌が合わない」

連邦捜査局国家保安部―――FBIの中の公安警察、FBI版CIA、その捜査員である『協力者』は、興味無さそうに言った。
そんな協力者の横顔を見ながら、書記官は内心で焦りを感じ始めていた。 どうもこれは、ネオコン連中はあのルートの存在を、薄々感づき始めたのか?
合衆国商務長官は、対外的タカ派と看做されていて、ネオコン勢力とも昵懇であると噂される。 商務省が動き出したと言う事は、ネオコン連中、薄々感づき始めたか?
だとすれば厄介だ、今年の夏に計画されていると言うあの作戦、それに合衆国が横槍を入れる材料にされかねない。

大使館内の武官室―――帝国軍人たちが詰める部署から漏れ聞こえる情報、それと今回の命令を突きつけ合わせれば、そんな気がする。
もっとも彼の様な一介の職員に、上層部の動きなど分かりはしない。 あくまで推測の域を出ない。 だが、最近は情報省の連中も、ちょこまか動いている。

(―――気持ち悪いな、得体が知れない)

そう思うが、取りあえず彼は与えられた任務をこなさねばならない立場であり、それ以上の情報を入手できる立場では無かった。


「今度の週末、ホームパーティを開くんだ。 君も奥さんを連れて来て呉れるかい?」

ハンドルを握りながら、『協力者』が話題を変えてきた。 明るい声、そうでもしないと自らの心の闇に飲まれそうだったからだ。
FBIの給料は、普通の市警の給料より高給だが、それでも分不相応の広い家に住む『協力者』 彼の財力のひとつは、同業者からの『副業収入』だ。

「ああ、良いな。 そう言えば娘さんの誕生日が近かったな、何かプレゼントを持って行くよ」

その言葉に笑う『協力者』の顔は、ごくごく普通のアメリカ市民の顔であり、父親の顔だった。










1999年2月20日 1500 日本帝国 仙台市 国防省軍務局 軍務局長室


「何とか形は整いそうだよ」

軍務局長の声に、部下である軍務課長がホッとした表情を見せる。 国防政策全般を担当する軍務課の責任者として、この数カ月は眠れぬ夜の連続だったのだ。

「国内配備戦力の再編成が完了した。 そこから軍管区防衛戦力を差し引いた12個師団、それにこれも再編成った海軍の連合陸戦2個師団。 都合14個師団を攻勢戦力とする」

「地上戦力はそれが全てでしょうか? 大東亜連合軍は?」

気にかかる事の一つ、ハイヴ攻略の為の地上戦力。 14個師団では試算の上では不足する、他に増援は見込めないのか?
軍務課長の不安顔に、軍務局長が笑って答える。 彼は子供の頃から、好物は最後に食べる癖が有った。

「安心したまえ、連中にとっては大判振る舞いだ」

大東亜連合軍からはインドネシア軍が3個師団、マレーシア軍が1個師団、タイ王国軍と南ベトナム軍が各1個旅団を派兵する。 
最前線国家のマレーシア軍部隊にとっては、貴重な戦略予備部隊だし、大東亜連合の数的主力のインドネシア軍にしても、国内戦略予備を吐き出すと言う。
他に統一中華戦線からは、台湾軍、中国軍共に各1個師団ずつを派兵する。 オセアニアに移転した亡命韓国政府も、大盤振る舞いで2個師団の派兵を決定した。

「これで9個師団相当の戦力だ、地上戦力だけで都合23個師団。 『パレオロゴス作戦』、『双極作戦』に次ぐ大作戦になる。
他に航空宇宙軍軌道降下兵団が4個大隊、これに『国連軍』枠でオーストラリア、インド軍の5個大隊も加わる、合計9個大隊」

「印豪の連中、やっと地上戦力を出しましたか。 あれこれと交渉の結果と聞き及びます」

「・・・向うにも難民崩れの衛士は多いしな、自分の懐が痛まんギリギリの数字だろうな」

「素性は問いません、戦力は戦力です。 しかし9個大隊、これではハイヴ突入部隊としては、些か心もとない気もします」

「軌道降下兵団ではないが、連中の後を追いかける突入部隊は有る。 我が軍では陸軍の独立機動大隊(戦術機甲)が6個と、海軍から戦術機甲戦闘団(大隊)が4個。
大東亜連合の他の国・・・ カンボジア、ラオス、ネパール、ブータン、そう言った連中からの人員で構成した部隊が4個大隊、合計14個大隊。
軌道降下兵団と合わせれば、ハイヴ突入部隊は23個大隊、8個連隊規模だ。 フェイズ2ハイヴに突入さすには、十分との試算が出ておる」

他に『戦線形成任務』部隊が10個師団、各軍管区に最低限度残す必要のある部隊が20個師団。 帝国陸軍は回復した戦力の25%以上を、今回の作戦に投入する予定だった。
海軍は主力の第1艦隊の全力を投入する。 ただし母艦戦術機甲部隊は今回参加しない、いや、出来ない。
京都防衛で被った損害と、連合陸戦師団へ移した要員と、双方の理由から『母艦はあるが、戦術機も衛士も居ない』のが、海軍母艦部隊の状況だ。
今回海軍は他に、強襲上陸専門の海軍海兵隊4個大隊―――保有する全『海神』部隊を投入する。

「海上戦力も増援は有るが・・・ 正直、期待するなと海軍から言ってきておる」

「大東亜連合も、統一中華も、元々大した海軍力は保有しておりませんからな」

韓国、中国、台湾、インドネシア、タイ、そしてインドから水上艦艇が参加するが、全て小型艦だ。 駆逐艦にフリゲート艦、それにミサイルコルベット艦が18隻。
第1艦隊が戦艦を含む大小45隻の陣容を誇るのに比べれば、精々が補助的な運用しか出来そうにない。

「それに第2艦隊(旧第3艦隊)は北方支援、第3艦隊(旧第4艦隊)は東シナ海・・・ 見返りにしては、厳しいですな」

「仕方有るまい、ソ連に大東亜連合、そして統一中華戦線。 連中を引きとめる為だ」

南の台湾海峡、北の間宮海峡(タタール海峡)は共に、常にBETA群の渡海の危険性を有している。 そして統一中華戦線もソ連軍も、お世辞にも海軍力は大したものではない。
今まではアジア・オセアニア地域最大の海軍である日本帝国海軍が、台湾・東南アジア、そして樺太方面の海上支援を担っていた。
日本本土へのBETA侵攻でパニックを起こしたのは、なにも当の日本だけでは無かった。 日本の海軍力を当てにしていた近隣諸国、特に台湾と樺太でパニックが広がっていた。

数か月に及ぶ交渉の結果、統一中華戦線からは2個師団の追加派兵と、大量の兵站物資の無償供出を。 
ソ連からはアラスカ租借時に権利を譲り受けた、北極海に面したプルドー・ベイ油田から産出される原油の、大量供給を(格安で)確約させた。
その引き換えに、第2艦隊は北方に張り付け、第3艦隊は東シナ海から南に張り付けとなっている。 今回の反攻作戦には参加できない。


暫くは反攻作戦の内容について話し合っていた両者だが、軍務課長が不意に思いだして有る報告を軍務局長にした。

「開発本部からの報告です、例の『壱型丙』ですが、当初予定の100機を変更して、160機の生産計画に変更したと。
首都防衛第1連隊に1個大隊、教導団に1個大隊を配備します。 残る80機は半数を関東軍管区に、半数を北部軍管区に送ります」

「関東は第1師団と第3師団か? 禁衛師団は定数充足させていたな。 北部は・・・13軍団か? 14師団と18師団へか?」

「はい。 この間も安達閣下(安達二十蔵中将、第13軍団司令官)から文句を言われていましたので。
精鋭だのなんだのと、持ち上げる割に器材の割り当てが酷いと。 2個師団定数、240機のうちの40機ですが、一応は『最新鋭』です」

「・・・色々と、問題のある気体なのだろう?」

「1個師団あたり20機です。 ベテラン連中を乗せれば、問題は無いと報告が有ります。 後は92式弐型の生産体制が整い始めましたので、幾分か割り振れます」

94式の生産分は、もっぱら関東軍管区各師団へ優先配備される。 残る機体は77式が大半で、一部は89式が配備されていた。
92式系列は北部軍管区が優先される予定だったが、海外に移転した生産工場の立ち上げが手間取り、ようやく軌道に乗った所だ。

「判った。 開発本部へは、了解したと伝えてくれたまえ」

「了解です」

本作戦発動まで、6カ月を切った。 それまでに作戦立案、動員、兵站物資備蓄、訓練、各国軍との調整、やるべき事は山ほどある。
正直6カ月弱で間に合うかどうか、疑わしい気もするが。 しかしそれ以上は帝国が保たないだろう。 現有戦力での防衛、その限界を逆算しての日程決定だった。

「・・・それまで、佐渡島と横浜のBETA共が大人しく、してくれる事を祈るしかないか」

軍務局長のセリフは他力本願の極致ではあったが、しかしそれは日本帝国の置かれている現状の要約でも有った。





『帝国軍大防令第十八号
 『明星作戦』予備令発動について
1.全部隊、全機関に達する。
1.帝国軍は本2月21日を以って作戦『明星』準備令を発動、作戦目的を完遂すべく準備を整えるべし。
1.なお、準備令終了後は本作戦戦闘序列に、可及的速やかに加わるべし。
1.総員、一層奮励努力せよ。
1.帝国は勝利を期待する。

発令者:帝国軍統帥権代理・政威大将軍・煌武院悠陽
発令代行者:帝国軍統帥幕僚本部総長・海軍大将・堀禎二』




[20952] 明星作戦前夜 黎明 3話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/06/26 18:08
1999年2月25日 オーストラリア連邦 オーストラリア首都特別地域(ACT) 首都・キャンベラ


―――『ザ・ロッジ (The Lodge) 』、オーストラリア連邦首相官邸を言い現わす。 人口わずか40万人弱の中小都市であるキャンベラが、首都である証だ。
その官邸の近く、街路の端に2人の男が真夏の暑さにうんざりしながら(ここは南半球だ)、汗を拭きつつ官邸を眺めていた。

「・・・さっき入って行った車、ありゃ、日本帝国大使館のだったな」

明らかにアジア系、それも東アジア系の男が目を細めて言う。 その声に片方の男(こちらは白人だ)が頷く。

「ああ、ありゃ、日本の特命全権大使だ。 どうやら色々、諸々の交渉事の大詰めと言った所かね?」

「アンタのトコ、ネタは掴んでいるのかい?」

「競合他社に、ネタを披露する馬鹿はおらんよ」

一見するとジャーナリスト、見掛けも雰囲気も。 だが時折見せる鋭さが、どうにも不信を覚える、そんな2人だった。
彼等は数日前から、『本社』の命令でここに張り付いている『支社』の連中だった。 『通信社』の特派員、と言う事になっている。

「が、まあ、一応は『本社』からネタはある程度教えろ、とも言われている。 いいさ、じゃあ開陳してやろう」

「むかつく奴だな」

手に持ったミネラルウォーターのペットボトルを持ち上げ、気障に笑う白人の男に、アジア系の男が鼻を鳴らして言う。

「ま、ま、聞けよ。 日本の大使がここに日参している訳はな、この国に仲介して欲しいからさ」

「・・・誰と?」

「ボツワナ」

「ボツワナ!? って、あれか? アフリカの・・・ ボツワナ共和国?」

「そうさ」

思いっきり不思議な顔をしているアジア系の男を見て、白人の男は一種の優越感を感じながら、彼の『ネタ』を開示し始めた。

「あんたさ、ダイヤモンドが工業用で使用される事、知っているかい?」

「・・・馬鹿にすんな、その位知っている。 研削(ダイヤモンドカッター)や研磨(ダイヤやすり)、他にもオールラウンドな加工が可能だ」

―――おお、良い答えだ。

少し馬鹿にしたような誉め方で、白人系の男は話を続けた。
ダイヤモンドは宝飾系以外の用途として、工業用途が有る。 主に固い材料の研削や研磨に使用されている。
だが、近年加速して来た材料学や化学の分野において、ひとつの画期的な成果が為されたのだ―――高品質ダイヤモンド薄膜の合成に成功したのだ。

「日本の国立研究所と、日本企業の連合体がな、この技術を確立させた。 元々この技術は昔、合衆国が匙を投げて以来、日本がコツコツと研究して来た分野だ」

「ほう? そりゃ目出度い。 誰しも努力は報われるべきだな―――で? それがどうかしたのか?」

「せわしない奴だ、続きを聞けよ―――で、だ。 その日本の開発した技術、一番おいしい応用例はな、『ダイヤモンド半導体』だ」

「ダイヤの半導体!? ダイヤって、不導体だろうが!?」

驚くのも無理は無い、確かの殆どのダイヤモンドは不導体だ。 しかしホウ素が微量含まれたⅡb型のダイヤ結晶はP型半導体の特性を持ち、燐だとN型半導体となる。
これを使用したMES(金属-半導体結合)型や、MIS(金属-絶縁体-半導体結合)型のFET(電界効果トランジスタ)半導体素子研究が為されている。

「FET(電界効果トランジスタ)ってのは、今や電子機器で使用される集積回路では、必要不可欠な素子となっているんだ。
そしてその開発・生産で、世界のトップをぶっちぎりで独走中なのが、日本帝国だ。 連中、ああ言う細かい分野が得意だよな、民族性かね?
ま、兎も角、ダイヤモンド半導体ってのは、シリコン半導体に比べて数十倍から数百倍の大幅な高速化が可能なんだ。
耐熱性や耐久性も極めて優れモノでな、宇宙空間みたいな過酷な環境下でも、まず間違いなく確実に動作する」

アジア系の男にも、段々と判って来た。 その技術が汎用技術のみならず、軍事技術としても極めて有効だと言う事に。
高速処理演算機、コンパクトで大容量送電が可能な電力ケーブル、高周波フィルタ。 それだけでも、例えば戦術機の基本性能の向上は容易くなる。

「それだけじゃねえ、最近は超伝導特性も発見された。 益々もって・・・だよなあ?」

超電動モーター、核融合炉、磁気シールド装置、磁気推進艦船・・・ キリが無い。

「ま、そんな夢の様なおめでたい技術だけどよ、ネックもあってな。 だいいち、日本じゃダイヤモンドは産出しねえ」

「・・・人工ダイヤが、有るじゃないか?」

人工ダイヤ自体は、1955年に合衆国で合成に成功している。 現在は世界の工業先進国では、普通に使われる技術だ。 だが問題も有る。

「それを作るのにはよ、静的高温高圧法だと鉄、ニッケル、マンガン、コバルトなんかの金属が必要だ。
大量に使用予定のダイヤモンド半導体用によ、それらの鉱物資源を割きたく無いんだろ? 日本は資源貧乏国だしな」

「・・・で!?」

いい加減、アジア系の男が苛立ってきた。 それと、自分達が真夏の昼間に立ちんぼをしている事と、どう関係が有るのだ?

「余計な資源を割きたくなきゃ、天然ダイヤを使えばいい。 宝石にはなれんクズダイヤでも、工業用には十分だ。 それに安いしな。
そこでこの国の出番だ。 なあ、アンタ。 今現在、ダイヤの年間産出量の上位5位の国って、知っているかい?」

―――ダイヤの産出量?

いきなりで、咄嗟に思い浮かばない。 確か南アフリカは有名だった記憶が有るが・・・

「ああ、南アも上位5位に入るさ。 昔はソ連が1位だった、今は産出地の大半はBETAの腹の中で、転落しちまったがね」

白人の男が言うには。産出量で世界5位がカナダ(1262万カラット=約2.54トン)。 4位が南アフリカ(1445万カラット)だ。

そして3位はオーストラリア(2062万カラット)、2位がコンゴ(2800万カラット)、現在世界1位の産出量を誇るのが、ボツワナ共和国(3110万カラット)だった。

「・・・じゃあ、ボツワナから買えばいいんじゃねえのか? 安いんだろう?」

「あのよ、お前さん、それでよくこの商売できるな・・・ ボツワナはAU(アフリカ連合)の一員だ。 最前線国家とは、ちょいとソリが宜しく無い。
日本としては、ちょっとばかし敷居の高い相手なんだよ。 それにダイヤモンド産出国はシンジケートを組んでいる、余所から来て、はいどうぞ、って訳にゃ、いかんよ」

それにAUは欧州諸国―――主に英国とフランス、ドイツ。 そして合衆国の草刈り場だ。 極東の新参者は、なかなか仲間に入れて貰えない。
だったら、オーストラリアから買えばいいのではないか、そう思うだろう。 日本とオーストラリアはリムパックEPA(環太平洋自由貿易経済連携協定)の一員だ。

「なかなか、そうもいかんのさ。 あれを買えば、これも買え、いやそれは買えん。 何やかんやとな、自国の産業保護も絡む。
特に日本はBETAに本土を荒されている、海外移転に関係して、オーストラリアの一部とは、完全に競合になっちまっている」

「・・・じゃ、何でその競合に、仲介を頼むんだよ!?」

「コモンウェルス(英連邦)さ」

―――コモンウェルス。 日本では英連邦と和訳される事が多い。 『Commonwealth』、最近では『独立主権国家連合』とも言う。
元々は英国、アイルランド(後に脱退)、カナダ(ニューファンドランド含む)、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカとで発足した。
当初の特色は、各国が『英連邦王国―――コモンウェルス・レルム(Commonwealth realm)』の構成国だった事だ。
その後に変化して、現在は54カ国が参加している。 その内、国土を保持しているのは51カ国(インド、バングラディシュ、パキスタンは国土喪失)
加盟国同士で、国民に国政および地方選挙における選挙権および被選挙権を認めおり、査証発給(免除)やワーキング・ホリデーに関する優遇措置がある。
また最近は、広域の自由貿易経済連携の動きも見せており、成立すれば世界最大の自由貿易協定になるだろう、そう言われている。

「ボツワナは、コモンウェルス加盟国だ。 オーストラリアは最初期からのメンバー。 この連中、些か英国流でな。 メンバーの紹介無しには、クラブに入れない」

日本としては、同じEPA加盟国のオーストラリアの顔を立てる為に、ある程度量のダイヤモンドは輸入するのだろう。 その見返りに『紹介』か。

「最も日本としちゃ、これを機会にAU内に橋頭堡を築きたいんだろうよ。 アフリカは資源の宝庫だしな」

「で、その動きにアンクル・サムは神経を尖らせている、と・・・」

「米日同盟の破棄、貿易最優恵国指定の解除、まあ政府も色々と、思う所が有ったんだろうけどね。 流石にそこまでやられると、日本もなあ・・・
で、『逆襲』に出てきた日本の動きが、今度はこっちの産業界を大いに慌てさせているのさ。 EPAにAUへの独自展開、合衆国の影響力―――儲けが消えて無くなる」

「・・・総貯蓄(国内所得-消費(家計消費+政府支出))-総企業投資=貿易収支(純輸出(輸出-輸入))だ。 
輸出が低調になっちまうと貿易赤字が発生する。 国内は苦しくなって、減税処置なんかが行われ、今度は財政赤字だ。
貿易赤字と、財政赤字のダブルパンチ・・・『双子の赤字』だ、1960年代の悪夢よ、再びってとこか? 国民は政府にNoを突き付けるだろうな」

アジア系の男の言葉に、白人の男が首を竦める。 
現在、合衆国の支配層が念頭に置いている事は、当然ながら合衆国の国益だ。 それが保障されて初めて、前線国家への全面的な支援が行える。
もしも合衆国の国益が大きく損なわれ、その力に影響力が生じると・・・ 支援体制に綻びが生じる、それは世界中の前線国家群にとっても悪夢と同義だ。
合衆国の独り勝ちは腹立たしいし、傲慢な上から目線は気に食わない事甚だしいが、まずは国土防衛、或いは国土奪回が最優先する。
当然ながら、合衆国もその辺は弁えており、決して下手には出ない。 だが必要以上に相手を追い込みはしない―――防波堤は必要だからだ。
その微妙な国際関係のバランス、綱渡りをする様なバランスが、今は少し綻びかけている。 言うまでも無く、日本帝国の動きだ。

日本としては、十分以上に言いたい事は山ほどある訳だが、他の国々―――特に最前線国家群にしてみれば、『その辺にしたらどうか?』と言うのが本音だ。
現場の人間、特に軍部などは日本に同情的、或いは同調的な声が大きいが、政府は違う。 これ以上、バランスを崩さないで欲しい、それが本音だった。

「で、今度はアンクル・サムがオーストラリアに揺さぶりを掛ける、と・・・ 大量の難民を抱え込んだこの国は今、慢性的な食糧不足だしな」

「元々、内陸部は耕作不能な大地が広がっている。 昔の人口ならともかく、難民を受け入れて1億人に迫る人口を抱える今は、純然たる食糧輸入国だ、この国は」

「その輸入食料は合衆国と、その影響下の中南米諸国から・・・ 昔懐かしい『白豪主義』も、またまた台頭してきているしな。
良い手だと思うよ、実際の話、大東亜連合も我々も、日本の暴走には正直言って、付き合いきれない所が有るしな」

「おたくは、アフリカ利権を奪われたくないからだろう? まともに競合しそうじゃないか、新参者が狙うのは、その市場の最下位をまず追い抜く事だしな」

白人系の男の言葉に、アジア系の男がフン、と鼻を鳴らして吐き捨てる。

「・・・俺個人としては、日本の肩を持ってやりたい気はするけどね。 俺は大連の出身だ、あの街が陥落した時、最後まで残ってBETAと戦っていたのは、日本軍だからな!」

「らしくないね、君ら共産党にとっては、日本は潜在的敵国だったんじゃないかい?」

「遠方の高利貸しより、近所の極道さ。 どっちもどっちだが、連中は我が祖国で血を流した。 ・・・にしても、CIAらしからぬ博識だな、いつから経済アナリストに転向した?」

「安企部(中国国家安全企画部)は、いつからそんなに、寝ぼけ始めたんだ? カンパニー(CIA)は今や、経済・国際関係情報に重心をシフトしている。
軍事関係情報はDIA(国防総省国防情報局)が専管しているよ、忌々しい事にな! マクナマラの遺産が、この軍拡の時代に台頭しやがった、クソ!」

事実、アメリカのインテリジェンス・コミュニティーは、国家情報長官の元に統括された。 CIAはその中の『中央』情報機関ではあるが、『絶対』では無くなった。
そして従来アメリカのインテリジェンスを牛耳って来たCIAは、その活動を制限されている。 外交・国防政策に関わる情報活動は行うが、以前ほど派手さは無い。
今では主に経済・国際情勢情報に限定され、軍事・国際軍事関連情報・工作の全般はDIAか管轄する事になっている。
この件も、いずれはDIAに移管される事にあるだろう。 CIA内部ではそれを不服と思う連中が多い、耕地を見つけ、耕し、種をまいたのは自分達なのに。

「ま、アンタらは、アンタらの苦労が有るってわけか。 ・・・最後の質問、ダイヤモンドって地上でもっとも硬い筈だな? 半導体にって・・・どうやる?」

「あん? 確かにモース硬度やヌープ硬度は飛び抜けて硬いが、ビッカース硬度は種類によりけりだ。 それに靭(じん)性はそれほど高くない。
確か7.5だったか、水晶と同じだ、ルビーやサファイアより脆い。 瞬間的な力には弱いのさ、ハンマーで叩けば割れるぞ、ダイヤモンドは」

「・・・それでかい? BETAでも突撃級の装甲殻や要撃級の前腕が、突撃砲弾で場合によっては貫通出来たりするのは?」

「ああ、モース硬度が15前後は有るそうだが、靭性は余り高くないそうだ。 高初速砲弾を続けて叩きこめば、イケるらしいな」

「人類社会の靭性も、さほど高くなさそうだな」

「そんなモノ、歴史を見れば判るだろうが」











1999年2月27日 1330 新潟県 旧村上市付近


腹に響く重低音が、冬の空に砲声が響く。 

北と東、そして南の3方向から同時に攻撃を掛けている。 雪混じりの土砂が火柱と共に宙に舞う、その中には爆風の衝撃波で粉砕されたBETAの残骸も多数、混じっていた。
この日、所謂『定期便』と呼ばれる、ハイヴ活性化に伴う飽和個体群の侵攻が生起した。 とは言え、その規模は約4000体程。 旅団規模の侵攻であって、さほど大規模では無い。
佐渡海峡の海底を定期探索していた、海軍の通常動力潜水艦(佐渡海峡は最大深度400m超、狭い佐渡海峡の哨戒には艦艇が使えない)が海底を移動する個体群を捉えたのだ。
即座に潜望鏡深度まで浮上した哨戒潜水艦から、本土防衛軍日本海警備管区(大湊鎮守府)に発せられた緊急信が北部軍管区に急転送された。
至急信を受けた北部軍管区は、即座に迎撃戦力を整えてひとつの作戦に出た。 BETAの注意を北方に引いて釣り上げる。 南下させては関東軍管区の苦労が増えるからだ。

「第21師団、側面攻勢に出ました」

「第54師団第541戦術機甲連隊、高根川から南進。 BETA群先鋒集団を殲滅中」

まず、山形県米沢に展開する第12軍団3個師団のうち、第21師団が緊急即応部隊として山形・新潟県境を突破。 そのまま日本海に出て南下し、新潟市北部でBETAと接敵した。
第21師団は無理押しせず、被害を最小に抑えつつ交戦しつつ、そのまま北上。 BETA群はその動きに釣り上げられ、村上市付近まで突進を続けた。
第21師団のその動きに呼応したのが、同じ山形の酒田市から鶴岡市に展開する第6軍団。 指揮下3個師団の中の第54師団が山間部を南下し、村上市北部で交戦を始めた。
北と東に『蓋をした』後に、最後に呼応したのが福島・会津若松の第16軍団指揮下の第23師団。 県境を越え、戦術機甲部隊を新発田方面から一気に北上させた。
3個師団の攻囲に晒され、旅団規模のBETA群の数が急速に減じていく。 その様子を少し離れた山間部から見ている部隊が居る、放棄された天文台跡付近に指揮所を張っている。

「第23師団第231戦術機甲連隊第1、第2大隊、旧新発田市から旧胎内市に突入! 坂町で光線属種捕捉に成功、これより殲滅戦に入ります。 第3大隊は新潟市内残存個体を殲滅中!」

「光線属種は胎内市だけか? 他の場所には居ないのか?」

「重光線級30体、光線級20体を胎内市で確認。 他は確認せず!」

その報告に、指揮官が首を傾げる。 そして傍らの幕僚に問いかけた。

「おい、作戦参謀、どう考える? 周防大尉?」

問われた幕僚―――周防直衛大尉は、考えるそぶりも見せずに、即答した。

「―――別動の連中がいます。 重光線級はネタ切れかもしれませんが、光線級の数が少ない。 森でなくとも、林に入られただけで上空からの補足は、非常に困難になります」

既に数機のUAVが撃墜されている。 しかしその空域は主に海岸線付近、つまり今現在、重光線級などが確認されている区域だった。
旅団規模、約4000体程のBETA群であれば、杓子定規に考えれば80体程の、少なくとも60体から70体の光線属種がいる事は、既に周知だ。
しかし現在確認されている光線属種の数は50体、最低でも残り10体から20体は残存光線属種が存在しているとみていいだろう、それも発見されにくい小型の光線級が。
そしてこの辺りは、昨夏のBETA侵攻によってかなり荒されてはいるが、未だ完全に荒野と化した訳ではない。 まだ山林はあちこちに残っている。

「だとしたら、どの辺に目星を付ける? 意見だ、意見を出せ、作戦参謀」

問われて周防大尉は、作戦地図を暫し見つめる。 そこには友軍部隊とBETA群、それぞれが情報の通りに駒の形で置かれている。
BETA群主力は村上市から胎内市にかけて、突進力を弱めながらも北上を続けている。 重光線級を含む光線属種は、確認されている個体は胎内市の南部に固まっている。
新発田市から新潟市にかけては、確認されていなかった。 新潟市内上空のUAVも未だ撃墜されていない―――今日は佐渡島の地上には、光線属種は出てきていないようだ。

「・・・海岸線から内陸に入り、新発田市と胎内市をまたぐ丘陵地帯の東側、そこから北上して関川村に入るルートが有ります。
関川村で付近の山頂を取られれば、主戦場の側面からレーザー照射をまともに浴びせかけられる・・・ 発見しづらい、山間部です。 見落としが有るとすれば、そこかと」

「うん・・・ 情報参謀?」

「確かにその付近は、UAVの索敵範囲外です。 索敵部隊も置いておりません、穴ですな」

「ふん・・・ で、連中がそのルートを北上してくれば、我々が居るこの場所の目と鼻の先と言う訳だ。 俺も同感だ、連中はここに来る」

戦闘団長の大佐が、我が意を得たりとばかりに、ニヤリと笑う。 そして即座に迎撃態勢を取るよう、指揮下部隊に下命した。

「ところで、主役は戦術機部隊になる。 1個大隊、どう展開させる?」

戦闘団長―――第18師団第181機械化歩兵連隊長の東海林源之輔大佐が、臨時に戦闘団幕僚に配された周防大尉を見て、問う。
戦術機甲部隊は、師団戦術機甲連隊で有る第181戦術機甲連隊第3大隊が、この戦闘団に配されている。 指揮官の木伏少佐は、即応態勢で戦術機の中だ。

「地形的に見て、主侵攻路は大長谷から越後大島でしょう、そこへ2個中隊。 更に東周りで湯沢温泉辺りに出る可能性も有ります、そこに1個中隊。
発見は戦術機部隊だけではかなり難しいですので、機装兵(機械化歩兵装甲部隊)を各1個中隊、随伴で。 本部は残る機装兵1個中隊と女川まで」

今回は戦術機甲1個大隊と、機械化歩兵装甲1個大隊、そして本部中隊に自走高射砲1個小隊で構成される、ささやかな派遣戦闘団だ。
今回のBETA侵攻を見た北部軍管区司令部は、格好の『練習台』だと判断した。 指揮下各師団には、実戦未経験の将兵が少なからずいる。
特に再編・新編された第12、第13軍団にその傾向が強かった。 既に数カ月の部隊訓練をこなしているが、実戦に勝る訓練は無い。
幸いにと言うべきか、来襲したBETA群の数は旅団規模。 3個師団を叩きつければ、殲滅は十分可能だ。 
そこに戦略予備の第14師団、第18師団からも戦闘団を編成して攻撃に参加させる。 第14師団派遣の戦闘団は、第23師団の1個戦術機甲大隊と共に新潟市内の掃討中だ。

だが山岳地形故に機甲部隊の急な展開は出来ず、戦術機部隊と機装兵部隊の臨時のチームを構成し、機械化歩兵装甲連隊長・東海林大佐が臨編戦闘団長として指揮を執る。
戦闘団本部には、師団幕僚団から情報参謀・内藤大尉、作戦参謀・周防大尉の両名が急遽、配された。 周防大尉は作戦課では無いが、戦術機甲指揮官としてのキャリアを買われた。
臨時で作戦参謀を務める周防大尉の意見に、東海林大佐は地図を凝視しながら頷く。 確かにその2本のルートが、最も怪しい。

「よし、それで行く。 木伏少佐へは周防大尉、君から詳細を連絡しておけ」

「判りました」






『UAVのアテは有るんか?』

「残念ながら、1機だけです。 他は主戦場に回しましたので」

『もう全部、墜されとるがな・・・ 1機でも有るだけマシか、レーザー照射させたら、呼び鈴代わりになるわな』

「想定される数は、光線級が20体前後。 最悪、重光線級も10体程」

『一回は近くをUAVが飛んどるんやろ? 重光線級は20m程の背丈があるさかいな、それで見落としは考えにくいわ。 多分、おらん』

「念の為です。 大長谷へ2個中隊、湯沢の南に1個中隊。 振り分けはお任せします」

大隊CPの指揮通信車両に乗り込み直接、大隊指揮官の木伏少佐とやり取りする。 概要は伝えたが、詳細な戦闘指示は伝えていない。
もう7年近い付き合いだ、お互いどう動いて、どう考えるか、ほぼ判る。 木伏少佐も詳しく聞いてこない。
今回は戦術機部隊の運用に就いては、周防大尉が作戦の全権を委ねられた様なものだ。 東海林大佐は機械化歩兵装甲部隊指揮のベテランだ、大陸や半島で死戦も経験した。
反対に戦術機部隊指揮は経験が無い、そして作戦参謀の周防大尉も、戦術機大隊の木伏少佐も、陸軍にあっては既にベテランの域に入る衛士達だ、任せて問題ないと判断したのだ。

『有馬(有馬奈緒大尉)と摂津(摂津大介大尉)の中隊を大長谷に入れる。 指揮小隊は恵那(恵那瑞穂大尉)の中隊と、湯沢の南や』

主攻勢路と判断される場所に、次席と三席の中隊長を配する。 当然そこが主力だ。 残る警戒攻勢路に先任中隊長指揮の1個中隊と、指揮小隊と共に大隊長が陣取る。
その指示が大隊長・木伏少佐から各中隊に下される。 同時に1個大隊の戦術機―――40機の77式『撃震』が跳躍ユニットから噴煙をたなびかせ、NOEに入った。
追随して動き出した指揮通信車用のモニターから、その姿を見ていた周防大尉は表情に出さず、木伏少佐の部隊配備決定について内心で眉を顰めていた。

(・・・本当なら、大長谷には木伏さんも陣取った方が、良いのだろうけどな)

それが不安な事情を、今の第3大隊は内包している。 最先任中隊長である恵那大尉、彼女の戦場での指揮に不安が有るのだ。
能力云々の話では無い、むしろ精神的な問題だった。 新潟を巡る戦いで初陣を迎えた恵那大尉だったが、軽度の戦場疲労症を発症している。
本来なら、後方と言わずとも連隊本部辺りに下げて(転属させて)、『ゆっくり戦場から遠ざける』事がベストなのだろう。
だが今の帝国軍には、戦術機甲中隊指揮官を早々に下げる余裕など無い。 従って恵那大尉は引き続き、中隊長に留まっている。

(普段は良いんだが・・・ この前のJIVESを使用した演習、恵那のバイタルの乱れは尋常じゃなかった)

最悪のケースを想像して、周防大尉も内心、気が滅入りそうになる。 恵那大尉は既に半数を割ってしまった生き残りの同期生、その一人なのだ。

「ッ! 作戦参謀! UAVからの通信途絶! エリアS5D、旧胎内市宮久上空!」

「情報は?」

「光線級、約14体を確認しました。 他に小型種が戦車級を中心に、300体前後が大長谷方面へ移動中。 湯沢方面への移動は不明です」

「第3大隊へ警報を、機装兵大隊にもだ。 それと追加だ、『湯沢方面への侵攻の警戒を要する』、以上」

「了解です」

第3大隊CPは月島瑞穂大尉。 奇しくも恵那大尉とは同名で、その関係でか仲が良い。 周防大尉より半年後任になる、以前から181連隊第3大隊CP将校を務めていた。

「CP、ガンスリンガー・マムより、ガンスリンガー・リーダー! BETA発見、エリアS5D。 小型種300、光線級14、北上中。 なお、引き続き湯沢南方への警戒を要す」

『ガンスリンガー・リーダー、了解。 ≪ベレッタ≫、≪ブローニング≫は大長谷でアンブッシュ! ≪コルト≫はワシについて来い!』

―――『了解!』

第32中隊≪ベレッタ≫、第33中隊≪ブローニング≫が大長谷北方の丘陵部の山頂付近に移動する。 第31中隊≪コルト≫は指揮小隊と共に、更に東に移動した。
その声を聞きながらふと、場違いな記憶を思い出して周防大尉が苦笑する。 第3大隊は中隊のコードネームを、何故か海外銃器メーカーの名前で統一していたのだった。
大隊のコードネームからして『ガンスリンガー』だから、とは巷の見解だが、どうにも納得いかない。 木伏少佐は砲戦より、近接格闘戦の方が得意なのだから。

(『ほっといたら、お前が大隊長になった時に取られそうやからな! ワシが先に唾付けといたんや!』)

何故かと聞いた時に、木伏少佐が周防大尉に言った言葉だが、額面通りに受け取る程、周防大尉も素直な人間では無い。
最近は『烈士』だの、『維新』だの、『士魂』だのと、随分と国粋的なコードも増えてきた。 同時に大陸派遣軍時代に有った空気―――リラベル的な空気が影を顰めている。
恐らくはそんな空気に対する、木伏少佐流の抵抗なのだろう。 故・水嶋少佐が戦死した時も、同じ戦場に居た米軍に対する恨み事は、一言も言わなかった人物だった。

「・・・≪ガンスリンガー≫、接敵しました! 大長谷付近!」

『ベレッタ・リーダーより、ガンスリンガー・リーダー! エンゲージ・ナウ! 小型種約320、光線級を含む! ≪ブローニング≫が光線級掃討戦を開始!』

『ブローニング・リーダーだ! 機装兵中隊、山を上がってくる小さい連中の掃射を頼む!』

月島大尉の報告と同時に、有馬大尉と摂津大尉の声が同時にヘッドホンに流れた。

『ガンスリンガー、了解。 ええか? 無茶はすんな、けど多少の無理は気張れや?』

『・・・相変わらず、無茶言うよ・・・』

『こら、摂津。 ワシが『元祖』や。 昔を思い出して、周防以上にしごいたろか?』

『結構です。 大尉になってまで、あんな思いはしたくありません―――≪ブローニング≫、手筈通りだ。 連中が予定位置まで進出したら・・・ 今だ! 突撃!』

摂津大尉にとって、新任少尉時代に扱かれたのは当時の中隊長・木伏大尉だった。 

『戦闘団本部より、戦術機甲第3大隊。 戦況は順調に推移、村上市付近のBETAはほぼ殲滅された。 残るは胎内市から関川村のBETA群だけだ』

戦闘団本部から主戦場の状況が入った、どうやら今回のBETA侵攻は大した損害を出さずに殲滅できそうだ。
指揮通信車両の中に、ホッとした空気が流れたその瞬間、通信回線に緊張した声が流れた。 音声の主は識別コードでは≪コルト≫の第2小隊長、突撃前衛長だ。

『BETA群、確認! 距離1500、小型種200、光線級10! 川沿いに北上中! 小隊、東の丘陵部を巻いて連中の側面に出るぞ!』

―――良い判断だ。 その声を聞きながら周防大尉はモニターに映し出された戦術MAPを見つつ、納得した。
光線級を含むBETAの小集団は、小山に挟まれた狭隘部を川沿いに北上中だ。 真正面から行けばレーザー照射の餌食に遭う。
逆に低いながらも、遮蔽物として利用できる地形なのだから、NOEで飛ばせば10数秒も有れば連中の側面に無理なく接近できる。

『―――待て! 第2小隊、待て! このまま待機! BETAがキル・ゾーンに入ると同時に、一斉射撃だ!』

中隊長である恵那大尉が制止する声が、通信回線に流れる。 それに反対する第2小隊長の声も。

『中隊長! キル・ゾーン付近は蛇行した地形です! 一気呵成の殲滅は無理です、僅かでも時間がかかります! 光線級へ認識時間を与えるべきでは・・・!』

『命令だ! 従え、四宮中尉!』

『・・・くっ! 了解・・・!』

周防大尉が師団参謀に転じた後、恵那大尉の中隊に転属となった四宮中尉が、指揮する小隊を止める。 
その表情を見た恵那大尉が、少し不機嫌そうな様子で、四宮中尉に注意を促した。

『四宮、私とて貴様の言わんとする事は理解している。 しかし迂回突入はあくまで事前状況の変化が無い事が前提だ。
今回はBETAの確実な数的情報が無い、僅かでも光線級の数に違いが有れば、もしも別に動いている個体が数体でも有れば、第2小隊はいきなりレーザー照射を受けかねない』

四宮中尉とても、逆にその位は理解している。 要は指揮スタイルの違いか。 恵那大尉は一部から『慎重に過ぎる』との評を受けるに至っている。
四宮中尉が以前まで所属していた中隊の指揮官―――周防大尉は逆に、『少し無茶』と言われる様な指揮振りだった―――実は計算された無茶だったが。

その時、第3者の声が通信回線に流れた。

『おい、恵那、それに四宮。 ワシの事、忘れとらんか? 貴様ら・・・?』

大隊長の木伏少佐だった。 部下達のやり取りにも、少しニヤケた表情で、笑って見ている。

『恵那、3個小隊でな、ここで火網を形成せい。 迂回索敵と、もしもの時の咄嗟戦闘は、指揮小隊がやるわ』

『大隊長!? いえ、指揮小隊はここで・・・! 迂回索敵は、私の隊が・・・!』

『恵那、慎重さはお前の持ち味や、誰も悪いなんぞ言わへん。 せやけどな、ここはひとつ側面の保障が欲しい。 ほんでな、こう言う事はワシの十八番なんや』

『し、しかし・・・!』

恵那大尉としては、上官に自分が封じた迂回索敵をやらせる訳にはいかない。 一度は反対した方法だが、こうなったら自分がやるしかない、そう考えている。
根が真面目なだけに、そして未だ初陣を引きずっている感が有るだけに、恵那大尉は納得しない。 初陣では同じような状況で(規模はもっと大きかった)上官を失っている。

『どないや? 作戦参謀、その辺は?』

―――いきなり自分に振るか? 相変わらずだな、この人は、この悪党め。

話を振られた周防大尉は、苦笑しつつヘッドセットのインカムを握り、通信に割り込んだ。

「・・・戦闘団本部としては、側面確保は重要と判断。 火網形成任務は第31中隊に、迂回索敵を指揮小隊が行うを、作戦参謀は至当と認む」

周防大尉がわざと、『作戦参謀』の語に力を入れてそう話す。 それを聞いた恵那大尉が、苦々しい唸り声を小さく漏らすのを聞きながら。
半世紀前の教訓から、参謀と言う『スタッフ』がラインの指揮に口を挟む事を阻止して来た帝国陸軍だが、DNAに刻み込まれた無意識はそう簡単には消えなかった様だ。
現に今でも、少なからぬ例で上級司令部の参謀が、指揮下部隊の指揮に口を挟んで問題視される、と言った事も生じている。
恵那大尉と周防大尉は同期生同士だが、士官序列は周防大尉の方が上席だったし、なにより現在、師団参謀だ。
一介の中隊長とでは『言葉の重み』が違う(あってはならない事だが)。 参謀の周防大尉が支持したのならば、恵那大尉はこれ以上大隊長の決定に、異を唱える訳にはいかない。

木伏少佐はその辺の含みを、周防大尉に『期待した』のだ。

『そう言う訳や。 もう時間はあらへん、そろそろ接敵時間や。 心配すんな、何もおらへんかったら、そのまま後ろ取って挟撃で殲滅戦や』

そう言い残して指揮小隊が跳躍ユニットに火を入れて、飛び去って行った。
戦闘通信車両のモニターで様子を見ながら、周防大尉は無意識に頭をかき混ぜている。

(・・・厄介で因果な仕事だよな、全く・・・)

帰還したら、飯でも奢ってやろうか。 確か恵那は、飲む方も大丈夫だったよな。 それと四宮だ、流石にあの態度は拙い、部下の前では尚更―――そんな事を考えながら。
戦況は既に終わりを迎えていた。 ≪ベレッタ≫、≪ブローニング≫の2個中隊は既にあらかた殲滅を完了していた。 ≪ブローニング≫が≪コルト≫の増援に駆けつけている。
主戦場は既に残存BETAの確認作業段階に入っている。 旧新潟市内に紛れ込んだ個体群も、23師団の第3戦術機甲大隊と14師団派遣戦闘団とが、殲滅を完了した。
洋上に駆けつけた海上護衛総隊の、警戒戦隊から報告が入っていた。 佐渡島から新たなBETA群の渡海の兆候は無し。 哨戒潜水艦でも、BETAらしき音紋は確認されなかった。

―――2月27日の、新潟でのBETA渡海阻止戦闘は、終結した。










1999年2月28日 オーストラリア連邦 首都・キャンベラ 連邦外務省


「・・・貴国は、一体何を言われたいのか? 外相閣下!?」

日本帝国全権大使が、思いっきり苦虫を潰した表情で相手を睨みつける。 その視線を豪州外相は、厚い面の皮で跳ね返す。

「我が国としては、貴重な戦力を派兵するにあたって、現行の兵站体制、及び戦力では本作戦の成功はおぼつかない、そう判断した次第です、大使閣下」

今更ながらの、そう、今更ながらの、オーストラリアの『変心』に、日本帝国全権大使が、顔を赤黒く染める―――籠絡されおって。
日本帝国大使館側でも、最近になって合衆国大使が頻繁に接触している事は把握していた、恐らく何かの圧力を掛けている事だろうと言う事も。
しかしオーストラリアとて、今や世界有数の経済大国であり、軍事大国である。 そして域内最大の勢力を誇る国家だ、そう簡単に屈するとは予想していなかった―――甘かった。

「ここは是非、『国連軍』の増派を検討すべきではないでしょうか? 兵站体制でも、戦力的にも。 あまりに脆弱だとは思いませんか?
我が国は憂慮しておるのです、このままでは『連合軍』に多大な損失が出るのではないかと。 ひいては貴国の災厄が、長引く事にもなりかねないと」

(―――何が、我が国の災厄、だ! 足元を見おって! それに『国連軍』だと!? 太平洋方面の『国連軍』は、実質的に米軍ではないか!)

怒りの余り、思わず視界が暗転しそうになる。 しかしそこは虚々実々の国際外交の世界に生きて来た者、言葉を飲み込み、反撃する。

「・・・我が軍の指揮権は、我が国に。 バンクーバー条約でも認められておる権利ですぞ。 
地勢的、数的条件からも、そして軍事条約面でも、大東亜連合と貴軍に対する指揮権は、我が軍にある・・・」

「ああ、その件ですが。 我が軍とインド軍は共に、『国連軍第1軌道艦隊』に属する事となりましょう」

「な・・・ なん、と・・・!」

今度こそ、大使は外交官としての仮面を脱ぎ棄て、感情も露わに怒気を発した。 事前の取り決めでは、豪・印両軍とも、帝国航空宇宙軍指揮下に入る予定だったのだ。
兵站は良しとしよう、米国の兵站組織を引っ張ってこれれば、これは逆に見れば僥倖となる。 参加兵力にしても、帝国軍を上回る派兵は無い。 ならば指揮権は確立できる。
だが軌道艦隊、そして軌道降下兵力、こればかりは頂けない。 ハイヴへの降下、突入戦力の要と言える所を、米国に奪われかねない―――国連軍第1軌道艦隊とは、合衆国軍だ。

そんな大使の内心を見透かしたように、豪州外相が平静な声で言う。

「考えても見られなさい、大使閣下。 我が国の国防省が弾き出した数字ですが、今回の作戦に参加予定の軌道降下兵団は9個大隊、324機の戦術機です。
リエントリー・シェルを乗せた再突入カーゴが162基、必要です。 それを運ぶHSSTも同数の162隻が。 一体どこに、そんな数のHSSTが?」

日本帝国全権大使が、ぐっと言葉に詰まる。 痛い所を突かれた、そこは帝国軍内でも未だ解決されていない、大問題だったからだ。
日本帝国航空宇宙軍の航空宇宙艦隊は、現在で合衆国宇宙軍に次ぐ戦力を保持している(3位は英航空宇宙軍、4位は仏宇宙軍、5位はソ連宇宙軍で、6位は同率のイスラエルとインド)
しかしその世界第2位の宇宙戦力をかき集めても、42隻のHSSTしかない。 今回参加予定のインド宇宙軍の保有数は、22隻だ。 合計64隻、128機の戦術機しか運用出来ない。
残り98隻、どこを探してもそんな大兵力は存在しない―――例え、合衆国宇宙軍でさえもだ(合衆国宇宙軍は、72隻を運用中)

「・・・コモンウェルスの線で、英国に打診はしました。 我が国もインドも、コモンウェルス加盟国です―――断られました、英航空宇宙軍のHSST、36隻は無理です」

3位の英国、36隻。 4位のフランス、30隻、5位のソ連、25隻と6位のイスラエルとインドが各々22隻。
日本帝国は国連ロビーを展開するに当たり、このうち英仏、そしてイスラエルに働きかけた。 この3カ国が有するHSSTは88隻。
そして現在、4隻が日本で新規就役している。 残り6隻はソ連に話を持ちかけていた。 それはもう、形振り構わぬ勢いで―――それ程、日本にとって今回の作戦は重要なのだ。
しかし早々に、英国の線が断ち切られてしまった。 実は最も期待していた英国がだ、多分、フランスとイスラエルも断るだろう。

「我が国とインドは、軌道艦隊と軌道降下兵団の参加戦力、その見直しを求めたい。 余りに非常識な数字だ、実現は不可能だと判断したのです。
貴国の軌道艦隊、そして軌道降下兵団戦力はHSSTが42隻。 このうち、国連軍への供出戦力は10隻、これは手を付ける事は出来ません。
とすれば32隻、再突入カーゴ32基にリエントリー・シェル64基。 2個大隊に達しません。 インドの参加戦力はHSSTが16隻、リエントリー・シェル32基。
我々だけで運用可能な軌道降下兵団は、戦術機が総数98機。 これでも3個大隊に達しない・・・」

豪州は近年、宇宙戦力の創設と拡大発展に力を注いでいる。 背景には亡命政府としての、インド政府が豪州内に『間借り』している事が理由だ。
インドとしては『大家』への発言権、或いは影響力を高めたい事情が有った。 只の間借り人では、その実『奴隷労働力』と変わらないからだ。
豪州は同様に、インドの持つ技術力と潜在的な能力が欲しい。 インド人は理系の人材の宝庫でもあるからだ―――『0(ゼロ)』の概念を確立させたのは、インド人だ。

現在では、豪州とインド、双方の2重国籍を有する者が増えている。 人口も爆発的に増加していた。 
多くは東南アジア系、または東アジア系の難民だが、正規の職についている『難民上がり』は、殆ど全てがインドからの難民だった。

そして豪州の宇宙戦力への注力(地上戦力と海上戦力も、大幅に増強されつつある)は、実は国連安保理常任理事国としての、影響力向上を狙ったモノでも有る。
現在の常任理事国は、米、英、仏、ソ連、中国に日本と豪州。 この中で豪州だけが、宇宙軍を有した歴史が無いのだ(中国は、宇宙戦力運用能力を完全喪失)
ハイヴ攻略作戦の要とも言える宇宙戦力。 当然ながら、その戦力を有する国家は大きな発言力を有する。 
イスラエルが常任理事国でも無いのに、大きな影響力を行使しているのはその為だし、中国の影響力が急激に低下しているのも、その為だ。

「では、貴国とインドは、どうせよと・・・?」

「ですから、申し上げた。 国連軍指揮下の航空宇宙総軍、その軌道艦隊を利用する以外に、手は有りません。
米国からの供出戦力が22隻、貴国と英仏両国から各10隻の30隻。 そしてソ連から8隻と、イスラエルにインドから6隻ずつの12隻。
国連軍軌道艦隊は、総数で72隻のHSSTを運用する。 これに『第1艦隊』―――合衆国の30隻と貴国の32隻、我々の16隻を加えると、総数150隻。 
その内の3割弱、40隻は軌道爆撃任務に就かねばならんでしょう、軌道降下兵団用には110隻、戦術機220機。
9個大隊に達しないが、6個大隊・216機は投入可能です。 残る3個大隊は地上からの突入戦力に回す事が出来ましょう、当初予定のハイヴ突入戦力は確保出来ます」

国別で見れば、最大数は合衆国の52隻。 次いで日本が42隻、インド(軌道降下戦力は豪州軍との連合)が16隻。 他はいい。
そうなるとやはり、イニシアティヴは合衆国が握る事になる。 恐らく軌道艦隊司令部、軌道降下兵団指揮権も、合衆国に移ってしまうだろう。

「・・・我が帝国軍は、不満と思う事でしょうな・・・」

力無く、帝国全権大使は豪州外相の案を追認した。 仕方が無いのだ、帝国だけでは不可能だ。 大東亜連合と豪州を巻き込んでさえ、結果は同じだ。
軍部は、その中の一部は激昂する事だろう。 国民の中で台頭しつつある、国粋主義勢力も暴発しかねない。 下手をすれば帰国後は、身辺警護が張り付きになるかもしれない。
しかし他に方法は無いのだ、日本の手に握られたカードは、既にない。 全て切り尽くした、相手のカードの方が優勢だっただけの話だ。 国際外交では良くある話・・・

見方を変えれば、国内にハイヴが存在すると言う異常事態を切り抜ける為に、手段を選ばない『成功』と称する事が出来るかもしれない。
もしも、もしも後の世に人類が生き残る事が出来たならば、或いは歴史はそう称するかもしれない。 だが『今は』違うのだ、舵取りは非常に困難となった。

(・・・申し訳ありませんな、首相。 どうやらこの辺が、私の器の限界だったようだ)

自分を全面的に信頼して、この交渉の全権を委ねた相手―――日本帝国首相・榊是親の顔を全権大使は彼の内心に浮かべ、深く頭を下げた。









1999年3月1日 2100 アメリカ合衆国 N.Y. マンハッタン


夜空に聳え立つ魔天楼の数々、その姿は合衆国が『今の世界』で唯一の超大国出る事を示している。
その中の一つの超高層ビル、その最上階付近に2人の男が夜景を眺めていた。 室内照明は極力落とされている。

「・・・では、日本は条件を飲んだ、そう言う事だな?」

アームチェアに身を沈めた男―――既にかなりの老境に入っている―――が、しわがれた声で確認する。

「ええ、背に腹は代えられない、そう言う事でしょう。 あの国の軍部がどう騒ごうが、それが現実です」

今一人の男が答える。 こちらは随分と若い、多分20代後半くらいだろう。 現実か、そうだ、我々は現実を追い掛ける。
夢は貧乏人に許された、最後の慰めだ。 我々には必要無い―――昔、目前の老人はそう言っていた。
摩天楼から見下ろす夜景。 その光景の真の意味を知る者は、我々だけで良いのだから。

「ふむ・・・ ホワイトハウスの連中も、納得した訳か」

「納得と言うより、リスク回避でしょう。 これ以上は流石に連中も面倒見切れない、そう言う所ですな。
流石にやり過ぎたのです、日本は。 連邦政府にとっても、政府歳入赤字は悪夢と同義ですからな」

ホワイトハウスのリアリスト達も、いや、リアリスト故に日本の『暴走』をあっさりと切り捨てたと言う事か。
今では逆に、ある程度の日本への干渉を是とする空気が大勢を占めつつある、それに『新型爆弾』の最終使用決定も、まもなくだろう。
小煩い軍備管理・国際安全保障担当国務次官のウィリアム・フィリップは、実にタイミングの良い『スキャンダル』が発覚して身動きが取れない。
政権内・官僚内でもっとも強硬な『G弾使用反対論者』だったウィリアム・フィリップが居ない今、まさに絶好の好機と言える。

「・・・使用すれば当然、その威力故に反対論者が出て来おる。 日本国内は反米感情が高まるじゃろう。 寧ろそれは好都合じゃ」

それが、フェイズ2段階だ。 そしてゆくゆくは、あの国に政情不安定な状況を作り出し、介入する。
無論、直接支配は行わない。 そんな手法は何世紀も前の遺物だ、我々は深く静かに、しかし確実に中枢を握る。
表向きはネオコンに属すると言われる2人、だが実際の所は別の顔も有るのだ。 軍産官複合体の『産』に属する老人、『官』に属する青年。
共通点はその遺伝的な繋がり―――公ではないが、実際は祖父と孫だ。 孫の親を、祖父が公式に認知していない、そう言うだけだ。

「・・・力の無い者は、力のある国を作れぬ。 そして弱者はいつの時代も、翻弄され嘆くしかないのじゃ。
儂は2度、祖国を失った。 今世紀のはじめと半ばにの・・・ 3度目は、無い。 この国を、3度目の亡国にはさせぬ・・・」






老人の呟きを聞きながら部屋を退室した青年は、廊下で大きく息を吐いた。 まったく、いつもながら何と言う得体のしれない威圧感だ、あれでもう90歳を過ぎていると言うのに。
廊下を歩きつつ、青年は頭の中をフル回転させていた。 必ずしも、あの老人の思い描くシナリオ通りに動く保証は無い。 保険は複数かけておくべきだ。
まさに自分の為に。 そうだ、あの女には接触をしておいた方が良いだろう。 CIAは警戒される、ユダヤロビーを通じて国連軍情報部辺りからアクセスするか。
成功する、しないは別として、あの女にも多少の見返りは与えてやらねば。 全てを回収する予定のG元素、その何割かは呉れてやっても良いだろう。
あの女は『それだけ』の為に、自分の私兵を投入する事になる。 それはつまり、AL4計画と日本帝国との関係に、微妙なヒビを入れる事にもつながる筈だ。

何にせよ、打てる手は全て打っておきたい。 ヴィクトリア・ラハト。 あの女であれば、日本への非公式なチャンネルに事欠かないだろう・・・






(日本帝国軍 統帥幕僚本部第1局(作戦局) 非公式資料より抜粋)
『大防令第十八号『明星作戦』に関する懸案事項について。
1.軌道艦隊、軌道降下兵団の編制、運用、指揮権の見直しを急務とすべし。 
1.兵站体制の見直しは、第4局これを主管すべし。
1.参加兵力の全般見直し、及び作戦計画全般見直しは、第1局これを主管すべし。
1.『AL』より打診ありし案件については、国防会議緊急検討議題とすべし。
1999年3月3日』









1999年3月4日 日本帝国 福島県福島市 第18師団


「おい、恵那。 今夜暇か? 暇だな? 飲みに行くぞ」

「・・・周防、勝手に私の予定を決めないで」

「予定は無いだろう? どうせ将集で飯食って、風呂入って寝るだけだろう?」

「・・・この男は、遠慮会釈も無い男ね・・・」

恵那大尉のこめかみが、少し痙攣している様に見える。 しかし周防大尉はそんな事、お構い無しだ。

「何よ? 貴様が誘うなんて珍しいわね。 最近は随分と大人しいらしいけど?」

「ま、良いじゃないか。 たまには同期同士で飲むのも」

「いいの? 神楽とか誘わなくて?」

「取りあえず、貴様を誘っているんだが?」

「変な噂はゴメンよ? 貴様だって、結婚が近いのでしょう?」

「その辺は大丈夫だ・・・と、思う」

「言っておくけど、変な噂が立ったら、責任持って消してよね?」

「承知した」






[20952] 明星作戦前夜 黎明 4話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/07/03 20:50
1999年3月4日 2005 福島市置賜町 某日本料理店


「ご苦労さん、まあ、飲めよ」

「・・・うん」

相手の杯に日本酒を注ぐ、次いで自分の杯にも。

「じゃ、乾杯」

「・・・何に?」

「生きて帰れた事に」

「・・・うん、乾杯」

周防大尉が盃を傾け、一気に飲み干すのを見た恵那大尉は、少しずつ杯の中身を確かめる様に、味わう様に傾ける。

「・・・美味しい、な」

飲み干した盃を見ながら、恵那大尉がそう呟くのを聞いて、周防大尉は2杯目の杯を恵那大尉に注いだ。
暫く2人とも口数少なく酒を飲み、運ばれてくる料理を楽しんでいた。 昨今では贅沢品にまでなって来た天然素材の料理。
蕗の信田煮、茄子の味噌田楽、鰊の山椒漬。 酒は会津の酒蔵が未だ避難疎開せず、造り続けているものが手に入った。
山菜の香ばしい香りと歯ごたえ、味噌の味が茄子のシャキッとした食感を彩る。 山椒の味付けが舌にヒリっとして、酒が美味い。

民間ではもう、ほとんど食べる事は出来なくなった、自然の天然食材。 軍から委託経営を受けている、この店ならではと言える。
軍の委託を受ける事で、食材などが最優先で、しかも格安で入手できる。 代わりに軍の慰安施設指定となり、軍人だけは格安で利用できる。
今夜もカウンター席や座敷は、ほぼ軍人で埋まっている。 大広間は区切って官庁の飲食会か何かが開かれていた、民間人の客は1人も居ない。
前日に予約を入れていた為、5部屋ある個室の1室を確保できた。 とは言え、元は結構気軽な料理店。 今でも尉官クラスの利用が多い店なので、格式ばった所は無い。

「美味い料理に酒、生きていればこそ味わえる楽しみ、ってヤツだな」

メバルの塩焼きに箸を付け、杯をあおっていた周防大尉が目を細めて言う。 確かに料理も酒も美味だった。

「・・・死んだ者には、もう味わえないわ。 生き残った者の総取り、って訳?」

箸を止めて、卓上をぼんやりと見ながら恵那大尉がそう切り返す。 いや、何も考えず思わずそんな言葉が出てしまったのだろう。
その辺を察してかどうか、周防大尉は気付かぬ振りをして箸を止めず料理を食べながら、単純に言い返した。

「そう、総取りだな。 死んだ奴が食う筈だった飯も、食えなくなった分だけ、生き残った奴が食う。 食えなくなった代わりに、食ってやる」

―――それが供養ってもんさ。

そう言いつつ、料理を食べ、酒を飲む。
その様を見ていた恵那大尉が、一杯の酒を一気にあおって周防大尉に問いかけた。

「周防、貴様は部下や同僚や、上官を失った事は・・・ あるよね、絶対に」

「なんだ、藪から棒に。 そりゃ、あるさ」

恵那大尉を見ず、料理に箸を付けながら周防大尉は淡々と答える。 

「・・・俺の初陣では、師団が丸々壊滅した、92年の5月だ。 中隊長も、小隊長も戦死した。 俺は訓練校を卒業して、まだ1カ月少々のヒヨっ子だった」

師団がBETA群の地中侵攻によって包囲殲滅された事。 辛うじて脱出できた事。 3日間にわたった初陣の戦いの事。
師団配属の同期生の少なからぬ数が、『死の8分』を越せず戦死した事、その後も過酷な戦場で命を落として言った事。

「美濃・・・ 貴様も知っている同期の美濃な、美濃楓だ。 あいつが死んだのは93年1月の満洲だ、『双極作戦』 目前でS-11を起爆したよ、美濃は」

箸を一旦置き、杯を飲み干す。 次いで手酌で注ごうとすると、恵那大尉が瓶を持って周防大尉の杯に酒を注いだ。

―――おう、すまん。

そう言って杯を受けた周防大尉は、口元に運ぶ手を途中で止めて、昔を思い出す感じで話し続けた。

「・・・俺はその年、93年の6月にちょっと下手を打ってな、国連軍に飛ばされた。 俺だけじゃなくて、長門と久賀も一緒だった。 貴様は、久賀は知っていたか?」

「長門は一緒の訓練校だから。 周防、貴様ともね。 久賀は直接の面識は無いわ、訓練校も違うし、今まで同じ部隊に配属になった事も無いから」

衛士訓練校と言えど、周防大尉や恵那大尉の時代は東京校(横浜分校含む)、熊谷校、仙台校、各務原校、大津校など、全国に9校が有った。 
今は4校だけだ。 臨時に8校が開校した、或いは開校予定だが、まだ卒業生は送り出せていない。
従って同じ訓練校以外の場合だと、部隊配属で同じ部隊にならない限り、卒業後5年、6年経ってもまだ見知っていない相手、と言う事は有る。

「ああ、そうか、そうだったな。 まあ、その3人で一時、極東国連軍に間借りした時期が有った、丁度『九-六作戦』の時だ。
部隊に損失は出なかったが、友軍・・・ 特に中国軍の損失は酷かった。 帝国軍もBETAの奇襲を受けて、大連近郊に展開した部隊が酷い目に有った」

当時の状況は、新聞などにもある程度は報道されていた。 当然、事実とは異なる方向で。 そして軍内部ではその事実に当時は驚愕したものだった。
煮物椀の蓋を開けて、立ち上る香りをまず楽しむ。 帆立と新若布、筍、絹さや、木の芽を蒸している。 歯ごたえが柔らかい。

「最初に部下を失ったのは・・・ 国連軍に飛ばされた後、欧州方面に行ってな、地中海戦線だ。 イベリア半島のジブラルタル防衛戦で、初めて部下を失った」

帆立を口に運びながら、周防大尉が当時を回想する。 初めて任された小隊。 小隊長として部下を統率し得ず、結果として部下を失った悔悟。
次いで、自身も戦死を覚悟したイベリア半島での戦い。 迫りくる要塞級BETAの群れを前に、S-11の起爆スイッチに手を掛けた時の情景。

「イタリアでも酷い目に遭った・・・ 大隊からの派遣3個小隊のうち半数がやられて、先任小隊長が2人とも戦死した。 1人は俺が『慈悲の1撃』を与えた」

レーザー照射を機体に受け、それでも辛うじて照射範囲外まで機体を持って行った、先任の女性衛士。 管制ユニットを強制解放した後で見たのは、焼け爛れた彼女の姿。
艶やかな淡い褐色の肌も、豊かな黒髪も全く失せ、赤黒い血と重度の火傷に冒され、炭化し黒ずんだ肌の元、断末魔の喘ぎだけが響いていた―――直後の銃声、自分が撃った。
36機いた筈の派遣戦術機甲部隊が、11機しか生き残らなかった。 同じ大隊から派遣された仲間が、次々にカラブリア半島の荒野で死んで行った。
結局、自分はそこまでが限界だった、そう言いながら周防大尉は杯を傾ける。 飲み干した後、恵那大尉を見据えてそう言った。

「基地に帰還した後、盛大に吐いた。 嘔吐が止まらず軍医の診断を受けた。 『戦場疲労症』と診断された。 情けない話だ、そんなのは無縁だと思っていた、当時の自分がな。
軍医の話では、カラブリア半島の戦闘が直接の引き金だそうだが、元々はずっと蓄積されてきた精神的ストレスが限界を越したものだと、そう言っていた」

周防大尉の顔に、僅かに苦笑が浮かぶ。 突っ走った当時の、己を過大評価していた当時の内心への苦笑か。
恵那大尉は相変わらず、箸が進んでいない。 周防大尉もそんな様子をどうこう言うで無く、己だけ箸を進めている。

「俺も人の事をどうこう言えた義理じゃないな、色々考えたら、止まらなくなった。 人が死ぬ事、仲間が死ぬ事、自分が死ぬ事・・・
そうしたら、今まで出来ていた事が、出来なくなっていた、情けない話だけどな。 自覚も有った、こりゃ、駄目だってな。 
で、とうとう後方に回された、94年の9月だった。 2年と4カ月、ずっと前線だったけどな、どうもその辺が俺の限界だったようだ」

その後は、後方勤務での経験のあれこれ。 勿論、国連軍として秘守義務のある内容は明かさず。 籍を離れた現在でも、未だ秘守義務は負っているのだ。
その後の、ドーヴァー海峡を巡る防衛戦。 その前哨戦段階で親しかった先任の衛士が戦死していた事。 最終局面で仲間が数人、戦死した事。

言い終えても周防大尉の態度は変わらなかった、只々、淡々とした口調で話している。

「・・・生者と死者の間に、明確な差なんて無いんだ」

ふと箸を止めた周防大尉が、ゆっくりと呟いた。 それを聞いた恵那大尉が、少し小首を傾げる。

「もしかしたら、その場所に居たのは自分かもしれない。 本来その場所に居るのが自分で、今回偶々、他の誰かが居たからかも知れない。
戦場での生死なんて、ほんとうにそんなちょっとした違いで残酷な程、別れてしまう。 指揮にしても同じだろう、明確なミスで無い限り、偶々そう言う指揮を執った。
別の場所と時なら、或いは別の指揮を執ったかもしれない。 その結果として俺が生き残って、別の誰かが死んだとしても、それは優劣や正誤の差じゃないな」

「・・・でも、もしかしたら、その場での『最悪の中の最善』は、取れたかもしれない」

さっきから黙って周防大尉の話を聞いていた恵那大尉が、杯を手に途中で止めたまま、少しだけ悔しげな表情で呟いた。
その表情を見た周防大尉は、おや? と言う表情で恵那大尉を見返す。 先程から全く無表情だった恵那大尉に、初めて感情らしいモノが感じられたからだ。

「もしかしたら、私があの時、こうしていれば・・・ 別の方法をとっていれば、部下達は死ななかったかも知れない。 上官を目前で喪わずに済んだかもしれない・・・」

少しだけ、杯を持つ恵那大尉の手が震えている―――悔悟か、恐れか。

「あのな、恵那・・・」

「判っている、判っているわよ。 そんな事、只の後付けの言い訳だって事は! けどね! 次々に部下が死んで行って・・・ 悲鳴を上げて、私に助けを求めて・・・!
どうする事も出来ない! どうする事も出来なかった! BETAは余りに多過ぎて! 私達は刻一刻と数を減らしていって! 友軍も来なくて!」

BETAの大物量の前での、孤軍奮闘。 周防大尉にも十分経験が有る。 有るだけに、恵那大尉の激情を聞くしかなかった。

「京都の中部軍集団が抜かれて、北陸が全滅して・・・ 新潟で押し止めなければ、どこまで突進されるか判らなかった!
師団命令は『絶対死守』だったわ、『引くな、ここで全軍死すべし』、そう命令された。 私だって帝国軍人だ、その時が来る事は覚悟していた! ・・・していた筈だった!」

手の震えが大きくなった、杯から酒がこぼれている。 
目を吊り上げ、口元を奇妙に引き攣らせ、目を充血させて恵那大尉が言葉を吐き出す。

「絶望・・・ もう、絶望しか無かった・・・ あの雲霞の様なBETAの大群を、一体どうやって押し止めればいいのか・・・ 
それでもやるしかなかった、部下を叱咤して、自分を叱咤して、何人死んでも、死なせても・・・ 大隊長はそんな中、独り陣頭指揮をし続けて・・・」

確か、大陸派遣軍の経験が有る人物だったと聞く―――当時、新潟防衛で同じ戦場で戦っていた、以前の部下である最上大尉から聞いた事が有る。
実戦経験の浅い本土防衛軍『生え抜き』の衛士が多い中、その大隊長は最後まで大隊の崩壊を防ぐべく、陣頭指揮で部下の士気を高め続けたと言う。

だが、それが徒になった。 最上大尉が後日、周防大尉に話した事が有った。

(『・・・俺は隣の大隊でしたがね、見るに見事な陣頭指揮振りでした。 でもね、周りが保たなかった、精神的にね。
周防さん、経験ありませんか? 途中で生きる事を諦めちまった奴を見た事。 ・・・あの時の恵那大尉が、そうでしたよ。 
俺の中隊の隣だったから、良く状況は判りましたけどね。 結局、歴戦の大隊長は、部下を守って死んで行った』)

先日の新潟でのBETA迎撃戦。 あの時、大隊長の木伏少佐は指揮小隊を率い、側面迂回に転じた。 数的、戦力的な優勢下にあったからだが。
昨年の夏、新潟戦の地獄では側面から迂回してくるBETA群は補足していた。 正面の数も多かったが、恵那大尉は側面索敵攻撃に戦力を割いた。
その結果、側面のBETA群は何とか阻止したが―――正面から突破されそうな状況に陥った。 四分五裂しかけた中隊の危機に駆けつけたのは、大隊長の指揮小隊だった。

「だ、大隊長は・・・ 私は、私がミスをして・・・ それで・・・!」

3機の『撃震』(『不知火』、『疾風』は見た事も無い、そんな部隊だった)でBETAの正面に打撃を加え、茫然としかけた恵那大尉を叱咤し、中隊の後退時間を稼いだ。
辛うじて立ち直った恵那大尉が、残存5機に減った中隊(1個小隊は側面攻撃)を纏め、2次防衛線を構築したその瞬間、目にしたのは要撃級の前腕に粉砕される大隊長機だった。

「あ、あの時・・・ 『頼りにしているのだからな! 次は上手く頼むぞ!』と・・・! ど、どうして、私を・・・ 私の為に、あの人は・・・!」

瘧の様に震えるその様を、杯を傾けながら見ていた周防大尉が静かな、とても静かな、それでいてどこか哀しげな声色で話しかける。

「・・・恵那、貴様、俺が部下や同僚や、先任や上官を失って、平然としている奴だと思うか?」

「・・・え?」

不意を打たれた様に、恵那大尉が顔を上げて周防大尉を見つめる。 しかしその表情から窺い知れる事は、とても難しい、そんな感情の無い表情だった。

「初陣の時に、大勢の仲間が死んだ。 同期の美濃は、BETA群の中で機体が損傷して孤立し、自爆した。 俺達は見ているしかなかった。
最初に失った部下はな、俺が見捨てた。 見捨てなければ戦線を突破される、そう判断したからだ。 だから孤立して単機で戦って、死んだ」

箸を止めずに焼き魚に手を付け、蒸し物を黙々と口に運び、時折は酒で喉を潤し―――話している内容とは反対に、ごく普通に酒肴を楽しんでいるかのように。
訥々と話す周防大尉だったが、見掛けほど無感情では無いらしい。 右頬の古傷―――こめかみから口元近くまで、薄ら残る傷跡が赤味を帯びている。 内心は感情的なようだ。

「イタリアじゃ、どうしようもない程、笑うしかない程のBETA群の波状攻撃に晒された。 為す術も無く、先任の小隊長を死なせた。
もう一人の先任は、俺が最後の止めを刺した。 俺を含む生き残りを生かす為に、殿を務めた衛士だった。 レーザーが擦過してな、酷い火傷で虫の息だった」

魚の脂を、酒で洗い落として胃の腑に流し込む。 一息ついて、周防大尉が恵那大尉を見据えて、一言言った。

「・・・これからも、何度も同じ目に遭うだろう。 何度も部下を死なせ、同僚を失い、上官の死を目にするだろう」

「周防・・・」

「俺は生き延びた、だからこれからも同じ目に遭っても、同じように戦い、生き残って、飯を喰らって、酒を飲む。
部下を鍛え、率いて生き延びさせる、一人でも多くの奴らを。 そしてまた、戦い続ける。 最後の最後まで」

―――最後は、俺の総取りだ。

そう、言葉を区切った周防大尉を、恵那大尉は食い入る様に見つめている。 どうしてそこまで言えるのか、どうしてそこまで平静でいられるのか。
戦場の地獄、断末魔の叫び、死にゆく者の絶望の声。 正直、あの地獄絵図は二度と経験したくない、そう思うような代物だ。
恵那大尉とて指揮官である以上、部下達の前でその様な本音は言えないし、言うつもりも無い、言った事も無い。
だが鍛えられた帝国軍人とは言え、彼女とて生身の人間だ。 そして訓練校を出たての青道心(新米の事)では無い故に、人生で様々に経験としがらみを持つ。
失いたく無いモノが多い、失うべきものが多い事は、年を経る毎に自覚するようになった。 そう言えば目前の同期生は、近日中に結婚する筈だった。

「・・・それが私と貴様との差だと、そう言いたいのか? 周防。 卒業して任官以来、前線を渡り歩いてきた貴様と、本土駐留が長かった私との差だと・・・!?」

自分と違い、相手は訓練校を卒業後、即日前線配属されたテストケース組の一人だ。 そして数年にわたり、最前線を戦い続けてきた。
同期生、同一階級と言えど、自分より遥かに実戦経験が豊富な男。 同期生の中でもこの男と同等の戦歴を有する者は、数えるほどしか居ない。
戦術機の操縦技量で、この男に決定的に劣るとは思っていない。 確かに本土駐留が殆どだったが、逆にそれ故に訓練は徹底的にしてきた。
帝国陸軍戦術機甲部隊が、衛士に求める年間実機操縦時間は210時間。 これは世界中の陸軍で最も多い(最多は帝国海軍の240時間、次は米海軍の220時間)

自分はそれより多い、年間平均260~270時間もの実機訓練を為してきた。 単機訓練だけでは無い、エレメント単位、小隊単位、大尉になってからは中隊訓練でも。
特に指揮中隊の訓練は、徹底的にしてきた。 確かに実戦経験は無い、その分は猛訓練で中隊の連携、小隊・分隊間の連携を徹底的に叩き込んだ。
大陸派遣軍が残してくれたデータも、徹底的に検討した。 JIVESを使用した訓練は、連隊で最も多い。 様々な『戦場』を追体験して来た、させて来た。
だからこそ、恵那大尉は自分の中隊は全滅せずに済んだのだと、そう思う。 他の中隊は瞬く間に全滅して行く中、初陣ばかりの自分の中隊は、最後まで戦った。

「わ、私だって、好んで本土駐留を続けた訳じゃない! 前線への出撃志願は、幾度となく上官に直談判さえした! だが、駄目だった・・・!
周防、貴様、戦歴の差が、貴様と私のその差が、今の私の不甲斐無さだと、そう言いたいのか・・・!?」

恵那大尉がその声色の中に一瞬、垣間見せた嫉妬と羨望、そして妬みにも似た負の感情。
だがそんな相手の感情を知ってか知らずか、周防大尉は変わらず平静な声で返す。

「違う、戦歴の長短じゃない。 昔に気付く機会が与えられたか、今与えられたか、それだけの事だ」

「気づく・・・?」

―――何を?

そう言いかけた恵那大尉の機制を制して、周防大尉が言葉を続けた。

「俺が今生きているのは、俺自身そうあろうと足掻いた結果ではあるがな・・・ 何より、『生かされてきた』んだな、連中に」

「? 生かされてきた? 誰に?」

「・・・死んだ連中に」

―――ちょっと、気障だったか?

周防大尉がそう言って少し苦笑しながら、もう何杯目かの杯を満たして口元に運ぶ。 その手を途中で止めて、少し声のトーンを落としていった。

「衛士の流儀だとか、死んだ者の事を語り継げとか。 もうそんな、青臭い事は言わんよ、俺は。 戦場じゃ必ず誰かが死ぬ、必ずだ。
そして俺は、俺達は・・・ そいつが死神に魅入られたその隙を突いて、生き延びる。 部下を生き延びさせる。 言葉を飾っても仕方が無い、それが現実だ、現実の戦場だ」

杯を一気に飲み干し、暫くそれを手に弄びながら、ややあってまた言葉を続ける。

「色んな奴が死ぬ。 良い奴、気にくわない奴、下手な奴、上手い奴。 指揮の下手な奴、戦上手な奴、部下に嫌われる奴、慕われる奴・・・」

少し酔いが回ったか、薄く眼を瞑り、額に手を当てて肘を卓上について支えている。 ふう、と酒精と共に息を吐いて、ポツリと言った。

「・・・俺達は、後を引き受けなきゃならん」 

「後を、引き受ける・・・」

「恵那、貴様、それが判らなければ戦術機を降りろ、降りて後方に転科しろ。 貴様一人が死ぬのならば、俺は何も言わん。 同期生がまた一人、逝くだけの話だ。
だがそうはいかん、俺達は大尉だ―――判るか? 俺達は大尉なのだ。 その意味は恵那、貴様は初陣で嫌と言う程、味わっただろう・・・」







結局、自分より誘った同期生の方が先に酒に酔ってしまった。 全くこの男は、一体何を言いたかったのか。
数少ない、しかしまだ営業をしているタクシー(その殆どは、官公庁の御用達を兼ねていた)を見つけ、官舎まで運ぶ。
車中でふと、恵那大尉は気付いた。 そう言えば今夜は、自分は有る程度酔いが廻った所であの醜態を見せてしまったが。 この男はずっと飲み続けていたな、と。
新編連隊で同じ連隊になって初めて知己を得た、同期生の神楽大尉などは呆れるほどの酒豪だが、この男はまあ、人並みには飲める、と言った程度だった筈。

(・・・ああ言いながら、こいつも色々と内心で思う所は有る、そう言う事ね・・・)

酔ってすっかり寝込んだ同期生を見つつ、恵那大尉は今夜、酒席に誘われた理由をあれこれ考えていた。 
視線を流れ去る街並みを追いながら、ぼんやり考えていると不意に以前、大隊長が言っていた言葉を思い出した。

(『どうして戦い続けるかって? 恵那、貴様、おかしな事を聞くなぁ』)

そう言って、笑った。

(『やりたい事は、山ほどあるからな! もう出来なくなった連中も多い、その分、俺はやり尽くすのさ』)

そう言って、笑っていた。

何をするのだろう。 何をしたかったのだろう―――判らない。


やがてタクシーが営門前に付いた。 官舎は敷地内の外れにある、衛兵に手伝わせ、酔った大男(180cm以上あるのだ、恵那大尉は160cmも無い!)を運ぶ。
やがて周防大尉の官舎の前に辿り着く。 その頃には少し酔いがさめて来たのか、千鳥足ながらも自分で歩けるようになっていた―――フラフラと、危なっかしいが。

「おい、周防! 部屋に着いたぞ! シャキッとしろ! こら、部屋のカギは!? まさか私に、最後まで介抱させる気か!?」

いっかな、部屋に入ろうとしない同期生に、些か焦る。 このまま放置しても良いが、流石に3月初旬の福島で、それは拙かろう・・・
そうするうちに、周防大尉の部屋のドアが開いた―――今の今まで、部屋の明かりが灯っていた事に気付いていなかったのだ。
1人の女性将校が部屋から出てきた、恵那大尉と同じ大尉の階級章を付けている。 右胸元に管制官徽章―――CP将校か? 髪を肩の辺りで切り揃えた、綺麗な女性だった。

「あら・・・ えっと、ごめんなさい。 確か恵那大尉、よね? 第3戦術機甲大隊の」

その口調と態度から、先任将校と判った。 軍で先任・後任の別が判らない相手に、いきなりこんな話し方はしない。

「はい、恵那瑞穂大尉です。 失礼ですが・・・?」

ここは、周防の官舎よね? そう内心の疑問が顔に出たのか、面前の女性大尉はニコッと笑って、自己紹介をした。

「失礼・・・ 綾森祥子大尉。 本日付で18師団181戦術機甲連隊本部付き。 主任管制官です、宜しくね」

新任の、主任CP将校か。 将来は参謀職から、上級指揮官のコースね。 エリート様かしら? でも、そんな女性がどうして周防の部屋に?

「今は管制官だけれど、昨年の夏までは衛士だったの。 負傷して、衛士資格を失ったのだけど。 訓練校の17期生よ、A卒です」

「ッ! 失礼しました、宜しくお願いします、綾森大尉」

どうやら、自分や周防の1期先輩だったようだ。 待てよ? と言う事は・・・?

「・・・周防大尉の、ご婚約者、ですね? 綾森大尉?」

そんな話を聞いた。 周防には昔から付き合っている、1期先任の女性将校が居ると。 今月にその女性と結婚するとも。
案の定、その女性―――綾森祥子大尉が、嬉しそうな、幸せそうな笑みを浮かべて、ゆっくり頷く。 
そして少し呆れる様な眼で、今や地べたに座り込んでしまった婚約者を見て、声を掛ける―――優しげな声で。

「ほら、直衛。 しっかりして、シャキッとしなさい! こんな所で寝るつもりなの? 風邪をひくわよ・・・?」

「ん・・・ ん、ん・・・」

ふらふら立ち上がった周防大尉の体を支え、部屋の中に入ってゆく綾森大尉。
直前、恵那大尉に『ごめんなさいね、ご迷惑かけて。 有難う、お休みなさい』、そう言って、部屋に入って行った。

少し当てられた感のある恵那大尉は、何だか今夜のモヤモヤした負の感情が、呆れと共に消えている事に気付いた。
意識してかどうか、多分そんな意図では無かったのだろうけれど、彼女の同期生は見事に所定の作戦目標を、果たしたと言う事だ。


(・・・後を、引き受ける、か・・・)

一体何を、引き受ければいいのだろう? 全然分からない。 でも、死んだ大隊長は何かを『し尽くしたかった』と言う。
その為に戦っていたと言う、その為に部下を率い、部下を守り、部下を生き延びさせ、彼自身生き延び続けてきた。
ならせめて、その真似事でも引き受けようか。 その内、私にも何かを引き受ける事が出来るかもしれない、それが判るかもしれない。

「・・・うう! 寒ッ!」

3月初めの夜は、まだまだ寒かった。






「・・・今夜は、同期の悩み事相談なの?」

ベッドに倒れ込んだ周防大尉を見つめ、脱ぎ散らかした軍服をハンガーに掛けながら、綾森大尉が笑う。

「そんな大層な事じゃない・・・ くそ、飲み過ぎた・・・」

「もう、実はそれほど強くないのだから、程々にしなさいな、お酒は・・・」

水を入れたコップを綾森大尉から受け取り、一息に飲み干す。 ふう、と大きく息を吐いてまた、ベッドに倒れ込んだ。

「大層な事じゃないよ、小さなもんだよ、人なんて・・・ その積み重ねじゃないか、そんな連続じゃないか、人の世なんて・・・」

だから、人がそうしたい様に、そうしたかった様に、生き残った自分はし続けるのだ、追い続けるのだ。

「何だか、今日は妙な事に多弁ね? ・・・って、あら?」

綾森大尉が見ると、周防大尉は既に寝息を立てて寝ていた。 仕方が無いわね、とでも言いたそうな苦笑を浮かべ、布団を掛けて・・・ 部屋の電気が消えた。










1999年3月12日 1315 日本帝国 『帝都』仙台 国防省ビル 第2小演習室


「駄目だ、駄目だ、駄目だ、1個軍団を丸々、そんな所で予備戦力として温存する様な、そんな贅沢は出来ん!」

「しかし、正面突破戦力として使用した場合、早期の消耗は目に見えています。 ハイヴ突入部隊がハイヴ内に入った後でも、周辺確保に数個師団は必要です。
各『ゲート』からの逆襲阻止戦力も。 ハイヴ内の支援確保には、これも数個師団。 ここで我が軍団が突破戦力に回されますと、後の支援戦力が不足します」

「私は、それ以前の話をしておるのだ、大尉! ハイヴから溢れ出て来る個体群、これを地上掃討しない限り、周辺確保もハイヴ突入も、ままならんではないか!」

「何の為の、戦線維持戦力です!? 何も全周囲で掃討戦を仕掛ける必要は無い、そう考えます。 例えば東京方面、ここは第4軍団で吸収可能と判定されます。
北へ抜ける連中は、放置すればよろしい。 よしんば東に転じたとしても、その為の北関東戦線―――第2軍団が居るのでしょう!?」

「東京を含む、関東内陸部にBETAの浸透を許せるものか! 何の為の、これ程の大兵力だ! たかがフェイズ2ハイヴの飽和個体群など、全包囲殲滅出来んで、どうする!?」

「・・・それが出来ないからこその、本作戦なのでは? 少佐殿は、関東軍管区の労苦をご存じないと?」

「いちいち、揚げ足を取るな、大尉! これだけの大兵力を揃え、なおかつ戦線を突破されるなどと! 諸外国から物笑いの種だ!」

「突破では無く、誘導殲滅です、少佐殿! それに最初期から突破戦闘にTSF(戦術機甲部隊)を使えば、消耗は著しく早くなります!
戦術機は戦車以上にデリケートな兵器です、本命のハイヴ突入・支援に必要とされる戦術機の数を確保するには、どうしても予備にこれだけは確保する必要があります!」

「だから言っておるだろう!? それ以前の話だと!」

「大東亜連合軍、彼等の戦力でも4個軍団は有る! それ程ご心配ならば、2方面を彼らに任せるべき!」

「ここは日本だ! 日本の本土だ! その本土奪回作戦の要を、アジアの助っ人連中に任せられるものか!」

「彼等とて、アジアの要衝を守り抜いてきた歴戦の部隊です! 少佐殿の提示する作戦案では、大東亜連合軍4個軍団が遊兵化する!」

図上演習の最中、参謀本部より派遣された参謀少佐と、第18師団参謀の周防大尉が激論していた。 北部軍管区第4軍の各参謀は、周防大尉の案を支持している。
対して参謀本部派遣の参謀団は、一貫して徹頭徹尾、帝国軍の完全主導の元での作戦案を、押し通そうとしていた。
やがてその論争に、18師団や14師団の13軍団、それに12軍団所属の参謀達も参戦し、第4軍側は現場の声と仲間意識、そして中央への反発から参謀本部派遣団を圧倒しかかる。
その様子を見ていた第12軍団参謀長・鈴木啓次少将と、第13軍団参謀長・久世四朗少将が目配せし、久世少将が参謀本部派遣団の長―――参謀大佐へ耳打ちする。

ややあって、演習統裁官の鈴木少将が立ち上がり、激論を続ける中堅参謀達に向かって吠えた。

「静かにせんか! 女学校の教室じゃあるないし! 貴様等、付いているモノは、付いておるのか!?」

砲兵出身の、胴間声の鈴木少将の一括で、それまで喧々囂々だった場が、静まり返る。 『そんなの、付いてないわ・・・』と、元から付いていない真木泉大尉が呟いていた。
周囲から失笑が興りかけるが、鈴木少将のひと睨みで鎮まる。 その後を久世少将が引き継いだ。 壇上に上がり、居並ぶ参謀達を見回して言う。

「これまでの議論の通り、確かにハイヴ突入後の支援確保は重大命題である。 しかし半面、そこに辿り着くまでに跳ね返されては、作戦自体が失敗する」

少しだけ、参謀本部の参謀達が表情を明るくする。 反面、北部軍管区の参謀団から、失望の呻きが出た。

「しかし、だからと言って最初期からむやみやたらに戦力を投入していては、本作戦の本来の攻略目標―――横浜ハイヴの反応炉制圧は無理だ。
その意味では、参謀本部案は現場を軽視する傾向が見受けられる。 先程、18師団参謀が言った通り、近代兵器は非常にデリケートだ」

今度は北部軍管区参謀団から、同意の声が囁かれる。 参謀本部側は苦虫を潰した顔だった。

「よって、友軍―――大東亜連合軍へどこまで信頼を預けるか、その見極めが肝要となる。 彼等は『クラ地峡』の防衛、その防衛戦経験も有る事を、考慮されたし」

とりあえず、頭を冷やされた双方の参謀団は、再度の検討―――図上演習に入った。 
もう春は近い、時間が無い。 曲がりなりにも、彼等はプロなのだった。






1800時、第4軍司令部主宰の図上演習を終えて、周防大尉は師団への帰路に就いていた。 他の参謀達は、一足先に帰隊しているか、所用で仙台泊まりだ。
周防大尉自身は、近日中に予定される自身の結婚の為の準備や何やで、市内各所を訪ねていた為、この時間になってしまった。
実家に顔を出した折、いっそ泊って行こうかと思いもした。 今日の図演に限った話ではないが、最近はストレスが溜まる事が多い。
実家で少し羽根を伸ばしたい気分も有ったが、公私混同と言う言葉が頭をよぎる。 それに明日も朝一番から予定が詰まっていて、断念した。

そして福島へ戻ろうと、仙台駅に向かう途中、繁華街の一角でちょっとした騒動に遭遇した。 騒動と言っても、軍人同士の言い争いだった。
少なからぬ野次馬の壁越しに覗いてみると、帝国陸軍の少尉が3、4人と、国連軍の少尉が2人、言い争いをしている。

「・・・もう一度、言ってみろ!」

「ああ、何度でも言ってやる! この穀潰し共め! 優先的に器材や物資を貰っている割には、一向に戦場に顔を出さない、玉無し野郎どもめ!」

「何だと・・・ッ!」

「おい、止せ、孝之! ここで暴れたら、まずいって・・・!」

「離せよ、慎二! こいつら、許さねえ・・・!」

「はっ! 許さない? だったら、どうしてくれるんだ? ええ!? 貴様らがのうのうとしている間に、俺達帝国軍は血を流しているんだ!
同期生でも、もう逝った連中だって居る! 俺達もこの間、新潟でBETAと遣りあって来た! その時、貴様等は何処で、何をしていた? ええ!?」

「黙れ! 俺たちだって、戦っている! それにッ・・・! それに、横浜は絶対に取り戻す! もう、あの街で誰も死なせない・・・!」

見ると、第14師団の若い、新任少尉達だった。 片方の国連軍少尉は、国連軍仙台基地の者達だろう。 双方とも、衛士である事を示すウィングマークを付けていた。
野次馬の人垣から、『最近、こう言うの多いな・・・』とか、『大丈夫かね? 本当に・・・』とか、不安がる声が聞こえて来る。
確かに、帝国軍と国連軍が、こんな街なかで堂々と諍いを起こしていては、日本国民としては不安になって仕方が無い。

その不安はもっともだ、と内心で同意する周防大尉が、人垣を分け入ろうとしたその時、別の方向から叱責の声が聞こえた。

「―――止めろ! いい加減にしろ、双方とも! ここで国連と帝国が諍いをして、一体どうする!?」

国連軍の軍服を着た女性将校―――中尉だった―――が、反対側から人垣を割って出てきた。 やはりウィングマークを付けている。
クールな外見の美女だ、人垣からちょっとした称賛の声が上がる。 その女性中尉は、外野の声を無視して少尉連中を叱責し始める。

「帝国軍に言う。 我々国連軍は、貴軍の指揮権下には無い。 従って我が部隊の行動を貴官等が知らぬのは、無理も無い事。
だが我々とて、決して安穏としている訳ではない。 ましてや我が部隊は、隊員は全て日本人だ、祖国の窮状は切に感じている。
それは恐らく、貴官等と同様のものだ。 我々とて日々、日本の国土奪回、BETAの駆逐を目指し任務を遂行しているのだ」

最初は、一括した中尉だったが、その後は冷静に道理を説いて、帝国軍少尉連中に言い聞かせようとしている。 その姿に、人垣からも頷く者達が出て来ていた。

「部隊には、守秘義務が有る。 貴官等も同じだろう? 先程の新潟云々、アレは拙いぞ、気を付けた方が良い・・・
とにかく、ここで諍いをしている場合ではないと思うのだが? それに国連・帝国、双方の衛士が諍うなどと、国民の目にどう映るか、考えた方が良い」

最後は、説教口調になっていたが、言う事は筋が通っている。 周防大尉は、もう少し様子を見る事にした。

「鳴海、貴様、随分と威勢が余っている様だな? 基地に戻れ、たっぷり扱いてやる。 ・・・平!」

「はっ!」

「貴様が居ながら、なんだこの騒ぎは・・・ 鳴海を押さえろと、あれほど言っていただろうが!」

「はっ! 申し訳ありません! 中尉・・・!」

どうやら、部下達の様だ。 しかしこのままでは、上手く収まらないだろう。 
国連側は、特に帝国側を押し込む気は無い様だが、帝国側の新米連中がそれで図に乗りかねない。
人垣をかき分け、周防大尉が歩を進める。 突然現れた第3者に、一同怪訝な顔をするが、即座に敬礼をする―――大尉の階級章に、参謀飾緒。
それだけでも、新米少尉にとっては『雲の上』の存在だ。 それに右胸のウィングマーク、そして左胸のサラダ・バー。 数々の勲章の略章、歴戦の衛士である。

「18師団、運用参謀の周防大尉だ。 ・・・貴様等は、14師団だな? 141戦術機甲連隊、何処の大隊か?」

「はっ! 第3大隊、第32中隊で有ります! 大尉殿!」

―――第3大隊、旧第35師団の生き残り部隊か。 32中隊は・・・ああ、向井君(向井忠彦大尉、18期B)の中隊だな。

「ここで、貴様達が国連軍相手に与太を楽しむ余裕は無い、基地に戻れ。 14師団運用(参謀)の長門大尉は、甘くないぞ。
それだけ元気が有るのならば、今日を後悔する程の訓練を、用意してくれる事だろう。 判ったら、早く帰隊しろ、外泊は無かった筈だ」

「は、はっ!」

14師団の少尉連中が、顔をひきつらせて敬礼し、身を翻して立ち去ってゆく。 18師団の周防大尉と言えば、第13軍団の中でも歴戦の衛士の一人として、名は響いている。
それに第14、第18の両師団の戦術機甲部隊では、大抵の中隊長より実戦経験も豊富で、格上だった。 周防大尉より先任者は、両師団の戦術機甲中隊長で4名しか居ない。
実戦経験や戦闘指揮の面では、周防大尉を上回る戦術機甲中隊長は居ない、と言っていいかもしれない。 
比肩するのは18師団の神楽大尉か和泉大尉。 14師団の源大尉か三瀬大尉、その辺の古参中隊長位だった。
なので、18師団の周防大尉と言えば、師団や軍団では『大物』とまではいかないが、決して『小物』では無い。 立派に中堅将校団の、要の様な存在だった。

新米少尉達にとっては、『怖い存在』の一人に数えられるだろう、間違いなく。
ほうほうの態で立ち去って行く少尉達を苦笑して見送った後、国連軍将校を振り向いて、軽く謝罪する。

「済まなかった、我が軍の者が、変な言いがかりを付けた様だ」

「・・・いえ、こちらこそ、部下が勝手に激昂したようです。 国連軍は、帝国軍に対し決して別心が有るのではありません、お手数をおかけします、大尉殿」

お互いに敬礼を交し、まずは周防大尉が手を下す。 それを見た女性中尉も、敬礼の手を下した。
暫く無言だったが、周防大尉が懐かしそうに、少し顔を綻ばせて話しかけた。

「暫くぶりだな。 進級したのか、おめでとう、伊隅中尉」

「教官・・・ 周防大尉も、参謀職に就かれていたのですね、知りませんでした」

「長門もだが、似合わない事をしているよ」

お互い旧知の周防大尉と、伊隅国連軍中尉が挨拶を交す間中、2人の国連軍少尉は直立不動の姿勢で、起立したままだった。
周防大尉が視線をその2人に移し、さっとなぞる様に一瞥する。 その視線を受けてまた、2人の少尉達が身を固くする―――自分達の上官が、引いて接する様な相手だ。

「・・・官姓名は?」

先程激昂した国連軍少尉に対し、特に感情を込めずに周防大尉が聞いた。

「・・・鳴海。 鳴海孝之、国連軍少尉、であります、大尉殿・・・!」

「ふん・・・ そっちは?」

「はッ! 平慎二国連軍少尉で有ります!」

暫く、その2人の少尉を凝視していた周防大尉が、相変わらずの表情で話しかける。

「出身は、横浜か? ああ、答えんで良い、さっきの少尉の言葉で判る。 ひとつ、言っておく。 なに、簡単な事だ、馬鹿でも覚えられる。
国連軍が、貴官の部隊が参戦するかどうかは知らんが・・・ 戦場でさっきのような感情は捨てろ、さもないと死ぬぞ?」

その一言に、また感情を溢れかけさせる鳴海と言う少尉を、同僚の平と言った少尉が押し止める。

「俺も、戦歴だけは多少あるが・・・ 忠告だ、余計な事は考えるな。 余計な感情は、とっさの判断を鈍らせる。 それで死んで行った連中は、多いからな」

それだけ言うと、もう興味が失せたかのように、今度は伊隅中尉を向いて話しかけた。

「伊隅、当然もう、初陣は済ませたのだな?」

「・・・はい」

「なら、良い。 ・・・先程の貴様の言葉、神宮司が聞けば、喜ぶだろう」

その一言に、伊隅中尉が自嘲とも、苦笑とも言い難い表情を浮かべる。 その顔を見た周防大尉は、少し微笑み、そして改まって表情を引き締め、言った。

「あの、頭に血が上っている奴、気を付けておけよ? 戦場では勇猛に戦って・・・ そして、最初に死ぬタイプだ、ああ言う奴は」

「はッ! ご配慮、有り難く!」

「礼を受ける程の事じゃない・・・ おい、伊隅、死ぬなよ?」

「大尉も」

それだけ言うと、周防大尉は軽く敬礼し、あっさり離れて行った。

「・・・さて、鳴海、平。 それだけの元気があるのなら、今から特別に訓練だ。 先程、大尉が仰ってられた様に、余計な事を考えなくて済む位、扱いてやる」

上官の宣告に、鳴海少尉はグッと言い詰まり、平少尉は情けなさそうに天を仰いだ。










1999年3月19日 1350 日本帝国 福島県 第18師団


「転属・・・ ですか?」

周防大尉が、上官の邑木中佐に確認している。 が、邑木中佐は首を横に振って、断定はしない。

「いいや、その可能性もある、そう言う話だ。 本来ならそろそろ内示が出る時期だが、君に関してはまだ出ていない。
私としても、戦術機部隊の運用・訓練に関して、貴重な経験者の君を手放したくない。 作戦課長辺りは、作戦課に呉れと言ってきているがね」

その言葉に、周防大尉が思わず首を竦める。 師団司令部作戦課長の広江中佐は、色々な意味で恩人である、と同時に、頭の上がらない上官の一人だからだ。
しかし、師団参謀に任ぜられてまだ4カ月ほど、異動の時期としてはやはりまだ早い。 同時に士官学校出身でない周防大尉が、師団参謀に任ぜられていると言うのも、異例だった。

「兎に角な、あちこちからスカウトが来ている事は、確かなんだ」

「スカウト、ですか?」

「ああ、スカウトだ。 今やどの部隊も、歴戦の大尉と言うのは貴重な存在だ。 どこもかしこも、欲しがって争奪戦だ」

現在、陸軍の正規将校で大尉と言えば、陸軍士官学校出身では92年卒業の第100期生から、95年卒業の第103期生が相当する。
訓練校出身者では、90年9月卒業の16期B卒から、94年3月卒の20期A卒までがそうだ。 いずれも3年から4年の間の卒業期に入る。

「大体が、軍が拡張政策を始めた頃に、大量採用を開始した時期の卒業生が、ようやく中堅の大尉になって来た。
その点は軍の読み通りになっている、なっているのだが・・・ いかんせん、今となっては、数が足りない」

91年から本格的に始まった、日本帝国軍の大陸派兵。 今の大尉達はその時期の最初から、或いは初期から半島陥落に至るまで、少尉、中尉、そして大尉として、戦場で戦った。
将校の中で最も消耗が激しいのが、この最前線で直接戦闘を戦う尉官級の下級将校だ。 現に士官学校・訓練校問わず、この世代が最も戦死者数が多い。
帝国軍としては、将来激化するであろう対BETA戦争を先読みし、下級将校の大量養成を企画した。 のであるが、戦死者数はその予想を、大幅に上回っているのが現実だった。

「何も、前線部隊だけに必要とされる訳じゃない。 士官学校や訓練校の教官団、練成部隊の指揮官、実験開発部隊の開発衛士。
部隊だけじゃ無い、後方の各機関でも実務主任担当者として、大尉はどこも引っ張りダコだ。 特に実戦を経験した大尉はな、今や宝石並みに貴重だ」

少尉は卵からかえった雛鳥も同然、中尉もまだまだ経験の浅い『大尉見習い』だ。 少佐、中佐となれば、より高度な戦術・戦略マネジメントに携わる。
大尉だけなのだ、『現場の指揮監督』を任せられるのは。 現場の状況を判断し、決断し、指示を出す。 そしてその事に対する責任を負う。
それが出来るだけの知識と経験、培った判断力と気力・体力。 その全てがバランスする世代こそ、大尉と言う階級にある者達だった。

「だからな、周防君、急な辞令の心構えだけはしておけよ? この戦時だ、いつ何時、急な辞令1本で最前線勤務、なんて事も有り得るからな」

「・・・お気づかい、感謝します、課長」

4日後に控えた周防大尉の結婚を前に、たまたま室内に残っていた邑木中佐と周防大尉が、運用・作戦課室で話し込んでいた。
邑木中佐としては、新婚早々になる部下を、死戦の展開されるであろう前線へ出したくない、と言う気分が濃厚に有る。

「ですが、まあ、何処に行ってもやる事を、やれる事をやるだけですよ。 自分にとって、それ以上は無理かもしれませんが、それ以下にならんよう、精勤するだけです」

そう言いつつ、周防大尉は内心で少し苦笑する。 自分も随分と大人臭くなったものだ、新任少尉の当時は、気負ってBETAを一掃してやる、などと息巻いていたモノだが。
無論、今でも根本は変わらない。 対BETA戦争に勝利しなければ、この星に残された未来は、食い尽された不毛の死の世界が残るだけだ。
だが、何でもかんでも気負う事が無くなった。 自分の出来る事、出来ない事。 すべき事、見守る事。 責任の範疇と、それを背負う事。
昔の自分が、今の自分を見たら、どう言うだろうか? 或いは変節したとでも言うだろうか?―――少し、昔の自分が羨ましい気もする。

「・・・このまま参謀職でも、部隊指揮官でも、全力は尽くしますよ。 己の全力は」


不意に窓から差し込んだ日差しに、目を細める。 随分と柔らかくなってきた、1999年の春はもうすぐ、そこまで来ていた。






[20952] 明星作戦前夜 黎明 5話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/07/10 20:56
1999年3月23日 1605 合衆国ワシントン州 シアトル南郊 フォート・ルイス陸軍基地 米第2師団


「大尉!」

ハンガー前で整備班と打ち合わせを終え、中隊事務室へ戻る最中に背後から声を掛けられた時、自分に対してのものとは判らなかった。

「大尉! カーマイケル大尉!」

ようやく自分の事だと気づく。 振り返ると1人の将校が、敬礼をしながら近づいて来るのが見えた。

「・・・中尉、フォルカー中尉、だったね?」

「イエス・サー、ラルフ・フォルカーです。 98年の8月、日本の京都、あの時は助けて頂き、有難うございました」

そうだ、昨年の日本駐留時代の事だ。 あの京都防衛戦の最中、孤立した1個戦術機小隊を率いていた男だ。
駆けつけた自分の中隊に臨時に組み込んで、何とか全滅を避けられた。 最もあの時は、自分の中隊も機数が不足していたから、渡りに船だったが。

「しかし君は確か、『トロピック・ライトニング(米第25師団)』じゃなかったか? どうしてここに?」

第25師団『トロピック・ライトニング』は、ハワイ州・オワフ島のスコフィールド・バラックス基地と、アラスカ州フォート・リチャードソン基地に分散配置されている。

「転属です。 所属大隊も壊滅しましたし、小隊毎こっち(第2師団)に転属ですよ。 人手が足りないとかで」

確かに第2師団は日本での戦闘で、大打撃を受けた。 京都防衛戦が終結した直後、まだギリギリ米日安保が維持されていた最後の瞬間に、第7艦隊に拾われて脱出した。
9月末、ハワイからここ、ホームのワシントン州フォート・ルイス陸軍基地に辿り着いた戦力は、僅か1個HBCT(重旅団戦闘団)と、その他少数の部隊だけだった。
実に師団戦力の3/4、3個HBCT分の戦力が失われた事となる。 1個HBCTは総兵力約3900名、実に1万2000名近くが、京都を巡る一連の戦闘で命を落とした。

ステイツに戻ってからの4カ月は、もっぱら人員の補充に費やされた。 いかな合衆国陸軍と言えど、1万人以上の訓練済み要員を、右から左へと用意出来る訳ではない。
各地の部隊から、部隊機能を損なわない程度に基幹要員を引き抜き、予備役を召集し、新兵を配属する。 そのスケジュールだけで4カ月を要した。

そして戦訓から、大幅な編制変えも行われた。 従来の第2師団は、4個重旅団戦闘団(HBCT)が主力だった。 だが機動性の問題が指摘され、この編制が変わった。
ストライカー旅団戦闘団(SBCT)との混成の様な編制となったのだ。 旅団支援大隊を組み込んだ4個機動旅団戦闘団(MBCT)と、戦闘航空旅団に火力旅団で師団を編成する。
ようやく数的な格好がついたのが、今年の1月末。 そこから猛訓練が始まった、1日でも早く、師団が実戦に耐える事の出来る練度を回復する為に。

器材も最優先で優良装備が配備された。 
MBCTに1個ずつ配備される戦術機甲大隊(TSFB)には、アビオニクスとレーダーの近代化改修(RMP)を施したF-15Eが配備されている。
野戦砲兵大隊にはM109・155mm自走榴弾砲の中でも、最良のM109A6『パラディン』が配備され、更には牽引野戦砲兵中隊が追加されて、M777・155mm榴弾砲が配備された。
機甲部隊には最新鋭のM1A2、そのシステム拡張パッケージ(System Enhancement Package)適用車両であるM1A2SEPが定数一杯、配備された。

だから実戦を経験した、そして勘の良い古参将兵は勘づいている、『ヤバい! また最前線だぜ!』と。
新兵や予備役招集兵は、配属されていきなり、血相を変えた古参将兵(実戦経験者)からどやしまくられる羽目になる。

『貴様らが勝手にくたばるのは、貴様らの勝手だ! 好きに死ね! だがその為にチームが損害を受ける事は許さん!』

ユニット単位、チーム単位の徹底した戦闘行動を叩き込まれるのだ。 日本や欧米の様な個人技の向上は後回し、兎に角チームの『部品』として、確実に動作する事を求められた。

「転属して来たのは、では君だけじゃ無く・・・」

「ええ、前の小隊で一緒だった連中も、です」

―――確か先任の女性少尉と、後任の男女2人の少尉が居たな。 彼等もか。

「ああ、もっとも1番技量未熟な奴は、ハワイに置いて来ました。 日系の女性衛士の方ですよ、向うは故郷らしいですし」

―――ああ、それは良い。 故郷に駐留なら、精神的にも回復は早いだろう。 それ程酷かった、京都の戦いは!
それに第25師団も、第2師団程では無いとは言え、かなりの損害を被った。 技量未熟とは言え、実戦を経験した衛士は貴重だろう。

「代わりに1人、駐韓経験の有る奴を引っ張って来ましたけどね。 ああ、それと所属は第3機動旅団戦闘団です、大尉はどこの部隊に?」

フォルカー中尉の言葉に、思わず彼の顔を見る。 そう言えば大隊長が話していたな、欠員状態の1個小隊、近々に埋めてやると。

「・・・3rd.MBCT(第3機動旅団戦闘団)の2/7TSFB(第7戦術機甲連隊第2大隊)で、小隊の欠員が有るのは僕の中隊だけだ」

「え? って事は・・・」

「ようこそ! ≪ヘル・オン・ホイールズ≫へ! ≪アタッカーズ≫中隊は、諸君を歓迎する!」






「いや、まさか大尉の中隊とは・・・」

「不安かい?」

「いえ、まさか! 京都でのあの指揮振り、安心してますよ」

夜、将校クラブでカーマイケル大尉は、フォルカー中尉を誘って1杯飲んでいた。 他の小隊員―――アデーラ・フォン・エインシュタイナー少尉は部屋で寝ている。
後任の少尉2人は、どこかに姿を消した―――『スンマセン、人生の無情を味わっているそうで。 自棄酒なんですよ』―――フォルカー中尉が、人の悪そうな表情で笑っている。
そう言う事か、まあ、当って砕けたのか? 『部下』達の自由時間まで口を挟む事など、無粋にも程が有る、おいおい聞いてみよう。

「・・・で、やっぱり俺達は、再派兵ですか?」

ウィスキーグラスを傾けながら、フォルカー中尉が不意に聞いてきた。 その言葉に片眉を器用に上げて、カーマイケル大尉が逆に質問する。

「ラルフ、君はあれか? 最近になって軍内で声の大きい連中と、同じ考えか?」

「あんな後方しか知らない、ファック野郎どもと一緒にせんで下さい。 合衆国にとって極東防衛線が重要なのは、よーっく、理解しています」

日本帝国から樺太、そして極東シベリア。 或いは日本から千島列島、そしてカムチャツカ半島。 極東防衛ラインの直ぐ背後は、ソ連租借地と合衆国が同居するアラスカだ。
どちらか片方が陥落すれば、どちらかもう片方への負荷が増大する。 そして結局、残った方も早期に陥落するだろう。 そうなれば次はステイツだ。
合衆国は実は、余程この極東防衛ラインを重視している。 欧州戦線と異なり、地勢的に北米が直撃を受ける可能性が高まるからだ。

しかし現在、日本帝国内もそうだが、合衆国内、そして合衆国軍内部でも、日本帝国と日本帝国軍への反感がかなり高まっている。
原因は昨年の夏に生起した、日本本土防衛戦だ。 あの戦いは戦略的、そして戦術的に米日双方が見解の食い違いを見せ、様々に損害を大きくし、相互不信の種を宿してしまった。
合衆国には合衆国の、日本には日本の、それぞれの言い分が有るのだが、その調整に双方が盛大に失敗した―――カーマイケル大尉は、そう考えている。

「国内への反応弾使用、確かに日本は激怒するよ。 実際、打診した途端にあの国の政府・軍部内の親米派にしてからが、激怒したと言う話だ」

「ですが、既にBETAの侵攻を受けた土地に対して、という条件付きだったと聞きます。 反応弾を使用すれば、万単位でBETAを削る事が出来た。
そうすれば、京都やそれに続く地域が、あれほど悲惨な目に遭わずに済んだかもしれません―――ああ、結果論です、結果論ですが、そう思わずにいられません」

部下の表情―――以前の仲間達を、あの戦場で多く失った者の表情を見て、カーマイケル大尉は苦笑がこみ上げてきた。
いつだったか、これに似た情景を経験した事が有ったな、と。 相手も、主張も異なるし、言っている事は正反対なのだが・・・

「・・・合衆国が、合衆国市民に対して、その契約を履行する義務が有ると同時に、日本帝国もあの国の国民に対しての責任が有った、そう言う事なのだろうな」

「大尉?」


(『国家間の相互安全保障―――同盟もそうだ。 どちらか一方が、一方的に義務を負う事では無い。 お互いの国益に合致する限り、双方、若しくは複数はその義務を履行する。
しかしそれが崩れた時、一方的な負担は許容できないし、一方の主張ばかりを聞き入れる必要は無い、何故か? 国家と国民の契約、その不履行だからさ、国際外交もまたしかり』)


もう4年以上前、94年だったか? 確か94年の12月だ、彼と初めて出会った時だ。 自分は彼にそう話した。 
それに対し、彼の反応はどうだったか? 4歳年少の友人はあの時、公私の狭間で悩んでいたと思う。 まだ20歳そこそこの、若い日本人だった。

「難しいな、本当に。 集団の総意と、個人の意識は必ずしも合致しない。 ああ―――だけど、だからこそ、私は彼とは友人でいられるのかもな」

彼は判ってくれるだろうか? 合衆国軍人としての自分と、彼の友人である自分と、その違いが有る事を?―――判ってくれる筈だ、だから友人でいられるのだ。

「・・・俺が知っている日本人って言や、京都で一緒に戦った、あの中隊の連中だけですけど」

上官の独り言に似た言葉を、少し訝しげに聞きながら、それでも話の大元を読み違えるでなく、フォルカー中尉が過去を思い出す様に話し始めた。

「あの隊の指揮官からは、米軍に対する悪感情は感じられなかったですね。 俺達が総撤退した時、ほら、横須賀までわざわざ会いに来てくれて」

「・・・ああ、彼等が日本の東北地方に移動する直前だった、あの時か」

「ええ、そうです。 『助かった、有難う、戦友』って、そう言ってくれましたっけね。 あの一言が無かったら、俺は日本不信になっていましたよ」

ならばこの部下はまだ、少しは冷静に物事を見るだけの理性を残している、そう言う事か、良かった。
彼がステイツにいた頃は、お互い色々と本音で議論し合ったものだ。 口下手、話し下手な日本人の若者が、随分と一生懸命、持論を話していた。
お互い、理解はしあえるものだな。 そうなのだな? うん、そうなのだ―――有難う、少なくとも僕の部下は、狭隘な視野に落ちずにすんだよ。 有難う、直衛。

胸ポケットから1枚の写真を取り出した、最近送られてきた手紙に同封されていたモノだ。 友人が映っている、横の女性は友人の婚約者だと言う事だ。
そうだ、折角だし、この写真は妻にも見せてあげよう。 きっと喜ぶだろう、懐かしい元同僚なのだしな。 うん、そうしよう。

カーマイケル大尉の妻、まだ新婚2カ月目になっていない新妻の名は、ペトラ・リスキ・カーマイケル。 今はシアトルに住んでいる。
フィンランド難民上がりの、元国連軍少尉。 初めて出会ったのは、友人と同じ94年の12月。 彼女は一旦欧州に戻ったが、カーマイケル大尉が欧州軍に派遣された時に再会した。
そしてプロポーズ。 その直後にカーマイケル大尉自身が極東戦線に異動になって、結婚自体が延期になった。 ようやく式を上げたのが、今年の1月末だった。

生粋の米国人の自分と、フィンランド難民上がりの妻。 そして自分と、これまた生粋の日本人である彼。 ああ、妻と彼も、友人同士だった。
お互いに生まれも育ちも異なる、祖国に至っては何を言わんや、だ。 それでもこうして、3人は繋がっているではないか。 国は異なっても、人の繋がりは途切れない。

「・・・ならば、誇りを抱いて、胸を張って、再び戦友達と相まみえようじゃないか」










1999年3月26日 日本帝国 福島県福島市 第18師団 戦術機ハンガー


「・・・いいなぁ、戦術機。 乗りたいなぁ」

ハンガーに情けない声が響く。

「久しく乗ってないなぁ・・・ いい加減、腕が落ちるなぁ・・・ 乗りたいなぁ・・・」

その声を全く無視して、整備班の将兵が黙々と機体整備に邁進していた。

「予備機の『撃震』でも良いんだけどなぁ・・・ 『疾風弐型』なんて、贅沢言う気は無いんだけどなぁ・・・」

しかし声の主は、相変わらず情けない声でぼやきを止めない。 やがて部下達の無言の抗議の視線に耐えかねた機付長―――整備軍曹だった―――が、その声の主に抗議する。

「・・・運用参謀、周防大尉殿。 いい加減、ぼやきは止めて頂けないモノでしょうか?」

「櫻井軍曹、冷たいなぁ・・・ 君が整備の下っ端時代、満洲で散々世話したってのになぁ・・・」

「・・・どちらかと申しますと、私の方が『ヤンチャな周防少尉殿』が振りまわす機体の整備に、苦労をさせられたと記憶しますが?」

短く切った髪で一瞬判らないが、振り向いた櫻井整備軍曹は腕を組んで、その豊かな双胸を押し上げる格好で、逆に言い返す。
櫻井加津子整備軍曹、一兵卒から叩き上げで7年目。 新兵時代は満洲で、当時の周防少尉の機体整備班の一員でも有った―――昔馴染みの戦友だ。

「それは主観だよ、うん・・・ ああ、乗りたいなぁ、戦術機・・・」

深く溜息をつき、処置なし、とでも言いたそうなゼスチャーでその場を離れ、整備に戻る櫻井軍曹。 その後ろ姿を見ながら、周防大尉のぼやきは収まらなかった。
周防大尉は時折、こうしてハンガーにふらっとやって来ては、戦術機を見上げてぼやいて帰る事が有ったが、最近は頻度が上がっている様だ。
慣れない参謀職、それも第一線部隊での『それ』は、さぞストレスが溜まる事なのだろうと、旧知の櫻井軍曹は見て見ぬ振りをしてきたのだが・・・

「・・・ええ加減にせんかい!」

後ろから、怒声が響いた。 見ると整備小隊長の児玉修平中尉が、周防大尉を怒鳴りつけていた―――事情を知らない新兵達は、恐れ慄いている。
何せ、師団参謀の大尉殿を、下士官からの叩き上げとは言え、中尉殿が怒鳴りつけているのだから。 だが当人達は、そんな事は不思議とも思わない振りで、話し続けている。

「・・・乗りたいんだよ、戦術機。 修さん、なんとかならん・・・?」

「乗りたいって、そやけどお前さん、今はTSF(戦術機機甲部隊)やないやろ!? お前さんの機体は、有らせえへんで!?」

追い打ちのその言葉に、肩を落とす周防大尉。 普段見せる事のないそんな姿に、整備兵たちは目を丸くしている。
無理も無い、普段の周防大尉の顔は『歴戦衛士上がりの、師団参謀』として、ある意味強面の印象が有る。 こんな姿は誰も想像出来ない。


「ぐ、軍曹殿、よろしいのですか?」

恐る恐る、整備の一等兵が櫻井軍曹に尋ねる。 教育隊を終了した後、整備の教育課程を修了して、配属になったばかりの新入りだった。

「ん? 何が?」

「何が、って・・・ あの、小隊長殿ですよ。 大尉殿に、あんな・・・」

―――中尉が、大尉に対してあんな態度をとっても良いのか!? 

新米にとっては、信じられない光景だった。 だが機付長の櫻井軍曹は、あっさり肯定してしまう。

「ああ、良いの、良いの。 あの2人の場合はね。 何せ、周防大尉が新米少尉だった頃からの、兄貴分と弟分だからね。 ああ、小隊長が兄貴分よ」

掌をひらひらと返して、櫻井軍曹があっさり言いきってしまう。 そうしている間にも、周防大尉と児玉整備中尉との奇妙なやり取りが続いていた。
それを無視し、ようやくの事で連隊に配備された貴重な、92式『疾風』弐型の整備を進める櫻井軍曹。 やる事は他にも山ほどある。
3月末近くになって、急遽搬入された92式『疾風』の弐型。 これまでの77式『撃震』と比べると、大きく戦力は向上したと言っていい。
整備班にとっても喜ばしい、92式は77式より余程、整備に時間と手間を掛けさせない『優等生』だったからだ。

但し、衛士は別だった。 京都防衛戦までを経験した衛士は、92式弐型の搭乗経験が有るから、これは良い。 問題は半年前に訓練校を卒業した、新米達だ。
彼等は訓練校では『撃震』しか搭乗経験が無い。 『吹雪』などは、訓練校に回ってこない。 士官学校の衛士学生課程配備が殆どと、少数が斯衛に配備されているくらいだ。
だからいきなり、『撃震』から『疾風弐型』への登場は面食らう。 シミュレータなどで模擬訓練はしていても、実機となるとまた勝手が違う。

戦術機甲連隊長の名倉大佐は、部下の衛士達へ徹底的に訓練を課す事と、同時にいち早く『疾風弐型』に全員が慣れる事を指示している。
その為に衛士の訓練度は、日増しに熱を帯び、同時に整備班の仕事も増大していたのだ。 今日もあと数時間で、1個中隊分を仕上げねばならない。
その割には、保守部品の備蓄状況が思わしくない。 一応は来月には回復する予定だそうだが・・・ この調子では、果たして月末まで持つのか? と思ってしまう。

「・・・軍曹、聞きましたか? この夏に計画されている作戦の事・・・」

整備の合間を縫って、部下の伍長がこっそり話しかけて来る。

「その作戦の事は、余り大きな声で言うな・・・ で、なに? 作戦がどうしたっての?」

「はあ、噂ですが・・・米軍が出張ってくると。 そのせいか知りませんが、砲弾弾薬の中には、あからさまに『メイド・イン・U.S.A』と刻印の有る分も・・・」

嫌悪感を滲ませ、伍長が言う。 櫻井軍曹は溜息を吐くと同時に手を休め、部下を向いて苦言を言う事にした。

「アメちゃんだろうと、国産だろうと、BETAに撃ち込めば同じよ。 部品だってそう、正常に作動すればそれで良いでしょう!?
まさか貴様、戦術機の砲弾や部品まで、国産じゃないと許されないって言う、あの馬鹿な事言っている連中と同類なの!?」

「ま、まさか! あそこまで気違いじみた事は言いませんよ! ・・・けど、去年の夏に安保を一方的に投げ出して撤退した米軍が、何を今更・・・って気はします」

その言葉に、櫻井軍曹も思わずため息をつく。 確かに帝国軍人として、急に『戦場放棄』をした『同盟軍』には、言ってやりたい事は山ほどある。
だが再度、共闘して戦おうと言うのなら、否やは無い。 米軍は飛び抜けて優秀な、と言う部隊は実は少ないが、平均して練度も士気も高い。
それにあの、驚異的な兵站能力。 後方支援屋の整備班としては、米軍が背後に居ると居ないとでは、心構えが大きく違ってくる。

だいいち、36mmにしても120mmにしても、この冬の間は色々と部隊間で融通を付けて遣り繰りしていたモノが、ここにきてドサッと大量に備蓄され始めた。
言うまでも無く、米国製の砲弾だった。 規格は同じだから、帝国軍の突撃砲でも使用できる。 補給廠の連中は、嬉しい悲鳴を上げている事だろう。
戦術機の予備パーツは、まだそこまで充実していない。 特に92式関係は海外に移転した生産工場で、国内分と輸出分の生産調整の真っ只中だと言う。
それも来月には軌道に乗る予定だそうだが・・・ 何せ、電子機器の素子であるシリコンチップは合衆国が最大の生産国だ。 そしてメーカーに在庫は半年分しか無かった。
例のゴタゴタ故に、部品の在庫が少なくなっていた事が要因だろう。 工場も機体は生産出来ても、中身の電装関係部品を生産できず、『臓物無し機体』が溢れていたと言う。
噂に聞く『新開発の国産半導体』とやらは、まだまだ量産体制に乗っているとは言い難い―――まだまだ、実験用、試験用の段階だった。

「・・・貴様も整備屋なら、感情で物事を判断するな、もっとロジカルに考えな。 アメちゃんが参戦すれば、作戦成功の確率は多分上がるよ。
成功すれば、本土からクソッたれな化け物どもを追い出せる、あとは佐渡島よ。 アメちゃんにどうこう言うのは、その後でも良いんじゃないの!?」

「はあ・・・」

どうやら部下は納得できないらしい。 最近、こういう手合いが増えて来て困る。 あからさまではないが、内心で不満を抱え込んでいる連中。
どうにも厄介だ、彼女自身、完全に踏ん切りがついている訳で無いので、尚更に。 その櫻井軍曹に、向うから児玉中尉がため息交じりの声で呼びかける。

「・・・おい、櫻井! 確か『慣らし』の必要な機体が有ったな!?」

「は? はあ、1機残っていますが・・・ って、まさか小隊長、『アレ』を周防大尉殿に・・・!?」

92式と同時に、急遽少数が配備された機体。 高性能だが、それ故に様々な問題を内包する機体で有り、誰でも操れると言う訳ではないのが、悩みの種。
それに師団全体で10機しか配備されていない、第13軍団―――第14師団と第18師団の2個師団合計でも、20機しか配備されていないのだ。
中隊運用さえ出来ない少数の機数に、操るには相当の技量を有する難しい機体特性。 間違っても経験の浅い、年若い衛士達を乗せる訳にはいかない。
連隊では現在の所、その機体を割り当てられているのは、3名の大隊長と経験・技量ともトップクラスの3名の中隊長―――和泉大尉、神楽大尉、有馬大尉の3人だけだ。

「名倉連隊長(第181戦術機甲連隊長・名倉幸助大佐)には、大尉殿から話を通すと! それにコイツの『慣らし』は、運用課の管轄だ。 いっそのこと、大尉殿にやってもらえ!」

半ばやけ気味に、吐き捨てるように言う児玉中尉と、ホクホク顔で管理棟へ電話を繋げる周防大尉。 いつか、どこかで見た光景だ。
何やら昔を思い出して、櫻井軍曹は呆れと同時に少しだけ微笑んでしまった。 そして彼女が担当するもう1機の機体を見上げ、部下に指示を出した。

「よし、不知火『壱型丙』の慣らしをやるよ。 火を入れな!」





春の訪れを待ちわびるかのような、残雪の残る東北の山野を、1機の戦術機が轟音を残して飛び去ってゆく。
見掛けは現行主力戦術機である、94式『不知火』とほぼ変わらない。 だが、跳躍ユニットの轟音はやや野太く、大きかった。
すれすれの高度を、山肌に沿って巧みに機体各所の各モジュールを偏向させる事で、滑らかな動きで高速飛行させている。
やがて谷間に出た途端、跳躍ユニットをカットしてそのままの勢いで陸地に迫る―――と、同時に逆噴射パドルを短時間解放し、急制動を掛ける。
機体は見た目、フワリとした着地を決めて、次の瞬間には再度の跳躍ユニット噴射による噴射跳躍で、一気に尾根筋にでる―――片肺をカットして意図的にスパイラルに入る。
機体がクルリと1回転しながら尾根筋を飛び越えたと同時に、今度は噴射降下に移して、谷筋沿いにアクロバティックな超低空NOEに入っていった。

「あ~、整備班より1号機。 あんま、振りまわさないで下さいよ、大尉殿?」

『―――こちら1号機。 了解、了解。 全て順調、問題無し!』

管制塔に陽気な声が流れる、戦術機を操縦している衛士―――周防大尉の声だった。 心なしかその声が踊っている、そう感じるが間違いは無いだろう、明らかに楽しんでいる。
その間にも、『慣熟』の筈の1号機―――師団戦術機甲連隊に配備された、虎の子の不知火『壱型丙』は、次々と谷間を縫い、尾根筋を飛び越え、時にヒヤリとする機動を続ける。
予定では、設定されたコースを数周した後に帰還する筈だったが、途中から周防大尉が『運用課の観点から、この機体の性能を確認する!』とか言い出した。
そして止める暇も無いうちに、案の定、高機動テストコースへ機体を侵入させた。 今は思う存分、日頃のストレス?を発散するかのように、難しい機動を難なくこなしている。

「1号機、チェックポイント08通過―――マイナス0.20。 機体内タンク消耗率、マイナス1.29!」

理論限界値をコンマ20更新、燃料消費は想定消費を1.29%下回っている。 これまでのポイント01から、この08まででタイムは1.58更新され、燃料消費は10.61%節約している。
1.58秒有れば、咄嗟のアクションを行える、そして次の1秒を手に入れる事が出来る。 その1秒で射撃なり回避機動なりを行え、そして生を掴む事が出来る。
燃料消費で10%節約出来れば、戦闘稼働時間が15分は伸びる。 この調子で行けば全テスト行程のポイント18までで、タイムは3.5程短縮、燃料消費は20%程の節約を見込める。

「・・・ったく、あの阿呆、浮かれ上がりおってからに・・・」

整備隊から、慣熟飛行確認に出向いた児玉中尉が、周囲に聞かれない程度の小声で呟く。 が、残念ながらそれを、ちゃんと聞いていた人物は居た。

「ホンマ、まったくやで。 あの阿呆、慣熟飛行やってこと、忘れとるな。 限界まで攻めぇなんぞ、誰も言うとらんわ」

機体を受領する予定の第3大隊長、木伏少佐が苦笑交じりに同意する。 と同時に、目前の計器の数値を確かめ、納得する様に頷いた。

「確かにええ機体や、ベテランが操縦すればな。 出力も即応性も、大幅に上がっとる。 周防のヤツ、さぞエエ気分やろうなぁ・・・」

「確かに乗れとりますな、この結果を見れば・・・ 逆に、ベテランやないと扱い切れまへんで、少佐。 こないだ4号機を試した結果ですわ」

児玉中尉が分厚い書類束の中から、ひと括りの書類を抜き出して木伏少佐に手渡す。 その書類を見ていた木伏少佐が、視線を外さず児玉中尉に尋ねた。

「・・・これ、衛士は誰なんや? 児玉さんよ?」

「周防は周防でも、従弟の方でんな、周防直秋中尉。 ま、あのボンも中尉の中やったら、結構こなす衛士でっけど、この結果ですわ。
まあ、メーカーの理論値には収めとりまっけどな、戦場での運用考えたら、満足のいく数字やあらしまへん。 元々、燃費の悪い機体でっさかいな」

「厳しいのう、鬼の整備小隊長殿は。 この数字以上を叩き出そう思うたら、連隊でも古参の中隊長以上の衛士やないと無理やで? 直秋は、よう攻めとるよ、この数字は」

「・・・で、同日にやった3号機の結果です、これが。 因みに衛士は、神楽大尉殿ですわ」

両者を比較すると、その結果は明らかだった。 タイムの短縮に、燃料消費率の差。 如何に無駄のない機動が出来ているかどうか。
神楽大尉の叩き出した数字は、今現在の周防大尉の出した数字と、さほど遜色が無い。 この機体の性能を十分引き出し、その上で燃料の消費率低減も同時に実現している。
周防中尉の出した数字は、大まかに言ってメーカーの理論限界想定値内に収まっている。 部分的に良い結果を出しているが、両大尉の出した数字と比較すれば、見劣る。

「―――1号機、チェックポイント13通過! マイナス0.23! 機体内タンク消耗率、マイナス1.36!」

管制塔内に控えめだが、どよめきが起こる。 これで正真正銘、13ポイント連続でタイムも、燃料消費もマイナスを記録したのだ。
その情景を見た木伏少佐が、フン、と鼻を鳴らす―――あいつ、まだ腕は鈍っとらへんようやな。 欲を言えば全記録更新して欲しいモンやが、それは流石に無理かな?
あのコースは高機動テストコースやが、中には近接格闘戦の機動を想定した低速コースも有る。 周防は元々、機動砲戦が得意やしな、近接戦との『繋ぎ』は、まだ勘が戻らんか。

今まで各中隊長が2番機から10番機までの慣熟を行い、トップの記録を残したのは第1大隊の神楽大尉、2番手は第2大隊の和泉大尉で、3番手は第3大隊の有馬大尉だった。
周防大尉の記録は平均すると現在トップ。 高速機動エリアでは間違いなく記録を更新しているし、低速エリア(近接戦想定エリア)でも、上位3位内に付けている。

「確かに、乗れとるわ。 3、4年前のあいつやったら、多分この数字は叩き出せんかったんやないか?」

「今の戦術機甲連隊の中に入ったら、間違いなく上位3本の指に入る腕ですわ。 場合によったら、神楽大尉と双璧・・・ いや、1番かもしれまへんな」

「以前やったら、上位5本位やったかもしれへんな・・・ おお、クルビットでギリギリ、山肌を避けよった。 あれは、なかなか出来へんで」

新任当時は『その他大勢』の平均的技量の衛士だった周防大尉が、度重なる実戦を潜り抜け、生き残るうちに身に付けた後天的な技量だ。
木伏少佐は実の所、かつての後任で部下だった時期も有った周防大尉を、『悪運が味方した、努力型の凡才的凄腕衛士』と見ている。 『天才』では決してない、『凡才』だ。
おかしな表現の仕方だが、元々周防大尉は他に秀でた所の無かった衛士だ、それは事実だ。 それを実戦で身に付けた経験―――命を張って身に付けた経験で、技量を向上させてきた。
命からがらで身に付けた経験と技量だ、それは骨の髄にまで染み込んでいる。 一見、先天的に優秀な衛士と思われがちだが、それは違う。

(・・・この数字は、あいつが歯の根も嚙み合わん位の恐怖心で小便を漏らして、絶望的な激戦でも足掻いて生き残って、それで得た数字や・・・)

かつての後任、部下が叩き出し続ける数字を見て、それを称賛しつつ、まだ若い中少尉連中にはあの機体は、まだ任す事は出来へんな―――木伏少佐は、そう結論付けた。

『―――1号機より管制! 最終コースに突入する!』

「・・・管制より1号機、了解。 そしてどうして、あなたが搭乗しているの? あとで『たっぷり』聞かせて貰いますよ? 周防大尉?」

『うっ!? さ、さち・・・もとい、綾森大尉・・・?』

周防大尉の焦るその声に振り返った、木伏少佐と児玉中尉の視線の先に、笑みを浮かべた主任管制官の綾森祥子大尉が、部下からヘッドセットを奪って『宣告』していた。

「慣熟訓練も無しの、いきなりの高速機動コースへの侵入・・・禁止事項です。 よーく、言い訳を考えておいて下さいね?」

鉛を飲み込んだような表情の、周防大尉の姿がスクリーンに浮かんだ。 そしてファイナルアタック―――全18ポイントマイナス更新は、残念ながら達成出来なかった。


「ああ、綾森大尉殿は結婚後も、軍内では旧姓でやっとるんでっか・・・ やっぱり、結婚しても尻に敷かれとりまんな、あの男は」

「今でさえ同名が2人、おるんや。 3人目が階級も同じ『周防大尉』やと、混乱するから言うてなぁ・・・
まあ、あれ位が丁度エエのかもな。 年上の姉さん女房、アイツにはあれで、エエんとちゃうか?」

衛士から負傷転科して、管制官―――主任CP将校として着任した綾森大尉は、特に年若い中少尉の衛士達には、評判の良い、頼れる上官だった。
何より美人だ。 それに性格も柔和で人当たりも良い上に、何かと気安く相談事にものってくれる、面倒見の良い『姉的存在』として人気だった。

「・・・児玉中尉、慣熟飛行の衛士は、別だったはずです。 公式記録を取る管制科から言わせて貰いますと、余り甘やかさないで下さいね?」

「はッ! 以後、厳に対処いたします! 大尉殿!」

テキパキと部下のCP将校達に指示を出しながら、管制業務を続けてゆく綾森大尉。 その姿は部下の、特に女性CP将校にとって、憧れに近いモノとなりつつある。
今では、綾森大尉の昔の、衛士時代の旧部下達は元より、訓練校を卒業して半年しか経っていない若い少尉達も、何かと相談を持ちかけるようになっている。

「宜しくお願いします。 ・・・木伏少佐?」

「いや、連隊長まで丸め込まれたんや、しゃーない、しゃーないって。 以後、気を付けるわ」

「まったく・・・ 仕方のないコンビです事!」

「・・・あいつと、ワシがコンビ!?」

モニターを見ながら、部下の少尉にあれこれと具体的に指示を出し、報告書にサインをしながら、苦笑しつつ答える綾森大尉。
戦術機甲連隊の中隊長達は、最先任の世代が綾森大尉の同期生達だったし、後任の中隊長も顔馴染みが多い。 大隊長クラスも、馴染みの見知った顔ぶれだった。
一種の緩衝材の様なものだった。 当然ながらではあるが、本来の部下達―――各級CP将校達からの受けも良い。

「・・・昔から、変わりませんわよ?」

苦笑しつつそれだけ言うと、ヘッドセットを部下に渡して、綾森大尉は管制指揮業務に戻って行った。
綾森大尉の言葉に、少しショックを受けた様な木伏少佐が、茫然とその後ろ姿を見送っていると、別のCP将校が声を掛けてきた。

「木伏少佐殿、児玉中尉、今回の結果です!」

記憶媒体に収められたデータを、児玉中尉に手渡すCP将校―――渡会美紀中尉が、可笑しそうな表情で笑っている。
小柄で童顔で、相変わらず中尉にも、軍人にも見えない所の有る彼女だが、既に2年以上の戦場管制経験を持つ中堅CP将校になっていた。

「ああ、ご苦労さん。 って、なんや、嬢ちゃん。 何が面白いんや?」

児玉中尉が、相変わらず可笑しそうに笑っている渡会中尉に問いかける。 そしてやはり、渡会中尉は可笑しそうに笑ったままだった。

「いいえ、何だか昔と変わらないなー、って思いまして。 私が新任CPだった頃、周防大尉の中隊でしたけれど。 
あの頃からみんな、変わってないなーって。 居なくなった人も多いけれど、それでも変わらない人は、変わらないなって。 それで、何だか嬉しくなりました!」

「・・・そうやな、嬢ちゃんも変わらへんしなぁ・・・」

「ぐッ・・・ わ、私は・・・! 変わります! 変わってみせます! 目標は、綾森大尉です!」

「どう言う目標なんや・・・?」

「いつかは私も、ああ言う風な『大人の女性』になってみせます!」

「・・・ああ、さよか。 ま、頑張りな・・・」

今でさえ、女学生に間違えられてしまう渡会中尉のその宣言に、児玉中尉は力なくエールを送るしかなかった。






「・・・渡会が、『大人の女性』? 逆立ちしたって、無理だ」

「酷いよ、周防君! 佳奈美ちゃん、何とか言ってよ!?」

「直秋だって、無理。 大尉の様には、絶対無理」

「うるせー! 佳奈美、お前だって祥子姉・・・もとい、綾森大尉の様には、絶対無理だってーの!」

「・・・直秋、あとでシメる・・・」

「ちょ、ケンカは駄目だよ? 駄目だからね、佳奈美ちゃん? 周防君!?」


1999年の春が来る。 大攻勢まで、あと4カ月と少し―――









1999年3月29日 日本帝国 『帝都』仙台 首相官邸


「正直申しあげますと、暴発一歩手前、と申しましょうか」

目前の将官が、表情を変えずにそう報告する。 その隣の背広姿の2人の高級官僚―――鋭い雰囲気の切れ者然とした男達も、同意する様に頷いた。 そして言葉を引き継ぐ。

「物資・食料の配給遅延、避難住居の絶対的不足、衛生面と医療支援体制の遅延。 物心両面の不安と共に、治安状況は極端に悪化しております。
先月からですと、約5.8ポイントの悪化です。 これではもう、治安警察の手に余る状況と言えましょう。 中にはスラム化している区域も有ります」

「海外からの不法難民問題も、深刻化しております。 今の所は目立つ動きはしておりませんが、水面下では完全にシンジケート化されております。
中国系の哥老会や洪門は、東南アジアの華僑社会や、北米の華僑系黒社会と深い繋がりが有ります。 帝国内の中華系難民にも、かなりの数が存在すると推定されます。
ロシアン・マフィアはウラジオストックが陥落してから、ウラジオ・グループが軍人崩れを吸収し、活発に活動中です。 北海道では社会問題化しつつあります」

内務省警保庁警備局長、内務省警保庁特別高等公安局長、いずれも帝国の国内外の治安維持活動を牛耳るトップ達だ。
そして先立っての、右近充国家憲兵隊中将。 国家憲兵隊特殊作戦局長を務める、国内外から恐怖と憎悪をもって見られる男。

その右近充憲兵中将が、1枚の報告書を首相の面前に差し出した。

「今となっては、今夏の大攻勢での合衆国の助力(介入、では無く、助力と右近充中将は言った)無しに、目的の完遂は有り得ません。
しかしながら、それを快く思わない―――有体に言えば、暴発しかねない者も多い事は事実です。 下手をすれば、本作戦に多大な影響を与えかねません」

軍人、民間の思想家、宗教家、教職者、古典的保守派層。 それらの背景に見え隠れする裏社会。 相互で繋がっているのではなく、いい様に絡め取られている。
海外難民上がりの裏の人間には、『思想的熱情』は豊富だが、明確な情勢判断と方針、それも冷酷なまでの現実視を有さない国粋派は、非常に扱いやすい相手だ。
『哀れな難民』を装いさえすれば、多感な、多感過ぎるほど純粋な彼等は、いとも簡単に掌の上で踊ってくれる。
逆に、時に冷酷なまでの現実的な情勢判断をする統制派は、かつての祖国の支配者層にも似た、非常にやり難い相手でも有る。

「やるならば、今です。 今をおいて時期は有りません。 大攻勢の準備が最終局面を迎える直前の、今でしか」

右近充中将の言葉に、榊首相は無言でリストを見つめている。 そしてややあって、リストから目を離し、3人の官僚(軍人も官僚だ)を見据えて言った。

「・・・今はまだ、手を出すべからず。 よいか、監視は厳重に、しかし手は出すな。 これは首相命令だ」

「ッ! しかし、首相・・・!」

内務省警保局警備局長が、身を乗り出す様に抗議しかけるのを、右近充憲兵中将が片手で押さえる。 そして、首相を直視して確認するように言った。

「対象への監視のみ、実行は保留。 それで宜しいのですな? 首相閣下」

「宜しい」






執務室を出た3人の官僚は、3者3様に難しい表情のまま、官邸を出た。
別れ際、特別高等公安局長が右近充憲兵中将に対し、意味有り気な視線を送ったが、右近充中将は無言で首を振った。
やろうと思えば、首相の知らぬ所で秘密裏に工作は出来る。 しかしどうしても各勢力の『本丸』までは、極秘では届かない。
彼等は官僚だった。 そして官僚を率い、その頂点に立つ者は法の上でも首相なのだ、その命令を全く無視する訳にはいかない。

3人の治安担当高級官僚は別れ際、無言で暗黙の了解を取った。 『本丸』近くには手を出さない。 が、外堀を埋めるのはどうにでも出来る。
任意調査、或いは別件逮捕。 末端では大した情報は持ち得ないであろうが、その情報の端から手繰り寄せれば、大きな獲物も引っかかる―――数年はかかるだろうが。


他の2人と別れ、憲兵隊の車に乗り込んで本部へと戻る車中、右近充憲兵中将は目を瞑り、表面からは窺い知れない様々な思考を巡らせていた。
確かに、榊首相は『出来者』だ。 与野党の熾烈な駆け引きが、裏で行われ続ける帝国議会を何とか運営し、異様にプライドの高い官僚群を従え、軍部を押え込んでいる。
更には民間でも急増しつつある国粋主義―――『日本主義』の波を何とか抑え、その根源の一つである難民対策にも、諸外国と比して力を入れている。
更には旧社会、すなわち政威大将軍を頂点とする武家貴族社会からの横槍を交し、元枢府の度重なる『提言』にも粘り強い説得を示し、国政への介入を許していない。

海外に目を向ければ、アジア太平洋地域の前線国家群との連携を唱え、その結実としての大東亜連合との軍事同盟、中韓両国との統合軍事機構を発足させた。
更にはブロック経済(その手法の是非はともかく)による、域内相互補完を目的とした『リムパックEPA(環太平洋自由貿易経済連携協定)』にこぎつけた。
そして対米外交、軍事同盟についても決して疎かにしていない。 確かに国内諸勢力の手綱引きの難しさ故の日米安保破棄という現状だが、対米交渉は途絶えていない。
駐米日本大使館を拠点に、野々村吉郎特命全権大使を合衆国に派遣している。 野々村は生粋の外務官僚では無い、衆議院議員であるが、前身は退役海軍大将だった。
保守派政権である現合衆国政府は、野々村を好意的に迎えていた。 合衆国政権内には軍役を経験した者が多く、野々村とは旧知の高官も居る。
実際には『本職の』外務省出身の駐米日本帝国大使がいるが、こちらは『通常外交業務担当』の大使、という位置付けである。
日米安保の再開交渉、それに伴う日米地位協定の見直し交渉。 帝国内右派勢力からは、『売国』の声も聞かれるその難しい仕事を、軍部長老の一人でも有る野々村に委任していた。

更には、『第4計画』の誘致と実施。 未だに政権内部でさえ、その実現性に疑問を呈する者が少なくないのだが、その結果として日本が国際社会で得た『優位性』は大きい。
何より、『拒否権無しの安保理常任理事国』とは単に、『米国の紐付き』と国際社会からは見られていた日本帝国だ。
それが独自のロビー展開で『第4計画』を獲得した事で、国連内の地歩を固めたばかりか、国際社会からも『独り歩きした日本帝国』として認知されるに至った。
これは大きい、『外交下手の日本』、日本帝国政府にとって、このアドヴァンテージが今の日本外交に与えた影響は計り知れない。 そしてそれを推進した、榊首相の先見も。

(・・・だが、理想は理想だ。 要はどこまで現実とのすり合わせが出来るか・・・ その腹が据わっているかだ)

今の国内情勢を、暫し静観すると言うなら、それも良い。 何せ未曾有の大攻勢の前だ、特に軍内部に動揺が走る事を危惧するのは、判る。
だが一歩引けば、将来には二歩悪化した国内情勢が出現する可能性が有るという事を、あの首相―――国家の宰相は承知しているのか?

(・・・しているだろう。 その上で、なお理想を、己が信念を求めたい、築きたいと。 その一念は確かに、敬意を賞するが・・・)

右近充中将の見る所、榊首相は確かに出来者の名宰相、その名に恥じぬ人物だが、些か理想家肌の面を有する。 その事が足を掬わねば良いが・・・
そこまで考え、苦笑して首を振る。 そこまで自分が気にする必要のない事だ、それは首相の問題、自分には課せられた責務がある。
そして頭の中を、国家憲兵隊特殊作戦局長に切り替える。 瞬く間に、把握する限りの国内外情勢の情報が乱れ飛び、絡まり、形作られてゆく。
その中でひとつ、ふたつ、重要案件を取り上げ、自分なりの対応を練ってゆく。 最終的には部下を交え、局内幹部会議で決定し、実行に移す。
ああ―――この件、一応は国家憲兵隊総監にも上げておいた方がよいか。 間接的にせよ、摂家や将軍家も絡む案件だ。 

(うん、耳に入れておこう、後でケツを持ってこさせない為に。 組織的自己保全と言う奴だ)

自分が善良な家庭人であると同時に、邪悪な組織人である事も自覚している右近充中将は、祖国への奉仕と組織内の抗争は、両輪であると自覚していた。
であるならば、己が目指す祖国へと一歩でも近づく様、努力を惜しむものではない事も。 でなければ自分は、一体何の為に息子を祖国に捧げたのか。
末っ子の二男だったが、末の子供だけに可愛い子だった。 大人しい子だったが、まさか佐渡島で殿軍を引き受けて、散ったとは。 普段からは想像出来なかった。
だから俺は、俺の思い描くこの国を実現させる為に、努力は惜しまない。 例えどのような誹りを受けようともだ。


1999年3月27日、帝国内で著名な思想哲学家が、予防拘禁された。 続く数日のうちに、その思想家周辺の人物数名もまた、逮捕拘禁されている。
罪状は『国家騒擾(そうじょう)罪』 日々高まる国民の中の不満の声を掬い、各所でアジデートを行った者達、そしてその精神的支柱だった。
但し、これは恐らく釈放されるだろう。 刑に服したとしても、1年かそこらで、しかも執行猶予付きだ。 しかし、まずはそれで良い。
要は本来、治安当局がし止めたかった連中に対する警告だ。 この思想家は国内右派―――国粋派から支持を受けており、また伝統的武家貴族階級にもその信奉者が多い。
また、今夏の『大攻勢』が終わるまで、『別荘で大人しくしていろ』と言う、当局のメッセージでもある。 戦場の後方、銃後であれやこれやと、されては堪らない。



そして1999年4月、国内外に様々な軋みを抱えながら、日本帝国は20世紀残り、あと2回となる春を迎えた。










1999年4月10日 宮城県柴田郡船岡 船岡城跡公園


満開の桜。 城跡公園の桜と、そこに近い白石川堤防沿いの桜並木が合わさって、見事な一面の桜色の気色を作り出してる。
人の数は少ない、この戦時、非常時だ。 僅かに地元の人間が、限られた少ない自由を楽しむ為に、ちょっと足を運ぶ程度だ。

「・・・すげえ、辺り一面が桜だ」

「綺麗・・・ よね」

「俺、こんな一面の桜、見た事無いな」

「アンタは都会っ子だからね。 私は故郷を思い出すな、もう見れないけど・・・」

そんな城跡公園に、陸軍の迷彩服(2型)を着こんだ一団の姿が有った。 戦闘用装具一式と鉄帽、それに『九一式騎兵銃(Type-91カービン)』を抱えている。
見るからに、陸軍部隊の行軍演習中だと判る。 見た所、ざっと30名前後、歩兵1個小隊程度か。 そんな彼らに『休め!』の号令がかかる。

指揮官らしき将校が前に出て、命令を達する。

「よし、ここで大休止を取る! 現時刻、1158! 大休止終了は1400! 各大隊毎に、配食を受け取れ!」

伴走して来た73式小型トラックから、配食が降ろされる。 それを見た隊員の中から、腹の虫を鳴らす者がいて、周囲から笑いが漏れた。

「昼食後は、基本自由行動。 ただし、公園内と堤防の一部のみを、行動許可範囲とする! 周囲には民家も有る、余計な摩擦は絶対にしない様に! 以上、かかれ!」

指揮官の命令一下、まるで欠食児童の群れの様に、トラックの配食に群がってゆく。
それを見ながら、指揮官はもう1台の随伴73式小型トラックに歩み寄った。 車内には大尉級の将校が2名と、中尉が3名座っていた。

「訓練参謀、1158、訓練前半終了。 以後、昼食・自由行動を1400まで。 帰隊予定時間は1850!」

「ご苦労さん。 ま、お前も休め」

「了解。 ・・・にしても、疲れたね。 長距離行軍なんて、訓練校以来やってなかったし・・・」

急に砕けた口調になった指揮官―――周防直秋中尉が、相手の師団運用・訓練参謀の大尉に向かって苦笑する。
その運用・訓練参謀―――周防中尉の従兄にあたり、今回の行軍訓練の立案者でも有る周防直衛大尉も、苦笑いしている。

「・・・直秋は、サボり過ぎ。 普段の基礎訓練も、目を離すと直ぐ手を抜く」

訓練の副指揮官の立場である中尉―――松任谷佳奈美中尉が、ジト目で周防中尉を睨んでバラす。
それを笑いながら聞いていた、もう1人の副指揮官の森上允(まこと)中尉が、茶化す様に言う。

「だよなー。 周防がサボって、松任谷が注意して・・・ もう、ワンパターンだよなぁ」

「うるさい、森上。 貴様だってサボるだろうが!」

「それじゃ、直秋と森上は今後、追加メニューって事で。 さて、配食が終わったら、こっちも昼飯にするか?」

サラッと、とんでもない事をほざいた周防大尉を、目を丸くして凝視する2人の中尉を無視して、周りが同意する。

「そうね・・・ はい、記録記入終了。 渡会中尉、ご苦労さま」

「はい! あ、大尉、これって例の『おやつ』ですよね? 配りましょうか?」

「そうね、そうしましょうか。 じゃあ、悪いけれど松任谷中尉、渡会中尉、手伝って頂戴」

「はい!」

「はっ、大尉!」

通し箱の様な容器に入れた副食物を、松任谷中尉と渡会中尉が運ぶ。 その後ろを綾森大尉がおっとりと付いてゆく。 
やがて、副食物が配られると、隊員達の間から歓声が上がった。 袋に包まれた手の平大の『それ』を開ければ・・・

「わあ! おはぎ!」

「久しぶり~!」

「おい、飯の後で食えよ!」

「でも、どうして行軍配食に、おはぎが!?」

年若い少尉達が、口々に喜びを表している。 甘いモノは本当に久しぶりだ、最近は酒保にもあまり出回らなくなった。
大陸が陥落し、半島も陥落直前、と言う時期に中等学校から衛士訓練校に入隊した彼らの世代は、既に食糧配給制を中学時代に経験している。
この様な甘いモノは、それこそ初等学校以来、と言う者も少なくなかった様だ。 皆一様に、子供時代を思い出していた。

「みんな、感謝しなさいねー! 綾森大尉殿が、みんなにって、作ってくれたんだよ?」

「こら、1人1包みだ。 ちゃんと人数分は有る・・・ そこ! 横入りしない!」

渡会中尉と松任谷中尉は、まるで引率の教師になったような気分だった。 手に手に、副食物を貰おうと、若い少尉連中が群がってくる。

「うわあ・・・ 昔、母さんが作ってくれたなぁ・・・」

「家の近所の和菓子屋さんのが、美味しかったよ!」

「甘い~!」

そんな様子を、離れた場所で綾森大尉がニコニコと微笑みながら、眺めている。 
その様子を、更に離れた場所で、周防大尉と周防中尉(紛らわしいが、従兄弟同士だ)、そして森上中尉が見ていた。

「・・・祥子姉さん、よくもまあ、あの人数分、作ったね・・・」

「張り切っていたよ、ホント。 俺も手伝いさせられた、お陰さまで眠い・・・」

「家で作ったんですか? 大尉?」

「まさか。 ウチの台所は、そんなにでかくない。 26人分、プラスアルファで100個以上だぞ? 将集の厨房を借りた」

本来、配食に『おはぎ』は含まれていなかった。 話を聞きつけた綾森大尉が『折角だから』と言って、作ってしまったのだ。

「・・・お陰さまで、我が家の今月の家計は、非常に苦しい・・・」

どうやら、自腹を切って食材を購入したらしい。 しかし周防大尉家の家計は、夫の周防大尉と妻の綾森大尉、2人の大尉の俸給が有る筈で。

「だったら、飲みを止めればいいじゃないか。 余り強くない癖に、最近はしょっちゅう飲んでいるそうだな?」

身内で有り、内実に詳しい周防中尉の(珍しい)苦言に、周防大尉はシレっと顔をそむける。
やがて配り終わった3人の女性将校が戻って来た、そしてこちらも昼食を、となった。

今日は一応、基礎体力促進の為の長距離行軍訓練、という名目になっている。
が、その実は『ハイキングだね、これは?』と師団運用課長の邑木中佐が言った様に、訓練は2次的だった。

今夏に予定されている、横浜ハイヴに対する大攻勢。 恐らく今まで以上に多大な損害が発生する事だろう。
師団もまた、ハイヴ攻略戦力に組み込まれる事が決定した。 そうなると必ず戦死者が出る事は、当然であった。
そんな中で各級指揮官にとって心配事は、まだ経験の浅い若い少尉達、それも昨年10月に訓練校を卒業したばかりの少尉達、彼等の動揺だった。
訓練に訓練を重ね、少しでも自信を付けさせる以外に他に方法は無い。 しかし、他に何か手を打っておきたい。
そんな時、師団運用課の周防大尉が提案した、『花見をさせましょう、祖国の花見を』と―――反対は無かった。
そして訓練の名を借りた、『ハイキング』がてらの花見が決定した。 戦術機甲連隊では、連隊の新任少尉達26名を連れて行く事になった。

訓練指揮官は、第1大隊第1中隊から、周防直秋中尉。 副指揮官は第3大隊の松任谷佳奈美中尉と、第2大隊の森上允中尉。
何の事は無い、連隊の中尉の中では最後任の3名が、引率役を押し付けられた格好になっただけだ。
他に、『通信・連絡役』と称して管制科から渡会美紀中尉。 主任管制官の綾森(現姓・周防)祥子大尉は、ちゃっかり混ざったクチだ。
そして本日の管制指揮業務は、主任補佐の富永凛大尉(兼・第2大隊CP将校)が代わっている―――いや、押し付けてきた。
最後は、言い出しっぺの運用・訓練参謀の周防直衛大尉。 こちらは予定していなかったが、『引率のまとめ役だ、行って来い』と各上級者から『命令』されての参加だった。
最初、周防大尉は渋った。 多分、気恥ずかしかったのだろう。 普段は若い少尉連中にとって、『怖い訓練参謀』で通している手前、確かにそう感じる事は仕方ない。
だがそこは、大尉以上に『意地の悪い』少佐、中佐、大佐が揃っている連隊である。 結局各所からの圧力に負け、不承不承参加をしたのだが・・・

「それにしても、綺麗な桜並木ですよね~!」

「そうね、管制官課程の頃、船岡に居たから聞いていたのだけれど。 本当に綺麗ね・・・」

「ええ、まだまだ日本には、こんな美しい風景が残っている・・・」

綾森大尉、松任谷中尉、渡会中尉の女性陣3人が、周りの景色の見事さにうっとりしている。

「桜って言えば、あれだな、桜餅!」

「あ、俺、あれは葉っぱが苦手なんだな。 剥くの、面倒だし」

「葉っぱごと、食べればいい」

「え!? 大尉、葉っぱも食うんですか!?」

「食べるぞ? 森上・・・」

「周防、お前、変! 大尉もですよ!」

男性陣の会話は、風情の無い事、甚だしい。 女性陣からも、呆れた様な視線を受けて、首を竦めて話題を変える。

「で、でも何ですか? よくもまあ、こんな時期に小豆が手に入りましたね?」

森上中尉の言葉に、松任谷中尉と渡会中尉が同意して頷く。

「確かに・・・ 合成物とは言え、小豆なんて貴重品、そうそう手に入らない・・・」

「師団の補給隊は、その辺はしまり屋ですよー? どうやって手に入れたんですか? 綾森大尉?」

その疑問に、ちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべ、周防大尉の方をチラッと見てから、綾森大尉があっさり裏事情をばらした。

「ああ、あの小豆の事? ふふ、私の旦那様のお父様―――私のお義父様はね、食料品加工会社の役員をしているの。 その伝手で、お願いしちゃったのよ」

綾森大尉の言葉に、皆が周防大尉の方を見る―――そっぽを向いていた、多分、照れ隠しだ。

「・・・ああ、そうか、伯父貴の伝手かぁ。 確かにやりかねないな、伯父貴だったら。 あの人、娘に甘いしな・・・」

―――周防中尉の何気ない一言で、今度は綾森大尉が赤面していた。


向うで歓声が上がる。 どうやら昼食も、『おやつ』も食べ終え、同期生同士で桜の花見を始めた様だ。
酒も無ければ(少尉連中は、全員未成年だ!)ツマミも無い。 だが、共に訓練をし、寝食を共にし、困難に共に向かおうとしている同期生同士。
彼等にとって、この春の行軍訓練は忘れられない思い出になるだろう。 いつの日か、最後の時を迎える事になろうとも、この光景を想い浮かべるかもしれない。

その光景を、松任谷中尉と渡会中尉が微笑みながら眺めている。 周防中尉と森上中尉は、『ま、あれはあれで、良いんじゃないか?』と言った表情で。

その光景を、周防大尉が更に身を引いた場所で眺めていた。 微笑ましさと、少しばかりの偽善感を抱いて。

そんな『夫』の表情を見た綾森大尉が、傍に寄ってそっと呟いた。

「・・・昔、広江『大尉』も、大連でこうやって、気を遣って下さったわ」

その言葉に、昔を思い出した周防大尉が、『妻』に向かって無言で、少しだけ笑って頷いた。
新任達が戦う理由、生きる理由、その理由のほんの片隅にでも、今日の光景が残ればそれで良い。
歴戦の2人の大尉にとって、そんな小さなひとコマでさえ、生き抜くには大切な事なのだと、判っていたから。






この日、日本帝国軍統帥幕僚本部において、帝国軍大防令第十八号『明星作戦』の戦闘序列が、正式に策定された。
同時に国連軍事参謀委員会は、正式に『Conbined Operation・Lucifer』を、太平洋方面総軍に対し発令した。



日本の、2度目の熱い夏まで、4カ月を切っていた。






[20952] 明星作戦前哨戦 1話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/07/18 21:49
1999年7月12日 1500 合衆国シアトル沖 合衆国海軍第5艦隊第59任務部隊 (CTF-59) 旗艦・強襲揚陸艦『ボノム・リシャール』


3時間前、盛大な見送りを受けて艦隊が出港した。 そして北太平洋に出た30分後、艦隊は陣形を整え一路、ハワイを目指している。
少し波が高い、7月とは言え北太平洋の海は冷たい、基本的に低い海水温度の為(寒流が走っている)泳ぐ事の出来ない海だ。

「サー、ハワイ到着はタイムスケジュール通りの予定だと、艦隊司令部運航セクションより連絡が有りました」

公室の船窓から、荒れる波濤を眺めていた第2師団長、ミシャエル・テュカー米陸軍少将に副官が報告する。

「予定通り。 であれば、パール・ハーバー到着は18日の正午か」

「イエス・サー。 その後ハワイで3日間の休養と補給、21日にグアムへ向け出港。 グアム・アプラ軍港到着は29日となります」

艦隊はハワイで、サンディエゴから出港した第5艦隊水上戦部隊(SCF-5)と合流する。 そしてその後、グアム島へ移動する。 最終目的地は『ヨコハマ』だ。
SCF-5は少し遅れての出撃になる、CTF-59と比べて小規模で高速なのだ。 イージス巡洋艦『ヴェラ・ガルフ』を旗艦とし、イージス駆逐艦3隻、ミサイル駆逐艦2隻の小艦隊だ。

CTF-59の規模が大きい事もある。 強襲揚陸艦『ボノム・リシャール』を旗艦とし、姉妹艦の『バターン』、『ボクサー』、3隻のワスプ級強襲揚陸艦。
他に強襲揚陸艦が5隻(タラワ級、イオー・ジマ級)、ドック型揚陸艦が6隻(ハーパーズ・フェリー級、ホイッドビー・アイランド級)
そして物資輸送能力を重視したドック型輸送揚陸艦が9隻(サン・アントニオ級、オースティン級)、戦術機輸送の主力である軽戦術機揚陸艦(インディペンデンス級)が8隻。
各種揚陸艦が31隻、それに『簡易港湾揚陸施設』とも言うべき、貨物揚搭能力強化型輸送艦(T-ACS)の『ゴーファー・ステート』と『フリッカーテイル・ステート』
この2隻は巨大なツインクレーン2組と艦載艇5隻を持ち、1070TEUの積載能力を持つ。 設備の貧弱な、或いは壊滅した港湾で迅速な揚搭を行える。
他に戦闘事前集積備蓄船隊から、ワトソン級大型中速貨物輸送艦が6隻、コンテナ貨物船が4隻、随伴している。 コンテナ船の貨物は、T-ACSのクレーンで揚陸を行う。
合計43隻に上る強襲上陸部隊・支援部隊。 これに直接護衛任務部隊で有るSCF-5の戦闘艦6隻を加えた49隻が、今回の第5艦隊の全容だった。
運ぶ『主要商品』はまず、米第2師団全部隊。 そしてグアムで大東亜連合軍を『拾い上げて』連れてゆく。 ハワイでは海兵隊も、途中乗船する事になっている。

「・・・第7艦隊は、確か25日に出撃だったか?」

「サー、そうであります。 アームストロング提督(ロジャー・アームストロング海軍少将)指揮の第75-2任務群 (CTU-752)
それにマクガイア提督(エリオット・マクガイア海軍少将)の『ドワイト・D・アイゼンハワー』戦闘団(第70-2任務群:CTU-702)は、25日にパールを出港します」

総指揮はアームストロング少将が執る。 CTU-752とCTU-702は戦艦『アイオワ』、『ニュージャージー』、空母『ドワイト・D・アイゼンハワー』を主力とする。
他に大型巡洋艦『グアム』、イージス巡洋艦『フィリピン・シー』、『レイテ・ガルフ』とイージス駆逐艦4隻、ミサイル駆逐艦4隻の14隻から成る。
第7艦隊の半分以下の戦力だが、この艦艇群で『第7艦隊東太平洋打撃任務部隊:EPSF-7』を形成する。 任務は当然ながら、上陸地点の制圧攻撃だ。
この艦艇群は高速巡航が可能な為、最も遅れてハワイから出撃する。 そして第5艦隊は大東亜連合軍を拾い上げる関係上、先に出港しなければならなかった。

最終的に7月31日にグアム・アプラ軍港を出港し、一路最大巡航速力で飛ばして、8月3日に『ボウソウ・ペニンシュラ(房総半島)』南端に到達する予定だ。
この日には同時に、日本帝国海軍連合艦隊(第1艦隊)と、大東亜連合軍合同艦隊も合流する。 日本艦隊は総数47隻の大艦隊、大東亜連合も18隻を出す。
この他に、日本が意地でかき集めた兵站維持の為の補給艦隊が、第1補給隊(連合艦隊専従)が33隻。 大東亜連合艦隊用に第3補給隊から11隻。 合計44隻。
最終的には房総半島の南沖合に、172隻もの大艦隊が終結する―――いや、日本や大東亜連合軍の戦術機輸送艦隊(殆ど全て輸送船)も含めれば、総数は300隻に達する。

「ちょっと見事な光景だろうな、だが問題は・・・」

「はい、問題は日本海軍に、大規模な敵前強襲上陸作戦の指揮能力が有るかどうか。 我が海軍は、日本の強襲上陸作戦の指揮能力を、低く見積もっております」

「彼等は歴史上、大規模上陸作戦の経験が無い。 半世紀前の戦争でさえ、そうだ。 昨今では全く、そのノウハウが無い―――参ったな、向うの指揮官は?」

「アドミラル・オオタ(太田畯(たおさ)海軍少将)です。 日本海軍の上陸戦指揮のオーソリティーですが・・・」

その言葉に、テュカー少将は少し顔を綻ばせた。 アドミラル・オオタ、彼なら知っている。 米日軍事交流会の中で紹介された事も有る。
何よりも、日本海軍の中では上陸作戦の数少ない専門家だ。 合衆国に留学中、海軍・海兵隊・陸軍を併せた研究会にもオブザーバー参加していた、会った事が有る。

「彼なら、少なくとも海岸線で渋滞したうえで、BETAを前に右往左往、等と言う事は有るまい。 合衆国が欲しがった人材だ、大丈夫だよ、君」

―――まあ、もっとも我が軍の専門家には、及ばないかもしれんが。

テュカー少将が、小さく付け加えた。 いや、太田少将自信は優れた上陸作戦指揮官だ。 問題は、彼をサポートできる人材がどれ程いるかだ。
超人的に優秀な指揮官が1人いた所で、現場はどうしようもない。 実際に現場を動かすのは部下達であり、スタッフ達だ。
如何に上が優れていたとしても、受信する下がダメでは、アウトプットは碌なものにならない。 果たして日本はどうなのだろう?

不意に艦が増速した様な気がした、いや実際に増速しているのだ。 今まで陣形を組む為に10ktから12kt程度で航海していたが、どうやら陣形が整ったのだろう。
これから艦隊は、巡航速力16ktで一路ハワイを目指す。 その先には遂に太平洋岸に達したハイヴ―――BETAの巣窟、横浜ハイヴが有る筈だった。

「・・・仮にも、今や世界第2位とも、第3位とも言われる軍事大国だ。 それなりの人材がいる事を、祈るしかないな」

「ええ、それに明後日にも、日本が橋頭堡確保の戦端を開きます。 精々、予行演習をしておいて貰いましょう」

部下の言い様に苦笑する。 荒れて来た波濤を眺めながら、その先の昏い『何か』を感じて、テュカー少将はうそ寒い感覚を感じていた。










1999年7月14日 0610 日本帝国三浦半島沖6km 浦賀水道 水深度150m 崇潮級強襲潜水艦『蒔潮』


光の届かない深海域で、30数隻の強襲潜水艦が懸吊(けんちょう)―――停止状態で一定の水深を保ち、バランスを取って潜んでいた。
仙台軍港を出港して、そろそろ1週間が経つ、潜航を開始して既に5日が経過した。 戦隊はゆっくりと、しかし確実に浦賀水道に侵入していた。
従来ならば4日が限界だった、通常動力潜水艦の連続潜航能力。 この崇潮級から導入されたAIP(非大気依存推進)スターリング機関のお陰で、最大2週間に伸びた。
もっとも『海神(81式強襲歩行攻撃機・A-6J)』の衛士達は別の感想を抱いている―――『死刑囚でさえ、末後の水を飲めるのに! 俺達は1週間も2週間も缶詰か!』と。

「・・・そろそろ時間か。 よし潜航長、深度50だ」

「よーそろー、深度50。 アップトリム15、メインタンク・ブロー」

艦内の圧縮空気タンクからメインタンクへの空気が開始される。と同時にタンク内から海水が排出されていき、艦体浮力が増加して艦が浮上を始めた。

「メインタンク、締めろ。 ネガティヴタンク、ベント(ベント弁)開け―――深度50到達。 フローティング・アンテナ、放ちます」

艦はゆっくりと深度50mまで浮上し、微調整を行ってバランスを保つ。 同時にフローティング・アンテナを海面に出し、司令部との通信を確立させる。

「・・・やれやれ、『安全な航海』が出来るのは、ここまでか」

「東京湾内は、水深が浅いですから」

艦長の呟く声に、潜航長が苦笑で答える。 東京湾内の水深は、精々30mから60mしかない。 未だ湾海底を渡海侵攻してくるBETA群は、出てきていない。
いないが、連中にとっては苦も無く渡ってこられる深度だろう。 潜水艦にとっても、30mや60mと言った水深では危険極まりない。
大型種BETAと出くわせば、確実に交戦深度だ。 要塞級だと下手をすれば、海面から露頂する。 護衛総隊の連中が言う所の『海坊主』だ。
反面、久里浜の南沖辺りからは急激に水深が深くなる。 最大で水深700m程にも達するのだ。 『東京湾海底谷』が有る為だ、そこから相模トラフに達する深海の世界だ。
そこだと逆に『安全』が確保出来る。 潜水艦部隊は通常、浦賀水道までしか侵入しない。 そこから北と南で、安全度が段違いになるからだ。

「司令部より通信、受信しました」

通信長(兼・航海長)が報告する。 スペースに限りの有る強襲潜水艦では、1人で何役もこなす事は昔から変わらない。

「・・・読め」

「はっ!―――『0630、攻撃開始』、『確認せる海岸線のBETA群、約4500』、以上です」

実に短い通信文。 しかしその意味する所は・・・

「現時刻、0620―――先任、『お客さん』と回線繋がっているか?」

「はい―――おい、受話器」

先任将校(他国の副長に相当)が、通信下士官に言って『海神』との直通回線艦内電話の受話器を、艦長に差し出す。
それを受け取った艦長だが、一瞬言葉に詰まる。 これから為される事の意味、予想されるであろう情景を思わず想像したからだ。
気を取り直し、受話器を握り返す。 相手はもう1時間前から、機体に乗り込んでいる。 最後に笑って『また、お世話になりますよ』そう言って、機内に姿を消していった。

「・・・艦長より強襲攻撃隊指揮官、畔木大尉」

『こちら畔木。 艦長、どうぞ』

強襲上陸部隊の指揮官の1人、畔木(くろき)博史大尉から、明るい声が帰って来た。 この男は何時でもそうだ、困難な状況下でも、いつも前向きな姿勢で立ち向かう。
同時に才気煥発の熱血漢で、部下達も畔木大尉を慕い、信頼し、尊敬している様が良く判る。 海軍にとっては是非とも生き残って、大成して欲しい人物だった。

「畔木大尉、あと10分で攻撃隊発進だ。 情報では海岸線付近には、約4500のBETA群が屯している、宜しく頼む―――何か、言いたい事は無いか?」

『・・・艦長以下、『蒔潮』の乗員の皆さんには乗艦以来、大変良くして頂きました、有難うございます。 心身ともに充実、必ずや橋頭堡を確保してみせます』

「大尉・・・」

『第201潜水戦隊の皆さんにも、感謝を。 部下達も何不自由なく、ここまで来れました。 隊司令へは、艦長からお伝えください。 畔木が感謝しておったと』

攻撃隊は、恐らく酷い損害を受けるだろう。 4500ものBETA群が待ち受ける、その海岸線への強襲上陸。 先日来、GF(連合艦隊)の一部が盛大に艦砲射撃を加えているが。
今回の作戦、強襲上陸を行い、橋頭堡を確保する任務は、帝国海軍海兵隊・第1強襲上陸第1大隊が担う。 続く本作戦に向け、例え全滅しようと必ず確保せねばならない。
その第1大隊を海岸線直前で発進させるのは、第201、第202、第203の3個潜水戦隊。 第2潜水艦隊が担う。 発進させた後は、持てる攻撃力全てで支援を行う。

まだ若い大尉の声に、艦長は思わず目を瞑る。 果たして俺は、ほぼ確実に死が待ち受ける場所へ突入するのに、これ程までに平静でいられるだろうか?
如何に洋上からの支援が有るとはいえ、たったの1個強襲歩行攻撃機大隊で、4500からのBETA群を殲滅しつつ、橋頭堡を確保せねばならない、引く事は許されない。
そう言えば、まだ仙台軍港に艦隊がいた頃、僚隊の第202戦隊の『嵩潮』艦長の話を聞いた。 あの艦には第1大隊第3中隊長機が搭載されている。
その中隊長、仁科碧雄大尉の事だ。 『沈思黙考の人物』、しかしながら部下への温情も篤い『不言実行』の人物。 その時、『嵩潮』艦長(兵学校の同期生)はこう言った。

―――『信じられるか? 20歳を少し越したばかりの若者が、生死を超越している。 俺は靖国へ行っても、先達に顔向け出来ん』

『蒔潮』艦長、織田善司海軍少佐も同感だった。 強襲潜水艦長の中には、出撃前に『ハッパを掛ける』艦長も少なくない。 
だが俺達は上陸戦闘の、一体何を知っているのだ? 所詮は水中からの援護攻撃を知っている位だ、海岸線の地獄は知らない。

「・・・時間だ、畔木大尉、攻撃隊発進せよ―――武運を祈る」

『お世話になりました、艦長。 『蒔潮』の武運と安全な航海を―――≪オルキヌス≫リーダーより全機、発進せよ! 
我々がこの星の頂点だと言う事を、忌まわしい異星起源種に教えてやれ! 目標、三浦海岸! 攻撃隊、発進!』

ガクン―――艦内に僅かな衝撃が走る。 ロッキングボルトが外れ、『海神』が艦から切り離され、発進したのだ。
『海神』の水中速力は最大で20kt、海岸線まで6分少々で到達する。 それまでに艦は海岸線まで3km地点まで進出し、潜望鏡深度で支援攻撃態勢を整えなければならない。

「よし、第2戦速! 攻撃管制システム、立ち上げろ! 深度12m!」

「了解、第2戦速!」

「アップトリム5! メインタンク・ブロー!」

「システム、スタートアップ完了!」

「隊司令部より通信! 『海神』、全機の発進を確認!」

静止状態から一気に増速し、攻撃予定海域まで突っ走る。 攻撃管制システム、オール・グリーン。 艦は緩やかな上昇勾配で、急速に海面付近まで上昇している。
やがて潜望鏡深度。 もう一度自動懸吊装置が働き、その深度で艦が停止する。 海岸線からの距離、3050m。 潜望鏡を上げる、織田艦長は飛びかかる様に潜望鏡に取り付いた。
潜望鏡から見える光景。 朝日を受けて、海岸線が輝いている。 水面が陽光の照り返しを受け、まるで光の乱舞だ―――美しい、一瞬、そう感じた。
そして見た、水中から一気に地上戦形態に機体姿勢を変えた『海神』が1個大隊、三浦海岸に殺到して上陸する様を。 その先には、約4500体を超すBETA群。

「ッ! 支援攻撃開始! SLM(潜水艦対地ミサイル)、一斉発射!」

「SLM、発射!」

「第1大隊、全機上陸! 交戦を開始しました!」

「第1艦隊、『大和』、『武蔵』、上陸点後方へ艦砲射撃開始! 5戦隊(大型巡洋艦『最上』、『三隅』)、12戦隊、15戦隊、面制圧攻撃開始!」

「懸吊深度、12m、変わらず!」

様々な声が飛び交う中、織田艦長は潜望鏡を除き続け、指示を飛ばし続けた。 第1中隊前面に、突撃級が見える。 目視で想定だが、50体は居る。
要撃級もほぼ同数、小型種となると目視では把握できない。 少なくとも事前の衛星偵察情報では、海岸線付近に4500体。 三浦半島全体で9000体を越すBETAがいる。

あッ―――第2中隊側面に突撃級が突っ込んだ、中隊が大きく乱れる。 第3中隊が支援を・・・ 駄目だ、正面からまた、突撃級の集団。

「SLM、座標B7R-11! 連続で叩き込め!」

「よーそろー・・・ 座標B7R-11、変更完了! 撃ッ!」

「戦隊司令部より入電! 光線級の存在を確認! 支援砲撃、AL砲弾に変更します! 約12分!」

戦艦などの大型艦故に、主砲弾種の変更にはそれなりの時間がかかる。 報告では12分間、攻撃隊は支援砲撃を受ける事が出来ない。
潜望鏡の限られた視界からでさえ、朝日に染まる海岸線に、幾条もの光線が立ち上る様が見えた。 同時に何機かの『海神』が爆散した姿も。

「砲雷長! ALMは!?」

「セッティング変更中! あと2分!」

あと2分、もどかしいほど長い。 第2潜水艦隊もALMへの変更を急いでいるのか、SLMの筈が半数近くに減っている。
兎に角、半分の艦だけでもALMを。 残りは通常ミサイルでも良いから、兎に角光線級に『空撃ち』をさせて攻撃隊への負担を減らそうとしている。
ああ―――第1中隊のど真ん中に、突撃級の集団が突っ込んだ。 第3中隊と連携で側面を取ろうとしている。 あ、今度は戦車級の群れ!

「・・・ALM発射準備完了! 撃ちます!―――撃ッ!」

砲雷長が、艦長への報告と発射命令とを、同時に行った。 この程度の判断は、各部署責任者に任している。 特に小所帯の艦なら尚更のこと。
艦砲射撃の範囲が、内陸の後続BETA群に対するモノから、徐々に海岸線付近へと近づいて来ている。 直接支援が絶対的に必要な戦況になりつつあった。

(―――あ、くそ! また1機・・・!)


海岸橋頭堡を巡る死闘は、その後30分近く続いた。 強襲上陸第1大隊は甚大な損害を受けつつ、辛うじて後続の上陸地点を確保する事に成功した。 0705時。

「上陸司令部より入電! 聯合陸戦第3師団、強行上陸を開始します!」

「後続の陸軍第14軍団(第7、第47、第49師団)、国連軍第2軍団(韓国陸軍第4、第7師団)、上陸準備開始!」

海軍聯合陸戦第3師団が強行上陸を行い、海兵隊が確保した橋頭堡から、支配地域拡大の為の突破・拡張戦闘を行う予定だ。
その後を受け、陸軍と国連軍(韓国軍)の5個師団が上陸を開始。 海岸線を確保した上で、陸軍部隊は旧横須賀市を。 聯合陸戦隊と韓国軍は、旧三浦市と旧逗子市を奪回する。
この先、横浜ハイヴまでの間に一体どれだけのBETA群が居るか、正確な情報は無い。 少なくとも三浦半島の約9000のBETA群は殲滅出来るだろう、6個師団の戦力が有れば。
そしてその戦力は、続く本作戦まで確保しなければならない。 この三浦半島はその為の最重要の後背地となるからだ、6個師団で本作戦まで維持する必要が有った。

(・・・だから海岸線への突入は、『海神』の1個大隊でなければ、ならなかったのだ)

後続の戦力を、初手で消耗する訳にはいかない。 その為には『たったの』1個大隊が戦力を磨り潰してもなお、橋頭堡を確保する必要が有った。
『蒔潮』からは相変わらず、SLMが発射されていた。 僚艦からも同様に、母が子を守るかのように、支援攻撃が続行されている。
やがて聯合陸戦第3師団の、敵前強行上陸が始まった。 戦術機揚陸艦から発艦した96式『流星』の大群が、一気に海岸線にNOEで迫る様が見えた。
艦砲が着弾し、震動が水中にまで伝わる。 BETAの最後の一群が、大きく宙を舞う姿が見えた。 艦砲射撃が、海岸線付近にまで支援の範囲を広げていたのだ。

その情景を、織田艦長は潜望鏡のハンドルを握り締めながら覗いていた。 艦砲射撃が海岸線付近にまで―――もう、友軍誤射を案じる事が無くなったから。
帝国海軍海兵隊、第1強襲上陸大隊はその任務を達成した。 その代償は、織田艦長が見ていた潜望鏡からの世界―――4500体のBETA群の殲滅と引き換えに、残存機数は9機。

その中には大隊長と、3人の中隊長は含まれていなかった。






1999年7月13日 0630 帝国海軍海兵隊(第1強襲上陸大隊) 三浦半島へ強襲上陸を敢行。 海岸線橋頭堡を確保、大隊残存9機(損失27機)
同日 0705 帝国海軍聯合陸戦第3師団、三浦半島へ上陸開始。
同日 0803 帝国陸軍第9軍第14軍団、国連太平洋方面総軍第2軍団、三浦半島へ上陸開始。
(この時点で確認された三浦半島全体のBETA群は増加し、約9200体)


『発:第7師団司令部 宛:第14軍団司令部  我、津久井浜、これより横須賀方面へ向け進軍す。 誓って所定の目的を果たさんとす』

『発:第14軍団司令部 宛:第7師団  天佑を信じ、突撃せよ』

同日 0930 第14軍団第7師団、聯合陸戦第3師団、横須賀方面へ進撃開始。
同日 0945 第14軍団第47、第49師団。 国連(韓国軍)第4師団、国道134号沿いに旧武山基地奪回行動開始。
同日 1005 国連(韓国軍)第7師団、三浦市内制圧行動開始。
(この間の制圧支援は、第1艦隊第3戦隊『大和』、『武蔵』と第5戦隊、第12、第15戦隊だった)


『発:第7師団司令部 宛:第14軍団司令部  我、横須賀を制圧せり。 師団損失、18%』

『発:第14軍団司令部 宛:第7師団  現在地を死守せよ。 繰り返す、現在地を死守せよ』

同日 1922 旧横須賀市域を確保する事に成功。


『発:第47師団司令部 宛:第14軍団司令部  旧三浦市、旧逗子市の制圧に成功せり。 現在地を以って防衛線と為す』

『発:第14軍団司令部 宛:第47師団  協同諸部隊共に、至急、防衛線構築と為せ』

同日 2025 旧三浦市域、旧逗子市域の確保に成功。


『発:第14軍団司令部 宛:第9軍司令部  我、三浦半島奪回に成功せり。 上陸部隊の損失、平均17%。 物資の補充を要請す―――2045』

『発:第9軍司令部 宛:第14軍団  貴信了解。 久里浜港跡周辺の安全を、絶対確保せよ。 海軍輸送部隊の入港予定時刻、翌0150』

14時間に及ぶ激戦の末、かつてBETAに奪われた国土の一部、その土地を1年ぶりに奪回する事に成功した。
翌15日から、横須賀=逗子防衛線の構築が始まった。 BETA支配地域に面していない東海岸の久里浜港跡に、次々と工作艦やクレーン船が入港し、物資を揚陸した。
同時に三浦半島への注意を北に引き付ける為、激戦続きにも関わらず西関東防衛線の各部隊は、BETA群に対し北への誘因間引き攻撃を開始する。

帝国軍大防令第十八号『明星作戦』、国連軍太平洋方面総軍作戦『Conbined Operation・Lucifer』―――その前哨戦が幕を上げた。










1999年7月18日 日本帝国 宮城県 『帝都』仙台 菖蒲田射撃演習場(旧菖蒲田海水浴場跡)


「ばーかーやーろー! 今江(今江美恵少尉)! そんな的を外すんじゃねー! 貴様、訓練校卒業してもう、半年以上経ってるんだろうが! 送り帰すぞ!? この馬鹿!」

『くっ! り、了解!』

海岸線から沖合に向けて、数機の戦術機が射撃訓練を行っている。 沖に停泊した支援艦から、続けさまに的がランダムに、かつ不規則な軌道で射出されている。
それを補足して撃破するのだ。 ふだんなら訓練校を卒業して半年、部隊で日々訓練を受けて来た衛士にとっては、そう難しい事では無い。 無いのだが・・・

「こらー! 饗場(饗場有希少尉)! 今度外したら貴様、連隊長・大隊長の前で、自分で事細かに失敗の報告させるぞ! 
貴様の猶予は後、18発だけだ! 残り18発、全部当てろ! 1発も外すな! いいか!? 1発もだぞ、いいな!」

『は、はい!』

「おいこら、美濃(美濃敬一郎少尉)! 目を離した途端、なに外してやがるんだ! 貴様の綽名は『射撃下手』だ! その看板背負って、駐屯地を5周させるぞ!?」

『ッ! 当てます! 次は当てます!』

「当然だ、この馬鹿野郎! 『射撃下手』! さっさと撃たんかー!」

指揮車両に隣接設置した指揮所で、第181戦術機甲連隊第11中隊の周防直秋中尉が、盛んに罵声を放っていた。
その横には同じく第22中隊の森上允中尉、第33中隊の蒲生史郎中尉が陣取り、同じように中隊の少尉達に罵声を浴びせかけている。

「下手糞! そんな下手な腕前で、BETA共を殺れると思っているのか!?」

「帰れ、帰れ! 貴様みたいな役立たず、訓練校に返品だ!」

「そらそら! 的が通り過ぎるぞ!―――ボケ! アホ! 大馬鹿野郎! 的を素通りさせやがったな、このクソッたれ!」

恐らく、海岸線から的に向かって射撃を行っている、戦術機に乗った衛士達―――第11、第22、第33中隊の24期B卒の8人の少尉達は、冷汗をかきまくっているだろう。
彼等とて、大規模作戦の経験は無いものの、佐渡島から渡海侵攻して来るBETA群の阻止攻撃に参加した経験が有る、『死の8分』を乗り越えた衛士達だ。
普段ならこんな『優しい』訓練で、的を外す筈が無い。 それ故に実際に的を外し、疑問から不信へと移る過程で上官が容赦なく浴びせる罵声に、更に平常心を失っている。
また1機、『簡単な的』を外した。 同時に指揮所からは3人の中尉達から一斉に、聞くに堪えない罵声が上がる。
そのすぐ脇で、バイタルモニターをチェックしていた3人の士官が、モニターと指揮所を交互に見比べて苦笑し合っていた。

「・・・意地が悪いですよね、本当に。 今回のパターン、高難易度の、しかも完全ランダムなのに」

33中隊第3小隊長の瀬間静中尉が、ちょっと気の毒そうな表情で言う。 それに無言で頷いたのが、同じ33中隊副官の松任谷佳奈美中尉。
彼女は最初、この設定に反対だった。 大攻勢作戦を目前にして、彼等の自信を奪う事になりかねない、そう言って反対したのだが・・・

「でも、あとで『ご褒美設定(通常設定)』を用意しているのでしょう? だったら良いんじゃないかしら?
確かに少尉達の鼻が高くなりかける時期だし、この辺で何かしら手を打っておかないと。 ・・・周防中尉の発案?」

少し呆れた声色で、2人の下級士官にそう言うのは、第31中隊第2小隊長の四宮杏子中尉。 ここの中尉の中では、最先任になる21期B卒。

「直秋の発案・・・ と言うより、やられたから、やりかえす、です。 根性が悪いったら・・・!」

「・・・ああ、そう言う事ね」

「私達も・・・ ですし」

松任谷中尉の憮然とした声に、四宮中尉と瀬間中尉が思い出したように首を竦め、苦笑する。 確かにあの姿は、数年前の自分達の姿だった。
96年の10月に新編された中隊、そこには少尉時代の自分達がいた。 当時の中隊長は、国連軍大西洋方面総軍の出向から帰国したての、新任の大尉。
とにかく扱かれた。 帝国軍では普段なら耳にしない様な罵声を、それこそ延々と浴びせかけられ、怒鳴られ、そして教え込まれたものだ。

「帝国軍でもやりますけど、あの罵声のボキャブラリーは、国連軍仕込みだったのでしょうね」

「最初は、管制ユニットの中で思わず赤面する様な、そんな言葉もあったわね・・・ あとで今の奥様から、注意されていたのよ?」

「本当ですか!? 知らなかったな」

「本当よ、注意したご本人から聞いたもの」

「直秋が真似しても、一向に似合わない」

女性将校3人が笑い合っているその間も、訓練は続いていた。 罵声が聞こえなくなっている、どうやら『ご褒美設定』に突入した様だ。
これが終われば、今度は各隊の中で半期先任の24期A卒の少尉達の訓練に移る。 彼ら24期生が今や部隊の数的主力になっているのだから、その練成は急務だった。

「周防中尉、森上中尉、蒲生中尉、次の訓練に移るわよ」

「了解です、瀬間さん」

「・・・3人とも、昔を思い出して一緒にやればいいのに」

ぼそっと松任谷中尉が、当てつけの様に小声で呟く。 周防中尉、森上中尉、蒲生中尉の3人は、松任谷中尉とは同期生同士だった。

「何か言ったかー? 松任谷?」

「おい、周防! 嫁が何か、不満がってるぞ?」

「嫁じゃねー!」

「・・・蒲生、あとでシメる」

場に笑い声が湧きあがる。 1級の実戦部隊の、それも出撃を直近に控えた部隊の雰囲気とは、似ても似つかわないかもしれない。
しかし不必要に肩肘張っても、気負っても、良い結果などではしない事を彼等は知っていた。 そう教えられてきたし、実感して来た。
第18師団―――第14師団と第18師団で構成される第13軍団は、来るべき『明星作戦』において最後に上陸し、最短距離で横浜ハイヴを目指す部隊に指定されていた。
当然ながら緊張は有る。 死への恐怖は誰しも内心に抱えている、何せハイヴへの最短攻略路を切り開く部隊に、指定されたのだから。

内部情報によれば、4日前の7月14日に前哨戦と言える『曙光(しょこう)』作戦が敢行され、三浦半島を確保したと言う。
作戦主力の第14軍団、国連軍第2軍団、海軍の陸戦師団の損失は『想定内』だったと言う。 その代わりに強襲上陸を敢行した海兵隊部隊は、ほぼ壊滅したとも聞く。
本作戦は、それ以上の激戦になる。 だが普段と変わらない事をする必要は無い、そうも考えていた。 今更何か、特別な事をしても仕方が無い。
18師団にしても、14師団にしても、伊達に大陸派遣軍の生き残りを、集中配備した部隊では無いのだ。


引き続き訓練が続行されていった。 予定では8月2日に上陸船団に乗艦し、連合艦隊(第1艦隊主力)の出撃と時を同じくして、第13軍団も房総半島沖に向け、出撃する。
いつも通りだ。 いつも通りの困難な作戦、いつも通りに戦い、いつも通りに生還する。 それ以外に、一体何をする必要が有ると言うのか?


『明星作戦』の本作戦発動まで、あと18日に迫っていた。






[20952] 明星作戦前哨戦 2話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/07/27 06:53
1999年7月20日 北マリアナ諸島・サイパン島(国連信託統治領、施政権者:日本帝国)サイパン市ガラパン 国連太平洋方面総軍第11軍司令部


旧『太平洋諸島信託統治領』―――ドイツから日本帝国、そして半世紀前の大戦では南半分が合衆国の占領下におかれた、中部太平洋の広大な海域にまたがる諸島群。
歴史を少し遡れば、1944年の日本帝国の条件付き降伏時、南半分が合衆国の軍政下、北マリアナ諸島が日本の信託統治領として残った。
1951年4月のサンフランシスコ条約により、日本は南洋諸島(マリアナ、ミクロネシア、パラオ、マーシャル)の権利、権原及び請求権を放棄した。
しかし北マリアナ諸島は千島列島、南樺太と共に、日本帝国の主権下に引き続き置かれる事となった(第2条(c)、(d)、(e)、(f))
現在でも『南洋庁』から発展した地方自治体である『南洋道』が存在し、道庁所在地は彩帆(サイパン)島彩帆(サイパン)市として人口8万8000人を数える。 
その内の4万8000人が日本国籍で、残る4万人は国連関係者とその家族、そして極東地域からの難民労働者だ。
ここにBETAの日本本土侵攻以降、国連軍第11軍司令部が移転していた。 当初は三沢(青森県)へ移転の予定だったが、米国の日米安保破棄の余波を受け、サイパンに移ったのだ。

そのサイパン市の中心区、ガラパン町(南北ガラパン区)のなかの、行政府が集中する北ガラパン区の外れに、国連軍第11軍司令部ビルが存在する。
元は南洋庁の時代から続く行政関係の建物で、3階建ての古色蒼然とした建物だ。 帝国内での国連軍に対する扱いが、如実に出ている気もする。
しかし外見とは裏腹に、中身は大幅に改装されて、東太平洋の指揮管理センターとしての機能を持つに至っている。 その一室で、非常に重要な会議が行われていた。

「では貴国は、あくまで『バンクーバー条約』には従えない、そう仰るのか!?」

顔面を朱色に染め、語気荒く詰問するのは国連第11軍参謀長のヴィスワナサン・シング中将だった。 その横で第11軍副司令官・白慶燁中将が渋い顔をしている。

「従わない、何もそう言っておる訳ではない。 現状の指揮系統の見直しを、そう申し入れておるだけだ」

超然とした姿勢でそう言い切るのは、小笠原・南洋道全域の軍政・軍令を統括し、国連第11軍、及び国連太平洋総軍との折衝に当たる『小笠原兵団』兵団長の栗林義孝中将だった。
国連側は第11軍司令官のアルフォンス・パトリック・ライス大将(米国)、副司令官の白慶燁中将(韓国)、参謀長のヴィスワナサン・シング中将(インド)
これに国連軍事参謀委員会から派遣されたアルセーヌ・ヴェンゲル中将(フランス)、その他は主に第11軍司令部の参謀達(少将から中佐まで)、総数13名。
日本帝国側は小笠原兵団長・栗林中将以下、参謀長、各主任参謀を含む11名。 双方が平行線のまま、にらみ合いが続く、そんな会議だった。

「・・・栗林閣下、バンクーバー条約によれば、ハイヴ攻略は国連軍の専管事項である、そう明記されております。 各国軍は自衛・集団的自衛による交戦権のみ。
今回の『オペレーション・ルシファー』は紛れも無くハイヴ攻略作戦、H22・ヨコハマハイヴ攻略戦です、国連軍が優先指揮を執る作戦です」

相手を刺激しないよう、なるべく穏やかな口調でそう言うのは、国連第11軍副司令官の白慶燁中将。 韓国出身の彼は、日本軍に知己が多い。 何より一定の敬意を抱いている。
彼の母国が陥落して行く戦いの中で、いや、その遥か前から日本陸軍大陸派遣軍と共闘して来た経験が有る。 共に戦い、窮地を助け、助けられて戦ってきた間柄だ。
それに母国が陥落する寸前の戦いで、何より彼の同胞を助けるべく戦い、その後に国際社会のしがらみの中で処刑されたのは、日本帝国陸軍の故・彩峰萩閣元中将だ。
そんな白中将を、栗林大将も流石に穏やかに見返し、言う。 この若年の中将は、故人となった先輩が評価していた人物だった。

「それはよく了解しております、白中将。 我が日本帝国軍は今回のハイヴ攻略作戦、『明星作戦』に於いての総指揮権を要求するものでは無い」

「では、一体・・・」

栗林中将の言葉に、白中将が戸惑い、シング中将やヴェンゲル中将も首を傾げる。 その様子を横目に、栗林中将は司令官のライス大将に向き直り、言った。

「我が軍が・・・ 日本帝国軍が指摘しておるのは、失礼ながらライス閣下、閣下ご自身に関してであります」

「・・・私の指揮では不安で従えない、そう言う事かな? 栗林中将?」

やや表情を険しくしたライス大将に対し、静かに首を振った栗林中将は、やがて本土からの要求事項を具体的に伝え始めた。

「帝国は、本作戦の『現地』総指揮を、国連軍太平洋方面総軍司令部が執る事であれば、合意する所で有ります。
しかしながらそれが、国連第11軍司令部に帰するのであれば、その指揮下には属さない旨、お伝えします。 要旨は以下の通り」

栗林中将が1枚の紙を、ライス大将に手渡す。 帝国側の要旨が記されていた。 読む内にライス大将の表情は怒りから苦渋へと、劇的に変化して行った。

「・・・お判りでしょうか、閣下。 軍と言う組織に有りがちな・・・ではありますが。しかしながら戦場では、非常に重要な事柄ではあります」

ようは指揮命令権をどうするか、であった。 本筋は国連軍太平洋方面総軍が頭になり、日本帝国軍や大東亜連合軍の命令系統の上位に位置する事になる。
『オペレーション・ルシファー』は国連軍太平洋方面総軍傘下の、国連軍第11軍が担当する事になっていた。 極東アジア全域を担当する第11軍であるから、妥当ではある。
しかしながら、『バンクーバー条約』で決められたその決議が、いつの場合でも有効に機能する訳ではない。 今回は第11軍司令官のライス大将が、それであった。

「・・・『明星作戦』参加兵力は、我が陸軍だけをとっても攻勢戦力が12個師団、戦略予備を入れれば17個師団となります、7個軍団、2個軍の戦力です。
他に戦線形成の西関東防衛線―――第4、第14軍団から成る第1軍。 それにハイヴ突入用の独立機動大隊が多数・・・ 総数で3個軍、1個軍集団に匹敵する」

栗林中将は、一旦そこで言葉を切る。 ライス大将の表情は、更に苦渋に染まっていた。

「これに、海軍の聯合陸戦師団が2個師団と、海兵隊の強襲上陸1個連隊(3個大隊で構成)。 他に大東亜連合軍から8個師団(7個師団と2個旅団)、それにハイヴ突入大隊・・・」

インドネシア軍が3個師団、今回は極東軍事機構枠内で派兵した韓国軍2個師団、統一中華連合が2個師団に、南ベトナムとタイ王国は各1個旅団。 
合計で7個師団に2個旅団、南ベトナムとタイの旅団は大型旅団であり、師団の半分程度の戦闘力を有するから、都合8個師団相当。 これだけで2個軍団相当の戦力となる。
日本帝国軍と併せれば、その総兵力は攻勢部隊だけで27個師団相当、9個軍団、3個軍から4個軍の戦力となる。 
地上軍の総兵力は支援部隊も含めれば、約100万人を軽く超す。 これに海軍(艦隊と支援船団)に航空宇宙軍を含めれば120万人に達する。

―――この大軍を指揮するには、最低でも軍集団司令部が必要だ。

「対して、今回の国連軍第11軍の戦力は、米国陸軍第2師団と第3海兵師団。 それにフィリピン軍の2個師団、合計4個師団に各種支援部隊。
2個軍団、確かに軍規模とは言えましょうが、27個師団もの部隊を統一指揮する程の規模ではありません。 それに失礼ですが、閣下の大将進級時期は・・・」

「・・・98年の、5月だ」

「我が軍も、把握しております。 そして今回の作戦に参加する我が軍上級指揮官のうち、閣下と同じ階級―――大将は3名、おられます。
第8軍(新設)司令官の岡村直次郎大将閣下は97年6月に、第9軍(新設)司令官の嶋田豊作大将閣下は98年3月に、それぞれ大将に任じられております」

階級が同じであっても、任官時期が早い者が先任であり、戦場での上級指揮権を有する。 これは世界共通の『決まり事』だった。
この場合、後任のライス大将は先任である岡村・嶋田両大将の指揮を受ける事になる。 先任・後任の順、指揮する部隊の規模、どちらも日本の両将軍の方が『格上』なのだ。
その上で、全軍を統一指揮するには国連軍第11軍の司令部機能では、余りに『貧弱』と言えた。 それなりの規模の組織を動かすには、それなりの規模の司令部機能が求められる。

更に言えば、この2個軍を統一指揮する立場の『本土奪回総軍』司令官・大山允大将は、陸軍の中での長老だった(93年大将進級)
長く大陸派遣軍の指揮を執り、京都防衛戦では中部軍集団の総指揮を執った。 陥落こそしたが、京都を使っての『遅滞防衛戦闘』は、概ね成功したと言われている。
そしてその『手腕』を買われて今回の大反攻作戦においては、帝国軍側総指揮官に任じられた練達の老将。 大人然と構え、部下の手腕を縦横に発揮させるタイプだ。
この作戦が成功すれば元帥府に列せられて、元帥陸軍大将として『現場を』勇退する事になるだろう、そう噂されている(現役引退では無い、『元帥』は終身現役だ)

「・・・確かに、その3名の先達の勇名、尊名は良く聞いている。 私も敬意を表しておる。 しかし、かと言って・・・」

「問題はもう1点、あります。 今回の『国連軍艦隊』、指揮官はロジャー・アームストロング海軍少将。 しかるに我が海軍部隊の総指揮官は・・・」

「・・・アドミラル・ヤマグチ」

「はい、山口右近海軍大将(98年3月進級)―――我が帝国海軍、そのGF(連合艦隊)主力である、第1艦隊司令長官です。
バンクーバー条約に従えばアームストロング少将は、山口大将閣下を『部下』として従える事になります」

悪夢だ―――シング中将が漏らした呟きに、白中将とヴェンゲル中将も呻き声を洩らす。 大将同士の話は、強引にでも『国連統合軍』枠で何とか出来なくも無い。
だが海軍部隊は・・・ 悪夢だ、少将が大将を指揮する? たかが10数隻の戦闘艦艇を指揮する提督が、世界第2位の戦闘力を有する大艦隊を率いる提督を?―――無理だ。
本来ならば、小澤治郎GF長官(海軍大将)自身が出陣してもおかしくない大作戦だが、小澤大将は未だ療養中である。
昨年の佐渡島防衛戦の折、『年甲斐も無く(山口大将談)』前線に出て、乗艦が重光線級のレーザ照射を被弾。 その際に巻き込まれて負傷・療養中だった。

押し黙るライス大将に、栗林中将はたたみかける様に言った。

「太平洋総軍司令官のウィラード大将閣下(アレクサンダー・F・ウィラード海軍大将)であれば、岡村閣下、嶋田閣下、山口閣下より先任です。
大山閣下との調整も付きましょう。 しかし―――しかし残念ながらライス閣下、閣下では我々を指揮する事能ず、そう申し上げる」

「むっ・・・」

返す言葉が無い。 『国連統合軍』枠に日本帝国軍が入っていれば、何ら問題が無かった話だ。 恐らく日本陸軍の大山大将が統合指揮を執る。
地上戦は次席の岡村大将が指揮をとり、上陸作戦・洋上支援作戦全般を山口大将が指揮を執る。 それで何ら問題が生じなかった筈だった。
国連軍―――内実は合衆国軍―――にとって、痛い所を突かれた、そんな感じだった。 総軍司令官のウィラード大将を『持ってくる』事は出来ない。
アレクサンダー・F・ウィラード海軍大将は同時に、アメリカ合衆国統合軍のひとつ、US・PACOM(合衆国太平洋軍)司令官だ、ハワイから動かせない。
それに日本軍の国連統合軍枠入りに消極的だったのは、他ならぬ国連―――合衆国だ。 ハイヴ制圧後の獲得G元素は『国連』が主導して確保する、その条文故に。

(ワシントンの政治屋・・・いや、欲の皮が突っ張った軍産官複合体の横槍のお陰で、このザマだ! 特にネオコンの連中が!)

極秘でウィラード大将から耳打ちされた情報―――合衆国は既に、2発のG弾を衛星軌道上に上げていると言う話。
まさにマッチポンプ方式、いや、それ自体は米国の戦略ドクトリンに合致する。 ライス大将は否定などしない、そんな気は毛頭ない。

(しかしその前段階で要する調整と、その労力たるや!)


既に数カ月も前から、日本帝国と国連(実質は米国)との間で、延々調整が続けられてきた問題だが、とうとうこの時期に至るまで、解決の目処が立たずに来てしまった。
結局、最終決定は持ち越される事になった。 しかし少なくとも2、3日中、最悪、双方の部隊が合流する8月の前、7月末までには決定を下さねばならない。
作戦の骨子は既に確立している、詳細も詰めた、最後は―――『誰が、主導権を握るか』だ、G元素確保に向けての、主導権を。

(・・・ここまでくれば、これはもう国際外交の範疇だ。 私の掌握する範囲を越している)

問題は―――1999年7月20日、この時点になってもなお、未だ解決していないという点だ。 
ライス大将は頭痛が酷くなっている事に気付いた、駄目だ、これは。 この作戦は、恐らく駄目だ。


『オペレーション・ルシファー』、または『明星作戦』の本作戦発動まで、12日後に迫った悲劇(または喜劇)のひとコマだった。










1999年7月28日 1230 日本帝国 『帝都』仙台。 松島湾 仙台軍港


「これで、あとは明後日の積み込みと乗艦だけか、残す所は」

並んで歩く上官―――作戦課長の広江中佐が、軽く息を吐きながら、そう言った。 気分は判る、その後の大作戦の様相がどうであれ、ひとまずは大きな仕事の調整が付いたのだ。

「貴様も、ウチの課に移って来て早々、ご苦労だったな、周防」

振り返り、笑うその表情は相変わらず昔ながらの凄味を醸し出しているが、反面、昔には無かった丸身と言うか、そう言うものを感じるのは、気のせいじゃあるまい。
初めてこの人と会ったのはもう7年前、あの頃はまだ中佐は古参の大尉で、歴戦の衛士で、そして凄腕の戦術機甲指揮官だった。
今は戦術機を降りたとは言え、あの当時の凄味は些かも衰えてはいない。 だが結婚して、子供を産んだ『母親』という要素は、この人に昔は余り見えなかった柔軟さを与えたのか。

「正直、自分の身の変遷に戸惑いましたが。 しかし海軍側に見知った顔が居て良かった、死んだ兄の同期生が居ましたので」

「・・・確か昨年、横浜港沖で戦死されたのだったな。 今更ながらだが、お悔やみ申し上げる」

改まった口調の中佐に、ちょっとだけ苦笑する。 兄貴が戦死したのは、もう1年ほど前になる。 俺も、実家の家族も、その死を受け入れ、随分心の整理は出来ているのだから。
中佐もその事で今更どうこうと、それ以上言うつもりは無かったようだ。 艦隊司令部の入ったビルから、軍港出口へと続く道路を2人してゆっくりと歩いている。
夏の日差しが強い、そこに松島湾から吹きつける潮風。 飛んでいるのは海鳥か? 昔、それこそ子供時分に連れられて遊んだ、幼い日の夏の海を思い出す。

俺が今日こうやって広江中佐と並んで、軍港に出張って来ているのは、海軍側との打ち合わせの最後の詰めの為だった。
8月初旬に発動する、横浜ハイヴ奪回作戦、『明星作戦』には我が13軍団―――第14、第18師団も参加する。 予定では上陸第2派別動隊として、横須賀に上陸を行う。
横須賀は先日行われた『曙光』作戦で、上陸第1派の第14軍団が確保していたから、強行上陸作戦にはならないだろう―――14軍団が押し返されない限り。
そこで海軍側の上陸支援艦隊、『大隅』級戦術機揚陸艦を多数抱える、第4上陸支援艦隊との実務打ち合わせに来ていた。
陸軍側からは141戦術機甲連隊長の藤田大佐、181戦術機甲連隊長の名倉大佐を始め、各大隊長と師団の作戦課・運用課の課長と課員(参謀)
打ち合わせは無事に終わり、藤田大佐、名倉大佐は海軍側から昼食に誘われ、残っている。 大隊長達も同様だ。 我々参謀は、今尚書類仕事が待っているので、丁重に辞退した。
14師団参謀団や、18師団の運用課(古巣だ)と別れ、『おい、気晴らしにちょっと歩くか』と上官に言われれば、断る訳にも行くまい?

「・・・まあ、なんだな、貴様を邑木さんの所から引き抜いたのは、正解だったかな」

広江中佐が眩しそうに海を眺めながら、不意に笑いを含んでそう言った。 もう3カ月近くになる、5月の上旬だった。 俺が運用課から作戦課に移ったのは。
作戦課でそれまで、戦術機甲部隊作戦を担当していた大尉参謀が、急遽実施部隊(戦術機甲中隊長)に転出した為だ。
余り良い評判の男ではなかった、俺より半期上になる17期B卒の古参大尉だったが、実戦経験は92年から93年にかけての、大陸派遣しか経験が無い筈だ。
それでいて、先任である17期Aの和泉さんや、実戦経験で遥かに上回る同期の緋色など、連隊の歴戦衛士達に対しても、鼻持ちならぬ態度を示していた。
『参謀』と言う言葉に悪酔いしていた、そう見えた。 お陰で作戦課と戦術機甲連隊との間が、妙にギクシャクしてしまったのだ。
課長の広江中佐が元戦術機乗りであり、連隊の指揮官衛士達とは古い戦友同士と有って、しきりに間を取り持ち、破局には至らなかったが。

そして5月、一連の人事異動が発令された。 俺の同期生で、昨年の京都防衛戦で負傷し、リハビリを続けていた永野(永野蓉子大尉)が復帰して来たのだ。
その永野が、俺の後釜に運用・訓練課に配されて、俺が不評の大尉参謀が抜けて空席になった、作戦課の戦術機甲部隊担当の課員に移ったのだった。
永野は運用・訓練計画立案なら、俺より余程上手くこなすだろう。 元々真面目な優等生タイプの女だ、昔から変わっていない。 
ああ、彼女も色々と経験して、引き出しの多さは期待出来る。 どっちかと言うと、教育者タイプの人間だと思っている。

「その分、運用課に居た頃より部隊の連中と、ぶつかる事も多くなりましたが」

「貴様だからさ、大隊長連中も貴様だからある意味、『愚痴』とも取れる言葉を吐ける。 本音を言える参謀は、正直貴重だ。
中隊長連中に至っては・・・ はは、死ぬ時は貴様も道連れにすればいい、そう思っているさ―――信頼の裏返しだよ、周防」

「信頼の裏返し―――にしては、物騒な例えで・・・」

実際の話、作戦課に移ってからと言うもの連日、戦術機甲連隊との作戦行動検討会とか、課内の調整会議とか、師団の諸兵科統合作戦研究会とか。
その度に司令部の課員(参謀)同士、或いは戦術機甲部隊の各級指揮官と、或いは機動歩兵や機甲科、砲兵科の将校と、散々議論し合った。 怒鳴り合ったりもした。
もう休む暇が無い程、忙しかった。 家に帰れず、何度司令部の仮眠室に寝泊まりした事か。 管制副主任の富永大尉から、嫌味も言われた、『最近、主任の機嫌が悪いんです』と。
仕方ないだろう? 仕事でなんだし。 それにこの大作戦を目前に控えて、師団司令部が暇なんて状況は、有り得ないと思うんだが・・・勘弁してくれ、奥さん。

「私としては、ようやく『まともに』部隊との意思疎通が図れるようになった、そう評価しているのだがな?」

「―――光栄であります、マム!」

「茶化すな、周防。 ・・・ん?」

苦笑した広江中佐が、不意に訝しげな声を上げた。 前方に一人の海軍将校が居て、我々に敬礼している―――別におかしくは無いが、わざわざ立ち止まってとなると・・・
その海軍将校、いや、まだ正式な『将校』ではない。 軍帽の徽章が違う、少尉候補生―――海兵(海軍兵学校)を卒業間も無い、『士官見習い』だ。

「・・・知り合いか?」

小声で広江中佐が聞いて来る。 その問いに答える間もなく、向うから声をかけて来た。

「お久しぶりです、義兄さん。 式には出席できず、失礼しました」

「久しぶりだな、喬君。 元気に勤務しているようで良かった、祥子も喜ぶ。 ・・・義弟です、中佐。 妻の弟です、綾森喬海軍少尉候補生」

「綾森喬、海軍少尉候補生です、中佐」

第3種軍装―――白い開襟半袖ワイシャツと、白のズボンと言った海軍の夏用軍装に身を固めた義弟、綾森喬(たかし)少尉候補生が、改めて中佐に敬礼をする。
答礼を返した広江中佐も、少しばかり感慨深そうだ。 俺の妻は―――祥子は、広江中佐が可愛がってきた元部下の一人だ、その実弟にこんな所で会うとは。

「そうか、綾森の・・・ うん、綾森候補生、君の姉上は実に優秀な衛士だった。 今も優秀な管制将校だ。
君も姉上に負けずに、頑張りなさい―――周防、私は先に行く。 帰隊は少し遅れても構わん、ではな」

そう言って、こっちの返事を待たずにさっさと歩き去る上官の後ろ姿を、苦笑気味に眺めるしかなかった。 そして改めて喬君に向き直り・・・

「実は、昼飯をまだ食べてないんだ。 どこか会食できる場所が有るかな?」

「私も半舷上陸中で・・・ 近くに水交社(海軍将校の互助・福利厚生組織)があります、そこの食堂でしたら」





正直、周り全て海軍将校の中に有って、一人ぽつんと陸軍将校の自分がいる、それは凄い違和感だと実感しているが、義弟の誘いを断るのも無粋だ。
それに実は、本音を言えば海軍の食事をもう一度食べてみたい、その誘惑も有った。 一昨年の暮れ、半島出兵の際に乗艦して以来、海軍の飯は食べていない。
昨年、京都防衛戦から脱出した際に乗り組んだ時は、侘しい非常食で済まされてしまったからなぁ・・・ 水交社ともなれば、昼食はフルコースだ。
何せ食材は陸軍と同じ合成食材とはいえ、艦隊やこう言った機関の食堂には、専門のコックが常駐しているのが、海軍の『食』にこだわる凄さだ。

「喬君、今はどの艦に乗っているんだ?」

フルコース(例え合成食材でも!)を楽しみながら、義弟に聞いてみる。 そう言えばもう何か月、会っていなかっただろうか?

「今は戦艦『信濃』で、航海士のダブル配置です。 第2戦隊です、兵学校卒業後、直ぐに配属になりました」

戦艦『信濃』―――第1艦隊の第2戦隊。 水上砲戦部隊の主力艦か。 ダブル配置と言う事は、少尉か中尉の正規航海士に付いて、実務を教わりながら修業中、と言う事か。
第2戦隊なら、近代化改修が全て終わった『信濃』なら、横浜沖で爆沈した重巡『青葉』程、被弾に弱くないだろう。 航海士なら分厚いアーマー(装甲)に囲まれた艦橋配備だ。

「そうか・・・ 『信濃』はGF主力艦の1隻だ、厳しいだろうが、頑張れよ」

その言葉に表情を強張らせつつも、少しだけ嬉しそうな、得意そうな顔色が出た事は、矢張りまだまだ若い候補生だな、微笑ましい。
戦艦の様な大艦で候補生生活を送ると言う事は、口煩い上官が多くて気が抜けないと同時に、矢張り憧れの大艦に最初から勤務できる嬉しさが有る、そう兄や従弟達は言っていた。

「ところで・・・ あの、義兄さん、姉は元気ですか?」

ちょっとだけ言い淀んで聞いて来る。 どうしてかな? 弟が姉の近況を聞くのに、何を遠慮しているのだろうな?

「ああ、元気だよ。 元も最近は俺の帰りが遅くてね、ちょっとだけ機嫌が悪い」

少し茶化し気味に言ってみる、けれどもまだ、少しだけぎこちない笑みだ。 さて、どうしよう?

「君の兵学校卒業式の時の写真、届いたよ。 お義父さん、お義母さんと一緒に撮ったのとかね。 祥子も喜んでいた、『あの子が無事に卒業できて、良かった』ってね」

「まったく・・・ 姉さんは何時までも、子供扱いするんだからなぁ・・・」

「そんなモノだよ、姉にとって弟と言うものは。 幾つになっても、自分では大人のつもりでも、姉にとって弟はそんなものさ」

我が実姉しかり、我が妻しかり。 ああ、義姉さんも、そんな感じだな。 従姉妹達もそうだった。
そうこうしている内に、喬君の口が少しだけ軽くなってきた。 何せ義兄弟とはいえ、そう何度も有った訳ではない。
彼は兵学校に在学中だったし(夏と冬の休暇以外、基本的に外出は無い)、俺も祥子も部隊配属だった。 彼女の実家で偶々、休暇中に2度ほど会っただけだ。
結婚式の時も、3月だったから兵学校の卒業直前で、彼は多忙を極めた兵学校生活の最後を過ごしていた。 外出や外泊など許可されない。
だから去年の年末に会ったきり、約8カ月振りに会う事になった。 印象は変わらないな、穏やかな感じの青年(少年期は過ぎている)だ。
ふと、戦死した従弟の史郎を思い出す。 アイツもこんな感じだったな、結構しっかり者だった省吾、ヤンチャ坊主だった直秋とは違う。

(・・・『弟』か)

けっこう新鮮な感覚だ、最も『義弟』だが。

まあ、そんなこんなで、喬君とは初めて色々と話をした。 もっぱら話していたのは彼の方だったが。
兵学校生活の事、将来の希望。 自分の昔の事、姉(祥子の事だ)や妹達の事、両親の事。 上も下も女兄弟なので、大人しいのかと思いきや、結構闊達な若者だと判った。
俺は余り話さなかったが、それでも話を聞くだけでも楽しかった。 いや、嬉しかった。 『僕は、姉と妹達しか居ないから・・・』そう言ってくれるのが、嬉しかった。


食事が終わり、食後のコーヒー(モドキ)を飲んでいたら、急に喬君が改まった真剣な表情で聞いてきた。

「・・・時に、義兄さん。 義兄さんは今度の作戦、参加するんですね?」

「ん? ・・・それは、軍機に抵触するぞ、『綾森候補生』?」

「あっ・・・ し、失礼しました、大尉」

途端に、『失敗した!』って表情になる。 その表情が可笑しくて、少しだけ笑みが出て来る。

「ま、いいさ。 今ここに居るって事が、動かぬ証拠だな?」

「はあ・・・」

現在、仙台軍港内には陸軍部隊を近日中に揚塔する輸送艦や揚陸艦が、所狭しと停泊している。 そこに足を運ぶ陸軍将校―――作戦に参加する以外、どう捉えようが有ろうか。

「以前の様に、部隊指揮官としてじゃないが・・・ それでも昨年の夏以来だな、こんな大作戦は」

「京都防衛戦?」

「うん。 それ以前だと・・・ ま、色々とね。 色々と参加したな。 まあ、今回も変わらないよ」

そんな俺の言葉に、喬君がちょっと目を丸くする。 それもそうか、参加兵力で100万を数える、と軍内で噂される大作戦を、『変わらない』などと。 我ながら・・・

「僕は・・・ 今回の作戦が、初陣です」

不意に喬君が、何か意志の籠った口調で話し始めた。 最初は初陣の緊張かと思ったのだが・・・

「まだ、右も左も判らない候補生ですが、でも、お国の為に立派に戦ってみせます。 例え戦死しても・・・覚悟は、しています、出来ていますッ」

手にしたコーヒーカップを握り締めたまま、うつむき加減に絞り出す様な声で、そう言っている。 俺と言えば、水の入ったグラスを何気に持ったままだ。

「親や妹達には・・・ 普通に手紙を書きました。 上官から『遺書を書いておけ』と言われましたが、書けなかったんです。
姉には・・・ 迷いました。 普通に書いても、絶対に見透かされる。 姉は実戦経験豊富な陸軍将校です、海軍の半人前の候補生の腹の中なんか、多分お見通しだろうし・・・」

だから、まだ書いてないんです、姉宛の手紙は―――そう言っていた。

「だから、その・・・姉には、姉さんには、義兄さんから、その、その時には・・・」

「嫌だよ」

えっ?―――そんな表情を一瞬見せた喬君の顔を見据えて、無意識に飛び出した言葉だった。

「嫌だね、そんな役回りは。 だいいち、それじゃ妻が悲しむ。 俺は、嫌だよ」

ああ、なんか駄々をこねているガキの様な言い方だな、これじゃ。 苦笑しか出やしない。

「自分で伝えるんだ、それが大切だよ。 本当に伝えたい事は、他人伝手じゃ、伝わらない。 自分の言葉で伝えなきゃな・・・
それにさっき、君は『遺書を書けなかった』そう言っていたな? それで良いんじゃないか? 無理に書く必要なんかない」

「え・・・?」

「無理に書く必要なんかない、俺も書かなかったよ、初陣の頃は。 いや、書けなかったな、どうしてだと思う?」

「・・・判りません。 どうしてですか?」

生真面目な表情で聞いて来る、その表情が内心で妙に微笑ましい。 そうか、俺も昔はこんな感じだったのかな?
それはそうとて、さてどうしよう? 素直に教えるべきかな? もう少し悩ますべきかな?―――止めておこう、趣味が悪い。

「怖かったんだよ」

「は・・・?」

いちいち、反応が面白い。 そう言えば、部下達とこんな話は、余りしてこなかったな。

「怖かったんだな、今にして思えば。 遺書を書いてしまえば、戦死してしまいそうな気がしたんだ。 そうしたら、2度と見れなくなるからな」

「・・・見れないって、何をです?」

「当時の先任少尉。 今の嫁さん、君の姉さん。 彼女の顔をね」

「え・・・?」

可笑しかった。 喬君が、それこそ鳩が豆鉄砲を喰った様な顔をしている。 
そりゃ、そうだろうな。 いきなり面前で、自分の姉との惚気を聞かされたら。

「本当さ、今にして思えばね。 あの頃は粋がって、強がって、別の屁理屈を捏ねていた気がするけどね。 本当の理由は、そんな所さ」

少し時が経って、そう言えば戦死した兄貴宛てに、遺書まがいの手紙を書いた事は有ったな。 確か『双極作戦』の後だったか。
初めて、同じ中隊の同期生―――美濃だ、美濃楓―――を、戦死で喪った時だ。 ちょっとナーバスになっていたな、自分でも。
そうか、確かあの時、初めて祥子と・・・止めておこう、これはちょっと、幾らなんでも恥ずかしい。 内緒だ、内緒。

「・・・そう言えば、結局遺書は書かずじまいだったな。 今まで書いた事が無いよ。 その代わりに色んな手紙を書いた、色んな事を言葉で伝えた。
別にいいんじゃないか? 特に肩肘張った事を書かずとも、自分の伝えたい事、言いたい事を書けば、それで良いと思うがね」

「はあ・・・」

うーん、まだ歯切れが悪いな。

「時に喬君、恋人は居るのか?」

「え? いえ、居ませんよ・・・」

だろうな。 兵学校生活、そんな相手を作っている暇は無いものな。 じゃあ・・・

「今、好きな相手は? 何か伝えたい相手は? それか前から好きだった人とか、例えば幼馴染とか、初恋の相手とか」

何て言ったら、急に顔を真っ赤にし始めた。 いや、何て言うか・・・初心な若者だね。

「はあ、あの・・・ 幼馴染では、特には・・・」

「居ないの? 初恋の相手とか?」

「いや、あの、僕は初等学校から逓信省の付属学校で、ずっと周りは男ばかりで。 中学修了後は(中学4年修了後)、兵学校で、その・・・」

むう、家庭以外は、見事に野郎ばかりの世界で育ったんだな・・・

「だから、その、異性って、初等学校以降は母とか姉とか、その・・・」

・・・ん? なんだ、急に俺の顔をまともに見なくなったぞ?

「あ、いやその、姉は、別に・・・違うんです、その、姉は・・・」

・・・あ~、そう言う事か。 確かに周りに異性が居なかったんじゃな。 『男の子』にとって、最初に異性を感じる相手って、結構限られるわな。
母親とか、学校の若い女の先生とか。 もしくは身近な姉とか従姉妹とか。 そうか、そう言う事か。 しかしな、う~ん・・・

「あ、でも最近気になる女性は、居ると言うか、その・・・」

「ああ、いいよ、無理に言わなくても。 それに、うん、君の姉さん・・・祥子の事は、うん、判っている、判っているから」

―――まあ、『姉』が初恋の相手だったとしても、この際何も言うまい。 幼い日の漠然とした憧憬、仕方が無いんじゃないか?

「姉さんに・・・俺の妻に伝えてやってくれよ、今の君の事を。 そのままの君の事を。 そして会いに来てくれよ、生き残ってな」

若者故の気負い、将来への興奮、初陣への緊張、未知への恐怖と戸惑い、諸々のモノが混じり合って本当は誰かに話したい、聞いて貰いたい筈なんだ。
親では気恥かしいし、ちょっと気遅れもする。 実戦経験を積んだ姉ならば、と思うが、同時に幼い少年の頃が思い出されて、違った意味で気遅れと言うか、恥ずかしさが立つ。

「ひとつアドバイスだ、恥ずかしがって、気後れして何もせずに後悔するより、恥ずかしくてもちゃんと伝えた方が良いよ。
俺も色々と気恥かしかったけどね、死んで何もできなかった、何てよりもね、生きている内にちゃんと伝えて、言えて良かったと思っている」

「義兄さん・・・」

「ま、当分は死ぬ予定は無いけどね。 ひとつ、姉さんを驚かせてやれよ。 もう子供じゃないぞって、好きな人くらい居るぞ、ってね。
で、将来そんな相手を連れて、我が家に来いよ。 あいつも喜ぶよ、きっとね。 ・・・そんな未来だって、きっとあるよ」

そう、きっと有る。 そんな『未来』も。 

「それに初陣は、陸軍と海軍、俺の様な戦術機乗りと君の様な艦隊乗り組みじゃ、様相は違うかも知れないが・・・ えてして、あっという間に終わるものさ。
陳腐かもしれないが、先任や上官の指示をとにかく守る事。 彼等はそうして生き残って来た、従って損は無いよ。 俺の実感でも有る・・・」

食後のコーヒー(モドキ)をお代わりしながら、暫くは初陣での心構えや、自分の実体験や、諸々の事を話した。 喬君は真剣に聞いていた。
ま、仕方が無い。 初陣前の不安の解消、いや、不安の聞き役は今回、俺が務めるとするか。 彼が『普通に』祥子へ手紙を書ける様にする為に。
遺書を書くなとは言わない、書いていてしぶとく生き残っている奴は、ゴマンと居る。 それでも個人的にはやはり、家族との絆になる様な手紙を書きたいじゃないか、そう思う。









1999年7月28日 1650 日本帝国 旧神奈川県川崎市 『西関東防衛線』


「―――次が来るぞ! 第6派! 中隊、フォーメーション・アローヘッド・ワン! 敵前衛を突破、後ろから叩く! 続け!」

―――『了解!』

突撃前衛小隊を矢じりの先として、中隊が突進する。 前方に突撃級が20体程、その後ろの要撃級にはまだ距離が有る。 まずは突撃級を仕留める。
跳躍ユニットが咆哮を上げ、中隊の9機が一斉に水平噴射跳躍に移る。 瞬く間に距離が詰まり、同時に照準レクチュアルに目標をロックオンした。
先頭を吶喊する突撃前衛小隊は1機を欠いた状態で、突撃級との接触の直前に小隊長機を頭に一直線の陣形にフォーメーションを変えた。
そのまま、サーフェイシングで突撃級の個体間をすり抜ける様な多角機動で、左右に砲撃を加えつつ、群れの中を突っ切る。

『サラマンダーB、後ろを確保!』

「そのまま攻撃を加えろ! サラマンダーA、C、続いて突入だ!」

主機出力を一気に上げ、残る2個小隊がサーフェイシングで突撃級の群れの中に飛び込む。 A小隊の先頭は中隊長が切っている。
A小隊が開けた突入路―――僅かに数体分の空間―――に機体を滑り込ませ、左右に咄嗟砲撃を撃ち込みながら一気に突っ切る。
直後に位置するC小隊が後方から、A小隊に向かってくるやや遠間の突撃級に対し、阻止砲撃を加える。 激しく動きながらの砲戦、120mmはまず当らない。
先頭のA小隊が36mmの集中射撃で節足部に砲弾を叩き込み、行動の自由を奪ってゆく。 その間にC小隊が、左右の突撃級を撃破して行った。
突破口を開いたA小隊は、旋回しようとしている突撃級の個体を見つけては、その背後から36mmと120mm砲弾を浴びせて始末して行く。

≪CP、サラマンダー・マムよりリーダー! 後続の要撃級個体群、約80! 戦車級を含む小型種、約300! 下末吉を鶴見川に向けて移動中、第2京浜跡です!≫

鶴見川を下末吉で。 そこから第2京浜―――戦術MAPで確認する。 中隊長は関東の地理感が無い、九州出身だ。
確認した―――今部隊は第1京浜の北、八丁畷駅跡地付近だ。  くそ、後続は生麦辺りで先頭とは違う針路を取ったらしい。 なら・・・ よし。‎

「リーダーより全機、突撃級はあと1分で仕留めろ! 120mmは使うな! 後ろを取っている、36mmで充分だ」

要撃級を含む主力集団の移動速度、位置関係。 このまま突撃級を殲滅し、国鉄南部線跡を北上すれば側面を突ける。
トリガーを引き、突撃級の柔らかい後部胴体に36mm砲弾を叩き込む。 2、3連射で動きが止まる、それ以上は無駄だ。
A小隊の目前には、旋回をかけつつある突撃級が4体。 部下に合図を送り、手近な2体を先に仕留めて行く。
水平噴射跳躍で機体をスライドさせ、旋回中の突撃級BETAの後方を占位する。 距離、25m―――ギリギリまで接近し、短い1連射を浴びせかける。 
狙いすまして撃ち込んだ箇所から、体液が噴出しBETAが止まった。 見ればB、C小隊も残こる突撃級を全て始末していた―――52秒が経過、よし。

≪CPよりサラマンダー・リーダー。 機甲1個中隊、機械化歩兵装甲2個中隊、140号線の尻手交差点付近に布陣完了。 サラマンダーは側面攻撃地点に移動!≫

―――尻手か、確かにそこで殲滅するしかないな。 後方の府中街道沿いに主力が布陣しているが、連中の手を煩わすまでも無いか。
度重なる攻防戦の結果、殆ど見晴らしの良い荒野と化したかつて賑わった街の跡。 その向うから砂塵を巻き上げ、数百体のBETA群が北進しているのが見えた。

「・・・よし、≪サラマンダー≫全機、俺に続け!」

中隊長機を中心に、9機になった戦術機甲中隊―――89式『陽炎』と77式『撃震』の混成部隊―――が、水平噴射跳躍でBETA群の側面に襲い掛かって行った。





辺り一面、BETAの残骸だらけだった。 赤黒い内臓物が所構わず散乱している、管制ユニットの外の空気は、さぞかし臭いものだろう。
機械化歩兵部隊が付近の残存BETAを確認している中、中隊を周辺確認の為に円周陣形で広く展開させながら、その光景を忌々しげに見つめていた。
もうずいぶん見慣れた光景だ。 92年の中国大陸、93年からの欧州・地中海方面戦線、そして98年の九州・・・ 
そこまで思考して、頭を振って中止する。 もう1年になる、無意識にそこで思考を止めるようになったのは。

『中隊長、中隊全機、異常無し。 損失無しです』

「・・・よし、どうやら付近に残存BETAは居ない様だ。 最終確認後、羽田(陸軍羽田基地)に戻る」

以前は空港だった羽田。 西関東防衛戦たけなわの現在、そこは陸軍と海軍基地戦術機甲部隊が共同で駐留する、横浜ハイヴに最も近い最前線基地と化していた。

『了解です。 ・・・後は、補充が来てくれれば助かりますが』

「無い物ねだりだ、今は『明星作戦』攻略部隊に全ての資源を集中させている。 俺達は今有る手持ちで、遣り繰りするしかない」

『・・・正直、愚痴のひとつも言いたいですよ。 実際に西関東防衛線を支えているのは、我々だと言うのに。
知っていますか? 新編の東北の13軍団など、攻略部隊だからと言って、全て『疾風』の弐型で固めたと言う話じゃないですか』

部下の愚痴を聞いている内に気がついた、第13軍団―――第14師団と第18師団だ、同期生や見知った顔が随分と居る部隊だ。 連中、ハイヴ攻略部隊になるのか。

「その代わり、地獄の巣穴へ直行だ。 92式が94式だって、慰めにもならん―――おい、部下の前では言うなよ、そんな事は」

『・・・はい』

不承不承、如何にもそんな口調の部下に苦笑しつつ、もう一度周辺警戒にレーダーと確認する。 やはり赤い輝点は確認されない。

『ジャッカル・リーダー(第13師団第36機械化歩兵連隊第3大隊第1中隊)だ、≪サラマンダー(第131戦術機甲連隊第21中隊)≫、どうやら片した様だ』

機械化歩兵装甲部隊の指揮官から、通信が入る。 見ると瓦礫の向うから強化外骨格を装着した一群が近づいて来る。

「サラマンダー、了解。 で? 俺達は晩飯食いに、お家に帰っていいのかな?」

『ああ、とっとと帰んな。 また出前を頼むから』

「人使いの荒い客だ―――気をつけろよ、ジャッカル」

『判っている、支援感謝する、サラマンダー』

戦術機甲中隊はその場を離れた。 一旦東進し、旧首都高横羽線を北上、環八で東に折れて羽田に帰還した。






「ご苦労だったな、久賀大尉。 連日の出撃で疲れているだろうに」

「いえ、1回の数自体は少ないですので。 それに支援砲撃が豊富なのは、正直助かります」

師団本部、そして連隊本部が入っている旧空港第1ビル。 旧国際線ビルや旧第2ビルは他の兵科連隊が入っている。
南部戦線防衛の要、第13師団の全てが、この羽田に陣取っている。 ここなら横浜ハイヴからの飽和個体群への迎撃には最適だ―――気の休まる暇も無いが。

出撃から帰還した久賀直人大尉を、大隊長が労っている。 もっとも久賀大尉にしてみれば、今日の程度の戦闘は九州や、それまで経験して来た戦場に比べれば、何でも無い。
それより問題なのは、人員や機材の補充だ。 最近は『明星作戦』発令の余波を受けて、西関東防衛線各部隊への補充が、確実に滞り始めている。

「・・・やはり、補充は来ませんか?」

「来ない、済まん」

大隊長のせいでは無い、誰も責めている訳ではない。 しかし現実問題として、大隊の3個中隊のうち、満足な戦闘力を保っているのは第1中隊だけだ。
第2中隊は残存6機、第3中隊は5機、指揮小隊が3機、併せて14機。 1個中隊分の戦力しか残らない、第1中隊と併せても23機、2個中隊に達しない。
おまけに第2、第3中隊は中隊長が戦死、或いは負傷後送されている。 今は先任の中尉が中隊長代理をしている状況だ、必然的に第1中隊―――久賀大尉への負担が増加する。

「・・・しかし正直言うとな、君が来てくれて助かった。 何しろ陸軍中、指折りの歴戦衛士だ。 九州での活躍も耳にしていた」

大隊長の素直な讃辞に、内心で苦笑する。 もし俺がそう言われているのだとしたら、それはかなり虚像が入っているな、と。
暫く今後の人員の再配置計画と、ローテーションに付いて話し合い、大隊長室を出た。 今や全く装飾の欠片も残っていない旧空港ビルの廊下を歩く。

(・・・俺は只、抜け殻の様に戦っていただけだ)

内心でそう呟く。 あの日、1年前のあの日以来、自分の世界は色彩を失ったモノクロームの世界になった。
命の貴重さも、生きる事の喜びも、何もかも感じられず、ただ、ただ機械の様に己が体が動くままに、戦っていただけだ。
そこには恐怖は無かった、生き残った喜びも無かった。 只々、無機質に体が動くまま、機体を操り、経験が反射的に指揮を執り、BETAを屠ってきただけだ。

部隊が再編成に為に東北―――青森まで移動した時、無性に己の中の空洞に耐え切れなくなってきた。 反射的に異動願いを出したのは、そのせいか。
お陰さまで今、この西関東防衛線で相変わらず生ける屍の如く、何も感じず、何も想い抱かず、ただ戦い続けている。

窓から夕焼けが見えた。 ああ、そうだ、あの日もこんな夕焼けだった―――もう随分昔の気がする、一世一代のつもりでプロポーズした、あの日もこんな綺麗な夕焼けだった。

(優香子・・・ 俺はまだ生きている。 どうしてだろうな? どうしてまだ生きているんだろうな? 優香子、お前はもう、この世には居ないって言うのに・・・)










1999年7月28日 2345 日本帝国 『帝都』仙台 市内(周防家)


もう既に両親も、義姉に甥・姪達も寝静まった様だ。 しんとした静けさが、家の中に漂っている。

「弟に会ったの? 喬に?」

鏡台の前で鏡に向かいながら、髪を透かしていた祥子が振り返って聞いてきた。 福島から移動して来た仙台駐屯地とも、もう直ぐお別れだ。

「ああ、偶然、軍港でね。 喬君、今は『信濃』乗り組みだそうだ」

「へえ・・・『信濃』? 第1艦隊よね? ふぅん、あの子がね・・・」

「・・・もう、立派に候補生だよ。 もう数カ月もしたら、立派に海軍少尉だ」

そう言った俺の言葉に、祥子がちょっと目を見張り、やがてクスクスと笑い始めた。

「なぁに? あの子に、何か言われたの?」

「どうして?」

「どうしてって・・・ やけに肩を持つじゃない? ダメダメ、背伸びしたって、まだまだ半人前、子供なんだから」

―――な? 判るだろう、喬君? 姉にとって、弟と言うのはこう言うものなんだよ。


明後日には乗艦が始まる。 明々後日には全ての器材・物資の揚塔が終了し、4日後の8月1日には、仙台軍港を出港する。 全艦隊終結は、8月3日。
その意味では、今夜は『最後の夜』だ。 今日の1700時から、明日の1900時まで、29時間の外泊外出が許可されていた。
夫婦一緒にそれぞれの実家に顔を出して、何も言わずに帰って来よう、そう言い合った。 残る家族に勘づかれる訳にも行かない。
今夜、俺の実家に顔を出した。 結婚以来4カ月ぶりに顔を出した息子夫婦に、両親はえらく喜んでくれた。
義姉さんも喜んでいた(祥子は完全に、妹扱いになっている)、チビ達も叔父さん、叔母さんに甘えようと群がって、はしゃいでいた。
明日は祥子の実家に、朝から顔を出す予定だ。 休みの日だし、お義父さん、お義母さんも喜ぶだろう。 笙子ちゃんも。

俺は師団参謀、祥子は管制の主任管制官。 共に戦術機甲指揮官としてでなく、作戦に参加する。 前線部隊指揮官に比べて、戦死の可能性は低くなるだろうが、程度の差だ。
師団は第2派で、ハイヴまでの最短攻略路を切り開く任を課せられた。 場合によっては師団司令部も直撃される事だって、可能性として十分ある。
正直に言うと、別の怖さが有る。 自分で戦術機に乗って戦っていないと言う、そんな恐怖。 そして自分の判断が、より多くの友軍に影響を及ぼすだろうと言う慄き。

そんな内心を隠して、それぞれの実家に顔を出す。 別れの為じゃない、またここに戻ってくる為に。

布団の上に胡坐をかいて、窓の外の夜空を見ていた。 客間の外から、夏の虫の音が聞こえる、命の音色だ。 
寝間に着替えて横に添い寄ってきた祥子を抱きしめ、そのまま倒れ込む。 その夜、激しく妻を貪った。










1999年8月1日 0700 日本帝国 仙台軍港


『抜錨ー!』

艦内スピーカーから号令が聞こえる。 岸壁で軍楽隊が演奏を開始している。

≪守るも攻めるも 黒鐡の 浮かべる城ぞ 頼みなる≫

勇壮なマーチに声援されながら、各艦が次々に錨を上げ、泊地から、岸壁から出撃して行く。

≪浮かべるその城 日の本の 皇国の四方を 守るべし≫

『―――手空き総員、上甲板。 手空き総員、上甲板』

上甲板と言わず、飛行甲板と言わず。 陸海軍の区別なく、皆が我先に出て来る。

≪眞鐡の その艦 日の本に 仇為す國を 攻めよかし≫

今の相手は国では無い、それどころかこの地球上の存在でさえ無い。

『―――総員、帽振れー!』

歓声が上がる。 皆が一斉に軍帽を振りかざし、岸壁に居る者達に声にならない叫び声で、何かを伝えようと声を張り上げている。

≪石炭(いわき)の煙は 大洋(わだつみ)の 龍(たつ)かとばかり 靡くなり≫

次第に岸壁が遠ざかる。 見送りの軍港要員の顔、顔、顔が次第に遠くなる。

≪弾撃つ響きは 雷の 聲(こえ)かとばかり 響(とど)むなり≫

皆が歓声を上げる。 岸壁の者達も歓声を上げている。 お互い、良い表し難い何かに、歓声を上げている。

≪萬里(ばんり)の波濤を 乗り越えて 皇国の光 輝かせ≫

艦はやがてウェーキを引きながら湾外へ出た。 皇国の山々が朝日に輝いていた。




1999年8月1日 日本帝国陸海軍、『明星作戦』参加全部隊が、出撃を開始した。





[20952] 明星作戦 1話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/07/31 23:06
1999年8月2日 GMT(グリニッジ標準時)1430(日本時間2330) 地球周回低軌道 高度495km 軌道ステーション『ホープ(希望)』


「PROX(近傍域通信システム)正常、RGPS-S(GPS相対航法システム)チェック―――オール・グリーン」

「AIポイント(接近開始点)、誘導開始する」

漆黒の彼方から見た目はゆっくりと、しかし実際の速度は第1宇宙速度(約 7.9 km/s=約27,400 km/h)以上の速度を維持して、HTV(無人宇宙補給機)が接近してくる。
軌道ステーション側ではGPSを使った誘導システムで、HTVを『ゆっくりと』接近開始点まで誘導する。 やがて後方5km―――AIポイントに到達した。

「AIマニューバ開始、OK?」

「AIマニューバ開始、OK!」

AIポイントからゆっくりと、下方に円弧を描く様な軌道で誘導し、ステーション下方500mに達するまで誘導する―――RI(R-bar Initiation:Rバー開始点)に到達した。
ステーション下部のコーナーキューブ・リフレクタ(反射板)にレーザーを当て、正確な位置測定をしつつ、ゆっくりと接近する。 ランデブセンサ航法、開始。

「―――逸れる、一旦停止」

「一旦停止、了解」

接近速度は1~10m/min 一旦停止や一旦後退、そしてゆっくりと前進(上昇)を繰り返しながら、慎重に距離を詰める。

「―――300、一旦停止、ホールド」

「300了解、一旦停止、ホールド。 ヨー・マニューバ開始」

ホールドポイントで、ヨー方向を180度回転。 ヨー姿勢を0度に戻し接近を再開する。 やがて下方10mまで接近、バーキングポイント(Berthing Point:把持点)で停止する。
全てのスラスターを停止して待機状態になったHTVに向け、ステーションからカナダアーム2が伸びてHTVを握持し、下方(地球側)結合部に取り付ける。

「よし、与圧開始!」

「与圧開始、了解」

空気を圧する様な音と共に圧縮された空気が流入する音がした。 ゲージを確認する―――1気圧、宜しい。
やがて1気圧に与圧されたドッキングブロックにステーション要員が取り付き、ハッチを開放する。 2m四方の大型ハッチが開き、各種船内資材が取り込まれ始めた。

国連軍航空宇宙総軍に所属し、日本帝国航空宇宙軍が打ち上げ・運用を行う3基ある軌道ステーションのひとつ、『ホープ(希望)』で、定期便の積載作業が始まった。
同時に非与圧部のカーゴ輸送コンテナには、宇宙服を着こんだ船外作業員が取り付き、コンテナへのアーム取り付け作業を行っている。
船内物資は食糧・飲料水や衣類、保守部品などだ。 カーゴ内の船外物資はMRV―――多弾頭再突入体、AL砲弾がぎっしり詰まっている。
これは作戦を控え、腹をすかした軌道爆撃艦隊の駆逐艦群へ両日中に搭載される予定だった。 既に今日1日で12便が到着していた。

作業は進み、やがて船内・船外資材の積み込みが終了した。 次はステーション内の廃棄物を詰め込む作業が待っている。


『作業急げ。 さっき通り過ぎて行った第2戦隊(装甲駆逐戦隊)が周回軌道を戻ってくるのは、1時間18分後だ。 戻ってきたらMRVを積み込むぞ』

司令部区画のオペレーターから、急かす声が入る。 積み込み作業をしている船内外の作業員―――日本帝国航空宇宙軍の下士官達―――は一様に、作業ピッチを上げた。
コンテナに取り付けたアームのフックを、ステーションのカーゴブロックへと続く取り入れ口から伸びる特殊鋼ワイヤーに取り付ける。
簡易接続したスラスター・ユニットのコントロールパネルを操作し、ほんの1秒程スラスターを吹かし、ステーション側へ送り届ける。

『おい、聞いたか?』

「何を?」

作業の合間に、船内外で会話が始まる。 特に船外作業員にとって、何かしらの『音』を聞きたくなるのは、宇宙空間での作業中では誰しも感じる事だ。

『2時間前に食料搭載した『ラファイエット』な。 あれのカーゴ・マスターが言っていたんだが・・・』

「うん? ラファイエット? 第5戦隊のか?」

『ああ、連中、6時間前に『ユニティ』でMRVを搭載したんだけどな。 何時ものハッチじゃ無く、予備の方に回されて、3隻順番待ちさせられたんだと』

「なに? それって、おかしくないか?」

普通、周回軌道に投入されている軌道ステーションでは、迅速な物資搭載の為に、米・欧・日・ソ連(と米国)が運用する全15基あるステーションのどこかで、物資の搭載を行う。
日本帝国が運用責任を持っているのは『ホープ(希望)』、『エイロス(大地)』、『アクア(命水)』の3ステーション。 『ユニティ』は米国の管理ステーションだ。
各ステーションはシステムリンクされて、どこのステーションが多忙で、どこに空きが有るかが判る。 各駆逐艦はその『空き』のステーションで物資の搭載を行うのだ。

「・・・『ラファイエット』は、『ユニティ』の指定だった?」

『らしいな。 で、文句を言ったらしいが、アメちゃんは取り合ってくれなかったとさ。 自国の駆逐艦も順番待ちさせたらしい』

「・・・」

『そのくせ、後続でケネディから打ち上げられてきた2隻―――『キャラハン』、『スコット』には最優先で空きのハッチを割り当てたと。
その2隻はMRVを積み込まず、何か見た事も無いコンテナを各1基ずつ搭載して、さっさと離脱して行ったと』

変な話だ。 そこまで厳重に警戒する『モノ』とは、一体何だ?

「・・・核か?」

『・・・わざわざ、駆逐艦に搭載するか? 月からの迎撃用は、もっと大きい。 あのサイズじゃ精々、戦術核程度の大きさだと言っていた』

戦術核―――なら意味が無い。 月から射出され、地球に落下して行く『あれ』を迎撃・破壊する為には、戦略核弾頭を搭載した迎撃ミサイルが必要だ。
それにそんな代物は『スペースワン』へ持ち込まれる。 もしくは『アーテミシーズ』核投射攻撃衛星群に数発ずつ。

「・・・何だろうな?」

『判らん、アメちゃんの考えている事は』










1999年8月4日 0455 日本帝国 相模湾 旧神奈川県鎌倉市・藤沢市沖20km


『第1部隊の第1、第2戦隊、攻撃開始点集結完了。 単縦陣、完了』

『第7、第9戦隊、続きます。 第1駆逐戦隊、第1支援砲撃戦隊、攻撃開始点到達』

『第2部隊、第3、第5戦隊、単縦陣完了。 第12、第15戦隊続きます』

『第2駆逐戦隊、第2支援砲撃戦隊、展開完了しました』

『目標地点、気温25.4℃、湿度68%RH。 風向は南南西、風速4m/s、天候は晴れ・・・』

CICに続々と情報が入る。 もう間も無く攻撃が開始される、その直前の張りつめた緊張感。 皆がその緊張感に程良く酔っている。

『大東亜連合、タイ海軍の『ナレースワン』、『サイブリ458』、インド海軍の『デリー』、『ゴーダーヴァリ』、『ガンガ』、各艦は第1部隊支援海域に展開。
台湾海軍『康定』、『昆明』、『鄭和』、『岳飛』の4隻、第1駆逐戦隊に続行。 中国海軍『南寧』、『桂林』、『淮南』、『安慶』、第3駆逐戦隊に合流しました』

『インドネシア海軍『ディポネゴロ』、『ハサヌディン』、溺者救助ポジションに展開完了』

大東亜連合各国が派遣した艦艇群も、各々支援海域に着いた。 小型艦艇ばかり故に、正面切って上陸支援攻撃は出来ない。
だがそれ以外にも支援艦隊の盾、洋上に墜落した戦術機からの衛士救助など、地味だが危険で重要な任務は幾らでも有った。

『上陸支援艦隊司令部より入電、『上陸開始準備、宜しい』、以上です』

艦隊の後方、上陸部隊を満載した揚陸艦、補給船団をかき集めた上陸支援艦隊でも、準備は整った様だ。

「・・・参謀長、米軍は?」

「先程連絡が有りました。 浦賀水道にオン・ステージ完了。 我が方の上陸第2派別動部隊も合流」

第1艦隊司令長官、山口右近大将の問いに、参謀長の松永市朗少将が答える。 米海軍第7艦隊の第75-2任務群 (CTU-752)と、第70-2任務群(CTU-702)も展開を完了した。
その後ろには、巨大な兵站能力を有する米第5艦隊の第59任務部隊 (CTF-59)、第55任務部隊(SCF-5)が続く。 これに韓国海軍の『楊万春』、『忠南』が合流した。

これで全ての準備が整った、後は時間を待つのみ。 今頃は遥か彼方の天空で、その雷が降り下ろされている事だろう・・・









1999年8月4日 0500 地球周回低軌道 高度135km 国連軍航空宇宙総軍 軌道爆撃艦隊第1戦隊


『艦隊角度、2度』

『速度、26,800km/h、高度135km。 MRV分離まで180秒』

『艦体表面温度、摂氏2850℃、想定温度内』

『ウランバートル上空を通過、レーザー照射、依然無し』

先制攻撃を仕掛けるべく、軌道爆撃任務の先陣を切る第1戦隊の10隻のHSSTが、再突入回廊に突っ込んでいた。 少しリバースブーストをかけ、速度を減じる。
その後方300秒の位置に第2戦隊、更にその後方300秒の位置に第3戦隊。 それぞれがMRVを満載して低周回軌道から更に高度を下げ、軌道爆撃行程に乗せていた。
やがて熱圏(高度80km-800km)と中間圏(高度80km以下)との境界、中間圏界面が近づいてきた。 高度110km。

『全艦、MRV分離用意』

『高度105km、速度26,200km/h。 ウラジオストーク上空を通過! レーザー照射無し!』

『隊司令より各艦、MRV分離せよ!』

ロックボルトが爆発し、MRVが分離する。 一瞬、MRV本体の簡易スラスターが1回限りの逆噴射を行い、減速して急角度で落下を始める。
10隻全てで40基のMRVを分離―――中には800発もの無誘導AL砲弾が、ぎっしり詰め込まれている。

『艦隊角度、アップ2度! 噴射開始! 周回軌道に復帰する!』

身軽になったHSST各艦が、ロケットブーストをかけ、速度と高度を稼ぐ。 現在の高度100km、速度は26,050km/h。
これを高度400km、速度を27,400km/h―――第1宇宙速度まで回復しなければならない。 でなければ、地上に落下してしまう。

『ロケット点火!』

『艦隊角度、アップ2度! 速度26,300・・・26,800・・・27,000・・・』

真下に見える母星が、次第に丸身を強くして行く。 やがて低周回軌道に乗せた頃、第2陣の第2戦隊が軌道爆撃を敢行した。
全ての軌道爆撃が終了したのは、0506時。 天空より投下されたMRVの数は120基、無誘導AL砲弾は2400発だった。









1999年8月4日 0508 日本帝国 相模湾 日本帝国海軍第1艦隊


『ッ! 軌道爆撃艦隊のMRV分離を確認!』

艦橋に更なる緊張が走る。 軌道爆撃艦隊のMRV分離―――本作戦開始を告げる、天空からの雷が撃ち降ろされたのだ。

『MRV高度、35,500(m)!―――重光線級を確認! レーザー照射、来ます!』

瞬く間に数10本の太い迎撃レーザー照射が、天空へ突き刺さる。数か所で先頭の数基が爆散し、高空に重金属雲が発生する。
しかし終末速度で30,000km/hに近い超高速に達している大半のMRVは、その重金属雲を突っ切って地上に殺到した。
どうやら小型の光線級も加わった様だ、迎撃レーザー照射の本数が飛躍的に増加する。 迎撃され、爆散するMRVの数が増える―――端から織り込み済みだ。
第1派、40基のMRVは全て迎撃された。 その結果、高度4,000付近に重厚な重金属雲が発生した。 その上から250秒の間を置いて、第2派が降り注ぐ。


『重金属雲、戦域規定濃度に到達しました!』

軌道爆撃艦隊が実施した軌道爆撃により、濃厚な重金属雲が低空に形成された。

『海岸線のBETA群総数、約1万4800! 『甲上陸点(稲村ケ崎)』、約8000! 『乙上陸点(辻堂)』に約7480!』

『第1、第3潜水艦隊より入電。 攻撃発進位置に着いた!』

『第1強襲上陸連隊第1、第3大隊、及び第2強襲上陸連隊、発進準備宜しい!』

水中に潜む帝国海軍海兵隊の、強襲上陸部隊。 『海神』を有する第1強襲上陸連隊(第2大隊欠)、第2強襲上陸連隊の出撃準備が整った。
全ての報告を受領した第1艦隊司令部。 その中央に仁王立ちする艦隊司令長官、山口海軍大将が無言で海岸線を睨みつけ、振り上げた手を海岸線に向け、振り下ろした。

「全艦隊、艦砲射撃、開始!」

参謀長が叫ぶ。 同時に各級部隊への指令が、一斉に飛び交った。

『第1、第2戦隊、目標、稲村ケ崎から由比ヶ浜! 第10射まではAL砲弾!』

『第7、第9戦隊、目標、七里ガ浜から腰越一帯! グリッド毎に撃ち込め』

『第1駆戦、第1支戦、ALM発射開始! 第1駆戦目標、由比ヶ浜! 第1支戦目標、腰越!』

第1戦隊の戦艦『紀伊』、『尾張』、第2戦隊の戦艦『信濃』、『美濃』の4巨艦から巨砲が火を噴き、巨弾が陸上に撃ち込まれる。
大半は着弾までにレーザー照射を受け、爆散する。 直後に重金属雲が発生した。
巡洋艦は艦砲の他、ALMまで発射して濃密な重金属雲を形成しようとしている。 軌道爆撃3派により、かなり高濃度の重金属雲が形成された。 だがまだ足りない。

『三浦半島の第14軍団砲兵群、支援砲撃開始しました!』

『第14軍団第47師団、韓国軍第4師団、田越川ラインに展開します!』

先に『曙光』作戦で三浦半島を奪回していた第14軍団から、逗子市内の防衛を任じていた第47師団、韓国軍第4師団が側面攻勢の動きを見せる。

『乙上陸点、攻撃開始しました!』

『第3、第5戦隊、砲撃開始した!』

江の島を挟んで隣接する乙上陸点(辻堂)でも、艦砲射撃が始まった。 戦艦『大和』、『武蔵』、大型巡洋艦『最上』、『三隅』が主力の水上打撃部隊だ。
やがて戦艦の艦砲射撃が10斉射を数えた頃、弾種変更の命令が下った。 もっとも最初から予定されていたので、大きな混乱は無い。

『各艦、主砲弾種変更! AL砲弾より九四式通常弾へ変更!』

『砲撃グリッド調整、宜しいか!?』

『重金属雲濃度、185%! 雲海高度985m!』

『爆散高度、650mに調整―――全艦完了!』

再び艦隊司令部より命令が発せられた。 同時に戦艦・大型巡洋艦の508mm、460mm、305mm砲弾が発射される。
斉発(全砲門同時発砲)ではなく、斉射(交互一斉打ち方)なのは、光線属種の『インターバル』特性を逆手に取った、オードソックスな艦砲射撃方法だ。
轟音と共に一旦天空に舞い上がった巨弾群は、今度は急角度で地表に向け襲い掛かる。 濃密な重金属雲のお陰で、未だレーザーによる迎撃は無い。
やがて全砲弾が重金属雲に突っ込んだ―――数瞬後、重金属雲を突き抜ける。 途端に迎撃レーザー照射が立ち上る。
しかし重金属雲の展開高度は980m前後、九四式通常弾の爆散設定高度は650m、300m強しか『余裕』が無い。
8発の508mm砲弾、12発の460mm砲弾、6発の305mm砲弾のうち、レーザー迎撃で溶解したのは7発だけに留まった。
残る19発は高度650mで信管を作動させて爆散、1発辺り1000個前後の爆発性・焼夷性・対装甲用成型炸薬子弾を、地表に向けてばら撒いた。
流石にBETA群の遠距離迎撃の要である光線属種と言えど、僅か高度600m程から超高速で、しかも広範囲に降り注ぐ2万発近い子弾全てを迎撃は不可能だ。
天空に乱舞するかのように、迎撃レーザーが舞い上るが、迎撃出来た子弾の数は精々2割、多く見積もっても3割。
1万5000発前後の爆発性・焼夷性・対装甲用成型炸薬子弾が、海岸線一帯に特大の花火の如く降り注いだ。

小型種BETAはその灼熱の豪雨の中で、消し炭に変わって行った。 肝心の重光線級・光線級も数発から10数発の子弾を身に受け、破裂する様に身を弾かせ斃れる。
要撃級は無防備な上面に手痛い打撃を受け、次々に体を破裂させている。 強固な外殻を有する突撃級でさえ、立て続けの対装甲用成型炸薬子弾の打撃に、耐え切れなかった。

『砲撃エリア、FよりGに移行』

『エリアPのBETA群、殲滅完了。 エリアQへ移行する』

艦砲射撃の全工程が、凡そ半分が過ぎた。 その間、大型艦は九四式通常弾を撃ち込み続け、中小型艦からは重金属雲を引き続き形成する為にALMが発射されていた。
次第に砲撃音、ALMや誘導弾の飛翔音が、相模湾全域に殷々と木霊し始める。 やがて朝日が立ち上り始める頃、その勢いは絶頂に達していた。
戦艦6隻、大型巡洋艦2隻、イージス・打撃重巡洋艦6隻、同軽巡洋艦5隻、イージス・打撃・汎用駆逐艦が26隻。
これに大東亜連合海軍のフリゲート艦が16隻、ミサイル支援艦に至っては100隻に達する。 160隻を越す大小各艦艇から、無数の砲弾、ALM、誘導弾が撃ち込まれる。
相模湾東部海岸線は、まさに炎と鉄量の地獄と化した。 陸上から洋上に向けてレーザー照射が為されるが、意外なほど哀れな数と間隔でしか無い。
そのレーザー照射の大半が、戦艦の対レーザー蒸散塗膜装甲によって吸収される。 重光線級でさえ、1秒程のレーザー照射を浴びせる余裕も無かった。
その殆どは上空から降り注ぐ鉄と炎の災厄に焼かれ、切り刻まれ、まともに艦の装甲を突き破る事が出来なかったのである。


艦砲射撃開始から2時間が経過した0705、第1艦隊司令部は今までの戦果を確認し、上陸支援作戦のフェイズ2への移行を命令する。

『強襲上陸第1、第2連隊、発進せよ!』

『第1連隊、稲村ケ崎。 第2連隊、辻堂。 上陸支援砲撃、開始!』

『―――第2潜水艦隊、了解。 『海神』全機、発進せよ!』

『第3潜水戦隊、全『海神』の発進を確認!』

海岸線から16km沖合の水中に待機していた第2、第3潜水艦隊が、2個連隊・5個大隊の『海神』を発進させた。 2箇所の橋頭堡を確保する為に。
同時に艦隊の支援砲撃が、海岸線付近に集中する。 途端に、僅かに生き残っていた光線属種が、後方地域から前進して来た新たな個体群と共に、南へ南下して来た。

『稲村ケ崎、BETA群増加します! 約8800! 辻堂のBETA群、約9200!』

2時間かけて、1万以上のBETA群を葬って来た。 しかし連中は更に1万5000近い『増援』を、横浜から送り込んでいるのだ。

『旧八幡宮跡に重光線級確認! 個体数20!』

『源氏山付近に光線属種、重光線級7、光線級35!』

「―――艦隊、右砲戦用ー意! ・・・撃ッ!」

新たに艦隊の集中砲火と、光線属種のレーザー照射との撃ち合いが始まった。 戦闘開始後2時間が経過し、軌道爆撃で形成した重金属雲はかなり薄れている。
新たな重金属雲を形成するには、AL砲弾・ALMを大量に撃ち込まねばならない。 そして皮肉にも、ある程度の数の『光線属種が必要』とされる。
光線属種はその数を徐々に増やしてきている、問題なのは2時間の砲撃戦で、艦隊のAL砲弾・ALMの数がかなり減少している事だ。
上陸支援で大量のALMや無誘導弾をばら撒く『主役』は、実はロケット砲艦群である。 そのロケット砲艦のミサイル残弾が僅少となり、一旦後方に引いて補給中だった。

「・・・重金属雲を張る暇は有りません、直接叩きあいを行います」

松永参謀長の言葉に、山口司令長官が頷く。 非常に危険だが、勇将として世の海軍に知れる山口大将に、ここで引く手は考えられない様だ。

「あと少しだ、『海神』が上陸に成功し、橋頭堡を確保すれば・・・ 強行上陸第1派を送り込めれば、幾らでも迂回殲滅の方策は有る。
参謀長、戦艦、重巡、軽巡の全てを前に出せ。 盾にする。 光線属種の薄い所は、駆逐艦で対処させろ」

「・・・はッ!」

非情とも取れる命令だが、帝国海軍の各艦、そして各艦長は何も言わず、一斉に命令に従った。 
由比ヶ浜から辻堂・茅ヶ崎一帯を睨むように、戦艦・重巡・軽巡の全艦が単縦陣で海岸線に並行する。
ほぼ水平射撃に近い仰角で巨砲が唸り、巡洋艦の203mm、155mmの高初速砲が立て続けに砲弾を吐き出す。
大型艦の高射砲や、小型艦の主砲として搭載されている127mm速射砲が、1.33秒に1発の高発射速度で、直接照準で砲弾を叩き込む。

陸上からは重光線級の太いレーザーが海上に照射される、レーザー級の細いレーザーの数は100本を越した。
お互いが我慢比べの様に、損害に耐えつつ直接の叩きあいを演じている。 双方に損害が広がった。

『第2戦隊、『美濃』の第3砲塔全壊!』

『第7戦隊、集中照射を受けています! 『摩耶』機関部損傷、中破! 出し得る速力11ノット! 『鳥海』後部艦橋全壊、中破!』

『第1駆戦、駆逐艦『夕雲』爆沈! 『早霜』艦橋喪失、戦列を離れます!』

やられっ放しではない。

『源氏山公園の光線属種、殲滅に成功!』

『八幡宮の重光線級、残存8体! 12体の殲滅に成功しました!』

「ここが我慢のしどころだ! 『海神』上陸まであと2分! 持ち堪えろ!」

―――やがて、時が来た。

『強襲上陸2個連隊、上陸しました!』

『支援艦隊、復帰します! ALM、全力発射開始しました!』

面制圧と重金属雲形成の為の『主役』が戻って来た。 これで何とかなる、これで―――

『第2戦隊、『信濃』! 艦体中央部に重光線級のレーザー直撃!』

これまで耐え続けてきた主力艦の1隻、戦艦『信濃』が艦体中央を、重光線級のレーザーで貫かれた瞬間だった。







1999年8月4日 0715 相模湾 第1艦隊第2戦隊 戦艦『信濃』


初めは鈍い衝撃だった。 続いて艦内部から揺さぶられるような衝撃。 やがて艦内全てが非常用の赤色電灯に切り替わった。

「中部水線装甲部に、レーザー照射直撃!」

「こちらCIC! 機関指揮所、応答せよ! 機関指揮所! こちらCIC!―――機関指揮所、応答有りません!」

「右舷第1防水区画に浸水!」

「ダメコン、急げ!」

艦内が騒然とする。 内務長を指揮官とするダメコン・チームが総出で被害個所に駆けつけ、応急処理を行うべく飛び出してゆく。
艦の速力が見る見る落ちていた。 22ノットで艦砲射撃を加え続けていた『信濃』の速力は、14ノットまで低下している。

「艦長、電路が数か所で寸断されたようです。 現在予備電路に切り替え中、防水壁が幾つか下りません」

「・・・手動は?」

「ダメコンが向かっておりますが・・・」

艦の総合保全責任者でもある副長が、渋い顔で報告する。 まだ艦が沈む様な損害では無い。 第1、第2主砲塔も変わらず砲撃を続けている。
しかしこのままの低速で、立て続けに直撃を喰えば艦の中枢機能を喪失しかねない。 BETAとの戦闘で大型艦が沈むのは、1に弾火薬庫の誘爆、2に指揮中枢の喪失だ。

『艦長! 内務長です!』

ダメコン・チームの責任者から切羽詰まった声がスピーカーに流れた。

「艦長だ、内務(内務長)、どうした?」

『艦の速力を落して下さい! 流入浸水の勢いが強過ぎる! 第2隔壁が破られそうです! 第5、第7隔壁の閉鎖が水圧で出来ません!』

一瞬、あちこちで唸り声がした。 大量浸水による艦のバランス崩壊。 沈む要素がまたひとつ増えた。

『ッ! レーザー照射、第11派、来ます!』

「総員、対レーザー防御!」

「全砲門、左砲戦!」

既に艦体陣形の3番艦の位置に居る『信濃』は、折り返し点を周り今は左砲戦で戦っていた。 2番艦『尾張』との差が開き、4番艦『美濃』との差が詰まる。

「・・・取り舵、10度」

「取り舵、ですか!?」

艦長の命令に、副長が思わず確認する。 航海艦橋に居る航海長の息をのむ声が、スピーカーから流れる。 当然だ、取り舵―――左に、陸地に向け舵を切ると言う事は。

「本艦は未だ戦闘力を維持しておる。 そして速力が出ず、艦隊行動に追従出来ぬ。 ならば左に―――より陸上に近づく、これしかあるまい? 戦艦なのだ、本艦は」

誰も、何も言えなかった。 未だ戦闘力を保持した艦が、それも日本帝国海軍の戦艦が、戦場を前に『離脱』するなど有り得ない。
一瞬の静寂の後、艦内は異様な闘志―――或いは追い詰められた切迫感に包まれた、皆がアドレナリンを全開にしている。

その様子を見ていた艦長が、傍らに置いていた航海士―――正規の航海士では無く、少尉候補生の見習航海士を呼んだ。
今までの戦闘で、特に何をする仕事も無く、ただただ興奮しながら戦況を見守っていた若い候補生は、いきなりの指名に緊張しつつ艦長の元に参じる。

「どうやら、機関指揮所への通信網がやられた様だ。 航海士、君は機関指揮所へ走れ、機関長に伝言だ。 『速力10ノットと為せ』―――頼むぞ、綾森候補生」

「―――はッ! 機関指揮所へ伝達! 艦速力10ノット! 航海士、綾森候補生、命令受領しました! 行って参ります、艦長!」

若い顔を緊張させながら命令を復唱し、脱兎のごとくCICを走って出て行く若い部下を見ながら、艦長は思った―――死ぬなよ、と。





「駄目だ、駄目だ! 航海士、こっちは駄目です、火災とガスが発生している!」

「兵曹、機関指揮所へはどうしても、下甲板から左舷第22区画へ降りなきゃならん! 他の経路は!?」

消火活動で顔面を煤だらけにしたダメコン・チームの古参下士官に、綾森候補生が切羽詰まった声で確認する。 乗艦間もない彼は『艦内旅行』を完全に把握出来ていない。
聞かれた下士官は脳内にインプットされた艦内地図を探る様な表情で、まだ『大丈夫だろう』経路を思い出す。 損害箇所、無事な箇所、全体の艦内通路・・・

「・・・右舷、第3兵員室から下って、通信室脇のタラップからなら、第1下甲板に降りる事が出来ます。 そこから艦尾方向に第28区画まで行って左舷へ。
途中の24区画と23区画はもしかしたら閉鎖されているかもしれません、そしたら左舷第3高射砲弾揚塔区画脇のハッチから、機関室に降りる事が出来ます」

「判った、俺はそのルートで行く。 それと済まんが、伝令を1人貸してくれるか?」

「・・・了解です。 おい、前田! 貴様、候補生と一緒に行け!」

前田と呼ばれた若い1等水兵が、元気よく『了解!』と叫んでやって来た。 まだ若い、綾森候補生よりも若い、まだ16、17歳位の少年水兵だった。
もっともそんな若い兵隊は『信濃』だけじゃない、海軍全体に幾らでもいるし、陸軍にも年若い兵隊はごまんと居る―――姉や義兄が言っていたな。
急がなければならない、綾森候補生は伝令の前田1水(1等水兵)と共に艦内通路を走り抜け、タラップを飛び降り、まだ無事な右舷通路をひた走った。
戦闘配置がかかっている中、上甲板の艦内は無人に近い。 艦砲の射撃音だけが響く艦内を、ようやく右舷第28区画まで到達し、そこから左舷区画へと出た。

「よし、ここはまだ閉鎖されていない・・・ 前田1水、23区画まで急ぐぞ」

「はッ! 了解です、候補生! それと僭越ですが、ここから先はマスク(ガスマスク)を装面した方がよいのでしょうか? もしかしたら、ガスが発生しているかもしれません」

「む・・・ わ、判った。 マスク装面!」

確認の形だが、実際は進言、いや『命令』だった。 確かに被弾の衝撃で、ガス検知器が破損しているかもしれない。 念には念を、だ。 それにしても・・・

(・・・兵卒、牛馬、候補生、とは良く言ったもんだよな。 こんな若い1水でも、一端に働いているってのに)

つまり、艦内では少尉候補生が一番の『みそっかす』、『洟垂れ』だと、昔から言われ続けた言葉だ。 まだ何も専門を習得していない彼等は、日々が修行の時。
役に立つ、立たないは兵卒より下。 だから修行に励め、そう言われ続けてきた。 綾森候補生にしてみれば、まさに今それを実感した所だ。

マスクを装面すると、途端に耐えがたい程の蒸し暑い苦しさに襲われる。 だが我慢するしかない。 所々に焼け焦げた跡が有った、そして血痕も。 
一体何名、いや、何十名が負傷したのか?或いは何百名? やがて走り続け、第24区画を通過し、第23区画へ―――

「くそ、駄目だ!」

レーザー被弾の時に爆散したものか、艦内の構造材がめちゃめちゃに散乱して、通路を塞いでいる。 これではこの先の22区画へは行けない。
第3高射砲弾揚塔区画脇のハッチはさっき確認した、やはり構造材が落ちていて入り込めない。 どうしても22区画から入るしかない。
そう思った瞬間、また衝撃が走った。 思わずよろめいて、壁に激突してしまう。 見ると前田1水も呻きながら立ち上がろうとしていた。

「痛ぅ・・・ 前田1水、怪我は!?」

「大丈夫です! 候補生は・・・?」

「俺も怪我は無い、こんな所でしてたまるか・・・ 仕方が無い、別の経路を探すか」

「無いんです・・・」

「・・・何?」

「別の経路はすべて閉鎖されています! 22区画へは、この経路しか・・・!」

泣きそうな表情で、前田1水が叫ぶように言う。 艦内放送でレーザー照射の第2弾を艦中部前方に受けた事を言っていた。 時間が無い。
その時、不意に閃いた―――『戦場じゃ、恥も外聞も無いよ。 クソを垂れようが、小便を漏らそうが、取れる手段は全て取る』、義兄がそう言っていたな。

「・・・まだこの辺、バルジに注水は、されていないよな?」

「はあ、そうですが・・・」

綾森候補生の提案に、前田1水は目を丸くして驚いた。 なんとこの23区画からバルジ(艦の中枢装甲と外殻装甲の隙間、注水区画)に入る。
バルジには縦横に汚水管が走っている、それを伝って22区画まで行き、そこからまた艦内に入ると言うのだ。
普段ならとんでもない話だ、規則で禁じられている。 それにもし衝撃で汚水管が破損していたら?―――頭からクソや小便をひっ被る事になる!
そんな姿での戦死など、真っ平ご免だ。 ご免だが、やらないと機関指揮所に行けない。 減速を伝えないと、艦は次第に流入する浸水でバランスを崩し、最悪転覆する。

意を決した2人は、硬く締めつけられたハッチを解放し、バルジの中に入った。 暗く蒸し暑い場所だ。 途中で本当に汚水を―――大か小か―――を被ってしまった。

別の意味で死ぬような思いをして、ようやく第22区画に辿り着いた。 目指す先に機関指揮所へと降りるハッチがある。 あそこをくぐれば、機関室へのタラップが・・・
2人とも気が急いて、しかし息苦しさと疲労で足がもつれながらハッチをくぐる。 タラップを下り、機関室へ通じる防火・耐水扉を開けて―――

「うわああ!」

背後から前田1水の悲鳴が聞こえた気がした。 同時に背後から突き飛ばされるような衝撃と、熱気が襲い掛かって来た。

「がっ!」

一気に機関室内のプレート通路に体を叩きつけられた、嫌な音がした。 激痛が走る。

『レーザー照射被弾! 艦内下甲板で爆発!』

『左舷第3機械室、全滅!』

『目標、左10時方向・・・ 撃ッ!』

被弾を伝える声と、攻撃命令が同時に聞こえる。 まだだ、まだ『信濃』は負けちゃいない。

「おい、貴様ら、大丈夫か!? ・・・って、おい、貴様、航海士か!?」

誰だろう、誰かが自分に呼び掛けている。 機関科の士官か? 見た気がする、誰だっただろう・・・? それにしても、畜生! 痛い! 全身が痛い!

「おい、負傷者だ! 向うへ運べ!」

その機関科士官が叫び、部下に運ばせて持ち場に戻ろうとしたその瞬間、反射的に綾森候補生はその士官の足首を掴んでいた。

「うおっ!? き、貴様、一体何を・・・!?」

「で・・・伝言・・・」

「なに? 伝言? 艦橋からか?」

「か、艦長より・・・機関長へ・・・『速力、10ノット』・・・」

「なに!? 何と言った? 10ノット? 減速か!?」

痛い、我慢できない程痛い。 おまけに火傷もしたようだ、意識が途絶えそうだ。

「・・・か、艦長より命令です! 『速力10ノットと為せ!』 隔壁が浸水で破られそうです!」

「なにぃ!? おい、長附(機関長附き、機関中少尉がする)! 指揮所に報告! 『速力10ノット』、艦長命令だ、急げ!」

「了解、速力10ノット、了解!」

機関室内が慌ただしくなる。 怒声が飛び交い、機関員が様々なコントロールパネルに飛びつく。 中には手動でバルブの急速開閉を行っている者も居た。
その様子を見ながら綾森候補生は、ああ、やった、これで艦はひとまず大丈夫だ、そう思った。 思った瞬間、意識が途切れた。









1999年8月4日 1430 相模湾 第1艦隊旗艦 戦艦『紀伊』


『第8軍第1軍団、第9軍第14軍団、旧鎌倉市内を制圧完了。 損耗率22%』

『第8軍第8軍団、第16軍団、旧藤沢市を確保。 損耗率20.5%』

『大東亜連合軍第3軍団(インドネシア軍第4、第5、第8師団)、厚木方面に進撃開始しました。 目立った損失は無し』

『戦略予備の第18軍団(第32、第33、第34師団)、国連軍第4軍団(フィリピン軍第6、第9師団)西関東防衛線に合流』

ほんの1時間前まで凄惨な上陸戦が行われていた海岸線は、今は無数の、と言いたくなる程の揚陸艦や、輸送艦から発進した大発(大発動艇)によるピストン輸送で渋滞していた。
強襲上陸2個連隊が力技で確保した橋頭堡に、海軍聯合陸戦第1、第2師団が殺到した。 3割近い損失を出しながらも、内陸への支配地拡張に成功したのが正午過ぎ。
そこから稲村ケ崎に第8軍第1軍団(第1師団、第3師団、禁衛師団)が上陸。 三浦半島の第14軍団の一部(第47師団、韓国第4師団)と共に、旧鎌倉市域を奪回した。
辻堂には第8軍第8軍団(第28師団、第43師団)、第16軍団(第19、第23師団)が上陸、藤沢市域を確保した。
同時に大東亜連合軍第3軍団(インドネシア軍第4、第5、第8師団)が茅ヶ崎に上陸開始、相模川沿いに厚木に向け北上を開始し始めた。

上陸部隊の平均損耗率は23.5% 最悪の数字は強襲上陸2個連隊(『海神』部隊)の56.2%、聯合陸戦第1、第3師団もそれぞれ29.2%、28.9%の損失を出した。

だがそれ以外の部隊は、十分許容範囲内の損失で済んでいる。 今後の侵攻作戦でも十分耐えきれる。
聯合陸戦師団も同様だ、元々が陸軍の師団よりずっと大型の部隊だ(4個旅団=陸戦団編制) 3割の損失でも、陸軍の1個師団の戦力に十分匹敵する。

「2200には、大東亜連合軍が厚木・海老名・大和・町田のラインを確保する予定です。 同時に第18軍団・国連第4軍団が西関東防衛線より進出。
2330までには、登戸から町田までの北部防衛線に展開開始。 南部は第8軍、第9軍が藤沢・鎌倉・逗子・横須賀ラインを確保。 明日の攻勢に備えます」

松永参謀長の報告を聞いていた山口司令長官は、暮れゆく夕焼けを受けた海岸線を見つめ、呟くように言った。

「・・・大山さんに言ってくれ、何とか約束は果たしたと」

「はッ! それと、現時点での艦隊の損害報告です。 『信濃』は何とか、沈没を回避しました」

手渡された紙切れに目を通し、内心で呻く。 大破、戦艦『信濃』、重巡『鳥海』、『摩耶』、軽巡『阿武隈』、駆逐艦『初月』、『清霜』の5隻。
中小破は戦艦『美濃』、重巡『利根』、駆逐艦『照月』、『夏潮』の4隻。 そして重巡『筑摩』、軽巡『仁淀』、駆逐艦『夕雲』、『早霜』、『黒潮』、『秋霜』の6隻が沈んだ。

「・・・明日以降使える艦は、29隻か」

痛いな、と思う。 今朝には44隻の大艦隊の陣容を揃えていたのだ。 たった半日の上陸支援戦闘で15隻が脱落するとは。

「大東亜連合艦隊でも、台湾のフリゲート『康定』と中国の『淮南』が沈みました。 インドの『デリー』、タイの『ナレースワン』が中破です。
戦力は減りましたが・・・ 明日以降は米軍が参加します、自国部隊が上陸を開始しますから、連中も支援砲撃に参加しない訳にはいかんでしょう」

「うん・・・ 戦艦『アイオワ』、『ニュージャージー』に、我が国の最上級に匹敵する大型巡洋艦『グアム』か。
確かに『信濃』、『美濃』の抜けた穴は塞げるか。 それにイージスを始め巡洋艦と駆逐艦が併せて10隻か」

15隻の脱落が有ったが、新たに米第7艦隊から12隻の追加だ。 それだけでは無い、米第5艦隊の巡洋艦と駆逐艦が6隻で、合計18隻。

「問題は、向うの指揮官、アームストロング少将ですが・・・」

「なに、従わせるさ。 向うだって自国だけじゃどうしようもない、『寄らば大樹の樹』さ。 今夜中にウィラード(国連太平洋総軍司令官)に話を付けておく」

話をつける、か―――この人なら通信回線越しに、ウィラード大将と喧嘩しかねんな。 GF(連合艦隊)司令部と軍令部、双方からも話をして貰った方が良いな。
上がイケイケだと、下の補佐役はどうしても調整型になってしまう。 そんな好例の松永少将は、内心でそっと溜息をついた。 
つきながら、さて誰に話を持って行こうか? そんな事ばかりを考えていた。









1999年8月8日 1730 相模湾東部海域 第4上陸支援艦隊 作戦指揮艦『夕張』


「上陸第1派は何とか成功した様だな。 第2派の大東亜連合軍も順調だ、これで明日の本番を迎えられる」

艦内の作戦室で、地図を広げて18師団作戦課長の広江直美中佐が、独り言のように呟いた。 作戦は順調に推移している、明日の本番を控え、万全の状態だった。

「夜半には攻撃発起点までの確保が完了すると、報告が有りました。 我々は明日0530、予定通り横須賀に上陸します」

「周防、上陸地点の情報は? BETAの動きはどうだ?」

「第14軍団からの連絡では、比較的散発状態であると。 今日の動きも、相模湾へは総数で3万からのBETA群が殺到しましたが、三浦半島へは精々2000程度だったと。
聯合陸戦第3師団も、戦力の85%を回復した様です。 半島の守りは47師団、49師団に韓国軍2個師団で大丈夫でしょう。
第7師団と聯合陸戦第3師団は、我々第13軍団に付き合って貰います。 統一中華の2個師団も。 合計で6個師団・・・陸戦隊を計算すれば、6.5個師団」

師団G2(情報課)からの情報をもとに、部下の周防直衛大尉が所見を述べる。 順調だ、不気味なほど順調だった。
先程までの軍団作戦会議の席上、軍団司令部も師団司令部も、比較的楽観論が支配していた。 当然歴戦の部隊だけに、完全に舐めてかかる様な愚はしなかったが。
それでも数名の『苦労性』の人間は居た。 広江中佐もそうだし、周防大尉もそうだった。 彼等は楽観するには、余りに多くの負け戦を見過ぎている。

作戦会議が終わり(軍団司令部が乗り込む作戦指揮艦『天竜』で行われた)帰艦した途端に広江中佐が周防大尉を捕まえ、ぶちまけたのだ『アレで良いと思うか!?』と。

「数は相応の数ですし、司令部内で全員が楽観しなければいいのでは? 作戦課長が悲観論でストッパーをすれば、歯止めになりますよ」

「なんだ、周防。 貴様、私だけ貧乏くじを引かせる気か!?」

「偶には引いて下さい。 少しは部下を労わって下さい。 大尉風情で将官連中に睨まれるのは、ご免です。 その代わり、中佐に代わって耳はそばだてておきますから」

「可愛くない奴だ、まあいい。 今更作戦を弄る訳にも行かんしな、精々、注意を払っておけ」

そう言って苦笑した広江中佐が、周防大尉に向かって思い出したように言った。

「・・・海軍から何か連絡は有ったのか? 『信濃』は随分と叩かれていた」

部下である周防大尉の義弟が、戦艦『信濃』の乗り組みだった。 酷く叩かれ、それでも砲撃を敢行していた『信濃』だったが、最後はよろめく様に海域を離脱していった。

「いえ、まだ何も。 向うも大わらわでしょうから、暫くしてからでないと、判らないと思います」

「そうか・・・ 貴様の嫁は? どうしている?」

「表向き、何も変わらずに。 こちらからも、特には何も」

「・・・その方が良いな。 あいつも歴戦だ、そのくらいの覚悟は有るだろう。 全ては作戦が終わってからだな」

周防大尉も無言で頷いた。 戦場にあって完全な安全など有りはしない、元戦術機乗りの妻なら、それは十分理解している筈だ。 だが肉親の事となると・・・
今日は出番が無かった。 だから戦闘海域を少し離れた場所で『観戦』する事になったが、やはり強行上陸作戦は被害が大きい。
艦の数か所から爆炎を噴き上げ、時々小爆発を繰り返しながら、僅か8ノットと言う、這うような速度で戦場を離脱して行く『信濃』の姿が脳裏に蘇る。
艦内は酷い状態だろう。 あの爆炎一つ、爆発一つで数10人、数100人が傷つき、死んで行く事になるのだから。

(・・・死ぬんじゃないぞ)

生死の判らぬ義弟に向けて、周防大尉は内心で祈るように呟いた。









1999年8月5日 0015 太平洋鹿島灘 戦艦『信濃』艦内


あちこちで阿鼻叫喚の声が響く。 苦痛に呻く声、すすり泣く声、絶叫の様な悲鳴。 艦は酷い有様だった。 都合8本もの、重光線級のレーザー照射の直撃を喰らったのだ。
主砲はとうとう、全砲塔が使用不能になった。 速射砲も左右両舷とも、7割が破損した。 機関も重大な損害を受け、出し得る速力は最大でも8ノット。
なんとか自力航行しつつ、松島湾に向けて北上中だった。 傍らには中破した僚艦『美濃』が随走していた。

「・・・」

負傷者を『寝かせて』いる通路の隅で、頭に包帯を巻き、骨折した左手を吊って、その様子をぼんやりとその光景を眺めていた。 モルヒネが効いていた。
正直、記憶が飛んでいてはっきり思い出せない。 あの時、機関室まで伝令に出かけ、艦長の命令を伝え、それから・・・

(それから・・・ どうなったんだっけ?)

そこで記憶が飛んでいた、気がつけば艦が相模湾から離脱していたのだ。 あっけない、実にあっけない初陣だった。
隣で呻き声がする。 包帯でミイラの様にぐるぐる巻きに巻かれた、前田1水だった。 彼は打撲と骨折もだが、火傷が酷かった。
ぼんやりしていると、頭に包帯を巻いた士官が近づいてきた。 機関科の士官だ。 彼は自分を見るなり、相好を崩した。

「おう、航海士、今日はお手柄だったな!」

その意味が判らない。

「・・・は?」

その表情に、機関科の士官(機関大尉だった)が呆れた様に、そして彼が初陣だったと思いだし、諭すように言った。

「おいおい、貴様が機関室まで伝令に来なければ、『信濃』は浸水でバランスを崩して転覆していた所だぞ? 実に危ないタイミングだったんだ。
貴様が来たからこそ、速度を落として転覆を免れた。 その後も戦闘に参加できた。 話しを聞いた、咄嗟にバルジの中を通ったってな―――大殊勲だ」

それだけ言うと、精々養生しろよ、まだまだ戦は続くからな、そう言ってその機関大尉は去って行った。

―――ああ、まだ戦いは続くのかぁ・・・ 

そう、ぼんやりした意識で思った。 綾森喬海軍少尉候補生の初陣は、こうして終わった。






1999年8月5日 0025 日本帝国軍・国連太平洋総軍第11軍・大東亜連合軍派遣軍の連合軍は、旧神奈川県内南部の戦域確保に成功した。

『明星作戦』、そのハイヴ攻略フェイズ発動まで、あと5時間に迫っていた。





[20952] 明星作戦 2話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/08/12 00:18
1999年8月5日 0525 三浦半島 旧横須賀市 横須賀新港 第13軍団第18師団


陽が昇る―――朝日が立ち上り、明星の青白い空が光に浸食され、光り輝き始めている。

東の空を見つめながら、そんな、柄でない事を思っていた。 気温はまだそれほど高くない、30度に達していない。 今日の予想気温は、師団気象班の予想では36度に達する。
港から見た光景、海は観音崎を回って続々と侵入してくる上陸支援艦隊、輸送船団で埋め尽くされている。 片舷に朝日を浴びながら、波を裂いて港に入ってくる。
瓦礫が撤去された旧埠頭には、次々に接岸された補給艦・輸送船から大量の戦略物資が功陸されている。 輸送トラックが走りまわり、その大量の物資を何処へと運び出している。

岸壁に立ち、周囲を見渡す。 楠ヶ浦町、泊町・・・横須賀米軍基地跡は、千葉から散々撃ち込まれた砲撃の為に、跡形も無いまっさらな更地になっている。
横須賀中央、汐入町の辺りもBETAに食い荒され、砲撃が散々撃ち込まれ、まるで話に聞く月面のクレーターだ―――昔、死んだ兄貴が住んでいた辺りも、跡形も無い。

防暑帽のつばを引っ張り、無意識に目深にかぶり直した。 ここで感傷に浸る為に上陸したのではない。
傍らに止めてあった1/2トラック(73式、小型汎用の軍用車両)に乗り込む。 既に3人の先客がいた。

「・・・揚陸作業は順調。 あと1時間で完了するよ」

後席に座る師団兵站課員(兵站参謀)の伊丹大尉(伊丹正友大尉)が、秀才然とした眼鏡の奥の瞳を光らせて(そんな感じで)言う。
帝大の経済学部から学徒動員で引っ張られ、各地の実戦部隊の主計部署を渡り歩いてきた男だ。 実際に歩兵部隊に混ざって、小型種BETAとやり合った経験を持つ。

「8軍団(第8軍、第28、第43師団)が湘南台まで進出した、第16軍団(第8軍、第19、第23師団)は大船だ」

ハンドルを握る師団情報課員(情報参謀)の渡部大尉(渡部公彦大尉)が、他部隊の進捗状況を伝える。
これで南北の外縁ラインのBETA誘導部隊は、全て布陣が完了した。 後は攻勢部隊―――第1軍団と第13軍団、そして第14軍団の一部の配置が完了すれば・・・

「軌道爆撃第2派開始は、0730。 あと2時間後か」

助手席に潜り込み、誰と話に呟いた俺の一言に、2人とも頷いた。 あと2時間、あと2時間で帝国は、これまでで最大級の大攻勢作戦を開始する。
目標は甲22号目標―――横浜ハイヴ。 国内に2箇所確認されたハイヴの方割れ。 佐渡島と異なり、本土の、それも国土の中枢近くに建設されたハイヴ。
最優先で、どれ程の犠牲を払ってでも、最優先で排除せねばならない戦略目標だ。 これが成長すれば・・・帝国は確実に亡国となる。

旧軍港地帯を右手に見ながら、横須賀街道を北上する。 現在、師団司令部は金沢八景の旧大学跡地に移っていた。
後続の上陸状況を確認するため、派遣された俺達3人の帰隊を待って、最後の作戦確認会議が開始されるのだ。
やがて追浜から旧金沢八景駅跡を横目に見て、瀬戸で左に折れる。 暫く進んでまた左折、正面に衛兵が立哨する師団本部―――旧大学跡地が見えた。
建物の前で車輌を止めて、そのまま本部に使用されているキャンパス建物(半分以上、BETAに齧られていたが)に入る。


1階の奥、数部屋を吶喊でブチ抜いた作戦室に入った。 既に師団長、参謀長以下、お偉方が揃っている。 取りあえず末席に座った。
それを合図に、師団主任作戦参謀―――司令部作戦課長の広江中佐が立ち上がり、プロジェクターに映し出された戦況図を前に説明を始めた。

「まず、現在の状況を再確認させて頂く。 『本土奪回総軍』は2個軍、19個師団(戦略予備2個師団)全てが、攻撃発起点に布陣を完了した」

―――おお。

あちこちから声が上がる。 上陸作戦開始後24時間で、19個師団もの大部隊が大きな混乱も無く、所定の行動予定通りとは。
先程の声も、少しばかり不信感が滲んだ疑問の声だ。 これはおかしい、幾らなんでも順調過ぎる。 BETAはどこに居る?
広江中佐の説明が続く。 プロジェクター画面は南関東一円を映し出している、奪回総軍と、本土防衛軍関東軍管区の西関東防衛線が映し出されていた。

「大東亜連合第3軍団(インドネシア軍団)は厚木・海老名・大和・町田に展開。 第18軍団(第32、第33、第33師団)、国連第4軍団(比軍第6、第9師団)は登戸から町田に」

8個師団が外縁部に展開を完了した、これらの部隊は横浜のBETA群を北方に引きずり上げる任務を担当する。 
作戦には戦略予備の第19軍団(第35、第36師団)も協同する。 西関東防衛線から出撃し、旧大和市付近で横浜からの扉を閉じる役目だ。
広江中佐がポインターを八王子街道沿いに、町田の辺りまで移動させる。 町田から相模原辺りまで引き上げ、そこを厚木・登戸の双方から南の出口を閉じる。
横浜から太い線が大和市の辺りで2手に分かれ、一方は北の町田へ、一方は南の綾瀬・海老名へ。 南には第8、第16軍団と第14軍団主力、それに韓国軍第2軍団。

「この様に、8個師団で包囲網を形成する、その『底』に聯合陸戦第1師団が控える。 合計9個師団でもって、『南の包囲網』でBETAの誘因・殲滅を図る。
合計20個師団が横浜ハイヴのBETA群を誘引し、引き釣りあげ、ハイヴ突入部隊の為に『時間』と『空間』を作る。 我々はそれを最大限に活用せねばならない」

広江中佐の説明が続く。 南北に合計20個師団が誘引・殲滅戦を仕掛け、空いたハイヴ周辺戦域に第2次軌道爆撃を行い、周辺BETA群の掃除を行う。
その隙に我々攻勢部隊、ハイヴ付近の戦域確保部隊が突入し、『戦域確保』を行う。 ハイヴ中枢から伸びるスタブの出口―――『門(ゲート)』周辺の確保だ。

「戦域突入第1派は、我々第13軍団(第14、第18師団)が行う。 具体的には第141と第181戦術機甲連隊だ、八景島から根岸に突入。 山手一帯を確保する」

そう、それが戦域突入作戦の第一弾。 その次に両師団の機甲部隊を主力とした機動部隊と、聯合陸戦第3師団の『瑞鶴』部隊が第2派として戦域拡張を行う。
それと同時に横浜横須賀道路を北上する第1軍団(禁衛、第1、第3師団)が、保土ヶ谷周辺戦域を確保。 軌道降下兵団は山手・保土ヶ谷、2箇所の戦域にある『門』から突入する。
最後に第7師団、統一中華2個師団(台湾第3、中国第110師団)の3個師団が他戦域の『門』を封鎖する。 戦域で言えば井土ヶ谷・弘明寺戦域、そして西横浜から旧横浜駅周辺が相当する。 止めは米軍の本牧ふ頭上陸だ、海岸線に展開する。

そして確保した戦域に天空から舞い降りるのは、帝国と国連(豪・印軍)のチキンズ―――オービット・ダイバーズが6個大隊。
更に地上からのハイヴ突入部隊である、独立機動大隊17個大隊(8個連隊相当)が大挙してハイヴに突入する予定だった。

「我々はその間、ハイヴ内と地上との間の通信・兵站線を確保しつつ、他の『門』からの逆襲に備える。
突入した『門』以外は熱硬化性樹脂で充填封鎖、或いはセントリーガン(設置型自動機関砲座)と機甲部隊を中心とした大隊戦闘団を張り付けるが、安心はできない」

逆襲されれば、充填封鎖した『門』以外は押し返す事は困難だろう。 所詮は警戒部隊―――『呼び鈴』を取り付けるに過ぎないのだから。


「・・・多いと思うか? 少ないと思うか?」

隣の席に座った渡部大尉が聞いて来る。 彼は半島で負傷する前まで、機甲中隊を率いていた戦車乗りだ。 声に不信感が籠っている。
多いと言えば多い、そう言えるだろうか。 日本と大東亜連合、中韓台、各国軍併せて20個師団の包囲網。 京都防衛戦でさえ、総戦力は22個師団に過ぎなかった。

「多いと言えば、多いだろうさ。 参加総兵力29個師団、米軍を入れれば31個師団だ。 93年の『双極作戦(40個師団)』、94年の『大陸打通作戦(40個師団以上)』に次ぐ」

ああ、他にも93年9月の『九-六作戦』、あの時の極東戦線全域で見れば、40個師団からの部隊が動いていた。
96年に欧州で経験した『第2次バトル・オブ・ドーヴァー』でさえ、参加総兵力は18個師団でしかなかった。

「ふん・・・本音か?」

白々しい表情で、渡部大尉が振って来た。 この男、根は悪い奴じゃないんだが、負傷復帰後は自虐趣味が酷くなってきた、そう言われる。
本音ね・・・ 本音を言えば、どれだけ部隊数が揃っていても、全く安心出来ない、それが本音だ。

「・・・聞きたいか?」

「是非に、な」

「ふん・・・ 『双極作戦』じゃ、40個師団が寄ってたかって叩き続けたが、間に合わなかった。 最後はS-11弾頭搭載弾道弾の嵐を降らせて始末した。
『九-六作戦』では何とか阻止したが、結局は兵力が枯渇した。 『大陸打通作戦』も結局は、40個師団以上の部隊が振りまわされて、最後はS-11弾頭弾の集中砲撃で始末した」

ここで少し話を切った。 渡部大尉の目の色が違っている、奥底に何か狂気を含んだ様な、そんな目だ。

「京都防衛戦は、22個師団で戦線を作って、最後は京都盆地にBETAを引きずり込んで、これまたS-11弾頭砲弾―――戦艦主砲弾で街ごと消し去った。
少ない―――フェイズ2ハイヴとは言え、帝国にとっては初のハイヴ攻略戦だ、少ない。 どんな不慮の事態が起きるか、想定出来ない。 これが本音さ」

「だったら、こんな『通常戦力』だけで、ハイヴを陥せると思うか?」

「・・・やってみなきゃ、判らんよ」

我ながら苦しい切り返しだ、本音では不安でしようが無い。 国連軍とも共用するデータシミュレーションで、フェイズ2ハイヴ攻略を想定した兵棋演習は何度も行われた。
各国のデータをも取り寄せ、フェイズ2からフェイズ3ハイヴ(初期)での想定ハイヴ内BETA個体数の算出、地上への出現率をも計算し続けた。
これに過去半年間、横浜での実際の飽和個体数の総数と出現間隔、1回の出現個体数、これらを勘案して、今回の作戦時での地上出現数とハイヴ内個体数を想定し、作戦を立案した。

「我々突入第1派に求められる事は、迅速な部隊展開、そして時間だ。 手間取れば手間取る程、南北の攻囲部隊の負担が増える。
更に言えば、その分ハイヴ内から湧いて出て来るBETA群の数が増える、戦域確保に手間取る訳だ。 各級指揮官には、この事を常に念頭に置いて頂きたい」

広江中佐の説明の声に、意識を作戦会議に戻した。 時間か、時間―――いつも、いつもそうだ、そうだった。 何よりも時間! 先手を打つ、でなければ失敗した。
立案を主導したのは帝国軍統帥本部第2部(作戦部)だが、国連軍太平洋方面総軍作戦部も参加して、多角度から検討をし続けた。
現時点では、恐らく他に検討のしようが無い、それほどまでに行われた、そう聞いている。 俺達師団級の司令部要員は、その大戦略に沿った師団作戦を練る。
その作業が延々と数か月間、行われてきた。 今回の参加戦力も、その計算された結果弾き出された最大公約数の筈だ。

そっと、囁く様に渡部大尉に切り返した。

「言い出したらキリが無い、カシュガル(フェイズ6ハイヴ)でも攻略する訳か?―――俺達は半年間以上、この日の作戦を練って来た、そうじゃないか?」

そう信じるしかない、そう思う。 後は手持ちの枠内で、どう柔軟に運用していくかだ、それだけだ。
8月5日、0605。 南北両戦線が動き出すまで、あと1時間半―――










1999年8月5日 0820 旧町田市 かしの木山自然公園跡


―――ごくり。 FO(前進観測班長)の少尉が双眼鏡を覗き込みながら、無意識に喉を鳴らす。 前線に布陣した機甲部隊の直ぐ脇、未だ辛うじて残っているかつての自然公園。
その『山頂』に砲兵大隊の前進観測班が陣取っている。 双眼鏡から見える『世界』に魅入られつつも、F10(個人用携帯無線機)を手に取り、送信ボタンを押す。

「・・・13、こちら26。 修正射、送レ」

『26、こちら13、送レ』

相手のFDC(砲兵大隊射撃指揮班)から、直ぐに返信が入った。 FOは先程まで、火力制圧案を共に練っていた機甲中隊長の、『要求』をFDCに伝える。

「座標1520-2350、標高20、観目方位角4700、送レ」

『続いて送レ』

「進撃中のBETA群は要撃級50を含む、約300。 陣地正面750。 縦深不明、光線属種は観測せず。 効力射には92CVT、送レ」

目標の位置・種類・状態、射撃方法の弾種。

『こちら13、了解、待て』





暫く空電。 この間にもFDC(砲兵大隊射撃指揮班)では大隊射撃指揮幹部以下、前線からの『要求』に一斉に動いている。 指揮所テントの中が、慌ただしくなる。

「アシスト! FOから射撃要求です! 修正射、座標1520-2350、標高20、観目方位角4700! 光線属種は観測されず!」

COP(射撃図下士官:伍長)がFOからの『射撃要求』を受け、アシスト(指揮班長、射撃指揮補佐将校:大隊運幹が兼務)に報告する。

「1中隊、FOから射撃要求。 まもなく射撃に入る」

COPの報告と同時に、Comp(算定下士官:軍曹)が速やかに射撃中隊(砲列)に予告を与え、準備を施す。
アシスト(指揮班長)の古参砲兵中尉が、瞬時に状況を脳裏に展開する。 現在空いているのは1中隊。 目標の座標は正確に取れていない、『修正射』でいく必要がある。
弾は? 当然M107榴弾だ、問題は信管だ。 敵は要撃級BETA群で、事態は切迫している、急速射撃が必要だ―――よし、ここはFOの言う通り、92CVTだ。
効力射弾数―――要撃級の数は50だ、効果25%として弾数10発。 いやいや、事態は切迫している、向うの部隊は90式が1個中隊。 なら効果50%で行くべき。

「大隊長! FOから要求の要撃級含むBETA群を、速やかに制圧する必要あり! 1中隊の修正射、効力射には92CVT、20発を撃ち込みます!」

瞬時のそれだけの判断を下したアシストが、奥に陣取る大隊長に報告と実施項目を伝える。 

「92CVTの予備は、大丈夫か?」

「まだ余裕があります」

「・・・よし、撃て!」

大隊長が『決断』を下した。 アシストは大隊長の命令を受け、FDCの各員に対し、『射撃命令』を下達する。

「射撃命令、1中! 1中修正基準砲、座標1520-2350、標高20、観目方位角4700! M557瞬発、装薬白6、効力射92CVT、20発!」

Comp(算定下士:軍曹)が野戦電話を掴み、射撃号令が射撃陣地の1中砲班長に達せられる。 同時にCompはFCE(射撃諸元算定装置)で、射撃諸元の計算に掛かっている。

「中隊修正射! 基準砲、M557瞬発、装薬白6」

『中隊修正射。 基準砲、M557瞬発、装薬白6』

射撃陣地から即、復唱が帰ってくる。 そして熟練の古参下士官であるCompは、射撃諸元の計算を同時進行して止めない。

「諸元、後から」

『了解・・・ おい、瞬発、装填!』

電話口の向こうから、砲班員の復唱する声が聞こえた。 
その間にもCompは射撃諸元を計算し、対面ではCOP(射撃図下士)が同様にFCEを用いて計算し、Compにミスが無いかチェックをしている。
やがて射撃諸元の計算が終わった、熟練の砲兵下士官の技か、僅かな時間しか経っていない。 Compが野戦電話を掴み、1中へ射撃諸元を伝える。

「方位角1058(ミル)、射角320(ミル)!」

『方位角1058、射角320』

「良し!」

Comp、1中砲班長の伝達状況を確認したCOPが、最終的に正常を確認した。 Compが最終的な射撃指示を出す。

「各個に撃て! なお、効力射にはCVT20発を準備!」

『了解。 ・・・よぉ~い、撃ッ! 基準砲、初弾発射!』






後方から重低音と共に、砲弾が迫りくる音が聞こえた。 途端に地表に炸裂する、同時に白煙が立ち上った。 場所は―――いいぞ、要撃級の群れのど真ん中。

「13、こちら26。 修正射確認、左右良好、前後良好、送レ!」

『26、こちら13。 修正射、左右、前後良好、良いか? 送レ』

良いも悪いも無い、まさにど真ん中にオン・ターゲットだ。

「13、こちら26。 ど真ん中にオン・ターゲット! 急いで効力射、やってくれ! クソッたれのBETA共を吹き飛ばせッ!」

『26、こちら13! 了解した! 大至急、出前を届ける!』











1999年8月5日 0933 西関東防衛線 第4軍団第13師団戦区


分厚い重金属雲が広範囲に空を覆っている。 背後からひっきりなしに撃ち込まれる重砲とMLRS、目標は南町田付近。
丘陵地帯だったあの辺り一帯も、今ではすっかり平坦な地形が多くなった。 その分、弾着観測はし易くなったが。

2時間前に軌道爆撃の第2波攻撃が行われた、同時に外縁部に展開していた各部隊が一斉に輪を閉じる様に突入を開始、東戸塚の辺りでBETA群と接敵、交戦を開始した。
観測されたBETA群の総数、約2万8000。 フェイズ2ハイヴからの飽和個体群とは思えない数が出てきた。 それを町田方面と海老名方面の2方向に誘導しつつある。
そしてつい先ほど、この西関東防衛線付近に布陣していた『奪回総軍』所属の第19軍団(第35、第36師団)が出撃して行った。 長駆、南町田付近で2方向の蓋をする為だ。

「・・・連中、大丈夫かね?」

「去年、富士と西神奈川で戦った経験のある部隊だ、全くの実戦処女じゃないぜ? もっとも部隊は半分やられて、最近まで再編成と練成中だったがね」

隣に陣取った2人の声が聞こえる。 今は六郷土手の河川敷、遥か彼方の戦場音楽を聴いている最中だ。

「・・・大友、国枝、貴様ら、部隊の方は良いのか?」

13師団の久賀大尉が、訓練校同期の大友大尉、国枝大尉に問いかける。 西関東防衛線第1級配備部隊の第13師団である久賀大尉は、強化装備姿だが他の2人は防暑服姿だ。
大友、国枝両大尉は、第1軍団が抜けた後を補う為に、東京都内に配された『守備隊』である第29師団(第17軍団)の所属だった。

「こっちは天王洲駐留だからな、何かあれば第1京浜すっ飛ばして戻ればすぐさ。 道路はガラ空きだ」

「それより久賀、暑くないのか? 貴様・・・ こんなクソ暑い最中、強化装備姿なんてよ?」

「・・・暑いに決まっているだろうが。 第1級警戒態勢だ、脱ぐ訳にも行かん。 それより貴様らこそ、こんな所で与太を飛ばしていていいのか?」

仮にも『東京守備部隊』なのだ、今頃はやはり第1級警戒態勢だろうに。 その言葉に大友・国枝両大尉が顔を見合わせ、疲れた様に苦笑する。

「無理だな、貴様ら西関東防衛戦が抜かれたら、後はもう千葉か茨城辺りで防衛戦を張るしかない」

「知らんのなら教えてやろう、25師団も29師団も、まともな戦闘力は持っていない。 確かに定数は揃えた、だが頭数を揃えただけだ」

どう言う事だ?―――視線で問いかけた久賀大尉に、国枝大尉が自嘲気味に答える。

「俺の中隊はな、実戦経験が有るのは俺と、2小隊長の2人だけだ。 3小隊長は特操上がりのテンプラ中尉、他は今年3月と、それに7月に繰り上げ卒業した新米だ」

「・・・なんだと?」

一瞬、絶句した久賀大尉に、今度は大友大尉が付け加えた。

「どこの中隊も、同じようなものさ。 使える奴は、いや、使えそうな奴は全て『奪回総軍』が持って行った。 残ったのは、練成もまともに出来ていないヒヨ子共ばかり。
こんな連中で戦えると思うか? 無理だ、精々全滅までの時間を稼ぐしか、他に道は無い。 北関東の第2軍団と、福島の第12軍団が展開するまでの時間稼ぎしか出来んよ」

だから、その時は俺達が死出の死装束をまとうまでの時間、稼いでくれ―――同期生達の冗談とも、本気とも取れない言葉に、久賀大尉が舌打ちする。
ここでもだ―――ここでも、この国の上の連中の、不備の皺寄せが来ている。 彼は全てを知る立場に無い、だが実戦で、肌で知っている。 この国が全て後手に回っている事が。

「それでも、周防や長門達よりマシか。 あいつらはハイヴ突入戦域確保の、第1派部隊だからな」

「14師団に18師団か、去年は京都で一緒に戦ったな。 まあ、しぶとい連中だし、何人かは生き残るだろうがな・・・」

久しぶりに聞く、かつて共に戦った同期生達の名前。 風の便りで、周防は結婚したと聞いた。 相手は・・・ああ、ようやく奴も年貢を納めたか。

(・・・貴様なら、どうする? どう思う? 俺の空虚は、埋まらんよ・・・)


『師団司令部より、各級部隊! 作戦はフェイズ2に移行した! 繰り返す、作戦はフェイズ2へ移行した! これより戦域確保部隊が突入する!』

網膜投影された機体からのシステムリンクで、時刻を確認する。 0945時、作戦開始から4時間15分が経っていた。









1999年8月5日 1015 旧横浜市金沢区 富岡総合公園跡 第181戦術機甲連隊本部


「第1大隊、根岸線磯子駅跡付近で接敵! BETA群、1200!」

「第2大隊、屏風浦駅跡から久良岐公園跡ラインでBETA群1500と交戦中です!」

「第3大隊、16号線横須賀新道を突破! 磯子台で第1、第3大隊の裏に出ます!」

「戦域内に確認されたBETA群、約4800! 誘引されたBETA群、町田方面へ1万2000、海老名方面へ1万6000が引き付けられています、誘引作戦は成功しつつあります!」

「師団司令部より入電! 『目標到達は、1045と為せ』、です!」

「・・・『了解』と伝えなさい。 連隊長、師団より所定通りの行動スケジュールを、との命令です」


本部付きのオペレーターである各大隊CP将校が、3個戦術機甲大隊の状況を伝える。 師団との中継は、管制主任で連隊管制幕僚(新設の連隊5科長)の綾森大尉が行っている。
戦況図と各大隊の進撃速度、確認されたBETA群の数、それぞれを見比べながら、連隊長の名倉大佐が背後を振り返り、少し渋い顔で言った。

「どうにも、師団は厳しい事を言ってくれるじゃないか? ええ? 周防よ」

その声に、戦術機甲連隊に同行していた師団作戦課員の周防大尉(戦術機甲担当)が、首を竦める。 
何せあと30分で旅団規模のBETA群を排除しつつ、4km強の突破と戦域の確保を求めているのだから。 

「・・・確認された横浜ハイヴ南部方面の出現BETA群は、約4800。 支援面制圧砲撃と艦砲射撃は継続されますし、隣の141連隊も同様に突っ込みます」

それだけの支援が有れば、2個連隊での突破は可能だろう、そう言っている。 問題は連隊が、どれだけ素早くBETA群を始末するか。
今の所光線級もまばらでしか出現していない、このまま突進をかけても、十分殲滅出来る戦況だ―――連隊本部が、適切な戦術指揮を取れば。
その言葉に名倉大佐が、ある種の肉食獣を想わせる笑みを浮かべ、周防大尉も同種の笑みを張り付け、一歩も引かない。


「・・・虎と狼の、威嚇のしあいかしら?」

「キツネとタヌキの化かし合いよ」

「やだな、余所でやって欲しいわ・・・」

連隊本部オペレーター(CP将校)の富永凛大尉、月島瑞穂大尉、江上聡子大尉が声を顰めて小声で言い合う。
ただでさえ、師団司令部から作戦参謀の周防大尉が連隊に同行する、と通達されて、連隊長の名倉大佐の機嫌は『いま二つ』なのだ。

「連隊長、各大隊はタイムスケジュールの通り、進撃しています。 このままの進軍速度を維持できれば、1040の前に山手まで到達可能です」

不意に、笑顔で子供じみた火花を飛ばす両者の間に、連隊第5科長の綾森大尉が割って入った。 そしてチラッと横目で作戦参謀を牽制しつつ、更に進言する。

「141連隊が上大岡に到達しました。 予定より若干速いですが、そのまま東進して貰っては? 磯子でBETA群を包囲可能です、そのまま我々は本牧山頂公園、141は根岸公園へ」

そうすれば横浜ハイヴの地下茎外縁部付近まで、一気に到達可能だ。 後は第2派が突入し、一気に周辺を固める。
第3派まで成功すれば、いよいよ軌道降下兵団の出番―――後は門番をすればよい。 横浜はフェイズ2ハイヴ、数時間前に出て行った3万近い個体群の他、そう数が居るとは・・・

「連隊長、小官も5科長の案に賛成です。 師団の要求は、隣接の14師団も同様でしょう。 であれば、この際141との連携を密にとり、一気に突破すべきです」

副連隊長格の連隊第3科長(作戦・訓練・警備担当)の若林中佐(若林一誠中佐)が、綾森大尉の案に賛同する。 やはり周防大尉には、良い顔をしていない。

「うん、よし、藤田(141連隊長・藤田伊予造大佐)に繋いでくれ。 なに、二言三言で済む、奴は俺とは同期の朋友だ」

判りました―――綾森大尉が部下に合図して、通信回線を隣接する141連隊へ繋ぐよう指示をし、連隊長を通信ブースへと促す。
その間、鉄面皮で突っ立っていた作戦参謀を振り返り―――手を取って、少し離れた場所に引きずって行き、苦情を言う。


「・・・ちょっと、あまり波風立てないで・・・!」

「・・・俺にそんなつもりは無い。 名倉大佐がどう思っているかは、与り知らん」

「・・・師団司令部から『督戦』されて、良い気分で有る訳、無いでしょう!?」

「文句は、作戦課長まで。 志願じゃない、命令だし」

「・・・それでなくとも、今までも図演だの野演だので、散々衝突してきたでしょ!?」

「お互い、本音で言い合えた事は、収穫だな」

「ッ! ・・・いい事? 余計な波風は立てない、連隊の指揮に口は挟まない、大人しくスタッフの『鉄則』を守る事! 破ったら、承知しないから・・・!」

「・・・どう、承知しないんだ?」

「・・・当分、別居させていただきます・・・!」

一瞬、呆けた表情を見せた作戦参謀―――周防大尉を横目に、綾森大尉はさっさと管制指揮に戻って行った。
その様子の一部始終を、盗み見していた3人のCP将校、富永大尉、月島大尉、江上大尉の3人は、大隊管制の途中に関わらず、こみ上げる笑いを押さえるのに真剣に苦労した。






噴射跳躍を使って、右翼のBETA群の真近まで一気に距離を縮める。 突撃前衛の4機が36mmをばら撒きながら、BETA群へ突進した。
直前で右に急速地表面噴射移動、そのまま右翼へ展開する。 その真後ろに位置したC小隊もまた、36mmで小型種を薙ぎ払い、こちらは左翼へ急速移動する。
2個小隊がシャワーのようにばら撒いた36mm砲弾で、大きく正面を削られたBETA群に対して、中隊指揮官直率のA小隊から、誘導弾が降り注いだ。

『A04! FOX01!!』

白煙を引いて、10数発の誘導弾が発射される。 BETA群のど真ん中に着弾、多数を吹き飛ばす。 そのまま36mmを乱射、間に割って入る―――分断成功!
要撃級の群れが割れる、そして向う側に展開した2個小隊からも、引き続き突撃砲が唸り、その度に確実にBETA群が斃れて行く。

「片付けろ! 1匹も逃すな!」

『イエーッス、マーム!』

『了ー解ッす! おら、突撃前衛の見せ場だ、やっちまえ!』

B、C小隊長から、場違いな程に陽気な声が帰って来た。 その声に、流石に中隊長も少しだけ不安になる。

「・・・古郷、周防、余裕が有るのはいいが・・・ あまり舐め過ぎるなよ?」

どうしても根が真面目な人間である中隊長―――神楽大尉にとって、かなり陽性の性格である2人の部下のノリに、時折付いて行けなくなる事が有る。
これから待ち受けると想定できる激戦場を前に、全く委縮もせず戦闘指揮を、それも大尉から見ても的確な指揮をし続ける所は、全く頼もしい限りなのだが・・・
突撃前衛小隊長の周防直秋中尉(22期B)、左翼迎撃後衛小隊長の古郷誠次中尉(22期A)、共に大陸派遣軍上がりの図々しさで、戦場を駆け抜けて行く。

『左翼、残存BETAは要撃級16、小型種38! 5分で仕留めます!』

『右翼は要撃級15に小型種40! んじゃ、こっちは4分だ。 古郷さん、一杯賭けるか!?』

『はしゃぐと火傷すんぞ!? 周防! 今夜の酒は、貴様持ちだな!』

『するかよ!―――B小隊! C小隊に負けたら、貴様ら今日のメシは抜きだからな!』

―――頭が痛くなってくる。 咄嗟に目前に現れた要撃級の前腕の一撃を、右の噴射接地旋回で交し、その遠心力で長刀を後部胴体に叩きつけ、切り落とす―――頭が痛い。
戦場では頼もしい部下達だが、ここまで図々しく育って欲しいとは、思っていなかった。 もっとこう、何と言うか・・・
帝国軍人たる者、節度を持った礼節は如何なる時でも大切と言うか・・・ ええい! 邪魔だ、そこの要撃級!

『―――中隊長、前方に根岸台、視認!』

B小隊長の周防中尉が、決定的な報告をしてきた。 旧16号を突進し、遂に根岸を視認する位置まで突進した。 連隊では神楽大尉の中隊が先陣を切っている。 
すなわち本作戦の全参加部隊中、最も横浜ハイヴに近づいた部隊なのだ! 流石の大尉も、知らず背筋が震えた。 同時に中隊に突進を命じる。

「周防! そのまま突っ切れ! 貴様、従兄殿に負けない所を見せてやれ!」

『了解! 言うにゃ及ぶ、ですよ! 宮内(宮内右近少尉)! 突っ込む、左翼を張れ! 真部(真部紗恵少尉)、俺のケツに付け! 
美濃(美濃敬一郎少尉)、貴様は宮内のケツから離れるな! いいか!? どんな事があっても離れるんじゃないぞ!』

『C小隊、左翼支援攻撃! 誘導弾、ありったけ撃ち込め! B小隊の前方だ!』

B小隊の突進に合せ、右翼のA小隊、左翼のB小隊から支援攻撃が開始される。 制圧支援機から誘導弾が飛翔し、前方の小型種BETAの群れを吹き飛ばしてゆく。
砲撃支援と打撃支援機からは、突撃前衛が突進するルート上のBETA個体群を撃ち抜き、キャニスターでミンチにしてゆく―――強襲掃討機が36mmのシャワーを浴びせかけた。
目標地点がまじかに迫った、突撃前衛小隊が真っ先に旧16号線を突進し、前方の根岸台に向けて突進する―――光線級が居る!

『ッ! ALM!』

『残弾!?―――4発? 構わねぇ、全部撃て!』

「制圧支援、何でもいい、前方の根岸台だ!」

A、C小隊、2機の制圧支援機から、残った全てのミサイルが放たれる。 途端に放たれる迎撃レーザー照射、発射された合計9発のミサイル全てが、あっという間に迎撃される。
狙いはそこだ、照射されたレーザーは9本。 光線級が10体以上いれば、あっという間にあの世行きだが・・・賭けるしかない。

『12秒だ! 12秒で根岸台に突っ込め! B小隊、吶喊!』

光線級のインターバルタイム、命の天秤の12秒。 どちらに傾くかは、己の過ち次第。 突撃前衛小隊の92式『疾風』弐型4機が、一気に噴射跳躍をかける。
その背後からA、C小隊の強数掃討機が2機、サーフェイシングで高速移動しつつ、左右にその火力を振り撒いて近づく小型種の群れを薙ぎ払う。 その後方から、砲撃支援。
ミサイル・コンテナをエジェクトした制圧支援機も加わり、迎撃後衛機・砲撃支援機と共に、後方から砲撃支援を行いつつ、前衛に続行する。

「B小隊! 周防! 突き抜けろ!」

前衛の右翼から接近する要撃級の一団。 神楽大尉機がその側面に120mm砲弾を立て続けに撃ち込み、足を止める。 後続の部下2機も同様に、高速移動での狙撃支援。
しかし全てを止める事が出来ない、要撃級の集団は60体程居る。 どうすべきか? 残り5秒、距離は1kmも無い―――咄嗟に判断を下す。

「B小隊、吶喊! 強襲掃討、続け! A、C小隊、要撃級を止めろ!」

近接格闘・近接砲戦能力に秀でたB小隊と、これも近接制圧火力に優れた強襲掃討機2機を突っ込ませる。 横合いからの要撃級は、A、Cの2個小隊で阻止する。
6機の92式『疾風』弐型が勢いを落とすことなく、根岸台に突っ込む。 その右翼から迫る要撃級の1団に、2個小隊6機が横合いから殴りかかった。
突撃砲の残弾を撃ち尽くした神楽大尉機が、リロードをする間もなく長刀を抜き放ち、勢いを殺さず要撃級の後部胴体を薙ぎ払う。
その背後から砲撃支援機が支援突撃砲で、接近する個体を撃ち抜いてゆく。 最後尾の制圧支援機は、戦車級以下の小型種をキャニスター弾で制圧して行く。

『中隊長! 後続のBETA、確認!』

≪CP、ソードダンサー・マムよりリーダー! 本牧方面よりBETA群、約1200! 突撃級100、要撃級150! 距離1500! 接敵まで90秒!≫

最も東に突出していたC小隊の古郷中尉と、戦域管制のCPから、同時に報告が入った。 しかも凶報だ、咄嗟にもう一人の部下に確認する。

「ッ!―――周防!?」

『あと、2体!―――終わり!』

B小隊を率いる周防中尉から、光線属種を殲滅した報告が入る。 部下のステータス・チェック―――損失機は無い、全12機が無事。 まだ戦える・・・!

「全機、根岸台に上れ! 上から叩き続けろ!」

残った6機が一斉に噴射跳躍をかける。 対面の本牧公園には・・・いいぞ、まだ光線級は顔を出していない。
地響きを立てて先頭の突撃級の集団が迫る。 100体、かなりの迫力だ。 後続の要撃級さえ150体。 他に厄介な戦車級が恐らく500体近く。
砲撃支援を頼むか?―――今から要請していては、砲弾が降り注ぐ頃には、彼我入り混じっての乱戦だ。 味方の砲弾に吹き飛ばされるなど、ゾッとしない。

あちこちで部下が『リロード!』を叫ぶ。 随分と無理を重ねてここまで来た、残弾が残っている者は少ないだろう。
神楽大尉は背部兵装担架にまた突撃砲を1門残しているが、それは最後まで取っておく事にした。 まずは自らBETAの群れに突っ込み、かき回す。
その後で部下達に『落ち着いて』砲撃を狙わせる。 彼女は格闘戦の方が得意だったし、元々突撃前衛上がりの血が騒いで来たのだ。

「周防、吶喊は私が預かるぞ?」

『・・・大人しく出来ねぇンかなぁ、このお人は・・・部下の仕事、取らんで下さい。 万一があったら、誰が中隊指揮を執るんですか?』

「貴様、日に日に、従兄殿に似て来るな・・・」

『血筋ですから。 でも、ちょっと心外です、傷つきます』

もう、土煙どころか、はっきり視認できる場所まで突撃級の集団が近づいていた。 地響きが大きくなる。
流石に若い部下達のバイタルが乱れて来る、1個戦術機中隊だけで相手取るには、ホネが折れる数だ。

『ちょいと、ホネが折れそうですね。 ま、やるしかねぇか・・・』

『握るか? 周防?』

『レートは?』

『1体、50円(※)で』

『乗った』

つまり、撃破した大型種の数が多いだけ、相手が総取りの『賭け事』をしよう、そう部下の小隊長達がよからぬ話をしている。
流石に神楽大尉も気付いた。 陽気で不遜な2人だが、普段はここまで馬鹿な事はしない。 ハイヴ攻略戦、流石にあの2人も与太を飛ばさないと、精神的にキツイと言う事か。
もっとも少尉連中は、そこまで思いつかないだろう。 古参少尉達は、薄々感づいているかもしれない。 しかし新任少尉達は小隊長の不逞な態度に、寧ろ安堵感を抱くだろう。

ふと、1機の『疾風』弐型が目に入った。 突撃前衛小隊の四番機、この春に配属されたばかりの新米衛士。

(・・・もう、6年半以上も経つのか。 早いな、楓)

93年に大陸で戦死した、神楽大尉の同期生。 その弟がまさか、自分の中隊に配属されようとは、思いもしなかった。
そう言えば、目前で与太を飛ばしている中隊の突撃前衛長は、これも同期生の従弟だ。 何と言うか―――私は保母では無いぞ?

(・・・いずれにせよ、死なせぬ)

今まで随分と部下を失った。 戦死した部下。 重傷を負った部下。 精神を病み、予備役に回された部下。 今日も誰かを失うかもしれない。

(・・・死なせはせぬ)

それでもそう思う、いや、祈る。 己が全力はまだ、未熟な故に。

≪CPよりリーダー! 接敵まで15秒!≫

いよいよだ―――グローヴの中で汗がにじむ。 歴戦? 練達? いいや、私は怖い。 怖いから、あらゆる注意を怠らない。 隙を見せてなるものか、この戦場で!

「・・・よし、中隊、突撃に・・・ッ!?」

『移れ』―――そう命じようとしたその瞬間、網膜スクリーンの端、戦術レーダーに新たな輝点を認識した。 色は青、友軍だ。

『神楽さん、独りで張り切り過ぎ!』

『俺の前の上官以上に、鉄砲玉な人だよな・・・』

第22戦術機甲中隊、美園大尉の『ステンノ』に、第33戦術機甲中隊、摂津大尉の『フラガラッハ(2代目)』の2個中隊が急速接近する。
既に補給を済ませていたのだろう、2個中隊4機の制圧支援機から、誘導弾の全力発射が行われる。 4機合計で128発の誘導弾が白煙を引きながら、BETA群に殺到した。
戦闘集団の突撃級にはあまり効果が無い、もっぱら第2陣以降の要撃級、そして小型種に向けての攻撃だ。 ランダム軌道の誘導弾が、一斉に着弾、炸裂する。

「突撃級は各前衛小隊が始末しろ! 先任は―――八神中尉?(八神涼平中尉、21期A) 八神、ここは任せる。 いいな? 美園?」

八神中尉は22中隊、美園大尉の部下だ。

『了解。 八神、派手に踊って来な!』

『ういっス。 おい、周防、蒲生(蒲生史郎中尉、33中隊。22期B)、どんだけマシになったか見てやる。 付いて来い!』

周防中尉は新任当時、先任少尉だった頃の八神中尉と同じ中隊に居た。 蒲生中尉もほんの僅かだが、ダブっている。

『へっ! 腰を抜かさんように? 先任!』

『以前みたくは、行きませんぜ!』

3人の突撃前衛長が、それぞれの部下を率いて突撃級の集団の中に切り込んで行く。 機体制御の腕を買われた衛士達だけあって、鮮やかな機動だった。
僅かな隙間を見つけてはそこに突っ込み、突撃砲で、そして長刀で、突撃級BETAの側面や脚を撃ち抜き、斬り裂き、その動きを止める。


『神楽さん、2個中隊で(各1個小隊欠)正面を押さえよう。 残り1個中隊を迂回させて背後に』

周囲の地形をザッと把握した美園大尉が、即座に提案する。 左は50mも無いが、それでも標高を稼げる地形がある。 右手は海岸線、旧横浜港の南端だ。
BETAは一直線にやってくる、そして地形に広さは無い。 であれば挟撃が一番だ。 今、前衛3個小隊が迎撃している戦場の後方に割って入って、要撃級以下の後続を迎撃する。

「・・・よし、美園、私と正面を押さえてくれぬか。 摂津、迂回を頼む」

流石に先任・後任はあれど、同じ大尉の中隊長同士、そこは『依頼』の形になる。 もっともこの場の先任指揮権は神楽大尉にあるから、美園大尉も摂津大尉も、否やは無い。

『了解。 公園(根岸公園)を北から迂回、ケツに付きますよ』

『私の中隊は、海側に布陣します。 丘側、宜しく!』

素早く『ステンノ』、『フラガラッハ』の各中隊が移動を開始する。 手慣れたものだ、それに長年共に戦ってきた間柄は、余計な説明が無くて良い。
要撃級の集団が接近する、もう10秒も無い距離だ。 今度こそ、操縦スティックを握り直す。 もう自分の中隊だけでは無い、3個中隊―――1個大隊分の戦力があれば。

「・・・よし! 攻撃開始!」










1999年8月5日 1055 旧横浜市港南区上大岡 久良岐公園跡 第181戦術機甲連隊本部


「第11中隊、第22中隊が根岸公園跡を確保。 本牧公園跡は、第3大隊が確保しました。 第1、第2大隊は根岸線山手駅跡を中心に、2kmの半園内を確保しました」

連隊5科長の綾森大尉が報告する。 連隊長・名倉大佐、3科長・若林中佐が作戦地図を覗き込みながら、状況を再確認していた。

「宇賀神中佐の最終報告次第ですが、少なくともこれで8箇所の『門』を押さえました。 戦域内に残存BETAは確認されず。
『門』から出て来るBETA群は、まだ確認されていません。 第14師団も7箇所を確保、これより封鎖予定の『門』を充填封鎖します」

「うん・・・ 5科長、後続は?」

「師団主力、及び13軍団は富岡公園付近です。 同じ第2派の聯合陸戦第3師団、それに第1軍団は港南台付近」

「よし、先手必勝だ。 ここで一気に保土ヶ谷も確保した方が良い、他の『門』の封鎖もだ、BETA群が地上に出て来る前に!」

その声を合図に、綾森大尉が師団司令部との通信に入った。 若林中佐は、前線の各部隊に『門』の警戒をより厳重に為すよう、通達している。
名倉大佐が振りかえると、相変わらず無言の周防大尉が立っていた。 一瞬大尉を見て、渋々ながら苦笑しつつ、声をかける。

「ま、今回は君に花を持たせてやろう。 あそこで第1、第2大隊から各1個中隊の抽出は、図に当ったな、人選もだ」

「・・・宇賀神中佐、荒蒔少佐、木伏少佐、いずれも2個中隊あれば、あの場面は確保出来る戦術指揮手腕を有しておられます。
それに最前線の状況は、あそこで勢いを殺すべきではないと判断しました。 ならばその勢いを生かす人選は、あの様になるかと」

美園大尉と、摂津大尉の中隊を抽出し、神楽大尉の中隊に協同させるべき、そう進言したのは周防大尉だった。

「付き合いは長いらしいな?」

「神楽大尉は同期です。 美園大尉、摂津大尉も、共に長く戦場で一緒でした」

そう言ってから、周防大尉が静かに頭を下げた―――僭越な意見具申で、申し訳ありません、と。 それを見た名倉大佐は一瞬驚き、そして大笑いした。

「なんだ、周防大尉! 貴様、えらく、しおらしいではないか! 普段の図々しさは、どこへ行った?」

頭を下げながら、その言葉を受けて周防大尉がちょっと顔を顰める。 その様子を見た名倉大佐の笑いが、更に大きくなる。

「広江君の直弟子が、そんな殊勝な真似をしても、似合わんぞ! まあ良い、頭を上げろ。 今回は君に花を持たせる、そう言っただろう?」

「はあ・・・ 大佐?」

普段から演習時の結果や検討会で、このやや豪放な連隊長と、戦術機甲部隊担当作戦参謀として、度々意見の衝突を繰り返してきた周防大尉が、少し訝しげな表情で見返す。

「俺は、別段君に含む所など、何も無いぞ? 本音で言い合える参謀と言うのは、貴重だからな」

―――本気で怒鳴る事の出来る参謀、の間違いじゃないのか? 一瞬そう思ったが、表情には出さなかった。 また黙って一礼する。

「それにな、あまり俺が怒る様だと、君の家庭にひと波乱、有りそうだしな!」

「くっ・・・」

どうやら、しっかり聞かれていたらしい。 

豪快に笑って離れて行く名倉大佐の後ろ姿を、苦笑しつつ眺めていた周防大尉に、通信の当番兵が通信電文を持って寄こした。
一読した周防大尉の表情が、不意に険しくなる。 もう一度読み直す―――文面は変わらない。 本部テントを飛び出し、隣接の仮設通信ブースに飛び込む。
険しい表情で通信ブースに早足で歩み寄る周防大尉を、本部内要員が何事かと振りかえっている。 大尉は意に介さず、手近な通信兵に回線を開けるよう命じた。

「181連隊本管派遣、周防大尉。 師団司令部、広江主任作戦参謀を!」

周りが何事かと、更に多くに要員が振り返る。 大尉はその視線を全く無視してブースに入り、通信に出た直属上官に噛みついた。

「中佐! どう言う事です!? 『確保すべき『門』の数、6箇所とせよ』とは!? 当初予定は2箇所です! 6箇所では戦力が分散され過ぎます!」

暫くして、通信機の向うから苦渋に満ちた感の、広江中佐の声が返って来た。

『・・・命令だ、周防。 名倉大佐にも伝えろ』

「命令? 師団命令ですか!?」

『・・・もっと上だ、厄介な事にな』

―――厄介な事。 こんな表現を使うのであれば、戦術的にでは無く戦略的か。 だとすると、下手をすると軍団司令部よりも上かも。

「・・・第9軍司令部からですか?」

『いや・・・ 総軍司令部からだ。 大元は『政治的判断』とやらのようだ』

―――総軍、政治的・・・ 少なくとも出所は、総軍司令部と同等か、それ以上のレベル。 もしかすると日本以外・・・

『従え、周防。 我々に拒否権は無いのだから』

「・・・了解。 連隊本部に伝えます。 しかし『不測の事態』となると、対処しきれないかもしれません。 ハイヴ内の兵站線確保と、『門』の確保にかなりの戦力が割かれます。
6箇所の『門』を、それも突入用の『門』をそれだけ確保するとなると、最低でも戦術機甲と機甲が各6個中隊必要です。 師団担当区を3個中隊だけで、確保せねばなりません」

突入用の『門』の確保と、そこから地下茎(スタブ)へと続く兵站線の確保には、各々戦術機と機甲1個中隊、それに機械化歩兵1個中隊が必要だろう。
その距離が延びれば延びるほど、兵站線確保に必要な戦力は増える。 だから当初は2箇所を除き、全て封鎖する予定だったのだ。

荒々しく、叩きつけるように受話器を戻して通信ブースから出てきた周防大尉を、周囲のオペレーターが不安気に見ている。
部下に指示を出していた綾森大尉が、そっと場を離れて近づいて来る。 周防大尉に追いついて、小声で聞いてきた。

「今の、広江中佐? 悪い知らせなの・・・?」

「・・・詳しくは、名倉大佐に伝える」

荒々しく通信ブースを飛び出し、連隊本部へ戻る途中、周防大尉は綾森大尉を捕まえ、脇に寄せた。 小さな声で呟く。

「・・・今まで、BETAとの戦いで、事前の予定通りに行った試しなんかなかった」

「・・・直衛?」

「いつも、いつも、どこかしらで破綻した。 いや、させられた。 BETAに、そして味方に・・・」

目の色が、哀しい様な、怒っている様な、自嘲している様な、達観している様な、様々な感情が一瞬、浮かんだ気がした。 綾森大尉はそう思った。

「京都防衛戦の時、藤田大佐が広江中佐から、強烈に頬を張られていた事があったけれど・・・ 今にして思えば、大佐の気持ちも判るよ」

「・・・何の事?」

綾森大尉が訝しげに、眉を顰めて言う。 彼女は当時、その直前の戦闘で負傷していた為、京都防衛戦は参加せず仕舞いだったから、知らないのだ。

「予想はつかない、不確定要素ばかり、BETAからも、味方からも・・・祥子、君だけでも後方に下がって欲しい。 これが今の、俺の本音だよ―――本部に戻る」

何か言いそうになった綾森大尉を振りきって、周防大尉は連隊本部テントへ足早に入って行った。
その後ろ姿を見送りながら、驚きと困惑と、少しばかりの怒りと、そして同量の嬉しさと。 綾森大尉も呟いた。

「・・・私は、その逆。 あなたには、前線に出て欲しくないわ」










1999年8月4日 2115(現地時間) 合衆国 ニューヨーク市マンハッタン 国連本部ビル 軍事参議委員会


「・・・作戦は、今のところ順調。 そう判断して良いと言う事かね?」

「うむ、まだまだ始まったばかりだ、ここで躓いていては国際的な立場が無い。 日本もそれは必死だ」

「それについては、あの国の必死さを有る程度は、信用しようじゃないか。 何せ失敗すれば、国が滅ぶ」

「それよりも、研究開発団からの『要望』は伝わったのか? 日本の軍部は難色を示していたが?」

「ハワイからの上級命令、と言う形で実行させるよ。 いやはや、現地部隊には同情するがね。 通常の2倍から3倍の『門』を確保せよとは!」

「仙台の小娘も、良くやるものだ。 如何に『計画』の為の実験作戦とは言え、あの国はあの小娘の故国であろうに」

「学者など、その様なものだ。 己の探究心・・・好奇心の為なら、何でも利用して恥じない。 
しかし、と言う事はあの小娘、手持ちの私兵の大半をハイヴ内に投入する気か? 随分と豪勢じゃないか」

「レポートを読んだ。 所詮、『護衛付きのハイヴ内旅行』と言う所だ。 護衛部隊の負担は、大きいだろうがな」

「ならば、日本の恨みはあの小娘と、それに米国に被って貰おう。 代わりに『人類』は、何かしらを得る」

「その為に払う犠牲は、何万ガロン単位で流して貰って結構だ。 我々は『種の存亡』をかけた戦いをしている」

参加者は皆頷き、臨時の会合はそれで閉会となった。










1999年8月5日 0255(GMT) 地球周回低軌道 高度348km 国連軍航空宇宙総軍 軌道降下兵団第5戦隊(第5軌道降下兵団)


『艦隊司令部より、オール・ダイバーズ。 本周回で降下を開始する!』

『現地情報、時刻1155、天候は晴れ、気温34.5℃、湿度69.2% 風向南西、風速5.5m/s・・・』

『現地戦況、戦域確保部隊第1派、戦域を確保。 現在第2派が侵攻中』

『再突入回廊、突入まで690秒・・・』

『艦隊角度、ダウン3度。 速度26,400km/hに落せ』

『降下ポイントはヨコハマ・シティ中心部。 ランディング・ゾーンはハイヴを中心に3km以内とせよ』

『第6軌道降下兵団、続航を確認』

そして作戦段階のフェイズ3が発令された。

『司令部より発令、軌道降下作戦、開始せよ!』










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※50円=旧円設定。実際現行貨幣価値で、1円=約200円程の価値で設定。 50円=1万円ほど。
第1部での設定(280円程の価値)からは、本土戦場化による円相場下落分を見込んでいます。



[20952] 明星作戦 3話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/08/21 20:47
1999年8月5日 1215 旧横浜市 山手付近 第13軍団第18師団 第181戦術機甲連隊本部


「師団本部より、『軌道降下作戦、開始』です!」

「戦域制圧地域は!? 降下兵団の着陸マージンは、確保出来ているのか!?」

「哨戒中の第12中隊より、『S-18ゲートより小型種BETA群、出現。 約200』です!」

「12中隊に対応させろ! 他は!? 他の『門』から出てきたBETA共は居るのか!?」

「現在、S-08、S-12の両ゲートから、BETA群の出現を確認! いずれも小型種ばかり、それぞれ200前後です! 第22、第32中隊が対応中!」


軌道降下兵団が、降下作戦を開始した。 予定では1時間45分後、彼等は遥か天空の高みから、この薄汚れたBETAとの殺戮の場に降り立つ筈だ。
それまでに何とかして、せめてハイヴ南面の戦域確保だけでもしなければ。 そうでなければ、連中の降着エリアがずっと南に逸れてしまう、それでは軌道降下の意味が無い。

「S-06ゲート警戒中の第13中隊より入電! 突撃級20、要撃級40、その他約400、地表に接近中! 現在位置、深度50m、A層A-06ホール!」

「近いのは何処の隊だ!?」

「11中隊がS-03ゲート付近の警戒中です!」

「11? 神楽大尉の隊か? ≪ソードダンサー≫だな!? よし、向かわせろ!」

「S-03ゲートは!?」

「第11機甲(中隊)に警戒させろ! BETA群を検知したら、一目散に後ろに下がれと言え!」

第18師団の警戒地域には、大小合わせて30個もの『門』があった。 隣の第14師団警戒地域には29個もの『門』が。
これまで観測されたフェイズ2ハイヴのデータ上では有り得ない程、多くの『門』が地表に表れていた。
大半は小さな、小型種BETAしか出入りできない様な『門』だったが、それでも数が尋常ではない、異常過ぎた。
モニュメントから半径2km圏でこの数だ、全体で一体どれ程の『門』が存在するのか。 現在は第1派の第13軍団がハイヴ南方地域を保持している。
14師団、18師団の両師団で12個の『門』を警戒中だ。 師団工兵部隊により、20個の『門』の熱硬化性樹脂での充填封鎖が完了したが、まだ28個の『門』が残っている。
そしてつい先ほど、第2派の第1軍団が保土ヶ谷付近の戦域を確保した。 ここの突入用の『門』は、都合11個(当初予定は5個だった) 全体で60個近い『門』が有る。

「第3師団、旧横浜駅西方で大隊規模BETA群と交戦中! 光線属種は確認されず!」

「第1師団、禁衛師団、突入用の『門』を確保。 他の『門』の充填封鎖作業に入りました!」

「師団司令部より、工兵部隊の周辺確保を厳にせよ、以上です!」

連隊本部では、本部要員が慌ただしく飛び回っている。 戦術機部隊への指示、情報の収集と確認、そして師団への報告。
警戒地域の対応、時折湧き出て来るBETA群への迎撃指示。 隣接部隊との連携。 各科長以下、要員は目の回る忙しさだ。

「各大隊の専用回線、確保は出来たの!? 違います、B-11からB-16回線を使いなさい! 師団通信用はバックアップ回線含めて、A-22からA-25回線で!
中隊通信系はそれぞれ支回線を! 機甲、機械化歩兵、工兵、砲兵各部隊本部との通信はB-20からB-50系回線よ、間違えないで!」

第5科長(通信管制)の綾森大尉が、あちこちから上がってくる報告をコントロールする合間に、部下に通信系の再確認をさせている。
他の科長達も、兵站、補給、情報整理、計画検討、等々で部下に大声で指示を出し続けていた―――大声でなければ、この喧騒で声が聞こえない。

「・・・そろそろ、チキンズが頭を逆さにして、突っ込む時間か?」

「現時刻、1220 あと10分で軌道離脱予定地点の筈です」

「だとすると、フライドチキンになるかどうかは兎も角、目出度く地表に到達するのは・・・」

「1時間45分後、1405の予定です」

「ふん・・・ 最低でもあと2時間、ここを確保せねばならんか」

連隊長・名倉大佐が卓上に広げた戦術地図(彼我の戦力展開が記載されている)を睨みながら、少し厳しい表情で言う。
現在、ハイヴ中心部より半径2km圏に無いにある『門』から、大隊・中隊規模の少数であるが、五月雨式にBETA群が地上に湧きだし始めている。
大半は戦術機甲中隊・機甲中隊・自走高射中隊で対応が可能なケースだが、いつ何時、大型種を含む大規模地上侵攻が有るか判らない。

大型種が出現可能だと判断された近辺の『門』のうち、S-03、S-06、S-10、S-13、S-17、S-20、この6箇所の『門』を突入用として確保していた。
残る24か所の『門』のうち、充填封鎖したのは10箇所。 うち4か所が大型種BETAの出現が可能と判断された、大規模『門』だ。
但し、戦力と資材、それに工兵作業の時間的余裕から、未だ14箇所の『門』は監視だけに留まっている。 その中で大規模『門』はS-11、S-16、S-23の3箇所。

「第3派が動き出しました、あと35分で台湾軍第3師団、中国軍第110師団が後詰に到着します」

師団本部から『連絡要員』として派遣され、何だかんだで、今や連隊の作戦幕僚『の、ようなもの』に収まっている周防大尉が、タイムスケジュールを確認しながら答える。
地図上で駒を動かしながら、横須賀方面から3つの駒を北上させて、1つを横浜ハイヴ東方面に。 2つを南方面―――第13軍団の直ぐ背後に。

「戦力は?」

「我々と、ほぼ同等です。 各々戦術機は1個連隊、それに機甲2個大隊と機械化歩兵1個連隊基幹。 台湾軍は福建橋頭堡で、中国軍は半島撤退戦まで戦った部隊です」

「頼もしき、歴戦の友軍と言う奴か。 まあ、今回は戦意の怪しいアメちゃんより、余程アテに出来そうだがな」

「第1軍団の後詰には、第7師団が向かいます。 ですので正味の所、あと35分が勝負かと」

35分すれば、この方面には第13軍団(第14、第18師団)の他に、統一中華2個師団が合流する。
そうなれば戦域確保任務―――『門』の確保の他にも、封鎖作業や警戒任務の負担も、半減する。

「数が増えたは良いが、兵站に混乱は起きんだろうな?」

「その辺は、師団G4(第4部・兵站部)が調整を取っているとの事です。 4科長(兵站担当)の嶋野大尉が先程、師団本部まで飛んで行きましたが・・・」

「統一中華も、規格はISO(国際標準化機構)準拠だったな?」

「はい、SATC(台湾・中国国家標準化管理委員会)は、JISC(日本工業標準調査会)同様、ISOに加盟しております。
ですので、部品のネジが合わないとか、ボルトナットが接続できないとか・・・ ふた昔前の『笑い話』は無いでしょう」

BETA大戦もあって、世界各国はその工業製品の『均質化』を目指し、その速度と規模を各大させてきた。 その規模は1999年現在、ほぼ全ての産業分野に及ぶ。
ISOの『技術委員会(Technical Committee)』の下で行う主要産業分野の標準化は、『TC1(ネジ)』、『TC2(ボルトナット類)』に至るまで、基準の標準化が図られていた。

「なら、あとはデポ(物資集積所)の場所争いだけか。 おい、嶋野が戻ってきたら、顔を出せと伝えておけ」

「了解です」

後方の本部の場合、前面の戦況のみならず、継戦の為のあらゆる方法の検討がなされる事は、当然だった。 特に兵站は最重要、次に情報。
この二つが十全に収集・確保されて初めて、全力で戦い得る。 戦術を語るのは、駆け出しのヒヨ子達。 実戦を経験した中堅以上は、情報と兵站を語る。

「・・・35分か。 何も無ければ、幸運だな・・・」

ポツリとつぶやいた名倉大佐の声が、意外に本部内に響いた。










TIME:-1:45:00 地球周回低軌道 高度340km 軌道降下兵団待機軌道 LR-225


再突入殻を背負ったHSSTが、軌道上を周回遊弋している。 既に軌道爆撃任務の第1、第2、第3戦隊はクソッたれな荷物を大気圏に放り出した。
と言う事は、行く筈だ。 この周回で突っ込む筈だ、重力の井戸のど真ん中に。 クソッたれなBETAの巣食う、忌まわしきハイヴへ。

『・・・とは言え、全員がVD『突入処女(ヴァージン・ダイバー)』とはね。 国連のクソッたれ共が憐れむ訳だ』

『まったく、神をも憐れむクソッたれさだ。 寄りによって国連のボケ共に、憐れみを掛けられるとはな! 帝国航空宇宙軍、初夜で全員身震いか?』

『ドラゴンバスター01より、ドラゴンバスター02! 大丈夫だ、貴様の様なむつけき熊の様な処女、誰も相手にせん』

『02より01! ケツの穴掘られてから、言うんじゃねぇぞ!』

歴戦の衛士なら恒例の、出撃前の『些か』以上に下品な会話。 しかし彼らをして、どこか声が上ずっていると感じるのは、気のせいでは無い。
軌道降下作戦―――今までリヨン、マンダレーなどの作戦で行われた、ハイヴ攻略戦の常套手段。 今ではハイヴ攻略戦の常道として定着した。
問題は『成功例が無い』事と、軌道降下兵団の生還率が2割を切ると言う事だ。 100機突入して、生還機は20機を割る。 普通の戦術機甲部隊なら『全滅』判定だ。
のみならず、今回軌道降下兵団を構成する6個大隊は、日本帝国と豪州・インドの各国軍が『国連軍軌道降下兵団(第5、第6)』として参加する。
そして今回の降下兵団の中には、軌道降下の経験者が『一人も居ない』と言う事。 そして軍隊と言う暴力組織の常で、それは一切問題視されていない事だ。

だが当の軌道降下兵団の衛士達にとっては、それの現実が全てだ。 2割の生をもぎ取るか、8割の望まぬ死に飲み込まれるか。

『・・・しっかしな、『空飛ぶ棺桶』たぁ、言ったもんだ。 しかも夜の闇からこっそり突入とはね! まるで話に聞く吸血鬼じゃねぇか』

『吸血鬼の棺桶にゃ、レーザーなんぞ照射されねえよ。 第一、こんな高度から投身自殺なんかしやしねぇ』

『違ぇねぇ! そう言や、国連のクソッたれが言っていたな! レーザー直撃宇宙葬、突入失敗火葬場代わり、着陸失敗土饅頭、鳥葬・風葬BETAのお好み次第!・・・ってか?』

『葬式代が浮いて良いや! どうせなら、三途の河原への相方は、美女がいいな!』

『全くだ! 貴様みたいな、厳つい野郎じゃ無くてな!』

降下待機中の与太話は、どこも同じだ。 今もあちらことらで―――6個大隊、216名の衛士達が内心の恐怖を押さえるべく、戦っている。
そんな減らず口を叩いている間にも、各々がステータス・チェックを行っている。 Feeder link(フィーダリンク)通信系、OK。 生命維持系、OK。
姿勢制御システム(Attitude Control Systems : ACS)、姿勢制御用ブースター、OK。 コントロール・モーメント・ジャイロ(Control Moment Gyros : CMG)異常無し。
Global Observation Information Network(地球観測情報ネットワーク)インフォメーション、フレア・アラート異常無し。 デブリセンサ・・・デカイのは無い、OK。
とは言え、もう何度も同じチェックを繰り返している。 はっきり言って、突入するまでは『やる事が無い』 それが余計に不安と恐怖を増長させる訳だが。


軌道降下兵団は既に昼と夜の狭間に差し掛かっている。 真下は真っ青な太平洋、遥か向うに見える光の帯は、北米大陸西海岸。 
行った事も、見た事も無いロスアンゼルスかサンフランシスコの光か。 ロッキー山脈中ほどの上空で、また南下する予定だ。
その光景を、美しい、そう思った。 皆がそう思った、2割を切る生還率、未だ一箇所も攻略出来ていないハイヴ。
それでも―――『身の程知らずの、投身自殺』と揶揄されようとも、その美しさには彼らをそこにかき立てる『何か』が有った。

軌道離脱予定地点まで600秒を切った。 突入なら戦隊司令官が一席ぶつ筈、突入しないなら、相変わらず『暇な恐怖』を味わう事になる―――空電が鳴った、次いで野太い声。

『司令官より第5、第6戦隊総員に次ぐ。 『明星作戦』は予定通りに推移している。 陸上・海上の友軍の奮戦は、ハイヴ周辺よりBETAを誘引、これを殲滅しつつある』

つまり、自分達の投身自殺の場所が、綺麗に掃き清められたと。 思う存分、恐怖に浸って突っ込んで行けと。
そう言う事か―――どうでも良いけど、第6戦隊はオージーとインド人だ、英語の方が良くないか?

『本周回にて再突入を開始する、全艦は所定の行動予定を厳守せよ。 最後に―――諸子の奮戦と、武運長久を祈る!』


司令官の訓示が終わった数分後、視界が反転した。 再突入に備え、HSSTが艦体を180度転じたのだ。
OMSロケットを進行方向に約3分間逆噴射、軌道周回速度を300km/hほど減速する。 第5、第6戦隊全艦は一斉に、軌道離脱の為の姿勢制御を開始し始めた。

ハイヴへの『着陸』完了まで、あと1時間45分。










1999年8月5日 1235 旧横浜市 横浜港跡 旧製油所付近 第13軍団第18師団 第181戦術機甲連隊本部


「21中隊より緊急入電! S-11ゲート付近で大規模地中震動を検知! 推定規模・・・約5000! 旅団規模のBETA群です!」

「22、23中隊、急行します! 13、33中隊反転、S-11ゲートに向かいます!」

「師団砲兵、『制圧砲撃準備中』です!」

五月雨式の小規模出現から一変、遂に旅団規模のBETA群が連隊正面に現れた。 即座に投入し得るのは、戦術機甲5個中隊と、機甲4個中隊、自走高射4個中隊。
これに師団砲兵があと数分で、面制圧砲撃を叩き込むだろう。 連隊の側面・後背には小型種の浸透阻止の為の、機械化歩兵装甲部隊が3個中隊展開している。

「21中隊、和泉大尉(第21中隊長)より報告。 『推定、突撃級400、要撃級800、その他4000弱。 恐らく光線属種を伴う』、以上です!」

とうとう、光線属種が地上戦闘に対して出現した。 今後の戦域確保が非常に難しくなってきた。

「14師団より、『戦術機甲3個中隊、機甲・自走高射各2個中隊、増援に回す』です」

「軍団司令部より、軍団予備より戦術機甲1個中隊、出ます!」

これで戦術機が9個中隊、機甲・自走高射中隊が各6個ずつ。 戦術機甲1個連隊に、機甲・自走高射各2個大隊の戦力―――いける、潰せる。

「師団司令部より入電! 『艦隊の支援艦砲射撃、5分後。 前線部隊は500下がれ』、以上です!」

海軍の戦艦部隊、その艦砲射撃か。 500で済むか? 年の為に1km下がるか?

「連隊長、艦隊の砲撃座標地点は、2km圏以内でしょう。 誤射・爆風の影響を考えますと、500で宜しいかと」

2科長(情報)、3科長(計画)、5科長(通信管制)と協議していた周防大尉が、名倉大佐に向かって進言する。 後ろの3人の科長も、頷いていた。
戦艦の艦砲射撃の威力は凄まじい、下手に近くに居たら、こちらまで被害を受ける。 だが砲撃座標と砲弾の危害半径を考慮すれば、500下がれば大丈夫、との結論が出た。

「・・・よし、ならその5分間で陣形を変更する。 艦砲射撃後の、最も効率的な殲滅陣形は・・・ふん、丁度S-11ゲートの地形、14師団との境界付近か。
なら向うの増援は、その場で待機して貰え、軍団の予備も同様だ。 艦砲射撃後に、3方向から押し包む。 師団砲兵は?」

「3分後に、面制圧射撃開始。 ゲート付近にです」

「そっちは引き続き、砲撃して貰え。 小型種の数を削る位はなる、大型種の殲滅は師団砲兵程度じゃ無理だからな。 よし、これで行こう」

全部隊に一旦500の後退、そして陣形の変更指示が飛ぶ。 底辺を500m下げ、旧首都高湾岸線跡の南に布陣する。
連隊本部は更にその南、旧製油所跡にある。 正面の本牧の市民公園跡には、弾着観測班が陣取っているが、彼等はそのまま。

「第1大隊、本牧公園。 第2大隊、県立高校跡。 第3大隊、本牧ふ頭入口」

「機甲部隊、配置転換完了しました。 自走高射部隊、同様です」

「機械化歩兵装甲部隊、旧首都高跡に展開」

「第14師団、側面援護位置に付きました!」

「地中震動音、増大! BETA群、出ます!」

S-11ゲートから旅団規模のBETA群が飛び出してきたのは、まさにその時だった。 突撃級BETAを先頭に、旅団規模のBETA群が『門』から飛び出す様に湧き出てきた。

「艦隊、艦砲射撃、開始しました!」

「師団砲兵、砲門開きます!」

南東方面の東京湾上、そして南西方面の陸上から、大小異なる砲声が鳴り響いた。 洋上からは恐らく第1艦隊だろう、腹に響くとんでもない重低音。
比較的距離が近いせいか、直ぐに着弾する。 同時にとんでもない大きさの火柱が立つ、戦艦の主砲弾だ。 続いてクラスター誘導弾が空中で炸裂、子弾をばら撒く。
師団砲兵からは155mm野戦榴弾砲が、ひっきりなしに撃ち込まれている。 こちらも『門』の直ぐ近くに集中的に着弾していた。
砲撃は順調に進んでいる、まだ光線属種によるレーザー迎撃照射が始まっていないからだ。 大型種は戦艦主砲の直撃や至近弾でミンチにされるか、吹き飛ばされる。
小型種BETAは洋上と陸上からの203mm、155mm砲弾に引き裂かれ、吹き飛ばされ、『門』を出て間もなくの内に赤黒い霧状の『何か』に変わって行く。

「海軍弾着観測班より、『艦砲射撃、あと10分間継続』、以上です」

「師団砲兵、砲撃継続あと15分」

「第1大隊長より、『砲撃効果大、前衛大型種の数、半数を切る。 続行されたし』です」

連隊本部内に、やや安堵の空気が漂い始める。 どうやら光線属種は群れの後尾付近、まだハイヴから出てこれない様だ。
このまま砲撃を続行すれば、連中が出現する頃には厄介な大型種は、大半を始末できる事だろう。 ならばその後の掃討は刺して困難ではない・・・

「ッ! 第1軍団正面に、師団規模BETA群、出現! 数、約1万1000!」

「海軍より緊急信! 『艦砲射撃を東戦域(第1軍団担当戦域)に変更す。 貴軍団の奮戦を期待す』です!」

師団規模!―――安堵した途端に、これだ! 判ってはいたが、BETA相手の戦いとは全く、先が読めない! 連中の手持ちカードは後、どれだけある!?

「師団本部より入電、『全機甲部隊を旧首都高跡に展開。 戦術機甲連隊は東側、本牧方面に展開せよ』です!」

「第14師団機甲部隊、旧首都高跡付近に全部隊、展開しつつあり!」

「第141戦術機甲連隊、西側、根岸公園付近に展開中!」

どうやら軍団司令部は、根岸公園・本牧公園を回廊の両端にし、旧首都高跡を底にしたキル・ゾーンを形成するようだ。 
そこにBETA群を誘引しての殲滅戦を企図したようだ。 だが浅い、ゾーンの縦深が浅い。 大丈夫か?

「第1、第2大隊、前衛突撃級BETA群と交戦開始! 機甲部隊、射撃開始しました!」

「第3大隊、側面突入! 要撃級BETA群と交戦を開始!」

「141連隊、西側面よりBETA群に突入開始しました!」

「師団砲兵群より、『制圧砲撃、15分間延長続行す』、です!」

「小型種の浸透、多い! 機械化歩兵装甲部隊、小隊毎に散開・殲滅に当ります!」

どうやら、最初の山場の様だ。 ここを凌げば反対に戦力が強化される、出来なければ・・・チキンズの降着地点の確保が出来ない、連中は袋叩きに遭う。
艦砲射撃が第1軍団戦域に移って以降、小さくなった砲声も心なしか、少し大きくなった気がする―――いや、大きくなった。
第18師団砲兵群以外に、第14師団砲兵群、第13軍団砲兵団も加わっての集中砲撃が開始されていた。 
戦艦主砲の様な大口径砲は無いが、155mm、203mm砲がひっきりなしに着弾する。 いつしかAL砲弾、ALMも加わっていた、光線属種が姿を表したからだ。

『11中隊、≪ソードダンサー≫! そのラインより後ろに突破を許すな! 13中隊、11中隊の側面を援護!』

『第2大隊、第1大隊の右側面から再度突っ込め! 後方の光線属種は第3大隊が受け持つ!』

『長車よりカク、カク! 目標、突撃級BETA群! 陣前780! 弾種APFSDS! 各個に―――撃ッ!』

『師団G5より全部隊、出現せしBETA群の数、6800に増加! なおも増大中!』

『第1中隊、ここで浸透を阻止しろ! 第2中隊、本牧南側一帯周辺をサーチ、発見次第殲滅しろ! 第3中隊は西側! 浸透した小型種は、1匹も撃ち漏らすな!』

『面制圧支援砲撃、第25射、開始した!』

『海軍! 支援砲撃要請! BETA群増大中! 現在・・・約7000を越えた!』

『護衛を回してくれ! そうだ、輸送部隊の護衛だ、丸裸で輸送が出来ん! デポの集積が進まないんだ!―――歩兵1個小隊が限界!? 馬鹿野郎!』

『師団G3だ、機械化歩兵連隊、1個中隊を輸送隊の護衛に回してくれ!―――構わん、いざとなったら司令部中隊で応戦する!』

騒然となって来た。 出現するBETA群の数が一気に増える、旅団規模を越し、師団規模に迫る勢いだ。 想定した作戦戦術戦域では収まらない。
おまけにそこかしこの小さな『門』から、光線級が出現している。 場所がばらけていて、攻撃の的を絞り難くしていた。

「・・・海軍はアテに出来ず、BETAは増える。 さて、どうしたものか・・・」

名倉大佐が、他人事のような口調で独り言のように呟く。 が、表情はその正反対だ、非常に厳しい。
連隊本部要員は、各科長以下全員が対応に追われている。 作戦地図の前に陣取っているのは、連隊長の名倉大佐と、師団参謀の周防大尉の2人だけだ。

「・・・どう見る? 周防」

「ゾーンが狭すぎます。 どうせ、どう動くかはBETA次第です。 なら連中の好物で釣ります」

「具体的には?」

「東の本牧ふ頭まで、戦術機部隊を餌に。 海軍からは1個戦隊(第2戦隊)の支援が来ます、旧首都高から横須賀街道までの包囲網を形成、集中砲撃を」

「現有戦力で、それが可能と考えるか?」

「・・・現在、1245です。 増援の統一中華2個師団到着まで、あと10分。 4個師団の戦力が有れば可能、そう判断します」

そう答えた周防大尉の顔を、面白そうに眺めた名倉大佐が最後に一言、聞いてきた。

「連隊全部は無理だ、精々1個大隊―――誰にやらせるつもりだ?」

その問いに、周防大尉が一瞬口ごもる。 大尉の腹の中では当りは付けていたが、この場での決定権は無い。 
それに今回進言した内容は、戦術機甲連隊から『囮の為の餌を出せ』と言っているのだから。 仮に釣れても、餌は飲み込まれかねない。

周防大尉のその表情を見た名倉大佐が、手で制して己から言った。

「判った、貴様は言うな。 うん・・・2大隊、荒蒔にやらせよう。 宇賀神(第1大隊長)は早々くたばって貰っては困るし、木伏(第3大隊長)の所は練度が一番低い。
荒蒔の第2大隊が一番、適任だろう。 アイツの部下の中隊長は全員、見事に大陸派遣軍上がりばかりだしな。 こういった無茶は、向うでは散々やって来たのだろ?」

「・・・やらざるを、得ませんでした」

「だろうよ、ならここでも同じだ。 覚えておけ、立案して命じる側の苦労もな」

苦労―――その一言で片づけられるのもだろうか? 部下の命、それも数百名の命を預かり、そして死地に飛び込めと命じる。

「通信を開け、第1大隊だ。 ・・・宇賀神か? どうだ、あと10分、陣地変更の間持ち堪えられそうか? いける? よし。 おい、次は師団司令部に繋げ!」

大佐なりの達観か? それとも自分への配慮か? その答えが出る前に(答えが出るモノでもないが)名倉大佐は師団本部へ上申を伝えた。


返答が届く10数分間の間、連隊の正面では必死の阻止戦闘が継続されていた。 機甲部隊は距離100を切る、至近距離での阻止砲撃を余儀なくされ、被害が拡大する。
自走高射砲部隊も小型種に気を取られた隙に、要撃級の前腕の一撃を車体上面に受け、破壊される車両が出始めた。
戦術機部隊がBETA群の中に割って入り、撹乱する。 次々にBETAを葬って行くが、戦場が狭いせいと光線属種の存在が機動を制限する。

1機、また1機、撃破される機体が出始めた。

「第1大隊、損失3機、中破2機! 残存35機、損耗率12.5%!」

「第2大隊、4機損失」

「第3大隊損失、3機! 中小破1機!」

全体で120機中、損失10機、中小破3機。 既に1個中隊分の戦術機を失った、序盤でこれでは目も当てられない。 どうやら隣接する141連隊も似た様な損失状況の様だ。 
もっともハイヴ直近で、7000以上のBETA群の直撃を受け、未だ1個中隊分の損失、と言う方が異常かもしれない。 過去の本土防衛戦闘では大隊丸ごと、と言うケースも有った。

「師団司令部より入電!」

ようやく指示が来た、内容は―――概ね、上申の通り。 

「よし、第2大隊に命令、手筈通りにとな。 第1、第3大隊は機を見て第2の支援に当れ、判断は各大隊長に任せる」

ひっきりなしに砲声が直ぐ近くで聞こえる、何せ連隊本部の有る場所から300m程先には、最初で最後の防衛ラインが存在するのだ。
攻撃を敢行しつつ、配置転換を行う。 困難な作業をしかし、指揮下の各大隊は何とかやりおおせつつあった。 その間に更に3機が損傷した。
14師団、18師団の戦術機甲部隊、機甲部隊の配置転換が終わり、師団砲兵、軍団砲兵団による支援砲撃が座標を変更して再開されたその時、ようやく待っていた報告が入った。

「海軍第2戦隊、支援砲撃位置に到達しました! これより艦砲射撃開始します! 台湾第3師団、中国第110師団、先鋒部隊が到着! 戦線に参加します!」

途端にとてつもない重低音が響く。 ややあって、頭上を特急電車が一気に通り過ぎてゆくかのような轟音。 同時に凄まじい音と、本部まで響く衝撃波。 戦艦の砲撃だ。
そしてBETA群に突進して行く台湾のF-CK-1『経国』、中国軍のJ-9Ⅱ(殲撃9型Ⅱ)J-10(殲撃10型)の混成部隊。 流石に最新鋭のJ-11(殲撃11型)は出し惜しみするか。
だが、出し惜しみでも何でもいい。 今ここで新たに、2個連隊の戦術機部隊の増援、何物にも代え難い。 じきに機甲部隊なども追いつくだろう。

「よし、まずはここを踏み止まる! 外縁部の誘因部隊が折角3万近いBETA群を引きだして、相手取っているのだ、この位はせねばな!」










TIME:-1:15:00 地球周回低軌道 高度282km


アンビリカル・コネクタ解放、再突入カーゴの全系統切り替え―――OK。 これで全コントロールはエレメント・リーダーの手に渡った。

≪天鳥船(アメノトリフネ)よりドラゴンバスターズ、本艦の軌道離脱噴射まで300―――頼む、横浜を、本土を取り戻してくれ≫

管制ユニットのコンソール・ライトに、網膜スクリーンに映った管制官の顔が、青白く見える。 祈り―――真摯な祈りの顔。
なるほどな、『天鳥船』―――日本神話に登場する神の乗る船、だとすれば俺達は、本土を奪還する八百万の神のひとつか? 
笑うな、それだけの数の神様がいりゃ、一神位は恐怖にションベンを漏らす、クソッたれなチキン・ダイバーズの神様だって居るだろう。

『ドラゴンバスター01、軌道離脱噴射、スタンバイOK ・・・頼まれた。 頼まれたぞ、戦友・・・!』

『ドラゴンバスター02、スタンバイ了解。 横浜は俺の故郷だ、やってやる・・・やってみせるぞ、戦友!』

西経40度、南緯35度、ウルグアイ東方・南大西洋上軌道高度260km。 速度26,500km/h。 軌道離脱噴射、開始―――高度250km・・・200km・・・150km・・・ 
もうHSSTとの通信は途切れている。 ユニット離脱タイミングを示すカウンターだけが、不気味にその数字を減じていく。
カウントダウン―――10、09、08・・・03、02、01、00! ロックボルトが爆発分離された、再突入殻分離!

『再突入殻分離、確認!』

『確認! 現在地、西経36度、南緯26度、南大西洋ど真ん中の上空!』

外部モニターに映し出される、軌道艦隊が見えた。 全艦がロケットブーストで、高度と速度を回復しつつ、低周回軌道へと復帰して行く。
暫しの別れ。 そう、暫しの別れだ。 生還率2割? それがどうした、それより低い生還率の作戦も有った! それを生き抜いてきたベテランだ、我々は!

眼下の(実際はそうでないが)地形がみるみる変わって行く。 長い航跡を引いて、この世で最も臆病で、そして見栄の何たるかを知る貴き愚者達が、流れ落ちて行く。









1999年8月5日 1315 旧横浜市 横浜港跡 旧製油所付近 第13軍団第18師団 第181戦術機甲連隊本部


「損失は?」

「3個大隊で16機が完全撃破されました、全員戦死。 他に14機が中小破、6機がスクラップです。 8機は応急修理の後、戦列に復帰、重傷4名。 残存90機」

「これまでの、出現BETAの総数は?」

「軍団正面の累計で9860体、師団規模です。 他に第1軍団正面に1万1800体、合計で2万1660体。 何とか撃破しましたが、それでも8個師団がかりで、です」

「その上に、外縁部に3万以上が向かいました、総数で5万体以上が出現した計算になります」

「・・・本当に、横浜はフェイズ2ハイヴなのか?」

「データ上では、フェイズ2ハイヴの攻略戦はミンスクだけですが・・・地上への出現BETA数は、当時で2万4000体前後でした」

「・・・多い、多過ぎるぞ。 一体どうなっている・・・?」










TIME:-0:35:00 熱圏 高度80.5km 第5軌道降下兵団


『はあ! はあ! はあ!』

荒い息、誰だ?―――自分だった。 もうかれこれ30分近い軌道降下の真っ只中。 そろそろ熱圏が終わり、中間圏に突入する高度だ。 全行程の中間地点はとっくに過ぎた。
先程眼下に、カスピ海が見えた―――周りは低地ばかりだった、本当ならカフカス山脈からアナトリア、イラン高原があった筈・・・

≪ザッ・・ザザッ・・・!≫

鈍いノイズと同時に、網膜スクリーンの視界がブラックアウト。 熱圏から中間圏に突入したのだ。 TIME、-00:25:00。 さあ、ここからいよいよ、最大の難関に差し掛かる。

『むっ・・・! ぐっ・・・!』

シートから押し出される様な、マイナスGが急激にかかる。 高度70km、速度23,700km/h、軌道降下に伴う減速を補う為に、ロケット加速が始まったのだ。
外部視界は全く取れない、なので自分がどこをどう『落ちて』いるか、想像するしかない。 なので予めプリセットされたプログラムで、再突入殻を制御するしかない。

『第1回ロール反転・・・開始・・・!』

ほんの僅かなスラスター噴射と、シェルに複数個所取り付けられたモーメンタム・フライホイールのトルクモーメントを使ってS字軌道を描く。 TIME、-00:20:00
着陸までに都合4回、強引に70度以上の深いバンク角度でS字軌道を開始する。 これも軌道降下戦術のひとつ。 現在推定地点、旧西安上空!
俗にBETAの予測を外す、等言われるが、チキンズにとって迷惑この上ない苦行だ。 瞬く間に、次のターンが迫ってくる。
TIME、-00:18:00 第2回ロール反転、想定位置・呼和浩特(フフホト)上空、高度66km。 更に減速した、ロケット加速第2段!
TIME、-00:16:00 第3回ロール反転、想定位置・大連上空、高度62km。 骨がきしみそうだ、だがまだ大丈夫、大丈夫な筈だ!
TIME、-00:14:00 第4回ロール反転、想定位置・ハルピン上空、高度58km。 ロール反転はこれで終わり。 さあ、次こそいよいよ・・・!

電子音が管制ユニットに鳴り響く、ブラックアウトが終わったのだ。 中間圏を何とか生きて抜けた。

『タイム、-00:12:00、高度55km、速度23,400km/h・・・ウラジオストク上空、成層圏突入用意・・・』

TIME、-00:10:00。 いよいよ成層圏に突入する。 さあ、『あれ』が始まる・・・!

『・・・高度50km、速度23,000km/h・・・ターミナル・エリア・エネルギー・コントロール! 成層圏突入! 大減速、開始!』

ドンッ!―――背中を一気に蹴飛ばされた、いや、とてつもない何かにブチ当たった感じ。
強化装備の耐G機能が無ければ、一気にこのマイナスGには耐えきれないだろう・・・

『マイナス4.0・・・4.5・・・5.0・・・高度40km、速度13,300km/h・・・最大減速・・・!』

目玉が飛び出しそうになる、内臓が押し上げられて、全てを吐き出しそうだ―――歯をくいしばって耐える。 マイナス8.0Gを超す、猛烈な大減速! 正気の沙汰じゃない!

一気に高度25,500m、速度2,740km/hまで、速度で20,000km/hもの大減速をかける!
頭から一気に血が引く、足元に全て集まる感じだ、視界が暗く狭まって意識が―――途絶えさせるものか!

日本海上空を、流星群さながらに猛速で降下して行く軌道降下兵団。 高度20,000・・・15,500・・・10,000・・・5,000・・・

『マニュアル・コントロール復帰! リエントリーシェル、離脱!』

ドッ!―――衝撃と同時に、背面で落下していたリエントリーシェルから、一気に戦術機ごと開放される。 
同時に最後の補助ブーストを自動で利かせ、リエントリーシェルがハイヴに向け急速突入して行った。 レーザー照射は・・・たったの20本!

『シックスよりドラゴンバスターズ! 全員居るか!? フライドチキンになった奴は居ないだろうな!?』

『ドラゴン05よりシックス! B小隊全機いますぜ!』

『シックス、ドラゴン09! C小隊、A-OK!』

『02より01、A小隊、しぶとく全機、居やがった! 焼き鳥屋は、これで廃業だぜ!』

腹の底から、何か判らない感情がせり出してきた―――全機、軌道降下をやり遂げやがった!

『OK! クソッたれ共! 重金属雲発生高度、1560m! 突入前フォーメーションを組め!』

―――『了解!』

跳躍ユニットを下方全開にして、減速着地態勢に入る。 真下に黒々とした重金属雲が広がる、あの中に入るのは嫌なものだ。 だがここではアレが唯一の『イージス』だ。

『重金属雲・・・突入!』

ボッ―――そんな音がした気がした。 途端に視界がブラックアウト、重金属雲は通信だけでなく、センサー系も異常を発生させる。 速度455km/h

『・・・む・・・う・・・ 抜けた!』

高度420m、重金属雲を抜けた。 どうやら海軍の艦隊と陸軍の重砲部隊は、念入りにAL砲弾での砲撃を実施してくれていたらしい。 予定より300mも分厚いとは!

『最大逆噴射! 着地に備えろ!―――待たせたな、陸軍!』

≪第18師団だ! フライドチキンじゃなくて、何より! 降下ポイントは山手より南だ! 北側の『門』の確保は、まだ出来ていない!≫

『頼もし過ぎて、涙が出る!―――ドラゴンバスターズ! さあ、地獄の門だ! 獄卒共を喰い尽せ!』

―――『応!』


1999年8月5日 1408 国連軍第5、第6軌道降下兵団、全216機中の195機が横浜ハイヴに軌道降下で降り立った。 




[20952] 明星作戦 4話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/09/04 20:43
1999年8月5日 1508 横浜ハイヴ内 第6層・S-06-08広間


10数機の戦術機―――F-15C、いや、日本帝国陸軍の89式『陽炎』(F-15J)だ―――が、主脚歩行で移動していた。
周囲はまるで前衛芸術の限りを尽くしたかのような、奇妙な、それでいてどこか底しれぬ畏れを含んだかのような、異形の光景。
およそこの星の高等知的生命体―――人類の感性に合致するものではない、どこか異なる『存在』の意志を具現化した様な造作。

そこは第6層のスタブ(横坑)、紛れも無く横浜ハイヴの内部だった。

『ブラヴォー・リーダー(帝国軍軌道降下兵団第2大隊長機)よりCP。 現在第6層・S-06-08広間、制圧は完了した。 BETA群は小型種が100体程、殲滅済みだ』

≪CPよりブラヴォー・リーダー、第6層・S-06-08広間の制圧完了を確認。 現在、デルタ(国連軍軌道降下兵団第4大隊(豪州))がS-06-09広間に到達した。
S-06-09からS-SEドリフトを進軍予定、ブラヴォーの東隣だ。 兵站は第5層、S-05-02広間まで確立済み。 有線は第6層、S-06-11広間まで確立≫

突入開始から60分が経過した。 現在は軌道降下兵団の6個大隊が第6層に到達、続く地上軍の突入機動大隊17個大隊が、相次いでハイヴ内に突入。
現在は第4層から、先頭集団は第5層に到達していた。 それに追従する様に工兵隊が大挙、護衛付きで突入。 兵站デポとJTTC-T1(移動通信基地局装置)を設置している。
更にはJVCT-T1(移動通信端末装置)と、そこから有線で繋がれたリモート通信ユニットを各所にばら撒き、無線通信網を確保している最中だ。

『了解した。 まだ補給を受けるまではいかないな、他の連中も同様だろう?』

≪第1層から第6層までで接敵したBETA群は、戦車級主体の小型種BETAが総数で600前後。 本番はこれからだ、ブラヴォー。 引き続きハイヴ内情報、送れ≫

一瞬、網膜スクリーンの移る周囲の情景を眺めたブラヴォー大隊長は、この映像を送ってやった方が手っ取り早いのにな、そう思った。
だが残念ながら、戦術機には映像転送機能は無い。 機体間の映像会話通信機能は有るが、それまでだ。 『余計な』機能は、特に画像転送機能はCPUの負荷を増大させる。

『ブラヴォー・リーダーだ。 現在ブラヴォー02(第22中隊)がS-06-07広間への先行偵察中。 ブラヴォー01(第21中隊)は途中のドリフト(横坑)の確認中。
今の所、BETAの出現情報、及びスリーパー・ドリフト(偽装横坑)の発見は無し。 ブラヴォー03(第23中隊)と指揮小隊は、S-06-06広間へ向かう』

≪CP了解。 途中でショートカットするドリフトを発見した場合、即時報告を≫

『承知した。 ブラヴォー・リーダー、アウト―――シックスよりブラヴォー04(大隊副官機)、03と我々はS-06へ向かう。 01、02との回線は?』

『04よりシックス、無線の伝播状況はやはり悪いですね。 JVCT-T1(移動通信端末装置)のリモート通信ユニットから800m、それ以上だとノイズだらけです。
現在、01からの距離は420、02が380ですので、今の倍離れたら厳しいです。 手っ取り早く施設工兵隊が仕事を片付けて貰わない事には・・・』

大隊副官のぼやき交じりの報告は、概ね予想の範疇から出ていなかった。 やはりネックはハイヴ内通信の成否だ。 これが途絶えれば、各部隊は孤立する。
どうやらミンスク、ボパール、そしてリヨンでの戦訓の通り、ハイヴ内は無線の伝播が極端に悪いようだ。 JTTC-T1からJVCT-T1、そしてリモート通信ユニット。
この有線接続通信網の端末から、直線距離で800m前後離れたら、途端に通信回線はノイズだらけとなる。 作戦の遂行は、工兵隊の作業速度との相談でもあった。

『連中は兵站デポの設置やら何やら、目の回る忙しさだ。 よし、まずはS-06-06、S-06-07広間への中間地点まで索敵をかける。 そこまでなら800は離れん』

『その場で確保と周辺索敵、工兵隊の設置を待って前進開始、で宜しいですか?』

副官の問いかけに、大隊長は視線を奥に―――ハイヴの主坑、そして最深部の大広間へと続くであろう、横坑(スタブ)の先を真っすぐ見据えながら、言った。

『一歩、一歩な。 牛歩でも確実に、だ。 ボパールでは大東亜連合の連中、兵站もそうだが、通信確保が追い付かない様なハイヴ内進撃を仕掛けたらしい』

『で、結局各部隊間の通信が途絶して・・・ 湧き出てきたBETA共と各個戦闘を余儀なくされて、殲滅された、と。
判りました、01、02にはポイントS-06-55まで前進、以降は命令有るまで周辺索敵と確保を、と通達します』










1999年8月5日 1530 旧横浜市 横浜港南部 第18師団司令部作戦課


「では周防大尉、現時点での戦術機甲連隊の最終損失は被撃破16機、中小破6機。 修理後復帰が8機。 衛士は戦死16名、負傷6名の戦死傷者22名だな?」

「はい。 強襲の割には低い損失だったと、181の名倉大佐も言われております」

もっとも、BETA相手に完全な奇襲なんて有り得ないが。 殆どの場合で、強行の程度こそあれ、強襲になってしまう。 連中の探知能力は長年戦っても尚、脅威としか思えない。
目前のホワイトボードに、補佐の宮元少佐が確認しながら損害状況を書い込んでいた。 戦域確保が一応の完成を見、チキンズに続いて地上の突入部隊もハイヴに突っ込んだ。
その時点で戦術機甲連隊に『出向いていた』俺の仕事もひと段落、と言う事で状況報告に戻って来た矢先の、作戦課内会議―――作戦の実態確認と修正作業が待っていた。
課長の広江中佐に、補佐が2人―――宮元少佐と、九重少佐。 大尉が榊原大尉、佐久間大尉、田宮大尉と仙波大尉。 そして俺と新井大尉の6名。

「戦術機部隊は損失18.3%、現有戦力は81.7%と言う事だな。 ならばまだ、行ける」

「機甲部隊は損失13.4%、機械化歩兵部隊は11.6% 正直これ以上の損失は増やしたくないが・・・ 作戦遂行上、まあ、30%までは許容範囲だ」

宮元少佐と九重少佐が、ボードの数字を見つつ話している。 その周りに集まった、俺を含めた6人の大尉参謀達も同様に頷く―――僅かな、一抹の違和感を覚えながら。
と、それまで部下達の報告を黙って聞いていた課長の広江中佐が、机上に広げた作戦地図の駒を手に弄びながら、視線を外さずに聞いてきた。

「師団の戦闘力は、未だ85%を維持していると言う事だな。 14師団はどうだ?」

「はっ、14師団もほぼ同じです、84.5%を維持との事。 戦術機部隊の損失は17.5%、現有戦力は82.5%」

「兵站も、軍団兵站補給所から、師団兵站交付所までのラインが確立されました。 各連隊の補給段列へも、補給は順調です。 現在、燃料弾薬の補充は95%」

戦域確保第1派として、派手に強襲攻撃をかけた割には、第13軍団の損失は意外な程少なかった。 俺の予想では、最悪緒戦で3割前後の損失を出すかも、そう考えていたのだ。
現在ハイヴ周辺の戦域確保は、南の根岸から本牧にかけて、第13軍団と聯合陸戦第3師団で押え込んでいる。 西の保土ヶ谷付近は第1軍団(第1、第3、禁衛師団)が。
そして軌道降下兵団の到着の直前、北側の戦域確保もようやくの事で為し得た。 第2派の援軍に来てくれた当一中華2個師団と、第14軍団の第7師団。
この3個師団で天王町から西横浜、旧横浜駅までの戦域を確保した。 これで東の横浜港を除く陸地は全て、ハイヴを囲う様に9個師団での包囲が完成した。

「・・・師団長とも話すが、戦況の推移如何によってはハイヴ内の兵站線維持、通信網維持の為に警戒突入を下すかもしれん。
現在先行で23個大隊が突入しているが、送られてくるハイヴ内情報がどうにも変だ、『広間』の数が想定よりも多い」

課長の言葉に、戦術情報分析担当の佐久間基大尉が我が意を得たり、とばかりに頷くのが見えた。 彼はハイヴ突入以降、送られてくる情報に頭を悩まし続けている。

「突入前に、地上に湧きだしたBETAの個体数が、総数で5万を越していましたし。 これまで小規模での戦闘ではありますが、それでも4000を越すBETAと接触しております」

「現在、第7層に突入。 S-07-09広間まで進出しております、到達深度は284m。 想定最深度は350m前後、第9層程度になります」

佐久間大尉の言葉を、田宮里香大尉が補足した。 彼女は陸士102期出身の才媛、戦場での部隊指揮経験も有るが、どちらかと言うと帷幕で策を練るタイプの軍人だ。
後ろで髪をアップに纏め、フレームレスのバイオレット・カラーの眼鏡(なんと、輸入物だ!)をかけた姿は、軍人と言うより有能な秘書、と言った感だ。
実の所、彼女とは相性が良くない。 全てを、計数を根拠に、論理的に系統立てて話を展開してくる彼女と、俺の様な実戦経験での『勘』を、有る程度前面に出すタイプ。
会議では良く衝突する。 彼女の言う事も判らないではないが、それでも『数字で全て割り切れるなら、今の世界の戦況はどうなのだ!?』と言いたい。

「・・・単純計算で、総計5000から5500体のBETAと、ハイヴ内で出くわす計算か。 23個大隊・・・2400機近い戦術機を送り込んでいる、まず殲滅は可能だろうが・・・」

少し不安げに、九重清源少佐が呟く。 名前から想像出来るように、元は武家の出だ。 もっとも白の家系の分家のまた分家、と言う家柄だそうで、斯衛ではなく陸軍に入った人だ。
元々は兵站屋だ、それ故に今回の作戦では、最も重要な決定を下す機会の多くなる人でも有る―――師団兵站部との調整、そしてハイヴ内の兵站確保計画を立案した一人だ。

「先程送られてきた、音響探査情報ですな。 J(ジュリエット)大隊(帝国陸軍機動第14大隊)、R(ロメオ)大隊(国連軍第104突入大隊)からの聴音索敵情報。
30分前に送られてきたL(リマ)大隊(帝国海軍第2戦術陸戦隊=大隊)の聴音情報結果を併せた三角点測定の結果、主坑の想定直径が190mから200m・・・」

その九重少佐の不安の原因を、今度は佐久間大尉が言い当てた。 シャープな印象を与える若手将校だ―――大尉の中では、もう古参の部類だったが。
陸士101期生、少尉任官は俺より1年後の93年3月だが、大尉進級は俺より半年早い96年4月。 恩賜組だ、いずれ陸大に進むのだろう。

「それではフェイズ4ハイヴになる、どう考えてもおかしい。 横浜はフェイズ2ハイヴだぞ!? 地表構造物高度も53mから55m、地下茎半径も2.2kmだった。
いずれもフェイズ2ハイヴの範囲を越していない。 主坑の太さだけフェイズ4ハイヴ並みだなどと・・・意味が有るのか!?」

今度は榊原慎之介大尉が、佐久間大尉に異論を挟む。 榊原大尉は92年卒の陸士100期生、佐久間大尉の1期先任だ。 先任だが、卒業成績はドン尻から数えた方が早いらしい。
彼もまた、俺と同様に参謀勤務は今回が初めて。 陸士卒業後は一貫して、大陸派遣軍で機甲部隊に居たそうだ。 半島撤退戦の光州で、最後まで戦車砲を撃っていたと言う。
そんな彼だから、1期後輩、しかも恩賜組、いずれは陸大を出て将官に、と言われる佐久間大尉とは、ちょっとソリが合わない。

「BETAのやる事に、いちいち意味を考えておれますか? 重要なのは事実だ、憶測じゃない―――最悪、最深度もフェイズ4並み、と想定してみては?」

「それでは作戦が根底から崩壊する。 深度がフェイズ4想定とすれば、内包するBETAの個体数も飛躍的に増加する、少なくともあと数万はハイヴ内に居るぞ!?」

佐久間大尉と榊原大尉のやり取りに、頭の中でハイヴ内の戦況を想定してみた―――フェイズ4、駄目だ。 知らず、言葉が出てしまう。

「・・・突入部隊だけでは大広間まで突破出来ない、いや、反対に殲滅されてしまう。 戦域包囲の我々、9個師団が突入しても怪しい。 過去の戦訓、そのキルレシオから考えると」

「では周防大尉、貴官はどうお考えなのです?」

田宮大尉の声が、やや突っかかって来るように感じたのは、気のせいか?

「フェイズ2ハイヴなのなら、作戦計画の予定通り進めるべきだ。 もし、フェイズ4に匹敵する深度と広間の数が有るのなら・・・」

「・・・有るのなら?」

「有るのなら、力押しでは9個師団では足りないと考える。 その倍、或いは少なくとも5割増しの13個から14個師団分の戦力、それを投入しての力押し」

―――我ながら、無茶を言っている、そう思う。 そんな兵力、一体どこにある? 戦域確保の9個師団以外は、外縁部で5万からのBETA群を迎え撃っている最中だ。
西関東防衛戦の戦力でも、引き抜くのか?―――『奪回総軍』と関東軍管区、指揮系統が異なる、早々引き抜けるものか。
大体、西関東の第4軍団には3個師団しか―――ああ、後詰の第17軍団の3個師団が東京に入ったか、合計6個師団。 でも当てに出来る部隊は第4軍団だけ。

「9個師団、或いは13師団。 それだけの部隊がハイヴに突入したとします、その兵站確保は?―――無理です、出来ません、想定していません。
第1軍団、第13軍団、双方の軍団兵站機能を大幅に超過します。 第8軍、第9軍も外縁部部隊への兵站線確保も必要です―――結局はハイヴ内で立ち往生して、殲滅されます」

「・・・判っているよ、前線で補給が途切れた時の、その恐怖はね、実感している」

兵站線確保の困難、或いは不可能―――もしも、横浜がフェイズ4相当なら、この作戦はその点で崩壊する。
総軍の兵站機能は巨大の一言だが、それでも外の外縁部防衛・阻止殲滅戦部隊と、内の戦域確保部隊、そして最内のハイヴ突入部隊、3系統の兵站線を確保せねばならない。
秀才幕僚たちが何十人も、頭を捻って苦心惨憺の末に立案した今回の『兵站作戦』、その根底を覆しかねない問題を、いち師団司令部で解決出来るものではない。

知らずに背中に、冷汗が流れている事に気がついた。 我ながら小心な事だ。 思い切って課長―――広江中佐に進言する事にした。

「課長、仮に横浜がフェイズ4相当だと仮定した場合。 想定される攻勢限界点、及び損失限界点を算出の上、師団より軍団司令部に上申すべき、と判断します」

「・・・逃げ出す算段か?」

「用心に越した事は無い―――散々、味わいました」

俺の言葉に反応した周囲の反応は、様々。 以外にも佐久間大尉と田宮大尉は賛同。 榊原大尉は不承不承(血の熱い人だ、全く) 
九重少佐は作戦の修正を、そして宮元少佐は最大限動員可能な援軍(すなわち米軍と、残った国連軍)を加えた場合の限界点算出を、と主張した。

「・・・新井君、君は?」

それまで一言も発言していなかった最後の1人、新井大尉参謀に聞いてみた。 彼は少し不自由な左手を(戦傷で、疑似生体移植の具合が余り良くない)口にあてて言った。

「・・・核、或いは最大威力の移動設置型S-11弾頭は、有りますね?」

「おい、君・・・核を使うと言うのか!?」

新井君の言葉に、宮元少佐が驚いて声を上げる。 他の連中も同じだった。

「恐らく、米海軍はオハイオ級原潜を近海に展開させているでしょう。 トライデントⅡ、核搭載型の潜水艦発射弾道ミサイルを満載した艦を。
或いは浦賀水道南海面に展開した米艦隊の戦艦や巡洋艦にも、熱核弾頭を搭載した巡航ミサイル―――トマホークが搭載されているでしょう」

新井君の言葉に、一同が静まる。 それは誰もが一度は考え、そして考えたく無くなった方策だ。

「仮にフェイズ4だとした場合、突入部隊全軍を囮にして地上へと誘導する。 その後は核の一斉攻撃を実施。 まあ、半径20km圏は死の土地となるでしょうが・・・」

北は多摩川を越して品川辺り、南は鎌倉、西は綾瀬、東は東京湾を挟んで木更津辺りまで。 東京の他の地域も、居住禁止となるだろう。

横浜は?―――ハイヴ攻略の為には、一切考慮に値しない、そう言う事になる。

「或いは、戦艦搭載型の大型S-11弾頭砲弾を、全力で叩き込むか、です。 ハイヴ突入戦術機に搭載される最も小型のS-11の威力が、爆発出力で5kt相当。
これが大型の戦艦主砲弾搭載型だと、おおよそ20kt相当となります。 半世紀前、44年のベルリンに落された核と、ほぼ同等の威力です」

20kt相当の威力―――爆発点気圧は約50万気圧を越える、爆心地瞬間風速は500m/s程、爆風圧は500万Paを越えるだろう。 
爆心地での瞬間温度は9000℃を越し、半径1kmでも6000℃に達する。 地上に湧き出たBETA群を瞬殺するのに、全く問題は無い、まともに起爆すれば。

「光線属種に迎撃される可能性を考え、事前に艦隊の全力で面制圧砲撃をかけます。 陸軍の長射程砲も、全力で。 迎撃の隙を狙い、S-11砲弾を全力で叩き込みます」

聞いている内に、昔の戦場の光景が蘇った。 大陸派遣軍時代の93年1月、『双極作戦』での光景、まだ少尉の1年目だった。 
あの時、中国軍はS-11弾頭搭載の重砲弾を全力で叩き込み、片を付けた。 広大な地平線の各所に立ち上るキノコ雲、通信回線に流れる、巻き込まれた友軍部隊の悲鳴。
あの時、S-11の集中使用で巻き込まれた損失は、戦死傷者約28万人の18%近くに達した。 そして当時の日中韓統一軍事機構の『満洲方面軍』は、作戦成功を高らかに謳ったものだ。

「・・・ハイヴ内のBETA群を、地上に誘引させるとしてだ、損失想定は?」

「半数近く、40%は失うでしょう。 突入部隊は現在で、約80%弱の戦力を維持しています、最大であと40%程は、潰せる戦力が残っています」

広江中佐と新井大尉の会話に、少しだけ違和感を感じた。 先程も感じた、一体何だ?

「本格的に地上誘導するのなら、40%で済むか? 最悪、戦闘力の完全喪失―――60%は見込まんと」

「九州や京都の戦訓を見てもな、確かにそれ位はいくか。 大陸の状況では?」

「想定ですが、50%以上は必要かと」

「外縁部の各部隊が、どれだけの戦力を残して仕事を終えるかだな。 連中に戻って来て貰わないと、最後の突入―――反応炉の破壊―――が出来ない、戦力が無くなる」

いつの間にか、大規模破壊兵器の使用許容に傾いている。 判っている、判っているよ、俺も特に反論しない理由は。
それだけ恐ろしかった、全く悪夢だ、横浜がフェイズ4相当だと仮定する事は。 現有戦力で、通常戦力での攻略作戦が破たんする。

「よし、諸君、現実逃避はそこまでだ。 現行作戦継続時での、横浜ハイヴフェイズ4想定時の攻勢限界点、損失限界点の算出を至急、弾き出せ。
そしてフェイズ4『だった』と想定した場合の、師団の上申案を纏めろ、師団長に話す。 ああ、その場合の師団が被ると予想される、損失予測も忘れるな」

広江中佐の指示に従い、各々が割り振られた仕事に取り掛かった。 俺も戦術機甲部隊の損失状況を再確認し、各想定状況での予測損失の割り出しにかかる―――気が滅入る。
その間にも、突入部隊からの情報がネットワーク経由で入ってくる。 どうやら他の突入部隊でも、ハイヴ内状況に疑問を持ち出したようだ。
未だ主坑に到達した部隊はいないが、それでも音響を主に、ハイヴ内状況を確認する動きが多くなっている。

その情報を基に想定され、弾き出された数字―――主坑の想定直径、約205m。 一体何の冗談だ? 揃ってセンサーの誤作動か!?

「突入部隊の先頭、間もなく第8層に到達します。 予定最大到達深度まで、あと45m!」

オペレーターの声が虚しく聞こえる。 そうであって欲しい、そうあるべきだ―――間違えているのか、俺は? 俺達は?










1999年8月5日 1605 横浜ハイヴ内 第9層・S-09-02広間


『・・・ブラヴォー・リーダーよりCP、第9層のS-09-02広間を制圧した。 現在到達深度、348m・・・!』

苛立ったブラヴォー・リーダーの声に、通信回線の向こう側のCPも、戸惑いを隠せないでいた。

≪CPよりブラヴォー・リーダー、兎に角、周辺索敵を厳に! 予想ではそろそろ大広間に到達する筈・・・≫

『・・・348mだぞ!? フェイズ2ハイヴでの、最大深度とされる深さだぞ!? それが一向に、このクソッたれな地下茎が終わらんとは、どう言う事だ!?
音響、震動、各種センサーでの索敵でも、まだまだ先が有る! 大体、大広間がこの深度にあれば、当の昔に到達している筈だろう!?』

≪CPよりブラヴォー・リーダー! とにかく周辺索敵を! 司令部からの命令です!≫

『クソっ! 了解した! ちったあ、自分の頭で考えた言葉を吐きやがれ!―――シックスよりブラヴォー全機! 全周警戒!
02(22中隊)は西の横坑に入れ、03(23中隊)は東の横坑を警戒! 01(21中隊)、俺と一緒に真正面だ。 とにかく、そろそろ主坑にブチ当たる筈だ、警戒しろ!』

とにかくも02広間まで到達したのだ、もう直ぐ主坑に突き当る筈。 直ぐ上の第8層までは、主坑に接続しているスタブ(横坑)は無かった、今度こそ、だ。

『04よりシックス、ハイヴ内情報更新されました―――D(デルタ)大隊(国連軍軌道降下第4大隊(豪州))がポイントSW-09-38で、1000体のBETA群と交戦中。
H(ホテル)大隊(帝国陸軍機動第12大隊)が増援に急行中。 SE-09-42ポイントでA(アルファ)大隊(帝国軍軌道降下第1大隊)が音響・震動計測を実施。 
主坑までの距離、約69m。 主坑の音響センサーでの測定直径、約209m なお、地下茎は現地点より、更に150m深深度まで計測』

主坑まで70m弱、それまでにそこに接続しているスタブ(横坑)に出る事が出来るか? 本当ならとうに突き当っていてもおかしくない筈。
だが、そんな希望をあざ笑うかのような計測結果だ。 もしかするともう数層は下に潜らないと、主坑に突き当らないかも。 大広間は、まだその先かもしれない。

『クソッたれな情報、アリガトさんだ。 クソっ! こいつはおかしい、このハイヴはおかしいぞ、畜生・・・』

『陽炎』で構成された帝国軍軌道降下第2大隊、33機が更に主脚歩行でハイヴ内を進み始めた。 閉鎖空間であるハイヴ内に、震動と音が響き渡る。
軌道降下途中で4機を失い、突入後の連続した小戦闘の最中に3機を失いはしたが、まだまだ戦闘力は維持している。 まだまだ戦える。
それは突入部隊の先頭を行くA(アルファ)、C(チャーリー)、D(デルタ)、E(エコー)の各大隊も同様だ。 後ろの地上から突入した部隊はもっと被害が少ない。

だと言うのに何だ? この底知れない不安感は? 恐怖感?―――そんなもの、とうに承知だ、俺は怖い、誰もが怖い。
だから恐怖感じゃない、恐怖はハイヴ突入部隊にとって、生を感じさせる相棒だ。 だからそうじゃない、不安だ、不安感だ。 この足元が妙に頼りない不安感。

『・・・シックスより各中隊、とにかく用心して進め! スリーパー・ドラフト(偽装横坑)は、絶対に見落とすなよ!?』










1999年8月5日 1630 浦賀水道南方洋上 帝国海軍作戦指揮艦『仁淀』


『エクスレイ・グループ、各中隊、第8層Sエリア『観測地点』に到達。 『観測』開始します』

『ヤンキー・グループ、第8層Wエリア到達。 各中隊は『観測地点』を確保』

『ズール・グループ、第7層に進出。 各中隊、エクスレイ・グループ、ヤンキー・グループのバックアップ、開始します』

『ズール・グループ各中隊、デリング、トール、ヴァルキリーズよりのデータリンク、確立確認しました』

『これより『観測任務』、全隊開始します』





「・・・まったく、得体の知れない連中ですよ」

「ぼやくな、航海士。 上も認めた『お客さん』だ、精々丁重に扱ってやれ。 難癖付けられても適わん」

航海艦橋で副直士官当直に当っている航海士のぼやきに、当直士官である砲術長が肩を竦め、諭すように言う。

「しかしですね、砲術長。 さっきも管制長がこぼしていましたよ、艦の通信管制機能、殆ど全て占有して我が物顔だと」

航海士はその職務の関係上、通信・電測・管制部署とも密に関係している。 その際に管制長からこぼされたのだろう。
砲術長も、管制長の苦り切った表情を思い出し、苦笑する。 彼自身は直接の被害を被っている訳ではないが、通信・管制・電測各部署の苦労は推して知るべし。

「まあな、苦労は判らんでも無いがな。 今回の旗艦は『大淀』がご指名だ、俺達は本来なら余所の艦隊の旗艦任務の筈だったのを、こうして『安全な』後方から観戦できる。
精々、その幸運を噛みしめようぜ。 例え20代も半ば程度の若い小娘に、顎でコキ使われようともな・・・っと、君よりは年上か?」

「年上でも願い下げですな、あんな『魔女』! 艦側には一切の秘密主義で、艦長でさえ何をしているのか、全く知らないときた。
何が哀しくて、帝国海軍の正規軍艦が国連軍の、それも研究開発団なんぞと言う、学者連中に、乗っ取られなきゃならんのですか・・・」

今回の『仁淀』に対する命令も、随分と複雑な経路で来たと聞く。 本来ならば国連軍太平洋方面総軍経由、国防省、そして統帥幕僚本部から海軍軍令部、最後はGF司令部。
これが正規の命令の流れの筈だ、少なくとも『軍令』の原則で言えばその筈だった。 だが今回は帝国情報省が絡んでいたり、頭越しにGF司令部に政府官房から直接命令が出たり。
とにもかくにも、全てが異例中の異例だった。 お陰で国防省や統帥幕僚本部、本土防衛軍総司令部や海軍軍令部などでは、頭から湯気を立てている高官が多いと噂される。

「だから、上の上が認めた、と言っているだろう? GF(連合艦隊)司令部じゃない、軍令部より上級の命令だ、断れんよ」

「まったく・・・ 『観測任務』だか何だか知りませんが、入渠中の『飛龍』、『蒼龍』、『雲龍』まで引っ張り出して、連中の戦術機部隊の運搬艦扱いですよ!?
そのくせ、戦域制圧任務にすら出ようとしない。 ようやく出たのはチキンズが突入して、陸軍がハイヴ内の兵站と通信を確保した後で、ようやくおっとり刀で、と来た」

まだ若い航海士の『義憤』に苦笑しながらも、砲術長は古参士官が持ち得る『裏の』情報網で引っかかったネタを思い出す。
もっともこれは、彼の補佐役である掌砲術長(准士官の補佐役)の兵曹長、海軍生活20ン年の苔生した古強者が持つ、古参准士官同士の情報ネットワークで、裏も取ってはいるが。

「・・・確かに、何をしたいのか判らんな。 しかも突入部隊の内、3個大隊が連中の『直接護衛』に回されたと言う話だ」

「本当ですか・・・!? じゃあ、実質のハイヴ攻略戦力は20個大隊・・・」

「ああ、まったく、良いご身分だよ。 一度でいいから、そんな恵まれたご身分で戦争してみたいね! さぞ高尚なご感想を、抱けるのだろうな」


1999年8月5日 帝国海軍作戦指揮艦『仁淀』は、比較的平穏な『明星作戦』を迎えていた。










1999年8月5日 1658 横浜ハイヴ内 第12層・S-12-01広間


『・・・冗談じゃない・・・!』

突入部隊の最先頭を行くアルファ大隊(帝国軍軌道降下第1大隊)、その大隊長の口から、茫然とした声が漏れた。
現在地点、第12層。 その最奥である01広間、真正面の横坑の直ぐ先に、目指す重要目標である『主坑』を、ようやくの事で発見した。
流石にここでのBETA群は、今までで一番多かった。 凡そ2000体近いBETA群―――大型種の突撃級、要撃級も居た―――を何とか殲滅したのが、約15分前。
大隊はこの戦闘で6機を失った。 光線級のレーザー照射が『無い』筈のハイヴ内、比較的空間が取れる広間内での戦闘、それでも6機を失った。
軌道降下中に4機を失い、これまでの連続した中小戦闘で5機を失い、今また6機を失い、大隊戦力は15機減の25機になっていた。

『シックスより04、ブラヴォー(帝国軍軌道降下第2大隊)とチャーリー(帝国軍軌道降下第3大隊)は? 今どの辺に居る?』

『04よりシックス。 ブラヴォーはSW-12-02広間からSW-12-01広間へ進撃中、あと2分です。 チャーリーはSE-12-01広間に到達。 『観測』開始しています』

僚隊である2個大隊も、それぞれがまもなく東西隣接する、各々の01広間に到達する。 デルタ、エコー、フォックストロットの国連軍3個大隊も、直ぐ後ろまで来ている。
どうするべきか? 網膜スクリーンに映し出された『観測結果』の数字を見つつ、大隊長―――帝国陸軍中佐で、航空宇宙軍に『出向中』―――は考えた。
先行6個大隊の指揮官中、最先任者は彼だ。 中佐は彼一人、残る大隊長は5人すべて少佐だ。 つまり先行部隊の総指揮官は、彼なのだった。

『・・・ブラヴォー、チャーリーの『観測』データは、即刻転送してくれ。 同時にアルファのデータも両大隊に送れ。
デルタ、エコー、フォックストロット各大隊も到着次第、『観測』させる。 6個大隊の観測結果が、全て同じだとしたら・・・
もう、誤魔化しようも無いぞ、これは・・・! 到達深度、『408m』だと!? 冗談もいい加減にしろ! 悪魔のジョークか!? これは!』





15分後、6個戦術機甲大隊がS-12-01広間、SW-12-01広間、SE-12-01広間の3箇所で、各々2個大隊ずつ、精測したデータを共有して確認し合った。
各大隊長達の額には、汗が噴き出している。 嫌な冷汗だ。 最初に口火を切ったのは、豪州軍から国連に出向していた豪州陸軍少佐だった。

『・・・この数字は、現実だろうか? 私は無論、ハイヴ突入は今回が初めてだ。 だがリヨンやボパール、それにミンスクのデータは頭に叩き込んでいる』

『エコーよりデルタ、それは僕も同じだ。 君と僕は同じデータを共有しているのだから』

もう一人の豪州軍出身指揮官、エコー大隊長の豪州陸軍少佐が、戦慄く声で答える。 その声に応じたのはやはり国連軍―――インド陸軍から出向中の、インド陸軍少佐だった。

『フォックストロットだ、私はボパールハイヴ攻略戦・・・『スワラージ作戦』にも参加した。 第5層までしか、私の部隊は潜らなかった、情報伝達任務だったのだ。
しかし私の拙い経験でさえ、この横浜ハイヴがフェイズ2として如何に異常であるかは、良く判る。 ボパールでは最深で511mまで潜った、『フェイズ4』だったからだ!』

再び皆が押し黙る。 現在到達深度、408m。 フェイズ2ハイヴの想定最深度を、約50mも上回る深さだ。
更には先程、6個大隊で主坑の直径を、レーザー測距儀で精測した。 光線属種は認識していただろうが、撃ってこなかった。
精測結果は、横浜ハイヴの主坑の東西203.8m、南北208.8mの、僅かに楕円を描く形状になっていた。

更には観測地点からマニピュレーターで、レーザー測距儀を下に向かって計測を行った。 結果は『大広間』の天蓋部分と思われる構造物まで、約800m。 全体で1200mの深度。
そう、測定結果はこの横浜ハイヴが単なるフェイズ2ハイヴでは無く、主坑の直径、そしてその深さがフェイズ4ハイヴに匹敵する、『異様な』ハイヴである事を示していた。

『・・・1個大隊の計測だけなら、誤計測だと、悪い冗談だと笑い飛ばしたくなる。 だが6個大隊全ての計測結果が、全く同じ数値を示した。 これは悪夢だ』

チャーリー大隊長、日本帝国陸軍少佐が、妙に感情の籠らない、平坦な口調で呟く。 人間、余りに大きな衝撃を受けると、感情が追いつかないのであろうか。

『悪夢でもいい、夢ならばな。 だがこれは現実だ、我々の目前に付きつけられた、まごう事無き現実なのだ!』

ブラヴォー大隊長、今一人の日本帝国陸軍少佐が、急に激昂する様に叫ぶ。 今や衝撃の呪縛は放たれ、空恐ろしい真実に向き合わねばならない。
5人の『部下』達の声を聞きつつ、先行部隊総指揮官であるアルファ大隊長―――日本帝国陸軍中佐が、行動を決定した。

『チャーリーはひとまず、第10層まで後退しろ。 有線基地局まで戻れ、そこから『奪回総軍』司令部へ直通で至急の報告を。
デルタは第11層の確保、及びスリーパー・ドラフト(偽装横坑)の再確認を徹底してくれ。 アルファ、ブラヴォー、エコー、フォックストロットは第12層の確保!』

『・・・第13層への進撃は、中止ですな?』

『これ以上は、今は無理だ。 兵站も通信も、これ以上の深深度への対応は、全く想定していない筈だ。 ハイヴ内で迷子の末に補給も無し、は勘弁したい』

『了解。 チャーリー、第10層まで後退します』

『デルタ、第11層での全周警戒に当ります』

日本帝国軍の89式『陽炎』(F-15J)と、豪州軍のF-18E/F『スーパーホーネット』、2個大隊が、跳躍ユニットを吹かして上層へ戻って行く。
残るのは日本帝国の『陽炎』(F-15J)2個大隊、豪州軍と、豪州から機体供与を受けるインド軍のF-18E/F『スーパーホーネット』2個大隊の、合計4個大隊。

『ブラヴォーはSW-12-01広間を、エコーはSE-12-01広間を、それぞれ確保。 アルファとフォックストロットは、S-12-01広間。
各隊に厳命しておく、1000体までなら迎撃・殲滅しろ。 1500体になったら、隣接部隊に応援要請を出せ。 2000体を越したら・・・』

『・・・2000を越したら?』

『第11層まで後退しろ、後続が出て来る可能性が高い。 無理に遣り合っても、下手すりゃ逆に殲滅されかねない』

各大隊とも、残存機数は30機を割っていた。 軌道降下中、そして今までの連続した中小戦闘、そして第12層の制圧。 特に第12層に入ってから、BETA群が急に増えた。

『場合によっては、後続部隊の17個大隊も巻き込んでの阻止戦闘も、想定しなきゃならんかもしれん』

この時、先任指揮官の中佐は後続17個大隊の内、3個大隊が国連軍特殊部隊の任務に『直接護衛』として引き抜かれていた事を、全く知らなかった。










1999年8月5日 


1705 『緊急信 発:第18師団司令部 宛:第13軍団司令部 本文:最重要ハイヴ内情報。 至急、対応の指示を乞う』

1710 『緊急信 発:第13軍団司令部 宛:第9軍司令部 本文:先行突入部隊情報。 横浜ハイヴは『主坑直径200m』、『主坑深度1200m』を有するとの報告有り』

1715 『軍極秘 緊急信 発:第9軍司令部 宛:奪回総軍司令部 本文:現地部隊情報。 横浜ハイヴ内情報は、添付暗号化データを参照されたし。 事後の対応を問う』

1720 『発:日本帝国軍本土奪回総軍司令部 宛:国連軍太平洋方面総軍司令部 本文:横浜ハイヴ攻略作戦に付き、至急かつ最重要の協議を要請す』

1730 『発:USPACOM 宛:合衆国大統領、合衆国国防長官 本文:緊急の議題に付き、本職権限の拡大付与を要請す』

1732 『発:本土奪回総軍司令部 発:統合幕僚本部、本土防衛軍総司令部 本文:関東軍管区指揮権の、緊急追加付与を要請す』

1745 『発:内閣官房 宛:各国務大臣 本文:至急、首相官邸まで参集されたし』

1750 『発信不明 宛先不明 本文:日米間の指揮権不明瞭なる事、老公のご助力を頂戴致したく』

1755 『発:合衆国大統領 宛:USPACOM 本文:貴官に付与せしめたる権限に、変更無し。 職務を十全に遂行せよ。 尚、ケース・イエローの際の秘匿命令に、変更無し』

1800 『発:国連軍第11軍(米2個師団、比2個師団)司令部 宛:日本帝国『奪回』総軍司令部 本文:我ら、突入すべきや?』

1805 『発:帝国軍本土奪回総軍司令部 宛:国連軍第11軍司令部 本文:待たれたし』










1999年8月5日 1815 横浜ハイヴ内 第12層 S-12-01広間


『ッ! 振動検知! 振動検知! 多い、多いです!』

『音響検知! 推定位置、第14層!』

『BETA個体数、想定結果が出ました! 個体数・・・3万6000!?』

『14層から13層に、直上に上がって来ます! おかしい! このルートに地下茎は無い筈・・・!』

『現に上がって来ているではないか!』

『音響、震動共に事前検知では、このルートは有りませんでした! ・・・連中、もしかして掘り進めながら、上がって来ている・・・!?』

『後退だ! 全部隊、第11層まで後退しろ!』

『ま、間に合いません! 13層から真っすぐ上がって来ます! 予想出現位置・・・S-12-06広間! 後ろです! 退路を断たれる!』

『クソッ! 全部隊、大隊戦闘! 中隊毎に孤立したら一気に殲滅されるぞ! 第11層まで突っ切れ!』

『12中隊より大隊長! BETA、出現!―――畜生! なんて多さだ!』

『メーデー! メーデー! アルファよりCP! 大規模BETA群出現! 推定個体数、3万6000! ・・・くそ!? 有線が切れたのか!?』

『うっ、うわあああ! くそう、退路が・・・!』

『ッ!? 3中隊! 何とか突っ切れ!』

『む、無理です! 前が完全に壁になって・・・ぎゃあああ!』

『・・・悪夢だ、ボパールと同じ悪夢だ・・・』

『夢を見るなら、脱出してからにしろ、スニル・ガウリ少佐! 前島少佐、クリフォード少佐! 脱出経路はS-12-02経由で、真っすぐ南の坑道から上にあがれ!』

『了解、リュテナント・カーネル・ササキ! まだ少ないうちに、突破するに限りますな!』

『ブラヴォーが先頭を切ります、佐々木中佐!―――大隊陣形、アローヘッド・ワン! 喰い破れ!』


ハイヴ突入より約4時間、完全にハイヴ内のイニシアティヴは、BETAに取って代わられてしまった。 突入部隊の選択肢は只一つ、『後退』しか無かった。
今や僅か48機に減じた89式『陽炎』(F-15J)と、49機のF-18E/F『スーパーホーネット』は、目前に出現した1万体以上のBETA群に向かって、突進して行った。





[20952] 明星作戦 5話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/09/15 00:43
1999年8月5日 2015 日本帝国軍『奪回総軍』司令部 神奈川県三浦半島 旧三浦市内


「突入した軌道降下兵団6個大隊ですが、現時点での損失は72%に上ります。 後でハイヴ内に突入しました機動大隊群14個大隊で、損失58%。
残存戦術機は軌道降下兵団が、6個大隊で50機、 機動大隊群が14個大隊で208機、合計258機。 ハイヴ内で438機が失われました」

総軍G2(総軍司令部情報主任参謀・准将)が、沈痛な表情で報告する。 失われた戦術機、そして衛士の半数近くは、帝国軍の所属だ。
第5、第6軌道降下兵団の総指揮官、佐々木中佐も戦死した。 第12層突破を殿軍で戦い、そしてとうとう、第11層へ姿を見せなかったのだ。
他に帝国軍の前島少佐、豪州軍のクリフォード少佐が、第10層から第9層への後退途中に戦死し、インド軍のガウリ少佐は第9層で戦死した。
上級指揮官が相次いでハイヴ内で戦死し、第10層へ移動していた『チャーリー大隊』の森少佐と、第11層に移動していた『デルタ大隊』、豪州軍のマックベイ少佐しか残っていない。

「既にハイヴ突入部隊は、事実上戦闘能力を喪失しました。 第8軍、第9軍からは各々、第1軍団、及び第13軍団のハイヴ内投入が上申されております」

「全部隊をか? それとも戦術機甲部隊を?」

総軍参謀長(中将)が確認する。 現在は第8層でBETA群を阻止すべく、突入部隊の258機がハイヴ内で奮戦している。 が、それも突破されるのは時間の問題と思われた。
後から突入した17個の機動大隊群の内、14個大隊と軌道降下兵団の生き残り―――実質7個大隊では、余りに戦力が少な過ぎる。 残る3個大隊は国連に拘束されている。

「戦術機甲部隊を、です。 第1軍団から第11、第31戦術機甲連隊、及び第1禁衛戦術機甲連隊の、3個連隊・9個大隊の投入上申が。
第1軍団の基幹3個師団は全て、重装備の甲編制師団です。 編制内に3個戦術機甲連隊を有します、各々1個連隊を投入しても、2個連隊が余ります」

G2の説明に、作戦全般を担当するG3(総軍司令部作戦主任参謀・少将)が横から、作戦面での注意喚起を込めて、補足で説明する。

「第13軍団よりは第141、第181戦術機甲連隊と、海軍の聯合陸戦第3師団より第31戦術機甲団。 合計3個連隊、9個大隊となります。 
第13軍団の2個師団は、乙編制の戦術機甲連隊が1個だけなので、投入してしまえば南部の戦域確保が非常に困難に・・・ 
反面、聯合陸戦師団は編制師団と同戦力ですので、1個連隊(戦隊)を投入しても尚、2個連隊(戦隊)が残ります。 しかしそれでも、戦域確保には不足を来たします」

「他に北部戦域の、第7師団の第7戦術機甲連隊、中韓両軍の2個戦術機甲連隊の3個連隊・9個大隊を合せ、27個大隊を再投入すべし、と。
しかしこちらは全て乙師団ですので、投入してしまえば北部戦域確保が不可能となります。 これは無理です、戦術機部隊が居なくなってしまう」

現在、横浜ハイヴの周辺戦域確保任務は、第1軍団(甲編制3個師団)、第13軍団(乙編制2個師団、海軍陸戦1個師団)、臨編第20軍団(日中台・乙編制3個師団)
この内、第1軍団の3個師団と海軍聯合陸戦師団は3個戦術機甲連隊(戦術機甲戦隊)を有する、これらの師団で戦術機甲12個連隊・36個大隊。
他の師団は日中台の3カ国とも、1個戦術機甲連隊を師団の編制内に有する、乙編制師団であり、戦術機甲5個連隊・15個大隊。
合計で17個戦術機甲連隊・51個大隊の戦力の、実に半数以上の27個大隊を、ハイヴ内に最投入すべし―――戦況を切実に判っている最前線より、そう言ってきている。

国連に3個大隊を拘束されているとは言え、20個大隊を投入して今の惨状だ。 投入戦力を出し惜しみしていては、戦力の逐次投入で無駄にすり潰すだけになる。
やるなら一気に、大兵力を叩き込む。 兵站線の不安が残るが、短期決戦のつもりなら何とか保たせることは可能、総軍G4(総軍司令部後方主任参謀・少将)が言っている。

「・・・ハイヴ内の、推定残存BETA個体数は?」

「増えました、約4万2000。 これまでに推定で5000体を撃破しましたが、新たに1万1000体が増えました」

「4万2000・・・ 無理だ、ハイヴ内戦闘だけで、それだけの数のBETA群を殲滅するなどと・・・」

参謀長の問いに答えたG2の数字に、G3が呻き声を漏らす。 絶望感がにじみ出ている声だった。
出現当初は約3万6000、そこから大損害を出しつつ、ようやくの事で約5000体を殲滅したと言うのに。

「殲滅するならば、地上での方がまだしも可能性が有る。 重砲や艦隊の艦砲、そして誘導弾の面制圧砲撃が可能だ、地上ならば」

「ハイヴ内は結局、戦術機の固有武装でしか、攻撃オプションが無い。 攻撃力の面では、地上より非常に劣る。 判っていた事だがな・・・」

G1、G4の他の高級幕僚たちも、改めてハイヴ攻略作戦の難しさを実感し、驚愕していた。

「最前線の若手参謀達等からは、大規模破壊兵器の使用を、等と言う声も上がり始めています」

「大規模破壊兵器? 核の事か?」

「核、或いは戦艦主砲搭載型S-11の大量使用。 いずれにせよ、横浜を中心に半径10km圏は、数年はペンペン草も残りませんな」

再び唸り声が上がる。 判っているのだ、帝国軍とて判っている。 もう恐らく、通常戦力での『力押し』では、横浜ハイヴは攻略できないであろう事は。
当初、フェイズ2だと想定していた横浜ハイヴは、突入してみれば主坑の太さと深度が、フェイズ4ハイヴに匹敵する『異常な』ハイヴだった。
軌道降下兵団は、約400mもの深さまで潜って進撃したが、得られた結果はまだその2倍もの深さが有り、数万を越すBETA群がひしめいている、と言う事実だった。

「・・・外縁部に誘導した、他のBETA群は? どうなっている?」

町田、及び厚木方面の2方向に誘引した、約5万以上のBETA群の事だ。

「は、北部誘引個体群が約2万4000体、その内の約1万2500体の撃破に成功しました。 損失は34%
南部誘引個体群、約2万7000体の内、撃破数は約1万4000体。 残るは約1万3000、損失は31%」

残るは約2万4500体、殲滅は可能だろう。 何せ南北両戦線合わせて、17個師団を充てているのだから。 ハイヴ周辺戦力の倍近い大兵力を。
何とかしてその大戦力、ハイヴ攻略に回せないだろうか? 残り2万4500体の殲滅に、一体どれだけの時間を有する?
外縁部に5万を越すBETA群を釣り上げてから、今で13時間が経過した。 その間に約半数を撃破している。 単純計算すれば、全ての殲滅は明日の昼前。
そこから大部隊を急速移動させて、兵站線の確保に、補給と整備、兵員の休養も考慮せねばならない―――ハイヴ投入は早くとも、明日6日の夕方から夜。

「総司令官へは、私から報告する。 ハワイのウィラード大将(『国連軍』太平洋方面総軍司令官)に話を通さねばならん、『国連第11軍』の投入要請だ」

「では、参謀長閣下・・・」

「第1軍団と、第13軍団を投入する。 第1軍団は各々2個連隊を投入させる、聯合陸戦師団もだ。 10個連隊・30個大隊で、どれだけ保つか判らんが・・・」

「では、国連軍・・・いえ、『米軍』はどこへ?」

「南部だ、あそこの第13軍団は、1個戦術機甲連隊しか残らん。 南部の戦域確保を担って貰う様、要請する」

総軍内では一応、継戦の方向で固めている。 しかしこのままでは、まったく手詰まりだと言う事も認識していた。
更に言えば陸海軍の調整はまだ付いていないし、大東亜連合軍、統一中華連合、それに豪印軍、最終的には『上級司令部』の国連太平洋方面総軍との調整も、まだだ。
一体どうするのか? 通常戦力での継戦―――力押しで行くのか? 一旦ハイヴからBETA群を誘引し、殲滅後に再突入か?
或いは考えたくも無いが、大規模破壊兵器の使用を政府・国防省が認めるのか? まさか撤退は有るまい、それはまさに日本帝国の亡国を意味する。
国連・米国、大東亜連合、統一中華も、それだけは看過できないだろう。 日本の亡国は、それら国家・勢力にとっても、対BETA防衛戦略の根本が崩れる事になる。

「どちらにせよ、このまま地上にBETA共が湧きでて来る事は、好ましくない。 最終的な戦略の方向性が固まるまでは、何としても抑え込まんといかん」

参謀長の言葉に、居並ぶ高級幕僚たちが頷く。 そしてふと、G2が呟く様に聞いた。

「・・・大規模破壊兵器、使うのですか?」

その問いに少しだけ片眉を吊り上げた参謀長が、興味無さそうに言い放った。

「どうせ米軍は、戦略原潜を近海に展開させておるだろう。 それに浦賀水道の米艦隊も、恐らくごっそり持ち込んでおるだろうよ」

使用したとしても、既に横浜とその周辺市には『民間人』など居ない。 直線距離で40km程離れた東京府の東部、或いは東京湾をまたいで、50km以上離れた千葉県の内陸部。
民間人が居住する『限界南限』はその辺りだ、例え熱核弾頭を使用したとしても、直接的な被害はおろか、間接的な被害もほぼ無視できる範囲に収まるだろう。
部隊展開もNBCR防護をさせねばなるまいが、10km圏を離れればまず、大丈夫だ。 その後? 10年は間を置かねばなるまいな。

熱核兵器に使用される核種はプルトニウム239、その半減期は2万4000年にもなる(最も、もう一方の『主役』のウラン235の半減期は、約45億年だ!)
非常に強い放射線を有するし、化学的な毒性も非常に強い。 ダイオキシン類と並び、人類が創り出してしまった最悪の物質のひとつだ。
では2万4000年もの間、永久的に居住不可能か? 違う、プルトニウム粉塵は密度が高い故に、大気中でも水中でも沈降速度が大きく、余り遠くへは広がらない。
それに戦術核に使用される核物質重量は5kg程度、多くて10kg以内だ。 無論、起爆させないに限るが、起爆したとしても・・・1944年以降のベルリンは、死の都だったか?
1発、2発の戦術核より、米国などで使用されている原子力発電所の方が、余程怖いのだ。 ああ言った施設には『数トン』単位で、核物質が貯め込まれている。

(・・・問題は、使用状況だ。 BETAが拡散していたら、効果が薄い。 それと広範囲で移動中も、駄目だ。 出来る事なら、1箇所に集中している所で使用せねば)

意識的に思考を、純軍事方面に固定させる。 でなければ、我慢出来なかったからだ。 
如何に作戦上での選択肢とは言え、自国内で核を使用するオプションを検討するなど。










1999年8月5日 2255 横浜ハイヴ内 第7層 S-07-06広間 帝国陸軍第181戦術機甲連隊


もう1時間以上、ハイヴ内で遅滞阻止戦闘を続けている。 いい加減にお役御免にしてくれないかな、って、代わりの部隊が居ない以上、無理な相談か。

『第5派、来るぞ! 佐野(佐野慎吾大尉)、≪フラッグ(第12中隊)≫は南西のSW-07-05広間に通じる横坑を押さえろ!
羽田(羽田亮大尉)! ≪ペガサス(第13中隊)≫は東だ! 神楽(神楽緋色大尉)! ≪ソードダンサー(第11中隊)≫は正面を確保!』

大隊長・宇賀神中佐の、戦場で鍛えた胴間声が通信回線に響く。 自分の中隊は正面か、各種センサーで検知した限りでは、凡そ1500体前後が向かってきている。
第4波を撃退した後、少しだけ時間が空いた。 その隙にペットボトルに入ったビタミン配合の栄養飲料で、塩の錠剤を飲み干して腹拵えを済ましていた所だ。

『両隣のSW-07-06広間、SE-07-064広間も、第4波を撃破した。 このままここを維持する! 
軌道降下兵団と突入機動大隊群の生き残りは、第2層に上がった! 連中が地上に出るまでは、絶対死守だ!』

つい1時間前、自分達を追い越してほうほうの態で後退して行った『ハイヴ攻略部隊』 まったく、酷い有様だった。
連中は想定外の状況下で、そしてBETA群の大群の奇襲を喰らった。 なんとか文字通りの『全滅』を免れ、後退し続けた事は寧ろ称賛に値する。

『ペガサス、了解』

『フラッグ、了解です』

通信回線が開き、網膜スクリーンに『フラッグ(2代目)』の佐野大尉、『ペガサス』の羽田大尉の姿が映し出された。
もっともこれは大隊通信系だから、『受信』しか小隊長の自分には権限が無い。 もっぱら大隊長と各中隊長、そして大隊CP間の通信に使う通信系だ。

『ソードダンサー、了解。 大隊長、指揮小隊は100、後退を。 前に出過ぎです』

中隊長の神楽大尉の声には、普段と変わらない印象しか受けない。 流石は7年以上最前線で戦い、生き残って来た歴戦の衛士は違う、そう言う事か?
その想いに、無意識に部下達のバイタルチェックを行う。 2番機は落ち着いている。 3番機もOK。 4番機は・・・まあ、許容範囲か。
にしてもウチの中隊長、昔聞いていた風評とは、えらく異なるよな。 従兄に聞いた限りじゃ、まるきり『吶喊娘』だったけど。 ・・・『娘』って年でも無いか、もう。

『ライトニングよりソードダンサー、余計な心配をするな。 各中隊の間隔が空く、指揮小隊で塞ぐ』

『ならば、余計に後退を。 ≪ソードダンサー≫に接近し過ぎです。 ≪フラッグ≫、≪ペガサス≫への支援が、し難いでしょう』

スクリーンに映る大隊長が、ちょっとだけ鼻白んでいる。 まあ、あれだよな、普段は結構逆アプローチかましている中隊長だけど、ここ一番では『公人』に徹すると言うか。
男としちゃ、散々気にかけさせて、肝心な時につれない態度! そりゃもう、気になるよな! いやあ、見事だね、うん。 中隊長、恋愛上手! ってやつか!?

『・・・なんてよ、声に出して言うなんざ、クソ度胸有るじゃないか。 周防中尉殿?』

「それは、アンタの心の声だよ、古郷中尉殿」

『俺の心の声には、外部スピーカーは無いよ。 例え100%そう思ってもな!』

『・・・貴様ら、毎度毎度、そんなに私をダシにして、面白いか・・・!』

あ、やべ。 そろそろ仕舞いにした方がいいかね? うん、そうしよう。 中隊長は元より、大隊長に睨まれても損だしな。

「イエス、マーム! いいえ! その戦場度胸、見習うであります! B小隊、前面警戒! そろそろ、クソBETA共が来やがるぞ!」

『全てB小隊長の戯言で有ります、マーム! C小隊、連中が『広間』に入ったら面制圧開始だ!―――それで良いっすね? 中隊長?』

『どいつも、こいつも・・・≪ソードダンサー≫全機、BETA群が『広間』に入ると同時に、A、C小隊は面制圧攻撃! B小隊は先頭集団と後続との間を寸断しろ!―――かかれ!』

中隊長の声と同時に、横坑から広間に向かって突撃級の群れが突進して来た。 数は凡そ100体程、ちょっとホネだな。
あっという間に、突撃級が『広間』に入って来た。 同時に両翼のA、C小隊の制圧支援機から、誘導弾が盛大に発射された。
誘導弾が狙い通りに―――突撃級を飛び越して、後続の要撃級や、戦車級何かの小型種に着弾して、吹き飛ばした。 よし、今だ。

「よぉし! B小隊、噴射跳躍! 突撃級のケツに飛び込め!」

部下達3機も一斉に跳躍ユニットを吹かし―――広間内だから、高度に気を付けながら-――突撃級の群れのケツを取った。
そのまま前方に向けて射撃開始。 横坑から出てきたばかりの要撃級、8、9体を瞬く間に残骸に変える。 が、連中も数が多い!

『リロード!』

この声は、宮内(宮内右近少尉)か。 すぐさまエレメントを組む美濃(美濃敬一郎少尉)が前面に出て、バックアップを取っている。 
真正面から群がって来た戦車級の群れに、120mmキャニスター弾を2連射。 丁度いい間隔を開けている、広範囲に子弾がばら撒かれて戦車級が盛大に霧散した。
うん、新米、判って来たな。 『死の8分』を越したとは言え、初陣でこんな大作戦、しかもハイヴ突入。 まったくツイて無い奴だと思ったけど、なかなかどうして。

『残弾僅少!―――リロード!』

っと、今度はこっちか。 エレメントを組む真部(真部紗恵少尉)が弾切れか、早く済ませろよ、こっちもそろそろ、心もとないんだから―――ッて、くそッ!

「ソードダンサーBよりリーダー! 正面振動波検知! 追加の団体さんです! 推定個体数、約3800!」

今追い払おうとしている1500に加えて、今度は追加で3800、合計5300! 中隊でどうこう出来る数じゃないな、まともにぶつかったら、それで終わりだ。
一瞬、ボロボロになって地上へ戻って行った、機動降下兵団を思い出した。 連中、80%前後の損失を出していた。 きっとこんな状況の連続だったのだろうな、って。

『3800!? 冗談では無いな・・・ ソードダンサーよりライトニング、ここは後方に一旦・・・』

『ユニコーンよりライトニング! 振動検知、推定個体数、約2200!』

『フラッグです、推定個体数、約2500! 振動を検知しました、向かってきます!』

―――なんてった、真正面の5300に、東から2200の、西から2500。 都合1万! なんて言っている暇は無いぞ!

「ソードBリードより各機! 距離を取れ、50後退!」

≪CPよりライトニング・リーダー! SW-07-06広間の≪ユニコーン(第2大隊)≫、SE-07-064広間の≪ガンスリンガー(第3大隊)≫から急報!
それぞれ8000から9000のBETA群が出現! 広間の確保は困難! 連隊本部より第6層への後退命令が出ました!≫

『ライトニングよりCP! 本部に確認しろ、ここで第7層を放棄しても、戦力が無ければ6層でも同じだ!』

≪CPよりリーダー! 現在、S-07-03方面より、141連隊が第6層に向けて移動中! S-06-08広間で集結せよと!≫

S-06-08広間―――さっき通った場所だ、あそこは第7層への結束点になっていた。 あの広間から3方向に分岐して、下層の7層へ横坑が下っている。
ッて事は、あそこで2万6000から2万8000のBETA群を押さえようって事か? 戦力は俺達181連隊と、僚隊の141連隊。 足りるか?

≪CPよりリーダー。 西のW-07-03広間から海軍陸戦師団の302戦術機甲戦隊(連隊)が6層に向けて後退中です。 東は303戦隊が同じく。 
我々陸軍の2個連隊と、海軍陸戦隊の2個連隊、4個連隊で包囲すれば逆襲可能、軍団司令部の判断です! 海軍の2隊は、東西から挟撃出来る位置です≫

成程ね、そう言う事かよ。 S-06-08広間、あそこはSエリア第7層以外に、Wエリア、Eエリアの第7層とも繋がっていたな。
俺達181と、141の2個連隊で広間の『底』を塞いでいる間に、海軍の2個戦隊(連隊)が左右から突っ込む―――理想的な側面攻撃になる。

―――なら、方針は固まったも同じだな。

『よし、ライトニング・リーダーより全機、第6層に移動する! 先頭は≪ペガサス≫、次に≪フラッグ≫! 神楽、≪ソードダンサー≫は、済まんが指揮小隊に付き合って貰う』

『了解です!』

―――あ~あ、やっぱりかよ? ッて事は、俺の小隊が最後まで貧乏くじかね?

「ソードBよりソードA! 殿軍はお任せを!」

『・・・周防、頼む』

なんてね、せめてこれ位言わないと、俺としても格好付かないでしょ? でも内心はビビりまくりだ、何せ初めてのハイヴ突入戦で、後退の殿軍ときた。
無意識に一人の女の顔が、脳裏に浮かんだ。 あいつも今、このハイヴ内で戦っている。それも隣の中隊で―――情けねえ、もう少し痩せ我慢を通せよ。

「お任せを、って言いましたよ? なあに、ジタバタ足掻くやり方は、散々従兄から聞かされてますんで、ご安心を!」

『・・・それはそれで、一抹の不安が有るがな・・・ よし! 古郷! ソードCは左翼から援護! タイミングを合わせろ! 大隊長!?』

『せめてもだ、前衛のバックアップに入ろう。 周防中尉、後ろへの取りこぼしは気にするな、指揮小隊で片づける』

―――有り難い事で。

「頼みます!―――来るぞ! B小隊、ダイヤモンド・フォーメーション!」

『周防! 頭下げとけ!―――C小隊、支援攻撃始め!』

目前の空間が『爆発』した。 目前に突如として現れたBETAの大群、そこに向けて120mmをぶっ放す。 即座に噴射跳躍で後退する、後ろの突撃級を飛び越した。
背後からAとC小隊の面制圧攻撃が始まった、最後の誘導弾がすれ違いざま、白煙を引いて前のBETA群に向かって行く様が見えた―――着弾!
着地と同時に節足部を狙い撃ちする、立て続けに3、4体。 案の定後続が引っかかってくれた、そこを狙ってまた節足部を撃つ。 とにかく動きを止める事だ。

「宮内! 真部! 美濃! 撃破しようと思うな、動きを止めれば、それで良いからな!」

『『『 了解! 』』』

面制圧攻撃と、中距離狙撃で突撃級の足を止めたA、C小隊が後退に入る。 俺の小隊の役目は、2個小隊が予定地点に到達するまでの時間稼ぎだ。
見る見る内にBETA共が、後ろから玉付き状態になって、そしてどんどんと『天井』近くまで盛り上がっていく。 まるで『壁』だ。
それがこぼれ落ちてこない様に、120mm、36mmをありったけ撃ち込むが・・・向うの方が、数が多い! 1個小隊の火力だけじゃ、防げないか。
AとCからも支援攻撃が入るけど、後退しつつだから、次第に支援火力が小さくなってきた。 そろそろ潮時か?

『小隊長! 左翼から溢れ出ました! 向かってきます!』

宮内の声。 見れば『壁』から溢れてこぼれ落ちた小型種―――戦車級だ―――が数百体、向かってくる。 迎撃、120mmキャニスター? 駄目だ、全機弾切れ。 
レーダーに一瞬目をやる。 第2と第3大隊はもう既に、第6層へ上がりかけている。 AとC小隊の後退も進んだ、後は・・・

『周防中尉、そろそろ潮時だな』

背後から120mmキャニスター弾が数発撃ち込まれ、戦車級を数10体ミンチに変えた。 大隊長だ、プラス指揮小隊。

「ですね。 大隊長、下がって下さい。 自分の小隊も続きます―――中隊長! 下がりますよ!」

『了解した! S-07-04広間経由で下がって来い! それ以外のルートは、既に工兵隊が対BETA用クレイモアを仕掛けているぞ! 巻き込まれるな!』

「だ、そうです、大隊長」

『よし、事前に良い仕事をしたな、工兵の連中も。 下がるぞ!』

指揮小隊が噴射跳躍で後退を始めた。 さて、いよいよ俺の小隊の番か。 まずは陣形を弄らなきゃな。

「ソードB、フォーメーション・ウィング・ツー! いいか、一気に下がるなよ? 足を止めて下がって、また足を止めて、だ! 飲み込まれるなよ!?」

『了解! 美濃、俺より前に出るなよ!?』

『小隊長、何気に難しいです、それって!』

『りょ、了解です!』

「真部、俺の真似をしときゃ、問題ない! 美濃! 宮内の言う事、良く聞けよ!? 小隊、遅滞攻撃始め!」

―――まったく、こんなの俺のガラじゃないよ。 大尉連中に『周防は従兄に似てきた』何て言われてもさ、こんな修羅場ばっか、嬉しくないや!










1999年8月6日 0020 日本帝国 帝都・仙台 首相官邸地下3階 帝国国家安全保障会議(JNSC)


居並ぶ帝国政府の首脳・高官たち。 幾重にも盗聴防止措置を施されたTV電話の向こうには、合衆国国家安全保障会議の面々、そして国連安保理軍事参謀委員会の面々。
更には、大東亜連合常任理事会軍事参議会と、統一中華戦線代表部・統一軍事戦略委員会、豪州政府国防委員会、インド政府国防会議の面々。
普段では見られない、様々に利害が絡み合い、反発しあう面々が一堂に顔を揃えていた。 だからと言って、一致協力する、等と言う空気でも無い。

『では貴国は、あくまでもこのままハイヴ攻略を継続すると。 そう言われるのですな?』

国連安保理・軍事参謀委員会主席のサー・アリステア・デイヴィッド・ファーガソン卿が一見紳士風に、しかし国際外交での古狸さを隠さない視線で問いかける。

「こと、ここに至れば最早撤退は出来ません。 それは我が国にとって、亡国を意味しましょう。 ここに参集された皆様には、良くお判りの筈」

日本帝国内閣総理大臣・榊是親もまた、相手の腹を探ろうとする内心を隠したまま、実に穏便な態度で答える。
脇から首相首席補佐官が、メモをさっと、さりげなく渡す―――『安保理、ソ・中は包括済。 英仏中立。 豪州日和見』とある。 予想した通りか。
そのまま複数のモニターを見やる。 合衆国、大東亜連合、統一中華、豪州とインド、そして東南アジアで数少ない、米国の強い影響下にあるフィリピン、各首脳陣。

表向き、同意するかのように叩頭する大東亜連合と、統一中華戦線代表部。 この両地域には、日本帝国への軍需依存という側面が有る(合衆国からの比率は、それを上回るが)
日本が亡国となれば、『近場』で軍需全般を調達できる工業国は、最早合衆国しか無い(豪州は未だ、そこまで産業が成熟し切っていない) フィリピン? 所詮、下請産業だ。
台湾に本拠を置く統一中華戦線にしても、自分達の面倒を見る以外は、以外に余力が無い。 インドは最早、豪州の間借り人と化した。

大東亜連合としては何としても、日本には持ち堪えて欲しい。 日本列島が陥落すれば、新たに日本列島の2つのハイヴからのBETA群は、戦線の側面に突っ込んで来る。
それは統一中華戦線と、大東亜連合、それに北方戦線のソ連にとっては想像するのも憚れるほどの、極めつけの悪夢に違いなかった。
そうなれば最早、自陣営の対BETA防衛戦戦略の根本を、早急に見直す必要に迫られる羽目になる。

統一中華連合の場合は、これに政治が絡む。 いわば『呉越同舟』の第3次国共合作である統一中華戦線内では、特に共産党が米国の傘下に入りかねない事に、警戒を強めている。
台湾国民党にしても、戦線内で己のプレゼンスを示す上でも、米国の傘下という印象は極力薄めたい。 その為には日本帝国と大東亜連合との繋がりを、主導権を握って行いたい。
つまりは両勢力とも、己のスタンスを今後とも確立させる為には、是が非でも日本帝国には、ここで踏ん張って貰わなくては困るのだった。

―――『自分達の為に、日本よ、何とかここを凌いでくれ』

それが偽らざる本音だった。

『しかし、ヨコハマハイヴの状況は、想定を大幅に覆す事が判明しておりますな。 我が国としては、このまま通常の攻略戦を行う事の危惧を、看過し得ないのであります』

豪州連邦首相が、慇懃な声と態度で発言する。 機動降下作戦で、供出した2個戦術機動大隊をほぼ、『壊滅させられた』とは言え、僅かながらでも生き残りが居る。
であれば、ハイヴ攻略戦、そして宇宙空間作戦と言うものがどう言うものか、そのノウハウを得ただけでも、今回は戦力を『潰した甲斐があった』、と言うのが本音だろう。
よしんば最悪、日本が陥落したとしても、リムパックEPA(環太平洋自由貿易経済連携協定)や日豪安全保障協定により、日本の資本と技術、それに良質の労働力が手に入る。
生き馬の目を抜く様な国際社会での生き残り、ましてやBETA大戦での自国生き残りをかける各国にとって、目の前にぶら下がった格好のエサは逃がせない。

『かと言って、このまま日本の陥落を座視して待つのは愚の骨頂、ではありませんか、皆さん』

それまで一言の発言も無かった合衆国大統領が、重々しく(そう演技した)声で、各首脳を見渡しながら言う。
榊首相はその言葉に、静かに一礼しつつ、内心では反対の感想を抱く―――何と言う空々しさだ!
が、そんな思いはおくびにも出さない。 あるのは誠実な感謝の態度だけ。 日本とて、国際社会の協力を得る為には、悪魔ともダンスをして見せよう。

合衆国大統領の言葉が続く。

『・・・しかしながら、私は懸念するのです。 果たしてこのまま、我等が騎士と武士に刃を合せ続けさす事が、果たして国家の為すべき事なのか、と。
損害を一切顧みず、人類の剣と楯として果てよと命ずる事が、果たして正しいのかどうかと。 特に極東の最重要の要衝たる、日本の今後を見据えれば』

―――正論で来る気か。

合衆国大統領の言葉に、榊首相は想定したオプションの中でも、今後の国内・国際情勢の舵取り的に見て、まずい方向に傾きかねない、そう感じ取った。
そして徐に、統一中華戦線代表部の統一軍事戦略委員会主席が、重々しい表情に見合った、重々しい声で発言を始めた。 台湾国民党の人間だ。

『瞬く間に、軌道降下兵団は壊滅的な損害を被ったと、報告が上がっております。 これは皆さんもご存じでありましょう。
今まさに、ハイヴ内で『敵』の地上への逆襲を阻止すべく、日本の勇者たちが新たにハイヴ内へ突入し、奮闘しております。 その数、実に10個連隊』

そこで一旦言葉を切った、そして繋いで、紡ぐ。

『ここで故事に照らし合わせる事を、お許し頂きたい。 我が漢民族の祖、漢帝国の最初期、中原北方の草原には伸長著しい、匈奴の王が聳えておりました。
漢は数10万の大軍を持って、北への討伐に赴き―――匈奴の王はそれを見越し、わざと脆弱な弱兵だけで作った部隊で、漢軍を風雪吹きすさぶ場所に誘いました。
漢帝はまんまとその罠にはまり、周囲の僅かな者達だけで、匈奴の王の本隊に包囲され―――城下の盟を誓わせられたのであります』

漢族にしては、珍しい。 決して認めたがらない歴史的事実を、ここで開陳するか―――くそっ、本気か? 統一中華は!?

『これは、いつの時代も、為政者が忘れるべきではない事ではないかと』

―――緊急。 外務省情報。 在ワシントン帝国大使館より。 『米国務省、在米統一中華戦線代表部に接触。 内容不明』

新しい情報メモが渡された。 くそ、新たな軍事援助か!? 在日米軍で日本を離れた部隊の一部が、確か台湾に移動している筈だ。 しかし共産党は合意したのか!?

『ハイヴは、言わば蟻地獄の様なものでありましょう』

豪州連邦首相が、言葉を繋いだ。

『まともに当っては、足掻いても足掻いても、這いあがる事の出来ない蟻地獄。 ならばいっそ、何か『大きな力』でそれを壊すのも、ひとつの手で有りましょうな』

―――大量破壊兵器? 核か? 米軍が日本近海に、核配備艦艇をオン・ステージさせている事は周知の事実だ。
だが国防省や統帥幕僚本部からの指摘の通り、それがBETA相手の戦争でどこまで有効かと言うと、疑問も多い。
確かに大陸では、核による遅延戦術は行われた。 それが機能した例も少なからずある、だが注意書きにも有った『あくまで、野戦での戦術的選択肢に於いて有効』だと。
今回の様な、まさに今言った通りの、蟻地獄のようなハイヴ攻略戦で、果たして有効に機能するものなのか? 帝国の軍事専門家たちは、大いに疑問を示している。

『・・・私は、日本帝国首相として皆様に申し上げたい。 我が国は、国土をBETAの暴虐から守る戦いに、躊躇するものではない、と。
そして国際社会の理解と信頼を得る為の努力を、惜しむものではない、と。 そしてそれは、この時代に残された人類全てにとっての信義である、と』

―――くそ、国内を押さえきれなくなるぞ。 そうなれば最悪、米国との安保再開交渉は完全に頓挫する。 大東亜連合や統一中華戦線との距離も、微妙になる。
軍は、帝国軍は今回投入した陸海の『奪回総軍』の中の半数近い12個師団程度ならば、使い潰す覚悟を決めた。 最悪は再突入部隊全てを、帝国軍で固める覚悟を、だ。
だから頼む。 国家間の信義などクソ程も価値が無い事は、重々承知の上で頼む―――極東の防衛バランスを、そこまでして崩したいのか、と。


結局、緊急ホットラインを使った各首脳会談は未発に終わった。 相変わらず横浜では、参加部隊の苦闘が続いていた。










1999年8月6日 0235 横浜ハイヴ 第6層


「畜生! 小隊、後退だ、後退!」

『ソードBの横に付け! 一斉に後退するぞ!』

『なんだって、いつもいつも、貧乏くじはこの3小隊なんだよ!?』

「阿呆! 蒲生、貴様が瀬間さん(瀬間静中尉、33中隊C小隊長)前にして、摂津大尉に大見栄切ったからじゃねえか! 年上趣味も、大概にしろよな!」

『馬鹿言え、周防! 貴様が松任谷(松任谷佳奈美中尉、33中隊副官)を前にして舞い上がって、神楽大尉に恰好のいい事、言ったんじゃねえか!』

『うるせえ、この馬鹿ったれ共が! 周防! ソードBが真ん中張れ! 蒲生! フラガBは左翼! 俺のステンノBが右翼を張る! 損傷機は!?』

「ソードBは3番機がカスリ傷! 八神さん、アンタだって四宮さん(四宮杏子中尉、31中隊C小隊長)に、良いトコ見せたかったんじゃないのか!?」

『フラガBは、4番機の塗装が剥げた! そうだ、そうだ! この人絶対、四宮さんに気が有るぜ!』

『アホったれ! アイツが俺に気が有るんだよ! よーし! ステンノBも全機健在! まだ死ぬには早いぜ! さっさと本隊に合流するぞ!―――来た、BETAだ! 撃てッ!』

「良く言うぜ、この人!―――ソードB、残弾全部撃ち尽くせ! じゃねえとこいつら、排除できんぜ!」

『言ってやる! 生きて帰ったら絶対、四宮さんにバラしてやる!―――フラガB、撃て! 撃て! こんなトコで死んだら、先代(前中隊長・周防直衛大尉)が怖いぞ!?』



8月6日 0250 ハイヴ再突入・阻止任務の帝国軍各部隊は、第5層まで押し上げられてしまっていた。





[20952] 明星作戦 6話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/09/19 23:52
1999年8月6日 0315 日本帝国 旧横浜市本牧付近


「米軍・・・ いえ、『国連軍』の揚陸が完了しました。 米軍が本牧埠頭を中心に、第2師団と第3海兵師団。 その西にフィリピン軍が2個師団」

「これで取りあえず、戦域確保の頭数は整えられたか。 海軍(聯合陸戦第3師団)は?」

「はっ、残る1個戦術機甲戦隊(聯隊)を中心に、西側の警戒に当ります。 フィリピン軍だけでは、何とも・・・」

「・・・クラ地峡やインドシナ半島への『出張』経験が有るとはいえ、な。 確かに陸戦隊が居てくれた方がいいか。 ハイヴ内は?」

「第5層でかなり盛り返しました、一部は第6層への逆襲に転じております」

「無理はさせない方がいい。 まだ総軍司令部から、大方針さえ下りて無い状況だ。 押すのか、引くのか・・・」

広江中佐と、宮元少佐、九重少佐の声が聞こえる。 その脇で、同僚達と現在の戦力、BETAの出現状況、彼我の損失、兵站線の再構築、通信網の整備状況・・・
継戦の為の諸要素の確認と、その確保に向けての他部署との再調整・交渉、そして現地部隊との連絡と、ハイヴ内情報の収集に解析・検討。
恐ろしく地味な作業だが、しかしこれを行わないと、それも間違いなく行わないと、師団は例え1時間でもまともに戦えない。 戦術機甲連隊はハイヴ内で壊滅しかねない。

師団参謀職を拝命して以来、自分の中で何が変わったかと言えば、『全体を見て、どれだけの要素=兵力を投入し、押すか、引かせるか』、言ってみればどれだけの損失を許容するか。
それによって、戦線を押すのか引くのか、はたまた転じるのか。 僚隊である第14師団や、軍団司令部の動きはどうか? 軍の他の軍団とは? 孤立しないかどうか?
そんな事を常に考える様になった。 戦術機中隊を指揮していた頃も、全体像を少しは考えたものだが、それはあくまで中隊をどう動かすべきか? が大前提で有って。
言ってみればそのソースとして、入手しうる範囲での情報を基に、時折考えていただけだったかもしれない。 今は全体を考えるのが仕事になった。

「兵站確保は、第4層までは再確立した、通信網も同じく。 ただ、予備器材が払底したと、工兵隊から言ってきている」

「整備については、ようやく一部の混乱が収まりました。 軍総予備の支援兵団から、89式『陽炎』の整備中隊が器材と共に到着。 脱出した機動降下兵団の整備は何とか。
ただし、手が少ないので整備には時間がかかりそうです。 89式は整備時間が少ない分、77式などよりずっとマシですが・・・ 他はまだ、右往左往」

戦術機や戦車に自走砲と言った可動・装甲兵器は恐ろしく精密で、デリケートな兵器だ。 連続稼働をやらかすと、必ず後には十分な整備が必要になる。
メーカーのスペックなど、最も条件の良い状況でソロバンを弾いた数字だ。 戦場ではかなり割り引かねばならない―――これは、実戦経験から良く判る。
それに当然ながら、弾薬は消費すれば無くなるし、推進剤や主機の燃料も使えば減る。 補給や整備が無ければ、兵器は只の鉄の塊に過ぎなくなる。
補給と整備、これは継戦の上で最も重要な要素だ。 これを無視しての戦闘は、有り得ない。 そしてこの二つは十分な安全を確保した上で、行う必要が有る。

「突入機動大隊群が使用していたのは、94式に92式、それに77式の混成だったしな。 豪州軍のF-18については、上陸した米海兵隊に任すしかない」

「92式の整備と部品は、今は師団整備連隊から供出させているが、じきに底を突くぞ。 そうなれば、ウチの戦術機甲連隊への整備が出来なくなる。
軍後方支援兵団からの回答は? まだ? ・・・一体、何時まで待たせる気だ。 18師団も14師団も、94式や77式は配備されていないのだぞ?」

兵站線の再構築は、軍団司令部兵站部と、14師団、18師団司令部兵站部とで、何とか第4層まで形を整えた。 もともと4層までは、BETAは侵攻していなかったからな。
通信も同様、工兵隊が再調整と予備器材を投入して、何とかハイヴ内通信網の確立を確保している―――腹立たしい事に、何割かは国連軍用に供出させられた。
整備に関しては、14師団、18師団共に94式、92式、77式の運用経験が有る為、この3機種の整備資格を有する整備科の将兵は多い。
従って軍後方支援兵団から、89式の整備資格を有する整備部隊が派遣された事は、非常に助かる。 これは問題ないのだが、しかしこの両師団の現行配備機種は92式だ。 
整備用の部品は全て92式用で、94式用も77式用も、更には89式用の整備部品は一切無い。 整備要員は居ても、整備部品がひとつも無ければ、整備は出来ない。

「にしても、軌道降下兵団の生き残りが50機に、突入機動大隊群が208機とは。 派手に失ったものだな・・・」

「ハイヴ内は、限定された極めて狭い空間です、戦術機が機動する空間としては。 そこに真下や側面から、いきなり突っ込まれて混戦になっては、まともな迎撃戦は不可能です」

「主坑以外の地下茎・・・横坑の直径は、フェイズ2相当だと言うしな。 噴射跳躍もままならない場所が大半だ。 『広間』でしか、実質的な阻止戦闘が出来ない、か・・・」

榊原大尉、佐久間大尉、田宮大尉と仙波大尉。 同僚達の声も、かなり疲れている。 無理も無い、昨日の早朝以来21時間以上も、この緊張感が続いている。
戦闘中の部隊の参謀団が、まともな休息を取れる道理は無い―――交替でほんの少し、休息を取る事はあってもだ。 実戦部隊指揮とは、また異なる疲労を覚える。

そして同僚達の疲労感に満ちた検討風景を尻目に、俺が今読んでいるのは上陸した米軍から来たレポート。 
相互に融通をつける事の出来る範囲の物資とその量、及び輸送手段。 そんな事が記載されている。

こういう時は必ずと言っていいほど、俺が指名される。 何も帝国軍人、それも将校団が語学に不自由している訳じゃない。 そこは寧ろ、徹底的に教育を受ける。
英語のみならず、共闘している国の言語。 昔からの中国語や朝鮮語、そしてロシア語。 他にマレー語やタイ語、ベトナム語なども、少ないが話す者は居る。
欧州系ならば英語の他にドイツ語やフランス語が主流で、イタリア語とスペイン・ポルトガル語が専門の者も居る。 流石に東欧・北欧の言語やアラブ語を解する者は、余り居ないが。

そんな中で、俺の場合は国連軍に出向経験があって、米国での留学経験も一応有る、英語は確実に話せる。 少なくとも、大学学部の論文発表レベルの英語は。
他にはドイツ語も何とかなる。 中国語(北京語)とフランス語、イタリア語、トルコ語も日常会話なら何とか、と言うのは重宝する訳か?
目前のリエゾン(リエゾン・オフィサー:連絡将校)の米軍大尉をチラッと見てから、またレポートに目を落す―――内容に文句は無い。

『・・・推進剤、燃料と弾薬。 運搬手段としてM91エレファントⅢ(ドイツのSLT 50-3 エレファント多脚輸送車両と同じ:協同開発)を18輌。
我々は88式多脚輸送車輌を38輌保有しますので、これでハイヴ内輸送車両は56輌。 他に国連規格の補給コンテナ、これは有り難い』

正直言って、師団の補給物資は恐ろしい速度で消費され続けているのが現状だ。 あと数時間ほどで払底しそうな勢いだ。 そうなれば師団は、戦闘力を完全喪失する。
そして改めて思った、レポートに記載された補給物資の、その膨大な量に! 国連軍時代も地中海方面で思ったが、改めて思う―――米軍の兵站将校団は皆、悲観主義者だ!
帝国軍ならば4基数(4会戦分の兵站物資を意味する)か、5基数分に相当する膨大な兵站物資を、1回の会戦用に用意する。

それだけではなく、後方支援全般―――通信、輸送、補給、医療、搬送―――に驚くほど注力しているのも、米軍の特徴だと言える。
戦場で負傷しても(BETA相手に、戦死と負傷の割合は、それまでの経験則を修正しかけているが)、米軍の支援体制は頭抜けている。
専門の救出部隊を有し、1時間以内には応急治療を受けられ、2時間以内に軍医が治療し、4時間後には後方の野戦病院のベッドの上で休める、これが米軍だ。
帝国軍は、場合によっては半日以上、応急措置だけで放ったらかしになる事もある。 人命軽視と言う訳ではない、単にソースの量の差だ。 いや、やはり意識の差か?

例えポーズだとしても、『軍と政府は、将兵を決して見捨てない』―――この事が、米軍将兵の戦意の高さ、その要因のひとつだろう。
もっとも『持てる後方国家かつ、世界最大の超大国』と言う現実があってこそ、そのポーズも取れる訳だが。

『・・・心苦しいが、オハマ大尉。 こちらから融通をつける事の出来る物資は無い。 戦闘開始から20時間以上、補給を受けているが、消耗の方が早い状況でしてね』

正直、目のやり場に苦労する。 Fカップの双丘、コンバット・ドレスを突き破らんばかりだ。 反対に括れたウエストと、形の良いヒップライン。
ウェーブの金髪に憂いの有る緑眼、白磁の肌と赤い唇―――間違いなく、美女と言える。 米第2師団のリエゾン、プリシラ・モードリン・オハマ合衆国陸軍大尉。

『ご心配なく。 ハードの面では、我々は貴軍から供与を受けねばならない物は、ありませんわ、周防大尉―――苦労している様ね、直衛?』

『しているよ、もうずっとね。 それこそマクスウェル(アラバマ州・マクスウェル米陸軍基地)以来、ずっとね―――君もどうだ? プリシラ?』

『ご愁傷さま、全力でご遠慮するわ。 貴方、確かマクスウェル以降は欧州だったわね? 何時、帰国したの?』

『96年の6月、3年ほど前だ』

『風の便りで聞いたわ、日本に残していた婚約者と、晴れてゴールインしたと―――おめでとう』

『何時、リコールされるかと、冷汗ものだったけどね―――有難う』

隣で一緒に確認していた新井君が、怪訝な表情でこちらを見ている。 無理も無いか、いきなり米軍の将校と、プライベートな話を始めれば。
何の事は無い、種を明かせば彼女―――プリシラ・モードリン・オハマ大尉は旧知なのだ。 国連軍時代の95年、国連軍将校教育課程の一環で放り込まれた米軍の教育機関でだ。
アラバマ州・マクスウェル陸軍基地(と言うより、基地群と言った方がいい、広大なエリアだ)に有った、『アイラ C.・イエイカー・カレッジ』
N.Y.での6か月間の学部聴講生―――ニューヨーク大学(NYU)での教育を終えた後、軍事アカデミーの『アイラC』に移って、『指揮官用専門的開発学校』に放り込まれた。
内容は・・・ま、色々だ。 帝国じゃ勉強できない類の事も、学ばせて貰った。 お陰さまで今や俺は、ちょっとした異端だ―――プリシラは、その頃の『同期生』だった。

その説明を受けて、新井君も得心した様だ。 彼も米軍とは、大陸派遣軍時代の一時期、共に戦った事が有ると言う―――93年だけだそうだが。

『では質問ですが、オハマ大尉。 米軍は熱核兵器をどれ程持ち込んでいるのです? 海軍は確実でしょうが、陸軍は? 横須賀の旧米軍跡地に、M85を揚陸したそうですね』

―――いきなり、その話に持っていくか?

新井君が際どい話題を口にする。 横須賀の米軍跡地に数門のM85・240mmカノン砲が揚陸された情報は、あっという間に帝国軍内に拡散していた。
このカノン砲は、60年代に退役予定を70年代まで延命して米軍で運用していた、M65・280mmカノン砲の後継砲であり―――『アトミック・カノン』の方が通りは良い。
W9、W19と言った『核砲弾』の射撃専用に作られたM65の後継だけあって、M85もそれ以降のW32、W48、W74、W82と言った核砲弾専用のカノン砲だ。
核砲弾の核出力は、小型化したが低下はせず、大体15ktから20ktの威力―――ベルリンに投下された原子爆弾と、ほぼ同等の威力を有する。
最大射程は30km―――3万mに達する。 横須賀から横浜ハイヴまで、直線距離で20km弱。 確実にその射程圏内に収めている。 情報では6門、揚陸したと言う。

『その件につきましては、私は情報アクセス権限を有しません。 貴軍司令部より、我が軍司令部へお問い合わせくださいな、新井大尉』

ツン、と澄ました表情で、そっけなくプリシラが対応する。 
その昔(と言っても、ほんの4年ほど前だ)、『同期生』達の間で『啼かせてみたい、クール・ビューティ』と言わせた、あの表情だ。
そんなプリシラの態度に関わらず、新井君は表情も変えずに『そうですか。 では上申しましょう』と、これまた素っ気ない。
しかし・・・ やはり米軍は持ち込んだか。 使い勝手が案外悪いし、使いどころも難しい核遅滞攻撃だが、成功した際の威力は大陸の戦場で実証済みだからな。

『代わりに情報を。 軍司令部経由のではなく、現場の情報共有を。 共有が困難でも、出来るだけ密な情報交換を』

やはり、そちらになるか。 結局、軍事行動は規模の大小を問わず、何を為すにも情報だ。 米軍も戦域確保任務として上陸したは良いが、情報が絶対的に不足している。

『それについては、師団G2(情報参謀部)に当たってくれ。 こちらからも極力、都合をつける。 可能なら前線の、戦術機甲連隊のG5(第5科長・管制)からも』

『お願いできるかしら? 『生の情報』に飢えているの。 ブラディ・シットでマイルドスィング(スラング、解説不能!)な参謀達が、ファッキン頭で選別したネタじゃ無くて。
ああ、ミートヘッド(脳筋のスラング)のレザーネックのは、いいわ、要らない。 クールな情報よ、直衛。 下半身に響く様な、クールでキッツいヤツをお願いね!』

―――思い出した。 この女、外見とは違って生まれ育ちは、シカゴの下町だった。

流石に新井君も、ちょっと目を剥いている。 ぱっと見、上品そうなレディの米軍女性将校が、下士官兵もかくや、と言う程のスラングで捲し立てるのだから。
とにかく、情報面での最大限の融通を付け合う、と言う事で合意した。 当然ながら『オフレコ情報』にも期待したい所だ、向うも同じだろう。

『出来る限りは、情報は流す。 そっちも頼む、オフレコも』

『首が飛ばない範囲でね。 いいわ、協力しましょう。 あ、それと直衛、貴方って3rd.MBCT(第3機動旅団戦闘団)の2/7TSFB(第7戦術機甲連隊第2大隊)
ここの2nd・Sq(第2中隊)のカーマイケル大尉って、知り合いなの? ここに来る前、彼から聞かされたのだけれども?』

『ん? ああ、オーガストか? そうだよ、N.Y時代の友人だ』

『あ、そうなんだ。 彼から伝言よ、『妻がシアトルで、意外な人に会ったと言ってきた。 国連軍のマクスウェル少佐と、バレージ大尉』 そう言えば判るって。 そうなの?』

『・・・サンクス、『了解した』とだけ、言っておいてくれ。 ああ、それと『遅ればせながら、結婚おめでとう』とも。 彼の妻は、俺の以前の同僚なんだ』

『? ええ、判った、そう伝えるわ』





その後、細々した所を確認し合って、切り上げる事にした。 彼女―――プリシラは当面、作戦課内に居候を決め込む事になる。 通信班の部下を引き連れて。
その準備の為に、場を離れたプリシラを見送った後、少し外の空気を吸いたくなった。 司令部天幕を出る、新井君が一緒に出てきた。
テントの外で煙草の火をつける。 外の空気を、何て言いつつ、どうしてわざわざ煙草を? などと以前に祥子からよく言われたものだが・・・スモーカーとは、そんなモンだ。
新井君も煙草を取りだしたので、火を貸してやる。 2人して暫く、黙々と煙草を吸っていた―――サボっている訳じゃないぞ?

周囲は瓦礫が多い、残っている建築物はごく少数だ。 この辺りがBETAに荒されてから、もう1年近くが経つ―――兄貴がこの沖で、戦死した時期だ。
深夜に関わらず、周期的に打ち上げられる証明弾のお陰で、周りは明るい。 北に目を向けると、僅かに移動中の戦車部隊が見えた。 周辺警戒中か、機動歩兵を随伴している。

「・・・周防さん、さっき、最後でオハマ大尉からの伝言、ちょっと考えていましたね。 何だったのです?」

同じように北の『門』付近を見ながら、新井君が聞いて来る。 ちょっと勘が鋭いな。

「いや・・・別に。 随分懐かしい名前を聞いたからさ、昔の、国連軍時代の同僚でね」

国連欧州軍(大西洋方面総軍・地中海方面総軍を統括)総司令部・副官部第3副官室。 あの『何でも屋』の第3副官室が、何も無いのにわざわざ北米の西海岸に人を出すか?
それともう一つ気にかかったのは、マクスウェル少佐と、バレージ大尉、この2人だったと言う事。 ローズマリー・ユーフェミア・マクスウェル少佐とドロテア・バレージ大尉。
物理学が専門の、実際は技術将校のマクスウェル少佐に、恐らくSISMI(イタリア情報・軍事保安庁)当りの出身だろう、バレージ大尉。
俺が最後に会った時は、この2人は有る人物の国連側担当秘書官と、警護連絡役をしていた筈だ。 確かニューメキシコ州に移るとか言っていた。
『グレイ・マザー』、或いは『破滅の聖母』―――ロス・アラモス研究所での、量子重力理論研究の首席研究者、準男爵・バロネテス・レディ・アルテミシア・アクロイド。

(・・・レディ・アルテミシア、マクスウェル少佐、バレージ大尉。 スコットランド、N.Y、それと・・・ロス・アラモス・・・G元素研究!)

あの2人が、ペトラと会った?―――それ自体は偶然だろう、今やペトラはオーガストと結婚して、合衆国の市民になっている。
言い方は悪いが、ペトラ自身には最早何の『価値』も無い、ただの一市民だ―――彼女自身の幸運によるものだ。
いやいや、考え過ぎか? うん、考え過ぎだろう。 向うにはレディだけじゃなく、母親のアクロイド夫人、娘のミズ・アクロイド、孫娘のジョゼも居る。
休暇か何かで、一家が西海岸に・・・多分、そんな所だろうか? そうなのだろう、考え過ぎだ。 ああ、もう4年半以上前になるのか、あの一家と別れてから。
ジョゼは・・・もう13歳になった筈だ。 初めて会った時はまだ8歳だった、それからもう5年か。 ジュニア・ハイの7年生(中学1年)になるのか・・・

「何でも無いよ、本当に。 昔お世話になった、懐かしい名前だったものでね」

煙草を消しながら、そう答える。 気がつけばまた1本、煙草を取り出して咥えていた―――妻に、祥子に怒られるな。 最近本数が増えてきたと、説教されているしな。

「そうですか。 いや、失礼しました。 ・・・ところで、どう判断しますか? 押すか? 引くか?」

奪回総軍がこのまま力押しを続けるのか、それとも一旦ハイヴから身を引いて、BETAが地上に湧き出た所を狙っての、大規模破壊兵器での攻撃か、と言う事か?
ああ、また補給隊が到着したな。 これからハイヴ内の兵站デポまで運びこむのか、工兵や輸送隊も大変だ―――どうやら、力押しの可能性が高い様だぞ?

「・・・純粋に戦術視点から考えれば、引くだろうな。 大陸の広大な平原戦じゃ無く、有る程度固まる事が期待できる地形の本土だ。
大陸で5、6発、ばらけさせて使用した戦術核も、ここじゃ纏めて2、3発も有れば、確実に数万単位で消せる―――ハイヴ内から確実に引っ張り出せれば、の話だけどな」

「外縁部のBETA群は、残存3万をどうやら切った様です。 17個師団―――損耗率は35%近くに達した様ですが、まだまだ戦える兵力が有る。
それで残るBETA群を殲滅出来れば・・・ ハイヴ内の4万からのBETA群を、一気に地上に引っ張り出せれば。 あとは数発の熱核兵器で、一気に片がつく」

ああ、そうだ。 純粋に戦術だけを語れば、その通りだ。

「だけどな・・・まず、政府がそれを許容するかどうか。 それに軍上層部にも、力押しは無理と判断しても、本土で熱核兵器を使用する事に、反対する高官はいるだろうな」

その言葉に、新井君が少し馬鹿にしたような笑いを浮かべた。 珍しいな、彼がこんな笑い方をするとは。

「大陸での核使用にケチを付けずにいた、我が軍が? 自国内での使用になって、それは無いでしょうよ。 統一中華戦線やソ連、この辺りからの支持を失いますよ?」

―――九-六作戦、俺が国連軍の『グラム中隊』で戦っていたあの当時。 最後は総力戦で何とかBETA群を殲滅したが、きっかけは数発の戦術核だった。
1993年9月8日、今から9年前のあの日。 韓国軍第5戦術機甲師団と一緒に突入したあの戦いの直後、中国軍は数発の戦術核を戦線外周部のBETA群に撃ち込んだ。
そのお陰で破滅は防がれ、翌9日の南部海岸線付近での殲滅戦に、どうにかこうにか、間にあったのだ。 北方からのBETA群を、無視できる状況が生み出されたお陰で。

古くは西安攻防戦でも、中国軍は自国領内での核使用を躊躇わなかった。 その結果として、BETA東進の速度が鈍ったと言う研究結果も出ている。
帝国は正式派兵前だったが、BETA大戦の何たるかを知る為の『軍事顧問団』(実質派遣部隊)を出していた。 西安で『壊滅』する筈だった連中は、生き永らえた。
97年の大陸陥落まで、時間を稼いだのだ、核でも何でも用いて。 時には自国民1000万人を、時間稼ぎの餌にしてまでも。

統一中華だけでは無い。 北方戦線で共闘しているソ連軍だとて、ウラルからシベリアに至る後退戦の中で、何度か核を使用している。
最大は1987年、欧州陥落の翌年に西シベリア低地で使用した『ツァーリ・ボンバー』だった。 あの核出力50Mtと言う、世界最大威力の水素爆弾を使った。
そのお陰で86年にリヨンハイヴが出来てから、次のボパールハイヴ、そして敦煌、クラスノヤルスクの両ハイヴ建設まで、各々4年と6年の時間を稼げた、そう言われる。
カナダに至っては、米国との了解のもと、自国領内に落ちた降着ユニット破壊に為に、戦略核の使用さえ認めたのだ。 でなければ『第2のオリジナルハイヴ』が出現するからだ。
広大なカナダ国土の半分は未だ、10数発も撃ち込まれたミニットマンⅢのW62(当時の米軍戦略核弾頭、核出力170kt)から放出されたプルトニウム239に汚染されている。

―――散々、我が国での核使用による時間的恩恵を受けてきた日本が、今更自国での核使用に反対するのか!?

恐らく国連総会辺りで、散々に叩かれるだろうな。 安保理でも中・ソを敵に回すだろうか? それか国際社会と言うものだ、それが国際社会が持つ『エゴ』と言うものだ。
逆にもし、核使用を政府・軍部が容認すれば・・・国民は激昂するだろう。 それは『社会軍事学』の領域だ―――何だかな、国連軍での留学時代の、復習をしている気分だ。

「国内外をどう調整するか、それは政府の仕事だな。 我々は取れるべき選択肢について、検討して準備するだけだ。 決定したなら・・・あとはスイッチを押す勇気だけさ」

「軍人は、国家の番犬たれ―――番犬が飼い主を引っ張って、無茶苦茶になったのは半世紀ほど前ですが。 帝国の精神年齢がそこから上がったとは、どうにも思えませんよ」

「・・・国粋派か?」

「国粋も、統制も、ですね。 周防さん、俺は93年、九-六作戦が初陣だった。 そこで瀕死の重傷を負った。 回復したけれど、衛士資格を失った」

・・・彼、元は衛士だったのか?

「だったんですよ。 ま、そのお陰で管制の方に転科して、生き永らえましたけどね。 お陰さまで結婚もできました。 同期生は半数近くが死にましたが、元は19期のAです」

「・・・俺の、1期下だったのか」

「ええ、そうです。 国に帰されて、入院とリハビリを続けて。 軍務期間が切れる前に管制官課程に移って・・・ ああ、俺は徴兵だったんです。
兵役期間はまだ、3年残っていましたから。 それに管制は何かと潰しが利きますしね、地方(一般社会の、陸軍隠語)に戻ってからでも。
で、CP将校になったんですが・・・ 衛士時代より、ある意味酷かった。 それからは散々、悲鳴ばかり聞いて来ましたよ。
泣き喚く奴。 絶望のあまり呪詛に近い言葉を吐きながら、死んで行った奴。 最後まで母親を呼び続けていた奴。 ・・・『帝国万歳』なんて言葉は、聞かなかった」

―――そりゃ、そうだ。 俺だって聞いた試しが無い。 幾ら政府や軍部がプロバカンダで糊塗しようが、武家連中が時代錯誤の戯言を言おうが、関係無い。
最前線の将兵は、そんな事の為に死んで行ったんじゃない。 そんな理由で、死に直面した訳じゃない。 国や民族、皇帝陛下や将軍なんて、後方で考えた後付けだ。
そんなのじゃない、ただ、守りたかっただけだ。 仲間を、そして大切な人を。 そしてその背景を。 だったら、使うべきだ。 核でも、何でも。

「考えましたね、どうして戦っているのかと。 国の為じゃない、民族なんて得体の知れない物でも無い。 皇帝陛下? 将軍殿下?―――残念ながら、全く知らない他人ですよ。
俺はね、孤児です。 守るべき何物も無かった、自分の命以外で―――初陣で負傷して、光線級に焼かれた『撃震』の管制ユニットの中で、朦朧としながら思い出した事以外は」

「何を思い出した?」

「婚約者、ですよ。 朦朧とした意識の中で、彼女の顔だけは、やけにはっきり思い出せた。 ずっと思っていたんだ。
それと通信回線が生きていたんでしょうね、僚機に向かってがなりたてる、1期先任の衛士の声も聞こえましたよ。 お陰で意識を失わずに済んだ、神宮司もそうでしょう?」

「・・・君、あの時の。 あの、大破した『撃震』に搭乗していた衛士か!?」

驚いた。 もう6年も前の事だ、神宮司はそれ以降も接点が有ったから、覚えていたが。 正直、あの時救出した他の2機の事は、全く忘れていたな。

「俺はね、周防さん。 俺と、妻と・・・それに子供が生きていけるのなら、どこだっていい。 家族がいる場所が、俺の『祖国』なんですよ」










1999年8月5日 1420(現地時間) 合衆国 ワシントンD.C 


薄暗い室内。 間接照明と流れる甘いメロディー、芳香をたてる琥珀色の液体、そしてシガーの紫煙。 ひと組の男女がベッドに横たわっていた。

「・・・日本はあの情報、本気にしなかったという訳なの?」

艶めかしい表情で、女の方が髪をかき上げ、聞いて来る。 手を伸ばしてサイドテーブルからウィスキーグラスを掴み、一口含む―――男に口移しで飲ませる。
男の方はシガー、合衆国産のシガリロ『キング・エドワード・パナテラ』を手に弄びながら、女の官能と、琥珀の液体を同時に楽しんでいた。

「本気にしなかった、と言うより、したくない、と言うのが本当の所だ。 政府は日米安保再開を望んでいる、軍上層部も本音はそうだ。
だからだよ、それが本当なら、国内のコンセンサスを取る事が不可能になる。 お上(皇帝)への宮中報告をどうしたものか。 将軍家や摂家もまた、煩く言ってくるだろう」

「エンペラーやショーグンなんて、もう有名無実じゃなくって? 確か憲法の上でも『象徴』だと、そう言っているわよね?」

「実の所、1世紀以上前の開国の頃からそうさ。 武家の実権は、1905年で終わったがね」

―――既得権益を守りたいだけさ、それと生存権もね。

男は自嘲交じりにそう言う。 明かりに照らされたその顔は、40代も後半と言った所か。 明らかにアジア系、それも東アジア系の顔立ちだった。
そんな男の言葉に、言い様も無い表情―――憐れみ、嘲笑、呆れ、そして自嘲を浮かべた女が、男の上に倒れ込み、顔を胸に埋めて囁く様に聞いてきた。

「せっかく、私が身の危険を顧みずに、カンパニーの目を欺いて知らせた情報よ? あのチシャ猫の様な悪魔、あの男に言われて、と言うのが癪だけれど」

「・・・チシャ猫の様な悪魔か、言い得て妙だな。 陸軍も巌谷あたりが使っている様だが・・・ 使い方を間違えると、劇薬にもなる男だ、あいつは」

「どうでも良いわ、あんな男。 私は貴方が望むから・・・だから情報を流したのに」

上目遣いで迫る女の、その頤を手にとって、ゆっくり唇を撫で回す。 女の唇が開いて、男の指を咥え込む。 それを嬲る様に扱い、そして限りなく優しく愛撫する。

「それは奇遇だ。 僕も君が望む事は何なのか、随分と探していた気がする」

お互いシニカルな笑みを浮かべたまま、唇を合せる。 暫くして顔を話した時、女が冷たい声で言った。

「・・・事実よ。 4日前の8月2日に、ケープカナベラルから打ち上げられて、『ユニティ』に運び込まれたわ。
運用艦がどれかまでは、参謀本部情報だから探れなかったけれども。 でも確実に2発の『G弾』が、宇宙に上げられたわ」

先程とは打って変わって、冷ややかな視線で男を見つめる女。 平然とその視線を受け止め、シガリロに火を付け直す男。

「今現在の戦況で、『あれ』を使用する場所は、1箇所しかないわ。 だから貴方も、私に接触して来たのでしょう?」

「・・・身も蓋も無い言い方だね、ムードの無い事だ」

「なら、奥様と別れてくれて?」

「無理だね、それは。 私は良き家庭人であり、同時に悪事に平然と手を染める組織人なのだ」

「知っているわ。 そんな所も、愛しているわ」

「光栄だ。 妻と出会う前に聞きたかったね」

「本気? その頃の私は、まだジュニア・ハイよ?」

「・・・犯罪だな、それは」


つかぬ間の逢瀬を切り上げ、ホテルを出る。 陽が明るい、なにせまだ、午後の2時過ぎだ。 別れ際、口づけをしながら女が耳元で囁いた。

「・・・合衆国政府の最終通告は、明日の国家安全保障会議で最終決定を下したその後で、日本大使館経由でする筈よ・・・」

「・・・いいのか? そこまで漏らして。 カンパニーも流石にモール(モグラ:潜入工作員の隠語)を探し始めるぞ?」

「いざとなったら、本当に国連情報部に飛び込むわよ、何もかも白状して、ね?」

「女は怖いな。 だが、その時はそうした方がいい」

「あら? 『俺の懐に飛び込んで来い』とは、言ってはくれないのね? やっぱり」

「定員オーバーでね、残念ながら。 じゃあ、また。 ヴィクトリア」

「ええ、また。 直邦」

最後まで演技を続けた男女―――在米日本帝国大使館付武官・周防直邦海軍大佐と、国連本部職員・ヴィクトリア・ラハトは別れた。
周防大佐の姿を見送り、その姿が見えなくなってから、ヴィクトリア・ラハトはある特殊な処置がなされた携帯電話を取り出し、電話をかける。
何度かコール音がし、相手が出た。 経過を伝え、次の指示を出して電話を切る。 その顔は先程とは打って変わった、冷淡な表情だった。

「・・・本当に、愛していたわ。 でも私の手を振り払ったのは貴方よ、直邦」

国連職員のヴィクトリア・ラハト―――いや、『カンパニー』の潜入工作員であり、上級工作監督官のヴィクトリア・シャロン・ゴールドマンは、ひとつだけ嘘をついた。

合衆国国家安全保障会議は、今まさに佳境を迎えている筈だったのだ。 最終決定は数時間後に出される事だろう。











1999年8月6日 0420 日本帝国 東京府 旧町田市付近 北部防衛線・インドネシア軍(大東亜連合軍)第3軍団 第4師団防衛地区


『・・・おい、何だ?』

『急に圧力が弱まった?』

『BETAの数は、まださほど減っていないぞ・・・?』



1999年8月6日 0425 日本帝国 神奈川県 旧綾瀬市付近 南部防衛線・日本帝国軍第16軍団 第19師団防衛地区


「BETAの進路、出ました! ・・・これは!?」

「なんてこった・・・ BETA群、反転! 横浜に向かっています!」

「大至急、総軍司令部に! 緊急の緊急だ!」



1999年8月6日 0430 横浜ハイヴ第6層 
『ヤバいぜ! 急に数が増えやがったんじゃないか? おい、周防!』

『間違いじゃねえ、確かに増えたぜ、古郷さん! これは・・・保たねえかもな!』

『う、うわあ! くそ! スリーパー・ドリフトだ! 隊長、前方50・・・ぐぎゃ!』

『なっ!? おい、本多ぁ! くそう、ソードCよりリーダー! 1機殺られました!』

『ソードBよりリーダー! 前方至近! 要撃級・・・500! 喰い止められません! 宮内、真部、美濃、100下がれ!』

『ぬう・・・! 古郷、周防、引け! 一旦引け! この後ろのS-06-02広間まで後退だ!』

≪CPよりソードダンサー・リーダー! 連隊命令、第5層を死守せよ! 制限時刻は0500! 国連軍『観測任務部隊』が、第3層まで後退します!≫

『あと30分!? 1個中隊でか!?』

≪フラッグとペガサスも、阻止戦闘中です! ライトニングが後詰に駆け回っていますが・・・指揮小隊は大隊長を含め、2機! 他部隊も混戦模様!≫

『馬鹿な! たったの2機で!―――周防! 中央、来るぞ! 古郷! 左翼は踏ん張れるか!?』

『中央、了解!―――了解っても、こんな数、一体どうしろって・・・!』

『何とかやってみせます! 周防、左翼から支援する! こっちの数は少ない!』

『頼ンますよ、古郷さん! 一瞬でも気を抜けば、あっという間にあの世行きだ、これは!』

『A小隊、右翼のスリーパー・ドリフトを警戒しつつ、中央へ全力支援攻撃! CP! 大隊長と連絡は!?』

≪電波障害域に入った様です、繋がりません! あと2分でフラッグの担当エリアに入る筈です!≫

『判った! くそ、連絡が取れれば、私が後退を進言していたと、そう伝えろ!』

≪CP、了解です!≫

『ソードB、周防です! 中隊長、海軍さんも応答しねえ! 向うも満員御礼ですよ、こりゃあ!』

≪ソードダンサー・マムよりセラフィム・マム!(181連隊管制班・第5科) 第6層で大規模なBETA群の逆襲有り! 第5層まで後退します!≫

≪セラフィム・マムよりソードダンサー・マム、了解。 誘導管制はS-06-02の東から第5層へ上げなさい。 リーダーとは繋がるの?≫

≪はい、お待ちください・・・リーダー! 神楽大尉!≫

『聞こえている! ソードダンサー、神楽大尉。 綾森大尉、祥子さん、こっちは随分楽しい状況です!』

≪確認したわ、緋色。 ごめんなさい、もう30分だけ押さえて!≫

『・・・了解。 あとで訳を聞かせて下さい』

≪・・・許可が下りれば、何時でも。 東隣の『広間』にフラッグとライトニングが居るわ、合流して!≫

『承知! よし、全機! まずは一斉射撃、開始!』





ハイヴの内外で、BETA群の異変が観測され始めた。
そして地球周回低軌道上では、合衆国航空宇宙軍所属の2隻のHSST、『キャラハン』、『スコット』が再突入回廊を目指し、最終周回に入って行った。




[20952] 明星作戦 7話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/10/10 02:06
1999年8月6日 0505 旧横浜市西部 米第2師団


『16斉射・・・ファイア!』

M110 A2・203mm自走榴弾砲、M109A6・155mm自走榴弾砲『パラディン』の群れが、西方に向けて砲火を切った。 203mm、155mm砲弾が唸りを上げ、飛翔して行く。
隣の砲陣地では、CH-47チヌークや、CH-53Eスーパースタリオンの機体下に吊り下げての緊急空輸で運ばれ配置転換して来た、M198・155mm榴弾砲が砲火を放つ。
10km程南に離れた米海兵隊第3師団担当戦区からは、M198・155mm榴弾砲の他、より軽便な運用が可能になった、多数のM777・155mm榴弾砲が砲撃準備を整えた。
この砲は重量7000kg超のM198に比して、僅か3000kg超でしかない。 為にUH-60ブラックホークや、UH-1N ツインヒューイのような中型汎用ヘリでも空輸可能。
他にもティルトローター機のV-22 オスプレイでも、機外に吊り下げて輸送することが可能となった。 海兵隊や陸軍の山岳師団、空挺師団では主力となりつつある。

『BETA群、A群は約9000。 フィリピン軍の正面に向け侵攻中、距離1万2500。 B群、約1万1000、我が軍正面に向け侵攻中、距離1万3500』

反転した当初は、A群が1万1500、B群が1万3000の合計2万4500だった。 今は2万、凡そ4500体程を日本軍と国連軍が後背から追撃撃滅した計算だ。
連中とて、熱烈歓迎の土壇場で『振られた』のでは、立つ瀬も無いと言う所か。 冒険的な機動戦を得意とするジェネラル・シマダ(嶋田大将、第9軍司令官)は兎も角としてだ。
慎重な戦巧者として知られるジェネラル・オカムラ(岡村大将、第8軍司令官)までもが、指揮下全部隊を挙げて、全力で追撃戦を開始している。
もっとも、ここでBETA群をヨコハマハイヴに戻そうものなら、極東戦線はお終いだ。 この国も長く保たない。 戦術視点でなく、戦略視点で見れば両将軍の焦りは当然だ。

『弾着観測機(RF-4EファントムⅡ・アビオニクス、光学兵装を充実させた偵察型戦術機)からの着弾データ、受信』

『第20斉射、開始!』

『火力旅団(第210火力旅団)本部より、第30斉射まで継続予定との事です!』

『1st・BCT(第1旅団戦闘団)、2nd・BCT(第2旅団戦闘団)、3rd・BCT(第3旅団戦闘団)、配置に着きました。 4th・BCT(第4旅団戦闘団)、バックアップ、スタンバイ』

『海兵隊第3師団、オープン・ファイアリング!』

『海軍より入電! 『アイオワ』、『ニュージャージー』、『グアム』、ヨコハマ・ベイにオン・ステージ! JIN(日本帝国海軍)の1st・Fleet(第1艦隊)、続きます! 艦砲射撃開始!』

南東の海面から、とてつもない轟音が鳴り響いた。 海軍の2戦艦と1隻の大型巡洋艦が、長砲身の16インチ砲と12インチ砲を放ったのだ。
それだけでは無い、日本海軍の化け物戦艦群が、20インチ砲と18インチ砲を放ったのだろう。 陸軍の重砲など、比較にならない大口径砲を。
頭上を特急列車が轟音をあげて通過して言った様な感じだ、暫くしてこれまた大音声の着弾音。 ここまでズシンと響く。

『・・・RF-4Eより入電。 ≪BETAが纏めて1000体以上、吹き飛んだ。 迎撃レーザー照射は200本以上。 効力射を要請する≫、です』

『軍団司令部より命令、≪全力火力支援に移れ。 残弾を気にするな、砲身摩耗を気にするな、代わりは幾らでも有る≫、です』

おお、まさに物量こそ正義。 これぞ合衆国の戦争。 ならば―――その物量、BETA共に思い知らせてやる。 我々こそが、物量戦の元祖だと言う事を。

「師団長命令、全力で撃ち倒せ―――キル・BETA、キル・BETA、キル・モア・BETA!」

無数の203mm、155mm砲弾が更に勢いを増して放たれる。 MLRSからは多数のミサイルが発射され、海上からの攻撃も勢いを増した。
旧横浜市街西方地域は今や、光と炎の壁が、天と地を覆う業火に包まれていた。 その業火は迫りくる異星起源種の集団を包み込むように、次第に狭まりつつあった。









1999年8月6日 0525 旧横浜市南部 第13軍団第18師団司令部


「ハイヴ内戦況は、既に第4層まで押し返されております。 北部、西部戦域も同様」

師団作戦課の九重少佐が、上官である広江中佐に向い、やや憔悴の色を見せながら報告する。 宮元少佐と2人、全体の作戦経過の確認と修正を行ってきたストレスだ。
隣でその宮元少佐が無言で頷く。 彼らにしてみれば、打つ手、打つ手が次々に破綻していく様は、悪夢以外の何物でもないだろう。

「この1時間ほどの戦闘で喪った戦術機は、幸いにも3機だけで済んでおります。 ですが西部の第1軍団では13機が、北部も16機が喪われました。
他にも既に8時間以上、戦闘が続いております。 軌道降下兵団の生き残りを再編成して投入しましたが、それでも衛士達の疲労はピークを過ぎています。
それに整備が必要な機体も。 中には、だましだましで出撃している者も。 我々の継戦能力は、徐々にですが失われつつあります」

宮元少佐の指摘に、皆が戦況表示盤横の数字を見返す。 現在、181戦術機甲連隊は定数120機の内、25機が失われて95機。 141連隊もほぼ同じだ、93機。 合計188機。
他に海軍聯合陸戦第3師団が第31、第32、第33戦術機甲戦隊(連隊)。 こちらは最新の96式『流星(A/B-17A)』で固めている、残存は3個戦隊で291機(定数360機)。 
他に『突入機動大隊群』から生き残りが、14個大隊で残存208機。 これを帝国軍(陸海軍混成)の108機と、国連軍の100機に分けて第13軍団の臨時指揮下に置いている。
総数で687機。 数だけ見れば十分以上の戦力を維持しているが、半数以上は既に整備が必要な機体だったし、衛士の連続戦闘時間は限界に近付いている。

数字を見つめたまま、作戦課員の周防大尉が絞り出す様な声で言った。

「合計7個連隊。 その内、陸戦隊の1個連隊は米軍の2個連隊(第2師団第4旅団戦闘団指揮下)と、米海兵隊第3師団(指揮下の1個戦術機甲連隊)とで、戦域確保任務・・・
使えるのは、定数を割った6個連隊分の戦力。 交替で3個連隊毎に投入と後退・修理補給を継続していますが、正直言いまして、あと2時間が限界です。
それ以上は人が―――衛士が保ちません。 機体の前に、衛士の肉体的疲労が限界を超えます、次いで精神的疲労の限界も。 部隊は文字通り壊滅します」

自身も長い間、戦術機を駆って、戦場を往来した周防大尉の言葉だけに、同じ歴戦の衛士出身の広江中佐を除く全員が、その言葉に顔色を変える。
2時間―――今の戦力では押し返すどころか、それまでハイヴ内を維持できるかどうか、怪しい状況だ。 外の、つまり旧横浜市西部域で始まった、阻止戦闘の戦況も気にかかる。

師団は、いや、軍団は今や2つの状況を見据えて、指揮下の部隊を動かしていた。 いや違う、結局はひとつに集約されるか―――『通常攻撃での横浜ハイヴ攻略は、失敗した』

宮元少佐を主幹に、榊原大尉、周防大尉、仙波大尉で、ハイヴ内戦闘の把握と作戦の修正・変更を。 戦術機甲部隊と頻繁に連絡を取りつつ。
九重少佐を主幹に、佐久間大尉、田宮大尉と新井大尉で、現地点からの緊急離脱に関わる準備の全てを。 14師団や海軍陸戦隊と、連絡を密に取りつつ。
全てを広江中佐が承認し、師団長の許可を受けて他部署と連携を取りつつ、最悪の事態にならぬ様祈りつつ、準備に邁進していた。

「・・・せめて遊兵化している、あの3個大隊、あれを使えればな・・・」

仙波大尉が、ハイヴ内状況をモニターした表示盤を恨めしそうに見つつ、呟く。 3個大隊、1個連隊規模の余剰戦力が有れば、今少し余裕を持たせる事が出来るのに。
だが、それを耳にした2人の先任者が、窘め半分、同調半分で諫める様に言う。 その2人にしても同じ思いだが、あからさまに言うには、戦場を知り過ぎている。

「無い物ねだりだ、仙波君。 元々、突入機動大隊群は13軍団の指揮下じゃ無かった、ここで臨時に編入されただけ、幸運と思えよ」

榊原大尉が苦笑しながら、最後任の仙波大尉に言う。 第18師団指揮下に、突入大隊群のうち、帝国軍所属の108機が編入されていた。
そして第14師団指揮下には、国連軍の100機が編入され、一時的に戦力は倍増していた。 言うまでも無く、異常事態だ。
だが、上級司令部(今回は帝国軍『奪回総軍』司令部直轄)の命令によるものだ。 その中で他に3個大隊・108機が無傷で遊兵化して、第2層と第3層に留まっている。

「もっとも、そのお陰で補給と整備は大混乱だがな。 帝国軍の機体は89式だし、国連軍はF-18だ。 余所からかき集めた整備班は良いとして、保守部品はまだ不足している。
まあ、贅沢を言っちゃいけないのだろうな、今の状況では。 それに遊兵化している3個大隊、あれは諦める他ないな。 噂じゃ、例の『第4計画』が拘束しているらしい」

音声のみ使ったヘッドセットを耳に当てながら、周防大尉が難しい表情で言う。 どうやらハイヴ内の通信を確認しているらしい。
周防大尉のその言葉に、榊原大尉は舌打ちし、仙波大尉はフンッ、と鼻を鳴らす。 その様を見ていた宮元少佐でさえ、嫌そうに表情を歪めている。
ハイヴ突入後も、『観測任務』と称して一切の戦闘に関わらない、3個大隊もの直属部隊。 しかも帝国陸軍が喉から手が出るほど欲しい、94式『不知火』で固めた3個大隊。
それだけでも腹立たしいモノを、有ろう事かハイヴ突入部隊から3個大隊もの『直接護衛』部隊を引き抜いたとは。 合計6個大隊が第2層と第3層で、『洞ヶ峠』を決め込んでいる。
上層部でどの様なやり取りが有ったのか不明だが、現地部隊としては納得出来る話では無い。 ボロボロになって後退して行く部隊を横目に、一切の手助けをしようとしなかった。
宣伝では『国連主導の極秘計画に直属する、精鋭部隊』と言われるが。 少なくとも本作戦に参加している部隊、特に帝国軍第1、第13軍団将兵は別の異名で呼び始めている。

曰く―――『国連の、何にも≪せいへん≫部隊』だと。

雲の上のお偉方が何を考えているかとか、お偉い学者先生方が、どんな計画を捻っているのかとか、そんな事は最前線の将兵には全く関心が無い。
彼らの関心はひとつだけ―――生きて還る事。 その為に隣の戦友と共に戦う事。 反対に言えば、使えない奴が近くに居る事は、憎悪に近い感情となる。

「・・・ウチの連隊が還って来た。 損失4機、痛いな、これで91機か。 141は90機、海軍の31戦隊が92機。 273機か、11機が喰われた」

「次の海軍32戦隊と混成第1連隊(突入大隊の生き残り)、混成第2連隊(国連軍)は、296機か。 同じ位が喰われるとして、280機前後。
併せて550機か。 1時間で25から30機喰われる想定だ、2時間で50から60機の損失か・・・ 残るは500機弱か? それで計算出来るか? 周防君よ」

帰還した師団戦術機甲連隊の残存機数を確認した周防大尉に、榊原大尉が確認する。 だがそんな榊原大尉の言葉に、周防大尉は首を振った。

「いいや、もっと酷くなる。 榊原さん、機甲も同じだろう? 戦力が減れば減る程、時間当たりの消耗は激しくなる」

「・・・ああ、4輌で戦っていた所を、3輌で。 そしてすぐに2輌で。 機械化歩兵装甲部隊も同じだよな? 仙波君よ」

「ウチはもっと、劇的に数が減りますよ」

機甲科出身の榊原大尉も、機械化歩兵装甲部隊出身の仙波大尉も、同じような悪夢は何度も経験している。 大陸で、半島で、九州で、京都で。
だから3人の大尉は結論した、限界は2時間。 0730あたりまで。 それ以上は文字通り、実戦部隊に能力の限界を超えた命令を出さなくてはならなくなる。
それはつまり、作戦指導を行うべき作戦課の能力の限界―――無能さを示す事になる。 冗談じゃない、状況を見誤って、軍学校の教科書に引き際の失敗例に紹介されるのは勘弁だ。
文句を言いながらも、手だけは休めていなかった部下達が、纏めた内容を確認した宮元少佐が課長の広江中佐に報告しに行った―――『2時間以上は、師団の責任範疇を越す』と。

―――その時だった。 師団通信隊の指揮官の、素っ頓狂な声が響いたのは。

「何だって!? ハイヴ内情報を常時表示出来るのは、国連軍―――例の3個大隊だけだって!? どう言う事だ!?」

その声に、その場の全員が振り返った。 特に戦術機甲部隊に繋がりの深い周防大尉は、険しい形相で通信隊指揮官の少佐に詰め寄る。

「少佐、どう言う事です!? ハイヴ内で情報表示不可? どの範囲で、ですか!? 誰の命令で!?」

「お、おい、落ちつけよ、周防大尉。 出所は総軍司令部だ、いましがた軍団司令部経由で入った。 ハイヴ内地下茎情報の常時表示は、例の国連軍3個大隊だけ許可だと。
あとは各司令部毎に、指揮下突入部隊を逐次オペレートしろと。 師団、連隊本部での地下茎情報は、制限されていない。 連隊5科で全てさばけと言ってきている」

「5科だけで? 全部隊を? 確かに大隊と中隊には、専属のCP将校は居ます。 が、連中がその情報で、誘導指揮をこなせるとでも!?」

「ああ、そうだ、無理だ。 連中はオペレーターで有って、部隊指揮官じゃない。 我々の突入部隊は、地下茎情報を与えられずに盲目状態で戦えと、そう言ってきたのだ!」

―――総軍司令部は、一体何を考えている?

誰か、そう呟いた。

―――決まっている。 国連の『何にも≪せいへん≫部隊』の、ごり押しだろう。

別の誰かが、そう吐き捨てた。

「おい、周防! 貴様、直ぐにTSF(戦術機甲連隊)の方へ走れ!」

飛び込んできた作戦課長の広江中佐が、顔を朱に染めながら怒鳴る。

「181連隊長は、元々が機甲上がりだ。 こんな状況下では確実な補佐役が必要だ! 主任CP(第5科長)の綾森がいるが、あいつも管制指揮に専念せねばならん。
師団に入る情報は、全て回す。 14師団と軍団情報もだ。 場合によっては貴様の『個人的な情報』を使っても構わん! 何としても名倉大佐を補佐しろ!」

「・・・スタッフが、ラインを、と言っている余裕は有りませんね」

広江中佐と、師団司令部内の戦術状況表示盤―――ハイヴ内状況を示した情報盤を交互に見て、周防大尉も既に必要な端末その他を、手にしていた。

「そうだ、無い。 そんな贅沢を味わう暇など無い。 さっさと行け!」

「了解。 宮元少佐、榊原大尉、仙波大尉、情報、願います」

「願われた、周防大尉」

敬礼に答礼を返した宮元少佐が、同時にG2(師団司令部情報課)に連絡を付ける。 榊原大尉と仙波大尉は、TSFその他の部隊にとっての、提供情報順位を再確認し始めた。
司令部内が急に、慌ただしくなってきた。 戦場で理不尽と感じる命令は、いつもの事だ。 だが今回の、この状況での、この命令はどう言う事だ。
戦術機甲連隊本部に向かう高機動車に乗り込んだ周防大尉は、単にハイヴ内戦闘の困難さ以外に、何か得体の知れない状況が生じているのではないか、そう感じていた。









1999年8月6日 0555 横浜ハイヴ内 第3層最奥部 第181戦術機甲連隊第1大隊


『接近を許すな! 向うは戦車級の群れだ、引き付けるな! 出来る限り横坑(ドリフト)の中で殺れ! 広間に侵入されては、排除が難しくなる!』

第1大隊長・宇賀神中佐が指揮下の3個中隊それぞれに、迎撃指示を出す。 広間に直結する地下茎は3本、つい先程、突撃級と要撃級の小規模な群れを引き付けて殲滅した。
その間に連隊本部情報で、各1000体程の小型種の群れが3方向から接近中と、警告を受けた。 直ぐ様、部隊を広間と地下茎の接点付近まで前進させ、侵入阻止の陣形を敷いた。

≪CPよりライトニング・リーダー! 接近する小型種、S-03-15方向から約980体、距離880! S-03-20から約1000体、距離910! S-03-10から約900体、距離950!≫

あと15、16秒ほどで接敵か。 目前の地下茎がそれぞれ500程先で曲がっているから、10秒以内に目視できる筈。
くそっ、それにしても地下茎情報が判らないとは! 新米どもや精々がエレメント・リーダーならばそれも良いだろう。 最悪、小隊長クラスでさえも。
しかし、中隊長クラス以上の指揮官が、その情報を与えられないとは! 大隊長ともなれば、単機戦闘はほぼ有り得ない、それは指揮小隊の者達が片を付ける。
大隊長にとっての戦闘とは敵味方、彼我の状況とその動きを把握し、求められる戦術目的に対して部隊を押すか、引くか。 どこへ移動さすか、そのタイミングは?
そのレベルの判断と決断を求められる。 当然、陸軍での有効な戦術戦力単位のひとつである大隊の動きは、戦場での状況に大きな影響を与える。
だから通常は大隊長に対しては、最大限の情報を(洗い出された有効な情報を)常に与え続けるのが常なのだ。 この場合、ハイヴ内の地下茎情報が最たるものなのだ。

『ッ! BETA群、インサイト! 各中隊、制圧距離450! 250以内に近づけるな! 攻撃開始!』

途端に、3個中隊の戦術機から多数の誘導弾が発射され、120mmキャニスター弾、36mm砲弾が各機から撃ち込まれる。
深度はともかく、地下茎の広がりはフェイズ2ハイヴの通りである横浜ハイヴ内の戦闘は、特に地下茎内の戦闘で多くの制約を受ける。
そのひとつが、地下茎の直径の小ささだ。 100mも無い、噴射跳躍がまともに使えない程の『狭い』空間なのだ。 だから戦闘はおのずと『広間』に引き込んでの戦闘になる。
だがこれは大型種に限っての話だ、小型種を広間に誘ってしまっては、逆に空間が無くなってしまう―――相手の物量故に。
なので可能な限り、広間到達前で、地下茎内で殲滅する必要が有った。 ただしこちらは地下茎内に入る事は得策でない。
広間から可能な限り複数の射角を取って、キルゾーンを形成する。 対応出来る機数と射線の交差を最大限見込んで、攻撃をかけ殲滅しなければならない。

『リロード!』

『右だ! 右に集中させろ!』

『くそっ! くそっ!』

『馬鹿野郎! ばら撒き過ぎるな! トリガー引きっぱなしだ、貴様! 短い射線を連続して叩き込め!』

『残存BETA数、400を切った! このまま続行!』

リンクさせた、各中隊長機の光学情報を網膜スクリーンに呼び出す。 120mmキャニスター弾で戦車級が数10体、纏めて吹き飛ばされる。
36mmの横殴りの連射は、纏めて小型種BETAを赤黒い霧に変えていく。 各小隊が1機、乃至、2機のエレメントで3方向から射撃を行う。
残る半数は弾倉の補充と、念の為のバックアップ。 攻撃中の3エレメントが弾切れとなると、即座に交替して射線を途切らせる事が無い。

≪CPよりライトニング・リーダー! BETA群1800、SE-04-22からSE-03-21に向け移動中! 
第2大隊から1個中隊が出ます、ライトニングから1個中隊の抽出命令、出ました!≫

『リーダーよりCP、他の状況は?』

≪141の第3大隊担当区に、大規模なBETA群! 約4500! 141第2大隊と陸戦隊32戦隊第1大隊とで殲滅中です。 
他は何とか、落ち着いています、想定外のスリーパー・ドリフトからの奇襲は報告なし。 ただし第4層のBETA群は約4万!≫

『もどかしいな、周囲の状況が判らぬのは・・・よし、佐野! 貴様の中隊、掃討が終わり次第、SE-03-21に移動しろ。 第2と協同だ』

『了解。 中隊、ピッチを上げろ! 途中のS-03-16で補給を済ませる。 殲滅2分、移動に5分、補給に3分だ! 急げ!』










1999年8月5日 1705(現地時間。 日本時間6日 0605) 合衆国ワシントンD.C 駐米日本大使館付武官室


「足が消えているのは、国務長官と国防長官、統合参謀本部議長に国家情報長官か? 他には?」

「首席補佐官に国家安全保障補佐官、同次席補佐官も外に出ている形跡が有りません。 後は財務長官に国家経済会議議長、国連大使とホワイトハウス法律顧問。
この面子の足が消えています。 いずれも事前情報での会合場所に姿を見せていません、既に5時間が経過しています」

「定点観察の結果は?」

「ナンバー不明の、明らかに政府公用車が、護衛付きで5台まで確認しました」

「・・・決まりだな、NSC(合衆国安全保障会議)は明日では無い、今日、今この瞬間に開催されている」

「大使館付情報室(情報省分所。 外務省の情報組織では無い)の連中、動きが消えました。 姿を見せません」

「情報室への盗聴結果は?」

「イタチごっこですな。 あの手この手で、掃除されています。 こちらもそうですが。 特に目新しい情報は拾えませんでした。
それとDIA(米国防情報局)の『お友達』から連絡が途絶えたと、『中継員』から報告が入っております。 恐らくは『掃除』されたものかと。
直前情報ではSFIRA(合衆国航空宇宙軍情報部)が、本土周辺の気象データを受け取ったと。 特に関東南部の過去10年分の夏季気象データを」

「いつの時点だ?」

「1か月前。 判明したのは3日前です、報告は昨日」

「時間は十分にあったな、そしてNSCは今現在・・・ くそ、失敗したぞ、連中は『あれ』を落す気だ」

「・・・5次元効果爆弾、通称『G弾』・・・」

「横浜だ、横浜。 南関東の夏季気象情報の入手、打ち上げられた『極秘』の兵装、DIAの『掃除』、そしてNSCの開催にその議題に上がるだろう戦場!
全てはひとつの事を指し示しているぞ? 横浜ハイヴへのG弾投下だ。 情報省の連中も何か掴んだのだろう、だから飛び回っているのだろう」

「大至急、本国へ連絡します」

「国防省情報本部長宛だ、武官室からダイレクト・インフォメーションだ。 他にも、ここと、ここと・・・それと、ここにも入れておけ」

「了解。 ・・・外務省へは?」

「・・・一応、入れておけ。 どうせ連中、軍人の話など聞く耳は持たぬだろうがな」

と言いつつ、裏では義兄には情報を入れておこうか、とも思う。 義兄は外務省国際情報統括局の、局次長になっていたから。
さて、裏は十分に取れた。 後はこの情報を本国の連中がどう判断するか、だな。 いや、事前に予備情報は入れておいた―――どう決断するか、だ。

「・・・『結果さえ良ければ、手段は常に正当化される』、か・・・」

400年以上昔の、さるイタリア人の言葉だ。 いや、当時の感覚で言えばフィレンツェ人か。

武官室に入ってくる情報でも、戦局は困難の一言に尽きる。 恐らく最前線の部隊は、それ以上の困難さを感じている事だろう。
最早、当初の計画は破綻したのだ。 何よりも情報を―――ハイヴ内情報を得られなかったが為に。 過去の失敗事例に加わろうとしている。

「・・・合衆国が決定するのも、無理は無いか」

このままでは確実に、東アジア全域がBETAの支配権内に収まってしまうだろう。 そうなれば東南アジアと極東シベリアに与える影響が大きい。
合衆国は極東シベリアの後背地であるアラスカ、そして北米大陸への影響を重視しているだろう。 地図を見た、ちょっとだけ想像力のある人間なら判る事だ。

―――『ステイツが、危ない』

市民にそう思わせる事の危険性、それを十分認識しているからこそ、ホワイトハウスは決定するだろう。 何より生き残るために。
そして日本政府は認識すべきだ、『祖国の存亡がかかっているような場合は、いかなる手段もその目的にとって有効ならば、正当化される』と言う事を。

「・・・『弱体な国家は、常に優柔不断である』、ニッコロ・マキャベリ―――400年前の奴でさえ、こう言わしめたのだ。 それから成長が無いとは、情けない事なのだろうな」









1999年8月6日 0630 日本帝国 仙台市 首相官邸


朝早くから首相官邸には、首相の他に2人の重鎮が集まっていた。

「・・・この情報は、確かなのだろうか?」

「国防情報本部は、確度が高いと申しておりますな。 実の所、在米大使館付武官はかなりの遣り手で、切れ者ですぞ、首相」

「ハイヴを攻略出来たとなれば、我が国の国債も更なる追加発行が叶うでしょう。 海外避難民を受け入れている関係各国との、費用交渉にも好材料。
首相閣下、経済は何とか持ち直しましょう。 我が国は未だ、戦えましょう・・・ハイヴを攻略できさえすれば」

「・・・」

「確かに、懸念される事はご尤もです。 事が公表されれば、国民は首相、貴方を支持しますまい。 与党は議会で多数派を保つ事は、無理でしょう。 軍部は如何か? 国防相?」

「一部の馬鹿者どもは、激発しかねませんな。 しかしまあ、主流派の連中は理解するでしょう。 他は国家憲兵隊に委ねますか。
大山さん(奪回総軍司令官・大山陸軍大将)へは・・・まあ、儂から早々に乗り込みましょう。 こちらは経済程に、虹色ではありませんがな、蔵相」

「臨終間際の酸素吸入から、自家発呼吸に変わった、その位ですわ、国防相」

「ですが、まだ戦える」

「そう、それが肝要ですな。 それが駄目ならば・・・日本人は亡国の、流浪の民と化す」

2人の重臣の会話を、目を瞑り黙って聞いていた首相だったが、徐に目を見開き、言い切った。

「・・・この事はお二方、墓の中まで持って行って頂きたい。 私はG弾の投下を容認する、だが公表はしない。
そして米国に対しても、容認を伝える事は無いでしょう。 彼等は直前での急な通告か、或いは事前通告なしに、我が国土でG弾を使用する」

それによって得られる利益―――横浜ハイヴの攻略、それによる軍事的余裕。 その結果での、国際社会からの『経済的信用度』の回復。
更に言えば、対米交渉での切れるカードが増える事。 使い勝手は極端に悪そうだが、使い方によっては有効なカードたり得る。 間違えれば劇薬にもなるが。
そしてそれと表裏を一体とする、国内情勢の鎮静化。 昨年来より続いたBETAの本土侵攻による混乱を、少しでも鎮める事が出来るだろう。
その為には―――我が日本が享受すべき利益の為には、G弾投下の事前情報は、日本は、少なくとも政府は受けていなかったのだ。

「・・・『君主は、悪しきものである事を学ぶべきであり、しかもそれを必要に応じて使ったり使わなかったりする技術も、会得すべきなのである』・・・」

「ほう・・・マキャベリですかな?」

首相の言葉に、蔵相が面白そうな表情で聞いて来る。 どうやら、本当に腹をくくった様だな、と。 そのやり取りに、国防省が自嘲的な表情で言い加えた。

「ふむ・・・『怒り狂った民衆に平静さを取り戻させる唯一の方法は、尊敬を受け、肉体的にも衆に優れた人物が、彼らの前に姿を現すことである』か。
数年後には、尊敬は兎も角、見目麗しく成長されていそうですからな、あの姫君は。 我ながら、偽悪趣味とも思わぬではありませんが・・・」

日本国内閣総理大臣・榊是親。 同大蔵大臣・高橋是明。 同国防大臣・米内充正海軍予備役大将の3人は、無言で頷きあった。

―――我々は、これから悪事を為す。 日本帝国と日本国民、そして皇帝陛下の為に、決して明かされぬ悪事を為すのだ。










1999年8月5日 1745(現地時間。 日本時間6日 0645) 合衆国ワシントンD.Cホワイトハウス

「では、決定だ。 決定した以上、今更の反対表明は許されない。 良いかね?」

「承知しております、大統領閣下」


1755時(日本時間6日0655時)、国防総省より航空宇宙軍総司令部へ、最高度の極秘緊急命令が発せられる。


1805時(日本時間6日0705時) 地球周回低軌道 高度342km 米航空宇宙軍HSST『キャラハン』

「・・・命令受領、確認。 内容確認。 僚艦『スコット』、内容伝達」


1815時(日本時間6日0715時)、国務省より在米日本大使に対し、正式通達。


1845時(日本時間6日0745時)、在米日本大使館より帝国政府へ、緊急暗号電。









1999年8月5日 1550(現地時間。 日本時間6日 0750) 合衆国シアトル


「もう、風は冷たいわよ。 そろそろ帰らない? ジョゼ?」

問いかけに、亜麻色の髪を僅かに振って、否の意志表示をしている。 さっきからずっと、海岸線に立って海の向こうを見つめたままの少女。
その姿に苦笑する、20代前半の女性。 反抗期かな? とも思う。 この娘ももう、13歳になったのねと、時が過ぎるのは早いものねと、そう思う。

「ねえ、ジョゼ。 本当に良いの? バレージ大尉を帰してしまっても?」

「・・・良いの。 どうせドロテアは、お婆様の秘書役なだけだし。 ローズマリーもね。 私はオマケに過ぎないのだもの」

―――あ、何か反発しているわね。 この娘もそんな年頃なのね、初めて会った時は、素直な幼子だったけれども。
アクロイド博士がシアトルに来ていたのは偶然。 偶々の短い休暇でだ。 娘(ジョゼの母親だ)と孫娘を連れて。 2人の国連派遣の秘書役も一緒に。
そして私が偶々に、結婚してこの街に住んでいた、そう言う事。 夫は極東に派遣されている、なので見知った話し相手がいる事は歓迎なのだけれども。

「ねえ、ペトラ。 この海の向こう、日本なのよね?」

「そうね、そうなるわね」

「・・・ふぅ~ん・・・」

「直衛の事、思い出した?」

「・・・知らない!」

―――あら、本当に難しいお年頃だこと。

「ねえ、ご家族とケンカでもしたの?」

「・・・してない」

「じゃあ、どうして急に独りで? 泊める事は別に良いわ、お母様はご承知なの?」

―――黙りこくってしまったわ。 もう、本当にこの娘ったら!

「・・・嫌なの、お婆様やお母様と一緒に居る事が」

「え?」

「何時までも子供だと思って・・・ 私、知っているもの。 直接聞いたのじゃないわ、でも学校のクラスや周りの子達は、研究所の研究員や、職員の子供ばかりなのよ?
私が学校で、何て呼ばれているか知っている? ペトラ? 『破滅の聖母の孫娘』よ! 流石に中学生の私でも、お婆様の研究が何か、とてつもない事だと言う位、判るわ!」

「それで、虐められているの? 学校で?」

「・・・別に。 言ったでしょ、みんな私と同じ環境の友達ばかりよ。 悪し様に言う子なんて、居ないわ」

「じゃ、どうしたの? お婆様の研究の事で、何か悩みでも?」

「・・・7月に、夏休みに入ってからボランティアで、難民キャンプの慈善ボランティアに参加したの。 ちょっとした日用品を受け付けて、それを贈ったの。
その一環で、サイクリング・ツアーにね。 その時一緒だった女の子が、親が敬虔なカトリックで、環境保護団体の活動をしていて・・・」

―――まさか、民間の団体が『あれ』の事を、詳細に把握はしていないでしょうけれど。 何か言われたのかしらね?

「お婆様も変よ、この時期にいきなり休暇だなんて。 毎年、私独りだったのに。 今年に限って、急にお婆様とお母様が一緒だなんて。
大お婆様は、もうお体が大変だから、爺やがずっと付きっきりだけど・・・ ずっと、私は独りだったのに! 今更、何よ!」

―――杞憂だったわね、どうやら少女の反抗期なだけのようね。 でも本当、この年頃の少女の会話は、随分とあっちこっちと・・・人の事、言えないけれど。

でもどうしてかしら? アクロイド博士は、随分と多忙な方だったけれども。 言われてみれば、どうして今頃休暇を? 研究は?
不意に海の向こうを見つめた、何か夫の声がした気がしたからだ。 この向うには夫と、共通の友人がいる国が有る。 今まさに戦っている最中だろう。
無意識に首にかけたロザリオを握り締める―――父よ、天にまします父よ。 どうかあなたの愛を。 私の夫を。









1999年8月6日 0755 国防省より奪回総軍へ緊急電。


1999年8月6日 0805 横浜ハイヴ内第3層


『BETA群の大規模移動を検知! センサー計測不能!』

『CP! CP! 情報を!』

『下がれ! 下がれ! 後退だ、もう防ぎきれん!』

『SW-03-08とSW-03-06で、国連軍の6個中隊が孤立! 直援の2個大隊、壊滅!』

『S-02-06の国連軍3個中隊は、脱出完了!』

『どこだ!? どこからBETAが来ている!? くそう! 判らん!』

『とにかく、上がれ! 第1層まで後退しろ!』









1999年8月6日 0810 地球周回低軌道 高度104km 米航空宇宙軍HSST『キャラハン』


『高度104km、速度25,500km/h ウラジオストーク上空を通過、レーザー照射無し』

『隊司令より『キャラハン』、『スコット』、G弾分離せよ』

僅かに衝撃が走る。

『G弾の分離を確認!』

『艦角度、アップ2度、噴射開始。 周回軌道に復帰する』

『アイ・サー!』









1999年8月6日 0815 旧横浜市南部 第18師団第181戦術機甲連隊本部


「・・・私の責任で解除する。 5科長、綾森大尉、全部隊への情報制限を解いてくれ」

「周防参謀、明らかに命令違反よ・・・?」

「事、ここに至っては、だ。 せめて脱出路は明確にしない事には、生き残っている連中も、喰われてしまう」

「周防参謀、141連隊からです。 14師団作戦課の長門大尉です」

「おう・・・ ああ、そっちは? そうか、同じだ、うん。 判った、海軍にもそう伝える」

「周防参謀?」

「・・・綾森大尉、14師団も合意した、作戦課の長門大尉からだ、『情報封鎖を解除した』と。 海軍にも伝えて欲しい、師団本部にも」

「・・・了解。 5科長権限で、情報解除を行います! 各大隊長機、中隊長機への情報制限を全面解除! 小隊長機への限定解除も忘れずに!」

「「「了解です!」」」

―――さて、どれだけの戦力が逃げ出して来られるか? にしても、独断専行、やっちまったな。
まあ、仕方が無い。 そう内心で呟いた時、米軍リエゾン将校のプリシラ・モードリン・オハマ大尉が血相を変えて駆け込んできた。

『周防大尉! 米軍全地上部隊に、緊急退避命令が出たわ!』

『ッ!? 緊急退避!? どう言う事だ? 西部の阻止戦線はどうなる!?』

『全面放棄よ! 10分以内に人員だけでも横須賀方面へ至急移動せよと! もう戦闘部隊の移動が始まったわ! BETA群は10分もしないで、ここに殺到してくる!』

場が、凍りついた。







[20952] 明星作戦 8話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/10/16 11:02
1999年8月6日 0820 横浜ハイヴ内第2層


「真部、バックアップ! 宮内、美濃、左翼を殺れ! 戦車級だ、他には目もくれるな、後続が始末する!」

『了解!』

『了解です。 美濃! 俺のバックアップだ!』

『はい!』

第2層から第1層へと、突き抜ける様に進む戦術機の一群。 狭い横坑をものともせず、水平噴射跳躍を目一杯かけて突進している92式『疾風』弐型。
先頭の2機が、突撃砲の36mmを薙ぎ払う様に連射する。 後続の2機は、横坑上部から落ちて来る小型種に向けて、やはり36mmの連射を浴びせかける。
1個中隊が小隊毎に縦に並んだトレイル陣形、突破が適うか否かは、第2小隊―――突撃前衛小隊の突破力次第だ。

やがて広い空間―――広間に出る。 途端に四方八方から、急速接近してくるBETAの大群。 それでも陣形は崩せない、そんな大群にかまける余裕は無い。
目前にひと塊になった、戦車級の群れが出現した、距離200。 咄嗟に網膜スクリーン上の兵装選択システムから、36mm砲から120mmキャニスター弾に弾種変更。
高速で突破をかける戦術機の速度が速すぎ、瞬く間に距離が詰まる。 距離150でキャニスターを2連射、鈍い反動と共に目前の戦車級の塊がはじけ飛ぶ。
大きく空いた空間に、脚部のスラスターを偏向させて急制動をかけ、潜り込む。 そこから更に前方へ。 攻撃をかけつつ、ハイヴ内地下茎情報から読み取れる脱出ルートへ。

『周防! ここから南西の方向だ! そちらならBETAの分布が薄い! 古郷! 後ろはまだ大丈夫か!?』

「前方南西方向、下から湧きあがって来ますよ! でもまあ、南東よりはマシか・・・! 畜生! B小隊、突っ込むぞ、続け!」

『後方、距離1200、BETAの団体さんです! もう、≪フラッグ≫も、≪ペガサス≫も、どこに居るのか判りませんよ!』

『ぬう・・・! ≪ライトニング≫はどうした!? 大隊長は!?』

『さっきまで、後ろに居られましたが・・・! ≪ペガサス≫との間に差し込まれて、現在は位置不明!』

「ぬ、うわっ!」

『周防!?』

唐突に、先陣を切っている第2小隊長・周防中尉の奇妙な声に、中隊長・神楽大尉が反応する。 返って来たのは、憤怒に似た周防中尉の声だった。

「前方300、横坑が詰まっています、戦車級! ・・・くそ! 連中、集ってやがる、『陽炎』だ! 軌道降下兵団の連中だ・・・!」

横坑の先、戦車級の群れが小山の様に集っている。 その僅かな隙間から、戦術機の腕部が、脚部が、そして破壊され、転がった頭部が点在していた―――89式『陽炎』だった。
前衛小隊が一瞬止まった。 小隊指揮官の周防中尉と、中隊長の神楽大尉が、網膜スクリーン越しに一瞬視線を交す。 後方の第3小隊長・古郷中尉も無言で頷いた。

「・・・B小隊、弾種、HEAT弾2連射、その後キャニスター2連射。 俺と宮内でHEAT、真部と美濃、キャニスター」

『小隊長・・・?』

『え? HEAT弾?』

周防中尉の命令に、真部少尉と、美濃少尉が訝しげに声を発する。 小型種に対してキャニスター弾は兎も角、HEAT弾など効果が薄い。 
宮内少尉は顔を顰めながらも、予備弾倉からHEAT弾をセットしている。 こちらはどうやら、小隊長の意図を掴んだようだ。

「・・・目標、前方の『陽炎』 道を塞いでいる機体を2機、破壊する」

『ゆ、友軍に砲弾を・・・!?』

『しょ、小隊長、でも・・・! もしかしたら、まだ・・・!』

『・・・いねえよ!』

真部少尉、美濃少尉の動揺に、宮内少尉が吐き捨てる様に言い放つ。

『もう、生きちゃいねえよ! 死んでいる! 喰い殺されるか、運が良ければ機体撃破の時に即死か! あれはもう、友軍じゃねえ! ただの『障害物』だ! ウダウダ言うな!』

若い2人の少尉が押し黙る。 間髪をいれずに、周防中尉が宮内少尉に命令する。

「俺が、右の機体を飛ばす。 宮内、貴様は左の機体を頼むな」

『・・・了解』

お互い、複雑と言うには過ぎる感情が有る。 如何に『国連軍』の臨時指揮下で軌道降下したとは言え、元々は同じ日本帝国軍戦術機甲部隊。
もしかすると、同じ釜の飯を食った同期生が居たかも知れない。 見知った上官、同僚が居たかも知れない。
2人の網膜スクリーンの射撃管制システム、そのレクチアルが僅かに震えながら、ピパーに次第に重なっていく。 
やがて2つが完全に重なり、連続音が長音に―――トリガーを引いた。 120mmHEAT弾が2発ずつ、破損した『陽炎』に吸い込まれた。

戦術機の装甲は薄い。 HEAT弾―――対装甲榴弾を2発も受ければ、機体は内部から破壊され、吹き飛んでしまう。
HEAT弾の直撃を受けた2機の『陽炎』が文字通り吹き飛び、その空間に戦車級だけの群れが現れた。 周防中尉が即座に命令する。

「真部! 美濃! キャニスター! 連中の仇を取ってやれ!」

その声に反射的に反応しながら、半ば茫然とした表情の美濃少尉が、悔しさに顔を歪めた真部少尉が、戦車級の群れにキャニスター弾を2連射、浴びせかける。
狭い横坑で4発のキャニスター弾は、絶大な効果を発揮した。 あっという間に数百体の戦車級BETAが子弾に切り刻まれ、吹き飛ばされ、霧散して行った。

『・・・中隊、移動開始! もう時間は無いぞ!』

様子を見守っていた神楽大尉の声が通信回線に響く。 そう、文字通り時間が無い。 数分前、唐突に復帰したハイヴ内情報制限の解除。
それと共に伝えられた悪夢の様な情報と戦況。 20分ほどでハイヴを脱し、半径10km圏を脱する命令が下されたのだ。
現在第2層。 脱出のリミットまで15分少々、間にあうか? 再び全機が噴射跳躍をかける。 10機―――2機が既に失われている。 健在は第2小隊のみ。

広間から次の広間へ。 その間を繋ぐ横坑を、高速で移動する戦術機群。 先頭を行く周防中尉の『疾風』弐型、その索敵管制システムが、不意にアラート音を発した。

(ッ! アラート! 何だ!? 横? BETA?―――スリーパー・ドリフト!?)

一瞬の数分の一の思考の直後、前方左の横坑壁面が弾けた。

『うおおおお!』

『み、宮内さん!』

「宮内!?」

余りに距離が近過ぎた、そして速度が出過ぎていた。 スリーパー・ドリフトから出現した要撃級BETAの先頭と、宮内少尉の機体が激突した、回避の余裕が無かった。
周防中尉の耳に、通信回路越しに宮内少尉の苦悶の声が聞こえた。 要撃級との激突で、恐らく酷い打撲を被ったか。 あれじゃ、重傷だ。
だが、周防中尉の機体は速度を緩めるでもなく、むしろ最大噴射をかけるかのように速度を増した。 2人の部下の機体がそれに続き、中隊長機や他の機体も続行する。

宮内少尉の機体は、既に後方遥か離された場所で、破損し、動かなくなっていた。

『しょ、小隊長・・・!』

「止まるな、振りかえるな、前に進め! ・・・宮内とあいつの機体が喰われる間は、連中の追撃が鈍る!」

『見捨てるのですか!? 小隊長! ・・・中隊長!』

宮内少尉とエレメントを組む美濃少尉は、動揺している。 周防中尉のエレメントである真部少尉は、必死になって先任の救助を、表情で訴えていた。

『見捨てる? そうだ、見捨てる。 周防中尉の言った通りだ、宮内少尉の『死の間』に、我々は脱出する! 真部少尉、宮内少尉の死の意義を、失わせない為だ!』

中隊長・神楽大尉の言葉に、真部少尉が絶句する。 年若い2人の少尉の言葉への、2人の上官の返答(直属上官は、無言だったが)は、余りに冷酷に感じられるものだった。

『・・・こりゃ、げふっ、む、無理だ・・・機体は動かねえし、肋骨が内臓をやってるぜ・・・がはっ!』

不意に大破した機体の中の、宮内少尉の声が聞こえた。 まだ生きていた―――重傷の様だった。

「・・・宮部、S-11の起爆は、もうチョイ待ってくれよ。 俺達を巻き込むからな・・・」

『・・・無理っすわ、小隊長。 俺の機体、それ積んでねえもん・・・』

「貴様、またかよ」

『スンマセンね、命令違反常習の部下で・・・ 拳銃は、持っています』

通信回線越しに、息苦しそうな宮内少尉の声と、BETAが装甲を齧る音が聞こえた。 要撃級だけでは無い、後方に置き去りにした戦車級の群れの残りも集って来たのだろう。
もう1分もしないうちに、宮内少尉は生きたままBETAに喰い殺されるか、拳銃自決するかの選択肢しか無くなるのだ。 想像を絶する恐怖だろう、人生の最後の時間が。

「・・・貴様のって、45口径だったよな。 なら、脳みそを一発で吹き飛ばせる。 一瞬だ、宮内、一瞬だ」

『最後の気遣い、アリガトさんです。 ・・・最後に朗報をひとつ。 お、俺の機体のレーダーに、げほっ・・・ さっき、大隊長機と、≪フラッグ≫が映りました・・・
がふっ! ・・・はあ、はあ・・・どうやら、同じ方向に、向かっている様ですぜ・・・機数はたったの、6機しか居なかったですが・・・』

咄嗟にハイヴ内地下茎情報を呼び出す。 中隊の進路と、宮内少尉の情報。 第1層のS-01-06広間、この辺りで合流できる!
それにしても、たったの6機とは・・・ 指揮小隊が2機失われ、≪フラッグ≫中隊も2機が失われた時点で、あの破局が訪れた。
それから僅か数分しか経過していないと言うのに、瞬く間に6機の戦術機が―――同じ大隊の戦友が死んだと言うのか。

一瞬の思考。 神楽大尉は死にゆく部下を内心で悼み、個人的に想う上官の無事を願う。 古郷中尉は戦友達の冥福を一瞬のうちに済ませ、次の瞬間、周囲の警戒を始める。

「・・・宮内、もういい」

『・・・世話になりました、小隊長・・・』

途端に、銃声が耳に響いた。 拳銃自決を遂げた宮内少尉の銃の音が、通信回線に流れたのだ。

「・・・もういい、宮内、もういい・・・」

周防中尉は、小さく呟き続けていた。











「器材も、装備も、全部捨てて行け! 人だ! 人員の確保だけを最優先するんだ!」

戦術機甲連隊の本部で、師団参謀の周防大尉が声を張り上げていた。 米軍のリエゾン・オフィサーからの『非公式』通達の直後、師団司令部から同様の正式伝達が為された。
同時に、即時撤収命令も下された。 こちらは20分以内に、ハイヴから半径10km圏以遠に脱出せよ、との命令だった。
連隊本部が有る場所からでさえ、7km程離れなければならない。 しかも、西から米軍部隊が南北に離脱した戦線から、1万前後のBETA群が迫る状況下でだ。

「BETA群はもうすぐ、東戸塚に達する! 時間が無い、CP要員は指揮通信車両に乗り込め! 磯子から鳥浜あたりまで、急行しろ!
整備、補給、医務隊は兎に角トラックでも何でもいい、車輌に乗り込め! 装備を持って行く時間は無いぞ!」

師団本部より、緊急かつ、臨時で撤退作業指揮官に任じられた周防大尉が、混乱を極める連隊本部内を、声を枯らしながら指示を出し続けていた。
元より、指揮通信車両での戦闘管制が主任務のCP将校達は、部下の要員をひきつれて、『各自の』車輌に飛び乗って、猛速で離脱して行く。
他の通信要員、更には整備や補給、医務隊要員達は、師団の差し向けたあらゆる種類の車輌に飛び乗って離れつつあった。
負傷者も、担架に乗せられ、そのままトラックの荷台に乱暴に上げられ、運ばれてゆく。 勇敢な少数の衛生兵たちが、付き添っていた。
重傷を負い、戦死した将兵の回収した遺体は、運ぶ余裕が無かった。 ドッグ・タグを割って回収だけして、戦友の敬礼だけを敬意の代りに、置き去りにされた。

8月6日、0810時、総軍司令部から各軍司令部へ。 軍司令部から軍団司令部、そして師団司令部へ。 信じられない早さで、撤退命令が下された。
各部隊は訳が判らず、だが上級部隊より『大規模破壊兵器が、使用される』との情報に総毛立ち、大混乱と共に撤収を開始し始めたのだ。

「周防参謀! 第1大隊18機、第1層S-01-02広間に到達! ハイヴ脱出まで、あと3分!」

第1大隊CP将校である、江上聡子大尉が大声で知らせて来る。 大隊CP将校だけはまだ、撤収していなかった。 最後の管制を続けていた。

「第2大隊、SE-01-03広間! あと3分20秒!」

「第3大隊、SW-01-02広間! 脱出まで2分50秒!」

第2大隊CP将校の富永凛大尉、第3大隊CP将校の月島瑞穂大尉もまた、『自分の』大隊への、最後の脱出管制を続けていた。
そして3人から報告を受けた周防大尉が、脇の戦況管制ボードを見やった。 3個大隊の脱出は、およそ3分少々で終わる。 
そしてBETA群は、急遽差し向けた軌道降下兵団の生き残り、40機の89式『陽炎』部隊の死闘により、僅かにその速度を鈍らせ、時間的距離で約7分の所まで来ている。

(・・・7分。 陸路での脱出は、無理だ。 このままここで管制を続ければ、途中で喰われる)

「・・・オービット・ダイバーズ、臨編第1大隊! 1号線を確保せよ! 繰り返す、0830まで1号線を確保せよ!
その後は南下、港南台から金沢区まで南下! 旧米軍横須賀基地跡地に集結せよ! 繰り返す! オービット・ダイバーズ臨編第1大隊・・・!」

目前で、連隊5科長の綾森大尉が、最後の阻止戦を張るべく抽出された軌道降下兵団の生き残り部隊へ、戦闘管制指示を出す姿が有った。
0830.まで1号線を確保。 それならばBETAの進撃速度を換算しても、ギリギリ陸路での脱出は適うか。 いや、どうだろう? 突撃級が最大速で突進すれば、危ない。
整った顔を、悲壮感を滲ませて戦闘管制を行う綾森大尉―――自分の妻の姿を見つつ、周防大尉は非常に場違いに思える記憶が蘇り、少しだけ苦笑した。
昨年の夏、京阪神と京都を巡る防衛戦の直前の記憶だ。 彼の上官で有った(今もだが)広江中佐が、夫君の藤田大佐の頬を張った場面に出くわした事が有った。
その直後に、事情を上官から聞いた時は、訳知りなセリフを吐いたものだったが・・・ いざこうして、自分の妻が生死の保障も定かでない窮地に身を置いていると・・・

(・・・藤田大佐の気持ちが、ようやく本当に判った気分だな・・・)

ほんの一瞬だけ、本気でそう思った。 いっそのこと、自分の妻だけ最優先で脱出させたい、そんな誘惑に囚われている事を自覚した。

「第1大隊、最後の横坑に突入しました!」

「第2大隊脱出路の直近、S-31ゲートよりBETA群! 要撃級11、戦車級33体、他小型種40体!」

「ゲート阻止の機甲部隊が居ません! 後退した後です! 自動銃砲座、8割損失!」

全員が戦慄する。 場所は近い、精々が2分ほどでここまでやってくる距離だ。 そしてここにはもう、自衛手段は無い。
全員が一瞬、撤退作業指揮官である周防大尉に視線を集中させた。 だが彼とて、この様な状況で都合良く妙手を出せるものではない。

「周防、連隊付き中隊が残っている。 歩兵だが、ハチヨン(カールグスタフ)も、LAM(パンツァーファウスト3)もある、要撃級はこれで相手をする。
小さい連中は・・・MINIMI(5.56mm軽機関銃・分隊支援火器)で何とかなるだろう。 戦車級だけは心もとないのでな、74式(7.62mm機銃)を降ろしてきた」

唐突な声に振り向くと、連隊長の名倉大佐がハチヨン(84mm無反動砲・カールグスタフ)を手に、現れた。 その姿を見た周防大尉が絶句する。

「・・・大佐、撤退は・・・」

「しとるよ。 主だった幕僚連中は、もう撤退させた。 だがまだ、ここには儂の部下が残っておるからな」

そう言って、少数残ったCP将校と、その直属要員達を見回す。 そして妙に晴れ晴れした表情で、周防大尉に向かって言い放った。

「まあ、満足に連隊指揮もできなんだ俺だが、最後に生き残った部下だけは、逃したい。 流石に戦術機部隊は勝手が違うな、周防。 貴様を折角、寄こしてくれたのになぁ・・・」

「・・・この状況では、誰でも同じだったはずです」

「そうかもしれん、そうでないかもしれん。 ま、判断は他のヒマな奴に任すさ。 でな、大半が女性将校のCP部隊を見捨てるのは、男の沽券に関わる、そう言いおってな」

名倉大佐がちらっと、後ろに控える連隊付き中隊の指揮官を見る。 余り言葉を交した事のない大尉だが、確か予備士官学校出身の歩兵大尉だ、まだ若い。
笑っている。 恐らく、確実に戦死するだろう任務に就くと言うのに。 目が合った、多分、周防大尉より1、2歳若いだろう、20代半ば前と言った所か。

「撤退作業指揮官は、本分を全うして下さい。 自分は、自分達は、己の本分を全うします」

生身でBETAと対峙する恐怖。 特に市街戦では発見しにくく、動きも俊敏な小型種は身近な恐怖だ。 なのに、若い大尉はそう言い切った。
大尉の後ろで、中隊先任曹長が不敵に笑っていた。 同じように、各小隊長達も―――まだ、20歳前後の若者たちもが。

「・・・お願いします、大佐殿」

「願われた、大尉。 おい、ところで俺の部下達は、どこまで脱出した?」

「もう、あと1分ほどで、ハイヴから出てきます」

「そうか。 ・・・随分と、死なせたな。 宇賀神や荒蒔、木伏に、俺が謝っていたと、そう伝えてくれ」

「・・・はっ」

最後にもう一度笑って、名倉大佐は1個歩兵中隊を率いて、連隊本部の西に、『最後の』防衛線を張りに出て行った。
その後の数分の事は、余り良く覚えていなかった。 3つのゲートから次々に181連隊の各戦術機甲大隊が脱出して来た。
定数はおろか、半数の機体を維持している大隊すら、無かった。 最後のハイヴ内のBETAによる奇襲、あれに大半がやられてしまった。

「第3大隊側面、BETA群1600出現!」

『第2大隊だ! 後ろからBETAが約4500! 直ぐ後ろだ!』

「オービット・ダイバーズ臨編第1大隊、1号線を支えきれないわ! 損失増加!」

「14師団141連隊、こっちに向かってきます!」

「141が!? 繋げ!―――181撤退作業指揮官です! 141、こっちは地獄の大釜だ!」

『こちら141! こっちはそれ以上だよ! その声、直衛!?』

「!? 愛姫!? 師団副官部のお前が、どうして!?」

『詳しい話は後で! 圭介が予備の1個小隊を連れて、さっき出撃したけど、たったの3機なのよ! 西は完全にBETAに押さえられたよ!』

「愛姫ちゃん・・? 伊達大尉! 181、綾森大尉です! オービット・ダイバーズの南から!?」

『そう! アメちゃんの抜けた大穴から、わんさかと! 海軍の1個戦術機戦隊が阻止線張っているけど、多分無理! BETAは1万以上! 予想以上に早いよ!』

もう、戦況がどうなっているのか、誰も判らない。 友軍の海軍聯合陸戦師団も大混乱だし、西方に布陣していた第1軍団がどうなったのかも、全く判らなかった。
その時、唐突に米軍の車輌が猛スピードで現れ、急停車した。 飛び出してきたのは、リエゾン・オフィサーのプリシラ・モードリン・オハマ大尉だった。
そして何故か、2名の衛士も同乗していた。 1人は見知った顔、米陸軍第2師団のオーガスト・カーマイケル大尉。

『直衛! 直ぐに南の製油所パースまで行って!』

『プリシラ!? 製油所パース?』

『海軍がLCAC(エア・クッション型揚陸艇)を2隻出すのよ! 製油所パースに! もう向かっているわ、時間が無い! 早く!』

『・・・やられてね、機体が大破した。 何とか脱出したは良いが、部隊に置き去り喰らってね』

急かすオハマ大尉の脇で、カーマイケル大尉が苦笑している。 米軍は被撃破された衛士の救出に熱心だが、それだけで2隻ものLCACを出す?

『ラッキーよ、どこをどう通ったか、奇跡的に海軍の艦隊司令部に、ここの連隊の救助要請が通ったのよ! 私も便乗! この下手糞な衛士もね!』

銃声がはっきりと、大きくなった。 どうやら名倉大佐の『中隊』が、押されている様だ。 時間が無い。

「・・・全員、どの車両でも良い、乗り込め! 製油所パースまで飛ばせ! 米海軍のLCACが待っている、急げ!」

その声に、全員が各車輌に飛び乗った。 指揮通信車両をスタンバイさせていたCP将校達は、最後の管制を行いつつ脱出する。

『第1大隊! 西は無理です! 南西もBETA群が接近中! 横浜港から低空NOEで東へ! 海上を房総半島まで脱出して下さい!』

『第2大隊、第1大隊に続行を!』

『141連隊と合流後、第3大隊は第1、第2大隊に続行せよ! 気を付けて下さい、光線級の所在確認が出来ていません! 高度制限、30です!』

『オービット・ダイバーズ! 脱出せよ! 阻止線維持任務は解除された! 脱出せよ! BETA群は南方に回った! 北部の西関東防衛線に合流せよ!』

西隣に布陣していた14師団の141連隊の残り―――師団副官部の伊達大尉が率いていた―――も合流する。
こちらは管制科や、極少数の整備や医務隊の連中さえいる。 何かの手違いか、脱出手順が狂ったか。
走り去って行く車輌群から、早口の管制指示が聞こえた。 その車輌群を見ながら、周防大尉は並走するジープの助手席に座り、自嘲した。

「・・・『撤退』作業指揮官としては、まだ居残っている連中がいるってのは、なあ・・・」

名倉大佐の『中隊』を振りかえる。 任務はほぼ、完遂したと言っても良い。 米軍は自分達を拾い上げ、安全な場所へ運んでくれるだろう。 予定された0835まで、あと10分。










『南と西に逃げ場は無い! 全機、東への突破口を開くぞ! 神楽! 貴様の中隊でこじ開けろ! 佐野、羽田! 貴様らは神楽の後に続け! 突破口を拡張しろ!』

ハイヴから地上に脱出したは良いが、周りは一面、BETAに埋め尽くされていた―――衛士達はもう、どんな悪夢も、悪夢と感じられなくなる程、疲弊していた。
隣接する区域で第2大隊が、僅か17機が残った戦力で、数千のBETA群の壁をこじ開けようとしていた。 それに第3大隊と141連隊の2個大隊が続く。

『宇賀神さん、そっちも手荒くやられたな』

網膜スクリーンから、かつての同僚で有る141連隊先任大隊長の、岩橋中佐が呼びかけてきた。 141も酷い有様だった、旧35師団生き残りの第3大隊は、全滅した。
残った第1、第2大隊も、半数以上を失っていた。 全ては最後の最後で、BETA共にしてやられた結果だった。 今や2個連隊で、健在な戦術機は80機もいない。

『やられたよ、最後の第3層から第2層で、決定打を打たれた。 そっちも似た様なものか―――海軍は?』

『さっき、這い出てきたのを見かけた。 だが、BETAに差し込まれて以降は所在不明だ。 何とかするだろう、連中は連中で。 こっちと同数は残っていたようだ』

先頭を切る神楽大尉の第1中隊が、吶喊をかけた。 第2大隊の第2中隊―――『吶喊娘』の美園大尉の中隊、それに第3大隊の摂津大尉が指揮する、第3中隊と共同で。
2方向から、一箇所に集約するように攻撃をかける。 BETA群の『壁』が、徐々にひび割れ始めていた。 半数強に減った3個中隊だが、更に突破の勢いを増す。

『悲惨なのは、突入機動大隊か・・・ 200機余りの内、3割しか残っていない計算だ。 30機はこっちの後ろに付いているが、残りは?』

『多分、海軍の方だ』

しかし一番悲惨なのは、国連軍の『極秘計画部隊』の直援に回された連中だった。 第3層で奇襲を受け、各々が完全に孤立した。
今尚、ハイヴ内で孤立している。 もう脱出は不可能だ、助ける余地は失われた。 2個大隊がじりじりと、全滅に向かってハイヴ内で勇敢だが、虚しい苦戦をしている。
同時に、例の『極秘計画』の専属部隊が6個中隊、同じ場所で孤立していた。 合計で4個大隊、突破は出来ないのか?―――出来なかった、数万のBETA群に進路を阻まれては。

『ステンノBよりソードB、フラガB! 正面の要撃級だ、20体! あれを潰す!』

『ソードB了解! 確かに、あれは蝶番だ。 あそこを突破しなきゃ、海上に出れないぜ!』

『フラガBも了解! つっても、こっちは2機だけだ、八神さん、組んでくれ!』

22中隊・八神中尉、11中隊・周防中尉、33中隊・蒲生中尉の各突撃前衛長達が、咄嗟に『壁』の突破口を見出し、攻撃に移った。

『おう、こっちも2機だけさ・・・下手打ち過ぎだ、2人死なせちまった。 蒲生、そっちは鳴海だけか?』

『そうっす。 周防の所がマシか、真部と美濃が生き残っている!』

『こっちも、先任の宮内を死なせた! 八神さん、蒲生! 先頭任せていいか!? こっちは新米込みの3機だ、バランス良く無い!』

22中隊B小隊と、33中隊B小隊は、それぞれ残存2機。 11中隊B小隊が3機。 合計7機の突破力、甚だ心もとない。

『しゃあねえ、こっちも先任の前崎を失っているが・・・おい、及河(及河奈緒少尉)! ケツについて来い!』

『周防、バックアップ頼むぞ! 鳴海、先任の意地、逝った連中に見せてやれ!』

『了解! エレメントを失って、意地もクソも無いですが!』

『バックアップ、了解! ヤバいぜ、本当に! 核かなんか知らんが、リミットまであと5分!』

背後から、各中隊の後衛小隊から誘導弾が撃ち出される。 前方に着弾、要撃級は余り損害を受けていないが、周囲の小型種は見事に吹き飛んだ。
そして各中隊の左右後衛小隊の生き残りも、一気に距離を詰めてきた。 流石に定数大幅割れの突撃前衛小隊だけでの突破は無理と、各中隊長が判断したのだ。

3個中隊で20機弱の戦術機の群れが、一気にBETAの群れの中に突入した。 先頭集団は見事な多角機動で要撃級の間をすり抜け、高速接地旋回での攻撃を交し、砲弾を叩き込む。
後続集団はその後を、拡張する様に左右に攻撃を仕掛ける。 やがて徐々にBETA群の『壁』がこじ開けられようとしていた。 その隙を、各大隊長達は見逃さなかった。

『よし、全力攻撃だ! 全ALM発射!』

『181に続け! 141残存全機、突入せよ!』

『先鋒に続け! 何としても突破するんや、ええな!?』

80機に近い戦術機が一丸状態になって、脱出ゲートの旧山手付近から一気に海岸線に向け、突破を図る。

『ソードB! 左から要撃級、行った!』

『やばっ! 気を付けろ、真部! ・・・真部!』

『ひっ! ぎゃ!』

廃墟の陰の至近から、突如現れた要撃級の前腕の一撃を、まともに管制ユニットに受けた11中隊B小隊の真部紗恵少尉機が、吹き飛ばされるように別の廃墟に激突して停止する。
一瞬目を瞑った上官の周防中尉が、次の瞬間ポジションを修正して部下にも伝える。 もう、部下は―――真部少尉は救えない。 宮内少尉の時と同様に。
部隊は猛速で、脱出ポイントに向けて高速移動中だ。 損傷機の確保など、そんな余裕は無い。 大隊長、中隊長もそう命じていた。

『美濃! 何が有っても、俺から離れるな! 絶対に離れるな!』

『りょ、了解!』

先に首都高の残骸が見えた。 あの向うが海岸線だ、脱出ポイントだ。

≪デリング11、デリング12! 引き返せ、命令違反だ!≫

不意に別部隊の通信が聞こえた、混線しているのか? 対するデリング11、12と呼ばれた機体の衛士の声は、良く聞こえなかった。

(・・・どこの物好きだ? 引き返せ? まさか逆襲しに行っているんじゃ、ないだろうな? だったら、そいつは勇敢でも何でもない、戦況の見えない、只の大馬鹿だ!)

人の事は言えないか。 ハイヴ内じゃ、スリーパー・ドリフトへの警戒が薄れた。 さっきは市街戦なのに、周囲の警戒を怠った。

(・・・そのお陰で、2人死なせた! 俺が、死なせた!)

やがて旧光菱の工場跡が見えた、その向うに東京湾。 更に減じて70機強になった141、181の2個戦術機甲連隊の生き残りが、一斉に超低空NOEで洋上へ脱出した。

―――タイムリミットまで、あと3分。













『本当に、どうにかしているよな、お前も。 よりによって、バッタ(歩兵の陸軍内の通称)の真似事かよ?』

轟音と共に、1機の92式『疾風』弐型が接近して来た。 エンブレムから14師団所属機と判る。 それ以上に、その声で誰か知れた。 
随分と機体にBETAの体液がこびりついている。 格闘戦は余りしない奴だったが? 単眼式の簡易ヘッドセットの網膜スクリーンに現れた姿―――14師団の同期生の姿が有った。

「いいよな、お前は。 戦術機に乗れて」

『役得。 それよりどうだ? 1機でも戦術機が居た方が、心強いだろう? それが3機だ、喜べ、敬え、感激しろ』

「と、言っておりますが、大佐殿?」

「・・・貴様らの様な大馬鹿者、見た事が無いわ!」

『生憎、この調子で生き残ってまいりましたもので―――14師団作戦課、長門大尉であります、大佐殿』

製油所パースの一角で、『半個中隊』の歩兵部隊と、1機の戦術機が押し寄せるBETA群を相手に、絶望的な防戦を繰り返していた。
途中で参戦した14師団の長門大尉率いる3機の92式『疾風』弐型の援護で、名倉大佐の『中隊』は全滅を免れた。
そしてその援護の元、製油所パースまで後退して来たのだが、LCACの安全圏離脱の為に、どうしても最後の防戦が必要となった。
そこで中隊はギリギリの場所で、阻止線を敷いた。 脱出する筈の周防大尉や、長門大尉の率いる3機も合流して。

―――あと1隻、米海軍がLCACの都合を付けて呉れる手はずだったのだ。

長門大尉の機体から、突撃砲が火を噴いた。 接近して来た数10体の小型種BETAが、一気に殲滅される。
同時に水平噴射跳躍をかけ、迫って来た要撃級の集団、その内の2体に急接近する。 直前でスピンターンをかけ、急速で側面を取り36mmの連射で2体を始末する。

『戦車級以外の小型種は、これで終いです! 戦車級も・・・これで終わり!』

120mmキャニスター弾を浴びせかけ、残った20体程の戦車級BETAの群れを片付けた。 後は要撃級が9体。

『ちとホネですが、殺れない数じゃないな。 誘導しますから、2、3体をハチヨンとLAMの集中射撃で仕留めて下さい。 残りは自分達が仕留めます』

「任せろ、長門大尉。 ・・・周防? 何をしている?」

指揮所(の代わりの廃墟)から長門大尉に向かって了解した名倉大佐が、横でヘッドセットを弄くりながら、難しい表情をしている周防大尉を振りかえって問いかけた。

「・・・長門大尉、貴様、6000体のBETA群相手に、3機で押さえる自信、有るか?」

『無い。 戦況に変化が?』

3機がシザースをかけ、ほぼ同時に4体の要撃級を左右から砲弾を浴びせかけ、始末する。 同時に背後を見せた3体の要撃級に対し、廃墟から10数発の対装甲弾が発射された。
脆弱な背後に対装甲弾の直撃を(それも何発も)受けた要撃級が、体液を撒き散らし、地響きを立てて倒れる。 その挙動に勘づいた残りが接地旋回をかけるが・・・

『―――それだと背後が、ガラ空きになるな。 これで終いだ!』

長門大尉の指揮する3機の戦術機から放たれた36mm砲弾が、残った要撃級の後部胴体に吸い込まれ、幾つもの弾痕を残して全ての要撃級が地に倒れた。

「常に変化している。 ウチの第1大隊の通信を傍受した、ハイヴ内から3万以上、4万未満のBETA群が湧き出てきた。
一部がこっちに向かっている、約6000前後。 こっちの戦力は歩兵半個中隊に、戦術機が3機―――なあ、圭介。 こんな状況、過去に有ったか?」

『無い。 最悪だな』

周防大尉の声が乾いている。 これっぽっちの戦力で守る拠点に、6000ものBETA群。 過剰殺戮も良い所だ、連中、自分と気前がいい。
BETAの残骸を見詰めながら、向かってくると言うBETAの大群の方向―――横浜ハイヴの方角を見ながら、長門大尉も乾いた声で言い返した。

「ふむ、もう脱出は不可能か? ならば長門大尉、貴様は離脱しろ。 14師団の貴様をここで死なせては、面目が立たんからのう」

『生憎と、LCACが安全圏に脱するまで、ここで頑張ってみます、名倉大佐。 光線級が居ればヤバいですし。 あ、部下達は脱出させます、これは自分の我儘ですので』

「・・・理由は?」

そこまでして、死守する理由は? 師団参謀ならば本来は、もうずっと前に脱出して居て然るべき。
予定では、米海軍のLCACが到着するのは5分後。 タイムリミットを若干過ぎているが、こう言う事は大体、数分の余分を見ているものだ。
何とかギリギリ、脱出できるかどうかの瀬戸際。 そんな場面に付き合う事は無いだろう。 もう西方は完全に脱出不可能、ルートはこの横浜港南部から、海に出るしかない。

『馬鹿な爆弾娘が・・・もうそんな年じゃないですが、まだ安全圏に達しきっていないようで。 よりによって、最後のLCACに乗船している様でして』

「長門大尉、貴官の相手か? 婚約者か、何かなのか?」

『その予定です―――周防大尉、笑うな』

澄ました表情だった長門大尉が、少しだけ顔を赤らめて周防大尉に文句を言う。 お互い、親友と言える同期生―――それ以前からの付き合いだ、ポーズも取れやしない。

「済まん。 だが、有難う、長門大尉。 俺の妻も、よりによって、付き合って残っていた様だ」

『お仕置きだな、後で』

「・・・全くだ」

さて、LCACが安全圏に達するのが先か。 6000体のBETA群、恐らく光線属種も居るだろうBETA群が殺到するのが先か、それもこの2、3分で始末がつく―――その時だった。


≪This is USSC(US SPACECOM:合衆国宇宙軍) We notify all-units in the war area!(こちら合衆国宇宙軍! 戦域内の全部隊に告ぐ!)≫

唐突に、全周波数域に強力な通信が割り込んできた。

「・・・USSC? 米宇宙軍が?」

「何事だ?」

『くそ、こっちの通信周波数帯まで押さえられている、司令部との通信が効かない・・・?』

≪Evacuate immediately! We have decided to use the new anti-hive weapon! Repeat! Evacuate immediately!≫

その声を聞いた周防大尉と長門大尉、そして少しでも語学に通じていた将兵は、顔色を変えた。

「即時撤退? 新型の・・・対ハイヴ兵器?」

「核じゃないのか? 戦術核とかじゃ? あれなら爆心から4kmも離れていれば、助かる可能性が有る・・・」

「ヤバいヤツ、なのか・・・? 米国の、新兵器?」

皆が口々に、異様な不安を表していた。 中でも周防大尉の顔色は、土色に近かった―――歴戦の大尉が、完全に血の気を引いていたのだ。

「やりやがった・・・G弾、だ・・・」

「周防、何だと? G弾? あの『五次元効果爆弾』と言われるヤツか!? まさか、本気で帝国本土に落すと言うのか、米国は!?」

「もう、投下されています、大佐! 全員、どこでも良い、物陰に身を隠せ! 体を固定しろ!―――圭介! 戦術機、対衝撃姿勢防御! BETAを気にするな!」

『BETAどころじゃない、か! 各機、対衝撃防御姿勢を取れ! 何か判らんが、兎に角身構えろ!』

周防大尉の声に、全員が廃墟の中のどこか―――階段の陰、部屋の片隅―――に身を寄せる。
丁度周防大尉と同じ場所に飛び込んできた名倉大佐が、顔を近づけて周防大尉に怒鳴った。

「周防! 貴様、『アレ』について、何か知っているのか!?」

「全容は知りません! ですが、国連軍時代に『アレ』に関する、著名な研究者の警護を務めました! その際に、少しだけ!」

「何と!?」

「実用化される時は、有効半径の制御が可能になった時だと! そして有効半径以外に効果は及ばない筈だと!
しかし、その後に『爆心』に向けて、急激な大気の流入が有る可能性が! もしかすると、FAEBの逆パターンが!」

FAEB―――燃料気化爆弾による被害の大半は、急激な気圧変化による内臓破裂や、急性無気肺に、一酸化炭素中毒と酸素分圧の低下による合併症、それによる窒息死である。
周防大尉の聞き及んだ限りでは、恐らく『爆心』内部は異常な低気圧化となっている可能性が有る事。 それによって周囲から大気の流入が、勢いよく生じる可能性が有る事だ。

「ガスマスクは無いぞ! それにこんな海の近くだ、海面上昇は!?」

「有っても無意味です! 可能性は有ります!」

2人して身を縮こませる、生きた心地がしなかった。 今している事は、『G弾』の有効半径外だと言う事が大前提だ。 もし半径内だったら・・・戦死者リストの仲間入りだ。
頭部は『ライナー(88式鉄帽)』で保護している、同時に両手を膨らませて合せ、口元に充てる。 生き埋めになっても、呼吸を可能にする為の方法だ。

≪・・・Repeat! Evacuate immediately! We have decided to use the new anti-hive weapon!・・・≫


唐突に、凄まじい圧力を伴った衝撃波と、呼吸すら出来ない程の暴風が吹き荒れ、襲い掛かって来た。





1999年8月6日0810、米宇宙軍は地球周回低軌道高度104kmで、2隻のHSST『キャハン』、『スコット』から、2発のG弾を軌道投下する。 

1発目は6日0838時、横浜ハイヴ上空256mで臨界制御を解放させた。 続く2発目はそれに遅れる事7秒後、高度242mで臨界制御を開放させた。





[20952] 明星作戦 最終話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/10/24 22:40
『いったい、何を投下してしまったのか。 100年生きても、この数分間を忘れられないだろう』(1999年8月6日 G弾を投下した合衆国宇宙軍HSST『スコット』航法士官の覚書)

『わが軍の右翼は押されている、中央は崩れかけている、撤退は不可能だ。 状況は最高、これより反撃する!』(1999年8月6日 日本帝国陸軍第13軍団長訓示)

『俗語を使いまして恐れ入りますが、ジリ貧を避けんとしてドカ貧にならぬよう、臣、愚考の次第でございます』(1999年8月6日 日本帝国首相・榊是親 宮中参内において)

『いつから将校が、兵士より先に逃げていいことになったのかね?』(1999年8月6日 BETA群前面にて 米第2師団のとある歩兵大隊)

『全滅? 全滅とは何だ! お前と俺が、生きているじゃないか!』(1999年8月6日 日本帝国陸軍第1師団。 BETAの攻勢に晒された機甲大隊で、大隊長が部下に対し)










1999年8月6日 1230 旧横浜港南部 製油所パース跡地付近


爆音が聞こえる。 戦術機のそれじゃ無い、航空機のモノとも違う。 短い連続した破裂音の様な―――あれは、ヘリの爆音だ。

「・・・南から聞こえます。 どうやら友軍です」

瓦礫の隙間から外を伺っていた歩兵中隊長の大尉が、耳を傍立てる仕草で言った。 枯れた声だ。

「・・・の、様だね。 米海軍や海兵隊なら、東か南東からだろうしな」

立ち込める埃を払いながら、自分の声色もまるで変わらないな、そう思った。 何だ、情けない。 戦場に身を置いて、もう何年が経ったと思っている。

「・・・ヘリを飛ばしているって事は、光線属種が居ないってこと・・・なんでしょうかね?」

「・・・流石に、連中が確認されている空域で、ヘリを飛ばすほど帝国軍は外道じゃないだろうさ。 さっきまでUAVがブンブン飛んでいた、ウラは取ったのだろう」

そうは言うものの、自信は無い。 何せ、4時間ほど前までは数万単位のBETA群と、ハイヴ内で、そして地上で、凄惨な殲滅戦が展開されていたのだから。
だがこの数時間が、奇妙な程の静けさだと言う事は判っている。 何しろ、未だにこうして生きている事自体、不思議で仕方が無いのだから。
改めて廃墟と化した、建物の周辺を見回してみる。 へし折れ、ひん曲がって倒壊した石油パイプライン、内部から破裂した様な損傷のタンク群。
様々な用途の建物が、倒壊し、亀裂を作り、中には基部からごっそり吹き飛んだ場所も有った。 飛び散って散乱したコンクリートの塊に、むき出しの鉄骨。
その中で、奇跡的に倒壊もせずに済んだ、防御拠点にしていた鉄筋コンクリートの建物の内部を見る―――外と、余り変わらない。

『・・・直衛、聞こえるか?』

ヘッドセットから、音声のみが流れた。 圭介だ。 倒壊した建物の残骸の直撃を脚部に受け、大破した戦術機―――『疾風』の管制ユニットからだ。

「聞こえる。 何か掴めたか?」

『ようやく、索敵システムが生き返った、一部だけどな。 活動中のBETAは、半径2km以内には居ない。 
吃驚だ、あれほど居やがったのにな・・・ それと、『イロコイ』が3機、こっちに向かっている。 救助隊の連中だ』

3機いた戦術機は、全て大破か中破だ。 『あの』衝撃が収まった後、圭介を含む3名の衛士達は、機体を捨ててこちらに合流した。
今は何とか、アビオニクスだけは大丈夫そうだった機体で、システムを辛うじて立ち上げ直し、周辺索敵をしていた所だった。
その報告に、歩兵中隊の大尉と顔を合せ、2人して銃を手に取る。 余り好きではない91式カービン(91式騎銃)だが、他に無いから仕方が無いか。
倒壊寸前、と言った感のある建物の壁からそっと外を伺う。 動くモノの気配は無し、背後の大尉に合図して、向うが寄ってくるまで警戒する。

「どうやら、本当に居ない様だな・・・」

「周防参謀、レーダーを過信しない方がいいです。 兵士級や闘士級なんかは、隠れていたら、レーダーなんて『ざる』には、引っ掛かりませんから」

「了解した」

ここはひとつ、歩兵戦闘のプロの言を守るとしよう。 所詮、俺の本職は戦術機乗りだ。 白兵戦のプロの経験と実績には、及ばない。
大尉が更に背後から部下を呼び寄せる。 1個小隊程の兵隊たちが、プロならではの動きで、隙無くにじり寄って来た。

「1班、北。 向うの倒壊した建物・・・あそこの北端のライン。 2班、東、破裂したタンクの奥。 3班、西、ひん曲ったパイプライン」

部下の各分隊に、警戒線の指示を与えている。 不敵な面構えの下士官に率いられた、地上戦闘のプロ達が、素早く移動して行く。

「4班、ここで確保とバックアップ。 伍長、3名連れて続け。 1名は参謀の護衛だ」

まだ若い伍長―――20歳を越したばかりだろう―――が、1人の若い兵隊を指名して、俺の『護衛』につけた。
内心で苦笑する。 戦場に出て、既に7年が経った。 今更、新兵の様に心配される事になろうとは。 だが、白兵戦では俺は、本職の2等兵より役立たずな事は確かだ。
もう一度、圭介が乗り込んだ機体を見る。 向うにも2個分隊程の兵隊たちが、機体に張り付く様にして周辺を警戒している―――あいつも、俺と同じだ。

「・・・そう言えば、改めて聞く事じゃ無かったかもしれないが・・・君の名前は?」

振りかえって、バツの悪い気分を覚えながら、歩兵中隊の大尉の名前を聞いてみた。 余り接する事のない相手だったから、顔を覚えていても、失礼ながら名を失念したのだ。
最初はキョトン、した様子だったが、やがて得心したのか大尉は、そんな俺の失礼にも、特に気を害した様子も無く、その大尉は僅かに笑って教えてくれた。

「佐嶋。 帝国陸軍大尉、佐嶋智彦です。 前橋陸軍予備士官学校、甲幹(甲種幹部候補生)67期です」

「そうか。 俺は・・・礼儀だな、名乗っておくよ。 帝国陸軍大尉、周防直衛。 各務原衛士訓練校18期だ」

甲幹の67期か、だったら大尉進級は確か今年の春だったな。 強いて言えば、衛士訓練校の20期B卒と同時期か。 かつての部下、摂津大尉の半年後任になるのか。

「訓練校の18期ですか。 来年の今頃は、少佐殿ですかね?」

「まだ、早いよ、それは―――おい、どうだろう?」

「・・・行けます。 付いて来て下さい、周防参謀。 よし、行くぞ!」

先頭に大尉、その後に伍長。 1人置いて俺で、後ろを若い兵長に守られながら、姿勢を低くして、銃を構えて機体近くまで走りよる。
周囲は瓦礫の山に覆い尽されている。 かろうじて、破損した3機の戦術機が有る場所だけが、30m四方ほどの広がりを持っているに過ぎない。
皆が自動小銃、違う、カービンを前方に向けながら、警戒姿勢で周囲に銃口を向けている。 佐嶋大尉の言う通り、戦術機のレーダーでは瓦礫の中の小型種までは探知できないだろう。

先程居た瓦礫を南端とし、北・東・西に警戒線を作る。 真ん中に広さを持つスペース、1人の下士官―――軍曹だ―――が、中央で発煙筒を焚いた。
赤い煙が勢いよく立ち上る、そして時間にしてほんの10数秒後だが、ようやくヘリ隊との交信が出来るようになった。 戦術機経由でだが。

≪こちら、百里救難隊。 発煙信号を認む―――所属、官姓名を≫

ようやく、4時間孤立した後でようやく、救難隊が来てくれた。

「第18師団第181戦術機甲連隊、連隊長他、連隊付き中隊、師団参謀1名。 他に第14師団第141戦術機甲連隊が3名。 連隊付き、佐嶋大尉だ」

隣で佐嶋大尉が、レスキューと交信を始めた。 百里の救難隊か、連中、こっちに引っ張られていたのか。
やがて爆音が大きくなってきた、その方向を見てみた―――見えた、『ヒューイ』だ。 陸軍でも使用している、UH-1J『イロコイ』が3機。
低空侵入してくる、高度は100と言った所か。 どうやら本当に、光線属種は近辺に居ない様だな、救難ヘリを飛ばしていると言う事は。

「岸壁から奥に、30m四方をLZ(ランディング・ゾーン)で確保している。 現在、対小型種BETA警戒中。 重傷者7名、軽傷者6名、他14名、これが全てだ」

連隊付き中隊は、総数250名余。 BETAとの交戦で200名以上が戦死し、『あの』衝撃波の余波で瓦礫の下敷きとなり、20数名が圧死した。
連隊長の名倉大佐は、負傷した。 崩れてきた壁が直撃したのだ。 運が良いのか、悪いのか、俺は大佐の下になって直撃を免れた―――運だ、後ろめたいとは、思わない。

≪ラジャ。 ただし、その場所じゃ、1度には降りられない。 まずは重傷者を運び出す≫

UH-1Jは全長17.44mに、回転翼直径が14.69mだったか。 諸々考慮すれば、一度に1機のランディングが精々か。
やがて1機のUH-1Jが、我々の頭上に侵入して来た。 バランスを取りホバリングしつつ、徐々に高度を下げて、ランディングする。
ヘリの扉が開かれ、担架を担いだメディック(救難隊員)が2名、飛び出してきた。 佐嶋大尉がゼスチャーで南の廃墟を指さす、爆音でまともに声が聞こえない。
その間にも、警戒分隊は周囲に厳しい視線を送り、小型種を警戒していた。 やがて廃墟から、重傷者の最初の要救(要救助者)が運び出される。
それに続いて、4班の連中の肩を借りて、何とか歩ける連中が廃墟から出てきた。 皆、重傷者だ。 軽傷者は全員、警戒任務に付いている。
すれ違いざま、担架をチラッと見た。 名倉大佐だ、まだ意識が戻らない。 衛生兵の応急処置だけで4時間強、駄目かもしれないな・・・

重傷者を全て乗せた最初のヘリが、LZから離陸した。 入れ違いざまにもう1機が、LZ向かって着陸して来た。
中隊の中で、佐嶋大尉以外で、唯一生き残った将校である若い歩兵少尉が、3班・12名を率いてヘリに乗り込んだ。 離陸して行く。

「・・・やれやれ、生き残った事が信じられないな」

戦術機から降りてきた圭介が、近づいて来てこぼす。 その言葉には、多いに賛同したい。 全くもって奇跡か何かだろうか? 戦死を覚悟したのだから、あの時は。
周囲を見渡す。 衝撃波や突風であちこちが倒壊し、破損してはいるが、火災も起こらなければ、爆発も無かった。 ただ、瓦礫の山なだけだ。 ここに4時間、閉じ込められた。

「ガイガー・カウンターが有りませんから、放射能云々は判りませんが・・・ 少なくとも、屋上で部下に周囲を確認させた所では、熱線被害は認められませんでした。
それに伴う火災も無し、2酸化炭素中毒に陥った者も居ない。 ただし、1km程先は何も無くなっていた様ですが。 それこそ、消滅したかの様に」

佐嶋大尉が寄って来て、観測結果を教えてくれる。 同時に探る様な視線を感じた。

「・・・本当に、俺が知っている情報は断片的なんだよ。 G弾の仕組みや効果なんてのも、聞かなかったしな」

「ま、良いんじゃないか? 俺達は生き残った、そして脱出する。 これ以上、何を望めと?」

圭介が横から口を挟む。 そうだな、そうだ、生き残ったのだ、俺達は。 これ以上、何を望むと言うのだ?
思い出す、あの瞬間を。 まるで質量を持ったかのような突風、呼吸も満足に出来なかった。 息を止め、体を丸くし、通り過ぎるのを待った。
色んな大音声、頭上に倒れ込んできた名倉大佐、舞い上がる粉塵。 30秒程も息を止め、目を瞑っていただろうか?
ようやく『圧力』を感じなくなり、目を開け、両手を併せた奥の口を開いて、呼吸が出来るようになった。 
瓦礫の隙間から這い出した場所で、周囲を見回した。 崩れた天井や壁、あちこちから苦悶の声が聞こえた・・・

軍服はボロボロ、あちこちが破け、裂けている。 顔や手には、小さな幾つもの裂傷。 大丈夫、大した傷じゃ無い。 顔は粉塵に煤けている。
そして、最後のヘリがランディングしてきた。 佐嶋大尉が残った全員に、ヘリへの搭乗を命じる。 兵が乗り、下士官が乗り、最後に佐嶋大尉と圭介、そして俺が搭乗した。
ふわっとした浮遊感、ヘリが離陸したのだ。 そして低空を急速に、岸壁から離れて行く。 もう、下は海面だ。 あの廃墟が遠ざかって行く。
少し高度が上がった様だ、旧横浜市内中心部が見えた―――何も、何もかも、無くなっていた。 廃墟も、そして畏怖さえ感じた、あの『モニュメント』さえもが。

胸中が晴れない。 先程、機長から簡単な状況説明が有ったが、どうやら勝てるかもしれない。 だが、胸中が晴れなかった。 横に座る圭介も、似た様な表情だ。
92年の初陣以来、一体どれだけの戦場を往来しただろう。 一体どれだけの戦友を、失っただろう。 一体どれ程、己の死を覚悟して来ただろう。
昔、北満州で微かに見えたモニュメントを見て、闘志をかき立てた事が有った。 そして今回、畏怖さえ感じた『それ』が、すっぽり無くなっている―――胸中は晴れなかった。


―――横浜ハイヴが、遠ざかって行った。










1999年8月6日 2050 日本帝国軍『奪回総軍』司令部 神奈川県三浦半島 旧三浦市内


『BETA群、約1万4200 松本盆地を旧松本市から大町に抜け、北上中』

『佐久から小諸方面に向け、BETA群1万1800が北上中。 山形の第6軍団(3個師団基幹)が、新潟との県境を越しました』

『東海軍管区の第15軍団より入電。 『天竜川防衛線東岸の阻止、成功セリ。 撃破したるBETA、約3800』、以上です』

『西関東防衛線の第4軍団、第17軍団より入電。 『横浜ハイヴ周辺にて活動停止のBETA個体数、約2万2000。 念の為、全て撃破済み』、以上!』

『最後尾のBETA群、約1万8000、諏訪に達しました。 予想進路、松本から大町、糸魚川に抜けると想定されます』

『第8、第16、第18軍団、国連軍のインドネシア第3軍団、韓国第2軍団、追撃戦続行中。 北部軍管区、中部軍管区、臨戦態勢に入りました』

『海軍第1艦隊、遠州灘を高速航行中。 西に向け、突進しています』

『統帥幕僚本部より連絡です、7時間前に大湊を出港した海軍第2艦隊は、日本海を高速南下中』

次々に報告が入る。 あれからかれこれ12時間、戦況は一時の奇妙な停滞を脱し、明らかに優位に推移していた。 だが、司令部内の空気は重い。
ひとつは、奪回総軍司令官・大山大将がまったくの無言を貫き通している為だ。 無論、必要な指示は出す、承認の為に頷く事も有る。
だがそれ以外、目を瞑り、厳しい表情で口をつぐんだままなのだ。 先程、『祝辞』を述べに来た国連軍の某高級将校が、その威圧感に、ほうほうの態で逃げ出していった。

「・・・北部、南部防衛線の各部隊損失は、概ね想定内に収まりました。 現在、大半が追撃戦に移っておりますが、追撃戦での損失は僅少であると」

参謀長が、敢えて抑揚のない声で報告する。 それがまた、場の雰囲気を固まらせるのだ。

「西関東防衛線、各部隊の損失僅少。 海軍の損失は、第2次報告では本作戦以降の沈没艦無し。 
レーザー照射を受けた大型巡洋艦『三隅』が中破した以外、目立った損害は無いとの事です」

その報告に、大山大将が変わらず無言で、目を瞑りながら頷く。 だが次の報告で、様相が変わった。

「・・・ハイヴ突入部隊の損失状況ですが。 軌道降下兵団6個大隊、損失171機、残存45機、損耗率79.2%・・・」

―――その言葉で、一瞬で、場が凍った。 参謀長の報告が続く。

「突入機動大隊群17個大隊、残存168機、損失444機、損耗率72.5%・・・」

軌道降下兵団と、ハイヴ突入機動大隊群で、定数828機の内、損失615機。 損耗率は74.3%に達した。

「戦域確保任務の第1軍団、第13軍団、そして日中台連合軍団の我が軍第7師団、損失は15%から18%・・・ 戦闘部隊の50%から60%を失いました、『全滅』です」

師団戦力の中で、戦闘部隊の比率は現在では概ね30%程になっている(他は各種支援部隊が大きな比率を占める) 
師団損失15%と言うのは、戦闘部隊の50%を失った事になる。 こうなれば戦闘継続は不可能だ、師団は『全滅』判定を受ける。

「・・・G弾による損害は、第13軍団では、戦術機部隊は数機で済みましたが、機甲・自走砲・機械化歩兵部隊の損害は、全体の12%に達します。
第1軍団(3個師団・9個戦術機甲連隊)、第7師団と中国第110、台湾第3師団、突入機動大隊併せ、戦術機のG弾による損害は、119機。
他に海軍が戦術機21機、横浜港に接岸していた揚陸艇4隻。 車輌は陸海軍併せて戦車64輌、自走砲48輌、他102輌。 砲は71門、兵員は帝国軍だけでも約8960名余・・・」

とんでもない数だ、G弾による巻き添え、それだけで戦術機甲師団1個分を越す兵力が、無為に消えた。
腹立たしい気分は、当然ある。 それも濃厚に。 だが大山大将は内心で問うている、誰に対して、何に対して、腹立たしいのか?
G弾を投下した米軍に対してか? 連中とて軍人だ、上級命令に反する事は出来ない。 米軍上層部と米国政府? あの戦況では、やはり決定するだろう。
帝国政府と帝国軍指導部? 事前情報が直前に、総軍司令官宛に入った、本当に直前だが。 恐らく政府は有る程度、情報を掴んでいたのだろうな。
だが、それを以って事前に撤退命令を出す事など、無理な話だ、『戦争』が崩壊する。 やはり正式通告あって初めて、正式命令を下すしかないか。

「・・・ここまで、拙い戦さをした、自分自身に対しても、か・・・」

その言葉は小さく、周囲には聞き取れなかった。 参謀長が訝しげな表情をするが、改めて聞かすセリフでも無かろう。
総計で30個師団前後もの大兵力を与えられ、海軍主力の支援を受け、大東亜連合や国連軍、それに米軍の指揮権をも一時的に与えられ・・・

(―――それが、あの土壇場まで、失敗の瀬戸際に有ったのだからな)

ハイヴ突入部隊は、崩壊の直前に有った。 反応炉突入どころか、第2層から第3層での阻止戦闘に、躍起にならねばならぬ程に。
事前の予想が甘かった、そう言う事か? ハイヴから地上に湧き出てきたBETAの数と、ハイヴ内で新たに現れたBETAの数は、総数で10万余を越した。
5万は地上部隊で、対応できる計算は立てていた。 だからこそ、17個師団もの大兵力を攻略戦外周部に配備したのだ。
だが、ハイヴ内の5万以上は、完全に予想外だった。 フェイズ2ハイヴで、これ程の・・・ 突入部隊の連中は、精々が戦術機8個連隊。 後続を入れても合計17個連隊。
それが各個撃破された、そして戦力の逐次投入と言う最悪の愚を、犯さざるを得なくなった。 これは誰の責任でも無い、総司令官たる己の負うべき責任だ。

「・・・『飛び道具を使っても、相手が死ねば死だ。 鉄砲で撃っても、小太刀で斬っても、敵を討った事には変わりはない』、か・・・ふむ」

「閣下?」

「その昔、『軍神』と称された戦国武将の言じゃよ。 そう言い切れる覚悟が有る事は、見習わねばのう・・・ よし、参謀長、予備戦力全て、ハイヴ周辺の掃討に投入しろ。
逃げ出したBETAの追撃戦は、基本的に奪回総軍部隊で行う。 各軍管区には支援要請のみだ、防衛線を消耗させたくは無いのでな」

「はっ!」

「皆、喜べ、祝え! ハイヴが陥落するわ! 本土に築かれた、忌まわしきハイヴがな!」

まだまだ、到底、許容できる話では無かろう。 だが、このままの空気でいて良い筈も無し。 ならば司令官たる者、底無しの楽天主義もまた、求められる仕事のひとつだ。










1999年8月7日 0730 神奈川県旧横須賀市 第13軍団


「周防! 貴様、あれはどう言うつもりだったのだ!?」

再会していきなり、緋色に絡まれた。 と言うより、いきなり胸倉を掴まれ、詰問された。 彼女は俺より背は低い、170cm有るか無いか。
なのであの、意志の強そうな瞳が、下から強烈に問いかけて来る。 悔しさが表情全体に滲みでている、どうして、何故だ、そう言っていた。

「ハイヴ内でいきなりの情報限定だぞ!? 地下茎のどこに、どれだけの数のBETAが居るのか、他部隊の情報さえ掴めない!
そんな盲目状態で、ハイヴ内で目隠し状態で、行き当たりばったりの戦闘などと! 貴様、参謀として、部隊を壊滅させたかったのか!?」

「それは、俺達も聞きたいですね」

「独断なんかじゃないって事は、聞いていますけれど・・・」

「せめて、師団司令部に反対意見具申は、出来なかったのですか?」

「死んだ者が、浮かばれませんよ」

緋色に続いて、そう不満と鬱憤、そして不信感を表してきたのは、14師団の葛城誠吾大尉と間宮怜大尉、18師団の佐野慎吾大尉と有馬奈緒大尉の4人。
他は遠回しに、こちらを見ている。 源さん、三瀬さんに和泉さんは1期先任。 流石に後任の俺に、ここで突っかかる事は憚られる、と言う事か。
他の中隊長達は全て、1期以上後任だ、遠慮も有る。 だからか、同期生の緋色に、同じ18期の後期組、半年後任の18期B(同期の様なものだ)の4人が詰め寄って来たのは。

「・・・師団決定だ」

「師団決定!? その前に貴様、何か具申でもしたのか!?」

「・・・それ以前に、軍団司令部決定で有り、軍司令部決定でも有る。 大元は、総軍司令部決定だ」

「なっ・・・!」

「そこまで、上が絡んで?」

俺の説明に緋色が絶句し、間宮が驚きの表情を見せた。 葛城君に佐野君、有馬の表情も似た様なものだ。

「意見具申は行った、師団としてもだ。 だが決定は覆らなかった。 ならばその命令の範疇で、出来得る事を策定した、そして実施した。
時間が有れば、他に方策が有ったかもしれない。 が、あの時に取り得る方策は、あの方法しか無かった、そう判断した。 なので上申した」

連隊本部―――CPには情報は集まっていた。 なので、動きが鈍重になるのを承知で、本部からの集中指揮管制に切り替えさせた。
当然ながら、CP将校は管制将校で有って、部隊指揮官では無い。 連隊本部でも、実際に戦術機部隊の指揮を経験していたのは、第5科長の祥子1人だけだった。
なので、師団本部から俺が急きょ派遣された。 連隊長・名倉大佐の補佐として。 実質的に、ハイヴ内の各部隊をどう動かすかは、俺の判断だったのだ。

「では・・・貴様は・・・あの時の、あの指示、あれが全て最良の判断だったと・・・!?」

「最良では無いかもしれない。 だけど、最悪の中の最善で有った、それだけは言っておく」

本当にそうか? そうなのか? 俺の指揮能力を、そこまで信じて良いのか? 過信では無いのか? だが、敢えてそう言おう。 でなくば、死んだ者達に礼を失する事になる。
周りの空気が悪い。 まあ、覚悟はしていた。 大打撃を被った前線部隊に、後方司令部の参謀が姿を見せれば、大抵はこうなる事ぐらい、想像出来た事だ。
半期後任の4人が、何か言いたそうな表情を見せた。 その後ろで、それより後任の中隊長達も同様だ。 緋色がまた何か言いそうな表情で、一歩間合いを詰めてきた、その時・・・

「―――神楽大尉、そこまでにしたまえ。 周防大尉とて、結局は師団本部作戦課の1課員だ、全てを立案し、決定する権限など持っていない。 判っているだろう?」

疲れは有るが、相変わらず穏やかな声で源さん―――源雅人大尉が、後任の緋色を押さえる様に、静かに歩み寄って来た。 背後に三瀬さんと和泉さんが居る。

「周防大尉は、与えられた情報と状況の中で、彼が言った様に『最悪の中の最善』を模索し、立案する。 我々は前線で、それを掴む為に死闘する。
目的は同じだ、そしてその状況は、我々が選べるものではない、そうだね? 判る筈だ、神楽大尉。 皆もそうだろう? 僕は先任少尉の頃から、中尉の頃から、そう教えた」

流石は、大尉の最古参。 源さんも内心では忸怩たるものが有るだろうが、戦場の激情に任せる愚を、静かに諭していた。
緋色とて、そして目前の中隊長達だとて、もう最低でも5年以上、長ければ7年以上、戦場に身を置いてきた連中だ。 当然それ位は身に沁みている。
が、いかんせん、今回の作戦は損害が多過ぎた。 あの京都防衛戦を上回る損失を出した。 内心で荒れ狂う『何か』を、あの激情家の面が有る緋色は抑え切れなかった。
他の後任連中も同じだろう、特に中隊長歴の浅い連中は、これだけの部下を失う事は初めての筈だ。 俺だって、これ程の損害を出した戦闘で、部隊を指揮した経験は無い。

「指揮官がそんな調子では、部下が更に不安に陥るわよ?」

「そうそう、それにさ、周防が師団や連隊の指揮を、執っていた訳じゃ無いじゃん。 たかが大尉でさ」

源さんの後ろから、先任の三瀬さんと和泉さんが付け加えて言ってくれた。 三瀬さんは疲労の色の中に窘める表情で、和泉さんは『仕方ない』と言った表情で。
同期の源さんが、ああした態度である以上、彼女達も腹の中に飲み込むしかないのだろう、有り難い事だが―――そっと目礼で謝意を伝えた。

「まだ、師団本部からは作戦完了の命は下っていない。 それにまだ、第1種警戒態勢だ。 やるべき事は山ほどある筈だよ、まずは己の職務を完遂する事だ」

―――死んで行った、死なせた部下へのけじめは、それからで良いだろう。 まだ生きている部下達を、最後まで生き残らせる為にもね。

そう言って、先任の3人はそれぞれの中隊に戻って行った。 残された者達は、一様にバツの悪い、或いは少し自己嫌悪の表情で押し黙っている。

「・・・正式には、師団長より通達が有るが。 181連隊は以降、宇賀神中佐が指揮を執る。 連隊長・名倉大佐は重体だ、一命は取り留めたが。
残存戦力の再編成は、宇賀神中佐より発せられるだろう。 141は連隊長・藤田大佐の無事が確認されたと連絡が有った、大佐より命令が有る筈だ」

敢えて事務的に言う。 まだ作戦は継続している、そして俺は、俺達は仲良しクラブでも何でもない、最前線の指揮官で有り、参謀なのだ。

「各指揮官は、上級司令部の命令を待ち、待機の事。 情報、及び補給・整備など、必要とされる事項は最大限、確保する―――以上、師団通達だ」

作戦が終わらない以上、例え私的に仲の良いもの同士だとしても、それは一切の考慮に値しない。 我々は帝国軍人なのだ、それ以外の何者でもない。
そう、あのハイヴ内での阻止戦闘の指揮(の、サポートだが)中、それを強く思った。 例え同期生を、友人を、還らぬ死地に送り込む事になろうとも、だ。


皆に背を向け、テントを出た。 歩き始め、内心に問うた―――本当に、最悪を選択しなかったか?
不意に、前方に人影を認めた、祥子だった。 彼女は無言で近づき、そしてそっと俺の両頬を手に包み、言った。

「―――直衛、あなた。 前を見据えて、お願い」










1999年8月7日 1900 神奈川県旧横須賀市内 第18師団 第181戦術機甲連隊


「周防、貴様、良いご身分だな。 こんな時間から、もう一杯引っ掛けているのかよ?」

下級将校用のテントの入口から、不意にかかった声に周防直秋中尉が振り返った。 そしてその声の主を見た途端、『貴様が言うか?』と内心で突っ込んだ。
テントに入って来たのは、同じ連隊の第3大隊に所属する同期生だった。 向うもどこから仕入れたか、ウィスキーのボトル(どうせ、合成酒だ)を手にしていた。

「そう言う貴様は、何なんだよ、その手にしたのは? ええ? 蒲生」

向うのも顔がほんのりと赤い、どこかで引っ掛けてきた証拠だ。 蒲生史郎中尉が、テントの真ん中に置かれた折椅子に座る。
その後はお互い、無言で自分のボトルを飲んでいた。 グラスなんかない、ストレートのラッパ飲みだった。 流石に、一気にとは行かないが。

「・・・中隊長(第33中隊長・摂津大尉)から聞いた。 松任谷な、頭蓋骨骨折に、肋骨も数本折れていた。 それと両足はダメだ、切断だと」

周防中尉の顔をチラッと見た蒲生中尉が、少し言いにくそうにしながらも、同期生が一番知りたいだろう情報を明かす。

「・・・推進剤切れで、東京湾に高速で突っ込んだんだ。 助かっただけ、見っけもんさ・・・」

直ぐにでも飛び出したい衝動と、それを押さえる理性のせめぎ合いの葛藤を押さえつつ、周防中尉が答える。
実際には、横浜から対岸の房総半島へ脱出する際、松任谷佳奈美中尉機を含む3機が、推進剤切れで東京湾に突っ込んだ。
付近を航行していた海軍の駆逐艦と、大東亜連合艦隊のフリゲート艦に救出されたのは、松任谷中尉と他に1名。 最後の1名は海に沈んだ。
他に跳躍ユニットが損傷しており、途中でユニットが爆発、機体諸共に海に沈んだ機体が2機あった。

「俺の従兄も、嫁さんは関西の戦場で重傷を負って、片腕・片脚は疑似生体移植だしな。 生きていてくれれば、それで良いさ・・・」

「・・・じゃあ、何で貴様、そこまで荒れてんだよ?」

「・・・貴様もだろうが」

お互いに目が据わっている。 酔っ払いにその自覚は無いが、実際は2人とも結構酔いが回っている様だった。
蒲生中尉が合成ウィスキーを一口飲み、大きく、熱い息を吐く。 同時にのぞける様にしてテントの天井を見つめ、ポツリと呟いた。

「俺は・・・2人も一気に部下を失ったのは、初めてだよ・・・」

「初めてって・・・そもそも、俺らは去年の10月じゃねえか、中尉になって、小隊を任されたのは。 それ以来、大規模な作戦に参加してねえよ。 
それに俺だって同じだ。 宮内と真部、先任と次席の少尉を2人、死なせちまった。 生き残ったのは俺と、新入りの美濃だけだ。 判っちゃいるけどよ・・・」

18師団は再編成後、主に練成を中心に行ってきた。 昨夏の京都を巡る一連の戦闘で、大きな損害を受け、その回復が急務とされたからだ。
実戦は主に、新潟方面で行われた一連の佐渡島ハイヴに対する間引き攻撃、そして新潟に侵攻してくる中小規模のBETA群に対する、阻止殲滅戦闘に参加した。
それでも戦死者は出た、新潟方面の間引き攻撃でも、上陸阻止殲滅戦闘支援でも、実戦に変わりなかった。 彼等は主にそこで、指揮官としての『修行』を積んだ。

あの時、ああしておけば良かったのか? あの判断は、本当に良かったのか? 別の方法でアプローチすべきでなかったか?―――様々に、押し寄せて来る。
少尉の頃は、良かった。 生き残り、純粋にそれを喜べば良かった。 死んで行った仲間たちを追悼し、その生きた航跡を言い伝えれば、それで良かった。
今は?―――死んで行った部下の顔が、脳裏から離れない。 色んな事を話した、相談も受けた。 訓練では厳しくしたが、反面、余暇には小隊で繰り出し、馬鹿もやった。

―――その連中は、もう還ってこない。

彼ら、若年の指揮官達にとって、恐らく初めての経験だろう。 後から後から押し寄せて来る、本当に自分は十全に指揮を行えたのか? あの時の判断は?

「・・・『もしも、他の奴だったら、もっと上手く出来たかも』、思わずそう口走ってさ。 そしたら偶々、傍に居た中隊長・・・神楽大尉に聞かれてさ」

周防中尉が、ポツリと言った。 同時に蒲生中尉がおどける様に首を竦め、ボトルからまた一口飲む。

「・・・怖えなぁ、それって。 で、どうなった?」

「思いっきり、ぶん殴られた。 『貴様、それは死んで行った者への冒涜だ! 貴様は部下の死を、冒涜したいのか!』ってさ」

周防中尉が、自嘲気味にそう答える。 言われて初めて、殴られて初めて、その事に思い至った。 情けない話だ、そんな事にも気付かなかったなんて。
それを聞いた蒲生中尉も、似た様な表情だった。 新米指揮官同志、至らぬ事ばかりが目につき、目前に突き付けられている、そんな気がするのだ。

「こっちも似たようなもんさ、俺は八神さんと一緒だったけど。 似た様な事言って、向うの美園大尉に殴られた。 美園大尉、後でウチの中隊長に、謝っていたらしいけど」

「勝手に人の部下を、殴ったって?」

「そゆこと。 まあ、八神さんも凹んでいる筈なんだけどな、四宮さんが死んじまって・・・」

「・・・確か、31中隊は全滅だっけか?」

「ああ、31中隊長の恵那大尉も死んだ、第3層の脱出の時だ。 なんか、掛ける言葉が見つからねえ・・・」

全滅した中隊は、181では31中隊。 中隊長の恵那瑞穂大尉以下、12名全員が戦死した。 四宮杏子中尉は、その31中隊の第3小隊長を務めていた。
周防中尉、蒲生中尉と仲の良い先任の八神中尉が、1期後任の四宮中尉を好いていた事は、『悪さ仲間』の間では、周知だったのだ。

「・・・瀬間中尉は、無事なんだろ?」

「ん? ああ。 でもなあ、あそこはなぁ・・・ 折角、損害なしで最後の脱出まで行ったのに。 洋上で4番機の和田(和田操少尉)の機体が、跳躍ユニット爆発してさ。
あっという間だった、連鎖でもう片方も爆発しちまって、空中で木っ端微塵に砕けちまった。 瀬間さん、ちょっとショックでさぁ・・・」

―――こいつ、それで余計に気を遣っていやがったのか。 似合わない事、しやがって・・・

周防中尉は、内心でそう思う。 蒲生中尉の『想い人』の瀬間薫中尉は、無事だった。 周防中尉の『友人以上、恋人未満』の松任谷佳奈美中尉は、重傷で意識不明だ。
『悪友』達が、部下を失い(蒲生中尉もだが)、そして想い人達も戦死か、復帰出来るか判らない重傷を負った。 自分の想い人は無事で嬉しい、それが内心でわだかまる。

「行けよ、蒲生。 ノロノロしてっと、他の誰かに掻っ攫われるぜ。 瀬間さん、佳い女だし」

「お前に言われんでも、判っている! ・・・おい、周防」

「何だ?」

ちょっとだけ間が空く。 言葉を選んでいるような仕草の蒲生中尉が、やがてはっきりと、周防中尉に向かって言った。

「・・・死んだ奴ら、精一杯戦ったよな? 俺達、最悪だけは、選択しなかったよな?」

「・・・ったりめぇだ、だから生き残ったんだ」

その言葉を聞いた蒲生中尉が、フラフラと立ち上がり、テントを出て行った。

「・・・まさかあいつ、あの勢いで瀬間中尉、押し倒しに行くんじゃ、ねえだろうなぁ・・・?」

そこまで呟いて、流石にそれは無いか、そう考えなおした。 同じテントには他にも同宿人が居る事だし、と。
一口、アルコールを補充して、改めてテントの中を見る。 4人用の予定だった、今は自分1人しか居ない。

(『―――いずれ、お前も実感する時が来るさ、階級ってやつの意味と重みをな。 最初は苦しむ、だけどそれじゃ、前に進めない。 それが判る時も、いずれな』)

そう自分に言ったのは、従兄だったか。 前にサシで飲んだ時だ、確か。

「・・・階級の、重み。 部下の命を預かる、重み、か・・・」

最悪だけは選択しなかった、そう信じたかった。










1999年8月8日 0150 日本帝国 『帝都』仙台 帝国軍統帥幕僚本部


「横浜ハイヴ周辺の索敵は、本日早朝には終了の予定です。 現在の所、6日の午前以降、活動を確認したBETAはおりません」

「北部軍管区、東海軍管区よりの索敵情報ですが、BETA群は北陸・中越に到達後、進路を南西に取っております。 一部が佐渡島へ渡る動きを見せましたが、殲滅しました」

「中部軍管区より、迎撃方針の確認です。 BETA群が湖北(滋賀県北部)より南下の動きを見せない限り、中部軍集団は手出しをしない、追撃部隊に任せる、です」

「九州の西部軍管区は、九州北部での迎撃戦は行わない旨、確認しました。 防衛線の南に侵入しない限り、現状を維持。 海軍第1、第2艦隊より艦砲射撃のみとします」

「了解した。 奪回総軍は? 大山さんは、何と言って来ている?」

「ハイヴへの再突入許可を。 この一点張りです」

「流石に拙いだろう、それは。 まだG弾の影響が検証しきれていないし、政府の方針は『G弾による、被害国』のスタンスだ」

「しかし、現場は納得せんだろう、それでは。 散々苦戦して、多くの血を流したのは我が国だ。 それで最後の『ご褒美』は米国と国連・・・あの小娘とで山分けか?」

「虚仮にされていると、そう感じて当然だろうな。 我々とて、分け前を頂く権利は十分にある」

「・・・しかし、恐らく政府は許可しないでしょう。 米国も横槍を入れるでしょうし、国連からも何かと妨害してくるでしょう」

「米軍のドクトリンを推し進めるには、必要不可欠のお宝が眠っています。 それを他国に与える程、連中はお人好ではないでしょう」

「第4計画からも、やはり事前に釘を刺してきております。 『計画完遂に必要である』とか何とか。 本当かどうかは不明ですが」

「そこは情報本部に探らせろ。 あの計画には我が軍も、多数のスリーパーや『お友達』を、潜ませているのだろう?」

「その件につきましては、情報本部から中央特務情報隊が動いております。 ただし、例によって情報省と、国家憲兵隊特務公安情報隊にも、動きが」

「構わん、今は好きにさせておけ。 それより、ハイヴ再突入か。 G元素が絡むとなると、厄介な話になるぞ?」









1999年8月8日 1350 日本帝国軍『奪回総軍』司令部 神奈川県三浦半島 旧三浦市内


「我が軍は、連中に虚仮にされたのです!」

1人の参謀中佐が、顔を真っ赤にして総司令官・大山大将に詰め寄る。 周囲には中佐・少佐級の中堅参謀団が、ズラリと顔を並べている。
横浜ハイヴ再突入を巡る、帝国軍・国連軍・米軍での調整会議の席上、国連と米軍は明らかに共同歩調を取り、帝国軍のハイヴ突入を阻止する動きを示した。
理由は明白だ、ハイヴ攻略最大の成果物―――G元素を専有する為だ。 確かにバンクーバー条約では、ハイヴ攻略は国連軍の専管事項に位置づけられる。
しかしその戦力と言えば、当事国や周辺各国軍が主力を占める。 大量の血だけ流させて、美味しい所は独り占めか、そんな弊害が予想されていたが、その通りとなって来たのだ。

「米軍は最後の局面だけ出て来て、有ろう事かBETA群が反転した矢先に、さっさと撤退しました! 国連の例の部隊は、何しに来たのか判らない様な動きだけです!」

「遺憾ながら、G弾がハイヴから溢れだした10万近いBETA群に与えた影響は、否定できません。 しかし、だからと言って、我が軍の死戦を無意味だなどと、言わせませぬ!」

「米軍の、あの技術大佐の言い様! 『我が国には、ロスアラモス研究所が有る。 失礼だが、日本には何も無い』とは! 故に、米国がG元素を独占して然るべきとは!」

「我が国にも、帝大には仁藤博士の研究グループが有ります! G元素研究を怠っている訳ではありません! 閣下、是非、再突入のご命令を!」

部下参謀達の勢いを、黙って聞いていた大山大将だったが、徐に重々しく口を開いた。

「・・・貴官等は、何を以ってハイヴ再突入を具申するのか? 反応炉到達と言う、軍事的名誉か? G元素奪取と言う、欲か?」

一瞬、並み居る参謀団が言葉に詰まる。 が、数人が気を持ち直して、大将の問いかけに答えた。

「無論、反応炉到達と言う偉業を為し得れば、軍の士気は高揚します。 それにこれまで、余りに損害が大きすぎました。
士気は低下しております。 しかし! その損害に見合った戦果を為し得たのだと、将兵はその答えを望んでおるはずです!」

「G元素につきましても、敢えて保有する事で、米国の世界展開戦略に抗する事が出来る、そう判断いたします」

「―――馬鹿者ッ!」

その言葉を聞いた瞬間、大山大将の怒声が鳴り響いた。 その迫力に、並み居る歴々の将軍達さえ、首を竦める。

「我が軍の誉れは、最後まで諦めず、崩壊もせず、ハイヴを前に奮戦敢闘した事だ! その事を儂は誇りに思う! 部下将兵を誇りに思う!」

流石は陸軍の最長老、そう思わせる威厳と圧力だ。

「譲って、反応炉到達の栄は良しとしてもだ! G元素はならん! 統帥本部、国防省、政府からも指示は出ておらぬ!
我が陸軍はかつて、本末転倒の愚を犯した! G元素を持てば、それだけ米国との関係が危うくなろう。 我等は帝国の『醜の御盾』ぞ!」

米国に隙を与えるな。 国家と国民、そして国体の護持。 それを危うくするような独断専行は、決して許さぬ。
同盟国とでさえ、右手と左手は異なる行動をするのが、国家間の関係での常識であり、国際社会の常であった。
ましてや、今次BETA大戦における最重要のファクター、そのひとつとも言えるG元素。 それを只の軍人の独断専行で、入手などして良いものではない。

大山大将は、その事を強く言い聞かせた。






「どうするのだ? 閣下からあれほど釘を刺されては、行動のしようが無い」

「閣下は、『反応炉到達の栄は良し』と、仰られた・・・」

それが言葉遊び、或いは詭弁と判っていて、敢えてその言葉尻を捉えようとした。

「・・・ならば、その栄誉、我が軍が貰う。 その『ついで』に、何を持ってこようが、それはついでの話になる。 報告の要も無い」

参謀将校達は、無言で頷いた。 彼等は別段、派閥では無い。 統帥派も居れば、国粋派も国連派も居る。 国粋派でも、皇道派も居れば、勤将派も居た。
誰もが血に酔っていた、流された夥しい血に。 そして何より、本土に築かれた忌まわしき象徴―――横浜ハイヴが陥落すると言う事実に。
何よりも彼等は、大山大将の言う事を理解していた。 その事が、真に悲劇だった。 彼等は理解した上で、それでも行わねばならぬ、そう考えた。

「行うも亡国、行わざるも亡国。 行わずして足下に跪くは、民族の魂まで失う真の亡国」










1999年8月9日 1025 横浜ハイヴ 第35層(F-35-layer) 深度1160m


―――まるで、N.Yで見た事の有る、前衛芸術とやらに通じる感が有る様な・・・

思わず、そんな印象を抱いてしまった。 軍人を志願して10年余り。 少尉に任官し、初陣を経験して以来、7年数か月。 人生で初めて、ハイヴ内に侵入した瞬間の印象だった。
もっと醜悪なものだと、想像していた。 何と言うか、もっと有機的で軟質な様子を想像していたのだが、そこは俺の想像を斜め上に突き抜けて違った場所だった。
硬質で、複雑な幾何学的で、そしてやはり、異質な意志でなくば為し得ない、この星では有り得ない場所。 恐らく種の理解が有り得ない、畏怖的な美だと感じた。

『各隊、全周警戒。 これよりS-35-14広間に入る。 BETAの検知は無いが、気を抜くな』

臨時指揮下の3個中隊に命じる。 とは言っても各々1個小隊を欠いている、実質は2個中隊だ。 『疾風』が12機に、『撃震』が12機の24機。

『了解、指揮官殿。 しかしまあ、多分、面子や何やとは思うけどね、こんなに早々に再突入とは、思わなかったな』

『だからって、どうして私らが潜んなきゃ、なんないのよ!? ねえ、説明しなさいよ、直衛!』

秘匿回線をわざわざ使って、愚痴を言ってくるのは同期生の伊達愛姫大尉。 あれや、これやで、かき集めた混成中隊(1個小隊欠の8機編成)を、臨時に指揮している。
もう何度、聞かされただろう、このセリフ? ハイヴに再突入してから1時間、既に5、6回は聞いた筈だ。 いい加減、飽きないのだろうか?

『14師団も、18師団も、戦術機甲部隊は疲弊し過ぎている。 衛士達の消耗も激しい。 機体と頭数が有っても、総合的な戦闘力が落ちている、って・・・何度目だ? 愛姫?』

同じく、3方向通信の為に割り込んできたもう1人の同期生、長門圭介大尉が答えた―――そして圭介に、愛姫が噛みついている。 いや、甘えているのだ、あれは。
場所を考えろよ、ハイヴ内までイチャつくな―――そう言いたいが、放っておく。 そうでもしないとこの雰囲気、耐えられそうにないと思う。

―――現在位置、横浜ハイヴ最下層付近。 F-35層の奥だ、深度1161m。

2時間ほど前、いきなり上級司令部の命令で、3個中隊のハイヴ内への索敵突入が決まった。 第13軍団だけでは無い、第1軍団からも4個中隊が投入されると聞いた。
それに先立ち、米軍からは6個中隊―――陸軍3個、海兵隊3個―――が既に投入されたとの報告が入った。 例の曰く付きの国連軍部隊からも、3個中隊が。
そして帝国軍も、突入部隊を決定した。 何やら上層部では、熾烈で陰険な遣り取りの応酬が為されたとか、何とか。 下っ端の師団参謀には、判らない。
最初は別の師団(軍団)から抽出を、と考えたそうなのだが、生憎と大半の部隊がBETA群を追いかけて、今頃は関西から九州にかけて展開中だった。

残った部隊も横浜外縁部に再配置されて、即応できる部隊が無かった。 更に言えば、最後まで『虚仮にされっぱなし』では気が済まない、第1、第13軍団の意見も強かった。
しかし、各軍団の戦術機甲部隊は疲弊し、生き残った衛士達は消耗の度合いが激しい。 再度のハイヴ突入は、心身両面から危惧された。
そんな中で第13軍団では、俺達3人にお鉢が回って来たのだ。 元々戦術機乗り、現役の衛士で経験も豊富。 それでいて現在、戦術機部隊指揮官の配置に無い、3人の大尉に。

機体は生き残った連中の機体だったり、数少ない予備機だったり(それも、軍団直轄部隊の!)で、何とか24機を揃えた―――『疾風』と『撃震』の混成だった。
衛士は、軍団予備で出番の殆ど無かった予備隊(9個小隊)から、比較的実戦経験の多い連中を引っこ抜いた。 
各中隊、8機編制。 心もとない数だったが、ここまで『全く』BETAと出くわさなかったのは、僥倖と言う範疇を越していると思う。

「生き残った連中は、精根尽きている。 休ませてやろう。 愛姫、お前、緋色を無理やり引っ張ってくる様な真似、出来るか?」

敢えて、あざといが情に訴えかける。 ハイヴで死闘を展開し、命からがら生き残った同期生で、親友の名を出されて、愛姫も不承不承、押し黙った。
気に入らないと言えば、命令を達しに来た上級司令部―――総軍司令部の参謀中佐も、気に入らなかった。 何やら歯切れの悪い口ぶりで。
その癖、こちらに口を挟む事を許さない、高圧的な調子で―――『反応炉の偵察と、可能ならばそれに付随する、戦略的要素の確保』 ・・・見え透いている。

『・・・第1軍団の連中は、勇んで突っ込んで行ったな』

圭介がポツリと漏らす。 第1軍団の索敵突入4個中隊は、仇打ちとばかりに、勇んで再突入して行ったらしい。 我々とは大違いだ。

『指揮官、間もなく最下層分岐点です。 どちらの方向へ?』

臨時に部下になった予備隊の中尉(名前を覚える暇が無かった、失敬!)が、オープン回線で聞いて来る。 慌てて秘匿回線を切り、レーダーMAPを呼び出した。
網膜スクリーン上に、横浜ハイヴ地下茎情報が呼び出され、目前に展開される。 ここからS-35-16広間へ行けば、予想では反応炉方面へ到達する筈だ。

『・・・何か、揉めているよ? 第1軍団の連中みたい。 通信相手は・・・国連軍? 米軍? ・・・米軍みたい、位置はS-35-18広間から、最下層へ降りる縦坑付近』

愛姫からまた、秘匿回線が入った。 部下の中尉に待機を命じ、MAPを再確認する。 S-35-18から最下層へ降りる・・・ 想定場所は・・・

『・・・アトリエ、か・・・』

『連中、『あの物質』を、本当に確保する気なのか?』

途切れがちな指揮官レベルの通信チャンネルからは、『等分』、『バンクーバー条約』、『安保』、はたまた、『戦闘』などと、物騒なセリフが聞こえた。
そしてどうやら、米軍側は2個中隊で、第1軍団は4個中隊だと判明した―――連中、こぞって向うに向かいやがった。

『・・・条約違反じゃないの?』

『明確に、そうは言えない。 だとしたら、米国がG元素を保有する事自体、国際条約に抵触する』

『一応、米国の大学で、お勉強して来た奴の言う言葉だ、そうなんだろうな』

『喧嘩売っているのか? 圭介?』

やがて、『搬出』、『急げ』、『コンテナ』の単語が聞き取れた。 本当に、G元素を運び出そうと言うのか? これは、本当に正式な命令での行為なのか?
俺と圭介、そして愛姫がスクリーン越しに顔を見合わせ、お互いに頷いた。 これはとんでもない、独断専行なのではないか? 現場の確認が必要なのでは?
お互い無言のうちに同意して、『アトリエ』へ向かう指示を出そうとした矢先、今度は『国連が』の言葉と同時に、第1軍団の連中が上層へ向け、移動を始めたのがレーダーから判った。

時間にして僅かな時間だったし、本当に連中が『あの』物質を運び出したのか、確認出来ていない。 
後で師団、軍団へ報告する必要が有るか、そう考えた。 第1軍団は第8軍、我々第13軍団は第9軍。 総軍司令部に、判断を委ねる事になるのか。

『・・・後で、報告すればいいよ。 さて、じゃあ本来の任務続行だね・・・』

『待て! 通信が・・・米軍?』

偶々、チャンネルを弄くっていたらしい圭介が、米軍の伝播を捉えた。 そして相次いで、同様の報告が入る。

『大尉殿! こちらにも入っています!』

『どうやら有線が不調の様ですね、無線で飛ばしています、混線でしょうか?』

混線? 普通、余りない状況だな。 だがここは、『普通』の場所じゃないよな。

「ハイヴ内だからな、どんな伝播状況になるか、判らない・・・何!?」

米軍と思しき通信を聞いている内に、向うの事態が只ならぬ雰囲気になっている事に気付いた。


≪・・・Bravo-Leader,This is CP.Report a state! Repeat! Report a state!≫

≪・・・Fuck! What a hell is this!≫

≪Bravo-Leader,This is CP.Did you see in!? What’s going you now! Report a state!≫

≪Oh・・・ No・・・ It’s human・・・≫

≪Human what!? What did you say!? This is CP. Bravo-Leader! Survivor!? Come in!≫

≪・・・It’s human・・・brain!≫


―――『It’s human brain』 ・・・『人の、脳髄』だと・・・!?






[20952] 北嶺編 1話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/10/30 20:27
1999年11月14日 1425 日本帝国領 南樺太 樺太県敷香支庁北部 日ソ国境線付近 北緯50度


「―――デビル・ワンより各リーダー、『向うさん』の要請が有り次第、一気に国境線を越すぞ、準備はいいか?」

『ドラゴン・リーダー、準備よし』

『ハリーホーク・リーダー。 何時でもどうぞ』

指揮下部隊の応答を確認した後、直率部隊の状況を再確認する―――部下の11機、全てスタンバイを完了していた。 幌内川から西に5km入った場所だ。
北緯50度、亜寒帯に属する樺太の11月中旬はもう、完全に冬だ。 シベリアからの季節風が寒気をもたらし、外気温マイナス6℃、明け方にはマイナス15℃近くまで冷え込む。
網膜スクリーンに映し出された、データ上の国境線。 その向うにはソ連国境軍(KGB所属)の国境警備司令部(大隊相当:NO)の要員が、こちらをチラチラと見ていた。
戦術情報を拡大情報モードに切り替えると、隣接してスタンバイしている戦術機大隊の位置も判明した。 場所は30km程西、樺太山脈沿いに展開している。

豊かな自然だ、カラマツの大森林地帯が生い茂り、その中を幌内川がゆったりと貫流する。 姿は見えないが、数知れない野生動物が冬籠りに入っているだろう。
ユーラシアの周辺地域に残された、数少ない大自然。 これからの任務を、思わず忘れてしまいそうになる程、美しく、大地の力強さを感じさせる風景だと思った。
その中に聳える様にして立つ、36機の異形―――戦術機の姿が、周りの光景から酷く浮き出ている気がする。 そう思うのは、俺が怠けたせいか?

≪CPよりデビル・ワン。 『友軍』よりの支援要請有り!≫

―――来た。 これで今日も『出張』が決定した。

「デビル・ワンよりCP、詳細知らせ」

≪CPよりデビル・ワン。 BETA上陸予想地点は、オハ西方22kmの海岸線一帯です。 H19・ブラゴエスチェンスクハイヴよりの飽和BETA群の分派が約3900、旅団規模です。
既にソ連軍第119自動車化狙撃旅団、第77戦車師団、第60独立自動車化狙撃旅団の防衛部隊第1派が展開を開始。 海岸線に向けて、高速移動中です。
大隊はアレクサンドロフスク・サハリンスキーで補給の後、東から北上。 BETA上陸地点を南から攻撃。 なお、同時に第102大隊『アレイオン』も出撃します≫

H19、ブラゴエスチェンスクハイヴ―――またなんとも、懐かしい名を聞いたものだ。 まだ10代後半の、少年だった頃の記憶が蘇る。
満洲、大陸派遣軍。 様々に彩られた俺自身の古い記憶。 懐かしく、哀しく、そして忌まわしい、その象徴―――ブラゴエスチェンスク。

迎撃地点は北樺太最北端の間宮海峡(ソ連名:タタール海峡)を、ユーラシアを挟んで、ほんの10数kmの場所だ。 真冬には完全凍結して、BETAが押し寄せる『氷路』となる。
旧中ソ国境のブラゴエスチェンスクハイヴから溢れだしたBETA群は、南下する個体の他、アムール川沿いに周囲の大森林地帯を喰らいながら、オホーツク海のアムール湾を目指す。
そこで狭い間宮海峡を渡った先が、北樺太最北端部分になる。 現在、北樺太北部はソ連軍しか駐留していない。 そして南樺太の日本軍は、『友軍』への支援出撃を行っていた。

「増援はウチと、102の『アレイオン』だけか?」

ローテーションでは、103と104は今頃、豊原市(樺太県庁所在地、樺太最大の都市で人口38万人)近郊の基地で休養中だ。 『主力』の第55師団が動く規模では無い。
となると、『南―――日本軍』からの増援は、2個戦術機甲大隊だけか? BETA群の規模は4000弱、旅団規模だ。 2個旅団に1個戦車師団、2個戦術機大隊なら十分か?

≪ティモフスク(中部樺太、ソ連領南部)から、ソ連軍第57独立親衛戦術機甲大隊『レーベチ(白鳥)』が出ます≫

―――第57独立親衛戦術機甲大隊『レーベチ』 北樺太のソ連軍中唯一、『親衛』の名誉称号を有する部隊だ。 配備機はSu-27SM『ジュラーブリク』
他のソ連軍戦術機甲部隊が、Mig-27『アリゲートル』や、準第2世代機のMig-23MLD『チボラシュカ』なのに対して、流石は『親衛称号』部隊、良い機体を貰っているものだ。

「・・・よし、大隊、北上してアレクサンドロフスク・サハリンスキーの東から、北部海岸線に出る! 途中で『アレイオン』と、戦場の直前で『レーベチ』と合流する。
BETA群は旅団規模、光線属種は40体程が確認されている。 残念だったな、これがH25やH26からだったら、楽が出来たんだがな!」

まだ若いハイヴのH25、H26からの飽和BETA群に、光線属種はまだ確認されていない。 理由は不明だ、だがそのお陰で、ソ連軍極東軍管区は持ち堪えられている。

「よし、大隊出撃する! 続け!」

跳躍ユニットを吹かして飛び上がる直前、国境の向こう側の監視哨の前で、ソ連国境軍の将兵が、帽を振って大声で、何かを叫んでいる姿が見えた。





俺の機体に、35機の92式『疾風』弐型乙(冬季戦仕様)が続く。 跳躍ユニットから発炎光を煌かせ、薄暗い北の冬空と大地を照らす。
92年の採用以来、マイナーチェンジを続け、93年に改良型の弐型を。 96年から98年にかけて、海軍の『流星』と同じ『AK-F3-IHI-95B』を搭載した、『準第3世代機』だ。
先程、アレクサンドロフスク・サハリンスキーとノーグリキでの補給が完了した。 戦術機の足は、特に噴射跳躍で飛び続ける限り、極めて短い。 精々が200km強程だ。
ここから戦場まで、100km強。 戦闘が終われば、向うで用意している補給コンテナから推進剤を補充しなければ、帰ってこれなくなる。
中部・南部の山岳地帯を抜け、北部の低地地帯を高度50でNOE飛行をする。 ちょっとしたスリルだ、もっとも経験の浅い若い連中にとっては、かなりの恐怖だろう。

「大隊長機、デビル・ワンより各リーダー。 ジャク(未熟練者)の様子を、良く見ておけよ。 下手して地上に激突、なんて不細工な真似はさせるな」

『了解―――こんな低空突撃さえしなけりゃ、大丈夫なんですがねぇ?』

『ハリーホーク、了解。 誰かさんの無茶が、また始まった・・・』

―――酷い言われ様だ。

「無茶? 俺が少尉の頃には、こんな事は散々やらされたぞ?」

『だからって、何も『夜叉姫』と同じ事、せんでも良いでしょうに』

ドラゴン・リーダー、第2中隊長の最上大尉(最上英二大尉)が、ため息交じりに言い返して来る。 因みに『夜叉姫』は、衛士時代の広江直美中佐の異名だ。
大尉で中隊長の頃の彼女には、新米少尉だった頃に散々扱かれた。 今やっている低空突撃も、当時の所属中隊『ゲイヴォルグ』で、散々やらされた機動だった。

「だが、光線属種が予想される戦場に突っ込むのに、何も高度を稼ぐ必要は有るまい? 予定ではこの後は、30(30m)まで下げる。 最後はサーフェイシングだ」

網膜スクリーンの先で、首を竦める最上大尉と、『ハリーホーク』中隊長の八神大尉(八神涼平大尉、1999年10月1日進級)。
その隅に小さく映る直率小隊の面々。 2番機の美竹(美竹遼子少尉、24期A)に3番機の曽根(曽根伸久少尉、24期B)はまだ、余裕が有るか。 
ただし4番機の高嶋(高嶋慶子少尉、25期A)はもう、必死の形相だ。 今年の春に訓練校を卒業し、軍の方針で半年間、練成部隊に放り込まれて、実戦部隊配備は初めての奴だ。

「・・・4番機、高島。 スティックを握る手の力を抜け。 震えが伝わって、機体の挙動が不安定になる、RCS(姿勢制御)にある程度任せろ」

『りょ、了解!』

帰ってくる返事は、元気が良いのだが・・・相変わらず、必死の形相だな。 こればかりは・・・

「高島、エレメント・リーダーのケツに、照準を合せて飛べ。 美竹のケツにかますつもりでな―――おっと、貴様、バイの気は無かったか」

『は・・・ はあ!?』

『・・・大隊長、セクハラです・・・』

間髪入れずに、美竹が独特のけだるそうな表情と、少しばかり艶っぽい口調で言い返してきた。

「だと思うのなら、僚機の面倒は見てやれ、美竹。 貴様、女が好きなクチだろう?」

『いいえ、女『も』好きなだけです。 基本、快楽主義なモノで』

『ひっ! ・・・み、美竹さん・・・』

しまった。 高嶋がヘビに睨まれた、カエルの状態になっている。 もちろん、ヘビは美竹だ―――まあ、いいか。

「高島、新しい世界に旅立ちたく無ければ、しっかり飛行するんだな。 これ以上貴様がフラフラすると、本気で美竹の毒牙に与えてやる」

『ひい! りょ、了解です!』

『・・・いったい、どっちの『了解』なのよ?』

美竹が舌舐めずりする表情で、高嶋をからかって遊んでいる。 それを、俺の列機を務める3番機の曽根が、苦笑して見ていた。
指揮下の第2、第3小隊も、少なくとも見た目は危なげなく、全機が追従していた。 ここまで1機も失うことなく来れた事に、正直驚いている。
何せ、この10月に新編されたばかりの中隊だ。 その時点で実戦経験1年以上の連中は、居る事は居たが、半数は実戦経験半年以下か、全くの初陣だった。

目標地点から20km手前で、僚隊と合流した。 第102大隊『アレイオン』と、ソ連軍の第57独立親衛大隊『レーベチ』
これで戦術機は92式『疾風』弐型乙が72機に、Su-27SM『ジュラーブリク』が33機の105機。 4000弱のBETAを殲滅するには、充分だ。

『アレイオン・ワンよりデビル・ワン。 このまま突き上げるか?』

問い掛けに、戦況MAPを呼び出して、今の戦況を確認する。 BETA群は西のユーラシアから狭い海峡を渡って、遠浅の海岸線に上陸した。

『漠然と突っ込むなんて、愚の骨頂よ。 サハリン(樺太島)北部は低地が多い、光線属種から身を隠す場所は殆ど無いわ。
こちらから話を付けている。 砲兵の一斉砲撃と同時に、サーフェイシングで一気に突入する。 その後は、思いっきりBETA群の中に潜り込む』

第57独立親衛戦術機甲大隊長のサーシャ―――アナスタシア・アレクサンドロヴナ・ダーシュコヴァ少佐が提案した。
何の事は無い、昔、北満州で散々やった方法だ。 近年は、特に本国に戻ってからは、山岳が多い本土防衛戦の戦い方が身に付いてしまっていたようだ。

「それは、そちらでお願いする、サーシャ。 文句は言わせないでくれよ?」

『あっちの砲兵部隊は、国境軍(KGB所属)だろう? 陸軍の言う事を、ちゃんと聞いてくれるのか?』

『問題無いわ。 カムチャツカやシベリア、アラスカと、このサハリンは違うわ。 連中、軍の機嫌を損ねれば、生きていけない事は、身に沁みているから』

日本側の指揮官2人の要望にも、全く問題無しとばかりに即答してくる。 不敵な笑みを浮かべるサーシャ。 ま、彼女がそう言うのならば、任せよう。 
残り20km。 高度30m、そろそろサーフェイシングに移行しなければ。 重光線級がいたら、見越し照射の範囲に入ってくる頃だ。 部下に命じて、地表スレスレを行く。
それにしても助かったものだ。 ソ連軍側の指揮官が少佐、と言う事で、多少のやり難さを覚悟したのだが・・・ 何せ、こちらは2人ともまだ大尉だ。
だが、いざ蓋を開けてみると、大方7年ぶりに再会した旧知の相手だったとは。 向うも昔は新米少尉だった。 北満州で一時、一緒に戦った間柄だ、『双極作戦』の時だ。
お陰で、余り階級の差を気にせず、共闘する事が出来ている。 サーシャの方も、余りとやかく言う気も無さそうだ・・・そんな性格だったかな?

やがて10kmラインを突破した、まだ迎撃レーザー照射は無い。 この距離でまだレーザー照射が無いと言う事は、重光線級は居ない様だ、光線級だけか。 
更に進む、5kmラインを突破。 その瞬間、東から少なくとも連隊規模の重砲とロケット弾が複数個所から、一斉に撃ち出された―――急加速を命じる。
途端に立ち上る迎撃レーザー照射。 だが、20本も無い、14・・・いや、15本。 光線属種の半数以上を、ソ連軍は片付けていた―――重金属雲発生。
すでに全個体が上陸していた。 他の2人の大隊長と無言のうちに合図しあって(作戦は決めていた)、一斉に散開する―――最初の12秒が経過。

「デビル・ワンより『デビルス』全機。 予定の通りに動け」

『『『了解!』』』

俺の指揮する大隊の役目は、残った光線属種の殲滅。 既に最初の12秒は使い果たし、2回目の12秒に突入している―――残り、9秒。
直率中隊全機に、水平噴射跳躍を命じる。 ドンッ、と衝撃が来た、突き出される様な衝撃と共に、機体が急加速する―――8秒。
目標捕捉、制圧支援機にALM全弾発射を命じる。 1機当り32発、中隊の2機で72発のALMが、光線級に向かって白煙を引きながら、高速で迫る―――7秒。
照射していなかった3、4体が、迎撃レーザー照射を行った。 だがALMの数の方が多い、全弾迎撃と行かず、20数発がレーザーをかい潜り、着弾した―――6秒。
もう、ここまでくれば貰ったも同然だ。 今回の賭けは、こちらの勝ちだ、光線級の小さな群れとの距離、500m―――5秒。

「各機、弾種キャニスター。 攻撃開始!」

36機の戦術機が持つ突撃砲から、36発の120mmキャニスター弾が一斉に吐き出された。 ほんの数瞬後、小さな花火の様に空中で炸裂し、子弾を広範囲にばら撒いた。
それだけで、残っていた20体程の光線級はケシ飛んだ。 噴射跳躍から着地し、陣形をサークル・ワンにさせる。 周辺状況―――大丈夫、他に光線属種は居ない。

「―――デビル・ワンより『アレイオン』、『レーベチ』 光線級は始末した」

『アレイオン・ワン、了解。 さっさとこっちを手伝え!』

『レーベチ・ワン、了解。 後ろから削って頂戴』

戦域MAPに映し出されるBETA群は、既に3000を割り込み、2500程までに減少している。 これで前後から挟めば、殲滅まで然程の時間を要さないだろう。

「了解した―――『デビルス』、全機、BETAのケツを蹴り上げろ!」










1999年11月15日 2130 日本帝国領南樺太 樺太県敷香支庁 敷香市近郊 帝国陸軍敷香基地


夜になって、また冷え込みが激しくなって来た。 外はマイナス10度を下回っている。 基地の大隊長室から、窓の外を見た―――寒い、寒さが増すようだ。

「内陸の北満州の方が、余程寒かったですよ」

最上が温めた麦芽飲料(合成品だ)のカップを手に持って、苦笑する。 俺が余りに『寒い、寒い』を連発するからだ。
満洲は、南満州しか経験のない八神も、同様に苦笑している。 だが寒いのだ、本当に。 確かに北満州の方が気温は低い。
それに比べて、僅かでも海流の影響を受ける樺太の方が、『多少はマシ』な筈なのだが・・・ どうした事か?

「しかし、寒冷地の冬季戦と言うのも、厄介なものですね。 燃料や推進剤だけじゃなく、機体の配管系統に電装系統まで、放っておくと寒気にやられてしまう。
見えない所で装備も、あれやこれやと・・・ 自分は南満州駐留経験だけですが、大陸は。 北満州も、こんな調子だったんですか?」

「・・・これより酷いぜ、本当は。 だもんで、これ位で根を上げかけている大隊長は、鈍っているとしか言いようが無い」

―――俺は92年の春から、最上は俺が満洲を去った93年の10月から、北満州駐留だった。 もっともその翌年には、北満州は放棄されてしまったが。

「・・・俺はな、この地で人の世の諸行無常を感じているんだ。 かつては強大だったソ連が、今や極東の僅かな地域を、それこそかつての『敵』に縋って守っている。
まさに『諸行無常の響き』じゃないか? 俺はそんな、高尚な感覚でもって、寒さが増すんだよ。 鈍感な限りのお前さん等と、一緒にするな」

「・・・何が、高尚ですか。 そんなのとは、縁遠い人でしょうが、アンタは・・・」

「良く言いますよ。 俺が少尉時代の頃の中隊長は、一体誰だったって言うんです?」

―――好き勝手に言いやがって。 まあ、自分が少し鈍っている事は認める。 どうにも己の士気ってヤツが上がらない事は確かだ。
1999年11月、俺は日本帝国領の最北端、樺太に居た。 正確には北緯50度以南を領域とする、日本帝国『樺太県』だ。
8月に攻略した、甲22号目標―――『明星作戦』の終了後、俺の、いや、俺を含めた数人の立場は、少しばかり微妙になっていた。
ハイヴ最深部への突入を果たした部隊の指揮官である、俺と圭介、それに愛姫。 俺の場合、国連軍との協定を破って、ハイヴ内情報を勝手に解除した独断専行も含まれた。
それは圭介も同様で、奴も第141戦術機甲連隊への情報制限を、只の師団参謀の立場で勝手に行った。 俺と同罪だ。 因みに祥子も、同じ理由で微妙な立場になっていた。
流石に銃殺刑は無いにせよ、長期に渡る拘束は最悪、覚悟した。 軍法会議の上で、降格の上、予備役編入・即時召集で島流しも最悪は有り得る、そう覚悟した。

結果は、と言うと。 『半年ほど、仙台(国連の例の計画の仮所在地)から目の届かない所で、骨休めして来い』との、作戦課長の言葉通り、この最北の地で骨休めしている。
どうやら軍上層部も、今回ばかりは国連や米軍に(米軍へは前々から)含む所が有ったようだ。 当然ながら、厳しい緘口令を課せられたが、軍歴自体に傷は付かなかった。
そして現在、北の護りの見直しが行われると同時に部隊が設立された、『第101独立戦術機甲大隊』の指揮官として、この南樺太に駐留している。

「しかし帝国軍中でも、大尉で大隊長ってのは、珍しいですよね。 ソ連や中共なんかじゃ、時々聞きますが」

八神がこれまた美味くもない、コーヒーモドキを飲みながら、少し笑って言う。 こいつもかなり無理をしている筈だが、暫く様子を見ようかと思う。

「確かにそうだよな。 ウチだけじゃなくって、102(独立第102戦術機甲大隊)の長門大尉(長門圭介大尉)、103の棚倉大尉(棚倉五郎大尉)・・・
104の伊庭大尉(伊庭慎之介大尉)もそうだ、4人とも大尉で大隊長だよな。 みんな、大隊長の同期生でしたっけ? 18期のA?」

最上の問いに、叩頭して答える。 そうだ、みんな俺の同期生達だ、訓練校の18期A卒。 大尉の古参組で古い順で言えば、半月後には大尉の中での序列が上から2番目になる。
半年先任の17期Bや、1年先任の17期Aでは既に、大隊長のポストに付いている者が居る。 それより上の代は、士官学校卒も訓練校卒も、戦死者数が半端じゃなくなってきた。
当然ながら、大隊長ポストは本来なら少佐か中佐だ、大尉は中隊長を務める。 が、その佐官級の戦死者が増え、ポストの数に、生き残りの数が足りなくなってきたのだ。
これは明星作戦が形上どうであれ、なんとか制圧に成功した事を受けて、本土防衛軍が大規模な戦力の再編成と、建て直し計画を計った事に起因する。
その為に、まだ中隊長ポストで有る筈の18期A卒の大尉までが、『大尉大隊長』の範囲に含まれ始めた、と言う事だった。 俺達4人はその第1陣・12名の中の4人だ。

「とは言え、正規師団の戦術機甲連隊はまだ、従来のバランスを保っているけどな。 田舎に駐留する独戦(独立戦術機甲大隊)くらいだ、まだな」

樺太に俺を含む4名、何とか仮設基地を設けた北陸に3名、九州に3名と、沖縄に2名の 同期生達が、戦術機大隊を率いてBETAとの防衛線の最前線で、体を張っている。
俺が任された『独立第101戦術機甲大隊』は、北方防衛を担う第11軍団(第53師団・北海道、第55師団・南樺太・千島)の直率部隊だ。 指揮系統で参謀長に直結する。
任務は色々。 第55師団の突破支援や、樺太駐留の独立旅団(第208、209、210)の攻撃支援、或いはこの間の様に、『友軍』であるソ連軍への『出張支援』などだ。

ホームベースは、『非番』の時は後方の、第55師団司令部が有る豊原基地。 『当番』の時はここ、南樺太北部の敷香基地をベースにする。 
そして半月交替で2個大隊ずつ、『当番』と『非番』をローテーションで繰り返す。 BETAの襲来は、10月初めの着任以来、数えて4回。 多いのか、少ないのか。
少なくとも、北満州の頃に比べると、俺自身はのんびりしている。 BETAの数も、今日の旅団規模は10月から今までで、最大だった位だ。 普段は1000体前後だ。

「ま、本土の、それも再建途上の師団や、最前線の師団に再配属されるよりは、のんびりできそうだし。 俺は気に入っていますよ」

「週に1回、有るかないかの、間引き攻撃の余りモノの上陸をぶっ叩くってのは、ストレス発散ですね。 光線級も滅多に出ないし」

同じ感想を持っていたらしい、2人の部下達の言葉に苦笑しながら、それぞれの報告書を受け取る。 ただ1点、書類仕事が増えたのは頂けないな。
最上と八神を退室させた後、色々と書類に目を通す事にした。 こればかりは誰かに任せる訳にはいかない、本当は大隊副官が居ればいいのだけどな・・・
だけど生憎、まだ着任していない。 って言うか、寄こす気が有るのだろうか? 呉れ、と言ってから早、1カ月が過ぎていると言うのに。

戦闘詳細に機体の整備記録。 備品の消耗報告と補充要請。 予算計画書と見比べながらの、補給品請求。 人事記録とその報告。 上級司令部への各種報告書・・・
気がつけば、1時間以上が経っていた。 備え付けのダルマストーブ(こんなものまで、ここじゃ現役だ!)の上の薬缶から、熱湯をカップに注いで、コーヒーモドキを作る。
味は兎も角、熱い飲みモノは嬉しい。 思わず数年前のアラスカを思い出す、あそこも寒さは、半端じゃ無い寒さだったな・・・

無意識に、部隊の事を考えていた。 実は実戦訓練を兼ねた予備部隊なのだ、ここは。 樺太はH19からの分派BETA群の来襲は有るが、小規模で間隔もかなり空く。
それにほぼ、北樺太の北部に限定されている(今の所は)。 練成部隊を出たばかりの新米達に無事、初陣を経験させて、かつ実戦度胸を付けさせるには最適、そう言う事だ。
それともう一点、『休暇配置』に似た配置でも有る。 今回、俺が引っ張ってきた中堅以上の連中は皆、旧第18師団の連中だ。
明星作戦で結構な損害を出した第14、第18師団の再建は、かなりの時間を要すると判断された。 その中で、最優先されたのは第14師団の至急の再建。
あの師団は早々に、『北関東絶対防衛圏』の要の部隊に指定されたから、尚更だ(同時に、甲編制の重戦術機甲師団に変更された)

その結果、第18師団は解隊された。 その人員は半分が第14師団にシフトされたが、残り半分は他の配置に転属となった。
14師団師団長の福田少将が、中将に進級して、新編軍団の司令官になるらしい。 18師団長だった森村少将が、福田中将の後を受けて横滑りで14師団長になった。
宇賀神中佐は、14師団内に新設される142連隊の先任大隊長・兼・副連隊長の予定で、荒蒔少佐も同様に142連隊に移る。 木伏少佐は大隊毎、141連隊だ。
大尉クラスでは最上を俺が引き抜いた他は、和泉さんと緋色が転出した。 訳は後で。 その他は源さんと三瀬さんか、転属したのは。

俺はまあ、その色々と有ってここに居るが。 その時に部下の中隊長として最上と、大尉に進級した八神を引っ張って来た。
最上の場合は、安定した指揮能力を見込んでだ。 気心も知れているし、右腕になってくれれば、そう期待した訳だ、新米大隊長としては。
八神は・・・ 元々の部下だった事も有るが、従弟から相談された訳だ、『ヤバいぞ』と。 俺から見ても、傍目にも、今すぐ死地に吶喊しかねない危うさを感じた、
だからこの『休暇配置』に引っ張った。 俺自身、かつて経験した事が有る。 原因は同じではないが、症状の大小は問わず、似た様なものだ。

(・・・横浜ハイヴ、か・・・)

苦い記憶だ、色々な意味で。

かつての部下、四宮杏子中尉があそこで戦死した。 彼女の上官で、俺の同期生の恵那瑞穂大尉も戦死した。 中隊全滅、12名全員戦死は、181連隊ではあそこだけだ。
俺にとっても悔やまれる事だった。 ハイヴ第3層の防衛戦闘で、脇から突進してくるBETA群の阻止を、木伏少佐の大隊に割り振った。 それがいけなかったのか?
結果として2正面戦闘を強いてしまった(もっとも、大なり小なり、どの大隊も同じだったが) 期する所の有った恵那大尉が、志願して側面防衛に部隊を充てたのだ。
結果的に、それが原因になった。 正面からの大群に押される本隊の脱出の機会を作る為、恵那大尉の中隊は最後まで、側面を維持しようと奮戦した。
そして最後の脱出の直前、本隊との間をBETA群によって分断されたのだ。 地下茎情報をつぶさにモニタリングしていた俺からは、良く判った。

恵那がかつての『失敗』を、取り戻したがっていた事を。 そして何とか部下を生き残らせようと、奮戦した事を。 彼女は中隊の最後尾に位置していたのだから。
四宮が、隊長の恵那とはしっくり行っていなかった事も、知っていた。 それでも尚、生真面目に隊長を救おうとする奴だったと言う事も。 モニターを見ればよく判った。
結果として、あの中隊はBETA群を喰い破る事は出来なかった。 僚隊の摂津大尉の中隊が、途中反転しかけたが、大隊長の木伏少佐は厳に命令して行かせなかった。
あれはあれで、正解だったと思う。 残酷な話だが、そうしないと大隊全滅も有り得たのだから。 殿とは、そう言うものだ。 味方の為に全滅する事も、任務の内だった。

(・・・恵那、四宮、お前ら、納得のいく戦い方が出来たか? それで死ねたか?)

死んだ2人の事は、胸中に収めておくしかない。 いずれ、向うで会ったら、聞く事にする。 で、問題は八神だ。 惚れていた女が、自分の近くで死んだ、何も手助けできずに。
これは、あれだ、話に聞いたヴァルター(ヴァルター・フォン・アルトマイエル国連軍少佐)の時と似ているのか? とも思った。
彼の場合、翠華(蒋翠華国連軍大尉)が身近にいた事が、結果としてプラスになって立ち直れたらしいが・・・ どうしたものか、ここには相応の相手も居なさそうだ。

「・・・『惚れた腫れた、別れた振られた、死んだ死なれた。 全ては時間薬が癒してくれる』か。 確かにそんな一面は有ると思うぞ、八神・・・」

―――はて、誰の言葉だったか? ・・・思い出した、あの、姉の知り合いの、女傑の言葉だったな。

問題はさて、誰か背中を押してくれる佳い相手が現れるかどうか、と言う所かな?

気が付けばもう、2400時近かった。 明日は交替の部隊がやってくる、伊庭の第104だ。 引き継ぎや何や、書類を纏めておかない事には。










1999年11月17日 1945 日本帝国領 南樺太 樺太県豊原支庁 豊原市


「アナスタシア・アレクサンドロヴナ・ダーシュコヴァ・・・ああ、サーシャね? 昔、『双極作戦』の時にちょっとだけ一緒だった、ソ連軍の。
そう、彼女、生き残っていたのね、良かった・・・ それにもう少佐なの? 確か私の3歳年下だったわよね? 彼女」

「人員の消耗が激しいからな、ソ連軍は。 冗談抜きで、10代後半の大尉なんてのも、珍しくない。 20代も半ばなら、生き残ってりゃ、立派に少佐殿って訳だそうだ」

お陰さまで、少佐と大尉と言う階級差が有るにもかかわらず、彼女の部隊とは円滑に教頭が出来る。 
彼女もまあ、こっちが旧知で少なくとも2年は年上、と言う事は、『頭の片隅には』入れていて呉れている様子だった。

家族持ち用の官舎で祥子と2人、夕食を取っていた。 非番の時はこうやって、かなり早い時間に家に帰る事が出来るのが嬉しい。
祥子自身は、第55師団司令部勤務だから、彼女にとっては旦那が月の半分、出張している様なモノだろう。

「・・・でね、これは愛姫ちゃんが作ったのを、持って来てくれたのよ。 私はお返しに、煮物をあげたの」

基本、ウチの奥さんは、料理は和食が得意の様だ。 翻って、お隣さんは和洋中、何でもアリ。 美味ければ何でも、ドンと来い! な、豪快な食卓らしい。
お陰さまで、すっかり和食に馴染んだな。 実家は特に、どれかに編重していた訳じゃないし、軍のメシは色々だし、暫く欧米にも行っていたし。
肉じゃがを口に放り込んで、つかの間の至福を味わう。 料理の腕も、ウチの奥さん、同棲?を始めた頃からしたら、格段に腕を上げたしな。

「・・・にしても祥子、ついこの前までとは、別人の様な食欲だな・・・」

「いやだ、そんなに食べてないわよ! ・・・もうすぐ安定期に入るからかしらね? 食欲が元に戻ったみたい」

そう言って笑う妻の笑顔を見ていたら、そうなのだろうな、と思う。 ついこの前まで、つわりが酷くて、酷くて。 食も細くなって、随分心配したものだったよ。
祥子は―――妻は、現在妊娠4カ月、12週に入った所だ。 妊娠が判ったのは、豊原に着任したすぐ後だった。 気分がすぐれず、軍医に相談した所、判ったと言う訳だ。
今は豊原市内の軍病院(軍から指定を受けた、県立病院)の産科に、定期的に検診で通っている。 母子ともに順調だそうで、まずは安心だ。
身籠った事が契機なのかどうか、最近はずっと母性的な愛らしさを感じる。 俺の子供を宿してくれた女性、妻。 ああ、夫婦ってこういうものだったのか。
人の親となる事は、こういう実感だったのか。 改めて感じた。 そう言う意味では、この『休暇配置』は俺にとって(妻にとっても)、ひと時の安らぎに似ていた。

「お隣さんもね、順調の様よ。 もっとも愛姫ちゃんは、食欲は余り変わらなくって、つわりも、そう酷くなかったそうだけど」

―――羨ましいわ。

そう言って、ちょっと羨ましそうな表情の奥さん。 男には判らない辛さなのだろうな、月の半分を留守にして、申し訳ない、うん。
ふと、隣家を想像してみた。 圭介の奴は特に偏食が無い男だから、何でも食べるだろうけど・・・量がな。 一度、呼ばれてお邪魔した時は、ちょっと吃驚した。
愛姫はあれで、昔から良く食べる奴だったからな。 それこそ、新米少尉時代の『暴食娘』は相も変わらず・・・いや、少しはバランスとか、栄養を考える様になったらしい。

隣家は、長門大尉のお宅。 旦那の圭介に、『新妻』の、『長門愛姫』こと、伊達愛姫大尉の『夫婦』が住んでいる。
あの2人の結婚は、ちょっとした騒動だったな。 何せ、10月1日の着任時はプロポーズさえしていなかったのだから。
愛姫は当初、独立第103戦術機甲大隊長に補されての着任だった。 それが着任以来、体調が思わしくなく、なにより理由も無しに、食欲が落ちたのだ!
これは変だ、何かの病気か!? と、周囲の方が騒ぎだして、軍病院に引きずって行った所、こちらも『偶然に』ご懐妊が発覚。
しかし話はそれで収まらない、何せ彼女は『未婚』だったのだから。 で、関係各者の諸々の事情確認の結果、『長門大尉の犯行』が明らかになった。

それからがまた、ひと騒動だった。 とにかく、ここまで来たら双方ともに、身を固めるしかない。 
幸い、双方ともいずれ、そのつもりだったらしいから、当人同士は良いとして。 問題は双方の家族だ。
いやまあ、圭介のあの頃の表情は、悪いが見物だった。 まさに決死の形相、一世一代の覚悟で、愛姫の実家に(特別休暇を参謀長から貰って)挨拶しに出陣した。
何と言っても愛姫はあれでいて、地方の名家の娘だ。 娘を軍人にするのと、未婚の母にするのとでは、全く違う。 向うの親御さんが、事情を知った時の怒りはいか程に・・・
が、何と言うか、流石はあの愛姫の親と言うか。 最初は吃驚したそうだが、最後は豪快に笑って認めたそうだ。 『家族が増えるのは、良い事だ!』とか言ったらしい。
で、急遽、翌日に親族だけ集めて、略式の挙式を決行したそうだ。 圭介の家は、両親と祖母、看護師の妹に、叔母家族が同居して、仙台に疎開していた。
愛姫に聞いた所じゃ、圭介の親爺さん、まるで腹を切りかねない勢いで、申し訳無さがっていたらしい。 俺も知っているけど、おじさん、昔堅気だしな。
で、その昔堅気の親爺さんに、不埒な新郎は散々、ぶん殴られたそうだ。 挙式当日、青痣で出席したと、後日当人から悔しそうに報告を受けた、笑ったが。

で、流石に妊婦に戦術機甲大隊指揮官はさせられない、と言う事で、とばっちりを食って樺太まではるばる、転勤させられたのが、同期の棚倉(棚倉五郎大尉)と言う訳だ。
お陰で長門夫妻は、棚倉夫妻(棚倉自身は、昨年結婚していた)に頭が上がらないと言う図式だ(棚倉と奥さんは、気にするな、と言い続けて笑っているが)
愛姫は独戦(独立戦術機甲大隊)指揮官から、第55師団司令部総務課の、広報渉外班長に配置転換された。 人当たりは良いからな、あいつは。

「圭介と、愛姫の結婚にも驚いたけれど・・・ ほら、先月と今月、2組も知り合いが結婚したしな・・・」

食べ終わって、渋茶を飲みながら、思わず呆けた様に言ってしまう。

「そんな時期なのでしょうね。 もういい年だもの、私達と同年代よ?」

食卓を片づけながら、祥子が笑いながら言い返してきた。 確かにそうだ、もうみんな、20代半ばか、それを越したものな。

10月の半ば、源さんと三瀬さんが、ようやくの事で一緒になった。 こっちは俺たち以上に長い春だった、何せ8年越しのゴールインだからな。
同時に2人とも転属し、源さんは陸軍技術総監部・戦術機甲本部の戦術機甲審査部に転属した。 今頃はテストパイロット―――開発衛士をしている筈だ。
三瀬さんは同じく技術総監部の、第1技術開発廠・第1開発局第2部に転属となった。 有体に言えば、あの河惣中佐の部下だ。

そして今月初旬のサプライズ。 緋色がとうとう実家を飛び出して、宇賀神中佐と結婚した。 これは流石に、一筋縄ではいかなかった様だ。
彼女の場合、実家は山吹の家格の武家。 緋色自身は世が世ならば、『お姫様』なのだ。 親戚筋が猛烈に反対して、形としては『絶縁』されての結婚だった。
何しろ彼女の実家は、様々な姻戚関係から、上は赤、下は白まで、様々な武家社会での縁戚関係が有る。 対して宇賀神中佐自身は、全く普通の市民の家の出だ。

明星作戦が終わった直後、彼女自身が実家に打ち明けたらしい。 その直後から、一族・親戚縁者挙げての、慰留工作が展開された・・・らしい。
最後は、彼女の父親の黙認(『絶縁』は、父親として、当主として、最後の義務と親心だったのだろう)と、姉の周囲への説得とで、縁を切る事で縁戚達も黙認したらしい。

そして、『夫婦で同一部隊は、絶対不可』の、帝国軍の不文律からして、どちらかが転属すべきであって。
更には、再編成師団の中核幹部として、新編連隊での先任大隊長・兼・副連隊長予定者と、一介の中隊長とでは、重みが全く違う訳で。
緋色は訓練校の教官として、転出した。 もっともこの訓練校、来年には北関東に移転する予定だ。 いずれ夫婦揃って暮らせるだろう。
と言う訳で、親しい同期生3人目の結婚がなって、『宇賀神緋色』大尉の誕生と、あい為った訳だ。 まったくもって、目出度い。 けど、余り驚かさないで欲しい。
それと、祥子や愛姫と違い、緋色の場合は旦那がずっと上の階級(中佐だ、緋色は大尉)だから、混同する事もない、そう言って旧姓は名乗っていない(そもそも、名乗れない)
訓練生にとっては、さぞ厳しい教官になる事だろうな。 いや、反面、苦労して来た彼女の事だ。 案外、良い教官になれるかもしれない。

「あとは、沙雪ね。 彼女、本当にこればかりは、のんびり構えているのだから・・・」

和泉沙雪大尉は、損失の激しい第3師団に転属となった。 最初は第1師団との話も有ったが、『冗談じゃないよ!』と、国防省人事局に直談判に及び、第3師団へ転属となった。
周囲はまあ・・・妙に納得した。 確かに彼女は歴戦の衛士で、エースと言って差し支えない。 指揮官としても、現状で臨める最上の部類に入る。
が、彼女が第1師団・・・帝国陸軍の『頭号師団』で、となると・・・ 木伏少佐がいみじくも言った、『第1師団の規則が、あいつを嫌うやろうなぁ・・・』と。

「俺の交際範囲的には、3人の華人の『お嬢さん』方もな・・・」

そんな事を考えていると、不意に3人の女性将校の顔が浮かんだ、帝国軍じゃない、国連軍、元は中国軍(統一中華軍)だ。

「ああ、そうね・・・ 周少佐(周蘇紅少佐)に、趙大尉(趙美鳳大尉)と朱大尉(朱文怜大尉)・・・ どうするのかしら? 暫く母国には帰らない、って言っていたわね?」

「正確には、母国じゃないけどね・・・ もう、国際結婚でもなんでも、押しつけてやるか?」

「もう! まずは本人達の意志がどうか、でしょう?」

今まで、結婚前まで散々、こっちが弄られてきたからな。 覚悟しておけよ? 3人とも。 
後は何だ、その、木伏さんも気にはなるんだけど・・・これは、まあ時間に任せよう。

「来月にね、一度出張が有るの。 軍管区司令部に、各軍団・師団司令部の幕僚が集まっての会議があって。 私も末席に参加なのよ」

台所で洗い物をしながら、祥子が言った。 彼女の場合、師団司令部第1部勤務だから、そう言う出張も多いか。

「ああ、なら都合が良い、実家に顔を出して来い。 お義父さんも、お義母さんも、喜ぶだろうから」

「ええ、あなたの実家にも。 お義父様やお義母様にも、ご挨拶しないと。 お義姉様達にもね。 あ、子供達に、何かお土産買ってあげないと」

「・・・出費が痛い・・・」

「今月は、煙草もお酒も、節制して下さいな」

「・・・それは、無いんじゃないか・・・?」

以前は、オンとオフの切り替えは、馬鹿騒ぎを皆でやったりと、そんな風にしていた。 今はこうやって、家でゆっくりできる事が、最大の安らぎになった。
戦場ではギリギリの、存在をかけて戦う。 そして後方でこうして、愛する家族との団欒を持てる。 愛する妻と、生まれて来る子供を想って。

「・・・俺も、年を取った? オヤジになったのか?」

「え? 何か言った?」

「いいや、何でもない」

―――ま、いいじゃないか。 気負って『人類の為』とか、『人類の勝利を』とか、四六時中言っていたら、精根尽き果てるだろう?
それに好きな誰かと一緒になって、子供を作って育てて、次代の世界に託す。 それもまた、人の営みもまた、『戦い』なんだな、と思う。






[20952] 北嶺編 2話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/11/06 12:18
1999年12月10日 0250 南樺太 敷香市上敷香 日ソ国境線付近 北緯50度


―――只ならぬ空気だ。

日ソ両軍が粉雪の舞う酷寒の深夜、国境線を挟んで睨み合っている。 国境線の向こう側にソ連国境軍(KGB所属)の戦術機、Mig-23 MLD『チボラシュカ』が8機。
国境線のこちらに側には、92式『疾風』弐型乙が1個中隊、12機。 お互い、突撃砲の銃口が相手に合わない様に、しかし即応できるように、身構えている。
そして国境から日本帝国領に10km程入った敷香基地では、複数の日ソの軍人(ソ連側は、軍とKGB)が向かい合っていた。

「・・・ですので、ガスパージン・スオウ。 貴国の領域を犯した、不届きな我が軍の者達を、至急、お引き渡し頂きたい」

―――領域侵犯者を、ソ連側が処分してやるのだから、さっさと引き渡せ、か? 随分と、舐めてくれるものだ。

「・・・我が国は、人道上の見解により、国際難民を拒否する所ではありません、ガスパージン・フョードロフ。 彼等は『保護』を求めてきた。
そう、保護だ。 『BETAの脅威からの保護』、この要請に対し、我が国は国連決議に従い、まずは当人達への事情の確認を行う義務が有る」

さて、どう出る? あの越境者達は、軍服はおろか、軍属を示す何物も所持していなかったぞ?

「おお、それは・・・ 悪辣な裏切り者、党と祖国と人民への裏切り者、ひいては人類の崇高な戦いに対する叛意者達が使う、悪質な手口なのです。
ガスパージン・スオウ、貴方はあの悪辣な裏切り者の手口をご存じない。 あの者達は、裏切りの為ならば、人類の尊厳さえ、利用して恥じない変節漢なのですよ」

ふん、『裏切り者』か。 当の『人民』に聞きたいものだな、一体、誰が、誰を裏切っているのかを、その本音を。
が、ここでそんな事を、言うものじゃない。 思慮の足りないガキじゃあるまいし。 それより、随分と多弁になって来たな?

「貴国の主張は、承った。 しかし小官には、それに応じる権限は与えられていない。 彼等は一度、豊原(第55師団司令部)に移送される」

「おお! ガスパージン・スオウ! 貴官はよもや、我が国と貴国との間の取り決め、それをお忘れになったのでは、無いでしょうな?」

BETA大戦勃発後、日ソ不可侵条約から発展した、日ソ協力協定。 あれには難民の受け入れ条項も有ったな。 その条件も。
それによれば、脱走兵や故なく相互の国家を捨て、相手国に不法侵入した者は、可及的速やかに相手国に引き渡すべし、そう明記されていたな。

「あの者達は、我がソ連邦への、恥じるべき裏切り者なのです。 そして我がソ連邦は貴国を友好国として、同盟国として長年に渡り尊重してきました。
そう、長い間です。 確かに不幸な時期は有りました、それは認めましょう。 しかしBETA大戦下に有って、両国は手を携え、この極東の防衛に協力して来ました」

―――やはりな、随分と口数が多くなった。

「極東の防衛は、両国の存亡をかける崇高な戦いであり、人類社会の存亡をかける、これも崇高な戦いです。 あの者達は、それを裏切ったのですぞ?
あの者達が、貴国体制下で新たな軍務にでも就くと? ニェット! ニェット! あの恥ずべき裏切り者達は、己の安寧しか考えないのです!
このサハリンで、ソ連邦の同胞が死戦を繰り広げている事実! その援軍として、貴国軍隊もまた、戦場に命を散らしながら共に戦っている事実!
ガスパージン・スオウ、あの裏切り者達は、それすら理解しない! いいや、そんな事は無意味だと、己さえ安寧であればそれで良いと!
繰り返しますぞ、ガスパージン・スオウ。 あの者達は、我が国のみならず、血と命で購ってまで示してくれた、貴国の同盟国たる我が国への尊重、それさえも汚す者だ!」

―――血圧、上がるぞ? チェーカー?

「・・・越境して来た者達は、身分を証明するものは何一つ、持ち合わせていない男女が6人と、10歳前後の幼少の者が5人。
人種の特定はまだだが、東欧スラブ系、そう見受けられる。 つまり―――貴国の『国民』なのか、他国出身者なのか、今ここでの判別は不可能。
よって、我が国は国際条約に従い、まず当人達からの事情を聴取する。 それとも―――彼等の身分を示す、明確な根拠がお有りか? 
ならば、提示願いたい。 小官はその職務を持って、上級司令部に責任を持って知らせる事だろう」

―――KGBが、わざわざ出張ってくる越境者だ。 それは、それは、『訳有り』なのだろう? そしてそんな連中の裏事情を示す事など、できやしないだろう?

暫く睨みつけていたが、やがてここで押し問答は無意味、そう悟ったか、KGBの担当官は『正式ルートで、申し入れる!』と言って出て行った。
はん、『正式ルート』? それこそ有り得ない。 こうして捻じ込んできた段階で、正式ルートが使えない『代物』が含まれていたのだろう、あの越境者達の中に。

残されたソ連軍の代表者―――アナスタシア・アレクサンドロヴナ・ダーシュコヴァ少佐が、苦笑しながらその後ろ姿を見ていた。
彼女はやがて振り返り、小さな声で謝罪と、密かな注意を喚起してくれた。 その内容は、あまり嬉しいものではなかったが。

「・・・気を付けて。 先日来、チェーカーが動き回っているわ。 それもアラスカから来た連中よ」

「・・・わざわざ、ここまで?」

「ええ、何か有る。 私はこれ以上言えない」

「ああ、有難う。 それだけで十分だ、気を付けてくれ、サーシャ」

事務的な遣り取りを装って、小さく、短い会話で済ませる。 国家間や組織間は兎も角、現場の人間同士の協力関係は、決して悪くないのだ。
が、あからさまにそれを表立たせるのは危険だ、特にソ連側は。 サーシャに限って言えば、彼女の世代が問題だと言う。
ソ連が全ての国民に、洗脳に似た教育を施し始めたのは随分と昔だが、サーシャはその過渡期、洗脳『では無い』、最後の教育を受けた年代だと聞いた。

(『・・・お陰さまで、私は随分と政治的信頼性、って言うのが低くって。 私はロシア人だけれど、部下達は数少ない、ウクライナやベラルーシの出身よ』)

そう言って、少し寂しく笑っていた。


サーシャも建物を出て行った後、国境警備隊分所指揮官の中尉が、確認しに来た。

「・・・大尉殿、ソ連の『第989師団』からの件は・・・」

「・・・それは俺の管轄じゃない。 俺は何も見ていないし、報告は受けていない。 この辺の受け渡し担当は、第210旅団だろう? あちらさんの良しなに、だな?」

「はっ!」

ソ連軍第989師団―――ソ連軍極東軍管区の編制表には、存在しない部隊。 恐らく極東軍管区司令部も、KGB極東管区本部も、把握していないだろう部隊。
我が軍でも、第11軍団司令部でさえ、知っているのは少数だろう。 第210旅団や他の国境警備旅団辺りは当事者だから、当然関係者は居るが。

有体に言えばソ連の、いや、『ロシアの闇』だ。 反政府組織、民族主義者、地域マフィアにソ連軍内の非主流派が合流した、『もう一つのロシア社会』と言えるか。
社会軍事学的に言えば、何と言うのか・・・習った筈だが、咄嗟に出てこない。 彼等は『ロシアの闇』に生息する。 当然、普段は別の顔を持つ。
政治的、思想的な結社では無い、そう思う。 抑圧され、BETAの恐怖がスパイスされた、『ロシアの狂気』、その暴力的な『闇』だ。

現実的な話をすると、この樺太では『南北密輸』を行っている。 向うは『第989師団』、こっちは『第11軍団国境警備隊』、第208、第209、第210旅団が手引きしている。
北樺太は、慢性的に物資不足だ。 南の日本との闇市場経済が機能しなければ、その市場に流れる各種物資が無くなれば、たちまちの内に、混乱と飢餓の内に崩壊するだろう。
そうなれば?―――数十万の飢えた難民と化した連中が、南樺太に押し寄せるだろう。 命の危険を顧みず、生きる為に。 そうなれば南樺太は大混乱となる。
日本に関して言えば、安価な原材料の入手。 特に良好な漁場でも有るオホーツク海南部海域(オホーツク海北部は戦場だ)や、ベーリング海での水産資源の大量入手。
南樺太や北海道に次々と建設されつつある、各種生産工場への『非合法』な労働力の供出。 それでも確実にBETAとの戦いの矢面に立たされるより、遥かにマシ、と言う事か。

実の所、国境警備の軍は黙認している。 軍の委託を受けた商社の人間が、国境を越えて北樺太(北サハリン)へ向かう姿さえ、見た事もある。
正直言って、今の樺太の内政は『伏魔殿』だ。 自治体、政府の出張先、軍、治安当局、そして民間企業に、地下組織。 何がどう、どこで繋がっているのやら・・・
何はともあれ、『保護』した連中の事情聴取を始めない事には。 全く付いていない、よりによって『当番』の時に、それも基地の当直司令の時に、越境者だなんて。

場所を移動して、基地本部棟の奥、普段は会議室として使われている部屋に、数名の『越境者』が収容されていた。
明らかに、スラブ系と思しき男女が4人に、アジア系と思しき男女が2人。 これもスラブ系と見える幼子が5人。
顔立ちと様子から察するに、親子連れが3組の様だ。 酷く怯えている、まあ無理もない。 場合によってはこのまま強制送還、と言う事も有り得るのだから。
当番兵に命じて、暖かい飲料を持って来させた。 まずは一息入れて貰って、出来れば大事にならない様に願うばかり。
事情聴取の『尋問官』は、当直司令の俺と、副指令の砲兵科の中尉。 それに当番下士官の(ロシア語と英語が判る)曹長の3人。

『・・・英語を解する者は、居るか?』

これでロシア語しかダメだったら、目も当てられない。 俺はロシア語は、判らないんだから。 幾ら通訳が居るとは言えな。

『ああ・・・私と、そっちのワロージャ・・・ウラジミールは、英語を話せる』

助かった、これで仕事を始める事が出来る。 

『OK。 では・・・まず、私は日本帝国陸軍大尉、周防直衛。 この敷香基地の当直司令だ、今夜のな。 それでは、君達の名前、及び所属・階級を』

今のソ連に、軍人・軍属以外の人間が居たら、教えて欲しいものだ。 なのでまず、所属と官姓名を聞いてみる事にする。
だが、それっきり黙りこくってしまった。 おいおい、頼むよ。 ここで何も言わなければ、俺は上級司令部に報告できないし、アンタらは『不審侵犯者』として強制送還だぞ?

『・・・もう一度聞く。 名前、そして所属と階級を。 黙秘はプラスにはならない、判るな?』

暗に脅しをかけてみる―――どうやら、揺さぶりにはなった様だ、向うでお互い、目を合せている。
そうするうちに、最初に『英語が判る』と言った男が、ポツリ、ポツリ、と話し始めた。

『私は・・・ニコライ・バラノフ。 ソ連邦少佐。 彼女は妻のエレーネ、それに娘のナターシャに、息子のセルゲイ・・・』

目前の越境者達は、ニコライとエレーネのバラノフ夫妻に、娘のナターシャと息子のセルゲイ。
他にウラジミール・イエルショコフ大尉と妻のアグニア、息子のミハイルに娘のアントニーナ。
ボリス・ヴァシリコフ中尉と妻のヴェラ、娘のカテリーナ。 皆、夫婦は揃ってソ連邦の軍人だった。
それも驚いた事に、バラノフ少佐の所属は極東軍管区保安部、つまり、『KGB』だ。 驚いた、噂に聞くKBG要員と、しかも脱走者と会うのは―――7年振りか。
イエルショコフ大尉は、参謀本部第4総局(軍事技術)所属の技術将校。 ヴァシリコフ中尉は、ソ連内務省組織犯罪・テロ対策部の所属だと言う。

『・・・では、諸君らはソ連邦国家からの脱走者である、そう認識して良いのだな?』

『違う! 私達は自分の信条によって、亡命を希望する亡命者だ!』

いきなりワロージャ―――ウラジミール・イエルショコフ大尉が叫んだ。 その眼には何か、そう、何かとてつもない哀しみと、遣り切れない怒りが籠っている、そう見えた。
見れば、ニコライ・バラノフ少佐も、ボリス・ヴァシリコフ中尉も、同じような眼をしていた―――見た事が有る、記憶に有る、この眼は。

『・・・貴官等の官姓名は、判った。 では次の質問だ、彼等が・・・そちらの女性達と、子供達が貴官等の家族だと言う、証拠は有るか?』

今も昔も変わらない。 このBETA大戦下においてさえ、国家間同士の謀略工作は行われている。 そしてこういう場合、大抵は『監視役』としての家族が付く。
そう―――『偽装家族』と言う奴だ。 工作員の本当の家族は、当局が押さえている。 そして『裏切り防止』の為に、監視役が家族を偽装してついて来る。
今度は俺に質問に、皆が黙りこくった。 これまで話していた男達のみならず、女達も不安そうな表情でこちらを見ている―――本当の表情か?

『・・・証拠は・・・無い』

『無い?』

バラノフ少佐の、息苦しそうな答えに、如何にも官僚的(に聞こえる努力をした)な声で返す。 俺はこちら方面の専門教育は受けていない、ややもすると、同情しそうだ!

『では、君達を豊原に送るまでも無い。 このまま報告して、指示を待つ。 恐らくは強制送還になる・・・』

『待ってくれッ!』

バラノフ少佐が、懸命の表情で立ち上がり、懇願するようにしゃべり始めた。

『本当は、国境の向こう側で、ピックアップして貰う手筈だったのだ! それが手違いで・・・仕方なく、権限を利用して越境を!
頼む、確認してくれ! お国の会社だ、『ENEI』! この会社の者が、亡命の手筈を整えてくれた! ポロナイスク(敷香のロシア名)に居る筈なのだ!』

『出鱈目を言うな! ただの民間会社の者が、貴様らKGBの亡命の手筈など、整えられる訳が無かろう! 貴様ら、侵入工作員だろう!?』

いきなり横から、当直副司令の中尉ががなりたてた。 この男、歴とした士官学校出なのだが、それなりに優秀なのだが、どうにも硬い。
その怒号に、幼子達が驚き、火が付いた様に泣き始めた。 こうなったらもう、いけない。 件の中尉は益々逆上してしまい、更に大声を出しかけた。

『判っとるぞ! ソ連は我が帝国と共闘する振りをして、対日工作員を盛んに侵入させようとしている事ぐらい! 貴様ら、強制送還でなく、このまま国家憲兵隊に・・・!』

『・・・中尉』

余り大きな声じゃ無かったが、どうやら俺の『怒気』は籠ってくれたようだ。 更に喚こうとした中尉の、機制を削ぐタイミングも、外さずに済んだ。

『私は、大尉の会話を、中尉が遮る事を好まない。 君はどうか?』

芝居っ気も、やってみるモノだな。 BETAと対峙する時をイメージして、極力動じずに声を出してみた―――うん、どうやら『迫力』の欠片位は、出せた様だ。

『・・・今は、大尉の私が尋問している。 君は中尉だ、私の確認が有る時以外、会話の主導権を握る事は能わない』

思わず毒気を抜かれた様な表情で、当直副司令の中尉が押し黙った。 ついで、顔を紅潮させて目礼し、下がる。 
ちょっとした隙に、悔しそうな、陰湿な感じのする怒気を滲ませていた―――『訓練校上がりの、ノンキャリア将校風情が』、そんな所だろう。
陸士出身将校と、各科の訓練校出身将校との階層対立。 帝国陸軍にはびこる、取り除けない病巣のひとつだ。 まあいい、それよりさっきの話だ。

『・・・『ENEI』、そう言ったか? その会社の者が、手引きをしたと?』

『そうだ』

『では、そちらの手土産は何だ?』

『・・・何と?』

―――その会社名、聞き覚えが有る。

記憶を手繰り、更に質問をしようとした、その時。 扉が開き、当直の当番下士官(軍曹だった)が入室して来た。 黙って俺に近づき、耳元で囁く。

「・・・判った。 別室で」

「はっ!」

畜生、嫌だ、嫌だ。 厄介事なんか、大嫌いだ―――大抵、向うが勝手に好いて来るのだ、畜生!

『少々、席を外させて貰う。 中尉、君は当直業務に復帰しろ。 曹長、暫く頼む。 何か温食でも出してやれ』

『はッ!』

不信がられない様に、ここはわざと英語で。 部屋を出て、忌々しい思いと共に、足早で廊下を歩く。 同時に先程の軍曹が、命令文を手渡してきた。
確認する―――『帝国北洋興発の者が来訪予定。 最大限の便宜を図られたし。 第11軍団参謀長』

―――『ENEI』、正式には『Empire North-seas encouragement of new industry Co,Ltd』 日本語での社名は、『帝国北洋興発株式会社』
帝国が樺太・千島を含む陸海域の開発に設立した、完全な『国策会社』だ。 そして軍情報本部が隠れ蓑に使う、とも聞いた事が有る。

(―――畜生! 厄介事は、大嫌いなんだよ!)






「―――お待たせしました」

別室に入ると、三つ揃えの背広を着込んだ中年の紳士―――の割には、目に隙が無い―――がソファから立ち上がった。

「いえ、こちらこそこの様な時間に。 申し訳ありませんな、大尉殿」

恰幅の良い、どこぞの偉いさんかと思う様な中年の男だった。 脇に同じく社員だろうか、妙齢の女性が並んで座っていた。

「まずは、私、この様な者でして」

差し出された名刺を見る―――『帝国北洋興発株式会社 札幌支店 支店長 安原道造』 ふん、いかにも、な肩書だな。
そして俺が座るやいなや、隣の女性がバックの中から一通の書類を取り出す。 見ると、先程受け取った命令書と同じ―――その写しだった。

「参謀長閣下とは、懇意にさせて頂いておりまして・・・ 今回のロシアの方々、あの方々は、まあ、ビジネスパートナーと申しましょうか。
私どもも、今までのお付き合い上、早々邪険には出来ない程には、恩義も有りましてな。 何とか日本に、家族揃って・・・こう申されますと、いや、立場も顧みず、つい・・・」

―――良く回る舌だ。 あの世界の連中ってのは、これも主導権争いのひとつと認識しているのか?

「本来なら、我が社とも懇意の水産会社の漁船で・・・その筈だったのですが。 不幸にもソ連当局の臨検をうけまして。
いや、その会社さん自体は、まっとうな、至極まっとうな会社さんでして。 今も当局に、ご説明に上がっている次第で」

―――もう、良いよ。

「・・・で? 軍情報本部としては、あの連中に何らかの利用価値が有る、だからこのまま豊原に移送しろ、そう言う事ですね?」

「はい? 情報本部? いえいえ、私どもは・・・」

「―――私事ですが、身内にそちらと、似た世界の人間が居ます」

みなまで言うな、もう良いよ、猿芝居は。

「その人間から聞いた事が有ります、『帝国北洋興発』―――国策企業にして、情報本部がアンダーカヴァー用に使う会社のひとつだと。 どうでしょう?」

そこまで俺が言った、次の瞬間。 それまで如何にもひと誑しの、営業畑の会社員です、と言うオーラを出していた『支店長』と、『女性社員』の雰囲気が、ガラリと変わった。
人から、余計な『情』と言う甘えの一切を削ぎ落し、その上で『演技用』の感情を張り付けたら、こんな印象になるのだろうか?―――右近充の叔父貴も、時々こんな感じになる。

「・・・流石は、泣く子も黙る国家憲兵隊の大物、特殊作戦局長・右近充憲兵中将の甥御さんだ。 おっと、そう身構えんでいい。 
『我が社』は国家憲兵隊と、事を構える気は無いし、実働部隊との軋轢を作る気もない。  大尉自身にどうこうなど・・・」

―――疲れるな、全く。

「まあ、今は『仕事中』でな。 我々の階級は、勘弁してくれ。 それよりも君がソ連側に要求を突っぱねてくれた事は、助かった。
なにせ、あの3人をソ連当局に押さえられると、何かと困る事があるのでね。 それも多方面に渡って―――気になるかね?」

「・・・いえ、なりません。 小官の任務とは、関わりが有りませんので」

―――これでも俺は、野戦の指揮官だ。 諜報・防諜の世界とは、無縁だし、無縁でいたい。

「結構、大変に結構―――彼等は『お友達』を多く持つ、『資産』でな。 あの3人が拘束されると、色々と遣り難くなるのでな」

―――聞いた事は有る。 諜報の末端、つまり『お友達』は、自分が『裏切っている』という認識は無い。 その疑問を持たせずに情報を吸い上げるのが、『資産』
これは実に様々なケースを用いて、こちら側に『包括』した『現地のコントローラー』なのだと。 故にこの『資産』が拘束されると、『お友達』が芋づる式に検挙されてしまう。

(・・・つまりは、不調を来たした『部品』のメンテナンス、か・・・)

極東軍管区保安部、参謀本部第4総局、内務省組織犯罪・テロ対策部。 想像するのも嫌な程、それは、それは、有用な情報を得て来たのだろう。

「・・・第11軍団司令部よりの命令も、受領しております。 彼等は至急に、お引き取り願いたい」

「話が早いね、大尉。 そうさせて貰う。 彼等は何処に?」

「別室です。 裏から出させますので、そちらでお待ち下さい」

「了解したよ」






嫌な気分をたっぷり味わって、当直通信士に国境線の戦術機部隊へ引き揚げ命令を伝え、元の越境者達が収容されている会議室に戻ったのは、時間にして10分も経っていなかった。
俺が戻った事で、彼等はまた不安感をかき立てられたようだ。 受け入れられるのか、それとも強制送還―――拷問による尋問の後、確実な処刑が待つ『祖国』へ戻るか。
そんな表情を見ていたら、知らず問いかけてみたくなった。 根本的な疑問だ、どうしてここまでの危険を犯して。 母国ではそう悪い立場でも無かったろうに。

『・・・ひとつだけ聞く。 何故、亡命を? 諸君らは、ソ連邦でもノーメンクラツーラとまではいかずとも、それなりの『特権』を有する階層の筈だ』

それが他国に、しかも今BETA大戦では確実な安全が保障されるとは言い難い、日本帝国に。 それに共産主義と、立憲君主・資本主義の差は、言葉以上に大きな壁だと思う。
俺の真意を測りかねた表情の彼らだったが、やがてニコライ・バラノフ少佐が、絞り出す様な声で話し始めた。 後悔と切迫、郷愁と幻想、愛憎入り混じった声で。

『・・・君には判らない。 我が国は、最早、『人』が希望を持てる国では無くなった。 いや、違う。 絶望の中にでも、一縷の望みをかけて戦える、そんな国では無くなった』

―――どう言う事だ?

『娘は、ナターシャは、年が明ければ6歳になる。 『オクチャブリャータ』に入らねばならない・・・』

―――『オクチャブリャータ』 ・・・確か、ソ連の少年団、『ピオネール』の下部組織だったか?

『そこに入れば・・・もう完全に、親元から引き離される。 徹底的な洗脳教育を受け、やがて『ピオネール』に、軍の幼年学校化した組織に進み、10代半ばには戦場だ。
私も元は陸軍だ。 そこで保安要員として、KGBの教育機関で学び、保安部に配属された。 そしてそれまでの、部隊の部下達は・・・ まだ少年少女の部下達は・・・』

いつの間にか、バラノフ少佐の声は、恐怖が入り混じる声に変わっていた。

『あれは・・・『怪物』だ。 そうとしか、表現のしようが無い。 極限まで純化され、徹底的に方向性を刷り込まれた、人に非らざる者達だ。
私とて、元は野戦の軍人だった。 祖国と、人民と・・・人類の生存、その一端としてBETAと戦う、この事に疑問を抱いた事は無い。
恐怖は抱いた、だがそれは誰もがそうだろう? 仲間の為? そうだ、だがそれは自然に、己の自発的な想いの筈だ、そうだったのだ・・・』

―――何を言いたい?

『私は、BETAと戦うのが怖い、死ぬのが怖い。 だが、私の戦いが、私の死が、愛する妻や子供達の生きる時間を少しでも延ばせれば・・・戦える、戦えた。
そして、たとえ子供達が将来、戦場に立つとしても。 時代が求めるのならば、致し方ない。 私はその為に、少しでも優位な状況を、子供達に与える為なら、戦える・・・』

―――バラノフ少佐の目の色が、狂おしい。

『子供達が将来、父親のそんな思いの一端でも感じてくれるならば、私は喜んで戦場に立つ。 その為には・・・その為には、大尉、親子の情や絆は・・・』

―――だが、今のソ連では、ソ連の洗脳教育は、そんな『個人的』な情緒など、幼い時分に徹底的に排除されてしまう、バラノフ少佐はそう言った。
自分の妻や子供、家族への情愛、それもまた、人が戦う原動力のひとつ。 ああ、それは理解する。 実感する。

『亡命後に、安穏な暮らしが有るとは、私達は思っていない。 困難の連続かもしれない。 だが少なくとも、子供に親の愛情を注いでやる事は出来る。
適うなら、傭兵部隊でも何でもいい、最前線で戦う。 そして彼らに、私が何故戦うのか・・・それを判って欲しい、受け継いで欲しい・・・』

―――今の時代、それも生まれた国によって選択出来る、ギリギリの愛情。

『大尉・・・君は、結婚は? お子さんは?』

『・・・妻は、最初の子供を、身籠っている』

『・・・ならば、判るだろう?』










1999年12月23日 2030 日本帝国樺太県 豊原市


メインストリートの大通りから1本横筋に入った場所、中流の飲食店や、なにやと立ち並ぶ一角。 その中の小料理屋で、軽く飲みながら晩飯を食べていた。
丁度、祥子は仙台に出張中。 帰るのは今夜遅くだ。 なので久々の、侘しい食事・・・と思いきや、迷惑な同伴者達が居た。

「何だよ、迷惑って? 周防、貴様が嫁さんに逃げられたって言うから、こうやって付き合ってやっているんだぞ?」

「そうそう、折角、同期達がこうやって、慰めてやっているってのに・・・」

「昔から素直じゃないんだ、コイツは。 伊庭、棚倉、貴様らも良く知っているだろうが?」

―――くそ、好き勝手に言いやがる。

「・・・なら、たかるな、妻帯者に。 貴様はまだ独身だろうが、伊庭。 それに逃げられてなんかいねえ! 出張で本州だ!
嫁さんはどうした、ほっといて良いのか、棚倉。 それと圭介、貴様にだけは言われたくない。 愛姫はどうした、愛姫は。 貴様も嫁さん、ほったらかしやがって」

未だ独り身の伊庭は兎も角、妻帯者の棚倉と圭介にまで、言われたくない。

「ああ、嫁さんは今夜、国防婦人会の集まりだ」

「愛姫は広報班の仕事で、今夜は遅くなる。 何でも、報道カメラマンと打ち合わせだとさ」

「だからな、独り家に帰っても侘しい貴様の為に、こうやって付き合ってやっているんだ、周防。 なあ? 長門? 棚倉?」

「・・・伊庭、貴様が奢れ、絶対奢れ―――おおい! 親爺さん! 酒追加! じゃんじゃん持ってきてくれ! コイツのツケで!」

「何ぃ!?」

カウンターの向こうで、親爺さんが呆れた顔をしている。 普段から軍人の利用が多いこの店だから、結構慣れている。 直ぐに熱燗が3、4本、出て来た。
あ―――向うの卓の若い連中(少尉達だ)が、少し怯えた様にこっちを盗み見している。 ま、気持ちは判る、大尉連中が気炎を上げている場に、少尉風情は身が狭いだろうな。
それにしても、我ながらさっきからピッチが速い。 それにコイツらも普段以上に飲むぞ、全く。 まるで緋色とタメを張るペースじゃないか?

「お? それ、喰わんのなら、貰うぞ、周防」

「阿呆! 誰がやるか!」 

「伊庭、『居候、3杯目には、そっと出し』って言葉、知らんのか?」

「そして少しは『遠慮』って言葉を思い出せ、長門! それは俺の刺身だ! 折角の天然モノを・・・!」

「せこいぞ、棚倉」

偶々、月後半が『駐留当番』だった伊庭と棚倉が、所用で豊原に来ていた。 同期4人揃うのは久々だし、折角だから同期会をしよう、そうなった訳だ。
訓練校卒業後は、せめて同じ連隊に所属しない限り、こうやって同期同士で飲みに行くなんて機会は、ほぼ無い。 卒業後、一度も会っていない同期生も居る。
そして、一度も再会出来ずに、死んで行った者も多かった。 だからこうやって、集まる機会が有れば必ず、同期会と言うものを開く。
お互いに訓練校を卒業して、7年半以上が経った。 地獄の様な戦場を這いずり回り、血と汗と、自分の汚物にまみれて戦い抜き、様々な死を見続け・・・
そして、その中で一片の何かを掴んで、生還し続けて来た者同士。 訓練校時代の馴染みの濃い薄いは、もはや関係無いし、遠慮もない。


「おう、そう言えば国境付近のソ連軍さん、ようやく引いたぞ。 周防、あれは貴様が関わったのだったな?」

伊庭がジャガイモの塊を頬ばりながら、不意に話を振って来た。 ったく、嫌な事を思い出させるなよ・・・

「ああ、丁度、当直司令の夜だった。 夜中に叩き起こされてな、何でも車輌の荷台に食料袋の隙間に潜り込ませて、隠れさせていたんだと」

「・・・よく凍死しなかったものだな」

「冬将軍、本場のお国柄だけどな。 全員、軽度の凍傷にかかっていた―――情報本部が、あっさり掻っ攫って行ったよ」

10日ほど前に発生した、俺自身も少しだけ関わった、ソ連側からの『亡命事件』 政府間調整は継続しているが、まあ送還は無いだろう。
多分、日ソ協定の物資援助枠を、少しだけ増やす方向で落し前を付けるのではないか? そう言う見解が、もっぱらその噂だ。
だがそれ以外に、様々な情報から、この樺太の防諜体制の見直し・強化がなされるようだ。 『ようだ』とは、俺程度の将校にはちゃんとした情報は入ってこない。
ただし、県内の特高(特別高等公安局)が増員されたみたいだし、軍の保安隊も人員が増強されていた。 保安本部の内調も、始まるとの噂だ。


「・・・そう言えば、神楽も結婚したのだってな?」

妙な雰囲気を、薄めたかったのだろうな。 棚倉が卒業以来、奴自身は一度も会っていない緋色の話題を振って来た。
少しホッとした。 内心は俺も話題を変えたかったし、それは圭介や伊庭も同じだったろう。 普通に近況報告してみる。

「ああ、11月にな。 仙台でだから、祝電しか打てなかったが。 しかしあいつ、本当にやりやがった・・・」

「ん? どう言う事だ?」

俺の一言に、棚倉が首を傾げる。 まあ、知らないのも無理は無い。 あの時は俺と、緋色の2人だけだったからな。

「いや、実は昨年の・・・7月か? そうだ、神戸が戦場になる直前だったから、7月の中頃か。 あいつから、ちょっとした相談じみた事をな・・・」

昨年の、阪神間での防衛戦の直前の事。 緋色が『カミングアウト』じみた事を言っていた。 その事を話したら、皆が驚いていた、圭介もだ。
まあ、無理もないか。 同期の中では、最もお固い部類に入る女だったからな、あいつは。 それがいきなり、実家を飛び出しての『押しかけ女房』とは。

「相手は中佐殿だって?」

「ああ、9期生だ、訓練校の。 『地獄の一桁』だぜ? お互い新米の頃は、本当に地獄の閻魔に見えたよな、あの年代の人達は・・・」

「9期生・・・って、俺らより9歳年上か!? 中佐だもんな、その位の年の差は有るか。 30代も半ばか・・・」

「腹上死させんように、気を付けろと言っておけよ」

「伊庭、貴様、自分で言ってみろ。 言う度胸が有るのなら」

「いや、無い」

馬鹿な話で盛り上がる。 これがまだ、少尉、中尉の頃なら、同期で集まれば死んだ連中の話とか、気負って(しかも、自分では気付いてない)そいつの分も、とか。
そんな話をしていた所だ。 階級が上がって、部下が増えて。 その分、死なせた部下も多くなって。 いつしか、自分の中でケリを付ける事を覚えた。 皆、そうだ。
だから生き残った者同士で集まる時は、今を、これからを、馬鹿話に紛れさせて語り合う。 これもまた、衛士のひとつの流儀。 指揮官の流儀ってやつか。

「あとは変わらず、だな・・・ この間、国枝から連絡が有った。 やつと大友、それに久賀の3人が揃って、年明けに第1師団へ転属だそうだ」

棚倉の一言に、思わず驚いた。 で、反射的に聞き返していた。

「第1師団? 第1連隊か?」

「いや、久賀は第3連隊だそうだ。 国枝と大友は、佐倉の第57連隊だ。 『明星作戦』でかなり消耗したからな、第1師団も。 ベテランをあちこちから、引き抜いているぞ」

「確か、第49連隊が北関東の第28師団に移ったのだったな、第1師団は。 にしても、目出度い事だよな、目出度い事だよ」

伊庭の言葉に、皆、頷く。 第1師団か、陸軍の頭号師団じゃないか。 名誉な事だ、実績・人格・評価、全て揃わないと、なかなか転属できる部隊じゃないからな、あそこは。
ああ、我が事の様に嬉しいものだな。 特に久賀は、満洲から始まって、欧州くんだりまで苦労を共にした戦友で、親しい友人だ。 見れば、圭介も凄く喜んでいる。

「ああ、そうだな。 それにほら、久賀の奴は嫁さんが九州の戦線で、ああなっちまったし・・・ これを機に、乗り越えて欲しいよな」

「ああ、そうだな・・・ そうなって欲しいな」

遠き地の友に、乾杯。 それからも、他愛ない話題を酒の肴に、飲んで、食って、笑って―――この気兼ね無さ、変わらないな。


かなり酒も入って、皆がペースダウンした頃、ふと箸を止めて窓から外を見ていた。 メインストリートではないモノの、それなりに、いや、結構栄えた街並み。
多くの人々が行き交い、本州とはちょっと違う感じがする活気が有る街並み。 それにちょっとした違和感、日本の様で、日本の様じゃない感じ。
そこまで何となく、ぼんやり思った所で、改めて気がついた、人だ。 数じゃ無くて、種類。 色んな人種が見られる。
明らかに日本人と判る人々。 言葉から中国系や、朝鮮系と判断できる人々。 他に理解出来ない言葉を話す人々。 白人も居る、ロシア語を話すのは、ロシア人か。

「ああ・・・そうだな、結構目立つな、この界隈は」

俺がそう言うと、パクついていた膳の端を止め、銚子を口飲みで日本酒を飲みながら、伊庭が頷いた。
棚倉が外を見ながら、多分赴任以降に仕入れただろう情報を開陳し始めた。 俺も赴任前に調べたが・・・だめだ、酒で頭が回らない。

「大陸が陥落する前からだそうだ。 主に満洲に居た漢族や満州族、シベリアツングース系の少数民族に、朝鮮系、モンゴル系も少し居るらしい。 逃げ込んできたんだ。
他にはソ連崩壊までの間に逃げ込んできた、ロシア系やウクライナ系、ベラルーシ何かのスラブ系。 ああ、中央アジア系も居るとか、もう民族の坩堝だな、ここは」

樺太県は、人口約88万人。 ただしそれは、日本人だけの人口だ。 棚倉が今言った国際難民(合法・非合法含む)を加えると、数は飛躍的に跳ね上がる。

「この豊原市だけでも、公表38万人が、70万人以上になるらしいな。 樺太県だけでも、公表人口88万人が、150万人を越すとか」

圭介が、記憶を手繰り寄せるような仕草で、思い出しながら言う。 樺太は人口増加率では、北海道に次ぎ、日本で2番目だ。 10年前は、人口40万人だったのだから。

「その半数は難民だ。 北海道でも500万人からの国内難民が居るが、それとほぼ同数の国際難民が居る。 治安当局にとっての悪夢だな・・・」

圭介のその言葉に、思わず頷いてしまう。 棚倉も、伊庭も同様だった。

だが同時に、それは北海道から樺太・千島の『再開発』事業での、非常に安価な労働力の供給源になっている面が有る、とも聞いた。
樺太(サハリン)・千島における油田、ガス田開発(サハリンプロジェクト)の日ソ共同事業進展により、日本の大手企業も開発に参加した。
中部から南部にかけて開発された油田から、採掘された最初の石油が本土に供給されたのは94年。 供給量は、日本の年間国内使用量の、約14%を賄う程の量だった。
それだけでは無く、日本政府とソ連政府、日本企業3者合同の合資企業『樺太開発投資会社』は、樺太・千島列島の周辺海域の豊富な水産資源を、独占的に開発した。
そしてベーリング海を挟んで隣接する、北米の冷凍食品市場をも席巻し、目覚ましい成長を示し、樺太・千島の経済基盤はかなり強固なものとなったと聞く。
また、樺太中南部山岳地帯は、希少金属(レアメタル)のレニウムを大量に含有していて、日本帝国がその採掘に力を入れている。 『帝国北洋興発』がそれを一手に握っている。

更に付け加えれば、以前の樺太は鉄道が主な交通手段となっていた事もあり、道路の舗装率はかなり低かった。 幹線道路は舗装されていたが、未舗装区間が多く存在した。
都市部以外の支道では大半が未舗装で、路面状態の悪い箇所も多数見られたと言う。 おまけに春と秋の泥濘時は、未舗装道路は使えなくなる場所が多かったそうだ。
それを解消する、南樺太全域の道路拡大・全面舗装工事と、経済が向上するにつれ、声の高まった鉄道網の拡充工事。 この2大工事にも、国際難民の労働力が投入されたと聞く。

「・・・確かに、それだけの需要が有れば、この数の難民数も頷けるか」

圭介の言葉に同意して、そして街並みを見ながら思う。 直接雇用だけじゃ無いよな。

「直接雇用だけじゃないからな、派生する各種業種・業界にも、景気は波及するか」

俺の言葉に、3人とも頷く。 それらのビッグプロジェクトと、その背景が要求する、大量の労働力。 多くは国際難民を、非常に安価な対価で雇い入れている。
環境は悪いし、危険も多い。 だが彼等はそれでも働かねば、いや、働けるだけ運が良い。 世界中の大半の難民は、キャンプで飼い殺しだから。

「けど、良い事尽くめじゃない」

伊庭が少し顔をしかめて、飲みながら言う。 ああ、同感だ。

そして、そんな劣悪な環境で働く難民達の間で、最初は地下互助ネットワークが出来上がるのは、自然の流れだ。 そしていつしか『それ』は変質する。
今ではこの樺太じゃ、北樺太の『ロシアの闇』と連携する、地下犯罪組織の側面を持つに至っていると言う。 何しろ巨大利権が動いているのだ、当然の流れか。
この前の亡命騒ぎ、彼等が脱出ルートに使おうと(正確には、軍情報部が使おうとした)ルートは、こうした地下組織の持つルートのひとつだったようだ。
軍や政府の情報組織と、イリーガルな地下組織。 一見対立する両者だが、利害が合えば今度は協力する。 集合離散は、あの世界の常だそうだからな。

なぜ、そこまで詳しいかって?―――親爺の受け売りだ。 親爺の会社は、特に『樺太開発投資会社』と、付き合いが深い。
それに国家憲兵隊の親玉の一人が叔父貴で、従妹が特高ときた。 俺が時々、軍の保安部から嫌な目で見られる理由だよ、全く・・・


「あのな、アメリカもそうだが、日本もな。 国際難民の間で、軍への志願者が多い理由、判るか?」

伊庭が聞いてきた。 何を今更―――そんな口調で、俺が答える。

「・・・規定された期間、軍務を務めあげれば米国では市民権、帝国の場合は特別永住権が付与される。 本人だけじゃなく、その家族にも。
米国だと立派に米国市民だし、帝国でも2世になれば帰化申請は受理され易くなる。 軍でも既に、1割はそう言った『権利取得希望者部隊』、つまり『傭兵部隊』だぞ」

特に98年のBETA本土侵攻以来、顕著になって来た。 この樺太駐留の3個独立旅団の将兵の4割が、そうした連中だという事実が示している。
100万人以上を数える帝国軍、その中の10万人ほどが、そうした『傭兵』連中だ。 最前線部隊だけじゃない、膨大な数を必要とする後方支援部隊にも、そう言った者は多い。
俺の回答に満足したのか、伊庭が妙に真面目な表情で頷いた。 こいつのこう言う表情、久しぶりだな。 普段は陽性で賑やかな男が。

「以前にな、聞いた事が有る。 そう言う『傭兵』ってのは共産圏、特に旧ソ連軍人の希望者が一番、比率が高いらしい。
どうしてか? って聞いたんだ。 理由はな、『家族でいたいから』だと。 判るか? この意味。 俺は最初、判らなかったよ・・・」

―――『家族といたい』、ではなく、『家族でいたい』か。 俺も、半月前までは判らなかったろうな。 あれか、バラノフ少佐の言っていた事か。 
かいつまんで、オブラートに包んで、その時の事を話した。 正解だった。 結局、ソ連軍人と言えど、人の子だ。 
家族の情愛、これを完全に切り捨てる事など、出来るモノじゃないって事か―――『家族でいたい』か。 人として、当然の情だよな。

(『私が何故戦うのか・・・それを判って欲しい、受け継いで欲しい・・・』)

親が子へ、伝えたい想い。 その情愛。 人ならば持って当然の感情。 ソ連と言う国は、それを排除した。 国民全てを、対BETA戦争遂行の『完全な部品』にした。
既にそんな洗脳教育を受けた世代は、年長で20代前半くらいになると言う。 そう、サーシャ・・・ダーシュコヴァ少佐がギリギリ、その直前の世代だそうだ。
対BETA戦争は、今の人類にとって滅亡するかどうかの、ギリギリ瀬戸際の問題だ。 色々な方法が取られている。 だが、『個人』としては・・・

(そう言う選択肢しか、もう残されていないのか・・・)

―――気が重くなった。






帰宅が少し遅くなった。 まったく間が悪い、今日は祥子が出張から戻って来る日だってのに―――まあ、久々に飲み過ぎたのが悪いのだが。
気温は氷点下20℃、肌を切る様な寒さだ。 厚手の冬季軍装に、毛皮の裏打ちの有る大外套を着込んでも、まだ寒い。
そして店の場所が悪かった。 そこから官舎に帰るには、ちょっとばかり治安の悪い難民街を突っ切る必要が有る。 
もっとも軍人に、ちょっかいを出す馬鹿は少ないが。 そんな連中は、裏の世界でも長生きは出来ないだろうな。

「・・・この辺も、随分治安が悪そうだ」

隣を歩く圭介が、ぼそっと呟いた。 こいつも俺同様、あちこちの場所を見て来た男だ。 その眼にも、治安の悪化は顕著に移る様だ。
棚倉と伊庭とは、さっき別れた。 棚倉は奥さんを迎えに。 伊庭はまあ、何だ、これから『馴染み』になった店に行くそうだ。

「特に、中華街とロシア人街の治安が、悪化しているらしい。 今朝の新聞に載っていた」

そしてその2つの街区は、難民街の犯罪組織の温床でもある。 近々、治安当局の一斉捜査も有る、そう軍内では噂されている。
道を歩くと、色んないかがわしい連中から声を掛けられる。 売春窟の客引きから、阿片宿の客引き。 他にも得体の知れない男女。 街娼はアジア系、白人系、様々だ。
色んな食材や油、脂粉や体臭、阿片。 それらが混じり合って、腐っていく過程が発酵する様な、そんな匂い。 国境の街、無秩序とアナーキーな虚脱感の匂い。

「・・・同じような場所は、ベルファストにも有ったな。 俺はN.Yでも見た。 綺麗事じゃない、これが世の現実だな」

白人系の、恐らくロシア系と思しき街娼が、しつこく言い寄ってくる。 面倒臭いので、ちょっと邪険に手で追い払う―――何か、文句を言っている。 圭介が『通訳』した。

「・・・『このインポ野郎! 家で独りでヤッてろ!』、だとよ?」

「・・・酷い言われ様だな」

そうか、確か圭介は、語学の第2専門がロシア語だったな。 俺はドイツ語が語学の第2専門だけど。
それにしてもさっきの街娼、化粧はしていたが、あれはどう見てもまだ10代半ばか、半ば過ぎだろう?

「もっと幼い連中も、居るらしい。 保安部の連中が嘆いていた、検挙するにも、どうにも抵抗が有るってな」

相変わらず、後ろで喚きたてている街娼をチラッと振り返り、圭介が溜息交じりに言う。 ホント、溜息が出る話題だ。

「・・・そんな幼かったらな。 乱暴にも扱えないだろう、心情的にも」

片や世界中で、10代半ばの兵士は珍しくない。 帝国でも徴兵年齢は大幅に引き下げられている。 そして片や、生きる糧を求めて、同世代の少女達が街に出る。
亡命した所で、不法越境した所で、行きつく先は大抵こんな場所だ。 余程、何か特殊な技能や学術知識を有さない限り、行きつく場所は皆、同じだ。

「・・・でもなあ、人の親になる、ってだけで、その心情は判る気がするよ」

「圭介?」

「お前も、そう思わないか? 嫁さんや、生まれて来る子供が・・・ その為に、一縷の望みにかけてみたくなる、その気持ちってやつさ。
後で後悔するかもしれない、でも、人間なんて後悔の連続だ。 だったら、同じ後悔するなら、何かした方がマシ・・・ ははっ! まさか直衛、お前とこんな話をするとはな!」

―――全くだ。 中等学校以来の付き合いの俺達だが、まさかお互い父親になるまでずっと、腐れ縁が続く事になるとはな。
だが、どうだろう? もし仮に、俺がそんな立場だとしたら? 命の危険を冒してまで、妻子を連れて、それこそ一か八かの脱出を・・・?

「・・・そうだな、判らんでもないかな・・・」






「あ、お帰りなさい」

「ただいま。 遅くなって、ごめん」

「良いのよ。 私も今、帰って来たばかりなの」

やはり先に祥子が帰っていたな。 少佐に進級して(祥子の17期Aは1999年12月1日、少佐に進級)、忙しい様だ。 でも体には気を付けて欲しいな。

「食事は?」

「済ませたわ、乗り換えの途中で」

軍服を脱いで、部屋着に着替える。 もう2人とも夕食は済ませているから、熱いお茶だけを貰う事にした。 茶葉は祥子の実家から、送って来たやつだ。
卓袱台に肘をついて、ボーっとしながら熱いお茶を飲む(官舎は、畳敷きの和室造りだった) アルコールが引いて、少し落ち着いてきた。
隣で祥子が、また編み物を始めている。 最近毎晩、時間が有ればそうしている。 その時の表情は実に優しい、母親の表情に見える。

「・・・また、子供の?」

「ええ。 予定日は来年の夏だけれど、直ぐに秋になって、冬になるから。 いまから編み始めれば、丁度いいし」

赤ん坊用の、小さな手袋や靴下。 それは嬉しそうに編んでいる。 そんな顔をされると、こっちまで嬉しくなって来るな。
ふと思った。 バラノフ少佐やイエルショコフ大尉、それにヴァシリコフ中尉。 彼等もかつて、こんなひと時を過ごしたのだろうか、と。

「きゃ! な、なに? 急に?」

「急に、膝枕で寝ころびたくなった、それだけ」

「もう。 子供みたいよ?」

「俺は、年下ですから」

「・・・悪うございました、年上で」

他愛ない会話。 ふと祥子のお腹が目に入った―――ああ、今ここに、居るんだなぁ・・・

「ん? どうしたの?」

「・・・何でもないよ」


家族か―――そうだな、判らないでもない。 いや、判る。 そしてやはり、受け継いで欲しいと思う。









1999年12月30日 シベリア ヴェルホヤンスク東方100km ソヴィエト連邦軍極東軍管区 第507戦術機甲中隊


『・・・確認した、BETAだ。 10km圏内に多数、レーダー/センサーの検知レンジ、オーバー。 まだ動きは無い』

≪了解、引き続き1600まで監視を続行せよ。 なお、エヴェンスクでも同様に、ハイヴからの飽和個体群が確認された≫

『了解。 ・・・くそ、とうとうここまで、BETAが・・・』


1999年末、ヴェルホヤンスクとエヴェンスクにて、新たな2箇所のハイヴでBETAの動きが確認された。




[20952] 北嶺編 3話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/11/13 22:17
2000年1月8日 1300 日本帝国北海道 札幌市 第11軍団司令部ビル


「何だろうな、急な召集って」

「しかも、独戦(独立戦術機甲大隊)の指揮官が4人、雁首を揃えてだ」

棚倉の疑問に、伊庭が更に疑問を加える。 俺と圭介も顔を見合わせ、首を捻る。 第2線級の戦線とは言え、樺太戦線も全くBETAの来襲が無い訳じゃない。
一応、第55師団が駐留しているが、あの部隊は丙編制師団だ、戦術機部隊は師団編制の中で、1個大隊しか無い。 3個の独立旅団は、戦術機中隊が1個ずつだけだ。
合計で2個大隊分。 だから俺達、4個の独戦が樺太での戦術機甲戦力の中核になっていたのだ。 それが揃って、指揮官不在で良いのか?
それだけじゃない、俺達だけじゃなくて、他の部隊の連中も来ていた。 見知った顔はいないな、どうやら第53師団とも、第55師団とも違うのか?
そんな疑問が浮かんだその時、数人の幹部連が入室して来た。 第11軍団参謀長に、作戦主任参謀、情報主任参謀。 あと2人は・・・見慣れない顔だ。

「諸君、楽にしてくれ」

参謀長がまず、そう声をかけた。 俺達を含む少佐、大尉達が着席する。 それを見計らって、参謀長が話をし始めた。

「さて、今日ここに集まってもらったのは、他でもない。 帝国軍は来月早々にでも、シベリア派兵を行う」

―――シベリア派兵。 この時期に。

「薄々、判ったとは思うが、ソ連軍との共同作戦だ、極東国連軍も参加する。 戦略目的は、BETAのカムチャツカ半島への突破阻止」

昨年末から年明けにかけて、極東方面で凶報が発生した。 ソ連領の2箇所で新たに確認された、ヴェルホヤンスクとエヴェンスクの両ハイヴで、BETAの動きが確認されたのだ。
噂は飛び交っていた。 カムチャツカが陥落すれば、千島列島沿いに南下されたら、北海道は陥ちる。 今、道内はちょっとした混乱が発生している。
参謀長に代わって、見慣れない参謀中佐が壇上に上がって来た。 自己紹介で誰か知れた、やはり中央から来た人間か。

「諸君、私は参謀本部の樋口中佐だ。 今回の召集は、その目的は先程参謀長閣下が申された通り、シベリアへの派兵だ。
帝国軍はソ連軍極東軍管区、極東国連軍と共同で、カムチャツカへのBETA侵入を断固阻止する。 シベリア方面はソ連軍アラスカ軍管区に、国連軍が主力となる。
シベリアへは他に、アメリカ北方軍(米軍統合軍のひとつ)から、アラスカ統合任務部隊(JTF-AK)が参加する」

どよめきが広がる。 かなり大規模な作戦だ。 ヴェルホヤンスクとエヴェンスク、2つのハイヴに対する、『絶対阻止作戦』か・・・

「だが、諸君らも疑問に思うだろう。 我が軍は、本土防衛軍の中でも、陸軍部隊は大幅な部隊再編成の真っ最中だ。 動かせる師団は、まだ回復していない」

そうだ、軍管区所属の師団以外、根こそぎ戦力を投入した、あの『明星作戦』 あの損害から回復しきっていないのが現実だ。

「ソ連も国連も、我が国の現実は正確に把握している。 流石に大規模な地上戦力の派遣は要求してこなかった。 主力は海軍だ、大湊の第2艦隊だ」

大湊軍港を母港にしている、帝国海軍第2艦隊。 あの艦隊は『明星作戦』には参加していない、戦力を維持している。
戦艦『駿河』、『遠江』の2隻に軽巡5隻、駆逐艦20隻を有する。 ソ連海軍太平洋艦隊より遥かに強力な、水上打撃戦部隊だ。
それに情報では、近々ようやくの事で再編成が完了した、母艦戦術機甲部隊―――第6航戦と第8航戦が復帰するらしい。 1年半振りに再建為った、海軍母艦部隊が。

「派遣戦力の主力は、残念ながら海軍だ。 第2艦隊に、修理の完了した戦艦『出雲』、予備艦から復帰させた戦艦『加賀』の2隻を加え、戦艦が4隻。
それに第6、第8航戦に戦術機母艦が4隻復帰した。 5個大隊分の母艦打撃戦力だ、期待させて貰おう。 
そして上陸戦力は、これも1年半ぶりに再建された第4聯合陸戦師団。 舞鶴で壊滅した聯合陸戦旅団を、拡大再編成した部隊だ」

聞けば聞く程、陸軍が派兵する必要は無いのじゃないか? そう思える戦力だ。 だがそうも言えなのが、国内のパワーバランスと言う奴か。

「陸軍からは、樺太駐留の独戦4個大隊、それに道東の第105戦車大隊、道北の第104戦車大隊、第119機動歩兵連隊から第2大隊。
それと第502砲兵大隊、道南の第207後方支援連隊を付ける。 指揮官は都築准将閣下、部隊名は『遣蘇派遣旅団』となる」

―――戦術機4個大隊に戦車が2個大隊、機動歩兵と砲兵が各1個大隊と支援連隊。 旅団以上、師団以下の戦力か。 『増強旅団』と言った所だな。
抽出された部隊は、見事に軍管区直率の独立部隊か、再編成で北海道に来ていた、運の無い部隊ばかり。 どうやら本州の虎の子部隊は、動かす気は無い様だ。
にしても、攻撃力に偏重した編制だ。 攻撃は良いが、耐久戦になると大いに不安が残るぞ、この部隊編成は・・・

最後に、見慣れない高級将校のもう1人―――准将閣下が、壇上に上がった。 この人が指揮官か。

「諸君、私は遣蘇派遣旅団長、都築高治准将だ。 初めに言っておく、諸君らを無駄にすり潰す余裕は、今の帝国には無い。
我が旅団は従って、第2戦線の予備部隊として参加する事になる。 友軍、特にソ連軍からの風当たりは強かろうが、そんなモノは聞き流せ。
まだ佐渡島にハイヴが残っておる、諸君はその奪還まで、何としても生き残って貰わねばならぬ。 いいな? 無駄死にだけはさせん、諸君もするな、以上だ!」

俺も圭介も、棚倉に伊庭も、数少なくなった大陸派遣軍の生き残りだ。 恐らく戦車隊も歩兵も、歴戦の連中達なのだろう―――再編成を必要とする程、激戦を戦い抜いた。

「―――簡単に死ぬつもりは有りませんな。 満洲でも半島でも、京都前面でも西関東の防衛戦でも。 『しぶとく生き抜け』、これが我が隊のモットーですので」

戦車隊の指揮官の1人―――中佐だった―――が、不敵にそう言う。 戦車乗り特有の、ふてぶてしい、あの突き抜けた様な雰囲気を纏った人物だった。
同時にあちこちから、似た様な声が上がる。 勿論、俺達戦術機乗りもご同様だ。 簡単にくたばる程、素直な性根は戦場に置き忘れて久いな。
その場の空気に、旅団長の都築准将が破顔する。 戦力としては小さくとも、そう簡単に潰れはしない。 そんな旅団になるかもしれない、楽しみだ。
俺自身としても、ほぼ1年半振りに大規模作戦で部隊を指揮する事になる。 死への恐怖は当然あるが、それでもこれ程の作戦で大隊を指揮できる、その興奮の方が大きかった。









2000年1月13日 1430 樺太県 豊原基地


「大隊長、大隊全機体の整備報告書、及び補充物資の受領報告書を、お持ちしました」

執務室で書類と格闘中、柔らかい声が上から降って来た。 顔をあげると、大隊副官の遠野(遠野万里子中尉、22期A)が、書類を纏めて持って来てくれていた。

「ん・・・後で目を通す。 そこに置いておけ」

「はい。 それと、本日の訓練状況ですが、第1中隊は実機訓練、第2中隊はシミュレーター訓練です。
第3中隊は昨日実機訓練でしたので、今日はアフターミーティングの後、基礎体力練成訓練となります。 詳細は・・・来生中尉?」

「こちらです、副官。 大隊長、どうぞ」

「ん・・・そこに置いておけ」

もう一人、来生しのぶ中尉(23期A)が、次の書類を持ってきた。

「あと、我々指揮小隊の連携訓練ですが、本日1500より1時間、シミュレーターにて行う予定です。 調整は今、北里少尉(北里彩弓少尉、24期A)が行っております」

「ん・・・判った」

―――さっきから、同じフレーズを繰り返しているな、俺・・・

部隊指揮官に戻って、思い出した事、その壱。 『指揮官にとっての最大の敵は、書類である』 だけど、以前に比べたらまだマシかもしれないな。
中隊長の頃は、副官をしていた瀬間や、時々は先任小隊長で戦死した四宮なんかに、手伝わせていたが(手伝って貰っていたが)
大隊長になった今は、事務的な補佐役はこの遠野中尉と、来生中尉の2人が仕切ってくれている。 俺は概要の確認に決定と、最終承認をすればいい。

いや、優秀な副官と、その補佐役で助かる。 参謀職の頃もそうだったが、正直、書類仕事は苦手だ。 そう再確認した、うん。
しかし、それにしても・・・指揮小隊を寄こせ、寄こせと、しつこく言い続けた甲斐が有って、実戦経験のある、優秀な若手が来てくれたが・・・

「大隊長、どうぞ」

「ん・・・ありがとう」

書類と内心の狭間で、ボーっとしていた頃に、タイミング良く遠野中尉がお茶を出してくれる。 お茶受けの菓子を来生中尉が出してきた。

「大隊長、副官、シミュレーターの調整、完了しました」

ドアが空き、元気な声で入って来たのが、北里少尉。

「ご苦労さま。 少尉、貴女も頂きなさい」

「あ、有難うございます」

(・・・何だかな? この、ほのぼのした雰囲気は・・・?)

面前の、3人の女性将校達は皆、指揮小隊の面々だ。 小隊長・兼・大隊副官の遠野万里子中尉。 以前は西関東防衛線で奮戦していた衛士だ、期で言えば瀬間中尉の同期になる。
腕も良い様だが(この間の実機訓練では、俺の機動に全く遅れずに追従していた)、それ以上にこの書類処理能力! 長い黒髪の、まあ、美人だ。 基地内で結構な人気らしい。
2人目の中尉、来生しのぶ中尉。 23期Aは、従弟の直秋の半期下になる。 前は九州の部隊に居た、九州の防衛戦で初陣を踏み、その後の南九州防衛を戦い続けた衛士だ。
来生もまあ、段取りと要領の良さで重宝する。 遠野を補佐して、2人で大隊の事務処理を切り盛りしている。 
ふわっとカールした長い髪で、母方の祖母が幼い頃に満洲に逃れてきた、白系ロシア人だと言うクォーターで、ちょっと日本人離れした美貌の持ち主だ。
最後の北里彩弓少尉は24期A、俺がちょっと前まで直率していた中隊の、美竹少尉とは同期になる。 性格は・・・陽性だな、ボーイッシュな可愛らしさ、とでも言うか。
元気一杯、ついでに食欲も一杯。 かつての愛姫を彷彿とさせる位、食べる。 それ程背も高くない、体型もまあ、悪くない。 そのどこにあれ程の食事が・・・不思議だ。

「? 大隊長、お気に召しませんか?」

「あ? ああ、いや、そんな事は無い。 美味いよ」

「そうですか、良かったです」

そう言って、遠野と来生がにっこりと、微笑み合っている。 なんかこの2人、どこかで似た様な光景を見た記憶が有るんだ、どこだったか・・・
ああ、思い出した。 ニコールと美鳳だ。 雰囲気があの2人に、とても似ているのだ―――何気に合わさなきゃならんこっちも、大変なのだぞ?
と、そこまで思考を進めた時、デスクの上で電話の内線が鳴った。 受話器を取ると、営門の詰所からだ。 来訪者を伝えていた。

『大尉殿、国連軍派遣部隊指揮官殿が、お付きです』

「判った。 こちらへ通してくれ」

今回の派兵、在日国連軍も一部の部隊を出す。 その先遣部隊が、樺太まで移動して来たのだ。 この後、揚陸船団が南樺太の大泊で編成され、移乗する事になる。
戦術機甲部隊が2個大隊と、支援大隊が1個。 指揮官は国連軍の中佐と聞いた。 数日の間、豊原基地に居候して船団に乗り込む。
どうせなら、向うから直接乗り込めばいいのにとも思ったが、揚陸艦の都合でこの樺太で乗り換える必要が有ると言う(耐氷設備の有無らしい)
俺の大隊ハンガーに2個中隊、圭介の所に1個中隊、棚倉の所に2個中隊と、伊庭の所に1個中隊。 それぞれ居候する予定だった。

―――コッ、コッ、コッ

小気味良い足音が近づいてきた、それもどうやら複数。 やがて部屋の前で足音が止まる。 突然、笑いを含んだ声がした。

「―――何だ? 大隊長席にふんぞり返って、しかも美人の部下を3人も侍らせて。 良いご身分だな? 周防?」

嗚呼―――地獄で仏、ならぬ、地獄で閻魔、とはこの事か・・・? 思いっきり人の悪い笑みを浮かべた、国連軍先遣隊司令、周蘇紅『国連軍』中佐が、こちらを見ていた。






「ああ、それで。 さっき102の長門大尉と会ったら、急に私を見て笑いだすモノだから、ちょっとムカっと来たんですけど。
長門大尉から、『いや、そっちの大隊長の事を思い出してだ、済まん』って言われて。 周中佐ですよね、京都防衛戦でも一緒に戦ったと聞いています」

「お前さんは、一緒は無かったか?」

「ご縁が無かったようで、今回初めてお会いしました」

12月に着任して来た新任の中隊長・真咲大尉(真咲櫻大尉、19期A)が、笑い含みで答える。 場所は大隊のハンガー。 
真咲は元々、第18師団に所属していた、中隊長をしていたのだ。 そして俺が18師団司令部第3部運用課から、作戦課に移った際に、後釜で運用課に移ったクチだ。
18師団解隊後は、練成部隊の教官をしていたが、今回引っ張って来た。 真咲が着任して中隊を引き渡し、遠野たち指揮小隊が来たお陰で、大隊指揮に専念出来る様になった。

「・・・J-10(殲撃10型)かぁ、向うの103と104大隊のハンガーには、F-18Cホーネット。 統一中華と大東亜連合の現行主力機ですね。
こっちの92式弐型と同世代、良い機体ですよね。 でも流石に、J-11(殲撃11型)とF-18Eスーパーホーネットは温存ですか、やっぱり」

「主力は本国に取っておくだろう、こちらも94式は出さない。 出したくとも、まだ数が揃わないけどな」

昨年夏の損失から、まだ立ち直れていない。

昨日まで降っていた粉雪は止んでいた、それでも気温はマイナス15℃を下回る。 その中を国連軍の、主にアジア諸国出身の将兵が、忙しく立ち回っていた。
主に亜熱帯、或いは熱帯で作戦行動を取っていた国の機体だ。 駐留基地の三沢は北国だが、まだ温帯気候だ。 しかしカムチャツカは亜寒帯気候からツンドラ気候に属する。
だもので、参加国の『弁当持参』が多い国連軍にあって、今回の2個大隊は特に寒冷地仕様・冬季戦仕様が不足していた。 その為の調整をここで行う必要が有ったのだ。
目前には統一中華戦線が使用している、J-10(殲撃10型)のUNカラー仕様の機体が、2個中隊分あった。 全体のフォルムは流石に、92式シリーズに似ている。

「あら、直衛? どうしたの? 偵察?」

聞き馴染みのある声、国連軍の冬季BDUに身を包んだ、朱文怜『国連軍』大尉だ。 彼女のこの姿を見るのも、欧州以来だな。

「いや、まあ。 大家としては、不備が無いか一応ね・・・」

「ふうん? 殊勝な事。 流石に大隊長ともなれば、その位の気は遣うんだ?」

「・・・文怜、まるで俺が、普段は気遣い無しに聞こえるけど?」

流石に、ちょっと腹が立つ。 でもそこは付き合いの長い戦友、文怜は全く気にもしちゃいない!
その時、真咲と目が合ったのだろう。 お互い敬礼して、挨拶を交し始めた。 真咲は彼女とは初対面だと言っていたっけな。

「日本帝国陸軍、独立第101戦術機甲大隊、第1中隊長、真咲櫻大尉です」

「極東国連軍、三沢基地所属。 第3戦術機甲大隊、第1中隊長、朱文怜大尉です。 宜しくね、真咲大尉」

―――文怜も、随分と日本語が上手くなったな・・・

その時更に、背後から複数の声がした。 振り返ると『国連軍』の指揮官が3人と、102の圭介が揃ってやって来た。

「お久しぶり、直衛。 今回は同じ大隊長と言う事で、宜しくね」

「了解です、趙少佐殿!」

「・・・それ、わざとやっているでしょう?」

美鳳に、軽く睨まれた。 はは、判るか、やっぱり。 祥子より1歳年長の美鳳、既に少佐に進級していて、今回の国連軍の1個大隊は、彼女が指揮していた。
他の2人は第2中隊長の陳桂英(ツェン クェンイン)大尉と、第3中隊長の王雪蘭(ワン シュエラン)大尉の2人。 第3戦術機甲大隊、『龍女(ロンニュイ)』大隊だ。
これに南ベトナム軍派遣の第4戦術機甲大隊『昇龍(タンロン)』とで、先遣隊を構成する。 『龍女』と言い、『昇龍』と言い、やはり『龍』は縁起モノだね。

懐かしさのあまり、つい無駄話になってしまった。 そろそろブリーフィングに行かないと。 1630から全体ブリーフィングが有る。
上官の都築准将は実直な武人だが、それだけに周中佐に無い事、無い事、言われては敵わないからな。 本気にされちゃ、堪らない。






2130時、基地での業務も終え、恐らく最後の外泊外出(3日後には、出撃する)で家に帰った。 せめてのんびり過ごしたかった・・・

「ほう? もう6カ月なのか、2人とも」

「もう随分、お腹も大きくなったのね、祥子。 愛姫も」

「あー、なんか羨ましい・・・」

―――どうしてこうなった?

「ふふ、もう赤ちゃんは、ママの声が聞こえるのよ?」

「だからね、赤ちゃんに語りかける胎教が良いんだって。 毎日、話しかけているわ」

―――で、どうして隣家の愛姫まで、居るのだ?

「やったな、周防」

「おめでとう、直衛」

「そして、順序が逆じゃない? 圭介?」

―――男2人、どうして針の筵の様に、部屋の片隅に追いやられるのだ!?

外出間際に捕まったのが、失敗だった。 3人には一応、報告はしていたんだ。 だけど樺太と三沢と、これだけ離れていたから、襲撃されるとは考えていなかった。
でもまあ、俺は良い、俺は。 ちゃんと結婚して、その後でちゃんと子供が出来たのだし。 哀れなのは圭介だ、散々、弄られているからな・・・

「これはもうね、翠華に知らせるしかないわね」

「あの子に知らせたら、まずはアルトマイエル少佐に、ファビオとギュゼルにも筒抜けよね。 ま、その日の内に、部隊中に知れ渡るわね」

「ほう? それ程なのか?」

「はい、中佐。 特にファビオ・・・ファビオ・レッジェーリ大尉は、この手の話題の喰いつきは、翠華と同類ですので」

「うむ、良い事だ」

「・・・俺は今後、何があっても絶対に欧州には行かん。 例え命令でも、営倉にぶち込まれても、拒否するぞ・・・」

―――うん、判るぞ圭介、その気持ち。

でもまあ、良いか。 出撃前最後の外泊外出で、こうして旧知の友人達と共にってのも。 祥子も愛姫も、旧友に会えて喜んでいるし。
夫が出陣する。 自分は後方で待つ。 祥子も愛姫も、このケースは実は初めての経験だ。 今までは共に戦ってきた、いざとなれば自分達が・・・という気構えで。
しかし今回は絶対に無理だ。 祥子は元々、衛士資格を失っているが、それでも2人とも無理は出来ない体だ。 そんな時に、歴戦の旧友たちが夫と共に戦う為に、やって来た。
随分とホッとした表情を、見せたモノだ。 祥子にしても、愛姫にしても、数万規模のBETA群との戦いで、怖気ついた事は無い。 だが今回は、別だったのだろうな。

と言う訳で、酒は妻たちが無理だから、酒抜きの『食事会』となった。 周中佐や美鳳、文怜まで付き合わなくても良いのに。
それでも会話は進む。 アルコールが無くとも、お互い話したい事は山ほどあった。 気がつけば、もう2200時を回っていた。

「ふむ・・・名残惜しいが、ここからは夫婦の時間だな」

「そうですね、これ以上のお邪魔は、野暮と言うものでしょう」

「じゃ、またね。 元気な良い子を産んでね、祥子、愛姫」

男達にとっては怒涛の、女達にとっては和やかな、そんなひと時が終わり、3人を見送った。 もう夜も更けて来た。
家に入ると、祥子と愛姫が後片付けを始めている。 祥子はいいと言ったのだが、愛姫が『それじゃ、申し訳無いですよ』と言って聞かなかった。
何だかんだ言っても愛姫は、実家はあれだけの家だし、結局は育ちが良いのだな。 旦那が言うには、結婚してからの方が、違う一面を見せる事が増えたそうだ。
手持ち無沙汰もあって、圭介と2人、茶なぞ飲みながら雑談でも・・・と思ったのだが、結局は数日後からの遠征に話になった。 小声でだが。

「事前情報では、ヴェルホヤンスクとエヴェンスク、併せてBETA群は4万以上。 ただし、まだ光線属種は確認されていないらしいな」

「奴らが居ると居ないで、天と地ほども違う。 冬のシベリアだ、天候不順が多いだろうが、逆に天候次第で航空戦力が使える。 これは大きいぞ」

まず、中高度からの絨毯爆撃を、ツポレフ Tu-95『ベア』が担当する。 ペイロード最大15トン、2重反転ペラを付けた4基のターボプロップエンジン。 世界最速のレシプロ機。
ソ連軍は相変わらず、比較的大規模な航空打撃戦力を保持している。 他に音速爆撃機のTu-22M(M2型)を保有するが、これは搭乗員の間で『ドヴォーイカ』と呼ばれるらしい。
『ドヴォーイカ』―――ロシア語で数字の2を表し、転じて『2番目の奴』、更には5段階評価の『2』、つまり『落第点』と言う意味らしい。
改良型のM3(Tu-22M3)の計画は、BETAの侵攻によって計画が中止されたそうだ。 Tu-22M2は運用評価が芳しくなく、実質ソ連航空戦力の主力は、変わらずTu-95だ。

Tu-95の後は、長距離砲撃部隊の出番だ。 2S5ギアツィント-S 152mm自走カノン砲、2S7ピオン 203mm 自走カノン砲、2S19ムスタ-S 152mm自走榴弾砲。
射程距離30kmを越す大射程自走砲群と、BM-21『グラート』、BM-27『ウラガン』、BM-30『スメルチ』の射程30km~90kmの長射程ロケット弾発射機が、集中豪雨を降らせる。

空からの攻撃の締めは、攻撃戦闘ヘリ部隊だ。 数的主力はMi-24シリーズ。 後継タイプもあるが、配備が進まない事と、Mi-24シリーズの改良継続で、まだまだ主力らしい。
23mm機関砲に換装したMi-24VP『ハインドF』 南アフリカが大規模改修した、逆輸入タイプのMi-24・Mk-Ⅲ『スーパーハインド』
更にはMi-24シリーズの完成形と言われる、Mi-28N。 全天候/夜間戦闘能力を持たせた『ノチュノーイ・オホートニク』 外国では『ハボック』のコードで知られる。
他にKa-50『チョールナヤ・アクーラ』、諸外国からは『ホーカム』と呼ばれる機体も配備されているが、これは珍しい単座の攻撃ヘリで、運用側は余り好いていないと聞く。
これだけでも、かなり叩ける。 光線属種さえいなければ、これらの攻撃全てが、非常に有効に機能する。 地上部隊は、安心してBETAを叩けるのだ。

「どうして光線属種が居ないのか、判らないが・・・ ま、楽は出来そうだな」

「新人たちに戦場度胸を付けさすのには、格好の戦場かもしれんな。 ソ連には悪いが、こちらは第2戦線の予備部隊だ。 少し楽をさせて貰おう」

ぼそぼそと話していたら、奥さん達が戻って来た。 知らん顔をしているが、2人とも修羅場を潜って来た衛士・元衛士だ。 旦那達の会話など、お見通しなのだろう。
それを知った上で、何も聞かない。 他愛ない会話ばかり。 夫に余計な気を遣わせないよう、『判っているから、何も言わなくて良いから』、雰囲気がそう言っている。

(・・・良い嫁さんだよ、2人とも)


そうそう、遅くまでお邪魔しても。 と言って、圭介と愛姫が家に帰って行った。 そうだ、ウチもそうだが、お隣さんも奥さんが来週には転勤だ。
祥子も愛姫も、もう6カ月に入った。 通常の参謀勤務や、師団司令部勤務が難しくなる。 第一、妊婦服の参謀や司令部要員ってのもな・・・
しかし今のご時世、軍は女性将兵の、特に妊婦へのケアは手厚いモノが有る。 2人は来週から、仙台に転勤する。 国防省の内勤部署だ。 任務は軽いものになると言う。
『明星作戦』から5カ月、移転準備は着々と進んでいるが、中央官庁の完全移転はまだ済んでいない。 恐らく今年の秋頃ではないかと言われている。
こちらとしても、安心だ。 仙台には俺の実家も、祥子の実家も、双方とも疎開している。 お袋に姉貴、義姉さん。 祥子のトコのお義母さん。 女手が4人も居れば。

「・・・作戦が終わる頃は、もう仙台に居るな」

「ええ、今まで何も出来なかったけれど、ようやくお義父様とお義母様に、親孝行できるわ」

「そんな事、無理しなくて良いから。 なんだったら、実家の方に戻っていても良いんだから」

「それはダメ」

―――こういう所、頑固だ、ホントに。

外はしんと静まり返っている、今夜も酷く冷え込むようだ。 だけど中は暖かい―――うん、温かいな。

「・・・じゃ、ちょっと行ってくる」

「・・・いってらっしゃい。 帰ってきたら、この子も大きくなっているわ」










2000年1月15日 1100 樺太・亜庭湾 大泊港


戦艦『駿河』、『遠江』がその巨体を湾内に姿を見せ、停止した。 向うには予備艦から復帰の為った僚艦の、戦艦『加賀』
イージス軽巡『矢矧』、『酒匂』、『阿賀野』 打撃(ミサイル)軽巡『長良』、『五十鈴』の5隻に、駆逐艦群が20隻。
その後方から、第6、第8航戦の戦術機母艦『飛鷹』、『準鷹』、『神龍』、『瑞龍』の4隻が湾内に入って来た。
帝国海軍第2艦隊。 そして2艦隊専従の、第2補給隊。 そして第4聯合陸戦師団を満載した、揚陸船団。

艦橋から薄暗い外を見ながら、第5戦隊司令官・周防直邦海軍代将(提督勤務大佐、陸軍准将に相当)は久しぶりに、海上勤務に戻れた幸運を噛みしめていた。
本人の希望にも関わらず、有能さから統帥幕僚本部勤務や、大使館付武官勤務など、陸上勤務が最近多かった。 この前の海上勤務では、忌むべき佐渡島防衛戦だった。
新編制の第5戦隊。 旗艦『出雲』、2番艦『加賀』、共に修理明けと予備艦明けだ。 どこまで実戦に耐えうる動きを乗員が出来るか、正直心もとない。
だからこその、今回の派兵だろう。 光線属種は確認されていない、精々がベーリング海からの支援砲撃任務くらいだ。 『リハビリ』にはもってこいの戦場と言う訳か。

手元には母港を出港前に各司令部に渡されていた、作戦のタイムスケジュールが有る。

『D-dayマイナス4、到着。 D-dayマイナス2、出港。 以後、変更無し』

―――変更は無い、このままか。 2日間しか無いしな、特にやる事もないか。

軍事的には、やるべき事は山ほどある。 周防司令官が言っているのは、作戦的にどうこうと、弄る事が無い、そう言う事だ。 4日後には作戦開始なのだから。
艦橋を見渡していたら、無意識に1人の若手士官の姿が目に入った。 そう言えば、初対面だったか。 浮つき気味の若手士官の中で、落ち着きが目立つ。
甥がその妻を連れて挨拶に来たのは、自分が武官として転出する直前だったな。 その甥の妻の弟。 ふと尋ねてみたくなったのは、身内と言う事だけでは無い。

「・・・砲術士、皆の様子はどうだ? 実戦は初めての者も多いだろう?」

ガンルーム士官(若手の中少尉)は、正規士官より学徒動員の予備士官の方が、圧倒的に多い。 そして予備艦(修理中は予備艦籍)上がりの『出雲』は、初陣の者が多かった。

「はあ、今はまだ、少し緊張が有る様ですが。 戦闘に入ったら、気にしなくなります。 緊張する暇も無いですから」

戦艦『出雲』の砲術士、綾森喬海軍少尉が、そう答える。 『明星作戦』の支援作戦で初陣を経験し、乗艦の『信濃』の大破時には、自身も負傷した経験を持つ。
傷が癒えた後は、対統一中華支援の第3艦隊で、大型巡洋艦『熊野』に乗り組み、実戦経験を積んできた。 まだ少尉とは言え、洋上支援作戦の経験は豊富だった。

「そうか。 まあ、多少緊張感が有る方が良い、その辺、しっかり頼むぞ」

その言葉に綾森少尉が答える前に、司令部付きの中尉が司令官に近づき、間もなく艦隊旗艦『駿河』での会議が始まる、そう伝えた。
周防司令官が頷き、艦橋を後にする。 しばらくして、舷側の艦載艇が発進し、『駿河』に向かって真冬の海を進んで行った。






夜、可燃物をすべて撤去し、空間だけが目立つガンルーム(第1士官次室)では、2日後に出向、4日後に作戦開始を控えた興奮と、緊張感が入り混じっていた。
少尉と少尉候補生の大半は、学徒動員の予備士官。 海兵出身者も大半が初陣だ。 流石に中尉クラスは、実戦経験者ばかりだったが。
そんな中で、5か月前に『明星作戦』で初陣を経験し、負傷が癒えた4カ月前からは、東シナ海での支援作戦を転戦して来た綾森少尉は、どこか覚めた目で同僚達を見ていた。

「あの、砲術士。 BETAとの実戦とは、どの様なものでしょうか?」

脇から声を掛けられ、振り向くと通信士のダブル配置にある女性少尉候補生が、遠慮がちに話しかけていた。 確か、女子師範学校から学徒動員された、予備士官だ。
手に持ったビール瓶をラッパ飲みし、少し考える。 実戦が、どのようなものかだって?―――そんなもの、経験してみなければ、万の言葉で言っても解らない。
そうは思うが、候補生の表情を見れば、何か言わなくては、そうも思う。 どうにも思いつめた表情だ、放っておくと変に気負ってしまいそうだった。

「・・・結局、海軍の戦いは、BETAを目視しないからな、大半の戦闘配置は。 始まるまでは緊張するけど、始まってしまえば無我夢中だよ。
何もかもが、あっという間に過ぎ去って行く。 恐怖とか、そんなモノを味わう暇もありゃしない」

海軍士官の大半の初陣は、それ以外に無いと言っても良い。

「ま、精々それらしく、恰好を付ける事だな、部下の前では。 後は・・・真っ先に駆けろ。 それこそ、水兵より先に。 若手士官の戦場働きって、そんなものだ」

それしか言い様が無かった。 果たして満足したかどうか判らないが、件の女性候補生は頷いて、候補生仲間の輪に戻って行った。
周りを見渡す。 ガンルームも艦によって大小異なる。 最新の自動化のお陰で、最も乗員の多かった戦艦も、今では少数での運用が可能になった。
戦艦『出雲』も、大昔は乗員3000名を越す大所帯だったが、今では2000名を割り、1800名の乗員しか居ない。
だが、巡洋艦などでは14、15名位のガンルームも、『出雲』などの戦艦ともなれば倍以上の35名が居る。 その3割は、女性士官だ。
BETA大戦後、女性の軍内への進出が顕著となった陸軍と違い、海軍はその速度は遅かった。 だがこの10年ほどで急速に増えた、戦闘艦艇にも乗組女性士官が居る現実だ。

ぐるりと見渡すと、大きく分けて3つのグループが有った。 ひとつは少尉・少尉候補生の初陣組。 その中でも海兵出と予備士官組で分かれている。
もう一つは、古参の中尉達。 実戦を経験して数年を経過した、ガンルームの元締め達だ。 そして自分の様な、実戦を経験している少尉達。 海兵、予備士官は関係無し。
数的には最初のグループが圧倒的に多い、次は中尉達、最後に自分達だ。 一瞬、『ケプガン』(キャプテン・オブ・ガンルーム、1次室最先任士官)と目が会った。
うるさ型の人で、ヤバいと思ったが遅かった。 声を掛けられ、仕方なく傍に移動する。 ケプガンの他に、『サブガン(1次室次席士官)』も居た。

「・・・なあ、鉄砲(砲術士の、ガンルーム内『愛称』)、こいつら、大丈夫かな? 君、どう思う?」

(・・・アンタが言うなよ、ケプガンだろう?)

CIC配備のケプガンは、ずっと『穴倉』に籠っているので、案外日焼けしていない。 その顔を見つつ、綾森少尉は嘆息しながら答えた。

「嫌でも、硝煙の匂いを嗅げば、腹も座りますよ。 それでダメな奴は・・・靖国の指定席行きでしょう」

「それしかないな、今更、気合を入れてもな、還って逆効果かもしれんしな。 ま、今日は酔わせちまえ、酔わせて寝させちまえ。 君、音頭取れ」

(―――ちぇ、面倒臭い事を・・・)

と思いつつも、若手士官の自治に任されているガンルーム内は、ケプガンの言葉は絶対だ。 致し方なく、これも少数派の実戦経験のある海兵同期と2人で、音頭を取る。
やがてガンルーム内は、ちょっとした喧騒に包まれた宴会の場と化した。 恐怖は誰だってある、未知への恐怖と戸惑いは、尚更だ―――自分もそうだった。
だから、面倒とは思いつつも、否定はしなかったのだ。 約半年前の自分を見ている気がしたから、尚更だった。





酔った頭を冷やそうと、舷側に出てみた―――馬鹿だった、外気温は氷点下22℃だ。 海上はもっと寒く感じる。
慌てて防火・防水扉を閉め、艦内通路を伝って喫煙場所―――『煙草盆』の場所まで行く事にした。 夜こんな時間だ、人はいないだろうと思いきや、先客がいた。

「ん? ・・・し、司令官ッ!」

慌てて敬礼してしまい、しまった、と思う。 海軍では、艦内では敬礼は朝の始めの敬礼だけだ。 後は例え2等水兵が連合艦隊司令長官とすれ違っても、頭を軽く下げるだけだ。
案の定、人の悪い笑みを司令官に浮かべさせる始末となった。 義兄から聞いた事がある、こう言う笑みの時は気を付けろ、と。

「おう、砲術士。 どうした? 遁走した口か?」

「はあ、いいえ、ちょっと酔い覚まししに、来ただけです」

無理に空元気を振り撒く初陣連中を見ているのが、ちょっとだけ、辛くなったと言うのが本音だ。 彼等はもしかしたら、数日後には居ないかもしれない。
もっともそれは、自分かもしれないが。 いやいや、今回は比較的楽な作戦だ、艦隊的には。 損失を受けることなく、終わるかもしれないな。 それより・・・

「・・・あの、司令官はどうしてここに?」

見れば煙草を吸っているが、そんなもの、司令官公室や、司令官私室で存分に吸えるんじゃないのか?
確か司令部会食が有ったよな、今夜は。 司令官ともなれば、欠席は返って許されない。 部下の参謀達とのコミュニケーションの場でも有るのだから。

「ん? ああ、年寄りは早々に出て行った方が良いのでな。 若い連中も、気を遣わんで済む」

(―――若い連中、と言っても、司令部の参謀たちともなると、若くて20代後半。 大半は30代、40代だろ?)

義兄も部隊の参謀職をしていたそうだが、まだ20代半ばの年だ。 それより年上で、『若手』と言う感覚が、綾森少尉にはまだ判らない。

「いえ、お邪魔しました。 自分はこれで・・・」

「おいおい、そう邪険にするなよ。 少し付き合えって」

案の定、捕まった。 そしてどうやら、周防司令官は司令官室でふんぞり返るより、こうした場所で下級士官や下士官兵と話す事が、好きな司令官の様だった。
仕方なく、煙草盆の脇で煙草に火を付け、1本吸い始めた。 任官してから覚えた煙草の味だが、最近ようやく美味さが判る気がして来た。

2人とも暫く無言で吸っていたが、不意に周防司令官が綾森少尉を見て、笑って言った。

「・・・『敷島』か。 珍しいな、軍では『誉』だろうに」

綾森少尉の吸っている銘柄は、民間で出回っている中流銘柄の『敷島』 翻って、陸海軍内では、士官用の酒保などで出回っているのは、主に高級銘柄の『誉』だった。
思わず自分の煙草をマジマジと見て、苦笑気味に綾森少尉が答えた。 そう言えばそうだ、それに自分が喫煙を始めたのは、実は軍内部の影響じゃないと言う事。

「・・・負傷から退院した頃、義兄から貰って初めて吸った銘柄なのです。 それ以来、なんだかずっとこの銘柄で。 手持ちが切れた時は、『誉』を吸いますが」

「はは、そうだったのか。 しかしあいつめ、陸軍大尉ならばもう少し、高級銘柄を吸えばいいモノを・・・」

確か、同じ事を義兄に聞いた気がする。 その時、『少しでも安いヤツの方が良いんだ。 『敷島』と『誉』じゃ、ひと月吸えば、食事2食分の差額が出る』とか言っていた。
結婚してから、妙に所帯臭くなった気がする。 姉と婚約中の義兄は、もう少し豪快に遊んでいた人の様な気もするのだが。 何だか、今では完全に姉の尻に敷かれているな。
それを言うと、司令官が大笑いしていた。 義兄は司令官にとっては、甥に当る。 幼い頃から知っている為だろうが、一体どこが司令官の笑いのツボを突いたのやら。
それにしても、軍内はやはり、将校が愛用する銘柄は、『誉』が殆どだ。 確かにつまらないとは思うが、軍人には『体面』と言うモノが付きまとう。 

(―――やっぱり、『誉』に変えた方が、良いのかな?)

ふと、司令官の煙草が目に入った。 普通の紙巻きたばこでは無い。 葉巻か? にしては、小さくて細い。

「・・・司令官、お吸いになっているのは、普通の煙草では無いのですか?」

「ん? ああ、これか? シガリロだ、『キング・エドワード・パナテラ』 合衆国産でな、今じゃ一番手軽に手に入る。
本当は、オランダの『ヘンリー・ウィンターマンズ』、あれのファウンダーズ・ブレンドが一番良いのだが。 残念ながら欧州失陥の余波で、出回らなくなった。
ハバナ葉を用いたような、甘味を秘めた深いコクと味わいが、何とも言えん。 美味いぞ、あのシガリロは・・・」

―――喫煙初級者の自分には、まだまだ縁遠い代物の様だ。

暫く雑談していると、艦載艇が戻って来た。 上陸用の定期便だ、帰艦者を満載している。

「砲術士、君は上陸しなかったのか?」

今日、明日と、2回に分けて外泊上陸が許可されていた。

「自分は、明日の番ですので。 しかし大泊は不案内ですし、どこへ行けばいいのやら・・・」

「少し足を延ばせば、豊原だ。 お姉さんに、会って来んのか?」

「・・・向うも、軍務が有るでしょうから」

嘘だ、本当を言えば会いたい、作戦前に。 姉にも会いたいし、義兄とも話したい。 しかし義兄は今回、遠征部隊を率いると聞いている、もう準備に大忙しだろう。
姉には会えるだろうが、その姉は義兄を戦場に送り出している。 自分が会いに行くのは、何だか我儘な気がして、気が引けるのだ。
そう言うと、周防司令官が破顔して、会って来い、そう言った。 会って、話して来い。 顔を見せて来い、姉孝行?をして来い、と。

「男兄弟とは、また違うだろうからな。 お姉さんも、弟の元気な姿を見れば、嬉しいだろうし、安心もするだろう。 なに、我が不肖の甥の事は気にするな」

―――何と言うか、この一族は・・・ 勁いと言うか、痩せ我慢と言うか。 司令官とて、息子の直秋中尉(周防直秋陸軍中尉)が遣欧派遣軍に選抜されて、心配だろうに。
帝国軍は、『明星作戦』後の再編成に注力しつつ、外国、特に米国との関係から、欧州諸国との関係を深めようとしている。 遣欧派遣軍は、その一環として正式派兵が決定した。
規模は旅団規模。 戦術機甲部隊2個大隊に、1個機動歩兵大隊と砲兵連隊、そして支援連隊。 規模で言えば師団以下だが、政治的な部隊だ、派遣するポーズこそ重要と言う事か。
普段はカンタベリー基地に駐留し、ドーヴァー基地やフォークストン基地、マーゲート基地への即応増援部隊として任に当る、と言う。

(・・・そうだな、会ってくるか。 実際、会うのも久しぶりだし)

姉は国内にいたが、自分は負傷復帰後の配属は第3艦隊で、ずっと東シナ海をかけずり回っていた。 寄港地は主に沖縄や台湾。 時に東南アジアまで航海した。
久々に帰国したら、今度は第2艦隊でベーリング海に。 いま会わなきゃ、今度いつ会えるか、本当に判らない・・・あ、司令官も、息子さんとそんな感じだったのかな?

「・・・判りました、会ってきます」










2000年1月19日 1030 カムチャツカ半島 ペトロパヴロフスク・カムチャツキー軍港


昼なお薄暗い、曇天と粉雪が舞う天候。 人々の表情が何となく覇気が無いのは、何も戦況だけでは無い気がして来た。
接岸した戦術機揚陸艦、輸送艦、徴用された輸送船からメガ・ガントリークレーンによって、各種コンテナの揚陸が行われている。
戦術機揚陸艦からの、機体揚陸はあと1時間ほど後の予定だ。 部隊の移動は明日の午前中の予定、優に8、9時間はかかるだろう。
濁った茶褐色の海面、汚れた汚物が岸壁に打ち寄せ、溜まっている。 お陰で悪臭が酷い。 舗装はひび割れ、所々凍土が顔を見せている。
湾内には錆付き、整備もままならないまま係留された艦艇群。 もしくは座礁したまま、航路の邪魔にならない為か、放置されたままの沈没艦艇。
建物も大きさだけが取り柄の様な、錆が浮き出た大型倉庫群が目につく。 全体にうすら寒い印象の場所だった。

「大隊長、揚陸完了予定、1400。 移動開始は明日1000、駐留地到着は、1930の予定です」

大隊副官の遠野中尉が報告に来た。 やれやれ、基地到着は、どっぷり日が暮れてからか。 移動に延々9時間以上。 まあ、贅沢は言えない。 この国は全く余裕が無いのだから。

「判った。 駐留基地はミリコヴォ、だったか?」

「はい、ミリコヴォ地区、Ц-04前線補給基地です。 ティギリ防衛戦区への、後方支援基地です」

今回、衛星情報から想定されるBETAの侵攻ルートは、コルイマ山脈を越え、半島北部を廻り込む『迂回ルート』だと判断されている。
しかしながらオホーツク海北東沿岸部―――シェリホフ湾西岸一帯にも、旅団規模のBETA群(E群・4200体前後)が確認されている。
オホーツク海は今、結氷期だ。 シェリホフ湾は完全に結氷し、多分、突撃級でさえ上を渡って侵攻してこられる程の厚さの氷に、湾一面が覆われている。
ティギリ、パラナ、レスナヤと言った半島中部西岸の要塞防備基地群は、そのE群に対応して臨戦態勢に入っている。
その為、Ц-04がティギリ、Ц-03がパラナ、Ц-02がレスナヤの、それぞれ支援態勢に入る。 帝国陸軍と極東国連軍先遣隊も、Ц-04とЦ-03に駐留する事になった。

問題は、向うの戦力だ。 ソ連軍の前線部隊、その定数割れ状況は有名だ。 協力は惜しまないが、全面的にあてにされても困る。
向うさんにも、『ジャール』、『ロジーナ』、『ヴォストーク』、『ザーパド』、『ユーク』、『セーヴェル』と言った精鋭大隊(半ば、宣伝用か?)が有るのは知っている。
それぞれが3つの戦区(ティギリ、パラナ、レスナヤ戦区)に分散配置されている。 勿論、他の部隊も多いが。 いや、そっちの方が多いか、『精鋭』は何時も少数だ。

「気にしても、仕方が無いな。 遠野、各中隊長に通達。 出発は明1000。 本日は1400まで指定の待機所にて、待機。 1430より各自機体確認。 
1600より指揮官ブリーフィングがある、大隊ブリーフィングはその後、1730より始める。 気温がかなり低い、体を冷やさすな」

「了解です」

命令を伝える為、部隊の方へ歩いてゆく遠野の後ろ姿を見ながら、脳裏では別の事を考えていた。
シェリホフ湾西岸のE群は、約4200 それがどう動くか不明だが、複数戦区にばらけてくれれば・・・
ソ連軍には悪いが、それこそ『予備隊』の投入は最終局面に限定出来るだろう。 俺としては、部下をここで潰したくない。

海軍聯合陸戦第4師団は、カムチャツカ半島の付け根付近、カラギン湾に面した半島東岸のオッソラに上陸した様だ。
あの辺はBETA群主力(C群、D群の2万2000余)が来襲すると想定されている。 ソ連軍と、極東国連軍主力とで迎え撃つ『主戦場』だ。
今回はそこから遠い、第2戦線。 同盟国への義理も大切だが、俺としてはその義理を果たしつつ、どうやって部下を日本に連れ帰るか。

(―――旅団長の判断次第で、大きく変わるが・・・ 念の為だ、圭介と棚倉、それに伊庭とも事前に確認し合っておくか)

出来る事は全力で果たすが、出来ない事の見極めだな。 冷酷に見られても良い、場合によっては必要な事だ。
轟音が響いた、戦術機だ。 チボラシュカ(MIG-23)・・・いや、アリゲートル(MIG-27)か。 8機、2個小隊。 もしかすると1個中隊。 定期哨戒か、スクランブルか。

(―――兎に角だ、最大にして唯一の目的は、部下を生きて日本に帰す事。 これだ)







1999年12月下旬。 ヴェルホヤンスクハイヴとエヴェンスクハイヴの『圧力』を懸念した国連側の提唱で、ソ連軍は極東国連軍、日本帝国軍との共同作戦に合意する。
2000年1月20日。 ソ連軍呼称『デシィタ・ヴォストーク(東の護り)』作戦、国連軍呼称『バシレイオス』作戦、日本軍呼称『極天作戦』が発令された。




[20952] 北嶺編 4話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/11/21 00:26
2000年1月19日 1605 カムチャツカ半島 ペトロパヴロフスク・カムチャツキー軍港 ソ連極東軍管区ビル


派遣部隊に気を使ったのか、ソ連側が用意した建物は、そう悪くは無かった。 軍港からやや外れた場所にある、主にソ連陸軍が集まった建物群の一角。
その中の3階建ての建物、部屋数は1フロアで8部屋ほど。 広さはそれぞれかなりある。 その建物の2階の西側の半分を占める会議室に、各指揮官が集合した。
外はもう薄暗い。 数年前、アラスカでも経験したが、極北地方の冬の日照時間は本当に短い。 午前中遅くにようやく陽が昇ったら、夕方にはもう日没だ。

「まずは、全般状況の説明を行う」

旅団参謀長の笠岡中佐が、プロジェクターに映し出された戦域地図をポインターで示しながら、カムチャツカ=極東シベリア戦線の状況説明を始めた。

「まず、ハイヴ状況。 H25・ヴェルホヤンスクハイヴ、H26・エヴェンスクハイヴの建設が昨年末より確認された事は、周知の通り。
今回、これら両ハイヴからの飽和BETA群が、活発化している事が確認された。 数はH25からの約2万6200、H26からの約1万7000」

―――合計で、4万3200か。 確かに、ちょっとした数だ。

「尚、今後はH26の飽和BETA群をA群(約9600)、B群(約7400)。 H25の飽和BETA群をC群(約1万2000)、D群(約1万)、シェリホフ湾沿岸のE群(約4200)とする」

H25・ヴェルホヤンスクハイヴからのC、D群は直進せず、一旦東のチェルスキー山脈の北麓を周り、コルイマ低地に出た。 それが20日前後前の事だ。
そこから東進してコルイマ川を渡り、支流沿いにコルイマ山脈とアニュイ山脈に囲まれた渓谷沿いに侵入した所まで、判明している。
支流の上流地点は、ソ連軍の最重要要塞都市・アナディリまでは直線距離で約300km、北東ソビエト最終防衛線がそこにあるのだ。

「更には今年に入って、H26でもBETAの活動が最終的に確認された。 エヴェンスクだ、こちらはキジガからパレンに向けて、ペンジナ湾沿いを北上した。
A群、B群の2群で1万7000、他にシェリホフ湾沿いに南下したE群が約4200。 フェイズ2の飽和BETA群としては最大級だ。
だがほんの少し前に、フェイズ1からフェイズ2に成長したハイヴで、4万以上もの余剰飽和個体が直ぐに出来るとは考えにくい。
我が軍もソ連軍も、更には国連軍、米軍共に同様の見解だ。 今回の飽和個体群、これを叩けば数カ月は、両ハイヴの活動は停滞するだろう」

H25、H26が確認されたのは、昨年末。 約1カ月とちょっと前だ。 そこから僅かな時間で、フェイズ1からフェイズ2へと成長している。
これはかなり驚くべき速さだ、横浜や佐渡島でさえ、フェイズ1から2へは半年ばかりの時間がかかっている(世界の他のハイヴの平均値も、そうだ)
それがわずか1カ月。 そしてここに来ての、いきなりの4万以上の飽和BETA群。 恐らくハイヴ内に余剰個体は少ないのではないか、それが上層部の認識だった。

―――本当にそうかな? そう上手くいくかな?

我ながら、疑い深くなった。 今まで散々、痛い目に遭わされて来たからか。 今回はどうか? 同じか? それとも予想通りに運ぶのか?

「迎撃計画は、極東シベリア戦区、カムチャツカ戦区に分かれる。 北東ソビエト最終防衛線に沿った形だ。 まず、アナディリ正面の極東シベリア戦区・・・」

ここはソ連アラスカ・シベリア軍管区の2個軍(軍管区全体は4個軍)、第2軍と第41軍。 自動車化狙撃兵師団10個、戦車師団3個、戦車旅団2個、戦術機甲旅団9個を主力とする。
これに砲兵旅団8個、ロケット旅団7個と支援部隊。 そこに極東国連軍派遣の2個師団と、米軍アラスカ統合任務部隊(JTF-AK)が3個師団。
特に米軍のJTF-AKは、欧州派遣経験が豊富な第34戦術機甲師団『レッド・ブル』と、第7機械化歩兵師団『バヨネット』を出してきた辺り、それなりに本気の様だ。

対するカムチャツカ半島は、ソ連極東軍管区の3個軍、第5親衛軍と第35軍、第42軍。 ただし、第42軍は戦力の30%を北樺太に駐留させている。
自動車化狙撃兵師団10個、戦車師団3個、戦車旅団2個、戦術機甲旅団11個、これに砲兵旅団10個と、ロケット旅団が9個の戦力は、シベリア方面とほぼ同等だ。 
これに極東国連軍が1個師団と、1個連隊戦闘団(2個戦術機甲大隊主力) そして日本帝国海軍聯合陸戦隊第4師団と、陸軍遣蘇派遣旅団。

双方合わせて31個師団、60個旅団相当の戦力。 数だけを見れば、あの京都防衛戦や、『明星作戦』を遥かに上回る巨大な、巨大過ぎる戦力だ。

「他に、我が帝国海軍第2艦隊。 戦艦4隻、空母4隻を中心とした高速機動艦隊だ、合計33隻。 水上打撃力と面制圧能力を備えた、強力な支援艦隊だ。
これに米第3艦隊が21隻参加する。 戦艦『ミズーリ』、『ウィスコンシン』、空母『ハリー・S・トルーマン』と『ニミッツ』を中核とする打撃艦隊。 第2艦隊に匹敵する。
最後に、ソ連もなけなしの太平洋艦隊―――持てる最後の水上戦力を出す。 戦艦『ソビエツキー・ソユーズ』、『ソビエツカヤ・ベロルーシヤ』を中心に26隻。
空母は居ないが、艦砲の数は日米に劣らない―――ただし、命中精度は期待するな。 昔からロシア人は、砲撃の下手さ加減では有名だからな」

あちこちから失笑が湧く。 海軍だけじゃ無い、陸軍だって、ソ連軍砲兵部隊の砲撃精度は誉められたモンじゃない。 何度ヒヤっとした事か。
それに今回、ソ連海軍は空母―――戦術機母艦は無し、か。 『ウリヤノフスク』と、『アドミラル・クズネツォフ』は・・・例の場所か?

「・・・例の噂話、どうやらビンゴかな?」

隣の圭介が小声で囁いてきた。 同感だったので、頷いた後で俺もまた小声で返す。

「・・・叔父貴が外務省の情報担当部局に居るが、前に言っていたよ。 『ウリヤノフスク』と『アドミラル・クズネツォフ』が、パナマ運河を通過したと」

その後は軍内部、主に海軍の間で噂になっていた。 今は『公然の秘密』の類いだ―――ソ連の2隻の空母が、米国の支援で近代化改修を受けている、と。
行先はルイジアナ州のエイボンデール造船所か、ミシシッピ州のインガルス造船所か。 いずれもノースロック・グラナン・シップ・システムズ(NGSS)傘下の造船所だろう。
戦術機メーカーとして知られるノースロック・グラナンだが、受注・売上額では寧ろこちら―――造船部門の方が圧倒的に上だとは、余り知られていない。
他に合衆国の民間最大の造船所で、ニミッツ級空母を建造可能な唯一の造船所である、ニューポート・ニューズ造船所。 ここでは巨大タンカーやコンテナ船も建造している。

「・・・ニューポート・ニューズは有り得ないだろう? あそこは合衆国海軍の艦艇建造機密の塊だ。 ノーフォーク海軍造船所は、自前の近代化改修で手一杯だろうし?」

海軍事情には俺ほど詳しくない圭介が、探る様に聞いて来る。

「ああ、やっぱりエイボンデールか、インガスルだろうな。 前は帝国や英国の話もあったらしいが、何時の間にか立ち消えになったようだ。 ま、情勢が情勢だしな」

「にしてもソ連サン、尻に火がついて、ようやくか。 あのままじゃ、確かに艦載型戦術機の運用なぞ、無理な艦体だと聞くし」

『ウリヤノフスク』と『アドミラル・クズネツォフ』は、元々は共に『重航空巡洋艦』と言う、何だか訳のわからない艦種として建造された。
建造途中に何度も設計が変更されたが、その結果として『ウリヤノフスク』は16機、『アドミラル・クズネツォフ』は12機しか搭載出来ない『戦術機揚陸艦もどき』となったのだ。
このままでは、海軍の打撃戦力として見込めない。 そこで近代化改修計画が持ち上がったのだが、自前の造船所はもう、大半がBETAの腹の中に収まっていた。

当てになるのは『旧仮想敵国』の西側諸国―――日米英の3国だけ。 最初は日本に打診が有った、96年の事だ。 だがその2年後の、BETA本土侵攻で計画はご破算。
英国ではBVT サーフェス・フリートがグラスゴーに所有する軍用造船所、ロサイス造船所の1号乾ドックか、民間のハーランド・アンド・ウルフ社が持つ、世界最大のドックか。
その2つの内、どちらかで受注すべく英国政府が動いていたが、ロサイス造船所は『クイーン・エリザベス』級空母の3番艦、『プリンス・オブ・ウェールズ』の起工でご破算。
ハーランド・アンド・ウルフ社のベルファストのドックも、やはり『クイーン・エリザベス』級空母の1番艦『クイーン・エリザベス』の近代化改修が入って、これまたご破算。

結局、かつて最大の仮想敵国(実は、今でもそうだ)である米国に、内心で腸が煮えくりかえる想いで、打診した様だ。
米国も、これまた色々と思う所(国際関係や、謀略の意味で)が有ったのか、実にあっさり上院・下院を通過して、受け入れを表明。
1999年の5月に、2隻とも受け入れたらしい。 らしい、とは、米ソ両国ともこの情報は一般には公開しておらず、改修内容も一切が不明―――公式には―――だからだ。
ただ、少なくとも日英の両国海軍は、詳細に近い概要を把握しているとも聞く。 艦体の延長と艦内ギャラリーデッキの拡大、艦内支援設備の近代化。
それに電磁式カタパルトを含む、電磁式戦術機発艦システム(EMALS)の搭載(これは米国のニミッツ級や英国のQE級、日本海軍の戦術機母艦も、搭載を始めている)
やはり、これらの近代化改修工事を一気に為し得るのは、残念ながらノースロック・グラナン・シップ・システムズ(NGSS)のエイボンデール造船所か、インガルス造船所。
はたまた、世界最高の軍用艦建造・近代化改修技術を有するノースロック・グラナン・ニューポート・ニューズ造船所(同じNG社だが、NGSSとはセクタが違う)しかない。
予想では、Su-33Kを『ウリヤノフスク』では60機前後、『アドミラル・クズネツォフ』では40機前後、搭載・運用を可能にする改修計画らしい。

「何せ、飛行甲板前部に長距離対地巡航ミサイルのVLSが埋め込まれている、なんて、笑い話の様な艦だからな、2隻とも。
今回はそれを全廃するだろう、って話だ。 じゃないと、幾ら艦体を延長しても、戦術機の搭載数を、一気に40機や60機前後まで増やせない」

まあ、今回はソ連の2空母は無し、と言う事だ。 いても現状では、さして役に立たないが。
ぼそぼそと小声で話し合っている内に、参謀長の話が進んでいた。 マズイ、マズイ、聞き逃したら大変だ。


「・・・これに、カムチャツカのソ連第2空軍と、アラスカの第1空軍から重爆が出て来る、天候次第だがな。 Tu-95MS『ベア』だ。
各1個飛行大隊で27機、合計54機。 『ベア』の全運用機体の半数が出撃となる。 ああ、Tu-22は出てこない。 あの機体はソ連軍内でも、赤錆だらけだ」

だろうな。 いくら音速重爆撃機と言っても、精々マッハ2クラスじゃ、光線属種が出てくれば静止目標と同じだ。 目標地点の遥か彼方で、叩かれて終わりだ。
それに爆弾搭載量でTu-95MSに比べ3,000kg少なく、航続距離に至っては半分以下だ。 中・高高度からの対地爆撃なら、音速はいらない。 と言うか、音速での爆撃は無理だ。
寧ろ、ターボプロップ機のTu-95の方が安定しているだろう。 それに遅いと言っても、Tu-95も最高速度は900km/hを越す。 信頼性込みで、使い勝手が良いのだろう。

それに今回は戦場までの距離が短い。 弾倉に満載すれば、500ポンド爆弾(米軍のMk82・500ポンド爆弾のライセンス生産)を1機当たり60発は積み込める。
カムチャツカ方面には1個飛行大隊で27機。 支援は1個中隊(9機)単位としても、合計540発の航空爆弾が降り注ぐ。
高度2000mの低高度から投下したとしても、落下速度の終末速度は約340km/h。 自由落下での最終エネルギーは4.45MJに達する。
これは88mm砲弾の至近距離からの装甲貫通力とほぼ同じ、一般的な圧延鋼板で200mmの厚さを貫通するエネルギーに匹敵する。
勿論、すべて理論通りに行く訳も無い。 風向・風速、気象条件で色々と変わる。 だが数発命中すれば、突撃級の装甲殻でも貫通可能だ、要撃級は確実に貫通する。

それに攻撃ヘリ。 今回はソ連軍の攻撃ヘリ部隊が主力だが、光線属種が存在しない戦場でならば、対BETA戦闘での攻撃ヘリは『近接攻撃の絶対王者』となる。
何せ、BETAには光線属種以外に『飛び道具』を持つ種は存在しない。 ヘリ部隊は攻撃を受ける恐れも無く、悠々と地上のBETAを殺戮しまくれる訳だ。
これが波状攻撃で、航空支援を受ける事が出来れば・・・冬のオホーツク海に艦隊は、結氷の為に侵入できないから、艦隊の支援攻撃の代わりにはなるか。

「コルイマ山脈からアニュイ山脈の間に、ソ連軍第2軍と第41軍が展開する。 コルイマ東山麓のウスチ・ベーラヤとマルコヴォ間に、国連軍の2個師団と米第34戦術機甲師団。
これが第2戦線を作る。 最終ラインのアナディリ前面に米軍第7機械化歩兵師団と、第97師団。 アナディリの後詰には、アラスカからソ連第3親衛軍も入る予定だ」

―――第3親衛軍。 ソ連が、今まで何があっても動かさなかった、アラスカ常駐の虎の子2個軍の片割れが動くのか。

「カムチャツカ方面は半島付け根のマニルイに、ソ連軍第35軍がコリャーク山脈を背に布陣する。 そのすぐ南、ベンジナ湾東岸沿いにソ連軍第5親衛軍が展開。
その南、レスナヤ北方からオッソラ=コルフ間の西岸を結んだ半島横断防衛線に、国連軍1個師団と海軍聯合陸戦隊第4師団が展開する。 この方面へは、艦隊の支援が可能だ」

―――とにかく、半島の付け根で阻止しなければ。 入り込まれたら最後、カムチャツカ半島全体をカヴァーする戦力が無い。

「総予備、そしてシェリホフ湾東岸のE群に対応するのが、第42軍と我々帝国軍遣蘇派遣旅団、そして国連軍先遣連隊戦闘団だ。
E群のBETA個体数は約4200。 他のAからD群の半数前後と、規模が小さい。 予想される上陸地点はティギリ、パラナ、レスナヤのいずれか。
Ц-04からでは、ティギリへの。 Ц-03からではパラナへの対応がギリギリのラインだ。 いずれかの増援に回る事になる」

Ц-04からティギリまで、直線距離で約300km。 幾ら戦術機部隊でも、巡航速度で1時間はかかる。 増援連絡を受けてからでは、遅すぎる。
なのでЦ-04から200kmほど進出し、その地点で待機する事になる。 Ц-03も同じだ、戦車部隊他は、戦況を見てから進出させるかどうか、検討するのだろう。

最後に旅団長が壇上に上がり、説明を締め括った。

「いずれにせよ、我々の役目はソ連軍第42軍の支援になる。 穴が空きそうな場所に駆けつけ、穴が空いた場所を塞ぐ。 あちこち忙しくなるぞ、気を引き締めろ」





「第101大隊の兵舎は、こちらになります」

基地所属のソ連軍女性少尉の案内で、B-115兵舎に移動する。 大隊ブリーフィングも終わり、もう1830を回った、いい加減に休みたい。

「何か解らない点、不明な点が有りましたら、基地内線通信でES-222までアクセスして下さい。 No.11901が、私の直通回線になります。
尚、明日の起床時刻は0630  メスルームの101大隊占有区画はE-101-205となります、E-101棟2階の205ルームです。
あと、申し訳ありませんが、他区画への立ち入りは禁止されております、ご注意ください―――何か他に、ご質問は?」

「いや、特に無い。 ご苦労だった、少尉」

ジェスチャー込みで、もういい、と返答する。

「はっ! では、失礼します」


立ち去って行くソ連軍少尉の薄路姿を見送り、改めて兵舎を振り返る。 見た目、結構老朽化している。 だが例え老朽化していてもだ、これでやっと休める。
兵舎の中に皆が移動する、灯りがなんとなく薄暗い。 それにやはり、結構老朽化しているな。 帝国の最前線基地も言えた義理じゃないが、これより遥かに『近代的』だ。

「あ~・・・疲れた。 早くメシに行こうぜ」

「半村、貴様は輸送船の中でも、待機所でも、熟睡していたじゃないか」

「んなこと言ってもよ、する事無くって、暇で、暇で・・・返って疲れたぜ。 体動かしている方が、なんぼもマシだぜ」

「では半村、それに槇島も、2人とも明日からずっと当直第1直だ。 精々頑張ってBETAを探せ」

「げっ!」

「ちゅ、中隊長! どうして自分まで・・・!」

―――あれは、真咲の中隊の・・・その第2小隊の新人だ。 半村(半村真里少尉)に、槇島(槇島秋生少尉)だな。
少しだけ、直接指揮を執った中隊だから覚えている。 新人だが、鼻っ柱の強い連中だ。 初陣は北樺太だったが、恐怖を感じながらも果敢に攻めていた。

「連帯責任だ、槇島、貴様は半村の保護者だろう?」

「違いますよ、中隊長! この馬鹿とは只の幼馴染・・・腐れ縁です!」

「酷ぇなぁ、秋生。 色々、馬鹿やった仲じゃん?」

「馬鹿は手前ぇだ、真里!」

―――こういう馬鹿共は、手綱を握ってなければ簡単に死ぬが、反対にしっかり手綱を握っていてやれば、大きく化ける可能性があるな。
2度目の実戦でも、初陣の恐怖感を覚えていながら、しっかり連携を取っていやがった。 うん、やっぱり伸びる馬鹿だな、あの2人は。


その内、夕食の時間になった。 全員で食堂に移る。 本来ならば大隊長クラスは上級将校団と共に食事を摂るのだが、受け入れ側の問題か、大隊毎の食事となった。
まあ、久しぶりにこう言うのも良い。 この1年ほど、師団長や上級参謀やら、連隊長や大隊長やらと、お偉いさん方との食事が続いていたし。 ああ言うのは、肩がこる。
食事は決まったメニューが配食される。 ライス添えのビーフストロガノフ、シチー(キャベツがベースの野菜スープ)、ニシンの酢漬け、黒パンに紅茶。
合成食材で味気無いし、日本人の味覚には、少々合わないが・・・ 他に無いのだから仕方がない。 それに味気無い料理は、国連軍時代に慣らされてきたしな。

が、そんな事はどうでもいい。 食事時の雰囲気が、いかにも気拙いのだ。 向うにソ連軍将兵の一団がいる。 ウィングマークから衛士だ、こちらを睨んでいる。
訳は―――彼らの食事を見れば判るだろう。 黒パンに紅茶は同じでも、他はチェブレキ(合成羊肉を挽いて、生地に詰めて揚げたもの)だけ。
どうやらソ連軍側は、『国際援軍』に対して相当、奢ったようだ。 だが逆に、自軍将兵への日頃の給食事情の悪さが、見える形で露呈したと―――食い物の恨みか。

「・・・んだよ、この野郎。 やんのか・・・?」

「上等だ、この馬鹿野郎・・・いつでもやってやんぞ?」

―――阿呆め。 半村と槇島が、判りもしないだろう日本語で挑発し、睨み返している。 確か人事調書ではあの2人、訓練校入校前は、横浜で相当悪ガキ共だったらしい。
言葉は通じなくとも、雰囲気は判る様だ。 向うも2、3人が怒気を含んだ表情で見返してきた。 顔立ちからしてロシア系、いや、スラヴ系じゃないな。 中央アジア系か?
さて、どうしようか? そろそろ引かせないと、向うと揉める事になるかもな。 あちらさんの部隊長は誰だ? その辺に居るか?

「―――上等だ! 馬鹿野郎!」

「なに、ガンくれてやがんだ! 潰すぞ、手前ぇら!」

―――遅かったようだ。 ウチの大隊の馬鹿が2人、突っ込んじまった。 それに釣られて、他に若い連中が5、6人。 向うもほぼ同数、14、15人が乱闘を始めた。

「止めろ! 止めんか、この馬鹿共!」

「喧嘩はBETA相手だけにしろ! 貴様ら、纏めて営倉にブチ込まれたいか!?」

「止めろと言うのが、聞こえんのか! このサカッた大馬鹿が!」

中隊長達が声を枯らして静止しているが、興奮した馬鹿共はまるで聞こえちゃいない。 小隊長達が間に入って止めようとするが、逆に1、2発喰らって逆切れしている。
見る見る内に人数が増え、今や双方で15、16人ずつくらい、総数で30人前後が入り混じっての大乱闘になっている。 さてさて・・・

「・・・あの、大隊長。 『さてさて・・・』ではなく、お止になった方が宜しいのでは?」

遠野が遠慮がちに、だがはっきりと、『止めるべきだ』と意見して来た。 それはそうだが、この大乱闘、どうしたモノかな?
と、その時向うから1人の大男が近づいてきた。 浅黒い肌に、濃い口髭を生やし、眼は有る種の獣の様な光を湛えた男だ―――中佐の階級章を付けている。

『おい、ヤポンスキー。 馬鹿騒ぎを納めるのは、これだぜ』

そのソ連軍中佐が、2つ持ったうちの一つを俺に手渡した―――ふうん、確かにな。 国連軍時代も、一度他部隊との大乱闘時に、当時のアルトマイエル大尉がやっていたな。

『そいつは、希少な前期型だ。 グリンコに逃げたCZ-USAが作った出来損ないの後期型や、イタ公がでっち上げた紛いモノの、タンフォリオ TA90なんかじゃ、ねえぞ?』

ふうん、チェスカー・ズブロヨフカのタイプ75。 俺は相も変わらずFN社のM1935・ブローニングHPを使っているが、同じ9mmパラで一度試してみたかったヤツだ。
―――Cz75、前期型。 1975年、迫りくるBETAの波に欧州全体が怯えていた時代、少しでも外貨獲得の為に、チェコ兵器廠国有会社が意地で作った9mmオートだ。
握ってみる―――思ったより握り易い。 思いのほか、人間工学を考えた的な形状だな。 そう言えば米国には、これを模した『ブレン・テン』って10mmオートがあったな。

髭面の中佐を見た、ニヤリと笑ってやがる。 銃口を天井に向け、2、3度振って合図して来た、向うは大型軍用拳銃のスチェッキンだ―――いいぜ、調子を合せてやるさ。
隣で遠野と来生が、驚いたように目を見開いている。 まさか自分達の大隊長までが、こんな馬鹿な事を―――そんな所だろう。 北里は相変わらず、目を丸くしたままだ。
生憎だったな。 こう言う馬鹿は、国連軍時代の少尉、中尉時代に散々仕込まれてきたよ。 仕込んだ奴が退役後に死んだのは、オチにもならんが。

「さて・・・と」

突然、乱闘が続く食堂内に連続した銃声が木霊した。 同時に全員が床に伏せる―――宜しい、それでこそ訓練された将兵の動きだ。
銃声が止んで、ようやく伏せた体勢から頭をあげた連中が、吃驚した表情で見つめていた。 何せ、自分達の大隊長が、軍用拳銃を天井に向けてぶっ放したのだから。
ソ連軍側の連中は、慣れた表情だった。 どうやら時々あるようだな、こういう状況は。 その後に騒ぎを聞きつけた、基地内の憲兵隊が駆けつけた。
が、件の髭面中佐が二言三言、言葉を交して追い返してしまった。 憲兵もどうやら本職じゃなさそうだ、顔立ちが中央アジア系だった。

髭面中佐が改めて近づいてきた。 俺の目前で立ち止まり、その長身(俺も183cmあるが、この中佐は190cmを越えていると思う)から、覗き込むように言った。

『・・・サハリンで見かけたヤポンスキーとは、お前さんはちょっと毛色が変わっている様だな。 面白い。
俺の名はサイード・カキエフ、中佐だ。 『ザーパド』大隊を率いている。 ヤポンスキー、お前さんの名は?』

『・・・周防。 周防直衛、日本帝国陸軍大尉』

『スオー? スオウ? どっちだ?』

『発音しやすい方で言い、カキエフ中佐。 派遣4個大隊の内の一つ、第101戦術機甲大隊、『デビルス』大隊長』

『ふん、『デビルス』・・・『シャイターン』か。 なかなかご立派な名前だ、戦場で名前負けせんように、精々気張ってくれ。 足手まといにならん程度にな』

『そちらも。 BETA西進のドサクサ紛れに、独立派を虐殺しまくったのとは訳が違う、対BETA戦闘は』

一瞬、連中の空気が凍った。 ソ連軍第66独立親衛戦術機甲旅団第2親衛大隊『ザーパド』、悪名が鳴り響いているチェチェン人部隊だ。 表向きは親露派で、民族派とは対立。
BETA西進の混乱の最中、ドサクサ紛れにグロズヌイ市内の反連邦派の者達を、大量虐殺しまくった部隊。 その結果、共産党から『親衛』称号を授けられた部隊。
パレオロゴス作戦の3年前だから、もう25年前だ。 目前の髭面中佐は30代半ば頃か、当時は関わっていないだろうが、それでもそれ以降も、何かと悪名を響かせる部隊だ。
中佐と大尉、相手は階級にして2階級も差がある上位者だが、同じ大隊長だ。 こう言う国際協力作戦の難しい面だ、舐められたら最後まで貧乏くじを引かされる、戦場でだ。

『・・・ふん、少しは楽しませてくれるようだ。 クソッたれなBETA共は、まだ対岸でお休み中だ。 機会が有ればその大口、確かめさせて貰う』

『何時でも』










2000年1月20日 0730 カムチャツカ半島 ペトロパヴロフスク・カムチャツキー Г(ゲー)-05基地


「で、お前は旅団本部に呼び出されて、始末書を書かされて、か? 馬鹿かよ?」

出撃の2時間半前、既に朝食は済ませ、30分後からブリーフィングが始まる。 その前に、昨日の騒ぎを起こした馬鹿者達の監督をしている訳だが。
聞きつけた圭介が早速、茶々を入れて来た。 確かこいつの大隊は、アゼルバイジャン人部隊と一緒だったな。

「抑え込んでの収拾も、出来たけどな。 何となく、しこりが残りそうだった。 ま、あの後は向うさんと、不味い飯を分け合っていたし。 あれはあれで、良いと思った」

銃声で毒気を抜かれたのと、なし崩しにあの後、合成ヴォトカが出回って(ソ連軍では、必須の給食品だ)、日ソ双方とも何だか分らない内に、一緒になって飲み始めた。
それまでは良かったのだが、騒ぎを聞いた旅団本部に、俺が呼び出された。 日本側の責任者と言う事で。 そこでまあ、お小言を頂く羽目になったのだ。
同盟軍との協調やら、帝国軍の品位やら、軍規やら・・・まあ、要するに旅団参謀長の笠岡中佐から、ネチネチと叱責を受けた上で、始末書を書かされて放免、と相成った訳だ。

―――戦場での始末書なんか、無罪放免と同じだけどな。

俺の方はそれでケリはついたが、やはり指揮官として部下達には、それなりのペナルティを課さねばならなかった。 じゃないと、部下からも舐められる。
と言う事で、乱闘騒ぎを起こした連中には現在、戦術機ハンガー周りの除雪作業をさせている。 除雪車なぞ使わせない、シャベルと押し車だけの人力でだ。

「何時間、経った?」

「そろそろ、1時間か。 飯を食わせた後で、ずっとさせている。 あと30分は休ませない」

「これは、結構きついな。 本土の雪と違って、ガチガチの氷だ。 ツルハシも要るんじゃないか?」

「5人、持たせてある」

「用意周到な事で・・・経験が? ああ、確かお前、昔にアラスカに居たな」

そう、居た。 今の国連軍ユーコン基地、あれが計画の本拠地に決定する前の、予備準備の頃。 まるで工兵隊さながらに、手伝わされた。
アラスカもそうだが、この辺の凍土もツルハシなんかじゃ手に負えない。 油脂を染み込ませて、火で炙って、その後で爆破しないと、穴も穿てない。

「それ、判っていてやらすか? 嫌な性格の大隊長だな」

「罰作業だ。 楽をさせて、どうする?」

「ご尤も」

氷点下22℃の中、それもまだ太陽が昇っていない暗い中、サーチライトに照らされたハンガー周りを、黙々と除雪作業に励む部下達―――与太を飛ばす余裕も無いか。
騒ぎの発端になった半村と槇島の2人が、歯を食いしばってシャベルを凍った雪に叩き込んで、割っている。 そうしないと除雪出来ないからだ。
流石に若い連中でも、顎が上がり始めている。 何せまだ一度も、休憩を取らせていないからな。 防寒装備の下は、汗だくだろう。

「大隊長、指揮官ブリーフィングは0800から、大隊ブリーフィングは0900から30分間の予定です」

大隊副官を務める遠野が、俺が乗り込んだ借用ジープ(アメリカからのレンドリース品だ)に歩み寄ってきて、そう言った。 そろそろ0750か、連中も切り上げさせるか。

「判った。 遠野、連中を切り上げさせろ。 それと、ソ連軍の連絡将校に言って、シャワー室の使用許可をとれ。 あのままじゃ、BETAと戦う前に風邪をひいてダウンだ」

「了解です―――大隊長、次は、あの様な事は・・・」

「判っている。 心配するな、戦闘も近い、馬鹿はしない」

少し心配そうな表情だったが、無理に自分を納得させたか、或いは本当に信用したか。 遠野がニコリと笑って『了解です』、そう言って罰作業中の連中の方へ歩いて行った。
さて、今日はミリコヴォに移動だ。 旅団丸ごと運ぶ輸送機はカムチャツカに無いそうで、延々9時間以上をかけて陸路を移動しなければならない。
その前に指揮官ブリーフィング。 昨夜の衛星情報(帝国の偵察衛星と、米国の偵察衛星の情報だ)からでは、シベリア方面とカムチャツカ北部は今日、明日にでも交戦しそうだ。
シェリホフ湾西岸のE群(約4200体)に、その後の兆候は有ったのか? それ次第では、ミリコヴォへは陸路では無く、戦術機甲部隊だけ先発する必要が有る。

そんな事を考えながら、旅団司令部が間借りしている、ソ連極東軍管区のビルへ歩いて行った。










2000年1月21日 1215 カムチャツカ半島 コリャーク山脈上空3000m マニルイ東方50km


『コシューキン01より地上管制、コサック16、目標に変わりは無いか?』

≪コサック16よりコシューキン01、目標、変わり無し。 座標、変わり無し。 光線属種は確認されず―――派出にばら撒け≫

晴天のシベリア上空、9機編隊のTu-95『ベア』の編隊が、上空でファイナル・アプローチ―――最終爆撃進路に乗せた。 そのまま直進しつつ、爆弾槽を開ける。
2重反転ペラを回す、強力なターボプロップエンジンを4基積んだ、世界最速のレシプロ重爆撃機。 プロペラの高周波音を極寒の大空に響かせ、目標に迫る。
やがて目標上空に差し掛かった、山脈が終わった平原上空だ。 デジタル画面で兵装管制担当士官が、照準を合わせた―――投下。 60発の500ポンド爆弾が放たれた。
9機合計で540発の500ポンド爆弾が、金切り音をあげて地上へと落下して行く。 BETAにそれを阻止する手段は無い、光線属種がいないからだ。
やがて、赤黒く染まった地上で無数の炸裂光が発生した。 それはたちどころに帯状になって、数kmの範囲に広がっていった。

≪コサック16よりコシューキン01、BDA(爆撃損害評価)は後で入ると思うが・・・大打撃だ、BETA共、こぞって吹き飛んだぞ!≫

小型種なら、直撃でなくとも爆風で数体から10数体は、1発の爆弾で纏めて吹き飛ばせる。 大型種でも、直撃すれば貫通だ。
戦車級や闘士級、兵士級の小型種BETAが直撃で文字通り吹き飛び、至近弾による爆圧で、内臓物が内部から爆ぜて飛び出している。
要撃級は弱い上面に、1発の500ポンド爆弾が直撃して貫通。 爆弾が内部で炸裂し、その巨体毎、爆ぜ飛ぶようにして停止した。
突撃級も、至近で炸裂した爆弾に節足部を吹き飛ばされ、停止する個体や、纏めて数発の直撃弾を喰らい、装甲殻を貫通される個体も出てきた。

『コシューキン01よりコサック16。 次の第1中隊は30分後だ、それまで大丈夫か?』

≪問題無い。 砲兵もロケット弾部隊も、それに攻撃ヘリも出番待ちをしている。 それに『友軍』が来ているからな。
戦力の少なさは、連中が埋めてくれるさ。 手土産はBETA殲滅のお手柄、これで満足するだろうよ、連中も!≫

『土産をやろうにも、BETA以外は何も無いしな! 次は30分後、俺達は1時間半後だ。 第3中隊はシェリホフ湾東岸の支援に回った。 向うもBETAが動き始めた』

≪大丈夫かよ? あそこは42軍しか、居ないんじゃなかったか?≫

『ヤポンスキーとキタイスキー(中国人の事)、それにベトナムスキーが6個大隊、戦術機部隊を連れて来た。 支援の戦車隊とか、砲兵隊もいる』

≪そりゃ、豪勢だ。 42軍の連中、上手い事やりやがったな≫

今日は天気も珍しく良い、絶好のBETA狩り日和だ―――そう交信して、Tu-95の編隊は基地の有るペトロパヴロフスク・カムチャツキーへ向けて、変針して行った。









2000年1月21日 1250 カムチャツカ半島 ティギリ西南150km


≪CPよりデビルス・ワン。 出撃命令です。 第2戦区、ティギリ方面にBETA群、約3000が上陸。 天候が悪化しつつあります、爆撃機編隊の航空支援は見合わせです。
現地はソ連軍第33自動車化狙撃師団、第208戦車旅団の他、砲兵旅団とロケット旅団各1個が防戦中。 第66独立親衛戦術機甲旅団、交戦開始しました≫

「了解。 攻撃ヘリ部隊はどうか?」

≪現在、ハインドF(Mi-24VP)の1個中隊が出撃しました≫

攻撃ヘリ1個中隊(1個小隊欠の9機)だけじゃ、余り有効な近接航空支援にはならないな。 それに師団・旅団と言っても・・・

『・・・なあ、3000程度のBETA群、それも光線級はいないんだろ? それでなんで、1個師団に4個旅団もの戦力あんのに、こっちが出撃すンだよ?』

『俺が知るか。 中隊長か、大隊長に聞けよ』

―――これは、半村に槇島か。

『2人とも、黙れ。 ・・・ソ連軍部隊は、定数を揃えているのはアラスカの部隊だけだ、他は全て定数割れを起こしている、額面通りの戦力では無い』

第1中隊長の真咲が、注意を兼ねて改めてレクチャーをしている。 確か前に、座学で教えた筈だがな? 後でもう一度、『厳重に』叩き込んでやるか。
定数割れだけじゃ無い、ソ連軍の部隊編成は総じて小型だ。 日本や米国の部隊編成に比べ、例えば『師団』は、日米の『旅団』程度の定数でしか無い。
そして『旅団』は、『連隊』に毛が生えた程度だ。 つまり今、ティギリ正面のソ連軍防衛戦力は、1.5個師団程度の額面戦力。 定数割れを考えれば、1個師団を割る程度だ。

「デビルス・ワンよりCP、了解した。 大隊はこれより急行する―――大隊長より各中隊、噴射跳躍で急行する! ティギリ東南方向よりBETA群を下から叩く! 続け!」

指揮小隊を先頭に、3個中隊が続行する。 跳躍ユニットから発炎光を引きながら、700km/hオーバーの速度で戦場へ。 12、13分程度で到着だろう。
途中、目標手前100km地点で第102大隊―――圭介の『アレイオン』と合流し、70km手前地点で美鳳の『龍女(ロンニュイ)』大隊と合流する。
92式『疾風』弐型が80機、殲撃10型(J-10)が40機、総計120機の戦術機が、綺麗に陣形を形成しつつ飛行する様は、ちょっとした光景だった。


『アレイオン・ワンよりロンニュイ、デビルス。 連中、狙撃兵師団まで食い込まれている』

戦術MAPを見ながら、圭介が注意喚起をして来た。 馬鹿め、陣形が拙過ぎる。 よりによって、海岸線付近に狙撃兵師団を布陣させていたとは。
お陰で後続の戦車旅団が、目標を定められずに右往左往だ。 砲兵旅団とロケット旅団も、面制圧支援を行えていない様だ。

『・・・ロンニュイ・ワンよりデビルス、アレイオン。 見て、直衛、圭介。 戦術機部隊がBETA群後方へ突入したわ―――狙撃兵師団は、見捨てる様ね』

ソ連軍3個戦術機甲大隊―――定数の半分程度もなかった―――が、混乱している戦場に突っ込んだ。 恐らく狙撃兵師団を餌に、BETA群を殲滅する気だろう。
それでも戦術機の数が足りない。 大幅定数割れの半個大隊以下が3つ、精々1個大隊強程度の戦力では、狙撃兵師団を破って戦車旅団に殺到するBETA群を、食い止められない。

「デビルス・ワンよりロンニュイ、アレイオン。 デビルスは戦車旅団の前面に強襲降下。 ロンニュイは側面から突入、アレイオンはソ連軍戦術機甲部隊の支援、どうか?」

『アレイオン、了解。 連中に代わって、全部平らげようか。 所詮、光線級はいない』

『ロンニュイも了解よ。 直衛、間に割って入ったら、突撃はしないで、距離を保って頂戴。 ロンニュイが側面から殲滅します』

3人の意見が一致した。 ソ連軍狙撃兵師団は助けない、助けられない。 運が良ければ幾ばかは、生き残るだろう。

「アレイオン、頼む。 ロンニュイ、了解。 戦車部隊の優位を確保した後、デビルスとロンニュイはBETA群に突入、ソ連軍とアレイオンの支援に回る」

『それでいい―――アレイオン・ワンよりアレイオン全機! 突入!』

『ロンニュイ全機、BETA群戦闘集団の南側面、距離200で砲撃戦、開始せよ!』

「デビルス・ワンより各中隊、BETA先頭集団と、戦車旅団の間に割って入る! 距離を保て、突入はするな、『ロンニュイ』の流れ弾に当たるぞ。 かかれ!」

距離は5kmを割った、一気に戦場に突っ込む。 視界の左手、海岸線の混戦状態の中から、突撃級と要撃級の一団が割って出て来た。 右手にはソ連軍戦車旅団。
旅団と言っても2個大隊も無い、1個大隊にプラス1個中隊、そんな所か。 BETAの集団を押し止める戦力じゃないが、それでもソ連にとっては虎の子の近接砲戦戦力。
125 mm滑腔砲を撃ちまくっているが、突撃級の装甲殻を貫通するまでには至っていない。 側面の節足部を打ち抜いた場合だけ、行動停止に成功していた。

噴射跳躍のまま、一気に距離を詰める。 700km/h超の速度で地表が迫る、ちょっとした度胸試しだ、タイミングを間違えれば機体ごと激突して終わり。
網膜スクリーンに浮かんだ照準レクチュアルに、ピパーが重なった、トリガーを引く。 120mmAPFSDS弾が突撃級の側面に吸い込まれた―――射貫、動きを止めた。
同時に逆噴射制動をかける。 跳躍ユニットの噴射制御パドルを全閉塞、同時に逆噴射パドルを一気に全開。 着地と同時に正面の突撃級に向けて、120mmAPFSDS弾を見舞う。
着地の逆噴射と、突撃砲の砲口からの発射波で、周辺の雪が盛大に舞い上がる。 サラサラの粉雪だが、一瞬だけ熱源センサーが狂う―――大丈夫、震動と音響は問題無い。

『日本帝国軍、第101戦術機甲大隊≪デビルス≫だ。 戦車旅団、一旦引け! 距離を開けろ!』

僅かに空電。 自動翻訳が利いている筈だ、少なくとも指揮官は聞き取れている筈・・・

『第208戦車旅団、1000後退する。 ヤポンスキー、日本軍、感謝する!』

T-72の主砲有効射程は1,800~2,000m、距離による威力減衰とBETA群からの距離を考えれば、1000後退―――BETAとの砲戦距離1,200mは妥当か。
70輌程の戦車―――T-72BMが砲を前方に向けながら、一斉に後退を始めた。 貴重な近接砲撃制圧戦力だ、ここで無意味に潰していては、今後の展開が不安になる。

「大隊長より各中隊、BETA群との距離200を維持。 近接戦闘は禁止する、砲戦で仕留めろ。 
1中隊、正面。 2中隊、右翼。 3中隊、左翼。 陣形、ウィング・スリー。 滞空NOEを許可」

『『『―――了解!』』』

3人の中隊長から、応答が同時に入った。 数秒後には大隊陣形を整え、迎撃砲戦に移っている。 

『―――バンデッド・イン・レンジ! エンゲージ・ディフェンシブ!』

『フリッカ08より05! バックアップ、入ります!』

『ドラゴン・リーダーより各機! 足を止めるな、動け!』

『ハリーホーク10、FOX01! ファイア!』

1中隊、真咲の中隊で正面を受け止め、左右から最上と八神の2個中隊がかき回す。 今の所は、上手くいっている。 さて、他の大隊は・・・

『ロンニュイ・ワンより全機! 砲撃戦、開始!』

側面から美鳳の大隊が、砲撃戦を開始した。 先頭集団の突撃級や要撃級の側面に120mm砲弾と36mm砲弾が、雨あられと降り注ぐ。
正直言うと、統一中華の82式戦術突撃砲(WS-16C改)の命中精度は、帝国陸軍では評判が悪い。 だが程度問題だ、逆に日本人が細か過ぎるだけかもしれない。
それが証拠に、40機からの殲撃10型から放たれる砲弾は、ほとんど無駄弾なく、BETAに吸い込まれている。 側面を破られ、突撃級と要撃級の突進力が低下した。
よし、いいぞ。 これで正面と側面、2方向からのキル・ゾーンが形成された。 後は距離を保ちつつ、先頭集団を殲滅する。

「デビルス・ワンより大隊全機! 砲撃殲滅戦を続行せよ!」






目前で要撃級が爆ぜた、背後から攻撃ヘリの23mm砲弾を、たらふく見舞われたのだ。 頭上をMi-24VP『ハインドF』が1機、フライパスして行く。
遠くで砲声が鳴った。 残った僅かな要撃級BETAが数体、125mm砲弾の直撃を受けて倒れ込んだのが見えた。 戦車旅団も生き残った様だ。
同時に120mmキャニスター弾を、前方100に見舞う。 左右からも同時にキャニスター弾が放たれた。 100体以上の戦車級BETAが赤黒い霧の様になって霧散した。

『大隊長、当該戦区に残存BETAの個体は、確認されません』

副官の遠野が報告する。 確かに戦術MAP、震動・音響・熱源センサーでも、BETAを検知していなかった。
周囲には指揮下の3個中隊が、警戒態勢を敷いている。 どの中隊からも、BETA確認の報は入ってこない。

「―――大隊の損失は?」

『ありません。 第1中隊≪フリッカ≫、第2中隊≪ドラゴン≫、第3中隊≪ハリーホーク≫、共に損失機無し。 小破4機ですが、修理可能と判断されます』

損失無し。 よし、近接格闘戦を禁じた甲斐が有った。 あの程度の数のBETA群を相手に、俺と美鳳の2個大隊が当って、近接格闘戦をする必要も無い。
3000体の内、約2000体はソ連軍と、圭介の≪アレイオン≫が拘束していた。 こちらが2個大隊で殲滅したのは、1000体程。 その後は残りの掃討にも参加した。
ソ連軍部隊は若干の損害を受けていたが、≪アレイオン≫、≪ロンニュイ≫とも、僚隊に損害は見受けられない。

「よし―――デビルス・ワンよりCP、BETA群の掃討を完了。 戦況知らせ」

≪CPよりデビルス・ワン。 旅団司令部は、第2戦区のBETA群を殲滅したと判断。 ソ連軍より同様の報告有り。
なお、第1戦区のレスナヤに侵攻したBETA群、約1200も殲滅完了。 第3戦区のパラナには、侵攻したBETA群は無しです≫

第1、第2戦区で、合計4200のBETA群を殲滅完了。 これでシェリホフ湾の氷上を渡って来たE群は、全て殲滅した事になる。
にしても今回、棚倉と伊庭は楽をしたな。 あの2人は今回、第3戦区の支援を担当していたからな。 旅団本部と主力も、第3戦区に向かったが、空振りだったか。

≪アナディリ前面は、ソ連軍と国連軍・米軍の連合軍が押え込みに成功しました。 カムチャツカ半島北部も、航空支援の元、優勢に押し戻しています。
大隊は1430まで現地点で警戒続行、その後RTB。 推進剤の補給は、100km東南に補給コンテナを配備しています≫

推進剤の残量を確認する―――巡航で飛んでも到底、Ц-04前線補給基地までは保たない。 100km先か、そこまでなら何とかなる。

「―――1430まで警戒続行、その後RTB。 デポ・パッケージはES-100にて補給。 了解した、アウト」

周囲を見回す。 少し雲が厚くなった気がする、恐らくこのまま天気は悪化しそうだった。 全く運がいい、吹雪になる前に攻撃ヘリ部隊の支援を得られた。

『―――ギリギリになっての支援、感謝するぜ、周防大尉』

皮肉っぽい声が、通信回線に流れた。 大丈夫、上級指揮官用の回線だ、部下達には聞かれない。 見ると1機の戦術機が近づいてきた、Mig-27『アリゲートル』 
右肩に大隊長機を示す太い帯線が2本入っている―――『ザーパド』大隊長、サイード・カキエフ中佐。 網膜スクリーンにあの、獣の印象を与える髭面がポップアップした。

『そちらの司令部から、なかなかお呼びがかからなくてね。 もしかすると、忘れてくれたのじゃないかと、密かに幸運を喜んでいた。 
が・・・残念ながら、土壇場で思い出されてしまった。 折角、楽が出来ると踏んでいたのに、残念だ』

一応、国際公用語(認めない国は今でも多いが)である英語で返す。 ソ連軍の語学教育は知らないが、この前の乱闘騒ぎ、あの時カキエフ中佐は英語を話していた。

『後で旅団(第66独立親衛旅団)司令部の豚どものケツを、蹴り上げてやる。 狙撃兵師団は人員の80%を失った、壊滅だ。 見事だ、歩兵共を見捨てた時の、判断と即断は』

その言葉に、チラッと戦場を見回す。 撃破したBETAの残骸の他に、胴体を食いちぎられた歩兵、頭部が無くなった歩兵、両腕を失い失血死した歩兵・・・
様々な死に方をしたソ連軍狙撃兵師団将兵の、多数の『残骸』が散らばっている。 ざっと目に入った限りでこれだ。
実際は戦場全体で数千体の死体が、虚しく転がっている筈だった―――もっとも、もう何の感傷も生じない。 もう何年も見慣れた光景だから。

『・・・都合の良い無敵部隊じゃあるまいし。 あの状況で、狙撃兵師団を助ける事は出来ない。 後方の戦車旅団や砲兵旅団に突っ込まれていた』

出来る事と、願望を一緒にするな、戦場で。

『くく・・・勘違いするな、ヤポンスキー。 ありゃ、頭のイカれた、馬鹿なロシア人師団長の自業自得だ。 奴め、アラスカに戻りたい一心で、結局はここで死にやがった』

『・・・どう言う事だ、中佐?』

―――ああ、それは・・・

カキエフ中佐がそう言いかけた時、別の人物が回線に割って入って来た。

『サイード、ここは片がついた。 戻るか?』

猛禽の様に鋭い眼、そして酷薄さを映し出した様な眼の色。 ソ連軍3個大隊のひとつ、『ヴォストーク』大隊長のスリム・ヤマダエフ少佐。 これまたチェチェン人部隊長だ。

『スリム、そっちに損害は? それと、あの女は?』

『大隊に下手を打った奴はいない、中破が2機、修理で何とでもなる―――あの『スーカ』か? 生きているぞ』

―――『スーカ』、ロシア語のスラングで、『牝犬』と言う意味の罵倒語だ。

『それは結構。 アゼルバイジャン人共の面倒を、見る奴が居ないとな』

『96(第96独立親衛戦術機甲旅団)に居るじゃないか、アゼルバイジャン人は』

『こっちの戦力が下がるのは、頂けねえ。 スリム、余りあの女を、いたぶるなよ?』

『ベラルーシは、趣味じゃねえ』

―――なんだ? 一体何の話だ?

話に入って行けず、聞き流していたら圭介と美鳳が回線に入って来た。 途端にヤマダエフ少佐が回線をカットする。
カキエフ中佐も二言、三言話して回線をカットした。 どうやら俺たちじゃ無く、もう一人のソ連軍指揮官に原因が有る様だ。
その、最後の、3人目の大隊指揮官が回線に入って来た。 少し驚いた、急な作戦展開で面通しさえ出来ていなかった事もある。
カキエフ中佐の先入観も手伝ってか、てっきりこのソ連軍戦術機旅団は非ロシア系、それも中央アジア系とばかり思っていたのだが・・・

『増援、感謝する、周防大尉。 趙少佐と長門大尉には名乗ったが、ソ連軍第66独立親衛戦術機甲旅団第2大隊、リューバ・ミハイロヴナ・フュセイノヴァ少佐だ』

―――確か、第2大隊はアゼルバイジャン人部隊の筈。 それが、指揮官がスラヴ系・・・?

網膜スクリーンのウィンドウの向うで、明らかにスラヴ系と思しき女性衛士の顔が有った。





[20952] 北嶺編 5話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/11/28 22:46
2000年1月22日 1030 カムチャツカ半島 Ц-04前線補給基地


ハンガーの外は相変わらずの曇天だった、粉雪がちらちらと降っている。 風は弱い、お陰で前日ほどの寒さは感じない。 それでも氷点下20℃には低下していた。
現在はこのカムチャツカ南部は、ちょっとした小康状態だ。 シェリホフ湾から来襲したBETAのE群は、2手に分かれて来襲して来たが、何とか撃退出来た。
シベリアのアナディリ前面と、カムチャツカ半島付け根のキジガからパレンにかけての防衛戦は、BETA群の動きが緩慢になり、戦線が膠着している。
衛星情報からも、新たな飽和個体群は確認されていない。 ただ、H19・ブラゴエスチェンスクハイヴからの飽和個体群、約1万強が北上した事。
その後、東シベリアのアルダン山脈を出た辺りでロストした事が、気がかりではある。 そこからならヴェルホヤンスク、エヴェンスクへは1000km程度。
もしかすると、大陸で散々経験して来た悪夢―――『隣接するハイヴからの、個体群移動』が発生するかもしれない。 92年から93年は、それで酷い目に遭った経験が有る。

とは言え、シェリホフ湾西岸には現在BETA群は確認されず、地中侵攻も深深度振動感知センサーに引っ掛かっていない現在、無理にデフコンを上げる事も無い。
部隊をЦ-04前線補給基地に帰還させ、簡易整備を行わせたのが昨日の事。 部下達は全員、仮設の宿舎で休養をさせている。
俺は大隊が宛がわれたハンガーで、大隊の機体の様子を見て回っている。 北樺太と、昨日の戦闘で気になった箇所を、大隊付の整備長と相談している所だ。

「大隊長、電磁伸縮炭素帯の件ですが。 やはり設定はB2(張力・連結応力共に標準)より、B1かC1に変更しますか?」

大隊付整備長が確認して来る。 ここに来て、まだ実戦は一度だけだが、樺太での戦闘も含めどうも、電磁伸縮炭素帯の使い方が違う気がする。

「・・・C1(張力最大、連結応力最小)だと、伸縮炭素帯が極寒の気温で疲労を起こしやすくなるな。 B1かな。 A1だと張力が不足するな」

「ですね、そんな所でしょう。 ログを見ても、連結応力を強くし過ぎると、このシベリアの低気温で結束部がけっこう影響を受けていますし。
では、その方向で全機の調整を行います。 整備終了予定、明1500の予定です。 予備機はB2のままですが、4機搬入しております」

「判った。 そっちは即応状態にしておいてくれ」

「はっ! おい! 調整変更だ、全機B1に変えろ!」

この寒気の中、いくら予熱されたハンガーの中とは言え、これから大隊全機の再調整を1日と少しで行う整備隊の苦労。
夜には旅団の兵站分遣隊に頼みこんで、特配を出してやるか。 ・・・俺のツケになるのか、仕方が無い、これも士気の維持の為だ、今月は節約しよう。

「・・・ん?」

何気にハンガーを見回すと、そこに居るべきではない連中の姿が目に入った。 俺は確かに、部下全員に休養を命じた筈だ。 
この先、同戦況が動くか判らない今、少しでも、休める時には休む事も、最前線の将兵にとっては共通の『任務』なのだから。
その連中は、自機の整備班と一緒になって話し込んでいて、近づく俺に気がつかない。 どうやら操縦系の反応速度と、燃料噴射タイミングの話題の様だが?

「・・・だからさ、もう少しピーキーにした方が・・・」

「・・・少尉、それだとこの気温です、駆動系の金属疲労が・・・」

「・・・燃料噴射バルブの、噴射タイミング、もう少し比例帯をさ、狭めるとか・・・」

「・・・ダメ、ダメ、そんな事したら、制御装置の分解能が追いつきませんって。 簡単にオーバーシュートして、ハンチング起こしますよ・・・」

「・・・オフセット、潰したいんだよ。 操縦系で限界まで行ったと思っても、まだオフセット有るし・・・」

「・・・PID設定は、詰めますよ。 オフセットはI(積分)で消して、D(微分)で操作量を補正します・・・」

「・・・噴射バルブ、結局は操作部の応答性次第ですから。 これ以上は・・・」

―――熱心なのは良い事だがな。 それに意外な一面は誰しも有る事だ。 しかし、命令違反は頂けないのだが・・・
やがて、近づいてくる足音に、まず整備兵が気付いた。 振り返り、俺と目が有った瞬間に、ぎょっとした表情で、慌てて直立不動の体勢で敬礼する。

「だ、大隊長!―――敬礼ッ!」

他の整備兵たちも、慌てて敬礼する。 まさかここまで指揮官が来るとは、思っていなかったか。
整備兵の他に衛士が2人、半村少尉と槇島少尉が、慌てて敬礼する。 こっちは俺が命じた休養を無視した事も含め、ちょっと見物な表情だった。

「ああ、直れ。 作業を続けてくれ―――半村、槇島」

「「―――はっ!」」

「・・・確か、休養命令を出していたと、記憶するのだがな? 戦闘は自覚のない疲労が蓄積される、休める時にそれを取り除くのも任務だと、以前に教えた筈だが?」

「「はっ!」」

―――まったく、仕方のない奴らだ。

「明朝、もう一度『氷割り』をやれ。 副官の遠野中尉の指示を仰げ―――で、何をやっていた?」

「はっ!―――あ、いえ、前から思っていた事が有りましたので、整備に相談しておりました!」

オイルを顔にこびりつけた半村が、もう半ば自棄になって答える。

「半村―――操縦系か? 少し聞こえたが。 現行ではOSもそうだが、演算装置本体の能力が向上しない限り、今以上弄るのは、かえって改悪になりかねんぞ?」

「はあ・・・」

「槇島、貴様は燃噴系か? 余り弄るな、ECU(Engine Control Unit)が制御しているのは、噴射装置―――フュエル・インジェクターだけでは無い。
点火系や動弁系、始動系、それに駆動系と安全装置関係も連動している。 それら全てを、見直さねばならなくなるぞ?」

「は、はっ!」

―――やれやれ。 まるで、いつか来た道、と言うヤツだな。 俺も少尉時代、色々と弄ってみたり、整備に頼み込んでみたりしたものだ。
それが少し、一人前に近づいている気がしたり、また、楽しかったりもしたものだ。 まあ、実戦を積み重ねていく内に、『確実に動けば、それで良い』に落ち着いたのだが。

「よし、貴様達に、追加のペナルティを与えてやる」

「げっ・・・」

「つ、追加・・・」

おいおい、見るも情けない顔だな。 多分、貴様らが喜びそうな事なのだがな?―――ああ、広江中佐も、当時はこんな感じで、新米の頃の俺達を見ていたのだろうか?
そう思うと、少し可笑しくなった。 当時は上官の一言に、一喜一憂していたモノだ。 それだけ、余裕と視野が無かった事もあるのだろうが。
そうだな、これも面白い。 コイツらをどうやって、一人前に仕込んで行ってやろうか? まあ、半分以上は直属中隊長の真咲にさせる事だが。

「明日からは色々と設定を変えて、とにかく戦術機に乗れ、乗りまくれ、休ませんぞ? 結果は逐一、整備長に報告しろ、報告書を添えてな―――サボりは許さん」

「え? あ・・・は、はいっ!」

「は、はいっ! 了解しましたっ!」

「・・・よし。 それと、今日は休め。 いま直ぐにだ、いいな?」

「「―――了解!」」

―――形としては、叱責だったのにな。 妙に嬉しそうに、はしゃぎながら去って行く半村と槇島の後ろ姿を見ながら、思わず苦笑した。 昔の自分も、ああだったのかと。

「可愛がってますな、大隊長。 半村少尉と、槇島少尉を」

背後から、整備長の笑い含みの声がした。 下士官から叩き上げの古参にとっては、これもまた『可愛がる』と判るか。

「・・・あいつらだけじゃ無い、部下は皆、可愛いよ。 まあ、なんだ、叩き甲斐の有る馬鹿者では、あるかもな」

「昔の、広江大尉と周防少尉を見ている様ですよ」

「・・・アンタは、昔を知っているからなぁ、整備長」

整備長もまた、大陸派遣軍の生き残りだった。 直接に整備を担当して貰った事は無いが、新任当時は広江大尉の中隊で、そして広江少佐の大隊で、整備の下士官だった古強者だ。
後は任す―――整備長にそう断って、ハンガーを出た。 いきなり寒い、外気温は氷点下を大きく下回っている。 だいたい、マイナス22℃くらいか。
冬季BDUにフライトジャケット、その上に外套を着込んでも尚、寒さを感じる。 因みに外套は持ち込んだ私物だ、将校の軍装は全て私物だしな。
一応、特殊な防水・防寒加工を施した皮革で、内張りは羅紗(ウール)。 これでもアクアスキューダムだ。 国連軍時代、なけなしの金をはたいて、オーダーメイドして作った。


『―――周防大尉』

歩いていると、背後から声を掛けられた。 振り返るとソ連軍の女性佐官。 確かこの前に共に戦った第66独立親衛戦術機甲旅団のリューバ・ミハイロヴナ・フュセイノヴァ少佐。
くすんだ金髪に、青い瞳、静脈が浮き出そうなほど色白の肌、顔立ちは典型的なスラブ系。 これでどうして、アゼルバイジャン人部隊の指揮官なのだろうか?

『周防大尉、この間は救援、感謝するわ』

わざわざ、その為だけに? 昨日21日のE群襲来の時だ、全面に出ていたソ連軍は布陣の拙さから、一時的に混乱状態になりかけた。
結果は俺達帝国軍と、国連軍の合計3個戦術機甲大隊が強引に突入し、何とか戦線の崩壊は防げた。 狙撃兵師団、その8割を失う犠牲を出して―――『壊滅』と引き換えに。
今はBETAの侵攻が無かった隣接するパラナから第189自動車化狙撃兵旅団を転進させ、カムチャツカ北部の第35軍から、第129狙撃兵師団をパラナへ入れた。
我々の遣蘇派遣旅団は、相変わらずЦ-03とЦ-04に展開し、ソ連軍の後背を守る。 この日は昨日の戦闘後、BETAの動きが鈍くなった事も有り、基地は警戒態勢を落していた。

『元々、その為に派兵されてきたのです。 その言葉は素直に受け取ります、が、必要以上に気を遣わないで下さい』

『・・・そう。 いや、実際の所有り難いのよ。 君も承知と思うが、我々は定数が揃う事は、ほぼ無いの。 支援部隊も近頃は手薄になりがちなのよ』

旅団司令部は、打撃戦力をほぼ2分した。 旅団本部は、比較的手薄になりがちなЦ-03に、棚倉の103と伊庭の104、戦車1個大隊(近藤正親少佐指揮)と共に駐留する。
Ц-03には他に、第119機動歩兵連隊第2大隊と、第502砲兵大隊、第207後方支援連隊の本隊が駐留していた。 支援連隊の整備支隊は、Ц-04だ。
更には国連軍先遣戦闘団から、整備支隊と共に第4戦術機甲大隊(グエン・フォク・アン少佐指揮)が、Ц-03の帝国軍の臨時指揮下に入っている。

Ц-04には俺の101と圭介の102、それに戦車1個大隊(元長孝信中佐指揮)が駐留する。 これに国連軍の第3戦術機甲大隊(趙美鳳少佐指揮)と支援大隊が入った。
そして国連軍先遣戦闘団本部を周中佐が率いて、Ц-04に居座った。 Ц-04は先任順位から、周蘇紅中佐が帝国軍・国連軍の臨時指揮を執る事になった。 
元長中佐より、周中佐の方が1年先任となるからだ。 全般指揮は遣蘇派遣旅団長、都築高治准将が執る―――前々から、取り決めていたと言う話だ。
Ц-03とЦ-04に展開した帝国・国連の合同軍は、戦術機甲6個大隊、戦車2個大隊、自走砲1個大隊に、1個機械化歩兵大隊。 それに1個支援連隊と国連の1個支援大隊。
戦術機甲師団規模ではないが、結構強力な増強打撃旅団規模ではある。 特にソ連軍が定数割れを起こしている戦術機部隊の充実は、歓迎されていた。

『この地区への戦術機3個大隊、それに場合によって戦車1個大隊は、喉から手が出るほど欲しかった所なの』

並んで歩きながら、そんな事を話しあっていた。 ハンガーから帝国軍が間借りしている建物へも、ソ連軍戦術機甲部隊の本部へも、同じ方向だった事もある。
フュセイノヴァ少佐は、年は30前。 27、28歳位か。 俺より2、3歳上と思われる。 この年で衛士と言うと、15、16歳の頃から戦術機に乗り込んでいる計算になるか。
搭乗歴が11年以上、恐らく12~13年ほど。 搭乗時間は2500時間以上、3000時間前後か。 知り合いで言えば、木伏少佐か、荒蒔少佐位のキャリアになるか。
俺で搭乗歴は7年弱、搭乗時間が1700時間と少しだ(国連軍時代、1年ほど戦術機に乗っていなかった) 同期の多い連中で、搭乗時間は1900時間を越える。
スラブ系としては、平均的な身長か? 170cmは無さそうだ、160cm台後半か。 くすんだ金髪に、碧眼。 静脈が透けて見える位の白い肌、深い彫の顔立ち。
それからフュセイノヴァ少佐と二言、三言、儀礼的な言葉を交している内に、聞いてみたくなった。 昨日の戦闘後に感じた、友軍への違和感に付いて。

『失礼ですが、少佐。 ひとつお聞きしてよろしいか?』

『答えられる事ならば、大尉』

―――もしかすると、ソ連軍の軍機か、或いはプライベートに関わるかな? そうとも思ったが、まあ、いいか。

『どうして、明らかにスラブ系の少佐が、アゼルバイジャン人部隊の指揮を? 側聞する限りでは、貴軍は同一民族での部隊編成をしている。
私は実際に北樺太で、貴軍と共に戦った経験が有る。 彼等は、同一民族での部隊編成だった―――失礼でなければ、お教え願いたい』

一瞬、間のあいたフュセイノヴァ少佐だったが、やがて苦笑交じりに答えた。

『まったく、失礼な質問ね、大尉。 人のプライバシーと言うものよ、それは―――簡単な話、私の亡夫がアゼルバイジャン人だった、と言うだけの話よ』

『―――まったく、失礼な事を。 亡きご夫君の魂が、安らかならん事を』

『・・・君は、キリスト教徒か? まるで正教会の様な事を言う』

『まさか。 神道・・・日本のシャーマニズムですよ、私は。 極めて消極的で、いい加減ですが』

―――どうも、この少佐も色々と裏の有りそうな、そんな経歴を持っている人物の様だな。

『では、失礼ついでに、厚かましく今ひとつ』

『本当に、厚かましい男の様ね、君は』

『取り柄ですので―――先日の戦闘ですが、同僚の話では少佐の大隊は、他の2大隊との連携を余り取っていなかったとか。
戦闘後も、カキエフ中佐とヤマダエフ少佐は、どこかよそよしい。 『友軍』の不和は、我々としても気にかかる所であります』

―――さて、どう出るかな? 藪を突く事になるのか? あからさまに『スーカ』などと、罵倒する位だ。 フュセイノヴァ少佐が少し顔を顰め、探る様に聞いてきた。

『・・・予め、戦闘で切り捨てる部隊の品定め? 大尉?』

『我々は、『友軍』の崩壊は歓迎しない、と言う事です、少佐』

―――ああ、そうだな。 場合によってはそれもアリか、どの部隊になるかは判らないが。 ソ連軍内部のゴタゴタで、こちらまで損害を被る事は無い。

『・・・確かに、同志カキエフ中佐や、同志ヤマダエフ少佐とは、私は上手くいっているとは言えない。 でも、別段含む所が有る訳ではないわ』

―――『同志』ね。 随分と分厚い壁が有る様だな、この旅団の戦術機部隊指揮官同士には。 含む所は無い、か。 本当なのかな?

『成程。 『ザーパド』、『ヴォストーク』、確かに精鋭と聞こえた部隊。 特に『ザーパド』は・・・』

『ふん、精鋭? 本気で言っているのなら大尉、君は全くお目出度い男よ。 連中が『精鋭』? 『親衛』称号に相応しいと?―――いいでしょう、教えてあげる』

自制が完全に効かなかったのか、少しばかりの嫌悪感を表して―――それでも意識して抑えている様だが―――フュセイノヴァ少佐が語り出した。


『―――カフカスの虐殺』


ソ連軍第66独立親衛戦術機甲旅団第1大隊『ザーパド』が、その悪名を初めて世に知らしめた事件。 1975年10月、ソ連邦チェチェン共和国の首都・グロズヌイで発生した。
当時、BETAの侵攻に混乱するカフカス地方一帯には、2派の勢力が存在した。 ソ連邦の元で何とか生き残りを図ろうとする親露派(連邦派)
米国、帝政イラン、トルコの支援の元で分離独立を果たし、その3国との協調で何とか生き残る道を探ろうとする独立派とが、激しく対立していた。
特に1974年にH2・マシュハドハイヴ、1975年にウラリスクハイヴが確認され、南北からBETAの侵攻が確実視されつつあった時期だった。

『帝政ロシアの頃からカフカス地方は、反ロシア感情が強かったのよ。 何しろ抵抗戦争を47年間―――『カフカス戦争』ね、戦った後、ようやくロシアに膝を屈した土地よ』

独立派は、カフカスはカフカスとして、BETAと当るべし、ソ連の元では所詮、使い捨ての駒にされるだけだと、そう言った。
その為にはH2・マシュトバハイヴからの攻勢を一手に引き受ける形の帝政イラン、その支援を行う米国、後背のトルコ共和国と手を繋ぎ、故郷を守るべきと主張した。
実際にイランとトルコは(当時はオスマン朝だったが)、『カフカス戦争』当時はロシア帝国への対抗上、カフカス諸勢力の後ろ盾となり、支援した歴史が有る。
連邦派は、米国はイランと湾岸地域が重要なのであって、カフカスは重要視していない、カフカスが米国の傘下に入った所で、H3・ウラリスクハイヴへの前哨基地にされるだけだ。
それよりも確実に兵力を展開するソ連邦内に留まり、その力を逆に利用してBETAに当るべし。 独立派の世迷い事は、米ソ両国の思惑に振り回されるだけだと、反論した。

『・・・歴史の波の中で大国の狭間に位置し、翻弄され続けてきた民族の生き残りをかけた模索よね。 誰もが民族の生き残りを、必死に追い求めていた、判るわ、その心境は』

事件はそんな最中に起こった。 1976年にH4・ヴェリスクハイヴ、H5・ミンスクハイヴが確認される。 その少し前、1975年の秋頃にはソ連軍はモスクワ前面を放棄した。
BETAの攻勢を支えきれず、後退を開始し始めたソ連軍はモスクワ前面から、白ロシア(ベラルーシ地方)まで後退した。
ウクライナ地方も圧迫を受け、陥落は時間の問題かと思えた。 その報を受けたカフカス地方は、混乱の極みに達した。
このままではカフカスから黒海へ出る細い回廊は、北からBETAの圧力を受けて通行不能になる。 もう、南のイランやトルコ・アナトリア高原へ出るしか方法が無い。

独立派は一気に行動を開始した。 カフカスの南、イラン高原方面へ、生き残りの道をかけて。 兵力の派兵と、国内難民の受け入れを求めて。
まずは帝政イラン、そしてトルコ共和国、最終的には米国にまで接触を開始した(イランにテコ入れをしていた、テヘランのCIA支局と接触したと言われる)
トルコとイランには、余分な派遣兵力は少ないか、殆ど無かったが、カフカス地方への影響力を長年、ロシア・ソ連から奪い返したかった両国は、スポンサーの米国に働きかけた。
米国としても、純粋に軍事的に見てカフカスの確保は、イランの北からの脅威を排除するのに必要な地勢的条件を満たしていたから、米軍上層部も乗り気になった。

『慌てたのは共産党と、カフカスの連邦派ね。 このままではカフカスは米国の勢力圏に落ちる。 バクー油田を始め、カフカスはソ連の残り少ないエネルギー供給源だったのよ。
連邦派としても、曲がりなりにも『自治共和国』としての地位を失うと見たのでしょうね。 独立は無理、地理的に見てイランに飲みこまれるか、一部はトルコに編入されるだろうと』

共産党と連邦派の恐怖心は、利害が一致した。 両者は全く電撃的に動いたのだ。 1975年10月10日、独立派が極秘集会を開くと言う情報を入手し、一気に奇襲をかけた。
その日の昼過ぎ、チェチェン共和国首都・グロズヌイ市内の一角には情報制限に関わらず、独立派の市民が多数集まっていた。 どうも、どこかから情報が漏れた様だ。
独立派の最高幹部達は危惧した、ここを襲撃されれば、ひとたまりも無い。 場所を移そう―――そう判断したその時、当時第42機械化狙撃師団が動いた。
同師団に配属されていた、特殊任務大隊『ザーパド』の兵士が殺到したのだ。 だが独立派の立て籠もる場所までは、独立派支持の市民で埋め尽くされていた。
『ザーパド』大隊は、同じチェチェン人の独立派支持の市民に重火器の銃火を浴びせ、撃ち倒しながら独立派が籠る建物に肉薄した。 市民の必死の抵抗は、銃火の前に屈した。
悲惨な同士討ちを繰り広げつつ、完全装備で勝る『ザーパド』大隊は、とうとう建物内に侵入した。 そして僅かな、そして必死の抵抗を続ける独立派の幹部達を射殺していった。
市民の犠牲者2万4856人。 独立派は幹部連の殆どを殺され、壊滅した。 僅かに残った少数の幹部達は、支持者に匿われながら、イランへと逃げ落ちて行った。

この功績により、第42機械化狙撃師団は『第42親衛戦術機甲師団』としてソ連邦軍親衛称号と、当時配備が始まったばかりの戦術機・MIG-21F『バラライカ』を配備された。
同時に『ザーパド』大隊員達は『ソ連邦英雄』称号を受け、大隊は『第421独立親衛戦術機甲大隊』の名誉称号を持つ、非ロシア系初の親衛戦術機甲大隊へと再編成される・・・


『・・・この国は、明らかに支配者層と、被支配者層が明確よ。 君は知っている?・・・知っている、そう、それは話が早い。
彼等は明らかに『被支配者層』だわ。 その困苦は、私にも判る。 私は察しの通りスラブ系、ベラルーシ人よ。 そして長らく『ロシアの支配』に甘んじてきた民族の出身。
だからこそ、私は同志カキエフの心中を疑いたくなる。 当時彼は10歳前後、当然当事者ではない。 でも、民族の同胞を虐殺した部隊を嬉々として指揮出来る、その精神をね!』

『ザーパド』大隊はその後、戦術機甲大隊に再編成された後も、確実に戦果をあげ続けてきた。 しかし、彼らの名を知らしめたのは、その武勲では無かった。
積極的な督戦隊任務、脱走者狩り、非常な程の味方の見捨て方。 戦場での冷酷とも言える行動と、公然の秘密でも有る『軍需横流しと、上層部買収』

『―――生き残る為ならば、手段を選ばない。 彼等はそれにもう一つ、『誇りも、羞恥心も捨て去る』 これが加わるわ』

フュイセノヴァ少佐の表情は、侮蔑とも、畏怖とも、或いは(錯覚かもしれないが)羨望とも、何とも言えない表情だった。


暫くお互い無言で歩いていたが、フュセイノヴァ少佐と別れ際、戦闘団本部の入った管理棟へ戻る途中、フュセイノヴァ少佐を呼びとめる声がした。 
見ればソ連軍の少女衛士―――違う、大隊副官のサフラ・アリザデ大尉と言ったか―――が近づいてきた。 やっと見つけた、ホッとした、そんな表情だ。
俺の姿を見て、慌てて態度を硬化させ、敬礼する。 それはあくまで、友軍の上級指揮官に対する、軍人として当然の態度ではあったが。
こちらは特に用も無い事で有るし、少佐に敬礼してその場を別れた。 別れ際、チラッと思った。 上官と部下と言うより、年の離れた姉妹か、年の近い母娘、そんな感じだなと。






「ああ、大隊長、お帰りなさい」

管理棟に入ると、第1中隊長の真咲に、第3中隊長の八神が揃って出迎えた―――なんて、コイツらがそんな殊勝な連中か?

「なに、情報収集ですよ。 この辺一帯の、半年馬鹿士前からの戦況の実態をですね」

「・・・酒を土産に、か?」

まったく、真咲や最上はそれ程ではないが、八神は少々、軍規をギリギリの所で『拡大解釈』して、融通を聞かせ過ぎる所が有る。

「ソ連って言ったら、酒でしょう? それに俺も昔、『周防中隊長』に仕込まれたクチなんですがね?」

「ふん、育て方を間違えたか・・・ここにロシア人部隊は居ない。 居るのはコーカサス系か、カザフ系の部隊だけだ―――連中も、酒飲みらしいけどな」

国連軍時代、イルハンから聞いていたし、ギュゼルもそう言っていた。 トルコ人はテュルク系で、カザフ人とは同系列の民族だ。

「ま、それは冗談ですけど」

―――冗談かよ。

「何せ、中隊指揮官でさえ、20歳前の連中ですからね。 酒も持って行きましたが、この間ちょっと聞き込んだので、兵站に頼んで甘味物を持って行きまして―――効果、絶大」

「雰囲気の厳しかったソ連側が、和やかになりましたね。 お陰さまで口も軽くなった様で―――政治将校にも、ちゃんと差し入れを」

―――真咲、お前まで・・・

「・・・北樺太と、状況は同じか」

「むしろ、それ以上です」

成程ね。 政治将校にしても、こんな場所に『飛ばされる』者は、非主流派の者なのだろうな。 そう言う者は、大抵が2種類に分類される。 
あらゆる場面で得点を稼いで、中央に呼び戻される時を夢見るか。 或いは終生の場所と諦め、自己の欲望に素直になるか―――北樺太に居るサーシャから、聞いた話だが。
2人を大隊長室に呼んで、話を聞く事にした。 指揮小隊の面々、遠野に来生、北里の2人は休ませているし、2中隊長の最上は当直中だった。

「で、どうなんだ? 戦況は?」

コーヒーメーカーで、クソ不味い合成コーヒーを淹れる。 2人に勧めて、俺も一口飲む―――相変わらず、不味い。

「それはまあ、我が軍が把握している状況と、似たりよったりです。 が、気になる点もチラホラと・・・」

「焦らすな、八神」

「まあ、まあ、大隊長。 八神大尉も、もったいぶった言い回しはしない事。 大隊長もお気づきと思いますが、ソ連軍衛士の事です」

真咲が指摘した事は、俺も改めて懸念していた事だった。 多分、戦闘が長引くと、ソ連軍戦術機甲部隊から、戦線が崩れる。
八神が大げさなゼスチャーをしながら、話し始めた。 最近気がついたのだが、こいつは案外、茶目と言う『美徳』を結構持っていると思う。

「話は知っていましたが、実際の所、最初は自分の目を疑いましたよ。 俺と同じ中隊長が、10代後半のガキ。 中には10代半ば位の、鼻たれ小僧にお嬢ちゃんまで居やがります。
小隊長で10代半ばから、まあ、16、17歳位が最年長ですかね。 20歳を越している連中なんか、ほんの少数しか居やしない。 で、何故か未だ少尉のまんま、と・・・」

「他の中隊員、少尉連中は10代前半をちょっと過ぎた年頃、13、14歳位ですよ。 帝国で言えば、徴兵年齢前の中等学校の生徒です。 まだ、子供ですもんねぇ・・・」

八神の驚きと呆れ、真咲の茫然、とても良く判る。 93年の『双極作戦』で初めてサーシャと出会ったが、あの時の彼女は俺より2歳年下の、確かまだ16歳だった。
あの頃も、ソ連軍将兵の低年齢化は有名だったが、今はそれ以上に深刻化している様だ。 そしてその状況は、我々帝国軍や、国連軍にとっても、他人事ではない。

そして、その事がまさに、真咲と八神が『情報収集』に成功した根底だ。 思い返せば自分が13、14歳くらいの年頃、酒より甘味物の方が喜ばなかったか?―――当然だ。
そして、ソ連軍の給食事情はこれまた、かなり悪化している。 先日の乱闘の原因となったアレだ。 取りあえずのカロリーと量は保障するが、味は一切保証しない。
ましてや、嗜好品などソ連軍の軍需物資の優先順位からすれば、最下位だ―――ヴォトカを除けば。 甘味物など、殆ど口にした事が無いだろうな、ソ連軍の若過ぎる衛士達は。
帝国産の、味は余り評判の宜しく無い合成チョコレートや、甘味料で誤魔化した菓子類なんかでさえ、彼等にとっては途方も無い『ご馳走』だっただろう。

「で、ですね。 あちらさん、定数割れはこの数年、慢性的だそうで。 損失が補充を常に上回っているとか」

「何せ、『死の8分』とまでは言わないモノの、最前線衛士の平均生存期間は、3ヵ月を割ると言う統計が出ています。
これが地上部隊となると、歩兵部隊兵士の平均生存期間は1カ月、戦車兵は2カ月。 最も『長生き』する砲兵でさえ、半年とか・・・もう、末期も末期ですね」

日本帝国陸軍は、今少しマシな数字だ。 本土にハイヴを建設され、それを奪回する戦いで膨大な戦死者を出していてさえ、ソ連軍よりマシな数字なのだ。
衛士で3ヵ月―――いくら大量・促成教育で数を揃えても、これでは追いつかない。 この状況がここ数年、ずっと続いていると言う事だ。

「・・・練成できる場所の確保が、出来ないのだろうな。 カムチャツカや東シベリアは、そのまま最前線だ。 ソ連租借地のアラスカは基本的に、『共産党の土地』だと聞く」

「帝国も、東北や北海道で練成出来なかったら、ソ連と同じ目に遭ったかもしれませんしね」

八神の言葉に、真咲が頷く。 いや、全く同感だ。 京都防衛戦以降、西関東防衛戦で時間を稼いでいる間、帝国陸軍は東北地方や北海道に部隊を移し、そこで練成を重ねた。
そのお陰で、全般的に受ける損害の印象とは違い、部隊の練度を極端に落とす事が無かったのだ。 結果は別として、『明星作戦』に投入された各部隊の戦闘結果が証明している。
何やら、行く先が思いやられる雰囲気になってしまった。 俺も真咲も、普段は陽気な八神でさえ、黙りこくってしまった。 いかんな、これじゃ・・・
そんな時、大隊長室の扉が開いた。 そこから顔を覗かせたのは―――大隊副官の遠野だった。 どうした事だ? 遠野にも、休養命令を出していた筈だが?

「あ、大隊長、こちらにいらっしゃいましたか」

相変わらず穏やかな雰囲気で、遠野が微笑んでいる。 いや、それは良い、それよりも・・・

「・・・機体の見回りが終わったのでな。 それより遠野、休めと言っておいた筈だ。 一体、どうした?」

優等生の遠野が(副官に任じられるような士官が、素行不良な訳が無い)、珍しく苦笑気味に肩を竦め、言った。

「休んでいたのですが、戦闘団司令に呼ばれまして・・・」

「・・・周中佐か・・・」

まったく、あの人は。

「はい、大隊指揮官集合との事です」

―――何か有ったか? まあ、いい。 行けば分かる。

「了解した。 遠野、ご苦労だった、休め。 真咲、八神、貴様らもだ」

「はい」

「了解ッス」

「判りました」

―――大隊指揮官集合。 周中佐がわざわざ集めて、か。 余り良い予感はしないな。







「やはり、貴様もそう思うか? 周防」

「私だけじゃありません、趙少佐も、長門大尉も、同意見なのでは?」

周中佐の問いかけに、美鳳と圭介を見やった。 2人とも頷いている。 大隊長以上が集まった、臨時戦闘団のブリーフィング。 検討内容は・・・

「となると、まず戦線の綻びは、ソ連軍戦術機甲部隊に発生する、と」

第104戦車大隊指揮官の元長中佐が、天井を睨みながら唸る。 戦車や砲兵と、戦術機甲部隊は切っても切れない『共存関係』だ。
その相手が崩れる―――戦場で、直接砲撃支援を行う戦車隊にとって、余り良い未来予想図ではないだろう。

「13、14歳の子供ではね。 いくら技量は鍛えているとは言え、まだ体も心も、子供よ。 余りにも、幼い。 脆いわ・・・」

「中には、それより幼いヤツも居る。 いつからソ連軍は、幼稚園になった? 幼稚園児に、高校生・大学生と一緒のタフネスを求められるかよ・・・」

「幼稚園は行き過ぎだろう、でもまあ、小学校と言いたくなる気分は有るけどな・・・」

美鳳が形の良い眉を顰め、表情を曇らせる。 圭介は半ば罵倒だ。 俺は両者の中間―――内心は、圭介に近いかもしれない。
少年期の3、4歳の年の差は大きい、大き過ぎる。 13歳の少年に、16、17歳の少年と同じ運動をさせ、同じ結果を求める事が出来るか? 持久力もだ。
それが下手をすれば、12、13歳の少年少女に、18、19歳から20歳過ぎの大人と同じタフネス、精神力を求める事になる―――どこの世界の冗談だ、だがそれが現実だ。

「戦車部隊や砲兵部隊、その他の支援兵科の方が、平均年齢は上の様だ。 とにかく、戦術機甲部隊の異常さが目立つ。 心身ともに、大人になる遥か以前の子供達がな・・・」

そう呟くのは、国連派遣戦闘団支援大隊を率いる、チャワリット・タナラット少佐。 
彼の母国・タイも大東亜連合内で徴兵年齢を引き下げているが、それでも15歳からだ。

「我が帝国も、徴兵年齢を引き下げたとは言え、10代半ばからです。 それも、体力練成の為に1年間は、基礎教育課程を設けています。
そうしなければ、少なくとも体が追いつかないからです。 少年少女の体では、まともに戦闘には、耐えられない」

後方支援連隊から分派された、支援大隊(支隊)を率いる日本帝国軍の金城摩耶大尉が、溜息をつく様に話す。 彼女の部下にも若年兵は多いが、ソ連程の異常さは無い。
そう、専門教育は基礎訓練以降の話だ。 専門訓練は歩兵で4カ月、戦車兵や砲兵が8カ月、整備兵は1年間。 衛士課程も、訓練校本科で1年間の専門教育を受ける。
衛士訓練校の場合、帝国陸海軍衛士は16歳で訓練校予科の基礎教育課程に入り、17歳で訓練校本科での専門教育―――士官教育と衛士訓練を受ける。 少尉任官は18歳だ。
一般に、『訓練校に入校』すると言うのは、この『訓練校本科』に入校する事を指す。 予科時代に選抜に落ちた者は、他科に回される。
これでもかなりの低年齢化、促成栽培と言われてきた。 俺が訓練校に入った時代、この年齢は志願者が対象で、徴兵対象者はこれより年齢が最低でも2歳上だった。
今では志願・徴兵を問わず、この年齢になっている。 だがソ連軍は、それよりも平均で5歳低い。 それが如何に異常な事か・・・

「帝国陸海軍の衛士平均年齢は、21.8歳。 ソ連軍は15.6歳。 その差は6歳。 中等学校の3年生や4年生に、大学の3、4年生と同じハードワークを、こなせられますか?」

「その数字も、中尉以上の指揮官を含めた場合だしな。 少尉だけを見れば、帝国は平均年齢18.7歳、ソ連軍は13.4歳。 中学1年生と、大学1年生の差だ」

圭介の問いかけに、元長中佐がこれまた溜息交じりに付け加える。 それを聞いた周中佐も、苦笑交じりに自国の例を話し始めた。

「我が統一中華でさえ、衛士平均年齢は19.7歳だ。 最もこれは台湾軍込みだが。 恥ずかしながら、『我が軍』だけでは若干数字が落ちる、それでも17.8歳だ」

体力・持久力が落ちれば、集中力も急激に落ちる。 ましてや、まだ子供の心身では精神力は遠く及ばない。 こればかりは、個人の資質でも何でもない、純粋に成長の差だ。
精神論を言うつもりはないが、それでも体力が有って初めて、精神力は維持される。 戦場で体力が尽き、諦めて死んで行った連中の、何と多かった事か!

改めて周中佐に向き直り、進言する。 今日、部下達が口にした懸念、それは戦況次第で確実に訪れるだろう、そう確信したからだ。

「短期の一発勝負なら、かえって子供の集中力の方が上回るかもしれません。 しかし、戦闘が長引けば、彼等は確実に、早期に消耗します。
ソ連軍部隊は戦況の初期、少なくとも『最初の一撃』以降は後ろに下げる、そして最終局面の『ダメ押し』で再投入する。 それがベターかと」

ソ連軍から提出された戦闘詳細にも、それを裏付けるデータが揃っている。 戦闘開始時点での損失は少なく、戦闘時間が経過する毎に、損失率は日本を大きく上回る。
居並ぶ指揮官達が、無言で頷く。 まったく想定外だ、今回は楽が出来ると、誰もが踏んでいたのだが。

「・・・それまでは、こっちが貧乏くじを引くしかないか。 まあ、光線属種が居ないと言われる戦場だ、今まで経験した戦場よりは、楽だろうけどな」

「圭介、貴方らしくないわね、戦場を舐めてはいけないわ。 お子さんの顔を見る前に、戦死はしたくないでしょう?」

「・・・美鳳、そのネタで弄るの、もう勘弁して欲しい・・・」

げんなりした表情の圭介に、コロコロと上品っぽく笑う美鳳。 それにつられたか、普段は比較的質実剛健な元長中佐まで、笑って言い始めた。

「まあ、今このカムチャツカ南部は、『ファニー・ウォー』状態だ。 北の2個軍集団が壊滅でもしない限り、ここに大規模なBETAの襲来は無さそうだ。
安心したまえ、長門大尉。 君、目出度くお子さんの顔を見る事が出来そうだぞ?―――アレだろう? 確か順序を間違えたとか。 道内の部隊でも、噂になっておったぞ?」

「―――ぐっ!」

最後の最後に、皆のちょっと無理をした笑いが出た。 出ないよりましだった。 
もっとも、それから散々弄られた圭介にとっては、出ない方が良いと思っただろうが。









2000年1月22日 1850 日本帝国 北海道苫小牧市 帝国国家偵察局 衛星情報センター 北部受信管制局


「―――駄目だ、くそ。 シベリアの低気圧が発達して来た、分厚い雲に覆われて、まるで様子が判らん」

「光学センサーは役立たずか。 熱源センサーは?」

「極低温化で、まるで駄目だな。 気象班は何と言っている?」

「・・・この低気圧、まだ発達するってさ」

「・・・駄目か。 アメちゃんの偵察衛星も、こっちと同じだ。 この天候じゃ、碌に役立たないだろうな」

衛星情報は、まるで気象監視衛星の情報と化していた。 北太平洋からベーリング海、オホーツク海を繋いで、東シベリア一体にかけて、巨大な幾つもの低気圧が形成されている。
少なくとも、昔はこうではなかった。 そう、最低でも15年前くらいまでは。 この時期、シベリアには発達したシベリア高気圧が発生し、東アジアや北太平洋の低気圧に流れ込む。
所謂、『西高東低』の気圧配置となり、主に北東アジアに降雪を降らせる気象メカニズムになっていた。 反面、シベリアは高気圧の端にあって、積雪は案外少なく、好天が続く。

BETA大戦後だ、地球規模で気象メカニズムが崩れて来たのは。 特にユーラシアとその周辺で著しい。 アジア地域については、ヒマラヤ山脈の標高低下が主要因だった。
『世界の屋根』であるヒマラヤは、インド洋の暖気と湿気をブロックし、その北側のチベット高原以北への湿気の供給をほぼブロックしていた。
その為にチベット高原からタクラマカン盆地(砂漠)、旧中国の青海省からゴビ砂漠一帯は、微かな湿気も来ない、極度に乾燥した地域になっていた。
そしてその北側、天山山脈の高峰が、北極海からシベリアを通過して南下して来た最後の湿気を塞ぎ、南のタクラマカン盆地は益々、乾燥した地域になって行った。
その為、東ユーラシア北部の冷気は、南の暖気と交流する事が無く、シベリア内陸に押し込まれる形になる。 これが所謂、『シベリア高気圧』発生に重要な要素になっていたのだ。

―――だが今は? ヒマラヤ山脈は? 天山山脈は?

無くなってはいない。 しかし長年にわたって、BETAの浸食をうけた両山脈は、最早かつての神々しい高峰の姿は無かった。
ヒマラヤ最高峰は、2000年初頭で推定4,250m、天山最高峰が推定で3,645m(いずれも衛星情報) かつてヒマラヤ最高峰は8,850m、天山は7,439mだったと言うのに。

そして冬の気圧配置が大幅に変わった。 北太平洋で発達する低気圧は、東シベリア一体を『逆浸食』し、天候は不順となり、降雪が多くなる。 逆に平均気温は上がった。
シベリア高気圧によりもたらされていた、シベリア内陸に押し込められた寒気は、北太平洋の低気圧に向かって流れ込んでいた。 これが冬の寒気の実態だった。
しかし今は、そのシベリア高気圧の勢力は大幅に減じている、寒気が雪崩込まなくなったのだ。 あるいは、なだれ込んでも勢力が弱く、気温が昔程低下しない。

それが、北東アジアから東アジアにかけての、近年の冬季天候不順の原因であった。 逆に昔の乾燥地帯、チベット高原(今や『チベット平野』だ)、タクラマカンは一変した。
ヒマラヤ山脈・天山山脈のBETA浸食により、シベリア高気圧が大減衰した為だ。 秋から冬にかけ、南アジアに乾季をもたらしていた北東季節風が大減速した。
この為、アジアモンスーンが遮る物の無くなったチベットやタクラマカン盆地へ、一気になだれ込む。 また北の冷たい湿った大気と、南の暖かい湿った大気が常にぶつかり合う。
この為、かつての乾燥地域は、年の大半が多雨高湿地帯になりつつある。 H01・カシュガルハイヴなどは衛星観測の結果、夏季は多くの『孔』が水面下に没する事が判っている。

長年のBETAによる浸食、その結果が生み出した地形の大変動による、大気大循環の狂いが生じさせた、地球規模の気候変動だった。
そしてその『ささやかな』結果が、北東ユーラシア地方の天候不順、と言う形になって表れていたのだ。

「―――ああ、駄目だ、駄目だ。 全く判らない。 くそ、H19から北上している筈なんだがな・・・」

「一応、軍には報告しておこう。 前に観測されたのは・・・1週間前か。 その時の位置、侵攻方向、平均的な移動速度。 これで大体の推測は出来るだろう・・・」









―――北の凍土に、津波が押し寄せていた。 地響きを立て、立ちはだかる全ての物を喰らい尽し、飲み込み尽くす巨大な津波が。
赤黒く、汚れた灰色の、そして人の感性を狂わせるかのような、凶悪な原色の、様々な色が混じり合った質量を伴った醜悪な色彩の奔流が、轟音を立てて突き進んでいた。
分厚い雪雲に覆われた、真っ暗で猛吹雪の悪天候の下で、『それ』は蠢いていた。 北へ、北へ。 何者かに命じられた巨大なハミングの群れの如く。
岩を喰らい、丘を砕き、山を崩落させ、川筋を川底から消滅させ、ひたすらに突き進んでいた―――北へ、北へ。






[20952] 北嶺編 6話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/12/18 13:03
2000年1月24日 1050 カムチャツカ半島沖 ベーリング海・カラギン湾 帝国海軍第2艦隊 第6航戦旗艦・戦術機母艦『飛鷹』


寒風吹きすさぶ冬のベーリング海。 氷海を行く艦は波濤を切り裂いて、その飛沫は瞬く間に凍りつく。 下甲板のみならず、上甲板まで氷柱が張り付く有様だ。
そして戦術機母艦の飛行甲板は、他に遮るモノの少ない艦型。 故に、極寒の風と氷柱の洗礼をモロに受ける。 もっとも発艦に支障の出そうな場所は、予熱されているが。
遠くに第5戦隊の2戦艦が見える。 流石に大型艦はこの波濤の中でも、力強く航行している様に見えた―――現実は、艦内はさぞ吐瀉物の匂いが充満しているだろう。

「・・・面白くない」

しかしながら、洋上から遥か陸岸を睨みつけるこの人物にとっては、そんな『些細な事』は関係無いらしかった。

「そうは言いましても、出撃命令が出ない限りは、どうしようもないですよ、中佐」

ハンガーデッキ脇で、寒さを堪えつつも苦笑しながら答える、長年の相棒が呆れる。 折角の『リハビリ出撃』だと言うのに、ここはひとつ楽をした方が良いだろうに。

「今現在、主戦場はオホーツク海のベンジナ湾最奥、マニルイ付近です。 ここから直線距離で400km、戦術機の行動半径を越していますって。
出撃したは良いですが、帰りは推進剤不足で陸上部隊のお世話になりますよ? ああ、聯合陸戦第4師団なら、コルフ防衛線辺りに居るかも―――って、うひゃあ!?」

「・・・何よ、宮部~、アンタ、そんなに白根がポイント稼いで、アタシが無聊をかこっているのが嬉しい訳!?」

ぬうっと、思わずそんな擬音が似合いそうな感じで、恨めしそうな表情と共に上官が目前に迫ってきたら、誰でも驚くわ!―――宮部雪子海軍大尉は、内心そう毒づいた。
それにまあ、長年の相棒で上官である長嶺公子海軍中佐(1999年12月1日進級)の心境も、解らないでは無い。 何せ母艦戦術機部隊は、『明星作戦』のご指名が無かったのだし。

(・・・とは言っても、母艦部隊の再建は基地隊や聯合陸戦師団、はたまた陸軍師団より、よっぽど手間暇が掛るのだけどね~・・・)

事実だ。 ただ単に、戦術機の操縦が出来、戦闘機動が出来れば良いだけでは無い。 洋上低空突撃、空中機動、最難関は母艦での発着艦訓練。
天候を問わず、それらの操縦技量が全て一定以上にならなければ、母艦戦術機部隊の価値は無い。 技量未熟では、無駄に損失を増やすだけ。
実際の所、陸海軍戦術機甲部隊で、海軍母艦戦術機部隊の平均技量が恐らく1番だ。 それだけ技量を磨かなければ、使い物にならない。 訓練での事故率も、一番多い。

「ま、まあ中佐。 戦場がもう少し南下すれば、制圧支援出撃が有りますって。 そうすれば、白根中佐に恩も着せられるでしょ? ね?」

「・・・南下しなかったら、どうしてくれんのよ?」

―――そこまで、私の知った事じゃない!

宮部大尉は内心で盛大に毒づきながらも、何とか上官を宥めにかかった。

「あー、ほら、もしかしたらこの海域はお払い箱で、もっと北上するかも! 米海軍と一緒に、BETAの頭上に95式自律誘導弾をばら撒けますって! ねえ!?」

本来は喜ぶべき状況なのだろうが、『飛鷹』戦術機甲隊にとっては、隊長の『出番なし』は出来れば回避したい所だった―――副長の宮部大尉の、胃腸の具合を考えれば。

「・・・やっぱり、面白くない」






「―――っくちゅん!」

一瞬、その声が戦場で通信回線に流れた瞬間、部下達は全員『・・・意外と可愛い』と思った。 一瞬だったが。

「・・・くそ、誰か噂しているわね。 大方、母艦で無聊をかこっている長嶺あたりが・・・」

意外に鋭い予測を発揮しながら、帝国海軍聯合陸戦第4師団、第41戦術機甲戦闘団第401戦術機甲戦闘隊(大隊規模)の白根斐乃中佐(1999年12月1日進級)が、周囲の戦況を見回す。
地衣類だけがへばりつく様に自生している、背の低い低山と言うか丘と言うか、そんな起伏が延々と連なる。 地面は岩礫ばかりの荒涼たる大地。
そこに所々、赤黒い内臓物をぶち撒いたBETAの残骸が散らばっている。 曇天で粉雪が舞っている天候で、BETAの残骸の上に薄らと新雪が積もり始めていた。
北から漏れて南下して来たBETA群だ、数は少ない。 ソ連軍は定数割れで有名な上、部隊編成も小型だが・・・数だけは多い、何とか戦線を維持しているようだ。

「鴛淵! 大野! 西戦区は必ず喰い止めなさい! 菅野! 東は!?」

『大丈夫ですよ、中佐! こんな、数100程度のBETA共、それも光線属種が居ないなんて、舐めた真似しくさって! もう直ぐ殲滅です!』

第3中隊長・菅野直海大尉から、威勢の良い声が返って来た。 見れば中隊長自ら先頭に立って、BETA群を切り刻んでいる。
96式『流星』、その高機動近接戦闘タイプ(母艦部隊は戦域面制圧タイプを運用)が、水平噴射跳躍で、一気にBETAとの距離を詰めた。 直前で逆噴射制動をかける。
機体の運動エネルギーを強引に相殺して、即座に肩部と腰部のスラストベクターを効かせ、機体の急動作による空力も利用した高機動。
96式の出力特性、空力特性を完全に把握した上で、BETA群の中を泳ぐ様に、重心移動も完璧に手中にした高速機動をしつつ、咄嗟射撃で次々に屠って行く。

『隊長! 菅野隊長! 突撃前衛は、こちらでやりますから! 隊長は左翼迎撃後衛でしょう!? 武藤が泣きそうな顔していますよ!』

この声は菅野大尉の部下で、突撃前衛小隊長の堀光昭中尉か。 何時もならば、この『突撃隊長』が、真っ先に突っ込んでいる筈なのだが・・・
左翼の中隊長が前に出てしまったので、右翼迎撃後衛小隊を預かる武藤可南子中尉が、バランスを取るのに四苦八苦していた。

『うっさい! 四の五の言うな! 中隊、突撃! クソBETA共、一匹も生かして帰すな!』

―――ああ、あれは余程、フラストレーションが溜まっていたのだろうな。 何しろ、『光州作戦』以来、まともな作戦参加は西関東防衛戦の初期位だったし。

『・・・鴛淵、東のフォローに回って。 大野、済まないが西は貴様の中隊で対応してくれるか? 『軍鶏娘』が鶏冠をおっ立てて、突っ込んでしまった』

『了解です。 まったく菅野め、大尉になってもあの有様とは・・・』

『菅野から、あの勢いを取ったら、それは菅野じゃないって。 海兵当時からそうだっただろう? 鴛淵?』

『大野、貴様は菅野に甘い!―――第1中隊、第3中隊の後詰に回る! まさかとは思うが、念の為だ!』

『貴様だって、何だかんだ言って、そうだと思うぞ?―――第2中隊、500前に出るぞ! 阻止線を押し上げる!』

3個中隊の96式『流星』が、一気に勝負をかけに出た。 陸軍の94式『不知火』を上回る高機動・大出力にモノを言わせ、瞬く間にBETA群を切り刻み、撃ち倒してゆく。
指揮小隊と共に、後方から部隊指揮に専念していた白根中佐は、この戦区でのBETA群殲滅を確信すると同時に、前方のソ連軍の意外な脆さに内心で舌打ちしていた。

(・・・光線属種も居ない、少なくとも戦闘ヘリ部隊の援護も有る状況で、数派に及んで取りこぼしが出るとは・・・)

確かに、前方のソ連軍戦術機甲部隊は、第2世代機としては平凡な性能のMig-27だ。 それに第1世代機改修のMig-23MLD。
その分を差し引いても、この状況は頂けない。 深刻な、常態化する定数割れ。 衛士の練度不足。 指揮系統の硬直化(今に始まった事では無いが)

(まったく・・・ 長嶺程ではないにせよ、今回は楽な支援になると踏んだのだけれど、ね・・・)

当てが外れたか? そう苦笑したその時、戦術レーダーが新たな輝点を捉えた―――かなりの高速移動、戦術機だ。 IFFから、ソ連軍。
戦術管制情報―――機種はSu-37M2に、Su-27SM。 部隊所属は・・・第78独立親衛戦術機甲旅団、第781独立戦術機甲大隊『ジャール』

『―――ヤポンスキー、こちら『ジャール』大隊。 増援は必要か?』

白根中佐の網膜スクリーンにポップアップしたソ連軍指揮官―――くすんだブロンドを後頭部で束ね、緑蒼色の瞳をした女性士官、中佐だった。

『―――ソ連軍、こちら『ウンディーネ』戦闘隊(大隊)。 出来れば前方の、お仲間の支援に行って欲しいものね。 ここは結構よ』

事実、この戦区のBETA殲滅は完了している。 それよりも前方―――北方のソ連軍第35軍の『撃ち漏らし』が気になる。 できればそちらに行って貰いたい。

『―――残念だが、それは命令の範囲を大幅に逸脱するのでな。 それにそこまで行動半径が保たない。 では、引き帰えさせて貰う。 レスナヤからここまでが、限界なのでな』

『―――今度はもう少し、お早いお出ましを。 ご苦労さま』

『―――全くだ。 貴軍の健闘を』

一体、何をしに来たのやら。 レスナヤのソ連軍は、数日前に1000体ちょっとのBETA群と交戦したらしいけれど。 それ以降は待機シフトだった筈。
と、そこまで考えて思い至った。 レスナヤから北方哨戒ラインからギリギリ外れた辺りが、丁度この辺だ。 あのソ連軍指揮官、わざわざ様子を見に来たと言う事。

(・・・ちょっと、素っ気無さ過ぎたかしらね?)

次に会う事があったら、さりげなく礼のひとつもしておくか。 あざといとは思わない、向うの動機がどうであれ、これは戦場での礼儀だ。
まあ、上級部隊指揮官としては、当然と言える行動であるが。 それでも『友軍』との関係は粗略にしたく無い。
噴射跳躍の轟音をあげて飛び去って行くソ連軍戦術機部隊を見送りながら、白根中佐はふと、そう考えていた。

「―――よし、全隊、阻止ラインに戻るそ!」

本来の防衛線を放り出して、急遽この地点での防衛戦闘に駆り出されたのだ。 早く戻った方が良い。
白根中佐機を先頭に、40機を数える96式『流星』の一群もまた、噴射跳躍の轟音を立て、過ぎ去った戦場から飛び去って行った。











2000年1月25日 0530 ソ連領東シベリア アナディリ

「BETAの侵攻が止まった・・・?」

「残数、1万1000前後がヴェルホヤンスクに向け、反転中です・・・」



2000年1月25日 0545 ソ連領カムチャツカ半島 ペトロパヴロフスク・カムチャツキー

「・・・エヴェンスクハイヴに『出戻った』BETAの数は?」

「約8600体。 エヴェンスクのA群、B群の約半数です」



2000年1月25日 0550 ベーリング海 合衆国軍北方軍・アラスカ統合任務部隊司令部・強襲揚陸艦LHD-4『ボクサー』

「確認出来ました。 ヴェルホヤンスク、エヴェンスクからのBETA群、約半数が反転しております」

「・・・だとしても、そのまま作戦終了、と言う訳に行くまいよ」



2000年1月25日 0605 ベーリング海 日本帝国第2艦隊・第5戦隊旗艦・戦艦『出雲』

「司令官、艦隊司令部より入電です」

「・・・暫くは、現状維持の為に待機、か・・・?」



2000年1月25日 0730 ソ連領カムチャツカ半島 ペトロパヴロフスク・カムチャツキー 国連軍北極海方面総軍・第6軍司令部

「―――参加各軍は、別命有るまで、現地点を確保されたし」



―――2000年1月25日 東シベリア・カムチャツカ戦線は、BETA群の突然の停止・逆戻りにより、『ファニー・ウォー』と呼ばれる休止状態に突入した。

同時に日本帝国遣蘇派遣旅団は、最前線の前進補給基地から、一旦ペトロパヴロフスク・カムチャツキーの基地へと帰還する事となった。










2000年1月26日 1150 カムチャツカ半島 ペトロパヴロフスク・カムチャツキー軍港


日本から補給物資を満載した船団が到着したのは、朝まだ暗い0630過ぎだった。 そこから各隊の責任者が、必要な補給物資の確認と受領確認に駆け回って、終わったのは20分前。
まだ他に、細々とした雑用物資の受領が残っているが、それは副官の遠野に任せてある。 人数は必要無いが、一応若い連中を6人程付けた。 今回は真咲の中隊の連中だ。
戦場から帰って来たばかりだが、そのまま間借りしている基地に缶詰では、連中の士気の低下も見逃せない。 まあ、任務の形を取った気分転換だ、外出するだけでも少しは違う。

「・・・ん?」

途中で圭介や棚倉、伊庭と別れて(連中の大隊は、作業がまだ終わっていなかった)軍港内を入口付近まで戻る途中、コンテナの物陰に見知った姿を見つけた。
2m近い巨漢、濃い髭面―――カキエフ中佐だ。 相手がいる、何やら話しこんでいる様だ。 しかし、どう見ても相手は軍人に見えない。 船員の様だが・・・

『・・・馬鹿言うな、・・・まけろ、高い・・・』

『こっちも危険を・・・これで・・・相場が・・・』

『ハルガルに・・・殺す・・・これで手を打て・・・』

―――何やら物騒な会話だ、どうやら密輸現場に出くわしたか? と思った瞬間、カキエフ中佐と目が有った。 恐ろしい程、勘の鋭い人物だ。
相手に何らや書類を手渡して、代わりに鍵の様なものを受け取っていた。 相手の船員風の男―――東洋系だ―――は、こちらを一瞥すると、さっさと離れて行った。

『おう、ヤポンスキー、こんな所で何をしている?』

―――何をしている、とはね・・・

『・・・補給物資揚陸作業の指揮だ。 それより中佐、陸軍のあなたが、ここで何を?』

ちょっとカマをかけてみた―――あっさり、白状しやがった。

『へっ! 何をって・・・そりゃ、お前、食料の手配だけどよ?』

『食料?』

『おいおい、ヤポンスキーの軍隊は、飯を食わないのか? 食料って言ったら、部下共に食わす食料に決まっているじゃねえかよ?』

『・・・そういうのは、普通は軍組織が責任を持って給食するものだが?』

そう、普通の軍隊ならそうだ。 決して、現場の指揮官が密輸まがいの方法で入手するものじゃない―――世界の、普通の軍隊ならば。

『へっ! しけた薄い黒パンに、不味くて薄い紅茶、それに肉っ切れが浮いただけのスープがか? あんなもん、腹の足しにもなりゃしねえ、まるで矯正収容所のメシだ!
そんだけじゃ、体力を維持できねえ。 戦場で、腹が減って戦えなくて、逆にクソBETAの餌になるのはご免だぜ? ああん?』

―――そう言えば、最初に中佐の大隊と『乱闘』した時にも思ったが、酷い給食事情だったな。

『せめてよ、合成モノでも肉を食わさなきゃよ、部下共の体力が持たねえ。 野菜も食わさにゃ、疲労が抜けねえ。 でもよ、クソ馬鹿なロシア人共は、それを寄こさねえ。
じゃあどうするよ?―――手前で手に入れるしか、ねえだろうが? ああん? 俺たちだって人間だぜ? ちゃんとメシを喰わなきゃ、クソBETA共を潰す前に死んじまうわ』

―――それで、食料を密輸か? しかし、代価はどうしているのだろう? そこまで考えて、思い出した。 軍内部の、上級指揮官向けの閲覧情報で読んだ事だ。
最近、戦火の及んでいない東南アジア南東部や南米、アフリカ諸国で、ソ連製の武器がブラックマーケットに溢れているという情報を。 主に個人携帯兵器が主流だそうだ。

『・・・武器の横流しか』

『通報するかい? ヤポンスキー?』

一瞬、カキエフ中佐との間に、険悪な空気が漂った。 そうだろう? こちらは友軍の軍需横流し現場に出くわした。 帝国軍将校としては、司令部通報が正解だろう・・・
そこまで考えて、更に再考する。 このペトロパヴロフスク・カムチャツキー軍港で取引。 ソ連陸軍だけでなく、多分、ソ連海軍やKGBの支所も噛んでいるに違いない。
報告しても、ソ連側は握り潰すだろう。 そして俺は―――俺の大隊は、『友軍』の恨みを買う。 そのツケが戦場で現れないとの保証はない。

『・・・戦線の維持に必要な、そんな武器の横流しは?』

『阿呆、自分の首を絞める様な真似、するかよ。 小火器が主力製品さ、他にはRPGや対人地雷なんかだな。 BETA相手にゃ、クソの役にも立たんヤツばかりだ』

気がつくと中佐の右手が、ホルスターのスチェッキンのグリップに掛っている。 俺も無意識にCz75(中佐に返していなかった)のグリップに、手をかけていた。
数秒か、数十秒か、そのままの状態で睨み合っていた―――ここは、引くべきだ。 そう考え、Cz75から手を離す。 そのまま両手を軽く上げ、中佐に合図した。

『・・・お前さんが、物判りの良いヤポンスキーで、助かったぜ』

中佐も苦笑している。 確かに今の俺の判断は、日本帝国陸軍軍人としては、許されざるものだろう。 軍規厳粛の権化の様な連中にとっては、許されざる軍律違反だ。
少しホッとした表情で、中佐は胸ポケットから煙草を―――多分、模造品のマホルカを取り出し、咥えて火を付けた。 俺に1本差しだす。

『・・・世の中、杓子定規で、品行方正なお題目だけで生きていける程、お綺麗な世界じゃない。 その位は理解しているし、実感もしている』

受け取ったマホルカを咥え、火を付けた―――むせかえる様だ、かなりキツいロシア煙草だ。 味は・・・知るか、これが煙草か?

国連軍時代、この手の話は北アフリカや地中海方面では散々耳にしたし、実際に目撃した事も有る。 整備の連中や主計の連中が、裏ルートを仕切っていた。
米国じゃ、国連自身が麻薬の流通をコントロールして、その結果引き起こされた事件に遭遇した事も有る―――親しかった元上官が殺された。

『・・・まあよ、こっちも死活問題だ。 それに食料の取引先は、お前さんの国の会社だぜ?』

『・・・何?』

―――驚いた。 親父の会社の、その子会社の名が出るとは。 と言う事は、俺の親父も知っている? いや、あの技術馬鹿の親父が・・・しかし、今は取締役だ。

『ここじゃねえ、カムチャツカ南端にオジョールナヤって海軍基地が有る、大昔は漁業基地だった。 そこが取引の場所さ、直ぐ南にシュムシュ島(占守島)があるだろうが?』

北千島の占守島か。 カムチャツカの南端、ロパトカ岬から幅10kmちょっとの占守海峡を挟んで直ぐに有る、日本帝国領最北端の島だ。

『ソ連と日本の国境線だ、そのシュムシュ島やパラムシル島(幌筵島)にゃ、日本の漁労船団が屯している。 で、オジョールナヤに買い付けに行く、大量の魚をなぁ。
代わりに日本からは、合成食料や色んな必需物資を満載して、オジョールナヤに卸していく。 オジョールナヤには他に、ソ連製武器を買い取る仲買人の船が屯ってる。
大抵は中国人の船だ、中にゃ、朝鮮人の船もあるな。 北東アジアの武器密売ルートは、中国人の『青幣』って組織が牛耳っているのさ』

ソ連から日本に、合成食材の主原料でも有る魚介類が密輸され、日本からはその加工製品と他の工業製品が運び込まれる。
他に小火器を含むソ連製兵器は、アジア系マフィアの手によって、世界中のブラックマーケットに持ち込まれ、ソ連現地軍(現地の共産党本部もそうだろう)は外貨を得る。

『時には、食料以外も買い込む。 36mmや120mm砲弾だ。 兵站なんぞ、ロシア人の大ザル任せじゃ、要り用の時に無いって事も有るからな』

36mm砲弾にせよ、120mm砲弾にせよ、いずれも国際規格に沿った生産が為されている。 砲弾だけは世界共通だ―――何てこった。
それが現実だ、この世の現実だ。 如何に高邁な理想や思想も、現実を前にしては砂上の楼閣、か・・・ は! こっちも、今にして見覚えた訳じゃない。

『・・・中佐、そっちが『友軍』としての役割を果たす限り、俺は何も知らない』

『・・・良い判断だ。 そう思うぜ、ヤポンスキー』

とにかく、友軍同士で殺し合う事には、至らずに済んだか。 そしてふと思う。 この地のソ連軍は、どこでもこんな感じなのか?

『ああ? ああ、少なくとも俺とスリムは、同じ相手と取引しているぜ。 他の連中はまあ、似たようなもんだ。 『青幣』つっても、色んな組織が有るからな。
ヴィクトル(ヴィクトル・カルプーヒン少佐、カザフ人、第78旅団)やアイダル(アイダル・バズィロフ少佐、カザフ人、第96旅団)は台湾系の連中とだ。
アディルベク(アディルベク・クトクジノフ少佐、トルクメン人、第78旅団)の相手は、シンガポールが本拠の連中だったかな・・・?』

このBETA大戦での、所謂『後方国家』での紛争が無くならない訳だ。 言わば『資源競争』の戦場で有る国々は同時に、未だ部族社会が根強かったり、治安の悪い国が多い。
そんな国では、BETA大戦を逃れた外国資本が投下する資金―――末端に行けば行く程、熾烈な利権争いの的になる金が、欲望の前にうなっている。
部族対立や思想対立に、非合法犯罪組織も絡んで、南米やアフリカなどの後方国家群の治安悪化は国連内でも、大いに深刻な検討議題に上っていると聞く。

『・・・フュセイノヴァ少佐も、こうやって?』

カキエフ中佐の僚隊指揮官の名を出してみる。 どうも、あの女性少佐がこう言う密輸に手を染めている様には、なかなか見えないのだが・・・

『あ? 俺が知るか。 あのスーカがどうやって、ガキ共を食わしているか、なんてよ? アゼルバイジャン人の前で股を開いたスーカだ、大方、そんなトコじゃねえのか?』

『・・・随分と嫌っている様だ』

『ああ、嫌いだね、あんな売女は。 いいか、ヤポンスキー。 この42軍にゃ、4つの戦術機甲旅団が有る。 カムチャツカには、その内の3個が駐留している。
戦術機大隊は定数で12個大隊。 カムチャツカには9個大隊で大隊長も9人、そのうち、4人が女だ』

―――随分と、女性大隊長の比率が高いのだな。

『78(第78旅団)、『ジャール』のラトロワ。 96、『ロージナ』のドストエフスカヤに『シャヒーン』のサートゥ。 それに俺達66のフュセイノヴァ、この4人だ。
サートゥはアゼルバイジャン女だ、指揮する大隊もアゼルバイジャン人部隊。 コイツの所は、アイダル(アイダル・バズィロフ少佐)と一緒にやっている』

―――同じ非ロシア系大隊指揮官同士、なにかと融通を付け会っていると言う訳か?

『違う。 サートゥはアイダルの女だ、アイダルは別に女房が居る、通信隊にな―――そう言うこった。 まあ、部下のガキ共食わす為だ、仕方がねえな。
他の3人、『ジャール』のラトロワと『ロージナ』のドストエフスカヤは、ロシア人だ。 フュセイノヴァはベラルーシ人―――グルジアやアゼルバイジャンに、股を開いた女共さ』

ソ連国内の、ロシア系と非ロシア家の感情は、正直理解しているとは言えない。 国連軍時代にウクライナ出身の者が、ソ連とロシア人を悪し様に罵っていたのは、覚えている。

『そいつらがどうやっているかなんて、俺には興味無ぇ。 部下のガキ共を食わせるのに、あの女共がどんな事をやっているかなんてな。
密輸か、お偉いさんか政治将校に股を開いているのか、そんなの知ったこっちゃねえ。 案外、こっちの連中に開いてるかもな?
まあ、そうしたいのなら、俺は別に構わねえ。 女が男を頼る、自然な事だ。 そしてロシア女に俺達のガキを産ます。 その内、純粋なロシア人は居なくなる。
ははっ! 結構な事だぜ―――ただし、それは俺達の一族に連なるってのが、条件だ。 あの女共も、一族の女にならなきゃなあ。
じぇねえと、奴らはカフカスやステップの戦士を惑わした、只の性悪で尻軽なロシアの『スーカ』だ―――許し難い、死に値する』

正直、背中に冷汗が出る。 何なのだ、この中佐のロシア感情は? どこまで憎悪が深いのだ?

『おい、ヤポンスキー、今からちょっと付き合え』

『どこへだ? 中佐? まだデフコンは通常レベルでは無い』

『野暮を言うな、時間はとらせねえ。 お前さんも大隊長だろうが? 幾らでも後から訳なんて恰好つけられるだろうが?』










2000年1月26日 1230 カムチャツカ半島 ペトロパヴロフスク・カムチャツキー


ペトロパヴロフスク・カムチャツキーは、基本的に軍事要塞都市だ。 『都市』と言う単語から連想される華やかさとは、程遠い。
しかしながら、都市機能を維持する為には、様々なインフラが必要で。 それを維持する為の、様々な職種もまた、必要である。
ソ連に於いては、それらに従事する人々もまた、『軍属』と言う括りで纏まれらる―――建前上は。 大体が、共産主義のソ連で、民営企業など元々存在しなかった。

だが、人が生きて行く上で、政府の頭でっかちな計画経済・計画政策だけで廻っていける程、人間の営みは画一的では無い。
ペトロパヴロフスク・カムチャツキーで『任務に』従事する『軍属』達にとっても同じ事だ。 食料は配給だけでは生きていけないし、必需品に至っては・・・だった。
市街中心部から、港湾を跨いで北西側の沿岸部は、『ヒトロフカ』と呼ばれる不法居住貧民街であり、不法物資が集散する一大闇物資センターでもあった。

そんな物騒な街区の近くを、東洋系の若者達が歩いていた。 身形は良い、『ヒトロフカ』の住民から見れば王侯貴族のいでたち―――日本帝国陸軍冬季装備を身に纏っていた。

「しっかし、酷ぇなぁ、ここは。 日本も難民街区は言えた義理じゃないけどよ、ここまで酷くはねぇぜ・・・」

「この寒さに、碌な服も無いのか? ボロ布を何枚も身に纏って、それで寒さを凌いでいるなんてな」

「さっきの物乞いしてた子、まだほんの5、6歳の子供だよ、たぶん・・・」

「・・・あそこに蹲ったままのお婆さん、死んでんじゃない?」

彼らの祖国、日本帝国もBETAの本土侵攻を受けて以降、強制疎開や大量の国内難民の発生によって、その混乱は未だに収まっていない。
都市には必ずと言っていいほど、難民保護地区と言う名の『貧民街』が形成されつつあるし、不法流入して来た国際難民が築いた不法居住区問題は、行政の悩みの種だ。
だがそれでも、この地に比べれば『天国』と言えるかも知れなかった。 それ程、ここは極貧と絶望だけが生存を許された場所、そんな雰囲気が充満した場所だった。

「ったく、誰だよ!? 『ちょっと回り道して行こう』なんて言い出した奴はよ!?」

日本帝国陸軍、遣蘇派遣旅団第101戦術機甲大隊に属する衛士である彼等は、昨日に前線基地から一時帰還したばかりだった。
割り当てられた兵舎で、帰還後の様々な雑事を片付けた後、軍港地区に揚陸された軍需物資の引き取り確認に派遣されたのだ―――と言うのは建前。
『何も無い場所だ』と聞かされたモノの、まだ10代後半の若者達だ。 幾ら厳しい訓練を受け、戦場も体験したとはいえ、ずっと間借り基地に缶詰は息が詰まる。
重要な戦略物資の揚陸確認は、専門の主計将校団が行っている。 彼等はもっぱら『雑用品』の確認だけだ。 しかし、やはり外出は嬉しいものだった。
経験の浅い彼らに、少しでも気分転換を―――そう考えた大隊長の『親心』なのだが、あわよくば隣接する『外国人向け』外貨ショップに行く予定を、不埒にも練っていたのだ。

「・・・それはアンタよ、半村。 アンタが喚きたてて、半ば高嶋を脅して連行したんでしょうが」

「えっ!? いや、それは勘違いですって、美竹さん。 俺は高嶋がどうしてもって言うから・・・」

「・・・クスン、酷いよ、半村ぁ・・・ 『付いてこなきゃ、縛り上げて夜に美竹少尉のベッドに放り込んでやる!』なんて脅してぇ・・・」

「・・・アタシ的には、それはそれで、アリなんだけど?」

「ひい!?」

前を歩く3人を、半ば呆れ、半ば怒った様に付いて歩く3人が居た。

「・・・どうして、半村を止めなかったんだよぉ? 槇島ぁ・・・」

「・・・俺が小隊長に捕まっている間に、だぜ? あの馬鹿止めるなら、何でお前、止めなかったんだよ、楠城?」

「無茶言うなよぉ、アタシにあの馬鹿、止められるかってンだよぉ・・・」

「・・・はぁ。 ここ、本当は行動禁止区域なのよ? 判っているの? アンタ達・・・」

大隊指揮小隊の北里彩弓少尉が、盛大な溜息をつく。 元気娘だが、基本的に品行方正な彼女には、後任達のこの『大胆さ』が信じられなかった。
まだ、前を歩く同期生の美竹遼子少尉だったら、この位はやりそうだが。 彼女は訓練校時代から、規則破りギリギリの行動を取る常習者だった。

「はあ、まあそうですが・・・」

「えへへ・・・ ま、北里少尉も同罪って事で! ・・・だから、大隊長には黙っていて下さいよぉ?」

「・・・はぁ」

―――再び、盛大な溜息。

後任少尉達の内、前で弄られている高嶋慶子少尉は、まずこんな事はやらなかっただろう。 後ろ姿しか見えないが、内心はさぞドキドキしながら歩いているに違いない。
普通の家に育った、ちょっと内気だが素直な女の子。 そんな子が、そのまま衛士になった様な感じだ。 もっとも、ちょっとした冒険位には感じているかも・・・
同じく前を歩く後任の半村真里少尉。 後ろを一緒に歩く、これまた後任の槇島秋生少尉と、楠城千夏少尉は、案外・・・いや、全く平気そうだ。

(・・・それどころか、なんだか妙に馴染んでいるし・・・)

頭が痛い。 軍港地区で確認任務を終えた途端、同期生の美竹少尉に半ば引きずられて、外貨ショップへ向かう羽目になってしまった。
別段、禁止されている訳ではないが、まだ派遣作戦は終わっていないのだ。 それなのに・・・と思っていた矢先の事だ。
そして先に基地へ戻した筈の後任達が、行動禁止区域に足を踏み入れる姿を発見した訳だ。 注意しようとしたのに、いつの間にか同期生が裏切った、と言う訳だった。
大隊指揮小隊に属する北里少尉は、言ってみれば大隊本部付の様な立場だ。 こんな、明らかな軍規違反、見逃すわけには・・・

「ま、大丈夫ですって、北里少尉! アタシの故郷にも、こんな感じの場所は有ったし! 半村や槇島なんか、訓練校入るまでは横浜の悪所に、入り浸りだったらしいし!」

(―――それはそれで、問題よ! あ~、ばれたらどうしよう!? 遠野中尉や来生中尉も怖いけど、何と言っても大隊長が・・・)

北里少尉の脳裏に、綺麗な顔を歪ませ、理路整然と軍規違反の罪状を言い並べる遠野中尉の姿が浮かぶ。 その横にはこれまた、しかめっ面の来生中尉の姿も。
それだけでは無い。 両中尉の背後には、不気味な恐怖感を抱かせる様相の大隊長が、黙したまま自分を睨みつけているのだ!

彼女にとっては、大隊長は単に2階級上の上官、と言うだけに留まらない。 92年の大陸派遣軍時代からBETAと戦い続け、生き抜いて戦果を上げ、結果を出して来た大ベテラン。
聞くだけでも、彼女が訓練校で『戦史』として教わったに過ぎない大激戦を実際に戦っている。 92年満洲の『5月騒乱』に、93年の『双極作戦』と『九-六作戦』
国連軍派遣時代には激戦区の地中海戦線で、ペロポネソス半島での、BETAのエーゲ海諸島への渡海阻止作戦『マリータ作戦』に従軍。 その後も東地中海を転戦。
それとイベリア半島での『シエラ・ネバタ防衛戦』に、『アンダルシア・ジブラルタル防衛戦』を含む、一連のイベリア半島防衛戦にも参加。
有名どころでは94年のイタリア・カラブリア半島での防衛戦に、96年の『第2次バトル・オブ・ドーヴァー』も戦ったと言う(何故か、95年のキャリアは不明だった)
帝国軍復帰後は97年の『遼東会戦』と、『遼東半島撤退戦』で殿軍を務めたと言う。 そして98年の半島撤退戦、あの『光州作戦』にも参加したと聞く。
極めつけは、かの『京都防衛戦』と、それに先立つ『近畿防衛戦』をぶっ通しで戦い抜いたと言う事。 『明星作戦』では、師団参謀として参戦したらしい。

(・・・普段は割と穏やかなんだけど~・・・ 時々、怖い表情するのが、ホント、怖いのよね~・・・)

転属先がそんな歴戦衛士が率いる大隊の、しかも直属指揮小隊だと聞かされた時は、正直言えばまず、恐れを抱いたものだ―――本気で国防省の人事局を恨んだ。
勝手に想像していた大隊長像は、訓練校で散々扱いてくれた主任訓練教官にも似た、マッチョで気難しい、厳つい厳格な、暴君じみた上官像・・・だった。
何しろ自分は訓練校卒業後の半年間、北海道の練成部隊に配属されていて、実戦部隊に配属となったのは『京都防衛戦』以降だった。
飛騨地方を除く岐阜県全域と三重県、愛知県全域に静岡県中西部を含む、中京・東海地区を防衛する、第5軍団の第52師団に配属された。
その後は、佐渡島から散発的に防衛線を破って侵入するBETA群と、北陸や飛騨山脈の中で戦ってきた。 少尉の実戦経験としては、可もなく不可も無く、と言う所だろう。
地域防衛部隊配属だったので、『明星作戦』には参加していない。 辛うじて大陸や半島方面に転じた、BETA群の追撃作戦に参加しただけ。
なので、転属初日のあの緊張感は、未だに忘れられない。 案内してくれた遠野中尉は、ちょっと見た事が無い、お淑やかな物腰の上官だったが・・・

(『―――これで、ようやく揃ったか。 期待するぞ、北里少尉。 後は副官の遠野中尉から、色々と聞け。 ご苦労だった、今日は休め』)

実に、実にあっさりしたものだった。 想像に反して大隊長は、長身は長身だが(183cmと言っていた)、飛び抜けてと言う訳でなく、大兵巨漢でもない。
どちらかと言うと着痩せするタイプだと思った―――その後、強化装備姿を見た時の印象は、しなやかな筋肉質の、それでも力感のある感じの人だな、という印象を受けた。
見た目も厳ついと言うのではなくて、どちらかと言うと『渋い系』と同期の美竹少尉が言う様な、脂身の抜けた?感じの、まあ、良い男じゃ無い? とは思う。
特徴的なのは、右のこめかみから頬にまで達する古傷(裂傷だろう)の跡が、うっすらと残っている所。 それが決して甘い人じゃない、戦場の古強者と言う印象を受ける。
普段は余り、大きな声を出さない人だ。 ちょっと独特の間を置いて、低い声で落ち着いた感じで話す人―――訓練では人が変わって、怒声を落しまくりだけれど。
大隊の女性衛士同士の情報網では、『明星作戦』前に長年の恋人だった相手と結婚。 奥様は確か第55師団の師団参謀で、結構な美人だとか。 で、結構な愛妻家とも。

(・・・まあ、軍規に厳しいとか、そんな事は無い人だけどね・・・)

余程の重大な軍規違反、或いは事故に繋がりかねない行動違反以外ならば、多少の部下達の『羽目外し』は、大目に見る様な大隊長だった。
その分、訓練は死ぬほど厳しい。 訓練校時代、『鬼』だと思った訓練教官が温く思える。 『24時間連続実機訓練』など、その最たるものだ。

(『・・・精神論を、とやかく言うつもりはない。 だが戦場ではまず体力を失う、次が気力だ。 そして最後に命を失う。
貴様達の適性調書は、前任部隊や訓練校での評価成績で把握している。 どうするかは、俺が決定する。 貴様達は与えられたポジションで何を為すべきか、体で覚えろ』)

淡々と語る大隊長の、普段は割と穏やかにも見える顔が、あの時は正直言って別人に見えた。 何しろ、表情が全く読めないのだ―――ぶっ倒れそうな状況で、そう思った。
自分にとっては、益々謎な上官だった。 それにこの間見せた、また違う一面―――ソ連軍衛士達との乱闘騒ぎで、銃を撃ち放って騒動を収めた時の、あの表情。
どこか楽しげで、どこか狂った様な、そして実は冷静さも保った、驚く部下達を一瞥して静かにさせた、あの時の大隊長は見た事が無かった。

(・・・正直、正体不明なのよ、大隊長は! 軍規に厳しい訳じゃないけど・・・ないけど! 正直、読めない! うう、すっごい不安・・・)

生来、その様な性格ではないのだが、北里少尉はこの時は明らかな命令違反、軍規違反と言う意識もあってか、グルグルと思考のネガティヴスパイラルに陥っていた。

「・・・あれ?」

不意に隣を歩く楠城少尉が、小さく、素っ頓狂な声を上げた。

「何だよ?」

「あーん?」

「はい?」

周りもみんな、立ち止まって楠城少尉を振り返る。 当の楠城少尉と言えば、何故か近くの物陰に全員を押し込み、息を殺して、そーっと、通りの奥を除いていた。

「・・・やっぱり、そうだ。 間違いないよ・・・」

「だから! 何なんだ、楠城、お前よ!?」

「うるさい、半村! 耳元で大きな声出すなよォ!」

「・・・楠城も、充分声がでかい」

「はわわ・・・け、けんかは無しだよ!?」

言い合う後任達が(1人はオロオロしているが)見据える先。 通りから外れた路地の奥、狭く薄暗く、怪しい雰囲気の建物が立ち並ぶその奥に、2人の人影が見えた。
1人は口髭を生やし、頭にイスラム教徒が被る様な帽子を被った老人。 もう1人は、どう見ても白人系の女性。 それもソ連軍の将校だ。

「・・・あれ、あの女性将校の方! あれって、こないだ協同作戦とったソ連軍部隊の、指揮官の1人じゃ無かったけ? ねえ? 慶子?」

「ああん? ・・・覚えてねえ」

「・・・そうだっけな? 上の人の顔なんざ、いちいち覚えてないぜ」

「えっと・・・千夏、ゴメン。 私、わかんない・・・」

後任達が、甚だ心もとない記憶力を披露している間、北里少尉と美竹少尉はその女性将校を見据えて、頷きあった―――確かに、楠城少尉の言う通りだ。

「確か・・・フュセイノヴァ少佐、だったわね」

「正確には、リューバ・ミハイロヴナ・フュセイノヴァ少佐よ」

「・・・遼子、よくフルネームまで覚えているわね?」

「・・・好みの美人だから」

思いっきり、脱力した。 この同期生も、相変わらず謎な女だと思う。 判っているのは、正真正銘、バイセクシャルな性癖を持っていると言う事。
何せ以前所属していた中隊で、先任の女性少尉に本気で迫ったとか。 身の危険を感じた、その女性少尉が中隊長に直訴して結局、美竹少尉が転属になったと聞く。

(『・・・押し付けられた時は、マジでどうしようか悩んだぜ』)

大尉に進級して、大隊長に『拾われて』第101独戦(第101独立戦術機甲大隊)に転属した八神大尉が、げんなりした顔で言っていたのを覚えている。
そう、美竹少尉は以前、八神大尉とは同じ中隊で、当時の中隊長だった美園大尉と言う人が、頭を抱え込んでいた程の『女たらし』の問題児だったそうだ。

「・・・遼子の、その方面の記憶力も、たまには役立つのね。 何しているんだろ?」

「・・・喧嘩売っているの? 彩弓? 今夜、襲うよ? ・・・自動翻訳機、この距離じゃ音声は拾え無いか」

「同室に宇佐美中尉(宇佐美鈴音中尉、23期A、元フラガラッハ中隊)が居るのに? ・・・あ、何か受け取った」

「・・・中尉も、私の好みよ? あの澄ました顔を、快楽に溺れさせたいわぁ・・・ 何かの書類?」

気がつけば、高嶋少尉が首筋まで真っ赤にして俯いている。 半村少尉と槇島少尉、それに楠城少尉は、ニタニタ笑っていた。
何でもない様に、意識して無視する。 我ながら、何て話題を話しているのよ? と思ったその瞬間、後ろから肩を掴まれた。

『―――貴様ら、そこで何をしている?』






『・・・ん?』

『どうかしたの?』

『いや・・・何でも無いわい。 それよりお前さん、ブツはこの数は確かかね?』

『間違いないわ、その数の通りの、地中埋設型の震動探知センサーよ。 ・・・こんなモノが、売り物になるのね・・・』

『くくく・・・中東や東南アジアじゃ、幾らあっても足りんそうだがね。 本当は日本製かアメリカ製が良いんじゃが、あっちは監視が厳しいからの。
ソ連製も、そこそこ人気じゃ。 中国製も最近、出回って来ておるがの。 数で言えば、まだまだソ連製が多いのう・・・』

『・・・判っているでしょうね? こっちも相応のリスクを犯しているの、もし、裏切ったりしたら・・・』

『・・・ほほう? 殺すかね? この老いぼれを?―――慌てなさんな、ちゃんと外貨で用意しとる、ホレ、米ドルで5万ドルじゃ。 ここじゃと、何人の命を買えるかのう・・・』

『・・・知らないわ、興味も無い』

『くくく・・・冷たい女じゃ。 お前さんトコの・・・』

『・・・黙れ。 今ここで殺されたいのか? 老いぼれ』

『おほう、怖い、怖い・・・ではの、儂はこれで失敬する。 この辺はベクリル・ベイの縄張りでの。 ばれたら、一族皆殺しじゃわい・・・』

『次の日取りは?』

『そうさの、お前さんが生きていれば、1カ月後でどうじゃ? 頻繁にやっておったら、ばれるぞ?』

『・・・それで良いわ』






[20952] 北嶺編 7話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/12/11 20:22
2000年1月26日 1335 カムチャツカ半島 ペトロパヴロフスク・カムチャツキー北西・モホヴァヤ


冬のカムチャツカらしく、曇天が続くこの数日。 今居る場所は、ペトロパヴロフスク・カムチャツキーから北西に数kmほどの小さな町・モホヴァヤ。
ああ、違う、『かつては小さな町』だった場所だ。 今は人口で30万人に達する、カムチャツカでも中規模程度の街になっている。
主にペトロパヴロフスク・カムチャツキーの港で働く軍属(労働者だ、ソ連では『労働戦士』とか何とか言うらしい)が住む街。 そして・・・

『おい、周防、こっちだ』

カキエフ中佐の案内が無かったら、こんな入り組んで迷路の様な場所、さっぱり判らずに、迷子になる事は請負な場所だ―――『モホヴァヤ南西区』、通称『ムスリム区』
そう、ここは雪崩を打って崩壊しつつあったソ連邦各地から避難して来た、各共和国の住民が固まって暮らす居住区のひとつ。 主にムスリム(イスラム教徒)が多く住む。
ソ連共産党が長らくタブー視して来た事を、このBETA大戦で敢えて『解禁』したのは幾つかあるが、その中で最も重大な解禁を行ったのが2つある。
そのひとつは『民族』、そしてもうひとつは『宗教』だった。 いずれも共産党のテーゼに従えば、『それに拘泥する事は、共産主義建設の敵である』と、昔は言っていた。
が、BETAはそんな人間の愚かな『建前』を、木っ端微塵に砕いた様だ。 今やソ連政府とソ連軍は、民族、そして宗教に従った編成を取る。

そんな中、かつての『ソ連邦市民』、今の『ソ連邦労働英雄』達の住まいは、民族・宗教ごとに住み分けているのが現実だった。 少なくともカムチャツカと北樺太はそうだ。
そしてこの辺りは、元々の市街地では無い。 避難して来た『国内難民』達が自然発生的に寄り集まり、拡大した住民区のひとつ。
計画性など端から無いままに、無秩序に拡大したものだから、未知は入り組み、インフラ状態は最低だ。 まともに上下水道が来ている場所など、殆ど無い。

『なにせ、元々は原野だ。 そこに掘立小屋から始まって、軍港や基地、飛行場周辺の廃材なんかで補強して、無理やり出来た街だ。
クソ寒いからよ、道幅も広く取らない、密集して少しでも寒風を防ごうってな。 お陰で3年前の大火事の時には、逃げ遅れた2000人が焼け死んだ』

案内役のカキエフ中佐が、こちらを向かずに説明する。 時々、すれ違う住民―――中央アジア系か、コーカサス系―――から『サイード・ベイ』と呼ばれ敬意を受けている。
『ベイ』、って確か、前に誰かに教えて貰った筈。 ギュゼルか? いや違う。 イルハンか? そうだ、彼だ、イルハン・ハミト・マンスズ。 今はトルコ軍に復帰している筈。
こう言っていたな、元々は遊牧民の部族長や軍事集団長の事で、オスマン朝では『パシャ』に次ぐ尊称になって、今では男性への敬称になっている、と。
もっとも、敬意を受ける人物にしか、この敬称はつけないとも。 そう言う意味で、カキエフ中佐はこの辺一帯の住民からは一種の有力者、と捉えられているのか?
雪と泥で凍った道を歩く事、15分ばかり。 迷路のような街区の中心付近(と聞いた)の広場を抜け、また小路を歩く事5分。 ようやく目的地に着いた。

『まあ、入れ。 俺の家だ』

―――中佐殿の家、と言うには・・・

『どうした? あんまりみすぼらしくて、驚いたか? くく・・・この辺じゃ、どこでもこんなもんだ。 そんなトコに突っ立っていても、クソ寒いだけだ、早く入んな』

表向きは小路に面した3階建ての、ろくに窓も無い集合住宅。 入口は1階の扉からだけ―――入ってみて驚いた。
3階まで吹き抜けで、外に面した側も、他も、全て部屋が有って回廊の様になっている。 真ん中に大きな暖炉がドン! と置いてあり、そこから3階天井まで煙突だ。
所々から支管が伸びて、各階の床下に入っている。 どうやら簡易ながら、床下から温める仕組みなのか? 支管はまた戻って、勾配を付けて煙突に繋がっている。
その中の1室、1階の奥の部屋に通された。 2間続きで結構広い。 どうやらこの部屋が、カキエフ中佐の『自宅』なようだ。

『さっき、スリムから連絡が有った。 お前さんの部下達、無事保護したそうだ。 無謀だぜ、あそこに訳も解らない外国人が近づくのはよ?』

『・・・お手数を、お掛けした。 部下達には厳重に、注意と処罰を与えておく』

『ま、程々にしてやんな。 まだ若けえ連中だ、好奇心ってヤツだろう。 あそこの顔役は、俺の馴染みでな。 ヤポンスキーに騒がれても、色々と困る』

『・・・判った。 では、部隊内で罰則でも課す様にする』

まったく、あの馬鹿共め。 しかも、北里まで居ながら・・・! 暫くBETAの動きが判明するまで待機状態だが、その間、血反吐吐くまで扱いてやる・・・!
ヤマダエフ少佐だったから良かったものの、もしあの界隈の住民だとしたら・・・軍人がマフィアを兼業している様な場所だ、身ぐるみ剥がれて、位は幸運な方だったぞ?

『何か飲むか? 何にする? 酒か? ツァイ(お茶)か?』

『・・・勤務中に付き、お茶で』

『クソ真面目だな、ヤポンスキーってヤツは。 クソ拙い合成紅茶しか無い、それもロシア人が飲む薄くて不味いヤツだが、我慢しろ』

―――我慢も糞も、俺は余り紅茶を飲む習慣は無い。 どちらかと言うと珈琲派だ(我が家では、奥さんが紅茶派だ。 現在、主導権争い中・・・大苦戦だが)
なので、美味い不味いは、関係無い―――って、待て。 紅茶に牛乳(合成モノだが)はいい、しかし岩塩にバター(これも合成モノ)ってのは、一体・・・!

『―――ツァイだ、美味いぞ』

これって、これも確かに聞いた事は有る。 昔、欧州に居た頃にギュゼルが散々こぼしていた、飲みたいって。 イルハンも同じ事を言っていたな。
薄い赤茶色、と言えばいいのか? この色は? なんだがドロッとした感じだが・・・ええい、飲んでやるよ!

『・・・! 美味い・・・』

冗談じゃ無く、無意識にそう、声に出ていた。 いや、塩味とクリーミーな感じが、不思議に合わさった・・・そんな美味さと言うか・・・
そんな俺の表情を見ていたカキエフ中佐は、少しばかり満足したような表情で、自分のツァイを飲み始めた。 客をもてなす主人の満足、そんな感じの笑みと言うか。
にしてもこの建物、一体どれ程の人が住んでいるんだ? 1辺に2間で、ぐるりと1周して1フロアで8部屋。 玄関のある1辺は倉庫や台所的に使っている様だ。
3階建てで22部屋。 1部屋は日本式に言えば8畳間程の広さか、1家族2部屋・・・は、ちょっと狭いか? 1家族4部屋で、5家族とプラス、カキエフ中佐か?

『・・・ん? どうした?』

『ああ、いや・・・ 中佐、この住居、他の住民はどれくらい居るんです?』

何となく、基地での獣じみた雰囲気が和らいでいるためか、不意に相手が2階級上の佐官である事を意識して、口調が上級者に対する口調に戻っていた。
その中佐と言えば、俺の顔を不思議そうに見て、手にしたツァイの茶碗を持ったままだ。  ややあって、いきなり笑い始めた。

『お、お前・・・他の住民って・・・ここにゃ、俺の家族しか、住んじゃいねえよ!』

大笑いするカキエフ中佐。 何だって? 家族だけ? それで、この数の部屋を!?

『俺の爺様に婆様、お袋に妹とその息子と娘。 弟の嫁たちが3人に、その子供達だな。 全部で18人ってトコだ。
弟は3人いたが、2人は戦死した。 残っているのは下の弟だ、上と中の弟2人は、アッラーの御許に参じたよ。 親爺殿と叔父御殿達も、もう死んだ、戦死した』

聞けば両隣の建物は、死んだ2人の叔父達の家族―――息子や娘、その伴侶に子供達。 言ってみればこの辺がカキエフ一族の『住まい』なのだとか。
BETAに喰い殺されるか、BETAとの戦争で死ぬか、一族でも結構な数の者が死んだそうだ。 そして故郷を遠く離れたこのカムチャツカで、一族が寄り添って生きていると言う。
カキエフ中佐はチェチェン人だが、彼らだけでは無い。 他にもウイグル人、カザフ人、トルクメニスタン人にアゼルバイジャン人、その他色々・・・
ソ連邦を構成した『共和国』ごとに、それぞれの民族がいた。 彼らの殆どは故郷をBETAに侵され、追いやられて、膨大な死者を出しながら、こうして極東の片隅に辿り着いた。
そしてかつては帝政ロシア、その後にはソ連共産党によって迫害された『民族』と『宗教』を、一部なりともこの地で取り戻した。
ここに来る前に、モスクも有ったし、正教会の教会も見た。 間に合わせのバラック同然の建物だったが、その中の人々の表情は、真摯で真剣だった。

『このモホヴァヤだけじゃない、南東のドリノフカ、北東のドルゴニ、北西のニコラエフカ、ソフノスカにバラトゥンカ、テルマリニ・・・どこも元は原野だった。
カフカス、カザフ・ステップ、ドン・ステップに中央シベリア・・・ 故郷を追われた連中に宛がわれた土地は、そんな場所だった。
大勢死んださ、真冬には気温が氷点下40℃まで下がる。 凍死に餓死だ、満足な配給も無かった。 俺の2人の従姉妹は10歳と7歳で、ガリガリになって、飢えて、凍死した』

多分、カキエフ中佐の一族だけの話じゃ無い。 どの民族も、シベリアを経由してこの地に逃れるまでの間、無数の犠牲者を出してきた。
BETAに喰い殺されるのと同じ位、いやそれ以上の数が、餓死と凍死で死んで行った筈だ。 国連での統計でもそう出ているし、帝国もその情報は掴んでいる。

ソ連共産党の物資供給先順位は、6順位に分かれる。 まず始めに『共産党員』とその家族。 特に党幹部は未だ、『ノーメンクラツーラ(赤い特権階級)』だと聞く。
これに民族の区別は無い、如何に『共産党中央』と言う至高の権力に近しいか、ただそれだけだ。 最も多いのはロシア人だが、他にも様々な民族の『権力者』が居るそうだ。
ついで『ソ連軍人』、この場合は『正規軍』であるソ連邦軍人と、その家族だ。 この中でも、ロシア系と非ロシア系の区別が有ると聞く。
そして各国家機関に属する者達。 中でも軍と双璧を張るのが『KGB』とその従属組織。 国境警備軍もその一つだ。 軍、KGB、共に内部で最も優遇されるのは、ロシア系。
言わばここまでが、ソ連邦国家の権力と、その端っこにギリギリぶら下がる『階級』と言える。 当然ながら民族差別は存在する、特に軍とKGBは。(党中央は逆にそれが薄れる)

3番目は『ロシア人軍属』 直接、軍に属する正規軍人では無く、軍関係の各組織(生産工場もそうだ)に属するロシア人達と、その家族。 言わば昔の『ロシア人市民』達だ。
4番目が『東スラブ系軍属』 ウクライナ人やベラルーシ人と言った、民族的にも言語的にも、ロシア人とは近縁民族の者達。 そして長く『ロシアの支配』を受けて来た者達。
5番目はポーランド系、ヴォルガ・ドイツ系、バルト系と言った、その他の白人民族。 一応、イディッシュ(東欧ユダヤ系)も、このカテゴリーに入るらしい。
最後の6番目が、その他の非白人系民族。 カフカスやドン・ステップ、カザフ・ステップ、シベリアの奥深く、そんな所で先祖代々過ごしてきた者達。

順位が下がれば下がる程、配給物資は少なく、その遅延も酷くなると言う。 それに避難先で住居が宛がわれたのは、3番目の『ロシア人軍属』までだとも聞く。
4番目以降は粗末なバラックか、カキエフ中佐の一族の様に、全く何も無い原野に放り出されて終わり、と言う状況だったと言う。
そんな状況では、誰しも『兎に角、最低限の物資配給が保障される』ソ連邦軍人になろうとするのは、当然の流れだ。 
ソ連の国策もあるが、特に『被支配者層』の親達は、子供をこぞって軍に入れようとするのだと言う。

『まあ、不味い合成モノでもだ。 軍だと、とにかく飢え死にする事は、まだ無いからな。 それにボロ屋の補強資材も、裏で融通を付けやすくなる』

この家に来る前、街角で幼い子供達を見た。 どう見ても7、8歳位かと思ったら、10歳だと言っていた。 食糧事情の悪化で、幼年時から発育不良が顕著になっているそうだ。
カキエフ中佐の甥や姪達は、何とか普通に育っていると言う。 中佐や、下の弟さんがソ連邦軍人である事と、闇物資の融通が付けやすい事、このお陰だと。

『だもんでよ、何とかここを生き抜いて、今年の夏には北サハリン(北樺太)に転属しなきゃな。 今は弟が行っている、前は俺が行っていた。
弟は今度、夏前にこっちに転属だ、順番でな。 なので、俺が向うに行く必要が有るんだ。 何でか判るか? 周防』

その時、そう言ったカキエフ中佐の左腕の腕時計が目に入った―――見覚えが有る、俺の親父がしているのと同じだ。 あれは結構、高級な時計のはずだ・・・

『・・・北樺太での、密貿易。 ソ連側のマフィアと、帝国側の軍官民がグルになった密輸入は、俺も北樺太で実態を知っている』

帝国の場合、北樺太を崩壊させない為に目を瞑っている『必要悪』だが、そこに官民どころか、軍の国境警備部隊までが1枚噛んでいる。
そして噂では、そこで得られた資金はあちこちの、帝国の公然・非公然の組織にプールされているとも。 有名なのは軍の特務機関や、情報省のダミー会社用の資金だと聞く。

『マフィア、ねえ・・・? 実態は、俺達の互助組織みたいなモンさ。 当然、共産党は気付いちゃいるが、実態は掴んで無い。
それに連中にとっちゃ、自給自足してくれりゃ、物資配給の枠を増やさずに済む。 双方、目出度し、目出度し、ってモンさ。
ん? 俺のこの時計か? 前の北サハリン勤務の時だ、ヤポンスキーの中佐からせしめた。 代わりに奴には、ポロナイスク(敷香市)のロシア人街で、女を宛がってやったさ』

―――敷香市内には、不法に越境して住みついてしまったソ連からの『国際難民』達が暮らす街区、つまりロシア人スラムが有る。
そこでは様々な非合法な事が為されている、樺太県警察はそう発表している。 何せ、日ソの国境警備部隊がグルなのだ、行き来は連中の思うがまま。
中には親兄弟を失った子供が、国境を越えて売られて来る事も有る、そう言うレポートを読んだ。 北樺太に居た時にだ。
帝国の法に従えば(ソ連邦の国内法でもそうだが)、立派な国際犯罪行為である、だが北樺太の密貿易は、極東で逼迫する貧困に喘ぐソ連の『国内難民』にとっては、最後の命綱だ。

『工兵隊なんてよ、普段は森林伐採業や、鉱山の採掘業者だぜ。 歩兵部隊も砲兵部隊も、戦車隊もな、何らかの副業を持ってやがる。
海軍なんてよ、普段はベーリング海で魚を取っているぜ。 大型の冷凍庫設備なんか持った給糧艦なんかよ、まるで大型漁船さ。
俺らか? 戦術機甲部隊は、ボディガード兼、仲介業者だな。 一番美味しい所だ―――何故って? そりゃお前、誰だって戦場で戦術機部隊に、そっぽ向かれたく無いぜ?』

チェチェン、アゼルバイジャン、グルジア、アルメニア、アヴァール、チェルケス、オセット、クムイク、ノガイ・・・コーカサスだけでも、多数の民族がいた。
カザフ、ウイグル、キルギス、タジク、トルクメン、ウズベクと言った、テュルク系の草原や高原に住まう民族も、多く居た。
彼等は今、僅かに残った生き残りたちがこのカムチャツカや北東シベリアに押し込まれ、ベーリング海峡を渡る事を許されず・・・

(―――それでも何とか絶望の淵、ギリギリで踏み止まって生きている)


暫く雑談が続き、その内にカキエフ中佐の『家族』達が顔を見せに来た。 中佐の祖父は、実際の年齢以上に年老いた感の有る老人だった。
息子達や孫達を死なせ、なかんずく3人の娘(中佐の叔母達だ)とその家族は全て、BETAに喰い殺された。 一族の長として、それを助ける事が出来なかった苦渋と悲哀。
そんな感情を押し殺して外面の内に押し込んだ、寡黙な老人。 殆ど喋らなかった。 中佐の祖母は、随分と前から痴呆だと言う。 
中佐の母は義母(中佐の祖母)の世話に付きっきりだ。 それに普段は軍の生産工場に『配属』されていて、そちらも忙しい。
中佐の妹に、それに3人の弟の嫁たち。 妹は中佐より10歳年下と言うし、弟の嫁たちもその位の年と言う、俺と同年代だ。 こちらも工場労働者。

ソ連では、全国民が軍属登録をされる。 そして一定年齢以上になると、全員が軍や公的機関・組織に『配属』されると聞いた。
一応の『定年』は有ると言う。 軍だと15歳前後から軍歴を始めて、40年の勤務が『定年』、それ以降は『予備役将兵』として、管区予備防衛大隊に更に15年、登録される。
他の公的機関・組織も同様だ。 つまり『リタイア』する年齢は70歳を越してから。 最もそれまで生き残れる者は、殆ど居ないのが現実だ。
抜け道は有る。 例えばアラスカに住む共産党員は、例え軍に入っても前線には出てこない。 シベリア配属になっても、ほぼ全員が後方支援部隊だそうだ。7
一般のロシア系は、『賄賂』を要所に配る事が出来る者だけ、アラスカに居続ける事が出来る。 或いはアラスカに戻る事が出来る。 それ以外は戦場だ。

『つまりな、ここに居るのは袖の下も用意出来ない、阿呆なロシア人と、ロシア人以外の連中だって事だ。 最低な場所だが、ロシア人の目が緩い事は、良い事だ』

この地に住む少数民族(敢えてそう言う)にとって、生活の糧は滞りがちな配給と、自前で用意した様々な闇物資。 余りやり過ぎると、KGBの国境軍も時々手入れを行う。
だから彼ら少数民族の『互助組織』も、その筋にはたっぷりと鼻薬を嗅がせる。 ブツは主に日本との密貿易で得た嗜好品、或いは円やドルと言った外貨を直接渡す事も。

『煙草や酒、そんな嗜好品なんか、もうソ連じゃ作ってない。 日用品だって貴重だ。 国境軍や憲兵、軍の上の連中には、日頃そんなモノを握らせておくのさ。
大体が、ロシア人の高級将校なんざ、誰もがアラスカに戻りたがっている。 そんな連中には、円かドルだ。 連中はそれを、アラスカで自分の人事を握る偉いさんに送るのさ。
ソ連社会は、帝政ロシアの頃から賄賂の社会だ。 その金を集める為に、下層の連中を搾取する。 下層の連中は苦しいから密貿易で何とか食い繋ぐ。 変わらねえよ』

再び2人だけになった時、中佐がそう明かした。 口減らしの為、まだ幼い子供を(公的『洗脳教育機関』に入る前の年の幼子を)日本経由で売買する事も有ると言う。
売られた子供達は・・・考えたくも無い。 帝国内でも問題になったし、東南アジアやオセアニアへも『転売』されるとも聞いた。 右近充の叔父貴からだ。
それに、日本からは北海道産のアヘンがソ連に流れる。 モルヒネの原材料だが、精製しなければ麻薬だ。 こんな事、BETAとの戦争前には全て無かった事だ。
アラスカ経由は流石に無理だそうだ。 共産党のお膝元だし、米国の国境警備隊の目も光っている。 樺太は日本帝国の目も、かなり緩んでいるからな・・・


2時間ほどお邪魔して、お暇する事になった。 帰り道、また中佐に案内して貰って(迷路の構造が判らない)戻る最中、バラック小屋に身を寄せ合って寒さを凌ぐ人々を見た。
様々な民族。 共通しているのは、目に宿った絶望。 碌に食べていないのか、やせ細り、中には骨と皮だけの様になり、逆に腹部だけが異常に張った、飢餓者特有の状態の者達。
虚ろな目で、物乞う手が震えている母親。 その腕の中で、身動きも出来ない程消耗した赤子。 家族4人が1枚の毛布にくるまり、じっと動かずに寒さに震えている。
路地の奥に、半ば白骨化した子供の遺体。 衣服は全て剥ぎ取られていた。 死を待つばかりに思える、横たわって全く動かない少女、やせ細っている。

カキエフ中佐は、そんな光景を路傍の石の如く無視していた。 その表情は無表情に近かったが、ほんの時折、苛立ったような表情を見せた。 俺はそれを、見逃さなかった。
密貿易で必需物資を手に入れると言っても、精々が一族や遠縁、所縁のある者達で精一杯だろう。 中佐はそうして、一族を守って来たのか。
だが、この街に住む、いや、この街だけでなく、他の街にも多く住む『同胞』達全ての面倒など、到底無理だ。 守る者達と、守れない者達の区別。
元々、先祖代々、暮らすにも厳しい土地柄の出身だ、その辺りは割り切っているのだろうが・・・流石に平静にはなれないらしいな、この状況は。

やがて大通りに出た、ここからなら車輌が使える。 中佐が待たせておいた車輌が走り寄って来た、運転は中佐の部下だ。
乗り込んで、この街を走り去る。 ペトロパヴロフスク・カムチャツキーへ。 道行く途中の原野にも、粗末な集落が多数見えた―――『ソ連国内難民』の集落だった。





『・・・にしても、あのスーカめ。 何故、あの場所に居た・・・?』










2000年1月27日 2030 ペトロパヴロフスク・カムチャツキー Г(ゲー)-05基地


目前に、若い少尉達が6人、直立不動で立っている。 顔色は、程度はそれぞれだが、まあ一様に青い顔色だった。
俺の目前に、第1中隊長の真咲大尉が陣取り、先程から怒声を張り上げている。 そのやや後ろに、大隊指揮小隊長・兼・大隊副官の遠野中尉。
こちらは普段の温和な表情はどこへやら、険しい表情で少尉連中を睨みつけている―――俺から見れば、少し背伸びしている様が伺えて、可愛いものだったが・・・

「貴様ら! もしもの事があったら、どうする気だった!? 帝国軍はそんな馬鹿者どもの為に、ビタ一文払わんし、救助なども行わん!
この極寒のカムチャツカで、恥さらしな丸裸で凍死でもしたかったか!? 名誉の戦死でも無く、訓練中の事故死でも無く、不名誉な死に様で恥を晒したかったか!?」

「「「「「はい!―――いいえ! 違います、中隊長!」」」」」

「ほう?―――私はてっきり、貴様らがクソBETAとの戦いに怖気づいて、気でも触れた揚げ句に、馬鹿な死に方を望んだと思ったぞ!? 
貴様らは戦友を、先任を、上官を見捨て、己の身が可愛さに、戦場に出たくない一心で! とっとと辛いこの世に見切りを付け! 安楽な逃避に走った! そうだろうが!?」

「「「「「はい!―――いいえ! 違います、中隊長!」」」」」

「違わない! 嘘をつくな、この卑劣漢共! 貴様らはBETAを駆逐し、皇帝陛下と帝国を守護し国民に平安をもたらし、人類の勝利を目指す日本帝国軍の本務を蔑にした!
あまつさえ、同胞・友軍が戦場でBETAと対峙している今! その辛苦を脇目に、独り己が勝手で安楽な逃避を行ったのだ! この恥知らずの、卑怯者共め!」

「「「「「はい!―――いいえ! 違います、中隊長!」」」」」

「違わん! どこまで性根の腐りきった、恥知らずな卑劣漢どもだ、貴様らは! 同じ空気を吸うのも我慢出来ん! 今すぐ、その息を止めろ! 汚らわしい!
貴様らと同じ空気を吸う事は、私はこれ以上、1秒たりとも我慢がならんのだ! 貴様らが吸って良い空気は、ここには無い! 吸って良いのはBETAと戦う衛士だけだ!
貴様らはもうこれ以上、BETAとの戦いの場には出んでもいい! 貴様らの役立たずの父親、淫売の母親に感謝しろ! 
そんなクソ役立たずな、クソまみれな馬鹿者に産んでくれた、クソッたれな親共にな! 親が親なら、子も子だな!?」

「「「「「はい!―――いいえ! ち、ちがいます・・・! 中隊長!!」」」」」

真咲の罵声のオンステージ―――流石は大陸派遣軍の生き残り、罵声のボキャブラリーは、まだまだ健在か。
派遣軍に比べて『上品』な本土防衛軍や、訓練校の訓練教官の罵声位しか経験のない若い連中には、ちょっと堪えるか?―――まあいい、これも経験だ。
第1中隊の5人の少尉、美竹少尉、楠城少尉、半村少尉、槇島少尉、高嶋少尉は、もうかれこれ20分近く、真咲の罵声に耐えている。
全員が中隊長の罵声を、顔がくっつく程近くで浴びせられ、その都度、全否定され、懸命の弁明も許されず・・・脂汗をびっしり掻いていた。

「・・・ふん、まあ良い。 本来なら営倉にブチ込んで、貴様ら生まれてきた事を後悔させてやる所だ! 
が! 『BETAの動向不明なりし今、一兵でも多く潰す数を要する』との大隊長のお言葉が有った!
喜べ、貴様ら! 次にBETAの来襲が有った時には、貴様ら5人、真っ先にクソBETA共のド真ん中に放り込んでやる!
そこで1秒でも長くBETAと潰し合え! 1秒でも友軍が有利な状況を作れ! 1秒でも長くクソBETAを潰してから死ね! 
それまでは各自、自室から出る事、まかりならん! クソをするにも、私の許可が必要と言う事を忘れるな!? 判ったか、このクソ馬鹿共!」

「「「「「はい! 中隊長!」」」」」


ようやく、真咲の罵声ステージが終わった。 お次は―――遠野か。

「―――北里少尉」

「は、はい!」

「貴様の犯した事は、帝国軍軍律違反、帝国軍野戦行動違反、帝国軍宣誓違反。 これがどの様な重大事か、理解しているか?」

「―――はい!」

「ならば、何ゆえにその行動を取ったか。 ここで説明せよ」

「はい!―――そ、それは・・・」

「どうした? 貴様は、自分が自身の行動に対し、説明が出来ない程の低脳だと、そう自分で言っているのか?」

「い、いいえ・・・!」

「ならば、明確に、筋道を立てて、論理的に答えよ―――貴様の行動の、その根拠は?」

「あ・・・の・・・」

「何度同じ事を言わせる? 貴様はオウムか何かか? 私が質問している相手は、鳥か?―――成程、貴様は鶏頭なのだな? 3歩歩けば、忘却の彼方なのだな?」

「い、いいえ・・・!」

「ほう? 私の耳には先程から『いいえ』か、『はい』か、どちらにせよ、ここでは意味を為さない音しか聞こえない―――繰り返す、貴様が取った行動の根拠は?」

ううむ―――真咲の罵声とはまた別で、こっちもなかなか・・・うん、良い感じじゃないか? 普段は元気者の北里が、びっしり脂汗をかき始めている。
傍で見ている5人の馬鹿共―――真咲の罵声の洗礼を受けた連中も、ビクビクしながら直立不動だ。 こうやって、理路整然と責め立てられるのも、かなり厳しいからな。

「―――貴様、もう一度小学校からやり直すか? 貴様の国語力は小学生以下だ、全く聞くに堪えない。 そして判断力と理解力はそれ以下だと、私は確信した。
よって、貴様は衛士たる資格なし、そう判断する。 小学生以下の者に、戦術機に搭乗させる訳にはいかん。 アレに一体、どれ程の国民の血税が注がれていると思っている?」

「は、は・・・!」

「まったく失望した。 貴様にはとことん失望した。 小隊長として、己が見る目の無さに絶望しそうなほどだ―――北里少尉!」

「―――はっ! 小隊長!」

「貴様に言い渡す。 本土帰還まで、出撃時以外は自室にて禁足! 理由は・・・先程、真咲大尉殿が仰った事と同じだ。
真っ先に名誉の戦死を遂げる事が出来るのを、感謝しろ。 私の指揮小隊に、この様な無分別な大馬鹿者は、不要なのだ―――判ったか!?」

「はっ!」

さて―――どうやらようやく、俺の出番の様だ。 ゆっくりと、真咲を脇にどかして前に出る。 はは、若い連中の顔がまた引き攣っているな。
1年先任の北里と美竹の2人も、緊張で顔色が青いし強張っている。 まだ任官半年少々の残り4人は・・・おい、そんなに震えるほど、俺が怖いか?
怖いだろうな。 何せ、さっきから真咲と遠野が叱責を続ける中、俺は一言も発せず、黙して腕組みしながら、薄眼を閉じたままだったしな―――不気味だ、それは。

「・・・ミスは、誰でも犯す」

心持ちゆっくり、全員を見渡す様に。 決して声を荒げることなく、腹に力を込めて。

「人で有ればな。 衛士とて人だ、全くミスを犯すな、とは、大隊長は言わん。 人は完全ではない」

わざと、連中とは目を合わさない―――が、まあ、どんな表情をしているか判る。 はっ、いつか来た道だ。

「だが、覚えておけ。 貴様らの勝手な行動が、貴様ら自身を滅ぼし、貴様らの僚友を死なせ・・・ひいては中隊を、大隊を、そして旅団を壊滅させ・・・」

丁度、連中の真正面で足を止める。 一旦言葉を区切り、無言で全員を見渡す―――次の言葉に、必死で身構えている様が良く判った。

「最後には皇帝陛下のご宸襟を乱し、帝国を危地に貶め、国民の生死を揺るがすに至る事を。 忘れるな、貴様らは士官―――大隊長の信を受ける士官である事を。 以上だ」

「「「「「「―――はっ!」」」」」」

「全員、大隊長に対し、敬礼!」

真咲と遠野を含む、全員の敬礼に答礼を返し、そして『やんちゃ』をやらかした連中を、大隊長室から退出させた。
部屋の外では第1中隊の2人の小隊長―――第3小隊長(先任小隊長)の宇佐美鈴音中尉と、第2小隊長の鳴海大輔中尉、指揮小隊の来生しのぶ中尉が、待ち構えている。
哀れな子ヒツジ達は、中尉連中に引っ立てられて、自室で禁足状態と言う訳だ。 まあ、任務の時は当然出すけどな。

「・・・ふう。 まったく、ソ連軍から連絡が有った時は、顔が赤くなるやら、青くなるやら・・・」

「はい・・・普段は任務に精勤する、優秀な娘なので・・・少し、取り乱してしまいましたわ」

真咲が思いっきり嘆息して言う。 遠野も似た様な表情だ。 しかし、やってくれたな、真咲に遠野め。 今回は2人して、示し合わせやがった。
直属上官―――中隊長と指揮小隊長が、大隊長の前で部下を直接叱責する事で、まだ若い少尉達が、大隊長から直接叱責される状況から庇いやがった。
直属隊長達がああ言う形を取った以上、最上位者の俺としては、追い打ちをかける叱責は出来ない。 締める形で、抽象的に言わざるを得ない―――叱責とは反対の方向で。
本当なら最後の言葉、あれは常套句としては『皇帝陛下と帝国国民の信を受ける―――』とやるのが、通り相場なのだが。
そこでわざと『大隊長の―――』に言い換える事で、最終的には今回の件、禁足以上の処罰はしない事を、暗に言い聞かせてやったのだ。

「それは当然でしょう? 可愛い部下達を、大隊長の毒気に当てさせる訳には・・・」

「私は存じませんが、真咲大尉からの要請でしたので・・・申し訳ありません、出過ぎた真似を・・・」

―――好き勝手言いやがる。 苦笑しか出ない。

遠野にコーヒーを3人分淹れる様に言って、椅子に座る。 2人にも備え付けの折椅子を勧め、熱い(そして不味い)コーヒーを飲んで、一息入れる。

「・・・真咲、そんなに、俺のは酷いか?」

「自覚、無いのですね・・・ 昔、そう、遼東半島が陥落するちょっと前ですよ。 あの頃、私は第18師団に居ましたけど、大隊長は第14師団でしたよね?」

「ん? ああ、あの頃か。 そうだ、14師団だ。 貴様、そう言えばあの頃は18師団だったな」

満韓国境防衛の、最終ラインを巡る戦いの時だ。 97年だったか、俺は14師団で中隊長をしていた。 初めて指揮した中隊だったな。

「ええ、小隊長をしていました。 当時の中隊長は、市川大尉―――今は訓練校で教官らしいです」

「・・・最後に、一緒に脱出した、あの隊か」

「ええ、そうですよ。 で、当時、国連軍派遣帰りの、14師団の口の悪い中隊長2人―――周防大尉と長門大尉の噂は、同期から散々聞かされましたので」

「・・・美薗とか、仁科とか、か?」

そういや、そうだった。 真咲は美薗、仁科とは同期生だったな。 昔、2年目少尉の頃に、同じ大隊の別の中隊に配属された新人たちの中に、真咲も居たな。

「物凄い、それもお下劣なボキャブラリーを散々披露したとか。 聞いていますよ? ウチの宇佐美と鳴海は、その当時の新米連中だったらしいですね?」

「・・・ああ。 そうか、あの2人もだったな―――いや、あれでも場を弁えて、控えめのつもりだったのだけどな・・・」

「どれだけ、お下劣なのですか、まったく・・・ 鳴海に聞きましたよ? 訓練校を出て1年経過していた宇佐美でさえ、当時の中隊長に叱責されて、思わず涙ぐんだって」

「あ、いや、まあ・・・」

「まあ・・・宇佐美はあれで、なかなか芯の強い娘ですのに・・・ 大隊長? あまり部下に悪影響を及ぼす様な言葉は・・・」

「おい! どうして俺が、ここで責められる!?」

冗談じゃない! ただでさえ、最近はこの間の乱闘騒ぎやらで旅団参謀長から、お小言を頂いているんだ! この上、部下達まで・・・!

「・・・まるで、上から抑えられ、下から突き上げられる、世に言う中間管理職、そのモノだろう・・・!?」

「大隊長職は、中間管理職なのでは?」

「お察し申し上げます」

―――澄まして言う2人の部下達が、全く小憎らしかった。







「わざわざ貴重な時間を。 物好きだな、お前も」

圭介が呆れた声で言う―――うん、我ながらそう思うよ。 隣で美鳳と文怜も苦笑していた。 場所は間借りしている基地の、上級将校用サロン。

「でもね、台湾でも程度の差こそあれ、似た様な状況ではあるわ・・・」

「そうね。 内省人(今では台湾人の事)による、外省人(中国本土からの避難民)差別、なんてのも有るわよね」

「日本国内にも有る。 その上に国内難民と、国際難民との待遇格差、とかもな。 半ば社会問題化している」

圭介と美鳳、文怜、3人の会話を聞きながら、漠然と考えていた。 どうして人と言う種は、同胞を『差別』出来るのだろう? と思う。 別段、聖人君子ぶる気は毛頭無いが。
見た目、言語、文化風習、それに基づく行動。 そのひとつ、ひとつで人は他者を差別出来る。 時には数十万、数百万単位の虐殺を行える程に。
自然界にも同じ種で、集団対集団の競争は有る。 だがあれは、純然たる『生存競争』だ。勝つか負けるか、純粋に対等な生存競争。
人類だけだ。 言葉を得、文字を得、思考する能力を得、そして文化を得、その結果は―――皮肉にもならない、と思う。

「ご高説、ご尤もだがな、直衛。 その答えは出ないぜ、多分。 人類の有史以来数千年の歴史は、他文化との対立と戦争の歴史だ―――お前の言う『差別の歴史』だよ。
今まで数千年、繰り返してきた。 今この場で答えなんぞ出るか? だとしたら、お前さんの方が人じゃない、って事になる。 全知全能、万能の神にでもなるか?」

「身も蓋も無い意見ね、圭介?」

「事実だ、お前さんの国もそうだぞ? 文怜」

「・・・ま、そうなんだけどね・・・」

―――答えは出ない、か。 確かにそうなのだろうが、どうもな。

カキエフ中佐との会話の内容が、頭の中で蘇った。 そして『ザーパド』大隊が悪名を広げ始めたきっかけの出来毎。

『・・・75年のあの時、俺はまだ10歳だった。 近所の友達と遊んでいてな、夕方家に帰ったら、お袋が蒼い顔をしていた。
俺は何が有ったのか、聞いてみた。 お袋は何も言わなかった。 その内、親爺と叔父貴達が帰って来た、怖い顔をしてな。
俺は親爺に聞いた、何が有ったのかって―――ぶん殴られたぜ、『子供が知る事じゃない』って言ってな。 とにかく手の早い親爺だった・・・』

『・・・もしかして、親爺さんは・・・?』

『察しが良いな、親爺は当時、ソ連軍の少佐だった。 『ザーパド』大隊の指揮官だった。 独立派は親爺の命令で殺された、そこに集まった同胞もな。
中には、俺の学校の友達の親兄弟も居た、死んだ連中の中にな。 俺は暫く・・・数年の間、親爺を憎んだ。 
何故かって?―――俺の一族は、元々反ロシア派だったからさ。 俺はあの『シャミール』の血筋なんだぞ?』

『・・・シャミール?』

『知らないか? 1817年から1864年まで、カフカスじゃロシア帝国支配に逆らって、チェチェン人やダゲスタン人、アヴァール人がロシア相手に戦争したんだ、47年間もな!
シャミールってのは、その戦争で一番有名な指導者だ。 今でもカフカスの民の間では英雄で、崇拝の対象だ。 俺の玄祖父ってのは、シャミールの娘が産んだ息子なんだよ』

『・・・つまり、6代前の先祖って訳か』

『まあな。 でだ、当時の俺は、どうして親爺が独立派をブチ殺したのか、判らなかった。 一族はシャミールの血を引く、誇り高き戦士の一族だ。
それがなあ・・・言ってみれば、ロシア人共や共産党と結託して同胞の、それも同じ反ロシア派の独立派の人達を、あそこまで虐殺しちまった。
俺は親爺を憎んだ、そして親爺は翌年に戦死した、カフカス防衛戦でな。 慣れない戦術機に乗って、たったの5分でBETAに殺られちまったそうだ』

『・・・』

『一族はその後、海路で船に乗せられて黒海からウクライナに脱出した。 それからシベリア、そして北極海周りでカムチャツカだ。
俺は徴兵されて衛士になった、『ザーパド』に配属された。 当時の上官には、未だあの事件の当事者たちが少数残っていた。
聞いてみた―――やっぱり殴られた。 でもな、その時ようやく判った。 親爺も上官達も、どうしようもないほど暗い、哀しい目をしていたな、ってな』

『・・・アンタは、それが判った・・・?』

『何年も経ってからな。 当時の『ザーパド』大隊は、心情的には実は独立派支持だった。 だけどな、軍に居て、戦況も知っていた。
当時のイラン戦線は、相当にヤバかった。 イランもトルコも、そしてアメリカも、カフカスにテコ入れする余力なんざ、ありゃしなかったんだ』

『それは・・・そう言われているな』

『けど、カフカスはイランにとって、頭上に振り上げられたBETAの刃だったし、トルコにとってもアナトリアに突き付けられた、ナイフの切っ先だった。
アメリカとしては、何としてもこの状況は避けなきゃならねえ。 親米国家をでっち上げるか? CIAは最初、そのプランを考えたそうだな。
けどそれじゃ、時間が無い、切迫していたからな。 で、第2案だ、イラン軍とトルコ軍の進駐、次いで米軍の進駐。 カフカスはイランとトルコで分割する。
てっとり早いわな、両国ともムスリムの国だ、カフカスにはムスリムが多いしな。 でもその案は、アルメリアの独立派から漏れた。 連中にとっても、死活問題だからな』

『アルメリア・・・同じカフカス地方でも、アルメリアはイランやオスマン朝とは、昔から衝突していたな』

『ああ、そうだ。 アルメリアは正教会・・・キリスト教徒だ。 そして共産党や連邦派に取っちゃ、ヤバい話だ。 俺の親父殿は考えた。 今、事を起こすのは最悪だと。 
カフカス駐留のソ連軍と、アメリカ・イラン・トルコ軍とが衝突するかもしれん。 そうなれば・・・判るか?』

『そうなれば、BETA迎撃どころの話じゃないな。 カフカス駐留のソ連軍が撤退したのは、そのすぐ後の1976年の2月だ』

『そうさ、もうカフカスの北はBETA一色になった頃だ。 黒海からルーマニア方面に逃げ出した。 その頃には、イラン方面の戦況はもう、カフカスどころじゃない状況だった。
そんな事も有って、親爺殿は全てを腹に飲みこんで、命令を下した。 『同志を殺せ』、とな。 歯痒かったかもな、同志達の『短慮』が』

『中佐の親爺さんは、そう考えたのか?』

『・・・想像だよ、想像。 第一、親爺は俺が11歳の時に死んでいる。 死人に聞ける訳もねえ。 だけどな、俺も隊を任されてから、考える事も色々と有った。
俺達チェチェン人の力は小さい、カフカスの民の力も小さい。 とても単独でBETAに抗し得る事なんか、出来やしない。
確かに共産党もロシア人も、大嫌いだ。 だけどその力を逆に利用してやるのも、立派な手だってな。 奴らは俺達が用意出来ない物を、用意する力が有る』

『つまりそれが、中佐が連邦派内に居る理由か?』

『・・・ここでの事は、共産党には邪魔はさせねえ。 俺達は兵力を供給する、連中からは要る物を引き出す。 連中は俺達から『安全』を買い取る。 それだけだ』









2000年1月26日 2230 カムチャツカ半島 ソ連軍Ц-04前線補給基地


「・・・ねえ、プガチョフ伍長。 この地中埋設センサー、何箇所かイカれてますよ?」

「ああ!? ああ、そんなの気にすんな。 地中侵攻なんざお前、そう度々有るもんじゃねえ。 こないだは半月前か・・・『データ通り』なら、あと2ヵ月半はねえよ!」

「し、しかし・・・現に、28箇所のセンサー設置個所の内、8箇所が全く検知不可能で、7箇所が精度不良状態ですよ!?
本当なら5日前に更新している筈なのに、兵站部は何も言ってこないし・・・半数以上ですよ? 半数以上!」

若いロシア系の1等兵が、不安な表情で言い返す。 彼は半月前にアラスカからこのカムチャツカに転属になったばかりの、まだ16歳の少年兵だった。
両親ともに工場労働者の軍属、彼自身も特に取り柄が有る訳ではない、ごく標準的な補充兵。 アラスカに戻る条件は、何一つ持っていないロシア系兵士の典型だ。

「・・・あのな、チベンコ、教えてやる。 今、この基地の前面には『28箇所の地中埋設センサーが設置されている』、そう言う事になっているんだよ」

「え・・・?」

「所詮、書類上の事さ。 5日前、ペトロパヴロフスク・カムチャツキーの兵站廠は、合計15個のセンサーを送りました。 当基地兵站部は、それを受け取りました。
書類でそうなっているのさ! 目出度し、目出度し!―――どこに不備が有るって言うんだ? 書類上はそうなっているんだぜ?」

「で、でも! だとしたら、本当は、センサーは・・・!」

プガチョフ伍長は観測室の室内を、首を巡らせて見やり―――当直将校のラザスキー中尉は、居眠りをしている。 シュバーキン軍曹は・・・酔って寝ていた。

「・・・数さえ合ってりゃ、誰も文句は言わねえよ―――お偉いさん方の懐に転がり込む、円だかドルだかの額が、減らない限りな」

「ッ! よ、横流し・・・!」

「しっ! デカイ声出すな! ・・・あのな、何時だってこんな事、やってる訳じゃねえぞ? たいていは、地中侵攻パターンの狭間の時期だけだ。
地中埋設センサーってのはな、条件次第でセンサー素子の耐久が、メチャクチャ変わるんだ。 特にこのカムチャツカやシベリアじゃ、凍土のお陰で寿命は2カ月程度だ」

それは知っている―――無言で頷きつつ、チベンコ1等兵は内心で言った。 それ位、ソ連軍の基礎訓練課程でも教える。

「・・・理解してくれて、助かるぜ。 でよ、この前の地中侵攻は半月前だ。 この辺りは、過去のBETAの侵攻パターンからして、大体3カ月に一度、中規模地中侵攻が有る。
ッテ事はだ、お次は2カ月半後って予定だ。 そして地中埋設センサーの『本当の』交換は2カ月後。 つまり、今回『交換』したセンサーが、『故障しました』って言える時期だ」

「つ、つまり・・・」

「そうよ。 BETAの地中侵攻パターンを割り出しちまえば・・・ 上手くいきゃ、2回に1回はチョロまかす事だって出来る。
中東や東南アジアに、高く売れるそうだぜ?―――ペトロパヴロフスク・カムチャツキー兵站廠のアンドレーエフ少将は、早くアラスカに帰りたいそうだ」

「・・・」

「それによ、この『副業』ってのは、チェチェンやカザフの連中が仕切っている。 変な勘ぐりいれてみろ・・・ここいらじゃ、連中の方が数は多いぜ、ヤバいだろ?
でもって、連中からの『上納金』ってのは、お前、お偉いさんや政治将校殿にとっちゃ、アラスカ復帰の運動資金だしな・・・」

「う・・・」

「なぁに、目ぇつむってりゃ、悪い様にはならねえ、お目こぼし料ってやつさ。 俺達にもささやかな、おこぼれってな。 ヴォトカに食料、軍の配給以上に手に入る」

何て事だ―――アラスカの訓練基地や、最初に配属された観測基地に比べ、確かにここの方が給食事情は良かった。 そんなカラクリが有ったなんて・・・

「心配すんな、次の設置は2カ月後。 今度は本当に更新設置だ、クソBETAの地中震動波を見逃す事なんざ、ありゃしねえよ・・・」









2000年1月26日 2310 ペトロパヴロフスク・カムチャツキー ソ連陸軍 B(ヴェー)陸軍基地 第66独立親衛戦術機甲旅団第2大隊 『ユーク』大隊・大隊長執務室


『ユーク』大隊副官のサフラ・アリザデ大尉は、暫くぶりに安らいだ気分になっていた。帰還後処理について確認を終えた後、上官とお茶の時間を持つ事が出来たのだ。
備え付けのサモワールからティーポットを取り、まず上官のカップに注ぐ。 そして自分のカップに。 合成モノだが、自分はこの味しか知らない、だからそれで良い。
特に何をするでも無い、何か話すでも無い。 上官は読書に熱中している―――昔の、ロシア文学だ。 ここ数年で随分と解禁されたらしい、自分は興味無いが。

「―――サフラ、貴女も読んでみなさい。 教養と言うのは、身につけていて損は無いわ」

いつものセリフ、そしていつもの私の苦笑。 そしてまた、上官は読書に没頭する。 以前は、そう、7年ほど前はここにアリとファラが居た。 幼い従弟妹達が。
基地の部屋じゃ無くて、粗末ながらも慎ましやかな官舎で。 私の親兄弟は既に、BETAに殺されたが、それでもまだ叔父が―――ウゼイル叔父さんが居た。
まだ10歳にならずの私を、孤児となった私を育ててくれた、母の弟のウゼイル叔父さん。 可愛い、まだ幼子のアリとファラ。 そして・・・

(―――そして、いつもリューバ叔母さんは笑顔で、精一杯ご馳走を作ってくれた・・・)

国家を挙げての撤退戦の最中だ、それに叔父も叔母も軍人だった。 いつ命を落とすか知れない戦場で戦いながらも、幼い双子の息子・娘と、姪の私を育ててくれた。
リューバ叔母さんはベラルーシ人だけど、叔父さんが本当に大好きだった。 叔父さんもそうだ。 私は、そんな叔父さんと叔母さんを見るのが大好きだった。
けど、そんな時間は余りに短かった。 撤退に次ぐ撤退で、私達はどんどん、シベリアの奥地に移動し続けねばならなかった。 そんな時、叔父さんが戦死した。
叔父さんが戦死した直後、アリとファラが―――可愛かったあの2人が、撤退途中の大混乱の最中、預けていた軍の保育部隊がBETAの襲撃に遭い、死んでしまった。
叔母さんは、哀しみのどん底に落とされたと思う―――私は衛士育成機関で、訓練中の頃だった。 叔母さんに、何も声をかけて上げる事が出来なかった。

それから数年間、別々の部隊で戦っていた。 それが昨年、前任部隊がほぼ壊滅して、生き残った私を含む数名は、新たな大隊に転属となった。 私は大尉になっていた。
そして転属初日―――私は、死んだ叔父さんと、幼いアリとファラがそこに居ると実感した。 新しい上官は、大隊長は・・・リューバ叔母さんだったのだから!
軍も、あまりに散逸した資料が多過ぎたせいなのか。 それとも単に、姓が違うので判らなかったのか。 多分、前者だと思う。
とにかく私―――サフラ・アリザデ大尉は、リューバ・ミハイロヴナ・フュセイノヴァ少佐の副官を拝命した。 それから1年が経つ。

「・・・少佐、部下達の給食事情が好転しました。 皆、喜んでいます―――有難うございました」

「・・・サフラ、ここでは階級はいいのよ。 昔の通り、呼んで頂戴。 それと、その件については、あまり気を使わない事、いいわね?」

「・・・うん、リューバ叔母さん・・・」

―――本当に、私はリューバ叔母さんが大好きだ。 死んだ母さんの様に温かい。 だから私は戦う。
叔母さんを死なせない為に。 多くの同胞―――年下の、部隊の弟妹達を死なせない為に。









2000年1月27日 0230 ペトロパヴロフスク・カムチャツキー ソ連軍航空基地


「・・・天候が回復する?」

「本日の午後あたりから回復する見込みだと、日本軍部隊から連絡が有りました」

「助かるな、連中は気象衛星も運用している。 我が国の気象予測体制は、既に米国や日本任せの所が多いからな・・・」

「同志大尉・・・」

「おっと、今のは無しだぞ? 同志少尉。 教条主義の政治将校殿に聞かれてはな。 よし、なら今日の昼前後から偵察機を飛ばせるな。 偵察ヘリもシェリホフ湾上空に出せる」

「はい。 地中侵攻の震動派は、観測されずとの事ですので。 恐らく光線級も居ないでしょうし、いきなり奇襲を受ける確率はこれでかなり低くなります・・・」






[20952] 北嶺編 8話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/12/18 13:12
2000年1月27日 0335 カムチャツカ半島北部 ソ連軍第35軍・第27自動車化狙撃兵師団


昨夜半から、かなり風雪の勢いが増してきた。 師団主要陣地の前面に構築された警戒陣地、その中の一つであるこの陣地でも、何とか風雪を凌ぐ掩蔽壕を作って極寒を凌ぐ。
戦闘が膠着化して数日が経つ。 未だBETAの動向が判明しない以上、交替で後方陣地にて休息を取りつつ、対峙し続けねばならない。 歩兵には辛い展開となった。
この日もあと20分少々で、警戒任務の交替時間が迫っている。 申し訳程度の掩体(頭上に丸太を敷いて、その上に盛土を50cm程乗せただけだ)の背後は吹き曝しだ。
かじかむ手を防寒手袋の上からさすり、PKMS(7.62mm×54R弾使用の汎用機関銃)の銃把を握り直す。 隣で分隊の仲間が、RPKM分隊支援火器を抱き抱えている。

「・・・チキショウ、寒いな・・・」

「・・・ヴォトカは?」

「もう無い」

「やるよ、飲め。 凍え死ぬぞ」

「ん、スパシーバ」

木製の(多分手作りだろう)水筒ならぬ、『ヴォトカ入れ』を手にとって、飲み口のコルクを取り、少しだけ中身を口に含んだ。 
ドロリとした透明の液体は、喉でカッと焼ける様に熱さを感じさせ、胃に落ちてゆく。 もう一口飲む。 蓋をして、仲間に返す。
掩体の覗き部から、改めて周囲を用心深く見渡す。 真っ暗闇だ、照明弾が後方から撃ちあがっているが、風雪のお陰で余り役に立っていない。
陣地は後方に掩蔽壕を作り、そこから外に少々の露天スペースを作り、そこから更に前方に5箇所の掩体に繋がっている。
各々の掩体には、三脚架に取り付けたNSV重機関銃(12.7mm×108弾)が1丁と、PKMS汎用機関銃(7.62mm×54R弾)が3丁、配備されている。 
他にRPG-29が各々3本あり、露天スペースには2B9 82mm自動迫撃砲が1門、備え付けてあった。 それなりに火力を有する陣地だが、BETA相手には非常に心もとない。
所詮は前進・警戒陣地だ。 それに単独で戦うのではなく、隣接する同じような陣地、そして後方の主力が陣取る主陣地からの火力を得て、初めて複合的に戦える。

「チキショウ、腹も減って来た・・・」

「・・・何でだよ? 『夜食』を食ったのは4時間前だぜ?」

交替休養の際にこっそり後方の糧秣庫から『盗んできた』、合成乾肉や何やらを夜間任務時に食べる訳だ、ヴォトカと一緒に。 でないと体内でエネルギーが燃焼しない。

「食ってねえ。 カードの賭けに負けてさ。 ヴァシリーのヤツに巻き上げられた」

「またかよ・・・ 『チェラヴェークーイジオーット、トエータ、ナドーゥガ』(馬鹿は直しようが無い)」

只でさえ娯楽の無いソ連、しかも最前線。 即興のカードゲームで賭けるのは、配給のヴォトカや『夜食』が通り相場だ。

「だからよ・・・ 余りモノで良いんだ、恵んでくれ」

「あほう。 『クトー、ニェ ラボータイェット、トット、ニェ、イェスト』(働かざる者食うべからず) サボるな」

同じ壕の仲間からも、呆れた声が上がる。 この兵士の博打好きは、隊の仲間内では有名だった。 何しろ、賭けられる物は下着までも・・・

「・・・まて、前方、何か動いた」

「・・・何時方向だ?」

その瞬間、だらけた雰囲気さえあった陣地内に、緊張が走った。 隣接する掩体でも、重機を構え、汎用機関銃の銃口を左右に向けつつ、警戒を開始している。

「1時半方向・・・ オルロフの奴の、前進陣地が有る方向だ・・・」

息を顰める。 同時に他の方向へも、注意深く警戒を行う。 時間にして10数秒、確かに吹雪く音の彼方から、微かに音が聞こえた―――人の声だ。
近づいて来る。 おかしい、交替時間まではまだ、10数分ある。 それに連絡なら有線で・・・ やがて、人影が判る程度になった―――血まみれで、雪にまみれ、恐怖に強張った顔が。

「・・・た、たすけ・・・ べ、BETAが・・・」

そこまで聞こえた。 距離にして10mほど。 途端にその人影が宙に舞った、いや、持ち上げられたのだ。 真っ暗な風雪の向こうから聞こえる―――咀嚼音!

「ッ!―――アゴーン!(撃て!)」

一斉にNSV重機関銃が、PKMS汎用機関銃が、12.7mm機銃弾、7.62mm機銃弾を弾きだす。 AK-74Mアサルトライフルから5.45×39mm弾が、シャワーの様に吐き出された。
風雪の風切り音だけの世界から、重低音が鳴り響く戦場音楽の世界へ。 同時に左右数か所から、暗闇の向うに蠢く影が現れた―――小型種BETA!

「2B9! 2時方向、距離200! 叩き込め!」

「こっちも居る! 10時、180! くそう、早い! 兵士級だ!」

「撃て! 撃て!」

「本部! 本部! こちらЗ(ゼー)-125警戒陣地! BETA群発見! 小型種、100、いや、150・・・200・・・増えている! 火力支援を乞う!」

『こちら本部! 前進陣地はどうなった!?』

「馬鹿野郎! そんなモン、ここの真正面にクソBETAが来てンだ! とっくに喰い殺されている!」

2B9自動迫撃砲が、82mm迫撃砲弾を連続して発射する音が響く。 あっという間に5発弾倉を撃ち尽くし、再装填に入っている。

「とにかく急いでくれ! 座標は―――今、転送した! 2・・・いや、3方向からだ! まだ増えている! 何時までも、保つもんじゃない!」

『こちら本部、了解した! しっかり壕に入っていろ! 榴弾砲の支援砲撃を行う! あと5分、持ち堪えるんだ!』

「了解!―――クソッたれ! 5分、保つのか・・・!?」

重機が腹に響く重低音と共に、小型種BETAを真っ二つに引き裂いている。 汎用機関銃が数丁で火綱を作り、キル・ゾーンに侵入した動きの速い兵士級を数体、纏めて撃ち倒す。

「とにかく、陣地前のクソBETA共を始末するんだ! 無理に攻撃範囲を広げるな、隣の陣地に任せろ! 火綱の密度が薄くなる!」

「弾を持って来い! 誰か、弾を!」

「2時、距離30! 10体来るぞ!」

「ボリス! ボリス! 11時方向の奴を殺ってくれ! こっちは反対方向で手が一杯だ!」

「迫撃砲! まだか!?」

迫撃砲弾が炸裂する度、数体の小型種BETAが千切れ、吹き飛んで行く。 そしてその後から、後から、湧き出る様に現れる異星起源種―――重機が火を噴き続けた。

「・・・よし、やれる! このまま、陣地同士のキル・ゾーンを維持していりゃ、連中を・・・!」

皆がそう思ったその時、暗闇の向こうで蠢く塊の中から、一回り大きな蠢く『何か』を発見した。 大きさは小型トラック程も有る。
その大きな塊が、無数に、それも密集してじわじわと近付いて来る。 最初に近づいたのは、重機関銃の射手だった。 彼はこの陣地では最古参の兵士だった。

「・・・やっぱり。 小型種だけでも、おかしいと思ったんだ・・・どうして、こいつらが先頭集団に居るんだ・・・?」

次の瞬間、重機関銃の射手はその大きな蠢きに向け、12.7mm機銃弾をありったけ撃ち込みながら、絶叫するように叫んだ。

「―――RPG! 真正面、戦車級だ! 出やがった! RPGを叩き込め!」



2000年1月27日未明、カムチャツカ半島北部戦域で、多数の前進・警戒陣地が破られた。 BETA群の侵入数、不明―――。









2000年1月27日 0425 カムチャツカ半島北部・コルフ 日本帝国海軍聯合陸戦第4師団


「回せー! 緊急起動をかけろ!」

「第41、第42戦術機甲戦闘団(連隊相当)、全機緊急発進だ、急げ!」

「第43戦術機甲戦闘団のオーバーホール作業は中止! 至急、元に戻せ!―――1時間!? 30分でやれ!」

「推進剤タンク車、コネクタ接続完了!」

「外部電源車輌、急げ!」

コルフに臨時の仮設基地を設営している聯合陸戦第4師団は、今は蜂の巣をつついた喧騒の最中に有った。
ただし、舞鶴での壊滅戦を何とか生き残った古強者や、第1、第2、第3聯合陸戦師団からの転属者も多い事も有り、パニックには至っていない。 むしろ・・・

「第401から第403戦術機甲戦闘隊(大隊相当)、全機発進準備完了した!」

「第404、第405、第406戦術機甲戦闘隊、発進準備完了まであと、15分!」

「第407から第409戦術機甲戦闘隊、外装チェック完了! 燃料・推進剤注入開始! 兵装確認開始!」

手際の良さは、真夜中の師団全力出撃が命令されたにしては、異様に手際が良い。 下命から僅か10分後には、3個戦闘隊(大隊)の出撃準備が整った。

≪司令部より第401、第402、第403戦術機甲戦闘隊指揮官。 BETAの動向は未確認なれど、パレンからマニルイ方面を主侵攻路に突破した模様。
なお、ソ連軍第35軍司令部より緊急要請、ベンジナ湾西岸、タイゴノス半島よりBETA群が襲来の模様。 これをソ連軍3個師団、2個戦術機甲旅団と共に、殲滅要請有り≫

―――動向不明。 BETA群の数量不明。 その上で、侵攻して来た群れの殲滅要請。 難しいな、情報がこれだけでは。

ハンガー脇のピスト(衛士待機所)で、師団本部からの命令を受けた白根斐乃中佐は、腕組みで押し上げられた豊満な胸を微かに上下させ、少し溜息をついた。
次の瞬間、閉じた目を見開いて主だった部下達を見据える。 第1中隊長・鴛淵貴那大尉、第2中隊長・大野竹義大尉、第3中隊長・菅野直海大尉。
中佐の脇には指揮小隊指揮官で、戦闘隊最先任中尉の久納好季中尉が控える。 彼女はそれら歴戦の部下達を見回し、静かに言った。

「―――これ以上の南下は、絶対に阻止する。 帝国海軍聯合陸戦師団の名にかけて」




次々に戦術機が―――聯合陸戦第4師団第41戦術機甲戦闘団に属する、3個戦術機甲戦闘隊の96式『流星』が120機、跳躍ユニットから轟音と発光炎を輝かせ、飛び立ってゆく。
師団の先陣は常に第41戦術機甲戦闘団が務める。 この部隊のみ、3個戦術機甲戦闘隊全てが、96式『流星(AB-17A)』を配備されていたからだ。
他の第42、第43戦術機甲戦闘団は、1個戦術機甲戦闘隊だけが96式『流星』装備で有り、残り2個戦術機甲戦闘団は未だ、84式戦術歩行戦術機 『翔鶴』装備だった。
96年の制式採用以降、国外に生産工場を移転したメーカーの努力も有って、順調な生産配備を続ける96式ではあるが、如何せん必要機数が多い。
特に母艦戦術機甲部隊再建の為、AB-17B(戦域制圧機型)の生産が優先された事も影響していた。 AB-17A(近接戦闘機型)は第1聯合陸戦師団さえ、全定数を満たしていない。
自然と84式『翔鶴』の性能向上型(陸軍の『撃震』のノウハウを取り込んだ、陸戦高機動型)に数的主力を依存せねばならかなった。
1999年末に至って、ようやく河西航空、石河嶋重工、九州航空、愛知飛空の生産4社がインドネシア、ニューギニアに移転させた全工場のフル生産体制が整った所だった。
今までは東北地方の太平洋岸の工場群と、日本帝国信託統治領の北マリアナ―――サイパンの工場で、辛うじて生産を続けていた。 


未明の真っ暗やみの中での、高速NOE。 LANTIRN(夜間低高度赤外線航法・目標指示システム)が作動しているとは言え、生半な腕前の衛士では出来ない。
未だこのカムチャツカ・シベリア戦線で光線属種が確認されていないとはいえ、それを鵜呑みにして高度を上げ過ぎるのは、愚の骨頂。 制限高度は150mだ。

『―――ブラックナイトよりウンディーネ、ポセイドン。 ベクター2-8-5からポイント・デルタで3-3-0に変針。 15分後に会敵予定』

第41戦術機甲戦闘団で、先任戦闘隊長を務める第402戦術機甲戦闘隊長の小福田巳継中佐(海兵105期)から、進撃針路決定の通信が入った。
白根中佐は即座に転送されたデータを、戦術指揮管制システムで網膜スクリーンに呼び出す。 コルフから北西に進出、山間部を出た辺りで一気に北上する。

『・・・丁度、タイゴノス半島から渡って来たBETA群の横腹を突く、ですな』

僚隊である第403戦術機甲戦闘隊長・垂井亮少佐(海兵113期)が情報を確認し、納得した様に頷いた。 白根中佐も無言で頷く。
元より、戦闘団の戦場での総指揮は小福田中佐が執る。 中佐は海兵105期で最先任指揮官。 白根中佐は111期、垂井中佐は113期で白根中佐の2期下だ。

『そうだ。 さっき師団本部から最新情報が入った。 マニルイのソ連軍第27自動車化狙撃兵師団は全滅。 第79戦車師団も甚大な損害を受け、撤退中だ。
現在は第39自動車化狙撃兵師団、第129狙撃兵師団、それと第90戦車師団が第2次防衛線を構築して防戦中だ。 ソ連軍第64、第70独立戦術機甲旅団が支援に入った』

戦術機部隊が居なかったとは言え、自動車化狙撃兵師団1個が全滅―――文字通りの全滅だろう―――そして戦車1個師団が撤退を余儀なくされる程の損害を出した。

「・・・どうも、不意打ちだったようですが・・・ それでも2個師団が壊滅とは。 BETA群の数は1万やそこらでは、利かなさそうですね? 小福田中佐」

果たして今のソ連軍に―――第35軍に、BETAを押し止める事が出来るかな? 
白根中佐は胸中でそう案じた。 何せ、第35軍の数的主力は歩兵と戦車部隊だ。

『ああ、そうだ、白根君。 想定で2万前後、師団規模を上回る数のBETA群が、カムチャツカ北部に殺到して来たらしい。 
戦場からの通信は大混乱だ、正確な情報は未だつかめていないが、もしそうだとしたら2個師団では、とてもな・・・』

防ぎきれない、定数割れを起こした2個師団だけでは。 せめて戦術機甲部隊の1個連隊でも有れば、もう少しマシな数を撤退させられたのだろうが・・・
推進剤を節約する為に、巡航速度でNOEを続ける事、数10分。 ようやく変針点が近づいた。 ここから先、10数分でBETA共との楽しいダンスの時間が始まる。
後続情報では第42、第43戦術機甲戦闘団も、全機が全力出撃を済ませた。 おっつけ合流する事だろう。 ならば我々は、その露払い役をせねば。

「―――ウンディーネ・リーダーより各中隊! 気を引き締めろ、そろそろ楽しいダンスの時間だ! 舞台から弾き出される事は許さん、いいな!?」

『『『―――了解!』』』

3人の中隊長から、異口同音の声が返って来た。 宜しい、やってやろうじゃないの―――何機かは確実に喰われる、それは甘んじて受け入れよう。

やがて変針点。 機体を傾け、北上するコースに乗せる。 あと10分少々で戦場を視認できる筈だった。

ならばその、死にゆく部下達の命に見合った戦果を。 彼らの死に、意味を。 もしかしたら、死に意味は無いかもしれない。 でも、それでも・・・

やがて、海岸線付近が目視できた。 暗視視界に映る、黒々とした塊が海岸線一帯にうねっている。 内陸からは曳光弾が無数に海岸に向けて撃ち出されている。
数秒進出しただけで、様相がはっきりした。 隙間も見えない程、密集した異形の群れ。 所々光って見えるのは、連中の認識器官が放つ鈍い光か。
それが―――数キロに渡って続いている。 陸上では撃破され、炎上している機体や車輌が所々で見えた。 どうやら苦戦中らしい。

『ブラックナイトよりウンディーネ、ポセイドン、所定の攻撃ポイントに移れ。 以後、各隊戦闘自由』

「ウンディーネ、了解―――リーダーよりウンディーネ全機! 突入! 突入! 突入! 攻撃、開始せよ!」

指揮官の声に呼応するように、各中隊の制圧支援機から一斉に多数の誘導弾が発射された。 真っ暗な世界に、噴射炎を吐き出しながらBETA群に向かって飛び去って行く。
暗視界故に、一層の事BETA群の幅が大きく、広く感じられる。 まるで無限の広がりを見せる、果てもなく密集する無数のBETAが、そこに居る気がした。










2000年1月27日 0450 カムチャツカ半島沖 ベーリング海・カラギン湾 帝国海軍第2艦隊 第6航戦旗艦・戦術機母艦『飛鷹』


真冬、悪天候、夜間の洋上を、大波を上甲板にまで被りながら突き進む艦隊。 その中の1隻、『飛鷹』の艦内は陸上からの緊急信を受け、第1級戦闘配置に入っていた。
その中で比較的動きの無い部署―――本来なら攻撃力の主役となるべき戦術機甲部隊では、天候回復待ちで待機状態の筈の衛士達が、指揮官室に押し掛けていた。

「隊長! 出撃許可を!」

「4師(聯合陸戦第4師団)までが、全力出撃する有様です! 我々も制圧支援出撃を! 中佐!」

「国連軍(第58戦術機甲師団・大東亜連合軍派遣)も、先程全力出撃を下命しました! 半島付け根の防衛ラインは、ソ連軍3個師団の他は、陸戦隊と国連軍の2個師団だけです!」

「2戦隊(戦艦『駿河』、『遠江』)、5戦隊(戦艦『出雲』、『加賀』)が制圧砲撃任務の為に、分離しました。 しかし、精密支援で母艦戦術機部隊に勝るものは有りません。
どうか、中佐。 戦隊司令部にもう一度・・・! 出撃の許可を! 陸上がそう何時までも保つとは思えません・・・!」

口々に、出撃許可を求める部下達を前に、『飛鷹』戦術機甲隊長の長嶺公子中佐は、仏頂面で素っ気なく答えた。

「―――不許可!」

「隊長!」

「不許可と言ったら、不許可だ! 貴様ら、餓鬼じゃあるまいし、何ださっきから、ピーチク、パーチクと!」

凄味を利かせて部下達を怒鳴りつける。 だが彼女の部下達も、伊達に戦場で揉まれて来た衛士達では無い。 それこそ、長嶺中佐が仕込んできた連中だ。
それに実際のところ、母艦部隊の瞬間面制圧能力はこう言った状況でこそ、その真価を発揮する。 まさに『出番』は今なのだ。
1人の士官が、黙って中佐の前に出てきた。 それまで比較的静かにしていた、先任中隊長の鈴木裕三郎大尉だ。 騒いでいた連中が、一斉に押し黙る。

「中佐。 陸は地獄の大釜と思われます。 そして今まで光線属種が確認されなかったとはいえ、こちらの都合に合わせてくれないのが、BETAです。
2戦隊と5戦隊、もしかすると真っ向からの『撃ち合い』になるかもしれません。 聯合陸戦第4師団も、恐らく防衛戦の主力を担う事になるが故に、被害も大きくなる可能性が。
何とかならんでしょうか? 司令官へ今一度、出撃許可の要請を・・・ みな、戦友を気遣っての事です」

「・・・不許可だよ」

「―――中佐・・・!」

一瞬、長嶺中佐と鈴木大尉の間に、火花が飛んだ気がした。 両者が静かに向き合うその場に、今度は新たに2人目の人物が間に入って来た。
大尉の次席、通称『トンちゃん』こと、加藤瞬大尉がその愛称の由来となった福々しい顔、そして衛士としてその体形は? と思える恰幅の良い体を揺すりながら、両者の間に入る。

「ま、ま、中佐も、鈴木も、そう尖がらずに、ね? どうせこの悪天候じゃ、発艦作業なんて無理なんだし」

加藤大尉は寧ろ、海兵同期の鈴木大尉を押さえる様な恰好で、穏やかにそう言う。 同時に、周囲に気付かれない様に、鈴木大尉に目配せをする。
充分押しただろう? 次は引けよ、引く演技だ、鈴木―――加藤大尉の口が、無言でそう言っていた。 鈴木大尉も、それを見逃さなかった。
そして今度は、長嶺中佐をちらりと見る。 中佐は―――仏帳面を崩さず、『演技』を続けている。 案外、本気かもしれないな、だとしたらそろそろ、潮時だろう。

「・・・この天候で貴様ら、母艦からの発艦が出来ると思うか?」

長嶺中佐がムスッとした声で言う。 そのセリフに、中堅以下の若手士官たちが思わず怯む様子を見せた。

「しかも、海上は陸上以上に暴風雨が吹き荒れている。 如何に慣性飛行システムが有ろうと、最後は個人の技量次第だ。 
この中で、夜間の荒れた天候で飛べる『技量A』は何名居る? 私は部下の技量評価には、色眼鏡で見た事は一切無い。 精々、10名と少しだ、そんな腕っこきは」

実際、陸上上空に差し掛かれば、聯合陸戦第4師団の例に漏れず、NOE飛行で(有る程度の高度を取って)の進撃は可能だろう。 その程度の技量は、全員に叩き込んだ。
だが洋上飛行はまた別だ。 悪天候、低気圧の影響は陸上より余程、凄まじい。 突風に機体バランスを崩して、嵐の海に突っ込む機体が続出する事は目に見えている。

「それ以上に難しいのは、着艦だ。 夜間、風雪の激しい悪天候、艦は大波で不規則なヨーイングとピッチングを繰り返している―――私でも、無理だ」

『技量特A』―――海軍衛士として、頭抜けた技量を誇る長嶺中佐自身、『無理』だと言う様な悪条件。 大半の衛士は着艦事故を起こす事だろう。
恐らく発艦時と洋上での事故、攻撃時の損失と(光線級はいないが、それを見込んだとして)、最後は着艦時の損失。 確実に、最低でも7割から8割は失う。

「私は、貴様達をそんな馬鹿げた事で喪うつもりは無い。 貴様達一人、一人をここまで育てるのに掛った国民の血税と、海軍が費やした手間暇。
考えた事は有るのか? 貴様達の命は、貴様達のモノでは無い。 全て皇帝陛下と帝国、そして国民の為のモノだ―――好きに死なせは、せんぞ」

そこまで言って押し黙った長嶺中佐を見て、同期生から『演技』を促された鈴木大尉が、一歩引いて頭を下げる。

「―――申し訳有りませんでした、中佐。 再建為った母艦戦術機甲部隊、BETAへの恨み、つらみを叩き込むまでは、無為に死ぬ訳には参りません・・・」

要するに、血気盛んな若手の中少尉達を押さえるのに、中佐と大尉達が一芝居打った、そう言う事だった。
最後に、長嶺中佐の副官を務める宮部雪子大尉と、後任中隊長を務める森岡寛治大尉が、背後の若手士官たちを見回し、解散を命じた。
大尉の中で『強硬派』だった先任中隊長の鈴木大尉が折れた以上、彼らに『勝ち目』は無い。 それに冷静に考えれば、若手衛士達で上官より技量の勝る者も居ない。
すごすごと指揮官室を退出して行く部下達の後ろ姿を見ながら、加藤大尉が大仰に肩を竦めて言った。

「やれやれ、若い連中は直ぐに頭に血が上る・・・」

「・・・加藤さん、まだ20代半ば過ぎでしょう?」

「もう、だよ。 衛士としちゃ、もう『若手』でもないよ」

階級的にも、戦術機に乗れるのは少佐か、精々中佐辺りまでだ。 それ以降は生きていれば確実に、他の役職―――飛行長や戦隊参謀職が回ってくる。
30代も半ばを過ぎれば、そろそろ衛士としては『定年』が近づいて来るのだ。 経験は何より豊富だが、体力、気力、持久力で若い部下達に及ばなくなって来る。

「・・・まあ、加藤さんの年は置いておいて」

「・・・何だよ? 君とは2期しか違わないじゃないか、森岡君よ」

その隣で小さく溜息をつきながら、宮部大尉がこぼす。 彼女は鈴木・加藤両大尉の1期下、森岡大尉の1期上だった。

「2期違えば充分・・・それよりこの悪天候です。 艦隊気象班の予報では、今日の昼過ぎより収まるそうですが・・・」

「それでもまだ、まる半日かかる、か」

演技?を終えた鈴木大尉も、難しい顔で脳裏に戦況図を展開させて考え込む。 今の戦場は、カムチャツカ半島の北部。 ソ連軍第35軍の防衛戦区だ。
既に2個師団が壊滅・全滅し、今は3個師団に日本海軍聯合陸戦第4師団、国連軍第58師団の5個師団が主力となり、砲兵・ロケット旅団が4個旅団、支援を行っている。
戦術機甲部隊は、ソ連軍の2個旅団と聯合陸戦師団の3個戦闘団(連隊相当)、国連軍の1個連隊。 ソ連軍戦術機甲旅団は、3個大隊編成だから、都合5個連隊。
侵攻して来たBETAの数にもよるが、安心できる戦力では無い。 それに他のBETA群の動向が知れぬ以上、同じカムチャツカのソ連軍第5親衛軍は防衛戦区を動けない。
第35軍総予備の1個自動車化狙撃兵師団、砲兵・ロケット各1個旅団と、1個戦術機甲旅団は最後の『保険』であると同時に、半島南部第42軍との連携が必要だ。

「・・・聯合陸戦師団は、陸軍2個師団相当の戦力を持っている。 そうむざむざと、やられる事は無いけどね・・・」

天井を走る配管を見つめながら呟いた長嶺中佐は、『ま、天候が回復次第、全力出撃有るのみ』と言って、部下達を退室させた。
それから暫く、無言で考え事をしていた。 いかに普段は破天荒な『イケイケ』な部隊長でも、それだけで中佐の戦闘隊長を任される程、海軍は馬鹿でもお人好しでも無い。
陽気に見える長嶺中佐の内面は、至って冷静に彼我の状況を比較分析し、損失の見積もりを弾きだし、そして戦果を挙げるか。 冷酷なまでの計算が出来ねば、務まらないのだ。

(・・・少なくとも、あと半日は、出撃は無理。 それでも気象条件は厳しい、せめて昼間の安定した時間で攻撃したい。 でなくば、何機かは確実に海に突っ込む・・・)

それまでは、何としても陸上部隊に頑張って貰わなくては。 部下の育成にかかった手間暇と、海軍の期待値。 そして個人的な感情を天秤にかけ、中佐は前者を取った。

(・・・だから、ゴメン、白根。 私はまだ、そこに行けないや・・・)










2000年1月27日 0550 カムチャツカ半島 ペトロパヴロフスク・カムチャツキー Г(ゲー)-05基地


「・・・この様に、全般状況は芳しくない。 帝国海軍聯合陸戦第4師団、国連軍第58師団が戦線を支えているが、ソ連軍は既に2個師団を失っている。
防衛ラインの戦力は、帝国・ソ連・国連を合せ5個師団、砲兵旅団とロケット旅団が各2個旅団、それに戦術機部隊が2個旅団。
対して、現在までの威力偵察、戦闘状況から推測出来るBETA群の数は約2万、師団規模を上回った。 5個師団で抑え込めるか、微妙な所だ」

帝国軍遣蘇派遣旅団、国連軍先遣戦闘団合同の作戦会議。 空気は宜しく無い。 何せ、叩き起こされて聞かされた第一報が、『ソ連軍師団の壊滅』なのだから。
もっとも、その報に恐怖する程、上品な根性を持つ連中もいない。 皆が皆、長年戦場で戦ってきた古強者達だ。 もっと酷い戦況、もっと酷い負け戦は、幾らでも経験した。

「現在、国連軍を中心に戦線の再構築を検討中だ。 アナディリ前面から姿を消したBETA群の動向が判明次第、シベリアのソ連軍第41軍から増援が南下してくる。
カムチャツカの第42軍もまた、レスナヤから1個師団と、戦術機甲1個旅団を北上させる決定を下した。 抜けた穴は―――言わずもがな、だな」

あちこちで失笑が起こる。 その為に我々が派遣されているのだから。 それにソ連軍の1個師団は元々、第35軍から抽出されてきた部隊だ。 始めから居なかったと思えば・・・
それにこちらも、増援が到着した。 昨日26日に、国連軍の追加増強部隊が揚陸されたのだ。 戦車2個大隊に自走砲2個大隊、機械化歩兵装甲2個大隊だ。
これで帝国軍遣蘇旅団・国連軍先遣戦闘団の正面戦力は、戦術機6個大隊、戦車4個大隊に砲兵3個大隊、機械化歩兵装甲3個大隊。 1個重戦術機甲師団に匹敵する。
帝国軍上層部と国連軍北極海方面総軍との協議の結果、国連軍先遣戦闘団は(増援部隊を含め)帝国陸軍の都築准将が指揮を執る事になった。
国連軍派遣戦闘団司令・周中佐は同時に、合同混成・増強旅団戦闘団『都築兵団』の戦術機甲部隊司令・兼・高級参謀に横滑りとなった。
この他に支援部隊を帝国軍から1個連隊、国連軍から1個大隊をその編制内に入れる。 もはや『旅団戦闘団』の域を越しているな、本当に。 参謀長の説明が続く。

「ソ連軍の部隊編成は、比較的小型だ。 1個師団に1個戦術機甲旅団が抜けても、我々はそれを補って十分、お釣りがくる戦力だ。
当面はЦ-04前進補給基地に再進出する。 向うで第18親衛狙撃兵師団(ペトロパヴロフスク・カムチャツキーより抽出)、第66独立親衛戦術機甲旅団と共に、防衛に当る」

レスナヤの第78独立親衛戦術機甲旅団が北部戦域に抽出された為、今残っているソ連軍戦術機部隊は第66親衛と、第336の2個戦術機甲旅団だけだ。
歩兵部隊はレスナヤの第73自動車化狙撃師団と、パラナの第189自動車化狙撃兵旅団。 戦車旅団と砲兵旅団、ロケット旅団が、各2個旅団ずつ。
北部戦線が安定しない訳だ。 残るBETAの動向がはっきりしない以上、南部の第42軍も動かせる戦力に限りが有る。 
これ以上割くと、本当にBETA侵攻が発生した時、防衛戦力が枯渇する事態になる。 増援を北に送りたくとも、送れないのだ―――広く、薄く張り付けている現状では。

「では、次に戦闘部署に付いて説明する。 主力の戦術機部隊、これは戦闘団を結成し、総指揮を周中佐にお願いする・・・」

団司令・周蘇紅中佐の元、第1部隊が趙美鳳少佐、それに俺と圭介。 第2部隊は大東亜連合(ベトナム軍)のグエン・フォク・アン少佐と、棚倉に伊庭。
戦車隊の先任指揮官は元長中佐で、その下に3個大隊の大隊長達がいる。 こちらは多分、兵団本部の直接命令で各個が独立し、有機的に連動して動く事だろう。
砲兵部隊は先任の大野大輔中佐が指揮を執る。 機械化歩兵装甲部隊は、国連軍(統一中華・台湾軍)の徐文龍中佐が指揮官となった。
今回はЦ-04前進補給基地。 南部西岸の防衛ラインにより近い基地だ。 それ以北のЦ-02やЦ-03では遠過ぎて、戦車や砲兵、機械化歩兵装甲部隊が間に合わない。

出撃は20分後。 既に全部隊、準備は完了している。 後は時間を待つばかりだ。

ブリーフィングを終了し、大隊が間借りする建物へと戻る途中、呼び止められた。 美鳳だった、隣に圭介も居る。

「直衛、圭介、今回は場合によっては途中から、緊急発進が有るかもしれないわ。 手順の確認、いいかしら?」

「ん? ああ、いいよ、美鳳」

「余り時間も無いぞ? どこでやる?」

出撃まであと20分を切った。 お互い、指揮部隊の最終確認を、しなければならないからな。

「時間はとらせないわ、基本的な役割分担ね。 突撃部隊、強襲支援部隊、後衛・側面支援部隊。 大まかだけれど、その辺を」

―――要は、何はともあれ至急戦場に、と言う場面で、大まかな最初の役割をと言う所か。 本来ならばそれに見合った機体特性の部隊で、振り分ければいいのだろうが・・・

「・・・92式弐型も、殲撃10型も、元々の原型機は同じ。 開発コンセプトも、似たり寄ったり。 機種で振り分けるのは、ちょっとな」

「となると、最後は指揮官の特性か?―――直衛、お前、突撃部隊決定な」

「決定かよ? じゃあ圭介、お前のトコは強襲支援な。 で、美鳳のトコは後衛・側面阻止担当で」

「・・・昔と全然、変わらないじゃない・・・」

―――美鳳の溜息をつく表情が、案外可愛い。 国連軍時代は『年上のお姉さま』だった彼女だが、今ではようやく、同じ目線で相手を見れる様になった気がする。

「適材適所。 何だかんだ言って、俺はその役目だと思うよ」

「俺は、こいつの手綱引き役。 ったく、訓練校入校前のガキの頃から、変わらねえな・・・」

俺と圭介の言葉に、美鳳が苦笑する。 それこそ昔、欧州で戦っていた頃、そのままだ。

「ま、決定でもなければ、固定でもないだろうし。 戦況次第だろう? その辺はお互い、やり方も知っている者同士だ。 そう構えずに行こうや」

圭介のその言葉で美鳳も納得したか、軽く頷いた。 彼女なりに先任指揮官として責任を感じている故だろうが、過敏に過ぎるのも良くないと思うな。

「でも、第2部隊はどうかしら? 私は直衛と圭介だから、勝手知ったる、だけれど。 でもグエン少佐は、インドシナやクラ海峡防衛のベテランだけれど・・・
ほら、そちらの棚倉大尉や伊庭大尉とは初見だし。 いざという時にはどうかしら? やっぱり司令に話して、日本軍は4大隊纏めて貰った方が・・・」

美鳳の言葉に、ちょっと考える。 俺達は勝手知ったる美鳳が相手だから、今更コンビネーションがどうとか、そんな心配はしていない。 
が、第2部隊は帝国側と国連側は、確かに初見だ。 だが棚倉にしても、伊庭にしても、あいつらだって大陸派遣軍の生き残りだ。 
俺や圭介と同様、訓練校を卒業後すぐに、大陸の戦場に放り出された『テストケース組』で生き残った、数少ない同期だ。 だから早々、下手は打たないと思う。 
確かにグエン少佐とは今回が初見だ。 お互いの性格も、指揮スタイルも、全く判っていない者同士だ。 美鳳の心配も解らないではなかったが・・・

「大丈夫だろう、棚倉も伊庭も、事前にグエン少佐に色々と打診してみる、そう言っていた。 それに元々、大東亜連合はアジア諸国の集まりだ。
急造チームで戦う事は日常茶飯事だろうし、棚倉も伊庭も、大陸や半島では中国軍や韓国軍と、即席チームを組んだ経験が有る連中だし。 大丈夫だろう」

「そう・・・そうね、お互いベテランなのだし、その辺は大丈夫よね、きっと」

「な? 大丈夫だろう? 心配する事は無いさ―――過剰な心配は、戦場ではご法度だぜ、美鳳。 美女に死なれるのは、人類の損失だしな?」

それまで真面目な、神妙な表情の美鳳に、横から圭介が茶々を入れて話しかけた。 表情は―――国連時代、こんな表情を良くしてやがったな。 女性将兵を口説く時に!
思い出した。 ファビオに次いで、裏で女性を口説く事が多かったのは、この馬鹿野郎だ。 俺が散々、言われている裏でこの野郎は・・・思い出すだけで、腹が立ってきた。

「あら? 圭介。 貴方、随分と守備範囲が広がったのね? 昔、小耳に挟んだ限りでは、私やニコールは好みじゃない、って聞いたわよ?」

ようやく調子を取り戻したか、美鳳がクスクス笑いながら言う。 そう言えば、コイツの嫁さんは美鳳とは全くタイプが違う。 どっちかと言うと、翠華に似ている・・・と思う。

「誰がそんな、根も葉もない話を? 美人は大歓迎」

「・・・戻ったら、お前の嫁さんに言ってやろう・・・」

「・・・指揮小隊の部下と、良い雰囲気の野郎が何を言っているんだか。 バラしてやるぞ、お前の嫁さんに」

「・・・それこそ、根も葉もない噂話だ。 こっちも迷惑している」

―――誰だ? あんな馬鹿話を広めた奴は? 見つけ次第、シメてやる・・・ そう思った時、背後から足音が近づいてきた。
振り返ると、帝国軍の若い女性士官が1人。 俺を見つけ、足早に寄って来て敬礼する。 俺の直属部下の1人だった。

「大隊長、全機、出撃準備完了しております。 大隊総員、準備よし」

―――間の悪い時に・・・

圭介の馬鹿は、ニヤニヤしながら自分の大隊に戻って行った。 あの野郎、今まで散々、自分の悪行で弄られた意趣返しだ、絶対に! 美鳳はと言うと・・・

「―――可愛らしい部下ね。 死なせない様に、しっかり守ってあげなさい?」

そう言って、こっちも笑って自分の大隊に戻って行った。 畜生、完全に誤解している。 圭介は兎も角、美鳳は天然な所が有る。 これはマズイぞ、嫁の耳に入りでもしたら・・・
後に残されたのは、憮然とした俺と、事態が掴めずキョトンした表情の部下―――副官の遠野中尉だった。 まあ―――確かにお淑やかな美人なのだが。

「あの、大隊長? 趙少佐と、長門大尉は一体、何のお話を・・・?」

しかし勘違いするな! まったく、勘違いするな! こいつは、遠野のこの態度は―――天然なのだ、遠野の場合は! まったく!

「―――気にするな、何でも無い。 それより忙しくなるぞ、これからは」

「BETAの動向は、まだ判明しておりませんが・・・?」

「―――勘だ」





『―――あ、大隊長が戻って来た。 遠野中尉も一緒だよ』

『―――なんか、絵になるよね~』

『―――まあねー、美竹少尉も言っているけど、結構渋い良い男、な感じだし? 大隊長って。 遠野中尉はお淑やかな美人だし』

『―――ね? そう思うでしょ? 千夏?』

『―――好きよね~、慶子ってその手の話! でも噂じゃ愛妻家だってさ、大隊長って』

『―――判んないよ~? 特に戦場じゃ・・・って、先任達が言っていたよ?』

『―――秘めたる略奪愛、ってやつ? 遠野中尉のキャラじゃ無い気もするけどね~?』

『―――その意外性が、いいんだってば!』

『・・・お前ら、懲りねえな。 あの大隊長を、そんな噂話のネタにするなんて・・・』

『・・・本気で尊敬する。 その怖いもの知らずさには・・・』

『―――半村ぁ、槇島ぁ、男ってのは、いざって時に情けないなぁ~?』

『―――やっぱり萌えるよ、うん!』










2000年1月27日 0755 カムチャツカ半島 ソ連軍Ц-04前進補給基地 観測ルーム


「・・・何だ? この震動?」

「地震か?」

環太平洋火山帯に属するカムチャツカ半島は、この300年で50回もの大爆発を起こしたクリュチェフスカヤ山(4,835m)の他、多くの火山を抱え火山活動が活発な地域だ。
それと同時に巨大造山帯で有るが故に、地震活動もかなり活発な地域だ。 実際に1952年にはM9.0もの巨大地震が発生し、クリュチェフスカヤ山は毎年噴火を繰り返している。

「いや、違う・・・これって・・・」

「・・・まさか!」

「地中侵攻か!? センサーは!?」

明らかに地震波とは異なる、徐々に近づいて来るような、徐々に大きくなって来るような、そんな連続した震動が、観測ルームを襲ってきた。
地中震動波観測チームの要員が、大慌てでディスプレイに飛びつく。 おかしい、先程まで全くそんな兆候は無かったのに!

「第1から第8、第9、第12は検知せず! 第10、第11、第16から第25まで無応答! ・・・くそっ! 第26から第28が検知した! 異常震源複数! 移動している!」

「震源、深度が浅くなっている!―――波形照合! BETAだ、推定数・・・1万以上!」

「無応答だと? ・・・畜生! この間の『取引分』で欠落している場所か! Ц-03との中間地点! あの辺にはまだ、部隊は展開していないぞ!?」

「今更、ンな事はどうでも良い! コード991だ! 本部! こちら観測班! 基地北東、距離50km! Ц-03との中間地点に、師団規模BETA群の地中侵攻です!」

針路は―――最悪だった、BETAの針路を真っすぐ伸ばした先に、ペトロパヴロフスク・カムチャツキーが存在していた。









2000年1月27日 0825 カムチャツカ半島南部 ガナリ北方20km(ミリコヴォ南南東140km、474号線上)


「戦術機、全機を起動させろ!」

「外部電源車! コネクタ? OK? よし!」

「兵装の最終確認、急げ!」

「各機、機付長は機体準備完了後、速やかに報告せよ!」

風雪が吹雪く野外の公道上で、大部隊が路上停止して戦術機部隊の緊急発進作業を急ピッチで進めている。 戦術機トレーラーから機体が次々降ろされ、起動して行く。
兵団司令部に緊急信が入電したのが10分前。 狭い山間部を行動していた為、直ぐに出撃作業にかかる事が出来ず、5分前にようやく広さを確保出来る原野に到達した。
輸送隊、整備隊、兵器管理隊の将兵が大急ぎで作業に取り掛かり、5分後には大方の発進準備が整った事は、称賛に値する練度の高さだ。

野戦指揮管制車輌(中型セミトレーラーに通信機材を満載したコンテナを搭載。 大型部隊の移動司令部)の前に各級指揮官が集合している。 参謀長が状況を説明していた。

「先程、緊急信が入った。 Ц-03とЦ-04との中間地点、北東距離50kmに師団規模BETA群の地中侵攻が発生した」

参謀長のその一言に、各指揮官から失望の声が上がる。 距離50km、そこまで接近されない事には、地中侵攻の兆候さえ掴めない友軍に対して。

「―――色々と言いたい事は有るだろうが、それは後回しだ。 BETA出現地点はカムチャツカ地区最終防衛線の15km手前だ。
そこから真南に300kmも進めば、ペトロパヴロフスク・カムチャツキーだ―――人類はユーラシア北東部を失う事になる、アラスカが最前線と化す」

BETA出現地点から、カムチャツカ地区最終防衛線を抜ければ、それより南にはまともな地上防衛戦力は存在しない。
ペトロパヴロフスク・カムチャツキーまで陥落すれば、防衛バランスが崩れてシベリアのアナディリも、早期に陥落だろう。

「現在、Ц-03とЦ-04の基地防衛隊が全力で対応中だ―――基地を何とか守り、閉じ籠る為にな。 各々戦術機2個中隊と戦車2個中隊、砲兵と機械化歩兵装甲部隊が少々。
ソ連軍第42軍の北への増援は見送りだ、反対に第73自動車化狙撃師団、第551戦車旅団、第78独立親衛戦術機甲旅団が、レスナヤから急派されて移動中だ。
戦術機部隊を除く、ソ連軍各部隊の到達は、あと3時間後。 我々とほぼ同時刻だ、今日の昼前にはミリコヴォ周辺に到達する」

参謀長の言葉に、戦術機甲戦闘団司令・周蘇紅中佐の表情が微かに曇った。 それまでは戦術機部隊単独で、友軍への支援を行わねばならない。

「現在の友軍防衛戦力は、先程話した通り2基地の基地防衛隊の他に第189自動車化狙撃兵旅団、第208戦車旅団、砲兵・ロケット砲兵4個と第66戦術機甲旅団。
ああ、それとパラナから第336独立戦術機甲旅団が10分後に戦線に到達する。 当面は戦術機甲旅団2個―――実質、3個戦術機甲大隊規模の戦力だ」

レスナヤから発進した第78独立親衛戦術機甲旅団とて、定数3個大隊の内の7割程度の充足率に過ぎない。 稼働率も7割―――定数の半分の戦力と帝国軍は見込んでいた。

「戦闘車両、砲兵部隊の防衛網が薄い。 従って防衛戦闘の主役は、当面の間ソ連軍4個から5個大隊に、我々の6個大隊が担う事になる―――戦闘団司令、願います」

小柄だが圧力を感じる女性将校が前に進み出た、国連軍冬季野戦服に身を固めている。 参謀長から続きを促された周中佐が、作戦説明を引き継ぐ。

「―――戦術機甲部隊、各指揮官に告ぐ。 皆も知っている通り、戦場は山岳部となる。 今回も光線属種が確認されていない、故に格好の狩猟場ではある」

6人の各戦術機甲大隊長達が、微かに表情を崩す。 狩猟場とは言え、山岳戦は発見が厄介な場所だからだ、言う程容易な戦場では無い。

「未確認だが、BETAの総数は1万以上。 恐らく1万2000前後と推定される。 これが最低でも4派に分かれて分進している」

1派で約3000体、旅団規模だ。 ソ連軍防衛戦力では、この中の1派に対する防衛戦闘が精々か。 他は野放し状態になっている筈だ。
北からソ連軍の2個師団相当(自動車化歩兵、戦車、戦術機部隊)に、南から『都築兵団』(重戦術機甲師団相当)が戦場に向かっている。
これで他の3派、約9000体のBETA群を阻止せねばならない。 ソ連軍が3000体程を相手取るとして、都築兵団は残る約6000体を相手取らねばならない。

「我々の敵は、最低でも2派のBETA群だ。 丁度4派の真ん中を侵攻してくる2群―――北部に侵攻したA群に対し、C群、D群と呼称される連中だ。
まずはコイツらの足止めを行う。 第1部隊目標、C群。 第2部隊目標、D群。 B群とE群はソ連軍に任せろ、第66は戦闘に入った、第78と第336も間もなくだ」

周中佐がここまで説明し、部下大隊長達を見回す―――何か、質問は? そう問いかけた。 1人の指揮官が挙手をする、周中佐が無言で頷き、発言を促す。

「―――第1部隊、第101独戦大隊、周防大尉。 団司令にお聞きします、Ц-04方面の戦術機甲戦力はソ連軍第66旅団の、実質1.5個大隊のみです。
Ц-03方面は第78と第336の2個旅団、3個戦術機甲大隊ですので、我々の1個部隊に匹敵しますが、Ц-04方面の阻止戦力が薄すぎると考えます。 如何に?」

確かにそうなる。 他の3方面は3個戦術機大隊で戦闘に当るが、このЦ-04方面は半分の戦力でしか無い。 突破される危険性が有るとしたら、この方面だ。
ならば、距離から見てペトロパヴロフスク・カムチャツキー到達時間に余裕のあるD群に対して、まず全力を叩き込み殲滅した後、分派戦力をЦ-04方面に投入すべきでないか?
その後ならば、それより北のC群へは4から5個大隊を投入できるし、Ц-04方面へも1個か2個大隊を増援に送り込める。
その進言に、周中佐は首を振った。 その案は先程、兵団長、参謀長とも協議し、そして破棄したプランだった。 周中佐がその理由を説明する。

「あくまで、BETA群の各々の個体数は想定だ。 もしかすると個体数の偏りが有るかもしれん。 だとすれば、最悪の場合も想定せねばならない。
6個大隊で1派を殲滅するのに、予想以上の時間を要するやもしれぬ。 3個大隊を1派に充てる事は、想定される事態へ最低限必要と判断される戦力だ、総司令部は判断した」

その言葉に、周防大尉を含め数人の指揮官が頷いた。 充分考えられる話だ、あくまで想定―――現状は、想定で動かざるを得ない。
如何に戦力が薄くとも、全体を見て『捨て駒』、或いは『時間稼ぎ』として潰す戦力が生じたとしても、それは戦域戦略上、致し方の無い事だと、各指揮官は自身を納得させた。

「了解したな?―――出撃準備は整ったようだ、以後は作戦指示に則り、各指揮官は部隊を掌握し、奮戦せよ。 諸官の武運を祈る、以上だ」

団司令に敬礼し、戦術機甲部隊各指揮官が、自分の部隊へと急いで戻って行く。 その間にも戦車、自走砲、機械化歩兵装甲各部隊指揮官に対する指示が伝達されていた。
やがて周囲を圧する轟音が鳴り響き始めた。 6個大隊、240機に達する戦術機群が一斉に、主機の出力を戦闘出力に上げた咆哮だった。
周りの積雪が一気に舞い上がる、まるでブリザードだ。 その中から薄暗い極北の朝の大気を揺るがし、1機の戦術機が噴射跳躍をかけ、飛翔して行く。
それを合図に全戦術機が次々に噴射跳躍をかけ、高速NOEを始めた。 暗い朝の雪空に、多数の跳躍ユニットの噴射炎を煌かせながら、北へ向かって飛び去って行った。




[20952] 北嶺編 最終話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2011/12/24 03:52
2000年1月27日 0840 Ц-04前進補給基地東方5km ソ連軍第66独立親衛戦術機甲旅団


「ユーク01より各中隊! 突撃級の脚を止めろ! ギュン中隊は右翼、ユルドゥス中隊は左翼! リュザール中隊、私に続け、正面だ!」

ギュン中隊の制圧支援機から左右へ向けて、ランチャーから誘導弾が発射される。 数10発の小型誘導弾が着弾し、左右方向から押し寄せていた小型種BETAが纏めて吹き飛んだ。

『リュザール! 吶喊する! 近接戦闘!』

中隊長の声と同時に、8機のMig-27Mが跳躍ユニットを吹かして、水平面噴射跳躍に入った。 突撃前衛装備の前衛小隊に、強襲掃討装備の後衛小隊が続く。
その後方から大隊長直率小隊が、滞空制限高度を維持しつつ、打撃支援に徹しながら続行する。 特に要撃級に狙いを付け、リュザール中隊の突進力を維持させていた。
このЦ-04前進補給基地に向かいつつあるBETA群は、想定で約3900から4200体。 出現BETA群の約1/3を占めると推定された。
他に3群が分かれている様だが、それらはそれぞれ約2000体から3000体。 主攻集団はこのЦ-04前進補給基地に向かって来た1群だと、判断していた。

『―――リュザールよりユーク! 西方集団の突破に成功! 東方集団を視認、約2000以上!』

リュザール中隊長―――『ユーク』大隊副官兼任のサフラ・アリザデ大尉から、甘えを剥ぎ取った声の報告が入った。 あの娘は戦場では、1人の戦士になり切れる。
距離200、突撃級はまだ50体ばかりが生き残っているし、要撃級は300体以上固まっている。 小型種は1500体以上。 大隊前面でこれだ。
要撃級の前面間際に噴射降下で迫り、急速逆制動噴射-水平横噴射滑走-垂直軸噴射旋回でBETA群の中に割込む。 同時に左右2門の突撃砲の36mmで射撃。
すかさず噴射跳躍で上昇し、滞空制限高度に戻る。 分断したBETA群、その群れが再びひとつに戻る前に、接所する点を見つけ、再び分断する。

「―――よし! リュザール中隊はそのまま、射点を確保しつつ砲撃戦で連中を始末しろ! ギュン中隊は突破口の拡張攻撃、ユルドゥス中隊は側面に回り込め!」

『『『―――了解!』』』

3人の中隊長達が唱和する。 まだ若い声、10代半ばから後半の、少年少女達の声―――それがどうしたと言うのだ、でなければ、私達は生きていけないのだ。
だが同時に限界も近付いている。 大隊は定数40機に対し、3個中隊で22機と指揮小隊の3機で合計25機しか戦術機が居ない。
先程の突破戦闘で、リュザール中隊の1機が撃破された。 まだ幼い衛士が搭乗していた筈だ、これで大隊は24機に減った。 それで約4000体のBETA群相手に、どうやって・・・

『―――ヴォール隊よりユーク隊! 突撃級を何とかしろ、このアバズレ! 集中射でしか始末できんぞ! こいつ(T-72B)の砲じゃ、500以内に引き込まなきゃ撃破できん!』

随伴する第208戦車旅団の1個戦車大隊(定数を下回った24輌)の大隊長が、悲鳴の様な声で通信回線に入って来た。
確かに、連中の部隊に配備されたT-72M戦車の125mm2A46M滑腔砲では、距離1000以上で突撃級の装甲殻を射貫するのは無理だ。
突撃級の装甲殻を距離1000mで射貫するには、少なくとも距離2000での装甲貫通力が600mm無ければ、無理だと言われている。
『西側』第3世代戦車の多くが搭載するラインメタルのL-55やL-44・120mm滑腔砲、英国のチャレンジャー2が搭載するL-55ライフル砲 L30A1ならば可能だ。
しかし『東側』第2世代主力戦車で有るT-72Mが搭載する125mm2A46M滑腔砲には、そこまでの性能は無い。 この戦車砲は距離2000で装甲貫通力は、500mm程しか無い。

『交戦距離を維持出来ない! 周囲は山だ、狭い! 迫った個体を集中射で始末するのがやっとだ!』

戦車戦闘の基本は交戦距離の維持だ、有利な交戦距離を維持して戦う。 戦車の機動力を活かして敵との距離を維持するように後退する。
そうしないと、交戦距離が一挙に縮まり、場合によっては一挙に前線が瓦解してしまうことになりかねない。 BETAとの、特に突撃級との砲撃戦は機動が全てだった。
その悲鳴の様な要請に、ユーク大隊長のリューバ・ミハイロヴナ・フュセイノヴァ少佐は表情を歪めた。 目前にようやくの事で分断した、BETA群本体が見える。
これを始末しなければ、どうしようもない。 しかし残った約100体弱の突撃級BETAが戦車部隊に向かっている、その先は砲兵部隊陣地だ。
彼らを失う事は、一切の支援攻撃を失う事と同じだった。 天候が悪い為、航空支援を受けられない現状では、それは戦線の瓦解を意味する。
僚隊は? 『ザーパド』大隊は? 『ヴォストーク』大隊は?―――東側で約2000体のBETA群相手に、死闘を演じていた。 彼等も大幅に定数割れした部隊だ、余裕は無い。

「ッ!―――ユルドゥス中隊! 突撃級のケツに回って奴らを蹴り上げろ! 戦車隊の玉無し連中が、小便を漏らして泣き叫んでいる! 助けてやれ!
ヴォール隊、このオカマ共! 一物縮ませていないで、さっさと射撃しろ! 1個中隊を突撃級のケツに回す! それとも何か? もう去勢済か!?―――BETAにケツを掘って貰え!」

『ほざけ、淫売!―――大隊長車より全車! 節足部を狙い撃て! このT-72Mでもそれ位出来る事を、示してやれ!』

命中率の低さでも有名な、東側戦車。 西側戦車の常套手段である突撃級阻止攻撃―――節足部の狙い撃ちも、彼らの射撃管制装置ではかなりの高等テクニックだった。
背後に急斜面を背負った戦車大隊から、猛射撃が開始された。 多くは装甲殻に弾き返されるか、虚しく地面に突き刺さるかだが、その内徐々に節足部に命中する砲弾が出てきた。
それに呼応して戦術機1個中隊が(7機しか居ないが)突撃級の群れの後方に取り付いた。 急な方向転換が出来ない習性を利して、群れの背後から砲弾を叩き込む。
突撃級の群れは、徐々にその数を減じて行った。 戦車が何輌か、突出していた車輌が突撃級の突進を喰らい、ボール紙の様にへしゃげた以外は順調に殲滅しつつあった。

「・・・よし、このままBETA群の注意を引き付けろ! 持久戦になるぞ、近接戦闘は無しだ、砲撃戦で行く!」

近接戦闘の場合、機体にかかる負荷は計り知れない。 持久戦になる場合、如何なユーラシア諸国軍が近接戦闘を重視するとは言え、極力避けるのは定石だった。
情けなくなるほど薄い防衛線―――戦術機20数機に、戦車も20数輌。 後方に砲兵部隊が2個旅団控えていて、支援砲撃を行っているのが救いだ。
不意に5機のMig-23MLDが応援に駆け付け、上空から火箭を降り注ぐ。 広がりを見せ始めた要撃級、その攻撃に手一杯の隙に浸透し始めた戦車級を掃討して行く。
第189自動車化狙撃兵旅団に配備されていた独立戦術機甲中隊、その生き残りだった。 滞空制限高度ギリギリで、下方に向けて120mmキャニスター砲弾を叩き込んでいる。

何と言う薄氷の防衛戦闘だ。 どこか1か所でも薄い防衛線が破られれば、一気に戦線が瓦解する。 同じ42軍の友軍は、北のB群にかかりきりなのか!? 増援は!?
日本軍はどうした!? 国連軍は!? 新たな兵力支援が来たのではないのか!? どうして増援に来ない!?―――このままでは、あと2時間と保たないぞ!


フュセイノヴァ少佐は知らなかった。 彼女の言う『友軍』―――日本と国連の合同増強旅団が、彼女達の戦区を素通りし、隣接戦区に向かっている事を。









2000年1月27日 0950 Ц-04前進補給基地北東30km 日本・国連合同増強旅団・戦術機甲戦闘団


『―――第2部隊、C群の約2500体を45%殲滅。 損失、第4戦術機甲大隊(昇龍)5機。 第103独戦、4機。 第104独戦5機。 合計13機。 戦闘続行可能』

『第1部隊より団本部。 D群約2600体の50%を殲滅。 損失、第3戦術機甲大隊が4機、第101独戦は3機、第102独戦が4機、合計11機。 継続戦闘可能!』

接敵、戦闘開始から約50分が経過した。 互いに15km程離れたC群、D群を相手取っている第1部隊と第2部隊は、順調にBETA群を削り続けていた。
それぞれ、2500から2600体のBETA群に、各々120機の戦術機が殴りかかったのだ。 その上で光線属種はやはり居なかった。
こうなればアジア各地で、激戦を潜り抜けてきた各部隊にとって、すでに射撃演習に近い状況になりつつある。 それでも何名かは、命を落とした。

第1部隊に所属する第101独立戦術機甲大隊長の周防大尉は、網膜スクリーンに映し出される戦術情報にザッと視線を走らせ、必要な情報を拾い上げていた。
残存BETA群の個体数―――約1300体。 依然、南進を続けようとしている。 自隊の状況―――完全撃破1機、中破後送2機、残存37機。
僚隊は?―――第3『ロンニュイ』が36機、第102独戦『アレイオン』も36機が残存、稼働全戦術機の数は109機。 全て戦闘継続可能。

30分前、戦線から30km地点に迫った支援部隊―――戦車4個大隊と、自走砲3個大隊が自走に入ったとの連絡が有った。
あと数分で自走砲による面制圧支援が受けられるし、戦車部隊も10分もすれば直接砲撃支援を行える距離に進出して来る。
風雪も勢いが衰えてきた、予報では昼前後には天候が回復する。 航空支援が加われば、まず殲滅は可能になるだろう。

背後から120mm砲弾が通過し、前方の突撃級の節足部を撃ち抜いた。 すかさず左隣の92式弐型『疾風』が飛び出し、側面から砲弾を叩き込んで始末する。

(―――今の狙撃は北里か、やはり腕は良い様だな。 来生も咄嗟のオーバーラップの判断が良い、遠野に随分仕込まれた様だな)

「ドラゴン(第2中隊)、突っ込んで来る連中を止めろ。 フリッカ(第1中隊)、側面支援だ、廻り込んで来る要撃級を仕留めろ。 ハリーホーク(第3中隊)、戦車級を・・・」

指揮小隊の戦いぶりを脳裏の片隅で考えながら、全体として大隊の行動方針を流動する戦況から決定して行く。
同時に僚隊の動きを注視する。 戦術機甲大隊戦力となれば、その打撃力はかなりのモノになる。 動きひとつ、指揮官の判断一つで、戦況に影響を及ぼすからだ。
趙少佐の大隊が、BETA群の左側面に回り込んだ。 機動砲戦を仕掛け、突進するBETA群を牽制し続けている。 周防大尉の大隊と直角を為す攻撃網を形成していた。
長門大尉の大隊は、周防大尉の大隊の右後方に位置して、他の2個大隊の阻止攻撃から逃れ、流れてきた個体群を撃破し続けている。

(―――周囲の地形・・・後背に丘陵地帯、そこから南へ向けて平坦な地形が続く。 やはり阻止するのは、ここの高低差を利用する手だな)

先程から周防大尉は、殆どBETAと交戦していない。 迫る個体は全て、遠野中尉が指揮する3機の指揮小隊が始末していた。
それに違和感を感じている自分の事も、自覚している。 初陣以来、BETAとの戦いは個人戦闘を全ての場面で含んできた。
新米少尉時代、エレメント・リーダーの頃、小隊長の中尉時代、そして大尉に進級し、中隊を指揮するようになってからも―――それが今はほぼ、大隊指揮だけに専念している。

(―――確かに、1人3役も、4役もしていては、大隊の指揮も疎かになるな。 全てが中途半端になってしまう、大陸派遣初期の大隊指揮官の戦死率も頷ける・・・)

≪・・・戦闘団本部より第1、第2部隊へ。 3分後に砲兵部隊が面制圧攻撃を開始する、各隊は現在地を確保せよ。 前に飛び出すな、砲弾の雨を被るぞ?≫

戦闘団本部から通信が入った。 よりによって、団司令直々のお達しだ。 相変わらず、こう言う事が好きな性格は変わらない様だ。

≪戦車隊は10分後に展開が完了すると、司令部より連絡が有った。 2個大隊ずつだ。 第1部隊は砲撃終了後、速やかにポイントD7Rの行き止まりにBETAを誘いこめ。
その南の丘陵地帯から、戦車隊が『撃ち下し』をかける。 砲撃もそこへ集中させる。 第2部隊はD9Kの峡谷地帯だ、向かいの台地から戦車隊が砲撃する≫

通信内容を、戦術作戦MAPを呼び出して確認する。 D7R、ここから西の方向だ。 第3戦術機甲大隊が追い出し役になる、第102独戦大隊が誘導役か。
なら第101独戦大隊の取るべき行動は? 南から西へ、或いは北西方向へ、BETA群が第102独戦を追う様に仕向ける事だ。
具体的には南下しようとする個体を撃破し、西へ向かう様に誘導攻撃を仕掛ける事。 BETAの正面に位置せず、絶えず斜め後方から仕掛け、斜め前方へ抜ける事だ。

「―――大隊長より各中隊、陣形・ウィング・スリー。 北西に吊り上げる」


網膜スクリーンに映し出された戦術MAPに、戦車大隊の輝点が映った。 ほぼ布陣を完成しつつある。 背後から重低音が響き、やがて多数の甲高い音が近づいてきた。









2000年1月27日 1025 ペトロパヴロフスク・カムチャツキー ソ連軍第42軍兵站部


皆が遠巻きに見守っていた。 いや、違う。 恐れて誰も声を出せないでいた―――彼らの襟章の色は『緑色』だったのだ。
国家保安委員会(『Комитет государственной безопасности』)―――KGBだ、軍に対する監視結果なら、第3局・・・
第42軍兵站部長兼・兵器廠長のアンドレーエフ少将はKGBを前に、精一杯の虚勢を張っている。 内心では心臓が飛び出しそうなほど、慄いている事だろう。

「・・・何かの間違いではないかね? 非常に不愉快だ」

でっぷりと太った腹を揺すりながら、KGB要員に対し虚勢を張った態度で睨みつけるアンドレーエフ少将。 
だがKGB要員達はそんな虚栄に惑わされる事も、故意に強圧的に出るでもなく、表情を崩さず、寧ろ冷酷なまでの平静さで言い放った。

「・・・我々も、職務ですので。 ご協力を、同志少将閣下」

「ふんッ・・・! 勝手にうろつくがいい!」

くそ、どこから漏れた? KGBの査察? そんな情報はどこからも・・・ あの老いぼれ、切り捨てる気か!?―――瞬時にそう悟った。 
くそう、あの爺ぃめ、散々良い目を見させてやったのに! あれほど、袖の下を要求して来た癖に! アレクセイ・イヴァノヴィッチ(シキーニン大将、第42軍司令官)め!

「―――いずれにせよ、調査に数日はかかりましょう。 御報告はその後で、同志少将閣下」

―――ソ連邦軍軍律違反、ソ連邦軍宣誓違反、国家財産横領罪、及びソ連邦人民反逆罪。 今まで手を染めてきた汚職が明るみに出れば、最低でもそれだけは・・・
アンドレーエフ少将は内心で、逮捕され、アラスカのKGB本部の地下拘置所(通称『ルビャンカ』)に拘束される自身の姿を想像して、内心で慄いた。

傲然とした態度で、兵站部室を出てゆくKGB要員の薄路姿を、憮然とした表情で見送る兵站部長の姿を、1人の部下が遠巻きの連中の中から見ていた。
やがてその人物―――兵站部の主計中尉で、明らかに中央アジア系のソ連軍将校は、こっそりとその場を抜け出し、『仲間』が当直している筈の通信管制室へと急いだ。
通信先は、第66独立親衛戦術機甲旅団司令部、その政治部。 第66旅団政治部長のあの女将校なら、『彼』に知らせる事が可能だった。












2000年1月27日 1050 Ц-04前進補給基地前面10km ソ連軍第42軍第66独立親衛戦術機甲旅団


≪旅団本部より各大隊! BETAが防衛線を突破した! 至急、穴を塞げ!≫

―――冗談じゃない!

ユーク大隊長・フュセイノヴァ少佐は内心で盛大に毒づいた。 彼女の大隊はもう、戦える機体は16機しか居なかった。 結局9機が喰われたのだ。
大隊が中隊に、中隊は小隊にまで数を減じていた。 僚隊のザーパド、ヴォストークも似た状態だった。 もうこの戦線は無理だ、抑え切れない。

『第439戦車中隊、全滅!』

『早く! 早く戦術機部隊を! 第1102砲兵中隊だ、連中が直ぐそこに・・・! うぎゃあああ!』

『第1中隊! 第2中隊! 応答しろ! くそっ! 生き残った奴は居ないのか!?』

『機械化歩兵装甲部隊、4個中隊が全滅!』

『ロケット旅団本部に食い込まれたぞ!』

BETA群は数を減じたとはいえ、未だ3000体以上が繰り返し波状突撃を仕掛けて来る。 こちらは元より定数割れの上、次々に破られる戦線の穴埋めに疲労困憊だ。

『―――『ザーパド』全機! 基地東方の台地を守れ! 『ヴォストーク』! 南の峡谷だ、あそこに誘い込んでくれ!』

『無理だ! 数が足りねえ! こっちは残存14機だけだ!』

『くそっ!―――『ユーク』! おい、まだ生き残っているな!? お前のトコで誘い込みやがれ!』

「こちら『ユーク』大隊。 寝言は寝て言え、『同志』カキエフ中佐。 私の大隊も残存16機だ! その位の簡単な仕事は、『ヴォストーク』のオカマ共にやらせろ!」

目前に要撃級が迫る。 咄嗟に接地垂直旋回をかけ、前腕の一撃を交して120mm砲弾を叩き込んで始末した。

『―――何だと!? 『ヴォストーク』だ! 『ユーク』、貴様、俺様に死ねって言いたいらしいな!? この淫売!』

「―――死戦を戦う度胸の無い、玉無しのオカマが! 人にケツを掘られるだけじゃ、満足出来ないのだろう? 精々BETA共に掘って貰え! 
中佐! ヤマダエフ少佐が適任じゃないのか? この『男娼』がな!―――おっと、中佐の『男妾』の方が良かったか?」

通信回線に下品な笑い声が充満する。 ヤマダエフ少佐の性癖は部隊でも公然の秘密だし、カキエフ中佐は『両刀使い』だと言う噂が有った。
スクリーン越しに激昂仕掛けるヤマダエフ少佐だったが、カキエフ中佐が押え込んだ。 そしてあの『獣じみた』表情でヤマダエフ少佐に命令する。

『―――スリム、お前の隊で誘い込みをやれ』

『ッ! しかし、サイード!』

『―――やれ、2度言わすな』

『・・・くそっ! 判ったよ! 『ヴォストーク』! 全機、南の峡谷に移動する! BETA共を誘いこめ!』

14機に減った『ヴォストーク』大隊のMig-27が噴射跳躍をかけ、BETA群の頭上を飛び越しつつ、誘引攻撃を仕掛けた。
その動きに約2000体程のBETA群の向きが、徐々に変わる。 よし、これで向きが基地から逸れた、このままで・・・

『―――11時方向! BETA群約1000体! 基地に向かうぞ!』

『―――何!?』

一瞬の隙。 基地方向に注意をそらされたその隙に、方向を転じた筈の2000体のBETA群、その中の一部が一気に南へ突破した。

「ッ!―――やられた・・・!」

瞬く間に戦線が崩壊した。 基地には満足な近接戦闘能力を有する部隊は、もう全く残っていなかった。 砲兵隊やロケット弾部隊だけだ、喰い込まれたらそれで終わり。
そして支援砲撃が受けられなくなれば、この周辺の部隊は確実に全滅する。 戦術機部隊はもう、1個大隊規模を割る程度まで減っている。 戦車隊も同様だ。

『くそう・・・! 引き上げだ! 基地の死守に転換するぞ! この戦力じゃ、『戦線』の維持は無理だ!』

「・・・了解。 所で中佐、ヤマダエフ少佐の部隊はどうする? さっきので推進剤は使い切っているだろう、もう跳躍しての移動は出来無さそうだが・・・?」

『―――冗談じゃねえ! サイード! 助けてくれ! 峡谷で身動きが取れない! 連中が突っ込んで来る!』

悲鳴の様な『ヴォストーク』大隊指揮官からの通信。 カキエフ中佐はそれをあっさりと断ち切った。

『―――連中が喰われるまで、時間が出来る。 その隙に基地へ戻る』

そう言い捨てると、『ザーパド』大隊指揮官は通信を切った。 そしてタイミングを見計らって、部隊を素早く撤退させて行った。

「・・・普段の腰巾着も、役立たなかったわね? 愚かなチェチェン人・・・」


1055時、E群の約3000体が戦線を突破した。 Ц-04前進補給基地に約1000体が向かい、残る2000体程がペトロパヴロフスク・カムチャツキー方面に突進を開始した。









2000年1月27日 1115 Ц-04前進補給基地北東30km 日本・国連合同増強旅団


「何だと!? ソ連軍戦線が突破されただと!?」

「BETA群約2000、ペトロパヴロフスク・カムチャツキー方面に突進を開始! 約1000体がЦ-04前進補給基地を攻撃中!
ソ連軍第66戦術機甲旅団、第189自動車化狙撃兵旅団、第208戦車旅団、共に残存30%前後、事実上の全滅です。 今は基地防衛隊として、防御戦闘しか・・・」

「北のB群は? どうなっている?」

「はっ! B群はソ連軍第78と第336の2個戦術機甲旅団、それに第73自動車化狙撃師団、第551戦車旅団とで戦線を維持。 BETA群の約72%を殲滅しました」

元々、4派に分かれた地中侵攻BETA群の中では、最も数が少なかったのがB群だ、約2000体ほどだ。 
体力の落ちたソ連軍部隊でも、殲滅は可能な数だ、これだけの部隊が有れば―――その位は期待させて貰っても良いだろう。

「よし・・・戦術機甲戦闘団に繋げ」

兵団長・都築准将が通信受話器を手に取り、そう命ずる。 やがてかなりクリーンな通信状態で、戦術機甲戦闘団本部と繋がった。

『―――戦闘団本部、周中佐』

「―――兵団長、都築だ。 周中佐、そちらの片は、あとどの位で付きそうか?」

兵団長の確認に、団司令からの回答は、即答で帰って来た。

『―――完全殲滅まで、あと15分を要します。 ただし、半数を割かせて頂ければ・・・もう10分ほど余計にかかりますが』

周中佐も、都築准将の腹の内を読んでいたようだ。 でなくば、こんな即答は返ってこない。

「―――Ц-04方面に戦力を回したい。 場合によってはペトロパヴロフスク・カムチャツキー方面に。 行けるか?」

『―――途中、後方で燃料と推進剤の補給を。 兵装の補充も必要です、30分。 それで行けます』

都築准将は、団司令・周中佐の回答を頭の中で整理する。 現在地はЦ-04から北東に30km、補充や何やで30分、BETAの進撃速度を平均60km/hとして60km引き離される。
巡航NOEでЦ-04まで6分強、約1000体のBETA群を殲滅するのに、3個大隊で平均して約20分。 残敵確認と再集結で、残りを追うのに今から1時間かかる。
BETAの進出距離は60kmから最大で80km、突撃級の一部は100km程先行するか。 追撃戦を開始して追いつくのは15分から20分後、BETAの進出距離は約100km前後。

(―――ペトロパヴロフスク・カムチャツキーから100km地点か。 戦闘にどれだけの時間がかかるか、だが・・・ 途中のソ連の『集落』は救えんな)

それでも、ペトロパヴロフスク・カムチャツキーへの突破は防がねばならない。 3個大隊で可能な限り足止めする。 場合によってはそこで殲滅戦を強要する。

(―――部下達にとっては、厳しいだろうが・・・やって貰わねばならんな。 損失は極力出したくなかったが、あの軍港が陥落するのは非常に拙い)

そこまで一瞬の内に思考を巡らせた都築准将は、通信の向こう、周中佐に問いかけた。

「―――で、誰を行かせる?」

『―――第1部隊を』









2000年1月27日 1125 Ц-04前進補給基地


『―――おい、スーカ。 お前の部隊は基地の西側だ』

カキエフ中佐の声が通信回線越しに入って来た時、フュセイノヴァ少佐は思った。 相変わらず気に障る声だ、知性のかけらも感じられない、野蛮人の声。

「・・・中佐の部隊は? 基地の中か?」

『―――貴様を督戦する必要が有るからな』

「―――督戦!?」

どう言う事だ!? 今更、督戦などと!? それにこの旅団の政治将校は全て丸め込まれている、今更督戦隊だなどと!
そこまで考えて、判った。 違う、政治将校じゃ無い、中佐だ。 カキエフ中佐が私を督戦せよと、政治将校に『命令』したのだ。
この旅団の政治将校は、夫を戦死で喪ったロシア女だ。 要路への手蔓を持たない、哀れなロシア女―――そして中佐の愛人だ。 中佐が庇護している女だ。

『―――どうして、あれほど多くの地中前節センサーが、偶然にも一緒に働かなかったのだろうな・・・? KGBが嗅ぎまわっているぜ?』

(―――くそ! どうしろと言うのだ!? ここで奮戦して、身の潔白を立てろと? まさか! この男がそんな生温い事を!)

そして唐突に判った、あの男は自分を始末する気だ。 BETAへの攻撃に紛れて、大隊ごと私を・・・! 
どう言う理由でかは判らない、だけど確実に始末する気だ。 『友軍誤射』など、乱戦では幾らでも言い訳ができる! 
この基地の将兵には、カキエフ中佐に飼い慣らされている連中が多い! それに政治将校までもが!

―――背中から嫌な汗が、滝の様に流れ落ちてきた。





(―――あのスーカめ、気付きやがったな・・・)

カキエフ中佐は前方のMig-27を見ながら、直観的にそう感じた。 その獣じみた直観力こそが、彼を今まで生き抜いてこさせた武器だった。
武器・装備の横領、それによる副収入、いずれもカキエフ中佐はそれを咎める気は、毛頭無い。 中佐自身が、その代表選手の様なものだからだ。
普段なら、彼の縄張りを大きく犯さなければ、その程度のお目溢しはしてやった。 だがタイミングが悪かった。 中佐の愛人のロシア女―――政治将校からの情報だった。
アラスカのKGBが、近々に大きな手入れをするという情報。 それは前々から掴んでいた。 だが思いもよらぬ情報が、それも極めつけの悪報が、政治将校経由でもたらされたのだ。

―――そのタイミングでの、今回のBETA襲撃。

連中は当然、疑問に思う。 どうしてこれほど大量の穴が有ったのか。 隠蔽は不可能だ、今回は国連軍やヤポンスキー達も居る、連中も証人だ。
流石に拙い。 アラスカに引き籠ったとは言え、特にKGBの連中は拙い。 それにペトロパヴロフスク・カムチャツキー兵器廠のアンドレーエフ少将は、逮捕されたらしい。

―――あの欲ボケ少将め、派手に痕跡残しやがって。 あのスーカが取引出来たのも、あの欲ボケ少将の紹介だ。 金の他に一晩や二晩は、自分を差し出したに違いない。

欲ボケ少将と、あのスーカがKGBにとっ捕まるのは知った事じゃない。 だがそこからこちらまで芋づる式、ってのは頂けない。
ならば手っ取り早く、始末すべきだ。 アンドレーエフ少将の方は、ペトロパヴロフスク・カムチャツキー兵器廠の『協力者』に仕事を出した。
あとは、あのスーカを戦闘のドサクサで始末すればいい。 丁度連絡が有った、あと20分少々でヤポンスキーとキタイスキーの3個大隊が増援にやって来る。
その直前だ、その直前に、BETAへ逆襲を仕掛ける―――あの女の大隊を先頭に立てて。 自分は後ろから、あの女ごとBETAを吹き飛ばせばいい。 逃がしゃしないぞ。

「―――いいか? 『同志』フュセイノヴァ? ここは踏ん張りどころだ、だから先程の様な言を弄して、お前が回避しないよう督戦する必要が有る、そう言う事だ」








2000年1月27日 1150 Ц-04前進補給基地付近 合同増強旅団・戦術機甲戦闘団 第1部隊


『・・・何だ? おい、基地から逆撃をしかけているぞ?』

『そんな馬鹿な事・・・もう殆ど、まともな戦力は残っていない筈よ!?』

「おい、そんな暇は無さそうだ! BETA群に突入した部隊が既に包囲された!」

第1部隊がЦ-04前進補給基地防衛の増援に駆けつけた時、既にその部隊はBETAの重包囲化に取り残されていた。 元は大隊だったが、今は中隊以下の戦力に落ち込んでいる。

『―――『ユルドゥス』より『リュザール』! 大隊長は!? 大隊長は何処なの!?』

『―――『ギュン』より『リュザール』! もう無理だ! こんな数、支えきれない! 大隊長は!? まさか殺られたのか!?』

『―――『リュザール』より『ユルドゥス』! 『ギュン』! 各中隊、落ちつけ! 円周陣を組め! 大隊長は・・・大隊長は私達を見捨てない! 必ず戻ってくる!』

―――大隊長機が離脱? 部隊コードでは『ユーク』大隊の各中隊が孤立している。 ソ連軍からの要請はどうなっている?

『―――『ザーパド』大隊指揮官より、ヤポンスキー部隊・・・おっと、国連のキタイスキーも一緒だな。 基地の南と北を押さえてくれ。
西の方向に峡谷が有る、その戦術機の数なら、そこに誘導して殲滅出来る。 こっちも砲兵に協力させる』

サイード・マゴメド・カキエフ中佐の声が、通信回線に入って来た。 IFFには『ユーク』大隊長機と、『ヴォストーク』大隊の反応が無い。

『―――合同増強旅団、戦術機甲戦闘団第1部隊長、趙美鳳少佐です。 カキエフ中佐、南北からの挟撃、了解です。 で、他の2大隊は・・・?』

『―――おう、あの美人さんかい。 『ヴォストーク』は全滅した、スリムも戦死だ。 『ユーク』は大隊長が乱戦で行方不明だ、死んだか脱走か、判らん』

聞いていて、頭の痛くなる状況だ。 とにかく確定した事は、Ц-04前進補給基地のソ連軍は当てにならない、それだけだった。

『―――判りました。 では貴軍は基地防衛に専念を。 砲兵部隊の支援砲撃は、有り難くお願いします。 第101独戦、北。 第102独戦、第3は南―――かかれ!』









2000年1月27日 1215 ペトロパヴロフスク・カムチャツキー航空基地


『上げろ! 上げろ! 準備の整った機体から、直ぐに上げるのだ!』

『BETA群、依然80km/hの速度で突進中! 推定個体数、約2000! 当基地北方90km地点!』

『Ц-04前進補給基地の日本軍・国連軍より入電! 『BETA殲滅はあと10分かかる見込み』―――10分ありゃ、10km以上近づいて来るぞ!?』

『ホーカム部隊、準備完了! ハインド部隊、10分で離陸開始!』

『―――機数は?』

『―――ホーカム16機、ハインド20機!』

『―――全然、足りない!』

『―――何でもいい、出撃させろ! 天候がようやく収まったんだ、重爆部隊も準備を始めた! 時間を稼げ!』









2000年1月27日 1220 カムチャツカ半島沖 


帝国海軍の戦闘艦艇、その一群が出し得る最大戦速で荒波を切り裂き、突き進んでいた。 艦内でブザーが鳴った。 要員達が一斉に準備に取り掛かった。









2000年1月27日 1245 カムチャツカ半島南部


『大隊、巡航速度制限解除! 最大速度で高速NOE開始!』

『天候がまだ少し安定しない! 気流の変化に気を付けろ!』

『第1部隊全機、南へ急ぐわよ!』

100機前後の全術機が、一斉に飛び去った。 周りはBETAの残骸ばかり―――いや、戦術機や戦車、自走砲に様々な車輌と兵器の残骸。 そして・・・

(―――人も死ねば、戦場じゃ残骸だ)

基地周辺に群がっていたBETA群を殲滅した『友軍』を、今度は更に南の戦域に急転進してゆく『友軍』の姿を見送りながら、カキエフ中佐は戦場を見回していた。
無数の、喰い殺された将兵の戦場遺棄死体に埋め尽くされていた。 ふと見ると、Mig-27の残骸が片手を天に突き伸ばしたまま、撃破されていた。

(―――アレは確か・・・あの女の副官だった小娘の機体か。 哀れだぜ・・・)









2000年1月27日 1305 カムチャツカ半島南部 ペトロパヴロフスク・カムチャツキー北方25km地点


戦場の上空に、戦闘ヘリが乱舞していた。 光線属種が存在しない戦場で、思う存分殺戮の場を楽しんでいる―――パイロットやガナー達は、そんな余裕は無かった。

『―――戦術機部隊! 西の一群だ、止めてくれ!』

『―――東から新たな群れ、突進始めた!』

『―――デビルズ、止めろ!』

『―――アレイオン、そっちに2群!』

『―――何て事! こうも広範囲に・・・!』

とにかく、広範囲にバラけてしまったのが痛かった。 大隊単位ではなく中隊単位で対応しても間に合っていない。 戦闘ヘリ部隊も数が足りない。

『―――重爆部隊が来ても、これじゃあ・・・!』

『―――無駄に原野の穴を掘るだけだぞ!?』

『―――せめて、海軍の様な大規模誘導弾攻撃を出来れば・・・!』

陸軍機では誘導弾は、制圧支援機しか搭載していない。 海軍の母艦戦術機は、全機が搭載している。
もうこれ以上は駄目だ、こうなったら中隊編成を解いて、小隊毎の対応をするしか方法が無い!―――第1部隊長の趙少佐がそう決心しかけた時、通信回線に新たな声が入った。

『―――呼んだかい? じゃ、デリバリーだよ、受け取りな、陸軍さん!』

咄嗟に3人の戦術機甲指揮官が海上方向を振り返る―――居た、案の定だ。

『―――第6航戦だ、取りあえず第1派40機参上だよ! プレゼントだ、受け取りな!』

日本帝国海軍の主力戦術機、96式『流星』の一群が低空突撃で迫って来る。 艦載機型だ、両肩と背部兵装担架に誘導弾発射システムを装備している。

『―――ヤバい、背中の95式自律誘導弾システムが、既に倒立している!? 全機、ここから離れろ! 巻き添えを喰らうぞ!』

『―――早いトコ離れな、陸軍!』

『―――そう言う事は、攻撃態勢に入る前に言いなさい! 第1部隊全機、緊急離脱!』

極北の冬空―――天候が回復し、晴れ間の出た空が一瞬、また曇ったと思った。 攻撃隊全機で1400発を越す95式誘導弾が、一斉に発射されたのだ。
瞬く間に大量の誘導弾が着弾し、炸裂する。 BETA群は広く分散していたが、如何せん誘導弾の数も多かった。 そして誘導弾発射後は、低空をフライパスしながら地上に向けて、装備したM-88支援速射砲の57mm砲弾をばら撒く。
あっという間に、数百体のBETA群が消滅した。 密集していたら、その数は1000のオーダーに乗っていただろう。

『―――ちっ、分散している目標は、叩き難いね。 ま、残りは第2派に任せるよ・・・』

『―――支援、感謝する。 合同増強旅団戦術機甲戦闘団、第1部隊長の趙少佐です』

『―――あれ? なに? 国連軍と一緒にやっていたんだね。 私は日本帝国海軍第2艦隊、第6航戦『飛鷹』攻撃隊長、長嶺中佐だ。 ・・・見知った顔が居るねぇ?』

『―――兄の葬儀以来、ご無沙汰しております、長嶺中佐。 支援、感謝します』

スクリーン越しに、丁重な挨拶を言われた長嶺中佐は、『戦場で言う挨拶じゃないね』と、苦笑しただけだった。

『―――あと10分で第2派、『準鷹』の攻撃隊が出張って来るよ。 それで何とかなるだろう? 趙少佐?』

『―――ええ、こちらはそれで。 ところでJIN(日本帝国海軍)はもっと北方海域だったのでは?』

元々、第4聯合陸戦師団の支援が主任務の筈だ。 その第4聯合陸戦師団は、カムチャツカ半島付け根の防衛戦を戦っている、ここよりずっと北だ。

『―――アメちゃんの第3艦隊が南下して来たのさ、アナディリ沖からね。 向うは『ハリー・S・トルーマン』と『ニミッツ』に任せたよ。
それにウチの第8航戦も残っているしね、戦艦部隊もそう。 6航戦だけ、急派されたって訳さ。 気にする事無いよ、趙少佐。 向うは大丈夫、殲滅できそうだってさ』

ようやく、お役に立てたよ。 我慢した甲斐が有ったね―――そう笑って、長嶺中佐は部隊を反転させ、母艦へと戻って行った。
周囲に退避した各戦術機甲大隊が、再集結して来た。 撃破された機体は極少ない、3個大隊で100機の数を未だ保っている。
趙少佐が上空を確認した、戦闘ヘリ部隊も再び戦場に舞い戻って来た。 上空から獲物を狙う猛禽の様に、じっくり品定めして旋回している。

『―――よし、海軍部隊の手を煩わせる事は無いわよ! 全機、掃討にかかれ!』

100機の戦術機と、30機以上の攻撃ヘリが一斉に残ったBETA群に対し、攻撃を再開した。









2000年1月28日 1340 カムチャツカ半島北部 コリャーク山脈


「―――着弾確認、全弾遠。 下げ5、左右良し」

「着弾、全弾遠、下げ5、左右良し、了解」

弾着観測班が小高い山頂から、低地を見下ろし艦砲射撃の弾着を確認している。 BETA群は北へ向かっているが、その行く手を洋上からの巨弾と誘導弾の嵐が襲っていた。
左手を見ると、聯合陸戦第4師団と国連軍師団が追撃戦を行っている。 砲兵が面制圧を仕掛け、戦車部隊が戦車砲を浴びせかけ、戦術機部隊が止めの一撃を仕掛けている。
艦隊はそのBETA群の戦闘集団に対し、猛烈な艦砲射撃を加えているのだ。 第2艦隊だけでなく、米第3艦隊、ソ連太平洋艦隊もまた、戦艦を前に出して猛烈に撃っている。

「弾着、遠、近、命中、近、命中、遠、―――目標集団を完全に挟叉(きょうさ)!」

2発が目標集団のど真ん中に命中し、2発が遠、2発が近―――目標集団を完全に挟叉した。 あとはこの射撃データ通りに全力砲撃を行うだけだ。
弾着観測班の指揮官―――綾森喬海軍少尉は、後ろの通信士に向かって怒鳴った。 歓喜の大声だ。 何せ隣の米海軍も、ソ連海軍も未だ挟叉を出していないのだから!

「―――やりましたなぁ、砲術士」

傍らで補佐役の、本艦では掌砲長を務める兵曹長も、厳つい顔を緩めて笑っている。 それはそうだろう、言わば各国代表で、日本海軍が一番槍をつけたのだ。

「うん、皆も良くやってくれた。 この極寒の中で弾着観測はきつかっただろう・・・おい、通信? ・・・通信士!」

「・・・は、はい!」

「貴様、弾着結果報告は?」

「え? あ、はい! 直ぐに!」

「ぼさっとするな! 1分砲撃が遅れた為に、何百人もの将兵が命を落とすかもしれんのだぞ!? 貴様、弛んどる!」

上官から叱責され、通信士―――予備将校、いや、予備少尉候補生の女性通信士が、慌てて部下へ命令を下す。 
そんな情景を見ながら、古参の兵曹長が意外な表情で綾森少尉に問いかけた。 この若い少尉、結構腹が据わっているな、と。

「砲術士、弾着観測任務は経験が?」

「・・・ふた月前かな、まだ『熊野』に乗り組んでいた頃だよ。 台湾対岸の福建橋頭堡支援の時にやらされた。 もう、目前までBETAが迫ってね、ダメかと思ったな」

「はは、福建ですか。 あそこは地獄だと言いますからね、そこで弾着観測任務・・・ご愁傷様ですわ」

ようやく本艦への通信を終えた通信士が戻って来た。 綾森少尉の隣に立って、眼下を見下ろし、息を飲む。

「・・・凄い光景ですね」

確かに言う通りだ、山頂から見下ろす大パノラマがそこに有った。 地上を埋める様な程、BETA群が蠢いている。 左手―――南から地上部隊が総攻撃を仕掛けている。
その最中、大音声と共に大気を震わせ、洋上からの巨弾が降り注ぎ、凍土に特大の火柱を上げて炸裂する。 その度に数百のBETAが木っ端微塵に吹き飛んでいた。

―――冷たく澄んだ極北の蒼天に、殷々と砲声が木霊し続けていた。









2000年1月29日 1200 ムチャツカ半島 ペトロパヴロフスク・カムチャツキー


「・・・釈然としないな」

「・・・言っても仕方ないだろう? 直接指揮出来る訳じゃ、あるまいし」

埠頭で2人の日本帝国陸軍将校―――周防直衛大尉と、長門圭介大尉が海原を見ながら話し合っていた。

昨日ようやく終結を見た、シベリア・カムチャツカ防衛戦。 結果は来襲したBETA群約4万以上を殲滅し、北東ユーラシア防衛ラインの(一時的な)安定をもぎ取った。
局地戦略的には大勝利、戦術的にも損害は極めて少なく、これも大勝利だった。 彼らの大隊は40機中、周防大尉の隊は完全損失2機、長門大尉の隊は3機で済んだ。
それでも2人、乃至、3人の部下を失った。 しかし大隊指揮官としては、この数字は許容すべき数字だった。 充分納得できる損失だった、為し得た戦果と比較して。
初の大隊指揮官として挑んだ大規模作戦。 その結果は十分に出した。 それに中隊長時代にも、何名もの部下を失った。 今更動揺する訳ではないが・・・

「昔な、広江中佐が言っていたよ。 階級が上がれば上がるほど、部下の命が生身の人間としてではなく、戦術の駒の様に感じられてくるってさ」

「確か・・・大隊長になった頃だよな? 直衛、お前が馬鹿やって怒られた時だ。 俺も巻き添えを食った―――そんな事、言っていたっけな」

「あの時、俺らは少尉の2年目か。 まだ国連軍に飛ばされる前だ、実感湧かなかったけどな・・・」

今回の作戦で、その言葉の意味が少しは判った気がした。 かと言って、部下を粗略にするつもりはない。
不意に曇天の空に、寒風が吹き付けた。 2人の大尉は思わず、私物の外套の襟を立てて震えるような仕草をする。

「釈然としないと言えば・・・ソ連軍もだ。 どうしてあの時、逆襲をかけていたのかな・・・?」

長門大尉が漏らした言葉に、周防大尉も同意する。 あの時どうして、ソ連軍は無謀とも言える逆襲を仕掛けていたのか? 造園の連絡はいっていた筈なのに。

「美鳳も疑問に感じたらしい。 俺達、増援部隊を待ってからにしていれば、損害はもっと少なく済んだ筈だ。 カキエフ中佐もそれぐらいは頭が回るだろうに・・・」

「ヤマダエフ少佐の『ヴォストーク』、フュセイノヴァ少佐の『ユーク』、2個大隊が文字通り全滅だ。 解せない」

極東ソ連軍の戦力は、第42軍に限ってはかなりの戦力が低下したのだ。 1個戦術機甲旅団がほぼ壊滅した他、狙撃兵部隊、戦車部隊までも。
それ以外に、周防大尉にとっては個人的な引っかかりがある。 あの少佐は本当にあんな事をしたのか? そう言う人には見えなかったが・・・

「解せないと言えば、フュセイノヴァ少佐だ。 戦死か、はたまた噂の通り脱走なのか・・・」

長門大尉のその言葉に、内心の思考を刺激された周防大尉は、益々胸中にわだかまりが湧き上がるのを感じた。

「だとしたら、動機が判らない。 ソ連側は何か掴んでいるかもしれないけどな。 言ってみれば『ユーク』大隊は全滅せずに済んだのに、勝手に全滅した」

「ああ・・・解せないな。 解せないけど、首は突っ込まない方がいいかもな。 きな臭い感じがするぞ?」

「ああ・・・特に他国軍に対してはな」


暫くまた無言が続いた。 どちらが話す事も無く、お互い隣合わせで沈考している。 古い付き合いの2人だからか、気にする事も無い様だ。
二人とも煙草に火を付け、吸い始めた。 スモーカーな所も似た2人だった。 やがて、長門大尉がポツリと言った。

「・・・本土に帰ったら・・・5ヶ月後くらいか? とうとう親父だもんな、俺達も・・・」

「ん? ああ、そうだな、人の親か・・・」

考えさせられる。 樺太での1件、そして今回の派兵で見聞きした、様々な出来事。

「正直、重いぜ。 ビビっているよ、俺は・・・」

「情けねえな、圭介。 ま、俺も実は同じさ。 嬉しい半面、怖いよな、なんかさ・・・」

―――とても嫁にゃ、言えないセリフだな。

そう言いあっていた。


日本帝国陸海軍遣蘇部隊は、翌1月30日を以って、その任務を完了した。










2000年2月3日 1100 カムチャツカ半島南端部 オジョールナヤ


昔の漁業基地、海軍に接収されて以降も殆ど変わらない。 大型漁船が簡単な探知装置を組み込んで、対BETA海中探査部隊に衣を変えただけだ。
所謂『副業』も盛んな場所だった。 元々、そっちが生業だったのだから、無理は無いかもしれない。 食べていく為には何でもする。
その日、1隻の漁船が港を出港した。 変哲のない外洋漁船だ、恐らくベーリング海にでも『副業』をしに行くのだろう。
船室から1人の女が、荒れる外洋を眺めていた。 戦場からの無断離脱、任務放棄、脱走。 見つかれば問答無用で銃殺刑―――いや、その前に取調と言う名の拷問が有る。
粗末な土地の住民が着る、継ぎはぎだらけの服を着ている。 髪は後ろで束ねているだけだ。 表情は暗い、と言うより表情が無い。

(『―――大隊長! 大隊長、どこですか!? 大隊長! ・・・リューバ叔母さん!』)

部下であり、可愛がって育てた姪でも有る娘の、断末魔の絶叫。 あの娘は最後まで私を信じて、探し続けていた。
それを裏切った。 最後の最後で、私は裏切ったのだ。 許しは乞わない、事実だから。 私は生きたいのよ、生き残りたいのよ―――例えサフラ、あなたを裏切ってでも。

曇天に変わり始めた洋上が、少し荒れてきた。 でも何とか持ちそうだ、ランデブーポイントまでは何とか・・・

そう、生き残りたかった。 夫を失い、幼い子供達を失った。 結婚する時に親族から猛反対され、絶縁となった。 その後、軍の記録で両親や兄弟が死んだ事が判った。
もう、何も残されていなかった。 そして芽生えた、純粋な生への渇望。 どうして自分が『それ』を望んではいけないのか? この国の軍人として、それに縛られる事以外を?

必死に金を溜めた、逃亡資金だ。 それを調達する為に、虫酸が走るほど嫌いだった兵器廠の将軍に抱かれた、何度も、何度も。
部隊への食料調達は、その副産物。 有体に言えばカモフラージュだった。 万が一を考え、幾重にも逃走ルートを確保した、計画も練りに練った。
それが意外な様相で実現したのが、数日前の、あの戦闘だった。 突撃を隠れ蓑にBETA群に突っ込み、単機戦線を突破した。
光線属種が居ない戦場では、容易かった。 伊達に10年以上戦術機に乗り組んでいないのだ。 基地は途中で私の機体をロストした筈―――BETA群の中で。 戦死認定だ。

(『―――サフラ・・・』)

出来れば連れて行きたかった、連れ出してやりたかった。 まだ16歳、これから向かおうとする米国では、まだ親がかりの学生の年齢だと聞く。

これから漁船は北上し、アリューシャン列島に一旦入る。 そこからあの国のアンダーな連中の船で(話と金は渡してある)アラスカへ、そして米国本土へ。
ロシア系を始めとする、スラブ系移民のマフィア組織が、偽造した市民権の各種証明書を作ってくれる手筈だ。 あの国で私は、別人になって生きていく。
ソ連邦陸軍少佐、リューバ・ミハイロヴナ・フュセイノヴァは死んだ。 これからは別人だ、スラブ系米国人になり変わるのだ。

そんな暗い思考をしていた時、船室のドアが開いた。 外から船長が入って来たのだ。 クリル人の出身だと聞いた。

「・・・どんな塩梅だね?」

既に60代に入っているだろう、その船長は、年に似合わぬ危なげない足取りで揺れる船内を歩いている。

「・・・別に。 もうあの大地を見る事が無いと思うと、ホッとするわ」

「・・・そうかい。 ならいい、俺も気兼ねせずに済む」

「・・・え?」

不審なその言葉に振り向いたフュセイノヴァ少佐の眼前に、船長が構えた銃口が突きつけられていた。
思わず目を見張る。 どうして? 金額が少なかった? いいえ、そんな筈は無いわ! なら、どうして? 何が、一体何が!?

「悪いな、お前さんは立派にお客だったが・・・ 儂もお得意様に捻じ込まれてな。 あの人の依頼を拒んでおっては、こっちが生きていけんのでな・・・」

響き渡る数発の銃声。 かつてのソ連軍制式拳銃、トカレフTT-33自動拳銃の7.62mm銃弾が、フュセイノヴァ少佐の体を撃ち抜いた。
船室内に飛び散る血、崩れ落ちる様に床に転がるフュセイノヴァ少佐の体。 一瞬で終わった、あとは手筈通り処分するだけだ。

「・・・船長、終わったか?」

船室の外から、船員の(公式には『軍の部下の』)イヴァンが顔を覗かせた。

「・・・終わった。 あとは適当に死体に切り傷を入れておけ、予備のアンカー(錨)に括りつけて、海に捨てろ」

そうすれば、死体は浮かびあがってこない。 海の中で魚共が綺麗に平らげてくれる事だろう。
ふと、船長は死体に目が行った。 恐怖でも苦痛でも無く、訳が判らず茫然としている、そんな表情だった。

「・・・この国の闇はな、アンタが知っている以上に、根深くて、広いんじゃよ・・・」


―――船はそのまま、沖合に出て行った。






『―――おう、そうだ兄弟。 依頼はちゃんと果たしたぜ』

「―――そうか。 モラード、今度上等の酒を送るぞ。 こっちに来い、一杯飲ろう」

『―――そうだな、楽しみにしておくよ、兄弟。 しかし、殺すには惜しい女だったぜ?』

「変な気を起こすな、兄弟。 俺はお前を始末したくねえ」

『判っている、判っているさ、兄弟。 じゃあな、この辺で。 阿呆共に盗聴されないとも限らねえからな』

「ああ、またな」

受話器を置いて、依頼の成果を確認できてホッとした。 兵器廠の欲ボケ将軍は、一昨日に『事故』で殉職した。 あの女も死んだ。 これで『死人に口無し』だ。
それにしても、この数日は生きた心地がしなかった。 何せ完全にあの女の機体をロストしたのだから。 戦死したか、脱走したか、全く判断出来なかった。
そんな折、特大のネタを持ちこんできたのは、昔からの『取引仲間』だった。 ソ連軍の女性将校、それも衛士が不法亡命を依頼して来た、そう言った。
全く大した女だった。 戦術機は途中で廃棄されていた。 強化外骨格で南部までの行程を踏破して、密かに手配した隠れ家で変装までしてやがった。
間一髪だった。 最後はこの国の闇、それにどれだけ精通していたか、その点が勝敗を分けた―――勝者は俺だ。

「―――おや? ご機嫌ですね?」

不意に1人の男が家に入って来た。 どこの血が混じったとも判らない、ユーラシアンな顔立ちの男だった。

「ああ? ああ、お前さんか。 何だ? 今日はRLF(難民解放戦線)か? この前はキリスト教恭順派だった。 忙しいヤツだ」

「―――仕事柄、主義や思想は、夏冬の服と同じですよ」

「・・・違いねえな。 おい、“指導者”と“執事”に宜しくな」

「ええ、承知しておりますよ、“パシャ”サイード―――第967戦術機甲師団参謀長閣下」





―――パストラル・ノマドとは古来、定点を自己の中に持たぬ、『点』でなく『面』で暮らす者たち。
現代では特定の定点―――己が属する国家、宗教、思想の枠外で活動する者達である。





[20952] 伏流 米国編 1話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2012/01/21 22:44
2000年10月6日 1150 アメリカ合衆国 ニューヨーク市パークアヴェニュー299 在N.Y.日本帝国総領事館


「―――次回交渉会議の資料! 本国からまだ届かないか!?」

「―――この数値、検証は? まだ? あと3日しか無い、早く済ませてくれ。 ああ、明日中にだ!」

「ワシントンの代表部に連絡、予備資料の世論調査結果がまだ出ない!」

「おい、ペンタゴン(米国防総省)に誰か、伝手を持っている奴は?」

「国連政府代表部から、矢の催促だ! EUと大東亜連合との調整が、難航しそうだと!」

「なに? 本国でまた、デモが発生!? 今度も国粋主義団体が?―――RLF(難民解放戦線)も絡んでいそう? 国家憲兵隊の仕事だろ、それは!」

総領事館の一室、広さにして10畳ほどの広さしか無いそこに、10数人の軍人が血相を変えて詰めていたとしたら、他からどう見られるだろうか?
しかし現実だ。 本来なら領事業務を担当する総領事館に、軍人が居る筈は無い。 その手の軍人なら、大使館の駐在武官や、駐在武官補だ。

「おい、周防さんよ。 参ったよ、総領事館の連中、通信機材をまともに使わせてくれない」

「U.N.プラザの、国連帝国政府代表部は?」

「もっと酷い、あそこは外務省の牙城だ。 野蛮な軍人に貸す器材は無いとさ」

2人して頭を抱える。 どうしようか? このままじゃ、ワシントンに送る資料が遅延する。 真っ先に参事官や理事官に怒鳴りつけられるのは、俺達2人だ。

「仕方ないよ、2人で総領事に土下座でも何でもして、とにかく使用許可を取ろう。 アンタの身内に、外務省の偉いさんが居るのだろう? 周防少佐?」

「居る事はいるが、本省の人間だしなぁ・・・ 総領事館の連中とは、どう言う派閥になっているのか、良く判らん。 場合によっては藪蛇だぞ? 篠原少佐」

「やらんより、マシだよ。 まったく、この交渉の忙しい時に。 中央の縦割り意識丸出しにしやがって・・・」

同僚の愚痴に苦笑するが、俺も内心そう思わないで無い。 これじゃ、前線で戦っている方が余程、気が楽かもしれない。
前に経験した師団参謀の頃も、軍官僚と交渉する経験は有ったが、それでもまだ同じ帝国軍人同士だった。 今回は同じ官僚でも、気位の高さでは追随を許さない外務官僚・・・

「愚痴っていても、仕方ないよ、行こう―――おい、みんな、済まんが昼飯は暫く我慢してくれ。 俺と篠原少佐が戻り次第、ワシントンに全資料を転送するからな」

室内で仕事と格闘していた全ての部下(全員、大尉達だ)が頷いた。 連中も外務省の連中との交渉が、どれ程不毛で根気が居る事か、この数カ月で身に沁みているからな・・・
とにかく、目指すは総領事室。 目的は総領事の黙認。 まるでBETAの大群を目前にした、小部隊の指揮官の様な心境だった。





嫌味な、実に嫌味な総領事のネチネチした正論攻撃に耐え、精神的装甲をすり減らしてようやく器材の使用許可を得たのは30分後だった。
部下をせっついて大量の(暗号化された)データを送り込み、向うからの受信完了連絡を受け取り、ようやく午前中の業務が終わったのが、1330時。

「・・・さて、まだ昼飯食えるかな?」

「食えるよ。 近くに知っている店が有るから、そこへ行こう」

「助かるよ、アンタが土地勘有って。 俺だけじゃ、途方に暮れるよ・・・」

部下は全員出払った。 そして半数が帰ってくるのを待って、ようやく食事だ。 ここを無人にする事は出来ないからな。 そんなことして情報漏洩すれば、軍法会議だ。
総領事館の入っているビルを出て、パークアヴェニューを東49丁目まで。 そこから49丁目沿いにマディソン・アベニューへ。 
この界隈、東49丁目から東47丁目まではレストランやグリルが多い。 どこもランチサービスはしている。
アッパークラスのビジネスマンが多いから、ちょっと割高になるが。 まあいい、進級して俸給も増えたし。 少しばかり贅沢しようか。

「・・・和食が恋しいよ。 味噌汁飲みたい、米の飯を食いたい。 漬け物食いたい、梅干しなんかも良い」

「余計に食欲なくなるぞ? 経験から言うとだ、そんな妄想、忘れちまえ」

「・・・あんた、よく3年も我慢したよな」

「仕事だし・・・」

入ったのは48丁目のステーキハウス。 昼間からどうかと思うが、喰わなきゃ保たないぞ、本当に激務だ。 肉でも喰わなきゃ、体力が保たない!

俺が再びこの地にやって来たのは、一言で言えば帝国の置かれた状況、その打開策としての、ある条約交渉のお陰だった。
今年の初め、シベリア・カムチャツカ半島への派遣を終えて、2月の中旬に本国へ帰還した。 その後も独戦の大隊長として、南樺太・北海道に3月一杯まで駐留していた。
そして4月、第53、第55師団が乙師団に増強再編成されて北樺太に常駐となり、『明星作戦』の損失から回復した第14軍団(第7、第47、第49師団)が北海道に配備された。
これで従来は北海道・南樺太に2個師団だけだったのが、一気に5個師団まで増強された上、千島には独立守備旅団が数個、配備される様になった。
これは1月の『極天作戦』の結果、極東ソ連軍の戦力が言われるほど頼れるものではない、そう判明した結果の、北部軍管区増強の一環だ。

それと同時に、それまでの4個独戦大隊は本州に呼び戻された。 俺と圭介の第101、第102独戦大隊は千葉県松戸基地に移動した。
棚倉と伊庭の第103、第104独戦大隊は関西の八尾基地に移動となった。 それぞれ、関東・関西での総予備戦力としてだ。
その頃には祥子―――妻も市ヶ谷(国防省)勤務に変わっていたから、東京は千住の方に家を借りて、そこから通い勤務をしていた。
仙台から東京への『再遷都』は2月頃から徐々に行われ、4月頃には半数が移転を完了していたし、住民の疎開限定解除も行われた結果、東京の人口は増加傾向に有った。
松戸でそれまでの実戦経験を再確認させる為、訓練に勤しんでいた5月の中旬だ、思いもよらぬ辞令に急襲される羽目になったのは。

『帝国陸軍大尉 周防直衛殿 日米安保条約 第2次安保条約締結予備交渉 帝国政府代表団 代表随員補佐(ニューヨーク駐在)、管理官補に任ず』

最初は何の事か、さっぱり判らなかった。 第2次日米安保条約交渉―――これは知っている、当然だ。 そのお陰で国内の右派勢力と、軍内国粋派の鼻息が荒いのだから。
しかし―――帝国政府代表団、代表随員補佐? 管理官補? なんだ、それは!? 最初の感想は、正直言ってそんな感じだったな。
大体が、ノンキャリア将校の俺が、どうしてそんな軍事同盟交渉の代表団(の、下っ端)に選ばれるのか? そんなもの、キャリア組―――陸士出身者の仕事だろう?

『―――有体に言えば、陸士出身の同年代の連中にな、結構、国粋派が多いのだ。 条件としては国連派の将校だが、居るには居るが、全員派遣する訳にもな。
連中は連中で、国内や欧州、大東亜連合にアフリカ連合・・・そう言った勢力の軍部との交渉に不可欠だ。 とてもニューヨークまで出す人数が居ない』

国防省人事課長の、その時の残念そうな表情と言ったら・・・腹が立つ。

『君は国連軍出向時代に、N.Y.滞在経験が有ったな? 確か向うの大学に、短期留学も経験したとある。 必要なのは、代表団の下働き・・・コホン、縁の下の力持ち役だ。
我が陸海軍で、米国留学経験者や、駐米大使館附武官・武官補経験者で残っていた者達は、根こそぎ動員してしまった。 
だがそれでも足りない。 ここはひとつ、君自身の経験を生かしてだな・・・』

結局、帝国政府と軍上層部主流派(統制派)は悟った訳だ。 帝国単独では、恐らく佐渡島奪回は不可能だと。 『明星作戦』の経緯を検討した結果、そう結論付けた様だ。
昨年の冬にはその結論は出ていた筈だ。 その辺りから噂が飛び交っていたのだから。 それが半年以上遅れての交渉再開とは・・・
日米再安保を巡る国会審議は、関連する新ガイドライン法案の概略説明すら審議可決されず、前年から持ち越し継続審議となり、今も調整中だ。
結局、国内の諸勢力との調整、或いは恫喝、或いは切り崩し工作、そう言った裏の作業に時間を取ったのだろう。 野党、国内右派、軍部国粋派の反発は凄かった。
それだけでない、中央官庁にも反対派は少なからず居た様だし、野党・民政党は五摂家を抱き込む形で、政府批判を国会で連日行っていた。

『―――国内に溢れかえる難民の援助問題を棚上げにして、また米軍を呼び込むと言うのか!? 本来ならば難民支援に必要な予算を、米軍への貢物にしようと言うのか!?』

『―――政府与党は国内難民問題、そして国際難民問題を、どう考えるのか!? 米軍に『快適に過ごして』貰う為に、我が国民を困窮の底に止め置くと、こう言うのか!?』

『軍は一体、軍事予算の急激な増加をどう考えるのか!? 一昨年に比べ、昨年度国防予算は実に178%に増えた。 今年度要求は193%である!
それほど莫大な国民の血税を独り占めにしながら、帝国軍単独の佐渡島奪回は不可能と、こう言うのか!? ならばその予算は、一体何の為の予算なのか!?』

―――リラベル派、もしくは夢想主義者とも揶揄される一部の議員達は、この国会発言の後、『某国との密議』の嫌疑で国家憲兵隊に一時拘束された。
その後も政府・与党・軍主流派による切り崩し工作が続いた。 国家非常事態宣言―――全面戒厳令は延長され、各所で軍部が首を突っ込み始めた。
野党への監視も厳しさを増し、野党が抱き込んだ五摂家にも国家憲兵隊の監視が、24時間体制で行われる様になったと聞いた―――噂では無い、親玉の1人から聞いたのだ。
軍内部でも、統制派と国粋派の暗闘が熾烈化した。 国粋派高級将校はかなりの数が中央を追われ、地方の軍管区へ追いやられるか、予備役編入・即時召集で閑職に就かされた。
その反動として、一部の国粋派将校団が反乱計画を―――具体的には統帥派の領袖達を襲撃する計画を立てた。 最も余りに稚拙な計画で、簡単に露呈してしまったが。

中堅・若手将校で国粋派と見なされた者は、九州や新潟、北海道・北樺太の『最前線』部隊への転属命令を受けた。 少なくとも帝都からは姿を減じたのだ。
それでもまだ幾らかは、国粋派高級将校は軍の要職に残っているし、帝都防衛第1師団を始めとする主要師団にも、国粋派の中堅・若手将校は存在する。 
余りに露骨な粛軍は、返って国粋派、特に中堅・若手将校の暴発に繋がりかねない、そう考えたのだろう。 彼らを軍保安隊と、国家憲兵隊が密かに監視している、と噂される。

そうした国内工作を為し得た上で、政府と国防省、外務省は対米予備交渉に入った。 とは言え、双方の感情、利害、思惑、各々が様々に入り乱れる。
まず今年一杯は部局長級の予備交渉で、お互いの感触を探り合う。 そこで進捗が見えれば、来年春からの次官級交渉。

全権特命大使による2国間正式交渉は、再来年―――2002年の夏頃と言う予想だった。

交渉の主戦場は、ワシントンD.C. 帝国の拠点は当然ながら、駐米日本帝国大使館。 そこに代表団が根城を置いている。
今回はまだ『予備交渉』、局長級交渉だ。 これが成功すれば、次官級交渉、その後で閣僚級会談が行われ、最終的に特命全権大使による本交渉が行われる。
言わば本番前の根回し時期、それも3つ前の段階に過ぎない。 過ぎないが、ここで骨子を詰めない事には、全く先に進まない。 誠にハードな交渉なのだ。
交渉団長は外務省北米局長、副団長に国防省国防政策局長(中将)。 この2人のブレインとして、外務省北米局から日米安全保障条約課長と北米第一課長が。
国防省国防政策局から国防政策課長、日米国防協力課長、国際政策課長(いずれも大佐)が代表団員として派遣された。

それだけでは無い、代表団随員として外務省と国防省から参事官(大佐)、理事官(中佐)と管理官(少佐)が参謀として随員する(全員、キャリア組だ)
参事官は国防省から3名、外務省から2名。 理事官は国防省から6名に、外務省から4名。 お偉いさんばかりが20人程。 管理官は俺とは同格だ、20名ほど居る。
更に更に、ワシントンD.C.だけでは無い。 『日米安保再開』ともなれば、極東・太平洋方面の軍事バランスに大きな影響を与える。 世界規模の影響と言っても良い。
国連安保理、国連軍事参謀委員会でも重大な関心事だ。 N.Y.の国連帝国政府代表団は連日、国連・欧州連合代表団・大東亜連合代表団等と、公式・非公式会談を行っている。
ここにも『参謀』として、外務省と国防省から、参事官だの理事官だの、管理官だのと言った中央の連中が陣取っている。 言わば『予備司令部』だ。

ワシントンD.C.と、N.Y. この2箇所の『国際外交』の場を有機的に連結させ、滞りなく交渉を進める―――駐米日本大使館や、大使館付武官室では、胃痛で倒れる者が続出した。
その結果、現地要員だけでは間に合わず、急遽本国から『代表団随員補佐』と言う名の、雑多な要務の雑用係が国防省・外務省双方から送り込まれた。
とは言え、大国同士の軍事同盟交渉だ。 国防軍側では下士官や准士官、新米将校等では対応や権限の関係で無理な訳で。 
結局は陸士・訓練校を出て7~8年の、陸海軍各科古参大尉達が『生贄』と言う名の雑用係に指名され、泣く泣く赴任したと言うのが真相だった。

早い話が、現地の情報収集、諸々の予備会談のセッティング、資料の纏めと各方面への配布作業、お偉いさんのお供に警護。 その他、諸々の雑務。
ワシントンD.C.と国連代表部にも同じような連中はいるが、双方から『独立して』、言ってみれば総務的な雑務をする部署、それが『国防省N.Y.臨時出張事務所』
ワシントンの大使館や、U.N.プラザの国連帝国政府代表部に余分なスペースが無い為に、無理をしてN.Y.の総領事館内に1室を借り、そこで業務を行っている。
事務所長は現在、目前の篠原恭輔少佐。 第18師団時代に運用課で、一緒に勤務した事が有る男だ。 副所長兼連絡事務主任は俺、周防直衛少佐(2000年10月1日進級)
元々、俺も篠原少佐も、6月に大尉でここにやって来た。 その時の事務所長(海軍中佐)と副所長(陸軍少佐)は別の人だった。 そして9月に陸士出身の篠原大尉が少佐に進級。
翌10月、つまり今月の頭に俺が少佐に進級して、前任の所長と副所長は喜び勇んで本国に帰って行った(帰朝命令が出たのだ) 何の事は無い、貧乏くじの申し送りだ。

「まさかなぁ・・・俺は機甲科の、野戦将校だぞ? 戦車乗りだぞ? そりゃ、陸士は出たさ。 でも卒業成績は恩賜組って訳じゃないし・・・」

「篠原さん、アンタが言うか? それなら俺は、訓練校出のノンキャリア将校だぞ? どうしてこんな・・・それも6月にだぞ!?」

「ああ、そうか。 あんた、嫁さんが・・・で、どうした?」

「・・・『産まれそうになったら、腹押さえて産院に駆けこめ』って言い残して着任したよ。 泣くに泣けなかったよ、あの時は。
結局、実家に戻っていた時に産気づいて。 2週間後だったよ、産まれたのは。 まあ、タイミング的には良かったけどな・・・」

「男か? 女か?」

「双子だよ―――男と女の。 長男と長女だ」

2000年6月14日、妻が、祥子が無事出産を終えた。 N.Y.に着任して2週間後、目の回るような忙しさの中、軍事通信で知らせてきた。
一瞬、電文の文字の意味が理解出来なかったな、本当に。 頭の中が真っ白で。 やがて頭の中で理解できて、その次には思わず歓喜で叫んでいたよ。
長男・直嗣(なおつぐ)、長女・祥愛(さちえ)―――まだ見ぬ我が子への想いは、日増しに募るばかりだ。

「そりゃあ、良かった。 この交渉も多分、今月一杯だ。 どうなるか判らんが、それで俺達は目出度く帰国できる。 アンタも子供を抱いてやれる―――可愛いぞ、子供は」

「アンタのトコは、去年に産まれたんだったな?」

「ああ、もう直ぐ1歳だ―――チクショウ、早く国に帰りたいよ・・・」

「―――まったくだ」

レストランの窓から、外を見る。 通りの向こうに空が小さく見えた、西の方角だ―――北米大陸を横断し、太平洋を越えた向う、祖国・日本。

早く家族の待つ祖国に、帰りたくなってきた昼下がりだった。










2000年10月8日 1930 ニューヨーク市 マンハッタン区ソーホー(SoHo)


ハウストン通りの南。 元々、『ソーホー』とは『ハウストン通りの南(South of Houston Street)』がなまった言葉だ。
俺がN.Y.に居た5年前はそうでもなかったが、今じゃ高級ブティックに高級レストランが立ち並ぶ、何時の間にやらセレブな街並みになっていた。
そのソーホーの東地域、リトル・イタリーに近い場所に、そこそこ洒落たイタリアン・レストランが有った。 
うん―――『トラットリア(大衆食堂)』じゃなく、ちゃんとした『リストランテ』だ。 これなら、あのうるさい女も文句は無いだろう・・・

「―――ちょっと? その『うるさい女』って、誰の事? 口に出ているわよ! まったく、5年経っても、ちっとも変わらないんだから・・・」

ここはレストランの店内。 清潔で真っ白なシーツを敷いたテーブル、灯る蝋燭、美味いイタリア料理に、これもカリフォルニア産だが、美味いワイン―――勿論天然モノだ。
そしてテーブルの向かいには、長い髪をアップに纏め、ワインレッドのドレスを着込んだ20代半ば頃のブロンド美女が居る。 普通なら舞い上がりたい状況だ。

「―――うん、その口調。 君も変わらずに何よりだよ、ドール」

「・・・忌々しい男ね、アンタも。 まだその呼び名、覚えていたなんて・・・」

「懐かしき、青春の思い出さ。 ミス・ドロテア・シェーラー」

「私には、忘れたい過去の汚点よ? ミスター・ナオエ・スオウ?」

懐かしい昔の学友―――5年前の95年、国連軍出向時代に中堅将校教育で放り込まれた、ニューヨーク大学(NYU)時代の友人。
俺は短期留学で終えたが、ドロテアは卒業後、更に大学院に進み修士号を取得した後、あるシンクタンクに入って、そこで働きながら博士号課程で学んでいると言う。

「みんな、元気にしているわ。 フェイにマリア、ルパートも」

「そうか、それは何よりだな。 イルハンは母国軍に復帰したよ、あれから。 今頃は北アフリカか、東地中海かな・・・?」

「そうなの・・・ あ、そうそう、知っているかしら? ペトラが結婚したのよ? お相手はほら、アーミー(米陸軍)のミスタ・カーマイケルよ。
今はシアトルに住んでいるわ、ご主人も少佐になったとかで。 彼女も、今は合衆国陸軍少佐夫人よ。 子供も産まれたって、手紙が来たわ」

「ああ、ペトラの事は知っている。 去年、オーガストとは日本で会った。 そうか、子供が産まれたのか」

「去年って・・・『オペレーション・ルシファー』? 直衛、貴方も参戦したの?」

「うん・・・これ以上は言えないけれど」

流石は、ヘリテージ財団研究員。 合衆国政府、特に保守共和党政権の政策決定に大きな影響力を持つシンクタンクの所属だな。 直ぐに判ったか。

「ま、きな臭い話は抜きにしよう。 せっかく誘ったのに、雰囲気を壊したくないな」

「そうよ? これ程の美人を前にして、色気のない話はやめにしてね?」

「―――こっちも渋いダンディと言って欲しいな。 どうだい?」

「なかなかお似合いです事、借りてきたダークスーツでも! お国の言葉で何て言ったっけ? 確か・・・『マゴニモイショ』だっけ?」

「それじゃ、『遺書』だよ。 『馬子にも衣装』だ。 って、おい。 これでも自前だぞ?」

ドロテアはワインレッドのロングドレス。 言わば女性の準礼装に近い。 俺は一応、濃紺の三つ揃えのスーツ姿だ。
ドレスコードはそれ程やかましくない店だったが、それでもインフォーマルな略礼装位はマナーだしな。

お互い、笑い合う。 5年前とは立場も全然違うが、ひと時位は良いじゃないか・・・

既に生ハムサラダのアンティパスト(前菜)、プリモピアット(第1の皿)のキノコのリゾットも終え、メインのセコンドピアットの肉料理が出ている。
たっぷり量の有るステーキを頬張る、美味い。 何せ、天然のステーキだ。 久しぶりだな、本当に。 野菜の付け合わせも、瑞々しい鮮度で美味しい。 ワインも美味い。
ふと思った―――祥子は、海外派兵は大陸と半島しか経験が無い。 彼女はこんな料理は、それこそ子供の頃以来、食べていないんじゃなかったか?
ここに居るのが俺の家族で、妻と子供達で、もうちょっと時が経っていて・・・ もし、こんな戦争が無かったら・・・そんな妄想が、一瞬頭をよぎった。

「・・・どうしたの? 奥様の事?」

ドロテアが、一瞬すごく優しげな表情で聞いてきた。 驚いたな、彼女ももう、大人の女性だったと言う事か。

「聞いたのか? ペトラ辺りから?」

「ええ。 昨年の春だそうね。 まったく、水臭いったら、連絡くらい寄こしなさいよ―――改めておめでとう、直衛。 お子さんは?」

―――最近、良く聞かれるな。

「―――2人。 双子の、息子と娘だよ」

デザートのコーヒーアフォガート(アッフォガート・アル・カッフェ。アイスクリームやジェラートにエスプレッソをかける)を食べながら、答える。
コイツと同じだな―――甘さと苦み、そして濃い風味。 人生、そんなのが混ぜ合わさった様なものなのだろうな、これからも。
俺のそんな表情を見ながら、ドロテアがまた微笑んでいた。 昔の、気の強い才女ぶりは何処へやら。 本当に人ってのは変わるモノだ。

「―――『私たちの人生は、私たちが費やした努力だけの価値がある』―――モーリアック。 まさにそんな感じね?」

「・・・『人生を喜びなさい。 なぜなら人生は愛し、働き、遊び、そして星を見つめるチャンスを与えてくれたのだから』――― ヘンリー・ファン・ダイク。 こんな時代でもね」

「乾杯しましょう―――『別れる事がなければ、めぐり逢う事もできない』、古い諺の言う通りよ」





レストランを出て、10分ばかり歩いた所にあるバーで、2人で一杯飲む事にした。 実はこれからが、彼女を誘った主目的なのだが・・・

「・・・で? 私から、どんな情報を得たいの? 日本帝国陸軍、周防直衛少佐殿?」

淡い間接照明の店内に、テーブルの上に暖色系のビーチグラスランプが灯る。 スコッチグラスを傾けながら、ドロテアの顔を見ていた。

「幾ら久しぶりでも、いきなりよ? それもこの状況で。 貴方の友情を疑う訳じゃないわ、でもお互い、今は今でしょう?」

カクテルグラスを傾けながら、ドロテアが俺を見据えてそう言う。 ま、間違っちゃいないんだけどね。

「・・・正直なところ、この国の保守勢力は今回の交渉、どの位の成功率と見ているんだい?」

「私に、それが判るとでも・・・?」

「ヘリテージ財団、国家安全保障研究チームの君ならね」

「はあ・・・油断も隙も無い男ね、貴方って。 いいわ、これを見て」

溜息をつきながら、ドロテアがバッグから取り出した数枚のペーパー。 ヘリテージ財団が良く使うと言われる手法の、『ブリーフケーステスト』と呼ばれるレポートだ。
表紙をめくり、中を読む。 国内情勢―――経済、産業、景気に世論。 太平洋域の各国情勢、日本帝国の経済、産業生産、景気に戦況、国防方針に国内世論・・・

「予想では―――30%の成功率を得るかどうか、その辺りね。 世論は民主党支持に傾き始めているわ。 それに共和党支持者層でも、動揺が広まっているの」

「・・・動揺?」

「夫や兄弟、それに息子や娘が、柩に入って帰って来る事を望む妻や母親や姉妹はいない。 そう言う事よ」

成程ね。 合衆国軍は―――海外遠征軍は、その数的主力を市民権取得希望の難民出身者に依存しているが、それが全てじゃ無い。
割合で6割ほどはそうだ、特に兵員については、8割方がそうだと言える。 下士官は逆に3割に落ちるし、将校は尉官で半数程、佐官は1割も居ない。
つまるところ、合衆国市民もBETAとの戦争で多くの命を失い続けている、そう言う事だ。 特に全地球規模で部隊を展開している、合衆国統合軍がそうだ。
その海外遠征軍ならば、戦死者はとっくに10万のオーダーを越している。 昔から欧州方面の支援を行い、近年ではアジア・極東方面やシベリア方面でも戦っているのだ。

「アーリントン墓地に行って御覧なさいな。 墓標の数は、年々増加しているのよ。 そこで泣く妻達や、母親達の姿もね。 みな、合衆国市民よ。
誰が言ったのかしらね? 『合衆国は安全な後方国家』だなんて!―――私の弟は、志願入隊の陸軍少尉だった。 昨年、フランス北部の海岸線で戦死したわ・・・」

合衆国軍で、フランス北部―――イングランド駐留の第7軍か。 96年、ドーヴァーの戦場で共に戦った事が有る。

「・・・慰めにかける言葉が無い。 俺も多く身内を失った、だからどんな言葉も、慰めにならない位、哀しい事は判る」

お互い、暫く無言でグラスを傾けた。 嫌な事をしている。 『今回の交渉がまとまれば、少なくとも極東地域の合衆国軍の損失―――指揮系統の未定による混乱は防げる』
弟を失ったドロテアに、俺は暗にそう言おうとしているのだ。 他の、この国の姉達が、弟を亡くす哀しみを味わう事のない為にも。
そうだ―――俺は彼女の悲しみに付け込んででも、可能性を探らなければならない。 何故か? 俺は職業軍人だからだ。 良き私人にして、悪しき組織人、そうなのだ。

「・・・見くびらないでね、直衛? 貴方と接触している事がバレたら、私にだってFBIの尾行がつくのよ? その位のリスクは覚悟しているのよ、私だって。
民主党政権になれば、私達のシンクタンクはまず真っ先に目の敵にされるわ。 人員削減で済めば御の字ね。 このまま、共和党政権が続いて貰わなければ、大変なのよ」

「問題は、世論・・・と言うより、それを冗長するメディアか。 その裏の暗闘がややこしそうだな」

「大学時代に教わったでしょう? 復習しなさいな。 あ、それと紹介状を書いてあげたわ。 ルパートは今、ブルッキングス研究所に居るの」

「ブルッキングス研究所? 確かリラベル・中道の・・・民主党寄りのシンクタンク?」

「そうよ、商売敵ね。 私の情報だけじゃ、片手落ちでしょう? どこまで彼が話してくれるかでしょうけれど、会って損は無いと思うわ」

「ああ、感謝する。 感謝するよ、ドロテア・・・」






ドロテアを途中まで送り、どこをどう通ったものか、はたまたどう言う気の変化か。 気がつけばトライベッカを歩いていた。
懐かしい街並みだ、NYU(ニューヨーク大学)時代、良く足を踏み入れた場所だった。 この辺は芸術家達の街。 そして売れないミュージシャンや、小さい劇団の多い街だ。
今も、昔は倉庫だっただろうロフトから、アマチュア劇団の演劇の模様が覗き見出来るし、そこかしこから音楽が聞こえる。 こう言う雰囲気が好きだったな。
思えば、帝国内しか人の営みを知らなかった俺が(派遣軍や国連軍は、基地と戦場だった)、初めて知った『異文化の街』だったな。 自由で、奔放で、活力に溢れた街。

そんな過去を思い出しながら歩いていたせいか、不意に建物から飛び出してきた人影に気づくのが遅れた。 モロに正面衝突だ。

「―――きゃっ!」

元気よく飛び出してきた女性―――いや、良く見ればまだ少女だ―――が、可愛らしい悲鳴を上げる。

「―――どうした?」

「―――大丈夫? ケガは?」

建物の中から、恐らく友人達と思われる若者の一団が、顔を見せた。

「ああ、うん、大丈夫、大丈夫。 私が急に飛び出しちゃったから・・・失礼しました、ミスター・・・」

「ん、ああ、こちらこそ不注意だった。 怪我は無いかな、お嬢さん? ・・・ん?」

辺りが暗かったから、気付かなかった。 その少女が吃驚した表情で、俺を見上げている。 はて? 年の頃は・・・10代半ばか? 欧米系は大人っぽく見えるが、その位だろう。
しかし、そんな相手は知り合いに居ないぞ? しかもN.Y.でなんて・・・ 待て、N.Y.? 10代半ば? 出会ったのは5年前だ、あの頃、あの子は10歳そこそこ・・・

「・・・やっぱり、直衛だ・・・ 直衛だぁ!」

「うわっ・・・! きゅ、急に抱きつくな・・・! って、アルマ、どうして君がここに!?」

嬉しそうに、俺の名前を連呼しながら抱きついて、首筋にぶら下がる少女―――アルマ・テスレフだった。 5年前、何もしてやれず見送るしか出来なかった、あの少女だ。
あの女の子が、あのアルマが、眼の前に居た。 随分大きくなって、随分大人っぽくなって。 そして、とても幸せそうにして、再び出会えた。










2000年10月12日1830 アメリカ合衆国コロンビア特別区ワシントンD.C. 在米日本大使館


マサチューセッツ・アベニューに面した日本帝国大使館、両隣に亡命インド政府大使館、そして亡命韓国政府大使館に挟まれた場所にある。
その中の新本館の南東に接して、旧来大使公邸として1931年に建てられたネオ・ジョージアンスタイルの大使館イースト・ウィング。 現在は駐在武官室が入っている。
古き良き時代のアメリカを象徴する様な建物、その1階の大会議室で延々と会議が続いていた。 もうかれこれ、4時間以上も。

「―――合衆国案を、全て飲む事は出来ませんな」

如何にも貴族外交官然とした(実際、確か爵位持ちの筈だ)、交渉団長の外務省北米局長が冷ややかな声色で話している。

「―――当然の事。 我が帝国軍は、米軍の従属軍では在りませんからな」

副団長を務める国防省国防政策局長の海軍中将閣下も、似たり寄ったりの声色で相手に返している―――堪らんな、この雰囲気。
現在、予備交渉を4日後に控えての事前摺り合せ会議中。 国防省側と外務省側とで、見解の不一致が有っては事だと言う事で。
目前には、向かい合う大テーブルに国防省と外務省のお偉方が陣取っている。 その後ろの列に、両省庁の参事官・理事官(国防省側は、大佐や中佐の課長級、課長補佐級高級将校)が、参謀然として控えている。
一番後ろに、管理官(国防省側は少佐級)がズラリと、御用伺いの如く控えている、と言うのが本会議の様子だ。 俺も御用伺いの1人だった。

「―――外交交渉など、最初は無理なハードルを承知で言ってくるモノです。 それを如何に交渉で下げさせ、妥協点を見出すか。
感情に流され、場を蹴って立ち去るなど、国際外交の何たるかを知らぬ愚者の短慮。 駆け引きを行うと言う事も、相手に交渉継続の意思あり、を見せる誠意なのですよ」

「―――ご高説、有り難く拝聴した。 では、実際の所どこまで『値切る』かなのだが・・・?」

外務省北米局長の得意げな言葉を、あっさり聞き流して現実問題に戻した国防省国防政策局長の言葉に、外務官僚達が微かに舌打ちしている。
大方、戦争しか頭に無い野蛮人が、何を聡しらかに国際外交の真似事を語るか、そう言った所だろう。 もう、空気が悪いのなんの。

「―――実際の所、完全な妥協点は本交渉で決着をつけるとして。 本予備交渉、つまり事務交渉では『可能性の確認』も重要な任務だ。
帝国側の案と米国側の案、双方をすり合わせ、我が帝国はどれ程の成功を手中に収める事が可能か? 事前に想定しておかねば、交渉にもなるまい」

どこまで押すか、どこで引くか、どこを再調整するのか。 お互い、相手に出した要求が全て為し得る訳でないと判っている。 
では本交渉での軟着陸点を、どの辺に設定するか? 25%? 30%? それとも欲張って、一気に50%を目指す? 相手の予想を読んだ結果は?

「―――外務省としては、40から最大45%は確保出来る、或いはそれ位の成功を収めねば、次回交渉が著しく不利になる、そう結論しました」

外務省日米安全保障条約課長が、四角四面な外見通りの(眼鏡が余計にその印象を強める)声色で、国防省側に説明する。
同時に北米第1課長が、外務省作成の資料を提示して補足説明を始めた。 合衆国の経済、産業、景気に世論、国防政策と外交政策の要点。

「―――彼等は極東アジアを、何としても失いたくない。 日本が滅ぶと言う事は、そのままアラスカ方面への脅威度が飛躍的に高まる事を意味する事は、国防省もご承知の通り。
カナダの防衛力は当てに出来ず、米国世論は危機感に溢れかえる。 世情は混乱し、経済は信用不安に反転しかねない。 この国の産官軍複合体は、その状況を許容しません」

その見解は、国防省側でも一致している。 だから米国は、日本帝国の投げたボールを投げ返してきたのだ。

「―――双方共に、日米安保の再条約締結の必要性を、痛切に確認しております。 そして内容も今次世界状況に合せた内容でなくてはならぬ、と言う事も。
サンフランシスコ講和条約時の第1次条約(1951年)、サクロボスコ事件(1967年)以前の改定新安保条約(1960年)、帝国にとっては大幅な見直しの絶好の機会です」

かと言って、全てを米国が飲む事は有り得ない。 結局の所、7:3か、良くて6:4位の感覚で、日本は米国の下風に立たざるを得ないだろう。

「―――それは国防省側も重々承知している。 要はどこまでの成果をもって、本予備交渉の成功と見なすか。 つまり次の次官級会議へ繋げるのか。
まずはそこの意識・・・いや、決定を双方共に共有しておかねば。 先程、日米安全保障条約課長は40%から45%と言われたが、国防省側としては過度な期待値と判断する」

国防省日米国防協力課長の大佐が、相手の甘さを指摘する。 外務省側は本来の専管事項の検討を『甘い』と言われ表情を硬くしている。

「―――国防省側としては、30%前後、最大限甘く見積もったとして、35%を設定している。 恐らく本会議では、30%の成果を巡っての交渉となる。
とてもあと10%から15%の上積みは不可能だ。 それは次の次官級会議、つまり我が帝国が『それなりの誠意を示した』と米国が認識した後に、得られるモノだと考える」

「―――国防省はそれだけの成果で、国内の世論を抑え切れると、そうお考えか?」

国防省側の指摘を聞いていた、外務省北米局長―――今回の交渉団長が、副団長たる国防省国防政策局長を見据え、問い質した。
つまり、今現在国内で噴出している日米再安保条約反対の空気に対し、たったの30%の成果―――多大な譲歩を行って、国内世論を抑え切れると考えているのか?と。

「―――『継続交渉事案』、そう発表する事になりましょうな。 国民にはまず、『成果』を大体的に、全面的に発表する。 ここまで為し得た、引き出したと。
譲歩した内容については、『継続交渉事案』に含めて発表すれば宜しい。 『双方共に、前向きに検討中である』と。 本条約締結の際に、わざわざ発表する事でも有りませんが」

「―――成果は大体的に発表する、譲歩部分は有耶無耶の内に・・・ですかな?」

「―――外務省の、お得意技でしょう?」

「―――国防省もですな。 方針については了解しました。 しかし先程の数字根拠、あれは?」

「―――ご説明しましょう。 周防少佐」

「―――はっ!」

うう、この場面で説明役にご指名か。 早速、胃が痛くなってきたぞ・・・ 国防省、外務省双方のお歴々が、『この若造が、何を話すのか?』と、険しい視線を送って来る。
特に外務省だ、自身の数字を否定する説明を、俺がするとなれば尚の事。 些細な点もしっかり突いて来るだろうし、国防省側からも恐らく援護は無いだろうな・・・
国防省側の事前会議でも、今回の数字はお偉いさん方が計算した数字を、若干下回っていた。 けど、客観的根拠を示したのが『例の』ペーパーだけなのだから。
観念して、最後列の席を立ってスクリーンの前に移動する。 パソコンを操作して、『例の』ペーパーをプロジェクターで表示させ、説明を始める事にした。

「こちらは、米ヘリテージ財団・国家安全保障研究チームが纏めた『ブリーフケーステスト』と呼ばれる、上院・下院議員に対する議会委員会用のレクチャー・レポートです。
これは今回、米上院の軍事委員会内の即応・管理小委員会、外交委員会内の東アジア・太平洋地域小委員会にて、与党・共和党の各上院議員に配布されました。
また推定ですが同じ上院の国土安全保障・政府問題委員会での連邦財政管理・政府情報・国際保安小委員会、また米下院の該当委員会におきましても、配布されたと考えられます」

例の、ドロテアから入手したレポートだ。 勿論、そのまま何の裏付けも無しに、報告している訳じゃない。 情報省が同様のレポートの写しを、裏から入手していた。
同時にドロテアに対する身辺調査も、急ぎ行われた。 カウンターインテリジェンスの可能性を確認する為で、こちらは米国内にアンダーカバーで入っている軍情報部が行った。
たった4日しか無い、急ごしらえの調査だったが、一応の確証は得たと報告が有った時点で、このレポートは『一次資料』となった。

「現状では、日米安保再締結を推進する共和党内でさえ、対日交渉の成果は30%内外、と言う予想を行っております。
また、本レポートの内容につきましては、やはり同じ共和党の米国家安全保障会議メンバー、米国家経済会議メンバーも共有する所である事は、ご承知の通りと思います」

ここで一息入れる。 見回すと、国防省側はまあ、納得した表情だ。 当然か、事前会議で何度も検討した結果だし。
反対に、外務省側の視線の痛い事、痛い事。 もう、まるで親の仇を見る様な視線を向けて来る連中もいる。 主に調査担当の管理官クラスだ。
米国与党の、政府高官や上院議員達へのレポート。 こんな『大物な』情報ネタは早々手に入らない。 それを外交交渉が専門でもない、軍のノンキャリの少佐が・・・だろうな。

「恐らく、米国野党・民主党の反対は、これ以上と考えられます。 与党・共和党は野党と国内世論に対するコンセンサスを得る為に、我が国へ強い要求をすると考えられ・・・」

つまり、このレポート中に有る『30%』と言う米国側の数字を実現するには、帝国側も相応の妥協、或いは再考を迫られる、と言う事だ。
でなくば、米共和党は、民主党や世論に対し、説明責任を負う事が出来なくなる。 日本も同様だが、アメリカ側も国内に対し、説得せねばならない相手が居るのだ。
納得させる相手は何も野党だけじゃない、与党・共和党支持者層に対しても、相応の説明が必要だろう。 そもそも保守主流派は、連邦政府の上からの強圧を忌避する層だし。
しかし、交渉はお互いの駆け引きと同時に、信用の獲得の場でも有る。 今回、例え30%としても、次回の50%や60%に繋げる30%でなくてはならない。

レポートに対する一通りの説明が終わる。 即座に外務省側から質疑が上がって来た。

「―――そのレポートは、まことに興味深いが、どこから入手したものなのか?」

「―――情報源につきましては、小官には答える権限が有りません。 主管は国防政策課長ですので、確認を願います」

「―――カウンターインテリジェンスの可能性は? 要するに、君がアメリカ側から『一杯かまされた』と言う事だが?」

「―――疑義の確認は、情報省北米支局、ならびに国防省情報本部北米支局にて、最終確認を得たとの報告が入っております。
小官は情報の疑義について、審議する権限を有しておりませんので、確認は担当部局へ問合せ願います」

くそ―――予想の通りだ、情報の内容よりも、入手した俺個人、或いは俺の入手ルートの落ち度を見つけて、そこから反対意見を展開しようとしていやがるな。
こんな時は、軍も所詮官僚社会だ。 敢えて俺を擁護しようとする高級将校達は居ない。 なもので、俺も原則論者に徹するしかない。
あくまで情報を入手しただけ。 それの背景を確認し、情報の内容を検討し、その情報に価値を見出したのは、主管する専門の連中やお偉方です。 俺は、一担当官です。
内心でそんな情けない言い訳を、延々と唱えた。 外務省連中の嫌味な攻撃を、正直なところ嫌いな筈だった官僚主義に凝り固まった回答で、終始している。

「―――本情報の検討については、本国でも為された。 そして本予備交渉での指針にと、昨日通達が有った。 当然ながら外務省にも有ったかと思うが?」

副団長の海軍中将閣下が、皮肉っぽく団長の外務省北米局長に投げ返した。 同時に目で俺に『戻って良い』と命じていた。
内心でホッとしながら、席に戻る。 国防省側の最後列にある自席に戻って、ほうっと、自然に息を付いていた。

「ご苦労さん」

隣席に座る篠原少佐が、苦笑半分、憐れみ半分で言う。

「ああ、本当に。 所長が逃げたからなぁ・・・」

「ネタを持ちこんだのは、副所長だし」

小声で軽い言い争い?をしている内に、どうやら『双方の本国事務方の対応遅れによる、情報伝達のすれ違い』が有った様だと、そうこじ付けた様だ。
可哀そうに、これで何人かの本国の事務屋が訓告か減給か、いずれかの処分になるのだろうか? ま、見て見ない振りをするしかない。

結局その日の会議は、確認内容が修正されて、『目標成果を30%』とする事で国防省・外務省側の認識が一致した。
これを成し遂げる事が出来れば、次のステップに進める。 問題はどの部分を押し通して、どの部分を引くかだが・・・

(―――ま、それは俺の仕事じゃない。 お偉いさんの判断だしな)

俺はあくまで、総務的な仕事の臨時出張事務所、そこの副所長だ。


やがて会議が終わった頃には、もう陽がどっぷりと沈んだ後だった。 現在時刻、2015時、実に6時間近く会議をしていた事になるのか・・・
会議にはN.Y.の『予備司令部』から来ている、両省庁のお偉いさん達もいるが、彼等は今夜、ワシントンの高級ホテル泊まりだ。

「・・・帰りの飛行機、何時だ? 周防さんよ」

「えっと・・・ナショナル空港(ワシントン・ナショナル空港)を2130時発のユナイテッド。 ラガーディア(ニューヨーク・ラガーディア空港)着は2245時」

「今からタクシー捕まえて、地下鉄に飛び乗って、空港まで急げば何とか・・・?」

「多分、何とか―――急ぐぞ、篠原さん!」

篠原少佐と頷き合い、お偉いさんを見送った後で、一目散にタクシーを飛ばして地下鉄駅まで急いだ。
俺達に外泊出張なんてそんな、贅沢な経費は認められていなかったからだ。 にしても、N.Y.=ワシントンD.C.間の日帰り出張なんて・・・もう、やりたくないと思った。
N.Y.に戻れば、また平常業務が待っている。 それでもここで、ネチネチと外務省の精神攻撃に晒されるより、余程マシだ。

(・・・あ、そう言えば明後日、アルマと約束が有ったな)

つい数日前に再会した、北欧系難民出身の少女との『約束』が有ったのを、唐突に思い出しながら、疲れた体に鞭打って、帰路についた。





[20952] 伏流 米国編 2話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2012/01/30 23:51
2000年10月14日 1830 ニューヨーク市パークアヴェニュー299 在N.Y.日本帝国総領事館内 国防省臨時出張事務所


「じゃ、お疲れ様。 お先に」

「お疲れ様です、副所長」

「お疲れ様でした」

ようやく、ペンタゴンとの非公式会談のセッティングが終わり、ホッと一息ついた日の夕方。 退勤時間は1時間前に過ぎているが、所長の篠原少佐も部下達も、誰も帰らない。
こう言う所が、『日本人はワーカーホリックだ』と言われる所以なのだろうな。 欧米だと完全に割り切るからな。 無論、残業をしない訳じゃない、忙しければもっと凄いと聞く。
だけど、上司が帰らないと部下が帰りづらい、だから何となく残業して時間を潰す―――日本の実態は、多分にそんな所じゃないか? 親爺に聞いても、そう言っていたな。
だもので、最近は真っ先に俺が帰る事にしている。 その次に篠原少佐。 彼も父親が会社員だとかで、その辺はよく聞いて解っている男だ。

「おう、周防さんよ、俺も帰るわ」

所長の篠原少佐も、外套を手に取り事務所を出てきた。 2人してエレベーターに乗り込む。 他に別フロアのビジネスマンが居たが、俺達を日本軍人だと思う連中は居ないだろうな。
何せ、ここでは軍服着用は不可だ。 元々、ただの民間所有のビルだし、そこに外国の軍服を着た軍人が出入りしていては、ビルのオーナーの心証が悪くなる。
なもので、俺も篠原少佐も、部下の大尉達もみんな、普段は背広やパンツスーツ姿だ。 まるで会社員だよ―――なんか、新鮮な感覚だ。

「―――でな? お前さんが金髪の美少女を引っ掛けていたって、前田君がさ・・・」

「おい、ちょっと待てよ。 誤解だ、それは。 彼女は俺が国連軍時代に世話になった元上官の、その知人の娘さんだよ。
その元上官って人はもう亡くなっていて、なにかと気を使っていた事が有っただけだ。 今回、偶々再会したんだ。 まったく、前田大尉は優秀だが、この手の話題が・・・」

ぶつぶつと、次第に愚痴になって来た。 部下と言っても、古参の大尉連中だ。 1期や2期上の少佐を、噂や笑い話のネタにする事ぐらい、平気でしやがるからな・・・
ビルの前のパークアヴェニューを南西に、グランド・セントラル駅に向かって歩く。 『マンハッタン3大ターミナル』のこの駅は、44面67線の広大なプラットホームがある。
俺達は普段、この駅からメトロノース鉄道のハーレム線でマンハッタンの北隣、ウエスト・チェスター群まで往復している。
ここは住環境が良好で、日本人駐在員や派遣された各省庁職員などが、多く居住している場所だ。 終電も深夜2時、3時と遅くまで運行しているのが有りがたい。
そしてそんな夜遅くの電車には、これまた遅くまで残業している日本人ビジネスマンの姿が多く見られ、郊外の住宅地に帰宅する彼等は一様に日本の新聞を読んでいる・・・
アメリカ人からすれば、ちょっと異様で、それ以上に可笑しい光景が、夜毎拝める路線として、小話のネタにもなっている。

「ふうん・・・ 俺はもう今日は帰るけど、アンタは?」

「・・・その『美少女』と、逢引きだ」

「へへえ・・・? ま、何も言わんよ。 『武士は相見互い』ってな?」

「・・・わざと言うなよ、ったく・・・」

グランド・セントラル駅で篠原少佐と別れ、そのままパークアヴェニューを真っすぐ歩く。 途中、東40丁目で折れて、そのまま西40丁目まで。
バロックだがゴシックだかの建築様式の、ニューヨーク公共図書館の前で待ち合わせだ。 待つ事5分ほど、待ち人が図書館から出てきた。

「―――お待たせ、直衛!」

変わらないな、この子は。 前向きな元気さは。 アルマが結構大きなバッグを背に、図書館から出てきた所だった。

「ん、今着いたばかりだよ―――可愛い服だな、アルマ。 えっと、その・・・」

―――何て言えばいいんだろうか? すっかりこの街のファッションなんか忘れてしまったぞ? 思いっきり小父さんになった気分だ・・・

「え? これ? ん~、普通のVネックブラウスだよ? シックカラーの襟付きが、ちょっとお洒落なのさ! あとは普通にスリムパンツと、アンクルブーツだよ?」

その上にロングのニットカーディガンを引っ掛けている。 全体的にすっきり感が有るけど、アルマの雰囲気でか、妙に元気に可愛く見えるな。

「えへへ・・・可愛い? ね、可愛い?」

「ああ、可愛いよ―――勉強か?」

「うん、課題のレポート。 明日提出なんだ、でももう仕上げたけどね!」

「へえ・・・優秀なんだな」

「へへん、これでも成績は優等クラスでAかA-は、ずっとキープしているもんね!」

「・・・高校、どこだと言ったっけ?」

「スタイヴァサントだよ、ソフモア(10年生、高校2年。 アメリカの高校は4年制)さ。 もう16歳よ、私」

―――え? スタイヴァサント? って、昔ドロテアに聞いた事が有るぞ。 確かマンハッタンの公立高校で、3指に入る進学校じゃなかったか?

「・・・一応聞くけど、ニューヨーク市立スタイヴァサント高校?」

「え? だからそうだって、言っているじゃん? 直衛、耳が遠くなった?」

―――口の悪さと小生意気さも、変わらないな、この子は・・・

ブライアント公園で6番街に左折して、そのままアヴェニュー・オブ・アメリカズを真っすぐ南西に。 西34丁目とぶつかった角が『メイシーズ』だ。
ニューヨーク庶民に愛されるこの庶民派デパートは、アルマもお気に入りの様だ。 洋服から靴、帽子、ヘアリボンに下着!まで(ランジェリーと言った方がいいのか?)
散々、ウィンドウショッピングに付き合わせられた。 いや、少女でも女だ、このショッピングにかける根気には負ける・・・

「私さ、別に直衛を恨んで無いよ?」

「―――ん?」

「あの頃はさ、わたしもまだまだ子供だったじゃない? 11歳だったもん、まだ判らなかった。 だから、ちょっとだけ『直衛の嘘つき!』って、思った頃は有ったけど・・・」

メイシーズを出て、ちょっと歩いた所にあるカフェでコーヒーを飲んでいる。 アルマはソフトドリンク。 プラス、ケーキ。 甘いもの好きは、万国の女の子共通か。

「お姉ちゃん・・・イルマが連邦軍に志願入隊して。 それで正式任官した後だよ、ママと私も、キャンプから出られたの―――色々と条件付きだけれどね」

「条件付き?」

「うん。 住む所は事前に移民局と地元の市警に、申請出した所以外はダメとか。 当局の許可無しで引っ越し出来ないとか。 国内旅行も許可制とか。
でもね、お姉ちゃんが合衆国の軍人になったから、その家族の私にも奨学金が貰えるようになって、学校にも行けるようになったの。
一生懸命勉強したよ、私が勉強出来るのは、お姉ちゃんのお陰だから。 キャンプを出る時にね、『自分の好きな事を見つけなさい』って、そう言ってくれたんだ・・・」

「そうか。 良いお姉さんだな。 そう言えばお母さんは? お体が弱かったようだが・・・」

「うん、大丈夫。 時々寝込むけど、それでもね、手芸店を開いたんだ、ママってば。 得意だったし、ま、生活に困らない程度にはね」

―――あれから色々調べた。 寸暇を惜しむ忙しさの中、NYPD(ニューヨーク市警察)に連絡を入れて、旧知のジョン・サラマト刑事を呼び出して教えて貰った。
警部補まで出世して、87分署の刑事分隊長(日本の警察で言えば、所轄署の刑事課長と言った所)になっていた。 お互い、何とかやっているな、と喜び合ったモノだ。
そしてジョンが言うには、どうやら全額とは言えないが、生前にイヴァーリが手配した分の金額だけは、テスレフ母娘に手渡った様なのだ。 それを元手にしたのだろう。

「あの頃、直衛は日本から派遣されて国連軍に居て。 私達は不法居住の難民で。 直衛がそんな私達の味方をできる訳が無いって、ようやく判ったのね。
だって、直衛って衛士なのでしょ? 戦術機に乗って、BETAと戦っているのでしょ? そんな人が、国や、国民や、他の色んな事を裏切れないって・・・判ったの」

くそ―――不覚にも、眼頭が熱くなってきた。 泣いている訳じゃないぞ? 絶対に、そうじゃないからな!? 嬉しかったのだ。
俺にとっては個人的な、小さな、それでも嬉しい事だ。 この世が絶望だけじゃないと言う事を、この大都会の片隅で再確認出来た、それが嬉しい。

「でね、私は将来、教職に就きたいの」

「先生か、それもいいな。 アルマだったら、生徒と気心の知れた先生になれるかもな」

カフェを出て、グローリー・スクウェアからブロードウェイを歩く。 隣を歩くアルマが、微笑みながら将来の夢を語っている。
随分と大きくなったな、この子も。 北欧系だから背も高いのだが、多分祥子と余り変わらないのじゃないかな? 5フィート5インチ(約165cm)はありそうだ。

「うん。 それも良いけど・・・キャンプの子供達に、勉強を教えたいの」

「・・・」

「教える人が居ないのよ、キャンプの不安定さは、教育の不足も問題なの。 私自身そうだったから。 だから・・・まだ夢だけど、いつかは・・・って。 おかしいかな?」

―――この子の人生には、必ず『難民キャンプ』が付いて回るのだろうか? いや、それを憐れんではいけない、それはこの子への侮辱になる。
この子は強い、どんな境遇でも、しっかり前を向いてきただろう、強い子だ。 だからこそ、そんな夢を持てるのだろうな・・・

「いいや―――キャンプの子供達にとっては、朗報だな。 将来、必ず『テスレフ先生』が教えてくれる」

「・・・えへへ」


マディソン・スクエアパークの入口についた。 この近くでアルマは友人と待ち合わせらしい。

「私、趣味で演劇のサークルの入っているのよ。 そこの友達なの」

「その子は、演劇学校の生徒か何かかい?」

アメリカの学校は、日本の様なクラス制で無い、単位制だ。 そこには日本には無い教科―――演劇とか、芸術とかのコースがたくさんある。
生徒は自分の勉強したいコースを選んで、また将来に見据えたコースを選択して、勉強出来ると言う。 初めて聞いた時は、とてつもなく羨ましかった。
帝国の教育制度じゃ考えられなかったし、俺が中等学校の頃にはもう進学の選択肢など、殆ど無いに等しかった事も有る。

「え? ううん、その子も―――女の子だよ、その子も別の学校。 好きで演劇やっているのね。 2歳下、8年生よ」

8年生―――14歳か。 こちらの中学3年生、日本で言えば中学2年生だ(アメリカは、少なくともN.Y.の義務教育は、5・3・4年制だ)

「超名門の、お嬢様女学校なの。 『メリーマウント・スクール』って知っている? マンハッタンの超名門女学校、『セブン・シスターズ』の中でも、お嬢様学校よ」

「・・・知らない」

「じゃ、今から覚えておいて。 私の友達に、失礼の無い様にね―――あ、ここよ、ここ! ジョゼ!」

―――いや、神様ってのは、本当にいたずら好きなのだなと、今日は再確認したよ。 本当に。

秋の夕空を背景に、向うから笑顔で駆け寄ってくる少女―――淡いヘイゼルの長い髪と、同色の瞳。 雀の様に軽やかな身のこなし。
オフホワイトのフレアコートに身を包んだその少女は、俺の背後から友人に遅れたことを詫びていた。

「はあ・・・はあ・・・ごめんなさい、アルマ。 授業が長引いちゃって・・・」

「いいよ、いいよ。 私も暇潰しの相手が居たしね! それよりホント、真面目ね、ジョゼは。 AP単位、もう取っちゃう気なの?」

「早いに越した事ないもの。 あ、私ったら―――失礼しました、ミスター。 私、ジョセフィン・セシリア・アクロイドと言います。 アルマの演劇サークルの友達で・・・え?」

振り向いた俺を見上げて―――この子はアルマ程、背が高くない―――ジョセフィン、ジョゼは絶句していた。

「・・・大きくなったね、それに綺麗になった。 お母さんに良く似てきたね、元気だったかい? ジョゼ?」

「あ・・・ お、おにい・・・」

「5年振りか。 どうしてN.Y.に・・・は、また後でな? とにかく、元気で良かった。 友達も出来たんだね、良かったよ、ジョゼ」

「お・・・おにい、さま・・・?」

「・・・うん」

途端に、少女の感情が爆発した様だ。 大泣きに泣きながら、俺にしがみついて来る。 小柄な子だ、俺の胸辺りまでしか無い。

「バカ! バカ、バカ、バカ!―――居なくなっちゃうなんて! 何にも言わずに、居なくなっちゃうなんて! お兄さまのバカ、バカ、バカ!」

「うん・・・ごめんな」

もう、言う事が支離滅裂だ。 この子が祖母のレディ・アルテミシアや母親とロスアラモスに立ったのは、俺がN.Y.滞在中だったのにな―――ま、野暮は言うまい。
アルマに目配せして、公園のベンチまで移動する。 流石にこの往来の中で、可愛い女の子に泣きながら『バカ!』を連発されるのは、恥ずかしい。
ようやく叫びやんで、それでも俺の背広をしっかり握りながら、まだグズグズと泣いているジョゼを横目に、アルマがジト目で問い質して来る。

「・・・まさかと思うけどね。 直衛って、以前ここに居た時は5年前よね? その時、ジョゼは9歳・・・ 直衛って、まさかっ!? あの『死に至る病』の・・・!」

「阿呆!」

何て事を言い出すのだ、この子は! 

仕方が無いので、アルマに説明する事にした。 流石に軍に関わる詳しい事は言えないが、それでも以前、スコットランドでの任務でジョゼの一家と知り合った事。
まだ幼かった彼女が懐いてくれた事、N.Y.まで一緒に来た事。 それから俺がアルマと出会ってから、その後にN.Y.を離れた事。 ジョゼもその前後にロスアラモスに移った事。
そんな事をかいつまんで説明した。 アルマは色々と聞きたそうだったが、それで十分と納得してくれたようだ。 俺が軍人で、話せない事も多いと判っている様だった。


「・・・ふ~ん、ま、いいわ。 そのお話で、手を打ちましょ」

「事実だぞ・・・?」

「気にしない、気にしない。 ねえ、ジョゼ? 今日はサークル、サボっちゃおうよ?」

「・・・え?」

割と、いや、かなり世事に慣れたアルマに対して、ジョゼは正真正銘のお姫様育ち―――何しろ、スコットランドの男爵家のお姫様だ。
趣味でもアマチュアでも、『サボる』と言うのはジョゼにとっては、随分な冒険だろう。 アルマは常習犯かもしれないが。

「だってさ! 急に居なくなった『兄貴』がさ、やっと顔を出したのよ? 『妹達』としてはさ、ここは盛大に甘えるべきだと思うのだけど、どうかな?」

最初はキョトンとしていたジョゼが、次第に笑みを浮かべ始めた。 昔、幼い頃に屋敷近くの湖に連れて行ってやった、あの時の笑顔と同じだった。

「・・・うん! そうする、そうしたいわ! 昔、ペトラも、そう言っていたもの!」

「よし、決定!―――ん? 誰? ペトラって?」

「ふふ、私の『お姉さん』よ。 行きましょ、アルマ! ほら、お兄さまも、早く!」

「よっし! じゃ、どこ行く? 映画? 演劇も良いよね!」

「ええ、その後でディナー! お洒落なカフェもね!」

「賛成! ほら、行こうよ、直衛!」

「お兄さま、早く、早く!」

ま、良いけどね―――薄情な『兄貴』としては、5年振りに再会した可愛い『妹達』の我儘の、ひとつやふたつや、みっつは・・・俸給、足りるかな?
その前に2人に言って、それぞれの家に連絡を入れさせておいた。 2人とも年頃の娘だ、下手に帰宅が遅くなっては、家族が心配するし。
俺からも一言、伝えておいた。 アルマの母親―――俺の事を覚えていてくれた、思わずイヴァーリを思い出して、懐かしくなった。
ジョゼの母親、ミセス・シルヴィア・アクロイド。 今は母であるレディ・アクロイド博士の元を離れ、ジョゼとN.Y.暮らし。 マナースクールの講師をしていると言う。
2人とも懐かしがってくれた、その内に挨拶にでも伺おう、機会が出来れば・・・ ジョゼの曾祖母(レディの母)は一昨年、亡くなったと言う。 ジョージ爺さんはレディの所だ。


その後は2人に連れ回され、それから演劇を観て(映画は2人の『妹達』が、面白くない、と言って却下だった)、小洒落たレストランでディナーをして。
ぶらぶら歩いた先の、小じんまりとした、お洒落な(女の子が喜びそうな)カフェでお茶をして。 とりとめの無い事をしゃべり続けていた、主に彼女達が。

「え? じゃあ直衛、結婚して子供もいるの!?」

「素敵! お兄さま、写真は有る? 見せて、見せて!」

「ん? ああ、日本から送って来た―――妻と、息子に娘だよ」

祥子が送って来た写真だ。 退院して実家に戻った祥子が、直嗣と祥愛を抱いて微笑んでいる写真。 今は俺の一番大切な写真だ。

「うわあ、奥さん、綺麗な人だねぇ~・・・」

「赤ちゃん、可愛い!」

―――女の子って、大体こう言う反応するな? ま、微笑ましいから良いけどね。

彼女達は色んな事を話してくれた(と言うより、一方的に話しまくっていた)。 学校の事、家族の事、友達の事、趣味の事、遊びの事、ファッション、音楽、将来の夢、etc、etc・・・
そんな2人を微笑ましく思って相槌を打っている内に、ふと日本に居る身内の2人の少女の事を思い出した。 
雪絵―――直邦叔父貴の末娘、直秋の末妹、俺の従妹で15歳の女学校3年生(中学3年) 笙子ちゃん―――妻の、祥子の末妹、俺の義妹で16歳の女学校4年生(高校1年)
2人とも、アルマやジョゼとは同年代だ。 日本を発つ前、5月の半ば頃だったか。 2人に会った。 私用で実家や、祥子の実家へ行った時だったが。

「ジョゼはさ、将来は舞台女優になりたいんだよね?」

「うん・・・ でも、まだ判らないわ、そんな簡単になれるでもないもの。 それに、お母様もお婆様も、許してくれるかどうか・・・今はまだ、趣味でやっているから・・・」

「え~!? もったいないよ、そんなの! ジョゼってば、すっごく舞台映えするんだしさ!」

「う・・・うん・・・」

「夢は追いかけるモノ! で、諦めないものよ! ね?」

帝国の教育制度、そして施行されている徴兵制度(選抜徴兵制)に従えば、雪絵も笙子ちゃんも、そろそろ将来をどうするか、進路を選択する岐路にあると言っていい。
とは言え、選択肢は少ない。 軍に入るか、公務員か、公共性の強い職業訓練専門学校か。 大学は理系以外、政治・法科以外の文系学部の一時閉鎖が相次いでいる。 後は軍需産業。
どの道を選ぶにせよ、軍人以外の場合でもいずれ3年間の兵役は免れない。 18歳から23歳までの間に、徴兵通知がやって来る―――兵役免除の、一部の職以外は。
今の所、雪絵は再来年に師範学校(教員養成学校・5年制)を受験したいと言っている。 笙子ちゃんは年明けに、軍の看護専科学校(看護訓練校)を受けると言う。

アルマとジョゼを、どうこう言う気はサラサラ無い。 この子達は、この子達なりの将来と幸福を得て欲しい、そう思う。
同時に笙子ちゃんや雪絵には、もっといろんな選択肢が与えられなかった事が、内心で哀しく、歯痒かった。
彼女達の選択肢の狭さ―――帝国の窮状は、そのまま戦況の悪化故、詰まる所は軍がBETAの侵攻を抑え切れていないが故。 
俺一人でどうこうできる話では到底ないが、それでも1人の職業軍人として、現実を目の当たりにすると忸怩たる想いが有る。 自意識過剰は判っているのだが・・・

「だからさぁ・・・ ねえ、直衛、そう思わない? 今から夢を諦めるなんてさ!」

「・・・うん、そうだな。 君達の前には、道はたくさん開けているんだよ。 1本道じゃないだろう、時には回り道をしても良い。 目指す先を歩いて行く事は、できるさ」

2人とも、嬉しそうに笑う。 アルマとジョゼが、そんな道を将来歩いて行って欲しい、そう思う。 そして祖国の若い世代にも、そんな道が開かれる世の中になって欲しい。
そう思う。 そして我が子が成長した時に、そうした道が開けていて欲しい。 人の親になって初めて実感した、『繋いで、渡してゆく』事の大切さと言う事を。










2000年10月18日 1530 N.Y.マンハッタン


車中から見ると、何やら集会が開かれている。 結構な人数だ、数千人規模、と言った所か。 この街でも珍しい程、人が集まっている様だ。

「ふん・・・『どうして貴女は、夫を、息子を、兄弟を、恋人を戦場に捧げるのですか?』か―――野党系の反戦団体か?」

後部座席で隣に座る上官が、面白くなさそうな声で呟く。 ちらっとその視線の先を見る、どうやら野党系と言うより、婦人団体と言った所の様だ。
垂れ幕やプラカードには、『追加派兵反対』、『前線国家の我儘を、これ以上許すな』、『夫を、息子を、恋人を返せ』、『対日同盟、反対』などなど・・・

「いえ・・・昨今、勢いが強い戦没将兵遺族の女性達が中心の、婦人団体の様です。 与野党の支持者層問わず、広まっていると」

「なぜ、米国政府は取り締まらない?」

「明神中佐、この国は『自由の国』です。 連邦政府の施策を公然と批判出来るのは、この国の市民の不可侵の権利です」

「周防少佐、その言い様は誤解を招くぞ。 君は帝国軍人だ、この国の不満者層の代弁者ではあるまい」

少し機嫌を損ねた様だ、益々渋い声になっている。 全く扱いづらいな、参謀本部の高級参謀と言う人種は。 少し不機嫌に、窓の外から視線を外してしまっている。
一昨日に開催された日米の非公式会談、結果はあまり芳しくない様だった。 詳細はまだ知らされていない、最も臨時出張事務所の副所長程度に、詳細が知らされればの話だが。
そして継続交渉の為に、日本側は更なる『努力』を強いられる事になっていた。 今も本国と交渉団との間で、暗号化された通信が大量に飛び交っている。
本国でも意見が割れ、収拾に大わらわの様だ。 更なる『努力』と、それに見合った『譲歩』を引き出そうと根回しする高官。 交渉断念を仄めかす閣僚。 色々だ。

「・・・今日の相手、何と言ったか? どこぞの大学教授か、会う価値が有るのだろうな?」

現地交渉団は本国との協議を重ねる一方、米国の裏を読む為にあらゆる手筈を取る必要に迫られた。 米国国内世論、それを連邦政府がどう捉えているか、これも重要だ。

「信条的には中道ですが、その分保守・革新、双方から意見を求められる機会の多い方です。 何代か前の大統領府の顧問をしておられました。
ヘリテージやブルッキングスと言った、どちらかに偏った視点ではなく、より普遍的な意見が聞けるものと」

「資料には、『リベラリスト』とあるな・・・ふん、中道左派と言った所だろう? 公正な判断での意見が聞けるのか?」

―――統制派将校団右派のアンタとは、間を取って丁度いいだろうよ。 思わずそう口にしたくなったが、ぐっと我慢する。 
組織で生きる術か、嫌な事ばかり覚えてしまうな、恥じる気は無いが。 が、このまま先入観を持たせたまま面会するのも、拙いか。

「共和党とのコネクションもお持ちの人です、中道右派の側面も―――前田大尉、そうだな?」

前の助手席で、いきなり話を振られて嫌そうなオーラを出している部下―――前田真妃大尉が、渋々な声で答える。

「・・・少なくとも、講義では偏った見解では無く、中道右派、中道左派、双方の見解を良く話されておりました。 少佐の頃もそうだったのでは?」

「ああ、そうだ。 だが君の方が師事した期間が長かった、より正確に意見を聞くには、君の方が妥当だろう」

―――また、嫌そうな感じを。 判らんでもない、参謀本部の中佐殿との疲れる会話に加わりたくないと思う気持ちは。
今回の同行者、先方にアポイントを取らせた部下の前田真妃大尉。 彼女は出張事務所の中では少数派の、法務科将校だ。
帝大の法科卒業生で、陸軍の依託学生(将来軍に入ることを条件に、軍から奨学金を貰って学ぶ学生)を経て、1年間の米国留学の後、陸軍法務中尉に任官。
その後は各軍管区の法務将校を転々とし、最近は軍官民合同の国家総合研究所に勤務していたと言う変わり種だ。 大尉進級は今年の春。
学生時代の専攻は、国際法関係。 今回、その知識と米国内の人脈を買われて『選抜』された生贄の1人。

今回アポイントを取った人物―――NYU(ニューヨーク大学)のジェフリー・コーエン教授。 俺は国連軍の留学時代に教わったし、前田大尉も留学中の指導教授だったそうだ。
温厚な初老の黒人男性だが、その鋭い洞察は全米の学会でも一目置かれている教授だ。 俺にとっては、温厚な表情で情け容赦なく落第点を付ける、おっかない先生だった。
ワシントンとN.Y.の、双方の『司令部』から各種調査命令を受けた出張事務所。 しかし本来の仕事じゃない、が、命令を断る事も出来ない。
しかも今回、ヒアリングする人物はワシントンの交渉団に随行している参謀本部の中佐。 生半な相手を紹介する訳にはいかなかった。
で、その時点でまず、所長の篠原少佐が俺に全権を預けた。 いや違う、面倒事の全てを押し付けた。 『アンタ、伝手が有るだろう? 有るよな!?』と、必死の形相で。
仕方なしに、短い留学中の人脈の鉱脈を漁る事にした・・・その時運悪く、前田大尉が俺の前に現れたと言う訳だ(本当の所は、承認印を貰いに来ただけだったが)

『―――前田大尉、君、米国留学経験が有ったな?』

『―――はあ・・・そうですけど?』

『―――大学、どこだ?』

『―――NYUです』

『―――よし、この条件で、妥当と思われる相手を探せ。 そしてアポを取れ、明日中に』

『―――そんな!? 少佐、無茶ですよ!』

『―――軍ではな、無理偏に無茶と書いて、命令と読むのだ。 法科なら心辺りが有るだろう!?』

その後、電話をかけまくっていた前田大尉が、いつの間にか姿を消して、さて何処へ行ったか? と首を傾げていたら、翌日の昼過ぎに戻って来て、アポを取ったと報告に来た。
それが昨日の事。 相手は俺も知っているコーエン教授。 何と彼女、教授のご自宅にまで押し掛けて、拝み倒して了解を取ったそうだ。 うん、それでこそ雑用事務所員。
そのお陰で、今日は機嫌が悪いのだが、そこはひとまず放っておこう。 そんな事を考えている間に、ダウンタウンのグリニッジ・ヴィレッジに着いた。 NYUの場所だ。

一見すると古風なアパートメントの様に見える煉瓦造りの建物、実はNYUの『校舎』のひとつだ。 コーエン教授の研究室も入っている。
車を止め、運転手の下士官に待機するよう命じ、建物に入る。 玄関口に受付が有り、そこで担当者に来訪の意を告げる―――驚いた、教授の助手は、あのフェイ・ヒギンズだ。

「―――お久しぶり、直衛。 実はドロテアから話は聞いていて、貴方がまたこっちに来ている事は知っていたの。
時間通りね、真妃。 学生の頃とちっとも変らないわね、そう言う几帳面な所って。 ああ、そうなの。 真妃が学生の頃、私は院生だったのよ。
どうぞ、教授はお部屋にいらっしゃるわ。 階段を3階へ、廊下の奥の突きあたりの部屋へどうぞ。 応接室よ」

そのまま案内され、変わらない古風な螺旋階段を3階まで昇り、奥の一室に。 教授の来客用の応接室で待つ事数分、続き間の扉が開かれ、初老の黒人男性が入って来た。

「―――お待たせしましたな、皆さん。 ジェフリー・コーエンです」






「―――正直申しますとな、明神中佐。 アメリカは疲れ始めておるのですよ」

コーヒーカップを置いて、コーエン教授は明神中佐を直視しつつ、穏やかに、しかし確信を持ってそう言った。 それに対して明神中佐は探る様な視線を向ける。
話しが始まって10数分。 お互い儀礼的なやり取りや、教授が俺や前田大尉の想いで話を一通り終わって、探り合いが始まった。

「―――ほう? 今や世界中の富の過半以上を手中に収め、無傷の国家の中での盟主を標榜するアメリカが、ですかな?」

明神中佐と言えば・・・ まあ、統制派将校団の一員としては、この程度の反応は普通か。 もっと酷い国粋的な断定でモノを言う人物もいる。

「―――そうです。 富を手中に収め、盟主を続けなければならぬ、その疲労ですな。 前線国家群はアメリカに支援を求め、後方国家群はアメリカ中心のブロックを要求する。
外に目を向ければ、現実的に前線国家群を支援せねば、世界的な戦況の悪化に直結する。 これはアメリカの国防政策にも即、影響する重要なファクターですな。
国内に目を向ければ、年々増加する海外からの流入難民。 軍事費の増大と、それに続く増税、福祉サービスの統廃合・・・市民生活に重圧として、圧し掛かりつつある」

豊かな国、後方の安全な、富と自由を享受し続ける国と言われるアメリカも、無尽蔵の富を右から左に捻出できる訳じゃない。

「アメリカの国連拠出金額比率は、3年前の22%から今年は32%に上昇しました。 IMF(国際通貨基金)、アジア開発銀行(ADB)融資比率も10%から15%に増加しています。
これは主に、英国と日本の経済状況が反映されており、両国の置かれた戦況が改善されない限り、今後も数%の増加が見込まれる、財務省はそう試算しております」

5年前、まだ本土にBETAを迎え撃つ以前の日本帝国は、国連拠出金の17.5%を拠出していた。 これはアメリカの22%に次ぐ、世界第2位の額だった。
5年後の2000年度、帝国の国連拠出金額は10.5%に低下している。 英国も2%下がった。 そしてアメリカの負担金比率は10%上昇していた。

「国防予算は1996年の4900億ドルから、1997年度は10%増しの5390億ドル、1998年度が6000億ドルと上昇し続け、今年、2000年度はついに7000億ドルに達しました。
世界第5位の英国のGDPが昨年度で1兆5500億ドル・・・おおよそで、その半分の規模の膨大な予算です。 お国のGDPは昨年度で1兆5900億ドル、お分かりですな?」

日本帝国の国防予算は、2000年度が約1317億ドル=約3292億5000万円(※)だ。 一般会計予算中の72.5%を占め、GDP比率で8.5%に達する。
他の予算枠を削れるだけ削り、中には廃止してまで確保した対BETA大戦用の戦費。 国民の多くは不自由な配給生活と国内難民生活に、疲労困憊している。
それだけ多くのものを切り捨ててまで確保した帝国国防予算も、合衆国国防予算の5分の1以下なのだ。 この国の国防にかける意思は、実は生半可では無い事が良く判る数字だ。

「しかもこの数字には、エネルギー省所管の『G元素兵器開発、維持、クリーンアップ、製造』などG元素兵器関連予算は含まれていないです。
また退役軍人関連予算、退役軍人及び未亡人・家族養老年金支払い、過去の戦争に対する負債利払いなどもある。
諸外国に対する武器販売への手当資金、外国に対する軍事関連開発援助なども当然ながら、含まれていない。
また本来は軍事関連予算ではない他の省庁に対する割り当てで、軍事関連の性格をもった予算なども、当然含まれません」

例えば、国土安全保障省、FBIの対テロ対策予算、NASAが支出している軍事情報収集システムなどは、軍事的側面を強く持っているが、国防予算に含まれないと言う。
これに国外難民支援予算(移民局)、国際公的金融組織への戦時融資金(財務省)、国連拠出金(国務省)・・・ 膨大な、天文学的数字に達する。
いずれにせよ、国家運営には膨大な予算が必要とされる。 その上でBETA大戦を主に『兵站』の分野から人類世界を主導するには、一体どれだけ莫大な予算が必要とされるのか。

「増税、福祉サービスの低下、然るに所得はそれほど伸びない、いや、伸び悩みを呈しておる。 加えて海外派兵での戦死者の増加。
詰まる所、市民は『どうして自分達の犠牲の上に、前線国家群を維持させねばならぬのか』、と言う所ですな」

「成程、貴国や貴国市民の言い分も、ご尤も。 人間とは言う程、隣人愛に満ちた存在では無いのですしな。 それに昔から言いますな、衣食住足りて政道を語れ、と。
しかし―――しかし、貴国は世界情勢に少し疎いのではありますまいか? 我が国は無論のこと、ソ連、英国、北アフリカ中東、東南アジア・・・
それらの諸地域で流される、莫大な将兵の血が、今のこの国の繁栄を支えていると言う事を。 直接的、間接的、双方から。
純粋に軍事面で見ても、ソ連と我が国が滅びる事は、この国は北辺からBETAの直接的な、そして圧倒的な脅威に晒されると言う事を」

コーエン教授のレクチャーに、明神中佐が少しの嫌味を塗して聞き返す。 片目を閉じ、ちょっと口元を釣り上げた、中佐独特の表情で、先の言葉を促す。

アメリカは、疲れ始めている。 長きに渡るBETA大戦、実質的にその戦いを裏で支えてきた―――言い方は色々と有ろうが、それも事実だ―――その国力にも限界が有る。
そして合衆国政府が、この世の中に置いてまず真っ先に責任を負わねばならぬ相手、それは裏の実はどうであろうが、その理念上は合衆国市民に対してだ。
けっして滅亡の危機に面している前線国家群でもなければ、政治・経済的ブロックを要望している『パートナー候補』の後方国家群でもない。
現実問題、市民の支持を受けられない場合、合衆国連邦政府は存在し得ない。 そして合衆国市民社会は、疲れ始めている。

「この国は、民意の上に立脚する国家です。 例え裏の裏がどうであれ、根本は民意です。 市民の支持無き政策や大戦略は、例えどれ程権力を有しようが、結局は否定される。
無論、権力側は心得ております。 故にメディアを使っての世論誘導、ネガティヴキャンペーン、はたまた捏造に意図的な誤報・・・過去、幾らでも例が有る。
しかし一時の熱狂はあれど、市民が自分達の権利が果たされない義務を強要されていると感じた、或いは判った時点で、連邦政府さえ倒れかねない」

「・・・ご立派な事だ。 全ては民衆の欲を満たさねば、国家運営もままならぬとは」

意図的に曲解させた明神中佐の発言を、あっさり無視してコーエン教授が話を続ける。

「連邦政府の取るべき道は、幾つかあるでしょう。 その過程で、国内状況を反映させた対外戦略を計画しますが、それも一通りでは無い。
各地域に影響力を維持しようとする者。 有利な条件で連携を考える者。 いっその事切り捨て、新たな構想を描く者・・・」

「―――例えば、フィリピンの様に。 カリブ諸国の様に。 中米の様に」

「そう。 例えばフィリピンの様に。 カリブや中米の様に。 例え非人道的との誹りを受けようとも、国家はまず国民に責任を負うべき存在です。
それに外交結果は相手有っての事、その発端は得てして互いのボタンの掛け違いが多い。 どちらに責が有り、どちらに非が有り、等と簡単に言える事でも有りませんな」

―――経済面で言えば、この国の外需のほぼ全てが、戦争特需ですな。 成程、諸外国に米国の影響力を浸透させ、そこから最後には富を吸い上げる。 マッチポンプ、ですかな?

またもや嫌味ったらしく、皮肉っぽく反論する明神中佐。 思わず、見えぬように前田大尉と顔を見合わせ、2人してそっと溜息をつく。 
ダメだ、この中佐、完全に今回の趣旨を取り違えている。 今日は何も、教授と論争しに来たのではないのだ。 
この国の世論、一般認識、そしてそれを、政党を含めた『支配層』がどう捉えているか、それを聞きに来たと言うのに。

「―――中佐、そのお話は今回は・・・いずれ、後ほどに。 教授、ではアメリカ市民は、多くの一般的な市民は、対外支援を歓迎していない、と言う事でしょうか?」

上官の会話に割り込むのは、流石に拙いかなと思うが、このままでは流石に教授の心証も悪くなってしまいそうだ。
話しの方向性を変える。 と言ってもつい昔の癖が出た、学生が指導教授に質問しているみたいだ・・・
明神中佐との、不毛な平行線になるかとうんざりしかけていたコーエン教授も、俺の割り込みに少しホッとした様だ。 視線を向けて、昔の様に問うてきた。

「―――いや、そうではないよ。 そう思う人々もいる事は確かだ、少なからず居る。 しかし大半の市民はそこまで頑迷では無いよ。
にもかかわらず、昨今は特に対日同盟反対の声が大きくなってきている、どうしてかね? 論点を明確にし、簡潔に答えなさい、ミスター・周防」

―――出た、これだ。 留学時代、苦労した教授独特の質問法だ。

「―――責任所在と責任範疇の明確化、その責任に対する確実な履行と、逸脱時の補償。 相互軍事同盟を締結するに、本来明確に、厳格に履行されねばならない点の不明確さ。
全てはその点に集約され、全てはその点の不明確さ故に発生した戦場での混乱と損害、それに起因する両国の感情的齟齬。
その点を解決しない限り、合衆国市民は連邦政府に対し『No!』を突きつけます。 アメリカと日本、同盟に際し何を守り、何に責任を持ち、それを厳守するか」

横で明神中佐が渋い顔をしている。 だが仕方が無いじゃないか、本来なら中佐が探らなければならない情報なのだ、この話は。
大陸撤退の後半期、そして半島撤退支援の最後の場面で発生した『光州の悲劇』、本土防衛線の最中、突然日米安保条約の破棄を宣言し、撤退した在日米軍。
国内ではアメリカの『自分勝手』を責める声が根強い。 帝国軍部内の国粋派や斯衛軍の大半、在野の右派勢力も声を大にする者が少なからず居る。
だが待って欲しい、一方的に合衆国に非が有るものなのか? 帝国は一方的な被害者なのか? 合衆国が1998年まで、極東アジアに兵力を展開して戦ってきた事実は?
大陸撤退戦や、半島撤退戦で合衆国軍人が極東国連軍に属し、総指揮を執っていたのは国際外交の結果であって、彼ら自身の決定では無い。
それは政府間の交渉、或いは駆け引きの結果だ。 そしてその方針に不満を持つからと言って、戦場で逸脱した行動を取っていい筈は無い―――『光州の悲劇』が最たるものだ。

無論のこと、俺だって日本人だ。 1998年、あの苦しい時期に合衆国が一切の外交の余地も無く、いきなり一方的に安保を破棄し、米軍が一斉撤退した事は腹が立つ。
米軍撤退後から『明星作戦』に至るまでの防衛戦の最中、同期生や見知っている戦友も多く戦死した事は、個人的なわだかまりが無いとは言えない、正直言って。
それでも思う、大元は何だったのかと。 祖国を離れ、国連に飛ばされたあの一時期、確かに外の世界から見た祖国は、どこか歪な姿に映ったモノだ。
同時に欧州や米国の歪な姿もまた、日常の中でボンヤリとだが見えたのも確かだ。 今も無意識に残る根拠のない人種的優越感、独善的な自己世界観中心性。
だがそんな者は一朝一夕に改まるモノじゃない。 日本人の俺が言うのも何だが、日本人の島国根性なぞ、それこそ数百年かけて培われたものだ。
欧米にしても然り、どだい、完全な相互理解など、今後数百年かけても為し得るかどうか。 それを根底にいがみ合っていたら、どうにもならない。

だから世の中、便利なモノが有る、『契約』だ。 お互いに利用し合えばいい、それで互いに益が出るなら尚のこと結構。
ただし、相手を利用するならこちらも契約を完全に履行する義務が有る。 それで初めて相手に契約を履行する要求が出来るのだ。
日本が、日本人が思い違いをしている所は、どうもその辺の認識の甘さなのじゃないか、そう思う。 帰国してからら次第にそう思えるようになって来た。
合衆国は契約社会だ、契約の履行・不履行には事の他煩いし、不履行にはとことん不信感を抱く。 アジアの様に『おおよそ、これだけ』では済ませない。

「―――ふむ。 要は、我が帝国が合衆国に対し誓約する契約の内容。 そしてそれを順守し、履行する態度と結果。 これによってこの国の世論は変わり得る。
当然ながら、我が国がその結果によって合衆国に求める契約は、合衆国も完全に履行せねばならない。 でなくばこの国の市民は、連邦政府の『アンフェア』を弾劾する。
つまりは、こう言う事ですかな? コーエン教授。 どうだろうか、少佐。 私の見解に、齟齬を見出すか?」

―――腐っても鯛、統帥右派でも陸大出の秀才参謀、そう言う事か。

本気で同意したかはともかく、明神中佐は事の核心、少なくともその一端を言い当てた。






教授の元を辞して、事務所に帰る道すがら。 明神中佐は先に車で帰した。 彼は今日中にワシントンに戻らねばならない。
ワシントン・スクエア・パークを突っ切る様に歩く。 突き当りのウェーバリー・プレイスから5番街に出ようとしていた。
緑の豊かな、広大な公園内の小道を前田大尉と2人、歩いていた。 傍から見れば、若いビジネスマンとキャリアウーマン、と言った感じかな?

「・・・教授には後日、ご挨拶に伺った方が宜しいでしょうね」

「うん・・・その時は改めて、俺も同行する。 今日の事、余り不快に思われなければいいんだがなぁ・・・」

「その辺、教授は温厚な方ですから・・・ でも本当、あれでもまだマシな方だなんて。 本国の空気の悪い事、改めて感じましたね」

親子連れが楽しそうに談笑しながら、散歩している。 向かいからリタイアしたのだろう、老夫婦が寄り添ってベンチに座り、木漏れ日を楽しそうに眺めている。
写生に明け暮れる若者、美術学校の学生だろうか? 向うで楽器を演奏している中年男性。 年若いカップル、男の方は合衆国陸軍の軍服を着ている。

「・・・全面的に支持する訳じゃないけどな、今の政府の現実路線は、支持しても良い。 色々と言われそうだけどな、そんな事を言うと」

「―――少佐は、『国連派』何て言われていますからね。 気を付けて下さい、国内の国粋派将校団、特に勤将派の最近の暴論は、目に余ります。
上官侮辱罪、上官反抗罪で軍法会議送りでも、こぞって弁護する連中が後を絶ちません。 元々、統制派の方が少数派なのですし、国連派はもっと少数派ですから」

「別に、国連派だなんて意識は無いんだけどね。 統制派や国粋派とは、肌が合わないだけで」

この光景が、何の犠牲も無しに築かれた物だと、そう言うのだろうか? 確かに合衆国はBETAの直接侵攻を受けていない、それは地勢的な条件での事だ。
合衆国の政治支配層が、その手が全くの真っ白だなどと、信じる馬鹿は世界中に居やしない。 彼等はある意味、世界で最も計算高い機会主義者であり、商売人だ。
利潤の為には、親兄弟でさえ天秤にかけるだろう。 対外支援も全ては合衆国の国益、ひいては自らの利益の為だ。 何も見知らぬ隣人の為などでは無い。
だがそれがどうした? 国家とは、そんなものだろう? 全ては国益の為、国益とは国家を構成する国民に直接・間接にもたらされる利益。 なかなか気付かない事だが。
そんな『怪物』たる国家群の共生の場であるこの世の中で、己たちだけでどうこうなどと。 己の信じ込む何かの為だけを為すなどと。

「そう言えば少佐は、『戦略研究会』って、ご存知ですか?」

「・・・ちらっと、名前だけは。 中身は知らない」

昨年来、南樺太に駐留したり、シベリアへ出兵だったりと、実は軍内の話題に疎い部分が否めないんだよな。
特に南樺太から戻って来たばかりの頃は、大隊の練度向上に集中していたから、余所でどんな動きが有るか、恥ずかしながらアンテナを殆ど立てていなかった。
そこへ来て、6月からN.Y.だ。 その『戦略研究会』なるものが、一体どこの誰さんがやっているのかさえ、全く知らない。

「ん~・・・ 陸軍の、中堅・若手将校を中心にした、戦略・戦術研究の勉強会とか言っている集まりです。 各兵科の別なく、有志で集まっていると」

「有志って?」

「陸士、訓練校、予備士官学校出、准士官からの叩き上げ、色々だそうです。 陸大出は居ないとか。 航空宇宙軍も少し居るそうで、海軍は今の所参加者無し、です」

「・・・そんな事、部隊の研究部会でやれる事だろう? 他兵科とも、師団内なら可能だし。 第一、中堅って言っても、大尉か少佐までか?
俺が言うのも何だが、陸大も行かない連中がどうこう言っても仕方ないだろう? ましてや中尉、少尉連中なら、戦術論もまだ早い」

大尉が少佐の、少佐・中佐が大佐の(或いは少佐が中佐の)視点を学ぶ事は、悪い事じゃない。 上官戦死で、部隊指揮官代理を行うことだってある。
将来に向けて重要だし、それを少しでも理解できれば、今の自分が為すべきは何か、更によく理解し、判断出来ると言うものだ。
が、しかし佐官でさえ、参謀将校でなければ扱うべき事項は、戦術指揮レベルだ。 尉官などは戦術指揮と言うより、直接戦闘の指揮能力をまず養うべきだろう。
軍で『戦術戦闘単位』と言われるのは、陸軍では大隊以上、海軍では『隊』以上を指す。 指揮官は少佐以上の階級に有る者達だ(海軍では中佐以上か)

「・・・まあ、表向きはそう言った連中の、私的な勉強会でして・・・」

「裏は?」

前田大尉も歯切れが悪い。 突っ込んで聞いたら、あっさり答えた。

「国粋派の中堅・若手将校の集まりです。 帝都や関東近郊配備の、諸部隊に残っている国粋派の。 特に将軍家支持の勤将派将校が多いとか」

―――偏見かもしれないが、様相が目に浮かぶようだ。 俺はその手の将校団と、折り合いが悪いから、色眼鏡で見ているかもしれないけど。

「ふうん・・・ で、何の為に俺にその話を?」

「個人的に忠告って訳でも無いのですけど。 少佐、帰国なさってから、もしその連中から声をかけられても、無視した方が良いかもしれません」

「何か、裏事情が?」

「私は法務将校ですので、軍の警務隊とか、国家憲兵隊とか、そう言った部局と仕事上の付き合いが有りまして。
少なくとも、予備調査を検討している位には・・・だそうです。 本当にやるかどうか、判りませんけれど」

「監視付き・・・か。 きな臭い話だな、おい? ま、俺はそう言った連中とは、仲良しこよしじゃないから・・・」

国は誇りを失った。 他国の介入に唯々諾々と従う腑抜けた政府。 極東での復権を目論む米国政府とその横暴。 自身で築くべき国の未来と魂。
御大層な事だ―――口で言うだけならば。 そして実行する事は、本気で馬鹿げている。 自分しか見えていない、いや、自分すら見えていない馬鹿者どもの妄言だ。
どうして少しでも周りを見ようとしない? 日本と言う限られた場所だけでなく、ほんの少しでもいい、周りを見ようとしない? そして疑問を抱こうとしない?

「―――まあですね、そう言う連中の声が、ちょっと大きくなっていまして。 で、統帥派の右派と目されるお偉いさん方も、それに乗っかる動きも・・・意図は判りませんけど。
それはさておき、私としては参謀本部の中佐殿が今回、少しでもカルチャーショックを受けてくれれば、そう願ってやみません。 余り馬鹿な事を、考えないで欲しいです」

「―――確かにな。 しかし、カルチャーショックって・・・実感が籠っているな、おい?」

「―――地方の帝大出の、田舎で生まれ育った小娘が、いきなりこのN.Y.に放り込まれた時のショックを、想像してみて下さいな。
誰だって思いますよ、『今までの世界って、何だったんだろう?』って。 少佐はそう思いませんでしたか?」

「―――思った、思った。 それ以前に居た欧州で少し慣らされていたけどな、それでもカルチャーショックを受けた。
いっその事だ、声のでかい国粋派や斯衛の連中、纏めて留学やら何やら理由付けて、この街に放り出してやればいい」

「―――国内兵力が、絶対的に不足します。 出来ませんよ、そんな事・・・」


やがてウェーバリー・プレイスから5番街に出る所までやって来た。 最後の広場でまた、何かの集会をしていた―――『アメリカは、世界の守護者たるべし!』
その言い様は兎も角、まったくこの国は多様性に富んでいる。 世界の縮図を、あちらこちらに見る事が出来る。 良い例も、悪い例も。

「―――多様性を認めない訳じゃないのですよね、この国って。 時間も根気も要りますけど、結局は『自分とは何か』を説明し、相手に理解して貰う努力が出来れば・・・」

前田大尉がポツリと言ったその言葉。 それが妙に引っ掛かった・・・





[20952] 伏流 米国編 3話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2012/02/06 23:25
2000年10月20日 日本帝国 帝都・東京 千代田区大手町 国家憲兵隊総司令部


国家憲兵隊総司令部は、新たな帝都のど真ん中、大幅改修中の『新帝都城』の北東隅、堀に面して永代通りと本郷通り、日比谷通りが交錯する一角にその威容を表す。
諸外国からは『日本のルビャンカ』等と、有り難くない異名で呼ばれる場所だ。 現在は国防省傘下の、法執行機関及び準軍事組織である。
ただし、国内外の公安・軍事情報収集組織の面も当然ながら持ち合わせており、場面場面で関わる中央官庁は内務省、法務省、情報省、或いは内閣府が出て来る事が有る。
その総司令部ビルの8階、国家憲兵隊内部でも機密性の高い部局が集中しているフロアの1室で、高官達が会議中に一報がもたらされた。

「―――また、難民区で暴動だと!?」

報告しに来た憲兵大尉に、目前の憲兵大佐―――特殊作戦局作戦部第1作戦課長が、目を吊り上げて怒鳴りつける。 
怒鳴られた方の憲兵大尉は思わず首を竦める仕草をし、それでも恐る恐る報告し始めた。 何と言っても、先方が言って来ているのだから。

「―――はっ! 福島県、宮城県、岩手県、青森県、北海道、樺太県の1道5県で、合計8箇所の難民キャンプにて、発生しております」

「―――それより、今回の理由は何だ? 確か前回は、住環境の改善要求だった」

「―――内務省建設局が、吊るし上げを食ったあれだな。 確かに真夏に密閉され、冷房器具も無いブレハブ小屋では、熱中症で死ぬ。 冬に向けての暖房器具さえな・・・」

第1作戦課長の言葉に、隣の作戦管理課長が思い出したように言う。 声色は疲労感が強い。 難民問題と、その一環の散発する暴徒鎮圧は、国内治安組織の頭痛の種だ。
1998年から発生した、日本本土での難民区。 諸外国で言う所の難民キャンプだが、日本には『国内難民区』と、海外から逃げてきた難民用の『国際難民区』がある。
その中で住環境や食糧流通等が改善されぬ・滞りがちなのは、意外にも『国内難民区』の方だ。 『国際難民区』は長らく難民生活を送っている者達が多い。
それに政府は、財源負担の減少方法として、国際難民区に一定の区内自治権を付与していた。 言い換えれば『密輸入の闇経済の黙認』だ。
彼等は世界中に、或いはアジア各地に居る同胞難民のネットワークを通じ、様々な物資を密輸入し、或いは日本国内で密売し(合法的な商業活動も行う)、生活を維持している。

「―――はっ! 食糧事情の改善で有ります」

「―――食糧事情!? そんな事、1日に必要十分なカロリーを保証した合成食料は、配給が確保されておるだろうが?」

作戦情報課長が、うんざりした声で言う。 周囲の同僚達も同様だ、食い物の不平不満だけは、どう手当てしても一向に不満の声が鳴り止まない。
1日に必要とされるカロリーは、労働者の成人男性で約2300kcal。 同じく成人女性で約2100kcal。 政府はこれを基準として、水2.5リットルと共に配給を確保している。
しかし『合成食料』だ。 見た目も変化が無いし、味も微妙に不味い。 一向に変化の無い食生活が、難民生活でのストレスを知らずに増加させてゆく。

先程の国際難民区と異なり、国内難民の居住区である『国内難民区』には、海外の同じ境遇者程の逞しさは無かった。
無論、日本帝国臣民が密輸入に手を染めれば、それだけで刑罰の対象になる。 だがそれだけでない、要するに日本人は、根本的に『お上』のお達しに従順だと言う事だ。
働くと言っても、軍需工場での非正規工員の枠は限られている。 他には各市町村の清掃・環境部局で募集する、短期臨時職員の枠程度だ。
国内に発生した数千万人もの国内難民、その全ての口を養い、食住環境を改善させる経済効果をもたらす場は、今の所は無いのが実情だ。
その為か、ある種の活気さえ認められる国際難民区と比べ、国内難民区はどうしようもない停滞感と疲労感、そして貧困が充満するに至った。
治安も表向きは国際難民区の方が良い。 犯罪発生率は国内難民区の方が、国際難民区の6倍も多いと言う、最新の統計結果が出ている。

「―――なお、現在は各道警・県警の武装機動隊が対応に当っておりますが、今後の規模拡大・暴徒人数の増加によっては、武装憲兵隊の投入要請も有り得る、と内務省より内々に」

「―――内務省から、武装憲兵隊投入を、か?」

にわかに信じがたい。 国内治安を巡って国家憲兵隊と対立関係にある内務省、その最大部局である内務省警保庁警備局が、『泣き』を入れて来るとは。

「―――幾ら難民キャンプの暴動とは言え、まさかな・・・」

「―――いや、裏でRLF(難民解放戦線)が動いている可能性が高い。 昨年10月にソマリアのモガディシオで、11月に東ティモールのディリで発生した大規模暴動があった。
あれは確実にRLFが関与していた。 双方合計で死傷者1000名以上、制圧を担当した欧州連合国家憲兵隊特殊介入部隊群(GISEGF)や、英国のSBSも結構損害を受けた。
東ティモールはインドネシア警察軍と、密かに援助していたデルタ(米陸軍第1特殊部隊デルタ作戦分遣隊)がヒット部隊を投入して、やっとだ」

規模によっては、警察の武装機動隊の手に負えない場合も有る―――海外特殊作戦を管轄する第2作戦課長が、渋い声で言うのを周囲の者達も苦い想いで聞いていた。
国家警察である内務省警保庁警備部の武装機動隊は、精々が軽装甲車と自動小銃か短機関銃、軽擲弾銃、それに放水車両や催涙弾発射機等で武装しているに過ぎない。
対して武装憲兵隊は、戦車や大口径榴弾砲こそ装備しないが、89式装甲戦闘車を始め73式装甲車、60式装甲車(いずれも96式40mm自動擲弾銃を追加装備)等の戦闘車両。
60式改Ⅲ型自走81mm迫撃砲、60式改Ⅳ自走107mm迫撃砲に、UH-1J・ヒューイ戦闘・汎用ヘリ改造のガンシップまで装備する。
個人兵装は自動小銃に分隊支援火器(MINIMI、5.56mm×45NATO弾)、ベルギー・FN社のFN MAGをライセンス生産した85式汎用機関銃(7.62mm×51NATO弾)など。 
車載火力は7.62mm重機や12.7mm重機に始まり、81mmと107mmの迫撃砲、そして35mm機関砲と79式対BETA・対戦車誘導弾(重MAT)、87式対BETA誘導弾(中MAT)
他に軽迫撃砲や狙撃銃に擲弾銃。 陸軍の第一線級機動歩兵部隊と比べても、全く遜色が無い程の機械化歩兵部隊だ。 おまけに支援のガンシップ・ヘリ部隊。

国家憲兵隊は国家警察の1組織として、犯罪捜査などの一般警察任務も担う他、軍内の憲兵業務、警備・公安警察活動、それに対外情報収集活動も行う。
2000年時点での国家憲兵隊の総人員は約12万8000名、地域組織としては帝国内の1000箇所以上に要員を配置し、治安活動を行っている。
他に機動警備部隊として先程の武装憲兵隊が4個旅団、編成されている。 1個武装憲兵旅団は4個機動大隊を基幹とし、支援連隊や航空大隊(ヘリ部隊)等で編成される。
その他に特殊部隊や空挺部隊が、第5武装憲兵旅団に含まれている。 これは空挺連隊、海上機動連隊、特殊介入任務部隊(GISIG)から構成される、治安即応特殊作戦旅団だ。

「―――情報部からの報告では、RLFの痕跡有り、と有ったな。 中央SAT(内務省警保庁警備部・中央特殊急襲部隊)や、各道府県警SATでは、手に負えまい?
機動隊も、武装機動隊の軽火器程度ではな。 報告ではモガディシオではPRGやドラグノフが、東ティモールでもカール・グスタフやスティンガーまで出回ったとある」

第1作戦課長、第2作戦課長、作戦情報課長、作戦管理課長・・・作戦部の主要幹部達(いずれも憲兵大佐)が、次第に深刻な表情で事態を再確認しつつある。
そんな部下達を見回し、作戦部長の相賀憲兵少将が、上官に向き直り上申をする。 実は以前にも上申したのだが、『政治的』理由の元に、却下されていたのだ。

「―――閣下、武装憲兵隊司令部の高田高級参謀(先任参謀、憲兵准将)は、要請が有れば恐らく、2個旅団程を派遣するでしょう。
武装憲兵隊は、戦車と砲兵が無いだけで、実質は重機動歩兵旅団です。 恐らくは大隊戦闘団単位での派遣となるでしょうが、そうなれば難民キャンプは血の海となりましょう」

「―――情報部の確証は? 得たのか?」

それまで黙って聞いていた、国家憲兵隊特殊作戦局長・右近充憲兵中将が、ゆっくりと口を開いた。 同時にその鋭い眼光で、部下達を見回す。
特殊作戦局は、国家憲兵隊の『特殊作戦』―――政治的背景の有る特殊作戦、その全般を取り仕切り実行する部局故に、第5武装憲兵旅団を指揮下に置く。
他に作戦部にある2つの作戦課は、主に非合法作戦に従事する要員を多く抱え込んでいる。 国家憲兵隊の中で最も異色にして、最も恐れられ、胡散臭がられる部局だ。
(遡れば、昔の陸軍に多数存在した『特務機関』を全て吸収して、成立した組織だった)

右近充憲兵中将の問いに、特殊作戦情報を収集、若しくは分析・検討する作戦情報課長が答える。

「―――情報部第2課(国内政治・思想情報担当)からは潜入要員からの情報として、RLFシンパの多数確認と、極東地区指導員の1人、『老海』の確認情報が入っております。
目的は恐らく、同時武装暴動の扇動と実行。 それに伴う、我が国の政情不安化の促進。 最近は国際難民区だけでなく、国内難民区にまで、浸透しつつあります」

難民区は国際、国内を問わず、今や非合法な連中の隠れ蓑担っている、そう言っても過言ではない。
次いで特殊作戦を企画する作戦管理課長、国外作戦を担当する作戦第2課長が、右近充憲兵中将に答える。

「―――それだけではありません、閣下。 キリスト教恭順派の分派が、難民支援の名目で入り込んでおります。 恭順派の中でも、RLFとの共闘を公言する一派で有ります」

「―――パラナのインクィジター(ヴァチカン法国・聖務聖省異端審問局:ヴァチカンの公安警察組織)に接触した所、『恭順派は異端』との見解が有りました、内々ですが。
従いまして、『業務処理』の課程での一切に、ヴァチカンは異を唱えない、そう申しております。 あの連中は、ヴァチカンにとっても頭の痛い存在です」

ローマの法王庁は、イタリア陥落後に最終的に南米に落ち着いた。 理由は幾つかある。 欧州で失陥を免れた英国では、英国国教会との長年の確執が有る。
米国やカナダと言った北米大陸は、信仰者はプロテスタントが主流派を占め、旧教―――ローマ・カトリックは少数派だ。
中米はローマ・カトリック信者が多数派だが、政治的・軍事的・経済的にアメリカの影響力が強過ぎる。
結局最後は、ローマ・カトリック信者が圧倒的多数を占め、米国に対し一定の距離を保っている南米に落ち着いた、と言う訳だ。

ブラジル政府からパラナ州の南西部、パラグアイ政府からアルト・パラナ県を租借し、『ヴァチカン法国』となった。
国土面積は130㎢、人口約160万人。 元のヴァチカン市国と、欧州諸国からのカトリック信者難民、そして現地のメスティーソ(混血)が『国民』である。
ささやかな国土と国民の数だが、全世界にはローマ・カトリック信者は南北中アメリカ大陸に5億2000万人、アフリカに1億3000万人もいる。
他にも全世界に散らばっている、陥落したヨーロッパからの流入難民の中にも約5000万人の、合計7億人を数えるローマ・カトリック信者が居るのだ。
その精神的支柱が、この『ヴァチカン法国』だった。 国土の租借も、米国の影響力を極力抑えたい南米諸国、特にブラジルがヴァチカンを『誘致』した結果だ。
『ヴァチカン』は『神の国の代理人』と認識され、代わってその『国土』の『パラナ』が、『ヴァチカン』を示す言葉となっている。

部下の答えを待って作戦部長の相賀憲兵少将が、上官である特殊作戦局長の右近充憲兵中将に、最終的な上申を行った。

「―――閣下、GISIG(帝国国家憲兵隊・特殊介入任務部隊=Groupe Interventional Speciale Imperial Gendarmerie Force)の投入許可を。 武装憲兵旅団投入の前に。
今ならば、『対象』だけをGISIGで『処理』が可能です。 RLFと恭順派の拠点、人員は全て把握できております。 『ビルダーバーグ会議』も、表立って非難は出来ません」

「―――ビルダーバーグ、と言うよりも、CFR(外交問題評議会)内のタカ派だろうな。 よかろう、相賀、GISIGの投入を許可する。 可能的速やかに、全てを『除去』しろ」


各課の課長たちが退室した後、作戦部長の相賀憲兵少将を執務室に呼んだ右近充憲兵中将は、会議前に部局長回覧で回ってきた情報について、部下に真偽を質した。

「―――軍部国粋派、この連中も頭の痛い事だが・・・情報省の外事2課長だと? どう言う事だ、相賀?」

「―――詳細は確認中です。 情報省内の『お友達』からは、未だ詳しい事は。 ただ接触したのは、この数カ月以内に数度。 
いずれも情報局情報2部(国家憲兵隊国内防諜部)が確認しております、相手は帝都防衛第1師団、第1戦術機甲連隊所属の大尉です」

そもそも、情報省の外事2課は北米情報が専門の部署だ。 その部署の長が、何故に軍の、それも本土防衛軍の、一介の野戦将校に接触を?

「―――この大尉、国粋派と言う以外で、他に信条は?」

「―――故・彩峰元中将の、士官学校時代の教え子です。 また元中将が半島派遣軍時代の部下でも有り、私的にも親しかったと」

「―――駒に使う気か? 横浜の魔女は、相変わらずの『米国政府黒幕説』を、まだ信じ込んでおるのか?」

「―――横浜に流す情報は、慎重に整理しております。 基地内にも複数の協力者を得ておりますので、数か所で『魔女』に渡る情報の確認は出来ております」

「―――ならば良し。 ワシントンを悪役と思い込んでいてくれれば、有り難い。 所詮は一介の技術将校、学者に過ぎん、AL4計画内『だけ』の権限で満足させろ。
下手に裏の世界舞台に首を突っ込まれては、敵わんからな。 あの計画はそもそも、首相のゴリ押しで誘致した計画だ。 せめて計画の最後までは『魔女』程度で居てくれんとな」

『魔女』への伝言役を外事2課長にさせる事は、情報省外事本部長、同省内事本部長、警保庁特別高等公安局長、同庁警備局長と、国家憲兵隊特殊作戦局長の間の『密約』だ。
他に帝国軍情報本部長にも、暗黙の了解を得ていた―――ただし、本人には気付かせていない。 あくまで『自由意思』で動いている、そう思わせなければ『駒』にならない。
その『駒』が、想定外の動きを示している。 相賀少将へさえ、全てを話す事は出来ないし、するつもりも無い。 権力維持と情報の掌握は、同根なのだから。

「―――詳細を洗え、報告は逐一だ」

「―――ネオコン、或いはCFR(外交問題評議会)内タカ派の分派行動との関連が?」

外事2課は北米担当。 そして北米の強硬派が、CIAやDIA内の一部を取り込みつつある。 元々、CIAとは犬猿の仲の連中だったが、巻き返しに脇目も振らず、か?
いや、それだけではあるまい。 『ビルダーバーグ会議』、CFR(外交問題評議会)のメンバーも構成員として参加すると言う、かの会議での内容の反映か?
くそ、あの会議だけは流石に手を出せない。 そもそも、日本人は締め出されている。 それを補う為に『日米欧三極委員会(LTC)』を強引に作ったが・・・
今回の難民区の暴動騒ぎ、あれは確実にRLFが扇動している。 そしてRLFもキリスト教恭順派も、根っこの部分は同類だ。 『会議』の下請け、連中の汚れ仕事請負業者だ。
成程、その線から推察したのか。 部下としては得難い切れ者だが、切れ過ぎるのも問題が有る。 もっともこの男も組織人だ、組織内での生き残りの術は心得ている。

つまり―――『上官が口を閉ざした以上、そこから先は問い質すな。 生き残りたければ』

右近充憲兵中将の無言に、相賀憲兵少将はその術に従った。 黙って一礼し、局長執務室を退室して行った。
その姿を見送った後、暫く黙って執務室内を眺めていた右近充憲兵中将は、秘匿回線を使って数か所に連絡を取り始めた。
今までの『密約』に対しての、追加事項を入れねばならない。 情報省は受け入れるだろう、あの男は有能らしいが、情報省内の傍流だ。 家族縁者も調べておくか。

脳裏に描く、様々な『特殊作戦』の原案、その前提となる布石。 取りあえずばら撒いておく『保険』の数々。 体制維持の為に支払われる血は、どれ程流れても構わない。
暗い思考は一切表面に出さず、鉄面皮で冷酷なまでに判断を下すその表情は、諸外国の同業者たちから『魔王』の名で呼ばれるに相応しい姿だった。










2000年10月20日 合衆国東部時間0350 N.Y.マンハッタン・グラマシー パークアヴェニュー299 日本帝国国防省N.Y.臨時出張事務所


静まり返った深夜の室内で、2人だけが残っていた。 2人ともネクタイを緩め、ワイシャツの袖を腕まくりして、やや疲れた表情で備え付けのTVで深夜放送を見ていた。

「・・・今の笑い、どこがポイントなんだ?」

「・・・知らない」

「・・・アンタ、米国留学経験者だろう?」

「・・・お笑いの感性まで、留学した覚えは無いし」

事務所長の篠原少佐と、副所長の周防少佐だけが、深夜の事務所に居残っていた。 TVの前の粗末なソファに座りこみ、小さなテーブルに夜食を広げている。

「これ、なかなかイケるな。 ベーグルサンド、だっけ?」

「うん。 朝飯や昼飯のテイクアウト、夜食の定番だな。 って、おい、そのベーコンエッグのヤツは、自分用に買ったんだ。 アンタにはこっちの、生ハムのが有るだろう!?」

「せこいヤツ・・・」

「だったら、金払え」

事務所ビルの近所のデリで買い求めた夜食。 数種類のベーグルサンドにプティング。 コーヒーは事務所の備付けコーヒーメーカーで淹れた出がらしだ。

「出がらしでも、ちゃんと豆から淹れているのは、味が有るな。 軍の代用コーヒーなんかより、数倍も美味い」

「軍人の味覚音痴は、世界共通だな」

そう言った後で、ふと旧知の戦友を思い出した。 いや、あいつだけは昔に散々、国連軍のメシの不味さを、こき下ろしていたっけな。
確かに、『軍のレーションと食事の味『だけ』は、イタリア軍は世界最強だ』と言われる。 旧知の戦友もイタリア出身、ナポリの生まれだって言っていた。
ベーグルを頬張って、コーヒーで流し込む。 ベーグルにはサラダもトマトの薄切りも入っている。 他にはスモークサーモンやチーズも。 コーヒーは豆から淹れたヤツだ。
共に『天然食材』で作られた、帝国内ならとてつもない贅沢品が、N.Y.では街中のデリで、合計20ドル程度で購入出来る。 が、今は何も考えず、ただ夜食として食べるのみ。

「・・・とうとう、0400時か。 日本時間は1800時、もう少しかかるかね?」

「どうだろうね。 0900時から延々、やっているんだろう? もう9時間だ、そろそろ結論出るんじゃないのか? 2日前からだし」

「お陰で俺達は、揃って深夜残業・・・眠いぜ」

「・・・この、くっだらねえ番組、余計に眠気を誘うな・・・」

「語学力の差が、眠気の差だ。 ご愁傷様だ、周防さん。 俺は、半分も内容が判らない。 良かった、良かった」

「解説しようか?」

「・・・冷蔵庫に有る、誰も食わないハギスをあげよう」

「買って来た馬鹿に食わせろ、腐る」

2人が深夜まで居残っている訳は、今現在、本国で政府・国防省・外務省を中心に、関係省庁の合同会議が連日為され、そろそろその結果が連絡される筈だったからだ。
結果を受けて交渉の場に赴くのは、ワシントンの代表団。 国連や他の地域連合(欧州連合や、大東亜連合)との調整に赴くのは、国連日本帝国代表団。
しかし出張事務所も無関係ではない。 双方の『司令部』へ諸々のスケジュール調整を行った交渉相手へのアポイントリストの配布に始まり、様々な総務的な仕事が待っている。
なので、まず真っ先に出張事務所も事前に結果連絡を受け、双方の『司令部』に付けられた同様の任務を行う関係者と調整し、近日中(恐らくは明日)開始される再交渉に臨む。
ただ問題なのは、日本とアメリカ東部時間との時差だ、約14時間。 日本が夕方から夜にかけては、ワシントンやN.Y.と言ったアメリカ東部は深夜から明け方近い時間だ。
結局、責任者の篠原少佐と周防少佐の2人が居残り、本国からの結果待ちをしている事となった。 他の所員は早朝の出所早々に、大わらわになる仕事が待ち構えている。

「どう思う? 今回の交渉、どこまで詰め寄れるかね?」

ベーグルサンドをコーヒーで流し込んだ篠原少佐が、プティングを食べ終わってソファにだらしなく座り込んでいる周防少佐に聞いた。
聞かれた周防少佐は、コーヒーカップ片手に見ていたTV画面から視線を外さず、少しだるい感じの声で考えながら答える。

「・・・いきなりの同盟締結は、無理だろう? 双方共にしこりが有るしな。 それに今回は指揮権問題や何や、盛り込んでいるし。 微妙だよ、政治的に微妙な交渉だ」

従来の日米安保条約には、有事の際の日米両軍を統括する指揮権について、実は全く記載が無かったのだ。 実は密約(暗黙)で、米軍側が指揮を執ると言うのは当初から有った。
しかし時代がすすみ、更に対BETA大戦が勃発して以降、日本帝国も軍備を再増強し、その状態が続くと共に、アジア諸地域での防衛戦闘にも派兵・戦闘参加をし始めた。
これは2つの事を示唆していた。 1つめは日本帝国軍が米軍に代わり、局所防衛では兵站支援を含め、諸外国の防衛戦を支援できるまでに成長した事。
2つめは日本帝国の対米全面依存外交に、方針転換が為され始めた事。 大東亜連合、豪州などを含めたリムパックEPA(環太平洋自由貿易経済連携協定)は、その最たる結果だ。

要は日米とも、指揮権問題は余り触れたくない問題だった。 日本にとっては、条約の歴史的背景から、自国が指揮権を保有するとは決して強弁出来ない。
米国も指揮権問題で強圧的に出れば、益々日本のアメリカ離れを加速しかねないので、言い出したくない。 
そんな暗黙のバランスが崩れたが、1998年に生起したBETAの日本本土襲来と、それに続く日本本土防衛戦だった。
各所で合衆国軍は日米安保条約に則り、日本帝国軍と協同作戦を展開した。 壊滅的な打撃を被った部隊さえ、ひとつ、ふたつでは無かった。
だが統一指揮機構はついに成立せぬまま、最後の局面を迎えた。 相次ぐ損害と、日本側との戦略・戦術作戦での見解の齟齬が生じ続け、それは改善されなかった。
このままでは在日米軍全軍が、壊滅の恐れさえ出始めた。 米国上下院では連日公聴会が開かれ、野党は連邦政府を非難し、世論は損害の大きさに声を失い、そして激怒した。
今までの対日支援戦費は何だったのか。 戦死した合衆国市民の伴侶・子弟の命は何だったのか。 市民権獲得を夢見た将兵の命は、使い捨てだったのか。

「本国は本国で、鼻息の荒い連中も多いけどさ。 俺もこっちに来て初めて、アメリカ側の視点ってのか? そう言うのをようやく認識したよ。
確かにな、余所様の国まで出張して、命がけで戦って、仲間が次々に戦死して。 なのに助けに行った筈の国からは、クソミソに文句を言われたんじゃな・・・」

篠原少佐の言葉は、今の合衆国世論の一端を、如実に言い表していた。 感情的には許し難い、裏切られた気分だ、もう知った事か―――これがジレンマの一因だ。
感情的には対日同盟に反対でも、実際問題を見ればそうも言っていられない。 日本が合衆国の主要貿易相手国で有る事、これがまず第1だ。
輸出先として大規模顧客である事と、日本が製造する各種の高性能・高品質の工業部品は、今や合衆国産業界にとっては、必要不可欠にまでなりおおせている。
日米安保破棄のおまけの様に、貿易最優恵国指定の解除までしてしまってから、合衆国の産業界では悲鳴が徐々に大きくなってきている。 製品の品質維持の面で特に。
品質の低下はそのまま、販売力の低下に繋がる。 産業界の体力低下はそのまま税収の低下に直結する。 税収の低下は・・・世界中に展開する合衆国統合軍の維持を困難にする。
国防面、そして日本以外の同盟国との関係維持に、将来的な影を落としかねない事が予測され始めた。 富とは、ウォール街の株屋が右から左に流すマネーゲームではない。

市民生活にも、微妙な影を落とし始めた。 企業の今年上半期の業績は、期初予測の成長率を下回った。 今の下四半期も予測は芳しくない。
このままでは来年のベースアップは、見込めないかもしれない。 ただでさえ、各種税率が上がり始め、市民生活に不満の声が聞こえ始めている。
市民も政府も、今以上の景気悪化は是非とも避けたいのは本音だ。 いくら高尚な思想や信念も、衣食住が満ちて初めて唱えられるものだ。

合衆国政府、市民はこの時期、現実と感情のジレンマ、それに揺れ動いていた。

「もっとも指揮権問題は、将来に向けての棚上げ事項になる可能性が大、だろうけどね。 あの『国連憲章第51条』さ。 結局は『国連軍』の枠内に入る事になる」

国連憲章第51条―――『国連加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、
個別的または集団的自衛の固有の権利を害するものではない』―――つまり、安保理が国際平和及び安全を回復し、及び維持するために必要な措置を執った時は・・・

「―――『武力攻撃及びその結果として執った全ての措置は、終止しなければならない』 日米安保の枠内での同盟軍事行動も、名目上は解除、国連軍の枠内に入る。
バンクーバー条約だな、まさに。 そして指揮権は自動的に国連軍に移行する。 我が国にとっては、安保条約で雁字搦めになるより、将来の国連外交で可能性を見出したい、か」

「それまでは、何としても現状を維持、出来れば押し返したい。 最低でも佐渡島は奪回したい。 正味の話、あそこのハイヴがフェイズ4まで成長すれば、日本の未来は無い」

「その為には、指揮権記載なしの、従来の密約の通り合衆国優先指揮権も認める、いや、黙認する。 大事な、大事なスポンサー様だ、佐渡島奪回までは。
策士だね、榊首相。 経済はリムパックEPAで手を打った。 経済界は、輸送コストは負担だが、それでも98年末の打撃から徐々に持ち直してきた。
合衆国の面子を立てつつ、実質的な利潤も有る程度還元しつつ、最終的には従属的な関係にならず、国家安定の将来を見越して短期の損も被る、か」

「問題は、そこまで気付くのがどこまで居るか、だよ。 少なくとも頭に血が上っている連中や、近視眼の連中は考えが及ばない。
民族主義も程々にしておかなきゃ、自分の毒で自分が死ぬ。 半世紀前の繰り返しだ、あの頃も色んな理由は有ったにせよ、最後は偏狭な民族主義に目隠しされた様なもんだ」


お互いに手を差し伸べたがっている。 だが諸々の背景が、感情が、今の所足枷をしている。 恐らく1年、2年では完全な交渉成功は見込めないのではないか?
2人の帝国軍少佐は、共に元々は野戦の将校で、長く実戦を戦い抜いてきた歴戦の指揮官達だった。 だから余計にその1年、2年の時間が長く、もどかしく感じられた。

その時、事務所に持ち込んでいた通信装置の受信連絡音が鳴った。 周防少佐が慣れぬ手つきで―――本業は通信将校では無い―――器材を操作し、本国からの連絡文を受け取る。
暗号文だ、解読には暗号書に記された規定通りの返還が必要だった。 篠原少佐と、周防少佐が共に持っているマスターキーを取り出し、保管庫に差し込む。
暗号書等の重要書類は、全て保管庫に保管し、持ち出すには2人の少佐が持つ2つのマスターキーが同時に操作されない限り、開かない事になっている。
篠原少佐が暗号書を取り出し、周防少佐に見せる。 周防少佐も取り出しを確認し、保管庫を閉める。 保管庫の出し入れは所長と副所長、双方の相互確認なしでは行えない。

30分ばかり暗号書との格闘を経て、ようやく本国からの指令文書が完成した。 今度はこれをまた交渉団用に用意された別の暗号文に変換し、2つの『司令部』へ届けるのだ。

「やっぱり棚上げか」

「そりゃ、そうだろう。 早々、ケリがつく問題じゃない。 それより『日米物品役務相互提供協定』、まずはこっちだろうな」

周防少佐が内容のひとつを取り上げて言う、篠原少佐も同感とばかりに頷いて言った。

「だろうな、兵站が続かなきゃ、日米再安保の前に帝国がこけちまう。 だけど、国会は相当紛糾するぞ。 世論も抑えられるのかね?」

「それは政治家の仕事。 俺達の仕事は、『これ』を送る手筈。 でもそうだな、正直どうする気かな? 政府は。 相当な強行手段を使わないと・・・」

同盟再条約の前に、本来は条約に付随していた筈の相互提供協定を復活させる。 それによって帝国の『譲歩』を合衆国に知らしめる。
帝国にとっても悪い話では無い、合衆国の兵站能力を大いに期待出来る。 合衆国としては、極東地域への影響力の復権を、ある程度『夢見る』事も可能だ。
だが国内のコンセンサスは本当に取れるのか?―――どう考えても無理っぽい、右派世論は元より、軍部国粋派、野党、武家社会は反対に回るだろう。
思想的にカウントされない最大勢力―――国内難民区の住民たちも、爆発しかねない。 どう舵取りをして行く気だ? 政府は。 情報では難民区でも暴発寸前、だそうだ。

「ま、俺達が悩んでも仕方が無いか。 プラザの帝国政府代表団へは、朝イチに誰かを走らすとして・・・ワシントン、こちらもクーリエを出すか?」

「そうしよう。 念の為だ、2人1組で。 篠原さん、マスターキーを」

その後、書類の一切を保管庫に戻し、マスターキーは2人とも首から下げたチェーンに取り付けて、下着の下に仕舞い込む。
こうする事で例え侵入者が万が一発生したとしても、2人が共に害されて殺されない限り、マスターキーは盗まれない。
命の保証を元に、侵入者にキーを渡す事は決して許されていない。 機密保管権限者として、命を失おうとも、まずキーを守る義務が有った。

「・・・おい、周防さんよ。 もう0500時だぞ・・・」

「・・・0800時まで3時間か、交替で仮眠取るか、1時間半ずつ」

「・・・お先に」

「あ、おい! くそ・・・『5分前』には絶対起こしてやる・・・」

周防少佐はさっさと寝入ってしまった篠原少佐に、ぶつくさ文句を言いながら、眠気さましにコーヒーをもう一杯、淹れに席を立った。









2000年10月21日 1430 カナダ・オンタリオ州 マスコーカ地方


州都・トロントの北、ヒューロン湖の東側に広がるマスコーカ地方と、アルゴンキン州立公園。 森と湖が織り成す美しい大自然の風景。
湖畔にはリゾートホテルやカントリーイン、そしてプライベートコテージなどが建ち、オンタリオ州、いや北米で最も人気のあるリゾートエリアとなっている。
10月の今の時期、マスコーカ地方は一帯が見渡す限り、カエデや白樺などの木々が茂り、見応えのある秋の紅葉の真っ盛りだった。
1974年のサスカチュアン州・アサバスカでの、BETAユニット落着に対しての戦略核集中攻撃により、『国土の半分』を核汚染されたとはいえ、元々世界第2位の国土面積を誇る。
かつてのインド、約10億人もの人口を有したインドの3倍以上の国土面積を有していた。 半分が居住不能となった現在でも、世界第7位の『居住』国土面積が有る。
オーストラリアの63%、インドの1.51倍、南米第2位の国土面積を誇るアルゼンチンの1.79倍の国土面積を誇る。 それでいて人口は約1億5000万人。
欧州からの流入で5倍近くまで増加しても、人口密度は2000年現在で34人/㎢。 BETAを本土に迎え撃つ前の日本帝国が、人口密度は約338人/㎢だった。

高級別荘地でも有るこの辺りでも、マスコーカ湖とロッソー湖、ジョセフ湖の3つの湖に面した一帯は、一層別格の別荘地が有る。 
世界に名だたる大富豪、王族、大貴族などが所有していた別荘が、広々とした間隔で立ち並ぶ一角。 その別荘もそんな場所に立っていた。
一見、小じんまりとした、瀟洒なヴィクトリア様式を模した別荘だ。 紅葉の映える森林の中に建ち、目前に美しい水面を湛えた湖を望む眺望を独り占め出来た。

この日、別荘にはホストである別荘の所有者と、数名のゲストが訪れていた。 その一人、ダスティン・ポートマンは31歳、長身・明るいブラウンの髪とグリーンアイの青年。
如何にもアメリカ的な好印象の青年だが、国防総省の国防長官官房に名を連ねるエリートだ。 国際安全保障問題担当部署でアジア・太平洋担当副次官補の役に就いている。
実はそれ以外にも、色々と込み行った、ややこしい関係に成り立つ他の顔も有るのだが、表向きは有能なユダヤ系米国人にして、国防総省の若きパワー・エリートの1人だった。

「本当に美しい、貴重な大自然ですわね」

背後から若い女性の声がして振り返る、そこには淡いブロンドの長い髪をアップに纏め、目前の湖の湖面にも似た碧眼の、美しい20代半ば程の女性が近づいて来ていた。
その佇まいは清楚の中に優美さを含みながら、なお人を圧するある種の威厳さえ備えている。 生来より支配層として育てられた人間に、時として見られるものだ。

「国土の半分は・・・残念な事。 でも、仕方のないお話ですわね、そうしなければこのカナダが、第2のカシュガルになっていましたもの」

暗に、当時の米ソ中と言った超大国の愚かしさ、そして冷酷さを揶揄しているのだろうか? 微笑むその美貌からは、伺い知れなかった。

「・・・侯爵夫人、全てはこの星の、生存権の為です」

些か苦しい言い訳をしつつ、相変わらず本心を掴みきれない、その微笑みを見返す。 イングリッド・アストリズ・ルイーゼ・アンハルト=デッサウ。
ドイツの名門貴族、アンハルト=デッサウ侯爵リヒャルトの妃であり、グリーンランド、アイスランド、カナダに亡命したデンマーク王家の血を引く、現デンマーク女王の姪。
弱冠24歳の若き侯爵夫人がこの場に居るのは、何も不思議でもない。 今日は『会議』の為の下打ち合わせ。 各勢力の構成員、その中堅クラスが集まっているから。

「そうですわね、全ては生存権の為。 この星の主は、私達人類なのですから・・・」

―――人類? ああ、種としてはそうだ。 だがその頂点を治めるのは、我々でなければならない。 その意味では目前の若き侯爵夫人もその一人か。
なにしろ彼女は、デンマーク王家の血を色濃く継いでいる。 その血統は欧州の様々な王家、大公家、大貴族の系譜に流れている。
英国王家、スペイン王家、ノルウェー王家、ベルギー王家、ルクセンブルク大公家は、デンマーク王家の血を引く。 かつてはロシア皇帝家、ギリシャ王家もそうだった。
侯爵夫人自身、英国を含めた連合王家の、何10番目だかの王位継承権を持つ。 他の王家についても、これまた何10番目だかの王位継承権を有していた筈だ。
会議に於いての、欧州各王室関係勢力、未だ歴然たる勢力を有する大貴族勢力の、意見代弁者と言う所か。 いや、自分同様、まだ本会議には出席できるポジションでは無いのか。

「ですが、アジア地域については、私はどうかと思いますの。 かの帝国の皇帝家は、デンマーク王室とも友好的ですわ。
私、結婚前の王女時代に、かの国の摂政家の幼い姫君にお会いした事もございますのよ。 まだお小さいながら、利発な姫君でしたわ」

「・・・かの国は、会議への出席資格を有しておりません、侯爵夫人。 それに『会議』は、特定の1国に対する議題を扱わない、あくまで『世界』問題に対して、です」

「ええ、ですので、最近の貴方がたの為さり様、首を捻っておりましたの。 貴方のお血筋は、かのロートシルト家とのご縁で、色々な国に顔が利く事は承知しておりますわ。
南アフリカ・オッペンハイムのデビス、英国のインシュアラス、米国のモルガノ、ロートウェラー、メロウズ、デュポント・・・他にも色々と。 かの国のお家にも、いくつか。
でも不思議ですの、確かに手広くお遣りですけれど、1国の政体に手を突っ込む等と。 もう直ぐ21世紀ですのに、そんな、御先祖が19世紀から20世紀に為さっていた様な・・・」

「侯爵夫人、『それ』は未だ『会議』で討論されてはおりません。 推測でお話を為さるのは、御控え頂きますよう」

少し強い口調で、侯爵夫人の発言を遮る。 まだ下準備、いや、その前の種を蒔いている段階だ。 ここで他の勢力に掣肘を受けるのは好ましくない。
第一、実行されるかどうかも怪しいのだ。 全世界に張り巡らせた無数の『保険』、精々その内のひとつに過ぎない。 もっとも『あの国』がどう動くかだ。
それによって、優先順位の変動は有る。 だが今の所は、環太平洋域に張り巡らせた、『保険』の為の下準備のひとつ。 そう、その程度だ。

しかし、少し強引に黙らせ過ぎたか? この侯爵夫人の背後には、英国やアフリカ諸国、英連邦に脱した欧州系の諸財閥も控えている。
彼らとの関係を冷え込ませる訳にも行かない、軍需産業界は全てがどこかで、連中との繋がりが有る。 『パートナー』の腰を引かせる訳にも行かない。
彼自身の公的な肩書は、あくまでも合衆国国防総省の国防長官官房に於けるアジア・太平洋担当副次官補だ。 だがここへは別の肩書で参加している。

そこでふと思いだした、今取り込み中のラングレーの一派の事だ。 連中、マクナマラのお陰で経済・国際関係専従に追いやられている。
その結果、あの国の様々な財閥とも接触できたのだが・・・あの計画案はそれこそ、そこを突破口にDIAから軍事・政治関係を取り戻したいのだろうな。
だがラングレーの事は、『会議』のメンバーには漏れていると見て良いようだ。 ならば見直しが必要か? あの国の真の支配層は、将軍でも、政党政治家でも、大貴族でもない。

(―――世界で最も成功した、官僚制度の中に生息する中央官僚群。 そして官僚化した軍部だ)

ならば、そちらに渡りを付ける方が正解ではないか? 欲と権益の確保だけに動く政党政治家、いや、政治業者など、合衆国を見ても良いが、アテにならない。
欧州以上に苔生した、実権の無い大貴族など論外だ。 将軍? 考えるのも馬鹿らしい、あの国では今世紀の初頭には、既に実質的な実権を失っている。
最終的に、彼等が『パートナー』になればそれで良い。 だが、その為には今の両国の世論は大いに足枷だ。 その障害を省く方策は有るか?
以前使った手は? ヴィクトリア・ラハト。 『オペレーション・ルシファー』の実行直前に、日本の海軍士官―――駐在武官に接触させて、G弾の情報を流させた。
あの女、あの国の情報機関にも、伝手が有った筈だな。 どうする? どこまでの情報を流させる? いや、その方法で本当に良いか? 別の手立ては?

そこまで思考を進めた時、新たな人物が姿を見せた。 この別荘の主、既に80歳を越している筈だが、なお矍鑠とした老人。

「―――そろそろ、お茶の時間ですな。 皆さん、お集まりですぞ。 欧州、北アフリカ、北米各地・・・」

侯爵夫人が優雅に一礼し、ティールームの方へ歩き去って行く。 欧州の一部、その諸々の代弁者が。

「―――ミスター・ポートマン。 貴公もお越しを」

「―――承知しました、老チャタム」

表向きは赤の他人。 その実、父方からは大叔父、母方からも血縁関係にあるその老人の横を通り過ぎた時、確かに言い知れぬ匂いがした。
物理的な匂いでは無い、精神的なそれだと思った。 数世紀に渡って、世界情勢を計って来た天秤を持つ者達の精神的末裔。 中には実際にその血筋に連なる者もいる。
直近の1世紀はまさに、文字通りその様に為してきた。 様々に姿を変え、衣を変え、呼び名を変え。 しかし根本は変わらない。
傲慢な程の精神の腐臭。 しかしそれ無くして、今の世界は成り立たない。 合衆国でさえ、結局は器に過ぎないのだから。

傍を通り過ぎる時、別荘の主―――老チャタムが、小さな、しわがれた声で言った。

「―――お前の祖父、私の兄は、ここのメンバーでは無い。 彼の単独覇権主義は、もう古いのだ。 世界は1国が背負い切れるほど、軽くは無い・・・」









2000年10月23日 1345 合衆国 N.Y.マンハッタン・チェルシー


「―――メイジャー・スオウ。 僕の兄は陸軍の士官でした。 98年の8月、日本の京都で戦死しました、日本派遣軍の一員だったのです」

目の前の少年が、真剣な表情で問いかけていた。 その目は一切の冗談など許さない、真剣な色を湛えていた。

「兄は良く手紙に書いていました、『日本軍の連中は、頼みになる戦友だ。 連中は本当にプロフェッショナルだ』 そして兄は日本軍と共に京都で戦い、戦死しました。
日本はそんな兄を―――『千年の都』と日本人が自慢していた、日本人の都を守る戦いで戦死した兄までも、『逃げ帰った裏切り者』だと、そう言うのですか!?」





久々の休日、宛がわれた郊外の官舎でゴロゴロするのも馬鹿馬鹿しいので、周防少佐はマンハッタンまで足を伸ばして、ブラブラと散歩をしていた。
特に何か目的が有った訳ではないが、不意に帰国の際の土産物など、まだ何も物色していない事に気づいて、慌てて買い物に切り替えたのだ。
5番街で妻や姉、母や義母へのお土産を買った。 香水や化粧品、今の帝国では海外ブランドなど滅多に手に入らない。 父と義父にはパイプと銘柄葉。
子供たちへはアンティーク人形とぬいぐるみ。 まだ乳飲み子だから、もう少し大きくなれば良い遊び相手になるだろう。
他にも義姉や甥に姪達、妻の方の義弟と義妹達にも。 あっという間に財布からドル札が飛んで行き、気がつけば両手に持つのも困難な程の荷物になっていた。
まあ、日本へ送るのは軍事輸送便を使えばいい。 佐官になって、その辺の融通も少しはつく様になったのは、モラルがどうこうより、少ない役得、と納得させた。

そして大量の荷物に悪戦苦闘している矢先、チェルシーとの境目辺りで呼び止められたのだ。

「・・・そんな大量の荷物、一体どーするの? 直衛・・・?」

「・・・お兄さまって、結構、考え無しだったのね・・・」

アルマ・テスレフとジョセフィン・セシリア・アクロイド。 この街で再会した2人の少女が、友人達と一緒になって呆れた目で周防少佐を眺めていたのだった。
丁度、買い物疲れも有って、近くのカフェで揃って休憩、と言う事になった(少年少女達は、別に疲れてなどいなかったが)
アルマとジョゼの2人以外に、10代半ばから後半の少年が3人と、少女が1人。 いずれもアマチュア演劇サークルの仲間だそうだ。
住んでいる場所も、親の職業も、学校もバラバラ。 アルマの家は現在、カールシュルツ公園の西、88丁目のヨークヴィルのアパートだった。
ジョセフィンの家はその南、高級住宅地で知られるアッパーイースト・サイドのコンドミアム。 学校もアルマは公立高校、ジョゼは私立の名門女子校。
4人も友人達も、トライベッカにミッドタウン、ブルックリンにクイーンズ、それぞれ住んでいる場所も、社会的背景も異なる子達ばかりだった。
それでも同じ趣味を持ち、同じサークルの仲間と言う事で、仲は良い様だった。 そしてアルマとジョゼ、2人の紹介で、彼等も周防少佐と共にカフェに入ったのだが・・・

「―――報道でも判ります。 日本は安全保障条約を破棄し、本国に撤退したアメリカ軍と連邦政府、いや違う、アメリカ自体を、口を極めて非難していると。
確かに、条約の破棄はアメリカから行った、それは事実だと言っています。 多分そうなのでしょう。 でも僕は、本当にアメリカだけが悪者だなんて、信じられません。
だったらどうして、兄は死んだのですか!? 遠い異国の地で、BETAと言う訳の判らない侵略者と戦って。 日本を助ける為に戦って、戦死したんです、兄も、兄の戦友達も!」

友人達の1人、ミゲル・ガルシアと名乗った17歳のその少年は、ヒスパニック系そのものの、やや浅黒い端正な顔を歪めて、周防少佐に詰め寄った。

「ちょ、ちょっと、ミゲル! 何も直衛がそう言っている訳じゃ、ないじゃんか!」

「そうよ、確かにミゲルのお兄様は残念だったわ・・・でも、あの報道がお兄さまの言った事じゃない位、判るでしょう!?」

横からアルマとジョゼが、ミゲルを止めようとするが、少年の興奮は収まらなかった。 彼も判っているのだ、目の前の日本軍人に言っても仕方が無い事くらい。
だが、仲が良かったと言っていた兄が、日本でBETAと戦って戦死した。 そしてその日本は、安保条約を破棄したアメリカを非難している。
ならば、兄の死は一体、何だったのか? 同盟国を支援する為に派兵され、命がけで戦い、そしてその命さえ捧げて、今はアーリントン墓地で眠る兄の死は一体?
遣り様の無い、吐き出す方向の無かった鬱憤が、目前に現れた日本の軍人を前に、一気に噴出したと言う訳だった。 ミゲルにとって、周防少佐は『日本』の具現に見えた。

少年の怒声を一身に受けていた周防少佐は、まだ少し息を切らしているミゲルを静かに見つめると、徐に口を開いて言った。

「―――ミゲル、君はカトリックかい?」

「え?―――ええ、そうです。 僕はヒスパニック系だから・・・」

急に何を? 信仰について? それが一体? 当のミゲルは勿論、アルマもジョゼも、他の友人達も皆一様に、首を傾げている。
そんな少年少女達を見つめながら、手にしたコーヒーカップを静に置いて、周防少佐がゆっくりと話し始めた。

「―――人ってのはね、何かを信じたいんだ。 人は、人類は他の生物に比べて、より思考する力を得た。 これが神様の贈り物か、生物的な発展か、その議論は今度な?
で、より高度な思考する力を得て、人は文明を発展させる事が出来た。 その代わり、ちょっとした代償も与えられた、より精神的な重圧や悩みに、人は他の生物より弱いかもね」

益々、判らない―――そんな表情の少年少女を見て、ちょっと意地悪が過ぎるかな? 周防少佐はそう思い、言葉を続けた。

「戦場でもね、何かを信じて、信じたくて堪らないんだ。 神様でも良い、仏様でもアッラーでも何でもいい。 宗教じゃ無くて、ジンクスでも何でも。
本当にね、君達が聞いたら呆れるくらい、下らない事でも真剣に信じ込んで、それを真面目に語るんだよ、戦場で戦う将兵って」

―――良く判らないが、話の核心を語り始めた様だ。 そう感じた彼等は、ミゲル少年も含め、黙って周防少佐の話を聞いていた。

「僕もね、宗教的には非常に消極的なんだけどね、ジンクスだけは自分でも呆れるほど、真剣に信じ込んだものさ。 人は生きる為に、何かを信じる必要が有る。
そんな事、馬鹿げている、必要無い、って人もいるけどね。 正直、今まで真剣に、命がけで生きたい、生き残りたいって、思った事が無いんじゃないかな? そう言う人は」

ちょっと、いきなり真面目な人生論?な話になって、少し居心地が悪そうな少年少女達を、少しだけ微笑ましく、少しだけ羨ましく、そう思いながら周防少佐は話を続けた。

「・・・日本はね、今は国全体が、そういう状態なんだ。 日本だけじゃなくて、BETAの脅威に晒されている国は、押し並べてそんな状態だね。
人は生きる為の光が欲しい、何かに縋ってでも、生きたい、生きていきたい、生き残りたい。 それは宗教だったり、民族主義だったり、色々だね。
日本は偶々、宗教色が非常に薄い国柄だから、今は民族主義が横溢している。 そこで何かの偶像を見出したい、それに縋りたい、そんな気分も多い事は否定しないよ」

―――だから、それとミゲルのお兄さんの戦死と、日本の対米非難と、どうくっ付くのだろう? 皆が首を傾げ始めた。

「日本国内の対米非難は、それの裏返し、だね。 ちょっとマイナスの方向に行っている。 でもね、何かに縋りたい、それ自体を止めろとは、僕は言えない、言う気は無い。
それだけは、判って欲しい―――日本にも、アーリントンの様な場所が有ってね。 日本軍人向けだけど。 それ以外にもね、最近になって他の墓地、いや、慰霊碑が建ち始めた」

「―――慰霊碑?」

「誰の? お兄さま?」

すかさず、アルマとジョゼが話に合の手を入れる。 彼女達も、何とか自分達の『兄』が、この場で納得のいく言葉を言って欲しい、そう願っている様だった。

「―――主に、大東亜連合軍とか、他の国連軍、それに米軍・・・本土防衛戦で、彼等が防衛戦を戦った場所から避難して来た難民達の、その難民区の近くにね。
小さいけど、粗末なものだけど、感謝の言葉と冥福を祈る言葉を刻んだ、無名戦士への感謝の慰霊碑がね、あちこちの田舎の、難民区の近くに建てられ始めた」

ちょっと吃驚した表情の彼らを見ながら、ゆっくりと周防少佐の話が続いた。

「―――感謝を込めてね。 自分達の故郷は、身内の多くはBETAに喰われた、殺されたけれど、その土地を、人々を守ろうと戦って死んだ、外国の将兵に感謝を込めてね。
アメリカを非難する人々が、その同じ人々が、アメリカ軍の戦死者へも、感謝を込めて慰霊碑を建てる。 今の日本の、本当の姿だよ」

本当に小さな、質素な慰霊碑が殆どだった。 中には建立する資金も無く、山中の大石を持って来て、そこに言葉を刻みこんで慰霊碑にしたケースも聞く。

「―――今は難しいと思う。 直ぐに解消される程、生温い感情対立じゃないと思う。 でもね、人は生きなきゃならない、生きる為に前に歩き出さなきゃならない。
それでいつかは、その慰霊碑を日本人の多くが振り返って、見出す時がやって来る。 その時はミゲル、君のお兄さんの生と死は、本当に大切な意味を持つ、僕はそう思う」





[20952] 伏流 米国編 4話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2012/02/16 23:27
2000年10月25日1930 合衆国 N.Y.マンハッタン、ミッドタウンセンター マディソン・アヴェニュー 『ザ ニューヨーク パレス (The New York Palace)』


18世紀か19世紀を彷彿とさせるエントランス、街灯と窓から漏れる光が一層、時代を感じさせる。 ゆったりとした音楽、さざめく会話、グラスの鳴る音にシャンデリアの輝き。
このホテルはニューヨークのほぼ中心に位置し、500m 以内にセント・パトリック大聖堂、ロックフェラーセンター、近代美術館へは徒歩でアクセスできる。
室内はこれまた、格式と歴史を感じさせる意匠の数々。 一瞬、数年前に少しだけ任務で居た事が有る、スコットランドのカントリーハウスを思い出した。

東欧州社会主義同盟に属するルーマニア社会主義共和国。 亡命政府は他の東欧諸国同様、イングランドのマンチェスターに拠点を置いている。
ただし、軍事的に『国連軍』の指揮下で戦っている関係上、国連政府代表団は当然ながら派遣しており、ワシントンには大使館も継続して開いていた。
そしてこのN.Y.にも、僅かながら(本当に僅かだが!)『正式に』避難して来た自国民の為に、在N.Y.ルーマニア総領事館が有る。
今日、10月25日はルーマニア軍の軍隊記念日(日本帝国なら、陸軍記念日とか、海軍記念日に相当する)。 1944年10月25日、ルーマニア全土の解放が達成された。
ワシントンでは、ルーマニア大使館主催の祝典が開催されている。 米国国務省、国防総省、各国の大使や首席武官たちがこぞって招待されているだろう。

「―――こういう場は、初めてです。 少し緊張しますね」

横で前田大尉が、苦笑気味に周囲を見渡している。 散々文句を言ったが、上官命令で出席させた。

「―――余り固くなるな、どうせ周りは殆どが同業者だ。 とは言え、俺もこの格好は慣れないな・・・」

自分の姿を、鏡に映して思わず苦笑する。 礼装用の金モールとも言われる、金地の礼装用階級章にブラックタイ。 黒のメスジャケットの上下にオレンジ色のカマーバンド。
胸には略綬の代わりにミニチュアメダル。 これが結構、ずらっと並んだものだ。 帝国軍のは当然ながら、国連軍時代のも付けなきゃならないからな。

「―――随分とまァ、ズラッと並んだものですね、周防少佐」

「―――うん、我ながら、驚いている・・・」

勲功章が勲五等旭日章に、勲六等瑞宝章。 これはまあ、生きて無事に軍務年限を務めれば、半ば自動的に貰える。 同期生達も殆どが貰っている勲章だな。
後は従軍記章。 大陸派遣軍従軍記章(満洲派遣と満洲・半島派遣の2回)、京都防衛戦従軍記章に甲22号作戦従軍記章、シベリア派遣従軍記章の、各従軍記章。
戦功章は、帝国のは、京都防衛戦後に受勲した功五級金鵄勲章と、シベリア派兵の後で少佐に進級してから受勲した、功四級金鵄勲章と帝国軍武功章。
国連軍時代のは、国連軍殊勲十字章(1等級、バトル・オブ・ドーヴァーで)、国連軍名誉戦傷章(イベリア半島で)、国連軍殊勲十字章(2等級、カラブリア半島で)
他国から貰ったのが、カヴァリエーレ(cavaliere:カラブリア半島・シチリア防衛戦でイタリアから)、ミリタリー・クロス(Military Cross、武功十字勲章:イギリスから)
あ、ドーヴァーの戦いでついでに、西ドイツから一級鉄十字章(Eisernen Kreuzes I)も貰ったな。 貰えるモノは貰っとけで、有り難く頂戴したが。

前田大尉も礼装なのは同様で、異なるのは俺がスラックスなのに対し、彼女は踝まであるロングスカートだと言う事。 つまり2人とも、帝国陸軍第2種礼装に身を包んでいる。
ドレスコードが『タキシードで』なのだから、帝国軍人としてはこの礼装しか無い。 普段は仕舞い込んでいるが、海外出張の為に慌てて箪笥の奥から出して持ってきた代物だ。
そしてその礼装を着る羽目になった理由、ルーマニア政府の国連代表団(付きの武官団)が、ルーマニア軍記念日祝賀パーティーをN.Y.でも開催して、招待状が来た為だ。
ワシントンの大使館と違い、N.Y.には武官は少ない(政府代表団と、出張事務所に少数)から、自然とこっちにも出席要請が入る。 ま、頭数合わせだ。
しかも間の悪い事に、同じ日に統一中華でも台湾が『台湾光復節』の祝賀パーティーを開催しており、ワシントンとN.Y.の外交官・武官に動員がかかっている。
台湾は1944年以降も暫く日本の海外県だったが、1949年の国民党の台湾脱出、そして翌1950年の日華和平条約と、台湾住民総投票の実施。
その結果、1951年のサンフランシスコ講和条約に伴い、正式に日本帝国からの独立と相成った。 これが1951年10月25日。 『台湾光復節』だ。

「―――面倒そうな台湾の方は、篠原さんに任せたけど・・・こっちもまぁ、みんなやる気満々だな」

「―――武官外交の、言わば主戦場ですし。 頑張って下さいな、周防少佐」

「―――お前さんも、精々愛想を振りまいて、情報集めて来い。 前田大尉」

ホテル内の、ちょっとした晩餐会が開かれるその部屋では、各国外交官や武官に同伴の、ローブ・デコルテを着た外交官夫人や武官夫人達が華やかに談笑している。
当然ながら外交官もいる事は居るが、圧倒的に数が多いのは各国の軍人たちだ。 メスドレス(軍人の礼装)姿が男女問わず、あちこちに目につく。
多いのはやはり合衆国軍人、それとルーマニアと同じ東欧州社会主義同盟に属する各国軍の軍人達。 東ドイツ、ポーランド、ハンガリー、ブルガリア、チェコスロバキア・・・
東欧諸国の『大家』である英軍の将校も居るし、西ドイツ軍、仏軍、イタリア軍にスペイン軍、デンマーク軍や北欧諸国軍も居る。
向うで固まっているのは、中東諸国軍にトルコ軍とイラン軍。 AU(アフリカ連合)軍や大東亜連合軍の連中も見える。 英軍と居るのは、英連邦諸国軍の連中か。

日本からは、N.Y.の政府代表団に臨時でくっ付いている交渉団の一部の連中と、出張事務所からは俺と前田大尉の2人。 それでも全部で4人だけだ。
参加している帝国軍人の中の最高位、海軍の徳河照子中佐が頑張っている。 五摂家とは毛色の異なる上級武家貴族出身だが、それでも流石は貴族、場慣れしている。
徳河中佐は、死んだ兄貴とは同期になる人だ(出身軍学校は違うが) お陰で随分と穏やかに接してくれている。 同じ兄貴の同期の長嶺中佐とは、随分と違うな、お淑やかさが。
そんな、見た目は穏やかなお姫様の徳河中佐だが、これでも潜水母艦艦長として、佐渡島や明星作戦にも参加した古強者だ。

大東亜連合の連中に捕まっているのは、俺と同じ陸軍の松永浩一郎少佐。 陸士出で、ウェストポイント(米陸軍士官学校)留学経験も有る、参謀本部内の国際派の1人。
統制派や少数残っている国粋派の参謀とは、日々苦労をしている人で、同じく短期だが米国留学経験のある俺とは、話の合う数少ないエリート将校。
大陸派遣軍では、機械化歩兵装甲部隊の指揮官として、悪戦苦闘をした経験を持っている。 前線部隊と、後方の要職をバランスよく経験している、若手の俊英だ。
後は俺と前田大尉だけ。 所長の篠原少佐と、あと3人を台湾の祝賀会に出して、半数を事務所に残さなければならなかった為、俺と前田大尉がこっちに来た。
最初、前田大尉は堅苦しいのを嫌がっていたのだが、篠原さんに2人しか居ない女性将校の内、もう1人のWAVE(女性海軍士官)の大尉を持って行かれた。
『できれば』婦人同伴、と有ったので選択肢としては必然的に、残る1人の女性士官で唯一のWAC(女性陸軍将校)の前田大尉を、引っ張って来るしか無かったのだ。

シャンパングラス片手に『友軍』の戦況を観察していると、脇から声を掛けられた。 振り返ると3人の他国軍の軍人達が歩み寄って来ていた。
二言三言、挨拶を交して雑談に入る。 今日初めて会ったばかりの相手だが、そこは軍人同士、色気も味気も無い話題はお互い事欠かない。


「―――ですから、私はその英軍将校にこう申し上げたのですよ。 『結婚前には両目を大きく開いてみよ。 結婚してからは片目を閉じよ』とね!」

「―――トーマス・フラーですかな? 確かに、東欧諸国を受け入れた英国も、結婚した男と同様ですな」

「―――多少の欠点は、見過ごす寛容さが大切ですな。 そう思わないかね? 周防少佐?」

ちょっと鼻にかかった英語で話すのは、ポーランド軍のクリシュトフ・ヴォシニャク中佐。 2m近い長身の、砲兵将校と言っていた。
他に東ドイツ軍のコンラッド・ヘルメスベルガー少佐と、ハンガリー軍のペーテル・エステルハージ中佐。 ん? ハンガリー人は日本と同じ、姓が前だったかな?
とにかく、その3人が英軍の吝さ(今に始まった訳でない)、東欧州社会主義同盟に対する要求の(英軍にとっては当然の)多さ。
そして相手に要求して来る改善点(東欧州諸国にとっては、無理難題と言っている)の、多さ加減を皮肉った話題を振って来た。

「―――『青春の失策は、壮年の勝利や老年の成功よりも、好ましいものだ』、ベンジャミン・ディズレーリ。 
ああ、失礼。 『40歳を過ぎた人間は、誰でも自分の顔に責任を持たねばならない』、エイブラハム・リンカーン。 仰る通り」

ちょっと引っ掛けてやった、別に諧謔と洒落こんだ訳じゃないが。 最初の警句は、逆説的に青春時代の挫折を励ました言葉。
次は人の容貌は、当人の教養や経験で如何様にも変わる、と言う意味で。 詰まる所・・・『文句垂れる前に、行動して実績を残したら如何?』と。
別に英軍の肩を持つ訳じゃないが、土地から兵站から、何から何まで、厄介になっている『大家』に、流石にそれは無いだろ? と少し思った訳で。
ヴォシニャク中佐とエステルハージ中佐は、ちょっとムッとした表情をするも、直ぐに持ち直して冷ややかに苦笑する。
1人、東ドイツ軍のヘルメスベルガー少佐だけが、面白そうな表情でこっちを見ていた。 やがて大した話題も出ないので、その場を断って離れる事にした。

「周防少佐」

給仕から飲み物を受け取って、さて何処の輪に入ろうか、どこに挨拶でもしようか(国益の為の情報収集は、武官の任務だ)、そう考えていると背後から声を掛けられた。

「ヘルメスベルガー少佐、何か?」

見た目は30代前半、と言った所だろうか? 人口の激減、人材の減少が叫ばれる東欧諸国軍に有っては、そろそろ中佐目前と言った所か。
くすんだアッシュブロンドに灰色の瞳の、無駄な肉を削ぎ落した様な鋭い印象の男だ。 しかし何の用だ? 東ドイツに関わる様な記憶は無いんだが?

「いや、少しお話したいのだ。 宜しいか?」

宜しいも何も、そんなあからさまに周囲を気にする素振り。 そして小声で囁く様に、意味深に話しかけて来る。

「・・・まだ決定では無いのですが、来年からの我が軍・・・東欧州社会主義同盟軍に対する兵站量が増えると言う情報、ご存じか?」

―――欧州での、東欧諸国群への兵站量? それが増加? だからどうしたのだ? 帝国には関係が・・・待てよ?

「・・・貴国の、東欧諸国の『大家』である英国の後ろに居るスポンサーは、随分と気前が宜しい様だ」

スポンサー、つまり合衆国だ。 表向き、東欧諸国は『国連軍指揮下』として参加している。 当然ながら国連軍大西洋方面総軍の指揮下だが、兵站は実質、合衆国持ちだ。
英国は『店子』である東欧諸国の面倒を、単独で見切れるほどの経済力は無い(帝国と同レベルだ) 西ドイツやフランスなど、自国だけで精一杯、いや、自国分も賄いきれない。
当然、欧州で不足する兵站量は後方から合衆国が一手に引き受けて、大西洋を渡って補給し続けている。 欧州各国がアフリカ大陸に持つ各種プラントの建設・保守整備もだ。
当然ながら、兵站は奪い合いだ。 各国ともに少しでも多くの取り分をと、裏では激しい分捕り合戦を繰り広げている。 その兵站の充当が増える? 
合衆国も無尽蔵に、資源と資金と物資を有する訳じゃない。 こっちが増えれば、あっちを減らすしかない。 特に経済的に天井が見え始めた今となっては・・・

「―――我々は、訝しがっておるのですよ。 その増加分は、どこかを削る以外に流石の『かの国』もそうそう捻出できまい、とね。
時にとある家庭では、別の家庭に対するプロポーズに、夫婦間の見解が分かれていると側聞するが、家庭内不和は収まりつつあるのでしょうや?」

「―――ご心配なく。 夫婦の愛情ってものは、お互いがすっかり鼻についてから、やっと湧き出してくるものなのです」

現実には、鼻に着くどころか、夜毎の夫婦喧嘩状態だが。 江戸の小話にも有る、『婚礼が終わって10年、亭主が怒鳴り、女房がわめく。 それを隣の人が聞く』だ。
国際社会ってのも、随分と安普請で壁が薄い様だな。 もっとも帝国と合衆国の今の関係は、世界中の諸勢力にとっての関心事だからか。
にしても、どう言う事だ? 東欧諸国にとっても、兵站量の増加は有り難い話だろうから、その辺の真意の確認か? だったら合衆国の連中にでも、当たれば良いものを。

「―――その不和に付け込み、後添えを企みおる企てが有るとか。 ご存じか・・・?」

「―――流石に国民の3割近くの耳が長いと、色々と話も聞こえて来るようですな?」

こいつ―――この少佐、情報関係者か? どう言う了見だ?

「―――いえ何、捨てられた亭主と言うのも悲惨なもので。 もっとも妻の方も、正妻に迎えられるとは限りませぬが?」

ワシントンと、N.Y.に跨る軍産官複合体が? 帝国に介入をすると?

「ヘルメスベルガー少佐―――貴官は一体・・・」

そう言いかけた所で、視線の片隅に新たな人影が入った。

「―――女に懲りるのは一度でたくさん。 誰もがそう思いながら、二度三度と繰り返す。 然るにそろそろ、学習をした方が良い場合も有る。 ホモ・サピエンスならば」

綺麗に撫でつけたブロンドの髪、これまた整えた口髭。 顔立ちは端正な方だろう。 英軍の将校がそこに立っていた。

「等価交換とは、与太話には当て嵌まらぬでしょうな。 周防少佐、ヘルメスベルガー少佐、如何かな? 両君?」

ある種の猛禽の様に鋭い目、皮肉がたっぷり効いた口元。 典型的な『英国貴族将校』、そのものの外見を裏切らない、その口調。
国連英国政府代表部附武官、バーフォード伯チャールズ・クリストファー・ボークラーク英陸軍中佐。 駐在武官の中では、『大物』の1人だ。
すると、ヘルメスベルガー少佐が意味深な苦笑を残し、ボークラーク中佐へ一礼だけを残し、早々にその場を立ち去って行った。
一体何だったのだろうか? そう疑問に思っていると、ボークラーク中佐がヘルメスベルガー少佐の後ろ姿を無表情に眺めながら、呟く様に言った。

「ふむ、今回はコンラッド・ヘルメスベルガー少佐か。 3年前のベルファストでは、ライナルト・シュローダー大尉と名乗っていた。 
NVA(東ドイツ人民軍)参謀本部第3部(情報部)だよ、あの男は。 シュタージとの関わりまでは、DISもSIS(旧MI6)、SS(旧MI5)も、洗い切れていないようだがね。
気を付けたまえ、君。 情報部と言う人種は、虚実織り交ぜて無意識に『刷り込み』をやって来るものだ」

「―――小官は一介の、ただの臨時派遣将校ですが? 中佐」

東ドイツの軍情報部、か。 頭では承知してはいるんだが、俺もご多分に漏れず、情報機関の人間に対しては、余り良い印象を持っていない。
しかし、本当にどうして俺などに? 仕掛けるならば、ワシントンの方に出席しているお偉方の方が確実だろうに。 しかし何故また、東独が日本帝国に?
改めて疑問に思った事を言う。 暫く口髭を弄りつつ、俺の言葉を表情も変えずに聞いていたボークラーク中佐が、一瞥を投げかける様にして言った。

「そこそこの立場、そこそこのポジション、そこそこの階級。 これ見よがしな工作は、必ず失敗する。 気がつけば・・・と言うのがベストだ。
つまりは少佐、君はその『都合が良い』立ち位置に居ると言う訳だ。 少佐と言う階級は、決して高官ではないが、その報告を組織が無視できるほど軽くは無い」

「・・・『外套とナイフ』、その歴史が語る、ですか」

「なに、先祖代々の教訓だよ。 君、我が家の先祖は王家に繋がるが、かと言って、ロンドン塔と無縁だった訳ではないのだよ」

どうやら、俺は知らずに包括されかけていたらしい。 しかしどうして、この英軍中佐は助け船を? ベターなのは状況を更に利用して、ダブル・トリプルに抱き込むはずだ。

「ふむ、理由か。 極めて個人的見解―――気まぐれだと思ってくれたまえ」

どうせまともに言う筈も無かろうが、敢えて理由を聞いてみれば、そんな人を食った理由とは。 それを信じろとでも?

「信じんだろうな。 訳か・・・ローズマリー・フィリパ・ヴィア英陸軍少佐、今は予備役に入っている。 ヴィア男爵家令嬢、覚えているかね?」

「・・・英軍の、ヴィア少佐?」

なんだろう? 少しその名には聞き覚えが有る、だけどはっきりと思い出せない。 その名からして、帝国軍人としての俺が会った相手では無いだろう。
大陸や半島の戦場に、英軍は出張って来ていないのだから当然だ。 可能性が有るとすれば、国連軍時代。 どこだ? アレキサンドリア? ジブラルタル? マルタ?
地中海でないとすれば、英本土か? ウェールズ? ベルファスト? グロースター? カンタベリー? どこかの基地か? スコットランドじゃない筈だ、記憶に無い。

「1996年の4月。 北フランス、ブーロニュ・シェル・メール前面。 プリンセス・オブ・ウェールズ・ロイヤル連隊(PWRR)、その第3大隊『ローズ』―――覚えているだろうか?」

ボークラーク中佐の言葉を、脳裏で反芻する。 1996年の4月、北フランス。 『PWRR』 ・・・『バトル・オブ・ドーヴァー』か!

「そうだ、周防少佐。 君が、我らが女王陛下よりミリタリー・クロス(Military Cross:武功十字勲章)を叙勲された、あの戦いだ。
PERRの第2、第3大隊は、突出の揚げ句に危地に立たされていた。 その第3大隊の危機に対し、後退の殿軍を務めたのは国連欧州軍―――国連大西洋方面総軍所属の1部隊。
第1即応兵団第1旅団戦闘団、その団本部直属の遊撃部隊、第13強行偵察哨戒戦術機甲中隊『スピリッツ』だったな? 周防少佐、貴君が当時、所属していた部隊だ」

ボークラーク中佐の俺への呼びかけ方が『貴官』や『君』から、尊称を帯びた『貴君』に変わっている。

「第3大隊は定数の1/3を失いつつも、何とか後退する事が出来た。 周防少佐、感謝しているのだ、私は」

「―――感謝、と?」

「そう、感謝だ、恩人に対しそれを厭うものではない。 ローズマリー・フィリパ・ヴィア、今はバーフォード伯夫人ローズマリー・フィリパ・ヴィア・ボークラーク。
私の遠縁にして、今は妻である。 彼女が生きて今、私の妻となっている事が出来たのは、あの戦場で生還できた事以外に、価値の有る理由は他に無い」




テラスの近くで、複数の相手に囲まれながら談笑している。 あれからボークラーク中佐の紹介で、次々と欧州各国の外交官、武官に紹介して貰えたのだ。
にしても、我ながら驚いた。 何年も前の死闘の結果が、今こうしてN.Y.の一角でこの様な形―――概ね、好意的な歓迎―――となって返ってくるとは。
外交官や武官たちだけではなく、彼等が同伴させてきた夫人達からも、内心興味本位かもしれないが、歓迎された。 伯爵夫人は上流階級の世界でも、友人・知人が多いようだ。

「―――少佐は、お独りですの?」

「―――いえ、妻と双子の子供達が。 この夏前に、産まれたのですが」

「―――まあ、それはお目出度い事ですわね。 そうですわ、伯爵夫人の恩人である少佐のお子様のお誕生に、何か形の有る物を・・・如何かしら? 皆様?」

「―――そうですわね、それでは少佐の奥様にも・・・そう、何か素敵なメッセージでも添えてみては?」

「―――よろしいですわね。 いかがかしら、少佐? もし、御迷惑でないのでしたなら。 伯爵夫人は、私達の親しい友人ですの」

「―――恐れ入ります、奥様方。 妻も、喜びましょう」

こう言う場は、気が疲れる―――欧米のこういう世界はまず第1に、ご婦人方の支持を取り付けるモノ、そうは聞いているのだが。 やっぱり慣れない。
それに高々、3年程度の俺の欧米滞在歴じゃ、全くの付け焼刃だ。 ボロが出ない内に、何とかしてご婦人方のご機嫌をとりつつ、戦線離脱しない事には・・・

「―――皆さん、少しばかり彼をお借りして宜しいかな? 少々、気の置けない話をしたい所でしてな」

焦っていると、背後からボークラーク中佐の救援が入った、助かった。

「―――まあ、伯爵様。 せっかく、お話の最中でしたのに・・・」

「―――殿方だけで、何か良からぬお話を、なさるお積りですの?」

「―――なに、『男というものは美の国の庶民であるが、女はそこの貴族である』 彼が皆さんの美に溺れぬよう、私としては同輩に警句を与える義務が有りましてな」

では、失礼―――そう言うと、俺へ目線で合図して、その場を離れる様に促している。 並み居るご婦人方に一礼して、ようやく離脱に成功できた。

「なかなか、慣れていない様だ」

「面目ない次第です」

離れたテーブルで、ウィスキーグラスを二つ、給仕から受け取り1つを俺に渡す。 それを受け取って、気付け代わりにひと口飲む―――息を吐き出し、ようやく一心地ついた。
会場の部屋から出て、ロビーエントランスを見下ろせる回廊で一息つく。 見下ろせば、様々な人々が居る。 白人、アジア系、アフリカ系、アラブ系、ラテン系。

「―――まったく、世界の縮図だ、この国は」

ボークラーク中佐が、グラス片手に見下ろしながら、少し皮肉っぽい口調で言う。 どうもこの中佐の癖の様だ。

「どこで、誰が、どの様に繋がっているものか。 面白いと思わないかね? かつて奴隷だった者達の子孫が、今や支配者層に食い込む。
片や、貴族だった者達の子孫が、日雇いの労働者たり得る。 興味深いね、私の様な者から見れば、実に興味深い」

「―――中佐?」

「その様な者達が創り出す、或いは創り出そうとしている秩序とは、一体どの様なものなのか・・・ 気を付けたまえ、『会議』も1枚岩では無い」

―――『会議』? 一体、何の事だ?

「君は知るべきではない、そう、知らぬ方がよかろう。 だがもし、君が然るべき要路への道を持っているのならば、そう伝えたまえ―――『魔王』の甥よ」

―――『魔王』だと? 甥? ・・・あの人の事か?

「まったく・・・今回の使い走りは、東独か。 いったい、どんな餌を与えてやった事やら・・・」










2000年10月27日 1500 合衆国ニューヨーク州ウエスト・チェスター郡 ニューロシェル


土曜日、旧友たちからお誘いが有った。 マリア・レジェス。 NYU時代の同級生、今は『USAトゥデイ』紙の記者。
他にドロテア・シェーラーと、フェイ・ヒギンズ。 そしてルパート・フェデリク。 ルパートはブルッキングス研究所で研究員をやっている。

「・・・アメリカの記者って、随分と高給取りだな・・・」

ニューロシェルはN.Y.の北に位置し、ロング・アイランド湾に面した街だ。 そして中心からやや北上すると、静かで緑豊かな高級住宅街だった。
その中の一軒家、まるで古い小説にでも出てきそうな、3階建ての小奇麗な家。 それがマリアの自宅だ。 今日は旧友たちが集まって、ホームパーティーを、と相成った。

「馬鹿言わないで、直衛。 元々、祖父母が住んでいた家よ。 父も私も、ここで生まれ育ったわ。 両親は今、フロリダに居るけれど」

「フロリダ、羨ましいわ。 シカゴは湖からの風が冷たくって・・・」

シカゴ生まれのフェイが、心底うらやましそうに言う。 行った事は無いけど、冬ともなればそれはもう、N.Y.の比では無い寒さだそうだ。
ここは丁度、俺が今、仮住まいしているブロンクスビルとは同じウエスト・チェスター郡。 直ぐお隣だ。 車だと直ぐだし、普段利用しているメトロノース鉄道を使ってもいい。
最寄駅のブロンクスビル駅から、マンハッタン寄りに7駅目のフォードハム駅で、同じメトロノース鉄道のニューヘイブン線に乗り換えれば、3駅目の近さだ。

今日は秋の良い天気。 午後の日差しも心地よい。 と言う訳で、広い庭にテーブルを出してお茶の時間だった(パーティーは終わった)

「会議? ・・・会議、ねえ? うーん・・・」

「他に何か言っていたの? その英軍の中佐」

雑談の中でふと出た一昨日の祝賀会での一幕。 その中でボークラーク中佐の言っていた『会議』の一言に、皆が首を傾げている。

「あー、特には。 ただ、内容からして余程の要職か、高官じゃないと、それもごく一部の。 そんな連中じゃないと、知らなさそうな・・・」

ちょっと自信が無い。 でもあの時の感じでは、そんな気がした。 俺などでは到底、その存在さえ伺い知れない様な。 そんな縁遠い、世界の底の底に存在する、そんな感じだ。
それに確か、『魔王の甥』とか何とか言っていたな。 それはあれか、右近充の叔父貴の事を言っている訳か。 あの叔父貴が、職務の上で非常に恐れられる人物なのは知っている。
そんな事を考えていると、マリアがふと、何かに気付いた様な素振りを見せた。 暫く考え込んでいたが、やがてポツリと呟く様に言った。

「・・・ビルダーバーグ会議・・・」

「ビルダーバーグ会議?」

―――何だ? それは?

「・・・欧米各国で影響力を持つ王室関係者や欧州の大貴族、政財界・官僚の代表者なんてメンバーがね、北米や欧州の各地で会合を開いていたの。 今は北米だけだけど」

「マリア、ちょっと・・・」

マリアの言葉に、ドロテアが微妙な表情で止めようとする。 でもどうしてだ? どんな不都合が? 俺に聞かれたら、余程拙いのか?

「いいじゃない、別に。 直衛が知ったからと言って、どうこうなる訳じゃないわ。 つまり、そう言った世界中の実力者たちがね、世界情勢や政治経済・・・
そんな多種多様な国際問題について、討議する完全非公開の会議なの。 『影のサミット』何て呼ばれ方もするわ」

「・・・1954年よ、ポーランド生まれの社会主義者と、オランダ女王の夫が中心となって、そこに当時のCIA長官も加わって、NATOとアメリカの橋渡しの為に作られたと言うわ。
参加者は合衆国大統領、英国の宰相、EU事務総長に世界銀行総裁。 欧州の各王室関係者にロートシルト、モルガノ、ロートウェラー、メロウズ、デュポント・・・
他にも欧州系の様々な、世界的に有力な大財閥の指導的立場の関係者。 エネルギー資源を牛耳る国際的コングロマリットの代表者に、NATOの事務総長・・・」

「国連の安保理関係では、アメリカとイギリス、フランスに多いわね。 ソ連と中国は蚊帳の外。 そして中東諸国の有力王族や政府首脳も、参加する事が有るわ。
後は・・・イスラエルかしら。 あの国は会議の常連だと言うわね。 欧米のジャーナリストだけは招待されるけれど、会議での討議内容は非公開で記事になることはないの。
一度だけ、英国のフィナンシャル・タイムズ紙で批判記事が掲載されたのだけれど・・・70年代の頃ね。 書いた記者は辞職に追い込まれて、直ぐ後で『自殺』したそうよ」

なんだか、思いっきり胡散臭い。 マリアの説明に続いて、ドロテアとフェイが教えてくれたが、聞けば聞く程に胡散臭い。 そんな会議、実際に有るのか?
まるっきり、三文記事じゃないか。 『世界を裏で牛耳る、影の政府』―――はっ! 確か子供の頃に読んだ冒険活劇で、そんなのが出てきたな。
俺の表情は多分、思いっきり胡散臭そうな表情だっただろう。 ドロテアとフェイが、『・・・私達だって、聞きかじりよ』と、バツが悪そうに弁解していた。

「・・・実在するよ、『ビルダーバーグ会議』は」

「ルパート!?」

不意にルパートが、断定口調で言ったのに、皆がちょっと驚いている。 俺も驚いた、彼はこんな与太の様な話題に賛同する事は無かったのに。

「会議の参加者は、CFR(アメリカ外交問題評議会)のメンバーも多数重複しているよ。 CFRにはブルッキングスやヘリテージからも参加しているだろう? ドロテア?」

「え、ええ・・・」

「コーエン教授は、ランド研究所のゲスト・プロフェッサーでもある。 そしてランドは、CFRと強い繋がりが有る。 そうだろう? フェイ?」

「ルパート、あなた・・・」

「そして、CFRのメンバーには合衆国以外の国のメンバーも居る。 英国王立国際問題研究所や、日本帝国国際問題研究所からも参加しているよ。
そしてビルダーバーグと、合衆国・欧州・日本の3大地域を結び付けるのが、『三極委員会』だよ。 アメリカ、主に英国、そして日本帝国。 参加者は主にその3カ国からだ。
先進国共通の国内・国際問題等について共同研究や討議を行って、自国政府や民間指導者に政策提言を行う・・・事が建前の、ビルダーバーグの『外郭組織』だよ」

―――何だって? そんな繋がりが有ったのか? 

「・・・生憎と、俺は一介の職業軍人だ。 政治には一切関わらないし、関わってもいけない、興味も無い。 けど、それだと・・・」

今後、何らかの形で、世界のどこかから帝国内部に介入してくる可能性が有る、と言う事なのか? そう言う意図を持った組織なり勢力が有る、と?

「・・・判らないわよ、そんな事」

「マリア?」

マリアが何やら鋭い視線で、周りを見渡して言った。

「だって、招待されるジャーナリストはみんな、権力に擦り寄っているって評判の、御用ジャーナリスト達ばかりだもの。
でもね、今に見ていて。 いつかすっぱ抜いてやるんだから、私が! 完全な秘密なんて、有り得ないわ。 ピューリッツァーも夢じゃないでしょ・・・?」

「―――やめろっ!」

マリアの言葉に反応したかのように、突然、ルパートが激した様に声を荒げた。 
みんな吃驚している、俺も驚いた。 彼がこんなに声を荒げるなんて、ちょっと記憶にない。

「やめろっ! やめるんだ、マリア・・・!」

「ちょ、ちょっと、どうしたのよ、ルパート!? 私に何か文句でも有るのっ!?」

「ルパート! 急に大声出さないで、落ち着いて・・・!」

「マリア、貴女も落ち着いて頂戴な。 直衛、何か飲み物を・・・2人を落ち着かせないと」

「あ、ああ・・・」

フェイに言われ、慌ててテーブルの上の冷たいレモネードを2人に手渡す。 
ルパートは一気に飲み干したが、マリアは手に持ったまま、相変わらずルパートを睨みつけている。

「・・・先月だ、ずっと僕を指導してくれてきた上級研究員が死んだ。 飲酒運転で、100マイル(約160km/h)のスピードで道路から外れて・・・即死だった」

ルパートの上司が? 事故死か、それも飲酒運転で。 お気の毒だが、自業自得と言えなくも無いな。

「彼はずっと、国際安全保障の研究を続けていた。 僕はそっちの方面で随分と指導を受けてきた。 面倒見のいい、厳しいが公正な評価をしてくれる人だった。
彼は良く言っていた、『CFRの目指す国際連合世界政府、それに異を唱えるつもりは無い。 だけどそれが特定の方向性に集約される事は、世界の為にならない』と・・・
その論文を、ようやく完成させた矢先だったんだ。 それに第一、彼はアルコールを嗜まない。 先天的にアルコールを受け付けない体質だったんだ・・・」

「それって・・・」

「やめてよ、そんな話! まるでタブロイドのゴシップ記事じゃないの・・・!」

―――『タブロイドのゴシップ記事』、マリアの言う通り、その通りだったらどれ程良かった事か。 ルパートが、小さく頭を振った。 何度も、何度も。
どうやら事実らしい、その事故は地方紙の片隅に小さく掲載されて、翌日には忘れ去られたと言う。 そしてその研究員の論文資料は、研究所の封印文書庫の中だとも。

「―――僕は彼の研究を受け継ぐつもりだ。 知りたいんだ、僕は。 世界の半分が地獄と化した今でも、人は、人同士で争い、疑心を育て、お互い判り合おうとしない。
知りたいんだ、その理由を。 知りたいんだ、判り合えるかもしれない、その道筋を。 今はまだ、出口さえ見えない、僕が生きている間に判るかどうかも、見えない。
でも―――知りたいんだ、僕は。 どうして彼は死んだのか。 その目前で一体何を見たのか。 希望なのか、絶望なのか。 だから研究を受け継ぐつもりだ、僕はそうする」










2000年10月30日 1630 合衆国 N.Y.マンハッタン・グラマシー パークアヴェニュー299 日本帝国国防省N.Y.臨時出張事務所


さっきから篠原さんが、隣の机でコツコトと、ひっきりなしに机を叩いている。 俺はと言えば、席に座ったまま目を瞑って、腕組みしたまま。 終いに眠ってしまいそうだ。
2人の机の前には、10人の部下達が各々の席に座り、チラチラとこっちを盗み見ながら仕事をしている―――違う、仕事をしている振りをしている。

「―――何時だ?」

「―――1632時、間の休憩抜いて、7時間32分経過」

俺達がさっきから、こんな会話しかしないから。 それも難しそうな表情で、朝からずっと。 そりゃまあ、上官2人がこの調子じゃ、空気も悪くなるな。
だが仕方が無い、今日の公式会議で今後の方向性が決定されるのだ。 決裂して、今後帝国は単独で、BETAと対峙して行くのか。
色々と飲み込んだ唾は多い、その代償も今後吹き出て来るだろうが、それでも兵站支援は取り付ける事が出来るのか。 それを突破口に、今後も継続交渉の道が開けるのか。
全ては後、数分から数10分の内に決まるだろう。 その瞬間を、今や遅しとずっと待っているのだ。 ワシントンの交渉結果次第で、この事務所もどうするか決まる。

「ッ!―――はい、N.Y.事務所。 はい・・・はい・・・」

突然、篠原少佐の卓上の電話が鳴った。 彼が俺に目配せする、こちらも秘話回線のスイッチを入れ、受話器を取り上げる。 受信オンリーだが、それで充分だ。

『―――ワシントンです。 交渉の結果をお知らせします』

大使館付武官補佐官の海軍少佐だ、交渉結果を伝えてきた。

『―――本10月30日、1638時、日米両国は『日米物品役務相互提供協定』、その締結準備交渉に同意。 来月の最終交渉に向け、準備に入ります』

その言葉を聞いた瞬間、腹の底から何か熱いものが込み上げてきた。 受話器を持つ手が、僅かに震えるのが判る。 行く手の前途は多難極まりないが、遥か遠くに光は見えた。

『―――同時に、今後『日米安全保障高級事務レベル協議(SSC)』委員会の設立準備に入ります。 これは最終的に『日米安全保障協議準備委員会(SCC)』を目指すものであり、
その声明文は本日2030時、合衆国国務長官、駐米日本帝国特命全権大使の署名入り声明文として、全世界に向けて発表されます』

思わず、天井を見上げて大きく吐息をついていた。 1998年の夏、1999年の夏、そして今尚、前線で苦闘を続ける戦友達よ。
少なくとも俺達は、君等が補給の心配なく戦える、その手筈だけは整える事が出来たぞ。 君等が戦う為の支援を、途切らせる事のない状況だけは、勝ち取ったぞ。

『―――お疲れ様でした、皆さん。 ワシントンより、感謝を』

「―――お疲れ様でした。 ニューヨークより、ワシントンの力戦に、感謝と敬意を贈ります」

篠原さんの言葉に、俺も内心で大いに賛同する。 腹の立つ奴も居た、視野が狭いと思った高級幕僚も居た、鼻持ちならない外務官僚も居た。
だが、そんな人々も含め、全てに感謝を―――帝国はこれでまた、今後も戦い続けられる。 そしていつの日か、そう、いつの日にか・・・

『―――この場を許して下された、皇帝陛下と全ての帝国国民に、感謝を。 以上、お伝えしました。 ワシントン、アウト』

「―――日本帝国に、感謝を。 ニューヨーク、アウト」





[20952] 伏流 米国編 最終話【前編】
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2012/02/20 20:00
2000年11月3日 1015 合衆国N.Y.マンハッタン チェルシー


「―――うっひゃーい! 気っ持ちいいー!」

「ちょっと! アルマ! 飛ばし過ぎよ、周りに当ったら・・・!」

「そんなヘマ、しないよっ! お姉ちゃん、イルマ! 軍に入って鈍った!?」

「なっ!? このぉ! 見てなさい!」


目前のローラー・スケート・リンクでアルマが、姉のイルマと一緒に楽しんでいる。 ここは10番街の29丁目と30丁目の間にある、ローラー・スケート・リンク。

「直衛ー! 直衛もやんない? 楽しいよー!」

「・・・いや、いい。 君等で楽しんでおいで」

「ぶー! なによ、年寄り臭い・・・もう小父さんだねー?」

「ちょっ! アルマ、何て事を! す、すみません、少佐! この子ったら・・・!」

苦笑しか出ない。 第一、リンクに入って楽しんでいるのは、精々がティーンの若者が大半、後は多分、大学生くらいまでかな?
ジーンズに明るい色のセーター、ヤンキースのキャップを被ったアルマ。 クリーム色のスリムパンツとシャツの上に、ブラウンのカーディガンを羽織ったイルマ。
流石に姉妹、顔立ちが良く似ている。 姉の方は5年前のあの日、チラッと見ただけだったが、2人とも母親似なのだな。
俺? 俺は普通に、黒のタートルネックセーターに、ジーンズ。 上は薄灰色のジャケット。 足元はスニーカー。 普段着は余り持ってない。
見上げれば秋の晴天が見える、気温もまだあまり下がっていない、気持ちのいい休日。 今日は土曜日、その1日をテスレフ姉妹と一緒に過ごしていた。

「―――余りはしゃぐなよー? 今日はまだ予定が有るんだろう?」

「―――大丈夫、大丈夫!」

大はしゃぎするアルマ。 ま、仕方が無いか、久しぶりに家族が休暇で帰ってきたのだから。 それより、後で大騒ぎするだろうから、飲み物でも買っておいてやるか。
近くのスタンドで、ソフトドリンクを2人分とコーヒーを1人分。 後はホットドックを2本。 育ち盛りだ、どうせ直ぐにお腹も減るだろう。

―――日米の大筋交渉が為った後、N.Y.の臨時出張事務所は正式に、日米安全保障高級事務レベル協議委員会(SSC)連絡事務所に格上げになる予定だった。
今後は国防省だけでなく、外務省や内務省、他の関係省庁からも人を出して、SSCの業務をサポートする総合支援事務所となる。
ただし、俺達はそこに参加はしない。 全員が駐米任務を解かれ、今月の半ばの帰国命令が出た。 今は次の先発隊との引き継ぎ業務がメインになっている。
仕事も以前に比べれば、のんびりしたペースに落ち着いた。 これまでのデータや資料を整理して、申し送りの準備をするだけ。 休日もしっかり休める。

で、どうして休日にアルマ達と遊んでいるかと言うと。 事の発端は2日前、交渉締結の2日後の11月1日の事だった。
定時になって、帰宅する為に事務所を出たら、アルマとジョゼが待ち伏せしていた(最近、彼女達は事務所の所在地を、割り出したようだ)

『―――お兄さま、Thanksgiving Day(感謝祭)は、どうなさるの?』

ジョゼの第一声に、一瞬何の事か判らなかったとは、内緒にしておこう。 何せ5年前はこの時期、米軍関連の軍教育学校に放り込まれ、感謝祭もクソもなかったし。
にしてもそうか、感謝祭か。 『Day After Thanksgiving(感謝祭休日)』 合衆国の感謝祭は11月の第4木曜日(カナダは10月の第2月曜日)
全米が祝日となる全米祝祭日(National Holiday)のひとつだ。 ニューヨーク州も近年、他の州と同じく感謝祭の翌日の金曜日も祝日扱いとして、4連休となる。
感謝祭が過ぎるとクリスマスまで約一カ月、街はクリスマス・シーズンに向けて華やかさを増していくと言う。 クリスマス商戦が始まると言う訳だ。

『―――直衛は家族がこっちに来ていないしさ。 どうせだったら、一緒に感謝祭をお祝いしようよ!』

アルマが期待感たっぷりに、そう言った。 流石に2人からそんな表情で期待されると、罪悪感を感じてしまう。

『あー・・・えっとな、実はその前、今月の中頃に帰国する様、本国から命令を受けてね・・・感謝祭の頃にはもう、ここには居ないんだ』

その時の2人の顔。 驚きの表情に次ぎに、信じられないと言った表情が来て、最後は2人とも膨れっ面で怒った様になって・・・

『―――せっかく、今年の感謝祭はお兄さまに、ターキーを切り分けて貰えるって、思っていたのに・・・!』

『―――そうだよ! 連休だから、どこかへ遊びにって、楽しみにしていたのに!』

―――あー、2人とも。 勝手に人のスケジュールを決めてはいけません。

『―――仕事なんだ、ゴメンな? でも遊びにならホラ、今度の週末でも行けるし・・・』

判っているよ、判っている。 俺がこの子達に甘過ぎるって事は。 大体が今度の土日は、帰国の準備をしようと思っていたのだが・・・
お陰さまで土日の2日間連続で、アルマとジョゼと、2人のお供をする約束をしてしまった。 帰国準備は仕方が無い、平日に睡眠時間を削ってするか・・・

『―――うーん、しょうが無いね、それで手を打つか! 直衛も遊びで来ているんじゃないし、命令なら仕方ないし』

『―――はぁ・・・残念。 ね、お兄さま。 今度来る機会があったら、絶対、絶ーッ対! 一緒にお祝いしてね!?』

『―――その機会があったら。 うん、判ったから』

そんな調子で、2日連続強行軍で遊びまわる羽目に。 そして偶然と言うか、アルマの姉のイルマが、休暇で家に帰って来る事ができたのだ。
彼女、今は米軍北方軍(NORTHCOM)の首都地域統合部隊司令部(JFHQ-NCR)に属する部隊に居るらしい。 
驚いた事に、彼女の部隊指揮官は俺の旧知の米軍将校―――アルフレット・ウォーケン少佐だと言う。 普段はワシントンのフォート・レスリー基地と言っていた。

『―――偶々ね、フォート・ハミルトンに移動していたの。 そこで休暇に突入となった訳。 ラッキーだったわ』

フォート・ハミルトン―――米陸軍ハミルトン基地は、N.Y.にある。 マンハッタン島の目と鼻の先、エリス島やリバティ島と同じアッパー湾のガバナーズ島に有る。
その昔、独立戦争当時、英海軍に対する沿岸防衛砲台として機能し、英軍のマンハッタン上陸を阻止した上で、とうとうより南部での上陸を余儀なくさせた、殊勲の基地だ。
今は昔の砲台跡と、ささやかな基地機能が有るだけだと聞いたが、時折移動中の部隊が『宿泊所』代わりに利用する事が有ると聞く。
ここで2日間の休暇が出たとか。 まあ、なんだ。 米軍もマンハッタンを目の前にして、指を咥えているだけ・・・は、士気も下がるとの慣例なのだろうな。

で、今日はアルマとイルマの、テスレフ姉妹のお供をする羽目に。 活発で、それでいて創造的なものが大好きな、妹のアルマが選んだコースはと言うと・・・

「直衛、楽しかったー! 次行こうよ、次!」

「お待たせして、すみません、少佐」

「余りはしゃぎ過ぎるなって、アルマ。 逃げやしないよ。 テスレフ少尉、今日は休暇だ、そう畏まるな。 それと『直衛』でいい、休みの時くらい階級は余所に置いておけ」

「―――判りました。 では、私の事はイルマと」

「―――了解」

アルマが先頭になって進むのは、近年N.Y.の新たなホットスポットになっている空中回廊公園、『ハイ・ライン』(The High Line Elevated Park)だ。
元々は1930年代に高架鉄道として計画されるも、その後半世紀もの間は計画中断で見向きもされず、放置された無用の長物だった。
片手にソフトドリンク、片手にホットドック。 後ろ姿からでも、ワクワク感が丸出しのアルマが、あちこちを楽しそうに見ながら進む。

「―――あ、見て、見て! あれ、面白そう!」

「―――何かしら、あれ? ええ!? 裸にアートを描いているの!? こんな街中で!?」

それが90年代に入り再開発が行われ、グリニッジ・ヴィレッジの北西、食肉卸市場(ミートパッキング・エリア)を起点に、チェルシーを通りミッドタウンの33丁目まで。
全長約2.3kmの空中回廊公園に変わった。 元々が街角まるごと、アートなイベントをしているグリニッジ・ヴィレッジや、チェルシーのギャラリー街がメインのエリアだ。
面白そうなギャラリーやアート・イベント見つけたら、空中公園から地上にひょいと降りて、じっくり見てくるって寸法だ。

「―――ねえ、ねえ、ここから街並みを見下ろしながら、ちょっと休憩できるよ!」

「―――素敵なロケーションね。 古い歴史的な建物も、一杯有って。 あら? あれ、あそこって何時の間にギャラリーに?」

「―――半年前だよ。 お姉ちゃんが軍に入ってから、倉庫を改修する工事を始めたみたい。 昔住んでた時は、普通の倉庫だったよね」

建物と建物の間をすり抜け、通りの頭上を眺めて歩く。 元々は高架鉄道の高架だから、それなりに高さも有るし見晴らしも良い。
所々が強化ガラスの壁になっていて、必ずベンチと植え込みが有った。 そこで寝そべりながら、アートの街を見下ろして読書に耽る様な人も居る。
途中でアイスクリームなんかを買って、食べ歩きをして楽しむ。 気に入った、面白そうなイベントなりが有れば、ちょっと降りて顔を出す。 で、また戻って進む。
アルマもイルマも楽しそうだ。 あのアートは斬新だ、あの絵は面白そう、あの服のデザインはなかなか、あっちの建物は素敵。

微笑ましい、そう思う。 この姉妹は多くの難民同様に、言葉に言い表せない辛酸を味わって来た。 それこそ年端のいかない子供の頃から。
故国をBETAに喰い荒らされ、父親は北カレリア戦線でMIA(作戦行動中行方不明)―――ほぼ100%、KIA(戦死)だろう。
母と姉妹だけで、あちこちの難民キャンプをたらい回しの揚げ句、このN.Y.では一時不法居住難民をしていた。 不法居住だから就業規約など無視の重労働で。
結局は移民局の摘発に引っ掛かって、再び難民キャンプへ、それが5年前のあの日。 それから姉が市民権を得る為に、合衆国軍へ志願入隊した。

市民権を得られれば、家族にも市民権が与えられる。 軍の将校として正式任官した時点で、家族は制限付きながらキャンプを出られる特権を得る(市民権はまだだ)
だけど出るのは少数だ。 出ても職の当ては無いし、僅かな生活保護に頼って貧乏暮らしが関の山。 教育も満足に受けられず、裏の世界に入って行く子供も多い。
そんな中、ほんの少しの幸運が重なってテスレフ母娘は、贅沢は出来ないが、それでも慎ましく生きていく事が出来た。
姉のイルマは家族を思って軍に。 妹のアルマはそんな姉の期待に沿いたいと、頑張って勉学にも励んでいる。 母親は娘達を見守る為、病気がちの身を押して働いていた。

「―――今度さ、お姉ちゃんの休暇の時にさ、ママも一緒に買い物に行こうよ」

「―――ん~、クリスマス休暇は貰えるだろうから、その時にね。 た・だ・し! それまでちゃーんと、ママを手伝って、勉強もしっかりする事! いい!?」

「―――ま・か・せ・て!」

だから、せめてこの姉妹だけは、この家族だけは、そう思う。 全ての難民に、等と言うのは誇大妄想だろう、世の中そこまで砂糖菓子で出来ていない。
ならば、身近な者達の幸福を願いたい。 姉が生きて軍役を終え、市民権を取得出来る事を願う。 妹と母親が再び、娘と、姉と、一緒に幸せに暮らせる事を願う。

(―――お前も、そう願っていたのだろう? イヴァーリ・・・)

昨日、久しぶりにイヴァーリ・カーネの墓を訪れた。 小さいが、綺麗にした墓だった。 多分、テスレフ母娘が手入れしているのだろう。
死んだ父親が願ったであろう、家族の無事。 イヴァーリが叶えたかった、家族の幸せな団欒。 父親もイヴァーリも居ないが、せめてこの街の片隅でそれが実現されますよう・・・


朝から飛びまわって、流石に昼前になるとアルマもお疲れになった様で。 マンハッタンを随分と南に、ハドソン川へ。
ハドソン川岸のこの辺は、ダウンタウン23丁目の西端でチェルシー桟橋(チェルシー・ピア)と呼ばれる複数の桟橋の集合体に出る。 
かつてはタイタニック号も到着を予定していたと言う、ニューヨークを代表する旅客船港だった。 今ではマンハッタン一の多目的スポーツセンターが有り、散歩スポットだ。
そこで一端休憩して昼食に。 チェルシー・ピア周辺にプカプカと浮かんでいる多数の水上レストラン、そのひとつに入った。

「私、ハンバーガーとカラマリ(イカフライ)! お姉ちゃんは?」

「あ、私もそれで。 少・・・直衛は、何になさいますか?」

「あ、俺も同じものを・・・」

ハンバーガーが2個で6ドル、カラマリが1人前7ドルとお手ごろだし、味も普通のダイナーとかで食べると変わらないか、もしかするとこっちの方が美味しいんじゃないか?
うーん、知らなかった。 これは結構な穴場だったのだな。 この辺は余り来なかったからなぁ、何せ事務所とはマンハッタンの反対側だし。
川に浮かんでいる状態だからか、微妙に波に揺れているのもいい感じだ。 向こう岸はニュージャージー州。 景色のせいもあるかもしれないけれど、美味い!

取りあえず腹ごなしを終え、地元ニューヨーカーの休息地となっているそこを、トコトコと歩いて南下すると、ハドソン・リバー・パークに入る。
マンハッタンのほぼ最南端からミッドタウンの59丁目までの川沿いがハドソン・リバー・パークで、ダウンタウンのハドソン川沿いが丸ごと全部この公園だ。
楽器を弾く人、読書をする人、昼寝をする人、景色を眺める人・・・など、たくさんの人々が思い思いに過ごす自由な時間。
秋空の穏やかな風に流されてゆく白い雲。 ゆっくり、ゆっくりと動いていく姿は、まるで羊の群れの様だ。 リラックス・ムード満点。
が、目的地はまだずっと向う。 折角の気持のいい景色をズンズン無視して、途中でタクシーを捕まえて向かった先はマンハッタンの南端、バッテリーパーク(Battery Park)だ。

「―――折角、景色の良いところなのに、ハドソン・リバー・パーク・・・」

ちょっとばかり未練、何となくもったいない。 あんな感じの良い公園は、帝国には無いし・・・

「えー? だって私の高校、あそこの近くだもん。 しょっちゅう行っているし」

そうか、スタイヴァサント高はハドソン川岸にあったか。 くそ、アルマめ、少しくらい良いじゃないか、ブツブツブツ・・・
そしてそんなやり取りをしている妹と俺を見て、慌ててフォローしているイルマ。 根がしっかりした娘さんだ、本当に。
バッテリーパーク(Battery Park)に着く。 スペルが同じ『電池』で、何か関係あるのかな? とアルマが言ったから、バッテリーとは『砲兵隊』という意味だと教えてあげた。
ニューヨーク港に面したこの公園には、かつてオランダ軍やイギリス軍と戦った際に、砲兵隊が配置されていたのだ。
フォート・ハミルトンの有るガバナーズ島も含めた、沿岸砲兵陣地群の名残だ。 独立戦争当時にまで遡る、合衆国の『歴史的史跡』だ。

そこからリバティ島行きのフェリーに乗り込んだ。 自由の女神像のあるリバティ島や、移民博物館のあるエリス島を巡って、またバッテリーパークに戻って来るコース。
現在、午後3時。 フェリーが桟橋をゆっくりと離れる。 次第に遠ざかって行く摩天楼群、そして潮風が冷たく感じてきた頃、はっきりと自由の女神像が見え始めた。
アルマはいち早く、見晴らしの良いフェリー最上階へ移動した。 イルマもリバティ島へ近づくにつれ最上階へ移って行った。
女神像がどんどん大きく見えて来る。 ルートの関係上、一番見晴らしの良いとされる右手先端をアルマが確保済みだ。
姉妹揃って、無言で自由の女神像に魅入っている。 かつてまだ少女の頃、まだ幼い子供の頃に、欧州から命からがら逃げのびた時も見ただろう、その姿を。
何を思っているのか、計り知れない。 俺がその胸中を計り知る事は出来ない事だろうし、立ち入るべきじゃないだろう。 そのまま姉妹の後ろ姿を眺める事にした。

フェリーはやがて、リバティ島を離れエリス島に。 ここは昔からこの国にやって来た移民たちが、最初に足を踏み入れた『新大陸』だ。 今は移民博物館が有る。
もっとも、遅い時間に乗船したからリバティ島へも、エリス島へも降りていない。 それぞれの停泊時間は5分から10分だし、本格的に見歩けば次の便になってしまう。
陽が暮れて来て、夕焼け空に変わりつつあった。 船上は随分と寒い、それでもまだデッキで頑張っているアルマに、船内の売店で買った熱いコーヒーを持って行ってやる。

「―――アルマ、風邪をひくぞ? ほら、熱いコーヒー」

「あ、ありがとう。 大丈夫だよ、私、この光景が大好きなの・・・」

この光景? 確かに真っ赤に映える夕空が、自由の女神像を綺麗に浮き立たせている。 向うには夕日を浴びた水面を従えた摩天楼群が、真っ赤に燃えている様だ。

「―――うん、確かに綺麗だけどさ・・・それだけじゃないの。 私、辛い事があったり、落ち込んだりした時にね、このフェリーに乗るの。
それでね、港を一周して、そして最後にマンハッタンを見るの。 『よし、まだ頑張れる。 私、まだ頑張れる!』って、そう思えるんだ、あの時みたいに・・・」

あの時、とは多分、難民としてこの国にやって来た時の事なのだろう。 今でもエリス島は、国際難民受け入れの窓口のひとつだしな。
地獄の様な欧州から、散々その地獄を見ながら命からがら脱出し、ようやくたどり着いた新大陸。 幼かっただろうアルマの目に、目前の摩天楼はどう映った事か。
そうなのか。 ここは、この風景は、アルマの『聖地』だ。 何としても生きていく、父も、義父になるかもしれなかったイヴァーリも居ない。
姉は自分達の為に、軍に志願入隊した。 もしかすると死んだ父同様、戦場でBETAと戦う事になるかもしれない。 母は体が弱い。
誰かに弱音を吐く事も出来ない、出来なかった彼女が、それでも必死に生きていく為に必要な儀式、それを行う為の『聖地』だったのか。

「―――うん、私、頑張る。 まだ、頑張れるよ」


アルマの後ろ姿を見ながら、船内に戻ろうとすると、入口に姉のイルマが立っていた。

「―――元々、このフェリーに乗り出したのは、私なんです」

「君が?」

そうか、この娘はそれこそアルマよりずっと前から、体の弱い母親と幼い妹の面倒を見てきた娘だった。 その苦労は一言では言い表せないだろう。

「―――難民だからって、国が無いからって、随分悔しい思いをしました。 働いても、働いても、ちっとも暮らしは楽にならないし・・・
いつ、移民局や市警の摘発に遭うかって、ビクビクしながら生きていました。 絶望で押し潰されそうになったり・・・」

多くの難民が、そんな希望の見えない暮らしをしている。 それはこの国もそうだし、帝国でもそうだ。 キャンプから抜け出した不法居住の場合、更に摘発の恐怖が加わる。
それでも彼女達の母娘は必死になって生きてきた。 母親は体調を崩しながら働いていた様だし、姉のイルマも碌に学校へも行けず、働き詰めだった筈だ。

「せめて、父が生きていたらって・・・イヴァーリさんに再会する前だったし。 そんな時、私もよくこのフェリーに乗ったんです。
フィンランドから何とか生きてアメリカに着いた時、初めて見た光景でした。 『生きてやるんだ、頑張るんだ』って、あの時そう思いました」

その後、アルマも一緒にフェリーに乗る様になったと言う。 訂正、アルマだけじゃ無い、イルマにとってもこの光景は『聖地』だったか。
夕焼けの空に、自由の女神像がその祝福をずっと掲げていた。 カモメが数羽、夕焼け空に向かって飛び去って行った。





その後、イルマとアルマ姉妹の家に招待された。 88丁目のヨークヴィルのアパート。 彼女達の母親も、最近は体調が良い様で、始めた手芸店を切り盛りしていると言う。
こじんまりとした、しかし清潔で快適に整えられた感じのいい家の中。 夕食に招待されて、食卓に出てきたのは、伝統的なフィンランドの家庭料理。
ライ麦で作った生地を餃子の皮のように延ばした上に、米のお粥を載せてオーブンで焼いた『カレリアン・ピーラッカ』 モチモチしていて、美味かった。
雌牛のチーズを焼いて、イチゴジャムをかけた『レイパユースト』、フィンランドのドーナツ『ムンッキ』、エンドウ豆のスープ『ヘルネケイット』
メインはジャガイモと魚の炒め蒸し。 それに一瞬『月見団子みたいだ・・・』と思った丸パンの『サンピュラ』
それに『グロッグ』と言うグリューワイン(ホットワイン) アルマが顔を真っ赤にしている。 食後はコーヒーと『プッラ』と呼ばれる甘い菓子パン。

色んな話をした。 イルマが無事に兵役を終えて、将来やりたい夢。 アルマの教師になりたいと言う夢は、母も姉も初耳だったようで、でも喜んでいた。
フィンランドと日本について、皆よく知っていた。 日露戦争で日本が帝政ロシアを破った時、フィンランド人は大喜びして希望を見出したとか。
ああ、あの事は確か、フィンランドはロシア帝国領だったな。 ロシア皇帝がフィンランド大公を兼ねていた筈だ。 
大っぴらに喜びは出来なかったろうが、それでも先祖(曾爺さんの頃か?)の活躍が、遠い外国で喜ばれたのは嬉しいものだ。

俺も知っている僅かな、フィンランドに因む知識を話した。 大半は国連軍時代、ユーティライネン大佐と、オーガストと結婚したペトラ・リスキから教えて貰った事だ。
あとはイヴァーリか。 ユーティライネン大佐もイヴァーリも、そしてペトラも陥落前のフィンランドを良く知っている、彼らの美しい故郷を。
トーべ・ヤンソン、ラルス・ヤンソン兄弟の童話と絵本の『ムーミン』は、帝国でも子供達は、一度は親に読んで貰った事が有るだろう。 俺も有る。
あの作家兄弟は(弟のラルスは絵本作家だが)フィンランド人だ。 あの作品の舞台もフィンランドだったしな。
フィンランド人の自称の『スオミ』の事。 先の大戦でお互い残念ながら敗戦国同士になった事(ラップランド戦争)
カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム元帥(後に大統領)、ジャン・シベリウスの交響詩管弦楽曲『フィンランディア』・・・





深夜のメトロノース鉄道、そのハーレム線。 休日なので流石にこの時間、車内は閑散としている。 窓の外は真っ暗だが、所々灯りが見えた。
あの灯りは家庭の、家族の団欒の灯りだろうか。 そう有って欲しい、そう思う。 アルマの家を辞し、今帰宅の途についている。
こんな世界だから、余計にそう有って欲しいと思う。 安っぽい感傷と笑われるかもしれないが、あの灯りのひとつに、アルマの笑顔が有って欲しい、そう思った。










2000年11月4日 1045 合衆国N.Y.マンハッタン セントラルパーク


前日に引き続いての、2日目の強行軍。 今日、日曜日はジョゼとの約束の日だ。 流石にジョゼは、アルマ程のお転婆力は無いから、少しだけホッとする。
同じアウトドア志向でも、活発で能動的なアルマに対して、ジョゼはどちらかと言えば自然に癒しを求める様な子だ。 今日はのんびりと『プチ・ハイキング』だった。
今はジョゼの家の近くでも有る、セントラルパーク。 その東南角に来ている。 ただし、『公園』と侮るなかれ。 南北4km、東西0.8kmの広さがあるのだから。
ピンと来ないかもしれないが、この広さは実に、現在帝都で大規模改修中の『帝都城』、その全関連敷地(禁衛師団や斯衛軍の占有地含む)の、3倍程の面積が有る!

「―――綺麗・・・ ねえ、お兄さま、綺麗・・・」

「ああ、本当に。 ・・・どこか、スコットランドを思い出すな」

「・・・ええ! ええ、思い出すわ!」

『The Lake』―――セントラルパークで2番目に大きな湖にボートを浮かべて、周囲の景色を楽しんでいる。 ジョゼも周りを、うっとりとした表情で眺めていた。
紅葉に彩られた森と、そこに掛る小さな橋が見える―――『Bow Bridge』だ。 映画のロケにも良く使われるし、ポストカードのデザインにも定番で使われる有名な場所だ。
陽の光が水面に反射してキラキラと輝いていて、それが木々の隙間から木漏れ日となって見えてくる、その光に照らされた美しい橋。 もう140年以上前に造られたそうだ。
どことなく、ジョゼの故郷のスコットランドの森と湖を思い出す。 そう言えばあの時、屋敷近くの森に有る湖水まで『ハイキング』に行ったのも、丁度こんな時期だったな。

「―――ねえ、覚えている? まだ私が小さかった頃、グラスゴーで暮らしていた頃。 ほら、私とお兄さまと、ペトラに爺やも一緒で、近くの森に行ったわ・・・」

「ああ、行ったね。 何せその前に、お姫様がご機嫌を損ねていたからなぁ・・・」

「ああ! 酷い! 最初に約束を破ったのって、お兄さまじゃ無かったかしら!?」

ジョゼがプッと膨れっ面で抗議する。 そんな表情も可愛らしく微笑ましかったので、自然と俺も笑みが出た。 今日も秋晴れ、良い天気だ。
オールを漕いで、ゆっくりボートを進める。 水面に陽の光が反射して、それが湖水に映った紅葉の赤や黄色の色彩を輝かせて、本当に美しい。
ジョゼは珍しくラフな格好だ。 ピンクのシャツの上に、クリーム色の厚手のセーター。 下は普通にジーンズとスニーカー。 髪はこれも珍しく、ツインテールにしている。
俺はと言えば、実は昨日とほぼ変わらない。 タートルネックセーターが黒から濃茶に変わっただけで。 実は近所のフリマ(フリーマーケット)で、安く買った代物だよ。

「ごめん、ごめん、そうだったね。 じゃ、今日は前みたく、1日お供させて頂きます、お姫様?」

「うむ―――苦しゅうない!」

2人して笑い合う。 暫くボートからの景色を楽しんだ後、岸に戻ってまた、深い紅葉に包まれた森の小道を散策する事にした。
ここは本当に広い、木々が深く生い茂る『森』だ。 道も曲がりくねった坂道や、小さな橋が有り、小道が有り、深い紅葉に包まれた森。
世界最大の大都会のど真ん中に、こんな自然が有るなんて。 いや、こんな自然を残して、維持し続けているなんて。 国情の違いとは言え、そんな努力が出来る事自体が羨ましい。

「あ―――見て、見て、お兄さま! リスよ、リス!」

「お、本当だ―――食い気に一生懸命だな、逃げやしないぞ?」

「もう直ぐ、冬だもの。 あの子達も今は一生懸命、たくさん食べないと。 ね? そうだよね?」

1匹のリスが、ベンチの上で木の実を抱え込んで食べている。 ジョゼはその前にしゃがみこんで、まるで友達に話す様にして話かけている。 楽しそうだ。
モコモコの、ふわふわ、とジョゼが言うように、そろそろ冬毛に覆われているリスが4、5匹、あちこちで木の実を食べていたり、それを巣に持ち帰ったりしている。
セントラルパークにはこう言った、野生の小動物が実に多い。 先程の湖には、カルガモの親子が列を為して泳いでいたし。 みんな、冬に向けて秋の大食欲大会の真っ盛りだ。

ちょっと道から外れて水辺ギリギリまで行ってみると、木々の香りと土の匂い、それに湖の風のコンビネーションが実に良い。
しかも目前には、対岸の木々の上に聳え立つ摩天楼のビル群が水面に反射していて、いかにもニューヨークな景色だ。
そしてよく見ると足元には、リスやカモなどの小動物が、これまた楽しそうに遊んでいたりして・・・

「あっちに行きましょうよ、お兄さま! ほら、早く!」

「はいはい・・・ジョゼ、走るなよ? 危ないぞー?」

「もう、子供じゃ無いモン!」

―――いや、充分、まだ子供だって。

『The Mall』―――先程の『Bow Bridge』から南東に進んだ、大きな楡の木の並木道がずっと続いている。 紅葉と落ち葉の絨毯、木漏れ陽で、世界が鮮明な赤に染まっている。
途中で色んな人達に出会う。 赤ん坊連れの親子や、祖父母に手を引かれたヨチヨチ歩きのお孫さん。 元気な腕白坊主たちや、元気一杯の小さな女の子たち。

ふと思う。 彼等はこの国以外の惨状を全く知らないだろう。 今、自分達の周りの世界が、あの子達の全て。 世界は光に照らされて明るく、優しく、前途に満ちている。
それで良いと思う。 それを非難する事は間違っていると思う。 いずれ大人になって、自分の価値観や認識を持った時に、別の世界が有る事を知れば良い、そう思う。
自分の子供達の事を考えてみた。 まだ会っていない我が子たちは将来に必ず、自分と、自分の国が置かれた困難な局面を認識するだろう、否応も無く。
それは親としては残念なことだ、そして出来ればその状況を少しでも改善しておいてやりたい、切にそう思う。 
だけれども、目の前の小さな子供達を目にして、我が子たちを不憫とは思いたくない。 そして目の前の子供達を、恨めしく思いたくも無い。
人は産まれて、育って、生きて、老いて、そして死んでゆく。 遥か昔から繰り返してきた、それに差は無い。
生きていく上で、何がどう違うのか、何をどう努力すべきなのか、その違いだけだ。 そしてそれを、その不満を他者にぶつけても仕方のない話だ、それだけだ。





『The Mall』を抜けて、広大な広さの芝生の広場、『Sheep Meadow』につく。 ここではみんな、思い思いに過ごしている。
走り回ってはしゃぐ子供達、何かの遊技を使って楽しんでいる若者たちのグループ、木陰でのんびりしている親子連れ。
丁度、昼前になっていたので、ここで昼食を取る事にした。 丁度いい木陰を見つけて、そこで持っていたバッグから、ビニールシートを取り出して広げる。
更にミネラルウォーターのペットボトル、コーヒーとホットレモネードの入った魔法瓶を2本。 ジョゼは自分のバスケットから、2つ、3つと箱を取り出した。

「ね、お兄さま、食べて見て。 私が作ったの!」

「―――ジョゼが?」

へえ、この子の家にもなると普段から料理は、昔は使用人、今はお手伝いさんと言うか、兎に角ジョゼや母親のミセス・アクロイドが、自身で作る事はほぼ無いだろうに。
って事は、『料理初挑戦』か? 期待と不安、両方が同居した様なジョゼの顔を見ていたら、そんな事もどうでもよくなって、バスケットの中に手を伸ばしていた。

「ど・・・どう?」

「・・・ん、これは美味いね、このコールドチキン。 ワカモーレソース、ちょっとレモンを利かせているかい?」

唐辛子の効いたワカモーレソースだけど、レモンの風味がピリ辛だけじゃなくって、爽やか感な風味も利いている。

「う、うん! 賄いのミセス・ヴォーグが作るのは、普段はもっと抑えているの。 でも、私、もうちょっとレモン味が強いのが好きかなーって・・・美味しい・・・?」

「美味しいよ、これ、全部ジョゼが作ったのかい? あ、そっちのハムサンド、貰うね」

「うん! 全部、私が作ったの!」

コールドチキン、生ハムと卵のサンドウィッチ、キュウリの酢づけにサラダ、リンゴは手の込んだウサギ風!にちゃんと切ってある。 全部ジョゼが作ったのか。
いや、美味いよ、お世辞抜きで。 ふと昔に、まだ独身時代に妻と初めて泊まりで旅行した時を思い出した。 あの時も弁当、作ってくれたよなぁ・・・
何て事を考えていると、ふとジョゼの左手、その指に巻かれた絆創膏が見えた。 さっきまで薄手の手袋をしていたから、気がつかなかった。
それに、時々目をしょぼつかせているな。 寝不足か、そして指の絆創膏・・・いや、野暮は聞くまい。 美味しく食べさせて貰おう。

「ジョゼ、食べないと、俺が全部食べてしまうぞ?」

「え・・・あ、ダメ! 私も食べる!」

晴天の秋空、暑くも無く寒くも無い、長袖で動き回るのにちょうどいい気候、昼下がりの芝生の上のランチ。 
チキンやサンドウィッチ、サラダなんかを食べ終わって、デザートのリンゴを齧りながらコーヒーを飲む(ジョゼはホットレモネード)
どこかで鳥の声がする、何て鳥かな? おやつがてら持ってきたナッツを放ってやると、どこからかリスが出て来て、美味しく頂いている。
ふとジョゼを見ると、もう目が虚ろだ。 多分、早起きの為に寝不足と、お腹が満腹なのと、この天気で眠気に負けそうな様子だ。

「―――ジョゼ、1時間ほど、ここでゆっくりしようか?」

「う・・・ん、おやすみなさい・・・」

―――今、あっさり『おやすみなさい』とか言わなかったか? と思っていたら、コテンと横になって、スー、スーと寝息を立て始めてしまった。
流石にこのままじゃ風邪をひく、俺のジャケットを掛けてやったから、まあ1時間ほどならこの天気だ、大丈夫か。 その間に片づけ物でもしておこう。

芝生の上を流れる、秋のそよ風。 天気も良いし、俺も眠くなりそうだ・・・









[20952] 伏流 米国編 最終話【後編】
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2012/02/20 20:01
2000年11月4日 1450 合衆国N.Y. マンハッタン イースト・ビレッジ


セントラルパークを出たら、ジョゼが『ちょっと行きたい所が有るの』と言うから、ご希望に沿ってみた。 場所はイースト・ビレッジ、3番街と4番街の間の12丁目沿い。
地下鉄の4ラインで68丁目駅から乗って、14丁目駅でLラインに乗換え。 そこから3駅で3番街駅。 駅を上がって西へ、昔ながらの建物も多い場所の一角。
『少女の夢が形になった』アンティークショップ、『Cure Thrift Shop』 慈善中古品店だが、まさしく女の子の夢の様な小物が揃った、可愛らしい品揃えのアンティークショップ。

「・・・」

―――で、ここに入るのか? 俺も!?

「? お兄さま? どうかしたの?」

「・・・いや、なんでもない」

―――ええい、旅の恥はかき捨てだ!

入ってみると外観から想像したより、ずっと奥へと広い店内になっている。 女の子が喜びそうな小物のアンティーク雑貨や、ビンテージのワンピース。
それだけではなく、大きなアンティークな家具や古いピアノまで、綺麗に陳列された様々な品々があった。 ジョゼが目を輝かせている。
客層はと言うと・・・予想の通り、大半が10代の女の子、チラホラと20代前半位の若い女性。 それに女の子と一緒に来ている母親らしきご婦人方。 男は俺1人だけ。

そんな居心地の悪さを感じていると、向うでジョゼが見知らぬ女性と話しているのが見えた。 俺を手招きしている、傍に歩み寄って行くと、その女性を紹介された。
この店のオーナーだそうだ、まだ20代半ばか後半くらいの、アフリカ系女性だ。 ジョゼも交えて話している内に、何故ジョゼがこの店に来たのか、ぼんやりと判る気がした。
オーナーの女性は、10歳の頃から大病を患っていた事もあり、この店の利益の半分を『病気の子供支援基金』へ寄付している。 最近は難民キャンプへも、しているそうだ。
幼い頃からお母さんと一緒に、ショッピングするのが好きだった女の子。 が、大病を患い長く闘病生活を余儀なくされた。 そんな女の子(オーナー)がオープンした自分の店。

「―――自分に身近な社会貢献活動を行うために、自分のアンティークショップを開きたいと決めたのです。
もちろん自然に病気について何かできないか、となりました。 私は自分でとても気になっていた2つの事を、一緒にしてみたんのですよ」

そして最近になって、別のNPO団体の会合で世界中の難民キャンプの惨状と、そこで蔓延する病気の数々、碌に治療を受ける事の出来ない難民の子供達の様子を知ったと言う。

「―――私が出来る事は、何なのだろうって。 限られますよね、戦える訳じゃないし、政治に参加している訳でもないですし。
で、思ったのです。 私が苦しい闘病生活をしている時、夢に見ていた事を今、出来ているのだって。 だったら、難民キャンプの子供達も将来、夢を見れるようにって」

―――本当に、ささやかですけれどね。

そう言って、少しはにかむ様にして笑うその笑顔が、実に魅力的に思えた。





店を出て、ちょっと街中を歩こうと言う事で、街をブラブラと歩いている。 4番街からパーク街に出て、23丁目で左折してマディソン街へ。
マディソン街から延々北上すれば、ジョゼの家が有るアッパー・イースト・サイド(セントラルパーク東の超高級住宅街)だ。 そこまで歩きはしないが。
この辺りもどんどん高級ブティックなんかが進出しているな、お隣の5番街化が進んでいる。 庶民には手の出無い高嶺の華、そんな街だ。

「・・・私ね、ずっと今まで、何不自由なく暮らせて来たって、そう思うの」

隣を、俺のジャケットの端を持ったまま歩くジョゼが、ポツリ、ポツリと話す。

「・・・お父様は、ずっと昔に戦死なさったし、顔も覚えていないわ。 でも、そんな子はたくさんいるでしょう?
それに私にはお母様も、お婆様も、曾お婆様も居て下さったわ。 爺やもね。 小さい頃はお屋敷で不自由なく暮らせていたし、病気もせず元気だったわ」

スコットランド時代か。 誰にも有るよ、何も考えずに済む、幸せな幼少時代ってのは。 反面で世界には、それも許されない境遇の子供達も多いが・・・

「アメリカに来てからもね、お婆様に付いてロスアラモスに行った時も、全然不自由なんか無かったわ。 お母様も曾お婆様も居らっしゃったし。
私は地元の学校に行って、お友達もできたわ。 みんな、研究所の関係者の子供達だったけれど、そんな事関係無かった。 楽しかったわ、自然も多くて・・・」

ロスアラモスの街自体が、ロスアラモス研究所で持っている街だと聞く。 あの研究所は2万人以上の科学者・所員が勤務していると聞いた事が有る。
当然、家族持ちも多く、その数だけ家庭が有る。 それを支える社会インフラが必要になる。 あの街は研究所の街だ。

「でもね、ニューヨークに移って来て、色んな事を知って、思い始めたの。 私って、何か出来る事をやっているのかな?って。 出来る事・・・夢が有るのかなって」

思春期に入って、色々と世の中の事が見え始めて。 でも、その中で答えを探し出すには、まだ幼くて。 この子も、悩んでいると言う事だ。

「あのオーナー、ミス・オランジェね、小さな子どもの頃から病気を患って生きていく事って、楽な訳がないわ。 夢を抱くことすら、難しいと思うの。
そんな状況だったとしても、ちっとも不思議じゃないのに。 自分の事だけじゃなくって、最初から世の中の為になるお店を出したいって・・・
どうしてそんな、どうしたらそんな思いを持ち続ける事が出来るのかしら・・・って、最初そう思ったの。 でもね・・・」

―――それは間違いだ、そう気がついた。 ジョゼはそう言った。 どうして、どうやったら、と思うのではなく、夢は何時でも、何時までも見続ける事が出来るのだと。

「―――アルマなんて、私からすれば物凄い子よ。 故郷を追われて、難民キャンプを転々として、一時期は不法居住までして、またキャンプに押し戻されて・・・
それでも彼女、『先生になる!』って夢をずっと追いかけているのよ。 今年のサマーキャンプでね、アルマってば、子供達のキャンプで先生役のボランティアをしていたのよ。
笑って言っていたわ、『将来の予行練習だよ!』って。 あのね、お兄さま・・・私、将来は舞台に立ちたいの。 舞台女優を目指したいの」

「舞台女優? 学校もそっち方面へ?」

「できれば。 お母様にはまだ、お話していないけれど・・・ 私はアルマみたいな経験はしていないし、ミス・オランジェの様な経験も無いわ。
でもね、色んな人と交わって、その人達のお話を聞く事は出来るわ。 私は舞台で、その人達の歩んできた苦労や辛さ、それでも持ち続けた夢や希望・・・
そんなモノを、舞台の上で演じて、みんなに知って貰う事は出来る。 いいえ、知って貰いたいの。 色んな世界や、色んな人達がいるって・・・」

例えば難民達、飢えや病気に苦しむキャンプの子供達。 それを必死に支援するボランティアの人々。 闘病生活を続ける子供達、困難な治療、必要な支援。
そんな小さなきっかけでも良い、それで関心を持ってくれれば。 そして世界が、色んな世界が有ると言う事に、みんなが気付いてくれれば。

―――ジョゼの父親も、BETA大戦で戦死しているのだ。

「そうすれば・・・そうすれば、色んな国も、もう少し仲良くできるのではないかしら? そう思うの」

「・・・ジョゼの公演、その最初の客に、今から予約を入れておくよ」

思わずジョゼの頭をなでていた。 あの小さかった子が、もうこんな事を考える年頃になったのかと。
はにかみながら笑うジョゼの顔を見て、嬉しい半面、職業軍人として、公の立場の大人として、この子が言った言葉が胸にちょっと苦しかった。





ジョゼの家はアッパー・イースト・サイドのコンドミアム。 セントラルパークを見下ろせる、最高のロケーションだ。 マンハッタンで1、2を争う超高級住宅地。
ちょっと北に行けばアルマの家が有るヨークヴィル―――88丁目だが、両者の間には歴然たる差が有る。 88丁目も立派に中流層が住む街だけど。
昨夜に引き続き、今夜はジョゼの家で夕食に招待された。 先月挨拶に行った時は、所用も有って早々に辞したので、今回は失礼の無い様、招待を受ける事に。
とは言え、肩肘張ったものではない。 ジョゼと遊びに行った後で、『夕食でもいかが?』と言った調子だから、服もそのまま。

ジョゼの母親、ミセス・シルヴィア・セシリー・アクロイドは、もう30代後半―――確か38歳―――になるが、まだ30代前半には見える若々しい女性だ、ジョゼに良く似ている。
彼女と娘のジョゼがキッチンに入って、あれこれと母親が教えながら、娘と一緒に料理をしている。 ふと将来、祥子と祥愛も、あんな感じになるかと妄想してしまった。

「―――本当に、ごめんなさいね。 孫が無理を言ったみたいで・・・」

「いえ、お気に為さらず。 私も充分、楽しめましたし」

食事が出来るまで、居間のソファで話し相手をしているのは、何とロスアラモスに居るとばかり聞いていた、レディ・アルテミシア・アクロイド博士その人だった。
吃驚したのなんの、家に付いて、玄関口に立って迎えてくれたのが、この人だったのだから。 ジョゼも吃驚していた、まさか祖母が来るとは、聞いていなかった様だ。

「ほほ・・・溜まりに溜まった休暇をね、思いっきり纏めて取ったのよ。 研究も目処が立って、大きなヤマを越した事ですしね。
新年まで完全休暇ね、感謝祭とクリスマスは、娘や孫娘と一緒に過ごす事にしたの。 ウィルやカール、リティには申し訳ないですけどね」

「スコットランドのお屋敷も、どうにかせんと、ですじゃ、奥様」

「・・・爺さん、元気そうだね」

「まだまだ、若いモンには負けんよ、はっはっは!」

ジョージ爺さん―――もとい、ゲオルグ爺さんまで来ていたかよ! もう、ジョゼが喜ぶのなんの。 あの子が大好きな『爺や』だったしな、ゲオルグ爺さんは。
にしてもこの爺さん、もう80歳だろう? 1920年生まれと聞いたから、丁度80歳の筈だ。 にしては、早々くたばりそうも無いほど元気だよな、良い事だけど。
ゲオルグ爺さんが席を外したので、ちょっと会話が途絶える。 拙いな、そう思うがなかなか気の効いた話題が出てこない。 理由は判っている。

「―――レディ、先程の『ウィル』や『カール』に『リティ』とは・・・同僚の方々ですか?」

俺は多分、最悪の質問をしたかもしれない。 レディが事もなげに返してきた言葉に、思わず絶句した。

「ええ、そうよ? 周防少佐・・・いえ、直衛で良いわね? 直衛も聞いた事は無いかしら? 結構な有名人だと思うのですけれど、ロスアラモスの主任研究者達よ」

―――G元素研究の第1人者、『ウィリアム・グレイ博士』 ML機関の発明者、『カールス・ムアコック博士』と、『リストマッティ・レヒテ博士』

もう80代に達している筈だが、まだまだ矍鑠としている、BETA大戦史にその名を刻んでいる、伝説的な大科学者たち。

「ほほ・・・好奇心旺盛な、それを幾つになっても抑え切れない、子供の様な年寄りたちよ、あの人達は・・・」

そう言い切るレディも、とんでもない人だな・・・ しかし、『研究の目処が立った』か。 レディがロスアラモスに移った経緯を知る身としては、日本人としては複雑だ。
そんな俺の表情を見てか、レディが不思議な事を言った。 『横浜の研究は、恐らく失敗する事でしょう』と。 それはあれか? 政府が推進めて誘致した、『あの』横浜か?

「以前、スコットランドの時にも言いましたね? 香月夕呼博士。 彼女の研究の事です」

「・・・どうして、そう言い切れるのでしょう?」

だとすれば、日本帝国は良い面の皮だ。 膨大な資金を投入して、結局は失敗だ等と。 非公式に軍内部で聞くあの計画への投資金額は、思わず目眩がしそうなほどだ。

「―――ロスアラモスにはね、2万人を越す科学者や研究員、所員が居るのよ。 協力している軍の研究所や大学、企業などを含めれば、4万から5万人は居るの」

4万から5万人の科学者や研究者、所員・・・一体、どれ程の規模になるのやら。 資金も膨大な額になるのだろうな。

「香月博士・・・夕呼は本当に天才よ。 ロスアラモスには彼女ほどの天才は、多分居ないわ。 でもね、逆説的に言えば夕呼1人だけなの、横浜は・・・」

「・・・と、言いますと?」

「ロスアラモスは確かに、核やG元素と言った軍事機密研究を行っています、世界中が承知の通り。 でもね、それだけでは研究は成り立たないのですよ。
同時に生命科学、ナノテクノロジー、コンピュータ科学、情報通信、環境、レーザー、材料工学、加速器科学、高エネルギー物理、中性子科学、非拡散、安全保障・・・
様々な分野で、多岐に渡る先端科学技術について、広範な研究を行っています。 勿論、基礎科学の分野も怠っていませんよ?」

―――何となく、言いたい事が判る気もするが・・・

「現代の最先端科学の研究開発はね、かつての様に1人の専門科学者の『天才』で解決できる程、単純では無くなってしまっています。
一見無関係に思える分野との、綿密な連携と意見交換、情報の共有と共同研究。 議論を交え、他の視点から見つめ返す。 その限りない繰り返しです。
横浜は100のレベルの天才である夕呼の、トップダウン型の研究施設でしょう。 ロスアラモスは80から90のレベルの研究者、数千人がリンクし合う相互ネットワーク型です。
どちらがより広範に、そして大量に、同時並列で多くの研究内容に成果を出す事が出来るか・・・お判りでしょう? 風の便りでは、夕呼はスランプ気味だとか」

言われれば、言われるほど頷かざるを得ない。 『横浜の魔女』―――軍内部でも、政府関係者でもそう呼ぶ者は多い。
軍内に流れる非公式の話を耳にする限り、俺としても日本帝国政府主導で推進する筈の計画が、どうして1人の研究者に、ああも牛耳られねばならないのか、とも思う。
その影響ゆえか、それともそれ以前の原因故か、帝国の各研究機関の頭脳―――帝大や、国立研究所、民間企業の研究所は、かなり非協力的だとも聞く。

確かに言われてみれば、どれほどマルチな才能の人物でも、その限界は限りが有る。 1人だと当然ながら体はひとつだけだ。
だとしたら、そう言う1人の『天才』が全ての方向性を決定するトップダウン型の組織で、そのトップがスランプだとすれば?―――組織は全く機能しない。

「夕呼の他にも、科学者や研究員は居る事は居るでしょうけれど、彼女と同格ではない様ね。 それも精々、数10から多くて数100人では・・・」

「・・・残念な事です。 それとは別に、レディ、いつぞや教えて下さった『量子重力理論』とやら、それが完成したのですか?」

内容を聞いても、さっぱり訳の判らない話だったが、確かそう言っていたよな。

「いいえ? それに行きつくひとつ前の理論、その諸端をこじ開けた、そう言うべきですね。 これでも、この分野では恐らく世界初ですのよ?」

―――世界初。 とんでもない話だ。 

「―――『M理論』と言うの。 これが完成すれば、その先の『超弦理論』に行きつき、『Dプレーン』、『プレーンワールド』の証明が出来る・・・
それが出来て初めて、『量子重力理論』も完成できるでしょう―――私1人の力だけでなく、多くの科学者や研究者の努力によって、ね」

「―――それが証明できれば、『オルタネイティヴ第5計画』は完成すると?」

最近、少佐進級に伴い、情報アクセスレベルが上がって初めて知った事だ。 アメリカは96年にAL5予備計画を召集、97年にAL5予備計画が米国案で決定した。
現在、『オルタネイティヴ』計画は第4と第5が並列で動く、異常事態を呈している。 このお陰でユーラシア・カナダ・オセアニアと、アメリカ・南米・AUとの温度差が大きくなったとも。

「・・・その内の、成果のひとつ、そうとだけ申しておきましょう。 直衛、お話はここまでにしましょう。 私も少し、話が過ぎましたわ」

「―――いえ、こちらこそ失礼しました。 思わず懐かしさのあまり、貴女のご好意に甘えていた様です」

―――俺は日本帝国陸軍少佐。 レディは合衆国国立ロスアラモス研究所の、主任研究者の1人。 今やお互いの立場は、かなり微妙だ。 こうやって会う事さえ。
しかし先程の一言、『―――風の便りでは』か。 引っ掛かるな。 ついでだ、機会が有ればこの事も、右近充の叔父貴に話してみるか・・・





思えば危うい会話をしたものだ。 折角、好意で招待して頂いたのだから、もう野暮は言うまい。 丁度料理が出来上がった様だ、ジョゼが嬉しそうにキッチンから顔を出した。
本当の事を言えば、『スコットランド料理』と聞いて、密かに恐れていた事がひとつだけあった―――『ハギス』だ、あれはスコットランド発祥の料理なのだ。
昔、レディの屋敷で初めて食べた時の、あの絶望にも似た悲壮感が蘇る。 もし出てきたらどうしよう? 食べない事には失礼だし。 しかしそんな勇気も無い・・・

が、幸いな事にそれは杞憂だった。 食卓に出てきたのは、ごく普通のスコットランドの家庭料理。 メインは、ローストビーフとヨークシャー・プディング。
それにヨークシャー・プディングの生地に、ソーセージを入れて焼き上げた『トード・イン・ザ・ホール』、ボウルに大盛りのフレッシュサラダ。
それとパンに、ワインが赤と白の両方。 ジョゼにはアップルジュース(彼女はワインを飲みたいと言ったが、周りの大人全員に怒られ断念した)
良く食べ、良く飲み、良く話した。 俺も無粋な先程の話題は頭から飛ばして、料理とワインと会話を楽しんだ。 
何せ、もう6年近くになる、こうやってこの一家と親しく食事をする事は。 お互いに色々と有っただろうが、その辺はお互い気を付け有って、昔話に花を咲かせる。

「ほほ・・・ジョゼと言えばあの頃、まるで大きなお兄様が出来た様な、大層な喜びようでしたね・・・」

「ええ、それにペトラにも懐いていましたわ。 この国に来てからも、彼女には時折お世話に・・・まるで、妹が姉に甘えるようでしたわ、ジョゼは」

「何せ、ロスアラモスに立つ時にゃ、直衛が居ないってんで、大泣きしましたもんなぁ、お嬢様は・・・」

「も、もう! いいじゃない! 酷いわ、お婆様も、お母様も! それに爺やまで! 私ばっかり、そうやって笑い話の種にして!」

食後のデザートは、カスタードプディングとトライフル(固めのカスタード、フルーツ、スポンジケーキ、フルーツジュース、泡立てたクリームで作る)
両方とも、ジョゼの大好物らしい。 女の子は本当に、甘いものが大好きだな。 プティングにしても、大皿に作って好きな分量を取る方法だ。 俺は普通に1人前で充分。
それと紅茶。 あ、やっぱりスコットランドも連合王国なのだな。 コーヒーよりも紅茶なのか。 茶葉、貰えないかな? 祥子が喜ぶ・・・

「はは・・・そう言えば、ペトラと言えば今はシアトルですか。 友人の話では彼女、お子さんが産まれたとか。 ご存知ですか?」

ペトラは今、オーガスト・カーマイケルと結婚して、夫の任地近くのシアトルに住んでいる。 
フィンランド出身で、地獄の北欧戦線を戦ったあの不思議雰囲気の女性衛士も、幸せを掴んだか。

「まあ、本当に? 存じませんでしたわ・・・では、何かお祝いをしなければ。 ね? お母様?」

「そうねぇ・・・あの娘さんにも、随分とお世話になったモノです。 何がいいかしらねぇ?」

「赤ちゃんでしょう? だったら、可愛いブランキーなんか良いと思うの」

ジョゼの言う『ブランキー』は、所謂『ブランケット』の愛称。 日本語で言うと『毛布ちゃん』みたいな感じだろうか?
アメリカでは赤ん坊や小さな子供が使う毛布の事を、愛情を込めて『ブランキー』と呼び、一番仲の良い友達の様に扱う文化があると聞いた。
『それは良いわね』、と、ミセス・アクロイドが良い、『じゃ、選ぶのはジョゼにお任せしましょう』とレディ・アクロイドが言った。 ジョゼは面目躍如で嬉しそうだった。










2000年11月17日 0735 合衆国ニューヨーク州 N.Y.クイーンズ区 ジョン・F・ケネディ国際空港


「ふう、何か月ぶりだ? 帰国できるのは・・・」

隣で軍服姿の篠原少佐が、やれやれと言った表情で呟く。 今年の6月に着任して以来、実に5ヵ月半ぶりの帰国だ。 長い出張だった。

「何とか最低限の成果は出せたし、今後も継続を見込めるし。 まずは上々、じゃないか?」

11月半ば、いよいよ帰国の途に就く。 N.Y.から帝国本土への直行便は、既に停止されて久しい。 国連はBETA勢力圏から800km以内での、民間機の飛行を禁止している。
一端、N.Y.からハワイ・ホノルル空港まで飛び、ホノルルから東京府の小笠原空港(軍民共用)まで飛ぶ。 小笠原からは軍の定期便で、成田基地(旧国際空港)まで。
これも軍人の特権か、民間では(数は非常に少ないが)小笠原から定期の船便で35時間近くかけて、仙台港まで行かなければならない(東京湾はまだ、軍事解除されていない)
このJFK空港を0830時発で延々19時間と30分、ホノルル着は2300時予定だ(時差がある)。 そこで1泊し、ホノルル発は明日の1030時、小笠原着は明日の1600時予定。

朝の早い時間、チェックインカウンター付近にはまだ人はまばらだった。 まだ0730時過ぎ、先程ようやくボーディングチャックを終えた所だ。
これから出国カウンターを通り(ただし、外交官特権=武官特権でフリーパスだが)、ターミナルに向かう。 長い旅だ、ちょっとうんざりする。

そろそろ出国カウンターに向かうか、そう思った矢先、篠原さんが脇を突いてきた。 何事かと思うと、視線で向うを指している。 
様々な旅立つ人々の群れ、その中に見知った顔が居た。 そして篠原さんが示す、その先には・・・

「あ~・・・俺は先に行っておくわ。 他言はしないからさ、周防さんよ」

「・・・別に、改めて言わんでも良いって。 ま、吹聴せんでくれたら、有り難いけど」

そう言って、先に出国カウンターに向かう篠原少佐。 俺はと言えば・・・

「こら、学校はどうした、学校は? 2人して全く・・・」

「えへへ・・・自主休校!」

「えっと、私は・・・お母様がお風邪で、お婆様もギックリ腰で、えっと、それから・・・」

―――多分、アルマが考えたセリフだな。 ジョゼのしどろもどろで判る。

アルマとジョゼが居た、今日は平日だと言うのに。 JFK(JFK国際空港)からマンハッタン中心部までは、リムジンバスで『渋滞が無ければ』約30分。
これから引き返せば確実に渋滞に引っ掛かる、1時間は掛ってしまうだろうな、学校は遅刻確実だ。 それを見込んでの、サボりとは・・・

「・・・アルマ、勉強は当然だが、普段の素行も大切だぞ? それとジョゼ! 悪い事は見習わず、注意するのも友達だよ。 判ったかい!?」

―――何か、生活指導の先生になった気分だ。

ジョゼは神妙に、アルマはチロっと舌を出して、『反省してます』だと。 ったく・・・

「だってさ、ちゃんとお別れの挨拶、したかったし」

「前は、いつの間にかロスアラモスとニューヨークで、お兄さまもその後すぐに別の任地に行ったし・・・ご挨拶、して無かったもの」

「そうか・・・ま、やっちまったものは仕方が無い―――2人とも、元気でな。 仲良くな、しっかり勉強して、たくさん遊んで、色んな経験して・・・大人になりなさい。
それと、夢を諦めないで、挫けないで、頑張りなさい。 周りの人たちはみんな、君等の味方なんだよ、それを忘れないで。 君等が忘れない限り、周りも忘れない」

―――何か、最後はお説教じみてしまったが、ま、いいか。

「うん、私、絶対自分の夢を叶えるから」

「私も―――私も、自分の道を歩きたいから。 もう、流されないから」

思わず、破顔していた。 嬉しかった。 そう、それでいい。 彼女達の頬に、お別れの挨拶のキスをして、荷物を手にした。 その時アルマがもう一言、言った。

「あ、そうだ。 直衛、ミゲルから伝言が有るの」

―――ミゲル。 ああ、この子達の友人の。 確か、ミゲル・ガルシアとか言う、あの少年か。

「あのね・・・『僕はウェストポイント(米陸軍士官学校)を目指します。 迷ったけれど、僕も兄同様、この国を愛しています。 この国を守りたい。
僕は自分の意志と、市民としての義務を果たす為に、軍人を志します。 そして、例えどう言われようと、派遣されれば世界中で戦います、宇宙からの侵略者と。
それがアメリカを守る事にもなるからだと、そう思うから。 兄と同じように、僕は、僕の意志で戦います』 ・・・だって。 直衛に、そう伝えて欲しいって」

―――うん、それで良い。 いずれ戦場に立てば、戦う理由は他にも出来るだろう。 実際に戦う為の理由は。
だけど、その想いが根底にあるならば、思い違いはしないだろう。 ミゲル、君が歩きたいと信じる道は、まさしく正道だ。

「・・・ミゲルにな、『いずれ相まみえたらならば、共に』と。 僕がそう言っていたと、伝えてくれるかい? アルマ、ジョゼ」

「うん、任せて」

「はい、判りました」

―――さて、そろそろ本当に時間だ。

「じゃあ、そろそろ行くよ。 2人とも、元気でな」

「うん。 次に会う時は、吃驚するような美女になっているからね!」

「もう、お兄さまに、お小言は言わせません。 淑女になってみせますから!」

「楽しみにしているよ―――『My Fair Ladies』 そう呼べる日をね」

身を翻して、出国カウンターへと向かう。 カウンターに入る直前に振り返ると、ここでの、『N.Y.の小さな妹達』が、ずっと手を振ってくれていた。

「直衛ー! 『See you later』!」

「お兄さま、絶対、絶対ねー! 『See you later』、絶対ねー!」

―――ああ、そうだね。 会う予定はないけれど、もう一度会いたい『See you again』じゃないね。 直ぐでは無いけれど、後で必ず会おう・・・

「―――『See you later』、アルマ、ジョゼ。 再び、必ず」










2000年11月19日 2015 日本帝国 帝都・東京 千住


辺りは住宅街と言う事も有って、この時間だと人通りも少ない。 駅前から徒歩15分、地元の小さな商店街を脇に入って、少し行った所の1戸建て。 勿論、軍の借り上げ。
玄関の灯りが付いている、玄関の表札には『周防』と―――なんだか、気恥ずかしいな。 5か月以上も留守にしていて。 この家には2カ月程しか住んでなかったし。

思い切って、呼び鈴を鳴らす。 暫くして、『はぁーい』と言う声。 懐かしい声。 玄関の戸が開く、顔を見せたのは・・・

「―――お帰りなさい、あなた」

「―――ただいま、祥子」

―――妻の、祥子の笑顔が、凄く嬉しかった。



何だかんだ言って、『我が家』だ。 こんなに落ち着くとは、思ってみなかった。 久しぶりに日本の風呂に入って、祥子の手料理を食べて。

―――その前に、我が子との初対面をした。

「・・・髪の毛が、もう生えているんだ」

小さな布団の中で、眠っている2人の赤ん坊。 そして第一声がそれかよ!? と、自分に我ながら呆れた。

「もう。 いつ頃の話をしているのよ。 もう生後半年よ? 直嗣も祥愛も少しなら、お出かけ出来るし、名前を呼べば振り返るわ」

「へぇー、そんなに・・・ 大きいのかな? 小さいのかな? お隣さんと比べたらとか・・・」

「うーん・・・ お隣の圭吾君と比べたらこの子達は、まだちょっと小さいかしら? それでも体重は7kg以上あるし、背丈も70cm近くあるわ、心配無いわよ」

直嗣も祥愛も、すやすやと眠っている。 まだ小さな、本当に小さな手をちょっと咥えた直嗣。 時折、可愛らしい欠伸をしている祥愛。
初めて見る我が子、初めて出会う我が子、初めて触れる我が子。 初めて―――血を分けた、俺と祥子の子供達。
2人の子供達の小さな手に、そっと指を当てて見ると、反射的に握り返してきた。 小さな、弱々しい、それでも温かい手で。

「はは・・・小さいなー・・・」

「そうよ。 だから、守ってあげてね? パパ?」

祥子が横に座って、頭を俺の肩に預けてきた。 暫くそうして、2人で子供達の寝顔を見ていた。 
出来る事なら、時間を巻き戻したい。 子供達の今までの成長を、自分の目で見て見たかった。

「ご苦労さまでした。 ・・・でも、ちょっと淋しかったな」

「―――ちょっと?」

「ううん―――とっても。 やっと、帰って来てくれた・・・」

ああ、そうか―――俺は、この子達に、光に満ちた未来を見せてやりたい。 この子達と、祥子に。 アルマの苦悩も、ジョゼの寂しさも、味あわせたくない。

「いるよ、これからは。 ずっと」




2000年11月19日、俺は長期の駐米派遣任務を、無事に終えた。





[20952] 伏流 帝国編 序章
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2012/02/28 02:50
2000年12月18日 0910 日本帝国・静岡県 御前崎演習場/日本陸軍技術研究所・御前崎射撃試験場


2機の戦術機が、もつれ合うように高速機動を行いながら飛び去って行く。 お互いに付かず離れず、危険な程の近接距離を保ちながら高難易度の『ダンス』を行っている。
管制塔で監視しているレーダー員達は、呆れと共にある種の畏怖さえ感じていた。 何しろレーダースコープには、輝点が『一つしか映っていない』のだから。
余りに接近し過ぎていて、そして高速で高機動を行っているのに距離が開かない。 遮蔽物をギリギリで抜け、跳躍し、反転し、斬りつけ、斬り返す。 その間距離が開かない。
その背後で見守る衛士達―――帝国国防省技術研究本部の第1技術開発廠、その審査部に属する、腕っこきの試験衛士達―――までもが、固唾を飲んで見守っていた。
水平噴射跳躍から一気に逆噴射制動、サイドステップで機体を回転させた慣性力を利した長刀での斬撃、受け止められる。 返す刀での強烈な突きを、咄嗟の垂直軸反転で交す。
そのまま短噴射跳躍、そして逆制動、同時に片肺をカット。 機体制御の慣性力を利して機体を捻り込み、瞬時に相手の背後を取るも駄目、相手も驚異的な垂直軸反転で迫りくる。

「―――目標A、及びB、エリアD3RからD4Sへ高速移動中・・・」

「―――機体損傷度、Aが22%、Bが21%・・・」

「―――交戦時間、13分20・・・25・・・30秒」

5分ほど前までは、2機とも凄まじい機動砲戦を行っていた。 演習場に設置された、或いは残された残骸や廃墟を盾に、お互いが高速で出入りしては撃ち合い、高速移動する。
まるでお互いに相手がどう動くか、どう攻撃して、どう防御するか。 その動きを読んで2手、3手先を攻め合う。 演習場の3次元空間を縦横無尽に動き回っていた。

「―――推進剤消費率、Aがマイナス12.28%、Bはマイナス12.54%・・・」

「―――ジェネレーター残燃料量、A、プラス10.88%。 B、プラス11.05%」

高速・高機動は推進剤を早期に消耗する。 そしてジェネレーターからより大電力量を供給する為、補助動力措置を動かす為の燃料消費も激しい。
モニターの数値は、推進剤消費率が平均より12%強低い事と、補助動力装置の残燃料が平均より11%前後多い事を示している―――あれだけの機動を、これだけ長く続けながら!

「―――試験官、タイムリミット、あと1分」

タイムキーパーから告げられた試験官の大尉が無言で頷き、マイクを手に取った。

「―――管制より1号機、2号機、タイムリミット1分」

『―――1号機、了解』

『―――2号機、ラジャ』

2機の衛士から帰ってくる声が、全く乱れていない。 あれほどの機動だ、様々なGや逆G、それに不規則な横G―――兎に角、肉体をこれでもかと責め続ける筈なのに。
一瞬、2機の動きが止まった。 と同時に互いが強烈な踏み込みで相手に迫る。 1機はそのまま、1本の刀身の如く上段から猛速の斬り下ろしを。
もう1機は更に噴式補助主機を短噴射して、後脚のタメを一気に解放しての強烈な突きを入れる-――ほんの一瞬、突きの方が早かった。 
頭上から迫る高速の刃の刃圏を潜り抜けた機体は、1本の刀槍の如く相手の機体、その中枢である管制部を貫いていた。

「―――1番機、管制ユニット大破。 撃破判定」

「―――2番機、左腕上部破損、中破判定」

どうやら2機の勝負がようやくついたようだった、試験官の大尉がその結果を確認し、ホッと息をついた後、もう一度マイクを取って宣言する。

「―――試験項目、ケースD9-11、市街地での遭遇戦・近接戦闘、終了です。 1号機、2号機、ご苦労さまでした、源少佐、周防少佐。
次の試験項目、ケースF3-4、試製99型電磁投射砲の射撃試験は、45分後に行います。 両機とも一端、帰還して下さい」

『―――了解。 2勝3敗か、最後は1本取られたね』

『―――RTB、了解。 たまには後任に、花を持たせて下さいよ』

2機の戦術機は、そのままNOEで一端基地へ帰還。 推進剤と動力燃料の補給を済ませ、短時間のブリーフィングを済ませると、今度はより沿岸に近い射爆上へと向かって行った。





『―――意外に反動が強いから、そのつもりで。 発射速度は最大の800発/毎分に設定してあるから、気を付けてくれよ、周防君』

『―――了解です。 にしても、ちょっと安定が悪そうですね・・・』

『―――後で、君の評価を聞かせてくれ。 よし、試験項目、ケースF3-4。 試製99型電磁投射砲の射撃試験を開始する』

『―――了解』

FCS、正常起動。 モード、遠距離支援砲撃。 ターゲット、ロック。 トリガーセイフティ、解除。 砲身に火が入る、磁界を形成する甲高い充填音。
網膜スクリーンの照星がターゲットに重なる、ゆっくり息を吐き、トリガーを押し込んだ―――途端に轟音と、機体を揺さぶる激しい震動。

『―――むっ、くっ・・・!』

砲口付近に円形のプラズマが発生し、120mm砲弾もその一部をプラズマ化させ、輝弾さながらに超高速で2000m先のターゲットへ瞬時に到達し、貫き、破壊して行く。
その間にも機体の電磁伸縮炭素帯、その連結張力を巧みに利用しながら、強烈な発射の反動を吸収し、機体制御を小刻みに行いつつ、弾道を安定させながら射軸を横へ掃う。
激しい震動に見舞われる管制ユニット内で、ターゲットへの集弾率と投射砲のステータスを確認しつつ、次のターゲットを視野の片隅に収める。
砲身内温度―――限界値の68%、許容範囲。 供給電力量―――正常値。 弾体想定気化率―――2.8%、許容範囲。
超高速の輝く光線の如く見える電磁投射砲の射撃は、約20秒で終わった。 背部兵装担架に搭載した大型弾倉の120mm砲弾を撃ち尽くすのに、たったそれだけの時間だったのだ。





『少佐、納得がいきません! 試製99型電磁投射砲の実射試験は、我が隊で行う筈です! 既に懸案事項も潰し、後は試験を待つだけの段階での、あの急な変更は・・・!』

『中尉、落ち着きたまえ。 なにも『ホワイトファング』の能力を疑うとかでは無いし、試験工程を変更する訳じゃない。 ただ今回は、機甲本部から直々の調査だ。
それに搭乗して実射試験を行った少佐は、私もその技量を認めている。 彼なら別角度での見解も有るかと判断したのだ。 君の隊には、第2次試験以降を任せる予定だ』

部屋の外で、源少佐が恐らく部下で有ろう誰かと、話している。 と言うより苦情を申し立てられていた。 今回の電磁投射砲の実射試験を行う予定だった部隊の指揮官だろう。
若い女性の声だ、生真面目で任務に精勤する若手士官、そんなイメージを想起させる、まだまだ固い声。 練れて成熟するのは、あと数年は必要か?
ようやく部下を納得?させた源少佐が、再び部屋に入って来た。 1100時過ぎ、帝国陸軍御前崎演習場の管理棟の一室。
第1技術開発廠審査部が使用している執務室のひとつで、2人の少佐が試験結果について話し合っていた最中のことだった。

「なんか、俺が横槍を入れた様で・・・若い連中のやる気を、変に損ねなければ良いのですが・・・」

「気にしない、気にしない。 彼女の隊はここの所、働き詰めだったからね。 丁度いい休みだよ。 それに第2次試験は、やらせるしね」

源少佐が飄々とした表情で答える。 こう言う所は彼の長所だ、いつの間にか周りは納得させられてしまう。

「なら、いいですが・・・あのオモチャ、例の横浜絡みのですね?」

「うん、造ったは良いけどね、運用試験では頭を抱えているのが本当の所だよ。 どうだい、あれは?」

その問いに、周防少佐は暫く考えながら、言葉を選んで答え始めた。

「電磁投射砲・・・レールガンは基本的に、電流量を調整する事で低速弾/高速弾の切り替えが可能です。 今回の実射試験、あの反動は正直大きい。
砲身長があれ以上長くならないのであれば、電流量を調整し直して初速と発射速度を押さえるか、或いは欧州で使用しているMk-57(中隊支援砲)の様に2脚架をつけるか。
いずれにせよ、弾道の安定性ですね。 それとこれも初速・発射速度に関係しますが、砲身内温度の上がり具合が、有る程度撃った後で急激に上がります。
今の冷却方式では、ごく短期間の射撃でオーバーヒートですね。 耐熱素材の開発問題も有りますし。 どうです、いっそ小口径化は? どうせコアはブラックボックスでしょう?」

「小口径化?」

周防少佐の意外な提案に、源少佐が身を乗り出す。 試製99式電磁投射砲の口径は120mm、開発当初のコンセプトが『師団・旅団規模BETAを斉射で掃討する』だった。
このコンセプトから弾き出した120mmと言う口径だが、それをより小口径にしてみては、とは、一体どう言う事だろうか?

「なに、簡単な足し算、引き算ですよ。 投射体(砲弾)の射出エネルギーも、結局はローレンツ力の大小でしょう? 
質量に比例して、ローレンツ力も大きくなります。 120mm砲弾をあれだけの超高速で撃ち出すには、とんでもないエネルギーが必要になります。 
その分、プラズマ化による加熱被害も大きい。 どうせこれ以上の長砲身化は、バランスが崩れてしまうでしょうし、そっちの方向は無理でしょうから。
口径をMk-57と同程度の57mm位にして、初速は貫通力やガスの溶融力に関わりますから、余り弄らないとして・・・発射速度はもう少し抑えても、良いと思います」

投射体(砲弾)の質量を抑える事で、より小さな供給電流量―――ローレンツ力で、相応の威力を維持出来るのではないか。 発射速度低下も、連続した加熱を抑えられる。
そして今よりローレンツ力が小さければ、プラズマ化による砲身への加熱被害もまた、より抑えられるのではないか、周防少佐はこう言っていた。

「どうでしょう? 機甲本部への報告に付け加えようと考えますが、審査部の見解は?」

「うん・・・良いかもしれないね。 Mk-57でも、要撃級までなら十分以上の威力を持っていると聞くしね。 同口径で、電磁投射砲か・・・よし、同意するよ」

まずは、電磁投射砲の試験・審査見解に同意が為された。 最終的に上層部がどう判断するかだが、その判断はこの2人の少佐の報告が元となる筈だ。
次の議題に入る。 こちらは電磁投射砲以上に切実で、帝国軍、特に陸軍にとって緊急かつ重要な内容だった。 現主力戦術機の性能向上試験に付いて。

「・・・以前より、更にピーキーになりましたね、あの機体は。 ベテランは兎も角、ルーキーはおろか中堅どころの連中でさえ、あれは御しきれませんよ」

「だろうね。 色々と手を変え、品を変えでやっているのだけどね。 ジェネレーターの小型化の目処はまだ付かないし、跳躍ユニットもね・・・」

「1号機、あれの跳躍ユニット主機はFJ111-IHI-132CⅡですか? 確か海軍の戦術機採用競争で敗れた、石河嶋と九州航空が開発した・・・」

「うん。 ほら、あれ、『疾風弐型』初期型に搭載していた、FJ111-IHI-132Bの発展改良型だよ。 お蔵入りしていたのを、石河嶋に話を付けて数基譲って貰った。
2号機にはAK-F3-IHI-95Eを載せている、海軍の『流星』や陸軍の『疾風弐型』後期型に搭載している、あのパワーユニットだよ」

源少佐の話に、周防少佐が首を傾げている。 海軍機の『流星』には搭乗経験は無いが、陸軍機の『不知火壱型丙』、『疾風弐型(後期型)』は共に搭乗経験が有った。

「・・・AK-F3-IHI-95Eは、小型・大出力の上に、燃費も良いと評判のパワーユニットですし、FJ111-IHI-132CⅡもパワーは折り紙つき、燃費も言われるほど悪くない。
むしろ今のFE108-FHI-225よりパワーは上ですし、燃費性能も良い筈だ。 なのにどうして、継戦時間が全く向上していないのですかね?」

「機体の駆動特性と、それに専用OSと燃料・出力制御系のプログラムが、滅茶苦茶にアンマッチなんだよ、主機と。 どう弄っても改悪になってしまう。
むしろ壱型の跳躍ユニット主機をFJ111-IHI-132CⅡや、AK-F3-IHI-95Eに換装した方が継戦時間は僅かに向上するし、出力も大幅に上がる。 フレーム剛性は足りないけどね」

帝国軍国防省技術研究本部・第1技術開発廠の審査部で、戦術機試験隊、4個中隊を統括する試験部隊司令・兼・審査主任の源雅人少佐が、苦笑気味に答える。
源少佐の試験部隊では、様々な試験機の実地評価テストを行っている。 主に陸軍機と斯衛軍から依頼された機体を、様々な条件下で実際に操縦し、ネガを見つけ潰してゆく。
それ故に、源少佐以下、試験衛士達は帝国陸軍全軍から『一本釣り』されてきた、実戦経験豊かな、歴戦の強者が殆どを占めていた。 中には斯衛軍からの出向組も居る。
その源少佐の、目下の愁眉は、『不知火壱型丙』、この機体の性能向上試験が全く思わしい結果を残せないでいる事だ。
衛士の腕とは思いたくない。 源少佐自身、戦術機操縦時間は2000時間を優に超すし、部下の多くが1000時間を越している。 これだけベテランを揃えた部隊はそうは無い。

「アメリカのボーニング社が開発に成功したと言う、ロータリーエンジン搭載型のAPU(補助動力装置)、それにこっちも噂の永久磁石同期発電機・・・
その組み合わせのジェネレーターが有ればね。 小型で軽量、それでいて発電効率と燃費で優れ、体積当りの発電力が高く保守も容易・・・手に入らないかなぁ・・・」

「無いものねだりですよ。 よしんば、単体で入手できたとしても、それをシステムとして組み合わせる部分は、当然ブラックボックスでしょうし」

そんな源少佐を見据えた周防少佐―――国防省機甲本部附の周防直衛少佐が、改めて問う様に聞いた。

「―――壱型丙の現状での改善、性能向上は不可能。 そう判断して良い訳ですね? いっその事、1造兵(第1開発局第1造兵部)の案に乗りますか?
巌谷中佐でしたか、部付きの。 あの人が言っている国際共同開発案、案外いけると思いますがね。 参謀本部のうるさ型は、広江中佐に任せて」

「少なくとも、現状では打つ手無しだよ。 メーカーも次期主力戦術機開発に向けて、両手両足を引っ張られているしね。
それかいっその事、海軍に頭を下げるかい?―――『96式を使わせて下さい』ってね。 あれの三三型(主機3回、アビオニクス・機体3回の小改造)は、欧州の新型に迫るよ」

海軍の現用主力戦術機、96式『流星』は正式配備後4年を過ぎた現在、小改修を重ねて性能の向上を果たしている。 元々が将来の発展余裕を、充分に見込んだ機体設計故だ。

「兵備局(国防省兵備局)や統幕の軍備課(統帥幕僚本部第3部軍備課)が、承知する訳ないでしょう?―――第2技術開発廠(海軍機開発)は、随分とやる気ですね」

「輸送代をメーカーと折半で、欧州各国海軍に売り込んでいるよ。 EF-2000は、あれは結局、陸軍機だしね。 
同じ戦術機でも、陸軍機と海軍機では思想が違うよ。 母艦での使い勝手も悪そうだね、数年前の報告にも有ったけど」

「ドーヴァーの西ドイツ軍は、EF-2000を母艦艦載でも使っている様ですが・・・西ドイツ海軍からは、不満の声も聞こえるとか。 英海軍は、馬鹿にしていますね」

「陸軍だよ? ドーヴァーの部隊は。 西ドイツ海軍にしても、来るべき『大反攻作戦』に向けて、艦載制圧能力の充実をしたい、そんな所じゃないかな?」

ちょっと、話がそれましたね―――周防少佐がそう言って、最終の確認をする。 現在、機甲本部附きの無任所将校である周防少佐は今回、第2部の『手伝い』で来ていた。
国防省機甲本部は、戦術機甲部隊・機甲部隊・機械化歩兵装甲部隊の専門教育、関係学校の管理の他、諸兵科連合部隊の運用調査、個別性能調査、外国製兵器の調査も行う。

「では、第2部(機甲本部第2部)への報告は、それで宜しいですね?」

「うん。 偽っても仕方が無いよ。 しかし、どこかで打開しなければなぁ・・・こう、技術のブレイクスルー、そう言った方向でね」

話はそう纏まった時、ドアをノックする音がした。 源少佐の副官が顔を見せ、『市ヶ谷からお客さんです』と伝えた。
その時、源少佐が一瞬見せた渋い顔を、周防少佐は見逃さなかった。 旧知の先任を可笑しうに、からかう様にして言う。

「源さんも、人の事は言えないな。 結構、尻に敷かれているんじゃないですか?」

「仕事上、どうしても向うが強気に出る事は有るよ、それは認める。 でもね、ウチは君の所ほど、尻に敷かれていないつもりだけどね。
麻衣子が―――妻が言っていたよ。 『まさか、祥子があれほど旦那を尻に敷くだなんて、思ってもみなかった』ってね」

「ま、それも夫婦円満の秘訣って事で―――お出でなすった様ですよ」

2人の将校(佐官)が部屋に入って来た、共に女性将校だった。 1人は30代半ば位か、理知的な印象の美人だ。 中佐の階級章を付けている。
もう一人は先の中佐より、柔らかい印象を受ける。 育ちの良いお嬢様が、そのまま大人になりました―――そんな感じの美人だが、少佐の階級章に違わぬ圧力も持っていた。

「遅くなりましたね、失礼したわ、源少佐。 それに、またやらかしたわね、周防少佐? どうして試験隊の真似事を?」

「中佐、彼に何度言っても同じですわよ? 昔から変わらないのですから・・・いい加減にしないと、祥子に言いつけるわよ? 周防君?」

2人の上級・先任将校に責め立てられ? 周防少佐は首を竦めつつ、反論を試みた―――どうせ失敗するのだが。

「―――機甲本部としましては、生の調査報告を持ちかえる事が重要と判断しました、河惣中佐。 仕事ですよ、仕事。 妻も判ってくれますって、三瀬少佐」

周防少佐の言い訳に、2人の将校―――国防省兵器行政本部、第1開発局(陸軍兵器局)第2造兵部第3課長代理の河惣巽中佐と、分析班長の三瀬麻衣子少佐が呆れ顔で首を振る。
4人は共に旧知だ。 河惣中佐と3人の少佐達は、92年からの付き合いだし、3人の少佐達は新任の頃から、同じ中隊・大隊で戦った。 何より源少佐と三瀬少佐は夫婦だ。

今回の『不知火壱型丙』、その改良試験機2機『不知火壱型丙Ⅱ』、『不知火壱型丙Ⅲ』の総合試験と、『試製99式電磁投射砲』の発射試験。
周防少佐は機甲本部より性能調査と実用性調査に赴き、河惣中佐と三瀬少佐は兵器行政本部より、兵器開発行政の方向性決定の為、赴いていた。
この両者の結論を元に、統帥幕僚本部の第2部(国防計画部)、第3部(編制動員部)、国防省兵備局が最終決定を下す。 ただし、雲行きは怪しかった。

「この間、厚生棟で食事をしていたら、広江に嫌味を言われたわ。 『行本(兵器行政本部)は、戦局の進展を理解しているのだろうか?』なんて、わざとらしいったら!
あれよ、あれは絶対、庁舎A棟(国防省・統帥幕僚本部が入居)の空気が嫌で、わざと八つ当りに来たのよ。 益々、根性がねじ曲がって来たわ、あの女!」

河惣中佐の同期生で、親友でも有る広江直美中佐は現在、統帥幕僚本部第1局第2部(国防計画部)国防計画課の課長代理をしている。
国防計画課は統幕において、第1部(作戦部)、第2部戦争指導課と並び、日本帝国の行く末を決定する(戒厳令下と言う意味で)、文字通り最終意思決定機関のひとつだ。
そこの課長補佐ともなれば、例え中佐で有っても、並みの将官以上の権限を有すると言っても良い。 将来の女性将軍候補第1号と目される人物には、まず妥当なポストだ。

「ええ・・・私も、チクチクとやられましたわ。 広江中佐、最近は兵備局の辻本中佐や参謀本部の大伴中佐と、色々と遣り合っていますしねぇ・・・」

「だからと言って、そのストレスをこっちに向けて発散しないで欲しいわ! ・・・コホン。 で、源少佐、周防少佐、結論は?」

源少佐と周防少佐は、そんな2人の女性将校のボヤキを、苦笑しつつ聞いていた。 広江直美中佐は、若かりし?頃の2人にとっても、鬼の様な中隊長だったのだ。
河惣中佐の問いかけに、まず源少佐が試験データを基に説明する。 単体性能試験、継戦能力評価書、不具合報告書に改善要求書、etc・・・

「駄目ですね、汎用兵器としては使い物になりません。 極一部の、腕の良いベテランだけしか御し切れない機体など、コスト面で割に合わないでしょう。
それに、今以上の性能向上・・・いえ、改悪阻止は無理です。 余程の高性能・高耐久性のある、新型の小型化パーツが開発されない限りは」

それが出来ないから、こうして色々と足掻いて性能向上を目指すべく、様々な改修機体をテストしているのだ。 それが駄目となると・・・

「―――機甲本部から申しますと、諸兵科連合部隊での運用も、限られた局面での運用となります。 稼働時間の短さは、支援部隊との協同行動に支障を来します。
壱型丙の稼働時間は、壱型と比較して約68%です。 腕で燃費を稼ぐ事の出来るベテランが搭乗してさえ、約85%まで引き上げるのが精々です。 当然・・・」

「―――当然、そんな腕っこきのベテランは、極々少数。 それにあのピーキーな操縦特性も、混乱が更に磨きがかかった様ね。
歴戦部隊のベテランや、富士(富士教導隊)の連中でも、一部しか操れないのではないかしら? どう? 源少佐、周防少佐?」

三瀬少佐が、周防少佐の言葉を引き継いで聞く。 三瀬少佐自身、92年初頭から大陸で戦い続け、続く本土防衛戦、そして明星作戦でハイヴ突入まで果たした歴戦の衛士だ。
その戦術機操縦の腕は、審査部試験隊を纏める源少佐や、戦歴の多彩さでは今や、帝国陸軍で5指に入るとも言われる周防少佐と比べても、遜色ない。
機体の機動特性チャート、主機や跳躍ユニットの出力推移図表、耐Gシステムのログに、バイタルチャート。 様々なデータから、癖の強過ぎる機体だと即断した様だ。
そして部下の分析班長―――三瀬少佐の言葉を聞いた河惣中佐が、結論を源少佐と周防少佐に確認する様に、言った。

「―――壱型丙の現状での改善、性能向上は不可能。 そう判断して良いわね? いっその事、1部(第1造兵部)のスカーフェイス親爺に乗っかろうかしら?
参本や統幕の煩いのは、広江に押し付けて・・・ 国際共同開発、この線も良いかもしれないわね・・・」

周防少佐の言葉と、全く同じ結論を出した。





打ち合わせが終わり、昼食を済ませた1330時。 河惣中佐、三瀬少佐、周防少佐の3人は、市ヶ谷に戻る為の定期便を待っていた。 
源少佐は見送りだ、あと3日はここで試験が残っている。 場所は基地に付属した軍用飛行場、その脇のターミナルだ。 
ただしあくまで軍用、殺風景なこと甚だしい。 皆が佐官だけあって、到着待ちの時間には、当番兵が代用コーヒーを持ってきてくれるが。

「う・・・マズ・・・」

周防少佐が一口飲んだ後で、顔を顰める。 そんな周防少佐を見た3人が、白い目で異口同音に責める様な口調で言った、『アメリカで、贅沢し過ぎだ』と。
返す言葉も無く、周防少佐が首を竦める。 先月まで約半年近く赴任していたアメリカのN.Y.では、帝国では高級品の天然食材が普通に買えたのだから。
そんな事を話のネタにしながら、定期便の到着まで暫く時間を潰していた。 ここから東京の羽田基地まで約30分、1500時前には市ヶ谷に着ける。

「そう言えば周防君、いつまで機甲本部附なの?」

三瀬少佐がそう話を振って来た。 周防少佐の今の配置は、あくまで暫定だった。 次の任地が決定するまで、取りあえず機甲本部附とされただけで、正式な部員では無い。

「一応、来月早々に次の配置への内示は、貰っていますよ」

「内示? どこだい? 実施部隊? それとも機関(後方組織)かい?」

源少佐が、代用コーヒーを啜りながら聞いて来る。 昔と変わらぬ、まったく穏やかな物腰の人だ、そう思いながら周防少佐は答えた。

「古巣ですよ、独戦の101、そこの指揮官です」

第101独立戦術機甲大隊。 周防少佐が昨年の10月から今年の6月初旬まで、指揮していた戦術機甲大隊だった。

「ああ、あそこ・・・色々と聞くわ、ちょっと空気が悪い様ね、今は」

「だからだろう、大隊長交替は。 今の大隊長の深江少佐は陸士の恩賜組だが、部隊指揮や戦力向上よりも、陸大受験の方が気になるらしいな」

4人とも、思わず嘆息する。 101独戦大隊は、東部軍管区の戦略予備として期待された部隊だが、今の士気はかなり落ち込んでいるらしい。
周防少佐にしても、半年以上に渡って鍛えてきた元部下達だ。 シベリア派兵の折も最小限の損害で生還出来たのは、練度と士気、部隊の意思疎通のお陰、そう思っている。

―――それが、今や・・・

「先任中隊長の真咲(真咲櫻大尉)が、苦労していると聞いたわ。 最上(最上英二大尉)も八神(八神涼平大尉)も、『大隊長には、ついていけない』と公言しているらしいし・・・」

三瀬少佐の言葉に、周防少佐も表情を曇らせる。 かつて、自分の右腕だった最上大尉。 新任の頃に鍛え上げた八神大尉。 
2人とも、公然とそんな事を言う様な、心得違いの男達では無かった筈だ。 戦場での口の悪さは折り紙つきでも、やるべき事は必ず果たす、自分はそう評価していた。

「・・・まあ、何とか立て直すしか無いですね。 将来のエリート組に恨まれるでしょうが」

「逆恨みは、気にしない事ね。 こんな状態での大隊長交替なんて、深江少佐自身の評価書は目を覆いたくなる事でしょうし、本人にとっては」

「ベストの染みとしては、ちょっと大き過ぎたね。 いっその事、部下に一任して任せ切ってしまえば、話は別だったかもしれないけれどね」

起きてしまった事は仕方が無い。 それをどう回復するか、それが次の指揮官の責任だ。 それについては、周防少佐は余り心配していなかった。
何はともあれ、勝手知ったる連中だ。 どこをどう押せば、どこをどう引けば、連中のやる気が起きるかは、判っているつもりだ。

「ま、立て直す自信は有りますよ。 それに今度は第15旅団が編制されて、その指揮下ですし。 連中も腐っている暇は無いでしょうしね」

「ああ、壊滅した第15師団の再建計画。 確か金も物も人も足りないって言うので、取りあえず旅団をでっち上げたって、あれね?」

「・・・河惣中佐、そんな身も蓋も無い言い方・・・藤田准将が怒りますよ?」

周防少佐が苦笑する。 第101独立戦術機甲大隊は、新編される第15旅団の隷下となる事が決定していた。 旅団長は藤田伊与蔵准将(2000年10月1日進級)
長く戦術機甲部隊の指揮や、部隊参謀を務めてきた有能な指揮官だ。 副旅団長は明星作戦での負傷の癒えた名倉幸助大佐、先任参謀は元長孝信中佐。
旅団戦力は戦術機甲2個大隊(指揮官・周防直衛少佐、長門圭介少佐)、他に機甲大隊(指揮官・篠原恭輔少佐)、機械化歩兵装甲大隊(指揮官・皆本忠晴少佐)を有する。
これが直接打撃戦力を率いる布陣だった。 他に自走砲大隊(指揮官・大野大輔中佐)、自走高射大隊(指揮官・谷元広明少佐)、機動歩兵大隊(指揮官・奥瀬 航中佐)
後方支援大隊(指揮官・金城摩耶少佐)に戦闘工兵中隊(指揮官・飛田大悟大尉)と、本部通信中隊(指揮官・信賀朋恵大尉) 以上が第15旅団の全布陣だ。

同じ『旅団』でも師団内の編成下に有り、戦闘時に幾つかの諸兵科連合戦力として行動する『旅団戦闘団』では無く、言わば『小型師団』とも言うべき『独立混成旅団』となる。
部隊番号を引き継ぐ形だが、『前身』の第15師団は1998年のBETA本土上陸の折、山陰地方の奇襲上陸防衛で、1個師団で奮戦して時間を稼ぎ『全員戦死』した部隊だった。
今回はその『名誉番号』を受け継ぐ形で、本土防衛軍総司令部直下の緊急即応展開部隊―――火消し部隊として、歴戦の指揮官達が集められ、再編される事となった。

―――因みに旅団長の藤田伊予蔵准将は、広江直美中佐の夫君で有る。

「いいわよ、別に。 今更、藤田さんに凄まれてもねぇ? 加奈ちゃん(藤田夫妻の1人娘)は私の掌中よ、『パパ、酷いんだよ?』って、ひと言言えば・・・」

「「「・・・策士・・・」」」

思わず3人の少佐は、河惣中佐の腹黒さに唸ってしまっていた。

やがて定期便がその姿を彼方の空から見せた。 YS-11、第二次世界大戦後に初めて日本のメーカーが開発した旅客機で、国防省はこれを計60機発注した。
当時の通産省から、国際販売競争力に箔を付ける為、是非とも採用して欲しい、そう懇願された機体だ。 自国軍が採用しない機体など、国際的信頼を得る事は出来ないからだ。
古い機体だが、高い安全性と耐久性、そして信頼性によって、初飛行から38年経った今尚、現役で使われているベストセラー機だ。 海外での採用も多かった。
国防軍はこの機体を人員輸送機に12機、貨客混載機に18機、輸送機に22機、電子情報収集機として8機を運用していた。 その姿を見た三瀬少佐が、ホッとした声を出す。

「―――あ、良かった。 YS-11P(人員輸送用機)だわ。 11PC(貨客混載機)だと、何を運んでいるか判らないし、匂いがね・・・」

全般的に、YS-11PCは上級将校には不評だった。

「まったく、贅沢になったものですよ、俺達も。 覚えていますか、三瀬さん? 昔、北満州で移動の時、C-1(輸送機)に詰め込まれて・・・」

「・・・思い出したくないわ。 カーゴ内に山積みされた貨物の隙間に、申し訳程度のスペースを確保して仮設の固い座席で3時間も。
それに比べてYS-11Pは元が旅客機だし、軍用は更にゆったりした作りだし、空調完備のドリンク・バー付き、本当に役得ね。
VIP用程じゃないけれど、佐官に進級出来て良かったわ。 尉官じゃまだまだ、C-1に詰め込みだもの・・・」

同意するように、河惣中佐も頷いている。 苦笑する周防少佐がふと見ると、源少佐が妻の余りの現金さに、呆れた様な苦笑を浮かべていた。
やがて河惣中佐、三瀬少佐、周防少佐の3人がYS-11Pに乗り込んだ。 復路の『お客さん』は彼ら3人だけだった。 源少佐がターミナルで手を振っている、暫く独身生活だ。





2000年12月18日 1645 東京・調布 帝国陸軍調布基地


周防少佐は市ヶ谷で帰庁報告を行い、後日の報告書提出とした後、細々した事務処理を後日に回して1600時に『第1師団内運用事前準備調査』の名目で外出。
国鉄の中央本線で西に向かい、途中で営業運転を再開した私鉄線に乗り換える。 こういう自由さは、無任所の部付将校の少ない『特権』だ。
駅を降り、歩く事数分。 以前は語学大学だった校舎・敷地を接収し、隣接する元自治体運営の飛行場と周辺地域を含めた場所が、戦術機甲第3連隊が駐留する調布基地だ。

帝都を守る陸軍の頭号師団で有る第1師団は、その隷下に3個戦術機甲連隊を保有する。 朝霞の第1戦術機甲連隊、佐倉の第57戦術機甲連隊、そして調布の第3戦術機甲連隊。
他の第1師団隷下の連隊を含め、帝都の中心部をぐるりと囲むように部隊が配備されている。 まさに『帝都守備師団』だった。

正面正門で当直衛兵司令に来意を伝え、その後に管理棟の応接室の一室に通される。 途中、棟内の廊下で前から歩いて来る1人の将校をすれ違った。
階級章から大尉と判る。 向うが先に敬礼をし、周防少佐が答礼を帰す。 最初は第3連隊の将校かと思ったが、徽章から第1連隊の将校と判明した。
髪を短く刈り、薄いフレームの眼鏡をかけた、精悍な顔立ちと雰囲気の若手将校。 どこかで見た事が有ると思いながらも、その場は特に深く考えずにすれ違う。
やがて目的の応接室に到着し、当番兵が扉を開けてくれる。 訪問相手はまだの様だった、そのままソファに座る。 出されたお茶を飲む事数分、相手が現れた。

「―――久しぶりだな。 周防、どうした、急に?」

「時間が取れたのでな、貴様の悪運面を拝みに来たのさ、久賀」

久賀直人陸軍少佐―――第1師団、第3戦術機甲連隊第3大隊長。 周防少佐とは、最も古い時期からの同期の戦友で有り、共に一時国連軍に『飛ばされた』間柄だった。

「そんな酔狂な奴は、最近珍しい。 長門の奴が3ヵ月前に、ふらっとやって来たがな。 あいつも松戸から、何を思って出て来たのだか」

「貴様が出無精だからだろう。 都内の同期会にも、最近は顔を余り出していないそうじゃないか?」

「・・・色々と忙しくてな、調整がつかなかった。 ま、次回は出席するよ」

「そうしろ。 同期の連中も、貴様の顔を拝みたがっているだろうさ」

「だから。 そんな酔狂な奴は、そういないと言っただろう?」

暫くは近況と雑談を交え、歓談していた。 特に目的が有っての訪問では無い、暫く会っていなかった親しい同期の友人の顔を見たかった、それだけかもしれなかった。
周防少佐に子供が出来た話には、久賀少佐は素直に喜んでいた。 久賀少佐の妻が98年の九州防衛戦で、戦死している事を知っている周防少佐は、ちょっと複雑そうな顔だったが。
それでもお互い共通の話題、特にこの場には居ない長門少佐を含めた3人が一時所属した国連欧州軍の話には、大いに盛り上がり昔話が咲いた。 
BETAとの死闘、失った多くの仲間達。 それでも彼等にとって、青春時代の貴重な時間だったのだ。 多感な若年士官だった時代の記憶として、2人の少佐の脳裏に刻まれている。

「・・・なんと。 翠華のやつ、とうとうヴァルターを撃墜しちまったのか・・・?」

「らしいな。 ほら、昔の横須賀米軍基地に、今は国連軍部隊が入っているだろ? 美鳳と文怜の部隊が、あそこに居るんだ。 翠華が2人に手紙で知らせたらしい。
美鳳からウチの女房に、文怜から圭介の女房に、それぞれ知らせてくれた。 にしても、翠華が『男爵夫人』だぞ? 信じられるか、あのお転婆がさ・・・」

蒋翠華―――国連軍大尉で中国出身。 3人とは浅からぬ間柄で、特に周防少佐とは『一時、本妻を狙っていた』と、長門少佐や久賀少佐が言う女性だった。
超美鳳国連軍少佐と、朱文怜国連軍大尉。 同じく中国出身のこの2人も、共に国連欧州軍に属していた仲間だった。 今は国連軍太平洋方面総軍第11軍に居る。

「なんだ? 女同士、同盟でも出来たか? 旧悪がばれないよう、念押しがいるんじゃないのか?―――で、どこで、どう繋がっている?」

「やかましい。 何度か共闘した事が有ってな、それ以来だ。 ウチの女房、美鳳と気が合うみたいでな。 愛姫は文怜と仲が良い。 どう言う事かね・・・」

「・・・あれだ、俺が思うに、貴様の嫁さんはニコールと似ているかもな、美鳳と気が合う訳だ。 愛姫はあれだ、あの無闇に元気な所が、翠華に似ているな」

「そんなもんかね・・・ そうそう、ファビオが年貢を納めた、相手は・・・」

「そんなの、ロベルタしか居ないじゃないか。 ファビオの奴、あれでいて相手には結構一途な奴だったな」

「一途と言うか、ラテン的盲愛と言うか・・・ま、目出度い事さ。 他にはホラ、貴様も知っているだろ、ドーヴァーの時に一緒だったイルハン」

「・・・イルハン。 イルハン・ユミト・マンスズ?」

「そう、そのイルハン。 ヤツがトルコ軍から出向して来たと。 で、今はギュゼルに猛烈プッシュ中だとか。 同国人だしな」

「なんだ、そりゃ? あいつ、あの隠れ助平野郎め、はっはっは! 良いんじゃないか? ギュゼルは俺達より1つ年上だろ、確か。 そろそろ嫁ず後家が心配な年だぜ」

「・・・おい、久賀。 貴様、間違ってもそのセリフ、身に覚えのある面子に言うなよ・・・?」

「貴様と違って、俺は空気が読めるからな」

「ぬかせ」

久しぶりに会っても、お互い階級が上がり責任が増えても、会えばこうして昔の様に他愛ない話が出来る。 その事に周防少佐は内心でホッとしていた。
同期生の間では、『久賀は変わった』と言う者が多かった。 最愛の妻を新婚早々に九州防衛戦で亡くし、絶望と失望の淵で戦い続けてきた。
かつての単純明快な明るさが影を潜め、口数が少なくなり、沈考する事が多くなったと、皆がその変化に最初は心配していたと言う。
次の変化は99年の『明星作戦』以降に現れたと、久賀少佐を知る周囲は言っているらしい。 シニカルな批評家めいた言動が少なからずある、そう言われ始めた。

そんな噂を耳にしたからだろうか、不意に強行軍でも時間を作って、古い親しい友人に会いに行きたいと周防少佐が思ったのは。
会ってみれば、杞憂だと思った。 昔と変わる事が無い。 大丈夫だ、コイツは。 きっと、きっと大丈夫だ。 胸中でそう繰り返していた。

「・・・時に周防、貴様はアメリカに行っていたのだってな?」

「ん? ああ、例の交渉団の雑用係でな。 昔、国連軍時代に行かされた事を、ご丁寧に人事局が調べ漁ったらしい」

「成程。 で、どうなんだ? 結局は元の鞘には戻るまい?」

「おい、久賀・・・?」

「戻らんよ、きっとな。 国内感情は、対米感情は相変わらず悪い。 中央官庁の上層部や、軍上層部は統制しようとしているが、メディアの完全統制には程遠い。
特に左派系と右派系が、面白い事に同じ論調だ。 結局は同じ穴の狢か。 中道派は政府寄りの論調だがな、左派と右派の方が論調が刺激的だ、国民は引きずり込まれる」

「久賀、貴様、何を言いたい・・・?」

思わず身構える周防少佐に、久賀大尉は直ぐには答えず立ち上がり、応接室の窓辺に歩み寄って窓から外を見ている。
東の方向、夕陽が落ちてその残光が赤々と空を染めている。 何を思っているのか、その空の先は荒廃した国土が続いている。

「・・・答えろよ、周防。 日頃、『国連派』等と言われている貴様だ、対米同盟のその意味を、意義を―――あの国は、もう甘やかしてはくれないぞ?」

「―――貴様の言う通り、再安保が為ったとしても、それは以前の安保以上に日本が譲歩した形になる、そう考える。 国民感情は早々には収まらないだろう。
しかしな、貴様も散々見て来ただろう? BETAに侵略され、国土と国民を食い尽され、亡国の果てに多くの難民を出してきた国々を。
最早、1国でどうこう出来る事じゃない。 大東亜連合を見ろ、民族もバラバラ、宗教も仏教にヒンドゥーにムスリム、かつていがみ合った国同士が、背に腹を変えられなかった。
統一中華に至っては、第3次国共合作だぞ? ソ連はかつての最大の仮想敵国に乞うてまで、国を維持しようとしている。 中東はスンナ派とシーア派のいがみ合いを棚上げだ」

「・・・だから、日本もアメリカの隷属下に入っても、仕方が無いと?」

「貴様、そう言う言い方は止せ! 確かにシベリア東部からアリューシャン、日本列島を通って台湾、フィリピン、マレー半島は『東太平洋絶対防衛圏』だ。
そしてそれは、そのままアメリカの防衛構想にそっくり当て嵌まる。 だがそれがどうして、アメリカの隷属下と言える? 統一中華は? 大東亜連合は?
俺が政府の政策で評価する点は、そう言った地域勢力との協同を目指しつつ、アメリカとの外交での綱引きを、なんとか4分6分ででも成果を引き出そうとする、その努力だ。
確かに国内政策で強引な所は有る、難民政策での強制移住や不法居住者の強制『保護』など、力に走り過ぎな面は確かにある。 だがな、だがな、久賀・・・!」

少し激昂仕掛けた周防少佐の言葉を無言で手で抑えた久賀少佐が、窓から振り返り親友を見つめながら、静かに話し始める。

「でなければ―――でなければ、軍は民間人保護と、BETAの侵攻阻止戦闘、その2正面作戦を強いられる。 軍事的悪夢だ。
そしてまずは、佐渡島からBETAを叩きだす。 次に朝鮮半島の奪回。 それが出来て初めて、安定的な国内政策を打てる。
つまりは、そう言う事だろう? 周防。 全ては国土の防衛、国家の維持。 それが出来て初めて、極東ユーラシアの安定が生まれる。 
それまでは選択を厭わず、犠牲を厭わず、顧みず―――だがな、それを是としない者達も居るのだぜ? 周防、貴様、そんな連中をどう説得する?」

「・・・思い出したぞ、さっきすれ違った1連隊の大尉。 ヤツだ、昔に遼東半島の撤退戦で一緒に戦った事が有る。 今は1連隊だったのか・・・」

「同じ師団だ、部隊内の研究会でも良く顔を合わす。 なかなかの切れ者だぞ、若手の人望も有る」

「―――戦略研究会、第1戦術機甲連隊の沙霧尚哉大尉。 忠告だ、久賀、もしもそうなら直ぐに縁を切れ」

「貴様の叔父御の情報か? 泣く子も黙る国家憲兵隊の、右近充憲兵中将だったな?―――心配するな、安心しろ周防。 俺は国粋派なんかじゃない」

「・・・本当か? 本当にそうなのだな? 信じて良いな、久賀?」

「ああ・・・本当だ。 今の俺には、若い連中の血気を宥める事も仕事だからな」





友人が退去した後、久賀少佐は大隊長室で独りデスクに座っていた。 卓上には一つだけ小さなフォトスタンドが置かれていた。
2人の若い男女が映っている。 場所はどこかの家の前、2人とも幸せそうだ、屈託の無い笑みを浮かべている。 そのスタンドを手に取り、しばし眺めていた。

(・・・優美子)

かつて妻と呼んだ、愛した女性。 短い間だったが、本当に幸せだった。 あの悪夢の様な、BETAの九州上陸が始まるまでは。

(『・・・本当か? 本当にそうなのだな? 信じて良いな、久賀?』)

親友の言葉が頭の中で繰り返される、判るものか、正直自分でも判らないのだから。

(周防・・・俺はあの時、99年の8月、西関東防衛線で横浜を見ていた。 あの黒々とした円球の中にな、優美子が見えた気がしたぞ・・・)










2000年12月20日 2030 帝都・東京 千住 周防家


「こら、直嗣、暴れるな。 って、ああ、泣くな、泣くな。 怖くないぞー? ほら、アヒルさんもプカプカって、遊んでるぞー?」

「あなた? 直ちゃんが終わったら、次、祥っちゃんもお願いね?」

「はいよ。 よーし直嗣、温まっただろー? 気持ち良かっただろー? じゃ、ママのトコに行こうな?―――祥子、直嗣出るよ」

「はーい、じゃ、次は祥っちゃんね。 ほら、パパとキレイ、キレイしましょうねー? あらあら、直ちゃん、大丈夫よ。 ママ、ここですよー」

「さーて、祥愛、パパとお風呂入ろうなー?」

何でも無い、幸せな家族の情景。 でもそれが古くから戦場を往来し、共に死線を切り抜け戦って来た仲間達だとしたら・・・

「・・・すっごく、違和感が有るわ。 あの直衛が、すっかりパパになっているし・・・」

「幸せな証拠でしょう? 祥子もすっかりお母さんね、良かったわ」

「あー・・・ウチも子供欲しいなぁ・・・」

「三瀬少佐は、まだ子供はおつくりにならないのですか?」

「私はその気なんだけど、主人がね・・・あ、愛姫ちゃん、圭吾君、ちょっと抱かせて?」

「良いですよー。 ほーら、圭吾。 あっちのお姉さんに甘えて来い!」

「・・・で? どうして俺までお呼ばれしてんだ? 直衛、さっさと風呂から出て来い・・・」

夫が出張中の三瀬少佐が、親友の綾森少佐(周防少佐夫人、育休で休職中)を最近知り合った2人の国連軍女性将校達と急襲し(赤ん坊を見たかっただけだ)
隣家のこれまた旧知の長門少佐一家もお邪魔して、賑やかな夜のひと時になっていた。 もっとも男性陣にとっては、ちょっと遠慮したい場でも有ったが。
やがて娘と風呂から出てきた周防少佐が、身支度を整えて輪に加わった。 お互い若年士官の頃からの付き合いだから、余り遠慮も無い。 和気藹藹とした雰囲気だ。
それでもそろそろ20代も後半にさしかかる年代、そして女性陣の2人は独身、1人は既婚者だが子供なし。 勢い、話題は子供の話に。

「直嗣ちゃん、お姉ちゃんのトコにいらっしゃい」

「あ、まだ駄目よ、文怜。 お姉さんの方がいいわよねー? んー、可愛い!」

「ちょっと! 美鳳ってば、独占し過ぎ! じゃ、祥愛ちゃん、抱っこさせてよ、祥子」

「いいけど・・・いっそ、国際結婚も考えれば? 文怜、美鳳も?」

「笑って簡単に言わないでよ。 ほーら、祥愛ちゃん、お姉ちゃんと遊ぼうねー?」

「ふふ、圭吾君、駄目よー? お姉さん、おっぱいは出ませんよー? 愛姫ちゃん、母乳で育てているの?」

「そうですよー。 合成粉乳って、なんだか信用出来なくって。 あ、麻衣子さん、ウチの子、そろそろハイハイも出来ますよ?」

「あら、判るわ。 私もそうだもの。 でも直嗣がおっぱい飲んでいると、祥愛も欲しいって泣くし、祥愛におっぱいあげると、直嗣が泣きだすし・・・」

「双子だからね、祥子の所は。 あー、やっぱり私も子供が欲しい!」

「旦那様にねだりなさいよ、麻衣子」

「源さん、優しいパパになりそうですよねー?」

「私も、真剣に考えようかしら・・・」

「年齢的には、私の方が切実なのよ、文怜・・・」

「あ、この前、緋色から連絡が来ましてね。 『私も子供が欲しいぞ!』って。 だから言ってやったんですよ、『腹上死だけは、させちゃ駄目だからね?』って! あはは!」

「そう言えば、周中佐は? ご結婚はどうされるのかしら?」

「「・・・」」

「? 美鳳、文怜? どうしたの? 2人とも?」

「中佐・・・結婚はしないんだって」

「ええ!?」

「どうして?」

「親戚筋の、従弟さんの子供を引き取ったのよ。 なんでも、昔にゴタゴタが有って、一族から絶縁された人らしいけど。
その人が戦死して、残された奥さんが親戚を頼って、仙台のチャイナ・タウンまで来たそうなんだけどね・・・」

「そのご親戚も、BETAの横浜侵攻時にお亡くなりになっていらして・・・奥さん、心労がたたって病死されたの。 残された子供を、中佐が養子と養女にしたのね」

「2人?」

「ええ、5歳の男の子と、3歳の女の子。 いきなり2児の母よ、吃驚したわ・・・」


そんな光景を、離れたキッチンテーブルの椅子に腰かけた周防少佐と長門少佐が、少し呆れ顔で眺めている。
子供は2人にとっても可愛いが、女性にとっては母性愛の発露の、最も身近な対象と言う訳か。 独身の超少佐や朱大尉、子供のいない三瀬少佐も3人の赤ん坊に夢中だ。

「直衛、お前この間、久賀のトコに行ったらしいな?」

漬物を肴に、熱燗を猪口でちびちび飲みながら、長門少佐が親友に話しかけた。 周防少佐も手酌で熱燗を飲りながら、ああ、と答える。

「あいつとは・・・97年のAOC(幹部上級課程)以来だったしな。 欧州から帰って、アイツだけ九州配属になったし。 それにその、な・・・」

「・・・嫁さんか。 会った事は無いけどね、以前同じ部隊に居た奴の話じゃ、才色兼備、性格も良くて面倒見のいい、人気No.1のWAC(陸軍女性将校)だったそうだ。
そんな才媛が、どうして久賀みたいな頑固者の堅物に惚れちまったのか・・・ま、人の心は判らんわな。 俺から見れば、お前の嫁さんも新米時代から不思議だったぜ」

「そっくり、そのまま言い返す。 愛姫はあれで、お前の女房に収まるには、出来過ぎた女だと思う」

お互いに、ある種の肉食獣の様な笑みを浮かべ会って、相手に言い返している。 その間にも、女性陣は赤ん坊をあやし、話に夢中になっていた。
その姿を『仕方が無いな・・・』とでも言いたそうな表情で、お互いに熱燗をさしつ、さされつ、特に話題が有るでもなく黙々と飲んでいた。

―――長門少佐が、話を切り出した。

「で? どう感じた? ヤツは・・・久賀は、あの変な集まりに参加していると思うか?」

「・・・ここじゃ、何だな。 外に出よう」

周防少佐、長門少佐、2人して立ち上がって玄関へ向かう。 その姿を見た2人の妻達が、何事かと声をかけた。

「あなた? 外に出るの? 寒いのに・・・」

「何? 圭介、直衛と密談? 怪しいなー?」

「煙草だよ、煙草。 家の中じゃ、吸えないだろう?」

「この前、台所で吸っていたら愛姫、お前本気でぶん殴っただろ・・・」

後ろから聞こえるクスクスと笑い声を背に、2人の少佐は玄関を出た。 丁度、周防家と隣家の長門家の間に、小さな生垣が有る。
スモーカーの旦那2人は、ここで良く煙草を吸っている。 奥さんから家を追い出されるからだ、今では『喫煙所』と密かに読んでいる場所だった。
下駄をはいて(周防少佐は下駄派、長門少佐はスリッパ派)私物の上着を着込んで寒風に耐えながら、煙草に火を付ける。 灰皿は2人で購入した、長い脚付きの共有灰皿だ。

「・・・一応、否定はしていたけどな。 やっぱり、変わったと言われれば、認めなきゃならんかもな」

「俺が会いに行った時は、国体論を吹っ掛けられたよ。 日本は皇帝を頂く立憲君主国家か、それとも政威大将軍との2重頂点なのか。
議会は機能しているのか、議会民主主義は日本に有るのか。 政府は国民の声を聞いているか、その政策の是非は? ・・・あいつ、そのうちに政治家にでもなるつもりか?」

「まさか。 あいつは間違っても、腹芸だけは出来ない男だぞ?」

煙草を大きく吸って、吐き出す。 風呂上りの一服、煙草飲みには堪えられない。 ふと夜空を見上げれば、冬の夜空が綺麗だった。

「だとしたら、どうしてあんな、要注意視される集まりに参加している? 直衛、お前は声を掛けられなかったか?」

「ないね。 俺は『国連派』で『米国派』だから。 あの連中にとって、目の敵だよ。 圭介、お前は?」

「一度だけある。 俺は『国連派』でも、『欧州派』らしいな。 アメリカより心証は宜しい様だ。 もっとも話を聞いたが余りに幼稚な内容でな、馬鹿らしくなってそれっきりだ」

「なら、それっきりにしておけ。 オフレコ情報だ、国家憲兵隊と警務隊が、内調を始めるかもしれん」

「ったくよ、勘弁しろよ。 たかだか、10代後半の小娘に、この国難の舵取りなぞ出来る訳無かろうが。 
それともあれか? 城内省の権力争いか? 斯衛の連中、一部が鼻息荒いぜ、最近・・・今更、王政復古かよ?」

それで暫く会話が途切れてしまう。 紫煙が立ち上る夜空を、2人して無意識に眺めていたが、不意に周防少佐が言った。

「・・・俺達は、『醜の御楯』だ。 この国を、皇帝陛下を、国民を守るための、醜き盾―――武人だ。 政治に韜晦する事はない」

「ただ為すはひとつ、称えし誓約に殉じるべし―――訓練校の朝の別科で、散々唱えさせられた」

「そうさ。 だからもし、久賀がそれを失念しようものなら・・・」

「ぶん殴ってでも引きずり戻して、軍人勅諭から何から、もう一度ぶっ倒れるまで唱えさせてやるか」

「―――『我々は、一人の人間の徳からよりも、失敗から多くのことを学ぶだろう』 徳なんて、一体どんな基準でそう言うんだ?」

「・・・直衛、お前時々、気障な事を言うよな?―――『我々は自己の過失を利用しうるほど長生きはしない。 一生を通して過失を犯す。 
そして多くの過失を犯した末、できうる最上のことは改心して死ぬことである』 ・・・洒落にもならねえ、嵌り過ぎて、笑いも出ねえぞ」

あと10日程で、2000年が終わる。 そして2001年が始まる。 20世紀が終わり、21世紀が始まるのだ。
20世紀は戦争と動乱、そして人類の存続をかけた未曾有の戦いに、明け暮れた世紀と記録されるのだろうか。
しかしそんな時代でも、人々は生まれ育ち、暮らしの営みを続け、喜怒哀楽の中で生き、結婚し、子供を産んで育て、老いて死んでゆくのだ。
その姿と声は、決して記録される事はない。 だが世界の片隅で、少しは覚え続けられるだろう、その生きた証を。 それを連綿と受け継いできたのだ、庶民たちは・・・









2001年1月5日 日本帝国 千葉県松戸 帝国陸軍・松戸基地


「頭ぁー、中!」

「敬礼!」

壇上に上がった目前に、71人の部下達が一斉に敬礼を送って来る。 衛士が39名、CP将校4名、CP附車輌下士官兵がCP将校1人に付き3名。
他に後方勤務の大隊本部附き将校達、第1係主任(人事・庶務)、第2係主任(情報・保全)、第3係主任(運用・訓練)、第4係主任(兵站・後方)の大尉・中尉達と下士官たち。

―――それをゆっくり見まわし、答礼を帰す。

「直れ!」

「着席!」

壇上下には、3人の中隊長が揃っている。 さっきから号令をかけているのは、この3人だ。 交替式は先程済ました、いよいよ大隊長着任だ。

「・・・みな、しぶとい面が残っているのを見て、大隊長は安心と共に、呆れも覚える」

そこで、少し笑い声。 暫くして、手で制する。

「大隊は本日より、第15旅団、第1戦術機甲大隊として編入されることとなる。 戦線の火消し部隊だ、主に新潟方面への支援になるだろう。
奴らを良い気にさせるな、この星の支配者が誰か、その醜い体に砲弾で持って叩き込み、長刀の斬撃で切り裂いて教え込め。
大隊長の言う事は、『戦え、足掻け、そして生還しろ』これだけだ。 無論、大隊長機は常に貴官等の先頭に在る、そして最後まで戦場に留まり続けるだろう」

一瞬、皆の顔に生気が滾った様な気がした。 今までの大隊は、と有る事情で士気はお世辞にも良いとは言えなかったからだ。

「諸君らが戦う場には、大隊長が居る。 戦場に赴く大隊長の背後には、諸君が居る。 仲間とは、共に助け合い、背を預け戦える物達を言う。
大隊長は、諸君らが互いを仲間と認め合い、そして共に困難を粉砕して行ける者達で有ると信じるからだ。 無論、大隊長もその中の1人に過ぎない―――以上!」

「総員! 起立!」

「大隊長殿に対し―――敬礼!」


2001年1月5日 有事即応部隊に指定された第15旅団が発足した。 そしてその第1戦術機甲部隊が、新たな指揮官を迎える。
佐渡島は未だBETAに屈し、奪回の目処は立っていない。 しかし彼等は戦い、戦い抜き、やり遂げねばならない。 それが祖国へ誓った誓約であるなら。






[20952] 伏流 帝国編 1話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2012/03/08 20:11
『新年―――2001年。 1998年にBETAの本土上陸を許し、甲21号・佐渡島ハイヴ、甲22号・横浜ハイヴの建設を許した。 国内に2箇所のハイヴ、存亡の危機を迎えた。
1999年、『明星作戦』によって甲22号・横浜ハイヴの攻略に成功するも、内外に様々な問題と軋轢を残す結果となる。 そして甲21号・佐渡島ハイヴは未だ攻略出来ていない。
新年―――2001年。 今年こそは。 誰しもがそう思う、そう願う、そう誓う。 祖国に平安を、親しき人々に安寧を。 そして我等は戦う。 先達よ、照覧あれ』
(2001年1月1日 榊是親内閣総理大臣 年頭演説)





2001年1月1日 日本帝国 千葉県松戸 帝国陸軍・松戸基地


元日の基地は、比較的のんびりした空気が漂う。 准士官以上は正装に、下士官兵は礼装を着用し、午前中の国旗掲揚、軍旗掲揚に続いて宮城(帝都城を含む)遙拝。
その後、基地司令を兼ねる第15旅団長・藤田伊予蔵准将の訓話。 その後には旅団長以下、各級部隊長・業務隊長が司令公室で揃って『御真影』奉拝。
その後は司令・副司令(副旅団長・名倉大佐)・各部隊長が侍立し、中隊毎に『御真影』を奉拝する。 それが延々と1時間半ほど続く。
その後、准士官以上は将校集会所、下士官兵は兵員食堂に集まって乾杯・皇帝陛下万歳三唱。 後は酒など飲みつつ、のんびりと過ごす。

正午前に准士官以上は通常礼装に着替え、昼食。 この時ばかりは日頃の合成食材は鳴りを潜め、貴重な天然食材をふんだんに使ったご馳走が出る。
今年のメニューは雑煮、田豆の照り煮、数の子辛子和え、カツレツ、鶏肉・蓮根・里芋の旨煮、塩鮭・ニンジン・大根の鮭酢和え、紅白蒲鉾に羊羹。
これは陸軍のメニューで有り、海軍のメニューはかつてのレストランの洋食フルコースとほぼ同じ。 航空宇宙軍は陸海軍折衷のメニューとなっている。


「今年は、厳しくなりそうだね」

「・・・そうだね」

隣に座る旅団自走高射大隊長・谷元広明少佐から声を掛けられた第1戦術機甲大隊長・周防直衛少佐は、朝からの酒で少し酔いの回った頭を振りつつ頷いた。
場所は松戸基地内の将校集会所、その第1会食堂。 半世紀前の世界大戦後も、陸軍将校の会食堂は一律全員同じだったが、15年ほど前から分けられた。
大尉(又は中隊長たる古参中尉)以上、所属長(連隊長、基地司令等)までが会食する第1会食堂。 中尉・少尉用の第2会食堂と、准士官用の第3会食堂。
海軍に倣ったものだが、要は下級の者達が遠慮勝ちになる事と、世代差(既婚者と独身者)での価値観の違い。 若い連中はなかなか寛げない。
何より将校は自弁と言う事が挙げられる。 まだ若い中尉・少尉達では、佐官と同じ食費の出費は痛い、そう言う事だ。
陸軍は基本的に下っ端の2等兵も、大将も同じメニューだが将校は自弁だ。 それに嗜好品を付けたり、時には全く違うメニューを作らせたりもするからだ。

「―――今年中に佐渡島を何とかしない事には、年末には丸3年になる。 フェイズがこれ以上大きくなれば、防衛線の意味が無くなる・・・」

周防少佐の言葉に、反対側の隣席に座る第2戦術機甲大隊長の長門圭介少佐や、向かい席の機甲大隊長・篠原恭輔少佐も頷き、言葉を続ける。

「横浜を陥したお陰で、九州へも兵力を増強できるようになった。 今は九州全域と対馬を奪回して、海峡を挟んで睨み合いに持ち込んだ」

「ああ、だけどそっちは後だ。 何と言っても佐渡島、あそこを奪回しなければ。 本土の脇腹に突き付けられた刃だ、あそこは」

地図を見ても判る。 西日本防衛は深い縦深防御線を引けるが、佐渡島に対する防衛線は関東―――帝国中枢部までの距離が余りに短い。

「防衛線に対する兵站も、わざわざ大回りして関東から陸路よ。 日本海側が使えれば全然違うのだけれど・・・」

「津軽海峡や復旧した琵琶湖運河を使っても、兵站港として使えるのは秋田や金沢までだ。 新潟まで優に200km以上ある、軍用鉄道も富山と酒田まで。
流石にそれより新潟に近いと、沿岸部は使えない。 内陸部も兵站駅は沼田までだ、それと会津若松。 そこからは車輌輸送に頼らざるを得ない」

旅団支援大隊長・金城摩耶少佐と機械化歩兵装甲大隊長・皆本忠晴少佐も、渋い顔で現状を分析する。 こちらのテーブルには旅団大隊長の内、少佐ばかりが集まっている。 
前方には旅団長、副旅団長、基地業務隊長以下の中佐以上の幹部連が陣取り、隣り合わせに旅団本部参謀や基地駐屯隊(経理隊、警務隊、基地システム通信隊等々)の少佐達が。 
出口近くのテーブルには、中隊長の大尉達が座っている。 総勢30数名、大尉以上の階級でこれだけだ、確かに中尉・少尉も含めれば場所が足りない。

「おいおい、君等、正月早々に辛気臭い話をするなよ」

そろそろ皆の酔いも程々に回って席を立つ者、移動する者、バラけて来た時に、旅団先任参謀兼・作戦参謀(G3)の元長孝信中佐が話しかけてきた。
91年と、間を挟んで93年から大陸派遣軍で戦い、最後は光州作戦の直前まで延々と撤退戦を戦い抜いてきたベテランの砲兵将校。 最近ではシベリア出兵も経験した人だ。

「辛気臭いですか・・・ですが、話さざるには居られませんよ。 のんびりしている暇なんか、ありゃしませんよ」

機甲大隊長の篠原少佐が、やや口を尖らせて言う。 『俺が、俺が』の勢いでは、戦術機甲科と双璧の機甲科将校だけあって、口調も遠慮が無い。
他に周防少佐と長門少佐が勢い良く頷くが、皆本少佐、谷元少佐に金城少佐の3人は控えめな表情だ。 流石に空気を読む兵科は、ちょっと違う。
そんな各兵科別の様子を見た元長中佐は、面白そうにニヤリとした後で、表情を改めて年少の同僚達に言う。

「だからだよ。 今年は今まで以上に正念場だ、帝国の命運も今年をどう乗り切るかで決まる、そう言っても過言じゃないだろう。
だからさ、せめて正月は楽しもうじゃないか。 ハイヴは残念ながら逃げやしないが、今年の正月はこれっきり、2度と訪れないからな」

気がつけば、前の方の席で藤田准将と名倉大佐が、ニヤニヤ笑いながらこちらを見ていた。 若い連中が、気負っているな―――そんな姿を楽しむ様に。
ここで場を壊すのも、無粋なものだ。 そう思った少佐達は一端話題を棚上げし、各々席を立って上官の杯に注ぎに行く者、部下の席に行く者、それぞれバラけて行った。

「おう、周防。 一別以来だな」

「は、大佐も負傷復帰、ご苦労さまです」

副旅団長の名倉大佐が周防少佐を捕まえ、開口一番に言った。 99年の『明星作戦』では戦術機甲連隊長と、師団本部派遣の作戦参謀で共に戦った間柄だった。
名倉大佐はその戦いの最後で、G弾炸裂の余波により発生した暴風による建物倒壊のお陰で重傷を負った。 復帰後暫くは軍学校の校長をしていたが今回、副旅団長に任じられた。

「全くな。 一緒に居た君は無傷、俺は重傷。 自分の悪運の無さを、嘆いたものさ」

「充分、悪運は強いだろう。 あの炸裂の周辺から生還したのだ。 周防の悪運は、野生動物並みなのだ」

「野生動物って・・・旅団長閣下、私はどれだけ人間離れしているのですか、それだと・・・」

名倉大佐の横で、藤田准将が笑っている。 かつて准将の大隊長時代、周防少佐は少尉の若年士官として部下だった事が有った。 憮然とした表情の周防少佐。

「ああ、それは認める。 こいつのは、沈む船から逃げ出すネズミ並みだ。 じゃないと、あの炸裂から無傷だなんてな」

「・・・大佐、あの場には長門少佐も居ましたが?」

「おう、奴も居たな、そう言えば。 2人揃って悪運の強い奴らだ、藤田・・・いやさ、旅団長閣下、頼もしい限りですな?」

「・・・貴様に閣下などと呼ばれると、尻の穴がむず痒くなるな、名倉・・・よりによって、陸士同期の貴様が補佐役とは」

「人事局の手違い・・・ま、良いやな、しっかり女房役をしてやるさ。 ただし、チクチクと遠慮はせんが」

「全く・・・周防、例えば貴様の下の中隊長に神楽、いや、今は宇賀神(宇賀神緋色大尉、旧姓・神楽)か、宇賀神が部下になった様なものだぞ?」

基本的に同期生同士で、同一部隊の上官・部下は配置しない。 今回は人事局の手違いか、等と言われた人事だ。 溜息をついた藤田准将が、例えで周防少佐に愚痴をこぼす。

「それは・・・想像しただけで、胃が痛くなりそうですね・・・」

想像してみて、周防少佐が胃の辺りを無意識にさすっている。 本当に痛そうな表情だ、確かにあの真面目で生一本な同期生が部下だとしたら・・・頼もしい半面、胃も痛い。
訓練校同期生でも、少佐進級の頃には昇進速度に差が付き始める。 周防少佐や長門少佐は、同期生中での第一選抜で少佐に進級した。 大体で同期生の内の上位20%が相当する。
これ以降、半年ずつ遅れて第二選抜(30%)、第三選抜(30%)、第四選抜(20%)まで続く。 同期生同士でも第一と第四では、1年半の昇進時期の差がつく事になる。
話の出た宇賀神緋色大尉は、残念ながら第一選抜にギリギリ漏れた。 所謂『カットヘッド』で、第二選抜のトップで今年4月に少佐進級予定だ。
中には士官序列では充分第一選抜内に居ながら、休職などで進級漏れした者もいる。 長門少佐の妻の伊達愛姫大尉(育児休職中)がそうだ。 復帰しても第三選抜だろう。


上官・同僚の席を回って、最後に部下達の席に寄った。 3人の中隊長、真咲櫻大尉、最上英二大尉、八神涼平大尉、大隊CP将校の長瀬恵大尉。 他にも僚隊の中隊長達が居る。

「大隊長、ま、ま、駆けつけ30杯」

「ぐーっと飲って下さいよ、ぐーっと」

「少佐、おひとつ、どうぞ」

「おい、八神、俺を殺す気か!? そんなに飲めるか! 最上、この辺で普通に飲ませろよ―――って、長瀬、その一升瓶は何だ? それに、そのドンブリは!?」

アルコールは普通に飲む程度にしか強くない周防少佐が、流石に苦笑しながら酌を断っている。 向うではやはり長門少佐が同様に、部下の酌責めに遭っていた。

「アンタ達、その位にしておきなさいよ。 ・・・後で奥様に文句を言われるの、私なんだからね・・・」

横で先任中隊長の真咲大尉が、年少の同僚のはしゃぎ振りを制止しようとするも、酔っ払いには余り効果が無かったようだ。
元旦の今日は、午後からは完全に休業となる。 そして翌2日から11日まで10日間、後期組が冬季休暇に入るので為に基地内はどこか、のんびりした空気が漂っていた。

「1次防衛線や、関東絶対防衛線の連中にゃ申し訳ないが、俺達は生憎と戦略予備!」

「そうそう。 今までクソ忙しさで、盆も正月も無い前線暮らしが長かったんだ。 たまにゃ、楽しませろってんだ」

「明日から10日間の休暇! 今日は半ドン! 飲むしかないでしょう!? 少佐!」

「だから! ・・・この、酔っ払い共め・・・」

「言っておくけど、八神。 アンタの休暇は前期で終わり。 明日から私と一緒に留守居役よ? 程々にね」

「うげ・・・」

大隊では真咲大尉と八神大尉が、12月21日から12月30日までの前期休暇組。 大隊長の周防少佐と、最上大尉に長瀬大尉が明日からの後期休暇組だった。
旅団将兵や基地要員達も、それぞれ前期・後期に分かれて休暇を取る。 前線ではこうはいかない、戦略予備隊の特権だ。 因みに12月31日と、翌1月1日は全員勤務。

「大隊長、復帰されて早々に留守をしまして、済みませんでした」

先任中隊長の真咲大尉が、騒ぐ後任大尉達を横目にそっと言う。 猪口に貴重品の清酒を注いでチビチビ飲んでいた周防少佐が、チラッと騒ぐ部下達を見て答える。

「なに、構わんよ。 どうせ年末年始は訓練も中休みだ、陸軍始(現・三軍始、1月12日。 軍の仕事始め)からは目一杯、汗をかかさせるさ」

昨年の12月20日に大隊長が交替して、その翌日から冬季休暇で大隊の半数が休みを取った。 そして明日から残りの半数が。 全員が揃うのは1月12日からだ。
大隊の今までの状況から見ても、一度リフレッシュさせた方が良い、そう判断していた。 休暇明けから即応部隊としての方針を定め、徹底的に訓練を開始する予定だ。

「だもんで、貴様も精々勘を取り戻しておけよ? 先任中隊長が後方ボケだと、目も当てられんからな」

「ご心配無く。 大隊長がお休みの間に、精々リハビリに励みますから」



昼食が終わると、後は1700時まで休業となる。 運の悪い警衛任務当番の者たち以外は、それぞれの場所でのんびりと過ごして良い事になっていた。
将校達は各々サロンで寛いだり、飲み助は更に酒保で燃料を調達したり。 新聞を読む者、読書する者、TVを見ている者、将棋や囲碁を始める者、思い思いに時間を過ごす。
やがて1700時、基地の1日が終わると営外居住者は自宅へ帰宅の途に付き、営内居住者で休暇の者は、早速荷造りを始める。 他の者も営内官舎で、のんびり過ごしていた。

―――2001年はこうして皆の想いを秘めながらも、穏やかに幕を開けた。









2001年1月9日 1500 帝都・東京 千住 周防家


通された部屋は和室だった。 何となく意外に思えた、この夫婦だったら洋間が似合いそうな気がすると、勝手に思っていた。 
部屋着姿の訪問相手が、赤ん坊を抱っこしながら障子を開けて入って来た。 一瞬、物凄く違和感を感じた事は、内緒にしておこうと思う。

「済みません、少佐。 急にお邪魔しまして・・・」

「いや、構わんよ。 元気にやっている様で良かった、経理隊は慣れたか? あ、こら祥愛、それは口に入れちゃ駄目だぞ?
済まん松任谷、ウチの子が服を・・・ あ、おーい、祥子ー! 直嗣がまた、後追いして泣きだしたぞー!」

「ごめんなさーい、今は手が離せないのー! あやしてあげてー!」

この人、家に帰ってもある意味戦争ね―――松任谷佳奈美中尉は、面前で繰り広げられる元上官の育児戦争の戦況が、甚だ不利に陥りつつある事を認め、援軍を決意した。

「―――祥愛ちゃん、お姉ちゃんと遊ぶ?」

お座りしている赤ん坊を抱き上げてやると、キャッキャと喜びながらじゃれついて来る、そんな仕草も可愛らしい。 元上官は、もう一人の赤ん坊をあやしている。
ふと想像してみた。 『あいつ』はこの人の身内、従弟だ。 もし、もしもそんな未来が有ったのならば・・・止めよう、私にそれを思い描く資格は無いのだから。

「ところで松任谷、君はご家族、今は何処に?」

むずがる長男を抱っこして、あやしながら聞いて来る元上官、時折子供の遊び相手になりながら。 こんな顔も持っていたんだ、そう思った。
記憶にあるのは、ちょっとシニカルな笑みと、怒鳴り声。 難しい表情で戦況を説明する顔に、どんな激戦でも『これしき』とばかり、ふてぶてしい笑みを浮かべる戦場での顔。
それがどうだ。 優しい夫の顔、頼もしい父親の顔―――ああ、ダメだ、ダメダメ! ちょっと似ているのよね、見た目が。 ここの従兄弟同士。

「あ、今は盛岡に。 母の実家がそっちでして。 父も、父方の親族も皆、死んでしまったので・・・一番下の弟と、祖父母と4人暮らしです」

「そうか・・・お父さんはお気の毒だった。 で、今日戻って来たのか?」

「はい。 下宿の小母さんへのお土産もありますし、それに美紀・・・渡会中尉が寂しいを連発するので・・・」

「はは、なんだ、渡会と共同で下宿を借りていたのか?」

松任谷中尉は99年8月の『明星作戦』で瀕死の重傷を負った。 両足切断、頭蓋骨骨折、折れた肋骨が数本、肺に刺さっていた。 
収容された時にその状況を確認した軍医は、『まず助かるまい』と判断したと言う。 5回に渡る大手術と疑似生体移植で、何とか退院出来た程だ。
4カ月に渡る入院と、2か月のリハビリの結果の衛士適合試験はやはり『不可』だった。 2000年4月、松任谷中尉は陸軍小平学校の経理教育部(8カ月教程)に入校した。
そして11月末に同教程を修了し、松戸基地の経理隊に主計将校として配属されてきた。 基地に於いて金銭の出納・給与計算に関することを司る『大蔵省』だ。
経理隊は規模が一番小さく、経理隊長の少佐と松任谷中尉以外は少尉が2人と、下士官が3名に兵が4名の、合計11名の小所帯だ。
そして基地経理隊に配属と同時に、旧知の同期生(軍学校と兵科は違う)の渡会美紀中尉と、2人同室で下宿を借りる事にした。 営外居住だ。

「はい、彼女もいい加減、営内居住を卒業しようと考えていたそうで。 タイミング的にはピッタリで」

赤ん坊が何か気になるのか、しきりに頬の辺りを小さな手で触っている―――あ、ピアスか。 私服外出の時には、時々つけるから。
可愛らしい手、もしかしたら私にもこんな未来が有ったのかな・・・? もし、あの時に、あの判断をしなければ、『あいつ』と・・・

「・・・で? 今日は何か言いに来たのだろう?」

いきなり、ズバリと言い当てられた。 少しドキリとする。 余り女性のそう言う機敏に敏いとは思っていなかった人なのにな。 奥さんとお子さんが出来たからかな・・・?
少し言い淀む。 本当は別にわざわざ良いに来る事も無かったんじゃないの? そうも思う。 でも話したかった―――いや、言いたかった。 どうして? 免罪符?

「はあ・・・あの、済みませんでした・・・」

「何が?」

「何がって・・・あの、知らせてないんですか、彼・・・? あの、直秋ですけれど・・・」

恐る恐る聞いてみる。 あ、そうか、普通は知らせないわよね、わざわざそんな事・・・だったら、何もお伺いしなくて良かったとか?

「直秋? アイツからは特に何も・・・ああ、そうだ、俺の昔の戦友が知らせてきた。 欧州国連軍に居る奴だが、そいつが言うには直秋の奴、『恋人に振られたそうだぜ?』だと」

「―――ッ!」

一瞬で頭の中が沸騰する。 恥ずかしさ、後悔、後ろめたさ、未練、そしてあの苦しさ。 色んな想いが一瞬で駆け廻り、かっと顔が熱くなった。
そんな松任谷中尉の様子を見ていた周防少佐が、子供をあやす手を止めて、苦笑ともつかない笑みを浮かべながら穏やかに言う。

「松任谷、別に君が謝る事は無いだろう? 良い年をした男女の事だ、当人同士がそれでケリを付けたのなら、何も言わないし詮索もしない。
それより他に、言いたい事が有るんじゃないのか? 直秋の事は考えなくて良い、向うには失恋男の1人や2人、どうとでもする海千山千の上官も居れば、俺の知り合いも居る。
俺にはそれよりも、君の方が危うく見える。 話して気が済むなら、話した方が良いぞ? 口外はしない、プライバシーだからな」

その時、周防少佐夫人の綾森少佐(現・周防祥子少佐)が部屋に戻って来て、静かに微笑みながら松任谷中尉の肩に手を置く。 愛娘を受け取り抱き上げ、あやしながら別室へ。
息子の方も連れて暫くして戻って来た、どうやら赤ん坊はお昼寝の時間の様だった。 夫の横に座り、静かに松任谷中尉を見つめる。 元上官だが、相変わらずの雰囲気の人だ。

「・・・怖くなったんです」

ポツリと呟いた松任谷中尉だが、それを聞いた周防少佐夫妻は何も言わない。 目で『それで?』と、問いかけている。

「軍病院に入院中に、ふと感じて・・・それで、怖くなったんです。 もし、彼がこんな事になったら、私は我慢できるかな? 耐えられるかな?って・・・」

怖くなった―――好きな人が戦傷を負う、或いは戦死するかもしれない、それが怖くなった。 自身の体験から想像してみて、どうしようもなく恐怖感を感じたと言う。
松任谷中尉自身、遼東半島と横浜と、2度も戦傷を負っている。 遼東半島の頃は訓練校出たての新米で、お互い同期生としてしか意識していなかった。
それがいつの間にか相手を意識するようになって、何となしに付き合い始めて。 お互いに好きだと気付いたのは何時頃だったろう?

「怖かったです、推進剤切れで東京湾に突っ込む時・・・無我夢中で機体を制御して、何とか海面に滑り込んで。 でも衝撃がもの凄くて、次の瞬間激痛に襲われて・・・
緊急射出装置が働かなかったら、そのまま海の底でした。 記憶も殆ど無くて、気がつけば野戦病院のベッドの上で・・・ゾッとしました、思い出して」

暫くの間、茫然自失の状態で、次に切断された自分の両足を認識するようになって、狂おしい程泣き出したくなった。
感情が高ぶれば負傷した肺に負担がかかって、激痛が走る。 軍病院のベッドで毛布を被って、声も無く泣いた。
その内に『彼』が見舞いに来た。 無理をしている、そう判る位に平静を装って。 部隊や戦局の事は敢えて何も言わず、退院したら何をしよう、等と明るく振舞って。
それは慰めにもなったが、ある日唐突に思い至った。 こうして重傷を負っているのは、もしかして自分では無くて『彼』かもしれない。 その可能性は常にある事を。

「じゅ、重傷なら・・・生きているなら、例えどうなっても私、支えるつもりでした・・・でも死んじゃうかも、そう思ったら、どうしようもなく怖くなって・・・」

そんな不安定な状態に追い打ちをかけたのが、昨年の初頭に決定された遣欧派遣旅団の事だった。 その編成内の戦術機甲大隊に、『彼』が選抜されたのだ。
退院してリハビリ中にその事を聞かされた時、目の前が真っ暗になった。 居なくなる、遠い所へ。 死んでしまうかもしれない、私の知らない場所で。

(『―――馬鹿! 直秋なんか、勝手にどっか行っちゃえ!』)

知らずに叫んでいた。 『彼』―――直秋は吃驚した後、バツが悪そうに、済まなさそうに『・・・ゴメン』と、ひと言言っただけだった。
それ以来会っていない。 リハビリが終わり、衛士適合試験に必死の2000年3月、遣欧旅団を満載した船団は出港し、太平洋を渡りパナマ運河を抜け、大西洋に旅立った。
そして適合試験の結果は案の定『不可』、別の兵科に進む道を考えねばならなくなった。 小平学校への受験を申請したのは、多分もう戦術機と直接関わりたく無かったからだろう。

「そんな時に、実家から見合い話が来たんです。 相手の方は軍人じゃ無くて、東北に移転した河西航空工業の技師の人で。 年は7つ上の人ですけど、穏やかで誠実そうで・・・」

母親も、娘が2度も戦場で負傷し、今回は生死の境を彷徨った程の重傷だったから、無理にでも退役を勧めたと言う。
それまで黙って聞いていた周防少佐が、少し頭を振って、松任谷中尉を静かに見ながら、話し始めた。

「確かに2度も戦傷を負えば、退役願も受理されるだろう。 特に君は大陸派遣からこの方、激戦場を渡り歩いた実績が有る。
そうしなかったのは退役しても予備役登録は当分あるから、予備役招集がかかれば今度は何処の部隊に配属されるか判らない、だからか?」

「はい・・・卑怯ですよね、そんな事・・・」

経理隊に所属する限り、まず前線に出る事は無い。 よしんば師団所属としても、師団経理隊だ、退却は早い。

「どうして、卑怯なの? どうして、そう思うの?」

「しょ、少佐・・・綾森少佐・・・」

優しく諭す様な笑みを浮かべて、かつての上官が問いかけて来る。 昔から綺麗で優しい人だったが、結婚して子供を産んで、包み込む優しさの様な雰囲気になった。

「直秋君も、直秋君ね。 こんな不安定な彼女を置いて・・・軍務は仕方が無いにせよ、他に相談も無しになんて」

「ああ、直秋め、そこは失敗だ。 『ゴメン』じゃないんだ、『ゴメン』じゃあ。 問答無用で抱きしめて、キスをして、『俺が戻るまで、女を磨いておけよ』くらい言わないと」

「こほん―――その手で、翠華にも手を出したのよね? 他の女性衛士にも?」

何やら雲行きがおかしい、どうやら周防少佐は自ら地雷を踏み抜いた様だ。 奥様―――綾森少佐の目が笑っていない。

「い、いや、翠華だけで・・・他は、そう! 他は『カウンセリング』だって! やましい事は何も無いぞ!? それより松任谷の話だろう!?」

慌てて戦線を離脱する元上官。 頬をぷくっと膨らませ、拗ねた表情のこれまた元上官。 結婚して母になっても、こんな可愛い女性って居るんだなと思う。

幸いにも小平学校の経理教育部は目の回る忙しさで、それまで縁の無かった簿記や経理・財務に頭を悩ます日々だった。 8カ月は長いようで短い、そしてやっぱり長かった。 
学校に慣れて来るとまた、あの不安や恐怖が蘇って来た。 学校でも各戦線の戦況を知らせる。 目が行くのは欧州戦線。 軍の官報で、戦死者名が巻末に載る。 
その紙面を恐る恐る、食い入る様に見ていた時は『同期生(階級はバラバラ)』から不思議がられたモノだ。 結局私の心の糸は、そこでぷっつりと切れてしまった。

2000年の夏、学校の短い夏季休暇の時に実家に戻り、お見合いをした。 相手はまあ、顔は普通の・・・オジさんだったけれど、朴訥な感じの、誠実そうな、優しそうな人だった。
しかも今や、戦術機開発・生産では海軍の受注を一手に引き受ける河西航空、愛知飛空の海軍系2大企業のひとつ、河西の機体設計技師。 少なくとも戦場で死ぬ人じゃない。
私はその人と、お付き合いを始めた。 直秋の時の様に、心躍るドキドキ感とは全く無縁だったけれど、ちょっと頼りなさげな所が有るけど、一緒に居て落ち着ける人だったのだ。
自分が敢えて主計将校に転科し(経理は主計将校になる)現役を続行した訳は、下の弟の大学受験の為だ。 上の弟はまだ陸士在学中で、母の女手一つ。 学費が必要なのだ。
それに身内に志願入隊者がいれば、その家からは徴兵される可能性が低くなる。 例え甲種合格でも、第3、第4選抜位まで後ろに回して貰えるからだ。

「・・・去年の秋、11月頃です。 私、直秋に手紙を出しました、『婚約しました、結婚します』って。 怒っても良い、詰ってもいいです、罵声を浴びせても構わない・・・」

両手で顔を覆い、涙声で松任谷中尉が言葉を吐き出していた。 綾森少佐がそっと立ち上がり、松任谷中尉の傍らに座って、そっと髪をなでて引き寄せる。

「お、怒って・・・欲しいっ、詰られても、うくっ、その方がっ・・・!」

「貴女がそう思う事は無いのよ、松任谷・・・ちょっとした、本当にちょっとしたボタンの掛け違えを、2人ともしちゃっただけなの。
ほら、こんなにも悩んで、苦しんで・・・泣いているのですもの。 貴女は悪くないのよ? 良い事? これはね、神様が貴女に『生きなさい』って仰ったのよ・・・」

「ふっく・・・ ん・・・しょ、少佐・・・?」

「こんなにも、直秋君の事を想って、案じて、考えて呉れていた貴女だもの。 悪くなんかないわ、私が言い切っちゃう。
だからね、松任谷。 これからは穏やかに、お相手の人と一緒に幸せに暮らすのよ。 それが生き残った貴女のすべき事なの」

「・・・直秋の奴も、君が無事に、平穏に暮らしていると聞けば、安心する。 男ってのは案外単純でね、振った、振られたより彼女が幸せだったら、それで良いか、ってな・・・」

周防少佐が、少し気恥ずかしそうに言う。 チラチラと妻の方を伺いながらと言うのが、ちょっと情けなかったが。
その頃には松任谷中尉の涙は、決壊した様に止まらなくなっていた。 何が悲しくて泣いているのか、自分でも判らない。 或いはホッとしたからか? 嬉しかったからか?
綾森少佐が宥めながら、元部下に微笑んでいる。 周防少佐は湯飲み茶碗から緑茶(合成茶だろう)を飲みながら、冬の午後の陽ざしを眺めていた。





松任谷中尉が帰った後、周防少佐は自宅の縁側で独り、硝子戸の向うの庭をぼーっと眺めていた。 猫の額ほどの小さな家の庭だが、これが気に入ってこの家を借り上げたのだ。
真冬の1月、小さな庭の草木は全て、葉花を落としている。 冬の日差しがガラス越しに差し込んでいた。 座布団を敷き、親爺臭くお茶など啜っている。
やがて夫人の綾森少佐が、頂き物のお茶菓子とお代りのお茶を持って来て、横に座る。 暫くお互い無言でお茶を飲み、お茶菓子を食べていた。

「―――黄精飴、って言うのか。 初めて食べた、盛岡の銘菓かな?」

「説明書には、そう書いてあるわ。 ・・・『滋養強壮などに効果がある』ですって。 あの娘、別に何も考えていなかったのでしょうけど、ねぇ・・・」

妻の微妙なニュアンスに、周防少佐も苦笑する。 流石に早々、3人目とは行かないし、そんな不利な家庭内戦況は作りたくない。

「・・・上手くいかんもんだなぁ・・・」

そう、ポツリと呟く夫を見て、綾森少佐も『そうね・・・』とだけ呟く。 先程、話に上がった周防直秋中尉は夫の従弟で、結婚後は彼女自身も弟の様に接して来た。
松任谷佳奈美中尉は夫の元部下。 後に一時、自分の部下だった時期も有った(直ぐに転属になったが) 上手く言ってくれれば、そう思っていた。

「・・・でも、彼女の気持ちも判らないでもないわ、私。 だって、物凄く不安よ。 私だって、あなたが向うに居る間、何度心が折れそうな気持になった事か・・・」

「初耳だな、それ・・・何? 浮気しようと思った?」

「・・・あなたが、そのセリフを言うの? 翠華と宜しくしていた癖に・・・」

キッと夫を睨みつけ、わざとらしく溜息をつきながら、聞こえる様に口にして言う綾森少佐。

「ああ、直嗣。 あなたはパパみたく、不実な大人に育たないでね・・・?」

その声を耳にしながら、ちょっとだけバツが悪そうに半ば妻に背を向け、更に小声でそっと呟く周防少佐。

「・・・祥愛、お前はママみたく、段々気が強くなるんじゃなくて、素直な可愛い娘に育ってくれな・・・?」

結局、当人たちの事は当人達でしか、決着を付ける事が出来ない。 周りはちょっと背中を押してやるか、ちょっと支えになってやるか。 基本、見守るしかないのだ。

「本当に・・・上手くいかないものね・・・」

「うん・・・」











2001年1月28日 1945 日本帝国 千葉県松戸 帝国陸軍松戸基地 第15旅団 第1戦術機甲大隊 大隊長執務室


大隊長執務室のドアをノックする音がした。 

「―――どうぞ」

周防少佐は目を通していた決裁書類から目を離さず、そのまま答えた。 ドアが開き、大隊副官(大隊要務士兼務)の来生しのぶ中尉が顔を出す。

「失礼します、大隊長。 2大隊長(第2戦術機甲大隊長)と機甲大隊長(旅団機甲大隊長)がお見えです」

「―――入って貰ってくれ」

「はい」

一端書類から目を離し、椅子の背もたれに大きく体を預ける。 片手で目の付け根を揉む、午後からずっと書類と格闘しているせいで、目も疲れていた。
何しろ大隊長にもなると、その仕事は多岐にわたる。 部隊運用だけでも大隊諸委員会の主催(予算、人事、情報、訓練、その他)、訓練の査察に各隊長(中隊長)との会議。
上級司令部での諸会議に、研究会や各委員会への出席。 軍管区司令部主催の各会議への出席もある。 更には協力団体との会議出席も、持ち回りで回って来る。
これは在郷軍人会との防衛体制協力会議、地方自治体との連絡会議、内務省系機関(警察・消防等)との協力調整会議など、それぞれに委員として割り当てられ、出席する。
当然ながら書類仕事の量は中隊長時代の比では無い、まさに『殺人的』だ。 大隊長1人で処理は出来る筈もなく、大隊幕僚や副官が分担するが、決済権は大隊長にしかない。
お陰で今日は昼からずっと、溜まった書類の決裁にかかりっきりになった、いい加減に頭が痛い。 システム化すれば良いのだが、そこは軍もお役所、判子と縁が切れない。

やがて来生中尉の後ろから、2人の同僚大隊長達が部屋に入って来た。 まるで勝手知ったる何とやらで、執務室のソファに勝手に座り込む。

「来生、済まんがコーヒー。 まだ残っていたよな?―――こいつらには、水でも出しておけ・・・」

「は、はあ・・・」

「おい、エライ差じゃないか。 来生、俺にもコーヒーを一杯」

「たんまり買い込んでいただろう? お裾分けしてくれよ。 来生中尉、3人分な」

上官と2人の少佐の間に挟まって、来生中尉も困惑の表情だ。 母方からロシア系の血を引くクォーターである来生中尉は、その血が結構強く出ている。
彫の深い端正な顔を困惑も露わにして、上官にお伺いを立てる様な表情は、元々の美貌も相まって、けしからん他部隊の2人の少佐に『眼福だな』と思わせた。

「・・・来生、コーヒーを4人分」

ようやく周防少佐が折れた。

「はい、判りました。 ・・・は? 4人分? あの、大隊長、3人分では・・・?」

「お前の分もだ―――美味いヤツを淹れてくれ。 こいつらには、出涸らしで良いから」

「―――はい!」

嬉しさを隠しきれなかった来生中尉が、執務室に隣接する大隊事務室の副官机、その後ろにある簡易給湯場に下がる。 その姿を見ながら、周防少佐もソファに座りこんだ。
周防少佐は昨年11月半ばまで米国勤務だった。 そして帰国の際に帝国国内では今や高嶺の花の貴重品である嗜好品を、幾つか買い込んでいた。 コーヒーもその一つだ。
勿論個人用だが、来客や部下との打ち合わせや会議の時などには、人数分の香ばしい香りが漂う事になる。 こうやってお相伴に与れるのも、副官の役得のひとつだ。

「煙草・・・あ、くそ、切らしてた。 1本くれ」

「ほいよ」

3人揃って煙草を取り出し、火を付ける。 家では家内禁煙を言い渡されている肩身の狭い旦那達であっても、軍と言うストレスの大きい職場では、禁煙などどこ吹く風だ。

「・・・ったく。 長門少佐、アンタには土産でたんまり渡しただろうが。 篠原少佐、俺以上に買い込んだだろう、アンタは」

プライベートや2人だけの時は、お互いに名前で呼び合う古くからの親友同士であっても、軍内の職場ではそれなりの呼びかけをする。
同期生で、親友で、家もお隣さんの長門少佐には帰国後、結構な量のコーヒー豆をお土産に渡している。 これは長門少佐の夫人もまた、同期生で親友だからだが。
そして篠原少佐は周防少佐と同様、昨年11月まで米国で勤務していた同僚だった。 こちらは周防少佐以上に、あれこれと買いこんでいた筈なのだ。

「しょっちゅう我が家に、飲みに来るのは誰だ? 周防少佐よ? 嫁さんが紅茶党だからって、ウチに集りに来るな。 頂き物でも、ウチのコーヒーだ」

「俺はアンタ程、量は買い込んじゃいないよ。 何せ、土産物の種類が多かったからな」

3人の少佐の不毛な会話を中断させたのは、トレイにコーヒーカップを乗せて運んできた来生中尉だった。 香ばしい香りが漂う。
カップをそれぞれの前に置くと、一礼して執務室を出る。 その後ろ姿を眺めながら、長門少佐と篠原少佐が周防少佐に向き直り言った。

「・・・ったく、綺麗ドコロばかり集めやがって、この助平が」

「まったくだ。 ウチなんか戦車乗りばかりで、周りは空気を読まない野郎ばかりだって言うのに。 なんなのだ、この差は? ええ、周防さんよ?」

大隊長と普段よく接触するのは、まず大隊副官。 そして大隊幕僚(第1~第4係主任)の大尉達。 そして3人の中隊長と、大隊指揮小隊の面子だ。
この内の大隊副官の来生しのぶ中尉は、日本人離れした美人だし、大隊指揮小隊長の遠野万里子中尉は、これまた日本人形の様な和風美人で旅団内でも有名だった。
2人とも大隊はおろか、旅団の独身男どもの人気を集めている。 そして大隊指揮小隊の小隊員、北里彩弓中尉と萱場爽子少尉も、なかなかの美人だ。
大隊幕僚の第2係主任(情報・保全)・向井奈緒子大尉は、知的な眼鏡美女である―――確かに『第1戦術機甲大隊長は、助平』と、同僚がやっかんでも仕方の無い面子ではある。

「・・・俺が集めたんじゃない、人事局が発令した人事だ。 編成や配置は、部隊のバランスを考慮したらこうなった。
篠原さん、戦車乗りになった時点で諦めろ。 長門少佐、おたくには椎名(椎名香津美中尉、大隊副官)や高遠(高遠小夜子少尉、指揮小隊)が居るだろうが」

椎名中尉、高遠少尉も、旅団では人気上位の女性将校だった。

「・・・結局あれか、『機甲と工兵は、女気無し』ってやつか・・・」

篠原少佐が落胆するように溜息をついた。 実際、女性の進出が目覚ましい帝国軍でも、陸軍の機甲科と戦闘工兵科には、女性将兵が存在しない。
戦闘艦艇への女性将兵乗組が進む海軍では、この様な部署は無い。 航空宇宙軍でさえ、軌道降下兵団にも女性衛士が居る位だ、篠原少佐の嘆きは日本海溝よりも深い。
そんな篠原少佐を眺め、少しの憐れみと多くの苦笑を浮かべながら、周防少佐も長門少佐も、カップを取りコーヒーを飲む。 代用では無い、天然物だけが持つ美味さ。

「正直言うと、あれだ。 来生は引っこ抜いた。 事故で衛士資格を失って、情報学校(陸軍小平学校・情報教育部)の短期に行ったと聞いたんでな」

「ああ、あれか。 そっちの先代がやらかした、無茶な夜間訓練事故か。 椎名が随分と心配していたぞ、荒れていると。 来生とは同期だからな」

昨年、周防少佐がまだ大尉で独立第101戦術機甲大隊長から、米国勤務に転じた直後の6月中頃、大隊は24時間以上の連続戦闘訓練を行った。
新任大隊長の方針だったのだが、部下達の疲労度を無視した傾向の強い訓練時間の長さと内容に、各中隊長や指揮小隊の遠野中尉も、再考を意見具申したと言う。
だが参謀勤務から部隊長勤務に、転じたばかりの大隊長はこれを却下。 訓練の継続を命じた。 結果、新米衛士の1人が登場する戦術機に、異常が生じた。
その衛士が疲労困憊だった上に、夜間の上昇跳躍後にNOEに入ろうとした際、よりによってバーティゴ(空間識失調)に陥ったのだ。
経験の浅さ故に墜落に対する恐怖心が、精神的動揺を更に増幅した。 演習地を大きく外れ、そのまま真っすぐ村落の有る方向へ暖降下で突進した。

隣接域で機動を行っていた指揮小隊の3機が急行し(大隊長はその時、機に搭乗していなかった)、かろうじて来生中尉機が異常機を確保するも、既に高度は無かった。
全力で逆噴射パドルを吹かして速度を殺したが、2機の戦術機が持つ質量とそれまでの速度が合わさったエネルギーを相殺する事は出来なかった。 2機は地表に滑り込んだ。
数百メートル程、絡まったまま地面を抉り、ようやく2機の戦術機は停止した。 しかし来生中尉と異常機の新米衛士は重傷を負い、即座に軍病院に搬送されたのだ。

―――結果は、2人とも衛士資格を失う事となった。

「おたくの先代さんは、よっぽどコネが有ったのかね。 訓告だけで、それ以外の処分は無かった。 直属上官だった中隊長の最上は、監察官に結構絞られていたよ。
その辺りからさ、最上と八神が大隊長としっくり行かなくなったのは、真咲が間に入って苦労していた。 正直言うと、大隊指揮も下手糞だったな」

当時、僚隊の指揮官だった長門少佐が、辛辣に評価をする。 それを聞きながら周防少佐は、天井を見上げながら溜息のように言った。

「・・・来生は兄を大陸で喪っている、93年の『九-六作戦』で戦死したそうだ。 17期のB卒だった人らしい、生きていれば今頃は少佐辺りか。
仲が良かったらしくてな、彼女が衛士訓練校に入校したのも、その戦死した兄の影響が大きいのじゃないかな。 それが、あの事故だ。
帰国直後に話を聞いて、小平に行った、まるで別人の様に生気が無かった。 心配になってな、人事に掛け合って引き抜いた。 本当は第1師団の予定だったらしい」

「花の頭号師団が、ヤクザな即応旅団へ変更か? 周防さん、酷い奴だな、アンタも」

「でもな、結構元気にやっている様に見えるぜ? あれか? 嫌な上官が居なくなって、古巣に戻れたってのが、大きいのかね?」

「専門家じゃないから、知らん。 だけど大隊の連中は、嬉しそうだった。 来生もやっと笑いが戻って来たな」

昨年末に小平学校を修了し、今年の陸軍始(1月12日)に赴任した来生中尉も、2週間たった現在ようやく昔の雰囲気に戻りかけていた。

「―――で? 俺の所の『綺麗ドコロ』を、わざわざ拝みに来た訳じゃないだろう? 特に篠原さん、アンタはわざわざ柏から」

第15旅団は司令部を千葉県松戸基地に置くが、指揮下部隊でここを駐屯地としているのは第1、第2戦術機甲大隊の他は、機動歩兵大隊と支援大隊、旅団通信中隊だけだ。
機甲大隊は千葉県柏に、機械化歩兵装甲大隊と戦闘工兵中隊は埼玉県越谷に、自走砲大隊と自走高射砲大隊は茨城県龍ヶ崎に駐屯している。
無論のこと、大隊長ともなれば部隊の運用・指揮だけではなく、旅団の様々な会議や検討会、軍管区司令部主催の研究会などに出席せねばならない。
だが今日はそんな予定は無かった筈だ、たまたま何かの所用で旅団本部にやって来たという事は、十分考えられるが。

「いや何、今日は朝から所用で帝都まで行っててな、その帰りに立ち寄ったのさ。 実は帝都でな、難民支援団体やらキリスト教団体やらの抗議デモが有った。
多分、無届デモだろう。 その内に野党支持団体なんかも加わってな、結構な数になった―――国家憲兵隊が出張って来て、鎮圧しちまった」

篠原少佐が目撃した情景を、苦々しい口調で知らせる。 長引く難民生活、窮乏する生活物資、BETAの恐怖。 国民のストレスは今や、爆発寸前だ。
政府はそれを傍目には、強圧的な手法で抑え込んでいる。 そして国内は引き続き全面戒厳令と国家総動員令を継続施行し、国外はアジア・欧州との関係を強めていた。
そこへ来ての、昨年10月末に締結された日米間のひとつの条約。 日米再安保の布石と言われる条約が締結されて以降、それまで燻っていた反米感情が大いに表面化した。
特に右派・左派のメディアが煽り立てている。 これに中道派のメディアが批判を加え、近頃は罵倒合戦じみて来ていた―――中道派メディアは『政府御用達』と言われて久しい。

「政府の強硬態度は、今に始まった訳じゃないが。 98年のBETA上陸以来、国家統制を強化しない事には、どうしようも無くなっているし」

「少なくとも、BETAを佐渡島から駆逐するまでは続くだろう。 政府としてはできるなら、半島奪回まで継続したい所だろうな。 当然、軍上層部もな」

周防少佐が溜息交じりに言う事に、長門少佐も同意する。 実際の所、野党勢力が叫ぶような手厚い難民政策は、事実上不可能になっている。
国内に未だハイヴを抱え、首都さえもその侵攻の危機に面しているのが今の日本だ。 第1に為すべき事は、佐渡島の奪回。 それ以外に優先すべき何事も無い。
政府はその基本方針に則り、アジア周辺諸国との関係向上に努め、膨大な資源の宝庫であるアフリカ大陸への影響力を得る為に、その背後の欧州諸国との関係向上に努めた。
その結果として得たあらゆるリソースを、国防力の向上に費やしてきた。 全ては国家の第1目的『日本帝国の存続』の為に。 米国との条約締結も、その手段のひとつだった。

「・・・この間な、知り合いの斯衛将校と会った時に聞いたんだがな。 斯衛軍内部では『政府は目的と手段を違えている』と言う意見が、支配的だそうだ」

「馬鹿を言うなよ。 あれだろう? 『政府は民の惨状を案ずる殿下の意向を無視して、あまつさえ蔑ろにしている君側の奸で有る』って、あれだろう?
それこそ逆じゃないか、国家の大戦略を達成する事が目的であって、それを達成する為の国家運営方法として内閣が実権を握るか、将軍の権力範囲を拡大するかだ。
奴らの言っている事は、全くの感情論だ。 斯衛は将軍家や五摂家警護が任務だからな、感情的に『主君』が蔑にされているって、そう感じているだけだろ?」

周防少佐の言葉に、長門少佐が馬鹿にしたような表情で答える。 この2人は国連派将校と目されるが、反面で時折、統制派を一部分だけだが肯定する言動も見せる。
そんな2人の同僚を眺めながら、黙々とコーヒーを味わっていた篠原少佐が、訳知り顔で話し始める。 ちょっとした旧悪も含めながら。

「まあ、斯衛軍はそもそも昔に五摂家が持っていた『藩庁』が、今になって復活した城内省の組織だからな。 赤だの山吹だのと言っても、結局は昔からの家臣団さ。
それにほら、昨今またまた台頭して来始めた『新国家改造論』、あれの根っこは将軍に寄る親政と、昔の『賢人政治』の抱き合わせさ。 昔の国体論学説の焼き直しだ。
その国体論学説の流れの学者先生が、一時期士官学校でよく講演をしていた時期が有ったな。 俺も在校中に、何度か聞いた事が有るよ。 その学者先生も武家の出なのさ。
でもなんだ、言っている事が時代錯誤って言うかな? そんな気がして対して熱心に聞いちゃいなかった。 最後の方はこっそり、居眠りしていたよ」

今更ながら、将軍家に国政の実権が戻るとは考えられない。 日本帝国は憲法を有し、象徴とは言え皇帝を国家元首に頂く、議会が選出した政府が国政を担う立憲君主国家だ。
19世紀中頃に発生した、『上からの革命』によって政治形態が変わったその初期は、近代国家としての揺籃期には『国事全権代行』と言う形は、確かに有効だったかもしれない。
しかし、以来1世紀半が経ち、近代国家として成長し続け、『国民意識』も形成されて民意も十分以上に育ち、政党政治が定着して既に1世紀近く経つ。

「この国に必要なのは、衆愚政治であっても政党議会民主制か。 それとも歴史上殆ど例を見ない、聡明な独裁者による独裁制か。 将軍政治は、ある種の独裁制だ。
笑えるな、事実はそのどちらでもない。 この国を動かしているのは中央省庁の上級官僚と、軍部主流派の連合、『統制派』だ。 それと、それに繋がる財界だよ、昔から」

趣味は歴史学、と言う長門少佐は、五摂家体制には結構辛辣な評価を下している。 昔は周防少佐の拙い摂家批判を笑って聞いていたが、昨今は彼の方が辛辣になっていた。
周防少佐は昔の自分と、親友の言葉と両方に苦笑しつつ、思う事を話す。 彼は現政権の支持者と言う訳では必ずしもないが、首相の方針の一部は支持していた。

「首相はこの国の産官軍複合体、その調整者の役割を演じつつ、行政府の船頭として船を進ませる為に、多少の無理をやらなきゃならん。 別に全面支持じゃ無いけどな。
このご時世だ、そりゃBETAの本土上陸以前の様には行かない。 国家統制が強くなるのも、ある意味致し方ない。 だがここで急に国の頭が代われば、大混乱どころじゃない」

頷く長門少佐と篠原少佐だが、ふと何か思い出す様な素振りを見せた後、篠原少佐がちょっと自信無さ気に話し始めた。

「そう言えば、プラトンだったか? 民主政は衆愚政治に陥る可能性があるって事で、哲人政治の妥当性を主張した、大昔のおっさんは。
英国の葉巻の宰相も言ってたよな、『民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが』ってな」

「お? 意外に博識だね、篠原さん?」

「長門さんよ、意外は余計だって。 陸士時代、色々と読み耽った事が有ってな。 お陰で正規科目の成績は急降下、区隊長(指導教官)から大目玉貰ったぜ」

結論の出る話では無い。 彼等は一介の職業軍人であり、その職務は皇帝と国民と国家の守護、その為の武力の行使が与えられた役目だ。
結局は、この手の政治的言動を部下達にさせない事、指揮官が率先してその手の話題に加わらず、任務に精勤する事。 部隊内での思想的集会は禁止する事。

―――それを確認して、その場は別れた。









2001年1月30日 1835 帝都東部・某所


「・・・捕まった連中の補充は?」

「既に包括した。 この国の人間は、驚くほど素直でやり易い」

「千年以上見てきた隣の民族としては、お人好し過ぎて不思議だ。 時に信じられんほど、強固な集団意識を発揮する」

「そこを上手く利用する。 RLF極東地区の新指導者『カオ(高)』の、お手並み拝見だ」

「前任の『老海(ライハイ)』は理想主義過ぎた、だからこの国の秘密警察―――国家憲兵隊に消される羽目になった。 私は彼じゃ無い、リアリストさ。
それよりもそっちこそ、抜かりは無いな? この国の上流社会は、プロテスタントは大嫌いだが、カトリックは大好きと言う変な連中だ。
上流社会工作は、ヴァチカン派遣の教区司祭の衣を被った『恭順派の神父レーオ』、君の役割だぞ。 片手落ちでは『依頼』は達成できない」

「心配は無用だ、雇用主との契約分は、しっかり成果を出すのが信条でな。 IGF(帝国国家憲兵隊=Imperial Gendarmerie Force)とは?」

「昔の伝手で接触した。 こちらの意図も伝えた、向うも了解している」

「流石は、元中共の国家安全部。 この国の国家憲兵隊とは、『お友達』だからなぁ」

「この国を動かしている連中も、密かに望んでいる事さ。 だけど直接手を下せない。 なら代行でその『状況』を作ってやろうって訳だ」

「なんだ? クライアントには連中も、一枚噛んでいるのか?」

「わざとらしいぞ、元KGBの裏切り者にして、ヴァチカンのインクィジター(異端審問官)、実は教区司祭の仮面を被った恭順派の神父。 君もプロなら、察するだろう?」

「そして、無言たれ。 お互い、組織に切り捨てられた野良犬だが、処世術だけは沁みついているな―――さて、行くか。 今夜はミサを開くのだよ」

「いいね。 こちらは難民キャンプに『善意の』無償配給だ。 この間、そちらから都合を付けて貰った『将軍下賜品』の菓子があっただろう?
あれを付けてな。 『慈悲深い将軍殿下』、その手助けさ。 その後で国粋派将校への『陳情』だと。 笑えるよ」

「俺には、その工作を知ってなお眺めている、あの『魔王』の方が怖いぜ」

「国家憲兵隊の右近充中将か? 統制派だと思うが、いまいち、はっきりしないな。 城内省の神楽官房長官と、密かに接触したとの噂も有る」

「ま、下手に手を突っ込まない事だ。 この国の権力闘争に巻き込まれて依頼失敗では、この世界の信用を失う」

「言う通りだ。 では、次は2週間後に。 場所は追って」

「了解した」






[20952] 伏流 帝国編 2話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2012/03/17 00:19
2001年2月10日 1400 日本帝国 北陸・信越軍管区 第1次防衛ライン 新潟県旧長岡市付近 第15旅団戦区


曇天に小雪が舞い散る天候、海も荒れ始めていた。 積雪は山間部で350cmを越した、平野部でさえ100cmに達しようとしている。
軍事行動が極めて制約される日本海側の湿った積雪の中、師団規模以上の部隊が展開を続けていた。 数日前から警戒レベルの上がっていたBETA上陸、その実現によって。

『BETA群、約4000が上陸。 佐渡島の飽和個体B群、旅団規模です。 上陸地点は越前浜、内野浜、小針浜の3箇所。
第1派は突撃級、約300。 後続に要撃級、戦車級他の小型種多数。 光線属種は未だ確認出来ず』

『第8軍団第23師団、交戦を開始しました。 第28師団砲兵連隊と軍団砲兵群、阿賀野川防衛ライン後方より面制圧砲撃開始。 第28師団主力、阿賀野川を渡河』

『軍団予備の第58師団、長野・新潟県境に展開完了しました』

『海軍第2艦隊より入電、『我、コレヨリ艦砲射撃ヲ開始ス』―――第2戦隊戦艦『駿河』、『遠江』、第5戦隊戦艦『出雲』、『加賀』の4隻、越前浜・内野浜への艦砲射撃開始!
第6戦隊戦艦『三河』、『伊豆』の2隻、佐渡島・松ヶ崎への艦砲射撃を開始しました! 巡洋艦群、駆逐艦群、SLM-2(90式艦対地ミサイル)発射開始しました!』

『第8軍団司令部、第28師団に側面強襲攻撃を下命。 第28師団第281戦術機甲連隊、BETA群北方側面に突入開始』


管制ユニット内で各種情報を呼び出し、戦況を確認する。 通信回線からは今の所、作戦が順調抜推移している事を示す会話しか流れてこない。
アクセス権限が飛躍的に上昇した現在、得られる情報は局所戦術情報のみでなく、旅団本部とのダイレクト通信の他にも、協同する第8軍団司令部の情報も一部確認出来た。
上陸したBETA群は、10日程前から上陸の可能性が指摘されていた佐渡島のA群、B群の内のB群・約4000。 これに対しA群の約4000は未だ、佐渡島南東海岸に留まっている。
第8軍団司令部は上陸したB群の殲滅を第1目標とし、佐渡島のA群に対しては大湊から出撃して来た海軍第2艦隊の戦艦2隻での、艦砲射撃による減滅を依頼していた。

距離が有る為に目視は出来ないが、UAVから送られてくる映像情報は確認する事が出来る。 上陸したばかりの突撃級BETAの頭上から、戦艦の大口径砲弾が降り注ぐ。
出雲級の460mm、駿河級・加賀級の406mm砲弾はいずれも陸軍の火砲には無い、特大の巨砲だ。 その砲弾重量と落下速度とで、一撃で突撃級の装甲殻を粉砕する威力が有る。
各砲塔毎の交互射撃だ。 出雲級戦艦は3連装4基12門、駿河級と加賀級は3連装3基9門(改修後) 10秒おきに460mmと406mmの巨弾が着弾する。
中には『九四式通常弾』も混じっている様だった。 空中で特大の花火が咲き、瞬く間に地表が業火に包まれる。 996個の焼夷・非焼夷弾子を内蔵したクラスター砲弾。

『旅団本部より各部隊。 上陸したBETA群はその数を急速に減じつつあり。 なお、当初計画に変更無し、各部隊は所定区域の警戒を厳にせよ、オーヴァー』

応答も、確認の余地も与えずに通信を切った旅団本部に対して苦笑を禁じ得ない。 どうやら旅団長も『あの程度』の上陸個体群の迎撃に、わざわざ駆り出されたのが不満なのか。
しかし、それでは困る事も確かだ。 何せ今回の『出張』では、あれこれと試したい(と、軍が考えている)モノが多いからだ。 このままでは折角の『モルモット』が無くなる。

『―――『ヨッヘン・ワン』より、『ゲイヴォルグ・ワン』へ。 こりゃ、次の機会かな?』

突然通信回線―――上級指揮官用秘匿回線で、わざわざ協同予定の機甲部隊指揮官から通信が入った。 そのボヤキに似た声に少し呆れる。

『―――『ゲイヴォルグ・ワン』より、『ヨッヘン・ワン』 開店休業なら、それに越した事は無いと思うがね。 好んで奴らと遊ぶ事も無いだろう?』

『―――違いないな。 っと!?』

急に網膜スクリーンの戦術情報エリアに、警戒情報が入って来た。 主に各部隊指揮官―――大隊長級指揮官への事前戦術情報だ。

『ちっ! たまには素直に殺られろってんだ、性懲りも無く・・・!』

『柏崎市か、場所的には理想的だな。 第8軍団を背後からレーザー照射できる』

『が、こちらも当然警戒している訳でな。 連中の時間差・分散上陸のパターンは解析済みだって―――151機甲大隊全車、対BETA戦! 音源評定、急げ!』

『第1戦術機甲大隊全機、戦闘出力! 第1、第2中隊、鳶ケ峰から高河内山に予定通り布陣せよ。 第3中隊、南西尾根向うの鯨波へ。 良いと言うまで隠れていろ』

同時に旅団司令部より、戦術作戦回線経由で各部隊へ迎撃態勢指示が出された。 第2戦術機甲大隊と機械化歩兵装甲大隊は、北面の突破阻止戦闘。
自走砲大隊は旧柏崎黒姫CC跡地より、面制圧射撃開始。 自走高射砲大隊と機動歩兵大隊は363号線と262号線の封鎖、及び小型種に対する掃射攻撃。

『で、こっちは稜線からトップアタックか。 頼むぜ、接近されたら最後、こっちはひとたまりも無いからな』

『了解。 支援砲撃宜しく―――来るぞ!』

日本海に面した海岸線、その波打ち際が急に盛り上がったと思うと、次の瞬間には醜い姿の異形の化け物―――BETAが姿を表した。
同時に後方から砲撃音。 自走砲大隊が面制圧砲撃を開始したのだ。 同時に海上から第2艦隊の一部、大型巡洋艦『鈴谷』、『熊野』が長砲身30.5cm砲で、支援砲撃を開始した。
駆逐艦も何隻かが対地ミサイルを発射していた、SLM-2が何10発と降り注ぐ。 海岸線は経験の浅い衛士には陸海両方の面制圧砲撃によって焼き尽くされ、破壊しつくされた様に見える。 
だがそれが幻想だと知るベテランにとっては、景気づけの花火のようなものだ。

『来たぜ―――『ゲイヴォルグ・ワン』、周防さん、手筈通り頼む。 こっちは大物喰いに徹する』

『了解した、『ヨッヘン・ワン』 篠原さん、戦車級は絶対に接近させない。 突撃級と要撃級は、任意に逸らして良いな?』

『ああ、それで良い』

それだけの通信の後、周防少佐の率いる第1戦術機甲大隊『ゲイヴォルグ』の94式『不知火』、40機が一斉に跳躍ユニットを吹かせ、吹雪いてきた前線へと躍り出た。
その姿を見送りながら、篠原少佐率いる48両の装甲車両―――46両の90式戦車、2両の87式偵察警戒車がその砲口を海岸線に向け、待機に入った。

≪CP、ゲイヴォルグ・マムよりゲイヴォルグ・ワン。 少佐、柏崎に上陸したBETAは重光線級5体と光線級15体を含む模様。
その他、要撃級・戦車級など混在の合計約700体です。 対レーザー照射警戒戦闘発令・・・迎撃レーザー照射、来ます!≫

大隊CP・長瀬大尉の警告と同時に、海岸線付近から数本のレーザー照射が曇天に向け放たれた。 太いレーザー光が2本、比較的細いレーザー光は9本。 それ以外は無かった。

『・・・ゲイヴォルグ・ワンだ、迎撃レーザー照射を確認した。 重光線級2体、光線級9体だ。 残りは艦砲射撃に潰された様だな。
よし、『フリッカ(第1中隊)』と『ドラゴン(第2中隊)』は、2大隊(第2戦術機甲大隊)の動きに合わせてBETA共をケツから叩け。 『ハリーホーク(第3中隊)』はそのまま』

光線属種の斬数を確認した大隊長・周防少佐から、大隊各中隊に命令が飛ぶ。 2個中隊で戦線を形成、1個中隊は予備戦力だろうか?

『フリッカ・リーダー、了解。 リーダーより『フリッカ』全機へ! 鵜川沿いに押し上げる! 河口付近までは行くな! 突撃級の相手はするな、戦車級を狙え!』

『ドラゴン・リーダー、ラジャ。 ドラゴン全機、戦車級は『フリッカ』が始末する、こっちのメインディッシュは要撃級と他の小型種だ。
それと突撃級は10体程後ろに逸らせろ、全部喰うなよ? 要撃級も同数だ・・・残りは好き嫌いせず、全部喰っちまえ! 行くぞ!』

2個中隊・24機の『不知火』が、数百体のBETA群の背後に襲い掛かる。 既に北方の全面から第2戦術機甲大隊、40機の『不知火』が交戦状態に入っていた。
同時に兵士級、闘士級と言った小型種BETAを、機械化歩兵装甲部隊が相手取っている。 但しそれまでの面制圧砲撃で半分以下に減じているBETA群は、格好の『カモ』だ。
突撃級BETAの突進を交し、そのまま中隊全機でBETA群の中に躍り込む。 目標は戦車級BETA、ただし100体も居ない。 12機の『不知火』が36mm砲弾の斉射で葬って行く。

『いいかっ! 大型には目をくれるな! 戦車級だ、連中を殲滅しろ! ただし不用意に接近するな、集られたら慌てずにエレメント僚機の支援を受けろ、いいな!』

第1中隊長の真咲櫻大尉が叫ぶ。 如何に数が少ないとはいえ、戦車級BETAは集られるとやはり怖い相手に変わりは無いからだ。
後方と海上からは相変わらず上陸地点に対して、面制圧砲撃が続けられている。 BETAの総数は既に500体前後まで減っている、殲滅は難しくない。
第1中隊『フリッカ』が陽動を仕掛け、BETA群の一部を分離させる事に成功した。 200体程のBETA群が方向を転じ、南西方面へ突進を開始し始めた。
第1中隊が戦車級BETAを選別して相手取っている間に、突進を続けるBETA群に今度は第2中隊『ドラゴン』が側面から襲い掛かった。 こちらの相手は主に要撃級BETA。

『・・・よぉーし、新しいオモチャを試すか。 砲撃支援、2機とも準備は良いか?』

『ドラゴン07、A-OK』

『ドラゴン09、準備よし』

第2中隊長・最上英二大尉の声に、砲撃支援を担当する2機の衛士達が落ち着いた声で返答を帰す。 砲撃支援機と言えば、ピンポイント狙撃で全体の穴をカバーする役目だ。
それなりに広い視野とバランス感覚、戦場を見渡せるセンスと落ち着きが必要とされる。 指揮官向きの資質かもしれない、彼等が落ちついているのは元々の資質故か。
そして第2中隊の砲撃支援機には、帝国陸軍が装備していない火器を装備する姿が見えた。 長い銃身、2脚架、欧州の戦場では良く見られる火器だ。

『じゃ、まずは小手調べだ。 遠慮なしでぶっ放せ!』

重低音と共に比較的遅い発射速度で、中口径の57mm砲弾が高速で発射される。 1秒間に2発の割合で発射される57mm砲弾は、確実に要撃級BETAの側面を貫いていた。
側面からの攻撃を察知したBETA群が方向を転じるよりも早く、第2中隊主力がBETA群に殴りかかった。 同時に方向を転じて、南西方向へと誘導する様な戦闘機動を見せる。

『B小隊、ケツから突撃級を殺れ! ただし10体残せ、戦車隊の前におびき出せ! 砲撃支援! 2機とも要撃級に狙いを絞れ! こっちも10体残して残りは食え!
他の雑魚は併せても100体も居ない! 全部喰え! いいか、指揮小隊に最後の美味しい所を掻っ攫われるなよ!? 吶喊!』





どんな精鋭部隊にも新米はいる。 その衛士は第1戦術機甲大隊に配属されてから、通算でまだ2回目の実戦だった。 
『死の8分』は越したが、その時は少数のBETA群殲滅作戦だった。 相手取ったBETAも、中隊で高々50体程。 彼女自身は小型種を数体、36mmの掃射で片付けただけだった。

『ふっ、ふう・・・! うわっ!』

不用意に前に出過ぎてエレメントの先任少尉機との間に、2体の要撃級BETAが入り込んだ。 咄嗟の事で気が動転し36mm砲弾をばら撒いたが、あっさり前腕で弾き返される。

『ひっ! くあっ!』

要撃級の前腕が瞬時に機体に迫った。 無我夢中で機体を後退させようとしたが、深い積雪に脚部が埋まって咄嗟の機動を妨げたのがマズかった。

『がああ!』

『おい、11! 大丈夫か!? 後退しろ、早く!』

中隊は20体程の要撃級を相手取っていた、他にも小型種が何10体か。 本当なら遅れを取る様な数じゃない筈なのに・・・! 
そして気付いた、自分だけが中隊主力から離れた場所でダウンしている事に。 前に出過ぎ、中隊の相互支援のエリアから外れ過ぎた!

『ひっ・・・た、たすけ・・・たすけて・・・』

機体のステータスは中破、ただし主機も跳躍ユニットも健在。 右腕が全損、センサー視界も右1/4が死んでいるが、それ以外は無事。
まだまだ戦える、ベテラン連中ならそう判断するだろう。 彼らなら片腕だけでも、視界情報が限定されても、長年の勘で何とかする。
だがその衛士は実質、今日が初陣のようなものだった。 恐怖感と高揚感で舞い上がっていた。 先任の警告を聞かずに突出してしまったのだ―――体が動かない。

『ひっ・・・ひぃ・・・』

先任衛士の声が聞こえる。 要撃級BETAの前腕が振りあがった。 初配属、そして初陣。 仲間達、上官に先任。 あ、お母さんからの手紙、読んで無い―――死ぬ!

『ッ・・・!』

声にならない絶叫を上げかけたその時、目前の要撃級BETAが吹き飛ぶように体液を吹き出しながら倒れた。

『・・・え?』

何が起こったのか判らなかった。 そして続けさまに近くに接近して来たもう1体の要撃級にも、突如数10か所の射孔が生じ、勢いよく体液が飛び出してどうっ、と倒れ込んだ。
茫然としてしまった次の瞬間、1機の戦術機が噴射跳躍から至近に着地して来た。 周囲のほんの僅かな数か所ある平坦地、そのひとつに。 着地誤差は精々10数センチも無い。

『―――機体損傷は? まて・・・中破か。 負傷はしているのか?』

通信回線から突然、普段中隊系通信で聞く以外の声がした。 誰だろう? ふとその『不知火』を見て別の意味で震えが来た。 機体の肩部に白い太線と細線が1本ずつ。
細線1本だとエレメント・リーダー。 細線2本が小隊長。 太線1本が中隊長で・・・太線1本と細線1本は言わずと知れた・・・

『だ、大隊長・・・!』

目前に『ゲイヴォルグ』大隊の大隊旗機―――大隊長機が立っていた。 その両腕に装備している火器は、普段見慣れた突撃砲では無い。 全体にやや大型の中口径砲だった。

『少佐! 急に飛び出さないでください! 何かあったら、どうなさるおつもりですか!?』

『03、周辺警戒入ります。 04、萱場少尉、山側をお願い』

『04、了解です、北里中尉!』

新たに『不知火』が3機、相次いで着地する、指揮小隊の面子だ。 4番機の萱場少尉は半期上で知っている。 それにエレメントの先任、いや中隊の各機も集まって来た。
助かった―――そう思った瞬間、体が瘧にかかった様に震えだした。 情けない、戦闘はまだ終わっていないのに! みんな、まだ戦っているのに! 私だけ!
そう、中隊はまだ戦闘を継続している最中だ。 たまたまBETA群がこっちに向かって来たから、移動しただけ・・・え? BETAがこっちに!?

『・・・最上、コイツを後方へ持って行った方が良い、バイタルが不安定だ。 このままだと、むざむざ死なすだけだぞ』

大隊長機から周防少佐の声がする。 大隊長機は両腕に装着した火器で、迫る小型種BETAを一掃していた、残る指揮小隊の3機も同様だった。 そして中隊長の最上大尉の声も。

『了解―――おい、武藤(武藤義重少尉)。 貴様、美浪(美浪奈江少尉)を連れて一端、魚沼(旅団本部陣地)まで戻れ。 ついでに今日はもう、上がっていいぞ』

『うっす。 おい、美浪、お前の機体の自律制御、貰ったぞ―――帰ります、中隊長。 お後宜しく、小隊長!』

『え? あ?―――きゃ!』

僚機の自立制御権限を上官から移譲された先任の武藤少尉の指揮で、2機の『不知火』がサーフェイシングで後方へと遠ざかって行った。

『最上、本部から2機回すか?』

2機が離脱した為、第2中隊の戦術機は10機になっている。 編成上のバランスが悪い。

『いえ、大丈夫です。 あらかた片付きましたし、後は万が一の時に八神のケツ持ちだけですから』

『そうか。 だが念の為だ、北里(北里彩弓中尉)、萱場(萱場爽子少尉)、2中隊の指揮下に入れ。 こっちの背中は遠野(遠野万里子中尉)が居れば、当面問題無い』

『了解です』

『はい!』

『やれやれ・・・今のセリフ、奥さんが聞いたらやっかみますぜ?―――北里、萱場、B小隊だ。 上苗!(上苗聡史中尉)、綺麗ドコロ2人預ける、傷モノにするなよ?』

『了解。 丁重にコキ使います。 北里、2番機頼む。 萱場、お前さんはそのまま北里のトコな』

一連の会話に周防少佐が何か言い返す前に、最上大尉はさっさと第2中隊を西部の尾根の陰に移動させた。 次の作戦段階での、攻撃予備として待機する為だった。
その姿を見送りながら、周防少佐は戦域MAPを再確認していた。 こっちに向かって来たBETA群はあらかた片付けた。 残ったのは後方に逸らした20体程の突撃級と要撃級。
これは事前の打ち合わせ通り、問題無いだろう。 海岸線からは相変わらず迎撃レーザー照射が上がっているが、太いのはもう1本しか無い。 細いのも5本だけ。

不意に周防少佐が厳しかった表情をふと緩めて、苦笑する様に小さく呟いた。

『そう言えば、そろそろ出番をやらんと、やいの、やいのと煩いのが残っていたな』

『第3中隊は、所定の場所で展開を完了させています』

指揮小隊長で、大隊長のエレメントも務める遠野中尉が、落ち着いた綺麗な声で補足報告をして来る。 お膳立ては出来た、そろそろ試して良いか―――周防少佐が命令を下す。

『よし―――ゲイヴォルグ・ワンより射撃管制! 海岸線への砲撃中止を要請! 繰り返す、海岸線への砲撃中止を要請! 第3段階に移行する! 
八神、お待ちかねの出番だ。 『レーザーヤークト(光線級吶喊)』! 本日の締めくくりだ、下手を打つなよ?』

『ようやくですか! 待ちくたびれましたよ、もう!』

第3中隊長・八神涼平大尉が、溜息交じりの口調で言う。 その間にも砲火は徐々に薄くなり、そろそろ残余の光線級からのレーザー照射を気にする状況になって来た。
その声を流しながら、周防少佐は全体の戦況状況を確認しつつ、任務を完了した第1中隊を念の為、機甲部隊のフォローに回らせた。

『貴様が志願したんだろうが―――じきに支援砲撃が直撃範囲を外れる。 その瞬間だ、タイミングを外すなよ? 焼き鳥になりたくなければな!』

『了解―――よぉし、『ハリーホーク』全機! 出番だ! 無粋な連中は誰も居ないってよ! グラマー娘1匹に、小っこいロリータが5匹だ!
可愛い子ちゃんばかりだからって、ガツガツ奪い合いするなよ!? たっぷり嬲って蹂躙してやろうぜ!―――よし、今だ! 『レーザーヤークト』、開始! 吶喊しろ!』

『―――応!』

八神大尉の陽気な声と共に、南西部の尾根向うに潜んでいた12機の『不知火』が一気に噴射跳躍で尾根を飛び越え、次の瞬間にパワーダイヴに移る。
砲弾やミサイルの迎撃照射に集中していた残る僅かな光線属種の群れは、その為に至近まで接近して来た戦術機群の察知がほんの数瞬遅れた。
各機からの火線が、あっという間に光線属種に集中する。 36mm砲弾より太く、120mm砲弾よりも細い―――57mm砲弾だった。
威力は大きい。 重光線級でさえ立て続けに撃ち込まれる高速57mm砲弾を、数100発も同時に叩き込まれては、あっという間に吹き飛ばされて倒れ込む。
小型の光線級に至っては、ほぼ原形を留めない程のミンチ状態と化していた。 尾根越しの攻撃開始から僅か10数秒、残った光線属種が全滅した。

『よぉし! 本日のメインイベント、完了!』

『あらら・・・出番が全くねぇな・・・光線属種の殲滅、確認完了です』

『フリッカ・リーダーよりゲイヴォルグ・ワンへ。 大隊長、機甲部隊が残余の突撃級と要撃級の撃破を完了しました』

≪CPよりゲイヴォルグ・ワン。 南西部のBETA群殲滅を確認。 大隊損失は中破1機、衛士損失無し。 第2大隊で2機が中破、衛士は無事です。 旅団損失は以上≫

八神大尉、最上大尉、真咲大尉、そして大隊CPの長瀬大尉から、三者三様の報告が入る。 精々が700体程のBETA群を、2個戦術機甲大隊を含む旅団戦力で相手したのだ。
これで損失が大きければ、東日本地域全般を担当する即応部隊だなどと、大きな顔も出来ない(西日本担当は、大阪・八尾基地の第10旅団)

『旅団本部より各部隊。 旧新潟市内へ上陸した旅団規模BETA群の殲滅に成功した。 第8軍団の損害は軽微。 
なお、海軍第2艦隊による佐渡島への間引き砲撃も完了した。 推定でBETA群(佐渡島A群)の内、約2000体を殲滅した模様』

最早、ルーチンワークと化した佐渡島への間引き攻撃と、周期的な上陸BETA群の殲滅作戦。 現状では精々が旅団規模での上陸しか生起していない。
将兵に経験を積ませるのには、もってこいの状況が続いていた。 これが師団規模の万単位の上陸だと、隣接する第17軍団(3個師団)も含めた軍管区全力迎撃が必要だろうが。

何はともあれ、本日はこれで店仕舞いだ。 それに天候もかなり崩れてきた、早いうちに仮設基地まで戻った方が良いだろう。

『よし、ゲイヴォルグ・ワンより大隊全機、これより帰還する。 CP、全機RTB!』

≪CPよりゲイヴォルグ・ワン。 『ゲイヴォルグ』、RTB、ラジャ。 オーヴァー!≫

激しくなる吹雪の中、38機になった大隊の『不知火』が跳躍ユニットからジェットの轟音と噴射炎をたなびかせ、次々と飛び立っていった。
飛び立つ部下達を確認していた周防少佐が、ふと佐渡島の方角を見る。 いつか、必ずいつかあの地へ降り立つ。 そして攻略する。

(ああ・・・そう言えばあの地には、省吾と史郎が眠っている。 早く行ってやらないとな・・・)

2年半前のBETA本土上陸、その一連の激戦の最中、佐渡島に上陸したBETA群から民間人を助け出す救出作戦で、周防少佐の2人の従弟達が戦死していた。
いや、従弟達だけでは無い。 今も横浜港の沖で眠っている、戦死した自分の兄も。 必ず奪回しなければならない、彼らの死はその事によって意味を為す。

『少佐? どうかなさいましたか?』

既に大隊の全機はこの場を離れた。 2機だけ残された形で、エレメントの遠野中尉が少し心配そうな声で聞いて来る。
今は無責任にも感傷に浸っておれる立場では無い、その事を思い出した周防少佐が振り払うように頭を振った。

『―――いや、何でも無い。 帰るぞ、遠野』

『―――はい、少佐』









2001年2月11日 1500 日本帝国 新潟県魚沼 帝国陸軍・魚沼補給基地 第15旅団


「―――昨日来の戦闘での損失は、第1大隊が戦術機1機中破、1機小破。 第2大隊が2機中破。 衛士損失無し。 機体も小破機体は修理完了、中破の3機も明日には復帰か。
流石だな、実質的な損害は全く無しだ。 機甲や砲兵にも目立った損失は無い、精々慌て者が車輌から飛び降りた際に、足を捻挫した程度か・・・」

仮設本部の旅団長室で、第15旅団長・藤田伊予蔵准将が報告書を手に、満足そうに笑みを浮かべる。 旅団長就任後、初の軍管区部隊との協同作戦だ。
それが殆ど損失無しに、しかも上陸したBETA群を完全に殲滅した。 無論第8軍団の2個師団(第8軍団は3個師団編成)との協力でだが、『即応部隊』の面子は十分守れた。

「うん、『アレイオン』(第2戦術機甲大隊)は正面からの阻止戦闘で、この程度の損失で留めたのは良くやった。 長門少佐、君は攻守両面の粘りに磨きがかかって来たな」

「は、恐縮です」

准将の向かいの椅子に座る長門少佐が、軽く頭を下げる。 その表情は気負うでもなく、淡々として平静だ。 昨日程度のBETA群との戦闘は、もう激戦の内には入らない。
長門少佐は新任少尉の昔から、攻勢・守勢、どちらかに偏る所の無い男だったが、部隊指揮官の経験を積む内に、バランスの取れた粘りの指揮は有数の指揮官になっていた。

「それと『ゲイヴォルグ』(第1戦術機甲大隊)、実質損失は1機中破のみ。 1機小破は帰還時の着地事故か、陽動・誘因を完全にやってくれた。
機甲大隊もお陰で試験は上々だ。 周防少佐、君は攻勢の面が強いと思っていたが、なかなかどうして、その場に応じた臨機応変の指揮を取る様になった」

「攻勢馬鹿では、自分も部下達も生き残れませんから」

長門少佐の隣に座る周防少佐が、シレっとした顔で答える。 少尉時代の少佐を知る准将が、何か言いたそうに、可笑しそうに笑った。
昔からずっと突撃前衛をこなしてきた周防少佐は、周囲からは攻勢の指揮官だと思われているが、中隊指揮を行う様になって以降は、むしろ防御戦闘での指揮経験が多い。
自身の気質ではやはり攻勢向きの指揮官なのだろうが、後天的に手にした防御戦闘や遊撃戦闘の指揮経験が、上級司令部にとって『使い手のある』部隊指揮官にしたようだ。

「私は君等に、知将でも猛将でもなく、勇将になって貰いたい、そう思っている。 曰く『敵の大群が攻めてきた折に、猛将は敵を求め出陣し、知将は降伏と見せかけ夜襲を仕掛け、
勇将は城に立て籠もり援軍を待つ。 自軍壊滅の折に、猛将は敵中に突撃し、知将は謀略を持って追撃を退け、勇将は兵を纏め戦いつつ退却する。
戦が終わった折に、猛将は皆から愛され、知将は神格化される。 されど勇将は皆から忘れ去られ、静かに退役する』 私は勇将で在りたいと思っているし、君等をそう評価している」

「・・・自分は、再び閣下の下で戦える事を、内心で喜んでおります。 今も昔も、自分の目標は閣下と、戦死された早坂閣下(早坂憲二郎准将、戦死後2階級特進)です」

長門少佐が静かに言う。 特に故・早坂憲二郎准将は長門少佐にとって、消して越えられない、しかし追いつかねばならない壁の様な人だった。

「自分には、目標としている先達が何人かいます。 奥様の広江中佐もそうですし、国連軍時代の上官、ユーティライネン大佐とアルトマイエル中佐もそうです。
それ以前に・・・満洲時代、自分等を率いて下さっていた閣下は、大目標でも有るのです。 『勇将』―――その言葉、非才の限りですが、胸に刻みます」

周防少佐も、真摯な口調でそう言う。 戦いの場で生死を預け得る上官ともなれば、本当に1人、2人いるか居ないかだ。 2人の少佐にとって、准将はそんな上官だったようだ。
2人の部下をそれぞれ評し、その言葉を得た藤田准将が、もう一度満足そうに頷く。 その時、扉が開き、藤田准将の副官で有る三宅大尉(三宅純子大尉)が入って来た。 
トレイに3つのコップ、コーヒーだろう。 代用コーヒーでも、この寒さでは有り難い。 三宅大尉が退室した後、准将はもう一つの報告書を手に取り、暫く眺めた後で徐に言った。

「うん、これは・・・よし、2人とも付いて来い。 丁度、兵器庫にお客が来ている頃だ」

准将はそれだけ言うと席を立ち、さっさと旅団長室を出てゆく。 否応も無い命令に2人の少佐も慌てて着き従う。 廊下から階段を下りて屋外へ、防寒着を着込む。
管理棟から兵器庫へは当然ながら途中で外に出る。 2月初旬の新潟、気温は氷点下だし積雪も多い。 除雪されているとは言え、所々で氷結した場所も有った。
白い息を吐きながら、曇天の下を歩く。 前線基地での通常服装で有る冬季BDUに防寒具、冬季防寒長靴と略帽のスタイルは同じだ。 将官と佐官で袖章の違いは無論あるが。
3人とも帝国陸軍冬季BDUを着込んでいるのは同じだが、上級指揮官、それも前線部隊の指揮官が良くやる様に、防寒コートを各自がオーダーメイドで細部を好きに作っている。
略帽はベレー帽だが、これまた千差万別。 世代によってベレーの崩し方の好みが出ている。 准将と2人の少佐では、見た目も若干の違いが見えた。

やがて兵器庫の入口に着いた、警備の哨兵が小銃を立てて敬礼して出迎える。 答礼を帰し、開いた扉をくぐって中へ入るとまた、警備詰所が有る。
ここも3人は素通りだ、今回この兵器庫に収まっている『オモチャ』の現地試験管理総責任者は藤田准将だったし、周防少佐と長門少佐はその一部の試験実施責任者だった。

庫内に入るとそこは十分空調が為されていた、途端に暑さを覚える。 防寒具を脱いで庫内に集まっている者達に近づくと、こちらに気づいた1人が敬礼をした。
何名かは帝国軍人―――国防省兵器行政本部第1開発局(旧陸軍兵器局)の陸軍軍人だったが、中には第2開発局(旧海軍艦政本部)の海軍軍人も居る。
目立つのは、その中に欧米系の人間がいる事だ。 会話の内容から、どうやら英独の人間と判った。 軍人が数名に、民間人と思しき技術者が数名。

その中から1人の女性佐官がこちらに歩いてきた、藤田准将に敬礼し挨拶をする。

「閣下、わざわざお越しいただき、申し訳ございません」

第1開発局第2造兵部の三瀬(源)麻衣子少佐だった。 藤田准将が軽く微笑む、三瀬少佐もかつては准将の部下だったのだ。

「久しぶりだな、三瀬君。 河惣君の下で良くやっている様だね」

「慣れぬ事も多いですので、中佐にはご指導を頂いてばかりおります」

「まあ、向うは兵器開発行政のキャリアが違うよ。 もう戦術機には乗らないのかい?」

「―――どうでしょう? 命令次第ですが。 自分ではこちらの方が、性に合っている気もします」

「ならば、そうしたまえ。 源君(源雅人少佐)も、奥さんが前線に出なければ安心するだろう」

一通りの挨拶が済んだ後、試験兵器についての状況確認が行われた。 日本側は藤田准将の他に、第1開発局の三瀬少佐、第2開発局の藤木海軍中佐、課員の大尉達。
それと部隊指揮官の周防少佐と長門少佐、旅団先任参謀の元長中佐も参加している。 後は河崎重工、富嶽重工、光菱重工のメーカー3社に、システム開発の帝国電工の技術者達。
英独からはCRÈME(英軍王立電子・機械技術軍団)、ブンデスヴィーア(ドイツ連邦軍:西ドイツ軍)の技術将校達が3~4名ずつ。 あとは軍需企業の人間達。
ラインメイタル社、BAE-SLS社、ラインメイタル・マウザー・ヴェルケAG、エリコン・ラインメイタルAG。 主に戦術機の携帯火器、そして射撃管制システムメーカーだ。

現在、帝国陸海軍が導入を検討中、若しくは導入を検討する前にその実戦性能を確認する、そんな何段階かの候補兵器が、今回第15旅団に託されて実戦性能試験を行っていた。
無論のこと、即時導入がまじかの兵器も有れば、あくまで構想の1候補に過ぎない兵装も有る。 採用が有力な所でBK-57、構想に過ぎないのはMk-57と、色々である。

藤田准将も交えた全般に渡る評価試験結果の検討の後、数グループに分かれてのヒアリングとなった。

『周防少佐、以前にお会いした事は有りませんでしたかな?』

ラインメイタル・マウザー・ヴェルケAGの担当エンジニアが、記憶を探るような仕草で聞いてきた。 周防少佐もちょっと考える様な表情の後、ようやく記憶が思い当った。

『・・・94年7月のイベリア半島。 国連軍カディス基地です、ヘル・ブルームハルト。 BK-57の先行量産型の説明の際、お会いしましたよ』

そのエンジニア―――周防少佐より7~8歳年長かと見える、ロルフ・ブルームハルト技師も思い当った様だ。

『おお、そうだ。 あの時、カディスの国連軍衛士達に、BK-57の仕様と取扱説明をした時ですな。 若い東洋系の衛士が2、3人居られた。 そうでしたか、あの時の・・・』

『3人いました。 1人は今、帝都の部隊に居ますが、もう1人は向うに居る長門少佐です』

『ほう! では3人とも、無事に母国へ帰還が叶ったのですな、素晴らしい事だ』

母国をBETAに蹂躙され尽した国の人間でありながら、いや、であるからこそ素直に、若い東洋の衛士が遠い欧州での戦いを終え、母国に戻れた事を素直に祝福していた。
その後暫く、欧州方面の近況話となった。 日本でも世界中の戦況は判るが、やはり現地の緊張感は現地の人間にしか分からない。 欧州も何らか手を打たねばならぬ時期らしい。

『・・・このBK-57-ⅡB(ツヴァイ・ベー)は、従来のⅠシリーズ(アイン)に比べると幾つかの改修点があります』

ひとつは銃身長の伸長。 従来の58口径長から62口径長へと銃身を伸ばしている。 

『機関部も改良して大きさを短縮できた結果、全体長は従来の3382mmから150mmの延長で済みました、3532mmです。 取り回しには邪魔になりませんよ』

『ええ、実際に使用してみて感じましたが、特に取り回しの不便さは感じませんでした』

発射速度は変わらないが、砲口初速は従来の1085m/sから一気に36%も増加して、1480m/sとなっている。 有効・最大射程も25%ほど上昇していた。

『その割に、弾倉は800発入りから960発入りと、1.2倍に増加しています。 これは? クルツ(短砲弾)タイプですか? だとすると、貫通能力は?』

『ご心配無く。 フランスの戦場での実戦試験の際に、3秒間のバースト射撃―――距離は400mでしたか、それで突撃級の装甲殻を射貫したとの報告があります。
リヴォルヴァーの回転数は1200rpmでしたので、1秒間に20発、3秒で60発を叩き込んだ計算ですな。 理論上では600rpmの3秒バーストでも射貫できます、距離300mで』

L44・120mm滑腔戦車砲で同一箇所に3発叩き込めば、突撃級の装甲殻は射貫出来る。  半分程の中口径砲でどうだろうと思ったが、意外と威力がある、周防少佐はそう思った。
対BETA戦闘での近接砲戦距離は、射撃距離300m以下で行う事が多い。 57mm砲弾でもほぼ同一箇所に3秒間で30発も叩き込めば、装甲殻を射貫出来るのは魅力だ。
これが要撃級以下が相手だと、もっと有効だろう。 要撃級でも1、2秒の射撃で倒せるだろう、戦車級以下なら薙ぎ払いながら始末できる発射速度だ。

『それとこのセレクター機能、これは従来型には無かったものですね。 使い勝手が良かった』

昨日の戦闘で使用してみて、意外に使い手が良かった点を挙げて見た。 するとブルームハルト技師は我が意を得たり、とばかりに破顔する。

『ええ、そうです。 フルオート/3secバースト/単射の、切替えセレクター機能を追加で付けました。 今まではフルオートしか、ありませんでしたのでな。
戦場に慣れたベテランなら、1回の射撃時間は1秒か2秒、長くても3秒です。 しかし経験の浅い衛士は、どうしてもトリガーを引きっぱなしになる・・・
突撃砲の36mm砲弾は2000発入り弾倉ですが、それと同じ感覚で射撃してしまうと、最短だと40秒で全弾を撃ち尽くしてしまいます』

その結果、早々に予備弾倉も撃ち尽くして、後は長刀やナイフでの不慣れな近接格闘戦となり、命を落とすケースが散見されたと言う。
英仏独、さらには欧州国連軍からも改善要求が相次ぎ、メーカー側は大至急の開発でセレクター機能を追加した後期型『BK-57-ⅠE(アイン・エー)』を開発した。
これで3秒バーストにセットしておくと、どれだけトリガーを引き続けても、3秒で射撃が終了する。 一度トリガーから外して、再度引かなければ砲弾は発射されない。

『今回のⅡBは日本との技術交流の結果、実現出来たのですがね』

『・・・色々と聞き及んでいますよ』

日欧、特に日本と英国・西ドイツ両国は今BETA大戦以降、軍事技術を中心とした各種技術の相互供与・基礎技術の協同開発を行っている。
共に『西側』諸国であるが、米国とは微妙に距離を置く有力国同士として。 日独はWW2での同盟国としての心情も有り、日英はその昔の日英同盟時の気分も復活しつつある。
その為に色々な噂が流布している。 最も有名なのは欧州第3世代戦術機『EF-2000・タイフーン』の基礎技術として、日本側が94式『不知火』のデータを渡した、と言う噂だ。
世界初の実戦配備第3世代機として、戦術機開発史に名を残す『Type-94(94式)』 難航していたEF-2000開発が、再開後に加速度的に完了した背景には何かがある。

―――日本帝国が、米国内の戦術機産業界を牽制する目的で、欧州に戦術機開発データを渡したのではないか?

そんな噂もあながちウソと言い切れない程、日本と欧州、ことに英独両国とは密接に協同し合っているのが、昨今の『西側』有力諸国の情勢で有る。
今回もその一環として、欧州の戦術機携帯火器の実用試験を持ち込んで来たのは、欧州側だった。 在英日本大使館附武官経由で接触があり、費用は欧州持ちで実戦試験となった。

『BK-57-ⅡBも、Mk-57-ⅢC(ドライ・ツェー)も、新型装薬の開発成功で性能が飛躍的に上がりました。 貴国の帝国化成工業社、その会社が新たな技術を実用化したのですよ』

新たな技術―――と言っても、火薬に変わりは無い。 何が違うのかと言うと、ナノテクノロジー分野での技術を実用化し、量産化出来た事が大きかった。
中国・唐の時代(7世紀初-10世紀初)に世界最初の黒色火薬が開発された、と言われてから既に10世紀以上、TNTが開発されてから100年以上が経つ。
しかし現在で最も強力な最新鋭爆薬のC-20(HNIW)でさえ、TNTの2倍程度の威力でしか無い。 S-11の基幹爆薬である『金属水素電子励起爆薬』は用途が全く異なる。

『ホウ素骨格火薬・・・従来の火薬は全て炭素骨格火薬でした。 100を越える元素の中で炭素だけが、無限の多様性を持つ物質を作る、その材料になり得るからです。
近しい元素には、珪素が有りますかね。 しかし珪素は炭素に比べると結合の安定性が低いので、炭素程の多様性は持たない。
そう言えば、『珪素生命体』の様な議論も有りますな。 昔から炭素と同族で原子価が4つであり、『生命のようなもの』が出来るのではないかと、珪素は注目されていました。
しかし実際には常温常圧での珪素は、2重3重結合を殆ど作らず不安定です。 ダイヤモンド型構造しか、安定した構造を取れないのですな・・・』

―――話がどんどん、飛躍して来た。

『と言う事はですね、つまり芳香族化合物が出来ない、単結合しか基本的に出来ないのですよ。 量子力学という、『珪素生命体』にとって最強にして最悪な敵が根底にいます。
これと勝負して、全ての矛盾に勝たないと説明出来んのですよ。 この宇宙にいる限り、量子力学からは逃れられませんからな。 今のところ、珪素は惨敗記録更新中です
いや、私も遠い昔の少年時代に読んだ、アシモフの作品短編集のアース博士の推理が面白くてね・・・おっと、話が逸れましたな』

『・・・博士の様に乗り物嫌いまで、同じくならなくて良かった。 そうなっていたら、ヘル・ブルームハルトも、この国にやっては来なかったでしょうから』

周防少佐も少年時代、戦死した兄が持っていたアシモフやハインラインの翻訳本を読んでは、遠い未来の宇宙の物語にワクワクした口だった。
同好の士を見つけたマニア同士と言うのは、時に世代や育ち、民族も言語も、そして宗教さえも超越する。 曰く、『聞け、イスラエルよ。 汝の神は唯一なり!』なのである。

それ以降、2人は急に打ち解けたようになり、様々な点を確認しては検討し、次の試験に盛り込む様な方針を(半ば勝手に)進めてしまっていた。

『話を戻すとね、直衛。 つまり理論上、炭素骨格よりもホウ素骨格の方が、2倍以上のエネルギーを発生させることが判っている』

『2倍? とするとC-20の様な爆薬を作ったとして、単純計算でも同量でTNTの4倍の爆発力かい? ロルフ』

―――すでに、ファーストネームで呼び合うようになっていた。

『そうだ。 長年、ホウ素は原子にするのが困難だったが、ナノテクノロジーの発達でホウ素骨格爆薬が開発可能になったんだ。 それを実用化したのが、日本帝国だよ。
爆薬威力もTNTの2倍以上。 ロケット推進薬として利用した場合は、約30%の射程延長が実現されている。 君の国のミサイル、射程距離が新型では伸びた筈だろ?』

『ああ。 そうか、そう言う事だったのか・・・いや、技術資料報告書には目を通しているけど、専門的な事はなかなかね。 特に化学は昔から苦手だった・・・』

『はは、僕もウチの会社の専門家からの受け売りさ。 で、この『ボロン(ホウ素)・コンポジット(BC)』の実用化で、装薬量はかなり軽減できた、砲弾全長も短縮出来たしね。
その分のスペースはご推察の通り、装弾数の増加を実現出来たのだ。 弾倉のサイズを変えず、薬室のサイズとレイアウトを少々変えるだけでね。 これは凄い事さ!』

BK-57-ⅡBが、前作のIシリーズと比較して初速が大幅に上がり、装甲貫通力も飛躍的に上昇したのはその結果だと言う。 無論、砲弾も国連基準の新型砲弾だ。
当然ながら、この『BC』装薬はMk-57-ⅢCにも使用されている。 前作のMk-57-ⅡG(ツヴァイ・ゲー)が長砲身に関わらず、突撃級の装甲殻を射貫する距離は400mだった。
しかも同一箇所に立て続けに、20発程撃ち込まねば射貫出来なかった。 しかし新作のⅢCでは距離700m、10発も撃ち込めば完全に射貫出来ると言う。 5秒の射撃時間だ。
確かに欧州の『オールTSFドクトリン』に、合致した兵器体系と言えるだろう。 内陸奥深くに機甲部隊を展開させるには、自走だけではまず不可能だ(戦車はデリケートだ)
戦車トランスポーターでもまだまだ不十分。 帝国でも本土防衛線の際は、機甲部隊を列車輸送で軍団司令部最寄駅まで輸送し、そこから師団管区までトランスポーターで運んだ。
BETAに浸食された欧州内陸部での、その様な輸送手段は夢のまた夢だ。 今の所、機甲部隊の展開は沿岸部での作戦か、精々がリヨン・ハイヴ攻略時しか出来ないと予想される。

『そうだね。 オールTSFドクトリンは、装甲車両の損失もさることながら、実は兵站部門の強い後押しが有ったと言う事は、意外に知られていない事実だね』


かくして、2人の日独の軍民のマニア達は、後日の再会を約して別れた。 当然ながら自分のコレクションを手土産にしてだった。






「なかなか、話が弾んでいた様だな、周防君」

検討会が終わり、旅団長室に藤田准将、元長中佐、周防少佐、長門少佐の4人が集まっていた。 准将の副官で有る三宅大尉は席を外している。

「傍で聞いていると、半ば趣味の話になっていましたがね」

長門少佐が冷やかすように言うと、周防少佐はそっぽを向いて素知らぬ振りをしている。

「しかし途中で英語では無くなっただろう? 俺は語学は、仏語の専修だったから、何を言っているのかさっぱりだったよ」

元長中佐が、胡散臭そうに周防少佐を見て言った。 流石に周防少佐もバツが悪そうだ。

「私も露語が専修でな、独語は判らん。 長門少佐、君は少し判ると言っていたな? 周防少佐とあの技師、何の話題で盛り上がっていたのだ?」

藤田准将まで、話題に喰いついてきた。

「私も露語が専修です。 独語は国連軍時代に少しだけ齧った程度で、日常会話なら辛うじて・・・と言うレベルですよ、さっぱり判りませんでした。
この男の様に、昔の上官に独語を教わったり、軍学校で独語を専修したりと言う訳では。 何せ、独語で女を口説けますから。 口説いていましたし、この男は」

「おい、長門少佐! 勝手な嘘を言うな! 俺はそんな事をした事は無いぞ!?」

流石に周防少佐も、慌てて苦情を申し入れる。 こんな所で変に話が回っては、後々が大変だ。 藤田准将の細君の広江直美中佐は、周防少佐の妻の綾森少佐とはツーカーだ。

「本当か? 本当にそう言い切れるか? お前あの頃、翠華以外の女と、そう言う関係にならなかったと言い切れるか? 一夜の相手も含めてだぜ?」

「うっ・・・だ、だとしたら、お前も同罪じゃないか。 整備隊に居たロシア系の女性伍長、彼女はまだ18歳だったよな!? それに衛生隊のポーランド系の女性軍曹も!」

「お前だって、主計隊に居たドイツ系の未亡人少尉はどうした!? 通信隊のオーストリア軍から出向していた人妻中尉は!?」

―――2人とも、上官の前で旧悪のバラし合いになっている事に、全く気づいていない。

「あー・・・つまり、あれだな? 2人とも、任務を終えて家に帰る頃には、覚悟を決めた方が良いな。 閣下は愛妻家で、閣下の奥さんは綾森少佐と伊達大尉を可愛がっているからな」

元長中佐の一言に、周防少佐と長門少佐が思わず固まる。 恐る恐る藤田准将を見ると、苦笑しながら手を振っていた。
どうやら『旧悪』の件は細君には言わない、そう言う事らしい。 周防少佐と長門少佐が、思わず深い息を吐き出していた。

「それはそうと、妻の事で思い出した。 周防君、『ゲイヴォルグ』の件、受けてくれて感謝する」

「あ、いえ、はあ・・・」

藤田准将の謝意に対し、周防少佐は何となく歯切れが悪い。 本来なら第1戦術機甲大隊の部隊コードは『デビルス』だった。 1年前はそうだったのだ。
周防少佐が大隊長復帰に際し、市ヶ谷(国防省)からわざわざ足を運んで来た広江中佐が、ひとつの提案をした―――『周防、『ゲイヴォルグ』の名前を継げ』と。

『・・・なに言ってんですか。 ウチは『デビルス』ですよ』

『いいや、貴様は『ゲイヴォルグ』だ。 それ以外は許さん』

『部隊コードです、別に中佐の許可は不要ですがね?』

『貴様だけは、私の許認可制とする!』

『そんな、理不尽な!』

そんなやり取りを恐る恐る、大隊副官の来生中尉と、指揮小隊長の遠野中尉が聞いていた。 両中尉にしてみれば、国防省のお偉いさん(広江中佐)はまさに雲上人だ。
そんな人と言い合わそう、ウチの大隊長・・・大丈夫なのかしら?と。 それだけなら噂も広まらなかっただろうが、間の悪い事に長門少佐もその場に居たのだ。
たちまちの内に、昔の仲間達の間にその話が広がった。 そして今は第14師団で大隊長をしている木伏少佐がわざわざ帝都まで出張って来て、こうのたまったのだ。

―――『これより、『周防少佐、ゲイヴォルグ継承戦争』を開催する!』

場所は帝都・九段の東京偕行社(帝国陸軍将校・准士官の、親睦・互助・学術研究組織。 将校集会所や社交場でも有り、飲食や宿泊も一流ホテル並み)
観戦武官は木伏少佐、源少佐、三瀬少佐、長門少佐、神楽大尉、間宮大尉、仁科大尉の7名。 揃いも揃って、理由をでっち上げて公務出張して来た不届き者達だ。
対戦者達は、広江直美中佐と、周防直衛少佐。 対戦方法は・・・『酔い潰した方の勝ち』だった。 『・・・どうしてこうなった・・・』周防少佐が青い顔をしていた。

かくて両者共に泥酔状態になりながらも、辛うじて広江中佐が勝利を収めた。 『継承宣誓書』には、酔って潰れた周防少佐の指に朱肉を押し付けた長門少佐が、勝手に指印を押した。
翌日、途中からの記憶が無い周防少佐が自宅で目覚めると、夫人である綾森少佐が枕元に正座して、『継承宣言書』なるものを無言で見せた、そして溜息をつきながら言った。

『あなたって・・・時々、変に子供みたいな馬鹿をするのだから・・・』


「・・・あれだよ、妻も君を特に可愛がっていた。 自分の部隊名を誰かに継いで欲しい、内心でそう思っていたのだろうね。 もう、戦術機に乗れない身体だからね」

藤田准将の表情はどこかしら、ホッとした様な表情だった。 周防少佐も判っている、誰かが継がなくては、そう皆が考えていた事を。
北満州時代、激戦に次ぐ激戦を戦い抜いた、栄えある部隊名だ。 皆が若い中少尉時代を駆け抜けた、その証の部隊名だった。 思い入れはどんな名よりも深い。

「タイミング的に丁度良かったしな。 お前が米国から帰国して、大隊長を拝命した時だったし。 お前の『フラガラッハ』は、摂津(摂津大介大尉)に譲ったんだろ?」

今は第14師団の第143戦術機甲連隊第2大隊の第1中隊『フラガラッハ』は、かつて周防少佐が初代中隊長をしていた隊だ。 その中隊と部隊名を、後任の摂津大尉に任せたのだ。

「口には出さないけどね、君に継いで貰いたかったのではないかな? 迷惑だろうが、ここは大目に見てくれんか?」

「いえ、迷惑だなどと・・・少々荷が重いですが、『ゲイヴォルグ』、継がせて貰いますよ」

そこで初めて場が和んだ。 しかし和んだとは言え、そこは前線基地、そして即応部隊、話す事は明日以降の試験内容と、沿岸部哨戒計画。 
BETAがいつ何時、奇襲上陸をするかもしれないのだ。 ここは国内で最も厳しい最前線。 全く気は抜けなかった。









2001年2月20日 1430 日本帝国 帝都・東京 千住 周防家


「・・・あなた、何をしてらっしゃるの?」

赤子を抱き抱えてあやしながら、周防夫人(綾森少佐)が小首を傾げながら夫に聞いた。 彼女の夫は何やら、しきりに押し入れの中を探っている。

「なに? 直衛。 見つかったら非常にマズイ舶来物とか?」

含み笑いをしながら、隣家の長門夫人(伊達大尉)も、我が子を抱っこしながら冷やかしていた。

「ちょっと、愛姫ちゃん。 変な事、言わないでよ・・・」

「あー・・・祥子さん? あまり旦那を全面的に信用しない方がいいですよ? ウチの宿六なんて、この間欧州から国際便で届いた書籍、米国版の無修正ですよ? まったく!」

「そう言えば・・・あなた? あなたにも届いていたわね!? 見せて頂戴!」

「あ・・・後でな・・・ああ、有った、有った、これだ」

周防少佐は冷汗をかき、(『直秋のボケめ! 直送して来やがって! 少しはファビオを見習え!』)などと従弟を内心で怒鳴りながら、1個の段ボール箱を取り出した。
段ボールには癖のある字で、『直武、小説類』と大書きしてある。 懐かしい兄の字だ。 兄が結婚した時に、実家に置いていった書籍の一部だった。

「あら、それって・・・お義兄さまの遺品じゃないの?」

「遺品って程の物でもないよ。 兄貴に『勝手に読んで良いぞ』って言われてた。 実際は貰った様なものさ。 えっと・・・ああ、これだ、これ」

何冊かの小説を取り出した。 随分と古い、表紙も結構黄ばんでいる。 長門夫人が横から覗き込んで、表紙の題名を読んだ。

「なになに・・・? 『宇宙帝国興亡史』? こっちは・・・『銀河の戦士』、『地球帝国の危機』? あ、これって知ってる。 圭介も何冊か持っていたわ」

「俺の兄貴が、圭介にも何冊かあげたんだよ。 中等学校の頃はあいつ、俺の家によく遊びに来ていたからな。 兄貴も俺と同じ感覚で、弟分にしていたよ」

その時呼び鈴が鳴って、隣家の長門少佐がやって来た。 手に何冊かの本を持っている、小説の様だった。
やがて庭に面した縁側に座り込み、2人とも黙々と読書を始めてしまった。 2人の妻達は『しようがないわね』とばかりに顔を見合わせ、苦笑しただけだった。 
彼女達にはまだ仕事が残っている。 子供をお昼寝させて、家事を済ませた後で夕食の献立を考え、それから買い物に行って・・・




2001年2月・如月、少なくとも帝都の一角は今この瞬間、平和だった。 まだ帝国はその本当の危機を、実感していなかった。





[20952] 伏流 帝国編 3話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2012/03/24 23:14
2001年2月25日 日本帝国 帝都・東京 霞が関・財務省主計局


「―――255億ドルですってぇ!?」

霞が関の財務省主計局、その局会議の席上で主計局総務課長が、悲鳴の様な声を張り上げた。 司計課長、法規課長や、課長級分掌官の主計官達も目を剥いている。
上席に座った主計局長はむっつりしたまま黙りこくり、局次長が渋い顔で吸っていた煙草を灰皿の上に揉み消して、部下の課長・主計官達を睨みつけながら言う。

「・・・例の『HI-MAERF計画』、その接収予算として急遽、255億ドルを都合しろとの閣議通達だ。 どうやら米国が相当額を、吹っ掛けて来たらしい」

「―――SSC(日米安全保障高級事務レベル協議)の外務省の連中は、一体何をしておったのですか!? 冗談で済まされる額では、到底ありませんぞ、局次長!」

「そうです! それに市ヶ谷(国防省)の連中もです! まさか向うの言い値を飲んできたなどと、そんな話では到底、承知できませんぞ!? どうなんだ? 調査課長!?」

話を振られた主計局調査課長が、これまた渋い表情で応じる。 

「・・・最初は500億ドルとか、抜かしおったそうだ。 外務省も国防省も、あらゆる人脈や組織を総動員して向うを切り崩して、やっと半値まで値切り倒した」

事実だった。 当初、米国務省から提示された額は約500億ドル、日本円(日本帝国圓)で約1250億円と言う巨額な要求だった。
流石のそのままの提示額を本国へ要求する訳にも行かず、SSCの外務官僚と国防官僚達は青ざめた。 そしてあらゆる手段を使ってでも、値切り倒す事に奔走したのだ。
国防省などは配下組織の情報本部から、海外謀略工作を専門とする特2部(第2特別工作部)まで動かし、かなりイリーガルな切り崩し工作を展開した様だ。
それだけではなく、国家憲兵隊特殊作戦局や情報省特務(特務情報調査部)と結託して、国内外で誘拐・脅迫・密殺と言った裏工作まで行ったと、霞が関では噂される。

「国家憲兵隊の、右近充中将が動いたのだろう? あの人が動いたら最後、米国内でも死人の1ダースや2ダース程度は軽く出ただろうなぁ・・・
国内でも在留外国人子弟の誘拐・行方不明事件が多発している。 誰がやったか公式発表はない。 だが誰がやったか、知っている者は知っている。 報道は決してされないが」

「それだけじゃない。 米国内のユダヤ・ロビーを動かす為に、外務省の国際情報統括局の藤崎統括局長が動いたそうだ。 米議会を動かす為に、イリーガルな事もやったらしい。
モサド(イスラエル諜報特務庁)と接触して、特2部や情報省特務、憲兵隊特殊作戦局との間を、彼が取り持ったんだよ。 藤崎さんの奥さんは、右近充中将の奥さんの妹だ」

「確か、大日本食品工業の重役の妹だったな、あの軍需企業の」

「軍需だけじゃないさ、今や手広くやっている。 合成食料生産プラントの開発・生産・販売等のプラント関連事業から、化学工業まで手広くな。
米国のデュポント社とも提携して、最近じゃ軍需・民需の各種火薬製造や、農薬・塗料まで・・・そう言えば、対レーザー拡散被膜の研究開発や生産もしているな」

「・・・立派にコングロマリット、『死の商人』か。 米国財界とのパイプは、その線か?」

「判らん。 が、否定できない。 ・・・おい、今はそんな与太を話している時か?」

そうだ―――今は255億ドル、その巨額の予算を何処から捻出するかだ。

既に2001年度予算は、先月下旬に国会で予算審議が行われている―――筈だが、例年の如く与野党の対立で、2月末になっても予算審議に入れていない。
既に予算案は出来上がり、大臣折衝を終えて政府案さえも昨年末に完成しているのだ。 どこからそんな巨額の予算を追加できるものか。

「―――補正予算は?」

「理由をどうつける? 理由だよ! まさか『横浜の牝狐のおねだりで、補正予算を追加したいのですが』等と言う気か? それこそ君、霞が関では生きていけないのだぜ?」

「まったく・・・首相が強引に閣議決定しただって? 六相会議(首相、内務相、国防相、軍需相、蔵相、外務相)でも、首相以外の閣僚は反対したのだろう?」

「らしいな。 米内国防相と白須軍需相(白須市朗)は、特に強硬に反対したようだね。 即日、辞表を叩きつけたって言うな」

「で、後任の阿南海国防相と小山軍需相(小山直登)か。 阿南海大将は政治的には無色だが、陸軍部内の実力者だ。 国粋派の抑えが利くからか・・・」

「小山さんは国鉄総裁や、運輸大臣もしていたな。 今は帝国製鉄の社長で、鉄鋼統制会理事長か。 官とも民ともパイプが太い人だ、前任者ほど癖のない人だな」

六相会議のメンバーでも有る最有力閣僚2名が、職を辞してまで反対した巨額の出費。 年明け早々に稼働を開始した、国連軍太平洋方面総軍横浜基地がその発端だった。
横浜基地内のAL4計画本部、そこは日本帝国が誘致した国連主導の『対BETA大戦極秘計画』の本拠地である。 しかし、そこには厄介な問題もあるのだ。
AL4計画本部自体は、命令系統は国連軍後方支援軍集団・研究開発団の指揮下に属する研究組織である。 同時にその潤沢な研究予算は、誘致国である日本帝国政府の負担。

今回の話は、その横浜基地からの事前研究開発計画案として、かつて米国が開発を進め、その後はほぼ放置状態となっていた『HI-MAERF計画』を接収する、と言うものだった。
命令系統を遡り、国連軍・軍事参謀委員会の内諾を経て、N.Y.の国連米国政府代表団、国連日本帝国政府代表団の双方に打診が入ったのが、先月の末。
そして今月早々に、米国国務省からSSC、及び在米日本帝国大使館へ『売却要求額』の提示が為されたのが、2月5日と言う速さ。
どうやら米国は、日本が端から飲めない巨大な金額を、吹っ掛けて来たようなのだ。 日本側は即座に政府へ通達せず、まず関係省庁が事前に動いた。

外務省や国防省、情報省による静かな、そして時に凄惨な裏工作の結果、半値まで値切ったのが2月20日の事。 その時点で首相の耳に入った。
閣議や六相会議、与党内での議論も、半値になったとは言え、その様な巨大な金額は飲めないと、ほぼ反対意見で纏まりだした時、首相が強引に決定してしまったと言う。

「そもそも首相は何故、そんな無茶な決定をしたんだ?」

「わからん。 色々と噂は飛びかっちゃいるが、どれも噂に過ぎん」

「将軍家が、久々に我を張ったとか。 横浜から技術提携枠の拡大を、内諾させたとか? 有り得ないな、両方とも。 将軍家が現実政治から遠ざかって、もう何十年経つ?
先代の将軍家さえ、政治に干渉させなかったんだ。 当代の将軍家など、ただの見栄えの良い神輿に過ぎんさ。 なにせあれだけ、見目麗しい乙女とあってはな!」

「それに横浜の線も無い、あの牝狐が余程の得が無い限り、そんな事に応じる訳が無いからな! あの女は日本人じゃない、ただの『学者人』さ。 自分の研究以外に意味は無い」

そして再び現実を見ると、もう溜息しか出てこない。

「補正予算を組むにしても、財源はどうする? 増税か?」

「馬鹿な、これ以上の増税を行えば、国民生活は完全に破たんする。 全国民が難民化するぞ、それを食わす予算の土台も無くなる、論外だ」

「補正予算が無理なら、どこかを削らなきゃならん。 既に国会審議に出した予算案を再提出か! 前代未聞だ、日本帝国始まって以来の、緊急事態だぞ」

「それを引き起こしたのが、あの馬鹿な横浜の牝狐とは! 泣けて来る・・・で? どこを削る?」

「削れる枠は、限りなく限定されるな・・・」

総務課長の言った一言に出席者全員が、思わず首筋に冷たい感覚が走る気がしたのは、偶然ではないだろう。
馬鹿げたテロに遭う危険を冒してまで、予算を組み直すのか? それとも首相の指示に、真っ向から反発するか? 後者ならば今後、霞が関でのポストの保証は無い。

「・・・2001年度の一般会計予算は、4541億4000万円(1ドル=2円50銭の『帝国圓』) その内で予算の大きいのは、社会保障関係費の6.5% 他に国債費も6.5%
次いで食料安定供給関係費が4.5%・・・他は精々が1%前後だ。 社会保障関係予算と、食料安定供給関係予算を全額削っても、255億ドルは無理だ」

「国債関係予算は、絶対に維持せにゃならん。 今や国家収入のうち、公債収入が46.8%を占める。 逆に税収は42.5%と、半分を割った。 残りは特別会計からの編入だ」

「特別会計予算枠で、幾らか削れないか? 分散させれば255億ドルなら、何とか捻出できるだろう?」

「それこそ馬鹿を言うな。 特別会計予算は、2001年度は1兆6000億円だが、社会インフラ再整備や食糧供給、エネルギー供給予算はギリギリの線で各省庁を宥めたんだ。
ただでさえ、一般会計予算では雀の涙なのだ。 特別会計予算枠に潜り込ませているからこそ、まだ国家を維持出来るのだぞ? それを、どうやって削ると?」

皆が押し黙る。 答えはもう出ているのだ、だが誰もそれを口にするのが恐ろしかった。 個人的に命を狙われる可能性もあるが、何よりこの国を防衛出来なくなるかもしれない。
もしそうなったとしたら、自分達は亡国を呼び込んだ愚かな官吏の実例として、後々まで歴史の物笑いになるだろう。 何よりも、国家財政政策の専門家としての自負もある。
何人かが手元の資料に目を落とす。 そしてその数字を血走りかけた目で追いかける。 一般会計予算の実に72.5%、特別会計予算の30.52%を占める、巨額の予算枠に。

「次年度国防予算総額・・・総額で8171億5715万円、ドル換算で3268億6286万ドル。 米国国防予算の半分近い巨額だ。 ここからならば、255億ドルを十分削減出来る」

「だいたい、7.8%の減額か・・・連中が飲むか?」

「新任の国防相次第だろうな、そこは。 どこまで部内を抑え切れるか、その手腕次第だ。 もし駄目なら、本気で明日から俺達には警備が張り付く―――軍人テロから守る為に!」

「一般会計の国防予算、3292億51500万円。 特別会計予算の国防整備事業特別会計が、4883億2000万円。 しめて8171億5171万円。
一般会計と特別会計を合わせた国家予算全体の、実に39.8%を占める国防予算・・・軍部が騒ぎ出す姿が見えて来て、泣けて来るな」

部下達の結論をそれまで黙って聞いていた主計局長が、徐に口を開いた。

「・・・それで上申する。 最悪、兵備局長(国防省兵備局長、戦争遂行の国家計画を掌握)とは、俺が刺し違える。 いいな、君等。 腹を切るのは、俺が最初だ」











2001年3月10日 2030 日本帝国 千葉県松戸 陸軍松戸基地 第15旅団


「―――Mk-57は不採用?」

将校集会所の上級将校用サロン、そのカウンターバーで周防少佐が、隣に座る同僚に聞き返した。

「不採用と言うか、採用見送りと言うか、採用する予算が無いと言うか。 元々、中期防(中期国防力整備計画)に捻じ込む予定は、BK-57だったらしいから、影響はないけどね」

旅団G4(兵站幕僚)兼・補給部隊長の増田少佐が、忌々しそうな表情で言葉を濁す。 周防少佐も、薄々気づいていた。 部隊の来年度予算枠の、急な見直し命令が出た時点で。
周防少佐が舌打ちしつつ、娑婆ではまず普通には手に入らない本物のモルト・ウィスキーを喉の奥に流し込む。 増田少佐もバーボンを半ば自棄気味に飲んでいた。

「・・・本当だったのか、国防予算削減の話は。 増田さんは知っていたのか?」

「俺も経理局(国防省経理局)の同期から聞くまでは、半信半疑だったがな。 本当だ、政府の閣議決定・・・いや、首相の強硬な決定だそうだ」

「どうしてそこまで、横浜に肩入れ出来るんだ? 首相は確信でも有るのか? 確かにAL4計画がポシャったら、日本は大損だ。 
これまでの投資も回収できずに、次のAL5計画・・・今はアメリカが進めている計画に吸収される。 投機市場に手を出して、大負けして破産するパターンだ」

AL4―――『オルタネイティヴ第4計画』 帝国軍内でも少佐以上の階級の者にしか、その名前さえ明らかにされていない、国連主導の国家的・超国際的プロジェクト。
一般には、『国連軍横浜基地の研究組織』としか、情報公開されていないのだ。 勿論、周防少佐にしても増田少佐にしても、情報アクセス権限の壁で全てを知る立場に無い。
だが大尉以下の将兵と比較すれば、その概要だけでも情報を知り得る者として、横浜に対しては余り良い感情を持っていない事も事実だった。 増田少佐が話を続ける。

「・・・『HI-MAERF計画』か。 当時から奇天烈な計画、と言われたヤツだろう? それに巨額の国家予算を投じて接収したとしてだ、それでAL4計画が成功するのか?
大いに疑問だよな。 だいたいが『アレ』は米国が当時、戦略航空機動要塞(WS-110A)の開発計画としてスタートしたんだ。 横浜がどうして『航空機動要塞』を必要とする?」

「そこだよなぁ・・・AL4は専属の戦術機甲連隊まで保有している、いや、していた。 かなり消耗している様だが。 研究機関が何故、そこまでの兵力を欲する?
実はこの間な、市ヶ谷に行ったんだ。 統幕(統帥幕僚本部)2部国防計画課の、広江中佐に呼び出されてね」

「統幕の国防計画課? そんな所に、何しに?」

「用件はプライベートの野暮用だよ、広江さんは新任当時の上官でね。 俺も嫁さんも、世話になっている人だから・・・
で、世間話をしていたらな、統幕内でも、国防省内でも、AL4計画に関する国連との協定見直しを! って声が、日に日に大きくなっているそうだ」

オルタネイティヴ計画は、国家誘致の国際的プロジェクトだが、その実行予算は誘致国負担が原則だった。 その『成果』に対する分配比率は、国連と誘致国間の協定で決定する。
AL4計画誘致時、日本国内上層部でもその奇天烈な内容を、疑問視する声が大きかった。 それを強引に説き伏せ、批判の声を封印して日本誘致に成功させたのが、現首相の榊是親。

「いや、確かに対BETA大戦での勝利、それの先鞭をつける為の計画、と言う重要性は俺も理解している。 その計画に巨額の予算を投入しなければ、と言う事もな。
だが広江さんから聞く限りでは、『分配』は今まで殆どまともに『支払われていない』らしいな。 横浜の牝狐、何やかやと駆け引きをしては、ほぼ独占しているらしい」

「そこだよな。 ほら、周防さん、アンタが去年に実射試験に立ち会ったって言う『試製99型電磁投射砲』、あれのコアブロックは横浜からの物だが、依然ブラックボックスだ。
協定では『対BETA大戦の根幹、乃至、大量破壊兵器に繋がる可能性のある技術以外の軍事転換可能技術は、可及的速やかに誘致国へ無償提供する』とあるのだぜ?」

「無償もなにも、もともと日本の金で開発した技術だろう? あの基地の研究人員だってそうだ、帝大の各研究室や企業の研究部門から、有無を言わさず強制徴募だぞ?
そんな姿勢に反発して、職を辞した研究者がかなりいるらしい。 で、その中の少なからぬ人達が、本土防衛戦の混乱の最中で犠牲になって、還らぬ人となった・・・」

「帝国の学会や企業の研究者の中には、軍以上に横浜の牝狐を嫌悪している学者や研究者が多いのは、それも原因だな」

頷いた周防少佐は、さてここから先を話して良いものか? と少し思案した後で、身を屈めて増田少佐に近づき、小声で話し始めた。

「・・・ここからは、完全にオフレコだ。 漏らすなよ、増田さん。 接収計画ではな、向うの研究開発メンバーもこぞって寄こせと、そう言っているらしい」

「・・・本気か!? あの牝狐は!? BETAの侵攻に晒されていない米国から、極東の最前線である日本に、幾ら命令でもやって来る物好きな研究者が居るかよ!?」

「だよな・・・その辺の『安全保障』も込みの、米国の提示額だったらしいが・・・どうやって値切った事やら・・・」

「・・・所で今の、どこからのネタだ?」

「・・・市ヶ谷」

「・・・くわばら、くわばら。 俺はさっさと忘れる事にするよ」










2001年3月12日 日本帝国 帝都・東京


「ええっ!? サクラマスが二切れで15円!? 一切れ7円50銭じゃないのよぉ! オジさん、高いよ! 高い、高い! もっとまけてよ! せめて11円!」

今日は良いのが入ったよ!―――そう言われて、『じゃ、買おうかな?』と思ったものの、これは高い。 ちょっと高いんじゃないの? 
別に旦那に甲斐性が無いって訳じゃないけど、家計を預かる身としては、納得できないな。 そう思ったら、勝手に口が値引き交渉を開始していた。

「ってもなぁ、長門の奥さん、ウチも仕入れが上がっちまってなぁ。 税金は上がるし、仕入れ値は上がるし、売値は値切られるし、参るよ、ホント。
・・・って、ちょっとまった、長門の奥さん! 11円じゃ、こちとら商売上がったりだよ! 勘弁してくれよ! せめて14円50銭だよ!」

「あら? この前に東口の『魚盛』さんじゃ、二切れで11円50銭だったわよ?」

「・・・周防の奥さぁん・・・何ヵ月前の話だよ、そいつぁ・・・14円! これ以上は無理!」

「ううぅ~・・・じゃ、12円! そっちのワカメも買うからさぁ? ね? オジさん、お願い!」

「参ったなぁ・・・周防の奥さんも、長門の奥さんも、常連のお得意様だしなぁ・・・13円50銭でどうだ!?」

「でしょう? オジさん、常連客は大切にしなくちゃ。 ね? だからお願い、12円50銭ね?」

「はあ・・・周防の奥さん、アンタって町内でも評判の美人さんだってのに、上手いねぇ・・・よっしゃ! オイラも江戸っ子でい! 13円! 一切れ6円50銭! これでどうよ!?」

「うーん、どうする? 祥子さん?」

「そうねぇ・・・それでいいかしら? あ、オジさん、代わりにそっちの蜆、ちょっとだけ、おまけしてね?」

「はあ・・・カアチャンに怒られるぜ・・・」

帝都の一角の商店街。 BETA大戦の統制下でも、まだ少しは自由販売が続いていた。 しかし帝都や食糧事情に比較的余裕のある、東北・北海道だけの話だが・・・
ここもそんな場所だった。 近くには『国連国際難民区』があり、その近くなら色々な国の食材(合成食材だが)や料理も食べる事が出来る。 国内難民区より治安も良い。
周防少佐夫人の周防祥子も、長門少佐夫人の長門愛姫も、日常の買い物は家の近くのこの商店街で良く済ませる。 町内会や国防婦人会でも評判の良い2人は、馴染みの店も多い。

「アラ、祥子ちゃんに愛姫ちゃん! 今日はチビちゃん達、どうしたのさ? おうちで、お寝んネかい?」

魚屋の女房―――『魚重』の小母さんが店の奥から姿を見せ、2人に笑って話しかけた。 婦人会の『重鎮』で、2人ともお世話になっている、気風の良い小母さんだ。

「あ、魚重の小母さん。 ええ、実家の母が来ているの、妹も学校が今日はお休みだからって。 直嗣も祥愛も、お祖母ちゃんと叔母さんに遊んで貰っているわ」

「ウチは、お義母さんが来ているのよ。 ほら、前に話したじゃない、旦那の弟が九州の部隊から、こっちに転属になって。 
で、お義母さん、義弟に会いに疎開先の仙台から出て来てね。 なんせ、ウチの圭吾は初孫だから。 長門のお義父さんも、お義母さんも、もうメロメロなのね」

「そうかい、そうかい。 何にせよ、赤ん坊は大切に育てなきゃだめだからね! あ、ちゃんと白身魚や貝を食べてるかい? 肉はダメよ? あれはダメだからね?
それと豆腐! お豆腐食べなさい! 合成でもいいからさぁ! 根菜もしっかり食べないと。 それに淡色野菜や緑黄色野菜も・・・しっかり、お乳飲ましてやんないとね!」

気風が良いと言うか、何と言うか。 典型的な下町のおっ母さんではあった。 その後、2人は野菜屋を回り、豆腐屋に寄って買い物を済ませた。
どうやら両家の夕食は、同じメニューになる様だ。 夕暮れ時の商店街を2人して歩いていると、途中の玩具屋で小学生くらいの男の子が数人、ショーケースを覗き込んでいた。

「だーかーらー! ミツ、お前は『陽炎』なの! 『不知火』は俺!」

「なんでだよぅ、たっちゃん・・・僕も『不知火』がいいよぅ・・・」

「ミツは『陽炎』だな。 たっちゃんが『不知火』だったら、俺は『疾風』!」

「ケンちゃん、『疾風』買うのか? だったら俺、『流星』な!」

「シンジは海軍好きだなぁ・・・あれ? 『撃震』はぁ?」

「え~? 『撃震』って、もう2線級部隊ばっかじゃん! 帝都第1師団とさ! 『鋼の槍』連隊とか、あ、14師団も『不知火』と『疾風』だぜ!」

「そうそう。 こないだ松戸に配備されたって話の、第15旅団も『不知火』だしさ!」

「誰が何て言っても、俺は海軍機だね! 『流星』が、すっげー、かっけーんだぜ!」

どうやら、新発売になった模型を誰が、どれを買うかで騒いでいる様だ。 日本も最前線国家の例に漏れず、国民の娯楽は少ない。
そんな中で子供達、特に男の子達にとって1番人気なのが、帝国軍の各種兵器の模型だった。 海軍の紀伊級や大和級戦艦。 陸軍の90式戦車。
なかでも陸海軍の戦術機模型は、特に人気が高かった。 そんな様子を見て、祥子も愛姫も微笑ましそうに笑っている。 彼女達の息子も、あの年頃になればあんな風に・・・
その内に、『陽炎』を押し付けられた少年が、泣きべそをかき始めた。 どうやら『不知火』か、『疾風』が欲しかったようだ。

「あらあら・・・って、祥子さん? ・・・あ~あ・・・」

見ると祥子が、その少年達に近付いて行った。 私もたいがい、お節介焼きって言われるけど、祥子さんも結構お節介焼きよねぇ・・・等と思いながら、愛姫は苦笑する。

「・・・ほら、泣かないの、光雄君。 男の子でしょ?」

「あ、周防のおばさん」

「コンニチハ」

「長門のおばさんも。 こんにちはー!」

近所の子供達だった。 『おばさん』と呼ばれる事には、まだ20代の内は内心でちょっと傷つくけれど、それはそれ、子供の事だし勘弁しましょう。

「みんな、どうして『陽炎』がイヤなの?」

「え~? だってさ、他は国産機だよ! でも、『陽炎』はアメリカのF-15じゃないか。 周防のおばさん、知らないの?」

「そうだよ、アメリカの戦術機なんてさぁ、カッコよくないよ! それにさ・・・そんなの持ってたら、学校でバカにされちゃうよ・・・」

どうやら反米感情は、こんな無邪気な年頃の子供達の無意識まで、浸食していた様だった。 祥子も愛姫も、内心は暗澹たる想いだった。

「そうなの? ゴメンね、おばさん、よく知らなくって。 でも、おばさんは『陽炎』も大好きよ?」

「ええ!?」

「どうしてさぁ」

「変だよ、そんなの・・・」

子供達の抗議の声に祥子は、まだ泣きべそをかいている男の子の頭を優しくなで、他の子達に優しく微笑んで言った。

「だって、『陽炎』も『不知火』も、『疾風』も『流星』も、みぃーんな、この日本を助ける為に、戦っているのでしょう?
兵隊さんは、『陽炎』にも、『不知火』にも乗って、戦ってくれているのだもの。 だからおばさん、『陽炎』も大好きよ?」

ちょっと、バツが悪そうに押し黙るヤンチャ坊主たち。 そこへ愛姫がフォローを入れた。

「おばさんも、『陽炎』好きだな。 ねえ、知ってる? おばさん家の長門のおじさん、昔にちょっとだけ『陽炎』に乗って戦ったのよ。 あ、周防のおじさんも一緒にね」

本当はF-15Cだったらしいけどね。 内心でそう思いつつ、それは子供達に言っても仕方ないでしょう、と省略する。 祥子も愛姫も、ここでは『近所の優しいおばさん』だから。
その話に、軍国体制下日本の男の子達は、途端に目を輝かす。 周防のおじさんと、長門のおじさんは歴戦の衛士で、あの第15旅団の大隊長をしている。
帝国陸海軍衛士の中でも、トップエースと呼ばれる一部の衛士達は、特に小学生くらいの男の子達にとっては、身近なヒーローだったのだ。

「ほんとう!? すげぇ! すげぇ!」

「周防のおじさんも、長門のおじさんも、京都や横浜で戦ったんだよね!?」

無邪気にはしゃぐ子供達だったが、その内に『不知火』を買うと主張していた、気の強そうな男の子が、泣きべそをかいた男の子に向かって言った。

「じゃあ・・・『不知火』は、おまえにやるよ、ミツ。 俺は『陽炎』でいい」

「・・・ホント!? たっちゃん!?」

「お、おう! 兄ちゃんが前のモデルの『不知火』持ってるし! それに・・・『陽炎』も、日本を守る戦術機だしな! ね? そうだよね? 周防のおばさん、長門のおばさん」

「そうね、ええ、達男君の言う通りね」

「そうそう。 だから、ほら、光雄君も泣いちゃダメだぞ? 男の子だろ? ね?」

その後、元気にはしゃいで走り去った子供達を見て、祥子と愛姫もちょっと苦笑する。 商店街を歩きながら家路に。 まだちょっとだけ距離が有る。

「やれやれ・・・泣いた子が・・・ってヤツよね?」

「ふふ、あの年頃の男の子って、あんなものでしょ? ウチの弟も、そうだったし」

「あ~・・・私は上が3人とも、兄貴ばかりだったから、あまり判らないや。 でもなんか、複雑よね。 あんな小さい子達まで、無意識に反米感情持っているんだもん」

「そうねぇ・・・主人もこの前、ちょっと愚痴を言っていたわ。 『メディアの報道が、実態と乖離し過ぎだ』って。 ウチの人は、駐米経験もあるし・・・」

「あ、そうだね。 直衛はアメリカ、結局2年近いんだっけ? ウチの主人も言ってたなぁ・・・ウチの人は、欧州が長いけれど」

日本国外は、前線配備された中国大陸(満洲)と、他は朝鮮半島しか経験の無い祥子と愛姫には、彼女達の夫の不満が半分判って、半分実感できない、そんなもどかしさが有った。
彼女達の夫が最近愚痴っているのも、別の理由が有る。 さっきの男の子達の反応がそうだ。 帝国陸海軍は、徴兵の他にも志願入隊枠を広げていた。 質の高い戦力維持の為に。

そして若者を惹き付けるのは、どんな時代でも『偶像』という手法は有効な手段のひとつだ。 国営放送での、軍の宣撫番組。 雑誌の広告。 映画のコマーシャルフィルム。
そこには勇壮な艦砲射撃を行う戦艦群や、砲列を並べ猛射を浴びせる戦車隊に併せ、突撃を敢行する戦術機隊の勇壮な姿もフィルムに映っている(事実は大半が『ヤラセ』だが)
そんな中で、陸海軍戦術機甲部隊の『エース』達の1人として、彼女達の夫も映像の中に収まっていたのだ。 出撃前のリラックスする姿、訓示を行う姿、戦術機に乗り込む姿。

「あれって大半が、戦術機部隊については、国防省兵備局広報部派遣のカメラマンが撮っていたわねぇ・・・」

「そうだよねぇ、あの出歯亀精神には、ホントに敬意を表したくなったよね。 最前線基地まで出張って来るんだもん。 祥子さんも、結構撮られたクチじゃ無かったっけ?」

「・・・ええ、中尉や大尉の頃に。 主に女子学生向けの、志願募集記事の一環でね・・・」

「一度、衛士強化装備姿の全身写真を、全国の衛士訓練校受験募集ポスター用に使われたもんねぇ。 あれって、結構剥がされたりしたしねぇ? にひひ・・・」

「ちょ! やめてよ、愛姫ちゃん!? お、思い出したくもないわっ! ああ、恥かしいったら・・・!」

「いえいえ、全国青少年の身近なヒロインですよ、祥子さんも。 うんうん・・・どんな『ヒロイン』かは知んないけどね?」

「なによ・・・自分だって緋色と2人で、中等学校用の衛士訓練校募集記事に、強化装備姿を晒した癖に・・・あれって、主に10代半ばの男の子用の記事写真なのよっ!?」

「あった、あった、そんな事も! 緋色ってばさ、あの女武者が顔を真っ赤にして恥じらっちゃってさぁ、面白かったよー?
いやぁ、それにしても私も、罪な女よねぇ。 ごめんねぇ、私のファンの少年諸君! もう奥様なのよ! あはは!」

一見豪快だけど、こう見えて繊細な所の有る女性なのよ? でも、結婚して子供を出産してから、豪快さが増したんじゃないの? 内心で年少の母親仲間を心配する祥子だった。

それからも内心は、ちょっと沈みかけな気分を引きずって歩いていると、ふと甘味屋が目に入った。 このご時世で甘味屋も、かなり商売は上ったりだ(砂糖や塩は配給制)
だがいつの世の中でも、どこかに抜け道は有るようだ。 政府も強圧な取締はしていない、国民感情に配慮したものか?

「・・・ちょっとだけさ、寄っていかない?」

気分転換に、甘い物でも食べていこうよ。 愛姫の目がそう言っていた。 現役時代(今は育児休職中)、その細身の体のどこにそんな、と言われた『暴食娘』は健在の様だ。

「うーん・・・私は良いけど。 愛姫ちゃん、お姑さん、待ってらっしゃらないの?」

「大丈夫! 『久々だろうし、帰りに寄り道でもしてらっしゃい』って、お墨付き貰ったし。 今頃は圭吾にメロメロよ、お義母さん」

「はあ、流石。 愛姫ちゃんて、そちらのお姑さんのお気に入りだし。 『長男の嫁』が、お姑さんとこんなに仲が良いだなんて」

「そっちのお姑さん、厳しいの?」

「お義母さん? いいえ? とても優しいお義母さんよ。 お義姉さん達も善い人だし。 もう私、周防のお家じゃ末娘扱いよ・・・」

「祥子さん、長女だから新鮮なんじゃないの?―――あ、ウィソちゃん、こんにちはー! 席、空いている?」

店に入って、愛姫が馴染みの店員の少女に声をかける。 振り向いた少女は明らかにアジア系だが、少しどこか、日本人とは違う雰囲気の少女だった。

「あ、愛姫さん、いらっしゃい! 祥子さんも。 お席、空いていますよ、奥どうぞー!」

よっこらしょ―――割と年寄り臭い掛け声で椅子に座った愛姫が、メニューを見る。 と言っても殆ど種類は無いのだが。

「うーん、何にしよ? 最中?」

「そうねえ・・・」

「あ、そうだ、今日は白玉団子が入っていますよ?」

「本当? じゃあね、私はお汁粉にするわ」

「あ、私も、私も!」

「お汁粉、ふたつですね。 ナラン姉さぁん! お汁粉ふたつー!」

『はぁい!』

奥の厨房から、また若い女の子の声が聞こえた。 数分後、久々に味わう甘味に表情をニコニコと崩す2人の夫人は、クルクルとよく動く少女を見て、ホッとした声で言った。

「良かったわ。 ウィソちゃんもナランちゃんも、本当に頑張っているみたいだし・・・」

「そうねぇ、旦那2人がいきなり『商店街で女の子2人の働き口、有るか聞いてくれないか?』何て、言い出した時は・・・」

「愛姫ちゃんってば、『圭介ー! アンタ、早々に浮気する気かー!』って、ウチにまで聞こえたわよ?」

クスクスと笑う祥子を軽く睨んだ愛姫だが、店員の少女2人を見て柔らかい表情で話し始める。

「・・・92年の北満州。 思い入れの深い場所だもの。 そこで旦那2人が関わった事のある、難民の女の子2人。 そりゃあ、やっぱり妻の出番でしょう?」

「2人とも、本当に良い娘だし。 ここの小父さんも『良い娘を紹介してくれて、有難うな!』って言ってくれたし・・・」

周防少佐と長門少佐が、まだ新任少尉だった約9年前。 北満州での任務で護衛したモンゴル系難民の一団、その彼等が、流れ流れて、帝都の国際難民区で暮らしていたのだ。
再会したのは、ひょんなきっかけだった。 周防家の自家用車(既に15年落ちの中古車)の修理を出した、自動車修理工場で働く難民出身の少年整備工が、周防少佐を覚えていた。
しかし9年ほど前の話だ、周防少佐は最初判らなかった。 今が18歳だとしても、当時は幼い9歳だ。 判れと言う方が、無理が有る。

『・・・もしかして、周防少尉?』

最初、そう声を掛けられた時は、周防少佐もキョトンとしたものだ。 何せ8年から9年ほど前の階級で、いきなり呼ばれたのだから。
訝しむ周防少佐に、ようやく9年近い年月の事を思い出したその少年整備工は、はにかみながらこう言った。

『覚えていないですか? 92年の5月です、あ、もう6月に入った頃だったかな? 黒竜江省の依安の近くから長春まで、俺の一族を護衛して送って貰いました。 ユルールです』

『・・・えっと・・・まさか、あのユルール!? モンゴルの、遊牧民の一族に居た、あのユルールか!?』

『はい! そのユルールです! まさか会えるなんて・・・あの時は、本当に有難うございました! 俺、お陰さまで今も生きています。 親爺から聞いたんです、俺。 
あの時、爺様を説得してくれたのは、『スオウ』って名の日本の若い衛士だったって。 お陰で一族は、BETAに喰い殺されずに済んだのだって。 だから、日本に感謝しろって』

『なんと、まあ・・・よくぞ・・・よくぞ無事で! 立派に成長して! 良かった、良かったよ、ユルール・・・』

そう言う訳で再会した2人だった。 その後も長門少佐を交えて交流が続いたが、その時に相談を受けた話が、妹達の働き口だった。

『国際難民区は、日本政府の援助金が少ないんです。 政府の援助金は、ほとんど国内難民区に流れてしまって、国際難民区には・・・
だから、俺達は本当に働かないと、食っていけません。 でも、ウィソもナランも、働き口が見つかんなくって。 俺とオユンの給料だけじゃ、食ってくだけで・・・』

『俺もユルールも働き口が見つかって、何とか家族を食わせるのは出来る様になったんです。 でも、妹達の学費までは・・・ムンフ姉さんの給料合わせても、そこまでは・・・
せめて自治学校(国連難民自治学校・小中一貫)は、卒業させてやりたいんです。 夜学だから昼間働いて・・・ ナランは14歳で、ウィソも13歳になりました、働けます』

ウィソの兄のユルールは18歳、自動車修理工をしている。 ナランツェツェグの兄のオユントゥルフールは17歳、地元の土建会社で土木建設作業員の職に就けた。
オユンとナランの姉のムンフバヤルは20歳で、国連難民高等弁務官局アジア・太平洋難民事務支局の東京弁務官事務所で、補助事務員の職についている。 だがやはり貧しかった。
そこで件の、『長門の旦那さん、浮気か!?』事件に繋がる(一時期、町内で噂になった) 今ではウィソもナランも、甘味屋の評判の良い看板娘だった。

「この前にね、オユンがウチの人に相談に来たのね」

「オユン君が? 圭介さんに? 何て?」

「軍に志願した方が、良いのかなって。 ほら、国際難民でも、軍に志願すれば帰化申請権利を与えられるじゃない? あの子、お姉さんや妹の為にって・・・」

「そう・・・実はユルール君もね、この間、ウチの人に似た様な事を言ったの」

「へえ・・・で? どう言ったの、直衛は?」

「もうねぇ・・・『馬鹿野郎! ユルール! お前が居なくなって、どうやってウィソを守ってやるんだ! 兄貴だろう、お前は!』って、もういきなり雷を落としちゃって。
あんまり大声だったから、直嗣も祥愛もびっくりしちゃって。 2人とも大泣きしてね、大変だったわ。 その日は1日中、ブスっとしていたし、ウチの人・・・」

「あはは、ウチの人も似た様なものよ。 何も言わずに、いきなりゲンコツでゴンッ! で、『お前、姉さんと妹、捨てる気か!?』って。 ・・・ちょっと、惚れ直したかな?」

「はいはい、ご馳走様・・・あら、もうこんな時間? そろそろ出ましょうか」

「そうね。 ウィソちゃん! お勘定ねー!」

「はぁい!」

看板娘の少女を見て、2人の妻達は夫の言う事は正しい、そう思った。 戦う理由は人それぞれ、千差万別。 そして戦う場所も様々。
銃後でこうして働く事も、最前線で戦う肉親や恋人、夫や友人達の、心の支えになるのだから。 甘味のエネルギーと回復した気分とで、祥子も愛姫も、足取り軽く家路についた。





「ふぅん、圭介もねぇ・・・」

当直明けの自宅、周防少佐こと、周防直衛は数日ぶりに自宅で妻の手料理に舌つつみを打っていた。 妻の祥子が、ご飯をよそおってくれる。
今夜はサクラマスの塩焼き、菜の花の芥子和え、蜆の汁物に切干し大根の卵焼き。 そして最近食べ始めた玄米飯。 周防家は和食の頻度が高い。

「似た者同士ね、あなたと圭介さんって。 愛姫ちゃんも言っていたわ、中等学校からの腐れ縁は、伊達じゃないねって」

クスクスと笑う祥子。 夫の直衛と隣家の主の長門圭介は、中等学校時代から衛士訓練校、新任少尉に国連軍時代、そして今に至るまでの腐れ縁の親友同士だ。

「宜しい事じゃないですか、直衛さん。 そんなお友達は、なかなかいませんよ? それにその・・・ユルール君とオユン君でしたっけ? 家族思いの良い子達よね」

「はあ。 初めて会ったのはもう、9年近く前ですが。 その頃の素直さを失わずにいてくれて、嬉しいモンです。 散々、苦労して来ただろうに・・・」

「18歳と17歳でしょ? 日本人だったら徴兵年齢かぁ・・・でも、誰かが働いてくれなきゃ、だし」

「春には、笙子先輩も看護専科学校よね? やっぱりそのまま軍に残るの?」

「うーん・・・できれば、4年の任期終えたら、民間の病院で看護婦したいなぁって。 雪絵ちゃんは?」

「私は女子師範学校を受験するつもり、将来は小学校の先生になりたいな。 深雪姉さんも進学しているし」

「深雪先輩、今は専攻科(短期大学相当)だっけ」

直衛と祥子の夫婦だけでは無かった。 祥子の母と、妹の笙子。 そして何故か直衛の従妹の雪絵(周防雪絵)が遊びに来ていた。

「・・・ところで雪絵、お前、笙子ちゃんと同じ学校だったのか?」

「うん。 あれ? 直衛兄さん、知らなかった? 私と笙子先輩、仲良いんだよー?」

「知らん。 笙子ちゃんからも聞いてない」

「あ・・・言うの、忘れていました。 ごめんなさい、お義兄さん。 仙台から転校して、入った合唱部の後輩なんです、雪絵ちゃん」

「ふぅん・・・」

赤ん坊は、直嗣は義母が、祥愛は笙子と雪絵が2人であやしている―――と言うより、それが主目的の様だ。

「ほぉら、直嗣。 お祖母ちゃんですよー?」

「お母さん、あまり抱き癖つけないでね・・・」

「祥っちゃん、お姉ちゃんと遊ぼうねー」

「先輩、お姉ちゃんじゃ無くて、『叔母さん』・・・」

「・・・雪絵ちゃん!?」

「ひゃあ!」

家の中が賑やかなのは、良い事だ。 綾森のお義母さんも、久々に孫達に会えて嬉しそうだし―――ああ、今度の休みには、親爺とお袋に子供の顔を見せに行くか。
黙々と夕食を食べながら、周防少佐はそんな事を考えていた。 昔は思いもしなかった、自分が結婚して、子供が生まれて、一家の主として・・・

「・・・新任少尉だった頃の俺に、もし教えたら、あんなヤキモキは無かったんだろうな」

小さく呟いて苦笑する。 なにせ周防少佐は、新任少尉として初配属になった中隊で、当時1年先任だった女性少尉に初対面で『一目惚れ』したクチだ―――今の夫人なのだが。

「え? なに? あなた、何か言った?」

「・・・いいや。 祥子、おかわり」

「あ、はい―――はい、どうぞ」

「・・・ん」

少なくとも、自分には生きる理由が有る。 戦って生き抜く、最も大切な理由が有る―――大義でも、名分でも無い。 自分の理由は、今ここにある。 そう思った。

不意に玄関の呼び鈴が鳴った。 誰かしら、こんな時間に―――妻の祥子が、不審そうに呟いて玄関へ出る。 とは言え、まだ夜も8時ころ。 隣家の嫁さんかも。
そう思っていたら、玄関先で祥子の驚いた様な声がした。 誰だ?―――そう思っていると、祥子の後ろから1人の若い海軍士官が現れた。 周防少佐を見て、笑っている。

「こんばんは、義兄さん―――これ陣中見舞い、一杯飲もうよ」

その海軍士官―――周防少佐の義弟、妻の祥子の実弟である綾森喬海軍中尉が、日焼けした顔に笑顔を浮かべて、手にしたボトルを掲げて笑っていた。





「ったく・・・お袋と笙子が来ているなんて、予想外だったよ」

周防少佐はウィスキーグラスを傾けながら、義弟の喬がぼやく様を笑って見ている。 長期の海外作戦から帰還しても、実家に顔も見せない息子。
それが、蓋を開ければ義兄の所で飲んだくれようとした息子に、義母がえらく怒っているのだ。 宥めるのに苦労したが、なに、孫の面倒を見ていて貰えば機嫌も直る。

「はは、お義母さんも、直嗣や祥愛に会いたくて仕方が無いんだよ。 なにせ初孫だし、その辺は判ってあげろよ。 笙子ちゃんも春には軍の専科学校だしな・・・
まあ飲め。 どうせ今夜は水交社(帝国海軍将校・准士官の親睦・互助組織・兼・オフィサーズクラブ。 飲食・宿泊も一流ホテル並み)で独り寝だろ? 泊まっていけよ」

「いいのかい? 義兄さん。 姉さんがまた、煩いぜ?」

「構わないよ。 俺が祥子に言っておくし」

「・・・義兄さん、結構、姉さんの尻に敷かれていると、僕にはそう見えるんだけど?」

「夫婦円満の秘訣だよ。 はは、上陸してレス(海軍隠語で『料亭』の事)にも泊まらず、ってのも海軍士官としては、どうかと思うけどな―――いつ、戻って来た?」

「しっ! 声大きいよ、義兄さん! 今夜は綺麗ドコロに振られてさ―――5日前だよ、横須賀に戻ったのは。 ウチの5戦隊と4航戦、それに2駆戦が去年の暮れからさ。
分派されてクラ海峡防衛の助っ人だよ。 大東亜連合には『明星作戦』じゃ、少なからぬ戦力を出して貰っているしね、相互軍事協力体制の一環さ。
海軍じゃ、北はソ連とオホーツク海にベーリング海。 南は統一中華と南シナ海や東シナ海。 大東亜連合とは南シナ海やアンダマン海、そんな海域での協力をね・・・」

「陸軍も同じさ。 で、クラ海峡、あっちはどうだ? あそこが陥落すると、洒落にならん」

いきなり生々しい話だが、軍人同士こんなものかもしれない。 周防少佐は東南アジア方面での戦闘参加歴はない。 逆に綾森中尉は東・南シナ海での支援作戦の経験が有る。

「まあ・・・今の所は大丈夫なんじゃないかな? 一番近いのはマンダレー(H17:マンダレーハイヴ)だけど、1500km以上距離が有るからね。 BETAも精々、旅団規模だよ。
海峡の最狭部はたった44kmしかない、半島の両側から支援砲撃が出来る。 『出雲』の主砲で撃てば、タイランド湾から半島を飛び越して、アンダマン海に着弾するよ」

「そりゃ、まあ・・・戦艦の主砲だしな。 ロケットアシストだと、100km以上だしな」

「それより義兄さん、気になった事があってさ・・・」

「ん? 向うでか? 何だい?」

向うで甥や姪をあやしている母や姉、妹をちらりと見て、喬が声を小さくして義兄に話しかける。

「MSC・・・米海軍海上輸送司令部、つまりアメリカ輸送軍だけど。 ゴーファー・ステート級が3隻とMPS-3(海上事前集積船隊・西太平洋戦隊)が、ジャカルタ沖に居た」

「・・・別段、不思議では無いんじゃないのか? MPS-3はグアムとサイパンに配備された戦隊だろう?」

「いや、おかしい。 だったらどうして、大東亜連合内に? MPSは米軍が遠征部隊を動かすのに、事前に戦略物資を作戦域に集積するのが任務だよ?
それにゴーファー・ステート級はT-ACS8(貨物揚搭能力強化型輸送艦)だ、余程のデカブツを揚陸・・・それも、十分な港湾施設が無い場所に出張って来る艦種だよ。
あの位になると、MPS1個戦隊で兵員1万7000、戦術機輸送力は100機以上だ。 戦車も70輌は運び込める。 陸軍の1個戦術機甲師団のレベルだよ? どうしてアメリカが?」

「・・・戦術機や戦車を、揚陸していたのか?」

周防少佐も声を小さくして、義弟に尋ねる。 いずれ海軍筋の情報として入って来るだろうが、今は生のホット情報だ。

「いや、戦隊主計長(海軍中佐)が上陸して、MPS司令部に表敬訪問したのだけどね。 もっぱら弾薬食料・燃料関係で、戦術機も戦車も全く無かったと。 どう思う? 義兄さん」

グラスを傾けながら、少し無言で考え込んでいた周防少佐だが、『あくまで私見だぞ』と前置きしてから話し始めた。

「直接的には、大東亜連合内への影響力増大が目的。 大東亜連合のバック、と言うかスポンサー、と言うか同盟者の日本への揺さぶり、かな?
それにしては中途半端な内容だ。 あの国はやると決定したら、徹底的に、合理的にやる。 米軍内と言うより、政府か議会か・・・いずれにせよ、まだ綱引き状態なのだろう」

「米国内の、主導権争い? どちらかのフライング、って事?」

「フライングと言うより・・・ブラフ、かな。 日本と、同調しているかどうかは別として、対立勢力に対しての。 ま、上が考える事だ。 
それより、おい、ヤングオフィサー。 まだまだ、覚える事は山ほどあるぞ? 『オールウェイズ・オン・デッキ』 そんなキナ臭い事を考えている余裕は有るのか? ん?」

「・・・ちぇっ、義兄さんと飲んでいると時々、士官室士官(海軍大尉以上)と飲んでいる気分になるよ。 義兄さん、ホントに陸軍かい?」

「はは・・・ウチは結構、海軍一族でも有るからなぁ・・・ん? と言う事は、叔父貴も今夜あたり、家に帰っているか・・・」

「周防司令官? 司令官なら、うん、今日は上陸した筈だよ。 艦隊旗艦で会議が有って、そのまま帰宅した筈・・・」

喬の乗艦、戦艦『出雲』は第2艦隊第5戦隊の旗艦を務め、第5戦隊司令官は周防直邦海軍少将(2000年12月少将進級)で、周防少将は、周防少佐の叔父だった。

「そうか・・・おおい、祥子! 直邦の叔父貴ン家に電話ー! 雪絵がウチに来ているって! 叔父貴、今夜は家だってさ!」

「あ、はぁーい」

「ええっ!? お父さん、帰ってくるのっ!? まっずーい! 怒られるぅー!」

妻の返事と、従妹の焦る声が聞こえる。 苦笑しながら、義弟のグラスにボトルを注ぐ。 海軍士官御用達の銘柄は、コクが有って飲みやすい。

「義兄さん・・・今のって、司令官のお嬢さんだよね?」

「ん? ああ、叔父貴のトコの雪絵だ。 喬君は、直秋は知っているよな? アイツが長男で、その下に今は女子師範学校に在校中の、深雪って長女がいる。
深雪の下に海兵(海軍兵学校)の3号生徒(1年生)で、直純って次男がいるんだが、雪絵は直純の下、叔父貴の末っ子さ。 だもんで、我儘でなぁ・・・」

そう言う義兄を、喬も可笑しそうに見ている。 何と言っても、義兄自身が3人姉弟の年の離れた末っ子なのだから。

「直秋さんで思い出した、欧州各国、特に英国と西ドイツにフランス、海軍力の増強を加速させたよ」

「うん、まあ大陸反攻にはまず、沿岸部の確保が最重要だからな。 俺も昔にあの辺りで戦ったけど、欧州と地中海方面って見方をすると、海岸線が半端無く長い。
どこに重点を置くかだが、洋上兵站や緊急展開能力、大規模上陸作戦での揚陸能力に支援能力・・・そろそろ、陸軍機を戦術機母艦の艦載戦術機に、ってのも無理がなぁ・・・」

「“タイフーン”だっけ? 海兵のクラス(同期生)で戦術機に行った奴がさ、この前飲んだ時に呆れていた。 海軍機と陸軍機とじゃ、そもそも設計思想が違うのにって。
それにほら、最近、帝国の海軍機メーカーも販路攻勢、かけているらしいよ。 米国企業と結構、競合していると聞いた。 米議会が煩く言ってこないかな?」

義兄弟で話す内容としては、味気なく殺伐としたものだが、同じ軍人同士では話題も偏るものか。

「ま、キナ臭い話はここまでだ。 おい、もっと飲もうぜ。 喬君、佳い女は出来たか? 恋人だよ、恋人」

「な、なんだよ、いきなり・・・居ないけどね」

「なんだ、なんだ、色気の無い。 なんなら紹介するぞ? ウチにも若い独り者のWAC(陸軍女性将兵)はいるからな。 それともアレか? 軍人以外の方がいいか?」

「ぶふっ!」

「だったら俺の従妹はどうだ? 年上になるが、藤崎の家に志摩子って従妹が居る。 従兄の俺が言うのも身贔屓かもしれんが、器量良しの美人だぞ、今は小学校の先生だ。
それかさっきの深雪でも良いぞ、司令官のお嬢さん、嫁に貰わんか? 話つけるぞ? まさか、雪絵とか言わんだろうな? まあ、君がそっち好みなら、叔父貴に話してやるが・・・」

「ちょ、ちょっと待ってよ、義兄さん! 雪絵ちゃん、笙子より年下だって! 勘弁してくれよ! もう酔ってるよ、この人!」









2001年3月15日 日本帝国 帝都・東京 衆議院本会議場


「やれやれ、前代未聞でしたな、今回の予算審議は・・・」

「まったく。 こんな迷走状態では、与党に政権を任せられませんなぁ」

「アンタの党は、海の向こうから結構、貰っとるんじゃないの?」

「何の話か、判らんね。 それよりも、政権交代だよ、政権交代!」

「白々しいね、あの党も。 口では国粋的な事を言いながら、実際はニューヨークの腰巾着さ」

「アンタんトコは、その昔は北京詣でに精を出してたじゃないの」

「はん! もう台北に吸収されて、落ち目の連中さ。 この国は官僚と軍部を上手く使ってナンボだよ」

「・・・あんたの党こそ、白々しいよ。 にしても、横浜か。 接触しておいた方が良いな、それに米国内のAL4派とも・・・」






[20952] 伏流 帝国編 4話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2012/03/31 13:00
2001年3月25日 日本帝国 帝都・東京 日比谷 帝国軍本土防衛軍総司令部(The Defense General Headquarters :DGHQ) 帝国軍防衛会議


ここに来る度に、何か威圧感を感じる―――日本帝国陸軍・周防直衛少佐は居心地の悪さを感じつつも、上官のお供として来た以上、会議が終わるまでは我慢せねばならなかった。
60年以上も前に建築され、民間所有ビルから、先の世界大戦では陸軍が接収して東部軍管区司令部が置かれた。 その後民間移譲されたが、BETA本土進攻後また軍が接収。
今は本土防衛軍総司令部として、陸・海・航宙3軍の軍人達が忙しく行き来する。 地上7階、地下4階の建物は、それでも昨今の増員で手狭になり、近々別館を設置すると言う。

「―――どうなるかね?」

「ガルーダス(大東亜連合軍)への影響力を考えると、派兵せねばならんだろうね。 問題は、そんな戦力が有るか、と言う事だが・・・」

防衛軍総司令部第4部(兵站)の九重清源中佐と、国内予備軍(Replacement Army:RA)2部(兵監部)の邑木昇中佐の会話が聞こえる。
向うでは防衛軍総予備で有る第16軍団参謀の柴野季孝少佐と、榊原慎之介少佐が話し込んでいた。 彼らだけでは無い、中佐・少佐級の佐官がヒソヒソ話の真っ最中だ。

「・・・何処をどう探したって、余剰兵力なんかない。 佐渡島正面の新潟を担当する北陸・信越軍管区や、朝鮮半島と対峙する九州軍管区は論外として・・・」

「・・・九州の側面を守る西部軍管区、沿海州や樺太からのBETA侵入防衛を担当する、北部軍管区もダメだ・・・」

「・・・東北軍管区は、北部と北陸・信越の両軍管区に対する支援任務が有る。 そこから削る訳にもいかん・・・」

「・・・削るとすれば、西部と北陸・信越の後背地を防衛する東海軍管区か・・・東部軍管区は・・・いや、手を付けんだろうな」

「・・・当然だ、帝都防衛軍管区だぞ、東部軍は・・・市ヶ谷の統幕(統帥幕僚本部)以前に、三宅坂(陸軍参謀本部)が首を縦に振らんよ・・・」

防衛軍総司令部の大会議室、その脇に付属する控室には、会議に出席する資格を持たない中佐・少佐級の副官・参謀・随員達が、上官を待っている間、あれこれ想像していた。
今月の初旬に南シナ海の派遣から帰還した、帝国海軍第2艦隊分遣隊(第5戦隊、第4航戦、第2駆戦)がもたらした、米海軍海上輸送司令部(MSC)の動向情報。
それが命令系統を辿り、統帥幕僚本部(統幕本部)、国防省へと上がった時点で、事態は軍事から政治へ、具体的には外交政策問題へと進展したのだ。

「・・・例の『HI-MAERF計画』接収、高値で売る代わりに、東南アジアへの進出を黙認しろ、そう言う事か・・・?」

「・・・少なくとも、米軍内のタカ派や、CIAの経済通はそう見ているだろうな。 東南アジアは今や、アジア圏イチの工業成長地帯だ。 インドネシア、ボルネオ・・・」

「・・・後ろに控える豪州へ、待ったを掛ける意味合いもあるだろうな。 我が帝国との経済的・軍事的繋がりが加速する事を、アメリカが指を咥えて見ているだけとは・・・」

「・・・だからか? ここで派兵して、ガルーダスはおろか、大東亜連合加盟国全体への心証を、さらに向上させておかないと、と言う・・・?」

「・・・外務省と通産省は、大東亜連合理事会に対して、更に帝国企業の進出を打診している。 現地生産工場の建設と、雇用の促進だな。 この前、新聞に載っていただろう?」

各軍管区司令官(陸軍大将)、GF司令長官(海軍大将)、EF司令長官(海軍大将)、海軍鎮守府長官(海軍大将)、海軍聯合陸戦隊総司令官(海軍大将)、航宙軍降下兵団総司令官(航宙軍大将)
これに本土防衛軍総司令官(野々村尚邦海軍大将)、同副司令官(岡村直次郎陸軍大将)、同参謀長(国武三雄陸軍中将)等々、帝国三軍の将帥がズラリと揃う、軍事行動全てを決定する最高会議。
中佐や少佐では、『尻の青い若造共は、そこで待っておれ』とひと言、そう言われて終わりである。 周防少佐が随員として従って来た上官の第15旅団長・藤田准将も、この会議では只の『傍聴者』に過ぎない。

准将以上の階級の(海軍では代将=提督勤務大佐)将官達が多数出席しているが、実際はそれ以前、本土防衛軍幕僚会議(中将以上の司令官・幕僚の会議)で大筋は決定している。
要は形式に過ぎないのだが、組織と言うものにとって形式は、それはそれで必要だ。 と言う訳で、『傍迷惑な』と内心で思っている随員の身として、2時間待ちぼうけで有る。

「どう思う? 周防少佐」

横合いから話しかけられ、見ると旧知の佐久間基少佐だった。 以前に第18師団作戦課で勤務した折の同僚だ、今は東部軍管区司令部の参謀をしている。

「・・・出すとしたら、今の所、そう忙しくない部隊。 東部軍の第1師団か第3師団。 あるいは西部軍(西部軍管区:近畿・中四国担当)の第27師団か第31師団。
他の部隊は軍管区主力・・・BETA防衛の矢面に立たされる部隊や、練成途上の新編師団や旅団だ。 まさか禁衛師団を出す訳にもいかない」

「君の所の、第15旅団は? あるいは、西日本の第10旅団」

「・・・緊急展開部隊が不在、それでもいいのならね」

どうにも、この男とは反りが合わない。 第18師団に居た頃からそうだった―――周防少佐は内心で舌打ちしつつも、常識的な所で返答し、お茶を濁そうとした。
それでも内心では、東部軍は動かないだろうし、西部軍も猛反発するだろうな、そう思っていた。 東部軍は自分達が『帝都防衛の最精鋭』と言う、妙な自負を持つ。
対して西部軍は、『元々の帝都防衛最精鋭部隊は、我々西部軍だ。 東部軍など京都防衛の時は、関東で寝ていただけの連中だ』と、変な対抗意識がある。

「我々東部軍は『第1軍』だよ、帝都の守りを放棄する訳にはいかない。 西部軍管区もまあ・・・『かつての第1軍』としてはな。 それに近畿はやはり要衝だ、手薄に出来ない」

全く、陸士恩賜のエリートは! 全てと言う訳ではないのだが、それでも中央官衙(国防省や統幕、参本)や花形部隊に配属されている、陸士恩賜組のエリート将校臭が鼻につく。
ちょっと僻みかな? などと思うが、それでも周防少佐も、衛士訓練校卒業生としては十分早い出世だ。 平時ならば訓練校卒業後、少佐進級は15年かかる。 それが8年半だ。
如何に国内にBETAを迎え撃ち、そして未だ国土にハイヴが存在する国の軍隊―――日本帝国軍の人的損耗が激しいか、それを表す様に昨今は、訓練校卒業生も要路に就き始めた。

「首相や国防相は、中即団(CRF:中央即応集団)は動かさないだろう。 ああ、確かにそうだよ、佐久間少佐。 総予備の16軍団(第39、第45、第57師団)も動かせない。
ガルーダスの要求する『1個師団以上の戦力派兵要請』に叶うのは、第10と第15旅団に支援部隊を付けて、それを纏めて放り出すしかない、これで良いか?―――失礼する」

それだけ言うと、周防少佐は相手の反応を待たず、席を立ってしまった。 これ以上話していると、どうやら碌でも無い事を言いそうな気がしたからだ。
佐久間少佐と言えば、そんな周防少佐の後ろ姿を、やや皮肉っぽい笑みで見てから、同じ東部軍の参謀と話し始める。 やはり人には、合う、合わないがある様だった。


「おい、周防」

控室で、さて何処に避難しようかと、廻りを見渡していた周防少佐を、また誰かが呼びとめた。 先程の会話で少し不機嫌になっていた周防少佐は、やや剣呑な表情だったが。

「―――なんだ、棚倉か。 久しぶりだな、貴様もお供か?」

周防少佐の同期生、棚倉五郎少佐だった。 今は西日本全域を担当する緊急展開部隊、第10旅団で第1戦術機甲大隊長をしている。
同期の友人と判り、ホッとするのも束の間。 棚倉少佐の背後に見知らぬ大佐が居る事に気づき、慌てて敬礼をする。 棚倉少佐が気付き、その大佐に紹介する。

「副旅団長、彼は私の同期で、第15旅団で第1戦術機甲大隊を率いる周防直衛少佐です。 周防、こちらは第10旅団副旅団長の、遠野明彦大佐」

「第15旅団、周防少佐で有ります、遠野大佐」

「第10旅団、遠野だ。 ふむ、さっきのは東部軍の青二才か。 まったく、帝都でふんぞり返りおって。 少しは前線に出て来い、と言いたい所だな、周防少佐?」

「はっ、同感で有ります、遠野大佐」

横で同期の棚倉少佐も、渋い顔で東部軍の幕僚・随員団を見ている。 緊急展開部隊の第10、第15旅団としては、最前線の各軍管区部隊は労苦を共にする戦友の意識が有る。
しかし、正面装備を最新のものに揃え、練度も十分ながら第2次防衛線から一歩も出ようとしない東部軍管区―――東部軍、その第1軍には少々の反感を持つものが多い。

「同じ東部軍でも、北関東防衛の第7軍(第2軍団:第12、第56師団主力、第18軍団:第14、第56師団主力)は、積極的に防衛戦闘に参加しているがな。
その分、東部軍管区司令部とは常に喧嘩しておる。 軍管区司令官の篠塚閣下(篠塚吉雄陸軍大将)は、どっちかと言うと『よきに計らえ』なタイプだ。
実質的に動かしているのは、軍管区参謀長の田中閣下(田中龍吉陸軍中将)だが、あの人は裏表の激しい人だからな」

遠野大佐が渋い顔で言う。 帝国の中枢防衛を担う東部軍管区内で、司令部と指揮下の実働軍との間で軋轢が有るなど、本来あってはならない事だ。 棚倉少佐が後を継いで言う。

「田中軍管区参謀長は、第7軍司令官の嶋田閣下(嶋田豊作陸軍大将)とは犬猿の仲だとか。 嶋田閣下は陸大を経ずに、陸軍大将まで昇進されたお人です、叩き上げで。
陸士・陸大共に恩賜組で、どちらかと言えば軍令より軍政畑の、しかも陰性の謀略好きな田中閣下とは、まさに水と油でしょう」

しかしその軋轢は存在する。 棚倉少佐が指摘した通り、軍管区参謀長の田中中将を始めとするスタッフと、軍管区指揮下の第7軍司令官以下、第7軍とは犬猿の仲だ。
帝国陸軍内の上級将校の間では最早、公然の秘密となっている東部軍管区内の実情。 軍管区参謀長と指揮下の軍司令官が、事ある毎に衝突していた。

「・・・田中閣下は、政治色の強い統制派軍官僚ですし。 政治的に無色で、前線の指揮官ばかりを歴任されてきた嶋田閣下とは、合う筈も有りませんよ。
噂では嶋田閣下は、指揮下の2個軍団の中から1個師団を抽出しても良い、そう仰られたとか。 それを田中閣下が『帝都の守りが薄くなる』と、握り潰したと・・・噂ですが」

「いや、周防君。 噂では無いよ。 第1軍司令部に同期が居るのだがな、そいつも同じ話をしておった。 東部軍管区の会議の席上、嶋田閣下と田中閣下が大喧嘩だそうだ」

方や陸軍大将、片や陸軍中将。 しかし前者は陸軍中枢には縁の無い、恐らく今の配置が退役前の最終配置で有ろう将軍。 後者は陸軍中枢派閥に属する、エリート軍高級官僚。
総じて地方の軍管区には、陸軍中枢には縁遠い高級将校が配置され、東部軍管区や西部軍管区と言った最重要軍管区には、中枢派閥に属する、又は近しい高級将校が配されている。
ただ、同じ最重要軍管区とは言え、東部軍管区と西部軍管区は、これまた犬猿の仲だった。 西部軍管区は東部軍管区を何かに付け敵視し、東部軍管区は無視する。
BETAに本土進攻を許し、今なお佐渡島にハイヴが存在する日本帝国。 その国土奪回と防衛を担う、最大兵力を有する日本帝国陸軍もまた、『組織』の持つ悪弊に蝕まれている。

「ま・・・我々としては、下手に上の争いに巻き込まれない様、精々流れを見極める事だな。 まだ若い君等には釈然とせんかもしれんが、それが組織で生き残る術だ。
だいいち、ここでキャリアを終わらされて軍を放逐されて見ろ。 どうやって今まで死んで行った連中の仇をうつ? どうやって妻子を守る?―――我慢だよ、我慢」

遠野大佐の言葉に、未だ30歳にならない周防少佐と棚倉少佐が苦笑する。 確かに彼等は佐官の立場にあり、大隊を率いる身だ。 だが若い。 
前線での実戦経験は豊富で、年に似合わぬ老成した所も(経験上、無理やりに)持っている2人の少佐だが、彼等は未だ20代後半に差し掛かろうとする青年達なのだ。

「ま、余所の悪口もこの辺にしておこう。 おい、棚倉君、久しぶりに会った同期だろう? 余り時間は無いかもしれんが、話して行けよ」

「大佐は、どうなさいますか?」

「俺か? 俺は・・・いかんな、話して楽しそうな奴が居らん。 前言撤回だ、俺も混ぜろ」

そうして暫く歓談していた3人だったが、遠野大佐が不意に思い出したように、周防少佐をまじまじと見て呟いた。

「・・・そうか、そうだった、周防君。 君があの、『周防少佐』だったか」

「・・・は?」

会話を中断した周防少佐が、遠野大佐の意味ありげな視線に怪訝そうな顔をする。 はて? 俺がどうしたと言うのだろう?
第10旅団には同期の棚倉少佐や、これまた同期の伊庭慎之介少佐が第2戦術機甲大隊長をしている。 同じ緊急展開部隊同士、話題に上る事は有るが・・・

「ふむ、こうして改めて見ると、なかなかの面構えだな、君は。 棚倉君、周防君の戦歴は君と同じようなものか?」

「私より、派手に豊富ですよ、この男は。 92年から93年初秋まで満洲派遣。 その後は国連軍で地中海全域から、ドーヴァー沿岸一帯でBETAと遊んでおった男です。
帰国後はまた、大陸派遣。 おい、周防。 貴様は遼東半島撤退戦と、光州作戦も参加したよな?―――した? だそうです。 その後は京都防衛戦と、明星作戦」

―――後は自分と同様、シベリアまで行って、BETAと雪合戦をしておった男です。

棚倉少佐の紹介の仕方に、やや呆れながらも周防少佐は、さて、それがどうしたのだろう? と思う。 確かに少し異色な戦歴だが、それが目前の大佐にどう映ってしまったのか?

―――だが帰って来た答えに周防少佐は、内心のけぞってしまう。

「ふむ、ふむ・・・まぁ、まだまだ未熟者の言う事だから、話半分に聞いておったが・・・確かに君は、『使い出の有る』指揮官の様だな、周防少佐」

「・・・失礼ですが、遠野大佐。 小官には、お話が全く見えないのでありますが・・・?」

「ん? おう、すまん、言い忘れておった。 つまりだな、娘に君の事を聞かされてな。 えらく絶賛するのでな、『そんな完全な指揮官などおらん』、と娘に言っておったのよ」

「はあ・・・大佐の、お嬢さんに・・・?」

―――誰だ? ・・・待てよ? この大佐、名字は『遠野』だな? ・・・まさか、な・・・

「君の所の指揮小隊、アレを率いているのが、俺の娘だよ」

「はっ!? 遠野中尉ですか!? 遠野万里子中尉が、大佐のお嬢さん・・・!?」

遠野中尉は、20代前半。 遠野大佐は恐らく、50歳前位だろう。 父娘と言われれば、年齢的な計算は合う・・・顔は全く似ていないが。 恐らく遠野中尉は、母親似なのだろう。

「おう、まったく頑固者の娘でな。 戦術機を降りろと言っても、ちーっとも聞きはせん。 なんでも、『大隊長を守るのが、私の任務ですから! お父様は黙って下さい!』だと。
おい、君は妻帯者か?―――そうか、残念。 もし独身なら娘を押し付けて、責任を取らせようかと、そう思っておったんだが・・・」

「せ・・・責任・・・?」

嫌な汗が止まらない。 何なのだ? この大佐は・・・?

「バカたれが、決まっておろうが。 今まで色恋沙汰に縁の無かった娘だ、それが頬を紅潮させて上官を語るなぞ・・・
全く、我が娘ながら呆れるわ。 少しは冷静に相手を選べと言いたいわい! よりによって、妻帯者だなどと・・・」

ぶつぶつと独りごとを始めてしまった遠野大佐を、冷汗をかきながら茫然と見つめる周防少佐。 そんな周防少佐を棚倉少佐が、『ちょっと来い』と部屋の隅に誘う。

「・・・おい、棚倉! 一体なんだ、さっきの話は!?」

「ああ、済まん。 大佐がどうしても、とな・・・まあ、心配するな。 恐らく大佐の思い込みだ」

「・・・本当だな? 俺は優秀な指揮小隊長を、配置換えしたくないぞ?」

「俺の副官が、大佐のお嬢さん・・・遠野中尉の同期生だ、その線で探らせた。 『まあ、麻疹みたいなモンでしょう』、だと。 それも貴様が米国に行く前の話だ」

「・・・俺は、ウイルス菌か!?」

「ああ、そうだ、娘の父親にとってはな。 色恋沙汰に免疫が無い大事な娘に取り付いた、性質の悪い一種の伝染病だよ、誰もが一度は罹患する、な。
ま、淡い初恋、イコール、即失恋だ。 しかしまあ、『時間薬』って言う薬が効いたのだろう、最近は『敬愛する上官』に落ち着いた様だよ。 目出度し、目出度し」

―――どうして部外者の貴様が、当事者より詳しいのだ。

などと、ぶつぶつと文句を言っていた周防少佐だったが、やがて本会議が終わった様で、次々と将官達が会議室から出て来るのを見て、慌てて上官を探し始める。

「棚倉、済まんがここで! それと、遠野大佐の誤解は解いておいてくれよ!?」

「了解、了解」

ニヤニヤ笑う同期生に憮然とした顔で敬礼と答礼を交しつつ、上官を探す。 途中で藤田准将の副官で有る三宅純子大尉と合流し、脇によけて将官達に敬礼する。
大将、中将、少将と言ったお歴々が通り過ぎるのを、敬礼しながら待っていたら、上官である藤田准将が歩いて向かってくるのが見えた。

「閣下、お疲れ様でした」

副官の三宅大尉が、准将が持っていたブリーフケースを代わりに持つ。 その後で周防少佐も藤田准将に就き従い、表玄関までの廊下を歩く。

「閣下、会議の結果は・・・」

「周防、忙しくなる、覚悟しておけ」

それだけ言うと、藤田准将はまた黙りこみ、早足で玄関まで歩いてゆく。 玄関を出て、旅団司令部の旅団長専用車に乗り込む。 助手席に三宅大尉、周防少佐はその後ろ。
車を発進させ、帝都の中心部を走らせる。 窓から見る帝都は、BETAを迎え撃った98年、明星作戦が行われた99年の大混乱から立ち直りを見せ、復興しつつあった。
神田橋を抜け、途中で靖国通りに入る。 浅草橋で北上し、そのまま蔵前、浅草、隅田川を越して向島。 荒川を越した頃、黙って景色を見ていた准将が言った。

「4月早々に派兵だ、場所はマレー半島。 クラ海峡防衛の増援だ。 第10旅団と第15旅団を主力に、機動歩兵、機械化歩兵装甲、機甲、自走砲が各1個連隊付く。
他に独立戦術機甲中隊が6個と、1個航空団(戦闘ヘリ、汎用ヘリ、偵察ヘリ、輸送機)、後方支援連隊だ。 海軍からも第2聯合陸戦師団から、1個陸戦団(旅団)が出る」

「師団以上、軍団以下、と言った所ですか。 指揮官はどなたが? 進発時期は?」

「指揮官は、竹原閣下(竹原季三郎少将、前第49師団長)だ。 4月5日に進発する、時間が無い。 済まんが、一時帰郷させてやる事は出来ん」

帝国陸海軍では、海外派兵の前に将兵に対し、一時帰郷を許可するのが恒例となっていた。 だが今回は時間が極端に少ない、あと11日しか無かった。

「部下達には、言い含めておきます。 海軍の支援はあるのでしょうか? 聯合陸戦隊が出ると言う事は・・・」

「第2艦隊から抽出して、南遣艦隊が編成される。 司令官は第4航戦の城島提督(城島高治海軍少将)だ。 それに5戦隊と2駆戦が付く。
ご苦労な事だ、1か月前に帰国したと思ったら、また南シナ海に逆戻りだな、あの3個戦隊は・・・そう言えば、5戦隊司令官は、君の身内だったな?」

「叔父が、戦隊司令官をしております。 義弟も、戦隊旗艦乗組みの海軍中尉で・・・」

ああ、また妻に苦労を掛けるな。 お義母さんも息子の無事を心配なさるだろう。 どうしようか? 妻には子供を連れて、暫く実家に戻れと言おうか? 
それとも自分の実家に行かそうか? 双子の赤ん坊を抱え、夫の無事を祈りつつ、決して不安を表に出さないで有ろう妻の事を考えながら、周防少佐は務めて事務的に話す。

「本日より、出師準備開始。 完了は4月3日、基地進発・搭船が4月4日。 東京港出港が4月5日。 4月1日より2交替で、12時間の外出許可を出したいと考えます」

「名倉(副旅団長)や元長(旅団先任参謀)と相談して、良い様に決めろ。 整備の草場(草場信一郎少佐、整備大隊長)にはまた、無理を言う事になるな・・・」

「はは・・・あの人は、機械弄りが出来れば、それで幸せって人ですから―――G4(旅団兵站参謀)への事前通知に、各種予備パーツを多めにと、伝えておきます」

普通ならこう言う場合の随員は、旅団参謀が務める。 だが藤田准将は部下の佐官に対する教育の一環として、こうして部隊指揮官の中・少佐を輪番で随員にする事が多い。
周防少佐が言った事は、戦術機や戦車、自走砲に自走高射砲、各種兵器の整備用予備パーツを、定数より多めに持って行け、と言う事だった。
帝国陸軍はこれまで、主戦場を中国大陸の華北・満洲地方から朝鮮半島、そして日本本土として戦って来た。 乾燥・寒冷、または温暖・湿潤の気象条件下だ。
しかし今回は熱帯雨林地帯での、高温高湿条件下の戦闘だ。 南方戦装備もあるが(各メーカーは、大東亜連合軍も顧客だ)、特に高い湿度はアビオニクスに悪影響を与える。

「向うに着くのは、4月の半ばか。 早ければその半月後には乾季があけて雨季に入る、戦い難くなるぞ」

「BETAは、季節や気候などお構い無しですからね。 少しでも余裕が有れば、現地軍からレクチャーを受けられるのでしょうが・・・」

藤田准将も周防少佐も、慣れない自然環境下での派兵に、一抹の不安を拭えなかった。









2001年4月5日 0830 日本帝国 帝都・東京 東京湾・帝国軍青海陸軍基地・青海埠頭


東京湾に面する青海埠頭は、99年の『明星作戦』以降、帝国陸軍占有の揚陸・搭船基地として機能している。 派兵戦力はここから乗船し、海外の戦場へと向かう。

「じゃあ、行ってくるよ」

「ご無事で、あなた。 この子達と、お帰りをお待ちしています」

埠頭には出征する将兵と、別れを惜しむ家族との間で抱擁が交され、無理をして作った笑顔で将兵を送り出す。 その中には周防少佐夫妻の姿もあった。

「今回は主役じゃ無くて、助っ人だ。 どちらかと言えば、予備戦力さ。 正面で矢面に立つ訳じゃない、心配無いよ」

「・・・ええ。 あなた・・・本当に、本当にご無事で。 ご無事で帰って来て、お願い・・・」

自分もかつては戦術機に乗り込み、最前線の衛士として、そして中隊長として戦った経験のある周防夫人は、内心の張り裂けそうな不安を飲み込んで、少し嗚咽する。
そんな愛妻の様子を見た周防少佐も、決して絶対とは言えない言葉を、しかし自分と妻と、子供達の為に口にする。 そう信じ込む。 生きて帰る為に。

「祥子、約束しただろ? もう随分前だけど、93年の夏に。 『絶対生きて帰る、君の許に。 生きて、今度こそずっと君の傍にいる為に』・・・はは、今言うと、ちょっと気恥ずかしいな」

「・・・馬鹿。 直衛の、馬鹿・・・行ってらっしゃい、お体には気をつけてね? 愛しているわ、あなた」

「愛しているよ、祥子」

あちこちで交される、愛する人との、仮初の別離の光景。 しかしこれが本当に、永遠の別れになる可能性も十分有るのだから。
そんな若夫婦の抱擁を、義母(周防夫人の母)が温かく見守っている。 手に引いた乳母車には、可愛らしい双子の赤ん坊が無邪気な笑い声を上げていた。

「・・・直嗣、祥愛、ちょっとだけ辛抱してくれな? お父さん、ちょっと遠いところまで、お仕事なんだ。 お母さんと一緒に、良い子にして待っていてくれな?」

双子の息子と娘を抱き抱え、無邪気にじゃれついて来る小さな、温かい手に少しだけ、後ろ髪を引かれる思いになる。
そんな未練を振り払い、子供達を妻と義母に託し、周防少佐は敬礼する。 出港時間が近づいた、もう乗船を開始し始めている。

「祥子、行ってくる。 お義母さん、妻と子供達の事、宜しくお願いします」

「いってらっしゃい、あなた。 ご無事で・・・」

「何も心配なさらず、直衛さん。 祥子と孫達・・・直嗣と祥愛の事は、私が責任持って。 ご無事で、直衛さん。 娘と、孫達の為にも・・・」










2001年4月5日 1630 太平洋上・日本近海 日本帝国軍南遣兵団 戦術機母艦『千歳』


「おう、周防。 愁嘆場を思い出しているのか? 相変わらず、お熱い事だな、貴様と嫁さんは」

『千歳』の後甲板で流れるウェーキ(航跡)を眺めていた周防少佐に、背後から声が掛った。

「羨ましいだろう? 貴様もさっさと身を固めたらどうだ? 伊庭」

僚隊で第2戦術機甲大隊長を務める、同期の伊庭慎之介少佐だった。 周防少佐の切り返しに、やや癖のある短い髪をクシャクシャと揉みながら、伊庭少佐が苦笑する。

「ちぇ、今回は形勢が悪いわ。 貴様と言い、長門と言い、棚倉と言い、女房子供のいる奴らばっかじゃねぇか」

「今時、同期で独身者の方が、少数派なんだぞ? あのお固い永野(永野蓉子少佐・第14師団第142戦術機甲連隊・第2大隊長)も昨年末に結婚した。
貴様の様に、夜毎色んな華の蜜に吸い寄せられて、フラフラしている奴の方が圧倒的に少ないんだ。 どうなんだよ? 居ないのか、決まった相手は?」

「・・・俺は、もう暫く独身主義を楽しみたくてね」

飄々と言う伊庭少佐だが、同期生達はこの一見不真面目に見える男が、中尉時代に恋人を戦死で喪っている事を知っている。
だから敢えて周防少佐も、それ以上は言わずに苦笑しながら肩を竦めるだけだ。 場所は艦内後部の煙草盆の設置場所。 苦労して2人、煙草に火を付けひと口吸う。

「にしても、あれだね・・・でかいフネだな、この『千歳』は。 『艦内旅行』は一苦労だぜ」

伊庭少佐が艦内を見ながら、呆れたように言う。 確かに大きな艦だ、世界中探しても、この『千歳』級より大きな艦は存在しない。

「基準排水量が10万7000トン、全長344.3m、船体幅49.8m、飛行甲板幅77.0m・・・米海軍の『ニミッツ』級母艦より若干大きい。 戦艦『紀伊』でさえ、全長は308mだ」

「でかいね、本当に。 『世界最大の軍艦』って訳か。 それにしちゃ、搭載可能な戦術機数はたったの30機。 これまた、なんでだ?」

さあ?―――比較的海軍に詳しい周防少佐も、首を捻る。 艦体寸法は世界最大の軍艦。 しかし戦術機搭載機数は、中型戦術機母艦並み。

「それはこの艦が、戦術機搭載能力よりも、洋上作戦指揮艦・強襲上陸作戦指揮艦としての機能を重視して、建造されたからよ」

3人目の声に周防少佐と伊庭少佐が振り返ると、ネイヴィブルーのBDUの上に、海軍制式のライトブルーの防寒ジャケットを羽織った海軍士官―――女性士官が笑って立っていた。

「ごめんなさいね、立ち聞きする気は無かったのだけれど。 ちょっと気分転換に、潮風に当ろうかと思ったの。 で、陸軍さんが何を話しているのかなー? 何て、つい。
第2聯合陸戦師団、第22陸戦団第305戦術機甲戦闘隊(VF-305)の鴛淵貴那海軍少佐です。 今回は陸軍との協同作戦なので、第22陸戦団は竹原将軍の指揮下よ、宜しく」

すらりと背の高い(170cm位か?)、長いストレートロングの黒髪を抑えながら、鴛淵海軍少佐が近づいて来る。

「陸軍第15旅団、周防少佐」

「同じく第10旅団、伊庭少佐だ。 いや、美人とお近づきになれるのは、大歓迎だよ」

「あら、有難う、伊庭少佐。 でも、ごめんなさい、婚約者が居るの、私」

「お見事、流石は海軍陸戦隊のトップエースだな、鴛淵少佐。 伊庭、貴様、『完全撃破』だな!」

「・・・うるせぇ」

事実、鴛淵少佐は海軍陸戦隊戦術機甲部隊の中では、トップクラスに数えられる歴戦の衛士であり、練達の指揮官だ。 外見は日本人形の様に整った美人だが。
今回、『千歳』に搭載された戦術機は、第10、第15旅団の各戦術機甲大隊の指揮小隊が(大隊長機を含め)『不知火』16機と予備機が4機。
他に海軍第22陸戦団の第305、第306戦術機甲戦闘隊(大隊規模)の2個指揮小隊で、『流星』が8機の予備機が2機。 合計で30機は『千歳』の搭載能力ギリギリだ。

「でね、本来はこの『千歳』は民間会社が、『スエズマックス』サイズのタンカーとして発注していたのよ」

つまりこうだ、98年の本土防衛戦以降、石油輸入先は主に南米のベネズエラ、ブラジルと北米のカナダ。 それ以外は地中海のリビア、アルジェリア、ナイジェリアである。
ソ連・中東と言った世界最大の産油地帯がBETA勢力圏下の現在、それら産油国の地位は急上昇している。 アメリカ産原油はコスト高で価格が高い、国内向けだ。
したがって、石油タンカーのルートはパナマ運河経由で南米か、はるばるインド洋から喜望峰を回ってジブラルタル経由で地中海か。

「3年前よ、スエズ運河と紅海の全海域で、民間船(軍の徴用船を除く)の航行が禁止されたの。 『民間船の、光線属種による損害を極限する』為だか何だかで。
アラビア半島西岸山岳地帯からだと、重光線級でも紅海全域を照射する事は、出来ないのだけれどね。 北米と南米の産油国が手を組んで、地中海産油国との足の引っ張り合いよ」

「確か、アフリカ連合と米国・中南米連合が、国連総会で大喧嘩したんだったな」

「ああ、あれか。 スエズの民間船航行を禁止すりゃ、コスト面じゃパナマ経由で、北米産や中南米産原油を輸入した方が安い。 あの騒ぎか・・・で、それと『千歳』がどう?」

伊庭少佐の言葉に、鴛淵少佐が少しだけ苦笑する。 『その位、察しを付けてよ』と言ったところか。

「ああ、そうか。 キャンセルされて、造船所で解体待ちだった訳か。 今更、『スエズマックス』タンカーを建造する必要は無い。 で、海軍が買い取って、改造したと?」

「ご名答!」

周防少佐の答えに、鴛淵少佐が笑顔で言う。 それを見た伊庭少佐が、少し拗ねた表情で聞き返す。

「だけど、そもそも石油タンカーだろう? 改造したからって、艦隊に随伴出来る防御力なんざ、零じゃないの? 速度も遅そうだし?」

「ええ、装甲は『全く無し』よ。 重光線級どころか、光線級の照射1発で貫通するわね。 それに最大速力はたったの23ノット。 
最大速力が30ノットオーバー、戦闘速力も25~26ノットが当たり前のGF(連合艦隊)じゃ、使えないわ」

「・・・確か、『大隅』級もタンカー改造じゃ、なかったかい?」

記憶を探る様に、周防少佐が聞く。 すると鴛淵少佐は、触れられたくない過去の傷を聞かれた様な、少し目を泳がせた表情で横を向きながら、渋々答えた。

「・・・ええ、そうよ。 でもねぇ、あのクラスはねぇ・・・全長は『千歳』と余り変わらないけれど、戦術機はたったの16機しか搭載できないの。 何故か判る?」

―――さあ? 周防少佐も、伊庭少佐も、揃って首を傾げる。 鴛淵少佐が、少し溜息をついて自嘲気味に答える。

「艦政本部の馬鹿さ加減を、陸軍さんに言うのもなんだけど・・・タンカーの油槽配置をそのまま、戦術機1機当たりの格納スペースにしちゃったのよね。
1機当たりスペースが縦30m×横25m四方で、左右舷2列格納よ。 エレベーターも同じサイズ。 戦術機って、最大全幅は精々が11m程度よ? 前後サイズはもっと薄いわ。
あの直立格納方式なら、スペースはその半分でも十分なのよ、エレベーターもね。 そうすれば、単純計算でも搭載機数は4倍・・・少なくとも、60機は搭載可能なのよ」

「まあ、そう言われれば・・・60機とは行かなくても15m×15mとして、3列格納で前後が16機・・・48機は格納出来ても、おかしくないな。 他の正規母艦は、60機搭載だし」

「正規母艦の格納庫スペースは、208m×30m×8.5mよ、艦体から戦術機の直立格納は不可能。 整備支援担架に乗せておくの。 必要スペースは12m×22m、1機当りね。
格納甲板は上下2層式、帝国の母艦が米海軍のそれより正面から見て『寸詰まり』なのは、この2層格納庫のせい。 米海軍は1層式だから、搭載機数は帝国海軍より少ないの。
1層当りの格納戦術機数は約30機、2層合計で60機を格納可能。 舷側エレベーターのサイズは、25.9m×15.9m、これを4機搭載―――どう? 『大隅』級、失敗作なの」

「あ~・・・言われてみれば、ニミッツ級より僅かでも大きいのに、あの搭載機数の少なさって、ないわな・・・」

「俺は身内に海軍さんも多いが、そう言えば言っていたな、叔父貴が・・・『艦政本部の阿呆め、無駄に予算を使いやがって』、とか何とか・・・」


つまりは、戦術機母艦『千歳』級の2隻(『千歳』、『千代田』)は、その巨大な艦体を利用した『作戦指揮艦』の位置付けなのだった。
『スエズマックス(スエズ運河が航行可能な船)』石油タンカーを建造途中で海軍が買い取り、設計を変更して、2000年に就役した最新鋭艦だ。
戦術機母艦と言うより、洋上作戦指揮艦・強襲上陸作戦指揮艦としての機能を重視し、全通甲板を装備している。 米海軍の『ブルー・リッジ』級揚陸指揮艦に近い。

艦尾はウェルドック式になっており、LCAC-1級エア・クッション型揚陸艇を4隻収容。 1個陸戦隊(連隊戦闘団)を収容できる。
戦術機30機、SH-60J 統合多用途艦載ヘリコプター8機、その他各種装甲車輌・輸送車輌を40輌、155mm砲を8門、搭載運用する『洋上司令部』
通信・管制機能は帝国海軍艦艇中、最も充実している。 代わりに、元がタンカーの為に装甲防御力は無い。 速力はCOGAG方式(2軸推進:101,000hp)とは言え、23ノット。

「つまり・・・俺達が指揮小隊毎、この艦に押し込まれている訳が、それね・・・『洋上司令部』か。 確かに、陸海軍のお偉いさんばっか、乗ってるもんなぁ・・・」

「あなたも、その『お偉いさん』の1人でしょう? 陸軍第10旅団第2戦術機甲大隊長の、伊庭慎之介陸軍少佐?」

「いやいや、俺みたいな非才の身じゃ、肩身が狭くって。 麗しの、鴛淵貴那海軍少佐殿」

「まだ言ってる・・・それと、海軍では『殿』は要りません。 階級や職位に敬称が含まれる、って言う訳ですから。 お判りかしら? 伊庭少佐?」

「イエス・マーム!」

「・・・ほとんど、同い年なのだけれど・・・ちょっと、周防少佐? 笑っていないで、彼をどうにかして下さいな」

「くくく・・・失礼、鴛淵少佐。 おい、伊庭。 あまり陸軍の野卑な所を、海軍さんに見せるなって、くくく・・・」

「・・・引っ掛かる言い方ね、もう!」





兎に角、『千歳』は大きな艦だ。 同型艦の『千代田』は横須賀に残っているが、それでも目を引く。 今回は海軍南遣艦隊の他、陸海軍合同の『南遣兵団』が編成されている。
その兵力を運ぶだけでも、例えば戦術機輸送は『大隅』級戦術機輸送艦(戦術機母艦、戦術機揚陸艦とも言われるが、そうは言い難い)が20隻(240機+予備機60機)
他に揚陸艦、各種補給艦、給兵艦(兵員輸送艦)、給糧艦、給油艦、病院船、工作艦、救難艇母艦・・・あらゆる艦種の補助艦艇が必要だ。 それに随伴するEFの第2護衛戦隊。

南遣艦隊を除いても、100隻に達する大艦隊だった。 その旗艦を務める『総合作戦指揮艦』が、『千歳』級だ。 当然、艦内スペースに余裕が有り、各室は広い。

「・・・だから、どうして、アンタらが居るの?」

「ああ!? 酷いわ、直ちゃん! せっかく麗しの従姉のお姉さまが、こうして夕御飯を一緒に、って言ってあげているのに! どう思う? 舞ちゃん?」

「そうねぇ、あのヤンチャ坊主の直ちゃんも、奥さん貰ってからいっぱしの口を叩く様になったかなぁーって。 京ちゃん、今度、直ちゃん家を強襲しようか?」

「・・・やめろ。 それだけは止めてくれ、舞姉ぇ、京姉ぇ、頼むから・・・」

『千歳』の士官食堂、主に佐官級が使用する豪華な調度の食堂で、手にしたナイフとフォークを握り締め、少し手を震わす周防少佐が苦情を言う。
その様子を見た2人の陸海軍女性少佐達が、ニンマリと笑っていた。 周防少佐の同僚達―――長門少佐、棚倉少佐、伊庭少佐は、怖がって近づきもしない。

「でもまぁ、奇遇よね。 直ちゃんと京ちゃんが、私の乗艦に乗って来るなんてね」

香川舞子海軍主計少佐が笑う。 年より幼く見られるのが悩み、と言う笑みだ。 『千歳』の主計長をしている帝国海軍女性士官。 結婚前の旧姓を『藤崎』と言った。

「私は司令部G2(情報参謀部員)だし。 直ちゃんは15旅団で、一応は大隊長だし。 それより、兄さんの艦も参加しているだなんて、初めて知ったわよ」

海軍名物『金曜カレー(カツカレー)』を勢い良く口に放り込むのは、右近充京香陸軍少佐。 香川海軍主計少佐は4歳上、右近充陸軍少佐は2歳上の、周防少佐の父方の従姉だった。

「拓郎兄貴の艦? ああ、『長波』か、2駆戦だよな。 叔父貴の5戦隊もいるし、俺の義弟も『出雲』に乗っているよ」

右近充京香陸軍少佐の兄で、周防少佐の従兄である右近充拓郎海軍中佐は、第2駆戦の駆逐艦『長波』の艦長をしている。 
彼等の叔父の周防直邦海軍少将は第5戦隊司令官。 周防少佐の妻の弟、綾森喬海軍中尉は戦艦『出雲』の砲術士だった。

「なんかねー、一族勢ぞろいって感じ? これでもし、秋ちゃん(周防直秋)まで居たらねぇ?」

「あの子、今は英国だっけ? まだ戻ってこないの? 大丈夫かしらね? ご飯、ちゃんと食べているかしら? お水が合えばいいのだけれど」

「・・・舞姉ぇ、直秋も今年で23歳だよ。 今月1日付けで陸軍大尉に進級したんだぞ? それを捕まえて、『ご飯食べているか?』って・・・過保護にも程が有る。
それに遣欧旅団は先月の末に、英国を発った。 交替だよ。 大西洋を渡って、パナマ経由で太平洋横断して、今は帰国途中だよ」

「秋ちゃんが、大尉!?」

「うそぉ、ちょっと! 信じられない。 あの可愛い秋ちゃんが!?」

「京姉ぇ! アンタは同じ陸軍だろうが!? 舞姉ぇ、だからあいつも、もう大人だって・・・はぁ・・・直秋、同情してやるよ・・・」

そう言いつつも、周防少佐は2人の従姉達の『悪ふざけ』を止める気にはならなかった。 彼女達が従弟の周防直秋陸軍大尉を、可愛がる訳を知っているから。
一族には、周防直秋陸軍大尉に年の近い従弟達が2人居た。 香川海軍主計少佐の弟の、故・藤崎省吾海軍大尉。 右近充陸軍少佐の弟の、故・右近充史郎海軍大尉。
2人とも98年の本土防衛戦で、佐渡島で戦死している。 彼女達にとって、周防直秋陸軍大尉は、若くして戦死した弟の代わり、と言っては悪い言い方だが、そんなものだった。

「そうか、あいつももう中隊長になるのか。 早いなぁ・・・俺が欧州から帰って、大尉に進級して最初に指揮した中隊で、あいつが新米少尉で配属だったよな・・・」

「年を取ったわねぇ、私達も・・・」

「やめて、舞ちゃん・・・年の話はしないで・・・」

「ふふふ、右近充の伯父さん、相変わらず凄いんだって?」

「はぁ・・・お父さん、駐屯地にお見合い写真を大量に、送り付けて来るんだもの・・・基地司令も、相手が国家憲兵隊の中将閣下じゃね・・・」

「さっさと結婚しろ、京姉ぇ、この『行かず後家』め」

「直衛、アンタ・・・良い度胸じゃ無い? 瑞希姉さん(周防少佐の実姉)に言って、祥子ちゃんに無い事、無い事、吹き込んでやるわよ!?」

「無い事かよ!? って言うか、自分でそう言うか!?」





周防少佐が兎に角、芯から疲れた夕食から、陸軍に割り振られた艦内区画の自室に戻ると、部下に呼び止められた。

「あ、少佐、おられましたか。 申し訳ございませんが、このリストに目を通して頂いて、こちらの書類一式に承認を頂いて、それから・・・」

指揮小隊長の遠野万里子中尉だった。 大隊本部が別の艦に乗艦している関係で(本来は大隊長と同じ艦の筈が、定員をオーバーしてしまった)副官業務を代行している。
テキパキと書類の山を整理し、要点を伝え、必要分だけ承認を貰って仕事を効率よく進める部下を見ている内に、周防少佐はふと、出征前の情景を思い出した。

(『―――バカたれが、決まっておろうが。 今まで色恋沙汰に縁の無かった娘だ、それが頬を紅潮させて上官を語るなぞ・・・
全く、我が娘ながら呆れるわ。 少しは冷静に相手を選べと言いたいわい! よりによって、妻帯者だなどと・・・』)

何を馬鹿な事を考えているんだ、俺は―――苦笑する上官を、今度は遠野中尉が不思議そうに見ている。

「あの・・・少佐? 何か不備な点が有りますでしょうか? チェックは入念に入れたのですが・・・」

「あ、いや・・・問題無い、これで良いな? ご苦労だった―――遠野」

「はい?」

大隊長室を出て行こうとした所を呼び止められ、遠野中尉が振り返る。

(・・・確かにまぁ、かなりの美人だ。 そして優等生だ。 色恋沙汰などは、あの親父さんの鉄壁じゃ、経験が無かっただろうな・・・)

遠野中尉は、はっきり言って美人だ。 旅団でも1、2の美貌の持ち主と言っても良い。 性格も優しく穏やかで、良く気がつく、それにお淑やかだ。

(・・・逆に、ここまで来れば、野郎どもの方が尻ごみする訳だ。 『高嶺の華』って事か・・・)

「あの・・・何でしょうか? 少佐?」

流石にじっと上官に見つめられては、居心地が悪いようだ。

「いや・・・いい、何でも無い。 呼び止めて済まなかった。 行って良いぞ」

「? は、失礼します」

ドアの向こうに姿を消した部下。 そして周防少佐は密かに悶々とする。

(馬鹿か、俺は・・・こんな時に、『遠野、お前、恋人いるか?』だなどと、聞けるか? それで遠野のバイタルが不安定になってみろ。 お前、部下の命を何だと思っている!?)

部下の人生相談も上官の役目とは言え、プライベートに立ち入るべきではない。 まして作戦を控えたこんな時に・・・
周防少佐が少し自己嫌悪に陥りかけた時、卓上の艦内電話が鳴った。 点灯するボタンランプを見れば、司令部内線だった。

「―――15旅団、周防少佐」

『―――兵団司令部です。 周防少佐、兵団司令部会議は2030より、艦内B会議室にて開催されます』

「了解した」

私物の腕時計を見れば、2015時。 海軍のみならず、軍隊の『何事も5分前』だと、そろそろ会議室に向かった方がいい。
事前配布された資料、ルーズリーフ用紙にバインダー、そしてペン。 部屋を出ると行動予定表に『会議』と書いて、近くのラッタルを駆け登って行った。





何回かラッタルを上り下りし、艦内通路を歩いて、臨時の大隊事務室(兼・指揮小隊詰所)に戻った遠野万里子中尉は、さっきの上官の不審な態度が気になっていた。

「・・・何か言いたそうだったわ。 でも、何を言いたかったのかしら・・・」

「え? 何か言いました? 万里子さん?」

声を聞きつけた北里彩弓中尉が聞き返す。 北里中尉もまた、臨時で大隊事務をこなしていた。

「え? いえ、何でも無いわよ、彩弓ちゃん。 それより、萱場少尉は?」

「爽子なら、ハンガーを見に行かしました。 児玉大尉(児玉修平大尉・整備中隊長)が乗艦されていますから、心配は無いと思ったんですけど、念の為に」

「そう、ならそれで良いわ・・・ふぅ・・・」

「なんですか? お疲れみたいですけど?」

「あ、いえ。 ・・・実はね、さっき少佐に書類をお持ちしたのだけれど。 その時の様子が、ちょっとね・・・」

ざっと、その時の様子を話す遠野中尉を見ていた北里中尉だったが、やがてニヤニヤした表情で遠野中尉を見始める。

「な・・・なに? 彩弓ちゃん、その顔? わたし、何か変?」

「いいえ、変と言うより・・・嬉しそう?」

「・・・え?」

「そーか、そーか、失恋しても、忘れられない男って、確かにいますよねぇ・・・罪な人だなぁ、大隊長も」

「ちょ、ちょっと!? 変な事を言わないで頂戴! わっ、私はっ・・・! もう! 悪かったわね! そうよ、初恋が即日、失恋記念日になった情けない女よ! 私はっ!
あの頃、20歳にもなって、そんな情けない女で悪うございましたわ! でも今は違うからねっ!? 少佐は上官として、敬愛しているだけ! 本当だからね!?」

「うわっ、ちょ・・・! 声が大きいですよ、万里子さん・・・! 隣は長門少佐のトコの指揮小隊ですってば! 宮崎中尉の地獄耳、知っているでしょ・・・!?」





「―――この様に、偵察衛星、及び大東亜連合軍による強行偵察の結果、現在H17・マンダレーハイヴ周辺のBETA飽和個体群の総数は、約2万8000体。
しかし、西方のH13・ボパールハイヴより『押し出された』BETA群、2群の内の1群の東進を確認しました。 その数、約2万1000体。
他にH16・重慶ハイヴの飽和個体群、約2万2000体の内、約1万2000体が南進を始めました。 このままですと両個体群は確実に、H17の飽和個体群と合流します。
これまでのBETA群移動速度から推定し、2週間以内にH17周辺のBETA個体数は、約6万から最大で6万5000になると推定されます」

兵団司令部会議の席上、司令部G2(兵団情報部)の情報参謀・右近充京香陸軍少佐が、現在の状況を説明している。
長い髪を後頭部で纏めて垂らし、フレームレスの眼鏡をかけた姿は、軍事情報インテリジェンス部門担当の、知的美人に見える。

「大東亜連合軍、及び兵団司令部は通信協議の結果、現在H17周辺のBETA群をA群、H13より移動中のBETA群をB群、H16より南下中のBETA群をC群とします。
対しまして、友軍であるガルーダス(大東亜連合軍)の現状況を説明します。 現在、クラ海峡北岸の北部防衛線東部戦線には、ガルーダス北方防衛第2軍が展開中で・・・」

周防少佐が情報を書き込んでいると、右隣の伊庭少佐が小声で聞いてきた。

「・・・おい、周防よ。 G2の右近充少佐、貴様の従姉殿ってのは、本当の話か?」

「・・・本当だが? 彼女がどうかしたか?」

「・・・男は居るのか?」

「・・・居ない様だが。 おい、伊庭。 貴様、こんな時に何を言っている?」

「・・・そうか、独り身か」

何やら嫌な予感がしたが、それでも情報を確認し忘れる事は重大な失敗(指揮官にとっては特に)なので、周防少佐は意識的に頭の隅に押しやり、説明を聞く事に集中する。

「ガルーダス北部第2軍は、4個軍団を有する主力部隊です。 防衛線はタイ湾のタイ王国チュンポーン県・ムアンチュンポーンから、インド洋側のラノーン県・パクチャンまで。
パクチャンから、ミャンマーのタニンダーリ管区南部は、ガルーダス北部第3軍が配備されています・・・北部第1軍はご存じの通り、一昨年、文字通り全滅しました」

ガルーダス北部第2軍は、タイ王国軍とミャンマー軍、そして南ベトナム軍が主力となっている。 対する北部第3軍は、マレーシア軍とインドネシア軍。

「ここで諸官に留意して頂きたい点としまして、ガルーダスは決して1枚岩では無い、と言う事です。 まずは、仏教徒とイスラム教徒の軋轢。
これは北部第2軍が仏教徒の軍で構成され、北部第3軍がイスラム教徒の軍で構成されている点に、注意して下さい。 両教徒が同一部隊に配備される事は、まずありません。
タイ王国では昔より、マレーシアに近い地域のイスラム教徒住民による独立運動が盛んで、BETA侵攻前は頻繁に、テロ事件が発生していた地域でも有ります」

それに、様々な少数民族問題。 例えばミャンマー軍だと、実際な数的主力は難民化して生き延びたビルマ族だ。 そして少ないとはいえ、東南アジア国連軍にもビルマ軍が居る。
その東南アジア方面国連軍の『ビルマ軍』内の数的主力を占めるのが、ミャンマー政権下で弾圧され、初期に難民化したビルマ少数民族だ。
そのせいで大東亜連合軍と東南アジア方面国連軍の間は、少々上手く行っていない。 連合加盟諸国もまた、少数民族問題を抱える。 その為に国連軍とは、一線を画していた。

「・・・数的には、海峡北部の東部戦線が4個軍団・11個師団と6個旅団。 西部戦線が3個軍団・8個師団に5個旅団。 総数で19個師団と11個旅団」

「大兵力だけどな。 そもそも連携が上手く行っていない。 と言うか、連携しているのか?」

「洋上支援は、アンダマン海方面は亡命インド海軍が主力。 タイ湾側はインドネシア海軍とマレーシア海軍が主力・・・支援砲撃、まともにしているのか?」

「東と西で、『隣は何する人ぞ?』かよ・・・嬉しくって、涙が出そうだ。 俺、国に帰りたいぜ・・・」

周防少佐、長門少佐、棚倉少佐、伊庭少佐が、暗澹たる表情になる。 そう言えば、『明星作戦』でもガルーダスは、仏教徒とイスラム教徒が同じ軍団には居なかったな・・・と。
他にもネパール軍やブータン王国軍、亡命チベット国軍(中共は認めていない)、カンボジア軍にラオス軍が居るが、数は少ない。 北ベトナム軍は統一中華と共闘している。

「―――故に、宗教問題・少数民族問題には一切、言及を行わない旨、各級部隊は徹底をお願いします。 次に、現地の気象・地理情報につきまして・・・」





延々、2時間に及ぶ兵団司令部会議が終わったのは、2230時を越した頃だった。 各上級将校達が席を立ち、或いは情報交換をしながら会議室を出てゆく。

「おい、周防。 俺は決めたぞ」

「・・・何をだ? 伊庭」

急に先程の嫌な予感が蘇る。 思わず身構えた周防少佐に、伊庭少佐が宣告する様な口調でこう言った。

「貴様の従姉殿な、右近充京香少佐だ。 俺が『撃墜』する。 独身主義とは、これでおサラバだ」

「・・・伊庭、貴様・・・一度、軍医にその頭の中を診て貰え・・・」

軽い頭痛と目眩を感じた周防少佐が、ようやく声を振り絞ったその時。 伊庭少佐の言葉を聞いた他の同期生2人―――長門少佐と棚倉少佐が、無責任に囃し立てる。

「お? 伊庭、ようやくその気になったか!? おい、直衛よ。 同期は大切にしなきゃだぜ? お前、彼女と伊庭の間を取り持てよ」

「姉さん女房か。 『姉さん女房は、金(かね)の草鞋を履いても探せ』と言うが・・・あれは1歳年上だったか? まあいい、兎に角コイツがその気になったんだからな!」

「1歳でも2歳でも良いじゃないか、細かい事を気にするな、棚倉。 姉さん女房持ちの良い実例が、ここに居るしな。 なあ、直衛よ、そう思わんか?」

目眩がどんどん酷くなる。 『・・・勝手にしろ・・・』とだけ呟いて、周防少佐はその場を後にした。





(・・・まあ俺も、伊庭と京姉ぇが、例えそうなったとしてもだ。 別に文句は全く無いんだがな・・・)

『千歳』の後甲板、煙草盆の場所で周防少佐は1人、煙草を吹かしていた。 時刻は0025時、既に日付が変わっている。
伊庭少佐は普段は軽い感じがする人物だが、あれでいて指揮官としては実に優秀で、戦運びも上手い。 そして部下の面倒見も良い、兄貴肌の男だ。
それにあの軽薄さは、内心を押し殺す為の演技が続いてああなったと、同期生として周防少佐も知っている。 訓練校時代は熱血漢だった伊庭少佐だ。

(・・・でもまあ、出来ればみんな、無事に日本に帰還してからにしてくれ・・・)

従姉に同期生、それに直率の部下の事。 何にしても今は目前の作戦に集中したい。 部下達を少しでも多く、祖国へ帰す為に。 何より、自分が妻子の元に生きて戻る為に。






[20952] 伏流 帝国編 5話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2012/04/15 00:13
2001年5月2日 1400 マレー半島 タイ王国 チュムポーン県 ムアンチュムポーン クラ海峡最終防衛線 日本帝国軍南遣兵団 第15旅団第1戦術機甲大隊本部


―――照り付ける太陽、焦げる様な大地。

「あぢぃ~・・・」

「5月初旬で気温34度って、一体何の冗談だよ・・・暑いぜ、くそー・・・」

「・・・マレー半島ですからっ!」

―――南西季節風が運んでくる、じっとりと湿った暑気。

「気象班に聞いたら、明け方で最低気温が26度、殺人的だぜ・・・日本で5月初旬って言やぁ、精々が日中でも20度位だぜぇ? あぢぃ~・・・」

「暑さもまいるが・・・何だ、この湿度?・・・89%って、サウナじゃねぇぞ・・・」

「・・・熱帯雨林気候ですからっ!!」

―――目前に広がるエメラルドグリーンの遠浅の海、真っ白な砂浜、澄み切った青い空。

「ホント、へばりそうね。 春真っ盛りの日本から、いきなり酷暑期の東南アジアなんて。 部下達の体調も心配よね・・・」

「どうです? いっちょ、目の前にザブーン! ってのは?」

「・・・したいけどよ。 後が怖いぜ? でもよ、折角のリゾート地なのになぁ・・・」

「ああ、平和な時代に来てみたかったわぁ・・・水着も新調して・・・」

「・・・任務ですからっ!!!」

―――戦慄く口元、小刻みに震える手。

「遠野よぉ・・・クソ真面目も良いけどよ、疲れねぇ?」

「たまにゃ、息抜きも必要だぜ?」

「ホント、この娘ったら生真面目よねぇ・・・ま、そうでなきゃ、指揮小隊長は出来ないけどねぇ・・・」

―――ついに、遠野中尉が爆発した。

「あっ~! もうっ! いい加減にして下さいっ! 八神大尉はまだしも、最上大尉までっ! あまつさえ、真咲大尉までもっ! 
いいですかっ!? 我々はリゾートに来たんじゃありませんっ! 任務ですっ! 大東亜連合軍の、クラ海峡防衛の増援でっ! 
日本帝国軍を代表して、ここまで来ているんですよっ!? お三方、判ってらっしゃるんですかっ!?」

迷彩パターンのインナーTシャツに、半袖の熱帯2型防暑服と防暑下衣、熱帯防暑靴の帝国陸軍熱帯標準軍装の遠野万里子中尉。 流石に額には汗が噴き出している。
インナーを盛り上げる豊かなバストが、激しく上下している・・・とは、最上大尉と八神大尉の内心である。 いや、真咲大尉も内心『・・・勝った!』と思っているのだが。
場所は第一戦術機甲大隊の本部。 大隊長他、数名の大隊幕僚は不在の様で、3名の中隊長達が油を売りに来ていた。

「判っているけどよぉ・・・何しろ、暑くて、暑くて・・・遠野、お前さん、よく平気だな、そんな格好で・・・それに今、何気に酷い事言ってねぇ? お前よ・・・」

「見た目に暑苦しいぞ? せめて防暑服くらい脱げよ・・・本音が出たな、そうか、遠野の評価では、八神はそう言う評価か・・・」

「ホント、ホント。 もしかしてダイエット中? あ、八神の事は今に始まった訳じゃないわよねぇ」

「遠野、酷ぇ・・・」

「別にそんなっ! それに、これは我が軍の熱帯標準軍装ですっ! あと、ダイエットなんかしていませんっ! 私、体重は48・・・なっ、何を言わせるんですっ!? 真咲大尉!」

「・・・アンタが、勝手に言ったんじゃない・・・」

益々興奮する遠野中尉に、明らかにからかって遊んでいる3人の大尉達。 因みに最上大尉は標準タンクトップに防暑下衣と防暑靴。 真咲大尉だけは衛士強化装備姿。
八神大尉に至っては何処で入手したか、国連軍のハーフトラウザーを穿いている。 確かにこの酷暑では、遠野中尉の出で立ちの方が見た目に暑苦しい。
大隊本部はかつてリゾート地として計画された、タイ湾に面した海辺のリゾートホテル群の跡地。 BETAの東南アジア侵攻以降、放置されたのを本部に使っている。
そのひとつ、コテージ風の建物に第1戦術機甲大隊本部が置かれていた。 周囲に簡易戦術機ハンガー、補給隊、通信分遣隊や、各戦術機甲中隊が使う建物もある。

「・・・止めておけって、遠野中尉。 この3人にまともに言っても、からかわれるだけだぞ?」

「そうそう。 なにせ大隊長の仕込みだしな、最上と八神は。 真咲さんも新任の頃は・・・だし」

「むう、酷い言い様ね? 牧野? それって、どう言う意味? 大内君?」

「事実だろう? 真咲」

「言葉通りです、真咲さん」

大隊G3(運用・訓練幕僚)の牧野多聞大尉が、団扇を仰ぎながら同期の真咲大尉をジロリと睨む。 『あまり遊ぶな』、目でそう言っていた。 
最上大尉の同期になる、大隊G1(人事・庶務)の大内和義大尉も同様だった。 真咲大尉が肩を竦める。 最上大尉は知らぬ顔。
2人とも元々は衛士で大陸派遣軍に居たが、朝鮮半島の戦闘で負傷し、復帰後は主に訓練教官や大隊幕僚畑を歴任している男達だった。 牧野大尉は副大隊長も兼務している。

「ガルーダス(大東亜連合軍)は既に第1防衛線、第2防衛線に布陣を終えているが。 肝心のBETA群がピクリとも動かない。 ここは待つしかないか・・・」

「早く来い来い、BETAさんっと・・・マジ、この暑さと湿気、勘弁しろ・・・」

「BETAとの戦闘前に、この高温高湿で体調不良になるか、伝染病で後送されるか。 はたしてどちらが先かしらね・・・」

そんな声を無視して、牧野大尉も大内大尉も遠野中尉も、黙々と書類との格闘を再開する。 どうやら言うだけ無駄、と悟った様だ。
茹だる様な真昼の厚さの中、大隊本部全体がやや弛緩した様な状態の中、簡易戦術機ハンガーの方向から1人の将校が勢いよく向かってくる―――お怒りの様だ。

「おいっ! 大隊長はどうしたっ!?」

「どうしたって・・・どうしたんスか? オヤジさん?」

「児玉のオヤジさん。 大隊長なら、ガルーダスとの打ち合わせに出張っていますけど?」

八神大尉と最上大尉の言葉に、第1戦術機甲大隊付き整備中隊長の児玉修平大尉が、日焼けした顔を赤黒く染めで、怒気も露わに詰め寄る。

「なんだと・・・? じゃあ、俺が申請しておいた、整備パーツ物品の兵站要請書類は・・・?」

「・・・あれじゃ、ないスか・・・?」

八神大尉が目線で示す先―――大隊長のデスクの上の『未決書類』の箱の上。 数枚の承認待ち書類・・・児玉大尉の癇癪玉が炸裂した。

「あんの・・・ドアホめぇーっ! ワシが散々、これが無いと後々、整備出来へんようになるぞって、言うとるのにっ・・・! 
まぁーだ、判子押しとらんのかぁー! あのボケェ! なにさらしとんじゃ!? こらっ、八神! どう言うこっちゃ!? これはっ!?」

「い、いや、オヤジさんっ 俺に言われても・・・承認するの、大隊長だし・・・」

その剣幕に、流石に大隊イチ、横着な八神大尉もタジタジになる。 向うでは真咲大尉と最上大尉が、ソロソロと場を離れつつあり・・・要は逃げ出したいのだ。

「ええかっ!? この高温高湿条件下やとなっ! アビオニクスの管理が滅茶苦茶ムツカシイんじゃ! 本土の半分チョイの稼働時間で、もう役立たずなんやで!?
お前かて、クソBETAを目の前にして、いっきなしシステムダウンで死にとうないやろが!? ああ!?―――真咲! 最上! お前らもじゃい!」

「も、勿論ですわ、児玉大尉!」

「ああっと・・・大隊長、探してくるか・・・」

「そうやろ!? 普通、そうやろ!? せやから、ワシら整備隊がこうやって、くっそ暑い最中でも、ちゃーんと整備したってんのやっ!
せやのに、肝心のアビオニクスの予備パーツが来ぇへんとは、どう言うこっちゃ!? ワシら、お前さん等を死なせる為に整備しとるんやないでっ!? それをあのボケがっ・・・!」

数分間、児玉大尉の罵詈悪言のワンマンショーだった。 流石に3人の中隊長も、大隊幕僚の牧野大尉も呆れている。 遠野中尉に至っては、未知の生物を見る様な表情だった。
ようやく収まったのは、児玉大尉の部下の第1機体整備小隊長・櫻井加津子少尉がすっ飛んで来て、上官を後ろから羽交い締めにして引き摺って行って、ようやくである。

「兎に角や! 大隊長に言うとけっ! さっさと書類を上にあげんと、シバキ倒すぞってな!」

「はいはい、判りました、判りましたから中隊長、向うで整備の指揮をして下さいって。 あ、牧野大尉、遠野中尉。 申し訳ありませんが、結構急ぎなので」

―――死にたくなかったら、急ぎで大隊長をせっついて下さいね。

そう言い残して、整備隊の幹部2人は本部に隣接する林の向こう、簡易戦術機ハンガーへと消えて行った。 
暫く呆気にとられていた大隊幹部連だったが、その姿が見えなくなって初めて、大隊G3の牧野大尉がポツリと呟いた。

「・・・あそこまで大隊長をクソミソに言う人って、そうはいないな・・・」

「オヤジさん(児玉修平大尉)以外だと、『棟梁』(旅団整備大隊長・草場信一郎少佐)くらいか・・・」

「名倉大佐も、いい加減口が悪いけど・・・流石に将校同士、あそこまではねぇ・・・」

「草場少佐と言い、児玉大尉と言い、確か周防少佐の昔からの兄貴分だと言っていたよな・・・」

「俺、少尉の頃、あの2人がすっげー怖かった・・・」

「・・・暴言が過ぎます・・・」

真昼の暴風が去った直後、向うから土煙を上げて96式汎用小型軍用車両(新1/2tトラック)が近づいてきた。 やがて本部前に止まり、数名の将校が降りて本部に入ってくる。

「・・・なんだ、貴様ら? 俺の顔に、何か付いているか?」

私物のサングラスを外した、長身の少佐―――第1戦術機甲大隊長の周防直衛少佐だった。 大隊G2の向井奈緒子中尉、G4の宮部宗佑中尉、副官の来生しのぶ中尉が続く。
半袖の熱帯2型防暑服と防暑下衣、熱帯防暑靴は遠野中尉と同じ。 ただしインナーはタンクトップの様だ。 どこで入手したか、英軍のⅡ型ブッシュハットを被っている。

「あ・・・いえ、別に?」

「え、ええ・・・ねぇ?」

「何でもありません。 所で大隊長、ガルーダスとの協議は・・・?」

部下達が口籠るのを訝しげに見ていた周防少佐だったが、大隊長席に座ると疲れた様な表情で天井を見上げ、ポツリと言った。

「・・・しばらく、このまま待機」

その言葉に、大隊幹部達もガクリと肩を落とす。 いっその事、早くBETAが来てくれないか。 このまま生殺しでは、部下達の士気にも関わる―――そう目が言っていた。
何しろ、目の前が絶好のロケーションなのだ。 直ぐにでも命の洗濯をしたい程の。 だが現在は24時間の即応待機中(1個中隊・8時間交替)で、お預けを喰らっている。

「現状はマンダレーのA群、約2万8000が第1防衛線の北350km、タイ王国中部の旧ナコーンサワン県、ムアンナコーンサワン周辺で留まっている。
ボパールからのB群、約2万1000体はその西北西300km、旧タイ=旧ミャンマー国境付近のターク県メーソート周辺。 
重慶からのC群、約1万2000体は旧ラオス領内を南下、現在はタイ東部、旧ラオス国境のノンカイ周辺・・・」

机上に広げた軍用地図に赤鉛筆で、それぞれのBETA群の動向を記入しながら説明する周防少佐。 情報幕僚のG2・向井中尉がレポートを上官に示して、補足説明をしている。
現在のところ、BETA群はタイ王国中部・東部に侵入した後は、パタリと脚が止まった状態だった。 その状態が、かれこれ1週間も続いている。

「第1防衛線のガルーダス北部第2軍第1、第2軍団。 北部第3軍の第5軍団。 第2防衛線の北部第2軍第4、第5軍団と、北部第3軍の第6、第7軍団・・・
それに最終防衛線の国連軍太平洋方面総軍第12軍の第37、第38軍団と戦略予備。 我々も含め、23個師団と20個旅団。 どう動くかは、BETAの動向次第という事だ」

「叩けませんかね? 先制攻撃で・・・」

最上大尉の言葉に、周防少佐が無言で首を振って否定する。 そしてG2(情報担当)の向井中尉を見て、説明をするよう命令した。 僅かに頷き、向井中尉が各地の情報を説明する。

「ただいまの最上大尉の案ですが・・・ガルーダスも国連軍も、先制攻撃は不可能と判断しています。 理由はBETA群の所在地です。
海岸線から最短のメーソートでも、アンダマン海から約100km内陸です。 ムアンナコーンサワン、ノンカイ、共にアンダマン海、南シナ海から約600km内陸にあります。
つまり、洋上からの火力支援を受けられる位置にありません。 メーソートは無理をすれば、一部は可能ですが・・・なにより、地上軍の兵站線が持ちません」

「結局、BETA次第なのよね、毎度のことながら・・・」

強化装備姿の真咲大尉が溜息をつく。 ハイヴに対する攻略作戦以外、定期的な間引き作戦の他は基本的に受け身の戦争なのだ、BETA大戦と言うヤツは。

「待機に変更は無い。 但しレベルを即応待機から2時間待機(命令後、2時間で警急1個中隊が出撃可能)に変更する。 このままでは無意味に消耗するだけだ」

周防少佐の決定に、各中隊長、大隊幕僚達が頷く。 この状態が続けば確かに体力・集中力、共に擦り減る事になってしまう。

「警急部隊は1個中隊とする。 BETA群が動き出したとして、第1防衛線に引っ掛かるのは早くて3時間強はかかる。 我々の居る最終防衛線は、そこから更に200km南だ。
出番は第1・第2防衛線から、底の最終防衛線前面の国連軍防衛ラインを破ってくるBETA群が居れば、その殲滅戦になる。 最速でも6時間後、予想では9時間後」

地図の上を、指でなぞりながら周防少佐が説明を続ける。 全体作戦計画は、第1防衛線の3個軍団が戦線を維持しつつ、2箇所を故意に『開ける』
そして南部の第2防衛線、更に最終防衛線から北上してくる国連軍と協同し、南北から殲滅戦を展開する。 東西に狭い地形を利用し、アンダマン海、タイ湾から洋上砲撃も行う。
日本帝国軍南遣兵団主力はタイ湾から内陸に20km地点、最終防衛線峡北部のワンマイに陣を張る。 第15旅団第1戦術機甲大隊は、分遣隊として海岸線付近の防衛に当っている。

「旅団主力も即応待機を解除した。 各中隊は交替で、1時間ずつの休憩を取れ。 ・・・どうせ、水着の類も隠し持って来ているのだろう?」

周防少佐の言葉に、居並ぶ大隊幹部連も苦笑する。 第1防衛線のガルーダスには申し訳ないが、最終防衛線の国連軍、一部抽出のガルーダス各部隊も、ご同様なのだから。

「よし、以上―――何か他に、質問は有るか?」

最後に周防少佐が見まわした時、部下達が何とも言えない表情をしている事に気付いた。 

「何だ? 言いたい事が有るのか? 有れば言え。 牧野? 真咲?―――こら、顔を背けるな、八神! いったい何なのだ!?」

「はあ・・・あのですね、大隊長・・・」

「何だ?」

同僚の無言の圧力(?)に負けた八神大尉が、おそるおそる、と言う風で周防少佐に言う。

「そのぉ・・・さっきですね、オヤジさん(児玉大尉)が、ハンガーからすっ飛んで来ましてですね・・・その、未決書類の一番上の書類を見て、えらい剣幕で、ハイ・・・」

周防少佐が自分の執務机の上に置いてある、整備隊からの申請書類に目をやる。 たちまち渋い表情になって、部下を見渡して絞り出す様な声で聞いた。

「・・・怒っていたか?」

「はい」

「激怒です」

「当分、あの人の前に出たくないです」

益々渋い顔になる周防少佐。 隣で副官の来生中尉が、心配そうな表情で上官を見ている。 何しろ相手は階級が下の大尉でも、周防少佐が頭の上がらない人の1人だ。

「あの、少佐・・・輸送船団の件、児玉大尉にはまだ、仰ってられなかったのですか?」

「・・・来生、お前から言ってくれるか?」

「ええっ!? そ、それはあんまりですっ! 少佐! ご自分のミスですよ!? それを・・・! 断固、拒否させて頂きますっ!」

「「「・・・どう言う事です?」」」

輸送船団? 他の部下達が訝しげな表情をする。 本土から追加の物資を満載した輸送船団が一昨日、マレーシア南部のバシルグダン港(ジョホールバル港)に入港した。
その船団が実は、ルソン海峡(台湾南部とルソン島の間の海峡)を通過後、悪天候を避ける為に一時的に大陸寄りの航路を取った。 そこで悲劇が発生したのだ。
偵察衛星すら捉え切れなかった、極少数のBETA群―――恐らく、重慶ハイヴからのC群の極一部―――が南シナ海の大陸棚を移動しており、船団の1隻が攻撃を受けた。

「・・・あの辺の海底は浅い。 偶々、本当に偶々なのだが・・・1隻の輸送船に、要撃級BETAが数体、海底から『飛び付き』をかけた。
輸送船はキール(竜骨)をへし折られて轟沈。 積み荷は南シナ海の海底だ。 幸い、護衛隊が始末して乗員を救助したらしいが・・・13名の船員が行方不明、恐らく死亡した」

「で、それとオヤジさんへの言い訳と、どう繋がりが・・・?」

「八神! 言い訳と言うな! ったく。 その輸送船に積載されていた物資な、本当に偶々なのだが・・・戦術機のアビオニクス関係のパーツ全て、満載していたそうだ・・・」

皆が天を仰ぐ―――駄目だ、こればっかりは、大隊長に言って貰わないと割に合わない、そう皆が思った。

「じゃあ、予備パーツは・・・どうなるんでしょうか?」

先任中隊長の真咲大尉が、不安気に聞いて来る。 児玉大尉の言葉が現実になりそうで、内心で冷汗をかいているのだろう。

「兵団の兵站部が、予備をすべて放出する。 ただし、それでストックは無し。 正真正銘、素っからかん―――あと、40時間は保つが、それ以上は苦しい。
と言う訳で、本土から第2陣が大至急で編成されている。 到着は2週間後の予定だ。 BETAがいつ本格的に動き出すか次第だがな・・・」

現在、1個中隊の1日当りの平均稼働時間(哨戒任務と戦闘訓練)は、約2時間。 都合20日分だが、一端戦闘が始まると瞬く間に故障が早まる(1日当り稼働時間が長い)
現状で行けば、6万からのBETA群が本格侵攻した際の防衛戦闘が生起すれば、全戦闘時間は推定で約30時間前後。 或いはそれ以上―――アビオニクスが保たない。

「最新のAESA(アクティブ電子スキャンアレイレーダー)などは、800時間は保つが、まだ換装出来ていない内に派兵だったからな・・・
仕方が無い、整備には俺が説明する。 不可抗力だ、児玉大尉も納得してくれるだろう・・・全く、不可効力なんだぞ? 不可抗力・・・」

本部を出て、戦術機ハンガーへと向かう周防少佐は、何度も『不可抗力、不可抗力』と呟き続けていた。










2001年5月4日 1530 マレー半島東方 タイランド湾 タイ王国シンゴラ(ソンクラー)泊地 日本帝国海軍南遣艦隊 第5戦隊旗艦・戦艦『出雲』


「熱い・・・」

照りつける太陽に甲板上は焼ける様な暑さだ。 砲術科の砲術士であり、高射指揮官の元、左舷両用砲群射撃幹部の綾森喬海軍中尉は、甲板に出るなり顔を顰めた。

「分隊士、砲腔内チャック完了。 ・・・にしても、暑いですなぁ」

「酷暑期に入ったからかな、急に気温が上がりましたね。 明星作戦後に東シナ海や南シナ海に行った時も暑かったですけどね・・・時に掌高射長は、この辺の経験は?」

「はは、わたしゃ、応召組でね。 昔は南シナ海からタイランド湾、インド洋と・・・あちこち回りましたよ。 ここら辺も懐かしいですなぁ」

年嵩の兵曹長(陸軍准尉に相当)の掌高射長が笑っている。 定年で海軍を退いた後、明星作戦後の『大損失』の補充で、再び呼び戻された超ベテランの砲術科准士官。
現配置は綾森中尉と同じ、左舷両用砲群で射撃幹部をしている。 とは言え、こちらは若手の士官と異なり、海軍の隅々まで知り尽くした海千山千の准士官。 掌長配置だ。
高射指揮官の右腕となり、配置に必要な物を、必要な時に、必要な分、必ず整えておく、と言うベテランでなければ不可能な如意腕と如意顔を持つ。 戦闘配置は高射砲長である。
そんな超ベテランの准士官相手では、海兵出の中尉など小便垂れの小僧っ子である。 階級は上でも綾森中尉の口調が丁寧なのはその為だ。 掌高射長はそのまま兵員達と艦内に。

「おい、綾森」

背後から声を掛けられ、振り返ると1人の若い士官―――中尉が暑さに辟易した表情で近づいて来る、艦の航海士だった。 海兵の同期生、内海左近中尉だ。

「何だ、内海。 貴様、上(艦橋)は良いのか?」

「副直交替だよ。 それより綾森、見たか? この泊地だけでも4隻。 この前、リンガ泊地からプーケット泊地に移動したマレーシア艦隊に2隻と・・・」

「―――だな。 あっちに並んでいるのは・・・タイ海軍の『トンブリ』に『スリ・アユタヤ』か。 元々は『金剛』と『榛名』だよな」

「ああ。 右舷艦尾方向のあの2隻は、インドネシア海軍の『サマディクン』と『マルティダナタ』―――元々は『扶桑』と『山城』だ」

「プーケット泊地には、マレーシア海軍の『アリーネ』と『ローナ・ドーン』が居る筈だ、元は『伊勢』と『日向』 何とまぁ、婆さん戦艦がそろい踏みだね。
そう言えばインド海軍の『ネアルコス』は、元々は英海軍の戦艦『クィーン・エリザベス』だし、『イラワジ』は『ウォースパイト』だったな」

1944年に日本の条件付き降伏で終結した大東亜戦争(第2次世界大戦)。 その後、日本帝国海軍は生き残った戦艦群のうち、旧式戦艦、空母の何隻かを連合国へ引き渡していた。
日本海軍の戦力は低下したが、引き取った連合国側も『今更』だった様で(既に新鋭戦艦群、新鋭空母群を配備していた)、回りまわって戦後独立した新国家群へ無償で譲渡される。

戦艦『金剛』、『榛名』、空母『雲龍』はタイ王国(タイは戦前から独立国だったが)へと譲渡され、戦艦『トンブリ』、『スリ・アユタヤ』、空母『チャクリ・ナルエベト』となった。
同時に戦艦『扶桑』、『山城』、空母『天城』の3艦は、インドネシア海軍の戦艦『サマディクン』、『マルティダナタ』、空母『ハサヌディン』に。
航空戦艦『伊勢』、『日向』、空母『葛城』は、マレーシア海軍の戦艦『アリーネ』、『ローナ・ドーン』、空母『アデン』に生まれ変わっている。

大戦後の財政難に喘ぐ英国もまた、インドに戦艦『クィーン・エリザベス』、『ウォースパイト』の2艦を売却。 インド海軍戦艦『ネアルコス』、『イラワジ』として現役。
そしてマジェスティック級空母『ハーキュリーズ』、セントー級空母『ハーミーズ』も売却して、インド海軍空母『ヴィクラント』、『ヴィラート』となった。

日本海軍に残された主力艦は『長門』級以上の戦艦群と、母艦戦力では空母『瑞鶴』、『準鷹』だけだった。
(『瑞鶴』、『準鷹』、他の軽空母は後日、予備役艦籍編入後にスクラップ。 正規空母の雲龍級3番艦以降は建造中止。 現第5航戦の『飛鷹』、『準鷹』は2代目の中型戦術機母艦)

「でもまぁ、婆さん戦艦とは言え、古いのは艦体だけだしな。 主砲や機関は日本で10年前に換装しているし、副砲や高角砲に変わって速射砲・・・Mk-45(127mm単装砲)だっけ?」

「内海・・・覚えておけよ、同盟国の艦の事ぐらい。 Mk-45 mod2を装備しているのは、インドネシア海軍の2隻だけだ。 他は違う。
タイの2隻はオート・メラーラの127/64ライト・ウェイト砲(64口径127mm軽量単装砲) マレーシアの2隻は英海軍の55口径4.5インチ (114 mm) Mk-8艦砲だ。
Mk 41 mod2 VLS(64セル/64セル)2基って言うのは、3国とも共通しているけどな。 インド海軍は英海軍と同じ、GWS.26 短SLM用VLS(61セル/61セル)2基だ」

「おお、流石は歩く『ジェーン海軍年鑑』―――って、綾森。 貴様なぁ、趣味が『ジェーン海軍年鑑』の読書ってなぁ、M(モテる、の海軍士官隠語)にゃ、ならねぇぞ?」

「・・・ほっとけ」

今回はアンダマン海方面から、インド海軍とマレーシア海軍の4戦艦が。 タイランド湾から日本帝国海軍とタイ海軍、インドネシア海軍の6戦艦が、艦砲射撃支援を行う予定だ。
タイ、インドネシア、マレーシアの『ガルーダス・ネイヴィ』機動任務部隊の主力、大改装された戦術機母艦『チャクリ・ナルエベト』、『ハサヌディン』、『アデン』
この3隻は定数24機の戦術機を搭載している(F-18B/Dホーネット) 更にインド海軍の『ヴィクラント』、『ヴィラート』も同数の戦術機(F-4MファントムFGR.2)を搭載。
従って日本艦隊と合わせれば、現在タイランド湾とアンダマン海に展開する機動任務部隊全体で、192機の艦隊戦術機を投入可能だった。

「陸軍さんは、2個旅団で戦術機が160機、全部94式(不知火壱型) それと南遣兵団直轄予備の6個独立戦術機甲中隊が、92式弐型(疾風弐型)を72機の、合計232機」

「ガルーダスは、クラ海峡後方の戦略予備を入れると、戦術機も4000機を越すそうだしな(大東亜連合陸軍の全保有戦術機数は4071機) 海峡の北側には6割くらい?」

「と言うな。 でも俺達、艦隊乗組みには直接関係無いけどね。 今回は距離を取っての援護砲撃らしいから、『明星作戦』の時の様な事は無いだろう。 主役は陸さんだし」

「明星作戦か・・・あの時、貴様は『信濃』で負傷したんだったな、綾森。 俺は『美濃』だったけど、クラス(海兵同期生)やコレス(海機、海経同期生)が何人か戦死したよ」

「こっちもさ。 候補生で、初陣だったよな、お互い」

既に同期生の何割かが、戦死者の列に加わった。 果たして今回はどうか?

「ガルーダスと陸軍、それにBETA次第だよな・・・」

「悪いが、ガルーダスの婆さん戦艦に、頑張って貰うとか」

「14インチ砲や、15インチ砲にか? 18インチ砲搭載戦艦の名が泣くよ、それじゃあ」

「はぁ・・・やっぱり今回も、矢面かぁ・・・ん? あの艦・・・『伊吹』か?」

わざとらしく溜息をついた内海中尉が、ふと目をやると新たに泊地に入ってきた艦が有った。 帝国海軍だ、巡洋艦クラス―――イージス巡洋艦『伊吹』だ。

「本当だ。 どうしたんだ? どうして『伊吹』が?」

今年3月に竣工した最新鋭イージス巡洋艦の『伊吹』級ネームシップだが、本来ならまだ慣熟訓練中の筈だ。 その艦が第2艦隊の分遣艦隊に、どうして?
綾森中尉も内海中尉も知らなかった話だが、『伊吹』は2000年10月からある改装工事を施され、ようやく完成して『運用試験』としてマレー半島沖に派遣されたのだ。
外見で一番変わった点が有る。 本来艦首と艦尾に2基搭載されている筈の、55口径203mm単装速射砲(82式20.3サンチ艦砲)の砲身が、8インチ砲にしては細い。

「あれ? あの砲・・・8インチじゃないだろ? 細過ぎる」

「ああ・・・5インチ砲か?」

内海中尉の指摘に、綾森中尉も目を凝らして『伊吹』の艦載砲を見る。 なによりも82式20.3サンチ艦砲の特徴である、砲尾部を収容する砲塔後部の突出部が無い。
米海軍が採用を見送ったMk-71・8インチ単装速射砲のパテントを日本が買い取り、改良を加え(軽量化・射撃式装置の更新)、1982年に制式採用した砲では無かった。

「にしては大きいなぁ、あの砲塔。 Mk-45やオート・メラーラの127mmコンパクト砲より、ずっと大きい」

「砲身は確かに細い。 だけど砲塔は82式艦砲並みだ・・・なんだ、あれは?」

綾森中尉と内海中尉が訝しがった2基の砲塔―――『試作01式64口径127mm電磁投射艦砲(単装砲)』だった。 全体に砲塔が大きいには、各種システムのせいだ。
陸軍が運用試験を進めている『試製99式電磁投射砲』は、戦術機兵装として開発された。 その機関部や他の重要部はブラックボックスとして、国連軍横浜基地から提供されている。
しかしその『試製99式電磁投射砲』の運用試験は正直芳しくない、特に冷却系と大電力供給システムの安定性が。 何より『横浜』からのブラックボックスの点が気に入らない。

そこで日本帝国軍は『横浜』に頼らない方法を、独自に模索し始めたのだ(安定供給にも、大いに問題が有る) 背景には『明星作戦』があった。
99年の横浜ハイヴ攻略戦、その最終段階でのハイヴ内偵察戦闘(G弾投下後)で、帝国陸軍は数個戦術機中隊を、国連軍・米軍とは別個に投入した。
そこで得た成果―――アトリエへの極秘先行突入の成功―――が関係してくる。 国家の最高機密に属するが、G元素の何割かを獲得に成功していたのだ。
それまでG元素を独占するのは米国、『明星作戦』でその一角を崩したのが国連軍(横浜基地)と言われるが、違ったのだ(米国と国連は、当時から日本に強い疑念を持っていた)

日本帝国は、国内での極秘計画を1998年冬からスタートさせた。 帝國理化学国立研究所・旧京都帝大・旧大阪帝大(現・帝都帝国大学)の研究グループによるML機関研究だ。
特に帝國理化学国立研究所は、量子物理学における『ループ量子重力理論』を。 帝都帝国大学は同じ分野の『M理論』を研究し、世界のトップを争っていたビッグ3だった。
(最有力は米国・ロスアラモス研究所アクロイド博士の研究チームが研究する『超弦理論』で、『明星作戦』でG弾即発超臨界状態での、ラザフォード場の拡大抑制を実戦で証明した)

日本の研究計画グループは、『G元素(グレイ11)の抗重力反応は、未臨界での『定常状態反応』では、ラザフォード場を生成しない』と言う特性をつきとめた。
核反応などでは未臨界であると、連鎖反応の量が反応を持続できるほどの規模に達しておらず、核分裂生成物質(エネルギーも)は時間とともに減少する。
しかしG元素(グレイ11)では連鎖反応が60%以上の未臨界状態で抗重力反応が発生し、80%以上の連鎖反応状態でラザフォード場が生成される事を、日本は99年12月に発見する。

(※この原理は全く判っていない。 原子炉での未臨界炉核分裂反応は、陽子加速器を利用して生じさせた大量の中性子を未臨界の原子炉に送り、核分裂反応を起こさせる。
G元素に於いては余剰次元への重力子伝播の際の『何か』が作用し、未臨界炉の陽子加速器の役割を果たすのではないか? と推測されている)


そこでまず、軍事転用が計画された。

―――『試製99式電磁投射砲』は、未だ時期尚早。 

そう判断した研究グループと帝国軍技術研究本部は、異なるアプローチを始める。 『艦載砲への、電磁投射砲の流用』だった(同様の計画はアメリカでも進行している)
陸軍の『試製99式電磁投射砲』は、あまりにコンパクト化し過ぎた点にも、問題が有る。 ならば安定したプラットフォーム―――大型艦艇に搭載すれば? と言う事だ。

日本は『ムアコック・レヒテ機関』をダウングレードした『ML発電機関』の開発に着手した。 これはG元素(グレイ11)の抗重力反応を利用した発電方法だ。
大前提として、量子力学で想定される『ブレーンワールド』モデルを用いている。 『ML機関』の臨界試験では、膨大な余剰電力が発生する事が確認されている。 
これは素粒子の相互作用が4次元世界面(ブレーン)上に閉じ込められ、重力(重力子)だけが余剰高次元(5次元目以降の、最大23次元まで)方向に伝播できるとされる。
その際に次元を移相する『伝播エネルギー』が、一種の『重力子起電力』を出現させるのではと、日本の研究グループは考えた。

事前の計算では極少量(約500グラム)で、原子力発電所の発電力(約350MW-約450MW)に匹敵する発電力が生じると計算された。 ウラン235の160トン相当である。
2000年2月、極秘実験において約50グラムのグレイ11の未臨界連鎖反応(約70%)で、40MWの電力を発生させる事に成功する。 独自の電磁投射砲開発の第1歩だった。
日本はその実験結果を検討し、『ML発電機関』の試作を2000年7月に完成させ、建造中の最新鋭イージス巡洋艦『伊吹』に急遽搭載した。


「なんだろね、あれって・・・?」

「さあ、な・・・?」

綾森中尉も内海中尉も、未だ一介の艦隊乗組の若手中尉。 軍の最高機密など、知る由も無かった。





「―――暑いですな」

「一番、暑い時期だそうです。 教授、艦内に入られた方が宜しいでしょう」

「中佐は、一向に平気そうですなぁ。 いや、老体には堪えます」

海軍中佐の階級章を付けた士官と、一見すれば海軍士官の防暑服に似た、海軍軍属用防暑服を着た初老の学者風の人物が、『伊吹』の後甲板からマレー半島を眺めていた。

「システムは順調に作動しています。 帝国電機の山口技師長も、太鼓判を押していますよ」

「それは良かった・・・何せ、未臨界反応制御のキモですからな、あの制御装置は・・・」

軍人の方は、帝国軍技術研究本部の赤川中佐。 軍属の人物は帝都帝大(旧京都帝大・旧大阪帝大が合併)量子物理学研究センターの高殿信久教授(大佐相当官)だった。
慣れない気候に高殿教授が参っている様だ、赤川中佐もマレー半島は生涯で2度目。 兎に角涼しい艦内に戻った方が良い。

「統合電力システム (IPS)からの供給電力は、試験発射時は45MWの予定です。 毎分22発の発射速度で、127mm砲弾を叩き込めます」

「毎分22発と言うのは、早いのかね? 遅いのかね?」

「普通の127mm艦砲と、ほぼ同じですな。 しかし初速が違う、砲口初速2600m/s、この気温ですのでマッハ7.39になります。 砲弾運動エネルギーは64MJに達します。
因みに陸上の直接火力で言えば、120mm戦車砲がAPFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)を使用した時の砲弾運動エネルギーで約8MJですから、約8倍です。
射程も最大で300km前後・・・もっとも、そんな砲戦距離では戦いませんが。 射程2万メートルで、突撃級BETAを正面から軽々とミンチに出来ます」

艦の推進機関はMLTE(Moorcock-Lechte Turbo-Electric)方式。 G元素を用いた、全く新しい、世界初の推進機関だ。 非常にコンパクトで、ガスタービンの35%の容量。
グレイ11の未臨界反応で生じる膨大な電力を、艦の全ての動力として使用している。 推進器として全速航行時には約70MWが供給される。 約3年間の無補給航行が可能。
その推進機関が発生させる余剰電力を、電磁投射砲のローレンツ力を生み出す電力に供給している。 『01式64口径127mm電磁投射艦砲』だ。
その抗重力制御全体を管制するシステムが、帝国理化学国立研究所(理研)・英国国立宇宙センター・仏国立科学研究センター・独マックスプランク物理研究所で協同開発された。

―――『512qubit光量子コンピューター』 

2000年に米国ロスアラモス研究所・IBM社の連合体と、日本・欧州の連合体は時期を同じくして、まだ黎明期のヨチヨチ歩きながらも『量子コンピューター』の試作品を完成させた。


1994年―――日本の『理研』が甲虫の外殻キチン質の構造を雛型とし、フォトニック(光子)結晶の開発に成功する。

1995年―――米国・ロスアラモス国立研究所で、安定した光コンピューター・チップの作製に成功。

1996年―――英国にて、光量子コンピューター用のプログラミング言語である、QOCL (Quantum Optics Computation Language) の開発に成功。

1997年―――日本と欧州の各研究機関の連合体が、光コンピューターの核となる光(光子)を完全に制御(伝播・発光・速度)、蓄積する技術『光池(電池の光子版)』を開発。

1998年―――米国・ロスアラモス国立研究所にて、光集積回路(シリコンフォトニクス)上で、128qubit光量子コンピューターの実装を実現(スーパーコンピューターの数千倍)

1999年―――日本の帝都帝大工学部において、光集積回路(シリコンフォトニクス)上で、256qubit光量子コンピューターの実装を実現。

2000年―――米ロスアラモス国立研究所にて、256qubit光量子コンピューターの小型化に成功。 IBM社、256qubit光量子コンピューターの小型化量産試作タイプを完成させる。
同年、日本・欧州の開発連合体が512qubit光量子コンピューターの実装を実現。 日本の帝国電機、256qubit光量子コンピューターの小型化試作タイプを完成させる。

2001年―――米国と日欧は揃って、512qubit光量子コンピューターの小型化試作タイプを完成させる。 この大きさはほぼ同じ、縦2m×幅1m×奥行き0.7mのサイズだった。
同年、奇しくも同じコンセプトの軍用艦である日本帝国海軍イージス巡洋艦『伊吹』と、米海軍DDG-114イージス駆逐艦『ラルフ・ジョンソン』が、運用実験艦として就役する。


「兎に角、我が帝国独自の量子工学分野での成果です。 何としても成功させねば・・・」

「自信は有るのだがね。 この分野は、元々は京都と大阪の両帝大が日本のトップを走っていたんだよ。 東京帝大のあの、異色の女の子が出て来るまではね。
それでもさほど、引き離されていないよ。 理論ではどっこいどっこいだ、こちらの方がスタートが遅かったからね、今は後塵を拝しているが・・・数年後には、逆転するよ」

「ですな。 東京帝大の応用量子物理研究室には、負けておりませんよ」

現国連横浜基地・AL4研究本部には、日本人研究スタッフは東京帝大の物性研究所(応用量子物理研究)、医科学研究所など、香月夕呼博士の出身母体の研究者が中心となっている。
長年、東と西で日本帝国の各種学会を二分して来た『西の横綱』としては、是が非でも横浜を上回る成果を出したい。 学者のエゴではある。 
赤川中佐も旧京都帝大出身の技術将校で、心情的に高殿教授寄りである。 そして東京帝大の研究者を引き抜かれた日本では、帝都帝大の研究陣が文字通り『国内最高峰』の研究スタッフなのだ。


国連軍横浜基地・AL4研究本部がその研究テーマにより付随開発した技術は、実の所、日米欧の国家プロジェクトが異なるアプローチで猛追していたのだ。






[20952] 伏流 帝国編 6話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2012/04/22 22:14
2001年5月6日 1530 マレー半島 タイ王国 チュムポーン県 ムアンチュムポーン クラ海峡最終防衛線 日本帝国軍南遣兵団 第15旅団第1戦術機甲大隊本部前付近


「―――不公平です!」

「え!? どうしたの、北里中尉? 急に・・・?」

「不公平ですよ! 爽子、そう思わないっ!?」

「北里中尉~・・・私に振らないで下さぁい・・・」

「だから、一体何が・・・」

現在、警急待機は第2中隊『ドラゴン』 第3中隊『ハリーホーク』は通常待機中で、第1中隊『フリッカ』と指揮小隊は整備待機中。
大隊本部から見えるビーチで色とりどりの華が咲いていた―――マレー半島派兵が決まって、神経の図太いベテランは水着を新調し、新米も軍採用のモノを忍び込ませていた。

「だからぁ! 『持っている人』には、判らないんですよ!」

「彩弓、残念ながらアンタは、『持っていない人』だものねぇ? あ、萱場もか」

「・・・ケンカ上等だからね、遼子・・・!?」

その大きさを誇示する様に、両腕を胸下で組んでわざと押し上げる美竹中尉。 その仕草に青筋を立てている北里中尉。 脇の木陰で眺めていた楠城少尉と高嶋少尉が、溜息をついている。

「ああ・・・また北里中尉と、美竹中尉が・・・」

「いつもの事でしょ?」

「それで、シベリアじゃどれだけ迷惑被ったか、忘れたの? 千夏?」

「慶子、言っても無駄よ」

見た限りはどうやら、とある身体格差の様だ。 判っている人は判っているが、判っていない人(主に遠野中尉)は、全く判っていない様子。

「はぁ・・・だから、一体何が・・・美竹中尉?」

「遠野さん、遠野さんって、バストサイズは?」

「え? 87のEだけど・・・?」

「ですよねー? 私は89のE! 千夏は86のEだっけ?」

「―――です」

未だに、いまいち事態を把握しきれない遠野中尉と、完全に悪乗り状態の美竹中尉。 何気に勝ち組みに鞍替えする楠城少尉。

「つまり、私達は『持っている人達』 で、こっちの『持っていない人達』は・・・」

「悪かったわね・・・どうせ、私は82のBよ・・・くっ! この不公平な胸部格差・・・もはや国内の貧富格差なんて、メじゃないわ・・・!」

「っ・・・! 80のAで、悪かったですねぇ!」

「うっ・・・ううっ・・・わ、私なんか、77のAAですぅ~・・・」

悔しげに握りこぶしを握る北里中尉に、親友が勝ち組みに鞍替えしたのを悔しがる高嶋少尉。 自分の胸を悲しそうな目で見る萱場少尉。 

その時、更なる巨峰が登場した―――真咲大尉だった。

「何を馬鹿言っているの、アンタ達は・・・」

「あ、真咲大尉・・・って、大きい・・・大尉、サイズは!?」

「ん? 93のFよ」

―――神託が下った。

「・・・やっぱり、中隊長って大きい・・・」

「大隊イチ、巨乳だもんね・・・」

「眼福~! 今夜、夜這いに行きますから」

「いいけど、美竹。 アンタ明日の朝、タイランド湾に沈みたかったら、すれば?」

「そんなツレナイ所も、そそります、大尉・・・じゅる・・・」

「この・・・ヘンタイ」

真咲大尉、美竹中尉、楠城少尉はかなり大胆なデザインの、黒や紫のビキニタイプ。 北里中尉と高嶋少尉は、少しハイレグ気味のブルーや赤のセパレート。
遠野中尉と萱場少尉は、軍採用の濃紺色の女性用水着姿で、各々の性格が出るチョイスと言える。 ただいま絶賛休息中だ。 男連中もいる筈だが、敢えて無視する。

「所で遠野、大隊長は?」

「あ、はい。 少佐でしたら先程、ガルーダス軍のヴァン大尉と将集(に指定された、コテージのなれの果て)に」

「古い戦友同士なんですってね、少佐とヴァン大尉って、確か」

「少佐が国連軍出向で、欧州に居た頃の戦友って聞いたわ。 でも・・・どう見ても、私より年上には見えないわねぇ、ヴァン大尉は・・・」

ビーチの上に座り込んで、日焼け止めを塗りながら真咲大尉が答える。 周防少佐とは1期違いの大尉だから、結構昔の事も知っていた。

「ええ!? そうなんですか!?」 

「てっきり、私と同じ位か、もしかしたら年下かと・・・」

「大尉の階級で、それは無いでしょう? 少佐が欧州に居たのって、93年から96年の夏前よ? 北里、美竹、アンタ達はその頃はまだ、訓練校にも入っていないじゃない」

「そうですよね・・・私も遼子も、99年卒業ですから。 真咲大尉は、93年卒でしたっけ?」

「そう、19期のA卒よ。 少佐の1期下ね。 ヴァン大尉って、少佐と同い年なのよね。 私の1歳年上・・・」

「あの童顔じゃあね・・・」

「なんだか、可愛らしい人ですね。 上級将校に向かって失礼ですけれど」

「親近感を覚えます」

「胸が?」

「悪かったわねっ!」





「―――クチュン!」

「ん? 風邪か? ミン・メイ?」

「ん~ん・・・誰か、噂してるよ~・・・絶対に」

「そう言う所、妙に勘が良かったな、昔から」

大隊本部に隣接する将校集会所―――実際は仮設の将校食堂―――で、周防少佐と南ベトナム軍のヴァン・ミン・メイ大尉が話していた。

「にしても、驚いた。 いつ、こっちに戻ったんだ? ミン・メイ」

「去年だよ? 去年の雨季が終わる頃だからぁ・・・10月だね。 私も向うに行って、丁度7年経ったし、そろそろ良いかなぁ? って思ったの。 ティウも指揮官になったし。
あ、直秋も元気でやっていたよ。 でもって、直衛の従弟って事が知れ渡ったせいで、ファビオなんかに、良い様にオモチャにされていたけどねー・・・」

「その辺は、ノーコメント。 遣欧旅団と協同作戦、よくやったのか?」

「うん。 駐屯地も一緒だったしね。 大隊長の和泉少佐や、美園大尉なんかとは、よく一緒に飲んだよ」

相変わらず、ほんわかした話し方と雰囲気の古い戦友に、周防少佐も思わず顔が綻ぶ。 若年士官だった頃に、共に母国軍から国連軍へ出向して、遠く欧州・地中海で戦った戦友。
そんな彼女が変わり無く、そして生き抜いて母国軍に復帰していた(彼女の母国は、既にBETAの腹の中だったが) それが嬉しい。

「あとで、圭介にも知らせるよ。 アイツ、すっ飛んで来るぞ。 懐かしい顔、見たさにね」

「え~? 私って、なんだか動物園の動物みたいじゃない? それだと? でも良かったよー、直衛も圭介も、こうして無事で。 直人は日本?」

「ああ。 久賀は今、帝都の第1師団に居る」

「へぇー!? 凄いじゃない? それって?」

和気藹藹とした雰囲気。 ただヴァン・ミン・メイ大尉がここに居るのは、何も旧友を懐かしんで、訪ねて来たという訳ではない。 話は数日前に遡る。





「増援を―――戦術機大隊だけの分遣隊で、この東海岸線を守れと? せめて、小型種掃討任務の機装兵(機械化歩兵装甲部隊)と自走高射砲、それに機動歩兵を。
機甲部隊を、とは言いません。 しかし、戦力が偏り過ぎです。 戦術機1個大隊に分遣隊本部(大隊本部)と衛生中隊に整備中隊、後方支援中隊だけ。 これでどうしろと?」

『まあ待て、周防。 確かに分遣隊と言っても、戦術機に偏り過ぎと言うのは判っておる。 今は兵団司令部に打診中だ、予備から機装兵と砲兵くらいは手配する』

「・・・本当ですね? 副旅団長?」

通信モニター越しに、渋い顔をしている第15旅団・副旅団長の名倉大佐。 周防少佐も防衛任務の成否がかかっているので、喰らい付いている。

『兵団予備の各連隊から、せめて戦車と自走砲と機装兵、それぞれ1個中隊を出してくれと交渉中だ。 旅団からは出せん、こっちもギリギリだ。
とにかく、数日待て。 何とかしてやるから。 分遣隊を押し付けた以上、恰好がつく様にしてやる。 BETAはまだ、お寝んね中だ、まだ間に合う』

周防少佐と名倉大佐の交信内容。 今回は旅団の直接指揮下から離れ、マレー半島のクラ海峡北東部海岸線の防衛、その一部を周防少佐率いる分遣隊が担う事になった。
ただしこの時点で、正面打撃戦力は戦術機甲1個大隊だけ。 何でも偏り過ぎている。 マレー半島は第1防衛線以南には、まだ密林地帯が何割か残り、山岳地帯も残っている。
こんな熱帯雨林地帯では、特に小型種BETAの発見・掃討には機動歩兵部隊・機械化歩兵装甲部隊や自走高射砲部隊が不可欠なのだが、それが一切なかった。

「お願いします、大佐。 この辺りから海岸線を北上する場所には、まだ結構な密林地帯が残っています。 戦術機部隊だけでは、必ず見落としが出ます」

そう言う訳で、旅団司令部と南遣兵団が協議の結果、『一部は出せるが、他はガルーダスに出させる』と言う事になった様なのだ。





「まさかねー、私も直衛の『部下』で働く事になるなんてね。 向うのみんなが聞いたら、驚くだろうなぁ」

「・・・どう言う意味で? ミン・メイ?」

「疑り深いよ、直衛? オジさんになった証拠だね!」

「良く言うよ、年は同じだっていうのに・・・それにしもなぁ・・・こんな戦力、どうやって使おうか・・・?」

「それは、直衛のお仕事よ。 頑張ってね、『ゲイヴォルグ戦闘団長』殿!」

戦闘団長―――今回は公式には大隊戦闘団となる、一応は。 戦闘団長、つまり指揮官は日本帝国陸軍の周防直衛少佐。 戦術機甲大隊長も兼ねる。
基幹戦力は戦術機が5個中隊と1個指揮小隊。 日本軍から1個戦術機大隊と、1個独立戦術機中隊。 これに南ベトナム軍から、1個戦術機中隊が加わる。

南遣兵団予備から、エリカ・マイトラ帝国陸軍大尉が率いる第502独立戦術機甲中隊(92式弐型装備)、アンナ・プラテル・加藤帝国陸軍大尉が率いる自走重迫中隊。
それとヴァドゥル・ユカギール帝国陸軍中尉の、1個機械化歩兵装甲中隊が合流した。 いずれも日本帝国陸軍では『外人部隊』と言われる、国際難民出身者の部隊だ。
ヴェルブリンスカ・加藤大尉はポーランド系ソ連人の亡命難民で、日本人男性と結婚した。 夫は戦術機メーカーの技術者をしている。
マイトラ大尉はエストニア系亡命ソ連難民の出身。 かつてソ連による併合後に、故郷からシベリア地方に強制移住させられた、エストニア系住民の子孫だった。
ユカギール大尉はシベリア少数民族系の、亡命ソ連難民出身。 いずれも日本国籍への帰化資格を得る為に、帝国軍(外国人志願枠)に志願入隊した人材達だ。

他にはネパール軍・サハリナ・プラダン大尉の自走砲中隊(『プリマス』自走榴弾砲6輌)、チベット軍・ユトー・ツェテン大尉の自走高射中隊(M90スーパーダスター自走高射機関砲6輌)
ブータン軍・ソンツェン・ガンポ大尉指揮の自走ロケット砲中隊(GMP-80自走多連装ロケット砲6輌)、英連邦軍グルカ旅団・マトリカ・バンダリ中尉率いる戦闘工兵中隊。
南ベトナム軍からヴァン・ミン・メイ大尉の率いる1個戦術機甲中隊と、レ・カオ・クォン大尉指揮の1個機械化歩兵装甲中隊が加わる。 

いずれもガルーダスからだ。 先任順位に従い、ヴァン・ミン・メイ南ベトナム軍大尉が、戦闘団次席指揮官を務める。

「戦術機が5個中隊、機装兵2個中隊に、自走砲と自走高射砲、自走ロケット砲、自走重迫に戦闘工兵、これらが各1個中隊か・・・
なんだかな、微妙に扱いづらい戦力だな。 せめて戦車が有れば・・・贅沢なんだけどさ。 にしても、規模的には大隊戦闘団どころか、連隊に準じる規模だぞ、まったく・・・」

「そうだねー。 少なくとも、少佐が指揮する規模じゃないよねー・・・日本から要請があって、とりあえず予備でブラブラしている隊を、適当に送りつけたみたい・・・」

それに兵站と整備の問題が有る、通信もだ。 統一通信帯を兵団とガルーダス軍の間で、再設定して貰わねば、戦闘団内の相互通信もままならない。

「それに糧食・給食に輸送隊、防疫給水部隊に・・・ああ、戦闘車両の整備隊も、来て貰わなきゃ。 東南アジアの仏教徒って、食の戒律ってあった?」

「特にないよー。 ムスリムやヒンドゥーじゃないから、その辺は心配しなくていいよ。 でもチベットやブータンと、他のヒンドゥー・・・インド軍は隣接させない方がいいかも。
タイ軍とムスリムもね、特にタイ南部出身のムスリムで、マレーシア軍に入っちゃった連中が居るから。 この辺が顔合わすと、BETAそっちのけで大喧嘩だよー?」

―――胃が痛い、ガルーダス内部は民族と宗教が厄介だ。 顔でそう言って、周防少佐がペットボトルに入った炭酸入りミネラルウォーターを飲む。 美味くないが、仕方が無い。
これは分遣隊附き衛生隊長・陽詩慧(ヤン・シィフィ:日本語読み・よう・しえ)帝国陸軍軍医中尉から、口を酸っぱくしてレクチャーされた事だ。

『宜しいですか、少佐。 ガルーダス軍将兵は地元ですので大丈夫ですが、我が帝国軍将兵には、必ず徹底して頂きたい点が幾つかあります』

台湾先住民の高砂族―――正確にはアミ族出身の彼女は、中共の台湾避難後の混乱で故郷を捨て、沖縄に移住した一族の1人だ。 
その後、帝国大学の医学部卒業と同時に大学病院で医師をしていたが、召集されて軍医中尉に任官した。 専門は伝染病内科、今回にはうってつけだった。

『気を付けなければならないのは、ひとつは感染性腸炎による下痢。 これは発熱と嘔吐を伴い、病名は病原大腸菌腸炎、コレラ、アメーバ赤痢、腸チフスなどが有ります。
全て細菌感染です、この辺りの国の水道水は、危険と考えて間違いありません。 特に雨季に入った今は、雨の後の水は確実に危険です。
飲料は軍支給のミネラルウォーターのみにして下さい。 南の市街地(要塞都市)で買う事もあるかもしれませんが、絶対に炭酸入りを購入して下さい』

陽軍医中尉が言うには、歯磨きの際に口をすすぐ水やシャワーの水からも、病原菌に感染する場合もあり得ると言う。 また雨季は川や湖、池や沼で泳ぐのも危険、絶対禁止。
凍らせると細菌の数は減少するが零にはならず、長期間氷の中で生存し続ける。 だから飲酒での水割りやオン・ザ・ロックの水も氷も、軍支給のミネラルウォーターで作る。

『熱いコーヒー、紅茶は安全ですが、アイスティー、アイスコーヒーは駄目です、飲まないで下さい。 市街で購入する、市販のミネラルウォーターも安全とは言えません。
特にガス無し(炭酸無し)のミネラルウォーターの中から、細菌や原虫が見つかる場合があります。 ガス入り(炭酸入り)の水の方が安全です。
炭酸で水が酸性になるため、細菌が死滅しますし、大腸菌や腸チフス菌も1万分の1まで菌数が減ります』

確かに、BETAとの戦闘を目前にして、衛士達が腸炎やコレラ、アメーバ赤痢や腸チフスで、一斉に下痢と嘔吐、発熱で戦闘不能だったとすると・・・

『・・・国に帰れないな、指揮官としては・・・』

『ご理解頂けたようで、何よりです。 ミネラルウォーターが不足した場合は、全て煮沸消毒した冷まし湯を飲料にしたいと考えます。 では、次の留意点ですが・・・』

陽軍医中尉の説明続く。 分遣隊防疫給水部責任者の彼女としては、戦闘以外での戦力ダウンは彼女にとっての敗北と同意だ。

『他に南方で気を付けねばならない事は、何と言っても蚊を媒介する伝染病です』

マラリアとデング熱、この2種の蚊媒介の感染症は、十分に注意すれば防げると言う。 まず、無暗に密林地帯に入らない事。 日本人はガルーダス将兵ほど、免疫力が無い。
いずれもハマダラ蚊が媒介するが、これは昼間は刺さない蚊だ。 夜、蚊に刺されないように注意し、長袖のシャツやズボンを着用して、網戸などで遮蔽した部屋にいる事。

『また防虫加工した蚊帳も有効です。 ですが、立哨や当直などでどうしても夜間活動は有りますので、基本は長袖、長ズボンに防暑靴の着用、防虫スプレーは必ず着けて下さい』





「あはは、そうだねー。 私も、7年も欧州に居たから、帰った時は、なまっちゃって。 さっそく腸炎に罹患しちゃったよ。 あの時は吃驚したよ、まさか私がー! なんてね」

「ウチの隊は、寒い場所は結構慣れているんだ。 真冬の樺太駐留経験もあるし、冬のシベリア戦線にも派遣された。 予備の独立中隊は北欧系や東欧系が多い。
だけど、流石に東南アジアの戦場は初めてでね・・・衛生面もさることながら、戦場の情報もさっぱりだ。 イメージでは、雨季は軟弱な地盤なんだが・・・」

「んー、そうね。 それはあるよ。 足元の設定、東アジアの戦場よりも、もっと接地圧の設定とかシビアにしておいた方がいいよ。 腐葉土とかもあるしねー」

「後は?」

「あとはー・・・まあ、戦場を徒歩で離脱するなんて非常事態になったら、水際は避けて通る、かなー? BETA以前に、ワニに食べられたく無ければねー」

「―――ワニ!?」

「うん、まだいるよー?」

「ワ、ワニね・・・うん、覚えておくよ・・・」

心なしか、周防少佐の顔が引き攣っている―――あの手の大型爬虫類が、実は苦手なのだ―――確認事項を整理して、ひとまず区切りがついた。

ふと思い出したように、周防少佐がヴァン大尉に確認する。 本業での話、ヴァン大尉が搭乗している戦術機の事だ。

「F-18E・スーパーホーネットか・・・昔、アラスカに居た頃に少しだけC型に乗ったけど、あれとは別物だって話だね」

「そうだねー。 一言で言うと『優等生』だよー、あの子は。 F-15EとF-16E・・・前はF-16C・Block 60って言っていた子の、中間ぐらいかなー?
Type-92ⅡC・・・『ヴァイパー・ゼロ』と同じくらいなのかなぁ? 近接の取り回しは『ヴァイパー・ゼロ』の方が良い子だけど、砲戦はスーパーホーネットも良い子だよー」

「ガルーダスは、機種は相変わらずF-18系とF-5系だね。 F-4系で発展して来た日本とは系統が違う。 一部、92式系(壱型/弐型の輸出タイプ)もあるけど」

「うん、なにせ『寄せ集め』だしねー、ウチはね」

周防少佐の言葉に、ヴァン大尉も同調して頷く。 大東亜連合軍は元々が東南アジア諸国の連合軍なのに加え、それぞれが持つ背景から、東アジア諸国の戦術機とは系統が異なる。
地上軍の質的な最新鋭戦術機はF-18E・スーパーホーネットだが、これはガルーダス全軍で119機しか配備されていない。 他にホーネットはF-18Cが256機、F-18Aが583機。
数的主力はF-5系だった。 F-5E・タイガーⅡが1908機、その現地改修発展型のF-5G・タイガーシャークが518機で、残りはType-92系(92式壱型/弐型)600機程を保有している。

「数的主力は、F-5系か。 まあ安価で小回りが利く機体だから、東南アジアの戦場には向いているのかな? F-18や92式はその辺、どうなんだい?」

「うん、両方とも良い機体だよー。 Type-92ⅡC(92式弐型丙)とF-18E、ほとんど互角かなぁ? こっちに戦場にも合うよ。
重量の割に大出力だから、地面にのめり込んでも咄嗟に足を抜けだせるしねー。 これがF-15系になっちゃうと、多分ちょっとしんどいかなぁ?」

「乗ってたの? イーグルに?」

「うん、ほんのちょっとだけどねー。 こっちに帰ってちょっとの間、国連軍の方に居たのね。その時に試験部隊に回されてぇ・・・
部下にやたらと機体を壊す子がいてね、元気な良い子なんだけど、その度に私も上や整備に頭を下げてね。 
でもネガを潰させると、ホント上手い子だったよ。 今はアラスカに行ったよ、例の国連軍主導の戦術機計画、あれの試験開発衛士に抜擢されてね」

「へえ、アラスカに・・・懐かしいね、俺も居たよ。 もっとも、工事の手伝いだったけど。 しかし、この分遣隊も94式に92式、それにF-18と、見事にまぁ・・・」

ガルーダス全軍の保有戦術機中、F-5系の2426機、F-18系の958機には及ばない、3番手の位置に甘んじている600機の配備機数のType-92系。
その内の350機はType-92ⅠE(92式壱Ⅳ型)で、250機がType-92ⅡC(92式弐Ⅲ型)だ。 だがAH戦では、F-18系に対して若干の優位を維持している。
そして基本性能の高さと、日本製戦術機の近接戦能力の高さは、ガルーダス軍衛士達に好まれていた。 F-5に慣れた衛士達は、F-18よりType-92への機種転換を望むと言う。
結果としてガルーダス軍内部の戦術機は、F-18系、F-5系、Type-92系(壱型・弐型)が混在している。 それぞれが猛烈なセールスを展開中だった。

「ああ・・・また、整備パーツ手配の苦労が増えた・・・胃が痛い・・・」

「直衛、BETAと戦う前に、胃潰瘍で戦病死しない様にねー?」

「・・・ミン・メイ、性格、変わった・・・?」

「私も、苦労したのー」





ヴァン・ミン・メイ大尉との雑談の後、周防少佐は各派遣部隊の様子を見回っていた。 例え部下達が『バカンス代わりの派兵』と洒落こもうと、トップはそれなりにやる事が有る。

「大隊規模程度のBETA群に対する面制圧砲撃なら、我々とガンポ大尉のロケット砲中隊とで、何とかできます。 しかしBETA群が連隊規模以上になれば、厳しいです」

浅黒い肌の端正な顔立ちを少ししかめて、サハリナ・プラダン大尉が汗をぬぐいながら言う。 ネパール軍の女性砲兵将校、彼女もやはり、この高温高湿は慣れない様だ。

「支援砲撃力は、私の中隊の『プリマス』自走榴弾砲が6輌と、ガンポ大尉の『GMP-80』自走多連装ロケット砲が6輌。 バースト射撃なら、瞬間火力投射量はかなりの物ですが・・・」

「それは最後の手段だな、継戦時間が最優先だ。 済まないが大尉、砲の性能諸元を教えてくれるか? 概要で良い」

目前の自走砲を見ながら、周防少佐も汗を拭い言う。 東アジアの戦場では見た事の無い自走砲だ。 確かシンガポール軍が開発して、現在はガルーダス全軍の主力自走砲の筈。

「はい、少佐。 『プリマス』は『SLWH ペガサス』155mm榴弾砲を自走砲化したものです。 『SLWH ペガサス』自体が、前作の『FH-2000』より軽量化された砲です。
この『ペガサス』自身も各国の同クラスの155mm自走砲に比べ、軽量小型化に成功しています。 39口径155mmの軽量榴弾砲です。
射程は通常砲弾で1万9000m、ERFB-BB弾で3万m。 発射速度は急速射撃3分間で毎分4発、持続射撃30分間で毎分2発です」

と言う事は、1分間に12発の155mm砲弾を継続して、叩き込めると言う訳だ。 他に『GMP-80インドラ』自走多連装ロケット砲が6輌ある。
こちらはソ連の『BM-21グラート』を、ガルーダス軍か改造して配備している40連装122mm自走ロケット砲である。 
単射で1発/5秒。 一斉射撃時には40連発を20秒で発射できる。 ただし撃ち尽くすと、再装填に2分かかる(BM-21は3分かかったが、この点も改良されている)
車体はチェコのタトラ社から招聘した技術陣が開発した、タトラT813の改良型、『タトラT815』を流用して搭載している。
氷点下40度の酷寒に耐え、また過去に北アフリカで示した酷暑の砂漠での耐久性、東南アジアでの高温高湿での耐久性、柔軟な全輪独立懸架による悪路踏破性は世界に類を見ない。

ちなみに『プリマス』155mm自走砲も、この『タトラT815』を車体に使っている。 世界中でも装軌式で無く、装輪式自走榴弾砲と言うのは珍しい。
他にはチェコ軍の『ダナ』152mm自走榴弾砲があるだけだ。 不整地走破能力は装軌式よりやや劣るが、整地での速度と長距離自走が可能となった分、戦略的機動力が向上した。

「インドラ(GMP-80)を3輌ずつの小隊毎に、1輌毎に一斉射撃させるとして・・・毎分155mm砲弾が12発と、122mmロケット弾が120発か。 持続射撃時間は?」

「確か、インドラの即応弾数は4セットです」

「2分でロケット弾を1セット、撃ち尽くす。 インドラの持続射撃は一斉射撃だと8分か・・・」

思案のしどころだ。 ロケット砲を単射で撃たせるか、それともここぞの場面での一斉射撃で、一気に面制圧を掛けさせるか。

「・・・予備は? どの位ある?」

「155mm砲弾でしたら、合計1基数(240発)です。 持続射撃2時間が可能です。 ロケット砲も、1基数(12セット)あります」

「判った、状況次第で指示を出す。 戦闘時の通信帯は、後ほど本部から連絡を入れる。 支援砲撃、任す」

「はっ!」





「ひとつ、はっきりさせたいんですがね、周防少佐。 アンタはジープン(日本人)の吶喊馬鹿なのか? それともやたら死守命令を出すだけの、兵隊将校なのか?」

南ベトナム軍・機械化歩兵装甲中隊『スネーク・シーフ(コソ泥)』の中隊長、レ・カオ・クォン大尉が、浅黒く精悍な顔に不敵な笑みを浮かべて聞いて来る。

「・・・俺は、根が臆病者だよ」

「ふぅん・・・だったらいいや。 臆病者って事は、生き残る為には色々と考え抜く奴だ。 そんな臆病者が、生き残って少佐にまでなっているって事は、まあ、一応信用しますぜ」

「違ったら、どうしていた?」

周防少佐の際どい質問にも、レ・カオ大尉はふてぶてしく答えるだけだ。

「その時はアンタを見捨てて、ズラかる算段をしますよ。 言っときますが少佐、俺はジープンが大嫌いだ。 無能なジープンなら、BETAより先にぶっ殺してやるくらいに。
ただし、戦場で臆病なまでに生き残る算段をするヤツは、そうでもねぇ。 そいつが俺を生き残らせるんだったら、ジープンでも何でも構わねぇですぜ」

「・・・ああ、俺も戦場で吶喊ばかり掛ける、真面目な馬鹿は大嫌いだ。 それより意地汚い位に、生き残る奴の方が良い。
それと、俺は部下のケツを蹴り上げて、戦場で死なせるのが仕事だ。 BETA共を殲滅して、他のより多くの部下を生き残らせる為にな」

一瞬、周防少佐とレ・カオ大尉は、獣の様な笑みを浮かべて視線を衝突させていた。 が、次の瞬間レ・カオ大尉が苦笑と同時に表情を改め、敬礼と共に言った。

「南ベトナム軍派遣、独立第658機械化歩兵中隊。 レ・カオ・クォン大尉以下、指揮下に入ります」

「日本帝国軍南遣兵団・分遣大隊戦闘団長、周防直衛少佐だ。 レ・カオ・クォン大尉以下、着任を許可する」





「第4中隊に関しては、整備パーツのご心配は要りません。 我が中隊は92式弐型装備ですので、いざとなればガルーダスより融通を付けて貰う事が出来ます」

兵団直轄の独立戦術機甲中隊長、現在は分遣戦闘団・戦術機甲第4中隊『バルト』中隊長、エリカ・マイトラ日本帝国陸軍大尉が答える。
祖父にエストニア人義勇兵の元ドイツ武装親衛隊少佐を持つ、エストニア系亡命ソ連難民からの志願入隊者。 鮮やかな金髪と碧眼の24歳になる女性大尉だ。

「第5中隊(南ベトナム軍・ヴァン・ミン・メイ大尉指揮の『アオヤイ』)もF-18Eだから、ガルーダスで兵站を持ちますよ。 問題はType-94だねー・・・」

戦闘団G4(第4係主任、兵站・後方幕僚)の宮部宗佑中尉が、渋い顔をする。 旅団本部からも、伝手を頼った兵団本部からも良い返事を貰えなかった為だ。

「海軍の96式は摩周型輸送艦が、最初から随伴していましたから心配ありませんが・・・」

「まあ、その問題は今ここで話しても、仕方が無い。 最悪、ガルーダスに話を付けて92式の余剰分を回して貰えるか、打診中だそうだ。
真咲、最上、八神、強化装備側のデータはバックアップ出来ているな? 挙動に違和感が出るが、何とかしろ」

「92式は搭乗経験がある者も多いので、大丈夫でしょう」

「違和感を感じて、どうこう言う様な、そんな後方ボケをしている奴は居ませんよ」

「そもそも、そんな繊細でお上品な奴は、この部隊には居ませんって」

戦場でいざとなれば、それまでの搭乗機体から予備機へ、または引っ張り出した中古の機体へ乗り込んで戦場に舞い戻るなど、大陸ではよくあった話だ。

「ま、古参の連中に、そんな繊細な神経なんぞ、端から求めていない。 加藤大尉、重迫の方はどうだ? 機装兵部隊との連携は?」

「順調です。 砲弾の予備も届きましたので、全力支援砲撃5回分は可能です」

亜麻色の髪に同色の瞳、穏やかな笑みのポーランド系美人のアンナ・プラテル・加藤大尉が答えた。 28歳、周防少佐より1歳年長で、日本人と結婚した人妻でも有る。
『ポーランド版ジャンヌ・ダルク』、19世紀ポーランドの革命家・伯爵夫人であり、ポーランド軍リトアニア歩兵連隊の女性連隊長だった、エミリア・プラテルを先祖に持つ。

「機装兵第1中隊は、何時でも、命令が有れば」

寡黙で鋭い狩人の様な眼をした、ヴァドゥル・ユカギール日本帝国陸軍中尉が短く答える。 シベリア少数民族出身の彼は、先祖がそうであったと同様、BETAを狩る狩人だ。

「機械化歩兵装甲は、日本もガルーダスも『ギガンティ(Type-97 Mechanized infantry Armoring(MA)Powered exoskeleton“Giganty”)』だったな?」

「はい」

「そうっすよ。 日本製工業製品は、信頼出来ますぜ」

ユカギール中尉と、レ・カオ大尉が答える。

戦闘用強化外骨格、97式機械化歩兵装甲。 日本帝国を始め、大東亜連合、インド、中東連合、南米の一部など、世界シェア第1を誇る大空寺製の戦闘強化外骨格。
固定兵装はブローニングM2重機関銃・M3M/GAU-21(1200発/分)を2門、両腕にマウントする。 他に標準オプションとして追加装甲と近接戦用爆圧式戦杭(パイルバンカー)
6連装マルチディスチャージャー(サーメート(AN-M16/TH6テルミット焼夷弾))、92式LOGIRロケット弾ランチャーⅢ型、98式対BETA誘導弾発射機を選択出来る。
92式LOGIRロケット弾ランチャーは50グレインフレシェット弾頭ロケット弾10発、HEAT弾頭ロケット弾4発、高爆発威力弾頭(HE)ロケット弾4発の18発を発射できる。

戦車級以下の小型種BETA制圧に、非常に有効な兵装だ。 特に50グレインフレシェット弾頭ロケット弾は、目標150m手前でフレシェットが放出され、高初速と貫通力を有する。
矢状の弾体が140m飛翔し、約6.5度の範囲で拡散する。 フレシェット1発が約40m四方の範囲をカバーするから、10発を一斉発射した時の制圧有効範囲はかなり期待出来る。
98式対BETA誘導弾発射機は、98式対BETA/APKWS誘導弾(M98・APKWSAB)を4発発射可能。 セミ・アクティヴレーザー誘導の成形/金属サーモバリック複合弾頭。
こちらは要撃級BETAならば、直撃すれば撃破が可能だし、突撃級BETAも装甲殻は射貫出来ないが、そのほかの部位に命中すれば動きを止める事が十分可能な兵装だ。

他に狙撃手用として、96式対物・対BETA狙撃銃(FN-AMR96)がある。 15.5mm(15.5×118mm弾)、全長2250mm、有効射程2500m、銃口初速1100m/s
FN社が1990年に開発を中止したFN・BRG-15重機関銃をベースに、FN社と日本が協同開発した対物・対BETA用狙撃銃。
従来の12.7mm級対物ライフルでは戦車級以上の撃破は難しく、より大口径の対物ライフルを必要とした。 そこで採用を見送られたFN社と日本が協同で開発したのが本銃だ。
欧米諸国の12.7mm級対物・対BETA用狙撃銃に比べ、重量はさほどの増加は無い。 威力・射程・低伸弾道性に優れる。

居並ぶ日本と大東亜連合各国の将校達を前に、周防少佐が作戦地図から視線を上げて、『部下』達を見て言った。

「そちらは良いか・・・よし。 戦闘序列は後ほど正式に伝えるが、戦術機第1部隊(第1、第2中隊)は真咲大尉指揮。 第2部隊(第4、第5中隊)はヴァン大尉指揮。
砲撃支援はプラダン大尉、機装兵2個中隊はレ・カオ大尉、直協支援は重迫と自走高射機関砲の両中隊を加藤大尉、各々指揮を執れ。
本部、工兵、衛生、通信の各後方中隊は、牧野大尉指揮下とする。 全般指揮は俺が執る、戦闘団副指揮官、ヴァン・ミン・メイ大尉。
戦術機第3中隊と戦術機甲指揮小隊は、戦闘団指揮官の直率。 各隊、戦闘団通信系を確認の事―――以上、質問は?」

全員が無言で首を振る。 今の状況でこれ以上の変更は、必要無いだろう。

「よし―――最後に、日本も大東亜連合も、関係無い。 ここに居る者達は、全て一蓮托生だ。 俺は貴官等のケツを蹴り上げ、戦場に送る。 しかし最後まで戦場に居るのは、俺だ」










2001年5月8日 マレー半島 タイ王国南部・ヤラー県ベートン北方15km 日本帝国軍南遣兵団特殊砲兵部隊 第108砲兵旅団


「旅団長、砲の設置はあと3時間で完了の予定です」

「ん・・・ご苦労、大佐。 にしても暑いね、ここは」

「はは・・・派遣された将兵の誰もが、同じ事を言っておるでしょうな。 しかし、雨季とは少々心配です、地盤が・・・」

「うむ・・・まあ、必要以上に心配しても始まらん。 それに図体程、発射時の反動が大きい訳ではない。 むしろ海軍の戦艦主砲の方が、反動は大きいからな」

旅団長の准将と、射撃副調整官の大佐の面前には、とんでもない長さのパイプの化け物が居た。 パイプの所々に、突き出した突起が有る。 実はこのパイプ、歴とした砲で有る。
『00式超々長射程砲』―――日本帝国陸軍が1994年に遼東半島に持ち込み、『大陸打通作戦』時に発射運用試験を行った『86式超々長射程砲』の後継砲で有る。
砲口径は508mm(20インチ)、砲長身は66m、最大射程は980kmにも及ぶ。 86式が砲口径381mm、砲長身50m、最大射程750kmだったから、かなり性能は向上している。

要員は砲1門につき、砲兵1個中隊を要する。 これ程の巨砲だが、発射速度は1発/毎分と早い。 旅団全体で12門―――12個中隊が必要で、他に多数の支援部隊が付く。
日本とガルーダスとの交渉で、『00式超々長射程砲』の実戦テストが行われる事となった。 前線遙か後方、タイ=マレーシアの国境付近から、第1防衛線前に砲弾を叩き込める。
初速は秒速5.8km(M16.52)、そこから980km彼方の攻撃目標に突進し、最後は秒速3.5km(M9.98)で着弾。 運動エネルギーと衝撃波で、目標とその周辺を粉砕する。

「こちらは、どうやら使えそうですが・・・あの『試作1200mmOTH砲(超水平線砲)』、どうやらお蔵入りになりそうですな」

「ナンセンスだよ、1200mm口径など。 しかもそれが戦術機での運用前提だなどと、大口径砲の何たるかを理解せぬ、どこかの大馬鹿者が官僚文書ででっち上げおって」

「確か、中東連合で1000mm口径の超大口径多薬室砲を開発して、カイロ辺りからマシュハド(H2・マシュハドハイヴ)を砲撃しようと言う計画も、有りましたな・・・」

1998年、前年に北アフリカに逃れた中東連合内で、超々射程でハイヴを直接叩く計画が浮上した。 日本の『86式超々長射程砲』と、遼東半島の砲撃実績を踏まえてだった。
中東連合とアフリカ連合内のムスリム諸国は当初、日本帝国に対して『86式超々長射程砲』の供与を打診した。 見返りは北アフリカ産原油の、日本への安価・安定供給。
日本側も中東失陥によるエネルギー不足問題が、国内で盛んに議論されており、寧ろ日本の方が乗り気だった。 『86式超々長射程砲』の性能向上型の開発も、議題に上った。

だがこの計画は1999年末に頓挫する。 まず、中東連合が求める要求仕様がとんでもなく突飛だった事。 当時日本は、86式の後継砲として508mm(20インチ)砲を開発した。
後の『00式超々長射程砲』だが、中東連合の要求仕様はこれをはるかに上回り、1000mm口径、最大射程1500km、発射速度毎分2発、と言うとんでもない要求性能だった。
技術的に難しい。 多薬室砲は砲身内の圧力をそれほど高くしなくても、高い初速を得られる。 砲身内のガス圧は最大でも、それほど高くならないのだ。
砲身(特に尾栓部分)を頑丈に作らなくて済むので砲の軽量化が可能であり、また大口径・長距離射程砲でも尾栓部に大きな負担が掛からないので、強度的な改良は必要無い。
しかし―――しかし、1000mm口径なのだ。 いくら砲身の強度を求められないとは言え、これ程の口径の巨砲など歴史上、製作された事が無い。
かつて作られた史上最大口径の方は、第2次大戦末期に作られたアメリカの『リトル・デーヴィッド』重迫撃砲の36インチ口径砲(914 mm)が最大だった(実戦投入なし)
実戦投入された砲としては、ドイツ軍の80cm列車砲(グスタフ、ドーラ)が有名である。 日本陸軍も要塞砲(榴弾砲)として、410mm口径の『試製四十一糎榴弾砲』を製作した。

「―――確か通産省の次官だったか、当時に馬鹿な事をほざいたのは」

「ええ―――『このままでは、帝国の余剰原油は半年で底をつく。 何としても、中東連合の要求通り開発して貰わねば困る』 あのコメントが、マスコミに漏れましたな」

1998年4月、BETAの本土進攻をまじかに控えた時期の事だ。 日本は北海道・苫小牧の帝国製鋼所が中心となり、この大要求を満たすべく、特殊鋼での砲身開発に取り掛かった。
しかし、その直後のBETAによる本土進攻。 鉄鋼生産は輸出向け兵器では無く、本土防衛の為の生産枠へと大幅に振り分けられる。 帝国製鋼所も特殊砲身どころで無くなった。

また、アフリカ連合に『居候』する中東連合でも、厄介な話が持ち上がっていた。 『超々長射程砲』を危険視する国々が、アフリカ連合内で声を大きくし始めたのだ。
それは主に、サハラ以南の非ムスリム国家群だった。 アフリカは民族対立の他に、ムスリムと非ムスリムの対立も深刻だった。 
『超々長射程砲』を配備するのは中東連合と北アフリカ諸国、すべてムスリム国家だ。 本当に、ハイヴ砲撃用か? 北アフリカ南部からだと、サハラ以南の国家群が射程圏内だ。

日本がBETAによる本土進攻を死に物狂いで戦い、そして99年の『明星作戦』で形としては『本州奪回、ハイヴ攻略』を成し遂げた頃、アフリカ連合常任理事会は大荒れに荒れた。

「で、99年の12月だ。 正式に中東連合からキャンセルが入ったのは。 米国がアフリカ連合内の非ムスリム諸国を、裏でけしかけたと言う話もある」

「北米産、あるいは中南米産原油の価値を吊り上げる為に。 我が国と北アフリカ諸国との密月は、あの国のエネルギー産業界にとって面白い話ではありませんからな」

そして宙に浮いた『試作超々長射程砲・改』用の砲身は宙に浮いた。 ここで官僚世界が関わってくる、兎に角も予算を使い切らねば、余った分は次年度予算が削減される。
何かいい方法は無いか? 陸軍砲兵部隊向けの超々長射程砲は、『00式超々長射程砲』の予定でほぼ確定している、押し込む隙がない。

「で、戦術機での運用を前提とした、『超々長射程砲の機動的運用』とか何とか。 戦術機甲閥の連中も、目を丸くして呆れておりましたな」

「当然だろう、あんなのを押し付けられても、戦術機での運用など出来るものか。 砲身の特殊鋼開発も、中途の状態でいきなり1200mm口径に上げおって・・・」

帝国陸軍砲兵閥からは呆れられ、戦術機甲閥からは思い切り迷惑がられた『試作1200mmOTH砲(超水平線砲)』は、最終的には国連軍横浜基地へ『供与』の形で押しつけられる。

「ま、あんな遺物の事はどうでもよかろう。 それより実戦試験だ、装薬燃焼タイミングの制御も、新しい制御システムのお陰で万全だ。 思い切りやろう」

「はっ! 『光量子コンピューター』様々ですな。 お陰でどの様な気象条件下でも、最適な燃焼タイミング制御を行えるようになりました。
それに第109、第110砲兵旅団も、『86式超々長射程砲』の改良型を持ち込んでおります。 3個旅団で36門、破壊力は戦艦4~5隻・・・いえ、それ以上ですからな」

マレー半島には、帝国陸軍特殊砲兵軍団(第108、第109、第110特殊砲兵旅団)が南遣兵団の枠外で送り込まれていた。 戦闘時には南遣兵団に協力する。
超々長射程砲が合計36門、うち20インチ口径砲は第1防衛線前までを射程圏内に入れ、24門は第2防衛線前までを射程圏内に収める。

艦載電磁投射砲、光量子コンピューター、超々長射程砲、日本帝国は佐渡島奪回に向けての下準備として、各種新規開発兵器の実戦試験を、このマレー半島で行う予定だった。









2001年5月10日 0830 インド洋アンダマン諸島 国連印度洋方面第1軍 中アンダマン島・オースティン基地


「うおっ!?」

「くっ! ゆ、揺れるっ・・・!」

「地震か!?」

スマトラ島沖、ニアス島付近でマグニチュード8.6の巨大地震が発生した。 後の観測結果で震源地深さ30km、震源域350kmの巨大地震と判明。
津波の高さはインドネシア・シムルエ島で最大3m程度だったが、スマトラ島、ジャワ島、マレー半島各地で建物の倒壊、火災、道路網の寸断が生じた。
被災犠牲者は最終的に、大東亜連合全域で約2000人に達し、震源地付近では新たな島が出現する程だった。

「被害報告! 確認、急げ!」

「警戒網の途絶はっ!? あるのかっ!? 海底探知網だっ!」

「ガルーダスへの確認、急げっ!」


基地への損害は幸いにも軽微で、将兵たちはひとまず胸をなでおろした。 しかし別の場所では、深刻な事態になりつつあったのだ。 3時間後、狂報が飛び込んできた。

「ガルーダスより緊急連絡! マレー半島防衛線各所で、道路網が寸断されているとの事です! 戦略的機動が、かなり制限されるとの事!」

その場の全員が声を失ったその時、管制部隊より更なる狂報が舞い込んだ。

「日本より緊急入電! 日本の偵察衛星がBETA群の動きを確認しました! A群、B群、C群、全てが一斉に南下を開始! マレー半島に殺到します! 防衛線到達予定、1600時!」


―――本番の幕が上がった。





[20952] 伏流 帝国編 7話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2012/04/30 18:53
2001年5月10日 1800 マレー半島 大東亜連合軍・マレー半島第1防衛線 大東亜連合軍・北部第2軍第1軍団・タイ王国軍第5戦術機甲師団第51砲兵連隊


『FO(前進観測班長)よりFDC(砲兵大隊射撃指揮班)! 座標1520-2350! 標高200! 観目方位角4700! オーヴァー!』

『BETA群、射撃中のATM陣地正面、180! 縦深不明! 効力射には92CTV! オーヴァー!』

『FOより射撃要求! 修正射、座標1520-2350!』

『大隊長! FOから要求のあったBETA群を、速やかに制圧する必要がありますっ! 1中隊の修正射、効力射には92VT! 弾数10発を撃ち込みます!』

『修正射! 基準砲、M557、装薬白6! 方位角1058、射角320! 各個に撃て!』

『・・・よ~い、撃えっ! 基準砲、初弾発射!』

『戦術機甲連隊より要請! 座標1680-2905! 大隊規模BETA群への、突撃支援射撃要請です!』


連続する砲撃音、腹に響く発射の衝撃波を残して、203mm、155mm榴弾砲がバースト射撃で、1分間に4発と言う高い発射速度で撃ち込まれる。
向うで甲高い飛翔音を上げ、虎の子のMLRS大隊から227 mm ロケット弾が発射された。 迫り来るBETA群に対し、懸命の突撃破砕射撃が続いている。
BETA群が来襲してから、かれこれ2時間が経過する。 第1防衛線各部隊は死力を尽くして、防衛戦闘を戦っていた。 

「ですからっ! 整地道路は各所で分断されて、我々の戦略機動が阻害されているのですっ! は? ノンプラップへの移動!?
師団長! 道路はこのハウイサットヤイから、東5kmの地点で寸断されています! 周りは走破不能な不整地です! 逆に我々が、孤立してしまっているのですぞっ!?」

タイ王国陸軍・サリット・タナラット砲兵大佐は通信機越しに、事態を把握しておるのか疑ってしまう上官に向かい、噛みつく様に怒鳴っていた。
タイ王国軍第5戦術機甲師団の所属する、大東亜連合軍北部第2軍第1軍団の正面には、BETA群3派のうち最大数のマンダレーA群の内、約2万1000が殺到して来たのだ。
幅50kmに渡る担当戦区を守るのは、第1軍団のタイ軍第4師団、第5師団、第15師団の3個師団。 しかし重圧に耐えかね、第4師団と第5師団との間を抜かれかけている。

それだけではない、第1軍団の東に隣接する第2軍団とを繋ぐ道路が、大地震のお陰で数箇所に渡って寸断されてしまった。
工兵隊が復旧さそうにも、余りに最前線に近過ぎて復旧作業が出来ない状況だ。 工兵とはスペシャリストの同義語だ、養成に長い時間がかかる。
彼等はBETAに対して有効な防御火力を持たない、戦術機甲部隊も、機械化歩兵装甲部隊も、直接打撃戦力はBETA群との混戦状態。 機甲部隊も突撃破砕射撃と言う有様だ。

「最早、戦況は前進支援射撃でも、突撃支援射撃でもありません! イニシアティヴは完全にBETA共に握られました! 突撃破砕射撃! 突撃破砕射撃なのですぞ、師団長!」

片耳に受話器を当てて片耳を塞いで、目を血走らせるタナラット砲兵大佐が再び怒鳴る。 彼の砲兵連隊は砲弾残量など、気にする贅沢も与えられない状況で、猛射を強いられている。
非常に不味い状況だ、第4師団と第5師団の間隙を埋めようと、後方から第15師団が戦線を押し上げ塞ぎに掛った。 しかしその為に、隣接する第2軍団との間隙がガラ空きだ。
第1軍団もBETA群、A群の一部と重慶C群、約1万9000体を迎え撃っている。
こちらはミャンマー軍主体だが、BETA群はA、Bの両群が1万程度の4群に分散し、波状侵攻して来ていた。 タイ軍とミャンマー軍との連携が、混乱で乱れている。

「ミャンマー軍第10師団の砲兵部隊に、突撃破砕射撃を要請出来ないのですか!?」

『無理だ、連中もA群、B群の約半数、約1万9000の波状侵攻に晒されている! 主正面はホアヒンとヒムレックファイの間だ、BETA共、最も平坦な場所に集中している!』

第2軍団―――ミャンマー軍3個師団は、その主正面防衛に必死だ。 軍団予備のミャンマー第10師団もまた、タイ第15師団同様に最前線の穴埋めにしゃかりきになっていた。

「第2軍団との間を突破されると、第2防衛線まで遮る防衛線力は有りませんぞ!?」

『判っておる! 軍団本部は軍司令部と協議のうえ、作戦プランB-04への移行を決定した! タナラット大佐、何としてもBETA群の侵入を阻止するのだ! 連中を南へ逸らせろ!』

「っ!―――了解しました、閣下!」

南へ逸らす―――作戦プランB-04は、BETA群に第1防衛線をわざと突破させ、第2防衛線を50km程後退させる。 そして最終防衛線を50km北へ押し上げ合流させるのだ。
第1防衛線戦力はBETA群を南へと逸らした後に、その尻を追いかけて南へと戦線を下げる。 そして南北約100km程の地域にBETA群を囲い込み、南北から挟撃を掛ける。
この間はマレー半島の東西の幅が狭まり行く場所であり、必然的に戦力の集中を図る事が出来る。 さらに言えばタイ湾、アンダマン海からの海軍戦力の支援も受け易くなる。

(・・・だが、早々に上手くゆくか?)

タナラット大佐は懐疑的だった。 この作戦は南の底、つまり第2防衛戦戦力と、最終防衛線戦力とが合流する事で、非常に分厚い縦深防衛帯を東西に布陣さす事が出来る。
反面、連携が難しく(第2防衛線は大東亜連合軍、最終防衛線は国連軍が主体)、ここを抜かれたら最後、クラ海峡が丸裸になる。 文字通りの背水の陣だ。

(南部の道路状況がはっきりせぬが、こちら同様に部隊の移動は困難を覚える程だろう。 だとすれば、各所で孤立したまま各個撃破される部隊が、多数出るやもしれん・・・)

現実にこの第1防衛線でも、道路の寸断や土砂崩れなどで移動がままならず、師団内での連携すら困難を覚える。 先程、機械化歩兵(機動歩兵)1個大隊が、孤立して全滅した。

(くそう、この地獄が前世の業だとしたら、一体人類はどれ程の愚かしい因果を、輪廻転生させたと言うのだ!?)

敬虔な仏教徒だったタナラット大佐は、生まれて初めて己の信仰に疑問を抱いていた。










2001年5月10日 1830 マレー半島東岸沖10海里 日本帝国海軍南遣艦隊


『―――30ノット出ぬ艦は、後から付いて来いと言え!』

南遣艦隊司令官・城島高治海軍少将はそう一言叫ぶと、麾下の全艦艇に第5戦速(30ノット)での突進を命じた。
BETA群の南下が確認されたのが、1130時。 それから緊急出撃で泊地を抜錨・出撃したのが1300時(艦艇は車輌と異なり、即時発進は出来ない)
泊地から第1防衛線沖合まで、約162海里。 30ノットの高速で艦隊を突進させても、5時間半はかかる。

「―――タイ海軍は、続航しているな?」

CICではなく、戦艦『出雲』の夜戦艦橋に陣取った第5戦隊司令官・周防直邦海軍少将が、夕焼け空に燃える海原をちらりと眺めて幕僚に聞いた。

「はい、司令官。 5海里後方を続航しております」

「よし、戦艦『トンブリ』に『スリ・アユタヤ』―――『金剛』と『榛名』、老いたりとは言え、14インチ砲(356mm砲)16門の砲撃力は捨てがたい」

周防少将は今回、日・タイ連合艦隊の砲戦副調整官―――対地砲撃戦司令官だったから、乗艦の『出雲』、僚艦の『加賀』の他に、2隻の戦艦が加わる事にホッとしていた。
インドネシア海軍の2戦艦、『サマディクン』と『マルティダナタ』―――元々は『扶桑』と『山城』―――はずっと後方だ。 この2隻は機関を乗せ換えても、最大速力は26ノット。

インドネシア艦隊は、艦隊速力24ノットで後方を追尾中だった。 速度差6ノットでは、1時間当たり10km以上、5時間半で61km以上の距離の差が生じる。
日・タイ両国艦隊が戦場海域に到達しても、インドネシア艦隊がBETA群を主砲の射程圏内に収めるのは、更に1時間20分後と言う事になる。
城島少将は、巧遅よりも拙速を選んだ。 統合指揮官として日・タイ両艦隊の高速戦艦群と駆逐艦群を突進させ、その後を戦術機母艦群と護衛汎用駆逐艦群に追わせた。

『―――ワレ、30ノットで続航セリ』

タイ海軍戦艦部隊司令官・ソンチャエ・タライミット少将が発した電文を見た時、周防少将は思わず笑みが浮かんだ―――そうだ、海の武人は、海軍軍人とは、こうでなければな。

『CICより艦橋! BETA群捕捉! 距離、2万8000!』

『ガルーダス軍より要請! 戦区BA-115への面制圧砲撃です!』

『主砲射撃指揮所より、艦長。 弾種、九四式(九四式通常弾) 主砲発射準備、宜し』

「艦長よりホチ(砲術長、主砲発射指揮所に詰める)、了解―――司令官?」

艦長の問いかけに、無言で前方を見つめていた周防少将の右手が軽く振り上げられ、そして陸地―――BETA群に向かって振り下ろされた。

「よし―――主砲、撃ぇ!」

突如として、巨大な『出雲』の艦体を軽く振動させるほどの轟音と共に、50口径460mm砲が火を噴いた。 続航する『加賀』もまた、50口径406mm砲を射撃させる。
タイ海軍の2戦艦、『トンブリ』と『スリ・アユタヤ』からも、やや控えめな砲声が鳴り響いた。 50口径356mm砲が2隻合計で16門、一斉砲撃を敢行したのだ。

第1防衛線の北部第2軍から『我、BETA群と交戦を開始せり』の緊急信を受けた城島少将が発した返信電文、『我、31ノットで急行中』の通り、
日・タイ連合艦隊の高速戦艦群は突進を重ね、夕日が落ちる赤く燃えるタイ湾の戦場海域に突入した。










2001年5月10日 2010 マレー半島東岸 タイ王国・バーンサパーン・ノーイ県南部、チャンレク北方5km地点


『じゃあ、そっちは何とか予定地点まで、進出できそうなんだな?』

指揮通信車輌の中の、通信モニターの向こうで、僚隊指揮官の長門少佐が確認して来た。 周防少佐は各種状況を書き込まれた作戦地図を、チラッと見て頷いて返答する。

「ああ、進出は出来そうだが、その後だな、問題は」

『こっちは隣の戦区だ。 兵団予備から戦術機1個中隊を回してきたが・・・直衛、お前の大隊が抜けて、補充が1個中隊だ、計算が合わないぜ』

「苦労掛けるな・・・」

第15旅団は、周防少佐の第1戦術機甲大隊が分遣されたので、その穴埋めに兵団予備から1個中隊を回していたが、それでも2個中隊欠と言う状況だ。

『まあ、隣の第10旅団・・・左翼の棚倉の部隊と協同できる。 同期ってヤツは、こう言う時に融通が利くからな』

「一番左は、伊庭の部隊か?」

『ああ。 兵団司令部としては、俺と棚倉の2個大隊で戦線を形成させて、伊庭の大隊をBETA群の横っ腹に叩き込む予定らしい。 両翼が変わったら、伊庭の役を俺がやる』

いずれにせよ、守勢での粘りに定評のある棚倉少佐が指揮する戦術機甲大隊を中心に、両翼を長門少佐か伊庭少佐か、どちらかの大隊で叩く予定の様だ。
無論、第10、第15の各兵科部隊、それに兵団直轄の各連隊も加わり、戦線を形成する。 残る3個の独立戦術機甲中隊は、最後の予備兵力として手元に残すようだ。

『で、どうにも右翼が寒い。 お前のトコとこっちと、その間はどうなっている?』

周防少佐指揮の分遣戦闘団と、第15旅団との間隙の事だ。 側面が空いているのは、互いにゾッとしない。 本来ならガルーダスか、国連の部隊が埋めるのだが。

「最終防衛線部隊は遙か後方、サウィーの北15km地点で立ち往生だ。 南ベトナム軍第9旅団と、英連邦軍グルカ第1旅団だけだ、間に居るのは。
残りの第38軍団の2個師団(UN第123師団、韓国軍第25師団)、それにガルーダスの3個旅団は、道路網寸断で復旧次第・・・だな」

『ちっ・・・西岸も、国連の第37軍団(UN第121師団、UN第122師団、フィリピン軍第7師団)が立ち往生だ。 予備のガルーダス4個旅団もな。
おい、冗談じゃないぞ・・・第2防衛線部隊も、あちこちで立ち往生しているってのに。 これで戦線を形成できるのか!? 無理だぞ・・・』

事実だった。 第2防衛線戦力で予定のラインまで後退して来たのは、北部第2軍第3軍団の南ベトナム第4師団、第12師団。 第4軍団のカンボジア軍第3師団だけだ。
残る南ベトナム軍第19師団、カンボジア軍第8師団、ラオス人民軍第2旅団、第3旅団の2個師団と2個旅団は、道路網寸断で孤立してしまっている。
5個師団、2個旅団を擁していた、ガルーダス北部第2軍の第2防衛線防衛戦力は、実質戦力半減になっている。 西部防衛の北部第3軍も似た状況だった。

「とにかく、ディフェンスラインが復活して、一刻も早くオーバーラップを掛けてくれるのを、期待するしかないな」

『兵団の身軽さ(戦略機動力の良さ)が仇になったな。 ガルーダスの連中、俺たちほど足回りが良くない。 ったく・・・直衛、お前と一緒だと、どうしてこう修羅場になる?』

「そっくり、そのまま言い返す。 俺の平穏無事な戦場を返せ―――冗談はさておき、兵団主力が北部第3軍との間隙を埋めるなら、こっちも布陣を考え直さんと・・・」

『頼むわ。 側面がガラ空きってのは、歓迎しない』

正規の通信系統(旅団本部・兵団司令部)経由でない、現場の融通で話している。 旅団本部や兵団司令部からも、戦略情報は入ってはいる。
しかし実際に部隊を指揮する者同士、意志確認には手っとり早い。 本来は通信規定に抵触するが、そうは言っていられない状況だったし、旅団や兵団も半ば黙認していた。

通信を終えた周防少佐は、衛士強化装備姿で指揮通信車両から外に出た。 20mほど向うに、各隊長達を召集していたからだ。 
完全に陽が落ちた東南アジアの半密林地帯、特有の蒸し暑い夜の熱気が襲い掛かる。 簡単な折り畳みテーブルに、カンテラを置いただけの戦闘団本部。

『ゲイヴォルグ戦闘団』の前進は、一時休止状態だった。 戦闘の結果では無い、未だBETAは第1防衛線を食い破っている真っ最中だ。
それは戦闘団の前進速度に、兵站が追い付いていない事はひとつ(周防少佐はこの事を重視した。 戦術機も戦闘車両も、予備部品が無ければ早期に鉄屑と化す)
もうひとつは大地震の影響だ。 本来布陣すべき大兵力が、あちこちで足止めを喰らっている。 その為に『大隊以上、連隊以下』の戦闘団の、防衛地域が増大したのだ。

「―――いくら諸兵科連合部隊と言っても、連隊以下の戦力なんだ。 手が回り切りやしないぜ」

言葉使いと逆に、割と整った顔立ちにいらつきの表情を露わにして(日越混血とは、ヴァン大尉から聞いた)、南ベトナム軍のレ・カオ大尉が忌々しげに言う。
戦闘団が担当する戦区は、東海岸線から内陸に20kmの幅が有った。 第2防衛線から下がって来たガルーダス北部第2軍、その3個師団の後ろで穴を塞ぐ役目だ。

「正面打撃力は、そこそこ・・・だけれど、支援火力は正直言って心もとないわ。 せめてあと1個師団・・・いいえ、1個旅団でも良いから、居てくれれば・・・」

小柄な、どうにかすると少女のようにも見える、ネパール軍のサハリナ・プラダン大尉も眉をしかめて、親指の爪を噛みながら呟いている。

「―――諸君。 私は今、諸君に対して防御体勢の意見を聞いている。 今の所、我々は第2防衛線後方の数少ない機動予備戦力だ。
第2防衛線を破ってくるだろうBETA群を、この付近で叩かねばならない。 つまり、現時点でクラ海峡防衛のゴールキーパー、その矢面なのだ」

周防少佐が敢えて感情を出さない様に、一気に話す。 多国籍部隊の通例か、各自が自分の置かれた状況に関係の無い、或いは現時点で臨み得ない事柄をしゃべりたがる。
周防少佐は『部下』達が何か脱線しかける事を言う前に、口を挟む前に、現状を再確認させ、意識を主目的に集中させる為に、敢えて発言を遮る様に言ったのだ。

「・・・現状で考えられるのは、南ベトナム軍第12師団と、北部第3軍との間を抜かれた場合の対処ですな」

古くから、周防少佐の片腕をしていた事のある最上大尉が、上官の意図を察して作戦地図に指を這わせながら言った。 傍らの八神大尉も頷く。

「或いは、南ベトナム軍2個師団とカンボジア第3師団との間。 こちらは平坦地ですので、『圧力』を受けた場合に突破される危険性が高いです―――兵団司令部からの命令は?」

「・・・『適切なる位置にて、状況に対処せよ』だ。 最上、要点は?」

「相手が人類―――対人戦争ならば、常識の範囲で対処すればいいのですがね。 主攻は海岸線、つまり戦力の小さいカンボジア軍を叩いて、南に突破する。
その場合は別動戦力で内陸部の南ベトナム軍に対して、牽制攻撃を仕掛けて足止めをします。 無理押しする必要は有りません」

「迂回包囲すれば良いのだしな、或いはそのまま一気に南へ突進を掛けるか」

ロケット砲中隊を指揮する、ブータン軍のソンツェン・ガンポ大尉の指が、作戦地図上で2箇所を差しながら動く。 

「しかし、相手はBETAよ?―――牧野、BETA群の予想到達時刻と、兵站の到着時間は?」

戦術機第1部隊(2個中隊)を指揮する真咲大尉が、戦闘団先任幕僚の牧野大尉に確認する。 牧野大尉は私物の腕時計を見ながら、ごく簡潔に言う。

「―――BETA到達予定、2130時。 兵站を受けられる位置まで連中が来るのは、2140時から2200時の間だ」

「要は、どこまで継戦を想定するかです、戦闘団長」

大隊長と言わず、戦闘団長―――寄せ集め部隊故に、その指揮権を強調せざるを得ない。 真咲大尉が殊更に『団長』と強調したのはその為だ。

「差し当たり、後続の大兵力の支援を早々に受けられるならば、兵站部隊は後方に待機させておいて、カンボジア軍の後詰に入るべきです。
しかし現状は、それを許しません。 我々は第2防衛線の後詰と、兵団主力との間隙の双方を、南ベトナム軍と英連邦軍グルカ部隊と協同して防ぐ必要があります」

「つまりだ、俺達はカンボジア軍が下手打った場合と、俺のトコロの連中がヘマした場合と、両方に対応せにゃならねぇ―――そう言うこったろ? 美人さんよ?」

「真咲櫻、です。 レ・カオ・クォン大尉。 戦闘団長・・・」

真咲大尉が発言する前に、手でそれを止めて周防少佐が乾いた声で言った。

「―――レ・カオ大尉の言う事は正しい。 全く気に入らん、腹立たしい玉虫色の中央配置だ。 状況の意図を読み切れん、自分の情けなさが腹立たしいな」

「しかし、相手はBETAです、団長」

工兵部隊を率いるマトリカ・バンダリ英連邦軍中尉が、女性にしては精悍過ぎる声で、はっきりした口調で周防少佐に向かって言った。

「最上大尉も仰っておられましたが、相手はBETAです。 意図を見抜けるのならば、我々は・・・」

自分の故国は、むざむざBETAに食い荒らされはしなかった。 貴方の故国もそうでしょう?―――マトリカ・バンダリ中尉は、言外にそう言っていた。
実のところ周防少佐は、腹立たしさと言うより、相変わらず主導権をBETAに握られる戦いを、多国籍部隊を率いて戦わねばならない事に、もどかしさを感じていたのだ。

「―――判った。 戦闘団はカンボジア軍の後背、チャイ・カセム方面と、左翼の南ベトナム軍後背に通じるヴァン・サン・ヤイク方面と、双方に対処出来る布陣を取る」

「前方15km位の所に、チャイ・カセム方面とヴァン・サン・ヤイク方面と、両方に繋がっている、程度の良い道の交差地点が有ります。 ロンソンの町です」

先行偵察小隊に同行して、道路状況を確認していた戦闘団G2(情報担当幕僚)の向井奈緒子中尉が、地図上の1点を差しながら各指揮官の顔を見渡して言った。

「ここからですと、両方向への対応が可能です。 カンボジア軍、南ベトナム軍との情報交換でも、道路網は維持されている事を確認しています」

周防少佐が少し考え込む様に、作戦地図を見る。 確かにロンソンの町はチャイ・カセム方面とヴァン・サン・ヤイク方面、双方向への分岐路だ。

「海岸線から約10km。 北西から道路沿いに川が流れ込んで、町の南で西からもう1本の川に合流し、そこから東のバーンサパーンの河口までか。 小さいながら港湾もある。
川を挟んで、町の西と南は小高い地形・・・利用できるな。 バンダリ中尉、町の北側と南側に、対小型種用地雷を埋設したい。 できれば南の橋、その橋脚にも爆破用の爆薬を」

「―――1時間下さい、団長」

「よし、直ぐに掛れ。 真咲大尉、ヴァン大尉、戦術機部隊は現地に到着次第、即応待機に入れ。 状況次第だが、右翼を真咲大尉、左翼をヴァン大尉。 中央は俺が直率する」

「了解です」

「うん・・・おっとぉ~・・・了解です、団長」

つい、昔の癖が出るヴァン大尉の表情に、周防少佐は苦笑しながら、最後に機装兵部隊に指示を出す。 レ・カオ大尉はふてぶてしそうに、ユカギールは寡黙に、命令を待つ。

「機装兵部隊は戦術機甲部隊後方、5kmにつけろ。 大型種は相手にするな、小型種の掃除だ。 レ・カオ大尉は左翼、ユカギール中尉は右翼、それぞれ支援部隊の前面を守れ」

「了解」

「はっ」

いずれにせよ、進出地点まで進んで、その後は戦況次第で穴が開きそうな戦線への助っ人だ。 最終防衛線の主力が北上して来るまで、進出地点を固守しなければならない。
現在の第2防衛線東部戦線の実質戦力は、ガルーダス軍3個師団と2個旅団。 帝国軍が師団以上、軍団以下の南遣兵団。 何とかなるかもしれない―――そのギリギリのライン。

「事前情報だ、インドネシア艦隊が1時間前に反転・南下した。 戦艦2隻と戦術機母艦1隻を主力の打撃艦隊だ、洋上支援は1時間後には受けられる。
いいか? 南部の道路網の仮設復旧が済むのは、明0330時予定だ。 そこから兵力を100km近く北上させ、展開させるのに6時間。 
つまり明0930までは、我々は壊滅する事を許されない。 交戦推定時刻は2130時前後、半日だ、半日、死力を尽くして貰いたい―――指揮官からは、以上だ」










2001年5月10日 2115 マレー半島東岸 タイ王国プラチュワップキーリーカン県・サームローイヨート。 南ベトナム第19師団


『西の斜面から小型種多数! 約200! 兵士級と闘士級!』

『擲弾手! LOGIRロケット弾! 距離350!』

『こちらデバウチー33!(第3小隊第3分隊)! デバウチー03! デバウチー03! 小隊長! イエン少尉(イエン・ズン・シュク少尉)! 目の前がBETAだらけだ!』

『デバウチー03より33! それがどうしたのっ!? 貴様の役目は、そこの突破阻止よっ! 泣き言言っていないで、さっさとケツを上げろっ!』

『くそっ、あのアバズレッ・・・! 33、了解っ! 野郎どもっ! 我らが女王様のご命令だっ! ここで死ねとよっ! 
誘導弾手! M98・APKWSAB! 距離800の要撃級2体に全弾叩き込め! 擲弾手! フレシェット(フレシェット弾頭LOGIRロケット)、向うの戦車級だ!
いいか、まだだぞ、まだ・・・まだ・・・発射!―――クソったれどもっ! クソBETAをぶっ殺せっ! 噴射跳躍、躍進距離150! いくぞっ!』

セミアクティブ・レーザー誘導弾が白煙を引いて、高速で夜空を突進する。 瞬く間に2体の要撃級BETAが直撃を受け、体表が破裂する様に内蔵物をぶち撒いて停止した。
その時にはフレシェット弾頭LOGIRロケットが10発、迫り来る戦車級の群れに殺到していた。 距離150でフレシェットが放出される。
矢状の鋭い弾体が超高速で140m飛翔し、6.5度の範囲で拡散する。 フレシェットは無数の鋭い矢を40m四方にばら撒き、都合200m四方の範囲内の戦車級すべてをズタズタにした。

『くたばれっ! クソBETA!』

『オック! 右だ! 兵士級!』

『くっそ! 寄るなっ! くそっ!―――ぎゃあぁ!』

『ッ! てんめぇ! よくもオックを! 喰らえっ!』

M3M/GAU-21重機関銃から、12.7mm機銃弾が横殴りに斉射される。 夜目に鮮やかな光の帯が、所々で散見された―――小型種BETAとの、悪夢の様な夜間戦闘が行われている。

南ベトナム第19師団・第191機械化装甲歩兵連隊第2大隊、その第3中隊『デバウチー』は、残り136名に減じた戦力で、サームローイヨート東岸に面した高台を守っていた。
ここは平坦な地形が続く半島東部の中で、標高400m級の切り立った岩山が南北8km、東西6kmほど連なる格好の防御地形になっている。
海岸線に隣接し、南北の狭い『入口』から入った東側は、これまた南北8km、東西4kmほどの平坦地が有り、小さいながらも防波堤を備えた港湾施設が有った。
道路網の寸断で半ば孤立した第19師団は、ここを防衛拠点として北から南へ突進するBETA群、約1万8000の横腹を叩き続けていた。

「・・・とは言え、そろそろヤバいな・・・」

中隊長のサイ・カン・ミン大尉は、甘い香りのする巻煙草を吸いながら、眼下の戦況を眺めて呟いた。 強化外骨格の前面装甲を跳ね上げた顔に、陰影が強く映る。
真っ暗な闇夜に、ゆらゆらと揺れながら強烈な輝きを発する光源が、幻想的な情景を映す。背後から照明弾が引っ切り無しに打ち上がっている為、視界に苦労しない。

「中隊定数、196名。 現存は136名・・・今、33分隊が3名殺られました、133名。 損耗率32.2% ま、立派に負け戦ですね」

傍らから、Type-97MAP(97式機械化歩兵装甲)を装着した部下が、癇に障る言い方で状況を説明する。 サイ・カン・ミン大尉は、思わず地の部分で反応していた。

「ミリ(ボー・ミリ曹長)、手前ぇ、しまいに犯すぞ。 けったクソ悪い戦いだ。 後ろでジープンと宜しくやってるクォン(レ・カオ・クォン大尉)を、ぶっ殺してやりてぇ・・・」

「はん! 阿片がないと勃たないアンタに、アタシを犯せるもんかい。 それよかミン、アンタ、阿片を吸い過ぎよ。 それ、巻いてんでしょう!?」

「やかましい、女房面すんな、ミリ。 1個小隊、あそこの・・・ドン・ヤイ・ヌーに投入しろや、兵士級の群れが高射砲中隊の側面に来やがった」

実は阿片を巻いた巻煙草を吸っていた、ほとんどジャンキーのサイ・カン・ミン大尉が、南部防御線内に入り込んできた小型種の1群を危険視し、指揮下の小隊に投入命令を出す。
中隊先任下士官であるボー・ミリ曹長が、伝法な口調とは裏腹の、整った美貌に皺を寄せて、上官の指示を確認した―――牽引式高射砲中隊の側面、距離500に兵士級の群れ。

「あれね・・・第3は西の崖でドンパチだし、第1は南西部に取り付いた戦車級とやり合っているよ、第2で良いね?」

「それしか無ぇだろうが、このアマ。 さっさとぶっ込め、ヤバくなったら、川沿いの小山に隠れさせろ」

陣地の東、タイ湾に流れ込む小さな川の北側に、標高150m程の小山が2つ、南北に並んでいる。 そこならば遮蔽地形としては最適だ。

「―――判った。 ミン!」

「何だ?」

「このドンパチ終わったら、抱いてよね―――第2小隊に突破阻止戦闘を下命、了解しました、中隊長!」

強化外骨格のアーマー・フェイスガードを上げたボー・ミリ曹長は、まだ22歳の若い娘相応の笑みを一瞬だけ残して、『マウンテンゴリラ』、『ギガンティ』と呼ばれる装甲姿を消す。

「けっ・・・こちとら、もう30代のオッサンなんだ。 そう毎晩じゃ、腎虚で死んじまうぜ。 ったくよ、俺もヤキが回ったか。 何を好んで、あんな小娘に手ぇ出したんだか・・・」

(『ぎゃははっ! デバウチー! お前ぇも腐った垢、ようやく落とす気になったかよ!? にしても、傑作だぜ! お前ぇがあんな小娘になぁ? ええ? デバウチーよォ?』)

クソったれ。 クソったれの、阿片の売人野郎め―――サイ・カン・ミン大尉は、何故か腐れ縁になってしまったクソったれな男の声を、不意に思い出して不機嫌そうに顔を顰めた。
まあいい、あのクソ野郎に言い返すのは、このドンパチが終わってからだ。 その後でたらふく阿片をきめて、散々ミリを泣かして、その後で・・・

(・・・クソったれ! 勝手に死ぬんじゃねぇぞ、スネーク! 手前ぇがお陀仏すんのは、俺の目の前でだ! 手前ぇがくたばる様を、俺は散々、嘲笑ってやるんだからよっ!)

1小隊が押され気味だ、3小隊もちょっとヤバい。 中隊本部を投入するしかないか―――サイ・カン・ミン大尉は、『生き腐れた戦場』に、皮肉な笑みを浮かべて突入していった。









2001年5月10日 2145 マレー半島東岸 タイ王国・バーンサパーン・ノーイ県南部、チャンレク北方5km地点 『ゲイヴォルグ』戦闘団


「ッ!―――BETA群! BETA群! 方位0-4-5! 距離1万8000! カンボジア第3師団第12機械化歩兵連隊の防衛ラインを突破!」

「BETA群個体数、約850! 突撃級90、要撃級120を含む! 光線属種は未だ確認されず!」

「カンボジア第3師団、重迫中隊より援護砲撃!―――着弾!」

指揮通信車両の中で、戦況を確認していた周防少佐が直ぐ様、命令を下す。

「プラダン大尉、距離1万5000で自走砲、ロケット砲、砲撃開始。 バースト射撃はするな。 真咲、戦術機第1部隊を1万で待機させろ、面制圧終わり次第、側面から突入。
ヴァン大尉、第2部隊はヴァン・サン・ヤイク方面の山岳地帯から、後背に抜けろ。 挟撃を仕掛ける。 他は距離5000まで手を出すな、鉄火場が乱痴気騒ぎになる」

命令下命と同時に、背後から数発の照明弾が抜けた発射音と共に打ちだされた。 パアッと発火して光源をつくり、60万カンデラの光度で地表を照らす。

『BETA群、距離1万6000・・・1万5500・・・1万5000! 自走砲、ロケット砲、面制圧射撃、開始! 撃てぇ!』

サハリナ・プラダン大尉の射撃命令が、通信回路に流れた。 6輌の『プリマス』155mm自走榴弾砲が、重低音で155mmHEAT-MP(多目的対BETA榴弾)を発射する。
GMP-21自走多連装ロケット砲は2輌単位で、20秒間に40発の122mmロケット弾を轟音と共に発射した。 夜空に夥しい光の矢が伸びてゆく。

「5・・・3、2、1、着弾!」

「レーザー迎撃無し! レーザー迎撃無し! 光線属種を認めず!」

直撃で装甲殻をメタルジェットで融解された突撃級BETAが、暫く惰性で突進して急停止する。 それに後続個体群が激突し、一瞬の停滞を見せた。
と同時に、HEAT-MPの炸裂時に無数の鋼球が飛び散り、他の突撃級BETAの柔らかな側面や後部胴体に無数の弾痕を穿つ。
どうやら突破して来た戦闘集団には、まだ光線属種は追いついていない様だ。 立て続けに周防少佐の命令が飛ぶ。

「―――“ゲイヴォルグ”より“フリッカ(真咲大尉)”、北東の『207高地』の前方から大型種の前後に割り込め。 “アオヤイ(ヴァン・ミン・メイ大尉)”、迂回してケツを叩け。
機装兵部隊、“スネーク・シーフ(レ・カオ・クォン大尉)”は『207高地』、“ブーグニアフ(ヴァドゥル・ユカギール中尉)”は『354高地』、間を抜ける連中を始末しろ。
重迫、加藤大尉。 両高地の間にBETAが入ったら、射撃開始。 自走高射砲、陣前200に進出しろ。 “ハリーホーク(八神大尉)”、最後の掃除任す」

『―――“アイリス01(遠野中尉)”より本部。 我々も・・・』

“アイリス”―――ギリシャ神話の『イーリス』。 オケアノスの娘、エレクトラが生んだ虹の女神、翼を持った神々の伝令。 今は第1戦術機甲大隊の指揮小隊のコードネーム。

「却下する―――“アイリス”は直率に留まれ。 遠野、支援部隊の前に陣取れ」

小隊指揮官・遠野中尉が控えめに先頭参加を申し出るも、周防少佐が即座に却下した。 実際問題、支援部隊の前面がガラ空きになるのは拙いからだ。
遠野中尉もそこは判っているので、あっさり引き下がる。 と同時に変わらず大隊長の直衛任務を解かれなかった事に、少しホッとした表情を見せた。 

―――2番機の北里中尉が、スクリーン越しに意味深な笑みを見せる。

「BETA群、距離1万。 面制圧砲撃続行中!」

「戦術機第1部隊、攻撃発起点に到達しました! 第2部隊、迂回飛行中です!」

『―――“フリッカ”より第1部隊全機! “フリッカ”が頭を押さえる! “ドラゴン”、突撃級の後方に割り込め! 攻撃開始!』

『―――“アオヤイ”より第2部隊! このまま後ろに回るよー! “アオヤイ”は後ろの小型種掃討! “バルト”は北から他に来ているみたいだから、そっちをお願いねー!』

2部隊・4個中隊の戦術機が一斉に、二手に分かれて地表面噴射滑走で移動を開始する。 北東と北西に、それぞれ南北に長く標高140、150m程の丘陵部が伸びていた。
その地形を盾にして、第1部隊はBETA群先頭集団の突撃級の群れの前後に、第2部隊はBETA群全体の後方に回って挟撃を仕掛ける為だ。

「団長、後方の本部支援隊(指揮官・牧野大尉。 戦闘団G3)から通信です」

戦闘団CP将校を兼ねる長瀬大尉(長瀬恵大尉)から受話器を受け取り、周防少佐が後方を追従させていた団支援隊と話す。

「―――“ゲイヴォルグ”より“ホワイト・ストーク(コウノトリ)”、どうした?」

『―――“ホワイト・ストーク”より“ゲイヴォルグ”、牧野です。 少佐、本隊後方25kmの川にかかる橋が、崩落しました』

「―――なんだと?」

『―――現在、隣のグルカ旅団工兵隊に依頼して、仮橋を掛ける作業中ですが、3時間ほどかかる予定です』

「―――損害は?」

『―――幸いにも、崩落での損害は有りません。 修理部隊は通信中隊と共に、橋を渡っておりますので、そのまま本隊後方10km地点で支援陣地を構築させます。
ただし、兵站と衛生は時間がかかります。 それと、ひとつだけ良いニュースが。 94式のアビオニクス装備、一部を入手しました』

「―――何だと? 輸送船団がジョホール港に入港するのは、4日後の筈だぞ?」

『―――今回ばかりは、国防省と通産省の官僚に感謝ですよ。 インドネシアに建設されている光菱の工場、あそこで94式のパーツを生産しています。
霞が関と市ヶ谷、それに光菱とで話を付けた様です。 国内向け出荷分の一部を、こちらに回すよう手配したらしいです。 先行出荷分が先程、追いつきました』

「―――捨てたもんじゃないな、市ヶ谷に霞が関も。 よし、なら少々荒っぽい作戦でも繋ぎは出来るな」

『―――機体の全損だけは、修理は無理でしょうが。 児玉大尉にも知らせております、確認をお願いします』

「―――了解した。 仮橋が完成次第、追従しろ。 くれぐれも周辺警戒を怠るな、『はぐれ』が居るとも限らん」

『―――了解です。 オーヴァー』

通信を切った周防少佐の顔に、少しだけ安堵の色が見えた。 今まで戦術機部隊を率いて戦って来た経験は有るが、こうして諸兵科連合の部隊を率いての戦術指揮は初めてだった。
それまでの、戦術機大隊の指揮とはまた違う。 戦域の全体戦況を把握し、上級司令部より与えられた命令の範囲内で各兵科部隊を有機的に動かし、戦況を有利に作り上げる。
少佐でありながら、大佐が行うレベルの戦術指揮を行っているのだ。 困難さも覚えるが、反面で独立した作戦指揮を行える事に、軍人として純粋な喜びも感じていた。

「・・・今回は、戦術機に乗る暇は無いかな・・・?」

「は?―――少佐、何か?」

「いいや、何でも無い。 長瀬、BETA群の動きはどうか?」

小声で呟いた筈だが、長瀬大尉に聞かれた様だ。 こんな困難な状況なのに、俺は反面で純粋に喜びも感じている―――アンビバレンツに苦笑しながら、周防少佐が戦況を確認する。

「はっ! 第1部隊、先頭集団の分断に成功しました。 現在損失無し。 第2部隊が後方の小型種掃討に移りました。 
なお、前方のカンボジア第3師団防衛線から100体程の小型種が浸透しています。 第2部隊指揮官は“バルト”に掃討を命じました」

「判った。 引き続き、監視警戒を怠るな。 変化が有れば知らせろ、外で戦況を確認して来る」

「了解です」

そう言うと周防少佐は指揮通信車両を出て、団本部が陣取った場所の前方に位置する小高い丘陵部を高機動車に乗って登り始めた。 護衛の兵士が3名付き従う。
数分して頂上に着く。 手にした軍用双眼鏡で戦場をざっと見る。 照明弾が撃ち込まれているので、ナイトヴィジョンが必要無いくらいには明るかった。
陸軍が制式採用しているタイプでは無く、海軍が採用しているミルドットスケールと方位角が判るコンパス付きの、最大8倍率の物だ。 戦死した亡兄の遺品である。
コンパスで記された突撃級BETAの方位は345度、ミルドットスケールは2.8だ。 突撃級BETAの全高は約18mだから、18/2.8×1000=6500
BETA群の先頭集団は陣前距離6500を、やや南南西に向けて突進し続けている事になる。 真咲大尉指揮の戦術機中隊、その94式『不知火』の1機が後ろから1体始末した。
ざっと見ても突撃級BETAの数は、残り10数体に減っている。 しかしその後ろから、要撃級の群れが迫っていた。 強化装備アタッチメントのインカムで指示を出す。

「―――“ゲイヴォルグ”より“フリッカ” 突撃級の相手はもういい、後方の要撃級に当れ。 加藤大尉、重迫、射撃待て。 “ハリーホーク”、残る突撃級を始末しろ」

手持ちの予備戦力から、戦術機1個中隊で突撃級の掃討に向かわせる。 あと1500ほど接近してくれば、今度は左右の小山に潜ませた機装兵部隊に背後から奇襲させる予定だ。

「―――“ゲイヴォルグ”より各隊、最初のこの群れは、全て殲滅して見せろ!」





第1、第2防衛線は各所で、各部隊が善戦していたが、連携の取れた防御戦闘が困難な状況の中、あちらこちらで防衛網の穴からBETA群が波状的に来襲して来た。
日本帝国軍南遣兵団、第1戦術機甲大隊を主力とする分遣戦闘団もまた、機動予備部隊の戦線の火消し役として、暗闇に包まれた熱暑の東南アジアの戦場を駆けまわっていた。







[20952] 伏流 帝国編 8話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2012/05/21 00:11
2001年5月11日 0145 マレー半島東岸 タイ王国・バーンサパーン・ノーイ県南部、チャンレク北方5km地点 ゲイヴォルグ』戦闘団


「警戒ライン北東方面に新たなBETA群! 方位0-4-0! 距離1万7000! BETA群個体数、約700! 突撃級50、要撃級100を含む!」

「左翼のグルカ旅団より警報! 北西方面よりBETA群、約550が浸透中! 距離1万5000! 推定個体群、突撃級40、要撃級80を含む!」

「バーンサパーン方面のBETA群、戦術機第1部隊“ドラゴン(最上大尉指揮)”が取り付きました、迎撃戦闘開始!」

「補給隊より連絡! 榴弾砲、ロケット弾の残量、45%まで減少しました!」

「機装兵第2中隊より、“人員損失、10%”との事です!」

「機装兵第1中隊、小型種掃討戦闘完了。 帰還します!」

次々と溢れる様に入ってくる情報。 時をおかず判断し、各担当幕僚に必要な対応を指示する。 仮設作戦図盤の戦術作戦地図に、本部付下士官が必要な情報を書き込んでゆく。
現在、西方の海岸線近くのバーンサパーン市街跡で、最上大尉指揮の1個戦術機甲中隊が侵入して来たBETA群の殲滅戦を行っている。
BETA群は約200、大型種の居ない戦車級を中心にした小型種だけの群れだから、掃討に時間はかからないだろう。 問題は北東と北西、両方向からくる2群への対応。

「―――長瀬、グルカ旅団に支援砲撃を頼め。 ヴァン大尉に命令、戦術機第2部隊を北西方面に当らせろ。 ユカギール中尉の機装兵第2中隊を後方3kmに配置。
中央の“ハリーホーク(八神大尉指揮)”を第1部隊に付ける。 “ドラゴン”は掃討が済み次第、補給に戻らせろ。 “アイリス”と一緒に、中央に戻す」

「はっ!―――グルカ旅団砲兵大隊、支援砲撃了解しました。 目標座標、知らせ、との事です。 第2部隊指揮官へのリンク、繋げます」

「北東方面は、第1部隊と機装兵第1中隊で対応します」

「よし―――いや、待て、来生。 自走砲とロケット砲を北東方面に割り振れ、北西方面はグルカ旅団の支援砲撃に任せろ。 高射中隊と重迫中隊は?」

「重迫中隊は、半数が“ドラゴン”の面制圧支援に。 高射中隊は陣前2kmに展開、残数5輌」

戦術機部隊の損失は、各中隊それぞれ2~3機。 戦闘団5個大隊全体で10機が完全被撃破、ないし大中破。 9機が小破修理中。
戦術機稼働機数は指揮小隊を含めて45機。 衛士損失、戦死8名、重傷2名、軽傷3名。 他に機装兵2個中隊、392名中、戦死22名、重傷10名、軽傷7名。 残員数353名。
戦闘車両は自走高射砲が1輌全損、乗員全員戦死。 戦闘団全体では、損失は10%弱。 まだまだ(BETA大戦では)許容範囲。 だが問題は弾薬の残量。
後方の橋の崩落による遅滞は、グルカ旅団工兵隊の仮橋設置が40分前に完了し、足止めを喰らっていた部隊が続々と渡河中だ。 だが1本の仮橋故に時間もかかる。

「・・・兵站と衛生は、どの位かかる?」

カンテラに照らされた野戦指揮所で、戦術作戦地図盤の前に陣取った周防少佐が、戦闘団情報幕僚の向井中尉に地図を睨みつけながら尋ねる。 

「先程、牧野大尉から連絡が入りました。 渡河完了、後方陣地到着は30分後の予定」

夜間、暗闇の中を車載ランプが有るとは言え、所々悪路が残る路上を移動するのだ。 制限速度を30km/hにしていたから、到着時刻はそんな所だろう。
後方陣地到着後、部隊を展開し、補給物資を降ろして整理し、補給隊(輸送隊)へ渡して・・・この本部後方の補給ポイントに集積されるのに、更に2時間ほどかかる。

「・・・戦闘開始から、約4時間半。 弾薬消費は55%か」

―――団本部の兵站機能回復まで、およそ2時間半。 ギリギリだな。 今までの様な少数のBETA個体群が、途切れ途切れに浸透してくれば、という条件付きだが。

周防少佐も内心で懊悩していた。 これまで4時間以上、BETA群は第1、第2防衛線各所を食い破って浸透してきたが、その数は精々500前後、多くて700から800体。
前方の防衛線各所で半ば孤立しているとは言え、師団毎で、あるいは軍団単位で、南へ突進するBETA群の側面や後方からの攻撃で、削れるだけ削っているお陰だった。
それでも、大隊規模で孤立した部隊の中には、連絡が途絶した部隊も多い。 BETA群の大波に飲み込まれ、混乱の内に文字通り全滅した部隊もあったのだ。

本来ならばこうした少数のBETA群が、次々に波状攻撃をかけてくるのは始末に負えない。  周防少佐自身も昔、イタリアのカラブリア半島で経験したが、息が抜けないのだ。
だが今回はあの時と違い、左翼に機装兵と戦車大隊が主力のグルカ旅団に南ベトナム旅団が展開し、更にその左翼には親部隊である第15旅団、そして南遣兵団が展開している。
自身が率いる戦力も、あの時とは大違いに大きな戦力だ。 カラブリア半島では、当時所属していた国連軍戦術機9個小隊で、30kmの前線を守らされたのがから。

「自走高射砲を前進させろ、機装兵第1中隊の後ろで抜け出した個体を掃討させる。 北西の機装兵第2中隊の側面に、“アイリス(指揮小隊)”の3機を」

『プリマス』自走榴弾砲6輌から甲高い音を立てて、155mm榴弾砲が砲弾を発射する。 発光炎で闇夜が一瞬、まばゆい光に包まれた。

―――部下達には悪いが、暫くはこの状況が続けば・・・せめて、第2防衛線沖合に張り付けになっている、インドネシア艦隊の支援が受けられる時間まで。

もし今の状況で数千規模のBETA群に殴りかかられては、正面防衛は不可能だ。 後退するか、グルカ旅団に合流して左翼から、海岸線を南進するだろうBETA群の側面を叩くか。 
いずれにせよ、未だ部隊展開を終えていない後方部隊は、大混乱状態になる。 第2軍の予備戦力3個旅団と、最終防衛線の国連軍3個師団は下手をすれば各個撃破されかねない。
唯一の朗報は帝国海軍聯合陸戦第22陸戦団が、2時間後には後方10kmの海岸に上陸を開始する事だ。 1個戦術機甲連隊を中核とする、陸軍の旅団より強力な友軍が。

―――戦術機部隊ならば、あと1時間半ほどもすれば増援を受ける事が出来る。 兵站補給も聯合陸戦隊随伴の補給船団から、余剰物資を回して貰う事も・・・

何より、聯合陸戦団は一般に『旅団』と分類されるが、実質戦力は陸軍の乙編成戦術機甲師団(戦術機甲1個連隊中核)に準ずるほどの、強力な攻撃力を有する。

―――あと90分。 あと90分だけ、俺が下手を打たなければ・・・

表面上の、如何にも戦争慣れした表情と違い、周防少佐も内心では綱渡りを渡っている心境だったのだ。





全員がすっかり禿山になった山裾に、追加装甲で掘った簡易なタコツボに身を潜ませていた。 打ちあがる照明弾のお陰で、外部視界は困らない。 

「スネーク・シーフより盗人ども。 いいか、大型種の相手はするんじゃねぇぞ。 そんなモン、戦術機に押し付けろ。 チョコチョコ動き回る小型種は、全部喰っちまえ」

網膜スクリーンに浮かぶ戦術情報を見比べながら、レ・カオ・クォン大尉が部下に繰り返し指示を出している。 本部陣地北東、『354高地』と味気ない名の付いた小高い小山。
まだ距離は有る、およそ1万m。 後方の自走砲や自走ロケット砲からの面制圧砲撃が終わり、戦術機部隊がBETA群の先頭に取り付いたばかりだ。

『誰もそんな、馬鹿な事はしやしませんよ、自殺志願者じゃあるまいし』

『戦闘自体は結構、楽なんすがねぇ? 何と言っても、未だに光線級にお目に掛りやしねぇ。 第2防衛線前じゃ、結構ひでぇ目に遭っている部隊も居るって話ですぜ』

ベトナム以来の部下、チャン・ドゥオック少尉とグエン・オン少尉、そしてドン・ヴァン・カイ少尉の3名が、溜息交じりの声で言う。 部下達の言いたい事は判っている・・・

『しょうがねぇ、こうも波状攻撃を仕掛けて来るとはよ。 後ろであの、ジープンの少佐殿も、頭を抱えているだろうぜ』

先任で第1小隊長のヴァン・クォック・ロン中尉が、叩き上げの古参下級士官ならではの『政治的発言』で、要約して言う。 
後任士官たちの不満、息が抜けない連続出撃には、BETA群の波状攻撃を持ち出して状況がそれを許さない、と言う事で戦闘団本部への批判を封じている。
同時に戦闘団指揮官(周防少佐)が頭を抱える、と言う事で、今の事態に適切な対処が出来ていないのでは? と暗に非難しつつ、後任や部下達の不満を上官に伝えていた。

「・・・少なくとも、今のところは、合格点なんだろうよ」

レ・カオ大尉も、表立っての批評は避けた。 ここで彼が何か言えば、それは中隊全体に影響を及ぼす。 ひいては難しい多国籍部隊の統率に、悪影響が出る事になる。

(全面攻勢はもってのほか。 後退も今の状況じゃ、出来ねぇ。 後手の対応を強要される状況で、何とか今の作戦区を守っている・・・)

まあ、上々の指揮振りだろう。 欲をいやぁ、もうちょい隣に遠慮せず、思いきって欲しいモンだがね―――レ・カオ大尉の、周防少佐への評価はまずまず、と言ったところか。
その時、網膜スクリーンの戦術情報画面がポップアップした、同時にBETAの接近警報。 どうやら前方の戦術機部隊の迎撃網をくぐり抜けた、小型種の群れが接近中らしい。
戦車級と兵士級、そして闘士級、併せて約450前後。 戦術機部隊はどうやら、大型種掃討の際に小型種も100ばかり削った様だ―――暗闇の向こうに、蠢く影が大きくなった。

「馬鹿話はお終いだ―――擲弾、フレシェット。 アルファ(第1小隊)、アタマ。 ブラボー(第2小隊)、ケツ。 兵士級と闘士級を殺れ。 
チャーリー(第3小隊)、デルタ(第4小隊)、HE(Type-90高爆発威力弾頭ロケット弾)、真ん中の戦車級。 全弾一斉発射、その後は何時も通りだ―――殺れ!」

空中からのフレシェット弾の矢衾と、高爆発威力弾の一斉発射の後で、マルチディスチャージャーに装備したサーメート(テルミット焼夷弾)と12.7mm機銃弾の弾幕射撃。
前方、後方を攻撃した直後に群れの中ほどに叩き込む。 果たしてBETAに感情が有るのか知らないが、少なくともこの攻撃手法が連中の行動を掻き乱す事は、実証されている。
今回は1個小隊に2~3名が装備している、Type-92式LOGIRロケット弾ランチャーⅢ型。 第1、第2小隊の擲弾手14名が、各々18発のフレシェット弾頭ロケット弾を一斉発射した。
250発を越すロケット弾が、甲高い飛翔音を残してBETA群に殺到する。 そして目標手前、距離150mでフレシェットが放出され、直後に矢状の弾体が6.5度の範囲で拡散する。

『―――アルファ、ターゲット・キル』

『―――ブラボー、オン・ターゲット』

フレシェット弾1発は、約40m四方の範囲をカバーする。 幅1km、縦深200m程の範囲内に居た、先頭集団と後方集団の小型種BETAが、ズタズタの肉塊に変わった。
同時に再び甲高い発射音がした、第3、第4小隊の擲弾手15名が、今度は群れの中ほどに居る戦車級に対し、HE(高爆発威力弾頭ロケット弾)を放ったのだ。
250発近いHEロケット弾が、戦車級の群れに殺到する。 照明弾が照らす青白い夜の戦場に、感覚的にはあっという間に曳光を残して着弾した。

『―――ブラボー、ターゲット・ヒット』

『―――デルタ、ターゲット・キル』

機装兵のオプション兵装であるグレネーダー・ユニット―――Type-92・LOGIRロケット弾ランチャーⅢ型は、18発の小型ロケット弾を格納・発射できる。
戦術機のソレと異なり、極めて小型のロケット弾であるから、大型種BETAの撃破は不可能だ(対大型種戦闘には、Type-98対BETA誘導弾発射機をセレクトする)
しかし戦車級以下の小型種には、有効な兵装だった。 高速と高貫通力を有するフレシェット弾は、兵士級や闘士級をズタズタに切り裂き、ただの肉片に変える。
HEロケット弾の直撃を喰った戦車級は内部を弾けさせ、体液と内蔵物を撒き散らして卒倒する。 至近弾の炸裂でも、行動力を奪う程度の損害を与える事が出来るのだ。

「シックスより各隊、距離1000でキャリバー50(12.7mm重機関銃)、弾幕射撃。 目標は戦車級」

かなりの数を削ったとは言え、未だ300体前後の小型種が残っていた。 当然ながらこちらに気づいており、戦車級を先頭に禍々しい波をなって押し寄せて来た。
レ・カオ大尉の命令と同時に、各小隊長達が部下に指示を下す。 今度は銃手の出番だ。 中隊生き残りの約170名の機装兵が、両腕に装備する2門のキャリバー50(ブローニングM2重機関銃)の弾幕射撃は、戦車級の突進を阻止できるストッピング・パワーを持つ。

「200まで入り込まれたら、サーマートを喰らわせてやれ。 それで消し炭だ」

銃手最後の射撃・投擲兵装、2基装備したマルチディスチャージャー。 それは各種の擲弾を6連発で発射できる。 今回はサーメート(TH6テルミット焼夷弾)を選択していた。
米軍歩兵部隊が使用する、AN-M14/TH3焼夷手榴弾を改良・大型化したものだ。 加害半径を6mに広げ、燃焼時間は2秒、燃焼温度は摂氏で約4000度。 射距離最大250m。
鉄骨さえも溶かす高温で、BETAを消し炭にする。 大型種にも効果的で、要撃級に迫られた機装兵が苦し紛れの全弾発射で、要撃級BETAを撃破した例が報告されていた。

「1600・・・1400・・・1200・・・1000! ファイア!」

突如として神経を逆なでするような、連続した重低音が戦場を支配する。 なにしろ340門前後の12.7mm重機関銃が、一斉に火を噴いたのだ。
戦場の暗闇を、無数の太い曳光弾の帯が切り裂く。 空間を支配したその死の光帯は、見事な低伸弾道を描いて迫り来る、黒々と蠢くBETA群に襲い掛かった。
光量調整された網膜スクリーンの世界で、戦車級BETAが、兵士級BETAが、闘士級BETAが、無数の肉片に寸断されてゆく姿が見えた。 
1200発/分の発射速度を誇るM3M/GAU-21を流用している、射撃時間は1連射で2秒とか3秒。 それでも60~90発の12.7mm機銃弾を砲口初速890m/sで叩き込むのだ。

(―――ちっ、前の方の連中、バラけやがるか?)

レ・カオ大尉が戦場を見回すと、BETA群の先頭集団生き残りの兵士級BETAが30体程、群れから逸れて団本部方向に移動するのが見えた。
1個小隊、振り分けるか?―――そう考えたが、次の瞬間、その方針を放棄する。 次の浸透が何時有るか判らない状況で、戦力の分散はしたくない。 それに・・・

「―――“スネーク・シーフ”より“ラマ”(チベット軍自走高射砲中隊)、そっちに兵士級30、行ったぜ」

『―――“ラマ”より“スネーク・シーフ”、ラジャ』

生真面目なドカー大尉(ユトー・ツェテン・ドカー・チベット軍大尉)の声が聞こえた。 これで良い、残飯はチベット野郎に押し付ける。

(―――にしても、相変わらず愛想のねぇ野郎だ・・・)

自分の不良ぶりを、遠い棚に押し退け、レ・カオ大尉が再び戦場を見回した時には、粗方のBETA群は消滅していた。 レーダーで反応を確かめる、2時方向に約10体前後。

「シース・ファイア(撃ち方、止め)! シックスよりデルタ、2時方向の残飯を片付けて来い。 残りは残弾確認、アルファから順次、後ろでロケット弾とグレネードの補充だ」

強化外骨格の頭部前面装甲を跳ね上げる。 途端にネットリと熱い東南アジアの夜の空気と、硝煙の臭い、そしてBETAのはみ出した内蔵物の、鼻がひん曲がる臭気が襲い掛かる。
周囲で部下達が『取りこぼし』の個体が居ないかどうか、山麓のタコツボから出て周辺警戒に当っていた。 スロットルに付けられた無線リモコンボタンを弄り、周波数を変える。

「・・・あんまし、良いネタがねぇな・・・」

聞こえて来る通信内容は、どれもこれも、増援要請や救助要請、それに至急の兵站要請ばかり。 景気の良いネタは聞こえてこなかった。 レ・カオ大尉も顔を顰める。
戦闘団通信系以外の周波数帯の『盗聴』は、建前上は禁止だった。 しかし今回の様な『遊軍』的な部隊編成では、いちいち本部にお伺いを立てていては遅いケースも出て来る。
戦闘団長の周防少佐も、各隊長達が『盗聴』している事は知っている様だったが、特に何も言ってこない。 むしろその辺は『臨機応変にやれ』と、暗に言っている訳だ。

「ま・・・こちとら、命令されたら、やるだけなんだけどな」

―――それでも、最大限に拡大解釈して、ってのは、アリだよな。 あの少佐だったら、その位の遊びは大目に見てくれそうだ。










2001年5月11日 0235 マレー半島 マレー半島東岸 タイ王国・バーンサパーン・ノーイ県南部、チャンレク北方5km地点 ゲイヴォルグ』戦闘団


失敗したのか? 俺は、失敗したのか?―――周防直衛少佐は先程から、内心で何度もそう自問していた。

「戦術機第1部隊より緊急信! 『BETA群3000、急速接近中! 面制圧砲撃、及び増援を乞う!』、以上です!」

「第2部隊、ヴァン大尉より戦闘団長あて、緊急信! 『BETA群、1500と接敵、後続の1000が急速接近中! 単独での防戦は不可能と判断』です!」

「機装兵第1中隊からです! 『BETA群2000! ズラかろう!』・・・と、言って来ておりますが・・・?」

真北からBETA群が2000、北西から3000、西北西から2500の、合計6500。 とても戦闘団だけで防戦し切れる数では無い。
お陰で戦闘団の支援砲撃も分散してしまい、効果が出ない。 重迫と自走高射砲はさっきから本部陣地前面に迫る小型種の掃討に、砲身や銃身がオーバーヒート気味だ。

戦闘団が命じられた作戦目標は、第2防衛線背後の東側海岸線の確保。 及び最終防衛線主力が展開を終えるまでの間、作戦域を死守する事。
隣接する友軍との間のバランスを考える余り、戦力を分散させ過ぎたのか? いや、今まではそれで正しかった筈だ。 小刻みに浸透攻撃をしかけるBETA群を迎え撃つ分には。

「英軍グルカ旅団より通信! 『戦術機2個中隊の増援を乞う!』」

「南ベトナム旅団、押されています!」

「支援の旅団本隊戦術機部隊、第2大隊が引き返します! 長門少佐より直接通信、入ります!」

通信員が回路を切り替える、途端に周防少佐のヘッドセットから友人の、切羽詰まった声が響き渡った。

『直衛! すまん、駄目だ! 旅団前方にBETA群が出やがった! 俺は反転して、向うを叩く! 棚倉と伊庭も、手が回らないらしい!』

親友で僚友の声が、かなり切迫した事態だと知らせている。 もう9年以上も共に肩を並べて戦って来た親友だが、戦場でここまでの声色を出したのは、余り記憶が無い。

「判った・・・圭介、無理はしても、無茶はするなよ?」

『お互い、その位は判る程度には年を取った、って事だよな。 お前も無茶はするな、ここで壊滅しても、何の得にもならんぜ?』

「木伏さんのセリフだな、それは―――第2大隊、支援に感謝する」

『今頃、くしゃみでもしているだろうさ―――分遣隊、武運を祈る』

『無理』とは身体・精神の限界を超える事を理解しながらも、それを理解した上で何かを行う事。 『無茶』とは身体・精神の限界を超える事を理解せず、無視して何かを行う事。

『―――無理はしても、無茶はするな。 自分で一度やると決めたのなら、とことんやり抜け!』

レーダーに映る第2大隊の輝点が、次々に反転して行く。 旅団本隊前方の阻止戦闘と、隣接する同期生の指揮官との間で融通を付け合っての、分遣隊への支援。
それを同時に為してくれた親友に感謝しつつ、ひとつの言葉を思い出した。 そう、無茶は誰でも出来る。 しかし無理は、真にその覚悟と勇気、そして才覚を求められるのだ。
10年以上前の陸軍衛士訓練校時代、期指導官だった教官の中佐から教えられた言葉だったと思い出したのは、周防少佐がひとつの決断をした時だった。

「―――グルカ旅団に返信。 『我に余剰支援能力なし。 戦術機戦力の増援は不可能、貴部隊にて対処されたし』 ディール・シャムセール中佐に繋げ、話す。
長瀬、第1、第2戦術機部隊を引き戻せ、前方のBETA群2000の殲滅に当てろ。 向井、聯合陸戦隊の行動開始時間は? 変わらずか?」

「はい。 先程の定時連絡では、戦術機部隊の発進可能海域到達は0315時。 本隊上陸は0345時です」

戦術機部隊が発進したとしても、全機発艦・空中集合に10分。 そこから巡航速度で戦域到達は15分後。 つまり増援は0330時まで見込めない。 あと1時間弱。

「戦闘団前面に、戦力を集中する。 3群の行動速度に時間差が有る、各個撃破でいく」

同時に予備の戦術機1個中隊も出して、5個中隊で第1防衛線を張る。 直後に機装兵2個中隊と自走高射砲中隊、その背後に重迫中隊。
自走榴弾砲中隊と自走ロケット砲中隊も、前方に向けて一斉に面制圧支援砲撃を行い始めた。 作戦目標は、戦域の維持と後方部隊の展開時間を稼ぐ事。 ならば・・・

「戦闘団長あて、グルカ旅団先任参謀のシャムセール中佐から通信です!」

通信手からの報告に、急ぎ仮設の通信ブースに接続するよう指示を出す。 音声だけでなく、画像も繋がった。 どうやらまだ有線は切れていないらしい。

『周防少佐! 出せないのかっ!?』

開口一番、浅黒い精悍な顔を紅潮させたグルカ旅団の先任参謀・ディール・シャムセール中佐が怒鳴り声に似た口調で言ってくる。
それに対して周防少佐は、無言で首を振る。 相手は1階級上位の上官だが、同一国軍でも無ければ、命令系統が同じ訳でも無い。 戦場では礼を失する事が無い程度で良い。

「手広く分散させれば、各個に消耗させるだけです。 部下達を無駄に死なせるつもりは無い」

『こちらも、隣の南ベトナム旅団も、戦術機甲戦力が少ない。 2個旅団合わせても、貴部隊の戦術機甲戦力以下なのだ!』

グルカ旅団も、南ベトナム旅団も、戦術機戦力はそれぞれ、2個中隊しか保有していなかった。 だから『ゲイヴォルグ戦闘団』から常時、1~2個中隊を支援に回していたのだが・・・

「私は、戦力を集中させることを提案します、中佐。 如何に山岳戦が得意なグルカ旅団とは言え、今の編成は機甲大隊が主力の機動打撃旅団です。 山岳戦には不向きだ」

『・・・君、親部隊の側面を、ガラ空きにしろ、そう言っているのだな?』

探る様な視線で、シャムセール中佐が問いかける。 目には『どこまで本気なのだ?』と、探りを入れる様な色も見えた。

「どの道、このまま戦況が推移すれば、南遣兵団の側面はガラ空きになります、我々の壊滅の結果で。 ならば・・・」

『どこまで下がる?』

最後まで言わせず、次の話に入った。 どうやらシャムセール中佐も認識した様だ、この若い日本軍の少佐が、腹を括ったらしいと言う事を。
確かにここでグルカ旅団、南ベトナム旅団、日本軍南遣兵団分遣隊が下がってしまえば、日本軍南遣兵団の側面が空く。 軍事作戦上では極めて不味い状況となる。
しかし、相手はBETAだ。 これまでのBETAの侵攻ルートを見るに当たり、過去の事例の範疇を覆す動きは見せていない。 つまり、山岳地よりも平地を選んで移動する。

「我が軍の第22海軍聯合陸戦団が上陸するのは、ここから30km後方、バーンサパーン・ノーイ県とチュムポーン県の県境に位置する、この海岸線です」

作戦戦域、エリアB4―――バーンサパーン・ノーイ県とチュムポーン県の県境に位置し、7~8kmのなだらかな砂浜が続く海岸だった。 かつてはリゾート地だったらしい。

「上陸地点の北、10km地点からは標高100m前後ですが、丘陵地帯が連続して県境沿いに、東西に続いています。 他にも遮蔽に使える地形が所々に。
その北西方面3km程の場所からは、標高200~300m程度の小山の連なりが、国境の山岳地帯に向けて繋がっています。 
南ベトナム旅団があと10km下がれば、後続のネパール軍第1旅団と合流できます。 南遣兵団の南東後方、10km地点です」

南遣兵団自体は、2個旅団に数個の各兵科連隊を含んだ師団規模の部隊だから、早々簡単に喰い破られはしない。 それに東側面は、南東後方のガルーダス2個旅団が守る形になる。

『・・・身軽なネパール第1旅団、ブータン第1旅団が、後方15kmまで進出して来た。 展開を終えるのは、20分後だそうだ。 国連の3個師団は相変わらずだが』

ネパール・ブータンの両旅団は南遣兵団の直ぐ南方、増援兵力として穴を埋める事が出来る位置まで、ようやくの事で進出して来た。 最後のチベット軍第1旅団は・・・

「では、チベット旅団は共に汗をかいて頂きたい―――そう、お伝え願えますか?」

『図々しい男だな、君は。 私にメッセンジャー・ボーイの役をやれと?』

そう言いながらも、シャムセール中佐は面白いものを見た様な、興味津津の視線を隠そうともしない。 
作戦目標を達成する為に、親部隊まで一時的にせよ、危地に追い込む様な拡大解釈の行動をとるとは。

「中佐、日本軍の若造の少佐が話しても、チベット旅団司令部は首を縦に振らないでしょうから。 それにネパール軍に話を付けるより、グルカにとっては抵抗が無いでしょう」

元々、『グルカ族』などと言う民族は存在しない。 民族的にはネパールの、マガール族、グルン族、ライ族、リンブー族などの少数民族の総称なのだ。

『・・・判った。 パルバテ・ヒンドゥー(ネパールの最大・中核民族)の連中とは、話もしたくないからな。 では、35kmの後退戦、楽しもうじゃないか』

国土が維持されていた頃のネパールには、支配民族のパルバテ・ヒンドゥーと、山岳少数民族、そしてマデシと呼ばれたインド国境付近の少数民族との、深刻な差別や対立が有った。
それにネパール民族はインド・イラン語派に属するネパール語を話すヒンドゥー教徒だが、グルカと呼ばれる複数の山岳少数民族はシナ・チベット語派の言語を話す仏教徒が大半だ。
民族的にも言語的にも、そして宗教的にも昔からのしこりは大きく残っていた。 実を言えばその点に賭けてみた、と言う気分が周防少佐には有る。

今回で言えば、純粋に軍事的・戦術的な面から見て、後退するしかないと言うのがひとつ。 このままでは『ゲイヴォルグ戦闘団』は壊滅する、側面を失うグルカ旅団も危ない。
2つの部隊の長所―――『ゲイヴォルグ戦闘団』は比較的多くの戦術機戦力を有し、グルカ旅団は大隊規模の機甲戦力と機装兵戦力、それに砲兵戦力を有する。
ここで、開けた地形でBETA群を迎え撃つよりも、後方の遮蔽地形が有る場所で迎撃した方が生き残る可能性は上がる。 作戦目標も達成できるかもしれない。
もうひとつは、グルカ旅団はネパール旅団との協同を嫌うだろう、そう推測した事だ。 昔、合衆国の大学に短期留学した際に専攻した、比較歴史学で学んだ断片を思い出したからだ。

「長瀬、戦術機部隊に突出しない様に、指示を出せ。 これから35kmの後退戦だ。 来生、本部の撤収作業の指揮官をやれ、向井を使え。
それと後方の牧野に伝えろ、合流地点はエリアB4。 先に行って陣地を見繕っておけと。 自走砲と自走ロケット弾中隊に伝えろ、今から全力射撃を許可、但し10分間だけだ」

通信ブースから出て来た周防少佐の指示に、幕僚団が目を丸くする。 戦闘団本部がにわかに慌ただしくなる。 何しろBETA群を迎撃する最中で、後退戦をするというのだ。
その様子を見ていた周防少佐が、次の難題に直面していた。 後退戦を行うのは良い、しかしキモは戦術機部隊の動かし方だ。 突出もダメ、早過ぎる後退もダメ。
先任順でヴァン・ミン・メイ大尉に統合指揮を執らせるか? いや、彼女自身も中隊指揮と第2部隊指揮を掛け持ちしている、これ以上の負担は誤断を招きかねない。
そう言う意味では、本来の部下で先任中隊長の真咲大尉もダメだ。 彼女も中隊指揮と第1部隊指揮の二足草鞋を履かせている。 他は全て、彼女達より後任の大尉ばかりだ。

(・・・阿呆か、俺は? 自分が出ればいいだけの話だ)

後退しつつの支援砲撃は、サハリナ・プラダン大尉に一任する。 機装兵はレ・カオ・クォン大尉、あの男ならば生き残る為に、精々拡大解釈しての臨機応変な戦闘をするだろう。
重迫と自走高射砲はアンナ・ヴェルブリンスカ・プラテル・加藤大尉に任す。 難民出身の、下士官上がりだ。 生き残り方は心得ていて然るべきだ。

「遠野! “アイリス”全機、準備は出来ているか!?」

『こちらアイリス・リーダー、何時でもどうぞ!』

指揮小隊長の遠野中尉から、即応で返事が返って来た。 どうやら小隊長の判断で機内待機をさせていた様だ。 

「出るぞ」

『了解!』

そう判断するや、周防少佐は各支援部隊を統合指揮させる指揮官達に概要だけを知らせ、『良いと判断したなら躊躇するな』と伝える。 無論、その事を戦闘団戦闘記録に記して。
そして戦闘団本部に使っていた簡易テントを出るや、一目散に戦術機の簡易ハンガー(只の平地)に向かう。 大隊長機―――大隊旗機の94式『不知火』は出撃準備を終えていた。

「手持ち無沙汰だったか?」

「どうせ大隊長の事ですから、直に痺れを切らせて出撃するだろうなぁと。 チェックは全て完了しております、A-OK!」

大隊長機の機付き長―――古参の整備軍曹が笑って答える。 この男も一兵卒の頃から大陸派遣軍を経験して来た古強者だ、何時でも機体コンディションは維持させているのだ。

「古狸は、これだから・・・チェック、OK。 俺が出撃した後は、団本部と一緒に後ろに下がれ、ここは放棄する」

「了解です。 ご武運を、大隊長!」

「―――有難う。 長瀬! “ゲイヴォルグ”、レディ・トゥ・ゴー!」

≪CP、ゲイヴォルグ・マムよりゲイヴォルグ・ワン! クリア―ド・トゥ・テイクオフ・ランウェイ-1-5! ご武運を!≫

「“ゲイヴォルグ・ワン”、クリア―ド・トゥ・テイクオフ!」

周防少佐の94式『不知火』が跳躍ユニットを吹かして夜空に噴射炎をなびかせつつ、そのまま巡航噴射飛行に入る。 指揮小隊“アイリス”の3機がそれに続いて行った。










2001年5月11日 0245 マレー半島 タイ王国南部・ヤラー県ベートン北方15km 日本帝国軍南遣兵団特殊砲兵部隊 第108砲兵旅団


「―――気象データ、入力完了」

「―――射撃諸元よし、砲口内異常無し」

「―――第16斉射、撃て!」

00式超々長射程砲―――129.9口径・508mm砲が12門、轟音と共に一斉に闇夜を切り裂く閃光を発して、巨弾を発射する。 
目標は800kmほど先の、第2防衛線前のBETA群。 着弾は約3分50秒後。 砲側小隊がモニターで砲腔内をチャック、弾薬小隊が台車からクレーンに吊った次砲弾を運び込む。
装填小隊が砲尾栓を開き、目視で異常の有無を再確認した後、次砲弾を受け取り押し込んだ。 尾栓を閉鎖して小隊長が大声で『装填完了!』を叫ぶ。
気象観測データを受け取った射撃管制小隊がデータを再入力、一部を修正して中隊本部へ転送する。 全ての準備が整った事を先任下士官から連絡を受けた中隊長が、命令を下す。

「―――第17斉射、撃て!」

この間、約1分。 発砲から着弾までの間に、各砲4発の、旅団全体で48発の超々長射程・超高速(終速・M9.98)・大口径砲弾が、目標に対し撃ち込まれる。
第20斉射を終えた時点で、旅団本部から射撃中止の命令が入る。 第16斉射の砲撃効果報告が、要請のあった第2防衛線各部隊から、そろそろ入るからだ。 
都合、60発の129.9口径508mm砲弾の嵐。 いかな重光線級とは言え、早々レーザー迎撃できるものではない。 1体、2体のレーザー照射で蒸発する程、柔な代物ではないのだ。

「第2防衛線、ガルーダス北部第2軍第3軍団より、砲撃効果報告! 『昨日の地震より余程酷い、汝が震源地なりや? とまれ、BETA約1500が消滅せり』以上です」

1回の斉射でBETA群、約1500を仕留めた。 砲撃は都合5斉射、都合よく解釈すれば7500体前後のBETA群を消滅させ得る、と言う事か。

「BETAもバラけ始める頃でしょうから、大目に見積もって6000体前後、少なく見積もれば4000体前後・・・平均して5000体前後は、始末できますな」

それまでの砲撃効果を確認していた旅団射撃副調整官の大佐が、旅団長に報告する。 確かに1個砲兵旅団の全力砲撃を行えば、5斉射でその位は始末できるだろう。

「・・・問題は、次の斉射までの時間だな。 砲腔内温度が落ち付くのに、あとどの位かかるかね?」

「はっ、おおよそで・・・約30分後であります、閣下」

確かに『00式超々長射程砲』は、最大で1発/分と言う、この手の砲としては異常なまでに高い発射速度を有する(『86式超々長射程砲』も同じである)
しかし、その代償として今回の様な所謂『バースト射撃』を行えるのは、5斉射まで。 砲腔内温度が異常上昇して、再砲撃までの時間がかかるのだ。
温度が砲撃許容範囲に落ち着き、砲身・砲腔内の異常の有無を確認し、再装填の上で射撃諸元を再入力して再度の砲撃までに有する時間が、約30分。
それを回避する為には、1発/5分程度の砲撃間隔で砲撃しなければならない。 その発射速度でなら、30分間の継続砲撃が可能だった。

「ふむ・・・やはり、必要なのは数だね。 佐渡島へは、最低でも毎分10発から15発は撃ち込みたい」

「となりますと、最低でも5個旅団は必要になります。 現在3個旅団、編制途上の特殊砲兵旅団が現在4個。 その内、2個は九州へ配備予定ですから・・・ギリギリ、ですか」

新設3個旅団は508mm砲の『00式超々長射程砲』配備の特殊旅団が1個、381mm『89式超々長射程砲』配備の特殊旅団が3個。 現在、砲の受領は完了し、練成訓練中だった。
来るべき佐渡島奪回作戦の折には、東関東の辺りから超遠距離砲撃での制圧支援砲撃を行うプランが有るのだ(それでも、射程距離は精々300~400km程度の『短距離』だ)

5個旅団(超々射程砲60門)で毎分平均12発を撃ち込んだとして、30分間の連続砲撃で大口径砲弾を360発。 
同口径の戦艦主砲を遙かに上回る威力だ、BETA群の2~3万は殲滅可能と、陸軍上層部は想定して期待していた。
同時に九州でも、熊本や宮崎辺りに配備すれば、ギリギリH20・鉄原ハイヴまで砲撃が可能だった(射程750km)

砲兵旅団が、その効果に手応えを感じていたその時、前線から悲鳴の様な砲撃支援要請が入って来た。

「―――南遣兵団より、緊急支援砲撃要請! バーンサパーン・ノーイ前面15kmにBETA群、約6500! 分遣隊が孤立しかけております!」

無理だ―――旅団長と旅団射撃副調整官の大佐が顔を見合わせ、同時に無言でそう、表情で言い有った。 旅団は次の砲撃まで、あと30分かかる。

「・・・109か、110旅団へ支援出来んのか? 南遣兵団ならば、第2防衛線の後ろだ。 89式砲でも十分、射程内だろう?」

「109、110旅団とも、第1と第2防衛線の間に侵入したBETA群の殲滅砲撃に手が一杯との事であります!」

直ぐに支援砲撃を行える旅団は無い。 兵団の砲兵旅団は?―――自分の目の前で手が一杯なのだろう。 最終防衛線部隊は?―――路上で渋滞に巻き込まれている、駄目だ。
海軍は? 第5戦隊は第1防衛線から、第2防衛線前までの支援艦砲射撃で手が回らない。 ガルーダスの戦艦部隊も、第2防衛線前に殺到しているBETA群相手に忙殺されている。

「―――30分、粘れと言え! 30分後に支援砲撃を再開すると!」

南遣兵団の分遣隊―――バーンサパーン・ノーイ付近に、戦術機1個大隊を基幹として派遣されていた、あの連中か。 ガルーダスからも増援を受けているらしいが・・・

「―――30分後に、まだ部隊が残っていれば、奇跡でしょうな・・・」

旅団射撃副調整官の大佐が言う通りだった。 6500のBETA群に対し、連隊以下の戦力しか無い分遣隊では、30分も保たないだろう。

「・・・聯合陸戦旅団が上陸するのは、丁度、壊滅した直後くらいか。 哀れだな、時間稼ぎの捨て駒にされたか」

「しかし、それでも、いえ、それが軍人であります。 それが軍隊です」









2001年5月11日 0350(日本時間) 日本帝国 帝都・東京 千住 周防家


明け方近い4時前、子供の夜泣きの泣き声に、周防祥子は目を覚まされた。 布団から起き出し、ネグリジェの上にガウンをひっかけて隣の部屋に続く襖を開ける。
部屋の電気を灯けると、双子の息子と娘が仲良く揃って泣いていた。 最初に息子を抱きあげ、次に娘を―――赤ん坊とは言え、2人抱きあげると結構重い。

「あらあら、どうしたの? よしよし、直ちゃん、祥っちゃん、ママ、ちゃんと居るわよ? ほぅら、良い子、良い子・・・」

娘は余り手のかからない赤ん坊だが、息子は夫に似たのか、結構むずがり屋の赤ん坊だった。 それでも抱き抱えてあやしてあげると、大抵は機嫌が直ってスヤスヤと眠るのに。
今夜に限っては、息子は何時まで経っても泣きやまない。 娘も珍しくむずがっていた。 どうしたのかしら? お腹が空いている訳でもなさそうだし。 おねしょでも無いし?

その時、不意に嫌な感じがした。 理由は無い、何の根拠も無い。 しいて言えば女の直感、子供を持つ母親の直感、そんなものだろうか。

「・・・あなた・・・」

彼女の脳裏に一瞬、戦場に血まみれで横たわる夫の姿が浮かんだ。






[20952] 伏流 帝国編 9話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2012/05/29 22:25
2001年5月11日 0250 マレー半島東岸 タイ王国・バーンサパーン・ノーイ県南部、チャンレク北方5km地点 『ゲイヴォルグ』戦闘団


猛速で地表面噴射滑走をかけながら、1機の戦術機―――日本帝国陸軍の94式『不知火』が、要撃級BETA群の正面に突進する。

『ッ!―――少佐! そのままではッ!』

エレメントの遠野中尉が、あまりに回避機動を無視した上官の機体の動きに、ギョッとして思わず叫んでいた。 
要撃級BETAの前腕、戦術機の装甲など苦も無く貫き通す硬度を持つ凶器が、素早く振りかぶって周防少佐機の側面を襲った。

『しょ、少佐・・・!』

その瞬間、機体の脚部スラスター推力を、僅かに左右のバランスを崩して微調整しながら、紙一重の距離で要撃級の前腕が描く弧の外側を、滑る様に機体を機動させていた。
要撃級BETAの前腕が擦過するかしないかの、ギリギリの距離でその打撃を交しながら、一気に周防少佐が機体を群れの中に飛び込ます。 
同時に左右両腕に装備したBK-57近接制圧砲から、別々のターゲットに向けて3点バーストで57mm砲弾を吐き出す―――すれ違いざまの一撃で、2体の要撃級BETAを葬る。

『くっ! 少佐! 無茶しないで下さいっ! もしもの事があったらっ・・・!』

「―――群れの真ん中を崩す。 遠野、貴様は右翼から背後を攻めろ。 Bエレメントは左翼。 北里、萱場、近接戦はするなよ」

それだけを指示すると、周防少佐はまた直線的な機動で、要撃級BETA群の群れに機体を突進させて行く。 エレメントを組む遠野中尉でも、もう付いていけない機動だった。

『ッ!―――北里中尉! Bエレメントは左翼を! 私が右翼から行くわっ!』

『Bエレメント、了解! 遠野さん、無理ですよ! 本気になっちゃった少佐の機動に付いて行くなんて!』

『私は、少佐のエレメントなのよ!? エレメント・・・なのにっ!』

悔しそうな声色でそう言いながら、遠野中尉は命令通りに要撃級BETA群の右翼に回り込む。 北里中尉が指揮するBエレメントは左翼に。
同時に周防少佐の機体前方に、要撃級BETAの群れが急速接近する。 その姿を確認した周防少佐が、サッと彼我状況のステータスを確認し―――少しだけ笑った。
お互いに猛速で接近している、相対速度は数百km/hに達し―――寸前に、ホンの僅かだけ脚部の逆噴射制動パドルを解放し、何百分の一かのタイミングだけ、ズラした。

『うっ!』

『ひっ!?』

左翼から中央の様子を伺いながら、攻撃の瞬間のタイミングを計っていた北里中尉と萱場少尉の口から、悲鳴とも、何とも取れない声が出る。
絶妙のタイミングで繰り出された2体の要撃級BETAの前腕が、左右両方向から今度こそ、周防少佐の機体を貫いて粉砕した―――と、思ったのだが。

『ど、どうして、あんな機動が・・・!』

右翼の遠野中尉の口からも、驚愕の声が漏れる。 2体の要撃級BETAの前腕の、左右からの同時打撃が嘘の様に空振りに終わり、2体の要撃級BETAが、もつれる様に絡まった。
目前で決定的な数秒の無防備を晒したその2体を、苦も無く57mm砲弾で始末するや否や、今度は緩い円を描く様な機動でBETA群の中に突進すると、鋭角機動で隙間を抜けてゆく。

(・・・馬鹿ッ! 何をしているのよ、私はっ!)

上官の機動に、一瞬見惚れてしまった遠野中尉が、直ぐに我に返って無防備な後背を晒す要撃級BETAの後背から、突撃砲の36mm砲弾のシャワーを浴びせた。
同時に左翼からも、北里中尉と萱場少尉が、36mm砲弾を適度にバラけさせて要撃級BETAを背後から倒してゆく。 次々と赤黒い体液を撒き散らしながら倒れる要撃級の群れ。
一見無謀な、実は完全に機体とBETAの相対タイミングを読んだ機動で、群れのど真ん中に入り込んだ周防少佐機に関心が向き、左右に無防備な背後を晒した末路だった。

20体程いた要撃級BETAの群れが、瞬く間に掃討されてゆく。 中央に向かえば左右から、左右に旋回すれば中央の周防少佐機からと、翻弄されたBETA群が消滅した。
取りあえず、第2防衛線から五月雨式に南下して来た少数のBETA群の殲滅が完了した。 指揮下の各中隊を出しきった為に、周防少佐と指揮小隊で殲滅する羽目になったが。

「―――加藤大尉、重迫と自走高射砲、位置知らせ」

部隊戦術管制リンクで確認はしているモノの、最後はやはり本人の報告が一番確実だ。 数瞬を置いて、重迫と自走高射砲を束ねるアンナ・プラテル・加藤大尉の声が聞こえた。

『こちら“エミリア” 現在地、ポイントE-215を通過! チャンレク南方3kmです、あと2kmで支援砲撃開始地点!』

予定では、そこから機械化装甲歩兵部隊への、支援攻撃を行う算段になっていた。 しかし戦況は常に流動的で、そしてどうやら悪い方向に向かっていた。

「―――“ゲイヴォルグ”より“エミリア”、加藤大尉、そのまま南下を続行せよ。 後方陣地に到達後、全周警戒に入れ」

『―――少佐?』

「戦闘車両が前に出ては、不味い状況になりつつある―――バンダリ中尉(戦闘工兵中隊指揮官)とは、合流したか?」

『はい、3分前に』

「よし―――伝えろ、チャンレクの2本の橋を爆破しろと。 BETA相手には嫌がらせにもならんが、僅かでも時間は稼げる。 
後方陣地正面に、可能な限りの対BETA地雷を敷設せよ、ともな。 敷設する時間は、早々稼いでやれないかもしれんが」

『―――了解・・・しました!』

支援部隊との通信を切った周防少佐が、再び戦術指揮用のデータリンクシステム・ウィンドウに目をやる。

「・・・ちっ!」

苦々しい表情。 その視線の先、データリンクシステムから送られてきた戦術MAP上には、予期しなかった、少数のBETA群の存在が輝点を発していたからだった。





『―――くっそ! おいっ! 迂闊に出るな! 光線級の的になるぞ!』

『―――八神! そっちに突撃級、40行った!』

『―――何だよっ!? 押さえていてくれって、言ったじゃねぇかよっ! 最上さん! あっ、馬鹿野郎っ! 迂闊に・・・! 
くそっ! また1機やられたか! リーダーより“ハリーホーク”中隊全機! いいか、デッドラインから出るなよ!』

『―――こっちだって、手が一杯だ! B小隊! 突出するな! C小隊、左側面の起伏から回り込め! “ドラゴン”より“ゲイヴォルグ”! 光線級に頭を押さえられました!』

BK-57の重低音の発射音と共に、通信回線から部下の切羽詰まった声が聞こえる。 咄嗟に逆噴射での地表面噴射滑走で距離を開け、横薙ぎの一斉射で戦車級の群れを薙ぎ払った。
同時に背後から3機の部下達が、突撃砲の36mm砲弾をばら撒いて、残った戦車級の群れを掃討する。 空いた空間に大隊長機を中心に、小さな円周陣で周辺警戒を始めた。

「―――遠野、確保しろ」

『了解! 北里中尉! 萱場少尉! 全周警戒!』

周防少佐機を中心に置き、遠野中尉機、北里中尉機、殻場少尉機が三角形の頂点のポジションにつき、全周警戒に入る。 総合指揮を執る大隊長機を守る為のフォーメーション。

―――くそ、こんな所で、はぐれの光線級との不期遭遇戦とは!

戦術作戦情報管制システムを確認する、第2、第3中隊の左前方、11時方向の小さな起伏の谷間に、確かに少数だが光線級BETAが居た。 恐らく偵察情報から抜けていた連中だ。
システムで情報を確認した周防少佐は、ほんの一瞬だが指示を出すのに詰まってしまう。 場所は? 2つの低い丘陵が重なる谷間。 部下達はその谷が切れる寸前の場所に居る。
地形を利用しての迂回攻撃は? 駄目だ、部下達が身を隠している丘陵部の北側から、多数の突撃級BETAが接近中。 北は無理。 
そのまま西へ突っ切る? 馬鹿な、レーザー照射の的だ。 西側の丘陵部の影に逃げ込むのに、最低でも6~7秒かかる。 その間に5~6機は喰われてしまうだろう。

「ゲイヴォルグより“ドラゴン”、“ハリーホーク”! 突撃級の群れを、何とか丘陵部越しに誘導できるか?」

『無理です! “ドラゴン”は現在、突撃級との乱戦状態です!―――C小隊! 左から来るぞ! 気を付けっ・・・! くそっ、1機撃破されました! 残存、10機!』

『こっちも、無理っス! “ハリーホーク”、同じく残存10機、乱戦中! さっき、不期遭遇戦でレーザー照射に、2機がやられました、スミマセン!』

どうする? 部下の2個中隊に、突撃級の群れの誘因任務を課したまでは良い。 戦術的に間違っていない。 前方過ぎる場所に、予期せぬ光線級の小さな群れが現れた事以外は。
真咲大尉の―――第1中隊を向かわせるか? いや、駄目だ、第1中隊は最後の締めの役だ。 グルカもブータンも、それで旅団ごと動いて貰っている。 今更変更出来ない。
第2部隊を―――位置が離れすぎだ。 ついさっき、ブータン旅団の前面に、“アレイオン”の側面援護として出したばかりだ。 手持ちの戦術機中隊は、全て出し尽した。

『―――大隊長! 我々が行きます! “アイリス”に、強襲攻撃許可を!』

大隊指揮小隊長の遠野中尉が、通信に割り込んで意見具申をする。 強張った表情だ、焦燥感と緊張、そして僅かに後悔の色も垣間見えた。
大隊指揮小隊を率いている彼女は、周防少佐が普段は兎も角、戦場でのこんな状況では、部下の逸った行動を許さないと知っているからだ。 答えは即答で帰って来た。

「―――却下する。 貴様達が行っても、的になるだけだ」

グッと、遠野中尉が言葉に詰まる。 確かに地形情報とBETAの分布情報を突き合わせれば、指揮小隊の進出ルートはどうやっても途中で2回、レーザー照射の危険性が高い。
しかし、現在でBETA群との接敵の可能性が最も低いのは、指揮小隊だけなのだ。 遠野中尉は当然、周防少佐はここに留まって全隊指揮を執って貰うつもりだった。
決死の強襲突撃をかけるのは、指揮小隊の3機だけで良い。 大隊長は最後まで生き残り、指揮を続けなければならない。 それが上級指揮官の義務だから。

『しかし! このままでは、“ドラゴン”と“ハリーホーク”は―――!』

「その上で、貴様達を3機とも無駄死にさせろと? 遠野、貴様、俺をそこまでの無能者にさせたいのか?―――暫く黙っていろ」

遠野中尉がビクッとするほど冷たい、一瞬背筋がゾッとする程冷たい声で、周防少佐が部下の発言を封じた。 しかし内心は声色程、冷静ではなさそうだ。

―――慣れない事をするなよ。

僚友で親友の長門少佐なら、鼻で笑って流しただろう。 その証拠に、周防少佐の右顔面に、興奮すると薄らと浮き上がる、右の頬を走る古傷跡が浮かんでいる。
時間にして10秒弱ほどか、周防少佐が指揮下に置いた各部隊の戦況、位置、BETA群の分布、そして地形情報を見比べてから、顔を顰めて、ひとつの部隊を呼び出した。

「―――“スネーク・シーフ”、掃除は終わったようだな?」

『―――火事場泥棒をやるには、美味しいモンは全く、有りゃしませんがね』

南ベトナム軍機装兵中隊を率いるレ・カオ・クォン大尉が、ふてぶてしい古参顔で網膜スクリーン上に現れた。 片方のサブ画面にも、ヴァドゥル・ユカギール中尉が現れる。

「俺は、『掃討戦仕様で、小型種の掃討』を命じた筈だが?」

『ええ、ですんで、『小型種』の掃討ってなぁ、時にこんなオモチャも必要なんスよ、俺らの業界じゃあね』

そう言って、レ・カオ・クォン大尉が外界映像情報で送って来たのは、FN-AMR96(96式対BETA狙撃銃)をプルーン・ポジション―――伏射姿勢で構える機装兵達だった。
その映像には、狙撃兵達の向こう側にレーザー照射を発している光線級BETAが、微かに確認出来る。 と言う事は、機装兵2個中隊は・・・つまり、そう言う事だった。

この口径15.5mm(15.5×118mm弾)の大型アンチ・マテリアル・ライフルは、15.5mm多目的弾頭を銃口初速1100m/sで、有効射程2500m先の装甲車両をも射貫させる。
機装兵部隊では掃討戦装備ではなく、アンブッシュ戦での使用を前提にしている。 だが今回、レ・カオ大尉は『小型種の』と言う言葉を、徹底的に拡大解釈して持ち出したのだ。
となれば、1個分隊に1名の狙撃手が配置されている筈だ。 1個小隊で3~4名、中隊だと中隊本部も含めれば、損失を差し引いても10名前後の狙撃手を配置しているだろう。

「・・・ユカギール中尉?」

『はっ! レ・カオ大尉と協議の結果、本装備が必需と判断いたしました、少佐!』

くそ、餅は持ち屋か。 それにしても、良い場所に陣取っていやがる。 偶然、あくまで偶然―――くそ、煮ても焼いても食えないな、歴戦の古参白兵戦指揮官と言う連中は!

「―――距離は?」

『レーザー測距で、1755mってトコですか。 並みの連中なら、カスリもしない超長距離狙撃ですがね。 俺の部下で外す奴は、いませんぜ』

『自分の部下達も、生まれながらの狩人揃いで有ります。 この距離ならば、外しません』

「―――的は、エリアK8D、ポイントK-115からK-118までバラけている。 推定個体数は約30体。 これまで4機が撃破された、30秒以内にカタをつけろ」

『―――了解』

『―――はっ!』

それだけで状況を把握した、2名の古参の機装兵指揮官達は、すぐ様、部下達に対BETA狙撃銃での光線級BETA掃討の命令を下した。 
周囲には本来の掃討戦装備の機械化装甲歩兵達が、狙撃手を中心に半円を描くポジションで身を隠しながら、油断なく警戒している。

その事を即座に確認した周防少佐が、前方で苦闘中の部下を呼び出して、新たな命令を出す。

「―――“ゲイヴォルグ”より“ドラゴン”、“アレイオン” 30秒間、現地点を維持しろ。 光線級を始末する。 30秒後、誘因攻撃を再開せよ」

命令を下した後、周防少佐も内心でその命令に呆れる。 何て事だ、混戦状態での30秒。 それも光線級に頭を押さえられて―――永遠に等しいじゃないか。

『―――“ドラゴン”、了解・・・! 30秒か! やってやりますよ! 帰還したら、中隊全員に奢って貰いますよ! 全機、続け!』

『―――“ハリーホーク”です! SVA(南ベトナム軍)のヤクザモンに、“さっさと始末しろ!”って、言っておいて下さい! 30秒、了解! 
貴様ら! 30秒持ち堪えたら、大隊長が大判振る舞いしてくれるぞ! B小隊、脚だ、脚を狙い撃て! A小隊、C小隊、俺に続け! あの隙間を突破するぞ!』

―――俺を破産させる気か? 

内心の片隅でそう苦笑しつつ、機械化装甲歩兵の戦況を確認する。 1個中隊が狙撃をした後、もう一方の中隊が別の場所から狙撃を行う。 その間に最初の中隊が急速移動する。
戦闘用強化外骨格に装着された、2発の小型跳躍ユニットを吹かし、夜間の視界が利かない中で地表スレスレを高速移動する機械化装甲歩兵部隊。
数秒で200m近くを移動した中隊が、再び狙撃態勢に入る―――射撃。 念には念で、ダブルタップで倒す方針らしい。 既に20数体の光線級BETAが弾け飛んだ、残り7~8体。

「―――あと、10秒だ! “スネーク”、“オホートニク”!」

『急かさんでも、大丈夫ですぜ、少佐殿! こっちは終いだ! おい、ジープン!』

『―――俺はヤクート人だ、間違えるな、ベトナム人。 狙撃、開始する』

ユカギール中尉の率いる機装兵中隊の狙撃手達が、伏射体勢で狙いをつける。 光線級はまだ、機装兵中隊の場所を認識していない様だ。 レーザー照射は開始されない。
如何に重光線級より認識能力の高い光線級でも、複数個所に散らばって狙撃して来る相手では、直ぐに認識してのレーザー照射は困難なようだった。

10数発の甲高い発射音(サプレッサーなど、BETA相手に無用な装備は使用しない)が、中継映像に乗って聞こえる前に、残った光線級BETAが弾け飛ぶ姿を確認した。
念の為にザッと音紋、震動探知でサーチするが、どうやらもう居ない様だ。 どうやら厄介な光線級BETAは掃討出来た―――4機の部下の損失と引き換えに。

「―――“ゲイヴォルグ”より全隊、誘因作戦を再開せよ!」


周防少佐が上級司令部―――旅団本部に『後退戦闘中』と報告したのは、その直ぐ後の事だった。










2001年5月11日 0305 マレー半島 マレー半島東岸 タイ王国・ミャンマー国国境地帯 日本帝国軍南遣兵団 第15旅団司令部


「―――分遣隊、『ゲイヴォルグ戦闘団』、後退します!」

「―――英軍グルカ旅団、南ベトナム軍第9旅団、共に『ゲイヴォルグ』に同調! 後退を始めました!」

「―――BETA群、約6500、東部海岸線に到達! 南下します!」

「―――第2戦術機甲大隊より入電! 『BETA群進路、1-1-5。 一部が反転、旅団側面に達しつつあり!』です!」

「―――第151機甲大隊第3中隊、第152機装兵大隊第2中隊、交戦を開始しました!」

「―――第155自走高射大隊第1中隊、155機装第2中隊側面に展開完了、射撃開始しました!」

日本帝国軍南遣兵団、その右翼を守る第15旅団司令部内は、降って湧いた状況の変化に慌しく対応を余儀なくされていた。 側面を守る分遣隊が、命令も無く後退を始めたのだ。

「何をやっているのだ、周防少佐はっ・・・!」

戦況を書き込んだアクリルボードを睨みつけながら、司令部G1(人事・運用参謀)の富樫直久中佐が呻く様に言う。 
周防少佐の分遣隊後退に引きずられる様に、ガルーダスも後退を始めた。 お陰で旅団の側面はガラ空きだ。

「―――作戦目的の為だろう?」

その隣で、司令部G3(作戦参謀)の加賀平四朗中佐が、やや冷ややかな視線で同僚に言い返す。 良い気はしないが、もし自分がその立場だったら・・・
加賀中佐も同じ考えをしただろう。 但し、実行に移すかどうかは別だ。 司令部からの命令も無く、独断での部隊の後退指示。 その結果、旅団の側面は危険な状況だ。

「であれば、なおの事! 司令部へ後退許可の指示を仰いで然るべきだ! 何の説明も無く、いきなりの独断専行! お陰で旅団はこの有様だ!」

現在、第1防衛線中央部を突破した約4万前後のBETA群が、第2防衛線各所の穴に突っ込み、そこを食い破って侵入して来ていた。
第2防衛線第3軍団(南ベトナム軍)の第12師団が、地震による道路網寸断で予定の進出地点まで進めなかった事が逆に幸いした。
路上で右往左往していた南ベトナム第12師団は、これ以上の進出は不可能と判断し、南遣兵団の直ぐ左隣で戦線を組む事となったのだ。 不幸中の幸い、まさに僥倖だった。

そして現在、『第2.5防衛線』とも言うべき臨時の防衛線を、日本帝国軍南遣兵団(2個旅団、6個連隊基幹)、南ベトナム軍第12師団、ガルーダス2個旅団を主力に半島の東側を。
ガルーダス北部3軍第6軍団のインドネシア軍第13師団、サイコット(タイ・イスラーム中央委員会:CICOT)義勇第1、第2旅団が半島の西側を、それぞれ防衛していた。
そんな中、東海岸線の防衛を命じた南遣兵団分遣隊が、独断で後退を開始。 それにつられる様に、隣接するガルーダスのグルカ旅団と南ベトナム第9旅団も、後退を始めたのだ。
第15旅団は現在、前方を南南東に向けて横切ってゆく万単位のBETA群への交戦と、途中で進路を転じて側面に襲い掛かる一群と、双方への対応を迫られている。

「・・・独断専行、時には良し、じゃありませんか?」

旅団G2(情報幕僚)の三輪聡子少佐が、部下から手渡されたレポートを見ながら、ポツリと呟いた。 その声を聞き咎めた富樫中佐が、厳しい顔で三輪少佐を睨みつける。

「―――後方のチベット旅団と、ブータン旅団が南東15kmの地点まで、ようやく到達しました。 あと5kmも進めば、完全に共闘が可能です。
現在、両部隊より支援砲撃の申し出がありました。 我が旅団の、ガラ空きになった右側面、ガルーダス2個旅団の抜けた穴にです」

機甲大隊と、2個旅団で4個中隊だけだが、それも第1世代機のF-5系戦術機だが、それでも彼等の『虎の子』の2個戦術機甲中隊を前面に出す、と言って来たのだ。
これで旅団の空いた右側面は、チベット、ブータンの両旅団によってカバーされる事になる。 南遣兵団の側面からの崩壊は、ひとまず回避された様だ。

「結果論だ! であれば、何故先に一報を入れてこない!? 周防少佐から連絡が入ったのは、分遣隊が後退を始めた後だ!」

「・・・人事考課の面から見れば、そう言いたくなるのは判る。 だがな、富樫中佐、作戦参謀としては、そこまで言われては、流石に良い気はしない。
君は私が、そこまで底抜けの無能だと、そう言いたいのか? チベットとブータンの2個旅団の位置も進撃速度も、把握していた。 BETA群の動きも。
そこから出される結論は、ひとつだけだ―――分遣隊と、グルカに南ベトナムの2個旅団を下げて、海軍第22聯合陸戦団の上陸地点前面を守らせる事だ」

海軍聯合陸戦団(『編成』上は、旅団)は、実質的に陸軍の乙編成師団並みの戦力を保有する。 聯合陸戦師団ともなれば、陸軍甲編成師団以上、軍団以下の戦力を持つに至る。
聯合陸戦団の上陸作戦が成功すれば、平坦地が走る東海岸線に2個師団並みの戦力による防衛線を構築する事が出来るのだ。 艦隊が沖合に戻るまでの時間は十分稼げる。

「―――それに、分遣隊への兵站物資補給も、海軍から幾らか融通して貰えます。 現状では、旅団や兵団から分遣隊への兵站線は事実上、途絶状態ですから」

横から、旅団G4(兵站参謀)の平内巌少佐が首を突っ込んできた。 名前とは逆に、見た目も性格も、穏やかで温厚な兵站将校だ―――『商売人』だが。

「判っておる、そんな事は! 私が言いたいのはだなッ―――!」

「―――周防少佐には、作戦終了後に始末書の山を書かせる。 戦場における軍規の順守は、必須だ。 TSF(戦術機甲部隊)の長門少佐からは、他に何と?」

それまで、部下参謀たちの議論(?)を黙って聞いていた、旅団長の藤田准将が戦況指示用のアクリルボードを見据えながら、参謀団に確認して来た。

「はい、『ガルーダスの4個(戦術機甲)中隊への、統合指揮権を確保されたし』と・・・」

旅団通信参謀を兼務する、第1502通信中隊長の信賀朋恵大尉が、呆れた様な表情で報告した。 毎度のことながら、旅団の両戦術機甲大隊長達の厚顔さには・・・
ガルーダス軍が虎の子の戦術機中隊を出してくれただけでも感謝なのに、その指揮権を寄こすよう、交渉しろとは。

「長門の第2大隊に、兵団本部から分捕った予備の2個中隊、そしてガルーダスの4個中隊・・・併せて9個中隊の統一指揮権をか? あいつめ、周防と張り合う気だな。
だが、流石に4個中隊全ては無理だ。 最低2個中隊は、彼等も本隊前面の直援に必要になる・・・信賀、長門に伝えろ、『2個中隊で我慢しろ』と。 それで周防と同数だ」

藤田准将が困った様な、面白そうな、微妙な表情で笑いながら言う。 『越権も甚だしい!』と憤慨する富樫中佐に、『長門も、始末書の山に放り込むさ』と言って、藤田准将は破顔した。
その言葉を合図に、副旅団長の名倉大佐と、旅団先任参謀の元長中佐が参謀団の頭を切り替えさせ、兵団本部へ『捻じ込む』為の作業を命令する。


「・・・グルカもブータンも、意外と素直に、周防の言に乗っかったものだな」

副旅団長の名倉大佐が、旅団長の藤田准将に話しかける。 流石に副旅団長を無視する事も出来ず(する気も無いが)、微苦笑しながら答えた。

「彼等も、平坦地での防衛戦闘だなどと、悪夢以外の何者でもない。 むしろ、周防の誘いは渡りに船だろうさ」

「いざとなれば、『日本軍の正式命令系統を通じた決定だと、そう聞いていた』とか? まあ、他国軍人の面倒まで見ようなんて連中は、どこの国にも居はしないが」

「あれでいて、強かだよ、ガルーダスは。 小国同士の、それも必ずしも強い繋がりとは言えない連合体で、こうやってマレー半島を防衛している」

「国際政治的にも、な・・・」

「・・・そうだ。 名倉、貴様、知っているか? 先の世界大戦の折、我が帝国陸軍が最後まで把握しきれなかったのが、タイ王国の『微笑み外交』だと言う事を?」

「陸士の講義で、散々聞かされたぞ、その話は―――まあ、昔も今も、この辺は変わらんな。 しかし藤田―――いや、旅団長閣下、良くあそこで纏めましたな」

今は部下でも、陸士同期の名倉大佐が、期友としての藤田准将に、周りに聞こえない小声で、ニヤリと笑って話しかける。 先程の周防少佐の件の事だ。
そんな友人の表情に、フン、と鼻を鳴らしながら藤田准将が、忙しく動き回り始めた参謀団を見回し、これも小声で『期友』として言った。

「俺は状況次第で、『独断専行も止む無し』、などとほざく勢いのある奴を、分遣隊指揮官に据えたつもりだ。 命令を遵守して、勇敢に死守する戦いをする奴でなく。
むしろ、あそこで周防が動かなければ、俺は奴を解任していたよ。 いや、増援すら送らなかったかもしれん、例え分遣隊が全滅しようともな」

「やれやれ・・・貴様と言い、貴様の細君と言い・・・周防には今更ながらだが、同情するよ」

「伊達に、あの男が少尉の頃から知っている訳ではない。 俺の妻も、私的ならともかく、戦場ではとことん、非情に判断する女だ。 あいつはその部下として、生き残って来た」

「長門も、似た様なものか・・・アイツの方が、周防より防衛戦闘での粘り強さはある、か・・・?」

「俺から見れば、まだまだ2人とも、五十歩百歩だが―――防御戦闘では長門、攻勢や遊撃戦闘では周防か。 ま、程度問題だが」

その腹積もりを成立させる為に、先程は富樫中佐に『軍規』の問題を言わせたのだ。 全面的に肯定してしまえば、独断専行の負の部分を正当化してしまう。
だからだ、敢えて軍規上の問題を惹起させて、司令部内にその問題を認識させた。 そして『始末書』と言う、人事考査上の染みで独断専行の非を匂わせながら、状況を容認させた。
富樫中佐が殊更、独断専行の事を叫び続けたのも、上官の意図を認識しての事だろう。 自分の役割(司令部内の綱紀維持)を認識しつつ、上官の意図する方向に会話を持って行く。 
結果的に嫌われ役を買って出た様なものだが、人事担当参謀など、それも仕事の内だ。 もしかすると、作戦参謀の加賀中佐も気付いていたかもしれない。
先任参謀の元長中佐や、目前でニヤニヤ笑っている副旅団長のこの男など、最初から判って口を挟まなかったに違いない―――くそ、俺の下手な芝居など、お見通しとばかりで!

「では俺も、精々怖い上官に目を付けられんよう、仕事をするとしようか―――『分遣隊への後退命令、及びグルカ・南ベトナム両旅団への後退戦闘を、第15旅団は要請セリ』
こんな所で良いのだろう? 兵団参謀長の熊谷閣下(熊谷岳仁准将)は、うるさ型だぞ? 陸士時代は俺も貴様も、お互いあの人には散々絞られたよな、おい」

「―――熊谷先輩のお小言は、副旅団長に全権委任する。 竹原閣下(南遣兵団長・竹原季三郎少将)には、後で俺から話を通す」

竹原閣下は熊谷先輩と違って、温厚な人格者だからな。 上官の役得だ―――そう言って、藤田准将は小さく笑った。

何が役得だ、兵団司令部会議で、矢面に立たされるのは貴様なのに―――名倉大佐は、内心でそう毒づいていた。

ともあれ、状況は再び動き出した。 ならばこの状況を如何に利して、形勢を逆転させるか。 
その為に高い俸給を貰っているのだ、自分達はプロフェッショナル―――職業軍人なのだから。









2001年5月11日 0310 マレー半島 マレー半島東岸 タイ王国・バーンサパーン・ノーイ県南部、チャンレク南方8km地点 『ゲイヴォルグ』戦闘団


≪・・・であり、貴官の行為は司令部承認前の独断専行と言わざるを得ず・・・きゃあ!?≫

「―――どうした? 来生」

≪い、いえっ! きゅ、急に車体がバウンドしまして・・・伍長! もう少し抑えなさいと、運転席に・・・きゃあ!≫

≪無理ですよ、来生中尉! ただでさえ、ここら辺は未整地なのに。 夜間、こんな飛ばさなきゃならない状況です!≫

≪も、もうっ! モニターがまともに読めないわっ! あ、しっ、失礼しました、少佐! ええと・・・独断専行と言わざるを得ず・・・
旅団本部としては増援を送る余力なしである・・・しょ、しょう・・・いぎっ!? いひゃっ・・・! しょうしゃ、いかくぁ、なしゃれまふか・・・?≫

―――車輌のバウンドの衝撃で、思いっきり舌を噛んだな? 妙に可愛らしい、舌足らずな口調になってしまった副官の声に、場所柄を忘れて笑いそうになる。
旅団本部から、分遣隊指揮官宛の通信文は・・・『独断専行』、『軍規に反する』、『事前連絡の徹底不備』、エトセトラ、エトセトラ・・・様は、叱責である。

「―――どうも、こうもしない。 予定通りに後退戦闘を続行する」

≪し、しひゃし・・・いたた・・・しかし、旅団本部からの、この通信文は・・・せめて、状況説明位は・・・≫

不安な声色の来生しのぶ中尉の声を無視して、周防少佐は『後退戦闘を続行する、報告は事後で良い』の一点張りだった。 戦術機の管制ユニットの中で、内心で溜息をつく。
上官の立場の悪化を恐れて、副官の来生中尉も執拗に旅団本部への状況説明の通信許可を、と言い張ってくる。 彼女としても、上官の立場が後々で不味くならぬよう、必死なのだ。

「―――必要は無い、今は後退戦闘に専念しろ。 来生、あとどれくらいで団本部は後方陣地に到着する?」

≪・・・約15分です≫

ムスーッとした声で来生中尉が報告する。 いかんな、甘やかしすぎたか?―――内心の苦笑を堪えつつ、周防少佐は脳裏で部隊とBETAとの位置関係、そして時間的距離を計った。

「・・・よし、後方陣地に到着次第、海軍第22聯合陸戦団司令部に連絡しろ。 『上陸地点を、南に3km移動されたし』 背中で荷揚げ作業をされながらでは、戦えないからな」

≪・・・了解しました≫

納得いかない様子だが、無視する。 しかし何故だろう? 周防少佐にはさっぱり判らないが、来生中尉と言い、指揮小隊の遠野中尉と言い、やたらと上官の肩を持ちたがるのは?

≪CP、ゲイヴォルグ・マムよりゲイヴォルグ・ワン! 前方10時、距離8700、新たなBETA郡、4200! 進路は南南東、速度約65km/h!≫

団本部と共に後方へ急速後退中の大隊CP将校、長瀬恵大尉から新たな狂報が入った。 正面の約6000(500体程は仕留めた)、そこへ追加で4200。

「・・・合計で、1万体以上か。 嬉し過ぎて溜息しか出んな。 第2部隊は?」

≪ガルーダス軍前方で、防御戦闘中! ヴァン大尉より少佐宛、『後で絶対、何か奢ってね!』です!≫

少女の様な可愛らしい童顔とは裏腹に、戦争慣れした歴戦の衛士で指揮官のヴァン・ミン・メイ大尉ならば、早々に全滅する下手は打たないだろう。
左からの新たなBETA群は、取りあえず第2部隊に任せておけば、時間は稼いでくれる。 上級指揮官用の戦域情報を見る限り、少し余裕が出ている。
旅団第2大隊(長門少佐指揮)が予備の2個中隊に加え、チベット・ブータンの2個中隊も統合指揮して、旅団の側面―――『ゲイヴォルグ戦闘団』の左前方を押え始めたからだ。

(・・・何と言うかな、散々、脅してくれているけどな・・・)

それでも旅団本部は、『後退を中止し、当初作戦戦域を死守せよ』とは言っていない。 と言う事は、承認を与えたと言う事だ―――周防少佐は、そう判断したのだ。

(もっとも・・・後で、散々絞られるだろうけどな。 特に名倉大佐や、G1の富樫中佐辺りは、煩そうだ・・・)

旅団士気の盛り上げ役の名倉大佐と(副指揮官など、そんなものだ)、綱紀・風紀の引き締め役のG1(人事・運用参謀)、そろって目前で怒鳴られ、ネチネチとやられるのは参るが。

「長瀬、“ドラゴン”、“ハリーホーク”の両隊に伝えろ。 BETA群をG5D、ポイントB-225地点に誘き出せと。 光線属種への吶喊は、“フリッカ”が位置的に最も近い。
第2部隊のヴァン大尉に命令、攻撃主体は“アレイオン(旅団第2大隊)”に任す様に。 零れて来る個体群を、前方のBETA群に合流させるなと」

≪―――了解です≫

「それと、もうひとつ。 南ベトナム第9旅団の第2戦術機甲中隊を臨時に指揮下に入れるから、“バルト(南遣兵団独立戦術機甲中隊)”を戻せと言え」

≪―――はっ!≫

後退戦闘を行うに当たり、グルカ旅団、南ベトナム第9旅団が保有する4個戦術機甲中隊の内、本隊直援の2個中隊を除く半数の2個中隊を、周防少佐が統一指揮する事になった。
第2部隊指揮官のヴァン・ミン・メイ大尉は南ベトナム軍だ。 同国軍部隊の方が指揮し易いだろう。 データ上では第9旅団の戦術機中隊長は、ヴァン大尉の3期後任だった。

「グルカのバハドゥル大尉は?」

グルカ旅団第1戦術機甲中隊長、クリシュナ・バハドゥル大尉。 英連邦軍の一員として第2次バトル・オブ・ドーヴァーにも参戦した、周防少佐にとっては『戦友』だった。

≪―――“マガール(グルカ旅団第1戦術機甲中隊)”、移動して来ます。 合流まで20秒≫

暫くして隣接するグルカ旅団の方向から、跳躍ユニットの立てる轟音が響いてきた。 2個中隊居る、ひとつは“マガール”だ、もう一つは・・・

『第4中隊“バルト”、復帰しました』

見事な金髪のエリカ・マイトラ大尉のバストアップ姿が、網膜スクリーン上にポップアップした。 同時に別ウィンドウにバハドゥル大尉の浅黒い、精悍な顔も。
グルカ部隊の使用機体は、Type-92ⅡC(92式『疾風』弐Ⅲ型・輸出タイプ)だ。 “バルト”と同じ機体、協同作戦に齟齬は生じないだろう。

「よし。 “バルト”と“マガール”は本作戦終了まで、私の直率予備とする。 現在の状況はBETA群先頭集団―――突撃級の群れをG5D、ポイントB-225に誘導する最中だ」

『・・・丁度、我がグルカとブータンの2個機甲大隊、その前に側面を晒す格好ですな。 先頭集団を潰して、後続の障害とする』

『同時に2個旅団と戦闘団の全力砲撃で、後ろの光線属種にレーザー照射を撃たせる。 そこへ“フリッカ”が突っ込む―――我々は、光線属種前方の要撃級への対応ですね?』

2人とも歴戦の指揮官らしく、ポイントを聞いただけで指揮官の意図を察した様だ。

「そうだ、グルカ旅団とブータン旅団へは話を付けた。 彼等と我々の前方の守りは、第2部隊と向うの予備2個中隊が受け持つ。 後続の4200体は、“アレイオン”が対応する」

そして最大の殲滅目標が、前方の6000体。 その中の光線属種、約80体だった。

「大半が光線級とは言え、10体ほど重光線級が確認されている。 “フリッカ”の突入後、場合によっては、どちらかに追加で飛び込んで貰う」

『―――了解しました』

『了解』

良し―――心なしか、戦術機の管制ユニット内に、アドレナリンが充満している様な気がする。 
俺も、まだまだ若造だな―――苦笑した周防少佐が、戦術作戦用のタイムカウンターを見た。 予定時間、マイナス11秒。

『―――“ドラゴン”より“ゲイヴォルグ・ワン”! 注文通り、吊り上げましたよ!』

臨時で2個中隊を指揮する最上大尉から、待ちに待った連絡が入った。

「よし! 最上! 八神! そのまま頭を押さえろ! 真咲?」

『―――“フリッカ”です、何時でもどうぞ!』

無意識に操縦スティックをギュッと握りしめる。 タイミングはこの戦域の戦術機甲部隊の統合指揮官(臨時)の周防少佐が預かっている。
まだだ、まだ密集度が薄い。 今始めては、突撃級の骸で障害を作るまではいかない。 部下の苦闘は承知で、もう少し・・・もう少し・・・

「ッ!―――『ゲイヴォルグ』戦闘団長よりグルカ、ブータン、両旅団本部へ要請! 全力支援砲撃を要請! 繰り返す! 全力支援砲撃を要請!」





[20952] 伏流 帝国編 10話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2012/06/06 23:04
2001年5月11日 0315 マレー半島 マレー半島東岸 タイ王国・バーンサパーン・ノーイ県南部、チャンレク南南西10km地点 『ゲイヴォルグ』戦闘団・戦術機第1中隊


「光線級のレーザー照射間隔は12秒だ! 遮蔽地形への退避も含めれば攻撃時間は10秒! 各小隊長はタイムアウトに留意しろ!」

後方からの155mm榴弾砲、多連装ロケット弾が唸りを上げて降り注いでくる。 中隊長の真咲大尉が遮蔽地形の影から飛び出すタイミングを計りつつ、部下に注意を喚起する。
その言葉が終わらない内に、地形の向うから数十本のレーザー照射が立ち上った。 秒速800/s超、マッハ2.4~2.5で降り注ぐ砲弾を次々に迎撃・蒸発させてゆく。

「・・・よしっ! 今だ! 『フリッカ』全機、吶喊!」

跳躍ユニットの噴射炎を吐き出し、12機の94式『不知火』が一気に噴射跳躍に移る。 遮蔽地形を瞬く間に飛び越え、そのまま全速でパワーダイヴに移ると、一気に距離を縮めた。
先頭を突き進む突撃前衛小隊の4機が、4門全門展開させた突撃砲から、120mmキャニスター弾を連射で吐き出す。 広範囲にばら撒かれた子弾が光線級BETAを薙ぎ倒した。

「連中のど真ん中に飛び込め! 重光線級の位置を最重要で把握するんだ! 対角線上に常に重光線級を背負って戦え!」

真咲大尉の指示は、光線属種殲滅戦のセオリーのひとつ。 まず、ど真ん中にスペースを作り、そこに陣取って小型の光線級BETAから仕留めてゆく。
その間、重光線級の位置を常に把握して、重光線級同士の対角上に部隊を置く。 そうすれば『同士撃ちはしない』BETAの性質を利用でき、かつレーザー照射の心配が極減する。
中隊は光線属種の群れのど真ん中に飛び込み、そこから円周陣形に瞬く間に転換して、今度は36mm砲弾を全方向に撃ち出した。 光線級BETAが赤黒い霧へと変わって行く。

(6秒・・・8秒、9秒、今!)

「―――中隊全機、離脱!」

光線級BETAのレーザー照射間隔の12秒間が終わる。 確実な安全を確保する時間が過ぎれば、いくら同士撃ちをしないBETAの特性を生かそうが、どこかで絶対に齟齬が生じる。
だから実戦慣れした戦術機甲部隊指揮官は、10秒以上は光線属種の群れの中に入らない。 戦場に絶対はあり得ない、戦場の状況は常に変化する、それを多くの死で学んだ彼等は。
跳躍ユニットを吹かして、戦術機が次々に元の遮蔽地形の裏に戻ってくる。 8機・・・10機・・・12機。 12機、中隊全機。 よし!

「―――“フリッカ”リーダーより“ゲイヴォルグ”、光線属種駆逐戦、ファーストストライクは完勝です! 撃破個体数、42体! 引き続いての支援砲撃を要請します!」

『―――“ゲイヴォルグ”より“フリッカ”、面制圧砲撃は続行される。 タイミングはグルカFDC(砲兵部隊射撃指揮班)に伝えろ。 コードネーム“サラマンダー”、オーヴァー』

上官である周防少佐の声が、即応で帰って来た。 心なしか早口だ、恐らく“フリッカ”の吶喊と同時に行われた筈の、前方の要撃級の反転阻止を直接指揮しているのだろう。
ガルーダス軍のグルカ、ネパール両旅団が装備している榴弾砲は、M198・155mm榴弾砲だ、発射速度は最大で毎分4発。 とは言え今回、そんな発射速度で砲撃要求は出来ない。
こちらも遮蔽地形に隠れてから、戦況の確認と損失状況、弾薬・推進剤消費量の確認に、次の攻撃へのタイミングの算出・・・どう見ても、15秒から20秒のインターバルは欲しい。

「―――“フリッカ”より“サラマンダー”、座標2011-1550、標高35、方位角3600。 初弾着弾点の正面100、縦深200、効力射を要請、オーヴァー」

『―――“サラマンダー”より“フリッカ”、座標2011-1550、標高35、方位角3600。 初弾着弾点の正面100、縦深200、効力射、ラジャ・・・ファイア、ナウ!』

再び砲撃を開始する、グルカ・ネパール両旅団の砲兵大隊群。 そして再び繰り返される、光線属種の迎撃レーザー照射。 AL砲弾とロケット弾が迎撃され、重金属雲が形成される。

『―――“サラマンダー”より“フリッカ”! 重金属雲発生! 重金属雲発生! 第4斉射、ファイア、ナウ!』

立て続けに発射される榴弾砲とロケット弾。 これで残った光線属種も、レーザー照射のインターバルと言う最大の弱点を突かれて、後は殲滅されるだけだ。
特急列車が頭上を通過する様な甲高い轟音を耳にした瞬間、真咲大尉は好機が来た、そう判断した。 重金属雲でレーザー照射は極めて影響を激減される、ここで飛び出せば・・・

「―――リーダーより“フリッカ”全機! これでカタをつける! 吶喊!」

再び12機の『不知火』が噴射跳躍で躍り出た、目標は砲撃の雨に晒された筈の、生き残った『僅かな』光線属種。 さっきと同じタイミング、あれを繰り返せば、殲滅出来る。

「―――よし! このまま・・・ッ!?」

不意に真咲大尉の背筋が凍った。 網膜スクリーンに突如として浮かび上がった、信じられない警報。 3次元戦術レーダーの片隅に捉えた、居る筈の無いBETA群。
誰を責めるべきなのか。 グルカ旅団がBETA分布データを見落としたのか? 作戦を命じた周防少佐の確認ミスか? 部隊指揮官である真咲大尉の思い込みか?

「なっ・・・別の群れ・・・だとぉ!?」

中隊が突撃砲を猛射しながら、先程の光線属種の群れの空白地にランディングした瞬間だった。 重光線級BETAが複数機からの120mm砲弾を受けて弾け飛ぶ。
光線級BETAが数体、横殴りの36mm砲弾の斉射で赤黒い霧に変わる。 まさに、その瞬間だった。 中隊の10時方向―――北北西の丘陵地が、突如として閃光に包まれたのは。

『えっ・・・ぎゃっ!』

『なっ、なにっ!?―――光線級!?』

『まっ、前田!? よっ、4番機、レーザー直撃!』

『回避しろ! 乱数回避・・・ぐうっ!?』

『おっ、おいっ! 秋生!』

『あっ、熱いっ! 熱いいぃ!!』

『脱出よ! 高嶋ぁ! 脱出しなさっ・・・ぎゃあ!』

一瞬のうちに10数本のレーザー照射を、側面から受けた第1中隊“フリッカ”が崩れる。 一瞬の空白、そこから最初に我に返ったのは、指揮官の真咲大尉だった。

―――即時後退! 元の遮蔽地形!? ダメ、頭を押さえられる! 4時方向!? 馬鹿! 平坦地だ! だったら・・・! 一瞬でそこまで思考を進め、即座に決断した。

「リーダーより全機! このまま全速で前へ! 10秒以内に前方の丘陵部の陰に飛び込め! 鳴海! 宇佐美! 行けっ!」

『了解! B小隊、続け!』

『小隊長!』

『槇島(槇島秋生少尉)は、もう駄目だ! 半村ぁ(半村真里少尉)! 先頭切れ、行けっ!』

『ちっ・・・くしょう! 伊丹(伊丹誠吾少尉)! 来いっ!』

『C小隊! B小隊に続け! 楠城(楠城千夏少尉)! ボケっとするなっ! 死にたいのかっ!? 行けぇ!』

B、C小隊の6機が続けさまに脱出にかかる、残りはあと8秒。 咄嗟に戦場を見回す。 A小隊2番機の美竹中尉機と、3番機の高嶋少尉機が中・大破。
他にB小隊3番機の槇島少尉機も大破、C小隊4番機の前田多佳子少尉機は、管制ユニットを撃ち抜かれている。 前田少尉は蒸発しただろう。

『あついっ・・・助け・・・てっ・・・たす・・・け、て・・・!』

『ごふっ・・・つ、ついてねぇな・・・』

『痛っ・・・ちゅ、中隊長・・・行って下さい・・・早くっ!』

中隊の副官的な役目を果たしてきた美竹中尉の、息苦しい声が聞こえたと同時に36mm砲弾の発射音が響いた。 装甲を貫く音と同時に、悲鳴を上げていた高嶋少尉の声が止んだ。

『あ、あと・・・6秒! 行って下さいっ!』

恐らく、想像を絶する大火傷―――それも瀕死の大火傷を負ったのだろう高嶋少尉の苦痛を、これも負傷しただろう美竹中尉が、その苦痛を終わらせてやった音だった。

『私とっ・・・槇島で、少しは・・・時間を稼ぎますっ! あと4秒!』

「ッ・・・! 曽根!(曽根伸久少尉)! 続けっ!」

『りょっ、了解っ・・・!』

跳躍ユニットを吹かせて地表面噴射滑走に移った真咲大尉機の後を、A小隊の最後任、1番年若い曽根少尉が引き攣った表情で、必死になって機体を操り中隊長に続行する。
その姿をダウンした機体の管制ユニットの中で、美竹遼子中尉がホッとした表情で見ていた。 あの速度、あの高度、あの位置関係―――大丈夫。

『ぐっ・・・槇島、まだ生きているね? やるよ・・・』

『はあ・・・はあ・・・はあ・・・ト、トリガー位なら、引けますよ・・・もう、目が見えないっスけどね・・・』

『・・・そのまま、前に撃ち出せばいいよ・・・行くよ! 撃てぇ!』

ダウンした美竹中尉機と槇島少尉機から、中隊に大損害を与えた別の光線級の群れに向けて、36mm砲弾が飛び出した。 殆どカスリもしなかった、頭上を越しただけだ。
だがその弾道を確認していた美竹中尉は、光線級BETA群が反応した動きに満足した。 連中はこっちに注意を向けた、退避しつつある中隊から目を逸らせた。

『・・・やったよ、槇島ぁ・・・連中、こっちを見やがった・・・』

―――ザマぁ見ろ、これで中隊は生き残った。 お前らの好きにさせてやるか、意地でもこっちに向かって撃たせてやるからね!

『は・・・ははは・・・槇島? 槇島・・・逝っちゃったか・・・』

相変わらず美竹中尉は、トリガーを引き続けていた。 残弾も残り少ない、でも止めるつもりは無い、私は最後まで戦って死んでやる。
望遠モードの視界の向こうで、不気味な怪物のひとつ目玉がこっちを見ていた。 でもなぜか、不思議と恐怖を感じなかった―――重度の火傷で、美竹中尉の意識も混濁していた。

『・・・はぁ・・・揉みたかったなぁ、あの胸・・・』

どこか、場違いだな・・・自分でそう思ったその時、視界が閃光に包まれた。

―――抱きたかったなぁ・・・真咲大尉・・・割と、本気だったんだけどなぁ・・・






「確認の取りこぼし!?―――取りこぼしだとっ!? シャムセール中佐! どう言う事だっ!?」

機体を反転させながら、迫り来る要撃級BETAの前腕の一撃を交し、その側面に57mm砲弾を叩き込んだ周防少佐が、目を血走らせながら通信相手に怒鳴っていた。

『―――こちらも、万全の哨戒を行える状況では無いのだ、周防少佐! どこの群れからはぐれた連中かも判っておらん! 確実なのは、君の部下が孤立している事だ!』

通信相手のグルカ旅団参謀のシャムセール中佐も怒鳴り返す。 “フリッカ”が殲滅し損ねた光線級と重光線級の群れ10数体が、グルカ旅団を捉えそうな位置に進んでいるのだ。
そうこうしている間にも、要撃級の群れが次々に襲い掛かってくる。 現在、2個中隊と1個小隊―――28機の戦術機で押さえているが、BETAの数が多過ぎる。

『あと10数分もすれば、我々は確実に光線属種のレーザー照射に絡め取られる! 光線級吶喊を行おうにも、戦術機が足りん! 半数は君の指揮下だ!』

「今更、何を言うかっ! 一気に4機を喪った! 光線級殲滅も失敗した! そっちがUAVの損害をケチっていなければ、こんな事態にはっ・・・!」

BK-57を正面の要撃級に向け、3点バーストで叩き込む。 赤黒い体液を噴出して倒れ込む要撃級、その後ろから新手が襲い掛かって来た。
咄嗟に噴射パドルを全開にして後ろへ飛ぶ、その空いた空間にエレメントの遠野中尉機から120mm砲弾が撃ち込まれ―――突進した要撃級BETAの側面に大穴が空いた。

≪―――取り込み中、済まんがな。 日本側の指揮官は誰だ? 私は日本帝国海軍『伊吹』艦長、川崎海軍大佐だ≫

唐突に通信回線に割り込んできた声に、周防少佐もャムセール中佐も一瞬、怒気の方向をはぐらかされる。

≪―――聞こえんか? 私は日本帝国海軍、『伊吹』艦長の川崎大佐だ。 日本陸軍指揮官、応答せよ≫

「―――第15旅団分遣隊、“ゲイヴォルグ”戦闘団長、周防陸軍少佐。 川崎大佐、用は後ほど・・・!」

≪―――そちらの鉄火場を、何とか消せるとしてもか?≫

『―――どう言う事でしょうか、大佐?』

苛立ちを押さえながらも、シャムセール中佐が先任士官として聞き返す。 周防少佐も一時、怒気を抑え込む様に黙って聞いていた。
一時的に最後方まで引いた周防少佐の機体を、指揮小隊の3機が取り囲んで周辺を警戒する。 前方の2個中隊の防御ラインを、破って来た要撃級BETAを撃ち倒しながら。

≪―――『伊吹』は現在、チャンレク東方海上10海里の地点だ、まもなく海岸線を目視しての艦砲射撃圏に入る≫

「・・・BETAを、海岸線まで誘導しろと?」

≪―――正解だ、周防少佐。 この艦には、少々特殊な主砲を搭載してある。 突撃級の正面装甲殻程度なら、一撃で射貫出来る。
5インチ単装砲だが2基ある、毎分20発でも2基で40発。 5分も貰えれば、150から200程度の突撃級は始末できるのだがな・・・≫

5分で、150体から200体の突撃級BETAを!? 馬鹿な、陸軍がそれだけの突撃級BETAを始末するのに、一体どれだけの労力と犠牲を払っているか・・・!

≪―――技術革新と言うヤツだよ、どうするのかね? 乗るのか? 乗らんのか? こちらも、本来は南遣兵団司令部を通さねばならん所だがな。
そうも言ってられん様なので、陸海軍統合指揮協定を無視してこうして、直接渡りをつけているのだ。 因みに本艦を単艦で急派させたのは、5戦隊司令官だ、周防少佐≫

そのセリフを聞いた瞬間、周防少佐は腹の底から怒りと、情けなさと、悔しさと、そして認めたくないが嬉しさの混じった感情が沸き起こるのを自覚した。
5戦隊司令官、5戦隊司令官! 戦艦部隊の司令官! 『伊吹』を臨時に指揮下に置いていたのか! そして恐らく、川崎大佐も知っているのだろう―――くそっ!

周防少佐が通信システムを弄りながら―――複数の通信帯を弄りながら、作戦変更を伝えた。

「―――シャムシール中佐! もう一度だ! もう一度、今度はバースト射撃を要請する! 取りこぼした群れと、新たな群れの頭上にだ!
マイトラ大尉! エリアD7Rに移動せよ! バースト射撃終了後、新たな光線属種の群れを潰せ! 光線級吶喊を命ずる! 
バハドゥル大尉はエリアD3Eへ! こっちも光線級吶喊だ! ガルーダスの前に出ようとしている連中を潰せ、こっちはガルーダス正面の2個中隊と協同できる筈だ!」

『―――少佐、ここの維持を指揮小隊のみでは、不可能です!』

『―――私かマイトラ大尉、どちらかの中隊を残すべきでは?』

「―――構わない。 5分間、保たせればいい。 早く行け!」

『・・・了解!』

『―――はっ!』

要撃級の群れから距離を取って、次々に噴射跳躍をかける92式『疾風』弐型の群れ。 飛び去った後には、視界を覆い尽す要撃級の群れだけが残る。

「CP、長瀬! 第2部隊を呼び出せ!」

≪―――CP、了解。 ・・・第2部隊、ヴァン大尉、出ます!≫

入れ替わりに第2部隊指揮官、ヴァン・ミン・メイ大尉の姿が網膜スクリーン上に現れた。 こちらもかなり疲労の色が濃い様だが、まだいける―――そう判った。

「ヴァン大尉、第2部隊を一時解隊する。 1個中隊を戦闘団前面に戻してくれ、ガラ空きだ!」

『―――了解、ディン(ディン・モウ・ハン南ベトナム軍大尉)の隊を行かせるね。 で、私は?』

「―――5分以内に、ここへ。 俺と一緒に、要撃級800ほどを相手に、時間稼ぎだ」

『―――相変わらず、楽しいなぁ、直衛は・・・了解だよっ! ディン! 海岸線! 戦闘団正面で防御戦闘! “アオヤイ”全機、私に続け!』

地響きを立てて向かってくる、数百体の要撃級BETAの群れ。 向かうのはたった4機の94式『不知火』のみ。

「遠野! 北里! 萱場! エレメントを崩すな! 近接戦は絶対にするな、時間を稼げばいい!」

『―――はいっ!』

『『―――了解!』』

兎に角、時間を稼ぐ。 いくらなんでも、たったの4機では効果的な攻撃など望むべくも無い。 だったら、増援の12機が来るまで連中の脚をここに留める。
そう言うと、周防少佐機を先頭にして4機の戦術機は、要撃級BETAの群れの外縁ギリギリを地表面噴射滑走で高速移動し始める。 時折、突撃砲を放ってBETAの注意を引く。

「―――“ドラゴン”、“ハリーホーク”! もう一仕事だ! 海岸線まで連中を引っ張り出せ! 削らなくていい、兎に角、連中の向きを変えろ!」

『―――無茶、言ってくれますね、大隊長! もう弾薬は底を尽きかけです! “ドラゴン”! 突っかかるだけでいい! 連中の頭を東に向けるぞ!』

『―――推進剤も心配なんすけどね・・・畜生! “ハリーホーク”! 距離50以内に近寄るなよ!? 突っかかって、誘導する! 攻撃は嫌がらせ程度だ、いいな!?』

大体通信系はオープンに変更してあった。 だから当然、“ドラゴン”の最上大尉も“ハリーホーク”八神大尉も、全体の状況を把握できた筈だ。
要撃級の群れの圧力が凄まじい、瞬く間に北側の小高い岩山との間に押し込まれる。 ギリギリのタイミングを計って、絶妙のタイミングで部下に回避を命じる。
機体を捻りながらの噴射跳躍―――垂直軸反転―――噴射パドルを全閉塞しての失速域制御機動―――岩壁を蹴っての短距離噴射跳躍―――機体を半回転させて逆噴射降下。

「―――撃てっ!」

部下達も周防少佐程とは言えないまでも、何とか一連の機動をこなして要撃級の圧迫から脱出して背後を取る。 同時に120mm、36mm砲弾を一連射叩き込んで、また移動する。

「・・・残り、2分か・・・」

自分は良い、まだ推進剤に余裕はある。 その程度の燃費を考慮しての戦闘など、今まで嫌という程こなしてきた。 せざるを得なかった。
機体を操りながら、部下の機体のステータスを見る。 遠野中尉機はまだいい、平均以上の燃費効率を上げている。 北里中尉機も大丈夫だ、しかし・・・

「―――萱場! 貴様は一端、離脱しろ! 推進剤を補充後は、“ドラゴン”の指揮下に入れ!」

『だっ、大隊長!?』

やはり、一番経験の浅い萱場少尉(萱場爽子少尉)の機体の推進剤消費量が大きい。 恐らくこのままだと、あと10分程度の戦闘で立ち往生してしまうだろう。

『―――小隊長命令! 萱場少尉は一端後方へ離脱! 補給後に第2中隊の指揮下に入れ! 復唱!』

上官の意図を組んだ直属上官の遠野中尉が、驚く萱場少尉に隊長命令を発した。 大隊長と直属上官の小隊長、2人の上官から同時に命じられた萱場少尉が、悔しそうに顔を顰める。

『―――わっ、判りましたっ! 萱場少尉、一時離脱します! 補給後、第2中隊の指揮下に入ります!』

跳躍ユニットを吹かして離脱する萱場少尉機を見ながら、遠野中尉が周防少佐に話しかけた。

『―――少佐、有難うございます・・・』

遠野中尉も、萱場少尉機の燃費状態は把握していた。 そしてこのままでは遠からず、死ぬしかないと言う事も。

「―――どうせ戻っても、推進剤は殆ど残っていない。 整備中隊長には、俺が指定した機体以外への補給を禁じてある」

『・・・え? で、では・・・』

「―――萱場は、これで一時退場だ。 甘いと思うか?」

『・・・』

「―――残念だが、甘い夢を見させるのは、もう暫く先だ。 今は1機でも、1人でも多くの機体と衛士を確保しておきたい。
海軍から補給の融通を付けさせて貰えるようになれば・・・俺はまた、遠慮なく貴様達のケツを蹴り上げて、戦場に送り込む」

―――もう6機、喪ったからな。

それだけ呟いて、周防少佐は再び要撃級BETA群の外縁に突進していった。 遠野中尉と北里中尉もそれに続く。
確かに周防少佐が指揮を執って以来、大隊がこれだけの短期間に被った損害としては最大の損害だった。






「・・・あの馬鹿野郎、無理し過ぎだぜ・・・」

戦術機の管制ユニットの中で、第15旅団第2戦術機甲大隊長の長門少佐が顔を顰めた。 通信回線に飛び込んできた親友の声、そしてリアルタイムでの戦況も判った。
さて、どうする? このままでは多分、アイツの部隊は酷い有様になるだろう。 素直にくたばるとは思えないが、第1大隊は再建に困難を覚える損害を受ける危険性が高い。

「・・・始末書は、ひとりで書けってんだ。 同期を巻き込むなよな・・・」

そう愚痴りつつも、通信システムをあれこれと弄り始める。 やがて目指す相手に繋がった、本来なら上級司令部を通して離すべき相手。

「―――おい、棚倉、伊庭。 あの馬鹿野郎が泣きを入れて来た、どうする?」

『―――長門、貴様が握っている、兵団予備の2個中隊を寄こせ。 そうしたら15旅団前面は、俺が請け負ってやる』

同期生で僚友の、第10旅団の棚倉少佐が、事もなげに言う。 いくら防衛戦闘の盟主と呼ばれる彼でも、荷が重いだろうに。

『―――さっき、兵団が握っていた最後の2個中隊を、ウチの副旅団長が分捕った。 但しウチの10旅団前面にくる連中、全部を引き受ける事は出来ないぜ?』

さらにこれも同期生の伊庭少佐が、本来なら2個大隊で1個旅団の全面を守る筈なのに、あっさりと自分1人で引き受けると言った。

「―――充分だ、3割位はこっちに流せよ、伊庭。 同期生4人、仲良く始末書の山に埋もれようぜ」

『―――ったく。 周防と言い、長門、貴様と言い・・・俺の査定評価まで、下げてくれるなよ・・・』

『―――俺は気にしないがね! 周防に恩を売っとくのも、良い手だしな!』

『―――奴の従姉殿か?』

「―――ああ、あの・・・ふん、伊庭。 貴様、このドンパチが終われば精々、盛大に恩を嵩に来て紹介して貰え。 やるぞ、軍法会議覚悟の独断専行だ!」

『―――了解!』

『―――ワクワクするぜ!』









2001年5月11日 0320 マレー半島 マレー半島東岸 タイ王国・バーンサパーン・ノーイ県南部、チャンレク東方海上10海里 日本帝国海軍イージス巡洋艦『伊吹』


『―――ML発電機関、安定運転中』

『―――速力、第1戦速(18ノット) AIM(先進誘導電動機:Advanced induction motor)、安定しました。 供給電力45MW』

『―――IPS(統合電力システム)からの供給電力、45MW。 FERS(フライホイール・バッテリーエネルギー回生システム:Flywheel-battery-Energy-Recovery System)、蓄電量97%』

『―――冷却部、絶縁性冷却ガス注入を完了』

『―――統合管制システム、オールグリーン』

海原を切り裂き突進し続けていた艦が速力を落とし、同時に艦首と艦尾に1基ずつ搭載した127mm単装速射砲を陸地に向けて回転させる。
艦の奥深くでは静かな、しかし聞き慣れない高周波音が微かに聞こえる。 それは膨大な電力エネルギーを生み出しつつ、陸地に向けて神代の雷光を再現しようとしていた。

『―――CICより各部、BETA群は海岸線内陸10km地点、東に向かって侵攻中。 速度約40ノット(約74km/h)、突撃級BETA300体を含む』

『―――陸軍部隊、第15旅団先遣隊より入電。 光線属種、内陸32km地点に2群有り。 これより第2次光線属種吶喊を敢行す―――以上』

『―――砲術長より艦長。 FCS-4、弾道計算、演算完了。 ターゲット、ロックオン。 何時でもどうぞ』

真っ暗闇の大海原の中、微かに陸地が黒い染みとして認識出来るか出来ないか、そんな状況下で既に目標を補足・照準を終えていた。
JTIDS(統合戦術情報伝達システム)戦術データ・リンクであるリンク16からの衛星中継通信を受けた、MOFS(海上作戦部隊指揮管制支援システム)からの情報入力。
この後に、FCS-4(01式射撃指揮装置)が水平線越しに砲の照準を合わせ、自動追尾モードに入ったのだ。 気象データも計算要素に入れた、数兆回に及ぶパターン演算の結果だ。

『―――陸軍部隊より入電! 第2次光線属種吶喊、開始した!』

『―――BETA群先頭集団、海岸線より25kmに接近!』

それまで黙って報告を聞きながら、艦橋の向こうに広がる漆黒の海原を、そして更に深い闇に包まれたぼんやりと朧気に霞む陸地をじっと見ていた艦長―――川崎大佐が命令を発した。

「―――01式電磁投射艦砲、撃ち方、始めっ!」

次の瞬間、艦の前方と後方で異様な高周波音が発生した。 同時にまばゆいプラズマ光が闇夜の漆黒の海原を照らし出す。
瞬きする間も無く、超高速の光の矢が内陸に吸い込まれた。 日本帝国海軍が生み出した神代の電光は、21世紀のレール・ガンとして放たれたのだ。






もう直ぐ海岸線が見える筈だ、そこまで目の前の化け物どもを引っ張って行けば、何とか任務は果たせる―――第2中隊長の最上大尉は、声を枯らして部下を叱咤し続けていた。

「脚を止めるな! 当らなくても良い、牽制でも何でも、とにかく連中の頭を東に吊り上げろ!」

左右の突撃砲を乱射しつつ、第2中隊“ドラゴン”を率いる最上英二大尉は、部下達に大声で指示を出し続けている。 まともにぶつかっては、数分で全滅させられそうな相手だ。
デジタル戦術情報通信システムを使用する現在では、『聞き取りにくい』などと言う事は無いのだが、そこはやはり人間だ。 アドレナリンが上がると歴戦でも知らず声量が増す。

「B小隊、上苗(上苗聡史中尉)! 2時方向の個体を潰せ! あそこに間隙を作る!」

『―――ドラゴン02、了解! 武藤、遠藤、美浪、付いて来い!』

『『『―――了解!』』』

突撃前衛小隊の4機がダブルのトップ・アンド・バックで突撃級の群れ、その外縁部近くに突撃する。 そこに穴を開ければ、群れの正面に出る事が出来る筈だった。
突撃前衛小隊長の上苗中尉機が、正面に迫った突撃級BETAの直前で、地表面噴射でスライド、側面から120mm砲弾を叩き込む。 
同時に僚機の遠藤少尉機が前方の個体の節足部に、36mm砲弾を纏めて叩き込んだ。 2機はそのままスケーティングの様な機動で突撃級BETAの間隙を縫ってゆく。
その直後にBエレメントの2機―――武藤少尉機と美浪少尉機が、空いた隙間に飛び込んで左右に砲弾を浴びせる。 突破と拡張、突撃前衛の仕事だ。

「三島! B小隊前方に誘導弾!」

『了解! 12、蘇我! 全弾発射!』

『―――ドラゴン12、フォックス・ワン!』

C小隊の制圧支援機から、10数発のアクティヴレーダーホーミング・ミサイルが発射された。 A小隊の制圧支援機は既に、先程の光線級に頭を押さえられた戦闘で戦死している。
誘導弾はB小隊の前方から、ようやく方向転換を終えて突進して来た数体の突撃級BETA、その節足部に狙い違わず全弾が命中する。 バランスを崩した個体同士が激突し、隙間が出来た。

「よし! そのまま突破しろ!」

いける―――最上大尉がそう確信したその時、先頭を突進していたB小隊Aエレメント2番機、遠藤貴久少尉機が突然バランスを崩して倒れ込んだ。

『ッ! 遠藤!』

小隊長の上苗中尉の叫び声。 しかし上苗中尉は僚機の危機を考慮せずに、そのまま突進を続ける。 B小隊の他に2基も同様だ。 彼等の役目は突破だ、例え僚機が倒れても。
直後にA小隊とC小隊が、猛速で通過する。 最上大尉がすれ違いざまに、遠藤少尉機の方向へ120mm砲弾を叩き込んだ。 倒れた突撃級の影から突進して来たもう一体の個体。
それが遠藤少尉機の側面に、至近距離で接触したのだ。 120mm砲弾は突撃級の胴体側面を貫いたが、遠藤少尉機もまた、踏み潰され圧壊していた―――損失、3機目。

『―――最上さん、こっちはなんとか吊り上げた!』

年少の僚友で、第3中隊“ハリーホーク”を率いる八神涼平大尉の声が聞こえた。 見ると北西方面から突撃級BETAの壁を割って、次々に『不知火』が姿を現した。
1機・・・3機・・・5機・・・8機、9機。 9機だ、さっきから1機足りない。 第3中隊も第2中隊同様、光線級の罠から脱する時に2機を喪っている、こちらも3機損失だ。

「―――誰だ?」

『―――今江(今江美恵少尉)。 片脚が突然ロックした』

脚部作動機構の破損か。 電磁伸縮炭素帯の疲労値が、許容限界を越えたか。 いずれにせよ、戦場で生じれば即、死に直結する。

『整備もままならない! 補給に至っては、コンテナを探す為に推進剤を無駄遣いする有様だぜ! ったくよ!』

「それでもまだ、補給コンテナの射出の手配をしてくれているだけでも、マシだぜ? お前さんは知らんだろうが、北満州撤退の時はもっと酷かった」

『俺、若人だし。 そんな前時代の出来事なんか、実体験していないし―――C小隊、8時方向だ!』

「B小隊、迂回してC小隊の左側面をカバーしろ!―――そうかい、そうかい。 後で、少佐に伝言しておいてやるよ」

『げっ! 根性悪い・・・少佐は丸9年以上・・・もう10年目だろ? 古代人だよ、衛士の寿命からしてみれば!』

「・・・俺も、今年の10月で目出度く丸8年になる。 9年目に突入なんだけどな?―――正面、3連射、撃てっ!」

『いよっ! 敬老会!―――C小隊、弾幕、薄いぞ!』

衛士の平均寿命は、他の兵科と比較しても若干短い。 特に最前線国家の衛士の寿命は、後方国家の一般市民の平均寿命に比べれば、驚くほど短い。
衛士平均寿命、19.83歳―――『人生25年、2割引き』 日本帝国陸海軍衛士が、自嘲気味に口にするネタは、決して誇張でも何でもなかった。
つまり、大半の衛士達は戦場に出て2年以上、生き長らえる事が出来ない。 そんな中で9年以上に渡って、現役で衛士を続けている事自体が、既に驚異的なのだ。

「けっ、言いやがれ―――帰還したら八神、お前さん、真咲さんにもシメられるぜ? あの人は俺の半期上だからな。 お前さんの言で言えば、立派に婆さん衛士だ」

『俺が言ったんじゃねぇぞ? 最上さん、アンタが言ったんだぞ? 真咲さんにはその辺、ちゃんと言っておくから!―――よし、あと3kmだ! このまま引き釣り出せ!』

馬鹿な事を言い合おうが、与太を飛ばそうが、少なくとも2人の中隊長は死に物狂いで部隊を掌握して指揮を執っている。
そして命令通りにBETA群を海岸線まで転じさせる、という困難な任務を達成したのだ。 その苦労も後、僅か数分で報われる筈だ。

『・・・真咲さんトコ、一気に4機、喰われていたな・・・』

「ああ・・・はぐれの光線級の群れが、居た様だったな。 大隊長も、どこに怒りをぶつければ、って感じだったな」

ようやく、光度を調整した網膜スクリーンの視界に海岸線が目視出来た。 リンク16からの情報では、この向うの水平線あたりに海軍の巡洋艦が居る筈だ―――見えはしないが。

「―――“ドラゴン”リーダーだ! CP、長瀬大尉! BETA群を海岸線に引っ張り出したぞ!」

『CP、ゲイヴォルグ・マムよりドラゴン・リーダー! 直ちに5km南へ後退せよ! 繰り返す、直ちに5km南へ後退せよ!―――砲撃に巻き込まれるわ!』

「ッ!? 了解した! 八神!」

『―――おう!』

2個中隊、18機の戦術機が砂塵を捲き上げながら、海岸線を南へと急速退避する。 それを合図にしたかのように、彼方の海岸線が急に明るく輝いた―――衝撃が来た。

『なっ!? なんだ? ありゃあ!?』

「本当かよ・・・突撃級の装甲殻が、ボール紙みたいに撃ち抜かれていやがる・・・」

水平線上から信じられない超高速で、次々と撃ち込まれる艦砲射撃(だと思われる) それが海岸線に姿を現した突撃級BETAの悉くに、信じられない命中精度で命中する。
冗談かと思えるのは、命中精度だけで無かった。 陸軍では常識の『突撃級の正面装甲殻は、同一箇所に複数発命中させて、初めて射貫できる』、これをあざ笑うかの様な事態。
1発命中すれば、正面装甲殻に大穴が空く。 次の瞬間に命中の衝撃で(砲弾自体の運動エネルギーで)、突撃級BETAの巨体が10数mも、宙に跳ね上がっているのだ!

『なんだよ、あれって・・・!』

『し、信じられない・・・突撃級が・・・突撃級BETAが、1撃で・・・!』

『み、見ろよ・・・も、もう50体以上が・・・いや、60・・・70・・・ウソだろっ!?』

『ちっくしょう・・・! やれ! やっちまえっ!』

興奮して目前の情景を、中には涙を流しながら見つめる部下達とは反対に、指揮官の最上大尉と八神大尉の表情に緊張が走った。
2人同時にシステムから、索敵詳細情報を呼び出す、位置、侵入方向、推定数、種別・・・間違いない、でもどうして急に、こんな!?

「―――“ドラゴン”リーダーよりCP! 第2防衛線はどうなった!? 真北にカンボジア第3師団が居た筈だ!」

『CP、ゲイヴォルグ・マムより大隊長命令! 全中隊、至急20km後退せよ! 繰り返す、全中隊、至急20km後退せよ!
急にBETA群が海岸線に集まり始めたわ! 北からも、西からも!―――カンボジア第3師団は『全滅』よ! 生存者なし!』

真北から2万以上のBETA群の大波が押し寄せていた、それだけではない、マレー半島の西側を侵攻していたBETA群の約2万4000もまた、進路を東に変じた。
今まさに海岸線に向かって突進しているBETA群、約5600(戦闘団との交戦で400体が倒れた)、真北からの2万、北西からの2万4000―――合計で4万9600体。

『南遣兵団司令部は、後方30km地点まで後退を決定したわ! 海軍聯合陸戦隊の上陸作戦は、一時中断! 上陸地点がBETA群に飲まれそうなのよ!』

『どうしろってんだ! 大隊長は!?』

『ちょっとまちなさいよ、八神大尉! 大隊長からは・・・!』

『―――最上、八神、聞こえるか?』

混乱の中、大隊長―――戦闘団長の周防少佐の声が聞こえた。 少し疲労の色が感じられるが、言葉は明瞭だった。

『―――聞いた通りだ、いつもの通り、連中の気まぐれが生じた。 兵団は南ベトナム第12師団、チベット・ブータン両旅団と共に、一端後退する』

そこで周防少佐は1度言葉を切った、部下の衝撃が少しでも収まるのを待って。

『―――戦闘団はこれをもって、グルカ・ネパール両旅団と連携して後方25kmまで下がる。 そこで国連軍第12軍(第37、第38軍団)、ガルーダス第3軍予備と合流を果たす』

国連軍第12軍は、5個師団を基幹とするこの地域で最大の国連軍兵力集団だ。 ガルーダス第3軍予備は全てムスリム系部隊だが、1個師団と3個旅団の戦力は得難い。
まだ南部は道路網の寸断は、比較的損害が少ない。 戦力を東海岸線に集中させれば、8個師団に7個旅団(兵団は師団規模以上の戦力)の戦力で迎撃できる。

『―――艦隊も、半島最狭部北方まで全速で移動中だ。 タイランド湾の3個艦隊も、アンダマン海の2個艦隊も』

マレー半島最狭部は、40km少ししかない狭い地形だ。 射程を伸ばした現代の戦艦主砲ならば、タイランド湾・アンダマン海、双方から半島を越して反対側に撃ち込める。
戦艦10隻の艦砲射撃付き、それに日本とガルーダス海軍は、搭載機数は少なめながら、母艦戦術機戦力もある。 
今まで手控えていたのは、余りに広範囲に浸透されてしまって、効果的な支援が出来ないと判断されたからだ。

『―――場所は、クラ海峡北方45km地点。 タイ王国バーンサパーン・ノーイ県とチュムポーン県の県境の5km南方、ドンヤン付近の狭隘部だ。
国連軍5個師団が南方から押し上げる、兵団は西側面のタイ・ミャンマー国境線付近の山間部に陣取る、戦闘団も兵団本隊に合流する』

「―――ガルーダスの連中は、どうなるんですか?」

周防少佐の説明に、落ち着きを取り戻したらしい最上大尉が、今まで共に戦ってきたガルーダス軍からの派遣部隊の事を口にした。
彼等にしても、中には親部隊がどこで立ち往生しているのか、或いは壊滅したのか、さっぱり判らないと言う連中もいる筈だ。

『―――この戦闘が終結するまで、戦闘団は維持される。 但し、グルカと南ベトナムから追加配備された2個戦術機中隊は、原隊に戻す』

と言う事は、元通りに戦術機5個中隊主力の―――定数割れの5個中隊が頼りの、恐らく側面支援が主体の戦闘団、と言う事か。

『―――万全とは言い難いが、グルカ、ネパールの戦闘工兵も協力して貰って、対BETA地雷原を敷設した。 海岸線に溜まったBETAの相手は、暫く海軍に代わって貰う。
最上、八神、大至急で部隊を下げろ。 聯合陸戦隊は上陸作戦の一時中断の代わりに、大量の補給コンテナを射出してくれた。 戦術機部隊の発進も始まった』

どうやら海軍は、陸戦隊本隊の上陸作戦が困難になった代わりに、補給物資をコンテナに載せての射出と、機動力は問題無い戦術機甲部隊の発進は行った様だ。

「そりゃ、助かります。 補給もそうだが、新手の戦術機1個連隊―――海軍では、戦隊でしたっけ? とにかく、新手の120機、それも96式ってのは・・・」

『美味しい所を掻っ攫われるのは、ちょっと癪に障りますけどね・・・ま、連中にも俸給分の仕事はして貰わんと・・・』

『―――CPより“ドラゴン”、“ハリーホーク”、移動地点を転送しました。 タイ・ミャンマー国境線付近、エリアB7R ドンヤン西方20km、バンラン・タッポーン!』

兵団の支援部隊―――兵站部隊、整備部隊、衛生部隊が先廻りでそちらに急行している。 戦闘団支援部隊もまた、陣取っていた後方陣地から15km程の距離を飛ばしていた。

『―――補給だ、それと簡易整備。 それが無ければ、戦えん。 真咲の中隊を先に向かわせた、貴様達は続け。 俺は第2部隊を率いて、遅滞後衛戦闘をしてから行く』

―――相変わらず、無理が好きな人だな。 よりによって、夜間の遅滞後衛戦闘とは。

『旅団の前面は、どうしたんですか?』

当然の疑問を、八神大尉が口にする。 周防少佐が分遣隊指揮官として不在、第2大隊長の長門少佐もまた、遅滞後衛戦闘となれば、旅団本隊を守る戦術機部隊が居なくなる。

『―――10旅団の棚倉少佐が引き受けてくれた、10旅団前面は伊庭少佐が張っている。 もうじき長門少佐が、第2大隊を連れてやって来る』

―――そしてどうやら、第2大隊を率いる長門少佐も、お出ましらしい。 ああ、この4人、同期生同士だったな・・・

「・・・始末書、ご苦労様です。 “ドラゴン”、全機、エリアB7Rまで後退する! 続け!」

『俺の同期に、こんな物好きは、まさか居ないだろうな・・・? “ハリーホーク”、一端下がるぞ、付いて来い!』

後方に再構築される予定の防衛線まで、あと20km。 兎に角、一端後ろに下がって補給と、出来れば簡易整備だけでも行いたい。
戦術機部隊が跳躍ユニットを吹かして飛び去った後、吹き飛ぶBETAは突撃級だけでなく、要撃級や戦車級BETAも混じり始めていた―――大規模な群れが出来始めたのだった。









2001年5月11日 0330 マレー半島 タイ王国南部・ヤラー県ベートン北方15km 日本帝国軍南遣兵団特殊砲兵部隊 第108砲兵旅団


『―――座標2108-1956、標高25、方位角4200。 左右分布8500、縦深6200』

『―――弾種、HE(榴弾)』

『―――仰角20度、右5度・・・回頭、完了』

『―――射撃諸元、入力よし』

『―――第25斉射、撃てッ!』

轟音―――同時に周囲の土砂が衝撃波で跳ね上げられる。 超々長砲身の508mm砲が、再び猛火を吐き出し始めた。









2001年5月11日 0335 マレー半島 タイ王国南部・チュムポーン県北方海上10km 日本帝国海軍南遣艦隊 第22聯合陸戦団 戦術機母艦『千歳』


「―――“ウンディーネ”リーダーより全機! 高度30で夜間低空突撃だ! 下手な操縦で海に突っ込むな! そんな馬鹿は、海軍名物『バッター』の嵐を喰らわすわよっ!?」

『『『―――イエス、マーム!』』』

部下の行き足の有る(元気の良い)声に破顔した鴛淵貴那海軍少佐は、光度調整をしてさえ、なお瞑い闇夜の洋上を睨んで叫んだ。
『千歳』や他の軽戦術機母艦(いや、戦術機揚陸艦と言った方がいいか?)から、次々と海軍の96式『流星』が飛び立って行く。

「―――“ウンディーネ”の名を継いだからには、下手は打てないと思え! 菅野(菅野直海大尉)! 鹿取(鹿取精一大尉)! 市村(市村吾郎大尉)! 行くぞ!」

“ウンディーネ”―――母艦戦術機隊の“セイレーン”と並び、数々の激戦をくぐり抜けた部隊名称。 参謀に転出した白根斐乃中佐の後を継ぎ、鴛淵少佐がこの名を継承した。
海軍聯合陸戦隊、その戦術機甲部隊の精鋭。 その名を自分の代で汚す訳にはいかない。 知らず知らず、鴛淵少佐も肩に力が入ってしまっていた。

『―――おい、鴛淵。 そんなに肩に力が入っていたら、最初に白根さんの『修正』を貰うのは貴様になるぞ?』

通信回線から、海兵同期生で僚隊指揮官である、大野竹義海軍少佐の笑い声が流れた。 同時に1期上で先任指揮官の笹井醸次海軍少佐の含み笑いの声も。

「大野、貴様に私の気苦労が解って堪るか! 笹井さん、なんですか、その笑いは!? 笹井さん!?」

3人の指揮官の遣り取りを余所に、120機もの『流星』が一斉に噴射炎を漆黒の夜空に輝かせ、地上へ向けて突進を開始した。






[20952] 伏流 帝国編 最終話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2012/06/19 23:03
2001年5月11日 0415 マレー半島東岸 タイ王国・チュムポーン県中部 ガルーダス北部第2軍司令部


轟音と共に、無数のヘリが飛び去っては飛来し、また飛び去ってゆく。 世界最大の大型軍用ヘリ・Mi-26が機外ハードポイントに4個の補給コンテナを吊り下げ、着陸する。
飛来したMi-6ヘリは機外に2個の補給コンテナを吊り下げると同時に、機内に整備要員2個小隊・60名を収容していた、ゆっくり、ゆっくりと高度を下げて来る。

「―――移送完了予定は?」

「―――3時間20分後になります」

大東亜連合軍・北部第2軍司令部で、軍司令官のタイ陸軍大将が、参謀長の南ベトナム軍中将の応答に無言で頷いていた。
3時間20分後―――良い数字だ、夜間、それも緊急のやっつけ輸送作戦、それでその時間ならば。 問題はそれまでの間、最終防衛線前に屯しているBETA群が動かなければ・・・

「―――現在、西海岸からの個体群も、続々と東海岸に集まりつつあります。 しかしBETAの進撃速度、及び第2防衛線と最終防衛線前の日本軍よりの報告では・・・」

「―――うん。 『BETA群、集結は4時間後の見込み』か・・・ 時間を稼げるのは有り難いが、その代わりに5万近い大群を一手に引き受ける事になるな、連中は」

「―――国連軍の苦戦を座して見ているよりも、展開できる戦力は展開させる事に吝かでは無い・・・クラ海峡防衛軍集団司令部の回答は、見物でしたな」

「―――普段の確執、今回も最後尾に籠った事への当て付け・・・まあ、実際に出来る事は、こんな事しかないのだがな」

ここ、北部第2軍だけでなく、北部第3軍でも、稼働戦術機戦力の後方移送が急ピッチで行われていた。
今やBETA群は第1防衛線の前後に姿は無く、既に第2防衛線を破って最終防衛線前に集まり始めていた。 
この状況で使える戦力―――戦術機戦力を、交通網分断を理由に遊ばせては、後々の国連軍からの難癖を回避できない。
第2防衛線後方に退避した北部第2軍・北部第3軍司令部は、上級司令部であるクラ海峡防衛軍集団司令部からの緊急命令により、第1防衛線で生き残った戦術機戦力を後送する。
それは戦術機単体だけでなく、支援部隊―――整備・補給・通信・衛生―――そう言った部隊をも、一気に後方へ空輸移送しようと言うのだ。

現在、BETA群が集まっている、或いは集まろうとしているマレー半島中東部沿岸付近は、平坦な地形が多く、その周囲も精々が標高200m程の低山地帯が続く。
例え重光線級に頂きに陣取られても、その地平線見越し距離は精々60km前後。 第2防衛線から南のBETA群集結地までは30km程の距離がある。
だから高度100m前後の低空飛行ならば、例え航空機やヘリでの飛行であっても、レーザー照射を受ける可能性は限りなく低い(はぐれの光線属種が居れば危険だが)
上昇危険限界高度は、第2防衛線に近づくにつれて下がって行くから、空輸部隊は事前に受けた情報に従い、徐々に高度を下げて第2防衛線まで器材と人員を空輸する事になる。

「―――最低限の警戒部隊を除いて、第1、第2軍団からは戦術機24個中隊。 無論、定数割れですが194機を。 第5軍団(北部第3軍)からは10個中隊・84機を。
併せて278機を後ろへ移送させます、これに第2防衛線での生き残りが30個中隊に、最終防衛線に合流した日本軍を含む従来の第2防衛線戦力が48個中隊・・・」

合計112個中隊。 定数割れを考慮しても、930機近い戦術機が南北に再集結する事になる。 第2防衛線に残された戦術機戦力は18個中隊のみ、完全に警戒部隊だ。
大戦力だが、戦闘開始前―――あの地震の前には216個中隊があった事実を考えれば、約半数近い数の戦術機甲中隊が消滅した事になるのだ。

他に最終防衛線まで押し上げて来た(ようやくの事で!)国連軍は、東南アジア少数民族出身者で固められたUN第121、第122、第123の3個師団。
他にフィリピンがマレー半島に唯一派遣している大規模戦力である、フィリピン軍第7師団。 生き残りが日本・ハワイ・オセアニアに分散している韓国軍からは、第25師団。
合計5個師団の戦術機甲戦力が、45個中隊(各師団は1個戦術機甲連隊を編成に含む)。 他に先行上陸を果たした、日本帝国海軍第22聯合陸戦団の3個戦隊(大隊)の9個中隊。

現在はBETA群の北に64個中隊・548機と、南に102個中隊・1194機の、総数で166個中隊・1742機。 これに半島の東西洋上に集結しつつある、戦艦を含む各国艦隊。
北側は統制のとれた支援砲撃は望めないが、南側からはかなり濃密な支援砲撃を行える体制が、着々と整いつつある―――もう少しの時間を与えられれば、ようやく反撃が可能だ。

「―――大地震に、交通網の分断、相互支援の断絶。 そのタイミングでのBETAの襲撃。 悪い事が悪いタイミングで、次々と発生したが・・・どうやら悪い厄は全て落とせたかね?」

「―――そう、信じたいですな。 前半戦は、連中の完勝でした。 しかし、後半戦は我々の番です。 
それよりも、シンガポール(大東亜連合理事会所在地)は米国の圧力を跳ね返した、そう言う事ですかな?」

米国が極秘の外交ルートで、クラ海峡の一時放棄と、その再奪回計画を大東亜連合へ打診していた事は、軍の高官の間では公然の秘密だった。
確かに米軍の全面支援を受けられれば、その案もまた可であっただろう。 純粋に軍事の面で考えれば。

「―――アメリカの紐付きになる事は、それだけは、ガルーダス各国、全国民が承服せんだろうね。 それと、日本との付き合いもある」

「シンガポールの日本帝国大使は、連合理事達へ連日連夜の折衝で飛び回っていたらしいですな」

「ここで、我々がアメリカの紐付きになってしまえば、日本は南からの脅威―――BETAよりも、国際政治の―――に、対抗し切れない、それは確実だからね。
日本企業の更なる工場移転、或いは新設稼働と、それに伴う現地大量雇用。 勿論、雇用条件の大幅な日本側の譲歩・・・我々もまた、食っていかねばならない」

ガルーダスは何も、全くの善意で日本と付き合っている訳ではない。 そして日本もまた同様。 様は生き残る為には、どこと、どの様な利害関係を結ぶかだ。
その結果が、ガルーダスが米国の提示案を撥ね付けた事と、今やBETA群の最前線に立った最終防衛線に日本軍が含まれる事への、緊急の戦術機戦力大移動支援に繋がる。

「スポンサーのご機嫌は、誰しも取っておかねばなりません」

「スポンサーもまたしかり、だよ。 最新鋭機はなるだけ、後ろに回してくれ。 警戒部隊はF-5Eでも十分務まる」

「承知しております。 F-18、F/A-92、生き残りは根こそぎ、後方へ移します」

また1機、ツインローターの轟音を立てながらMi-26が、整備装備が満載されたコンテナを吊り下げ、機内に整備要員を満載して飛び立っていった。
中には補給コンテナを背中に背負った、戦術機回収機(老朽化した第2線級機体を改装した、工兵隊使用の元戦術機)が1個中隊、運搬役宜しく飛び立って行くのも見える。
使える手段は何でも使ってでも、この交通網が分断された状態で唯一、有効な機動打撃戦力たり得る戦術機戦力を、1機でも多く後方へ―――これもまた、戦争だった。









2001年5月11日 0430 マレー半島 タイ王国・チュムポーン県北部・ドンヤン西方20km バンラン・タッポーン 日本軍南遣兵団仮設基地


「―――第1中隊、完全損失4機。 小破修理中が1機。 第2中隊の完全損失3機、小破修理中1機。 第3中隊、完全損失3機、中破戦闘不能1機・・・」

副官の来生中尉が、まとめた大隊の損害状況を説明している。 声が乾いている、大隊戦力の25%が完全に失われたのだ。 隣の情報幕僚の向井中尉が、新たなペーパーを手渡す。

「小破機の2機は、あと1時間で戦列復帰が可能です。 大隊稼働戦力、第1中隊8機、第2中隊9機、第3中隊8機、指揮小隊4機・・・合計29機です。
この他、兵団予備から戦闘序列に含まれた第4中隊は、完全撃破2機、要修理1機。 この1機は、戦列復帰は不可能です、稼働9機。
ヴァン大尉の南ベトナム軍中隊は、完全撃破2機に大破1機の稼働9機。 合計で47機が戦闘団の全稼働戦術機数となります」

作戦開始前、5個中隊と1個指揮小隊とで、64機を数えた戦闘団戦術機戦力。 その内の17機が完全撃破されるか、中大破で戦闘参加が不可能となった。
衛士の戦死14名、重傷者3名。 損耗率25.56%・・・臨時の仮設基地に移動して、ようやくの事で強化装備を脱いだ周防少佐は、報告書に並ぶ数字を無感情に読んでいた。

5月11日の0430時、戦闘開始から8時間が経過していた。 遅滞防御戦闘を繰り返しながら、何とか後方の友軍に合流して収容された。
その後すぐに、機体の消耗状況を整備隊に確認させるとともに、他の指揮下部隊の状況確認に飛び回り、上級司令部への報告を纏め、部下へ休息を取るように命じ・・・

「・・・8時間の積極的防衛戦闘で戦術機は25%、機装兵は18.2%の損失。 戦闘車両・自走砲やロケット砲は、各1輌の損失。 悪くない数字だ」

周防少佐のその言葉に、脇で控える来生中尉の肩がピクリと震えた。 悪くない数字、そう言った。 25%の戦術機、18%の機装兵の損失を、大隊長は『悪くない数字』だと。
戦死した14名の衛士、その中には10名の大隊所属の衛士達も含まれる。 機装兵は2個中隊・560名の定数の内で、102名がBETAに喰い殺された―――『悪くない数字』だと。

「・・・116名の命は、失うに値する数字と言う事でしょうか?」

情報幕僚の向井奈緒子中尉が、乾いた声で聞いてきた。 普段はその様な事は言わない向井中尉だったが、今回は僅か半日の戦闘で、戦闘団で20%もの損失を出した。 
その事への上官の反応が冷淡過ぎるのではないか、一瞬、そんな感情が生じた。 向井中尉自身は、小隊長の経験も無かった。 傍らで副官の来生中尉が無言で見つめていた。

無味な数字―――人間の人生が終わった数―――が書き込まれた書類から顔を上げた周防少佐が、チラッと部下の顔を見た後で、また無感情に言った。

「―――失うに値する。 彼等はその失った命で、防衛線を守った。 そしてこれからもまた、命は失われる」

―――戦争とは、膨大な資源の浪費の場であり、その中には膨大な数の人命もまた、同様に浪費される。

軍隊と言う国家の暴力装置の中で、特に実戦を経て人がましい、それなりの地位まで上がって来た者にとっては、それは必然だった。
将官達はそれを常識以前の必然と捉え、佐官達は受け入れるべき必然と捉える。 それは彼等の経験であり、付きつけられる現実であり―――詰まる所、それ故に生き残って来た。
同僚や部下の死に直面し、苦悩して自己の中で納得の(いや、自分を信じ込ませる為の)何かを見出そうとするのが、尉官や中堅・新米の兵達だ。
古参兵は―――特に甲羅に苔むすほどのベテラン下士官たちは、およそ将官達に似た、醒めた現実感を持っている。

「支援部隊以外の各隊に通達。 1時間交替で半数ずつの大休止・・・仮眠を取らせろ。 2時間後に各中隊長と小隊長は、ブリーフィングに集合。
整備隊には2時間半で整備を完了させろ、と伝えておけ。 状況から見て、3時間後には戦闘が再開される公算大だ。 旅団本部に行く、来生、来い。 向井、何かあれば知らせろ」

素っ気なく臨時の戦闘団本部―――野外テントを出てゆく周防少佐。 それに付き従いながら、副官の来生中尉が目線で、向井中尉に何かを合図していた。
2人が出て行った後、向井中尉は先程、来生中尉が視線で示した場所を振り返った。 そこにあるモノを見た、大隊長の仮設の執務机―――山積みの書類の中にあった。

『―――拝啓前略、御免下候。 御令息名誉の戦死を遂げられし事、御承知為れしも、邦家の為とは云へながら、御両親様始め御家内様、何程か悲歎の事と御察し致します・・・』

『―――御愁傷はさる事乍ら、強いて御諦め下されし御令息の御冥福を祈らるる事こそ、御遺志の存する所と・・・』

それは、戦死した部下1人1人の、残された遺族に対して、周防少佐が直筆で書き綴った、お悔やみの手紙だった。
普通ならば、ただ単に『名誉の戦死』の通知が配られるだけ。 残された遺族はそれだけで、息子や娘、兄弟や姉妹、父母の死を認めねばならない。
家族の死の様子を(正確には書けないが)知らせ、同時に丁寧なお悔やみの言葉も添えられた部隊長からの手紙は、遺族にとっては哀しい手紙であると同時に、感謝の言葉も無い。

手紙は全部で14通。 日本語で書かれた物が10通と、英語で書かれた物が4通。 他に似たような文面だが、まだ書きかけの手紙が100通ほど―――散乱していた。

―――向井中尉は、それをそっと、整理した。






「防衛線陣地が、果たして役に立つかな?」

兵団司令部会議の席上、第15旅団長の藤田伊与蔵准将が、呟く様に疑問を呈した。 

「だが、運動機動戦だけでは、BETAを殲滅出来ん。 それは判っておるだろうな、藤田君」

横合いから僚隊である第10旅団の旅団長・能上佐門准将が、藤田准将の言葉にこれまでの戦訓を滲ませた言葉を返す。
その場に居並ぶ高級指揮官・幕僚達―――兵団参謀長の熊谷岳仁准将、第10旅団副旅団長の遠野明彦大佐、第15旅団副旅団長の名倉幸助大佐―――が唸る。
他にも兵団参謀の大佐や中佐達。 第10、第15旅団参謀の中佐達もまた、藤田准将の言葉と能上准将の言葉、双方に理有り・非有り、と悩んでしまう。

マレー半島中部東海岸線に集結しつつある、約5万近いBETA群に対し、南方を主防御線とした10個師団(日本軍陸海軍陸上戦力は、師団相当)を主力とする防衛線を再構築した。
他に側面防御・予備兵力として、ガルーダスの8個旅団。 後退の際や、大混乱の最中での強行前進でのあれや、これやは有ったが、一応の戦力は整った。
それとは別に、北方には生き残った第2防衛線各部隊を核とした、拠点防御(地図上ではある程度の『面防御』に近い)地点を確保した。

確かに急ごしらえの防御線にしては、見事なものだった。 極力相互支援が可能な様に考慮された防衛線は、どこでも2箇所以上の拠点から突入して来るBETA群を叩ける。
しかし、本当に事前の想定通り上手くいくだろうか? 例えば師団と師団の境界線の受け持ちは? 同国軍では無く、他国軍同士が隣り合うこの状況で?
ガルーダス―――大東亜連合と言えど、結局は域内『協同』体だ。 大家と店子、国土を維持している国の軍と、亡命政府の軍の集合体に過ぎない。
恐らく今まで通り、BETA群は幅広い範囲で圧力を同時にかけて来るだろう。 必ず2箇所か3箇所は、そうした『ほつれ』の場所が出て来る。

「―――戦術機戦力で、塞ぐ?」

「おい、馬鹿を言うな。 専門外の俺でも判る、連中は機動打撃力に特化した兵種だ。 粘り強い防衛戦闘には、最も不向きだぞ?」

第10旅団先任参謀の神部章仁中佐の言葉に、第15旅団副旅団長の名倉大佐が呆れたように言う。 名倉大佐は『明星作戦』で、戦術機甲連隊を率いて戦った経験があった。

「・・・仮に師団と師団の間、その後方に旅団や連隊戦闘団で塞いだとしてもだ。 所詮は旅団に連隊だ、師団程の抗甚性は無い。 それにそんな潰れ役、誰が引き受ける?」

第10旅団副旅団長の遠野大佐もまた、防衛線構築には懐疑的だった。 第一、日本帝国軍はBETAの本土侵攻以来の苦闘の中で、一体何度、防衛線を食い破られてきた事か!
高級将校達が皆、一様に呻いたその時、それまで発言を控えていた兵団参謀長の熊谷准将が席から立ち上がり、戦略地図―――マレー半島中部―――を指して説明を始めた。

「―――確かに、防衛線に籠っての防御線は諸君の危惧する通り、困難を伴う。 しかしながら運動戦もまた、それだけに固執する事は愚の骨頂―――動き回るだけではな。
諸君、思い出したまえ、本土防衛戦を。 あの時、本当に何が必要だったのかを―――鉄量だ。 鉄量、これあるのみ。 戦場に必要な物は鉄量、そしてそれを生かす為の状況だ」

そして最後まで無言だった、南遣兵団長・竹原少将が口を開いた。

「諸君―――本職は兵団長として、ガルーダス北部第2軍司令官、プレーム・チナワット大将閣下に意見具申を行った。
チナワット閣下はそれを是とされ、クラ海峡防衛軍集団司令官、ザビド・アフマド・ザイナル大将閣下へ意見具申された」

そこで一度、言葉を切る。 そしてマレー半島中部東海岸を含む一帯を、地図上で指差しながら、居並ぶ部下・幕僚達を見据えて続けた。

「先程、参謀長が言った通りだ。 戦場に必需は鉄量。 いかなる時もこれは変わらん、そしてそれを生かす為の状況を作り上げる事―――ならば、必要な事は何か?」

「―――未だ中部山岳地帯に張り付いている、光線属種の排除」

真っ先に、第15旅団長・藤田准将が口を開く。

「BETA群を必要以上に、南部へ誘引しない―――北部の第2防衛線への援護、及び側面支援」

第10旅団長・能上准将が続けた。

「南遣兵団全体では、タイ=ミャンマー国境地帯の山岳地帯を防衛する事―――山間部からのBETA群の浸透阻止」

第10旅団副旅団長・遠野大佐が地図を見ながら、骨の折れる仕事ですな―――そう苦笑しながら言う。

「BETA群の光線属種が固まっているのは、ここから60km程北方の山岳が平野に落ち込む付近―――ガルーダスの協同部隊は? 4人の戦術機甲大隊長を宥めねばなりませんな」

最後に、第15旅団副旅団長・名倉大佐が肩を竦めながら言う。 第10旅団副旅団長・遠野大佐が同調した。 
光線属種殲滅任務―――戦術機甲大隊長達への宥め役は、副旅団長の役目だ。 あのひと癖も、ふた癖もある若い連中を、さて、どう言って丸め込もうか?

「北部防衛第2軍と第3軍のガルーダス軍からは、30個中隊・266機が参加する。 これは陽動役だ、損害を無視した陽動だ。
南部からは我々南遣兵団の戦術機甲戦力から12個中隊・124機と、海軍聯合陸戦隊から2個戦隊(大隊)・80機を出す。 
他にガルーダスと国連軍から26個中隊・241機が参加する。 そしてこの南部からの445機で、光線属種を叩き潰す」

兵団長・竹原少将の言葉に、各指揮官・高級参謀たちも無言で聞き入っている。 壮大な、そう、壮大な犠牲を前提にした作戦だ。 だがそれ以外で『状況』は作り出せない。
竹原少将の概略説明を受け、再び兵団参謀長の熊谷准将が説明を始める。 自然の脅威、連合内の確執、国際政治故の空白―――BETAの前では、どれ程の犠牲も容認される。

「BETA群の総数、約5万。 光線属種の総数は推定で約1000体。 恐らく北部の陽動部隊は、時を経ずして全滅するだろう。
しかし、最低でも2射は稼ぐ。 彼等はそれまで全滅を許されない。 そしてその損害の引き換えに、我々は光線属種の位置情報を掴み取る」

―――まさに、鉄量を正義とする戦い。 その状況を作り出す為の犠牲は、容認されるのだ。









2001年5月11日 0755 マレー半島 タイ王国・バーンサパーン・ノーイ県南西部山岳地帯


半島山岳部にまで達する、連続して途切れない轟音の大波。 洋上から、南北の彼方の陸上から。 
次々に撃ち込まれる大量の鉄量。 それを迎撃するべく立ち上る、数百本ものレーザー照射。

『―――久しぶりに見ますよ、これだけ派手な面制圧砲撃は』

『―――そうだな、『明星作戦』以来か?』

『―――それよりも、京都防衛戦の前哨戦、大阪湾岸防衛戦の時の方が、近いわね』

部下の3人の中隊長達が、目前に展開される鉄と炎とレーザーとの、重金属雲と死の大パノラマを目に、押し殺した声で話し合うのが聞こえる。
確かに『明星作戦』や『阪神防衛戦(大阪湾岸防衛戦)』以来の、大規模面制圧砲撃だった。 口径はやや小ぶりとは言え、日本とガルーダスの艦隊合計で10隻の戦艦群。
その巨砲から叩き込まれる艦砲射撃は、壮絶の一言だ。 マレー半島の東西両岸の洋上から、ロケットアシスト砲弾が大量に撃ち込まれていた。

≪CP、ゲイヴォルグ・マムよりゲイヴォルグ・ワン。 軍集団一般命令―――『可及的速やかに、脅威を排除せよ』 北部第2軍命令―――『光線属種駆逐戦、開始せよ』≫

いよいよ始まる。 総数で1000体を数える光線属種―――人類が野戦で窮地に立たされている、その現況を排除する為の作戦行動が。

≪CPよりゲイヴォルグ・ワン。 続いて兵団命令―――『各部隊は協同し、目標の殲滅に当れ。 兵団作戦区はエリアF7Rの光線属種』 
最後に旅団本部より―――『勇敢なれ』、以上です! 作戦開始、カウントダウン、始まりました! 20秒・・・10秒・・・5秒・・・3、2、1、行動開始!≫





「―――司令官、陸で光線属種駆逐戦が開始されました」

情報参謀からの報告で、陸上での凄惨な光線属種駆逐戦開始を知った日本海軍南遣艦隊・第5戦隊司令官の周防直邦海軍少将は、無言で頷いた。
そしてまた、朝日に照らされた陸岸を凝視した。 口には出していないが、あのレーザー照射と炎と砲弾の炸裂する地獄の最中で、彼の甥が戦っている事は間違いない。

「―――戦隊、針路、速度、このまま」

私人の情としては、このまま突撃して支援砲撃のひとつもしてやりたい。 しかしここでは彼も甥も公人だった。 帝国軍人だった。 ならば、その義務に殉じようではないか。

「―――海岸線に接近するのは、陸軍から光線属種殲滅の報が入ってからだ」





「―――“セイレーン”全機! 高度30! 海に突っ込むな!?」

洋上突撃、その上に飛行高度制限は30m。 もう曲芸飛行の域さえ飛び越した無茶苦茶な低空突撃を仕掛けながら、日本海軍第6航戦所属の96式『流星』80機が突進する。
後続するタイ海軍、インドネシア海軍の母艦戦術機甲部隊―――各々24機のType-84『ショウカク』はおっかなびっくりで、高度100m付近を飛行中だった。

「―――ちっ! あの高度じゃ、狙い撃ちにされるよ! “セイレーン”よりタイ、インドネシア、両戦隊に告ぐ! 高度を下げろ! 繰り返す、高度を下げろ!」

だが帰って来た返答は、『馬鹿を言うな! そこまで下げたら、攻撃前に海に突撃して全滅する!』と言う、タイ、インドネシア軍両指揮官の悲鳴の様な声だった。
やはり、協同作戦は無理か―――日本帝国海軍の長嶺公子中佐は、内心の舌打ちと同時に次善策を高回転で脳裏から弾きだす。 光線属種は? 明後日の方向へレーザー照射中。
我々の進撃方向は? BETAが固まった海岸線の北方、5km地点を目指して進撃中。 このままではやがて、光線属種の認識圏内。 ならば―――よし、仕方ないか。

「―――“セイレーン”よりタイ、インドネシア、両戦隊! 海岸線南部から進入せよ! BETA群南部を迂回して、山岳地帯へ侵入を開始!」

『―――ラジャー!』

『OK、マム!』

48機のType-84『ショウカク』が機種を転じて南へと向かう。 今頃はアンダマン海からも同様に48機のF-4・ファントムが侵入している筈だった。
ガルーダス軍も日本軍南遣兵団も、信じられないが本当の話で、海軍母艦戦力をすっかり計算に入れ忘れていた。 総数で144機だけの数だが、彼らには長く多数の槍があった。

「―――95式誘導弾は、何も日本だけが配備しているんじゃ、ないってね・・・!」

陸軍同様に、或いはそれ以上に、日本海軍はガルーダス海軍との密接な協力体制を築いている。 その中にはガルーダス軍の中で少数派の、母艦戦術機部隊への武器供与も含まれる。

「―――1機で36発。 144機で5184発。 たっぷりとお見舞いしてやるよ、待ってな、BETA共!」

早朝の洋上を、海軍母艦戦術機部隊が、超低空突撃をかけ続けていた。





「―――旅団長閣下、各砲、射撃準備、完了致しました」

「うん―――後は、竹原閣下の開始命令次第だな」

「他の2個旅団も、準備は万端、整えております。 海軍からの技術提携で新規開発した、いわばクラスター砲弾・・・それも、20インチと15インチです」

15インチ砲は過去に海軍でも有るが、しかし、これ程の超長口径砲は無い。 今回は射程680km、十分有効射程圏内。 
そこへマッハ10に達する超高速で成層圏から降り注ぐ、大口径クラスター砲弾。 1発や2発では無い、3個旅団で36門。 1分毎にこれだけの火力が叩き込まれるのだ。

「重金属雲形成は、艦隊の方で請け負ってくれますので、我々は最初から効力射で始められます」

「そうだな―――そろそろじゃないかね? 戦術機部隊による、光線属種駆逐戦は?」

「はっ―――丁度今、始まりました」






「―――ゲイヴォルグ・ワンより“ドラゴン”、“ハリーホーク”! ポイントB-220からB-228までの光線級を叩け! “バルト”はB-231からB-235!」

濃密な重金属雲の下、尾根向うに身を潜ませていた部隊を一気に突入させ、周防少佐指揮下の3個戦術機甲中隊が、光線属種に襲い掛かった。

「インターバルはあと8秒! 6秒で北西の尾根向うに退避しろ! “フリッカ”と“アイリス”は俺に続け!」

同時に直率する1個中隊と指揮小隊を率い、手近な場所に群れる10体程の重光線級へ向けて、猛速で噴射降下して行く。
網膜スクリーンに投影された、重光線級の巨体(戦術機より、若干大きいのだ) その商社被膜のど真ん中に照準レクチュアルのピパーが合わさる。
まだだ、まだ距離がある。 あの連中の皮膜は、あれでいて結構な防御力を持つ―――距離、50! 両腕に保持させたBK-57近接制圧砲から、57mm砲弾が吐き出された。
3点バースト射撃を素早く3連射。 18発の57mmAPFSDS弾の直撃を受けた重光線級のレーザー照射被膜が破れ、頭部が弾け飛んだ。

―――あと4秒。

素早く周囲を確認し、直率部隊の状況を確認する。 真咲大尉の“フリッカ”は、2機エレメントで1体の重光線級を葬っている。 既に4体を始末した。
指揮小隊の“アイリス”は、北里中尉と茅野少尉のエレメントが1体を葬った。 小隊長の遠野中尉は周防少佐機に追従して、周囲に少数残っていた戦車級の群れを掃討し終えた。

「―――掃射後、一端離脱する! 続け!」

目前の重光線級に急速に迫りつつ、直前でフルオート・モードにしたBK-57を1体の重光線級に向けて猛射した。 瞬く間に体液を撒き散らして倒れ込む重光線級BETA。
他の“フリッカ”と“アイリス”も、それぞれ4体と2体の重光線級を葬っている。 これで13体の重光線級―――このエリアの重光線級BETAの全てを、殲滅した。
轟音と共に跳躍ユニットを吹かして、次々と北西の尾根向うへ離脱する。 見れば西からも光線級殲滅任務を終えた3個中隊が戻って来ていた。

≪CP、ゲイヴォルグ・マムよりゲイヴォルグ・ワン。 目標殲滅率、68%に達しました≫

445機の戦術機が2度の強襲を行って、約680体の光線属種を殲滅した。 損害は約18%―――80機程がレーザー照射にやられている。 残り、360機と少し。

『大隊長、最後のエリア・・・北か西か、どちらかから、面制圧砲撃出来ませんかね?』

部下の第2中隊長、最上大尉が忌々しげに言う。 最後のエリアB-331からB-337のエリアは、南と東を断崖に囲まれた地形になっている。
その断崖沿いに張り付いた光線属種の群れは、南からの猛烈な砲撃も、東からの艦砲射撃からも、丁度断崖が盾になって、全く損害を受けていない。
逆に、“ゲイヴォルグ”戦闘団が強襲突入するには、西側からやや長い回廊を通らねばならない。 高度を上げれば他エリアから狙い撃ちされるからだ。

「―――残念だが、北も西も、あそこを有効射撃圏内に収めた砲兵部隊が居ない。 制圧支援機は何機残っている?」

『―――“フリッカ”は1機です』

『―――すみません、“ドラゴン”は制圧支援機、全滅です』

『―――“ハリーホーク”、1機』

『―――“バルト”です、2機健在』

都合、4機。 西から侵入して光線属種が群れる屈折部に達し、そこから北の尾根向うへと抜ける以外に攻撃手段は無い。 
どうする? 4機の制圧支援機だけでは、如何にも弾幕不足だ。 推定でエリアB-331からB-337には重光線級が16体に、光線級が100体ほどいる。
誘導弾を、全弾、乱数機動モードで全力発射。 同時に3次元高速機動に秀でた連中を率いて、弾幕射撃と同時に突入。 重光線級は無理だが、光線級の穴は開けられるだろう。

(―――その直後に、主隊を突入させる・・・前衛は、半数は喰われるか・・・?)

ならば、前衛部隊は突撃前衛上がりの、回避機動に秀でた者達を―――八神大尉、マイトラ大尉も突撃前衛上がりだ。 主隊は真咲大尉と最上大尉に指揮をさせる。

(―――指揮小隊も、主隊に組み込むか。 あの3人は支援向きの衛士だ、前衛に入れればかなりの確率で落とされる)

そして、前衛部隊の総指揮は、周防少佐自身が行う―――そう腹を括ったその時、指揮官専用通信帯に別部隊からの緊急コールが入った。

「―――ん? 誰か!?」

この、修羅場と言う時に―――思わず、そんな言葉を飲み込んで誰何する。 同時にIFFを確認、海軍機だ。

『―――誰か、とはまた、ツレナイねぇ。 せっかくお姉さんが、助けてやろうってのにね』

「・・・長嶺中佐、その言い様は、止めて頂きたいと・・・」

『―――周防少佐、アンタはアタシの死んだコレス(同期生)の弟さ。 ならアタシにとっても、弟の様なモンさ! さ、良い子だから、頭を低くしておくんだよ?』

「なっ・・・そこからっ!? 無茶だ、長嶺中佐! 光線属種から丸見えだぞ!?」

『―――これが、アタシら母艦乗りの仕事さ! いいから見てな! 全機、高度20! 突入! 突入! 突入!』

轟音と共に、峡谷の北側から数10機の戦術機―――海軍の96式『流星』の一群が、信じられない地面スレスレの超低高度を、ほぼ全速で突入してきた。
同時に光線属種が一斉にその存在を認識し、レーザー照射予備体勢に入る。 海軍機の方でも、レーザー照射警報は鳴りっぱなしだろうが、針路を変える気配は全く無かった。

『少佐! 援護射撃を!』

『海軍機が狙い撃ちされますぜ!?』

『大隊長! 発砲許可を!』

『レーザー照射、あと3秒で・・・!』

4人の中隊長達が、口々に援護射撃の許可を求めて来る。 だがその要請を、周防少佐は一切無視した。 海軍を犠牲にして、陸軍だけが生き残って戦果を―――ではない。
95式誘導弾の大量発射、その衝撃は半端ではない。 ここで身を踊り出していたら、例え戦術機だとしても、その衝撃に断崖に叩きつけられてしまうだろう。
長嶺中佐が『頭を低くしておけ』と言ったのは、何も例えでは無いのだ。 それに・・・それに、あれが海軍機だ。 あれこそが、海軍母艦戦術機甲部隊だ。

「―――黙れ」

周防少佐がそう言い放った直後、光線属種のレーザー照射が始まった。

『―――2中隊、3小隊、2機爆発!』

『―――3番機、直撃!』

『―――乱数回避を切れ! 断崖に叩きつけられる!』

『―――3中隊、7番、8番爆発!』

『―――くそっ! 1中隊10番機、激突炎上!』

地表面噴射滑走では無い、そんな『ちんたら』した突撃では全滅する。 もはや高度何10mとかでは無い。 本当に地表スレスレを残速噴射飛行で突入していた。

『―――馬鹿野郎! 高度を上げるな・・・!』

『―――やりやがった・・・! 9番機、地表に激突!』

『―――目標、800!』

通信回線に飛び込んで来る、海軍母艦戦術機部隊の怒声と悲鳴。 やがて総指揮官の長嶺中佐の声が、はっきりと聞き取れた。

『よぉし! ここからが最後の地獄だよ! 全機、ビビるんじゃないよ! 急速上昇! 高度100!―――誘導弾兵装システム、起動! ロックオン!―――逆噴射制動!―――全機・・・撃てぇ!!』

48機から、僅かな時間で32機にまで激減した母艦戦術機部隊の『流星』から、1000発を越す95式誘導弾が、光線属種の至近から発射された。
発射後の勢いのまま、一気に身を翻して離脱を計る『流星』の群れ。 直後に1000発を越す誘導弾が着弾する。 尾根向うからでさえ、凄まじい震動が伝わって来た。

ビリビリと空気を揺るがす振動と共に、通信回線から長嶺中佐の声が聞こえて来た。

『―――周防少佐、我々が手助けできるのは、ここまでだ―――お姉ちゃん、ちょっと疲れちゃったよ、あはは・・・』

「ッ! 中佐、陸軍の野戦基地の方が近い! 緊急着陸を! 機体から火が出ています!」

『・・・ちょっと、無理だね・・・下手打ったよ、最後の最後で、かすったみたいだね・・・後席はもう、戦死したよ。 アタシも・・・保たないね・・・』

「中佐! おい、海軍! 聞こえるか!? 陸軍の周防少佐だ! 長嶺中佐機を誘導しろ! 野戦基地はここから南へ50kmだ!」

『無理だよ、周防少佐・・・部下には、攻撃後は何が何でも、低空離脱しろと命じてあるんだ・・・例え、アタシが死のうともね。 アンタ・・・判るだろう?』

そう言うやいなや、長嶺中佐の『流星』は中空で機体を急転させて、一気に噴射降下に入った。

『だからさ・・・あの、残った重光線級・・・あの1体だけは、道連れにしてやるさ・・・後は光線級が・・・ひい、ふう、みい・・・11体だけ。 自分で何とかするんだね』

「くっ・・・!」

『じゃあね・・・思えば、結構長かったね、アンタとも。 向うで、アンタの兄貴と酒でも飲んでいるさ・・・アンタは、まだ来ちゃダメだよ・・・むううぅぅ!!』

最後の爆発音が聞こえた。 同時に戦術レーダーから1機の戦術機の輝点と、重光線級を示した赤い点が消滅する。 その輝点が消滅した瞬間、周防少佐が吠えた。

「―――制圧支援機、全弾発射! 全機、最大出力で噴射跳躍! 続け!」


エリアB-331からB-337の光線属種が殲滅されたのは、それから僅か1分後の事だった。









2001年5月11日 1155 マレー半島 タイ王国・チュムポーン県北部・ドンヤン西方20km バンラン・タッポーン 日本軍南遣兵団仮設基地


まだ砲声が鳴り響いている。 しかし昨夜来の、どこか腰の引けた砲撃では無く、本格的に殲滅をかける気の全力射撃だった。
その砲声を聞きながら、周防少佐が仮設基地の戦術機ハンガー脇で、折椅子に座って目を瞑っていた。 時刻はそろそろ、正午になろうとしていた。
ふと、近づいて来る足音を耳にして、薄眼を開いてそちらを見る。 1人の衛士が近づいてきた。 陸軍では無い、海軍のネイヴィブルーの強化装備を身に纏っている。

「・・・ついさっき、長嶺中佐の戦死認定がされたわ。 貴方の報告が、陸軍から海軍に届いたの」

隣の折椅子に腰を降ろして、そう呟いたのは、海軍聯合陸戦団の鴛淵海軍少佐。 今回は未明からの最終防衛線構築後に、戦隊(陸軍の大隊相当)を率いて戦った。

「後席の宮部大尉の戦死認定もね―――知っている? 宮部大尉、彼女は初陣で貴方に助けられた事を?」

「―――初耳だが・・・?」

「93年の渤海湾が、彼女の初陣なのよ。 そこで機体を中破されて、戦場に残されたらしいの。 で、国連軍のコンバット・レスキューに救助されて・・・
記録を調べていたら貴方、当時はあの方面の国連軍だったのね。 『グラム中隊』、記録にはそうあったわ、レスキューを行った国連軍戦術機甲中隊のコードネーム」

「・・・グラム、か。 そうか、あの時の・・・」

過去に助けた相手が、今回戦死した。 その事に心を動かされる様な事は、最早ない。 無いのだが・・・

「総攻撃が始まったな、予備も根こそぎ動員しての、最後の締めか・・・」

「東西南北、4方向から総がかり。 ようやく仮設復旧させた道路網を使って、地上部隊の集結もほぼ終わったらしいわ」

「我々は総予備指定、つまりは『ご苦労様』だ・・・」

日本軍南遣兵団、聯合陸戦団を含む幾つかの部隊は、総攻撃には参加しない。 彼等はこの10数時間で、結構な損害の代わりに戦線を支え続けて来た。
そう、結構な損害だ。 周防少佐の大隊だけでも、10名の衛士が戦死し、2名が負傷した。 実に1個中隊分の戦力が失われたのだ。

「・・・兵団司令部で、小耳に挟んだ。 どうやらガルーダスを繋ぎとめておく事が出来そうだと」

「政治よ、政治・・・イヤんなっちゃうけど、それが現実よね。 私も、貴方もね・・・」

死んで行った部下達の顔が、脳裏をよぎる。 彼らだけではない、昔からの知り合いだった海軍戦術機部隊の指揮官の顔も・・・

「・・・ガルーダスからの出張組も、母国軍に戻って行った。 親部隊が壊滅した連中もいるがね」

ヴァン・ミン・メイ大尉、レ・カオ・クォン大尉、サハリナ・プラダン大尉・・・臨時に戦闘団に組み込まれ、昨夜来から朝方にかけて、共に戦った。
そして彼等もまた、どこかでこの砲声を聞いているのだろう。 湿った熱い風が吹いた、砲声と共に、南国の甘酸っぱい空気を運んで来た。

「・・・これもまた、日常か」

「そうね・・・日常ね」

照りつける南国の太陽の陽が、濃い陰影を作る。 遠くで砲声が鳴っていた。 2人の陸海軍の少佐は、巨木の木陰でその音を黙って聞き続けていた。









2001年5月30日 1530 日本帝国 帝都・東京 千住 周防家


「・・・お帰りなさい、あなた」

「ただいま。 子供達は・・・?」

「ふふ、お昼寝よ」

そっと襖を開けると、2人の赤ん坊がスヤスヤと眠っていた。 時々、寝返りを打つ仕草が愛らしい。

「もうすぐ、1歳か・・・」

「お義父さんも、お義母さんも・・・ウチの両親も、盛大にお祝いを、って言ってくれているけれど・・・このご時世でしょう?」

「・・・良いんじゃないか? このご時世だからこそ、子供にはさ・・・」

再びそっと襖を閉め、奥の部屋で着替えをする。 軍服を脱いで部屋着に着替え、寛いだ姿で妻が入れてくれたお茶を飲む。

「・・・明日、久しぶりに実家の方へ、顔を出すよ」

「・・・? はい。 休暇は取れたの?」

「1週間ほどね。 綾森のお義父さんやお義母さんの所へも、孫の顔を見せに行くか?」

「いいわよ、そんな。 それでなくとも、何かと理由を付けては、孫の顔を身に来ているのだもの」

笑いながらそれだけ言うと、それ以上何も聞かずに、黙って夫の隣に座って、こちらもお茶を飲む。 元々は彼女も、野戦の将校だった。
夫が戦場でどの様な経験を、どの様な思いをしてきたか・・・そんな事は聞かない。 聞かずとも良い。 生きて還って来た、それだけが大切な事なのだから。

「・・・1歳か。 これから、2歳、3歳・・・」

「まだまだ、これからですから。 頑張ってね、お父さん?」

「・・・頑張りますよ、お母さん」





[20952] 予兆 序章
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2012/07/03 00:36
2001年6月18日 日本帝国 帝都・東京


「おや? 周防さん、今日は坊やのお守、旦那さんがしてんのかい?」

「あれまぁ、珍しいねぇ。 奥さんは、今日は?」

「坊やだけかい? 嬢ちゃんはどうしたね?」

―――ちょっと頼まれて、商店街まで買い物に来ただけなのに。 そんなに俺が子供の世話をしているのが、珍しいのだろうか?
昼下がりの地元の商店街で、息子を抱っこしながら買い物をしていると、知り合いの商店街の親父さん、小母さん達からからかわれるのは毎度の事だが・・・

「なあ、直嗣。 お前はどう思う?」

行く店、行く店で珍しがられ、その度に少しだけ顔をヒクつかせながら愛想笑いをしていたが、思わず抱いていた幼い息子に語りかける―――って、まだ無理だろ?

「あ~、あう~・・・」

「って、まだしゃべれないものな、ははは・・・」

今月の14日で息子も娘も、丁度満1歳になった。 早いものだな、子供の成長ってのも。 特に俺は生まれてから半年ほど経って、初めて子供の顔を見た訳だし。
その後は今年に入ってからも、4月から先月の末までマレー半島に派遣されたりで、実質、子供達と一緒に居たのは4カ月程だけだ。 本音を言えば、ずっと居たいけどね・・・

「ぱぱ・・・ぱぱ、ぶーぶー!」

「ん? ああ、そうだなぁ、ブーブー、走っているなぁ」

小さな指を指して、車道を走る車を指差しながら、キャッキャとはしゃぐ息子。 最近になって息子も娘も、『ぱぱ、まま』とか、『ぶーぶー』とか、1語文をしゃべり始めた。
これから段々と、色んな事をしゃべり始めるんだろうな。 そうして育っていって、成長して・・・それまで、その時に俺は、子供の側に居られるだろうか?

(・・・いかんな、どうにも)

歩きながら頭を振る。 その動きが気になったのか、息子の小さな手が頭に、髪の毛に絡んで来る。 『こらこら』と言いながら、ゆっくりと小さな手を離してやり・・・

(『―――息子の最後の様子をお教え頂き、誠に感謝の念に堪えません・・・』)

恐らくはご尊父がお書きになったのだろう、しっかりとした文面の、丁寧な謝意の手紙だった。

(『―――隊長殿、隊の皆さま方のご指導の下、息子が御国の御役に立てて死んだ事、それを知り得る事が出来、家族ともども嬉しく・・・』)

子供が死んで、嬉しい親がいるものか。 嬉しい兄弟・姉妹がいるものか。

(『―――最後に、隊長殿、隊の皆々様の武運長久を切に願わせて頂きます・・・』)

先月末にマレー半島の派遣から帰国して、暫く経ったある日。 マレー半島で戦死した部下の遺族から手紙が届いた。 先に俺の方から、お悔やみの手紙を出していた遺族から。
どうして自分達の子供が。 そうして自分の夫が、妻が。 どうして自分の兄弟・姉妹が・・・それが本音だ、庶民の本音だ―――果たして俺は、あの手紙を出した事は正しかったのか?
よそう、これ以上悶々としていても、仕方が無い。 忘れる訳ではないが、割り切らなければならない事だ。 戦争をしていれば、戦死者が出るのは当たり前の話だ。

そんな事を考えながら歩いていると、不意に1軒の店の前で呼び止められた。

「あ、直衛兄さん! こんにちは! あれ? 直ちゃんも? 珍しいね」

「やあ、ウィソ、こんにちは。 ・・・って、俺が育児しているの、そんなに珍しいかい?」

商店街の甘味屋、そこの『看板娘』で顔見知りのモンゴル出身の少女のウィソ。 更に店の中からもう1人の少女、ナランが顔を出して止めを刺された。

「だって、普段はお母さん―――祥子さんが独りで子育てしているじゃない。 直衛兄さんってば、少しは手伝ってあげないと!」

う~ん・・・言う様になったなぁ。 9年前のあの頃は、2人とも本当にまだ幼くて・・・もうナランは15歳で、ウィソは14歳だものなぁ。
等と感傷に耽っていると、直嗣がしきりに何か欲しいのか、手を伸ばして『まんま、まんま』とか言っている。 何を? と手の先を見ると・・・

「あ? これ? どうしよう、上げても良いけれど・・・」

ウィソが手に持っている(さては、おやつか?)蒸しパンだった。 レーズン(どうせ、合成だろうが)か何か入ったヤツだ。
彼女が『上げても良い?』と、視線で聞いて来る。 赤ん坊に大人用の、濃い味のお菓子はダメ! と、祥子によく言われるからなぁ、けど・・・

「・・・砂糖、入ってないよな?」

「うん。 今時そんな贅沢品、探したってないモン」

「隠し味に、栗の実を潰したの、入れているけれど・・・それ除ければ良いでしょ?」

なら良いか。 それにこの子達も、直嗣を構いたいのだろうな。 と思っていたら勝手に、手に手に蒸しパンを細かく千切って、直嗣に上げ始めているし。

「はい、直ちゃん、アーンして!」

「おいしい? おいしいよねー? んー! ほっぺた、プクプク!」

構って貰えるのが嬉しいのか、おやつが美味しいのか、上機嫌な我が息子・・・まてよ?

(・・・こいつ、大人の小父さん達(親父=俺や、親戚の小父さん=直秋)よりも、お母さんや女の人に構って貰う時の方が、機嫌がいいな・・・)

「・・・誰に似たんだ、お前は・・・?」

―――我が息子ながら、将来がちょっぴり怖い。





「ありがとうございましたー!」

最後に煙草屋で、煙草を2カートン買い求めて(1カートンは、隣家の亭主から頼まれ物だ)、さて家に戻ろうか、そう思っていたら向うから軍服姿の一団が歩いてきた。

(・・・珍しいな、こんな住宅街で)

陸軍の将校達だが、この辺には基地も官衙も無い。 それに歩いてきた方向の向こうは荒川の河川敷一帯・・・『荒川国内難民キャンプ』だ。

「・・・ん? おい、久賀か?」

「・・・周防? き、貴様・・・あ、いや・・・」

相当びっくりしているな。 しかし失礼な奴だ、指差して驚く事は無かろうに、ええ!?―――第1師団に所属する、同期の久賀直人陸軍少佐だった。 他に尉官が数人いる。

「は、はは・・・そ、そうだな、周防、貴様は子供がいたよな・・・凄まじく違和感があるが・・しかし珍しいな、こんな所で・・・」

「・・・別に珍しくなかろう? 俺の家はこの近所だからな。 因みに圭介は隣家だ」

「・・・もしかして、長門も子供の世話とか・・・?」

「ああ、サボると嫁さんが、おっかないらしい」

「そ、そうだな・・・伊達なら、やりかねんな・・・」

少し奇妙な空気になりかけたが、直ぐに久賀が俺を紹介し、後ろの尉官達の事を紹介した―――第1師団の各戦術機甲連隊に属する、衛士大尉、衛士中尉達だった。

「周防少佐は、俺の同期生だ。 今は第15旅団―――そうだな?―――だ。 先月までマレー半島か、ご苦労様だったな」

「いや、まあ・・・懐かしい顔にも会えたよ。 ヴァン・ミン・メイ。 彼女、母国軍に復帰していた。 一緒に戦った。 貴様の事も懐かしがっていたぞ、久賀」

暫く四方山話が続いたが、こんな所で赤ん坊連れでも何だと言うので、後日の再会を約して別れる事にした・・・ハズだったのだが。

「―――失礼ですが、周防少佐殿。 少しお聞きしたい事が」

久賀のすぐ後ろに居た背の高い将校―――大尉だ―――が、目の前に出て来て、そう言った。 随分と長身の男だ。 俺も183cmほどあるが、この男、190cmは有りそうだ。

「何かな? できれば手短にして欲しい。 見ての通り、赤ん坊連れなのでね」

「―――お時間は取らせません。 少佐殿はあの状況を・・・難民キャンプの状況を、どの様にお思いでしょうか?」

「・・・ご苦労なっている、痛ましい事だ」

「それだけ、でしょうか?」

大尉の目に、少し怒りの色が見えた。 この男・・・

「それだけだ。 個人としては、大変ご同情申し上げる。 何とかなれば、とも思うし、出来る事はして差し上げたい、そうも思う。 それでは不足か? 大尉?」

「高殿。 陸軍大尉、高殿信彦であります、少佐殿―――政府の無策は、糾弾されぬと?」

おい、この男―――チラッと久賀を見ると、奴め、案の定、少し目線を逸らせやがった。 その後で『それ以上、ここでは言うな』とばかりに、目に力を込めて返しやがる。
馬鹿か、勝手な事を言うな。 だいたい、この手の連中を押さえるのも、貴様の役目だろうが。 同期生の弱気?に、少し腹が立った。

「高殿大尉、君は正規軍人だな? ま、今のご時世、正規も予備も関係無いが・・・とにかく職業軍人であり、つまり公人だ。 それ以上は言うな」

自分では抑えたつもりだ、うん、俺は十分、抑えたぞ。

「では少佐は、政府の度重なる難民対策政策の反故も、年々削減される社会保障予算も、全て飲み込めと仰るのですか?
西日本と北陸・甲信越の大半が壊滅し、国内に数千万の難民が溢れかえり・・・彼らには、満足な保証は全く為されておりません!
小官も軍人であります、今の祖国の窮地は戦場で肌身に沁みて理解しております! しかし・・・しかし、なぜ同盟を破棄した米軍に対する補給協定を締結して・・・
あまつさえ、今年に入ってからは、その予算を増額するのでしょうか!? 増額する予算の捻出には、難民支援予算や社会保障予算の削減分が、充てられておるのですぞ!?」

言いたい事は判る、判るが、ここで言うな。 軍人なら、大尉にもなったのなら、場所柄を弁えろよ・・・

「・・・君も、私も軍人だ。 そして政治家でも、内務官僚でも無い。 それが私の答えだ」

「ッ! 少佐殿・・・!」

「・・・おい、そこまでだ、高殿大尉」

ようやくお出ましになりやがって。 一体、何を考えているんだ? 久賀・・・

「そこまでにしろ、高殿大尉。 貴様、周防少佐に失礼だ。 彼は非番で有って、しかもご幼少のご子息が、今もここに居る事が見えないのか?
すまん、周防・・・部隊の中には、家族が難民キャンプに入っている者も多くてな。 俺の落ち度だった、許せ」

「いや・・・そちらこそ、気にせんでくれ。 高殿大尉、繰り返し言うが、私個人としては、非情に心を痛めている。 これは本心だ、それだけは信じて欲しいものだ」

「・・・失礼しました、少佐殿」









2001年6月20日 日本帝国 帝都・東京 周防家


「高殿? ああ、知っているよ、同期だし」

遣欧派遣旅団で欧州に行っていて、この4月に無事、生きて日本に戻ってきた従弟の直秋(周防直秋陸軍大尉、2001年4月1日昇進)が、祥愛をあやしながら言う。
場所は俺の家の、小じんまりとした居間。 欧州土産の貴重な、宝石以上に貴重なスコッチウイスキーを持って来ていた―――祥子にも、化粧品やら何やら。

「どんな男だ?」

折角なので、小さなグラスコップ1杯だけ呑もう―――そう言って封を切ったボトルを、我ながら女々しい視線で見ながら聞いた(祥子に取り上げられた)

「んー・・・真面目な奴だったよ。 不言実行と言うか、何事も真正面から取り組んでた気がする」

「つまり、お前や蒲生(蒲生史郎大尉、2001年4月1日進級)、それに森上(森上允大尉、2001年4月1日進級)とは、真逆な優等生と言う事か」

「うるせえや・・・アンタだって、似たようなモンでしょ? ま、真面目なだけじゃなくて結構、茶目な奴ではあったよ」

「ふん・・・?」

そんな奴が、どうしてあそこまで―――真面目一辺倒と言うなら、まだ判る。 だが茶目な奴って・・・少なくとも、精神的なゆとりのある奴だったのだろうに。

「あいつ、確か・・・広島で故郷が壊滅するのを、目の当たりにしている」

何だと? 広島? 本土防衛戦の時か、だとすると当時の第2軍団か、壊滅した旧第10師団の所属か・・・

「あいつさ・・・広島戦線で避難民を助ける為に、逃げ遅れた少数の避難民を、突撃砲でBETAごと吹き飛ばしたんだよ。 故郷の、昔馴染みのご近所さん達をさ・・・」

「・・・そうか」

残り少なくなったグラスの中身を、チビチビと舐める様に飲む。 そうか、あれを経験した男か・・・それも、自分の『背景』の一部を、吹き飛ばさざるを得なかったか・・・

「確か明星作戦の前だ、仙台でクラス会が有ってさ。 卒業以来、会って無かったんだけどね、部隊が違ったし・・・面変わりしていた、皆が驚く程に」

「それ以来、会っていないのか? 何か誘われたりとか・・・」

そう言った俺の顔を、直秋が真面目な表情で見返してきた。 こいつがこんな顔をする時は、えてして何かに怒っている時でも有るよな・・・

「カマをかけるのなら、止めてくれよ、直衛兄貴。 俺もガキじゃねぇ、あんな得体の知れない集まりに、興味は無い」

「スマンかった。 お前、何か知っているのか?」

コイツも親父(周防直邦海軍少将)や伯父(右近充義郎国家憲兵隊中将)から、何気なしに聞いているのだろうな。

「詳細までは。 主だった面子は、俺の同期や1期から3期上の大尉連中だ。 陸士出の・・・何て言ったっけな? 第1師団の大尉が中心だそうだ。 陸士出身の連中も多いらしい」

―――それは、俺も掴んでいる。

「俺の知る限りじゃ、皆、優秀な連中だよ。 戦場経験も有れば、部隊指揮官でBETA戦を戦ってきた連中だ。 知っている範囲で言えば真面目な、正義感の強い連中が多いかも」

「正義感、ねえ・・・?」

「言い方を変えれば、責任感の強い連中かな? さっきの高殿もそうだ、部下思いの良い奴なのだけどね。 部下からも慕われているらしいし」

―――久賀も、基本はそうしたタイプの男だな・・・

国内は以前に増してキナ臭い。 遅々として進まぬ難民支援対策。 慢性的な財政赤字と相次ぐ増税、そして失業率の上昇。 何より排除されぬ甲21号―――佐渡島ハイヴの脅威。
それでいながら、政局は迷走を続けている。 先だっての選挙では、衆議院で政権与党が少数派になってしまった。 議会多数派―――政権野党は、政府政策に悉く反対している。
軍部が他の中央官庁と共謀し、議会の解散と全面戒厳令の発布、その後に挙国一致的・大政翼賛的独裁議会を、戒厳政府下に置く事を画策していると、メディアがスッパ抜いた。

そして昨年の冬から今年の春先にかけて、国内の難民キャンプ(国内・国際の双方)で、数万人の餓死者が出た事が明らかにされる。 
これには軍内部でも動揺が走った―――帝国軍将兵の中には、家族が難民キャンプで暮らしている者も多いからだ。 特に、西日本出身の将兵に動揺が広まった。
そんな中、政府による『日米物品役務相互提供協定』、その関連予算の増額が決定された。 見返りは―――難民支援予算と社会保障予算の、更なる削減だった。

『―――政府は国民に、BETAに喰い殺される前に、餓死しろと言うのか!』(第186回 日本帝国通常国会速記録)

「ま・・・正直言って、あっちを立てれば、こちらが立たず。 二兎を追う者、一兎をも得ず、なんだけどなぁ・・・」

直秋が髪を引っ張る祥愛を、穏やかに叱ってから溜息交じりにそう言う。 こいつも国内だけじゃなくて、向う(欧州)で色々と見て来たからか。 
最前線国家の常として、軍事と難民支援の両立は今や不可能、とは世界的な『常識』と言える。 しかしまぁ本当に、このままじゃ、この国は一体どうなってしまうのだろうなぁ・・・

「―――あら? 珍しく難しいお話ね?」

障子を開けて入ってきた祥子が、笑いながら言う。 にしても難しい話って・・・まあ、こいつ(直秋)とは以前は馬鹿話が多かったけどな。

「珍しいって・・・何気に酷いよ、祥子さん・・・」

直秋も流石に少し不貞腐れている、でもそんな奴を、コロコロと笑いながら流す祥子―――もう完全に、『弟扱い』だな。 そう言えば喬君とも、そう年は変わらないしなぁ・・・
直秋の手から祥愛を受け取って、抱っこしながら上手にあやす祥子の姿。 うーん・・・俺とは雲泥の差だな、母親って言うのは。

「ねー? 祥っちゃんには難しいお話よねー? パパもオジちゃんも、酷いよねー、祥っちゃんをのけ者にしちゃって」

「いや、別にそんな訳じゃ・・・って、祥愛、まだしゃべれないじゃねぇの!?」

いちいち祥子の『いぢわる』に反応する直秋。 こいつもすっかり、手懐けられているな・・・ 祥愛も『お昼寝の時間』だと、子供部屋に連れていく祥子。
暫くするとまた祥子が戻って来て、今度は手に茶菓子を持って3人分のお茶を淹れ直してくれる。 手軽な煎餅だが、間が持つのは有り難い。

暫くの間、直秋から欧州の話を聞いた。 懐かしい名前が何人も。 他に交流の無かった独仏軍の、噂でしか聞いていなかった人物の名も。
何人かは夫婦になっている。 ヴァルターと翠華、ファビオとロベルタ。 他にも何人か、軍人や軍属、或いは民間人と結婚したらしい。
或いは戦死者。 戦争をしている以上、誰かが必ず死ぬ。 ヴェロニカ・リッピが死んだ、昨年の末に旧アントワープ付近で。 遺体は回収されなかった。
ミレーヌ・リュシコヴァ、クルト・レープナー、アスカル・カリム・アルドゥッラー、ソーフィア・イリーニチナ・パブロヴナ、カレル・シュタミッツ・・・
20歳前後の少尉・中尉時代に、国連軍で共に戦った戦友達。 馬鹿な事で大騒ぎもすれば、時には派手に喧嘩もした。 そうか、彼らとはもう、会えないのか。

「・・・『会うは別れの始め』 でも、だからこそ、『袖すり合うも他生の縁』よ」

「・・・祥子さん、また随分と年寄り臭い事を・・・」

「なんですって・・・? じゃあ直秋君は、あの可愛らしい『恋人さん』とは、縁が無いとでも?」

「うわっ! そ、それを今、ここで言う!?」

「恋人? おい直秋、俺は初耳だぞ?」

焦る直秋に、してやったり、とばかりにフフン、と笑う祥子。 どうやら尻尾を掴まれていた様だ、こいつは。

「誰なんだ? 軍人か? それとも軍属? まさか―――お前が娑婆の女性を?」

「何だよ、その『まさか』って? 失礼な・・・深雪の先輩の女性だよ、小学校の先生をしていて・・・帰国して、実家に帰った時に深雪が連れて来ていて・・・な」

深雪とは直秋の妹で、俺の従妹に当る周防深雪。 直邦叔父貴の長女だ。 この春に女子師範を卒業して、小学校の教師をしている。
話を聞く所、深雪の1年先輩の女性だそうだ。 だとしたら今年22歳、直秋の1歳下か。 日本の教員養成も課程短縮で、小学校教師は21歳になる年からになっている。
4月の半ばに初めて会って、それから何度か深雪も交えて会っている内に、今は2人で会う位の仲にはなったそうだ。

「女の先生、ね・・・そうだ、直秋。 確かお前の初恋って、小学校の時の『きょうこ先生』だったよなぁ?」

「お、おい!? 兄貴! そんな古い話・・・関係ねぇぞ!?」

「ふふ、良いじゃない。 百合絵さん、しっかりとした人だし」

「祥子、知っているのか? その女性?」

「先月に、笙子と一緒に雪絵ちゃんが来てね。 お話はその時に。 で、この間、街で深雪さんとバッタリ。 その百合絵さんと一緒だったわ、少しお話もしたの」

ニコニコと微笑む祥子に、妹達の情報網が、ダダ漏れなのを嘆く直秋。 まあ、良いか。 こいつも過去を―――松任谷との事をふっ切れた、そう言う事か。
夕方近くになって、直秋がそろそろ帰る事になった。 実家には昨日顔を出していたそうで、これから立川の第39師団まで。 今のところ、営内居住をしている。

「どうだ? 新しい部隊は慣れたか?」

駅まで直秋と2人、連れだって歩いている途中、聞いてみた。 遣欧旅団が帰国した後、部隊はそのまま総予備兵力である、第39師団の戦力強化の為に吸収されていた。
それまでは軽歩兵(機械化歩兵)が主力の歩兵師団だった第39師団に、遣欧旅団が有していた重機動戦力―――戦術機、機甲、自走砲などが加わった。
これで『明星作戦』以降、2年近くに渡って続けられてきた日本帝国陸軍の戦力再建が、ひと段落したのだ。 ついでに言えば、第10と第15旅団も、各々師団に格上げになった。

「慣れるも何も・・・右見ても左見ても、古巣の遣欧旅団の連中ばかりだしね。 歩兵の連中とは、まだ余り馴染みは無いけれど」

森宮右近少佐、和泉沙雪少佐、遣欧旅団で2個の戦術機甲大隊長を務めたこの2人が、第39師団の戦術機甲部隊の中核になった。

「毎日、怒鳴られているよ、大隊長にはさ・・・」

「あはは、愛姫のヤツも復帰して少佐に進級して、それでもって大隊長だ。 張り切っているだろうし、お前は元部下だしな。 さぞ可愛いんだろうよ」

「・・・可愛がりも、程が有ると思うよ・・・」

ふん、お前の嘆きなんぞ、俺に比べたらまだまださ。 なにせ、広江中佐は未だ相変わらず・・・よそう。

隣家の長門家の主婦、長門愛姫―――軍では旧姓の伊達愛姫は、この5月末で産休と育休を終了して軍務に復帰した。 そして今は第39師団第393戦術機甲大隊長だ。
出産と育児で休職していた為、同期の中では士官序列上位だったにもかかわらず、昨年10月の少佐進級第1選抜から漏れてしまった。
予想では今年10月の第3選抜になるか? と思っていたら、どうやら第2選抜の『カットベッキ(選抜者の最後の方)』に引っ掛かった様だ。 6月1日付けで少佐に進級した。
今は森宮少佐、和泉少佐に次ぐ、第39師団戦術機甲部隊のNo.3として、そして直秋の上官として張り切っている。 直秋は第393大隊の第3中隊長だった。

「ええと? お前が393の第3中隊で・・・森上(森上允大尉)が森宮さんの391の第3中隊、蒲生が和泉さんの392の第3中隊長?」

「ああ、そうだよ。 ウチの大隊は、先任(先任中隊長)が天羽さん(天羽都大尉)だ」

ふーん・・・蒲生に、森上もねぇ・・・あいつらも直秋とは同期だから、不思議じゃないが・・・

「で、後は直衛兄貴のところから転属して来た、遠野大尉(遠野万里子大尉、2001年6月1日進級) 一体何なんだ、あの人? 俺より訓練校、半期上だろう?」

確かに遠野は22期A卒で、22期B卒の直秋より半期上だ。 それなのに大尉進級がどうして半期下の直秋よりも、2か月も遅いのか? 
彼女の同期生達は、昨年10月1日に大尉に進級している。 順当に行けば、本来なら遠野も昨年10月には大尉に進級していた筈だ。
大体が、大尉までは同期生は、ほぼ横一線で進級する。 さて、言うべきか、言うまいか・・・俺も遠野の身上書の類は確認しているから知っているのだが・・・

「・・・彼女は初陣で、酷いPTSDに悩まされた」

いや、PTSDだけでは無い。 確かに対BETA戦での過酷な戦場に晒されはした、だがそれ以外にも・・・彼女は同僚達から、性的暴行を受け続けた。
孤立した部隊、BETAへの極度の不安、急激に減って行く戦友達。 そしてそれまで精神的支柱だった中隊長の戦死と同時に、部隊の箍が外れてしまった。
中隊長代理となった中尉も、普段から素行に問題の有った人物だと記載が有った。 救援が来るまでの3日間、BETAがいつ動き出すか判らない恐怖の中、中隊は狂った。

「衛士、整備、CP・・・数の少ない女性将兵たちが、な・・・勿論、生き残った連中で愚行を行った奴らは、全員が軍法会議送りだ。
首謀者は軍刑務所で3年の懲役刑の後、降格の上で国連軍の軌道降下兵団に、懲罰的に送り込まれた―――『明星作戦』で戦死している」

生還率20%、3回作戦に参加して生き残る事は無い―――そう呼ばれる軌道降下兵団だ。 事実上の死刑執行に等しい。
だが遠野の精神は病んでしまった、過酷な初陣、信じていた上官や同僚からの暴行、狂気に走った中隊・・・軍病院で半年、リハビリに3ヵ月が必要だった。

「・・・ああ、そうか、そう言う事だったのか・・・」

「あん? 何が?」

「いや、なんでも・・・こっちの話さ」

彼女の父上、遠野大佐が冗談の裏に、娘に対して非常に心配をしていたのは。 あのような経験をした娘が、俺の事を・・・で、父親として疑心暗鬼になったと。
幾らなんでも、部下に手を付けやしないよ。 最近の帝国軍も、国連軍程とは言わないまでも、軍内恋愛に寛容になってきたとはいえ、俺は妻子持ちだぞ?

等と苦笑している内に、駅前に着いた。 直秋はここから立川だ。

「あのな・・・この間、松任谷に会った。 いや、今は結婚して渡辺か、渡辺佳奈美大尉か。 主計に転科していたんだな」

「ん? ああ・・・ウチの所で、経理隊をしている。 どこで会った?」

「市ヶ谷さ、偶々ね・・・我ながら、あっさりしたモンだったなぁ・・・アイツもね」

そう言って直秋が笑う。 こいつももう、大尉だものな。

「今度、暇を見つけて渡会(渡会美紀大尉)も呼んで同期会でもしようか、ってな話になってさ」

「・・・良いんじゃないか?」

96年の10月、俺の国連軍出向が解けて帝国軍に復帰して、大尉に進級直後に任された中隊に、未だ10代後半の直秋と松任谷が、新任少尉で入ってきた。
4年前の97年2月、遼東半島。 2人に初陣を踏ませた。 その後は松任谷が負傷したり、いつの間にか2人が付き合い始めたり・・・で、別れた。 2人とも今年、23歳になる。

「生き残った同期生同士だ、楽しくやれよ。 折角だから、その『恋人』も、発表しちまえ」

「あのなぁ! 恋人、恋人って・・・百合絵さんとはまだ、7、8回しか・・・!」

「・・・7、8回? 7、8回も会っていて、まだ何も言っていないのか? お前、その女性の事、好きなんだろう? 阿呆、さっさと言っちまえ。
何だったらあれだ、深雪経由で俺から話を付けてやっても良いぞ? お前はちょっと、悠長すぎるからな・・・」

「止めろ! 止めてくれ、冗談じゃない!」

慌てふためく従弟を、好きな女性がいると言った従弟を、頼もしくなった従弟を、もう大丈夫だと思って、笑って見ていた。









2001年7月15日 日本帝国 千葉県松戸市 帝国陸軍松戸基地 第15師団


最近になって付近の土地を買収したりで、急速に拡張工事を進めている松戸基地。 それまで2個戦術機甲大隊しか無かった所に、今では6個戦術機甲大隊が居座っている。
基地の東西約2.2km、南北約1.6km。 BETAの本土上陸後に疎開した住民も多く、広大な土地がそのままになっていたのを、軍が買い取って基地を拡張したのだ。

「じゃあ、お子さん達は軍の託児所に?」

「ええ。 妻も内勤とは言え、市ヶ谷(国防省)ですし」

妻の祥子は6月末で産休とそれに続く育児休職を終了し、現役復帰した。 どこかの司令部付きの通信将校になるのかと思いきや、新たな職場は市ヶ谷だった。
国防相外局の国防相機甲本部、そこの第1部第2課員。 戦術機甲部隊・機甲部隊・機械化歩兵歩兵装甲部隊の専門教育、関係学校の管理を担当する部署だ。

「奥さんも、どちらかと言うと、そちらの方が合っているんじゃないのかい? 私の知る限りじゃ、前線部隊指揮官より、性格的に教育畑の方が向いていそうだね」

「本人も、意外に合っているのを、不思議がっていましたがね・・・」

師団本部の4階建ての建物、その中を2人して歩いている。 旧第15旅団を母体に拡大再編された第15師団、そこに懐かしい顔が戻ってきた。 荒蒔芳次中佐、元上官。 
京都防衛戦で負傷後は、教導隊や士官学校教官を務めていた人だ。 今回、師団の戦力増強の一環として、歴戦の戦術機甲指揮官として引き抜かれてきた。

本土防衛軍総司令部直属の緊急即応部隊だった第10旅団と第15旅団は、マレー半島から帰国後に大幅な拡大再編が為された。
戦訓から、旅団規模では打撃力も損失吸収力も小さ過ぎる―――そう結論されたらしい。 再編を終え、練成も完了した大隊単位の部隊を新たに組み入れ、師団に格上げとなった。
師団長は、南遣兵団長を務めた竹原季三郎少将。 副師団長は、これまた南遣兵団参謀長を務めた熊谷岳仁准将。 

「そうだな、君の奥さんは市ヶ谷勤務だったな。 私の所も、妻は陸軍病院に勤務しているから、子供は託児所に預けている。 判らない事が有れば、何時でも聞けばいいよ」

「ええ、その時はお願いします。 長門少佐も、同じようにすると言っていましたし」

軍はこの国で最も、福利厚生が充実している組織だろう。 主だった基地所在地には、付属の託児所から始まり、保育園や幼稚園まである。
軍人同士の結婚が多い事と、夫婦そろって軍務に就くケースが多い事も理由の一つだが、託児所などは所謂『戦争未亡人』を優先して、軍属待遇の職員に雇用していた。
戦場で夫を喪った妻、息子や娘を喪った母親、そんな女性達を優先して雇い入れている。 絶対数は小さいが、しないよりマシ―――俺達の様な夫婦には有り難い。

「ああ、彼もか。 伊達少佐は第39師団・・・立川だね?」

「ええ」

拡大再編されても、緊急即応部隊としての任務は変わっていない。 そこで第10師団と第15師団は、他の師団とは編成がやや異なる―――連隊が存在しない。
戦術機甲連隊、機甲連隊、機械化装甲歩兵連隊・・・他師団では普通に見られる部隊単位が、この2個師団では存在しない、大隊までが戦闘部隊での最大の部隊編成単位だった。
緊急即応の場合、その規模によって急派されるのは大隊戦闘団から旅団戦闘団、はたまた師団総出か、まちまちだ。 連隊編成だと、この『戦闘団』が軍編制上、やり難い。

その為に師団は内部に『機動旅団』司令部を3個抱える。 第1(A)、第2(B)、第3(R)の3個機動旅団だ。 (『R』は、『リザーブ』の事)
戦闘の際はこの3個旅団に適時、必要な部隊が組み込まれる。 旅団固有の戦闘部隊は存在しない―――何の事は無い、米陸軍方式を取り入れたと言う話だ。
第1機動旅団長は、元第15旅団長の藤田伊与蔵准将。 第2機動旅団長はこの6月に進級した、元第15旅団副旅団長だった名倉幸助准将。 
第3機動旅団長は、士官学校教頭から転じた佐孝俊幸准将。 准将が4人もいる師団なんてウチの第15師団と、同じ任務の第10師団だけだ。

「私も実戦部隊は久しぶりだよ、今や大隊指揮では君の方が経験豊富じゃないかな? ま、宜しく頼むよ」

「何を言いますか。 遼東半島から朝鮮半島、本土防衛戦・・・私はまだ、そこまでの大隊指揮のキャリアは有りませんよ。 こちらこそ、中佐が復帰してくれて心強いです」

第10と第15師団の各戦術機甲大隊は、各々6個大隊。 甲編成の重戦術機甲師団(第1師団や第7師団、禁衛師団など)では3個連隊=9個大隊だから、それより戦力的には劣る。
これが乙編成の戦術機甲師団だと、1個戦術機甲連隊=3個大隊だから、戦力的には倍する戦力になる。 身重な甲師団より身軽で、打撃突破に不安が残る乙師団より強力な師団。

各戦術機甲大隊長は、最先任大隊長に荒蒔芳次中佐。 次席グループが俺、周防直衛少佐と、同期の長門圭介少佐。 この3人が一応、先任大隊長となる。
他の3人はこの4月に少佐に進級した、半期下の18期B卒の第1選抜昇進者。 間宮怜少佐、佐野慎吾少佐、有馬奈緒少佐の、これも懐かしい3人が転属してきた。

「そう言えば、小耳に挟んだのだが・・・神楽、いや、宇賀神少佐が、お目出度だそうだね」

「らしいですな。 3月の末に訓練校の教え子を送り出して、直ぐに判明したそうですが・・・」

同期生の宇賀神緋色少佐(旧姓・神楽。 2001年4月1日進級)は、衛士訓練校の教官をしていた。 
そして3月に教え子を送り出した後、少佐に進級(内示が出ていた)後は、どこかの戦術機甲大隊長をする事になっていた筈なのだが・・・

「電話で宇賀神さん(宇賀神勇吾中佐、夫君。 第14師団第142戦術機甲連隊副連隊長)と話したんだが・・・嬉しいやら、照れくさいやら、そんな感じだったよ」

「まあ、おめでたい事で、良いじゃないですか。 宇賀神中佐も30代半ば過ぎ、夫人の宇賀神少佐は私と同年です、20代後半になりました。
お互い、訓練校を卒業して10代後半からBETAと戦い続けて・・・折角、生き残って来たのですから。 人の親になって、育てて・・・お互い、年をとるものですよ」

「おいおい。 君のその年で、言うセリフじゃないよ、それは」

緋色は結局、内勤になった。 第14師団が属する第7軍の第18軍団司令部で、広報室班長をしている。 確か愛姫もやっていた職種だが、あの緋色が広報か・・・想像出来ない。

「明後日は宇都宮だね、14師団との合同演習か」

「ウチの師団は、一応『東日本』担当の即応部隊ですし。 北の果ては南樺太の第11軍団(第53、第55師団)とも、合同訓練が有り得るわけで・・・」

「旅カラスだね、まるで」









2001年7月17日 日本帝国 栃木県宇都宮市 東部軍管区第7軍・第18軍団(第14、第40師団)


「おう、周防! わざわざ負けに来おって、ご苦労なこっちゃのう!?」

「木伏さん、言っておくけどウチの大隊はシベリア戦線から、ごく最近までマレー半島で実戦を積んで来ているよ。 
そっちこそ、ここのところずっと、宇都宮で新潟のお守だろう? すっかり鈍ってるんじゃないか? 舐めていると怪我しますよ?」

「ほぉーお、生意気言うようになったのぅ・・・や、そうでっせ、副連隊長?」

「どれ、ではひとつ、揉んでやろうかな・・・」

「岩橋中佐、大人げないですよ・・・」

旧知の者ばかり、中には『明星作戦』以来と言う顔も見える。

「間宮、あんた、この間までウチの大隊だったでしょ? 華を持たせなさいよ?」

「永野さん・・・それはちょっと・・・」

「佐野君、元気そうだな?」

「お陰さまで。 ようやく人心地着いたころですが。 ああ、そう言えば宇賀神中佐、おめでとうございます」

「・・・かれこれ3カ月、会うヤツ、会うヤツ、皆がそう言いやがる、まったく・・・」

「若い奥さん、ようやく子供が出来たんだ。 もっと喜べよ、宇賀神さんよ」

「おい、若松さん。 あんたなぁ・・・」

流石に第14師団は帝国陸軍で6個しか無い、甲編成の重戦術機甲師団(他は第1(東京)、第5(大坂)、第7(北海道)、第8(九州)、禁衛(東京)の5個)
ズラリと並んだ9個大隊もの戦術機の群れは、まさに圧巻だ。 第14師団も打撃力は大きいが、その1.5倍もの戦術機甲戦力を有する師団。

「今回は18軍団(第14師団、第40師団)が青軍、14師団と軍管区予備の2個旅団が赤軍だっけ・・・」

「そうよ、ギタギタにしてあげるから、覚悟しときなさいよ、真咲?」

「そっくり、そのまま返すわよ、仁科。 アタシだって、マレー半島帰りさ」

「おう、八神ぃ・・・判ってんだろうな? 俺の中隊には手を抜けよ?」

「摂津さん、せこい。 仮にもアンタ、『フラガラッハ』でしょうが・・・」

「八神、手なんて抜かんでいい、メタクソに叩いてやろうぜ」

「うわっ! 最上さん、相変わらず性格悪いぜ!」





「何や、若い連中、同窓会みたいやのぅ・・・」

「仕方ありません、福田閣下(第18軍団長・福田定市陸軍中将)。 14師団も15師団も、元を辿れば旧第14師団と旧第18師団の中核連中の集まりですし」

「それだけ、相手の癖の裏の裏まで熟知している。 森村さん(第14師団長・森村有恒陸軍少将)、これは千日手になりそうですかな?」

「天谷さん(第40師団長・天谷直次郎陸軍少将)、こっちはウチの14師団とお宅の40師団で、併せて12個戦術機甲大隊がある。
対して14師団は6個大隊、軍管区予備の2個旅団には戦術機部隊は無いぞ? もしもそれでこちらが負けてみろ・・・」

「はは、これで青軍が負ければ、嶋田閣下(第7軍司令官・嶋田豊作陸軍大将)から、大目玉ですな」

「おいおい、竹原君(第15師団長・竹原季三郎少将)、それは堪忍やで・・・」


初夏の北関東で、北関東絶対防衛線の防衛部隊である第18軍団と、東日本担当即応部隊である第15師団との、合同演習が大体的に発動された。




[20952] 予兆 1話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2012/07/08 23:09
2001年7月18日 1120 日本帝国 帝都・東京 市ヶ谷 国防省庁舎D棟 兵器行政本部第3会議室


「―――ですので、以上の理由により、『試製99型電磁投射砲』の海外搬出は妥当ではない、との見解を装備施設本部として申し上げます」

装備施設本部から出席していた海軍中佐が、部局の意見を言い終わり着席する。 その内容に同意、とばかりに頷くもの多数。 顔を顰める者少数。
そして次に挙手をして、発言を求める者が居た。 長いストレートの黒髪をアップに纏めた陸軍の女性少佐。 国防省戦術機甲本部第1部第2課で、新任の企画班長を勤めている。

「―――機甲本部、綾森少佐。 意見具申」

「―――綾森少佐、どうぞ」

議長役の国防省兵備局の大佐が発言の許可を与えると、綾森祥子陸軍少佐は席から立ち上がり、意見を述べ始めた。

「はい―――本第6項、『試製99型電磁投射砲のシベリア戦線移送』に関しまして、機甲本部よりの意見を申し上げます」

それは要約すると、大体以下の内容だった。

ひとつ、『試製99型電磁投射砲』の運用要員の安全が、十全に計られているとは言えない事。
ひとつ、『試製99型電磁投射砲』の実戦運用試験は、新潟、或いは北九州でも十分事足りる事。
ひとつ、『試製99型電磁投射砲』の運用検討は諸兵連合部隊での運用検討でこそ、我が軍の運用想定に合致する事。
ひとつ、『試製99型電磁投射砲』の戦場運用実態の調査研究に当の帝国軍、つまり機甲本部、兵器行政本部、技術研究本部の不参加は、データ蓄積の上で甚だ不合理である事。

「―――特に現運用要員につきましては、全てがメーカーへの出向教育を施した上で、『試製99型電磁投射砲』の運用・整備における我が国唯一の専門家集団であります。
来るべく制式採用後、各配備先の整備部隊に対する教育・指導等、中核的な責務を背負うに足る人材と、機甲本部で確信をしております人材達です」

然るに、ソ連は形の上では未だ仮想敵国。 しかも『試製99型電磁投射砲』関連の教育、実戦試験、運用検討は戦術機甲本部内でも極秘中の極秘。
それを仮想敵国と言う、しかもアラスカでは無く、カムチャツカと言う北東アジア戦線の最前線での運用―――人員の喪失、或いは器材の破損・喪失に対する可能性と懸念。

「―――また情報本部より提出の有りました、昨今のソ連大使館付武官主導による、一連の軍事情報漏洩未遂事件。 お忘れでしょうか、ソ連が『仮想敵国』である事を。
そして現地における機密情報保持のレベルは、国内よりも数段以上劣るものとなります。 以上の見地より、機甲本部としましては、反対せざるを得ません」

戦術機甲部隊・機甲部隊・機械化装甲歩兵部隊への専門教育、関係学校の管理、諸兵連合部隊の調査研究に整備、外国軍採用実態、戦場運用実態の調査研究。
これらは全て、国防省機甲本部の所轄する専管事項だ。 今回の『試製99型電磁投射砲』関連の運用・整備員教育、運用調査と検討等も、戦術機甲本部が主管して行っていた。 

―――よって、その主管部署が『反対』と言えば、『試製99型電磁投射砲』を持ち出せない。

いや、現物自体を持ち出す事は出来るだろう。 兵器行政本部、統帥幕僚本部第2部(国防計画部)、国防相兵備局の同意さえ得られれば。
ただし、あくまで現物だけだ。 その取扱いに精通した運用・整備要員を出す事が出来なければ、性能を発揮出来ないところか、まともに稼働すらできない。

「―――議長、宜しいか?」

静かに、ゆっくりと挙手をして発言を求めたのは、国防省兵器行政本部・第1開発局第1部(造兵)の巌谷榮二中佐。 陸軍では珍しい、斯衛からの逆移籍組だ。

「先程の装備施設本部、ならびに戦術機甲本部の綾森少佐のご意見、最もと認識する次第。 しかし事は我が日本一国の話だけではない事を、諸官には認識して頂きたい」

巌谷中佐の意見は、要約すれば次の様な事であった。

ひとつ、『試製99型電磁投射砲』を日本帝国だけが保有したとしても、その事が『世界中の』脅威の排除―――ハイヴ攻略の要には成りえない事。
ひとつ、広く諸外国、特に現実的な脅威に晒されている最前線諸国への配備が進む事により、全世界規模の戦況回復と同時に、日本帝国への国際信頼は計りしれない事となる。
ひとつ、レールガンの技術自体は、古くから知られた古典技術に過ぎない。 産業用レールガン自体は1980年台には実用化されており、機密技術ではない事。
ひとつ、我が国での公射データの信憑性の低さ。 これは長年に渡り、兵器開発面で諸外国との協同開発等を拒んできた弊害である。
ひとつ、故に先述公式データの信憑性を高める事は、帝国の国際信頼向上―――即ち、潜在的同盟諸国の有形・無形の協調体制を促進し得る事。

「故に本官は、『試製99型電磁投射砲』のシベリア移送―――国連軍への一時移送を賛同して頂く事、諸官にお願い申し上げる次第であります」

これに対し、先程発言した戦術機甲本部の綾森少佐がまた、挙手をして発言を求める。

「失礼ながら、巌谷中佐―――中佐の内容はかなりの部分で、政治的要素が色濃く出ている様に見受けられます。 確かに、それは認識の根本ではありますが・・・
現在は『試製99型電磁投射砲』、その海外移送・海外実戦運用試験の実用性を問う、予備検討会の筈です。 問うべきは実用性、『試製99型電磁投射砲』の実用性です」

―――政治向きの話は、この後で行われるであろう部局長級会議での参考意見として言ううべき。 綾森少佐の目は、そう言っていた。

所詮、彼ら、彼女等は中佐や少佐であり、各部署では各課の各実務班長や、課長代理に過ぎない。 政治色の強い決定事項は、部局長級会議で将官達が決定する事案だ。

「―――失礼した。 だが我が国を問わず、戦場では一日も早く、確実にBETAを殲滅し得る兵装を望んでいる事を、忘れないで頂きたい」

「―――承知しておりますわ、中佐。 小官も神戸での戦闘負傷で片腕、片脚を疑似生体移植で衛士資格を喪失する前は、大陸と半島で6年間の実戦を戦って参りました」

貴方がデスクワークに入った頃、激化する大陸戦線、そして本土防衛戦で、汗と涙と血と、そして泥を食んで戦ってきた身だ。 最前線について、教えられる事など無い。
『試製99型電磁投射砲』が制式採用された際の戦況への影響や、最前線将兵のモラールなど、中佐に語られる以前に肌身で理解出来る―――綾森少佐の目は、静かにそう語っていた。

どうやら、藪蛇をつついた様だ―――そんな感じで苦笑しながら、巌谷中佐はそれ以上の発言を求めなかった。 
そしてその日の、帝国軍兵器行政予備会議(佐官級の実務者予備会議)は、結論を見る事無く、次回へと持ち越しとなった。





「ご機嫌斜めね、祥子?」

綾森少佐が国防省庁舎厚生棟の食堂(佐官以上が利用する食堂)で、遅めの昼食を食べていると上から声が降って来た―――同期生で、兵器行政本部勤務の三瀬麻衣子少佐だった。

「麻衣子・・・んー、ご機嫌斜めと言うか・・・引っ掛かるのよね・・・」

「もしかして、さっきの巌谷中佐の事?」

兵器行政本部第1開発局第2部の第3課で、分析班長を務める三瀬麻衣子少佐は当然ながら、先程の予備会議に出席している。 
そして戦術機開発関連全般の行政管理全般は、第2部の掌握する所であり、その企画担当課の第3課は今回の事案、反対の立場だった。

陶器製の食器(上級将校用の食器は、3軍とも陶器製の高級品だ!)に盛られた合成のメンチカツを箸でつつきながら、食欲無さ気に綾森少佐がこぼす。

「だって、順当に考えれば誰だって無理な話だと判るじゃない? 一体どこの国に、極秘開発中の兵器を海外で実戦運用試験する国があるの? それも運用を自国軍で無く。
運用も、実戦試験も、自国軍ではなくて他国軍に任す国って、あると思う? 今回は国連軍だけれど、余計に始末が悪いわよ? どこでどう、情報が飛び交う事か・・・」

国連軍の情報部署は、ある面で各国軍情報機関の出先組織の一面を有する。 綾森少佐の呆れに似た言葉に、三瀬少佐も訝しげに同意して呟く。

「そうね、確かに我が軍の公試発射データが、信憑性が低い事は確かだけれど、まだ試験開発中だしね。 データの信憑性云々を言うのなら、売り込み時に証明すれば良い話だし」

「巌谷中佐が進めた、国連軍の『プロミネンス計画』への参加。 あれは私も賛同するの。 主人も言っていたわ、『外からの刺激無しに、向上は無いんじゃないか?』って」

「祥子のトコのご主人、あちこちで色々な機体に搭乗しているしね。 ウチの主人も、試験隊を率いているから・・・参謀本部の大友中佐の様な人の意見には、合わないみたい」

「そうでしょうね・・・でも、源君は温厚な常識人だから心配無いけれど・・・ウチの主人は、頭に血が上ったら何を言いだすか・・・実戦部隊である意味、良かったわ・・・」

三瀬少佐の夫君、源雅人少佐は国防省技術研究本部の第1技術開発廠審査部部員であり、同時に4個戦術機試験中隊を統括する、試験部隊司令・兼・審査主任をしている同期生だ。
綾森少佐の夫君。周防直衛少佐は本土防衛軍司令部直轄の即応部隊、第15師団で戦術機甲大隊長をしている。 こちらは1期後任、つまり綾森少佐は1歳年上の姉さん女房だった。
共に若かりし少尉時代から戦術機に搭乗して同じ隊で、あちこちの戦場を共に戦い、生き残ってきた間柄だ。 それだけに本音も言える。

「―――私個人としてはね、条件次第では出しても良いと思っているの」

「条件って?―――お行儀悪いわよ? 祥子」

ご飯の盛られた茶碗を持ったまま、箸でつつきながら話す親友に、笑いながら続きを促す三瀬少佐。 
これ以上食欲が無いのか、7分目で食事を終えた綾森少佐が、熱いお茶を啜りながら答えた。

「いずれ、戦場での実射試験はしないといけないし。 でも新潟も北九州も、ここ数カ月はBETAの活動が不活発と推定されるでしょう?
反面、カムチャツカ方面はBETAの活動が活発化してきている事は、偵察衛星からの情報でも明らかだわ・・・実射試験フィールドとしては、お手頃なのね」

シベリア・カムチャツカでは、光線属種の存在が確認されていない。 人類にとってある意味『最悪のBETA種』とも言える光線属種がいなければ、実戦試験に申し分ない。

「そうねぇ、でも問題は、機密保持と収集データの信憑性ね・・・もしかすると、どこぞの国の息のかかった国連軍の一部が、改竄データを送りつけてくる可能性も否定できないし」

「それに、運用場所がソ連国内じゃね。 GRU(ソ連軍参謀本部情報総局)第9局(軍事情報)が、黙っていないわ。 
場合によってはKGB第1総局A局(秘密作戦)やS局(イリーガル)を呼び込む事になりかねないかも・・・」

だからこそ、『試製99型電磁投射砲』の実射運用試験を行う、と言うのであれば、その運用人員を帝国―――機甲本部か技術研究本部の審査部が、現地で行う。
無論、機密保持の観点から大隊規模の警備部隊も派遣する必要があるし、運搬手段として運輸本部にも協力を。 機密保持の現場指揮は情報本部から要員を・・・

「流石にKGBは無いのじゃないの、祥子? 考え過ぎじゃないかしら? ご主人に毒されたの? 確かお身内が・・・」

「ふう・・・右近充の叔父様の影響かしら? 何気に意味深な事を仰る方だから・・・」

国家憲兵隊特殊作戦局長・右近充憲兵中将は綾森少佐の夫君、周防少佐の叔父である。 その職務上、GRUやKGBとは『深いお付き合いの間柄』だった。
日本帝国軍とソ連邦軍、特に海軍同士は親ソ的、親日的な土壌が互いに形成されつつある。 しかし陸軍同士は良く言って『冷ややかな礼儀』状態だし、国家は互いに仮想敵国だ。
そして国家の情報・防諜組織―――帝国情報省、内務省警保局外事局と特別高等公安警察、それに軍情報部と国家憲兵隊は、ソ連邦GRUとKGBを敵対組織と認識している。

「―――カムチャツカのソ連軍は事実上、ソ連邦中央軍事会議の直轄下でしょう? 国防省も参謀本部も、上位下達だけで・・・
中央軍事会議で最近、国家保安委員会議長が党政治局員の資格で力を付けている・・・って、回覧情報で回っていたじゃない?」

少佐で国防省(の、外局各本部)の実務班長にもなれば、かなりのレベルの外秘情報に接する事もある。 それが憲兵中将ともなれば・・・

「・・・ここだけの話、ウチの課長も上から圧力をかけられているみたいなのね」

「・・・本当なの?」

三瀬少佐の言葉に、綾森少佐が眉を顰める。 兵器行政本部第1開発局第2部の第3課長は、この6月に昇進した河惣巽陸軍大佐がその任に付いている。
古くは92式戦術歩行戦闘機(『疾風』)の制式採用に功の有った人物だ、三瀬少佐も綾森少佐も、その頃からの付き合いがある人物である。

「本当よ。 この間、ウチに来た藤田大佐(旧姓・広江。 6月進級。 結婚後の姓に変更)と、怒鳴り合いの大喧嘩よ―――怒鳴っていたのはもっぱら、ウチの課長だけれど」

「藤田大佐と?―――統幕(統帥幕僚本部)の国防計画課長が、わざわざ!?」

藤田直美陸軍大佐は、統幕第1局第2部(国防計画)の国防計画課長を務める。 日本帝国の戦争遂行計画を事実上決定する、極めて重要なポジションの人物だ。

「ええ、どうやら上・・・政治的判断ってのが、既にある程度決定している様ね。 だから巌谷中佐も、大人しく引き下がったのよ、多分」

「・・・もう既に、内定済って訳ね? それじゃ、河惣大佐も怒るわよ。 兵器行政は大佐の専管なのだし。 でも不思議ね、巌谷中佐はどこでそんな、政治的な糸を?」

例えばこれが自分の夫ならば、叔父の右近充憲兵中将に囁くだろう。 或いは第5戦隊司令官から軍令部第2部長(軍備担当)に栄転した、これも叔父の周防海軍少将辺りに。
夫自身は政治的な伝手など持たない、純然たる野戦指揮官だが、夫の叔父たちは政治的影響力を持つ、或いは持っている政府要人に繋がりを持つ人物達だ。 

だからこそ、綾森少佐は不思議だった。

「いくら、巌谷中佐が斯衛出身とはいえ・・・確か、家格は山吹か白でしょう? 武家とは言っても・・・それに五摂家を始め、武家は現実政治から遠ざかっているし・・・」

「その辺は不明ね。 噂では情報本部(国防省情報本部)や、2局(統幕2局5部:防諜)が動いているとも・・・本当かどうか、怪しいけれど。 で、祥子。 機甲本部としては?」

「・・・『政治的判断』が決定したのなら、従うしかないわ。 文民統制よ。 でもそうね・・・マスターコードの閲覧権までは、与えられないわ」

「現地責任者が、一介の中尉じゃね。 で、どこら辺まで?」

「―――『異常在らざる場合にのみ、自爆コードを受け入れる』かしら? こんな所で手を打たない? 麻衣子?」

「ソ連側がちょっかい出して、不正アクセスをかけた場合、セキュリティプログラムが数段上のレベルで働く、アレね?
そうなっちゃえば、ハードは兎も角として、ソフトはセキュリティにソフト・キルされた後だから・・・いいわ、兵器行政本部としては、異論無しよ」

兎に角も、2人の実務班長同士の合意は為された。 後は不機嫌で有ろう上司を宥める事だ。 その時、綾森少佐も三瀬少佐も、後日に懸念が実態化するとは、確信していなかった。









2001年7月20日 1325 日本帝国 東京湾上木更津沖 帝国第3食料生産プラント


一辺が5km四方もある巨大な埋め立て地、そこに巨大な食糧生産プラントが複数、建設されていた。 本日から全面稼働が開始され、そのセレモニーが終わったところだった。

「・・・これで、首都圏の食糧事情も、ある程度改善されますな。 周防さん、ご苦労様でした」

農林水産相・石黒義篤大臣が、傍らの民間人の労を労わる。 『農政の神様』と呼ばれ、一端は破たんした日本国内農業生産の立て直しを、一身に背負う人物。

「いえいえ、未だ第4プラントは建設中ですし、第5プラントも着工しました。 仙台の第1、第2プラント、函館湾の第3プラントで北日本の食糧事情は改善できましたが・・・」

その民間人―――今回の第3食料プラントの建設を受注し、完成稼働にこぎつけた大日本食品工業の重役・周防直史取締役常務(技術本部長)は、まだまだ先が長い、そう言う。
仙台の第1、第2プラントは光菱が、函館の第3プラントは石河嶋が、それぞれ受注して建設した。 いずれも重工関連の複合財閥だった。
そして今回の第3プラントと、建設中の第4プラント、着工した第5プラントは、近年になって食品加工、化学産業全般に乗り出してきた大日本食品工業が受注している。

「・・・後は、伊勢湾の第6、第7プラントと、大阪湾堺沖の第8、第9プラントが完成すれば。 そうなれば、我が国は食料の安定供給―――自給率100%を達成可能だ」

「―――諸外国から、いらぬ圧力が減りますかな?」

「ははは・・・周防さん、それはデュポント(米デュポント社。 大日本食品工業の提携企業で米3大財閥のひとつ。 世界第2位の化学工業企業)からのネタですかな?」

際どい話だ。 この食糧生産プラントについても、米国からは様々な圧力をかけられているし(日本は米国にとって、食糧輸出の大口顧客だ)、他からも色々と・・・

「プラントの一部に使用しています透過皮膜は、デュポントが特許を持っております。 彼等にとっては、食糧生産プラントの需要が多ければ多い程、有り難いと言う事です、大臣」

「・・・同じ米国内でも、立ち位置が異なれば見解も違う、そう言う事ですな」

「時に商売とは、国家間や国際社会の範疇外で動きます」

「そして、気が付けば国策や国際外交に影響を与える・・・貴重な情報だ、感謝しますよ」

そして石黒大臣はもう一度、食料プラントを見渡した。 米や麦、雑穀の生産プラント工場が25棟、各種野菜の生産プラントが18棟。 
他に畜産生産プラント21棟、魚介類養殖生産プラント21棟、合成タンパク生産プラント38棟。 これに各種加工プラントが22棟、各種浄化・処理施設、送配水管が縦横に走る。
巨大な施設だ。 ここだけで年間約800万人分の食料を生産出来る。 これまでで帝国は、約4000万人分の食料の自給を達成する事になった。

「・・・私は農政馬鹿だ、国民の腹を満たす方法を考えるしか、他に能の無い男です。 ですがそんな私でも思う、もしこの技術を・・・プラントを輸出できれば・・・」

「東南アジア、南アジアに北アフリカ、ヨーロッパ・・・親日国家や、親日的な国家連合体が、グッと増えましょうなぁ・・・」

「統制派はそれをまだ望んでいません、いずれはその方向にと考えている事は確かなようですが。 国粋派に至っては、『帝国技術の真髄を、海外に流出させるとは!』などと・・・」

「・・・私も、家に石を投げつけられました。 まあ、私と老妻だけならば如何様にでも、と言いたいところですが。 
家には戦死した長男の子供達・・・孫達も嫁と同居しておりまして。 いっそのこと、嫁と孫達は次男の家に身を寄せさそうかと、考えております」

「それは・・・ご愁傷様です。 どうでしょう、周防さん? 内相(内務大臣、国内治安も担当する)に話しておきますので、ご自宅周辺の警戒をして貰っては?」

「いえ、そこまでして頂いては・・・まあ、何とかなりましょう。 次男夫婦も、長女夫婦も帝都に暮らしておりますので」

「息子さんは・・・ご次男さんは、何をなさっておいでか?」

「陸軍将校を。 今は少佐になりましたか、戦術機乗りなどしております。 長女の夫は内務省の官吏でしてな。 ま、他に弟や、妹達の家も近くにあります。 大臣、ご心配なさらず」

痩身の、如何にも技術畑出身、という印象を裏切らない、大日本食品工業社の周防常務。 彼の次男は帝国陸軍で、第15師団の第151戦術機甲大隊長をしていた。

「いずれにせよ大臣、これで帝都周辺の難民の方々にも、十分な食料配給が可能になりましょう。 そう、今年の暮れ頃までには・・・」

「それまで、何とか辛抱して貰う―――それが、私に課せられた任です。 『農政馬鹿』の一念、この国難を支えて見せましょう」











2001年7月22日 1630 日本帝国 栃木県宇都宮市 東部軍管区第7軍・第18軍団司令部 第1大会議室


「―――『赤軍』第15師団、第2機動旅団、側面迂回攻撃開始」

「―――『青軍』第40師団第1機甲大隊、側面攻撃被弾。 損害・・・38%」

おおっ!―――どよめきが走る。 損害38%、もはや部隊として何の役にも立たない程の損害を受けたと、そう判定されたのだから。
これで第40師団は有効な近接砲撃支援戦力を喪失した、正面からは『赤軍』の第15師団第1、第3機動旅団の猛攻に晒され、側面から新しい圧力をかけられ・・・

「―――第40師団、損耗31% 第401戦術機甲連隊第3大隊、壊滅」

「―――『赤軍』第49旅団、壊滅判定。 第14師団第141戦術機甲連隊、前進開始。 損失11%」

「―――『赤軍』第15師団、全面攻勢開始。 第40師団司令部壊滅とする」

統裁官が無情にも宣告する。 これで第18軍団の一角が崩れた、防衛線左翼に位置する第40師団が崩れた為、隣の第14師団は新たな脅威に直面する。

「―――『青軍』第14師団、第1、第2旅団戦闘団。 第15師団全面へ」

「―――第14師団、第3旅団戦闘団、『赤軍』第51旅団へ攻勢開始」

しかし、3個戦術機甲連隊を中核とし、並みの師団2個から3個分の重火力を有する甲編成の第14師団の場合、単独で軍団規模の戦闘力を有する。
瞬く間に1個旅団戦闘団が、残った『赤軍』の1個旅団に襲い掛かり、残る2個旅団戦闘団―――第15師団の全力とほぼ同数―――を、第15師団全面に展開させた。

「・・・やり難いですね、14師団は」

「何と言っても、甲編成師団だ。 乙編成師団で構成された軍団規模の戦闘力を持つ・・・来た様だな、第2だ。 先頭は・・・永野君の第142の第2大隊か。 准将?」

「まず、我が全力で敵の分力を撃つ、だな。 荒蒔君、有馬君、R機動旅団で第2大隊を牽制しつつ、周防君、間宮君のA機動旅団で左翼、長門君と佐野君のB機動旅団で右翼。
最低でも永野君(永野蓉子少佐)の第2と、高浜君(高浜恒義少佐)の第3は叩ける。 宇賀神君(宇賀神勇吾中佐)の第1が後ろに下がる直前で、周防君、君の大隊を突っ込ませる」

地形上の関係で第14師団の各戦術機甲連隊は、1本道を大隊毎に突破せねばならない。 演習状況で高所に光線属種―――自走高射砲大隊が居座っているからだ。
直線飛行を強いられれば、戦術機も自走高射砲で撃破できる。 いや、そもそも戦術機以上の高速で、高空を飛来する航空機に対して開発された兵器だ、戦術機を撃破する事は難しくない。

「―――第14師団、第142戦術機甲連隊第2、第3大隊、損失59%」

定数40機の内、24機から25機を失った2個大隊は、急遽後退を決定する。 後方に位置した第1大隊―――副連隊長で、最先任指揮官の大隊も後退を開始する。
その瞬間に頭上の尾根越しに、第15師団A機動旅団の戦術機群―――要撃級BETAを想定した一群が逆落としの攻撃を仕掛けた。

「―――第14師団第142戦術機甲連隊、防御射撃開始」

「―――第15師団A機動旅団、損失11%」

「―――第14師団第142戦術機甲連隊、損失67% 指揮官全滅」

もう混沌だった。 第142が壊滅している間に、戦場を迂回機動で移動して来た第143戦術機甲連隊を中核とする、第3旅団戦闘団が、今度は第15師団の側面に痛撃を与える。

「―――第15師団、B機動旅団壊滅。 指揮官戦死」

「―――第14師団第3旅団戦闘団、側面攻撃をうけつつあり。 損失22%」

「―――第15師団、全面攻勢開始」

最後は地力で勝る第14師団が、何とか第15師団司令部を陥した時点で、兵棋演習が終了した。





「まいったのう、お前、何時の間にあんなに腕を上げたんや?」

宇都宮基地の一角、厚生棟の中の将校集会所である。 第14師団の木伏一平少佐が、コーヒーカップを傾けながら、若干悔しそうに言った。

「腕を上げた・・・と言うより、嫌がる事をしただけですけどね。 自分が戦場で『この状況は嫌だ』と思う事をね・・・」

第15師団の周防直衛少佐が、少し首を竦めながらそう言う。 木伏少佐の大隊は今回の兵棋演習で周防少佐の大隊に側面強襲を受け、壊滅判定をされたのだった。

「ですがその前の・・・周防少佐と長門少佐が1個中隊ずつを抽出して、側面から囮攻撃を仕掛けようとした時の、統裁官の叱責は凄かったですね」

そう言うのは、第15師団第155戦術機甲大隊長の佐野慎吾少佐。 周防少佐と長門少佐が苦笑しながら、お互い顔を見合わせて言う。

「ん、ああ・・・頭をガツンとやられた、アレは。 自分では判っていたつもり・・・なんだけどなぁ・・・」

「大隊を任されてから、少し有頂天になっていたかもな。 直接率いる部隊の規模、戦場での戦況に与える影響力・・・」

軍で最も美味しいと言われる役職は、海軍や航空宇宙軍での艦長、そして陸軍の大隊長だ。 いずれも1個の独立した戦術戦闘単位を指揮し、その自由度も高い。

「―――『無識の指揮官は、殺人者なり』か・・・そうやのう、大隊にしても、数十人の衛士達を直接指揮しよるし、支援部隊を含めたら数百人や。
その命が掛ってるんや、指揮官たる者、より最善の方策をいかに見出すか、身を削る様な勉強、研究をして、実戦での研鑽を勤めてこそ『指揮官』やわなぁ・・・」

周防少佐と長門少佐の少し自己嫌悪じみた反省の言葉と、木伏少佐の『指揮官とは?』と言う言葉に、周囲も頷く。 ここには14、15師団の戦術機大隊長、その少佐達が集まっている。
木伏一平少佐は、その中の最先任。 91年から実戦で戦い続けている歴戦の猛者である。 周防直衛少佐、長門圭介少佐、永野容子少佐は木伏少佐の2期下、これまた92年春から。

第14師団の宮岡慎吾少佐と大竹基少佐の2人は士官学校の出で、92年の8月から大陸で戦ってきた。 陸士出だが、指揮幕僚課程に興味を示さない『現場タイプ』の指揮官。
高浜恒義少佐、守部厚志少佐、間宮怜少佐、佐野慎吾少佐、有馬奈緒少佐の5人は周防少佐達の期より訓練校が半年後の18期B卒。 92年10月から実戦を戦っていた。

最初は神妙に、今回の演習の反省会をしていた彼らだが、軍人、それも前線の野戦将校の常で、そんな真面目な話は長続きしない。

「そう言えば、宇賀神中佐の奥さん、3ヵ月でしたっけ?」

「そんな頃かな? いやあ、アレには吃驚した。 親父、やる事やっているねぇ・・・」

「ちょっと! 高浜! 変な言い方止めなさいよ!」

「何だよ、間宮? ひょっとして・・・うらやましいとか?」

「いや、ここは焦っている、と言うべきだろうな。 何せ半期上の先任が・・・」

「守部・・・永野さんが怖い目で睨んでいるぜ?」

「・・・と言えと、佐野が言っていましたよ、永野さん」

「守部! 貴様ぁ!」

最年少の少佐である18期B卒の彼等も、そろそろ結婚して子供が出来る者も多くなってきた。 その上の18期A卒は、生き残りの大半が結婚している。
話に出て来た宇賀神中佐(第14師団第142戦術機甲連隊副連隊長)の細君は、18期A卒。 周防少佐や長門少佐、それに永野少佐とは同期生だった。

「くっ・・・! 伊達(長門少佐夫人)はおろか、神楽(宇賀神中佐夫人)にまで先を越されるだなんて・・・!」

「旦那に言え」

「あ・・・地雷」

長門少佐の一言に、周防少佐がポツリと反応した瞬間、永野少佐の怒りの矛先が長門少佐に向いた。

「大体、アンタが悪い! 長門!」

「なんでだよ!?」

「結婚前に、伊達を孕ましたのは、一体どこの誰よ!?」

「俺だ」

「そうよ! アンタが悪い! 予定じゃ私の方が・・・くうぅ!!」

普段の永野少佐からは見られない乱れ様に、同期生の周防少佐がふと見ると、永野少佐がボトルを独り占めしていた。

「・・・永野、こいつ何杯飲んでいるんだ?」

「そうだな、さっきからストレートで4、5杯は飲んでいるよ」

「宮岡さん、判ってたんなら、止めてよ・・・」

「同期がするもんだろう? 周防さんよ?」

久しぶりに会った旧知の戦友、同期生達。 新たに知己を得た戦友。 そしてアルコールはその潤滑剤。 いつしか興に乗って、軍歌など歌い始める始末。

「結婚と言えば、おい直衛。 伊庭の馬鹿はどうした?」

長門少佐から話を振られた周防少佐が、少し複雑な表情を見せた。 それを見逃す長門少佐では無い、伊達に15年近くの付き合いでは無いのだ。

「俺はな・・・奴を、伊庭を同期生としては、頼もしい奴だと思っている。 戦場で背中を預けても安心できる奴だとな・・・」

「で? その心は?」

「・・・圭介、お前・・・あいつが『親類』になったとして、想像出来るか?」

「限りなく、想像したくない。 そうか、どうやら『撃墜』したのか?」

「正確には、まだ『小破』程度だそうだ。 この前、伊庭から電話があってなぁ・・・野郎、なんだかんだ理由を付けて、関西から出張してやがる」

周防少佐の同期生、第10師団の伊庭慎之介陸軍少佐が、これまた周防少佐の従姉の右近充京香陸軍少佐を『落とす!』と宣言したのは、マレー半島での作戦直前だった。
そして無事生還して帰国後は、半月に一度は東京まで上京しては、こまめにアタックしていると言う。 もしこれが『撃破』まで進めば・・・周防少佐としては、複雑だった。

「ま、良いんじゃね? 伊庭もそろそろ、落ち着いた方がいいだろうしな。 お前のその従姉も・・・2歳上だろう? 来年は大台だぜ?」

「そうなんだよなぁ・・・って、おい圭介。 そろそろ、その手の言葉はこの辺りじゃタブーだぜ? ・・・っと?」

「あ、居た。 って、永野少佐、もう出来上がっちゃって、まあ・・・」

「お前が連れて帰れよ、瀬間?」

「女手ひとつで? つれないですね、摂津さん?」

「仁科さんと2人なら、3人力だぜ?」

「・・・おいこら、その内の2人力が私って事か? そうなのかい? 摂津くぅん?」

将校集会所に顔を出した、旧知の大尉達―――仁科葉月大尉、摂津大介大尉、支倉志乃大尉、瀬間静大尉の4人が、呆れた表情をしている。

「あ・・・タブー予備軍・・・」

「阿呆! 黙っとけ! お、おう、久しぶり。 元気か? 4人とも・・・」

「お陰さまで・・・真咲は元気にやっています? 周防少佐?」

「元気・・・になったよ、最近は。 マレー半島でな、俺の指揮ミスであいつの部下を4人、死なせてなぁ・・・」

「そんなん、真咲も判っていますって―――で、何です? 『なんやら予備軍』って、長門少佐?」

「いやぁ、仁科、空耳だ。 それよりも、往年の第119旅団第5大隊、その第2中隊の問題児新任少尉2人組がねぇ・・・と思ってさ」

「・・・第1中隊の無茶振り先任少尉に、言われたくありません」

途端に当時を知る間宮少佐、そして有馬少佐が懐かしそうに声を上げた。

「うっわ・・・第119旅団! 懐かし過ぎる・・・93年の5月だったよね?」

「・・・私の、不運の付き始め・・・同じ中隊に、当時の長門少尉が居た・・・」

「何か言ったかぁ? 有馬ぁ?」

「・・・耳が遠くなりました? 年のせい?」

先任の仁科大尉の遣り取りに、残る3人の大尉達が苦笑しながら、ヒソヒソと話している。

「93年? 俺まだ訓練校だ、戦術機操縦課程の2年生だったよ」

「私も。 基礎訓練課程の1年生でした」

「私は・・・女学校の3年生(15歳)でした・・・」

「若いな、瀬間」

「若いわね、瀬間」

「1、2歳しか、違わないじゃないですか」









2001年7月23日 0430 日本帝国 栃木県宇都宮市 東部軍管区第7軍・第18軍団司令部 大会議室


朝の0400時、幹部将校達が一斉に叩き起こされた。 7月のこの時期は夏季課業に入っているので、軍での起床時刻は0530時なのだが・・・

「一体、何だ?」

「判らない。 だけど2部(情報)の連中が、飛び回っていたな」

「まさか・・・BETAの大規模侵攻!?」

「だったら、こんな悠長に集めないさ。 とっくにスクランブルが掛っている筈だ」

ザワザワとざわめく大会議室、主に佐官級の将校が数十人集まっている。 その一角で第15師団の面々も、借りてきた猫宜しく、大人しく座っていた(ここは15師団のホームでは無い)

「何が起きたかな?」

「新潟にBETAが大挙上陸、何て事だったら、有無を言わさず今頃スクランブルだしな」

「想像がつかない、帝都で政変とか・・・クーデター?」

「笑えるけど、笑えないのが哀しいな、それ」

そうこうするうちに、首脳部が姿を現した。 最上段に軍団長・福田定市陸軍中将。 その次に軍団参謀長・宮本忠相陸軍少将と軍団参謀団が右の列に。
左の列には第14師団長・森村有恒陸軍少将、第40師団長・天谷直次郎陸軍少将、第15師団長・竹原季三郎少将。 以下、師団司令部要員。
第18軍団参謀副長、朝霞紀彦准将が壇上に上がった。 手にした書類を忌々しげに眺めながら、やるせない口調で話し始める。

「―――諸官には、残念な報告をせねばならない。 先程、第7軍経由で東部軍管区司令部からの緊急報を受け取った。 府中の陸軍燃料廠で、大規模な爆発事故が発生した」

全員が息を飲む。 府中の燃料廠が!? 規模は!? いや、それより失われた燃料の規模は!? 作戦行動に支障は有るのか!?

「原因は不明だが・・・貯蔵燃料の15%が失われた、更に20%が消失の危機にある。 皆も承知の通り、推進剤など消火の難しい種類が多い・・・
政府からは付近住宅、半径5km圏に緊急避難命令が発令された。 今のところ、民間居住区への延焼の様相は無いが」

全員が顔を真っ青にしている。 下手をすれば、府中陸軍燃料廠の貯蔵量、その35%が失われると言う。 本土防衛軍、東部軍管区4個軍団の燃料貯蔵がだ。

「この報を受け、第18軍団は本日以降に実施予定であった、第15師団との野外演習の中止を決定した。 諸官は各部隊での動揺を鎮める事に全力を尽くせ。
なお、不足する燃料は東北軍管区、東海軍管区より、幾らかを融通する事が決定した。 他にも、国防省燃料本部で追加調達が検討されている・・・」





その日の昼を過ぎる頃には、大よその概略が伝わって来た。 勿論、上級将校の間でだ。 第15師団の面々も、苦渋に満ちた表情になっている。

「・・・推定原因は、燃料廠勤務の要員の作業ミス、か・・・」

「徴兵の、まだ16歳の少年兵か・・・責められんな、その兵も火災に巻き込まれて殉職している」

周防少佐の呟きに、長門少佐が速報の回覧情報を見ながら溜息をついた。 それに間宮少佐、佐野少佐、有馬少佐が加える様に言う。

「危険物取扱管理責任者の、有資格者なしでの作業だったとか・・・」

「最近は、どこもかしこも、似た様なものね。 頭数は揃えたけれど、教育が全面的に不足している・・・」

「軍だけじゃない、社会全般がそうだ」

「50代以上と、10代の混成か・・・20代、30代は戦死か殉職か・・・生きていても軍務についているかですもんね」

「社会の中堅が居ない。 西日本の壊滅は、痛いな・・・」

本土の約半数が壊滅した結果、あちこちに無理が生じている。 軍が大量徴兵を行った事も一因だし、3600万人を失った事も大きな原因だった。
そして新潟の第17軍団、北九州の第3軍団、北海道・南樺太の第11軍団以外の部隊には、1カ月の行動規制がかけられた。 理由はひとつ、燃料不足。

「仕方が無いな。 暫くはシミュレーション訓練だ。 各中隊で奪い合いにならぬ様、事前に訓練計画をすり合わせておく」

最先任戦術機甲大隊長の荒蒔芳次中佐が、後任者の少佐達を見回して言う。 残念ながら、今はそれしか出来なさそうだ。 それと、余計な動揺を防ぐ事。

「各中隊長には、追加燃料補充の話はしておきましょう。 連中もただ『うろたえるな!』だけでは、手札が少なすぎます」

「良いだろう、私から師団本部へ上申する。 周防少佐、長門少佐、各部隊の巡回を頼む。 間宮少佐と有馬少佐は、2人に付いてくれ。 佐野少佐、整備に持ち込んだ残燃料量の確認を」

「了解です」

「はっ」

それぞれに同意して、立ち去ってゆく少佐達。 その背中を見ながら、これだけの規模の事故、隠蔽も出来ないぞ? 軍上層部は国民の不安をどうする気だろう?―――荒蒔中佐はふと、そう考えた。










2001年7月25日 1630 日本帝国 帝都・東京 某所


「はあ・・・ふう・・・」

汗まみれの女が1人、ベッドに横たわっている。 その側には男が1人。 情事の後と言う訳だ。

「ねえ・・・もう帰るの?」

物憂げな表情で艶っぽく尋ねる女。 男は―――明らかに訓練で鍛え抜かれた体つきの―――は、短く刈った頭を掻きながら立ち上がり、シャワーを浴びに行くついでに答える。

「―――隊への帰隊時刻は、1900時なんだ。 今からだと飯を食って・・・良い時間だろう?」

「そう・・・寂しいけれど、仕方ないわね。 我慢するわ」

たっぷりと情の籠った笑みを返すと、男も満更ではない表情で浴室に入って行く。 すると途端に女の顔から表情が消えた。 何も身に纏わず、サッとベッドから降りる。
男の手鞄を開き、中から何かの書類を取り出して、特製の小型デジタルカメラで書類の中身を撮影する。 それだけでなく、男の手帳の類もパラパラとめくってはカメラに収めた。
それらの作業を素早く済ますと、今度は元の通りにキチンと直して戻す。 シャワーの音が消えた。 女は小型カメラを自分のバッグの中にしまい込むと、そのままベッドに戻る。

「ねえ・・・今度は、何時会えるの?」

「・・・2週間後くらいか。 そのころにまた、『勉強会』があるからな」

「2週間も? 私を放っておくつもり?」

拗ねた表情で男を見上げながら、シーツだけを身にまとった姿で見上げる女。 その姿に男はゴクリと喉を鳴らしてしまう。

「我慢してくれ。 それよりも、その時がきたらお前を迎えに行く。 今の女房とは、別れるさ・・・」

「本当ね? 本当に、奥様と別れて下さるわね?」

そう、そうなる。 そうせねば・・・妻の実家は、財閥に関わりの有る家系だ。 そしてその財閥は、現政権に近しい―――故郷を、家族を見捨てた政府に!
それに、妻との仲も冷え切っている。 元々が、士官学校を卒業して7年、閨閥を得る為に結婚した相手だ。 しかし、現主流派は統制派。 妻の実家は海外に強い。

(―――実際、気位ばかり高い、欧米好みの女は、好きになれない・・・)

そんな時、偶々知り合ったのがこの女。 内務省の事務職員で閨閥など皆無だが・・・何とも自分好みの色情を醸し出している女。

(―――あるいは、妻とは別れずとも・・・いやいや、『会』の皆はそれを潔しとしないだろう。 どうせなら、スパッと別れるのも良いか・・・)

現政権も、統制派も、そして巨利を貪り欧米になびくだけの財閥も、この国の事を真剣に考えている奴など居はしないのだ!

「―――ああ。 必ずそうする」





「―――ご苦労様」

名残惜しげに、艶一杯の表情で男を見送った後、背後から声を掛けられた女は、それまでと一転して事務的な表情に戻り、声の主に目礼した。

「―――随分、なびいてきました、主任。 そろそろ『獲得』出来そうですが?」

「そうね・・・いえ、もう少し待ちましょう」

上司(女だった)の言葉に、少し訝しげな表情を見せる女。 もう充分だと思うのだが・・・それともまだ何か、自分の気付いていない不安要素があるのだろうか?

「―――そう言う訳ではないわ、私の判断よ。 係長には私から報告します、貴女はこのまま一旦、『帰宅』しなさい」

部下が用意していたワゴンに乗りこむのを見送ったその女は、暫くの間その場に佇んでいた。 陽の暮れた帝都の一角。 昔ながらの色と欲の渦巻いた街。

「・・・『獲得』ってのもね、状況次第なの。 要はあの男と貴女が、本気で愛し合って始めて、獲得に動くものよ・・・」

「―――酷い話ねぇ? 特高(特別高等公安警察)は相変わらず、エグイと言うか、何と言うか・・・」

後ろから第2の人物―――これも女―――が現れた。 その姿を見た最初の女が苦笑しながら言い返す。

「何よ・・・情保(帝国軍統帥幕僚本部・情報保全本部)だって、十分えげつないじゃない? 横から喰らいついてさ・・・どうなのよ? 京香姉さん?」

「あらぁ? 帝国軍相手に『ハニートラップ』なんて、面白そうな事している都子ちゃんの事を心配して、『協力』してあげているのにぃ?」

その言葉に思わず苦笑する藤崎都子警部補、所属は内務省特別高等公安警察局・調査部調査1課・第2係で主任を務める。

「嘘ばっかり。 『調査』の段階で煮詰まって、こっちの手を見て速攻で手を突っ込んで来てさ。 京香姉さん、今夜はデートじゃ無かった?」

その言葉に、ちょっと嬉しそうに微笑む右近充京香陸軍少佐。 今は統帥幕僚本部・情報保全本部の防諜1課に所属していた―――マレー半島から帰国後、直ぐの配置転換。
2人の情報機関の情報工作監督官―――プライベートでは従姉妹同士―――は、暫く無言で居たが、やがて藤崎警部補が声をひそめて、呟く様に言った。

「・・・場合によっては、右近充の伯父さんに話を通したいの」

「・・・父さんに? それって都子ちゃんの独断? なら、止めておきなさい。 消されるわよ?」

「・・・まさか。 課長の指示。 お相手は多分、ウチの部長(特高調査局調査部長・警視長クラス) 伯父さんと話すには、釣り合い取れるでしょう?」

藤崎警部補の『伯父』、右近充少佐の『父』―――右近充義郎は、帝国国家憲兵隊中将の階級にあり、国家憲兵隊特殊作戦局長の任にある人物だった。

「最初はカンパニー(米中央情報局:CIA)か、DIA(米国防情報局)の影かな? と思ったのよ。 でも、その内に・・・」

野党政党、財閥、在野の右派政治勢力だけでなく、軍部の一派や武家勢力―――摂家の影も見え隠れし始めた、と言う。

「インテリジェンス・レポート(帝国の情報関係組織間の、共有情報伝達回覧)にあったけれど、今年の『三極会議』には、斉御司公爵家の傍流が出席したそうね」

「・・・そうなればもう、ウチ(調査1課)の出る幕じゃないわ。 防諜1課か特調(特別調査課=秘密工作課)ね。 そちらも、でしょう?」

軍内部での防諜を担当する、情報保全本部防諜1課だが、そこまで手が広がっては全てを『監督』する事は出来ない。 他組織との重複が面倒になるのだ。

「情報省がどう動くのか、いまいち読み切れないけれど・・・悪名高い『国家憲兵隊特殊作戦局』か。 我が父ながら、呆れるわね」

「まぁね。 でも得な事もあるわ。 直ちゃん(周防直衛少佐)が国連軍から復帰した時よ。 身上調査、口を利いたのって、伯父さんでしょう?」

―――それが無ければあの子、多分ずっとどこかの僻地の駐屯地で、定年まで飼い殺しだったわよ?

取りあえず、本日の『成果』は後日情報共有する事で話が付いた。 歩き去ってゆく従妹の後ろ姿を見ながら、右近充京香少佐は何となく気分がささくれるのを覚えた。
途中で待たせていた部下に必要な指示を与えると、取りあえず本日はお役御免だ。 そしてこのささくれ立った気分を回復する為に、一刻も早く待ち合わせの場所へ行きたかった。

「はぁ~あ・・・私も本気で、身を固めようかなぁ・・・で、そろそろ引退する、と」

今夜の相手は、従弟の同期生。 戦術機乗りと言う事で、何時戦場で戦死するか判ったものではないが・・・

「それでも・・・私が良いって言ってくれる、可愛い男だもんね」

―――そうだ、今夜は自宅のマンションに呼ぼう。 絶対、帰さないから。

そろそろ盛夏にかかり始める帝都の一角。 程良い涼風が吹きぬける夜空。 これから男との逢瀬。


―――2001年7月 帝都の夜にも、確実に何かが蠢き始めていた。





[20952] 予兆 2話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2012/07/21 02:30
『―――諸君、諸君の中には今までに家族・親類縁者、親しい人々を喪った者も多かろうと思う。 大隊長もその一人だ、諸君の悔しさは理解できる。
家族や親類縁者が、難民キャンプで辛酸を味わっていると言う者もいよう。 誠にお労しい限りであり、是正されねばとも思う。
だが諸君、大隊長は敢えて言う。 それは諸君の任に非ず、政府の任であると。 では諸君の任とは何か?―――言わずと知れた、佐渡島を奪回する事で有る。
国土の安全保障を確立し、国民の生命と財産を守り・・・ひいてはこの日本帝国を外敵より守り切る事にある。 それこそが、帝国の防人たる諸君の任であると』

『―――諸君、思い起こして貰いたい。 考えて貰いたい。 諸君等をして、一人前の衛士に、管制官に、整備員に、そして他の軍種要員に・・・
そこまでの技能と、責任を果たし得る能力を養うに、祖国は一体どれ程の莫大な費用と労力、そして時間を費やしたかを。 その費用と労力、時間は、どこから出ているかを。
まぎれも無く国民の血税で有り、難民支援に回される予定であった予算である。 諸君等の訓練時間の1時間は、難民が粗末な避難施設で1日を費やす事で購われてきたのだ』

『―――諸君、政府の難民政策の非を問う無かれ。 論ずる無かれ。 最早時勢は、どれが正しく、どれが過ちであるか、その様な幸福な二元論で済まされる時期は過ぎたのだ。
我々に残された手札はただひとつ―――佐渡島の奪回。 そして九州と対峙する、半島の鉄原ハイヴの攻略。 これにより初めて、帝国は次の手を打てる。
そう、大隊長が今言った2大戦略目標を攻略して初めて、帝国国内は内治に注力できるだろう』

『―――諸君、であればこそ、大隊長は諸君にお願いする。 今暫くは、大隊長と共に国を守り切れておらぬ防人との汚名を、甘受して貰いたい。
国民の犠牲の上に成り立つ現在の国防、そして戦況・・・その時までは、忍従を堪えて欲しい。 必ずや、我々の責務が果たされた暁には、国民の辛酸が報われる事を願って』

(2001年8月1日 第15師団第151戦術機甲大隊 大隊長訓示)







2001年8月3日 1345 新潟県柏崎沖北西16海里(約30km) 佐渡島南西端・沢崎鼻沖南方22海里(約41km)海域


晴天だが少し荒れ模様の日本海―――佐渡島の近海を、日本帝国海軍の小型艦が単艦で航行していた。 艦首が波を破り、波頭が艦橋まで降りかかる。
風は強い。 内海と言って言い日本海だが、波風は実は荒れやすく、古来より往来の多い海と同時に、海難事故の多い海でも有るのだった。

「ソッ、ソナーに、かっ、感あり!」

外海の荒さを感じさせる揺れの中、少女と言っても良い年齢の水測員の上ずった声が響き、周囲が一斉にざわつく。 息を飲む声さえ聞こえた。

「焦らず、ゆっくりでいい! そして確実に、正確に報告しろ!」

甲高い声で叱咤する水雷士も、実の所上ずっている。 彼女もまた、水測員同様に実戦経験のない、新品少尉だったのだ。

「は、はい! ええと・・・方位0-4-2、距離フタマル(20海里、約37km)、感知深度250m! 推定個体数・・・約2200! 南南東方面に移動中!」

水雷士はその情報を、直ぐ様上官である水雷長へと伝えた。

「ソナー室より水雷長! BETA群探知! 方位0-4-2! フタマル! 深度250、個体数約2200! 移動進路は1-6-4!」





「艦長?」

「―――対潜戦闘部署に付け!」

副長(兼・戦務長。昔は船務長と呼んだ)の問いかけに、艦長が即答する。 即座に副長が艦橋のマイクを握り、『艦内、対潜戦闘部署に付け!』と命令を下す。
それまでの艦内哨戒部署配置から、対潜戦闘部署配置へ。 各員がラッタルを駆け上がり、駆け下がり、狭い艦内通路をすれ違う。 水密扉が閉められ、通風が止まる。

「艦長! 艦内、対潜戦闘部署!」

全ての配置が完了した事を、副長が艦長へ告げる。 既に艦長はCICへと籠っていた。 さて、どうする? このまま単艦で戦闘に突入するか? それとも・・・

「―――戦務、隊本隊は?」

「本艦南方、8海里」

8海里―――悪くない距離だ。 既に本隊にも発信している、そして25ノットで急行中だ、あと20分ほどもすれば合流できるだろう。
ではBETAは?―――佐渡島南方、25kmの海底を時速20km/hから25km/hの速度で南下中。 もうじき佐渡島から南に突き出た台地を下り、水深400m以上の窪地に入る。

「・・・狙いは、柏崎か。 だとすれば、上陸予想時刻は2時間から2時間半後。 再び迎撃可能水深に達するのは、1時間後か・・・よし! おーもかーじ10!(面舵10度)」

艦長はどうやら、南東海域で本隊と合流しての対潜戦闘―――対BETA水中戦闘を決意した様だった。 舵が利き始め、艦種がグッと右に振れ始めた。

「・・・単艦戦闘より、アテに出来ます。 何せ本艦は、退役予定を大幅に延長したお祖母さん艦ですが・・・乗っているのは、大半が『戦闘処女』・・・乗員自身もですが」

副長が秀麗な顔に苦笑を浮かべながら、艦長にそう言う。 艦長も同じような苦笑を浮かべ、少し肩をすくめて副長に言い返した。

「仕方ない、副長・・・本艦が改修工事を終えて、艤装段階に入った時、対BETA戦闘経験者は私と副長(兼・戦務長)、君に・・・それに砲雷長しか居なかったのよ?
機関長は商船からの召集組、主計長と軍医長は学校を出たばかり。 各掌長や先任下士官も、召集組で大半は戦闘処女ばかりの娘達・・・」

―――我が身を呪ったわよ。

そう言って、加瀬優子海軍予備少佐は苦笑した。 再建なった海軍舞鶴鎮守府に属する、第115哨戒戦隊。 その中の1艦である『綾波』型対潜海防艦のネームシップ『綾波』
1958年に竣工した老嬢ながら、3度の大改修を経てDDK(対潜駆逐艦)からFFK(対潜海防艦=フリゲート艦)として延命処置を施され、日本海での哨戒行動に就いている。

本土防衛戦、明星作戦などで少なからぬ水上艦艇を喪失し、また乗員の損失も無視出来ない状態だった帝国海軍は、乗員補充を世界トップクラスの海運界に求めた。
元々、日本の海運界は海軍の補充要員供給と言う任も担ってきた。 高等商船学校から商船大学に至った高級船員養成校では、入学と同時に海軍予備学生に任じられる。
そして卒業と同時に海軍予備少尉に任官。 その後は海運界での実務経験と、年数回の訓練招集を受ける。 これは海員も同様で、海軍予備員たる予備下士官、予備海軍兵となる。

艦長の加瀬予備少佐は、本土防衛戦後に商船会社の大型タンカー乗組み商船士官から、召集されて海軍予備士官へと組みこまれた。 副長も同様だった。
そして『明星作戦』には駆逐艦乗組みの予備士官として従軍し、その後は暫く佐世保配属の駆逐艦に。 舞鶴鎮守府再建後は、そこの鎮守府所属で1艦を任される身であった。

「・・・男の大半は、GF(連合艦隊)やEF(護衛艦隊)の主力艦に回されますしね。 鎮守府所属の警備艦隊になんか、滅多に回って来ません」

「ふん! 『女学校艦隊』か! GFめ! ナニの小さい男は、嫌われるわよ!?」

「艦長・・・ですので、女ばかりとは言え、そう言う物言いは・・・」

再建なった横須賀、舞鶴、そして辛うじて死守した佐世保、新たに開設された大湊。 この4箇所の海軍鎮守府所属の警備艦隊所属艦は、その乗組員の80%以上が女性だった。
日本がその国力の限界を振り絞っている現在、社会への女性進出、等と言う言葉はすでに死語だ。 どこを見回しても、どんな職場でも、半数以上が女性で占められるのだから。

「それより副長、後続のBETA群は? 探知していない?」

「水測からは、未だ何も・・・本艦は改修で贅沢にもOQR-1(TASS曳航式パッシブソナー)を搭載していますので、半径30海里で見落としは無いかと」

「じゃ、後は北方海域の大湊の連中(大湊鎮守府・第224哨戒戦隊)が探知するか、或いは衛星情報ね。 暫く現在の配置を続ける。 本隊合流は15分後、即時戦闘開始」

「はっ!」






同日1735時 柏崎付近 北陸・信越軍管区(第5軍) 第8軍団第23師団機動歩兵第72連隊


「ちぇ―――やっとこ、お出ましだぜ! 15師団だ!」

防御陣地―――前面に対BETA地雷を敷設し、小高い丘の頂上に申し訳程度の塹壕を掘り、それを連絡通路で繋げただけの野戦築城陣地。
塹壕の淵で地上戦闘用の三脚架に乗せたM2・12.7mm重機関銃を、向かって来る小型種BETAに撃ち込んでいた銃手が、南東の方向を見上げながら愚痴る。

「戦術機か!? 何機居る!?」

装弾手が射撃音に負けない大声で聞き返す。 弾薬箱から装弾された給弾ベルトを取り出し、撃ち尽くした重機の機関部上面にセットする。

「見たトコロ・・・2個大隊ってトコか!? 94式だ、上々だろうさ!」

分隊支援火器のMINIMI(5.56mm機関銃)で、兵士級BETAを蜂の巣にした兵士が肩を竦める。 次の瞬間、新たな目標に向けて射撃開始。

「ウチの師団戦術機大隊は、未だ77式だからなぁ・・・!」

LAM(110mm個人携帯対戦車弾)を手にした兵士が、後方の安全確認をした後に、段差を駆けあがって来た戦車級BETAに向けて発砲しながら溜息をついた。

佐渡島に最も近い北陸・甲信越を守備する第5軍。 その中で主に新潟県と長野県全域を守備範囲とする第8軍団(第23、第28、第58師団)
だがその内実は、実にお寒い限りと言えた。 3個師団の中で甲編成師団はおろか、乙編成師団(戦術機1個連隊を保有)すらない。 丙編成師団(戦術機1個大隊を保有)なのだ。
それは僚隊である第17軍団(富山県と石川県を担当。 第21、第25、第29師団)も同様だった。 佐渡島に直面する、最重要守備管区が、この様なお粗末さとは!

「まあ、それでもヤバい時は後ろ(北関東絶対防衛線)の7軍が来てくれる! あそこの14師団(第18軍団)は甲編成師団だし、12師団(第2軍団)も乙編成師団だし!」

後方から支援砲撃が着弾した。 前方500m付近で一斉に着弾して炸裂、小型種BETAが集まったこの戦区のBETAを、こぞって吹き飛ばした。
前方が一斉に爆煙と土煙に覆われる。 向かって来ていたBETA群はおよそ100から120体、その全てが戦車級以下の小型種BETA群。 

「それに15師団も、ようやく支援態勢に入ったからな! 今までマレー半島に出ずっぱりだったけど・・・戦術機6個大隊って言ったら、乙編成師団の倍だし!」

これで終わったか? そう思ったがやはりしぶとい連中だ、まだ20体から30体程が動いている。 分隊の塹壕だけでなく、他分隊からも火線が延びる。
損傷を受けながらもなお、緩慢ながら動いて向かって来る闘士級BETAに、小銃手が89式の5.56mm弾を浴びせかけた。

「今回はお陰で、戦術機が合計4個大隊。 BETAは2200、そろそろ終わるかな?―――うわっ! まずっ! 右2時! 戦車級5体! 距離150!」

塹壕からは死角になっていた、ちょっとした崖―――そこから戦車級BETAが5体、這い上がり姿を見せる。 しかし重機は前方への射撃に必死だ。 LAMは撃ち止め。

「くそっ! MINIMIでも何でもいい! 撃て! 撃て!」

「駄目だろ!? M2(12.7mm重機関銃)じゃなきゃ、アイツは始末できない!」

「ほざく前に、撃て! 馬鹿野郎! って・・・え!?」

突如として空気を切り裂く様な、特大の羽音の様な飛来音と共に、5体の戦車級BETAが弾け飛んだ。 赤黒い内蔵物と体液の堆積物に、一瞬にして変わる。
その直後、前方100m付近に1機の戦術機が舞い降りた。 そして続けさまに1機、2機、3機・・・瞬く間に周囲の戦場に40機程の94式『不知火』が舞い降りる。

「やった・・・! 戦術機部隊だ!」

「遅せぇぞ、馬鹿野郎!」

「チクショウ! やれ、やれ! やっちまえ!」

戦術機部隊は付近の小型種BETAを瞬く間に一掃すると、今度は中隊単位に分かれて各戦域に飛び去ってゆく。
最後に、最初に舞い降りた1機の戦術機が、少しだけ後方を振り向いた―――機体の肩部に白い太線と細線が1本ずつ。 そしてその機体は操り難い『不知火・壱型丙』

―――あれはベテランだ。 そしてあれは大隊長機だ。

『壱型丙』は、余程のベテランで無ければ乗りこなせない。 師団の戦術機部隊の面々がそう言っていた。 そしてそんな『余程のベテラン』は、逆に『壱型丙』を好むとも。
そして機体肩部の識別ライン。 白の太線と細線、各1本は大隊長機を示す。 その大隊の『旗機』だ。 歩兵部隊でも、その位は判る。


その大隊長機は一瞬だけ後ろを見て、直ぐに従えた3機を連れて飛び去って行った。






「おう、ご苦労だったな、周防。 今回は助かったぞ」

第23師団の駐屯地、柏崎基地。 その基地の簡素な将校集会所で、師団戦術機甲大隊長の都島晴之少佐が、増援に駆け付けた同期生を労っていた。

「いや、都島、貴様こそ。 この最前線を支えているのは、貴様と大島さん(大島正孝少佐・第28師団。 17期A卒業)だ。 俺は助っ人で呼ばれる時だけだ・・・」

第8軍団の中でも、新潟県に配備されているのは、第23師団と第28師団の2個師団。 第58師団は長野県に配備されている。
周防少佐は、その最前線を支える要と言って言い、師団戦術機甲大隊を率いて戦う同期生を、逆に労っていた。

BETA掃討戦も終了し、残存個体が居ない事を確認したのが1910時。 それから基地へ帰還して、損害状況と戦果の最終確認、整備を命じて、部下にレポートを命じ、会議に出て・・・
ようやく人心地着いたのは、日もすっかり暮れた2330時。 部下達はとうに休ませている。 指揮官にとっては、ようやくの事で出来た束の間の休息時間だった。

「貴様のあの機体、『壱型丙』か? 噂では扱いにくいと聞いたが、どんな塩梅だ?」

「・・・癖は有る。 下手な操縦をすれば、全く言う事を聞かない。 燃費も激しい―――腕次第だな。 やり様によっては、壱型より機動性は良いし、燃費も腕でカバー出来る」

グラスに注いだ貴重なウィスキーを味わいながら、周防少佐が答える。 都島少佐はその言葉に頷きながら、少し複雑な表情で同期生に返した。

「貴様が羨ましいよ、周防。 俺の部隊は相変わらずの77式『撃震』だ」

「・・・機種変換の要請は?」

周防少佐のその言葉に、都島少佐は少し舌打ちしながらグラスの中身を飲み干すと、ボトルを手にとって新たに琥珀色の液体を注ぎ込んだ。

「何度も要請した。 師団司令部はおろか、軍団司令部、軍管区司令部にも直談判した。 東京まで足を運んで、統幕にも捻じ込んだ事もある・・・」

都島少佐の言葉が切れ、一瞬静寂がその場を支配した。 周防少佐は何も言わず、同期生の言葉を待った。

「・・・せめて、92式『疾風』で良いから、配備してくれと。 89式『陽炎』は数自体が少ない、そこまで贅沢は言わん。 ましてや、94式『不知火』を寄こせとも言っていない」

都島少佐の飲むピッチが滅法早い。 そんなに酒に強かった記憶は、周防少佐には無いのだが・・・その琥珀色の液体を見つめながら、都島少佐はやり切れない声色で続けた。

「何と言ったと思う? 『第1軍団の充足が先決だ』―――だとさ! BETAとの最前線の新潟! その隣の富山! 裏庭の長野を防衛する第1防衛線部隊だぞ、俺達は!?
その俺達に、丙編成師団しか寄こさず、あまつさえ戦術機は77式! 戦車は74式だ! 90式など、お目にかかった例が無い! 94式!? 俺とて搭乗経験が無い程だ!」

ダンッ!―――テーブルにグラスを叩きつけ、荒い息を吐き出す都島少佐。 握られた拳が、僅かに震えていた。

「如何に改修されていても、77式は77式だ! 89式や92式、あまつさえ94式とは機動性が全く劣る! 装甲防御!? はっ! それが無駄な事は、大陸失陥が証明した!」

同期生の無念は、痛いほどよく判る。 長年戦場に身を置く者として、せめて少しでも戦果の上がる道具を、少しでも部下達が生き残れる機体を―――血を履く様な、その言葉は。

「一体・・・一体、本防(本土防衛軍総司令部)の連中、何を考えていやがる!? 俺達の第1防衛線、永野(永野容子少佐)の14師団もいる第2防衛線!
その2つの防衛戦の奥深くで、帝都周辺でのんびりやっている第1軍団だぞ!? その連中がどうして、甲編成師団(第1、禁衛師団)を2個も!? 第3師団も乙編成師団だ!
周防、貴様も知っているよな!? 第1軍団が何と言われているか!? 俺達が何と呼んでいるか!? 妬みでも何でもない、腹の底からだ!」

「・・・『ショーウィンドウ軍団』、だ」

「そうだ! 連中は『ショーウィンドウ軍団』だ! 帝都でふんぞり返りやがって! 戦場には全く出て来やしない! その癖、装備は常に最優先配備!
何が『我ら、精鋭の実力』だ! あの連中、対BETA戦闘の経験は俺達より遙かに低いんだぞ!? もっぱら対人戦訓練ばっかりしやがって!
連中の言う『精鋭』ってのは、督戦部隊としての腕前か!? 俺達、最前線部隊を死地に送り込む為の腕を磨いていやがるのか!? 周防、どうなんだ!?」

(―――くそ、悪酔いしたか・・・)

内心で舌打ちしつつ、周防少佐は都島少佐の言葉を、いちいち否定出来ない事にも気づいていた。 何よりも周防少佐自身が、そう思う所もあったからだ。

(―――しかしな。 ここではともかく、余所でこんな事言わす訳にもな・・・)

なら、ここで全て吐き出させてしまおうか? 愚痴の聞き役になってしまうが、それはそれ、同期生とはそう言うものだ。

「あのな、都島。 俺は思うんだが・・・って、おいおい・・・」

気が付けば、都島少佐がテーブルに突っ伏して、撃沈していた。









2001年8月6日 1030 新潟県・長野県県境 第15師団


「へえ? 都島さんがですか? 意外ですね、真面目な人だと思っていましたが?」

3日後、松戸へと帰還する車輌の列の中で、同乗していた第155戦術機甲大隊長の佐野慎吾少佐が、意外そうな声で言った。
佐野少佐は周防少佐や都島少佐の半期下、18期B卒だからか、18期A卒の彼等の事も良く知っていた。

「真面目だよ、都島は。 真面目で職務に熱心で、部下思いで・・・だからこそ、普段から腹に貯め込んだ澱が有ったんだろうなぁ・・・」

今回の増援は、第2(B)機動旅団(指揮官・名倉幸助准将)が率いていた。 戦術機部隊は周防少佐の第151と、佐野少佐の第155の2個大隊が組み込まれていた。

「そりゃまあ、そうでしょうねぇ・・・自分も言いたい事の10や20、直ぐにでも出てきますよ。 それが都島さんなんかは、最前線を預かる部隊の指揮官で、あの待遇だ・・・
正直、軍の中央偏重は今に始まった事じゃ、ないですけど。 にしてもね、どうして第1軍団をあそこまで手厚く配備する必要が、今あるのかって言うと・・・ですよ」

その手の話題になると、もう彼等レベルでは苦々しい思いと同時に、苦笑するしかない。 どこの国も同様だが、帝国軍にも相変わらず、中央偏重の悪しき伝統は生き残っている。

「そう言えば、少しだけ大島さん(大島正孝少佐・第28師団。 17期A卒業)と話した時に・・・」

佐野少佐が語尾を濁しながら、言おうか言うまいか、と言う素振りを示す。 結局は周防少佐の視線に負けて、言ってしまったのだが。

「言っていましたよ、『政治講釈を垂れる暇が有るのなら、少しでも前線に出て来きて、BETA共と戦えと言いたい。 
第1師団の若手や中堅将校連中は、昨今では一端の壮士気取りで、ピヨピヨさえずりやがる連中ばかりだ』って・・・」

「・・・一応は、『戦略研究会』とか言っているけどな・・・」

「自己満足の、馬鹿共ですよ。 軍人が政治に首を突っ込んで、一体どうしますか?」

佐野少佐の言葉に、周防少佐も苦笑するしかない。 前線と後方の温度差と言うか、認識の差と言うか・・・前線部隊の言いたい事は『もっと兵力を! もっと装備を!』だ。
そろそろ気温が上昇し始める、真夏の山間部を縫うように走る道路。 ここら辺一体も、98年の本土防衛戦で荒らされた場所だ。
それを、『明星作戦』後に新潟方面との連絡を付ける為、最優先で復旧された場所だ―――道路と、途中の軍事施設だけが。

2人が乗っているのは、73式小型トラックの後部座席。 本来なら後部4人乗りだが、通信機器が一角を占める為に5人乗りになっている。
普通は大隊本部要員と共に、高機動車での移動なのだが、今回はどう言う都合か73式小型トラックが1輌余分についてきた。 なので2人の少佐がこの後部座席を占拠している。

「・・・君も、大隊内には徹底させた方が良い。 最近は警務隊はおろか、あちこちが探りを入れているとの噂もある・・・」

声をひそめて周防少佐が言う。 チラッと前を見ると、運転手の兵長は前を向いて運転に余念がないし、助手席の一等兵(通信兵だった)は、先程から無線機を手に交信している。
それに車内の騒音などお構いなしなのが、軍用車両―――戦闘時の輸送車両だ。 市販の車両を流用しているとは言え、静粛性など二の次。 声を聞かれる心配は無いのだが・・・

「・・・あの、どこぞの学者先生が発表した、『帝国改造法案大綱』とやらですか? 余りに過激だってんで、国家憲兵隊から発禁処分にされた?」

「愛読者がな・・・多いらしいよ、第1師団・・・」

「馬鹿な・・・本気で?」

昨年の秋に帝大を辞した元教授が発表した論文―――と言うよりも、半ば思想書―――が、発禁処分となったのは今年の初めだった。

『日本帝国は皇帝・将軍と国民が一体化した、真の民主主義国家である。 しかし財閥や腐敗政党によって、今やこの一体性が損なわれており、これを取り除かなければならない。
その具体的な解決策は、将軍によって指導された真の国民によるクーデターであり、三年間憲法を停止し両院(貴族院・衆議院)を解散して全国に戒厳令をしく。
国民総選挙を実施し、そのことで国家改造を行うための議会と内閣を設置することが可能となる。 この国家改造の勢力を結集する事で、真の国民議会を結成する』

他に経済の構造改革。 私有財産の規模を制限し、一定額以上は国有化とする。 この事で資本主義の特長と、社会主義の特長を兼ね備えた経済体制へと移行することができる。
この経済の改革は、財政の基盤を拡張して福祉を充足させる為の、真の社会改革が推進できる。 そしてその上で、日本独自の伝統、文化、精神を基礎として国家の繁栄を目指す。

「・・・何か、取って付けた話ですよ。 大昔の右派思想家の言い分を、そのままなぞった様な・・・」

「最後の部分は、あれは『日本主義』、そのままだな。 恐らく『日本主義』に信奉者の多い武家社会への受け狙いか・・・将軍を担ぎ出そうとする以上はな・・・」

基本的には統制社会―――国家社会主義の考えが根底にあるのだ。 それ自体は珍しくない。 実のところ、保守派も皇道派も、そして現政権も、少なからずその傾向を持つ。
一般社会からは見えにくいが、日本帝国の統治、その主導権をほぼ手中に収めた『統制派』と呼ばれる軍部主流の軍官僚と、中央官庁の革新官僚の連合体も同様だった。

国家本来の機能として支配・統制が行われるとする『国家社会主義』を提唱し、日本独自の伝統、文化、精神を基礎として国家の繁栄を目指すという旧来からの保守派。
これは『最も完成された社会主義国家』と揶揄される日本の、その古い保守勢力が中心となっている。 実は武家社会にも、この信奉者は多い。

次に国家や政府が、国民の権利や利益を反映して、社会主義政策を進める事を主張する、国家社会主義論がある(この方法論は、議会制民主主義による改良主義である)
現総理大臣・榊是親の社会保障政策も、国家社会主義と呼ばれる事がある。 榊は『明星作戦』後、戒厳鎮圧法を制定した。
が、他方では労働者・難民の社会保障や、教育費の無償化など、社会主義的政策を実施した(但しこの政策は、年々増大する莫大な軍事支出に圧迫され、その予算枠は減少)

そして、皇帝・将軍親政権制限の強化や、財閥規制の放置、政党の腐敗、野放し状態の難民対策など、政治への深い不満とその関与を目指して自然的に結成された皇道派。
彼等は先の『帝国改造法案大綱』等の思想に影響を受け、同時に同僚・部下、或いは自身の親類縁者の境遇を憂い、祖国の窮状に危機感を抱く若手・少壮の軍人・中堅官僚が多い。

国家社会主義の最後の勢力は、現在の主流勢力の『統制派』 元々は軍内の規律統制(文民統制の尊重・堅持)の意味から、統制派と呼ばれていた。
それが大陸の末期を直視する内に、軍内統制派と中央省庁の革新官僚とが繋がった。 彼等は強固な軍備や産業機構の整備に基づく、総力戦に対応した『高度国防国家』を構想した。

「・・・『軍人は、政治に関与するなかれ』 古い言葉だが、同感だな」

「・・・『我等、祖国の醜盾たれ』ですか。 訓練校じゃ、毎朝、毎朝、言わされましたが。 実際、歴史を見ても軍人が政治に関与すると、碌でもない事ばかりだ」

「・・・僕は、米国の大学でそれを学んだよ」

そして最後に、国家社会主義色を非難する議会の野党勢力。 彼等は『日本新保守主義』と呼ばれる。 或いは『新自由主義』とも呼ばれ、大都市の市民を基盤にして台頭した。
内政的には規制緩和、民営化と自由貿易・自由経済の推進、福祉政策・社会保障の削減・縮小、解雇規制の労働法制緩和など、供給サイド重視の政策を主張する。
外交的には復古的改憲論、アメリカとの間の相互協力及び安全保障条約(日米同盟)の再条約と強化。

「確か・・・帝国軍の正面装備を削減する一方で、『日米同盟の強化による安全保障』を中心に据えていた・・・でしたね?」

「うん・・・親米保守派の主流となりつつある。 西日本の荒廃した市町村廃止の推進やら、道州制による地方交付税交付金の削減やら・・・そんな改革推進を主張しているな」

「保守派や皇道派、おまけに武家社会からも『難民・弱者切り捨てだ!』と、議会であわや大乱闘騒ぎまで、非難されていましたっけ・・・」

しかしながら、今現在、極東戦線の最前線で袋小路状態に陥っている日本帝国では、特に都市部の富裕・中流層からの支持を集め始めている。
彼ら都市部住民にとっては『どうして我々だけが、一方的な増税を背負わされねば、ならないんだ!』と言う不満が有る。 都市部住民と難民との間で、反目が育っていた。

「・・・正直、もう『乗るか、逸るか』なのだと思う。 どう足掻いても、巨額の軍事支出と、これも巨額な社会保障支出を両立させるだけの、そんな財布を祖国は持っていない。
どちらかを取れば、もう一方には財布を締めなければ破産する。 では、どちらに財布を開けるか? 日本を生き残らせる為には、だけどね・・・」

周防少佐の小声に、佐野少佐が苦笑しながら、疲れた表情で言い返す。

「・・・社会保障費を増額しても、佐渡島を陥す事など、出来ませんね・・・」

「・・・せめて半島の甲20号・・・鉄原を陥さなければ。 90年代初め、俺達が初陣を果たした頃の状況まで回復させなければ、帝国が内治に注力するのは無理だ」

「・・・それまで、国内が保てば、の話ですか」

実際、彼ら佐官クラス以上の軍人達は、皇道派の青年将校達以上の焦燥感を持っている。 階級・地位に伴い知り得る『真実の』情報。
佐渡島は年内、遅くとも来年の春までに。 半島は2~3年の内に攻略しなければ。 そうでなければ、肥大し続ける軍事支出と社会構造の疲労は、BETA以前に国を喰い尽す。

「・・・だから統制派は、軍の増強・・・98年から99年に蒙った損害の回復に躍起になっているし、税収の拡大を求めて産業界の統制化を強めている」

「そして現政権は国連との繋がりを、より強化する方向で、別のアプローチで時間と、そして手段を得ようとしている・・・」

「どちらも、有り金を全て1点に張り込んだ大博打を打ったのさ。 いや、そうせざるを得なかった。 もう、帝国には手札が無いからな・・・」

ヒソヒソと話しながら、周防少佐も佐野少佐も、次第に気分が沈んでいくのを自覚した。 状況を整理すればするほど、祖国の未来に光を見出せなかったからだ。
運転手の兵長が、訝しげな表情でバックミラーを覗き込んでいる。 が、敢えて無視した。 どだい、お偉いさんの話に首を突っ込めないし、どうせ碌な事では無いのだ。









2001年8月7日 1350 日本帝国 帝都・東京


暑い夏の盛りでも、炎天下の屋外で例え30分(!)も待たされようとも。 女に惚れた男は、とことん馬鹿になれるものだ。
帝国陸軍の第3種軍装(夏服・半袖開襟ワイシャツ型)に軍帽を小脇に抱え、街行く人の波を眺めながら、周防直秋陸軍大尉は炎天下、ずっと突っ立っていた。
時折、通行人が気味悪そうな表情で、チラチラと眺めながら通り過ぎる。 当然だろう、軍の将校がこの炎天下、時折表情を崩しながら、汗をかいて突っ立っているなど。

遣欧旅団の1員として欧州に1年派遣された後、帰国後に編入された部隊は、本土防衛軍総予備の第16軍団所属の第39師団だった。
元々、1個戦術機甲大隊しか保有していない丙編成師団だったが、遣欧旅団戦力をそのまま受け入れた結果、戦術機3個大隊―――1個戦術機甲連隊を有する乙編成師団に再編された。
そこの第3大隊―――第391戦術機甲連隊第3大隊、第3中隊長に任じられた。 上官は以前にも部下として仕えた事が有る、復帰した伊達愛姫少佐。

「―――な、直秋さん!?」

不意に傍らから、驚いた様な若い女性の声がした。 振り向くと1人の女性が―――淡いクリーム色のサマードレスを身に纏った、愛らしい顔立ちの女性が驚いた顔で見ている。

「い、いったい・・・え? あ、あの・・・私、待ち合わせの10分前に来たつもりですけれど・・・え? ええ? も、もしかして私、時間を間違え・・・ました・・・?」

「あ、百合絵さん。 ああ、いやいや、自分がちょっと早く着き過ぎただけで・・・」

ちょっと? それにしては、この汗・・・

「ははは・・・ちょっと、40分ばかし早く・・・はは、は・・・」

照れ隠しに、虚ろな笑いをする周防直秋大尉。 そんな彼を唖然と見つめる、百合絵と呼ばれた女性。 やがて驚きから我に帰ると、今度はちょっと顔を顰め、お説教風に言う。

「んっ、んんっ! 直秋さん? いくら軍人さんで鍛えているとは言え・・・この炎天下ですよ? 熱中症にでもなったら、どうするんですか?」

「ああ、いや、大丈夫。 この位は新米少尉時代に、当時の鬼畜な上官に扱かれましたので・・・」

―――因みに鬼畜な上官とは、彼の従兄の事である。

「駄目です! いけません! お身体は大事に為さってください! 本当に、気分が悪いとか・・・そんな事、無いですか!?」

そう言って、本当に真剣な表情で心配を始めた、付き合い始めた女性に思わずドキリとしながら、周防大尉はようやく我に帰る―――おい、ここは街中だった!

「ああ、いや、本当に大丈夫・・・あ、いや、ちょっと暑いかなぁ? どこかで涼みたいかなぁ・・・って、うん」

そんな相手の態度に、クスリと微笑むと、まるで満面の夏の花の様な笑顔を浮かべて、『じゃ、あっちの喫茶店にでも』と誘う。
恋路にのぼせ、真夏の炎天下に茹り切った馬鹿な男に、ようやく頭も体も冷やせる機会がやって来た訳だった。





「・・・戦術機って、危なくないのですか?」

喫茶店内の一角、普段はクソ不味い代用コーヒーで作ったアイスコーヒーも、このクソ暑さと女性にのぼせる頭には、心地よい程美味い。

「いや、別にちゃんと操縦している限りは、結構安全なんだ。 機体制御コンピューターとか、かなりの高性能だしね」

アイスコーヒーをひと口飲んで、周防大尉が目の前の女性にちょっと照れ笑いしながら話す。 高瀬百合絵、妹の同僚で先輩。 1歳年下の小学校の先生。
欧州から帰国して暫くしたある日、休暇で実家に戻った時に妹が家に連れて来ていた。 そこで初めて出会った。 紹介された時の笑顔が忘れられなかった。
それからだ、なにかと妹に頼みこんでは、休暇の度にセッティングをして貰い・・・『兄さん、もう大人なのだから・・・百合絵先輩も、悪い気はしていない様よ?』

(ええと・・・こうして会うのは・・・これで9回目。 ううむ・・・)

ふと、先日に従兄の家に言った時の事が思い浮かんだ。

(冗談じゃないぞ・・・直衛兄貴に乱入されて見ろ、どこまで話が突っ走るか・・・)

高瀬百合絵と言う女性は、明るくて柔らかな印象で、まず子供達から慕われている女の先生、まさにそんな感じの女性だった。
言って見れば自分の一目惚れだ、だからこそ不埒な闖入者には邪魔をされたくない。 ましてや、あの従兄には・・・

「・・・直秋さん? どうかなさったの?」

ふと我に返る。 拙い、拙い、どうやら悶々としていて、彼女の話を上の空で聞いていた様だ。 もったいない、貴重な逢瀬の時間だと言うのに!

「あ・・・あの、百合絵さん! 話を聞いて欲しい!」

「は、はい!」

急に身を乗り出し、真剣な表情で切り出した周防大尉に、百合絵嬢が驚いた表情で思わず両手を胸の前で組んでいる。

「あ、あのですね! 自分は軍人で・・・つまり、危険が商売なわけで。 でも、それは自分なりに戦う理由が有って戦っている訳で、それを誇りにもしている訳で・・・」

―――上手く言えない。

相手の女性、高瀬百合絵嬢は黙って、神妙な表情で、そんな周防大尉の言葉に聞き入っている。

「ええと、その・・・でも何て言うか、自分も支えと言うか、拠り所と言うか・・・誰かの為に頑張っているって、そう思いたくって・・・」

―――ああ、何を言いたいんだ? 俺って?

「べっ、別に、だからって訳じゃなくって・・・その、初めて自分の家でお会いした時からその・・・ああ、何て言うか・・・」

―――まだるっこしい! 自分の気持ち、はっきり言えよ! じゃねぇと、あの直衛兄貴が本当にしゃしゃり出て来るぞ!?

「その! ぶっちゃけ言ってしまうとですね・・・自分、貴女に、百合絵さんに一目惚れです! こうして会っている内に、益々惚れてしまいました!
だから・・・ええい! 前置きは良いんだよ! くそ! だから・・・俺、貴女に惚れています! 好きです! 本気です! ですから・・・付き合って下さい!」

ガバッとテーブルに両手を突いて、頭を深々と下げて、求愛する帝国陸軍大尉―――ここは喫茶店の店内。 小さなざわめきが聞こえる。
深々と頭を下げながら、しまった、他にも客が居たんだっけ・・・と、冷汗をかく周防直秋大尉。 そして女性の返事を、女神の信託が下る気分で、平信者の如く待ち受ける。

「・・・ぷっ、くすくすくす・・・」

やがて、柔らかい笑い声が聞こえた。 頭を上げると、柔らかな笑みに、笑い涙を浮かべながら微笑んでいる高瀬百合絵嬢。

「あ・・・あの、百合絵さん?」

「ご、ごめんなさい・・・くすくす・・・」

邪気の無いその笑いを、どう捉えたらいいのか、一瞬判断に迷う周防大尉。 彼とて随分と戦場を渡り歩いた歴戦の将校だ。 判断力には自信が有った。
だが、BETAの動向を読み取る能力も、どこを叩けば効果的な戦果と、部下の生還を果たせるかの判断力も、今の目の前の笑みをどう判断していいのか、全く役に立たない。

「深雪ちゃんの言っていた通り・・・『私の兄って時々、信じられない位、真っすぐな子供の様な事をするんです』って・・・」

「あ・・・あいつめ・・・」

妹の、兄への評価を、惚れた女性の口から聞かされた周防直秋大尉は、今度こそ『穴があったら入りたい』と、真剣にそう思った。

「でも私、そんな所、素敵だと思います―――あの、私・・・お付き合い、させて下さい・・・」

最後の消え入りそうな、恥かしそうな声を確かに聞いて、周防大尉は天に昇る様な喜びを感じた。

―――最もその直後、喫茶店内から拍手が湧き上がって、若い2人は顔を真っ赤に染めてしまったのだが。





「―――おい、周防? 周防か?」

晴れて『恋人同士』に昇格した2人が街中を幸せな気分で歩いていると、不意に横合いから声を掛けられた。
周防大尉が『誰だ!? 邪魔をする馬鹿野郎は!?』と言うかの表情で振り返ると、そこには相手の表情に吃驚している同期生の姿が有った。

「―――高殿!? 高殿か!? おい、久しぶりだなぁ!」

周防大尉の同期生、第1師団第3戦術機甲連隊に所属する、高殿信彦大尉だった。 周防大尉の横に控える様に立つ高瀬嬢に、静かに目礼をする。

「こちらの女性は? 恋人か? 紹介してくれるか、周防?」

「あ、ああ、スマン。 彼女は高瀬百合絵さん、小学校の先生をしている。 うん・・・恋人、だ。 百合絵さん、彼は高殿信彦大尉、同期生だ」

「―――高瀬百合絵です。 帝都第38国民小学校に、奉職しております。 周防さんとは、その・・・」

「自分は、高殿信彦陸軍大尉で有ります。 こちらの周防君とは、衛士訓練校での同期生です。 周防―――貴様、こんな素敵な女性を捕まえていたなんて、聞いてないぞ!」

長身の高殿大尉が、周防大尉の首根っこを押さえこむようにして、破顔しながら笑っていた。 周防大尉も照れながらも、嬉しそうな笑みを浮かべている。
傍目には若い同期生の将校同士が、久々の邂逅を喜びあっている。 傍らにはその内の1人の恋人である若い女性が・・・微笑ましい、そんな光景だった。

その内『邪魔をしたら悪いから』と言って、次回の再会を約して別れる事になった。

「―――所で高殿、貴様、この辺に用事でも?」

この辺りは帝都の東部、西関東防衛戦や『明星作戦』でも戦火の及ばなかった地域だ。 まだまだ、以前からの町並みが残されている。
周防大尉が言ったのは、第3戦術機甲連隊の駐屯地は府中基地であり、そしてこの辺りには軍の施設が無かったからだ。 独りで、街中を?

「―――この先に、両親と兄夫婦の墓が有る」

高殿大尉の故郷は広島県―――壊滅した、そして現在は関門海峡を防衛する為に、軍事要塞化された場所だった。

「故郷に建てる訳にも、いかないしな・・・今日は祥月命日でな。 これから、この先の軍の孤児院に行く。 死んだ兄夫婦の子供達・・・甥と姪が居るんだ」

「・・・済まん」

神妙な表情で言う同期生と、その横でそっと頭を下げたその恋人の女性の姿に、高殿大尉は一瞬苦笑してから、破顔して言った。

「なんだ? 周防、貴様らしくない。 貴様と蒲生と、それに森上・・・同期生の横着3人組に、そんな神妙になられちゃ、くすぐったくてしょうがないぞ?」

「・・・ふん、言っていろ。 おい、次の同期会には顔を出せよ?」

「ああ・・・そうだな、そうするよ」





2人連れだって歩き去る同期生と、その恋人の後ろ姿を見ながら、高殿大尉は微笑ましさと、少しばかりの羨ましさを感じながら、それを振り払うかのように向き直って歩き始めた。

(―――周防、貴様は・・・)

歩きながら、次第に頭の芯が冷めてゆく。 内心から沸々と覚悟が湧き上がる。

(―――周防、貴様は、その女性を大切にしろ。 日本の将来の為にもな・・・)

同期生を祝福しながら、自分にはその機会は永遠に訪れないだろう、そう確信していた。

(―――俺は、俺に信じる道で、この国の礎になる。 正しいか、間違っているか・・・もはや、論じる猶予は無い。 行動有るのみ)

この先の孤児院に寄った後、もう一箇所立ち寄る場所が有った。 そこには彼と志を同じくする、第1連隊の1人の大尉が待っている筈だった。






[20952] 予兆 3話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2012/08/25 03:01
2001年8月10日 日本帝国 帝都・東京 某料亭


「総理、それは難しいですな」

帝都の一角、とある高級料亭で2人の政治家が密談していた。 ひとりは最大野党の党首で、新保守主義の、ひいては親アメリカ派の巨魁と目される民政党の党首。

「しかし、大泉さん。 何もかも、あの国に寄り添う事は出来んのだ」

ひとりは政権与党、政友党の党首であり、内閣総理大臣を勤める榊是親首相。 両党の党首たちは、表向き話せない事をこうして密談の場で調整し合っていたのだ。

「我が党とて、日本の窮状は認識しておるよ。 佐渡島の奪回、それに続く山積みの内政問題への対応。 しかしね、榊さん。 これはもう、我が国だけで対処出来んよ」

「だからこそ、国連や大東亜連合、オセアニア諸国やEUと歩調を合わそうと言うのだ、大泉さん」

「国連はアメリカの意向に左右され易い。 それに言わば究極の利害調整機関だ、アレは。 それに大東亜にEU? 国土を荒らされた者同士で、傷を舐め合うのが上策かね?」

だから、頼るべきはアメリカ―――軍事、経済、工業生産力、共にもはや世界で唯一の超大国たり得る、アメリカとの共存(反対派は従属と言う)、それ以外に道は無い。
新保守主義は、言わば『パックス・アメリカーナ』の傘の下での、国土回復を目指すという一面を持つ。 そして日本の伝統主義者は、それに拒否反応を示している。

「民意を納得させられんよ、それでは」

「ならば、まだ統制派の方がマシ、と言う事かね? 連中にとって、政治家とは単なる仮面に過ぎん。 全ては官主導であって、政治家はそのスピーカー程度だ。
納得出来るか、榊さん? お互いに政治を志して数10年。 今さら官の操り人形で政治生命を腐らせる事が? 考えは違えど、私もアンタも、政治を志したのだぞ?」

国内の認識と微妙に違い、実際のこの国の政治は軍部や中央官庁の官僚群(統制派)、与野党の綱引き、一部武家社会の反発、そして財界の動きなど、危ういバランスの上に成り立っている。
榊是親首相は、それら諸勢力の意向をある時は受け入れ、ある時は敢然と反対しつつ、そのバランスを壊さぬように最新の注意を払いながら、難しい国家の舵取りを行っている状況だった。

「若い連中が叫んでいる、国家改造論など論外だ。 あんなもの、現実が見えない若造どもが浮かれて熱病にかかって言っている様なものだ。
中にはそれに同調する振りをして、組織内の主導権を掌握しようとしている馬鹿共も居る・・・呆れてモノも言えん」

国粋派の高級将校・高級官僚たちの事だった。

「・・・殿下に現実政治の困難さを、押し付ける訳には参らぬ。 一部武家が騒ぐ、大政奉還論なども同様だ。 大泉さん、私は今更、摂家に現実政治に韜晦して貰いたく無い」

「長らく現実政治から遠ざかっていた、やんごとなき方々だよ。 今更、下々の事など判る筈も無いだろう、摂家には」

五摂家、それぞれ得意分野があるとは言え、国家を統治するのはまた違う。

「皇帝陛下の御宸襟を、これ以上乱し奉る訳にもいかない。 現実を見るに、統制派のやり方は参考になる。 しかし主導権は我々政府が―――政治家が握るべきなのだ。
だから大泉さん、協力してくれないか? 統制派の、身も蓋も無いやり方では無く、国粋派の時代錯誤でも無く・・・日本が、民意ある国として、この国難を乗り切る為に」

与野党大連合、挙国一致内閣の成立。 まず、早急な(出来れば本年内に)甲21号―――佐渡島の奪回作戦の発動、その後の内治の充実を目指す。

「でなければ、この国は終わりだ。 終わりなのだ、大泉さん。 あなたなら、民政党内を抑え込める。 アメリカの・・・ウォール街に、待ったをかける事も出来る」

でなければ、これ以上、軍部の不満を抑え込めない。 国家戦略が迷走しては、軍部の方針も二転、三転する。 大攻勢なのか、それとも暫く専守防衛なのか?
国土防衛と言う任務を与えられた巨大な暴力装置は、今では引き絞られた弓の弦の如く、ギリギリのところで抑え込まれている状態なのだ。

「大泉さん、頼む、この通りだ」

「・・・わたしには首相、あんたの見方の甘さが、どうしても払拭できんのだよ」

かくして、今夜の密談は成果を見る事無く終わった。










2001年8月12日 日本帝国 帝都・東京 某ホテル


「おや、周防さん。 お久しい」

「ああ、これは前岡さん。 いや、どうにもこう言う場は、慣れませんでねぇ」

「はは、それは、それは。 流石は『現場の鬼』と呼ばれた、あなたらしいが・・・しかし、これからはそうも言えないでしょう?」

帝都東京、その中心街にほど近いホテルの会場。 つい今しがたまで行われていた経済同友会の政策委員会、その内のひとつである『農林水産業・食料生産改革委員会』
それが終わった後での、会員同士の懇親会が開かれていた。 経済同友会は日本経済団体連合会、日本商工会議所と並ぶ『経済三団体』の一つである。

企業経営者が個人の資格で参加し、国内外の経済社会の諸問題について一企業や特定業界の利害に囚われない立場から自由に議論し、見解を社会に提言することを特色としている。
それ故に様々な政策委員会を開いていた。 企業経営、成長基盤強化、成長フロンティア開拓、国家運営、財政・税制・社会保障、教育、被災復興、安全保障・・・

大日本食品工業株式会社の取締役常務(技術本部長)である周防直史氏もまた、会員として経済同友会の『農林水産業・食料生産改革委員会』に参加している。
話しかけて来た人物も、1部上場の某製造業企業の取締役専務で、経済同友会の会員の1人であり、同年代と言う事で何かと話し事も多い人物だった。

「・・・それより周防さん、あなたもお聞きになったでしょう? 経団連(経済団体連合会)の会長と、日商(日本商工会議所)の会頭が、派手にやり合った事を?」

「あ~、うん、まあ・・・お二人とも、微妙に立場が、アレですからなぁ・・・」

経団連は元々、執行部を財閥系や各重厚長大産業(鉄鋼、電力、電機など)が独占し、その利害が各種国内外問題に対する見解や主張に反映される。
経団連会長は俗に『財界総理』とも呼ばれ、与党や有力野党に政治献金を行い、政界・経済界に大きな影響力を持った組織と言われている。

日商は日本各地の商工会議所を会員として組織した団体で、商工業の振興に寄与する為に、全国の商工会議所間の意見の総合調整や、国内外の経済団体との提携を図る機関である。
東京商工会議所の会頭が日商会頭を兼務するが、経団連と異なり全国の商工会議所の意見が強い為に、どちらかと言うと地域復興・振興、中小企業政策の提言などが多い。

為に、政界への影響力・官界への圧力団体と化しつつある経団連と、BETAの本土侵攻で被災した地方の復旧・復興を望む日商とでは、当然ながら意見は平行線だった。
日本の『経済三団体』の経団連と日商がその調子で、では最後の経済同友会はと言うと・・・これまた、問題を抱えていた。 周防氏が溜息交じりに呟く様に言う。

「そう言えば我々も、理事の奥寺さん(奥寺豊子理事・人材派遣会社代表取締役社長)が、この間の帝都新報のインタビューで、派手にやらかしましたなぁ・・・」

その理事は新聞のインタビューで、『難民(国内避難民)派遣労働者の過労死は、自己管理の問題。 他人の責任にするのは間違っている』とぶち上げ、国内の反感を買った。
更には『労働組合が労働者を甘やかしている』と発言。 そして『労働基準監督署も不要』、『祝日も一切無くすべき』と発言し、巷に大きな論議を呼んだ。
他にも難民派遣労働者に付いて、『貯蓄をせずに自己防衛がなってない』、『企業や社会が悪いなどと言うのは、本末転倒である』などと批判している。
その理事の会社は、経団連主要企業に対して、格安の労働条件で国内難民派遣労働者を斡旋している企業だった。 因みにその理事は、政府の労働政策審議会のメンバーでもある。

「経団連の会長は、早く日米関係を元に戻したいと言う、急先鋒ですからなぁ。 あの人、この間もN.Y.まで特別機を仕立てて、ロックウィードに詣でていましたな」

相手の会員も、渋い顔でそう言う。 日本の財界(主に経団連)の希望は、国民感情とは方向性が異なる。 企業利益増加を最優先とし、世論に反した独善的な提言も多い。
政党に対するあからさまな政治献金とあいまって、その利益誘導的な姿勢には以前から批判も数多く、BETAの本土侵攻後は『日本経済国家親衛隊(経済SS)』などと揶揄される。

「榊総理は、労働条件問題も頭が痛い事でしょうな。 日商の会頭などは、口を極めて経団連と労働政策審議会を、こき下ろしておりますよ」

「とは言え、我々の会社の会長や社長は、経団連では完全に傍流の業種の経営者ですし。 この経済同友会も経団連の『財界人養成所』と言われる始末ですしなぁ・・・」

経済同友会の要職を経て、経団連の要職に転ずる財界人が余りにも多い為、その様に揶揄されている。 そして経団連は親米派、いや、米国密着派が多かった。

「最近、民政党(第1野党)に経団連が、多額の政治献金をしましたな。 周防さん、あなたはどう見ます?」

「政友党(与党)は、榊総理が米国とは距離を置いていますからな。 次の選挙、経団連は民政党支持でしょう。 軍や官界からも、日米同盟の再締結を、と言う声も有りますし」

「逆に、日商は政友会支持でしょうなぁ・・・そう言えば周防さんはお聞きになりましたかな? 地方の商工会議所の演説会に、国粋派の高級将校達が盛んに出席している話を?」

「・・・地方は中小企業が多い上に、そこの労働者は難民出身派遣労働者が、過半以上を占めますからな。 経営者も、経団連主要企業の下請け、孫請け叩きに立腹しています。
だからと言って、日商が政友会支持とも言えんのでは無いですかな? 政友会としても、選挙を勝つ為には経団連の金は是非とも欲しい。 榊総理も党内の突き上げが厳しい様ですな」

国内難民問題、そして難民派遣労働者の労働条件悪化問題は、現政権が抱える主題のうちの、ひとつだった(最大の主題は当然、甲21号―――佐渡島奪回である)
国民の多くが疲れ果て、希望を持てないでいた。 佐渡島ハイヴのBETAに怯えていた。 そしてその恐怖と悲観を排除できない政府と軍部に、不満を募らせていた。

「まぁ、我々としても国粋派の言う『日本改造論』など、ハタ迷惑以外の何者でも有りませんが・・・」

「下手糞な全体国家社会主義に、民族主義をまぶした様なものですな。 長年に渡って現実政治から遠ざかっている将軍家や摂家の方々では、国家の舵取りは出来ませんよ」

「はは、これは・・・手厳しいですな、周防さん」

相手の会員は苦笑して、そして次に辺りを見回し、声をひそめて話し始めた。

「・・・その将軍家や摂家の方々に、経団連の一部が金を積んでいる、と言う話は、お聞きになりましたかな・・・?」

「・・・訝しんでおりますがね、どう言う意図で献金しておるのか・・・斉御司家に九條家、それに崇宰家辺りだとか?」

「・・・ええ。 煌武院家と斑鳩家が入っていない所が、どうにも。 いやはや、露骨と言うか、何と言うか・・・」

五摂家は『内政の煌武院家』、『軍事の斑鳩家』と言う様に、政威大将軍を最も輩出している煌武院家、斯衛軍の主流を占める斑鳩家(とその門流=家臣筋の武家)と言われる。
そして他の3家もまた、『外交の斉御司家』(三極委員会に家筋の者が参加)、『経済の九條家』(一族で財閥を形成)、『官の崇宰家』(分家や家臣筋に高級官僚が多い)と言われる。

聞き及んだ話では、軍部国粋派将校団が接近している斑鳩家、そして煌武院家の分家筋に対して、官界・財界、そして外交筋から対抗しようと言う様相を呈し始めている。

「五摂家・斑鳩家が門流(譜代家臣)の洞院家(清華家・赤)御当主は、大政奉還論の急先鋒(この場合は将軍親政論)、何より斑鳩家御当主の懐刀で、斯衛軍軍務部長を務める方。
それに聖護煌武院家(煌武院三分家=聖護、青蓮、大覚煌武院家の筆頭分家)御当主は、未だ御本家嫡孫だった当時の現将軍家の廃嫡を主張した方、未練も有るのでしょう」

「国粋派の高級将校団は、聖護煌武院家に接近しておるようですな。 日商(日本商工会議所)からの裏での資金援助を、聖護煌武院家に献金しておるそうで」

「聖護煌武院家は、御自身が思っている程、傑物ではありませんからな。 むしろ操り易く、乗せやすいお人柄です。 国粋派の上も、神輿に丁度良いと思っておるのでしょう。
しかしながら、国粋派の中堅以下の将校団は、現将軍家(煌武院悠陽)支持者が多い・・・あそこもまた、内部がギクシャクしておりますなぁ・・・」

恐ろしきは、商売人―――大企業の情報収集能力と、そのネットワークと言うべきか。 

「・・・そして、結局は統制派がどう動くのか? 特に軍部統制派は・・・?」

日本帝国最大組織、そして戒厳令下の現在では恐らく最強の政治集団にして、圧力集団と化している日本帝国軍。 その中の最大派閥である、統制派。
その現主流派である統制派の動き方はどうなのか? 企業人としては、そこが最も気にかかるところだった。

「さて、どうでしょうな? どちらにも動きそうな気もしますが、どうなるか・・・」

「ふむ。 周防さんの所も、未だ掴んでおられない?」

探る様な眼だ。 大日本食品工業は食料生産関連全般企業として、軍部との繋がりも深い。 いわば『軍需企業』の一面を持つ。 だから探りを入れて来たのだろうが・・・

「私の所は、主に主計畑の軍人さん相手ですからなぁ。 枢機に関わる事は、皆さんご存じありませんでねぇ・・・」

―――嘘だった。 大日本食品工業取締役常務・周防直史氏の義弟は、国家憲兵隊副長官(特務作戦統括担当)の、右近充義郎陸軍大将(2000年8月1日進級)だ。
右近充陸軍大将は、巷でも統制派の首魁の1人と目される人物だった。(憲兵兵科階級は中将まで。 大将に昇進すれば出身軍部の階級に戻る。 右近充大将は陸軍出身)

(『―――義兄さん、経団連の阿呆どもや、国粋派の馬鹿共とは付き合うなよ? あいつらはいずれ、共倒れになる。 政友党と民政党、それに摂家筋の一部の夢遊病者達も』)

妹の夫である右近充陸軍大将と、先月酒を飲んだ時にポツリと忠告された。 家では次女(右近充京香陸軍少佐)や三女(右近充涼香陸軍看護大尉)の婚期にヤキモキする男だ。
そして実は、未だに戦死した次男(故・右近充史郎海軍大尉)の事を思い出して、夜ひっそりと仏壇の前に座り、無言で涙を流す様な義弟だった。

だがそんな心配症の父親、子供好きな涙もろい父親の顔を持つ半面、職務に対しては冷静を通り越して、冷酷と言えるほどの現状認識能力と判断力、そして決断力を持つ。
『極東の魔王』と、各国の同業者たちから恐れられる、諜報戦の裏の裏まで知り尽くした、そしてその冷酷さ、酷薄さが身についた男でも有る。

(『―――今更、将軍や摂家に何が出来る? 素人が手を出して、大火傷じゃ済まないぞ、今の状況は。 それとアメリカのケツを舐めて、儲けを追及する馬鹿共も、お灸が必要だ』)

統制派は、対米政策においては実は反米では無い。 全面依存では無いが(それは民政党主流の新保守主義者たちだった)、部分協調、部分対話。 そして他の国際勢力との協同。
つまり米国に対しては・・・『俺の財布に手を突っ込むな、馬鹿野郎。 だけど貿易しよう、儲けさせろ。 その代わりにお前の利益も確保してやるから』である。
軍事については、『俺の国が無くなったら、お前の国(アラスカ)が矢面になるぞ? だから援助しろ。 その代わりに米軍基地は復活させてやる。 日米地位協定は見直しで』
外交は、『腐っても鯛、腐っても常任理事国。 英仏とソ連・中国とは仲良くしておこう。 米国よ、あまり独善過ぎると国連で叩くぞ? だから互いの分を守って仲良くしよう』

―――各種の交渉の余地は残しておく(一方的な主張が通る国際社会でも無い) だが基本スタンスはこんな感じだった。
反米に走るでも無く、パックス・アメリカーナの傘の下で隷属(特に安全保障的には、まさに『隷属』だ)するを良しとせず。
国内を国家統制の元に敷き、国外では国連や地域連合体(大東亜連合や欧州連合など)と強調しあい、あわよくば援助を引き出す(見返りは当然与える訳だが)

その流れの延長線上で米国との関係も、一旦は破綻したのを修復しようと試みている。 国防、安全保障、その背骨となる兵站―――国家戦略的な大兵站、ロジスティクスの面で。
なぜならば、日本帝国の国家戦略の背骨―――甲21号目標、佐渡島ハイヴの奪回による国内復旧・復興、それに続く内政の安定化に欠かせない要因だからだ。
国家戦略的な大兵站―――国家大戦略、グランド・ストラテジーの前では、現在の国民感情(の一部)や苦痛、在野勢力の不満は『無視すべき事柄』になり得るのだ。

「―――いずれにしても、統制派の動向には注意が必要でしょうなぁ。 何か判れば、お知らせしますよ」

「ええ、では当社も色々と探ってみますよ。 じゃ、周防さん、今夜はこれで」

教えない訳ではない。 ギリギリの時期になればリークすればよい。 そうすれば彼は、それを恩に着る事だろう。
社内もそうだ、社長が舵取りを間違えない時期に、それとなく伝えれば良い。 そうすれば社内外での自分の影響力は随分と増す。

(―――情報は、企業でも武器だな。 いやいや、企業だからこそ、だな。 直衛、息子よ、お前はどこまで掴んでいる? どこまで判断で来ている?)

もしも彼の息子―――次男の周防直衛陸軍少佐が、義弟の言っていた連中と付き合っていたのならば。 親として諌める事はあっても、組織人として情報を漏らすだろうか?

(―――父さんはな、直衛。 お前まで死なせたくない、直武だけで十分だ。 父親を失った孫達を、これ以上増やしたく無いのだよ、直衛)

彼の息子の性格からして、国粋派の主張は水と油だと、そう確信はしている。 が、それでも不確実極まりないのが世の中というものだ。
うん、それとなく匂わしておこう。 第一、義弟も折を見て色々と吹き込んでいる様だし。 息子も今更、精神的逃避に走る様な未熟さからは、縁が無くなっただろうし。

BETAの本土侵攻を受けた後の惨状を直視できず、『日本はこんな国では無かった筈だ』と、自己の中の精神的楽園に逃避しているのが国粋派だ、彼はそう考えていた。
同時に経団連主流派や民政党の新保守主義者の様な(その尻馬に乗る、経済同友会の一部も)、突き抜けた利益至上主義者の羞恥心の欠如も、周防直史氏は持ち合わせていなかった。


そろそろ人の少なくなってきた懇親会場を見渡し、この辺で義理は果たしたし、そろそろ帰宅しようか、そう思った。
家には40年来付き添ってくれている妻と、戦死した長男の嫁。 そして父親を喪った、だからこそ余計に可愛い孫たちが、夫の、義父の、そして『お爺ちゃん』の帰りを待っているのだ。









2001年8月14日 日本帝国 帝都・東京 帝国陸軍・東京偕行社


陸軍衛士訓練校―――文字通り、陸軍における戦術機甲乗員・衛士を養成する為の教育機関である。 世の中学4、5年生、或いは高等学校生の年代の少年少女が訓練を受ける。
中学や高校と異なる点は、その教育課程を終える事は、即、BETAとの実戦の為に実施部隊へ配備されると言う事。 つまり『卒業』は『戦死』への片道切符だと言う事。

「はっ! 貴様もいよいよ、世の親父の道へ、まっしぐらか!」

「何抜かす! 貴様こそ、最近は真っ先に帰宅しているらしいじゃないか!?」

それだからこそ、戦場を戦い抜き、生き抜き、こうして同期生の顔を再び見られる事は、何よりも嬉しい事だった。
多感な10代半ばから後半にかけて、共に切磋琢磨し、苦しみ、悩み、涙し、そして笑いあった間柄。 年々減って行くその懐かしい記憶の中の顔が、今もこうして目の前に居る。

「見ろよ、どうだ!? 将来は美人になるぞ、俺の娘は!」

「嫁さん似で、本当に良かったなぁ・・・貴様に似れば、目も当てられん!」

卒業して戦場を往来する事、実に9年と4カ月。 日本帝国陸軍衛士訓練校・第18期A卒。 卒業368名。 戦死274名、残存94名。 戦死率74.4%・・・ 
7割以上を消耗した期であり、91-92年の大陸派遣初期から戦場で戦ってきた期の中では、17期Aの戦死251名、18期Bの戦死263名を従え、最も戦死者の多い期で有った。

「へえ? 周防、貴様の所は双子だったのか。 息子と娘? どっち似だ?」

「おい、どっち似って。 貴様、周防の嫁さん、知っているのか?」

「知っているも何も、あの人だろう? 1期上の・・・確か、綾森さんだ」

「ああ、あの人か。 美人で有名だったなぁ・・・」

「少尉の頃から有名だったものねぇ・・・『周防が姉さん女房の尻に敷かれている!』って! 私は伊達や神楽に聞いたのだけれど?」

既に20代後半で、ほぼ全員が佐官(少佐)になっている彼等は、当然ながらほぼ全員が(ごく少数を除き)結婚していた。 子供の1人、2人もいる者も珍しくない。
となれば、青道心だった少尉・中尉時代の様な馬鹿騒ぎで無く、流れは自然と子供自慢になってくる。 すっかり父親・母親の世代になったと言う事だ。

「決まっている、娘は嫁さん似の美人だ。 息子は俺に似た、イイ男になる」

「・・・言い切ったよ、この馬鹿・・・」

「おい、周防。 貴様のトコ、双子だろ・・・?」

「男と女だから、二卵性だ!」

「・・・逆だったら、どうするのよ?」

「問題無い。 娘は美人になる! 息子も男前だ!」

「・・・こいつも、相当の親馬鹿だ・・・」

皆、嬉しいのだ。 懐かしい同期の顔を見れた事が。 そして結婚し、子供が生まれ・・・身近な『守るべき証』が自分と共に在る事が。

8月、夏の一夜。 帝都の一角でささやかな同期会が催されていた。 関東周辺の部隊に配属になっている者、官衙(各本部や教育機関)所属の者。 或いは移動中に立ち寄った者。
長く顔を合わせていなかった者同士。 訓練校が異なっていた為、驚くべき事に10年目にして初対面の者同士―――そんな事は関係無い。
宴もたけなわになって来ても、乱れ暴れる者もいない。 あちこちに輪を作り、何やかやと和やかに談笑しあっている。 酒を楽しみ、食事を楽しみ、会話を楽しみ・・・

「そう言えば伊達、アンタって出来ちゃった婚だったわよね? ひょっとして、狙っていたの?」

「長門のヤツ、焦らしていたしね。 流石にアンタも、焦れて強襲作戦に出たのね?」

「ちょっと、永野? 人を何だと思ってんのよ、アンタは・・・否定はしないけど?」

「あ、しないんだ? ッテ事は、『突撃1番(避妊具)』にポチっと穴を開けて?」

「男どもってさ、普段は付けるの嫌がる癖に、こっちがその気になったら途端に及び腰! 直ぐ付けたがるのよねー。 伊達、アンタのトコもそうだったんでしょ?」

「うーん、周りに子供が出来た先輩も居たし。 そろそろ年齢的に良いかなぁー、って思ってさ! くふふ、細工した訳よ」

「へー、やっぱり? だってさ、長門?」

「お、おい! 愛姫!?」

―――確かに、一部はやや乱れ気味ではあるが・・・

「神楽、アンタもまた、良いタイミングでお目出度ねぇ? もう8カ月だっけ? お腹、随分と目立つ様になったわねぇ~・・・」

「当然だ。 時折、ピクッ、ピクッとする胎動を感じる。 私も母になるのだな、と実感するぞ」

「・・・豪快な母親になりそうね・・・」

「だから! アルコールは厳禁って言ったでしょ! 酒瓶は寄こしなさいって、緋色!」

「むっ・・・せめて一杯くらい、良いではないか、愛姫・・・」

「「「ダメ!!」」」

「み、皆で声を揃えなくとも・・・むうぅ・・・」

―――いや、確かに、全体に乱れ始めているが・・・

気楽な集まりとあって、その内それぞれ話の合う者同士が固まり、やがて時間も過ぎた頃には数人ずつ集まって河岸を変える為に席を立って行く。
会費は最初に集めているし、予定外の飲食分は自己申告だ。 将校たる者、卑しくも飲食で誤魔化すべからず。 不足するより過大に支払え。
身に沁みついた習慣で、自分が記憶する分よりやや多めに申告して払ってゆく。 余った分は戦災孤児基金や何やらに寄付をしてゆく。 帝国三軍の将校に共通の習慣だった。

「おい、周防、長門、貴様らも行かんか?」

1次会が終わって、これから悪所に繰り出すのだろう。 数人の同期生達から声を掛けられた周防少佐と長門少佐は、一瞬腰を浮かしかけて、慌てて席に戻った。

「あ・・・い、いや。 俺は今夜は止めておく。 今度また、誘ってくれ・・・」

「あ、ああ、俺も・・・だ。 済まんな・・・」

何故か後ろめたさたっぷりに、言い訳じみてそう言う二人。 そんな姿を見て、何やら悟った同期生達が冷やかし気味に言う。

「何だ、何だ? 結婚してから日和りやがったな、周防? 貴様、それでも突撃前衛上がりか!? この一穴主義者め!」

「長門、貴様もだ。 それとも・・・やっぱり貴様も周防と同じか? 伊達の尻に散々敷かれているって話だしな、ははは!」

「お、おい・・・!」

「・・・要らん事を・・・!」

顔を引き攣らせた周防少佐と長門少佐が、そっと後ろを見ると・・・表面上はニコニコと、しかし目が笑っていない伊達愛姫少佐(長門少佐夫人)が、笑いながら言う。

「あら? 圭介。 せーっかくの同期のお誘い、無下にしちゃ悪いわよぉ? それと直衛、アンタもねぇ・・・?」

その横で、宇賀神少佐(宇賀神緋色少佐、旧姓:神楽。 2001年4月1日進級)が、ややジト目で睨んでいた。 こちらはこちらで、直截的で怖い。

「・・・私も今更、少尉や中尉の頃の様な、小娘じみた事は言わぬ。 これでも人妻な故な。 しかし、周防、長門・・・?」

ここまで圧力をかけられては、妻の目を盗んで、等と出来ようはずも無い。 周防少佐の夫人は1期上だが、周防家と長門家は隣家同士だ。 妻同士の仲も良い。
更には宇賀神少佐も、2人の妻達とは仲が良い。 途端に、それまで誘った揚げ句にニヤニヤとして居た同期生達が、腹を抱えて笑い始めた、彼等も知っているのだ。
周防少佐と長門少佐、同期生の中でも戦歴の豊富さで知れる2人が、愛妻家で有ると同時に、意外に恐妻家の一面を持っている事に。

「ま、お熱いと言う事で! また今度な、周防、長門!」

「おい伊達! 余り旦那を尻に敷き過ぎるなよ!?」

「夜の戦場で疲れ果てて、BETA相手の時に、ヘロヘロにならん程度にしてやれよ? 神楽、貴様もな!」

「やっかましー! 余計なお世話よ、この宿六共!」

「むっ!? そう言うセリフは、奥方を満足させてから吐け!」

伊達少佐は兎も角、少尉の頃から堅物で通って来た宇賀神(神楽)少佐の言葉には、皆が一様に目を見張り、その直後に爆笑が沸き起こったものだった。





1次会が終わり、それぞれがグループに分かれて2次会に突入と相成った。 男連中はこれから繁華街の悪所や、料亭・待合などに繰り出すのだろう。
子供のいる伊達少佐や、身重の宇賀神少佐、夫が家で待っている永野少佐などの女性陣は、これでお開きにすると言って、帰って行った。

「にしても、ほぼ1年ぶりの同期会だな」

料亭で酒肴を味わいながら、国枝宇一少佐が同期生達を見回しながらそう言う。 周防直衛少佐、長門圭介少佐、大友祐二少佐、そして関西から参加の伊庭慎之介少佐が頷く。
芸妓がまだ来ていないので、男同士5人で酒を飲む。 少佐になっても、同期生同士は腹を割って話せる、得難い間柄だった。

「これで、全員が少佐かぁ・・・昔じゃ、考えられない進級速度だな」

大友少佐が嬉しさ半分、呆れ半分でそう言う。 彼ら18期A卒は本来、昨年10月進級の第1選抜以降、今年4月の第2選抜、10月の第3選抜、来年4月の第4選抜の予定だった。
それが今年1月の第2選抜、4月の第3選抜、7月の第4選抜と、急に進級速度を速めての進級となった。 半年後任の18期Bも4月の第1選抜、7月の第2選抜が少佐進級だ。

「大隊数の増強、ひいては99年の『明星作戦』で大損害を被った師団の回復・・・指揮官の数が足りなかったからなぁ、今までは・・・」

国枝少佐が、酒杯を傾けながら言った。 国枝少佐、大友少佐、共に第3選抜で本来なら今年10月に進級予定だったのだ。 それが半年も早まっていた。
陸軍は大損害を被った98年-99年からの回復を目指しており、兵員数ではなんとか目標数字を達成出来そうだった。 しかし指揮官はそうもいかない。
特に実戦経験を積んだ中堅指揮官―――戦場の大隊長・中隊長クラスの不足が案じられた。 中隊長は、中尉の在任年限を2年に短縮(従来は2年半から3年)する事で対応した。

しかしながら、戦場での最小単位の戦術単位である大隊指揮官―――大隊長の育成は、これ程簡単にはいかない。
窮余の一策として、既に第1選抜が少佐に進級している陸士・各専科学校(衛士訓練校も専科学校のひとつ)の各期の、第2選抜以降の進級速度を速める事で対応した。

「ま、今じゃ、『師団会議で、石を投げれば18期(A・B)に当る』、と言われるからなぁ・・・」

「訓練校の教官団にも、結構いるしな。 次いで17期か」

現在少佐の階級にある者は、陸軍士官学校第97期から第101期、衛士訓練校では15期Bから18期Bまでが、それに当る。
そんな中で彼ら18期A出身の少佐達は、若手佐官として戦場での活躍を期待される世代だった。 気力と体力、精神力、そして経験値が最もバランス良く調和された世代だった。

「そう言えば、聞いたぞ、伊庭。 貴様、婚約したんだって?」

国枝少佐が話を振ると、伊庭少佐が嬉しそうに頷く。 そして何故か周防少佐は、ゲンナリした表情になっていた。

「おう。 取りあえずは婚約な。 年が明けたら式を挙げる」

「相手、2歳年上とか?」

「U幹(一般大卒将校)だよ。 同じ少佐で」

「あん? 周防、どうした? 気分でも悪いのか?」

「あ・・・いや・・・」

何故か恨めしそうな目で、伊庭少佐を見る周防少佐。 そんな周防少佐を、長門少佐が爆笑して笑い飛ばす。

「なんだ、長門? 貴様、何か知っているのか?」

「くくく・・・伊庭の婚約者はな、直衛の従姉殿だ。 つまり、この二人は今後、親戚同士ってわけさ」

「ああ・・・成程ね」

ようやく訳が解ったとばかりに、半ば不憫そうな目で国枝少佐が周防少佐を見て、頷いた。

「ったく・・・早過ぎるだろ、貴様。 マレー半島から還って来て、速攻でプロポーズするか!?」

「俺と京香さん(右近充京香陸軍少佐、伊庭少佐の婚約者、周防少佐の従姉)は、愛し合っているからな!」

「・・・言うな、伊庭。 俺は寒気がしてきた・・・」

しかし目出度い話に違いは無い。 何やかやと音頭のネタを見つけては、乾杯の連続となった。 やがてほろ酔い加減になった所で、ふと長門少佐が今更気付いて言った。

「そう言えば、久賀のヤツはどうした?」

「ん? いつの間にか消えた」

「最近付き合い悪いな、あいつは」

長門少佐の問いに、大友少佐と国枝少佐が答えた。 大友少佐も国枝少佐も、以前は久賀少佐と同じ第1師団配下の第57戦術機甲連隊で、中隊長を勤めていた。
それが少佐進級に伴い、大友少佐は第3師団の第6戦術機甲連隊第3大隊長に。 国枝少佐は第13師団の第131戦術機甲連隊第3大隊長に、それぞれ転出となった。

「最近は何やら、考え込んでいる様だ。 部下を押さえるのにも、苦労しているらしい」

「あいつの第3戦術機甲連隊(第1師団)は、第1戦術機甲連隊と同じで、国粋派の若手や中堅将校が多いからな」

同じ第1師団でも、比較的のんびり?した気風だった第57連隊(千葉県佐倉)に居た国枝少佐や大友少佐には、第1や第3連隊の姿が異様に見えたと言う。

「実際の所、第1軍団で警務隊に目を付けられているのは第1師団でも、第1と第3戦術機甲連隊、それに第1機械化装甲歩兵連隊と第1機動連隊、それに富士教だよ。
禁衛師団は『皇帝陛下の師団』で、摂家とは折り合いが悪いし。 第3師団は2割程度かな? 俺の部下には居ない、むしろ『馬鹿馬鹿しい』って感じている奴が多い」

第3師団(第1軍団)の大友少佐が言う。 すると第13師団(第4軍団、第1軍所属)の国枝少佐も頷いた。 
西関東防衛任務の第4軍団は、心情的には第7軍(北関東絶対防衛線部隊)に近しいものを持っている。

「・・・とは言え、このままの国内状況が続くと、今は少数派でも今後はどうなるか判らんな」

周防少佐がツマミを食べながら、ポツリと呟く。 国内に溢れる難民と、それに関わる多大な不安材料、内政問題は山積みのままだ。

「かと言って、甲21号を奪い返す以外の最優先戦略課題は他に無いぞ。 内政問題は、それからになるだろう」

長門少佐が酒杯を傾けながら、渋面でそう言う。 彼等にとっても他人事ではない、部下の中には親兄弟が難民キャンプで苦労している、西日本出身者も多いのだ。
そう言う意味では、西日本の状況はどうなのだろう? BETAの本土侵攻で壊滅を免れた西日本地域は、沖縄地方を除くと南九州と近畿中南部、四国南部、そして東海地方だ。

「関西はまあ、元気だな。 と言うか、京都を中心に要塞都市化するのに、大量の軍需物資が必要になった訳だが・・・」

その時の関西経済界、いや、特に『大阪商人』の逞しさは、呆れと共に語り草になっている。 中には壊滅した広島や北九州にまで、営業をかけに行ったそうだ。
曰く、『商売して稼いで、そんで食わな、死んでまうやん。 それに儲けが目の前にあんのに、指咥えるだけなんか、アホや。 損なだけやんか!』と・・・
京都が壊滅し、その結果として尊王意識も摂家への忠誠心も、欠片程も持ち合わせない大阪が西日本の主流となった結果、西日本での国粋意識は非常に希薄だった。

「ははは・・・何しろ大阪は、大昔の『ゴーストップ事件』の伝統があるからなぁ」

『ゴーストップ事件』は昭和一桁の時代に、大阪市のある交差点で起きた陸軍兵と巡査の争い、およびそれに端を発する陸軍と警察(内務省)の、大規模な対立である。
元々この地域は、政府(官)の威光を軽視する向きが強かった。 『商都』として町人自治の歴史が長く、面子や建前よりも実利を重んじる気風が強い。
国粋主義者の主張は、『それやったら、自由に商売が出来へんやんか!』と、この地域では全く相手にされていないのが実情だった。

「・・・元々、右派の学者が捏ねくり上げた思想を、現代風に焼き直したものだ。 血気盛ん過ぎる若い連中が、青筋立てて騒いでいるけど、実情に合っちゃいない」

周防少佐の言葉に、伊庭少佐が続ける。

「俺もな、この間、棚倉(棚倉五郎少佐、第10師団)と飲んだ時に話したんだがな。 ほら、俺らの世代はな、少尉の頃に大陸派遣で中共を見て来ただろう?」

中国共産党は、ソ連をも上回る強圧独裁を持って対BETA戦争に臨んでいたが、結局は大陸から叩き出され、今は台湾で『間借り人』となっている。

「九-六作戦の時もそうだった。 連中、戦略上の必要が有れば自国民の1000万人位、平気でBETAの餌に投げ出していた。 何せ、13億人だからな。
俺達はそれを見て来た、逆にその位やらないと、まともに大規模なBETAの侵攻を押し止められない事を。 それでもまだ、不足だった事を」

周防少佐、長門少佐、国枝少佐、大友少佐が頷いている。 彼等は皆、1992年4月から大陸派遣軍の一員として、満洲方面で戦った経験があるのだった。
そして中国共産党が満洲を完全に失ったのは、1996年の事。 日本の本土侵攻に先立つ、約2年前の出来事だった。

「まともに中共の戦略を見て来たのは、精々19期辺りまで。 それ以降は大半が半島防衛戦以降の経験しか無い。 一部は南満州防衛戦を経験しちゃいるけどな。
違うんだよな、受け取り方が―――『この程度で済んで、何とかなる』と思っている俺たちの世代と、『こんなはずじゃない、日本はこんなはずじゃない』って思っている世代と」

世代の意識格差は、特に中堅指揮官達が強く思っている事だった。 大陸派兵を経験して来た大隊長や古参の中隊長クラスと、経験していないより若い世代との格差。
特に当時、大陸派遣任務に無かった本土防衛軍に所属していた者達の間に、その格差が大きい様に感じられるのだ。

「久賀の所は、大陸派遣軍上がりが殆ど居ない。 ほぼ、当時は本土防衛軍に居た連中だ。 大陸の状況を知らない」

「だからかな? 若くても派遣軍を経験した連中は、今の政府の状況を達観している。 が、経験の無い連中は憤っている。 無理も無い話かもしれんが・・・」

「少佐に進級する前に、第3連隊との合同演習があってな。 終わった後の懇親会で、久賀の奴が苦労していた。 酒に酔った部下の国粋論を宥めるのにな」

「奴も、無碍には出来ないんだ。 第1師団には員数増強で、九州で壊滅した部隊の生き残りが多く配属されている。 同郷で、故郷の防衛戦で共に苦労した部下達だからな・・・」

国枝少佐、大友少佐の話に、周防少佐も長門少佐も、そして伊庭少佐もしんみりとなってしまう。 彼らにも判る、苦労を共にした部下との繋がりと言うものが、どれ程のものか。

「それより俺は、早く本年度戦略目標計画の策定をして欲しい」

周防少佐が愚痴る様に言った。 他の4人も同様に頷く。

「噂通りの年末大攻勢なのか? それとも暫くの間、専守防衛なのか!?」

長門少佐が吐き出すように言う。

「士気の問題も有る。 専守防衛じゃ、サンドバッグとどう違うんだ? って思う連中が増える」

国枝少佐が溜息をつく。

「訓練だってなぁ・・・ハイヴ突入戦に重点を置くのか、それとも防衛戦闘訓練に重点を置くのか・・・計画が決められん!」

大友少佐が、憮然と言う。

「最近は、中隊長連中からの突き上げも酷くなってきたよ。 連中も下から、やいの、やいのと言われているようだがね・・・」

伊庭少佐が溜息交じりに零す。

そうなのだ、国家戦略の迷走ぶりは、現場の方針にも多大な影響を与えている。 特に現場と後方の司令部とを繋ぐ立場の、大隊長クラスの中間管理職の苦労は計り知れない。

---その時だった。

「今晩は」

「まあ、何かしんみりなさって。 さあさ、どうぞ一献」

芸妓衆が入って来た。 こんな国情となっても、遊興の場の仕事に就く者は必ず居る。 社会としての需要は決して無くならないのだ。

「おっ! 綺麗ドコロ、待ってました!」

「えーい! 辛気臭い話は、止めだ、止め! おい、こっちも酌をしろよ!」

「もう、今夜はどうでもいい! 女房がなんだ! 俺は飲むぞ!」

「こっち来い! 綺麗ドコロで両手に華だ!」

「俺は気にしない」

その夜は結局、深夜までどんちゃん騒ぎが繰り広げられた。





「むっ・・・く、痛っ・・・くそ、飲み過ぎたか・・・?」

周防少佐が目を覚ますと、そこは自宅の寝間だった。 はて? いつ、どうやって帰って来たのだろう? 全く記憶が無い。
時計を見れば朝の8時過ぎ。 今日は非番で良かった、本気でそう思った。 眠い目をこすりながら洗面台で顔を洗い、食卓の有る居間の方へ向かう。
廊下から襖を開けて居間に入ると、朝食の用意がしてあった。 彼の妻が双子の幼子をあやしている―――何やら、得体の知れないプレッシャーも感じる。

「・・・おはよう、祥子」

「・・・」

が、妻は無言である。 珍しい、普段は優しく朗らかな妻なのだが。 何か得体の知れない地雷を踏みそうな気がして、周防少佐は黙って自分でご飯をよそう。
そして小さな声で『いただきます』と食べ始める事暫く。 黙っていた妻が子供達をあやしながら、怒気を含んだ声で話しかけて来た。

「・・・同期会は、軍でも大事な行事だから、とやかく言いません。 私も自分の同期会には出席するし・・・」

「・・・祥子?」

「たまに深酒が過ぎても、それで目くじら立てたりもしないわ。 普段はそうじゃないって解っているから」

「あの・・・奥さん?」

「でもね・・・アレはどうかと思うの。 いくら夫婦とは言え・・・!」

「えっと・・・俺、何か気に障る事でも・・・?」

途端に美しい顔に柳眉を逆なでにして、怒り始める周防夫人。

「覚えていないのっ!?」

「スミマセン、記憶が吹っ飛んでいます!」

両親の大声にびっくりしたのか、幼い双子の子供達が吃驚して泣き始めた。 慌てて子供を抱きかかえてあやしながら、妻―――綾森(周防)祥子少佐が涙目で抗議する。

「酔っ払って帰って来て! 揚げ句の果てに玄関口で、私を押し倒したじゃない、あなた! わたし、イヤだって言ったのに!」

「・・・え゛?」

思わず手に持った箸を、ポトリと落とした周防少佐。 それに追い打ちをかける様に、妻の文句は続く。

「揚げ句の果てに、昨夜は何度も・・・! 子供達が泣いているのに、私を離してくれなくって・・・!」

「あ・・・あう・・・」

冷汗が止まらない。 全く記憶が無いのだから。

「反省して頂戴、あなた! お酒は飲んでも、飲まれないで! 判ったのっ!?」

「は、はいっ! 肝に銘じて・・・!」

責める姉さん女房に、平謝りに謝る年下の夫。 まあ、どこにでも有る光景だった。 最後に『危険日だったのよ、3人目かも?』と言われ、周防少佐は何とも言えない表情だった。

そして朝食後に家の外の隣家との協同の『喫煙場』で一服していると、頬に鮮やかな手形を付けた隣家の主人―――長門少佐が出て来た。 お互いに何とも言えない表情だ。

「・・・3人目かも、って言われた・・・」

「・・・俺はこの通り、ビンタの後で『2人目も欲しい』だとさ・・・多分、お前と同じ事、やっちまったし・・・」

夏の朝、空は快晴で今日も暑くなりそうだった。 蝉の声が大きく鳴り響いていた。





[20952] 暗き波濤 1話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2012/09/13 21:00
2001年9月4日 1850 日本海 佐渡島東方海域 深度200m 帝国海軍特務潜水艦『瀬戸潮』


「―――P点、前方800m、方位3-4-5。 深度258m」

「―――よし、4番から6番、発射」

「―――4番から6番、発射、了解」

ゴバッ―――連続して探査魚雷が発射される音が伝わってくる。 比較的低速度で海中を進みながら、沈降して行く。

「―――深度235・・・240・・・245・・・250」

「―――システム、起動」

「―――システム起動、了解」

次の瞬間、数百m先の海中で小さな炸裂音が連続して発生した。 同時に魚雷本体が海底に突き刺さった音も。 だが爆発音がしない。

「―――システム起動。 測線、36本放出完了」

「―――測定装置、起動確認」

「―――測線、着底しました。 電磁波、発振開始」

今日もまた、佐渡島周辺海域には8隻の特務潜水艦が展開し、島の周辺海域の定時探査を続けている。
日本帝国海軍は1998年の秋以降、ほぼ休み無くこのルーティンワークを行ってきた。 佐渡島ハイヴの地下茎情報収集の為だ。

「―――測定、開始」

「―――CSAMTシステム、受信。 フィルタリング処理、開始します」

ハイヴ攻略を失敗し続けた原因の一つが、ハイヴ地下茎内の情報不足―――と言うより、全く情報が無い状態での突入にある、明星作戦で日本帝国軍はそう結論付けた。
そして来るべく佐渡島奪回に向け、何とかしてハイヴ内地下茎情報を収集しようと試行錯誤した結論が、今現在も地道に行われている地中地形探査だった。

「―――4番、データ受信80%完了。 5番、77%。 6番79%・・・」

CSAMT法と言う技術―――それ自体は目新しいものではない―――を使っている。 これは人工信号源を用いて、直交する電場と磁場を観測して大地の比抵抗を求める方法だ。
従来の地中探査の現場では、一方向の電場とそれに直交する磁場の測定が行われ、人工信号源には長さ1~3km程度の接地線が用いられる。

「―――データ受信、完了」

「―――よし、自爆」

「―――自爆、了解」

日本帝国が開発した地中探査装置は、魚雷本体を流用して送信源(魚雷本体に装備)、30~36本の測線(圧搾空気で円周上に打ち出し、海底に食い込ませる)を装備させる。
これを、磁場センサーを装備した母艦(観測潜水艦)で、電磁波を測定するのだ。 電磁波は基本直進するが、物質が存在する空間では、屈折・散乱・反射などの現象が起こる。
この結果、直進している場所はただの土中。 屈折・散乱・反射した場所は『何か』がある。 それを根気よくデータを集め、立体視させてハイヴ内構造を推定させる手法だ。
そして電磁波の地中測定距離は数千mにも達する。 精度の面では地中探査レーダーの方が格段に高精度だが、探査深度(地中深度)は精々10数mしか探査出来ない。

「―――データフィルタリング、開始します」

日本軍が開発して使用している探査システムは、精度の面では地中探査レーダーより数10倍も粗いが、僅か数10cmの地中埋設物を探知するレーダーと違い、相手はハイヴだ。
数mから10数m程度の精度でも、十分事足りる。 それに垂直方向の探査ばかりでなく、探査魚雷の撃ち込み角度によっては斜め方向や水平方向の探査も可能だった。
これを全周から何度も根気よく、長期間に渡って行う事で、ハイヴの地下茎情報がかなりの信頼性を持つ事になる。 因みに発振側システムの電源は、保って5時間程度だ。
佐渡島ハイヴと言う、世界中でここ1箇所しかない『島嶼ハイヴ』の特徴を逆手にとり、他のハイヴでは近づけない近距離(海岸線から僅か数kmまで)での探査も行う。

「―――フィルタリング処理、完了。 棄却検定処理に入ります」

帝国海軍は退役予定だった通常型潜水艦(『海神』搭載不可の、旧式通常動力型潜水艦)を24隻、この探査任務専用の調査潜水艦に改装して運用していた。
1回の哨戒任務に8隻が就き、2週間の哨戒任務を行う。 探査魚雷は全部で1隻当り24本。 往復で半日から1日を費やし、移動で計2日程を費やすので、探査日数は11日。
1日に1本から3本の探査魚雷を、各所で8隻の潜水艦が海底に撃ち込み、日々、佐渡島と周辺の地中地形の内部構造を探査し続けているのだ―――2年間に渡り、ほぼ毎日。

「―――棄却検定処理、終了。 モニター、出します」

情報処理担当士官の声に、艦長と副長が司令塔脇の小さなモニターにかぶりつく。 そしてやがて出て来た画像結果に、思わず呻き声を出してしまう。

「くそ・・・また広がっていやがる」

「水平到達半径、最大で約22km・・・あと8km広がれば、晴れてフェイズ5認定ですな、佐渡島ハイヴは」

現在の佐渡島ハイヴのフェイズは4だ。 その地下茎水平到達半径は10km・・・だが、そのまま留まっている訳ではない。

「働き者のBETAどもめ、まるで蟻の巣の中の働きアリだな」

「どこかの学者先生が言っていましたな、『ハイヴ内の発展は、蟻の巣の構造に近しいパターンを認められる』とか何とか・・・」

「はっ! だったら蟻の思考を研究した方が早そうだな! 副長、S点に移動する。 速力10ノット」

「ヨウソロー、速力10ノット―――艦長、定時交信時にデータ送信を?」

「ああ、やる。 用意しておけ」

頭を掻きながら、顔を顰めた艦長は心の中で自問した。 フェイズ5に成りたてならまだいい、ハイヴから新潟の海岸線まで、直線距離で約60km。 まだ余裕は有る。
が、これが加速するとなると・・・フェイズ3からフェイズ4までの成長速度と、フェイズ4になってから今日までの成長速度を考えれば・・・

(―――年末大攻勢、あの噂もあながち、噂と言い切れないかもしれんな・・・)

フェイズ6にまで成長する前に、新潟の海岸線にハイヴ地下茎の出口である『門』が出現する―――その状況は日本帝国軍にとって、悪夢以外の何者でも無かった。










2001年9月10日 1755 日本帝国 帝都・東京 市ヶ谷 帝国軍統帥幕僚本部 四階中会議室


「・・・兵力は集めようとすれば、何とかなる」

隣に座る参謀大佐―――国防省兵備局第3部、戦時動員計画を担当する部署の第2課長が、しかめ面でそう言う。 その横顔を見ながら、藤田(旧姓・広江)直美大佐も頷いた。

「ああ、集めるだけなら。 だがそれで終わりじゃない、兵站はどうする? 各軍の調整は? 我が軍の単独か? それとも国連軍を巻き込むのか?」

向かい席に座った統帥幕僚本部第1局第3部、そこの戦略物資課長が用意した資料の束を弄びながら嘆息する。 兵站は補給を意味するのではない、その背景の広範な行為を言う。

「・・・参謀本部としては、無論、我が軍単独、或いは主導で行うべきと考える」

陸軍参謀本部第1部作戦課長(陸軍大佐)が、強硬な姿勢を崩さない。 その姿に1人置いた右隣に座った海軍軍令部第2部(軍備担当)第4課長(出動・動員)が苦笑する。

「―――やりたければ、陸軍単独でやればいい。 海軍はそんな無理心中に付き合うつもりはない」

「・・・何だと?」

海軍大佐の冷笑を含んだ言葉に、スッと表情を険しくする陸軍大佐。 その様子を呆れ半分、疲労半分で見つめる他の陸・海・航空宇宙3軍の大佐・中佐達。

「我が国単独で佐渡島が奪回できるのなら、とうに出来ていて然るべきだ。 ではなぜ、未だかの地は忌々しいBETAの支配下にあるのだ?」

煙草では無く、わざわざ輸入品の葉巻を吹かして厭味ったらしく言葉を吐く海軍大佐。 その姿に一瞬、陸軍大佐の血管が浮く。

「海軍は・・・海軍は、我が国の領土を奪回すると言う事に、何ら重みを感じないのか・・・!」

「感情論を展開するなよ、ここで。 なあ、我々は互いの感情をぶつけ合う為に、ここに集まったのか? どうなのだ? 藤田大佐?」

キザったらしい(実際、海軍部内でも貴族趣味の、傲岸な男で通っている)その海軍大佐の物言いに苦笑しつつ、藤田直美陸軍大佐は席を立ち上がり、周囲を見渡す。

「・・・諸官に、本日ここに参集いただいたのは、来るべき甲21号目標攻略作戦―――佐渡島ハイヴ攻略戦に関しての意見交換の為だ。
そして講義でも、討論会では無く、参加者は最終的に結論として合意を得るという目的を持つ事―――統合幕僚本部として、諸官に参集頂いたのはその為だ」

本日、日本帝国軍統帥幕僚本部主催で、各組織の高級参謀による参謀会議が開催されていた。 統帥幕僚本部、本土防衛総軍司令部、国防省、陸軍参謀本部、海軍軍令部、航空宇宙軍作戦本部。
日本帝国軍の軍事行動の全てを決定する各組織にあって、その最高意思決定の補佐を担い、軍令・軍政の実務における責任者―――各課長(大佐)、課長補佐(大佐、中佐)達だ。

「何よりもまず、我々が合意すべき戦略目的の結果―――その着地点を合意するに至らねばならない」

統帥幕僚本部第1局第2部、国防計画課長の藤田直美大佐が長い髪をアップに纏めた頭を軽く振り、帝国陸軍第2種軍装のタイトスカートの裾を払いながら上段に歩いてゆく。
その姿は長身の女性高級将校である藤田大佐を、人によっては魅力的だと言わせるだろう。 ウエストラインから下が、見事に強調されている。

「・・・あくまで、佐渡島を奪回する事で戦略目標の達成とするのか? 或いは国土の消失をも容認しての、ハイヴの消滅をもってして戦略目標の達成とするのか?
済まないが先程の如くの感情論は、一切抜きでお願いしたい。 我々は軍の枢機に携わる者だ、例え数十万、数百万の同胞を死に至らしめ、国土を消滅さそうとも・・・
それは結果に伴う数字に過ぎない、そう認識すべき立場なのだ。 マキャベリズムの徒、いや、それを上回る冷血漢で在らねばならないのだ」

長身で歴戦の衛士上がりで、並の男より余程迫力のある女丈夫だが、彫の深い端正な顔立ちも相まって、ある種の特異な趣味の持ち主ならば、垂涎の対象になる様な美女でも有る。
そんな彼女が、殊更感情を押さえてまるで、神託を読み上げる様な声色で言うそのセリフは―――並居る古参の大佐、中佐参謀たちすら、ある種の戦慄を覚える。

「・・・その意味で言えば、結論は後者だ。 前者では戦場で億兆ガロン単位の血を流させても、ハイヴの攻略は不可能だろう。 横浜での戦訓がそれを示した」

統帥幕僚本部第1部(作戦部)作戦第1課長(陸軍作戦担当)が呻くように言う。 横浜―――明星作戦では18個師団を投入しても、通常戦力では攻略は出来なかった。
結局はG弾投下によってでしか、攻略は無理だった。 そう軍内部で結論付けられていた。 例えそれが、米軍が直前まで伏せていた忌々しい行為であったとしてもだ。

「・・・佐渡島の面積は、855.26km²だ・・・」

参謀本部作戦課長が、唸る様な声で言う。

「帝都や、大阪の約半分弱の面積しか無い、狭い島だ。 BETAによる浸食である程度は平坦化されておる様だが・・・それでも大兵力を運用出来る軍事的な広さは無い」

明星作戦、或いはそれ以前の京阪神・京都防衛戦では、その何倍もの(場合によっては10倍近い)広範な戦域に、20個師団前後の大軍を展開させて戦った。
と言うよりも、軍事的に大軍が展開しつつ作戦行動をとる為には、その程度の広さが必要とされるのだ。 今回、佐渡島は帝都・東京の約半分弱の総面積しか無い。

「甲21号目標がある大佐渡山地へは、どうしても西の真野湾、そして東の両津湾から上陸せねばならない。 地形的に兵力を揚陸させるには、その2箇所しか選択肢が無い」

作戦課長が続ける。

「真野湾と両津湾が、一体どれ程距離が空いておるか?―――精々が15kmほどしか離れておらん。 双方から上陸したとして、橋頭保の奥行きは15kmから20kmは必要だ」

兵站(ロジスティックス)を確保する上において、前線に最も近い要衝となる重要地点である橋頭保は必須。 戦線に最も近い防衛拠点であり、補給点である。
重光線級によるレーザー照射の見越し範囲を考慮すれば、その為に緩衝地帯(殲滅戦闘地帯)を含め、どうしても20km程の奥行きは欲しい。

「20km? はっ! 20km! 20kmもあれば、真野湾から加茂湖(両津湾に面する佐渡島最大の湖)に達する! 北東に向かえば、甲21号は目と鼻の先だ!
それどころか、20km圏内に一体どれ程の『門』が存在するか! 馬鹿馬鹿しい! 兵站作戦など不可能だ! 通常戦力での佐渡島奪回作戦!? 佐渡島は大陸では無い!」

おそらく、それが参謀本部作戦課長の本音だろう。 いや、作戦本部部員全員が、胃潰瘍になりかねない程、悩みに悩んでいる点であろう。 

「・・・ならば、我々の合意は取れたと、そう見なして良いと考えるが?」

国防省兵備局の海軍大佐が、藤田大佐を見据えて静かに言った。 その言葉に、場の空気が凍る―――何と言う結論なのだ、何と言う!

「―――お待ち下さい。 議長、発言、宜しいでしょうか?」

それまで黙っていた、参謀本部作戦課の作戦班長―――作戦課長の右腕である陸軍参謀中佐が、静かに発言を求めた。

「・・・どうぞ、大伴中佐」

藤田大佐が、内心の嫌悪感を隠して静かに問いかけた。 この中佐とは以前から意見の衝突などで、決してソリが合う相手では無かったからだ。 大伴中佐が静かに発言を始めた。

「従来の通常戦力によるハイヴ攻略の困難さは、ひとつにハイヴ内地下茎情報の全くの不足、次に兵站・通信確保の困難、そしてBETA共の分布の不明、等が挙げられます」

その通りだ―――その場の殆どの高級参謀たちが頷いた。 人類はそれこそ、目隠し状態でハイヴに突入し、その都度、手痛い失敗を繰り返した。 横浜もそうだった。
その言葉に海軍軍令部の大佐が反発する。 ハイヴ地下茎情報の全くの不足? 不足しているのは陸軍の認識の方だ。 ここは言っていかねば・・・

「・・・中佐、陸軍は、いや、参謀本部は相変わらずの夜郎自大の様だな。 佐渡島防衛の第一線は海軍が担っている。 そして我々は佐渡島の観測・探査に一切の手を抜いておらん」

「―――推測の積み重ねは、結局は推測の域を出ません」

「なにをっ・・・!」

「参考にはさせて頂きます。 結局の所、最後にハイヴ突入の任を担うのは、我々陸軍です」

一瞬、険悪な空気が漂う。 が、海軍大佐の方が少し鼻を鳴らし、見下す様な表情で口を閉じた―――若造が、何を言う気か、聞いてやろうじゃないか。

「では、続き宜しいか?―――この3点につきましては、現時点で有効な捜索手段、及び確立方法は存在しません、残念ながらですが。 しかし橋頭保内の『門』、これについては・・・」

大伴中佐は『門』を何重かによる、特殊硬化剤による早急な封鎖、そして地中震動探知センサーの有効活用によって、BETAの地上侵攻をある程度友好に阻止できる、そう言った。
そして地下茎内においても、特に兵站拠点を確立した場所に通じるスタブの出入り口を同様の処置で塞ぐ事により、ハイヴ内でのBETAの突如の逆襲をある程度未然に防げると。

「スリーパー・ドリフトにつきましては、その限りではありません。 そこは突入部隊による入念な捜索が必要でありますが・・・
これにより、まず地下茎内情報の不足に対する処置として、ある程度の信頼性を確保できると小官は考えます」

胡散臭い目で見る者。 面白そうな表情で見る者。 或いは内心は兎も角として、表情を変えずに黙って聞いている者。 いずれにせよ歴戦の大佐、中佐達が一蹴せず聞いている。

「ハイヴ内戦闘につきましては・・・こちらの資料をご覧ください」

数枚のペーパーが配られた。 それを興味無さそうにしていた大半の者達が、或いは驚き、或いは顔を顰めて読み始める。

「8月10日、場所はソ連邦カムチャツカ半島コリャーク自治管区のミリコヴォ・・・第1開発局の独断専行の非は後ほどとして・・・結果は良好と出ました」

「99型・・・試製99型電磁投射砲、か・・・」

「横浜の魔女の嫌味の手土産、か。 大伴中佐、君はこの玩具を、どう使おうと言うのか?」

所詮、横浜―――国連軍横浜基地の最奥に鎮座する魔女が、帝国との駆け引きに使う為に寄こした代物だ。 未だ制式化の目処すら立っていない。

「この『玩具』の最大のネックは、そのブラックボックス化された機関部です。 その他の技術は既に、リバースエンジニアリングの手法で解析が出来ております。
そしてそのブラックボックス・・・99.9%、G元素由来の技術であります。 小官は『第4計画』締結条項第18条、及び第31条による『誘致国への技術開示』の発動を進言します」

「ふん・・・あの女狐が、そんな条項を素直に聞くと思うのかね? 第一、あれは閣議決定が必要だ。 今の内閣が横浜を恫喝してでも、その『成果』を寄こせ、と言うかね?」

「・・・あくまで個人的見解でありますが、政府には言って貰わねばなりません。 我が国と横浜は、互いの感情は兎も角、今となっては一蓮托生・・・
横浜は己の目指す結果を売る為には、その間は帝国が生き残っている事は必須。 己の身の安全、研究資金、そして国際的な立場・・・我が国は誘致国であり、スポンサーです」

つまり―――『取りあえず、ブラックボックス化でも良いから、機関部を大量に渡せ。 時期を見てその技術資料も全て渡せ。 でなくば締結条約に則り、資金を停止する』と。
国内での数々の不満がピークに達しかけているこの時期、政府や官界、そして財界の中からも、当初の計画進捗を上げられないでいる『第4計画』の見直しを迫る声が出始めた。
無論、米国が並行して主導する第5計画への参加では無い。 もう一度、国土にG弾を投下させろ、等とまでは日本人も狂いきってはいなかった。

「・・・先だって、国家防衛企画委員会でその話題が上がったそうだ。 六相会議でも国防相と蔵相、そして軍需相と内相が、会議の席上で首相と外相を激しく突き上げたらしい」

国防相は軍の、蔵相は予算と言う強敵と戦う大蔵省の、軍需相は産業界の、そして内相は国内不安と言う化け物の、それぞれの代弁者として首相と外相に迫ったと言う。
この当時の外相は、国連との連携を重視する意見の持ち主であり(米国とは一線を画す)、榊是親首相の腹心の人物でも有った。

「―――成程。 現実逃避にはもってこいの、お伽噺だ。 で? 諸官、そろそろ現実の話に戻しても良いか?」

議長役の藤田直美大佐が、ある種の冷笑を湛えて周りを見渡す。 その言葉に、話を切り出した大伴中佐の表情が一瞬だけ、ほんの僅かに変化した―――直ぐに戻ったが。

「その手の話は、実現するにしても来年以降の話だ。 我々が今現在、ここで話しているのは今年中の事―――年末に予定する、佐渡島への大規模反攻作戦の事だ。
諸官にはぜひ、現実的な意見を忌憚なく言って貰いたい。 であれば、どれ程の冷血漢でも統帥幕僚本部は歓迎する。 が、お伽噺は独りの時に、こっそり趣味の範囲でお願いしたい」

その言葉にある者は顔を顰め、ある者は冷笑する。 先程の海軍大佐などは、愉快そうな冷笑さえ浮かべている―――若造のお伽噺の時間は終わったのだ、とばかりに相手を見返して。
彼等は別に仲良し倶楽部ではない。 が、感情を押さえこんで、或いは己をも騙して役者に徹する術はよく心得ている。

「・・・であれば、事前に山ほどのS-11弾頭搭載の砲弾や誘導弾を、それこそ雨霰と撃ち込んでやれば良いんじゃないかね?」

それまで黙っていた、航空宇宙軍作戦本部第1部(作戦部)の第1課長―――宇宙作戦を統括するタヌキ親爺が、飄々とした声で言い始めた。

「ウチからも、軌道爆撃で支援できる。 なに、どの道、植生も何もかも、BETAのお陰で生態系が壊滅した荒れ地だ。 今更S-11による熱波被害など、気にせんでも良いだろう?」

「・・・後々で、住民帰還問題が荒れそうだな」

国防省兵備局の海軍大佐が、少し嫌味を込めて言う。 しかしその言葉も、航空宇宙軍の大佐には毛筋ほどの感情をも起こさせなかったらしい。

「佐渡島の住民は、65%がBETAの腹の中だ。 35%しか生き残らなかった、そしてキャンプで10%が死んだ―――ああ、そうだ。 この数字は私も含めた、全帝国軍高級将校団の無能故だ。
だからだな、敢えて言うが、私は再び無能になる気は無いよ。 兵力の過半を磨り潰して失敗した作戦故に、祖国を亡国に導いた時代の軍人、そんな情けない幕引きの仕方など」

「・・・S-11の総備蓄量は、海軍向けの主砲弾と巡航誘導弾搭載弾頭が、各種で300発。 陸軍向けの特殊砲兵旅団(超長距離砲弾搭載)が360発。
他に戦術機搭載用の小型のヤツが、総計で500発ある。 あと2カ月で大型弾頭は30発、小型弾頭は50発が製造可能だ―――各軍の機密費を根こそぎ、毟り取ってだが」

航空宇宙軍の大佐の言葉に、統帥幕僚本部の藤田直美大佐が乾いた声で答える。 

「良いんじゃないか? どうせハイヴ内に突入すれば、手探りで進むしかないのだから。 BETAの大群が出てくれば、遠隔操作で指向性を持たせてドカン、とやれば。
ウチも、そう毎回毎回、軌道降下兵団を磨り潰していたんじゃね。 士気の問題も有るし、責任問題もねぇ・・・その内に衛士連中から『貴様が突っ込め!』と脅迫されるのでね」

―――その体型では、戦術機の管制ユニットに乗り込めないだろう!? 心の中で藤田直美大佐は盛大に突っ込む。 それに想像したくない、三段腹の中年男の衛士強化装備姿など!

ふむ、にしても、S-11か・・・大陸でも時々やったな。 それに中共が何度か盛大に集中運用で成果を上げていた―――友軍誤爆と引き換えに。
検討の余地あり、か? どんな卑劣なアイデアでも、検討の余地が有れば行うべきだ。 この国はもう、余裕など全く無いのだから。
国防省に話を通すか? 技研(国防省技術研究本部)で、S-11炸裂時の影響をシミュレートして貰うのも良いかもしれない。 スタブ内での炸裂の影響も。

「・・・では、諸官に再確認する。 我々の共通認識は『国土の消失をも容認しての、ハイヴの消滅をもってして戦略目標の達成とする』
―――これを以て、以降の幕議決定の基本骨子として頂きたい。 以上、諸官にはお忙しい所、感謝します。 これにて本日の会議、閉会とします」





会議を終え、会議室から出て自分のオフィスへ戻る廊下を歩いている藤田大佐の視界に、見知った顔が入って来た。 思わず足を止め、少しだけ嬉しそうな表情になる。

「―――何ですか、大佐? その、玩具を見つけた時の様な、嬉しそうな顔は?」

「ふん、玩具の自覚はあるようだな、周防少佐。 待たせたな、が、もう少しだけ待ってくれんか? 書類を置いてこなければな」

「どうぞ、どうぞ。 大佐がおられないと、こっちは勝手が判りませんから」

「情けない父親だな? その辺に座って待っていてくれ、直ぐに済ます」

既に課員は退庁した様で、課内はガランとしていた。 藤田大佐が課長席で何やら整理しては片付けている間、周防直衛少佐は物珍しげに当りを見回していた。

「・・・ん? どうした? なにか珍しいか?」

「いえ・・・ここが、帝国軍の国防施策の中枢かと思うと・・・普通のオフィスと、変わりませんね」

「当たり前だ、一体どこの伏魔殿だと思っている? ん、すまん、待たせたな。 では行くか」

「はっ」

2人の帝国陸軍佐官が並んで向かう先には、市ヶ谷の福利厚生棟がある。 段々と陽が短くなるこの時期、辺りはもう暗くなって来ていた。 道々、藤田大佐がポツリと漏らす。

「・・・いい加減、現場に復帰したいよ」

溜息交じりにそう言う、かつての上官の横顔を見ながら、周防少佐は、そう間違っていないだろう推測を口にした。

「年末大攻勢、確定ですか・・・?」

「ああ、ほぼ、な・・・数日前、海軍の定期探査任務の潜水艦が確認した。 地下茎の水平到達距離が、22kmに広がったそうだ。 年内にはフェイズ5になるだろう。
もう時間が無い。 後は各軍との調整が残っているが、それが済み次第、全軍に出師準備命令が発令されるだろう。 遅くとも来月には」

出師準備命令、そして出師命令―――最後は作戦発動命令。 本当だったのか、噂は。 帝国は、帝国軍は有り金の殆ど全てを投じての、最初で最後の大博打をすると言うのか。
構内の歩道を歩く時も、2人とも余り言葉が無かった。 街灯に照らされて長く伸びた己の影を見つめながら歩く。 酷く頼りない影だな、周防少佐はそう感じた。

「後は・・・横浜がどんな横槍を入れて来るか、それだけだな。 一応バンクーバー条約がある、国連が何か言ってくれば、計画の修正はせねばならん」

計画自体の取り止めは無しだが―――そう言いながら、藤田大佐は疲れた様な溜息を吐く。 一国の国防計画を立案する部署の責任者としての重圧とは、一体どれ程のものだろうか。

「貴様の所も、大変そうだな?」

既に暗くなった構内を歩きながら、藤田大佐が話題を変えて来た。 少し悪戯っぽい表情だ、こう言う顔をする時は必ずと言っていい程、昔から遊ばれてきた事を周防少佐は思い出した。

「・・・例の、日米合同の戦術機開発計画であるXFJ計画。 あれの試作機がロールアウトしたとかで、今アラスカで試験中ですが・・・まさか、その余波を受けようとは・・・」

「今月の頭からだったな、綾森がアラスカへ出張に行っているのは。 ま、アイツも今は機甲本部(国防省機甲本部第1部)だからな。 2週間か?」

「ええ、2週間から20日ほどの予定で・・・張り付きじゃありません、向うで国連軍の総責任者のとの、諸々の調整も。 ま、あと10日以内に帰国しますが」

周防少佐の細君、綾森祥子少佐は国防省機甲本部派遣査察団の一員として、今月の頭からアラスカに出張している。 XFJ計画の為だ。
彼女は第1部員(戦術機関連専門教育・学校関連の統括)として派遣され、他にも第2部から第4部まで、各々管轄する職掌に従い、中佐・少佐クラスの部員が派遣された。
第2部は戦術機を含む諸兵科連合部隊の調査・研究。 第4部は外国軍採用実態調査研究に、戦場運用実態の調査研究。 丁度、今現在、『ブルー・フラッグ』が行われている。

「嫁さんは3部(機甲本部第3部:機体自体と、その整備に関する調査研究)と2人3脚らしいですが。 2部は4部と。 アラスカの実戦調査とブルー・フラッグ・・・
ま、部内でもあんな声が出ている現在ですし、推進派としては『中立な目で見て貰いたい』、そんな所でしょうね。 騒いでいるのは主に参本(陸軍参謀本部)ですし」

お陰さまで、いきなり双子の育児をしながら部隊の再編成ですよ。 苦笑しながら周防少佐がそう言う。 少佐の大隊は今年5月のマレー半島派遣で1個中隊分の戦力を失った。
現在は衛士の補充と、その再訓練に徹している。 が、元々不足している中堅の衛士など、余程運が良くなければ回ってくる筈も無く。
しかも新たに補充された5名の衛士は、訓練校出たての新米だった。 そして未だ大隊定数に、7名の衛士が足りない状況が続いている。

「国防省の人事局に、士官学校時代の同期生がいる。 口添えしておいてやろう、貴様の大隊と、長門の大隊の分を」

「助かります、大佐」

やがて福利厚生棟に辿りつく。 その1階の奥の離れになっている建物が、軍人向けの託児所になっていた。 主に小さい子供を持つ共働きの軍人が利用する。

「あら、直美ちゃん、ようやくお出ましかい? それに祥子ちゃんの旦那も。 子供達、待ちくたびれちゃってるよ!」

託児所の『おっかさん』と呼ばれる所長―――長谷孝子陸軍予備大尉、その実は保育園の元園長先生―――が、笑いながら中から出て来た。
陽気で陽性の性格、どっしりと貫録の有る体型、おまけに5人の子供を育てた実績にある、50代のおばさんである。

「遅くまですみません、園長先生」

「有難うございます、園長先生。 子供達、泣きませんでしたか?」

「大丈夫だって! 加奈ちゃんはしっかりした娘だし、直嗣ちゃんも祥愛ちゃんも、ご機嫌で遊んでいたよ! ほら、入った、入った!」

この予備大尉にとって、軍での階級はさほど意味は無いらしい。 様は、まだまだ未熟な育児の後輩たちを指導している、そんな感覚なのだろう。

「加奈ちゃん! お母さんだよ! それと直ちゃんと祥っちゃん、起きてるかい?」

「あ! おかあさん!」

中から可愛らしい、5、6歳位の女の子が走り寄り、藤田大佐に縋りついた。

「あのね! 今日ね! 加奈、直ちゃんと祥ちゃんとね、遊んであげてたの!」

「そう。 加奈、ちゃんとお姉ちゃん、してあげた?」

「うん!」

幼い娘と話す時の藤田大佐は、歴戦の衛士でもなければ、冷酷とも言える程の状況判断を基に、国防計画を指揮する軍官僚でも無い。 1人の優しい母親の顔をしていた。

「ほら! 祥子ちゃんの旦那! 直ちゃんと祥ちゃんだよ!」

「あ、スミマセン。 おっと・・・ほら、直嗣、祥愛、パパだぞー?」

2人の1歳児の息子と娘を抱き抱える周防少佐もまた、戦場での指揮官では無く、親馬鹿の父親の顔をしている。

「あのね、おじちゃん! 加奈ね、直ちゃんと祥ちゃんのお姉ちゃん、ずーっとしてあげても良いよ?」

「はは・・・そうか、ありがとね、加奈ちゃん」

「うん!」

無邪気に笑う藤田直美大佐の1人娘、藤田加奈嬢、当年6歳。 父親の藤田准将が敵わない、数少ない人物の1人である。

「って、何だ、そのナレーションは? ええ? 周防・・・」

「お気に為さらず。 ただの独り言ですので」

「ふん、数年後には貴様もそうなる。 まったく、男親と言うのは、どうしてこうも娘に甘くて、弱いのか・・・」

その自覚がどうやらあるらしい周防少佐は、首を竦めるだけだった。 これから周防少佐の自家用車で、周防少佐の実家まで行き、その後で藤田母娘を家まで送り届ける。
今夜からは実家の母や、妻の実家の義母が交替で、子供達の面倒を見てくれる事になっていた。 それにしても育児の大変さは、この10日ほどでたっぷりと身に沁みた。
同時に妻の苦労も、少しは判った気がする。 これからはなるだけ、早い帰宅を心掛ける様にしよう―――周りから『マイホーム主義者に転向したのか!』とからかわれ様とも。









2001年9月18日 1500 日本帝国 帝都・東京 国防省兵備局


「・・・1日の必要物資量は、陸海併せて約45万トン。 正確には44万9400トンか」

「陸上戦力が、陸海の22個師団(陸軍20個、海軍2個聯合陸戦師団)で1日に3万4900トンの物資を必要とします。 他に陸軍の特殊砲兵群が1万9000トン。
海軍は母艦打撃群が5群と、水上戦闘群が5群で1日当たり37万トン。 上陸支援群が2万5500トン・・・合計で44万9400トン。 1日当たりで、です」

「国内輸送路は、秋田と富山までの鉄道路を吶喊で整備しますが・・・重装備は鉄道輸送のピストン輸送で1カ月を見込みます。 道路輸送は鉄道駅から港湾までとして、です」

「母艦打撃群と水上戦闘群に、補給支援群の第1補給隊を付けねばなりません。 他に上陸部隊用に第2補給隊を。 上陸支援の水陸両用部隊にも第3補給隊を・・・
そうなると、物資集結地から戦場付近海域までの輸送船舶が有りません。 現在、『せんきょう(日本船主協会)』に打診しております。 予定では300隻ほどを徴用予定です」

「300? 『せんきょう』が文句を言ってこないかね?」

「まず、大丈夫でしょう。 あの連中も薄々感づいています。 もしダメなら、自分達の国が立ち行かなくなる事を。 接触した感触は、良好でした」

日本帝国の海運界は、BETAの本土上陸後に西日本地域で大きな被害を受けた。 避難民を乗せる為に最後まで港に残り、光線属種のレーザー照射を受けた船も、多々存在した。
BETAの九州上陸、そして西日本の蹂躙、京阪神・京都防衛戦、その後に続く西関東防衛戦に至るまでに、約1800隻・440万総トンもの商船が失われた。 
『戦死』した民間船員―――戦没海員の数は9万人以上に達する。 組織別の『戦死率』は、実は陸海軍をも上回る悲劇を生んだ。

しかしそれでもBETA上陸前ほどではないが、現在でさえ米国に次ぐ世界第2位の商船隊を保有し、4354隻・1030万7000総トンの船舶保有量を誇る。
来るべく大作戦に向けて、軍が想定する補給海域までの大量物資輸送には、どうしても民間船の徴用が欠かせない―――日本の経済活動を掣肘しない範囲内での、最大徴用が。

「戦術機揚陸艦は、全艦を根こそぎ動員です。 大隅級の10隻、渡島級(大隅級の改良版、搭載能力強化型)の23隻、天草級(渡島級の簡易型)の50隻・・・
合計83隻中、2群合計で70隻を動員します。 残りの13隻は、国連太平洋方面軍への『貸出』ですので、事実上、財布の中はすっからかんです」

22個師団の内、海軍聯合陸戦師団2個と、陸軍の甲師団(重戦術機甲師団)3個は、戦術機3個連隊を保有する。 これだけで戦術機は1800機(陸軍機は1080機)に達する。
他に特乙師団(第10、第15師団)で480機。 乙師団8個は1個戦術機甲連隊を有し、総計960機。 残る丙師団7個で総計280機。 総合計3520機に達する。
残る師団数は29個師団を数えるが、その中で甲師団は3個(禁衛師団、北海道の第7師団、北九州の第8師団)、乙師団は5個、残る21個師団は全て丙師団で、戦術機は2520機。
帝国陸軍の全保有戦術機、5320機のうちの2800機、52.6%を投入する事になる。

「史上最大規模の大所帯だからなぁ・・・戦術機揚陸艦は、幾らあっても欲しい所だ」

戦術機母艦では無い、『戦術機揚陸艦』としてはまず『大隅級』が10隻建造された。 だがこのクラスは艦体の巨大さに関わらず、戦術機搭載能力が極端に低かった(定数16機)
海軍はその『失敗』を認め、『大隅級』での戦術機収容艤装を全面的に見直した次のクラス、『渡島級』を23隻建造した。 戦術機搭載能力は前級の3倍、48機に跳ね上がる。
だが問題が無い訳では無い。 元はタンカーをベースに、建造期間の短縮と量産化を目指しした筈が、日本人故の凝り性が随所に見受けられ、生産性は必ずしも改善されなかった。

そこで再度、『渡島級』の設計から無駄を省いた『簡易型戦術機揚陸艦』である、『天草級』を設計した。 戦術機搭載能力は32機、丁度『渡島級』と『大隅級』の中間だ。
『天草級』は99年から僅か2年で、50隻が建造され就役している。 大東亜連合や中東連合からの『発注』分、26隻を建造中に買い取った分を含めてだ。

「何せ、我が軍だけでも参加兵力は陸上22個師団(海軍聯合陸戦師団含む)、強襲上陸の海兵隊4個大隊。 ハイヴ突入の軌道降下兵団と、陸上から突入の機動大隊が合計8個大隊」

「艦隊はGF主力の第1、第2艦隊が総出撃。 戦艦10隻、戦術機母艦10隻に、巡洋艦・駆逐艦併せて64隻、合計84隻の大艦隊・・・」

「戦車を含む戦闘車両など、軽く3000輌を越しますよ・・・ドック式揚陸艦と戦車揚陸艦、併せて166隻が必要です」

「166隻!? 海軍が保有しているドック式揚陸艦は8隻だけだぞ!? 戦車揚陸艦も42隻しか無い、合計で50隻だ! 残り116隻、一体どうしろと・・・!?」

「それだけではありません。 兵員輸送と武器弾薬類輸送に、攻撃輸送艦200隻と攻撃貨物輸送艦が160隻、必要だと計算されます」

「・・・徴用商船以外で、か・・・?」

「はい。 参加総兵力、陸上と海上を合わせれば約50万名、後方支援を含めれば180万名に達します・・・我が軍だけで」

「ガルーダスと国連軍にも、結局声をかけている様ですが・・・それを入れれば、恐らくですが参加兵力80万、後方含めて総兵力は250万名に達しますよ・・・」

「・・・足りない。 何もかも、決定的に足りない・・・」

兵站とは、補給ではない。 補給を含む、あらゆる広範な行動を指す。 その為の輸送手段―――船舶、鉄道、車輌―――その確保も兵站に含まれる。

「必要弾薬量は、現備蓄量の138%と算出されました。 他に野戦糧食、医薬品、日常品、その他諸々・・・現在の備蓄量では、予定参加兵力の35%を賄える程度に過ぎません」

「企業側からも、納期の延長を申し入れて来ております。 生産工場では3交代制・24時間のラインフル稼働で生産を行っておりますが・・・
発注予定量を満たすには、最低でも年明け・・・1月の末頃になると。 ラインも限られますし、何より原材料の確保も量が量だけに、企業側も苦戦しております」

胃が痛い。 今日もまた軍需省の担当部長と、取っ組み合いの激論になるだろう。 通産省からも捻じ込んで来る筈だ、それに大蔵省からは緊急臨時予算案が叩き返されるだろう。
まったく、これだから『作戦屋』と言う輩は! 国家規模の兵站(ロジスティックス)と言うものを、全く理解していない! 22個師団!? GF全力出撃!?
ああ、ああ、それは、それは、勇ましいだろうさ! 悲壮感に酔いしれる事だろうさ! だがな、無い物は無いんだ! 無から有は作り出せない! 
官も民も、年度初頭にその年度の生産・調達計画を全て立てているんだぞ!? それを、その想定範疇を遙かに越す要求を、『国事の一大事』の一言でゴリ押ししやがって!

国防省兵備局で、生産計画などの軍需行政・戦略用資材整備・補給全般を統括する責任者の陸軍少将は、喉元から酸っぱい何かがせり上げて来るのを自覚しながら、頭を抱えていた。









2001年9月20日 1500 日本帝国 帝都・東京 市ヶ谷 統帥幕僚本部・第1局第2部長室


「―――国防省兵備局が、泣きを入れて来た」

上官の言葉に、国防計画課長の藤田大佐が眉をピクリと動かした。 その右横で戦争指導課長の海軍大佐が難しそうな表情になり、左横の兵站課長(陸軍大佐)は少し首を竦める。
第1局第2部は国防計画部である。 その指揮下に戦争指導課、国防計画課、兵站課の3課を持つ、日本帝国の国防施策の骨子を計画・立案する部署だ。

「輸送船舶、兵站物資、備蓄弾薬量に燃料・・・計画兵力量では、全てにおいて不足すると。 未曾有の大車輪で生産現場を酷使しても、予定の半分を揃えるのが精一杯だと」

「では、計画の修正を?」

藤田大佐が上官―――第2部長の海軍少将を横眼で見上げながら言う。 その様子に何ら態度も示さず、その海軍少将はあっさりと言った。

「そうだ、修正だ。 実際の所、あれ程の大兵力を一気に上陸など不可能だからな。 上陸したとしても、各師団同士が押し競饅頭のラッシュアワー状態だ、戦闘などできん」

「必須は戦術機甲部隊、そして戦闘工兵(機械化工兵部隊)に機械化輸送部隊。 それに随伴する最低限の護衛部隊。 戦車が渋滞で、列にBETAが突っ込む・・・など、笑えません」

「歩兵もかなり削れるのでは? 島嶼作戦ですし、彼等の活躍の場は殆ど無い事でしょうから」

「・・・機械化装甲歩兵は、上陸させるぞ?」

「当然だな、藤田大佐」

部下達が一定の了解を示したと見た第2部長は、国防計画課長の藤田直美大佐に国防省、本土防衛軍総司令部、そして3軍(陸・海・航宙)軍令部門との再調整を命じた。

「佐渡島は『島』だ。 我々が今まで戦ってきた大陸でも半島でも無い、西日本や西関東、甲信越方面でも無い―――島だ。 それを念頭に置いて大至急、再調整を行え、大佐」

「・・・はっ」

最初から、そうすれば良かったのだ―――帝国軍の面子を表に出して、凄まじい程の大兵力を投入する事に、藤田大佐は最初から危惧を示していた。
地形、面積、そして国力を考えれば、誰でも行きあたる結論だろうに!―――お陰で10日間の時間を無為に潰した。 このご時世に!

-――藤田大佐の内心の溜息は大きかった。




[20952] 暗き波濤 2話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2012/09/23 15:56
2001年9月22日 1700 千葉県松戸市 陸軍松戸基地 第15師団第151戦術機甲大隊


「・・・えい」

「っ!? うわっ! そこでいきなり曲げる!? 澪!?」

「戦場は、不可抗力の塊・・・」

「容赦無ぇなぁ、嶋野は・・・」

「・・・親心?」

「だから、どうしてそこで疑問形なの? 澪は・・・はあ・・・」

「おいこら、貴様ら。 遊んでいねぇで、ちゃんと操作しろって」

「ま、面白い事は確かだけどさぁ・・・っとお! 始まったよ、罵倒合戦が」

スピーカーから試験官の中尉達の罵声が流れ始めた。 これは新米衛士達が誰しも潜る試練・・・いや、先任や上官たちのお楽しみだ。

『ほらほら、また銃口が震えているわよっ!? それじゃ、当らないって! アンタ、股間に付いてんの!? 付いてないんでしょ!? 
次外したら、基地中を『玉無しです』って叫びながらランニングさせるわよっ!? 嬉しいでしょう!? 嬉しいって言いな、この役立たず!!』

『馬鹿! 間抜け! ド下手! 貴様の目は節穴以下だ! クソでも詰まってんのっ!?』

『そらそら、また射出されたぞ―――ど阿呆! ボーっとスルーする奴は貴様だけだ! 帝国陸軍始まって以来の、クソ間抜け野郎がっ!』

『下手! 下手! ド下手クソ! それでよく卒業できたわね!? それとも何!? 教官に枕営業でもしたのっ!? あ、男だからケツ営業!? このオカマ野郎!!』

『なんだ、なんだ、そのションベン弾はっ!? そうか、貴様の『短銃』はそんな程度でしか出ないんだなっ!? やめっちまえ! 男なんかやめっちまえ、このボケ!!』

『5発外した・・・今ので6発目。 師団のワースト記録まで、あと2発。 残弾はあと4発・・・先にっておく『おめでとう、この役立たず』 貴様みたいな下手糞、初めてだ』

バイタルモニターには、新任の5人の少尉達のパターンが映し出されていた。 どいつもこいつも、大なり小なり動揺して波形が乱れている。

「・・・北里中尉、お下劣」

「あ、あはは・・・まー、ちょっと、うん・・・他の中尉達もだけど、ね・・・」

「私達も新任少尉の頃は、やられたわねぇ、あれ・・・」

「・・・俺、当時は遠野さん(遠野万里子大尉、当時中尉)に、お淑やかな顔で『玉無し、種無し、甲斐性無し』って、冷たい目で言われてさ・・・本気で首括りたくなったよ・・・」

「え!? 半村、アンタ、喜んでたんじゃなかったのっ!?」

「・・・うわぁ~、引きます・・・」

「・・・半村中尉は、そっち系の人」

「ま、まぁ・・・中尉がどんな性癖か、個人の自由ですが・・・マジかよ、この人・・・」

「違うわっ!!」

操作ルームで射撃訓練用の無人目標の、操作を担当している中少尉が騒いでいた。 中尉は半村真里中尉(2001年6月進級)、楠城千夏中尉(2001年6月進級)の2人。
少尉は先任クラスの萱場爽子少尉(大隊指揮小隊)、嶋野澪少尉(第3中隊)、蘇我伸久少尉(第2中隊)の3名。

オペレータルームで罵声の限りを尽くしているのは、各中隊の小隊長クラスの中尉達。 そろそろ怒声にも罵声にも、上官の薫陶宜しく磨きがかかって来た世代の衛士達。
北里彩弓中尉、鳴海大輔中尉、宇佐美鈴音中尉、上苗聡史中尉、三島晶子中尉、香川由莉中尉、堂本岩雄中尉の7名。

その時、操作ルームの扉が開いて2人の女性士官が入って来た。 大隊CPで大隊通信隊長を兼務する長瀬恵大尉と、中尉の中の最先任、大隊副官の来生しのぶ中尉だった。

「どう? 新米達は?」

「・・・はぁ、あの子達、やり過ぎよ・・・」

自身も怪我でリタイアするまで衛士だった来生中尉が、スピーカーから流れる罵声に溜息をつく。 本来は適度の動揺を与え、戦場の衝撃に少しでも慣らしておく事が目的なのだが。

「いつの間にか、古参中尉連中の『お楽しみ会』になっているものね、どこの部隊でも・・・」

「はっきり言って、軍の悪習ですわ」

「来生中尉、大隊長には?」

「上申しました・・・ですが、『やらせておけ』とだけ・・・」

「ふふ、まあ、大隊長にも何か考えが有るのでしょう?」

「だと思いますが・・・」

2人の上官と先任(来生中尉は大尉進級5分前の、最古参中尉だ)の会話に、後任中尉や少尉達は首を傾げる。 そして小声で囁き合うのだった。

「・・・大隊長、何か考えていると思う?」

「考えて無い方に、酒保(PX)1回かけるぜ・・・」

「言うのも怖いですけど・・・ただ面白いからやらせておけ、位にしか・・・多分」

「は、はは・・・考えて無いよ、うん」

「・・・大隊長は、無思慮」

「・・・そこまで言うかなぁ、澪は・・・はぁ・・・」





「―――はっくしゅ!」

「あん? 風邪か? いや、違うだろ? 直衛、お前が風邪をひく道理が無い」

「・・・俺が馬鹿だと、そう言いたいのか? え? 圭介・・・」

「はいはい、同期同士のじゃれ合いは、外でどうぞ」

「おい、佐野君・・・」

「昔っから噂だったけど・・・周防さんと長門さん、どっちが受けで、どっちが責め?」

「「はぁ!?」」

有馬少佐の唐突な珍問に、周防少佐と長門少佐があっけにとられた様な、素っ頓狂な声を出す。 最先任の荒蒔中佐などは、一瞬身を引いて2人の少佐を、眉を顰めて眺める始末。

「少尉時代から、私達後任の女性衛士の間で、盛り上がっていましたよ? 美園(美園杏大尉)や仁科(仁科葉月大尉)なんか、そりゃもう楽しそうに」

「流石に、奥様(周防(綾森)祥子少佐、当時中尉)には、聞かせられませんでしたけどね!」

「あ、あのな・・・おい、まさか間宮、君まで・・・」

「この手の話、女性は大好物ですから」

「おえっ・・・く、腐っていやがったのか・・・」

戦術機甲大隊長が集まっての、訓練会議がひと段落した後の師団会議室。 何やら言い知れない空気が漂った。

「こほん・・・ま、個人の自由だが・・・」

「違いますからっ! 荒蒔中佐!」

「本気にせんで下さいよ、中佐・・・」

「・・・違うのか?」

「「違います!」」

青筋を立てて同時に怒鳴る、周防少佐と長門少佐。 ニタニタと笑う有馬少佐と間宮少佐。 大げさな溜息をつく佐野少佐―――まあ、正直言って煮詰まっていたのだ、今日の議題に。
集まったのは師団の戦術機甲大隊長達6名。 最先任者・荒蒔芳次中佐。 次席と三席の周防直衛少佐と長門圭介少佐。 後任大隊長の佐野慎吾少佐、間宮怜少佐、有馬奈緒少佐。
師団会議から引き続き、軍内部で公然の秘密と化した年末大攻勢―――佐渡島ハイヴ攻略の為の、戦術機甲部隊指揮官達による演習会議は、ほぼ連日にわたり開催されている。

「しかしそうだな、考えてみれば佐渡島は『島』だ・・・」

「東西30km、南北最大70kmほど・・・最狭部は真野湾と両津湾の間の約15kmか」

「真野湾と両津湾を結ぶラインで、2分できますね。 となると東西15km、南北約50km・・・」

打ち合わせテーブルの上に拡げられた数枚の作戦地図、そして散乱している大量の各種資料。 間宮少佐が地図に赤鉛筆で呟きながら線を引いた。 佐渡島が二分される。

「1個師団の戦闘正面は15kmから20kmですから・・・確かに20個師団も上陸させた日には・・・」

「戦術機のラッシュアワーや、戦車の渋滞なんか、見たくありませんね・・・」

佐野少佐の指摘と、それに応じた間宮少佐の言葉に、周防少佐、長門少佐、佐野少佐、間宮少佐に有馬少佐が顔を顰めて唸る。
ただでさえ、先日の軍高級将校向け秘匿情報では、佐渡島ハイヴの地下茎最大水平距離が、一部分で22kmに達したと報告が入ったばかりだった。
幸いと言うか、佐渡島ハイヴが有る大佐渡山地から、新潟を望む西部海岸線までは約30kmほどある。 地下茎はまだ佐渡島の範囲内だった。

「しかし真野湾や両津湾沿岸部にも、複数の『門』が確認されています。 橋頭保を確保しつつ、戦域拡大戦闘を行い、そして同時に範囲内の『門』を封鎖する・・・ホネですよ」

「戦闘車両の揚陸は、橋頭保内部の『門』の制圧が確認されてからでないとできません。 そこからまず、島の西半分を確保して新潟沿岸までの自由度を確立しなければ。
本命の東半分はそれから・・・西海岸線でどこか、揚陸できそうな地形は無かった? ドック式は所選ばずだし、平坦な地形が有れば戦車揚陸艦だってビーチング可能だし」

地図を睨みつつ、青鉛筆で佐渡島の西海岸線付近をなぞりながら、同期生で有る間宮少佐と佐野少佐に確認する有馬少佐。 
が、あいにくと間宮少佐も佐野少佐も、情報を持っていない様だ。 2人揃って首を振る。 その姿に少しだけガクっと肩を落とし、今度は先任2人に確認する。

「周防さん、長門さん、何か情報持っていません?」

「生憎と、土地勘が無い」

長門少佐が素っ気なく言う。 その時、衛星写真をずっと眺めていた周防少佐が少し首を傾げながら、1枚の写真をテーブルの上に置いた。 全員を見回し説明する。

「・・・ここはどうかな? 元は山間部だったようだが、綺麗さっぱり喰い尽されている」

西海岸のちょうど真ん中付近、以前は『多田』と言う名の地区だったらしい。 

「ここを起点に、半径5km程度の半円周に近い地形が、ごっそり喰い尽されているようだ。 標高は精々・・・20mも無いか? 海岸線は奥行き2km程ありそうだ。
それが北東に向かって・・・この、えーっと・・・『小倉川ダム』か? ここに行きつく。 機甲部隊でも通行出来そうだ。 それに北を見てみろ・・・」

周防少佐の指が、写真の一点からスッと北に移動して地形を示す。 その写真地形を見た同僚の少佐達は、周防少佐の言いたい事を瞬時に察知した。

「なるほど・・・小佐渡山地は随分と浸食されていますね、これなら揚陸可能地点も探せば有りそうだ」

「それに、小倉川ダムの北・・・『大野川ダム』? それに『新穂第1、第2ダム』ですか。 その北の『久知川ダム』・・・」

「面白いですね・・・それぞれ、幅が100mは有りそうな抉れた峡谷・・・それが繋がっています」

「で・・・それぞれが西海岸線で、食い荒らされた平坦な地形に繋がっている、と。 主上陸地点には狭い気がするが、後方確保の為の第2上陸地点には、うってつけって訳か」

「ああ。 この辺りはまだ、地下茎が到達していない。 以前の地形で言えば・・・どこだ? ええと、237号線沿いのここ、新穂地区前面辺りまでだ」

つまり真野湾、両津湾へは戦術機甲部隊主力での強襲上陸を仕掛け、同時に西海岸線へ支援部隊の上陸を敢行させる。 内陸へ8kmほど進まねばBETAとの接触率は低いだろう。
それに付近の地形は台地上になった山地の名残と、その間の広く抉れたBETA謹製の幅広の『道路』になっている地形だ。 頭を押さえておけば、峡谷間の移動も可能だろう。

5人の少佐達は衛星写真や昔の地図、そして中央から廻って来た『佐渡島ハイヴ地下茎構造・想定情報(絶対極秘)』、そう言った資料を照らし合わせながら、戦術作戦を練る。
そしてそんな少佐連中を見ながら、最先任大隊長である荒蒔中佐が、宿題を出す教師の様な表情で言った。

「次回の師団作戦会議は4日後。 各人はそれまでに作戦案を纏めて、2日後に持ってきてくれ。 3日後に再度、調整会議を行って師団会議に提示する」


本来ならば今回の様な検討は、もっと上級司令部が行う事項だ。 中佐や少佐の大隊長クラスならば、もっと限られた戦術作戦内容に絞って研究・検討をすればよい。
だが本土防衛軍総司令部直轄部隊の第10、第15の両師団では、その任務の関係上もあってか、師団長直々に部下高級将校の独自の『教育方針』を定めて、日々研究させていた。
すなわち、大隊長には連隊長が判断すべき事項を。 連隊長には旅団長や師団長が判断し、決断すべき事項を。 旅団長には師団長代理としての研究を。

そして現在は、更に上の視点に立った研究を課し、師団会議での検討会で提示・検討させている。 その結果は当然ながら、防衛軍総司令部へ『上申』の形で示される。
この形は第10、第15の両師団だけでなく(始まったのはこの両師団だが)、現在は有効性を認めた一部の他部隊―――北海道、東北・北陸、九州の各軍団内でも取り入れていた。
東部軍管区でも、外縁部を守る第7軍(第2、第18軍団)が大体的に取り入れた。 対BETA戦における消耗の早さから、代理指揮官の能力向上は必須と判断されたからだ。


どっぷりと日が暮れた夜遅くになって、ようやく会議が終わった。 ガランとした帝都行きの電車に乗って(将校でも、電車通勤に変わりは無い!)家路につく。

「そう言えば嫁さん、明日帰ってくるんだって?」

最寄駅で下車し、家路の途中で長門少佐が周防少佐に話しかけた。 2人の家はお隣同士だ。

「ああ、少しだけ長距離通信で話した。 統幕(統帥幕僚本部)に寄った時に、藤田大佐の『好意』でな・・・」

「はは、また後でなにやかやと、冷やかされたんだろう? で、何て言っていたんだ?」

「ん? まあ、任務に関する事は『空気を読め』って事で、ぼやかしていたが。 まあ機体は気に入ったみたいだ、元衛士として。 ブルー・フラッグの途中までだったらしいが。
それと何だ? 『若いって、ホント、良いわね・・・』だとさ。 俺の顔をまじまじ見つめながら言うんだ、一体何なんだよ、ったく・・・」

「あぁん? 何だ、そりゃ・・・?」

「俺が知るか・・・さて、帰ったら子供の世話だ」

「ああ、俺も風呂に入れてやって・・・その後で、今夜は風呂掃除の番か・・・」

本人達は気付いていないが、周りでは2人とも『すっかり所帯じみた小父さん』と化している、そう言われ始めている。
そう言われても仕方が無い、そろそろ30代の方が数えた方が早い年代になり、結婚もして子供も生まれた。 
20歳前後の若かりし頃の様な無茶は、無意識のうちに出来なくなっているのだろう。 それを大人になったと言うか、違うと言うかは本人だけの問題だ。

ドン!―――暗がりだったからか、横道から出て来た人影に気づくのが遅れた。 周防少佐と相手とが、軽く肩同士がぶつかってしまう。

「―――ッ!」

相手がよろめいた。 咄嗟に手を伸ばして相手の体を受け止める。 軽く香る甘い香り。

「っと、失礼!」

暗がりの街灯の淡い光の中で、相手の姿がようやくはっきりした。 淡いブルーの瞳に色白の肌、身長は170cm弱と言った所か。 女性、それも外国人女性だった。

「―――Sorry,Miss・・・」

咄嗟に英語に切り替えるが、返って来たのは綺麗な発音の日本語だった。

「いいえ、こちらこそ・・・急いでおりましたの、失礼しましたわ」

周防少佐と長門少佐がさらにびっくりしたのは、その外国人女性の服装だった。 

「・・・え?」

「・・・ふん?」

濃紺色のゆったりとした質素な丈長のワンピース。 頭にはウィンプル―――ローマン・カトリック教会の修道女だった。
年の頃は30代後半と言った所か、神に仕える修道女―――聖女と言うよりも、むしろ母性の方が強いようなシスターだった。

「軍人さん・・・でしたか。 失礼しました・・・」

周防少佐と長門少佐の軍服を見て、少し怯えた様子を見せる。 この国では近年、最も幅を利かせているのが軍人達だったからだ。

「あ、いや・・・こちらこそ、失礼を。 不注意でした、申し訳ない、シスター・・・ええと?」

「アンジェラ。 シスター・アンジェラですわ。 この先の・・・難民居住区の『カリタス修道女会』ですの」

「・・・キャンプのシスターでしたか。 これは、尚更失礼を・・・」

周防少佐が更に恐縮する姿を見て、シスター・アンジェラが少し目を見張る。 見れば長門少佐も軽く頭を下げていた。

「・・・お珍しいですわ。 このお国の軍人さんがたが、私の様な神に仕える者にその様な・・・」

その言葉に周防少佐と長門少佐が苦笑する。 確かに珍しいだろう、この国の軍人でキリスト教―――カトリック、プロテスタントを問わず、一定の敬意を払う者は。
だが彼ら2人は欧米での勤務経験を持つ。 当時の同僚達の殆どがキリスト教徒―――ローマン・カトリック、英国国教会、ロシア正教徒、プロテスタントだった。
生と死の狭間を、毎日猛スピードで駆け巡る日々。 同僚達にとって信仰は救いだった。 そしてその姿を見て来た2人は、それを意味無く見下す習慣を持っていなかった。

「はは、少し事情が・・・遅れました、日本帝国陸軍少佐、周防直衛と申します」

「私は帝国陸軍少佐、長門圭介。 なに、私もこちらの周防少佐も、欧州や米国での勤務経験が有りますので・・・そう言う事です、シスター」

「まあ、そうでしたの・・・」

吃驚した様に、大きく目を見張るシスター・アンジェラ。 が、急に用事を思い出したのだろう、慌てて先を急ごうとする。

「大変、私ったら・・・キャンプで男の子が1人、風邪をひいてしまって。 修道女会の常備薬を切らしていますの、今からお薬屋さんに・・・」

「・・・失礼ですが、シスター。 この時間ではもう、どの薬局店も閉店していますよ?」

「まあ! ああ、どうしましょう・・・あんなに苦しそうにしている小さき者を・・・主よ、汝の子羊の無力をお許し下さい・・・」

いきなり夜道で懺悔を始めてしまった修道女に呆れながら、周防少佐と長門少佐が目を合わせて軽く溜息をつく。 そして長門少佐が、少し苦笑しながら言った。

「シスター、私の家はこの近所です。 妻に言って、家の常備薬をお譲りしましょう」

「・・・まあ! 本当に宜しいですの? 長門少佐!?」

「ええ、まあ・・・はい」

「助かりますわ! 本当に助かります! ああ、ここで貴方がたにお会いできたのも、これも主のお導き・・・」

「ああっと! シスター! とりあえず今は早く薬を! 長門少佐、先に言って薬を出してくれるか?」

「・・・判った、周防少佐。 ではシスター、私は一足先に。 私の家はこの周防少佐が知っていおりますので」

またまた、感謝のお祈りを始めそうなシスターに慌てた2人の少佐達が、慌てて先を急がせる。 結論から言えば、キャンプの男の子は翌朝には全快した様だ。
そしてそれ以来、ちょくちょく街中で修道女会のシスターたちと出会った時には、妙に感謝されて返って恐縮する周防少佐と長門少佐だった。









2001年9月25日 日本帝国 帝都・東京 難民キャンプ内


「院長先生! またねー!」

「先生、さようならー!」

難民キャンプ内で、幼い子供達が元気よく外に飛び出してゆく。 その姿を見ながら、人の良い好々爺の様な穏やかな笑みを浮かべる修道院長。

「おお、元気で帰るのだよ、みんな。 ではまた明日、いらっしゃい」

「はーい!」

微笑ましい姿。 BETAの本土侵攻により故郷も、家も、中には友人や家族をも失った難民キャンプの子供達。
ここ『聖ヨハネ・ホスピタル独立修道会』は、そんな難民キャンプ内で、医療と子供への教育を無償で、慈善活動として行っている。

この修道会は『マルタ騎士団』―――『ロードス及びマルタにおけるエルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会』の分派で有り、十字軍時代に遡る『聖ヨハネ騎士団』を祖に持つ。
院長のパウロ・ラザリアーニは南米に避難した『ヴァチカン』から派遣された人物だった。 医学と教育学で博士号を持つ人物でも有る。

「・・・元気な、良い子供達ですわ、修道院長」

「ふむ・・・あの子たちの未来が、輝かしい光溢れた世界であらん事を。 シスター・アンジェラ、中へどうぞ」

本来カトリックにおいては、修道士と修道女が同じ一室に入る事は無い。 が、修道会と修道女会との連絡において、一室だけ特別に認められた部屋が有った。
その部屋に入り―――木製の粗末なテーブルと椅子だけの、質素な部屋だった―――修道院長のラザリアーニ司祭は、シスター・アンジェラを見やった。

「難民キャンプの窮状は、以前からこの国の政府に訴え続けておったのじゃが・・・快い回答は未だ貰えていませんな・・・」

「はい・・・修道女会も何度も、文化庁を通じて訴え続けております。 せめて最低限の居住の確保をと・・・今の難民キャンプ自体、自発的なバラック建物の集まりですわ。
それに立地も・・・この『荒川難民キャンプ』自体、河川敷に避難して来た人々が、そこらの廃材を集めて作った不法建築物の集まり・・・衛生状態も最悪ですもの」

「ううむ・・・この国の雨季(梅雨の時期)から夏にかけて、伝染病も発生しましたな。 政府や軍は辺り一帯を全面封鎖するだけで・・・何十人も、亡くなった・・・」

修道士会にしても、修道女会にしても、現在の難民キャンプの窮状は憂慮すべき最大の課題だった。 彼等、彼女等は恐れはしない。 ただ己の無力を神に懺悔し、祈るばかり。

「私は修道士会本部に手紙を書いたよ、シスター・アンジェラ・・・」

「手紙を・・・なんと? 修道院長?」

「うむ・・・こうなっては、この国の精神的上層部・・・皇帝一族や摂家に働きかけるしかあるまい。 幸いにもヴァチカンと、この国の帝族・貴族社会は良い関係を築いている・・・」

100年以上前のこの帝国の開国期、この国は貪欲なまでに近代文化を身につけようとしていた。 多数の留学生を出し、多数の外国人学者・技術者・文化人を招聘した。
そんな中で行われた『近代化』にあって、誰もが忘れていた事が『女子教育』だった。 元々この国の支配層であった武士階級には、女子教育の概念は無かった。
そして『新政府』は摂家を中心とした、武家社会の『旧非主流派』による『上からの改革』であった為、『女子教育』もまた顧みられる事は無かったのだ。

そんな中で、その点に着目したのが新時代の宗教改革で、布教が自由になった事で新たに進出して来たカトリック教会と、その派閥に属する修道士会・修道女会だった。
彼等は各地に教会に付属する形で学校を作り、主に男女を問わぬ初等教育(相当)と、女子高等教育を始めたのだった。 そしてもっぱら医療慈善と教育慈善に専念した。
そしてその組織の理事や名目上のトップに、皇帝一族や上級貴族を据える事で、この帝国の上流社会層の歓心と、そして信頼を得る事に成功する。

因みにプロテスタント勢力は、数世紀前と異なり今や『新帝国』(英米主流)の植民地化の尖兵と化していた時期であり、帝国政府はプロテスタントを危険な存在と認識していた。
そして当然ながら、神の愛と隣人愛を唱えながら、帝国主義的利権の尖兵と化したプロテスタントにこの国の上流社会が良い心証を持つ事は無く―――カトリックはより信頼を深めた。

「畏れながら、皇帝陛下に拝謁を賜る事は無理であろうが・・・せめて内府(内大臣。 内務大臣では無い)か、或いは五摂家のどなたか・・・将軍殿下に目通りが許されれば・・・」

「斉御司家は・・・あの家は外交筋にコネをお持ちですわ。 当然、ヴァチカンとのパイプもお有りでしょう?」

「捗々しくないよ、シスター・アンジェラ。 斉御司家の御当主は、今は斯衛軍に在籍しておられていてな・・・軍人は政治に韜晦すべからず、と。 困っておるのだ・・・」

暫く沈黙が降りる。 難民キャンプの窮状を訴える最後に綱と思えた、この国の上流社会への訴えが、ここにきて困難な様相になったのだ。

「私・・・」

シスター・アンジェラが、考え込みながら言いだす。

「私に、おひと方、心当たりが有りますわ、修道院長・・・」

「心当たり!? で、どなたかな? シスター・アンジェラ!?」

修道院長が身を乗り出して尋ねる。 この際、誰でも良い。 とにかく伝手を持っている相手であれば・・・

「菊亭伯爵夫人の、菊亭緋紗様・・・ご実家は煌武院家のご譜代で、神楽子爵家のご出身ですわ。 この春に九条公爵家門流(譜代筋)の、菊亭伯爵家にお輿入れなさって・・・
今は斯衛軍を予備役に下がられて、ご一門の財界外交に活躍なさっていらっしゃる貴婦人ですの。 慈善パーティーなども良く・・・修道女会のパトロンでもいらっしゃいますわ」

「おお、なんと! それにご実家は、神楽子爵家と・・・神楽家と言えば、当主が城内省官房長官を務めていますぞ、シスター!」

一気に光が差し込んだ様だった。 五摂家の九条家譜代重臣の菊亭家に、城内省要職を務める神楽家。 この2家に接する事が叶えば・・・

「私、早速、伯爵夫人の元を訪ねて参りますわ。 先日のご寄付のお礼も申し上げなくてはなりませんの」

「頼みましたぞ、シスター・アンジェラ。 おお、主よ。 貴方のお慈悲が、この地の人々に恵まれん事を・・・」









2001年9月27日 日本帝国 帝都・東京 某所


「・・・どうだね? 『成果』は?」

「今の所は順調よ。 九條家、斉御司家、崇宰家・・・五摂家内の穏健派、若しくは中立派は急激な変化を望んでいないわ。 そちらは?」

「RLF極東地区指導者の『カオ(高)』は、良くやっている。 軍部強硬派・・・国粋派に取り入って、難民キャンプの窮状を訴え続けているよ。
お陰さまでこの国の軍人、その何割かは非常に義憤に燃えている・・・ま、軍人とは古今東西、単純明快な馬鹿が多い・・・五摂家は割れるかね?」

「・・・現政威大将軍、煌武院家次第ね。 分家筋の聖護煌武院家は、斑鳩家・・・その家老筋で、斑鳩公爵家内の主導権を握った洞院伯爵家と同調したわ。
洞院伯爵家の当主は、名うての復古主義者よ。 騒乱に乗じて、その不始末を煌武院家に押し付けて将軍位を降ろさせ、次代の将軍位を主君に襲わせる・・・」

「その夢に夢中か。 聖護煌武院家は本家を廃嫡させて、自らが一族中の本家にのし上がる・・・ゆくゆくは、斑鳩家を引きずり降ろして、か。 人とは、夢を見る生き物だな!」

「・・・誰しもでしょう? これで五摂家の内、三家は統制派・・・いえ、少なくとも城内省官房長官である、神楽子爵に擦り寄るわ。 神楽子爵は城内省と統制派との・・・」

「必ずしも、そうとは言い切れない人物の様だがね。 が、少なくとも国粋派や復古主義者の様な、夢見る純粋な連中とは違う。 
流石、裏で色々とやらかして武家社会を保ってきた、『鬼の官房長官』だ。 最近は国家憲兵隊副長官の右近充大将とも、接触しているとか」

「・・・あの『魔王』と? それこそゾッとしないわ、何を考えているのか・・・こちらの動きは、把握しているでしょうに」

「何も言ってこない内は、自由にやるさ。 彼は必ずビジネスパートナーにはサインを出す男だ、それを見落とさなければいい」

「見落としたなら?」

「ああ、気の毒な君! 君はこの国の辺境で、人知れずBETAの餌になるだろう」

「ふん・・・わざとらしい。 では次回の会合は2週間後に」

「ふむ、ではごきげんよう、麗しき裏世界の聖女よ」









2001年9月28日 日本帝国 埼玉県深谷付近 帝国陸軍・深谷演習場


9機の戦術機が、訓練区域を高速で飛翔していた。 と思ったら次の瞬間には、急激に噴射降下―――急降下をかけて市街訓練区域に突入する。
BETA侵攻後に無人になった廃墟を、そのまま訓練区域として使用しているその場所は、倒壊した建物やスクラップに為った車などが放置されたままだ。

轟音を立てて地表スレスレまで噴射降下した後、そのまま高速サーフェイシングに入る。 そしてダンスを踊るかのようなステップで、噴射パドルを巧みに制御しつつ移動する。
だが先頭の1機とそれに続く1機以外の、後ろの7機はそうも行かない様だった。 突入角度が浅すぎる、サーフェイシング速度が遅い。 ターンや切り替えしもぎこちない。

『―――ドラゴン01よりゲイヴォルグ01、後続がぶっちぎれかけています。 そろそろ手綱を緩めますか?』

「―――ゲイヴォルグ01よりドラゴン01、脱落した機数は?」

『―――4機。 1機が少し遅れ気味です。 2機がふらつきながらも、喰らいついて来ています』

「―――ふん、上出来だ。 半年の練成期間だけの連中にしては、ここまで良く付いてきた」

『―――繰り上げ卒業のヒナ共も、まあ良く付いてきましたよ、あそこまで。 で、どうします?』

「―――ポイントデルタで合流。 B7Dから西を回ってRTB」

『―――ドラゴン01、ラジャ』

どうやら先頭の2機の94式『不知火』はベテランが操縦する機体の様だ。 そして後続の7機は新米達。 その中でも辛うじて付いてきた3機と、離された4機で技量の差が有るようだ。

やがて速度を落とした先頭の2機に、後続の3機が合流する。 そして離されていた4機もふらつきながら合流を果たし、9機の戦術機は一路、基地を目指して離脱していった。





「こりゃまた、盛大にやったな、おい」

戦術機ハンガー脇で、盛大に胃の中身を吐き出してゲェ、ゲェとやっている新米衛士達を見ながら、長門少佐が周防少佐に笑いかけながら言った。

「・・・これから、もっと盛大に吐いて貰う予定なんだけどな? お前の所もそうだろう?」

「まぁな。 午後からやるが、補充の6機、どこまでやれるかな・・・」

マレー半島の損失から、ようやく定数が揃った周防少佐と長門少佐の大隊。 だが練度の点ではまた別の話だ。 比較的経験の浅い衛士が占める比率が、高くなったためだった。
この3日間、両大隊は補充されてきた衛士達を重点的に訓練させていた。 そして今日、大隊長が自らから率いて、その連度の確認を行う事になったのだ。

部隊の練度向上のための訓練方法も、それぞれの指揮官の性格や経験を反映するように、異なる事が多い。 中でも周防少佐と長門少佐の大隊は、訓練が厳しい事で知られていた。
例えばこれが先任指揮官である荒蒔中佐や、同じ少佐でも間宮少佐の大隊などでは、決して無理な機動はさせない。 
基本をベースに徐々に連度を上げて行き、無理なく次のステップへ―――そんな訓練方針を取っている。 その正反対なのが周防少佐と長門少佐だった。
まず最初に大隊長自らが率いて、好きな様に機体を振り回す。 そして部下がどこまで付いてこられるかを、指揮官が直接見極めるのだ―――限界を越す事は無いが。
どちらが正で、どちらが誤か、ではない。 結局は性格と経験―――特にどんな経験をしてきたかが、大きかった。

残る佐野少佐と有馬少佐の大隊は、この中間と言ったところか。

「年末の『作戦』まで3カ月だ。 余り悠長な事も、してられないな」

「流石に荒蒔中佐や間宮の所も、猛訓練に入る様だ。 部下達には暫く、地獄を見てもらうしかないな」

「戦場で恨まれて死なれるより、訓練で恨まれた方がいい・・・じゃ、そろそろ、俺の所もやるか」

「ご苦労さん」

「はいよ」

長門少佐と別れた周防少佐は、ドレスルームでシャワーを浴びた後、この季節の恒常業務服でも有る迷彩服(2型)に着替えて大隊長室に戻った。
既に大隊副官の来生中尉と、大隊指揮小隊長の北里中尉(2001年6月就任)からは、各種報告が挙げられていた。 書類に目を通し、所々に朱記でチェックを入れる。

やはり問題は訓練用燃料の確保だった。 数ヶ月前に陸軍燃料廠で大規模な爆発事故が発生して以来、訓練用燃料の使用制限は未だ解除されていない。
シミュレーター訓練も限界がある、どうしても実機操縦とでは微妙な誤差が生じる。 それにシミュレーターの台数自体、足りている訳ではないのだった。

資料をパラパラとめくり、時折別の資料を手にして見比べる。 しばらく考え込み、時折赤線を引いたりチェックをしたりして、次の報告書に進む。
階級が上がれば上がる程、こう言った書類仕事はつき纏う。 いや、上級将校になればなるほど、その主敵は『書類』なのだと言われる程。

―――『軍は書類を主敵とし、その余力を持ってBETAと戦う』

軍内部で苦笑と主に語られる言葉だった。 現に今、周防少佐のデスクの上には、未決書類の山が綺麗に(副官の来生中佐によって)整理されて置かれている。
人事・考課、補給、整備、訓練、衛生状態報告、研究報告、上級司令部よりの命令・・・気が付けば午後の課業時間を過ぎていた、暗くなった空が夕焼けの残照で微かに赤い。 
椅子から立ち上がり、窓辺から外を眺めた。 そして特に考えず窓を開いた。 先月の酷暑が嘘のように、秋の気配を感じさせる風が吹いている。

先程目を通していた、部下の人事考課表を思い出していた。 新たに配属となった新米衛士達、その全員が訓練期間短縮(2カ月から3カ月程だが)で繰り上げ卒業した。
訓練校27期のA卒とB卒。 周防少佐より9期から9期半下の世代だった。 年齢は18歳が殆どで、生まれ月の関係から未だ17歳と言う者も居る。
徴兵年齢の低下に伴い、衛士訓練校の入校年齢も周防少佐の頃に比べれば、1年下がっていた。 訓練期間も少佐の頃より1年短い。

「初陣・・・か」

遙か昔を思い出す。 周防少佐の初陣は92年の5月、場所は今ではBETAの勢力圏となっているユーラシア大陸の北東隅―――北満州だった。
今も昔も、初陣は変わらない。 BETAという未知の敵への恐怖、戦場の異様な興奮、畏れ、そして『死の8分間』・・・

「・・・俺の頃はまだ、後ろが有ったな・・・」

胸ポケットから煙草を取り出し、1本咥えて火を付ける。 紫煙を吐き出しながら、かなり暗くなった空を見上げた。 どこからか、秋の虫が奏でる音色が聞こえる。
そう―――あの頃は未だ本土は健在で、中国も何とか沿岸部各省を保持していた。 韓国は直後の策源地として機能し、帝国本土は東アジア戦線の巨大な生産基地として存在した。
戦場は苛烈だった、多くの戦友を喪った。 だがまだ、あの頃の自分はいずれ失地を奪回できると言う、微かな希望を抱く事が許されていた。 その最後のグループの世代だった。

「だが、な・・・」

新たに大隊に参加した若い衛士達は、そんな希望さえ抱く事を許されない世代なのかもしれない。 身上調査書の本人蘭に書き込まれた、彼等の言葉・・・

『―――国の為、本分を尽くして散る覚悟です。 自分が戦わないと、家族が死にます』

『―――最悪、自分が戦死すれば、残された弟妹には遺族年金が出ます』

『―――不退転。 もう、逃げる場所は有りません』

余りの違いに、気分が重くなる。 自分の若かりし頃も、無論、死と直面する覚悟とそれを受け入れる意識が有った。 そしてそれに抗う為に、様々な努力もした。
厳しい時代、苛烈な時代だった。 だがそれだけの時代では無かった。 友との友情も有った、愛無き時代に生まれた訳では無かった―――確かに、青春ではあった。

秋の夜風が頬を撫でる。 気が付けば煙草がかなり短くなっている、灰皿に押し付けて火を消した。 椅子に坐り直し、もう一度、身上書に目を落とした。
3ヵ月後に迫った年末大攻勢作戦、佐渡島奪回作戦。 師団はその中で、上陸第2派別動部隊に指定されていた。 
それまでに少しでも、部下の生存の可能性を上げる―――それが指揮官としての、最大の責務であり、最も難しい課題でも有った。









2001年9月29日 日本帝国 遠州灘洋上100km 帝国海軍イージス巡洋艦『鞍馬』(伊吹型2番艦)


『―――主砲発射準備、宜し!』

「・・・主砲発射、始め!」

主砲が発射した途端、まばゆいプラズマ光が発生した。 そして甲高い発射音と共に、砲弾が灼熱しながら超高速で吐き出される。
現在の速力は強速(15ノット)、余剰電力量から発射可能な発射速度は、毎分24発。 射程距離は300km以上に達する。

『―――着弾観測艦『二見』より通信。 弾着、遠3、遠2、遠3。 左右宜し』

「了解。 ホチ(砲術長)?」

『―――弾着、遠3、遠2、遠3。 左右宜し、了解。 修正、終了。 第2射、開始します』

最大射程で無いとは言え、射程距離180kmでの着弾精度としては驚異的な正確さだ。 射撃データを修正し終わったのだろう、第2射が発射された。
一気にプラズマ光の束が水平線の彼方に消える、そしてややあって、また観測艦からの着弾観測結果が入った。

『―――『二見』より入電! 弾着、想定点を夾叉(複数の弾丸が目標を挟むように着弾する事)!』

「―――よし」

艦長が小さく呟いた。 昔と違い、現在は完全なコンピューター制御砲撃が可能であるが、それでも150kmも先の目標に対して第2射で夾叉は誇っても良い。
目標海域の温度、湿度、風向・風速などによって、砲弾の弾道は微妙に影響されるのだ。 帝国海軍、その練度の為せる技であろう。

この日、イージス巡洋艦『伊吹』型2番艦の『鞍馬』が、最後の慣熟訓練を終えた。 そして姉妹艦『伊吹』と共に、第19戦隊を編成する事になる。
世界初の艦載型電磁投射砲を主砲に持つ、『伊吹』型2隻による佐渡島砲撃。 口径こそ戦艦主砲より小さいが、その射程距離と発射速度、砲弾初速は遙かに上回る。
帝国海軍は光線属種のレーザー照射範囲外から、全てのBETA種を撃破出来る槍を手に入れた。 後は戦場を与えるだけだった。






『【絶対極秘】統帥幕僚本部軍令・第2506号 『佐渡島奪回作戦』出師準備令について
発:統帥幕僚本部総長
宛:本土防衛軍総司令部、陸軍参謀本部、海軍軍令部、航空宇宙軍作戦本部
本文:『D-DAY』を本年末、12月24日とする。 貴部はその掌握せる権限を以って、可及的速やかに出師準備と為されん事とす。
尚、各国協同軍との調整に付き、国防省軍務局主催の調整会議への出席を必須とす。 担当部局以外への秘匿を厳にされたし。

皇紀2661年(西暦2001年)9月30日 帝国軍統帥本部総長・元帥海軍大将・堀禎二』





[20952] 暗き波濤 3話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2012/10/08 00:02
2001年10月2日 1450 日本帝国 帝都・東京 光菱帝都銀行前


「―――天誅!」

叫び声に続き、数発の銃声が上がった。 そして悲鳴と怒声。 重厚なイギリス・クイーンアン様式の外観を持つ光菱1号館前に、突如として発生した惨劇。

「け、警察を!」

「逃げろ!」

「だっ、誰かっ!」

周りの群衆はパニックを引き起こし、我先に勝手な方向へ逃げ去ろうとし、それが更なる衝突を引き起こす。
更に銃声が響き渡った。 群衆は恐怖に満ちた視線で、銃声の鳴り響いた方向を顧みる。 そして目撃した、銃を手にした1人の軍人が自らの頭部を撃ち抜き、倒れている姿を。
その傍らには、自決した軍人が射殺したと思しき、初老の民間人の射殺体―――後で判明する事だが、光菱財閥中枢の光菱帝都銀行副頭取だった―――が、血を流して倒れている。

遠巻きにその惨劇後を見守っていた群衆の耳に、ようやくの事で警察車両のサイレンの音が聞こえて来た。

被害者は日本の財界を牛耳る巨大財閥のひとつ、その中枢にあって経済界を左右し続けて来た大物経済人。 犯人は国粋派と目されていた陸軍軍人。

2001年10月2日、『光菱前の惨劇』、或いは『光菱天誅事件』であった。









2001年10月5日 2250 帝都・東京 府中陸軍基地 第1師団第3戦術機甲連隊


「国難、ここに極まれり! しからば今こそ我等が起って、その正道を正すしかあるまい!」

「我が国は皇帝陛下、そして将軍殿下と国民が一体化した民主主義国家だ! しかし今や財閥や、それに結託する腐敗政党によって、その一体性が損なわれておる!」

「政党は上に傲れども、国を憂うる誠なし! 財閥はその富を誇れども、我が帝国の社稷を思う心なし!」

「このままでは、我が国はBETAによる脅威以前に、ごく一部の佞臣共の栄華の陰で、国が滅ぶ! 連中は民を盲させ世に踊らせる! 最早、治乱興亡は一局の碁である!」

将校集会所に参集した下級将校団、その一部から威勢の良い、だが焦りに似た悲壮な発言が飛び出す。 他に頷く者たちが居る半面、敢然と、或いは潜在的に反発する者達も居る。

「国難の極まりは、今更言うまでも無い! 要はその国難を乗り切るのに、如何に我々が役割を果たすかだ! 我々は軍人だ、戦場で戦い、銃後を安んじる、そうじゃないのか!?」

「確かに、現政権の政策には疑問も多い。 しかし我々は軍人だ、国家の番犬だ。 その番犬が主人を引っ掻き廻して、一体どうすると言うのだ!?」

「民主国家と言うのであれば、我が国にも議会が有る。 正道を正すと言うのならば、その議会で行うべきじゃないのか!?」

反発する下級将校達の方も、次第に熱がこもってくる。 やがて両者の間に険呑な空気が流れ始める―――ここ最近は、こうした関係が続いていた。

「その議会が、機能しておらんのだ! 議会与党が選任した内閣も然り! 民意を無視し、陛下や将軍殿下の御意向をも無視して、統制派と結託して国体と国政を歪ましている!」

「政党などは最早、政治業者と化した、堕落した衆愚政治業団体だ! 各々の利権に繋がる財界と結託し、己の権益を貪る事しか頭にない!」

「新たなる維新を断行せねば、この国はBETAという新たな外圧、更には国際社会からの介入と言う旧来の外圧、双方の前に滅ぶしか道は無い!」

「将軍殿下によって指導された、目覚めた国民によるクーデターでしか方法は無い! 我等はその礎とならん!」

「最早、離騒悲曲の刻は去れ!  悲歌慷慨の日は去れ! 今こそ廓清の血を躍らせよ、国を憂う者こそ、起つ時だ!」

反発する側も、かなり熱くなる。 

「何を言うか! クーデターだと? クーデターだと!? そんな亡国の手助けなど、絶対に容認できん!」

「今更、100年以上も昔に先祖返り出来るものか! 民意も有る! 国民の全てが、奴隷根性に侵されていると思うな!」

「将軍家や五摂家などは、過去数十年に渡って現実政治から遠ざかって来た、最早象徴の様な存在だ! 今更、国家運営の舵取りを取れると思っているのか!?」

「急激な改革は、結局は長きに渡る混乱を引き起こす! フランス革命を見ろ! ロシア革命を見ろ! 身近では辛亥革命を見ろ! 貴様らは混乱の最中に、祖国を滅ぼす気か!?」

激昂する2派の将校達。 前者は主に、陸軍士官学校出身の若手の中少尉達。 後者は一般大学を卒業、又は中途で学徒動員を受けた学士将校―――予備将校の中少尉達。
そんな両者を冷ややかな目で見つめる、戦場経験のある将校―――各種訓練校出身のノンキャリア中尉達。 その後輩の少尉達は未だ20歳前の者が多く、戸惑いを隠せないでいた。

やがて騒ぎを聞きつけた当直司令―――訓練校出身の大尉―――がすっ飛んで来た。 険しい表情でその場の解散を命ずる。 が、頭に血が上った若い将校達は引き下がらない。

「大尉殿! 是非、大尉殿の見解をお聞きしたくあります!」

陸士出身の中尉達の中でも、その中核と目される人物が喰ってかかる。 当直司令の大尉は内心で辟易しながらも、何か言わねば収まらない事も判っていた。
目を血走りさせた中少尉達を前にして、少し考える様な表情をしていた当直司令の大尉は、徐に口を開いた。

「・・・諸君等の国を思う至誠を、私は疑わない。 今この国は、内憂外患、まさに亡国の瀬戸際と言っても良い」

ゆっくりと話しだす、当直司令の大尉。 居並ぶ中少尉達は息を飲んで聞いている。 果たしてどちらなのか? 大尉の至誠は、どちらなのか?

「昨今の政治不信、国民の窮状・・・問題は多く、解決の糸口は未だ見えず。 しかれどこれは、我々日本人が乗り越えねばならない問題なのだ。
我々日本人が、真に自覚して真摯に受け止め、己が痛みをも覚悟して改変して行かねばならない。 でなくば、我々日本人は永劫に変わる事は出来ない」

大尉は年若い中少尉達を見回しながら、ゆっくりと話を続けた。

「・・・そして、我々は軍人なのだ。 望むと望まざるとを問わず、祖国を護るべき責務を宣誓した帝国軍人なのだ。 
ならば、すべき事はひとつ―――その責務を果たし、国民の目前に我々の至誠を示す事だ。 痛みを伴わずして、変革無し。 
ならば我々は、その変革の礎となる。 我々の至誠によって覚醒した日本の朝ぼらけ、その先駆けとなる、本望じゃないか」

大尉の言葉はどちらとも取れた。 自分達が率先して変革をもたらす―――クーデターの容認なのか。 それとも国民自身の覚醒―――痛みを承知で変革を為す事への期待なのか。
だがその言葉は頭に血が上った若い将校達に、一度頭を冷やす効果をもたらした事に違いは無かった。 乱闘寸前の空気に達していた将校集会所は、幾分和らいだ空気に変わった。

「解散したまえ。 諸君等の今の責務は、如何にして与えられた任務を遂行するかだ。 その能力を磨くかだ。 そして休む事も、その任務の内に入るのだ―――おやすみ、諸君」





「大隊長、騒ぎは収まった様です。 高殿大尉が、上手く収めた様です」

大隊副官からの報告に、第3連隊第32大隊長の久賀直人少佐は無言で頷いた。 最近は第1師団内に蔓延する国粋派思想、その『感染者』が第3連隊でも急増している。
若手の中少尉達の間では、既にほぼ多数派を占めていると言っても良かった。 大尉連中の中でも、そのシンパは多い。 少佐にとっては頭の痛い事柄であった。

それだけでは無かった。 先日、事もあろうか1人の陸軍軍人―――小平通信学校の教官をしていた陸軍大尉―――が、帝都で民間人を白昼、射殺すると言う事件が発生した。
国内は一気に動揺し、国家治安を預かる内務省と、軍事犯罪として処理したい思惑の国防省との対立が一気に噴出した。 統制派内部の主導権争いに発展していると言う。

―――そして軍中央は一昨日、全部隊・全機関に対して粛軍の指示を出すに至った。

やがて報告に、当直司令である高殿大尉が大隊長室へやって来た。 光州作戦の初陣を皮きりに、本土防衛戦を戦い抜き、続く明星作戦にも参加した新進気鋭の大尉。

「―――大隊長、本日、『異常無し』であります」

「―――ご苦労さん、高殿大尉」

暫くの間、事務的な会話が続いた。 やがて副官が所用で大隊長室を出て行った後、高殿大尉は改めて久賀少佐に向き直り、真剣な表情で問い始めた。

「少佐・・・どうしても、同調は頂けませんか?」

「・・・くどい。 俺の仕事は、貴様らの手綱を引く事だ。 鞭を入れて暴走さす事じゃない」

「暴走ではありません、我々は至って冷静です。 今、事を為さねば、本当にこの国は内部から崩壊してしまいます」

「・・・貴様らならば、その崩壊を防げるとでも?」

「我々に権力への欲は有りません、ただ正道を取り戻したいだけで有ります」

「・・・その『正道』とやらを取り戻した後は? 貴様ら以外の、一体誰が流血の跡を掃除すると言うのだ?」

「必ずしも、血が流れるとは限りません。 しかし、その事態となれば、我々はその責めを一身に負う所存。 後はこの国、本来の在り方に戻る・・・」

「馬鹿者っ!」

それまで勤めて無表情で対応していた久賀少佐が、大隊長執務机を両手で叩きつけ、怒声を上げた。 歴戦の将校らしい、殺気が籠った圧力を感じる怒気だった。

「この、馬鹿者っ! 貴様は、貴様らは! 軍人に与えられた『力』の根源を、一体何だと思っているのだ!? 何を勘違いしているのだ!」

大隊長になってからの久賀少佐は、普段は声を荒げない、物静かな指揮官と見られていた。 だからここまで怒気を放つのは珍しい―――高殿大尉は、九州時代の少佐を知らない。

「我々軍人は、国家の認めた暴力の執行者だ! 数万、数十万の人々を殺し、幾つもの街を破壊し、夥しい山野を焼く! 軍とは国家の持つ暴力装置に他ならない!
だがその暴力執行の『根源』は、あくまで国家の主権と国民の生命財産、そして人権を守護する為に立脚しているのだ! その箍が無くば、軍とはただの賊に劣る!」

久賀少佐の怒気の迫力に圧倒されながらも、高殿大尉もまた、己の思う所に譲りはしなかった。 視線に力を込めて、久賀少佐に向き合う。 
少佐もまたそんな部下に対し、一歩も引かずに怒気を発しながら、しかし若い部下に対して教え込む様に言う。

「いいかっ!? 貴様らの言っている事は、その根源を根底から否定する事だ! 忘れておるのならば、言ってやろう! この国には民意で選出された議会が有る!
その議会が選任した内閣が有る! 我々軍は、軍人とは、その文民統制を受ける立場なのだ! 胡乱かもしれん、内閣の能力が足りぬ場合があるかもしれん。
だがそれは、その時の我が国の限界なのだ! 内閣も! 民意も! 国内外情勢も! その限られた中で、最悪であってもその中の最善を尽くす! 
それが、それこそが国家の暴力装置たるを担う、我々の責務なのだ! 我々が持つ巨大な暴力の力は、制限を受けるべきものだ! 己が激情に任せて使って良いものではない!」

一気に言い切って、暫く視線をぶつけ合う久賀少佐と高殿大尉。 祖国の窮状を目の当たりにして、片や己が責務の完遂を。 片や国家の救済を。

「・・・我らが祖国の社稷は、皇祖帝以来、連綿と受け継がれてきた御国の平安であります。 形ある物では無い、この国に暮らす人々の平安の暮らしであります。
今まさに、その社稷が侵されようとしておるのです、BETAと言う、巨大な外圧によって。 そしてその外圧に抗すべき今、御国は麻の如く乱れております。
権力の中枢に居座る者達は、上を畏れる心は無く。 財有る者達は、その利を追求するに汲々と為さんとしております。 そして民は光すら与えられず、盲いたまま」

―――これが、平安と言えるでしょうか?

底冷えする様な、静かな声で高殿大尉が久賀少佐に言い放つ―――貴方には見えないのか、人々の惨状が。 貴方には聞こえないのか、人々の怨嗟の声が。

「我々とて、未だ年端も行かぬ、あの『御方』を担ぎ出す事に、忸怩たるの想いが有ります。 ですが今の祖国の窮状、僅かなりとも確かな光が・・・人心を集める核が必要です。
畏れ多くも皇帝陛下、帝族の方々では、下手をすれば国を割りかねません。 しかしながら摂家・・・将軍家で有れば、皇帝陛下の御稜威(みいつ)は損なわれない」

―――あくまで、皇帝陛下より任ぜられた国事全権代理者として、その回復させた権限により、新たな帷幕―――内閣を選任する。
将軍家は皇帝陛下を輔弼する者の筆頭者として、この国の大政を総覧すべし。 内閣はその大政に従い、その与えられた職責を以って国家を運営すべし。

「将軍家は象徴・・・この国に与えられた最後の希望としての象徴、その光となられねばなりません。 今、国民に必要なのはその光・・・耐えるべき、拠り所なのです。
政党は既に地に堕ちました。 財界は利潤追求と言う、彼等の業を捨てる事は出来ません。 そして残念ながら、我々軍部もまた、国民の信に応える事が出来ておりません・・・」

ならば―――ならば、例え暴虐の徒と呼ばれようとも、全ての汚名は甘受する。 最後の大掃除を済ませ、この国の正道を国民に示す。

「・・・その為ならば、逆賊の汚名を着て死んでも良い、と?」

「―――はい」

無言で怒気を発する久賀少佐。 静かな、しかし大きな圧力を受け止めて動じない高殿大尉。 両者は暫く、無言で相対し合っていた。

「・・・駄目だ、俺は認めん。 認められん、その様な理屈は」

久賀少佐が高殿大尉をじっと見据えたまま、腹から響く様な声で言う。

「例えどの様な窮状で有っても、『それ』は国民に自発的な力と行動でこそ、生まれるべきなのだ。 誰かが用意する、誰かに用意して貰うものではない」

「・・・例え、国土が失われようとも?」

「国土が失われようとも。 国家とは、国民が有って初めて成り立つものだ。 であれば、日本人が1人でもいる限り、日本と言う国は存在する、抗し続ける」

久賀少佐はかつて見て事が有る、遙か遠い欧州で。 国土を喪い、他国に避難して辛酸を味わいつつもなお、祖国奪回の戦いを続ける失われた国の人々を。
確かに彼等の祖国は、国土をBETAに侵され、今は消失してしまっている。 だがそれでも戦い続ける彼等―――昔の戦友達の胸中には、確かに彼等の祖国が在ったのだ。

ならば―――ならば、二千有余年もの歴史を有する我らが、それを出来ない筈が無い。 出来なければ、どの顔下げてかつての戦友達に相まみえる事が出来ようか。

「・・・自分の、極めて私事で有りますが」

それまで久賀少佐の圧力に抗していた高殿大尉が、一転してその雰囲気を変じ、呟く様に言った。

「久賀少佐、少佐で有ればこそ、お話しますが・・・自分が狭霧大尉の話に同調した最初の動機は・・・恨みで有ります」

「・・・恨み?」

「はい、恨みです。 自分の家族は・・・官吏だった父と兄、そして母と義姉は、広島で死にました。 1998年の7月、BETA上陸後、10日目でした」

「・・・」

「政府の対応の遅さ、軍中央の予想の甘さ・・・大陸や半島での戦訓など、毛ほども役立っていなかった。 県庁職員の父と鉄道省職員だった兄は、民間人脱出の指揮の最中で・・・
母と義姉も、夫の帰りを最後まで待ち続けていました。 幸い、幼い甥と姪は学童疎開で東北でしたので、無事でしたが・・・私怨です、自分の」

「・・・どうして、俺に語った?」

「―――存じております、亡くなられた奥様の事は。 いえ・・・それだけです。 失礼します、少佐」

そのまま見事な敬礼をし、大隊長室を出てゆく高殿大尉を、久賀少佐はある種の肉食獣の様な視線で見送った。 伴侶との情愛深いある種の肉食獣はまた、その恨みも深いのだ。





大隊長室を出た高殿大尉は、中隊事務室に向かう廊下を無言で歩いていた。 そろそろ隊内の中少尉達に対して、己が旗幟を明確にしておかねばならない。 
彼等をして、改革の戦力とする為にも。 今はまだ、中核メンバーだけでしか動いていない。 しかし、時至れば戦力の確保は急務だ。

(―――大隊長、久賀少佐。 あなたなら判る筈だ。 家族を奪われ、そして民間人をも、この手で殺させる羽目に陥らせた、この恨みは・・・)

その事態を招いた責任は、一体誰が負ったのか?―――誰も負ってはいない、政府も、軍中央も。 ただ名も無き前線の将兵の心に、癒せぬ傷だけを残したままだ。
高殿大尉は、私怨だけで動いていた訳で無かった。 第1連隊の狭霧大尉達の主張にも、共感すべき所が有ってこそ、今に至っていた。 だが・・・

(―――大隊長、それにですね。 自分は・・・自分の手で、父と兄を撃ち殺したのですよ。 あの時、広島駅に殺到したBETA群を阻止する為に。 通信で兄の声を聞きながら・・・)

高殿大尉は廊下の窓から、無意識に夜空を見上げた。 月夜が見事だった。 そして不意に思い出した、今日が帝都周辺に勤務する者達の集う同期会だった事を。

(・・・ああ、また、周防の奴に怒られるな・・・)

昔とは逆転してしまったな。 訓練校時代は、訓練小隊長をしていた自分が、型破りな同期生に小言を言っていたものだったが。

(・・・懐かしい)

戻れないからこそ、過去は美しい。 高殿大尉はその言葉を、噛みしめる様に思い浮かべていた。 











2001年10月7日 日本帝国 帝都・某所


「・・・難しい事じゃよ」

「で、ありますか・・・」

もう何度、同じ言葉を繰り返した事だろう。 目前の老人と相見えて、かれこれ2時間が経つ。

「宗達卿よ、お主も存じておろう。 かの家はご一新の折、最後まで武力討幕を唱え続けた家じゃよ、家風じゃな」

「御老公、その事は重々・・・」

「であればこそ、なのじゃろう。 あの家が将軍位と、現実権力に固執するのはのぅ・・・ あの折、大方が武力討幕に固まっておったのを、いつの間にか朝廷に働きかけ・・・
時のお上(皇帝陛下)の宣旨を得て、いつの間にか公武合体・・・武が主導する新政府をでっち上げたのは、煌武院じゃ。 ふぉっふぉ、煌武院譜代の卿には、釈迦に説法じゃったかの?」

「・・・いえ」

帝都の一角、通りから入った小じんまりとした庭付きの一軒家。 まさかここが五摂家のひとつ、崇宰公爵家先代当主の『隠れ家』だとは、帝国内でも極一部しか知らない。
城内省官房長官、神楽宗達子爵は今夜、密かにこの『隠れ家』を訪れて、隠居後もなお公爵家内に影響力を有し、五摂家最長老でも有るこの老人に面会していた。

「・・・所で済まんの、宗達卿。 酒肴のひとつも出せなんでの」

「お構いなく、御老公。 そう言えば今日は・・・」

「ふむ、孫娘の、月命日でのぅ・・・」

「確か、故・恭子姫の・・・」

「ふむ・・・卿も、あの折には細君を亡くされておったの」

暫く無言で渋茶をすする音が、居間の中に響いた。 やがて崇宰老公が何やら遠くを見る様な目で、ポツリと言う。

「・・・崇宰の家は、同調せぬよ。 九条と斉御司ものぅ。 斑鳩の家は、譜代の洞院が煽っておる。 あの家はご一新の『不手際』で、時の当主が責めを負って腹を切っておる。
煌武院は・・・ふむ、聖護煌武院(煌武院三分家筆頭)の独断じゃの。 あの家ならば、そう見せかけるわ。 事が成就すれば良し、仕損じれば聖護を潰せばよい・・・
宗達卿よ、お主ならよく存じておろう? 煌武院が何故、未だに分家を残しておるのかをのう? あの家は、他の摂家のどこよりも、深い闇を続けてきた故の・・・」

「はっ・・・」

神楽宗達子爵にとって、老人の話の後半はどうでもよい事だった。 彼にとっては、かつての主家の『時代錯誤』など、化石に等しい。
より重要なのは話の前半部分、つまり五摂家の内、少なくとも三家は動かない。 彼等は現状の維持を以って是としたのだ。 ならばそれを手土産にする。

「宗達卿よ・・・」

「何か、御老公?」

老人の言葉を待つ。 茶碗を老いた掌で弄ぶ老人の言葉は、しかし直ぐには出てこない。 それでも待つ。 神楽宗達と言う人物は色々と言われる男だが、人の話は逸らさない。

「儂はの・・・孫娘の最後を知らぬ。 あれが、どの様な思いで死んで行ったか、知らぬ。 じゃが・・・あれも、そんな事は望んでは、おらなんだじゃろ・・・」

その独りごとの様な言葉は、神楽宗達子爵の胸中には、何も変化を起こさなかった。 どこにでも有る話だ、道を歩けばぶつかる類の。
だが同時に思った。 この老人は孫娘を喪った。 自分は妻を喪った。 そして今夜、もう1人会う予定の人物は末息子を喪ったと聞く。
ならば良いのだ。 ならば喪われた、流された血の対価として、自分達は相応の策謀を巡らせる事が出来るのだ。 ああ―――他の連中もそうだ。 いいぞ、楽しもうじゃないか。

それに―――それに自分が為そうとしている事は、結果的には武家社会を救う事になる。 最早、現実政治に韜晦できる筈も無く、ただ社会的象徴と化しつつある落陽の者達。
自分はその、最後の栄光の残滓を守る為に、こうして奔走しているのだ。 クーデターに便乗しての、権力奪取? 馬鹿な、軍部と中央官庁の全てを敵に回す事になる。
そうなればお終いだ、武家社会は全ての特権を剥ぎ取られ、このBETA大戦に国家と民族の命脈の全てをかけようとしている帝国の、その路傍に放り出される。
いや、軍部は速戦で打って出て来るやもしれない。 そうなれば斯衛軍の戦力など、巨大な破城鎚の前の薄紙に等しい。 五摂家と言えど、その血脈は悉く葬られるだろう。

城内省官房長官・神楽宗達子爵は、目立たない乗用車に乗り込み、別の場所へと急いだ。 他に密会すべき人物が居たからだ。
一筋縄ではいかない、いや、下手をすればこちらの寝首を掻かれかねない。 が、非合法特殊工作戦ならば、あの人物が押さえる組織以上の組織は、この日本に無い。
恩義有る上官を売り、切磋琢磨した同期生を見殺し、可愛がった部下を切り捨てる。 目的の為には徹頭徹尾、非情になり切る―――国家憲兵隊副長官・右近充義郎陸軍大将。

生き残る為だ。 この斜陽の帝国で、武家社会がその面子を保ちつつ、生き残る為だ。 神楽宗達子爵はいつしか、小さな声で口に出して呟き続けていた。





「・・・『ホトトギス』より『カッコウ』 『ウグイス』は卵から孵った。 繰り返す、『ウグイス』は卵から孵った・・・」

『隠れ家』の使用人の1人の男が、神楽子爵が出て行った後、勝手口の外で呟くように言った。 地味な服の胸元には、小型の送受信機が隠されて有った。
男は国家憲兵隊の要員の1人だった。 そしてカッコウやホトトギスと言うある種の鳥類は、托卵―――異種の鳥類の巣に己の卵を托し、雛を育てさせる。

―――『ウグイス』は、『ホトトギス』に卵を巣に仕込まれ、己の生んだ卵は全て外に追いやられる鳥だった。

『ウグイスが卵から孵る』―――対摂家工作の進捗、それに連動する国粋世論工作の進捗が、本部に報告されていた。










2001年10月10日 2050 シンガポール リバーサイド シンガポール川上


「・・・では、カンパニーの潜り込ませた『モール』は、これでほぼ出揃った、そう言う訳だな? ロバート?」

白麻のスーツを着こなした、ダンディな雰囲気の中年のアジア系男性が、グラスを傾けながら世間話でもするような気楽さで言う。

「そうだ、直邦。 もっとも『ほぼ』だがね。 それ以外は君の所の情報部門で、把握しているのではないかな?」

こちらも似たようないでたちの白人の中年男性が、葉巻を吸いながら答える。 場所はシンガポールのリバーサイド、シンガポール川のクルーズ船上。 貸切だった。

「それにしても、自国以外でこんな融通を付けられるとは。 直邦、君の国もなかなか・・・」

「君の国が98年以降に、極東・東南アジアのプレゼンスを放棄しただろう? フィリピンを除いて。 それを掠め取ったのさ、技術供与と資本の一部移転を餌にしてね」

「なんとまぁ、悪い所ばかり似て来るね、君の国は・・・我らが元宗主国程では無いにせよ」

一見、普通のクルーズ船。 実際には帝国軍国防省情報本部の息が掛った、大東亜連合軍・シンガポール軍事情報部―――G2-Armyが『提供する』サービスだった。
クルーズ船のスタッフは全てG2-Armyの要員で、その身柄や船自体の『掃除』は、G2-Armyと帝国在シンガポール大使館武官室が、『個人的に信頼する』掃除夫によって行われる。

「船の上なら、盗み聞きはされないか・・・にしても、君がこの時期、ここにいて助かったよ、直邦」

「何を、わざとらしい事を。 それを承知で、ダイレクトメールを送りつけて来たのは、一体誰だ? 
それもわざわざ、女性名で、自宅まで・・・僕が妻への言い訳に、どれ程努力したか、君には判るまい?」

卓上に並べられた料理―――フィッシュボール(潮洲式魚の団子入り麺)を蓮華で掬いながら、日本帝国海軍軍令部第2部長・周防直邦帝国海軍少将が渋面を作って言う。

この時期、大東亜連合内では加盟各国の主要機関同士が集まり、様々な調整会議が為される。 軍事関係も同様で、昨日まで各国軍の軍備統括責任者同士の会議があった。
日本帝国は大東亜連合加盟国ではないが、先程の会話でも有った通り、そのプレゼンスは大きい。 故にオブザーバー参加として、会議へ軍高官を派遣していた。

「僕としてはロバート、君がこのシンガポールに居る事の方が、驚きだよ」

何食わぬ顔で食事を口に運びながら、川面からの夜景を楽しそうな表情で眺めて、何気に物騒なセリフを履く周防少将。 それに対して相手の白人男性も、気軽そうな口調で返す。

「なに、フィリピン出張のついでにね。 美味い中華料理を食べたくなったのさ。 何しろ台湾の方が距離は近いが、ステイツの人間は嫌われているからね」

「味からすれば、広州料理や潮州料理がベースのシンガポールより、上海や北京料理を楽しめる台湾の方が、君等欧米人の口に合うと思うがな?」

「いやいや、ステイツでは最近は、くどい北部の料理や、まぜこぜの中部の料理よりも、素朴な南部料理の方が好まれていてね」

なるほど、ホワイトハウスがどうかは判明しないが、少なくともペンタゴンは台湾よりも大東亜連合の切り崩しを重視し始めた、そう言う事か。
ロバート・クナイセン―――合衆国海軍少将にして、DIA(アメリカ国防情報局)国際協力室長。 親友であると同時に、気の抜けない商売敵と言う訳だ。

「ふん・・・CIAの対日特殊工作作戦、か・・・軍部に財界、政界、それに一部の武家社会まで。 なんとまぁ、マメな事だ」

親米派の政界・財界人を抱き込み、帝国軍内部に『モール』―――潜入工作員を作りだし、クーデターによる米軍の介入を行う。
その後は親米派政権の元、かつて以上の対日プレゼンスを回復し、同時に日本に『掠め取られた』大東亜連合内のプレゼンスをも回復する。

「少なくとも、CIA国家秘密本部は本気だよ。 その中の東アジア部の部長である、ウォルター・ヒューズはね。 だけどCIA情報本部は、ヒューズの作戦を疑問視している。
具体的には情報本部・東アジア分析部長のライオネル・モーガンと、グローバル問題部長のエマ・シーリングが。 外国指導者分析部長のネッド・ジャクソンも懐疑的だ」

「ウォルター・ヒューズ! はっ、何ともはや・・・時代遅れのアメリカ・ファースト主義者の名を聞いたものだ。 義兄が聞けば、何と笑うかな?」

「国家憲兵隊副長官の、右近充陸軍大将か。 ウチの副長官とは、ファーストネームで呼び合う仲だったな」

「だからだろう? 僕に接触したのは? 君等DIAは少なくとも、日本間接統治は割に合わない、そう判断した。 
付き合いづらくとも、統制派が主導権を握る日本の方が話を通し易い、とね? 違うかな? ロバート」

「違わないよ、直邦。 理想主義の美少女に、絶対忠誠を誓うカルトじみた政府や、我が国のネオコンにべったりの対米依存・・・おねだりばかりの、金食い虫政府よりも。
国益の為なら平然と変節漢になる現実主義者の方が話し易い、国際社会ではね。 だからこそ、大東亜連合も日本のプレゼンスを受け入れている。 金と利益で話が付く相手として」

「国際社会は、全てがビジネスだ。 うん、そうだ、お互いに悪意を隠した誠意と言う顔の下で、物と人と金を武器に損得勘定を計算し合いながら商売をする。
ロバート、合衆国国防予算は、来年度は頭打ちだそうだね? 合衆国軍としては、極東戦線にまで大兵力を展開する余裕は無い。 ならば・・・そう言う事だろう?」

「違わないよ、直邦。 だからこそ、僕はそのリストを君に手渡した。 大丈夫、大使館のCIA要員は気づいていない」

「調理方法は、恐らく追って連絡する事になると思う。 いつもの方法でいいかな?」

「OK、できればこちらのアクションを揃える余裕は欲しい。 それと、間違っても女性名で出さない様に。 次に妻に見つかれば、僕は恐らく離婚訴訟をされる」

「おや、まぁ」

真面目な表情のクナイセン少将の顔を、周防少将が面白そうに見る。 何が離婚訴訟だ、この夫婦は結婚後20数年を経た今も、未だ恋人同士の様なカップルだと言うのに。
卓上の中華料理に舌包みを打ちながら、周防少将は内心で全く別の事を考えていた。 義兄に情報を流す事は、当然としてだ。 情報省はどうするか?
最近、軍の一部高官や、情報組織の上級情報監督官の間に、流れ始めたあの噂―――情報省外事2課長の動き。 どうやら必要以上に個人的な動きをしている。

(・・・帰国したら、土産を渡しがてら、姉さん達の家に寄るか)

周防直邦少将には2人の姉が居る。 そしてその子供達の中には、統帥幕僚本部・情報保全本部防諜部に所属する姪と、内務省警保局特別高等公安局(特高)に所属する姪が居た。
情報省自体、身内の外事2課長の動きは有る程度把握しているだろう。 だが連中はそれこそ、国益の為には国家をも売りかねない。 掣肘は必要だ。
情報省内事本部と国内防諜で対立している特高と、軍絡みの外部からの非合法工作を、極端に嫌う情報保全本部防諜部。 彼等は情報省外事2課長を徹底してマークするだろう。

決めた―――情報省にはこのネタは、流さないでおこう。

「さあ、食べよう、ロバート。 美味い料理と酒、魅惑的な夜。 しばし、贅沢を楽しもうじゃないか」

「食後に魅惑的な美女が居れば、パーフェクトだ、直邦」

「ふん・・・君のホテルへ送る様、言っておこう」

「僕の好みは、しっかり伝えておいてくれ」

当然、紐付きの女性と言う位は、この友人も弁えている。 所詮は自分も友人も、同じ穴の狢だ。 ならばこの混乱した世界で、精々楽しませて貰おうじゃないか。

(―――『私は悪人です、と言うのは、私は善人ですと言うことより、ずるい』か・・・)

昔、未だ青年時代に読んだ『堕ちきること』を肯定した、ある作家の言葉を不意に思い出し、周防少将は内心で自嘲的に笑い続けていた。









2001年10月12日 日本帝国 帝都・東京 千住 周防家


縁側で古い写真の整理をしていた。 その奥では2人の幼児―――周防少佐の双子の息子と娘が、何やら遊んでいる。 どうやら息子は積み木遊び、娘はお絵描きの様だ。
その姿を見ながら、何かホッとした思いでまた、写真の整理を続ける。 自発的にではなく、『あなた、押し入れの中、いい加減に整理して下さいね!?』と、妻に叱られたからだ。

段ボールに2箱分くらい優にある。 卒業アルバムに、個人的な写真など、色々あった。 自分でもこんなにあったのか! と思う程に。
小学生だった頃の写真。 この当時はまだ、横浜に住んでいた。 かつての住まいも今は、G弾の炸裂によって影も形も無いだろう・・・
中学生の頃の写真。 ヤンチャな盛りだった当時の自分と、隣家の長門少佐が映った写真。 他にも級友が何人か。 この中で生き残っている者は、一体どれ程居る事か。
そして訓練校時代の写真。 自分は各務原の訓練校だった。 写真の中の同期生の6割から7割は、既に靖国に引っ越した。

そして・・・

「っと、どうした? 祥愛?」

見れば、1歳半になる娘が大声で泣いていた。 その横で、妹(双子の兄と妹だった)のクレヨンを奪い取って、画用紙に何やら前衛芸術じみた絵を書きなぐっている息子。

「ああ、よしよし。 泣くな、泣くな。 ほら、新しいクレヨンだぞ? 画用紙もホラ。 祥愛、パパも絵を描くぞー?」

泣く娘を抱き上げてあやしながら、小さな手に新しいクレヨンを握らせ、真っ白な画用紙を見せる。 そして周防少佐自身もクレヨンを手にとって、簡単な絵を描いて見せる。
父親の腕の中で泣いていた幼い娘もようやく、泣くのを止めて新しい関心に興味を向けた。泣いた子が・・・ではないが、赤ん坊は好奇心の塊だ。

「さて、と・・・コラ、直嗣。 ダメだろう? 祥愛のクレヨン、取り上げちゃあ・・・判ったか? 前も言ったぞ?」

今度は同じく1歳半の息子を抱き上げ、顔を近づけてちょっと怒った様な表情をして、諭す様に叱る。 が、彼の息子は父親に構って貰って嬉しいのか、笑ってばかりいる。

「コラ。 パパは叱っているんだからな? 今度からこんなことしちゃ、メッ! だぞ?」

恐らく少佐の部下達が見たら、卒倒するだろう、マイホームパパぶりだ。 そして幼い彼の息子も、どうやら父親に叱られている様だと判ったらしい、段々目に涙が浮かび始めた。
そんな息子を見て、どうやら『いけない事をした』と、理解させられたようだと判った周防少佐が、笑って息子の頭をなでてやる。 途端に無邪気な笑顔になる幼い息子。

その後暫くは、幼い双子の兄妹は仲良くお絵描きをしていたが、次第に傍らの父親が眺めているモノに興味を持ったようだ。 上達し始めた1人歩きで、父親の元に歩き寄る。

「ん? ああ、直嗣、祥愛。 ほら、見てみろ・・・ママだよ」

その写真は、周防少佐が未だ10代末だった頃の写真。 場所は大陸の満州・大連。 垢抜けない私服の自分と、控えめなおしゃれをした私服の妻。
どこだっただろう、夜の繁華街の一角で撮った写真だった。 確か、悪夢の様な初陣が過ぎて、少し戦線が安定していた頃の・・・92年の9月頃の筈だ。

「ほら、ママ、可愛いだろう~?」

9年前と言えば、妻の祥子も未だ20歳前だ。 ああ、確かに自分たちの青春時代だった。 戦争だったが、妻と出会い、結ばれた時代でも有った。

「それと、これは・・・ん? ああ・・・」

通常礼装を着込んだ10代末の自分と、珍しくパーティードレスを着た妻。 そしてその横に、年下の白人―――ロシア系の少女が2人。

(・・・リーザ、それにスヴェータ・・・)

懐かしい、そして切なくて、悲しい記憶。 決して忘れられない記憶。 もしも彼女達が生きていたならば・・・ああ、もしかすると、アルマやジョゼとは仲良くなっていたかも。
遙かな追憶。 遠い日の記憶。 戻らない過去。 人は様々な思いを胸に、未来へと歩き出す。 そしてほんのひと時、そっと過去を顧みて、過ぎた人達を想うのだろう。

そんな、柄でも無い感傷に浸っていたせいか、いつの間にか2人の子供達が折角整理した写真を、グシャグシャにしてしまっている事に気がつかなかった。

「っ・・・! な、直嗣・・・祥愛・・・コラ!」

突然の父親の大声に、吃驚して泣き出す2人の幼児。 するとその泣き声を聞きつけて母親―――少佐の妻の祥子夫人が顔を出した。

「どうしたの、あなた? あら? 直ちゃんに祥っちゃん、パパに叱られたのね?」

優しく抱き上げる母親に、泣きながら甘える2人の子供達。 そんな姿を苦笑しつつ、散らかった写真を拾い集めて整理し直す、周防少佐。

「あら? 随分と懐かしい写真が一杯あるわね・・・」

「だろ? これなんか、ホラ・・・」

「え? どんな・・・? って! きゃー! 止めて! 止めて! しまってよ、そんな恥かしい写真!」

「どうしてだよ? いいじゃないか、夫婦なんだし」

「恥ずかしいのっ! あー、もう! 沙雪や愛姫ちゃんの甘言に、まんまと乗せられたわ・・・」

見ればBETAの本土上陸前、独身時代最後の夏季休暇で遊びに行った、数少ない写真だった。 祥子夫人と隣家の長門夫人、そして今は余所の部隊に居る和泉沙雪少佐が映っている。

「いやぁ~、大胆な水着だったなぁ・・・欧州に居た頃でも、なかなかお目にかかれない様な・・・」

「あなたっ!」

「はは! ほら、直嗣、祥愛。 ママ、綺麗だろー?」

「やめてぇ・・・子供達に見せないでよぅ・・・」

幼い子供達にはまだ理解出来ないだろうが、それでも母親の映った写真をご機嫌に笑いながら眺めている。 そんな愛児達を見ながら、祥子夫人が溜息交じりに他の写真を手に取った。

「あら・・・? これは? 国連軍時代の?」

「あん? ああ、これか。 ドーヴァー、だな。 北フランスのカレー基地だ、96年の4月。 国連軍時代の最後、『第2次バトル・オブ・ドーヴァー』・・・アレが終わった時だ」

懐かしい顔が映っている。 当時、中隊長を務めていた英軍のエルデイ・ジョルト中尉、マイケル・コリンズ中尉に、トルコ軍から来ていたイルハン・ユミト・マンスズ中尉。
包帯でぐるぐる巻きになっているのは、ポーランド軍から参加していたスタニスワフ・レム中尉。 周防少佐と隣家の長門少佐も映っている、未だ中尉の頃だ。

「あら? 久賀君、この時負傷していたの?」

最前列で包帯に巻かれたレム中尉の隣、やはり包帯で頭部を巻いている久賀少佐(当時中尉)の姿が有った。

「ああ、久賀か。 うん、奴は最後の出撃で、光線級のレーザー照射から乱数回避しようとして、要撃級に『擦られて』さ。 仕留めたけれど、機体がダウンした。
幸いと言うか、上陸していた米第9軍団の歩兵部隊に救助された。 この写真は確かその後だ、生き残った中隊員達で撮った写真だよ」

「みんな、子供みたい。 まるで口に出来ない不満の鬱憤を溜めこんで、精一杯痩せ我慢しているわ」

「・・・酷使されたよ、本当にあの時は。 まだ、20歳を幾らも越えていなかった頃さ・・・」

みな、何かに精一杯、痩せ我慢して胸を張っている、そんな表情だった。

「そうか・・・そう言えば、久賀とはこの時以来、同じ部隊じゃないな」

「そうね。 彼、帰国後は九州の部隊だったものね」

大陸派遣軍の時代から、国連軍への出向時代と。 多感な時代を共に過ごしてきた2人の友。 その内の1人、長門少佐とは未だに腐れ縁が続いている。

「来月の同期会には、何が何でも引っ張り出してやる」

「あまり、無理強いはしない様にね? 彼にも都合が有るでしょうし・・・」

もう一度、懐かしい写真を見る。 みな、同じ様な表情をしていた。 みな、同じ心境だった。 みな、同じ事を考え、思っていた。 周防少佐も、長門少佐も、久賀少佐も。

「今でも同じさ・・・そうさ、同じだよ」

そう呟く夫の横顔を、周防祥子夫人は少し心配そうに見守っていた。




[20952] 暗き波濤 4話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2012/11/05 01:09
『消費税率、更なる引き上げ。 政府案は15%か? 世論は大反発―――「帝都新聞」』

『日米再安保準備交渉、ハワイにて局長級会議始まる。 与党内でも反発の声―――「東都日報」』

『国内インフレーション率、年上昇率18%に。 日銀、打つ手無し!?―――「帝国経済新聞」』

『難民支援予算削減。 国防予算は増大。 難民の5%が飢餓線上に―――「旭日日報」』

『中部山岳地帯で、火山性群発地震活発化。 気象庁、噴火警戒レベルを3(入山規制)から4(避難準備)に引き上げ―――「日本政経新聞」』





2001年10月18日 1630 日本帝国 東京・府中基地 帝国陸軍第1師団・第3戦術機甲連隊


「・・・おい、誰だ? あれは?」

すれ違った基地管理部隊の要員を捕まえ、第3連隊の久賀少佐が尋ねた。 尋ねられた相手(基地主計隊の中尉だった)は、少佐が指し示す方向を向いて、苦笑交じりに答える。

「ああ・・・視察に来た議員先生ですよ。 国防委員会所属の、あの議員です」

主計中尉が口にした名前を聞いて、ああ、あの男か、と久賀少佐も気が付いた。 連立政権を組む小勢力政党出身ながら、バリバリの国防族議員として知られる男だ。
どうやら『視察』とかこつけて、上層部との密談でもしに来たか。 そう言えば軍需企業からの政治献金疑惑も有る男だ。 どうせリベート絡みの密約だろうが・・・

「・・・脇にいる女性秘書、あれは軍人上がりだな。 地方人(軍以外の一般社会人)にしては、妙に姿勢が良過ぎる」

「判りますよねぇ、やっぱり・・・あれって、軍が送りつけた愛人兼用の秘書だって話ですよ」

そう言ってから、その主計中尉は余計な事を言った事に気づいた。 久賀少佐の無表情の中に冷たい視線を感じて、思わず首を竦める。

「いや、あの・・・はぁ、そう言う噂です。 主計なんかやっていると、金の動きとか、まあ・・・で、あちこちの同期生の間で、そう言う噂が流れていまして」

主計中尉の話によれば、軍中央が国防族議員をより『包括』する為に、後方勤務の女性将校を退役させて、その議員の元に『贈呈した』私設秘書だそうだ。
見ればまだ20代半ば過ぎくらいか、少し冷たい美貌だが、男なら10人中の半分以上、7割は振り返るだろう美女だ。 慎ましくその族議員の後ろに控えている。

「結構なご身分ですよ。 軍と軍需企業と、議会の中で国防予算の分捕り調整をしていれば、軍からは美人の秘書を宛がって貰えるわ、企業からは秘密の献金がどっさりだわ。
あの議員、選挙区は元々北九州・・・博多だったらしいですがね。 98年のBETA上陸で『妻子を犠牲にしてでも、選挙区民を守ろうとした硬派議員』で売っているんですよ」

「・・・98年? BETA上陸? 九州戦の事か?」

「はい、そうらしいです。 奥さんと子供、選挙区に残していたらしいんですよ。 で、その奥さんと子供はBETA上陸後の避難中に、軍に護衛されて避難しようとして・・・
結局、原因は判りませんが、友軍誤射の巻き添えで死亡したとか。 あの議員、『私の妻子も、選挙区の避難民と同じ』とか何とか言っていて。 軍の手落ちと言われたアレです。
結局、選挙区は変わりましたけれど、同情票とか集まったらしいですね。 新しい選挙区でトップ当選だそうですよ。 ま、こっちに妾さんと、その子供もいるそうですが」

本妻と子供を喪っても、妾とその子供が無事なので地盤を継がせられますしね。 それに加えて、あの愛人兼用の秘書ですよ。 まったく、世の中不公平ですな。
不公平感を愚痴る主計中尉の横で、久賀少佐は別の感情に支配されていた。 どす黒い負の感情。 愛した妻が、血塗れになって戦場で死んでゆく情景―――優香子。

(『―――原因は判りませんが、友軍誤射の巻き添えで死亡したとか』)

(『―――こっちに妾さんと、その間の子供もいるそうですが』)

(『―――同情票とか集まったらしいですね。 新しい選挙区でトップ当選だそうですよ』)

性根の優しい、よく笑う出来た妻だった。 一目惚れして、一緒になった妻だった。 心から愛した妻だった―――俺の妻は、己が手落ちで死んだとでも言うのか!?

「・・・精々、予算を分捕って貰わにゃならん相手だろう? 軍も気を使うのだろうさ」

「はあ・・・次の内閣改造じゃ、国防副大臣と言われている程ですしねぇ・・・」

国防副大臣―――榊政権の、国防副大臣、閣僚。

「今の政府は、ごちゃ混ぜの連立政権ですし。 バランス調整も難しいんでしょうけど、あの俗物議員が、国防副大臣閣下とは・・・ですよ」

じゃ、失礼します―――そう言ってその場を離れた主計中尉の言葉が、久賀少佐の頭の中でリフレインする。 国防副大臣閣下、国防副大臣・・・閣下?
気が付けば、久賀少佐はその族議員と部隊首脳部が入って行った建物を、ずっと睨みつけていた。 まるで餓狼の様な表情で。




同日 2200 帝都・東京 某難民キャンプ内


「城内省官房長官の神楽子爵が、五摂家長老の崇宰公爵家先代と密会した」

その言葉に、居合わせた2人が眉をピクリと跳ね上げた。 重要度としては大きな情報だ、この国の伝統的上流社会―――旧支配社会がどう動くか、その指針になる。

「・・・どこからの情報かしら? 未だ巣穴を見つけられていないと言うのに?」

「大方、『ビジネスパートナー』からの情報だろう? ええ?」

相手の反応に、まあ当然だろうな、と先程第一報を話した男は内心で思う。 まったく、この国は工作がしづらい国だ。 どこへ行ってもこの外見は目立って仕方が無い。
それに工作のイニシアティヴをあの男に握られるのも、ゾッとしない。 作戦上、妥協している訳だが、本来は多くの場面で敵同士だった連中だ。

「・・・信頼できる筋、とだけ言っておくよ。 どうやら五摂家は割れた様だ。 崇宰、九条と斉御司の3家は、現状維持で静観する姿勢だそうだ。
斑鳩は家宰(旧家老)の洞院伯爵家が事実上の実権を握った。 斑鳩の現当主は、まだまだ若い。 そして斯衛軍内での目も有る、良い意味でも、悪い意味でも」

「煌武院家は? 現将軍は政治的に微妙になる発言は、極力慎んでいるようだけれど?」

「ああ・・・賢い少女だよ、彼女は。 少なくとも理想と現実の区別は、暴走しがちな他のタカ派の武家より、ついているようだね。
だが、やはり未だ10代後半の少女だよ。 家中・・・煌武院家内の実権を、分家筆頭の聖護煌武院家に半ば以上握られている様だ」

「本来ならば、家中譜代の重臣でもある神楽家は、どうやら旧主家とは距離を置く様だしね。 まあ、城内省高官ともなれば当然だが」

「残る名門譜代は・・・月詠家は武門の家で、政治向き、それも裏の政治向きの腹芸が出来る家じゃないね。 
神楽家と同格の篁家は、前当主が死んだ後はまだ10代後半の娘が当主、それも今は日本に居ない・・・か。 後見役は確か、帝国陸軍の中佐だったな?」

「詰まる所、煌武院は斑鳩と同調する、そう予想される、と言う事ね?」

「と言うより、止める力が現将軍には無い、と言うべきだね」

そこまで話した後、3人揃って(偶然だろうが)カップを手にして香り高い黒い液体を喉の奥に流し込む。 今では帝国内では贅沢中の贅沢品になった、天然モノのコーヒーだった。
暫く無言が続く。 今のこの状況を、どう利用すべきか? 己の益の為に、誰をどうやって、生贄の羊として、謀略の神の御前に捧げるべきか?
彼等は彼らで、それぞれ別々の組織に属し、別々のクライアントの依頼で動いている。 偶々この国では協同し合った方がやり易いだけだ。

「・・・精々、国粋派を煽りたてておこうか。 丁度明後日から、帝国軍との合同訓練が始まる」

ガルーダス―――大東亜連合軍―――の中佐の階級章を付けた軍服を着た男、RLF極東地区指導者の『カオ(高)』は、そう言ってカップの中身を一気に飲み干し、席を立つ。

「良い事さ。 私も丁度、3日後からWCRP(世界宗教者平和会議)の日本委員会との会合が有る。 神祇院(帝国内務省の外局)からも人が来る。
この国の上流社会は、余り知られていないがカトリック贔屓だからね。 プロテスタントの過激派に行動には、常に神経を尖らせているのさ」

カトリックの僧服を着た僧侶―――『ヴァチカンのインクイジター(異端審問官)』もまた、席を立つ。 最後に一人残った人物、カトリックのシスター服の修道女が言った。

「・・・『恭順派』に、アラスカの騒ぎを起こした『あの男』に率いられた、RLFの過激派(Provisional Refugee Liberation Front:PRLF、RLF暫定派、『プロヴォ』)
今の所、『向う』の手札でこの国の組織が把握し切れていないのは、その辺りでしょうね。 どうするの? 情報を流すの?」

恭順派もプロヴォ(RLF過激派、暫定派)も、裏では報酬で動くイリーガルズ(非合法活動組織)の面を持っている。

「そこはそれ、ある程度の黙認と言うか、融通を付けて呉れる様だよ」

「デリートは自分達で、と言う事ね?」

「そうさ。 他人の庭先を汚したならば、綺麗に掃除するのが礼儀だろうね」

プロヴォ(RLF過激派)は、日本国内の難民キャンプにも影響力を伸ばし始めている。 彼等は1990年代初頭、国連と『休戦』を結んだRLF(通称『オフィシャル』)から分離した。
恭順派は主にプロテスタント系教会を隠れ蓑にして、密かに行動していた。 そのプロテスタント系の中のメソジスト教団に、秘密構成員が多いと言われる。
1968年に北米メソジスト監督教会から分離した、アメリカ変革メソジスト教会が温床になっている―――FBIの報告では。 メソジスト系教団は全米で2番目に信徒数が多い。

「難民キャンプ、教会、信徒・・・いったい、どの位の人数がいると思っているのだろうね」

「少なくとも、最大公約数で1000万人は下らないわね」

「その中から『モール』を探して潰して、糸を引き手繰れと?」

「関東近辺だけなら、100万人程よ」

「神よ・・・」

帝国内務省特別高等公安庁(特高警察)、帝国国家憲兵隊、国防省情報本部、この国のカウンターインテリジェンス、カウンターテロ組織も、深い深海を密かに這回している。
そして敵の敵は味方、ではなく、敵でない時は外套の裏の短剣は向けない、と言うこの世界の慣習に従い、お互いの利益を確保する為に仮初の協同体制を敷いているのだ。

「国粋派が騒げば、連中は心情的にRLFに同情的だからな、プロヴォも姿を現す」

「政変ともなれば、この国のカトリックの影響力を削ぐ為に、恭順派も何らかの動きを示す」

「共和党はネオコンを切りたいのね。 次の総選挙で負けない為にも。 この国を抱え込むのは国内の同意が取れない、民主党に恰好のネガティヴ・キャンペーンに使われるわ」

3人はそして、頷き合った。 それを彼らが所属する『組織』に依頼―――命令とも言う―――して来たのが、『三極委員会』 大元は『ビルダーバーグ会議』の保守穏健派達だ。
合衆国大統領、英国の宰相、EU事務総長に世界銀行総裁。 欧州の各王室関係者にロートシルト、モルガノ、ロートウェラー、メロウズ、デュポント。
欧州系の様々な、世界的に有力な大財閥の指導的立場の関係者。 エネルギー資源を牛耳る国際的コングロマリットの代表者に、NATOの事務総長・・・
そうした連中の中で、合衆国の一部―――CIAタカ派とネオコン―――による世界地図の書き換えは、このBETA大戦下にあって利無く、害有り、と判断した連中が居たのだ。

「最終的なシナリオは、この国の誰かが描いている。 三極委員会経由、ビルダーバーグ会議の承認の元にね」

誰か―――限りなく想像出来る、1人の男がいたが、口にする事は憚られた。










2001年10月22日 1400 太平洋上 伊豆諸島近海 


「ゲイヴォルグ・ワンより全機! 高度が高い! あと10m下げろ!」

轟音と共に跳躍ユニットを吹かせ、数十機の戦術機が冬の荒れた洋上を高速で低空飛行を続けていた。 高度は40mも無い。

「機体の爪先が、水面を叩くつもりで高度を下げろ! その高さでは光線級の良い的になるだけだ! 死にたいか、貴様ら!」

とは言え、冬の海の波濤も結構な高さだ。 少しでも操作を誤れば、そのまま海中に突進してしまいそうな程だった。

「ドラゴン、ハリーホーク、そのままの高度を維持! フリッカ! 高度を10下げろ!」

『―――ラジャ』

『了解』

『くっ・・・りょ、了解ですっ・・・!』

案の定、練成の度合いが最も低い第3中隊“フリッカ”の高度が高い。 無理も無いかもしれない、“フリッカ”は3個中隊の中で最も補充の多い中隊だった。
危なかしい機動で冬晴れの荒れた太平洋上を低空突撃する、40機に達する戦術機の群れ。 平均高度は30mほど、先頭を行く指揮官機は恐らく、高度20m程の超低空飛行だろう。
やがて前方の水平線にうっすらと、ゴマ粒の様な黒い点が見え始め―――やがてそれは明確な地形を持った陸地へと変わった。

「距離1600で制圧支援機は全弾発射! その後、最大速度でフライパス、下方攻撃! バランスを崩すなよ? それと高度は絶対に上げるな、喰われる―――行くぞ!」

指揮官機が跳躍ユニットを、一気に最大推力まで持っていった。 遷音速度域(トランスソニック、マッハ0.75~)に達した。 遷音速であって、音速には達していない。
機体の後方でヴェイパーコーン(Vapor Cone=水蒸気の円錐)が発生する。 機体周辺で減圧(断熱膨張)が生じて温度低下が露点を下回り、水蒸気が一時爆発的に凝結したのだ。
(ソニックブームとは別の現象である。 水蒸気が一時的に、一気に凝結する現象が機体と共に移動するもので、特異なものでは無い)

『くっ・・・!』

『うわっ! うわっ!』

『ひっ・・・ひっ!』

時折、声にならない悲鳴が聞こえる。 そして・・・

『CPよりゲイヴォルグ・ワン。 フリッカ08、09、レーザー直撃。 次いで10、11、12、レーザー直撃。 ドラゴン09、10、11、12、レーザー直撃。 ハリーホーク09、10、11、12、レーザー直撃』

あっという間に13機―――大隊戦力の約1/3が失われた。 顔を顰める指揮官の耳に、また損失が広まった事が報告される。

『CPより、アイリス03、レーザー直撃。 大隊損失、14機』

レーザーが直撃したのは、いずれも高度を上げ過ぎていた機体だ。 何とか低空突撃を維持している機体は、未だレーザーの直撃を受けた機体は無い。

『CPよりゲイヴォルグ・ワン。 制圧支援機は4機が失われています、このまま続行しますか?』

制圧支援能力の2/3が失われた、もう当初の計画での制圧力は望むべくも無い。 目前に海面が猛速で迫り、このまま海に激突しそうな錯覚になる。

「・・・変更する。 距離1000mで全弾、乱数発射。 このままの高度で高速低空突撃、強襲制圧に切り替える」

『・・・了解。 突入進路を1-5-8に変更して下さい。 距離1800・・・1600・・・1400・・・1200・・・1000!』

「制圧支援、全弾乱数発射!」

たちまち生き残った2機の制圧支援機から、30数発の小型誘導弾が発射された。 それは乱数プログラムに従い、各々が複雑な機動を描きつつ、目標に向かって飛翔する。
目標から一斉に強烈な光の帯が伸びる。 そしてその光に絡め取られた誘導弾が、次々に爆発していった。

「くそ・・・まだ700か・・・!」

目標までの距離は700m、十分至近距離と言えるが、今の『戦況』ではもっと距離を詰めたい。 このまま攻撃を開始するか? それともあと300程度、距離を詰めるか?

「・・・攻撃、開始!」

指揮官は巧遅よりも拙速を選んだ。 一気に高度を100m程上げて、目標に対して全機が120mm砲弾を突撃砲から発射し始める。

『フリッカ04、06被弾! ドラゴン05被弾! ハリーホーク07被弾!』

1秒間に約90m。 攻撃を仕掛けながら700mを突破し、安全圏の高度20mでの距離3000mに達するまで約40秒強。 大隊は更に8機を喪っていた。





「目視情報を過信するな! 計器をよく見ろ! 計器は貴様らの節穴よりも、余程優秀だ!」

荒れた海面でピッチングとローリングを繰り返す艦、更には艦尾を振るヨーイングまで発生している。 全長300m近い巨艦でも、高度1000mからでは煙草の箱程度に見える。
訓練を終えた大隊は、ここまで運んでくれた海軍の戦術機揚陸艦へ着艦すると言う、ある意味でこの日最大の『試練』に向かおうとしていた。

「慌てて推力を絞るな! 失速するぞ! LSO(着艦信号士官)の指示に従え! 勝手な判断はするな!」

『その通り、こちら『八丈』着艦管制だ。 陸軍さん、いいか? 着艦手順はレクチャーした通りだ。 ボール(戦術機着艦管制システム情報)の通り、機体を持っていけばいい』

艦の左舷後方端にあるステーション(プラットホームとも言われる、着艦管制指揮所)から、着艦信号士官の声が通信回線に流れた。

『高度100、侵入速度130ノット(約240km/h)、艦の直近で高度40、速度80ノット(約150km/h)まで落とせ。 
計器に映っているだろう? ボールが送るレクチュアルのど真ん中に、機体を持っていけばそれで良い!』

陸上基地への着陸と異なり、洋上の母艦や揚陸艦への着艦は非常に難しい。 艦自体が航走している上に、波濤でローリングやピッチング、ヨーイングを混ぜた複雑な揺れをする。
更に戦術機自体、推進力と揚力の低下によるバランスの悪化を制御しつつ、慎重に艦に接近してお互いのモーメントを一致させなくては着艦が出来ない。

『心配するな、モーメントやら何やらは、システムが演算してくれる! アンタらは余計な事をせず、ボールの指示に従って機体を操縦するだけだ。
・・・だから! 余計な事をするんじゃない! やり直しだ! 跳躍ユニットを吹かせ! 最大推力でだ! 離床したら第4旋回からもう一度!』

着艦しようとした戦術機の1機が、直前で跳躍ユニットを吹かして急上昇に移った。 どうやら計器を全面的に信用出来ず、目視情報で判断して・・・着艦ラインを外れた様だ。

『こちら、ステーションのLSOだ! もう一度言う! 陸軍機! 余計な事を考えずに、計器飛行に専念しろ! 目視情報での着艦なんざ、50年以上昔に終わった!
いいか!? 不安でも何でも、計器が示す情報だけを信じるんだ! それしか正確に着艦する手段は無い! 海軍機はそうやっているんだ! よし、再侵入を許可! しくじるなよ!?』

部下達の着艦―――1隻だけでなく、都合2隻の戦術機揚陸艦へ―――を見守りながら、指揮官機は上空を旋回し続けていた。
やがて指揮下の3個中隊の着艦が終了した。 残るは指揮官と指揮小隊の4機だけだ。 改めて洋上を航行する艦を見降ろし、部下に命ずる。

「―――“アイリス”、3番機から順次着艦せよ」

『―――アイリス・リーダー、了解しました。 リーダーより各機、03より順に着艦する! 宇嶋、焦るな、艦側の指示に従えば良い! 行け!』

『りょ、了解! アイリス03、着艦、行きます!』

若干上ずった声を出しながら、1機の94式『不知火』が螺旋降下飛行で高度を下げてゆく。 やがて高度300に達した後、大きく旋回を始めた。
第1旋回―――第2旋回―――第3旋回―――艦の中心軸線上に乗った。 “アイリス”の3番機は徐々に高度を落としつつ、速度を絞り始め、そして・・・

『グーッド! 一発で決めたな! そう、それで良いんだ! よーし、のこり3機、さっさと降りて来てくれ!』

「―――ゲイヴォルグ・ワンよりLSO、了解した。 萱場、行け。 北里、もう暫く俺と旋回飛行だ」

『アイリス02、了解。 着艦します』

『リーダーより02、着艦を許可。 アイリス01よりゲイヴォルグ・ワン、了解です』





『ヨーソロー、ヨーソロー・・・よぉーし、タッチダウン! 良い腕ですよ、少佐! 海軍でも通用しますよ!』

「・・・有難う」

甲板上に緑のジャケットを着込んだ射出・着艦装置員やフック操作員、青のジャケットを着込んで牽引トラクターに乗り込んだ牽引担当員などが、わらわらと群れて来る。
それを見ながら周防直衛少佐は管制ユニットのシステムを待機モードに移し、ユニット・コクピットをエジェクトさせる。 ワイヤーに掴まって甲板に降りた。

艦のクルーが機体を固定し、艦内のハンガーまで搬入するのを見届けた後で、左舷側の連絡階段を降りる。 そのまま重いスチール扉を開いて艦内へ。
ドレスルームで強化装備を外し、軽くシャワーを浴びる。 これだけでも上級指揮官の特権だ、部下達は2日に1回しか浴びれない。
軽く身支度を整え、艦尾方向に進む。 1層下った所にブリーフィング・ルームが有る、部下達はそこにいる筈だった。 通路を進む周防少佐に、誰かが背後から声をかけた。

「・・・なんだ、鴛淵少佐か」

「なんだ、は、無いんじゃない? 周防少佐? せっかく貴方の大隊に、洋上飛行と発着艦訓練のレクチャーをしてあげているのに?」

「感謝、感激、感無量・・・」

「ムカつく男ね」

今回、海軍との合同訓練で海軍側から大隊に付けられた『教育係』は、鴛淵貴那海軍少佐だった。 周防少佐とは旧知の、海軍の古参衛士だ。

「何とか発着艦も、こなせるようになったんじゃないの? それとモニターで見ていたけれど、あんな低高度を、あんな高速での低空突撃なんて、海軍でもそうはしないわよ?」

経験あるの?―――視線で鴛淵少佐に聞かれた周防少佐が、少しだけ苦笑して答えた。

「国連軍時代、東地中海で少しだけ。 英軍の『アルビオン』に1カ月乗組んで、ギリシャからトルコ西部の侵攻阻止作戦に参加した事が有る。 英海軍の連中から散々絞られた」

「ま、英海軍の底意地の悪さだけは、相変わらず世界に冠たる、だからね・・・で、今からブリーフィング?」

「ああ、1530から小隊長以上を集めてのね。 海軍からの指摘事項は、済まないがそれまでに作成して欲しいのだが・・・」

「良いわよ。 1週間前に比べると、随分上達したわ。 なんとか洋上侵攻作戦は出来そうじゃない? 少なくとも、行って、帰ってくる程度は」

「お願いする。 出来るだけ、客観的に」

そう言うと周防少佐は、ブリーフィング・ルームに向かった。 その後ろ姿を見ながら鴛淵少佐は、不慣れな洋上作戦は、流石に陸軍の古参でも神経を使うか、と同情していた。





「・・・第1中隊、損失5機。 第2中隊、損失6機。 第3中隊、損失9機。 指揮小隊、損失2機・・・損失合計22機。 『生還』は18機・・・」

周防少佐の不機嫌そうな声が、艦内のブリーフィング・ルームに響く。 居並ぶ小隊長の中尉達が、戦々恐々とした面持ちでその声を聞いている。 3人の中隊長も例外ではない。

「・・・突入時の損失が14機。 攻撃中の損失4機、退避行動中の損失が4機」

壇上の不機嫌そうな上官が、どの時点での損失を、最も重要視しているのか。 それが判らない連中では無い。 突入時に最も多い損失を出した、第3中隊長の顔が強張る。

「・・・攻撃中の損失、そしてその後の退避行動には、その全責任は大隊長にある、諸君らでは無い。 だが・・・」

周防少佐は、そこで一端言葉を切る。 前に押し黙る様に、気まずそうに着席している部下達を見回し、そして何名かの部下を名指しで指名した。

「北里中尉、鳴海中尉、楠城中尉、城野中尉、三島中尉、半村中尉、香川中尉・・・諸君等の耳は、節穴か? 攻撃開始前に、小隊の半数を撃ち落とされている。
私は言った筈だ、『高度を下げろ』と。 レーザーの直撃を受けた機体は全て、想定高度より20mは高かったのだ。 どうなのだ、鳴海中尉? 三島中尉と香川中尉も」

最後に呼ばれた3人の中尉達―――鳴海大輔中尉、三島晶子中尉、香川由莉中尉が起立し、緊張した面持ちで答える。

「はっ! 小官の・・・指揮不足、指導不足であります!」

「部下を掌握し切れておりませんでした!」

「小官の指導の徹底不足、であります!」

槍玉に挙がった3人の中尉達は、訓練校の23期B卒者だ。 この10月1日に半期上の23期A卒が大尉に進級した現在、中尉の最古参で有り、最先任の小隊長達だった。
最古参の中尉達を敢えて槍玉にあげる事で、後任の中尉達にも事の重大さを判らせる。 少佐の部隊掌握方法はまず、上級者から叱責する。

「そうだ、諸君等の指導不足、指揮不足だ。 それが大隊戦力の大幅な減少をもたらし、制圧力不足をもたらし、強襲により更なる損失を生んだ」

周防少佐はここで初めて、表情を厳しいものにして3人の中尉達を睨みつける様にして言った。

「明日の訓練、及び明後日の訓練最終日、本日の様な様を晒さない事を、大隊長は切に願う。 諸君等に無能の烙印を押さぬ為にもな」

3人の中尉達以外の、残る4人の中尉達も、無意識のうちに背筋を伸ばし、強張った顔で頷いた。 先任達が身代わりに叱責されている事を、後任の4人も判っていたからだ。

ブリーフィングはその後も続き、作戦の実現性、その運用方法、妥当性など、様々な角度から検討され、分析された。 海軍側からの意見も添えて。
全体の作戦結果の評価では、3人の中隊長達も散々に叱責された。 そればかりか、作戦自体の妥当性においては、周防少佐自身が己の非をも、客観的に列挙して酷評していた。
全体的に言えば、部下達には各々の部隊の掌握を求め、その結果に責任を負わせる。 それ以外の作戦全般の結果は、全ての責任を少佐が負う。
訓練校を出て間もない新米少尉達には・・・上官からの命令に対する実行能力と、その結果―――突きつめれば己の生死―――だけを問う。

「権限と責任は、表裏一体だ。 各指揮官にはそれを念頭に置いて、今一度、己の責務を果たす努力を期待する―――早急に。 以上」

こうして全体ブリーフィングが終わった。 後は各中隊毎に、小隊ブリーフィングになる・・・が、その前に周防少佐は3人の中隊長達に残る様、命じた。
上官たちの後ろ姿を見ながら、各小隊長の7人の中尉達は首を竦めてその場を去った。 きっと、自分達がやられた以上の厳しい言葉が、上官を襲う事が目に見えていたからだ。





「―――大隊長、失礼します」

夜、周防少佐が宛がわれた大隊長室で書類の確認をしていると、部下で第1中隊長の最上英二大尉がノックをして入って来た。
室内で大隊長に書類の報告をしていた、本部第2係主任(情報・保全)の来生しのぶ大尉(10月1日進級、大隊副官兼務)をチラッと見る。

「ん? ああ、ちょっと待ってくれ、最上・・・来生、これと、これはOKだ。 こっちは再確認してくれ。 あと、これは牧野(牧野多聞大尉、第3係主任(運用・訓練))に・・・」

「はい、了解しました。 では、失礼します・・・最上大尉も」

「悪いね、来生大尉」

来生大尉が退出すると、最上大尉は大隊長室の脇のソファに座りこみ、少し沈黙してから口を開いた。

「・・・少佐、ご想像の通り、遠野が落ち込んでいましたよ」

「そうか・・・」

今や右腕となった、古くからの部下の言葉に、周防少佐も嘆息する。 大隊は今月に大幅な人事異動が有った。 指揮官クラスが4名、他部隊へ転出したのだ。
まず、10月1日付けで先任中隊長だった真咲櫻大尉が少佐に進級し、他部隊に転出した。 その後任として、第39師団から遠野万里子大尉が『古巣』に中隊長で復帰した。
他にも古参中尉だった宇佐美鈴音中尉、上苗聡史中尉、堂本岩雄中尉の3名が、それぞれ大尉に進級して他部隊に転出した。 
その穴は、これも少尉から中尉に進級した半村真里中尉と楠城千夏中尉、それまで小隊長職に就いていなかった城野裕紀中尉が埋めている。
全体的に指揮官の経験値、それに伴う質的な低下は免れない。 先任の第1中隊長は最上英二大尉、第2中隊長は八神涼平大尉、第3中隊長は遠野万里子大尉と言う布陣だ。

「遠野は昔から、真面目な優等生でしたしねぇ・・・それに、転出した真咲さんと自分を、どうしても比較しようとしちまっている。
どだい、古参大尉だった真咲さんと、新米大尉の遠野とじゃ、経験値の差はでかいですから・・・気にするな、って言っているんですけどねぇ・・・」

「お前さんの経験上からもか?」

「ええ、新米中隊長だった頃の『周防大尉』が、当時の大隊長・・・広江少佐から、どれだけダメ出し喰らっていたのかも、ね」

「・・・要らんことばかり、覚えていやがって・・・」

96年から97年初頭にかけて、当時大尉に進級したばかりだった頃の周防少佐は、今は統帥幕僚本部国防計画課長の藤田(旧姓・広江)大佐が率いる大隊指揮下の中隊長だった。
苦笑する周防少佐。 最上大尉はその当時、『周防大尉』が率いる中隊で、第3小隊長を務める中尉だったのだ。 上官が、そのまた上官から、どれだけ扱かれていたか知っている。

「・・・目標を明確に持って、それに向かって努力している姿勢は、遠野らしいのだがな。 だが、今はそれがマイナスに働いている。
指揮官が焦れば焦るだけ、その空気は部下達にも伝わる。 第3中隊の練度が今一つ上がらないのは、そんな空気も有る訳だが・・・さて、な・・・」

「いっそのこと、八神を見習え、と言ってやったんですがね。 そしたら遠野の奴・・・」

「止めとけ。 余計に混乱する」

こればかりは、周防少佐も苦笑する。 そして頂けない。 八神涼平大尉は陽性の性格で大隊のムードメーカーでも有り、優秀な指揮官でも有るが、真面目な性格とは言い難い。

「滑って、却って落ち込みが激しくなるぞ、遠野の性格では・・・まぁいい、その事は俺の方で何とかする。 幸い、横須賀に寄港すれば直ぐ、在日国連軍部隊との合同訓練だ」

「自信を付けさせる? しかし、向うも結構な手練ですよ?」

「あいつの古巣の、第39師団も加わる。 新米大尉が『ドングリの背比べ』だと判らせてやるのも、ひとつの手だ。 お前や八神の様には、直ぐには出来ないからな」

「ああ・・・そう言えば居ましたね、向うにも『ドングリ』が・・・」

心当たりのある1人の新米大尉の顔を思い浮かべ、迂闊だったと苦笑する最上大尉。 周防少佐とも最上大尉とも旧知の、その新米大尉は今頃くしゃみでもしている事だろう。









2001年10月26日 1500 日本帝国・山梨県 北富士演習場


『だぁ! 94(94式『不知火』)の癖に、92(92式弐型『疾風』)に本気で殴りかかってくるなよ!? 手前ぇら第3世代だろ!? こっちは『準』第3世代なんだからよ!』

富士山北麓にある面積約4,597haに達する広大な演習場。 そこで数10機の戦術機が縦横無尽に飛び回っていた。 機種は複数確認出来る。

『リンラン(鈴蘭)リーダーより『フラッグ』リーダー! 間隔が空き過ぎよ! もっと詰めて!』

『フラッグよりリンラン! 無茶言うな! こっちは最新鋭機様の猛攻を防ぐので、精一杯だ! そっちが詰めてくれ!』

『無茶言わないで! こっちもType-94の猛攻を防ぐのに精一杯なのよ!? それも2個中隊も! 殲撃11型(J-11)ならともかく、殲撃10型(J-10)でなんて、無理よ!』

『だぁ! くそ! B小隊、脚を止めるな! 突撃前衛が脚止めて打撃戦してどうする!? C小隊、10時方向から回り込め! 連中の右側面を突け!』

機数は同じ中隊規模―――12機同士だったが、相手の方が推力も機動力も上手だった。 こちらの強みは近接戦になった時の俊敏性だけ。
前衛のB小隊の内、新米の搭乗した1機が砲戦で仕留められた。 2機がかりで囮におびき出され、その側面を撃ち抜かれた。

『CPよりフラッグ・リーダー! フラッグ08被弾、全損!』

『了解! って、残り6機かよ・・・!』

『くっ・・・! こっちは5機! 向うは3個中隊でまだ30機残っているわ!』

『指揮小隊が動いていねぇ! 残り34機だ、くそっ!―――フラッグ・リーダーより『キュベレイ』リーダー! ここはもう、無理ですぜ! 引きます!』

相手の猛攻を押さえきれず、独断で後退しようとした指揮官の耳に、途端に上官の怒声が聞こえた。

『こらっ! フラッグ! まだ引くなー! あと5分保たせな!』

『無理っす! 無茶っす! 限界っす! 大隊長、お手本見せて下さい! 不出来な部下は下がります! リーダーより『フラッグ』全機! 南西に後退しろ! 続け!』

『あー! あの馬鹿ー! ええい! 『キュベレイ』リーダーより全機! 押し出すよ! ムーラン(木蘭)リーダー、一緒に宜しく!』

『・・・事前打ち合わせも何も、有ったものじゃないわね・・・ムーラン・リーダーよりリンラン・リーダー! 桂英(陳桂英(ツェン・クェンイン)大尉)、戻っておいで!』

『りょ、了解です! 申し訳ありません、大隊長!』

後方に潜んでいた92式弐型『疾風』の2個中隊プラス1個指揮小隊、そして殲撃10型(J-10)の2個中隊と指揮小隊、合計56機の戦術機が偽装を破って一気に飛び出す。
それを確認した94式『不知火』の部隊―――1個大隊―――は、目前のボロボロにされた2個中隊をそれ以上追撃せず、一旦後方に距離を取った。

『むっ!? 逃げる?―――まさかね、あいつがそんな筈、絶対に無いよ!』

『同感ね。 きっと左右どちらかに、僚隊が潜んでいるわ―――愛姫! 2時方向! 熱源反応、大きい!』

『ちい! 文怜(朱文怜少佐)! 2時方向をお願い! 私は正面の舐めてくれた馬鹿を殺る!』

『気をつけなさい、愛姫! 彼、絶対に何か隠し玉を仕掛けて来るわよっ!?』

『百も承知! 9年以上の腐れ縁よ! それよか、2時方向は・・・アンタかぁ!』

『・・・ねえ、愛姫、旦那様をボコッても、文句は言わないでね?』

『徹底的に、ボコりなさい、文怜!』

部下達が冷汗をかきながら聞いている通信回線で、2人の大隊指揮官同士が即興の作戦を組んだ。 ここから向うは、比較的軟弱な地盤が続く。 
つまり、自重の大きい94式は噴射跳躍以外での機動が、大いに制限されるだろう。 反対にこっちの機体は自重が軽い。 向うよりも俊敏性で勝る、つまり・・・

『乱戦よ! 徹底的に乱戦に持ち込みなさい!』

『殲撃の近接機動力が伊達じゃないってところ、見せてあげなさい! ムーラン全機、続けぇー!』

正面の94式『不知火』が34機。 そして側面から強襲をかけて来た同じく94式『不知火』が40機の合計74機。 対してこちらは、後退中の2個中隊合わせて67機。

『数が何よ! 機体性能が何よ! 足りなかったら頭で補えー!』

久しぶりの部隊指揮に、妙なハイテンションになっている僚友の声をげんなりしながら聞いている朱文怜少佐の目前に、これまた手強い旧知の僚友の部隊が立ちはだかっていた。




「むぅ~・・・納得いかない」

演習場側に設けられた宿舎、その一角で伊達愛姫少佐がムクれていた。 今日の昼に行われたダクト(異機種間戦闘訓練)の結果にだ。
隣で僚隊の指揮を執っていた朱文怜国連軍少佐(統一中華軍から出向中)が、苦笑している。 彼女の場合、結果はまあ、妥当かな? と思っていた。

「仕方が無いわ、愛姫。 開けた場所で94式相手に、92式に殲撃10型の混成部隊が力勝負に出ても・・・ね?」

「う~・・・それは、そうだけど・・・こらっ! 直秋!」

伊達少佐が怒りの矛先を、視線の向うに居た1人の若い大尉に向ける。 その大尉は上官の怒声に、うんざりした表情で一応敬礼しながら答えた。

「しょーがないっすよ、大隊長。 威力偵察に出たら、いきなり藪を引っ掻き廻しちまったんですから。 まさか、大隊全力で突っ込んで来るなんて・・・」

そう言うのは、帝国陸軍第39師団、第391戦術機甲連隊第3大隊、第3中隊長の周防直秋陸軍大尉(22期B)。 伊達少佐の部下だ。
その横で大隊先任中隊長の天羽都大尉(19期A)が苦笑している。 もう1人の中隊長、上條新大尉(23期A)は障らぬ神に祟りなし、を決め込む様だ。 ソロソロと離れている。

「それでも、本隊到着まで支えるのが、威力偵察の任務でしょう!? それをあっさりとグダグダにされちゃ、意味が無いでしょーが!」

「通りすがりの通り魔宜しく、大隊全力の一撃離脱でズタボロにされて。 それでも全滅せずに頑張って、本隊に報告した部下への慰労は無しで?」

「アンタに慰労なんて、百年早いっ!」

「酷っ!?」

上官と部下とで漫才宜しく、その日の訓練の結果検討をしている古巣の様子を少し茫然としながら、第15師団第151戦術機甲大隊の遠野万里子大尉は眺めていた。
そう言えば、あの大隊はあんな雰囲気だった。 大隊長の性格ゆえか、フランクと言うか、大雑把と言うか。 でも最後にはちゃんと纏まる部隊だった。
そして不意に気づく。 今、伊達少佐から酷い言われ様をしている周防直秋大尉とは、自分もドングリの背比べ―――新米大尉同士、切磋琢磨したものだと。

「部下の手に負えないんすよ!? だったら上官にお伺い立てて・・・フォローしてくれるもんじゃないっすか!?」

「だから、したじゃんか! アタシの言いたいのはね、どうしてもっと早く、それこそ通り魔に遭った時に、言ってこなかったのかって事よ!
直秋、あんた、自分が大隊全力の攻撃を、僚隊との2個中隊で防ぎ切れる程の腕が有ると思ってんの!? アタシには無いよっ!?」

「・・・無いっす。 無理っす。 スンマセン、頼るタイミングを間違えました・・・」

その言葉に伊達少佐が嘆息する―――そして少しばかり、柔らかな表情になって言った。

「いい? 直秋。 私は部下にそんな全能を期待しない。 そんなの、無理。 私だって出来やしない。 だから無理って判断したら、直ぐに私に言いなさい。
私は―――私は大隊長だからね。 あんたよりずっと多くの戦力を掌握しているんだ、あんたの窮地を打開できる戦力をね。 無理せず、もっと頼りな? ん?」

「いやまあ、頼るのは頼りますよ。 今回はタイミングを間違えたって事で・・・」

「・・・何でもかんでも、は、駄目だからね?」

「・・・ちぇっ」

(・・・無理と判断したら、上官を頼る・・・部下に全能を期待しない・・・自分もそのような事は、無理・・・)

遠野大尉の脳裏で、その言葉が繰り返し、繰り返し、リフレインする。 そして不意に思い至った、自分の上官も、同じ事を言っていたのだと。

(『―――遠野、気張りすぎるな』)

(『―――それは、貴様が判断する事じゃない』)

(『―――焦るな、部下が委縮する』)

(『―――生真面目も良いが、時に毒だぞ?』)

自分の上官は―――周防少佐は、今も面前で部下達と騒いでいる伊達少佐の様に、直截的な言葉で感情を込めて話す人じゃなかった。
少なくとも、部下達の中で上級者へは時に厳しい態度を取る人だった。 だけど、部下の事を見ていない訳じゃ無かった。 それは指揮小隊長として接して来て良く判った。

(・・・あは。 どうしてこんな事で・・・私も、たいがい馬鹿ね・・・)

相変わらず騒がしい伊達少佐の部隊の面々に背を向けて、その場を出る。 通路に出た途端、次席中隊長の八神涼平大尉が壁を背にして突っ立っていた。

「・・・よう。 その顔だと、ようやく判ったかい? 最上さんが見に行けって、煩くてよ・・・」

「・・・気を揉ませてしまいました、済みません」

苦笑気味に答える遠野大尉に、八神大尉はどこか気恥ずかしげに話し始めた。

「俺の独り言だけどよ、『明星作戦』で惚れた女が死んじまった野郎が居た。 随分落ち込んで、自棄になって・・・クソ寒い土地で頭を冷やせって、引っこ抜いたお節介が居た」

恥かしいのか、自分の顔を見ずに話す八神大尉の横顔を、遠野大尉はじっと見つめながら聞いていた。

「なんやかんやと、クソ忙しかったな。 初めて中隊を任されて、右往左往したもんだ。 散々怒鳴られて、ダメ出し喰らって・・・でも、無茶はさせても無理はさせない人だった。
時には夜の街に繰り出して、朝まで痛飲したりな。 おかげで家庭争議になりゃしないかと、こっちが心配したもんだけどな・・・」

ああ、そう言えば・・・あの頃は、時々困った様な、弱った様な表情をしていたわね。 多分、奥様から叱られていたのね、きっと。

「・・・まだ、惚れた女の事は忘れられていないけどよ・・・誰かの前で、腹の底から溜まった言葉を吐く事は覚えたさ。
同時にな、自分じゃどうしようもない事が有るって事も、それは普段の任務でも同じだってことも覚えた。 そん時は、誰かに頼れば・・・協力し合えば良いんだ。
その内に、身の丈が服に合う様になる。 中身が階級章に合う様になる。 誰だって最初は新米さ、お前も最初はそうだったろ? 指揮官も同じってな・・・」

それにしても意外だった、まさか八神大尉がこんな・・・そして少し可笑しかった。

「・・・そうですね。 何せ、八神大尉は一番、周防少佐に『甘えて』いた人ですしね」

「・・・ひでぇ言い草だ」

2人の大尉は、どちらからともなく、笑いあっていた。






「ああ、今夜は気分が良いわ・・・」

「だからって、勝利の美酒が有る訳じゃないけどな」

「あら、圭介。 そこは気分よ? この所、訓練じゃ文怜の部隊に引っ掻き廻される事が多かったし」

「腕が上がったな、彼女も」

「直衛、あまり愛姫を苛めちゃダメよ? すごく悔しがっていたわ、今頃彼女の部下達は、貴方を恨んでいるわよ?」

「自分の未熟」

「もう!」

今日の昼の戦闘訓練では、最後の『隠し玉』として趙美鳳国連軍少佐(統一中華より出向中)の大隊が、後背から強襲を仕掛けて伊達少佐と朱少佐の2個大隊を壊滅させた。
3対2だったが、伊達少佐と朱少佐の僚隊はその時、事前計画通り迂回侵攻中で咄嗟の状況変化に間に合わなかったのだ。 結局は各個撃破されている。

「この訓練が終わったら、いよいよ『甲21号作戦』に向けての最後の出師準備ね・・・」

「やっと作戦骨子が纏まったしな。 兵站は事前に集結させていたらしいけど」

「あの大兵力用の兵站量だろう? お陰であちこちの駐屯部隊で、品薄状態らしい」

趙美鳳少佐と、帝国陸軍の周防直衛少佐、長門圭介少佐の3人が、上級将校用の集会所で談話中だった。
周防少佐の部隊も、長門少佐の部隊も、そして趙少佐の部隊もまた、何らかの形で『甲21号作戦』に参加する事が決定している。
最もこの作戦、現時点では部隊では大隊長以上、後方や本部では少佐以上の参謀や課員しか知らない。 少なくとも大尉以下の将校は、まだ知らされていない情報だった。

「明星作戦以来・・・ね。 大規模作戦は」

「俺達はマレー半島で、結構でかい戦争をしてきたけどね」

「軌道降下兵団無し、ハイヴ攻略無しの、純粋な阻止作戦だけどな」

とは言え、決して片手間に出来る作戦では無かった。 ガルーダスの参加兵力17個師団、国連軍5個師団。 日本帝国も3個旅団を派兵した。

「ミン・メイが居たそうね、無事で良かったわ・・・」

それでも、実戦経験豊富な、今や古参の前線指揮官である彼等にとっても、『甲21号作戦』は乗るか、反るかの大博打に思えてならない程、困難な作戦だった。
誰ともなしに黙ったその場に、1人の人影が見えた。 3人の少佐達を見つけて―――正確には周防少佐を見つけて、規則正しい足音を響かせて歩み寄る。

「―――少佐、周防少佐」

営内作業着―――迷彩服2型―――を着込んだ女性将校、遠野万里子大尉だった。 長門少佐と趙少佐が、興味津津、面白そうな表情で周防少佐と遠野大尉を見ている。

「・・・何だ? 遠野」

僚友たちの腹の中が解ってしまった周防少佐が、少しだけ固い声色で部下に聞き返す。 が、当の遠野大尉は気づかない。

「少佐・・・今後は、私も目一杯、甘えますので!」

一気にそれだけを言うと、遠野大尉は一礼して直ぐ、首筋まで真っ赤に染めて、足早に去っていった。 後にはポカンとした表情の周防少佐。 そして・・・

「あらあら・・・直衛、昔と変わらないわね、貴方って・・・」

「あ~あ・・・せっかく昔、国連軍時代のお前の悪行について、俺がお前の嫁さんに弁護してやったってのになぁ・・・」

茫然とその薄路姿を見送っている周防少佐には、2人の僚友の冷やかし75%以上のそんな言葉など、耳に入ってはいなかった。 
周防少佐としては、恐らく今のセリフを聞いていただろう、この集会所にいる他の上級将校達(妻の知り合いも居る)の『勘違い』をどうやって正すか。 それが大命題だった。





[20952] 暗き波濤 5話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:cf885855
Date: 2012/11/19 23:16
2001年11月5日 0650 日本帝国 帝都・東京 市ヶ谷 総合国防庁舎・統帥幕僚本部ビル


「この303高地はC/T(緊要地形)だ、絶対押さえたい」

「・・・A/A(接近経路)が厳しい。 エリアB3Rでどうしても、光線級に捕捉されるぞ?」

「まて、まて。 それじゃ、AXIS(攻撃軸)がズレてしまう。 戦闘団の目的は西地区を管制下に置く事だ」

市ヶ谷の総合国防庁舎、その中の統帥幕僚本部ビルの地下1階。 通称『大講堂』で100人以上の佐官級将校達が、区切られたブースの中で各々忙しく立ち回っている。
他にも数十台ものPC、サーバー、プロジェクター・・・大講堂の壁際には一段高い場所が設けられ、そこから行動内を見降ろす様に数箇所のブースが設けられている。
現状の基本想定は、佐渡島の真野湾、両津湾、双方からの強襲上陸後。 甲21号目標に対し、軌道爆撃に始まるハイヴ攻略戦を展開中・・・形勢は厳しい。

『―――演習統帥司令部より通達、重金属雲障害により、師団内の通信は遮断された』

「「「―――ッ! クソっ!」」」

数人の佐官が舌打ちをし、忌々しげにモニターを見つめ直す。 師団内の通信が遮断。 となると・・・

「作戦地域の状況は!? BETAの侵攻状況! 各部隊の兵力状況と位置!」

「おい、喰い込まれている! 機械化歩兵が後退するぞ、エリアB2DからB1Gへ後退中!」

「師団本部までのA/A(接近経路)上、南東1km地点に小型種BETA! 約300体を確認した! 伝令を出せんぞ、このままでは!」

「152TK(Bn:機甲大隊)から1中(第1中隊)を引き抜いて、153i(機械化歩兵)の2中と組ませろ! 師団本部とのA/Aを確保するんだ!」

「機甲偵察を出せ、北東方面だ!」

彼我の展開は刻々と変化する。 演習部隊が自発的に情報収集を行わない事には、重要な情報がさっぱり掴めない様になっている。
彼我の状況、後続する敵BETA群情報、師団主力の動向、前進状況、増援部隊の到着など。 この場の状況を把握し、分析し、意志決定を行い、計画を立て、行動する。

―――ただひとつの目的の為に。

甲21号作戦が翌月に迫った今、帝国軍は3軍(陸軍、海軍、航空宇宙軍)の参加予定部隊指揮官、その中の中堅を担う佐官級指揮官達を集め、兵棋演習を行っていた。
敵BETA群の攻撃に対し、自軍兵力を動員、展開する指揮命令の技量を向上させる為の演習であると同時に、上級指揮官代理としての力量を向上させる狙いも有った。

『―――演習統帥司令部より通達、地中震動波を確認。 中規模BETA群の地中侵攻有り。 該当戦域はB5SからC2R。 該当戦域の2個Armd・CT(機械化戦闘団)壊滅』

北東戦域で大穴が空いた。 たちまち講堂内に呻き声が湧き上がる。

「8A(第8軍)の20HSp (203mm自走榴弾砲)、支援戦域を変更した!」

「こちらは!? 振り分けは有るのか!? 砲兵群司令部に問い合わせだ!」

「・・・くそっ! 余っているFA (野戦砲兵部隊)が無いだと!? 砲撃支援無しで、どうやって戦域を制圧しろと・・・!」

「まずい! 正面の圧力が高まった! BETA群、約4500! 大型種含む! 距離2500!」

戦術学では学習者を部隊指揮官と想定して、次のような事柄を問題とする。

「―――与えられた任務を、どの様に理解するのか」
「―――どの地域が戦闘において、緊要であるのか」
「―――敵は次に、どの様な戦闘行動に出るのか」
「―――現状で我の戦力を、どの様に配置するべきか」
「―――敵をどの様な要領で、攻撃するべきか」
「―――圧倒的劣勢において、退却と防御のどちらを選択するべきか」
「―――各種部隊の連携を、どの様に指導するのか」
「―――自分の作戦計画を、どの部下に、何をどの様に伝えるべきか」

任務は無論、佐渡島中西部の真野湾沿岸一帯の確保。 そこと北の両津湾沿岸の2箇所を橋頭保として、帝国軍は攻勢を展開する。
そして現状の緊要地域は旧佐渡市役所付近、ここは旧350号線、旧181号線、旧194号線、そして旧381号線が交わる要衝で、BETAに突破されれば、南北と東西を分断される。
そしてBETA群は、この旧佐渡市役所北方3km地点で、地中侵攻を仕掛けて来た。 そこを守備していた機械化戦闘団が2個、直下からの地中侵攻攻撃で壊滅した。

「戦術機1個大隊、至急北に回す! 時間を作る!」

「BETA群は約5000だ、支えきれる時間は30分と見てくれ!」

「予備のR(戦闘団:R機動旅団)を、こっちの背後から北に回す様に要請! 地上に顔を出したBETA共の背後を取れる!」

現状戦力で今の状況を打開するには、機動力を持たせた包囲殲滅戦―――素早い全周囲からの火力集中しか無い。 後方部隊にBETA群と殴り合える打撃戦力は無かった。
そして退却の選択肢は無い、それは国の滅亡を意味する。 既にかなりの損失を受けた状態で退却戦など。 古来、最も多く損害を出すのは、退却中の敗軍だと歴史が教えている。

「152TK(第152機甲大隊)を突出させるな! 151TSF(第151戦術機甲大隊)、153AT(第153機械化装甲歩兵大隊)と連携させろ! 155TSFを北西から前へ!」

単独兵科だけで近代戦闘は為し得ない。 そしてどこと、どこの部隊を連携させるか。 状況を把握し、分析し、目的に合致させる為の計画を修正し、誰に命じるか。

第15師団から派遣された演習員(部隊指揮官や師団参謀の中佐・少佐達)は、目を血走らせて刻々と変化する(悪化する)状況と戦っていた。
目も当てられない、想像したくも無い戦況。 しかし長年に渡って戦場を往来して来た彼等は、それが起こり得る可能性についても十分認識していた―――だから疲労している。

『―――演習統帥司令部より通達、師団進路上の第2目標橋は、BETAによって崩落した』

「・・・くそ、最低だな。 3日間の中で一番、最低だ!」

第15師団で第152機甲大隊長を務める篠原恭輔少佐が、目の下に隈を作った疲労しきった表情で吐き捨てる様に言う。
これで目標地点まで、地上部隊を移動させる事が非常に困難となった。 無論、工兵部隊に架橋させる事は出来るが・・・しかしBETA群のど真ん中では、作業は不可能。









2001年11月5日 1150 日本帝国 帝都・東京 荒川難民キャンプ


子供たちがはしゃぎ回っている。 向うでは年老いた老夫婦が、手渡された物を握り締めて、何度も、何度も頭を下げていた。
帝都の一角、国内難民キャンプの片隅では、ここ暫く無かった明るい空気が漂っていた。 心なしか声が弾けている気もする。

「はい、どうぞ。 熱いから、ふー、ふーして、冷ましてから食べるんだよ?」

「はぁーい! ありがとう、おばちゃん!」

「お・・・おばっ・・・!? あ、あはは・・・う、うん、たくさん、食べなさいねー・・・」

年下の友人の顔が、少し固まっているのを横目で見ながら周防祥子はクスリと笑って、お汁粉を椀にせっせとよそおう。 
隣では手伝ってくれる2人の少女達が、甘い香りの新しい汁粉を作っていた。 そして目の前には、目を輝かせた子供達の群れ。

「愛姫ちゃん、はい、お代りね」

「はいはい、あー、忙し! あ、こら! 横入り、禁止だよ! ちゃんと並びなさいねー! 大丈夫だよ、一杯あるからね!」

隣のテントでは、隣組の奥さん達が豚汁を作って振る舞っていた。 向うのテントでは古着の冬服を配っているし、その隣ではお古の毛布や布団を渡していた。
今日は町内会の婦人会が企画した、難民キャンプでのバザーが開かれている。 主婦の腕の見せ所で、やり繰りした食料を持ち寄って、汁粉や豚汁などを振る舞う。
家の奥で眠っていた古着の冬服を出し合って、無料で配る。 毛布や冬布団も、これからの季節は難民キャンプの中で不足するだろうから、多いに有り難い。

付近のいくつかの町内会長同士が話し合って、難民キャンプでのバザーを開く事にしたのだった。 主力戦力は銃後の要、つまり町内会の主婦達だ。
周防祥子も、長門愛姫もまた、婦人会の一員として、先輩主婦達に混じって参加していた。 2人とも今日は非番・・・と言うより、何とか辛うじて休暇を取る事が出来たのだ。

「どうだい、祥子ちゃん、愛姫ちゃん? おや? 今日はチビちゃん達、どうしたんだい?」

声をかけて来たのは恰幅の良い、如何にも下町のおっ母さん。 町内会の実力者で、婦人会の副会長を務める商店街の魚屋『魚重』の小母さん―――龍浪さん家の小母さんだった。

「あ、『魚重』の小母さん。 子供達は夫の実家に・・・義母に見て貰っていますわ、義姉もいますし」

「あ、圭吾はお義母さんに。 可愛い孫を独り占めできるって、喜んでいましたよー・・・」

「そうかい、そうかい。 2人ともお姑さんと上手くやっている様で、何よりだよ。 で? 今日は旦那さんは? 日曜日だろう?」

「え、えっと・・・」

「あ、あの・・・実は仕事で・・・」

「なんだい、そうなのかい? 大変だねぇ、軍人さんってのも。 日曜日まで仕事だなんてねぇ・・・」

そんな言葉に、引き攣った笑いを浮かべるしかない。 戦争中の軍に週休2日等、関係無い。 いざ大規模戦闘ともなると、数週間から数カ月は『休み無し』なのだから。
それに多分、彼女達の夫達は今頃、さぞ胃の痛い思いをしている事だろう。 3日前からぶっ続けの兵棋演習に入っている。 休憩と言えば、1日3時間程度の仮眠が有るだけだ。

「ほほほ・・・あ、子供達、とても喜んでいますよ」

「ええ、うん。 甘いものに、余程飢えていたんだね・・・1人で3杯も、4杯も食べちゃう子も居たわ」

祥子と愛姫が、笑みを浮かべて美味しそうにお汁粉(合成小豆と合成砂糖、そして代用餅で作ったものだが)を食べる難民の子供達を、複雑な表情で見ている。
彼女達は普通の主婦では無い、本職は職業軍人だ。 つまり今の日本、この状況を阻止出来なかった帝国軍に所属している。 しかも上級将校―――少佐の地位に居る。

「なんだい、なんだい、2人とも! 辛気臭い顔を、おしでないよ! せっかく今日は楽しい1日にするって事で、このバザー開いたんだろ!?
じゃ、そんな顔するのは、お止しなって! ほら、笑って、笑って! 笑う門には福来る! お正月にゃ、ちょびっと早いけどね、辛気臭い顔してりゃ、福も逃げちまうよっ!」

あはは!―――そう言って豪快に笑う中年女性の笑顔を見ていると、成程、その通りかもと思ってしまう。 同時に教えられる、妻として、母としての未熟さ加減を。
とは言え、祥子も愛姫も、結婚して子供を産んで、育てて・・・まだ2年と少しの、若葉マークが取れたばかりの新米ママだ。
子供を産んで育てて、主婦歴20ン年と言うベテラン主婦の貫録には、未だ遠い。 ここはひとつ、『大先輩』の叱咤激励に答えなければ。

「よっし! 今日はまだまだ、これからだよ! ナラン、じゃんじゃん配るからね!」

「はぁーい。 でも愛姫さん、その前に作らないと・・・」

「ふふ・・・じゃ、私達はじゃんじゃん、お汁粉を作りましょうか。 ウィソちゃん、手伝って頂戴」

「はい、祥子さん!」

商店街からの『助っ人』で参加している、甘味屋の看板娘達。 モンゴル難民出身のウィソとナランツェツェグ、2人の少女達も楽しそうに笑ってお汁粉を作り始めた。
やがて仕事を午前中の半ドンで済ませて帰って来たウィソの兄のユルールと、ナランの兄のオユントゥルフール、姉のムンフバヤルも手伝いにやって来た。
彼等、彼女等も故国をBETAに侵され、命からがら幼い頃に日本へ脱出して来た難民の出身だから、余計に親身になってしまうのだろう。
ユルールとオユンが、小さな男の子達相手に駆けまわって遊んでやっている。 ウィソとナラン、そしてムンフが女の子達相手に、笑いながら輪になって何やら話している。

そんな光景を微笑ましげに見ながら、ふと愛姫が『魚重』の小母さんに聞いた。

「そう言えば小母さん。 息子さん、任地が決まったんだってね?」

「そうなんだよ、ちょっと前に知らせて来てねぇ・・・なんでも、九州の部隊に配属だってさぁ。 江戸っ子のウチの息子が、短気を起こさなきゃ良いんだけどねぇ・・・」

「確か、夏季休暇で帰省していた時に、店番していたでしょ? その時に顔を見た事あるよ。 利かん気の強そうな、やんちゃ坊主って感じの男の子だった!」

「響君、でしたっけ? 龍浪響陸軍少尉。 10月に練成部隊を修了したのよね? じゃ、4月卒業の訓練校27期A卒ね・・・私より、10歳も若いのね・・・」

祥子が頭の中で卒業期数を数えながら、少し愕然とする。 部隊配属衛士の最年少が、自分よりも10期も若いと気付いたのだ。 祥子の卒業期数は、訓練校17期A卒である。
自分の少尉時代、10期前後上の上官と言ったら・・・今は統帥幕僚本部に居るかつての上官、藤田(広江)直美大佐や、第14師団の宇賀神勇吾中佐だ。 そ、そんな・・・

「まー、まー、祥子さん。 祥子さんも今や、国防省機甲本部員なのだし! 実施部隊に転出すれば、立派に師団通信参謀あたりよ? 貫禄、貫禄だって!」

「・・・変な慰め、アリガト。 戦術機甲大隊長さん・・・」

「むっ!? それって、私が小母さんだって事!?」

「私と1期違いじゃない、愛姫ちゃん」

第39師団で戦術機甲大隊長を務める愛姫の卒業期数は、祥子の1期下、訓練校18期A卒だ。 彼女の夫と、祥子の夫も同期生になる。

「私は『魚重』さん家の響君より、『9期』しか違わないもんねー! 2桁違いじゃないもん、1桁違いだもんねっ!」

「なっ!? なによ!? 四捨五入すれば、立派に2桁違いじゃない! それに9期違いも10期違いも、若い人には殆ど変わらないのじゃなくって!?」

「ほっほー? じゃ、祥子さんは自分が『小母さん』だと認めている、と・・・」

「愛姫ちゃん!」

若い主婦2人の言い争い(?)を、向うで子供達の遊び相手をしていたウィソやナユン達が溜息交じりに見ている。 『魚重』の龍浪の小母さんは豪快に笑い飛ばしていた。

「あら? 何やら楽しそうですわね・・・皆さん、お疲れ様です」

少し妙な発音の日本語に振り返ると、難民キャンプの中でボランティア活動を続けている教会のシスター・・・ローマン・カトリック教会の修道女が笑顔で立っていた。
濃紺色のゆったりとした質素な丈長のワンピース。 頭にはウィンプル―――教会のシスター・アンジェラだった。 横には『見習』のシスター・エルザも居る。

「おや? シスター・アンジェラ。 アンタもお疲れさんだね。 大変だったろう?」

バザーは元々、『カリタス修道女会』修道院のシスター・アンジェラと、同じく難民キャンプ内の『聖ヨハネ・ホスピタル独立修道会』のパウロ・ラザリアーニ院長の提案だった。
2人の聖職者たちは、難民キャンプ内に漂う無気力感と絶望感を何とか、本当に一時的にでも何とかしたいと思い、そして冬を迎えるこの時期、難民の体調を心配していた。
そこで日頃から付き合いのある、近所の商店街の自治会長や、付近のいくつかの町内会長に相談を持ちかけ、今日のバザーが開催される事になったのだった。

「いいえ・・・私は、神の愛が示された事に、感謝するだけですわ。 皆様の博愛が、キャンプの皆の上に神の愛として、与えられた事を感謝します」

「あはは・・・大げさだよ、シスター・アンジェラ、そんな・・・」

「ええ、そうですよ? シスター・・・私たち日本人は、キリスト教信者は多くは有りませんけれど・・・『困った時は、お互い様』と言う言葉も有るのですよ」

「まあ、それは・・・まさに、神の隣人愛の教え、そのものの言葉ですわ! ミセス・周防! 私、感激しましたわ!」

「あ、あら・・・」

「あ、あはは・・・なんかねぇ、このシスターと話していると、調子が狂っちゃうよね・・・」

年の頃は自分達より10歳ばかり年上だろうが、それでも無垢で純真な少女の様な所のあるシスター・アンジェラとの会話は、時に気恥かしくなってしまう。
所でシスター・アンジェラも、後ろに居るシスター・エルザも、『シスター』と言う言葉の印象からほど遠い事をしている。 リヤカーを引っ張って来たのだ。

「あの・・・シスター・アンジェラ? シスター・エルザも。 それは一体・・・?」

遠慮がちに祥子が聞くと、2人のシスターはこの冬も間近の季節に、額に汗を浮かべながら微笑んで答えた。

「はい。 修道女会の本部から、要請しておりました品物が届いたのですわ。 それに最近になって、修道女会を支援して下さる様になった方々からも・・・」

「ええと・・・赤ちゃんのおむつに、粉ミルク。 それに女性と子供用の下着。 それにマフラーと手袋、などなど、です・・・」

欧米系のシスター・アンジェラと違い、シスター・エルザは歴とした日本人だ。 少し表情の乏しい20歳過ぎの女性だが、この時は嬉しそうな表情を見せた。
難民キャンプは慢性的に物資が不足している。 衛生状態の悪さもそれに拍車をかけ、一度病気になれば抵抗力の低い子供や老人は、バタバタ倒れて中には死んでしまう者もいた。

「今度、町の鉄鋼所さんと大工屋さんのご厚意で、キャンプの中にお風呂屋さんを作って貰う事になりましたの。 今までは川(荒川)の水で、水浴しか出来ませんでしたので・・・」

それでも、帝都にあるこの難民キャンプはまだ、恵まれていると言える。 地方の、それこそ過疎化した廃村を宛がわれた難民キャンプでは、物資不足で餓死者さえ出たのだ。

「・・・『袖すり合うも他生の縁』 難民キャンプも、なんだかんだで『お隣さん』だよね・・・」

「ええ。 『愛するとは、誰かに親切を施したいと望むことである』・・・主人の受け売りだけれど」

祥子と愛姫が、ポツリとこぼした。 そんな2人を微笑みながら見ていたシスター・アンジェラもまた、小さく呟いた。

「・・・『親切にしなさい。 あなたが会う人はみんな、厳しい闘いをしているのだから』―――プラトン。 そして、厳しい戦いに出向かれる貴女がたに、神のご加護を・・・
あ、あの方ですわ。 最近、御縁が有って修道女会に支援を頂く様になりましたの。 ご紹介しますわ・・・伯爵夫人、こちらが今回のバザーにご協力頂きました方々ですの」

伯爵夫人―――その言葉に祥子も愛姫も、思わず身構える。 この国で爵位を持つ者と言えば、昔ながらの公家貴族か、ご一新後の武家貴族・・・いずれにせよ、上流階級だ。
シスター・アンジェラの声に1人の美しい婦人が振り返った。 年の頃は2人と同じくらいか、長い髪を上品にアップに纏めている。 
一見地味に見える焦げ茶色のロングのワンピースに白のトッパーコート。 足元はショートブーツ。 『・・・何気に、お金が掛っているわね・・・』と愛姫が呟いている。

「ミセス・周防。 ミセス・長門。 ご紹介しますわ、当修道女会のパトロンをして下さっておられます・・・」

「あっ・・・」

「ええっ!?」

シスター・アンジェラが最後まで紹介する前に、祥子と愛姫が驚きの声を上げる。 伯爵夫人と呼ばれた妙齢の婦人も驚いた顔をしていた・・・シスター・アンジェラが固まった。

「緋色・・・じゃないや、緋紗!?」 

「・・・神楽緋紗斯衛大尉?」

「まあ・・・綾森少佐に、伊達少佐・・・」

「あの・・・ミセス・周防にミセス・長門は・・・菊亭伯爵夫人の緋紗様とは、ご旧知でいらっしゃるのですか・・・?」

「菊亭・・・」

「伯爵夫人ー!?」

「あ、あの・・・伊達少佐。 あまり大きな声では・・・」

「あ、ゴメン・・・」

紹介された『伯爵夫人』とは、祥子と愛姫の戦友で、今は結婚して産休に入っている宇賀神(旧姓・神楽)緋色陸軍少佐の双子の姉、菊亭(旧姓・神楽)緋紗その人だった。
彼女とは双子の妹の縁で、昔からの知り合いの斯衛軍将校だった。 それに98年のBETA本土上陸時には、斯衛軍戦術機甲中隊を率い、北近畿の防衛戦を戦った衛士だ。

互いに驚きが収まった後で、それぞれの近況を話しあった。 神楽緋紗斯衛大尉は、99年の『明星作戦』終結後に予備役に移った。 実家の意向だった。
そして翌2000年の春、かねてよりの婚約者だった菊亭伯爵家(五摂家の九条家譜代)嫡男と結婚。 今年になって夫が家督を継ぎ、正式に『伯爵夫人』になったと言う。

「ええ、そうですの。 シスター・アンジェラとは以前に出席させて頂いた慈善パーティーで・・・それ以来、修道女会の支援をさせて頂いておりますの」

かつての知り合いにして『戦友』が、今ではすっかり上品な上流貴婦人になっている様を見て、祥子も愛姫も言葉が無い。

「・・・世が世なら、緋色もこんな感じ?」

「ちょっと・・・想像つかないわね」

目の前の貴婦人の双子の妹は、愛姫の訓練校同期で、祥子の1期下の、歴戦の戦友である。 衛士だ。 その彼女が、姉と同じような貴婦人然とした所は・・・

「・・・妹は・・・緋色は、実家に、武家社会に反発しておりましたから・・・」

ちょっと影を含んだその表情に、祥子と愛姫が慌てて話題を変える。 菊亭緋紗の双子の妹、宇賀神緋色は未だ実家からは勘当されている身なのだ。

「あ、そうだ。 緋紗・・・って、伯爵夫人は・・・じゃない、伯爵夫人様は・・・」

「昔の通り、緋紗で結構ですよ、愛姫」

「・・・おっけ。 じゃ、緋紗。 緋紗は前から修道女会の支援を? 難民キャンプも?」

「ええ。 微力ではありますが・・・夫にもお願いして、宗家様(五摂家の九条家)にも難民支援の嘆願を・・・宗家様でしたならば、将軍殿下へも、と思い・・・」

途中で言葉が切れる、どうやら捗々しくない様子だ。 そんな表情の友人を、祥子と愛姫の2人が気を遣っている。

「ま、まあ、直ぐにって訳にはいかないかも。 その内、良くなるよ、うん」

「そうよ・・・それに議会でも難民支援予算の見直しが、論議されている事だし。 内々の話でも有ったのではなくて? 緋紗、貴女の働きかけのお陰かも?」

「・・・そうだと、宜しいのですけれど・・・」

少しだけ笑みが戻った菊亭緋紗が、力なく笑う。 どうやら己の無力さが歯痒いようだ。 そんな旧知の友人の姿に、祥子と愛姫は内心で良心が痛む。
彼女達は知っていた、現役の軍人、それも少佐の階級を有する佐官として―――来年度予算は、難民支援予算は更に削減される。 その分、国防予算が増額される事を。
特に祥子は国防省機甲本部の少佐部員だ、軍中央官衙に所属している。 その手の情報はいち早く耳に入る。 愛姫も実施部隊の大隊長で、ある程度のオフレコ情報は入手出来る。

そんな3人の様子を戸惑いながら見ていたシスター・アンジェラだが、やがてホステス役の立場を思い出し、気を取り直して色々と話を振り始める。
祥子と愛姫、それに緋紗も、そこまで気が回らない女性では無い。 やがて何気ない話題に、明るい笑い声が晩秋の空に響き始めた。










2001年11月5日 1430 本帝国 帝都・東京 市ヶ谷 総合国防庁舎・統帥幕僚本部ビル


「未だに戦闘団(A機動旅団)が生き残っているのが、奇跡よね・・・B(戦闘団:機動旅団)は今朝がた、目出度く全滅したわ・・・くそったれ!」

いつもは冷静な、戦闘団情報参謀を務める三輪聡子少佐が、フレームレスの眼鏡の奥で、真っ赤に充血した目を細めて悪態をつく。
傍らの第151機械化装甲歩兵大隊長・皆本忠晴少佐や、第151自走砲大隊長・大野大輔中佐も同じ表情だ。 その奥で2人の女性指揮官が、ぐったりと椅子に坐り込んでいる。
第153自走高射大隊長の井上佳寿子少佐と、第154戦術機甲大隊長の間宮怜少佐だ。  153自走高射、154戦術機甲の両部隊は、演習3日目の昼前に全滅判定を受けた。

「・・・よし! 師団本部との連絡が取れたぞ!」

第152機動歩兵大隊長・江波東吾少佐の声に、ブース内に少しだけ明るい空気が回復した気がした。 が、それも次の声にかき消された。

「・・・堂林山山頂に、重光線級を確認した」

第151戦術機甲大隊長・周防直衛少佐の声に、皆が固まる。 堂林山? 佐渡市役所の北西約4kmの小高い山だ。 
あそこに陣取られたら、完全に周辺10km以内の頭を抑え込まれる。 いや、それだけでは無い。 北の両津湾をも、レーザー照射の範囲内に収められてしまう。

「R(R戦闘団)はっ!? 現在地はどこだ!?」

「光線級吶喊! おい、周防さん!」

「無茶言うな、篠原さん! 全中隊、出ずっぱりだ! 出す部隊が無いんだ!」

「R(R戦闘団)は!? どう動いている!?」

「Rから戦術機1個中隊8機、光線級吶喊、出ました!」

その言葉を聞いた戦術機甲参謀役の周防少佐が、モニターの戦況が面を睨みつけながら、苦渋の声で告げる。

「西から戦術機を1個中隊回す。 機甲と機装兵は、10分そのまま持ち応えてくれ・・・」

BETA相手の中近距離線で、戦闘車両と機械化装甲歩兵だけでの戦いは、いずれ突破されるのが目に見えている。 その間隙を塞ぐのが、戦術機の主任務なのだ。
その戦術機を1個中隊、外すと言う。 戦闘団は既に1個戦術機甲大隊分の戦力を消耗した。 現状では定数を下回った1個大隊しか残っていない。 そこから1個中隊・・・

「・・・判った、10分な」

「10分以上は持ちこたえられない。 その時は後退して戦域を縮小するしかないぞ?」

「それで良い」

そうなれば当然、RとAから分派された光線級吶喊任務の2個戦術機中隊は、BETA群の中で孤立する。 恐らく全滅判定だ。
だが今はやらねばならない、やらなければ2個戦闘団が全滅する。 その為に-――状況の把握・分析と任務達成の為に、時には『どの部下を死なせるか』を決断せねばならない。

第15師団A戦闘団のブースから演習統帥司令部へ、戦術機2個中隊による光線級吶喊の行動開始が伝えられたのは、その30秒後だった。









2001年11月5日 1650 日本帝国 帝都・東京 赤坂・料亭『胡蝶』


「・・・少佐如きには、不似合いだな」

帝国陸軍・久賀直人少佐の漏らした呟きは、日が没しかけた晩秋の闇に飲まれてよく聞き取れなかった。

「・・・は? 少佐、何か仰いましたか?」

「いや・・・それよりも高殿、貴様が言う、『俺に会わせたい相手』とは・・・一体、どんな人脈で辿りついた?」

久賀少佐の言葉に、高殿大尉が少し言い淀む。 細い路地の先にあるその料亭は、近年軍の、それも陸軍の高官(少なくとも将官以上)の御用達と言われる高級料亭だ。
軍人が使う料亭も、明らかにランクが有る。 尉官が使うのは『浮橋』、『橋姫』と言った標準的な料亭。 佐官になると『藤紫』、『玉鬘』と言った高級料亭になる。

これが将官ともなれば、『紅梅』やこの先にある『胡蝶』と言った、超高級料亭を使う事が多いのだ。 とても少佐や大尉が軒を跨げる場所では無い。
だから久賀少佐は暗に、高殿大尉に問い質したのだ。 『陸軍将官の、一体誰に会わす気だ?』と。 非公開に会う、つまりその将官の派閥に組み込まれると言う事だ。

「決して・・・決して、派閥取り込みなどと言った、下衆な事ではありません、少佐。 その立場は兎も角、真にこの国の将来を憂いておられる方々です」

真剣に表情で話す高殿大尉と、内心で胡散臭げに思う久賀少佐。 上官と部下は一瞬、視線をぶつけ合ったが、久賀少佐が次の瞬間逸らせた。

「・・・まあ、いい。 行けば判るか」

「はい」





―――行けば判る・・・か。

確かにあの時、自分はそう言った。 しかし、突いた藪からこれ程の大物が出てこようとは。 久賀少佐も流石に内心で驚いていた。

「少佐、貴公の事は、よう聞いておる。 軍でも最早、宝石並みに貴重な大陸派遣軍初期からの生き残り・・・有能で、勇敢な指揮官じゃとな」

「・・・はっ 恐れ入ります・・・」

酒杯に注がれる酒精を、やや緊張した面持ちで見つめる久賀少佐。 流石に仕方ないだろう、今目の前に居る人物達の地位や立場を考えれば。
軍事参議官・帝国陸軍大将・間崎勝次郎。 陸軍教育総監を務め、そして96年の朝鮮半島出兵に際して、その指揮官選出問題から罷免され、東部軍管区司令官に格下げ左遷された。
その後、98年のBETA本土上陸後の1998年10月に、現在の東部軍管区司令官・篠塚吉雄陸軍大将と交替し、軍事参議院入りした人物。 皇道派の超大物だった。

「まあ、そう固くならずに、少佐。 今日はごく内輪の集まりだ、無礼講、無礼講」

そう言って笑うのは、本土防衛軍総司令部で高級参謀(支援担当副参謀長)を務める、扇谷仙太郎陸軍少将。 元は98-99年の頃、西関東防衛戦を師団長として戦った人物だ。
他に第1軍司令官・寺倉昭二陸軍大将に、東部軍管区参謀長の田中龍吉陸軍中将。 皇道派がこの帝都に残す、最大にして最後の砦、と言われる将官達だった。

「少佐、貴公が儂らを忌避しておるのは判っておる・・・ああ、よい、よい。 信条は己の中で屹立すべきじゃ、己と違うからと言って、責める事では無い・・・
うん、儂はな、軍人が政治活動に参加して革新運動をやると、軍隊を破壊するだけでなく、日本の国を危うくすると認識しておる。
そういう事を盛んに、声を大にして叫ぶ様な思想の持ち主は注意人物じゃ。 軍人がそんな連中に近づく事は、警戒せねばならん・・・」

おや? 久賀少佐は間崎大将の言葉に内心で疑問を感じた。 間崎大将こそが、陸軍教育総監時代に士官学校教育を『尊皇絶対主義』に染め上げたのではなかったか?
自分も今や、表向きは属する事になっているらしい『帝都戦略研究会』なる、若手将校達の勉強会の参加者の多くが、間崎大将が教育総監時代に陸軍将校教育を受けた者達だ。

「ふむ、不思議か? 儂はな、この国の統治権の主体が皇帝陛下にある、そう考えておるだけじゃよ」

「・・・『国体明微声明』 古くは70年以上も前から、延々と繰り返されて未だ決着がつかない、憲法学上の命題ですか?」

如何に『無礼講』などと言っても、たかだか少佐が、大将に対して面と向かって言う範囲を越しているかもしれない。 が、久賀少佐の内心の何かが、言わざるを得なかった。
が、間崎大将はそんなことには無頓着の様に、おう、よく勉強しているな、結構、結構―――そう言って笑うだけだった。 寺倉大将と扇谷少将もだ、田中中将は少し渋い顔だが。

「・・・立憲君主制度での、君主がその国の最高機関、即ち主権者としてその国家の最高意思決定権を行使する、という主張も、判らんでも無い。
そして主権者たる君主を輔弼する為に、議会と議院内閣制度が有ると言う事もな。 じゃがな、少佐。 今の我が国を見るに、果たしてその様な制度、使いこなせておるかの?」

政党は党利党益を追求し、政党議員はその主義主張よりもまず、選挙に勝つ事を最優先に捉える。 その為には今日の政党を、明日には鞍替えする事に恥じる気配すらない。
そして議会とは、その背後に『政治献金』と言う武器で業界利益を追求する企業群―――とりわけ、日経連を牛耳る光菱などに代表される大財閥の、利益代弁者と化している。

「今の首相はの、一応は与党所属の政党政治家じゃが・・・その中での少数派じゃ。 今時珍しい、身の回りの清廉な人物じゃ・・・よって、政党と議会を御しきれん」

本来ならば、ある種の尊敬に値する人物なのだろうが―――間崎大将の言葉は、久賀少佐に一種の衝撃を与えた。 これまで全く接点が無かった事も有る。
どだい、一介の野戦指揮官の少佐と、帝国3軍の枢機を論じる軍事参議院の参議官たる陸軍大将とでは、接点など全く無いに等しい。
(軍事参議院は、政威大将軍、国防大臣、統帥幕僚本部総長、陸軍参謀総長、海軍軍令部総長、航空宇宙軍作戦本部長、元帥府に列せられた3軍の大将、他に推薦の有る大将達から成る)

古くは『君主機関説』から始まる『国家法人説』だが、果たして日本帝国はそれを使いこなせるのか? いや、その考えは日本古来の歴史が育んだ、日本人の意識に合致するのか?
国家法人説に始まる、君主機関説を否定する訳ではない。 世界の君主国家には、様々な国が有る。 いずこの君主国には合う、と言う場合もあろう。 だが・・・

「統治権の意味では国家主権、国家意思最高決定権の意味では君主主権(皇帝主権) じゃがな、その国家主権を、その意志最高決定権を輔弼する内閣と国務大臣・・・
その連中がの、この国では昔から、利権誘導の衆愚政治の結果でしか、選出されておらんのじゃよ。 それでどうやって、この国の主権を守りながら、未曾有の国難に対処する?」

危険だ―――この男の言葉は、危険だ。

久賀少佐の脳裏で、何者かが盛んに警告を発する。 迂闊に聞き惚れていれば、いつの間にか引き摺り込まれてしまいそうな熱を持っている。
そうか・・・連中、士官学校や軍訓練校時代に、この言葉に染められたのか。 確かにまだまだ未熟な10代後半の少年少女達ならば、いつの間にか『洗脳』される事だろう。

だが同時に、久賀少佐の中でもう1人の別人が囁いている。 お前は他の国々を見てきた、 どうだ? 国内の意志を統一出来ず、他国に引っ張られ、揚げ句に国土を喪った国家は?
自分達の意志さえ明確に持たず、あっという間にBETAに飲み込まれた東欧諸国は? 保守・革新・宗教が入り乱れ、揚げ句に瞬く間に国土を蹂躙されたドイツやフランスは?
地域毎の帰属意識が強過ぎ、国家への帰属意識が希薄すぎたイタリアは? イベリア半島は地政学上の最重要拠点として、米軍の後押しが有ってこそ、維持しているに過ぎない。
英国―――あの、議会内閣制、立憲君主制、『君臨すれども、統治せず』とさえ言った英国でさえ、非常時における挙国一致内閣の利点を認めているぞ?

「・・・閣下のお考え、その趣旨を我が国に当て嵌めるならば・・・期間を区切り、一時的に全権を委譲された挙国一致内閣。 先の大戦時における、英国政府の様な、ですか?」

「うむ。 議会の利権誘導に邪魔される事無く、財閥に後ろから刺される事も無く、政党による数の(議員定数上の)掣肘を受ける事も無い。
真に、我らが祖国を襲う未曽有の国難に対し、帝国が一致団結、これに立ち向かうべく組閣された挙国一致内閣・・・久賀少佐、貴公の言、我が意を得たりじゃよ」

果たしてそうかな?―――挙国一致内閣では無く、古の共和政ローマの如く、期間限定の独裁執行官じゃないのか? 
一歩間違えれば、既に政治的実権を喪失した五摂家に変わる、新たな『将軍家とその藩塀』の出来上がり、じゃないのか?
この手の話は昔、まだ欧州に居た頃に友人2人とよく語らったものだ。 歴史に詳しかった長門。 ご先祖の出自故に、武家に反発を覚えていた周防・・・

(なあ・・・お前達なら、どう考える?)

そう思った瞬間、久賀少佐は内心で苦笑した。 親友たちの返事が容易に想像できたからだ。

(『久賀よ、貴様、歴史上の愚者の列に並びたいのか? 呆れた奴だな・・・』)

長門ならば、きっとそう言う。 そして・・・

(『・・・酔っているのか? 水でもぶっかけるか? それとも・・・拳を見舞った方が、効き目が良いようだな! 馬鹿野郎!』)

意外と熱血漢な所の有る周防なら、本当に殴りかねない。

(・・・だがな、周防、長門。 だがな・・・)

不意に現実に引き戻され、そして妙に用心深い声色の田中中将の声が耳に入った。

「久賀少佐、君の所の第3戦術機甲連隊の第3大隊(第1師団)、多くの若者達が憂国の至情に至ったと聞く。 そこに君の様な経験豊かな、優秀な指導者が居てくれると、心強い」

俺の役回りは、クーデター部隊の指揮官か? さて、沙霧はどうする? そしてどうして奴は、今この場に居ない?

「・・・富士の教導団にも、志を同じくしてくれる同志達が居ます。 沙霧は本日、富士の方へ行っております」

部下の高殿大尉が、上官の心中を察したかのように、先に答える。 噂に聞いていたが、富士の連中もか。 どうやらその『勢力』は、久賀少佐の考えていた以上に、大きかった。






[20952] 暗き波濤 6話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:e57fe6a2
Date: 2012/12/04 21:52
2001年11月5日 1810 日本帝国 帝都・東京 市ヶ谷 総合国防庁舎・統帥幕僚本部ビル


『―――演習統帥司令部より通達、第15師団は重光線級に捕捉された。 2分以内に遮蔽地形へ移動しない場合、重光線級のレーザー照射を受け、全滅したものと見なす』

「・・・酷いものだな・・・」

演習統帥司令部―――統裁官の決定を聞きながら、第15師団A戦闘団の演習員長を務めていた戦闘団作戦参謀の加賀平四朗中佐が、乾いた声で呟いた。 疲労と絶望の色が濃い。
その日、兵棋演習3日目の正午過ぎ。 真野湾一帯を最後まで確保していた第15師団が、全滅判定を受けた。 その1時間後、両津湾へ上陸した全部隊が壊滅判定を受ける。

3日間ぶっ続けの兵棋演習は、佐渡島に上陸したほぼ全部隊の壊滅、という判定を示した。









2001年11月5日 2100 日本帝国 帝都・東京 某所


「・・・これか?」

「そうよ、今日ようやく、修道女会の荷に紛れ込ませて受け取ったわ。 スリーパーに渡して。 『任務』達成後は、速やかに服用する様に。 
無味無臭、急激に眠気が襲って来て、眠る様に死ぬ事が出来るわ。 痛みも苦しみも無い、あっという間にね、天国に直行できるわ」

「確かに、この国の国家憲兵隊の尋問技術は、世界で1、2を争う程、苛烈だ。 連中に逮捕されるより、あっさり自決した方が余程幸せだからな」

「尋問と言うより、拷問よね・・・聞いただけでも、生まれて来た事を後悔する程の責めが、延々と続くと言うし。 それと追加で伝言、キャンプの家族の脱出経路は確保したと」

「・・・心置き無く、死ぬだろうな、あの男も―――で? 本当に確保したのか?」

「ふふ・・・」

「やれやれ・・・怖いシスターだぜ・・・」

「あら? 私じゃなくて、私達の『雇用主』が、でしょう?」

「・・・ここだけの話、俺はウォルター・ヒューズ(CIA国家秘密本部・東アジア部長)が大嫌いなのさ。 奴の爺さまも親父も、K.K.Kの秘密構成員だった」

「その点は同意するわ。 あの男は時代遅れの、ただのマチズモ(タカ派/右派/保守/男尊女卑主義者)よ」

「で・・・そんなクソに雇われている俺達は、クソ溜めの中のクソか?」

「・・・この世の中で、クソ溜め以外の場所なんて、どこにあるの?」

シスターと男は、お互い苦笑し合った。 男は国連難民高等弁務官局アジア・太平洋難民事務支局員の肩書を持つ。
そんな彼は日本軍内での極小数派―――国際難民出身将兵達の為に、軍内部に出入りが許可されている数少ない国連職員だった。

「・・・『プロヴォ』の仕込みは、何時頃終わる見込みなの?」

「遅くとも、今月末までにはね。 どうやら第1師団の作戦投入が決定したらしい。 スリーパーに接触した限りじゃ、例の連中の首謀者達、来月早々にでも事を起こすかも・・・」

「ふぅん・・・じゃ、私達『恭順派』も、仕込みを早めないといけないわね。 まったく、この国の貴族・・・武家だっけ? 世間知らずも良い所だわ。
すっかり『ヴァチカン』の名に騙されちゃって。 皇帝一族はいざ知らず、その昔、この国のカトリック信者を虐殺した連中の子孫を、ヴァチカンが支持する筈が無いじゃない」

「クーデター後にヴァチカンの支持と、その口添えを貰えるって、あれか? 一応、国際社会を気にしていたんだなぁと、変に感心はしたが・・・所詮、その程度だな」

「・・・おしゃべりが過ぎたわね。 さ、早く消えて頂戴。 見つかったら洒落にならないわ」

「・・・了解した」

周囲に気を配りつつ、その場を離れる男の後ろ姿を見ながら、シスターは小さく、聞こえない程小さな声で呟いた。

「・・・皇も将も、死に絶えればいい。 こんな国・・・」

シスターは微かに脚を引き摺りながら、修道院に戻って行った。









2001年11月5日 2230 日本帝国 帝都・東京 南青山


「んっ・・・もう、シャワー浴びさせてって、言ったのに・・・」

「良いじゃないか、結局、汗まみれになるんだし」

「ッ! 馬鹿っ! デリカシーって言葉、知らない様ねっ!?」

「ちょっ!? お、おい、やめ・・・うわっ! それは止めろって! それは拙い、花瓶は洒落にならない! 殺人事件になっちまう! なあ、京香さん!?」

「ふんっ!」

南青山のマンションの一室、右近充京香陸軍少佐の部屋である。 薄暗いナイトライトの間接照明に照らされたベッドルーム。 そこに『一応恋人』の伊庭慎之介陸軍少佐が居た。

「なあ・・・ゴメン、謝るよ。 悪かった、俺が底抜けに阿呆だった。 な? この通り! だから機嫌直して、京香さん・・・お願いしますっ!」

「・・・ちゃんと、レディを扱う様にする事!」

「は・・・? あ、はい!」

「1日1回、訓練や出動中以外は、必ず電話する事!」

「は、はい!」

「そしてその時に必ず、『愛している』って囁く事!」

「う・・・は、はい!」

―――端から聞いていれば、ただの惚気だ。

この日、本土防衛軍総司令部で行われた即応展開研究会に出席していた伊庭少佐は、終わったその足で関西と関東に『引き裂かれている』恋人の部屋を訪れた、と言う次第だ。
因みに甘いひと時が終われば、明後日から統帥幕僚本部で開催されている兵棋演習の、第3回演習に参加せねばならない。 演習は人数の関係で3回に分けて行われる。
第1回演習には、第1師団の同期生、久賀少佐や大友少佐が参加した筈だ。 第2回の今頃は、第15師団の同期生の周防少佐や長門少佐が、胃腸薬を握り締めて悶絶している筈だ。

「だからさ。 そんな激戦場に赴く恋人をさ、せめて一晩慰めてよ」

「もう・・・勝手なんだから・・・」

何だかんだと言いながら、右近充少佐も2歳年下の恋人が可愛いのだ。 それに今年で29歳、来年には30歳の大台に乗ってしまう身としては、ここで男を手放したく無い。
伊庭少佐についてはもう、『勝手に結婚でも何でもしろ!』と、同期の友人であり、かつ、右近充少佐の従弟でもある周防少佐が呆れかえる程、恋人にベタ惚れだった。

結局そのまま、もう1度恋人同士の『スキンシップ』を致した後で、ベッドの上で2人して心地よい気だるさに浸っていた。

「そう言えばさ・・・最近、忙しいのか?」

「・・・どうして?」

寝転がった伊庭少佐の胸に顔を埋めた右近充少佐が、少し甘えた声で聞いて来る。 年上の恋人の、そんな甘え方にニヤケながら、伊庭少佐が何気なしに聞いた。

「ほら・・・先週だったか、俺が何度電話かけても、出なかったじゃないか? 後で聞いたら『仕事で忙しかった』ってさ。
情報保全本部(防諜部)調査第1課の調査班長が忙しいって・・・思わず、ゾーッとしたんですけど・・・京香さん?」

「ああ・・・その事ね・・・ま、年末に向けての恒例行事よ。 『身辺が急に綺麗になった』お偉いさん方の周辺調査ね」

軍人は基本、『特別国家公務員』だ。 その昔は『武官』と言われていた。 当然ながら公務員で、公的・私的、双方で金銭を受け取る事は法に触れる。
だが今の様なご時世では、そんなお偉方は絶滅危惧種に等しい。 誰しも、何らかの方法で、誰かから『よしなに』と付け届けが来る。

軍の内規で、その場合は『誰それから、どの様な名目で、どの位の』付け届けが来たかを申告する事になっている。
本来ならば収賄罪だ。 だが当然ながら送り側も、受け取る側も、その辺は承知している。 けっして金銭の授受は行わない。
『同好の士』同士の間の、趣味品の受け渡し、という名目で美術品やら絵画やらを送り、受け取る。 受け取った側はそのまま美術商に転売すればいい。

「度を過ぎれば、当然ながらお縄よ。 でも大抵のお偉方はその辺、弁えているから・・・例年なら申告リストを作るだけなのだけれど・・・」

「なのだけれど?」

はあ・・・と、右近充少佐が大きな溜息をついた。 せっかくのひと時を、こんな無粋な話題で費やしたく無かった、と・・・しかしこの恋人は、結構な好奇心の塊だった。

「何人かね、財閥から明らかに限度を越した援助を受け取った・・・そう見られる節の有るお偉方が居たのよ。 その身辺調査だったの」

「あん? そんなの、致命傷なんじゃ・・・?」

「普通はね。 でも受取人が本人じゃないとしたら? 奥様の従弟が理事をしている非営利の難民支援団体とか、弟の妻の父が経営する会社だとか・・・」

「・・・額が尋常じゃない?」

「そうね。 それに今までそう言ったケースが無かった。 でもそうなると、管轄は私達じゃなくって、内務省よ。 警察ね」

国防省と統帥幕僚本部としては、不確かな根拠で『身内』の不始末(と想像される)の尻尾を、他省庁に握られるのは不愉快極まりない出来事だ。

「軍事参議官の間崎大将。 それに第1軍司令官の寺倉大将に東部軍管区司令部の田中中将。 本土防衛軍総司令部高級参謀の扇谷少将、他にも・・・大物過ぎて手も出せないわ」

「うげ・・・俺、聞かなかった事にする・・・」

「そうなさいな。 私だって、恋人をゴタゴタに巻き込みたく無いもの」

「んじゃ、嫌なこと思い出させちまったお詫びに、もう一度頑張りますか」

「ばっ、馬鹿っ!」









2001年11月5日 0900 アメリカ合衆国 ニューヨーク州・ウエストチェスター郡


日本とN.Y.の時差は14時間。 快晴の日曜日の朝だった。 世界最大の大都市圏を構成するN.Y.の郊外都市であり、閑静な高級住宅地のウエストチェスター郡。
広々とした大邸宅がそこかしこに見えるこの地域は、全米で最も裕福な地域のひとつであり、元大統領が邸宅を購入している事でも知られる。
その中のひとつ、ひと際広大な敷地の中に、英国のカントリーハウスを模した外観の邸宅が有った。 その青々とした広い庭の芝生の上を、1人の老人が散歩している。

「・・・ダスティンか。 どうやらモルガノとロートウェラーの金は、無事に光菱から軍人馬鹿共の懐に渡った様じゃな?」

「はい。 あの国の軍部監察組織が動いていましたが、何とか矛先をかわせました」

老人の背後から近づいてきた青年に向かって、背中越しにしわがれた声で確認する邸宅の主。 恐らく90歳は越しているだろう。

「ならば、良い。 光菱帝都銀行副頭取が殺害された時は、ウォルター・ヒューズ(CIA国家秘密本部・東アジア部長)の無能を呪ったモノじゃったが・・・」

「CIA情報本部・東アジア分析部長のライオネル・モーガン、グローバル問題部長のエマ・シーリング、それに外国指導者分析部長のネッド・ジャクソン・・・
まだ彼等はヒューズの行動を完全に把握しておりません。 であれば必ず、あの国の防諜機関へ接触する筈ですが、未だその痕跡は有りません」

「そうか・・・ならば、良い。 あの国は合衆国の防波堤、それだけに意味が有る・・・」

(合衆国の防波堤? いいや、我が祖父よ、貴方の妄執の精神的防波堤でしょう?)

青年―――国防総省・国際安全保障問題担当部アジア・太平洋担当副次官補のダスティン・ポートマンはそう思った。
CIAタカ派が、奪われた軍事・政治的主導権(国際社会を支配する上での)を、DIAから奪回する為に立案し、ネオコンの馬鹿共が気に入った対日特殊工作。
『ビルダーバーグ会議』ですら、少数派のタカ派(正体は米国内のネオコン寄りの連中だ)以外の過半数以上が、その実行がもたらす結果に危惧を表明し、反対したあの工作。

本当ならばその場で廃案になる筈だった。 それが復活したのは、一重にこの老人の妄執と、その実現を可能にする財力と影響力故だ。
AL5計画? あれは結局、ネオコン連中とその周辺の取り巻き(と言っても世界的大企業や、国家の中枢人物も居る)が『保険』として急遽作った代物だ。
最も現実は、もっと複雑でややこしい状況に陥っている。 AL5計画自体が、ネオコンの手を半ば以上離れ、今やビルダーバーグ会議穏健派とタカ派の間で、切り取り合戦だ。

「・・・3度目の亡国は、許容できん・・・決して、許容できぬのだ、ダスティン・・・」

「はっ・・・」

ならば、この自分も『保険』を掛けさせて貰おう。 『ビルダーバーグ会議』では、穏健派のアンハルト=デッサウ侯妃の知己を得た。
イングリッド・アストリズ・ルイーゼ・アンハルト=デッサウ。 現デンマーク女王の姪。 彼女には伝えてある、米海軍のクナイセン少将が、日本海軍の周防少将と接触した事を。
クナイセン海軍少将は、CIAと対立するDIA(アメリカ国防情報局)国際協力室長。 周防海軍少将は日本帝国海軍軍令部第2部長、軍の枢機に関わる人物だ。

(・・・周防海軍少将の義兄は、あの『魔王』・・・日本帝国国家憲兵隊副長官の、右近充陸軍大将だ・・・)

日本のカウンター・インテリジェンスの巨魁にして、『統制派』の大物。 そして『三極委員会』に繋がる日本の貴族社会(武家)の要人(神楽城内省官房長官)とも繋がる人物。

(・・・その情報は、この老人には伝えない)

確かに彼、ダスティン・ポートマンは老人の孫だった。 だがそれは遺伝上の事だけだ。 老人の娘であるポートマンの母は、認知されず苦労を積み重ね、病死している。

「・・・何やら、横浜の黄色いメス猿が、色々とやっておる様じゃがの・・・どうせなら、綺麗さっぱりと始末をつけようかの・・・」

「・・・予定では、D-dayは来月上旬となります」

「うむ・・・目障りな横浜のメス猿も居なくなり、あの国も防波堤となれば・・・ロスアラモスにも、儂の知己はおる。
軍の馬鹿共が考えておる様な、G弾の一斉使用なぞさせぬ・・・儂が作り出す世界はの、不毛の星など要らんのじゃ・・・」

それだけ言うと、老人はポートマンへの関心を失ったかのように、軽く片手を振って下がる様に指示した。 昔から変わらない。
ポートマンは恭しく一礼すると、その場を離れた。 内心で心底、老人の破滅を願いながら。









2001年11月6日 2230 日本海 佐渡島東方海域 深度180m 帝国海軍特務潜水艦『瀬戸潮』


「ソナー、感あり。 P-2点、前方680m、方位3-4-7。 深度262m」

「推定個体数、約5500。 南東へ微速拡大中」

佐渡島周辺海域の定時探査を続けていた特務潜水艦が、ソナーに『海底で蠢く』存在をキャッチした。 艦内に緊張が走る。
なおもソナー員からの報告が続く。 どうやら佐渡島と新潟との間の佐渡島海峡、それも最狭部の旧新潟市の角田岬から、旧佐渡市の鴻ノ瀬鼻の間の31.5kmに固まっている。

「・・・増えるかな?」

艦長が広げた海図を睨みながら、視線を向けずに傍らの副長に問いかける。

「増えるでしょう。 市ヶ谷(帝国国家偵察局・衛星情報センター/衛星情報中央センター)からの情報では、先月末以来、佐渡島島南端付近で飽和BETA群が確認され・・・
その数は徐々に増える一方だと。 2日前の情報では、地上に約3500体、海底に約2500体でしたので・・・今では地上には、約5000~6000体の飽和個体群が居るかと・・・」

「・・・海底と合わせて、1万から1万1000体か。 師団規模の飽和BETA群だな」

「第5軍(北陸・信越軍管区)の第8軍団だけで、大丈夫でしょうか?」

副長が懸念の声を上げる。 第8軍団は信越方面を担当する部隊だが、比較的軽装備(丙編成)の3個師団しか有しない(北陸は第17軍団の3個師団)
副長の言葉に、艦長もしばし表情を強張らせる。 陸軍の内部事情は、深い所までは海軍の現場指揮官では判り得ない。 信越方面は、最重要防衛拠点の筈なのだが。

「・・・ま、陸の事は陸サン(陸軍の事)に任すしかなかろう。 なに、いざとなれば第2防衛線(北関東絶対防衛線)から、第7軍が押し上げて来るだろうしな」

「北関東絶対防衛線を、全く空にする事は出来ないでしょうから・・・押し上げて来るとしたら、第12師団か第14師団か・・・いずれにせよ、甲編成師団でしたね」

「信越方面に配属された師団の、実質3倍近い戦闘力を有する部隊だそうだ」

第7軍は東部軍管区・北関東絶対防衛線を一手に引き受ける、帝国陸軍中の最精鋭軍だった。 配下に第2軍団(第12、第56師団)、第18軍団(第14、第40師団)を持つ。
第5軍の6個師団が全て『丙編成師団』であるのに対し、第7軍は4個師団とは言え、2個師団が『甲編成師団』、残る2個師団も『乙編成師団』と、第5軍より遙かに強力だ。

更に実戦経験の豊富さ、戦場での巧みさ、しぶとさと駆け引きの巧妙さは、確実に第1軍を上回る。 そして技量でも第1軍と双璧を張る。
特に第18軍団の第14師団は、指揮官クラスに旧大陸派遣軍経験者を集中配備した部隊として、第1師団さえも上回る力量を有すると評されていた。

「それに即応部隊の第15師団も動くだろう。 1個機動旅団でも、実質は丙編成師団並みらしいな」

そして本土防衛軍総司令部直属の、緊急即応部隊である第15師団。 この部隊は東日本担当として、西日本担当の第10師団と共に緊急即応部隊―――戦場の火消し役だった。
火消し役であるからには、相応の戦力が必要で、かつ即応性も重視される。 為にこの2個師団は指揮下に3個機動旅団司令部を置き、状況に応じて指揮下の各大隊を編入する。

こうして組織された機動旅団が、即応部隊として戦場へ急行する仕組みだった。 因みにこの両師団はその性質上、『連隊』と言う結束点を持たない。 『部隊』は大隊が最上位だ。
規模的には甲編成師団に迫る。 戦術機甲大隊6個(2個連隊規模)、他に機甲(戦車)、機械化装甲歩兵、機動歩兵、自走砲、自走高射砲が各3個大隊。 プラス、各種支援部隊。

「大湊(帝国海軍大湊鎮守府、壊滅した呉鎮守府の代わりに昇格した)の2艦隊(第2艦隊:GF主力のひとつ)が近々、日本海で演習を予定している。 
舞鶴の4艦隊(第4艦隊:日本海艦隊)の手に負えなければ、急行するだろうさ。 4艦隊は基本的に、哨戒艦隊だしな」

日本帝国海軍は、ようやくの事で復興なった横須賀軍港(軍港施設のみ)の第1艦隊(横須賀鎮守府所属)が太平洋を、大湊の第2艦隊が日本海とオホーツク海を担当する。
他に98年のBETA九州侵攻時に、辛うじて死守した佐世保軍港(佐世保鎮守府)所属の第3艦隊が、東シナ海をその防衛範囲としていた(呉は地方隊として再建された)

「まあ、2艦隊の戦艦4隻(『出雲』、『加賀』、『駿河』、『遠江』)の砲撃力が有れば、1万程度のBETA群が上陸しても問題は有りませんが・・・」

他にも巡洋艦・駆逐艦など、合計30隻の戦闘艦で構成される、世界でも屈指の洋上戦闘艦隊だ。 第1艦隊には劣るが、1万程度のBETA群の上陸阻止支援には充分だった。

「そう言う事だ。 今ここで、我々がヤキモキしても始まらない、と言う事さ、副長」

「了解しました。 ソナー監視を継続します」

「うん」









2001年11月7日 0355 帝都・東京 帝国国家偵察局・衛星情報センター/衛星情報中央センター


「・・・膨れ上がって来たな」

当直統制官である航空宇宙軍大佐が、スクリーンと目前のLCDモニターに映し出された情報の、双方を見比べながら表情を強張らせて呟いた。

「規模こそ小さいですが、98年の鉄原、それに94年の『それ』に似ていますな」

傍らの当直副調整官である海軍中佐も同様に、厳しい顔で言う。

「よし・・・統本(統帥幕僚本部)に連絡だ」

「もう少し、状況を確認して見てからの方がいいのでは? またぞろ、いちいち細かい変化まで上げて来るな、と文句を言われますよ?」

「上げないよりマシさ。 94年の二の舞だけは、やりたくないよ」

1994年11月、帝国国家偵察局・衛星情報センターはユーラシア東部の5つのハイヴ―――H14、H16、H17、それにH18とH19の動向を掴んでいた。
しかしながら、官僚組織特有の欠陥ゆえに、その情報が生かされる事は無く、結果として当時発動されていた『大陸打通作戦』が、瓦解する要因を作ってしまったのだ。

「下手を打って、闇から闇へ・・・は、ゴメンだよ。 僕は当時、少佐で輪島(石川県輪島市、帝国国家偵察局・衛星情報センター/中部受信管制局)の管制長だったが・・・」

当時の衛星情報センターの当直統裁官と、当直員は『事故死』した。 副統裁官は2階級降格の上で予備役編入・即日応集で、今は北海道奥尻島の、レーダーサイトに島流しだ。
統裁官の苦笑に、副統裁官の海軍中佐も内心で納得した。 海軍からの出向組である彼は、当時は地上支援の為の派遣艦隊に乗り組む大尉だった。

「判りました。 至急、統本の1部(作戦部)と2部(国防計画部)に、連絡を入れましょう」









2001年11月7日 0830 帝都・多摩 帝国陸軍立川基地 第39師団


カッ、カッ、カッ―――本部棟の廊下を、小気味良い足音を響かせながら、1人の女性将校が速足で歩いている。 背は高くないが、如何にも俊敏そうな印象を受ける。

「で? 移動は?」

「予定では明日8日1000時。 相馬原基地到着は、1600時の予定。 その後に先発している14師団、15師団と、松本(長野県松本基地)の第58師団と調整。
演習開始は11日の1000時から・・・って、大隊長、今のは3日前に通知されていましたよね? 休暇中に忘れたんですか?」

何故か随伴している第3中隊長の周防直秋大尉が、少し嫌味じみて聞いて来る。 女性将校―――第3戦術機甲大隊長の伊達愛姫少佐は、2日間の非番と有休(!)明けだった。

「アンタの記憶力を確認しただけよ・・・あ、臼井(臼井正智中尉)、準備は完了しているでしょうね?」

「はい、大隊長。 滞り無く」

大隊副官の臼井中尉が、澱みなく答える。 長身で隙の無いいでたち。 誠実そうな、なかなかの男前。 堅実で有能な若手将校―――周防大尉には、嫌味にしか見えない。

臼井中尉が差し出した書類を受け取り、歩きながら目を通す伊達少佐。 時折、すれ違う基地要員の敬礼に答える。 が、書類から目を外さない。
156cmの伊達少佐が、長身の2人(周防大尉は181cm、臼井中尉は182cm)を連れて歩く様は、まるで女王様が臣下を連れ歩く様だ。

「・・・『山岳部防衛想定演習』ねぇ? 確かに中部山岳地帯を取られちゃったら、この国はもうお終いだから、判らないでもないけれど・・・」

物騒なセリフを吐く上官に、臼井中尉が思わず目を見開く。 周防大尉は慣れっこなのか、苦笑するだけだ。

「・・・佐渡島が、何か騒がしいみたいですし。 上としては一応、保険をかけておきたいんでしょうね」

「大仰な保険よ、まったく。 演習第1陣だけで、ウチの師団に第14と第15師団。 第2陣に第12師団と、ウチと同じ総予備の第39と第45師団・・・
合計6個師団の、大規模演習だなんてさ。 佐渡島の保険ってんなら、15師団と、他に12か14のどちらかの師団、これだけでもお釣りがくるよ」

1万そこそこなのでしょ? 飽和BETA群は?―――伊達少佐の問いかけに、周防大尉も臼井中尉も頷いて答えた。
確かに丙編成師団とは言え、信越の3個師団に加え、甲編成の第12か第14師団。 それに準する規模の第15師団。 合計5個師団あれば、1万程度のBETA群は充分殲滅可能だ。

「それにさ、海軍さんも第2艦隊を『冬季洋上演習』の名目で、日本海に入れたよ。 戦艦が4隻だったかな? それに戦術機母艦も4隻。 充分過ぎない?」

「ま、確かに大仰ですけど・・・逆に言えば、それだけ役者が揃った戦場なら、自分は大歓迎ですよ」

「・・・その心は?」

「どうせ主役は12師団に、14師団と15師団でしょうから。 新米どもに場数と戦場度胸を付けさせるのに、もってこいですしね、脇役の立場としては」

「はん・・・言う様になったね、直秋、アンタも」

しかし、やはりどうして今の時期に?―――伊達少佐の疑問は消えない。 甲21号目標の攻略作戦が控える現在、何故わざわざ部隊を抽出して、大規模演習をする必要があるのか?
ここで6個師団も動かしては、演習が終わり駐屯地に帰還し、そして諸々の整備を整え・・・甲21号作戦に間に合わなくなる恐れも出て来る。
軍と言う物の腰が重いのは、今に始まった訳ではない。 が、反面で動き出したら止まらない。 判っているの? お偉方は? いえ、判っている筈。 だとすると・・・

「・・・動かしたくない?」

―――まさか、ね・・・

伊達少佐は頭の中に閃いた、自分でも突拍子も無いと思える考えに、内心で苦笑する。 動かしたくない、誰かが、肝心な時に、これらの戦力を。
どうして? 何の為に? 何が不都合? どう言う状況で?―――帝都周辺には、それこそ第1軍団しか居なくなってしまう。 第1軍団・・・第1師団!

(あ・・・あはは・・・何考えてんだろ、私って・・・?)

無論、彼女とて全てを知る事は無い。 だが最近、情報保全本部や警務隊、それに監察部と言った部署から、やたらと部下達の身上調査に関する問い合わせが多かった事は確かだ。
勿論、伊達少佐の大隊に、思想的に偏った部下はいない。 確かに文句が多い奴とか、上層部や政府をけなして酒の肴にする連中はいる。 が、そんなのはごく普通の光景だ。
軍内でも、特に陸軍部内で、一定の階級以上の者達の間で囁かれる噂。 若手将校達との繋がりを、急に持つ様になった特定の軍高官達。

「・・・まさか、ね・・・」

「は? 何か仰いましたか? 大隊長?」

伊達少佐が呟いた小さな声を、副官の臼井中尉が聞きとめた様だ。 が、伊達少佐は気にするな、と言うように首を振る。

「ん・・・いいや、何でも無いよ。 それよか、森宮さん(森宮右近中佐)と和泉さん(和泉沙雪少佐)は?」

「は、1大隊長(第1戦術機甲大隊長:森宮中佐)、2大隊長(第2戦術機甲大隊長:和泉少佐)も、執務室かと・・・」

「そう。 じゃ、私はちょっと寄り道していく。 天羽(天羽都大尉、第1中隊長)と宇佐美(宇佐美鈴音大尉、第3中隊長)に、0930に大隊長室に来るようにと。 直秋、アンタもよ」

「イエス、マーム」









2001年11月9日 1530 帝都・市ヶ谷 帝国軍統帥幕僚本部 総長室


「ではやはり、数日以内に佐渡島からの侵攻が予測される、それも師団規模のBETA群が。 そう言う事だね? 大江君」

「はい、総長。 衛星情報センター、及び7部(第3局第7部、通信・衛星情報)からの情報を総合しますと、可能性としては80%を越すと判断されます」

総長室で、統帥幕僚本部総長である元帥・堀禎二海軍大将に報告を行う、第1局第1部長・大江達志陸軍中将は、報告の内容と裏腹に表情に余裕が有った。

「・・・信越の第8軍団だけでなく、後ろの第18軍団から第14師団を。 即応部隊の第15師団と、本防(本土防衛軍)総予備の3個師団。 後詰に第2軍団の第12師団か。
それに第2艦隊を南下させた・・・おい、幾ら海軍が僕の古巣だと言っても、右から左に『2艦隊を、日本海に入れて南下させろ』とは。 GFの小澤君がなかなか納得しなかったぞ?」

「撒き餌ですから、その6個師団と2艦隊は。 1艦隊は現在、太平洋上ですので。 一応、防衛後も相馬原に駐留させたいと考えます」

「帝都周辺にはいない。 だが数時間以内に帝都周辺に展開出来る、かい? 右近充君(右近充陸軍大将、国家憲兵隊副長官)の話だから、聞いたが・・・」

「ではなぜ、間崎閣下は軍事参議官会議で、あれ程強く主張なさったのでしょう? 内務省・・・いえ、特高からも問い合わせが入っております。 既に尻尾を掴まれている様で」

「おい、大江君。 それ以上はまだ、『仮定』だろう? 軽々しく口に出すモノじゃない」

それまで口を挟まなかった、統帥幕僚本部次長・栗林忠尾陸軍中将が窘める。 どちらかと言えば実戦に強い人物だが、陸軍中の親欧米派・良識派としても知られる人物だ。

「そう、『仮定』だ、栗林さん。 だからこそ、備えは必要でしょう?」

士官学校で栗林中将の2期後輩である大江中将が、幾分丁寧な言葉で反論する。 栗林中将はどちらかと言えば『抑止力』として、その6個師団に期待したいという主張だ。
既に大勢は決している。 軍部主流、そして軍部上層部の決定は、いや、他省庁を含めた統制派の意志は決定している。 最後の問題は、どの様に餌をぶら下げるかだ。

「・・・最後に、ひとつだけ確認したい。 内府(内大臣)は、了解したのだな?」

「はい。 内諾を頂いております」

「城内省の方も、官房長官は了解しました」

これは賭けだ。 計画は極秘裏に、各方面を網羅して根回しをし、確約を取った。 若者達は我々を恨むだろう、憎むだろう。 だが純真さだけでは世の中を生きていけないのだ。

「・・・張り付けるのは、総予備の3個師団と第12師団だ。 第14と第15の両師団は、こちらの保険とする」

「では、閣下・・・」

「その両師団でしたら、例えあの部隊が総出で来ても、鎮圧が可能ですな・・・」

場の空気が一瞬暗くなる、『皇軍相撃つ』―――明治のこの方、実は一度も実現しなかった悪夢だ。 堀大将が、沈痛な声で言った。

「・・・ならば、暫し待とうじゃないか。 擾乱の熱狂の刻を」





大江中将が総長室を退出した後、その場には総長の堀大将と、次長の栗林中将の二人だけとなった。 堀大将がデスクの引き出しから、一通の命令書を出して栗林中将に見せる。

「・・・これは?」

「今日の昼前だ。 国防相からだよ」

既に封を切っているその命令書を、栗林中将が開いて確かめる。 そして思わず一瞬、目を見開いた。

「―――最優先命令。 宛:統帥本部総長。 発:国防大臣。 本文:11月11日未明、佐渡島よりBETA群上陸の恐れあり。 規模は旅団規模と推定される。 
貴官はその掌握する職責において、可及的速やかに警戒を厳と為せ―――国防相は軍政を統括するのであって、軍令に口を出す立場では、ありませんが・・・?」

「・・・変だとは思った。 なので、探りを入れさせた。 どうやら、首相の周辺筋から、首相の耳に入った様だ。 国防相もいまひとつ、押しの弱い人だからね」

「首相の周辺・・・? この様な情報を、一体どのようにして・・・いや、そもそも軍事情報を・・・」

「・・・判らないかい?」

堀大将が栗林中将の困惑顔に、苦笑しながら聞く。 首相周辺、イレギュラーな軍事情報、帝国軍のトップに圧力をかける程の―――咄嗟に、栗林中将の脳裏に閃くモノがあった。

「ッ!・・・横浜の・・・小娘っ!」

「どう言う詐術を使ったかは、判らんがね・・・少なくとも、事実の一端に接触している様だ。 規模は惜しいながら、過少に見積もった様だね」

「大至急、情報保全本部と監察部に、内調を進めさせます」

「うん・・・横浜の息が掛った者が、統本や国防省、或いは参本(陸軍参謀本部)や軍令部(海軍軍令部)、作本(航空宇宙軍作戦本部)に居るとは、考えたくないがね」

一礼して総長室を出てゆく栗林中将を見送った後、堀大将は総長執務机の椅子にドカッと座り直し、電話の受話器を取る。 そして何箇所かに電話をかけた。

「ああ・・・ああ、そうだ、右近充君。 こっちはこっちでやっておくよ。 そちらは・・・はは、言わずもがな、だったね。 うん、米内さん(米内前国防相)には僕から・・・うん」

どうやら現在の相手は、国家憲兵隊副長官の様だ。

「はは・・・こちらは横浜には手を出さないよ、余分な人員も居ないしね。 それよりも、そちらは気を付けてくれているかい?
何しろあそこには、情報省だけでなく、内務省の特高や君の所の国家憲兵隊の潜入工作員たちが、それこそお互い見て見ぬ振りで、大勢潜入しているのだろう?」

『―――ええ。 ついでに言えば、国連軍情報部の米国寄りの連中や、カンパニーにDIAも。 欧州連合もスリーパーを忍ばせております。 諜報工作員の天国ですよ、あそこは』

「核心の魔女には、未だ迫れない様だが?」

『―――お忘れなく、閣下。 あの基地を建設したのは、国連軍の委託を受けた我が国・・・我が軍です。 正確には軍から発注を受けた、我が国の大手建設・土木企業群ですよ』

事実だ。 米国陸軍工兵隊の様に、実質は世界最大の建築・土木企業群と言える程の建設能力を有する工兵隊は、他に国には存在しない。
故に米国以外の全ての国―――全ての軍部は、自国の企業群(軍需企業群と言っても良い)に発注する。 そして帝国内において、最も強権を有する組織は内務省と国防省だ。

「ふむ・・・泣く子と特高(特別高等公安警察:内務省)と憲兵(国家憲兵隊:国防省)には、逆らえぬ、そう言う事だね?」

『―――情報省に、あの基地の内部構造とセキュリティシステムをリークしたのは、我々ですので・・・横浜の動きは、こちらで調べましょう。 では、『その時』まで・・・』

「うん。 お互い、見猿、言わ猿、聞か猿、か」

『―――はい』









2001年11月10日 1930 帝都・府中 帝国陸軍府中基地 第1師団第3戦術機甲連隊


「いよう! 久賀! 久しぶりだなぁ!」

「・・・どうして、貴様がここに居るんだ? 伊庭?」

理解し難い、そんな表情で将集(将校集会所)のカウンター・バーの一角を占拠する同期生をマジマジと見つめる久賀少佐。 反対に伊庭少佐は気にも留めていない様子だ。

「どうしてって・・・そりゃ、お前、出不精の同期生を気遣って、様子を見に来てやったんだって」

「酒代を、俺のツケにしてか?」

カウンター上の伝票を、ヒラヒラとさせて久賀少佐が睨みつけるが、伊庭少佐は当然気にも留めない様子だ。

「ま、良いじゃねぇか。 貴様も味わったろ? あの地獄の兵棋演習! 今日、ようやっと解放されたんだよ。 飲まなきゃ、やってられねぇ。
それに、どうせあと30分程で退散するよ。 関西行きの輸送機が羽田から飛ぶ。 それに乗らなきゃならん」

伊庭少佐の所属は、大阪・八尾基地の第10師団だ。 そんな傍若無人な同期生に溜息をつきながら、久賀少佐もやや早めのアルコールを飲む。
暫く他愛ない話が続いた。 久賀少佐にとっては、本当に久しぶりに合う同期生だ。 最近、気が晴れない事も有ったが、こうして会って飲んでいる間は忘れる事が出来た。

「・・・なんだって? 貴様が、結婚する!?」

「おうよ! 美人だぜぇ? 佳い女だぜぇ?―――プロポーズは、これからだけどな!」

「ちょっと待て・・・2歳年上なのは、どうでもいい。 それよりも・・・相手は周防の従姉だと!?」

「おう! これで奴も、俺の弟分だな! あははっ!」

何と言っていいのか―――結局、言葉が見つからなかった久賀少佐は、月並みに『そりゃ、おめでとうさん』とだけ言うと、ウィスキーグラスの中をグイッと飲み干した。

「ま・・・何だな、目出度い事さ、うん」

「なんだよ、久賀。 もったいぶった言い方しやがって」

「・・・そうじゃない。 伊庭、貴様は乗り越えられたんだな、ってな」

「うん、ま・・・な」

伊庭少佐は中尉時代の1995年、当時恋人だった女性士官を戦死と言う形で失っていた。 6年前の話だ。 その事は同期生の殆どが知っている。
それ以来、伊庭少佐の魚色家振りの派手さは、傍目にも酷いものだったが・・・同期生でそれを非難する者は、居なかった。

「忘れた訳じゃないんだ・・・今でも鮮明に覚えている。 けどなぁ、久賀よ。 人ってのは、結構いい加減なものだよなぁ・・・
春には春の、夏には夏の、秋には秋の、そして冬には冬の・・・それぞれに有った服を着たくなる。 『あいつ』は春の様な女だった。 今は季節外れの夏の服を着ているよ」

「・・・惚気ていろ、この年中真夏男め」

伊庭少佐は、この男にしては珍しく、少しはにかみながら期友を見て笑う。 伊庭少佐も当然知っている、目の前の期友が3年前に愛妻を、九州防衛戦で死なせている事を。
そして久賀少佐も少し嬉しかった。 この気持ちは、自分と伊庭少佐の2人にしか分からないだろう。 長い付き合いの周防少佐や長門少佐でも、多分判りはしない。

「季節の服・・・か。 そんな時が来るのかな、俺にも・・・」

「ま・・・せめて、枯れるまでには、見つけろや?」

「ほざけ」

それから短い時間だったが、久賀少佐は伊庭少佐と旧交を温めて―――伊庭少佐の出立の時間になった。
営門まで見送ると、久賀少佐の言葉に、2人揃って基地の街灯の下を並んで歩く。 もう気温はかなり冷え込む季節になっていた。

「ところで、本当に式は何時頃の算段なんだ?」

「う~ん・・・まあ、色々と騒がしい話が飛び交っているからな。 落ち着いたらで・・・来春頃か?」

「なんだ? どうせなら、速攻で攻めるかと思ったけどな、お前なら」

含み笑いで久賀少佐がそう言うと、伊庭少佐も苦笑する。 昔の恋人とは、会ったその日に口説いていた伊庭少佐だったのだから。

「まぁなぁ・・・そうしたいのも、山々だが・・・向うが忙しい。 何やら、後ろ暗いお偉方が居そうでな」

「うん?」

歩きながら顔を伊庭少佐に向けた久賀少佐が、訝しげな顔で伊庭少佐にその先を促す。 一瞬、『しまった』と言った表情の伊庭少佐だったが、同期生故に口が軽くなったのか・・・
『恋人』から聞いた、例の内調を受けている帝国軍高官の話を、道々小声で話し始めた。 黙って聞いていた久賀少佐だったが、心なしか表情が硬い。

「ま・・・今時、どんなお偉いさんも、多かれ少なかれ、同じ事やっているけどね。 でもなぁ、普段は口を極めて財閥の富の集中を非難しているその手で、だぜ?
おまけに田中中将と言えば、あの人は統制派じゃないかよ? どうして皇道派の間崎大将と、つるんでいる? 統制派はどっちかって言えば、そう言う類の授受は控えているだろ?」

アルコールが入っているせいもあってか、伊庭少佐は噴飯極まりない、とでも言いたげだった。 そして久賀少佐は益々無言になる。
やがて営門の近くまで来た、立哨の衛兵の姿が見える。 『誰か!』の誰何の声に、久賀少佐がただ一言、『将校!』とだけ答えた。 それで充分だった。

「じゃあな、久賀。 押しかけて済まなかったな」

「いいや、俺も久しぶりに楽しかったよ・・・気にするなんて、無遠慮、無思慮、無分別の貴様らしくないな?」

「ほざけ! ・・・おい、久賀!」

営門を出て暫く歩いた伊庭少佐が、振り向き様に久賀少佐に振り返って声をかけた。 伊庭少佐はその先の言葉を出さず、暫くじっと久賀少佐を見ていた。

「なんだ?」

久賀少佐が不思議に思い、伊庭少佐に聞き返す。 すると珍しい事に、伊庭少佐が少し照れた様な、それでいて確信したような表情で、久賀少佐に言った。

「久賀! 生きていれば・・・生きてさえいればな・・・そうだろう!?」

同期生の目に込められた何か―――言葉では言い表せられない、そのメッセージを見取った久賀少佐が、フッと表情を崩した。

「ああ・・・生きてさえいれば。 そうだな・・・」

やがて背を翻し、外套に身を包んだ同期生が立ち去って行った。 その後ろ姿を見ながら、久賀少佐は小さく、小さく呟いた。

「・・・生きてさえいれば。 生きる意志が有れば、だがな・・・」

皇道派と統制派の軍高官。 財閥からの裏金。 部下達の狂気に近い純真さと思い込み。 政党政治業者との癒着・・・最近、自身にも纏わりつく様になった、監察部や保安部の影。

「・・・生きる意志が、有ればだが・・・な」

もう一度、小さく呟いた。









2001年11月11日 0615 新潟県・旧小千谷市付近 第15師団B機動旅団


『―――本当に、来やがるんですかね?』

大隊系通信回線に、部下の声が流れた。

『―――衛星情報と、海軍の海底探査情報からでは、およそ1万程の飽和個体群の行動が、活性化しているとの事ですから』

『―――はっ! 模範解答、アリガトさんで、遠野大尉殿?』

『―――情報を生かすも殺すも、常に冷静に、かつ適切に、です。 八神大尉』

『―――変わってねぇなぁ、この女・・・』

『―――今日じゃなくとも、早かれ遅かれ上陸するだろうさ。 大隊長、旅団本部からは、まだ何も?』

先任中隊長の最上大尉が聞いて来る。 夜明け直前の暗闇を見つめる周防少佐の視界には、機体からの情報の他に、旅団司令部からの情報もモニターされていた。

「・・・焦らなくとも、朝飯にはありつける。 もっとも、気を抜くとこちらが朝飯になってしまうがな」

その言葉に、八神大尉が大仰に顔を顰め、遠野大尉が少し表情に緊張感を走らせる。 最上大尉は苦笑するだけだ。

「迎撃手順はブリーフィングの通りだ。 最初に海軍第4艦隊(日本海艦隊)が、爆雷攻撃を仕掛ける。 当然、その程度で大人しく引き返す連中じゃないからな・・・」

その後、海底から上陸して来るBETA群先鋒―――十中八九、突撃級BETAの群れ―――を、後方20km付近に陣取る野戦砲兵群と、洋上に展開した第2艦隊が迎え撃つ。
460mm砲18門、406mm砲18門。 305mm砲が18門に、155mm砲が12門、127mm砲多数とVLS。 第2艦隊の対地攻撃力は数個師団の攻撃力に匹敵する。
陸軍でも戦線後方でM110・203mm自走榴弾砲、99式自走155mm榴弾砲、牽引式のM115・203mm榴弾砲、FH70・155mm榴弾砲が砲列を並べ、多連装MLRSのシステムに火が入った。

「2艦隊は『甲部隊(戦艦『出雲』、『加賀』基幹)』が北方海域、『乙部隊(戦艦『駿河』、『遠江』基幹)』が南方海域から、佐渡島のレーザー照射圏外から艦砲射撃を加える。
同時に海岸線より5kmまでBETAが進めば、今度は陸軍砲兵群が全力砲撃を仕掛ける算段だ。 後はいつも通りだ。 正面は第12師団、北を第14師団。 我々は南だ」

3方向から重戦術機甲師団で押し包む。 戦術機は実に8個連隊分に達し、戦車も3個連隊、師団砲兵も自走砲が3個連隊を数える。

「万が一、3個師団の隙間を抜かれた場合には、12師団と14師団の隙間を39、45、57師団が塞ぐ。 12師団と我々15師団の隙間は、第8軍団(第23、第28、第58師団)だ」

甲編成師団2個、準甲編成師団1個、乙編成師団2個に丙編成師団が4個。 軍管区直率の砲兵群も。 1万程度―――師団規模のBETA群を殲滅するには、十分過ぎる程の戦力。

「新米連中に気を配ってやれ、丁度頃合いの良い戦場だが、油断はさせるな」

『―――了解』

『―――了解っス。 でもなんですか? 大隊長も人が丸くなってきたようで・・・』

「・・・何か言ったか? 八神?」

『―――気のせいです』

『―――八神大尉・・・今回は、フォローはしませんので』

『―――おっ、おい!? 遠野!?』

部下の中隊長達は相変わらずだ。 新米中隊長の遠野大尉も、何とか精神的な『痩せ我慢』が出来る様になって来た。 と、その時、指揮小隊長の北里中尉から通信が入る。

『―――アイリス・リーダーよりゲイヴォルグ・ワン。 大隊長、北里です。 『例の部隊』が配置につきました』

「・・・そうか」

周防少佐もレーダーで位置を確認する。 前線からやや離れた場所に位置する、1個戦術機甲中隊。 
マーカーの情報から、それが帝国陸軍では無く、国連太平洋方面軍の所属であると示していた。

『―――向うの指揮官と、連絡が付きました。 どうされますか? 繋ぎましょうか?』

今回、上級司令部より異例の命令が出ていた。 曰く、『一部のBETA群を、無傷で国連軍戦術機甲中隊の前面に誘導せよ』と言っているのだ。
無制限に、ではない。 所詮は1個中隊規模だ、千単位のBETA群を誘導してしまっては、あっという間に全滅だろう。 精々が数百・・・300から400と言ったところか?

(・・・適当に見繕って、後方へ『お流し』しろ、か・・・昔のカラブリア半島と同じだな。 プリマは向う、こちらは裏方・・・)

苦い思い出が蘇る。 国連軍時代の1994年9月、イタリア・カラブリア半島。 大隊から派遣された12名中、2人の先任を含む、半数近い5名を失った。 中尉の1年目だった。

(・・・流石に、恣意的な真似はしないよ。 でもな、貴様にその覚悟はあるか? 覚悟は出来たか? 伊隅・・・)

やや離れた位置に布陣する国連軍戦術機甲中隊の輝点を見つつ、周防少佐は内心で問いかけた。 その部隊は国連太平洋方面軍横浜基地所属―――『A-01』のコードが表示されていた。

「・・・いや、いい。 向うへ伝えろ、北里。 『貴隊は我々の前方に、出るべからず』とな」

『―――了解しました』

そして北里中尉が通信を切った数十秒後、その時が訪れた。

『―――HQより全部隊指揮官宛! 海底震動波を捕捉! 繰り返す、海底震動波を捕捉! 規模は約1万2000! 全部隊指揮官は迎撃プランA-2に従い、行動を開始せよ!』

薄暗い初冬の海が、海岸線が爆ぜた―――BETA群の先鋒、突撃級の一群が姿を見せた。 すかさず雷鳴の様に響き渡る、大口径艦載砲の発射音。 

―――夜明け前の海岸線は、地獄の殺戮の饗宴の場と化していった。





[20952] 暗き波濤 7話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:f422e193
Date: 2012/12/27 20:53
2001年11月11日 0640 新潟県・旧小千谷市付近 第15師団B機動旅団


『―――HQより各部隊指揮官。 上陸BETA群が間もなく、第2阻止線に到達する。 軍管区砲兵旅団群(第3、第8野戦重砲旅団)の砲撃開始・・・5秒前、4、3・・・開始!』

背後から雷鳴の様な砲声が鳴り響いた。 それまでは洋上の第2艦隊から、4隻の戦艦と2隻の大型巡洋艦から放たれる460mm、406mm、305mm砲弾が海岸線に降り注いでいた。
他にもイージス巡洋艦やイージス駆逐艦、そして戦艦や大型巡洋艦のVLSから無数の対地制圧用誘導弾―――95式Ⅲ型多目的誘導弾が数百発、白煙を引きながら降り注いだ。

その砲弾と誘導弾の豪雨の中をくぐり抜けたBETA群に対し、今度は2つの軍管区直轄砲兵旅団―――信越の第8と、東部の第3野戦重砲旅団がその火力を叩きつけたのだ。
上陸地点―――旧新潟市西蒲区越前浜付近―――の25km東の旧加茂市と、阿賀野川を渡った25km北北東の東新潟付近に布陣する2個野戦重砲旅団は、一気に効力射を開始した。
第3野戦重砲旅団のM110 203mm自走榴弾砲24輌、99式自走155mm榴弾砲48輌、MLRS60組。 そして第8野戦重砲旅団の99式自走155mm榴弾砲72輌、MLRS36組。

『―――うっ、うわっ!』

『―――すご・・・い』

『―――空が・・・見えない・・・!』

今回が初陣の、補充新米衛士達の驚愕の声が通信回線から聞こえる。 周防少佐は遠隔監視システムから送信される投影戦術スクリーンを見つつ、彼等のバイタルを確認している。

『―――で、でもBETAの姿・・・見えないよな?』

『―――あ、ああ。 もしかして、あの砲撃で・・・』

『―――全滅、何てわきゃ、ねぇだろうが? ああ?』

新米達の会話に、古参が割り込んだ。 恐怖感は当然あるだろうが、少なくともそれを表面に出したりはしない声色。 新米と古参の最大の違いだ。

『―――上陸地点は越前浜の辺りだ、ここから北に60kmはあるぜ。 突撃級がまっしぐらに突っ込んで来ても、30分はかかる距離だ』

『―――それだけじゃない。 上陸点正面には第12師団が、北の阿賀野川防衛ラインには第14師団が、それぞれ『圧力』をかけている。
クソBETA共、両師団に突っかけられて、真っすぐ南へ来れないんだよ。 12と14師団がどれだけ手際よく追い立てるかによりケドな、多分あと30分は接敵しねぇぜ』

BETA上陸点の東、旧燕市から北へ、旧新潟市南区役所付近までは、第12師団が北北東向けて正面防衛線を張っている。 
更に北の信濃川河口から、旧新潟市秋葉区役所付近にかけて、第14師団が南南東に向けて北部防衛線を展開していた。

『―――まずはよ、12師団が正面から受けて、そいつを南へ逸らせてよ。 で、北から14師団が圧迫して南へ追い立てる・・・
で、その2個師団と軍管区の野戦重砲兵旅団に叩かれて、消耗した連中を美味しく頂くのが、南に布陣した俺達、第15師団って訳だ』

『―――目下の心配はよ、食い意地の張った12と14師団の連中が、BETA共を平らげちまわないかってことさ! 
連中の食い意地の汚さと言ったら・・・98年の本土防衛戦や、99年の明星作戦でも、散々大食いしやがったからなぁ!』

そう言って、やや大げさに笑う古参達の笑い声。 それにつられて引き攣った笑いを漏らす新米達。 心拍数は少し高い、脈拍も。 だが異常を認める程では無い。 
それに大体が、新米の初陣と言うのはこの様なものだ。 同時に戦略リンク情報をも確認しつつ、思い出した―――自身の初陣を。

(―――初陣か。 俺の時は・・・ブルって震えていたな。 戦闘開始後は、何が何だか分からずに、無闇矢鱈に乱射して・・・そうだ、木伏さんにドヤされたな)

92年5月、もう9年6カ月も昔の話だ、新任少尉だった。 酷い戦いだった、中隊は中隊長の渡良瀬大尉以下7名を失った。 大隊長の堀越少佐や、連隊長の川村中佐まで戦死した。

(―――何が不安と言っても、周囲に頼れる歴戦の上官が誰一人居なくなった事だったな。 生き残ったのは木伏さん、水嶋さん、祥子に俺と愛姫・・・みな、少尉だった)

中尉も大尉も、そして少佐も皆、戦死してしまった。 あの時は見栄を張っていた外見とは反対に、内心は不安で、不安で、仕方が無かった。
そう言えば、あの戦いで戦死した1期上の仁科少尉は、後で知った事だが、あの仁科葉月大尉の実兄だった。 他にも安芸中尉に志貴野中尉、藤原少尉、村越少尉に佐伯少尉・・・

どう言う訳か、普段は忘れている遠い過去の事が、鮮やかに蘇った。 そして部下の新米衛士達の管制ユニット内の姿を、サブスクリーンに映し出す。
右往左往している姿、緊張で強張った顔、生気の無い青白い顔色。 もしかすると何名かは、命を落とす可能性が常にある。

『―――BETA群、越後線を通過。 第12師団との接敵予測、205秒後・・・』

『―――第14師団、新潟西IC跡を南下開始。 BETA群北方より接近を開始』

『―――第141戦術機甲連隊、内野より海岸線に進出。 BETA群の後背に迂回しつつあり・・・』

部隊指揮官(大隊長以上の指揮官)以上の者だけがアクセスを許可される、戦術情報リンクから流れてくる戦況。 どうやら予定通り、第12と第14師団は『勢子役』だ。
気になるのは、第2艦隊が2分されている事くらいか。 佐渡島が有る故に、第2艦隊は艦艇を2分して、南北からレーザー照射の認識範囲外海域に侵入して砲撃を行っている。
取り越し苦労かもしれないが、もしもより南に新たなBETA群の上陸があれば、『半個艦隊』の火力支援だけでは、少々足りないかもしれない。 野戦重砲旅団も移動に時間がかかる。

『―――HQより各部隊指揮官! 0648、第12師団が接敵! 現在116号線付近で交戦中!』

ついに地上部隊とBETA群が接敵した。 これからは面制圧砲撃の艦砲も野戦重砲も、暫くは手出しを手控える。 代わって制圧任務に当るのは、師団砲兵部隊になる。

『―――きっ、来たっ!』

『―――くぅっ!』

新米衛士にとっては何が恐ろしいかと言って、経験が無いことほど恐ろしい事は無い。 経験が無いと言う事は、想像がつかないと言う事だ。
与えられる僅かな情報から、何時頃に本格的な接敵となるのか、BETAとは如何なる敵なのか。 不安要素を潰す蓄積が無い、戦場での対応の予想が出来ない。
つまるところ、無駄に緊張を持続させられる羽目になるのだ。 これは精神的にも体力的にも疲労する。 新米衛士の『死の8分』は、この辺にも要因が有るのだから。

(―――人間誰しも、不安な時は上の者を仰ぎ見る。 先頭に居るのが経験不足の自分では無く、経験豊富な上官であれば。 その姿が前に見えれば、少しは落ち着くものだ・・・)

旅団本部から送られてくる戦況情報と、友軍各部隊の布陣状況と移動予定針路。 BETA群の動き。 それら戦術情報を確認しつつ、不意に周防少佐は戦術機を歩行移動させた。

『えっ? 大隊長!? どちらへ!?』

直援任務の指揮小隊長・北里中尉が、少し焦った声を上げる。 当然だろう、大隊布陣の最奥に位置している筈の大隊長機が、何の予告も無く大隊の先頭まで移動したのだから。
周防少佐はそんな北里中尉の声に答えず、無言で大隊全機の先頭で機体を止めた。 今日の大隊長機の装備は珍しく、92式多目的追加装甲を装備している。
他にも74式可動兵装担架システムには、滅多に装備しない74式近接戦闘長刀が一振、装着されていた。 後は周防少佐の定番である『01式近接制圧砲』を2挺。
『01式近接制圧砲』は今年に入って帝国軍が制式採用した、BK-57ⅡB近接制圧砲の帝国軍仕様だ。 43口径57mmの高初速リヴォルヴァーカノン。

周防少佐の大隊長機は、大隊の先頭まで進むと、少しだけ盛り上がった地形の上で停止した。 多目的追加装甲を無造作に大地に突き立て、そのまま前方を見据える様に屹立する。

『―――ッ!』

誰かの、声にならない声が聞こえた。 同時に無駄口を叩いていた古参達も口を閉じる。 

(・・・我ながら、演出過剰かな・・・?)

そう思わないでも無い。 普段とは違う、慣れない事をしているという自覚も有る。 だがそれでも一定の効果は、確かに有った様だった。
大隊の先頭で、戦場を睥睨する大隊長機。 その周囲を直援の指揮小隊3機の戦術機が、後ろに控えている。 周囲にはそれぞれ布陣した3個中隊の戦術機。

(・・・心拍数、脈拍・・・脳波パターン、血圧・・・)

数名の新人衛士達のバイタルを再確認する。 少しずつ、先程より少しずつ、落ち着いて来ていた。 平常よりは興奮状態とも言えるが、それでも戦場では許容される範囲だ。

「―――大隊長より、大隊全機へ。 BETA群との接敵予想時刻は、0720時前後の想定。 各機、今のうちに『用を為せ』 以上」

現在時刻、0655時。 つまり後、15分程の間に『クソをし、小便をしておけ』と言っているのだ。 緊張のまま待機させるより、何かをさせた方が良い。
慌てて管制ユニット備え付けの『予備のおむつ』を確認する、何名かの新米達の姿がサブスクリーンに映る。 もっとも戦場で『予備』など付ける余裕はない、基本垂れ流しだ。
それでも慌てて各種備品の確認をしている新人達のバイタルは、明らかに安定し始めていた。 後は各中隊長に任せるべきだった。

「最上、八神、遠野。 予定に変更は無い、流すタイミングはこちらから指示を出す。 それ以外は全て喰え、いいな?」

『ラジャ』

『ういっス』

『了解しました』

3人の中隊長達が応答する。 よし―――あとは、地獄の開演を待つだけだ。 接敵予定まで、あと20分程。 周防少佐は接敵予定までの僅かな時間、目を瞑って待つ事にした。





『・・・なあ、北里よ。 大隊長、本当に寝ているぜ・・・?』

『図太いと言うか、神経が2、3ダース抜けていると言うか・・・』

『・・・マレー半島でも、気が付けば機内で、軽く寝息を立てられていましたわ・・・』

『わっ、私のせいじゃ、ありませんよっ!?』






2001年11月11日 0710 帝都・東京 某所


「・・・詰まる所、『プロヴォ』も『恭順派』も、あの国粋主義者達を煽るだけでなく、他に何か手を打とうとしている。 そう言う事ですかな?」

早朝の公園のベンチ。 まだ朝の7時を回った所だが、すでに通勤する勤め人の姿が多くみられる。 その人の流れをぼんやりと眺めながら、1人の男がボソッと言った。
中肉中背、薄くなった頭部、見た目もパッとしない中年男。 市役所で長年、几帳面に帳簿を付けている出納係の係長―――そんな印象しか受けない、存在感の薄い男だった。

「その様ね、なかなか尻尾を出さないけれど。 それでも、あの『アラスカ』の事件を演出した男の息のかかった連中よ。
その連中が、わざわざ工作の危険度が高くなる一国の首都で、雇用主の依頼だけ済ませる、なんて可愛い事をすると思って?」

女の言葉に、ふむ、と中年男は思わず唸った。 『プロヴォ』は難民解放戦線―――『RLF』の主流派、通称『オフィシャル』から分離した過激な組織だ。
『恭順派』などは一度、その頭の中の構造を見てみたいと個人的に思う。 どうすればあんな信仰、いや、思想が・・・いずれにせよ、ヴァチカンから『異端認定』された宗派だ。

(・・・狂信は人を狂わせ、踏み外させる、か。 大体が昔から反政府組織、或いは異端宗派と言った連中の資金源は、非合法手段と相場が決まっている)

では、その非合法な手段に訴えて為す事は何か? 今の所、軍部の一部跳ね返り連中を唆している事は、あらかた裏を取った。
それ以外では? この帝国で為す、誰かが利益を上げる事になる謀略とは? 利益とは金銭だけに留まらない。 要は主導権を取れるようにする事も、それに含まれる。

(帝国内での主導権・・・統制派の主導権は、揺るぎなさそうだ。 それを覆す? 国粋派? あり得ないな、連中に共感する者は、実は極少数派だ)

国内の極小数の思想右翼主義者達。 他は条件次第で右から左に振れる、利権主義者達ばかりだ。 国粋派の謀略は―――カンパニーに踊らされ、統制派の掌の上で潰えるだろう。
かなり短くなった、口に咥えた煙草を捨てる。 そして胸ポケットから煙草を取り出し、1本抜いて火を付ける。 へヴィスモーカーと言うより、まるでチェーンスモーカーだ。

(・・・では、その統制派の主導権を揺るがすには? クーデター、政権打倒、将軍・・・ああ、あとはアレか? 帝国の巨額の血税を投じてなお、成果を上げていない、あの計画・・・)

人の流れとは、見ていて飽きない。 一見無秩序に見えて、実は個々の意志の集合体が、その流れを形成する。 情報も同じだ、それらの単語が意味する所、つまり・・・

(クーデターが成功しても、しなくても良い。 寧ろ失敗した方が都合は良い。 そして恐らく、国粋派が狙う『玉』は宮城の御方ではなく、帝都城の方だ。 
それと関連するのか? あの計画の方は? 確かに首相が強引に招致したが・・・カンパニーも一枚岩じゃない。 有効な手立ては? 第5計画と関連が? ふむ・・・)

「・・・最近はカンパニーも、軍内部への影響力をDIAから奪い返すのに、必死の様ですなぁ? それに国連軍情報部への影響力も・・・」

「・・・カンパニーは相変わらず、経済方面偏重よ」

そう言ってから、女はほんの一瞬、しまった、とでも言う表情を見せた。 中年男にはそれで充分だった。 この女は表向き、カンパニーの国家秘密本部のエージェントだ。
そして、それでいながら、いや、当然ながらダブル・トリプルエージェントでも有る。 一瞬示した失言は、無意識に主導権を取られたくなかったからだろう。

「うん、そうか。 いやいや、最近はどうにも疎くなってね、うん。 ではまた次回・・・そうだな、5日後と言う事でどうだろうかね?」

「・・・判ったわ」

うん。 お互い、世界の裏側の、薄汚れた場所に棲息する身であったとしても、美女を目の前にするのは少しばかり、心地良いものだ。 特に何らかの引きを得た日は。

早朝の街行く人ごみの中に、あっという間に埋没してしまった中年男―――帝国国家憲兵隊の工作監督官である、憲兵中佐。
男の歩いて行った、その先を見つめながら、女は忌々しそうな表情を浮かべて舌打ちするだけだった。









2001年11月11日 0735 新潟県・旧小千谷市付近 第15師団B機動旅団


「最上、そのまま群を削り続けろ! 50を切ったら、後ろに流せ! 八神、右翼を押さえろ! その300、全て殲滅するんだ! 遠野、八神のフォローに回れ!」

要撃級を先頭に、400体程のBETA群が大隊の正面に流れて来た。 周防少佐は第1中隊を群れの中に突き入れ、分断すると半包囲陣形を敷き、削りつつ流す個体群を決定する。
左翼方向は低いながらも山地で、天然の要崖になっている。 BETA群は平地が有る限り、より平坦な地形を突き進む。 右翼は第2中隊と第3中隊で固めた。

『・・・ですから、2度と戦場で接敵前に、居眠りはしないで下さい!』

そして周防少佐を含めた指揮小隊の4機は、第3中隊の左翼―――最南端に位置して、指揮官が確認し易いポジションを確保している。 北里中尉が周防少佐に苦言しながら。

「ああ、判った、判った・・・長瀬、A(A機動旅団)の様子は?」

『CP、ゲイヴォルグ・マムです。 ゲイヴォルグ・ワン、現在のところ順調です。 上陸したBETAの総数、約8890体。 うち、7200体が南下しました。 現存6580体。
1400体が第12、第14師団の初撃で殲滅されました。 海岸線では艦砲射撃と野戦重砲の面制圧で、約3000体を潰した模様です』

大隊CP・長瀬大尉の情報では、上陸したBETA群は既に、半分程まで減らされた様だ。 有り難い半面、別件の任務で国連軍から苦情を申し入れられそうな殲滅振りだ。

『部下に示しが付きませんッ! よりによって、大隊通信回線にいびきを流すだなんて・・・いびきを・・・ッ!』

どうも最近、北里中尉は小姑じみてきている。 一時の遠野大尉に、似てきたと言うべきか・・・確かに油断していた。 いつの間にか、眠ってしまっていたとは。
軽く目を瞑ったつもりが、北里中尉の『大隊長! 奥様に言いつけますよッ!』の一言で目が覚めたとは。 一瞬目の前で、柳眉を逆立てる妻の顔が浮かんだ程だ、情けない。

「光線級が上陸する前に、一気に火力を叩きつけたからな・・・ああ、判った、判ったから北里。 あまりそう、興奮するな」

それに、恥を晒したのは俺で有って、お前じゃないんだがな?―――時折、群がってくる小型種BETAを、01式近接制圧砲でなぎ倒しながら、周防少佐がうんざりして言う。

作戦は順調過ぎる程、順調だった。 第12師団は東への壁となってBETA群を阻み、第14師団が北から圧力をかけ続けていた。 
その結果、1万2000以上と推定されたBETA群は、艦砲射撃と野戦重砲の面制圧砲撃も相まって、今や当初の半分ほどまで減じていた。

「・・・順調過ぎるのは、何か裏が有る・・・いかんな、どうにも被害妄想が身に沁みついたな・・・」

例えば何度も経験した、BETAの地中侵攻。 戦線の突然の崩壊と、それに続く大混乱。 周防少佐の9年6カ月の実戦経験は、そんな苦闘と苦戦の連続だった。
目の前に迫った1体の要撃級BETAに向けて、57mm高初速砲弾を1秒間だけ放つ。 それでも発射速度600発/分に設定にしているから、10発の57mm砲弾が命中した。
新型装薬と、若干の長砲身化で初速の上がった57mm砲弾は、瞬く間に要撃級の前腕を粉砕した。 残る砲弾が後部胴体部に吸い込まれ、要撃級は赤黒い体液を噴出して倒れる。

モース硬度でダイヤモンド並みと言っても、ヌープ硬度やビッカース硬度に換算すると、それほどの強靭さはないのだ。 モース硬度は鉱石に適用される指標だ、金属では無い。
モース硬度は『ある物で引っ掻いた時の、傷の付き難さ』の指標だ。 『叩いて(打撃力で)壊れるか』の堅牢さの指標では無い。 ダイヤモンドはハンマーで叩けば砕ける。
寧ろ突撃級の装甲殻や要撃級の前腕は、靭性―――欠陥(或いは欠損、クラック)の進展に対する抵抗性(進みにくさ)―――は、さほど大きくない、と言う研究結果がある。

『大隊長、50下がって下さい! 萱場! 宇嶋! 右翼からの戦車級の群れ、50! 阻止しろ!』

第3中隊の前面で削られたBETA群の一部が、指揮小隊の方向へ突進して来た。 すかさず北里中尉が迎撃指示を出す。

『りょ、了解です!』

『了解! 宇嶋、私の左に! 私はこのままで!―――撃て!』

実は実戦経験の浅い宇嶋少尉(宇嶋正彦少尉、27期A)が、引き攣った声で応答すると同時に、先任の萱場少尉(萱場爽子少尉、26期A)が的確にエレメントに指示を出す。
2機はやや間隔を開けて、お互いの射線が広く交わる様な射角で、突撃砲の36mm砲弾を薙ぎ払う様に射撃して、戦車級の群れを赤黒い霧に変えてゆく。
同時に大隊長のエレメントである北里中尉は、背後から迫った1体の要撃級BETAの側面に高速移動。 120mm砲弾で前腕を粉砕した後、36mm砲弾を浴びせかけて始末した。

―――その間、大隊長の周防少佐は、機体を全く機動させていない。

「・・・これで、後ろに流したBETAの数は、合計150体か。 オーダーは・・・ふん、あと100程も流せば、それで良いか?」

BETA群の正面には、A機動旅団が布陣して阻止している。 今回、A機動旅団には第153(荒蒔中佐)、第154(間宮少佐)、第155(佐野少佐)の3個戦術機甲大隊が配備された。
他の支援部隊も豊富だ、A機動旅団だけで、乙編成師団並みの戦力を有している。 他に右翼の山側には、R機動旅団が山脈越えのBETA群を警戒していた。
こちらには第152(長門少佐)、第156(有馬少佐)の2個戦術機甲大隊が配備されている。 B機動旅団に配備された戦術機部隊は、周防少佐の第151大隊だけだった。

「何もかも、順調。 順調過ぎて、気味が悪い・・・ん?」

不意に旅団通信系からの通話が入った。 珍しい事では無い、第15師団は連隊と言う結束点を持たない。 大隊の上級司令部は、旅団司令部になるからだ。

だが、今回通信回線のスクリーンに顔を見せたのは・・・

『―――おう、周防、喜べ。 貴様の大好きな凶報だ』

B機動旅団長の名倉幸助准将(2001年10月1日昇進)が物騒な事を、迷惑な表現で直接伝えてきた。 とんでもない言われ様の周防少佐が、思わず顔を顰める。
戦闘中であるにもかかわらず、軽い頭痛に似た感覚に襲われた周防少佐は、こめかみの辺りを揉みながら、上官に反論する。

「・・・旅団長閣下、小官は別段、凶報が好きな訳ではありません。 向うがこちらに、なついて来るだけで有って・・・」

『似た様なモンだろう? 貴様に凶報はつきものだ。 さっき、海軍さんの第4艦隊(日本海艦隊)の警戒部隊が知らせてきた。 佐渡島南南東、40km付近に海底震動音を検知。
柏崎の沖合、直ぐの場所だ。 つまり、我々B機動旅団のすぐ左側面の海を、約5000のBETA群が浜に向かっておる。 これに横から突かれると、旅団は目も当てられん』

慌てて上級部隊指揮官用の戦術情報を、大急ぎで検索する周防少佐。 あった、これだ―――確かに最新情報が更新されていた。 
BETA群、約5000。 上陸予想地点は、旧柏崎市北東5km地点。 拙い、旅団はその主力を小千谷西方の柏崎市東部、旧252号線と旧291号線の交差地点に置いている。
旧柏崎市海岸線付近は、1個戦術機甲中隊しか存在しない―――国連太平洋方面軍、横浜基地所属の『A-01部隊』、その部隊しか布陣していない。 そして・・・

『周防、貴様は至急、柏崎に向かえ。 国連軍の連中、まともな実弾装備が無い。 こちらはいい、R(R機動旅団、佐孝俊幸准将)から第156(有馬少佐)を借りる事にした』

R機動旅団の、第156戦術機甲大隊―――確かに、あそこは今、手持ち無沙汰の様だ。 だったら先任の方(第152大隊、長門少佐)を、働かせればいいのに・・・

『後方予備の第39師団から、急遽戦術機部隊が出撃する事になった。 が、それでも20分はかかる! BETA群の上陸まで、推定であと7分だ! 何としても海岸線で阻止しろ!』

「―――支援砲撃は?」

1個戦術機甲大隊だけで、約5000の旅団規模BETA群を相手取る事は、自殺行為だ。 気になる支援部隊を確認する周防少佐。

『師団砲兵を指し向ける事、師団長から承諾を得た! 他に機甲1個中隊と、自走高射1個中隊だ、それで我慢しろ! いいな、後続が来るまで、絶対阻止だ!』

師団砲兵―――第15師団では自走砲3個大隊が有る。 どの部隊になる? 新SP(99式自走155mm榴弾砲)か? それともSP改(75式改自走155mm榴弾砲)か?
そして戦車が1個中隊と、自走高射砲が1個中隊。 自走高射は小型種の掃討に専念させた方が良さそうだ。 戦車は? 1個中隊、遣い所に悩む規模だ。

『砲兵は、153の加藤(第153自走砲大隊、加藤友四朗少佐)のトコのSP改(75式改自走155mm榴弾砲)だ。 
それと15野砲(第15野戦ロケット砲連隊)からMLRSの1個大隊も、サービスで付けてやる、旅団の支援に来ていた連中だ!』

30口径から45口径へと長砲身化改良された75式改自走155mm榴弾砲が12門と、第8野戦重砲旅団の第15野戦ロケット砲連隊から、第153ロケット砲大隊のMLRSが12組。
プラス、戦車と自走高射が1個中隊。 支援としては、まずまず。 しかしもう一手、ダメ押しが欲しい。 相手は5000からのBETA群―――旅団規模のBETA群なのだから。

視線で周防少佐がそう訴えると、スクリーンの向うの名倉准将が、人の悪そうな笑みを浮かべて言った。

『―――第2艦隊の南方部隊な、戦線が乱戦状態になったんで、一旦開店休業中だ。 その内の5戦隊と5航戦、その半分の協力を貰った。 
戦艦『出雲』と、5航戦の母艦『飛鷹』の母艦戦術機部隊だ。 他にも打撃軽巡とイージス駆逐艦がそれぞれ1隻ずつと、汎用駆逐艦が4隻だ』

南方部隊、戦艦1隻に戦術機母艦1隻。 他に打撃(ミサイル)軽巡とイージス駆逐艦が各1隻ずつ。 汎用駆逐艦4隻も艦対地ミサイルを搭載している。
戦術機はどうだ? 『飛鷹』級は1個大隊規模―――海軍で言う、1個戦術飛行団を搭載できる、定数40機。 我々と併せて2個大隊規模。
悪くない数字だ。 陸軍の支援砲撃を加えれば、460mm砲9門と155mm砲12門。 それに駆逐艦の127mm砲が10門。 MLRSにVLSの対地誘導弾も期待できる。

『ただし、南方部隊は分離と隊列再編成、攻撃地点への到達で約15分かかる。 BETAが上陸してからの空白時間の8分間、貴様の大隊で押さえろ。 出来るな?』

得意そうな上官の表情に、周防少佐が苦笑した。 どうにもこの人は、こう言うガキ大将っぽい所が有る人で、憎めない。

「・・・これで勝てなきゃ、丸損ですね」

『おお、その通り! だから、早くケツを上げろ!』

「イエス・サー!」










2001年11月11日 0745 新潟県 黒姫山北麓上空200m 第39師団第391戦術機甲連隊 第3大隊


『・・・何だって、俺達が『火消し役』の火消しなんか・・・』

『うっさい、直秋! 四の五の言うな!』

『周防、しつこい・・・』

『周防さん、しつこい男は嫌われますよ? 恋人に・・・』

『ですけどね、大隊長。 だったら北陸軍管区の部隊でも良いんじゃ・・・しつこくて、悪かったですね、天羽さん! 余計なお世話だ、宇佐美!』

どうもこの大隊は、男女比率が不利で仕方が無い。 うっすら新雪を被った黒姫山をチラッと見ながら、第39師団第391戦術機甲連隊の周防直秋大尉は、内心で嘆いていた。
何せ、大隊長の伊達少佐、第1中隊長の天羽大尉、第3中隊長の宇佐美大尉と、大隊の上級指揮官4名中3名が女性将校ときた。 野郎は周防大尉、独りきりだ。

『う~る~さ~い~! 土砂崩れで18号線と117号線、両方埋まっちゃったんだから、北陸軍管区は動けないの! 文句言わず、給料分働けーッ!』

今日の明け方に、北陸・信越軍管区主力が布陣する直ぐ北の攻撃路でも有る、国道18号線と117号線が、土砂崩れで埋まってしまったのだ。
一昨日からの雨と、BETA侵攻後の浸食による植生の消失、それに伴う土壌の流出。 山岳部の保水力は低下の一途を辿っている。 少しの雨で小さな土砂崩れはよく起こった。

轟音を響かせながらフライパスして行く戦術機甲大隊。 92式弐型『疾風弐型』の1個大隊、40機が北西の海岸部目指して高速NOEで飛ばしている。
つい先ほど、連隊本部の頭越しに師団司令部からダイレクト・オーダーが飛び込んできた。 柏崎市の海岸線に、新たなBETA群が約5000体上陸。
迎撃部隊は第15師団の1個戦術機甲大隊―――第151戦術機甲大隊と、2個砲兵大隊、それに戦車と自走高射砲が各1個中隊のみ。 
支援の海軍第2艦隊別動部隊は、砲撃海域までもう暫くかかる。 そして柏崎に居る国連軍の1個戦術機甲中隊は、員数外と見なせ、だった。
第39師団でスクランブル体勢にあった第3戦術機甲大隊が急遽、現場に向かっているのはそう言う理由だった。 残る2個大隊も、至急出撃準備を整えているが・・・間に合うか?

『このまま北上、柿崎川ダム跡をフライパスして、城山、米山の西方を迂回するよ! 山岳部を遮蔽物にして、柏崎の南西部に出る!』

『『『―――了解!』』』

今度ばかりは3人の中隊長達も与太を飛ばさず、真剣な、それでいてどこか余裕のある声で応答した。 伊達少佐はその声に満足そうに頷いて、機体を傾けながら北へ進路を取った。









2001年11月11日 0748 新潟県 旧柏崎市


「長瀬! もう一度、勧告しろ! 国連軍、A-01に後ろへ下がれと!」

『―――了解しました! UN-A-01! 後方へ退避されたし! こちら帝国陸軍第15師団、第151戦術機甲大隊本部! 繰り返す、UN-A-01・・・』

3度目の勧告に、周防少佐も少し苛立ちを隠せないでいた。 BETA上陸から約6分、大隊は少しずつ内陸に押され始めている。

『くッ! クリスタル・リーダーよりゲイヴォルグ・ワン! 2機中破、下げます!』

クリスタル―――遠野大尉の第3中隊から、2機が脱落した。 先程ハリーホーク、八神大尉の第2中隊で1機が中破されて、後方へ下げたばかりだ、これで3機。
目前に突撃級BETAが3体、突進してくる。 指揮小隊の萱場・宇嶋両少尉機が右側面へサーフェイシングで回り込み、120mm砲弾を数発浴びせて1体を仕留める。
同時に小隊長の北里中尉機が、左翼の突撃級の寸前でショート・ブーストジャンプ。 空中で右脚部スラスターをカットし、機体を捻りながら突撃級の後背に36mmを浴びせた。

「ゲイヴォルグ・ワン、了解した! クリスタルは500下がれ! 北陸自動車道跡の山間部を遮蔽にして、側面から削れるだけ削れ! 最上!」

周防少佐は中央の突撃級BETAに無造作に突進し、衝突寸前のタイミングでスラスターを片肺に。 もう片方を全開にする。
機体がスライドする様にハーフ・スピンターンを決め、すれ違いざまに57mm砲弾を10発以上側面に叩き込んで、突撃級BETAを始末した。

『ドラゴン全機、旧工科大と旧産業大跡地に展開完了! クリスタルと挟撃可能!』

「よし・・・八神! ハリーホーク、付き合え。 後退誘導戦闘だ!」

『うわっ! 貧乏くじ・・・サー・イエス・サー! ハリーホーク全機! 鬼ごっこの時間だ! 続け!』

第2中隊・ハリーホークの11機と、周防少佐を含む指揮小隊4機の、計15機の94式『不知火』が約5000弱のBETA群の前面に展開して、攻撃を加えつつ徐々に後退する。
周防少佐の目論見が当たれば、柏崎市域が山間部に挟まれて最も狭くなる場所で、3方向からの同時攻撃により、短時間で有るが足止め出来る筈だった。

『―――こちら帝国軍! 第15師団第151戦術機甲大隊本部! 国連軍、A-01部隊! 後退されたし! 状況C2(守勢防御レベルⅡ)! 小村峠まで後退されたし!』

先程から大隊CP・長瀬大尉がひっきりなしに、国連軍へ勧告していた。 が、当の国連軍部隊は動く気配が無い。 その姿をチラッと見ながら、周防少佐は歯痒さに少し苛立つ。
事前の取り決めでは、状況がC(守勢防御)になった場合には、国連軍部隊は一旦、小村峠まで下がる事になっていた。 そこからならば、峠を越して旧上越市まで直ぐだ。
状況がさらに酷くなれば、洋上をNOEで脱して沖合の艦隊に収容する事が可能な、待機ポイントだった。 それに今回、国連軍戦術機甲中隊は、まともな実弾装備が少ない!

国連軍部隊の今回のミッションは、『BETA個体の捕獲』だった。 その為に使用される砲弾は、貫通力や爆発力が有る実弾では無い。
『d-ツボクラリン』や『パンクロニウム』と言った非脱分極性筋弛緩薬や、『バクロフェン』の様な中枢性筋弛緩薬を更に強力に改良した、特殊薬物弾頭が装填されている。
命中すれば、確かにBETAの動きを停止させ、捕獲する事は可能だ。 だが即効性に乏しく、乱戦に巻き込まれれば最後、確実に後手を踏む事になってしまう。

それにしても、指揮命令系統が違うとは、本当にやり難い。 相手は格下の中隊編成とは言え、周防少佐の大隊指揮下に無い。 国連軍の独立行動部隊だ。
今している様に、精々勧告するか、どうしてもという場合は上級司令部経由で、相手の司令部へ『打診』するしか方法が無いのだ!

「国連軍! A-01部隊! 貴隊は下がれ! ここはまず、戦域の制圧が最優先なのだ!」

とうとう周防少佐の堪忍袋の緒が切れた。 群がってくる戦車級の群れに、57mm砲弾を横に薙ぎ払う様に叩き込み、赤黒い霧に霧散させながら怒鳴る。

『―――ヴァルキリー・リーダーよりゲイヴォルグ・ワンへ。 貴信、了解できず。 我が隊は任務を続行します』

素っ気ないその口調と言葉に、思わず周防少佐の血圧が上がる。 吐き出しそうになった罵声を飲み込んで、国連軍中隊指揮官に言い返した。

「その任務の前提が、既に崩壊していると言っているのだ! 既に3機を失った1個中隊で、一体何が出来るか!?」

今回の前提は何よりも、帝国軍による戦域のコントロールがあった。 今までは良かった、順調過ぎるほど順調だった。 だがここでイレギュラーが発生した。

「この戦域は未だ、我が軍の統制が確立されていない! 現時点での当戦域の最先任指揮官として、貴隊の行動は承認できない! 下がれ!」

左右で指揮小隊の萱場、宇嶋両少尉の機体が、突撃砲から36mm砲弾を迫りくる戦車級の群れに放っていた。 小隊長の北里中尉は、大隊長機の前方で1体の突撃級を始末する。
第2中隊の制圧支援機が、最後の誘導弾を数発発射する―――後方から数本のレーザー照射によって迎撃される。 とうとう、光線属種の上陸を許したのだ。

『ドラゴン・リーダーよりゲイヴォルグ・ワン! そろそろ拙いです! 早く下がって下さい!』

『クリスタル・リーダーです! 信越本線跡地に光線級を確認! 20体! ッ! レーザー照射、来ます!』

「ッ! 全機、乱数回避! 全速で左右に散れ!」

その言葉が終わると同時に、海岸線付近から数条の光線の帯が迫って来た。 機体が乱数プログラムに従い、ランダムな急機動を行って回避を始める。

『ハリーホーク07、レーザー擦過! 中破!』

『アイリス02、左腕全損しました! 済みません、小隊長・・・!』

『07の救出、急げ! 抱えて機体ごと持って行け!』

『萱場! 下がって! 宇嶋、大隊長の左翼を!』

更に2機が中破した。 後方への搬送に更に1機を費やし、これで6機が戦列を離れた。 大隊残存機数、34機。 やれるか?―――まだやれる。

「・・・最後だ、国連軍。 下がれ」

腹の底から響く様な、怒気を押し殺した静かな口調で、周防少佐が勧告する。 が、それでも当の国連軍指揮官の返答は変わらなかった。

『・・・貴信、了解できず。 少佐、当隊へのお気遣いは、無用で・・・』

「誰が、貴様など気遣うか!」

とうとう、周防少佐が爆発した。 大隊通信系にも流れたその怒声に、部下の中隊長達が揃って、思わず首を竦める。

「誰が、貴様の事など、気遣うものか! 勘違いするな、伊隅大尉! 俺が気遣うのは、俺の部下達の事だ! 貴様たちの事など、どうなろうと知った事では無い!」

普段でも時折、部下に雷を落とす周防少佐だったが、今回の怒声は種類が違う。 純粋な怒気だ。 部下達に対しては、これほど純粋な怒気を放ったりしない。

「貴様たちを抱えて、荷物を抱えて、5000からのBETA群相手に、遅滞戦闘など出来るものか! それで俺の部下が命を落とす事に、俺は承服しない!
いいか!? よく聞け、伊隅! 俺が気遣うのは、俺に部下達に対してだ! 要はこちらの都合だ! そちらの都合など、知った事では無い!
これ以上、不本意な状況の戦闘指揮で、部下を失う事態になる事は容認出来ない! 場合によっては貴隊を放置する! 誰の命令か知らんが、現場に後方の理屈を持ちこむな!」

それだけ言い放つと、周防少佐は大隊残存全機を左右の山岳部へと展開させた。 BETA群はもう真近に迫っていた。
地響きを上げて突進してくる突撃級BETAの群。 その背後に要撃級、更には戦車級BETAの大群も居る。 これを相手取るのは、かなり厳しい・・・

『―――何よ? かなり泣きが入っているじゃん? 直衛?』

「・・・なにッ?」

不意に通信回線の飛び込んできたその声と同時に、数十発の誘導弾がBETA群後方に叩き込まれる。 光線級の何割かは、その爆発で吹き飛ばされていた。
誘導弾も何割かはレーザー照射で迎撃されたが、思いもよらぬ南西方向からの攻撃に、完全に不意を突かれた形になっている。

『何とか間に合ったようだね! キュベレイ・ワンより全機! 横っ面を叩いてやりなさい! 『セレネ(第1中隊)』、『アウロラ(第3中隊)』は151を支援!
『フルンティング(第2中隊)』は次の面制圧砲撃後、光線級吶喊! そのまま北へ抜けて迂回! 戦線右翼に回れ!―――攻撃、開始!』

南西方向の山岳部、そのすっかり禿山になった尾根向うから、数十機の戦術機が飛び出してきた。 92式弐型、『疾風弐型』の部隊だ、大隊規模。

「―――39師団。 391連隊、第3大隊・・・愛姫か!?」

『ご名答! 騎兵隊の到着さ! ほらほら、泣き入れて、下の者に当ってないで! さっさとケツ上げなってば!』

言うだけ言うと、伊達少佐の92式弐型『疾風弐型』は、支援砲撃上がりに似合わぬ戦闘機動で突撃級BETA群の合間を縫うように高速移動しつつ、左右に砲弾を叩き込む。
第3大隊の指揮小隊3機が、大隊長機に続行しつつ、その穴を拡大して行く。 同時に1個中隊が側面を同時攻撃。 残る1個中隊は指揮小隊の後に割って入る。
その余りに見事な中央突破・分断攻撃に、一瞬だけ思わず身惚れる。 それは本来、突撃前衛上がりの周防少佐が得意とする、戦場での部隊戦闘機動だ―――そして我に返った。

「ちッ! 勝手な事を・・・! ゲイヴォルグ・ワンより、ドラゴン! 正面のBETA群に割り込め! 『キュベレイ』が側面と後方を突く!
八神! ハリーホークは次の面制圧砲撃後、突撃級に当れ! 群れの中に突っ込むなよ!? 遠野は『キュベレイ』と連携! 左翼を突破されるな! 最上!」

『ドラゴン・リーダーです。 『フルンティング』吶喊と同時に、支援攻撃を開始します』

柏崎市西部の山岳地帯を天然の遮蔽物として、4個中隊で防御線を張る。 同時に面制圧砲撃後に2個中隊で光線級吶喊と、その支援攻撃を開始する。
指揮官同士が長年の戦友同士とあって、長々した言葉はいらなかった。 部下達も多くは共に戦った経験のある戦友たち同士。 2種類の戦術機の群れが、連携した動きで展開する。

『・・・ヴァルキリー・リーダーよりヴァルキリーズ、小村峠まで一時後退する! 続け!』

NOEで飛び去るUNブルーの『不知火』 その姿を見ながら、周防少佐も内心で気まずい思いに囚われていた。 
結局は、現場を知らない後方の誰かによって、あの中隊も損害を受けた。 軍人は命令に従う事を、第2の本能として叩き込まれている。 
彼女―――かつて戦術機の操縦を教えた、あの国連軍女性大尉もまた、同じなのだ。 ましてや今回は、帝国軍のサポート無しでは為し得ない任務内容だっただろう。 

(・・・もう少し、あいつに対して、その立場と言うか、言い方を考えてやっても良かったのだ・・・)

―――そう思う。

「・・・まだまだ、若造だな、確かに・・・」

未だにかつての上官である藤田大佐(藤田直美大佐、旧姓・広江)辺りから、良くからかわれる所以は、恐らくその辺なのだろう。

『―――あん? 何か言った? 直衛』

「いいや―――砲撃が終わる! 愛姫、段取り通りだ、いくぞ!」

『了解!』

5000弱のBETA群に対して、実質的に戦術機2個大隊。 支援砲撃と少数の戦車・自走高射砲が居るとは言え、厳しい状況に変わりない。

「くッ・・・! 早く来い、海軍!」

頼みの綱は海軍―――第2艦隊南方部隊の分遣隊しか、存在しなかった。





[20952] 暗き波濤 8話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:d4ee6062
Date: 2012/12/30 21:44
2001年11月11日 0755 新潟県 旧柏崎市


唸りを上げて重砲から発射された砲弾が飛翔して行く、途中で迎え撃つのは海岸線付近から照射された光線属種の大小のレーザー照射。

『・・・1本、2本、3本・・・』

その声を聞きながら、周防少佐は長年の戦友の行為が無駄な事を、そして必要な事を意識していた。 レーザー照射の本数などは後方の本部で、集めた情報を基に割り出す。
実戦の場で数えても、数えきれないのが普通だった。 そしてどんなベテランでも、人間である限り自分の平静な意識を保つ為の方法が各々有る。

(・・・愛姫の奴、変わらないな・・・)

昔からそうだ。 後方支援―――砲撃支援を担当していた少尉当時から、彼女はレーザー照射の本数を口に出して数える妙な癖が有った。
多分それで、自分のバイタルをコントロールして来たのだろう。 周防少佐があれこれと、戦術や戦略的な事を内心で考えながら、その時が過ぎるのを待つ事と、根っこは同じだ。

『―――ゲイヴォルグ・マムよりゲイヴォルグ・ワンへ。 柏崎市海岸線の光線属種は、重光線級約10体から11体。 光線級が80体前後と推定されます。 現時点で移動の兆候は無し』

大隊CP、長瀬大尉が大隊本部から報告して来る。 光線属種が90体程、その内、重光線級が約10体・・・厄介だ、非常に厄介な状況だと言えた。

「・・・ゲイヴォルグ・ワンよりキュベレイ・ワン。 光線級吶喊は、もう少し内陸におびき寄せてから行いたいと考える・・・どうか?」

『―――キュベレイ・ワンよりゲイヴォルグ・ワン。 ひと塊りになり続ける保証は無いよ? 北か南か・・・分派行動された砲が厄介よ。
どこかを叩く為に、別のどこかから狙い撃ちにされる危険性が高まるよ? ひと思いに、固まっている今、叩いた方がベターだと思う・・・』

大隊指揮官同士で、意見が対立してしまった。 質的にも主力は周防少佐の大隊だが、伊達少佐の大隊も、そう劣るものではない。
どうするか? このまま予定の通り、今の面制圧砲撃が終わり次第、光線級吶喊を仕掛けるか? その場合、最悪は5、6機の損失は見込まねばならないだろう。

「・・・ゲイヴォルグ・ワンよりキュベレイ・ワン。 場所が悪い、2個中隊では足りないだろう。 かと言って、これ以上防御線から戦力を抜く事は出来ないぞ?」

現在、柏崎市南方の山岳地帯が始まる、狭まった地形の左右には、合計4個中隊の戦術機甲部隊が、その身を伏せていた。
面制圧攻撃が終了すると同時に、光線級吶喊を仕掛ける援護として身を晒し、同時に突撃級や要撃級と言った大型種BETAをまず殲滅する必要が有ったのだ。
狭隘な地形で大型種を相手取る場合、友軍機同士の機動がどうしても制限される。 それに戦闘機動ひとつとっても、平坦な地形に比べると難しい面が有るからだ。

『―――キュベレイ・ワンよりゲイヴォルグ・ワン。 じゃ、どうするのよ!? あと数分で、面制圧砲撃が終わるよ!? そうしたら、嫌でも私らは決断しなきゃならない!』

伊達少佐も少し苛立ちが見える、彼女としてもこの状況での光線級吶喊は、山岳地から10km程も離れた場所に陣取る光線属種への突撃は、確実に何機か失う、そう判断した。

『―――CP、ゲイヴォルグ・マムよりゲイヴォルグ・ワン! 0758、面制圧終了予定! 残り1分です!』

「ッ!・・・了解したっ!」

残り、1分! 決断まで残された時間は、残り1分! いや、攻撃開始前の段取りを含めれば、残り30秒から40秒・・・!

「くそっ・・・キュベレイ・ワン、光線級吶喊、至当と判断する・・・! ゲイヴォルグ・ワンよりハリーホーク! 面制圧砲撃終了後・・・」

『キュベレイ・ワンよりフルンティング! あと40秒で光線級吶喊、開始・・・』

2人の大隊指揮官がそれぞれの部下に、そう命令を伝えようとしていたその矢先だった。 不意に通信隊に割り込んできた通信電波が有った。

『―――ら、ネプチューン。 繰り返す、柏崎の陸軍戦術機部隊、応答せよ! こちら第2艦隊南方部隊分遣隊、ネプチューン! 柏崎の陸軍戦術機部隊、応答せよ!』

ネプチューン―――第2艦隊南方部隊分遣隊、その旗艦のコールサインだった。 恐らく通信科辺りだろう、呼び出しているのは。 周防少佐がスクリーン越しに伊達少佐に頷く。

「・・・ネプチューン、こちら陸軍第15師団、第151戦術機甲大隊、ゲイヴォルグ。 周防陸軍少佐」

『―――ああ、やっと捕まった。 済まんな、陸海軍の通信周波数帯データが、サーバーの不具合で混乱していた。 修理して、やっと繋がった・・・光線級吶喊は、待ってくれ』

どう言う事だ?―――周防少佐と伊達少佐が、スクリーン越しに顔を見合わせ、疑問に思う。 光線級吶喊は、今のこの戦場では陸軍の任務だ。 それを何故海軍が・・・?

『―――やるな、とは言っていない。 そちらの師団司令部や旅団司令部にも確認して、了承も取った。 だから通告する。
1分後に艦砲射撃を開始する! 戦艦の全力砲撃だ! 巻き込まれたら、戦術気なんて柔な代物じゃ、ひとたまりも無いぞ!』










2001年11月11日 0759 日本海 柏崎市沖合 約15海里(約28km) 第2艦隊分遣部隊 戦艦『出雲』


曇天の初冬の荒れた日本海を、巨艦が波を割りながら、ゆっくりと進んでいる。 建造以来、数々の改修を受けてきた彼女は、誕生当時の面影はかなり薄れている。

「―――風向・風速、温度・湿度データ、入力完了」

「―――海水温度、12度。 潮流、南西より北東へ、約1.6ノット」

その艦上は全くの無人だった、ひとつの大きな鋼鉄が意志を持って進んでいる様な。 しかしその内部では、今なお1500名近い将兵が息を殺してその瞬間を待っている。

「―――スタピライザー、自動調節オールグリーン」

「―――目標地点のBETA群、約4690体を確認。 陸軍機による光線級吶喊、一時停止されました」

更に速度を落とす。 既に強速(15ノット)から、原速(12ノット)まで行き脚を落としていた。

「―――全射撃所元、入力完了!」

その声にCICの長である戦務長が頷く。 同時に戦闘艦橋に座乗する艦長へ報告が為され、即座に命令が達せられた。

『―――砲撃、開始』

その命令を受け、砲術長が命令する。

「主砲、全門斉射開始! VLS、誘導弾発射!」

「―――WCS(武器管制システム)、目標確定。 照準良し。 砲撃、開始!」

砲術士の綾森中尉が、システムのオールグリーンを再確認し、いくつかの指令ボタンを押した。 これで各砲塔に装填された460mm砲弾が撃ち出され・・・

「ッ! 主砲、射撃開始した! 続いてVLS、誘導弾発射!」

改修に次ぐ改修で、満載排水量で実に8万トンを超過するに至った『出雲』の巨体が、僅かに震える程の主砲発射の衝撃。 
砲口初速で実に1000m/sを越す460mmの大口径高初速砲弾は、3秒弱で柏崎市の海岸線上空に到達する。 

『・・・だんちゃーく、今!』

昔ながらの抑揚で、弾着観測員の報告が入る。 CICに居る限り、それはただの報告でしか無い。 しかし地上は地獄の光景が展開されている筈だった。
『出雲』が叩き込んだ9発の460mm砲弾は、通常砲弾では無い。 『クラスター砲弾』と諸外国から呼ばれる、『九四式通常弾』だった。
全長は185cm、砲弾重量1450kg。 1100個の爆発性・焼夷性・対装甲用成型炸薬子弾を内蔵する。 高度500m前後で爆散し、地表の広範囲に子弾を降り注ぐ。
子弾放出の0.5秒後には弾殻も炸裂し、更なる破片効果を発揮する。 弾本体はその後、地表に激突する質量弾となる。 海軍が対地支援用に改良し、1994年に制式採用した砲弾だ。

「―――次弾装填完了。 主砲、発射準備よし!」

「―――第2斉射、撃てぇ!」

半世紀前の戦艦の主砲発射速度は、精々40秒から50秒に1発だった。 初弾発射2分後に目標との距離が確定され、3分後には発射諸元を調整した第3斉射弾が弾着する。
が、21世紀の戦艦は全てが自動化された結果、最短で毎分3発の発射速度を得るに至った。 20秒毎に9発の大口径砲弾が発射せれる。 発射諸元調整の為、滅多にないが。

『―――第2斉射、だんちゃーく、今!』

だが、予めデータ諸元を入力しておけばいい対地砲撃となれば話は違って来る。 何しろ相手は動かないのだ。 BETA相手でも余り変わらない。
要は面制圧砲撃戦による艦砲射撃の本質は、『大口径砲弾を、如何に短時間で、大量に投射できるか』になる。 『出雲』の主砲は普段では考えられない、全力砲撃を行っていた。

「・・・予定よりも少し遅れたからな。 陸軍さんにはサービスしてやらんとな」

砲術長の呟きに、部下である砲術士の綾森中尉が、クスリと笑って言い返す。

「第151戦術機甲大隊、義兄の指揮する大隊です。 後で角瓶の1本も持っていけば、機嫌を直してくれますよ」

「砲術士、君の身内か? じゃあ、海軍御用達の1本でも、届けておいてくれ。 本艦からだと言ってな」

「了解です」

戦闘が終わったら、酒保(艦内物品販売所)で1本買い込もう。 当然、砲術長のツケにして。 横須賀に寄港するかな? 母港が大湊に移って以来、義兄に会っていない。

海軍で水上砲戦任務の戦闘艦艇での対BETA戦は、海岸線に肉薄しての近距離砲撃以外は、この様な実情だった。





轟音と共に、数十機の戦術機がフライパスする。 その前方で炸裂する、無数の空対地誘導弾。 戦車級、歩兵級、闘士級と言った小型種BETAが赤黒く霧散していた。
その先では要撃級BETAの体表が弾け、内部から一気に体液を撒き散らす。 突撃級の強固な装甲殻が、連続した直撃に耐えきれず射貫されて停止する。
3個中隊で600発以上の95式Ⅲ型多目的誘導弾が、地表のBETA群を襲った。 それまでの野戦重砲やMLRSの誘導弾に加え、艦隊からの面制圧砲撃も再開して行われた。

5000弱のBETA群の中には、約80体程度の光線級と、10体程の重光線級の存在が確認された。 だが最初の艦砲射撃で約30体の光線級と、4体の重光線級の殲滅に成功した。
その直後に行われた、陸軍戦術機甲部隊と海軍母艦戦術機甲部隊の共同作戦による光線級吶喊で、更に重光線級を5体、光線級を40体、殲滅に成功したのだ。
損害は5個中隊で中破8機、小破6機。 いずれも自力帰還が可能だった事は僥倖と言えた。 その直後から再開された艦砲射撃と対地誘導弾攻撃、それに野戦重砲の全力砲撃。

レーザー照射による迎撃で融解・爆発する砲弾や誘導弾もかなりあったが、戦艦の大口径砲以外の砲や誘導弾発射機の発射速度は、光線級のインターバル時間より遙かに早い。
12秒のインターバルを終える間もなく叩き込まれる、大量の中口径砲弾(陸軍の基準では、充分大口径だが)と誘導弾に、徐々にその数を減じていった。

『・・・なんかね、もう出番なし、ッて感じだよね?』

「・・・ああ。 海軍も、重砲の連中も、これ幸いと撃ち込んでいるなぁ・・・」

柏崎市西部の山岳地帯に『避難』して、戦況を確認していた周防少佐と伊達少佐が、少し呆れた様な声で言い合っている。

『―――海軍第305戦術飛行団、鈴木海軍少佐だ。 陸軍指揮官、応答されたし』

海軍戦術機甲部隊からの呼び出しだ。 周防少佐と伊達少佐が、お互いにスクリーン越しに一瞬顔を見合す。

『・・・直衛、アンタでしょ?』

「・・・あれ? 俺の方が士官序列、上だっけ?」

『アンタね・・・少佐進級は、アンタの方が早いでしょ!』

「ああ、そうだった・・・」

『くぬぉ~! なぁ~に、ボケてんのよ!』

「スマン、スマン・・・海軍指揮官、鈴木少佐。 こちら陸軍第151戦術機甲大隊、周防陸軍少佐。 どうされた?」

本当の事を言うと、少しだけ気が抜けかけていたのは確かだ。 最も部下には周辺警戒を厳に命じていたし、猛砲撃の下を掻い潜って侵入する少数のBETAとの戦闘は続いている。

『―――周防? 聞いた名だな・・・ああ、鴛淵(鴛淵貴那海軍少佐)から聞いているよ。 マレー半島では、アイツが世話になったそうだね』

「・・・逆だな、こちらが世話になりっぱなしだった。 長嶺少将(戦死後2階級特進)にも、最後までな・・・」

『―――言いなさんな、戦場の常だ。 それより、あと10分で2次攻撃隊を出す、陸戦だ。 と言っても、艦載仕様機だけどな。 どこに布陣させる?』

海軍の第3世代戦術機、96式『流星』の艦載制圧戦闘仕様。 機動性と携帯弾数で、陸軍の94式『不知火』に劣る事になる。

「・・・こちらの西側に。 山間部に布陣してくれないだろうか?」

『―――了解した。 ああ、ついでだから95式(95式Ⅲ型多目的誘導弾)を背負わせるよ。 そちらの制圧支援機、誘導弾はもう無いだろう?』

そう言えば、そうだ。 周防少佐の第151大隊も、伊達少佐の第3大隊も、制圧支援機は既に誘導弾の全てを撃ち尽くしていた。

「助かる、後方で制圧支援と砲撃支援をお願いする」

『―――判った。 では後ほど』

海軍機は、特に母艦戦術機は突撃砲では無く、98式支援速射砲―――M88-57mm支援速射砲を、1998年にライセンス生産して名称を改めた―――を装備している。
陸軍や海軍の陸戦部隊が使う87式支援突撃砲の36mmなどより余程、長射程で大口径・大威力の代物だ。 欧州のラインメイタルMk-57中隊支援砲のコンセプトに似ている。
最大で毎分120発の発射速度の57mm砲弾を吐き出す、モンスター携帯砲。 同じ57mmでも、01式近接制圧砲とはコンセプトが違う―――それを全機が携行しているのだ。

これは主に兵站面での運用が影響している。 地上部隊で98式支援速射砲を大量に使用するとすれば、弾薬消費に対する兵站への負担が大き過ぎた。
欧州のオールTSFドクトリンの行き詰まりが、それを証明している。 砲弾は裸で運べないし、陸路を運ぶのに最も経済性の良い方法は、鉄道網だ。 欧州大陸にはそれが無い。
逆に艦隊ならば、随伴の補給艦(給兵艦や総合補給艦)なら、地上軍とは比較出来ない程の大量の弾薬を、洋上機動しながら運用・補給が出来た。
それに母艦艦載戦術機部隊の主任務は、大量の火力をごく短時間に、一斉に投射しての面制圧任務だ。 それには普通の突撃砲よりも、支援速射砲の方がより大威力で都合が良い。

「・・・何にしても、ここでの騒ぎは、これで終わりだな」

『そうだね・・・今回はどうやら、地中侵攻なんて悪さもしない様だしね。 佐渡島からのレーザー照射認識圏外だし、光線属種もどうやら殲滅した様だし・・・』

海軍さんが来ても、出番は無さそうだね―――伊達少佐が少し可笑しそうに、疲れた表情で笑いながら呟いていた。





11月11日 0825時 日本帝国軍は、新潟に上陸した師団規模のBETA群の殲滅を確認した。 戦闘開始より2時間後の事であった。





2001年11月11日 1850 日本帝国 帝都・東京 首相官邸


「首相閣下、本日は会見の場を設けて頂き、誠に有り難く存じますわ」

タイ人にしては肌の色がさほど浅黒くない。 先祖(曾祖父)が福建省出身の客家である、華人系タイ人だからだろう。 どうかすれば、確かに東アジア系に見えなくも無い。

「いえ、こちらも貴連合との対話は、常に有用で喜ばしい事と考えております、次席高等弁務官閣下」

控えめな笑みを浮かべて、榊是親首相が差し出された相手の手を握る。 女性らしい温かい手だった。 駐日大東亜連合高等弁務団・次席高等弁務官のインラック・アモンチャット女史。
国土をBETAに侵され、マレー半島中南部領まで後退しているタイ王国の出身。 実兄がタイ王国の首相であり、大東亜連合内での実力者でもある女性外交官。

「先般、高等弁務官団にタイ王国のプロムノック大使、インドネシアのアシュアリ大使、マレーシアのアビディン大使が、お見えになりましたの」

そして駐日シンガポール大使館では、統一中華戦線代表部の馮世楷代表と、劉永華駐在武官(台湾陸軍中将)が、李維健シンガポール大使と密談か。
亡命韓国政府の権慶賢大使も、駐日豪州大使館でアイリーン・ギラード大使、ジム・ボルジャー駐日ニュージーランド大使と密会していた筈だ。

「ほう、奇遇ですな。 私も先般、マサルディ首席高等弁務官閣下と、お会いしましてな」

榊首相の軽いジャブに、アモンチャット次席高等弁務官の表情が、一瞬硬くなる。 マサルディ首席高等弁務官は大東亜連合が日本に派遣する、言わば特命全権大使だ。
大東亜連合が『国家』で無い以上、『大使』の派遣はならず、『高等弁務官』と『高等弁務官団』を外交使節団として派遣している。
その中でも首席高等弁務官は、大東亜連合の日本帝国に対する特命全権大使だ。 そしてその任命は、連合内の政治的パワーバランスが常に反映される。
首席高等弁務官のユディスティラ・マサルディ氏はインドネシア出身。 敬虔で穏健なムスリム(イスラム教徒)であると同時に、親日家としても名高い人物だった。
インラック・アモンチャット次席高等弁務官としては、上席であると同時に、政敵でも有る。 が、一瞬後には『微笑みの国』の異名通りの『外交武器』の笑みを浮かべている。

「ええ、東アジア、東南アジア、オセアニア・・・この地域の一体化の流れは、今後益々、重要となって来ましょう。 喜ばしい事ですわ、首相閣下」

ふむ。 ジャブはここらでお終いとするか。 彼女とて、連合内の政争をこの日本にまで持ち込む事の愚は、十分に判っている筈―――榊首相は内心でそう判断する。
要は帝国からの支援、その分配率の相談なのだろう。 国土の6割以上をBETA支配圏にされたタイ王国としては、『無傷』のマレーシアやインドネシアの後塵を拝したく無い。

暫くは外交儀礼に則った、過去の両国(或いは日本と東南アジア諸国)の関係を、皮肉と諧謔に塗しての嫌味の応酬が続いた。
が、それも次回正式交渉に一応の要望を盛り込む、と言う言質を榊首相が与えた事で、アモンチャット次席高等弁務官は取りあえずの矛先を収めた。

「そう言えば・・・今朝がたは、少し騒がしかった様ですわね?」

「その様ですな。 しかしご心配無く、皆様の安眠を阻害する要素は、間もなく排除されるでしょう」

暗に、甲21号―――H21・佐渡島ハイヴの活発化と、今朝がたの新潟上陸を懸念するアモンチャット次席高等弁務官に対し、榊首相はその根本を排除すると言う。

(・・・オペレーション・サドガシマ。 どうやら日本は本気の様ね。 もっともここで叩かなければ、直にフェイズ5に成長してしまう・・・)

そうなれば、この国はお終いだ。 COSEAN(Consolidation of South-East Asian Nation:大東亜連合)としても、北方の要が抜ける事は軍事的な非常事態になる。
それだけではない、リムパックEPA(環太平洋自由貿易経済連携協定)を通じ、COSEANは合衆国への依存度を可能な限り引き下げ、日豪両国との関係を強化しつつある。
ここで一方の経済力の柱である日本が消滅する事は、東アジア・東南アジア・オセアニア地域の経済・軍事を、根本から揺るがす非常事態となろう。

それに昨年から始まった、太平洋安全保障条約の部局長級予備交渉にも、多大な影響が出よう。 1985年に消滅したANZUS(第1次太平洋安全保障条約)では無い。
米国と豪州、そしてニュージーランドの間で交された、あんな画餅ではない。 COSEAN、豪州とニュージーランド、オセアニア諸国にCUF(China United Front:統一中華戦線)
そして東アジアの雄となりおおせた、この日本帝国。 このアジア太平洋地域で、第2のEUにも似た組織を形成し、軍事・経済両面で自立する。 『アジア太平洋協同圏構想』だ。
頭文字を取って『ANZEJEAC(アンゼジェアック)』と呼称される予定の、地域連合体。 BETA大戦を戦い抜き、その『戦後世界』に対抗するには、最早1国だけでは不可能。

「・・・ご要望の有った兵力派遣、中央理事会で可決される見込みですわ。 明後日にでも」

極秘中の極秘オフレコを、こっそりと流すアモンチャット次席高等弁務官。 黙ってそれに頷く榊首相。 日本帝国軍部中央の『暴走』に対する歯止めでも有る。
榊首相が打った手は、それだけに止まらない。 一旦は破棄された(それも一方的に)日米安保条約。 その復活をも視野に入れている。

2000年12月25日に締結された『日米物品役務相互提供協定』 日本帝国軍内では、『クリスマス給与』と呼ばれる、日米両軍間での軍需物資の相互提供協定。
同じく2001年1月には、『日米安全保障高級事務レベル協議(SSC)』委員会が設立された。 この委員会で部局長協議が幾度となく行われたのだ。
その結果が、先月―――2001年10月10日に発表された、『日米安全保障協議準備委員会(SCC)』の設立だった。 全世界は東アジアに、新たな防衛秩序の復活を期待している。

それに伴い、日米両国は凍結されている相互無条件最恵国待遇を再開するだろう、そう見られていた。 合衆国が、その産業界が悲鳴を上げかけているのだ。
日本主導によるリムパックEPA(環太平洋自由貿易経済連携協定)、つまり通称『アジア・オセアニア経済ブロック』のお陰で、合衆国経済は停滞気味だ。
最大の貿易相手国だった日本との決裂、大東亜連合のアメリカ離れ、オーストラリアの冷淡化。 輸出量は大幅に落ち込み、日本からの高品質部品の入手が難しくなった。

無論、合衆国は今でも世界最大の経済大国であり、南北両アメリカ大陸を自国経済圏に取り組んではいる。 しかしその多くが、資源産出国である。
購買能力、高品質製品の安価な調達先としては、全く向いていない国々だ。 アフリカは欧州との資源獲得戦争の戦場だし、EU自体が今や政治・経済的な仮想敵国だ。

(・・・合衆国の面子を立てつつ、実質的な利潤も有る程度還元する。 そして最終的には従属的な関係にならず、国家安定の将来を見越しての短期損失であれば、平然と被る。
確かに、大局が良く見える国家指導者だわ。 国家百年の下準備の為には、多少の犠牲も悪名も、敢えて受け止める・・・ね。 近年の日本には、珍しいタイプの為政者ね)

問題は日本国内が、いや、日本人の無意識が、それを許容するのかどうかだった。 歴史的に見ても、この国が外国勢力による大規模かつ長期的な侵略と支配を受けた経験は無い。
アモンチャット女史が見る所、日本人は『東アジアの箱入り娘』なのだ。 地勢的条件によって手厚く守れてきた、治乱興亡の人類史における箱入り娘。 それが日本人だと。

「・・・感謝します、次席高等弁務官閣下」

一瞬、榊首相の表情が辛そうに歪んだ。 彼も当然ながら掴んでいるのだろう、この国の内部諸勢力の動向を。 その中には首相を邪魔者と見なし、排除する動きも有る。
最も表面化しているのは民族主義者達、この国では国粋派と呼ばれる軍・民双方の勢力だ。 彼等は悪夢の様な半世紀以上前の政体を、それ以上の硬直化した政体を望んでいる。
それはCOSEAN諸国にとっても、悪夢の再来以外の何者でも無い。 恐らくは統一中華戦線、亡命韓国政府も激しい拒絶反応を起こすだろう。 COSEAN とANZACも然りだ。

「ご心配無く。 私は陛下の忠臣たらんとしております。 そして将軍殿下の良き輔弼者たらんとも」

そうかしら?―――アモンチャット女史は一瞬疑問を感じた。 いえ、そうなのでしょう、きっと。 でも榊首相の方向性と、国粋派の方向性は、決して交わらないだろう。

「・・・僭越ながら、御身大事でございますわ、首相閣下。 閣下の構想は、我々COSEANにとっても、一縷の希望なのです」

国粋派に関して言えば、身辺警護さえ気を付けておけば、問題無いと思える。 問題はこの国最大の実力を備える勢力、『統制派』だと、アモンチャット女史は見ていた。
軍部と中央官庁の主流派を独占し、実質的にこの国を動かしている巨大な官僚システム、その意志だと。 彼等の目指す『高度国防国家』建設。
『統制派』は軍内部の革新派将校団と、中央官庁の革新派官僚群との繋がりだ。 軍備や産業機構の整備に基づく、総力戦に対応した『高度国防国家』を構想している。

その限りにおいて、COSEANと対立する要素は無い。 寧ろ彼等『統制派』は、COSEANや統一中華戦線、豪州・ニュージーランドのANZACとの繋がりを強化したい考えだ。

(・・・その点については、彼等『統制派』と榊首相は、考えを同一とする・・・)

ただ一点、統制派と榊首相とで食い違う事は、国内の国粋派に対する考えだった。 榊首相は恐らく、時間をかけて日本人の思考を『人見知り』しない様にしたいのであろう。
国粋的な表現はある意味で、世界に対する『人見知り』だと言える。 その意味では国粋派に対しても、時間をかけて外の世界を見させ、少しずつでも考えを柔軟に、と言う事か。

それに対して『統制派』は、その考えは苛烈の一言に尽きる。 『弱肉強食、対応出来ない者は淘汰されるべき』 極論すれば、こうなる。
当然ながら国粋派に対しては、時代と世界情勢に対応しきれない愚か者達。 淘汰されるべき弱肉、その様に捉えているように見える。
そして急激な変化は当然ながら、強烈な反動を生じさせるだろう。 この国がかつて経験した事の無い事態を、果たしてこの国の国民は、受け止める事が出来るのだろうか?

高等弁務官団の駐在武官室―――COSEANが日本国内に持つ、公然の諜報組織―――が、非合法の筋から入手した情報では、統制派の動きがどうもおかしい、そう報告していた。
国粋派が撃発寸前なのは、この国に外交拠点を置く諸外国全てが把握している懸念事項だ。 極東アジア最大の重要防衛拠点たる日本国内で、政治的空白が生まれる事への恐怖。
当然ながら、国内の他の勢力の動きも掴んでいよう。 統制派の立場からすれば、真っ先に事前対応―――強制的な予防拘束も辞さず、と言った処置を取ると思えたのだが・・・

(・・・その統制派が、全く動いている気配が無い・・・? どう言う事?)

統制派の動きが見えない―――それが諸外国にとって、見えない恐怖に映るのだ。

「繰り返しになりますが・・・首相閣下、どうか、御身大事に・・・」

アモンチャット女史の言葉に、榊是親首相はただ、乾いた笑みを浮かべるだけだった。










2001年11月11日 2015 帝都・東京 某所


「・・・新潟が、予想より早く片付いた様だ」

「抽出された部隊は? どうするの?」

「部内の噂では、第14と第15師団が戻ってくるらしい。 予定では今月の半ば、15日過ぎらしいな・・・」

「ふぅん・・・そこから損傷機も含めて、一度オーバーホールして・・・訓練やその他で、再出動できる状態になるのは、1カ月弱ほどね」

「狙い目は、そこさ・・・この国の諜報機関には、わざと隙を見せる様にしている。 連中、事が起こるのは10日前後だと思い込む筈だ・・・」

「総予備の第39師団まで、引っ張ってくれたのは助かるわ。 腐っても遣欧派遣兵団を中心に再編成された師団よ。 第14や第15程で無いにせよ、面倒な連中だもの・・・」

「禁衛師団は、多分動かない。 皇帝の護衛任務が有るしな。 他の部隊なら問題無い筈だ・・・第3師団は?」

「恐らく、日和見よ。 そこの師団長、表向きは中立だけれど、内心は国粋派に同情的だと言うわ」

「じゃあ、そちらは計画の通りに・・・で? カンパニーのスリーパーは? この国のじゃなくて、ステイツの方だ」

「詳しい事は、ウォルター・ヒューズ(CIA国家秘密本部・東アジア部長)は何も明かさないわ。 でも、私達の内部情報では・・・2人から、3人」

「その内の1人は、航空宇宙軍だな? こちらも動きを掴んだ、ヒューズ以外にどこからか知らんが、別系統の命令で動いているセクションが有ると」

「・・・AL5?」

「違うだろ? 連中に今、横浜を潰す理由は無い・・・南米本部からの情報では、最近、南米主要諸国・・・ブラジルやアルゼンチン、チリ、ペルーにベネズエラ・・・
そう言った国々から、AL4への不満が高まっているらしい。 何時まで先の見えない、怪しげな計画に時間と大金をつぎ込むのか、とね」

「・・・いっそのこと、世界中のハイヴをG弾で吹き飛ばせ。 そう言わせているのはアメリカの、どこか奥深い所に居る誰かでしょうけど・・・」

「南米諸国としても、こんなクソったれな戦争なんか、G弾でさっさと吹き飛ばして終わりにしたいのさ。 ま、恭順派の君に言うセリフじゃないが・・・」

「やめてよ。 私は国連のあんな、夢見る馬鹿者じゃないわ。 恭順派にした所で、食べる為に選んだ場所よ・・・で、BETA大戦でかつての力を失った欧米諸国やソ連・・・
それに代わって力を付けた自国のアドヴァンテージを、譲りたくないのね。 これまでは搾取される側だった、今度はこき使う番だと、そう言う事ね・・・」

「ご名答」









2001年11月11日 2330 帝都・東京 国家憲兵隊本部 副長官執務室


「・・・では、その時期は未だ明確でない、そう言う事だな?」

「はっ! 閣下。 現在までの情報を精査致しましても、『その時期』は来月上旬から中旬・・・可能性は中旬頃が比較的高い、そのレベルで有ります」

「・・・判った。 引き続き、情報の収集と分析を・・・精査を行いたまえ。 可及的速やかに、だ」

「はっ!」

部下が退出した後、照明を抑えた暗い室内で、その部屋の主は内心の苦虫を押し殺していた。 派閥の主要人物達には、余計な情報を与えていない。
どこから漏れるか、判ったものでないからだ。 しかし実際の状況がこの状態では・・・予想される時期に、実に半月もの幅が有るとは!

(・・・もっと、突き詰めねば。 陸軍や海軍を動かすにしても、半月もの幅は大き過ぎる。 無用な憶測を呼ぶ事に・・・そして内務省だ・・・)

どうやら内務省―――特高警察も、ほぼ全体像を掴んだ様子だ。 ただ連中は軍内部には手を出せない。 しかし利権に釣られた政治業者や企業、そして現地工作員は別だ。

(下手に手を出されて・・・計画に齟齬を来してはならんな。 特高も一枚岩ではない、内務省もだ。 その辺から手を回すか・・・?)

リスクは大きい。 内務省の特高警察は、国家憲兵隊を上回る国内防諜の一大組織だ。 本気になった時の国内捜査能力は、かつてのKGBや、米国のFBIを遙かに上回る。

(悩ましいな・・・だが、向うも相応の権利は後々で主張するだろう。 ならば、今のうちに引き摺りこむのも手か?)

手元の資料には、複数の情報が舞い込んでいた。 その中に興味深い情報がいくつかあった。 特に米国・・・米3軍関係で。

(・・・米国航空宇宙軍特別捜査局(AFSOSI)、米国陸軍犯罪捜査司令部(CID)、米国海軍犯罪捜査局(NCIS)、この3つの組織が何故、横浜に興味を持ったのか・・・?)

それと武家関係で、最近になって妙な動きを始めた箇所が有る。 ひとつは五摂家の水面下の暗闘が決定的となった件。 もうひとつは・・・

(今更、武御雷を? あの娘に、今更どの様な価値を見出したのだ・・・?)

ふむ。 周辺を調べてみさせるか? 中枢部へのブロック突破は非常に難しいが、それ以外は国家憲兵隊や特高にとっては『ザル』も同然だ、横浜は。

「・・・何にせよ、検討するべき情報は、まだまだこれからだな・・・」

帝国国家憲兵隊副長官・右近充陸軍大将は、不確定要素も含めて、これからの半月ほどが勝負だ、そう自分に言い聞かせた。





[20952] 暗き波濤 9話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:a38a9b0d
Date: 2013/02/17 13:21
『陸軍参謀本部・第6部戦史課、及び、戦略戦術課作成。 第2部研究課監修。
・甲22号目標攻略戦、『明星作戦』に於けるハイヴ攻略戦の考察

(中略)

・第5項 投入兵力(地上部隊)
5-1.ハイヴ突入戦力
5-1-1.軌道降下兵団 全6個大隊
5-1-2.突入機動大隊 全17個大隊

5-2.ハイヴ包囲・戦域形成戦力
5-2-1.ハイヴ包囲戦力 全9個師団
5-2-2.戦域形成部隊 全20個師団

・第6項 損失
6-1.陸上兵力(帝国軍・国連軍・米軍合計)
6-1-1.軌道降下兵団 戦術機6個大隊。 損失79.2%
6-1-2.地上突入部隊 戦術機17個大隊。 損失72.5%
6-1-3.支援突入部隊 戦術機27個大隊。 損失56.7%
6-1-4.横浜包囲部隊 全9個師団。 損失37.9%
6-1-5.戦域形成部隊 全20個師団。 損失22.9%
6-1-6.内訳:戦術機2287機、戦車711輌、自走砲629輌、砲908門、他車輌4981輌、人員・戦死5万3766名。 戦傷10万5454名。

(中略)

・第9項 考察
9-1.通常戦力でのハイヴ攻略
9-1-1.通常戦力でのハイヴ攻略戦は、フェイズ3ハイヴで人員損失15万~20万名を見込む。 フェイズにては人員損失30万名、フェイズ5にては人員損失50万名を妥当とす。
9-1-2.上記損失に備え、フェイズ3ハイヴ攻略での動員兵員数を100万名と見込む。 フェイズ4にては150万名、フェイズ5にては250万名の動員を妥当とす。

9-2.通常戦力でのハイヴ攻略における、国家損失
9-2-1.通常戦力でのハイヴ攻略戦は、国家戦略資源の過半を喪失する。
9-2-2.通常戦力でのハイヴ攻略戦は、特に国家の社会機能維持に、過大な負担を与える。
9-2-3.通常戦力でのハイヴ攻略戦は、国民層の10代後半~30代半ばの各世代の、30%を拘束する。
9-2-4.通常戦力でのハイヴ攻略戦における財政損失は、現在まで試算能わず。

第10項 結論
通常戦力でのハイヴ攻略戦は、国家維持の観点から、是を不可と結論する。

第11項 付記
それほど面子が大事か! 恥を知れ!

1999年10月20日 日本帝国陸軍参謀本部 絶対極秘』


『発:国防大臣官房 宛:関係各部
本文:通常戦力での、佐渡島ハイヴ攻略の是非を問う。
追記:可及的速やかに検討されたし。
1999年11月22日』

『発:統帥幕僚本部第1部作戦1課 
宛:陸軍参謀本部第1部作戦課
本文:先般、秘匿命令の件に付き、来る24日、来訪されたし。
1999年11月23日』

『発:国防大臣官房 宛:関係各部
本文:22日発の疑義の件に付き、至急回答を求む。
1999年11月29日』

『発:統帥幕僚本部 宛:国防大臣官房
本文:貴信、検討中に付き、12月5日までの回答と致したし。
1999年11月30日』

『発:統帥幕僚本部第1部作戦1課
宛:陸軍参謀本部第1部作戦課
本文:第4回会議招集の件。 12月1日、来訪されたし
1999年11月30日』

『発:海軍軍令部第1部第1課
宛:統帥幕僚本部第1部作戦2課
本文:陸軍検討の内容の是非、海軍は承服能ず。
1999年12月1日』

『発:航空宇宙軍作戦本部作戦部第1課
宛:統帥幕僚本部第1部作戦3課
本文:陸軍参謀本部案は、航空宇宙軍作戦本部これを拒否するもの也。
1999年12月1日』

『発:統帥幕僚本部第2部国防計画課長
宛:統帥幕僚本部第1部作戦1課長
本文:至急、局内検討会を開催されたし。
1999年12月2日』

『発:統帥幕僚本部第1部作戦1課
宛:統帥幕僚本部第1部作戦2課、作戦3課、第2部戦争指導課、国防計画課、兵站課、第3部編制課、動員課、戦略物資課、軍備課
本文:本日、局内検討会を開催す。 至急参集されたし。
1999年12月3日』

『発:陸軍参謀本部
宛:統帥幕僚本部第1部作戦1課
本文:先の検討結果に付き、再検討の余地が生じたり。 検討の場を設けられたし。
1999年12月4日』

『発:海軍軍令部第1部第1課
宛:統帥幕僚本部第1部作戦2課
本文:3軍合同検討会の開催を希望す。
1999年12月5日』

『発:国防大臣官房
宛:統帥幕僚本部
本文:検討の是非、未だ成りや?
1999年12月6日』

『発:統帥幕僚本部
宛:国防大臣官房
本文:今暫し、待たれたし。 一両日中の回答をす。
1999年12月6日』

『発:海軍軍令部第1部
宛:関係各部
本文:海軍は、陸軍案に賛同せず。 陸軍は単独での行動をすべし!
1999年12月6日』

『発:陸軍参謀本部第1部
宛:海軍軍令部第1部
本文:見当外れは、貴部なり。 国防予算を見直されたし。
1999年12月6日』

『発:航空宇宙軍作戦本部作戦部
宛:統帥幕僚本部第1部
本文:陸海軍、軍を思えど、国を憂う事無し。
1999年12月6日』

(5~6件、故意の棄却が認められる)

『発:統帥幕僚本部総長
宛:陸軍参謀総長、海軍軍令部長、航空宇宙軍作戦本部長
本文:至急、来訪されたし。
1999年12月8日』

『発:国防大臣官房長
宛:統帥幕僚本部次長
本文:本日、来訪す。
1999年12月9日』

『発:国防省兵備局
宛:国防省兵器行政本部、技術研究本部、機甲本部、情報本部
本文:兵器体系改編の臨時会議を開催致したし。 至急、来訪されたし。
1999年12月11日』









2001年11月12日 0035 日本帝国 佐渡島東岸 東境山付近


1個中隊の戦術機―――94式『不知火』12機が、地表面噴射滑走で複雑に入り込んだ地形を高速移動していた。 時折停止して、後方へ阻止砲撃を行っている。
50体程の突撃級BETA群が迫ってくる。 距離を十分に保ちつつ、撃破は出来ないが、それでも充分注意を引く程度には、ちょっかいを掛けながら。

『―――CPよりハリーホーク、そのままB5Dまで誘導せよ』

『―――ドラゴン・マムより、ドラゴン・リーダー、右翼A群をB6Fまで誘導せよ』

『―――クリスタル・マムよりリーダー。 クリスタルはD2Rで、側面警戒を継続です』

『―――ゲイヴォルグ・マムより、ゲイヴォルグ・ワン。 各中隊、予定通りの行動を遂行中。 次フェイズまで、あと180秒』

各中隊CP将校達の指示管制の声の最後に、大隊CP将校で有り、大隊通信・管制中隊長を兼務する、長瀬恵大尉の報告が入った。
大隊長の周防少佐は、CTP(共通戦術状況図:Common Tactical Picture)に反映される戦術レベルにおける共通状況情報を確認しつつ、決定を下し、簡潔に指示する。

「―――ゲイヴォルグ・ワンよりマム。 行動続行。 隣接戦区からの紛れ込みに注意しろ」

『―――マム、了解。 アウト』

通信が終わると同時に、周防少佐は再び網膜スクリーン越しに広がる、佐渡島の夜の風景に目をやった。 緑の失われた、土壌がむき出しになった荒涼たる大地。
時間はまさに真夜中だが、自動調光補正機能によって『修正』された視界は、薄暗がり程度の視界を確保されている。 戦闘行動に支障はない。
緑は失われ、山は山頂部から削られ、沢は大きく抉られ、佐渡島の山岳部はまるで、ミニサイズのグランド・キャニオンを彷彿させる。 米国滞在経験のある少佐は、そう感じた。

峡谷の底は、まるで幅広の未舗装道路の様であり、それが削られて独立峰の様になっている山岳部の残骸に区切られ、仕切られて、さながら迷路の様に広がっている。
山岳部の残骸も、山頂部から削られ続けた結果、中途半端な大きさの台地状の地形へと変貌していた。 それも高低差が有る為、視界域の高低差が複雑に絡み合う地形だった。
少佐自身は、実は初めての土地だ。 だが、少なからぬ因縁のある土地でも有る。 彼の従弟達が2人、98年にこの島で戦死していた。

『―――アイリス・リーダーよりゲイヴォルグ・ワン。 前方2時方向、距離600、小型種の1群です。 戦車級約20、兵士級・闘士級が約100体。 指揮小隊で対応します』

「判った。 アイリス、許可する」

『ラジャ。 宇嶋(宇嶋正彦少尉)、貴様は下の段差部から撃ち降ろしを仕掛けろ。 兵士級と闘士級を狙え。 
私が向うの大地に飛び移る、そこから戦車級の群れを後ろから殺る。 萱場(萱場爽子少尉)!』

『はい』

『貴様はこのまま、待機。 大隊長機の直援に就け』

『了解』

指揮小隊長の北里彩弓中尉機と、小隊3番機の宇嶋正彦少尉機の94式『不知火』が、タイミングを見計らって、台地上部から中腹まで飛び降りる。
同時に宇嶋少尉機が発砲開始、100体程の小型種BETAの群れの頭上に、36mm砲弾をばらまき始めた。 赤黒い霧の様に霧散し始める小型種BETA群。

『・・・よし!』

戦車級の群の動きが早くなった、斜面を登り始める。 同時に北里中尉機がショート・ブーストジャンプを仕掛け、一気に向かいの台地の中腹まで飛び移る。
そこから、投影面積の大きな体表上部全体を晒しながら斜面を駆け上がる最中の、20体程の戦車級BETAの群れに向かって、2門の突撃砲から36mm砲弾を吐き出す。

『―――ゲイヴォルグ・マムです。 大隊長、そちらは終わった様ですね。 こちらも、そろそろ開始になります』

CP将校の長瀬大尉から、まるで覗いていたかのようにタイミング良く、指揮小隊の小戦闘が終わると同時に通信が入った。

「ああ。 こちらでも確認した―――最上、八神、遠野。 誘導後は、試験部隊の周辺警戒に当れ。 余所からBETAを潜り込ませるな」

『―――了解』

『―――うっす!』

『―――了解しました』

各中隊長の返信後、今度は直接支援部隊指揮官と連絡を取った。

「ゲイヴォルグ・ワンより、ジャベリン・ワン。 笠間少佐、あと20秒で目標が到達する。 TSF(戦術機甲部隊)はこれより、周辺警戒に入る」

『―――ジャベリン・ワンよりゲイヴォルグ・ワン。 了解した。 大物喰いは任せてくれ、その代わりに小さい連中・・・特に戦車級だ、連中を接近させないで欲しい』

「了解した。 CTP(共通戦術状況図)を注視しておいてくれ」

『―――ラジャ。 頼んだぞ、周防少佐』

やがて暫くして、地響きを上げながら、合計で100体程の突撃級BETAの群れが、2方向から突進して来た。 その先には、やや標高の低い広々とした台地上に、装甲戦闘車両群。
おかしな車輌だった、車体自体は旧式化した74式戦車に酷似している。 現に、今も前後左右のサスペンションを調整して、起伏の高低差を微修正して水平姿勢を保っている。

『―――射撃開始まで、あと100』

CP将校の長瀬大尉の声が流れる。 他に誰も声を出さない。 その装甲戦闘車両群は、その車体の上に固定式戦闘室を設け、105mm級の長砲身砲を搭載していた。

『―――目標、あと50』

そんな車輌が、合計38輌。 他に指揮管制車輌として82式指揮通信車が1輌と、87式偵察警戒車が3輌の、合計42輌―――1個機甲大隊分の戦力が展開していた。

『―――目標・・・到達!』

『―――全車、撃え!』

長瀬大尉の報告と、機甲部隊指揮官の命令が重なった。 同時に38門の長砲身―――80口径105mm砲から同時に発射された砲弾が、意外に小さな射撃音と同時に発射された。
突撃の勢いを、そのまま瞬時に停止させられたように、巨体を震わせながら射貫孔から体液を噴出し、急停止する突撃級BETAの群れ。

『―――1中、全車命中!』

『―――2中、12体撃破!』

『―――3中、全車命中、次発装填完了!』

『―――指揮小隊、命中!』

見れば、目標にされた38体の突撃級BETAは、全て1撃で正面装甲殻を射貫され、完全に停止していた。 射距離2500m、105mm砲では考えられない威力だった。 が・・・

『―――試験大隊が新型砲で、しかも停止砲撃で的を外す事など、許されんぞ! 残りも全て、1撃で葬って見せろ!』

撃破された個体の残骸を乗り越え、突撃しようとする突撃級BETAが見せた下腹を撃ち抜く車輌。 ぶつかり、動きが鈍った所を、余裕を持って撃ち抜く車輌。
峡谷一帯に、殷々と砲声が響く中、周防少佐は網膜投影モニター越しに見つつ、CTP(共通戦術状況図)の情報を確認していた。

昨日のBETAの新潟上陸、そして陸海の戦力を集中しての、水際防衛殲滅戦。 細かい掃討戦が昼過ぎに終わった後、帝国軍は夕刻より佐渡島に上陸開始、間引き攻撃を仕掛けた。
飽和個体群の大半が新潟に上陸した後で、佐渡島の地表に存在していたBETA群の数はさほど多くなかった。 上陸地点が島東部と言う事もあった。
総数で約3000体が散開して存在しているのを確認した帝国陸軍は、かねてより予定していた戦場での運用試験を開始した。 それも2種類の。

「・・・ライトガス・ガンは、なかなか使いでが良さそうだな」

『はい。 射距離2500m、しかも1撃で突撃級BETAの正面装甲殻を、完全に射貫しています。 スペック上では2万5000mでも、射貫可能との事ですが・・・』

周防少佐の独り言に、大隊長を護衛する指揮小隊の小隊長・北里中尉が反応した。

「無理だな、地球は丸い。 直接照準の範囲外だ」

周防少佐が即答する。 戦車の車高だと、直接射撃可能な水平線距離の限界は、精々15km―――1万5000m前後だ。 それ以上は地平線の向こうに隠れてしまう。
しかも、その1万5000mでさえ『撃てば届く、当れば射貫できる』と言う事に過ぎない。 『撃破する為に、狙って、命中させる』事が出来る距離では無かった。
どんな新兵器であろうと、砲戦である限り、重力や風向・風速と言った諸条件の支配下にある事に、変わりは無い。 運用上では、有効射程は約5000mまでらしい。

『―――それでも、距離5000mで突撃級BETAを、1撃で撃破できるのです!』

北里中尉の声は、それでも弾んでいる。 従来の戦車砲では、120mmクラスの最新主力戦車の戦車砲でさえ、距離1000mで同じ場所に数発、纏めて叩き込まねば撃破出来ないのだ。
それが1世代、いや、1.5世代ほど昔の主流だった105mm砲で、距離2500mで、1撃で突撃級BETAを完全射貫・完全撃破。 興奮しない方がおかしい。

「・・・第1開発局も、面白い物を作ったものだな」

3斉射で100体の突撃級BETAを、全て葬った試験機甲大隊。 戦車では無く、固定式戦闘室を備えた、昔で言えば『突撃砲』、『駆逐戦車』のカテゴリーに入る戦闘車両。
日本帝国軍兵器行政本部、第1開発局第3造兵部が開発に成功した、試作軽燃焼ガス砲―――『Combustion Light Gas Gun:CLGG』を搭載した試験戦闘車両だった。

ライトガス・ガン(Light-Gas Gun)は、スプリングピストンを使ったエアソフトガンと同じ原理で動作する。
大径ピストンが加速される弾丸を含む、小径銃身を介して気体の作動流体を強制的に圧縮して弾丸を加速させる。
直径が減少することで、エネルギーを圧縮しながら速度を上げるように機能しているのだ。 ピストンは火薬で作動し、作動流体は安全性からヘリウムが用いられている。

通常の火砲では、砲弾は前後の圧力差(砲身内部と大気の圧力差)によって加速されるが、圧力波は媒質中の音速よりも速く伝播することができない。
その為に、砲弾を加速させることが出来る速度は、火薬の燃焼ガス中の音速が上限になる。 それ以上の加速は、火薬を装薬に使用する通常砲弾では実現が不可能なのだ。

媒質中の音速を上げる為の方法のひとつとして、気体中の音速が、気体の平均分子量の平方根に比例して、大きくなるのを利用する、というものがある。
そこで分子量の小さいガスを、砲弾を加速させるための作動流体に使ったのが、『ライトガス・ガン』である。 ヘリウムガスは大気の3倍の音速を持つ。

実際にはヘリウムガスは比熱容量や熱伝導率などの点でも優れているため、火薬の燃焼ガスよりも大きなエネルギーを伝播させることができる。
理論上の上限は、実に7.8倍になる。 日本帝国の他、米国でもUTRON社が軍用として、口径45mmおよび155mmの燃焼軽ガス砲の、研究・開発を行っていた。

『―――試作00式特殊野戦砲。 機甲部隊や自走高射砲部隊、自走砲部隊にとっては、頼もしい相棒になりそうですね』

「ああ。 我々にとっても、頼もしい支援火力になりそうだ」

帝国軍兵器行政本部、第1開発局第3造兵部が2000年に開発に成功した、試作軽燃焼ガス砲は、口径155mm、105mm、57mmの3種類が開発された。 
砲長身は80口径前後と長い。 現状では試製99型電磁投射砲に匹敵する、高初速・高貫通力を有する砲である。 発射速度は57mm砲の120RPM(毎分120発)が最高だった。

帝国陸軍は、この3種類の試作特殊野戦砲のプラットフォームに、部内で『廃物利用』と苦笑される方式を執った。 退役車輌の再生利用だった。
57mm砲は、退役してスクラップ予定であったM42自走高射機関砲(M42ダスター自走高射機関砲)の、66口径40mm連装対空機関砲M2A1を降ろして、単装搭載されている。
105mm砲は、74式戦車から旋回砲塔を撤去し、代わりに固定式戦闘室に変更して本試作105mm砲を搭載した『試作01式駆逐戦車』としていた。
155mm砲に至っては、重装輪回収車の車体をベースに、本試作155mm砲を搭載した『試作01式火力戦闘車』12輌が製作された。

57mm砲の性能諸元は、初速5770m/s、有効射程5500m、最大射程15,000m、発射速度が120RPM(毎分120発)
105mm砲が初速6650m/s、有効射程1万8800m(実際の戦場では、5000m前後が有視界有効射程)、最大射程95,000m、発射速度は発射速度12発/分
155mm砲は初速6740m/s、有効射程3万8000m、最大射程125,000m、発射速度6発/分となる(有効射程・・・突撃級BETAの正面装甲殻を射貫可能な距離)

従来の火力での威力不足を、本土防衛戦で無数の将兵の血と命を代償にして戦訓を得た帝国陸軍は、ある意味で、この組織らしからぬ行動に出た。 1999年末の事だ。
米国・UTRON社の燃焼軽ガス砲の研究開発データを、現地の組織を使って(裏社会に属する組織も使ったと噂される)、殆ど非合法に入手し、この試作砲を開発したのだ。

ヘリウムガスは、近年、帝国の企業群が地中海・北アフリカでの開発支援の重心を移しつつある、アルジェリアのアルゼウとスキクダが主要供給地だ。
従来、米国が長年の間、商用ヘリウムガス生産の90%以上を担ってきたが、欧州陥落後の1990年代、アルジェリアで全世界の需要量の25%を賄うアルゼウ新工場が稼動を開始した。
その後にも、スキクダ新工場が稼働を開始。 
アルジェリアは米国に次ぐ、世界第2位のヘリウムガス供給国になっている。 因みに、アルジェリアのヘリウムガス工場プラントは、帝国企業が開発・建設・操業していた。

ヘリウムガスの安定供給に目途を付けた帝国陸軍は、新型火砲兵器体系の大幅で、斬新な改革案に着手する。 2000年10月、『試作00式特殊野戦砲』が完成したのだ。
1撃で良く、突撃級BETAをも葬る―――これを至上命題とし、新型砲の運用試験、改良、また運用試験、そして改良。 これを繰り返しながら今、佐渡島で実戦試験を行っている。

「ん・・・? 隣の戦区で57mm砲部隊が、300体程の要撃級BETAを粉砕した様だ」

『―――CTP(共通戦術状況図)情報ですか? 便利ですね、CP経由ではなくて、リアルタイムで判るだなんて・・・』

北里中尉が感嘆する。 従来までは、C4Iとは言え、CPからの転送情報等に大きく依存していた戦術情報。 それにより、各級指揮官は状況を捉え、判断し、指示を下していた。
佐渡島で行われている、もうひとつの運用試験。 それは共同交戦能力(Cooperative Engagement Capability:CEC)システムの運用試験だった。

CECとは、射撃管制・指揮に使用できる精度の情報をリアルタイムで共有する事により、脅威に対して部隊全体で共同して対処・交戦する能力を付与する事だ。
この為、従来用いられてきた戦術データ・リンクよりも遙かに高速のデータ・リンク、及び、これを運用できるだけの性能を備えた戦術情報処理装置が必要となった。
日本帝国の陸・海・航空宇宙3軍はこれに対して、新型戦術情報処理・統合管制・制御システムを開発し、2001年初頭より試験導入を開始した。

CECを実現するシステムは CETPS (Cooperative Engagement Transmission Processing Set) と総称されている。
陸上拠点型・艦艇搭載型をAN/USG-2、戦術機・戦闘車両・各種航空機搭載のものをAN/USG-3と称する。
CETPSは、情報処理・通信端末としてのCEPと、これらの間で構築される超高速・リアルタイムのデータ・リンク・ネットワークであるDDSを主要サブシステムとして構成される。
また、CEPとDDSのほかに、情報の配布、指揮・情勢表示支援、センサー協同、交戦意思決定、そして交戦の遂行を助ける為に、5つのサブシステムが含まれている。

例えばその内のひとつ、CEPは、他のユニット(CU)からDDSによって受信したデータを分析し、自機装備のセンサーからの情報とともに、融合する情報処理システムである。
個々の戦術機や戦闘車両、航空機、艦船がレーダーやソナーなどによって得た観測データは、DDSによって空と海を通じて互いに連絡される。
その情報がCEPによって融合されることで、それぞれ1機・1輌・1艦では得られない広範囲のレーダー覆域と、高い位置精度が獲得できるようになる。

CEPは、C4ISTARなどの戦術情報処理装置とネットワーク・リンクされ、他機、他車輌、他艦探知の目標に対する攻撃を可能とするのだった。

『それに、今までの様に、索敵レーダーと有視界を相互確認しながら、目標を確認する必要も無くなりました。 これって、凄く重要ですよ、大隊長!』

益々興奮する北里中尉。 彼女も初陣以来実戦を重ね、中堅衛士として小隊長職に就く身として、今までの戦闘と全く異なるシステムの有効性に、興奮を隠しきれないのだろう。

「・・・確かに有効だ。 が、最後の最後、本当に信頼できるのは、自分の目で確認した情報だ・・・過信は過ぎるなよ? 北里」

つい、そんな説教じみたセリフが出てしまうのも、大隊長としての立場ゆえか。 周防少佐は、自分がそんなセリフを言っている事に、可笑しみを感じていた。
新米少尉の頃だったなら、素直に興奮して、はしゃいだ事だろう。 中尉の頃だと、部下の手前、表に出さないが、内心で小躍りしただろう。
大尉の頃だと、どうだろう?―――多分、あれや、これやと、試してみたい戦い方を色々と考え、ニヤつきが止まらなかったかもしれない。

それが、今では・・・

(・・・無条件に、システムを過信し過ぎる癖は、戦場では時に命取りになる、な・・・どうしようか? 慣熟訓練は必要だが、従来方式の訓練も並行させて・・・)

何よりも、部下の命が失われる事に、憶病になった気がする。 多くは部下の中隊長達が、直接指揮をしているのだが、それでも周防少佐の部下達に変わりない。
中隊長の頃までは、自身も戦場で先頭に立ち、部下を叱咤して共に戦いながら、あの地獄の様な日々を生き抜いてきた。 それは事実だ。
大隊長になった今、戦場では専ら、各中隊をいかに効率良く運用して戦線を形成するか。 戦線を形成して、以下の効率良くBETA群に打撃を与えるか、それだった。

中隊長までは、戦闘はしても、戦術には関与出来ない。 連隊長以上となれば、戦術・戦略に完全に重点が変わり、戦場に立ち、戦うという実感を得にくくなる。
大隊長なのだ―――大隊長だけが、戦術に関与すると同時に、自らも実戦の場に身を置き、戦士としての実感を得る事が出来る。 そう言う立場に成り得るのだ。

が、大隊長は同時に、やはり戦術指揮官でも有る。 中隊長の頃の様な、中隊員との一体感を戦場で感じられる事は、既に無くなってしまった。
大隊長にとって、大隊の部下とはつまり、己の戦術構想を実現する為の駒、そう言う一面が確かにある。 同時に自らも実戦の場に身を置き、部下達の苦悩と悲鳴を感じ取る。

「・・・CTP(共通戦術状況図:Common Tactical Picture)は、有り難いな。 リアルタイムで戦術レベルにおける共通状況情報を得られる。
少なくとも、昔の様に情報が途中で詰まって、BETAに奇襲を喰う可能性は、大幅に低減するだろう・・・」

CTP(共通戦術状況図:Common Tactical Picture)は、CEC(共同交戦能力:Cooperative Engagement Capability)のサブシステムのひとつだ。
戦術レベルにおける共通状況図で、応答時間はミリ秒単位であり、ウルトラ・リアルタイムでの情勢表示が行なわれる。
CTPにおいて表示されるのは、その瞬間にCTP作成者が把握している彼我の位置関係(座標および空間ベクトル)、および戦力状況(交戦や武器の状態)である。
そこに含まれる情報は、5W1Hのうち、Who(誰が)、What(何を)、 When(何時)、Where(何処で)であり、この情報は大隊長以上の各ユニット間で共有される。

『―――私的には、AW702の導入も有り難いですわ、大隊長。 管制車輌の中で、いつ、戦車級BETAと出くわさないか、などと震えなくて済みますもの』

CP将校の長瀬大尉が、横から割り込んできた。 大尉の部下達である、3人の各中隊CP将校―――三崎香苗中尉、沢口智子少尉、安斉美羽少尉もだ。

「長瀬、震えるか、貴様でも」

『―――まあ! 大隊長は、私をどの様に、考えてらっしゃるんですか!?』

大隊長の周防少佐の一言に、盛大にむくれる長瀬大尉。 そんな上官たちを、笑いをこらえながら、見て見ぬ振りの部下達。

帝国陸軍が導入したこのシステムにより、従来のCP将校による管制体制もまた、大幅に変更されるようになった。
従来は、通信・管制機能を強化した軽装甲車両に乗り込み、戦場の直ぐ後方に位置しながら、戦闘管制を行っていたCP将校達。
反面で、戦線が崩れた際の消耗率は、実は衛士以上の数字を出していた。 軽装甲車両は、戦術機ほど自由度の高い移動能力を有していないからだ。
撤退途中に戦車級BETAなどに捕捉され、反撃の余地も無く喰い殺されて、戦死したCP将校達は無数に存在する。

そして現在、CECの導入により、CP管制も大幅に変わろうとしていた。 移動手段は機体上部にレーダー・レドームを付けたティルトローター機に変わりつつある。
普段は師団本部か、その近くに戦術機甲大隊本部として布陣する。 CP将校はそれまでの様に、中隊毎の管制班単位で動くのではなく、大隊管制中隊に再編成された。
そしてティルトローター機に搭乗し、高速、かつ、長距離を自由度の高い移動性を得て、管制するのだ。 光線属種に対しては、見越し圏外に低空で、いち早く離脱出来た。

そしてこのティルトローター機は、帝国製ではない。 欧州からの輸入と、ライセンス生産で配備した機体だった―――『アグスタス・ウェスターランドAW702』
英伊の合弁会社であるアグスタス・ウェスターランド社が、V-22の開発実績を持つベリル社と共同出資した『ベリル/アグスタス・エアロスペース社』による。
アグスタス・ウェスターランド社自身、ヘリコプター開発・製造メーカーとして欧州屈指の企業だ。 ベリル社と組み、ティルトローター機の新規開発に乗り出したのだ。

しかし1996年、ベリル社との合弁解消により、アグスタス・ウェスターランド社単独開発となり、1998年に完成した。
当初は顧客の獲得に苦心したAW702だったが、『固定翼機より垂直(短距離)離着陸能力に優れ、回転翼機より速度と航続距離に優れた』機体を探していた帝国軍が目を付けた。

先行するV-22『オスプレイ』は、米国との関係が冷ややかになっている最中の日本帝国では、導入はまず考えられなかった。
それに開発元が欧州系企業と言うのは、日本帝国の中では比較的心証が良かったのも確かだ。 欧州各国は、対BETA戦の最前線国家同士として、日本国内では心証が良い。
それに、AW702に先立つAW609は、V-22に比べ小型・小搭載量となっていたが、AW702はV-22に匹敵するサイズと能力を有するに至っていた。

機内最大ペイロードは 9,370kg、キャビン長が7.67m、キャビン最大幅が1.90m、キャビン最大高が1.90mである。 有効総面積も、V-22を若干ながら上回る。
また、機外の2箇所のカーゴフックに容量4,800kgのカーゴを吊り下げ、運搬する事が出来た。 大隊の全CP将校と、通信・管制要員を機材毎、1機に収めて運用できたのだ。
最高速度は300ノット(約555km/h)、ヘリモード時100ノット(185km/h)、航続距離(ペイロード2,721kg、垂直離陸)700nm (1,295km) 以上は、V-22に匹敵する。

AW702は主に、北関東絶対防衛線の甲編成師団(第12、第14師団)と、2個ある即応師団(第10、第15師団)にまず、優先配備された。
今回は第15師団が佐渡島に上陸し、間引き攻撃と同時に、その実戦での運用試験も行っていたのだった。

「時代は変わりゆく、か・・・」

自分が新米の頃、戦術機は第1世代機の『撃震』だった。 情報は索敵レーダーの情報と、各種センサー情報のみ。 後はCP経由、中隊長や小隊長の指示だけだった。
今は第3世代機の94式『不知火』で、CECの導入により他戦区の状況―――Who(誰が)、What(何を)、 When(何時)、Where(何処で)行っているかまで、リアルタイムだ。

(・・・思えば俺も27歳、来年は28歳・・・もう直ぐ30代、なんて年になったんだよな・・・)

幸運と言うべきか? 言うべきなのだろう。 同期生の多くが、10代後半から20代前半で死んでいった。 しかし自分は、今まで戦場で生き残れた。
生き残り、愛した女性と結婚でき、子宝にまで恵まれた。 今の時代、これ以上の幸運があろうか? 幸運であり、幸福と言わねばならないだろう。

(・・・だからこそ、部下達にも、俺に続かせる・・・)

そうか、人とは守るべきものが多ければ多い程、憶病になるものなのか―――憶病で有ると同時に、そして絶対に守ろうとする強さを持てるのか。

師団本部からの指示が大隊長機に入った。 それを確認し、了解の返信を返した後に、周防少佐は大隊の部下全機に通達した。

「―――作戦完了。 全機、RTB」










2001年11月12日 0630 日本帝国 新潟県旧新潟市北部 帝国陸軍早期警戒基地


「よう、ここに居たか」

背後から話しかけられ、周防少佐が振り返った。 声で誰かわかる、もう15年近い付き合いの親友の声だ。 同師団の長門少佐が歩み寄って来た。

阿賀野川の河口と、旧新潟港に面した早期警戒基地。 昔は新潟港であり、戦後に一時期存在した、日本帝国空軍の新潟基地でも有った場所だ。
その管制塔の脇、丁度、3階程度の高さの屋上だ。 北国の冬、朝は遅い。 しかも雪が降り出していた。 目前には曇天と雪に覆われた日本海。 その向うは・・・

「・・・寒いな」

そう呟く周防少佐は冬季BDUの上に、私物のセーターとコートを羽織り、1997年に公式には廃止された戦術機甲科独自のベレー帽を被っている。
長門少佐も似た様な格好だった。 帝国軍将校の軍装は、基本的に全て個人調達で有り、私物であった。 一応のドレスコードは存在するが、上級将校ほど、自由にしている。

「当たり前だ。 北国の冬が暑くて堪るか」

フン、と鼻で笑う長門少佐。 同時に胸ポケットから煙草を取り出し、1本火を付ける。 周防少佐も同じだ。 何の事は無い、モク中共が居場所を求めて、徘徊していただけだ。
2人の少佐は暫く無言で煙草を吸いながら、遙か曇天の日本海を眺めていた。 胸中には色々と、複雑な思いが絡み合っているが、ただ紫煙をくもらせるだけ。

「なんや、やっぱり、ここかいな。 お前ら2人とも、成長せんのう」

第3者の声にも、振り向かずに煙草を吹かす周防少佐と長門少佐。 そして2人同時に、反撃する。

「「―――そう言うアンタが、一番変わらんじゃないですか。 木伏さん」」

第14師団で第141戦術機甲連隊の第2大隊長を務める、2期先任の木伏一平少佐だった。 周防、長門の両少佐には懐かしい戦友であり、新米当時の上官でも有る。

「まあの、人間、年の15歳、16歳を過ぎたらの、もう人格形成の変更は利けへん、っちゅうしの」

―――身も蓋も無い。

更にモク中が一人加わり、現役の少佐が3人、雪が吹きすさぶ早朝の屋外で、震えながら煙草を吹かしている・・・はっきり言って、全く絵にならない。
暫くの間、震えながら煙草を吸っていた3人だったが、木伏少佐が不意に話題を振って来た。 周防少佐と長門少佐にとって、ある意味で最も答えにくい話題だった。

「あんな・・・この前な、軍務で帝都に行ったんや。 東部軍管区司令部主催の、勉強会でな。 中佐や少佐が呼ばれてな・・・」

「はあ・・・」

それ自体はよくある話だ。 上級司令部が、指揮下の、特に中堅佐官の能力啓蒙の為に、各種の新情報に基づく研究会や、勉強会を開催する事は。

「たまたま、第1師団の連中も一緒でのう、久賀に会ったわ」

「久賀に」

長門少佐が、探る様な口調で聞き返す。 木伏少佐はそんな口調を知ってか知らずか、相変わらず変わらない口調で話す。

「終わってからの、あいつと2人で、帝都で飲んだんや。 他の連中もおったが、ま、なんや? 雰囲気がの?」

「はあ・・・」

周防少佐も、切れが悪い。 そして暫く黙った木伏少佐が、周防少佐、長門少佐の2人を振り返り、真面目な表情に戻って問いかけた。

「久賀な、あいつ、どないしたんや? 妙にテンション高かったで。 普段、そんな奴と違うやろ? それにな、やたら昔の話をしよった」

「昔の話、ですか・・・?」

周防少佐が小首をかしげる。 自分達だって、昔馴染みの戦友と再会すれば、当時を懐かしんで色々と話す事など、良くある話だ。

「そんなんと、違うんや。 何ちゅうかの・・・死んだ連中の話を、懐かしそうに話よるんや。 昔の、大陸派遣軍時代の連中とかの・・・
美濃(美濃楓中尉、1993年1月戦死)や、古村(古村杏子少佐、1998年8月戦死)や・・・水嶋(水嶋美弥少佐、1998年8月戦死)なんかの・・・」

「・・・死んだ連中の、話を、懐かしそうに・・・?」

長門少佐が、無意識に音節を切りながら、呻くように言う。 周防少佐も、無言で表情を歪めた―――木伏少佐は、2人の後任達の表情で、当りを付けた。

「おい、お前ら、同期やろう!? 久賀の奴、どないしよったんや!? 言うとったで!? 『死んだら、昔の仲間や、死んだ女房に会える。 現世も死後も、楽しみだ』ってな!?」

詰問する様な口調の木伏少佐に、呻くばかりの周防少佐と長門少佐。 ややあって、長門少佐が小声で話し始めた。

「・・・あいつの第1師団は、国粋主義の連中が多いです。 特に、若手や中堅・・・大尉以下の将校団は、ほぼそうだ」

「・・・久賀の奴も、そうやと?」

木伏少佐の疑わしげな声に、周防少佐が自信無さげに首を振る。

「そうは、思っていませんよ・・・ただ、アイツも苦労しているのは、俺も知っています。 以前、第3連隊を訪ねた事が有って・・・面変わりしていましたが」

昨年末、丁度、1年ほど前の頃だ。

「ただ久賀の奴、ほとんど同期会に顔を出さなくなりました。 皆、心配しているのですが・・・」

帝国3軍では、『同期会は、準公務である』とは共通の認識である。 そして同期会からの除名は、即、予備役編入、即日予備役招集となる不名誉である事も。
そして更に木伏少佐が小声になり、周囲を憚るような様子で、コソコソト聞き始めた。 信じたくないが、疑わしさ満載・・・そんな話題など、したくなかったとでも言う様に。

「・・・まさかとは思うがな。 久賀の奴、あの変な集まりに、参加しとるんか?」

「・・・『戦略研究会』ですか? さあ、そこまでは・・・あの会は主に、尉官連中の集まりだと、そう思っていますが・・・」

長門少佐の声も、一段と低くなる。 そして視線で『お前も何か、ネタが有るだろう!?』とでも言う様に、促す。 周防少佐の身内関係を熟知している、古い親友だ。

「・・・俺も、特には・・・」

苦笑しながら、そう言う周防少佐。 久賀少佐とはそもそも師団が違う、それにお互い大隊長にまでなった身としては、少尉、中尉の頃の様な、身近な付き合いが出来ないのだ。
同じ師団なら、話は別だ。 横に居る親友の様に、師団も同じ、家は隣家同士、となればもう、お互いに妻に叱られている回数まで知っている。
だが、別の師団となれば、実は早々、上級指揮官同士で日常的な交流を、と言う訳にはいかない。 普段の業務も忙しいのだ。

しかしふと、唐突に周防少佐が手にした煙草を宙に止めたまま、何かを思い出す仕草をした。 そして苦々しそうな表情で、小声で言い始めた。

「・・・実は、特高(内務省警保局特別高等公安局)に親戚の従妹が居る。 同年の。 警部補をしているんだが、その彼女がな、夏頃だったか・・・」

周防少佐の従妹で、特高に所属する藤崎都子警部補が、お盆の頃に何気に周防少佐に聞いてきたのだ―――『軍って、摂家政治を復活させたいの?』と

「その時はまあ、酒も入っていたし・・・『そんな訳、無いだろ』って気楽に言い返したんだけど・・・今になってみれば、意味深だな」

「特高が、軍内部を監視している?」

「軍内部、ちゅうより、軍内の国粋主事連中を、やろうなぁ・・・」

その後だ、統帥幕僚本部の情報保全本部(防諜部)が、急に各部隊に対して信条調査を始めたのは。 これもまた、従姉で調査第1課調査班長の、右近充京香少佐から漏れ聞いた。

「嫌な話やで。 若い連中が、誰にも気付かれてへんと思い込まされて、実は周りからしっかり監視されとる・・・」

「馬鹿の事を、しなきゃいいんですけどね・・・」

「上層部も何を考えているのだか、見て見ぬ振りだし・・・」

幸いに、と言うべきか。 第14師団や第15師団には、国粋主義の萌芽すら認められなかった。 常にBETAとの対戦の緊張を強いられる即応部隊や、北関東防衛線部隊故か。

そろそろ夜が明けて来た。 相変わらずの曇天、それに雪は今日1日中、降る予報らしい。 周防少佐、長門少佐、木伏少佐の3人は、朝食を摂る為に煙草を消して、屋内に入った。

「まったくのう・・・佐渡島に、半島には鉄原もあるっちゅうのに。 国内の難民問題に、経済の再建やら何やら・・・これ以上、面倒事は堪忍やで、ホンマ」

木伏少佐のぼやきは、周防少佐も長門少佐も、全く同感だと、そう思った。




[20952] 暗き波濤 10話
Name: samurai◆810767d4 ID:f7211fde
Date: 2013/03/02 08:43
『神は、その人が耐えることのできない試練を与えない(コリント人への手紙)』―――南米諸国に広がる、G弾でのハイヴ先制攻撃論に対し。 2000年2月、ローマ教皇談話。

『人はたとえ全世界を手に入れても、真の魂を損じたら何の得があるだろうか。 その魂を買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいのだろうか(マタイによる福音書)』
―――オルタネイティヴ第5計画に対し、枢機卿会議上にてローマ教皇。 2001年1月





2001年11月11日 1900(日本時間11月12日0700) 南米 旧ブラジル・パラグアイ国境地帯 旧パラグアイ、アルト・パラナ県
現『ローマ教皇庁領パラナ』 シウダー・デル・エステ、デル・エステ大聖堂(司教座聖堂:カテドラル)


1985年のBETA侵攻による西ドイツ・フランス陥落に端を発する教皇庁の『遷都』は、ポルトガルのリスボン(1985年)、英国・ロンドン(1986年)を経て、遂に『新大陸』に至る。
新大陸(北米)に移った当初、教皇庁はその座をニューヨークのセント・パトリック大聖堂に置いた。 この大聖堂はニューヨーク大司教区の、大司教座聖堂だったからだ。
しかし、余りにも強烈な『宗教権威』に、米国内の主流派であるプロテスタント各宗派、そして有力信者たる、白人上中流層が大反発する。 彼等はかつての清教徒の末裔だった。

何故ならば、カトリック信者は米国内白人各民族に中の少数派であり、信者の多くはラテン・アメリカ系の人々が主流を占めていたからだ。 米国内の下層に住まう人々である。
高まりつつある宗教対立に憂慮を示した『ローマ』教皇(と、教皇庁)は、北部から南部・ニューオーリンズのセント・ルイス大聖堂に移る。
ここはアメリカ合衆国のカトリック司教座聖堂としては、最古の司教座聖堂としての歴史を有し(1718年)、周囲にはカトリック信者も多かった。 1990年の事である。

しかし今度は、『宗教版南北対立』に発達する恐れさえ出て来た。 合衆国政府はこれを憂い、密かに教皇庁国務省外務局と接触する。
合衆国国務省は更に、南米諸国へ極秘裏の交渉を開始した。 『ローマ教皇庁の南米遷都』である。 南米大陸は、世界最大のカトリック信者達の『神の王国』だった。
そして、その後のブラジルとアルゼンチンの(一色触発寸前の)対立回避や、ABC三国合意(アルゼンチン、ブラジル、チリ)、パラグアイへのブラジルの内政干渉阻止など。
様々な紆余曲折を経て、当時南米諸国の中で最も有力な2カ国と、その間に挟まれたハートランド的な1カ国、ブラジル・アルゼンチン・パラグアイとの間の秘密協定が結ばれる。

世界はその結果しか知らない、すなわち『ブラジル・アルゼンチン・パラグアイ3カ国租借条約』である。 1992年8月に締結された。
これにより教皇庁は、この3カ国の国境線が入り混じるイグアス川、パラナ川で、お互いに対岸同士で隣接する3つの小都市を(その市域を含め)100年間租借された。
すなわちブラジル・パラナ州のフォス・ド・イグアス。 アルゼンチン・ミシオネス州のプエルト・イグアス。 パラグアイ・アルト・パラナ県のシウダー・デル・エステである。

教皇庁は旧ブラジルのフォス・ド・イグアスに『ヴァチカン』を置き、パラナ川西岸に位置するシウダー・デル・エステに『司教座聖堂』を置いた。
フォス・ド・イグアスのイグアス川を挟んだ南岸のプエルト・イグアスには、ヨーロッパから脱して来た、多くの南欧系難民が暮らしている。 


夜の晩課を終えた大司教である、ホセ・ジョバンニ・バティスタ司教枢機卿は、大聖堂の中庭の大回廊をゆっくりと、独り歩いていた。
彼が独り、ここをゆっくりと歩く時は、何かの思案をしている時だ。 今年65歳の大司教は、聖職者たらんと志した15歳の時から半世紀、この癖を止めない。
ルネサンス様式のこの大聖堂が完成したのは、僅か1年ほど間の2000年10月の事である。 以来、司教座聖堂としてデル・エステ大司教が信徒を教導し、司式する為に常座している。

不意にバティスタ大司教は、人の気配に気づき、立ち止った。 彼の神聖な思案の一時を乱す者は、この大聖堂の聖職者には居ない。 居るとすれば・・・

「・・・ドン・ファドリケ・シルヴァ」

1人の壮年の男性が、大司教を待っていたように、柱の陰からそっと姿を現した。 長身で、見た目は痩身だが、中は鍛え上げた鋼の様な身体を持つ、アッシュ・ブロンドの髪の男。
遠く16世紀、ポルトガル植民地に入植したポルトガル貴族を祖先に持ち、ブラジル帝国時代には大土地所有貴族のラ・シルヴァ家となった家系に連なる男。
ブラジル、パラグアイ、ウルグアイ、アルゼンチンにかけて、幅広く食料生産加工・鉱物資源開発を手掛ける企業の社主にして、南米の裏社会の『皇帝』でも有る男。
BETAの侵攻によるユーラシア失陥は、南米へも難民の大規模流入を引き起こした。 その結果、資本の流入・経済の向上と同時に、治安の悪化を加速させた。

「お久しぶりです、枢機卿猊下・・・」

この男は何時も、バティスタ大司教を『枢機卿』と呼ぶ。 それは間違いではない、バティスタ大司教は、教皇庁の『司教枢機卿』団に属する最高位の聖職者だった。

「構いません、人払いをさせています、ドン・シルヴァ」

枢機卿の言葉に、ファドリケ・シルヴァが一瞬、凄みのある目の色を浮かべた。 この男は貴族家系出身の、ただの大企業家では無い。
南米では長く麻薬(コカイン)の生産・流通を牛耳っていた、コロンビアのメデジン・カルテルが1993年に、首領のエスコバルの死によって壊滅した。
対立組織であったカリ・カルテルも翌年に自壊を始め、その結果として『カルテリト』と総称される小型組織が幅を利かせ始める、『戦国時代』に突入した。
ファドリケはこの『カルテリト乱立時代』に、硬軟織り交ぜた周到で、かつ陰惨で残酷な手法で対立組織を次々と潰し、或いは吸収し、遂に南米の麻薬市場を『統一』した男だ。

2001年現在ではコカインだけでは無く、ユーラシアと言う『原産地』を追われた、セティゲルム種とソムニフェルム種―――芥子の2大種にも関わっていた。
南米大陸は赤道から極地近くまでと、縦に長い。 コカの栽培はアンデス山脈一帯だが、芥子は亜熱帯気候型、北方気候型、天山気候型など、世界中の気候に合わせた6型がある。
当然ながら、南米大陸でも栽培が十分に可能だった。 ファドリケ・シルヴァの組織は、コカインとアヘン(ヘロイン)を主軸とした、世界の麻薬市場に君臨している。
最近はアフリカ大陸の同業者(多くは政情不安定な国家の、軍閥がバックにある)ともネットワークを組んで、その流通量をコントロール下に置いていた。

「カトリック教会には、CIAの息が掛った者も、若干ながらおります。 が、この南米には、おりません。 しかし、念の為です・・・」

そして現在、北米大陸に流入するコカイン・ヘロインのほぼ100%が、ファドリケの作り上げた組織ネットワークによるものだ。 ファドリケは、CIAの暗殺リストのトップに居る。

「一昨日、兼ねてお願いしておりました寄付金の1億ドル、教会に喜捨させて頂きました」

「・・・ありがとう、ドン・シルヴァ。 この地の信徒らの暮らし向きも、貴方のお陰でかなり宜しくなってきました」

同時にファドリケ・シルヴァは熱心なカトリック信者であり、南米に逃れた教皇庁の有力な後援者の1人でも有ったのだった。
ファドリケ・シルヴァは、大企業のオーナーと言う表の顔の他、『麻薬ネットワークの皇帝』と言う裏の顔も持っている。 個人資産は数百億ドルとも、数千億ドルとも言われる。

「・・・やはり、行うのですか? ドン・シルヴァ?」

「はい・・・この大陸に住む、多くの同胞の為です」

ファドリケは同時に、『南米共同体運動』の促進主要メンバーでも有った。 これは『同一通貨、同一パスポート、一つの議会』を目指す、南米版EUと言えた。
加盟国間の平等で対等な政治的対話の強化、南米統合の促進、地域貧困の撲滅、識字率向上運動など、BETA大戦下で多極構造の世界に向かっての運動だった。
南米全域が大国の介入無しに、南米諸国が直接対話を行い、自主的・民主的な地域統合で世界の構造変化を進めていく考えだった。

「・・・南米大陸は、豊かな大地です。 本来は、飢えや貧困とは無縁の・・・日本と日本人は、信頼できる友好国であり、良き隣人ではありますが・・・」

南米における日系人・日本人の評価は、実は非常に高く良好だった。 明治期に遡る移民一世の頃よりの、勤勉、真面目、誠実さが、南米社会に好意を持たれている事は事実だ。

「やはり、この先、何十年かかるか判らない計画よりも・・・」

「明確な成果を見込める、目の前の劇薬に頼る、と・・・確かに、扱い様によっては、良薬にも、劇薬にもなりましょう。 聖下(教皇)のお言葉の通り」

「・・・10年後、20年後・・・もしも仮に、その時間が有ったとして・・・その時、この豊かな大地は北米の、アメリカの植民地と化しているでしょう」

我々にはもう、時間が無いのです―――ファドリケ・シルヴァは、貴族の家系の血を引くに相応しい、整った容貌を歪めて、絞り出す様に吐き出した。 己の欺瞞を。
BETA大戦下における世界で、最前線国家群を、後方国家群が支える。 主義主張の違い、実際の関係は違えども、表向きはそういう構造が出来上がっていた。
そして後方から支援する、その主軸は、何と言っても世界最大の国力を有するアメリカ合衆国だ。 そしてそのアメリカが、自国の巨大な工業経済力の原材料とするのが・・・

「今の南米諸国は、良く言ってもアメリカへの資源供給地帯です。 豊かな資源、良質で豊富な労働力・・・それらが有るにもかかわらず。
5年後には、北米資本が乱入して来るでしょう。 10年後にはその北米資本が、南米経済を牛耳る。 15年後にはアメリカが内政干渉を強め、20年後には属国化する・・・」

故に、ファドリケ・シルヴァ等、『南米共同体運動』の促進主要メンバー達にとって、BETA大戦の早期終結は、愁眉の急であった。 そしてその手段は、現在ひとつだけ。

「G弾の、一斉集中運用・・・『バビロン作戦』の発動、ですか・・・?」

「はい。 南米諸国、そしてアフリカ諸国を、近い未来の再植民地化から防ぐ為の手段は、残念ながら『それ』しかありません」

BETA大戦を早期終結させ、多極化世界の多重心国家連合同士による、『戦後復興』の強力な推進。 アメリカ一国では、到底賄いきれない需要を生み出す。
アメリカの一極集中を逸らし、同時に南米共同体が他の多極化地域と連合を組む。 その中に、南米共同体―――『南米連合』は乗り出してゆく。 これしかないのだ。

「良き隣人、良き友である日本と、日本人には、苦痛を与える事になります。 私は、地獄で幾らでも懺悔をしましょう―――それで、この豊かな大地と人々が救われるのならば」

「一粒の麦は地に落ちて死ねなければ、一粒のままである。 だが、死ねば多くの実を結ぶ―――『ヨハネによる福音書』 
外務局長のアンドレアス・ベルティーニ枢機卿は、抑えております。 教理省、司教省も同様です。 ドン・ファドリケ・シルヴァ。 良き一粒の麦ならん事を」

「・・・有難うございます、猊下・・・」

ホセ・ジョバンニ・バティスタ大司教は、デル・エステ大司教であると同時に、教皇庁布教聖省長官を兼務していた。 権限の大きさから『赤衣の教皇』と呼ばれる最高位職だ。
ファドリケ・シルヴァは、大司教の前で膝を付き、深々と頭を垂れた。 彼は、良き羊飼いにならんとしていた。 何故なら、羊を襲う獣もまた、この世に生きる者達なのだ。


30分後、南米に生産拠点を移して操業を続ける、装甲科されたメルセベス・ベンツの豪華な車内に、ファドリケ・シルヴァは居た。 前後を護衛の部下達の車が固めていた。

「―――そうだ、エッツォ。 計画を続行しろ。 米軍内にも腐った果実は、幾らでも居る。 女を抱かせ、美味い酒と食事を呉れてやれ。 薬と大金を握らせろ。
男でも、女でも構わん。 隠された欲望を引き出せ、目を背けたい現実を見させろ。 そして・・・実現させてやれ、己の暗い欲望を。 そうして、取り込め」

目標は、国連軍宇宙総軍・北米司令部の有る、マサチューセッツ州ハンスコム宇宙軍基地。 そして米軍・宇宙航空軍団司令部のカリフォルニア州エドワーズ宇宙軍基地。
HSSTの打ち上げ運用・管理を行うこの2大基地。 その管制要員と、派遣される陸海軍のHSST要員。 出来れば真面目で、職務熱心で、信仰心の篤い者がいい。

「・・・一度、墜れば、あとはアリ地獄に、自ら飛び込んでくれる手合いだ」

ファドリケの『目標』にとって邪魔なのは、遙か遠い極東の最前線国家に存在する、とある国連軍基地だった。 その基地が消滅すれば、G弾の使用は一気に速まるだろう・・・

(―――その為の計画は、もう何年も練ってきた。 必要な資金を得る為に、この手も汚した。 必要以上に米国の報復の的にならぬよう、世界の麻薬流通量も制御してきた・・・)

大企業家であり、カトリック教会への支援を惜しまぬ篤志家。 そして世界の麻薬ネットワークを支配する、『麻薬ネットワークの皇帝』
胸ポケットから、1枚の写真を取り出した。 数人の少年と少女達が、笑顔で笑っている。 彼と、彼の貧しかった友人達だ。 幼馴染だった。

(―――10代も半ばで、抗争で死んだトニオ。 オーバードーズ(麻薬過剰摂取)で死んだ、ヤクの売人だったマルコに、情婦で娼婦だったエレノラ・・・)

そしてもう1人、ファドリケ少年の隣で微笑んでいる、可憐な少女―――マリア。 貧困から娼婦に身を落とし、麻薬の運び屋にされ・・・アメリカとメキシコの国境で射殺された。
このままでは―――オルタネイティヴ第4計画が続行したままでは、多くの少年と少女達が、トニオやマルコ、そしてエレノアやマリアになり続ける。 確実な未来だった。

だから彼、ファドリケ・シルヴァは、『あの老人』と手を組んだ。 表のビジネスと、裏のビジネス。 両方でその存在を知っている老人。
アメリカの煌びやかな繁栄の、その奥底で、その繁栄の政治と経済の両面に、長きに渡り影響力を行使して来た者達の1人。 『会議』に異を唱える事の出来る老人。

(―――あの老人が、かの国への影響力をどう増大させようが、知った事では無い。 俺の目的は・・・横浜の破壊。 オルタネイティヴ第4計画の、早期崩壊・・・)

裏のネットワークは、往々にして表のネットワークを上回る。 ましてや、彼ほどの者ともなれば、機密情報の収集能力は、一国の情報組織を上回る。

(―――HSSTを落とす。 そして破壊する、完膚なまでに)

ファドリケ・シルヴァの『同志』は、南米社会のあらゆる階層・組織に広がっている。 各国の政府高官、高級官僚、軍の将軍、企業家、大学の教授、聖職者、在野の文学者・・・
誰もが生まれ育った南米の豊かな大地の行く末を憂い、そして己の欺瞞を自覚し・・・それを了とした者達だった。 彼等の中には、アフリカ連合へ影響力を持つ者も居る。
既に計画は最終段階に入った。 後は彼、組織の裏工作を統括するファドリケ・シルヴァが、如何に手早く合衆国軍内に『毒』を流し込むか、だ・・・

不意にファドリケは、電流に打たれた様に体を震わせた、胸元の十字架に触れたからだ。それは結婚した時に、彼の新妻となった女性から贈られた記念の十字架だった。

(ジュリアナ・・・アドリアナ、クリスティアーノ、アレッサンドロ、ファビオラ・・・)

彼の妻、ジュリアナは日系ブラジル人5世であり、民族的には純粋な日本民族とされる。 長女アドリアナ、長男クリスティアーノ、次男アレッサンドロ、次女のファビオラ。
彼の子供達もまた、母から半分、日本人の血を引いていた。 何よりも義母―――妻の母は、夫との結婚でブラジルに帰化した元日本人だったのだ。

正義とは、白でも黒でも無い。 限りなく灰色に近いものなのだ―――ファドリケ・シルヴァは、己の欺瞞を知る男だった。






「・・・主よ、かの者の罪を許したまえ。 そして御身の子たらんとする、我が身の罪を許したまえ・・・」

デル・エステ大聖堂の祭壇の前で、ホセ・ジョバンニ・バティスタ大司教枢機卿もまた、祈っていた。










2001年11月12日 0820 日本帝国 大東諸島・沖大東島


沖縄本島より南東へ約400km。 太平洋に浮かぶ絶海の孤島、かつては全島が私企業の私有地で有り、現在は帝国海軍の射爆撃場として使用されている。
島の表土は殆ど無く、緑は全く無い隆起珊瑚礁の無人島。 だが今日は年に数回、『有人島』になる日だった。 島のそこかしこで、作業が行われている。

「・・・あれ、あの標的な。 あれは、突撃級BETAの装甲殻だろう?」

島の沖合、約500mの海面に停泊していた給兵艦(兵装運搬艦)のデッキから島を眺めていた、中年の将校―――海軍では無く、何故か陸軍の大佐―――が、傍らの人物に問うた。

「ええ。 技本の連中が、どこかからか融通を付けたらしいです。 まあ、戦場へ行けば、『あれ』はゴロゴロと転がっていますからね」

倒されたBETAの残骸の中で、長くその原形を保っているのは、要撃級BETAの前腕、要塞級BETAの触手の先、そして突撃級BETAの装甲殻だ。

「威力の確認には、丁度いいと言う事で。 他にも何種類か用意しています」

陸軍大佐の隣の、海軍造兵中佐(技術将校)の視線の先には、要撃級BETAの前腕の残骸やら、要塞級BETAの触手の先端部やらが、島のそこかしこに転がっていた。

「そりゃ、そうだが・・・まあ、良いか。 威力評定の対象が、BETAの残骸。 『帝国軍はあくまでも、対BETA戦争を戦い抜く』ってな、PRにもなるか」

「ええ、どこぞの国の様に、対BETA戦ではクソの役にも立たない、あからさまなステルス機能を付与した、AH戦闘重視の戦術機やらと比べれば」

「国内的にもな。 制圧支援兵装すら運用できん、『最後の自裁装置』的な戦術機しか、目に入らん連中と違って、な・・・」

最後の一言は、自国内で軍備予算の喰らい合いをしている『商売敵』的な組織への、痛烈な皮肉だった。 城内省予算は、あくまで国家予算から大蔵省との折衝で決まる。 
一部流布している様な、五摂家資産からの独自予算では無い。 と言うより、五摂家にその様な経済力など、全く無い。 となれば、予算の奪い合いの相手は、憎き敵だ。

「しかし、なんだな。 俺の爺様は先の大戦の時に、小笠原兵団の所属でなぁ・・・戦争の最後には、硫黄島でせっせと地下坑道を掘っていたそうだ。
ま、アメちゃんの上陸前に、戦争は終わったんだがね。 でも、もしもあの戦争が続いていたら・・・地下陣地攻略には、火炎放射器と手榴弾、それにナパーム・・・」

「詰まる所、我々がやろうとしている事と、同じ戦術思想でしか、攻略できなかったでしょうね。 ハイヴも言ってみれば、巨大な地下坑道陣地ですし」

そんな事を言い合っている内に、島の方では準備が整ったようだった。 3機の戦術機―――『撃震』が上陸している。 装備している兵装は、突撃砲では無かった。
かと言って、最近になって制式採用された01式57mm近接制圧砲でも無い。 海軍の98式57mm制圧支援砲でも無かった。 
砲身はやや太い、100mm級だろう。 反面で砲身長は短い、40口径長も無いだろう。 無骨な機関部に、これも無骨な支持部。 日本人の兵器への美意識に全く合致していない。

「やっつけ仕事だからなぁ、どうしても無格好だよなぁ、あれ」

「仕方ありません、廃物利用、再生使用ですから」

海軍造兵中佐が言う通り、その砲身は実は、旧式化・陳腐化・威力不足で早々に退役した、陸軍の74式自走105mm榴弾砲の砲を流用している。
砲の機関部だけは、流石に新規設計だ。 砲全長は6.88m、重量は4.25t、砲身長は37口径長、砲口径は105mm―――『01式105mm擲弾砲』、戦術機用の装備だ。

『―――射撃試験開始、30秒前。 総員、対衝撃防御と為せ』

艦内スピーカーから、試験司令部のオペレーターの声が流れる。 陸軍大佐と海軍造兵中佐は、揃って急造された装甲遮蔽板の後ろに身を隠す。 スリットから外部を覗けるのだ。

『―――射撃開始、10秒前・・・5秒前・・・3、2、1、開始!』

シュバッ―――意外と気の抜けた発射音と共に、1機の『撃震』が、装備した01式105mm擲弾砲から砲弾を発射した。
数瞬後、島の中央部に小さな光球が発生し、たちまち小規模な火球に変化した。 同時に質量を伴った衝撃波と衝撃音が、艦に届いた。

『―――続けて第2射、第3射』

先程と同様に、気の抜けた射撃音に遅れる事、コンマ数秒。 再び光球から火球、そして衝撃波と衝撃音の到来。

「・・・良いぞ、良いぞぉ・・・」

装甲板のスリットから島の様子を見ていた陸軍大佐が、表情を崩す。 それは美味そうな獲物を見つけた、肉食獣の様な笑みだった。





30分後、艦内の試験司令部では、島から入ってくる結果報告を確認しながら、陸・海・航空宇宙軍、つまり帝国3軍の佐官たち数人が、一喜一憂していた。

「計測された爆発時中心気圧12.2万気圧、爆風速約403m/s(非常に強い台風:風速50m/s前後のエネルギーの、約530倍前後)・・・」

「爆風圧が179.5万Pa(17.95t/㎡)、爆心地エネルギー75.5cal/㎠で、温度は約4500℃か・・・」

「想定される対BETA有効危害半径は、最大で約65mほどです」

「威力を上げれば、もっといけるが・・・閉鎖空間じゃ、これ以上はこちらの身が危ないな」

「爆心地半径40m以内では、突撃級の装甲殻、要撃級の前腕、要塞級の触角先端部・・・全て溶解しています。 半径60mでも、6割方が溶解していました」

「小型種なら、対BETA有効危害半径はもっと広がるのじゃないか?」

「ええ。 大型種で60m、戦車級以下の小型種ならば、半径100mでも有効でしょう。 50m付近でエネルギーは23cal/㎠、温度約1600℃でした。
100m付近での想定では、エネルギーは15 cal/㎠、温度約1100℃程度まで低下する筈ですが・・・爆風圧がありますからね。 逆に運用機体は、300mは距離を置かない事には」

「最低でも300m、安全限界距離で500mか?」

彼らが話しているのは、帝国軍がハイヴ侵攻時の戦術機部隊用の、広域制圧兵器として新開発―――では無く、既存技術・既存兵器の寄せ集めででっち上げた代物だった。
だが、予想以上に結果は良好だった。 これなら使える、軍の技術陣は誰もがそう、確信した―――『01式105mm擲弾砲』、誰が言ったか『ガラクタの寄せ集め』である。

ハイヴ突入後の戦術機部隊の主兵装は、相も変わらぬ突撃砲一筋で有る。 無論、様々な兵器体系が研究され、試作され続けたが、形になった兵器は極少ない。
現状では欧州のラインメイタルMk-57中隊支援砲、アメリカのM88-57mm支援速射砲と、それをライセンス生産した日本海軍制式採用の98式57mm支援速射砲。
今のところ、この3種類の57mm支援速射砲くらいの物だった。 制圧用の小型誘導弾が有るにはあるが、『明星作戦』での戦訓から、日本帝国軍内では有効性を疑う声もある。

そこで考え出されたのが、『穴倉に籠った敵を制圧するには、火炎放射器に手榴弾。 その両方で炙り出ししか無い。 ハイヴのBETAも同じ事だ』と言う意見だった。
主に『明星作戦』で横浜ハイヴ内に突入し、そして命からがら、叩き出されて逃げ出す事に成功した者達に、賛成意見が多かった。

使用される弾種は、105mmの『01式広域制圧用特殊砲弾』 01式105mm擲弾砲とセットで急造開発された砲弾だった。
ネタを明かせば、S-11弾薬である『電子励起金属水素爆薬』、その特殊爆薬5kgを弾頭に装備。 爆発出力は0.1kt相当に匹敵する。
S-11自体は1975年に理論が完成し、実用化は1985年。 小型化成功は1986年。 同年『S-11』として各国軍が採用した、高爆発力爆薬だ。
開発当初はヘリウムが使用されていたが、現在の主流使用元素は水素(H2)である(金属水素)になっている。 

2001年現在、その威力はHNIW(C-20)の、約12,000倍に向上(HMX換算の1.2倍) TNT換算で1トンの爆薬が、TNT24,000トン分の威力を持つ(24kt級戦術核に相当)
S-11の爆薬重量は、約200kgで爆発出力は4.0~5.0kt相当である。 01式広域制圧用特殊砲弾はその1/40、5kgを搭載する。
因みに、戦術機に搭載される型のS-11は、弾薬重量50kg、爆発出力は約1ktと、『01式広域制圧用特殊砲弾』の丁度10倍になる。

5kg爆薬装備の01式広域制圧用特殊砲弾は、爆発時中心気圧12.2万気圧、爆風速約403m/s(非常に強い台風:風速50m/s前後のエネルギーの、約530倍前後)
爆風圧179.5万Pa(17.95t/㎡)、爆心地エネルギー75.5cal/㎠(約4500℃) 対BETA有効危害半径は、約65m。 最大で約100m(小型種に対してのみ)

つまり、1m四方に約18トンもの衝撃が、風速50m/sと言う『非常に強い台風』が生み出す暴風の、その約530倍もの強烈な暴風圧の勢いで、ぶつかる様を想像すればいい。
言い方を変えれば、ちょっとした重量を持つ装甲車両が、時速1440km/hの早さでぶつかってくる。 時速144km/hではない。 時速1440km/h、戦車砲の弾速レベルだ。

その衝撃を想像すればいい―――とんでもない衝撃だ。

結果報告では、突撃級BETAの装甲殻は溶解しただけでは無く、一部はバラバラに散壊していると言う。 これが活動中のBETAだと、衝撃波で100%、体内構造を破壊される。

だが欠点もあった。 そのひとつが、対BETA有効危害半径が約65mと、狭い範囲でしかないと言う事だ。 だが、これは問題にされなかった。
なぜならば、この『01式広域制圧用特殊砲弾』は野戦での使用を前提にしていない。 あくまで狭空間であるハイヴ地下茎内での使用を、前提にした兵器だからだ。
爆薬単位配列を計算して、後方への爆発影響力も極力排除している。 運用者である戦術機への影響を、極限まで抑える為だ。 かなり限定された『前方投射兵器』である。

「ハイヴ内戦闘専用の、火炎放射器と手榴弾を組み合わせた、擲弾砲で発射する制圧兵装か・・・制圧支援機での運用になるんだな?」

「ええ。 小型誘導弾の有効性は、『明星作戦』で、かなりミソを付けましたからね。 広域制圧兵器としては、威力不足を露呈しました。
今後予定されている、佐渡島奪回作戦では、陸海軍共に戦術機部隊の装備は、制圧支援機は01式105mm擲弾砲に01式広域制圧用特殊砲弾。
砲撃支援機は98式57mm支援速射砲を装備。 無論、両任務機共に、自衛用に突撃砲を1基、装備させますがね」

01式105mm擲弾砲は6連装のシリンダー式弾倉で、背部兵装担架に6個の予備弾倉を装備できる。 都合42発の最小型S-11砲弾を、運用可能だった。
01式広域制圧用特殊砲弾は砲弾重量約15kg、装薬は6号装薬を使用し、射程距離は約4,400~9,600mだ。 無論、射角によって射程はコントロールできる。
起爆方法は、対BETA検知センサーを内蔵した方法と、かなり時代錯誤だが時限爆発式の2種類。 手榴弾、もしくは擲弾か迫撃砲弾代わりなのだ、贅沢な起爆方法は不要。

「生産体制は?」

「国内、国外の生産指定企業の工場で、24時間体制のフル生産に入っています。 砲の方は月産で170門、砲弾は月産5万発―――1門辺り300発強」

「・・・少ないな」

居並ぶ試験司令部の面々から、呻き声が聞こえて来た。 1個戦術機中隊での制圧支援機は、定数で2機。 170門だと85個中隊―――28個大隊しか充足できない。
例えば帝国陸軍の甲編成師団は、師団編成内に3個戦術機甲連隊を有する、9個大隊だ。 そして大隊編成に、中隊は3個。 つまり1個甲編成師団だけで、27個中隊。

「・・・どこに優先配備させるかだな。 甲編成師団で言えば、第1に第12、第14師団・・・」

「第1師団は無かろう、あそこは帝都から動かない。 配備するなら、第12か第14だろう?」

「いや、待て。 即応部隊も、ハイヴ突入戦には投入される可能性が高いだろう? 関東の第15と、関西の第10師団も検討せねば」

「第10、第12、第14に第15師団・・・戦術機甲大隊は30個大隊だ、月産数を上回る」

「11月の月産分は、全て即応部隊に優先配備。 12月分の生産分は、半数を第12と第14師団に。 11月の生産分は、第10と第15師団に配備しても、まだ余る」

あくまで非公式だが、佐渡島奪回作戦には、その4個師団が参加する事は内定していた。 そして強力な戦力を有する部隊故に、ハイヴ突入部隊に指名されるだろう、との噂だ。

「ま、そこは軍令の連中が決定する事だ。 我々は兵站の連中と調整を取って、月産生産数の増加を促進するまでだな」

島からまた、ズシンと重い衝撃音が聞こえて来た。 第2回目の発射実験が始まったのだった。









2001年11月11日 2100 アメリカ合衆国フロリダ州


バンッ!―――ドアが勢いよく蹴り破られた。 続いて突入する武装したMP達。 だが・・・

「・・・ホイットモア特別捜査官、目標は見当たりません。 もぬけの殻です」

アフリカ系の中尉が、そう報告する。 まただ、またもやしてやられた―――くそっ! 一体どこに逃亡したの!?

合衆国航空宇宙軍特別捜査局(Air Force Space Office of Special Investigations:AFSOSI)の、ウェンディ・ホイットモア特別捜査官は、無意識に爪先を噛みしめていた。
ターゲットは、リンゼイ・バーク航空宇宙軍中尉、26歳の女性将校だ。 内偵を進めた結果、南米の犯罪組織―――悪名高い、ファドリケ・シルヴァの組織との繋がりがあった。
そしてリンゼイ・バーク中尉は、航空宇宙軍内で第18宇宙航空軍団、アリゾナ州デビスモンサン宇宙軍基地の保安要員だった。 デビスモンサン基地はHSSTの運用管理基地だ。

「・・・一体、麻薬組織が航空宇宙軍に、何の利益が有って・・・」

そこが、判らない。 沿岸警備隊や、南部諸州の州空軍、州陸軍ならば話は判る。 麻薬密売ルートの確保だ。 しかし、航空宇宙軍? 宇宙からドラッグでも落とすつもり?

「ホイットモア特別捜査官、これを」

MPの軍曹が、ウェンディ・ホイットモア特別捜査官に一枚の紙切れを手渡した。 かなり急いでいたのだろう、読み取りにくかったが、辛うじて『Eaton』と読めた。

「Eaton・・・イートン? 何かしらね・・・?」

ホイットモア特別捜査官の独り言に、MP達も小首をかしげる。

「故郷のミシガン州には、イートン郡って場所が有りますが・・・」

「カナダの、でっかいショッピングモール」

「メジャー・リーガーにそんな名前の選手が」

「バスケットボールにも、そんな名前の選手、居ます」

「大昔の海軍長官に、居ませんでしたっけ?」

「イギリスの、名門学校」

皆が口々に言い始める。

「ちょっと、お待ちなさい。 そんな、口々に・・・」

ウェンディ・ホイットモア特別捜査官が困惑顔で征する。 しかし・・・Eaton? イートン?・・・イートンとは・・・?
何にせよ、筆跡鑑定にかける必要があるわね、ホイットモア特別捜査官はそう思った。 もしもこれがバーク中尉の筆跡ならば、余程慌てて書きなぐったものだろう。

(何でもいい・・・少しでも、手掛かりを・・・)

彼女は、何やら得体のしれない焦燥感に、襲われたのだった。





『正義なんて滑稽ものだ。 一筋の川で限界づけられるのだから。 ピレネー山脈のこちら側では真実でも、向こう側では誤りなのだ』―――ブレーズ・パスカル





[20952] 暗き波濤 11話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:24fe8d08
Date: 2013/03/13 00:27
2001年11月12日 1315 日本帝国 帝都某所 国際難民区


『そこ』は元々、大きな倉庫か何かだったのだろう。 今は小さな小売の露店が、所狭しと乱立する、巨大な屋内市場に変貌している。 無論、無許可の市場だ。
2人の男女が、その中の狭い通路を奥へと歩いていた。 狭過ぎて時折、買い物客や店者と肩がぶつかる位。 が、誰も気にしない。 元々そういう場所だ。 

やがて奥の昇降口に辿り着いた。 そこには眼付の厳しい数人の男達が屯している。 2人に気づくと、男達の緊張が増した。 懐に手を入れている者も居る、銃かナイフだろう。
2人連れの内、男の方が被っていた帽子をとり、逆さにして近くのテーブルに置く。 そして手の平を最初は伏せて、次に上に向けて翻す。 更には複数の複雑な動作を。

『・・・第三五字輩、旭尚東(シュイ・シャントン) 師父は第三四字輩、張貴援老師』

『是・・・』

男達のリーダー格が、慇懃な態度に変わって2人を招き入れた。 昇降口の扉の向こう、地下に下る階段が有る。

「・・・あたな、中国人だっけ?」

「中国人でも有り、日本人でも有り・・・要は、人間さ」

プロヴォ―――RLF過激派工作員の男は、相方の女を煙に巻く様な表情でそう答えた。 男が示したのは己が『青幣』、つまり中華系の古い秘密結社の一員である証だった。
やがて階段を降り切ると、そこにも屈強な男達が数人、入口の前で警護をしていた。 仲間の合図に、黙って地下室の扉を開ける。 

2人は案内された地下室に入った―――悲鳴が聞こえた。

「やあ、小尚。 今日は綺麗な小姐を、お連れだね」

「羅宋林老師、願い事をお聞き入れ下さり、有難うございます」

旭尚東と名乗るプロヴォの男は、目前の好々爺然とした初老の小男に、恭しく頭を下げた。 女の方も、軽く頭を下げる。

「好、好、小姐、それに及びません。 儂と小尚の師父・張貴援は義兄弟の間柄、同じ青幣の同志。 小尚は儂の義理の息子の様なもの。 息子が父親を頼る、ごく普通の事です」

「恐れ入りますわ、老師」

その割には、随分とえげつない頼り事だ事―――女・・・教会のシスター姿の彼女は、思わずそう思った。 地下室では、2人の男女が拷問にかけられていた。
女の方は椅子に固縛され、各所に電流を流されて悲鳴を上げている。 男は両手を縛られ中に吊るされ、鉄棒で向う脛を激しく乱打されて、激痛の絶叫を張り上げていた。

「男の方は、国家憲兵隊の狗だ。 女の方は、特高警察の鼠だね。 中々しぶとかったが、ようやく白状したよ―――憲兵隊も、特高も、未だ12月10日から15日だと、思っている」

拷問されている男女の内、男は日本帝国国家憲兵隊所属の潜入捜査官。 女は内務省警保局特別高等公安庁の、これまた潜入捜査官の様だった。 正体が露見し、捕えられたのだ。

「それ以外で、『あの集まり』や、摂家衆、政治家、企業・・・それぞれに潜んでいる、憲兵隊と特高の息のかかった連中が、これだね。 まあ、一部だろうが」

「頂きます」

老人が渡した紙切れを、丁重に折り畳んでポケットにしまい込むプロヴォの男。 今度は報酬の話だ。 女―――シスターが老人に対して話し始めた。

「南米からの『教会』関連物資の中に、ご要望の品々を。 受け取りは難民区の、いつもの場所で」

「どこの産かね?」

「いずれも、ドン・シルヴァからの、老師への特別贈呈品、との事ですわ」

「好! 好! 小姐、それは素晴らしい! ドン・シルヴァにお伝え下され、儂はとても満足じゃと!」

特別贈呈品―――南米からの、大量のコカインとヘロインだ。 青幣は互助結社であると同時に、麻薬、賭博、売春、殺人請負で隆盛した犯罪結社でもあった。
1920年代から30年代の『魔都』上海では、黄金栄、杜月笙、張嘯林の三人の幣主(ゴッドファーザー)らが、中国の裏社会を支配していた。
特に杜月笙などは、1927年の国民党の北伐、そして4月の上海クーデターでは、中国共産党員や、そのシンパの労働者達の大量処刑を行うなど、政治的な動きも行っていた。

杜月笙は国民党総裁の蒋介石とも、義兄弟の契りを交わし交友を深め(蒋介石も青幇の一員であったとする説もある)、蒋介石から様々な政府重職の肩書を与えられる。
国民党政府軍少将、陸海空軍総司令部顧問、上海市抗日救国会常務委員、中国通商銀行董事長、国民党政府行政院参事、上海フランス租界華董など、様々な分野の要職についた。
そして1929年には銀行を設立し、フランス租界内の莫大な資金を一手に吸い上げた。 これらの源泉となったのが、言うまでも無く『阿片』だった。

その構造は、2001年現在も変わらない。 共産党支配により、『最後のゴッドファーザー』、杜月笙が表舞台から姿を消した青幣だったが、その構成員は中国人だけに留まらない。
実際に同じ様に中華系の秘密結社・『洪門』は、1992年にアメリカで世界洪門親和大会を開いている。 現在、洪門の総会はハワイ州・ホノルルに存在する。
青幣と同時期に活動した『紅幇(ほんぱん)』も同様である。 1920年代には、もっぱら阿片密売や管理売春などを行っていた。
上海でも活動していた紅幇は、哥老会系が核となっていて、哥老会は『洪門』の一派でも有る。 『幇』は相互扶助的な側面が強く、青幇と紅幇の両方に所属している者もいた。

これらの組織は、根底に『相互扶助的性格』を有する為、民族・人種を問わない特徴が有る。 1920年代から40年代には、日本人や英国人の幣員(構成員)も存在したのだ。
そしてその性格は、BETA大戦下での大量に発生した難民・移民先に素早く浸透する。 彼等は難民区や移民先で組織を形成し、拡大させていった。
人が集まる所には、何らかの需要が発生する。 そして多くの難民区での需要は、非合法の裏流通にとっては、またとない市場となり得る。

東アジアから東南アジア、オセアニアに南北アメリカ大陸の太平洋岸、その一帯に広がる国際難民区は、青幣系・紅幣系秘密結社のネットワークにもなっている。
幣はそこで商売を始め、事業を興し、『白幣(表の顔、企業家や事業主)』の顔を得ると同時に、その地域の『黒幣(黒社会)』に進出する。 主商品は麻薬だった。
彼等は各所で、国際難民であると同時に、環太平洋地域の裏物流の担い手でも有り、また同時に裏の情報サービス業をも営む、裏社会の商人でも有ったのだ。

しかしその麻薬調達が、特に鎮痛剤―――モルヒネの原材料となる、生阿片の原料の芥子の栽培が、ユーラシアがBETAの勢力圏となってから、非常に困難となっていた。 
日本でも東北地方や北海道で、芥子の栽培が栽培されているが、徹底して医薬品の原料としての栽培に限定されていた。 日本国内での阿片調達は難しい。

不意に悲鳴が途絶えた。 見ると拷問を受けていた2人の日本情報機関の潜入捜査官達が、気を失っていた。 もっとも情報を吐かされた後は、より凄惨な暴行による死しか無い。

「この難民区では、毎日、毎日、何十人と死人が出ておるわ。 1人、2人増えても、誰も気にも留めんよ。 もし、心配なら・・・粉砕して、豚の餌にするがの?」

「まあ、そこは、老師の宜しき様に・・・」

プロヴォ―――RLF過激派と青幣との、二足草鞋をはく男は、朗らかに笑って、その場を後にした。









2001年11月12日 0130(日本時間11月12日 1530) カナダ オンタリオ湖湖畔


「・・・あのご老人は、危険ですわ、ミスタ・ポートマン。 今の情勢下で、極東の最重要戦略地域に、政治的な空白を作る事は・・・」

湖畔の別荘の暖炉の前で優美な美貌を曇らせながら、アンハルト=デッサウ侯妃、イングリッド・アストリズ・ルイーゼ・アンハルト=デッサウは、憂い顔でそう言った。
彼、米国国防総省・国防長官官房の国際安全保障問題担当部アジア・太平洋担当副次官補である、ダスティン・ポートマンも全くの同意見だった。

「まさしく。 候妃様の仰る通り」

遺伝上では祖父ながら、表向きは全く赤の他人である、ロックウィード一族の族譜に名を連ねる、あの老人。 表向きは富裕な引退した老人に過ぎないのだが・・・

「あのお方は、ご一族内の影響力はおろか、アメリカの軍需産業界、米軍部内の右派将校団、CIAの右派・・・そして、ネオコン政治家達に強い影響力を持っていますわ。
昨今では『会議』でも、懸念の声が上がっておりますの。 日本帝国内の新自由主義政治家達も、すっかり、あのお方の掌の上・・・大企業は、より甘い汁を据えるモノと・・・」

あの老人は、第5計画派では無い。 かと言って、第4計画を憎しみ抜いている事については、裏の世界では誰もが知り抜いている。
南米大陸の連中が画策している、『バビロン作戦』の早期発動に心底から同意している訳でもないだろう。 彼の『祖国』への有力な『防波堤』が欲しいだけだ。

「その事につきましては、鋭意、我々も『三極委員会』を通じ、『友人』達と連絡を取り合い、対処中です。 候妃様」

ポートマンの言う『友人達』がどの様な者たちなのか、察する事が出来ない程、アンハルト=デッサウ侯妃も初心な乙女では無い。 『会議』の代理人を務める女性なのだ。
軽い溜息をつきながら、侯妃が真っすぐポートマンを見据える。 数百年に渡り、欧州の支配層の間で交配された血が生み出す、その美貌が持つ圧力に、気圧されそうになる。

「・・・先だって、オルタネイティヴ第5計画の最高渉外担当者である、ミスタ・ブロッケンバウワーが見えられましたの。 
どうにかして、日本と横浜への謀略を、阻止出来ないだろうかと・・・彼等も、苦慮しておるようですわ」

それだけ言うと、アンハルト=デッサウ侯妃は『また逐次、ご連絡を差し上げましょう』、そう言って退出して行った。

侯妃が退出した後、ダスティン・ポートマンは独り、窓の外の冬のオンタリオ湖畔の風景を眺めていた。 そして考え続けた、そろそろ、連中とも手を握る事も手か? と・・・
ポートマンにも仲間がいる。 政界、官界、外交筋に産業界、メディア界に法曹界、そして軍部・・・いや、巨大な勢力の、その一部が彼、ダスティン・ポートマンだった。

(・・・一度、ロス・アラモスへ行くか? 彼女の意見を聞きたいものだ、『グレイ・マザー』・・・レディ・アクロイドの意見を)

『バビロン作戦』における実効性、いや、実行後の影響に対して、ロス・アラモス内で最も激しい反対意見を発している『グレイ・マザー』
G元素運用の大家にして、第5計画の中心人物の1人。 そしてG弾の実戦運用レベルでの主要開発メンバーでも有った、スコットランド貴族の初老の女性科学者。

だがその前に・・・ポートマンは別荘から電話をかけた。 秘話装置付きでは無く、普通の電話だ。 相手はCIAの友人宅だった。

「ああ、フェリシアかい? 僕だ、ダスティンだ。 ロバートは居るかな? ああ、うん・・・うん・・・いや、今は仕事でカナダさ。
そうか、じゃあ、残業中かな? 食品会社のセールスマンも、多忙だね・・・じゃあ、ロバートに伝えてくれないかな? 週末はフットボール(アメフト)観戦だぞ、ってね」

CIAは在勤中、例え家族と言えど、その本当の所属を明かしてはならない。 ポートマンの友人も、家族には民間会社のセールスマン、と言うアンダーカヴァーで通している。

(―――西海岸の華僑結社と、南米の麻薬王のシルヴァの組織。 その二つを繋いで、動かしているのは、明らかにカンパニー(CIA)、その右派の連中だ・・・
CIA国家秘密本部麻薬対策センター長の、ロドニー・オブライエン。 それに東アジア部部長のウォルター・ヒューズ、アフリカ・中南米部部長のアンドリュー・カーター・・・)

更にその親玉として、国家秘密本部本部長のマイケル・マコーニック、極めつけは中央情報局(CIA)長官のジョンストン・ゴース。

(―――だけど、一枚岩じゃない。 むしろ、内部分裂寸前だ、CIAは・・・)

中央情報局副長官のジョン・クロンガード、情報本部本部長のリチャード・ミシック、行政本部本部長のハリー・マクラフリン・・・ジョンストン・ゴースの『政敵達』の面々だ。
他にも情報本部の東アジア分析部長、ライオネル・モーガン。 グローバル問題部長、エマ・シーリング。 外国指導者分析部長、ネッド・ジャクソン。
『CIA右派』の巣窟と思われている国家秘密本部内でも、副本部長のバジー・リチャーズ、防諜センター長のスティーブン・サリク等は、右派の強硬手段に反対していると言う。

(―――何とかして、あの老人と、ゴースの間の糸を断ち切るしかないかな?)

CIA長官のジョンストン・ゴースは、1983年に共和党からニューヨーク州選出の下院議員となり、以後ほぼ16年間ニューヨーク州を代表した。
下院において、彼は1992年から情報委員会委員長、1996年に設置された下院合同調査会で、副議長を務めた。 ゴースはこうして、CIAに対し支配権を握るようになる。
下院議員としてゴースは、米軍の欧州再派兵、対テロ活動の予算増加、並びに1998年の対日安保破棄議案、中南米やアフリカ、アラスカでの秘密作戦への追加資金割当に賛成した。

また彼は、所謂『アメリカとの契約』署名者の1人であった。 これに署名した政治家は、情報部及び軍の予算増加審議への賛成を行う。
更には国連指導下での、アメリカ軍の行動に対する規制を拒絶する事を規定する、国家安全保障制度回復法案を、下院に提出する義務を負っていた。

完全なタカ派政治家、そしてネオコンであり、軍需産業界・情報組織右派と密接な関係にあったジョンストン・ゴース下院議員は、1999年にCIA長官に推薦される。
1998年の日本本土へのBETA上陸・日米安保破棄に米国内が内心で動揺するさなか、米国上院において、81対13で承認され、第18代CIA長官に就任した。

「ああ、そうだ。 アメフト観戦後は、どうだい、フェリシア、君も一緒に? 美味いオイスター・バーを知っているんだ。 確か君の好物だったよね?」

友人は大切だし、その妻とも友情が有る。 私人としては心苦しい、だが公人としてのポートマンは、それを当然の事と認識している―――騙し続ける芝居を。

(―――ゴースは、あの老人の『引き』で下院議員から、CIA長官にまでなった。 あの老人の忠犬だ。 そしてその忠犬達は、己の利権の為に、主人を煽って唆す・・・)

いや、利権の為と言うのは、自分達も同じか? 第4計画が万に一つでも成功すれば、それはそれで良し。 失敗しても、第5計画を取り込む算段は用意している。
だが、性急なイレギュラーは宜しくなかった。 今のこの世界情勢で、極東に巨大な政治的空白が生じるのは、アンハルト=デッサウ侯妃が言う通り、拙い。

「ああ、じゃあ、週末に。 楽しみにしているよ。 ロバートによろしく」

ポートマンは受話器を置いて、溜息をついた―――ロバート、君の所で、西海岸の華僑犯罪組織と、南米の麻薬組織を、地球上から消し去る事は可能かい?

ポートマンの友人は、CIA国家秘密本部・防諜センターの上級工作監督官だった。










2001年11月12日 1515 日本帝国 帝都・西多摩郡 石河嶋重工・瑞穂第3工場


周囲は雑木林が目立っている。 場所によっては畑・茶園などが残り、そんな中に思い出したように、昔ながらの農家風の民家が点在する。 
帝都でありながらも、昔の面影を留めている。 そんなのどかな風景の中を、1輌の軍用車輌―――OD(オリーブドライ)色の陸軍業務車1号と呼ばれる車が走っていた。
やがて、ひと際広大な敷地を有する工場の門前で速度を落とすと、守衛所で運転手が何かのパスをちらりと見せ、そのまま構内に入って行く。

「・・・随分と広いのね」

業務車1号―――殆ど全て、帝産自工社製の4ドアセダン―――の後部座席に乗っている陸軍女性佐官、綾森祥子陸軍少佐が構内を見回しながら言った。

「はあ。 何せ、帝国を代表する財閥のひとつ、その旗艦企業の最新開発・生産拠点ですので・・・噂では、政府からの資本導入も有ったとか」

噂じゃないわよ、それは―――運転手の軍曹の言葉に、内心で少し苦笑しつつ、綾森少佐はまた工場の構内を何とは無しに見る。 陸軍の第1造兵廠並の広さではあるまいか?
石河嶋重工は、本体は船舶・海洋製品、航空・宇宙産業、機械事業に物流・鉄構事業、それにエネルギー・プラント事業と、手広く商売をしている帝国重工業界の雄だ。
幕末以来150年を超える歴史を誇り、帝国重工業界において、日本を代表する名門企業のひとつであり、日本の工業技術をリードしてきた企業のひとつである。
日本初のターボ・ジェットエンジン開発、日本国内最大の大型海水淡水化装置建設、他にも海底トンネル工事用シールド掘進機に、海峡を跨ぐ巨大橋梁の建設など、枚挙に暇ない。

やがて車は構内の奥、なかば隔離される様に厳重な警戒が敷かれた区画に入り、その中の建物のひとつの前で停車した。

「ご苦労、軍曹。 恐らく3時間程よ、そこの控室で待機していなさい」

「はっ! 少佐殿!」

サージ織の濃緑色常装冬季軍装の上衣(背広型)に、同色のスカートと黒のストッキングに黒の革靴。 帝国陸軍女性将校の定番の出で立ちで、建物に入る綾森少佐。
複雑な配置の廊下を進み、更に建物内の複数個所のチェックを通過して、半地下になっている空間の出入り口の扉を開ける。
そこは―――まさに、巨大な格納庫だった。 吹き抜けの階高は、200m以上あるのではないだろうか? 奥行きも恐らく600m以上、幅もほぼ同じくらいあろうか。

「あら、今、到着なの?」

先に来ていたのだろう、キャットウォークの方から、1人の陸軍女性将校が綾森少佐に話しかけて来た。 その姿を認め、昔馴染みの気安さで溜息をつく綾森少佐。

「最近はもう、目の回る忙しさなのよ・・・『これ』のお陰でね」

「ふふ、仕方ないわね。 機甲本部第1部としては」

綾森少佐の相手―――同期生で、戦友で、そして親友でも有る、帝国軍兵器行政本部第1開発局・第2造兵部員の三瀬麻衣子陸軍少佐が、ご愁傷様、とばかりに苦笑を浮かべる。
綾森少佐の所属する国防省機甲本部第1部は、戦術機甲部隊・機甲部隊・機械化装甲歩兵部隊の専門教育、関係学校の管理を主任務とする。

「この機体・・・って言えば、いいのかしら? 兎に角、これの運用教育体系を整える為に、帝国3軍(陸軍・海軍・航空宇宙軍)の関連部署と、会議、会議の連日なのよ・・・」

「帝国軍上級将校とは、人脈と根回しを武器とし、会議と書類を主敵とし、その余力を持ってBETAと戦うと見つけたり・・・ね」

綾森少佐と三瀬少佐が、力の無い笑みを浮かべ合う。 三瀬少佐もまた、第1開発局内に於いて、根回しと予備交渉、本会議と、実働部隊に居た頃が懐かしい日々を送っている。

「・・・戦略航空機動要塞、『XG-70』ね・・・」

「正確には、その運用試験機、『YG-70b』が正式呼称ですが」

背後からの声に、綾森・三瀬両少佐が振り返ると、長身痩躯の1人の陸軍少佐が近づいてきた。 軍服の兵種標識は藍色、技術将校だ。 第1開発実験団の高山左近陸軍技術少佐。
(綾森少佐は青色:通信科。 三瀬少佐は浅葱色:戦術機甲科)

「高山技術少佐・・・ああ、そうでしたわね、確か」

「XG-70シリーズの運用試験機。 『YG-70b』・・・」

XG-70―――米国の『HI-MAERF計画』における、大規模火力を搭載・運用出来る兵器プラットフォーム。 その系譜は次の通りになる。
最初に開発・製造されたのが、ML機関運用試験、搭乗員訓練用の実験機である『XG-70a』 次いでML機関出力向上試験、重力偏差軽減システム実験機の『XG-70b』
だがここで、有名な『あの事故』が発生する。 そして1987年7月の『モーファイス実験』で止めを刺され、以後は表向き計画中止に追い込まれ、実機はモスボール化された・・・

「ロックウィード社は、計画の公式な中止後も、細々と基礎研究を継続し続けてきました。 ノースアメリカーナ、マクダネル・ドラグムもまた同様に」

眼前の巨大な格納庫に横たわる、その巨大な機体を見つめながら、高山技術少佐は感無量と言う表情で話し始めた。

「どだい、ハイヴ攻略戦においては、戦術機のみの攻略は不可能に等しい・・・甲22号攻略、『明星作戦』での参謀本部資料(上級将校のみ閲覧可)でも、そう結論付けた・・・」

事実だった。 あの戦いでは、ハイヴ突入戦力として陸・海・航空宇宙3軍合計で、第1陣で23個戦術機甲大隊、第2陣で27戦術機甲大隊を横浜ハイヴ内に投入した。
結果は・・・第1陣の軌道降下兵団6個大隊、陸上からの突入機動兵団17個大隊は80%、第2陣の27個大隊も約60%近い損失を受け、ハイヴから叩き出された。 

―――最後は、G弾での決着だ。

「地球上でのハイヴ攻略戦、そして将来に発生する・・・可能性も捨てきれない(そう言わざるしか無い所が、忌々しい)月面でのハイヴ攻略戦。
戦術機のみの攻略部隊では、火力が圧倒的に不足します。 そう、半世紀前の大戦で、連合軍部隊の大火力の前に、小銃だけで吶喊して死んでいった、我々の祖父達の如く」

その考えはまさに、『HI-MAERT計画』を提唱した、1967年の月面戦争時代に源流を持つ、1970年代の米国防省内の『ルナ・ウォー・マフィア』達と同じである。
彼等は兵站の貧弱すぎる月面での戦闘と、BETAの大規模物量侵攻を、世界で初めて身を持って味わった者達として、戦術機に代表されるその後の兵器体系に批判的な一派だ。
BETAの大群を『圧倒的火力と物量を備える連合軍』、戦術機部隊を『小銃を主兵装に、無謀な敵前吶喊を仕掛ける、玉砕日本兵』と置き換えれば、より判り易いかもしれない。

「でも、計画は頓挫したわ」

「12名のクルー全員を、一瞬でシチューにしてしまう代物ではね・・・」

三瀬少佐と綾森少佐が、陸軍版『大艦巨砲主義者』の高山技術少佐をからかうような口調で言う。 しかし慣れているのか、はたまた鈍感なのか、高山少佐は気にする様子が無い。

「技術の進歩は、日進月歩です。 1980年代の技術では不可能でも、2001年の技術では『かなりの部分』が可能となっています」

XG-70bはその後、1990年にグレイ11反応効率向上機関試験、重力制御システム向上試験用の実験機、『XG-70bⅡ』となり、辛うじて計画3社の間で命脈を保つ。
その後、1994年に通常の大火力兵装実装の実験機として、『XG-70d』を設計・製造し、1995年に完成させた―――その後、国防省の命令により1996年、モスボール化される。

「・・・この『YG-70b』は、XG-70bⅡでの試験が完了した後、XG-70b、XG-70bⅡの実験成果を踏まえた、1992年に造られた運用試験機です。
また、通常の大火力兵装の実装を可能とするかどうかを、XG-70dに先立って事前試験する為に造られた、XG-70dの事前実験機の性格も、持っていました」

2001年、後身とも言えるXG-70dと共にモスボール化されたYG-70bに、再び陽の光が当てられた。 皮肉にも米国では無く、表面的な対立が目立ってきた日本帝国で。
2001年初頭、オルタネイティヴ第4計画は、スポンサーである日本帝国政府に対し、国連軍研究開発本部、統合管理本部・教育開発管理総局を遡り、ひとつの『要望』を伝えた。

曰く―――『HI-MAERF計画の接収』と。

日本帝国の大蔵省主計局が、巨額の予算に盛大な悲鳴を上げる中、首相官邸主導で強引に決定された接収交渉と実作業。 それに当った帝国国防省は、ひとつの決断を下した。

曰く―――『横浜の総取りなど、許されるものか』と。

この接収計画に費やされる為に、目に見えて削られた国防予算。 それでも間に合わず、指先に火を灯す様な低予算で行われていた、難民救済予算枠さえ、削ったのだ。
時代は、天才を、英雄を欲していたのかもしれない。 が、しかし、組織は天才も英雄も必要としない。 それは害悪にしかならない。
国体の維持と組織の存続、そして様々な面子・・・帝国国防省は、様々な経緯から、横浜に対して憎悪を通り越した感情を抱くに至った、外務省や大蔵省を巻き込んだ。

「・・・石河嶋は、随分と美味しい所取りの様ですわね?」

三瀬少佐が、幾分の嫌味を込めて、高山技術少佐に言う。 

「・・・『我が社』はロックウィード、ノースアメリカーナ、マクダネル・ドラグムへも、各種機械設備やエネルギー・プラント装置にシステム・・・
それに、ロケットエンジン用ターボポンプなどを、輸出販売しています。 傘下のグループ会社の中には、『HI-MAERF計画』に必要不可欠な部品を納入していますよ」

高山技術少佐は、民間からの『徴兵技術者』だ。 石河嶋重工の主任技術者だったのだ。この様な技術将校が多くなったのは、オルタネイティヴ第4計画が始まった直後からだ。
帝国3軍が揃って、優秀な科学者・技術者を横浜に総取りされない為の措置として始まった。 それに半世紀前の反省も。 優秀な技術者を、一兵卒として死なせる訳にいかない。

「石河嶋重工は、既に四半世紀に渡り、『HI-MAERF計画』と付き合ってきたのです、水面下で。 帝国電機をはじめ、日本の重電各社の動きも把握し続けていました。
我が帝国独自の量子工学分野での成果は、必ずやこの『YG-70b』に光明をもたらす、そう信じていましたよ・・・」

帝国国防省は、大蔵省、外務省などと共謀し、『HI-MAERF計画』試験実験機の4機の内、Xナンバーの実験機3機(XG-70b、XG-70bⅡ、XG-70d)を横浜に引き渡した。
その代わり、最後の1機である運用試験機、『YG-70b』は、自分達の取り分として、横浜との水面下での陰湿極まる『交渉』の結果、極秘裏に獲得に成功していた。
綾森少佐、三瀬少佐が漏れ聞く噂では、帝国内でも内務省と情報省が、裏で密かに血を流し合いながら対立し、内務省は国防省に対して協力したと言う。

「・・・戦略航空機動要塞、『YG-70b』 秘匿名称『義烈』 乗員12名、全高145m、全長150m、全幅68.5m 主機はML機関・・・」

「航続距離は、巡航25ノット(46.3km/h)で1万2500海里。 速力は臨界限界速度が60ノット(111.1km/h)、安全限界速度が45ノット(83.3km/h)・・・」

綾森少佐の呟く様な声に、三瀬少佐が『YG-70b』を見上げながら続ける。

巡航速度25ノット(46.3km/h)、3次元機動時の制限速度10ノット(18.5km/h) 装甲は機体殻をチタニウム合金とし、複合装甲(積層装甲)を2重に張っている。
装甲自体は、共重合合成樹脂-ニッケル系単結晶耐熱材-シリカガラス耐熱繊維-チタニウム合金を合わせた複合装甲。
複合装甲と複合装甲の隙間の中空に、レーザー蒸散塗膜を充填。 更に最外殻の複合装甲の表面はセラミック・コーティングとレーザー蒸散塗膜の表面処理が為されている。

「耐熱・耐衝撃・超硬度の3つを兼ね備えた装甲。 これはオリジナルには無かった物ね」

「石河嶋の技術です。 メイン兵装は荷電粒子砲を1門装備(発射速度:3発/分(バースト砲撃時、限界時間5分間) 又は3分/発(制圧砲撃時、限界時間30分))
他に127mm電磁投射砲を2門搭載。 これは今春に海軍が開発した、『01式64口径・127mm電磁投射艦砲』を流用しています。 横浜の物とは、少し違いますな」

「近接防御兵装としては、57mmリヴォルヴァーカノンを4連装銃座で2基、36mmチェーンガンは単装6基搭載、ね」

「他にも、VLSを32セル×2基搭載・・・派手ねぇ・・・」

綾森少佐と三瀬少佐が、搭載兵装を呆れながら確認している。 すると高山技術少佐が、そんな事は些事に等しい、と言う。

「本機の最大の『武器』は、本機の管制システム、その中枢装置です」

米国での『あの事故』は、1980年代の技術では、ラザフォード場の多重干渉による重力偏差制御を為し得る、演算処理能力・速度を得る事が出来なかったが故だ。
『YG-70b』には、中枢管制・制御装置として、帝国海軍イージス巡洋艦『伊吹』級が搭載しているのと同型の、『512qubit光量子コンピューター』を搭載している。

「それも、なんと10基も・・・聞いた話では、大蔵省主計局の部課長級で、何人か急性胃潰瘍で病院送りになったとか、ね?」

「私も聞いたわ、『大蔵省主計局が、全員卒倒した』と言われる程の、巨額の調達資金投入だったとか。 さもありなん、だわ・・・」

「彼等にとっては、机上の書類との格闘が、このBETA大戦での主任務でしょうから。 目出度く、『名誉の戦傷』でしょう」

これだから、技術屋は―――綾森少佐も、三瀬少佐も、ただただ苦笑するしかない。 巨額の国家プロジェクトの成果である、光量子コンピューター。
1基だけでも特別予算を組むと言われる程の代物を、なんと10基も搭載しているとは。 確かに無い袖を、無理やり振らされた大蔵省主計局の面々の苦悩が、偲ばれる逸話だ。

「YG-70bを動かすには、大まかに『ML機関制御』、『重力偏差制御』、『出力変動制御』があります。 そしてその3つを繋ぎ、有機的に統合する『システム・マネージメント』
更には、過去のあらゆるプラン、アクション、リザルトの膨大なデータを蓄積し、要求に応じて瞬時に最適解を引っ張り出す『システム・データ・ストレージ』
この5つの制御と機能を、必要充分にこなすには、残念ながら『512qubit光量子コンピューター』でも、1台では到底無理でした」

そこで、各制御・機能に1台ずつ振り分け、しかもご丁寧に、リスク回避策として各々、A系、B系の2重化バックアップシステムとしたのだ。 10台必要な理由だ。

「お陰さまで、3次元機動は、まだまだ制限が必要ですが、それでも実戦投入のレベルには、達しました。 ハイヴ突入任務をこなせるかは、未知数ですがね。
しかし、ラザフォード場を展開しつつ、内部より実装兵装を運用出来る。 もっとも素のままでも重光線級なら3分40秒、光線級なら12分、レーザー照射の直撃に耐えます」

石河嶋重工だけでは無い。 光菱重工、富嶽重工、河崎重工、遠田技研、大空寺重工と言った、本来なら競合の重工各社。 他に化工、繊維、重電、弱電、塗料、鉄鋼、電機・・・
帝国内の関連各産業界が、これ程までに短期間に、しかも利益無視で持てるソースを大量に、集中的に投入した国家プロジェクトは、早々存在しない。

「明後日の14日、第3回目の実機試験飛行を行います。 場所は小笠原沖。 その後の予定は、20日に第4回、26日に第5回の実機試験飛行。 場所は同じ小笠原沖。
来月の1日には、沖大東島(沖縄本島の南東約400km、南大東島の南約150kmの太平洋上)で、極秘兵装発射試験を行います」

12名の乗員は、陸・海・航宙軍から選抜された要員だ。 機長を兼ねる大佐の戦術作戦士官(Tactical Commanding Operater:TACO)に、正副、2名の操縦士(少佐と大尉)
正副、2名の航空機関士。 正副、2名のシステム管制士。 正副、2名の射撃管制士。 正副、2名の通信・管制士と、1名の航法士。 全員が大尉以上の将校で占められる。
操縦士は3次元機動(ヘリに似ている)の必要性から、副操縦士は大型ヘリ操縦資格を持っている(正操縦士は、大型機の操縦資格者)

要員の選抜は6月から開始され、8月に選抜が完了した。 シミュレーターでの訓練は、8月から開始されている。 実機の改造・改修は5月から開始されて、10月に完了した。

「かなり、戦闘時の機動制限が有ると聞きましたわ」

「ええ、映像でも確認しましたけれど・・・」

2人の女性少佐が、懸念事項を口にする。 YG-70bは安全性を確保する為に、安全限界飛行速度の45ノットでリミッターが掛る。 巡航は25ノット。 戦闘速度は10~15ノット。
砲撃時はホバリング、又はランディング・ギア固定が徹底され、機体の水平回頭速度は最大9度/秒、通常で6度/秒。 上下角機動は仰角最大30度、俯角最大は-10度。
左右傾斜角は最大15度、水平復元制限時間は最短で2秒。 これらの機動制限値は、ML機関制御と重力偏差制御、出力変動制御上、必ず守らねばならなかった。

「私も、昔の帝大時代の同級生仲間から、例の『第4計画』の概要は聞いております。 そこで使用される予定の、『XG-70』シリーズの改修計画の事も。
この『YG-70b』は、『XG-70』シリーズに比べて、元々の『戦略航空機動要塞』と言うより、寧ろ、『空中移動砲台』と言った方が、良いのかもしれません」

最低限、ラザフォード場を確実に展開できる機能と、荷電粒子砲を発射出来るだけのML機関出力の維持。 そして射点を自在に確保できる程度の、移動能力。
確かに、移動性を備えた空中砲台、そのモノの考え方だった。 横浜が内部で要求する仕様がどの程度なのか、残念ながら帝国軍情報組織は、まだ掴んでいない。
だが帝国は―――日本帝国軍は、ここまでの性能仕様で、了とした。 ハイヴを可能な限り、最小損失で攻略する為の道具。 それが『YG-70b』・・・『義烈挺身砲台』だった。





「では、問う。 ハイヴ内に突入させる『義烈』 その護衛に必要となる護衛戦力は? 綾森少佐、三瀬少佐、忌憚の無い所を」

予備研究部会で議長役を務める海軍中佐が、発言を促した。 最初にまず、機甲本部の綾森少佐が起立し、出席者を見渡しながら答える。

「直接護衛には最低でも、戦術機甲3個中隊。 可能なれば、後衛と、後方との連絡維持の為に、あと3個中隊。 合計6個中隊」

場がざわめく。 綾森少佐の見解で行けば、YG-70b、『義烈』の投入には専属の戦術機甲部隊が2個大隊分が必要となる事になる。 次に兵器行政本部の三瀬少佐が起立した。

「前衛、左右の側衛、そして後衛に各1個中隊は、必要不可欠です。 連絡網維持には、ハイヴの深度にもよりますが・・・最低でも2個中隊。 出来れば4個中隊」

更にざわめきが大きくなる。 こんどは8個中隊、3個大隊近い戦力が必要だと言う。

「私は『明星作戦』当時、第18師団第181戦術機甲連隊の5科長(連隊主任CP将校兼務)でした。 そして第181連隊は、ハイヴに突入した部隊でした」

「綾森少佐同様、私も『明星作戦』に参加しました。 ハイヴに突入した第14師団第141戦術機甲連隊で、戦術機甲中隊長でした」

詰まる所、綾森少佐も三瀬少佐も、通常戦力でのハイヴ攻略戦を『現場』で経験した人材だった。 綾森少佐はハイヴ内戦闘の管制を、三瀬少佐はハイヴ内戦闘自体を。

「断言します。 『義烈』の護衛部隊は、最低限で6個中隊・・・」

「実際の実戦運用時には、護衛は8個から9個戦術機甲中隊が必要となります」

居並ぶ出席者からは、一言も出ない。 国防省、統帥幕僚本部、陸軍参謀本部に海軍軍令部、航空宇宙軍作戦本部、それぞれから出席した中佐や少佐。
他にも、石河嶋を始めとする、傘下主要企業の担当重役たち―――天下りの、元軍人達―――も、息を飲んで黙りこんでしまった。

そんな、馬鹿な―――と、誰もが言いたい。 だが言えない。 この場で『明星作戦』における横浜ハイヴへの直接攻撃部隊に参加したのは、面前の2人の女性将校達だけだから。
実戦における経験は、時に階級や社会的立場さえも凌駕する。 そしてそれだけの実戦経験と実績を、この2人の女性少佐達は有しているのだ。

「・・・4個中隊までなら、何とかなると思う」

参謀本部の第2部・運用支援課から出席していた陸軍少佐が、掠れた声で言った。 運用支援課の、支援企画班長を務める男だった。

「だが、合計で8個から9個中隊・・・実質、1個戦術機甲連隊だ。 3課(参謀本部第2部作戦課)の作戦班も、戦力班も、首を縦に振らないだろう・・・」

「統幕(統帥幕僚本部)の1課(第1部=作戦部・作戦1課)も、恐らく・・・YG-70b、『義烈』の投入の目的のひとつは、ハイヴ内への戦術機部隊投入数の低減だ・・・」

統帥幕僚本部第3部の軍備課から参加している海軍少佐もまた、言いにくそうに発言する。 他の軍人達も似たような表情だ。 
確かに、本来の原則は判る。 が、経験上、それは机上の空論に近い。 綾森少佐も三瀬少佐もそれが解るだけに、白々しい気分だ。 綾森少佐が、皮肉を塗した口調で言う。

「諸官は、今年初頭に陸軍参謀本部が作成した考察報告書に、目を通されたかと思います。 私は、あの第11項に、心から賛同しますわ―――面子大事より、恥を知りなさい!」

出席者の多くは、古参の少佐か中佐達だった。 対して綾森少佐は、まだ若手の少佐、しかも女性将校。 先任・上級者の男達は、黙って赤面する。

「あの報告書を作成した、当時の研究班長(参謀本部第4部・戦略戦術課・研究班長)の立花少佐も、さぞ歯痒い思いだった事でしょう・・・あの後、千島へ左遷ですから」

今度は三瀬少佐が、冷ややかな視線で出席者を見渡し、そう言う。 実戦経験豊富な2人の女性少佐達にとっても、組織の面子が蔓延る後方の官衙は、歯痒いばかりだった。

「もう一度、再確認したいと思いますわ。 『横浜』がXG-70シリーズを『決戦兵器』と捉えているとの情報・・・我が帝国軍にとっても同様です。
通常戦力でのハイヴ攻略は、能いません。 私と三瀬少佐は、99年の横浜ハイヴで、それを痛切に実感しました・・・いえ、確信しました」

「佐渡島は、フェイズ4ハイヴです。 その個体群の総数は・・・『戦場での予測とは、常に外れる事が前提だ』 実戦部隊での、血と命で贖った格言ですわ。
ここに居られる皆さんの中で、ハイヴ・・・スタブの真ん中で、数千、数万のBETA群と対峙した経験のある方は? 居ない? では、教えて差し上げますわ、『地獄』です」

もう、誰も反論しようとする者はいなかった。 

「あ~・・・ちょっと、ええかな?」

場違いな、のんびりした声がした。 全員が振り返ると、オブザーバー参加していた海軍の提督―――金ベタの海軍少将―――が、柔和な表情でしゃべり始めた。 関西弁丸出しで。

「うん、あのな? そっちの陸さんのお嬢さん方(この言葉に、綾森少佐と三瀬少佐が、無意識に眉をひそめた)の言い分も、よう判るわな?
なんせワシら、今まで散々、BETAに負け続け取るんやしなぁ・・・あ、いや、戦闘でやのうて、戦争での話や、うん。 でな、参本と統本の言い分も判る、無い袖は振れんわな?」

一体、この提督、どちらの言い分を支持したいのだ? 誰もがそう思った時、その海軍提督―――今年、やっと将官に進級した淵田海軍少将は、会議室を見回していった。

「でもな? ワシはさっきから、不思議で仕方ないんや。 フェイズ4ハイヴの横坑の推定最大直径は・・・確か100m位やろ? 主坑で200m前後や。
そんで、『義烈』は全高145m、全長150m、全幅68.5m・・・横浜のは、1機がちょい小そうて、1機はちょい大きい・・・なあ、どないして、佐渡島の地面の下に入れるんや?」

国連軍横浜基地のXG-70b、通称『 凄乃皇・弐型』は、全高130m超。 その後継機であるXG-70d、通称『 凄乃皇・四型』は全高約180mに達する。
確かに淵田少将の言う通り、XG-70、YG-70シリーズは、フェイズ5以上のハイヴでなければ、侵入する事が物理的に不可能なサイズだった―――場が急速に静まり返る。
戦闘機動は、フェイズ5ハイヴでも恐らく不可能だろう。 フェイズ6ハイヴ―――オリジナルハイヴでなければ、その機動空間を確保出来ないだろう。

「国連軍から流れて来た、この作戦骨子の素案な? 横浜の『予定』かつ『要望』は、XG-70bを佐渡島の地面の下に入れる、ってあるけどな。
おい、誰でもええわ。 ワシに、130mのサイズの物を、直径100mのトンネルの中に入れる方法っての、教えてくれんか・・・?」






「予備部会の検討報告です」

「うん・・・これじゃ、今更部内に、言い訳をできんなぁ・・・」

「不思議です、どうして今まで誰も、その点に気づかなかったのか・・・小官もですが。 どうします? 修正案、もしくは、案自体の破棄を?」

「ん・・・だが軍も所詮は、中央官庁だ。 一度決定した事を変更するなど、BETA相手に戦うよりも、困難だ・・・」

「では、『作戦発起点の絶対確保』とでも、言い訳を付けて、『義烈』は地上での運用だけに留めますか?」

「地上に湧き出した、BETAの殲滅任務、そうなるだろうな。 ハイヴ内は例の『特殊擲弾筒』を、有効活用するしかないだろう。 突入予定の連中には、気の毒だがね・・・」





[20952] 暗き波濤 最終話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:390c6667
Date: 2013/04/07 01:18
2001年11月12日 2015 日本帝国 帝都・東京 陸軍衛戍病院


「朝井少佐、こちらです」

部下に案内された、軍病院の死体安置室。 国家憲兵隊特殊作戦本部付の朝井少佐は、その死体の酷さに大体の予想を付けた―――露見して、外部の組織に消されたのだ。

「間違いありません。 潜入していた、安斉少尉です。 こっちの女の死体は、どうやら特高の要員の様です」

「特高?」

「はい、今しがた・・・」

部下が言う前に、安置室の扉が開いた。 数人の男女が警備兵に伴われて入ってきた。 先頭の女性が、朝井少佐の前で自己紹介をする。

「内務省警保局、特別高等公安庁。 調査局調査1課の、藤崎都子警部補です」

「・・・国家憲兵隊、朝井雄介憲兵少佐です。 藤崎警部補、身元の確認は・・・」

「しました。 部下です」

無残な部下の死体―――全身の打撃跡、そして火傷跡。 止めは四肢を断ち切られての失血死。 藤崎警部補は20代後半頃の女性だが、そんな酷い死体に表情すら変えない。

「お互い、この手の死体は見慣れていますわね、憲兵少佐?」

「ああ、軍人によるものではない。 情報組織でも無い」

「明らかに、見せしめの要素が強い・・・国際難民区には、青幣系・紅幣系の犯罪結社の他、ロシアン・マフィアに朝鮮系犯罪組織、それに東南アジア系・・・色々と」

「ロシア人では無かろう、連中はもっと大雑把に殺す。 東南アジアの連中は、死体を人目に晒さない。 中華系か、朝鮮系の結社の仕事だろう」

朝井少佐も、藤崎警部補も、凄惨な姿の死体を前に、極平静に会話を進めている。 2人の国家公安治安担当官は、これまでも散々、この手の死体を見続けて来たのだ。

「問題は・・・『あの集まり』の者達が、その手の組織と渡りを付けるか、ですわ」

「憂国の烈士を自任する者達、ましてや、社会的には純粋培養の若手軍人達だ。 その線は考えられないな」

「では、第3者が動いている、と?」

藤崎警部補の探る様な表情に、朝井少佐が少し不機嫌そうに言う。

「・・・惚けるのはよそうぜ、警部補。 君の所の組織は、FBI(米連邦捜査局)とは昵懇だろう?」

「少佐の組織も、DIAやCIA中道派とは、ご昵懇だと側聞しますわ」

「なら、そう言う事だよ―――なあ、藤崎警部補。 腹芸はここまでにしないか? 向うさんも一枚岩じゃない。 FBIは国内捜査権限から、CIAとDIAを締め出したい。
DIAとCIAは、海外での特殊オペレーション―――国際政治工作の主導権争いをしている。 現在はDIAが一歩リードだ。 CIA内部でも、右派対中道・左派連合の内部抗争だ」

その他にも、ネオコン対保守派。 共和党対民主党。 軍需産業界対民需産業界。 軍部右派対国務省。 米国内の対立構造は、日本帝国より複雑で多岐に渡る。

「炙り出しが必要だよ。 『プロヴォ』の名前が浮上している」

「こちらは、『恭順派』の名前が」

元々は、恐らくDIA辺りから流れて来た情報だ。 海軍の然るべき組織を経由して、帝国内のインテリジェンス・コミュニティーに情報が共有されている。
炙り出し、捕え、情報を引き出す。 手段は―――犯罪結社が顔色を失うほど、苛烈なものになるだろう。 憲兵隊も特高も、尋問と言う名の拷問技術は、世界屈指の組織だ。

「一度、こちらのトップと、そちらのトップとで、話し合って貰わなきゃならない」

「私は、一介の警部補です。 報告はしますが、保証はしませんよ?」

「いいよ、それで。 考えるのは、上の連中の仕事だ」

「間違えれば?」

「―――亡命先を考えるさ。 その時は、この国はもう駄目だ」









2001年11月15日 1330 日本帝国 帝都・東京 国防省第1別館(旧陸軍省) 西通用門(薬王寺門)脇


旧陸軍省の西通用門脇に、昔ながらの純日本風住宅がある。 元は歴とした個人住宅で有ったが、何時頃からか陸軍が借り上げ、秘密会議の場としていた。
2001年現在でも、それは変わらない。 周辺は陸軍情報部により『掃除』が定常的に行われ、外部の者は一切立ち入る事が出来ない。 一種の『聖域』だった。

―――通称を昔は『航空寮』と言った。 陸軍航空界が主に使用していたのだ。 現在は『戦機寮』 戦術機甲閥が主に使用している。

その日、『戦機寮』には、陸軍の様々な機関・部隊から、階級も様々な軍人達が集まっていた。 上は大将から、下は少佐まで。 いや、陸軍だけでは無かった。

「・・・正直、ここに来る事になるとは、思いもしませんでした」

「俺もだよ。 まったく、長門少佐は良い具合に、面倒を避ける才能があるな・・・」

「昔からです。 では我々は、不器用の見本と言う訳ですか・・・」

居心地が悪そうに、第15師団所属の周防直衛少佐は辺りを見回していた。 後ろの輪には、大佐、中佐、少佐と言った佐官級の軍人が10人程、借りてきた猫の様に座っている。
元は広間か何かだったのだろう、かなり広い和室に絨毯を敷き詰めて、大きな会議用の机が鎮座している。 その周辺を囲む様に、2重に配置された椅子。
中には参謀飾緒を吊り下げた者もいるが、それでも内側の席に座る面子を見れば、貫禄負けが一目瞭然だった。 あの男だって、軍大学校(指揮幕僚課程)出のエリートだろうに。
どうして自分がここに。 周防少佐は何度目かの溜息をついた。 輪の内側に陣取る者達の声が聞こえる、まるで現実の様子とは思えない。

「・・・即応軍を動かすとして、中央官衙の警護、もしくは奪回に投入できるのは中即連(中央即応連隊)、それに『S(特殊作戦群)』だけだ。
如何に連中とは言え、完全装備の第1師団相手では荷が重い。 せめて支援部隊を、あと2個か3個連隊、動員せねば・・・」

「第1戦術機甲連隊への対応は? 他に第3戦術機甲連隊も、場合によっては排除せねばならんと考えるが? 挺身戦術機甲団は?」

「あの連中は、動かせないな。 後々で衛星軌道から降下して貰わねばならん連中だ、消耗させたくない。 松戸の第15師団を動かす予定だ。 
6個大隊・・・2個戦術機甲連隊分の戦力がある。 それに機甲、機械化装甲歩兵、機動歩兵を、それぞれ3個大隊―――1個連隊ずつ保有している」

「ふむ・・・市街戦ではむしろ、戦術機よりも歩兵の方が有効だしな。 特にAH戦では」

「東部軍(東部軍管区)でも、第7軍は引き留められるだろう。 嶋田さん(嶋田豊作陸軍大将、第7軍司令官)は中立派だが、少なくとも帝都での暴挙を是とする人じゃない」

「第12と第14師団、期待できそうだな? それに東部軍の第1軍でも、西関東防衛の第4軍団(第13、第44、第46師団)は『向う側』には走らんだろう。 
初動は松戸の第15師団、その後に西の第4軍団と、北から第7軍・・・2個師団は期待できる。 時間さえ稼げれば、十分潰せるか・・・海軍は?」

「横須賀に第5海兵任務群を待機させている、第21戦隊と第5海兵戦闘団だ。 専用の足に第4艦隊(第18戦隊、第7航戦、第6駆戦。 司令官・宮越善四朗海軍中将)を」

「宮越さんは、了解を?」

「あの人は、軍令部2部長(周防直邦海軍少将)とは、昔ながらの付き合いだ。 海兵(海軍兵学校)の1号(4年生)と4号(1年生)の間柄だよ、同じ分隊(生徒隊)だった」

「ああ・・・成程な」

思わず冷汗が出る内容だった。 一体、このお偉方は、何の話をしているのだ!? 周防少佐も、隣に座る同じ第15師団の荒蒔中佐も、無意識に膝の上で拳を握り締めていた。
つい3日前まで、新潟で佐渡島から上陸して来たBETA群を相手取って、戦っていた筈なのに!? 昨日、急遽、師団長に呼び出され、基地へと急ぎトンボ帰りさせられた。
松戸基地に戻って見れば、編成上の上級司令部である、本土防衛軍総司令部付きの参謀大佐が待っていた。 有無を言わさず、荒蒔中佐、周防少佐はこの場に連れて来られた。

チラッと上座を見る。 今まで話した事も無い軍部首脳陣、その中でも本土防衛軍副司令官・兼・帝国軍中央即応軍司令官である、岡村直次郎陸軍大将が黙して座っている。
左隣には本土防衛軍参謀長・国武三雄陸軍中将、参謀副長・丹生栄治海軍中将・・・本土防衛軍の最高首脳部だ。
が、異彩を放っているのはその反対側、岡村大将の右隣には、周防少佐が良く見知っている人物が、これまた黙しながら、だんまりを決め込んで座っていた。
国家憲兵隊副長官・右近充義郎陸軍大将―――周防少佐の叔父だった。 他にも国家憲兵隊特殊作戦本部長、同情報本部長、防諜部長・・・正直言って、逃げ出したい。

(・・・何をする気なんだ! 何を・・・!)

周防少佐同様、外側の輪に座っている佐官たちの多くも、同様の様だった。 ある者は緊張に顔を強張らせ、ある者はひっきりなしに汗を拭いている。
隣に座る荒蒔中佐も、無意識に足を揺らし続けている。 自由な発言を許される立場ではないが、会議の内容から創造する自由だけは残っている。 それは・・・

「問題は、D-dayが未だ絞り込めていない事か・・・右近充閣下、その辺りは如何?」

本土防衛軍参謀長・国武三雄陸軍中将の問いかけに、国家憲兵隊副長官・右近充義郎陸軍大将はチラッと列席を見回した後、ゆっくりと話し始めた。

「・・・済まんが、今少し確証に欠ける。 恐らく今月中では無い、来月になるだろう。 上旬から中旬頃が怪しい。 が、正確な情報は未だ・・・だな」

「そちらに関しては、憲兵隊の方から補足説明を」

右近充大将の後を、憲兵隊情報本部長の憲兵中将が補足説明し始める。

「現時点で把握している情報として、第1師団第1戦術機甲連隊、同第1機械化装甲歩兵連隊、同機動歩兵連隊、同機甲偵察大隊の尉官クラスは、ほぼ参加の模様。
同じく第3戦術機甲連隊の約7割、第1機甲連隊の約6割が参加すると見積もられております。 この数字は今後の情勢次第で、増加する可能性がある事、承知置き下さい」

ほぼ、第1師団主力の全てだ―――流石に並居る軍首脳陣も、渋い表情になる。 会議机の上に、大きな帝都を含む周辺の地図が広げられる。
その上に、昔ながらの図演(図上演習)で使用されていた、部隊を示すプラスティック製の小さな標識が置かれていく。 霞が関全域、市ヶ谷、三宅坂、渋谷・・・帝都城。

「目標は・・・ああ、歴史は繰り返す、ですな。 首相官邸、国会議事堂、国営放送局、内務省に国防省、それと統帥幕僚本部に警視庁・・・国家憲兵隊本部。
政治と軍事、それに国内治安と情報。 それらを制圧した後に、恐らくは帝都城へ向けて直談判・・・念の為に、城内省へは知らせておりません。 鼠が居るでしょうから」

第1師団によるクーデター! それを想定した、鎮圧作戦! それも、恐らくは絶対極秘の!―――この後で、一体どれほど拘束されるのだろうか?

「・・・純軍事的な見地からで良いが、帝都で戦術機甲部隊同士の戦闘が生起したとしてだ。 第15師団は第1師団を抑え込めるかね? 荒蒔中佐?」

岡村大将が、不意に荒蒔中佐に問いかけた。 まさか、ここで話を振られるとは思っていなかったのだろう。 歴戦の衛士である荒蒔中佐をして、動揺させるに十分だった。
だがそこは、歴戦のエースと呼ばれる者。 精神の奥底は絶えず『冷えて』いるのだ。 暫く帝都の地図を見ていた荒蒔中佐が、一息吸いこんで軍高官達に向かって答え始める。

「・・・相手の意図を読み、その行動を予測し、先手を打って最適な場所に、最適な部隊配置を行う事。 それだけで若い者達は、十分に混乱する事で有りましょう、閣下」

「宜しい、中佐。 君が言うからには、そうなのだろう。 では具体的には? 彼等の意図とは、何かね?」

「彼等にとっての『玉』を確保する事―――政威大将軍の確保と、その支持を得る事であります、閣下」

第1師団の若手軍人達は、多くが国粋派―――その中でも、将軍支持の『勤将派』が多いと言われていた。 逆に上級将校達は、『勤皇派』が多いと言われている。

「宜しい、大変に宜しい。 では、その事態を防ぎうる布陣は、如何にすべきか? 機動力のある戦術機甲部隊を、如何に展開すべきか・・・周防少佐?」

今度は自分か! 周防少佐は岡村大将の横で、薄らと人の悪い笑みを微かに浮かべる叔父に対し、内心で毒づきながらも、表向き神妙に答える。

「帝都城に常駐する兵力は、斯衛第2聯隊のみ。 対人戦闘では精強ではありますが、兵力は不足します。 相手は恐らく、霞が関にて皇城と帝都城を、分断するでありましょう」

元江戸城で有った皇城。 現在、政威大将軍の『居城』である、昔の赤坂御用地跡に建設された帝都城。 その間を、霞が関と永田町の中央官公庁の庁舎群が分断している。
斯衛は1個増強連隊規模。 第1師団の攻撃の前には、保って30分と言った所だろう。 いや、歩兵部隊に足元を掬われれば戦術機部隊は、市街戦では意外と脆弱さを露呈する。

「皇城の北の丸には、禁衛師団が駐留しております。 半蔵門、桜田門からの突入は無いと考えます。 斯衛は恐らく元赤坂に陣取り、青山通りを遮断するでしょう。
しかし、是は想定の内。 『相手』も理解し得るかと。 ならばこちらは、ひとつは神宮外苑の確保。 霞が関、市ヶ谷、渋谷方面への事態対応に即応出来得る位置で有ります」

外苑―――信濃町からならば、その3方向の事態への即応が可能だ。 更に、品川から竹芝一帯の確保を進言する。 先程の高官達の会話から、海軍と第4軍団の話が出たからだ。

「・・・以上、『玉』の確保と支持を目的とするのであれば、『相手』は千代田、新宿、渋谷の3区以外に手を広げる余裕はないと判断いたします。
北東は北の丸の禁衛師団が控え、それより先へは動けません。 神宮外苑に配置する事で、『相手』への重しとし、機動力を生かした展開を可能たらしめ、『相手』に圧力をかけます」

更には、調布への配備を行い、府中(第3戦術機甲連隊)の押さえとする。 その上で、確保した南と、恐らく『相手』の手が回らないであろう北西から、第2陣を投入する。 
後は・・・どの程度の被害―――帝都のだ―――を許容するかだ。 が、それは周防少佐らの考え―――意見を述べられる範疇を越している事は、明白だった。

更には他の佐官達―――いずれも、中央即応軍に属する部隊指揮官の陸軍、海軍の中堅軍人達に、次々と質問が投げかけられる。 彼等は答えながら、判ってしまった。 
第1師団によるクーデター、その可能性に対してでは無い。 自分達が皇軍相撃つ、という前代未聞の事態―――極めつけの不祥事の、その片棒を担がされる事を。
そして、目前の高官達が、純粋に軍事行動に対しての議論しか行っていない事を。 つまり―――これは、日本帝国の暗部、その表面に過ぎないと言う事を。

(・・・これは、既に些事に過ぎない。 決定事項の、行動に対する確認・・・既に筋書きは決定しているのだ・・・)

周防少佐はゴクリ、と、苦労して生唾を飲み込んだ。 無意識に上座に座る高官を見る―――国家憲兵隊副長官・右近充大将は、相変わらず黙して語らない。










2001年11月15日 1400 日本帝国 帝都・東京 赤坂・料亭『胡蝶』


「では大将閣下、わたしはこれで・・・」

「ご足労をおかけした。 会頭にはくれぐれも、よしなに、と」

「承りました。 では・・・伯爵閣下も」

「足労でした」

パタン―――障子が閉じられ、廊下を歩き去ってゆく足音が小さくなる。 やがてその音が聞こえなくなると同時に、その高官達は向き直り、話し始めた。

「どうやら九條家は、見て見ぬ振り・・・財界の見解は、その様ですな。 そして斉御司家も、とやかくは言って来ぬ様子」

仕立ての良いスーツ姿の中年男性が、ゆっくりした口調で話し始める。 そこか老舗の大番頭と言った風情の男で、そしてどこかしら、品格の良ささえ漂う。

「面倒だと思っていた崇宰家も、様子見の模様だ。 統制派の高級官僚とも繋がりがある点、場合によっては真っ先に・・・とも考えたが」

「・・・下々との付き合いで、名を途絶えさせるほど、愚かではありませんよ、大将」

「・・・『機を見るに敏』、貴殿らを称した言葉でしたな。 伯爵」

狐と狸の化かし合い。 互いの利権が確立するまで、表面化していないだけ。 そう言う事か―――座敷の一角で控える久賀直人陸軍少佐は、心の中で苦笑しながら思った。
ふと、対面の人物を見る―――表情を一切変えず、まるで能面の様な女だった。 確か、下級士族の出で、伯爵家累代の譜代家臣の家の出身だったはず。

「となれば、いくらかは『お零れ』を与えてやらねばならんかな? どうですかな、伯爵?」

「余り過剰に過ぎるのは、宜しくないでしょう。 彼等は中立を保つ事で、吾らと彼等、双方に恩を売ろうとしている」

「・・・摂家の得意技ですな」

「左様。 生き残る術です」

「ならば、その辺りは意を含んでの・・・で良いでしょうな」

その後も暫く、利害調整の話が続いた。 それが終わったのは30分後の事、そして伯爵主従もまた、退出して行った。
残されたのはその軍高官と、久賀少佐のみ。 軍高官―――軍事参議官、間崎勝次郎陸軍大将はフッと息を吐き、久賀少佐に向き直った。

「どうかね、少佐? あれが昨今の五摂家の実態だ」

「・・・遠く、戦国の世に先祖返りした。 そう称して宜しければ」

「違いない。 ああ、その通りだ。 連中は生き残る為の本能で動いている。 この国も、国体も、国民も無い。 ただただ、生き残る為―――判り易いじゃないか」

そう言って、ニヤリと笑い、酒杯を干す間崎大将。 そろそろ60歳の声が聞こえる年齢だが、精力の滾った表情は一向に衰えが無い。
国粋派若手将校達に理解を示し、軍内部で様々な裏の妨害工作を巡らせて、クーデターの詳細把握を遅らせる。 それを間崎大将の派閥が行ってきた。
とは言え、クーデターに理解を示す姿は、表向きでしか無い。 それは先程の武家貴族―――斑鳩家譜代重臣の家宰であり、城内省高官でもある洞院伯爵もそうだ。

国粋派若手将校達に、現政権とその周辺に群がる、有象無象を一掃させる。 それまでは後見役を演じてやろう。 摂家との繋ぎ役を演じる洞院伯爵も然り。
その後、生き残った軍事参議官として、戒厳司令官役を拝命する。 『仙台』に一時避難させる政治家連中との話も付けてある。 その後は―――組閣の大命を受ける予定だ。
衆議院の多数派工作は、既に財界を通じて行っている。 連中も資金が途絶えるとなれば、話は別だ。 政威大将軍に対する伝家の宝刀、『罷免要求』を可決するだろう。

貴族院の方は、洞院伯爵家を通じて、斑鳩家の名で多数派工作を展開し、ほぼ成果を得ている。 貴族院は元枢府に対し、次期政威大将軍の選出を伝えるだろう。
そうなれば、使用済の暴力は不要になる。 統制派の連中が画策している鎮圧作戦、それを黙って見ていればよいのだ。 汚名は、純粋だが世慣れない若者達に被せれば良い。
武家社会―――五摂家との利害調整が、後々面倒は面倒だが、主導権はこちらにある。 連中も『名』と生存の為の『利権』、双方を用意されれば、それ以上は何も言ってはこない。

「統治には、金がかかる。 今の政権は、その基盤が弱かった。 清廉潔白な政治家なぞ、一体何の力になると言うのだ?」

間崎大将はそう言って、薄らと笑う。 そして久賀少佐も、確かにその一面は有る、そう思う。 清流に住まう魚の種類は、濁流の川よりも、ずっと少ないのだ。
軍内部、そして中央官庁内部の話に限定すれば、極論すると国粋派と統制派、そう呼ばれる二つの官僚群の内部抗争に過ぎない。
そして時代が、その抗争に政治性を持たせてしまったのだ。 その周囲の利権に群がる有象無象に、とある国―――はっきり言おう、米国のCIA、そのタカ派勢力が接触した。
もしかすると既に、帝国内部におけるCIAの非合法活動の枠に、取り込まれた連中なのだろう。 別段、珍しい話では無い。
そして恐らく、その背後に存在する様々な思惑を有した連中の集まりが、結論として帝国内でのクーデターと、その結果による親米国内タカ派政権を望んだのだ。

「統制派には、この辺りで主演から降りて貰う。 榊政権は退場だ。 無論、米国内のタカ派―――ネオコンを含めた連中とは、今後も調整が必要だが」

「・・・その舞台の演出監督が、自分であると・・・」

「どうかね、少佐? 新しい日本で、己の役割を演じる気になれたかね?」

さて、どう答えるのがベストか? 久賀少佐は一瞬の間、考えた。 清廉潔白・忠勇の帝国軍人? そんなもの、掃いて捨てるほど居る。 この場での役柄では無い。
クーデターを企図する若手の連中に理解を示す、少壮の佐官? 馬鹿な、その若手連中を使い捨てしようとしているのだ。 どこの馬鹿だ、心中するなどと。

「・・・新しい日本、その中での然るべき地位と権力。 そして利権・・・清廉潔白な統治など、夢物語です」

「貴公には取りあえず、中佐への昇進と、参謀本部か統帥幕僚本部勤務を、だな。 陸大(陸軍大学校=指揮幕僚課程)への優先入学と卒業も保障しよう。
その後は参謀本部の作戦課か、統帥幕僚本部の第1部(作戦部)、いずれにせよ帝国軍の趨勢を決定する権限を有する部署だ。 そこで腕を振るいたまえ、大佐進級も早かろう。
後は・・・『日米合同委員会』、これの日本側委員に、君の枠を作ろう。 どうかね? 実に合法的だ、そして誰にも文句を言われない―――利権構造としては理想的だぞ」

ふむ、地位と権力、そして利権・・・なるほど、やはりこちらの方が正解だったか。 ならば、もうひとつ。

「・・・さる議員が持っている、国防関連企業への利権。 それも頂きたいと思います」

「強欲な奴だな、貴公も」

「恐れ入ります」

「まあ、良い。 あの俗物議員は、所詮使い捨てだ。 帝都での犠牲者、そのワン・オブ・ゼムに役割に過ぎん―――良いだろう、君にくれてやる。 その代わり・・・」

「一命を賭して、閣下の偉業をお手伝いさせて頂きます」

「うむ」

やはりこれか。 強欲な連中に、無欲で臨んでも信用されない。 連中は何者も、何事も信用しない。 ただ相手の欲深さに、一定の評価を加えるだけだ。

「兎に角、武家連中には虚名と程々の利権を与えてやれば、それで良い。 大企業・財閥共には、南北アメリカ大陸での市場を」

「CIAとネオコン、その裏に居る者達には、取りあえず北米大陸に対する、太平洋の向こう側での防波堤の役を演じる。 そして引き出せる物を引き出す。 引き出せるだけ」

一体、どこの出来の悪い時代劇のシーンなのだ。 思わず内心で苦笑する久賀少佐。 まさか自分が、そんな役柄を演じる事になろうとは。
間崎大将が、久賀少佐を1人、この場に呼んだのは理由がある。 評価できる実行部隊指揮官―――個人的な暴力装置の懐刀が欲しかったからだ。
大将の派閥にも、佐官級の部隊指揮官はいくらでもいる。 だが戦歴、経験、実力を兼ね備え、クーデター予定部隊の連中に近く、そしていざとなれば切り捨てられる外様将校。
その条件を備えているのは、久賀少佐しか居なかった。 そして間崎大将は、別の意味で喜ばしい発見をした。 この若い少佐は意外に強欲で使える。
今までは派閥の外様故に、表面上でしか接してこなかった。 だが今後は、様々な局面で使えるかも知れない。 何より海外勤務経験があるのが良い、頭が現実的で柔軟だ。

「良いぞ、少佐。 ふむ? もうこんな時間か・・・儂はこれから軍事参議会議がある。 ここで失敬するが・・・貴公、どうする?」

「お気になさらず、閣下。 府中(第3戦術機甲連隊駐留地)まで、そう時間はかかりません」

そうして間崎大将は、料亭前から軍高官用の公用車に乗って、去って行った。 久賀少佐はその姿を見送り、料亭の表で大きく息を吐いた―――毒気を吐き出したかったのだ。










2001年11月15日 1700 日本帝国 帝都・東京 某所


『戦機寮』での会議終了の30分後。 何処をどう歩いたのか、途中で荒蒔中佐と別れて基地へ戻ろうとしていた周防直衛少佐は、都内の一通りの少ない路地近くで首を傾げていた。
静寂と緑豊かな一角に、小さな神社が先に見える。 それ以外は比較的裕福な、昔ながらの個人宅の壁が数軒分、ずっと続いていた。 そんな帝都の知られざる一角。

「・・・久賀?」

思いもよらぬ人物の姿に、驚いた声を出す周防少佐。 あの人物―――同期の戦友で、親友の久賀直人少佐も、神社から出て来て、周防少佐を発見し、驚いていた。

「周防・・・か? 貴様、こんな所で、どうして・・・?」

「それは、こっちのセリフだ。 久賀、貴様は府中(府中基地)だろう?」

「それを言うなら周防、貴様は松戸(松戸基地)だろう。 それに15師団は今、新潟じゃなかったのか?」

第15師団を含む大規模戦力が、佐渡島と対峙する北陸・信越軍管区に『出張』している事は、部隊長以上の者ならば大凡の情報を得ていた。
その第15師団の機動打撃力の源泉、戦術機甲部隊の大隊長を務める周防少佐が、今現在、この帝都に居る事の方が不自然なのだ。
戦友のそんな疑問に思い至った周防少佐が、己の迂闊さに苦笑する。 全てを話せる訳ではないが(絶秘の宣誓書に宣誓させられている)、そこは『空気を読め』だ。

「ん・・・まあ、な。 市ヶ谷(国防省・統帥幕僚本部・本土防衛軍総司令部)に呼び出されてな。 中身は、まあ、なんだ・・・」

「ああ・・・いい、それ以上はな」

例え同期の戦友でも、親友同士でも、話せない事は多数ある。 階級が上がれば上がるほど、それは手足と口を縛る。 お互い、もう昔の少尉、中尉の頃では無いのだ。

「それよりも久賀。 貴様、先程の神社は・・・」

「ああ・・・俺の実家は、神道でな。 あそこの神社に、永代供養墓を頼んでいる。 両親と・・・妻の」

「そうか、奥さんの・・・それに、ご両親も?」

「ああ。 九州から横浜に一時疎開していた。 喰い殺されたか、G弾で消滅したか・・・まあ、喰い殺されたのだろうな。 妹夫婦は元々、仙台に住んでいたので助かった」

「む・・・済まん。 由無い事を聞いた」

「なんだ? 貴様らしくない」

周防少佐の殊勝な声に、思わず久賀少佐が笑う。 この友に、そんな殊勝さなど似合わない。 それに・・・

「・・・貴様も、兄上を横浜沖で亡くされていたな。 親戚も何人か佐渡島で戦死したと、そう聞いた」

「ああ。 兄は沈んだ『青葉』の主計長だった。 従弟が2人、佐渡島で戦死している」

珍しい話では無い。 この日本では・・・最前線国家では、至極ありふれた話だ。 誰の関心をも、引かない程に。

「おい、時間は有るか、久賀。 その・・・なんだ、一杯飲るぞ」

「この時間からか? ったく・・・まあいい、付き合うさ」





先程の神社から少し離れた場所、下町の一角に、小さな居酒屋があった。 食料統制のこのご時世で、メニューの大半に棒線が引かれていたが。
取りあえず、原材料が怪しい(恐らく合成物の)ビールを頼んで乾杯し、これまた合成食材だろう付け出しを箸で突きつつ口に運ぶ。

「貴様とこうやって、サシで飲むのは・・・何年ぶりかな?」

周防少佐がビールの入ったコップ片手に、何気なく言う。 久賀少佐も箸を持った手を止め、暫く考え込んでいた。

「・・・96年に戻ってから、俺は九州、貴様は関東だったし。 一時、富士の教育課程で一緒になったのが最後か」

「そうか・・・あの後、俺は大陸と半島派兵に再び駆り出されたし、その後は・・・だしな」

「4年ぶり、そうなるか・・・」

4年ぶり、そうか、そんなになるか―――周防少佐が何気なく呟いた。 そしてその4年間が、如何に激動の4年間で有った事か。 日本にとっても、彼ら個人にとっても。
暫くの間、酒を飲み交し、肴に箸を付け、他愛のない昔話をポツリ、ポツリと話しあっていた。 今でこそ疎遠になりがちだが、元々は少尉時代から共に戦い抜いてきた親友だ。

「周防、佐渡島はどうだった?」

不意に久賀少佐が、新潟の戦況を尋ねて来た。 しかしその手の情報は、公式に部隊長以上に閲覧可能な情報なのだが。

「・・・数は、大した事はなかった。 こちらが戦力を集中したのも、功を奏した。 その後で少しだけ、島に上陸して間引き攻撃を行ったが・・・」

「上陸したのか?」

珍しい。 最近は島に上陸しての間引き攻撃は、余り行われていなかった筈だ。 その疑問が顔に出たのだろう、周防少佐が久賀少佐に、軍機に抵触しない範囲で教える。

「色々とな、新しいシステムを導入する様だ。 便利だったよ、部隊を指揮する上で。 今までの古い上意下達式の戦域指揮方法じゃ、変化に付いていけなかった」

「泣き処だったな。 CPや後方の本部には、情報は集まっても最適解の情報がどれなのか、指揮経験が無い為に混乱する事があったが・・・」

「それを、部隊長が判断して、情報を得られる様になった。 情報の共有もな。 どうだ? ちょっとすごいぞ、こいつは」

是まで散々、前線で苦労して来た2人だから、この新システムの導入による運用面でのアドヴァンテージには期待する所、大なのだ。
暫くの間、互いに専門的な話題をしている間は、昔の頃に戻った様に会話が弾む。 だが、それもずっとは続かない。 どうしても妙な間が空いてしまうのだ。

昔ならなかった、こんな事は。 仲間の話題、上官の悪口、恋愛沙汰の冷やかしに、他愛のない噂話。 色々な話題に花が咲き、酒量が増え、最後は沈没か、他部隊と乱闘か。
若かりし日々―――突き進む事だけを目指し、その通りに走り抜けていた遠い日々。 過酷な戦場での日々だったが、幸せな時間でも有ったあの頃。

周防少佐は内心で、親友である久賀少佐の本当の立場に対する疑惑を持っており、久賀少佐も周防少佐へ、その所属部隊の立場と、私的な親戚関係からの情報を探りたい。
お互いに、それぞれが親友に対して後ろめたい部分を隠し持っており、それが微妙な間となって表れるのだ。

「あのな、久賀・・・」

「ん・・・なんだ?」

酷く言い難そうな感じで、周防少佐が言葉に詰まっている。 久賀少佐が次の言葉を待つ様に、じっと周防少佐を見ている。

「いや・・・なんだ、貴様の所の師団の若い連中な。 最近大人しい様だが・・・貴様の苦労も、実を結んだと言うところか?」

「・・・元々、至極純粋な連中だ。 何の他意も持っていない・・・ただ、経験が浅いだけなんだ、社会的な、な・・・」

「はは・・・貴様、まるで修身か道徳の教師の様だぞ?」

「ほざけ。 貴様だって、部隊じゃ似合わない訓示なんぞ、やっているだろうが?」

「お互い様か」

「お互い様だ」

まだ少し、後ろめたい表情で、それでもこの話題を止めにしようと、別の話題を持ち出す周防少佐。 久賀少佐はそんな親友の姿に、己の心の暗闇だけは見せまい、そう思った。

(・・・結局は周防、貴様は・・・貴様も、長門も、正道を歩く人間なんだ。 そんな貴様に、見せられる訳はないよな・・・)

周防少佐が、先日、帝都で見かけた共通の先任の友人の事を話している。 その先任の将校は、京都防衛戦で想い人を喪っていたが、ようやく春が着た様なのだと。

「それにしても、あの時は驚いたぞ。 なにせ、私服姿の木伏さんと美鳳(趙美鳳国連軍少佐=中国軍出身)が2人連れで、朝のホテルから出て来た時はなぁ・・・」

「偕行社でもなく、ニュー山王ホテル(国連軍、在日米軍共用の宿泊施設、保養所、社交場だった。 1998年以降は国連軍が専有していた)でもなく・・・
民間のホテルってところがミソだな。 まあ、木伏さんも、あれからもう3年以上になる。 美鳳の方は・・・どうして彼女が未だ独身なのか、不思議だった」

2人の共通の友人である、先任の木伏一平少佐と、国連軍所属の趙美鳳少佐の恋仲の話題だった。 思わず微笑ましくなる話題。 久賀少佐は友人の『配慮』に感謝した。

「美鳳は、どうする気なのだろうな?」

「ああ・・・少しだけだが、その時に本人に聞いた。 難しいが、国籍の離脱と帰化を申請する、と・・・」

「中共が許可を出さないだろう? 結局は政治亡命をするしか、方法は無いのじゃないのか? それに、木伏さんも・・・上層部から睨まれるぞ?」

「本人曰く、『どうせ出世は考えてへんから、問題無いわ』だと。 結婚できる世の中になったら、軍を退役して企業のテストパイロットにでもなる気だと・・・」

「難民申請後に、軍に志願入隊にて5年間勤めれば、帰化申請は受理されるが・・・それまでは、内縁関係か・・・」

この国は瀬戸際だ。 『結婚出来る世の中』になるか、それとも世の中全部がBETAの腹に収まるか、二つに一つなのだ。
逆に『結婚できる世の中』になれば、軍も多少の融通は認めてくれる様になるだろう。 もっともその場合は、退役まで飼い殺し覚悟の閑職か、進んでの名誉除隊か、だが。

「となると、残るは文怜ひとり、か。 彼女、相手はいないのかね?」

「聞かないな。 周中佐(周蘇紅。 国連軍『横須賀』基地、戦術機甲隊司令・兼・基地作戦参謀)などは、『前例(趙美鳳少佐)が居るから、暢気に構えているのよ』なんてな」

「はは・・・中佐らしい。 本人は未婚の母になったそうだな?」

「ああ、亡くなった弟夫婦の遺児達を、養子に迎えたそうだ・・・さぞや、元気な母親だろうさ」

「じゃあ、俺の方からもネタだ・・・知っているか? 周防。 和泉さん(和泉沙雪少佐)だ、森宮中佐(森宮右近中佐)って人と、どうやら・・・らしいな」

「なに? 和泉さんと、森宮さんが? へえ・・・知らなかったな。 と言う事はあの2人、欧州派遣旅団時代に、出来たって事か・・・」

和泉沙雪少佐も、森宮右近中佐も、2000年から2001年初頭にかけて、帝国軍欧州派遣兵団に属し、欧州方面で共に戦っていた。

「後は・・・そうだ。 美園(美園杏大尉)から、婚約報告が届いた。 相手は久賀、貴様も知っている、葛城君(葛城誠吾少佐、18期B卒で、周防少佐の半期後任)だ」

「美園がなぁ・・・仁科の奴、焦っているんじゃないかな?」

美園大尉とは新任少尉時代からの親友である、仁科葉月大尉は、本件については完全黙秘を宣誓していた。 それを却って、ネタにされても居る。
皆が明日を願っている。 今日よりも明日を、明日の光を―――どの様な光なのか、それが問題で、そして庶民にとっては、どうでもいい事だった。

そんな他愛のない話に花を咲かせながらも、周防少佐は内心で、親友に何度も問いかけていた―――久賀、貴様、あの連中や、その周辺に関わっていないだろうな・・・?
今日の時点で、どうやら自分は『その時』には、鎮圧部隊の指揮官、その中の1人の任を押しつけられる事が判明した。 同じ帝国軍相手に、攻撃を命じる側に。
今更、人を傷つけ、殺す事を拒否する様な偽善は、欠片も持ち合わせていない。 北満州では民間の難民を、数百人単位で『虐殺』した自分だ。

純粋に、独善と身勝手故だ。 正直、目前の同期生相手に戦ったとして、勝てる見込みは5分と5分、そんなところか―――自分はその馬鹿騒ぎから、生きて妻子の元に帰りたい。

結局、その内心の言葉は、口に出せなかった。




「おい、周防」

店を出て―――まだ、夜の7時を少し回った所だった―――不意に久賀少佐が、帰宅する周防少佐を呼びとめた。

「なんだ?」

まだ飲み足りないのか?―――そんな軽口を言おうとした周防少佐だったが、友人の表情に言葉を飲み込んだ。

「周防、貴様・・・『安保マフィア』と言う言葉、知っているか?」

「はに? 『安保マフィア』? いや・・・知らん」

「そうか・・・じゃ、精々、調べて見ろ。 じゃあな」

「おい・・・久賀!」

呼びとめる周防少佐の声に、久賀少佐は振り向かず、片手を軽く上げて挨拶しただけで、歩き去って行った。





「おかえりなさい、あなた」

「・・・驚かないんだな?」

帰宅した周防少佐は、妻が何でも無い風に出迎えた事に少し驚いている。 何せ本来ならば、未だ新潟の最前線基地に留まっている筈なのだから。 妻は今日、非番だった。

「右近充の叔父様のお宅から、連絡があったの。 それで、もしよかったら今夜、来て欲しいって・・・どうするの?」

妻の祥子が、夫の脱いだ軍服をハンガーに掛けながら問うて来る。 既に独り歩きできるようになった双子の息子と娘が、足元にじゃれつくのをあやしながら、少し考えた。
叔父から―――国家憲兵隊副長官・右近充大将からの呼び出し。 正直言えば、行きたく無かった。 だが、家に連絡を入れて来たのは叔母・・・周防少佐の父の妹だ。

(くそ・・・叔父貴め、姑息な手を使いやがって・・・)

行きたく無い。 が、行かないで済みそうにない。 内心で盛大な溜息をつきながら、周防少佐は妻に告げた。

「はあ・・・多分、夕飯はいらない。 向うで食べて来るから」

「そう・・・遅くなりそう?」

「それほどは・・・多分」

息子と娘を抱きあげながら、そう答える。 本音を言えば、少しでも家族と一緒に過ごしたかった。

「直嗣、祥愛、ゴメンなー。 パパ、またお仕事なんだ・・・」

幼い子供達をあやしながら、気が重くなる周防少佐だった。









2001年11月15日 2045 日本帝国 帝都・東京 右近充大将邸


陸軍大将の自宅、と言うには、少しばかり質素なその日本家屋は、周防少佐も昔からよく知っている。 幼い頃から何度も足を運んだ場所だ。

「直衛、お前・・・あの後、人と会ったな?」

やっぱり、監視を張り付けていやがったか。 多分、あの会議に出席させられた10人前後の佐官達―――自分や荒蒔中佐も―――には、憲兵隊の監視が付いていたのだろう。

「・・・同期生だよ。 偶然だ」

もはや、宝石並みに貴重なスコッチウィスキーをボトル毎占拠して(右近充大将が呆れていたが)、周防少佐は叔父である右近充大将を、睨みつけながら言う。
書斎兼、主人の親しい客を招く場所にしている6畳間の和室で、椅子に座った周防少佐が叔父秘蔵の酒を、勝手に飲んでいた。
その向うで右近充大将も、甥の手から奪回したボトルから、酒精を自分のグラスに注ぐ。 芳醇な香りが、狭い和室に漂っている。

「・・・間崎(間崎大将)は、久賀少佐を引きこんだ様だぞ。 少佐の本心は、知れんがな」

「・・・本心? あいつの本心? 叔父貴、あんたに、あいつの何が判る?」

少し酔っている周防少佐は、いつもより感情的に叔父の右近充大将に絡んでいる。 そんな甥の姿を、右近充大将は冷酷さと憐れみと、両方の目で見ていた。
憲兵隊副長官である立場からすれば、一介の少佐の事など、些事に過ぎない。 同時に叔父として、内心で苦しむ甥の姿には、忸怩たる思いもあるのだ。

「判らんな。 儂が判るのは、事前に計画を潰さねば、この国は酷い事になると言う事だ。 そんな夢遊病者の舞台の途中で、佐渡島なり鉄原なりが飽和して見ろ・・・」

「つまり、それがアンタの正論か、叔父貴?」

「正論? 正論なぞ、この世に有ってたまるか。 あるのは、より声の大きい、実現可能な方法論だけだ。 直衛、お前もまだまだ、青臭い奴だな」

身も蓋も無い事を言う右近充大将、そっぽを向いて不貞腐れる周防少佐。 同時にジレンマもある、事前拘束が出来ない事だ。
国家憲兵隊、内務省の特高、いずれも決定打の証拠を掴んでいなかった。 最良なのは事前拘束と逮捕。 だが相手も意外に慎重で、決定打を掴ませないでいる。

「・・・間崎の馬鹿が、軍内部で巧妙に妨害工作を展開している。 お陰で発生直前まで、尻尾は掴ませないだろう」

「それこそ・・・そんな時に佐渡島なり、鉄原なりから飽和BETA群が侵攻してきたら、どうする気だっ!?」

「連中に言え・・・とは言い切れん、儂の立場ではな。 その為に、先日の佐渡島からの侵攻対処には、上陸したBETA群の殲滅以外に、逆上陸しての間引き攻撃が行われた。
半島でも、九州の第22師団に大阪の第10師団(即応部隊)をつけて、半島南部域の間引き攻撃を実施中だ。 対馬は掃除がすんだからな。
岡村さん(本土防衛軍副司令官、岡村陸軍大将)が、野々村さん(本土防衛軍総司令官、野々村海軍大将)を動かした」

過去の飽和BETA群の出現頻度データ、衛星情報、哨戒部隊による海底探査結果。 いずれも後1~2ヶ月は、飽和BETA群の押し出しは無い、そう分析されていると言う。

「カタを付けるなら、この1ヶ月の間になる。 我々も、向うも・・・」

「・・・叔父貴、ひとつ聞きたい」

「なんだ?」

甥の真剣な表情に、右近充大将はウィスキーグラスを置いて、真っすぐ見つめ返す。 その迫力たるや、周防少佐も思わず気圧される程の物だった。

「叔父貴、アンタは・・・アンタ達は、この国を、どうしたいのだ? 何処へ持っていきたいのだ?」

そんな甥の問いに、右近充大将は机に置いたウィスキーグラスを再び手に取り、中身の琥珀色の酒精を飲み干した後で、簡単に言った。

「―――生きのびる道へだ」

ただそれだけだ。 現政権が考える『戦後』など、そんな模索が出来る余裕など無いのだ。 軍部高官としての日常で、右近充大将はその事を痛切に理解していた。
全ては生き残る為。 日本人と言う人類種の少数派が、このBETA大戦下で喰い尽くされない為。 全てはその生存本能の為だ―――夢物語は、その後で幾らでも貪ればいい。

「・・・判った。 叔父貴、アンタの個人的な刃先の役目、やってやろう。 ただし、もしもアンタがその言葉に反したら・・・
あの世で史郎(故・右近充史郎海軍大尉。 右近充大将の戦死した二男)に詫びてから、地獄へ行け」

「それは無理な相談だ、直衛。 儂は地獄への直行便の切符しか、持っておらん」

暫く無言で睨みあっていた叔父と甥だったが、ふっと力を抜く様な吐息と共に、右近充大将が周防少佐に話しかけた。

「今夜はもう帰れ、直衛。 家に帰って、嫁さんと子供の相手をしてやれ」

「言われなくとも、そうする―――最後にひとつ、知っていたら教えてくれ、叔父貴」

「自分で調べようとは、思わんのか?」

「知っている人間に聞くのが、手っ取り早い・・・『安保マフィア』、何の事だ?」

「・・・誰から聞いた?」

右近充大将の問いに、周防少佐は答えない。 やがて溜息と共に、右近充大将が説明し始めた。

「元々は、日米安保条約に伴う『日米合同委員会』の事だ。 米国側の代表は、在日米軍副司令官。 日本側は外務省北米局長と、国防省軍務局長。
他には外務省と国防省の幹部が中心だった。 月に2回程度、今の国連軍保養所のニュー山王ホテルで委員会が開催されていた」

「つまり、現実的な日米安保の方針が、そこで決定されていた訳か」

そう言う事なのだ。 日米地位協定などでの巨額の予算、在日米軍基地の拡張問題、それらは莫大な金額となり、BETAの本土侵攻前の帝国議会でも問題視されていた。
そしてその莫大な予算に群がる国防産業界や建設産業界の周辺には、そこから零れる巨額の利権に群がる日本の特殊法人や米国法人が無数に存在していた―――今も存在する。

「日米再安保、アレには文句は無い、儂はな。 まずは有効な手だ。 だが、その利権の温床の底を潜って、世界各地の思惑がひとつの流れになって、国内に入り込んだ・・・」

その流れが、目的の為の手段の一つとして、国粋派の若手将校団に目を付けた。 利権に群がる日米の特殊法人からは、膨大な資金が政治家や高級軍人達に流れている。
彼らだけでは無い、その現実を糊塗する為のマスメディア、法曹界、中央官庁群・・・日米双方共にだ。 その事実が表に出てはならない。

「国内に入り込んだ流れは、若い連中を使って『日本だけ』の事実を表面化しようとしておる。 そうなれば、どうなると思う? 直衛」

「現政権、政党、軍部は国民から総スカンを食う。 誰からも信頼されない、哀れな末期状況だ―――単独での国土防衛は、不可能になる。
そうか・・・そこで、在日米軍。 国連軍でも構わない、米国内タカ派の息さえかかっていれば。 この国は、ただの防波堤としてだけ、存在を許される・・・」

「当然、こちらも反撃する。 向うの国内で、出来る限りの暴露をな。 そうなると困るのは、タカ派だけでは無い。 保守主流、革新・・・AL4、AL5も、双方問わず」

現在、米国内でも、熾烈な水面下での国内抗争が展開中の様子だった。 米国だけでは無い、欧州とアフリカ・南米。 オセアニアと東南アジア。
それぞれが己のエゴと相手のエゴを天秤にかけ、暗闘している。 その流れのひとつが今、日本国内に流れ込んできたという訳だった。

「この国は、保護国同然になる。 まずはクーデターを潰し、同時に戒厳令下の強権で持って、利権構造の再構築をせねばならん」

もはや、巨大な裏構造となった国防利権の枠組みは、無くし様が無かった。

「既にこの国は、投薬治療では間に合わん。 外科手術でしか、患部を取り除けんのだ」

「・・・その結果、患部は取り除いたが、患者は死亡。 何て事にならんようにな、叔父貴?」

「言いおるわ、この青二才が―――儂は切り捨てる、この国の患部をな。 場合によっては、麻酔無しでもだ」

その眼に宿る冷徹な光は、諸外国の同業者から『魔王』と呼ばれる男の、その片鱗を見せつけていた。





[20952] 前夜 1話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:f1651ca4
Date: 2013/05/18 09:39
2001年11月19日 19:00 日本帝国 帝国陸軍松戸基地


バイタルチャートは各衛士の操作記録、各種医学的数値、体電圧の測定値等から想定される間接思考ログである。 それは様々なデータを基に、総括して視覚化したものだ。
対して操縦テレメトリーはその前段階、つまり操縦による機体の3軸加速度、各部の温度、各機能の動作状態、機器の出力や動作状態。
更には機体内電池の発電容量、電圧や充放電電流、姿勢制御系の動作状態、燃料の残量、生体情報モニタによる心電図・脈拍・血圧・体温・パルスオキシメトリーなどのデータ。
それは『生データ』と言って良い。 大まかな間接思考傾向はバイタルチャートで読み取れるが、更に踏み込んだ傾向となると、操縦テレメトリーを読み解くしかない。

『戦闘行動』とは、言ってみれば咄嗟の行動の連続だ。 発見・認識・判断・決断・行動。 
機動・停止・回避・射撃。 意識的な思考の末の結果では、間に合わない場合が多い。
つまり反射行動の連続、その積み重ねの結果と言える。 そして反射行動とは、人が無意識に行う行為だ。 故に平時から訓練で培う、その『咄嗟の行動』をだ。
それには必ず個人特有の『癖』が出る。 軌道変更のタイミングと入り方・終わり方、スロットルの瞬間的な開け方と絞り方、射撃のタイミングとパターン。
戦闘状況下における各種テレメトリーログと、バイタルサインの『パターン』 無意識行動下での行動である為に、ひとりひとりが固有のパターンを持っている。

言ってみれば、操縦テレメトリーとバイタルチャートを読み解く事は、対象の戦闘時の間接思考を読み解く事に等しい。 戦闘時にどの様な行動を起こすのか?
機動は? タイミングは? 射撃時のパターンと分布は? そして―――次の行動は? 対象にとっては、戦闘時の傾向をかなりの確度で、事前に掴まれてしまうのだ。
どの様なベテラン衛士や、エースと呼ばれる衛士でさえ、各々が持つ固有のパターンが有る。 それを事前に読まれ、対策を講じられてしまっては・・・格下にさえ負け得る。

「・・・これが密かに回って来た、と言う事は・・・やはり、そう言う事なのだろうな」

「本来この手のデータは、戦術機甲本部が蓄積・保管している筈ですから。 国防省のかなり上の方まで、承知済みなのでしょうね」

基地内の情報解析室で、荒蒔中佐と周防少佐の二人が、膨大な量のデータを分析していた。 各衛士の固有パターン、その長所と短所。 警戒すべき機動と、突くべき弱点。
当然ながら、昨日今日、衛士になった新米では、一体何が何やら手に負えない代物だ。 だが荒巻中佐は衛士歴が13年7カ月、周防少佐も9年7カ月と、熟練の域に達している。
間接統計思考データベース、及び間接統計思考解析システム(の端末)の助けを借りる事が出来れば、ざっと流しただけで、その衛士の持つ固有パターンが判る。

「・・・随分とAH(対人戦闘)に特化した傾向だな」

「帝都の第1師団は、特にその傾向が強いと、昔から言われてきましたが・・・これ程とは・・・」

例えば対人戦闘と対BETA戦闘とでは、無意識下におけるパターンさえ異なる。 良い例が戦闘時での高度意識だ。 BETAとの戦闘では、常に光線属種を意識する。
対BETA戦ではどんな衛士でも、無意識に高度意識に制約をかける。 だが対人戦闘では、その意識がかなり薄れるのだ(刷り込みに近い訓練の結果、全く無くなる事は無いが)
最前線での実戦経験が多い衛士ほど、そのパターンには高度意識が顕著に表れる―――見る者が見れば、の話だが。 第1師団の各衛士のパターンには、その傾向が薄かった。

「・・・状況下での癖、機動と回避、タイミングとパターン、次の行動の確率。 シミュレーターとJIVES(統合仮想情報演習システム)のパラメーターを弄る必要が有る」

「少しだけ、パラメーター値を上乗せしましょう。 パターンは変えずに」

「上からは、3週間以内で対応可能にするよう、言われているが・・・どう考える?」

「1対1での対応可能は無理でしょう。 我々は対BETA戦闘訓練に、比重を置いてきました。 出来れば数で対応したいですね、1機に対して必ず2機のエレメントで充たるとか」

「出来れば、向うさんの各連隊が個別に行動して欲しいな。 第1師団に正面から当たれば、我が師団に勝ち目は無い」

「こちらがどの程度の部隊が動くのか、はっきり判りませんので何とも言えませんが・・・もしそうなった場合でも、制圧目標は複数箇所、有るでしょう。
となると向うも、戦力の分散配備は避けられないかと。 一度に第1師団の3個戦術機甲連隊を全て相手取る、等と悪夢の様な事になる可能性は低いかと思いますが・・・」

第15師団は、戦術機甲大隊6個が基幹戦力。 連隊規模で言えば2個連隊だ。 対する第1師団は甲編成師団であるから、戦術機甲連隊は3個連隊、9個大隊を擁する。
同等の装備、練度、情報を持つ場合、ランチェスターの第2法則より、戦闘終結時には第15師団の6個大隊壊滅。 第1師団は6個大隊と2個中隊が健在、という結果になる。

「必ずしも、ランチェスターの法則通りとは限りませんが・・・それに近い結果になる危険性が高いです、現状では。 故にこうやって、洗い出しをしている訳ですが・・・」

「手が欲しいな。 せめて長門少佐でも加わってもらえればな・・・」

「現状では無理でしょう。 そう判断しての、あの招集だったのでしょうし」

何故、荒巻中佐と周防少佐が招集されたのかは不明だ。 彼等は何も聞かされていないし、何も教えられもしなかった。 ただ軍命に従っただけだ。
故に、他の者に話す事は出来ない。 情報の漏洩は、それを知り得る人数が増えれば増える程、その危険性が高まる事は周知の事実。

二人の戦術機甲部隊指揮官は、黙々とデータの解析・傾向分析作業を続けた。 数値データから、戦場での相手の機動や加減速のパターン、射撃のタイミングや接近戦の癖まで。
まるでそこに戦う相手が居るかのように、脳裏でその姿を再現して行く―――10年前後もの間、実戦を戦い抜いてきた練達の経験が、彼等の脳裏にその姿を再現させる。
長所と短所が見える。 中には荒巻中佐や周防少佐でさえ、対応が困難だと認識させる機動すらある。 が、同時に弱点も見える。 どう組み立てるかは、経験の差が物を言う。

「追撃戦と、アンブッシュ。 どちらかで、使える要素が大きく変わりますね」

「ああ、だが『状況』を考えれば、アンブッシュは有り得まい。 追撃戦闘だな」

「若い連中に、AH戦の訓練時間を割けなかった事が、厳しいです」

「戦闘では無く、戦術でカバーするしかないだろうな」

一息ついて、辛うじて珈琲と判る出がらしの黒い液体が入ったカップを手に、熱い液体を喉の奥に流し込む。 2人とも疲れた表情で、無言だった。

「・・・我々は知らされている、『状況』が発生し得る可能性については」

「はい」

「しかし、その状況が何故発生するのか。 そしてその背景と因果関係、要因・・・その他は知らされてはいない」

「・・・はい」

「つまりは、『何も知らない』、そう言う事だ・・・」

「・・・」

「それでいながら、『状況』が発生すれば対応せねばならん。 皇軍相撃つと言う、建軍以来起らなかった、初めての不名誉を!」

それが神経を逆撫でする。 何も知らされていないのだ、全貌の欠片でさえ。 しかしそれでいて、『状況』の際にはファースト・ストライクを与える事を望まれている。
軍は最も典型的な、上意下達の組織だ。 下位者による意見具申も、命令権者がその意志を決定し、命令を下す前の段階での『参考意見』でしかない。
それ以降に反意を表明する事は、重大な軍名違反―――『命令不服従』 戦場で有れば、指揮官権限で銃殺刑に処される可能性すらある。

が、周防少佐としては、荒巻中佐の苛立ちも耳が痛い。 少なくとも彼は、もう少し詳しい部分的な概略を―――全貌では無い―――を聞かされている。
それは手枷・足枷だ。 軍上層部が『状況』に至った際に、有効な反発力を維持する為の、足枷。 枷である以上、誰にも言えない。 目前の荒巻中佐にさえ。

「まあ、愚痴を言っても始まらん。 精々、AH戦への慣れと、向うのパターンの解析と対応策を講じるしかないな」

「命令では3週間ほど・・・訓練は付焼刃になりますが、何とかなりそうな時間は有ります。 後はぶっつけ本番ですが・・・せめて、彼我の戦力さえ判れば・・・」

「戦術作戦も立てられるのだがな、それが判れば! が、無い物ねだりは出来んだろう、恐らくな」










2001年11月21日 0850 アメリカ合衆国・フロリダ州 ジャクソンビル


「―――フリーズ!」

バタン! 扉が勢いよく蹴り破られ、数人の男女が銃を構えながら屋内に殺到する。 その動きは訓練された者にしか出来ない無駄のない動きだ。

「―――チェック!」

数箇所で同じ声がする。 だが期待した声は聞こえなかった。

「・・・こりゃ、駄目だな。 もぬけの殻だ」

背広に身を包んだ大柄なアフリカ系の男性が、肩を竦めて呟く。 その隣で見るからにアイリッシュ系の男性も、無言で頷いた。 傍らの女性にそっと話しかける。

「ウェンディ、このフロリダにも居ないと言う事は、やはり国境を越えたんだ」

「・・・ロバート、絶対じゃないわ」

アメリカ航空宇宙軍特別捜査局(AFSOSI)の女性特別捜査官、ウェンディ・ホイットモアが、悔しそうに呟く。 目前の室内には、慌てて逃走した形跡が見て取れたのだ。

「どうして、彼女は私達の動きを? 同業者のバックアップでも無ければ、不可能な話よ・・・」

リンゼイ・バーク航空宇宙軍中尉―――いや、元中尉は、ウェンディが追っている女性容疑者だ。 いや、ウェンディだけでは無い。 実は陸軍も、海軍も・・・

「フロリダからは、キューバの組織経由でメキシコと繋がっている。 そこから南米への逃走ルートもある。 恐らくはそっちへ逃げたのだろうな」

アメリカ陸軍犯罪捜査司令部(CID)の特別捜査官、ロバート・ディングス陸軍少佐が、散乱したテーブルの上に置かれたメモを手に、2人の『同僚』に言った。
そのメモには、『グアンタナモ』、『グアダラハラ』、『マタモロス』と言った地名が読み取れた。 いずれも現在、メキシコや中南米・カリブ海方面の主要な麻薬ルート拠点の都市だ。

「どうやら根は深そうだな。 南米のファドリケ・シルヴァだけじゃない。 メキシコのビセンテ・フエンテスにガルシア・アブレーゴか。 厄介だな」

アメリカ海軍犯罪捜査局(NCIS)の特別捜査官、身長が2mに達する大柄なアフリカ系のマイク・ハワードが、豊かなバスの声で唸りを上げた。
メキシコの麻薬組織は現在、2つの派閥が『休戦状態』となり、それぞれが南米のファドリケ・シルヴァの組織と提携しており、中南米は合衆国司法組織にとっての『敵国』だ。

「・・・だから言ったのだよ、彼女はもうステイツには居ないと」

4人目の人物が、室内に入ってそう言い放った。 彫の深い、鋭い顔立ち。 冷たいブルーアイに見事なブロンド。 長身で鍛え上げた痩身に見える程の筋肉質な身体付き。
半世紀前に、ナチス・ドイツが理想とした通りのアーリア的容貌―――アメリカ国防情報局(DIA)人的情報部(HUMINT担当)の、ハインリッヒ・オスター米航空宇宙軍中佐。

「恐らくは、シルヴァの組織の手で南米に逃れたか・・・その先で生き延びているかどうかは、全くもって不明だがね。 ともあれ、どうやらコロンビア経由の様だ」

そのセリフに他の3人の特別捜査官が、まるで視線だけで殺せるような厳しい視線を浴びせかける。 一体何の為に、ここに踏み込んだのか。 その情報は!?

「裏を取る為には必要だ、君達の努力は無駄では無い」

「・・・その情報の確度は? ネタ元は?」

NCISのハワード捜査官が、唸るように言う。

「コロンビア陸軍作戦本部情報局。 AFEU(コロンビア軍市街地特殊部隊グループ)と、我々DIAのエージェントが待機している。
これからティンダル(フロリダ州合衆国航空宇宙軍ティンダル基地)に向かう。 コロンビアとの話は付いている、数時間のフライトだ」

「・・・今日中には、向うに着けるのか?」

「勿論。 嫌ならば、私だけで行く」

「行かない馬鹿は、居ないわ」

AFSOSIの女性特別捜査官、ウェンディ・ホイットモアが、吐き捨てる様に言った。





10時間後、その日の夜、コロンビアの首都・ボゴタの中心から外れたモーテルの一室で、複数の死体が転がっていた。 1人は若い女性の射殺死体だ、頭部を撃ち抜かれている。 
他はラテン系の男女が都合5人。 いずれも全身を蜂の巣にされて死んでいる。 室内は血と脳症が飛び散り、酷い有様だった。

コロンビアでは殺人事件など珍しくない、内戦と麻薬組織、そして貧困。 1990年代初頭の年間殺人事件数は3万件を越し、人口10万人当たりの殺人事件数は91件。
これは世界最悪の数字だった。 1998年に大統領に就任したアルバロ・ベレス大統領は治安対策を最優先にしており、2001年現在、10万人当たりの殺人事件数は17件に落ち着いたが。

「―――指紋の照合、合致しました。 リンゼイ・バーク航空宇宙軍中尉・・・元中尉、バーク容疑者と一致します。
他は男は全て、シルヴァの組織の者と思われます。 1人はエッツォ・ルデラの部下と判明しております。 女の方はFARC(コロンビア革命軍)の要員です」

DIAのエージェントがオスター中佐に報告する。 エッツォ・ルデラ。 ファドリケ・シルヴァの右腕と呼ばれる麻薬マフィアの大物だ。
このモーテルを急襲したDIAのエージェントと、AFEU(コロンビア軍市街地特殊部隊グループ)の共同チームにより、シルヴァの組織の者達は皆殺しにされた。
しかし、襲撃を察知した時点で組織の者達は、『足が付く』事を恐れて、バーク元中尉を射殺―――頭部を吹き飛ばして、余計な情報の漏洩を防いだのだ。

「発見されたメモ―――シルヴァの組織が見落としたモノ―――です。 ハンスコム宇宙軍基地、それにエドワーズ宇宙軍基地」

先程とは別のDIAのエージェントが、オスター中佐に報告する。 3人の軍特別捜査官には気付かれない様に、そっと―――いいぞ、軍特別捜査官達は、気付いていない。
軍特別捜査官達には、米軍内への麻薬汚染の繋がりが判る証拠しか渡していない。 オスター中佐はそのメモを胸ポケットにしまい、廻りを見回して言った。

「直ぐにここを離脱する。 恐らくシルヴァの組織が急襲を仕掛けて来るぞ、数で来られては、防ぎ切れん」

リンゼイ・バーク元中尉が『包括』した他の合衆国軍将校の身元、その先が知れた。 が、その為にはまず、ここを無事に脱出することが先決だ。
中南米の麻薬組織は、軽歩兵師団並みの重火力を有する私兵部隊を揃えている。 いかなDIAでも、まともにぶつかっては殲滅の憂き目にあう。
訓練された者の動きで、必要な物的証拠を素早く確保し、脱出にかかる。 何とかしてコロンビア軍の基地に辿り着かねば。 その間に襲撃される恐れもある。

数分後、脱出用に用意した装甲車両の中から、オスター中佐は今回の作戦での『上官』に報告をしていた。 『上官』もまた、コロンビア入りをしているのだった。

「・・・はい、そうです、サー。 容疑者の確保は出来ませんでしたが、鼠の居場所は把握しました。 は・・・は・・・では、その様に」

通信を切り、オスター中佐はシートにもたれかかる。 ここから先は、政治の領分が濃くなる。 彼等の出番はここまでだ。
陸軍、海軍、航空宇宙軍との協同捜査本部、それ自体が隠れ蓑。 連中には、軍内部の麻薬汚染摘発の功績だけ、投げ与えればいいだろう。

(『―――ハインリッヒ、彼等の役目はこれまでだ。 ここからは、我々の領分・・・シルヴァに絡め取られた連中を炙り出し、『計画』を止める』)

彼の臨時的な上官―――DIA国際協力室長、ロバート・クナイセン海軍少将の冷めた声が耳に残る。

(『―――HSST落下計画は、既にこちらの耳に漏れている。 これ以上、日本にポイントを与える訳に行かん、判るな? 宜しい、可及的速やかに、鼠を炙り出したまえ』)

合衆国の情報網は、『裏庭』であるカリブ海・中米は元より、南米諸国にも網の目の様に張り巡らされている。 シルヴァの組織も監視対象なのは自明の事だ。
それにしても・・・オスター中佐は思った。 それにしても確か、クナイセン少将はJIN(日本帝国海軍)に、旧知の友人が居た筈だ。 が、公私の別は別、そう言う事か。 
この計画が日本に漏れれば、日本の対米外交にとって、格好のカードたり得る。 ホワイトハウスかペンタゴンか、誰かがそう判断したのだろう。 そして・・・

(・・・おそらく、バーク元中尉と麻薬組織の間を取り持ったのは、CIA・・・国家秘密本部アフリカ・中南米部長のアンドリュー・カーターか・・・)

恐らくステイツ内でも、水面下の暗闘が起こるのだろう。 合衆国は1枚岩では無い、建国以来そうなのだ。 合衆国はキマイラだ、それぞれの頭が互いを喰らいあうキマイラ。
オスター中佐は車の窓から夜空を眺めた。 あの空の向こうでは、あの忌まわしき、醜い異形の星間の侵略者との激戦が展開されているのだろう。
そしてこちらの空の下では、人類同士が密かに汚い争いを延々と続けている。 果たして人類とは、押し並べて『ウンターメンシュ』なのだろうか? まるで出来の悪い喜劇だ。

ハインリッヒ・オスター中佐の祖父の兄に当る人物は、ナチス・ドイツ政権下のドイツ第3帝国で、総統暗殺未遂に連座して処刑された国防軍将校だったのだった。






N.Y.郊外のロココ調の邸宅。 その一室で通信を切ったロバート・クナイセン海軍少将は、他のソファに座る『ゲスト』達に振り向いて、言った。

「―――諸君、鼠の巣穴が知れた」

クナイセン海軍少将を見つめるのは、3人の男達だった。 DIA(アメリカ国防情報局)人的情報部部長のジャック・オルセン陸軍少将。
中央情報局(CIA)情報本部東アジア分析部長のライオネル・モーガン、同じくCIA国家秘密本部防諜センター長のスティーブン・サリク。
DIAが確保している『ゲストハウス』のひとつで今夜、DIAとCIAの一派―――本来ならば仇敵同士の組織の者達が集っている。

「さて、何処まで手繰り寄せる事が出来るかな?」

ジャック・オルセン陸軍少将が、苦笑しつつブランデーグラスを傾ける。 DIAにおいてヒューミント(人的スパイ活動)を統括する、40代後半の男だ。
CIAのライオネル・モーガンは無言だった。 スティーブン・サリクは何か言いたげである。 クナイセン少将が目線で発言を促した、微かに頷き、サリクが話し始める。

「・・・『向う』の行動を阻害するのは、あと数週間が限度と思ってくれ。 こちらとしても、ゴース(CIA長官、ジョンストン・ゴース)の裏を探る手が要る」

「ジョンストン・ゴースを、CIAのボスから引き摺り降ろす。 あの老人の手足のひとつを奪う。 その為のネタとして、今回のHSSTの1件、DIAが請け負う」

スティーブン・サリクはCIA『内部』の防諜活動の総元締めだ。 彼に請け負ったオルセン陸軍少将とは、実は因縁浅からぬ中では有る。

「あの老人の手は、極東方面情勢にとっては、極めつけの悪手だ。 合衆国は今更、日本を丸抱えは出来ないし、あの国に燻ぶるナショナリズムを、盛大に焚きつける事になる」

東アジア分析部長のライオネル・モーガンが、忌々しげに呟く。 東アジア・・・いや、今やアジア全域の分析専門家であるモーガンにとって、『向う』の悪手はまさに悪夢だ。
合衆国が望むのは、『国際的な商取引』の話が出来る日本帝国なのだ。 外交関係も言いかえれば、『国益』と言う利益を得る為の商活動、と言ってしまえる側面を持つ。
冷静に、ドライに、時に酷薄に。 合衆国は物的支援や、時に人血を売り物に、安全を買う。 日本は物的支援を合衆国から最大限に引き出し、血を流して安全を売る。

無論、お互いに外套の中にナイフを隠し持ったまま、右手で握手をし、左手で互いを出し抜く工作を怠らない。 だが表面は互いに笑顔のままで。
クナイセン少将達が属する派閥は、世界とは、国際社会とは、そう在るべきと『理解』する集団だった。 そしてその考えは、日本の統制派にも共通している。

「遊びの時間は終わりだ。 HSSTとは、少しばかり贅沢なオモチャだが・・・ハンスコム(ハンスコム宇宙軍基地)か、エドワーズ(エドワーズ宇宙軍基地)で止めねばな。
最悪は衛星軌道のステーションになるが・・・そうなれば、国連はおろか、各国の航空宇宙軍にも感づかれかねない。 何としても、地上で始末をつけねばならん」

クナイセン少将が、合衆国の地図上を指さしながら、そう言う。 つまり、HSST落下作業の最終調整者を事前確保、或いは『消去』する事。
地上ならばDIAの他にも、憲兵隊を動かす事も可能だ。 だが一度宇宙に上がってしまえば・・・厄介な事になる。

「可及的速やかに、全貌を解明する必要が有る。 そして先手を打たねばならない」

地上か、それとも宇宙か。 場合によっては合衆国航空宇宙軍・宇宙航空軍団司令部に捻じ込まねばならない。

彼等はまず、懸案事項の1件目に合意した。 よし、次だ。

「エージェントの報告だ、日本国内での蠢動は、些か早まるかもしれない」

CIA東アジア分析部長のライオネル・モーガンが言う。 同時にCIA国家秘密本部防諜センター長のスティーブン・サリクが煙草に火を点けながら補足する。

「送り込んだのは『インクイジター』と『魔女』、それに『高(カオ)』の3名だ。 『向う』のカウンターパートとしてな。 『向う』は既に武家の強硬派を包括した。
今は軍部国粋派に浸透作業中だ、それも最終段階。 国粋派トップの陸軍大将は、実のところ我々も評価を定めきれていない。 国粋派と言うには、余りに欲深い男だ」

「・・・日本帝国陸軍、間崎勝次郎大将か。 一時は帝国軍のトップを狙えるポジションにいた男だったな。 今は名誉だけの閑職に居る」

「その欲深い陸軍大将の周りに、あの国の軍需産業界の一派が付かず、離れずだ。 お零れに群がる『安保マフィア』達も―――ああ、これは我が国も同様だが」

「判り易い縮図だ。 表向きは反米・国粋主義を通して見せても、裏では欲で繋がったアメリカと日本の甘い蜜の関係か。 あの老人の意向を承知の上での、な・・・」

元々、今回のHSST計画の情報は、『あの老人』の周囲から漏れた形跡が強い。 あの老人は、決してAL4計画の賛同者では無い。 が、AL5計画に無条件に賛同してもいない。
だからか、シルヴァを含む『南米共同体運動』の連中の動きに、一定の理解を示しつつも、裏で密かに情報を漏洩させたのは。 老人はAL5の比較的擁護者だが、過激派では無い。
『横浜』は老人にとって、今暫し残って貰う必要のある駒、そう言う事か。 恐らくは裏で操る糸を万全にする為に。 権益と欲望と言う操り糸。

そうなのだ、だから・・・クーデター? そんなもの、端から成功はしない。 表向き、国粋派を支持して擁護しているポーズの間崎大将自身さえ、それを望んでいないのだ。
将軍家による摂政政治の復権? そんなもの、誰の腹も膨れない。 清貧で飢えるより、汚濁の中で満腹する方を選ぶものだ、人と言う度し難い種は。

「戒厳司令部を牛耳った後で、クーデターを鎮圧。 そのまま戒厳令下での臨時政権樹立か?」

「いや、その前に道化の臨時政権を発足させるだろう。 自分はその裏だな、気を見て『挙国一致内閣』、その方向だろう」

面白いのは、クナイセン少将らが水面下で接触している、日本国内の他権力―――軍官の統制派も、ほぼ同じシナリオを描いていると言う事だ。 手を組む相手が違うだけ。
密かに欧州や大東亜連合内部をも巻き込んでの、極東方面での政治権力バランスの再構築合戦。 全ては己の損益計算書に満足のゆく数字を弾き出せるかどうか。

「・・・古来より、若者は夢を追う」

「そして斃れ、自己陶酔に満足して死んでゆく」

「後に残りしは、ハイエナの如くの為政者達の、獲物の分捕り合い」

「ただし、満腹するまで喰えるのは、1人だけ」

誰もが自虐めいた笑いを浮かべている。 そう、若者は己の理想を夢想し、我らは自虐の痛痒さを味わいながら、それを免罪符に蜜を吸うのだ。

「現地の者に、指示を出そう。 クーデターが『発生』する様に誘導しろと」

「太平洋艦隊へは?」

「第7艦隊は、パール(ハワイ州オワフ島、パール・ハーバー(真珠湾):米海軍太平洋艦隊根拠地)を出港したよ」

「ロバート、念の為だ。 君の『お友達』にも、この件を?」

「ああ、そのつもりだ」









2001年11月22日 2030 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ウエストチェスター郡 ホワイト・プレインズ市郊外


ホワイト・プレインズ市はN.Y.近郊の、全米屈指の高級住宅街を構成する市域である。 その中でもひと際、周囲を樹木で覆われ、中が窺い知れない広大な邸宅がある。

「いや、ご足労いただき、申し訳ない。 バロテネス」

「構いませんわ。 丁度、N.Y.の娘の家に遊びに参っていましたの。 ここへはロス・アラモスより余程近いですわ」

暖炉の前に二人の年老いた男女―――男の方は、恐らく90歳の手前だろう―――が、ティーカップを傾けながら話している。
男―――この邸宅の主である『老人』と、向かいの初老の女性―――バロネテス(女準男爵)、レディ・アルテミシア・アクロイドの二人。

「いやはや、こうも年を取りますとな・・・少しの外出も、億劫になりましてな。 レディのお若さが、羨ましい、ははは・・・」

「まあ、お上手・・・ではございませんわね? ミスター?」

レディ・アクロイドも、60代に入った初老の女性だ。

「それに・・・孫娘の顔を見に来た私の楽しみを奪っておいて、わざわざ世間話でも? 伯父様?」

実の伯父と姪では無い。 が、この二人、母方で血筋が数代前に交わっている。 欧米の貴族や上流階級社会は、どこかしらで血筋が交わる事は、珍しくも無い事だが・・・

「それは、済まないと思っているよ、アルテ。 シルヴィアもジョセフィンも、久しく顔を見ておらん・・・」

実はもっと複雑な、血縁関係を持っている訳なのだ。 『老人』にとっては、レディ・アクロイドは娘の世代。 その娘や孫娘は、『老人』にとって孫娘や曾孫娘の様なものだ。
ティーカップを置いた『老人』が、暫し無言のまま、その琥珀色の波紋を眺めている。 そしてようやくの事で、姪の様な、娘の様な、スコットランドの女性貴族に向かって言った。

「アルテ。 ロス・アラモスの主任研究者・・・『グレイ・マザー』の立場で聞きたい。 『バビロン作戦』―――G弾の集中運用には、今も反対の立場かね?」

「・・・ええ、死ぬまで・・・死んでも、その主張は変わりませんわ、伯父様」

レディ・アルテミシア・アクロイド博士。 ロス・アラモス国立研究所のG元素研究部門において、今や主任研究者として牽引する立場になりおおせた、女性研究者。
『プレーンワールド』における『超弦理論』の第1人者。 『量子重力理論』の世界的権威、G元素(グレイ11)の抗重力反応に指向性を持たせ得る事を、世界で初めて証明した人物。

故に―――『グレイ・マザー』、又は『破滅の聖母』

「・・・伯父様。 1999年の夏に攻略出来たH22・・・ヨコハマ・ハイヴでの、G元素採集量は、いかほどか、ご存知?」

「いや・・・神ならぬ故な、あずかり知らぬ。 アルテ、お前も言う気はなかろう?」

「ええ・・・ふふ、少し意地悪だったかしら」

「構わぬよ。 その昔、お前はまったく活発で、少し悪戯好きの女の子じゃった・・・」

もう半世紀以上も昔の話、連合軍遠征部隊最高司令部(SHAEF)に配属された、移民出身の若い将校は、スコットランドで遠縁の少女と出会っていた。

「ヨコハマ・ハイヴはフェイズ2でありながら、最深度はフェイズ4に匹敵すると言う、特異なハイヴでしたわ・・・もちろん、『アトリエ』もありましたのよ?
ご存知? 伯父様。 『アトリエ』はフェイズ4ハイヴ以上でしか造られないという事実を? ヨコハマ・ハイヴはフェイズ2でありながら、『アトリエ』を持っていましたの」

「ふむ・・・」

「当時の私は、G弾の炸裂影響範囲を限定する研究をしていました。 その意味では『ヨコハマ』での結果は、良好と言えましたわ。
でも、『アトリエ』が有った事は想定外。 後で報告書を読んで、卒倒しかけましたのよ? だって、有り得ない存在が、そこに有ったのですもの」

「・・・それほど、卒倒しかねない程、驚く事だったのかね?」

その言葉に、レディ・アクロイドは少し顔を顰める。 『老人』が判って言っている事に気づいたからだ。

「伯父様、変な探りはお止し下さいな。 『ヨコハマ』で米軍と国連軍・・・それに日本軍が採集した(日本の事は、暗黙の事実だ)G元素の量・・・
もしそれが、G弾の形成する『ラザフォード場』に接触して、誘発反応した場合・・・ギガトン級水爆の無造作な誘爆とは別の意味で、地獄を生じさせますわ」

「どの程度かね?」

その問いに、レディ・アクロイドは即答せず、ティーカップを手にして軽く喉と唇を潤す。 やがてティーカップを手にしたまま、どこか遠い世界を見る様な表情で言った。

「・・・G弾、120発から150発分の破壊力を、生じさせます」

「ッ!? 100・・・と!?」

極秘の情報によれば、国連(現・横浜基地)が保有するG元素量で、G弾40発分か、それを少し上回る。 日本帝国が採取した量は、それをやや下回る量。 合衆国は・・・

「少なくとも、半径50から60マイル(80.5~96.6km)の円周内の地形は、消滅しますわ。 そして推定で深さ10から15マイル(16.1~24.1km)程のクレーターが出来る・・・
ニューヨークを起点にすれば、北東はロングアイランドの大半、コネティカット州のニューヘイブン辺り。 南西はフィラデルフィア辺りまで、『消滅』しますわ・・・」

「・・・地球上の大半の地殻の、半分ほどの深さに達する、クレーターじゃと? その様な『ジャイアント・インパクト』なぞ、人類史に経験が無いわ・・・!」

「ええ。 恐らく『地球史』で語る程の規模でしょう。 仮説しかありませんが、45億年前の『ジャイアント・インパクト』の様に、マントルにまで達する事は有りませんが・・・
地殻変動を誘発する恐れは、充分に有りますわ。 H22、H21、H20はユーラシア、太平洋、北アメリカ、そしてフィリピン海プレートの接合点付近に存在します」

レディ・アクロイドの説明を、『老人』は無言で聞き続けた。

「それ以外にも、ユーラシアプレート、オセアニアプレート、インドプレート、アラビアプレート、アフリカプレートの接合点付近のハイヴは、数多くありますわ。
それに想像を絶する重力異常・・・『プレーンワールド』理論では、低エネルギーでは(私達もですわ!)素粒子の相互作用が4次元世界面(ブレーン)上に閉じ込められます。
そして重力だけが、更に高位の余剰次元(5次元目以降の次元、ですわね)方向に伝播できる、とされますの。 そんな異常重力圏が、地殻変動を誘発する程の威力で生じたら・・・」

「しょ、生じたら・・・どうなる? アルテ・・・」

「地球の重力異常は、月に影響を及ぼしますわ。 具体的には潮の満ち引き・・・潮汐作用に」

月の潮汐作用により、主に海洋と海底との摩擦による熱損失から、地球の自転速度が凡そ10万年に1秒の割合で遅くなっている。
また重力による地殻の変形を介して、『地球と月』系の角運動量は月に移動していて、これによって月と地球の距離は、年間約3.8cmずつ離れつつあるのだ。
逆に言えば、かつて月は現在よりも地球の近くにあった。 そして現在よりもっと強力な重力・潮汐力の影響を地球に及ぼし、地球と月は現在より早く回転していた。
4億年程前には1日は約22時間で、1年は400日程あったとされる。 それはどの様な世界だったのであろうか・・・

「自転速度が速くなり・・・大気圏内の気流の速度が大幅に狂いますわ。 ハリケーン並みの暴風が世界中、年中無休で所構わず発生し、海洋は巨大な津波を発生させる・・・」

更には重力異常に端を発する地殻変動により、地殻の沈降・隆起が異常事態として生じる可能性もある。

「陸地は恐らく、年中吹き荒れる暴風に晒され、干上がった海洋は巨大な塩漠の荒野を出現させるでしょう。 海岸線付近は、数10mに達する大津波に、絶えず晒される恐れも」

その説明に、『老人』の額に薄らと汗が滲み出る。

「・・・アルテ、『それ』は1箇所の誘発で、起こり得るものかね?」

辛うじてそれだけの言葉を絞り出した『老人』は、面前の遠縁の女性科学者に尋ねる。 レディ・アクロイドの回答は、辛うじて『老人』を安堵させるものだった。

「いいえ・・・『爆心地』には巨大な被害をもたらすでしょうけれど・・・所詮は『半径50から60マイル』の範囲の話ですわ。 
広大なユーラシアでは、点の様なもの・・・ただし、『バビロン作戦』の様なG弾の集中運用を行った場合の誘発威力は、地球規模の異常を発生させる、そう考えますの」

要は用心深く、地殻運動と重力偏差を観測しつつ、隣接した箇所『以外のハイヴを』G弾で攻略しさえすれば、現在では最悪のシナリオは回避できる。
問題は国土を『巨大クレーター』にされた、国土無き国家群の苦情、それだけだと。 抗重力反応の指向性と範囲さえ予めシミュレートしてコントロールすれば・・・
誘発の可能性も、数%台に抑えられるとも。 但し、その場合はやはり最後には、ハイヴの最深度域でBETAとの交戦の可能性は否定できない。

「フェイズ5、フェイズ6ともなれば、実際に地下茎の拡大範囲は推測による部分が、かなり大きいのですわ。 G弾の『調整』も難しくなりますの」

「ふむ・・・成程な。 だからじゃな? ローレンス・リバモア国立研究所の連中と対立しておるのは?」

「ふふ・・・ご存知でした?」

合衆国のG元素研究は、ロス・アラモス国立研究所と、ローレンス・リバモア国立研究所の2箇所で行われている。 そしてこの2つの国立研究所は、犬猿の仲だった。
歴史は遡り1944年。 ロス・アラモスは原爆開発の中心地であると同時に、レオ・シラードら68名の科学者が、ドイツへの原爆投下に反対して大統領へ請願書を送った。
世界で最初の、反原爆運動の舞台ともなった経緯が有る。 現在でもG元素研究のメッカであると同時に、反G弾―――『反バビロン作戦運動』が盛んである。

翻ってローレンス・リバモア国立研究所は、第二次大戦後はソ連の脅威に対抗する為、水素爆弾の開発を行ったエドワード・テラーらが設立した。
一方でロス・アラモスのオッペンハイマーらは、原子爆弾の廃絶を訴え、マンハッタン計画を推進した科学者たちはテラー派とオッペンハイマー派に別れ、激しく対立した。
テラー派はローレンス・リバモア国立研究所を設立し、また『レッド・パージ(赤狩り)』を利用して、オッペンハイマーを失脚させた歴史が有る。

「ルドルフ・カマーシュタイン博士は、G元素の誘発威力の計算を、過少に見積もっていると、私は考えますわ。 向うは、私の計算を過大だと、そう批判しますが・・・」

ルドルフ・カマーシュタイン博士は、エドワード・テラーの思想的な直系の弟子だった。 ローレンス・リバモア国立研究所における、G元素研究の主任者である。
同時に『バビロン計画』における、G弾威力判定の最高責任者でも有る。 現在の所、軍部強硬派の受けの良さは、カマーシュタイン博士が僅かにリードしていた。

「日本の第4計画、アレはどう考えるかね・・・?」

チラッと『老人』をみつつ、レディ・アクロイドはあっさり言いきった。

「実現しませんわ。 『彼女』の発表した、今までの論文を拝読した限りでは」

「ふむ・・・アルテ、お前がそう言い切る限り、そうなのであろうな。 ふむ・・・」

老人は何かを考えている様だった。 それが何なのかは、残念ながらレディ・アクロイドには判らなかったが・・・










2001年11月23日 1800 日本帝国 帝国陸軍松戸基地


「ちょっと、最上」

訓練を終えてハンガー脇のドレスルームから出て来た最上英二大尉は、不意に背後から呼び止められた。 声で判る、第152戦術機甲大隊で先任中隊長をしている同期生だ。

「・・・なんだ? 森芝」

森芝薫大尉。 最上大尉の同期生の女性将校で、長門少佐率いる第152の第1中隊長で有り、先任中隊長を務める『女傑』だ。

「アンタ、周防少佐から何も聞いてないの!?」

詰問口調の森芝大尉。 が、最上大尉も知らないものは、知らない。

「・・・何も?」

「何も!? 何も聞かされずに、唯々諾々と訓練してるっての!? アンタは!?」

「上官が方針を決定した。 修正すべき個所は、意見を具申するが・・・それ以外に、何をどうしろと?」

「新潟から戻って、いきなり今までおなざりに過ぎなかった、対人戦訓練のオンパレードよ!? 3部長(師団第3部長=作戦・運用・訓練担当主任参謀)は機甲畑だし。
戦術機甲は畑違いだからって、荒巻中佐が実質、戦術機甲担当のG3(運用・訓練幕僚)じゃない!? で、周防少佐がその補佐で! その二人が、全くのダンマリじゃないさ!」

新潟でのBETA上陸阻止戦から、ようやく基地に帰還した彼らを待ち受けていたのは、先任大隊長・荒巻中佐と、次席大隊長・周防少佐の策定した訓練だった。
今までとは180度方針を転換した、全く純粋な対人戦闘訓練―――対戦術機戦闘訓練だった。 それまで『我々の主敵は、BETAだ』と、常々言っていた2人から想像もつかない。

「下の者達も、動揺しているわ。 どうしてこんな時期に、って・・・判るでしょう!?」

年末の『大攻勢』が噂されている。 佐渡島へ―――そんな合言葉すら、出始めている今の時期にだ。 どうして、今更対人戦闘訓練を!?

「・・・少なくとも、荒巻中佐も、ウチの大隊長も、無駄な事はやらない主義だよ。 大和田(大和田佑介大尉、第153戦術機甲大隊(荒巻中佐指揮)第1中隊長)も黙っている。
お前もさ、もう少し落ち着いて、部下を宥めるなり、抑えるなりしろよ・・・お前のトコの長門少佐にでも、聞いてみるとかさ・・・」

「ウチの大隊長が、そんな可愛げのある事、するか! 例え何も聞かされていなくっても、周防少佐の態度見て、歩調を合わせるよ、あの人は!」

付き合いの長い長門少佐ならば、周防少佐の様子からある程度の察しは付けるだろう。 そして部下達の不満?は、その鉄面皮で黙殺する。 森芝大尉は、嫌と言うほど知っていた。

「・・・裏では、ウチの大隊長を、面と向かってクソミソにコキおろしながら、な・・」

「ま、本気で言っているんじゃないだろうけど・・・正直、部下に言う言い訳のネタは尽きた。 私自身、遊佐(遊佐圭市大尉)や榛葉(榛葉智嗣大尉)から、突き上げよ・・・」

遊佐圭市大尉は、第152大隊の第2中隊長。 榛葉智嗣大尉は、同第3中隊長だ。

「・・・俺も、八神から毎日毎日、ネチネチとやられているよ。 遠野は無言のプレッシャーをかけて来るし・・・」

八神涼平大尉、遠野万里子大尉は、第151大隊で最上大尉の後任中隊長達だ。 大隊長が明言しない分、先任中隊長に『探って下さいよ!』と言うプレッシャーは大きい。

「まさかと思うけどさ・・・まさか、だとは思うけどさ・・・」

「止めとけ、森芝。 それ以上、言うんじゃないぜ?」

「ッ! ・・・判ってるわよ・・・」

密かに、しかし幅広く噂される、軍内部の不穏な噂・・・まさか。 まさか、そんな事は・・・

「・・・でもさ、最上。 ここだけの話よ? 地理的に、真っ先に投入されるのは、私達の師団よ、その場合・・・」

「・・・」

「だから、荒巻中佐も、周防少佐も・・・長門少佐も全く周防少佐に、表立って突っかからないし。 師団G3も黙認、参謀長や旅団長、師団長も不自然よ、あの態度・・・」

想像するのが怖い―――いや、可能性を見つめるのが怖いのか? 悪夢だ、悪夢でしか無い。 最上大尉は、短く刈った髪をクシャクシャと掻き上げ、溜息をつきながら言う。

「兎に角、お前が動揺するなよ? 森芝。 152全体が動揺しちまう」

「む? それは、判っているってば。 要は、アンタが周防少佐から聞き出しなって事! 大和田じゃ、流石に荒巻中佐に面と向かって聞き出せないじゃない!?」

大和田佑介大尉は、最上大尉や森芝大尉の半期後輩だ。 2階級も上の直属上官に、直談判で聞き出す様な真似は出来そうにない。
まだ渋る森芝大尉をほうほうの体で振り払い、ようやく最上大尉が『脱出』出来たのは20分も経ってからだった。





バン! 上官の執務室の前に差しかかったら、勢い良く扉が開かれた。 中から出て来たのは、怒った表情の長門少佐。
最上大尉が慌てて敬礼するが、長門少佐はそのままの表情で、おなざりの答礼を返しただけで、足音高く過ぎ去ってゆく。
恐る恐る、上官の執務室を除けば―――苦虫を潰した表情の、自分の上官が無言で座っていた。 そのまま回れ右、で立ち去ろうとするが・・・

「・・・最上。 用なら、さっさと入れ。 そして扉を閉めろ」

―――見つかってしまった。 観念して、内心で溜息をつきながら大隊長室に入室する最上大尉。 周防少佐は、相変わらずの渋い表情だ。

「・・・長門少佐、盛大に言いまくった様ですね、そのご様子ですと・・・」

「・・・容赦無いから、あいつは昔から・・・」

そう言えば自分の上官と長門少佐は、訓練校以前―――中等学校時代からの仲だと聞いた事が有る。 もう14年来の親友付き合いだとか。 そりゃ、容赦無いわな・・・

「で、大隊長。 そろそろ部下達どころか、八神や遠野を抑えるのも、難しくなりました。 つきましては・・・」

「却下」

「・・・まだ、何も話していませんが?」

「却下だ。 何も聞くな、何も探るな」

「・・・子供じゃ、ないんですから」

「これ以上、俺の胃にストレスを与えるな。 何も聞かん、何も答えられん」

周防少佐にした所で、『状況』の発生の可能性と、その時の対応命令こそ受けてはいる。 師団上層部も承知の上だ。 だが荒巻中佐がいみじくも言った様に『何も知らない』筈だ。
最上大尉は、流石にこれ以上は聞き出せない、そう思った。 彼の上官は決して百点満点の上官では無い、欠点もある。 が、少なくとも納得して仕えられる上官だった。
その上官が、ここまで拒絶・・・いや、苦悩する程、理由を明かせないと言う事は・・・密かに、背中に冷汗が出る。 嫌な汗だ、堪らなく嫌だった。

「・・・訓練のマンネリ化を防ぐ事により、より技量の向上を目指す・・・とか何とか。 ま、適当に時間を稼いでみます」

「すまん・・・頼む・・・」

本当に、胃が痛い様だ。 後で軍医官に話を通しておくか。 戦術機甲大隊指揮官が、胃潰瘍で入院して戦場に出られないなんて、下手な喜劇より笑えない。
黙って大隊長室を後にする最上大尉。 ふと振り返ると、上官が何やら錠剤の薬を取り出して、コップの水で口の中に流し込んでいた―――本気で喜劇は回避しなければ、そう思った。









2001年11月23日 2230 帝都近郊 某寺


「・・・道元禅師が説かれました、『有は時なり』と・・・」

老齢の僧侶が、軍服姿の軍人に、何かを説いている。

「有というものは『存在』也。 森羅万象、すべからず『有』也。 いわんや、雨が降っておれば雨も『有』也。 有とは『存在するもの』。 しからば『有』は皆、『時』也と」

まるで、禅問答だ。 それもそのはず、この寺は禅寺なのだから。

「・・・たとえば、ここに筆が有る。 これが書を書く時、これが働いておる。 書く時には『筆で書を書く』と言う時間が、その時働いておる。
筆で書を書くという時には、筆が字を書くという、働きをしておる。 働きと物とは、同じく等しい、ひとつ也。 存在と時間は、ひとつです。
これを『有事なるによりて、吾有事なり』と、道元禅師は仰られた。 『存在・物というものは、そのものが働きとして活用される時、物と時がひとつになる』とのぅ・・・」

「・・・『有事なるによりて、吾有事なり』・・・」

「左様。 『有事なるによりて、吾有事なり』 人も同じでは無いですかな? ただ存在するだけでは、ありませんでしょう。 その働きが活用される時、『吾有事』と・・・」

「・・・『吾有事』・・・禅師、御教示、有り難く」

「なんの。 この老僧、未だ『吾有事』たり得ぬ。 久賀少佐、お急ぎなさるな・・・」

久賀直人少佐は、静かに禅師に頭を垂れた。





[20952] 前夜 2話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:2441b9c2
Date: 2013/06/23 23:39
2001年11月25日 1500 日本帝国 群馬県 帝国陸軍相馬原演習場


BETA侵攻によって廃墟と化した旧市街地をも演習場に取り込んだ事で、その円周状の広さは帝国内でも屈指となっている。
その演習場を複数の部隊が交錯していた。 互いに砲弾を浴びせかけ―――演習用の模擬弾だが―――互いに相手を包囲しようと、複雑で高速の機動を繰り返す。

「―――ゲイヴォルグ・ワンより『ハリー・ホーク』 そのまま北西へ誘いこめ。 『クリスタル』、北への迂回を阻止しろ。 『ドラゴン』は現地点で待機継続」

周防少佐は網膜スクリーンに展開されるCTP(共通戦術状況図)情報、そしてもう1段階上位システムであるCOP(共通作戦状況図:Common Operational Picture)を見比べた。

『―――ハリー・ホーク、ラジャ』

『クリスタル・リーダーです。 北の台地を迂回して、廃墟群の北方へ迂回中』

『ドラゴン・リーダー、了解です』

CTP情報は『Who(誰が)、What(何を)、 When(何時)、Where(何処で)』である。 対してCOPはそれを踏まえ『Who(誰が)、Why(何故)、So what(従ってどうするか)』だ。

(・・・敵第1部隊による、市街地北部での北方向への機動突破。 こちらの本隊を迂回包囲する為に・・・よって、これを北西部での罠で阻止した上で、一気に南下する)

第152戦術機甲大隊が隣接戦区で敵第2部隊を押さえ、第153戦術機甲大隊が大きく迂回機動を始めている。 相手の本隊を迂回機動で叩く、『後の先』の戦術を旅団は取った。

(・・・ここで、俺の大隊が敵第1部隊を殲滅、あるいは打撃を与えて片翼を形成する・・・典型的な突出部を挟みこんで叩く、包囲殲滅戦か・・・)

古典で言えば、『鶴翼の陣』とでも言うべきか。 勿論の事、使用する兵器も通信手段も、古代のそれからは大きく異なるが・・・洗浄心理と言うのは人間、古代から変わらない。
第2中隊が敵戦術機甲部隊に対し、付かず、離れずの距離で接敵しながら後退戦闘を繰り返していた。 戦術指揮で最も難しいとされる、だが第2中隊の練度ならやれると踏んだ。
第3中隊も敵部隊の北への突破を押し込みつつ、第2中隊方向へ誘導する様な戦術機動を行っている。 下手に踏み込み過ぎれば大火傷をする。 こちらも練度が無ければ無理だ。

だが時々無性に自分で、戦場に突っ込みたくなる誘惑に囚われる事が有る。 今では大人しく大隊指揮に専念する事がスタイルになりつつあるとは言え、元々は前衛上がりだ。
大隊指揮官の中にも、色々なスタイルの指揮官が居る。 多いのは己もまた、前線に乱戦の中に身を置くタイプの指揮官だ。 本土防衛軍第1軍や、斯衛部隊に多い。
次が予備隊と共に中衛的なポジションで、己も支援攻撃を行いつつ、大体全体の指揮を行うタイプの指揮官。 前線部隊の指揮官に多く、帝国軍中で最もこのタイプが多い。
最後に、大隊指揮小隊と共に最後尾、或いは予備隊と共に位置しつつ、大隊指揮に専念するタイプの指揮官。 己の機体の防御は、指揮小隊に委ねている。

周防少佐は、本来の気質から言えば最初のタイプの指揮官に思える。 或いは戦歴からの経験で、2番目のタイプの指揮官か。 とにかく、己も刃を交わすタイプだ。

「ハリー・ホーク、30秒後にエリアF7Sまで誘いこめ。 クリスタル、20秒後にF9Tまで移動しろ。 ドラゴン・・・」

実際は最後のタイプの指揮を、よく執る様になっている。 指揮小隊と共に予備隊のやや後方に位置し、全体を把握出来る位置から各中隊を動かす。
帝国軍内では『帷幕指揮官』などと呼ばれ、余り良い顔をされないスタイルの指揮方法なのだが・・・代わりに、『大隊長機が最初に突入、最後に離脱』は、必ず守る。

大陸派遣、欧州派遣、その後の大陸撤退戦、本土防衛戦に海外派兵・・・様々な戦歴から、大隊指揮官が緒戦の混戦で戦死し、その後の混乱で壊滅した部隊を数多く目にしてきた。
そこから出した結論は、『頭』―――指揮官は最後まで生き残るべき、だった。 小隊でさえ、小隊長が居るのといないとで、大きく違う。 部隊規模が大きければ、尚更の事だ。

『CPよりゲイヴォルグ・ワン。 エリアD7R、ポイントNW-91-132に友軍部隊展開完了しました。 コードは『レイン』 オーヴァー』

CPより第1中隊と連携を組む、友軍部隊の展開完了の報告が入る。 COPに友軍部隊の表示と行動が記されている。 その意図は旅団司令部の方針に合致していた。

「ハリー・ホーク、後退速度を少し落とせ・・・」

「クリスタル、次に一度、大きく突け。 ただし一撃離脱だ」

「ドラゴン、『レイン』の射界を確保しろ」

『戦場』の北西の外れ、台地上の地形の西端に指揮小隊を従えて、刻々と移る戦況を確認して微修正を加える。 その情報もまた、CTPにより各級部隊指揮官・司令部が共用する。
CTP(共通戦術状況図)情報で、敵部隊が針路を大きく北西に転じ始めた事を確認する。 第152大隊が担当戦区で攻勢をかけ始めた、第153大隊は迂回機動の最終段階だ。

『CPよりゲイヴォルグ・ワン。 旅団HQより『蓋を閉じよ』です』

「ゲイヴォルグ・ワン、了解した。 マム、5kmほど後退しろ」

『ゲイヴォルグ・マム、ラジャ』

レーダーからCP部隊を示すティルとローター機の輝点が、ゆっくりと遠ざかってゆく。 部隊同士の殴り合いの場に、管制部隊を置く馬鹿な指揮官は居ない―――そろそろだ。

「ゲイヴォルグ・ワンより各隊! 状況開始!」

『ラジャ』

『了解!』

『了解です』

北西の市街地跡―――廃墟の袋小路の手前で、第2中隊が南に転じて展開する。 同時に第3中隊は西に高速移動を開始。

『CPよりゲイヴォルグ・ワン! 敵部隊、高速機動! 接近中!』

「了解・・・連中は猪か。 罠を疑わないのか・・・?」

まあいい、予定通りだ。

「ゲイヴォルグ・ワンより『レイン』 お客さんは玄関に入った。 もう直ぐ客間に入る、宜しくお願いする」

『レイン・リーダーよりゲイヴォルグ・ワン。 せっかくの第1軍団からの演習派遣部隊・・・カモネギの上客だ、盛大におもてなししよう』

その言い草に、思わず苦笑する。 レーダーで敵部隊の輝点が高速で移動する。 廃墟群が切れる場所へ。 少しでも多くの機体が、戦闘機動を確保できる空間へ―――来た。

『レイン・リーダーよりカク、カク! 斉射・・・撃っ!』

廃墟の中や窪地に身を隠していた87式自走高射機関砲が2個中隊、一斉に90口径35mm対空砲KDAを2門ずつ、水平射撃で砲弾の弾幕を張る。
毎分発射速度550発の35mm×228弾は、SAPHEI-T(Semi-Armour Piercing High Explosive Incendiary)だ。 砲口1000m/sの砲弾は、戦術機の軽装甲など問題にしない。

30輌、60門の90口径35mm対空砲KDAから発射された35mm×228弾が、次々に敵部隊戦術機に着弾し、その装甲を貫徹する。 次々に爆発を起こして破壊される戦術機。
衛士達は何が起こったのか理解する時間を与えられぬまま、死んでいっただろう。 元々87式自走高射機関砲は、高速で飛行する航空機の迎撃用に開発されたのだから。

『シース・ファイア! シース・ファイア!』

レイン・リーダーが射撃止めを命じた。 その瞬間、今度は周防少佐が部下へ命じる。

「―――1機も残すな。 蹂躙しろ」

跳躍ユニットの片方を中破して、機動力が激減した敵部隊戦術機の1機に、無慈悲に01式近接制圧砲の57mm砲弾を10発以上叩き込み、爆発させながら周防少佐がそう宣言した。





演習後の講評会は、酷い物だった。

「・・・まともに接敵もせず、こそこそと策を弄し、揚げ句は帝国軍伝統の近接戦闘を軽視・・・否、否定するかの作戦などっ・・・!」

第2戦術機甲連隊から派遣された少佐が、憤っている。 周囲の人間は半ば以上、白けきった表情だった。 個人的な憤懣をここで言い放って、一体何の為になるのか?

「駒場少佐の言葉は、少々良い過ぎの感は有るが・・・我々はここに、部隊間の技量交流も兼ねて演習に来ている。 それが、全くこちらの土俵にすら上がらぬとは・・・?」

第1師団派遣の中佐参謀も、根っこは同じらしい。 第15師団側からは、もはや白けきった以上の、嫌悪感さえ漂い始めた。

「技量交流と言うからには・・・君らも、他部隊の方針を悪し様に言い放つのは、如何なものかな?」

第15師団第3部長(作戦・運用・訓練担当主任参謀)の三浦多聞中佐が、第1師団の同業者を見返し反論する。 部隊指揮官たちはもう、いい加減終わってくれと言わんばかりだ。
しかしながら、同じ帝国陸軍内でここまで認識が違うとは・・・特にその傾向が顕著な戦術機甲部隊指揮官達の間には、嫌悪さえ通り越した呆れが漂っている。

「我々は、緊急時の即応部隊だ。 国内外を問わず、事態に即応せねばならない。 そして事態を収束させるか、増援到着まで戦線を維持せねばならん。
その為には確実に、そして少しでも長く、戦闘力を維持する必要がある。 近接戦闘の有効性を否定する訳ではない、状況によっては我々もその選択肢を選ぶ。 だが・・・」

先任戦術機甲大隊長の荒巻中佐が、発言の後を継いだ。 それを第1として選択すれば、即応部隊・・・その戦術機甲部隊としての役目を果たす事が出来なくなる。
それ故に、第15師団は・・・いや、関西の即応部隊である第10師団も、この2個師団は特に機動砲戦戦術の技量を磨き上げ、工夫をし続けてきた。

だが帝都を護る、『帝都守護師団』としての意識が、変な方向に延びてしまったとしか言い様が無い今の第1師団にとっては、伝統無視の外国かぶれに映るのだろうか。
特にその部隊指揮方法を悪し様に言われた周防少佐と長門少佐などは、完全に第1師団派遣部隊を無視した格好で、後ろの方であくびを噛み殺しながら聞き流していた。

「個別の技量比べは、後日の小隊戦闘訓練か、単機毎の戦闘訓練で切磋琢磨すれば良かろう。 今回の演習趣旨は部隊指揮手法の研究会を兼ねる。
その場で端から、己の手法以外の指揮方法を頭から否定するなど・・・諸君は公務を一体どう考えているのか!?」

暫くは第1師団側と、第15師団側で不毛な嫌みの応酬が有った。 その結果として、講評は後日への持ち越し―――事実上、取り止めとなった。





「まったくな・・・あんなのが大隊長とはな。 同じ第1師団だ、久賀の奴も苦労しているだろうよ・・・」

演習場の片隅、本部棟から部隊指揮官級の宿舎までの道路。 並んで歩く長門少佐が、隣の周防少佐へ溜息交じりに言う。

「何なんだろうな、あの根拠のない近接戦優位論は・・・実戦に出てみれば、新米にだって判るもんだがな・・・」

周防少佐も溜息をつく。 第1師団の指揮官が、実戦経験が無いと言う訳では無かった。 その様な指揮官が、帝国陸軍の頭号師団の部隊長に任じられる筈が無い。
確かにその傾向は昔からあった。 周防少佐、長門少佐が未だ駆け出しの新米少尉だった、9年前の大陸派遣時代でも、既にその傾向は多少あったが・・・

「でもなぁ・・・少なくとも、昔の第1師団はもう少し何と言うか・・・頭が柔軟だったぜ? 早坂さん(故・早坂憲二郎准将)も、第1師団出身だったがよ・・・」

1998年の京都防衛戦に先立つ前哨戦、阪神防衛戦で戦死したかつての上官の名を、長門少佐が持ち出した。 確かに早坂中佐(当時)は、第1師団叩き上げ出身の衛士だった。
そして近接戦闘の名手だった。 周防少佐や長門少佐の世代では、恐らく3指に入る近接戦闘の名手・宇賀神緋色少佐(旧姓神楽)さえ、寄せ付けない程の。

「そんな早坂さんも、野戦では近接戦闘より機動砲戦を・・・と唱えていたっけな。 近接戦闘は、時と場所を選ぶとも」

「BETA共に囲まれた際の、最後の脱出手段。 あるいはハイヴ内戦闘での小型種排除手段・・・その位か? あの近接戦の名手でさえ、そう言っていた位だぜ?」

「実際、俺達はそうして来たしな。 そう教えられてきたし、そう経験して来た。 あの第1師団の・・・駒場少佐だったか? どう考えているんだか・・・」

プレブリーフィングの情報では、半島撤退戦と京都防衛戦を経験していると有った。 『明星作戦』には参加していない、九州方面の防衛部隊に居たらしい。

「・・・それが第1師団に転勤になって。 でもって、張り切り過ぎて、変に感化されちまったか?」

「今の第1師団の若手指揮官連中は、真っ先に近接戦闘を、部下に教え込むらしいし」

特に中隊長級や、古参小隊長級の将校にその傾向が顕著らしい。 実際に中隊単位での訓練は、大隊長は直接口を挟まない。 方針は中隊長が決定する。
大隊長が決定する事は、もっと上位の意志決定―――大隊の戦術行動に耐えうる、部隊練度の発揮と維持。 その中で近接戦闘技量や、砲戦技量向上の為の訓練計画を策定するが。

「日頃の訓練は、中隊長達の管轄だしな・・・」

第15師団でもそうだ。 が、この師団は中隊長や小隊長級の指揮官にも、機動砲戦優先主義が染みついている。 これまでの戦歴がそうさせた。

「おい、ちょっと待ってくれんか」

背後からの呼び掛けに、周防・長門両少佐が振り向くと、そこには今しがた話題にしていた第1師団の駒場少佐が居た。 内心で面倒だな、と周防少佐は思う。

「・・・何か? 駒場少佐」

「ああ、いや、その・・・うん、さっきは少し感情的過ぎた、すまない」

ん?―――周防少佐と長門少佐が、顔を見合す。 そして徐に駒場少佐を見れば、彼はバツが悪そうな表情をしていた。

「どうにも、普段の癖でな・・・いや、俺も機動砲戦を否定している訳じゃないんだ。 無いんだが・・・」

駒場少佐の歯切れの悪い事がを要約すれば、普段から部下達の突き上げ(に似た意見具申)で、知らず知らずに近接戦闘優位主義になっていた様だ、と言う。

「俺もな・・・昔は半島や京都防衛戦じゃ、どちらかと言うと機動砲戦主体で戦ってきたんだ。 その後に配属された九州の部隊でもね。
鉄原ハイヴから対馬海峡を渡って散発的に上陸して来るからな、向うのBETA共は。 それがこの春だ、転勤で第1師団に配属になってな・・・」

九州の最前線の防衛師団から、帝国陸軍の頭号師団へ。 陸軍の野戦将校ならば、本来は身に震えが来るほどの栄転配属だ。
だがそこで待っていたのは、駒場少佐が想像もしなかった程の国粋主義に凝り固まった中堅以下の部下達と、それを見て見ぬ振りをする保身に走った同僚や上官たちだった。

「何て言うのかな・・・国粋主義と近接戦闘優位論が、どう繋がるのか・・・俺も未だはっきり判らんのだがな。 とにかく、目が逝っちまっているんだ、俺の部下達は・・・」

「・・・それでもな、そんな部下達を諌めるのも、アンタの仕事だろうがよ・・・」

長門少佐が呆れ顔でそう言う、周防少佐も無言で頷いた。 そんな両少佐の言葉と表情に、駒場少佐が益々バツの悪い表情をする。

「いやな・・・俺もそう思った、そう考えた。 そうすべきだと判断した。 でもな・・・訓練や演習で散々、近接戦闘で負けてばかりの大隊長の言葉を、まともに聞く連中が・・・」

「負けてばかり?」

周防少佐が訝しげに言う。 資料の情報が正しければ、目の前にいる少佐は半島の撤退戦と京都防衛戦を戦い抜いて生き残り、そしてその後の九州の防衛戦指揮もこなしてきた。
年の頃は30前後だろうか、士官学校の出身者だそうだから、卒業時期は周防少佐や長門少佐と同じ頃の筈だ。 つまり、既に9年前後の軍務経験を有する、中堅の域に入った少佐。

「負けてばかり、って・・・アンタの部下達ってのは、それほど凄腕揃いな訳か?」

帝都守護を自任する第1師団の面々が、自分達をして『精鋭』と自称している事は知っていた。 その度に周防少佐達は内心で、苦笑していたのだが。

「いや・・・俺の部下で、俺より技量の高い者は居ない。 近接戦でも俺は大隊の面々に勝てる程度の腕は有る。 これでも半島帰りだ・・・」

そこまで行って、駒場少佐は少し忌々しそうな表情を見せてから、呻く様に言った。

「第1連隊・・・第1大隊の沙霧大尉。 近接戦の鬼だ、あいつは・・・」

沙霧尚哉大尉、第1師団きっての近接戦闘の名手。 周防少佐も知った人物だが、それほど詳細には知らない。 確かに遼東半島の撤退戦では、近接戦が上手い奴だと感じたが。

そして・・・

「日頃から、国粋主義に被れた若い連中が、あいつを慕っている。 その影響かもしれん、1師団で近接戦闘優位論が蔓延し始めたのは。 
もうな、あいつの相手は、3連隊の久賀少佐くらいだ、出来るのは・・・俺も機動砲戦じゃ負ける気はしないが、近接戦だともうダメだ。 お陰で部下の支持はガタ落ちさ・・・」

思わぬ所で友人の名が出た事に、周防少佐と長門少佐がまた、顔を見合す。 そう言えば第1師団だ、彼らの共通の友人の所属部隊は・・・

「んん・・・ところで駒場少佐。 さっき、国粋主義云々って話が出てきたが・・・第1師団は皆がそうなのか?」

周防少佐がなんとなく、カマをかける。 長門少佐はそんな友人の様子に、何か言いたげだったが無言だった。

「ん? ああ、いや・・・騒いでいるのは、もっぱら尉官連中が多い。 佐官にも居ない事はないが・・・あれほど狂信的じゃない。
いや、俺だって九州出身だ。 生き残った親族は、未だ難民キャンプ暮らしだ。 政府に言いたい事の10や20は有るさ。 でもな、それはまず、前提を除いてからだろう?」

悔しそうな口調で、絞り出すように言う駒場少佐。 彼もまた国内に置かれた難民の現状に憤りを感じている一人だ。 親族がその中に居れば尚更の事。
が、同時に彼は、軍の中堅幹部に属する1人だった。 国が置かれた現状、軍の現実、どちらも冷静に見る事が出来る、またその様に求められる地位と階級に居る者の1人だった。

「難民政策を最優先させても、佐渡島からBETAを追い出せないし、ハイヴを叩き潰す事も能わない。 大を生かす為に、小を切り捨てる・・・って言葉は嫌いだが。
だが今の日本は、そんな個人の感情を優先できる状況じゃないって事位、判っているさ。 3600万人も死なせたんだ。 ここで10万人、20万人が加わっても、って事ぐらいな」

もっとも、その中に俺の妻や子が入るのは、我慢出来ないがな―――それは周防少佐や長門少佐も抱く、個人的な感情だった。 あくまで個人的な感情。

「若い連中は、どうもそれを混同しがちだ・・・そう思えて仕方が無い。 俺も苦言しているけどな、支持されない大隊長の虚しさってヤツでな・・・」

第1師団の大隊長クラスで、駒場少佐と同じ境遇にある指揮官は少なくない―――いや、一部を除けば大方がそうだと言う。

「東部軍(東部軍管区、第1師団が所属する関東方面軍管区)参謀長の田中中将や、第1軍司令官の寺倉大将も、国粋主義に許容的だから・・・やり辛いよ」

最後の方は愚痴になったが、決して頑迷な人物ではないと言う事を示して、駒場少佐はその場を去って行った。

「・・・おい、直衛。 話が有る」

駒場少佐の後ろ姿を見ながら、長門少佐が幾分の迫力を込めた口調で、周防少佐に言う。 言われた側は苦虫を潰したような渋い表情だ。

「・・・ここじゃ、聞けない。 基地に帰ってからにしてくれ」

「・・・よし。 逃げるなよ?」

どうせ、逃がす気も無いくせに―――周防少佐は益々、苦虫を潰したような表情になってしまった。










2001年11月26日 1830 日本帝国 帝都・東京 市ヶ谷 国防省ビル


「ん? んん? あれは・・・おい、久賀! 久賀少佐!」

「え? あら、本当に。 久賀君、お久しぶり。 今日はどうして市ヶ谷に?」

広大な駐車場で、所用を終えて基地に戻る為に公用車に乗り込もうとしていたら、不意に呼びとめられた。 声の先に2人の人影が有った。
その光景に少しだけ絶句したのは許されるだろう。 久賀直人少佐にとって、彼女達は昔の上官であり、先任将校なのだから。

「・・・藤田大佐、綾森さん。 ご無沙汰しております。 ああ・・・今日は人事局へ野暮用でして」

濃緑色の帝国陸軍軍装に身を固めた久賀直人少佐が、目の前で微笑んでいる藤田直美大佐と、綾森祥子少佐(軍内では旧姓を使用)に敬礼する。
彼女達は軽く黙礼をしただけで、まとわりついている幼子・・・綾森少佐は2人の幼児をあやしていた。 その姿に何とも言えぬ寂寥感を抱いてしまう。

「お子さんですか?」

「ああ、もう6歳になった。 来春には小学校だ、早いモノだな」

そう言って藤田大佐は、母親の陰に隠れる少女の頭を優しく触って、『ほら、ご挨拶は?』と諭す。

「・・・藤田、加奈です」

大佐の娘は母親似なのだろう。 まだ人見知りするのか、母親の軍服のスカートを握りながらも、恐る恐る挨拶する。 その様子に破顔する久賀少佐。

「はじめまして。 お兄さんは久賀・・・久賀直人。 お母さんの・・・お友達だよ」

上官・部下、戦友・・・まだ6歳の幼女には、難しいだろう。 しゃがみ込んで視線を同じ高さにして、挨拶がてらそっと彼女の頭を撫でる。

「綾森さん、その子たちが・・・?」

「ええ、この子が息子の直嗣で、ベビーカーの中でお眠なのが、娘の祥愛よ」

母親に抱かれた、恐らく1歳を過ぎた程度の幼児が、久賀少佐を不思議そうな表情で見つめている。 ふと、父親の面影が濃い子だな、と思った。

「・・・あいつも父親ですか。 こうして会って、初めて実感しましたが・・・想像付きませんね」

「ふふ・・・小さな子供が2人と、大きな子供が1人、居る様な感じかしら? お隣さんも、似た様な感じね」

「あはは・・・周防家も長門家も結局、旦那は嫁の尻に敷かれているな」

「まあ!? 大佐、変な事言わないで下さい」

初冬の暗闇が迫る時間帯。 彼女達は勤務を終えて帰宅する所なのだろう。 近くに軍の託児所が有る、保育園や幼稚園も。
そうか、そう言えばこの2人はもう、完全に戦術機を降りたのだったな・・・藤田大佐は軍中枢のエリート組故に。 綾森少佐は戦傷の後遺症故に。

その後の少しの時間、一体何を話したのか、はっきり覚えていない。 その代わりに時々、彼女達の姿が亡き妻の姿に置き換わり、内心で酷く動揺した事だけは覚えていた。
もし、妻が生きていて、自分達の間にも子が生まれていたら・・・その子が成長した未来が有ったなら・・・久賀少佐は被りを振って、その思いを振り払う。

「・・・久々で、積もる話もあるのですが。 今夜は基地で会議がありまして・・・」

嘘だ。 基地では無い。

「む? そうか・・・いや、呼び止めてすまなかった、久賀。 また時折でも、顔を見せに来い」

「それじゃ、ね。 今度、家に来て。 主人も喜ぶし・・・お隣さん、愛姫ちゃんや圭介さんも喜ぶわ」

「そう・・・ですね。 特に伊達とは、随分会って居ませんし・・・」

長門圭介少佐、そして長門少佐夫人の伊達愛姫少佐、2人とも訓練校同期の、古い戦友だ。 そして綾森少佐の夫の、周防直衛少佐。
周防少佐と長門少佐とは、欧州に左遷された時に、共に支え合った親友だった。 生きて母国に戻れるか、全く希望が持てなかったあの頃。
あの苦しい時期を、若い3人の将校達で励まし合い、支え合い、時に衝突しあって、何とか生き抜いて日本へ帰国出来たのだ。

久賀少佐はじっと、綾森少佐を見ていた。 そしてその子供達を。

「ん? どうしたの、久賀君?」

「・・・いえ。 そうですね、近いうちにお邪魔しますよ」

それだけ言って、目礼だけして公用車に乗り込んだ。 発射した車内から、バックミラー越しに彼女達とその子供達が見えた―――パーツは埋まらない。










2001年11月26日 2100 日本帝国 千葉県 帝国陸軍松戸基地


戦術機甲部隊が良く使う小会議室に、数人の佐官達が集まって難しい顔をしている。 第15師団の各戦術機甲大隊長達が集合していたのだった。

「どうしても・・・か?」

ふぅ、と溜息をつきながら、相手を見据えたのは、最先任大隊長の荒蒔芳次中佐。 師団内での実質的な戦術機甲部門担当G3(作戦参謀)で、全体を統括する立場だ。

「どうしても。 これ以上、部隊内の動揺と緩みを押さえたければ。 訓練も練度が上がりません」

対象的に厳しい表情でそう言うのは、戦術機甲部隊No.3の序列に居る第152戦術機甲大隊長の長門圭介少佐。 特に戦術機甲部隊の訓練計画を担っている人物だった。
長門少佐は荒蒔中佐にそう一言答えてから、同時に中佐の傍らの人物に視線を移す。 周防直衛少佐―――戦術機甲部隊の作戦計画を担う人物であり、長門少佐の親友でも有る。

「無論、作戦担当主幹にも、その辺は話して頂きたいが」

「・・・」

長門少佐は少し語気荒く。 周防少佐は無言で顔を逸らす。

「やむを得ん・・・か」

「中佐?」

「判っている筈だ、周防少佐。 このままでは、戦術機甲部隊全体の足並みが乱れかねん。 少なくとも我々、部隊長級の指揮官団の意志統一は必要だろう」

荒巻中佐の言葉に、周防少佐が無言で、渋々ながら了解する。 彼らとて、いざと言う時に各部隊指揮官間での意見衝突は避けたいのだ。

荒巻中佐が概要を説明する。 上位意志決定は本土防衛軍副司令官。 恐らく本防軍の主流であろう事。 陸・海・航空宇宙の3軍全てが関与している事。
『監視対象』は陸軍第1師団を含めた、第1軍団所属のいくつかの部隊や、国防省直轄の複数の部隊。 その中には『富士教』も対象に入っている。

「・・・『監視対象』に対する制圧任務は、第1派は全て中即軍(帝国軍中央即応軍)だ。 朝霞の中即団(CRF)、航空宇宙軍からは百里の第5輸送航空隊。
それに我々緊急展開軍団第15師団・・・海軍からも第4艦隊と、それに第5陸戦任務群が加わる。 緊急即応・強襲上陸作戦の専門部隊だ」

海軍第5陸戦任務群は、戦術機甲連隊規模の戦術機戦力を保有する。 第4艦隊の第7航戦も、2個戦術機甲大隊規模の艦載戦術機部隊を運用していた。
そして第15師団は6個戦術機甲大隊・・・2個戦術機甲連隊相当の戦力を保有している。 帝都防衛第1師団に匹敵する、或いはやや上回る戦力になる。

「・・・中即団の1挺団(第1挺身戦術機甲団)は?」

第155戦術機甲大隊長・佐野慎吾少佐が小声で聞いた。 知らず知らずに、皆の声が小さくなっている。

「・・・アレを動かすには、法的根拠が流石に融通を付けられん様だ。 なにせ形の上では、首相直属の特殊任務部隊だしな」

中央即応団の第1挺身戦術機甲団(旅団規模)は、形式的に首相直属の特殊作戦任務部隊であり、本土防衛軍司令部のラインに繋がっていない―――形式的には。

「それにあの部隊は『佐渡島』用に、帝国が供出する軌道降下部隊だ。 消耗させる訳にはいかない―――諸外国と国連への対応上な。 今は北海道で『訓練中』だ・・・」

もはや、誰もそんな事を信じる純粋な者は居なかった。 1挺団は餌だ。 首相の廻りから、有力な特殊作戦部隊・・・それも旅団規模の部隊が遠く北海道に離れた。

「・・・第1派と言う事は、第2派の制圧部隊もあるのでしょうか?」

第154戦術機甲大隊長・間宮怜少佐が、周防少佐を見て問うた。 間宮少佐は少尉時代、周防少佐―――当時古参少尉―――の下に居た事がある間柄だった。

「そこまで詳細な情報は、与えられていない。 だが・・・関東近辺の部隊配置、防衛線の状況を考えると・・・」

新潟防衛戦が終わった後、そのまま宇都宮の基地へ帰還せず、立川基地に居候しながら合同訓練を行っている第14師団。 第1師団とは何かと折り合いの悪い、江戸川の第3師団。
あとは横須賀の海軍第3陸戦旅団。 他にも西関東の第4軍団と北関東の第7軍からそれぞれ、あと各1個師団程度は抽出可能だろう。

「第4軍団は第1軍内部で第1軍団と、差をつけられている不満がある。 第7軍の嶋田大将は穏健中立派だが・・・暴挙を見逃す程、枯れた方では無い」

「むしろ、その下の第18軍団長の福田中将が、軍団全部で総出撃しかねない、そうなったら・・・」

「禁衛師団は・・・止めておこう、皇城には一歩も入れないだろう、あの部隊が居る限り」

他にも、関東周辺の独立旅団がいくつか。 その中にはもしかすると、『向う側』に着く部隊もあるかもしれないが・・・

「じゃあ・・・『向う』は第1師団を入れて、およそ2個師団相当・・・そう考えていいのですか? 周防さん」

第156戦術機甲大隊長・有馬奈緒少佐が周防少佐に聞く。 第15師団の戦術機甲大隊長達は、この6人で全てだ。 有馬少佐の問いに、周防少佐が無言で頷いた。
2個師団相当・・・帝都で事を起こすには、充分過ぎる程の大兵力だ。 奇襲が成功すれば、首相官邸を含む中央官衙は、1時間以内に完全制圧されてしまうだろう。

「逆にこっちは・・・初動で我が師団と中即団と・・・海軍の陸戦団とで、約2個師団相当。 『向う』と同等戦力。 これで綱引きに持っていって、第2派の制圧戦力で制圧?」

「どのくらいの時間を要するか、それによるわ。 多くの民間人の居る帝都で、制限される戦闘を強いられるとなれば・・・」

「他に何か状況は? 荒巻中佐、周防さん・・・」

後任者3人(佐野少佐、間宮少佐、有馬少佐の3名は、周防・長門両少佐より卒業期が半期後だ)が、荒巻中佐と周防少佐に問うた。 だが2人とも首を振る。

「我々も、これ以上の詳細を聞かされていない。 実質的に・・・何も知らないのと同じなんだよ、佐野君」

「周防さん・・・それで、皇軍相撃つ、の覚悟をしろと?」

「こちらから、事を起こす事はない・・・はずだよ。 必要なのは、『向う』が事を起こした時に、我々の内部で意志の齟齬が無い様にする為だ。 
君は・・・トリガーを引けるか? 命令を下せるか? 同じ軍旗の下で、同じ敵を相手に戦ってきた、同じ軍の部隊相手に」

「・・・馬鹿にせんで下さい、周防さん。 同じ軍旗の下で、同じ敵を相手に戦ってきた、同じ軍の部隊だからこそ・・・そんな馬鹿な真似をする連中には、容赦出来ません」

怒気を含んだ佐野少佐の言葉。 見れば間宮少佐も有馬少佐も、同じ様な表情をしている―――これまで、何の為に命をかけて戦ってきたというのだ。
皇帝陛下と国家と、そして国民から託された武力を、己の主義主張を通す為に私用する事など、許される事では無い。 今まで死んでいった連中に、どう弁明する気なのだ。

周防少佐が視線に気付くと、長門少佐が苦笑しながらこちらを見ていた―――少なくとも、この連中は判っている。 判る程度には、世の理不尽を見てきた経験がある、と・・・

「・・・判っているだろうが、この事は諸君の胸中に留めておいてくれ。 部下達・・・中隊長クラスの者にも、他言は無用だ」

荒巻中佐が、重々しい声で面々を見回して言う。 部隊長だけの認識で留めろと、そう厳命している。

「連中を信用しない訳ではないが、何処から漏れるか判らない。 若い中尉・少尉連中にとっては、感情的にも抑え難いだろう」

自身も年若い少尉・中尉時代に、感情を抑制し切れたとは言い難い過去を持つ周防少佐が、改めて言う。

「誰が、何故、どんな理由で、事を望み、起こそうとするのか・・・それは判らない。 我々程度には、その情報は明かされないだろう。
だが諸君、今のこの時期に、帝都なのだ―――その様な事態になれば、阻止せねばならん。 例え皇軍相撃つの汚名を被ってでも。 この国が・・・崩れる」

一体誰がその様な擾乱を望み、画策し、引き起こそうとするのか。 そして明らかにその情報を察知している軍主流が、それを見逃すのか。
わざと発生させようとしている―――そう考える以外、他に選択が無い気がする。 実際にそうなのだろう、多分。 だがどうしてだ?
そこまでして・・・国と国民を守る為の軍を割ってまで、その様な擾乱を引き起こそうとする、その意図は一体何なのだ? 皇軍相撃つという醜態を晒してまで?

だが同時に、彼等は軍人だった。 それもまだ少年・少女の年の頃から訓練を受け、徹底的に軍人と言う鋳型の枠に嵌め込まれてきた軍人だった。
野戦将校の常として、そして海外派兵の経験者の常として、彼等はまだ柔軟な考え方をする事は出来る。 だが軍人なのだ。
国が崩れる―――愛する者達、守りたいもの、故郷の風景・・・残っている者は、その残る光景を。 残っていない者は、その記憶を。 その為には、国を崩す事は出来ない。

第1師団の面々―――若手将校達は、恐らく利用されているだけだろう。 朧げながら、そう思う。 ある意味で純粋すぎる彼らが、国に秘して事を成し遂げられるとは思えない。
中佐に少佐、軍の中堅幹部である佐官になると、将官程ではないにせよ、それなりの機密情報に接する事になる。 様々なピースを当て嵌めていけば、大まかな概要を想像出来た。

「随分と後味の悪い事ですね・・・」

「それでも・・・軍上層部の不興を買って、死地に送り込まれるより、マシだろう」

「はあ・・・こっちにも、こっちの都合がありますからね・・・」

人間は誰しも背景を持っている。 生まれ育ち、家族や恋人、知人友人・・・それらを簡単に振り切れるほど、人は勁くない。 その為には『長い物に巻かれる』
『人類の為』、『人類の勝利の為』・・・そんな言葉で行動してしまえる者は、背景を持たない、何の経験も持たない特異者か、或いは洗脳状態になっている者だけだ。
彼等は良くも悪くも軍人だった。 良い様に解釈すれば『良識派の軍人』とも言えた。 その寄って立つ物―――国家、そして軍。 それが崩れて、BETAを駆逐出来ない、そう考える。

「いいな・・・この場で話した事は、一切他言無用。 そして『事が発生』した際には、我々の意志は統一・・・阻止する為の行動を取る、いいな?」

「恐らく師団長や旅団長と言った上層部は、明確な命令を受けられていると思うが・・・確認はしない。 前提からして、確実だろうしな。
それと・・・他兵科の同僚たちにも、他言は無用だ。 もしかすれば彼等も、どこかから同様の命令を受けているかもしれないが・・・探りを単独で入れるなよ?」

荒巻中佐と周防少佐の念押しに、同僚達が頷いた。 それまで無言を貫いていた長門少佐が、ボソリと言った。

「・・・確信犯になるのは、俺達、部隊長までで十分だ。 部下にそれを押しつけられない」










2001年11月26日 2230 日本帝国 帝都郊外 某所


『―――もはや救い難し。 彼の者らには私が直に手を下す・・・!』

誰も居なくなったその部屋で、彼は独り天井を見つめながら、薄らと乾いた笑みを浮かべる。 先程までの熱に浮かされた会合が嘘の様に。

(・・・救い難し。 救い難いのは・・・どっちだ?)

自嘲する様に笑う。 同時に純粋培養された若い尉官達を思えば、些かの憐憫さえ覚えた。 それは己の偽悪の裏返しでもあった。

(・・・決行は12月5日未明。 それに先立ち、富士教が『演習』の輸送名目で厚木に入る・・・)

彼の率いる第1師団第3戦術機甲連隊第3大隊は、決起時には皇城の禁衛師団を牽制する役目を負っている。

(・・・同時に仙台臨時政府を樹立。 そこから戒厳司令部を発足させ・・・司令官は間崎大将。 はは、散々、若い連中を煽っておきながら・・・)

いざと言う時は、制圧する側に真っ先に変身するか―――もっとも、それは自分も同じだ。 第3大隊の裏の任務は、北から圧力をかけるだろう制圧部隊を誘導する事。
最後の最後で、決起部隊を裏切る事だ。 恐らく北や北西・北東からは彼が知る限りで最も実戦経験豊富な連中がそろった部隊・・・第14、第15師団が殺到するだろう。

(さて・・・連中は、どんな顔をするかな? さぞ、蛇蝎の如く罵られるだろうな・・・)

第14師団も第15師団も、昔の戦友が多い。 特に大隊長クラスの指揮官達は、彼が新任少尉時代から中尉時代まで、共に戦い、苦しみ、喜びあった戦友達だ。

(だがその前に・・・戒厳司令部は帝都近郊・・・出来れば帝都東部に入ろうとする筈だ。 勝負はその時か・・・)

昏い目で天井を見上げる。 その度に心のどこかで、欠けたパーツが有る事を自覚する。 もう取り戻せない。 だから・・・

(救い難い・・・どいつも、こいつも救い難い。 俺も救い難い・・・)

数時間前の情景が目に浮かぶ。 国家統制、派閥争い、日米再安保、政威大将軍、膨大な国内難民・・・救い難い。

(救いたいのは・・・救いたかったのは・・・)

昏い目で天井を見上げる。 結局はこの俺も、独り善がりの救い難い人間なんだ・・・日本帝国陸軍・久賀直人少佐は、ずっと天井を見つめ続けていた。








2001年11月26日 0650(日本時間26日2350時) 合衆国カリフォルニア州・合衆国戦略軍宇宙航空軍団司令部 エドワーズ宇宙軍基地


「・・・damn it(クソっ)!」

蒼穹の空を見上げながら、DIAの男―――ハインリッヒ・オスター中佐が忌々しげに吐き捨てた。 彼のここ数カ月の調査は、土壇場で水泡に帰したのだ。
部下に待たせてあった特殊な改造を施したワゴン車に戻る。 その中は充実した通信装備が所狭しと搭載されていた。 通信機の受話器を手に、相手と交信する。

「・・・イエス・サー。 連中は宇宙に上がりました、申し訳ありません、閣下・・・は・・・」

無線機の向うの上官の声は、平静と変わらなかった。 だがDIA内で『外套と短剣』の仕事を誰よりもよくこなす彼の上官が、その声色通りの甘い男でない事は知っていた。

「恐らく『目標地点』からの誘導が、行われるものかと。 射殺した1名は、軌道管制をステーションから行う役割だったようです。 残りは逃しました・・・宇宙です」

通信を切る。 最後の最後で、ベストに染みを作ってしまった。 後は・・・もう、彼の範疇では無かった。





[20952] 前夜 3話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:2876430e
Date: 2013/07/31 00:02
2001年11月27日 1500 日本帝国 大湊鎮守府 新軍港 帝国海軍第2艦隊第5戦隊 戦艦『出雲』


「艦長。 出港用意、5分前」

「ん・・・航海長」

「はっ 艦橋より各部、『出港用意、5分前』」

「ヨーソロー。 『艦橋より各部、出港用意5分前。 繰り返す、出港用意5分前』」

艦長の指示が航海長に達し、航海長から伝達員に。 艦内スピーカーから『出港用意5分前』の指示が一斉に流れた。
艦橋が慌ただしくなる。 『出港用意5分前』―――出港予定の5分前には、既に出港準備が完了している事を示す言葉。 海軍では何事も『5分前』が伝統だった。
定刻になって諸々確認をするのではなく、定刻の5分前には準備完了・確認完了を済ませ、定刻丁度に行動を即時開始できる。 130年以上の歴史を持つ日本帝国海軍の伝統だった。

やがて、定刻となる。 航海長が短く告げた。

「―――時間」

「・・・出港!」

艦内が慌ただしくなる。 艦の周辺の海面が泡立つ、バウスラスターを使って最小半径で艦を回頭させているのだ。 
錨鎖が巻き上げられ、航海科員が慌ただしく格納作業を続ける。 やがて艦はブイを離れ、港湾へと向かう。

「微速前進」

「微速前進、宜ろう」

―――びそーく、ぜんしーん。 よぉーそろー。 昔ながらの節での命令復唱。 

艦橋の速度指示装置から、信号が艦底の機関指揮所へ伝達される。 昔は電気式の速力通信機(エンジンテレグラフ)を使用していたが、今はデジタル化されたレバーだ。

「2番艦、『加賀』続きます。 続いて13戦隊『矢矧』、『酒匂』(イージス巡)、19戦隊『伊吹』、『鞍馬』(艦載電磁投射砲搭載イージス巡)、2駆隊(汎用駆逐艦4隻)続行中」

艦橋ウイングの見張長より、航続の各艦が以上なく続行していると、報告が入った。

「―――原速」

「―――原速、宜ろう」

艦はやがて大湊湾の天然の外壁である芦崎の岬を廻り、陸奥湾へ出た。 そこで後続を待った後に、速度を微速から一気に原速(『出雲』では12ノット)に持って行く。
小雪の舞い散る初冬の陸奥湾を、帝国海軍第2艦隊の艦艇が白波を蹴立てて進む。 第2艦隊から抽出されたこれらの艦艇群はこの後、平舘海峡から津軽海峡を抜け、三陸沖に向かう。





「・・・分隊士、一体何でしょうね、この緊急出港は・・・」

照明が抑えられ、ディスプレイとクリアボードの反射光だけが目立つ射撃指揮所。 『出雲』砲術科分隊士の綾森喬海軍中尉は考え事をしている時に、横から声をかけられた。
傍らの射撃管制担当の掌砲術士(兵から叩き上げで准士官=兵曹長まで登り詰めた大ベテラン)が、クリアボートから目を離さずに、しかし意識を綾森中尉に向けて聞いて来る。

(・・・海軍の大古狸に判らない事が、俺みたいな次室士官(第1士官次室=ガンルーム。中尉、少尉の公室)に、判る訳ないだろ)

綾森中尉も98年に海軍兵学校を卒業し、3年半が過ぎた。 その間、『明星作戦』や台湾海峡の共同防衛戦、カムチャッカ沖派兵、マレー半島沖派兵と、戦歴を積んできた。
今ではサブガン(サブキャプテン・オブ・ガンルーム=第1士官次室次長)として、後任の中尉や少尉、そして候補生たちを指導する、経験を積んだヤング・オフィサーだ。

しかし、それでもまだ、一介の中尉である。 恐らく艦長や各科長(中佐・少佐級)はある程度知っているのだろうが、分隊長(大尉級)では知らないだろう。
それが中尉となれば・・・何も知らされていないに等しい。 軍内部の情報の伝達速度と正確性は、上層部の次に准士官達のネットワークが位置するのだ。
『士官は戦争を知り戦闘を知らず。 下士官・兵は戦闘を知り戦争を知らず。 全てを知るのは准士官である』・・・軍の諺だ。

「・・・判らないな。 だけど掌砲術長、おかしいと思いませんか? どうして19戦隊まで引き連れているのか・・・」

第19戦隊―――艦載電磁投射砲搭載イージス巡洋艦『伊吹』、『鞍馬』から成る戦隊は、編制上は何処の艦隊にも属さない『独立戦隊』だ。 どうして第2艦隊別働隊と共に?

「・・・何やらね、司令部に居る同期生からのネタですがね・・・」

掌砲術長が声をひそめて、話し始める。 准士官同士の『内緒話』、これはもう、事実を話しているに等しい。

「通信参謀付きの奴なんですがね・・・昨日から急に横須賀(GF司令部)や霞が関(海軍軍令部)から通信が増大しているそうで。 しかもですよ・・・」

「うん?」

「・・・『参考情報』の名目で、パール(パール・ハーバー:ハワイ・米太平洋艦隊司令部)からの通信も受信しているとか」

「・・・パール? ただ事じゃないね、それは」

現在の日米関係、そして破棄された安保条約(再安保に向け、交渉が始まっているが)から、帝国海軍が米海軍から『参考情報』を入手する事自体が異例だ。
そして今回の緊急出港。 何故か随伴する第19戦隊。 それに今回の編成も少しおかしい。 全てが水上打撃戦任務戦闘艦ばかりだ。 戦術機母艦を有する第4、第5航戦は母港だ。

「うん・・・変だよな。 ガンルームのさ、通信(通信士・少尉)に聞いたんだけどさ。 シャイアン・マウンテンから通信があったと・・・」

「シャイアン・・・マウンテン!? NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)ですか!?」

「多分、そうだよ」

通信長さえ知らなかったらしい。 艦隊通信参謀が、受信データを掻っ攫っていたと―――間違いない、日米の軍上層部で何らの合意の下での行動だ。

「ただ、どうしてNORADか、ですが・・・普通に考えれば、こちらの筑波(日本帝国航空宇宙軍・筑波航空宇宙防衛軍司令部)に、でしょうが・・・あ、そうか」

「・・・筑波からも?」

「ええ、来ていたらしいですよ。 分隊士、CUD(コア・ユニット・ディフェンス:ハイヴコア落着防衛汎世界規模システム)じゃ、シャイアンも筑波も、未だ協同しています」

まさか・・・月からのBETAユニット阻止を、宇宙空間で失敗したと?―――違う、いや、それは違うだろう。

「そうなれば・・・艦隊が出張る事はない。 陸軍の大規模制圧作戦か、或いは米ソ、それか英仏の戦略核部隊か戦略原潜が、核を叩き込むだろう。 それで終わりだ・・・」

米海軍は現在でも、戦略原潜を重要な戦略兵器と位置付けている。 国土の過半か全てを失ったソ連とフランスも然りだ。
ソ連はアラスカに、フランスはアフリカに核開発拠点を維持している。 そしてドーバーでBETAと対峙する英国も戦略原潜を維持していた。
そして帝国の情報網は、その連中の動きを掴んでいる。 だが連中の戦略核部隊は動いていない。 BETA以外の『何か』の筈だ。

様々に憶測を含みながら、第3巻隊分遣隊は一路、津軽海峡を抜けて冬の太平洋へと航海を続けた。









2001年11月27日 1730 日本帝国 帝都・東京 霞が関 海軍軍令部ビル 軍令部第2部長室


「うん・・・ああ、そうだ。 こちらで部隊は用意した。 なに?・・・無理だ、主力は出せない。 その代わりに、迎撃能力に秀でた艦を選んで出した。
そうだ・・・うん。 DIAには貴様の方から、苦情申し入れをしておいてくれないか? ああ、そうだ、クナイセン少将だ。 俺からと言えば・・・悪いな、今度飲みに行こう」

海軍軍令部第2部長の周防直邦海軍少将は、秘匿回線付きの電話を置いた。 相手は帝国軍統帥幕僚本部第4部長―――情報局の地域情報を統括する部署の長で、海兵同期生だ。
電話を置いた後、暫く執務卓上で手を組んで考え事をしている。 米軍が早々と極秘に連絡して来た訳は? 未だ最終段階の調査中だと言うのに?
予防保全的な要素もあるだろうが・・・いや、それは無いか。 今の日米関係上、それはない。 あのG弾投下は、一体どのくらい前に知らされた?

(・・・裏があるか?)

帝国国防省・統帥幕僚本部第4部・航空宇宙軍情報部。 そして国家憲兵隊と帝国情報省外事本部軍事情報1部。 複数の筋から、同じ情報が入ったのは今朝方だった。
米軍のHSST、その動きに異常が認められる。 極秘捜査中だが、確率的に判断して強制落下・・・特大の衛星弾道弾として使用される公算が極めて大。 候補は2箇所。
目標は・・・関東近辺。 候補としては第1に東京・・・が外された。 どの様な謀略史観論者で有っても、謀略を展開する先が消えてしまえば、どうしようもない。

必然的に消去法より、第2候補が本命に躍り出てきた―――国連軍横浜基地。 第4計画推進の中枢。 しかし誰が? 第5計画の中心勢力?
ばかな―――連中は後、少なくとも数年は、第4計画の破たんを先延ばしして欲しいはずだ。 連中の計画とて、タイムスケジュール通りに進捗している訳では無いはず。

(第5計画に賛同する、周辺勢力・・・中南米、アフリカ諸国・・・だとしても、米国内の有力勢力と、米軍内に食い込んでいる連中でなければ、不可能だ・・・)

色々と居過ぎて、却って絞り難い。 が、問題はそこでは無く・・・

(・・・なぜ、リークした? 考えろ、この球は、何処に突かれた? どの球を弾いた? 沈めるスポットは、どこだ・・・?)

ビリヤードの如く、相手は的を沈める為に、この球を突いてこちらに寄こしたに違いない。 どこだ? どの球だ?

ふと、先日の海軍会議(海軍の最高幹部会議)で、話の出た事に気づく。 ヴァチカン―――教皇庁と、キリスト教恭順派の、帝国内での密かな暗闘。 
そしてRLF―――武装闘争から方向を転換し、合法的活動にシフトしつつある主流派と、あくまで武装闘争を継続する強硬派『プロヴォ』の対立。

(当然ながら・・・その裏に見える各国の闇・・・)

日本とて『敵の敵は味方』の論法を捨てていない。 寧ろ裏では積極的に、陰惨な謀略を展開している。

(・・・『連中』を使う者達を黙認し、こちらの妨害をしているのは・・・陸軍の間崎(軍事参議官・間崎陸軍大将)を中心にした一派だ。 海軍にも航空宇宙軍にも居るが・・・)

そうなのか・・・? 予め対応への時間を・・・? 混乱の最中に『あれ』が発生しては・・・いや、しかし・・・

(・・・どれもこれも、想像に過ぎんな。 やはり、餅は餅屋か。 謀略は専門家の判断に委ねるか・・・)

今夜にでも、義兄に会いに行くか―――周防少将はそう判断した。 彼の義兄、国内外謀略の専門家、国家憲兵隊副長官・右近充義郎陸軍大将に話す為に。










2001年11月27日 GMT(グリニッジ標準時)2150(日本時間、11月28日 0650時) 地球周回低軌道 高度505km 軌道ステーション『ユニティ』


「PROX(近傍域通信システム)正常、RGPS-S(GPS相対航法システム)チェック―――オール・グリーン」

『―――AIポイント(接近開始点)、誘導開始する』

第1宇宙速度(約 7.9 km/s=約27,400 km/h)以上の速度を維持して、HSSTが接近してくる。 軌道ステーション側からGPSを使った誘導システムで接近開始点まで誘導する。

やがて後方5km―――AIポイントに到達した。 

『―――AIマニューバ開始、OK?』

「AIマニューバ開始、OK!」

AIポイントからゆっくりとステーション下方500mのRI(R-bar Initiation:Rバー開始点)に誘導されるHSST。
やがて下方10mまで接近し、バーキングポイント(Berthing Point:把持点)で停止したHSSTが、全てのスラスターを停止して待機状態になった。
ステーションからHSSTに向け、カナダアーム2が数本伸びて艦体を握持し、下方(地球側)結合部に取り付ける―――ドッキング完了。

『―――与圧開始』

「与圧開始、了解」

圧縮空気が流入し始めた。 ゲージを確認する―――1気圧。 与圧されたドッキングブロックにステーション要員が取り付き、ハッチを開放する。

「・・・ロジャー、君達だけか・・・?」

ステーション要員のその男は、HSSTから出てきた男女に問いかけた。 すると先頭のロジャー、と呼ばれた男が首を振った。

「リンゼイは、逃亡先のコロンビアで射殺された。 アイシェもダニーも・・・最後の最後に、ラウールにまで手が伸びた。 彼は囮になって、我々を宇宙にあげた・・・」

「しかし・・・ラウールがいなければ、降下軌道誘導はどうする?」

HSSTを可能な限り目標に近づけて落下させるための、ステーションからの誘導要員がDIAの網にかかってしまったのだ。 恐らく情報を聞き出した後に、『処分』されるだろう。

「・・・『目標』側で、原始的だが誘導装置で大まかな誘導を行う予定らしい。 あくまで補助的な役目だったが、今となっては命綱だ」

「目標側で!? 退避可能なのか!?」

HSSTにはS-11弾頭約4トンが搭載されている、100キロトン級戦術核並みの爆発威力があるのだ。 その昔ベルリンに投下された、世界初の核の7倍近い爆発威力が。

「最終誘導は無人誘導だ。 ただし、着弾の30分前まで管制する必要があるらしい・・・」

致死傷を負うかどうかの、ギリギリのラインだ。

「・・・向うだって、俺達と同じだ。 この仕事に命をかけている・・・」

恐らく今頃、シャイアン・マウンテンからの指令で、自分達をこの宇宙で『処分』する為の特殊任務部隊を搭載したHSSTが、打ち上げ準備をしている事だろう。
そして自分達の命も、あと数十時間の命でしか無い。 逃げ場のない宇宙空間、地上への期間手段さえ無い。 が、そんな事は最初から承知の上だ。

「判った・・・地上の協力者を信じるしかないな。 早速準備を始めよう、軌道落下予測プログラミングの準備は?」

「終えた。 後は入力だけだ。 急ごう、どんなに急いでも、6時間はかかる・・・」

全員が『プロヴォ』―――RLF強硬派の隠れ構成員であり、合衆国軍内に送り込まれた『スリーパー』 彼等は全て、故国をBETAに消滅され、家族を食い殺された。
そして難民キャンプで餓死しかけた経験を持つ者達。 第4計画? 何を悠長な。 その計画が無為に消費する1分、1秒で、G弾をハイヴへ叩きこめば・・・

飢える難民の100人が助かる。 或いは1000人が。 今でも世界各地の難民キャンプでは、食糧不足、衛生設備の不備による伝染病などで、1日に数千人が死んでいくのだ。
年間で100万人前後の難民が死んでいく。 この10年間で1000万人以上の難民が、飢えや伝染病で死んでいった。 これ以上『ヨコハマ』に、貴重な時間を浪費はさせない。

「落下目標・・・北緯35度25分52秒188、東経139度38分20秒969・・・」

「国連軍太平洋方面総軍、国連横浜基地・・・」

「落下開始予定時刻、GMT(グリニッジ標準時)0330-28-11,2001(日本時間:2001年11月28日1430時)・・・」

これは救いだ。 今まさにこの瞬間、飢えと病で死の際に恐れ戦いている難民たちへの。 そしてレクイエムだ。 既に逝ってしまった難民たちへの・・・己の家族への。

「落下軌道補正、ヨコハマより補助データリンク、設定OK・・・」

後は入力が済み次第、落とすだけだ。










2001年11月28日 1315 日本帝国 神奈川県川崎市内 某所


全ての窓をカーテンさえ閉め切り、電灯ひとつだけが灯る室内は、糞尿の匂いが充満して酷い悪臭を放っていた。
普通のマンションならば、近隣の住民からの苦情が出るような胡散臭さ。 だが問題無い、両隣と上階、そして下階も確保してある。 ここは『セーフハウス』だ。

「ごっ! ぐっ! おっ!」

「・・・ねえ? いい加減、楽になりましょう? それともこのまま、『別館』(中央合同庁舎第2号館別館)に行きたいの?」

その一言で、くぐもった悲鳴を上げていた男の表情が強張る。 霞が関の中央合同庁舎第2号館別館。 そこは特別高等公安警察の本部所在地だ。

「それなら、それでもいいけれど・・・なにもわざわざ、この世の苦しみを長引かせる事も無いでしょうに。 『別館』地下2階の専門家たちは、私ほど優しくないわよ?」

そう言いながらも、その女性の視線の先には、凄まじい拷問の跡を全身に刻みつけられて、先程絶命した若い女性の死体が転がっている。 男の協力者だった日本人難民の女性。

内務省警保局特別高等公安局、調査局調査1課。 表向きは『調査』だが、その実で盗聴・不法侵入・強迫・拉致・拷問を基本に、『調査したい結果を導き出す』プロフェッショナル。
KGB(ソ連国家保安委員会)の第2総局(国内保安・防諜)や、昔のナチス・ドイツに存在したRSHA(親衛隊国家保安本部)第Ⅳ局(ゲシュタポ)の親戚の様な組織だ。

「ねえ、『プロヴォ』の貴方。 この辺で、全て吐き出しちゃいなさいな? そうすれば余計な苦痛を与えずに、楽に死なせてあげるわ。 でももし、『別館』に行きたいなら・・・」

あそこの取調官達は、同僚とは言え『彼女』から見ても性格破綻の異常者達だ。 冷静に、常に冷静に、的確に人体と精神を破壊しつつ、崩壊の寸前で全ての情報を引き出すプロ。

「ぐうっ! ぐふっ!」

『彼女』が手にした小さなヤスリが、男の足の小指の爪の中に捻じ込まれた。 激痛に身悶える。 口枷をされた男は、恐怖の色をまじまじと見せながら、激しく首を振った。

「ん? どっちなの? ここで綺麗に吐いて、綺麗に死にたいの? それとも『別館』で、変態共に一寸刻みに切り刻まれながら、発狂死寸前まで苦しみたいの?」

そう言いつつ、手にしたヤスリを動かし続ける『彼女』 男のくぐもった悲鳴が室内に響いた。 やがて辛うじて『話す、話す!』と聞き取れる言葉を引き出した。

「賢明だわ、貴方。 人間、死に際の尊厳は守りたいわよね?」

その後は簡単だ。 一度、苦痛と恐怖に落ちた人間は、どれほど訓練された者でも、精神は既に崩落している。 男は全てを話した。





「警部補、処分を完了しました」

部下が報告しに来た。 『処分』したプロヴォの男と、協力者の日本人難民女性の死体は、特高の息がかかった自治体の清掃工場内にある、焼却炉へと運びこまれる。
焼却温度が900℃から1000℃程度では、人骨の完全焼却は出来ないが(骨の無機成分の6割を占めるリン酸カルシウムの融点は、1670℃)、証拠は隠滅出来る。

「―――ん。 で?」

「国連軍横浜基地、その外縁部にあるPX搬入業者詰所の管理人です。 『カンパニー』が極秘で設置したビーコンの操作要員です。 人員を向かわせます」

「確保が第1だけれど、困難な場合は速やかに、かつ、周囲に気付かれずに処分しなさい。 ビーコンの処分は?」

「取りあえず、電源を落とせば事が足ります」

「それで良いわ、接収を忘れずに。 憲兵隊に先取りされる前に、押さえなさい」

「はっ!」

目立たないワゴンに乗り込んで、そのまま発車した部下達。 残る2人の部下は連絡要員。 これで任務の一つは完了かしら? 『彼女』はそう考えた。

「後は・・・こいつ等ね・・・」

手にした複数の写真。 カトリックのシスター。 何人かの帝国陸軍軍人。 そして摂家に仕える使用人達。 場合によっては、今回と同じ手法を使おうかしら?

「・・・軍人は、軍が煩そうね。 憲兵隊・・・父さんに譲ろうかしら? 課長がなんて言うかなぁ・・・」

カトリックのシスターは・・・恭順派だ、ヴァチカンは煩く言ってこないだろうとは、外務省からの話らしい。 摂家の使用人も、今更、五摂家が何を騒ごうが知った事で無い。

「にしても、変よね・・・上の連中、まさかクーデターを見逃す気なのかしら?」

まさかね。 どうせ、あの食えない実の父が噛んでいるに違いない、今回の帝国上層部の政争。 あの父が、手足である憲兵隊も掴んでいるネタを、そのまま許す訳も無い。

「もしかして・・・わざと?」

だとしたら、我が父親ながら、とんでもないマキャベリストだわ。 相手の手の内を読み、その上で相手の手を逆に取って、相手を滅ぼす・・・

(・・・でもねぇ、父さん。 その間、BETAはどうするの? まさか、ハイヴとの間に不可侵条約でも?)

そんな冗談を考えてから、『彼女』は可笑しくなった。 まさか。 それにあの父が、事を『起こさせる』のに、保険を忘れるはずが無い。 何重もの保険を用意したのだろう。

(・・・憲兵隊から廻って来た最新情報では、クーデターの決起予定は来月5日の早朝。 主力は第1師団の跳ねっ返り若手将校達)

でも、本当ならば今すぐにでも、その身柄を予防拘束すべきなのだ。 既にクーデター計画は、治安当局内で周知の事実。

(だいたいね、あんな大人数が関わったクーデター計画だなんて、必ず、何処かしらで漏洩するモノよ)

公安は自前の要員(女性潜入捜査官だ)を、当りを付けた若手将校に接触させていた、それも複数。 他に実家の家族を押さえられた将校も居る。
憲兵隊や情報省も同様だった。 人の情、物欲に情欲。 大抵の人間ならば、その複数での囲い込みに抗らえるものではない。 場合によっては、更に非合法な手段も。
ソ連でも、中国でも、同じ事が吐いて捨てるほどある。 遡れば第2次世界大戦中のナチス・ドイツでもだ。 どうして軍人と言う連中は、己の事が見えないのか。

事前拘束され、拷問の上で背後関係を全て自白された後に、秘密軍事法廷で銃殺刑になるか。 それとも派手な、しかし無意味な花火を『上げさせられて』虚しく鎮圧されるか。
あの若手将校達の行く末は、その2つに1つだ。 どの道、不名誉な自滅の道しか残されていない・・・筈だ。

(何を考えているのかな? 父さん・・・)

国家憲兵隊副長官・右近充陸軍大将を父に持つ、その女性警部補―――内務省警保局特別高等公安局、調査局調査1課3係長、右近充都子警部補は、興味深げに微笑んでいた。









2001年11月28日 GMT(グリニッジ標準時)0550(日本時間、11月28日 1450時) 地球周回低軌道 高度505km 軌道ステーション『ユニティ』


「ッ! 地上からのビーコンが途絶えたッ!」

驚愕の声に、管制室内の全員の表情が強張った。

「途絶えた!? 故障か!?」

「判らない! さっきまでは、確実に発信を捕えていたのに・・・くそっ! 軌道修正が・・・!」

「落着誤差範囲はっ!?」

「半径20km圏内・・・マズイ! 日本の首都の一部が、トウキョウの一部が圏内に入ってしまうっ!」

「どの辺りだ!? トウキョウの西南部と、その先のカワサキ市内には難民キャンプが有るぞ!?」

「・・・その辺りが、丁度圏内に入っている・・・」

その言葉に皆の顔が蒼白になる。 S-11弾頭約4トン、100キロトン級戦術核並みの爆発威力。 難民キャンプ、彼等は自分達と、そして死んでいった自分達の家族と同じ境遇!

「修正は出来ないのかっ!? こちらから軌道修正はっ!?」

「無理だ! 一度落下軌道に乗せたら最後、完全自動操縦だ! その誤差修正が、あのビーコン頼りだったのだからっ・・・!」

全員が絶望的な表情で、ステーションの分厚い対紫外線処理の為された防爆特殊プラスティック製の窓の外を見た。 青い地球、母なる星。 そこに住まう同じ人類。

「・・・すまない、すまない・・・」

誰かが絞り出す様な声で言った。 誰に向かってなのか。 志を同じくし、その途上で死んでいった仲間か。 それともこれから巻き添える可能性が有る、日本の難民たちか。

「すまない・・・すまない・・・」

必要な犠牲なのだ。 世界中の億に達する数の、救われない難民に救いの光を与える為の・・・

「すまない・・・」

丁度その時間、カリフォルニア州エドワーズ―――合衆国戦略軍北米航空宇宙防衛軍・第9宇宙航空軍団エドワーズ宇宙軍基地から、1隻のHSSTが発射された。
艦内に1個小隊規模の特殊作戦コマンド―――航空宇宙軍から抽出された、SOC-JC(統合能力特殊作戦軍団)所属の『処分部隊』が搭乗していた。









2001年11月28日 1520 日本帝国・千葉県 陸軍松戸基地


「回せッ! 回せぇー!」

「準備の出来た機体から、至急発進させろっ! なに? 管制!? 知るか、そんな事っ! とにかく基地司令(第15師団副師団長)の命令だ!」

「第155隊、第3中隊、全機発進したかっ!?」

「第156大隊、全機発進完了!」

基地内はまるで、蜂の巣を突いた様な大騒ぎになっていた。 突然の戦術機甲部隊の全力出撃命令。 そして基地要員の退避シェルターへの退避命令。
その双方が重なり、基地要員は目を血走らせながら6個大隊、240機もの戦術機の発進準備に追われていた。 命令が下って約15分。 ようやく1/3が発進出来た。

「一体、何だってんだ!? こんなの、訓練予定に無かったっ・・・!」

「抜き打ちにしてもなっ・・・! おい、誰だっ!? 推進剤タンクをそんな所に放置するな! 事故で誘爆させる気かっ!?」

「そうだっ! 発進シークエンス、No.28から39までは、すっ飛ばしていい! は? なに? 規定だぁ? そんなもん、スクランブル発進に必要無いっ!」





そんな狂騒じみた基地内を、2人の将校が管理棟の窓から見下ろしていた。 共に衛士強化装備を身に着けている。 第151大隊の周防少佐と、部下の最上大尉だった。

「・・・帝都には、緊急避難命令は発動されない、と・・・?」

「そう聞いた。 帝都全域での緊急避難命令は、デフコン2Bからデフコン1Bだ・・・全ての公共機関は活動を停止し、全ての移動手段は閉鎖され、全ての流通も止まる」

言わば帝都が集中治療室入りする様なものだ。 全ての経済活動、全ての生産活動が停止し、その間の経済損失は数百億円にも達する。

「それに恐らく、帝都での退避は、今からじゃ、間に合わないだろうしな・・・」

周防少佐が管理棟の窓から、帝都方向の空を見つめる。 彼の妻は、今日は非番の筈だった。 双子の子供達、1歳半になった息子と娘の世話を焼いている所だろう。

「部下達には、緊急の抜き打ち訓練と伝えています。 八神と遠野にも・・・で? どうして自分だけでありますか? 大隊長?」

相変わらず表情が読みとれない上官に、最上大尉が探る様に質問する。 おそらく家族の事も少しは脳裏に過っただろうか? 上官の家族は帝都で暮らしている。
HSST落下迎撃作戦。 大隊長級以上の部隊長のみに伝えられた情報。 もしもの為に、関東近辺の基地に展開する戦術機甲部隊は、即時退避する事。
他の部隊は移動速度から言って、到底間に合わない。 彼等は基地内の退避シェルターへの退避が命ぜられた―――不安と不信を残して。 それを、どうして自分に?

「悪いな。 女房役は憎まれ役だ、最上」

「はあ・・・96年からこのかた、実に5年来の付き合いです。 判っていましたよ、判っていましたとも・・・ですが、承知されているのですか? 帝都の事を?」

帝都の事、と言うよりも、家族の身の安全の事を。 言外にそう言った最上大尉に対して、周防少佐は表情を崩さずに答えた。

「・・・大の為に、小を切り捨てる。 目的達成の為の必要な犠牲は、厭わない。 最上、俺達は・・・俺は、軍人だ。 そう言うセリフを、空気の様に吐く上級将校だ。
自賛させて貰っていいのなら、少なくとも善き私人たらんとしている。 そして・・・同時に傲岸で、恥知らずで、卑怯と卑劣が売り物の、職業軍人の上級将校だ・・・」

上官とて帝都が気になっていない訳では、決してない。 それどころか万が一、HSSTの全てか一部が、帝都に落下したりすれば・・・家族の事が心配で、本心は狂いそうだろう。
だが同時に、お互いに骨の髄まで叩き込まれた『帝国軍人』としての意識が強い。 ましてや部隊長にもなれば、時に冷徹なまでに部下に死んで来いと、命令しさえする。

「・・・『訓練後』の抑えは、自分がやりましょう。 八神は抑えられます、と言うか、奴もそろそろ判る頃です。 遠野は・・・ま、頑張って下さい」

「押し付ける気か?」

「部下への説明責任も、上官の責務でしょうから」

そう言って乾いた笑みを浮かべた最上大尉は、そのまま戦術機ハンガーへと降りていった。 そろそろ彼の中隊の順番が迫ってきたからだ。
入れ替わりに1人の将校―――衛士だ―――が入って来た。 急いでいたのだろう、少しだけ顔が紅潮していた。 女性将校だ。

「大隊長! 大隊全機、発進準備完了しました!」

大隊指揮小隊長の北里彩弓中尉だった。 周防少佐は無言でもう一度、帝都方向の空を見た後、北里中尉を振り返って命じた。

「―――第151大隊、総員搭乗せよ」









2001年11月28日 1535 日本帝国 帝都・東京 千住


上空を、轟音を残して、数機の戦術機がフライパスしていった。 その姿を見上げながら、周防少佐夫人―――周防祥子(軍内では旧姓の綾森祥子少佐)はベビーカーを持つ手を離す。

「何かしら・・・? 今日は帝都上空を飛ぶ訓練は、どの部隊も無かったはずだけれど・・・?」

国防省機甲本部第1部勤務の彼女は、戦術機甲部隊関連の教育・訓練全般を統括する部署に所属する、上級将校だ。 その彼女が把握していない、帝都上空を飛行する訓練?

「あれは・・・『疾風』? 弐型ね、第3師団?」

第3師団は94式『不知火』と、92式弐型『疾風弐型』のハイ・ローミックス配備部隊だ。 帝都の部隊で92式を配備しているのは、第3師団と第39師団。
だが第39師団は飛んできた方角が違う。 それにあの迷彩は、第3師団の物だ・・・どうして第3師団が? そこまで考えた時、彼女の手に柔らかい、暖かな感触が伝わった。

「あ・・・ゴメンね、祥っちゃん。 直ちゃんも。 なんでもないのよ。 さ、お祖母ちゃんのお家へ、行きましょうね」

2人の子供達、1歳半になった長男の直嗣と、長女の祥愛の2人の幼子が、ベビーカーの中で母親を見上げていた。 一瞬の不安を押し包んで、愛し児達に微笑み返す。
母親の笑顔につられたか、2人の幼子達も無邪気に笑っていた。 小さな手を母親に向けて伸ばしている。 その手を包む様に握り、子供達に優しく微笑む。

やがてベビーカーを押しながら、周防祥子は実家の母の元を訪問する為に歩き出した。 今日は非番の日で、子供達をみてやれる。 そして実家の両親から、孫の顔を見せろとも。
夫の実家の義父母もそうだが、最近になってかた言をしゃべりだした孫達が、可愛くて仕方ないらしい。 特に実家の両親にとっては、初孫だから一層だった。

(・・・でも、不自然だわ。 私は事前連絡を受けていない。 課長が情報を? いいえ、有り得ないわ。 実務主任に情報を遮断するだなんて・・・)

と言う事は、彼女の上官も恐らく事前に知らされていない。 どう言う事だろう? 

(明日、探ってみようかしら・・・)

そして彼女のそんな思惑は、当日のうちに無用の物になるのだった。









2001年11月28日 1545 日本帝国 帝都・市ヶ谷 帝国国防省


「なに? 横浜?」

「はっ! HSST迎撃を行う、と言ってきております」

「学者は大人しく、数字弄りと人体実験でもしておけ、そう言っておけっ!」

「はあ・・・あの、横浜は『試作1200㎜超水平線砲』で狙撃を行う、と言ってきておりますが・・・」

「・・・とうとう、頭に蛆が湧いたのか? あの魔女は? 口径1200mmの砲だぞ? CUD(ハイヴコア落着防衛汎世界規模システム)のサポート無しで?」

狙撃はそもそも、温度・湿度・風速・風向、更には微妙な重力偏差さえ、影響を及ぼす非常にデリケートな『戦闘技術』だ。
そして使用される銃弾が大口径になればなるほど、その影響を大きく受ける。 ましてや、横浜はCDUのサポートを受けていない。 更に言えば口径1200mm!
精々が衛星データリンク間接照準(TYPE 94 SBS SYSTEM)だけだ。 詰まる所、熱圏や中間圏の大気分布や大気中の分子偏差、熱量、他の諸々の射撃諸元を受けていない。

「はあ・・・1200mmの砲で、です・・・」

「・・・横浜に追加返信。 『寝言は寝て言え』、以上だ」

「・・・はっ!」

「ったく・・・軍事のド素人が、下手な口を挟むな。 それだから大した出撃も無しで、2年半で1個戦術機甲連隊を使い潰すんだ・・・」










2001年11月28日 1550 日本列島・三陸海岸沖80海里 帝国海軍第2艦隊第5戦隊 戦艦『出雲』


『筑波のCUD(コア・ユニット・ディフェンス:ハイヴコア落着防衛汎世界規模システム)からのデータリンク、同調完了』

『熱圏(高度80km-800km)下層の大気密度、大気中分子偏差、中間圏(高度50km-80km)高度気圧分布、高度温度分布、大気密度、情報諸元、入力完了』

『目標を捕捉、現在高度115km。 落下経路想定値、想定基準範囲内』

CICに流れるオペレーターの報告を確認しながら、砲術士の綾森喬海軍中尉は、全ての手順が整った事を確認した。 ヘッドセットを押さえ、上官へ報告する。

「―――射撃管制より砲術長。 スタンダードSM-3、発射準備、宜し」

戦艦『出雲』には64セル+96セルの、合計160セルものMk.41 mod.20 VLSが装備されている。 僚艦の『加賀』も同様だった。
その中で、軌道落下防衛専用ミサイルである、スタンダードSM-3を格納するセルは、前部に16セル、後部に24セル。 1艦合計で40発のスタンダードSM-3発射能力が有る。

『CICより射撃指揮所。 スタンダード、発射』

「―――射撃指揮所、スタンダード、発射!」

洋上から見れば、巨艦の前後で盛大に白煙が盛大に立ち上る様が見えるだろう。 戦艦『出雲』に続行する戦艦『加賀』からも、同じ数のスタンダード・ミサイルが発射された。

『続いて『矢矧』、『酒匂』、スタンダード発射!』

イージス巡洋艦『矢矧』、『酒匂』には、64セル+64セルのVLSが搭載されており、スタンダードは8セル+8セルに合計16発格納されていた。 2艦合計で36発。

戦艦2隻、イージス巡洋艦2隻で合計154発のスタンダードSM-3ミサイルが天空へ向けて発射された。 SM-3は射程400km、上昇限度250km
キネティック弾頭を用いて直接標的に体当たりする、『Hit-to-Kill』方式に変更されている。 つまり、154発のうちの数発で良い、HSSTに命中すれば・・・

『スタンダード、目標に接触・・・命中、3発です』

CICに呻き声が漏れる。 軌道降下物体への迎撃能力を付与されたとは言え、未だスタンダードでの迎撃能力は、実用性を確立されたとは言えないのだ。
それにHSSTの実体としての大きさが有る。 数発が命中しても、完全にバラバラに砕け散るほど小さくは無いのだ。 ある程度の大きさを維持して、変わらず落下中だった。

この場合、完全に大気圏での摩擦熱で燃え尽きてしまうほどには、小さく爆砕しなければならなかった。 S-11弾頭弾とは別に、重量弾としても無視できない大きさだ。
例えば隕石。 地球の引力圏に引っ張られて落ちてくるので、少なくとも地球の脱出速度である11.2km/secの速度で地表に突入する。
これで仮に、直径2~5m、推定重量8トンの隕石が地表に激突した場合の衝突エネルギーは? 衝突エネルギー=隕石の質量×落下速度の2乗÷2
実にTNT換算0.9から2.1キロトン相当の爆発力となる、戦術核並だ。 ではHSSTの大きさと重量は?―――隕石の比では無い。

「・・・スタンダードの第1派迎撃は、不調か」

「・・・迎撃第2派、第19戦隊による弾幕射撃を開始します」

別働隊の臨時戦隊司令官を務める、第5戦隊司令官の苦い声に、戦隊参謀長が答えた。 艦橋から離れた洋上を見る。 8海里(9.26km)離れた洋上の2隻を。

『目標、高度88km・・・まもなく中間圏(高度50km-80km)に突入します』

『―――第19戦隊、迎撃砲撃、開始しました』

同時に第19戦隊の2隻の巡洋艦―――艦載電磁投射砲搭載イージス巡洋艦『伊吹』、『鞍馬』が、最大仰角にした主砲から甲高い発射音を立て、高空に向けて速射を開始した。

艦載電磁投射砲―――『伊吹』、『鞍馬』はML発電機関を装備し、01式64口径127mm・電磁投射艦砲(単装砲)2基を搭載した帝国海軍初、いや、世界の海軍初の艦級だった。
現在の戦隊速力は原速(12ノット) 『伊吹』、『鞍馬』両艦での速力消費電力は35mW。 つまり余剰電力による電磁投射砲の発射速度は・・・

「2隻とも、余剰電力内での最大発射速度、毎分26発で砲撃続行中です」

「・・・2隻とも、2門搭載で1隻辺り、毎分で52発。 2隻で104発・・・」

電磁投射砲―――01式64口径127mm・電磁投射艦砲は重量15kgの砲弾を初速2.6km/sで発射、高度155kmまで届く。 射程距離は385km。 現在のHSSTの高度は218km
HSSTが電磁投射砲弾の弾幕射高に入るのに、あと約30秒。 おおよそ高度70km前後の高度域で、75~80発の127mm電磁投射砲弾による弾幕射撃で迎撃する。

『目標落下軌道、修正』

『第19戦隊、砲撃諸元修正完了。 射撃続行』

既に両艦の主砲は、連続した全力砲撃で砲身の膅内温度が上昇している事だろう。 陸軍の電磁投射砲もそうだが、海軍の艦載電磁投射砲の泣き処も冷却関係だ。
海軍の技術は、絶縁性冷却ガスを流しつつ飛翔体を発射する、『絶縁性冷却ガス注入冷却方式』だ。 電磁投射システムの問題として、高温のプラズマがあった。
高温のプラズマによりレールが高温下に晒され、冷却が不十分になり効率が低下し、反復使用が困難となっていた。 陸軍の電磁投射砲はこの問題を解決できていない。

海軍は電磁投射砲を艦載化する事により、同時に縁冷却ガスを流しつつ飛翔体を発射するレールガンの発射技術を、独自に確立する事で解決させた。
すなわち、電機子及び飛翔体とレールとの間に絶縁性の冷却ガスを供給する為、飛翔体の発射により発生する電機子及びレールを冷却し、反復発射を可能とする。
と共に、プラズマの消弧も達成することが出来、レールガンの信頼性及び寿命を向上させることができる。 大型艦と言うプラットフォームがあって、初めて確立できた手法だ。

それでも冷却能力には限界がある。 現状では毎分発射速度30発が、『戦場での実用上、運用上の双方で確立できる限界値』と言われている。
故に、陸軍が開発した試製99型電磁投射砲に対し、海軍の技術陣は大きな疑問符を投げかけている。 陸軍のそれは、毎分800発と言う発射速度―――誇大妄想の産物だと。
実際に試製99型電磁投射砲は、その火力制圧能力の高さは折り紙付だが、冷却方法は砲機関部に付けられた冷却材タンクのみ。 ほぼ全力一斉射で冷却能力を越えてしまう。
更には現状では、100%の速射性能を保障するには、一射毎の完全分解整備と数多くの損耗部品の交換が必要とされる―――武人の蛮用に耐えられる代物ではなかった。

『目標高度、80km・・・75km・・・』

『電磁投射砲弾、目標捕捉高度到達まで、あと10秒・・・8秒・・・6秒・・・』

『19戦隊、『伊吹』、『鞍馬』、更に砲撃を続行中』

初速2600m/hの速さで、約2秒弱に1発の割合で発射される127mm砲弾。 既に25秒が経過した・・・5秒、4秒、3秒・・・

『目標高度、到達!』

『観測しました! 爆発光、命中2発・・・いや、3発・・・5発・・・7発・・・』

『HSST、艦尾部より火災発生を確認!・・・いえ、折れます! 艦尾部、折れました!』

『命中弾、9発・・・11発・・・12発!』

気が付けば司令官以下、戦隊幕僚のほぼ全員が艦橋脇のウイングに出て、遙か高空を凝視していた。 そして次の瞬間、確かに見た。 

『ッ! HSST、爆散します!』

高度約72km、三陸沖約115海里(約213km)の公海上空。 微かな閃光と共に、小さな赤黒い焔をはっきり視認出来た瞬間だった。 79発中、13発目の命中の直後だった。

『HSST、迎撃に成功しました!』

『艦体破片の落下コース、全てが太平洋上との観測推定結果です!』

瞬間、ホッとした空気が司令部内に流れた。 正直、彼らとて完全に迎撃できる自信が有った訳では無い。 それどころか、分の悪い勝負だと覚悟もしていたほどだった。

「ふう・・・何とか、俸給分の仕事は出来たかな? 参謀長・・・」

「ですな。 これで失敗していたら、前司令官から何を言われた事やら・・・」

第5戦隊の前司令官は、現在は海軍軍令部第2部長の周防直邦海軍少将。 第5戦隊をこの三陸沖に引っ張り出した張本人だった。

「通信(通信参謀)、大湊に連絡。 『任務完了。 ついでに特別酒保を用意されたし』とな・・・」










2001年11月28日 深夜 日本帝国 帝都・東京郊外 某所


「・・・軍上層部も政府も、事前の帝都への避難命令を、故意に発令しなかったっ・・・!」

「国民の生命の安全よりも、自らの権力基盤の維持を優先させたのだっ!」

「許し難しっ! 民あっての帝国! その帝国を守護するのが、我ら帝国軍だと言う事を、あの者達はっ・・・!」

「首相官邸も、軍上層部への叱責すら行っていないっ! 官邸は追認したのだっ!」

熱情に浮かされ、目を血走らせた若者達が激情のままに、政府と軍上層部、そして首相官邸の対応を批判していた。

「万が一、失敗していたら・・・帝都に落下していたらっ・・・!」

「難民解放戦線からの情報では、軍上層部は事前に米軍から情報を引き出していたらしい・・・」

「くっ! 未だ、米軍とかっ!?」

「結局、連中には自信が無いのだっ! 信念も無いっ! 決死の覚悟さえっ!」

「もはや、ルビコンを渡るしかっ・・・!」

そんな熱情に浮かされた若者達・・・第1師団を中心に、帝都近辺に配備された部隊の若手将校達の姿を、少し離れた場所から見つめる比較的年長の将校。

「久賀少佐っ・・・! 少佐、どうか・・・どうか、『その時』には少佐のご尽力をっ・・・!」

「歴戦の指揮官である少佐の指揮なれば、必ず成功しますっ・・・!」

若手将校達の熱情の言葉に、無言で頷く久賀直人陸軍少佐。 そしてその久賀少佐を見ている、もうひとつの視線・・・









2001年11月29日 0025 日本帝国 帝都・東京 国家憲兵隊司令部


『対象:久賀直人 1974年生まれ 27歳。 帝国陸軍少佐。 出生地・博多市 1992年3月、帝国陸軍熊谷衛士訓練校第18期前期卒業。 任陸軍少尉。 翌月、大陸派遣軍配属。
1993年6月、満洲にて戦闘中の民間人虐殺容疑で拘束。 同年8月軍事法廷で無罪。 同日、国連軍出向。 国連軍欧州方面総軍配属。 この間、一時期試験開発部隊へ転属。

1994年4月 任帝国陸軍中尉・国連軍中尉 1996年6月、帰国。 陸軍復帰。 10月、任陸軍大尉。 第9師団配属。 1998年2月結婚(部内結婚)
1998年7月、九州防衛戦参加。 この際、妻を戦死で失う。 1999年1月、第13師団転属。 1999年8月の『明星作戦』で西関東包囲網に参加。 

2000月3月、第1師団転属。 2000年10月、任陸軍少佐。 以降、現職を務める。 連隊内の評価は『信頼に足る、歴戦の野戦指揮官』
性格は闊達、裏表なし。 政治信条はリベラル、ないし、それに近しいと評価されている。 国粋主義への傾倒歴は見られず。

対象甲(研究会)への接触動機は不明。 対象乙(間崎陸軍大将派閥)への接触動機も不明。 現在調査中。 未確定要因評価―――甲(継続監視の要あり)』

報告書かをデスクの上に放り投げた。 不明、不明、不明・・・まったく、楽しませてくれる。

(『―――若手の国粋主義将校達に、信条で同調している様子はありません。 また同時に、間崎大将派閥への積極的な参加意思も見受けられませんでした。
正直申し上げて・・・何を考えての行動なのか、読み切れません。 下手に手を出しても、包括できる可能性は低いと判断されます。 野戦将校は情報畑を嫌いますので・・・)

部下の防諜担当課長の憲兵大佐が、苦り切った表情で報告する姿を思い出す。 信条的に不明。 欲望で繋がっているとも見えない。
謀略を仕掛ける者としては、厄介な存在だ。 包括する手口が見えないのだから。 絡め手で動こうにも、家族はいないらしい。 妻も戦死で失っている。

(『久賀は・・・一本気で、一途な奴だ。 奴だった・・・今は知らん』)

プライベートの酒の席で、世間話にかこつけて、甥にカマをかけた事もあった。 甥の周防直衛陸軍少佐は、久賀直人陸軍少佐の同期生で、親しい友人だった。
その甥も、最近の『対象』の行動には、思う所もある様だった。 歯切れが悪い。 軍人として不足は無いが、謀が出来る性格の甥では無い。 苦々しい表情の甥の顔が浮かぶ。

「ふむ・・・君の望みは、何なのかね? 久賀少佐・・・」

対象者監視の報告書をもう一度手に取り、国家憲兵隊副長官・右近充陸軍大将は凄味のある目の光を湛えながら、執務室で呟いていた。





[20952] 前夜 4話
Name: samiurai◆b1983cf3 ID:c7483151
Date: 2013/09/08 23:24
2001年11月30日 1930 アメリカ合衆国 ワシントンD.C. 合衆国国務省


夜の帳が下りたワシントン。 北西通り2201C、アメリカ合衆国国務省の所在地。 他国の外務省に相当する建物の前に、静かに滑り込んだ車が1台。

「ん? あれは・・・日本大使館の車だな」

近くの建物の一室から、国務省前を監視していた男たちの一人が気付いた。 反射光が漏れないように慎重に角度を取りつつ、室内から双眼鏡を覗く。

「・・・ネタは本当だったか、駐米日本大使だ。 訪問相手は・・・」

「国務長官しか居ないだろう、彼は特命全権大使だ。 彼の判断は日本国首相の判断。 彼の言葉は首相の言葉。 そんな大物が、次官や次官補なんて小物に、こんな時間に会うかね?」

もう一人の男が、双眼鏡を覗き込んだ男の背後から言う。 2人とも東洋系だった。

「流石に台北は、その昔日本領だっただけはある、と言うところかな? 相変わらず、日本国内に『資産』をお持ちのようだ」

「北京は北京で、ワシントンの下院に随分と、金と女とモノとで、狗を飼っているようじゃないかね?」

双眼鏡をのぞいている男は、中華人民共和国国家安全企画部・第2局(国際戦略情報収集)の所属。 背後の男は台湾の国家安全局第1処(国際情報工作)の所属。
2人とも表向きは、統一中華戦線駐米代表部に所属する書記官の肩書を持つ。 その実、それぞれが国民党と共産党の意向を受けて行動しているのだが・・・

「いずれにせよ、これで確定か?」

「恐らく。 日本は再び、アメリカと歩調を合わせる・・・あるいはその用意がある、と言うことだ」

1998年夏以降の、表向きの『国交断然寸前』から、既に2年が過ぎた。 その間に日米両国が水面下で盛んに各レベルでの会合を開き、調整を行ってきた事は把握している。
そしてそれが、どのレベルまでの合意に達しているのか。 これがどう調べても尻尾を掴ませないのだ、日米両国ともに。

「・・・基本的には、日米再安保は締結して欲しい、と言うのが本音だがね」

「我が党のお偉方は、そこまでは望んでいないだろうな。 日本へ『血の輸出(戦力派兵)』を行って、よりあの国の内部への浸透を図りたい、そんな所だろうよ」

国民党と共産党。 今でこそ表向きの国共合作を成しているが・・・その昔は血で血を洗う悲惨なテロルを繰り広げ、内戦で互いに数百万の命を散らしあった仲だ。
だがそれも昔。 中華文明圏は権謀術数と合従連衡、それを数千年間繰り返してきた。 思想も理想も、全ては悠久の時を生き抜く方便でしかない。 それを肌で知っている。

「となると・・・本国は見捨てるかね」

「元々、我々が生き抜く為に片手間を付けただけの連中だ。 軍の中には贔屓にしている連中も、いるにはいるがね」

「台湾はそこがアレだな、一時でも日本領だった所以だな。 こっちの連中は、表向きどうかは知らんが、本心では東洋鬼に心を開いている者は、極少数派だろうさ」

双眼鏡を下して、共産党の男が言った。

「決まりだな。 統一中華戦線は、日本のクーデターには、一切の関わりを持たない」

「失敗する企てに同心して、国際関係で火傷を負うことなど、愚の骨頂だな。 特に今の状況では」

台湾海峡を挟み、福建橋頭堡の死守が至上命題の、統一中華戦線軍。 そのバックアップとして、何としても日本には安定してもらわねばならない。 国内外、両面において。
恐らく近日中に、駐日統一中華戦線代表部の武官室内で、大幅な人事異動が為されるだろう。 国粋派に心情的に向いている武官連中は、全て本国へ戻される。

「後は・・・日本の統制派がどれだけ素早く、片を付けられるかだ」










2001年12月1日 0850 日本帝国 帝都・東京 周防家


「あなた、準備はできました?」

「ああ、うん。 っと、こら直嗣、暴れるなよ。 ほら、祥愛、お人形さんはココだから・・・」

夫婦揃って取れた、2か月ぶりの非番の日。 周防家では家族4人揃って外出することになった。 とは言えもう12月。 遠出もなんだし、帝都の近場にだが。
周防少佐も今日はラフな普段着だ。 フランネルのボタンダウンシャツに普通のジーンズ。 その上に濃緑色のアランセーターを着込み、ダッフルコートを着込んでいる。
妻の祥子も、上は夫と色違いのいでたちで、キュロットスカートを履いている。 上はケープを羽織っていた。 勿論幼い子供たちも、『モコモコの何か』、な感じで防寒対策されている。

「お? お出かけか?」

玄関先で、隣家の長門少佐に声をかけられた。 両家の境にある、通称『喫煙場』でタバコを吸っているところだった。

「ああ、久しぶりに非番の日が合ったんでな」

「おはよう、圭介さん。 愛姫ちゃんは?」

「圭吾を連れて、昨夜から俺の実家の方に」

「お前は? 行かないのか?」

「孫の顔見たさの、祖父ちゃん、祖母ちゃんの我儘さ。 俺が顔を出しても、親父と喧嘩するだけだしな」

「喧嘩と言うか、意地の張り合いと言うか・・・昔から変わらないなぁ、お前と親父さんは」

「変わってたまるか」

周防少佐と長門少佐は、中等学校の頃からの友人同士である。

「ま、1日楽しんで来いよ」

「おう」





「「あぁーん!」」

「あはは、直嗣、祥愛、怖くないぞー?」

「ふふ、直ちゃん、祥ちゃん、キリンさん、とってもおとなしいわよー?」

ヌッと顔を近づけてきたキリンに吃驚したのか、子供たちが泣き出し始めた。 そんな我が子たちをあやす若夫婦。 どこにでも居る、ごく普通の家族。

「あ、ほらほら、直ちゃん、祥ちゃん、ウサギさんよ。 可愛いわね、ほら!」

「あいー? う・・・うさしゃん」

「うさしゃん!」

愛嬌のある小動物を見て、機嫌が直る子供たち。

「ええと・・・こいつは・・・?『タルバガン』―――モンゴルマーモットねぇ?」

「マーモット? リス科だったわね?」

「いや・・・俺、知らない・・・」

「あら・・・頼りないパパねー? ね、直ちゃん、祥ちゃん。 ほら、大きなリスさんよ。 ごはん中かしら?」

「りすー?」

「そう、リスさんよ」

プレーリードッグより一回り大きな体で、冬毛はフサフサとしてとても愛嬌がある。 子供2人が母親に手を引かれ、柵の近くで舌足らずな歓声を上げている。 そして父親は・・・

「ああ・・・思い出した。 大陸派遣軍の配属前のレクチャーで教わったな。 確か『タルバガン』はペストに感染しているか、ペスト菌を媒介するノミに寄生されている場合がある。
だから現地で衰弱したタルバガンの個体や死体を見つけても、近寄らない、触らない等の注意が必要である―――人に勧められても、タルバガンを食べてはならない、とか・・・」

「あなた・・・」

「モンゴル高原から大興安嶺、それに満州平原一帯を生息地にしていたそうだから。 でもあの頃は、ほぼ絶滅していたか。 昔のモンゴルじゃ、ペストが度々発生したそうだけど」

「あ・な・た・・・?」

「あ、うん? ど・・・どうした、祥子!? 怖い顔して・・・」

「・・・今日は! 子供たちと一緒に! 遊びに来ているの! そんな無粋な昔話、やめて頂戴!」

「はい・・・すみません・・・」

いつの時代も、どんな家庭も、えてして無粋なのは父親である。

それからは午前中を動物園で過ごし、公園のベンチに座って親子4人で昼食となった。 周防夫妻の2人の子供も1歳半になり、ほぼ離乳食から卒業しかける時期になっている。

「ほら、祥愛、おにぎりだよ。 直嗣、おイモさんのコロッケだぞー」

小さな手に、父親から手渡された小さなおにぎりやコロッケを手に取り、はむはむと齧りだす子供たち。 もう乳歯もすっかり生え揃い、大人と同じ食事も出来る。

「ままー! おにぎいー!」

おにぎり、と言っているのだろう。 娘が半分ほど食べたおにぎりを、母親にあげようとしているようだ。

「んー! ありがと、祥ちゃん!」

それを嬉しそうに表情を緩めて、貰って食べる母親の祥子夫人。 息子の方は父親の膝の上で、無心になってコロッケを食べている。
束の間の家族のひと時。 通りかかった老夫婦が、穏やかな笑みを浮かべてその様子を見ながら通り過ぎる。

ふと周防少佐は、何気ない風景の中にも戦争の跡が記されていることに気付いた。 この上野恩賜公園は、旧幕府時代は東叡山・寛永寺。 その後、1873年に日本初の公園となった。
その後、帝室御料地となるが1920年に当時の東京市に払い下げられ、『上野恩賜公園』となる。 以来、市民の憩いの場となってきたのだが・・・

(・・・98年のBETA本土侵攻時は、ここも多数の難民キャンプが臨時に設けられていたな。 それこそ立錐の余地も無いほどに・・・)

京都防衛戦後、周防少佐も一時期、遷都したばかりの東京に足を踏み入れていたから、その当時の状況はよく知っている。
ここだけでない、他にも新宿御苑、明治神宮外苑、浜離宮恩賜公園、どこもかしこも、家や家族を失い、故郷をBETAに食い尽くされた、暗い目をした人々で埋め尽くされていた。
現在の帝都周辺の難民キャンプは、荒川や江戸川の河岸。 それに陸軍十条駐屯地の元赤羽分屯地など。 しかし実のところ、街中にも小規模な不法居住区は無数に点在する。
周防少佐が見たのは、そんな臨時難民キャンプだった頃の、忘れ去られたような小さな、粗末な木造の小屋。 どうして放置されているのか知らないが、一つだけポツンと残っていた。

「あなた? どうかしたの?」

「ん? いや・・・何でもないよ」

妻の祥子は当時、京都防衛戦の前哨戦だった阪神防衛戦で重傷を負っていた。 その治療の為に東京の陸軍病院に搬送されていたが・・・
何分、重傷患者故に、当時の外の様子は知らなかった。 彼女はその後、仙台の陸軍第2病院へ送られ、そこで各種リハビリを続けて軍務に復帰していたのだから。

(・・・止めよう。 今日は家族で過ごすって決めたのだから)

職業軍人であり、一貫して前線の野戦将校であり続けてきた周防少佐には、その小さく粗末な小屋が持っている、物言わぬ背景を容易に想像できた。
その悲哀とやるせない怒り、そして恐怖と絶望も。 だからこそ―――だからこそ、きょう1日は、妻と2人の子供たちとの、平穏なひと時を大切にしなければならない。

「さて・・・食べ終わったら、売店でものぞくか? 確か・・・『パンダ』のヌイグルミが、子供たちに人気らしいよ」

その後、売店でヌイグルミを目にしてはしゃぐ子供たちを、そして一緒になって微笑みながら選んでいる妻の姿を見ながら、周防少佐は少しだけ胃に石が積み重なる気分になった。
何故なら―――動物園で見たモンゴルマーモットも、そしてパンダも・・・もはや、このユーラシア大陸の東部域近辺では、『日本でしか』生息しない絶滅動物だったからだ。

(・・・そのリストに、人類が加わることは・・・)

そこまで考えて、苦笑しながら軽く首を振った。 それこそ何をいわんや。 周防直衛は職業軍人である。 日本帝国陸軍軍人なのだから。








2001年12月1日 1530 日本帝国 帝都・東京 赤坂、某所


2人の男たちが、黙って杯を傾けている。 1人は60代初め頃かと見える、初老の軍人。 陸軍大将の階級章を付けている。
もう一人は30代半ば頃か、海軍大佐の階級章を付けた軍服を着ていた。 大将と大佐。 だがこの場の上座に座るのは、その海軍大佐だった。

「確かだ、大将。 先だって斑鳩家門流(旧譜代家臣筋)の洞院と志水、それに中園が、陛下への拝謁を申し出てきた」

「・・・洞院家、志水家、中園家は・・・確か今は、貴族院には列していなかった筈ですな」

貴族院議員は、公家貴族、武家貴族より2年に一度、半数が任命され、任期は4年である。 洞院、志水、中園の3家が貴族院議員に列せられるのは、来春の筈だ。

「当然ながら、内府(内大臣)が対応し、丁重にお引き取り頂いたそうだ」

「内府も元老院も、元枢府・・・五摂家会議の分裂状態は、良く判っていらっしゃるようだ。 で・・・如何ですかな? あの者たちとは?」

「利と力で動く者は、扱い易い。 而して、狂信の輩は度し難し」

「お嫌いですかな? 彼らは純粋な国粋主義を、奉じておる様子ですが」

「大将。 私も臣籍降下はしたが、出自は帝族だ。 帝族譜に名を連ねてもいる。 好き嫌いで地下(じげ)の者とは付き合わない」

上座の海軍大佐―――賀陽侯爵海軍大佐は、無表情に言った。 東桂宮家の出身で、父の東桂宮親王は先々帝の皇子親王、先帝の実弟に当たる人物。 侯爵は今上皇帝の従弟になる。

「狂信、盲信の類は道を踏み外す。 畏れ多くも主上(しゅじょう:皇帝)のお側に近づけて良い者たちではない」

その言葉を聞いた、下座の陸軍大将―――国家憲兵隊副長官・右近充陸軍大将が、これまた無表情で賀陽侯爵に問うた。

「・・・では、その者たちが担ぎ出そうとする人物・・・或は、その者たちを利して動こうとする者たちは、如何か?」

「大将・・・もはや、将軍宣下による親政など、歴史上の用語に過ぎんのだよ」

詰まる所、帝家は・・・帝族は、国粋派にも五摂家にも組しない、そう言質をとった瞬間だった。









2001年12月1日 1650 帝都・大手町 内務省中央気象庁


「・・・、天元山火山噴火予測は、90%か・・・」

予報部長が重々しい口調で呟いた。 同時に観測部長、地震火山部長も無言で頷く。 茨城県にある地磁気観測所から出張ってきた観測課長が、囁くように言った。

「ここ10数年間、南海トラフ・・・特に北東部の駿河トラフでの電磁波ノイズを観測した結果です。 何度かピークが観測されています」

中央気象庁では地震観測予知の手段の一つとして、地電流や電磁波による地震予知を取り入れてきた。 自然界電磁波ノイズを観測することで、地震予知を行う手法だ。
地殻内では岩盤に掛った圧力が増加する時だけ電圧が発生し、高い圧力でも一定のままでは地電圧は発生しない。 
マイクロクラック(微小分子構造の破壊・変形)により岩盤中の分子構造的な隙間が加圧で埋められていく事と、岩盤石に含まれる水分の移動により、電圧が発生する。

そうであれば、全ての隙間が埋まり、水分が押し出されてしまったら、それ以上は進みようがなく、圧力を増加しても電圧が発生しなくなる。
現実に過去の地震発生前の観測データも、地震発生前に日毎に増大していたノイズ数が、ピークを迎えた後、急激に減少。
やがて殆ど発生しなくなる(データの収束)事が確認されている。 そしてその後で断層が動いて、地震が発生するのが殆どのケースなのだと、データが語っている。
従ってピーク前後の全体のノイズ数で地震の規模が、データの収束状況で発生の時期が、かなり予測できる筈であると考えられている。

「この15年間で、体感できる程度の揺れが488回・・・うち、震度6クラスが12回・・・」

「全て、太平洋プレートがユーラシアプレートに潜り込む時に生じているものです。 プレート境界型地震、海洋プレート地震による刺激で、プレート接面部のマグマ上昇が・・・」

「天元山測候所の観測記録は?」

「地震計、空振計、傾斜計、火山ガス検知器、GPS観測装置、監視カメラなどの観測機器・・・全ての観測結果が、噴火直前だと示しております」

実際に天元山付近では、先月以来盛んに火山性地震と思われる揺れが、頻繁に観測されていた。 プレート地震に地殻内のマグマ溜まりが、刺激されている証拠だと言える。
そして先月、M6.0のプレート境界型地震が発生した。 震源地は駿河トラフ。 当然ながらそのストレスは、天元山・・・東日本火山帯の最西端にも、急激にのしかかる。

実際に地震が誘発する火山噴火は、日本でも実例がある。 300年ほど前の宝永4年10月4日(1707年10月28日)、推定でM8.6〜8.7と推定される宝永地震が起こった。
死者2万人以上、倒壊家屋6万戸、津波による流失家屋2万戸に達した、巨大地震である。 遠州沖を震源とする東海地震と、紀伊半島沖を震源とする南海地震が同時に発生したのだ。

そしてこの宝永大地震の49日後、かの有名な『宝永大噴火』、宝永4年11月23日(1707年12月16日)に始まった、富士山の大噴火である。
富士山のマグマ溜りは宝永地震の強震域にあり、富士宮の余震はマグマ溜りのごく近傍で発生した。 マグマ中の揮発成分の分離促進が、強震の影響として考えられている。

「・・・この結論は、至急長官へあげる。 天元山山麓付近には、不法滞在難民がいくつかの集落を形成して居た筈だ」

この時の中央気象庁職員たちは、己の観測歓談結果が、後の混乱の引き金、その一つになろうとも夢にも思っていなかった。 純粋に災害予知とその予防を報告しただけである。









2001年12月1日 1950 帝都・東京 周防家(実家)


「直衛さん、お酒はもういいの?」

「ああ、もう結構ですよ、義姉さん」

子供たちと妻と、家族4人で1日を外でゆっくり過ごした後、周防少佐の実家へ足を運んでいた。 夕食も終わり、今はゆっくり晩酌をしている。
隣家の長門少佐ではないが、祖父母(周防少佐の両親)が孫の顔を見たがったからだ。 戦死した亡兄の遺児たち(甥と姪)も一緒に暮らしているが、赤ん坊は特に可愛いようだ。

「お義父さんも、お義母さんも、直嗣ちゃんと祥愛ちゃんにメロメロね」

「義姉さんとこのチビ達も、同じだと思うけど・・・ウチの子たちはまだ、赤ん坊だからだろ?」

逆に甥と姪は、妻の祥子に甘えている。 そろそろ小学校の高学年に達し、親からお小言を言われ始める年頃の子供にとって、綺麗で優しい『叔母さん』は格好の甘える対象の様だ。

「あのね、あのね、おじちゃん!」

すると今度は、小学1年生の姪が周防少佐に寄ってきて、何やら懸命に話をしようとしている。 そんな姪の頭をなでながら、目で言葉を促す周防少佐。

「あのね、この前、あっちゃんがね。 『べーた』って強いんだって、みんな、かなわないんだって、言っていたの!」

「・・・同じクラスの子で、お父様が戦死なさったんですよ・・・」

その言葉に、何とも言い難い痛みを覚える。 まだ7歳から8歳の女の子に、そんな達観した言葉を言わせる、今の日本の状況に。 その戦況を作り出した自分たち職業軍人に。

「何言ってんだよ、優子! 叔父さんが乗っている戦術機って、こーんなにデカくってさ!」

すると兄である甥が、妹に向かって話し始めた。 どうやら以前、亡父に連れて貰って見たことがあるようだ。 或は亡父の同期生の誰かかに。

「すっげー、強そうなんだぜ! そんなのが、何十機もあるんだ! ううん、何百機もさ! だからベータになんか、負けるもんか! ね、叔父さん! そうだよね!?」

ちらっと見ると、義姉が困ったような笑みを浮かべている。 妻の祥子も、何とも言えない困惑した笑みだ。 両親は黙って、次男の双子の幼子たちをあやしている。

「・・・ああ。 叔父さんの乗っている戦術機は・・・おっきくて、強いぞ? BETAなんか、直ぐに吹っ飛ばしてやるさ」

「・・・うん! そうだよね!」

「つよいの? やったぁ!」

彼らも成長して大人になれば、世の中の事実を知る事だろう。 そしてその時に、その事実をどう解釈し、判断するか。 それはその時の彼らに任せればよい。
そして子供たちには、世の複雑さや困難さは、出来る限り明快に、単純に教えればよい。 成長してからその事に、恨みがましく思うこともあろうが・・・彼らも後に判ってくれる筈だ。

そして極論すれば・・・この次の世代を担うだろう子供たちに、せめてその背負う『何か』を残してやりたい。 残して、そして繋いでいって欲しい。
子供は大人になり、大人が親になり。 そして親は・・・そのために戦い、死んで子に何かを残そうとする。 極論すれば、それだけだ。 そこに思想も主義も入る余地はない。

「・・・直孝(周防少佐の甥)、こんど叔父さんの知り合いに頼んで、軍艦を観に行こうか」

「本当!? 約束だよ、叔父さん!」

「ああ、本当だ。 優子(周防少佐の姪)、次は優子も動物園に、一緒に行こうな?」

「うん! なおちゃんと、さっちゃん、私がお姉ちゃんするの!」

(なあ、兄貴・・・こんなもんだろう?)

子供たちの母親である義姉が、大丈夫? と目線で問いかけてくる。 海軍については・・・自分にも多少のコネがある。 その辺は大丈夫だろう。
動物園は・・・はてさて、次に都合のよい休暇は、何時に取れることか。 軍内部で進む年末大攻勢の事もある。 それに生き残れば・・・

「春には・・・桜の季節には、ね・・・」

―――それまでに、自分が戦死しなければだが。









2001年12月1日 2130 帝都・東京 首相官邸


「現在、『警戒区域』に不法居住をしている難民の総数は2685名。 8か所の集落に分散しております」

内務省警保局長が手元の資料を淡々と読み上げている。 その周囲には、内閣総理大臣―――榊是親首相をはじめとする『六相会議』の重鎮たち。

「中央気象庁からの観測予測から推測し、難民の『保護』に使える時間はあと2日ほどが限界かと。 因みに当該地域には投入できる警保局の特別機動隊は、残念ながら存在しません」

当然だった。 天元山のある飛騨山脈一帯は、今なお特別警戒区域に指定されている。 そしてこの区域の担当は内務省ではなく国防省。 警察ではなく軍である。

「・・・現在、東海軍管区(第6軍)主力の第5軍団(第30、第48、第52師団)は、西日本防衛線の増援として、北近畿に派遣されております。
残る第15軍団(第37、第41師団)もまた、北陸方面に増援派遣されたままの状態であり、東海・中部に展開できる兵力は、管区予備の独混(独立混成旅団)5個のみです」

横から榊首相へ、国防相が説明を入れた。 目を閉じながらその説明を聞く榊首相。 その独混5個旅団も、全てを投入できるわけではない。

「他管区の戦力は、第1、第2防衛線上から動かすことはできません。 即応部隊にしても然り。 何とか動かせる数は、独混2個旅団が限界です」

その戦力で、いざとなった場合にBETAから『難民』を守り切れるか?―――不可能だ。 そしてそれは、災害時救助も同じことである。

「首相、この際です。 ご決断を」

「国外の問題はありません。 どこもかしこも、状況は似た国情です」

「僅かであっても、足枷があってはBETAからの防衛戦闘に齟齬が生じます。 3000人に満たない難民を守る為に必要な戦力は、推定で1個師団に相当します」

「将軍家・・・斯衛の横槍は、軍部が躱します。 将軍家の発言も、城代省官房が抑え込む算段です」

「あの地域の不法難民保護の予算は、既に底をついている次第ですぞ。 更にとなれば、他を削るしかありません」

内務相、国防相、蔵相、外相、そして軍需相。 政府内の重鎮5人の発言は、首相とても無視することはできない。 やがて榊首相は、ゆっくりと目を開いた。

「・・・決定する。 国防省、可及的速やかに、天元山周辺の難民を『保護』する様に。 内務相、北関東以東に収容可能な難民区はあるかね?
軍需相と相談し、労働力の不足しがちな軍需工場に隣接する難民区に。 蔵相、難民支援予算を一部追加計上する様に。 外相、国際難民の帰化申請を、より早く・・・」




六相会議の後、官邸には榊首相と外相、そして蔵相が残っていた。

「・・・どうやら軍内部と内務省は、統制派官僚たちが最後に主導権を握ったようですな」

「大蔵省は?」

「こちらは元々、統制派官僚の揺籃の地ですからなぁ・・・外務省はそうならんで、羨ましい限りだ」

「それも、考え物ですな・・・明治の御代以来、外交貴族特権の塊の様な者たちばかりですよ・・・」

もはや政党政治は、ほとんど機能しなくなって久しい。 榊首相と蔵相、そして外相は、そんな中で政党出身の数少ない閣僚であり、同志だった。

「それよりも首相、くれぐれも御身大切に・・・」

「軍部の事かね・・・?」

「統制派も、このままでは信用できません。 ましてや国粋派は・・・話の通じる相手ではありませんよ。 あれは一種の狂信者達です」

「そればかりではありません。 統制派の推し進める憲法改正案・・・我が国の摂政体制の否定と、内閣の皇帝陛下の勅命政権化を明文化するとなれば・・・」

「元枢府・・・五摂家の歴史に、幕を閉じる事となりましょう。 大半の貴族院議員はともかく、五摂家やその門流筋の武家貴族は国粋派と繋がり、将軍宣下を夢想しますぞ?」

「このままの流れで行けば、衆議院の大半。 そして貴族院の過半の賛成が得られる予想です。 何と言っても、貴族院議員の大半は、その実は五摂家とは犬猿の仲・・・」

旧幕藩政治崩壊後、五摂家による『中央独裁政治』体制に移行して近代化を推し進めた日本帝国。 その中で、昔は五摂家と対等だった(位階の差はあれど)、他の大名家。
それらの家々は近代化後、武家貴族として上は侯爵から下は子爵までの『武家貴族』貴族として叙勲された。 同時に殿上資格のある公家は、公家貴族としてやはり叙勲される。

そして大半の旧大名家出身の武家貴族にとって、何よりも腹立たしいのは、以前は同格だった五摂家、その風下に立たねばならない事だった。
更には宮内省問題から、分離独立した城代省が、全武家貴族を掌握するに及び、その憎悪の根は深くなっていった。 城代省高官の全てが、五摂家の旧重臣団だったからだ。

『―――陪臣如きが、世の主気分でおるわ!』

元国持の大大名であった、さる侯爵は、晩年そう呟きながら憤怒の表情で没したと言われる。 その根は未だ、日本の貴族社会の中で広く根を張り続けている。

「・・・貴族院は、五摂家体制を・・・形式上でも許しはせぬだろうな・・・」

榊首相の呟きを、蔵相も外相も無言で頷いて同意する。 大半の貴族院議員にとって、父や祖父の味わった屈辱を晴らす絶好の機会なのだ。
そして統制派は、この貴族院議員達の特権を認めている。 『利と力で動く者は、容易く結び付く』のだ。 そしてそれを議会に提案するのは、榊政権となる。

「統制派の目論見はともかく、こちらとしても真に立憲君主国家となるのは、今を置いて他ならない・・・」

「この国難の最中で、と言うのが何とも皮肉だがな・・・」

そして榊首相の政党政治家の一派もまた、五摂家体制の内包する矛盾を打破しようとしている。 もっとも統制派の策より、余程穏便にだが。
詰まる所、『元枢府』を廃して、『元老院』に統廃合を行う。 『元老院』は皇帝の公的な諮問機関であるが、政治的な実権は憲法上認められていない。

五摂家をこの『元老院』に吸収し、城代省は宮内省に吸収合併。 斯衛軍は一部を皇宮警察に吸収する他は、全て解体して国防軍に編入する。

諸外国から『政治力学の不可解なダブルスタンダード』と揶揄される日本帝国の統治形態、その本当の意味での『近代化』だった。

「統制派は、五摂家の降格・・・侯爵位への降格に、門流の武家貴族の廃嫡。 城代省の解体・廃止と斯衛軍の国防軍への無条件編入・・・反発も起こるな」

「かと言って、今でも貴族院議員の数は多すぎる。 貴族への年金支給額も馬鹿にならないし、各種の税制特権もな」

「整理は必要だ。 だが急激な変化は、必ず反発を呼ぶ。 それには国民の民意を反映しつつ、それなりの手順を踏みながら為されるべきだ・・・」

蔵相と外相の心配は、統制派の急進的な『改革』が、傍から見れば政府の改革と見えることだろう。 実際衆議院でも、その点を指摘する議員は少なくない。

「それに、野党の一部が統制派と接触をしておる。 どうせ、使い捨ての駒にされるとも知らずに・・・」

「いずれにせよ、摂家・・・いや、その門流筋の武家貴族は、国粋派と繋がっておりますぞ。 かたや盲信の故に。 かたや既存特権の為に」

そしてその標的には、榊政権が狙われている・・・その事はもう、警保局の特高警察筋から報告が上がっている。

その後、蔵相と外相も帰った後、官邸に一人残った榊首相は、公室の椅子に無言で座りながら呟いた。

「・・・それを為すのは、外道の誹りを受けるぞ。 そしてこの国も後退しよう」

公室の重厚な机の上には、帝国内の各種情報機関―――日本のインテリジェンス・コミュニティーから上がってきた情報が置いてあった。
正確には内閣情報会議、およびその傘下の合同情報会議。 インテリジェンス部門の実務トップが集い、現状と課題を話し合う会議からの報告だった。









2001年12月3日未明 日本帝国 飛騨山脈一帯


「・・・『救助』した難民の数は?」

「はっ! 0450現在、2655名。 残り30名。 0520完了予定」

「宜しい・・・『S』には撤収命令を」

「了解しました」

この日の未明、天元山一帯に不法居住をしていた3000人弱の難民たちは、寝込みを何者かに襲われて、一斉に『保護・救助』の名目で連れていかれた。
実働は東海軍管区の第6軍予備の、2個独立混成旅団。 そして密かに『S』も動いていた。 難民たちは弛緩剤を投与された状態で、そのまま北関東の難民キャンプへ収容された。

「・・・噴火の前に、撤収せねばな・・・」

もう何度目かの火山性地震の震動が、足元を襲っているのだった。








2001年12月3日 午前


『―――天元山の噴火は、その後も断続的に続いており・・・政府は難民の保護を最優先で・・・』


朝の国営放送のニュース番組でその情報を得た周防直衛少佐は、一瞬顔を顰めて無意識に舌打ちした。 『最優先の保護』・・・強制排除に他ならない事は明白だ。

「・・・第6軍かしらね?」

妻の祥子が寄ってきて、一言言った。 彼女も現役の陸軍少佐であり、結婚前の旧姓で『綾森祥子陸軍少佐』として、現役勤務している。

「主力は北近畿と北陸に行っている筈だから・・・予備の独混だろう」

「独混だけで、こうも見事なまでに?」

「昨日、朝霞の特戦群に動きがあった・・・通信から聞いた」

「・・・『S』ね。 強制排除・・・」

周防夫妻は共に職業軍人であり、この国の防衛状況を知る位置にいる上級将校であり・・・つまり、理不尽を必要悪と認め、認識する人種だった。





同刻。 陸軍府中基地


「くっ・・・! 何が『最優先の保護』だ! どうせ現地の第6軍と、『S』あたりを使ったのだろうが・・・!」

「強制執行などと! 政府は国民を奴隷か何かかと、思っているのか・・・!」

若手将校たちの憤慨を横目に、久我少佐は視線の先の男たちを見ていた。 一人は部下の高殿大尉。 もう一人は第1戦術機甲連隊所属の大尉。 一連の中心人物。
そしてもう一人いる。 軍人ではない。 中背の背広姿の男だ、気障なパナマ帽を被り、表情はよく見えない。 だがその男の雰囲気から、ただの民間人でないことは判る。

(・・・憲兵隊は、抜身の殺気を零す。 特高警察は、爬虫類じみた粘つく冷酷さだ。 あれは・・・あの男は、『正体が無い』 ふん、情報省か・・・)

その情報省が何故、国粋派将校に接触しているのか。 むしろ情報省は、国内の政治力学を生き抜くために統制派寄りの筈だ。

やがて2人の将校と情報省の男は別れた。 時間にしてほんの数分ばかり、だが如何にも不自然だった。

「―――曹長」

「はっ、少佐殿」

傍らの中年下士官が答えた。 どこか凄みを隠し持った固太りの男だった。

「知らせろ。 情報省が接触していると。 誰かは知らんがな」

「はっ、少佐殿」

そう言うや、その曹長は音も立てずに離れていった。 警務隊上がりの、大隊付きの庶務下士官。 その実、以前は国家憲兵隊に所属していた男。
憲兵隊が第1師団内に放った『狗』の一人。 今は久我少佐の脇に控える存在。 だが一つだけ、久我少佐が伝えていない事があった。 それは・・・

(ただ制圧されるだけでは、連中も浮かばれまい? それに、俺の事を為すための時間も欲しい。 どうせ鎮圧されるのだ、それまで精々、踊ればいい・・・)

所詮、自分の望みは一つしかない。 それさえ為せれば、その時間さえ有れば・・・そのためにはクーデターの初動は、彼ら国粋は将校団が握る必要があるのだ。

(・・・狗とも謗れ。 どうでも良い事だ)


そして、久我少佐も、『正体が無い』男だった。


様々な愛執が絡み合う、帝国の長い1日は、すぐそこまで迫っていた。





[20952] 前夜 最終話(前篇)
Name: samiurai◆b1983cf3 ID:c7483151
Date: 2013/10/20 22:17
『―――当時を振り返り、かの『12.5事件』ほど不可解な騒乱は近年に無い、そう言われる。 何故か? 当時を振り返って検証してみる。
当時の日本帝国は、1998年にBETAの本土侵攻を許していた。 翌99年にかの『明星作戦』により、一応は甲22号目標(横浜ハイヴ)を陥した。
とは言え、未だ佐渡島には甲21号目標(佐渡島ハイヴ)があり、半島には甲20号目標(鉄原ハイヴ)が存在し、日本海側一帯はBETAの脅威に晒されていたのだ。
そして国内は大量の国内・国際難民を抱え込み、軍事予算の突出は歴史上の経験則に従えば、まさに敗戦間際の亡国に等しい状態であった』

『その中で生起したクーデター事件。 当時クーデター部隊の中心であり、精神的な支柱とされた沙霧尚哉・元陸軍大尉(第1師団)は、どの様な構想を描いたのか。
一説には沙霧元大尉は、時の政威大将軍・煌武院悠陽(当時18歳)による『摂政直接政治』の復活を望んだ、とも言われている。 果たしてどうであろうか?
既に当時の日本帝国の政治実権は、五摂家から議会政治に移って久しかった。 いや、既に日露戦争後の1910年代初め頃には、五摂家の政治的実権は有名無実化しつつあったのだ』

『そして1920年代後半の世界大恐慌に端を発する、国内経済の崩壊と貧富格差の極大化。 それに伴う社会不安。 後に日本帝国が2度目の世界大戦へと向かった萌芽。
その時、五摂家は何の手も打つ術を持たなかった。 いや、むしろ巨大化しつつあった財閥との結びつきさえ、五摂家は行っていたのだ―――荒廃しつつある国内で生き残る為に。
2001年のクーデター事件の折、『蹶起』を起こした青年将校団が言ったといわれる言葉、『政府は民を想う殿下(政威大将軍)の御心を踏みにじっている』 は、果たして?』

『そうなのだ。 かの青年将校団が言う言葉はすでに、その時を遡る80年ほど前にはもう、五摂家自身の手を離れていた。 その結果、暴走し続けた日本は・・・
1941年12月8日、対英米仏蘭に対し、宣戦を布告する。 第2次世界大戦の太平洋戦線、その始まりである。 結果は・・・2年8か月後の条約付降伏である。
果たしてこの時、政威大将軍は、五摂家は、何をしていたのであろうか? 近年の第1次資料調査で判明している事は、『国体護持』を主張していたと判明している』

『そして1944年8月、米英仏蘭に対する条件付降伏の際の、政威大将軍と摂家の『降伏条件』がこれまた、『国体護持』とある事は、既に自明である。
これは如何なる事なのか? 『彼ら』にとっての『国体護持』とは即ち、自らの特権的地位の確保、それに尽きると言われてもおかしくない。 それ以外の類推が成り立たない』

『―――話が逸れてしまったが、2001年12月の騒乱に於いて、クーデター将校団の行動に、全く理性的な一面すら伺えない、そう主張する海外歴史学者の言に、筆者も同調する。
国内外の困難。 軍事的には甲21号目標と、甲20号目標から侵攻してくる飽和BETA群の脅威は、北陸・東北の日本海側と北九州、山陰方面に直接的な重圧であった。
更に縦深防御を見込める西日本に展開していた部隊(甲20号目標からの防衛を担当した)に比べ、細長の国土故に甲21号目標の脅威度は遥かに高い関東を含めた東日本。
その東日本の中心、ひいては日本帝国の中心で、政治的・軍事的空白を作る愚かさを、果たして彼ら・・・クーデター将校団は理解していたのであろうか? 全く疑わしい』

『彼らの望みは、先にも言った通り、時の政威大将軍・煌武院悠陽(当時18歳)による『摂政直接政治』の復活である、と言われている。 少なくとも公の主張では、そうなのだ。
その為に、『憲法で記された』議会選出による内閣首班(総理大臣・榊是親)を含む、政府閣僚の数名をも殺害している。 『君側の奸』と言う名目のもとで。
この行動に、理性を見い出せ得るだろうか?―――筆者は見出せない。 少なくとも当時の国内外情勢、その一端をさえ理解していれば、そこに理性は見出せ得ぬであろう』

『国家と国民にとり、統治者から『象徴』へと移りつつある政威大将軍。 仮に統治権を取り戻し、親政を始めたとて、恐らく成功しなかったであろうと言うのが、現在の趨勢である。
様々な主義主張の議会、各政党、そして国家統制色を強めつつあった中央官庁。 その中でも最も力を有する軍部。 聡明と言われたと言え、18歳の少女に何が出来たであろうか?
その18歳の少女が相手にするのは、内には様々な思惑と巨億の利権と利害が複雑に絡み合い、そして国外にもその関係が絡まり混迷している『政・軍・産・官複合体』である。
外にはユーラシア大陸を荒廃のもとに喰らい尽くし、今なお人類の生存権を脅かし続けるBETAと言う異質な脅威である。 言おう、政威大将軍による『親政』は無理であったと』

『更には今日に至っても、多くの人々が誤った見識を有している事がある。 それは成立時から当時に至るまで、『城代省』は政治統治機構では有り得なかった、と言う事だ。
『城代省』は明治の初期、宮内省より分離独立した『政威大将軍と五摂家の為の、公の家宰組織』である。 そこに帝国の政治・行政に携わる権限は与えられていなかった。
国と国民の実質的支持を持たない『摂政親政』、果たしてそれを『摂政』と言うのであろうか? ましてや、己を支えるブレーンすら持たない18歳の少女に為し得るであろうか』

『もう一度言おう、城代省は政治・統治機構ではない。 更に城代省の軍事部門の斯衛軍に至っては、不可思議な事に法律上は『私兵集団』であるのだ。 斯衛は警備組織ではない。
城代省と斯衛軍が、政治と軍事に直接的な干渉を行うことは、当時でも明らかな憲法違反であり、公には政威大将軍と五摂家による、皇帝陛下に対する大逆罪に問われる事となる。
政治的、軍事的、双方で実権力を有さない政威大将軍。 その『親政』は、何を根拠土台として、強大な利権結合体である『政軍産官複合体』を、従え能うと考えるのか?
城代省は、現実政治に携わる事は能わない。 斯衛軍は国土防衛の主体たり得ない。 政治力と国家の暴力装置、双方の掌握を許されない存在、それが当時の政威大将軍であった』

『そして当時の騒乱の最中に会って、『統制派』と『皇道派』、2つの軍・官の対立派閥は少なくとも、己の愚行と偽善を理解していたとされる。
クーデターを利して対立派閥を叩こうとした皇道派。 クーデターを黙認してまで、皇道派の一掃を意図した統制派。 彼らはその事による混乱と偽善を理解した、偽悪趣味の徒だ。
皇道派はその成功取引として、米国内の一勢力(CIA・AL5計画派と言われてきたが、近年の研究では、一概にCIA・AL5派と一括りに出来無いとされる)と手を握った。
統制派は甲20号目標からの不意の飽和BETA群による侵攻、と言うリスクを敢て容認する事で(防衛計画自体は存在した)、クーデターを潰し、その罪を皇道派に背負わそうとした』

『―――詰まる所、日本帝国における国家総力戦。 その手法をめぐる対立軸は、2001年末の時点で終末点に到達していたのだった。
誰の目も、日本帝国と言う名の弧状列島を、BETAの侵攻の咢から護り抜くには、どうすれば良いのか? その事を考えていた。
その事に付随する様々な事柄―――利権や利害、汚職など―――は、最早些末と言ってよい状況であった。 『滅亡さすか、滅亡させられるか』 当時の日本の実情を表す言葉だ』

『対BETA戦争における究極の2択の現実の前で、最早他の事柄に意味が無さなくなった当時の日本帝国。 残酷ではあるが、『生存』にのみ焦点を合わせざるを得ない国情。
諸々の内外乱、そして諸々の思惑が、『生存』と言う一点にのみ収束する過程で、諸々の混乱と混沌が絡み合い、煮え滾る国情を、政威大将軍は果たして統率し得たであろうか?
実務権力を握る中央高級官僚団。 国内外の各界にパイプを持ち、そして絡め取り、絡め取られた政党議会。 利益を追求する経済界。 そして国家総力戦を遂行する軍部。
奔流する流れが、一転に収束してゆく終末で、暴発する寸前であった日本帝国。 その中で突如現れた、純粋にして愚かな道化、それがクーデター将校団であった・・・』

(私撰・帝都帝国大学史学部国史研究科編・『現代日本帝国史』より抜粋―――本書は『私撰』であり、学界では2次資料以下の扱いを受けている事は、読者諸兄の存ずる通りである)










2001年12月4日夕刻 日本帝国 帝都・東京 某料亭


軍御用達の料亭と言うのは実の所、とんでもなくガードが固い。 そしてあらゆる手立てと人脈を使い、一切の取り込みを拒否し、そしてすべての勢力に最大限の便宜を図る。
ここもそう言った、軍御用達の料亭のひとつだ。 料亭の運営資金には、密かに軍の機密費から幾ばかの金が流れている。 その見返りに、この場の事は一切外に流れない。

「少佐。 貴公はどう思う? 我が帝国は、長期持久戦が能うと思うかね?」

不意に聞かれた問いに、少しだけ考える。 手にした杯に注がれた酒精が波打っている。 それをまるで敵の如く飲み干し、言い切った。

「・・・我が帝国単独では、能わず、でしょう」

「ふむ。 で?」

その先は言わずもがな。 その陸軍少佐は偽悪な笑みを浮かべながら言った。

「長期持久・・・そうなれば確実に、太平洋の対岸の囲い者になるより、手はありませんな」

「ごつい男妾じゃな」

対面する将官―――陸軍大将の階級章を付けている―――も、煮ても焼いても食えぬ、まさにそんな表現しか出ないような表情で笑う。

「・・・如何に産業界を東南アジア・オセアニアへ避難させ、そこで経済力の上乗せを図ろうとも・・・元の土台が違うのだよ、太平洋の対岸とは」

何と言っても、資源が無い資源小国だ。 故に南方資源の確保の為に、東南アジアとオセアニアへ産業生産施設を移転させた。
それにより現地の雇用を生み出す。 相手国政府も国民の雇用の安定と、そして安定した税収を見込める。 帝国はその見返りに、資源を格安で入手できる。

だがそれにも限界はあった。 単一国内での経済生産・流通ならともかく、国家間の話となれば、一方の思惑の通りに事は進まない。
故に東南アジア・オセアニア諸国を抱き込んでのリムパックEPA(環太平洋自由貿易経済連携協定:Rim of the Pacific Economic Partnership Agreement)を推し進めた。
更には日中韓統合軍事機構と、大東亜連合軍統合作戦本部、これにアンザック(ANZAC:Australian and New Zealand Army Corps)がオブザーバー参加した連合軍事連絡会議も。

だが所詮は、地域国家連合体の域を超えてはいなかった。

「・・・故に『短期決戦』ですか」

「そうじゃな。 儂は、それを唱え続けてきた」

統制派と皇道派。 この2つの派閥対立は、元々を正せば思想対立ではなかった。 発端は1978年の『パレオロゴス作戦』の瓦解と、それに続く欧州戦線の全面瓦解だった。
当時の日本帝国内では、前年に77式(F-4J) 撃震の実戦配備が開始され、来るBETAの東進を予測しての国防計画案が密かに、しかし激しく論じられていた。

所謂、『国家総力戦』―――その中で主流を占めた2つの論派。 ひとつは『長期持久戦論』 国内各種産業を含めた国の地力を高め、国防力を向上させる。
かつ四方を海に囲まれた日本の地政学上の条件を考慮し、周辺各国との協調(その頃はまだ、中国=共産党との正式な国交樹立はしていなかった)を全面的に入れる。

「当然ながら日米同盟は堅持する。 と言うよりも、米国の支援無しに単独の防衛は、さしも『長期持久論』を唱える者たちも、帝国の国力を盲信しては、おらんかった様だの」

「大陸で、あれだけBETAに叩かれ続ければ。 地政学条件を考慮すれば、あながち誤りとも思えませんが・・・」

「国家に、それに耐えうる、基礎体力があればの話だな」

今ひとつは『短期決戦論』―――帝国の国力は、未だ今次BETA大戦において、自力での長期持久は能わず。 一気呵成の短期決戦を用い、BETA侵攻の足を止めて時間を作る。
短期決戦論者も、いわば『戦術的短期決戦』であり、『国家戦略的長期持久』には変わりない。 要はそのための時間―――BETAに対する足止めの方法論の違いである。
1980年代後半に入り、米国が示したハイヴ攻略戦略のひとつ―――『G弾』 実は『短期決戦論者』達は、日本帝国内の『G弾許容論者』の先駆けでもあったのだから。

「では、次もG弾使用は止む無し、と?」

「復興させたところで、あの島・・・佐渡島に民間人が戻りうるのは、半世紀は先じゃろう。 半世紀と言う時間が、残されれば・・・の話じゃがな」

日本海を挟み、半島に甲20号・鉄原ハイヴ。 沿海州からアムールを遡って甲19号・ブラゴエスチェンスクハイヴ。 佐渡島は『最前線の島』となるだろう。

「・・・現段階で、通常戦力以外の方法で、最も大きな打撃を加え得る方法は、核とG弾です」

「流石・・・実戦を潜り抜け続けた漢の言葉には、重みが有るの、少佐」

帝国内部にも『第5計画』、その戦略的・戦術的優位性を認め、支持する者が居ない訳ではない。 その彼らの多くは軍人だった。 おかしな話ではない。
軍人とは如何に効率良く、如何に損失を少なく、如何に最大の戦果を挙げるか。 その為には、悪魔にさえ魂を売って然るべき者達だ。

「が・・・今の現状ではの。 所詮、主導権争いに敗れた者の遠吠えじゃな」

「・・・が、その実、伏せて噛みつく機会を伺っておられた」

現在の日本帝国内は、『長期持久論者』が主導権を握っていた。 だがここで問題が発生する。 国防力とはすなわち、国家の地力である。 
例えば正面戦力のみ、最新鋭の兵器で武装しても、その支援体制を国内で樹立できねば意味が無い。 戦争とはすなわち、大量の物資の生産と流通・運用、そして消費の場である。
その為に『長期持久論者』達は国防のみならず、各産業界、国家行政、その他の分野をも視野に入れた『国家改造論』を、まず唱えることに変換し始めた。

これは各種産業を国家統制のもとに育成し、国家防衛計画に沿った結果を誘導する。 その為には質の良い労働力も必須となる。 彼らは農地改革、教育改革まで踏み込んだ。
現代においても日本帝国は、まだまだ前時代的な残滓が強く残る国であった。 1944年の『条件付き降伏』は、日本帝国の東アジア・東南アジアでの権益こそ奪い去った。

「だが、国内の統治体制には、全くと言っていいほど手が入っていないのだ。 その結果として、1867年の大政奉還以降、綿々と築き上げた日本帝国の形は残された・・・」

「今に至るも、帝国内には大地主と自小作農、と言う前時代的な形態が残っておりますな」

五摂家や貴族を筆頭とする身分制度は残り、産業は少数の大財閥が依然、かなりの独占状態を占めた。 大土地所有制度は残り、大地主と自小作農(完全な小作農ではない)が残った。
BETA本土侵攻直前の1997年度調査でも、小作地の割合は全国で25%が残るという結果だ。 つまり、日本全土の耕作地のうち、25%が少数大地主の土地だった。
(なお同じ立憲君主国である英国では、20世紀初頭で90%が、1960年代に入って50%が小作地であった。 BETAとの英本土防衛戦が始まった1986年で35%が小作地であった)

『長期持久論』を唱える者たちは、この事も問題とした。 良質な労働力とは、十分な高度の教育を受けた労働力を言う。 最低でも旧制中学、新制高等学校以上の教育をだ。
しかしながら1980年代前半、日本国内での大学進学率は約45%、その分母である高等学校進学率は約65% つまり35%は中等学校卒(旧制中学3年修了程度)の学歴である。
また教育界には依然として、『身分高きは、より高度な教育を』 逆に言えば庶民に高等教育はあえて必要なし、と言う風潮も1944年以前の通り残っていた。 身分制度の残滓だ。

「連中は、些か進歩的過ぎたのじゃよ・・・」

「後退よりは、マシと思われますが・・・」

対面の将官の酒杯に酒を注ぎながら、少佐が答えた。 その言葉に、将官は苦笑しながら言う。

「少佐、貴公は存じて居るか? ソ連での革命初期、『進歩的な』産業改革の結果、ウクライナでは数百万人とも言われる餓死者が出た事を?」

「・・・欧州派遣時代の同僚に、ウクライナ人がおりました。 彼らはレーニンを蛇蝎の如く、忌み嫌っておりましたな」

身分制度の形骸化(全廃化は内乱の危険性すらあった)、農地法の改正、労働法の改正と財閥法の改正。 『長期持久論者』の論は軍事の範疇を超えた。 まさしく革命的だった。

「・・・閣下らは、そこに目をつけられた」

「流れとしては、当然じゃな。 相手の弱みを突く。 軍事でも同様じゃ。 正面から正々堂々と? お伽噺の題材には、良かろうて・・・」

そこでひとつの警告が発せられる。 それは『長期持久論は、政威大将軍の統帥権代行権、更には皇帝陛下の統帥権をも、犯すものではないのか?』と言う問題だった。
確かに国家の一組織たる軍部、その高官といえども課せられた職責は、国防(この場合は純粋に軍事面)のみ。 国家行政は彼らの職責に非ず。

この事は当時、『統帥権干犯問題』として、日本国内を大いに騒がせた。 

その為に『長期持久論者』達は時の野党、そして在野の憲法学者や思想界からも、その超越した介入論が批判を浴びた。
当然ながらそこには、思想や政治のみならず、日本人の無意識も濃厚に絡み合っている。 『前例続行』、それこそが日本人と言う民族の、ひとつの習性なのだ。

「この国は・・・まだ、次の段階に進むには、成熟しておらんのだよ」

そしてその対極を張ったのが、『短期決戦論者』であった。 彼らもまた、日本国内の各種矛盾や非合理的・前時代的社会構造を理解していた。 
各種産業界の、財閥独占による発展の阻害。 既に世界5位の経済大国と化した日本帝国とは言え、その頃にはすでに成長は頭打ちになっていたのだ。
かの英国でさえ、本土にBETAを迎え撃っての激戦(バトル・オブ・ブリテン)で著しく疲弊した結果、『日本が上がったのでなく、英国が滑り落ちた』為に世界9位となったのだ。

『―――日本は長期持久に耐えられない。 特に東アジアの『兵站基地』足り得る基礎体力は未だ無い』

当時の経済学者の言である。 それを『長期持久論者』も、『短期決戦論者』も、双方正しく理解していた。 その理解をどう解決するかの手法が異なったのだ。
そしてそれが一朝一夕で改革され得ぬと、『短期決戦論者』達は考えていた。 当時の『短期決戦論者』であった、陸軍参謀本部次長を務めたある陸軍中将は、こう言った。

『日本人は外部からの高圧によらぬ、自らの出血を覚悟しての改革に、未だ耐えられぬ』

「・・・当てが外れた、と言えば、中共の連中じゃな」

「半島もですが?」

「連中は、我が国以上に持久に不向き・・・否、不可能じゃったよ」

その流れが変わり始めたのが、1990年代半ばから後半だった。 中国の完全陥落(華南と福建の両橋頭堡は、辛うじて維持したが)と、朝鮮半島での戦況悪化であった。
BETAは中国大陸のほぼ全てを飲み込み、東南アジア方面への圧力も日に日に高まりつつあった。 そしてついにBETA群が中韓国境の長白山脈、蓋馬高原を突破した。

当時の日本帝国軍は、長年に渡り大陸派遣軍を派兵し、その戦争経験を積んではいた。 だが国内の防衛体制については、各産業―――生産力の海外移転は完全でなかった。
その結果、1998年のBETA本土侵攻。 その後に続く『3600万人の死の夏』と、西日本経済圏の完全崩壊。 その傷は中部・東海や関東経済圏にも深刻な傷を残す。

『遅すぎた決断』―――当時の内務省高官の言である。 全面戒厳令の布告と、全面国家統制令の布告とその実施。 BETAの侵攻は『短期決戦』では阻止しえなかったのだ。
以後、日本帝国は『長期持久論者』が『国家統制論者』に『ランクアップして』、全体主義国家もかくやと言う国家統制政治を驀進する事となる。

「アラスカに逃れたソ連共産党の連中も、さぞや驚いておる事だろう。 自分たち以上の全体主義国家が、自分たちの対立陣営に現れたのだからのう・・・」

「・・・米国とて、国家統制と言論統制については、実のところソ連共産党や、昔のナチス・ドイツに負けず劣らず・・・FBIは世界最大の、国内弾圧組織の一面を持ちます」

「我が国の国風には、向くまいて。 だからこそよ、儂が動いたのは・・・」

だが『短期家戦論者』もそのまま引き下がった訳ではない。 動き始めたのは1999年の秋以降、すなわち『明星作戦』終結の後だ。
彼らは彼らで、既に既出の『統帥権干犯論』に揺れる軍部、その中堅・若手将校団の一部を引き込む事に成功していた。 
前時代的社会構造の残滓、とも言われる、『五摂家崇拝』によってだ。 薄れたとはいえ、創軍時から日露戦争の頃までの『五摂家による徴兵体制=陸軍私兵体制』の残滓と言えよう。 

―――『我らが殿様』の空気は、驚くことに1990年代に入っても残っていた。

教育法改正から10年余、特に若手将校団にその傾向が強かった。 彼らは10代初めから半ばの頃から、改正された教育法に則った教育を受けた世代だ。
そしてその結果として、一部の前時代的な残滓を強調した教育を受けた若者達は、『皇帝陛下と将軍殿下』に無私の忠節を尽くす事こそが、国軍の、軍人の務めであると意識した。 
そんな彼らにとって『統制派』とはまさに『君側の奸』 その動きを押し留め様ともせず、ましてや一部促進する政治姿勢の現政権も『君側の奸』であった。

更には国内の難民情勢が、彼ら若い将校団の過激性に拍車をかけた。 難民予算は増額されず、一部によっては削減される始末(その分は国防予算・産業育成予算に上積みされた)
国土にBETAの侵略を許し、数千万の同胞を死に至らしめた拙い国家指導と国防戦略。 その責任を負わず、未だ権力の座にのうのうと居座る権力の亡者たち―――そう映った。

「故に・・・閣下ら『短期決戦論者』は、その衣を『皇道派』に着替え、中堅・若手将校団の一部を取り込んだ。 彼らが激昂する『G弾の使用』については、口をつぐんだままで」

「弾劾するかの? 少佐?」

「そこらの青道心(若者、未熟者の意)では、無いつもりですが」

一部の青年将校団に横溢している『統帥権干犯』と言う意識。 それは純粋さと無知とが合わさり、入り混じり、既に暴発の半歩手前である。
皇道派の高官たちは、敢て青年将校団の主張に理解を示す態度を取る事で、若い彼らの支持を得ていた。 クーデター後の主導権を握る事を目的として。
そして皇道派は青年将校団とは逆に、既得特権の喪失を恐れる一部の貴族層(特に武家貴族)や、一部の大財閥に地主層と言う『世論』の一部を取り込む事にも成功している。

『皇道派』は、彼らは彼らで、本土のすぐ横腹(佐渡島・H21=甲21号目標)の存在を軽視している訳ではない。 むしろその脅威を誰よりも脅威と感じているのだ。
故に彼らは焦っていた。 通常の戦術作戦でハイヴ攻略が可能なのか? 情報が欲しい、戦略・戦術を立てるための情報が。 特にハイヴの地下茎情報を。

「だからよ。 故に儂らは『2本立ての保険』を掛けた」

ひとつは『G弾による甲21号目標の破壊と攻略』 もうひとつは『第4計画接収による、ハイヴ情報の取得』である。
皇道派とて、帝国軍部の高官が参加している。 日本帝国が誘致し、推進している『オルタネイティヴ第4計画』、その詳細のかなりの部分まで把握する手段があるのだ。
それ故に、『安保マフィア』経由での、米国内の一部勢力から打診された謀略にも1枚噛んだ。 CIA極東支部の活動にも、その制約を一部解除する事すら、働きかけた。

「ワシントンのホワイトハウス・・・そこの決定事項ではあるまいよ。 恐らくは米国産業界のタカ派、そしてそれに連なるCIAと米軍部タカ派・・・の一部。 そんな所だ」

帝国内が大きく2分した対立軸にあるのに対し、米国内も表向きは大別してAL4支持派とAL5支持派と言う対立軸がある、そう言われている。
が、本当のところは、そう簡単ではない。 AL4支持派でも、対日融和派と対日干渉派が。 AL5派にも即時強硬派と、対AL4連動派(AL4利用派)など・・・
合衆国の頭も、大小多数存在する。 その中の1派が、国内に有力な地盤を有する1派が、皇道派に接触した。 そして皇道派も『利害関係を計算した結果』、握手したのだ。

その結果として、より多くの関係を『安保マフィア』と繋がる事となる。 いや、今や彼ら『皇道派』こそが、『安保マフィア』の主流だった(統制派にも『安保マフィア』は居る)
日本帝国内の軍需産業、及び、その周辺につながる各種産業界や業界団体。 そして米国の同業者・・・日米に広がる巨大利権。 その利権は一部、国防予算にも流れていた。

「儂は、儂に今の地位と名誉と、そして財を与えてくれたこの国を―――日本帝国を、心底愛しておる。 儂は凡人だからのう、誰もが認める、な」

その言葉を鵜呑みにする程、少佐も単純ではない。 目の前の将官は、確かに凡人であろう。 かつての名将・名提督に比するまでもない。

「そして儂は勿論、聖人などでもない。 参謀本部時代から、軍人として・・・人として大っぴらに言えぬ様な事も、数多くやってきた。 
無論、私腹も肥やした。 今も肥やし続けておる。 安保マフィア・・・そう、『あれ』は皇道派、統制派を問わす、高級軍人・・・軍官僚が群がる蜜の味の宿主よ。
儂の収集癖のコレクションの中にはの、表に出せないものもある。 儂は世間で言われる通り、国と民に寄生している軍官僚でしかないのじゃろう・・・」

確かに軍需利権に群がり、そのお零れを貪る利権軍官僚。 それが目の前の将官に対する、軍内外の一般的な評価だった。
皇道派を名乗りながら、安保マフィアの一員として米国の利権業者とも繋がりがある。 同時に国防族議員との繋がりも強い。

「だがの、宿主があってこその寄生者である事は、弁えておるつもりじゃ。 馬鹿者は宿主を滅ぼして、己も滅ぶ・・・が、儂はそこまで愚かでないつもりだ」

「寄生、ですか・・・」

「のう、少佐。 寄生虫は気持ち悪い、悪玉・・・ふむ、一般的にはそうだ、そうだとも。 貴公の感覚は正しい。 およそ自然界では、様々な生命体が互いに関わりあって生きている。 
その中で『寄生』と呼ばれる関係は、宿主に有害な場合のみ。 つまり寄生虫が嫌いだという感覚は、宿主として当然であり、正常なのだ」

するとこの目の前の欲の亡者は、己が醜い寄生虫だと、正しく理解している訳だな―――少佐は腹の中でそう確信した。

「が、だからと言って、寄生虫を全否定することは出来ぬのだよ。 寄生虫は退化した怠惰な生物だという見方は、フェアではない。
寄生虫はこれでいて、高度に進化した生物なのだ。 そして寄生虫との戦いによって、宿主も進化してきた事は、まぎれもない生物学上の事実なのだよ」

ならば、帝国がこの男の様な『寄生虫』を戦いによって駆逐する事もまた、帝国自体の『進化』と言えるのか。 少佐がそう思ったとき、将官が絶妙のタイミングで言葉を吐いた。

「学者に言わせればの、『寄生虫こそ、進化の原動力』なのだそうだ」

―――笑える。 この世はすべからく、驚きと笑いに満ちているのだろう! ああ、そうだとも! まさに滅亡しかけんとしている、この国でさえ!

「ふむ? 話が逸れてしまったな。 つまりだ、儂は宿主が気付かぬ程度のお零れで十分。 それでも儂個人が潤うには、過ぎるほどだ。 
ソ連のノーメンクラツーラ。 台湾に逃れた中共の太子党、あの馬鹿者ほどではないわ。 彼奴らは国と民に寄生し、そして宿主を壊してしまいおった」

「・・・或は、摂家をすら凌ぐ財力。 そう見受けますが?」

「宿主が肥えれば肥えるほど、儂が得るお零れもまた、大きくなる。 宿主が安定すればするほど、儂の人生も豊かに安定する・・・故に儂の財は、帝国の財の大きさだ。
儂はこれを信念として生きてきた。 その信念に従い、軍務を務めてきた。 軍政・軍令のラインから外された後も、政治家どもや財界人との折衝を請け負った」

この将官は90年代半ば以降の郡内権力闘争に敗れたのち、軍事参議官と言う名の閑職に追いやられた。 だがその分、軍務より、政財界の要職と接する時間を得たのだった。

「予算を捥ぎ取り、必要な物資を調達する為の融通を、裏で調整し続けた。 確かに儂は戦場で大軍の指揮を執る事はなかった。
大陸でも半島でも、そして本土防衛戦でも。 政争が儂の戦争じゃったからな。 が、少なくとも前線で、弾薬不足や食糧不足を発生させた事は無かった・・・どうかね?」

「・・・米軍の様に湯水の如く、と言う訳ではありませんが。 それでも、弾薬切れでBETAに潰された部隊は、寡聞にして聞きませんな。 飢えで壊滅した部隊も」

大陸派遣日本帝国軍は少なくとも、己の食い扶持は、己で用意出来るほどには、兵站を充実させていたことは事実だった。 その根源となる生産・運用計画もだ。
BETAの数の暴力の前に抗しきれず、力戦空しく濁流の中に飲み込まれて壊滅していった部隊は数多い。 だが弾薬燃料、それに糧食が無くなり自滅した部隊は、実はほぼ居ない。

「この国は儂に、豊かな財を与えてくれた。 その財は儂の人生を豊かなものにした。 儂はもう60代じゃ、余生の長さを考えれば―――余生があればじゃが―――十分過ぎる。 
柄にもなくな、恩を返しても良い頃合いだ、そう思うのだ。 ましてやこの国は・・・人類全般がそうだが、死に過ぎた。 人も、国もな。 
宿主は今や瀕死の重傷患者だ。 そして、それを治せる名医も特効薬も、存在せん。 ならせめて、貯め込んだ財の分くらいは、汚れ役をやってもいいかもしれん、とな」

それだけ言うと、将官は酒杯をぐっと飲み干し、少佐に向かっていつになく鋭い視線で言った―――欲望交じりの。

「とまれ、現状では恩恵を受けた寄生者が出張るしか、手段はあるまいて。 宿主が滅びれば、寄生者も生きては行けんのだからな」

「そして、寄生者は宿主を乗っ取る、と?」

「まさか、まさか。 宿主を乗っ取ったとて、寄生者には宿主の役目は能わぬよ。 寄生者の役目はな、宿主を死なせず、如何にお零れを得て生きてゆくかだ。
少佐、貴公は童話など、読んだ事はあるかね? 儂は孫娘に読んで聞かせる機会があっての。 ほれ、『鏡の国のアリス』と言う作品があろう?」

―――この男から童話とは! しかも、『鏡の国のアリス』だと? 何と言う滑稽で、そして醜い組合せか!

「あの中でアリスは、赤の女王と走るが・・・前に進めぬ。 女王はアリスに言うのだよ。 『ここではね、同じ場所に留まる為にには、思いっきり走らなければならないの』とな」

「・・・『もっと早く! もっと早く!』・・・進化もこれと同じ、と言う事でしょうか?」

「ふむ・・・らしいのう。 同じ場所に留まるには、進化し続けねばならない。 走らねばそこには留まれず、やがて滅びてしまう。 
例えそれが、寄生虫との戦いであろうともじゃ。 いや・・・お互いに進化するために、戦い続けるのじゃろうな。 なればこそ、この国も内なる戦いをせねばなるまいて」

その将官は言う―――今更、幕藩体制の昔に戻れる訳も無し。 政威大将軍やら、五摂家やらは、無用の長物なのだと。 
彼らは同じ場所に留まる為に、走ろうともせぬ。 ただただ懐かしげに、過ぎ去った過去の光を、後ろに見ておるだけだと。

「いずれにしてもだ・・・この国の実権は、我々か統制派か、どちらかが握る。 でなくば早晩、帝国は崩壊する。 儂らは宿主を考える寄生者だが、武家どもは考えぬ寄生者だ。
それにな、少佐。 いったい、今、この日本で、どれ程の国民が将軍親政を望んでおるかな? 国民は願うのは、BETAに脅かされぬ暮らし。 そして十分な衣食住」

「つまりは、基本的な生存権」

「要は、上古の昔から民が為政者に求めてきたものだ。 彼らは将軍家、摂家であるから崇めたのではない。 内外の暴力からの安全と収入の確保、昔で言う『治水・法度・守護』
それを保証したからこそ、全国的に同一の保証を与えたからこそ、130年前に五摂家は天下を取れた。 幕府に代わってな。 が、今ではもう駄目だ。 その力など全く無い」

そこまで自認するか―――久我少佐は内心で、少し可笑しく思った。 確かにこの時世にあって、民を想う、民への慈悲・・・そんな為政者は、それだけで罪だ。
今はどれ程冷酷であろうが、非情であろうが、兎に角も『生き残れること』を為す為政者でなくてはならない。 でなければ、早々にBETAによって喰い滅ぼされてしまうだろう。

「生きるか、死ぬか。 滅ぼすか、滅ぼされるか。 我々も、統制派も・・・本来の意味での立憲君主国による、国家総力戦を目指す。 そこに摂家も斯衛も、存在する余地は無い」

「・・・だからですか。 ラングレーの息のかかった者を抱えた、ハワイからの招かれざる客を黙認したのは?」

「統制派も同じことよ。 最後の尻拭いは、暴発する若い連中と、それに米軍に拭かせる。 即時退場か、少しの時間をおいての退場か・・・ま、その程度の違いだ。
残念なことに、現政権・・・榊政権は、そこの辺りを正しく理解していなかった。 いや、違うか? 理解したつもりだった、と言う事か。
歴史を動かす者はな、非情に徹する者ではない。 非情が許される者だ。 若い連中も摂家も、そして現政権も・・・そこをはき違えておったのだよ」

軍部高官主導による、政威大将軍排除の謀略か。 ふん、畜生。 糞喰らえだ―――内心で面前の将官、軍事参議官・帝国陸軍大将・間崎勝次郎の顔を見ながら内心毒ついた。 

―――そして、自分自身にも。

自分はなぜ、こうして動いているのか? 物欲か? 金銭か? 違う、もうそんなものに関心が持てない。 出世欲? 名誉欲? 馬鹿な、ここまで墜ちて、出世も名誉もあるものか。
ふと、無意識に胸ポケットに手が行く。 そこに入れた小さなブローチ。 中に入っているのは・・・新婚当時の自分と、亡き妻の写真。

(―――最も救い難い愚か者は、俺なのだろう・・・)

「明日、仏暁だったな? 少佐」

その問いに、少佐―――帝国陸軍・久我直人少佐は、一瞬の間をおいて答えた。

「―――仏暁であります、閣下」

内心を押さえながら、久我少佐は一礼してその場を去った。

―――ならば、俺もやろうじゃないか。 最早、武人たらんと戦場で果てることは望まない。 もうその折り返し点はとうに過ぎた。 ポイント・オブ・ノーリターンは地平の彼方だ。






[20952] 前夜 最終話(後篇)
Name: samiurai◆b1983cf3 ID:c7483151
Date: 2013/11/30 21:03
2001年12月4日 1800 日本帝国 帝都・東京 市ヶ谷 統帥幕僚本部総長室


現在の日本帝国の軍事を、軍令面で統括する統帥幕僚本部総長である、堀海軍大将。 今や日本帝国軍の全実戦部隊を指揮下に置く、本土防衛軍副司令官の岡村陸軍大将。

「・・・やはり、やるのかね?」

堀大将が視線を投げかけた先に座るのは、日本国内のインテリジェンスの一角を担う、国家憲兵隊副長官である、右近充陸軍大将。

「折り返し点は、とうに地平線の向こうです、総長」

右近充大将の言葉に頷く、岡村大将。 その2人を見た堀大将は、小さくため息をついた。

「・・・半島の甲20号は、今は動きが大人しい。 衛星情報でも、強行侵入偵察情報でも、半島南部はおろか、38度線の鉄原ハイヴ周辺にも飽和BETA群は確認されておらん」

堀大将の言葉は、日本帝国の陸・海・航空宇宙3軍が常時監視を強めている、甲20号と甲21号の最新ハイヴ情報だ。 その地勢条件から、日本帝国軍が最も精緻な情報を得ている。

「佐渡島も、現在は島内表面上に飽和BETA群は確認されてはいない。 衛星と海中からの赤外線・震動波探査からも、ハイヴ内飽和度はレベル3と言ったところだ」

ハイヴ内飽和度は、ハイヴ内の飽和BETA群の個体数レベルを指す。 完全な観測には程遠いが、それでも各種観測データと過去の飽和個体群情報を元に、精度は向上している。
レベル1は『飽和個体群発生直後』、つまり出きった直後で脅威度は最も小さい。 レベル2は6か月以内に飽和が予測される、レベル3は3か月以内に飽和が予測されるレベルだ。
因みにレベル4は1か月以内に、レベル5は・・・前線部隊以外に、第2、第3防衛線配置部隊にも、デフコン1が発令されるレベルだ。

「念の為に第1防衛線へは第9軍(東北軍管区)から第13軍団(第2、第9師団)と、第2総軍の第6軍(東海軍管区)から第5軍団の2個師団(第30、第48)を抽出しました」

これで佐渡島前面の第1防衛線には、第5軍(北陸・信越軍管区)の第8軍団(第23、第28、第58師団)、第17軍団(第21、第25、第29師団)と併せ、10個師団を展開できた。
更に第2防衛線には第7軍(第2、第18軍団=北関東絶対防衛線部隊)の他に、西関東防衛の第4軍団から第13師団を抽出して、万が一に備え強化している。

「・・・18軍団の第14師団は、宇都宮へは帰さず相馬原(帝国陸軍相馬原基地・北関東絶対防衛線の中核基地)に待機させています。
他には松戸の第15師団、江戸川の第3師団。 皇城の禁衛師団は、『向こう』には靡きません。 他には朝霞のCRF(中即団)、予備の独混5個旅団」

「海軍は、如何です? 総長。 事前では・・・」

「横須賀の第3陸戦旅団は、動かせる。 第1艦隊も年次演習から帰投直前だ、明日の明け方には東京湾に入ろう・・・余計なお供を連れてだが」

『制圧部隊』の戦力は、3個師団に6個旅団。 そして即応特殊部隊のCRF。 そして海軍の主力、第1艦隊。 ただし『国連軍太平洋艦隊』、実質は米太平洋艦隊の一部が一緒だ。

「横浜を使わせろ、そう言ってきておるとか?」

右近充大将が、僅かに懸念を滲ませて、堀大将に確認する。 岡村大将からも同様の視線を受けた堀大将は、苦笑交じりに答えた。

「まさか・・・横浜を『差し出す』訳にはいくまい? 一体どれだけの、我が帝国の血税が投入されたと思う? あの計画に・・・」

「では?」

「横須賀だよ。 あそこは旧米軍基地跡を、今は国連軍横須賀基地として運用しておる。 言っておいたよ、『古巣の方が、使い勝手が宜しかろう』とね・・・」

そもそも『AL4』計画は、国連軍後方支援軍集団が統括する組織のひとつ、中央開発団の指揮下に属する基地だ。 日本帝国もこの後方支援軍集団との協議で、横浜基地は運用される。
そして『国連軍』太平洋艦隊の所属は、国連統合軍太平洋方面総軍。 統合軍と後方支援軍集団は共に、軍事参謀委員会に属する同格の組織だ。

「・・・故に、方面総軍、統合軍の頭越しに、後方支援軍集団指揮下の『第4計画日本事務局=横浜基地』に対し、太平洋艦隊が直接、集結地を決定する事など、出来無い話だ」

如何に米国とて、国連内部でそこまで傍若無人の振る舞いは、己の手で己の首を絞めるに等しい。 米国1国だけで、この星を防衛する事は能わないからだ。
そして日本帝国の国連に対する出先機関―――在N.Y.の国連帝国政府代表部もまた、本国の意向を受けて安保理、そして軍事参謀委員会でロビー工作を行った。
それに米国内も一枚岩ではない。 日本も強かに、米国内の別勢力を掴んで、介入勢力に拮抗する程度の謀略合戦は展開しているのだ。

「確か、今の横須賀には・・・3個戦術機甲大隊を基幹に、乙師団相当の戦力が駐留しておりましたな」

右近充大将が、岡村大将を見ながら確認する。

「うむ。 主力の戦術機甲部隊は、統一中華戦線から抽出されている。 他に機械化装甲歩兵大隊や機甲部隊、砲兵部隊などはガルーダスが主力だ」

「つまり、『押しかけ店子』の米軍部隊は、なかなか好き勝手はさせてもらえない・・・そう言う事ですな?」

国連軍太平洋艦隊・・・の名を借りた、米太平洋艦隊。 彼らが国連軍チャンネルで密かに連絡を入れてきたのは、ほんの数日前だ。 行動自体はハワイ出港時から補足していた。
第70-1任務群『カール・ヴィンソン』、第70-2任務群『ドワイト・D・アイゼンハワー』、第70-3任務群『セオドア・ルーズベルト』 3隻の空母任務部隊が主力の打撃任務部隊。

「連中としてみれば、クーデター騒ぎの騒擾に乗っかり、横浜を・・・『第4計画』を接収出来れば、と言う腹なのだろうがね・・・」

「ふむ・・・『国連軍』の介入までは許容しますが。 流石に『横浜』の接収については、かの国も・・・いや、かの国の一部勢力も、勇み足ですな。 そうだろう? 右近充君?」

先任者(堀大将も岡村大将も、同一階級だが右近充大将の先任者だ)2人から話を振られ、右近充大将は少し考える表情をしてから、答えた。

「・・・米議会には、主に保守派を中心に、これ以上の増税を嫌う動きが顕著ですな。 『ティー・パーティ』、保守派の中核層、つまり米国内の中流保守層が反発しております。
横浜の接収を企図しているは、恐らく米軍需産業界の一部とネオコンの流れをくむ一派・・・ネオコンはそもそも、革新派、すなわち民主党の急進派です。 保守共和党とは・・・」

「そこを、CIAのハト派に付け込まれたか。 CIAハト派とDIAは、現状では共闘路線を取りつつあるようだな」

「今回の派兵も、彼らCIAハト派からの事前情報があればこそ。 横浜をゴリ押しする太平洋艦隊司令部に逆ねじを食らわせて、横須賀を押し付ける事が出来た。
恐らくCIAタカ派のスリーパーが内部にいるだろうが、戦力の大半はこちらで便利扱いさせてもらおう。 右近充君、スリーパーについては?」

「残念ながら、そこまで糸は手繰れませんでした。 が、米軍部隊の・・・いえ、『国連軍』の介入を許可する代わりに、国内での統一指揮権を握る裏取引は成功しました」

つまり、首に縄を付けている限りは、優秀な猟犬として便利扱いできるだろう。 制御できれば、『政治的に』拙い場所へ送り込む事もない。
そしてこちらの想定内であれば・・・スリーパーは事態を混乱の方向へ―――彼ら統制派にとって、想定された混乱へ―――誘導するはずだ。

「後は・・・相手がどの範囲まで、こちらの想定の中で動いてくれるか、ですな」

淡々と言う右近充大将の言葉に、岡村大将が少し白ばんで言い返す。

「おいおい、謀略の専門家が、それは心許ないのじゃないか?」

「―――謀略だからこそ、です。 結局、どこまで相手を騙せられるか、です」

―――皇道派を、そして米軍を。 更には国内で皇道派につながる諸勢力、特に現将軍家との対立勢力である、複数の摂家を。 いや、どこまで自分自身をさえ、騙せられるかだな。

右近充大将は心の中が、冷たく冷え切っていくのを自覚した。

「・・・後世で、どれだけ罵られることか」

「後世が保障されるのならば、小官は一向に構いませんが」

堀大将の呟きに、岡村大将が淡々と言い放った。 彼らとて理解している、自分たちの愚行を。 この時世で、わざとクーデターの動きを見過ごす事を。

「誰かが、かつて言っておりました。 『日本人は外部からの高圧によらぬ、自らの出血を覚悟しての改革に、未だ耐えられぬ』 その通りです。
われわれ日本人は、外圧が無ければ、己で血を流して、自分を改革することが未だ出来ないのですよ。 今回の動きは、千載一遇の外圧・・・極め付けの悪趣味な外圧です」

統制派も皇道派も、お互いに睨みあったまま、焦っていたのだ。 どこかで手を出さねば。 が、その出し所が見えない。 そして今回のクーデターの動き。
彼らは双方ともに、飛びついた。 互いを叩き潰すために。 大海の波濤の中で、同じ1本の藁にしがみついたのだ。 相手を蹴り飛ばさねば、己が海原の藻屑となる。
彼らも痛烈に判っているのだ。 日本帝国と言う共同体あってこその、自分達だと言う事を。 皇道派の間崎大将が言うように、彼らもまた日本帝国と言う宿主に寄生する者だ。

「間崎も、判っているのでしょう。 宿主を壊してしまっては、寄生者は生きる事が出来ないと言う事を。
そして首相は恐らく、その政治的潔癖さ故に、宿主を壊してしまうでしょう・・・政威大将軍を排除しようとしない事が、全てです」

岡村大将の言葉に、堀大将が目を瞑りながら呟く。 やがて薄らと目を開き、嘆息しながらぽつりと呟くように言った。

「ふむ・・・間崎君か。 彼とは考え方が異なるが・・・うん、残念なことだな」

考え方が異なるとはいえ、全くの無能な男ではなかった。 政争が得意とは言え、まだ使い勝手のある人物だった。 堀大将の言葉に、今度は右近充大将の呟きが重なる。

「些か、あの御仁ほどは、自己中心的にはなり切れませんな。 民族が生き残るには、他国の属国と化しても一向に構わぬ、そう考えるまでは・・・我らが中途半端なのか・・・」

「なんにせよ・・・明日の仏暁(明け方)か・・・」

堀大将の言葉に、2人の大将も頷いた。 右近充大将が締めるように言った。

「仏暁です。 すべてが決まるのは」









2001年12月4日 1900 日本帝国 帝都 神楽子爵家


「・・・やはり、そうなるのかね?」

「今の国情で、我々武家が生き残る道は、そう選択肢が多い訳ではありません」

崇宰家先代当主・崇宰雅雪斎翁の問いに、城代省官房長官を務める神楽子爵―――神楽宗達が答えた。

「国家祭祀の代行権者・・・その辺が、落とし所かのぅ・・・」

「国事の執行権は、政府に。 皇帝陛下の名代として、外交儀礼と国家祭祀に特化する事・・・『彼ら』の提示してきた条件が、それです」

子爵家の茶室で、主―――神楽子爵の淹れた茶を飲みながら、茫漠とした雰囲気を崩さない雅雪斎翁が、茶碗から視線を外さずに話し始めた。

「もはや・・・この国の実権など、とうの昔に手放して久しい儂ら五摂家じゃ。 今更、親政なぞ出来るものではない。 じゃが・・・」

「洞院殿(伯爵、斑鳩家譜代家宰・城内省高官)は皇道派に同調する事で、安保マフィアの利権のお零れを手にしております。 同時に、現実政治での復権をも願うように・・・」

お零れは、その権限が増大すればするほど、その権益の質も量も増大する。 単純に欲望に塗れたのか、或は主家の復権を望んでの事か。

「愚かな事よ。 皇道派がお零れを寄越したのさえ、統制派への攻撃の為に、かの『統帥権干犯問題』で、摂家の声を欲しただけであろうに・・・」

「ですので、統制派は今回の擾乱に結び付け、洞院殿から斑鳩公、更には武家社会全般へ攻撃を仕掛けましょう」

「皇道派も統制派も、いわばマッチポンプじゃ。 『国家総力戦』、これの為に今回の擾乱を裏で黙認し、誘導しておる・・・」

「もはや中世や近世の昔では無いのです。 少しばかりの残滓が有ったとて、それが如何程の事でしょうか。 我々とて、生き残らねばならぬのです」

「・・・『国事全権代行権』を、皇帝陛下へとお返しする。 『大政奉還』じゃな、これは」

「それでこそ、武家はこの国の藩屏・・・貴族社会として、この国の片隅で生き残れるのです」

およそ130年前に、当時の武家社会の棟梁家―――徳河家がそうしたように。 あくまでこの国の元首は、皇帝その人なのだ。
政威大将軍とて、その意味では『皇帝の代理人』に過ぎない。 決して皇権を手にしているのではないのだ。 ましてや、現在では政威大将軍の選出には、議会の承認が必要だ。
真実、立憲君主国の中で生き残る。 その為には斯衛と言う私兵軍事力さえ、手放す事も視野に入れていた。 軍部は今後、一切の容認しないだろうから。

「・・・あの娘は聡い、そして純粋じゃ・・・」

「ですが、自らの社会に幕を引く強さを求めるのは、18歳の少女に対しては、酷でありましょう」

「優しい娘じゃからのぅ・・・」

「その聡さと純粋さ、そして優しさ・・・慈悲深さが、今の国情では罪にもなるのです。 例え、如何な覚悟があったとしても」

「・・・幕を引くか。 130年に及ぶ、五摂家の歴史に」

「時流、そう評してよければ」

「そして同時に、若者たちに血を流させるか・・・」

「・・・『急進主義者は必然的にユートピアンであり、保守主義者はリアリストである。 理論の人すなわち知識人は、左派に引き寄せられる。
ちょうどそれは、実践の人すなわち官僚が当然右派に引かれていくのと同じである』―――英国の外交官、エドワード・ハレット・カーの言葉です」

「ふむ。 して・・・?」

「急進主義も、国粋主義も、異なる様に見えて、ある1点で本質を同じくします―――夢想と言う1点で。 帝国に、日本人に・・・そして、我ら武家にとって、今一番必要とされることは・・・」

「リアリズム・・・ふむ。 子爵、御足労じゃが、貴殿のチャンネルへお伝え願えんか。 崇宰家は少なくとも、実践の場を識る家であると」

「承知致しました」






「お父様」

崇宰雅雪斎翁を見送った神楽子爵に、妙齢の女性が声をかけた。 菊亭緋紗、菊亭伯爵夫人で神楽子爵の嫁いだ長女。 夫は菊亭家当主(九条家譜代)で、財閥企業の社長をしている。

「雅雪斎様は、お帰りに?」

「うむ・・・緋紗、お前は家に戻らぬのか?」

「はい。 夫が、今夜は実家で過ごす様にと・・・お父様、何かご存じなのでは・・・?」

心配げな娘の様子に、神楽子爵は思わず内心を吐露しそうになった。 優しく気立てのよい娘だが、これでも斯衛大尉として京都防衛戦に参加した軍歴のある、予備役将校だった。
今は予備役編入に伴い、1階級を上げて斯衛軍の予備役斯衛少佐でもある。 年に数度の訓練招集に応じ、それ以外は財閥家当主夫人として、社交の場で『戦って』いる。

「・・・いや、何も知らぬよ。 それより、もう遅い。 休みなさい。 お前の体に何かあれば、儂が隆俊君(菊亭隆俊・菊亭伯爵)に恨まれよう」

娘を気遣いながらそう言う。 彼の娘は身重だった。 彼に初めての孫を見せてくれる筈だった―――もう一人の娘が生んだ孫を、彼は見る事が出来ないのだから。









2001年12月4日 2100 日本帝国 帝都・東京


「じゃあ、済まないけどお袋、子供たちを頼む」

「お義母さま、すみません」

「いいのよ。 2人ともお仕事なのだし。 それにウチにはお兄ちゃん、お姉ちゃんもいるしね」

周防少佐の母がそう言った視線の先には、少佐夫妻の2人の双子の幼子の相手をしている、甥と姪の姿があった。

「あの子たちも、直嗣や祥愛の相手が嬉しいのよ。 直孝も、優子も・・・優子は、お姉さんができるから、余計にね」

もう眠いのだろう、コクリ、コクリし始めた幼い従弟妹たちを、布団に運んでやっている甥っ子。 姪は『子守唄を、歌ってあげるの!』と張り切っている。

「俺は暫く基地だけど・・・祥子は明日の夕方には空くから」

「それまで、すみませんが、お義母さま、お義姉さん、あの子たちを・・・」

「大丈夫よ、祥子さん。 直嗣ちゃんも祥愛ちゃんも、しっかり面倒を見ますから」

周防少佐の亡兄の妻―――義姉がニコリと笑って、そう言った。 その様子に周防少佐が妻の肩に手を置く。 周防夫人・・・綾森祥子少佐(軍内では旧姓)も、ようやく切り替えたようだ。

「じゃあ、行ってくるから」

「行ってまいります」

「はい、気を付けてね」

「行ってらっしゃい」

停めてあった自家用車に乗り込む。 これから綾森少佐は国防省へ。 周防少佐は松戸基地へ。 密かに佐官以上の幹部に対して、非常呼集がかかったのだった。

走り去る車のテールランプを、少佐の母と義姉が見送っていた。









2001年12月4日 2300 日本帝国 帝都・某所


「・・・お前さん、マークされているぞ?」

見た目は中肉中背、年の頃は40代後半。 見かけもパッとしない、人込みの中で完全に埋没してしまう要望と雰囲気の中年男。
その中年男が話しかけた相手は、背広に気障なパナマ帽を被り、どこか掴み所のない笑みを浮かべた、同年配の男だった。

「昔の馴染みで、忠告してやれるのはここまでだ、鎧衣。 お前さんところの本部・・・そこのシナリオとは、少し違うだろうが?」

その言葉にパナマ帽の中年男―――情報省外事本部外事1部外事2課長、鎧衣左近は、正体不明の笑みを浮かべる。

「なぜ、横浜にリークした? あそこには、カンパニーの工作員も潜んでいる。 直に漏れるぞ?」

シガレットに火をつけ、深く吸い込んで紫煙を吐き出すパナマ帽―――鎧衣右近の表情に、正体は無かった。
そんな様子を見た中肉中背の中年男―――情報省内事本部防諜1部3課長(軍事防諜担当)は、諦観したように肩を竦めるだけだった。

「おまけに、お前さんは恐らく、あの若手将校団とも繋がっている。 何故だ? 娘可愛さか?」

「・・・では無いな」

初めて吐いた言葉が、それだった。

「なあ、鎧衣。 俺たちの様な、裏の世界に生きる人間は、基本的に薄汚れている。 手段を選ばず、目的の為にはどんな手だって使う。
そしてその代償としての報酬は、微々たるものだ。 時には組織から冷徹に切り捨てられる。 俺やお前が、過去に部下だった者たちにした様にな」

だからこの世界に生きる者は、時に己の欲望に負けて墜ちるか、それとも夢幻の理想に取り憑かれて、逃げ出せなくなってしまう。

「本部の方針に、不満でもあるのか? もっとソフトランディング出来たとでも?―――だったら、お前さん、今すぐ辞表を出せ。 特高も憲兵隊も、節穴じゃないぞ?」

暗に内務省警保局の秘密警察―――特高や、軍事警察の枠を越した国家秘密警察である、国家憲兵隊の紐付きである事を示唆した。 内事本部は、特高や憲兵隊とは、協調している。

「本部長に消される前に、この国から姿を消せ。 外事本部の紐付きじゃない船を用意してやれる。 南米かアフリカか・・・」

そこまで言って、内事防諜3課長は口をつぐんだ。 長年の友人の目に、既に一線を越した光を認めたからだった。









2001年12月5日 0030 日本帝国 帝都・府中基地 第1師団団3戦術機構連隊


「―――少佐」

背後から呼びかけられた。 場所は基地の大隊長執務室―――己の職場だ。 久我直人少佐は、声だけで誰か判った。 自分に忠実に従っている中隊長の一人、高殿大尉だった。

「少佐、いよいよ、です」

何がなのかは、言わずとも判る。 彼らがこれから、何を為そうとしているのか。 彼らはその行動における、中心人物達なのだから。
久我少佐は振り向かない。 執務室の窓から、深夜の夜空を眺めているばかりだ。 その後姿を見ながら、高殿大尉は話し続けた。

「少佐、私は・・・私は最初、どこへ向けて良いかわからぬ怒りと、悲しみと、そして絶望だけで生きていました。 あの夏の日から、ずっと」

あの夏の日―――日本帝国にとっても、最も長く、最も残酷な、あの夏。 1998年の夏。

「BETAを呪い、拙い戦術指揮を行ったと、当時の師団司令部や連隊本部を呪い、命令を下した当時の上官を呪い・・・そして、無力な己を呪い続けました」

1998年夏、高殿大尉は当時第2師団所属であり、BETAの山陽方面侵入に対して防衛戦闘を行い・・・避難が遅れた郷里の人々を、BETAごと突撃砲で吹き飛ばす事態に陥った。

「私は呪い続け、呪い続けて・・・全ての事を呪いました。 BETA、軍部、帝国、そして自分を・・・」

その声を聴きながら、久我少佐は無言で過去を思った。 己にも経験がある事態だ、逃げ遅れた民間人ごと、BETAを吹き飛ばしたと言う事は。 他に親友が2人、同じだった。
久我少佐の場合、その結果は国連欧州軍への出向と言う名の左遷。 激戦地に送り、あわよくば戦死してくれれば有り難い。 軍部の声が聞こえそうな処置だった。

「・・・やがて、呪い過ぎて、何も感じなくなってしまった。 そうです、私は己の取った行動も、当時の上官の命令も、軍部や政府の対応も・・・何も、感じなくなったのです」

国連軍に派遣された初期は、久我少佐はまだ極東方面に居た。 かの『九-六作戦』にも参加した。 そして目撃した、戦線維持の為に1000万の国民をBETAの餌にする国家を。
地平線を埋め尽くすBETAの大群、そのおぞましい光景の下には、国家に見捨てられ、軍事上の餌にされて食い尽くされた1000万人の民間人の死があった―――それを見た。

(・・・そうさ。 そうなる。 何も、感じなくなる)

やがて『それ』は慣れとなり、多くの軍人は『新たな自分』を得る。 一般に『戦場慣れしてくる』と言われる、ふてぶてしさの中に、どこか暗く乾ききった目をした軍人達。
それから、幾度の葛藤があっただろう? その都度、己を押し殺して戦い、戦友を死なせ、部下に死ねと、命令し続けてきた。 

「もはや、私には多くの恨みはない・・・ですが、敢て欲する事は・・・」

そんな自分を救ったのは、亡き妻だった。 意外だった。 そして思った。 自分がこれほどまで、普通の(内心に傷を持った軍人として)人間だったのかと。
それは驚きであり、過去への葛藤であり、そして・・・1個の個人としての救いだった。 彼は、久我直人少佐は、壊れる手前で亡き妻に助けられたのだ。

「・・・こうなるまで、何も変えようとしない、変える事が出来ない、我が国・・・我らが同胞に対する少しの苛立ちと、そして諦観です」

だが、その妻は死んだ。 彼を―――久我直人を救ってくれた奇跡のような女性は、もうこの世に居ないのだ。 だから・・・だから、もういいのだ。 彼もまた、諦観したのだ。

「統制派であろうが、皇道派であろうが・・・この国の舵を握るのは、誰だって良い事です。 問題は、その結果に至るまで、国と国民が血を流す事を、未だ目を背ける日本」

もう、久我直人の人間(じんかん)において、全ての重石は存在しない。 そうしたのは、彼の祖国だ。 祖国の同胞たち、その総意なのだ。

「ならば、せめてもの手向けです、見せてやりましょう。 私は沙霧の様に、何らの使命感を持っている訳ではありません。 他の参加将兵の様に、将軍崇拝の念もない。
ただただ、歴史において大きく流れが変わる必要がある時には・・・己自身の手で、己の血を流さずにはいられないのだ、その事を・・・」

「・・・日本人に、思い知らしめねば、ならん」

これからの日本は、もっと多くの久我直人を、そして死した久我優美子(久我少佐の亡妻)を、必要とするのだと言う事を。
もはや、生か死か。 人間(じんかん)の重石を取り外された者にとって、それを衆目示す事こそが、『吾有事(『わがうじ』己と時間の一体感を意味する禅の言葉)』なのだと。

「・・・恨みではない、憎しみでもない、呪うことにも非ず―――滅びるか、滅ぼすか。 その一点に収束する流れ、それがどの様な事なのか・・・」

彼らに正体は無い。 その人間(じんかん)には、全ての重石はもうない。

「・・・高殿、非常呼集。 第1戦闘態勢。 20分やる」

「少佐・・・予定では、本日の仏暁―――明け方では・・・?」

久我少佐の言葉に、高殿大尉が少し驚いたように言う。

「発動時期は、俺が預かっている。 沙霧ではない―――急げ。 それと沙霧に連絡を入れろ。 本0200時に厚木の第671航空輸送隊に、富士の連中を収容させろと」

「・・・少佐」

「仏暁ではない・・・」

久我少佐が大隊長執務室のデスクから振り向き、高殿大尉に向かって眼光鋭く言い放った。

「仏暁ではない。 今夜半、決行する―――急げ!」

「はっ!」

急ぎ足で部屋を出てゆく部下の背中を見ながら、久我少佐は小さく呟いた。

「・・・相手も、味方も欺く。 本当に、成功させたければな・・・」

同時に別の事を少しだけ思った。 自分と部下の違いの事を。 部下は―――高殿大尉は、恨みはないと。 しかしそれは、本当の意味では只の磨耗なのだと。
そして自分が得た救いと、味わった喪失感と絶望を、未だ経験していないことを―――その機会を、部下から永遠に奪ってしまったと言う事を。 あの喪失と絶望を。

やはり自分には、少しだけ・・・ほんの少しだけ、正体が残っていたようだった。 絶望と言う正体だけが。 だから・・・最後の最後だけ、業に従ってやろう。

「・・・憐れむなかれ、怖るるなかれ。 天道ましてや人道なぞ。 たかが人間、夢幻・・・」

是非など、後世の学者どもに任せてやればいい。 当面すべきは、目標の殲滅。 第1目標は、相手の即応部隊。 まずは―――最初の殲滅相手は、松戸の第15師団だった。




帝国の、長い1日が始まった。







[20952] クーデター編 騒擾 1話
Name: samiurai◆b1983cf3 ID:c7483151
Date: 2013/12/29 18:58
2001年12月5日 0212 日本帝国 千葉県 陸軍松戸基地 第15師団


「Seraphim three-ten , Tower, Cleared to taxi runway nine zero.(セラフィム3-10号機(第3中隊10番機)へ、地上管制塔より、滑走路90へのタキシングを許可)」

『Tower, Seraphim three-ten , Roger』

深夜の、そして突然の夜間訓練。 既に2個大隊(151=ゲイヴォルグ、152=アレイオン)が発進している。 今は154大隊(セラフィム)が全機発進完了間際だ。

「Seraphim three-ten , Tower, you are cleared for takeoff.(セラフィム3-10号機へ、管制塔より、離陸を許可)」

轟音を上げて跳躍ユニットの推力を全開で、夜空に向かって飛び立つ『不知火壱型丙Ⅲ(TYPE94-1E)』 1998年より改修と言う名の改悪を繰り返してきた機体。
しかし3年目にしてようやく、現場のベテラン衛士達をして『戦場の蛮用に耐えうる』との評価を得られる程度に、改善が為された。
アラスカでのXFJ計画、『不知火弐型』のロールアウトは3か月ほど前であるが、その後の大規模テロ発生など、不確定要素がたたり、未だ帝国陸軍へは引き渡されていない。
『不知火壱型丙Ⅲ』は、『不知火弐型』までの繋ぎの機体として改良が為された機体だが、大方の予想を裏切り、現場・前線の満足いく機体に仕上がった事は、嬉しい誤算だった。

それまでの『不知火壱型丙Ⅰ/Ⅱ(TYPE94-1C/N)』の極端にピーキーな機動特性(C型)、機体稼働時間低下(燃費の悪化・N型)に対する回答が、十二分に為された機体だ。
ひとつはXFJ計画の『副産物』と言える、ロータリーエンジン搭載型のAPU(補助動力装置)、これをボーニング社から『多額の』ライセンス料で生産・供給が可能となった。
そしてもうひとつは、完全に帝国軍第1技術開発廠(陸軍担当)と、機械メーカーの合同プロジェクトの結晶、永久磁石同期発電機の開発成功だった。

これにより、壱型丙Ⅰ/Ⅱ(1C/N)で大型化した機体ジェネレーターは、逆に初期型の壱型甲(TYPE94-1A/B)に搭載していたジェネレーターより小型化を実現できた。
出力は1C/Nに対して8%向上している(1A/Bに対して24.2%向上) そしてそれまで完全なアンマッチだった、専用OSと燃料・出力制御系のプログラムも改善された。
実はOSの問題と言うよりも、それを搭載するCPUの能力不足が大きな問題だった。 その問題は2年前に、ひとつの出口が見つかっていた―――『ダイヤモンド半導体』である。

1999年、日本の国立研究所と日本企業の連合体が、この技術を確立させた。 そして翌2000年初頭、ダイヤモンド半導体の基盤となる大型単結晶基板を作る事に成功する。
そして2000年末、ダイヤモンド格子に欠陥を与えずに、ホウ素イオンなどをドープする技術を確立させていた。 現在は主に軍事技術として、帝国軍内に広まりつつある。
帝国の産・軍技術陣は総力を挙げ、この『ダイヤモンド半導体』と、従来確立させていた『ボール・セミコンダクタ(3次元球面集積回路)』との融合を、一応ながら完成させた。

『ダイヤモンド半導体』は、従来の『シリコン半導体』に比べて数十倍から数百倍の大幅な高速化が可能であり、耐熱性や耐久性も極めて優れている。
また、宇宙空間の様な過酷な環境下でも、まず間違いなく確実に動作する。 そして『ボール・セミコンダクタ』は、回路表面積は従来の平面基盤の4~5倍である。
大出力ジェネレーターと、燃料・出力制御系の改良された専用OS/プログラムの搭載を実現した高速処理演算機、コンパクトで大容量送電が可能な電力ケーブル、高周波フィルタ。
これにより『不知火壱型丙Ⅲ(TYPE94-1E。 1Dは試験機)』は、極端にピーキーな機動特性と機体稼働時間低下と言う『2重苦』から解放されたのだ。

近接格闘能力や生存性が初期通常型(1A/B)に比して格段に差があり、稼働時間は壱型丙Ⅰ/Ⅱに比して大幅に延長し、機動特性も初期型の『素直な』特性に戻った『壱型丙Ⅲ』
現在では生産数も軌道に乗り、月産60機の生産数を確保している。 2001年の年初から生産が開始され、既に約600機以上が生産・配備されていた。
主に第1線師団を中心に配備が進められている。 即応部隊の第10、第15師団、北関東絶対防衛線主力の第14師団が、この機体を受領していた。


「よし・・・154は全機発進だな。 次は?」

「0350から、第2陣の訓練開始だ。 153(ユニコーン)、155(ケルベロス)、156(イシュタル)の順だ」

コーヒーカップの代用飲料を啜りながら、管制官が管制塔のボードに記されたタイムスケジュールを確認する。 訓練は1時間ずつの2交代で行われる予定だった。
師団管制官達が皆、深夜の超過勤務労働に、やれやれと言わんばかりの口調だ。 戦場では超過勤務どころか、24時間体制であるが・・・

「せめてホームベースでは人並みの勤務をしたい、と言うのは人情だろう?」

「しかし、どうして今夜になって?」

「知らんよ。 管制本部でも、首を傾げることしきりだ。 師団長か、副師団長・・・そのあたりに聞けば?」

「聞けるかよ・・・」

抜き打ちの緊急呼集。 そして予定に無かった全戦術機甲部隊の夜間訓練(松戸基地は同時に戦術機甲部隊の基地だ) 今頃は機甲部隊や砲兵部隊でも、てんやわんやだろうか。
衛士連中も寝耳に水だったらしく、某悪所に繰り出していたらしい第151大隊の八神大尉(第2中隊長)などは、香水の匂いをプンプンさせながら、不機嫌そうに帰隊していた。

「大隊長連中も、半分は訝しげだったな」

「間宮少佐や有馬少佐も、不思議そうだったが・・・佐野少佐なんか、八神大尉と一緒に『どうして、あと1時間待ってくれなかった・・・!』とか、言っていたっけな」

「生殺しか。 ご愁傷様だ」

「その割には、古参の大隊長たちは、妙に表情が硬かったぞ?」

「そう言えば、あの周防少佐や長門少佐が、深刻な顔をしていたな。 荒蒔中佐は、何か考え事の様な顔だった」

「何かあるか・・・?」

「うん・・・」

そんな会話の最中だった。 それまでルーチンワークとしてレーダーを見ていたRADOP(レーダー操作員)が、不思議そうな声を上げた。

「・・・っと、んん? なんだ、これ・・・」

「どうした?」

「はっ! ベクター3-0-5より、高速移動体、多数接近! これは・・・戦術機です」

「戦術機? 発進した151(ゲイヴォルグ)か、152(アレイオン)でなくて?」

「はい。 151も152も、ベクター0-3-5に向けて飛行中です。 154も続行しています。 待って下さい・・・でました、府中の3rd-TSF・Rg(第3戦術機甲連隊)です」

「3連隊だぁ?」

府中市の陸軍府中基地には、最終防衛線を守る第1師団に属する、第3戦術機甲連隊が展開している。 実の所、『第1戦術機甲連隊より戦場慣れしている』と言われる精鋭部隊だ。
その第3戦術機甲連隊所属の3個戦術機甲大隊が、なぜかこちらに向かっている。 北関東の演習場に向かうのであれば、方向が90度違っている。

「おい、今夜、こっちに3連隊が来る予定はあったか?」

「いいや? 明後日に相馬原の14師団(臨時駐留)の3個大隊が、先遣隊で来る予定はあるけどな・・・?」

この時の第15師団管制部を、『怠慢』の一言で片づけるのは、いささか酷であったろう。 BETAを国内(佐渡島)に迎えているとは言え、ここは関東。 その中心部なのだ。
ましてや、接近中の戦術機は同じ帝国陸軍、友軍部隊。 同じく帝国陸軍の頭号師団、第1師団の所属機なのだ。 もしかすると、第1連隊(練馬基地)への移動かもしれない。

「おい、通信。 一応、誰何しておけ。 練馬への道は、もっと南ですよ、ってな」

「了解です」

通信員が苦笑気味に応じたその時、RADOP(レーダー操作員)が悲鳴の様な声を張り上げた。

「熱源体、高速接近中! 誘導弾です! 向かってくる、多数!」

「何ぃ!?」

管制官たちが外を―――西の夜空を見たその時、無数の光が高速で迫ってくるのが見えた。 そして次の瞬間、その無数の光は基地に落ち、連続した爆発音とともに、紅蓮の炎となった。





「被害状況!」

誘導弾が着弾した瞬間、第15師団最先任戦術機甲部隊指揮官である第153戦術機甲大隊の荒蒔中佐は、衝撃で執務室の椅子から投げ飛ばされた。
衝撃波で粉々に割れる窓ガラス。 そして爆発音。 続いてあちこちから聞こえる悲鳴と怒号。 不意に室内の電灯が消える。 間違いない、攻撃だ。 詰まる所・・・

(・・・先制拘束は、失敗したのか・・・)

第15師団の大隊長クラスで、『その事』を知っている者は少ない。 荒蒔中佐と、あとは2、3人だけだ。 救いはその少ない事情を知る指揮官たちが2人、既に発進している事。
荒蒔中佐は内心の焦燥を押さえ乍ら、大隊本部―――管理棟に急いだ。 そこには小規模ながらも、通信設備がある。 内外とも連絡を取り合える。

「第4、第5ハンガーに直撃弾多数!」

「整備班に負傷者! 救急隊はまだ動けません!」

「第6ハンガー、半壊! 戦術機、多数破損!」

「第1燃料タンクに直撃弾! 大規模火災発生!」

「第1、第2発電施設、損傷!」

最初に飛び道具(戦術機)と燃料・動力源(燃料タンクと発電施設)を叩いたか。 くそ、連中、手際が良い。 そうか、第3連隊にはあの男が居たな、久賀少佐が・・・

「予備発電に切り替えろ! 師団司令部はまだか!?」

「師団司令部、出ました!」

大隊本部の通信員が、受話器型の通話機を差し出す。 それをひったくるように受け取ると、荒蒔中佐は少しだけ声を落ち着けて応答した。

「153大隊、荒蒔中佐」

『―――荒蒔か? 藤田だ』

第15師団第1(A)戦闘旅団長・藤田伊与蔵准将だった。 

「閣下、御無事で?」

『俺と名倉(名倉幸助大佐、第2(B)戦闘旅団長)、それに熊谷さん(熊谷岳仁准将、副師団長)は、取り敢えずな。 師団長(竹原季三郎少将)が負傷された。
軽傷だが、念の為に軍医長に来てもらった。 佐孝(佐孝俊幸大佐、第3(R)戦闘旅団長)が誘導弾の破片を腹に喰らった、重傷だ。 参謀長の河原田(河原田仁大佐)もだ』

師団長と参謀長、そして第3戦闘旅団長が負傷。 第3旅団長と参謀長は重傷の様だ。 他にも軽傷の幕僚が数人出たらしい。

『―――連中、手際が良い。 本部通信隊は壊滅状態だ。 TSFは?』

「・・・153、155は3割以上、地上撃破されるでしょう。 156は半数が第4、第5ハンガーでしたので・・・」

『くそっ、156は壊滅か。 153と154も、全滅判定・・・やられたな!』

通信機の向こうから、藤田准将の忌々しげな声がした。 『敵』はまず、レーダーと通信、そして発電施設に燃料庫を叩き、そしてハンガー内で無防備の戦術機群を叩いた。
それも問答無用でだ。 こちらの連中にしてみれば、まさかの友軍による奇襲攻撃。 『誇り高き』第1戦術機甲連隊なら、まず行わないだろう、戦場慣れした攻撃だった。

「指揮しているのは、多分、久賀です」

『―――あの男か・・・151と152、それに154を至急、呼び戻せるか?』

その問いに、荒蒔中佐は脳裏でチラッと彼我の位置関係を描いてみた。 151と152、それに154の3個大隊は発信して未だ数分から10数分だ。 

「出来ます。 それと154は、北から府中との間に入れて連絡線を絶たせます。 流石に久賀と遣り合うには、間宮(第154戦術機甲大隊長)では、荷が重いですので」

『―――数は151と152でも、相手の2/3だぞ?』

「壊滅は出来ません、無理です。 ですが実質の相手は、1個大隊だけです。 引かせる事は十分可能です」

荒蒔中佐の言はつまり、第151大隊と第152大隊の2個大隊で、第3戦術機甲連隊の3個大隊に拮抗し得る。 注意すべき相手は、久賀少佐指揮の1個大隊であると。

『―――よし。 責任は俺が持つ。 やれ、荒蒔』

「了解しました」

『極秘事前情報』を得ていた2人の高級幹部の会話。 阻止し得なかった軍部上層部への、かすかな不信。 
しかし彼らは職業軍人だった。 それから数分後、能う限りの最大出力で発信された、松戸基地からの通信文。

『―――我、松戸基地。 奇襲を受ける、被害甚大。 『敵』は第1師団。 これは演習に非ず。 繰り返す。 これは演習に非ず!』





120機もの戦術機の群れが、漆黒の夜空で大規模な編隊飛行を行っている。 1990年代初頭から半ばまでの、ベテランが十分に存在した頃なら、珍しくない光景。
しかし、1998年のBETA本土進攻を機に、1999年の明星作戦と、経験豊富なベテラン衛士が次々に命を落としていった現在では、余程の精鋭部隊でなければ不可能。
本土に敵を迎え撃つと言う事は、安全な後方が無い―――訓練を十分に行えないことを意味する。 ベテランを失った補充は、いつも経験不足の新米たちばかり。
そしていきなり実戦に投入された新米は、右も左もわからず、あっという間に死んでしまう。 そしてベテランもまた、疲労と数の不利に晒され、普通なら死なない状況で死んでしまう。

『―――と言う訳だ。 151と152は全力で基地に反転。 『敵』を引かせろ。 154を府中との間に入れて、連中の連絡線を搔き回せ。 できるな、周防?』

基地からの通信に、最小限度の照明と機器の発光だけに照らされた若い顔が歪む。 網膜スクリーンに投影された、調光された外部の夜景の向こうを睨みながら、簡潔に答えた。

「・・・随分と、楽しい状況です。 C4Iは生きています、出来ます」

『―――よし、5分だ。 5分以内に攻撃を開始しろ』

「了解」

時間にしてほんの2、3分。 その間に基地と演習場への途上にある2人の指揮官たちは、現状を把握し、対応を検討し、決定した。 周防少佐はそのまま、部隊間通信回線を開く。

「“ゲイヴォルグ・ワン”より、“アレイオン”、“セラフィム” 聞いての通りだ。 COP(共通作戦状況図)、CTP(共通戦術状況図)、セット―――全機反転! AH(対人戦闘)用意!」

『“アレイオン・ワン”、了解―――陣形、ダブル・ウィング! 154はベクター3-0-8で、ポイントデルタ01から南下!』

深夜、演習場に向けて飛行中だった3個戦術機甲大隊で、2通の緊急命令が発せられた。 第151戦術機甲大隊長の周防少佐。 第152戦術機甲大隊長の長門少佐。

『―――154より151! 152! どういう事です!?』

最後任指揮官の第154戦術機甲大隊長、間宮少佐から先任の2人に向け、驚いた声色で確認が飛ぶ。

「聞いての通りだ、間宮! 松戸から受信したな!? 『奇襲を受け、被害甚大。 敵は第1師団、演習に非ず』だと!」

『―――位置関係から、第3連隊だ! 間宮、お前は大隊を率いて、府中との間を遮断しろ!』

『2個大隊で行く気ですか!? 相手は1個連隊―――3個大隊ですよ!?』

「殲滅戦にはならない! 追い払えばいい! 後方の連絡を遮断しろ! 場合によっては府中基地への攻撃を許可する! 先任権限だ!」

『府中へ攻撃!? くっ!―――りょ、了解・・・!』

3個大隊のうち、最後尾を飛んでいた1個大隊―――『不知火壱型丙Ⅲ』が40機、跳躍ユニットを吹かして、夜空に鮮やかな光の細い帯を多数残しながら、轟音を上げて転針する。
残る2個大隊の80機は見事な空中での陣形変換を行い、前後4つの鶴翼陣形を保ち、その場で編隊変針を行った。 昨今、これ程の大機数での編隊運動を出来る部隊は少ない。

『―――久賀か?』

長門少佐が、部隊間通信回線で周防少佐に問いかけた。 それは疑問と言うより、確信の確認、と言ったニュアンスだった。 周防少佐も少し詰まった後、言い切った。

「・・・3連隊の3人の大隊長で、あそこまで戦慣れしているのは、奴しか居ない」

それ以上は2人とも無言になる。 3人は陸軍衛士訓練校の同期生だ。 そればかりでなく、少尉時代から幾度も激戦をともに潜り抜けた戦友で、親友だった。

『・・・躊躇うなよ?』

「・・・お前もな。 奴を補足したら・・・躊躇するな、トリガーを引け。 でないと・・・こちらが殺られる」

互いに力量は判っている。 2対1だと、まず負けはしない。 普通なら。 しかし、向こうは既に一線を越している精神状態だ。 一瞬の躊躇が死に直結する。
長い戦歴の中で、そんなことは骨身に沁みて、体で理解している。 BETA相手の戦闘なら、一切の躊躇はしないし、今更そんな精神状態にもならないだろう。
だが今回は、AH(対人戦闘)で、しかも『敵』は、2人の少佐にとっては、最も親しい同期の期友だ。 北満州、華北、地中海、ドーヴァー。 何度、共に死線を潜った事か。

『―――ドラゴン・リーダーよりゲイヴォルグ・ワン! 大隊長、状況は・・・!』

『―――ハリーホーク・リーダーです! 大隊長、どう言うこってす!?』

『―――クリスタル・リーダーより、ゲイヴォルグ・ワン! 大隊長、部下の動揺が・・・!』

部下の中隊長たちから、しきりに応答の確認通信が入っている。 彼らは何も知らされていなかった。 中隊の部下を叱咤し、戦闘隊形を維持しつつ、彼ら自身も事実を知りたいのだ。

「・・・“ゲイヴォルグ・ワン”より“ゲイヴォルグ”全機・・・」

畜生、どうしてこうなった? どこで道が分かれてしまった? 貴様は何を望んで・・・内心の葛藤を仕舞い込んで、指揮官機―――周防少佐から、大隊全機に命令が飛んだ。

「―――敵は、第1師団。 基地攻撃部隊は、第3戦術機甲連隊。 これより攻撃に入る! IFF、Mode 4 からMode Sに切り替え!」

これにより、2個大隊のIFFは暗号化された質問信号とは別途に、識別信号を設定して個別の戦術機のみから応答を引き出す事になる。
つまり、『味方』だけを認識し、『敵』戦術機を判別する―――BETA大戦下で、まさかこのモードを戦場で使用しようとは。

80機の戦術機が、跳躍ユニットの轟音を響かせ、『敵』を誘導弾の射程内に収めたのは、それから3分20秒後の事であった。





『―――ッ! ベクター0-4-5より、熱源飛翔体、高速接近! 誘導弾です!』

小型種BETAの制圧・掃討にもっぱら使用される、対空自走砲―――87式自走高射機関砲が1輛、36mm砲弾を上面装甲に受け、一瞬後に爆散した。
燃え盛る松戸基地の、戦術機発進路の中ほどで、久賀少佐は部下の報告を聞いた。 周囲はかなり大規模な火災が発生している。 戦術機ハンガー、発電施設、燃料タンク・・・

「・・・奇襲開始から、約6分40秒で本格的な反撃開始か。 早いな、流石は即応部隊」

同時に、発進路周辺の部下の全機に、緊急乱数回避を命じる。 戦術機の誘導弾はASM(空対地ミサイル)であり、SAM(地対空・艦対空ミサイル)の様な迎撃能力は無い。
回避命令と同時に、自分も乱数回避を行いながら、誘導弾が飛来した方向を確認する。 網膜スクリーンに映るFCI(兵力統制情報)によるCTP(共通戦術状況図)は不十分だ。

「・・・通信傍受では、151と152・・・周防と長門か」

厄介だ。 出来る事なら、連中をファースト・ストライクで叩いておきたかった。 偶然か、必然か。 どうやら連中、事前発進をしていたようだ。 情報が漏れたか?

「いや・・・だったら、連中じゃなく、憲兵隊に踏み込まれているか・・・」

つまり、向こうにとっては辛うじて『保険』が間に合ったと言ったところか。 だが2個大隊、こちらの70%弱の戦力―――そうか、奇襲は成功したわけだ。

『―――第1中隊、誘導弾攻撃、1機被弾、爆散!』

『第2中隊、1機大破! 1機中破!』

『第3中隊です! 1機中破、行動不能!』

やってくれる―――中破した機体は、使い物にならない。 一気に4機を失った。 

「―――第2大隊より第1、第3大隊! 目的は達成した、長居は無用!」

『第3大隊より、第2大隊! 即応部隊を迎撃すべき!』

「第3大隊! 第2大隊だ。 ここで消耗すべきでない、連中は精鋭だ。 勝利しても、甚大は損害をこちらも受ける。 事の成就の為、それは許されない」

下手をすると周防か長門か、どちらかの相手をしている間に、残りの第1と第3が壊滅される危険性もある―――久賀少佐の本心は、そうだ。
第1師団の練度は高いが、実戦の駆け引きの経験は雲泥の差がある。 第15師団は全帝国軍中、最も戦場経験の多い指揮官たちに率いられた、紛れもない最精鋭部隊のひとつだ。

「敵戦術機部隊の突入まで、あと15秒! 離脱する!」

連中は実戦経験が豊富だ、つまり負け戦慣れしている。 緒戦の不利を、どう挽回すればいいか、己の命を授業料に散々学んできている連中だ。

「第3、第1大隊、緊急離脱! 第2大隊全機、全力射撃開始! 防御火網を作れ!」

2個大隊の戦術機群が、次々と跳躍ユニットを吹かして離脱を始める。 同時に殿部隊の久賀少佐の大隊が、全機で突撃砲の36mm砲を戦力射撃し、防御火網を夜空に撃ち上げる。
だがその戦術も、猛追してくる2個大隊の指揮官は織り込み済だったのだろう。 見事な夜間編隊飛行を解くや、80機ほどの『敵』戦術機部隊は複数の梯団―――中隊に分かれた。

「ちっ! 躾が行き届いているなぁ! 周防! 長門!」

即座に不利と判断した久賀少佐は、自分の指揮する大隊にも緊急離脱を命じた。 中隊単位で、背部兵装担架に搭載した予備の突撃砲を後方に向けて発射しながら、離脱する。

『くっ・・・! 被弾! 落ちるっ!』

『4番機! デッドシックス!』

『振り返るな! 全力で離脱しろ!』

つい先ほどまで、奇襲による圧倒的な優位を保っていた攻撃側が、一転して背後から狩られる立場になる。 それでも中隊陣形を崩さず、相互支援を保っての離脱は、1師団ゆえか。

「そろそろっ・・・こっちも離脱かっ!」

目前に迫った2機の戦術機の連携攻撃を躱しながら、同時に部下の脱出を見届けた久賀少佐は、いよいよ最後に自分と指揮小隊の離脱を決意する。
周りは『敵』―――第15師団の戦術機が押し寄せつつある。 このままでは包囲殲滅されるだけ。 そう判断し、部下の指揮小隊長に離脱命令を・・・

『だっ、大隊長!』

不意に右前方―――指揮小隊の4番機が爆散した。 まだ18歳の、衛士訓練校を4月に卒業した若者だった。 爆炎の向こうから、3機の戦術機・・・不知火が現れた。

「トライアングルを組め! 強行突破だ!」

『―――させません!』

通信回線の混線か。 相手部隊の指揮官の様だ、まだ若い女の声。

『萱場! 宇嶋! 左の2機を牽制! 機動を止めるな!』

その不知火―――肩部に細い白線が1本、小隊長機だ―――が、地表面噴射滑走で小刻みに進路を変えつつ、高速で迫ってくる。 突撃砲は乱射せず、1回の射撃時間は長くて2秒。

「・・・良い腕だ」

本当に良い腕だ。 状況の判断も良い、戦場で随分と揉まれたのだろう。 だが・・・

「惜しいな、惜しい」

まだまだ、自分を撃破できる腕ではない。 敵の突撃を、噴射パドルの極短時間逆噴射と電磁伸縮炭素帯の絶妙な衝撃吸収で、あっさり躱して体勢を入れ替えた。 
交差の瞬間、突撃砲を放った。 だが敵衛士も、戦場で揉まれた衛士ならでは。 咄嗟にショート・ブーストを仕掛けて離脱を図ったが・・・

『くっ! があぁ!』

『小隊長!』

小隊長機の片脚を突撃砲の砲弾が撃ち抜き、パワーバランスを崩した一瞬だけ機体がよろめく。 目の前のそんな隙を逃すほど甘くはない、これで撃破だ―――視界に影がよぎった。

「―――ッ! くそっ、貴様かっ!」

『―――俺の部下を、殺すなよっ!』

衝突寸前まで接近し、36mm砲弾より大口径の57mm砲弾を叩き込んだ機体。 咄嗟にショート・ブーストで距離を取る。 肩部に太線1本と細線1本―――大隊旗機、大隊長だ。
2機の戦術機が、激突寸前で交差した。 そのままもつれ合うように、高速機動を行いながら飛び去って行く。 お互いに付かず離れず、危険な程の近接距離交戦。

「周防、かっ!」

『久賀っ!』

その距離を保ちながら高難易度の『ダンス』を行って、互いに突撃砲を射撃し、遮蔽物をギリギリで抜け、跳躍し、反転し、射撃し、交わす。 その間距離が開かない。

「俺は、部下を殺されたぞ!」

『久賀! 貴様、ルビコンを渡ったのだろう!? 今更、言うなっ!』

水平噴射跳躍から一気に逆噴射制動、互いの突撃砲(周防少佐機のそれは、近接制圧砲だった)が被弾する。 即座に投げ捨て、背部兵装担架の長刀を取り出す。
サイドステップで機体を回転させた、その慣性力を利した長刀での斬撃、受け止められる。 返す刀での強烈な突きを、咄嗟の垂直軸反転で交す。
そのまま短噴射跳躍、そして逆制動、同時に片肺をカット。 機体制御の慣性力を利して機体を捻り込み、瞬時に相手の背後を取るも駄目、相手も驚異的な垂直軸反転で迫りくる。

『萱場! 北里(北里彩弓中尉、大隊指揮小隊長)を確保しろ! そのまま後退!』

『了解です! 宇嶋! 牽制射撃!』

一瞬、2機の動きが止まった。 と同時に互いが強烈な踏み込みで相手に迫る。 久賀少佐機はそのまま、1本の刀身の如く上段から猛速の斬り下ろしを。
周防少佐機は更に噴式補助主機を短噴射して、後脚のタメを一気に解放しての強烈な突きを入れる―――交差するほんの一瞬前、直前で2機が離れた。 曳光弾が擦過する。

『大隊長! 離脱を!』

久賀少佐の部下の1機が、2人の少佐の戦闘に待ったをかけた。 今は決着をつける時ではない。 久賀少佐は『蹶起部隊』の先任戦闘指揮官として、必要な存在なのだ。

「高殿(高殿大尉)か!? ちっ! 引くぞ!」

跳躍ユニットを吹かす。 どうやら相手は追撃して来ないようだ。 部下の大半は離脱した、そして向こうも僚機が損傷している。 そして自分たちの決着は、そう短時間ではつかない。

『追うな! 周辺警戒! 損害を報告しろ!』

後方に遠ざかる機体、かつての、いや、今でも親しい友人の搭乗する機体から、妙に懐かしく感じる声が聞こえた。 
懐かしいと感じる事に、一抹の寂寥感を感じながら、久賀少佐は機体を離脱させた。 もう、あの声を聞く事は無いだろうと思いながら。









2001年12月5日 0225 日本帝国 帝都・東京 大手町・国家憲兵隊司令部


「・・・確かか?」

「はっ! 軍用無線傍受です。 発信は第15師団。 第1師団は応答せず」

部下の報告に、国家憲兵隊副司令官・右近充陸軍大将は内心で臍を噛んだ。 『完璧』などこの世に存在しない。 だがそれにより近づけさせることは出来る。
つまり―――初手は失敗したのだ。 完全に先手を打たれた。 『対応部隊』の筆頭に予定していた、帝都周辺の最有力即応部隊を潰されたか・・・
恐らく、帝都の中心部へは第1師団の歩兵部隊、そしてそれに呼応する一部部隊が殺到しつつあるだろう。 目標は多岐にわたるが、第1目標は・・・

「―――首相官邸は?」

「警視庁のSPが1小隊。 武装憲兵隊の警護部隊が1個中隊です」

無理だな。 少しばかりの抵抗は可能だが、いずれ殲滅されてしまう。

「・・・官邸の地下脱出路は?」

「無理です。 官邸警護中隊より通信がありました。 第1師団歩兵第1連隊の2個大隊が重包囲中です」

首相は・・・無理だ、諦める。 となると、次に為す事は・・・

「大貫司令官(大貫源次郎陸軍大将、国家憲兵隊総司令官)は、ご自宅だな?」

「はっ! 警護小隊には連絡済です、脱出成功の成否は・・・」

「司令官の御運に任せる。 おい―――逃げるぞ」

希代の諜報屋に、『逃走』と言う言葉は忌避感が全くない。 国家憲兵隊、特に特務工作・諜報に携わる者たちは、一般の軍人とは思考が異なる。
時には汚く卑怯ともいえる諜報活動を行う事を、平然と受け入れる。 二重・三重スパイとなって相手を撹乱するなど、あくまでも任務を遂行すべきよう教育されている。
そんな彼らにとって『戦場での見事な戦死』は、最も忌むべき、最も愚かしい結果に過ぎない。 ここでクーデター部隊を迎え撃っても、何の糧も得る事は無いのだから。

右近充大将と彼の腹心たちは、国家憲兵隊庁舎地下から、憲兵隊内でさえ知る者の殆ど居ないルートを使い、脱出を開始した。









2001年12月5日 0345 日本帝国 帝都・東京 紀尾井町 貴族院議員宿舎


「・・・首相殺害。 国防相、内務相、蔵相も殺害」

臨時の『蹶起軍司令部』とした紀尾井町の貴族院議員宿舎の一室。 衛士強化装備のままの久賀少佐が、『行動結果』の報告を受けていた。 1枚の紙に記された結果。

「外相に、他の閣僚は辛うじて脱出に成功・・・GISIG(国家憲兵隊特殊介入部隊)が動いたのか・・・」

他に、帝都周辺の有力部隊だった立川基地の第12師団が、奇襲を受けて稼働戦術機の55%を破壊された。 第1目標の第15師団も、稼働戦術機の40%を破壊されている。

以降の時系列である。

0350 国会議事堂、国営放送局占拠。 警視庁急襲・特別高等公安警察急襲、交戦となる。
0312 本土防衛軍司令部、相馬原基地の第14師団へ『有事緊急出撃』下命。
0315 江戸川の第3師団、水師準備。
0318 国家憲兵隊襲撃。 交戦となる。
0333 市ヶ谷の国防省、統帥幕僚本部、本土防衛軍司令部襲撃。 交戦となる。

既に第14師団が完全に『敵』に回った。 佐渡島奪回の最重要・最重点部隊に指定されている、アジア最強級の重戦術機甲師団が。
その他にも第3師団が水師準備を開始―――敵対姿勢を見せている。 乙部隊とは言え、第14師団と連携された場合、北と東に有力な相手を背負う事となる。

「12師団は早くて今夜だ。 14師団も先発の1個連隊は昼過ぎには松戸に入るが、主力は夜に入ってからだな。
だが、一部の即応軽歩兵部隊は既に応答し始めている・・・市街戦で怖いのは、むしろこっちの方だ。 戦術機部隊など、市街戦では歩兵の的にしかならない」

「と、言う事は・・・」

「我々に残された時間は、楽しいほど短い、そう言う事だ。 おい、高殿。 沙霧(沙霧尚哉大尉)は?」

「乃木坂に」

「乃木坂? あそこに戦術機部隊を連れて行っても、仕方なかろう?」

「第1偵察隊が同行しています。 洞院伯爵家があります」

その言葉に、久賀少佐の顔から一瞬、表情が消えた。 

「・・・武家の支持など、糞の役にも立たん。 城代省は統制派寄りで固まっている」

「情報省の、『あの男』によれば・・・」

「戦力を分断される。 沙霧は見境なく、将軍を追うだろう。 目標が分散されるのは、作戦上好ましくない」

―――摺合わせが必要だ、それも大至急。 

久賀少佐には、早くも計画の瓦解が始まったと見えた。









2001年12月5日 0410 日本帝国 帝都・東京 市ヶ谷 国防省庁舎D棟


「少佐殿ッ! 突入部隊がッ!」

「怯むな! 防げッ!―――撃てッ!」

M3A1・11.4mm短機関銃、81式小銃が火を噴く。 少数の91式騎兵銃(カービン)も。 だが、『敵』が身を隠すコンクリート壁に阻まれる。

「・・・くそ、威力が足りないか・・・!」

指揮官用のM9・9mm機関拳銃の銃把を握りながら、国防省機甲本部の部員である綾森祥子少佐は、臨時編成の『部下(実際は本部附の下士官たち)』を指揮しながら呟いた。
国防省が『正体不明の』武装勢力に襲われてから、約40分が経った。 今では第1師団が中心となった、クーデター部隊だとわかっている。 判っているが・・・

「所詮、軍政や軍令組織・・・実戦部隊じゃ、ないんだからッ・・・!」

国防省も統帥幕僚本部も、そして本土防衛軍司令部も、軍政や軍令組織であり、実働部隊ではない。 中には多くの勅任・判任文官や、軍属などの職員も多い。
少しだけ顔を出した『敵』に向けて、M9の9mmパラをお見舞いする―――外れた。 彼女が銃を握って白兵戦をするのは、9年前の大連での『事件』以来だった。

「祥子! E棟は完全に制圧されたわッ! A棟への通路、階下でも交戦中!」

向こうで近距離通信傍受をしていた、同期生の三瀬麻衣子少佐―――兵器行政本部・第1開発局第2造兵部員―――が、焦燥感を滲ませた表情で叫ぶ。

「何とかして、薬王寺門(反対側のB棟脇)か、厚生棟裏まで行かないと・・・ッ!」

三瀬少佐の視線の先には、胸部に被弾して、大量の出血跡を残す河惣巽大佐が、フロアの床に横たわっていた。 応急処置と医療ジェルは付けているが、弾丸が体内に残ったままだ。
兵器行政本部・第1開発局第2造兵部長の河惣大佐は、『クーデター部隊』の投降説得を拒否。 その際のやり取りで激昂した若い少尉に、拳銃で撃たれた。

「はっ・・・はっ・・・はっ・・・わ、私に・・・構うな。 貴様たちだけ・・・で、行け・・・」

息苦しそうに、顔色を土色に変え乍らも、気丈にそう言う河惣大佐。 そう、彼女を置いていけば・・・もしかすれば、A棟への通路進出を拒んでいる敵小隊を・・・

「きゅ・・・92年の・・・北満州・・・き、貴様らに、助けられなければ・・・ごほっ! ごほっ! な、無かった、この命だ・・・!」

92年の北満州。 帝国陸軍大陸派遣軍。 92式戦術歩行戦闘機『疾風』の採用試験。 河惣大佐(当時少佐)はそこで、BETAに食い殺される運命から救われた。

「大佐っ! 今は、そんな昔話は、後です! 佐川軍曹! 1班率いて、前方の通路を確保しろ!」

「ここを脱出して・・・『友軍』に合流してから・・・いくらでも聞きますわっ! 右だ! 牽制しろ!」

突入を敢行しようとする、クーデター部隊の1個中隊。 それを辛うじて阻止している、綾森少佐と三瀬少佐の指揮する、臨時編成小隊。

「少佐殿ッ! 三瀬少佐殿ッ! A棟連絡通路下、半分が制圧された模様ッ!」

「綾森少佐殿ッ! 外部から新たな部隊が侵入してきましたッ!」

綾森少佐と、三瀬少佐が顔を見合わせる―――兎に角、一刻も早くA棟へ。 辛うじて脱出路が確保されている、本部棟へ。

「和気軍曹! 1班連れて続けッ! 突破口を開くッ!」

綾森少佐が、比較的重武装の(とは言え、武装は精々自動小銃の)1個班を率いて前面に出る。 先行させた1個班が、前方の通路を確保している。
あそこから、階下からの攻撃を避けつつ、何とかしてA棟へ・・・! 様々な銃弾が、建物内で飛び交う。 階上と階下―――エントランスの上下でも。

「麻衣子! ここで援護する! 大佐を先に!」

M9を階下に向けて乱射しながら、綾森少佐が叫ぶ。 向こうから先行させた1個班も、援護射撃を行い始めた。

「お願い、祥子! 三輪伍長! 谷本伍長! 大佐を! 残りは壁になれ! 行くぞ!」

2人の下士官が、重傷の河惣大佐を両脇から支え、必死に駆け出す。 その側面を4人の下士官と三瀬少佐が守り、銃を乱射しながら可能な限りの速さで駆け抜ける。

「ぐあっ!」

「佐藤! 佐藤!」

「よせ、前原! 奴は死んだ!」

「走れ! 走れ!」

交錯する銃弾。 やがて河惣大佐を守っていた三瀬少佐は、6人の『部下』のうち、1人を喪いながらも、辛うじて先行班に合流する。
それを見た綾森少佐は、少しだけ光明が見えた気がした。 あの場所からA棟への通路は直ぐだ。 未だクーデター部隊は到達していないはず・・・

「よし、最後は我々だ。 和気軍曹、先頭を切れ。 殿は私がやる」

綾森少佐のその言葉に、いかにも古参の下士官、と言った巌の様な顔つきの和気軍曹がチラッと少佐を見てから、中腰のまま背筋を伸ばして言う。

「・・・指揮官率先。 誠に敬意を払うべき、ですが・・・ここは少佐殿、貴女に生き残って頂かねばなりません。 おい、柘植伍長。 貴様、少し運動せんか?」

「うっす」

「先頭を切れ。 殿は俺がする―――少佐殿、貴女は柘植伍長の後を」

「・・・和気軍曹、戦場で会っていれば、心強かっただろう。 柘植伍長、貴様も―――いや、ココも戦場か。 頼む」

「光栄であります、少佐殿」

そう言うや、柘植伍長―――まだ、20歳くらいの若者―――が、81式自動小銃を階下に向け、射撃しようとしたその瞬間。

「ッ! 後ろッ!」

「伏せろッ! 軽機!」

「盾になれッ!」

先行班の悲鳴の様な声と同時に、途端に鳴り響くM249・ミニミ軽機関銃の軽快な発射音。 5.56mm NATO弾が、背後を取られて無防備になっていた先行班に降り注ぐ。

「ぐはっ!」

「くそっ・・・やめろっ・・・ぎゅふっ!」

「くそっ、くそっ・・・!」

どうやって、後背に―――そこまで意識を取り戻した綾森少佐の視界の隅に、有り合わせの障害物を積み上げて、階下からよじ登ってくる歩兵部隊の姿が見えた。 流石は本職。
エントランス通路を挟んで、残った綾森少佐率いる殿の1個班は、目前の光景を呆然と見つめていた。 通路の向こうで、次々と被弾し、血を吹きながら倒れる『戦友』達。

「あ・・・あ・・・」

M9・9mm機関拳銃を放っていた三瀬少佐の額から、ぽっと赤い液体が出た。 次の瞬間、彼女の後頭部が爆発するように弾け、糸が切れたように、ゆっくりと倒れて動かなくなった。

「ああ・・・うあ・・・」

重傷を負い、身動きの取れない河惣大佐の全身に、無情に降り注ぐ5.56mm弾の雨。 ビクン、ビクンと痙攣する様に体を跳ね上げている―――既に絶命していた。

「う・・・あ・・・くあああああっ!!」

絶叫と共に、M9・9mm機関拳銃を、階下に向けて乱射する綾森少佐。 即座に応戦するクーデター部隊の歩兵たち。

「ぐうっ!」

「少佐殿っ! 柘植! 少佐殿を引きずり倒せ! 的になる!」

「くそっ・・・くそっ・・・くそおぉ!!」

「少佐殿! 綾森少佐殿! 駄目です、的になるだけだっ!」

「放せっ! 放せっ! 殺すっ! 殺してやるっ!」

「駄目です、少佐殿っ! 出血していますっ! おい! 2人手伝え!」

柘植伍長と、2人の兵長が3人がかりで激昂する綾森少佐を引き摺り倒し、床に抑え込む。 跳弾が掠ったか破片か、少佐の左上腕が切り裂かれ、出血している。
一人が最後に残った医療パックから、応急治療ジェルを取り出し、暴れる少佐の体を押さえつけながら貼り付ける。 

「おいっ! 聞こえているだろう!? 投降する! 負傷者が居る、衛生兵を!」

「軍曹っ!」

「少佐殿っ! 限界でありますっ! それに・・・河惣大佐殿や、三瀬少佐殿を、あのままに?」

「ッ!」

3人の若い下士官兵に抑えられた綾森少佐の体が、一瞬だけビクンと震えた。 次の瞬間、完全に脱力する。 そして押さえ付けられた下から、呻くような声で和気軍曹に指示する。

「・・・和気軍曹、総員の武装を解除・・・投降する」

「はっ!」

やがて、突入部隊の指揮官らしき若い中尉が、姿を見せた。 綾森少佐の階級章を見て、背筋を伸ばして敬礼する。 そして通路の向こう側を見て・・・

「・・・河惣大佐殿を撃った事は、完全に当方の非であります、少佐殿。 当の少尉は、拘束しております。 あれが無ければ・・・」

こちら側も、ここまで過激な抵抗はしなかっただろう。 『天誅』? あの若い少尉は、そう叫びながら大佐を撃った。 河惣大佐は『天誅』など、下される様な方ではなかった。

「・・・河惣大佐、三瀬少佐、それに・・・『戦死』した下士官兵たちの最後の名誉は、守れ・・・良いな、中尉?」

「無論であります、少佐殿―――貴女は我々の捕虜です」

それだけを言うのに、その中尉指揮官はありったけの勇気を振り絞らねばならなかった。 何故なら、一般論として美女と称される程には整った顔立ちの少佐は・・・

「忘れるな、中尉―――最後に銃殺隊の前に立っているのは、貴様たちだと言う事を」

物理的な圧力さえ感じる程、それは『戦場』で生死をかけて戦い抜いて来た者が持つ、圧倒的な威圧感だった。




2001年12月5日 0435時 国防省・統帥幕僚本部、クーデター部隊により占拠される。






[20952] クーデター編 騒擾 2話
Name: samiurai◆b1983cf3 ID:6aaeacb9
Date: 2014/02/15 22:44
2001年12月5日 0445 日本帝国 帝都・東京 麻布


「―――閣下、お電話です」

「・・・ん」

夜半過ぎ、副官に起こされた軍事参議官・間崎勝次郎帝国陸軍大将は、受け取った受話器を耳にし・・・初老の域に入りかけた顔を、少しだけ紅潮させた。

「うむ・・・うむ、そうか・・・うむ。 判った」

簡単に話を終わらせるや、間崎大将は次の間に控える副官に、囁くような声で指示を出した。

「車の準備を、乃木坂だ。 後で後楽園にも伺う」

「はっ!」

軍服を着込みつつ、間崎大将は内心の衝動を抑えるのに、苦労を感じていた。 決して全てが、我欲での行動と言う訳ではない。 その自負はある。
しかし同時に、この動乱の時代に国家の舵を取る自信も、彼には有った―――あくまで主観でだが。 そしてその瞬間が近づいている事への昂揚感。

まずは乃木坂だ。 斑鳩家譜代重臣にして家宰・城内省高官である洞院伯爵。 まずこの男を完全に抑えねばならない。 その後で後楽園―――斑鳩公爵家だ。











2001年12月5日 0502 日本帝国 千葉県・陸軍松戸基地 


『―――私は帝国本土防衛軍、帝都守備第一戦術機甲連隊所属、沙霧尚哉大尉・・・』

壊滅を免れた松戸基地内の偕行社(陸軍将校の集会所・社交場(将校クラブ)で、大隊長クラスの指揮官たちが、復旧処理の合間を縫って一息ついていた。
TVの国営放送から流れるその画面に、好意的な視線を投げる者は一人もいない。 中には視線だけで射殺せるかの様な、物騒な視線を投げかける者もいる。

「・・・大尉風情の若造が。 知った風な口で、己の馬鹿さ加減を糊塗するか?」

「・・・難民の救済を唱え、政治の改革を叫ばんとするならば、まず軍服を脱ぎ、しかる後に行え。 軍服を着ている限り、行う事ではないのだ」

吐き捨てるようにそう言うのは、第15師団・第151機甲大隊長の森永忠彦中佐。 苦々しげに言うのは第151機動歩兵大隊長の奥瀬航中佐だ。 
彼らの部下が何名か、攻撃に巻き込まれて死亡している。 その私情の部分を差し置いてもなお、2人の中佐の目にTV画面の若い大尉は、度し難い孺子に映る。

「首相殺害。 国防相、内務相、蔵相もか・・・若い連中にしては、頭が回る。 六相会議の面子の中で、残るは軍需相と外相の2人だけだ。
一時的にせよ、『国家防衛企画委員会(実質的な国家戦略策定組織)』が麻痺してしまうぞ、これは・・・そうか、そうなれば・・・」

「今までは形式上だった、征威大将軍が主催する『大本営』 これが事実上の国家意思決定機関になる。 今までは『国家防衛企画委員会』が『大本営』を骨抜きにしていたからな」

第152機甲大隊長の篠原恭輔少佐の言葉を、第153機械化歩兵装甲大隊長の高谷清次少佐が継いで答えた。 
そう、これで国家の意思決定は『大本営』に(一時的にせよ)移る―――そう思われた。 軍の中堅幹部とは言え、彼らは野戦将校。 
権謀術数を目の当たりにする政治好きの参謀将校ではない。 彼らでなければ―――参謀本部あたりの参謀将校なら、違った見方をしたかもしれない。

『国家防衛企画委員会』―――国防省、軍需省、内務省、大蔵省、外務省、この5省の事務次官級・局長級の高級官僚群が主催する、国家防衛政策策定組織。
帝国の形式の上では『大本営』の下部に位置し、その企画案を持って大本営を補佐する。 大本営(征威大将軍)はその決定権を持って、皇主(皇帝)に統帥権補佐と助言を行う。
これが日本帝国の『形式的な』統治機構。 大本営は統帥権補佐と助言の他、征威大将軍より内閣・六相会議(首相、国防相、蔵相、軍需省、内務相、外相)に国家政策方針を下命する。

しかし長らくの間、国家防衛企画委員会は『六相会議』の下部に位置してきた。 実質的に『六相』が指揮する各省庁の調整の場であり、国家戦略企画の場なのだ。
大本営に参加する『元枢府(五摂家府)』の掣肘を受けるなど、もっての外。 内閣を組織する政治家達もまた、征威大将軍・元枢府(五摂家)の意向など、全く無視してきた。

日本帝国内の現実政治の強烈な現状が、それを許してきた。 大政奉還直後の近代の幕開けの時代ならばともかく、既に大正から昭和初期にかけて経験したデモクラシー。
極一部の日本人を除き、大半の国民は第2次世界大戦前、そして戦後に、議会民主主義の波を経験している。 征威大将軍・元枢府の意向無視は、或は国民の暗黙の了解なのだ。

「ふん・・・『民の意志と、殿下の意向を蔑ろにする、君側の奸』か? なるほど、確かに首相は国内難民優先政策を回避し、国防政策と、それに付随する外交政策を優先させた。
その結果、未だ国内に難民キャンプは存在する。 食料や医薬品の配給も、必ずしも十分とは言えん。 が、餓死するほど酷くない。 病気の手当を受けられず、死ぬ程でもない」

師団主計課長の渡辺一穂主計少佐が、苦々しげに言う。 彼は何年か海外公館での外交任務に就いていた経験がある。 主に英国と北アフリカ諸国だ。

「前線国家は、どこも同じようなものだ。 ロンドン北部郊外の違法難民キャンプへ行ってみろ、日に数十人規模で餓死者や病死者の死体が、無造作に投げ捨てられている」

何人かの佐官が、同意を示して頷く。 いずれも海外勤務経験を有する、20代後半から30代半ばの、士官学校や各種専科軍学校を卒業して10年から14、5年を経たベテラン達だ。

「ふん、『殿下の意向を蔑ろに』か・・・あれか? 佐渡島や鉄原からの、BETAの飽和上陸侵攻防衛よりも、『憐れな民たちの保護を』と言うやつか?」

「日米安保の再交渉にも、難色を示していたと聞くな。 絶対反対と言う訳ではないようだが。 いずれにせよ理想で飯は食えんし、腹も膨れん。 綺麗事で生き延びる事も出来ない」

最前線の野戦将校、それも経験を積み、多くの部下達を従える佐官級の将校故に、視点が国家防衛に偏る事は否めない。 が、それを差し引いても、彼らの言葉は『現実』だった。

「それよりもだ。 この先どうなる? 一部の跳ね返りとは言え、立派に『クーデター』だ。 しかも政府首班を始めとして、複数の閣僚を殺害。
しかもどうやら、帝都の一部を占拠している様だ・・・どう贔屓目に見ても、陸軍刑法の『反乱罪』、『軍用物損壊罪』、『違令罪』・・・」

「それだけじゃない、一般刑法でも治安維持法の『内乱罪』が適用されるぞ。 首謀者は問答無用で死刑。 謀議参与者・衆指揮者、職務従事者も・・・」

「謀議参与・衆指揮者でも、反乱罪で『死刑、無期、若しくは5年以上の懲役または禁錮』、内乱罪で『無期又は3年以上の禁錮』・・・併せれば最低でも無期。 たぶん死刑だ。
他の係わった者さえ、反乱罪で『3年以上の有期の懲役または禁錮』、内乱罪で『1年以上10年以下の禁錮』 二つとも適用だろうな、15年は食らうだろう、下手すれば無期刑だ」

「それも軍籍・階級ともに剥奪されてだ。 この先の一生涯、恩給も年金も受け取れない。 軍を放り出されて、『地方(民間の事)』でそんな『曰く付き』は、雇ってもらえんだろう」

「本人だけじゃないだろう。 家族親類が存命の場合、もっと悲惨だ。 恐らく、どこの自治会も、反乱者や内乱者の身内を受け入れはすまいよ。
行き着く先は、違法難民キャンプで、死ぬまで泥を啜って生きるしか・・・クーデター参加者の全員が、全くの天涯孤独、身寄りが居ない訳であるまい」

「若気の至り・・・にしては、事が大き過ぎるな。 一時の正義感や悲壮感だけで事を起こすからだ。 それも、自分勝手な思い込みの・・・と言うのは、些か酷か・・・」

彼らにしてみれば、若い将校団の起こした今回の騒擾。 許す気も無ければ、許される事でないと理解もしている。 しかし、同時に思う。
余りに視野の狭すぎる若者たちの危うい純粋さが、残念でならなかった。 BETAとの存亡をかけた戦いしか、教えられなかった若い世代。
この場に居る佐官達も未だ、20代後半から30代半ばの、世間一般ではまだ『若造』から、ようやく脱皮しかかった、或はようやく脱皮した年代に過ぎない。
だが彼らはまだ、日本帝国にとって対BETA戦争が『対岸の(大陸での)戦争』だった頃に『普通の』学校教育を受け、そして軍務に就いた最後の世代でもあった。

1996年の男性徴兵対象年齢の更なる引下げを含む、修正法案可決。 1997年の中国政府の全面撤退(大陸放棄) 1998年の朝鮮半島失陥と、BETA本土上陸。
この辺りで軍に入る前の学校教育を受けていた世代の若者たちは、最早『愛国』と『護国』、この2本柱の教育しか受けて来なかった―――それしか教えられなかった。
今で言えば18歳から21歳、士官学校や各専科学校卒業生で言えば、中尉、少尉の年代の若者達だ。 気難しい表情の佐官達は、その辺りに少しばかりの罪悪感を感じている。

「・・・それもこれも、クーデター騒ぎが鎮圧されてからだ。 差しあたっては・・・正規の命令系統の確立はどうなっているのか、だな」

「今現在の情報では、東部軍管区(関東地方を管轄区域とし、軍管区内の軍隊を指揮・統率)の管区予備から独混(独立混成旅団)が2個、東関東から急派されたと聞いたが・・・」

「相手は第1師団だ。 独混2個程度じゃ、見張り役にしかならん・・・それより戒厳司令部は設置されるのか? このまま東部軍管区司令部が兼任・・・?」

「まさか。 第1師団はそもそも、東部軍管区だ。 反乱部隊を出した東部軍管区司令部は、云わば大きな失点を出した。 そこに戒厳司令部を任せるなど有り得ない」

「なら、軍事参事官の誰かが、か?」

「有り得るな。 大将クラスの参事官で、誰かが勅任されるかもしれないな」

以外に平静な奥瀬中佐、森永中佐、篠原少佐、高谷少佐、渡辺主計少佐。 いずれも内心に不安を抱えている。 が、それを表に出さないだけの分別もまた、持ち合わる年代でもある。


「・・・『このまま進むは亡国、留まるも亡国、ならば改変せよ』 結局、それが亡国への最短距離だ。 それを判っているのか、いないのか・・・」

「判っていないのなら、只の悲劇的英雄願望の馬鹿者だ。 判っているなら・・・どこかの誰かが用意した舞台の上で、必死に踊る道化に過ぎん―――ハンガーに行ってくる」

ポツリと呟いた第152戦術機甲大隊長の長門圭介少佐の言葉に、不機嫌な表情の第151戦術機甲大隊長の周防直衛少佐が、吐き捨てるように言って席を立った。
長年の戦友・僚友であり、親友である周防少佐の後姿を見ながら、長門少佐は少しだけ苦笑気味になった。 そしてTVで『冷静な熱弁』を振う若い大尉を、意識の外に追いやった。





ハンガーへと向かう路上、周防少佐は内心の不機嫌さを押し留めるのに苦労していた。 忌々しいのは、クーデター部隊に対してだけではなかった。

(・・・『軍事社会学における「政軍関係」、それに関するハンチントンの学説と、対するパールマターの学説、ファイナーの研究の比較』か・・・
コーエン教授、どうやら貴方の授業の論議は、正しかったようです・・・今更では、どうしようもありませんがね! くそっ!)

もう6年半以上も昔の話。 まだ自分が帝国軍から国連軍へ出向していた頃の話。 下級士官教育課程で短期留学したニューヨーク大学(NYU)での講義の一幕。
ハンチントンの説に立脚する事に反対する、パールマター説の軍の未成熟さ、将校団の社会的責任の意識も薄さ。 フォイナー説の将校団の社会的責任への無責任さ!

軍と、軍の将校団が専門知識、社会責任、そして団体性を備える事で成立する職業主義は、軍事的安全保障を効率的に達成する事を可能にするとの、ハンチントン説。
それだけでなく、軍が政治的主体となる事を防ぐものであると言う。 ならば―――ならば、今のこの状況をどう説明するのだ!
日本帝国軍は、パールマターの言う衛兵主義・・・いや、団体性が無い革命的軍人の類型だったと言うのか! 何時でも軍による政治介入を許す状態だったと!

(まさかな・・・まさかな、貴様がそれを志向していたとは。 首を洗って待っておけ。 もしその通りならば・・・貴様を殺さにゃならん・・・)










2001年12月5日 0510 日本帝国 千葉県・陸軍松戸基地


「・・・『戦死』は38名。 負傷者81名。 負傷者のうち、軽傷で軍務復帰可能な者は29名、病院搬送者52名です」

師団軍医部長・芝本佳代子軍医中佐の報告に、並み居る師団幹部連が顔を顰めた。 本土、それもホームベースである基地内での戦闘による被害としては大きすぎる。
軍医部長の報告に続き、師団G3( 第3部長(作戦・運用・訓練))の三浦多聞中佐が、報告書片手に幹部連に向け、被害の詳細を報告し始めた。

「人的被害は第15後方支援連隊に集中しました。 丁度、夜間訓練第2陣の発進準備中でした。 第2整備大隊戦術機甲科直接支援隊の死傷者が目立ちます。
死者38名のうちの21名、負傷者81名のうちの49名が、第2整備大隊から出ております。 他に第1整備大隊の通信電子整備隊、通信大隊、施設整備隊などです」

次に師団作戦主任参謀の元長中佐が立ち上がった。 主に戦闘部隊の人的・物的損害についての報告だった。

「・・・衛士の死傷者は、第151が戦死1名、負傷1名。 第152が戦死2名。 第154は府中基地への牽制攻撃の途上で帰投したため、損失無し。
第153、第155、第156の3個戦術機甲大隊は、奇襲攻撃当時は全員がブリーフィング中だったこともあり、死者は無し。 ただし軽傷者が5名・・・」

他に、基地防衛戦闘に参加した部隊の内、87式自走高射機関砲が5輛、完全撃破されている。 機械化装甲歩兵連隊から戦死者3名、負傷者9名。

次いで、最も損害の多かった第15後方支援連隊の連隊長・柏葉清次郎中佐が立ち上がった。 戦術機を始めとする、正面装備の損害報告だ。 誰かが息を飲む音がした。

「・・・戦術機の損害、第151大隊は全損1機、中破2機、小破2機。 第152の2個大隊、全損2機、中破1機、小破3機。 併せて全損3機、中破3機、小破5機」

1個大隊は3個中隊と1個指揮小隊の40機編成。 第151大隊は残数35機、第152大隊は残数34機。 13%から15%の損失を負った。

「第154大隊は損失無し。 但しこの3個大隊はハンガーを半壊された際に、予備機を5~6機失っている。 第151と第152は各5機、第154は6機」

各大隊は定数の他に予備機として12機を保有している。 これで3個大隊の予備機は半減となる。 第151と第152は死傷した衛士の不足を込みで、可動機は大隊定数ギリギリだ。

「次に第153、第155、第156大隊・・・いずれも戦術機をハンガー内で最終チェック中に攻撃を受けた結果、多大な損害となった。
第153大隊は全損・大破16機、中破7機、小破9機。 第155大隊は全損・大破14機、中破8機、小破5機。 第156大隊は全損17機、中破5機、小破6機・・・」

予備機を含め第153大隊は可動機16機。 第155大隊は可動機15機。 第156大隊は可動機14機。 3個大隊で45機、辛うじて定数装備の1個大隊にしかならない、大損害だ。
現在の第15師団戦術機甲戦力は(衛士込み)、第151大隊と第152大隊が各38機、第153大隊が16機、第154大隊は定数の40機、第155大隊は15機、第156大隊が14機。
第154大隊の予備機の残り6機を充当したとしても167機、本来ならば40機定数の6個大隊・240機が常備戦力である第15師団としては、辛うじて7割に達しない。

「・・・戦術機甲戦力は、事実上の『全滅』判定です。 次に戦闘装甲車両ですが、これは87式自走高射機関砲が5輛全損の他、目立った損害は有りません。
戦車、自走砲、装甲戦闘車、装輪装甲車・・・『敵』はもっぱら、移動力・展開能力の高い戦術機を集中して叩いた様です。 次に各施設の損害状況ですが・・・」

そこで連隊長に変わり、第15後方支援連隊施設工兵大隊長を務める、草場信一郎少佐が立ち上がる。 下士官からの叩き上げで、30代半ばで少佐まで上り詰めた男の表情が硬い。

「戦術機整備ハンガー損傷61%、発電機施設損傷53%、燃料タンク損傷44% 整備・工作場損傷35%、通信施設損傷37%、兵站倉庫損傷35%、物資損失31%・・・
事実上、我が松戸基地は『開店休業状態』となっております。 基地機能の仮復旧は75時間後、完全復旧は・・・補給物資の搬入次第です。 順調にいって、約3週間です」

師団長以下、誰も声が出ない。 松戸基地は事実上、『壊滅』されたのだ。 だが―――だが、ここで負傷を押して会議に出ていた第15師団長・竹原季三郎少将が口を開いた。

「・・・A(第1)旅団長、緊急展開に要する時間は?」

「1個旅団ならば2時間以内。 残存する全戦闘兵力ですと、6時間以内」

A(第1)機動旅団長・藤田伊与蔵准将が即座に答える。 A(第1)機動旅団の戦術機戦力は、第151と第154大隊。 辛うじて定数一杯を満たした機動戦力を展開できる。

「R(第3機動旅団)を一時解体し、B(第2機動旅団)に吸収します。 Bの主力戦術機甲戦力を第152とし、第153、第155、第156を予備中隊とします。 荒蒔は頂きます」

第153大隊の残存16機を部下の中隊長に指揮させ、大隊長でありかつ、最先任戦術機甲大隊長の荒蒔中佐を、旅団参謀として引き抜く。 その許可を求めた。
ちらりとB(第2)機動旅団長の名倉幸助大佐に視線を移し、次いで藤田准将に対して頷いた竹原少将。 R(第3)機動旅団長の佐孝俊幸大佐は重傷だ、一時解体も止む無し。

「よし、未だ正規の命令系統は確立されておらんが・・・我々は『東日本全般の脅威に対する即応部隊』だ。 今の現状、放置してはBETA侵攻時の『脅威』となり得る。
A(第1機動旅団)は速やかに出撃、高田馬場から早稲田一帯にかけて展開、周辺を封鎖。 B(第2機動旅団)は支援部隊を連れて、成増(陸軍成増基地・帝都練馬区)だ。
第14師団が動く、受け入れ準備を進めろ。 その後にA(第1機動旅団)と合流、統一指揮は藤田君、君が執れ。 副師団長、君は基地機能の復旧に全力を挙げろ・・・」









2001年12月5日 0515 日本帝国 帝都・東京 皇城


「―――こちらです、閣下」

まだ夜明け前。 帝都が未だ驚愕の衝撃の最中にあるその時、皇城に1台の目立たぬ車が乗り入れていた。 その車から降りた老人が一人、侍従に先導されて皇城内に入る。

「―――他の方々は?」

「はい。 皆様、御参集にて」

「そうか。 お待たせしてしまったかね?」

「―――『万難を排し、参集したる朕が重臣、心強し』 主上(皇帝)の御言葉でございます」

その言葉に無言で頷き、実は意外に質素な(と言うより、質実剛健な)皇城内の赤い絨毯の上を歩きながら、当代の元老の一人、先代崇宰公爵家当主・崇宰義慶は歩を早めた。
やがて一室に通される。 すると室内に先着していた者達―――いずれも老齢で、しかしながら尋常為らざる存在感と威圧感を発している―――が、その姿を認め、目礼した。

「―――御老公、斯様な参集に応じて頂き、恐懼に耐えませぬ」

この場の招集者である、内大臣・石川倉之助が頭を下げる。 彼は士族でもなければ、勿論、摂家に繋がる門流出身の武家貴族でもない。 公家貴族の筋でもなかった。
ましてや閣僚の経験すら無く(有能な官吏では有った)、しかも庶民の出である石川内府であるが、軍部や政党と一定の距離を置く、穏健派で謹厳実直な人柄が皇帝の信頼を得ていた。

「この場に御参集の閣下方には、今後の大方針を早急に纏められ、主上(皇帝)に上奏して頂きたく」

並み居る老人たちは、これまた黙って頷いた。 何度も言うように、只の老人たちではない。 元老・崇宰義慶、松方兵衛、大久保伸吉、岡田藤介。 
更には重臣会議のメンバーである、米内受政、奥村礼次郎、宇垣杢次。 更にはこれも皇帝の信頼篤い、侍従長・鈴木由哲。 そしてこの場の主催者の内大臣・石川倉之助。

松方、大久保、岡田の3名は首相と他の閣僚を歴任し、日本の政界に君臨する元勲達である。 崇宰の老公は、永く元枢府議長を務め上げてきた。
そして米内、奥村、宇垣の3名もまた、過去に首相を務め、また他の閣僚経験もある(米内・宇垣は国防相)『重臣会議』のメンバーだった(他に3名いるが、この時点で安否不明)
国内の政軍官界の頂点にして、宮中良識派の『宮中グループ』を形成する老人達である。 つい数時間前に生起した大事件に接し、皇帝からの諮問に対し上奏する。 その為だ。

「まずは榊首相の死亡。 これは間違いない」

軍部、それも陸軍出身である重臣・宇垣杢次が残念極まる口調で報告する。 未だに軍内部、とりわけ陸軍内部に大きな影響力を有する人物だ。

「こちらでも確認した。 他に高橋君(蔵相)、林君(国防相)、槙島君(内相)もだ」

こちらも、海軍部内に未だ絶大な影響力を有する重臣・米内受政が、もっそりした口調で告げる。 『六相会議』メンバーの内、4人が凶弾に倒れた。

「ではまず、大方針であるが・・・」

元老の大久保伸吉が、他の者達を見回しながら言う。

「後継内閣、暫定内閣は成立させぬ事。 これで宜しいな、方々?」

元老・重臣達が一様に頷く。 日本帝国に於いて『元老』、『重臣』とは、政威大将軍とは違った立場で、皇帝よりの諮問に答えて、上奏する(上奏出来る)立場の者達である。
具体的には、国家の主権者たる皇帝の諮問に答えて、内閣総辞職の際の後継内閣総理大臣の奏薦(大命降下)、開戦・講和・同盟締結等に関する国家の最高意思決定に参与する。
その上奏に対し(形式の上で)皇帝は政威大将軍に対し、勅令を下す。 そして政威大将軍は、自らの帷幕に諮り参議させ(内閣による輔弼=実質的に内閣が政治を行う)公布される。

元老は法制上にその定めは無いが、勅命により元老としての地位を得た者達。 そして重臣は内閣総理大臣経験者から勅命を受けた者と、枢密院議長である。
現在では重臣による『重臣会議』で決議された事項を、『元老会議』で追認し、皇帝に上奏する方法がとられている。

「・・・政威大将軍の親政など、憲法改正なくば、成り立たん。 その手先となり得る者達による後継内閣・臨時内閣の成立は、これを認めぬ」

元老・松方兵衛が重々しく言葉にした。 如何にクーデターを起こそうとも、まずはこの『宮中グループ』を押さえない限り、クーデター部隊の主張は絶対に通らないのだ。

ここに、日本帝国の特殊な政治体制が現れている。 日本帝国憲法は、その昔のプロイセン型の立憲君主制が採用され、議院内閣制は採用されていない(議会は存在する)
そのため、政権を安定させるには、政府は議会第一党および多数の議席を保有する政党との連携が必要となるのだが。

『大正デモクラシー』の時代には、普通選挙による護憲派の政党内閣が『憲政の常道』として定着した。 しかし、議院内閣制は憲法の規定に基礎を持たず不安定であった。
そして軍部や枢密院、官僚などの勢力は、政党内閣の政権下でも依然として大きな政治的発言力を有しており、政党内閣による政権運営に介入していた。

政党内閣に追い打ちをかけたのが、1930年代の困難な時代に、『憲政の常道』は国内外の混乱を切り抜ける事が出来なくなった事だ。
その結果、軍部、官僚、国家主義団体などを中心に政党政治への不満が高まり、世論の反対も大きくなってゆく。 その結果、1930年代後半に政党内閣は終わりをつげた。

そして第2次世界大戦後の1950年代に入り、日本は独自の政治制度を作り上げる。

立法権と行政権を厳格に独立させ、行政権の主体たる内閣(内閣総理大臣)と、立法権の主体たる議会を、それぞれ個別に選出する政治制度である。
その特徴としては、内閣総理大臣は議会選挙からは独立した、皇帝の勅命により選任されること。 原則として内閣総理大臣は任期を全うすること。 
更には内閣(内閣総理大臣)には議会解散権が与えられていないこと。 内閣には法案提出権がないこと。 議員職と政府の役職とは兼務できないこと。 などだ。
(ただし内閣には、政府法案の提出あるいは勧告権、内閣令などの行政立法権、法案の拒否権や遅延権、非常事態宣言や戒厳令などの非常権限などが与えられている)

この形はアメリカの大統領制度の特徴を、かなり取り入れている。 大きな違いは、大統領は実質的な国民選挙にて選出されるが、日本帝国の首相は『勅任』によって任命される。
これは日本帝国の政治体制の特徴のひとつ、『政威大将軍』制度も関係している。 形式上、皇帝の『勅命』を受けた政威大将軍が、首相を『任命』する形が帝国憲法に定められている。

大正時代の政党内閣時代、元老達は議院内閣制に好意的な者が多かった。 結果、議会与党から選出された首相候補(党総裁)が元老会議の信任を受け、皇帝から勅命が下されていた。
しかしながら、大正時代の政党政治は次第に混乱の度合いを増す。 それは政治資金の巨額化に伴う、選挙資金を得るためという政治腐敗の増加の形で顕著に表れた。
その教訓から、議会内閣でもなく、挙国一致内閣でもない、日本帝国独自の『勅任制内閣』が誕生した(成立の思想的には、挙国一致内閣に近い)


「・・・先ほど・・・」

それまで無言であった、元老・岡田藤介が眠たげな表情で口を開いた―――眼の光は、強烈だった。

「先ほど、主上へ拝謁を賜った。 主上はこう申された―――『朕が重臣を不法に殺めし『賊軍』に対し、朕は帝国とその民に代わり、卿らに正道を正すを望む』と・・・」

「・・・賊軍・・・」

誰かが小さく呟いた。 『賊軍』と―――これであの若者たちの運命は、定まった。






「―――御老公」

元老、重臣らによる内々の、そして国家の大方針を決定する重大な秘密会議が終わったのち、部屋に残っていた元老・松方兵衛が、同じく居残った元老・崇宰義慶に重々しく話しかけた。

「禁衛師団が、皇城域への展開を完了いたしましたぞ。 現在は半蔵門付近で、賊軍との睨み合いですな。 
帝都城の方は、斯衛第2連隊を城代省が動かしたようですな―――御老公、皆の前では聞きませなんだが・・・斑鳩の事、萬宜しいか?」

「ふむ・・・」

齢80半ばを超え、なおも矍鑠としている老摂家の大貴族の老人は、暫く天井を見上げ―――宙を見ているような仕草の後、ポツリと言った。

「ふむ・・・最悪の場合、当主を隠居させるつもりじゃよ。 あの者(斑鳩崇継公爵、現斑鳩家当主)の下に、妾腹じゃが弟がおる。
門流(家臣筋の家々)の反発も、洞院(洞院信隆伯爵、斑鳩家重臣筋)を潰せば、のう・・・醍醐と三條(醍醐伯爵家、三条伯爵家、斑鳩家重臣筋)は、支持しよう」

「確か・・・醍醐家は九條家(五摂家・九條公爵家)門流の・・・菊亭家の娘を貰っておりましたな。 三条家は斉御司家(五摂家・斉御司公爵家)門流の冷泉院家から・・・」

五摂家の九條家は財界に強く、自家もまた財閥を形成する。 その門流家もまた、主家の流れの企業群を支配する『大財閥支配下の、中小財閥』を形成している。
また、同じく五摂家の斉御司家は国外の王族・貴族との繋がりが深く、外交に強い家柄であり、その実、外交権益(ODA含む)に手を染めている家である。
様は『金回りの良い』摂家である。 現実の政治権力の掌握には早々に見切りをつけ、日本帝国内の様々なパワーバランスの中に己の居場所を得て、『現実を謳歌する』家である。

逆に『政治の煌武院』、『軍事の斑鳩』と呼ばれる二家は、現実的な『権益』を持たない。 昔ながらの武家支配の原理『権有れど、財少なし』を掲げる家々であるが・・・

「醍醐も三条も、台所(財政事情)は火の車よ。 かと申して、主筋の煌武院も斑鳩も、貧乏具合では似たり寄ったりじゃ。 門流筋を助ける財力は無いでの」

「娘を輿入れさせ、財政援助を行い、最後は家の主導権を握る。 まあ、あれですな。 古今東西、使い古された手ですがな・・・」

「古今東西、使い古されておると言う事はじゃ。 それが実に有効な手じゃと言う事じゃよ。 武家だ、摂家だ、貴族だと言うてもの。 食わねば腹は減る。 今の時世、尚更の」

最終的には、今回のクーデターを利して権力の簒奪を目指す(その筋書きをしている)重臣の洞院伯爵家を潰し、権力への強い志向傾向がある現当主を退かせる。
代わりに、才覚では異母兄に及ばぬ、との評価だが、誠実・温和な人柄で権力への野心が少ないと称される妾腹の異母弟を、新当主に据える。
その為の斑鳩家内の内部工作は、洞院家と並ぶ旧家老筋の有力武家(門流筋)の醍醐伯爵家と三条伯爵家を、『こちら側』寄りの内諾を得る事に成功した二摂家。
自家の有力門流家の娘を嫁がせる事で、他家の二つの重臣家の内部権力を握る。 醍醐も三条も、事の終わった暁には、現当主を支持しないだろう。 両家の財政はこちらのモノだ。

「摂家も、気苦労が多い事ですな・・・」

「もう100年前の昔では、無いのじゃよ。 儂らが生き残る・・・その為には、世の裏の泥を被らねばの。 尊き御一族が『象徴』の道を、お選びになられたと同様・・・
儂らは『藩屏』・・・御一族には絶対に汚れが付かぬよう、その身になり替わり世の汚れ・・・猜疑と疑惑、不平と不満、それを被ってこそ初めて、この国で生きてゆけるのじゃよ」

最早、現実政治には係われない。 この国の流れがそれを許さない。 流れに逆行すれば、それこそ歴史が語る栄枯盛衰の末路となるだろう。

「・・・それもこれも、まずは、あの者達との繋ぎを取ってからよの」

「帝都には、賊軍の手勢が広く散っております。 今動くのは危険ですな」

まずは『統制派』 軍・官の上層に勢力を有する主流派。 彼らとの連絡を回復し、維持することが先決だった。

「斑鳩・・・洞院も、恐らく陸軍の間崎も、儂らが皇城に避難しておる事は存じまい」

「真っ先に身柄を拘束されるか、最悪は殺されると覚悟しておったのですがな・・・」

「間崎辺りはその積りじゃったであろうが・・・若い者たちは、どこまで理解出来ておったかのう・・・」

そう。 政威大将軍さえ押さえれば良い、そういう訳では無かったのだった。







[20952] クーデター編 騒擾 3話
Name: samiurai◆b1983cf3 ID:6aaeacb9
Date: 2014/03/23 22:19
2001年12月5日 0535 日本帝国 帝都・東京 乃木坂


「・・・元老、重臣、いずれも所在不明とな!?」

閑静な和風の広大な屋敷の一室で、洞院伯爵は目の前の陸軍大将の言葉に、顔を蒼白にして叫んだ。

「そ、それではっ・・・それでは臨時内閣も、後任内閣も、組閣出来ぬではないか、将軍!」

「・・・静かにされよ、伯爵。 『臨時兼任』は憲法で明記されている。 如何な元老・重臣と言えど、所詮は慣例。 まずは憲法に準じた『臨時兼任』だ。
生き残りの閣内大臣か、班列(無任所の国務大臣)の中で、宮中席次が死んだ榊に次ぐ順位の者を押さえれば、それでよい」

日本帝国の憲法下では、首相が死亡、又は単独で辞任するなどで欠けた場合、次の内閣が組閣されるまでの間、閣内大臣や国務大臣が首相を臨時に兼る事を『臨時兼任』と言う。
こうした場合には、明確な法の規定は無く、慣習として宮中席次で内閣総理大臣に次ぐ順位の者(閣内大臣か国務大臣)が、内閣総理大臣を代行するのが常であった。

「内閣の中での格では、外相と軍需相が上(外相と軍需相は、六相会議メンバー)だが・・・宮中席次では、農水相の依田(依田直弼農水大臣、子爵)が最も高い」

そして依田大臣は、摂家(斑鳩家)=国粋派(間崎大将)のラインが押さえている『俗物(洞院伯爵談)』である。 昇爵とより高い地位、そして利権。 それを欲する者だ。
衆議院も、内部に籠絡した議員団をかなりの数で揃えた。 政威大将軍罷免権発動に必要な、衆議院での1/3の数は揃った。 これで煌武院を引き摺り下ろす。
問題は、罷免権発動には1/3で良いのだが、実際に『罷免』を決議するには3/5以上の賛成が必要と言う事だ。 が、これはこれで抜け道がある・・・

日本帝国の議会制度には、内閣総理大臣を選出する議会内閣の制度は無い。 内閣は議会に対し、責任を負わない。 そかしそれでも、議会には武器がある。
予算承認権・条約批准権、高官人事の承認権、内閣に対する弾劾・罷免権が代表的だ。 そしてそれ以外に、『政威大将軍の承認権・罷免要求権』がある。

永く不遇だった日本の議会にとって、内閣と政威大将軍への弾劾・承認・罷免要求権は、彼らが大正の昔に喪った議会政治復活への、ほんの僅かではあるが、足掛かりなのだ。

「憲法の通りよ、まずは依田に『臨時兼任』を宣言させる。 場所は、そうさな・・・予定通り、仙台で良かろう。 帝都だと、余計な虫が飛び回る」

「・・・ふむ。 然る後に『非常事態宣言』だな?」

「左様。 非常事態宣言、『国家緊急権』の発動じゃ」

国家緊急権―――戦争や大規模・広域災害など、国家の平和と独立を脅かす緊急事態に際し、政府が平常の統治秩序では対応出来ない判断した際に、憲法秩序を一時停止する。
そして一部の機関に大幅な権限を与え、人権保護規定を停止するなどの非常措置をとる事によって、秩序の回復を図る権限の事である。 この場合は『戒厳司令部』へとだ。

因みに国家緊急権の行使が、行政の範囲に留まるものを『行政型』と言い、前世界大戦以前の日本帝国における国家緊急権は、この『行政型』であった。
しかし今次BETA大戦に於いて1980年代初頭の法改正により、国家緊急権とは憲法自身が緊急時に自らの権力を停止し、特定の機関に独裁的権力を与える事を認めた。
これは英米法にある『マーシャル・ロー』や、旧ヴァイマール憲法第48条『大統領緊急令規定』、フランスにおける『合囲状態(l'État de siège)』に限りなく近い類似である。

因みにこれら諸外国の法の原意は、限りなく『戦争状態』に近い、と言われる。

(―――そうだ、これが儂の戦争だ)





洞院伯爵家を辞した後、再度自邸へと戻る間崎大将は、車内で副官に確認した。

「・・・久賀少佐は?」

「はっ、現在は仮司令部を置いております、貴族院会館に詰めております」

如何にも軍『官僚』の匂いを漂わすその少佐は、内心で叩き上げのノンキャリア将校を嫌っている。

「こちらの意図は、十分伝えておるだろうな?」

「はい。 昨夜に最後の摺合わせを・・・沙霧大尉は無論、除外しております」

あの男は所詮、道化ですので―――そう言って薄ら笑う副官に、間崎大将は(・・・こいつも所詮は、同類の駒に過ぎんか)、そう思った。










2001年12月5日 0550 太平洋上・東京湾沖100海里(約185km)地点 伊豆諸島沖 米第7艦隊旗艦・揚陸指揮艦『ブルー・リッジ』(USS Blue Ridge, LCC-19)


「サー、ランデブー・ポイントまであと30海里(約55.5km) ランデブー・タイムは0630です」

11月29日の0300時にハワイ・真珠湾軍港を出港した米第7艦隊主力(第70任務部隊:Task Force 70, CTF-70)が未だ漆黒の闇の中の洋上を疾走している。
巡航速力18ノット(原子力推進艦と言えど、常に最大戦速で航行出来るものではない)で7日と15時間弱。 ようやく日本を―――東京を、その作戦圏内に収める位置に到着した。

「CTG70-3(第70-3任務群)、ESG-7(第7遠征打撃群)、共に『Situation Normal』です」

艦隊主力とは別に、空母『セオドア・ルーズベルト』を中心とする空母打撃群、プラス水上戦部隊で構成されるCTG70-3(第70-3任務群)
そしてワスプ級強襲揚陸艦『ボノム・リシャール』、『マキン・アイランド』を中心とするESG-7(第7遠征打撃群)
この2個群は普段、第5艦隊支援の為にインド洋のディエゴ・ガルシア島に駐留している。 第7艦隊は東経160度以東の東太平洋から、東経67度以西のインド洋の半分を担当海域とする。

第5艦隊の担当戦域はインド洋北西部。 旧アフガニスタンから洋上を南に下り、ソマリア沖から東進して交差する海域を担当戦域としている。
最近、紅海方面のBETAの活動が不活発な為、急遽呼び出したのだ。 アフリカ連合と国連軍アフリカ方面総軍からは、『遺憾の意』と言う名の嫌味が連発されたが。

これで第7艦隊は全主力部隊―――第70-1任務群、第70-2任務群、第70-3任務群、そして第7遠征打撃群が揃ったことになる。
空母『カール・ヴィンソン』『ドワイト・D・アイゼンハワー』『セオドア・ルーズベルト』の3隻に、ワスプ級強襲揚陸艦『ボノム・リシャール』『マキン・アイランド』
だが今回は異様だ。 何故なら空母打撃群の主兵力である空母戦術機甲団、その大半を母港の真珠湾、或は駐留基地のディエゴ・ガルシアに揚陸させているのだから。

代わりに編成上では有り得ない部隊が『積み込まれて』いた。 米陸軍戦術機甲部隊、その3個大隊の戦術機甲大隊だった。 海軍機は各々1個戦術機甲隊(中隊)だけが残された。
『カール・ヴィンソン』に第66戦術機甲大隊(US 66wig)、『ドワイト・D・アイゼンハワー』に第174戦術機甲大隊(US 174wig)
そして『セオドア・ルーズベルト』に第117戦術機甲大隊(US 117wig) 各大隊の定数は、米海軍空母戦術機甲団より少ない36機。

「しかし、面白くない話です。 よりによって、陸軍野郎を・・・」

「・・・君、士官たる者、常に品位を保つべきだよ」

「ッ! 失礼しました、サー!」

しかし面白くないのは、目前の上官―――第7艦隊司令官、トーマス・カーライル米海軍中将も内心は同じだ。
自身の艦隊主力攻撃力―――3隻の空母の戦術機『F/A-18E』の12個戦術機甲隊(中隊)の内、実に9個戦術機甲隊を『陸に揚げられた』のだ。 
残ったのは3個戦術機甲隊だけ。 しかも面白くない事は、その戦力に対する指揮権を有していない、と言う事だ! 第7艦隊司令官である自分が!


「―――予定通りの航海、そう言って宜しいようですな、提督」

不意にカーライル中将の背後から、声をかけた人物がいた。 振り向かずとも誰であるか、中将には判る。

「・・・我々は、U.S.ネイヴィーだ。 クレメンツ『陸軍』大佐」

嫌味をたっぷりと含んだその口調に、言われた方は微塵も感じ入っている様子はない。 それどころか、冷ややかな薄笑いを浮かべたままだ。

「ええ、流石は『世界に冠たる』U.S.ネイヴィーです」

―――最早、ライミー(英国人)は本国艦隊を維持するので青色吐息。 日本人たちも自国の周辺海域を守るのが精一杯。 いやいや、流石は新世紀の『無敵艦隊(アルマダ)』です。

そんな追従とも取れる言葉にも、カーライル中将は何の高揚も感じない。 なぜならこの男は・・・

「航海も予定通り、順調のようです。 では小官はこれから『作業』に取り掛かりますので・・・」

―――後は、連絡将校に伝えます。

それだけ言うと、その陸軍大佐はブリッジから姿を消した。 その直後、ホウッとため息をつくカーライル中将。 そんな上官の様子を見た部下は、訝しげに尋ねた。

「サー。 失礼ですが、何故、あの陸軍たちをあそこまで自由に・・・?」

その質問に、即座には答えずに、ブリッジから漆黒の冬の海原を見つめていたカーライル中将は、囁くような小さな声で、ポツリと言った。

「・・・あの男は、『JSOC(Joint Special Operations Command)』だ」

「JSOC・・・!? では、SOCOM(United States Special Operations COMmand : USSOCOM)の作戦・・・!?」

SOCOM―――USSOCOMは、『アメリカ特殊作戦軍』と言われる。 アメリカ統合軍の一つであり、陸軍、海軍、空軍、海兵隊の特殊作戦部隊を統合指揮している。
現在の司令官は、レイモンド・D・ホーランド米航空宇宙軍大将。 米軍の機能別統合軍(FUCC)のうちの一つで、全軍における特殊作戦を指揮する。

JSOC(Joint Special Operations Command)はSOCOM麾下のサブコマンドのひとつで、統合特殊作戦コマンド(Joint Special Operations Command/JSOC)と呼ばれる。
デルタフォースや海軍特殊戦開発グループなどの、『特殊任務部隊(SMU)』を運用しているのが、最大の特徴である。

公の活動内容としては、統合特殊作戦タスクフォース(JSOTF)の常設と提供、作戦の計画立案、演習および訓練の計画と実行、戦術の開発、特殊作戦における要求と技能の研究である。
そして『公=表の顔』があれば、当然『裏の顔』もある。 それは実際には平時・戦時問わず、政治的軍事的に非常に微妙で、危険度の極めて高い秘密作戦も指揮している事だ。

『特殊任務部隊(SMU)』とは、デルタフォースや海軍特殊戦開発グループの様に、活動内容や存在そのものが、黙秘される部隊の総称である。
グリーンベレー(アメリカ陸軍特殊部隊群)やシールズ(Navy SEALs)など、場合によってはメディアにも露出するオープンな部隊は、『特殊作戦部隊(SOF)』と呼ばれる。
対して『オープンでない』特殊任務部隊(SMU)の活動の大部分は、『公には否認されるべき地域』で行われ、それには対テロ作戦、襲撃行動、偵察活動、秘密諜報活動などが含まれる。

JSOCが直接指揮下で運用される部隊は、デルタフォース(又は『戦闘適応群』)、海軍特殊戦開発グループ、情報支援活動部隊、第24特殊戦術機甲隊などがある。
また場合によっては、第75レンジャー連隊、第160特殊作戦航空連隊、第55特殊作戦戦術機甲隊と言った、バックアップ部隊の支援を受ける事ができる。

「・・・人員は主にSOCOMの連中だが・・・肝心要の核の連中はCIA―――国家秘密本部、その東アジア部だ。 SMUの連中は、退役後にCIAの契約工作員になる者も居る」

そんな、裏のきな臭い繋がりだ―――カーライル中将は、面白くもなさそうな表情で、吐き捨てるように言った。
米海軍のエリートであるが、同時に海の武人たらんと欲する、実は古いタイプの軍人であるカーライル中将にとって、SOCOMは有用性を認めつつも、受け入れられない存在だった。

「詳細の奥の奥までは、私でさえ知らん。 PACFLT(太平洋艦隊)やFLTFORCOM(艦隊総軍)を飛び越して、OPNAV(海軍作戦本部)からのダイレクト・オーダーだ」

信じられない―――カーライル中将の言葉に、彼の部下は言葉が出なかった。 他国軍とは異なり、米軍は上級司令部の、更に上の司令部からダイレクト・オーダーが出る事がある。
だがそれは、精々が2段階上―――今回で言えば、第7艦隊の上級司令部である太平洋艦隊司令部を飛び越し、艦隊総軍から、と言うケースまでだ。
それが『OPNAV』―――海軍作戦本部とは! これを日本帝国海軍に当てはめれば、1個艦隊司令部に、GF(連合艦隊)や海軍軍令部を飛び越し、統帥幕僚本部が直接命令を出すに等しい。

となれば、ただの戦術作戦ではない。 いや、戦略作戦でもない。 これは―――『政治的な作戦』だ。 CIAにSOCOM、そしてOPNAV・・・嫌な感じしかしない。

「まったく・・・とんだ貧乏くじだね、君」

「・・・サー。 全くです」

未だ洋上は、冬の夜明け前の暗闇に支配されていた。









2001年12月4日 1700時(日本時間12月5日 0600時) アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ウエストチェスター郡


宏大と言う他に表現のしようがない敷地面積。 たっぷり60エーカーはある広大な土地(=24,28ha=約24万2811㎡=約80万2681坪)
そこに建屋面積がバッキンガム宮殿やハンプトン・コート宮殿よりも広い面積を誇る、馬鹿馬鹿しいまでの豪壮な宮殿と見間違う程の屋敷が建っている。

初冬のニューヨーク州は、それもこの辺りでは、平均最高気温で華氏36°F(摂氏2.2℃)、平均最低気温が華氏29.5°F(摂氏マイナス7℃)程には冷え込む。
日照時間も短い。 この時間では、外はもうすっかり暗くなっていた。 米国国防総省の太平洋担当副次官補であるダスティン・ポートマンは、この屋敷がはっきり言って嫌いだった。
今日とて、国防総省ハト派、更には『会議』の連絡役の仕事でなければ、いなか遺伝上の繋がりがあるとは言え、あの老人と会うのは気が進まない。

館の執事の案内で、奥まった一室に通される。 そこは豪壮な外見のこの屋敷に似つかわしくない、いっそ簡素と言っても良い程、何もない部屋だった。
確かに部屋に敷かれている絨毯は、17世紀にイランのキルマンで織られた世界最高峰の逸品で、20年以上前に購入した価格が、620万ポンド(約890万ドル)だったと聞く。
無造作に置いてあるマホガニーの机や家具でさえ、一品でも50万ドルは下らないだろう。 全て含めれば、1000万ドルは下らない―――が、それだけだ。
オリエンタルなアンティーク調スタンドランプの淡い暖色系の光だけの中で、一人の老人がソファに身を沈めていた。 まるで死んだように身じろきもしない。

「・・・極東で、始まったかね?」

不意に老人の口から、しわがれた声が漏れた。 改めて緊張感を増すと同時に、探る様に声をかけるポートマン。

「―――はい。 しかし、成功するとも思えませんが・・・」

「・・・なに、成功するなどと、思ってやせんよ」

意外な言葉だった。 この老人は、日本帝国内の国粋派・摂家(斑鳩家)派・安保マフィアの親ネオコン派を通じて、あの国の裏の実権を掌握するつもりでは無かったのか?

「ふっふ・・・ダスティン、お前も、そして先日お会いしたアンハルト=デッサウ侯妃(イングリッド・アストリズ・ルイーゼ・アンハルト=デッサウ侯妃)も、まだ若い・・・
儂は『会議』に対し、一度たりとも『AL5計画』の優位性も、その優先要求もしてはおらぬし、『あの国』の中枢をAL5計画派に固めるなどと、明言はしておらぬ・・・」

「・・・」

青年の無言をどう捉えたのか、老人は言葉を続けた。

「デイヴィッド・ロックフェラーは嘗てこう言った。 『ビルダーバーグは本当に、極めて興味深い討論グループである。
年に一度ヨーロッパと北アメリカの両方にとって重要な問題を論じ合っている―――ただし、合意に達することはない』とのぅ・・・さてさて、そしてそれは事実じゃ・・・」

議論されるトピックは国際政治経済状況による異なるが、最終目標は、あくまでも欧米系勢力による、世界統一権力の樹立。 それ故に欧米各国のトップに大きな影響を持つ。
1991年の会議には、当時アーカンソー州知事だった男が招待された。 彼は会議の1年半後の1993年1月に、アメリカ大統領に就任した。
1993年の会議にはイギリス労働党の党首が招待された。 その党首は会議の4年後の1997年5月に、イギリス首相に就任している。

「儂はの、様々な目を持っておる。 3度目の祖国を喪わない為にの・・・故に、太平洋の防波堤として、あの国は有用じゃ。
そしてその防波堤の管理人として、より相応しいのは、一体誰か・・・どの勢力か・・・無論、『会議』のメンバーも承知の上じゃよ」

「・・・つまり、右手が出したボヤを、左手に消火させておる、と?」

「ボヤと言ってもの、もしかすると有用かもしれぬ。 あっさり切り捨てるのは、ちと早計じゃ。 それに、左手の危機管理能力も、見定めねばなるまいて」

「―――故に、JSOC(統合特殊作戦コマンド)を?」

「ああ・・・あれはジョンストン・ゴース(CIA長官)が泣きついてきたのでの。 最近は内部抗争の結果、ジョン・クロンガード(CIA副長官)に押されっぱなしじゃ」

「―――リチャード・ミシック(CIA情報本部本部長)、ライオネル・モーガン(同東アジア分析部長)らは、明確に反ゴース派です。
行政本部本部長のハリー・マクラフリンも、明確に敵対しております。 国家秘密本部副本部長のバジー・リチャーズは・・・」

「ふむ・・・先月、マイケル・マコーニック(CIA国家秘密本部本部長)が急死しおったな。 スティーブン・サリク(国家秘密本部防諜センター長)の仕業か・・・」

「DIA(国防省情報部)も。 既に国際協力室長のロバート・クナイセン(海軍少将)を通じ、日本側に概略が漏れている事でしょう」

「・・・クナイセンの受け皿は、誰じゃったかな・・・?」

「日本帝国海軍軍令部、第2部長のリア・アドミラル・スオウ(周防直邦海軍少将)です」

「ふむ・・・確か、『Imperial Gendarmerie(日本帝国国家憲兵隊)』副長官の義弟に当たる男だな。 外務省の国際情報統括官の義弟でもある・・・」

「CIAの反ゴース派は、IG(日本帝国国家憲兵隊)と繋ぎを得ています。 国務省は日本の外務省と・・・そしてDIAは、日本海軍軍令部を通じ、国防省情報本部と」

「ふぉっふぉ・・・まさに東洋で言うところの『四面楚歌』じゃな。 IGに国防省情報本部、そして外務省の情報統括室・・・ふぉっふぉっふぉ・・・」

日本帝国外務省情報統括室は、内閣情報調査室(情報省外局)、警察庁(警備局)、国防省(情報本部)、国家憲兵隊とともに、内閣情報会議・合同情報会議を構成する。
諸外国のインテリジェンス・コミュニティー(情報機関を纏め、各機関の集めたインテリジェンスを集めて評価し、政策実行に必要な情報を提供する組織)に近い。

内閣官房副長官(事務)が主宰し、内閣官房副長官補(安全保障/危機管理担当)、警察庁警備局長、国防省国防政策局長、統帥幕僚本部第1局長(国防計画作戦)
そして情報省次官、外務省国際情報統括官が参加する。 内閣官房副長官(事務)は内務省の次官経験者が就任するのが通例の為、実質は『高級官僚トップの最高危機管理会議』である。

「さては、さては、この件はプライムミニスター・サカキには、情報が上がっていなかったと見える。 ふぉっふぉっふぉ・・・あの国の官僚は、なかなか侮れぬよ・・・」

「・・・日本の高級官僚群は所謂、革新官僚・・・統制派官僚が、今や主流です。 そして軍部もまた、統制派が主流をなしております。
軍部国粋派や、いわんやあの国の古色蒼然たる貴族社会(五摂家)など、どう足掻いても権力の奪取は不可能な状況ではありますが・・・」

「なに・・・左手も、手に余る事態はあるのでのぅ・・・まさか、左手に自国の内閣首班を殺させる訳にはいくまいて・・・」

その言葉で、ダスティン・ポートマンは理解した。 この老人は、単純なAL5計画推進派でも、AL4計画擁護派でもない―――純粋に、底なしのエゴイストなのだと。

日本の首相が推し進める、AL4計画推進については、日本国内からも疑問の声が大きくなり始めている。 かと言って、AL5計画に鞍替えは出来ない。
実現の見通しが立たない、底の抜けた天文学的巨額な予算を飲み込み続ける、『オルタネイティヴ第4計画』
ロス・アラモスからさえ、実行後の地球規模の変動に警鐘が鳴らされている、AL5計画の付属計画『バビロン作戦』

天秤が片方に傾かぬよう、常に気を配り、そして『次善の結果』となる様に采配し続ける―――2度祖国を喪った老人には、『最善の、最良の結果』など、世に存在しない事は骨身に沁みている。

「・・・成功はせぬがの。 あの小娘の荒唐無稽な『お伽噺』からは、少しは解放されるじゃろうて。 ネオコン連中の先走りも、今回はゴースを生贄の羊にすればよい・・・」

―――様は、太平洋対岸の防波堤、その管理人の手腕の確認、それだけの話だったのだ。










2001年12月5日 0630 日本帝国 帝都・東京 高田馬場~早稲田封鎖線


白々と夜が明けた。 おそらく、日本で最も長い1日となる日の夜が明けたのだ。 唯々快晴。 冬の蒼穹は恐ろしい程の深い蒼だった。
気温はまだ低い。 3、4℃だろう。 予報では10℃を下回ると予想されている。 明らかにこの10年ほどで、日本の気象も変化が起きている。

高田馬場から早稲田にかけての封鎖線。 『反乱軍』とはやや南の25号線を挟んで対峙している。 こちらは早稲田に面した戸山陸軍軍医学校練兵場(西側)に本部を設置した。
方や『反乱軍』の一部は、学習院の東側、戸山陸軍練兵場(東側)に布陣している。 第1師団機動歩兵第1連隊の一部だった。

その両者の間を、何事も無いようにのんびりと歩く2人の将校が居た。 兵科はその姿でわかる。 衛士強化装備が見て取れる、戦術機甲科の上級将校だ。
2人ともグレーカラーの革製コートを着用している。 肩部に肩章装着用ループがあり、そこへ無理やり陸軍の階級章(肩章)を装着していた。 階級は少佐。
見る者が見れば、そのコートが帝国陸軍制式採用の将校用外套でない事は判るだろう。 詳しい者ならば、ドイツ連邦軍(西ドイツ軍)将校用のコートだとも。
第2次世界大戦時の、ドイツ海軍Uボート乗り(将校)用の、Uボートコマンダー着用のコートに外観、カラーが酷似している。 略帽(ベレー帽)を被っていた。

「火を呉れ」

「うむ」

2人の少佐は対峙する両軍の間で、暢気に煙草を吸い始めた。 二口、三口と、ゆっくり紫煙を吐き出した後で、反乱軍の側をゆっくり見回し、やがて自陣へと戻り始めた。
その姿を第15師団の面々は、馬鹿を見る様な目で尊敬している。 逆に反乱軍側は、どうしたものか、迷っているようで、何の手も出せないでいた。
2人の将校の出で立ち、それは確実に帝国陸軍の服務規定に反するものだ。 が、逆に佐官級の野戦将校、特に大陸の激戦を経験した佐官級将校に、それを無視する気風がある。

今現在佐官であり、大陸での激戦を経験しているとなれば、20代後半から30代半ば頃の世代だ。 1991年から1992年にかけて、大陸派遣軍に配属されて最前線で戦った世代。
そして以来、9年から10年の長い期間を、BETAとの地獄の絶滅戦争を戦い抜き、今ここに在る者達―――戦場経験豊富な、歴戦の佐官級指揮官と言う事だ。

彼らの中には大陸で、そして少数の者が北アフリカや欧州で、それぞれ手に入れた他国軍の軍装を私物として持ち帰り、所有している者が多い。
本人達は単純に、垢抜けない帝国陸軍の正式軍装に彩を添える、その程度の意識しかなかったと言うのが実情だ。 ちょっとしたファッション感覚、だが周囲はそうは見なかった。
地獄の様なBETAとの絶滅戦争。 その激戦の中を戦い、生き抜き、生還し・・・そして未だ戦い続けている者達。 陸軍での私物着用は、そんな歴戦の証として畏怖されていた。

「―――もう少し、余裕を見せた方が良かったかな?」

「ま、何事もやり過ぎはいけないってな。 煙草を持つ手が震えていただなんて、向こうより先に、部下たちの士気が崩壊する」

「・・・俺はただ、寒かっただけなんだがなぁ?」

「それは奇遇だ。 俺も寒かったのさ」

BETAに食い尽くされて国土と民族が消滅する前に、今の馬鹿騒ぎを収められないようなら、死んだ方がマシだと思う。 が、根本で死への恐怖感は、どんな人間でも存在する。
だがそこから逃げていては、人間らしくはあっても、軍人―――職業軍人たり得ないのだ。 国家の用意した暴力の前で人間を戦場に走らせる。
その為には人間に好かれなければ―――少なくとも、底の抜けた馬鹿と、敬意を得なければ。人が自然の摂理に反するだけの敬意を、部下から得なければならない。
人間が本能よりも、部隊や仲間を助けようと思うから・・・部隊や仲間を死なせたくないから、戦うと思うから、軍と軍人と言う代物は成立するのだ。

それを一言、訓練の結果と言い切るのは、人との付き合いが薄い証拠だ。 人と人との、極限状態での関係を知らない机上の空論家、或は青臭い青二才と言うところか。

―――人間が、人間として在り続ける為に、士官は存在する。

96年前、奉天西方の黒溝台で第2軍最左翼、約40kmを僅か10,000名の部下達と共に守り―――1万対10万の激戦を乗り切った、秋山好古少将(当時)の言葉だ。

或はそれは、古代より連綿と受け継がれてきた、軍事指揮官の極意かもしれない。 戦場で超然とした振舞いを見せる上官に、部下達はついてゆく。
2人の佐官―――周防直衛陸軍少佐と、長門圭介陸軍少佐もまた、長い前線での戦いの経験上、そうした上官には無条件で付いて行けた。
そして生き残り、階級が上がり、佐官―――少佐の大隊指揮官となった今、自分を見る部下の目が、あの頃の己と同じ目をしている事を知っていた。

やがて自陣へ戻った2人の少佐達は、戦術機甲部隊の本部に指定されている野戦天幕に入って行った。 最大収容人数14名、主に部隊長以下の幕僚及び指揮官が宿営等に使用する。

「お疲れ様です」

第15師団、そのA戦闘団(第1機動旅団)陣内の天幕に戻った2人の少佐に、待ち構えていた2人の大尉が声をかけた。 最上英二陸軍大尉、そして古郷誠次陸軍大尉。
最上大尉が携帯ストーブ(私物)に於いた薬缶から、お湯を注いだカップを2人の少佐達に手渡す。 香ばしい香りがする。 当然だ、天然ものの珈琲なのだから。

「今時、これを飲めるなんて贅沢、信じられませんね」

「チビチビと、節約しながら飲んできたからな。 アメリカ土産、その少ない残りだ。 有り難く飲めよ?」

「俺の家にも少し残っているが、女房がどこかに隠しやがった・・・」

「大隊長が、ガブガブ飲むからでしょうが。 奥様(長門(伊達)愛姫少佐)に事あるごとに愚痴られる、俺の立場も考慮してくださいよ・・・」

携帯ストーブも私物(190mm×370mmのサイズでしかない)、持ち込んだ珈琲も私物。 朝食代わりの乾麺麭(乾パン)150gに金平糖、オレンジスプレッド及びソーセージ缶の副食。
ささやかな指揮官特権だ。 部隊の下級士官たちは皆、戦闘糧食I型(No.1)は代わらないが、飲み物は不味いコーヒーもどきなのだ。

「もう少し、余裕を見せつけた方が良かったか?」

「止めておいた方がいいですよ、大隊長。 メッキが剥がれますって」

「俺は、メッキじゃないぞ?」

「はいはい、煙草を持つ手が震えて、落としたらどうする気ですか。 ったく、子供じゃないんですから・・・」

それぞれ、周防少佐、最上大尉。 そして長門少佐に古郷大尉だった。 大隊長と、その補佐役の先任中隊長。 天幕の中、戦闘糧食を食べながら話すその姿に、緊張感は見られない。
年の頃も近く、2人の少佐は9年9か月、2人の大尉は7年3か月の実戦経験を持つベテラン達だ。 この先どう展開するか予断は許さないが、力を抜くときは心得ている。

『それもそうか』

2人の少佐がそう言うや、部下の2人の大尉たちも笑った。 お互い付き合いの長い上官と部下だった、兵や初任士官は上官の嘘を信じればいいが、古参の大尉はそうはいかない。
乗馬でいえば、乗り手の不安も判る出来た良馬だ。 いや、決して馬ではないのだが―――とどのつまり、生死を掛けた戦場で共に過ごした戦友であり、親友である。

「それにしても連中、一体何を考えているのか・・・ここに陣取っていても、状況は変わらないのにな」

最上大尉が、天幕の中の簡易机の上に広げた地図を見ながら、珈琲を啜りつつ首を傾げる。 『反乱軍』は永田町・麹町から四ツ谷、新宿、牛込辺りを制圧していた。
そして赤坂見附付近で帝都城(旧赤坂御用地)の斯衛第2連隊と睨み合い、半蔵門から千鳥ヶ淵、北の丸辺りで禁衛師団と睨み合いが続いている。
帝都城正面では第1師団第1戦術機甲連隊が、半蔵門では第3戦術機甲連隊が、そして北の丸では第2戦術機甲連隊が、それぞれ配置についていた。

「そうだ、それが判らんな。 もうじき、第14師団先遣隊(戦術機甲1個連隊、機甲1個大隊、機械化装甲歩兵1個大隊、機動歩兵1個大隊)も到着するのにな」

同じく地図を見下ろした古郷大尉も、同感とばかりに頷いた。

帝都城正面こそ、戦力比は1:1だ。 が、皇城正面では2:3と数的不利。 更に第15師団(第1機動旅団)が高田馬場から西早稲田にかけて展開した。
これに対して『反乱軍』は、第1師団機動歩兵第1連隊の一部(1個大隊)を割いて警戒に当たっているが・・・

「正面の相手は、機械化歩兵1個大隊と、少数の重火器中隊のみ。 こっちは2個戦術機甲大隊を主力に機甲、機械化装甲歩兵、機動歩兵が各1個大隊・・・」

「自走砲と自走高射砲も、各1個大隊。 旅団とは言え、丙編成師団に匹敵する戦力だぞ? 増強大隊程度で、支えきれる戦力じゃないってのにな?」

「東部軍管区予備の3個独混旅団(第102、第105、第108独立混成旅団)が、連中側に付いた。 港区、目黒区、品川区をそれぞれ押さえちゃいるが・・・」

「だから、どうにも判らん。 首都の中枢を押さえるのは、クーデターの鉄則だ。 千代田区を押さえるのは判る。 
同時に渋谷・新宿・港・品川の各区を押さえたのもな。 が、それからどうする? 連中、沙霧のあの声明以降、全く動きが無い」

最上大尉と古郷大尉が、同時に唸る。 この状況下で、北方面に更に新たな敵(第14師団先遣隊:戦術機甲1個連隊、機甲、機械化装甲歩兵、機動歩兵各1個大隊)だ。
北西方面の圧力はこの結果、第15師団先遣隊を加え、乙編成師団相当の強大なものとなる。 もし一当たりすれば、1個増強大隊規模の『反乱軍』は、30分と持ち堪えられないだろう。

「いくら市街戦じゃ、戦術機甲部隊は格好の的とは言え、戦闘車両との戦闘じゃ、向こうが格好のカモだ」

「歩兵戦力でも、向こうは機動歩兵1個大隊のみ。 こっちは機械化装甲歩兵2個大隊に、機動歩兵2個大隊・・・4倍じゃ効かないな。 ランチェスターじゃ、16倍だ」

つまり、ごく短時間で制圧される結果が目に見えている。 そうするとどうなるか? 永田町を挟んで東西で睨みあっている場所は、今は辛うじて拮抗している。
そこに、北方面から更に1個師団が雪崩込んで来たら? 東の江戸川からも、第3師団(乙編成師団)が、反『反乱軍』の立場を表明している。 戦力比は1:3と大きく離れる。

更に3個独立混成旅団が反乱軍側に付いたことを受け、当初の予定を変更して第15師団B戦闘団(第2機動旅団)と、第14師団主力を神宮外苑に配備する事が決定した。
3個独立混成旅団(3個戦術機甲大隊主力)では、第14師団主力(2個戦術機甲連隊主力)と第15師団B戦闘団(2個戦術機甲大隊主力)に太刀打ちできない筈だ。
そして東部軍管区の第7軍司令官・嶋田大将は『反乱軍の制圧』を表明した。 北関東絶対防衛線から第14師団の他、第12師団(乙編成師団)を派遣すると言っている・・・

海軍は横須賀の第3陸戦旅団(1個戦術機甲連隊基幹)を、第4艦隊(司令官・宮越善四朗海軍中将)に搭乗させて進発させた。 上陸地点は有明埠頭だ。
更に東京湾内に、年次訓練途中だった第1艦隊主力を呼び戻した。 1時間前、浦賀水道を通過したそうだ。 湾内法定制限速度の12ノットを無視し、18ノットで急行中だった。
漸くの事で再建為った第1艦隊。 戦艦6隻、大型巡洋艦(巡戦)2隻、戦術機母艦6隻を主力とする、太平洋戦域最強の打撃機動部隊。

「・・・どう考えても、連中はチェックメイトの筈、なんだがなぁ・・・?」

「考えられるのは、『政治的な動き』だけか・・・」

「けどな、政府は一応、反乱軍に対する非難声明を出したぞ?」

つい先ほど、0625時。 『臨時兼任』により農水相が仙台市で内閣総理大臣代行を宣言した。 『偶々』農政の所要で仙台を含む東北地方を回っていたと言う。
そのお蔭で、『反乱軍』の襲撃から身を守る事が出来た、幸運な人物だ。 はっきり言って、内閣内で最も影の薄い人物、そう言われていた人物だったが・・・

「それに多分、『臨時政府』は戒厳令を出すだろうな」

「行政戒厳か? それはそれで、帝都一帯の制圧行動には有効だけどな・・・」

しかしまさか、この時点で臨時政府が『国家緊急権』の発動を行うとは、最上大尉や古郷大尉はおろか、周防少佐も長門少佐も、予想だにしていなかった。





[20952] クーデター編 騒擾 4話
Name: samiurai◆b1983cf3 ID:6aaeacb9
Date: 2014/05/04 13:32
2001年12月5日 0650 日本帝国 帝都・東京 九段 東京偕行社


皇城『以北』の地域を掌握した、と発表した仙台臨時政府。 その臨時政府はつい5分前、日本帝国全土に対して『国家緊急権』の発動を宣言した。
これにより、帝都周辺―――関東地区の行政権・軍事権・司法権は全て『戒厳司令部』が担う事となった。 ほぼ関東圏内で、最高の権限を有したと言ってよい。
その戒厳司令官に任ぜられたのは、軍事参議官・間崎勝次郎帝国陸軍大将、その人であり、 ここは臨時の戒厳司令部所在地として指定した、東京偕行社迎賓室である。

「国連軍への根回しは、どうか?」

「はっ。 後方支援軍集団を経由し、米軍進駐基地の変更を捻じ込んでおります」

「ふむ、それで良い。 仮にも『あの計画』には、我が帝国の巨額の歳費が、毎年投入されておる・・・その果実までも、あのユダヤの老人に呉れてやる必要はない」

首席副官の報告に、重々しげに頷く間崎大将。 確かにある種の『密約』は、あのユダヤ系の老人を通じて米軍―――米国の一部勢力と交わしている。
しかし、だからと言って、それまで反対の立場を(公に)取っている国に、『あの計画』まで手を突っ込ませる許可を出す謂れはないし、義理も無い。

「次に―――SOCOMですが・・・」

「うん・・・? おお、第7艦隊にくっついて、何やら画策している連中か。 ま、大方のあらすじは見えるがの・・・」

「はい。 情報本部(国防省)、憲兵隊公安情報部(国家憲兵隊)は、以前からマークしておったようです。 特高(特別高等公安警察)の外事2部、情報省の外事本部もどうやら・・・」

「ふむ・・・岸部(岸部多門海軍大将・国防省情報本部長)も、右近充(右近充義郎陸軍大将・国家憲兵隊副長官)も、雲隠れしておる。 その線は無理か・・・」

「特高、情報省も共に。 ですが、完全ではありませんが、戒厳総司令部権限で情報の提示を行わせました。 概要はこれに」

副官から手渡された分厚い資料の束。 その最初に各情報機関が集め、分析した概要が記されている。 一瞥した後、間崎大将は微かに苦笑して、独り言のように言った。

「・・・馬鹿にしたものではないのぅ・・・まさに、紙一重の差じゃったな・・・」

そこには米国―――CIAと、それに対立するDIA、そして各々の勢力が工作していた行動の、かなり詳しい部分にまで突っ込んだ概要が記されていた。
その情報から、カウンター工作が行われていれば、国内での『排除対象』の筆頭は間崎大将、その人自身であったことが容易に類推される。 まさに紙一重のタイミングだった。

ファイルを閉じ、暫く沈黙していた間崎大将は、不意に話題を変える為に、全く別の話を副官に振った。

「・・・1939年から1944年までの5年間の大戦で、自然死や事故死以外で、何千万人が死んだか知っておるか?」

「確か・・・最小で5000万人、最大で8500万人だったかと」

その戒厳司令官室と化した、かつての迎賓室。 腹心の参謀中佐に、間崎大将はボソリと呟くように問いかけていた。

「そうだ。 1940年の世界人口統計は約23億人。 世界人口の2.2%から最大3.7%が、5年間で死亡した。 因みに8500万と言う数字は、紀元前7世紀頃の世界人口だ」

「・・・年間で、1000万から1700万人が死亡、ですか」

「1914年から1918年までも、3700万人が死亡しておる。 4年間で3700万人、年間925万人じゃ。 1914年から1918年、1939年から1944年までで、実に最大1億2200万人」

第1次世界大戦(1914年-1918年)、第2次世界大戦(1939年-1944年) この2大戦の10年間で、軍民併せて実に1億人以上が犠牲となった。
この2つの世界大戦は人類の歴史上、最も犠牲者数が多い戦争の1つと、双方とも位置付けられている。 平時の世界平均死亡率は約10%程であった。
もしも戦争が無ければ。 もしも戦火に晒されなければ。 そう言った理由で、世界人口の死亡率が2%から最大4%も増大したのだ。

「そして1950年の世界人口は25億人。 1955年には27億8000万人、1960年には30億人に達した・・・」

「1965年に33億5000万人、1970年には37億人。 そして1973年には39億4000万人に達し、翌1974年には40億を突破すると予想されておりました・・・」

1974年―――人類にとって、否、この地球上のすべての生命体にとっての悪夢。 BETAと言うファクターの降臨の年である。

「そうだ。 じゃが実際には、1974年末の国連統計では、世界人口は27億6000万人・・・世界中に衝撃が走りおったわ」

前年度より、世界人口が11億8000万人の減。 この数字は、1810年代の世界の全人口数に匹敵する数字である。








2001年12月5日 0653 日本帝国 帝都・東京 某所


「・・・当時のソ連軍の総兵力は約500万。 他に内務省系の国内治安軍が約100万の、総数600万ほどだった。
中共も400万は兵力が有った。 他にゲリラ戦要員の民兵が1000万人ほどな。 もっともこれらは小火器しか持たぬが」

国家憲兵隊司令部から極秘脱出を果たした、右近充国家憲兵隊副司令官―――右近充陸軍大将は、様々な機材で埋め尽くされた極秘の予備指揮所で、傍らの部下にそう言った。

「それら、全てが死んだとしましても、たかが2000万人程度。 11億8000万人には、遠く及びませんな」

「・・・カシュガル周辺・・・中共が言う『新疆ウイグル自治区』、地理的には天山山脈の南側、古の天山南路のオアシスルート。 その北、天山の北は草原地帯・・・」

右近充大将の言葉を、脳裏の地図に照らし合わせた腹心の憲兵大佐―――国家憲兵隊特殊作戦局作戦部長が、上官の言葉を更に展開する。

「南はカクラマカン砂漠と、東は青海省から広がる広大なチベット高原。 西はカラコルムとパミールの高みを望む大山脈地帯。 越せばカザフの大平原・・・ですな」

「北西は、アルタイ山脈を越してモンゴル高原に至る・・・判るか?」

「中ソの全軍が死に絶えたとしても、未だ国連発表より11億6000万人ほど、足りませんな。 先ほど上げた地域は、古来より人口の希薄な地域です。 11億もの人口は・・・」

「そうだ、居なかった。 精々1億人が居たかどうかだ。 では、残る10億6000万人の死者は、どこだ?」

人口の希薄な中央アジア。 乾燥と、実は肥沃な土壌が果てしなく広がるステップ地帯。 だがその周辺には、人口密集地が迫っている。

「BETAは既に、一部はパミールを越してカザフから南下して、イラン高原からヒンドゥークシュに。 西は青海を越して蘭州、そして黄河の大屈折部に・・・」

「ソ連領内では、いよいよ北上しかけていた―――焦土作戦と、先制戦術核攻撃。 『予防防御』の名のもとに、知らぬ間に8億人からが自国の熱核兵器に焼かれて死んだ・・・」

1973年から翌74年にかけての、BETAによる直接の犠牲者数は実の所、2億人を超していない。 これは国連も公には秘している数字だ、実際には1億前後と言われている。
そして大混乱の最中での餓死・病死・負傷死が2億4000万から2億6000万人。 そして熱核兵器の先制『予防攻撃』で生きながらに焼かれ、蒸発して死んだ者が約8億人。
ヒンドゥークシュ、蘭州、黄河大屈折部・・・大人口地帯が軒並み、熱核兵器で焼き滅ぼされた―――国連上層部、各国政府と、軍部の上層部しか知らない、極秘の情報である。

「・・・所で、皇城との連絡は確立したか?」

いったん話題を切って、右近充大将は腹心の憲兵大佐に確認する。 あそこには、日本帝国にとって『憲法以上に』精神的な影響力を有する尊き御方が座しておられる。

「先ほど、禁衛師団司令部とのホットラインを確立させました。 内府との中継をしてもらいます」

「うん・・・元老・重臣の方々がおられればな。 おい、誰か潜り込ませるか?」

「既に連絡要員を、向こうに。 貴族院各議員の周辺にも、クーデター部隊に気取られぬ程度で、監視を」

元老・重臣の方々は今の所、統制派と利害が一致している。 内府(内大臣)もこちらの橋渡しをしてくれるだろう。 そして政威大将軍の任命・罷免権は大権(皇帝の権限)だ。

「よし。 エス(S:特殊作戦群)は形式上、『むこう(戒厳総司令部)』に握られているからな。 こちらは自前の手札で動くしかない。
近藤(近藤正憲兵大佐:特殊作戦局作戦部長)、貴様の5AGB(第5武装憲兵旅団)は即応能うか? だせる部隊は?」

5AGB―――国家憲兵隊第5武装憲兵旅団は、その麾下に空挺連隊、海上機動連隊、特殊介入任務部隊(GISIG)を置く、治安即応特殊作戦旅団だ。 事実上の特殊任務部隊。
他の旅団―――第1から第4までの武装憲兵旅団は、野戦憲兵であると同時に、陸軍の第一線級機動歩兵部隊と比べても、全く遜色が無い程の重装備の機械化歩兵部隊だった。
装甲戦闘車を始めとする戦闘車両、自走迫撃砲、戦闘・汎用ヘリ改造のガンシップを有する。 個人装備も自動小銃や分隊支援火器。 それに重機や中MAT、重MATまで配備される。

対して、第5武装憲兵旅団は陸海空、3種の特殊作戦行動が可能な、完結した行動能力を付与された治安即応特殊作戦旅団として編成されている。 その規模は『S』より大きい。

「GISIG(武装憲兵隊特殊介入任務部隊)3個中隊、空挺連隊の2個中隊なら即応。 他は2時間待機。 海上機動連隊は海軍との調整後です」

「うん―――偵察隊を何個か横須賀・・・SOCOMに張り付かせておけ。 あと、米国大使館と総領事館にもな」

「了解です」









2001年12月5日 0656 日本帝国 帝都・東京 九段 戒厳総司令部(東京偕行社)


「1年間に、実に12億人弱! 両大戦の9年間、人類が愚行の限りを尽くし、殺し続けた人口の実に10倍じゃ。 儂はな、人類に恐怖する・・・人類の内なる怪物にな」

「・・・怪物、ですか?」

「そう、怪物じゃよ。 無限の不感・・・『自分に降りかからない』、それだけで人類は、底の抜けた不感を発揮しおる。 1973年の世界人口は、39億4000万人・・・」

2001年現在、国連発表の世界人口は10億9300万人。 アフリカ4億2000万、中南米2億3500万、北米1億7000万、オセアニア3800万、アジア全域2億3000万。
アジアの半数近くがインドネシアで1億人。 次いで日本の6200万人、フィリピンの5000万人。 残り1500万の内、台湾600万人を除く1200万人がインドシナ・インド系。









2001年12月5日 0658 日本帝国 帝都・東京 某所(国家憲兵隊予備指揮所)


「出生率と死亡率を少し調べれば、その不自然さがよく判る」

指揮センターの各種大画面情報を眺めながら、右近充大将は最早、独り言のように淡々と話している。 その内容は戦慄すべき内容だったが・・・

「実の所、この30年近くの間に、実際にBETAに食い殺された世界人口は10億人を下回る。 40億に達しよう人口が、人類自身の手で、殺され続けてきたのだ。 
難民による進撃路の渋滞阻止、戦略的遅延作戦、先制攻撃、軍事的予防措置・・・餓死、病死、負傷死・・・治安悪化による犯罪死、軍事秘密の名の下の人体実験・・・」

「1980年代後半、欧州とアフリカの難民キャンプでは、対BETAウイルスと言う荒唐無稽な発案の名の元に・・・
広範囲な生物兵器の散布実験が極秘で行われましたな。 その結果の死者、欧州で3200万人、アフリカで6100万人・・・」

「ふっふ・・・これが人類だ。 人類の無限の不感の闇の深さだ」





帝都・東京 九段 戒厳総司令部(東京偕行社)


「BETAなぞ、ちょっとしたきっかけに過ぎんのじゃよ」





帝都・東京 某所(国家憲兵隊予備指揮所)


「人類は己の闇の深さに、嵌まり込んでいる・・・」





帝都・東京 九段 戒厳総司令部(東京偕行社)/某所 国家憲兵隊予備指揮所


『『―――無限の不感・・・と言う、己の闇の深さに。 宜しい、始めようじゃないか、その無限の不感の宴を』』









2001年12月5日 0710 日本帝国 神奈川県横須賀市 国連軍太平洋方面総軍第11軍 国連軍横須賀基地


「・・・厄介者を押し付けてきたな、日本政府は」

浅黒い顔が、苦々しげな表情になり、呟く。 国連軍横須賀基地司令官を務める、トラン・ヴァン・タン国連軍少将。 南ベトナム軍―――大東亜連合軍からの出向組だ。
3個戦術機甲大隊、3個機甲大隊に4個機械化歩兵大隊、4個装甲歩兵大隊と3個自走砲大隊、他の各種支援部隊・・・1個師団強の戦力を有する横須賀基地の司令官である。

その目前には、洋上からランディングを決める戦術機の群れ。 大東亜連合軍主力のF-18Cホーネットでは無い。 
導入を始めたばかりの最新鋭機、F-18Eスーパーホーネットとも無論違う。 大東亜連合軍の数的な現主力戦術機、F-5EタイガーⅡでもない。
そしてこの基地の戦術機部隊の数的主力、中国の殲撃11型 や、台湾が導入を始めた日本製のType-94Ⅱでもない。

「ふん・・・ストライク(F-15Eストライク・イーグル)に・・・事もあろうか、ラプター(F-22Aラプター)とは! 美国(メイグォ)も、そろそろ形振り構わず、ですね」

「・・・君としては、情報収集の良い機会ではないかね?」

「閣下、そのお言葉、そっくりお返し差し上げますわ」

「やれやれ・・・中佐は手厳しい。 中国美女は、見かけとは反対だな」

「今の世に、男だの、女だのと・・・」

轟音を上げて着陸する『国連軍』所属の戦術機群―――その実態は、沖合の米太平洋艦隊から発艦した米陸軍の3個戦術機甲大隊。
当初は国連軍横浜基地へ進出する予定だった。 が、日本政府経由で国連軍後方支援軍集団から、太平洋方面総軍へ『待った』が掛った(横浜基地の上級司令部は、後方支援軍集団だ)
如何な米軍とて・・・いや、『大義名分』が欲しい米軍と米国だからこそ、この『組織論的正論』には逆らえず、当初の予定を変更して国連軍横須賀基地への進出となったのだ。

「ま、日本政府の立場も判る。 米軍を横浜に入れるのは、鶏小屋に鼬の群れを放つに等しい。 少しでもまともな頭ならば、この横須賀を生贄にする」

「お蔭様で、こちらはパニック寸前ですが・・・部下達の指揮に戻ります、司令官」

「うん。 ま、お客様には適当に、粗相の無いようにな・・・こちらから鼬を放つのは、一向に構わん。 この辺には野生化したのが多い」

「・・・はっ」

ふん、狸め―――内心で軽く毒つきながら、横須賀基地戦術機甲隊司令・兼・作戦参謀の周蘇紅国連軍中佐は、駐機場に並ぶ戦術機をチラッと眺めて、更に毒ついた。

(―――ラプターだと? ラプターだと!? くそっ! 連中、いよいよ本気なのだなっ!?)

本来の母国軍―――今は台湾に『間借り』している中国人民解放軍。 そのルートから密かに流れてきた極秘情報。 クーデター部隊の裏には、カンパニーの非合法作戦が有る、と。
部下の大隊長たちが監視を行っている管制塔へ赴く前に、周中佐は戦術機ハンガーに立ち寄った。 部下の整備下士官を呼ぶ―――人民解放軍総参謀部第1部が送り込んだ男だ。

「劉軍士長(三級軍士長=軍曹に相当)、塩梅はどうか?」

「中校殿(=他国の中佐に相当)、美国(メイグォ=米国)が戦場宅急便で送りつけてきた機材の中に、美味しそうなものが有りました」

「ふむ?」

劉軍士長はノート型の端末から、横須賀基地の兵站管理サーバーへ“ハッキング”を仕掛けていたのだ。 その中には米第7艦隊から送りつけられた機材のリスト詳細情報もある。
そして劉軍士長は、端末画面の情報リストを再表示させると、その中に記されたいくつかのリストを指で差し示した。 が、生憎と周中佐は、そこまで専門的な知識は無い。

「これは―――『IRCサーバー』です。 『指令サーバー』とも言われます。 こいつから『ボットネットワーク』を通じて、外部端末をウイルス感染させます」

「ふむ・・・」

「感染した外部端末は、『ゾンビ』となります。 『ゾンビ』は『ハーダー(HERDER)』の指令の通り『IRCクライアント』となり・・・ま、唯々諾々と従います」

どういう事だろうか? 米軍は日本政府、或は軍部のネットワークに侵入でも? いや、その類の仕事は別の部署が日々、ネットの世界での戦争を繰り広げている。
例え同盟国であっても、情報の世界は味方とは言えない。 いや、誰が味方で、誰が敵と言うのでもない。 ましてやそれが、ネットの海の中で事なれば、尚更・・・

「美味しそうと申しましたのは、こいつが米軍のコペルニクスC4IコンセプトのCTP(戦術レベル共通戦術状況図(CTP)生成システム)のデータリンク・サーバーの予備なのです」

「・・・何だと?」

「しかも・・・こいつはTSF(戦術機甲部隊)用の、です。 プログラムの中身までは、潜り込めませんでした。 ですが自分の感では、こいつはクラッキング系じゃないかと」

「システムをか? いや、違うだろう。 それだと匿名性が危ぶまれる・・・」

「多分、CTPシステムを通して、機体自体に何らかのクラッキングを・・・と考えますがね。 システム全体だと、中校殿の仰る通り、匿名性もあったモノじゃない。
持続性のあるケースも、リスクが大き過ぎる。 恐らくは一発勝負、使い捨て―――バックアップサーバーにしておき、何等かの機会にバックアップ系に切り替える」

「その時点で、相手先に送り込まれる?」

「と言うより、起動コードか何かの承認・・・じゃないでしょうか。 例え戦術機だとしても、こんな後方からクラッキングしても案山子にゃ、できませんし」

「・・・」

しばらく考え込む、周中佐。 これは―――このカードは、どう切るべきだろうか? エースか? それともジョーカーか? いやいや、その前に・・・

「・・・何とかして、プログラムまで潜り込めないか?」

「無理です、ネットワークにサーバー本体が接続された後でないと。 それでも、余程腹を据えないと。 それと腕前―――ケビン・ミトニックでも呼びますか?」

「・・・FBIの協力者を? 逆に我が軍がクラッキングを受けるぞ?―――下村努でも良いな。 是非、我が軍にスカウトしたい・・・無理か」

全米で最も有名『だった』クラッカーと、その好敵手だったコンピュータセキュリティの専門家の名を、苦笑と共に否定する周中佐。 
方や、今はクラッカーからセキュリティ側へと転身し、在米中国公館からのネットワーク侵入を防いでいる男。 
方や19歳でロスアラモス国立研究所のコンピュータ部門で、ハッカー対策に従事し、今はUCSD(カリフォルニア大学サンディエゴ校)の主席特別研究員の物理学者。

「・・・ここで、誰かが、誰かを、案山子にしたい」

「恐らく」

やはりこれは、ジョーカーだ―――周中佐は、出来れば最後まで切りたくないカードだ、そう思った。 同時にカンパニー(CIA)の無節操さには、いい加減に腹が立つ。

(火遊びは、自分の箱庭でやれ! 自国の勢力圏だとうそぶく、カリブ海や中米でな! 大人の遊び場の極東で、アイビーリーグの坊や共を野放しにするな!)





同刻 国連軍横須賀基地 管制塔


「・・・ふぅ~ん? ま、『訓練上手』がどこまでやるか、お手並み拝見?」

「文怜、そんな暢気な状況じゃないわよ?」

「だからって、焦っても仕方ないわよ? 美鳳。 ね、そう思わない? 珠蘭?」

「・・・私に振らないで・・・」

管制塔から米軍部隊の進出を監視していた3人の女性士官たち―――横須賀基地第206戦術機甲大隊長・趙美鳳少佐。 第207戦術機甲大隊長・朱文怜少佐。
そして最近赴任してきた、第208戦術機甲大隊長・李珠蘭少佐。 趙少佐と朱少佐は中国軍からの、李少佐は韓国軍からの出向組だった。

「物量にモノを言わせた大規模制圧砲撃の後で、これまた砲戦主体の集団戦がお得意の米軍部隊よ。 美鳳、米軍のドクトリンは?」

「・・・『敵の6倍の兵力と火力を、1点に集中せよ』、だわ」

「でしょう?―――この狭くて地形変化に富んだ日本の土地で、果たして・・・? うふふ」

「はぁ・・・人の悪い人相になっているわよ、文怜? どうしたの? 固まって・・・珠蘭?」

「あ・・・いえ、ね・・・文怜って、こんな性格だったかしら、って・・・」

引き攣った笑みを浮かべる李少佐。 趙少佐や朱少佐とは、古い戦友同士なのだ。 だが、その戦友の1人が、こんな性格だったとは・・・?

「・・・朱に交われば、ってやつよね・・・」

「あ・・・なんとなく、納得・・・」

3人に共通の友人たちの顔を思い浮かべ、苦笑気味に納得する李少佐。 その友人たちはどうやら今回のクーデター騒ぎ、敵味方に分かれて対峙していると聞く。
その時、管制塔の入り口から彼女たちの上官が姿を見せた。 戦術機甲隊司令・周蘇紅中佐だ。 ズカズカと入ってくると、3人の部下達に肉食獣の牝の様な表情で言う。

「―――なるだけ、連中の足を引っ張ってやれ。 方法は任せる」

「・・・本国の指示ですか?」

いきなりの物騒な上官命令に、慣れたつもりでも一応、確認を取る趙少佐。

「台北(統一中華戦線総司令部)と、マニラ(亡命韓国政府軍司令部)からだ。 ガルーダスも同意だそうだ。 この国の統制派からもな」

「あ~・・・統制派って、やっぱり逃げ延びていました? まるでゴキブリ並のしぶとさだわ・・・」

「文怜、言葉! 中佐、壊滅させても?」

「構わん。 どうせ、カンパニーの非合法作戦部隊だ」

そこでそれまで口を挟まなかった李少佐が、断りを入れる。

「ラプターは日本軍に回しますが? 流石に『アレ』を相手に遊べませんし」

「構わんよ、李少佐。 ストライク(F-15E)2個大隊、こいつらを混乱させてやるだけで良い」

「「「―――了解」」」

国連軍も、一枚岩ではない―――元々が、戦勝国の利権分配目的で、前大戦後に結成された組織だ。 今でも国際利権の談合組織の側面を、強く有している。

「どうせ、最終的にクーデター部隊は鎮圧される。 なら―――恩は高値で売り付けるべきだ。 我々、亡国の民にとってはな」









2001年12月5日 0725 日本帝国 帝都・東京 日本帝国陸軍・戸山陸軍軍医学校練兵場


今は第15師団A戦闘旅団の臨時司令部が置かれている、戸山陸軍軍医学校。 その一角に使用されていない大講義室が有り、そこには臨時の指揮管制所が設置されていた。

「すまないわね、呼び出して」

「いや、構わないが・・・だからと言って、暇にしている訳じゃない」

「判っているわ、『前線』の大隊指揮官の多忙さは・・・」

その指揮管制所脇の小部屋に、周防直衛少佐が呼び出されていた。 相手は旅団情報参謀の、三輪聡子少佐。 普通に大隊指揮官と旅団参謀だが、特に個人的に親しいと言う訳でない。

「師団経由の情報なのだけれど・・・矢作さん(第15師団第2部長(情報・通信)・矢作冴香中佐)から、一報入れておけ、とね・・・市ヶ谷の状況よ」

三輪少佐は、そこでいったん言葉を切った。 相手の様子を確かめている様だ。 だが相手―――周防少佐に表情の変化は特にない。
軽くため息をついて、話を続けようとする。 同時に、彼の様な野戦で戦い続けてきた上級野戦将校の精神構造は如何なるものか・・・知りたいとも思わないが。

「基本は後方勤務者ばかりだから・・・そう激しい抵抗は無かった様ね。 でも数か所で『手違い』が生じたそうよ」

その言葉に、周防少佐は初めて、微かに眉をしかめて表情の変化を見せた。 が、相変わらず無言のままだ。 三輪少佐が話を続ける。

「特に国防省兵器行政本部と機甲本部、それと統帥幕僚本部の第2部(国防計画部)。 ここで小規模な銃撃戦が生起したとの情報が」

「・・・兵器行政本部、機甲本部、統幕2部」

ようやく、周防少佐が声を出した。

「行政本部と機甲本部を制圧した部隊は同じ。 両方とも、制圧部隊の指揮官は陸士卒業したての、若い少尉達だった様ね。 諭されて、逆上したと言うのが本当の所の様だけれど・・・」

兵器行政本部・河惣巽中佐、三瀬(源)麻衣子少佐、死亡(殉職)。 統幕2部・藤田(旧姓:広江)直美大佐、機甲本部・綾森(周防)祥子少佐、負傷・拘束・・・

「旅団長(藤田伊与蔵陸軍准将)には、先ほど報告したわ。 顔色も変えずに『ご苦労』とだけ、ね・・・」

探る様な視線を向けてくる三輪少佐。 その視線に対し、周防少佐は・・・

「―――ご苦労、三輪少佐。 続報が有れば、随時頼みます」

それだけだった。 疲れた表情で苦笑する三輪少佐。 そして敢て聞いてみた。 自分の様な予備の情報将校ではなく、正規教育を受けた正規将校の心の内を。

「・・・機甲本部の綾森少佐は、周防少佐の奥様なのでしょう? 亡くなった三瀬少佐や、河惣大佐とも親しいと聞いているわ。 統幕の藤田大佐も・・・どうして・・・」

どうして―――どうして、そうも無関心なのか? 先ほどの旅団長の藤田准将もそうだった。 統幕の藤田大佐は、旅団長の奥様だ。 そして今の周防少佐も。

「・・・憤激して、悲しんで、慟哭すれば生き返るのか? だったら、幾らでもそうする」

だが、それは無理な話だ。 それを骨の髄まで味わされてきた、死ぬときは、ほんの一瞬の事で、それは唐突にやってくるものだと。
それに、身内や親しい者の死に、都度感情を乱していては戦場で生き残れない事を。 そして部下を余計な死に追いやると言う事も、身に沁みて知っている。

「・・・生きていれば、どうにかなるだろう。 死んだ者には哀悼を―――それだけだ」





練兵場の広大な敷地には、かなりのスペースを増援の戦術機部隊が占めている。 部隊章が異なる―――第14師団の所属機だった。

「―――おう、周防」

練兵場に出てきた時、周防少佐は背後から声を掛けられた。 振り返るとそこに、見知った旧知の人物が、やや憮然とした表情で立っていた。

「・・・木伏さん。 14師(第14師団)の先遣隊か?」

「そうや―――第141戦術機甲連隊第2大隊、ワシの大隊や。 他に機甲、機動歩兵と機械化装甲歩兵が各1個大隊。 
他に何やかや・・・とりあえず、そっちのA戦闘旅団の臨時指揮下に入る事になったわ。 ま、宜しゅう頼むわ」

これで第15師団A戦闘旅団は、実質的に師団相当の戦力を有する事となった。

「それとな・・・お前、もう聞いとるか? 市ヶ谷の事・・・」

「さっき・・・旅団G2から」

「そうかぁ・・・」

死亡した河惣大佐と三瀬少佐、負傷・拘束された藤田大佐は、木伏少佐にとっても旧知の・・・元上官であり、年下の元僚友でもあった。

「技本(技術研究本部)審査部には、情報はまだやろうが・・・源がなぁ・・・」

源雅人少佐―――殉職した三瀬少佐の夫君であり、周防少佐や木伏少佐の古い戦友である。 今は技術研究本部審査部で、戦術機試験大隊を束ねる腕利きの衛士だった。

「俺の女房は・・・負傷・拘束されたらしいですが・・・死んでいません。 でも、源さんは・・・三瀬さんは・・・」

皆、周防少佐が9年半前の新米少尉の頃から、共に戦ってきた先輩たちだった。 助けられ、教えられ・・・時に助け、共に戦い抜いて来た仲間だった、親しい友人だった。

「やっとれんわ・・・直接やないにせよ、久賀がな・・・」

久我直人陸軍少佐―――今回のクーデター、その実働部隊の指揮を担う、クーデター将校の中心人物の1人。 周防少佐の同期の親友で、木伏少佐の年少の元僚友だった人物。

「河惣さんにせよ、三瀬にせよ・・・お前の女房にせよ・・・天下泰平を言うんやったら、相手が違ゃうやろうが・・・」

「河惣さんは随分前に、三瀬さんも・・・実質は戦術機を降りていた。 今は兵器行政の技術将校、そんな道だった・・・」

「お前の女房もや。 藤田さんは・・・統幕の国防計画課長やからな。 ある意味、連中にとってターゲットかと言うと・・・確かにそうやが」

「久賀にせよ・・・中心人物の沙霧にせよ・・・言葉と本音が、乖離している気がしますよ」

「そんなもん・・・ちょっと広く見えるモンやったら、誰でもそう思うわな。 将軍サンが親政したら、佐渡島を奪回できるんかい? 鉄原を陥せるんかい?
大陸のハイヴを攻略できるんかい? 日本中の・・・世界中の難民を、どうにか出来るんかい?―――できへんから、どこの国も必死になっとんのや」

統制派にせよ、国粋派(の上層部)にせよ、行き着くところは極端な国家統制―――国家全体主義だ。 それを『挙国一致体制』を言い換えれば、少しは表現が和らぐ。
だが、それが事実だ。 国家全体主義体制の元、対BETA戦争に全てのソースを注ぎ込む。 生き残る為に。 それ以外の目的は不要だ。

「確かに多くの難民は、えらい難儀しとる。 それは判るわ。 でもなぁ・・・それを憐れんでも、慈悲を掛けても、何の解決にもならんのや―――お慈悲は大罪やで」

「・・・それを理解できないから、あの若い連中は暴走した。 連中の馬鹿さ加減は―――その命で贖えます。 が・・・あの2人は・・・」

「沙霧はのう・・・黒い噂もチラホラしとる。 久賀は・・・あいつだけは、判らん、見えん・・・あの阿呆が!」









2001年12月5日 0735 日本帝国 帝都・東京 高田馬場~早稲田封鎖線 第15師団A戦闘団


「なあ・・・本当に、本当に『皇軍相撃つ』なんてさ、有るのかよ・・・?」

「俺が知るかよ・・・」

「第1師団には、同期が居るのよ・・・同郷の娘なの、幼馴染なのよ・・・そんな事、したくないわ・・・」

「でも・・・もし命令が下れば・・・」

「そんな・・・同じ軍よ!? こ、殺し合うの・・・!?」

少しの間、沈黙が続く。 やがて童顔の、未だ少年の面影を残す(年齢も未だ少年だ!)年若い新米衛士の少尉が、ぼそりと呟いた。

「・・・大隊長、命令下すかな・・・」

その一言に、年若い少尉たちは黙り込む。 彼らにとって、少佐で、大隊長と言う存在は十分『お偉いさん』だ。 しかも彼らの大隊長は、92年から野戦将校として戦っている。
戦場では常にその姿を仰ぎ見て、心強く想い、安堵する存在。 同時に少し『以上に』おっかない存在でもある。 が、今は歴戦を潜り抜けてきた、その現実主義さが不気味に感じる。

「大隊長だって・・・小耳に挟んだんだけどさ。 反乱部隊の指揮官の1人が、大隊長の同期生だって・・・」

「き・・・きっとさ、説得するわよ! ほら、同期生なのだし・・・!」

「う、うん・・・」

対人戦闘―――対BETA戦闘とはまた違った恐怖感を覚える。 BETAはまるで、意思の無い暴虐な暴力装置だが、対人戦闘ははっきりと『人の殺意』を感じてしまう。

「―――おい、こら! 今は警戒待機中だぞ! 自分の小隊に戻れ!」

突然、背後からの怒声にビクッとして振り返る新米少尉達。 そこには第2中隊第3小隊長の半村真里中尉と、第3中隊第3小隊長の楠城千夏中尉が睨みつけていた。

「しょ・・・小隊長・・・!」

「や、やば・・・!」

焦っている新米少尉達―――指揮小隊の宇嶋正彦少尉、第1中隊の大野格少尉、第2中隊の矢野桃子少尉と藤野和美少尉、第3中隊の久瀬保少尉と浅岡理恵少尉の6人。
彼らは衛士訓練校第27期A卒。 衛士訓練校開校以来、初めて同期生の数が3000名を越した期だった(例えば大隊長の周防少佐の第18期A卒だと、同期生は368名だった)
今年の3月に衛士訓練校を卒業後、半年間の錬成部隊での実戦訓練を経て、この9月末に大隊に配属されたばかりの新米衛士達。
今日の戦闘で、第1中隊の三輪陽子少尉が戦死し、第2中隊の段野吾郎少尉が負傷―――同期生が傷つき、死んでいった様を見せつけられたばかりの若者達だ。

「ほらほら! 愚図愚図するな! それとも何? 自分トコロの小隊長も呼んでくる!?」

楠城中尉が脅しをかける。 半村中尉の小隊の矢野少尉と、楠城中尉の小隊の久瀬少尉と浅岡少尉の3人は、諦め顔だ。

「「「「いっ、いえ! 中尉殿!」」」

条件反射で直立不動の姿勢をとるモノの、どこか先程の蟠りが捨てきれない。 指揮小隊所属の宇嶋少尉が、恐る恐る、と言う風で2人の中尉に聞いて来た。

「あ、あのう・・・半村中尉、楠城中尉・・・お聞きしたいことが・・・」

「ああん? お前のトコの北里さん(北里彩弓中尉・大隊指揮小隊長)に聞け」

「まあ、まあ、半村ぁ、そう邪険にしなくっても良いじゃん。 で、何? 宇嶋」

宇嶋少尉は他の同期生たちと顔を見合わせ、思い切って言葉を吐き出した。

「あの・・・もし、もしもですが・・・『そうなったら』・・・大隊長は、その・・・攻撃命令を・・・?」

「―――出す」

「出すわね、大隊長は」

「でっ、でもっ! お、同じ皇軍ですよ!? ど、同期生たちだって・・・!」

若い少尉達の中で、更に一番年若い(3月の早生まれ)矢野桃子少尉が、必死になって言い募ろうとするが・・・

「―――相手は『反乱軍』だ。 鎮圧するのに、容赦は不要だ」

「小隊長・・・」

半村中尉の小隊の、矢野桃子少尉が絶句する。 普段はやや『ちょっと不良な』感じの上官だが、決して部下には無理をさせない、実の所頼りにしている隊長だったのだ。
その隊長が、『容赦は要らない』とはっきり断言したことに、若いと言うよりまだ『幼い』感じが残る矢野少尉はショックを受けたようだった。

「・・・お前たちは、まだ何も考えるな。 BETAと同じだ、意思の無いBETAと同じだ。 考えるな、想像するな―――その時は、絶対にそうしろ、いいな!?」

半村中尉の、予想外に強い口調に呑まれる新米少尉達。 その横から楠城中尉が口を挟んだ。

「ま、アンタたちは、命令をしっかり守って、指示された通りに動く事。 それだけを考えなさい、心がけなさい―――相手がどうこう、そんな事今は、上官に丸投げする事よ」

どうせ、ひよっ子達がウジウジ考えても、解決なんてしやしないからね―――そう言うや楠城中尉は、少尉達に隊に戻るように指示をして、半村中尉と戻って行った。





「半村ぁ、アンタ、相変わらず言葉足らずよねぇ?」

「・・・うるせぇ」

同期同士の2人の中尉達は、周辺監視の傍ら、偶々あの少尉達を見つけたのだったが―――確かに経験不足の年若い少尉達にとっては、今の状況は不安だろう。

「俺らに、あれ以外、何て言えばいいんだよ・・・?」

「・・・言う言葉は無いわね。 所詮、私らだって下っ端なのだし」

「せめて・・・せめて、中隊長からでも、説明欲しいよなぁ・・・」

今後の取り得る行動について。 はたして『皇軍相撃つ』事が有るのか否か。 彼らとて、昨日今日、任官した新米では無い。 既に戦場を何度も経験している。
いざと言う時の覚悟位、出来るポジションに居るのだ。 そしてそれぞれが率いる3人の部下たちの不安を、どう受け止め、どう逸らしてやるか、と言う事も。

「うちの中隊長はねぇ・・・大隊長に信頼置きっぱなしだし」

第3中隊長の遠野万里子大尉は、大隊指揮小隊長を長く務めた女性士官だった。 優秀で有能だが、反面で大隊長に無条件で信を置きすぎる傾向がある、と楠城中尉は見ている。

「うちの中隊長は、『暫くやる事ねぇから、寝ていろ』ってさ・・・こっちはこっちでさぁ・・・」

第2中隊長の八神涼平大尉は、大隊長の周防少佐が大尉の中隊長になった頃から、その下で戦ってきた。 いわば『最も毒されている』面子の西の横綱、と目されている。
第1中隊長の最上大尉は、大隊長の右腕とも言うべき先任中隊長だ。 この人に何か具申するのは、半村中尉や楠城中尉では少々敷居が高い―――いや、煙たい。

「他の・・・香川さん(香川由莉中尉・第2中隊第2小隊長)や鳴海さん(鳴海大輔中尉・第3中隊第2小隊長)も、特に何もせず、だしな・・・」

「城野さん(城野裕紀中尉・第1中隊第2小隊長)も、三島さん(三島晶子中尉・第1中隊第⒊小隊長)もよ」

「北里さん(北里彩弓中尉・大隊指揮小隊長)に至っては、だな・・・」

半村中尉と楠城中尉の2人は、大隊の中尉指揮官中の最後任だ。 先任中尉達が特に行動を起こしていない中、彼らが上官に何やかやと、と言うのは憚れる気がする。
要は『常在戦場』の気構えでいろ、と言う事だろうが。 だが彼らとて、『皇軍相撃つ』なんて、したくもないし、考えたくもない。 しかし彼らは既に、少尉時代に経験していた。

「・・・シベリアじゃ、ソ連軍がロシア人部隊と、非ロシア人・・・少数民族部隊とで、相撃つなんてモンじゃない事、やっていたっけな・・・」

「うん・・・後で色々と思い出してみたら、友軍部隊を恣意的に潰していたっけ・・・」

彼らは、先ほどの不安を滲ませていた新米少尉達より、少しばかり修羅場を潜った経験が有った。






「・・・で? どうお考えなんスか、大隊長?」

臨時の大隊指揮天幕の中で、衛士強化装備姿のままの八神涼平大尉が『コーヒーもどき』を、なみなみとカップに入れて啜りながら聞いていた。
それを横目に、『あんな不味い代物を、こんなに飲みたがるなんて・・・味覚を疑うわ』と言わんばかりの目つきで、遠野万里子大尉がチラ見している。
問われた本人―――第151戦術機甲大隊長の周防直衛少佐は、折椅子に座って肘掛に肘を掛け、口元を片手で覆いながら・・・帝都の周辺地図を見つめて、無言だった。

「八神、そりゃ、命令一下で行動するしかないだろう?」

八神大尉の横で、パイプ椅子に座っていた最上英二大尉が、周防少佐に変わって代弁する。 が、その程度の事、中隊長ならば当然理解している話だ。

「最上さん、俺が聞きたい事はですね・・・部下達に、どこまでの覚悟をさせるべきか、って事っスよ」

「常に最悪を想定し、その前提で準備を怠らず・・・では無いでしょうか? 八神さん?」

「優等生的な模範回答、有難さんで。 遠野大尉殿?」

「・・・茶化さないで下さい、八神大尉」

「止めろ、2人とも―――大隊長、情勢如何では有りますが・・・」

「・・・うん」

周防少佐が短く答える。 最上大尉が濁した言葉、八神大尉がシニカルさに覆って言わんとした事。 遠野大尉が敢て一般論で逸らそうとした事。

周防少佐が言った。

「命令―――戦闘時には、一切の躊躇を許さず」

「・・・命令、ですか?」

「そうだ」

最上大尉が一瞬、言葉に詰まった確認に、周防少佐は躊躇いなく、はっきりと断言した。

「了解しました・・・」

「了解っす・・・」

「・・・了解です」

命令―――軍組織に於いて、最上級の拘束性を有するもの。 命令―――異議の一切を許されぬもの。 命令―――発した者が、全ての責任を負うもの。

命令―――大隊長が、大隊の総員に対し、命令を発した。









2001年12月5日 0823 日本帝国 神奈川県旧横浜市 国連軍横浜基地周辺


「―――ティグリス・リーダーよりティグリス各隊、状況送れ」

『―――ティグリス02、オンステージ』

『―――ティグリス03、配置完了しました』

「―――よし。 別命有るまで現位置を確保。 決して後ろを撃つなよ? ティグリス・リーダー、オーヴァー」

国連軍横浜基地周辺を、日本帝国陸軍の戦術機甲部隊が包囲している―――受けた命令は『横浜基地の周辺警戒』だが。

「―――ティグリス・リーダーよりパンテラ・ワン。 ティグリス全機、配置完了」

『―――パンテラ・リーダー、了解。 ティグリス、レオ、オンサ、各中隊は現刻より『横浜基地周辺警戒』任務に入る―――横須賀に招かれざる客がいる、他所の敷居を跨がせるな』

管区予備の独立混成第154旅団所属の、1個戦術機甲大隊―――『撃震』1個大隊主力の戦闘旅団が、横浜基地周辺の『包囲』を完了した。





[20952] クーデター編 騒擾 5話
Name: samiurai◆b1983cf3 ID:6aaeacb9
Date: 2014/06/15 22:17
2001年12月5日 1035 日本帝国 帝都・東京 某所


「・・・随分と、素敵な場所ね?」

見た目、ラテン系の肉感的な美女が、完璧な北米東部英語で皮肉交じりに言う。

「生憎、帝国ホテルのバー・ラウンジは、予約できなかった」

こちらは誰が見ても『日本人だ』と言うだろう男。 四角いフレームの眼鏡をかけ、やや神経質そうな表情の顔は、髪の毛は七・三分けの『公務員でございます』

「なに、スモーキーバレー(煙の谷と呼ばれる、アジア最大・最悪のスラム街)のVIP席より、マシなだけ上等さ」

浅黒い肌の東南アジア系と思しき、小柄で細身の男が、肩を竦めて言う。

「人生は、ケチな心配事ばかりしているのには、短すぎる―――C・キングスリーか。 我々の立場も、似たようなモノじゃないかね?」

嫌味なオックス・ブリッジ(オックスフォード・ケンブリッジ・イングリッシュ)を話す紳士が、まるで『リッツ・ロンドン』のドレスコードに忠実な装いで腰かける。

場所は―――帝都内某所。 とある難民キャンプ内の、倉庫を改造した違法食堂の一角。 集まった男女は難民キャンプには不似合いな、しかしその存在すら見逃しそうな気配の薄さ。
彼らは『とある事案』の最終的解決、その数段階前の下交渉の為に集っている。 そして現在の帝都は、彼らの様な人間が如何わしげな場所に入り浸るに、うってつけの情勢だった。

「まずは紳士淑女の皆さん、お集まりいただき恐悦至極・・・とりあえず腹を膨らませる、胃腸に自信ある人向けの食い物もあれば、失明を恐れなければ酔える飲み物もある」

「素敵だわ。 素敵すぎて、貴方のその額を穴だらけにしたいぐらい」

「くっくっく・・・セニョリータ、君がチワワ生まれのメス犬だとしてもだ。 ここは君の巣穴に比べれば、ソドムとパライソ程は差があると思うよ?」

中南米で現在、最悪の犯罪多発地帯は、アメリカ=メキシコ国境地帯であり、チワワはメキシコ北部の州の名と共にその州都、そして麻薬犯罪組織が跋扈する犯罪都市だ。
更に言えば、アメリカへの不法入国者のかなりの数が、メキシコとの国境を越えてくる。 そして東部英語を話す美女は、ラテン系だ。

「・・・黙れ、ジャングル・チンク。 貴様の糞を垂れ流しているその口に、産業廃棄物の汚物を突っ込んでファックしていろ、このド貧民め・・・ッ!」

そして『スモーキーバレー』―――フィリピン・マニラ市北部、ケソン市にある巨大な『ゴミ捨て場』は同時に、アジア中の不法難民が暮らす『世界の糞溜め』だ。

「やれやれ・・・新大陸もアジアも、遂に教化し得なかったか・・・主よ、われらの無力をお許し給う」

ラテン系の美女が、ゾッとする冷たい視線で紳士を睨みつけ、東南アジア系の小柄な男が残忍そうな視線で薄気味悪く微笑む。 そして日本人は、ひたすら無関心なポーカーフェイス。

「・・・さて、皆さん。 我々がここに集った目的―――『最終合意』の下準備での摺合わせですが・・・」

ラテン系の美女が、白けたような視線を日本人に向ける―――本当にこいつらは、仕事の下僕・・・エコノミック・アニマルで無く、ワーキング・スレイヴだと言う様に。

「・・・ガルーダスは、合意だよ。 軍内部には、跳ね返っている連中に、好意的な者も居るけれどね。 政治とは常に冷酷に、冷淡であらねばならない・・・筈さ」

大東亜連合軍部内には、日本帝国の皇道派に対して同情的な者が多い。 対してその政治指導部は、かなりの強かさで知られる、国際外交上の寝業師的な性格を持っている。

「少し、信じ難い気もするがね。 半世紀前、君たちの祖父母を困難のどん底に附き合わせたのは、誰だと問いたい気分だね―――我々は、東洋の権益に関しては、関知せぬよ」

「それはね・・・1世紀以上前の、白い旦那のご先祖達さ。 日本人はただ、ぶち壊しに来ただけ―――自分自身もね? 旦那方は半世紀前に、斜陽の帝国となったのさ」

東南アジア系の男は、まるで自分のホームのような様子で。 ヨーロッパ系の紳士は、メンバーズ・クラブのカード室に居るかの様に、葉巻など吸って寛いでいる。

「どいつも、こいつも、糞垂れね・・・アンクル・サムはこれ以上、財布を強請られることに我慢できないの。 お判りかしら?」

「その割には、あちらこちらで、騒動の種を蒔くね、君たちは・・・」

「くっく・・・あの国が、紳士と淑女であった例はないさ。 干渉せずにはいられない、カルヴァン主義的な衝動は最早、本能だね。 くっく・・・」

「ふん・・・変態と貧乏人は黙っていな―――ま、つまりは『私たち』は、これ以上この地域の不安定化を『望んではいない』 そしてそれは・・・」

「それは『ヒュドラの、幾つかの頭の総意』―――そう受け取って間違いないですかな? ミス?」

「―――あら? 意外と、一番紳士ね、貴方って。 少なくとも、ラングレーの中の種馬みたく盛っている連中を、月面まで蹴り飛ばしたい。 そう思っている面子はね?」

「ふむ・・・私の知人の紳士と淑女の方々の中にも、再び一部のユダヤ系は中世期のゲットーに入れた方が良いのではなかろうか、と心を痛める方々も居るよ」

「アンクル・サムの『自由』には、『貶められる自由』、『選別される自由』もあるからなぁ、くっく・・・死に方すら選べない『不幸になる自由』もね。 くっく・・・」

「ふん。 特別、珍しい話でもないわ―――その『自由』さえない国よりもね?」

「ふむ・・・『自由に気がついていない時こそ、人間は一番自由なのだ』―――ローレンス。 我々は精々、この狂った世界に生きる者達に、それを気付かせぬ事だね。
欧州連合と『会議』は、この国の主導権を『統帥派』が握る事に合意するだろう。 麗しき姫君は、愛でるのが最上だよ。 世俗の垢に塗れさせるべきではないね」

「ガルーダスも賛成だね。 我々と日本はもう、既にお互い深くコミットし合っている。 相手の不安定と、夢見る理想主義は御免蒙るよ」

「あのユダヤの老人には、少しばかり黙っていてもらうわ―――場合によっては、永久に。 来週あたり、ウォール・ストリートで変化が見られる・・・かも、しれないわね」

「結構です。 大変に結構です。 では我々としては、ホストの役目を演じねばなりますまい―――将軍家と五摂家、それにかこつける国粋派・・・過去の遺物と相成りましょう」

コーヒータイムは終わった。





「急な依頼で、申し訳ありませんでしたな。 シスター」

「いいえ。 私どもは『互いの利益が侵されない限りの共存』が、信条ですもの」

「ほほう・・・? ヴァチカンの教えで?」

「どちらかと申しますと、経験則ですわ、ミスター」

難民キャンプの違法食堂。 その実質的な『オーナー』である修道女会のシスターが、全くの聖女顔で、そう、のたまう。

「申し訳ないが、他言は貴女の範囲で・・・」

「他言無用、とは、仰りませんのね?」

「どこの愚か者ですか? それは? 我々は『互いの利益が侵されない限りの共存』を旨としております。 こちらに影響のない限り、そちらの利益に手を出しませんよ」





「シスター! こっちのお皿、片しちゃってもいいの?」

「・・・ええ、ニェット、ヤサ、お願いしますね」

「「は~いっ!」」

酒場で下働きとして働いている、カンボジア難民の幼い姉妹(姉は12歳で、妹は9歳だが、難民キャンプに労働基準法など、全く適用されない)が、元気に答える。

そんな様子をチラッと見て、しかし気にすることもなく、そのシスターは近くの修道会に戻って行った。





「・・・ヤサ、ヤサ! ユルール兄ちゃんに伝えてきな。 多分アメリカ人の女の人と、多分ヨーロッパのどこかの小父さん。 それにあれ、フィリピン人だよ。
それから、どこから見ても日本人! たぶん、お役人! 4人で内緒話していたって! 『欧州連合』に『会議』、『アンクル・サム』、『ラングレー』 
あと『ユダヤの老人』、『将軍』、『五摂家』に『国粋派』だよ・・・ね? うん! 覚えた? 覚えたね!?メモはダメだからね!」

「うん! まかせて、お姉ちゃん! あ、でも・・・ユルール兄ちゃん、どこにいるか、わかんない・・・」

「馬っ鹿ね! そんな時はウィソお姉ちゃんか、ナランお姉ちゃんに、伝えればいいのよ!」

「うん! わかった!」

難民には難民の、日本人には把握出来ていないネットワークと言うものが、確かに存在した。





「・・・ま、多少のイレギュラーは、存在しても問題は無いわ・・・」

修道会の教会、その窓から、走り去って行く幼い少女の後姿を見つめて、そのシスターは、こっそりと呟いた。








2001年12月5日 1055 日本帝国 丹沢山系


『ロータス、ポイント03へ移動せよ・・・』

『ロータス、コピー』

『カーム、対処08 02時より03時、ヘクターが移動中。 注意』

状況は帝国陸軍特殊作戦群に有利―――と言うより、一方的な虐殺の場と化しつつあった。 数の問題では無かった。 相手にはこちらが見えず、こちらからは相手が丸見え。
相手は既に自分たちの位置が暴露されている事に気付かず、無造作に行動した結果、次々と『無力化』されていっている。

『ロメオよりマム、ポイント06に占位』

『マムよりロメオ、11時の沢より対象・ブラボー01~08が移動中。 殲滅せよ』

『ロメオ、コピー』

相手の要員の中に、恐怖に囚われた者が出始める。 闇雲に弾幕射撃を張り出したのだ。 場所が不明、だったらとりあえず制圧して・・・とんでもなく悪手だ。

『へクターよりマム、ポイント05 これより制圧開始』

『マムよりへクター、ラジャ』

『カーム、対処06 ポイント12のアルファ05~09を制圧。 へクターの側面を確保せよ』

『カーム、コピー』

上空には、静かに滞空し続けるUVA。 ただし戦場に投入される大型の『Tactical UAV(戦術無人機)』ではなかった。
実の所、民間での無人機(無人ヘリ含む)利用で、世界最大の普及国である日本(その大半は、農業での農薬散布利用だ) そこに軍が目を付けた。
個人携帯型飛行体(全幅約60cm、質量約400g、電動プロペラ推進)は、国防省が軍需企業と共に開発した、機動歩兵・機械化装甲歩兵の近距離偵察用無人機(UAV)だ。
この他に、異業種の中小企業が『クラスター』と呼ばれる集合体(コンソーシアム)を作り、大学や各地の技術センターなどの研究機関と密接に連携して幾つかの機種を開発した。

その中から、旧新潟県と旧神奈川県の中小企業が参画し、地元の大学や県の技術センターと連携して開発され、軍に制式採用されたUAV『天鷹』
全長2000mm、翼長3200mm、全高640mm。 飛行速度は最大140km/h、巡航速度85km/h 最大飛行高度4000m、航続距離400km(巡航で約4時間40分)
地上から手動または自動離陸。 機体内コンピューターと、地上管制コンピューターをデータリンクし、全自動プリプログラム飛行(自律飛行)を行う。
ペイロード(搭載物重量)は約8.5kg 搭載カメラにより、毎秒約3枚で画像を撮影が可能。 これを管制側で高速画像処理を行い、不正規戦管制を行う。

帝国陸軍特殊作戦群が採用しているのは、このタイプの国産小型UAVだった。

「―――デルタ(デルタフォース:第1特殊作戦部隊デルタ分遣隊)か、デブグル(海軍特殊戦開発グループ)か・・・いずれにせよ、土壇場でチャージをかます癖は相変わらずか」

「お蔭様で、大変、殺り易いですよ、連中は・・・これがSAS(第22SAS連隊)やSBS(英海兵隊特殊部隊)だと、ネチネチ、ネチネチと・・・嫌ですがね」

「KSK(Kommando Spezialkräfte:西独連邦陸軍特殊作戦師団・特殊戦団(旅団級))も、嫌な相手だぜ?」

「アメちゃんのドクトリンは単純明快です。 『敵の6倍の戦力を、1点に集中せよ』ですから。 三つ子の魂、百まで・・・ってわけじゃないでしょうが」

後方の管制車両の中で、指揮官とその副官の間では、そんな会話が交わされていた。





『ガッデム! サノバビッチ!』

『無暗に撃つな、ローダン!―――シット! ライル! ローダンが殺られた! イマイとワンはっ!?』

『さっき、くたばった! ダブルタップで、ヘッドショットだ! 連中、ジャップの“S”―――スペシャル・フォースだ! 動くな、ロジャー!
シックス! こちらエコー! 作戦失敗! 作戦失敗! アンブッシュを受けている! 被害は50%を越した! 作戦続行は不可能!』

『糞ったれ! だからCIAのエージェントとなんかと、一緒の作戦は嫌だったんだ! いくら極東の作戦だからって、グーク(東洋系の蔑称)なんざ、足手纏いで・・・ゴッ!?』

『ローダン!? ガッデム! ジャップめ!』





「―――対象、A群は全て無力化されました」

「おう、ご苦労さん。 しかしまあ、連中も今回は災難だったな」

災難、その一言で片づけるには、当事者たちには『ふざけるな!』と言いたくなるだろうが・・・

「そうですな。 同盟国内での『アンタッチャブル』な不正規作戦行動です。 その上、与り知らぬ所から情報が筒抜けでは・・・」

重装備をガチャガチャと鳴らして、アンタッチャブルな不正規戦を行う馬鹿は居ない。 だから連中も、装備はブラックファティーグにボディアーマー程度。
火力も本来の物とは大幅に減じて、精々がMP5・SD3程度。 これで想定外の精鋭特殊部隊の相手をしろと言うのは、些か以上に酷な話だ。
おまけにこちらは、UAVで連中の動きを完全に把握し、かつ、地形を味方とし、待ち伏せして多方向から攻撃していた。

「A群の30名は、全て無力化しました。 エリア02、03も順調に推移、予定では10分以内に」

「はいよ」

恐らくは、帝都での市街戦が生起した状況で何らかの要人暗殺、もしくは誘拐任務。 或は臨時政府の始末、用を為した後の『不要部品』のメンテナンス任務を負っていた連中。

「・・・ま、軍の方は粗方、始末できたとして、だ・・・」

残りは、憲兵隊と特高警察。 それぞれの特殊介入部隊と、特務公安部隊。 連中が残りの『影』の部分を排除しない事には、片手落ちとなる。

(・・・ま、それは専門家に任せるさ)

軍の特殊部隊と、憲兵隊の特殊介入部隊や、特高警察の特務公安部隊とでは、商売範囲が異なる。 餅は餅屋、任せるに限る。

「・・・よし、残るB、C群の『無力化』完了後、速やかに撤収する」

「了解です」

無論、『無力化』とは、この場合は身元不明の死体の量産に他ならない。










2001年12月5日 1125 日本帝国 帝都・東京 高田馬場付近


「・・・でさ、ウチの連中が言うには、同席していたのは男が3人に、女が1人。 男は1人が日本人だったって。 髪を7:3分けにした、公務員以外になり様のない男だってさ」

「ふ・・・ん。 他は?」

「男の1人は、明らかに東南アジア系。 『ガルーダス』って単語も聞き取れた。 残る1人はヨーロッパ系だね、白人。 『欧州連合』に『会議』、この2つの単語だね。
女はラテン系っぽかったけれど、『アンクル・サム』、『ラングレー』の単語から、多分アメリカ人さ。 あ、あと『ユダヤの老人』、『将軍』、『五摂家』に『国粋派』だよ」

早稲田の警戒線から少し離れた、とある廃ビルの中。 2人の軍人と2人の少年が話し込んでいた。 他に誰もいない。 少年が時折、外を覗き見るのは警戒のためだ。

「あとね・・・1年前からちょくちょく、摂家の斑鳩家・・・あそこに軍のお偉いさんが、お忍びで来ていたよ。 ここ2、3ケ月は頻繁に」

「・・・よく、摂家の周辺を調べられたな?」

「簡単さ。 あそこはどういう訳か、昔っからの井戸をまだ使っているのさ。 なんでも、お茶の水に良いとか・・・で、その井戸も底攫いしなきゃ、詰まるよね?
人が2人、ようやく動ける狭さで、胸の辺りまで水が来るようになるまで、延々と井戸の底で、溜った砂や土を攫うのさ。 日本人なんか、難民でもそんな事、しやしない」

「手配師がさ、国際難民区に仕事を振り分けるのさ。 他にも汚くて、危険で、きつい仕事は国際難民区の住民の仕事さ。 日本の難民はさ、仕事を選り好みし過ぎだよ。
で、丁度、僕の会社が斑鳩家から・・・元請の下の下請けの、そのまた下の、また下の、3次下請けで受注してさ。 2回ほど仕事しに行った事が有る。 その時、ちらっと見えたよ」

少年たちは17、18歳ほどだろうか。 子供ではないが、まだ大人になり切っていない年頃。 だが社会の表から裏まで、幼い頃より見尽くしてきた少年たち。

「他にもね、近所の下水道工事の下請けの下請け会社に、雇われた時に見たんだけどね。 車の前に三角の小旗(将官旗)と、フロントガラスに赤字の帯に4つの桜・・・大将だった」

「あそこの家の使用人の車は、僕の所の修理工場で整備しているんだけどさ。 運転手で仲の良い人からさ、『最近、やけに軍の偉いさんが来る』ってさ。 名前も聞いたよ」

「その後もさ、他の仲間がゴミ清掃や廃品回収の仕事中に、中将や少将の標識や、佐官の乗った車も見かけているよ。 以前、新聞記事で見た顔だったよ」

「・・・誰と誰だ?」

「軍事参議官の間崎大将に、第1軍司令官の寺倉大将、それと東部軍参謀長の田中中将。 佐官クラスは判らない、流石に。 でも参謀飾緒を吊るしていた、陸軍と航空宇宙軍」

「海軍は? 居たか?」

「少なくとも、僕らの仲間は見ていないよ。 あの辺はベトナム人の縄張りだから、ゴー・ジェムに探りを入れるけれど?」

「あ、それとさ。 佐官で思い出したよ、直衛兄さん。 前に兄さんと一緒にいた人が居たよ」

「・・・誰だ?」

「ええと・・・確か、そう、久賀さんっていう人だ。 うん、間違いないよ。 陸軍の間崎大将と一緒だった。 一人だけ、参謀飾緒を吊るしていなかったから、覚えていたよ」

「そうか・・・」

「・・・久賀め、どこまで食い込んでいやがる?」

軍人の2人は、日本帝国陸軍の周防直衛少佐と、長門圭介少佐。 2人の少年はユルールとオユントゥルフール。 4人は9年前からの旧知だった。
待機状態が続く中、軍上層部からは『警戒を厳にせよ』とだけ、一方的に言ってくるのみ。 彼らも軍人、それも職業軍人だ。 その辺の無茶振りは、軍の常套として理解している。

だが、何も情報が無いのでは、緊急時の対応に差が出る。 かと言って、例え師団経由で確認したとしても、形通りの返答しか返ってこない事は判り切っている。
そこで2人の少佐は、あらゆる手立てで、情報をかき集め始めた。 ひとつは軍内部の『裏のネットワーク』だ。 これは主に、古参下士官や准士官連中のネットワークである。

軍は士官だけで成立しない。 士官が頭脳なら、兵は筋肉や皮膚や脂肪、その他。 そして下士官と准士官こそが、骨格と神経、そして臓器と血液である。
正規の情報ルート以外に、この『古参の同期ネットワーク』は、どこの国の軍でも存在する。 そして日本帝国3軍でも存在する。 古くからの軍歌『同期の桜』に象徴される様に。

大隊の整備・主計・通信・支援を行う部隊が、大隊には附属している。 そこには必ず1人か2人は、苔むした古参下士官や、それ以上の古強者の准士官がいる。
彼らは扱うには、骨が折れるほど気難しい所がある。 が、2人の少佐は何とか、そのネットワークに流れる情報を集めるよう、『お願い』する事に成功した。

もうひとつは、周防少佐、長門少佐自身のネットワークだった。 主に同期生のネットワークだ。 任官後9年、数少なくなった同期生たちは、中には前線を退いた者も居る。
後方の教育部隊の教官、国防省や統帥幕僚本部、参謀本部の部員。 中には誰も初めて聞く様な、地味な閑職に就いている者も居る。 
そうした連中の大半が、戦場での負傷が原因で、衛士資格を失いリタイアした者達だ。 だがそれ故に、現役の同期生の頼みは快く引き受けてくれる。

何より、皆が少佐だった―――ある程度の情報に通じ、そして責任部署での無理が利くポジションに居る、小山の大将たちだった。

そして現在は、軍以外の『情報網』を使って調べている。 ユルールとオユントゥルフールの2人の難民上がりの少年達は、難民間の情報ネットワークに食い込んでいる。
中華系の幣(パン)や、他の民族系マフィアとは直接繋がりは無いが、年少の頃にはそう言った連中の手足として、盗み聞きや盗み見で、小銭を稼いでいた頃もあった。
今では、そうした『下働き』をしている少年少女たちの兄貴分として、『正式な裏ルート』以外のネットワークを持っている。 なかなか強かな少年達だ。

「他にさ、帝都城の秘密脱出用の地下通路が、最近になって稼働確認されたって、噂もあるよ。 裏ルートで半月ほど前から流れ始めたよ」

「ユルール・・・お前、流石にそれは首を突っ込み過ぎだぞ? 下手すれば、特高か憲兵隊特務辺りに、消される」

周防少佐が顔を顰めるも、ユルールはあっけらかんとしたモノだった。

「大丈夫さ。 そんなネタ、裏じゃ、結構知れ渡っているよ」

「・・・ネタ元は、どこだ?」

今度は長門少佐が、可笑しそうに横でクック・・・と笑っているオユントゥルフールを軽く睨みながら、呆れた口調で見ながら聞く。
ユルールは周防少佐に、オユントゥルフールは長門少佐に、それぞれ懐いていて、兄貴分として慕って何かとくっついている少年達だ。

「流石にさ、僕らじゃそんな、秘密の通路に足を踏み入れるなんて、出来ないって。 でもね、通路には通風路もあれば、排水路もあるんだよ?」

「設備の点検作業・・・か」

「はっ・・・盲点だな」

兄のように慕う2人の少佐達の顔を、可笑しそうに眺めながら難民出身の少年たちは話を続けた。

「通風路も排水路も、ずっと続いている訳じゃないけどさ。 でもね、帝都城の近くの地下現場から、転々とかなりの数が断続して繋がっているんだ。
仲間のひとりは、伊豆で作業したって言っていたよ。 ルートは所々で切れているけれど・・・繋ぎ合わせれば、こんな感じかな?」

それは帝都・千代田の帝都城から、世田谷で多摩川を渡り、旧川崎市・旧横浜市北部から、町田、綾瀬、海老名、伊勢原、秦野を通り、小田原市北部を経由して南足柄へ。
そこから芦ノ湖方面へ南下し、最後は塔ヶ城方向へ・・・甲22号作戦前まで、斯衛第2連隊を支え続けた秘密の地下兵站線、そのものだった。

「すると、何だ? 城代省もこの件、事前に察知していたってことか?」

「にしては、未だ将軍は帝都城の中だ。 表向きはそうだ。 そして今回は『裏向き』は出来ないからな」

「クーデターを起こした連中は、将軍を錦の御旗に仕立て上げようとしている。 それを説得なり、鎮圧なりせず脱出すれば、その事がリークされたら、最後だな。 政治生命的に」

周防少佐と長門少佐が、得手では無い政治問題(能力でなく、性格的に)の不整合さを訝しんでいると、ユルールとオユンの2人の難民出身少年たちが、顔を見合わせながら言った。

「でもね・・・その発注元って言うのかな? 元請の建設会社の現場監督が、薄気味悪そうに言っていたらしいんだ。 『城代省の発注じゃない』って・・・」

「・・・城代省じゃない?」

「斯衛軍が、独自予算で発注したのか?」

「いや、有り得んだろう? 斯衛の予算権限は、城代省軍警部(軍事警備部)が握っている。 あそこも、同じ武家連中の城代省だぞ?」

「・・・ユルール、オユン、他に何か言っていなかったか? その『現場監督』ってのは?」

「僕らの仲間が聞いたのは、それだけさ。 でもね、シャン族(ミャンマーの少数民族)の連中がね・・・見つけたんだよ」

「何を・・・?」

「・・・現場監督の、水死体を。 1週間前に、平和島の辺りで」

「シャン族の連中はね、元軍人上りが多いのさ。 今はあちこちの組織に、金で雇われるフリーの『調査屋』が多いんだ。 その中に、昔、世話になった人がいてさ・・・
泥酔して、誤って海に落ちて溺死。 そうなっている様だけどさ。 その人曰く、『プロの仕業だ』ってさ・・・」

「中華系の連中は、豚の餌にするし。 東南アジアの連中は、顔と指紋を潰すんだって。 で、日本人は・・・」

「自然死、もしくは『自然な事故死』に見せかける。 徹底的に―――そのシャン族の男は、情報部崩れか何かだろうな。 ユルール、オユン、済まなかった・・・」

「直衛兄さん?」

「どうしたのさ?」

「お前たちは、裏の人間じゃない。 難民区のガキたちの兄貴分だが、裏の人間じゃない。 正業に就いている堅気だ。 それを・・・本当に、済まなかった」

「後々を考えれば、師団の警務に身辺警護を頼む訳にもいかない。 今度こそ、お前らの生き抜いて来た勘に頼るしかない・・・情けないが、俺たちはこんなもんだ。 済まない」

2人の少佐が、頭を下げた。 裏社会に、この事がバレたとして、消されるかどうかと言えば、消されない可能性が高い。 その事はユルールもオユンも、しっかり把握している。
が、問題はこの国の情報機関・・・情報省、特高、国家憲兵隊に軍情報本部、この当りの出方だ。 一般にこれらの組織は、対立組織の人間には手を出さない。
報復の連鎖を恐れるが故だ。 逆に、その手先となった自国民や、自国居住者の民間人には容赦しない。 一切の形跡を消し去る様に、確実に裏で消す。

無論、周防少佐も長門少佐も、情報ネタを口外する気は全くない。 そしてそれを匂わせる動きも極力しないし、しても影響を消すように動くつもりではある。
だが世の中に完璧は無いし、情報機関がどう判断するのかなど、前線部隊勤務の野戦将校である2人の少佐には、判断しようが無いのも事実だった。

「大丈夫だよ、直衛兄さん、圭介兄さん。 俺たちのネタは、難民区の裏じゃ、誰でも聞きかじっている情報さ。 情報部や、そんな連中も、その辺は判っていると思うよ」

「本当にヤバいネタなんかは、僕らみたいな使い走りじゃなくって、本職の『情報屋』から買うしかないしね。 この辺じゃ『千里眼』のチャウ・ミンとか、『百耳』の安大弦とか」

いずれも、裏では有名な情報屋だ。 情報省や特高、憲兵隊や軍情報本部さえ、時として『情報を買う』事もある、大物たちだ。

「・・・それでも、随分と助かったよ。 ユルール、オユン。 これで、チビ達に何か食わせてやってくれ」

そう言って周防少佐が無造作に渡した札束を見て、ユルールは吃驚したように叫んだ。 オユンも一瞬、目を剥いていた。

「兄さん・・・多い、多いよ! こんな大金・・・!」

「気にするな、ユルール。 俺のトコも、圭介のトコも、『夫婦共働き』だからな。 少しは余裕がある・・・受け取れ、正当な報酬だ」

その額は、小学校教師の初任給分ほどの額のお金だった。 確かにユルールとオユンには大金だ、自分たちの給料よりも多い。
だが周防家も長門家も、『夫婦共働き』―――両家とも、夫婦そろって陸軍少佐。 高等官奏任五等の『高等官僚』でもある。 それなりの収入は得ていた。

「助かるよ・・・最近は、仕事はあるけれど、安い仕事ばかりでさ。 給料も少し下がったし」

「オユン!」

「ユルール、俺たちの稼ぎは、妹たちの食い扶持と学費稼ぎだけじゃないだろ? 他のチビ達も、食わせなきゃ」

「そりゃ、そうだけどな・・・」

国際難民区には、親を亡くした幼い孤児たちが多くいる。 宗教団体や、この国の特権階層・・・貴族社会の一部からの、『善意の支援』も有るには有るが、全てを賄いきれない。
ユルールもオユンも、自分たちの妹―――ウィソとナランツェツェグ―――以外にも、10人ほどの幼い難民孤児たちの『兄貴分』として、彼らを食べさせている。

「じゃあ、遠慮なく貰うよ・・・兄さん、また何か、役に立てる事が有ったら、連絡してくれよ」

「いや、連絡はしない・・・もう、これ以上足を突っ込ませる訳には、行かないからな」

「お前らに何かあれば、ウィソやナラン、それにチビ達が路頭に迷うからな」

周防少佐と長門少佐が、やんちゃな弟を見る様な目で申し出を否定するが、難民出身の少年達―――誇り高い遊牧の民の血を引く少年たちは、真剣な目で言い返した。

「・・・俺たちは、兄さんたちに命を救われた。 俺たちだけじゃない、一族がだ」

「俺たちの一族は、兄さんたちに命に代えても、返さなきゃならない恩が有るんだ。 判るかい? 命の恩だ。 命には、命を以って返す―――遊牧の民の掟だよ」

確かに9年前、彼ら一族を北満州で救った。 だがそれは、周防少佐も長門少佐も、軍命の一環としてだ・・・

「関係ないね。 俺たちは幼かったけれど、兄さんたちが真剣だったことは、死んだ親父や叔父貴達がよく言っていた」

「親父も、叔父貴達も、横浜で死んじまったけれど・・・代わりに今は、俺とユルールが一族の長なんだ。 だから、一族の恩は、必ず返す」

全く引く気の無い少年達に、周防少佐と長門少佐は、場所柄と時期柄を忘れて、思わず嘆息するしかなかった。








2001年12月5日 1245 日本帝国 帝都・東京 戸山陸軍軍医学校 第15師団A戦闘旅団臨時本部


「師団からの情報では、相変わらず皇城と帝都城、その中間を占拠したうえで、皇城の禁衛師団、帝都城の斯衛第2聯隊と睨み合いが続いておる」

旅団本部―――戸山の陸軍軍医学校、その中の講堂の一部を間借りした臨時の旅団本部に、幹部将校団が揃っていた。 今は旅団長・藤田准将の話を傾聴している。

「クーデター部隊が行動を開始したのが、本未明、0200頃。 0230から0240の間に、首相をはじめ複数の閣僚を殺害。 0300には帝都中心部で行動を起こした」

0305、国会議事堂、国営放送局占拠。 警視庁・特別高等公安警察局を急襲、交戦となる。
0312、本土防衛軍司令部、相馬原基地の第7軍第18軍団第14師団、江戸川基地の第1軍第1軍団第3師団へ『有事緊急出撃』下命。
0315、江戸川の第3師団、全部隊緊急呼集開始。
0318、陸軍参謀本部、航空宇宙軍作戦本部襲撃。 海軍軍令部は目標外とされた。
0320、国家憲兵隊襲撃、交戦となる。
0333、国防省、統帥幕僚本部、本土防衛軍司令部襲撃。 交戦となる。
0355、横須賀の海軍第3陸戦旅団、緊急出動命令。 第1艦隊、浦賀水道へ。
0402、陸軍参謀本部、航空宇宙軍作戦本部が占拠される。
0418、国家憲兵隊本部が占拠される。 長官、副長官は既に脱出後だった。
0435、国防省、統帥幕僚本部が占拠される。
0445、警視庁、特高警察、包囲網下に置かれる。
0500、沙霧尚哉陸軍大尉による、声明放送。
0515、クーデター部隊、帝都城を包囲。
0525、皇城の禁衛師団、出師準備完了。
0545、第3師団、帝都東部の治安回復。 品川付近でクーデター部隊(独立混成第102、第105旅団)と睨み合いが続く。
0605、第15師団A戦闘旅団、独立混成第101旅団、同第103旅団、帝都西北部に進出(高田馬場~早稲田封鎖線を構築) 第1師団と対峙する。
0615、海軍第3陸戦旅団、旧川崎市に上陸・展開完了。 多摩川を挟み、クーデター部隊(独立混成第108旅団)と睨み合いが続く。
0625、仙台臨時政府樹立。 皇城『以北』の地域を掌握する。
0636、第15師団本隊(B戦闘旅団主力)、府中基地制圧。 第3戦術機甲連隊(第1師団)支援部隊、制圧される。
0645、『緊急勅令』により、関東全域、及び東海・甲信越・東北地方に『行政戒厳』が宣告される。
0700、横浜基地、米軍受け入れ ⇒ 横須賀基地に変更。
0715、第14師団主力、相馬原基地より、松戸基地へ移動完了。
0730、戒厳総司令部、横浜基地包囲を下命。
0823、横浜基地を帝国軍が包囲。 帝都周辺の部隊、クーデター部隊を包囲開始。 第7軍(第2軍団、第18軍団)、第56師団、第40師団を帝都へ派遣。
0943、第4軍団(第13師団=旧八王子市、第44師団=旧大和市、第46師団=旧藤沢市)、帝都西方を封鎖。 帝都の東西南北、4方向全てが戒厳司令部指揮下部隊に封鎖される。


「・・・連中がこの馬鹿騒ぎを起こして、約11時間近くなる。 その間に連中が為した事は・・・」

「行政府と通信、警察、軍政・軍令、その制圧」

「確かに。 しかし、制圧のみだ。 確か、沙霧と言ったか? 1師団の大尉・・・あの男の声明放送以外、政治的な動きは何もしていないのじゃないか?」

A戦闘旅団G1(人事・訓練主任参謀)の富樫直久中佐、G3(作戦参謀)の加賀平四朗中佐、自走砲大隊長の大野大輔中佐らが、首を傾げる。

「確かに、妙です。 千代田一帯を封鎖後は、特に表立っての行動を起こしていません」

旅団G2(情報参謀)の三輪聡子少佐も、訝しげな表情で思案している。

「おい、通信(本部通信中隊長) 何か新しいネタはあるのか?」

機械化装甲歩兵大隊長の皆本忠晴少佐が振ると、旅団本部通信中隊長の信賀朋恵大尉が、短めの髪を軽く振って答える。

「何も―――だんまり、です」

皆が黙り込む―――連中、一体何を考えている?

「―――クーデター、その要訣は?」

不意に、旅団長の藤田准将が問いかけた。 幹部将校たちは一瞬、互いに目を配らせ・・・

「支配層内部での権力移動を目的とした、既存支配勢力の一部が非合法的な武力行使によって、政権を奪う行為。
行為主体である軍事組織により、臨時政府の樹立と直接的な統治が意図された活動・・・合致しません」

第151戦術機甲大隊長の、周防直衛少佐が答える。

「そのストラテジーとタクティクスは? 周防?」

「奇襲の成功と資源の確保―――ただし、既存統治機構からの権力奪取後、臨時政府を樹立する事が目標となる為、通常の軍事作戦とは異なる側面も」

幹部将校団の中では、周防少佐は数少ない例外と言ってよい、外部の(それも海外の)高等教育機関―――大学で、短期留学とは言え、社会軍事学系の学問を学んだ人物だった。
故に、この手の話は彼に喋らせるに限る―――他の幹部将校たちは皆、藤田准将と周防少佐の問答に聞き入っていた。 ひとり、長門少佐だけは面白そうな表情だったが。

「ストラテジー・・・戦略面での非合致とは? クーデターの達成を確実なものにする為には?」

「第三勢力による対抗クーデター、及び政治的介入阻止の為の物資・人員の喪失回避。 これは連中の行動と合致します。 
しかし、速やかに民意の支持を獲得し、既存の政府に対する支持を無力化する必要がある・・・軍事組織それ自体は、政治的な正当性を備えた組織ではありません」

「・・・迅速に国家の首都を部隊で占拠し、権力中枢に関与している指導的政治勢力を排除、もしくは従属させる事を画策・実行せねばならない―――非合致だな」

「はい。 戦術面で申せば、ほぼ合致しておりますが・・・解せない点が、ひとつ」

「何だ? 言ってみろ」

「・・・防諜の観点からですが、実行部隊の人員は技能だけでなく、信頼可能かどうかを判断し、秘密裏に選抜しなければなりません。
本来、クーデターとは比較的少数の規模で起こすのが最上の手。 しかしながら今回、これだけの規模で係わっていながら・・・」

「―――恐らく、政治だな」

それまで、ひとりだけ面白そうな表情だった、第152戦術機甲大隊長の長門圭介少佐が口を挟んだ。 上官である藤田准将と、同僚の周防少佐を交互に見て言う。

「恐らくは、政治。 誰かが、誰かのケツを蹴り上げるために・・・或は、お互いが蹴り上げようとしている為に、連中を『利用し、黙認した』・・・歴史上、腐るほど前例が」

長門少佐は国連軍在籍中の初級将校補習教育を、周防少佐がNYU(ニューヨーク大学)で学んだのと同様、彼は北アイルランドのQUB(クィーンズ大学ベルファスト)で学んだ。
専攻したのは『歴史学』と『文化人類学(社会人類学とも)』 周防少佐が『比較歴史社会学』と、『軍事社会学』を専攻しており、この2人、似通った所がある。

「長門、さっきのネタか? 周防も言っていた、あの?」

自走高射砲大隊長・谷元広明少佐が問いかける。 彼は陸軍将校中の少数勢力である、大学卒の学士将校で、専攻も周防少佐や長門少佐と同じ、人文学系だった。

「裏は取れていないけどね。 それでも統制派と国粋派の抗争は、臨界点間近だった事は、周知の事実だ。 そしてこの国は残念ながら、早々余裕は無い・・・」

長門少佐は周囲を見渡し、話を続けた。

「クーデターを起こした連中は、通常の『クーデター』として見れば、宝石より貴重な数時間を無為に潰している。 
早急に権力を奪取し、自分の正当性(偽善性か?)を確立すべきだった。 しかし連中は、帝都中心部を管制下に置いたのちは、目立った動きを見せていない」

仙台の臨時政府に対抗する組織を、早急に成立させるべきなのに―――長門少佐はそう付け加えたのち、同僚で、親友で、自分と同じ視点を持つ周防少佐に視線を向けた。

その視線を受けた周防少佐が、一言口にする。

「・・・それに連中は、大きな間違いを犯した」

「うん?」

周防少佐の一言に、藤田准将が続きを促した。

「玉―――己の正当性の担保です。 連中はそれを、政威大将軍に求めました。 愚か、としか言い様が無い。 五摂家は『藩屏』であっても、『君主』では無いのですから」

確かに、日本帝国に於いて政威大将軍は、『国事全権代理』任者である。 しかしながら『代理』なのだ。 いわば国権の行使、その権を皇帝より『委任』された者だ。

「それだけです。 クーデターでの正当性を担保するのに、選ぶべき相手では有りません。 本来であれば、握るべき玉は皇帝陛下・・・帝国の国家元首にして、国権を統べる方です」

その言葉に、周りの中佐・少佐達が暗澹とした口調で呟いた。

「・・・誰かが、誰かを・・・或は双方が、お互いのケツを蹴り上げるために・・・」

「純粋な愚者を利用した・・・か。 付き合わされる下士官兵たちが、不憫だな・・・」





[20952] クーデター編 騒擾 6話
Name: samiurai◆b1983cf3 ID:6aaeacb9
Date: 2014/07/28 21:35
2001年12月5日 1325 日本帝国帝都 隅田・深川付近 某所


「・・・では、御家は此度の騒乱、関与せず。 当主交代も支持する、と?」

「はい、義姉上様。 夫も、義父も、その様に」

帝都の東、深川界隈の某所。 およそ庶民の街中に、昔ながらの古い、しかし広い一軒家が有る。 そこは、さる芸事の宗家の別邸だが、今日そこを訪れているのは・・・

「彩乃様、斯様な情勢の中、御身の危険を承知でお呼びしました事、相済みませぬ」

黒絹に四季の百花を散りばめた、品の良い友禅の小紋に身を包んだ女性が、すっと、畳に手を突いて頭を垂れる。
その様子に、水浅黄の地色に糸菊の繊細な花びらの友禅小紋を着付けた、やや若い年頃の女性も、慌てて頭を下げる。

「何を仰います、緋紗義姉上様! 今は御国の大事、私もかつて、斯衛の禄を食んでいた身です。 それに実家の父上や兄上の求めとあらば・・・夫も、賛同してくれています」

やや年上の、20代後半くらいと思しき婦人は、九條公爵家門流重臣、菊亭伯爵家の伯爵夫人・菊亭緋沙夫人(旧姓:神楽)
その相手、20代前半頃と思える若い婦人は、斑鳩公爵家の重臣、醍醐伯爵家世子(後継者)夫人・醍醐彩乃夫人(旧姓:菊亭) 
醍醐伯爵家世子夫人の醍醐彩乃は、菊亭伯爵の実妹である。 つまり菊亭伯爵夫人の菊亭緋紗とは、義理の姉妹であった。

芸事の宗家に、月稽古の名目で義姉から呼び出しを受けた義妹。 それもお互いにこの国の上流階級である、摂家の重臣筋の伯爵家夫人(もしくは伯爵家世子夫人)
戒厳令が発せられ、市中の交通は既に全面管制下に置かれているが、世には『別格』の存在も、確かに有るのだった。 しかも騒乱の帝都中心部と逆方向となれば・・・

「美知様(斑鳩公爵家門流、三条伯爵家世子夫人。 斉御司公爵家門流、冷泉伯爵家の出)も仰っておられます。 かの家もまた、同心頂けると・・・」

「・・・有り難い御言葉ですわ。 醍醐、三条、御両家の御力あれば、崇継卿(斑鳩崇継公爵)は、抑え得ましょう」

これで斑鳩家内部の強硬派・・・国粋派と結びついている洞院伯爵家だけが、孤立する事となる。 当主の崇継卿だけでは、何も為し得ない。

「・・・ふふ、でも・・・」

「・・・? 何か?」

義妹の含みのある笑いを、不審に感じた菊亭緋紗夫人が、上品に首を傾げる。 その様子を嬉しそうな表情で見ながら、義妹の醍醐彩乃夫人が言った。

「もう、3年以上も前になるのですね。 当時の神楽斯衛大尉の指揮のもと、京都の防衛戦を戦ったのは・・・懐かしいです。 美知も、会いたがっておりましたよ?」

1998年当時、京都防衛戦と、その前後の一連の本土防衛戦での戦いを、菊亭緋紗夫人は当時(結婚前)、神楽緋紗斯衛大尉として、衛士として戦術機に乗り戦った。
そして今は義妹となっている、当時の第2小隊の菊亭彩乃斯衛少尉、第⒊小隊の冷泉美和斯衛少尉もまた、神楽中隊長の指揮のもと、京都の戦いを生き抜いた。

「わたくしどもとて、地獄の対BETA戦を戦い、生き抜いて来ました。 斯様な情勢で狼狽えるほど、お淑やかでは有りませんわ、義姉上様」

「・・・部下の教育を、間違えたかしら・・・?」

途端に、上品に笑い合うかつての上官と部下であり、今は婚家の義理の姉妹。 いずれにせよ2人の若い夫人たちの情報は、それぞれの婚家にもたらされ、政治の季節に利用されるのだ。





かつての部下、今は婚家の義妹である夫の妹と別れた菊亭緋紗夫人は、そのまま家には戻らず、とある料亭の近くで車を止めさせた。

「さほど、時間はかかりません。 ここで待つように」

「しかし、奥様。 万が一と言う事も御座います、せめて側仕えの者だけでも・・・」

摂家門流、重臣筋の伯爵家ともなれば、それなりに軍務経験があり、護衛を任ぜられる家人も居る。 普段は『秘書』とか『書生』と言う名目だが。

「構いません。 ここは当家の用を務める店。 会うのは身内です」

それだけ言うや、彼女は店の門を潜って行った。 この店は菊亭家が『出資』している、『特定目的で』使用する店だった。 女将の挨拶を受け、奥の座敷に通される。

既に、先客がいた。

「・・・早いのですね?」

「情勢が、情勢だ。 早々、のんびりしておれまい?」

三つ紋の色留袖を着付けた、同年配の女性の先客が、既に到着してお茶を飲んでいた。 その女性の対面に座り、彼女もお茶を頂く。 別に料理を楽しみに来た訳で無かった。

「しかし・・・こうして見ると、やはり菊亭家も商売人なのだな。 私には縁の無い店だ」

「・・・父上も、このような店のひとつ、ふたつ、ご用意されていたわよ?」

「しかし、家の金は入っていまい? あの親爺殿が、斯様な出費を? まさかな」

「どうかしらね・・・私達には、何もお話しされていなかったから、父上は」

そのまましばらく、少し開けた障子から見える冬空模様を2人して眺めていた。 やがて、先客の女性が口を開く。

「で・・・どうなのだ? 緋沙姉上」

「・・・おおよそ、貴女の想像の通りではないかしら? 緋色・・・」

先客の女性は、宇賀神緋色帝国陸軍少佐。 旧姓は神楽緋色、つまり菊亭緋紗夫人の双子の妹だ。 今は出産後の育児休職中の身である。
宇賀神緋色少佐は、姉の言葉に少しだけ形の良い眉をひそめる。 双子だけにそっくりだが、柔和な印象の姉に比べ、『凛々しい』印象の妹がそうすると、迫力がある。

「・・・昔から、そうだったな、あの家は・・・それ程、将軍位を煌武院家に取られたのが、口惜しいのか・・・」

「御一新以来の、悲願ですもの・・・」

武家社会の中では周知の事実。 大政奉還後、政威大将軍を輩出していない五摂家は、斑鳩家のみ。 幕藩時代は、他の摂家とは同格の有力外様大名家同士だったと言うのに。

「かと申して、最早、将軍家が現実政治に介入出来る世でもなかろう・・・」

「そんな事も読めないから、こんな騒ぎを起こしたのよ。 そんな時世を読めないから、国粋派に利用されたのよ。 そんな現実を拒否するから、自滅するのよ・・・」

「・・・手厳しいな、緋紗。 お前らしくない言い方だ」

「これでも、かつては斯衛の禄を食んだのよ? 己が護ろうとしたものが、底の抜けた大馬鹿だったと、認める代償くらい、言わせて貰いたいわ・・・」

普段は柔和で淑やかで、およそ人の悪口など言う事も無かった姉の愚痴を、面白そうな表情で見つめる宇賀神少佐。 そんな妹の視線に気がつき、バツの悪そうな表情の菊亭伯爵夫人。

「コホン・・・醍醐家は、こちらの提案を飲みました。 これは彩乃様から直々に回答が有ったわ。 三条家も、美知様が実家の冷泉家と繋ぎを付けて、了解を・・・」

「ふん・・・醍醐と三条。 旧家老三家の内、二家にまで離反されては、崇継卿も足掻き様が無いな。 洞院家は潰されるか、主家の身代わりに?」

「崇継卿は当主の座を、御舎弟の崇彬卿(斑鳩伯爵、異母弟)にお譲りになり・・・斯衛の『青』が抜ける穴は新当主に・・・の筋書です。 年が明けてからになるでしょうけれど」

「年明け? 悠長だな・・・? いや、まさか・・・そこまでやるか・・・? いや、あの親爺殿ならば・・・そうか・・・」

「ええ、そうよ。 私たちの父上・・・城代省官房長官の神楽宗達子爵は、斑鳩公爵崇継卿が『年末大攻勢』で、佐渡島で戦死されることを望んでおられるわ・・・」

彼女たちの実父、神楽宗達子爵は城代省官房長官として、城代省高官と言うだけでなく、省内権力のほぼ全てを、手中に収める事に成功している。
そして神楽子爵は、政治的には武家政治の復権を望んでいない。 彼は穏やかな流れの中での、武家社会の終焉こそを望んでいる―――滅亡ではなく、終焉を。 生き残る為に。

「・・・武家の動きは判った。 で? それでこの、クーデター騒ぎをどう収めるのだ?」

それが一番聞きたかったこと。 あの第1師団の大尉の表明放送を聞いた瞬間、裏で武家社会が係わっていると当たりを付けた宇賀神少佐が、真っ先に連絡を付けたのが姉だった。

「そこまでは、私は知りません。 軍部統制派の詳細までは・・・主人や義父なら存じているかもしれませんが・・・私には、言いませんよ、緋色?」

「武家は、相変わらずの完全男性上位、男尊女卑社会だからな。 それもそうか」

「・・・夫や義父でさえ、知り得るは概要だけやもしれません。 大殿様(五摂家・先代九條公爵)や、御屋形様(五摂家・当代九條公爵)ならば或は、ですが。 しかし・・・」

「しかし?」

「・・・しかし、どう考えても、斑鳩家がクーデター部隊と、誠心より繋がっているとは思えません。 あの家は武門の家と同時に、非情の家でもありますから・・・」

「斑鳩家・・・門流の洞院家と繋ぎを取っているのは、軍事参議官の間崎大将、だったな?」

「ええ。 そちらは緋色、貴女の方が詳しいでしょう?」

「詳しい・・・と言う程ではないが・・・色々、陸軍内部で噂は流れておった。 兎角、機会主義の御仁だと。 利権漁りの軍官僚、と言う異名もな・・・」

少しだけ考える。 間崎大将は、尊敬能わざる将星ではあるが、無能では無い。 特に後方で視野を広く見て兵站を構築する手腕は、かなりのモノだと評価が有る。
それはとりもなおさず、壮大な構想力と企画力、そして綿密な計算と実行力を備えると言う事だ。 同時に、政府や議会対策にも秀でている、と言う事だ。 それは・・・

「・・・そうか・・・そう言う事か・・・」

「緋色・・・?」

「国粋派・・・間崎大将は・・・クーデター部隊と繋がっていない。 いや、表向きは繋がっているようで、実の所、使い捨ての駒として扱う気か・・・
そして・・・統制派も、恐らく事前に把握して居た筈・・・でなければ、元老や重臣が未だクーデター部隊の網にかかっていない筈はない・・・」

つまり、統制派と元老・重臣は繋がっているのだ。 であれば、彼らがクーデター部隊を事前に『見逃した』訳は何か・・・?

「それは・・・つまり・・・統制派もまた・・・?」

「そうだ、姉上、緋紗・・・クーデター部隊は、あの若い連中は・・・最初から国粋派、統制派、両派から・・・生贄の子羊に選ばれていたのだ」

お互いが、お互いを潰すために。 国粋派は直接の暴力装置として。 統制派は潰した後の残骸を証拠とする為に。 あの若手将校団は『死ぬ為』に見逃され、生かされているのだ。





短い姉妹の邂逅の時間が終わり、2人の女性は店を出た。 そして姉は家の車で、妹は徒歩で、それぞれの帰路に就く。

「・・・緋色、今更ですけれど・・・今回の情報、第一線部隊に流す事は、お勧めしないわ。 判るでしょう?」

姉が心配げに、そう言う。 余りにも政治的な情報だ。 軍の第一線部隊が、その情報に基づいて動く様な、その様な類の情報では無い。 しかし、妹は不敵な笑みを浮かべて言った。

「案ずるな、緋紗・・・姉上。 私の夫は、この情報程度で度を失う程、純真では無いのでな。 夫の同僚たちも然りだ、食えない古狸どもばかりだ・・・無理はなさるな、姉上」

「・・・緋色、貴女も。 緋那子ちゃん(宇賀神夫妻の長女)も、お父様とお母様を失ったら、可哀そうよ?」

「はっ! それこそ案ずるな、姉上! 私たちの娘は、なかなか性根が座った赤子だぞ? 父母の不在など、どこ吹く風だ。 
ま・・・私も死ぬ気はない。 せめて娘を嫁がせるまでは。 それよりも姉上、貴女こそ身の回りに気を付けられよ。 洞院とて・・・いや、斑鳩は馬鹿ではないぞ?」

形勢逆転の為に、家臣筋の妻や子、それに繋がる一族を『排除』する事も厭わぬ歴史が、あの家には有る―――いや、五摂家やその門流の上級武家貴族の家は、か。

「心配は、有難う、緋色・・・これでも、側の者達は斯衛や陸軍で、対人戦闘の訓練を積んだ者達よ。 そうそう、遅れはとりません・・・では、また。 そうね、桜の季節にでも」








2001年12月5日 1445 日本帝国・帝都 東京 都内某所


「はぁ、はぁ、はぁ!」

戒厳令が敷かれ、外出する市民とて居ない帝都の一角を、一人の男が焦りの色を露わに走っている。 見た目は東洋系だが、果たして・・・

「くっ、くそっ! ジャンダルメ(国家憲兵隊)めっ! まさか、これ程早く嗅ぎ付けるとはっ・・・!」

仲間は殆ど始末されるか、重傷を負った上で拘束された。 作戦は完全に失敗だ、JSOCの作戦部隊の内、既にデルタとデブグルは通信途絶らしい。

「はっ、はっ、はっ・・・! な、何とか! 何とか『フレンド』に接触して・・・ッ!」

背後から複数の足音が聞こえる。 聞く者が聞けばわかる、明らかに訓練を受けた者だ。 警戒と探索を両立させる動き、それが立てる足音。
男は無意識に懐のホルダーに手をやり、息をひそめて小さな路地に身を隠した。 嫌な汗が止まらない、喉がカラからに乾く―――恐怖だ。

(ファッキン・シット! 俺もここまでか・・・!?)

日本の国家憲兵隊の尋問―――と言う名の拷問は、凄まじい。 半世紀以上前の陸軍憲兵隊特務の時代から、営々と受け継がれてきた、自白を得る為だけの手段。
『対象』がどうなろうと一切考慮しない。 ゲシュタポ(ナチ党親衛隊国家保安本部第Ⅳ局)や、GPU(ソ連内務人民委員部(NKVD)国家保安本部)さえ怖気を振った。
近年ではCIAは言うに及ばず、KGB(ソ連国家保安委員会)、シュタージ(東ドイツ国家保安省)、国家安企部(中国国家安全企画部)なども、その手法を『参考』にしたと言う。

背筋に悪寒が走る。 諜報員として、潜入先でのトラブルはご法度。 ましてや己の死体を相手先に渡す事さえ、憚られる。 それが捉えられた場合など・・・

(・・・まだしも、死ぬ方がマシさ・・・)

決定的な証拠は、身に付けていない。 必要なのは、『あの一言』だけだ。 だとすると、自分が死ねば、少なくとも国家憲兵隊の連中は永遠に、その事を解明できない。
ホルスターから拳銃を取り出す。 SIG SAUER P220、日本帝国軍でも『82式自動拳銃』の名で制式採用されている、日本で最もポピュラーな9mmオートだ。
全て日本国内で調達されたものだ、それこそ靴下から下着に至るまで。 日本以外の『痕跡』は一切残さない、それが鉄則だ―――己の死体以外は。

「はっ・・・はっ・・・はっ・・・」

足音がジリジリと近づいてくる。 連中も当たりを付けたな。 せめて、何人か道ずれにするか?―――そう思った瞬間、くぐもった音と共に呻き声と、複数の人が倒れる音がした。

「―――制圧、完了。 周辺警戒に入ります」

「了解した」

今度はごつい足音が複数。 間違いない、これは戦闘靴の足音だ。

「―――おい、いい加減に出てきな、憲兵隊は始末した。 お前さんの『お友達』から、頼まれた者だがな?」

恐る恐る、物陰から銃を下ろさず覗き見ると、日本帝国陸軍の歩兵部隊が1個分隊ほど。 それに明らかに佐官クラスの上級軍人と、大尉が1人ずつ。

「連れて行ってやる。 こちらも早々、暇ではないのでな―――付いて来い」

最早、従う以外に道は無い。








2001年12月5日 0725 連合王国・スコットランド エディンバラ


「正直申し上げますと、英国はこれ以上、新大陸の内部抗争に付き合いたくない、と言う事なのですわ、ミスタ・フジサキ」

「ふむ・・・もはや時代遅れの、英連邦圏だけで首が回らぬと」

「古色蒼然さでは、貴国も負けず劣らず、ですけれど・・・」

連合王国・スコットランドの首都エディンバラ。 その郊外のカントリーハウスの一室で、日本帝国外務省・国際情報統括官、藤崎慎吾は、相手に無言で頷いた。
ひと月前から、欧州連合との極秘裏の会合を持つ為に渡英していたが、その間に今回の本国でのクーデター騒ぎだ。 本来なら混乱の極みの筈。

「主人が、次の狩猟シーズンには是非、お越しくださいと申しておりましたわ」

「ほう。 結構ですな。 御家の所領では、どの様な獲物が?」

「そうですわね・・・キツネ狩りとか?」

「ふ・・・ん」

様は、今回以外で生き残る『予定』のキツネ・・・内部協力者の情報を提供すると言う事か。 相変わらず、英国は『外套とナイフ』の仕事は米国の対極だが、侮れない。
相手は若く美しい貴婦人だが―――バーフォード伯爵夫人ローズマリー・フィリパ・ヴィア・ボークラーク―――『会議』にも伝手のある女性だ。
軽々しく扱ってよい相手ではないし、その様な愚を犯すほど、自分も愚かでは無い。 それに彼女の夫は、英軍と国連欧州軍に太いパイプを持つ軍人貴族だ。

「・・・何はともあれ、貴重なお時間を頂き、大変楽しいひと時を過ごせましたよ、伯爵夫人―――ひとつ、お伺いしても?」

「宜しくてよ、ミスタ」

「なぜ―――なぜ、私だったのです?」

他にも駐英大使や、他の高官は居る。 なのになぜ、別件で急遽渡英していた自分を?

「公には、たいした理由では有りませんわ。 ミスタ・フジサキ。 貴国外務省の対外情報は、貴方の元に集約されるはずですわね?」

「・・・ええ」

第1から第4までの、外務省国際情報官室を統括するのが、彼の仕事だった。

「公には、それだけですわ。 おまけとして、貴方が貴国の国家憲兵隊副長官の義弟である事。 貴方の義兄が貴国統帥派の大物である事・・・」

「公には、そうなのですな? では、本当の意味は?」

自分は外務省内外で、統制派と目されているからな。 面倒な話だ。

「・・・1996年の4月。 北フランス、ブーロニュ・シェル・メール前面。 プリンセス・オブ・ウェールズ・ロイヤル連隊(PWRR)、その第3大隊『ローズ』
わたくし、当時はその大隊長を務めておりましたの。 衛士として・・・事実上、初陣でしたわ。 『PWRR』は、出陣をそれまで許されませんでしたの」

「ふむ・・・?」

確か『PWRR』は、連隊長を女王陛下が務める(形式上)部隊だったな―――要は儀典用のお飾り部隊か。 それが北フランスで? 無茶だな、よく戦死しなかったものだ。

「よく、戦死しなかったものだ・・・そう、お顔に出ていますわ、ミスタ」

「・・・失礼」

「いいえ、確かにそうですもの。 当時のわたくしたちは、対BETA戦の何たるかも知らない、お飾り部隊でしたわ。 そして案の定、危地に追い込まれた・・・」

部隊の1/3を失い、未だBETAの猛攻に晒され続け、全滅を覚悟した・・・

「救われましたわ、国連軍に。 その一部隊に・・・国連軍大西洋方面総軍第1即応兵団・第1旅団戦闘団本部直属、第13強行偵察哨戒戦術機甲中隊『スピリッツ』
ミスタ・フジサキ。 貴方の甥御殿が当時所属していた部隊に、ですわ。 わたくしの大隊の撤退を、殿で援護しつつ、脱出を助けてくれましたの」

「・・・よく、調べ上げられましたな?」

「ふふ・・・夫は貴方の甥御殿とは、N.Y.で面識があるのですわ。 それに、人物の周辺を調べるのは、この『お仕事』では当然なのでは?」





「大友、本国に緊急電だ。 最強度で打て。 内容はこれだ」

エディンバラの在英日本総領事館に戻った藤崎国際情報統括官は、臨時に開設している情報統括室で部下に一片の紙切れを手渡した。 
それを一瞥した部下の1人が、暗号通信係の担当者を呼び、指示を出す。 暫くして通信室から戻ってきた部下が報告した。

「通信、終了。 最強度暗号のECC(楕円曲線暗号)で送りました」

「ん・・・」

冬のどんよりしたスコットランドの空模様を眺めながら、藤崎国際情報統括官は先ほど自分が送った通信文を、脳裏で反芻した。

『―――『会議』EU派に帝国内介入の意思なし』

であれば、米国内の『会議』メンバーが揃って、帝国内への介入を企図している訳では無い。 彼らとてもEU派とは『一蓮托生』な部分を有している。
少なくとも、米国内の『会議』主流の考えではなさそうだ、そう判断していいだろう。 真っ先に考えられるのは、あのユダヤの老人。 『会議』メンバーではないが、影響力は有る。

(が・・・今回は米国派も首を縦には振らなかったようだな。 あの老人の飼い犬の中には、AL5派・・・慎重派から急進派まで揃っているが、今回の騒ぎに噛んでいるのは急進派か)

そして恐らく、あの老人とて帝国の全ての裏を握ろうなどとは、考えていまい。 情報省や憲兵隊外事からの情報では、CIA長官のゴースがそろそろ見限られる様子だ。
となると・・・ゴースの懇願を聞き入れる振りをしての、ゴース切り捨て策か? そしてあわよくば、帝国内の裏と一脈を通じる事が出来れば・・・その場合、裏は国粋派か。

(・・・そんな単純な老人ではないだろう。 もしかすると、単に帝国の危機対処能力を見る為に、ゴース切り捨て策を使った・・・あながち、妄想とも思えんのが怖いな)

いずれにせよ、恐らく国内で派手にクーデター部隊、その裏に陣取る連中を排除しても、対米、対欧州政策に瑕疵は生じないだろう。

(もっともそれは、『裏で派手に動いても』だろうがな)

表だって―――つまり、帝都でクーデター部隊との大規模戦闘などやらかした日には、海外からの評価、それも今後帝国を収めていく勢力に対する評価は、微妙になる。

(だからさ・・・俺は本省以外に、憲兵隊にも一報を入れた)

本来であれば、越権行為も甚だしい。 が、恐らく本国は蜂の巣を突いた騒ぎだろう。 誰も気に留めやしない。
これが本省主流派から疎まれる原因のひとつとは判っている。 判ってはいるが・・・だからと言って、誰でも出来るものではない。

(本省の外交貴族どもが、どの様に欧州外交に突っ込めると言うのだ・・・)

欧州然り、米国然り、ガルーダス然り・・・だから彼、藤崎慎吾は外務省の『ジョーカー』として生き抜けてきたのだった。

「では、本夕のディナー・パーティーは『会議』、『EU』、それに米国の『保守・中道派』外交官と、『大東亜連合』代表部が出席・・・と言う事ですか?」

「ああ、そうなる―――完全非公式の『ディナー・パーティー』だがな・・・落し所の見極めが、難しいぞ、これは・・・」

部下の問いかけに、藤崎情報統括官はややうんざりした表情で答えた。 目指すゴールは互いに見えているが、それでも海千山千の連中相手の食事が、美味になる訳は無いからだ。









2001年12月5日 1810 日本帝国 宮城県仙台市 仙台臨時政府庁舎


「きっ、君は、私を脅すのかねっ!?」

先代臨時政府の政府庁舎が、これまた臨時に置かれている、元東北軍管区司令部(軍管区司令部は、第2師団司令部(旧仙台城二の丸)に臨時移転)
その一室で臨時政府首班である子爵・依田直弼首相代行は、面前の若い(と言っても、30代後半だが)男に蒼い顔で、悲鳴の様な声を上げる。

「まさか。 脅すなど、人聞きの悪い。 私はこう申し上げたのですよ、依田大臣。 『可及的速やかに、クーデター部隊の鎮圧命令を発令する事』
そして『クーデター鎮圧後は、速やかに臨時政権を奉還する事』です。 まさか大臣、このまま居座って、正式な内閣首班になりおおせるとでも?」

「っ! きっ、貴様には与り知らぬ事だっ! わっ、儂はっ・・・!」

「戒厳司令官の間崎大将・・・そして斑鳩家との密約の事ですかな?」

「なっ・・・」

完全に主導権を相手に握られている。 相手の男は政界ではまだ尻の青い青二才、と言われる年代だが、榊首相の側近政治家として、政務担当内閣官房副長官に任じられた程の男だ。
若くとも、その見識・能力・胆力は、次代を担う若手政治家として、大いに期待されていたからこそ、政務担当官房副長官の1人(政務担当は2名)に任じられたのだ。

「・・・『何故、その事を』ですか? 馬鹿ですか、貴方は。 あれだけの大人数が、派手に裏で動いておきながら、誰も気づかれずにいたとでも?
政府は・・・榊首相閣下は蚊帳の外でしたがね。 少なくとも『我々』統制派は、貴方がたの行動は把握していた、大筋においてはね。 それでいて、手を出さなかった・・・」

「そっ、それはっ・・・!?」

「我々も、『クーデターを欲していた』のですよ。 予定調和としての、ね・・・宜しいですか、大臣? ここまで手の内を握られていたうえで、クーデターが成功するとでも?」

この若い官房副長官は、完全に統制派なのだ。 榊首相の側近の顔をした、統制派の政治家・・・最初からか、取り込まれたかは今更意味は無い。 どうする? どちらを取る?
依田大臣の表情が目まぐるしく変わる。 同時に、どこか油断のできない、探る様な狡猾な視線で相手を観察する様に見ながら、言葉を探している。
果たして、どちらに着くべきか? 国粋派か? それとも統制派か? 依田大臣自身は、実の所国粋派寄りの中立派・・・有体に言えば、より多くの利権のお零れを貰える派閥に着く。

「帝都の中心部は、決起軍が押さえておると言う。 儂は帝都に無駄な損害を出さぬよう、戒厳司令部司令官(間崎大将)をして、彼らとの対話を指示したのじゃ」

「彼ら、反乱将校団の主張は、完全なる政威大将軍親政ですな。 そうなれば大臣、貴方の『取り分』を、あの潔癖な将軍が見逃しますかな?」

まずは、建前を実利の面で潰す。 それでなくとも、世俗に塗れた政官界では(でなくば、やっていけない面も確かにある)、『清流に魚は住めぬ』と揶揄される潔癖気味の少女だ。
衆愚と言われようとも、議会民主主義体制を敷く帝国の俗物衆議院議員たちを、その利権さえも利用しながら国家の大運営を行える程、人間が練れているとは考えられない。

「わっ、儂とて前政権内部では、農水相として首相の対外協調政策による弊害を、指弾してきたのじゃ! まずは放置された農耕地の回復が先だと・・・!」

「その『植民』に、国内外の難民を格安の屯田兵・・・『奴隷労働力』として供給する、その主張は主に難民解放戦線の反発を買い、余計な国内不安定を生み出しました」

これまた、反乱将校団の攻撃命題のひとつとなっている。

「べっ、米軍を再び呼び戻すのかっ!? 我が帝国内にっ!? 横浜を見よ! あのG弾の惨状を! 儂とて愛国の情は持っておるわっ!」

「軍部首脳からの報告は、お読みになられていないと? 『帝国軍単独での国土回復―――佐渡島の奪回は、不可能と判断せざるを得ない』 あの軍部が、恥も外聞もなく、ですよ?
それにお忘れか? 貴方も当時はその場に居た筈。 横浜攻略後に、我が帝国もG元素を保有するに至ったことを。 最早、米国の事を表はともかく、とやかく言う事は出来んのですよ」

「あっ・・・あれは、軍部の独断だっ! わっ、儂は与り知らんっ・・・!」

「そう、軍部の独断です。 しかしながら、諸外国が目を向けるのは我が国の軍部で無く、表向きは政府なのですよ」

つまり、このまま居座れば、いずれG元素絡みの件でつつかれる事になるぞ、と。 統制派はこの件では、完全に米国とは『相互いに見て見ぬふり』だ。 密約は出来ている。
米国内の一部強硬派―――CIA強硬派やネオコン派等は、あわよくば帝国内のG元素を回収したいようだが。 その件については、米国内他派と話を付けている―――排除だ。

所詮、利権漁りだけで(その金をばらまいて)大臣の椅子を得たに過ぎない依田大臣は、最早堪忍したようにも見えたが、最後の最後に、藁を掴む様子で、正攻法を放ってきた。

「・・・歴代首相を、元老院と重臣会議にて推挙するのは、我が国の慣例為れど・・・儂の立場もまた、帝国憲法が定めるところで定義されておる。
ましてや、陛下は御国の御法を尊守為される事、誠に範たる御方じゃ。 仮に儂が戒厳司令部司令官を支持したとて、陛下は何も申されぬぞ・・・?」

(・・・成程、最後のあがきに、そう来たか。 確かに正論だ、正論だとも)

が、この騒ぎを起こした派閥に協力したそちらが言える言葉か?―――その言葉を聞きながら、若い内閣官房副長官は、止めの一言を放った。

「元老・岡田閣下が陛下に拝謁を賜り、この御言葉を賜ったとの由―――『朕が重臣を不法に殺めし『賊軍』に対し、朕は帝国とその民に代わり、卿らに正道を正すを望む』と・・・」

「ぞ・・・賊軍・・・」

さて、依田大臣。 貴方はどちらを選びますかな? 目先の権益か? その場合、陛下の御言葉は、怖れ多い乍ら公表させて頂く。 臨時政府の『信用』は地に落ちる。
建前を捨てて、実利に―――こちらに従うのであれば、名目上でも『首相経験者』の名誉だけは許されよう。 全てではないが、安保利権の一部も黙認される。

「わ・・・儂の身の安全と、財産は・・・ま、守られるのじゃろうな・・・?」

粘つく様な、到底爵位を持つ家柄出身の人物とは思えない、欲の保証を得た機会主義者の様な視線だった。








2001年12月5日 1810 日本帝国・帝都 東京 戒厳司令部(九段・陸軍東京偕行社)


「閣下! 我々は決して私心より行動を起こしたのではありません! 帝国の現状を憂い、その状況を放置せんとしたる君側の奸を取り除き、帝国の御稜威を取り戻さんと!」

「巷に溢れかえる無数の難民たち! 最早国民を守る大前提すら放棄し、宿敵・米国に再びすり寄らんとする政府と軍部首脳! 一体、どこの国の政府と軍でしょうか!?」

「斯様な状況下においてさえ、只でさえ少ない難民救援予算を削り、軍備と財閥支援予算に振り分けるとは! あまつさえ、米国との物品役務相互提供協定など!」

「米軍が再び、我が帝国内で自由に行動するための兵站を、なぜ我が国がその予算で融通を付けてやらねばならぬのです!? 難民関係予算を削ってまで!」

激昂する若い中尉達(少尉はいない)を片手で押さえ、1人の大尉が前へ出て言った。

「閣下。 我々の要求はひとつだけです。 『帝国の国体、その正常化』その実現です」

彼らは言う、本来の帝国の国事全権代理者は、政威大将軍である。 そしてこの未曾有の国難に於いて、衆愚政治の呪縛から帝国を解き放ち、挙国一致体制を構築するには・・・

「政威大将軍殿下による、挙国一致政体の樹立。 その真の姿の実現、それのみです。 我々は恐らく、後世で反乱軍の汚名を着せられましょう。 しかし・・・
しかし、それでも結構。 帝国内の腐った宿痾を取り除き、帝国再生の暁、それを見る為の礎となるのであらば・・・我々は一同、その身命を捧げる一存であります」

若手将校団の『熱情』を聞きながら、泰然と目を瞑りながら無言で座っていた間崎大将は、暫くしてうっすらと目を開くと、重々しい口調で言った。

「・・・諸子の憂国の心情、国体顕現の至情、本職とて無碍にするものではない」

これに先立つ1500時、戒厳司令部では、仙台臨時政府経由で以下の告示を出している。

一.蹶起ノ趣旨、諸子ノ真意ハ、国体顕現ノ至情ニ基クモノト認ム
二.国体ノ真意・顕現ノ現況ニ就テハ、政府ハ恐懼ニ堪ヘズ
三.臨時政府ハ一致シテ、先ノ趣旨ニヨリ邁進スルヲ得タリ
四.諸隊ハ敵ト見ズ友軍トナシ、一致警戒ニ任ジ、皇軍相撃ツノ愚ヲ絶対ニ避クルコト
五.軍ハ部隊ヲ説得シ、活溌ナル経綸ヲ為ス。
六.閣議モ其趣旨ニ従ヒ、善処セラルヲ申合セタリ
七.之以外ハ、一ツ陛下大御心、二ツ殿下御心ニ俟ツ

後に『日本史上の大虚言』と言われた告示である。 この告示内容では、完全に蹶起部隊の要求を受け入れた、と思われる(確実にそう解釈される)文面だった。
この告示が為された時には、クーデター部隊の全てで喝采が上がったほどだ。 逆に『包囲部隊』からは『逆クーデターでもして欲しいのかっ!?』と不穏な空気が充満した。
第3師団、第14師団、第15師団など、帝都周辺を『包囲警戒』中の各部隊から、戒厳司令部宛に激烈な(殆ど罵倒に近い)確認の通信電文が集中している記録が確認されている。

「故に、本職は諸子に望む。 どうか真の国体顕現の為、何としても麾下部隊の統制を厳にしてもらいたい。 臨時政府閣議は粛々と進行しておる、天命を待って欲しい」





反乱将校団との『面会』を終えた間崎大将は、戒厳司令官室に戻るや否や、高級副官(陸軍大佐)に向かって、吠えるように言った。

「・・・徹底弾圧だと!? それに『国連軍の正式受け入れ』だとっ!?」

「はっ・・・仙台臨時政府の閣議決定が、只今届けられました・・・」

「依田の爺い! あの老い耄れ、気が狂ったか!? ここで手を引いてみろ! 自分も火の粉をかぶる事になる事ぐらい、想像できんのか!」

仙台臨時政府は、臨時閣議で今回の事態に対し、以下の決定を伝えて来た。

『戒厳司令官ハ、断乎武力ヲ以テ、帝都ノ治安ヲ回復セン』
『戒厳司令官ハ、帝都ヲ占拠シアル部隊ノ徹底弾圧ヲ以ッテ、下士官兵以下ヲ速ニ所属部隊ノ隷下ニ復帰セシムベシ』
『帝都ヲ占拠シアル部隊ハ、爾後之ヲ『賊軍』ト称ス』

「日和りおったか・・・!」

「それに先程、禁衛師団参謀長より内々に、でありますが・・・皇帝陛下は今回の事に、いたくご立腹の由、との事で・・・」

「陛下が・・・か」

「はい。 寺倉閣下(第1軍管区司令官・寺倉昭二陸軍大将)が参内為され、『軍部主導の挙国一致内閣にて、本事案を解決致したし』の奏上を為された所・・・」

「・・・陛下は、何と?」

「はっ・・・『賊軍に同調する者、我が臣に非ず』と・・・大変な御怒り様との事・・・」

「ッ・・・!」

「更に、田中閣下(東部軍管区参謀長・田中龍吉陸軍中将)よりの『蹶起将校ノ心情御理解』の奏上文に対しては、『余は獣心を理解せぬ。 赦しも有り得ぬ』と、御破り捨てられ・・・」

「ぐっ・・・! 久賀少佐を呼び出せっ! あの男、元老・重臣を悉く確保するか、始末しろと命じたのを、何をしておるかっ・・・!」

「はっ・・・そ、それが・・・」

「なんだっ!?」

「はっ! 現在、久賀少佐と一部部隊は、連絡が取れません!」

「なに・・・?」









2001年12月5日 1840 日本帝国・帝都 東京 都内某所


「久賀少佐、そちらが何を考えているのか知らんが、こちらとしてはもう縋る相手はいない」

「・・・この国のカウンターインテリジェンスを、甘く見過ぎたな。 生きて帰れれば、後日の反省にすればいいさ」

「そうさせてもらう・・・ここは?」

「・・・俺の家さ。 いや、家になる筈だった所さ」

都内の一軒家。 だが生活の匂いは全くしない。 家具もない、人が住んでいないからだ。

「所有者は俺だが、普段は官舎住まいだ。 憲兵隊や特高も、ここまでは調べていなかったようだな。 名義人が俺では無いのでな」

「・・・誰の家だ?」

「女房さ・・・死んだ、な・・・」

1人はクーデター部隊の首謀者の一人と目される、久賀直人陸軍少佐。 もう一人は明らかに欧米系の男だった―――JSOCの要員、情報支援活動部隊の要員だった。

「なんにせよ、助かる。 デルタ(デルタフォース)やデブグル(海軍特殊戦開発グループ)は、どうやら全滅らしい。 
第24特殊戦術機甲隊に第55特殊作戦戦術機甲隊は、横須賀の国連軍基地で足止めを食らった。 女狐だ、あそこの戦術機部隊司令は」

「周蘇紅・・・舐めてかかるからだ、あれで食えない歴戦の女だ」

その時だ、玄関の戸が控えめに叩かれた。 トン、トトトン、トトン、トン―――それを3回繰り返す。 どうやら『協力者』が無事着いた様だった。

「少佐殿、警戒網を潜るのに時間がかかってしまいました。 連れてきました」

「ご苦労だった、高殿大尉―――シスター、ご苦労だ」

「・・・なぜ、我々に協力するのか・・・その辺は聞かずにおくわ、少佐」

高殿大尉の背後には、カソリックのシスターが一人、控えていた。 そのシスターを屋内に居れた後、久賀少佐は腹心の高殿大尉に小声で囁くように伝えた。

「おい、高殿。 最新情報だ―――仙台臨時政府は、日和ったぞ。 国連軍の正式受け入れを決定した」

「・・・JSOCの狗の駆除は終了した、と言う事ですか。 残るは統制派・・・特高や憲兵隊に『転向』したスリーパーばかりだと?」

「そう言う事だ。 これで統制派は望むタイミングで『暴発』を演出できる、場所もな。『我々』は時と場所のイニシアティヴを握られ、各個撃破されるばかりさ」

「CIA・・・多分こっちのシスターとは別口の、あの『シスター』は、JSOCの狗が逃げおおせそうな場合、『処分』を依頼してきましたが・・・」

少し面白そうな表情で、高殿大尉が久賀少佐を見返す。 それに対して、久賀少佐は『底の抜けた』様な、昏い笑みで答えた。

「こちらが『把握していない』狗は、知った事では無いさ・・・国粋派も統制派も・・・CIA右派も左派も、特高や憲兵隊、情報省も・・・『忘れた頃に』ってやつを、思い出して貰う」

その言葉に、高殿大尉も昏い笑みを浮かべた。 本来の筋書ならば、久賀少佐も高殿大尉も、実は捨て駒にされる筋書。 今更、名誉も、生も望みはしないが・・・

「・・・この国が忘れているのなら、思い出させてやろう。 知らぬなら、教えてやろう・・・BETAが国内に巣食っていると言う事実と、その現実をな」

「統制派も国粋派も・・・沙霧達もです、何時までも現実を後回しにしていては、所詮この国は亡国ですし」

小さな、限りなく小さな『勢力』だが、どこに対しても後ろ足で砂を掛ける男達が居た。









2001年12月5日 1905 日本帝国・帝都 東京 戸山陸軍軍医学校 第15師団A戦闘旅団臨時本部


「警戒態勢のレベルを上げる。 各大隊、即応態勢を取らせろ」

旅団長の藤田准将が、居並ぶ部下の大隊長たちに命令を発した。

「仙台臨時政府の命令だ、『戒厳司令官ハ、断乎武力ヲ以テ、帝都ノ治安ヲ回復セン』―――武力鎮圧だ」

ザワリ―――空気が動いた。 同時に各大隊長たちは、本部を飛び出している。

「機甲大隊! 明治通りまで進出!」

「機動歩兵! 新大久保から明治通りまでを確保しろ!」

「自走砲! 照準は紀尾井町だ! 急げ!」

「TSF! クーデター部隊の戦術機部隊に警戒!」

既に武力鎮圧の作戦案は、師団本部と繰り返し練っている。 他にも第3師団、第14師団、禁衛師団、中央即応集団、独立混成第101旅団、独立混成第103旅団とも連携の上だ。
甲編成師団2個(第14、禁衛)、乙編成師団2個(第3師団、第15師団=戦力減の為)独立旅団3個。 他にも帝都周辺には『友軍』が居る。

横須賀から急速展開を果たした、海軍第3陸戦旅団(1個戦術機甲連隊基幹) 東京湾内に突入した、海軍第1艦隊主力(4個戦術機甲大隊) これは当てにできる。
佐世保の海軍第1陸戦師団、大阪・堺の海軍第2陸戦師団は動かせないが。 それに国連軍を『正式受け入れ』したことにより、国連軍横須賀基地の戦力もあてに出来るだろう。 

部下・幕僚たちが慌ただしく動き回る中、藤田准将は昏い表情で吐き捨てるようにつぶやいた。

「・・・誰の筋書か知らんが・・・能うならば突撃砲をぶちかましてやりたいぞ・・・」





[20952] クーデター編 騒擾 7話
Name: samiurai◆b1983cf3 ID:6aaeacb9
Date: 2014/09/07 20:50
2001年12月5日 1955 日本帝国 帝都某所 国家憲兵隊臨時司令部


「取りこぼしだと?」

国家憲兵隊副長官、右近充大将が、底冷えのする様な声色で聞き返した。 雰囲気すら氷点下に下がったかの様だった。
報告した憲兵少佐は、内心で震えあがりながら(何しろ、目前の人物は『魔王』を称される男なのだ)辛うじて報告した。

「はっ、はっ! DIA、及びCIA内部よりの『お友達』情報と突きあわせた結果・・・CIAのイリーガルズで1名、所在不明の男が居る事が判明しました。
げ、現在・・・特殊作戦局情報部、及び特高警察特務、双方にて足取りを虱潰しに探っておりますが・・・何分、帝都中心部はその、クーデター部隊が掌握しており・・・!」

「・・・判った。 引き続き内密に、且つ、厳重に処理せよ」

「はっ」

ほうほうの態で目前から消えた若い憲兵少佐の事を、意識の外に置き去った右近充大将は、しばらく無言で思案した後、腹心の部下に向かって言った。

「出る。 九段だ。 車を用意しろ」

「はっ。 発起点は北、早稲田付近で行います」

「3師団へは?」

「岡村閣下(本土防衛軍副司令官)のご承認にて、こちらより内々に。 閣下には『朝霞』を動かすご用意があると」

「よし」

統制派の段取りで行けば、クーデター部隊は皇城と帝都城の北北東、早稲田あたりで『暴発し』、第14、第15師団と『交戦状態に入る』
その後、両師団はクーデター部隊を北、或は北東方向へ吊り上げ、クーデター部隊の移動した『空白地』に、江戸川方面より第3師団が進出してこれを埋める。
品川付近に陣取るクーデター部隊側の3個独立混成旅団に対しては、やはり江戸川方面より予備の独立混成2個旅団、並びに有明に『上陸』する海軍陸戦第3旅団で対応する。

或は第1師団が部隊を分けるかもしれないが(何しろ、甲編成師団なのだ)、そうなればかえってしめたものだ。 各個撃破の良い的になる。
締めは禁衛師団・・・今現在、皇城に詰める元老・重臣たちが根回しをしている最中の、日本帝国始まって以来の『勅命』での討伐部隊が出動すれば・・・

(クーデター部隊は、全ての根拠を失う)

如何な政威大将軍の『権威』とて、それは皇帝陛下の御威光の元、成り立つものであるのだから。 その権威の『担保』を失ってしまえば、只のインフレを起こした紙屑紙幣同然だ。

右近充大将は、最後の一押しをすべく、九段―――戒厳司令部に乗り込もうとしていた。








2001年12月5日 2010 日本帝国 帝都・東京 早稲田付近 第15師団A戦闘旅団


『―――アレイオンより、ゲイヴォルグ。 宜しいか?』

「・・・ゲイヴォルグ。 アレイオン、何か?」

僚友で、期友で、旧来の親友で・・・この男が、改まった言い方をしてくる時は、余り碌な事ではない―――周防直衛少佐は、戦術機の管制シートで顔を顰めつつ、応答した。
網膜スクリーンに、アレイオン・ワン―――第152戦術機甲大隊長・長門圭介少佐の顔がポップアップした。 周防少佐同様、苦虫を潰した表情だ。

『―――確かに、付近住民には避難指示命令が出ている。 問答無用のな。 早稲田から池袋、赤羽、板橋・・・江戸川河川敷辺りは、今でも再整備が為されていない。
そこから朝霞方面へ吊り上げる・・・連中が乗ってこなければ、どうする? 問答無用の市街戦突入か? おい、直衛。 お前、この状況で民間人を巻き添えに出来るか?』

「出来ないね、昔の事とは状況が違う。 そしてそれは、連中も同じ事だ。 だからこちらの『挑発』に乗るしか、方法は無い」

『―――はっ! 正解だ! クソッタレだな!』

統制派―――本土防衛軍主流派と、国防省・統帥本部の脱出組、国家憲兵隊・・・彼らが計算した『主戦場』は、BETA侵攻時に『予防措置』として強制撤去・取壊された区域だ。
もしかすると不法難民が住み着いている可能性があるが(場所を移動しつつの為、把握し切れていない)、その時は己の身の不運をあの世で嘆いて貰う。

先程、師団内C4Iネットワークを通じ、部隊長以上に対して開示された『作戦内容』 思わず職業軍人たる己を、呪いたくなった。
今度の政争(そう、これは政争だ)レベルにおいて、最早、クーデター部隊も、それ以外の発生が想定される犠牲も、それは予定調和のピースに過ぎない。

それを、命令して実現すべき立場としては―――部隊長としては最下級の大隊長であるが、忸怩たる思いは隠し切れそうもない。

「・・・いずれにせよ、ファーストストライクは向うだ。 先遣部隊を殲滅後、TSF2個大隊と1個機装兵(機械化装甲歩兵)大隊で『敵本体』を攻撃」

『―――然る後、『敵の反撃』を後退しつつ排除、帝都北方に誘い込む・・・仕上げは14師団か』

「側面から、師団本隊も攻撃する・・・連中もまた、全力で『吊り上げられる』必要があるからな。 でなければ、即、壊滅する戦力差だ・・・」

第1師団は完全3個戦闘旅団編成。 とは言え、第14師団も同じ編成であり、第15師団は損害を受けたとはいえ、乙編成師団を上回る戦力を維持している。
1個や2個戦闘旅団で出てくれば、戦力差で瞬く間にすり潰されてしまうだろう。 第1師団としては、全力で戦力に劣る第15師団を壊滅させ、第14師団と硬直状態に・・・

『―――ま、ウチの師団が、そんな可愛気のある師団かと言えば・・・』

「一番、可愛気が無いだろうな」


その後、両大隊長はそれぞれの指揮する部隊に対し、即応体制の維持と配置転換の指示を出した。 同時に『絶対にこちらから発砲するな、厳禁とす』の命令も付け加える。
一部の部下(中隊長)からは、『自分らは、生贄の子羊ですか?』と、やや反抗的な口調での確認も有ったが・・・『自覚しているなら、責務を果たせ』と、厚顔さを発揮する。
軍隊とは極論すれば、『死んで来い』、『死んできます』の世界なのだ。 そしてその責任は全て、命令発令者が負う―――この場合、自分が負う責任だ。

「―――若かったな・・・」

『―――何がだ?』

周防少佐の独り言を、長門少佐が聞き止める。 通信系をOFFにし忘れていた、少し苦笑しながら、周防少佐が言った。

「・・・訓練校に入校する時は、想像もしなかった事さ。 これが平和な世界だとしたら・・・俺は、俺たちは・・・何十、何百人も殺している、立派な大量殺人犯だってな」

『・・・覚えている。 死なせた部下の顔、名前・・・全てな・・・殺した民間人は、顔も名前も知らないがな』

「思えば・・・軍人としては、軍人としてだけならば・・・若くして散って行った連中の方が、幸せだったかもしれないな。 純粋な使命感や、個人的な思いだけで戦えた・・・」

『BETA・・・宇宙からの強大な侵略者。 弱々しい祖国、護るべき人々・・・ああ、そうだ。 あの頃は確かに、子供の正義感で戦えた。 俺も、お前も・・・』

それが今や、末端とは言え、明らかに政争の片棒を担いでいる。 全貌など分かりはしないが、概要は知らされている―――そして、部下達を騙しながら、死地に向かわせる。

『人生・・・嘘の上塗りさ。 嘘を嘘で上塗りして・・・繕い乍ら合わせて生きていく・・・それが人生さ』

「・・・自分がついた嘘だけは、忘れたくないものだな。 そこまで堕ちたくないものだ―――こちらの配置転換は完了した。 そちらは?」

『完了した。 いつでも『狩り』を開始できる―――精々、悩んで生きていくか。 生者の特権だ』








2001年12月5日 2035 日本帝国 帝都・東京 九段 戒厳司令部


「・・・貴公とこうして、差しで話し合えるのは、一体どのくらい振りか?」

「ふむ・・・少なくとも、閣下が参謀本部勤務になって以降は、記憶に有りませんな」

「あの頃・・・貴公も憲兵隊勤務に移った。 お互い、年を取ったものだな」

「少なくとも、間崎少佐は、納得して仕える事の出来る上官の大隊長でしたな」

「ふふん、右近充大尉もまた、信の置ける部下の中隊長であった」

九段の東京偕行社―――臨時の戒厳司令部の一室で、戒厳司令官の間崎陸軍大将と、混乱を切り抜け脱出に成功した国家憲兵隊副司令官・右近充陸軍大将が向かい合っている。
この2人、若かりし頃は上官と部下であった。 間崎少佐指揮の大隊に、右近充大尉が中隊長として配属されていた頃が有った。

その後、間崎少佐は陸大(指揮幕僚課程:CGS)へ進み、修了後は主に参謀本部を中心に、参謀畑を歩き続けた。
右近充大尉もその2年後に陸大に進み、修了後に国家憲兵隊に転属する。 その後は一貫して後方(一般憲兵)、戦場(武装憲兵)を往復し、憲兵将校としてキャリアを積んだ。

「・・・単刀直入に言おう、間崎さん。 あんた、舞台から降りてくれ」

「む・・・?」

「あんたが、この国を・・・ひいては、極東情勢に繋がる動きを、最終的にどうにかしたい・・・そう考えているのは判る。 例え表向き、利権軍官僚だとしてもだ」

「はっきり言いおる・・・確かに儂は、多くの利権を手中に収めて来た。 じゃが、それを独占した覚えはないがの」

「そうだな、確かに。 あんたはそれを、要所に蒔く事で、軍の兵站遂行を可能たらしめて来た・・・根回しの道具として」

右近充大将の次の言葉を、間崎大将が探る様な視線で待つ。

「―――間崎さん、もう、今に至っては、『戦術的短期決戦』は不可能だ。 米国に・・・あのユダヤの老人に、先手を打たれてしまったからな。
佐渡島にG弾を投下すれば・・・この国は、最早終わりだ。 ハイヴは潰せても、国内の分裂は修復できない。 結局は戦略的敗北に直結する」

「・・・儂は、そこまで悲観しておらぬがの?」

反論する間崎大将に向かって、右近充大将が数枚の紙―――簡略な報告書を渡した。

「―――国家総力戦研究所の、絶秘資料だ。 閲覧資格は・・・まあ、間崎さん。 アンタでもその資格が無い、と言えば判るかな?」

本当の、この国の指導者層―――その中の、ほんの一握りの者達しか、閲覧資格を与えられない、絶対極秘資料。 その内容は・・・

「む・・・う・・・」

「横浜は能天気な予測を立てているがな・・・30年? あの計画が成功したとしても、『その後』をどうにかするソースの裏付けなくして、その時間は人類には与えられん。
我が国に至っては、その1/3が精々だ。 それは回避せねばならない。 そしてその為には・・・G弾は使えない。 使えばこの国は分裂する。 BETAの再侵攻を阻止し得ない」

元々、G弾を使用する『G弾許容論者』は、『戦略的短期決戦論』を唱える皇道派がその先駆けなのだ。

「判るか? 俺があんたに、この資料を見せた訳が・・・間崎さん、あんた、舞台から降りてくれ。 元の軍事参議官の後、待命、予備役編入・・・大将としての年金も満額だ」

「・・・否、と言えば?」

「是非も無い」

ただ、排除されるのみ―――誰からも忘れられ、知らない内に処理されるだけだ。

「東部軍の寺倉さん(第1軍司令官・寺倉昭二陸軍大将)に、田中(東部軍管区参謀長・田中龍吉陸軍中将)、それに扇谷(本土防衛軍総司令部高級参謀・扇谷仙太郎陸軍少将)
この連中は即時、待命の上、予備役編入だ。 場合によっては、軍法会議に引っ張り出す。 間崎さん・・・引け。 俺はあんたに、引導を渡しに来たのだ」

寺倉大将、田中中将、扇谷少将―――いずれも、間崎大将の派閥に繋がる、今回の事件での皇道派の領将達だ。 既に押さえられたか・・・

「悪いが、元老と重臣のご老人方は、こちらで握らせて貰った。 米軍の動きも、粗方封じた―――DIAを通じて、ユダヤの老人には仁義は切っておいた」

―――決定打だ。

「・・・儂に・・・儂の命令を、あの若い連中が素直に聞くとでも・・・?」

「反発はするだろう。 あの若い大尉・・・沙霧と言ったか? あの男が情報省にどれだけ吹き込まれたか、未だ完全に把握し切れていないが・・・あんたは、隠し玉を持っている」

右近充大将は、隠し玉―――久賀直人陸軍少佐。 クーデター部隊の中枢指揮官の1人にして、最も異質な人物の名を上げた。

「あの男も・・・心底は、儂にも判らぬよ」

「伝えた方が良いな。 まだ精々、旅団規模だが・・・H20(鉄原ハイヴ)の動きが活性化しつつある。 西日本に展開させている部隊で、始末は付けられるがな」

実戦を渡り歩いてきた男ならば、局地的な動きが全体に波及する危険性は、理解出来るだろう。 それが現場叩き上げの訓練校出でのTSF指揮官ならば、尚更だ。

「確認する・・・儂は、この後は、予備役編入だけかの?」

「そうだ。 但し、この後始末は、表向き収めて貰う・・・自分の尻を拭いてから、隠居生活に入ってくれ」









2001年12月5日 2055 日本帝国 帝都・東京 紀尾井町 第1師団第3戦術機甲連隊


「警戒部隊を、新宿通り以南まで下げろ」

クーデター部隊、その実質的な戦闘部隊指揮官『らしき者』である、久賀直人陸軍少佐が、部隊の配置変更を命じた。

「しかし、それでは北西と北東、双方に陣取る第14、第15師団への対応が・・・」

「その時はもう、どうにもならんよ」

元々、実戦経験では日本陸軍屈指の両師団だ。 練度は高いとはいえ、実戦経験が本土防衛戦のみ、精々が半島末期の戦いしか経験のない第1師団では・・・

(―――言い様に振り回されて、各個撃破されるのがオチだな)

そう、久賀少佐は見立てている。 そして戒厳司令部側部隊の、各配置を見れば一目瞭然だ。 北西に第15師団、北東に第14師団。
更に南東に第3師団と、海軍陸戦旅団を含む3個旅団。 皇城内に禁衛師団。 朝霞も動く事だろう。 対してこちらは、第1師団の他には、3個独立混成旅団のみ。

恐らく、第1師団を北へ吊り上げる腹積もりだろう。 こんな、皇城と帝都城に挟まれた、帝都のど真ん中で掃討戦をするほど、連中も厚顔ではないだろう。
恐らく、BETA本土侵攻で取壊され、再開発が為されていない江戸川付近まで吊り上げ、そこで第14師団が正面から、第15師団が側面から、2方向同時攻撃。

第1師団とて、そうなれば吊り出されない訳にはいかない。 ここでの戦闘は無理なのだから。 第1師団が動いて、空いた間隙を南東の第3師団が進出して埋める。
『同志』の独立混成旅団3個を動かすか―――いや、向こうには独立混成旅団2個に、海軍の陸戦旅団が居る。 一気に竹芝から浜松町当たりを封鎖するだろう。 膠着する。

「皇城に対し、背を向けて配置し直せ。 帝都城は・・・1連隊の好きにさせてやれ」

「はっ!」

少なくとも、ファーストストライクをこちらら放つ愚は避けたい。 ならば・・・皇城を、皇帝を、盾に取るのが最上の手だ。
統制派と言えど、皇家の万世一系の権威は犯せない―――日本を統治して行く上で、政威大将軍など、足元にも及ばぬほどの価値があるのだから。

(・・・さて、次の手は、どう出て来る?)










2001年12月5日 2125 日本帝国 帝都・某所


「ああ、そうだ―――帝都城の『裏門』な。 あそこの警備を、5分間緩めておくように手配した。 なに?―――ああ、貴様が気にする事じゃないさ、鎧衣・・・」

印象の薄い中年男だった。 人込みに紛れれば、たちどころに周囲に溶け込み、存在を見失いそうなほどの―――情報組織の人間が、羨ましがる資質だ。

「別に、こちらは何の見返りも求めんよ。 ああ、ああ・・・そうだ、塔ヶ島離宮までの車両も確保してある、使ってくれ・・・」

男が手にした暗視スコープを覗く。 皇城と帝都城の間に、目立った動きは見られない。

「そこは、想像にお任せする。 ああ、少なくとも内事本部(情報省内事本部:国内諜報・防諜担当)は、今現在で貴様を消す気はないよ・・・」

男は、情報省内事本部・内事防諜1部・防諜1課長。 日本国内の防諜、その『最大手企業』の中の『花形営業課長』である。 諸外国からは『影(シャドウ)』とだけ呼ばれる男。

「ああ、ああ・・・ウチの『営業』の人間は、塔ヶ島へは出張させていないさ。 本当だぞ?」

常駐させてはいるがな―――出張はさせていない。 うん、嘘はついていないぞ。

「エスコートは・・・『横浜』が1個小隊出すそうだ。 間接護衛に1個中隊。 米軍の方は・・・ま、それは畑違いでな。 大丈夫だろ、連中が気付かない限り」

ま、なんだ。 その時は軍の連中、わざとリークさせてでも、連中を塔ヶ島へ・・・或はその途中で包囲殲滅戦を仕掛けるだろうな。
藤沢に第46師団、大和に第44師団、八王子に第13師団が居る。 西関東防衛部隊の第4軍団だ。 上級司令部の第1軍、東部軍管区司令部に反抗して、鎮圧姿勢を見せた部隊だ。
その第4軍団と、帝都中心部に構えている第14、第15師団。 この5個師団に包囲されたら最後、如何に第1師団の練度が高くとも、数に押されて潰されるだろう。

「ま、外事本部と衝突はせんさ・・・ああ、ああ、御身大事に、ってやつだ。 じゃあな」

そこで通話を切った。 真冬の夜風が身に染みる。 もう若くないのだ。

「さて・・・と。 これで一応の保険は全て打ったわけだ。 シスター・アンジェラ、貴女の方の首尾は如何ですかな?」

「・・・全ては、主のお導きのままに。 シスター・エルザは『処分』しましたわ」

「ほうほう、それは重畳。 今更『恭順派』のテロリストに、搔き回されるのは、良い気分では有りませんからな」

「パウロ・ラザリアーニ院長からのご伝言ですわ。 『偽りの王は、即位できず』と・・・」

「ふむふむ・・・」

この情報は、ヴァチカンが深くコミットしている、この国の貴族階層からの情報か。 なるほど、斑鳩家重臣団は、現当主を見限るか。

「宜しいですな。 実に宜しいです。 『聖ヨハネ・ホスピタル独立修道会』と『カリタス修道女会』、後日に寄進があるでしょう」

「感謝いたしますわ」

ただし、シスター・アンジェラは、死ぬ間際のシスター・エルザが、CIAの『お友達』をクーデター部隊の一部に委ねた事を知らなかった。









2001年12月5日 2135 日本帝国 帝都・東京 紀尾井町 第1師団第3戦術機甲連隊


「・・・そう来たか・・・結局、只の機会主義者と言う事か・・・」

久賀少佐が、押し殺した小さな声で、呪詛を吐く様な声色で小さく呟いた。 表情には出していない。 が、目は静かな狂気を含んでいた。

「少佐・・・如何されましたか?」

腹心の高殿大尉が声をかけるも、暫く黙ったままの久賀少佐。 やがて、静かに怒気を含んだ声で、高殿大尉に告げた。

「―――間崎が日和ったぞ。 全面的な武装解除・投降命令だ・・・宛は、俺と、沙霧だ」

「・・・沙霧は、承知せんでしょう。 元々、あの男は情報省から吹き込まれた、米国の・・・CIAの工作を潰す事が第1目的・・・表向きは、ですが」

「そう。 表向きはな。 本音は・・・いや、奴の願望は・・・現実逃避だ。 光州で彩峰中将を失い、本土防衛戦を負傷で戦えず、横浜でG弾を目撃した、その傷からのな」

「まあ、それを言えば、我々も同じ穴の狢でしょうが・・・」

「そうだ、その通りだ。 だからさ、途中で舞台を降りる事は許さない・・・現実を突きつけ、突きつけられ、生か死かを選択する・・・絶望するかしないかは、責任とれんがな」

「拾って飼っておいたCIAのイリーガルを、『対象』に接触させます」

「ついでだ。 この・・・情報省からのリーク・・・だと思うが、間崎からのネタを、沙霧にリークしておけ」

「・・・将軍家が、塔ヶ島離宮へ脱出、ですか。 本当であれば・・・この騒ぎが収まった後で、少なくとも軍部の支持は失う事でしょうね」

「沙霧には気の毒だがな。 あの男が幸せなのは、その事に気が付いていない事さ。 子供の願望を抱いたまま、自己満足の中で死んで行ける事だ・・・」









2001年12月5日 2140 日本帝国 帝都・東京 元赤坂


一体、作戦はどうなったのか。 本部との連絡が取れない今となっては、所定の行動予定の通り、実行するしかない。
彼はCIAの国家秘密本部、その東アジア部に『雇われた』非合法工作員―――イリーガルに過ぎない。 仕事の内容は、包括した日本陸軍の兵士に、ある指令を伝える事。

「・・・警戒は・・・案外手薄か。 上ばかり警戒して、地下がザルだったな・・・」

得体は知れないが、兎に角匿ってくれたクーデター部隊の一部から解放され、地下鉄(運休している)の路線を南へ移動した。
赤坂見附から地上に出て、いったん青山通りと並行して南西方向へ。 途中で青山通りを横断し(気づかれないよう、注意が必要だった)豊川稲荷まで。 

ここで『対象』と合流できた。

「・・・状況は青、状況は青だ」

「・・・俺の家族は?」

「他のエージェントが、国外に脱出する手筈を整えている。 俺はトウキョウ・ベイに入った第7艦隊から来たんだ。 彼らはそのどれかの艦に収容される」

「向こうでは? 市民権は?」

「移民局への根回しは済んでいる。 規定の国内居住年数については、最大限の考慮が為される。 経済支援は我々が行う」

「・・・判った。 あんたはこのまま、渋谷方面へ行け。 そちら側は警戒が薄そうだからな」

「オーケイ、グッラク」

「家族さえ・・・無事なら・・・こんな国・・・」









2001年12月5日 2142 日本帝国 帝都・東京 元赤坂・帝都城南東部


突如響いた轟音。 LMAT―――『01式軽対装甲誘導弾』から発射された誘導弾が、帝都城外縁内側に配置されていた1機の戦術機、82式戦術歩行戦闘機『瑞鶴』を直撃した。





2001年12月5日 2145 日本帝国 帝都・東京 九段 戒厳司令部


「どういう事だ!? 帝都城との間で、交戦だと!?」

「詳細不明! しかしながら、クーデター部隊よりの発砲との情報も!」

「確認せよ! 至急だ!」





2001年12月5日 2148 日本帝国 帝都・東京 某所 国家憲兵隊臨時司令部


「閣下・・・どうやら、状況B-3になりそうです」

「・・・『餌』は? 予定通りか?」

「はっ、情報省内事本部よりの『保険』で、外事2課長が連れ出したと」

「岡村閣下へ連絡せよ。 『状況はB-3と認む』 寺倉(第1軍司令官、寺倉大将)、田中(東部軍管区参謀長、田中中将)、扇谷(本土軍高級参謀、扇谷少将)を拘束しておけ」

「はっ 既に3個小隊を待機させております。 30分以内に」





2001年12月5日 2150 日本帝国 帝都・東京 早稲田付近 第15師団A戦闘旅団


「ゲイヴォルグ・ワンより各中隊! 現状を維持し、全周警戒に当たれ! マム! HQからの指示に変更はあるか!?」

『―――ゲイヴォルグ・マムよりゲイヴォルグ・ワン! 指示に変更なし!』

『―――ゲイヴォルグ・ワン! G2(大隊第2係主任(情報・保全))です! クーデター部隊は元赤坂を中心に戦闘を開始した模様! 彼我損失不明!』

大隊CP(大隊通信隊長)の長瀬恵大尉、大隊要務士(大隊副官)・兼・大隊G2の来生しのぶ大尉から、相次いで通信が入るが、どれも不確かな物ばかりだった。

「・・・ゲイヴォルグ・ワンよりG1(大隊第1係主任(人事・庶務)、副大隊長勤務)、本部を掌握せよ。 大内(大内和義大尉、G1)、後を任す」

大隊本部には、大隊幕僚団の他にも整備隊と通信隊が附属する。 自衛火器程度の武装しかない彼らだ、戦闘行動には出ることは出来ない。

『―――G1です。 ゲイヴォルグ・ワン、了解です。 戸山の師団本部まで後退させます』

コペルニクスC4I、戦術級システム共通戦術状況図(CTP)から、大隊本部と支援隊が下がってゆくのを確認した。 同時に作戦指揮系(OPS)共通作戦状況図(COP)を出す。
上級または下級指揮官の意図、そして、敵に関する連続的な情報(レーダー探知情報など)の伝達を担当し、共通作戦状況図(COP)乃至、共通戦術状況図(CTP)を投影させる。

(・・・師団はまだ、動いていない)

となると、『アレ』は完全に想定外の偶発事態と言う事か。 いずれにせよ、何かしらの動きが有る筈だ。 クーデター部隊はいつまでもあそこで遊んでいる訳にはいかない筈。

(しかし・・・それが、読めないな・・・)

クーデター部隊側の、品川付近の3個独立混成旅団さえ、未だ動いていない。 交戦していると想定されるのは、主に第1戦術機甲連隊、第1機械化装甲歩兵連隊だ。

(このまま、ズルズルと・・・? まさかな、そんな殊勝な連中か? この国の上は・・・)

軍部首脳もそうだ。 何かしら、状況の変化を行うための行動を・・・或は策略を講じるはずだ。

(・・・それまでは・・・)

『―――アレイオン・ワンより、ゲイヴォルグ・ワン。 胸糞悪いが、ここは様子見だな?』

含みのある口調で、長門少佐が通信を入れて来た。 恐らく、自分と同じ考えに達している筈の男。 だとすれば・・・
クーデター部隊との密かな接触が噂されている、戒厳司令官。 国粋派が、皇城と帝都城を巻き込んでの戦闘行動を? 先ほどの、急な作戦指示。 配置変更。

「―――アレイオン・ワン。 ゲイヴォルグ・ワンだ・・・戒厳司令部の勢いの無さ、どう見る?」

『・・・最悪の状況かもな。 戒厳司令官は日和った・・・政争に負けたか、か・・・?』

「で、だ。 連中が大人しく、武装解除に応じるとか?」

『有り得ない―――それに応じる理性が有れば、そもそもこの騒ぎは起きない』

「沙霧は、少なくとも底抜けの馬鹿ではあるまい。 あの場所での戦闘が、どれ程拙いか位、想像はつくだろう」

『破壊工作―――謀略史観は、余り好きじゃないけどな。 ガキの頃のワクワクする後ろめたさは別として』

「俺が知りたいのは、3連隊―――久賀のヤツ、何を傍観していやがる?」

『案外、アイツの差し金とか?』

「笑えない―――アイツの額に、引金を引くぞ、そうだとすれば」






2001年12月5日 2155 政威大将軍・煌武院悠陽は、この時間に帝都城を脱したと記録されている。





[20952] クーデター編 動乱 1話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:6aaeacb9
Date: 2014/12/07 18:01
2001年12月5日 2155 帝都城内 城内省保安部特務保安課


「―――小リスは巣穴から出た。 繰り返す、小リスは巣穴から出た」

暫くの空電。 そして返信。

『―――『小リスは巣穴から出た』、受信』

『―――受信、了解』

『―――受信』

3か所からの応答。 ただそれだけの、短い通信。

しかし交信相手が情報省国内情報本部(旧内事情報本部)保安部保安課、国家憲兵隊情報本部特務作戦課、特別高等公安警察特務公安課、と言う点を除けば。










2001年12月5日 2200 日本帝国 帝都・東京 戸山陸軍軍医学校 第15師団A戦闘団 第151戦術機甲大隊 臨時本部

「現在の状況は?」

「はっ! 赤坂見附から麹町、四ツ谷の線で、斯衛第2聯隊に対し、第1師団第1戦術機甲連隊と、同じく第1機械化装甲歩兵連隊が交戦を開始。 斯衛第2聯隊は押され気味です」

「青山通り、新宿通りは第1機甲連隊が封鎖中、神宮外苑は第32機動歩兵連隊が押さえています。 第34機動歩兵連隊と第1自走対空砲連隊が、国会議事堂から虎ノ門を」

「第3戦術機甲連隊は、半蔵門付近から動きません。 唯一、救いは第1師団でも、佐倉基地駐留の第57戦術機甲連隊は、クーデターに追随せず、の姿勢をとっている事です」

最後の一言に、周防少佐は内心で少しだけホッとする。 佐倉の第57戦術機甲連隊―――あそこには大友祐二少佐、国枝宇一少佐、2人の同期生が大隊長として所属していた。
98年の阪神防衛戦から、京都防衛戦を共に戦った同期生たちだ。 内心でこれ以上、同期同士で戦いたくない、そんな私情も確かに有った。

第1、第3戦術機甲連隊と異なり、横浜ハイヴ攻略戦後に、第1師団に編成替えされた第57戦術機甲連隊。 場所も関東とは言え、佐倉と離れた場所柄だからか。
第57戦術機甲連隊は、第1師団内でも『頭号連隊』の第1連隊や、歴史の古い第3連隊とは、思想的に異なる者達が多い。

「独立混成第102旅団、独立混成第105旅団はそれぞれ、芝浦と品川を押さえています。 独立混成第108旅団が羽田から、急に多摩川を遡上開始しました」

「・・・108の現在地?」

「等々力を抜け、間もなく第3京浜を超えます」

大隊G1の大内和義大尉、大隊CP(大隊通信隊長)の長瀬恵大尉、大隊要務士(大隊副官)・兼・大隊G2の来生しのぶ大尉が、それぞれ報告する。

戦術地図を睨む。 彼我の戦力配置状況―――西、第4軍団(戒厳司令部予備部隊)は第46師団が旧藤沢市に、第44師団が旧大和市に展開中。
八王子の第13師団は、一部戦力を府中基地制圧(府中は第1師団第3戦術機甲連隊の基地)に割いているが、主力は新潟方面に抽出されている。

「二子玉川・・・いや、登戸。 西進して町田から相模原。 大和と藤沢の封鎖線、その北を機動迂回して厚木、伊勢原、秦野・・・」

周防少佐の指が、戦術地図上をなぞって行く。 封鎖線は旧大和市=旧藤沢市の間。 旧大和市の北で睨みを効かす筈の第13師団は、主力が新潟だ。

「小田原まで抜けば、その先は第15軍団(東海軍管区第6軍・第15軍団=第37師団/旧浜松市、第41師団/旧静岡市)、それと第5軍団の残り(第52師団/旧岐阜市)だけか」

第6軍は中部・東海防衛部隊。 しかし主力の第5軍団は、2個師団が臨時編成で佐渡島前面の第1防衛線に引き抜かれ、残っているのは旧岐阜市に展開する第52師団のみ。
その言葉に部下達は、背筋に鉄棒を突っ込まれた様に姿勢を正す。 つい先ほど、上官より中隊長以上に対して示された、戒厳司令部情報。
クーデター部隊はかなりの確率で『餌』に食いつく。 彼らの思想からして、それ以外の行動に出る要素は極めて少ないと思われる・・・

「独立混成第108旅団は、露払い役だな。 同時に警報装置兼・被害担当役か。 44か46のどちらか、或は双方の師団が北上してくれば・・・」

「全滅覚悟で、足止めを・・・?」

思わず呟いた遠野大尉を見ずに、地図に視線を落としたまま、周防少佐が答える。

「独混(独立混成旅団)なんてものはな、壊滅した部隊の寄せ集めだ。 余程じゃない限り、精神的に逝ってしまっている連中だ。 後方が無ければ、尚のことな・・・」

自身も9年前の北満州駐留時代、独立混成旅団に属した経験の有る周防少佐は、あの手の部隊がいざと言う時『死兵』に転じる怖さを知っている。

「壊滅するまでの数10分間、連中は2個師団を足止めするだろう。 その隙に『奴ら』はすり抜ける事が出来る」

「後ろからの追手も、102と105の2個独混旅団が?」

「八神・・・貴様、最後の1人まで、今まで友軍だった連中を鏖(みなごろし)に出来るか?」

凄みのある冷たい視線を向けられ、中隊長の1人―――八神涼平大尉が押し黙る。 先任の最上英二大尉も難しい顔だ。 最後任の遠野万里子大尉の顔色は、蒼白だった。

「連中はやるぞ? もはや『死兵』だ、連中は。 『護国』と言う名の盲信に、とりつかれてしまった・・・な。
44と46の2個師団は、丙編成だ。 編成内に1個戦術機甲大隊。 独混でも戦術機の数の上では、どちらか一方であれば辛うじて均衡する」

第44、第46師団は元々、地域警備師団だ。 軍団の打撃戦力は第13師団。 しかしその部隊は、一部を別派した上で、主力は遥か新潟だ。

「こちらの手持ちは、我々第15師団と・・・第14師団、江戸川の第3師団。 それと独混5個旅団。 禁衛師団は動かせない」

「横須賀の第3海兵(第3海兵旅団)は・・・?」

「102と105の殲滅役だ。 おい、今更俺に、ランチェスターの法則を講義させる気か?」

「都市は軍を飲み込む、ってのも有りましたっけ・・・ちっ、碌な事が無いな・・・」

「それも人生・・・大隊長、師団本部は何と?」

「・・・」

「大隊長?」

一瞬、無言になった周防少佐を、最上大尉が促す様に確認する。 周防少佐は少しだけ最上大尉を見て・・・あっさり、乾いた声で言った。

「14師団は、市ヶ谷の北に張り付ける。 状況次第で動く。 図体のデカい部隊だからな、身軽にはいかない。 3師団は有楽町から日比谷公園に強行突入、桜田門付近を確保する・・・」

最上大尉、八神大尉、遠野大尉、そして大内大尉、長瀬大尉、来生大尉が、上官の次の言葉を待っている。

「15師団は戦術機甲部隊が先行し、新宿から、中央線沿いに小金井まで。 府中、多摩を南下して・・・」

戦術地図をなぞる周防少佐の指が、一点で止まった。

「―――相模原で、包囲殲滅戦」

それが出来るかどうかは、周防少佐は非常に懐疑的だったが。









2001年12月5日 2205 日本帝国 新潟県東蒲原郡阿賀町 北陸・信越軍管区 第5軍司令部 


「ッ! 哨戒海防艦より連絡! 『海底震動、探知!』 第102護衛戦隊です!」

「位置!?」

「はっ! 姫崎沖、東10海里! 想定数・・・3000・・・4000・・・5000! 海底侵攻中!」

「第8軍団(第23、第28、第58師団)、第17軍団(第21、第25、第29師団)、デフコン2発令!」

「第5軍団(第30、第48師団)、第13軍団(第2、第9師団)、デフコン3に上げろ!」





2001年12月5日 2215 日本帝国 熊本県日吉市 九州軍管区 第3軍司令部


「海軍より通報! 『壱岐東方20海里、海底震動探知!』 数・・・約4000! 推定進路、旧福岡市!」

「八代=日向防衛線、デフコン2発令!」

「第3軍団(第19、第22、第26師団)に緊急信!」

「伊万里=鹿島防衛線、デフコン2!」

「第10軍団(第8師団、第42師団)、即応体勢!」





2001年12月5日 2220 日本帝国 大阪府大阪市 大阪城内 第2総軍司令部


「12軍団・・・第34と第43師団を防府と山口に急行させろ! 第50師団は大洲だ!」

「第9軍団を、岡山へ緊急展開!」

「独混! 4個を鳥取に!」





2001年12月5日 2235 日本帝国 愛知県名古屋市 東海軍管区 第6軍司令部


「第2総軍司令部より命令! 第52師団の移動命令です! 移動先は敦賀!」

「第15軍団、米原と亀山へ移動命令です!」

「・・・中部と東海道を・・・がら空きにするのか・・・!」





2001年12月5日 2245 日本帝国 帝都・東京 紀尾井町 貴族院議員宿舎 『蹶起』部隊仮司令部


「くっ・・・くくっ・・・何て世の中だ・・・くくっ・・・」

「久賀少佐・・・」

「なあ、高殿・・・人生ってのは、最後まで驚きに満ち溢れているぞ」

「・・・通信傍受結果です。 佐渡島から旅団規模のBETA群、約5000が旧新潟市に向け海底侵攻中。 九州でも壱岐の東方海底を約4000のBETA群が、旧福岡市に向け侵攻中。
これで東西の第1防衛線、第2防衛線は動けません。 増援に出張っている連中も、そこで足止めされます」

「関東からは?」

「藤沢の第46師団に、静岡への移動命令が出された模様です。 右往左往、ですな。 14師団の第2防衛線復帰は、未だ傍受出来ていません」

「14師団は、動かさないだろう。 あの部隊は確かに強力だが・・・図体が大きい、こちら同様にな。 事前準備なしで、右から左とはいかない。
それに新潟前面には、10個師団ほど集めている。 これで46師団・・・神奈川の南は動けない。 どう対処しようか、迷う。 少なくとも『我々』の動きに対応は出来なくなった」

「44師団は大和から藤沢に、薄く広くを強いられる―――お蔭で北側が、がら空きですな」

「相模原まで突破すればいい。 第1連隊に第1機械化装甲歩兵連隊、連中なら躱しつつ突破できるだろう」

「足の遅い機動歩兵や自走砲、自走高射砲部隊は、足止め役として・・・15師団は?」

「中央線廻りだろう。 こちらと同様に。戦術機甲部隊を先発させてな。 が、恐らく時間的に間に合わない。 厚木には『友軍』が居る」

「裏を突かせますか? 44師団相手なら、短時間で行動不能にできるかと」

「出張させろ、その為の万が一の保険だ。 腐っても教導大隊、15師団の2個大隊程度ならば相手取れる。 さて、もう少しすれば各部隊、現場は鉄火場の大騒ぎだ」

「その頃を見計らって、108(独立混成第108旅団)を露払いに出撃させます―――西に」

「1連隊には、逸るなと言っておけ。 我々は・・・」

「・・・死戦。 只それあるのみです」

「死戦?」

可笑しそうな表情で、久賀少佐が高殿大尉を振り返った。

「高殿・・・人間なんてのはな、楽が出来るなら、それに越した事は無い。 出来れば楽に生きたい・・・誰しも本音だ」

その言葉に含まれた意味を、高殿大尉は読み間違えない。 僅かに苦笑しながら上官に話を合わせる。

「ま・・・でしょうね」

「生きる為に考える事もさ。 誰か、どこかの誰かが、考え事、悩みごとの大半を解決してくれるなら・・・それで楽に生きられるのなら、人間ってのは、そいつの靴の裏を舐める」

「最近ではアドルフ・ヒトラー。 ヨシフ・シュガシビリ。 マオ・ツァートン、と言う男も居ましたな」

「共産主義も同様さ・・・我が国もな」

「この上なく聡しい、慈悲深き将軍殿下、ですから」

「そう! 人間なんてのはな、所詮は奴隷なのさ―――怠惰と言う名の、甘美な飴のな」

何が面白いのか、普段の少佐には見られない程、陽気な・・・しかし、どこか陰のある笑みを浮かべ、久賀少佐は言葉を続けた。

「人間なんてな、本当に糞ったれさ・・・俺も、貴様もな。 でもな、それでも、どうしようもなく、人間なのさ。 俺も、貴様も・・・俺たちは。
だからな、偶には現実の痛みを、思い出させてやらないとな? 誰かの靴の裏を舐めても、誰も飴は呉れないのだと、言う事の現実をな・・・」

「我々は別に、義挙を興す訳でも、蹶起した訳でもない・・・」

「子供と同じさ。 身体で覚え込ませて、躾ける事も、立派な躾だ」

「さぞ、悩むでしょうな。 後の世の連中は・・・後の世が有れば、ですが」

高殿大尉の言葉に、久賀少佐が苦笑しながら言い切った。

「此処に至り、是も非も無い。 起こすか、起こさぬかだ。 是非など、後の世の暇人どもが、頭を捏ね繰り回して繕うがいいのだ」

それだけ言うと、窓の外の夜空を見上げた。 かすかに明るい―――見慣れた光、戦火の光だ。 その夜空を見乍ら、久賀少佐は吟じる様な口調で言った。

「義憤でもなく、憂国の情なぞ、とんでもない。 愛国心もない、忠誠心など犬に食わせてしまえ・・・痛みを知る、馬鹿な死にたがり共からの、最後のお節介だ。
現実、ひたすら現実。 目を背けるな、死にたくなければ。 『連中』は自分で思う程、この国を御し得ないぞ? それが判らなければ、こんな国・・・こんな民族など、死に絶えてしまえ」

久賀少佐も、高殿大尉も、声も無く笑っていた。 奇妙に透き通った、そして乾ききった、そこの抜けた昏い笑顔だった。

「―――2155、帝都城から『餌』が脱出した。 沙霧達にリークする。 準備を開始しろ、行動を起こせ―――第2幕の幕開けだ」









2001年12月5日 2255 日本帝国 帝都・東京 半蔵門付近 第1師団第3戦術機甲連隊


完全編成の第3戦術機甲連隊は、3個大隊120機が定数。 現在は『緒戦』の第15師団との交戦で、7機を失い、5機を損傷し、可動機実数は108機。
100機を超す手国軍主力戦術機、94式『不知火』丙Ⅲ型が全機、行動を開始したのは、あと1時間ほどで日付が変わる、と言う時だった。

「―――深い追いはするな。 連中の注意を引きつければいい。 常に皇城を背に戦え、連中は応戦できん!」

『『『―――了解』』』

指揮下の3個中隊から応答が入る。 隣接する同連隊の2個大隊もまた、同様に皇城を背に、第14師団へ砲火を浴びせ始めた。

「禁衛師団の動きに注意しろ! 発砲の兆候が有れば、即座に位置を変えろ!」

皇城と帝都城の間に入れば、禁衛師団、斯衛軍、双方ともに流れ弾を恐れ、発砲を躊躇する。 いわば『安全地帯』だ。 第14師団も流れ弾が左右にぶれれば・・・と思い躊躇するはずだ。

(くくっ・・・我ながら、あざとい・・・)

殲滅するのが目的では無い、あくまで注意を引きつける為・・・それだけに、第3戦術機甲連隊と第1機甲連隊、第1自走砲連隊の全火力を浴びせかけている。
第32機動歩兵連隊、第34機動歩兵連隊、第1自走砲連隊は虎の門付近に陣取り、南からの侵入に備えている。 市街戦での歩兵は、実の所『王様』だ。

『―――CPより大隊長。 『フォックス』、『ハウンドドッグ』、進出を開始しました』

CPから『友軍』の行動開始の報告が入る。 同時に気になる情報―――戒厳司令部側の手持ちの手札の動きについても、新たな情報が入った。

『第15師団の第151、第152、第154戦術機甲大隊、第14師団第141戦術機甲連隊の3個戦術機甲大隊、計6個戦術機甲大隊が『フォックス』、『グレイハウンド』を追跡中』

拙いな―――第1戦術機甲連隊は、AH戦での技量は確かに帝国軍中の上位だ。 だが第1線級精鋭師団の、それも歴戦の古参部隊。 しかも倍の戦力で殴りかかられては・・・

「厚木に連絡しろ、『教導大隊、阻止行動に移れ』だ―――御殿場には?」

厚木基地には現在、『富士教導団戦術機甲教導大隊』が展開している。 表向きは来る第1師団との演習目的だった。 
しかし1個大隊では、6個大隊相手に僅かな足止めにしかならないだろう。 例え教導大隊であっても、相手も歴戦の精鋭部隊揃いだ。

それとは別に、富士には『富士教導団戦技研究大隊』が存在する。 『教導大隊』はアグレッサー役、『戦技研究大隊』は文字通り、戦訓による戦技研究が任務。

『―――4輸空の671(第4輸送航空団第671戦術輸送飛行隊)が、静浜(静岡県焼津市、第2静浜基地:滑走路2500m×60m)に入っています。
富士戦研(富士教導団戦技研究大隊)は、静浜に移動中です・・・御殿場の審査部で、試験審査大隊が、静浜に探りを入れているとの情報が有ります』

「審査部の大隊・・・か」

国防省技術研究本部・第1技術開発廠審査部・戦術機甲試験審査大隊。 戦術機の研究試験・審査を実施する部隊。 第1線部隊から引き抜かれた猛者も多い。
大隊長は、源雅人陸軍少佐。 久賀少佐の訓練校1期上で、年長の戦友だった男だ。 同時に妻を『蹶起部隊』によって殺害されている。

(・・・源さんか・・・)

歴戦の衛士だ。 戦歴では自分より1年長く、10年を過ぎて来春には11年にも達しようかと言う、歴戦の猛者だ。 普段は温厚で柔和な男だが、戦闘ではひたすら冷静に事を進める。

(富士教の戦研大隊が壊滅するとも、思えないが・・・)

それでも審査大隊とは同数だ。 技量は恐らく互角、最悪の場合は全く拘束される、そうなる。 富士教とは同等の技量と装備を有する、猛者揃いの部隊。

(三瀬さんが市ヶ谷で殺された情報は、入っているだろうな・・・)

旧姓・三瀬麻衣子―――源麻衣子少佐は、市ヶ谷の国防省で『蹶起部隊』に射殺された。 国防省兵器行政本部・第1開発局第2造兵部第2課員で、源雅人少佐の妻だった。

(ああ・・・そうだな。 源さん、アンタにはその資格がある。 痛みを知る者、現実を知る者として、俺達を殺し、この国で怠惰を決め込む者に、現実を知らせる資格がな・・・)

―――だから、殺しに来い。 俺も、殺す。

一瞬の間に、それだけの想いを封じた久賀少佐は、感情を籠めずに命じた。

「富士戦研に連絡しろ。 『審査大隊は敵対勢力と判断。 接触した場合は、これを殲滅されたし』―――急げ」

戦術機の管制ユニット、網膜スクリーンに映し出された視界とは、全く別の光景を見つめながら、久賀少佐の表情は次第に歪んでいった。









2001年12月5日 2300 静岡県御殿場 国防省技術研究本部・第1技術開発廠審査部・戦術機甲試験審査大隊

「・・・退け!」

「退きません! 大隊長! お止めください!」

「審査部からは、『審査大隊は、騒擾に同調せず。 状況を見極めるべし』と!」

「我々とて、反乱を起こした連中は許し難いと思っております! しかし! 我々の任務は制圧では有りません! 
1機でも多くの戦術機を審査し、1日でも早く新型や改善方を送り出すためです! 大隊長! 留まって下さい!」

戦術機ハンガーへの入り口付近。 衛士強化装備に身を包んだ上官を、部下の中隊長たちが必死に説得し、押し留めようとしている。

「賢しらかな・・・退け!」

大隊長―――源雅人少佐は、普段の冷静さも、温厚さもかなぐり捨て、まるで修羅の如くの形相で部下達を睨みつけた。 目が血走っている。
3人の部下達もそれぞれ、6年から8年の実戦経験を有する猛者たちだ。 その彼らでさえ、たった1人の大隊長の圧力に、ややもすれば飲まれかねない。

「・・・退きません! 大隊長! 確かに・・・確かに、奥様の訃報は・・・しかし、たった1機でなどと!」

「お願いです・・・! どうか、どうか・・・!」

「今、大隊長を喪えば・・・審査部の声を参本に聞かせられる人間は、居なくなります!」

今も昔も変わらない、軍令系統と技術開発系統の、要求と技術の乖離。 ややもすれば暴走しがちな(敗色の濃い軍隊なればなおの事)軍令の要求。
それを技術的な裏付けと、結果をベースに過不足なく、経験に裏打ちされた見解でもって、相手を納得し得る説明が出来る審査部の責任者。

源雅人少佐と言うのは、そう言う(技術開発部門にとって)得難い人材なのだった。

「ッ・・・退け・・・ッ」

「大隊長・・・ッ」

一番年若い後任中隊長が、悔しそうな表情で一瞬下を向いて―――意を決して、上官に向き直った。

「大隊長、貴方は卑怯だ・・・貴方はその怒りをぶつける相手がいる・・・では、では・・・婚約者を友軍の砲撃で喪った自分は、誰にこの怒りをぶつければいいのです!?」

「ッ・・・」

「砲兵部隊ですか!? 帝国軍全体ですか!? それとも日本帝国でしょうか!? 婚約者は、最後まで砲撃誘導の任で戦場に留まり・・・
BETAに取り囲まれました! 最後まで任務を遂行して・・・最後に・・・『私の真上に、砲弾の雨を浴びせかけて!』 そう言って、肉片すら残さず吹き飛んだ!」

年若い中隊長―――今年、大尉に進級したばかりの青年は、肩を震わせながら叫ぶ様に言った。

「友軍を恨む事などしない! 彼女は、彼女の誇りと矜持を持って、最後にそう言った! 自分はッ・・・自分はッ・・・!」

何を言っているのか、何を言いたいのか。 当の大尉も判らなくなっている。

(『人類にとっての春は、いつ見れるのかな・・・』)

ふと脳裏をよぎった、古い記憶。 あれはいつの頃だったか―――そうだ、93年の・・・1月。 『双極作戦(烈号作戦)、国連軍呼称:チィタデレ)』が終わって・・・

(『それまで、生き抜きたい。 そう思うのは、贅沢な事かな・・・』)

(『何を言っているのよ、柄にもない・・・』)

確か負傷した木伏さんを見舞って、その帰りに妻と・・・

(『こんなご時世だもの。 どうなるか判らないわよ』)

(『随分とドライだね、三瀬は・・・』)

(『別に? ただ私もね・・・沢山、死を見てきたなって・・・だから・・・』)

(『だから?』)

そう、確かあの時、妻は・・・

(『だから・・・だから、せめて好きな人には、最後まで私の事、覚えていて欲しいな。 私って言う・・・ね?』)

(『・・・好きな人?』)

(『ッ・・・! い、いいじゃないッ! 何よッ!? 可笑しい!? わ、笑えばッ!?』)

ああ・・・確かあの時は・・・何か微笑ましくて、温かくて・・・良い気分だった・・・

不意に力が抜けた。 脱力しそうだ。 脳裏で妻の怒る顔が浮かぶ。

(・・・俺は・・・俺は、彼女との最後の記憶を、こんな事で・・・)

絶対に怒られるな、後であの世とやらに、逝ったときに・・・

「・・・退け」

「大隊長ッ・・・!」

「誤解するな・・・出撃など、しない・・・」

「え・・・?」

「で、では・・・」

「ッ・・・!」

部下達を振り返り、源少佐は普段通りの―――『戦場では冷静そのもの』と評される、歴戦の戦術指揮官の顔に戻っていた。

「小隊単位で、静浜の動向を監視しろ。 どんな些細な兆候でも良い。 逐一、情報を入れろ―――ただし、交戦は厳禁する」

気になる情報が入っている。 静浜第2基地に4輸空の671(第4輸送航空団第671戦術輸送飛行隊)が、急に展開しているのだ。
静浜第2基地は、主に輸送機の搭乗員訓練基地だ。 実施部隊は展開しない。 しかもそこに、富士教導団の一部も展開しつつある、そう言う情報がだ。

(富士教は元々、国粋派が固めている牙城だ・・・)

今度の騒ぎに、同調する者達が居てもおかしくない。

未だ、心の奥深くでは、怒りと哀しみが猛々しく荒れ狂っている。 だが少なくとも表面上は、それを出さずに抑えるほどには、冷静さを取り戻せていた。

(・・・見極めてやるぞ、貴様たちの行動を・・・)








2001年12月5日 2320 帝都郊外・府中付近 戒厳司令部部隊・追跡部隊(第14、第15師団戦術機甲部隊の一部)


LANTIRN(Low Altitude Navigation and Targeting Infrared for Night ランターン:夜間低高度 赤外線航法・目標指示システム)セットアップ。
網膜スクリーンに投影された調光調整された夜の世界は、不自然なリアルさを持って視界に飛び込んで来る。 巡航速度350km/h、高度800m
視界に入る光景は、薄暗い調光された世界で、曳光を引きながら飛行する先行部隊の姿。 両肩の認識灯は確認できる。

『―――アルヴァーク・ワンよりゲイヴォルグ・ワン。 周防、この先、多摩で町田に変針する』

「ゲイヴォルグ・ワンよりアルヴァーク・ワン、了解」

第14師団第141戦術機甲連隊の先任大隊長で、今回の追撃部隊の総指揮官である岩橋譲二中佐から、第15師団3個戦術機甲大隊の最先任指揮官、周防直衛少佐に通信が入る。

戦術機甲大隊、6個大隊。 14師団は戦闘での損失が有る為、定数とは言えないが、それでも220機以上もの戦術機の大群が、大きな梯団を6個も作って飛行する様は圧巻だ。
先陣を岩橋中佐率いる第141連隊第1大隊が、その両翼斜め後方を第2、第3大隊が展開する。 その梯団から300m左斜め後方に、第14師団の3個大隊が梯団を作っていた。

『どうやら連中、やはり登戸からそのまま南西に進路を取っている。 我々より15kmほど先行している』

戦術機にとっては指呼の間だ。 しかし巡航速度で飛行しても、3分ほどかかる。

「・・・44師団は間に合いませんね」

『間に合っても、あの師団には撃震が1個大隊だけだ。 1連隊相手に、3分は厳しい』

数的に3倍、機体の性能差、技量の差を入れれば、倍どころか6倍、7倍の相手と戦うに等しい。 おそらく瞬く間に殲滅されてしまうだろう。

「・・・訓練校を出たての、新米連中の錬成部隊の性格ですし・・・」

地域警備師団の戦術機甲部隊は、『後方の錬成部隊』の性格が強い。 間違っても前線に出せる部隊では無い。

『―――追加情報だ。 『横浜』が1個中隊を出した、今は藤沢を通過したところだ。 平塚、小田原から伊豆半島の付け根に展開するらしい』

「1個中隊? 焼け石に水だ・・・」

コペルニクスC4Iから、CTP(共通戦術状況図:Common Tactical Picture)を呼び出し確認する―――あった。 部隊コード『ヴァルキリーズ』

「ふん・・・1分でも、30秒でもいいから、足止めしてくれれば御の字ですか・・・」

『―――多くを期待するな。 何しろ『横浜の魔女』の手札の連中だ』

「了解―――では、予定の通りで?」

『ああ。 108(独立混成第108旅団)は、こちらで相手をする。 厚木に入っていた富士の教導大隊の動きがおかしい。
済まんが2個大隊で当たる。 1個大隊・・・木伏の大隊を付ける。 先任・後任順が逆さになってしまうが、仕方あるまい』

141連隊第2大隊長の木伏少佐は、周防少佐の2期上。 第3大隊長の大竹基(もとい)少佐でさえ、周防少佐の半期先任だった。

「遣り辛いですが・・・反面、かつての上官(新任中尉時代の木伏中尉は、古参少尉時代の周防少尉の上官だったことが有る)を顎で扱き使うと思えば・・・」

『―――ちょい待て! 周防! なんじゃ、そりゃ!』

突然、通信に割り込んできた声―――木伏一平少佐の声だった。 網膜スクリーンに木伏少佐の顔がポップアップする。

『―――誰を扱き使うやて!? 貴様、下手な指揮しとったら、遠慮のう、ダメ出しするで!? ええな!』

「とまあ・・・連携はご心配なく、中佐」

『―――激しく不安だが・・・任せる。 帝都の第3連隊は、ウチの連中・・・宇賀神さん(宇賀神中佐、14師団第142戦術機甲連隊先任大隊長)と・・・
それに若松君(若松幸尚中佐、14師団第143戦術機甲連隊先任大隊長)もいる。 15師団も荒蒔君(荒蒔芳次中佐)が残存を纏めて、脇を固めている。
如何に第3連隊・・・久賀少佐と言えど、『安全地帯』から出ることは出来ん。 出た瞬間に、あの猛者連中に寄ってたかって、嬲り殺しにされるからな』

「塔ヶ島までに、補足できるかどうかです。 時間の勝負です」

『餌』は既に帝都城を脱出した。 場所は伊豆半島、今頃は極秘の脱出路を、これまた極秘の地下鉄道網で疾走している筈だ。

平静を装っているものの、それぞれ内心では様々な感情が渦巻いている。 更には佐渡島と壱岐、東西同時のBETAの海底侵攻の報。
1分、1秒でも早く、制圧せねばならない。 遅れれば遅れるほど、最前線に動揺が広がる―――戦線が崩壊する。 物理的より早く、心理的に。

『―――是非も無し。 殺るか、殺れぬか、だ』

戦術機の大群が、夜空を曳光も鮮やかに駆け抜けてゆく。








[20952] クーデター編 動乱 2話
Name: samiurai◆b1983cf3 ID:0ffa22e1
Date: 2015/01/27 22:37
2001年12月5日 2340 帝都 半蔵門付近 第1師団第3戦術機甲連隊


「・・・厚木に連絡。 『足を止めろ』、以上だ」

『―――了解です』

ままならん―――教導大隊と108旅団は、恐らく最後には殲滅される。 その代り、かなりの時間を稼ぐだろう。 2個大隊対、向こうは3個大隊。
追撃部隊の6個大隊のうち、2個大隊を拘束する事に成功した。 しかし、あと4個大隊が残っている。 その内の3個大隊の指揮官は、自分が良く識る者達だ。

(・・・沙霧では、手に負えん連中だ。 奴自身、連隊規模どころか、大隊指揮の経験すら無い・・・)

第1連隊の3個大隊は、どれも大隊長が居ない。 いや、拘束されてはいる。 従って大尉が大隊を、中尉が中隊を指揮している状況だ。

(ぶつかれば・・・まあ、目に見えている。 例え富士の戦研大隊が加わってもだ)

あと気になるのは、既に浦賀水道を通過したと思っていた海軍―――第1艦隊の行方が不明な点だ。 蹶起部隊も、各所に『協力者』を潜ませている。
浦賀水道を監視できるポイントにも、当然ながら配置させていた。 しかし定時連絡では『艦隊通過』の報は無かった―――米第7艦隊だけだ、浦賀水道を通過したのは。

(やはり・・・海軍だけは、勝手が違ったな)

海軍内にも、国粋派士官は存在する。 しかし陸軍と比べて極めて少数派であり、その少ない連中の大半は、遠隔地の根拠地勤務に回されていた。

(相模湾か・・・だとすると、早くにケリがつきそうだ・・・)

第1艦隊には1航戦と2航戦―――戦術機母艦『大鳳(2代目)』、『海鳳』、『飛龍(2代目)』、『蒼龍(2代目)』がいる。 戦術機240機を抱える、大打撃部隊だ。

これが相模湾を西進していれば・・・一気に詰み、だった。

(ならば・・・こちらも早めに手を打つか・・・)

大物連中の所在は、あらかた判明している。 全部は無理だが、せめて決めている連中だけは、ケリを付けておきたい。

(ふん・・・下種とも言え、ただの自分勝手だ、自己満足さ・・・)

所詮、この国を、この世界を、どうこう出来る話では無い。 そんな気も無い。 ただ、付けておきたいケリは有る。 
それに、多少なりとも肝は冷えるだろう―――日本と、日本人と言う連中は、自分で進んで外科手術を受ける勇気が有る民族でも、国でもないのだ。

(動機? 行動の根拠? 思想? そんなもの、後で幾らでも、こじ付けてくれ。 俺の知った事じゃない。 支離滅裂? 人間なんてのは、そんなものだ・・・)

だが、思い出して貰うぞ。 国の上層部、目を逸らしている軍や役人ども、嘆いて憐れみを期待する事しか考えていない日本人、それを勘違いしている、『やんごと無き』方々とやら。

(・・・優香子は、何故死んだ? そして俺は、何故生きている? 思い出して貰うぞ。 直視してもらおう。 糞ったれなBETAをなっ!)

端からは、説明がつかない久賀少佐の思考。 しかし彼は、彼の中では、それは必然だった。 必然でなければならなかったのだ。

(・・・この国に、慈悲深き統治者も、民意を汲み取る為政者も不要。 只あるべきは、生き残らんがためだけの道だと、その現実をな・・・!)

そうでなければ、何のために妻は死んだのだ。 何のために自分は・・・いや、自分は良い。下種とも言え、所詮、その程度の生だったのだ。 

が、妻の事だけは許容出来ない。

(この糞ったれな時代に、糞以外の事を考えているんじゃない・・・! 生き残りたければな! でなければ・・・1人残らず、滅びてしまえ・・・!)

やはり、狂っていた。









2001年12月5日 2350 日本帝国 神奈川県横須賀市 国連軍太平洋方面総軍第11軍 国連軍横須賀基地


「何時になったら、出撃できるのだ!?」

国連軍―――指揮下に入っている(形式上は)米軍将校、第117戦術機甲大隊の指揮官が、基地の整備将校に喰ってかかっている。

「失礼ながら! 機体に複数個所の不具合が生じております! 完調で無い機体を出撃させ、事故を起こさせるなど、小官の職務には含まれておりません!」

国連軍―――明らかに中国系と思しき整備将校も、負けじとやり返している。 そんな様子を、ハンガーの入り口から見つめる女性将校が2人。

「・・・中国軍も、やるわね? 機体を弄って、不具合を発生させるなんてね?」

「ヤンキーは大味過ぎるのよ。 彼らの完璧何て、私たちから見れば穴だらけよ・・・そちらも、そうでしょう?」

「ここは、潮風がね。 だからアビオニクスもね・・・残念ながら、人の足を引っ張るのは、お互い得意でしょ?」

横須賀基地戦術機甲隊・第207戦術機甲大隊長の朱文怜少佐、第208戦術機甲大隊長の李珠蘭少佐。 部下に命じて『小さな瑕疵』を米軍の機体に仕込んだ張本人達。

米軍第117戦術機甲大隊は、第70-3任務群『セオドア・ルーズベルト』を発進後に、この横須賀基地に一時的に駐留していた2個大隊のひとつだ。
そしてもう一つの大隊、第70-2任務群『ドワイト・D・アイゼンハワー』から進出している第174戦術機甲大隊もまた、横須賀基地の『見えないサボタージュ』により右往左往。

「どうもね、上の方で取引が有った様ね。 米軍を横須賀に拘束する代わりに、横浜の接収は時期を延ばす、って言う・・・」

「日本は早かれ遅かれ、AL4計画を接収するのでしょう? 今までが異常だったのよ、多額の資金だけ供出させられて、計画の実権は国連・・・横浜自身が握っていた・・・」

「殺された首相の意向だった様ね。 で、この騒ぎを奇貨として、この国の統制派が国連に『譲歩』を迫ったと・・・ま、第3計画までも、今並列で行っている第5計画も、発案国主導だし」

「ええ・・・で、本来、品川沖に出撃する予定だった117大隊と、伊豆半島に『何故か』進出予定だった174大隊を、ここで拘束するのが我々の任務ね。
日本も内政問題に、『国連軍』の錦の御旗を建てられて、米軍に干渉させるのは嫌がる筈だわ。 何としても排除したい筈・・・」

「戦力的には、戒厳司令部が掌握した制圧部隊の方が、倍以上勝っているモノね。 誘導して、個々に各個撃破で制圧できるわ。
ふう、基地司令官と、周中佐(横須賀基地戦術機甲隊司令・兼・基地作戦参謀、周蘇紅中佐)の、してやったりの顔が目に浮かぶわ。 資材と燃料弾薬、日本から優先補充の条件でしょ」

「美鳳(戦術機甲隊副司令・兼・第206戦術機甲大隊長、趙美鳳少佐)は、第7艦隊のリエゾン(連絡将校)の相手で、辟易しているわよ?」

「文怜・・・楽しそうに言いなさんな・・・はあ、美鳳が可哀そうだわ・・・」

「戦術機甲隊の副司令なんて、そんな役廻りよ・・・問題は・・・」

「ええ・・・第70-1任務群『カール・ヴィンソン』の第66戦術機甲大隊。 とうとう、進出して来ずよ。 未だに母艦の中ね」

介入しそうな部隊は、1個大隊残っている。 それも、相模湾に展開しつつある『カール・ヴィンソン』に搭載された部隊だ。

「その為かしらね・・・どうも日本海軍、第1艦隊を相模湾に展開させたそうよ」

「米軍への牽制と、最後のダメ押しの為・・・ね。 クーデター部隊、伊豆半島には侵入出来そうだけれど・・・第1艦隊ね。
待っているのは、前方に海軍戦術機甲部隊の4個大隊、そして後方に陸軍戦術機甲部隊の4個大隊・・・」

「2倍以上ね。 日本とアメリカが、大人しく協同すると思えないから、1個か2個大隊は米軍の牽制役でしょうけど」

「それでも、6個から7個大隊が相手よ。 クーデター部隊・・・第1戦術機甲連隊は3個大隊、2倍以上の戦力差よ―――ダメね、殲滅される運命だわ」

問題は『餌』に食いつく前に、殲滅できるか否か。

「ま、それは彼ら自身の問題よ。 私たち・・・統一中華戦線は極論すれば、この島国が極東の防波堤として存続すれば、誰が頂点に立とうと、ぶっちゃけ問題無しよ」

「亡命韓国政府も同じく。 鉄原を攻略するまで、この国が保ってくれれば、言う事は無いわ」

2人とも、日本軍内には親しい戦友がいる事は居る。 が、それも自国や同胞の境遇を前にしては、二の次、三の次・・・それが人類発祥以来の『グローバル・スタンダード』だった。









2001年12月6日 0040 日本帝国 神奈川県大和市付近 第44師団第441戦術機甲大隊


『こっ、後方より攻撃を受けていますッ!』

『後方だとッ!? いったい、何が・・・!?』

『きゅ・・・94式! 『不知火』です! ロ、ロシアンカラー・・・富士の連中でッ・・・ぎゃ!』

『おい!? どうした! 富士だと!? 富士!? 教導大隊か!?』

『大隊長! 教導大隊が発砲を! 交戦許可を! うわあ!』

『何が・・・一体、何が!? うおッ!?』

混乱の最中、一撃で大隊長機が撃破された。 他の指揮官機もまた、部下を掌握するのに必死で防御戦闘どころでは無く・・・瞬く間に撃破される。
後に残ったのは、経験の浅い、又は全く経験の無い、若い衛士達だけ。 彼らは茫然自失の状態で、撃破された上官の機体と、過ぎ去って行く94式『不知火』の群れを見ていた。

「富士の・・・教導団・・・第1大隊・・・」

そう、帝都でクーデターを起こしている筈の第1戦術機甲連隊。 そして厚木に駐留して居た筈の、富士教導団教導大隊。
その戦術機群が、なぜこんな所に・・・彼らには、その答えを導き出す何物も与えられていなかった。









2001年12月6日 0055 神奈川県大和市付近 第14師団第141戦術機甲連隊/第15師団3個戦術機甲大隊


『44師団は駄目だ! 抜かれた! 大竹君!(大竹基少佐、141連隊第3大隊長) 108は君の隊で叩け! 富士の連中はこっちで叩く!』

『了解! 15分、15分待って下さい! 108を叩いたのちに、富士の側面を突きます!』

『頼む! 周防! 長門! 15師団は1連隊を追え! コペルニクスC4I、OPS(作戦指揮系)、INTEL(情報系)はレベル4だ!』

「レベル4、了解―――アクセス―――承認。 頼みます」

6個大隊の内、2個大隊が富士教導団(大隊規模)と108旅団戦術機甲大隊に向かう。 108の戦術機甲大隊は『撃震』だ、制圧に時間はかからないだろう。
然る後、2個大隊で富士の教導大隊を叩く。 損害は出るだろうが・・・それはこの際無視すべきだ。 彼らは部隊長―――大隊指揮官であり、小隊長や中隊長では無い。

「ゲイヴォルグ・ワンよりアレイオン・ワン、セラフィム・ワン。 続行せよ! ガンスリンガー(141-2大隊)、アイ・ハブ」

『アレイオン・ワン、ラジャ』

『セラフィム・ワン、了解』

『ガンスリンガー・ワン、ユー・ハブ。 周防、任せるで』

残る4個大隊が、A/Bを吹かして南南西に進路を取る。 いったんこのまま、湘南まで進出した後、西進する様だ。
富士教導大隊が阻止しようとするが、横合いから141連隊の第1大隊が殴りかかった。 108旅団の戦術機甲大隊は、141連隊第2大隊の猛攻を受け、早、損害を出している。

『44師団! 戒厳司令部指揮下、15師団第141戦術機甲連隊、岩橋中佐! 機械化装甲歩兵、自走高射砲! 何でもいい! 死角から富士の連中に撃ち込んでくれ!』

『―――44師団、第461自走高射砲大隊、了解した! 畜生! 連中がクーデターか! 友軍を殺しやがって! 同胞じゃねぇ! 各車、撃て! 撃てぇ!』

『―――44師団本部だ、141連隊! 持ち堪えてくれ! 藤沢の46師団から連絡が入った! 戦術機甲大隊を発進さえたと! あと10分で到着する!』

そうなれば、『不知火』2個大隊に、『撃震』が1個大隊半(44師団の戦術機甲大隊は、半壊した) 向こうは『不知火』と『撃震』1個大隊ずつ。
部下の小隊が、見事な戦闘機動で富士の機体を1機、撃破した。 教導団の機体は、ほとんどがAH戦を意識しての単機戦闘、良くてエレメント単位。
こちらは全くの編隊戦闘だ。 元々、個々のAH戦技量では分が悪い、相手の土俵にわざわざ乗っかる理由は無い。

『各機! 小隊戦闘を崩すなよ! 相手はBETAと思え! BETAだ!』

そう。 対BETA戦であれば、第1連隊より余程、場数を踏んでいる。 敵の単機に2機のエレメントで。 エレメントにはこちらの小隊で。 陣形は、そのために存在する。

廃屋の陰から87式自走高射機関砲が、35mm連装機関砲を叩き込んだ。 1輛だけでない、4輛の1個小隊で、富士教導大隊の『不知火』1機に対して。
跳躍ユニットを撃ち抜かれ、瞬く間に爆散する1機の『不知火』 その僚機が小癪な戦闘車両に気付き、突撃砲を指向したその瞬間、横合いから機械化装甲歩兵がLAMを叩き込む。

瓦礫の陰に身を隠して隠れていた歩兵分隊が、死角から身を踊り出して軽MATを放つ。 足元の『敵』に混乱したクーデター部隊を、74式戦車の51口径105mmライフル砲が捉えた。

『44師団との連携を失うな! 誤射には徹底して気を付けろ!』

足元を掬われ、そちらに気を取られると、今度は正面と側面から14師団の戦術機部隊に肉薄され、機動砲撃戦を挑まれる。
戦術機『だけ』のAH戦ならば、第1連隊と双璧を張る富士教導団であるが、軍の本来の姿である諸兵科共同の形で攻められては、もう為す術がなかった。

『油断するな! そして躊躇するな! 殲滅しろ!』

岩橋中佐の声が、戦場に響き渡った。

だが、108旅団の後続部隊も、負けじと参戦する。 自走榴弾砲の砲撃に、44師団の1個歩兵小隊が直撃を受け、赤黒い血煙と肉片だけを残して霧散した。 
報復は直後に叩き込まれた。 44師団の機械化装甲歩兵に、装甲の薄い側面に12.7mm重機関銃弾を叩き込まれた自走砲は、内部誘爆を引き起こして爆散する。

元より、戦術機甲戦力を除けば、師団と旅団では、戦力に明確な差が有るのは当然だった。 やがて、第108旅団の支援部隊は、徐々に沈黙し始めた。








2001年12月6日 0135 相模湾沖 米第7艦隊 第70-1任務群『カール・ヴィンソン』


『エア・ボス(飛行長)より“Bounty Hunters”(バウンディ・ハンターズ:US 66wig。陸軍第66戦術機甲大隊)、発艦を許可する。 オーヴァー』

『バウンディ・ハンターズ、リード、ラジャ。 リードより発艦する。 オーヴァー』

『OK、賞金稼ぎ共。 全員無事に発艦しろよ? 艦を傷つけるな、陸軍共。 でないと、軍法会議に送ってやるぞ?』

飛行長のセリフに、指揮官は思わず苦笑する。 エアボスの心情も、判らなくはない。 彼は海軍、こちらは陸軍。 それもラングレーの(恐らくは)紐付きの作戦。
本来の艦載戦術機甲部隊を降ろされ、陸軍機を積み込まれる事が、エアボスのプライドを酷く傷つけたことは、想像に容易い。

薄暗い程度の調光調整が為された網膜スクリーンの視界の中で、イエロージャケットの誘導員が誘導方向に合図を送っている。
指揮官は戦術機の右腕をL字に曲げ、上下に振る―――脚部ロックを外せ。 誘導員は注意深く主脚に取り付けてあったロック解除ボタンを操作し、固定が外れたのを確認。 
元の位置に戻り、右腕を水平に伸ばしてサム・アップする。 そして別の誘導員を指し示す。 誘導引き継ぎ。 誘導員が両腕を肘から先だけ上に曲げ、前後に揺らす―――前進せよ。

『タキシング―――デッキ・アプローチ』

スティックに設けられたオート・ラン・ボタンを作動位置に入れる。 ゆっくりと歩き出す米陸軍の最新鋭戦術機―――F-22A『ラプター』
誘導員の指示に従い、機体を発進甲板前部に設けられた2基のカタパルト、その左舷側真後ろへ進入さす。 レッドジャケットの兵装要員が機体各部の目視点検を行う―――問題なし。

兵装要員が機体から離れるのを確認したグリーンジャケットのカタパルトクルーが、射出重量の書かれたボードを、指揮官とカタパルト・コントロール・ステーションに示す。

指揮官は網膜スクリーンの機体情報エリアからその数字を確認。 機体の右腕を前に突きだし、肘から先を2度、上に曲げて同じ値である事を合図する。
衛士とコントロール・ステーションの確認を取り、この重量に合わせたカタパルト蒸気圧がセッティングされた。 先ほどとは別のカタパルトクルーが、制御用のトレイルバーを主脚につける。 
衛士はスティックの別のボタンを押し、機体のランチバーを下ろし、カタパルトクルーがこれを、カタパルトシャトルのスプレーダーにくわえ込ませる。

―――発艦準備が完了した。 JBD(ジェット・ブラスト・ディフレクター)が戦術機の背後に立つ。

カタパルト・オフィサーが右手の人差し指と中指でV字を作って合図する。 常用定格推力(ミリタリー推力)―――A/Bを使用しない最大推力。

指揮官はスロットルをミリタリーまで押し込む。 2基のプラッツ&ウィットニーF119-PW-100 が咆哮を上げた。
推力値を確認し、異常が無い事を確かめ、網膜スクリーンに映るカタパルト・オフィサーに大きく敬礼を送る。

これを合図に、カタパルト・オフィサーが大きく脚を曲げ、甲板に倒れ込むようにしながら手を振りおろしカタパルト操作員に合図を送る。 
カタパルト操作員が射出ボタンを押し―――カタパルト作動、射出。 機体は2秒の間に300km/hまで加速され、猛烈なGを衛士に加えながら中空へと舞い上がってゆく。

『リードより各機、編隊を組め。 目標はイズ・ペニンシュラ(伊豆半島) ターゲット『チェリー・ブロッサム』の確保及び回収。 作戦終了予定、0430』

『『『―――ラジャ』』』

恐らく今頃は、『カール・ヴィンソン』の後を付け狙って航行している筈の、日本海軍の4隻の戦術機母艦からも、海軍戦術機甲部隊が続々と発艦している筈だ。

(4隻合計で240機・・・1個戦術機甲隊は、陸軍と同じ編成で160機。 残りはRF-4JⅡが16機と、A/B-17BⅡが64機か・・・)

戦域制圧機のA/B-17BⅡが64機、偵察機が16機。 残りは最新型のA/B-17AⅡ。 ラプターでさえ、近接戦闘・近接機動砲戦では苦戦する、と評される日本海軍の主力機『流星改』

(A/B-17AⅡが1個大隊に、A/B-17BⅡが1個中隊。 確かこれが日本海軍の戦術機ドクトリンの基本だったか・・・)

以前は母艦用(A/B-17B)、基地用(A/B-17A)で分けていたと聞く。 しかしそれだと、柔軟な作戦運用が出来ない、と言う声で、近年は再編成されたはずだ。

(それが4個梯団・・・いかなラプターと言えど、分が悪すぎる・・・)

それに日本陸軍も、4個大隊ほどの戦力を追撃に向かわせていると言う。 都合、8個大隊以上―――米陸軍の第1戦術機甲師団『OLD IRONSIDES』に匹敵する。

(スピード勝負か・・・)

幸い、イズ・ペニンシュラ(伊豆半島)は山がちの地形だ、入り込めばラプターのステルス性能が遺憾なく発揮できる。 それまでの辛抱だ・・・

『・・・ハンター2よりハンター1。 レーダーにJIN(日本帝国海軍)の機影を確認しました』

エレメントを組むハンター2―――イルマ・テスレフ少尉が、やや緊張感を匂わして報告する。 フィンランド難民出身の彼女にとっては、初めての『実戦』だった。

「ハンター1よりハンター2、彼らは『フレンド』だ。 警戒するなとは言わんが、過剰に警戒はするな」

『・・・ラジャ』

いずれ、ターゲット確保の段になれば、交戦する可能性もある。 しかし今では無い。

「ハンター1より、オールハンズ! 間もなくイズ・ペニンシュラだ! 気を抜くな! GO!」









2001年12月6日 0155 日本帝国 静岡県伊豆市 伊豆半島熱海峠


『補足!』

前衛の第2中隊『ハリーホーク』から、中隊長・八神涼平大尉の声が大隊通信系に響いた。

「位置、速度、方向知らせ」

直ぐ様、大隊長の周防直衛少佐から指示が飛ぶ。

『ベクター1-8-5(185度、ほぼ真南)、エンジェル10(高度100m)、ヘッド(方向)1-8-0! 韮山峠手前、玄岳南麓を南進中!』

『ゲイヴォルグ・マムよりゲイヴォルグ・ワン! 師団司令部より緊急信! ターゲット『チェリー・ブロッサム』は、塔ヶ島離宮にて『ラビット』と合流後に半島を南下中。 現在位置、山伏峠IC跡北、1km付近!』

「ちっ・・・ワンよりマム、ラジャ。 『ラビット』被補足時刻は? 推定で良い」

『マムよりリード、被補足推定時刻、0210。 被補足推定地点、山伏峠南、1km付近。 なお、国連軍1個中隊の戦術機甲部隊が、急速接近中』

「どこの部隊だ?」

『国連軍、横浜基地所属。 部隊コード不明です』

「追い返せ。 国連軍・・・横浜は今回のパーティには、招待していない」

―――拙い、先にターゲットを確保されてしまう。

周防少佐が内心で焦燥し始めたその時。

『ちっ! ハリーホークよりゲイヴォルグ・ワン! 2時方向、発砲炎! 1個大隊規模! ハリーホーク回避! 全機、迎撃開始!』

『ドラゴン・リーダーより中隊各機! ウェッジ・ワン!』

『クリスタル・リーダーより各機! ハリーホークの右側面に当たるぞ!』

指揮下の3個中隊が応戦を始める。 相手は第1師団の2個戦術機甲大隊。 伊豆スカイライン跡、その複雑な地形に身を潜ませ、こちらを待ち伏せしていたようだ。

「ヤキが回ったか・・・ガンスリンガー・ワン! アレイオン・ワン! 制圧を要請する! ガンスリンガー・ワン、ユー・ハブ!」

臨時指揮官とは言え、『ゲイヴォルグ・ワン』周防少佐は、第14師団の『ガンスリンガー・ワン』木伏少佐より後任だ。 従って『命令』でなく『要請』になる。

『ガンスリンガー・ワンよりゲイヴォルグ・ワン、アイ・ハブ! 長門! 西の斜面廻り込めや! 連中のケツ、蹴り上げたれ!』

『了解! 似た様な場面が、北満州でもあったな! リードよりアレイオン全機、続け!』

この場の指揮権を委譲された木伏一平少佐の第141戦術機甲連隊第2大隊『ガンスリンガー』が、入り組んだ山岳地形を巧みに使って回避する。 
BETA、その光線属種が多数存在する戦場で、厄介極まりないレーザーから身を躱しつつ、制圧範囲まで肉薄する―――その技術は伊達では無い。 砲弾は山肌で炸裂するだけで、損害は無い。

その間に長門圭介少佐の第152戦術機甲大隊『アレイオン』が、夜間の山岳地帯を、スレスレの高速機動で縫う様に飛行しながら、第1師団部隊の背後を取る為に移動し始めた。

「ゲイヴォルグ・ワンよりセラフィム・ワン! 間宮! 続行!」

『セラフィム・ワン、了解! リードよりオール・セラフィム! ゲイヴォルグの左後方で続行せよ!』

状況を瞬時に把握した4人の歴戦指揮官たちは、次の瞬間にはそれぞれの役割を振り分け、即応する。 足止め役の1個大隊だろうが、こちらは倍数を振分け対応する。

「ゲイヴォルグ全機! A/B!」

『オール・セラフィム、A/B噴かせっ!』

ドドオッ・・・ンッ! 

80機もの戦術機が、2基の跳躍ユニットのA/Bを一斉に噴かせた。 その衝撃波が地表を抉り、土砂を播き上げる。

「各中隊! 制圧支援機、誘導弾一斉発射!」

『砲撃支援! Mk-57ⅢC、用意!』

2個大隊・6個中隊の内、12機の制圧支援機の92式多目的自律誘導弾システムから、1機当たり32発、12機で184発もの誘導弾が発射された。
同時に長砲身(62口径)57mm砲12門から、高初速中口径砲弾が曳光弾と共に発射される。 目指すは2km先を行く、1個戦術機甲大隊。

『誘導弾、命中!』

『撃破! 撃破!』

『見越し射撃だ! 後ろから追いかけても当らんぞ!』

前方の第1師団にかなりの混乱が見られた。 と同時に、1個大隊が分離して、その場で―――韮山峠で迎え撃つ姿勢を見せた。 もう一方の1個大隊は、変わらず南下している。

「・・・セラフィム・ワン。 あの1個大隊、任す。 確保は必要ないが、損害を出さない程度に『殲滅』しろ」

『セラフィム・ワン、了解。 『確保は必要ない』で、『殲滅しろ』ですね? くくっ・・・怖い、怖い、『鬼の先任』は・・・』

随分と懐かしい呼ばれ方をした周防少佐は、網膜スクリーン上の後任の間宮少佐を軽く睨みつけると、平然と言い放った。

「優先すべきは、連中をこの場で抑える事。 出来れば無力化、連中の生死は問わない。 後は極力、損害を出さぬ事だ―――できるな? 近接戦はするなよ?」

戦力的には同数とは言え、把握している情報ではあの大隊戦力も、指揮しているのは、本来は中隊指揮官であるはずの大尉だ。 
1階級しか違わないとは言え、大隊指揮を正式に学び、実戦で経験を積んだ『本職』と、『臨時』では違う。 大尉が大隊を、中尉が中隊を―――素質が有っても、学習の余裕は無いだろう。

『近接戦? 馬鹿ですか? それは。 了解です』

そして最後の1個大隊が、クーデター部隊最後の1個大隊を猛追し始めた。









2001年12月6日 0205 相模湾上空 高度1000m


「各隊、編隊を崩すなよ? 通信傍受から目標の位置は割れている。 米軍の進路情報からも、ほぼ特定が出来た」

闇夜の海上を、鮮やかな排気炎を引きながら4個梯団、224機の戦術機―――A/B-17AⅡ・160機、A/B-17BⅡ・64機―――が、高度1000mを維持しつつ、進撃していた。
日本帝国海軍第1艦隊、その第1航空戦隊、第2航空戦隊(第3航空戦隊は当時、西日本に分派されていた)所属の戦術機甲部隊だった。

総指揮官は『大鳳(2代目)』の白根斐乃海軍中佐。 他に『海鳳』隊の鈴木裕三郎少佐、『飛龍(2代目)』隊の加藤瞬少佐、『蒼龍(2代目)』隊の菅野直海少佐。
白根中佐と菅野少佐は、陸戦隊から母艦部隊への転向だった。 他に制圧支援中隊が4個中隊が、それぞれの戦術機甲隊(大隊)に付属している。

本来、第1艦隊の母艦戦術機甲隊の総指揮を担うと目されていたのは、白根中佐の同期生の長嶺公子中佐だった。 だが長嶺中佐はマレー半島で戦死。
代わってそれまで基地陸戦隊の戦術機甲部隊指揮官だった白根中佐が、故・長嶺准将(正式には海軍代将(提督勤務大佐)、戦死後2階級特進)に代わり、第1艦隊の戦術機甲部隊を束ねていた。

「陸軍は4個大隊を送った! うち2個大隊は富士教の相手をしているが、じき終わる! 1個大隊が目標手前で、クーデター部隊の分派相手に掃討戦の最中だ。
現在、目標とクーデター部隊の最後の1個大隊を追っているのは、陸軍第15師団の1個大隊! 我々はこれに合流し、目標の確保とクーデター部隊の制圧を行う!」

面倒なのは、目前の米軍部隊だ。 『カール・ヴィンソン』から発進したこの部隊、一部がレーダーにやたら捕捉しづらい。 と言うか『滑る』のだ。

(多分、噂のラプターよね・・・中長距離砲戦に持ち込まれると、ちょっと分が悪いか・・・いざと言う時は、制圧支援部隊にぶちかまさせるしか、方法が無いわね)

如何なラプターと言えど、64機の『戦爆型流星改(戦域制圧のBⅡ型)』が放つ、576発もの95式大型誘導弾の集中豪雨を、全て躱しきれる術は無い。
迎撃率8割でも、ラプター全機撃破。 9割を迎撃されても十分お釣りがくる。 そうならない事を期待しているが・・・事態は多分、流動的だろう。

(それに、先航する第1陸戦師団を乗せた『千歳』と『千代田』は、既に川奈に突入している。 2個陸戦団(連隊戦闘団)の揚陸が始まっている・・・)

強襲上陸作戦指揮艦の『千歳』、『千代田』の両艦は、個艦でLCAC-1級エア・クッション型揚陸艇4隻、SH-60J 統合多用途艦載ヘリコプター8機、155mm砲8門を搭載する。
他に戦術機30機、各種装甲車輌・輸送車輌を40輌搭載し、1艦当たり1個陸戦隊(連隊戦闘団)を収容・迅速な揚陸が可能な強襲揚陸艦でもある。

第1航空戦隊から先行する事、約2時間。 既に西伊豆の旧伊東市川奈の海岸線に突入して、2個陸戦団(連隊戦闘団)の揚陸は、ほぼ終わり掛けている時刻だった。
第1陸戦師団所属のA/B-17AⅡが4個中隊と、A/B-17BⅡが1個中隊。 それに2個連隊戦闘団の機械化歩兵部隊が、目的地目指して進発している時刻だ。

(嫌な仕事ね・・・誰も彼も、政治、政治・・・第一、艦隊上層部が『目標』の出現位置と時刻を、ほぼ正確に把握していたって事が、海軍も片棒担ぎの証拠じゃない・・・)

サイレント・ネイヴィー・・・『海軍は政治に韜晦せず』と考える白根中佐にとっては、軍上層部、特に軍令部や統帥幕僚本部の提督たちの方策には、賛同しかねる部分が有る。
それでも、祖国が崩壊するよりマシ・・・と無理やり自分を押さえこんでの、今回の作戦出撃だった。 誰も喜んで皇軍相撃ち合いたくないのだ。

『中佐、あれこれ考えるのは、終わってからにしましょうよ!』

突然、網膜スクリーンに若い女性の姿がポップアップする。 戦術機甲隊を率いる3人の少佐の中の最年少、菅野直海海軍少佐だ。 白根中佐同様、陸戦隊からの転向組だった。

『どうせ今、あれこれ考えたって、どうにもならないんですから! だったら、さっさと終わらせて、それから悩めばいいじゃないですか!』

『へえ・・・菅野が珍しく、まともな事を言っている』

『艦隊気象官の予報じゃ、今日は快晴の筈だったんだけどな?』

『ちょっと!? 鈴木さん!? 加藤さん!? それ、酷過ぎやしませんか!?』

網膜スクリーンに、新たなポップアップ。 菅野少佐の2期上の鈴木少佐と、加藤少佐だった。 2人とも母艦戦術機乗り生え抜きの、ベテラン指揮官である。
先任の鈴木少佐、加藤少佐の2人に、顔を真っ赤にして膨れている菅野少佐。 まったく、これだから海軍の戦術機乗りと言う奴は・・・

「そうだな。 私もまさか、菅野に諭される日が来るとは、思ってもみなかった・・・元部下の成長は喜ばしいモノだが・・・くくく・・・菅野、豪雨にだけは、してくれるな?」

『酷い! あんまりだぁ!』

気が付けば、部下の中隊長連中も笑いを堪えている。 ムードメイカーの菅野少佐の、こう言った時の『機転』は、確かに貴重で有り難い―――『機転』か『天然』か、迷うが。

「よぉし・・・全機、前方に伊豆半島! 米軍は想定通り、天城から中伊豆へ北上する様だ。 我々は陸戦隊が確保する川奈から侵入し、氷川峠を越える!」










2001年12月6日 0218 日本帝国 静岡県御殿場 国防省技術研究本部・第1技術開発廠審査部・戦術機甲試験審査大隊静浜第2基地付近


『・・・監視班より大隊本部! 4輸空、671飛行隊が発進した! 富士教1個大隊を乗せている模様! 進路不明なれど、相模湾を東進する模様! 送レ!』

「本部、了解した。 大隊長より指示有り、撤収せよ。 繰り返す、撤収せよ。 送レ」

『監視班、了解。 現在地を撤収する、送レ』

通信を受けた大隊本部の通信中隊長は、直ぐに大隊長へ報告する。 報を受けた大隊長は、しばらく思案した後・・・命令した。

「通信帯に割り込め、リークしろ。 14師団か、15師団の戦術機甲部隊の使用帯だ、出来るな?」

「児戯です。 了解です」

駿河湾を越えて伊豆半島へ飛行しつつある、大型輸送機の編隊。 恐らく目的空域は伊豆半島のどこか。 通信傍受の結果、熱海付近で戦闘が生起している様だ。

(沼津辺りに、部隊を進出させるか。 他の連中が、変な気を起こさない様に・・・)

半島基部の沼津・三島を押さえておけば、西から変な気を興した連中を阻止できる。 また伊豆半島から北上してくれば、そこで迎撃も可能な立地だ。

(積極行動はしない・・・が、蓋は完全に閉じさせて貰うぞ)

最愛の妻を奪われた哀しみと、静かに蟠る狂気の炎は、未だ静まってはいない。 だが、それを抑え込む程度の理性と、任務への集中力は失っていない。

(さて・・・どうやら岩橋中佐に木伏さん、それに周防君と長門君も居る様だ・・・帝国陸軍、戦術機甲部隊指揮官中の、歴戦達だぞ。 どう対応できるのだ、お前たちは・・・?)





[20952] クーデター編 動乱 3話
Name: samiurai◆b1983cf3 ID:0ffa22e1
Date: 2015/03/08 20:28
2001年12月6日 0420 日本帝国 伊豆半島 伊豆スカイライン跡 巣雲山南麓


「随分と不細工な状況だな・・・」

「否定はしませんよ、岩橋中佐。 私とて、嗤いたい位です・・・自分の馬鹿さ加減を」

「それを言うのならば白根中佐、まず嗤われるべきは、わが陸軍だ・・・」

天幕の中で岩橋譲二中佐と白根斐乃中佐、2人の陸海軍中佐が、互いに苦虫を潰した表情で戦術地図を見下ろしている。 周囲には複数名の陸海軍少佐達が控えていた。

天幕はCP部隊が用意した。 戦術機甲部隊の本隊に追従して来た、通信支援部隊。 主にCP将校が指揮官を務めるが、地上車両以外に大型ヘリを使用する場合も多い。
日本帝国陸軍では、アグスタウェストランド AW101をライセンス生産の形で多数採用している。 通信支援・輸送ヘリだ。 有効積載量は5.4トン以上にもなる。
大量の機材と長大な航続距離を求めた結果、3発のエンジンと巨大な床下燃料タンクを搭載する大型機だ。 全周監視レーダー、双方向データリンク、統合作戦システム等を搭載する。

本隊に追従して来たCP部隊が、AW101に搭載している野外指揮システムを降ろし、臨時の指揮所を設営。 そこに各大隊指揮官級の佐官たちが集まっている。

「しかし・・・エアボーンか。 確かに前線以外では、まだまだ有効だ。 迂闊に過ぎる、と言う奴だな・・・」

「先入観と言うのは、恐ろしい・・・そう言い聞かせて戦って来た筈が。 ふふ・・・情けないにも、ほどが有る・・・」

そう、地球は球体なのだ。 そして佐渡島から南関東は、直線距離で凡そ340~350km 佐渡島の最高標高は金北山の1,172mだ。
BETAによる標高浸食が無いとして、その標高からの最大水平線視界距離は130km弱。 とても南関東、その最南端に位置する伊豆半島を視認出来ない。

逆もまたしかり。 南関東、いや相模湾から伊豆半島を飛行高度5000m前後の中高度で飛行しても、最大水平視認距離は約270kmほど。 
但し、それは『最大水平線距離』であり、ちょうどその距離に当たる場所に、越後山脈が聳えるのだ。 更にはその前に、関東山地の中心部を為す奥秩父山地もある。
奥秩父山地も越後山脈も、元々は標高1500~2000m級の標高であり、BETAによる標高浸食は見られるものの、それでも未だ標高1200~1800m級の山地・山脈だ。

距離の制約・地形(遮蔽物)の制約をクリアし、『相模湾や伊豆半島上空から、佐渡島の標高1,172m地点を視認』出来るのは、高度8,000から8,200mでようやくなのだ。
詰まる所、佐渡島の光線属種BETAのレーザー照射の危険性が発生するのは、高度8000m以上の高高度飛行の場合のみ。 それも照射距離の関係から重光線級BETAの照射のみ。

太平洋岸でさえ、飛行高度8000m以下、高度5000~6000mの中高度飛行は実のところ、『安全飛行高度』になっている。
例えBETA群が新潟に上陸したとしても、距離と地形の制約を受けるから、飛行の安全性に問題は無い。 詰まる所・・・

「・・・軍人ゆえか、平素の軍の宣伝が、刷り込まれてしまっていたか・・・」

「エアボーンの飛行高度は、精々が高度3000mほどでしたのに、ね・・・事前情報から、十分考えられる話でしたわ・・・」

「源君の部隊から、情報も入っていたものを・・・」

「あれは致し方ありません。 こちらは通信封鎖で、結局は師団本部経由になったでしょう?」

延々と続きそうな上官たちの愚痴に繰り出し合いに、流石に辟易したのかどうか、それぞれ先任の陸海軍少佐達が口を挟んだ。

「岩橋中佐。 やってもうたんは、しゃあないですわ」

「それよりも至急、対応策の確立を、白根中佐」

陸軍の木伏一平少佐、海軍の鈴木裕三郎少佐が、横合いから戦術地図の前に進み出て口をはさむ。 鈴木少佐はともかく、木伏少佐は『自分の柄や無いんやけどなぁ』と苦笑気味である。

「まずは、状況確認でっしゃろ? こっちの手持ちは、外縁包囲部隊に陸軍が4個戦術機甲大隊と、海軍も4個戦術機甲大隊・・・戦術機甲隊やったっけ? 計8個大隊。
後は三島と沼津に、戦術機甲試験審査大隊が展開しとりますわ。 源が部隊を動かした様でんな。 今のところ、こっちに協力して封鎖網を敷いてくれとります」

「熱海と伊東を、陸軍の2個戦術機甲大隊で押さえました。 戦闘による損害が出ておるとの事でしたので。 他に『千歳』、『千代田』の両艦から2個陸戦団が揚陸完了」

海軍陸戦隊を乗せた強襲上陸作戦指揮艦の『千歳』、『千代田』は、各々30機の戦術機を搭載している。 発艦能力は無く、揚陸方式だが、それでも5個中隊の戦力だ。

「氷川を陸戦隊の4個戦術機甲中隊が押さえました。 指揮官は陸戦隊の工藤少佐です。 これでほぼ、全周包囲が完了なのですが・・・」

「逆に、こっちも『玉』を連中に包囲されてしもうたな・・・周防、アメちゃんの配置は?」

木伏少佐が、CPとの間で情報のやり取りをしていた、周防直衛少佐に向かって確認する。 網膜スクリーンで無く、軍用の情報端末で確認していた周防少佐が、顔を上げて報告した。

「元の戦力は1個大隊規模。 うち、1個中隊は、1連隊や富士の連中との交戦で、ほぼ壊滅状態。 1個中隊は監視付きで函南まで下がらせました。 間宮の隊で見張らせています。
問題は、残る1個中隊・・・指揮官の直率中隊です。 米陸軍第66戦術機甲大隊『Bounty Hunters』―――指揮官、アルフレッド・ウォーケン米陸軍少佐」

米海軍では無く、米陸軍。 それも最新鋭戦術機のF-22A『ラプター』装備部隊・・・壊滅された1個中隊は、F-15E装備部隊だった様だが。
そのラプター運用部隊―――あから様に、特殊作戦の紐付き―――が、事も有ろうか『玉』に接触し、更に包囲網の最内縁部に存在している。

「それについては、海軍側のミスね・・・アメちゃんの牽制任務を与えられていたわ・・・」

F-22A『ラプター』・・・ステルス戦術機(明らかに対人戦重視の開発コンセプトだ!)の長所を生かされてしまった。
囮の2個中隊(F-22AとF-15A各1個中隊)に吊り上げられて、残る1個中隊を伊豆の山中でロストしてしまった。
そのロストした1個中隊が大隊指揮官の直率中隊で、その部隊にまんまと『玉』に接触されてしまったのだ。

「クーデター部隊の戦力は、富士の1個大隊に、1連隊の残存が1個大隊・・・残り2個中隊か。 1連隊は1個中隊が、周防の大隊との交戦で撃破されている―――よくやった、周防」

「仮にも第1連隊を相手に、同数で33%を撃破。 こちらはほぼ無傷・・・やるわね、周防君?」

2人の中佐の言葉に、首を竦め乍ら答える周防少佐。

「・・・後退戦闘中の相手に、それも同数の相手に、機動砲撃戦かましながらの追撃戦闘です。 あれで損害を出していたら、もう一度、新米少尉からやり直しですよ・・・」

古来より、撤退戦闘程、難しいものは無い。 歴史を紐解いて見ても、数多の名将・勇将が率いる精鋭部隊が、撤退戦闘の最中に壊滅し、殲滅されている。
日本史でも、例えば長篠の合戦で武田家が被った大損害の大半が、撤退途中の追撃戦で生起しているのだ。 高名な武将の討ち死に場所が、撤退路上に点在している。

「やろうと思えば、今からでも連中を殲滅可能ですよ。 こちらは8個大隊・・・氷川の海軍さんを含めれば、9個戦術機甲大隊の戦力です」

「対して向こうさんは、1個大隊半・・・損傷機を除けば、精々そんなトコロでしょう。 戦力比は9:1.5・・・ランチェスターによる実質戦力比は、81:2.25です」

陸軍の長門圭介少佐と、海軍の加藤瞬少佐が、現実の戦力比から交戦した場合の彼我の損失予想を立てる。 理論値では有るが、それは経験則から導かれているのだ。
ランチェスターの第2法則からすると、そうだ。 実際の戦力差は81:2.25となり、向こうを殲滅した後で、こちらには8.8個大隊分の戦力が残る。
予想損失は8機。 9個大隊、360機のうちの8機。 損耗率2.2%・・・部隊指揮官ならば、躊躇せずに受け入れるべき『数字』だった。 だったのだが・・・

「問題は、2重包囲網の中心に『玉』と『保安官』がいるって事ですよね。 『保安官』っていっても、西部開拓時代は、『ならず者』の兼業だったそうですし?」

海軍の菅野直海少佐が、意味ありげな口調で言う。 そしてそれは、この場に居る部隊長の全員が認識している事でもあった。 『ならず者』―――恐らくカンパニーの紐付き部隊。

「・・・ウォーケン少佐は旧知です。 カンパニーはともかく、彼個人の資質としては、信に能う人物なのですが・・・」

周防少佐が、やや躊躇い乍ら言う。 個人としては信に能う人物であったとしても、作戦を実行する軍指揮官としては、それは別物だと判っているからだ。

「それはこの際、置いとくしか無いわな。 『玉』の周りの戦力ってぇと、陸戦隊の戦術機甲隊1個中隊に、米陸軍が1個中隊。 おまけの国連軍の訓練小隊2個に、斯衛1個小隊。
他の国連軍・・・横浜から横やり入れてきた中隊は、大竹君(大竹基少佐、訓練校17期B)の大隊が押さえとりますわ。 全く、充足未満の欠員中隊で、何しよとしてたんやら・・・」

「木伏君じゃないが、おまけはこの際、置いておくとしてだ・・・海軍さんは、エゲツないな・・・」

「そうかしら?」

木伏少佐の報告に頷きつつ、海軍の方針に嘆息する岩橋中佐に、白根中佐が白々しく答えた。 その言葉に恨みがましい視線を向ける岩橋中佐。

「白々しい・・・なんなのだ? あの指揮官名は? 思わず目を疑ったぞ・・・」

「アメちゃんの指揮官は少佐。 対してこちらは大佐。 階位は政威大将軍が正二位。 対してこちらは正三位・・・でもこちらは帝族よ。
階級でアメちゃんより上位者で、階位と『家格』で、政威大将軍に引けを取らないわ・・・あそこの主導権は日本側が取れる。 日本の軍部がね?」

「だからと言って、帝家の、帝族の方を、こんな『前線』に放り込むか・・・」

賀陽正憲海軍大佐―――日本帝国では、賀陽侯爵正憲王殿下、と言った方が通りは良いかもしれない。 東桂宮家の出身。
歴とした帝族であり、父親は先々帝の皇子親王で、先帝の弟宮の宮様。 今上帝の従兄に当たる人物だ。 帝族軍人の一人であり、帝族中唯一の戦術機乗りでもある。

なお、政威大将軍の位階は、歴史上の最高位で江戸幕府初代、2代目、12代目が従一位だが、それ以外は正二位右近衛大将が殆どだ。
室町以前の場合だと正五位から従四位あたりになる(後に従一位まで叙せられた者も、居るには居る) 対して賀陽大佐は宮家の次男で、臣籍降下である為、正三位を受けている。

「・・・『戦術機の宮様』か・・・」

実戦経験も豊富な衛士で、京都防衛戦時でも釈迦岳の激戦を、戦術機甲隊(大隊)を指揮して戦い抜いている。 国民人気では、政威大将軍を上回るかもしれない。

「そうよ、国民に大人気の方ね。 政威大将軍と、あとは小煩い斯衛を黙らせるのに、適任でしょう? 米軍に対しても上位階級者なのだしね」

斯衛軍は多くが、昔の大身武家、それも五摂家の家臣筋だった家柄の出身だ。 帝家からみれば、家臣(政威大将軍、摂家)の、そのまた家臣。 つまり『陪臣』に過ぎない。
身分・家格に異様に拘る斯衛なればこそ、帝家や帝族を前にしては、何も言えず、何も反論できなくなる。 彼らの本能に近い習性だ。

米軍にしても、対象国の帝族・王族を巻き込んでの特殊作戦の強行は、自分の首を完全に締める。 本来、特殊作戦とは、公然とした軍事行動が政治的に問題となる地域で行われる。
今回の件で賀陽大佐が負傷、或は『戦死』ともなれば・・・米国は『国際社会』から袋叩きの目に合う(ついでに、無償援助を無制限に強要されるだろう) 国庫が破綻する。

「クーデター部隊の連中にとっても、帝家と帝族はアンタッチャブルだ」

「そうね。 彼らにしても・・・いえ、国粋派の彼らだからこそ、将軍家や摂家よりも『上の』帝家や帝族は、全く無視出来ないわ。
手を出すなど、以ての外。 狭霧大尉は判らないけれど、他の従っている連中にとって、帝家と帝族は絶対不可侵の存在に等しい筈・・・馬鹿げていますけどね」

古代の神権政治ではないのだ。 一体お前たちは、何時の時代を生きているのか? 本気でそう問い詰めたくなってくる・・・ともあれ、この一石で『玉』周辺の動きは封じた。

「後は、残りの展開次第か・・・周防?」

「伊豆の山中を歩きです、1時間はかかります。 あと、帝都から全力で急行中ですが、こちらも1時間半は時間がかかります」

「うん・・・現在時間、0315・・・作戦開始は0445・・・いや、0500時か?」

「妥当ですね。 それまで連中が暴発しなければ、ですけれど」










2001年12月6日 0425 日本帝国・帝都・東京 江戸川 本土防衛軍臨時司令部(第3師団司令部)


「新潟と九州の状況は?」

「はっ! 第5軍(北陸・信越軍管区)司令部よりの報告では、第8軍団(信越防衛部隊、第23、第28、第58師団)がBETA上陸地点の前面を押さえたとの報です。
南より第25と第29師団(第5軍第17軍団、北陸防衛部隊)が北上・側面を突きました。 また援軍の第13師団と39師団も、北の迂回に成功しました」

「旅団規模だったな? 上陸したBETA群は?」

「はい。 約4800体です。 現在の所、要塞級、重光線級、共に確認されておりません。 光線級が約50体。 突撃級約400体、要撃級約750体。 残りは小型種です」

「そうか・・・なら、完全に排除が可能だな・・・九州は?」

「第3軍(九州軍管区)からの報告では、上陸したBETA群の総数は、約3800体。 第3軍団(第19、第22、第26師団)が正面に展開し、旧博多市郊外で迎撃中です。
関門海峡を渡海した第34、第43師団(第8軍第12軍団、中四国防衛部隊)が側面攻撃に成功しました。 また九州南部の第8師団(甲編成)が、後3時間で到着します」

「ふむ・・・想定の範囲内、と言うところだな。 どうだろうか、右近充君?」

本土防衛軍副司令官・岡村直次郎陸軍大将が、隣に座る国家憲兵隊副長官・右近充義郎陸軍大将に向き直って聞いた。 階級は同じだが、岡村大将の方が右近充大将より4年先任だ。

「東と西の上陸BETA群・・・半年前からの観測結果は、ほぼ正鵠を射ておりましたな。 地中侵攻は無いと見て宜しいでしょう」

「ならば、私の仕事は東西の脅威を、このまま鎮圧する事だ。 そして、それは確実だ―――君の方だ、問題は」

鋭い視線で右近充大将を射る様に見つめる岡村大将。 数十年に亘り軍歴を重ねてきた歴戦の将軍の視線は、それだけで物理的な重圧さえ伴う。
その視線を右近充大将は、平静と変わらぬ表情で受けとめ、黙礼するだけだった。 右近充大将とて、数十年に亘り『裏の』世界で暗躍し、調略を仕掛け続けた、その世界の大物だ。

「・・・かねてより『飼って』いたと判断していた飼い犬が、どうやら自己の意志で動いた模様ですな。 ご心配無く、未だ想定の範囲を越してはおりません」

「・・・制御能うのかね?」

「状況に追従させれば、良いだけの事です。 大目標に変更は有りません」

「・・・了解した。 これまで通り、君に一任しよう」

岡村大将は戦場での戦略眼、戦術手腕、軍政・軍令のどれにも精通した、恐らく名将と称されるべき将軍である。 が、そんな彼も、諜報・防諜・謀略の世界は経験が無い。
一任された右近充大将は、内心であからさまにホッとしていた。 岡村大将は有能だが、謀略向きの軍人では無い―――餅は餅屋・・・一任されて良しとしよう。

「・・・君の言う『飼い犬』とは・・・あの男か? 今現在、第3戦術機甲連隊を率いてクーデターを起こした・・・」

「はい、その男です。 九州の戦場で、国粋派政治家絡みの『事故』で、妻を戦死で喪っていましてな・・・」

第1師団内部に蔓延しつつあった国粋主義、その『監視役』として、国家憲兵隊特務作戦局が接触した男だった。 あれこれ餌を提示したが、最後は『情報提供』だった。

九州戦当時、妻子を『選挙運動』の一環として九州に残した国粋派政治家(利権政治屋だが)、その利権繋がりで、本来の命令系統を飛び越した命令を発した帝都の上層部。
その中には今回の『事件』に絡み、身柄を拘束された元第1軍司令官・寺倉昭二陸軍大将や、元東部軍管区参謀長・田中龍吉陸軍中将なども居た。

「不幸にも、あの男はまだ若かった・・・悔恨と恨みと・・・復讐の情念を、抑え切る程に枯れる年では無かった・・・甥と同年でしてな」

「・・・20代後半くらいか? 若いな・・・そして、不憫でもある。 それだけだ」

「そう、不憫です。 が、それだけです」

愚かしさでは、2人の初老の高級軍人達の方が、クーデターを起こした年若い青年将校達が比べ物にならない程、愚かしい。 そして、その愚かしさを自覚する程に枯れている。

岡村大将が卓上に置かれたシガレットケースから1本取り出し、火をつけた。 そしてゆっくりとその香りを楽しみ・・・ゆっくりと紫煙を吐き出しながらポツリと言った。

「何を想ったのであろうか、あの若い少佐は・・・」

その言葉を、ソファに深く身を沈めた右近充大将が、これもシガレットを1本咥え、火を付けた後に、少しだけ自嘲めいた表情で返す。

「怨讐、悔悟、慙愧、自己嫌悪、自虐・・・全て愚かしいと判っていながら、全ての行動が無意味と判断できる能力を持ちながら、全てを終わらせたいと願う狂気の衝動・・・」

「理解は出来る。 右近充君、君は経験が無いかね? 私は有る。 未だ中佐の頃だ、部下の若い中尉が戦場からの帰途、拳銃自殺を遂げた」

「・・・」

「中隊の殆ど全てを喪い、そして想い人を喪った。 我々の様な老人からすれば、若い者の軽挙に映る・・・が、あの時、あの若い部下にとって、世界は終わったのだよ」

「・・・有りますな。 私も若い頃は武装憲兵隊として、前線で戦いました―――佐渡島で息子・・・次男を喪いましたが、20年若ければ、どうなっていたか自信はありませんな」

「私も、京都で息子を・・・横浜で次女を喪ったよ。 残ったのは既に嫁いで退役していた長女だけだ。 ふむ・・・私も君も、悪どい具合に枯れたと言う訳だ」

2人の陸軍大将は、無言で椅子に身を沈め乍ら、暫し目を閉じていた―――目を開いた岡村大将が言った。

「大目標に変更は無い。 国防省、統幕は元より、大蔵省、内務省、外務省、軍需省、各省の事務次官以下の総意でもある」

「―――ならば」

右近充大将は、目を閉じたままでそれだけ言うと、いったん言葉を切った。 そして再び目を開き・・・

「ならば、あの若い少佐に、本懐を遂げさせましょう。 あの男が本心、どう思っているのか、どう考えているのか、それはどうでも宜しい事です」

「それは、彼にも判らない事だろうな」

判っていれば、こんな騒ぎに首を突っ込まぬ―――岡村大将が素っ気無く呟いた言葉に、右近充大将もまた、表情を変えずに頷くだけだった。










2001年12月6日 0435 日本帝国『臨時首都』仙台市郊外


臨時政府が置かれた仙台。 夜明け前の時間、郊外から市の中心部へ向かう2台の乗用車―――1台はSPの乗車だ―――が、急制動を掛けて停車した。

「どうした!?」

「倒木です! 道路に・・・!」

「なんだと・・・?」

SPの班長が、咄嗟に背広の脇のホルスターから拳銃を抜く。 従軍経験のある予備役大尉の警部だ。 彼の『勘』が、けたたましく警報を発したのだ―――『戦場の勘』が。

「対象を囲め! 本部に至急、緊急信を!」

「了解しまっ・・・かっ!?」

「おい!?」

「がはっ!」

「何だ!?」

「くっ! 狙撃だ!」

一斉に遮蔽物に身を寄せる生き残りのSP。 だが『対象』―――前を走っていた要人用高級車に乗っていた政治家、仙台臨時政府のある閣僚は、SPの様な緊急時の訓練を受けていない。

「おい! どういう事だ!? 俺はこれから緊急の会合で・・・げかっ!?」

制止を振り切り、居丈高に車外へ出て護衛に怒鳴り散らす『対象』 遮蔽物の陰から『車内に戻って!』と声を張り上げるSP班長が静止する間も無い。 
頭部を高速弾で撃ち抜かれたその閣僚は、銃弾の射入孔と反対側の側頭部が爆発したように弾け、血煙と脳漿を盛大に撒き散らして死んだ。

「班長・・・!」

「まだだ・・・! まだ出るな・・・!」

護衛対象を射殺された時点で、SPの任務は失敗だ。 そして後は過酷な事情聴取と懲罰人事が待っているだけ―――それでも、今ここで、むざむざ狙撃される訳にいかない。

(失敗した・・・これまでだが・・・軽々しく死ぬほど、素人でもないのだよ!)

我が身は最早、栄達など望めない。 だが職務は最後まで―――生き残り、微かでも情報を持ち帰る―――彼らもまたプロだった。

「・・・全員、周辺警戒しつつ、『対象』を確保」

「「「・・・了解」」」

銃口を周囲に向け乍ら、数人のSPが射殺体に駆け寄る。 恐らく7.62×51mmNATO弾。 人の頭部など、熟れたトマトも同じだ。

「一体、誰が・・・」

「判らん・・・」

部下の呟きは、どうでも良かった。 粗方見当はつく、死んだ閣僚は国粋派寄りの利権政治家だった。 そして帝都の・・・東京に居残った統制派高級官僚達は、排除したがっていた。

(いずれにせよ、真相は闇の中だ)

もしか知ると自分は、懲罰人事後に本件の捜査担当にされるかもしれない―――どこからも協力を有られず、砂漠の中の一粒を探し出す如く、不毛の余生を強いられる。
そう思うと、途端に虚脱感に襲われる。 どこかの誰かが、何を思ったのか『対象』を消した。 多分、かなりの組織力で―――自分の手に余る範囲で。

(その尻拭いか・・・多分、『連中』だ・・・くそ、あいつらか・・・)

SPの警部が思い描く『容疑者』 それは仮にも『国家』の名を冠する政府組織だった。










2001年12月6日 0440 日本帝国 伊豆半島山中


1個大隊分の戦車が、トランスポーターから降ろされ、自走を開始していた。 追従するのは89式装甲戦闘車と、73式装甲兵員輸送車。 これも1個大隊規模。

「目的地まで、後どの位だ? 時間的距離で良い」

「約15分です」

「よし・・・電波吸収体はそのまま貼り付けておけ。 戦術機のミリ波レーダーを最後まで騙くらかしてやれ」

戦車部隊の指揮を執る篠原恭輔少佐は、欺瞞装備について指示を出すと、先遣部隊指揮官から指示が入った。

『サンダーボルト・ワンより『ヴェアヴォルフ・ワン』、『ヨッヘン・ワン』 予定地点5分前地点で散開開始、オーバー」

『こちらヴェアオルフ・ワン。 サンダーボルト・ワン、了解です。 オーバー』

「ヨッヘン・ワンです。 サンダーボルト・ワン、了解。 オーバー」

帝都の騒乱を14師団に押し付けた? 第15師団は、戦術機甲部隊に次ぐ高速機動部隊を、急ぎ急行させた。 高速機動が可能な装甲部隊と、装甲車両化した機械化部隊だ。
第152機甲大隊(篠原恭輔少佐)、第153機械化歩兵装甲大隊(高谷清次少佐)、第151機動歩兵大隊(奥瀬 航中佐)の3個大隊だ。 指揮官は奥瀬中佐。

『戦車隊は、伊東から19号線を山登りだ。 亀石峠から伊豆スカイラインを通って、巣雲岳南麓から位置に付け。 第152戦術機甲(大隊、長門圭介少佐)が付近を張っている。
機動歩兵は宇佐美から山登りだ。 旧伊豆スカイラインカントリーのゴルフ場跡で潜め。 『玉』に近い。 海軍の陸戦隊から1個海兵大隊(機械化歩兵)が並走して登る』

旧ゴルフ場跡地南側には、第151戦術機甲(大隊、周防直衛少佐)が陣取っている。 他にも陸海軍合計で、8個大隊の戦術機甲部隊が包囲している。
南端の氷川を、海軍陸戦隊の4個戦術機甲中隊が蓋をしている。 その『隙間』を、陸軍第15師団と海軍2個陸戦団(連隊戦闘団)の装甲部隊・装甲車両化歩兵部隊が埋める。

戦術機甲部隊は、堂々と、あからさまに、その存在を見せつけるようにする。 機甲部隊は静かに配置に付き、ヒットエンドランに徹する。
機械化装甲歩兵、機動歩兵は山中に潜み、ATM-3(87式対装甲誘導弾/中MAT)や、ATM-5(01式軽対装甲誘導弾/軽MAT)を、『足元から』お見舞いする。
最後は陸戦団の偵察中隊による、『玉』の確保。 その後、素早く東伊豆の川奈まで離脱し、陸戦団本部(旗艦『千歳』)に収容する・・・それが作戦概要だった。

『海軍さんの『戦術機の宮様』が乗り込んで、将軍と米軍、それにクーデター連中を押え込んでいる。 が、そう長くは無い。 作戦予定、0500時だ』










2001年12月6日 0445 日本帝国 新潟県新発田市付近 第39師団第391戦術機甲連隊


「フルンティング・リーダーよりB、C小隊、ダメージ・リポート」

『フルンティングB、損害なし。 周囲にBETAを感知せず』

『フルンティングCです、損失機なし。 BETA探知しません』

第2、第3小隊は全機健在だ。 勿論、中隊長直接指揮の第1小隊も同様。

「よし。 全機、別名あるまで現在地を確保。 第2小隊、要害山から加治川、坂井川周辺を警戒。 第3小隊は丸山から上中江、東姫田、下三光一帯を警戒」

第1小隊―――中隊本部は鳥屋ノ峰から海岸線を監視する。 12機の戦術機が分散すると同時に、大隊本部より通信が入った。

『キュベレイ・ワンよりフルンティング、アウロラ、クルセイダー。 リポート』

大隊長の声だった。

『アウロラよりキュベレイ・ワン。 中隊全機損傷なし。 秋葉山、黒石山、扉山の新発田南ラインを確保』

『クルセイダーよりキュベレイ・ワン。 1機が軽度の損傷も、戦闘行動に支障無し。 二王子から水谷の中央部を確保完了』

どうやら2つの僚隊も、無事任務完了の様だ。

「フルンティング・ワンよりキュベレイ・ワン。 要害山、丸山、鳥屋ノ峰の北部ライン確保。 中隊に損失無し、全機健在。 羽越本線側は、13師団がガッチガチに固めています」

彼らは新潟戦線へ、予め増援として派遣されていた、本土防衛軍総予備の第39師団第391戦術機甲連隊(第39師団は乙編成なので、戦術機甲連隊は1個だけ)
その第3大隊だった。 使用機体は92式弐型『疾風弐型』、3個中隊36機と指揮小隊4機の、合計40機。 その全機が健在だった。

『・・・とは言え、婚約者を帝都に待たせて悶々としている周防さんのナニほど、ガッチガチでは無い、と・・・』

『きゃっ! 宇佐美さん、お下品~!』

『・・・前田は転属間もないから。 『種馬魔王』の直系の子分だし、周防さんは・・・』

『そんなに、アレ凄いんですか? 15師団のあの大隊長? ねえ? どうなんです? 大隊長?』

『はぁ・・・あたしが言えるかっ! ンな事! こら、周防! なに生暖かい表情になってんのよ!? 先任中隊長でしょうが、アンタはっ!?』

「はあ・・・何と言うか、どうしてウチの大隊は、こんなに下品な女ばかりなのかな、と・・・」

『むっ!? 私は下品じゃありません! 下品なのは宇佐美さんですから!』

『・・・周防さん、態度デカい・・・それと前田、後で覚えてらっしゃい?』

『ほほう・・・?』

思えば先代の先任中隊長・・・今は少佐に進級して、別の大隊を指揮している天羽都少佐も、こんなノリ・・・いや、もっと酷かった。 自分は女難の相でも有るのだろうか?

「・・・大隊長以外、どうしてこう下品な女ばかりなのかと・・・」

『ふん・・・少しは学んだ様ねぇ? でも、馬鹿話は後だよ! 阿賀野市南部も、第1大隊と第2大隊が押さえた! このまま最後まで、気を抜くんじゃないよ!』

大隊長―――第391戦術機甲連隊第3大隊長、伊達愛姫少佐の言葉に、2人の大尉―――宇佐美鈴音大尉と前田由貴大尉が頷いた。 第2、第3中隊長だ。

「・・・第1、第2大隊、共に損失無しの様です。 このままラインを押し上げですね―――第8軍団の攻勢と同時に」

部隊間通信を傍受していた第1中隊長・・・周防直秋大尉が、普段のやや軽い表情を引き締めて、精悍な『戦場の顔』で報告する。

『ああ、あたしも確認したよ。 森宮さん(第1大隊長・森宮右近少佐)も、沙雪さん(第2大隊長・和泉沙雪少佐)も、あの程度で下手を打つタマじゃないしね・・・』

網膜スクリーンに映し出された大隊長の表情は、それでも勝利を収めつつある部隊長の表情には、やや色が違っていた。

「・・・ご心配ですか、帝都が・・・?」

周防大尉が伊達少佐に、秘匿回線で話しかけた。 その意味を知っている伊達少佐は、秘匿回線使用について何も言わなかった―――押し黙ったままだ。

「どうやら長門少佐は、俺の従兄と一緒に制圧部隊の様ですね。 あの2人だから、下手は打たないと思いますが・・・」

そこでいったん言葉を切り、そして若干の逡巡を越して、言葉を続けた。

「俺は面識有りませんでしたけれど・・・久賀少佐は、その・・・高殿大尉は、同期です。 あの馬鹿、あれで思いつめる性質でしたので・・・」

帝都のクーデター。 反乱側にも制圧側にも、知己が多い。 クーデター部隊の久賀少佐は、伊達少佐とは同期の親しい戦友だった。 新任士官時代、満州で共に戦った。
高殿大尉は、周防大尉の訓練校同期生だった。 卒業後は同じ部隊になっていない為、付き合いは比較的浅いが・・・それでも苦楽を共にした同期生に変わり無い。

制圧部隊の長門少佐は、伊達少佐の夫だ。 そして周防少佐は、周防大尉の従兄であり、伊達少佐の最も親しい同期の期友で戦友の一人だった。

『・・・麻衣子さんがね、死んだそうよ。 河惣大佐もね・・・祥子さんは負傷したみたい』

師団からの情報の様だ。 もしかするとその上、本土防衛軍司令部からの情報か。 死亡が確認された2人の女性将校は、周防大尉も面識が有った。 
そして何より、負傷した女性将校は、従兄の周防少佐の夫人だった。 姉の様に接してくれる女性だった。 自分の感情が片側に傾いている事を、周防大尉は自覚しつつ、言った。

「彼らの擁護は、全く有りません。 もしかしたら、自分が気付いていない思いが有るのかもしれませんが・・・少なくとも、今、この眼前の光景を前に、何も許容できません」

多数のBETAの死骸。 撃破された戦闘車両、全損した砲座、死体袋に収まって運ばれる戦死者の『一部だったモノ』

運が良い少数の者は、トラック代用の救急車両で後方に運ばれている。

久賀少佐は九州の戦線で、妻を喪ったと聞いた。 高殿の奴は、広島の戦線で郷里の人々を・・・親類縁者を、突撃砲でBETAごと吹き飛ばさざるを得なかった。

(もし、彼女を喪ったとしたら、俺は・・・平静でいられるか?)

婚約者の顔を脳裏に描く。 最近、婚約したばかりだ。 もし彼女が・・・

(馬鹿野郎・・・下手な仮定でマイナスに落ち込むな。 仮定は現実じゃない・・・)

不意に、数年前まで派遣されていた欧州戦線で知り合った、1人のイタリア人衛士―――従兄の旧知だった―――の言葉が頭をよぎった。

(『なあ、直秋よ。 昔の偉そうな奴が、偉そうに言った言葉が有る。 『諦めるな。 一度諦めたら、それが習慣となる』ってな』)

あれは確か、同じ部隊の奴が戦死した日の夜だった。 あれは酷い戦闘だった。

(『でもよ、正直な話、俺達は明日を精一杯生きるより、今日を精一杯生きなきゃいけない。 それに死ぬよりも、生きているほうがよっぽど辛い時が何度もあるさ。
でも俺達は生きていかなきゃならないし、生きる以上は努力しなくちゃよ?  立派に死ぬことは、実はそう難しいことじゃない。 それよか、立派に生きる方が難しいぜ?』)

普段は女好きな、軽薄な印象を受けるイタリア男の典型の様な人物だが、それでも従兄と同じくらい激戦を潜り抜け、生き残ってきた歴戦の衛士だった。

(『んじゃよ、どうやって立派に生きるかだ? やり方は三つしかない。 正しいやり方。 間違ったやり方。 そして俺様のやり方さ。
どれが正しくて、どれが間違いなんだか判らなねぇからよ。 だから俺は、俺様のやり方で、ご立派に生き抜いてやるぜ? 直秋、お前はどうだ?』)

あの陽気でポジティヴな男は、何と言っていたか・・・

(『苦楽を共に―――良い言葉じゃないっすか。 ファビオ?』)

(『判っちゃいねぇな! 直秋! 共にするのは楽だけで良いのさ! 苦しみを連れて救いに来られた日にゃ、大迷惑さ! 冗談じゃないね!
望むのは問答無用のハッピーエンド! 失われた日々を上回る愛と幸福! ア・モーレ! それと幸福! これに尽きるさ!』)

惜しむらくは、帝都のあの2人の前に、その様な相手が再び現れなかった事なのだろうか? いやいや、事はそんな単純ではないだろう。 だが・・・

(ファビオ・・・アンタなら、どうしました? 久賀少佐はアンタの戦友だ。 長門少佐も、俺の従兄も・・・高殿は同期の期友だ。 なあ、ファビオ、あんたなら、どうしました?)

(『馬鹿野郎! 直秋! マイナスに囚われて、死んだ連中が喜ぶと思うのかよ!? 連中との記憶も全てひっくるめて、問答無用のハッピーエンド! 
失われた日々を上回る愛と幸福! ア・モーレ! それと幸福! 俺たちが目指すのは、この道しかねぇんだよ! 忘れるな!? 直秋よ!』)

思わず苦笑する。 自分の脳内妄想だ、それは判っている。 しかし実際にあのイタリア男なら、そう言う筈だった。

(だよな・・・ファビオ。 そうですよね・・・)

ある意味で周防大尉は、彼の従兄より、欧州派遣時代に知り合った外国軍の軍人達からの影響が大きいのだ。 ファビオ・レッジェーリ国連軍少佐は、その最たる人物だった。

『・・・何よ、直秋。 1人で納得したように笑って・・・気味悪いわよ?』

「酷ぇすよ、大隊長・・・いえね、『俺達は明日を精一杯生きるより、今日を精一杯生きなきゃいけない。 生きる以上は努力しなければ』とね・・・」

『ッ!? な、直秋・・・あんた・・・の、脳波パターンは!? 正常!? バイタルパターンのチェックも!?』

「ここでボケんでください! 大隊長!」

心のしこりは残っている。 問い詰めたい気分も濃厚だ。 だが、それは叶わない―――今、この瞬間は、すべき事が有るのだ。

『んッ!?―――各中隊! フォーメーション・ウィング・スリー! 連隊命令! 第1、第2大隊とで押し包みつつ、BETAを海岸線から駆逐する! 最後のお仕事だよ! 気を抜くな!』

「イエス、マム」

『ラジャ』

『了解です!』

やがて新潟防衛線の主力を張る第8軍団の各師団が、支援砲撃の元で前進を開始する。 同時に南の第25と第29師団(第5軍第17軍団)が側面攻撃を再開した。

『大隊全機! ゆっくりでいい! けど、確実にBETAを仕留めつつ、連中を駆逐せよ!』

北の第39師団も、同じく増援として派遣された第13師団と共に、ゆっくりと、しかし確実に南下を開始―――北からの側面攻撃を再開した。









2001年12月6日 0455 日本帝国 伊豆半島 伊豆スカイライン跡 巣雲山南麓


『―――煌武院公、貴公の焦燥は最も乍ら、ここは軽々と動くに非ず・・・』

『―――貴公の言、全ては国事全権代行者の『政治的発言』となる。 煌武院公、貴公と叛徒共との対話は、我、これを有用と認めず・・・』

『―――煌武院公、上に必要たるは、慈悲に非ず。 時に非情なりとも、平成を案じる非道なり・・・』

『―――慈悲もて失策を糊塗するは、無能なり、上の責に能わず。 煌武院公、心されよ・・・』

『―――斯衛の者共に告ぐ。 その身らは斯衛なり、それ以外に非ず。 軽挙妄動は厳に慎むべし・・・』

通信から漏れ聞こえる、賀陽王侯爵(大佐)と、政威大将軍との会話。 もっぱら賀陽王侯爵が政威大将軍を押さえるように話している様だった。
流石は帝族、と言うべきか・・・千数百年にわたり、この国の頂点で生き残り続けた一族。 例え象徴・傀儡と言われようと、その政治的見識は一頭地抜けている。

『―――ウォーケン少佐。 少佐が大佐の『戦場での』決定を受け入れぬは、『国連軍』として重大な軍紀違反であるが・・・貴官、軍法会議での銃殺刑を望むか?』

『―――以後、『国連軍』は暫定ではあるが、小職の指揮下に置くものとする。 ウォーケン少佐、貴官は掌握せる兵力を持って、前方警戒に当たれ・・・』

国連軍が各国軍の上位に存在するのではない。 ましてや2階級も違えば、独自行動など不可能だ。 建前上も、実質上も、賀陽大佐が中心部の指揮権を握った様だ。

『・・・岩橋中佐、白根中佐。 外縁部はどうだね?』

通信機越しに聞こえる落ち着いた声。 帝族と言うより、無数の修羅場の場数を踏んだ、黒も白も飲み込んだ歴戦の実戦指揮官の声。

『岩橋です。 準備は整いました。 戦術機甲部隊、戦車部隊、機械化装甲歩兵部隊と機動歩兵部隊・・・全部隊、オン・ステージ』

『白根です。 大佐、特務偵察陸戦隊、付近に潜入完了の報告有り。 カンパニーのトラップ解析には、今少し時間が・・・『ラット』の割り出しは完了したとの事です』

『ふむ・・・最悪、割り出した『ラット』を無力化できれば良い、か・・・では諸君、始めようか』





[20952] クーデター編 動乱 4話
Name: samiurai◆b1983cf3 ID:0ffa22e1
Date: 2015/04/20 01:45
<D-45分 遡る事『開演』45分前>
2001年12月6日 0415 日本帝国 神奈川県横須賀 国連第11軍横須賀基地


「中佐殿。 解析、完了です」

「よくやった、軍士長」

国連軍太平洋方面総軍第11軍、横須賀基地戦術機ハンガー脇の管制塔。 その一室で戦術機甲隊司令・兼・作戦参謀の周蘇紅中佐は、部下を讃えた。
電子戦担当下士官(二級軍士長、他国の上級曹長/先任曹長に相当)だが、実際、この短時間で(恐らくは)CIAの特務工作戦コードを解析するのは、並大抵の技量ではないだろう・・・

流石は、61398部隊(PLA Unit 61398)から引っ張ってきた男だけはある。

中国人民解放軍総参謀部第3部2局61398部隊(PLA Unit 61398)は、中国軍の電子戦部隊で、2001年の今なお、全容が不明な部隊だ。 
尚、日本帝国軍にも同様の組織が有り、国防省情報本部の通信部、陸軍参謀本部第3部通信システム隊、海軍軍令部第3部電子通信作戦部隊、国家憲兵隊電子防衛任務部、等が有る。

「なに、大した事ではありませんよ。 美国(アメリカ)ってな、何事も大味過ぎていけない。 連中の『厳重』は、我々にとっては列車のトンネルが空いている様なものです。
小日本(シャオリーベン、日本の蔑称)の連中の方が、よほど遣り辛いですな。 連中、細かすぎる上に、トラップも根性が悪い。 解除する事で発動するトラップとかですな」

「・・・頭が痛くなるな、私には無理な世界だ」

「まあ、これもまた、ひとつの世界大戦って奴でして・・・おや?」

「ん? どうした? 何か異常か?」

軍士長が僅かに怪訝な表情を見せたのを、周中佐は見逃さなかった。 そして軍士長もまた、長年にわたり『この世界』で生き残って来た男だ。

「はっ・・・! ははっ! 成程な、成程っ! そう来るか・・・っ!」

「うん?」

モニターを覗くが、周中佐から見れば無味乾燥な数字と記号の羅列に過ぎない。 が、軍士長は好敵手を見出した勇者の如き表情だった。

「中佐殿、CIAってのは、やはり『エゲツない』ですな。 これ・・・ここです。 『レシーバー』の脳波を受信して、解析しています」

「つまり?」

「小日本の特戦隊が『レシーバー』を消したら・・・同時にここ、この『スリープ』が解凍して、別の『オーダー』を、『レシーバーⅡ』の脳にダイレクト・オーダーしますよ・・・」

「・・・その、『レシーバーⅡ』とやら、判別は可能か?」

「無理ですな。 探ろうとすれば、即、解凍します。 探るのは不可能・・・他の奴ならね」

「なら・・・やれ、軍士長」

「是、中佐殿」






<D-30分 遡る事『開演』30分前>
2001年12月6日 0430 日本帝国 伊豆半島 伊豆スカイライン跡


「大隊は外縁包囲網の先鋒として、『敵』の攪乱任務となる」

指揮所から大隊本部に戻った周防少佐は、部下の中隊長たちに作戦を説明していた。

「陸軍と海軍、双方から1個大隊ずつが『敵』に突っかかる。 目的は『玉』からの引き離しと、友軍正面への『誘導』だ」

「って事は・・・」

上官の説明に、第2中隊長の八神大尉が、少しだけ思案顔で虚空を見上げて考えてから、口に出す。

「機動砲戦で、突っかかっては離れ、離れては突っかかり、のヒットアンドウェイ―――もしくは、嫌がらせ攻撃」

「重要なのは、各中隊間の間隔の確保と、相互連携ですね」

第3中隊長の遠野大尉も、上官の作戦説明から、重要視すべきことを抽出する。

「他の大隊との連携は、どうなりますか? 大隊長。 戦車部隊が展開する前面は、長門少佐の第152が張っておりますが・・・」

全体の連携を確認する、先任中隊長の最上大尉。 大隊の次席指揮官として、大隊長を補佐して来た歴戦の指揮官だ。

「戦車部隊は、戦術機に狙われたら、それで終わりだ。 だから一撃を加えた後、早急に離脱する」

車体の大きさ、2次元での機動と言う制約、攻撃範囲の制約。 戦車にとって戦術機は天敵になり得る。 故に、その前面におびき出して一斉射撃。 その後で全力後退。

「後は岩橋中佐、木伏少佐の大隊と連携し、それぞれの前面に誘導する。 機械化装甲歩兵と、機動歩兵がそれぞれ、中MATと軽MAT、LAMをお見舞いする」

ATM-3(87式対装甲誘導弾/中MAT)と、ATM-5(01式軽対装甲誘導弾/軽MAT)は、戦術機クラスの装甲ならば、容易く撃破できる。 LAM(パンツァーファウスト3)もだ。
夜の山中、暗闇に潜んだ歩兵部隊・機械化装甲歩兵部隊から、足元からこれらの誘導弾を発射されては、戦術機はその大きさが仇となる。

「格闘戦は捨てろ。 機動砲戦に徹する。 我々の任務は『敵の殲滅』―――この1点のみだ」






<D-15 遡る事『開演』20分前>
2001年12月6日 0440 日本帝国 伊豆半島某所


伊豆半島の山中、ほんの僅かな星明り以外、暗闇を照らすものが無い。 そんな暗闇の中を、黒いわだかまりが少しずつ動いている。 

やがて大木の陰に潜むと、背後にハンドシグナルで伝えた。

『・・・そうだ。 ターゲットとは完全に切り離された。 ジャップのエンペラーの一族が出張って来たんだ、海軍大佐だ。 ウォーケン少佐も、表だって楯突けない。
ああ、ああ・・・そうだ・・・ターゲットは連中が囲った。 我々は態の良い盾にされた・・・うん? いや・・・無理だ・・・有視界戦闘では、如何にラプターでも・・・』

暗闇の先から、英語が聞こえる。 そして音も無くにじり寄ったもうひとつの影が、ハンドシグナルで結果を教えてきた―――『ラット』割り出し完了。

伝えられた方が―――指揮官だ―――部下の一人に向かって、ハンドシグナルで指示を送る―――『消す』、準備為せ。

『そうだ・・・そうだと言っているっ! ああ、ああ・・・前をクーデター部隊、後を日本海軍の『督戦隊』にだぞ!? どうやって・・・あ、ああ・・・判った』

蟠る影が、そっと近づいて行った。






<D-15 遡る事『開演』15分前>
2001年12月6日 0445 日本帝国 神奈川県横須賀 国連第11軍 横須賀基地


「よしっ! よしっ! GHOST系が臭いと睨んだ通りだ! 連中の攻性防壁はDDoS攻撃には対応出来ちゃいるが、まだまだ脇が甘いっ!
紅客連盟も、ナイトドラゴンも(世界中に散らばる、中華系のハッカー集団。 人民解放軍総参謀部との係わりも有る)、俺には及ばないっ! 出ました、中佐殿っ!」

異様なハイテンションに、些か引き気味の周中佐だったが、それでも『手札』が増えたことには変わりない。

「よし、軍士長。 至急、司令部の『宅急便』経由で東京に送ってやれ。 ああ、『横浜』からの横やりには気を付けろよ?」

「ご心配なく、中佐殿。 横浜の『ゴースト・チャイルド』は確かに凄腕ですが、どこかしらガキっぽい、間が抜けたところが有ります。
あとは・・・『魔女』殿も良い腕ですが・・・専門家ってほどじゃ、有りませんな。 結構、バレていますぜ、『香小姐』(横浜・香月博士の、サイバー戦での『コード』)は・・・」

「知らんよ、彼女の事など。 横浜への情報漏洩だけは、絶対に防げ」

「是、中佐殿」

貸しはひとつでも多い方がいい。 使うか使わないかは、向こう次第だ―――報告を台北(統一中華戦線本部)に入れておかねばならない。
それと横浜には絶対に気取られるな。 同じ『国連軍』だが、彼女とこちらとでは『母屋』が違う。 これは『政治』だ。 嫌な事に『政治』だ。 夢見る科学者の舞台じゃない。

「詰まる所、右手はお友達、左手は財布を抜こうと伺っている・・・ま、仕方ない」

周中佐は、日本に居る『友人たち』の顔を思い浮かべながら、苦笑するしかなかった。






<D-10 遡る事『開演』10分前>
2001年12月6日 日本帝国 帝都・東京 国家憲兵隊秘匿司令部


ボヘミアンカットの灰皿の中で、報告用紙が勢い良く燃えていた。

「・・・何事も、きっかけは必要だな、大佐?」

「はっ・・・先手は米国に、帝族への弓引くは、クーデター部隊に。 最悪、賀陽大佐は『戦死』なされますが・・・」

帝族を万が一にでも・・・と危惧する腹心の部下の言葉に、右近充大将は表情すら変えずに、無機質に言い切った。

「先の大戦で海軍は、帝族をお二方、最前線に送り込んで戦死させている」

クエゼリン島の激戦において、自ら陣頭に立ち最後の突撃を敢行し、殲滅戦を指揮して玉砕戦死した、宮家出身の帝族侯爵の海軍大尉。

蘭印の第三連合通信隊司令部付として赴任の途上、搭乗機がセレベス島南部・ボネ湾上空で米軍機に捕捉され、撃墜戦死した宮家出身の帝族伯爵の海軍大尉。
こちらは本来なら『武家貴族第一等』で有った筈の(五摂家より上位の)旧幕府主宰者・徳河家当主の娘を母に持つ、生粋の『公武合体』の血筋だった。

「陸軍も、内蒙古戦線で1人、死なせておりますな・・・」

こちらは内蒙古戦線の視察中に航空機事故に遭い『戦死』した、宮家嫡男の王(親王の子)で、正真正銘の帝族だった。

右近充大将は、部屋の中の薄暗い虚空を見つめたままで、無感情に言い放った。

「・・・『戦争という国の大事において、帝族は命を落として当然である』・・・畏れ多くも、大帝陛下(今上帝の曽祖父帝)の御言葉だ」

「承知」






<D-5 遡る事『開演』5分前>
2001年12月6日 0455 日本帝国 伊豆半島某所


『ぐっ!?』

忍び寄った陰に気付くことなく、『彼』は左の鎖骨辺りに灼熱感を感じた―――と同時に急激に血圧が低下し、一瞬にして意識を失う。
意識を喪った『彼』は、そのまま暗闇の陰に引き摺られて・・・深い谷底に、死体が投げ込まれた。





『ハンター3・・・ハンター3! サヴォ中尉! アレックス・サヴォ中尉! どうしたっ!? 応答しろっ! サヴォ!』

ハンター1、第66戦術機甲大隊長にして、第1中隊長を兼ねるアルフレッド・ウォーケン米陸軍少佐は、不審極まる部下の行動に問いかけるが、全く応答が無かった。
日本海軍の大佐(日本のエンペラーの血縁者だ!)の命令で、クーデター部隊と対峙するポジションに移動せねばならなかったのは、作戦上のイレギュラーだった。

しかしまだ、リカバリーは出来る、そう考えていた。 混戦となれば、外周部の日本軍部隊は、エンペラーの一族を必ず守らねばならない。
そしてあのエンペラーの一族の海軍大佐は、実戦を知っている・・・つまり、最も弱い部分をいち早く離脱させねばならないと、結論するはずだ。

そしてこれ以上、我が米軍が(国連軍の衣を被っていても)日本軍と交戦する事は、非常に微妙な日米関係に陥る、と言う事も・・・離脱の護衛は、米軍の中隊が行わねばならない。

だが・・・

『サヴォ! どうした、応答しろっ・・・ダムッ!』

あの、ハンガリー移民上がりの中尉。 難民出身将校だが、腕前は良かった―――胡散臭い男だったが。 恐らくCIAの非公式工作員に取り込まれていたのか?

『うっ・・・ううっ・・・』

『うん? ハンター2、どうした・・・? バイタルパターン、異常・・・ハンター2!? 止めろっ! テスレフ少尉!』





彼女は戦術機の管制ユニットの中で、身悶えていた。 どうしたのだろう? 急に・・・急に、何もかも判らなくなってしまった。 自分の自我を保てなくなりそうだった。
頭が痛い、急にどうして・・・え? BETA? 違うわ、あれは日本軍・・・BETAじゃなくて、戦術機・・・くうっ! 頭が割れそうっ!
撃て? え? どうして?―――い、痛いっ! 何なのっ!? 誰よ!? 私に命令するなっ! くうぅ・・・っ、ママ、助けて・・・アルマ・・・お姉ちゃん、絶対に帰るからっ!

『うっ・・・あああっ!!』

突如、突撃砲―――AMWS-21の銃口から、 36mm突撃機関砲弾が発射された。





『米軍の発砲を確認! 第1連隊、応戦!』

『馬鹿なっ!? くそっ、鉄火場だっ! 周防! 突っ込め!』

『鈴木! 加藤! ボトムアップ! 菅野! 突入!』





<D-ゼロ 『開演』>
2001年12月6日 0500 日本帝国 神奈川県伊豆半島 伊豆スカイライン跡


40機の戦術機―――『94式不知火丙Ⅲ型』、1個大隊が夜の闇に噴射炎を鮮やかになびかせ、突進した。 対峙する相手も『94式不知火丙』そのⅡ型とⅢ型の混成部隊。
ロシアンカラー、富士教の精鋭たちだ。 こちらの突進に即応して、陣形を整えている。 発砲はまだだ、引きつけての一斉射撃を目論んでいる―――AH集団戦のセオリー通り。

(が・・・セオリーだけに忠実ではな)

距離800、高速噴射地表面滑走を続けつつ、右に、左に、地形の起伏を利用して部隊の全容を晒さず機動させる。 同時に敵勢の布陣を確認しつつ、とるべき戦術行動を模索する。
距離500、しかも起伏のある地形に沿っての高速噴射地表面滑走。 ターゲットは地形の陰に瞬時に見え隠れするだけだ。 周防少佐の中で、戦術が確定した。
距離300、制圧支援機が誘導弾発射。 同時に大隊は『敵』正面から11時方向・・・北向きにやや進路を変える。 丁度、起伏の頂点が有る場所だ。

「大隊、一斉射・・・撃てっ!」

轟音と共に40機の戦術機が、距離220で突撃砲を短く放つ。 多数の36mm砲弾、一部の57mm砲弾が、曳光弾の光と共にばら撒かれる。

「距離150で転針! エリアB5R、進路NW-55-125! 噴射5秒!」

起伏の頂点から高速で姿を現した40機の戦術機は、そのままサーフェイシングで射撃しつつ横方向に起伏を利用して移動すると、今度はやや離れた北西方向へ高速移動を開始する。

「流石に、1度くらい舐めたからって、挑発には乗らんよな・・・なら・・・」

40基の戦術機の内、1個中隊が反転し、再度の突入を図る。 富士教導隊の戦術機群がそれに応戦する姿勢を見せるや、急反転で離脱―――当らない突撃砲を放ちながら。
その騒ぎに乗じて、別の戦術機中隊が起伏を利用して高速機動で迂回。 側面から中距離砲戦を仕掛ける。 即応する富士教導隊。 
その正面に今度は、先ほどの中隊ともう1個中隊が突入する姿勢を見せる。 それを繰り返す事、10数度。 今度は1個小隊のみで堂々と正面から突入する。

「さて・・・見えるだろう? 機体肩部の帯が・・・」

戦術機の右肩、太い1本の帯と、細い1本の帯。 指揮官を示すマーキング。 細帯1本はエレメントリーダー。 2本は小隊長。 太帯1本は中隊長・・・

「ッ! くっく・・・獲物に気付いたか? なら、仕留めるのが獣の本能だな・・・?」

太帯1本と細帯1本のマーキングは、大隊長機。 機体胸部の部隊エンブレム『槍持つ戦士(ゲイヴォルグ)』は、帝国陸軍部内でも有名な部類に入る。
盛んに砲戦を仕掛ける富士教導隊の砲火を前に、距離300を保ちながら『ダンス』を続ける大隊旗機。 護衛の指揮小隊3機は、その後方100mで砲口を向けたままだ。

「馬鹿者が・・・高速機動目標への、未来位置予測射撃すら、満足にできないのか・・・?」

これもまた、近接格闘戦偏重の弊害と言えた。 逆に米軍相手ならば、周防少佐もここまでの『自殺行為』は絶対に行わない。 何が何でも近接戦闘に持ち込むだろう。
日本帝国軍・・・特に第1連隊、そして斯衛軍戦術機甲部隊は、偏執的なほど近接格闘戦闘を重視する。 他の日本陸海軍部隊が呆れるほどに。

無論、周防少佐の部隊でも近接格闘戦の訓練は行っている。 が、それはあくまで『BETA群包囲下での脱出手段』としての戦技訓練だ。
装備する74式近接戦闘長刀にせよ、65式近接戦闘短刀にせよ、あくまで『脱出戦用戦技の為の、補助兵装』に過ぎない。 主兵装では決してないのだ。

「甘いっ! 馬鹿者っ! それでよく、射撃徽章持ちが居るものだな!」

富士教導隊ともなれば、射撃徽章持ちも居るはずだ。 だが砲弾の曳光弾は、周防少佐の機体の後方を流れていくばかり・・・
つまり、『未来位置を予測しての射撃』が全く出来ていないのだ。 戦術機の射撃管制システムは、対BETA戦用にチューニングされている。
BETAはどれ程早くとも、地表面を時速300km/h超でぶっ飛んだりはしない。 ましてや複雑な戦闘機動を行ったりもしない。
これに命中させるには、日頃から機動砲戦の戦術機機動を頭と体に叩き込み、その経験と引出しから、無意識に相手の未来位置を予測し、『何もない空間』に射弾を放り込むのだ。

「AH戦でっ・・・機動砲戦を仕掛けてくる相手に、5秒以上同じ場所に留まるなっ! 3秒以上同じ直線機動を行うなっ! 馬鹿者っ!」

まるで吸い込まれるかの様に、周防少佐の機体が放った57mm砲弾の射弾に突っ込み、撃破される富士教導隊の戦術機が出始める。
完全撃破ではなく、脚部や跳躍ユニットを中破・大破させられて、行動不能になる機体が出始めた。 この頃になると流石に、富士教導隊も迂闊に姿を晒さなくなる。

「そうだ・・・自機の被弾面積を最小に、敵機の未来位置を能う限り正確に予測しろ・・・!」

次第に激しくなる放火の豪雨の中を、まるであざ笑うかのように回避し続ける大隊長機。 垂直軸反転で紙一重で砲火を躱し、ショート・ブーストでタイミングを外す。
逆噴射制動から噴射起立機動で機体前面ギリギリに砲弾を躱し、垂直跳躍からの反転全力噴射と水平噴射跳躍で急速に迫ったかと思えば、微妙なスローダウンで射点を外す。

まるで、これまでの戦歴で得た戦場機動の『引き出し』を播き散らかすかのような、高難易度機動のオンパレード。 訓練ならともかく、砲弾に晒された『実戦』で行う機動では無い。

『周防、あまり楽しむな。 そろそろ連中の痺れが切れる様子だ。 部下の胃に穴が開くぞ?』

「ご心配なく、それほど上品な胃の持ち主はおりません―――最上、遠野! 斉射3連! 八神、B(突撃前衛小隊)を連れて、付いて来い!」

『了解―――俺は、上品ですが』

『・・・不本意です。 了解です』

『なんだよ、遠野? その間は?―――了解! これでも突撃前衛上がりですよ! 北里(指揮小隊長)! 俺のトコに合流しな! Aを任す! 相模(C小隊長)、中隊指揮任せた! B(突撃前衛小隊)、いくぞっ、ダンスだ!』

今度は1個小隊強(6機)での挑発。 高速機動で至近距離まで砲弾を躱しながら、直前で普段をばら撒きつつ急速変針。 地形の起伏を利用しつつ最接近。 
それに気を取られると、いつの間にか制圧支援機が放った誘導弾が迫って来る。 急速回避を行う隙に、再度の急接近を許してまた砲弾をばら撒かれ、急速離脱される。

激突寸前での急速離脱と、その隙の誘導弾攻撃。 そして再度の、つかず離れずの機動砲戦。 業を煮やした『敵』が、一部部隊を割いて相手進路上を塞ごうとするが・・・

『そっちには、行かせんさ。 大隊! 牽制射撃開始!』

『ほらほら! アンタらの相手は、こっちだよ!』

陸軍の長門少佐率いる1個大隊が、その進路上を塞ぐように中距離牽制射撃。 海軍の菅野少佐率いる1個大隊が、別方向から同じ様に無茶な機動で突入を繰り返す。
命中率は落ちるが、それでも弾幕に突っ込めば被弾は必至だ。 それなのに、それを無視して搔き回す『相手』 そして別方向から突っ込んで来る連携部隊。 

『敵』は別働隊を動かす空間を、徐々に、しかし確実に喪う。

『周防! もうちょい、東に誘導してくれ!』

『了解』

『戦車隊、篠原少佐。 最初の誘導ルートに乗った。 用意は宜しいか!?』

『荒巻中佐、何時でも! 一撃だけですが!』

『中心部、米軍と1連隊の交戦、米軍中隊、押されています! 海軍部隊は『玉』を確保中!』

『氷川から1個中隊を回せっ!』

今度は周防少佐率いる1個大隊全機が、バーチカルターン(垂直軸反転)で『敵』正面に突進する。 その大胆で急激な部隊機動に戸惑い、富士教部隊の連携が乱れた。

『大隊単位で、一斉旋回頭なんてよ・・・!』

『中隊、陣形を崩すな!』

『各小隊! 間隔を維持しろ!』

八神大尉、最上大尉、そして遠野大尉の各中隊長たちも、流石に中隊陣形の維持と中隊間隔の維持に必死だ。 戦術機の機動にバーチカルターンは良く使われる。 旋回頭もだ。
しかし、それは精々が小隊単位だ。 中隊単位でのバーチカルターンによる一斉旋回頭など、ほとんど行われない。 ましてやそれを、砲弾飛び交う敵前面で、大隊規模で行うなど。

一斉旋回頭は陣形を維持しつつ、各機がその場で一斉に同時旋回する陣形機動だ。 順次回頭の様に高速を維持しつつの場合と異なり、最小の旋回半径で部隊を旋回させる。
当然ながら、高い技量を求められる。 個々人だけでなく、部隊としての連携を高いレベルで求められる機動だった―――それを大隊規模で。 各中隊長が悲鳴を上げるはずだ。

「ずらすなよ? 最上、Cの間隔を10(メートル)詰めろ! 八神、ブースト05(コンマ5秒)! 遠野! 間隔を20(メートル)詰めろ!」

高速順次旋回を予測していた富士教導隊は、不意の一斉旋回頭による敵部隊機動に翻弄され、一瞬だが無防備な側面を晒す事になった。

「んっ、くっ・・・よしっ! 斉射、3連! 撃てっ!」

高速で突っ込みつつ、大隊の戦術機40機全機が、弾幕を張る様に斉射を3連射放つ。 36mm砲弾、57mm砲弾に射貫されて、跳躍ユニットを爆発させる戦術機。

「転針! エリアC8R、進路NNW-25-025! 噴射3秒!」

更に誘導する為に、複雑な大隊機動を行う。 周防少佐の大隊と連携するのは、陸軍の長門少佐の大隊、そして海軍の菅野少佐の大隊。
岩橋中佐、木伏少佐の大隊は、未だ発砲を控えている。 やがて3個大隊に翻弄された富士教導隊の1個大隊は、ものの見事に『玉』から吊り上げられてしまう。

『周防! エリアC7D前面に誘導開始! 戦車隊、砲撃用意!』

「了解―――長門少佐、牽制射撃を! 2秒で良い! 菅野少佐! 左側面から圧迫を!」

『了解。 大隊、斉射3連・・・撃て!』

『りょーかい! 全機、突貫!』

相手は何とかして、近接格闘戦に持ち込もうとしている。 部隊の練度では引けは取らないつもりだが、AHでの格闘戦の技量では、流石に富士の連中に及ばないだろう。
冷静に彼我の戦力分析を行っている制圧部隊の各大隊長たちは、絶対に格闘戦に持ち込まれないよう、見た目と裏腹に脳内で目まぐるしく状況を観察し、部隊機動を決定する。

『海軍! 白根中佐! こっちは吊り上げましたで! 『玉』の確保と1連隊の排除、頼んますわ!』

『了解した! 鈴木! 加藤! 続け! 1連隊を排除する! 『流星改』が『不知火』に勝ると、思い知らせてやれ!』

『応! 大隊、突入開始!』

『了解。 大隊全機、支援に回りながら突撃する! 中佐、陸軍さんがむくれます。 発言はご注意を!』


包囲網の輪から富士教導隊が切り離されたその瞬間、海軍の3個戦術機甲大隊が『玉』の確保の為、包囲網内周部に突進を開始した。
包囲網内周部では第1連隊残存部隊―――約2個中隊―――が、米軍1個中隊と海軍1個中隊を相手取って、交戦をしていた。 

米軍中隊は早、半数近くまで減っている。 如何な最新鋭戦術機とは言え、有視界戦闘で、かつ近接戦闘技術を磨き上げてきた日本帝国陸軍、しかも第1連隊相手は荷が重い。
海軍にしたところで、その主任務は広域制圧、上陸地点の強襲確保だ。 陸軍ほど、近接戦闘に重点を置いていない。 『玉』の周りの2個中隊は苦戦していた。

海軍は12機の内、3機を撃破されていた。 米軍は12機中の5機を撃破されて半減。 実質1個中隊規模にまで減らされ、なおも近接格闘戦を強要されている。

『ちっ! 砲戦は無理か・・・鈴木! 加藤! 各大隊でそれぞれ、1個中隊に当たれ! 私は中央をこじ開けて突破する!』

『了解です! 大隊、『敵』左翼中隊を潰す! 続け!』

『了解。 右翼中隊はこちらで叩きます! 大隊、接近戦闘用意!』

『拙ったかな・・・? 陸海軍、役割を別にしておけば・・・せめて『突貫娘』を・・・いやいや! 迷う場面じゃないだろう!? 続けぇ!』





『海軍、『玉』に突入開始!』

『目標、指定座標にあと5秒! 3、2、1・・・全車、撃てっ!』

周防少佐の戦術機甲大隊を追尾しながら、長門少佐と菅野海軍少佐の大隊の牽制射撃と追跡を躱しつつ、高速移動中だった富士教導隊の1個大隊。
その側面に、林の中から一斉に砲火が加えられた。 90式戦車の120mm滑腔戦車砲。 砲口初速1750m/hで撃ち出されるAPFSDS弾は、突撃級BETAの装甲殻さえ射貫する。

『がっ!』

『なにっ!?』

『退避っ!』

40輌以上の90式戦車から発射されたAPFSDS弾は、全弾が命中した訳では無い。 高速機動中の戦術機の群れに、その前方に横合いから弾幕を張ったに過ぎない。
それでも10機前後の戦術機が、戦車砲弾の直撃を受けて爆散する。 直後、水冷2ストロークV型10気筒ターボチャージド・ディーゼルを、全力で吹かして後退を始めた。

『全車! 後退! 後退! 全速で逃げろ!』

戦車大隊指揮官の篠原少佐が、声を張り上げて命令する。 このまま留まっていれば、戦車は戦術機のトップアタックに対応できない。 轟音を上げて一斉に後退する戦車隊。

『おっと! 悪いが貴様らの遊び相手は、こっちだ!』

またもや部隊を一斉旋回頭させた周防少佐が、指揮する戦術機大隊を混乱中の富士教導隊めがけて突進させる。 それも直前で、急速変針で進路を変えて。

『どうする? そこに居たら射撃訓練の的だぞ? 大隊、制圧射撃に切り替え! 撃て!』

戦車隊への対応と、周防少佐の大隊の突入。 『敵』の一瞬の混乱を見逃さなかった長門少佐が、指揮下の全機に対して制圧射撃を命じた。 40機の戦術機から放たれる、全力火力。

『海軍、菅野少佐! 『玉』へ向かえ! こっちは我々で対処できる!』

『菅野、了解です、岩橋中佐! 全機、変針! 真ん中に突貫する! 続けっ!』

『岩橋中佐! 池の周りの林に誘導してください! バタ(歩兵の陸軍内通称)、展開済ですわ!』

『了解した、木伏! 周防、長門! 判ったか!?』

『了解です』

『了解。 やっと派手に動けるか・・・』

既に富士教導隊の1個大隊と、第1連隊残存の2個中隊は完全に切り離された。 富士教導隊は1個中隊を喪い、第1連隊も6倍以上の海軍部隊に殴り掛かられ、数を減じている。

『TSF(戦術機甲部隊)、こちらMBA(機械化装甲歩兵)だ。 射程圏内に入った、攻撃を開始する・・・当たるなよ?』

『TSF、了解した。 周防、長門! エリアE7Rで90度反転! 巻き込まれるなよ!?』

網膜スクリーンのポップアップ上で、2人の少佐が頷いた。 部下に命令を出しているところで、動作だけで了解を伝える。 やがて歩兵部隊の庭に、富士教導隊が紛れ込んだ。





「散々、馬鹿なことしやがって・・・」

「全くだ。 佐渡島と九州じゃ、旅団規模の上陸が有ったらしい」

「貴様らの妄想の為に、俺の姉貴は旦那を死なせたんだ・・・と、後方の安全確認・・・これでも喰らえっ!」

LAM―――パンツァーファウスト3、日本軍制式名称『110mm個人携帯対装甲弾』 夜の闇の中、木陰に潜んでいた1個分隊から1発のタンデムHEAT弾が発射された。
するとほぼ同時に、林の中のあちらこちらから、最新の01式軽対装甲誘導弾(軽MAT)や、87式対装甲誘導弾(中MAT)までが発射された。

「退避! 退避!」

「ずらかれ! あとはTSFのお仕事だ!」

「ポイントデルタまで後退しろ! 死にたくなきゃ、走れ! 走れ!」

次々と爆散する、ロシアンカラーの94式『不知火』丙Ⅱ型とⅢ型。 既に残存機数は定数を大幅に割り込み、1個小隊強にまで激減していた。







2001年12月6日 0510 日本帝国 帝都・東京 『蹶起部隊』臨時司令部


「富士と1連隊は・・・壊滅は時間の問題か」

『こちらも、詰みです。 ほぼ全周包囲させました』

周辺への威力偵察に出していた高殿大尉から、楽しからざる現状報告が入ると共に、『伏魔殿』から情報のリークが入った。 一応、未だ自分の『雇用主』だ。
まだ一部で戦闘が続いている。 市ヶ谷の国防省ビルでは、ビル内部で銃撃戦が激しさを増していると連絡が入った―――中即連(中央即応連隊)や“S”(特殊作戦群)相手は無理か。

「最後の用意をする。 高殿、投降の準備をさせろ」

『了解です。 それと・・・戒厳司令部までのルートは確保しております。 約2個小隊』

「馬鹿か? 俺の勝手だ、貴様たちが付き合う道理はないぞ?」

『それこそ、こちらの勝手です。 少佐に、少佐の勝手が有る様に。 こちらにも、こちらの勝手がありますので』

「ふん・・・人生、自分勝手は大切だな? 中途半端では駄目だ、やるならどこまでも突き抜ける以外、勝手を押し通す道は無いな?」

『そう言う事でしょう。 では・・・ポイント『ノーリターン』でお待ちします』

「判った」

通信機を置いた久賀少佐は、窓の外へ視線を投げかけ・・・『伏魔殿』の方角を見やりながら乾いた表情で呟いた。 それは達観か、自棄か。

「そうだな・・・中途半端はいけない。 生煮えが今のこの国の状況を作った、中途半端は絶対にいけないな。 そうだろう? 大将閣下・・・?」

最初は部下達の極端な思想への憂慮。 説得の効無き無力感。 職務に対する責任感と徒労感・・・そして、『彼ら』の接触。
最初は嫌悪した。 蟻走感さえ生じた。 今まで純粋に野戦将校として生きてきた。 戦場で戦い、仲間を助け、仲間を喪い、部下を率い、部下を生き延びさせ、部下を喪った。
しかし現実は甘くなかった。 第1師団を蝕んだ『帝国の現実と幻想』は、久賀少佐1人がどうこう出来る水位を、とうの昔に突破していたからだ。

離れてゆく部下との心理的な距離。 葛藤の毎日。 そんなタイミングでの『彼ら』の接触と、知り得なかった内実情報・・・吐き気がした。
同時に何かが確実に変わった。 久賀直人と言う存在の何かが、永遠に変質した。 最早、多くの部下達も、同僚たちも、他部隊の者も・・・中途半端はいけない、絶対にだ。

「生煮えはいけない・・・やるなら、全てを業火の中で焼き尽くさねばな・・・だから、俺はアンタの手を裏で握った。 俺の中のケリを・・・自分勝手を通す為に」

知り得た極秘の内実情報。 軍と官界、政界上層部の唾棄すべき生存競争。 しかしそれ自体を非難するつもりは、今やない。 生きる為に他を喰らうのは、生物の本能だ。

「統制? 国粋? いいだろう、どちらでも好きにするがいい。 ただし、中途半端はいけない。 だから手を貸してやった・・・俺の中のケリをつける報酬としてな」

結局のところ、自分はケリを付けたかっただけだ。 それだけの唾棄すべき男だ。 彼女を―――最愛の妻を喪った・・・奪ってくれたケリを付ける為に。
それだけの為に、俺はこの大騒ぎに加担した。 狭霧? あんな青二才の事など、最初から見切りを付けていたさ。 馬鹿な奴だ、哀れな奴だ―――愛すべき青年になれた筈なのに。

あの男も俺と同じだ。 どんなに言い繕っても、あの男は未だ、『幻の光州作戦』の最中に居る。 彩峰中将の幻想を追い求めている。 いや、俺があの男と同じなのか?
その幻想と現実の体験とに、整合を付けられずにいる。 不器用な・・・そして素直すぎた男だ。 だから利用された。 全てはシナリオ通りに演じる役者として―――どうでもいい。

「報酬は貰う・・・そっちの黙認だ、いいな? 右近充大将閣下・・・?」

俺にドアを叩かせたのは、アンタだ、右近充大将。 中途半端なままだった俺に・・・中途半端でも良いと思っていた俺に、アンタはドアを叩かせた。

―――だからお互い、中途半端は許されない。 勝手を通す為には。

久賀少佐は長年愛用の自動拳銃―――『ベレッタ92』―――を握り締めると、無表情で部屋を後にした。




『俺は天国のドアを叩いた。 しかし神は何も答えなかった。 俺は地上を行く、その罪は神に問え』―――(ドン・ファン・テノーリオ)




[20952] クーデター編 最終話
Name: samiurai◆b1983cf3 ID:0ffa22e1
Date: 2015/05/30 21:59
『煌武院公、貴公は反逆者達に、言質を取らす所存也や?』

『賀陽伯、我は政威大将軍にして、国事全権代理権者也。 民の声に耳傾けるは、その権限也。 陛下よりお預かりし大権、貴公に掣肘する資格無しと覚ゆるもの也』

(2001年12月6日薄明、政威大将軍と賀陽伯爵との通信会話―――出所不詳)





2001年12月6日 0515 日本帝国 都内某所 国家憲兵隊秘匿司令部


「大佐殿。 伊豆の『報告者』からであります」

「ん・・・」

部下からの報告に目を通した特務作戦局の憲兵大佐は、その内容を読んでひとつの決心をした―――上官、右近充大将に意見具申を行うのだ。


それから10分後、憲兵大佐は右近充大将の元に居た。 江戸川の元第3師団司令部、現在は本土防衛軍臨時司令部になっている。

「ふむ・・・」

国家憲兵隊副長官・右近充義郎大将はその報告文を読んだ後、隣に座る本土防衛軍副司令官である岡村直次郎大将へそっと渡した。 直前に『覚え置き下されたし』との走り書きをして。
岡村大将はそれを無言で読んだ後、憲兵大佐に返した。 2人の大将に報告を済ませた憲兵大佐は、自身の『作戦』を告げた。

「現在、第14、第15、両精鋭師団が出動しております。 狙撃の特級持ちも居ります。 叛徒共に、将軍からの『政治的』な性格の言質を与える事は、非常に拙いと判断しました」

その言葉に深く頷く、2人の軍最高首脳たち。 今や、帝国の舵を握っている2人の将軍たちだ。 憲兵大佐の言葉は、皮膚感覚で理解している。

「予備命令として、第14、第15師団司令部へ通達を。 確定次第、即時現地部隊へ下達し、狙撃にて排除を行います。 残余も強制殲滅を」

岡村大将、右近充大将は互いに視線を交わした。 そして小さく頷き合った。

「・・・準備を急げ。 我らは承認した、発動の時期は貴官に一任とする」

「はっ」

憲兵大佐は即、踵を返して退出していった。

「・・・少し、将軍家との距離感が難しくなるな」

岡村大将が呟いた。 その言葉に右近充大将も頷き、返す。

「城代省とのパイプを、強めましょう。 現在の城代省官房長官は、此方寄りの男ですから」

「神楽子爵か。 食えない男と聞く」

「食えませんな。 武家社会の命脈を、現代まで保ち、維持している、ある意味で怪物ですからな」

他の摂家に対しても、内部工作をより推し進める必要があるだろう。 これは軍部だけでなく、内務省、特に特高警察とも協力し合わねばならないか。

「内府(内大臣。 内務大臣とは違う)にお話し、陛下の御言葉を頂けないでしょうかな?」

「何と?」

「・・・『賊軍』、及び『鎮定』の2語を」

例え法に基づいた政治的な実効性は無くとも、陛下の御言葉はそれだけで、『政治性』を持つに至る。 いや、『精神的政治性』と言うべきか。

2人の大将が読んだ報告書。 そこには次の様に書かれていた。

『―――叛徒、政威大将軍に接触の要望。 将軍はこれを許容の方向。 賀陽伯、これを阻止する術無し』









2001年12月6日 0520 日本帝国 帝都・東京 帝都城内 城代省


城代省官房長官執務室の窓から見る、冬の夜明け前の夜景。 皇城との間に陣取っているクーデター部隊に動きが見られる。 その先、やや北側では未だ散発的な戦闘が見られる。

「・・・若い、な・・・」

城代省官房長官、子爵・神楽宗達は執務室の窓から外を眺めながら、ポツリと呟いた。

「激情に身を任せ、その先は・・・」

先程、軍内の『協力者』と、密かに誼を通じる国家憲兵隊、双方から情報が入った。 クーデターを起こした者達の機動戦力主力―――戦術機甲部隊が、ほぼ壊滅されたと。
戒厳司令部・・・いや、軍統制派首脳はこの騒ぎの鎮圧に、2個大隊弱のクーデター側の戦術機甲部隊を制圧するのに、9個戦術機甲大隊を伊豆方面へ投入した。

今現在でも、帝都で1個増強旅団規模に減じたクーデター部隊(機動力に劣る部隊)を取り囲むように、第14師団、第15師団の7割、第3師団、数個独立混成旅団を動員している。
熱情と激情と、そして無計画さが目立つ反乱を起こした若者たちと比べ、どこまでも冷静で冷酷で、そして非情さを保ちつつ、この騒ぎを収めつつある。

「それで、どうにかなると思ったのか・・・」

首謀者の一人、沙霧大尉の胸中は判らない。 判ろうとも思わない。 政威大将軍を・・・いや、五摂家を・・・武家社会全体を危うくする危険性がある今回のクーデター。
骨子の絵図を描いたのは、軍部統制派首脳だろう。 あの国家憲兵隊も深くコミットして居るはずだ。 だが、そこに様々な思惑が入り乱れた。

情報省は、どこまで独自の判断を注力したのか? 『玉』を持ち出したのは、外事2課長だと言う報告が入っている。 外事本部の判断か? 情報省全体か?
いや、連中は国内で軍や国家憲兵隊、それに特高と権力争いをする事は望まないだろう。 となると、スタンドプレイか? そこにどのような思惑が?
情報省と国家憲兵隊は、CIAタカ派による日本国内の政治工作を潰したがっていた。 軍部統制派は、対立する国粋派の勢力の減少を企図していた。

「内事防諜1課は、のらりくらり、か・・・」

国内防諜を担当する内事防諜1課長は、意味を為さない言葉をそれらしく羅列するだけだ。 もっともそうでなくば、国内防諜は務まらない。
外務省の情報統括室も、CIA穏健派情報をある程度は流し、ある程度を握り潰している様だ。 あそこはトップが国家憲兵隊副長官とは義兄弟だったな・・・

「にしても、若い。 そして青い・・・」

クーデター。 判っていたであろうか、あの若者たちは。 もしも本気でその事を為すのであれば、手段を選ぶ必要などないのだ。 
古来より『血統の正当性』も無く、『道理の正当性』も無き者共が、それでも如何に『時の政権を簒奪』して来たか。
そして決断した以上、『是か非か』に非ず。 『成すか、成さぬか』と言う事を。 古来より戦は『正しき者が勝つ』のではなく、『勝つ者が正しき』なのだ。
軍部統制派を正しく批判し続ければ、それは『正しき者』になるやもしれぬ。 が、一度武器持て拳を上げれば、その瞬間から軍部統制派と同じ獣となる。

(・・・御一新(明治維新)を為した、五摂家の様にな。 理由はいくらでも後付できる。 要は幕府では無く、己らで権力を握りたいと欲した故だ)

その為に朝廷工作を行い、裏で凄惨極まる粛清劇を津々浦々で演出し、暗殺し、失脚させ、巷間誹謗の類も用い、様々に幕府を追い込んだ。
開国・救国。 公武一心。 そんなものは、神楽子爵は何も信じていない。 富国強兵、四民平等。 それさえも道具、己の権力を固める為の。

(大体、摂家が・・・五摂家となりおおせた後、どれ程悪辣な手で旧諸侯を潰していったか。 同じ士族を潰していったか。 どれほど権力を一手に握り締めたか・・・)

『あれ』は単に、五摂家とそれに連なる者達・・・神楽家の先祖も同じだが、幕府では無く、己らがこの国の最高権力を握らんがための『自分勝手』だ。
そして、古来よりクーデター、易姓革命、どう言おうがその種の行動は、全ての悪事が『成された』事によって正当化される。
逆に『成し得なかった』者共は、例えどれ程の正当性が本来あったとしても、『成し得なかった』事により、人類史に於いて永遠の悪者となるのだ。

(本来であれば、怖れ多くも皇帝陛下を手中にして奉じ、錦の御旗を押し立て・・・少なくとも統制派軍首脳と高級官僚群は、皆殺しにすべきだったのだ・・・)

政威大将軍では無い、皇帝陛下をこそ、真っ先に抑えるべきであったのだ。 そうすれば陛下の『賊軍』の御言葉さえ、外部に対し封殺できたものを。

(若者の激情で、それだけで、どうにかなると思ったか・・・沙霧大尉は本心、クーデターに賛同しておらぬ、との見方も有るが・・・情報省の口車が余程上手かったか)

CIAタカ派による、日本帝国内の政治勢力の塗り替え工作が進行していたのは事実だ。 それを潰す方策を、軍部統制派、国家憲兵隊、特高警察などが探っていた事も。
そして軍部国粋派が、CIAタカ派と密かに接触していた事も、また事実。 そしてその尻尾を国家憲兵隊に掴まれた事もまた、事実だ。

軍部統制派のシナリオの基本案は、CIAタカ派と国粋派の接触を監視し、何らかの行動を起こす直前に全ての手札を裏で投入して潰す。 CIA派との接触もその為だ。
そこに自分達、城代省が一枚噛んだ。 国粋派に摂家の一部が引っ付いた為だ。 見逃せない、城代省は五摂家により設立されたが、裏の顔は五摂家の監視・管理組織でもある。
武家社会の存続の為には、摂家当主さえすげ替えの利く飾り物である―――城代省の本質は、自分たちの社会の生存を掛ける事。 その為には如何なる贄さえ用意する。

情報省外事本部より提案が成された。 来るべきクーデター騒ぎを利用しての、CIAタカ派による対日介入工作の阻止、そして国粋派の排除。
国家憲兵隊が乗ってきた、軍部統制派も賛同を約定した。 外務省情報統括室は、極秘で外相の賛同を取り付けた。 城代省も・・・官房部が内々に賛同し、武家社会工作を始めた。

今回の騒動、裏から見ればクーデターを『如何に潰すか』によって、CIAの政治的介入を潰す事に直結している。 成功の為でなく、失敗に為に起こしたクーデター。
ふむ―――政威大将軍を絡ませる事は、やはり、あの外事2課長が、最後のスパイスを利かせたのか? だとすれば、流石はスパイマスターの面目躍如―――しかし、最後が甘かった。

(・・・軍部統制派は、いや、この国の各省庁の統制派高級官僚群は、摂家はおろか、政威大将軍の首さえ、すげ替えの利く神輿としてしか考えておらぬ。
古の歴史を紐解いて見よ。 帝家、帝族すら、用が為さねば弑逆されてきた歴史を・・・流石にこの時代で、弑逆は無いがな・・・)

むしろ、そこまでの底の抜けた非情さこそが、クーデターに必要と言うものだ。 ある意味、今回の騒ぎは実のところ『統制派による裏クーデター』とも言える、そう考える。

(・・・事を起こすのでは、無かったのだよ、沙霧大尉。 貴公の信じるこの国、そう信じるのであるならば、な・・・)

事を起こした事により、単に獣同士の弱肉強食の喰らい合いに転じた、ただそれだけだ。 










2001年12月6日 0530 日本帝国 伊豆半島 伊豆スカイライン跡


『―――投降せよ。 繰り返す、これ以上無駄な抵抗を止め、速やかに投降せよ・・・』

スピーカーから流れる声が聞こえる。 十重二十重に包囲された『クーデター部隊』に向かって、投降を呼びかける声。

「・・・何機、損失を出した?」

陸軍の岩橋中佐の問いかけに、陸海軍の指揮官たちが応じた。

「151は1機中破、1機小破。 衛士の負傷は無し」

「152は小破2機、154が小破1機。 いずれも衛士の負傷は無し、です」

「141が1機小破。 142は2機小破、143が2機小破でんな」

「海軍は白根中佐の部隊が、1機中破の1機小破。 自分の部隊が2機中破、加藤少佐の部隊が2機小破で、菅野少佐の部隊が2機小破」

「揚陸した『千歳』、『千代田』の5個中隊のうち、工藤少佐の率いる4個中隊は損失無しです。 が、賀陽大佐の直率した中隊は4機被撃破、3機中破。 衛士4名戦死、2名負傷・・・」

鎮圧部隊の陸海軍戦術機甲部隊は、陸軍が中破1機と小破9機。 海軍は、外周部隊は中破3機の小破5機で済んだ。
が、『玉』を護って第1連隊と交戦した賀陽大佐の直率中隊の損害が大きい。 12機中、完全撃破された機体が4機、戦死4名。 中破3機、負傷1名を出した。

「米軍は1個大隊の内、F-15E装備の1個中隊が文字通り『全滅』―――12機全機が被撃破されています。 残りのうち、1個中隊はこちらが『隔離』しましたので・・・」

合流した154大隊長の間宮怜少佐が答える。 米軍、及び国連軍横浜基地からの1個中隊の『隔離』を行っていたのだ。 こちらは小破が2機だけで済んでいる。 しかし・・・

「やはり、『玉』に付いていた大隊指揮官の直率中隊は、被撃破5機に中破2機と小破1機。 2個小隊分の損害を出しています。 ああ、『お客さん(斯衛と国連軍)』は無事です」

「大隊指揮官は、無事の様です―――アルフレッド・ウォーケン米陸軍少佐。 損失機の回収に、米軍の回収班の派遣を申し出ておりますが・・・」

「却下だな。 ここは『国連基地』ではないし、今は『BETAの侵攻時』でもない。 純粋に内政問題だ、米軍の主権侵害は認められん」

海軍の加藤瞬少佐の問いに答えた岩橋中佐のその言葉に、居並ぶ大隊長クラスの指揮官たちが苦笑する。 
米軍最新鋭戦術機、F-22『ラプター』 例え損失機でも、回収できれば『それ』を丸裸に出来るのだ。

「・・・にしても連中、何時まで粘るつもりなのか・・・」

「既に富士教が1個小隊強・・・6機まで減っている。 第1連隊も7機しか残っていない。 しかも9個大隊の重包囲下だ。 何を待っている?」

海軍の鈴木少佐の疑問に、陸軍の長門少佐も同意する。 一体、未だ投降しない訳は何なのか・・・? すると通信傍受をしていた陸軍の周防少佐が、レシーバーを当てたままで呟いた。

「・・・『待っている』じゃなくて、『要求している』ようだ・・・」

「要求? 何をだ? 周防」

「・・・『政威大将軍への、謁見』の様です」

周防少佐の返答に、岩橋中佐が苦しげな表情で嘆息した。

「・・・我々は、何を間違えたのだろうな・・・何を間違えて、後の世代を、ああいう風にしてしまったのだろうな・・・」

ここに居る指揮官クラスは、20代後半から30代半ばの年代。 クーデター部隊は20歳前から、20代前半の者が多い。

「祖国がBETAに侵されぬように・・・銃後の若い者たちが少しでも安心出来るように・・・10数年間を戦い続けた。 その結果がこれとは・・・どこで、どう間違えたのだろうな・・・」

最年長の岩橋中佐は勿論、30歳前後の各大隊長たちも、その意味で無力感を感じている。 戦場に出て10年か、それ以上。
自分達の激戦は、報われなかったのか・・・若い世代を、あれ程の狂気に走らせるほどに追い詰めたのは、結局、自分たちの世代の力不足だったのか。

「・・・いずれにせよ、もう時間も有りません。 何時までも押し問答では・・・最悪、最後の突撃、と言う事に・・・」

海軍の鈴木少佐の言葉に被さる様に、通信を傍受していた周防少佐が表情を歪め乍ら、苦々しげに呟いた。

「・・・政威大将軍が、クーデター部隊の連中の声に乗った?・・・馬鹿な・・・!」

場の空気が凍る。 将軍が? クーデター部隊の連中との謁見を承諾した? 馬鹿な、それでは・・・

突然、岩橋中佐の大隊G1が駈け込んで来た。 命令書を中佐に手渡す。 ざっとそれを読んだ岩橋中佐の表情が固まった。

「・・・14、15師団司令部、連名の命令書だ。 海軍第1艦隊司令部もな・・・」

「いったい、何と・・・」

その時、クーデター部隊への投降を指揮していた海軍の白根中佐が、血相を変えて飛び込んできた。

「岩橋中佐! アレは拙いわっ!」

アレ、とは何か、その場の全員が理解した。

「まだ賀陽大佐が粘っているけれど! 帝族には国事全権代理権への掣肘は出来ない! 将軍がそれを持ち出せば、最悪、帝家と摂家の間に亀裂が入るわ!」

だからっ! だから、この場での将軍の『政治性』を発揮する事は、非常に拙いのだ! 岩橋中佐が、陸海軍連名の命令書を白根中佐に渡した。
それを読んだ白根中佐の顔色も変わる。 だが、今となってはそれしかないとも思える・・・非情だ、非情だが、彼らも軍の上級将校、佐官であるのだ。

2人の中佐は、居並ぶ少佐達に命令書を見せた。 無言で命令書を読み、表情を強張らせ、そして即、決断する少佐達。

「・・・少しでも、ほんの僅かでも、連中に『政治的正当性』の欠片を与える事は拙いわな・・・」

「・・・ピンポイントで、AH狙撃を成功させる腕前の者は、各大隊に1名程度です」

木伏少佐の声に、長門少佐が飢狼の様な表情で切り返す。 そして各大隊長たちも、部下の中から狙撃の腕前の最上級者を思い出していた。

「9名・・・から10名。 連中の残存は13機か・・・」

「全てを狙撃撃破する必要はありません。 最悪、沙霧大尉の機体を狙撃で撃破すれば・・・残りは押し包んで『戦闘での損失』に出来ます」

海軍の白根中佐の言葉に、陸軍の長門少佐が非情の方針を提示した。 『政治的』な色さえ消し去れば、後は全てを消し去るのみ。

「将軍と斯衛は? どうするのです? 国連軍は?」

「城代省は実のところ、統制派寄りが主流と聞くで。 それにそっちは政府の役目や、現地部隊の心配する点やないな・・・」

海軍の菅野少佐の問いかけに、木伏少佐が覚めた口調で言うと、この中では、米国事情に一番詳しい周防少佐が言い放つ。

「国連軍も然り、だな。 特に米軍は、主権侵害の点を交渉材料に出来る」

米国駐留時代、各種交渉の下準備に従事した経験がある。 米国は、と言うより欧米は、まず最初からは、自分の非を絶対に認めない。 
そこから『自分はこうだったが、そちらもこうだった。 だからここまでの事を認めろ』と強要する。 そこから具体的な交渉開始だ。

その意味では、今回は色々と使える手札が多い。 破損したF-22『ラプター』も十分使える。 何機かは当然、『回収不可能』と言って密かに接収するだろう。

「・・・沙霧大尉を狙撃する。 将軍が、何か政治的な言質を与える前に」

「残りは全部隊で押し包んで撃破する。 1機も残さない―――いいわね?」

岩橋中佐と、白根中佐が命令する。 残る少佐達が頷いた。

内心では、何ともやりきれない。 やりきれないが、恐らく現地部隊に課せられた役目は、そう言う事だろう―――彼らとて、もういい大人なのだ。 同時に汚れた大人なのだ。

「・・・賀陽大佐へは、俺の方から秘匿回線で伝える。 沙霧を殺ったと同時に、残りを押し包んでしまう。 いいな?」

「「「「了解・・・」」」」









2001年12月6日 0550 日本帝国 帝都・東京 九段下付近


戒厳令司令部―――陸軍東京偕行社は、昔は九段上にあったが、1960年代に現在の場所に移転していた。 皇城北の丸の北東部である。

「・・・地下鉄路線の、補修用トンネルか」

「一般には知られていません。 その昔は帝族方や政府要人の脱出路に使用された事もあるとか・・・半蔵門を過ぎました、あと1駅分です」

まるで下水道の鼠族だな―――久賀少佐は内心で苦笑いしながら歩いている。 そして振り返った、今の状況を。

「・・・今更ですが、なぜ、今だったのでしょうね」

後ろから腹心の高殿大尉が囁くように、誰ともなしに問いかけた。 その言葉―――何故、今だったのか―――そんな事、こっちが聞きたい。 久賀少佐はそう思った、本心で。

「・・・連中にだって、そんな事判るモノか。 色々と理由は付けられるだろうがな」

曰く―――国内情勢この事態になり、最早、政府に任せること能わず。
曰く―――最早、度し難し。

全く理由になっていない。 行動とは、結果に至る道である。 その結果を、将来像を、全く不明瞭なままで、激情のままに議を論じ、昂りきった揚句の暴発だ。
暗闇の中を歩きながら、久賀少佐は偽悪的に笑った。 自分勝手を(いや、偽悪とでも言おうか)押し通すならば、より綿密に、より冷静に、より非情に、悪を為すべきなのだ。

そう、幕藩体制を倒し、次の世の権力を一手に握った、かの五摂家の様に。 他の国でもそうだ。 革命、クーデター、どれもこれも、己が権力を握りたいが為。
その為に、『成す為』には、数万、数十万、数百万の血を流しても、『成せば』それは正当化される。 世界の歴史がそれを証明している。

「・・・若い連中の激発に、明確な理由などあるものか。 連中にだって、判らんのだからな」

「・・・最初から、失敗すべき運命だったと」

「運命なぞ、糞喰らえ、だな。 全ては己の行動の結果だ」

「では、今の我々は・・・まさに糞ですね」

「ああ、糞だ、そうとも」

そう言って暗く笑うと、久賀少佐は付き従う男達を振り返り、聞いた。

「外部協力者か?」

「負傷退役した連中です。 九州戦線や山口・広島戦線で、故郷を目前で吹き飛ばされた者達です・・・」

それ以上、何も言わない。 

黙々と暗闇の中を歩く男達が、1個小隊ほど、40名前後。 衛士強化装備姿の久賀少佐と高殿大尉の他数名。 
迷彩服姿の『本職』の歩兵が20名ほど。 地下鉄職員の作業員姿者達が6~7名ほど。 無言で進む。 目的地はもう直ぐだ。

帝国陸軍制式採用の自動小銃、分隊支援火器、その他。 あの場所は、地下2階の機械室や電気室の直ぐ外側を、このトンネルが通っている。
そして実は搬入口が繋がっているのだ―――保守点検業務を行っている者以外、知る者とて居ない情報なのだが。

恐らく、司令部は2階大会議室。 その前に警備の連中が詰めているだろう、1階の大食堂を制圧する必要があるだろう。

「・・・協力者は、搬入口で分かれろ」

すると地下鉄職員の服を着込んで、軍制式採用の自動小銃を構えた男達・・・の1人が、枯れ切った表情の中に、獣の色を宿した瞳を向けて行った。

「少佐殿・・・自分らは捕まります。 この国の国家憲兵や特高は、馬鹿じゃありません―――死ぬなら、連中を殺して、戦って死にます。 それが望みです、自分らの勝手です」

ここにも、哀しい馬鹿者たちが居た―――日本国中、どこにでも居るだろう、哀しい馬鹿者たち。 
勝手を押し通す外道を選んだか、勝手を押さえる自制を選んだか、それだけの違いだ―――多分、そうだ。

「・・・様になっているな、歩兵か?」

自動小銃を抱え、前後左右を警戒するように進む姿を見て、久賀少佐は検討を付けて言った。

「はい」

歩兵、砲兵、高射兵、通信兵・・・いずれも戦場で祖国のためにと戦い、傷つき予備役に回された者達。 生煮えを押え込めなかった者達・・・自分もだ。

「済まんが、生還は無しだ」

「元より」

40数名の男達が、暗闇のトンネル内を進んでいった。









2001年12月6日 0558 日本帝国 伊豆半島 伊豆スカイライン跡


「何だ、古郷・・・貴様も出張って来たのか」

「お互い様だろ、最上。 こんな事、部下にさせられるか?」

「違いない・・・おっと」

2人の大尉が苦笑したその時、網膜スクリーンに周防少佐の姿がポップアップした。

『・・・最上、古郷。 タイミングは俺が指示を出す。 貴様たちは只、トリガーを引け。 いいな? トリガーを引くだけだ・・・』

最上大尉の上官である周防少佐の声も固い。 最上大尉、古郷大尉もそのあたりの心境は汲み取っている。 彼らも前線に出て8年目の猛者たちだ。

「大隊長・・・お気遣い、ご心配なく」

「らしくない・・・ですな、周防少佐。 俺が中尉時代に扱かれた中隊長は、もっと厚かましいお人でしたぜ?」

『・・・厚かましいは、余計だ、古郷・・・時間合わせをする、システム、合わせ・・・3、2、1、0・・・とは言え、命令を出すのは俺だ。 いいな?』

「・・・はっ」

「了解です」

通信が切れ、暫く冬の夜明け前の凍てつく寒さが戻る。 最上大尉と古郷大尉は、どちらともなく煙草を取り出した(規則違反だが、古参は黙認される悪習が有った)
戦術機の機体の陰に隠れ、その場でしゃがみ込んで火を点ける。 本来ならば、作戦の趣旨からは見逃せない筈だが・・・

「ま、向こうからは、機体の陰で見え無いしな」

「特例と言う事で・・・」

最上大尉も古郷大尉も、衛士訓練校の同期生同士だ。 そして今回、『特別任務』の為に指揮する中隊を一時的に預け、この場に居る。

「・・・いくら腕が良いからってな。 中尉、少尉連中に、やらせるのはな・・・」

「数年前なら、絶対自分が志願した筈なのにな、あの人。 妙に情に弱い所があるしな」

「普段は見せないけどな」

「あれで、結構抱え込む人だったぜ?」

周防少佐の事だ。 最上大尉は現在、周防少佐の大隊で最先任中隊長。 古郷大尉は長門少佐の大隊の最先任中隊長だが、中尉の小隊長時代、当時の周防大尉の下にいた事が有った。

「古郷、貴様、沙霧と面識有るか?」

「いや、無い。 確か士官学校卒だったろう? 俺達より1期下に相当するのか?」

最上大尉も古郷大尉も、運よく生き残れば来年の秋には少佐に進級出来るだろう。 その程度には古参の大尉たちだ。
そして彼らは2人とも、クーデターの首謀者の一人と目される、沙霧大尉とは面識がない。 陸軍とは、日本で最も巨大な組織だ。 

「ま、少しは気が紛れる・・・正直なところな」

「今更さ」

2人の大尉の任務は、狙撃だ。 帝国陸軍が試験運用している長砲身(62口径)57mm支援砲、Mk-57ⅢC。 制式採用は現在見送り中だが、少数が試験運用されている。
その中のMk-57ⅢC-Bタイプ。 セレクター機能付きで、長砲身57mm砲による精密狙撃が可能な試験運用タイプ(現場での大半の意見は『そんな機能は必要ない』との声だが)

「一応、俺達も射撃特級持ちだったんだな・・・って、忘れてたわ」

「ああ、忘れてた・・・忘れていたかったが、思い出すしかないじゃないか・・・」

煙草を靴裏で踏みつぶして消す。 そして互いに無言で頷き合い、戦術機に乗り込んだ。 

『―――最上、古郷、データをリンクさせろ。 『現場』の気象状況を送る』

周防少佐からの通信が入る。 今更と思うだろうが、狙撃は温度、湿度、風向、風速、その際が大きな意味を持つ、微妙で繊細な作業だ。
恐らく、今現在『玉』の傍にいる海軍部隊・・・賀陽大佐の部隊の機体、そのどれかからの計測情報だろう。 だとすれば、ほぼ目標地点の情報と言う訳だ。

射撃システムを起動し、情報をリンクさせる。 最適解の偏差、見越し角度、照準・・・現在、最上大尉、古郷大尉の機体は、『現場』から5kmほど離れた山中に潜んでいる。
ズームモードでは何も見えない。 目標は所定の場所に居ない様だ。 見えるのは背を向ける訓練用戦術機、97式戦術歩行高等練習機 (TST-TYPE97)『吹雪』の背中だけ。

「・・・贅沢だな、『吹雪』だぜ」

『それも、UNカラーのな・・・帝国の訓練校で、あの機体を使っているのは未だ、1、2校だけだってのにな』

1997年に制式採用された、94式戦術歩行戦闘機 (TSF-TYPE94)『不知火』、その直系の高等練習機。 武装を換装すれば、実戦投入も可能な『高価な』練習機。
本来であれば、帝国陸海軍の衛士訓練校、或は錬成部隊に最優先で回されてしかるべき機体。 殺害された故・榊首相の、国連重視政策の余波を浴びた機体、とも言える。

『―――最上、古郷。 的は国連軍の『吹雪』の前方にいる。 『玉』はその『吹雪』の管制ユニットの中だ、必ずその前に現れる。 タイミングは指示する、外すな』

「・・・了解」

『了解・・・です』

心無いか、2人の大尉の声も固い。

待つ事数秒・・・いや10数秒? 数十秒か? 数分も、数十分も待った気がする。 無意識のうちに喉の渇きを覚える。 ズームの画面に集中する・・・不意に画面が乱れた。

『ッ! 用意・・・まだ、まだだ・・・まだ・・・まだ・・・よしっ! 撃てっ!』

2人の大尉がトリガーを引いた。 数秒後、見事に管制ユニットだけを射貫された第1連隊の『不知火』が1機、主君の前に膝まづく武士の様に、ゆっくりと倒れて行った。





『吶喊! 囲めっ!』

『残すなっ!』

200機以上の戦術機に囲まれ、全周から攻撃を仕掛けられ、瞬く間に撃破されていくクーデター部隊の残存兵力。 これはもう、『虐殺』だった。

「・・・撤収用意」

『現場』から少し離れたスカイラインの路上。 軽装甲車両の車上から上半身を出し、双眼鏡を覗いた姿で(通信システムとのケーブルも接続して)、周防少佐が命令した。
酷い有様だった。 本来ならば投降させ、軍法会議にかけるのが本筋の者達。 その若者たちを、自分たちは『痕跡を残さない』為に、全てを『虐殺』している。

あの場に居ないから、自分は免罪符を得ていると思っているのか?―――馬鹿を言うな、周防直衛。 あの悪夢の光景、その諸端の命令を出したのはお前だ。
如何に師団命令であろうと。 如何にその更に上位からの命令であろうと。 動くのは現場だ。 そして現場には直接命令を下す者と、直接命令を受ける者だけだ。
岩橋中佐、木伏少佐、長門少佐、それに海軍の白根中佐や他の指揮官たち・・・彼らもまた、現場で直接命令を下した。 命令を受けた者達は、動くだけだ。

「撤収用意、完了です。 少佐殿」

機動歩兵部隊の巌の様な雰囲気の下士官が、車中から報告する。

「・・・嫌なものだな」

ポツリと小さく呟いた周防少佐の独り言を、その下士官は偶々耳にしたようだ。 車内で少しだけ顔を歪め乍ら、その下士官は言った。

「・・・失礼ながら少佐殿。 世の中、飯を食うには、相応の事をせねばなりません」

その言葉を聞いた周防少佐は、上半身を軽装甲機動車の天井から出したまま、一瞬だけさっと顔を赤くした。 すぐに元のポーカーフェイスに戻る。
つまりその下士官は、『世の中、自分の感情や判断だけで、押し通せる事など何一つないのだ』と言っている。
それは転じて、『女々しい事を言うな、この若造。 貴様、それでも将校か』と、歴戦の古狸の古参下士官だけに許される、それは痛烈な罵倒だった。

「・・・状況終了。 戻るぞ、出せ」

軽装甲機動車が発進した。 通信回線から、様々な声が聞こえた。 耳慣れない、若い女性の声も複数・・・赤々と燃える爆散した戦術機、あれは自分がやったのだと確信した。









2001年12月6日 0620 日本帝国 帝都・東京 九段下 陸軍東京偕行社


戒厳令司令部―――陸軍東京偕行社は、死屍累々と言う表現が似合っていた。 投げ込まれた手榴弾で爆散した死体。 破片を全身に受け倒れた死体。
銃弾を全身に浴び、返り討ちにされた衛士強化装備姿の死体。 自動小銃弾を何発も頭部に受け、原形を留めていない地下鉄職員の服を着た死体。

「ぜっ・・・はっ・・・ぜっ・・・松井・・・宮本・・・」

付き従ってきた部下の名を呼ぶ。 だが返答する者は誰も居なかった。

「加賀谷・・・宮崎・・・」

衛士強化装備は、かなりの対衝撃吸収能力を持つ。 だが至近距離で放たれた7.62×51mmNATO弾の直撃を、防ぐほどの防弾性は有していない。

「むっ・・・ぐふっ・・・」

吐血した。 左手で腹部を押さえているが、腹部貫通銃創だ。 出血が止まらない、血が赤黒い、内臓を破壊された・・・糞を漏らしている、もうこれでは助からない。
薄れ、失くしそうな意識を必死に留め乍ら、久賀少佐は壁に背を預け、首をひねった―――見知った姿が有った。 血溜まりに仰向けに倒れたその目には、もう光が無かった。

「・・・高殿」

腹心の部下。 先に逝ったか。

部屋の中も凄まじい有様だ。 幾人もの死体が転がっている。 その中には高級将校も少なくなかった。 最後の力を入れて体を動かそうとした―――そのまま床に倒れた。

「ふっ・・・ふっ・・・久賀少佐、貴様・・・貴様・・・」

「・・・どう・・・やら・・・い、いのち・・・拾い・・・された、ようで、閣下・・・祝着・・・至極・・・に・・・」

戒厳司令官・間崎勝次郎陸軍大将は無事だった。 憎々しげに、拾い上げた自動拳銃を倒れた久賀少佐に向けた。
咄嗟に執務机の陰に隠れ、その隙に階下から突入して来た警備兵と銃撃戦になり・・・転倒した拍子に、軽い打撲を負っただけで済んだ。

「この・・・飼い犬風情が・・・!」

「はっ・・・ぜっ・・・い、犬でも・・・か、噛み付く・・・」

ああ、そうだ。 自分は飼い犬だ、確かにそうだ。 それも躾のなっていない、飼い主に噛み付いた駄犬か。 だが犬とて己の意思を持つ。 気に喰わねば牙を剥く。
ああ、画竜点睛を欠くか・・・まあ、いい。 自分には似合いの最後かもしれない。 あの利権政治屋は消されたと聞く、それだけを地獄の手土産とするか・・・

「・・・死ね、馬鹿者」

向けられた銃口、引き金を引く様が見えた・・・最後に己の愚かさを嗤う。 頭部に衝撃―――久賀少佐の意識が途切れ、永劫の暗闇に堕ちて行った。









2001年12月6日 0645 日本帝国 伊豆半島 伊豆スカイライン跡


1人の男に近寄った。 日本軍の衛士強化装備では無い、米軍のそれだ。 髪もくすんだ金髪を短く狩っている。 しゃがみ込み、死体袋を確認している様だ。
近づく姿に気が付き、チラリとこちらを見たが、また視線を死体袋に戻した。 その表情からは感情を推し量れない、歴戦の古参将校の常、ポーカーフェイスだ。

『・・・フィンランド難民出身の部下でな、腕は良かった』

英語での会話。

『N.Yに家族が居るそうだ、母親と妹が。 『戦死者』の遺族として、家族には年金と市民権が与えられる・・・妹には、奨学金も』

それが、それだけが、唯一の救いの手段であるかのように。

『どうやって包括されたのか、不明だ。 が、これは事実だ・・・私は査問委員会で証言するだろう。 少なくとも軍と、政界の一部は私の証言を、有用と認めるだろう・・・』

最後に、胸の前で十字を切る。 そして微かな声で聖書の一説を唱えていた。

『今回は、日本が上手くアドバンテージを取った。 私には、これ以上の手札は無い・・・ではな、直衛。 生き残れ』

負傷し、頭部に包帯を巻いた姿のアルフレッド・ウォーケン米陸軍少佐は、日本海軍陸戦隊が回した軽装甲車に乗り、下田へ向かった。 戦術機での離脱は、許されなかった。

「・・・」

搬送車輌に積み込まれる、幾つかの死体袋。 その中には『戦死』した米軍将兵『だった』ものも有った。 取り付けられたドッグ・タグを確認し、その官姓名を読んだ。

「・・・イルマ・テスレフ U.S.Army Second Lieutenant(2LT、米陸軍少尉)、認識番号・・・」

呟くように読む。 そしてそっと十字を切った―――ニューヨークの街並みを一瞬、思い浮かべながら。








2001年12月6日 0655 日本帝国 伊豆半島 下田 第1艦隊 戦艦『尾張』


フェー、フォー、ピー・・・

サイドパイプの鳴り終わると同時に、舷側に並んだ舷門堵列員(通常礼装を着用した兵長と上等兵8名)、当直員、当直下士官、警衛下士官、副直将校(中尉)が敬礼する。
士官は挙手の敬礼を、下士官兵は姿勢を正す敬礼を。 その先に送迎を行う副長(大佐)と当直将校(少佐)が敬礼していた(紀伊級は巨艦の為、例外的に艦長は少将、副長は大佐)

「・・・厄介なお荷物ですな・・・」

舷側を上がりつつある姿を認め、当直将校の少佐(通信長だった)がボソリと言った。 本来ならば窘め、叱責する立場の副長の大佐も、思う所があるのか何も言わない。

今回のクーデター騒ぎ。 『何故か伊豆に避難して』、災禍に遭った政威大将軍。 その身柄は陸海軍の『鎮定』部隊が確保し保護した。
そしてその身柄を『無事に帝都にお送りする為に』、第1艦隊から戦艦『尾張』が伊豆半島に回航されたのだ・・・まるで、示し合わせたかのように。

「・・・上層部も、考えておると言う事だろう。 今後の対将軍家、対摂家・・・国内政治での立ち位置を」

事実、海軍は第1艦隊の中で戦術機甲戦力を伊豆半島に回しはしたが、水上砲戦部隊の主力(戦艦『紀伊』、『信濃』、『美濃』、『大和』、『武蔵』)は東京湾だ。
芝浦の沖を遊弋しつつ、クーデター部隊に向け、その主砲を指向し続けていたのだ。 何かあれば即、その巨砲で全てを吹き飛ばす為に。

「理解してくれれば、良いのだがな・・・」

「己が傀儡である事に・・・?」

「・・・陛下でさえ、その御身は象徴である、と言う事実をだ」








2001年12月6日 0735 日本帝国 帝都・東京 市ヶ谷 国防省


銃声が止んだ。

国防省ビルの一室に軟禁状態だった綾森祥子少佐以下、数名の下士官を含む『捕虜』達は、その意味を薄々感じ取っていた。

「厄介ですな・・・頭に血が上った若いのが、どう出るか・・・」

「道連れの血祭、ってのは、勘弁して欲しいですよ・・・」

「流石に、そこまでおつむが逝ってない事を祈るしかないですね・・・」

古参の下士官連中は、こんな時でも冷静だ―――左腕を負傷した(銃弾が擦過した)綾森少佐は、包帯で吊った左腕を不自由そうにしながら、扉に張り付いている古参下士官に確認する。

「軍曹・・・状況は聞こえますか?」

「少し、お待ちを、マム・・・武装解除を命じる声、反発している奴も居るようで・・・ちっ!」

突然、複数の銃声が響いた。 怒声と悲鳴。 そして階下から廊下を上がり、近づいてくる複数の靴音。

「どうか、冷静な奴でありますように・・・だぜ」

扉に張り付いていた下士官―――満州戦線での実戦経験が豊富な、歩兵科の軍曹だ。 扉が開いた。

「・・・少佐殿、長らくご不自由をおかけし、申し訳ありませんでした。 只今をもち、あなたがたを開放致します」

確か、銃撃戦の最中で冷静な判断をして、激昂する若い少尉を諌めていた中尉だ。 まだ若いが、本来は優秀な将校だったのだろう―――河惣大佐と、三瀬少佐を殺した相手だが。

「・・・投降しなさい、中尉」

「失礼ですが、少佐殿。 己の進退、既に決めておりますので」

「ならば・・・貴様の部下達を、私に渡しなさい」

「・・・ご厚情、感謝致します、少佐殿・・・おい!」

「はっ!」

中尉の背後に従う兵士たちが、銃を降ろして綾森少佐に敬礼した。

「・・・第1師団、第1連隊第2大隊第1中隊。 本郷軍曹以下6名、投降いたします。 少佐殿」

「国防省機甲本部第1部、綾森少佐だ。 本郷軍曹、貴様たち6名の身柄、本職が引き取る」

「はっ!」

綾森少佐を先頭に、『捕虜』となっていた下士官兵たち、そして投降した下士官兵たちが、階段を降りて階下のロビーまで降りた。 そのままフロアを歩く。
茫然自失としている、若い中尉・少尉達。 悔しげな表情の准士官。 戸惑い、これからの事に恐れを抱く若い兵士たち・・・

ダァンッ!―――階上から、1発の銃声が響き渡った。 一瞬、立ち止まった綾森少佐は、直ぐにその歩を進めた。 美貌と称される顔を、厳しい表情に歪めながら。

(・・・そんな責任の取り方しか・・・そんな責任逃れの方法しか覚悟出来ずに、こんな騒擾を起こしたというのっ!? なんて、なんて増上慢なっ・・・!)

普段は温和な性格で知られる綾森少佐も、荒れ狂う憤激に体を震わすしかなかったのだ。

(会いたい・・・)

愛しい双子の子供たちに。 愛する夫に。 遣り切れない喪失感に苛まれた綾森少佐は、冬の夜明け空を仰ぎ見た―――カァン、と硬質な音がするような、晴れ渡る凍った朝空だった。





[20952] 其の間 1話
Name: samiurai◆b1983cf3 ID:0ffa22e1
Date: 2015/07/21 01:19
2001年12月6日 夕刻までにクーデター事件鎮圧。 日本国内各所で皇道派将校の逮捕が相続く。
2001年12月7日 クーデター事件での被害確定。 但し非公開。
2001年12月8日 クーデター事件での殉職者遺体検死。 皇城・御前会議にて甲21号作戦、正式認可。 
米第7艦隊主力、ハワイ、パール・ハーバー出港。 亡命韓国政府軍、ANZAC軍(豪州・ニュージーランド連合軍)、出港。
2001年12月9日 日本帝国軍統帥幕僚本部、陸・海・航宙・斯衛の全軍に対し、水師準備を下命。
2001年12月10日 日本海沿岸への兵站物資輸送、最終段階に。 ガルーダス各国軍、出港。 統一中華戦線、遠征軍の編制を完了。 





2001年12月10日 1600 日本帝国 千葉県市川市 甲府台 第1自走砲連隊衛戍地


柩が葬祭場に着いた時から、弔砲が儀仗兵の弔銃によって発射され、将官には3回、佐官には2回、尉官には1回、行なわれる。
やがて全ての弔砲が終わり、柩が葬祭場から火葬場に運ばれる。 全ての儀式を終えた後、帝国陸軍の第2種礼装に身を固めた参列者が、三々五々、式場を後にしてゆく。 

冬の夕暮れ空に立ち上る火葬場からの黒煙を見上げ、周防直衛陸軍少佐は無言で表情を厳しくしていった。 傍らの長門圭介陸軍少佐も、似た表情だった。

この日、先のクーデター事件で殉職した多くの将兵たちの合同葬儀が、国府台の第1自走砲連隊(旧野戦重砲兵第1連隊)衛戍地で行われた。
その葬列中には、国防省ビル内で殉職した故・河惣巽陸軍准将(殉職後1階級特進)、故・源麻衣子陸軍中佐(殉職後1階級特進)も混じっていた。

「・・・源は、配置転換を希望したそうやな」

周防少佐等と共に参列していた、第14師団の木伏一平陸軍少佐が、苦い表情で呟いた。 新潟の戦線から、急遽呼び出された和泉沙雪陸軍少佐も苦い表情だ。

「早まるな・・・と匂わせたのですけどね、取り付く島も有りませんでした。 表向きは穏やかそうでしたけど・・・あれは、かなり切れていましたね」

1人離れ、空を見上げる源少佐を横目で見つつ。 和泉少佐は殉職した故・源麻衣子中佐や、その夫君の源雅人少佐とは、衛士訓練校の同期生であり、長年の戦友で、親友同士だった。

「第39師団の増強計画・・・現行の3個戦術機甲大隊の丙師団を、6個戦術機甲大隊の乙編成師団とする・・・あれに希望を出されたとか」

夫人が第39師団で戦術機甲大隊長を務める長門少佐が、同師団の和泉少佐を見乍ら、問いかけるように言った。 それに和泉少佐が無言で頷いた。
第39師団は現在、森宮右近陸軍中佐を先任戦術機甲指揮官とし、和泉少佐、そして長門少佐の細君である伊達愛姫少佐(軍内では旧姓を使用)の3人の戦術機甲大隊長が居る。

本土防衛軍総予備である第39師団は、今回のクーデター騒動の直前に新潟に出兵していた。 佐渡島から旅団規模のBETA群の上陸兆候が確認されたためだ。
そしてクーデター事件当日は、上陸して来たBETA群の殲滅作戦を遂行中だった。 同様に九州でも、対馬を経由した鉄原ハイヴの飽和BETA群(旅団規模)を迎撃していた。

これら一連の過程で、更には年末に予定されている佐渡島への総反攻作戦の一環として、総予備の第39師団増強計画が有った。 3個戦術機甲大隊を増強するものだ。
佐渡島への総反攻作戦(『甲21号作戦』、秘匿名称『決号作戦』)には、総予備、或はハイヴ突入打撃戦力として、第10、第15師団も動員される。 これに第39師団を加える予定だ。

「うちの師団、これまでの92式弐型(疾風弐型)から、いきなり94式壱型丙(不知火壱型丙Ⅲ)に機種変換だからね。 10日やそこらで習熟なんて、ま、いつもの事だけど・・・」

「壱型丙Ⅰみたいに扱い辛くないし、壱型丙Ⅱみたく極端に燃費が悪くも無い。 操縦性も機動特性も壱型甲同様に素直だし癖も無いです」

「近接格闘能力や生存性は、壱型より格段に上です。 稼働時間も丙Ⅰ/Ⅱより大幅に延長していますし。 『疾風弐型』に乗っていれば、違和感無く乗り換えできますよ」

和泉少佐のボヤキに、周防少佐と長門少佐が口を挟んだ。 その場の空気に少し、嫌気がさしていたからだった。

「そう言えば、15師団も増強? あ、補強?」

「補強です」

「解隊した独混(独立混成旅団)から、人数を引き抜いて・・・」

第15師団は今回のクーデター騒ぎで、2割以上の損失を蒙った。 但し幸いな事に、機材の損失は大きめだったが、人員の損失は最小限に抑えられた。
戦術機甲部隊で行けば、6個大隊中の3個大隊が、機体の6割を喪う大損害を出した。 が、衛士の死傷者は最低限に抑える事が出来た。
これにより、解隊した幾つかの独立混成旅団の戦術機甲大隊から、残りの衛士を補充として再配置する事で、戦力の急速な再建の目途が立った。

「いずれにせよ、こちらも補充については行き当たりばったりです・・・機体はギリギリで間に合う予定ですが」

「第1師団向けの生産ロットを、丸々こちらに振り向けてくれたもので」

「ま、そのお蔭で1師団は開店休業状態や。 クーデターに参加せんかった、佐倉の第57(第1師団第57戦術機甲連隊)は、とりあえず総予備で『召上げ』やしな」

事実上、日本帝国陸軍第1師団は『解隊』された。 流石に頭号師団を欠番のままにしておく訳にはいかないので、いずれ再建される予定だが、恐らく来年度以降だろう。
他にも富士教導団で大規模な再編成が計画されている。 クーデターに参加はしなかったものの、思想的に皇道派と判断された将校の多くが配置変更されていた。

「・・・中には軌道降下兵団に、強制的に編入された者もおるしな」

「腕は立つ、でも思想的に危険。 なら、衛星軌道からハイヴに落してしまえ・・・ですかぁ・・・」

「10日やそこらで、軌道降下シミュレーションも満足に出来ないでしょうに・・・」

木伏少佐、和泉少佐、長門少佐の言葉を聞きながら、周防少佐は先日のラジオ放送を思い出していた。

「ある意味・・・信じた将軍に殺される事になった、そんな感じですね・・・同情はしませんが、哀れですね・・・3日前の、あの演説では・・・」

周防少佐のその言葉に、他の3人の少佐達も苦い表情を浮かべ、頷くしかなかった―――源雅人少佐は、天に昇ってゆく妻の煙を、ずっと見続けていたからだ。








3日前―――2001年12月7日 1330 日本帝国 帝都・東京 帝都城内・城代省


『―――我が親愛なる日本国民の皆様。 長きにわたり多大な苦難を強いている事、誠に申し訳なく思います。 
此度の事件は、若き命が国の過ち、延いては私の至らなさを正そうとしたが故の決起でありました。
彼の者達の所業は決して許されるものではありません。 されど、日本の目覚めを願い、已むに已まれず立ち上がったその志までを、軽んずることはできません・・・』

その放送を聞いた瞬間、それまでの余裕は真夏の小さな水溜りの如く、瞬く間に蒸発した。

「なんなのだっ! あの放送はっ! 原稿は確認したのだろうな!?」

「はっ、はいっ、確かにっ! 確かに確認いたしましたっ! 御側取次用人殿も、確認されておりますっ!」

「ならば、何故だっ!?」

城代省官房部、その官房長官室で、神楽宗達官房長は激昂していた。 いや、焦燥感に包まれている、と言った方が正しいかもしれない。
外科的に確認できるのであれば、まさに比喩の通り、彼の心臓は真っ青に青褪めていただろう。 顔は赤黒く紅潮しつつ、背中を流れる冷汗が止まらない。

『―――私達の心に刻みつけ、省みるべきは日本人として在るべき真の姿にある、と思い至りました。 それが、延いては人類が一丸となり、強大な敵に立ち向かう為の力となるでしょう。
長きにわたる戦乱の終わりは未だ見えず、皆様の心には不安の大きなうねりとなって押し寄せていることでしょう・・・』

目の前が真っ暗になる。 これは、この原稿は・・・官房部が監修し、即座に『却下』を下した、あの曰く付きの原稿ではないか!

「官房長殿! 警備部より至急の報告が!」

「後にしろ!」

「い、いえ! それが・・・将軍家御側仕えの侍女の1人が、帝都城内で変死したと!」

「・・・何?」





2001年12月7日 1331 日本帝国 帝都・東京 国防省ビル


『―――だからこそ、私達は今という時代を、強靭な精神を持って歩まねばなりません。
敵を砕く為の牙を、同胞に向けざるを得なかった彼らは、身を持ってそれを示そうとしたのです。 
私達の心に、今再び、誇りと力を呼び戻す為に・・・』

本土防衛軍副司令官室―――総司令官が今回のクーデターで負傷療養中の現在、実質的に本土防衛軍総司令官である岡村陸軍大将は、傍らの将官を振り向き言った。

「流石に、『仕事』が早いね、右近充君」

こちらも司令官が負傷入院の為、国家憲兵隊の全てを取り仕切る事となった右近充陸軍大将が、ソファに座ったままで、瞑っていた両目を薄く開けて言った。

「・・・特高(特別高等公安警察)、内本(情報省内事情報本部)、情本(国防省情報本部)、それに城代省の一部・・・それだけの『協力』を得る事が出来ましたのでな」

本来、城代省官房部が用意した、『政威大将軍演説原稿』は、全く異なるものであった。 官房部は当初、将軍家より『希望』された原稿を『時局に合わず』と破却した。
軍・官の統制派は元より、宮中や政財界主流、はては今回の『犠牲』となり殉職した将兵の遺族まで、完全に『敵に回す』事になる、そう判断したからだ。

その為に城代省官房部は、国家憲兵隊や特高、情報省に国防省とも至急の会合を開き、内容を調整し、別の原稿を(嫌がる将軍家を説得し)読み上げさそうとしたのだ。

『―――座して得られるものはありません。 しかし、得るべきものが何かもわからず、徒に拳を振り回したところで、望むものを得ることは決して叶わないでしょう・・・』

流れる放送・・・政威大将軍の、理知的だがまだ若い女性の声を聴きながら、右近充大将は岡村大将に向けて言った。

「武家の存在意義は、陛下と帝室の藩屏足らんと。 そう、全ての疑義は、陛下と帝室に向けられる様な事は、決してならぬのです」





2001年12月7日 1332 日本帝国 帝都・東京 帝都城内・城代省


『―――若者達の潔き志を礎に、私達は一丸となり、勝利と平和を勝ち取る為、共に苦難を乗り越えて参りましょう・・・』

流れる放送に無力感を抱きながら、神楽宗達・城代省官房長は、ひとつの結論に達した。

「・・・生き永らえたければ。 武家を存続させたければ。 全ての泥を・・・『疑惑』を被って生きてゆけ、か・・・」

そうなのだろう。 武家と言う存在自体、19世紀までの古い時代の遺物なのだ。 それが今後も存続するには、相応の働きを・・・社会的疑惑を一身に集め、陛下の藩屏として・・・

「そう言う・・・事か・・・」

若い将軍には、判らないだろう。 だが日本帝国が・・・日本国民が、無意識の集団意識下で、それを求めているのだとすれば・・・

「・・・侍女の死因は、持病の急変によるものだ」

「・・・は?」

「そう公式に発表しろ。 実家の当主・・・兄だったか? そちらにも因果を含ませろ、よいな?」

「はっ、はっ!」

走り去る部下の背を見乍ら、神楽官房長官は深い溜息と、これからの憂慮の日々を思い、重く沈んでいった。





2001年12月7日 1333 日本帝国 千葉県 陸軍松戸基地


『―――日本国民の皆様。 民と国の為、その身を捧げた者達、そして己の責務に殉じた者達の心を、どうか忘れないでください。 数多の英霊の遺志を背負い、私は歩み続けます・・・』

師団の損害調査報告会議の席上、流れる放送を聞きながら、部隊長以上の佐官級軍人達は、白けた表情でその放送を聞いていた。
クーデター鎮圧の任を担った第15師団は、ある意味で『当事者』であり、最後の最後まで、『現場』に居合わせた部隊のひとつだった。
それだけに、あの事件で将軍家の行動、武家の思惑、政府・軍部の意向に外国勢力・・・米国と国連、様々な組織・勢力の朧気な形を見た気がするのだ。

「・・・正気かね?」

第151機甲大隊長・森永忠彦中佐が片目を瞑り乍ら呟くと、第151機動歩兵大隊長・奥瀬 航中佐が、やや呆れた様に言い返した。

「正気か・・・何を持って、正気とするかだな」

その言葉に、居並ぶ佐官級の軍人達が渋い顔をする。 彼らを代弁したのは、師団首席法務官である、法務部長の竹崎健二法務中佐だった。

「帝国軍軍法に照らし、帝国刑法に照らし、クーデターを起こした者達は極刑を免れない。 それが法治国家だ。 法治国家の暴力装置を律する軍法であり、刑法だ。
法解釈上の議論は、ここで軽々と言う事は能わぬが・・・少なくとも日本は、人治国家では無いのだ。 そう、古の律令を定めて以来な・・・」

竹崎法務中佐の言葉に、師団作戦主任参謀の元長孝信中佐が、白々しげに言った。

「まあ、律令は・・・歴史解釈は置いておくとしてだ。 少なくとも19世紀末の維新後より、我が国は立憲君主国家であり、法治国家だ」

「ならば、それに正々堂々と喧嘩を売っている、この政威大将軍の演説は何だ?」

師団第1部長(人事・行政)の前岡静馬中佐が、苦々しげに言った。 そう、誰もが思ったのだ。 『将軍は、帝室と政府・軍部、ひいては国民に喧嘩を売る気なのか?』と・・・

「・・・シナリオの通り、なのかな・・・?」

第151戦術機甲大隊長・周防直衛少佐が呟いた言葉に、居並ぶ佐官級軍人達は『それ以上は言うな』と、視線で制する。 周防少佐も、苦笑しつつそれ以上言わなかった。

「ま、いずれにせよ・・・軍部とは決別ですよ」

長門少佐が発した言葉は、誰が、とは言わないものの、その場の全員が苦々しい思いで共有するものだった。





2001年12月7日 1334 日本帝国 帝都・東京 国内用難民キャンプ


『―――どうか、皆様のお力を、今暫くお貸し下さい。 同じ過ちを繰り返さぬよう、各々が為すべきを為せるよう、共に未来を見据え、歩んで参りましょう・・・』

演説が終わるや、1人の初老の男がキャンプの仮設建物―――集会場―――を出て行った。

「おい、アンタ。 もう聞かないのか?」

同じく難民の中年男性が、その背中に問いかけた。

「・・・聞かん。 聞いたら儂、ラジオに石ぶつける・・・」

そう呟いた初老の男性は、背中を丸めて集会場を出て行った。 皆が知らぬ事だが、家族全てを喪ったこの初老の男性は、92年と94年に息子2人を満州戦線で喪っていた。
そして98年のBETA本土侵攻で妻と娘夫婦を喪い・・・今回のクーデター事件で、第44師団に所属していた末の息子をも喪った―――全てを喪った。

第44師団は西関東防衛の第4軍団に属し、クーデター部隊の強襲を受け、大損害を出した部隊だったのだ。

「儂、全部、無うなってしもうた・・・やのに、将軍さんは・・・」









2001年12月11日 1000 日本帝国 帝都・東京 陸軍中央病院


「・・・何もわざわざ、迎えに来なくても良いのに・・・」

荷物を両手に持って、自家用車に乗り込む夫の後姿を見乍ら、綾森祥子陸軍少佐(現姓は周防祥子、軍内では旧姓使用)が言った。

「・・・荷物はこれだけか?」

照れ隠しなのか、振り向かずにぶっきらぼうに言う夫。 こんな所は昔の初任士官時代から変わらない、そう思った。

「ええ。 別段、長い入院じゃなかったし」

左腕上腕部の銃弾擦過。 疑似生体接続をしている部位であったことが却って功を奏したか、驚くほど速い退院となった。
車の助手席に乗り込むや、夫は車を発車させた。 自宅はそう遠くないが、混雑する国鉄を使いたくない、そんな気持ちも多少あった。

「・・・早く会いたいわ。 あの子たちは、元気にしていたかしら?」

「・・・祖父ちゃん、祖母ちゃんが、盛大に甘やかしている―――直嗣が夜泣きするらしい、祥愛もつられて。 お袋と義姉さんが、少し寝不足だとか・・・」

「大丈夫よ・・・家に帰れば、あの子たちも安心するわ」

どう大丈夫なのか、夫―――周防直衛少佐にはさっぱり判らなかったが。 妻―――綾森(周防)祥子少佐には、母親としての確信でもあるのだろうか。

ほんの数日だが、幼い双子の我が子達を見守れない事が、これ程不安になるとは・・・綾森祥子少佐は、早く子供たちに会いたかった。

「・・・有難う」

「何・・・?」

運転しているので、妻の方を向けない周防少佐が、前方を剥きながら訝しげな声で聞いた。

「麻衣子の葬儀・・・出られなかったから。 河惣大佐・・・准将も」

綾森少佐にとって、故・源麻衣子少佐は同期の親友であり、長年の戦友でもあった。 故・河惣巽准将も1992年以来の付き合いであって、なにかと懇意にしてもらった。

「・・・源さん(源雅人少佐)がな、心配していたよ、祥子の怪我の事を」

「源君が・・・? そう・・・」

源雅人少佐・・・故・源麻衣子中佐の夫君で、綾森少佐とは同期生の友人だ。 夫の周防少佐とも1期違いの戦友で、友人だった。

「馬鹿・・・ね。 私の事より・・・ま、麻衣子の・・・事を・・・ふぐ・・・う・・・」

不意に嗚咽を漏らし始めた妻。 そんな様子を見て、周防少佐は車を目立たない路肩に止めた後、言った。

「泣けよ、祥子。 泣いていいから・・・泣いてあげなよ・・・」

「ふっ・・・くぅっ・・・んっ・・・ふっ・・・!」

静かに嗚咽を漏らす妻の肩に、そっと手を置いて抱き寄せ、泣き止むまでずっと、そのままでいた。





2001年12月11日 1045 日本帝国 帝都・東京 周防家(実家)


車を実家の車庫に入れるや、妻が飛び出す様に家に入っていく―――喜ぶ両親の声、妻の方の両親も来ているようだった。
幼い双子の我が子達が、数日振りに会えた母親にしがみ付いて泣いていた。 余程心細かったのだろうか。 子供達を抱きしめる妻の表情は、既に母親の顔だった。

「お義父さん、お義母さん、いらしていたのですね。 申し訳ありません、連絡が遅れてしまい・・・」

「直衛君、気にする事は無い。 君も娘も、公務が有るのだからね」

義父は中央官庁の高級官僚でもある。 軍人、それも中堅幹部の佐官である娘と娘婿の立場を、慮ってくれる。
暫くは両親に抱き付いて盛大に泣いて、甘えて来る幼い子供たちをあやし、やがて泣きつかれ、安心したのか寝着いてしまった子供たちを布団に寝かせる。

妻は奥の部屋で実家の母と義母(妻の母)、それに義姉に労わられて、少し涙ぐんでいる。 周防少佐は居間で父と義父相手に、晩酌の相手をしていた。

「大変だよ、これからが・・・」

統制派と言う訳ではないが、非主流派でもない義父は、冷静に政局を見つめる立場にある。 これからの国家運営の厳しさが見えるのだろう、酒杯を明け乍らそう言った。

「父さんの会社もな・・・軍部からは、糧食生産の矢の催促だ・・・」

食料加工も行う会社の重役になっている実家の父も、色々と大変そうだった。

「親爺・・・お義父さん・・・無にはしませんよ」

それもこれも、年末の作戦次第。 もしも失敗すれば・・・その時点で亡国が確定する。

「ここだけの話だが・・・政府は合衆国との秘密協定を結んだよ」

「協定・・・ですか?」

訝しげな周防少佐に、娘婿を見つめる義父が、高級官僚の冷静な目で言った。

「ハワイ、そして西海岸を含む西部の一部・・・大規模な難民キャンプの設立と、亡命政権樹立の秘密協定だ・・・」

声を潜める義父。 父も無言で頷いている。

「父さんの会社もな・・・西海岸にプラント建設を行っている。 将来の可能性の保険だったのだがね・・・」

つまり、日本帝国政府は年末の総反攻作戦、『甲21号作戦(決号作戦)』の成否による、ひとつの可能性の保険を既に始めていると言う事だった。
酢を飲み込んだような表情になる周防少佐。 佐官級の幹部とは言え、逆に言えば未だ佐官なのだ。 国の中枢の考えなど、知る事は及ばない。

「まあ、ひとつの可能性・・・だよ。 年末の結果、それによって大きく変わる・・・そう信じるよ、私は」

「そうですなぁ・・・直衛、だが無理はするなよ、頼むぞ・・・?」

2人の父親にそう言われ、曖昧な表情で答えるしかない周防少佐だった。





「実家に顔を出せば、両親不在。 義兄さんの家も、誰も居ない。 もしやと思い立って来てみれば・・・親爺にお袋もかよっ、てね・・・」

「艦隊が入港したのか?」

夜分、急遽、義弟が実家を訪れてきた。 綾森喬海軍中尉、妻の実弟だ。

「いや、芝浦の沖に停泊中さ。 チャージ(連絡艇の艇指揮官、本来は少尉クラスが行う)でね」

「中尉でかい?」

「司令官の、だからね。 若い連中が夜間の悪天候(この夜は雪が降っていた)に、ちょっとね・・・ま、ケプガンの役得だね」

今では早、ケプガン(キャプテン・オブ・ガンルーム、第2士官次室長)として、若い少尉や候補生たちを指導する立場になっている義弟を、少し苦笑しながら見つめる。

「早いなぁ、もうケプガンか・・・中尉だものな」

熱燗を義弟の酒杯に注ぐ。 司令官チャージとして芝浦に着いたものの、夜間の荒天により艦より今夜は陸上待機を命じられたらしい。
艇員と艇長の下士官兵を、近くの下士官兵集会所に宿泊させ、自身はまず実家へ。 不在の為に姉の家へ。 そこも不在で、義兄の実家に顔を出したわけだ。

「艦隊に居るから、陸軍の詳細な損害が判らなかった・・・姉さんが負傷した事を聞いたのは、今日の朝だったよ。 戦隊通信参謀から、こっそり教えられた・・・」

それもあり、居てもたっても居られなくなった。 で、チャージを代わりに引き受けた、と言う事らしい。
明らかに公私混同だが、そこまで目くじらを立てる気はない。 陸軍と海軍の違いもあるし、何よりも海軍が事情を知って黙認したのだ。

「・・・祥子も喜んでいる、有難うな、喬君」

少し照れる義弟が継いだ酒杯を、くっと飲み干しながら礼を言った。

「・・・でも義兄さん、今回はヤバかったよ」

「海軍は・・・どんな感じだ?」

居間で妻の世話をしている両親と義父母を見乍ら、少しは息子も構って上げなさいよと、内心で義父母に苦笑しつつ、周防少佐は義弟の綾森海軍中尉に聞いた。

「何年か前にさ、うちの前の司令官・・・当時の周防大佐が、陸さんに大怪我を負わされただろう? あれ以来、陸軍の皇道派に対しては、否定的な風潮が海軍部内に有ったんだ」

その頃、綾森中尉は海軍兵学校の生徒だった。 が、そんな空気は兵学校にも伝播していたらしい。 海軍内の空気を最も敏感に受けるのが、海軍兵学校を始めとする海軍3校だ。

「そこへもってきて、今回の騒ぎだろう? 今回、僕の乗艦の『出雲』は東京湾に直行したけどね。 ひと悶着さ・・・」

若手の士官、その中でも血の熱い連中が揃いも揃って、『第1師団を主砲で砲撃しましょう!』と、艦長や戦隊司令部に直談判で詰め寄ったらしい。 この事態は2度目だ。

「分隊長(大尉級、陸軍の中隊長に相当)の中にも、声に出さないけど同じ様に思っている人たちも居てね。 最後は司令官(第5戦隊司令官)直々の説教と説得で、ね・・・」

兎に角、艦隊司令部、乃至、GF(聯合艦隊)司令部の命令なしに、独断専行は不可! と言われ、渋々引き下がったそうだが・・・

「・・・拙いなぁ。 佐渡島じゃ、GF(聯合艦隊)の艦砲射撃支援が命綱だってのにな・・・」

「ま、ね・・・でも陸軍が出血してでもクーデターを鎮圧した姿勢を見て、矛を収めたって所かな? 馬鹿をしたのはあくまで、一部の皇道派で、陸軍全体じゃないって」

「そう思ってくれれば、助かるよ・・・」

義理の兄弟の会話が途切れた頃合いを見て、周防少佐夫人の綾森少佐が、2人分のお茶を運んできた。 熱燗と酒杯を問答無用で下げ、お茶を差し出す。

「姉さん、俺の酒・・・」

「もう、十分でしょう? それに公務中でしょ? 喬?」

「だけどさ・・・義兄さん?」

「ああ、もういいかな・・・祥子、お茶、お代わり・・・」

にっこり笑って、盆を下げる妻に無抵抗の夫。 そんな姉夫婦を見た義弟は、ポツリと呟いた。

「亭主が弱い・・・」

「黙れ、独身貴族」

もっとも2人とも、妻の、姉の、その目尻に、涙跡が残っているのを見逃してはいなかったのだが。









2001年12月12日 日本帝国


この日、日本帝国海軍軍令部は、聯合艦隊と聯合陸戦隊に合戦準備下命。 同日、日本帝国陸軍参謀本部、本土防衛軍総司令部に対し、全軍管区に合戦準備下命。
更に日本帝国航宙軍作戦本部、軌道降下兵団の打ち上げ最終準備を下命。  全軍が『甲21号作戦(『決号作戦』)』の最終準備段階に突入した。





2001年12月12日 1350 日本帝国 千葉県松戸市 陸軍松戸基地 第15師団


「・・・トライアルの実施記録映像、ですか・・・」

会議室に集まったのは、6名の戦術機甲大隊長の少佐達、それに18名の戦術機甲中隊長の大尉達。 主催するのは師団参謀長負傷の為、代行の作戦主任参謀・元長中佐。

「一昨日、国連軍横浜基地で、新概念OS『XM3』のトライアルが実施された。 参加部隊は横浜基地の7個戦術機甲大隊、横須賀基地の6個戦術機甲大隊から選抜の13個小隊。
プラス・・・『魔女殿』子飼いの小隊、併せて14個小隊が参加した。 結果は・・・なんとまあ、訓練生で組まれた魔女殿の小隊が、勝ってしまったらしいな」

「・・・横浜基地の部隊はともかく、横須賀基地の部隊は歴戦部隊揃いでしたが? 横須賀の周中佐(周蘇紅国連軍中佐/統一中華戦線中校)も、魔が差しましたか?」

皆の感想を代弁するのは、先任戦術機甲部隊指揮官の荒蒔芳次中佐。 事実、横須賀基地駐留国連軍部隊は、統一中華戦線や亡命韓国軍部隊、ガルーダスから選り抜きが参加している。
荒蒔中佐以外でも、そう思う者が多かったようだ。 横須賀の部隊指揮官達は、日本軍との共同作戦を戦った者が多い。 その実力は把握している。

「・・・まかり間違っても、よしんばそのヒヨコ達に天賦の才が有ったとしても。 実機搭乗時間100時間に達していない連中です。 いくらなんでも・・・」

「有り得ない、かな? 佐野君? しかし、事実だよ」

第155戦術機甲大隊長の佐野少佐の呟く声に、元長中佐ははっきりと言いきった。

「陸軍からも、第1開発局の者が視察に参加した。 事実だ」

皆が呻く。 大隊指揮官や中隊指揮官ほどではないにせよ、小隊長の古参で4年は搭乗経験が有り、実戦経験がある。 実機搭乗時間は1000時間前後に達する。
少し考えてみればいい。 いくら天賦の才能が有ったとしても、自動車の教習所通いの者と、4年から5年、仕事で車を運転し続けているプロのドライバーと、その腕の比較を。

―――戦術機の操縦は、車の運転などよりも余程、繊細な上に困難で、より専門性を問われる『高等技術』なのだ。

「・・・その新概念OS、詳細は・・・?」

「まあ、見た方が早かろう。 おい」

「はっ」

周防少佐の問いに、元長中佐は記録映像を映し出すよう、部下の中尉に言った。 スクリーンに映し出される演習時の映像。 暫くして声が出なくなる、並み居る指揮官達。
やがて記録映像が終わった。 ある者は信じられない光景を目にして絶句する。 ある者は何かを考え込むように。 またある者は・・・

「主任参謀、詳細なブリーフは、その中に?」

周防少佐が元長中佐に聞いた。 無言で頷く元長中佐から、ブリーフを受けとり、中に目を走らせる。

「・・・成程」

「判ったかい?」

「ええ・・・判りました。 少なくとも現時点では、帝国軍では採用できない事も」

周防少佐がブリーフを僚友達に回す。 群がって貪る様に読み始める指揮官達。 そして・・・

「確かにな。 ダメだわ、これは・・・」

「上が首を縦に振らないでしょ?」

「生殺与奪権を、横浜に握られろと?」

その後、大尉達にも回し読みされ、上官連中と同じ結論に達した。

「キャンセル、先行入力、コンボ・・・まあ、アイデアは良いでしょうけどね・・・」

「新米連中には、安心感を与えるでしょうが・・・」

そう言うのは、周防少佐の大隊の先任中隊長の最上大尉、長門少佐の大隊の先任中隊長の古郷大尉。

「機体硬直時間も、大幅に低減されている。 確かに良くできたOSだ・・・ワンオフとしては」

荒蒔中佐の言葉が、全てだった。

「この付属資料の2-3、技研の審査部機体に、同じOSを搭載しての試験・・・動きが『より改悪された』、これが全てだな」

「多分、『OSの情報量処理に、CPUの性能が追従出来なかった為』、この報告書の通りでしょうね」

長門少佐の言葉に、154戦術機甲大隊の間宮少佐が同調する。 報告書では、CPUの処理速度が余程向上しない限り、現行機体への搭載は考慮を有する、とある。
そして皆が、報告書の欄画に記された一文・・・試験担当者の私見と言うか、愚痴と言うか、その一文を読んで苦笑する。

『―――第4計画の副産物! そんな曖昧なものに頼って、国防を担えるか!』

「そうだ。 魔女殿の子飼い小隊の機体は『吹雪』だった。 訓練機だが、OS他の内装ハードとソフトは、帝国軍採用の物とは全くの別物だった」

なら、そのCPUからして、横浜は帝国に供出するのか? データも込みで?―――しないだろう。 取引の手駒として使うに決まっている。

「完全ブラックボックス化されたコアで、国防の中核である戦術機開発をする馬鹿は居ない・・・残念ながら、この新概念OSは横浜以外、使用しないだろう」

いくら現場が望んでも、より大局で(そう信じている)国家戦略全体を見据える上層部は、許可しないだろう。 日本以外の国家も同様と言えた。

その後は採用の目は無いものの、その新概念OSの検討会になった。 軍と言えど官僚組織、一度命じられた事は形式でも完了させねばならない。

「・・・キャンセルは良いとして、先行入力とコンボ、これは不要かな・・・」

「便利そうですが? 特に新米たちにとっては」

「場合によっては、二度手間、三度手間になる。 先行入力をして、状況変化でキャンセル、また操作入力・・・戦場での状況変化は、1秒先も保証されない」

それを補うには、1にも2にも経験の蓄積だ。 それしかない―――が、周防少佐の持論でもあった。

「ま、その経験を積む為に、それまで生き残る為に、って限定すれば有用かもしれないな」

「周防の論は、極論な気もするが、正解でもあるが・・・長門の言う通り、新人たちに限っては、有用だろう。 要はソースの振り分けが出来れば、より良いのだろうな」

先任指揮官の荒蒔中佐が纏めた。 要は訓練校でたての新米には有用。 ある程度の経験を積んだ者には、機能を選択できる仕組みが有れば宜しい。
事実、歴戦の大隊指揮官連中の様に、実機搭乗時間が1800時間から2000時間超、荒蒔中佐の様な3000時間超の超ベテラン衛士達は、キャンセル機能しか使用しないだろう。
彼らには、長年の実戦経験によって築き上げられた『戦場の感覚リズム』が確かにある。 第六感とか、そんなものかもしれない。
この新概念OSの『コンボ』も『先行入力』も、彼らは使わない。 ギリギリまで感覚を研ぎ澄ませ、瞬時に決定と操作を行うからだ。 その道のベテランも同じだ。

「では、検討所見は・・・『新人衛士に対しては、有用を認める』で宜しいか?」

元長中佐の締めの言葉に、その場の全員が頷いた。





[20952] 其の間 2話
Name: samiurai◆b1983cf3 ID:0ffa22e1
Date: 2015/09/07 20:58
『ロジスティック』とは何か? それは『必要な時と場所に、必要は人と物とサービスを配分する』ことの全般である。

ロジスティックと言う言葉を軍事の文面で史書に言及したのは、ナポレオン・ボナパルトの幕僚、アントワーヌ=アンリ・ジョミニ将軍である。
(余談ながらこの人物、ナポレオンのロシア遠征に参加後、ロシア帝国陸軍に移籍して、ロシア帝国陸軍中将の階級と、侍従武官の職を得ることになった人物だ)
彼の著書の『兵術概論』の邦訳では、ロジスティックを『戦務』と訳した。 戦術や命令作成など軍に関する広範囲の業務を包括する概念だ。

また、アルフレッド・マハンの『海軍戦略』の邦訳では、ロジスティックを『兵站』と訳している。 ここでの兵站とは、今日では『交通線』と訳される。
『交通線』の語は戦略に係わる地理的な影響を分析する過程で、戦略価値を決める戦略線(作戦線、退却線、交通線)の中で語られていた。
この内、『交通線』とは兵站補給に用いられる線であり、最も重要であると、マハンは述べている。

日本帝国国防省の国防研究所では、『戦争を遂行する為に必要な人的戦闘力と、物理戦闘力を造成・維持・発展させ、もって戦争手段を提供する軍事活動』と定義する。
これは具体的には『補給・整備・輸送・建設・衛生・人事、及び行政管理』を意味する。 この中で『補給・整備・輸送・行政管理』を包括して『兵站補給』の意とする。
この中で『行政管理』では、生産(官民問わず)への計画・管理、原材料や仕入れ商品の調達物流(川上物流)および半製品や商品の組織移動である組織内物流を加えたもので構成される。

様は大概念であり、難しい代物だ。

この中で『兵站補給』に絞れば、少しは把握しやすい。 軍での兵站―――『必要な時に、必要な物資を、必要とされる場所に供給する』だ。
軍はそのために、数多くの機構・組織を整備している。 例えば日本帝国陸軍では、兵站補給に関しては予想以上に複雑精緻な組織を構築している。

まず、工場(生産現場)で生産された物が、そのままトラックや鉄道で戦場に直送される事は無い。 その間に幾つもの集積と移動と分配が行われる。
大きな流れとして、生産現場⇒兵站基地⇒集積基地⇒集積主地⇒兵站主地⇒兵站地⇒兵站末地となる。 また島国日本では外戦補給には、これに海運基地⇒海運主地が加わる。

例えば師団司令部で作戦が立案される。 その際に作戦目的に従い動員される部隊が決定されるが、これにより『3つの量』が決定する。 動員兵力、距離、期間、である。
何会戦分の軍需品が必要か? 師団内の手持ちと不足分は? 後方の補給廠との連絡が密に取られ、所定の物資を輸送する手段について検討される。
輸送車両や鉄道に、何を、どの様に梱包して、どれだけ積載するのか。 そして単に物資を積み込み運ぶだけでは無いのだ。

輸送を担当するのは、師団の輸送部隊(連隊)などだが、それに対し師団司令部より輸送命令が下され、それに則った輸送計画が立案される。
計画立案の為には、輸送路の偵察も行われる。 道路・鉄道・水運、どれだけの輸送が可能かを把握する必要がある。 更に野戦貨物廠や兵站主地の設定も必要だ。
そしてようやく輸送となる。 そしてこれにも従うべき計画が有る。 戦闘部隊の前進に従い、時に戦闘部隊より前進し、兵站拠点の構築と物資の集積を行わねばならない。

一端的な理解と異なり、兵站補給業務の主役は輸送では無く計画である。 その意味では輸送部隊で無く、軍や師団の経理部(主計部)こそが兵站補給の花形役者なのだ。
無論、兵站補給に置いて直接輸送の重要性に変わりはない。 しかしそれも、全ては『兵站作戦計画』に基づく。 やはり経理部の中心的役割は変わらない。
兵站を管理するための方法に科学的管理や数理的方法が導入され、オペレーションズ・リサーチといった応用数学が用いられる。

ロジスティックとは『計算術』でもある。

いずれにせよ、師団レベルでさえ、これ程の複雑な補給輸送作戦が実施される。 しかもそれは『兵站末地』から先、前線地域までの話なのだ。
なので『兵站戦』の成否はそれ以前、『兵站地』までの間に決定すると言って過言では無い。 と言うより、そこに至るまでに破たんすれば、その軍は敗北必至だ。








2001年12月13日 1025 日本帝国 福島・新潟県境 陸軍第5鉄道連隊


「・・・とは言え、俺達は只の、鉄道連隊の下士官兵だしな」

「はあ、そうっすね・・・」

関東にある生産現場・兵站基地、集積基地を発し、北関東の集積主地・宇都宮から、兵站主地の福島県郡山市、兵站地の新潟県阿賀町まで、鉄道輸送で大量の軍需物資が輸送中であった。
この他に前橋(集積主地)から湯沢(兵站主地)、魚沼(兵站地)のルートに、高崎(集積主地)から長野(兵站主地)、妙高(兵站地)のルートも有る。
他に仙台を発し、山形(集積主地)、米沢(兵站主地)、小国(兵站地)のルートがあり、地上部隊への兵站補給はこの4兵站線路が主要補給線となる。

いずれも新潟を北・東・南から攻めるに使われる。

他に海上輸送の『海運基地』と、集積地の『海運主地』は、太平洋岸の工業地域(京葉、阪堺、中部)から北回り(大湊・秋田)、南回り(琵琶湖運河を通り敦賀・金沢)がある。
この他に国連軍(国連太平洋軍、米軍、ガルーダス連合軍)の受け入れと、米軍以外への兵站補給作戦も並行して行われている。
沖縄・南九州・近畿南部・伊勢湾一帯、仙台以北の東北日本海側諸港湾が、ごった返すかのように、軍需物資の荷揚げと集積、そして分配と輸送に追われていた。

何せ『佐渡島奪回作戦』―――『甲21号作戦』の策定が開始されたのは、実は『甲22号作戦』、横浜ハイヴ攻略戦の前、1999年3月からだ。
そして2年6カ月をかけて策定作業を重ね、2001年9月に裁定許可が下りた。 そこから後に『オーバーロードを上回る』(米軍兵站将校談)兵站作戦が展開された。

何しろ上陸第1派だけで、『エコー』上陸部隊が海軍聯合陸戦隊2個師団と同4個独立大隊。 『ウィスキー』上陸部隊が米海兵隊2個師団(日米とも陸軍4個師団相当)である。
この後の上陸第2派が『エコー』上陸部隊が7個師団、『ウィスキー』上陸部隊が4個師団。 最後の上陸第3派は『エコー』上陸部隊が8個師団の、『ウィスキー』上陸部隊が4個師団。
他に戦略予備6個師団、総数で33個師団に達する。 
上陸第1派だけで兵員約7万人。 全体で兵員約60万人。 軌道降下兵団は国連軍・日本軍を合わせ8個軌道降下大隊。 支援部隊を含めた参加人員総数は200万人を超過する。

内訳は日本帝国陸軍19個師団、海軍聯合陸戦隊2個師団、米陸軍4個師団、米海兵隊2個師団、統一中華連合軍1個師団、亡命韓国軍1個師団、ガルーダス軍4個師団。
国連太平洋方面軍は、横須賀基地から1個師団相当が。 横浜基地から『特殊任務部隊』が1個部隊(増強中隊規模『A-01』、『A-02』)参加する。

他に日本帝国海軍参加艦艇が82隻(第1、第2艦隊)、アメリカ第7艦隊が50隻、ガルーダス遠征艦隊が18隻、ANZAC遠征艦隊16隻の、合計166隻の戦闘艦艇。
これに兵站補給の補給艦や各種支援艦艇、非武装の輸送船などに至れば、その数は3000隻を優に超す。

『甲21号作戦』―――日本帝国軍秘匿名称『決号作戦』 その中で背骨とも言える兵站補給作戦『決5号作戦』は、既に開始されていた。
『決号作戦』は事前制圧砲撃『決1号作戦』、強襲上陸『決2号作戦』、軌道降下『決3号作戦』、ハイヴ突入『決4号作戦』、そして兵站補給『決5号作戦』から成る。

『―――日本海は、艦艇7、海洋3であった』(当時の海上護衛総隊士官の回想録より)



「―――そんな巨大な歯車のひとつなのさ、俺達もな。 けど仕事を疎かにするなよ? 歯車ひとつの狂いが、全体を狂わせるってもんだ」

「はい。 第5鉄道連隊の名誉にかけても!」

「ま、そこまで肩ひじ張るこたぁ、ねぇよ・・・」

第5鉄道連隊(通称号:森5804)は前大戦中の1944年(昭和19年)3月、第1鉄道連隊を母体に、千葉県で編成された。 タイ進駐後、泰緬鉄道を建設した連隊だ。
前大戦終結後は一端解隊された。 20個鉄道連隊中、13個鉄道連隊が解隊された。 しかしBETA大戦後の大陸派兵と同時に復活し、兵站補給の任務をこなし続けた。

大陸撤退後、BETAの本土侵攻後は、関東と東北との間の鉄道網復旧作業に従事。 僚隊の第7、第13、第18鉄道連隊と共に、主に関東~東北の鉄道網復旧と保守・警備も行う。
従来の鉄道連隊は、戦地における鉄道の建設・修理・運転や敵の鉄道の破壊に従事する部隊だった。 現在は国鉄との綿密な連携の元、国内鉄道網の復旧も主任務となっている。

「しかしまあ・・・この辺はまだ、荒れたままだなぁ・・・」

下士官が外を見乍らぼやいた。 荒れた土地は土壌が幹だしの禿山が多かった。 本来の緑豊かな日本の山河は、見回しても見当たらない。

「植林も、なかなか進んでいない様ですね・・・」

上官の声に、部下の鉄道兵(まだ10代半ばを過ぎた所)―――も、沈んだ声で言う。 幼少の頃、田舎で育った彼にとって、日本の山河は緑に覆われた豊かな山、それが当然だった。

「まぁな。 98年から99年にかけて、盛大に重金属汚染が進んだしな・・・」

主に対光線属種BETAへの対抗策、AL砲弾が撒き散らす重金属雲。 それが土壌を汚染し、植生を壊滅させた。 一説にはBETAの浸食以上に、AL弾の被害の方が大きいとも。
一概に、BETAの進行上の地域は、重金属汚染の度合いが激しい。 日本国内では北九州と新潟が最も激しく、次いで九州中部と中国地方、東北の日本海側と北陸地方だ。

ガタン、ガタン―――振動の音が響く。 無言で列車の外の風景を眺めていた2人だが、特に何も言う事が無くなったのだ。
山間部を抜けて小さな盆地に。 そこを抜けて又山間部へ。 日本国内の兵站補給の難しさは、実はこの国内地形も左右されている。

キキー! 急に列車がブレーキを掛けた。 次第に速度が遅くなり、そして完全に停車する。 まだ兵站地の鉄道駅にほど遠い、山間部のど真ん中だ。

「な、何かあったんでしょうか!?」

少年鉄道兵が、慌てて立てかけてあったカービン銃を手に取る。 鉄道連隊や他の輸送部隊には、短銃身のカービン銃が配備されている。
そんな部下の少年兵を他所に、下士官は近くの通信装置―――車内通話電話だが―――で、指揮車両に確認を取っていた。 そして渋い顔をする。

「暫く、ここで停車だ。 阿賀の兵站地で、第1大隊の管理列車と第7連隊の管理列車が、上り下りでニアミスだそうだ」

「はあ・・・秒単位の運航スケジュールですしね・・・」

元々、日本の鉄道運行スケジュールは、世界の常識では考えられない程、精密で緻密な運航スケジュールを行っていた。 そしてそれが可能だった。
そこへ今回の大兵站作戦の実行である。 日本国内の鉄道網は、ほぼ全国で秒単位の過密運航スケジュールをこなし続けている―――世界中の鉄道・輸送関係者が腰を抜かす程の。

「ま、何とかなるさ。 何とかするさ。 俺達は日本帝国陸軍の鉄道連隊だ」

「そうですね」

「そうさ、だから・・・今のうちに仮眠取るぞ」

「はい!」

実は彼ら、25時間の連続シフト中だった。

そして鉄道だけでなく、自動車道、海上輸送、一部空輸輸送も含め、日本帝国内での『甲21号作戦』は既に開始されていたのであった。









2001年12月13日 1105 日本帝国 帝都・東京 某企業本社ビル


「周防さん、この定数だけは、何とか確保したいのだ」

「しかしですな、閣下。 弊社も大量産体制に入ったばかり。 半年後ならばいざ知らず、2か月でこの定数は・・・生産設備の過剰稼働で、必ず事故になりますぞ?」

「そこを曲げて! 何とかなりませんかな!?」

帝国陸軍糧秣本廠の北関東分廠長である陸軍少将と、糧食生産の定数交渉に及んでいた周防直史氏は、内心でげっそりとため息をついた。
彼の会社は食料品加工を主業務のひとつとする。 海上プラットホームでの合成食糧生産も手掛け、国内の食糧生産大手のひとつだ。 
今ではその会社の取締役常務・・・技術屋が、いつの間にか経営の矢面に立たされた訳だ。 そして軍隊相手の交渉は、いつの世も『無理と無茶を実現する』事に等しい。

「何度も申す様に、弊社の生産ラインは大量産体制に移行したばかりです。 半年後ならばいざ知らず、いきなりこの数は・・・4か月後ならば、この8割までは」

「では、2か月後では!?」

ふむ、少し譲歩して来たな―――周防氏は内心でそう思った。 実は同業他社とも情報をやり取りしている。 軍の要求概算額も把握している。
最初に吹っかけて来る事は、目に見えていた。 そこからどうやって交渉をして、現実的な落し所に持っていくかだ。 

「2か月後では・・・まあ、4割でしょうな」

「6割でお願いしたい」

「無理ですな。 無理を重ねて5割です」

「5割5分で! 何とか! 周防さん、頼みます!」

「・・・5割5分、それなら辛うじて・・・」

実は6割5分まで可能なのだが。 そこは絶対に口にしない。 その数字は生産現場の安全管理を、かなり無視して可能な数字だからだ。
北関東糧秣分廠長の陸軍少将が、本社ビルをホッとした表情で出て聞くのを見送った後、周防直史氏は自分のオフィスに戻った。

「常務、午後の御予定です」

自分付の女性秘書が差し出したスケジュールに目を通し(最近は細かい文字は、老眼鏡が必要になった)、了解する。 経営会議の後、日経連の会合に、業界団体主催の懇親会。

「その前に・・・生産管理本部長を呼んでくれるかね?」

「畏まりました。 ご昼食後で宜しいでしょうか?」

「うん、それで良いよ」

そして、秘書が珍しく何か言いたそうな、聞きたそうな表情なのに気が付いた。

「・・・生産計画の事かね?」

「はい。 その前に、軍の兵站補給作戦ですが・・・」

何しろ、陸軍造兵廠(7か所)、陸軍需品本廠、陸軍糧秣本廠、陸軍衛生材料本廠、陸軍燃料本廠などの在庫を、空っぽにする勢いで兵站作戦が進んでいる。
その補充に、国内各業界の生産企業に対して、大規模で短期間の発注が『1998年の台風のような勢いで』舞い込んでいるのだ。

「息子からチラッと聞いただけだがね・・・1999年を上回る勢いの様だね」

周防氏の息子は帝国陸軍少佐の戦術機乗りで、第15師団の戦術機甲大隊長を務めている。 今回の作戦に参加予定の師団だった。

「・・・横浜ハイヴ攻略戦を上回る・・・?」

秘書も絶句している。 実は彼女、陸軍予備役中尉である。 甲22号作戦にも従軍した経歴の持ち主で、師団の輸送部隊の小隊長をしていた。
その時の戦傷が元で予備役に回り、周防氏の会社に入社したのだった―――当時は第18師団で、入社は実は周防氏の息子の嫁―――義理の娘の紹介だった。

「らしいねぇ・・・ここで踏ん張らないと、帝国も後が無い。 そう言う事だね・・・さて、我々も『銃後の戦い』と行こうかね」

「はい、常務」









2001年12月13日 1500 日本帝国 千葉県松戸市 松戸基地・第15師団


「この前のクーデター鎮圧で、最終的に5機を失っています。 衛士は負傷欠員2名。 機体の補充は完了しました。 衛士の充員は本日までに2名が着任を完了」

大隊副官の来生しのぶ大尉から報告を受け、各書類に目を通していた周防直衛少佐が、少しだけ渋い顔をして押し黙っていた。
損失分の機体の補充は受けた。 病院送りになった部下の代わりの補充も優先的に受ける事が出来た。 大隊戦力はほぼ回復している。

「・・・師団経理部より、戦術機甲大隊向けの軍需品補給リストですが・・・」

来生大尉の口調も歯切れが悪い。 周防少佐の不機嫌の元が『それ』であると、分かっているからだが・・・

「経理課員の松任谷さん(松任谷佳奈美大尉)の話ですと・・・どうしても、その・・・補給計画上・・・」

「・・・経理部長の所へ行く」

書類を来生大尉に戻した周防少佐が、大隊長室を足早に出てゆく。 慌てて上官の後を追う来生大尉。 長身の周防少佐が大股に歩く速度は、来生大尉も小走りになる。

「大隊長! 少佐! お待ちください! ここで経理部長と喧嘩なさっても・・・!」

すれ違う者達が、何事かと振り返る。 そして周防少佐の形相に粗方の察しを付け、首を竦めた後で、美貌の大隊副官の慌てる様を、目の眼福と眺める不届き者達。
ロシア系の血が1/4入った来生大尉は、日本人離れした容姿の美女だ。 普段は『大人の女性』の出来る余裕を醸し出す美人副官の、慌てる姿もなかなか・・・と言う事か。

やがて師団経理部室のドアを開けて入ると、そのまま何も言わずにズカズカと進み、経理部長室のドアを、それでも最低限の礼儀を守って(相手は中佐だ)ノックして入室した。

「・・・周防君、君もか・・・」

そこには、うんざりした表情の師団経理部長・渡辺中佐と、他数名の上級将校が居た。

「周防君、捻じ込みが遅いぞ」

第151機甲大隊長・森永忠彦中佐が、戦車将校らしい精悍な表情を歪ませて言う。

「順番は、最後だからな」

第151機動歩兵大隊長・奥瀬 航中佐が、やや顔を紅潮させてそう言う。 かなり頭に来ている様だ。

「TSF(戦術機甲部隊)のボスなら、さっき喧嘩別れして出て行ったぞ」

第151自走砲大隊長・大野大輔中佐が、既に戦術機甲部隊の最先任指揮官・荒蒔芳次中佐の交渉が不発に終わったことを告げた。

「・・・今朝は軍医部の女王様(芝本佳代子軍医中佐)と、施設工兵大隊の親方(草場信一郎少佐)と、やり合ったばかりなのだがな・・・」

経理部長の渡辺中佐が、げんなりした表情でぼやく。 どうやら戦闘部隊だけでなく、軍医部や施設部からも捻じ込みが有った様だ。
これら、師団の基幹幹部たちが経理部長へ捻じ込んでいる訳は、ほぼ一致している。 年末の『大作戦』、それに向けての補充計画と、その結果の各部隊への補給量だった。

「渡辺さん、なあ、アンタ。 いくらなんでも弾薬の補給が0.3会戦分(20基数×0.3=6基数、1カ月弱の戦闘分)は、心許ないぞ?」

第151機甲大隊長・森永忠彦中佐が、不安顔で経理部長に談判する。 彼も満州への大陸派遣以降、対BETA機甲戦を戦い抜いてきた歴戦の機甲部隊指揮官だ。

「1会戦分とは言わない。 しかしせめて、0.5会戦分(20基数×0.5=10基数、1か月半の戦闘分)は確保したい」

第151機動歩兵大隊長・奥瀬 航中佐も、補給弾薬の少なさを懸念する。 こちらも機動歩兵の身で、対BETA戦闘を戦い、生き抜いてきた強者の戦術指揮官だ。

「特に地中侵攻が有った場合など、予定の兵站末地から補充を受ける事が出来なくなる事も、ままある。 AH戦ではないのだ、対BETA戦を考慮すれば、過去の戦歴からも・・・」

第151自走砲大隊長・大野大輔中佐は、過去の対BETA戦闘での砲兵部隊の苦労を良く知る指揮官として、兵站末地の壊滅の可能性を示唆する。

「TSFとしても、今回の戦場では広範囲の補給コンテナ投下展開は期待できません。 少なくとも3箇所、出来れば4箇所に分散した0.5会戦分の兵站末地を確保したいです」

最後に、第151戦術機甲大隊長の周防直衛少佐が、流石に中佐相手に少しは遠慮しつつ、希望を出す。 対BETA戦闘の先鋒となるTSFでは、ばらけたコンテナを探すのも苦労だ。

そして各戦術指揮官達が主張する弾薬補給数も、一理ある。 現代の師団戦闘では、最低でも1日3000から3500トンの弾薬消費は必要だ。
これが20基数、1会戦分だと、仮に3000トンとして×90日=270,000 およそ27万トン、余裕を見た場合で30万トンが必要となる。
但しこれはAH戦での数値。 対BETA戦となると、ほぼ1.5倍の1会戦=30基数が必要となる、そう言うデータ数値が存在する。
周防少佐や他の戦術指揮官達が要求する0.5会戦分=10基数は、だから対BETA戦に於いては1か月分の戦闘を担うだけの弾薬量だ。

「強襲上陸作戦です。 輸送船ごと沈められる物資、BETAに破壊される物資、その辺を考慮すれば0.3会戦(6基数、対BETA戦での18日分)は心許ないです」

「3箇所への分散配置として、1箇所あたり0.1会戦(2基数、対BETA戦の6日分)だ。 全ての兵站末地が無事で済む保証は全く無い」

「広大な大陸で、かなりの安全率を見込めた兵站地や兵站末地じゃないんだ。 佐渡島は狭い、上陸全部隊の兵站揚陸さえ心許ない状況だ」

周防少佐、大野中佐、奥瀬中佐が口々に言う。 彼らにしても、指揮下の大隊、その部下達への責任を持っている。 補給不足で吶喊を命じる馬鹿に、大隊長職は務まらない。
そんな戦術指揮官達の『抗議』に、補給計画の責任者である師団補給部長の渡辺中佐は、苦り切った表情で言った。

「今回の参加兵力、我が軍だけで19個師団。 他に米軍が陸軍と海兵隊で6個師団、ガルーダスが4個師団と統一中華と亡命韓国がそれぞれ1個師団の、都合6個師団。
他に国連太平洋方面軍が1個師団相当に、オービット・ダイバーズが7個大隊、独立機動突入大隊が4個大隊だ・・・」

これだけの大兵力で行う作戦は、数年ぶりである。

「アメリカは兵站には問題ない。 連中、小は避妊サック(極薄のビニール製品・・・)から、大は戦艦の主砲弾まで、全て自国で兵站補給を成し遂げるからな。 問題はその他の連中だ」

元より、ガルーダス、統一中華戦線は、自国・自勢力範囲への防衛線等で精一杯の兵站能力しか有さない。 亡命韓国はANZAC(豪新連合)へ委託している始末だ。
そのANZACにしてからが、大した渡洋侵攻能力を有さない。 今回、陸上兵力を『居候』の亡命韓国軍に限定して、自国の地上戦力を派遣していないのも、その兵站能力からだ。

「国連軍にしても、兵站補給は基本的に『所在地国の委託負担』が原則だ。 国連軍自身が兵站組織を持っている訳じゃないからな」

「・・・つまり。 ANZAC、統一中華、亡命韓国に国連太平洋方面軍。 これら約10個師団分の兵站負担も、我が帝国が担う、と・・・?」

大野中佐の呻きに、補給部長の渡辺中佐がげんなりした表情で頷いた。

「そうだよ、大野さん。 援軍は嬉しいが、せめてオシメを自分で取り換えられるようにして欲しかった・・・と言うのが、兵站部署の素直な感想だな。
お蔭で7か所ある陸軍造兵廠や、陸軍需品本廠、陸軍糧秣本廠、陸軍衛生材料本廠、陸軍燃料本廠などの在庫を一斉処分大セールだ」

海軍はまだ、少しは余裕が有る。 しかし陸軍は自国参加兵力の50%に達する『援軍』の空腹の面倒も見る羽目となり、全備蓄の50%近くを放出する羽目に陥っている。
弾薬だけでは無い。 砲身加熱で砲身交換も必要になるし、各部の修理部品も大量に必要となる。 30個師団相当分の食糧や医薬品、その輸送手段・・・

「作戦開始までに、0.4会戦分(8基数=対BETA戦24日分)は揃う。 それは約束する。 が、それ以上は師団レベルの判断では無理だ。 軍団・・・いや、軍の補給計画だ」

流石に師団の判断レベルを上回る決定を、無理に押し通す事は不可能だ。 各戦術指揮官達も感情は別として、理性ではそれは理解できるし、理解しなければならない立場だ。
その条件で納得するしかない。 そしてその前提で、師団より与えられた作戦行動の立案を早急に作成し、部下に周知徹底し、残されたわずかな時間でシミュレート訓練を行う。

早速、戦術機甲部隊の周防少佐と、機甲部隊の森永中佐が飛び出していった。 機動歩兵の奥瀬中佐と、自走砲の大野中佐は、その後も少しだけ打ち合わせをする。
この辺、帝国陸銀の各兵種の特徴が出ているのかもしれない。 『命令が達せられる最中、戦術機甲と機甲は、最後まで聞かずに飛び出して出撃する』と・・・





「・・・兵站末地、3~4箇所ですか。 で、8基数・・・」

「佐渡島自体、およそ東京や大阪の半分弱の広さですからね。 甲21号目標は北の大佐渡山地ですから・・・」

経理部長との交渉未発に終わった周防少佐が、大隊長室にスゴスゴと戻ると、部下の3人の中隊長達が待ち構えていた。

「揚陸地点の南の小佐渡山地、中部の国仲平野、それぞれに設置ですかねぇ・・・余り手間はかからんと思いますが」

「ですが、混雑が予想されますね・・・ウィスキー、エコー、各上陸部隊もそれぞれ、その2か所に兵站末地を設定する事でしょうし・・・」

「第1派強襲上陸の目標は、西の真野湾に東の両津湾だろ? 第2派は小木、赤泊、多田、片野尾、水津を確保して両津と真野に進軍だぜ?」

ウィスキー、エコーの上陸第1派は、佐渡島中部の東西の両湾から国仲平野に楔を打ち込む。 その後上陸第2派が島の東部、南東部、東北部に上陸して兵站拠点を構築する。
その後、上陸第3派の上陸を持って中部・北部への進撃を開始する。 それが本作戦の骨子だ。 上陸第1派だけで攻略出来るとは、日本も国連(米軍)も思っていない。

「激戦が予想されるのは、中部の国仲平野、北部の大佐渡山地です。 よって兵站末地は国仲に2か所、小佐渡山地に1箇所。 
状況により大佐渡山地か、国仲平野西部に1箇所増設されます。 状況はCPを通じて、随時更新する予定ですので、注意してください」

大隊副官の来生大尉の発言に、3人の中隊長も了解した。 第15師団は上陸第2派別働部隊の主力のひとつとして、島の南東部の旧赤泊付近に上陸作戦を行う。
強襲上陸だ、その付近のBETA群を排除した後、兵站・支援部隊が上陸。 島の東部に兵站地を確保構築する。 因みにその前の兵站主地は新潟県の旧長岡市の寺泊港である。 
寺泊港と旧佐渡市赤泊地区の赤泊港とを結ぶ、『両泊(りょうどまり)航路』を使用する。 本州の中では佐渡島と最短距離になる。

因みに『甲21号作戦』―――『決号作戦』戦闘序列は以下の通り。
・作戦総司令官:嶋田陸軍大将(日本帝国陸軍、作戦総旗艦『千代田』座乗)
・作戦副司令官(地上作戦担当):ロブリング陸軍大将(国連軍:アメリカ陸軍、陸上作戦指揮艦『ブルー・リッジ』座乗)
・作戦副司令官(海上作戦担当):小澤海軍大将(日本帝国海軍、海上作戦旗艦『最上』座乗)

この3名の元に、陸海の各級戦力が参集する。

・ウィスキー上陸部隊
第1派:米海兵第3師団、米海兵第4師団(米海兵師団は実質、他国の2個師団規模であり、戦力的に両師団で4個師団に相当する)―――両津湾強襲上陸部隊
第2派:米陸軍第11戦術機甲師団、同第30戦術機甲師団、UN第21師団(統一中華軍)、UN第25師団(亡命韓国軍)―――両津湾上陸第2派
第3派:米陸軍第34戦術機甲師団、UN第23師団(タイ)、UN第27師団(インドネシア)、UN第122師団(ベトナム)―――両津湾上陸第3派
戦略予備:米陸軍第25戦術機甲師団、UN第123師団(英連邦軍グルカ旅団基幹)

・エコー上陸部隊
第1派:海軍聯合陸戦隊4個強襲大隊(海神)、海軍聯合陸戦第1師団、同第2師団(日本海軍聯合陸戦師団も、陸軍の2個師団相当の戦力を保有する)―――真野湾強襲上陸部隊。
第2派:第2師団、第3師団、第7師団、第19師団―――真野湾上陸第2派
第2派別働:第10師団、第14師団、第15師団―――東部海岸線:小木、赤泊、多田、片野尾、水津上陸・国仲平野進撃部隊。
第3派:第5師団、第8師団、第12師団、第13師団―――真野湾上陸第3派
第3派別働:第27師団、第30師団、第31師団、第33師団―――小木、赤泊、多田、片野尾、水津上陸・東部海岸兵站線確保部隊。
戦略予備:第37師団、第38師団、第39師団、第47師団、斯衛1個増強大隊(斯衛軍第16大隊)


エコー上陸部隊の戦闘序列は、第1派が日本帝国海軍聯合陸戦隊第2軍(2個軍団相当) 第2派は同第11軍(3個軍団)、第3派が同第12軍(4個軍団) 真野湾と東海岸を担当する。
ウィスキー上陸部隊は第1派がアメリカ太平洋海兵隊(第1、第3海兵遠征軍)、第2派が国連太平洋方面第12軍(アメリカ太平洋軍+国連軍)、第3派は国連軍第13軍(2個軍団) 両津湾担当。

それぞれ先任の中将が軍司令官となり、後任の中将が軍団長として指揮を執っている。 師団長は各国軍共に少将がなる。

これを支援する海上戦力は、作戦副司令官の小澤海軍大将が、統合艦隊司令長官に就任する。

・統合艦隊司令長官:小澤海軍大将(日本帝国海軍、作戦副司令官。 作戦旗艦『最上(最上級大型巡洋艦一番艦)』座乗、他に2番艦『三隈』)
・第1艦隊(48隻):司令長官・山口海軍中将(日本帝国海軍) 真野湾方面海上作戦指揮官
・米第7艦隊(50隻):司令長官・ヴァスカーク海軍中将(アメリカ海軍) 両津湾方面海上作戦指揮官。 海上作戦次席指揮官。
・第2艦隊(30隻):司令長官・賀来田海軍中将(日本帝国海軍) 東海岸方面海上作戦指揮官。

この他に、ガルーダス遠征艦隊18隻、ANZAC遠征艦隊16隻が付随する。 この大戦力の支援艦艇は、民間挑発の貨客船やフェリーも含め、凡そ3000隻に達する。

尚、作戦副司令官・小澤海軍大将指揮下には、臨時で国連軍太平洋方面第11軍の特務任務部隊(横浜基地『A-01、A-02』)が指揮下に置かれている。
これは当初、作戦総司令官の嶋田陸軍大将の『預かり』になる予定だった部隊だ。 が、特に『横浜』と帝国陸軍との関係悪化に伴い、帝国海軍が『身柄預かり』をした経緯がある。

上陸支援部隊は、旗艦を強襲上陸作戦指揮艦『千歳』に置いている。 同時に作戦総司令部は姉妹艦の『千代田』に総司令部を設置していた。 
『千歳』級は全長344.3m、全幅49.8m、基準排水量10万7000トン。 世界最大級の軍艦であり、戦闘艦艇である。 LCAC-1級エア・クッション型揚陸艇4隻を搭載可能。
他に戦術機30機、SH-60J 統合多用途艦載ヘリコプター8機、各種装甲車輌・輸送車輌40輌、155mm砲8門搭載。 通信・管制装備を豊富に搭載している。
『パナマックス・タンカー』改造の巨大な艦体は、尚も余裕が十二分にあり、指揮・管制司令部を設ける事が出来た。 まさに『動く洋上の上陸作戦総司令部』である。 

支援部隊はこの他に、『対馬』級上陸支援ロケット砲艦が160隻(同型艦は全部で201隻)。 タンカー基準船体を流用した、艦対地ミサイル搭載・発射専門艦。
Mk-39 mod4.ミサイル発射機×20基(1基8セル)、CIWS・ファランクス1基。 97式艦隊地誘導弾システム(95式誘導弾システムの艦載・拡大発展型)を搭載する。
オイルタンク区画が全てミサイル格納庫となっており、装弾数は桁外れに多い。 反面で速力は22ノットしか発揮できず、装甲は皆無で防衛力・防御力はほぼ無しに等しい。

戦術機揚陸艦は『大隅』級10隻、『渡島』級60隻、『天草』級90隻。 搭載機数が極端に少なかった『大隅』級を改設計した『渡島』級と、その簡易版の『天草』級が主体だ。
『渡島』級は全長340m、オイルタンク区画の戦術機格納方式を改めた結果、48機を格納する事が可能になった。 『天草』級は全長295m、こちらも30機を格納できる。
但し、あくまで『戦術機揚陸艦』である。 簡易整備は可能だが、戦術機母艦―――空母の様な総合戦術作戦は出来ない。 あくまで『運び屋』だ。
『渡島』級60隻で戦術機を2880機、『天草』級90隻で戦術機を2700機、そして『大隅』級10隻で戦術機を160機搭載している。 合計搭載数は5740機に達する。

参加する33個師団全兵力で、帝国陸軍の『甲編成』相当師団は7個師団である。 戦術機3個連隊、360機を保有する。 これだけで2520機に達する。
『乙編成』師団相当は10個師団有り、戦術機1個連隊編成で120機保有。 1200機になる。 『丙編成』師団は10個師団で、戦術機1個大隊を保有し40機。 全部で400機。
更に日本帝国陸軍第10、第15師団は『乙編成以上、甲編成以下』の6個戦術機甲大隊(2個連隊相当)を保有し、戦術機の総数は両師団とも240機、合計480機。

更に米海兵隊の2個師団は、各2個旅団編制であり、その編成内に2個戦術機甲連隊を保有する4個戦術機甲連隊編成の『重戦術機甲師団』だ。 2個師団で8個戦術機甲連隊。 
日本帝国海軍聯合陸戦師団も、米海兵隊に範を取った『重戦術機甲師団』だ。 日米の海兵隊・陸戦隊師団4個師団で、16個戦術機甲連隊を有する。 総数は1920機に達する。

これで戦術機の総数は各国軍の陸軍・海兵隊・聯合陸戦隊を合わせて、総合計6520機。 この他に軌道降下のオービット・ダイバーズ。 ハイヴ突入の機動突撃大隊など。 総数で7000機に迫る。

この数を5740機しか搭載能力の無い、160隻の戦術機揚陸艦で運ぶ事は不可能だ。 アメリカ軍は自前の戦術機揚陸艦を用意しているので、今回は省く。
結局、日本だけで7割近い4500機前後になるが、その全機とガルーダス、ANZACの各部隊の戦術機を纏めて格納した。

―――因みにこの数字は、日米海軍・・・日本海軍の大型・中型戦術機母艦(空母)10隻と、アメリカ海軍の大型攻撃空母(大型戦術機母艦)3隻の艦載戦術機は含まれていない。

この他に海上護衛総隊から第1護衛艦隊、第2護衛艦隊、補給部隊として第1艦隊専従の第1補給隊、第2艦隊専従の第2補給隊を派遣する。
総合補給艦(AOE)3隻、貨物弾薬補給艦(AKE)3隻、給兵艦(AE)6隻、給糧艦(AFS)5隻、給油艦(AO)5隻からなる補給隊は、第1、乃至、第2艦隊なら完全に補給出来る。
この他にガルーダス・ANZAC両艦隊の専従として、第3補給隊が派遣された。 米海軍は自前の補給艦隊を連れてきている。

更には民間から徴用した、各種輸送船舶が3000隻近く。 これは海運基地から海運主地への海上輸送に、ピストン輸送で従事している真っ最中だった。



「総数で8000機に近い戦術機が、あの佐渡島に殺到する訳ですからねぇ・・・交通整理、誰がやるんですかい?」

「総司令部のCP・・・は、そこまで手が回らないか。 地上軍と艦隊の間で、大まかな作戦戦区分けをして・・・あとは軍、軍団、師団間で・・・」

「それって、絶対に大混乱しますよ・・・」

八神大尉、最上大尉、遠野大尉が呆れ顔で上官を見やる・・・周防少佐は、そっぽを向いていた。 少佐もこの作戦の無茶さ加減は、判っているようだった。
佐渡島は戦場としては『とても狭い』 上陸地点の両津湾は湾口幅約12km、真野湾は湾口幅6.8kmしかない。 これでは一度に大部隊を揚陸できない。
また主戦場となる予定の国仲平野も狭い。 この平野は『島の平野部』としては広く、多くの川で潤い、水稲栽培が行われていた。
しかし乍ら北東から南西(両津湾から真野湾)の距離は10kmほどで、北西から南東(大佐渡山地から小佐渡山地)の距離は8km強しかなかった。

「1個師団の戦闘正面は3~4kmは欲しい所だよな・・・」

「誰だよ・・・大陸の大会戦と、島嶼上陸作戦を同列で考えた馬鹿は・・・」

最上大尉と八神大尉の言葉は、下級・中級戦術指揮官達の呆れと同時に、大いなる危惧を代弁していた。 狭隘な地形に大部隊は展開できない。
仮に無理に展開しても、前後左右がつかえて身動きできない遊兵ばかりが増える。 その意味では上陸作戦第1派の戦力でさえ、過大に過ぎると一部で危惧されていた。

「結局、戦力の逐次投入になるんですかね。 強襲上陸・橋頭堡確保の第1派、内陸への戦果拡張の第2派、ハイヴ突入後の地上確保の第3派・・・」

「それしか方法が無いな、お役御免の部隊は早々にお船に戻らなきゃ、立錐の余地も無い・・・狭いわ、流石に。 佐渡島はな・・・補給も頭が痛いよな・・・」

「京都防衛戦を含む京阪神防衛戦では23個師団が投入されて、帝国陸軍の総備蓄量の45%を消費しました。 甲22号目標攻略戦力が19個師団で総備蓄の48%を消費しましたね」

「それでも、開けた平野部だ、両方ともな。 小さな島の戦場じゃなかった、兵站主地も兵站地も、安全を見込んで設定できた・・・」

今回、日本帝国軍だけで19個師団。 だがその兵站補給体制は苦しい限り。 量では無く、兵站線の構築がだ。 前大戦での島嶼上陸作戦は、ここまで兵站作戦に苦労しなかった。
結局、ハイヴなのだ。 佐渡島の地表を幾ら占拠しても意味は余りない(兵站地確保の面では、そうでもないが) 主目標は地下遥か深くの『反応炉』だ。
兵站線は洋上から海岸線、そして内陸地表部。 そこからハイヴ内部へ向け、段階的に兵站末地を順に降ろしていく・・・

「補給コンテナをボカスカ撃ち込まれても、推進剤が欲しいのに、中身は36mm機関砲弾とかさ・・・京都でもあったっけなぁ・・・」

ぼやく部下達の声に、それまで黙っていた大隊長の周防少佐が口を挟んだ。

「狭いから逆に、特定地点に集中して、特定の補給コンテナを撃ち込める。 ポイントごとに種類を限定させてな・・・その上で作戦を考えるのは、骨だがな・・・」

それは、大隊長の俸給の内です―――3人の中隊長たちが声を揃え、周防少佐は苦り切った表情で押し黙ってしまった。

「コホン―――この後のスケジュールですが。 12月18日正午、基地を進発。 同日夕刻までに東京湾晴海基地より揚陸開始。 翌19日早朝出港。
20日早朝、伊勢湾から琵琶湖運河に入り、20日夕刻に敦賀湾に出ます。 21日早朝、能登半島を回り、同日昼過ぎに富山湾で待機となります」

それに先立つ12月20日、日本帝国陸軍第108、第109砲兵旅団による、超長距離制圧砲撃(『決1号作戦』)が始まる。 
砲口径381mm、砲身長50m、射程750kmの『86式超々長射程砲』12門と、砲口径508mm、砲身長66m、射程980kmの『00式超々長射程砲』12門。
この24門の『怪物』多薬室砲が3分に1発の発射速度で砲撃を開始。 1時間に240発、1日3時間を3回、23日まで繰り返す。
撃ち込まれる砲弾は4日間で、381mm砲弾が8640発。 508mm砲弾も8640発。 合計1万7280発を撃ち込む。
戦艦の艦載砲よりはるかに高い初速、射程距離を有し、砲弾自体も長く炸薬量も多い。 着弾時の破壊力は同口径の戦艦主砲の8~9倍にもなる。

そして12月24日、まず参加艦艇群からの洋上制圧砲撃が開始される。 日米で戦艦14隻、巡洋艦26隻、駆逐艦77隻、ミサイル砲艦160隻が制圧砲撃を開始。
127mm以上の砲弾4万5000発、誘導弾5万5000発を撃ち込む予定になっている。 その数は増加こそすれ、減少は無いだろう。

これは『決号作戦』の洋上制圧砲撃『決2号作戦』の開始作戦、『鉄の暴風(英:Typhoon of Steel)』作戦となる。

その後、いよいよ上陸作戦が幕を上げるのだ。



「・・・17日、各中隊最終整備点検、並びに大隊作戦要領の最終伝達とする。 明日14日は最終調整訓練。 15日正午から16日の2100まで、32時間の特別外出を許可する」

周防少佐は暗に、最後の身辺整理も済ませておけ―――そう言っていた。 必死では無いが、決死の作戦なのだ。 部隊の損害は過去最高に上るだろう。

「ま・・・飯食って酒飲んで・・・で、インチ(馴染の玄人女性)の所にしけ込むかな・・・」

「ははは・・・お前さんらしいな、八神。 ま、俺も似た様なもんだな。 地獄の前に、精々、天国を味わっておくか」

「・・・男って、本当にしょうが無い生き物ですね・・・」

そんな部下達の会話に、周防少佐はやっと苦笑いを浮かべた。 正直、内心は階級が上がるごとに重くなってゆく。

「大隊長は、どうするンすか?」

「馬鹿ですか? 八神大尉? 大隊長には、奥様とお子様がいらっしゃるんですよ?」

「いやいや! 遠野、判らないぜぇ?」

「・・・お下劣ですね」

そう言えば昔、そう、随分と昔だ。 まだ初任の少尉だった頃だ。 あの時も巨大な戦場を前に、随分と・・・初めてだったか、当時は先任少尉だった妻と。

「・・・そうだな。 3人目でも仕込むとするか・・・」

「はいっ!?」

「ほぅ・・・?」

「なっ・・・! なっ・・・!」

周防少佐は、どことなく照れ隠しのような表情を浮かべ、大隊長室を出て行った。





2001年12月13日 この日、先だってのクーデター事件の逮捕者達に対する、第1回の秘密軍法会議が開催された。 一審制、非公開、弁護人無し、上告無し。

『陸軍刑法第25条 党ヲ結ヒ、兵器ヲ執リ、反乱ヲ為シタル者ハ、左ノ区別ニ従テ処断ス
1. 首魁ハ死刑ニ処ス
2. 謀議ニ参与シ、又ハ群衆ノ指揮ヲ為シタル者ハ死刑、無期、若ハ五年以上ノ懲役、又ハ禁錮』

死亡:元陸軍少佐 久賀直人(27歳)(叛乱罪(首魁))
死亡:元陸軍大尉 沙霧尚哉(25歳)(叛乱罪(首魁))
死亡:元陸軍大尉 高殿信彦(23歳)(叛乱罪(首魁))
他:4名(叛乱罪(首魁))

第1次処断(2001年12月15日まで判決言渡)
・死刑:元陸軍中尉 駒木咲代子(22歳)(叛乱罪(首魁))
他12名に死刑判決(叛乱罪(首魁))
・無期禁錮:8名
・禁錮25年:6名
・禁錮15年:5名
・禁錮10年:3名
・禁錮5年:10名
・禁錮2年:18名

同日夜、政威大将軍による『特赦令』 軍は『軍法の厳律性を損なう』と猛反発。 判決は一時保留となる騒ぎに発展した(2002年1月5日の第2次処断で、死刑は7名に減じた)

尚、この時点で当時の東部軍管区第1軍司令官・寺倉昭二陸軍大将、東部軍管区参謀長・田中龍吉陸軍中将、本土防衛軍総司令部高級参謀・扇谷仙太郎陸軍少将は予備役編入となった。




[20952] 其の間 3話
Name: samiurai◆b1983cf3 ID:0ffa22e1
Date: 2015/10/30 21:55
2001年12月14日 1650 日本帝国・沖大東島沖5海里 戦略航空機動要塞『YG-70b』 秘匿名称『義烈』


「G元素(グレイ11)、連鎖反応88%。 ラザフォード場、正常生成中」

「重力偏差制御、出力変動制御、偏差正常値内で偏移。 ML機関制御正常」

「電力値正常、荷電粒子砲、発射スタンバイOK」

高度100m付近の海面高度を、全長150mの『飛行艇』・・・戦略航空軌道要塞がホバリング状態で『浮いて』いた。

「照準、仰角、左右角度、良好」

「―――発射」

「荷電粒子砲、発射!」

一瞬、まばゆい程に周囲が白熱化した。 次の瞬間、目標の地表がごっそり削られていた。 亜光速まで加速して荷電粒子の束を撃ち出したのだ。

「ML機関、異常なし。 正常稼働中」

「重力偏差正常値、異常なし」

「出力変動異常なし、正常に制御中」

「荷電粒子砲、異常なし。 連続発射可能」

「艦長、各部異常なし―――これで、連続10回の荷電粒子砲発射の運用試験、すべてクリアしました」

「―――うむ」

艦長を兼ねる海軍大佐が、満足そうに頷いた。 これで戦略航空機動要塞『YG-70b(義烈)』が実戦投入可能になったのだ。

戦略航空機動要塞『YG-70b』 秘匿名称『義烈』は指揮官兼艦長に海軍大佐。 戦術作戦士官(Tactical Commanding Operater:TACO)兼副長に航空宇宙軍中佐。
そして正副操縦士に陸軍少佐と海軍大尉。 正副航空機関士に海軍の機関大尉と機関中尉。 正副制御士には航空宇宙軍大尉と陸軍中尉。
荷電粒子砲・電磁投射砲砲手には陸軍大尉、他兵装管制・射撃員に航空宇宙軍中尉。 航法士は海軍中尉、正副の通信管制士に陸軍大尉と海軍中尉。

都合13名の将校達でクルーを構成している。

『艦長』の呼称は当初、『機長』と呼ばれていたが・・・『全長150mもの『航空機動要塞』を、ただの航空機扱いにするのは如何なものか?』と、各所から異議が出てきた。
また指揮官に海軍『大佐』が任じられている関係上、一介の『機長』では余りに格下の配置になりかねない。 『機長』は尉官、最高位でも少佐のポジションだ(どれ程階級が高くとも)

逆に海軍『大佐』ともなれば、艦隊では大型艦の艦長、或は戦隊の先任参謀、GFの主任参謀を務め、陸上勤務でも官衙の課長級のポジションに任じられる階級だ。
陸軍では連隊長や師団主任参謀、軍団や軍の主任参謀、官衙の課長級。 航空宇宙軍では航空団司令、艦長、航空軍先任参謀や官衙の課長級。

軍とはある意味で、娑婆よりも面子を重視する。 戦略航空機動要塞『YG-70b』、秘匿名称『義烈』の指揮官呼称が『艦長』となったのは、この様な裏が有った。


そんな『YG-70b』は霞が関での噂で、『大蔵省主計局が、全員卒倒した』と言われた、『512qubit光量子コンピューター』を10台並列(5台ずつのA/B系2重化)搭載。
国連軍横浜基地の『準同型機』、XG-70b、XG-70bⅡ、XG-70dは『第4計画』の技術的成果で、もっと少数の(噂では3名程度の)運用が可能、或は計画だと言われる。

しかしながら帝国軍の『準同型機』、YG-70bは、『512qubit光量子コンピューター』を10台並列でも指揮官、操縦士、制御士、機関士、兵装管制、砲手が最低限必要だった。
尚且つ、安全性を見込んでの2重化対策も有り、各々正副の2名ずつ。 要員の負荷を考慮して砲手、通信、航法も分化させた。 結果、クルーは指揮官を含め13名になった。

「話しでは、横浜のXG-70bⅡも出撃するとか」

「どちらかと言えば、特殊任務の主役だよ。 あちらさんは」

「我々の主任務は、地上のBETA群の掃討任務ですからね・・・」

その大火力と、光線属種のレーザー照射に耐えるラザフォード場の生成。 そしてラザフォード場を生成しつつ、荷電粒子砲を始めとする大火力を運用可能・・・
日本帝国軍は、BETA群の地上出現が最大値となるであろう、上陸第2派に合わせて戦略航空機動要塞YG-70b、『義烈』の投入を決定していた。










2001年12月15日 日本帝国 帝都・東京 某寺


「・・・もし。 周防少佐殿ですかな?」

墓参に来ていて、墓前に手を合わせていた所に、背後から呼びかけられた。 周防直衛陸軍少佐は、ゆっくりと振り向き、少し訝しげな表情をした。

「はい。 陸軍少佐、周防直衛ですが・・・失礼ですが、御坊。 小官は御坊とは、面識は無かったと記憶するのですが・・・?」

背後から呼びかけたのは、どうやらこの寺の住職の様だった。 しかし周防少佐は今まで、この寺の誰とも全く面識が無い。

「故人の言付けでしてな・・・自分の死後、もしも墓参に来る軍人が居るとすれば、周防陸軍少佐、或は、長門陸軍少佐・・・お二方のお写真を、故人から拝見しておりましてな・・・
失礼。 拙僧、この寺の住職をしておる僧にて、故人とは生前、幾度か問答致しておりましてな。 そのご縁ですわ・・・」

禅問答か・・・久賀の奴、禅宗では無かったはずだが・・・?―――周防少佐の表情から見たのか、住職が先に話した。

「あの様な騒ぎでしたからな・・・どの寺も、二の足を踏みましてな。 とは申せ、無縁仏とは如何にも不憫・・・生前のご縁もあり、この寺で供養させて頂きましてな・・・」

「左様ですか・・・ご連絡を頂き、有難うございます。 また、ご挨拶が遅れ、失礼致しました」

律儀に頭を下げる面前の青年将校に、住職の禅僧は穏やかな笑みを浮かべながら、気にする事は有りません、そう言って笑った。

それから本堂脇の一室に通された周防少佐は、お茶(時勢柄、お寺でも合成茶だった)を出され・・・1通の手紙を手渡された。

「故人の遺言でしてな・・・己の死後、周防少佐か、長門少佐か、どちらかが訪れたら、渡して欲しい、と・・・」

「・・・拝見しても?」

「宜しゅう」

昔ながらの巻紙に認められた手紙。 それに目を通して読み続ける周防少佐の表情は、感情に乏しい平静とした表情であったが、時々に歪んだ表情が垣間見えた。
陸軍少佐として、軍の中堅幹部ではあるが、未だ30歳にならない、20代後半の青年のその表情を、住職の禅僧は内心で、無理からぬ・・・と感じていた。

「・・・理想でもなく、思想でもなく、憎悪でもなく・・・まして、有益にも成り難し。 ただ時流・・・時の流れの堰を除く・・・」

「はい。 故人は、『吾有事、得し』とのみ」

「・・・『吾有事』、得し・・・」

『吾有事』―――自分の『存在』と『時間』との一体感、自分の存在と時間が一体になるという、道元禅師(正治2年(1200年)-建長5年(1253年)、鎌倉初期の禅僧)の言葉だ。

「理想でも無く、思想でも無く、名誉でも無く、憎悪でも無し・・・ただ『吾有事』・・・それだけの事と、それだけであると。 そう、お伝え下され、そう申されておられました」

「それだけの事・・・」

手紙を手に、暫く無言で文面の一言をのみ、見つめていた周防少佐が、ポツリと呟くように住職に話しかけた。

「・・・什麼生(そもさん)」

「説破(せっぱ)」

『什麼生(そもさん)』は中国・宋代の語で、問題を問いかける言葉であり、『説破(せっぱ)』とは、それに対する回答の意を示す言葉である。 日本でも中世以降、用いられてきた。

「事は時流れ、その生は終えり、名は悪しく残る。 理想で無く、思想で無く、名誉で無く、憎悪でも無し・・・能うか否か」

周防少佐の内心で狂おしいほど、渦巻いている。 親友だったあの男が、如何な流れの末に至った境地なのか。 如何な境地で、死を迎えたのか・・・

「・・・有は存在也、存在は時也。 我が話す折、話す『時』が存在する。 其は『今』也、『今』は『時』也・・・少佐殿、例えばですがの、喉が飢えて仕方がない時が有る・・・」

そんな時に飲んだ清水の冷たい美味、今となっては清水は喉を過ぎ去った。 しかしその『体験』は決して消えず、その体験は水と己が『時』として合一した事である。

「世に時流の流れ在り。 その堰、取り外す時、後の世に然るべく体験と残れり。 其は己と時の合一なり。 そこに思想も、理想も、名誉も、憎悪も存在せず。 有るがまま」




禅寺を辞した後の道すがら、周防少佐は先ほどの言葉を反芻していた。 禅問答で、完全に理解し得たかと言えば・・・未だ若さがそれを阻む。
所詮、自分は当人では無い。 恐らく理解し得ぬだろう。 が、少なくとも、親友だったあの男は、己の中に納得を見出して死んで行った・・・そう思うしかなかった。
それが一体、何だったのか・・・故郷の壊滅(久賀元少佐は、博多出身だった)、親類縁者の死、そして愛した妻の死・・・祖国の状況、部下達の不安定な熱情、国家の策謀。

20代後半の青年将校が至った境地には、同年の自分は達し得ない、そう感じていた。


すこしボーっとしながら歩いていたので、自分を待つ人影に気付いたのは、随分近づいてからだった。 その人影は女性で、軍人で、側にいて欲しくで、今居て欲しくなかった人だ。

「祥子・・・?」

「お義母様がね、子供達を見ていて下さるから・・・少し、外出していらっしゃいって」

妻の祥子―――周防祥子、軍内では旧姓を名乗り、綾森祥子陸軍少佐だった。 今は私服を着ている。 1年前、夫がアメリカ駐在の土産に買い求めたファーコートを着込んでいた。

(参ったな・・・)

内心で嘆息しつつ、どうやら自分は、私生活ではとことん、この1歳年上の姉さん女房に甘える性質なのだろう・・・そう思い苦笑する。
暫くの間、夫婦揃って歩いた。 思えばこんなにゆっくりした時間を、2人で過ごしたのは何時振りだろうか。 結婚後も戦争だった。 

「緋色がね、来春の出産予定なの」

「ん?・・・うん」

「愛姫ちゃんのところの圭吾君と、うちの直嗣って、まだ1歳なのにケンカ友達みたいなのね・・・ふふふ・・・」

「そう言えば・・・そうかな・・・?」

「祥愛はね、パパに遊んでもらうと、ご機嫌なの」

「・・・娘は嫁にやらない」

「馬鹿・・・直久君(周防少佐の甥)、弓恵ちゃん(姪)もね、直嗣と祥愛には、良いお兄ちゃんと、お姉ちゃんなのよ」

「・・・死んだ兄貴の分も、あの2人は目にかけてやらんとなぁ・・・」

暫く、妻が話を振って、夫が相槌を打つ、そんな会話が続いた。

「知っているかしら? 木伏さんと美鳳がデートを繰り返している事・・・月に1回程度らしいけれど。 横須賀と宇都宮よ、遠距離恋愛ねぇ」

「はぁっ!? 聞いてないっ!?」

時に爆弾を落とす妻。 直撃される夫。

「イギリスから手紙が届いたわ。 大西洋を渡って、北米を東から西に、更に太平洋を渡って。 翠華からよ、子供・・・娘が生まれたって」

「いっ!? 子供っ!? 娘っ!?」

「ええ。 ニコル・アンゲリカ・伶華・フォン・アルトマイエル・・・ふふ、男爵家のお姫様ね、写真も送ってきたわ。 可愛らしい女の子の赤ちゃんよ」

「ニコル・・・」

ふと、昔に戦死したフランス系の女性衛士を思い出す。 そう言えば彼女は、彼ら夫婦と縁が深かった・・・

「ねえ? あなた?」

「うん?」

妻が立ち止まり、夫の前に立って見上げるように言う(夫婦の身長差は20センチほどある)

「時は流れるの。 昔も今も、そしてこれからも・・・流れていくのよ。 私達はその中で生きているのよ?」

妻が何を言わんとしているのか、それに気づかない程、朴念仁の夫ではない・・・そう『自認』している周防直衛少佐。
彼は、しばらく驚いた表情だったが・・・やがて苦笑しつつ、妻を抱き寄せた。 そして言った。

「うん・・・うん・・・そうだな・・・」

そして時は流れるが、過ぎ去った時の経験は・・・あの事は忘れ得ぬ。 そうか、これもそうか。 納得し得ない、理解し得ない、しかし経験は自分の中で忘れ得ぬ。

「あ・・・雪・・・」

妻の声に、空を見上げれば、曇り空は何時しか粉雪が舞う空に変わっていた。

「今年の初雪か・・・2人で見たのは・・・3年ぶりかな?」

「98年以来ね・・・そう言えば、春の桜も99年以来見ていないかしら? 2人揃ってって・・・?」

「・・・来年の春は、見れるさ。 春の桜も、夏の海も・・・秋の紅葉も、そして冬の雪も・・・祥子と2人で、見て、過ごす・・・」

ふと、妻が夫の頭に手を乗せて・・・『かがんで?』と。 その通りに少しかがんだ夫の頭を、妻が優しく抱きしめた。

「そうよ・・・春の桜も、夏の海も・・・秋の紅葉も、冬の雪も・・・これからもずっと、貴方と私と、2人で・・・ううん、直嗣と祥愛も、あの子たちも・・・親子4人で・・・」

妻が夫の頭を抱き抱え、夫は妻の胸に顔を埋め、抱き付いている。 そんな姿が、人通りの無い小道にあった。










2001年12月15日 日本帝国 帝都・東京 周防海軍『中将』邸


「・・・で? 直秋、お前はそちらのお嬢さん・・・失礼、相模・・・百合絵さんでしたな? 百合絵さんの親御さんには、きちんとご挨拶したのだろうな?」

「ああ、した。 親父に報告する前に」

「ふん・・・ならば良し。 百合絵さん、甚だ馬鹿な息子だが・・・宜しくお願いします」

「は、はい。 こちらこそ、不束者ですが、宜しくお願いします」

周防直邦海軍中将・・・海軍軍令部第2部長から、今回のクーデター騒ぎの余波で、統帥軍令本部第1局第1部長に『栄転させられた』人物だ。
陸・海・航宙の、帝国軍3軍の戦略作戦全般を統帥する『日本帝国軍作戦部長』である。 本来は数年先の話だったが、死亡・負傷者が多く、また序列に拘らずの方針で就任した。
また階級も、地位に追いかける様に中将昇進が決定した。 周防提督は同期生の間では、ハンモックナンバートップ組(卒業成績は2番)だが、本来ならあと1年は先だった。

「しかし直秋・・・お前が結婚か・・・」

「何だよ? 普段から『さっさと身を固めろ』って煩かった癖に」

周防少将の長男、周防直秋陸軍大尉が、恋人を実家に連れて来て『結婚する』と言ったのは、つい30分前の事だ。 激務の合間を家で休んでいた周防少将には、驚きの一撃だった。

「いや、そうじゃない。 直衛のところも子供が生まれたし、直武(戦死した周防少佐の兄)のところの直久と弓恵も育っている。 
右近充の家は拓郎(右近充卓郎海軍中佐、右近充陸軍大将の長男)のところに子供が3人か。 京香も来春結婚だ、直衛の同期生らしいが・・・藤崎の家はどうするのか・・・」

今出た名前は、全て親戚だ。

「京香姉の相手は、伊庭少佐(伊庭慎之助陸軍少佐)だろう? 俺は直接会った事は無いけどな。 大陸も半島も、京都も甲22号も経験した人だったか。
藤崎の家って、都子姉か? あそこはなぁ・・・省吾(故・藤崎省吾海軍大尉。 周防大尉の従兄)が死んだからな・・・残ったのは姉妹3人だしなぁ。
所で親爺、深雪(周防海軍少将の長女で、周防陸軍大尉の妹)は、見合いさせたんだろう? どうだったんだ?」

「ん? おお、そうだ。 返事は年明けになる様だがな。 上手く纏まれば、来夏にでも式を挙げるぞ。 深雪は女子師範大学を中退する事になるがな・・・」

「それでも、高等女子師範(短期大相当)卒の資格は有るんだから、小学校教員資格は得られるだろう? 良いんじゃないか? 
直純(周防少将の次男で、周防大尉の弟)は、海兵を繰り上げ卒業か・・・あいつが海軍士官様ねぇ・・・? おっと、まだか」

「うむ、11月の末でな。 今は『出雲』乗組みの少尉候補生だ。 少なくとも直秋、お前より余程士官らしくなるだろうな、直純の方が」

「悪かったな。 にしても・・・へぇ・・・『出雲』ねぇ? ああ・・・そうか、直衛兄貴のところの・・・祥子姉さんの弟さんの喬君(綾森喬海軍中尉)が、『出雲』乗組みだったな」

「ん? おお、そうだったな。 あの元気な航海士か」

暫く、父と息子の会話が続く。 婚約者となった恋人は、母と末妹に捕まって・・・楽しげに談笑していた。 元を言えば、上の妹の学校の先輩で、実家とは面識が有った彼女だ。

「ま・・・やるしか無かろうよ」

何を? とは言わない。 お互いに、片や帝国軍の戦略作戦全般を統括する立場であり、片やそれを現場で実行する立場だ。 年末はもうすぐそこだ。

「だよな・・・どう? 一杯?」

「お前な、婚約者を置いて・・・まぁ、良かろう」

息子とこうして、差しで酒を飲むのは、何時振りか・・・周防中将は内心で少し照れくさい部分を認めながらも、嬉しさも感じていた。
父親に反発して、海軍兵学校受験を棒に振り、わざわざ陸軍衛士訓練校に入校した長男。 卒業後は一貫して前線の戦術機甲部隊で戦い続けている長男。

思えば自分も同じだったか。 既に他界した父―――息子にとっては祖父―――の進める帝大進学を嫌って、わざと海軍兵学校を受験した。 そして海軍士官となった。
父の希望は、兄(周防直衛少佐の父親)が叶えた。 兄は帝大から大企業へ就職し、技術者として勤め、結婚して子供をもうけ、いつしか経営層にまで出世した。

出世と言う意味では、自分もそうだろうが・・・選んだ職業は、BETAと戦う事が商売の軍人だが。 その意味では自分の2人の息子たちは、揃って親不孝者か・・・?
頑固で父に反発した長男と比べ、素直で優しい性格の次男は、父親の期待通りに海軍兵学校へと進学し、先月卒業して今は海軍少尉候補生だった。

「いずれにせよ、やるしかないな」

「でなきゃ、俺も結婚できないし」









2001年12月15日 日本帝国 帝都・東京


「圭介! お皿取って、受け皿」

「はいよ」

「味見する?」

「する」

夕食時に夫婦揃って・・・は、最近珍しい。 そこに1歳になり、よちよち歩きを始めた長男が家の中をあちこち『探索する』ので、親として目を離せない。

「こら圭吾。 そこはダメだぞ」

「圭介、圭吾の腰に巻いた紐! そこの柱に括りつけておいて」

「了解・・・噂に聞く北米のフェミニスト団体が聞いたら、卒倒しかねないだろうな」

「ここは日本です。 私だって、圭介だって、小さい頃はそうされていたでしょ? 私、そう聞いたけれど?」

「まぁな・・・ウチは圭吾1人だけだけれど、お隣は2人居て大変だろうな」

「そうでもないよ? 祥っちゃんは大人しい子だそうだし。 直嗣はやんちゃみたいだけれど?」

「まぁ、やんちゃでも、真っ直ぐ育ってくれりゃ、親として文句はないよ」

クーデター騒ぎ、そして年末の大作戦への出撃準備と。 長門夫妻も僅かな暇も惜しい位だった。 だがそこは歴戦の指揮官、人情も大切と割り切って、外出許可を出していた。
やがて夕食。 幼い息子は離乳食。 母親の膝の上で文句も言わず食べている、好き嫌いの傾向は今のところ無さそうだった。

「そう言えばね、祥子さんから聞いたけれど、翠華のところ女の子だって」

「そっか・・・ファビオって奴からも、便りが来た。 直衛が読んだか知らないけど、アイツのところは男の子だとか」

「おめでたラッシュ? 緋色も来春出産予定だし」

「そんな年代になったか、俺らも」

思えば20代後半、30歳の声もすぐそこだ。

「木伏さんと美鳳がデートしているし」

「売れ残っているのは、あとは文怜か」

「そう伝えてあげよう」

「よせ!」

他愛無い夕食時の夫婦の会話。 やがて息子が母親の膝上から、よちよちと父親のところへ歩み寄る。 抱き抱えて膝の上に乗せてやると、嬉しいのかキャッ、キャッと笑う。
昔の様に、戦いに赴くのに、内心をこじつける事はもう無い。 何の為に戦い、何を守り、何を待ち続けるのか。 既に10年弱の実戦歴を有する佐官で、そして人の親だった。

「ねえ、圭介」

「ん~?」

「来年の春にね、人事異動で教官配置に移るわ・・・戦術機、降りるから」

「そっか・・・」

夫が内心で願っていた事。 妻が夫の内心を判っていた事。

「もう私も年よねぇ・・・だんだんと、若い子達の反応に付いていけなくてさぁ・・・」

それは嘘だろう。 彼女の基礎能力は、同期生中でもかなり良い方だったから。

「27・・・来年で28歳かぁ・・・そろそろ現場から後方のポストにって、国防省からやんわりと言われていたのよねぇ・・・」

将校の人事権は、国防省人事局が握っている。 人事局としては、前線部隊の指揮官のポストもさながら、後方の支援各部署の佐官級ポストの空きが気になる。
衛士訓練校、他の軍専科学校、ROTC出身将校の戦死率の高さは周知の事実だが、実はそれ以上に深刻なのが、士官学校/兵学校出身将校の戦死率の高さだった。
陸軍・航空宇宙軍、海軍と、帝国軍3軍の正規将校(この場合、士官学校/兵学校卒業生)の割合が、今や2割前後まで落ち込んでいる。

前線部隊配属将校の場合、少佐以上、大佐以下では4割ほどだが、尉官級でだと2割にまで下がる。 陸軍では中隊長の10人に8人は、士官学校/兵学校以外の出身だ。
佐官クラスも深刻の度合いを深め始めている。 例えば陸軍は、これまで士官学校卒業生にのみ対象だった指揮幕僚課程受験資格を、ROTC、衛士訓練校卒業生にまで拡大した。
この動きは海軍、航空宇宙軍も同様で、陸軍は昨年から、海軍と航空宇宙軍は今年から、受験資格の改正を行っていた。 それ程までに『正規』将校の消耗は深刻だった。

『―――5年分の士官学校卒業生が、98年のBETA上陸と99年の横浜ハイヴ攻略戦で喪われてしまった』

国防省人事局の悲鳴であった。

「そうか・・・うん」

妻の―――伊達愛姫(旧姓)少佐の言葉に、夫の長門少佐が言葉少なげに呟いた。 せめて妻だけでも―――私人としての、切実な思いでは有った。

「お隣も、奥さんは戦術機降りているからなぁ・・・それもアリかもな・・・」

不意にその隣家から、元気な子供の泣き声が聞こえた。 お隣の男の子と女の子、双子の幼児たちだろう。 長門家の1人息子とは同じ年の、仲の良い?幼子たちだ。
父親の叱る声が聞こえる、幼い男の子の泣き声も。 多分、幼い息子が悪戯でもしたのだろう。 と思ったら、女の子の泣き声も。 双子の兄に泣かされたか?

「・・・お隣は、相変わらずの戦場だなぁ・・・」

「ウチは圭吾だけでも結構大変だけど。 お隣は直嗣ちゃんに祥愛ちゃん、2人居るしねぇ・・・」

等と言いながら食事をする。 普段と変わらない、でも最近は余り得られなかった日常。 しかし宝石に等しいほど貴重な日常。 必ず取り返す。







2001年12月15日 日本帝国 神奈川・川崎


「穴場って奴やな・・・」

「横浜はあの通りでしょ? 東京は・・・正に一極集中の様子よね。 ここは最前線に近いし、普通の人は余り来ないし。 一平を案内してなかったわ、って思い出して」

「軍人か、それとも軍属(軍で仕事をする民間人出身者)程度やろな、川崎でうろついてんのは・・・」

2人の男女が、目立たない喫茶店での逢瀬を楽しんでいた。

そこは市内の中心から、北に外れた旧宮前区の一角にある。 地名で言えば鷺沼、であろうか。 平和な時代に私鉄沿線の開発が有って、比較的高級な住宅街として知られた沿線だ。
旧横浜市青葉区との境にあって、周囲は軍の駐屯地や、軍の関係機関などが多く存在する。 横浜から12~15km程の距離で、どちらかと言うと西関東防衛線の後方支援地域だった。

「しかし・・・今時、天然ものの珈琲やなんて、とてつもない贅沢品やな・・・」

静かな一角に佇む喫茶店、そこで今までに何回も飲んだ例の無い、天然ものの珈琲豆で淹れた珈琲を飲みながら、木伏一平陸軍少佐は感嘆していた。
その様子を見乍ら、趙美鳳国連軍少佐が、少し悪戯っぽい笑みを浮かべる。 普段生真面目で優等生的な彼女にしては珍しい。

「タネを明かせばね・・・国連軍軍需物資、その中に、南米諸国の『お友達』にね、ちょっとだけ『お願い』するのよ。 うふふ・・・」

「おい・・・美鳳、堪忍してや? 物資横領で後ろ手に手錠や何て、冗談やで?」

「そんな御大層な事じゃないわ。 戦術機の機動データをね、一部だけ、同業者に『プレゼント』 するとあら不思議! 向こうから私宛に『お返し』が! って。 ふふふ・・・」

「あんなぁ・・・はぁ・・・」

最前線から離れた後方国家では、戦場での運用データは得難い。 派遣軍も早々編成できないし、国連軍への派兵枠にも限度がある。
故に、特に中南米の軍内での戦術機甲部隊は、欧州やアジア諸国の『同業者』に、該当する機体のデータを『何とかならないか?』と無心する。
当然それは、普段は機密扱いだが、同じ機種を運用する国家群へは、情報共有として普通に渡される。 が、そこは流石にラテンのお国柄か、中々、末端までは届きにくい様だった。

「コロンビア軍とブラジル軍のね、技術将校が半年前まで横須賀に派遣されていたの。 で、帰国して2カ月くらいしてからかしら? 『助けて!』って連絡が有ったのは」

情報共有の筈が、中々データベースが更新されない。 されても古いデータとか、別機種(それはそれで問題だ)の情報とか。

「共有情報規定に抵触しないレベルで、向こうに送ってあげたの。 『お礼は1件につき、1袋で良いわ』って。 そしたら律儀にね・・・で、余った分をマスターにおすそ分け」

日本では目の玉が飛び出るほどの超高級品でも、産地の中南米諸国では街中で気安く買える程度の代物だ。 価値観の相違、であろう。

「ま、それやったら文句はあらへんわな。 こうやって美味い珈琲飲めるんやし」

木伏少佐もご機嫌だった。 そんな『恋人』の表情を見て、趙少佐の表情も緩む。

そんな2人は彼らの友人、知人たちから見れば、驚きの組み合わせだ。 しかし何も知らない他の人間から見れば、おかしいとは思えない情景だった。

木伏少佐は、軍人らしからぬ程、公私ともに関西弁を愛する男だ。 軍内での『デスマス調』の話し方は、余程公式な場で無ければしない程だ。
それを除けば、やや苦み走った感じの、陰影のある『チョイ悪』な感じの容貌のハンサムである。 身長も180ほど有るし、独身で、見た目は渋いハンサムだ。
黙っていれば、これでも後方勤務の女性将兵に人気の佐官だ。 普段の言動が、まるきり『浪速のおっさん』であって、それ故に台無しにしているが・・・

趙美鳳国連軍少佐は中国本土出身の、人民解放軍が原隊の、現在は国連軍に属する少佐である。 木伏少佐同様、戦術機甲部隊指揮官で、共通の友人が多い。
と言うより、その友人たちの紹介で知り合った。 98年のBETAの日本本土上陸当時より日本に駐留していて、既に3年が経つ。 故郷はBETAの腹の中だった。
170cm程の長身、贅肉の無いスラリとしたプロポーション。 上半身の一部分は、衛士強化装備装着中は特に自己主張が激しい。 本人の性格は控えめなのだが・・・瓜実顔の美人である。

木伏少佐と知り合ってから、そして度々の合同演習で顔を合わすようになってから、彼が『演じる』姿に内心の悲鳴を聞くようになったのは、何時頃からだったろうか。
98年の京都防衛戦で、木伏少佐は当時の『恋人らしき女性』を喪っている。 同じ師団で戦術機甲部隊の中隊長をしていた女性だったそうだ。

趙少佐自身、その様な例は身近で幾らも見てきていた。 彼女の友人の韓国軍出身の女性衛士は夫と息子を喪い、故に光州の撤退戦で『必死』の任務を行い戦死した。
そんな危うさが、知り合った当時の木伏少佐に感じられた。 勿論彼の精神は、死んでしまった韓国軍女性衛士の女性より、余程図太かった。 それこそワイヤーロープ並みに。

しかしそれでも、人の精神は消耗するのだ。 趙少佐の目から見た当時の木伏少佐は、経年劣化を起こしつつ、徐々にワイヤーの細い鉄線が細切れに切れかけている、そんな感じだった。
そして普段のやや軽薄な印象と違い、実際にはその洞察や思考、そして思慮の深さなど、1個の自立した男性として、十分に魅力を感じる相手だった。
その後は、やや記憶が混乱している。 と言うより思い出したくない、恥かしいから。 上官や同僚達が目を見張るほどのアタックをかけて、陥落させたのは春が終わる頃。
最初は面食らっていた木伏少佐も、次第に思う所が有ったのか、徐々に受け入れて行って・・・この数カ月は、北関東と横須賀の間での遠距離恋愛中だった。

「年明けにね・・・帰化申請を出すわ」

「台北がよう、許したな?」

「ふふ・・・当然、散々言われたわ。 裏切者、漢奸(売国奴の意味)、日帝のスパイ、エトセトラ・・・周中佐は少し寂しそうだったわ。 文怜は何も言わなかったけれど・・・
翠華の場合もね、あの子、向こう(欧州)で結婚して、相手の籍に入ってから、西独軍に軍籍を移したの。 彼女も散々罵倒されていたわ・・・でも一平、あなたは良いの? 私で」

元中国人民解放軍出身で、現国連軍出向将校と結婚する。 当然、日本帝国国防省人事局は良い顔をしない筈だ。 今後の昇進も見送られる可能性がある。
表向きは『同盟軍』であるが、裏では互いに腹の中の探り合いは日常茶飯事。 互いに『お友達』を潜入させたりなどは、この世界では常識だから。

「まあ・・・出世の方は、諦めついとるよ。 去年から訓練校上がりにも、指揮幕僚課程受験資格与えられたけどな。 上官から『貴様、受験資格を失効するぞ』って言われたわ」

「っ! 一平、あなた・・・!」

「ええんや、美鳳。 多分、今度の作戦が最後や。 成功したらかなり盛り返せる。 失敗したらこの国は終わりや。 今更出世もクソもあらへん。
でもな、成功したら、次の鉄源(H20)攻略の目が出て来る。 そしたら今度はブラゴエスチェンスク(H19)とウランバートル(H18)に重慶(H16)や・・・」

そこまでやれば、国への義理は果たせる。 いや、佐渡島でも十分だろう。 死んでいった連中へも、何十年後かに顔向けできる・・・死んだあの女性にも・・・

「実はな、石河嶋(石河嶋重工、日本の戦術機メーカーのひとつ)から、テストパイロットの誘いが来とる・・・義理果したら、退役してそっちに移るつもりや。
民間企業やったら、嫁さんが大陸出身や、どうやこうや、問題あらへん。 人間ちゅうンは、何千年も戦争してきた。 で、その間にも何十年かの平和も有った・・・」

BETA相手に、つかの間の平和もクソも無いかもしれないが、それでも一息つけるだろう。

「それまでは、軍人やっとるよ。 すまんなぁ、直ぐや無うて・・・」

「いい・・・いいの、それでも、いいの・・・」

このまま軍に居れば、退役時には大佐くらいまで出世できただろう。 指揮幕僚課程を修了すれば、運が良ければ将官への昇進も、夢ではないかもしれなかった。
その道を捨てて自分を選んでくれた、日本陸軍の青年少佐の姿を、趙美鳳少佐はなぜか霞行く視界の中で、ずっと見続けていた。 ほほが熱く濡れている理由は、思い浮かばなかった。








2001年12月15日 日本帝国 新潟県湯沢 帝国陸軍東部管区第221観測所


「この振動波か?」

「はい。 最初は火山活動による微震の振動波か、とも思ったのですが・・・」

最初は気象庁の地震観測所、今現在は陸軍深深度振動観測所。 BETAによる地中侵攻を、事前に探知するために日本全国に設置されている観測所のひとつだ。
その中の東部管区第221観測所。 湯沢に設置され、佐渡島から関東に至るラインの深深度の地中振動波を観測する任務の場所、その1つだった。

「火山性微震と言われれば、そうとも見える。 糞BETAの活動振動波と言われれば、これまたそうとも見える・・・はっきりせんな・・・」

「場所的にも、丁度、火山帯の場所ですので・・・」

観測班長の陸軍少佐に、観測員の少尉が自信無さ気に応える。

「うん・・・佐渡島はまだ、日本海を渡るほどのフェイズじゃない筈だけどな・・・」

そうなったら最後、日本帝国の防衛ラインは中部日本で寸断されてしまう。 祖国滅亡の第一歩だ、まさに悪夢以外の何物でもない。
観測班長の少佐はしばらく考え込むように、プリントアウトされたチャートを見つめていたが、やがて決心したように一つの命令を下した。

「過去半年間の観測データを洗い出せ。 それと南魚沼、苗場、水上、吾妻、沼田、渋川の観測所にも連絡しろ。 各観測所のデータベース、洗うぞ」

「支局へ連絡せずとも?」

「要らん。 支局の先任(先任参謀)はバッタ(歩兵の蔑称)から左遷された馬鹿だ。 話しても通じない・・・万が一もあってはならないからな。 
徹底的にやるぞ。 ところでどのくらいかかると思う? 観測所7か所の、半年分のデータの洗い出し作業だ。 明日、明後日じゃすまない」

「はっ、恐らく10日ほどはかかるモノかと」

「だよな・・・10徹は厳しいから、3直でな・・・」

最後の方は、少佐の声も窄み気味だった。 新婚家庭に10日も帰れなくなることが、確定したのだから。








2001年12月16日深夜 日本帝国 帝都・東京 統帥幕僚本部


クーデター騒ぎの後始末も未だ終わっていない本庁舎で、数名の高給参謀たちが疲れた表情で集まっていた。 陸軍、海軍、航空宇宙軍・・・

「やっと・・・割り振りが調整できたか・・・」

「各国軍、国連軍・・・同盟軍とは名ばかり、実は利害獲得組だからな・・・」

「我が国もシベリアやマレー半島では、随分やった。 ソ連やガルーダスへの影響力強化の為にな」

各国の連絡将校、参謀連中との『戦闘終了後の分捕り割り振り調整』を終えたばかりの参謀連は、心底疲れた表情だ。
未だ戦闘さえ始まっていない、ましてやハイヴ攻略戦だ。 成功する保証すら少ない。 そんな中での『戦闘後の権益分捕り調整』とは・・・

「つくづく、人類ってのは・・・」

「今更言う年か? お互いに。 人類ってのは数千年来、この調子なのだからな」

「この星が誕生して以来、無数の絶滅生命体が有ったが・・・レアケースだろうな、人類と言う種は・・・絶滅すればの話だが」

自嘲の声もやや弱々しい。 彼らも判っているのだ、画餅になる可能性の方が遥かに高い事は。 それでもしないよりマシだ。

「・・・甲21号の『埋蔵金』の分配は、日本4、アメリカ2.5、国連2、ガルーダス1、オセアニア0.5・・・ふっふふ・・・いっその事、G弾で吹き飛ばした方があと腐れないか」

「それは最終オプション。 そのレアケースだ。 その場合の最後は、横浜がやるそうだが・・・佐渡島が消滅するだろうな・・・」


あと8日と数時間。 日本帝国の存亡がかかった作戦が開始される。





[20952] 佐渡島 征途 前話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:ab389913
Date: 2016/10/22 23:48
2001年12月16日 1930 日本帝国 帝都・東京


「じゃあ、行ってくる」

「行ってらっしゃい」

「祥子、暫く俺の実家か、そっちの実家に行っていろよ」

「大丈夫よ、母が泊まりに手伝いに来てくれるから。 お義母さまも様子見に来て下さるって、連絡下さったわ」

「そうか・・・じゃあ、帰って来るのは年末の頃だろうけれど」

「年越しそばでも用意しておくわね。 おせちも任せて」

「・・・良く材料が手に入ったな」

「ふふ・・・」

夫婦ともに、他に何も言わない。 夫はこれから戦場だ。 妻も軍人―――現在は療養休暇中―――だ。

「お? そちらも今からご出勤か?」

玄関を出ると、隣家の夫婦と出くわした。

「・・・『会社』が一緒だろうに、何を言っているんだか」

「はい、お久し」

「新潟から戻って、また逆戻りか。 愛姫、ご苦労様だな」

「愛姫ちゃん、お母様がいらっしゃるの、明日よね。 それまで圭吾君はウチで預かるわ」

「助かるわぁ、ありがと、祥子さん」

判っているから、何も言わない。 判っているから、普段と同じ様に出て行き、普段と同じ様に見送る。 これから向かう最終地は・・・佐渡島だった。









2001年12月17日 1330 日本帝国 帝都・東京 麹町 国家憲兵隊司令部


「明18日、各部隊の収容を開始。 その後、出航。 19日夜に各々、琵琶湖運河通過、並びに津軽海峡に入ります。 20日早朝、敦賀湾、並びに陸奥湾に錨泊。 
21日に富山湾、並びに酒田沖に錨泊。 米第7艦隊、並びに国連太平洋軍、ガルーダス軍を搭載した輸送船団との合流が22日となっております」

国連軍作戦名『甲21号作戦』―――日本軍側秘匿作戦名『決号作戦』、米軍側秘匿作戦名『鉄の暴風(Typhoon of Steel)』
全体の作戦発令自体は既に発令されている。 それに伴い、今月11日より兵站補給作戦『決5号作戦』が発令され、開始されていた。

「海路、並びに鉄道路での兵站補給充足率は90%に達しました。 道路輸送は兵站主地から兵站地へのピストン輸送が為されています。 85%で、あと3日で完了予定です」

「・・・20日の事前制圧砲撃(『決1号作戦』)に間に合うか」

部下から手渡された報告書を目にした右近充大将―――国家憲兵隊司令官代理―――は、照明の灯を押さえた執務室でボソリと呟いた。

本来ならば、国家憲兵―――刑事警察と軍事警察、そして公安警察―――の管轄外だ。 ただ、国家憲兵隊も戦場に武装憲兵隊を派遣している関係上、無関係では無い。

「・・・それと、年明けに軍法会議の第2審が始まります。 こちらを・・・」

クーデター騒ぎを起こした者達、その中でも首謀者格と見做される青年将校達、或は重要な役割を為したと判断された者達への、第2回の軍法会議が年明けに始まる。
第1回目の判決は、非情では有るが、軍刑法に照らし合わせて妥当と思われた。 軍と軍人は武力を有する。 故にその行使には厳格な制約が付いてしかるべき・・・

その報告書を読みながら、右近充大将は誰ともなく口にした。

「かの大王がマキャベリに駁論した国家論でもなければ、近代民主主義の最も重要な特徴である多元論でもない。 そもそも、見ている視線と地平線が異なるのだからな・・・」

上は元首・政府から下は市民国民に至るまで、与えられた職務を忠実にこなし続ける事。 歯車や発条の様に忠実にこなし続ける事。
そうする事で、社会と言う『時計』が幸福の時を刻み続ける・・・彼らの信奉する地平線は、その延長上だ。 だからこその『蹶起』だったのだろう。

対して『ある種の者達』の信ずる所は『天秤』なのだ。 人類の生残を天秤にかけ、全てを決定する。 どちらに傾くか、その分量は?
BETAと言う脅威に晒された、『地球』と言う名の惑星に生を受けた知的生命体として、その種の生残を何よりまず最優先とする。 その為の『天秤』

その萌芽は既に、旧ソ連・旧中国の崩壊過程で醸造されていたのかもしれない。 国家としての存続すら眼中に無いかのように思われる、『生残の為の』大量破壊兵器の国内使用。
彼らは既に『天秤』を用いねばならない状況下に、既に追い込まれていたのではなかろうか。 無論、意識しての事では無かろう。 結果論とも言えるかもしれない。
しかしその戦局の様相をして、他の最前線国家群、そして後方国家群へ与えた影響は無視できないだろう。 『時計』では有り得ない状況。 『天秤』を迫られる強迫観念。

「結局のところ、先のクーデター騒ぎ。 あれは『天秤』を無意識に怖れる事の・・・『時計』への回帰願望だったのではないのか・・・そう思えて仕方がない」

「・・・自分も、できれば『時計』が時を刻んでいた頃に帰りたい、そう思います。 人として、ですが・・・」

世界人口約10億人。 BETAとの遭遇以来、累計で一体、何十億の人類が死んでいったのか。 最早、人類の至上命題は、確かに『種の生残』であるのだろう。
だとすれば、従来の『国家』と言う枠組みは、或は人類の生残と言う命題の枷になるのかもしれない。 しかし、事はそれほど簡易にはいかないのも事実だ。

「民族、宗教、文化、歴史・・・『天秤』だけを選択するには、人類の文明、数千年の歴史は、少し重い・・・と言う事でしょうか」

「ああ、そうだな・・・それこそ人智を外れた『魔王』でもなくば、今の世界情勢を丸々飲み込んだうえで、『天秤』のみを選択する事は出来ないだろうからな」

―――だが、それを『人』と言えるかどうか、儂には判らんよ。

そう言った後、右近充大将は小さく呟いた。

―――最も、そんな事が出来る奴は、余程の底の抜けた大馬鹿な大英雄か、或はかのヒトラーやスターリンでさえ、無垢な赤子に思える様な大悪魔だろうな。

そして恐らくは、佐渡島での最終選択は『天秤』となるであろう。 帝国軍上層部、国連軍上層部、そして日本政府・・・国連軍横浜基地も交えての、最終選択肢の合意。
日本帝国臣民としては・・・日本人としては断腸の選択肢である事に違いない。 しかし、『天秤』にかけた場合の選択肢としては、外す事は出来なかったのだ。

(・・・最終判断は作戦総司令官の嶋田さん(嶋田陸軍大将)次第がだな・・・)

その前に2人の作戦副司令官、ロブリング米陸軍大将(地上作戦担当)と、小澤海軍大将(海上作戦担当)の合意が必要だ。 何せ、『最終選択肢』とは・・・

「・・・その前に、反応炉に到達する事を願うか・・・」

そう願わずにいられない。 それが如何に困難な事か、理解はしていたが。









2001年12月18日 2230 日本帝国 東京湾岸 某所


暗闇の中、真っ黒な海の水面に泡が立っている。 沈められた者の断末魔の証か。

「これで、とりあえずの後片付けは終了。 それでいいのかしら? シスター・アンジェラ?」

「はい。 ご協力、感謝しますわ。 藤崎警部補」

岩壁に立つ2人の女性。 1人はパンツスーツ姿の上にロングコートを羽織っている。 切れ者のキャリアウーマン風の日本人女性。
もう一人は何と、カトリックの修道女姿の欧米系の女性。 こちらも流石にコートを羽織っていた。 そして彼女たちが見つめる先は、夜の海に浮かぶ微かな気泡。

「・・・『恭順派』のシスターに、『プロヴォ』の男。 使用後は用無しって事かしら?」

「・・・悔い改め、神の元に召されたのですわ」

―――よく言うわ、カンパニーの牝犬が・・・

藤崎警部補・・・特別高等公安警察、日本帝国の秘密警察『特高』である藤崎都子警部補は、表情を崩さずに内心で罵りながら、外見は微笑んで話しかけた。

「ニューヨークで、ご老人がおひとり、無くなったとか。 そう言えばラングレーでの人事異動、聞き及びましたわ」

「五摂家とその周辺の重臣家で何家か、ご当主が代替わりなさったとか・・・」

チラリとシスターの横顔を見るも、相変わらず柔らかい笑みを浮かべているだけだった。

(・・・この女狐、カンパニー『だけ』の紐付きじゃないわね。 『会議』の紐付き・・・?)

『会議』―――『ビルダーバーグ会議』 

合衆国大統領、英国の宰相、EU事務総長に世界銀行総裁。 欧州の各王室関係者にロートシルト、モルガノ、ロートウェラーメロウズ、デュポント・・・
他にも欧州系の様々な、世界的に有力な大財閥の指導的立場の関係者。 エネルギー資源を牛耳る国際的コングロマリットの代表者。 NATOの事務総長・・・
CFR(アメリカ外交問題評議会)のメンバー、ブルッキングスやヘリテージ、ランド研究所などの他、英国王立国際問題研究所や、日本帝国国際問題研究所からも参加している。

(・・・上からの指示も、案外『三極委員会』経由かもね。 そう言えば右近充の伯父さんは、『三極委員会』とは、絶対に繋がりが有る筈・・・)

彼女の伯父、母の姉の夫である右近充陸軍大将は、今や日本帝国の軍事・秘密警察である国家憲兵隊を掌握する人物だ。 『三極委員会』と繋がりが有ってもおかしくない。
もっともそれは、彼女の父親・・・外務省国際情報統括官である彼女の父・藤崎慎吾国際情報統括官もまた、その疑いが有る・・・

「・・・今後の連絡も、変わらず『カリタス修道女会』経由で?」

「はい。 そうお願いしますわ」

微笑みながら一礼して、その場を立ち去るシスター・アンジェラ。 つい先ほど、呪詛の言葉を吐きながら海の底に沈んでいった若いシスターと、難民解放戦線過激派の男。
その『始末』を依頼し、その最後を見届けた人物と同じとは思えない、慈悲深い笑み・・・ただし、目の底は冷え冷えと凍っているのを、藤崎警部補は見逃さない。

再び海面に視線を移し、終わった事だと納得した藤崎警部補は、部下に撤収を命じた。

「・・・ヴィクトリア・ラハト」

あのシスターの、もうひとつの名前。 本名か否か、それはどうでも良い。 N.Y駐在の『お友達』からは、どうやら周防の叔父(周防直邦海軍中将)ともつながりが有る・・・
今回のミッションは、最後まで謎が多かった。 結果としてクーデター騒ぎは鎮圧された。 だがその裏で、一体どれほどの勢力が暗闘していたのか、彼女にも把握出来ない。

(・・・何だろうね、このモヤモヤは・・・?)

一介の現場指揮官の彼女には、窺い知れなかった。









2001年12月19日 1000(日本時間12月20日 0000時) アメリカ合衆国 N.Y郊外


ひっそりとした葬儀だった。

故人の生前の影響力を考えれば、ささやか以上に質素な葬儀。 参列者もまばらな葬儀は、小雨の中でしめやかに執り行われ、棺は墓の下に収められた。

「ミスタ・ポートマン。 『会議』は故人の席を、貴方にご用意すると申しておりますわ」

「・・・アンハルト=デッサウ侯妃。 そして貴女が『監視役』と言う訳ですね」

「ユダヤ系の力は巨大なのです。 ミスタ・ポートマン、貴方は『天秤』を正しく扱える・・・そう評価されておりますわ」

ほっそりとした、淑やかな美貌の貴族女性・・・アンハルト=デッサウ侯妃・イングリッド・アストリズ・ルイーゼが、まっすぐに見据えてそう言った。

「極東の島国の情勢も、ほぼ落ち着きました。 かの国の伝統的懐古勢力は、その力を十分落しました。 故人が繋がりを持っていた方々は・・・」

国防総省国防長官官房・国際安全保障問題担当部アジア・太平洋担当副次官補のダスティン・ポートマンは、遺伝子上の『祖父』に成り代わり、この国で『天秤』を計るのだ。

「全ては、貴方がたの思惑の通り、と言う事ですか?」

その言葉に振り返ったアンハルト=デッサウ侯妃の目は、どことなく哀しげであった。

「・・・私どもは、神ならぬ身。 所詮は人ですわ、ミスタ・ポートマン」

振り向いて、ポートマンの目を見据えて言う。

「今回、私どもは『天秤』を計りました。 どちらがより『生き残れるか』の天秤を。 その為には、ささやかながら影響力も行使しました。
ですがこれは、私どものみならず、極東のあの国や、他の様々な勢力の思惑も絡み合っての事・・・その全てが反応した結果。 結論から申せば、望む方に傾いてくれましたが・・・」

それをして、『謀略工作』と言うのではなかろうか? ポートマンはそう思うのだが。

「ミスタ・ポートマン。 愛しい人々をBETAに食い殺され、愛する故郷をBETAに食い尽くされ、再び会えず、再び戻れず・・・その様な境遇に至った者が、何を思うかご存じ?」

「・・・何としても、奪回したいと?」

「いいえ・・・」

最早、何かが枯れ尽した目をしたアンハルト=デッサウ侯妃が、ある種の狂気を感じさせる視線を送りながら言った。

「生きたい・・・生き延びたい・・・生き残りたい・・・それだけですわ・・・」

それは、種の本能に根差した願望。 あるいはそれをして『信仰』とでも言うべきか。

「これからも私どもは、天秤を計り続けます」

「・・・『人類の為に』、ですか?」

その言葉に対して、哀しいほど透明な視線で、アンハルト=デッサウ侯妃が言った。

「いいえ・・・ええ、そうですわね。 『人類の生残の為だけ』に・・・宜しくて? ミスタ・ポートマン?」

「・・・仰せのままに。 Yes, her highness」









2001年12月20日 1830 日本帝国 福井県敦賀湾沖 ウイスキー上陸部隊第2派別働部隊(第11軍第21軍団第15師団、第151戦術機甲大隊)戦術機揚陸艦『松浦』


戦術機揚陸艦『松浦』は、『渡島』級の3番艦として就役した艦だった。 前級の『大隅』級はその巨体(全長340m、全幅66m)に反して、戦術機搭載数が16機と少なかった。
大型タンカーを流用する際、戦術機の格納スペースを、油槽区画をそのまま割り振ったためだった。 1機当たりのスペースは広く、整備作業などの効率は良いが・・・機数は少ない。
その改善点を盛り込んで再設計された本級は『戦術機運搬艦』としての性格が非常に濃い。 単に『戦術機を運ぶだけ』の艦だ。 代わりに戦術機の搭載数は3倍の48機を搭載する。

「済みませんな、周防少佐。 狭苦しい部屋で・・・」

『松浦』に搭載された戦術機部隊は、陸軍第15師団第151戦術機甲大隊40機。 残りのスペースにはCP用のヘリ、ホバー、大隊本部用の装甲車両などが搭載された。

「いいえ、艦長。 お気になさらず。 陸戦では場合によって立ち食いはおろか、戦術機の管制ユニットの中で済ませますので」

『松浦』艦長から夕食を一緒に、と呼ばれた第151戦術機甲大隊長の周防少佐は、狭いスペースながらも機能的にまとまった艦長室をさりげなく見ながら言った。

「ははは・・・大型艦でも、戦艦や戦術機母艦などでは、十分な居住スペースがあるのですがね。 本艦の様な戦術機揚陸艦は『戦術機と物資の補給艦』とでも言いますか・・・」

戦術機だけならば、それ程のスペースを取らない。 しかしこのタイプの艦は他に、各種物資の揚陸も行えるように設計されており、その格納スペースが馬鹿にならない。
結果として、乗員の居住スペースにしわ寄せがくる。 元々が戦闘艦では無く、支援艦と言う事も有り、乗員の数は少ない。 そこをさらに圧縮しているのだ。

食卓には昔の平和だった時代の、旅館の夕食の和定食程度の料理が並んでいた。 もっとも食材はほぼ全て合成食材だったが。 それでも国内の食糧事情より遥かに良い。
艦長は予備役招集の、中年の海軍中佐だった。 恐らく現役を大型艦の副長か科長、又は小型艦の艦長として中佐で退役し、再応集された口では無かろうか。
因みに艦長室で会食しているのは、周防少佐とこの艦長の2人だけだ。 従兵が1名付いている。 他の士官―――中隊長達は士官室で、艦の副長以下の海軍士官たちと食事中。

しばらく当たり障りのない会話をしながら、食事が進んだ。 艦長が周防少佐を会食に誘ったのも、言って見れば慣例に過ぎなかったのだろう。
ほう、ほう、周防中将の。 甥御さんですか、いやいや、それはそれは・・・本当に当たり障りのない、穏やかな会話。 数日後には地獄へ飛び込む部隊を分かっているからか。

不意に艦長が箸を止め、周防少佐を見据えて言った。

「少佐、本艦には戦術機母艦の様な射出カタパルトは無い。 戦術機が発艦するには、最後列の格納機体から順に上甲板へ上げて、都度発進して貰わねばならない」

「はい」

それは『渡島』級、そしてその簡易版である後級の『天草』級戦術機揚陸艦の、最大の欠点と言われる問題であった。 
戦術機の格納間隔が狭すぎる為、全機を上甲板に並べた状態では、前の機体の跳躍ユニットのブラストを、後ろの機体がまともに浴びてしまうのだ。

「ギリギリまで佐渡島に接近して、発艦出来る様にしましょう。 しかしその距離は、海岸線に光線属種が居れば、容易に射貫される距離です。
そして本艦の装甲は無きに等しい。 レーザー照射の一撃で主要部をまともに貫かれれば、容易に爆沈する可能性が大きい・・・」

そうなれば、周防少佐の大隊もまた、佐渡島への上陸さえ果たせず、そのまま海の藻屑と消える。

「故に・・・もしその様な事態になれば・・・少佐、貴官の隊は『左右両舷同時発艦』を行って頂きたい」

「艦長・・・それでは上甲板は、地獄と化します。 延焼は艦橋へも・・・」

左右両舷同時発艦―――『松浦』や『天草』級戦術機揚陸艦で、緊急時の戦術機発艦方法。 左右両舷に格納された戦術機が全機、上甲板に並び、同時に左右両舷へ発進する。
一気に40機前後の戦術機の跳躍ユニットのブラストが、上甲板に襲い掛かる。 何度も言うが、このクラスの艦に装甲は無い。 上甲板は大火災に陥ってしまう。
そしてそうなれば、乗員の退艦は困難になる。 退艦時は『総員上甲板』なのだから。 その場所が大火災となれば、生存は極めて難しい。

「地獄でしょうな。 助かる部下の数は、かなり少なくなるやもしれません。 或は乗組員全員戦死の可能性もある・・・が、これも意地でね」

意地? その言葉に首をかしげる周防少佐。 その様子を苦笑と共に見た艦長が、寂しげに笑った。

「本艦の乗員は、だいたいが他の沈んだ艦からの移籍組です。 戦艦、母艦、巡洋艦・・・元は主力艦乗組みも多い。 海軍は前大戦時の様な事は無いのだが・・・
それでもやはり、沈没艦の元乗組員への風当たりは、無意識でもありましてな・・・私も元は、重巡で副長兼砲術長をしておりました・・・」

重巡洋艦クラスの副長兼砲術長となれば、一応は出世コースに乗っていたと言える。 

「別にそれを恨むと言う事では無いのだが・・・それでも、これほど防御力の無い艦をBETAが待ち構える海岸線付近まで推し進めねばならない。
まるで自分があからさまに消耗品だと、そう言われているような気がしますな・・・部下達もね、戦術機揚陸艦の乗組員は、そうした気分が大きい・・・」

無論、戦術機揚陸艦は時代の戦術が要求した艦種である。 無駄な艦種では決してないのだが、その消耗はどこの国でも、特に上陸作戦では酷い損害を被っている。

「我々は『運び屋』です。 しかし、その運んだ戦術機が、1匹でも多くのBETAを葬れば、それは・・・我々の戦果だ。 そして貴隊は地獄へ飛び込む・・・」

艦長はそこでいったん言葉を切った。 テーブルの水の入ったグラスを傾け、のどを潤すと、一気に言った。

「なれば、その地獄への道案内、その入り口までは、我々が必ず成し遂げる。 それが意地なのでね・・・」





「こら、お前たち。 なぁに整備の確認をサボってるんだよ?」

「えっ・・・小隊長・・・!」

『松浦』の戦術機格納庫、その脇のスペースで少尉連中数人が固まっているところを目撃した、第2中隊第3小隊長の半村真里中尉が声をかけた。
傍らには半村中尉の同期で、第3中隊の楠城千夏中尉も居る。 どうやら機体の調整にやってきた様だった。 時刻は2000時、艦内の陸軍将兵と言うのは意外と暇を持て余す。

小隊の部下の1人が居たので、軽く声をかけたつもりだった半村中尉は、その部下の表情の硬さに気が付いた。 普段は割と図太い奴、と思っていた部下だった。

「どうしたよ? 怖いのか?」

「・・・怖い、です。 怖くないのですか? 小隊長は・・・楠城中尉も?」

他の少尉達も一様に表情が硬い。 思わず顔を見合わせる半村中尉と楠城中尉。 そして半村中尉があっけらかんと言った。

「怖いさ、当然」

「え? でも、小隊長は・・・楠城中尉も・・・」

「余裕? そう見える? 私も半村も?―――違うよ、本当は逃げ出したいくらい怖いわよ。 当然でしょう? あの佐渡島に喧嘩しに行くんだからね」

思わず『え!?』と言う表情の少尉連中。 そんな彼らを見て、お互いに顔を見合わせる半村中尉と楠城中尉。 半村中尉が言った。

「だけどよ、今回は今までより何とかなるんじゃないか、そう思うぜ?」

「そっ、それはっ、どうしてでしょうか、小隊長!?」

必死になって聞いてくる少尉達。 不安なのだ、ハイヴ攻略戦未経験の彼らにとっては―――半村中尉と楠城中尉も、ハイヴ攻略戦は未経験だったが。

「俺も楠城も、今まで大規模な対BETA戦って言えば、シベリアとマレー半島の2回だけだけどな。 広い場所でのBETAとの戦争って、本当に地獄だぜ?」

「索敵していてもね、どこから現れるか判ったものじゃないものね。 シベリアでもマレー半島でも、ほんの一瞬の隙に側面を突かれたり、迂回されたり・・・
でも今回は狭い佐渡島よ。 私達、第15師団は島の東部海岸に上陸して、中部の平野部までの戦域確保が任務よ。 ハイヴ突入点までの確保は第3派のお仕事」

「ハイヴ突入の本命はオービットダイバーズに、独立機動大隊だ。 そりゃまあ、兵站路確保の為にハイヴに潜る可能性も無いわけじゃないけどな、それでも浅い階層だろうな」

「基本的に、お仕事が終われば揚陸艦に戻って待機よ。 じゃないと、佐渡島が戦術機で交通渋滞起こすからね・・・」

「少なくとも、小隊はチームだ。 1人じゃ無理でも、チームになれば出来る事はかなり多いんだぜ。 お前らはチームに頼れ、そしてチームを助けろ。 そしたら生き残る」

判ったか? 判ったら、余計な不安を貯め込まずに、現実を確認しろ―――そう言って笑う半村中尉。 もっとも彼にしても知らない事は多い。
第15師団は確かに第2派として東海岸の強襲上陸、そこから島中央部までの戦域確保が任務だが・・・ハイヴ突入の予備戦力としても指定されていたのだ。

「余計なこと考えずに、さっさと調整して寝ちまえ。 明日は富山湾だ、警戒態勢が上がるからな」

「2級警戒態勢のままの状態が続くからね。 今夜のうちに休んでおきなさい」





部下達と別れてから、自機の調整を済ませた半村中尉と楠城中尉は、艦内の狭い衛士待機室で休憩をしていた。 手にするは不味いコーヒーモドキ。

「ねえ・・・今回、生き残れると思う?」

楠城中尉がポツリと呟いた言葉に、半村中尉が少し顔をしかめる―――本当はコーヒーモドキの余りの不味さに閉口しただけだったのだが。

「俺は死ぬ予定は無いね」

「私も無い」

「じゃ、生き残るんじゃねぇの?」

「相変わらず軽いね、アンタって」

呆れた声で言う楠城中尉に、ちょっとだけ苦笑する半村中尉。 仕方がない、実際、そうやって生き残ってきたのだから。

「まあ、死ぬ時は死ぬし。 でも最初から死ぬって訳じゃ無いし。 俺はまだ色んな事をしたいし、まだ全然出来てないからな。
だからパーッと出撃して、パパッとBETAをブチ殺して、ササッと引き上げて生き残る。 それだけさ・・・」

もっとも、同期生は何人か、それに失敗して死んだけどな・・・それは何も彼らだけじゃない。 ま、余計な事など考えない事だ。 半村中尉はそう考えている。

「半村・・・アンタ、決まった相手でも居るの?」

「何だよ? 居ないよ。 お前はどうよ?―――ははあ? 楠城、お前、俺に惚れたか?」

「寝言ってね、寝て言うモノなのよ? お馬鹿さん・・・居ないわよ、悪かったわね」

「仕方ない、そんな楠城中尉の為に、帰還したらデートに誘ってあげよう」

「お断りする!」

「お前が死んだら、あれだ。 『なんで死んだんだ! お前とのデートがっ・・・!』って、雰囲気たっぷりに演じてあげるぜ?」

「くわあっ! 嫌な奴! ぜっーたい、絶対に死んでやるもんか!」

お互いに馬鹿を言いながら、少しだけ内心の不安が紛れてきた楠城中尉。 ふと聞いてみたくなった、この能天気な同期生に。

「ねえ、半村。 正直な所、アンタ、『お国の為』に死ねる?」

「御免蒙る」

「人類の為、とかは?」

「会った事も無い、顔も知らない奴の為に、何で死ねるんだよ?」

不味いコーヒーモドキを飲み干しながら、半村中尉は髪をくしゃくしゃと掻き上げ乍ら、面倒くさそうに言った。

「俺が戦うのは、俺が死にたくないから。 それとあれか・・・家族も少しは不安無しに暮らして欲しいよな。 それ以外に大した理由なんかないよ。 あ、仲間が死ぬのも嫌だな。
それこそ、俺は死にたくない。 ましてや、何もせずにBETAに怯えて死んでいくなんて、サラサラ御免だ。 だから俺がBETAをブチ殺してやる、それだけだよ」

お国の為とか、人類の為とか・・・一体、何様だよな? そんなお偉いお題目の為になんか、戦えるかよ。 そんな奴、まず居ないって・・・半村中尉が珍しく真剣な表情だ。

「だいたいさ、俺らって徴兵じゃねぇか。 訓練校は志願制だけど、実質、それしか選択肢が無い・・・俺はバイクが好きでさ、昔のレース番組の録画、好きだったんだよ」

オヤジが古いバイクレースの録画を持っていてさ。 憧れたね。 サーキット場は今じゃ、BETAの腹の中だけどさ―――少し照れながら、半村中尉が話す。

「軍を退役したら、レーサーになりたいな・・・レース自体、復活するか判んねぇけど」

「・・・私はさ、小さい頃はスチュワーデスになりたかったんだよね。 お父さんが持っていた、古いテレビ番組観て憧れてね・・・」

「BETAが居なくなりゃ、旅客機も復活するかもよ?―――それまでに婆ちゃんになってなければ、だけど・・・」

「あんたこそ、爺ちゃんになってバイク? 年寄りの冷や水だよ?」

「だから、それまでに駆逐してやるってばよ」

「せめて、20代のうちに夢を叶えたいわぁ・・・」

叶わない夢、かもしれない。 もしかしたら、叶う夢かもしれない。 少なくとも死にたくないし、夢は見たい、持ち続けたい―――だから生き残る。








2001年12月20日 2030 日本帝国 若狭湾沖 第5水上打撃任務群(第5戦隊)旗艦・戦艦『出雲』


「航海士、まぁ、飲めよ」

「は、頂きます」

堅苦しいなぁ―――『出雲』砲術士の綾森喬海軍中尉は、目の前の若い少尉候補生を見ながらそう思った。 これが義兄の従弟なのかね? とも。

(兄貴にも似ていないなぁ・・・お袋さん似なのかな?)

ガンルーム(第1士官次室)の片隅。 ケプガン(第1士官次室長)、サブガン(第1士官次室次長)程古参の『おっかない』上官では無いとは言え、相手は中尉、自分は候補生。

(ま・・・俺も候補生時代は、中尉連中って、おっかなかったけどな・・・)

いざ自分がなって見れば、なんて事は無い。 下級者が過剰に意識し過ぎていただけの事だと判る。 まあ、候補生にとっての少尉、中尉は兵学校時代の上級生でもあるのだが。

「どうだ? 艦には慣れたか? って言っても、まだ乗艦間もないけどな」

「は、日々が目まぐるしくて・・・覚える事が多いです。 勉強の毎日です」

(うわぁ・・・こいつ、優等生だ・・・)

目の前の若い、それこそ未だ20歳そこそこの少尉候補生―――周防直純海軍少尉候補生を見乍ら、綾森中破は内心で『しまったかな?』と思った。
周防候補生の実兄、周防直秋陸軍大尉は、非常にさばけた性格で付き合い易かった。 従兄で綾森中尉の義兄である周防直衛陸軍少佐も、根はカラッとした性格だ・・・と思う。
しかしながら目前の候補生は、どうやら実兄や従兄とはまた違った、生真面目な性格の様だ。 彼の実父の周防海軍中将も(ほんの少しだけ)知っているが、さばけた人だった・・・

こうして夜、全ての課業が終了して、当直でもないのでガンルームで飲んでいること自体はおかしくない。 現に他にも食後の一杯を飲っている連中も居る訳で。
兵学校卒業後、練習艦隊も経ずに即実戦部隊配備・即実戦経験を積む、と言うのは、ほんの数年前までなかった。 それこそ綾森中尉の期からの話だ。
だから誘った。 十分な幹部教育を受ける前に、早々と実戦を経験しなければならない若い少尉候補生たち。 その不安は十分理解しているつもりだった。

それ以外には『半ば身内』と言う意識も有った。 周防候補生の従兄は、綾森中尉の義兄・・・姉の夫なのだから。

「ま、実務はダブル配置の先輩に付いて、実地で覚える事さ。 なに、真面目に勤務に精勤して居れば、嫌でも覚える。 航海(航海士、この場合は正規配置の航海士)は同期でね。
ちょっと茶目な男だけれど、面倒見の良い奴だよ。 あれこれ、判らない事は聞けばいい―――あ、遊び事は程ほどにしておけよ? 候補生の間は基本、厳禁だからな?」

「は、はい」

既に顔が真っ赤だ。 あまり酒になれていない様だ。 自分などは、兵学校生徒時代から帰省すれば、こっそり隠れて飲んでいたものだけどな・・・

「砲術士・・・」

「ん? なんだい?」

何杯目かの杯を空けた時、周防候補生がまだ酒の残る杯を見つめながら、聞いて来た。

「戦争は・・・戦闘は、BETAとの戦闘は、どの様なものなのでしょうか・・・? 私は兄も従兄も陸軍で・・・海軍に2人居た従兄達は佐渡島で戦死しました。
陸戦と海戦では、当然ながら戦闘自体異なる事は判っております。 兄や従兄の戦いが壮絶だと言う事も。 父には、なかなか聞けず・・・その、正直言って、それが不安なのです・・・」

―――ははぁ、成程・・・

確かに陸戦と海戦では、様相は全く異なる。 基本的に今次BETA大戦における海軍の役目は、上陸作戦、或は沿岸部での作戦の陸上部隊への支援が主任務となる。
母艦戦術機甲部隊や、聯合陸戦師団となれば、違ってくる。 母艦部隊は広域制圧任務の他にも、時に戦線維持任務がある。 聯合陸戦師団は強襲上陸・戦域拡大。 陸軍と似ている。

対して艦隊、それも水上砲戦部隊のそれは、主任務は支援艦砲射撃と、艦対地ミサイルでの支援攻撃が主任務となる。 陸軍や母艦戦術機・陸戦部隊の戦闘とは異なる。
基本的に直接BETAをその視界に捉えての戦闘はまず無い(艦砲射撃でさえ、射程は40km程の距離を持つ。 上陸作戦支援ではその半分ほどの距離の沖合から砲撃だ)

だが、それが却って不気味に思える事も確かだ。 それに場合によっては、より海岸線に近づいての攻撃も有り得る。 その場合は光線属種の排除。 艦の被害率は急上昇する。

「・・・なあ、周防君。 俺達は艦隊乗組みだ」

「はい・・・」

「この『出雲』で乗員は1500名いる。 誰1人欠けても良い訳じゃない乗員が、1500名だ」

半世紀前の世界大戦の頃と違い、随分と省力化が為された現代の大型艦とは言え、『出雲』クラスの戦艦となればその位の乗員が居る。 大型空母・・・戦術機母艦なら3000名だ。

「誰1人として余分な人数じゃない。 誰もが、例え歯車と言われようが、己の任務を全うする事で、艦は初めて十全な攻撃力を発揮するんだ。
俺達1人、1人が自分のすべき事を為して初めて『出雲』は、くそったれなBETAどもを叩き潰す事が出来る。 戦艦の一撃は師団の攻撃力並だ。
例え艦の奥深くの機関部で任に付いていようと、例え応急班として待機して居ようと。 BETAの姿も見えない場所に居ようと、己の任務を為し遂げなければ『出雲』は戦えない」

杯の酒を飲み干しながら、綾森中尉は己の初陣を思い出した。 ダブル配置の航海士だった。 甲22号作戦。 兵学校を卒業したばかりの候補生だった。
艦が重光線級のレーザー照射で舷側装甲を射貫され、流れ込んだ海水の為に隔壁が破られそうになった。 反対舷への応急注水も間に合わず、このままでは横転沈没・・・
当時の綾森候補生は、艦内通信が途絶した状況下で、CICから機関指揮所まで、レーザー照射の被害で滅茶苦茶にされた艦内を、1人の当番兵と共に艦内を駆けまわった。
無我夢中だった。 途中、通路が構造材で封鎖され通行不可能になった。 思い切ってバルジの中の配管(汚水配管だった)を伝って、また艦内に。 そして機関指揮所に・・・

「・・・『機関、半速』それだけ伝える為にね。 その直後に2回目のレーザー照射を喰らって、爆発が起こって・・・気が付けば仮包帯所でぐるぐる巻き。 艦は大破離脱・・・
でも、当時の機関分隊長から『よくやった』と言ってもらった時は、嬉しかったよ。 俺も艦の役に立てた。 ひとつの歯車だったけれど、俺の働きで歯が噛み合わさったと思った」

当時を思い出しながら、ゆっくりと話す綾森中尉。 神妙な表情で聞き入る周防候補生。

「艦は生き物だ。 そして俺達1人、1人は、個にして集、集にして個だ。 個の全ての力が集として艦を『生かす』 集の力は個の力だ」

―――いいか、忘れるなよ。 君は俺で、俺は君で。 そして俺達は『出雲』だ。

それからは、暫く馬鹿話に花が咲いた。 互いに共通の身内が居る事での、それを肴にした他愛無い話。 既に酔いが回ったのか、若い候補生は顔が真っ赤だった。

(・・・ま、戦闘が始まったら、忙しさで恐怖を感じている暇なんてないさ。 特に候補生の様な半人前のうちはさ・・・)

あれこれと考えるようになるのは、ある程度経験を積んで、実戦歴を経た中尉辺りになってから。 綾森中尉も甲22号作戦以降、台湾海峡や華南戦線、それにマレー戦線を経験した。

暫くして潰れた若い候補生を、同期生たちを呼んで運ばせた。 半世紀前の海軍と違って、2000年代の海軍は例え候補生であっても(狭いながらも)6人部屋のベッドで寝る。

(・・・死ぬなよ、義兄さん)

恐らくは上陸1派か2派だろう義兄・・・姉の夫に対し、心の中で無事を祈りながら。










2001年12月20日 2115 日本帝国 福島県某所 第108特殊砲兵旅団


「気象データ、入力完了」

「射撃諸元よし、砲口内異常無し」

「指揮官、オールグリーンです」

「よし―――第1斉射、撃て!」

00式超々長射程砲。 129.9口径508mm砲が8門、轟音と共に一斉に闇夜を切り裂く閃光を発して、巨弾を発射する。 
目標は200kmほど先の佐渡島。 着弾は約55秒後。 砲側小隊がモニターで砲腔内をチャック、弾薬小隊が台車からクレーンに吊った次砲弾を運び込む。
装填小隊が砲尾栓を開き、目視で異常の有無を再確認した後、次砲弾を受け取り押し込んだ。 尾栓を閉鎖して小隊長が大声で『装填完了!』を叫ぶ。
気象観測データを受け取った射撃管制小隊がデータを再入力、一部を修正して中隊本部へ転送する。 全ての準備が整った事を先任下士官から連絡を受けた中隊長が命令を下す。

「各砲―――第2斉射、撃て!」

この間、約3分。 1時間の間に各砲20発の、旅団全体で240発の超々長射程・超高速(終速・M9.98)・大口径砲弾が、目標に対し撃ち込まれる。
第12斉射を終えた時点―――2時間で旅団本部から射撃中止の命令が入る。 砲身冷却の必要からだ。 クールダウンは約30分。 各砲の整備小隊が冷却材の点検に入る。
1時間で240発の129.9口径508mm砲弾の嵐。 いかな重光線級とは言え、早々レーザー迎撃できるものではない。 1体、2体のレーザー照射で蒸発する程、柔な代物ではない。

今年5月のマレー半島で実戦投入され、コンバット・プルーフされた超々長射程砲。 00式(129.9口径508mm砲)と86式(131.2口径381mm砲)
それぞれ00式配備の1個特殊砲兵旅団(福島県)、89式配備の1個特殊砲兵旅団(山形県)から発砲し始めた。
『甲21号作戦』―――その事前制圧砲撃作戦(『決1号作戦』)の開始が、12月20日2100時に発令されたのだった。

超々長射程砲配備の2個特殊砲兵旅団による事前制圧砲撃は、20日の夜から23日の夜、2100時まで継続される。 各旅団、12門の超々長射程砲を配備していた。
1日の砲撃時間は9時間。 砲身冷却に要する時間は4時間30分。 合計12時間30分。 1時間当たり各砲20発、旅団全体で240発、2個旅団で480発。 9時間で4320発。
これを4日間合計で1万7280発撃ち込む。 BETA光線属種による迎撃損失は、およそ1割5分から最大2割と見積もられている。 1万4000発以上の巨弾が佐渡島に着弾する。

「改良型は、砲戦継続能力が上がったようだね」

「今までのは5分に1発で、30分の砲撃継続能力でしたから」

砲撃効果を確認していた旅団射撃副調整官の大佐が、旅団長に返答する。 00式も89式も、最大で1発/分と言う、この手の砲としては異常なまでに高い発射速度を有する。
しかし、その代償として、その様な所謂『バースト射撃』を行えるのは、5斉射まで。 砲腔内温度が異常上昇して、再砲撃までの時間がかかる。
それを回避するためには、砲撃間隔を伸ばすしかない。 今までは5分に1発で30分まで。 砲身のクールダウンに30分。
温度が砲撃許容範囲に落ち着き、砲身・砲腔内の異常の有無を確認し、再装填の上で射撃諸元を再入力して再度の砲撃までに有する時間が、約30分かかるのだ。

1時間当たり12発、3時間で36発は、及第点の良い数字だ。 だがその代わりに砲撃継続能力はおよそ2日。 3日目にはオーバーホールが必要だった。
それを発射速度を向上させ、砲撃継続能力も倍に向上させたのが、現在配備されているタイプだった―――物が物だけに、実射は今回が初めてという不安は残る。

24日には強襲上陸『決2号作戦』、軌道降下『決3号作戦』、ハイヴ突入『決4号作戦』がそれぞれ発令される。 そして翌25日、佐渡島の地獄へと彼らは突入するのだ。

「それまでに、佐渡島の地表は掃除しておきたい。 光線属種の迎撃も有ろうが・・・それはそれで構わん」

「光線属種の迎撃が有ること自体、地表でのBETA制圧が行われておる証ですからな・・・」

旅団長の准将と、旅団射撃副調整官の大佐は、夜に闇の中からきらめく閃光を見つめながら、お互いにそう思った。









2001年12月24日 0030 日本帝国 富山湾沖 ウイスキー上陸部隊第2派別働部隊 戦術機揚陸艦『松浦』


『抜錨用ー意、総員部署に付け』

艦内が慌ただしくなる。 艦の奥深くの機関が始動して、その振動が微かに響いて来た。

『達する。 0030、抜錨。 0600、佐渡島沖。 総員、第2級戦闘配置に付け』

指揮官用にあてがわれた狭い個室のボンク(艦内ベッド)の中で、周防少佐は再び目を瞑った。 起床時間はあと1時間30分後。 それまでは例え僅かでも休息を取って置く事だ。

『錨収め―――機関原速、よーそろー』

その日、佐渡島攻略部隊全軍が、最終的な出撃を行った。





[20952] 佐渡島 征途 1話
Name: samiurai◆b1983cf3 ID:20a60e99
Date: 2016/10/22 23:47
2001年12月24日 1500 日本帝国 旧上越市沖 ウイスキー上陸部隊第2派別働部隊(上陸第2軍) 強襲上陸作戦指揮艦『千歳』


『千歳』は姉妹艦の『千代田』と共に、世界最大級の強襲上陸作戦指揮艦であり、『千歳』級のネームシップである。 
今回、作戦総司令部が『千代田』に、上陸第1軍司令部はドック型揚陸艦『津軽』に作戦指揮艦を指定した。 『千歳』は上陸第2軍の作戦指揮艦だった。

広い作戦室内には軍司令部、そして各軍団司令部、更には各師団長、副師団長、そして作戦参謀・・・凡そ上陸第2軍の主要幹部級以上の上級指揮官たちが一堂に集まっている。

『千歳』から指揮を執るのは、ウイスキー別働部隊の7個師団―――新編第17軍団(第10、第14、第15師団)、新編第19軍団(第27、第30、第31、第33師団)
この別働2個軍団を指揮する宮崎陸軍中将。 各方面から甲21号作戦のために抽出された各師団を、新編成の軍団に再編し、その内の2個軍団を有する、上陸第2軍司令官である。

「・・・本作戦の戦略目的は、かくの如しであります」

G3(軍司令部作戦主任参謀)が、背後のスクリーンを指し示す。

『―――作戦名『決号作戦』(甲21号攻略作戦)
・戦略目的:本土東日本の脅威排除・安定化。
・・作戦目標:甲21号目標の無力化(第1目標)、及び敵施設の占領、及び、可能な限りの敵情収集(第2目標)』

大戦略としては、本土の直接脅威の排除と、安定化。 その為の甲21号目標の完全無力化を目指す。 これにより日本は『柔らかい横腹』を突かれる恐れがなくなる。

「この戦略目的、作戦目標に対し、攻略軍の戦術目標は以下の如しであります」

『―――『決号作戦・戦術目標』
・第1段階
・・国連軌道艦隊による突入弾による軌道爆撃
・・第2、第3艦隊による艦砲射撃
・・第1艦隊、国連艦隊(米第7艦隊)による艦砲射撃
・・真野湾、両津湾、2方面よりの強襲上陸による戦域確保
・・松ヶ崎を起点とする南東部海岸線への強襲上陸・確保による、兵站主地の確保
・・松ヶ崎より真野湾、両津湾、2方面への戦域確保と、兵站線確立

・第2段階
・・ウイスキー第1派主力を持って、真野湾方面戦域の沢根=高瀬の戦線を維持
・・エコー第1派主力を持って、両津湾戦域方面の北松ヶ崎までを確保
・・本時点でウイスキー、エコーの各第2派、及びウイスキー第2派別働の各部隊は上陸開始
・・真野湾、両津湾と第1派との連絡を確保する
・・ウイスキー第2派別働部隊による、佐渡島中央部の確保(真野湾=両津湾間の連絡確保)

・第3段階
・・国連軍第6軌道降下兵団の再突入開始
・・帝国軍4個独立機動大隊(ハイヴ突入特別戦術機甲大隊)と共同の上、ハイヴ突入開始
・・中間層制圧の後、ウイスキー、エコー、各第3派、ウイスキー第3派別働部隊上陸。
・・ハイヴ内兵站線確保は、ウイスキー第3派別働部隊、これを担う。 地上兵站線確保はウイスキー第2派別働部隊、これを担う。

・第4段階
・・ハイヴ最深層到達後、ウイスキー第2派、エコー第2派、ウイスキー第2派別働の各部隊、ハイヴ突入開始。
・・国連軍特務部隊への協同を行う。
・・地上の戦域確保はウイスキー、エコーの各第3派、これを担う。 ハイヴ内兵站確保は、ウイスキー第3派別働部隊、引き続きこれを担う。

・第5段階
・・甲21号目標最深部『大広間』の完全制圧。 並びに『アトリエ』を含む主要部分の完全占領』


並み居る諸将、参謀たちが唸る。 難しい、非常に難しい作戦だ。 戦域での自由度を確保する余地のない、狭い戦場。 押し迫るタイムスケジュール。
僅かの齟齬も許されない。 僅かの逡巡も許されない。 最早部下達の死は、『統計数値』として認識するしかない作戦となるであろう・・・

「以上の戦術目的による、我が上陸第2軍の戦術目的は、佐渡島南東部海岸の兵站主地確保、並びに島中央部までの背に木確保による兵站線の確立。
そしてハイヴ突入後の、地上からハイヴ内への兵站線確保、及び兵站末地の確立であります。 主攻はウイスキー主力、及びエコーの両部隊。 我々ウイスキー別働は裏方でありますが・・・」

しかし兵站が確立されなければ、如何な大軍とてたちまち往生してしまう。 古来より兵站が上手くいって負けた例はあるが、兵站が上手くいかず勝った例はない。

ウイスキー主力である海軍聯合陸戦第2軍団(聯合陸戦第1、第2師団)、第16軍団(第2、第3、第7、第19師団)、第18軍団(第5、第8、第12、第13師団)は主力だ。
そしてエコー部隊の米海兵隊第2軍、UN第21軍団、UN第22軍団も10個師団を有する、北部戦域の主力である(このほかに2個師団の戦略予備師団がある)

この両軍(ウイスキーは上陸第1軍、エコーは上陸第3軍)の間を繋ぎ、戦線を有機的に運用するための任務を課せられたのが、上陸第2軍の7個師団であった。

戦略予備を含め、地上部隊はウイスキー主力が14個師団、エコー部隊は12個師団。 そして支援任務を行うウイスキー別働は7個師団。 
この他に第6軌道降下兵団10個大隊、帝国陸軍独立機動大隊(戦術機甲大隊戦闘団)4個がハイヴ突入第1陣として控える。

洋上の支援艦隊は、真野湾に展開する予定の帝国海軍第2艦隊(戦艦6、正規戦術機母艦4、大型巡洋艦2、イージス巡2、打撃軽巡2、イージス駆4、汎用駆15、ミサイル砲艦36)

両津湾に展開予定の帝国海軍第1艦隊(戦艦2、戦術機母艦2、イージス巡2、打撃巡2、イージス駆2、汎用駆10)と、米第7艦隊が展開する。
米第7艦隊は2個任務部隊・4個任務群からなり、戦艦5、空母(戦術機母艦)3、大型巡洋艦2、イージス巡8、ミサイル巡2、イージス駆18、ミサイル駆11から成る。
両艦隊合わせて戦艦7、戦術機母艦4、大型巡洋艦4、イージス巡10、ミサイル(打撃)巡4、イージス駆22、ミサイル駆21になる。

佐渡海峡に展開予定の帝国海軍第3艦隊は、戦艦4、戦術機母艦4、イージス巡4、打撃巡2、イージス駆4、汎用駆15である。

「状況によっては、ウイスキー主力の後、我々、ウイスキー第2派別働部隊も、ハイヴ最深部突入の可能性あり。 状況に応じ、戦力の抽出も有ります。 が、基本は戦線の維持」

その為の兵站線の確保。 誠に地味だが、誠に困難な任務だ。 まさしく裏方の戦場と言える。

「また本作戦の第2目標は、国連太平洋方面軍との共同特殊作戦であります。 国連軍側の作戦発起点は、旧上新穂。 従ってその前面にある旧65号線を絶対死守となります」

上新穂は南部・小佐渡山地の中央に位置し、その前面には新穂ダム跡がある。 甲21号目標からは南西に12kmほどの地点。 兵站支援戦域の真っ只中でもあった。
ハイヴ突入直前までの守備範囲として、旧65号線に沿って中央部の畑野から行谷までが第14師団、北部の行谷から潟上・加茂湖までは第10師団、畑野から南部の真野までが第15師団。

この時点まででウイスキー主力第1派は北部大佐渡山地の沢根=高瀬の戦線を構築。 ウイスキー主力第2派が真野湾岸の旧窪田から国府川河口の真野北部までを維持。
エコー第1派は北松ヶ崎で戦線を構築。 エコー第2派は加茂湖北部から羽黒山、藤権現山、白瀬に至る北部支援戦域を確保する。

「オービットダイバーズの軌道降下、並びに独機大隊のハイヴ突入後は、ウイスキー主力第3派、エコー第3派が上陸。 それに従い、兵站支援戦域を中央部の国仲平野北部まで前進」

ウイスキー第3派別働部隊、4個師団がハイヴ突入部隊の後を追って、ハイヴ内兵站線の確立を目指す。 中間層から下層に突入した時点で、ウイスキー主力第2派がハイヴに突入する。

「その後、戦況に応じ、最深部到達と同時にエコー第2派もハイヴ内に突入。 最深部『大広間』の制圧を目指します。
その間の地上の戦域確保、並びにハイヴ内中間層までの兵站線確保は、我々、ウイスキー第2派別働、並びにエコー第2派、第3派が行います」

第1段階は小佐渡山地北部前面の戦線確保。 第2段階で中央部の国仲平野から北部大佐渡山地までの戦域を確保。 最後はハイヴ中間層までの確保となる。

作戦主任参謀の説明が終わった後、軍司令官の宮崎中将が立ち上がり、静かに訓示した。

「・・・佐渡島を無力化能えば、帝国には最低でも、あと10年の時間が許されるであろう。 能わねば、最早、亡国である―――諸将、諸官、勇敢なれ」

上陸第2軍の全将官、高級参謀たちは、無言で敬礼を返した。







2001年12月24日 1800 日本帝国 旧上越市沖 ウイスキー上陸部隊第2派別働部隊(上陸第2軍) ドック型揚陸艦『男鹿』 第15師団作戦指揮艦


「・・・我々は旧赤泊付近に上陸後、旧65号線跡を北上。 真野湾南東部の旧真野新町から、旧65号線沿いに小倉川西岸の畑野西部までを防衛線とし、この戦線を維持する」

第15師団の部隊長級・・・大隊長以上が集められた師団作戦会議。 既に後は作戦発起を待つのみであるので、詳細は語らない。 あくまで概略の最終確認だ。

「敵の・・・BETAの耳目は真野湾のウイスキー主力第1派と第2派、そして両津湾のエコー第1派が集めてくれる。 我々は艦隊の支援は最も薄く、陸戦隊の強襲上陸部隊も無しだが」

それでも、『こっそりと裏口から』上陸が出来るであろう。 師団G3(作戦主任参謀)の三浦中佐が苦笑したように言う。 実際『裏口入島』などと、師団内で言われている。

「裏口でも何でもいい。 最も損害が大きくなる強襲上陸時の損耗を、それで防げるのならばな」

TSF―――戦術機甲部隊の最先任指揮官・荒蒔中佐が、真面目な表情で言った。 海軍陸戦隊の『海神(イントルーダー)』が居ないこの方面では、彼ら師団TSFが真っ先に上陸する。

荒蒔中佐の言葉に頷いた三浦中佐が、言葉を続けた。

「強襲上陸第1陣は、第151と第152戦術機甲大隊。 周防少佐、長門少佐、宜しいか?」

「了解です」

「はっ」

6名いる戦術機甲大隊指揮官の内、最先任の荒蒔中佐に次ぐ、戦術機甲部隊指揮官のNo.2とNo.3であり、この手の『荒事』の経験が豊富な周防少佐と長門少佐が指名される。

「第1陣による海岸線橋頭堡確保の後、TSF主力が上陸。 旧81号線と交差する備附山より西の笠取山、東の外山ダム跡から海岸線手前のヒルメ山までを確保。
中央は第153(荒蒔中佐指揮)と第154(間宮少佐指揮)の2個戦術機甲大隊。 西部は第155(佐野少佐指揮)、東部は第156(有馬少佐指揮)の両戦術機甲大隊が担当する」

TSFによる橋頭堡確保と、戦域拡大の後、機械化装甲歩兵部隊が上陸。 小型種BETAに対する警戒を行う。 その後、機械化歩兵部隊、機甲部隊、自走砲部隊を含む戦闘車両・重装備を揚陸する。
装備の揚陸完了後、師団は小佐渡山地内陸部への侵攻を開始。 途中のBETA群を排除しつつ、真野湾南東部の真野新町を目指す。 その後、旧65号線に沿って戦線を構築する。

「我が師団を含む第17軍団は、ウイスキー第2派別働部隊。 海軍聯合陸戦隊2個師団が真野湾一帯を確保した後、主力第2派の真野湾上陸と同時に南東部海岸線に上陸する。
第17軍団の任務は、小佐渡山地の戦域確保。 並びに真野湾、両津湾に至る兵站連絡線の確保と維持。 なにせ、この両湾には兵站末地は構築できないからな・・・」

甲21号との距離が近すぎる上、場所は島の中央部の国仲平野だ。 こんな所にデポ(兵站地)を設置すれば、BETAの格好の餌食と化すだろう。
それ故に、最も離れた、そして地形的に岩盤部分が多く残る小佐渡山地東岸の海岸線に、兵站末地を設営する必要があった。 それだけではない。

「ウイスキー主力、そしてエコーもだが、艦隊の支援砲撃は受けやすいが、自前の砲兵部隊を展開できない。 甲21号との距離が近すぎる、砲兵に近接戦闘をさせられない」

同時に他の支援部隊もだ。 それらの部隊は一括して、第17軍団指揮下で南東部の小佐渡山地に展開する事になる。 小佐渡山地の岩盤を盾に、支援砲撃を繰り返す。
M110 203mm自走榴弾砲(自走20榴)なら射程21,300m、99式 自走155mm榴弾砲ならば30,000m、長射程弾(ベースブリード弾)ならば40,000mの射程がある。
他にもMLRSならば45,000m以上、牽引式のFH70 155mm榴弾砲ならば24,000m、RAP弾(ロケットアシスト推進弾)で30,000mに達する。

小佐渡山地に陣取り、優に北部の大佐渡山地を射程に入れての支援砲撃が可能になるのだ。 よって小佐渡山地は、兵站発起点であると同時に、支援砲撃の要地ともなる重要な場所だ。

「作戦発起は国連軌道艦隊の突入弾分離後、敵BETA群のレーザー照射迎撃確認、重金属運発生後となる。 予定では0900、第2艦隊の艦砲射撃が開始される予定だ」

その後に海軍聯合陸戦隊の4個強襲上陸大隊(スティングレイ)が、潜水母艦より発進して強襲上陸開始。
第2艦隊による真野湾旧河原田一帯の面制圧完了、旧八幡新町への砲撃継続を待って、母艦戦術機甲部隊発艦。 広域面制圧攻撃を開始する。

「ウイスキー上陸第1派(海軍聯合陸戦第1、第2師団)の強襲上陸開始は、スティングレイの橋頭堡確保の後。 タイムスケジュールでは0935」

これらの部隊が旧八幡新町、旧河原田本町を確保し、エコー揚陸部隊が両津港沖にオン・ステージした後、ウイスキー第2派、同第2派別働部隊、エコー上陸1派が上陸作戦を行う。
第15師団はウイスキー第2派別働部隊のうちの一つ。 上陸後、小佐渡山地の南東部を確保する事が任務となっていた。 その後に確保戦域を拡大し、国仲平野南東部まで進出する。

「ここから先は本番だ。 主役はオービットダイバーズ(国連軍第6軌道降下兵団)、そして帝国軍の4個独立機動大隊(大隊戦闘団)、彼らがハイヴに突入する」

その後は・・・心境としては、最早、『天祐を信じ突撃せよ』であろう。 何せ、過去の戦訓でもハイヴ突入後、4時間前後で作戦は破たんし、失敗し続けているのだ。

「今回は隠し玉がある。 国連軍と我が軍、双方にな。 上手くいけば地表に限り、BETA群を一掃出来得るほどの」

日本帝国軍・戦略航空機動要塞『YG-70b』、秘匿名称『義烈』 国連軍も『準同型艦』を投入するという。 詳細は軍機故に、部隊長クラスでさえ知らされていない。

「各部隊長に対する留意点は、『義烈』、及び国連軍の準同型艦が攻撃開始体勢に入った際、その射軸上には決して入らない事。 冗談ではなく『消滅』するそうだ。
第2に、『義烈』、及び国連軍の準同型の直援に入る事態になった際、装甲表面から10m以上離れる事。 そしてさらにその際、発射体勢に入った艦体の直後に位置しない事だ」

「何か影響が?」

第153機械化歩兵装甲大隊長・高谷少佐が質問する。 他の数名の大隊長も同様の表情だ。 G3(師団作戦参謀)の三浦中佐が、G2(師団情報参謀)の矢作中佐を振り返った。
師団G2・矢作冴香中佐は元通信大隊長を務め、その後に情報畑に転じた。 30代に入った女性将校だが、一部熱烈な信奉者が居る、と噂される冷たい美貌とスタイルの持ち主だった。

矢作中佐が三浦中佐から説明を引き継ぐ。

「ここで一部情報を開陳しても、問題は無いと思う・・・『義烈』、並びに国連軍の準同型艦の主兵装は、『荷電粒子砲』である・・・とんでもなく大出力の、超強力な電子レンジよ。
それを収束させ、指向性を持たせて放つ。 戦術機や戦車の電磁波遮断処置程度では、人も電子機器も、直撃されれば瞬殺・・・いえ、蒸発するわ」

直撃でなくとも、エネルギーの影響範囲に入れば完全に蒸し焼きにされるだろう―――冷たい美貌に妖しい笑みを浮かべてそう言う矢作中佐は、確かに特殊な人々の垂涎だろう。
しかし同僚たちは、彼女が戦死した夫に未だ操を立てていて、一人息子の幼い愛息に惜しみなく愛情を注いでいる良き母親である事を知っている(本人の前では怖くて言えないが)

「従って主兵装発射時は、車線軸上はおろか、その中心線から100mの範囲内に入る事を厳禁する。 更には直援に就く可能性のある場合、艦体後方、艦幅から後方100mも侵入厳禁」

更に、国連軍の準同型艦は再発射までのクールタイムが約4分、『義烈』はクールタイムが約3分ある。 よって同時砲撃は行わない。 交互砲撃を行う。

「国連軍の準同型艦には、専属の直援部隊が付く事になる。 戦術機甲1個中隊だが、無論それだけの戦力でカバーできる訳ではない」

従って、第17軍団が『間接護衛』を行う。 出来得る限り、接近してくるBETA群を削る訳だ。 これは『義烈』にも同様の間接援護を行う。

「もっとも、荷電粒子砲しか兵装を持たない国連軍の準同型艦とは異なり、『義烈』は荷電粒子砲の他に、艦載型と同型の127mm電磁投射砲を単装2基搭載する」

他にも、今回の作戦で帝国軍が先行量産型を投入した『ライトガスガン』 試作型では155mm、105mm、57mmの3種類が開発された。 『01式特殊野戦砲』
このヘリウムガスを作動流体として用いる新型砲を、71口径105mm単装砲6基を搭載する(155mm砲は60口径、57mm砲は85口径)
ライトガスガンは理論上、ヘリウムガス使用の場合、火薬の燃焼ガスよりも大きなエネルギーを伝播させることができ、理論上の上限は7.8倍になる。 実用上では5.3倍。

戦闘車両としては、退役したM42自走高射機関砲の66口径40mm連装対空機関砲M2A1を降ろし、本試作57mm単装砲を搭載した『試作01式野戦自走高射砲』を57輌。
74式戦車から旋回砲塔を撤去し、代わりに固定式戦闘室に変更して本試作105mm砲を搭載した『試作01式駆逐戦車』が38輌。
そして重装輪回収車の車体をベースに、本試作155mm砲を搭載した『試作01式火力戦闘車』12輌が製作された。 全て今回の作戦に投入されている。

先だってのBETAの新潟侵攻後、佐渡島での『先行試験作戦』の結果、57mmでも射程4000mで突撃級BETAの正面装甲殻を見事に射貫させている。 
105mm砲で有効射程8500m、155mm砲が有効射程15,000mで、突撃級BETAの正面装甲殻をそれぞれ見事に射貫させた。 
要撃級ならば57mmでも、6000m以内で全て撃破可能。 現状で電磁投射砲に次ぐ高初速・高貫通力を有する砲だ。 製造コストは電磁投射砲のおよそ10%に過ぎない。

戦術機の突撃砲に搭載の120mm滑腔砲では、撃破可能射程距離が射距離300mあたりだ。 400mを超すと2~3発を同一箇所に当てなければ貫通できない。 500m以上は弾かれる。
この事を考えると、『義烈』搭載の火砲は127mm電磁投射砲単装2基、105mm特殊野戦砲(ライトガスガン)単装6基。 速射性を入れれば、距離8000m辺りから掃討可能だ。

そして近接防御用の通常機関砲として、GAU-12イコライザー(25mm・5砲身ガトリング式ロータリー機関砲)を、36mm口径に改良した『99式艦載機関砲』を12基搭載する。
但し、ここにも昨今の新技術は盛り込まれている。 装薬が炭素骨格火薬から、ホウ素骨格火薬に換装されている。 従来の炭素骨格火薬の2倍以上のエネルギーを発生させる。
この『ボロン(ホウ素)・コンポジット(BC)』の実用化で、装薬量はかなり軽減でき、砲弾全長も短縮出来た事で、装弾量の増大を実現させた―――兵站部署にとっては悪夢だ。

この新型装薬を用いた新型36m砲弾(戦術機の突撃砲の36mm砲弾にも用いられている)を発射する、5砲身ガトリング式ロータリー機関砲を、『義烈』は12基搭載している。

遠距離攻撃から近接攻撃まで、荷電粒子砲以外も充実させている。 

国連軍の準同型艦と同じく、『義烈』もまた、荷電粒子砲発射時は艦底部と後方部以外の『ラザフォード場』が無くなる。 但し回復に要する時間は15秒だけだ。
そして荷電粒子砲以外の火力使用については、『ラザフォード場』を展開しながらの、火力使用が可能な点が大きい。 光線属種から防御しつつ、他のBETAを制圧出来得るのだ。
前者の『欠点』についても、解決の目途は立っている。 数か月後には『ラザフォード場』を展開しつつ、荷電粒子砲の連続発射を行えるであろう。

「基本的に『義烈』は独力で作戦遂行可能だ。 だがそれでも限度がある、故に我が第17軍団が間接護衛任務に就く・・・事もある」

第15師団の部隊長クラスのほぼ全員が、嫌そうに顔をしかめた。 こう言った『厄介事』を背負い込む『癖』が、この師団には確かにあるからだ。

「とは言え、我々の主任務はあくまで、兵站線の確保と維持だ。 よって『間接護衛』は、『余力のある場合にのみ』、実施する」

G3・三浦中佐の言葉で、その場にいた部隊長たちは確信した―――『義烈』は兎も角、国連軍には勝手にやってもらう。 そして『間接援護』は恐らく『間に合わない』

正直、己が任務を遂行するだけで、首が回らなくなるであろうからだ。









2001年12月24日 2100 日本帝国 旧上越市沖 ウイスキー上陸部隊第2派別働部隊(上陸第2軍) 第15師団第151戦術機甲大隊 戦術機揚陸艦『松浦』


『煙草盆』―――艦内は基本、禁煙である。 これは商船でもそうだ。 そして帝国海軍艦艇の場合、決められた所定の場所に『煙草盆』を出し、そこで喫煙する。
木箱の内部にブリキ板を敷いたスタイルは、明治・大正の頃の海軍と変わらないスタイルだ。 これを石綿製の敷物の上に置く。 『松浦』の『煙草盆』は艦橋後部の露天甲板にある。

「・・・馬鹿だと言われても、スモーカーは止められませんね」

「うん。 これはもう、宿痾(治らない病気)だな・・・」

夜、僚艦が並ぶその舷灯を見ながら煙草を吸いつつ、言うのは第151戦術機甲大隊の先任中隊長・最上英二大尉。 煙草を吸いながら、相槌を打つのは大隊長の周防少佐。

「遠野(遠野麻里子大尉、第3中隊長)や来生(来生しのぶ大尉、大隊副官兼第2係主任(情報・保全))あたりからは、白い目で見られますが・・・」

「俺なんか、香川(香川由莉中尉、第2中隊第2小隊長)あたりから、煙草を吸っていたら、汚物を見る様な視線で睨まれますよ・・・」

これまたスモーカーの大内和義大尉(副大隊長兼大隊第1係主任(人事・庶務))、第2中隊長の八神涼平大尉が、やや凹みながら言う。

12月下旬の日本海洋上。 いくら防寒装備を着込んでいるとは言え、真冬の海を渡る風は、それも夜間となれば身を切るように冷たい。 
それでも煙を求めるのは、モク中たるの宿痾だ・・・馬鹿なモク中男が4人、寒さに震えながら身を寄せ合って煙草を吸っている。

「・・・実は、俺の同期生で軍司令部の通信班長をしている奴がいます。 負傷して戦術機を降りて、通信に鞍替えした男ですが」

最上大尉が周防少佐を見つつ、誰ともなく言い始めた。

「作戦発令直前、今年最後の同期会をやったんですが・・・その時に奴から漏れ聞いた話です。 今回の作戦発令時期は、余りに急だった」

なにしろ、今月の上旬にあんな事件が発生したのだ。 普通に考えれば、作戦発令は1カ月か2か月は遅れる、軍人ならば誰もがそう考える。 最上大尉もそう考えた。

「軍司令部内の、それもスペさんの間の噂で、『横浜の横やりで、年内発令に決定した』と・・・」


『スペさん』―――昔の特務士官の事で、下士官から昇進した超ベテランの准士官、士官達の事を指す。 軍隊歴も20年以上、軍の隅々まで把握する苔むした古狸達。
そのネットワークは、高級将校でしか知り得ない情報でさえ、時として嗅ぎ付け、そして深く静かに情報が、そのネットワーク中に回る。

故に、『スペさん情報』となれば、その信憑性は軍情報本部や情報省、国家憲兵隊並み『以上の』信頼性で捉えられる。

「スペさん情報か・・・俺の所には入っていないが・・・」

短くなった煙草を消して、性懲り無くもう1本、煙草に火を点ける周防少佐。 一息吹かした後で、部下達を見回しながら言った。

「例えそうだとしてもだ、作戦自体は発令されただろう。 そして最早、それが1カ月、2か月の差など些末に過ぎない状況だという事も、貴様たちは理解しているだろう?」

色々な情報が軍内部を飛び交っている。 佐渡島のBETA群も最近また活性化しつつある。 最早、時期を選ぶ余地は限りなく少なくなっているのだ。

「珍しく横浜が『協力的』だそうだ。 作戦の独立指揮権要求を引っ込めたそうだ。 もっとも独立裁量権は結構大きいそうだが・・・」

それでも作戦の総責任者は、攻略作戦総司令官の嶋田陸軍大将だ。 横浜の裁量権は、直接の上級者である海上作戦担当副司令官の小澤海軍大将を通じ、嶋田大将の承認が必要となる。
更に言えば、地上戦とハイヴ攻略戦に関する事項は、地上作戦担当副司令官である国連軍(米軍)の、ロブリング米陸軍大将の同意も必要となって来る。

「事、これだけの大規模作戦に至っては、横浜の横槍も通じないし、通す事もしないだろう。 色々と言われている人物だが、愚者ではないだろう」

でなくば、あれほどの大組織をほぼ1人で掌握し、運用することなど不可能だからだ。 本来は、様々な面で『天才』なのだろう。 もっとも、故に独善的な面があるのかもしれない。

「帝国軍もまた、横浜の提案にメリットを見つけたのだろうな。 だから作戦を発令した・・・俺達は与えられた任務を遂行するばかりだ。 いいな? 変に勘繰りを入れるな」

部下達を諭すように言う。 この辺りの勘は、周防少佐は経験上、結構当たる。

その後、大内大尉と八神大尉が艦内に戻り、周防少佐と最上大尉の2人で居残った。

「少佐・・・部下達には全員、遺書を書かせました」

「うん・・・」

「自分は、書いておりません」

「・・・うん」

周防少佐も、最上大尉も、それから無言で煙草を吹かし続けた。

「来春には・・・最上、貴様も少佐に進級だなぁ・・・」

「後を八神に任せるのは、ちょっと心配ですけれどね・・・」

最上大尉は、周防少佐の1期後輩である。 そして第2選抜で、来春3月末の定期人事で、少佐進級が内定している。

「八神もまあ、育っているよ。 遠野も経験を積んだしな・・・」

順当にいけば、23期B卒の三島晶子中尉(第1中隊第3小隊長)、香川由莉中尉(第2中隊第2小隊長)、鳴海大輔中尉(第3中隊第2小隊長)辺りが、同時期に大尉に進級する。
勿論、中隊長として転出もあるが、場合によってはこの3人の内、1人が最上大尉の後釜に座る可能性が大きい筈だ。

「いずれにせよ、この作戦が終わってからだが・・・」

煙草を消して、ふと、夜の洋上に錨泊して並ぶ僚艦群の舷灯を見ながら、周防少佐が言った。

「最上。 貴様は得難い右腕だよ」




[20952] 佐渡島 征途 2話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:ad831188
Date: 2016/12/18 19:41
2001年12月25日 0856 日本帝国 佐渡島沖 南南西20海里(約37km) 富山舟状海盆洋上


『―――国連軌道艦隊、所定軌道周回中』

『―――第2艦隊、真野湾沖10海里(約18.5km)、オン・ステージ』

作戦指揮所内に、オペレーターたちの抑揚を抑えた報告が飛び交う。 作戦指揮艦『千代田』の作戦指揮所は、艦橋構造物の後方にある。 巨大な箱型で、上甲板で大きな面積を占める。 
多数のオペレーター席と状況を示す大型のモニター群。 その後方、一段上がった場所に設けられた司令部スタッフ用のスペース。 正面席は作戦総指揮官の嶋田陸軍大将。

『―――『SLUGGER(スラッガー)』より入電、『ALL OK』です』

『SLUGGER』―――コードネーム『スラッガー』

甲21号作戦の地上作戦、真野湾・両津湾上陸作戦『ネプチューン作戦』 BETAをハイヴから引き離し、かつ佐渡島東岸への別働上陸後に兵站線の確立を目指す『エプソム作戦』
フェイズ4でのオービットダイバーズ(ORVIT DIVERS:第6軌道降下兵団)と、帝国陸軍突撃大隊群のハイヴ突入作戦、『グッドウッド作戦』
そして最後に・・・ハイヴ最深部を目指し、そしてハイヴ内兵站・通信網を確立しつつ、ハイヴ内の攻略を進める『トータライズ作戦』

これら4つの地上作戦に全責任を負う、地上作戦担当副司令官・国連軍のロブリング米陸軍大将。 その将軍が座乗する、アメリカ級強襲揚陸艦『ブーゲンビル』のコードである。

その『スラッガー』・・・ロブリング大将から、地上作戦の開始が完了したと伝えられた。

『―――『ATLAS(アトラス)』より入電。 『攻撃準備、宜し』です』

尚、海上作戦・・・真野湾・両津湾への対地攻撃作戦『決捷一号作戦(フォーティテュード作戦)』、地上軍上陸後の支援砲撃作戦『決捷二号作戦(オリンピック作戦)』
島の東岸への上陸支援砲撃作戦『決捷三号作戦(チャンネル・ダッシュ作戦)』、そして国連軍の特務作戦『A-00作戦(オルタネイティヴⅣA)』

これら一連の海上作戦と特務作戦は、海上作戦に全責任を負う、海上作戦担当副司令官の、日本帝国海軍の小澤海軍大将が全責任を担う。 
作戦指揮座乗艦は、洋上作戦指揮艦である大型重巡洋艦(イージス巡)『最上』 コードネームは『ATLAS(アトラス)』

『国連軌道艦隊の突入弾分離を確認!』

『佐渡島のBETA群、レーザー照射迎撃を開始!』

ややあって、モニター越しにも外の状況が分かった。

『重金属雲発生! 重金属雲発生!』

時は2001年12月25日 0900・・・

「・・・発令。 甲21号攻略、開始せよ」

「はっ! 通信! 達する! 甲21号攻略作戦、開始せよ!」

総司令官・嶋田大将の静かな声色の命令を受け、参謀長がスタッフに命じた。

『―――達する! 『KING(キング)』より『SLUGGER(スラッガー)』へ! 『オペレーション・サドガシマ』発令! 『オペレーション・サドガシマ』発令!』

『―――『KING(キング)』より『ATLAS(アトラス)』へ! 『甲21号作戦』発令! 繰り返す! 『甲21号作戦』発令!』

その命令は瞬く間に陸海の各級司令部に通達され、そして・・・

『第2艦隊、艦砲射撃開始しました! 目標、河原田一帯!』

真野湾口の洋上に布陣していた帝国海軍聯合艦隊第2艦隊。 その水上打撃部隊である第1戦隊の戦艦『紀伊』、『尾張』、第2戦隊の『信濃』、『美濃』、第3戦隊の『出雲』、『加賀』
6隻の戦艦群が45口径20インチ砲3連装4基、50口径18インチ3連装3基、50口径18インチ砲3連装4基の巨砲群から、猛烈な砲撃を加え始めた。

最も小さい『信濃』、『美濃』の18インチ砲弾でさえ、全長2,055mm 砲弾重量1,560kgに達する。 『紀伊』、『尾張』の20インチ砲弾は全長2,230mm、砲弾重量1,980kgに達する。
どの艦も度重なる近代化改修の結果、主砲も換装されていた。 『信濃』、『美濃』、『出雲』、『加賀』の50口径18インチ砲では、初速は830m/sに達している。
『紀伊』、『尾張』の45口径20インチ砲は初速790m/s これは砲身長(50口径と45口径)の違いから生じる初速の差だ。

砲弾が生み出すエネルギーは、『信濃』、『美濃』、『出雲』、『加賀』の50口径18インチ砲で537.3MJ、『紀伊』、『尾張』の45口径20インチ砲で617.8MJ
これは例えば、陸軍の最も標準的な野戦重砲である155mm榴弾砲を例にすれば、そのエネルギーは、およそ30MJ前後である。 陸軍野戦重砲の実に18倍から20倍のエネルギー。
これが各艦、それぞれ9門から12門を搭載している。 『信濃』1隻で50口径18インチ砲9門、その全力斉射のエネルギーは4,836MJに達し、155mm榴弾砲161門分であった。

陸軍の砲兵部隊は、1個砲兵中隊で6門、1個砲兵大隊で24門を装備する。 161門とは6.7個砲兵大隊・・・2個から3個師団の砲戦力に匹敵する。
戦艦1隻でそうなのだ。 今、第2艦隊の戦艦群が叩きつけている、鉄と炎と爆風の暴力は、実に陸軍師団砲撃力全力の、12個から18個師団分に相当する。

地上からは盛んにレーザー照射での迎撃が為されているが、発生した重金属雲の濃度が高まるにつれ、レーザーが拡散される。 直撃を得る砲弾の数が飛躍的に多くなった。
1発着弾するごとに、一瞬地表付近がブレる錯覚に陥る。 次いで衝撃音、そして巨大な爆炎と黒煙が吹きあがり、衝撃波が収まった後には大きなクレーターが現れる。

そのクレーターの底には、赤黒い『何か』が点々とこびりついていた。 固い装甲殻を有する突撃級BETAでさえ、巨大な戦艦の主砲段の直撃はおろか、至近弾でも爆散する。
6隻の戦艦の全力斉射による、全くの無慈悲な艦砲射撃。 更にその後方の巡洋艦群からは、VLSから対地ミッション用のトマホーク巡航ミサイル(RGM/UGM-109H)が発射される。
主砲弾より遥かに低速であるが(880km/h≒244.4m/s)、重金属雲と言う『スクリーン』上空を飛翔して(何割かはレーザーで迎撃されるが)後方の光線属種BETA群に降り注ぐ。

『―――河原田一帯の面制圧進捗、80%を超しました』

『―――『ATLAS(アトラス)』より通信、『スティングレイ』発進します!』

0905時、砲撃開始より5分後、真野湾海中を進む、帝国海軍聯合陸戦隊の強襲上陸専門部隊『強襲上陸大隊(スティングレイ)』の4個大隊が、『崇潮』級強襲潜水艦から続々発進した。

「よし! 『SLUGGER(スラッガー)』に通信! 『ウイスキー』上陸に備えよ!」

『―――『KING』より『SLUGGER』、『ウイスキー』上陸、スタンバイ!』

艦内が更に慌ただしくなる。 いよいよ―――いよいよ、悲願の佐渡島上陸・・・佐渡島奪回作戦が開始されるのだ。





0915―――旧河原田一帯、面制圧完了。 第2戦隊、旧八幡新町に艦砲射撃継続。

0918―――第2艦隊戦術機母艦群、艦載戦術機甲部隊(『飛鷹』、『隼鷹』、『瑞龍』、『神龍』戦術機甲隊)を発艦させる。 広域面制圧攻撃開始。

0920―――『スティングレイ』上陸開始。 0932、上陸地点確保。

0935―――ウイスキー上陸部隊第1派(聯合陸戦第1、第2師団)、強襲上陸開始。 第2艦隊、支援砲撃続行。

0942―――『ウイスキー』各機甲師団上陸開始。 戦術機甲師団、各隊順次発進開始。

0948―――真野湾沿岸部に重光線級出現(ポイントS-52-47) スティングレイより支援砲撃要請。 最初のレーザー照射被弾・沈没艦(戦術機母艦『高尾』)





73分後―――2001年12月25日 1005 佐渡島海峡南東海上15海里 ウイスキー上陸第2派別働部隊 日本帝国軍第15師団第151戦術機甲大隊 戦術機揚陸艦『松浦』


「・・・叩かれているな」

第151戦術機甲大隊長の周防直衛少佐が、ポツリと呟いた。

「ええ・・・」

先任中隊長の最上英二大尉が同意する。

待機中の戦術機母艦の衛士待機室。 未だ経験の浅い少尉から、古参の大尉まで。 そして部隊長の周防少佐も居る。 出撃命令が出るまでの間、全衛士が待機していた。
艦内放送での戦況中継は、周防少佐から艦長に願い出て遠慮してもらった。 どうせ聞いても地獄の釜が開いた状況なのだ、今から若い連中を不用意に緊張させる事は無い。

その代り、部隊長(大隊長級以上)級が受信できる、コペルニクスC4Iコンセプトを用いた、CEC(共同交戦能力:Cooperative Engagement Capability)
その作戦指揮系(OPS)の共通作戦状況図(COP)、ないし共通戦術状況図(CTP)を、部下の大尉達へ転送して、戦況の情報共有を行っていた。

「轟沈81、うち戦術機母艦49。 大破52、うち戦術機母艦31・・・凄まじいな、1時間と少しでこれか・・・」

「都合、戦術機母艦80隻がオシャカっすか・・・戦術機母艦1隻で、最低でも1個中隊12機。 改良型だったら、最大で1個大隊、40機ですぜ」

「平均して26~28機として、それでも搭載する戦術機の数は2000機に達します。 その全てが失われた訳でないでしょうけれど・・・」

3人の中隊長たち、最上英二大尉、八神涼平大尉、遠野万里子大尉も、表情を歪める。

当然ながら、戦術機が発艦した後にレーザー照射を受けて轟沈、或は大破した艦の方が圧倒的に多い。 『高尾』が撃沈されるや、上陸第1派は一斉に戦術機を無理やり発進させた。
純粋な『戦術機母艦』ではなく、実を言えば『戦術機揚陸艦』、或は『戦術機運搬艦』である。 しかし、それでも1時間と少しの交戦で、合計80隻が撃沈・大破された事は衝撃だ。

今回の作戦、戦術機揚陸艦は『大隅』級10隻、『渡島』級60隻、『天草』級90隻。 この160隻の他に、より簡易な特設戦術機運搬艦が200隻以上投入された。
他の支援艦艇を含めれば、実に2000隻を超す。 撃沈破133隻は、損耗率6.65%に達する。 作戦遂行が困難になるには未だ速いが、無視できない速度だった。
(戦術機揚陸艦・戦術機運搬艦に限れば、その損耗率は22.2%に達する。 通常ならば作戦遂行を、早々に諦めるレベルの数字だった)

「ウイスキー上陸第1派は、旧八幡新町、旧河原田本町を確保・・・部隊損耗7%ですか・・・」

「エコー揚陸部隊第1派は、両津港跡に向け最大戦速で南下中。 ウイスキーアルファは旧高塚まで南下、戦線を維持中・・・」

「甲21号よりの師団規模BETA群が、ウイスキー本体を目標に南下中・・・」

大隊副官兼第2係主任(情報・保全)の来生しのぶ大尉、第1係主任(人事・庶務)の大内和義大尉、第3係主任(運用・訓練)の牧野多聞大尉も厳しい顔だ。
何と言っても、70分ほどでウイスキー上陸第1派の損耗率が、7%に達した事だ。 と言う事は、純粋な戦闘部隊の損耗率は最低でもその3倍になる・・・20%を超す損耗率だ。

「戦闘部隊で言えば、恐らく2割ほど・・・戦術機甲部隊じゃ、1個連隊120機の内、2個中隊が喰われていますよ」

第4係主任(兵站・後方)の宮部宗佑大尉が、艦上の無い声で言う内容を、他の大尉達が内心で怖気を振う気分で聞いた。

『部隊』は戦闘部隊・・・戦術機甲部隊、機械化装甲歩兵部隊、機甲部隊、機動高射部隊、砲兵部隊などだけではない。 それを支援する『後方支援部隊』の方が多いのだ。
故に、部隊損耗率とは、純粋に戦闘部隊の損耗率に換算すれば、凡そ3倍の数字となってしまう。 為に、師団の場合、攻勢では部隊損耗15~20%で『攻勢限界』と言われる。

その『攻勢限界』の損耗率に、すでに半分近くまで達しているのだ。

その時、周防少佐の網膜投影スクリーン上に、CECから新たな情報が入った(閲覧制限情報だったので、大尉達は見れなかった)

『―――作戦総司令部発令。 『フェイズ3に移行』・・・』

無意識に身を固くする周防少佐。 フェイズ3―――出番だ。

「・・・大隊、即時発進準備。 5分やる、急げ!」

「「「「「ッ! 了解!」」」」」

慌ただしく部下達を追い立て、戦術機ハンガーへ走り出す最上大尉、八神大尉、遠野大尉。 そして慌ただしく、緊張しながら走り出す衛士たち。
来生大尉は第2係主任(情報・保全)を兼ねる為に、大隊のCPオフィサーたちと共に、戦術管制ヘリ(アグスタウェストランド AW101)に搭乗する。
大隊幕僚の大内大尉、牧野大尉、宮部大尉も別のヘリに乗り込んだ。 大隊本部を構成するのは、2機のヘリと本部管理中隊を含む機材を搭載した73式中型トラック5輛。
トラックなどの車輌は、橋頭堡を確保した後に揚陸される。 それまで大隊幕僚たちは、搭乗した改造ヘリの中から、大隊の後方支援を行うのだ。

最後に、部下達の背中を見守った周防少佐が、衛士待機室を後にする。 微かに目を閉じ、小声で呟いた。

「・・・生き残る」






『攻撃隊、発進準備。 攻撃隊、発進準備。 搭乗員(衛士)、搭乗開始せよ』

来た、出撃命令だ。 ハンガー脇の衛士待機室から飛び出した第151戦術機甲大隊の面々は、自らの『愛機』に駆け寄る。 その愛機の前には、それぞれの機附き整備員たちが居た。
機附き整備員たちが機体の状態を素早くレクチャーする。 その情報を確認し、整備に口々に礼を言って管制ユニットに搭乗する衛士達。 それを見上げ、見送る機付き整備員たち。
機附き整備員たちも戦っているのだ。 ネジの1本の緩みも、オイルの一滴たりとも漏らさない、システム調整は万全である。 衛士の生還、それこそが彼ら整備員たちの勝利だ。

94式『不知火』壱型丙Ⅲ(壱型23型)―――壱型丙Ⅰ(壱型21型)、壱型丙Ⅱ(壱型22型)と、帝国陸軍技術陣が四苦八苦し続けた『不知火壱型』の性能向上型。
壱型丙Ⅰの様に扱い辛くなく、壱型丙Ⅱの様に極端に燃費が悪くない。 操縦性も機動特性も壱型甲同様の、素直な操縦特性に戻った―――『武人の蛮用』に耐える機体。

日本帝国の官民の科学技術陣が、やっとのことで実用化・汎用化、そして量産化に成功させた『ダイヤモンド半導体(Diamond Semiconductors)』の技術。
従来のシリコン半導体に比べ、数十倍から数百倍とも言われる大幅な高速化が可能なばかりか、基本性能自体も高く耐熱性なども極めて優れ、過酷な環境下でも動作する。
そして従来から実用化・量産化させていた『球面半導体(Ball Semiconductors)』 平面の半導体基板ではなく、半導体基板を球面にし、その容量を数倍にする技術。 
真球形状が難しかったが、何とか数年前に実用化した。 この2つの技術の確立によって、従来では困難だった大容量・高速化の演算が、普通に可能なCPUが搭載可能となった。 

もっとも、『横浜』の試作する(噂では量子コンピューターの超小型化)ワンオフ品には劣るが。

その結果として、制御ソフトウェアと演算装置のアンマッチ(演算が追い付かない)と言う『壱型丙』シリーズの欠点を、ほぼ回復できたのが『壱型丙Ⅲ(壱型23型)』だ。
『弐型』の開発が、日米両国の官民の思惑が複雑に絡まり、不透明さを増している現状では、『壱型丙』シリーズのバージョンアップで乗り切らねばならないのが実情だ。


衛士用リフトでパレットに乗り上がり、戦術機ガントリーに固定され直立させた状態の機体の管制ユニットに乗り込む。 1機当たりの格納スペースはかなり狭い。
やがて戦術機を乗せた大型リフトが、上甲板(発進甲板)まで上げられる。 外の世界は、うす暗い穴倉から、弱々しい冬の陽が照りつける、真冬の日本海だ。

『ゲイヴォルグ・マムよりリーダー! 敵情は備附山から外山ダム跡付近に、連隊規模BETA群が約3000! 他に小規模の集団複数を確認! 約600!
2航戦(『飛龍』、『蒼龍』)から第201、第202戦術機甲隊が侵入を開始! 続いて3航戦(『雲龍』、『翔龍』)から第301、第302戦術機甲隊発進! 
備附山から外山ダム跡一帯の、広域面制圧攻撃を開始します。 ゲイヴォルグは2航戦、3航戦の広域面制圧攻撃と連携し、アレイオン(第152戦術機甲大隊)と海岸線に突入!』

通信管制小隊を率いる、大隊チーフCPの長瀬恵大尉(ゲイヴォルグ・マム)から、直近の戦況ブリーフが入った。 悪くはないが、良くも無い。

「ゲイヴォルグ・ワン、了解。 リーダーより『ゲイヴォルグ』各中隊、発進開始。 目標は赤泊北北西方面、天狗塚付近のBETA群2000。 残りはアレイオン(第152)に任せろ。
海軍機の面制圧攻撃終了と同時に、三益、旧諏訪神社跡から左に迂回して連中の側面を叩く。 『ドラゴン(第1中隊)』、当番(先鋒部隊)。 
右は『ハリーホーク(第2中隊)』、左は『クリスタル(第3中隊)』だ。 八神(第2中隊長)、アレイオン(第152戦術機甲大隊)との距離に気を付けろ。 遠野(第3中隊長)・・・」

『―――クリスタル・リーダーよりシックス(指揮官)、海岸付近の残存BETA、特に光線属種の確認は、クリスタルが行います』

第3中隊長―――遠野大尉の報告に、ふと以前の事を思い出した周防少佐。 中隊長になりたての頃、己の部隊指揮の手腕に随分悩んでいた遠野大尉だったが・・・

「・・・ゲイヴォルグ・ワンよりクリスタル。 任せた」

『―――任されました。 クリスタル、アウト!』

周防少佐が麾下中隊へ指示を終えた丁度その時、発艦命令が出た。

「よし、ゲイヴォルグ、全機発艦する。 続け!」

2基の跳躍ユニットからアフターバーナーの焔をなびかせ、まずは大隊長機が発艦していった。





灰色の情景。 そこにBETAの死骸の赤黒、そして曳光弾と爆炎と・・・詰まる所、ゲーテの『神曲』、その煉獄を現実にした光景だった。

群がってきた小型種BETAの小集団を、56mmリヴォルバーカノンの斉射で掃討する。 36mmより装弾数が少ないため、あまり小型種相手にばらまくのは下策だが。

「最上、そのまま背後まで抜けて群れを削り続けろ! 八神、右翼を押さえろ! その300、小型種は全て殲滅しろ! 遠野、左翼! 海岸線に抜ける200を叩け!」

噴射パドルを一瞬だけ吹かして距離をとる。 急迫してきた要撃級BETAの前腕による打撃を、寸前で回避しつつ、空いた側面に56mm砲弾を数発、まとめて叩き込み黙らせる。

大隊は現在、揚陸地点確保のためにやや内陸に入った場所で、拡張戦闘を行っている。 大量の物資を揚陸させるには、相応の広さと比較的安全を確保された場所が必要だ。
第151戦術機甲大隊の任務は、僚隊の第152戦術機甲大隊とともに、上陸地点の確保と、その戦果拡大。 後続する4個戦術機甲大隊に『引き渡す』為のスペースの確保。

要撃級を先頭に、1000体程のBETA群が大隊の正面に流れて来た。 周防少佐は第1中隊を群れの中に突き入れ、分断すると半包囲陣形を敷き、未だ残る地形を利用して砲戦で削る。
小佐渡山地は低いながらも未だ山地で、天然の要崖になっている。 BETA群は平地が有る限り、より平坦な地形を突き進む。 天狗塚から海岸線に抜けるルートは包囲した。

『萱場! 長機の背後を! 宇嶋! ついて来い!』

そして周防少佐を含めた指揮小隊の4機のうち、小隊長の北里彩弓中尉他3機は、時折紛れて浸透してくる小型種への応戦をしつつ、大隊長機の安全を確保している。
戦車級の群れが10数体、大隊の包囲網を突破して本部指揮小隊近くまで浸透してきた。 指揮小隊長の北里中尉が、4番機の宇島少尉を引き連れ前方に出る。
36mm突撃砲弾を浴びせかけ、戦車級BETAの群れを赤黒い『何か』に変える。 同時に周防少佐機のバックアップをしていた萱場少尉機が、数体の戦車級BETAに36mm砲弾を叩き込んだ。

その時、周防少佐機が目前に迫った1体の要撃級BETAに向けて、BK-57ⅡB近接制圧砲の57mm高初速砲弾を1秒間だけ放つ。 36mm突撃砲より重々しく、若干遅い発射音。
それでも発射速度を600発/分に設定にしているから、10発の57mm砲弾が命中した。 新型装薬と長砲身化で初速の上がった57mm砲弾は、瞬く間に要撃級の前腕を粉砕した。 

残る砲弾が胴体部に吸い込まれ、要撃級BETAは赤黒い体液を噴出して倒れる。

「長瀬、戦況の様子は?」

大隊CPオフィサーの長瀬大尉に問いかける。 網膜スクリーン上に小さくポップアップした長瀬大尉の姿は、少しの間、何かを検索していて、そして・・・

『ゲイヴォルグ・マムよりゲイヴォルグ・ワン。 現在のところ順調です。 上陸地点から備附山までで確認されたBETA群、約4600体。 うち、3000体が南下しました。
この内、約600体が母艦艦載戦術機甲隊の広域面制圧で殲滅されました。 大隊正面には1300体、第152大隊の正面に1100体が南下。 
現在の残存BETA数は、大隊正面に310体、第152正面に300体。 海岸線は艦砲射撃との共同制圧で、約1000体を潰した模様です』

大隊CP・長瀬大尉の情報では、南下したBETA群は既に、5分の1程まで減らされた様だ。 光線属種が思ったより少なかったのが助かった。
海軍機の長距離誘導弾攻撃と、艦隊の支援艦砲射撃で、レーザー属種BETAの注意がミサイルと砲弾迎撃に向いている間に、最上大尉の1個中隊を送り込め、短時間で殲滅できた。
1300体のBETA群と言えど、その比率からいけば大型種(突撃級・要撃級)の数は300前後。 残りは戦車級や闘士級、兵士級を主体とする小型種ばかりだ。
それに今回は、光線属種の注意が逸れていた。 その間に群れのど真ん中(BETA群の後方)に1個中隊を送り込んで殲滅できた。 光線属種は20体ほどだった。

『大隊長、50下がって下さい! 萱場! 宇嶋! 右翼からの戦車級の群れ、50! 阻止する!』

第3中隊の前面で削られたBETA群の一部の小型種BETAの群れが、指揮小隊の方向へ突進して来た。 すかさず北里中尉が迎撃指示を出す。

『了解です! 宇嶋、私の左に!』

『了解!』

周防少佐が何も言わずに噴射パドルを逆噴射させて、機体をやや後方に持って行く。 それと同時に指揮小隊の3機の戦術機がトライアングル・フォーメーションで前面に出た。

『萱場、宇嶋、私の後ろに付け! 行くぞ!』

実戦経験の浅かった宇嶋少尉(宇嶋正彦少尉、27期A)も、何度かの実戦を経験した事で先任の萱場少尉(萱場爽子少尉、26期A)の機動に合わす事が出来るようになった。
小隊長の北里中尉(北里彩弓中尉、24期A)が先頭となり突進する。 そしてBETA群と接触する直前に、3機はやや間隔を開けて、お互いの射線が広く交わる様な射角をとった。

『今だ―――撃て!』

北里中尉が突撃砲の36mm砲弾を薙ぎ払う様に射撃して、戦車級の群れを赤黒い霧に変えてゆく。 同時に第2分隊である萱場少尉と宇嶋少尉が、側面に高速移動。
側面から兵士級・闘士級BETAの横面に、36mm砲弾を散々叩き込んで粉砕した後、3機で押し包んで残るBETA群を、36mm砲弾を浴びせかけて始末した。

―――その間、大隊長の周防少佐は、機体を全く機動させていない。

「・・・部下の成長は頼もしいが、だんだん俺は自分が案山子になっていく気がするな・・・CP、長瀬、残りのBETAの数は?」

『マムよりリーダー、残存BETA数、約150体―――大隊長機が最前面でダンス(近接戦闘)などと。 『自重』と言う言葉を覚えて下さい、綾森少佐に言いつけますよ?』

「貴様は・・・貴様も含めて、大隊のCP連中は、そうか・・・くそ。 ふん、あと150程か。 前方、備附山の残りの1600は、荒蒔さん達に任せるか」

『奥様には、今でも良くして頂いていますから・・・後続部隊、発進準備完了の報告です』

長瀬大尉を含め、大隊のCP将校たちは、衛士をリタイアした後に通信将校となった周防少佐夫人の『教え子』達だ。 大隊長より夫人の方に忠実な面がある―――頭の痛い事に。

『―――ドラゴン(第1中隊長)よりシックス(大隊長)、殲滅完了予定、5分後』

先任中隊長の最上大尉から通信が入った。 共通作戦状況図(COP)、そして共通戦術状況図(CTP)でも確認できた―――上陸作戦、その諸端は成功した様だった。

「ゲイヴォルグ・ワンよりカク、ダメージ・リポート」

『―――ドラゴンよりシックス。 損傷1機、衛士は無傷。 予備に乗り換えさせます』

『ハリーホークです。 シックス、損傷無し』

『クリスタル・リーダーよりシックス。 中破1機、衛士負傷1名。 申し訳ありません、最初の段階でレーザーが擦過しました。 衛士負傷』

大隊で損傷2機。 うち1機は衛士も負傷し後送。 実質は1機の減・・・定数40機で、残存39機。 上陸作戦の先鋒部隊としては、奇跡的な損害の少なさだった。

「ゲイヴォルグ・ワン、了解した。 クリスタル、負傷者は速やかに後送しろ。 本部より1機送る―――北里」

『はい、大隊長。 遠野大尉、北里です。 指揮小隊より1機・・・宇嶋少尉を充当させて頂きます。 宇嶋、貴様はこれより第3中隊の指揮下に入れ。 萱場、私とエレメントを』

今後を考える。 兵站線を確立し、島中央部への兵站路を繋げる。 そして真野湾と両津湾のラインを確保・・・場合によってはその後、ハイヴ内の兵站線も確保せねばならない。
第15師団だけではないが、それだけの任務を考えた場合、損耗率は兵站線確保までに20%前後に抑えたい。 真野湾=両津湾のライン確保には、最低でも30機以上欲しい。

「・・・ゲイヴォルグ・ワンよりカク。 国府川到達までに許容される損耗は各中隊2機、最大でも3機までとする」

『・・・ドラゴン、了解』

『ハリーホーク、ラジャ』

『―――クリスタル、了解しました』

3人の中隊長達も声も少しだけ堅い。 損失は出なければ、出さない方が良いに決まっている。 しかし『戦争』で損失が出ないという事は絶対に無い。

周防少佐は実際の所、大隊長になってから、これまでと異なる感情に、未だ完全に慣れないでいた。 中隊長の頃までは、仲間や部下の生死は身近だった。
少佐に進級し大隊を指揮してからは、無論、部下の生死も直近で見ている。 大隊長は自身も戦場で戦うのだ。 そして同時に、『大隊』は陸軍で最小とは言え、戦術単位でもある。
詰まる所、部下の存在、その生死を、『戦術単位の駒』として認識せねばならない―――その存在と生死を身近に感じながら。 その矛盾に、未だ完全には慣れないでいた。





[20952] 佐渡島 征途 3話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:ad831188
Date: 2017/01/30 23:35
113分後―――2001年12月25日 1045 日本帝国 佐渡島東部 小佐渡山地中央部 上新穂ダム跡


「引き付けろ、引き付けろ!・・・よぉし・・・撃てッ!」

上新穂ダム跡の地形、かなりの面積が兵站に均されていたが、それでも戦闘車両が身を隠し、ハルダウンする程度の起伏が十分にあった。
小佐渡山地中央部の南部寄りまで進撃した第15師団、中央部の第14師団、北部の第10師団の、ウイスキー上陸部隊第2派別働隊(第17軍団)
この3個師団は1万を超すBETA群と激戦を展開しながら、それでも順当に進撃速度を維持しつつ、作戦目標を達成しつつあった。

普通の戦車砲より甲高い発射音。 そして重機関銃並みの連続した発射音。 1000m先で次々と撃破されてゆく突撃級と要撃級BETAの群れ。
その周囲の小型種BETAの群れもまた、機関砲を搭載した改造戦闘車輛からの斉射を受けて、赤黒い『何か』として霧散していった。

「指揮官車よりカク、カク! 第12斉射―――撃て!」

『試作01式駆逐戦車』―――旧式化した74式戦車から旋回砲塔を撤去し、代わりに固定式戦闘室に変更して、試作された105mmライトガスガンを搭載した試作駆逐戦車。

駆逐戦車―――第2次大戦後に、戦車より圧倒的に優速・高機動で、戦車砲を越える長射程の対戦車ミサイルを装備し、軽装甲車輌並みの防御を施した攻撃ヘリに取って代わられた。
その途絶えた系譜は、対BETA戦争の中で復活しようとしていた。 光線属種の存在である。 戦場で低空を低速・高機動で飛び回る攻撃ヘリにとって、光線属種BETAは悪夢だ。

そして対突撃級、対要撃級BETA戦闘での防衛戦は、かつての対戦車戦闘と同じであった。 通常の戦車から旋回砲塔を撤去し、代わりに固定式戦闘室に変更。
同格の戦車に比べ、より大型・大口径・長砲身で威力の高いものに換装―――ヘリウムガスを作動流体として用いる新型砲である、長砲身ライトガスガンだ。
ライトガスガンは理論上、ヘリウムガス使用の場合、火薬の燃焼ガスよりも大きなエネルギーを伝播させることができ、理論上の上限は7.8倍になる。 実用上では5.3倍。

いずれも長距離からの一撃で、或は数発の命中弾で、突撃級BETAの正面装甲殻さえ、射貫が能う事が証明されている。

防御戦闘に使用する為、戦車の様な旋回砲塔は必要ない。 無砲塔構造は砲塔内容量、旋廻リング荷重制限などを受けない。 砲塔構造に比べて、より大口径の火砲を搭載できる。
旧式化し、最早、対大型種BETA戦闘では威力不足を露呈した旧式戦車の再生案。 機甲部隊以外の兵科の『守護神』として復活しつつあった。

『―――2中より指揮官車! 右翼の突撃級10体、要撃級26体撃破!』

『―――3中より指揮官車! 左翼の突撃級8体、要撃級31体撃破!』

『―――1中、正面の突撃級21体撃破!』

各12輌(3個小隊)、3個中隊36輌に本部2輛の、合計38輌から成る第1001教導駆逐戦車大隊。 本来は第17軍団直轄の予備隊だった。
それがこの最前線で、BETA群に砲火を浴びせかけている理由。 第17軍団の上級司令部である上陸第2軍、その更に上級である地上作戦総司令部からの命令である。

地上作戦に全責任を負う、地上作戦担当副司令官・ロブリング米陸軍大将からの、第17軍団へのダイレクト・オーダー。 『カミニイホ・ダムを絶対に確保せよ』

第17軍団は、当初予定の無かった戦術予備部隊を、一気に投入する事になった。 第1001教導駆逐戦車大隊の他、各予備隊が戦闘に参加した。
試作01式火力戦闘車(155mmライトガスガン搭載)、12輌装備の第2001教導機甲中隊。 試作01式野戦自走高射砲(57mmライトガスガン搭載)、57輌装備の第3001教導高射大隊。

この他にも、旧式化して退役した60式装甲車に、4連装対空銃架に設置されたブローニングM2・12.7mm重機関銃を搭載した戦闘車両である60式自走機関砲。
同じく旧式化して退役した60式装甲車に、35mm・2連装高射機関砲 L-90を搭載した、60式自走高射砲。 いずれも『制式採用』ではなく、現地部隊での『無許可改造』に近い。

しかし旧式の車体・装備ながらも、小型種BETAに対しては、猛烈で濃密な弾幕を展開でき、製造コストも安く大量に配備できることから、歩兵部隊の『守り神』的存在である。
それらの『無許可改造戦闘車輛』を配備された、独立自走機関砲・自走高射大隊が3個大隊。 教導隊を囲むようにして、小型種BETAの浸透を防ぎ激戦を展開していた。

当然ながら、車輌部隊だけでは防ぎ切れない。 独立機械化歩兵大隊、果ては軽歩兵である独立自動車化歩兵大隊まで投入しての、上新穂ダム跡の奪取戦。
更にその外縁部ではトルーパーズ―――機械化装甲歩兵部隊が戦車級BETAと激戦を繰り広げ、戦術機甲部隊が突撃級、要撃級BETAの後続と激突していた。

「トルーパーズ(機械化装甲歩兵)より通信! 『戦車級50体、阻止能わず。 貴方へ向かう、注意を要す』 左翼側面からです!」

「独立機械化歩兵第2大隊、独立第51自走高射中隊、左翼に緊急展開中!」

第1001教導駆逐戦車大隊の大隊指揮所(戦闘指揮装置用車に改造した73式大型トラック)の指揮所内で、大隊本部要員のオペレーターが緊張した声で次々に報告する。
何せ、距離を取ってなんぼの、遠距離砲撃戦部隊なのだ。 懐に入り込まれたら最後、後は散々に食い殺されるだけだ(比喩では無く、物理的に)

機械化歩兵大隊の89式装甲戦闘車の90口径35mm機関砲KDEが、96式装輪装甲車の96式40mm自動てき弾銃(A型)や、M2・12.7mm重機関銃(B型)が火を噴いた。
重迫撃砲中隊の96式自走120mm迫撃砲からも、次々に120mm迫撃砲弾が発射される。 それだけではなく、自走高射砲中隊の4連装M2・12.7mm重機関銃が猛烈な弾幕を張った。

『無理に狙うな! 連中の動きは素早いぞ! 阻止弾幕を張れ!』

自走高射中隊指揮官の声が通信に流れてきた。 他にも機械化歩兵大隊の各級指揮官達の声もだ。

『本管より1中! 右翼の10体を潰せ!』

『2中より本管! 食い込まれた! 食い込まれた! くそっ!』

『3中隊より本管! 左翼の11体を阻止成功! 2中の支援に回る!』

『51自走高射より歩兵! 頭を低くしろ! 掃射する! 撃て!』

連続して鳴り響く重低音、怒声と悲鳴の戦場音楽。 そのさなかで新たな展開が生起した。

『軍団司令部より緊急電! 新たなBETA群、突撃級250、要撃級380! その他小型種1800! 急速接近中!』

「くそったれ! 残弾!?」

「APFSDS 、9発!」

たったそれだけか! 第1001教導駆逐戦車大隊指揮官の少佐は歯ぎしりする思いで、指揮下の中隊の状況を確認した。 散々だった。

『1中より本管! 残弾数、各車8発!』

『2中、全車、残弾数7発』

『3中、残弾数10発が4輌、9発が2輌、6輌は残弾8発です! 補充を!』

38輌、全車輌が生き残っているが・・・全てを一撃必殺しても、304発。 突撃級は仕留めても、要撃級に突っ込まれる・・・

『3001本管(第3001教導高射大隊本部管理中隊)より、1001本管! こちらだけでは要撃級の始末は無理だ! 残弾は20%!』

『2001(第2001教導機甲中隊)です。 残弾数、5発が6輌、4発が6輛。 突撃級を50、引き受けます。 運が良ければ、巻き込みで60。 しかし、それでアウト・オブ・アンモ!』

他の2つの教導部隊の残弾数も、推して知るべし。 ここまで予備隊の自分たちだけで、押して来たのだ。 しかし悲しいかな、独立部隊。 弾薬の補充が間に合わない。

「近いのは・・・14か、15師団・・・どうか?」

「15師団、152トルーパー(第152機械化装甲歩兵大隊)が急行中、あと2分! 14師団のTSF、2個中隊があと3分!」

「よぉし・・・1001本管より、哀れな予備隊諸官らへ! 苦しい台所事情だが、14と15師団からの増援が、あと2~3分で到着する! トルーパー1個大隊にTSFが2個中隊!」

『2001本部です、大型種を優先して潰すしかない! ギリギリですが、残弾全部、一撃必中しかないか!』

『3001本管だ。 偶に撃つ、弾が無いのが、玉に瑕・・・貧乏人の器用さ、思い知らせてやるぞ!』

周囲を固める、3個自走高射砲大隊と、1個機械化歩兵大隊、1個自動車か歩兵大隊も腹を固めた。 ここまで来れば、やるしか無いのだ、今まで通り。
本来ならば直接護衛についている筈の、2個機械化装甲歩兵大隊は、他所で戦闘に巻き込まれて不在だ。 軍団が直援に付けてくれたTSF2個中隊も、外周での阻止防御に必死だ。

やがて振動波を捉えた。 同時に上空のドローン(付近に光線属種が居ない証拠だ)から、映像情報が入った―――2500体近い、連隊規模のBETA群がまっすぐ急接近してくる。
各戦闘車両がハルダウンの姿勢に入った。 距離5000、まだ少し遠い。 155mmライトガスガン装備の2001教導中隊でも、4000から攻撃開始したい。

距離4500―――2001教導中隊が照準。

距離4000―――12輌の試験自走砲が、12門の155mmライトガスガンを射撃開始。 

凄まじい反動で、一瞬車体が後退する。 突撃級BETAに全弾命中。 中には1体を『潰して』、後続の1体をも圧壊させた砲弾さえあった。 
そして継続砲撃。 2発目、3発目、4発目。 半分が残弾ゼロ。 5発目、全車輛、残弾無し。 この時点で突撃級BETAを56体撃破。

「2001、下がれ! 下がれ! 1001、各中隊、射撃用意!」

距離3500―――38輌の、105mmライトガスガン搭載駆逐戦車が、照準を合わせた。

距離3000―――「本管よりカク、カク、射撃はじめ!」

1発、2発、3発・・・突撃級BETAの正面装甲殻に大穴が開く。 射孔から赤黒い体液を噴き出して、ガクッと停止する被撃破個体群。 まだ続いている。
発射速度は先ほどの2001より遥かに速い。 瞬く間に残弾が減る。 6発、7発・・・第2中隊、残弾無し。 8発目、第1中隊全車と、第3中隊の半数が残弾無し。

「9発・・・10発! 残弾無し!」

「確認戦果! 突撃級242撃破! 要撃級318撃破! 突撃級8、要撃級32、小型種1800、向かってきます!」

「3001、全車両、射撃用意! 2000で殺る!」

「自走高射砲部隊、弾幕射撃開始!」

「大型種BETA、停まりません! 距離2000! 突っ込んでくる!」

57mmライトガスガンの連続した発射音、37mm機関砲弾、20mm機関砲弾の発射音が鳴り響いた。 要撃級BETAが数発の57mm砲弾を胴体に受け、どうっと倒れる。
37mm砲弾でも、10数発を受ければ固い前腕でガードされない限り、要撃級を仕留めることが出来る。 20mm砲弾の斉射を受けて爆散するように弾け飛ぶ戦車級BETAの群れ。

「もっと集弾させるんだ! 無駄弾は1発も無いぞ!」

声が震える、恐怖だ。 何も出来ず、蹂躙されて食い殺される恐怖だ。 くそ、まだか、まだか、まだなのか・・・!? 2001教導大隊長の頭の血管が切れかけた、その時だった。

『予備隊! 遅れて済まない! ラビアンローズ(第14師団第143戦術機甲連隊第3大隊)だ! 下がれ! 掃射する!』

94式『不知火壱型丙Ⅲ』が40機近く―――実際は37機―――到達した。 突撃砲の36mm砲弾を浴びせかけ、120mm砲からAPFSDSを撃ち出して、大型種を仕留める。
その内に北北西から、トルーパー(機械化装甲歩兵)が、『鋼鉄のマウンテンゴリラ』と称される姿を現せた。 こちらもブーストジャンプの連続使用で急行してきた様だ。

『152トルーパー(15師団第152機械化装甲歩兵大隊)、グラップラーズだ! 予備隊、1000下がれ! ラビアンローズ! 戦車級まで頼む!』

急遽駆け付けた、15師団第152機械化装甲歩兵大隊長の志摩右近少佐が、14師団のTSF(戦術機甲部隊)に告げた。

『グラップラーズ、了解した。 ラビアンローズ、美薗杏少佐です。 本年の10月です』

『そうか、俺は3年前だ。 こちらが先任か』

美薗少佐は、今年の10月に少佐へ進級したばかり。 対して志摩少佐は、4年目少佐。 同一階級の場合、先に任官した者が先任者となる。 その場の先任指揮権を有するのだ。

『指揮権、移譲します。 志摩少佐』

『渡された、美薗少佐・・・ところで、うちの突撃役2人とは、君は旧知だな?』

『残念なことに・・・2中隊! 側面に迂回しろ! 1中隊正面、3中隊は南! 半包囲を敷くぞ!』

14師団第143戦術機甲連隊第3大隊『ラビアンローズ』、指揮官は美薗杏少佐。 訓練校19期A(前期)卒。 26歳の最年少陸軍少佐のクラスの1人だった。





「・・・なんとか、助かったか」

第1001教導駆逐戦車大隊の指揮官は、後方に下げた車輛の中で、大きく息をつきながら、声を絞り出すように言った。 全身に嫌な汗をかいている。
何とか、全車輛無事だ。 何しろ、高価な新型の試験兵器を預かる身としては、ここで全滅などしては目も当てられない。 コンバット・プルーフ・・・情報を持ち帰るまでが任務だ。

もっとも、全予備隊が無傷だったわけでは無かった。 例の『無許可改造自走高射砲』部隊は、3個大隊の内、2個中隊分の戦闘車輌と、その人員を失った。 損耗22.2%だ。
機械化歩兵部隊、自動車化歩兵部隊も、それぞれ2個小隊と、1個中隊分の兵員が食い殺され、失われた。 最後の最後に、小型種BETAの浸透を許してしまったのだ。

機械化装甲歩兵部隊も、3個独立中隊のうち、激戦の最中で2個小隊分の損耗を出した。 しかし、それで食い止めた・・・

「・・・TSF、1個大隊出してくれたのが効いたな。 14師団に感謝だ・・・15師団も台所が苦しいだろうに、トルーパーを1個大隊・・・戦線に穴が開いていなければ良いが」

教導駆逐戦車大隊長が、戦線全体の心配をしていた頃(何とか援軍がBETAを殲滅したからこそ、だったが)、その援軍の指揮官同士では、会話が嚙み合っていなかった。

『ではな、美薗少佐。 周防と長門に、宜しく言っておくぞ―――会いたがっていたとな』

『止めて下さい、志摩少佐。 冗談でも言わないで・・・』

『はははっ! なんだ? 照れくさいのか? かつての先任だろう?』

『や、だから! 碌な事になりませんから! 聞いています!? 志摩少佐!?』

『判った、判った。 そう照れなくてもいいぞ! ではな、周防と長門には、色々と伝えておくぞ。 ではな!』

『ちょっと!? 聞いてよ!? ねえ!? 聞いてないよ、この人ってば!?』









124分後―――2001年12月25日 1100 日本帝国 佐渡島北東部 両津湾沖 エコー支援水上部隊


冬の日本海は波が荒い。 この日は晴天であったが、それでも『本日天気晴朗ナレドモ浪高シ』であった。

その真冬の日本海の荒波を、鋭く引き裂いて進む鋼鉄の艨艟。 シャープな艦型の艦首が荒波を切り裂き、上甲板は波に洗われる。
巨大な艦だった。 毎時12ノットの速度で南進しているのだが、その甲板上に人影は無い。 まるで無人のようである。

だが実際は、その巨体の中に2000名近い乗員がひとつの目的に為に、活発に活動しているのだ―――『勝利』という目的のために。

『シーホークより最終データ受信。 システム転送開始―――転送終了』

『目標、変更無し。 TA/TA(戦術目標)D6R、185-22-108 旧両津港跡』

『TERCOM(地形照合システム戦術MAP)、変更無し』

『迎撃光線級、確認されず』

『D時、変更無し。 攻撃開始予定通り』

『戦術情報システム、データ照合完了。 全データ、交戦級システム(射撃指揮システム含む)に転送、オーバー』

『交戦級システム、オールグリーン』

各オペレーター達によって、全ての情報はひとつの目的の為にシステム上のリンクが完了した。 Gunnery Officer―――砲術長が艦長に報告する。

「サー、システム、オールグリーン」

「オーケイ。 では、第2幕を始めよう―――オープン・ファイアリング!」

『オープン・ファイアリング!』

3隻の戦艦が主砲の一斉射撃を開始した。 国連軍太平洋艦隊・・・その実態は、アメリカ海軍太平洋艦隊第7艦隊。 その水上打撃部隊である、第75任務部隊(CTF-75)
その麾下に4個水上打撃任務群を要する。 第75-1から第75-4までの任務群(Strike Group 75-1~4,SG-75-1~SG-75-4)だ。
このうち、戦艦戦力を有するのはSG-75-1からSG-75-3の3個任務群。 戦艦『ミズーリ』、『アイオワ』、『ケンタッキー』の3隻を有する。 

改良された『Mk.9』55口径16インチ(40.6センチ)砲は、日本の超々弩級戦艦群の主砲には劣るものの、長砲身された事により砲口初速が862m/秒で撃ち出される。
最大射程は5万ヤード(約4万5700m)に達し、また日本海軍から技術供与のあった対地クラスター砲弾(九四式通常弾)を、自国規格に合わせ開発した。

『アラスカ、グアム、砲撃開始』

艦砲射撃を行っているのは、3隻の戦艦だけでは無い。 『大型巡洋艦』、他国だと巡洋戦艦と呼ばれる艦種の2隻、『アラスカ』、『グアム』が各々60口径12インチ砲9門を放つ。
戦艦の主砲に比べて小さいとは言え、12インチ―――30.5センチ砲だ。 ほぼ全ての陸軍砲より大口径の砲である。 それを2隻合計で18門、毎分4発の発射速度で放っていた。

『―――『ヒュー・シティ』、『シャイロー』、『レイテ・ガルフ』、『バージニア』、『バンカー・ヒル』、『フィリピン・シー』、『テキサス』、SLAM発射!』

『―――DDG(イージス駆逐艦)、DD(ミサイル駆逐艦)、SLAM発射!』

CTF-75に属する7隻のイージス巡洋艦、ミサイル巡洋艦と、20隻のイージス駆逐艦、ミサイル駆逐艦からSLAM(Standoff Land Attack Missile:対地ミサイル)が発射された。

『―――JIN(日本帝国海軍)、1St.フリート、『ヤマト』、『ムサシ』、砲撃開始! 『タカオ』、『アタゴ』、『トネ』、『チクマ』、SLAM発射!』

日本海軍第1艦隊―――今回、第2、第3艦隊に本来の麾下部隊を派遣し、規模が小さくなっている―――田所中将指揮の戦艦2隻、イージス重巡、打撃(ミサイル)重巡各2隻。
エコー水上部隊の支援として派遣された日本艦隊もまた、米艦隊に続いて対地打撃戦を開始し始めた。 戦艦『大和』、『武蔵』の両艦が、各々55口径46センチ砲9門を放つ。

そしてアメリカの『タイコンデロガ』級ミサイル巡洋艦とは、『準同型艦』である『高雄』、『愛宕』(他に『摩耶』、『鳥海』 『妙高』型は1998年に全艦戦没)のイージス重巡。
更に『バージニア』級原子力ミサイル巡洋艦をベースに、機関を通常動力推進艦とした打撃(ミサイル)重巡『利根』、『筑摩』、この4隻が米国の同族と同じく、SLAMを放っていた。

戦艦5隻、大型巡洋艦(巡洋戦艦)2隻、イージス巡洋艦7隻、ミサイル巡洋艦4隻、さらには日米で30隻のイージス駆逐艦、ミサイル駆逐艦が一斉に佐渡島へ攻撃を開始した。
エコー上陸第2派―――米陸軍2個師団、国連軍2個師団からなる上陸第2陣の為の『地ならし』攻撃である(既に米海兵隊1個軍団が、第1派として上陸していた)

『―――JINより入電! 『付近海底にBETA群を探知せず』です!』

今回、米海軍は水中の敵―――昔は潜水艦、今はBETA―――を探知し、攻撃を行う対潜艦(今でもそう言う)を連れてきていない。
その任は日本海軍の汎用駆逐艦・・・『DDA』の4隻、『白露』、『時雨』、『村雨』、『夕立』と、豪州海軍のフリゲート(FFG)『アデレート』、『キャンベラ』、『シドニー』が担う。

両津湾は最深部で水深が200m有るが、どこもそうでは無い。 水深の浅い海底から、BETAに『飛び付き』をされては、大型艦でさえ艦艇に損傷を受ける。 最悪、竜骨を折られる。

「やれやれ・・・こんな場所での対地砲撃戦は、神経が疲れるね・・・」

CTF-75司令官、カーライル・アーコイン米海軍少将が、戦艦『ミズーリ』のCDS(戦闘指揮所)の司令官席で呟く。 今回、アーコイン少将の立場は非常に微妙であった。
本来なれば、第7艦隊・・・第75任務部隊司令官として、第7艦隊における水上打撃戦副調整官―――殴り合いの責任者―――が、彼の責務である。
しかし今回は合同任務部隊(Combined Joint Task Force,:CJTF)で、第7艦隊の他に日本の第1艦隊と、豪州、ガルーダスの艦隊が加わっている。

豪州とガルーダスの艦隊は、精々DD(ミサイル駆逐艦)やFFG(ミサイルフリゲート艦)の任務隊程度だ。 隊司令も海軍大佐クラスだ。 彼らはそのまま指揮下に入った。
問題は日本海軍だ。 数を減らしているとは言え、第1艦隊―――頭号艦隊である。 しかも海軍中将が指揮している。 第7艦隊司令官と同格である。

しかし、戦艦、イージス巡洋艦、ミサイル巡洋艦といった『主力艦』の数は、今回は第7艦隊の方が多い。 エコー支援水上打撃戦部隊の中核は、CTF-75なのだ。
結果、様々な問題を棚上げし、今回『CJTF-1』、国連太平洋艦隊水上打撃戦部隊司令官は、アーコイン少将が務めることとなった。 だが遣りにくい事に変わりは無い。

「・・・アドミラル・タドコロが、話の判る人物で良かった・・・」

他国の、しかも1階級下の者の指揮下に入る・・・軍人として、認めがたい。 それを完爾として笑って了解してくれた、年上の異国の提督に、アーコイン少将は感謝した。

「なれば、我々の仕事は、見事完遂しようじゃ無いか・・・ESG-7(第7遠征打撃群)に連絡! 『来訪に失礼無きや?』だ」

エコー上陸第2派、第11戦術機甲師団(ラファイエット)、第30戦術機甲師団(ブラッド&ファイアー)、UN第21師団(ガルーダス)、UN第25師団(亡命韓国軍第7師団)
次々と戦術機が飛び立ち、エアクッション艇や上陸用舟艇が海岸線を目指し、全速で海面を疾走していく。 国連太平洋方面軍第2軍団の上陸が開始された。








149分後―――2001年12月25日 1125 日本帝国 佐渡島西部 旧真野町 真野御陵(まののみささぎ)跡地付近 第15師団第151戦術機甲大隊


外の光景は血生臭い、そして地獄のような情景を呈している。 荒涼たる大地。 醜悪な姿を晒す、撃破されたBETAの骸の数々。 撃破された友軍の車輌に戦術機。 そして死体。
そんな光景を無視して、戦術機の管制ユニットの中で、コペルニクスC4Iシステムの情報画面を網膜スクリーン状に移しだしていた周防直衛少佐は、無意識に顔をしかめ始めた。

「・・・なんだ? これは・・・?」

上位の作戦級システムからの概要情報が展開された、作戦指揮系(OPS)戦術級システム。 そこから投影される共通作戦状況図(COP)と、共通戦術状況図(CTP)
作戦級システムは作戦を指導する作戦術の遂行を支援するシステムである。 戦略級システムと同様、扱われる情報は兵力調整精度のものであるが、扱うのは師団司令部以上。
各軍種内・兵種間で共通作戦状況図(COP)を生成することで、作戦指揮官の意思決定を支援する。 戦術単位とはいえ、最小単位の大隊指揮官クラスに詳細は不明。 概要だけだ。

「順調すぎる・・・?」

言いしれぬ不安感が襲う。 現状は一言で言えば『順調に推移』そのものだ。 少なくとも周囲に脅威となるBETA群は確認されていない―――島の中央部近くまで進撃したのに!

ウイスキー、エコーの両上陸部隊は、艦隊の支援攻撃の元、予定通りに上陸を果たし、その後も順調に戦果を拡大してゆき・・・タイムスケジュール通りの戦闘を継続している。
周囲の状況を再度、確かめるように視線を流す。 荒れ果てた地表、食い尽くされた建築物。 撃破され、赤黒い体液を吐き出し倒れているBETAの残骸の数々。
所々で黒煙が上がっている。 爆散した戦闘車両、撃破された戦術機、撃ち込まれた砲弾や対地ミサイルによる大穴・・・そして袋に収められた、多数の戦死者の死体。

何も変わらない。 10年近くの間、見慣れた戦場の光景がそこにあった。

無意識のうちに、右頬をなぞっていた。 昔の古傷―――もう7年以上も前になるのか、国連軍派遣時代に、イベリア半島での戦闘で負った戦傷の痕。 そこがひりつく。

「・・・嫌な空気だ」

管制ユニットの中で、周防少佐は無意識に右頬の古傷をなぞりながら、再び呟いた。 何かが、そう、何かが・・・くそっ! 己の言語表現力の未熟さに、無性に腹が立ってくる。
周防少佐自身、確たる論拠は無い。 データを示せと言われても、何も提示出来ない。 論理的な説明は不可能だ―――経験から来る『戦場の勘』なのだから。

不意に通信回線が開いた、秘匿回線だった。

『―――やばいぞ、これは』

ポップアップしたバストショットの人物は、僚隊・・・第152戦術機甲大隊の指揮官、長門啓介少佐だった。 少しだけ目を細め、やや斜に構える、彼が不機嫌さを無意識に示す仕草。

『―――やばいぞ、これは。 直衛』

周防少佐、でも、周防、でも無い。 秘匿回線を使って、そして名前で呼んでいる。 僚隊の指揮官としてでは無く、中等学校以来の悪友にして親友、そして戦友としての呼びかけ。
第152戦術機甲大隊は、周防少佐指揮の第151戦術機甲大隊と共に、先陣を切るA戦闘団(増強旅団)の切っ先として、全師団の先鋒を努め、ここまで戦い進撃してきた。

途中、多少規模の大きなBETA群との交戦はあったが、それも瑕疵にさえなっていない。 大隊は上陸直後の戦闘で1機を失ったが、その後の戦闘では3機の損傷で済んでいる。
現在の大隊戦力は36機。 第3中隊が現在10機と損失が多いが、第1中隊は12機が全機健在、第2中隊も11機を保持している。 指揮小隊は周防少佐の大隊旗機を含め3機。

長門少佐の第152戦術機甲大隊も、定数40機の内、35機を保持していた。 2個大隊で71機の戦術機戦力。 損耗率11.25%、旅団の先鋒はまだやれる。

「・・・ウイスキーは旧八幡新町、旧河原田本町確保した後、旧沢根、旧高瀬に戦線を構築すべく、戦闘中・・・順調の一言だ。 あと30分ほどで戦線を構築出来るだろう」

『―――エコーは第1派が両津港跡に上陸後、旧北松ヶ崎を確保すべく攻勢を掛けている。 第2派が上陸を開始、兵站主地を確保しつつある。 ウイスキーも同様だ』

「俺たちウイスキー上陸2派別動部隊は・・・10師団は旧新穂村の行谷まで進軍した。 エコー部隊と手を握るのはもうすぐだ。 14師団は畑野村の北端、旧国道65号線に達した」

『―――そして15師団は、先頭の俺たち2個大隊が真野町の北端近くまで到達した・・・もうすぐ、確保線の旧国道65号線、そして国府川だ。 ウイスキー本隊は目の前だ』

周防少佐も、長門少佐の言いたいことは判っている。 このいい知れない不安感、その正体が何なのかもだ。

『―――92年と93年の満州での大侵攻、そして遼東と華北(九-六作戦) 94年のギリシャのペロポネソス半島と、イベリア半島、それにイタリアのカラブリア半島の大騒ぎ』

「96年のドーヴァー防衛戦、97年の遼東半島脱出に、98年の光州・・・そして本土防衛戦に、99年の甲22号・・・」

『―――去年、2000年のカムチャツカ半島に、今年5月のマレー半島でのクラ海峡防衛戦もだ。 おい直衛、今まで『予定通り順調に推移』した経験なんぞ、俺たちには無いぞ?』

いずれも、ハイヴ攻略作戦や、本土防衛戦、或いはそれに迫るBETAの大侵攻防衛作戦。 参加兵力は10万の単位でのオーダー、BETAの数も10万を超していた大激戦の数々。
周防少佐と長門少佐、彼ら両名はその最大規模の反攻作戦・防衛作戦を、実に10回以上(正確には13回)参戦し、最前線の激戦の数々を戦い抜き、そして生還し続けてきた。

それ以外の、規模の劣る『大規模』作戦や、中小規模の戦闘となると、彼らもはっきりと覚えていない。 戦闘記録を見直さねば、全てを言えない位だ。
彼らを上回る技量の衛士は、世界中を探せば他に幾らでも居るだろう。 単純に近接戦闘技量、或いは機動打撃戦技量で見れば、彼らは日本軍内有数ではあっても、世界最高峰では無い。

しかし彼らほど濃い戦闘経験を有する衛士は、日本帝国軍内には居らず、太平洋戦域を見渡しても、他に居ないかもしれない。 そして彼らは指揮官で、そして生還し続けてきた。
その経験―――多くが苦い思いと、涙を飲んだ負け戦―――が、最大限の警報を発しているのだ。 『BETAが裏をかいてくるぞ』 そう言って鳴り止まない。

『―――直衛、お前なら、どの辺りだと考える?』

長門少佐が問いかける。 BETAが人類の裏をかく行動をとるのは、どの状況であるかと。 普通に考えれば、それが判れば苦労はしない。 いや、予想はしても、裏付けが出来ない。

「・・・あくまで、今までの勘だ。 多分、フェイズ4以降。 連中の穴蔵に、『投身自殺志願者(オービットダイバーズ:第6軌道降下兵団)』が降着した後だ」

『―――同意する。 それもある程度の深さまで潜った後だ。 古くは78年のミンスク(パレオロゴス作戦)、92年のボパール(スワラージ作戦)、99年の横浜もそうだ・・・』

「BETAはハイヴ突入までは、積極的な行動を行っていない。 一撃を加えてくるのは、人類が穴蔵に深く入り込んで、身動きがとれなくなってからだ・・・」

『―――ハイヴ内での大侵攻だけじゃ無い、確実に他の地点への地中侵攻を掛けてくる・・・今回はどこだ? どこだと考える?』

「金井(旧金井町)辺りだろう、と予想する。 あの辺りに地中侵攻を食らえば、東西南北、全ての戦線の連絡が一撃で絶ち切られる」

BETAに思考する能力があるか否か。 両少佐には判らない。 しかし今までの経験からすると、高い確率で旧金井町辺りに地中侵攻を受ける、そう予想出来た。

『―――お前の考えに同意する、直衛。 忌々しい事に』

「こんな時くらい、お前と気が合わないでくれと、何度願っても無駄だった、圭介。 忌々しい事に」

未だ小規模な掃討戦が続いていた。 しかしそれは彼ら両少佐の仕事では無い。 中隊長が命令を下し、小隊長が指揮を執り、小隊の衛士達が戦う事だ。

周防少佐、長門少佐の両名は、先鋒部隊指揮官として、現地の戦況を上級司令部たるA戦闘団(15師団A旅団=増強旅団)司令部へ報告した。
戦闘団長(A旅団長)である藤田准将は、満州で戦術機に搭乗して戦い抜いた歴戦の猛者だ。 そして冷静で広い視野を有する作戦指揮官でもある。
周防、長門の両少佐の『私見』を受けた准将は、その『経験』を買った。 上級司令部である第15師団司令部に対し、佐渡島中央部での地中侵攻の危険性を上申した。

果たして、その上申がどのレベルまで達せられるかは、藤田准将でさえ、不明であったが・・・





[20952] 佐渡島 征途 4話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:ad831188
Date: 2017/03/26 20:58
170分後―――2001年12月25日 1146 日本帝国 佐渡島西部 旧真野町 国府川河口付近 


『第1小隊、第2小隊は旧沢根! コンテナ種別を間違えるな! 旧高瀬は艦隊の補給船団からコンテナを撃ち込む!』

『軍団輸送隊より中トレ32輌、大トレ24輌、特大12輌、赤泊から旧豊田の工場跡地に到着しました! デポ(物資集積地)への搬入を開始!』

『沢根のウイスキー第1派より入電! 『補給を! 至急!』です!』

臨時に設置された兵站末地本部。 真野御陵の入り口近く、旧350号線が走っている。 旧新町海水浴場にも近く、側には小さいながらも防波堤を備えた港が、奇跡的に残っていた。

退役寸前の77式『激震』を改造した(制式採用では無い)『90式戦術歩行輸送機』が2個小隊、戦闘部隊ならば背部兵装担架が付いている場所に、コンテナ担架を取り付けている。
そこに補給ユニットを背負い、最前線まで『補給のデリバリー』を行うのだ。 跳躍ユニットまで廃しているため、高速移動は脚部噴射パネルによるサーフェイシング程度。

それでも1機でコンテナ1個を運べ、しかも最低限の自衛(87式突撃砲を装備)が可能なため、兵站末地から最前線への補給は、この数年は専ら『戦術歩行輸送機』が行っている。
操縦するのは輸送科員だ。 衛士資格は有していないため、戦闘機動技能は有していない。 それでも跳躍ユニットが無いため、耐G装備は最低限で済み、操作も最低限覚えれば済む。

『―――輸送隊、護衛に付く。 15師団151TSF、第2中隊『ハリーホーク』だ』

『了解、ハリーホーク。 軍団輸送隊第2輸送大隊、第1戦術輸送中隊第1小隊です!』

『同じく、第2小隊! ハリーホーク、護衛を頼みます! 沢根まで、何とかコンテナを8基、届けてやりたい!』

巨大なコンテナを担いでいるため、サーフェイシングでも速度が遅い90式戦輸機(戦術歩行輸送機)、その2個小隊の側面を1個戦術機甲中隊―――3個小隊がトレイル陣形で守る。

『―――第2輸送大隊第1中隊、第3、第4小隊、帰還します! 護衛の15師団151TSF第1中隊も一緒です!』

『第2中隊第5、第6小隊、コンテナ搭載作業、あと15分で完了します。 護衛は15師団151TSF第3中隊!』

『第2中隊第7、第8小隊、15師団152TSF第1中隊、出撃します! 第3中隊第9、第10小隊はあと10分、護衛は15師団152TSF第2中隊!』

『第3中隊第11、第12小隊、15師団152TSF第3中隊、帰還します! 損失無し!』

『第2兵站集積地、椿尾に設置完了! 小木港跡より旧81号線、旧287号線、旧350号線での兵站ルート、確立との報告です!』

『椿尾からの輸送第1陣、大トレ30輌、出発しました!』

『警戒中の154、155戦術機機甲大隊より、『65号線、81号線警戒エリアにBETA群を認めず。 継続哨戒に当たる』、以上です』

兵站末地本部は控えめに言っても修羅場だった。 最前線の補給部隊など、修羅場以外の状況などあり得ない。 簡易テントの中の指揮台、その上の戦術地図を睨む補給指揮官。

「いったい誰よ・・・! こんな胡乱な補給計画を考えた大馬鹿は・・・!」

陸軍少佐の階級章を付けた女性将校が、地図を睨みながら忌々しげに吐き捨てる。 年の頃は30代後半だろうか、それでも若く見えるのは内面の活力のせいか。

「作戦総司令部の兵站主任参謀殿か、その下の頭の良い秀才兵站参謀殿達でしょうねぇ・・・」

傍らで肩を竦める仕草をして苦笑しながら、それでも指示を出し続ける部下の陸軍中尉。 こちらは20代後半の、どこか飄々とした雰囲気の男性将校。

「あんた、判ってんならさ、いっちょ、総司令部に乗り込んで、首を締め上げてきな」

「無茶を言わんで下さい。 京都防衛戦の直前に、まだ府の職員の身で、本土防衛軍の参謀殿をやり込めた貴女じゃ無いんですから・・・おい、それは第5陣に回せ」

今は軍籍―――予備主計将校―――とは言え、本チャン(正規将校)では無く、所詮は招集された予備将校に過ぎない。 それも予備主計少佐と、予備主計中尉。

「陸大(指揮幕僚課程)を出ている本チャン連中に、俺の様なリザーブの予備主計将校が何か言えるとでも・・・? ま、貴女なら別でしょうが、沙村少佐殿」

「何よ? その含んだような言い方は? あん? 久須、アンタ、あたしに何か含むところでも・・・」

「ございません! マム! 集積地の状況確認、行って参ります!」

身の危険をいち早く察知した部下の主計中尉・・・久須予備主計中尉が、簡易テントの本部を慌ただしく『脱出』してゆく。 その姿に苦笑しながら睨み付ける沙村予備主計少佐。
すると久須予備主計中尉と入れ違いに、1人の長身の野戦将校がテントに入ってきた。 衛士装備を身に纏っている、階級章は少佐。 戦術機甲大隊長だ。

「・・・補給部隊長、貴女の部下が血相を変えて出て行ったが・・・?」

「気にしないで、第151戦術機甲大隊長。 ああ見えて、要領と勘所は外さない馬鹿だから・・・で? 何か用かな? 直ちゃん?」

「・・・その呼び名、母と姉以外では久しぶりだな。 相変わらずですね、維実さんも」

沙村維実陸軍予備主計少佐。 元は大阪府の防災室長補佐。 招集されて京都防衛戦を、甲22号作戦を、そして実はシベリアとマレー半島にも、補給隊指揮官として従軍している。
最前線での補給作戦に従事した経験が豊富な、『補給隊のビッグ・マム』 何しろ、道理に合わなければ相手が師団長であっても、ボロカスに抗議する『女傑』だ。

『―――戦場で本当に怖いのはな、敵が目前に迫った時に、補給が途切れることだ。 それより怖いのは『ビッグ・マム』を怒らせて、補給が届かないことだ・・・』

ある歴戦の下士官が、部下の新兵に切実に語ったとか・・・

そして第15師団第151戦術機甲大隊長の周防直衛陸軍少佐にとっては、実姉の親友でもある女性である。 数少ない、頭の上がらない女性の一人。

「悪いね、直ちゃん。 戦闘部隊を護衛に借り上げちゃって」

「良いですよ。 自分の部隊は、ここまでの突破戦力でしたので・・・エリア哨戒は154と155が、緊急即応任務は153と156が担当しますから」

周防少佐の指揮する第151戦術機甲大隊、そして長門少佐の指揮する第152戦術機甲大隊は、この旧真野新町までの師団突破戦力として、先頭を切ってBETA群を駆逐してきた。
これまでの損失は戦術機7機。 衛士の戦死3名、負傷後送4名。 大隊戦力は33機で、辛うじて80%を維持していた。 長門少佐の152大隊も同じ数の損失だった。

「そっか・・・しかし、ま・・・沢根まで補給コンテナを届けるのがホネなのよ。 甲府川を渡って、旧八幡新町、旧河原町を抜けて、旧窪田を突破するのがね・・・」

「BETA群との最前線は・・・今は青野から東野、そして金北山から西へ抜けるラインです。 補給隊への襲撃が十分あり得る・・・輸送車両は使えないか」

「そう言う事。 戦輸(戦術歩行輸送機)にコンテナ担がせて、ボッカ(歩荷)させて運ばないと・・・それで数個軍団の補給量をさ、どうやって運べってのよ!?」

「は・・・うわっ!?」

急に『ぶち切れた』沙村少佐が、周防少佐に迫って叫ぶ。 そしてマシンガンのように射出される、兵站幕僚部への罵詈雑言。 もはや慣れたとは言え・・・

「あれか!? 兵站本部の賢い秀才参謀様達は、最前線のBETA出現率さえ過去の平均統計数字以上は出ないとでも思ってんの!? 『約束された計算結果』!?
馬鹿じゃ無いの!? 不整地を進むだけで、機械ってのはストレスが十分かかるのよ! 輸送車両でも故障するわさ! 1発必中の戦場だってかい!? ニワトリ頭め!
前線部隊がどれだけ景気よく、無駄弾ばらまいてパニくっているのか、知っているの!? その補給をどうにかしなきゃ、あっという間に戦線崩壊だっての!
陸大じゃ、そんな事さえ教えていないのかね!? 算数も出来ないって!? 小学生以下か、あの盆暗どもは! ええ!? 直ちゃん!」

「いや、その・・・俺に言われても・・・」

「戦輸機だって、戦闘部隊の戦術機のように数が有るわけじゃ無いんだよ! こちとら、虎の子の戦輸機をフル稼働しているんだよ!? だったら、お古でも良いから77式寄越せ!
さっさと役立たずを改造しまくってやるわさ! 戦輸の1個連隊(120機定数)も有ればさ! 補給コンテナをピストン輸送で1時間あたり360個は届けてあげるよ!
それがどうだい! 現状で回ってきた戦輸機はたったの1個輸送大隊だけ! しかも2個小隊編成の(1個小隊欠)中隊3個で編制された! 24機だけだよ!? 戦輸機は!」

これで佐渡島南部の兵站輸送を行え、と言うのは不可能だ。 輸送車両は有る。 有るのだが、現状では海岸線の旧350号線、そして旧45号線を使えない。
まず、上陸地点として真野湾を使ったため、真野湾岸の旧350号線、旧45号線は艦砲射撃と艦対地ミサイルの嵐で掘り返されて使用不能。 車両が通行できる状態に無い。

更にBETAとの最前線に近く、『はぐれ』の小規模BETA群が現在でも確認されている事。 光線属種は確認されていないが、輸送車両にとっては兵士級や闘士級でも致命傷だ。
真野湾を横断する海上輸送も考え物だ。 万が一、交戦級が出現すれば・・・足の遅い上陸舟艇を改造した輸送舟艇では、特大のカタツムリ以下の的でしか無い。

「真野湾・・・八幡新町や河原田本町に兵站末地を設置するなんて、出来ないよ!? どうしても甲府川のこっち側にしなきゃさ! 或いは65号線ライン以東にさ!
衛星軌道投下の補給コンテナ!? どれだけの数を衛星軌道に打ち上げられると!? しかもだよ、ピンポイントで佐渡島に落着させなきゃ! それも島の北西部に!
だったら、もっと戦輸機を寄越せ! 自衛が出来て、高速で逃げ出せる器材で無きゃ、部下達を無駄死にさせるだけじゃないよ!?」

益々エスカレートする沙村主計少佐。 それでいて彼女は判っている、この補給を成功させない限り、軍団単位で『補給欠乏で作戦失敗』になってしまうと。

「だからさ・・・おい、久須中尉!」

「はっ! 久須中尉、入ります!」

補佐役の青年将校が入ってきた。 周防少佐とは同年配だろう。

「久須中尉、しばらくの間、本部指揮権を委譲する! 復唱!」

「はっ! 久須中尉は、暫くの間、本部指揮権を継承し・・・はぁ!? 少佐!? 何を言ってんですか!?」

(―――大丈夫か、この女・・・とうとう、煮詰まって頭に蛆が湧いたか・・・?)

思わず失礼極まる感想が頭をよぎった久須中尉。 しかし乍ら、彼の上官は至って本気だった。

「これから軍司令部にカチコミかけてくる! 少なくとも軍予備の戦輸機を全部! それで足りなきゃ、後方で未だ上陸してない第3派から、77式引っ張ってくる!」

「ちょ!? 無茶ですって! 大体、今更77式を引っ張って来てもですね! 背部兵装担架にゃ、補給コンテナは担がせられませんよ!」

「手が有るだろ! 手が! 2機1組で運ばせる!」

「そんな無茶な! ねえ、少佐っ!・・・あ~あ、行ってしまった・・・」

嵐のように去って行った上官。 その後ろ姿を呆然と眺める久須主計中尉。 ポン、と彼の肩が叩かれた。

「・・・頑張ってくれ、中尉。 それしか言えない・・・」

明後日の方向に顔を向けながら、疲れた表情で言う周防少佐の横顔を、恨めしそうな顔で久須中尉が睨めつけていた。






佐渡島西方海域 作戦総旗艦・強襲上陸作戦指揮艦『千代田』


「弾薬が無い!? そりゃ、無闇にバカスカ撃てば直ぐに消耗する! 推進剤を寄越せ!? 意味も無く戦闘哨戒をばらまくからだ! 基本は戦線を維持しての持久戦だろう!?」

『千代田』の作戦式ブロックの一室で、作戦総本部G4(兵站主任参謀)の少将が、各所から上がってくる悲鳴の様な要求に声を荒げていた。
本作戦の兵站作戦指揮は、全て総司令部G4、そしてG4が指導する(実質的に指揮官)兵站作戦部で統括指揮を執る。

そして甲21号作戦における兵站作戦は・・・上陸開始後、120分を過ぎた時点で既に破綻、事実上『失敗』したと言って良かった。
有るべき筈の補給物資が無い。 届くはずの補給コンテナが、輸送手段が無いために兵站末地で積み上げられたままだ。 途中で補給隊が『はぐれ』BETAの襲撃に遭った。

総面積で東京都の半分程度しか無い佐渡島。 しかも使えるエリアは極限られた場所でしか無く、そこから最前線への『輸送作戦』は、まさに『決死作戦』になりつつある。
中には戦闘部隊の中で、機体を一部損傷した戦術機が、本来ならば後方に下がり修理を受けるはずが、そのまま兵站末地まで飛来して補給コンテナを『かっ攫って』ゆく始末。

この兵站主任参謀の少将とて、事前の検討で補給作戦の困難さは十分に理解していた。 そしてなるだけ要求に添える様、手を尽くしてきた筈だった。
それでもまだ『失敗したと言って良い』レベルで済んでいるのは、バックに付いた米軍の補給体制のお陰だ。 この兵站少将は、米軍の兵站担当者は皆、完全な悲観主義者だと断じている。

つまり、元々の算出された必要弾薬数量が過大すぎるため、失敗した兵站作戦でも、弾切れを起こしていない・・・なんとも皮肉な話しだ。

「海岸線の制圧エリアが狭すぎる・・・! 万が一光線族種が出現した場合、輸送車両どころか、戦輸でさえ一方的に叩かれて終わりか・・・!」

陸上補給作戦が破綻しているのだ。 真野湾も両津湾も、その東端に設置した兵站末地から最前線への補給ルートが、陸上ルートは特にBETAの脅威に晒されている。
無理な突破補給作戦を行えば、補給する物資より早く、補給手段としての輸送車両や戦輸が全滅してしまうだろう。 そうなれば本作戦も失敗する。

後方の一部からは、衛星軌道からの補給コンテナ投下比率を、もっと上げるべきだったとの声も出ているが・・・今更外野が馬鹿をほざくな、と言いたい。
そもそも衛星軌道への補給コンテナ打ち上げ費用がどれ程か、判っているのか。 小型のSS-700型ロケットで補給コンテナを2基、イプシロンⅡロケットで4基。
大型のH3Aで8基、その改良型のH3Bでさえペイロードは補給コンテナ12基だ。 本作戦で用意された補給コンテナは、優に数万個に上る。
そして打ち上げ費用は小型ロケットのSS-700型で1回800万円(約290万ドル)、イプシロンⅡで950万円(約345万ドル)ほどだ。
しかし大型ロケットのH3AやH3Bだと、1億6000万円(約5800万ドル)から1億7000万円(約6180万ドル)もかかる。

(・・・数万個だぞ! 数万個! 補給コンテナが数万個! それを衛星軌道に打ち上げて、だと!? BETAに負ける前に、国家財政と経済が破綻して滅びる方が早いわ!)

とは言え、何も手を打たない訳にはいかない。 兵站主任参謀の少将は、部下への指示を出しつつ、とある別部署への直通回線を開かせた。 そこには今少し『マシな』器財が有るはずだった。







178分後―――2001年12月25日 1154 日本帝国 佐渡島 真野湾海域


『コンテナ射出、5番から9番、用―意! 撃っ!』

腹に響く重低音の射出音を残し、数トンもの重量を持つ補給コンテナが次々に撃ち出される。 特設給兵艦『樫野』の後部甲板に設置された射出器から次々に撃ち出される。
特設給兵艦『樫野』は、武器・弾薬などを輸送し、時に前線の前面海岸線に向けて補給コンテナを射出出来る様、射出器を後部甲板に設置された、戦時急増特設支援艦だ。
同型艦は60隻。 全て商船ベースの船体であり、低速、かつ非装甲。 『樫野』は第2補給隊に属し、他の姉妹艦10隻と共に真野湾沿岸部の陸上部隊への強行補給を行っていた。

『コンテナ射出、15番から19番!』

『20番から24番、セット完了!』

『1番から4番、再装填、異常なし!』

20隻の特設給兵艦が、危険な真野湾に侵入してまで補給コンテナ射出を行っている理由。 それは陸上補給線がほぼ途絶してしまったためだ。
完全に途絶したわけでは無い。 陸上補給部隊も、戦輸(戦闘歩行輸送機)を増強させたり、『樫野』に搭載している射出器の陸上型を急遽運び込んだりと、努力している。
しかし陸上設置型の射出器では、補給コンテナを飛ばしても、精々八幡新町や河原田本町までだ。 その先の、島の西南部の最前線まで射出するには飛距離が足りない。

作戦総旗艦(つまり作戦総本部)の兵站司令部から『要請』が入り、そこで急遽、第2補給隊の中から補給コンテナ射出能力を有する、半数の特設給兵艦が急行したのだ。
それまで佐渡島西方海域で補給任務に当たっていた10隻は、護衛の戦闘艦艇に『盾に』なって貰いつつ真野湾へ侵入し、旧沢根の友軍最前線へ補給コンテナを飛ばしていた。

『僚艦、『波戸』、『都井』、『野間』、補給コンテナ全射出! 新町の甲府川集積地に向かいます!』

『入電! 『佐田』、『日御碕』、『生石』、補給コンテナ補充完了! 甲府川集積地を出航!』

ウイスキー上陸部隊への補給は陸上からでは無く、洋上から―――西部海岸線沖からと、真野湾北西海岸沖の2カ所から、補給艦や給兵艦からコンテナ射出しか出来なくなっている。
真野湾、両津湾までの内陸兵站線は確立出来た。 しかしそこから先、最前線までの補給ルートの確立が非常に困難を極めている。 控えめに言っても『困難』、正直に言って『無理』

相変わらず、地上での補給も継続しては居る。 総司令部の兵站司令部が本腰を挙げて、90式戦闘歩行輸送機(戦輸)3個連隊を投入したのだ。
真野湾に1個連隊と2個大隊。 両津湾へは1個連隊と1個大隊。 1時間当りの補給コンテナの輸送量は真野湾で380から400個、両津湾で300個から320個に達した。

しかし、それでもまだ不足する。

『樫野』とその同型艦の特設給兵艦は、補給コンテナ射出器を24基装備していて、艦内に240基の補給コンテナを積み込める。 
4基ずつの射出で、24基全てを射出するのに要する時間は約6分。 1時間当り240基の射出能力を有している。 10隻で1時間に2400基のコンテナを射出可能だった。

「急ぎで急行したからな・・・半数はコンテナ射出済みで、半数は30%しか残っていなかった」

「本艦と、他の3隻だけが、丁度補充し終わったところでしたからな・・・」

海軍予備士官の艦長(予備中佐)と、これも予備士官の副長兼運用長(予備少佐)が、艦橋から陸地を見ながら会話を交わす。 2人とも『危険な』艦橋に居る事に違和感が無い。
戦闘艦艇ならば、最もアーマー(装甲)の分厚い場所に移動するが、所詮は商船船体ベースの非装甲特設艦。 レーザー照射の1発も貰えば、即轟沈確実だ。

「光線族種が出てこない限り、4時間でコンテナ1万個前後は保証するが・・・出てきたら即、アウトだな」

「護衛艦艇も、数回は耐えきれるのは戦艦だけです。 他は・・・」

支援艦艇の『盾』として海岸線前方を遊弋している戦闘艦艇群を見ながら、艦長と副長は内心で共通の決意を固めた。
最後の最後は、たとえ撃沈されても、1個でも多くのコンテナを射出してみせる、そう考えていた。 彼らは良くも悪くも、日本人なのだった。








182分後―――2001年12月25日 1158 日本帝国 佐渡島 真野湾岸 旧河原田本町付近


『ゲイヴォルグ・マムよりゲイヴォルグ・ワン! 脅威警戒警報! 旧佐和田ダム跡付近よりBETA群接近中! 規模、約2500! 『セラフィム(154大隊)』前方へ出ます!』

『セラフィム・ワンよりゲイヴォルグ・ワン。 周防さん、151はそのまま、護衛しつつ沢根まで抜けてください! こちらはセラフィムが受け持ちます!』

『第1025大隊より第151大隊! 燃料消費が激しい、サーフェイシングは東窪田から先でやりたい! それまで護衛を頼む!』

砲弾と誘導弾、そして迎撃レーザー照射が上空を飛び交い、あちらこちらで爆発と爆炎が吹き上がる戦場。 BETAの残骸、戦術機の残骸、戦闘車両の残骸―――死体は意識しない。

第151戦術機甲大隊長の周防少佐は、37機に回復した(軍団予備から回して貰った1個小隊を編入)大隊を率いて、1個戦輸機大隊の護衛として沢根までの突破を試みていた。
今のところ大規模なBETA群の襲撃は無い。 精々、200から300程度の小型種の襲撃が散発的にあるだけだった。 大隊戦力であれば、ほぼ損失無しに排除可能だった。

「・・・2500か。 常識的に考えれば、光線族種や要塞級が居なくとも、突撃級と要撃級は、それぞれ200から400は居るか・・・」

間宮少佐指揮の第154戦術機甲大隊(定数40機、現有38機)だけでは、少々荷が重いかもしれない。 艦砲射撃や砲兵部隊の支援砲撃は期待できるが、光線級が出現すれば・・・

「よし・・・シックスよりクリスタル・ワン。 遠野、貴様の中隊は引き続き輸送隊の直援に当たれ。 ドラゴン、ハリーホーク、俺に付き合え。 クリスタルの側面援護だ」

『クリスタル・ワン、了解です。 1025大隊! 直援に当たります!』

『ドラゴン、ラジャ』

『ハリーホーク、ラジャ。 大隊長、主演ですか? 助演ですか?』

ハリーホーク・リーダー、第2中隊長の八神大尉は、こういう時でも必ず一言入れてくる。 それが彼の戦場での余裕を保つスタイルなのだ。

「フォーメーション、アリーヘッド。 指揮小隊が先頭に立つ―――八神、たまには相手を立てる事も覚えろ。 じゃないと、モテないからな?」

『くぅ! 既婚者の言葉は違いますって?』

『八神、俺は独身だけどな・・・それでも、そう言いたいぞ?』

『酷ぇなぁ、最上さんまで・・・はいはい、判りました! ドラゴンリーダーより全機! 今回は美人大隊長殿の引き立て役だぞ! 間違っても目立つなよ!?』

通信回線にどっと沸き上がる笑い声。 この中隊は指揮官に似て『いい性格をしている』と称されている。 良くも悪くもだが・・・

『セラフィム・ワンよりゲイヴォルグ・ワン。 エリアB5Dから側面援護をお願いします。 それと・・・八神、貴様、この作戦が終わったら、じっくり『お話し合い』しましょうか?』

『ご遠慮します、マム!』

にこりと笑っているが、目が全然笑っていない間宮少佐のバストアップが網膜スクリーンに現れると同時に、八神大尉は通信系を大隊受信系にすぐさま切り替えていた。

そんな戦場らしからぬ会話を聞きながら、輸送隊と直援の遠野大尉の指揮する1個中隊が、旧窪田の交差点を抜け、旧東窪田の交差点に差し掛かる頃、連中がやって来た。

「来たぞ! 1025、全速ランで抜けてくれ! 遠野、山側に中隊を持って行け! ドラゴン、ハリーホーク、行くぞ! 続け!」

跳躍ユニットを噴かし、超低空ブーストジャンプを行いながら、旧東窪田からほぼ北の旧青野方向へ大隊を進出させる。 間宮少佐の大隊は旧二宮から北西へ突き上げた。

『ゲイヴォルグ・マムよりゲイヴォルグ・ワン! 接敵まで15秒・・・10秒・・・5秒・・・3、2、1、エンゲージ!』

「シックスよりオールハンズ! エンゲージ・オフェンシヴ! 側面から真ん中を突き破る!」

戦術MAPを視界の片隅に置きながら、ブーストジャンプから噴射パドルを逆噴射させ、一瞬でサーフェイシングに移行した周防少佐の94式『不知火』壱型丙Ⅲ(壱型23型)
主兵装の01式近接制圧砲―――2001年に制式採用されたばかりの、62口径57mm高初速リヴォルバーカノンから、57mm砲弾を吐き出して目前の要撃級BETAを屠る。

そのまま速度を落とさず、BETA群の中に突入する。 要撃級BETAの振り上げる前腕の一撃をギリギリの距離でスピンターンで交わすや、側面に57mm砲弾を数発叩き込む。
その後背から迫る別の要撃級を、指揮小隊の北里中尉機が横合いから36mm砲弾をまとめて叩き込んで沈黙させた。 3番機の萱場少尉、4番機の宇島少尉は周辺を警戒する。

「ゲイヴォルグ・ワンよりドラゴン、ハリーホーク! 60秒間だけ掻き回す、その後に旧白山神社跡まで突き破るぞ」

『ドラゴン、ラジャ』

『ハリーホーク、了解っす。 半村ぁ! ぶっ込み隊長、行け!』

『ラジャ!』

第2中隊がBETA群の群れの中を派手に掻き回す。 この状態では確実に光線級は出てこない。 出てきてもレーザー照射を行わない。
歴戦の八神大尉はそれを判っているために、中隊を大胆に動かして機動戦闘を展開する。 その後方で、最上大尉が中隊をスクリーンとして動かし、八神大尉の中隊を援護している。

大隊の先頭を切ってBETA群に突入した周防少佐と指揮小隊の4機は、今は2個中隊の結束点として動いている。 周防少佐は防御戦闘を行いながら、状況の経過を確認した。
BETA群は集団としての統制を失いつつある。 小集団ごとに各々の方向に動き始めている。 そして南東方向から間宮少佐指揮の1個大隊が、強襲を加え始めた。

『クリスタル・ワンよりシックス! 輸送隊の沢根突入を確認! 繰り返す! 輸送隊の沢根突入を確認! 損失はありません、少佐!』

戦輸大隊の直援につけた遠野大尉から通信が入った。 目前に突っ込んできた突撃級BETAが2体。 即座に噴射パドルを噴かしてサーフェイシングで、その僅かな隙間に機体を入れる。
そして擦過するほんの僅かの時間に、片方の個体の側面下部に57mm砲弾を叩き込み、すれ違ったその瞬間にスピンターンを掛け、残り1体の後方からやはり57mm砲弾を叩き込んだ。

『少佐! 無茶しないでください! 萱場、宇嶋! トライアングルを組め!』

『ラジャ! 宇嶋、ライト!』

『ライト、ラジャ・・・あんな機動、出来ないよな・・・』

ぽつりと宇嶋少尉が何か呟いたが、気にしない。 北里中尉には気苦労を掛けるが・・・大隊指揮小隊長の役目は、いかに気苦労をするかだ。 これも気にしない。
周囲に固まり始めた戦車級BETAの群れにキャニスター弾を数発見舞い、霧散させる。 同時に護衛の3機が36mm砲弾をばらまいて他の小型種BETAを始末した。

八神大尉の指揮する第2中隊の『撹拌』は功を奏している。 集団として統制され無くなったBETA群は、南東方向方から突き上げた間宮少佐の大隊に散々叩かれ、散り散りになった。

後は個別の小集団を各個撃破すれば、この集団は殲滅できる。

「シックスよりクリスタル・ワン。 輸送隊の沢根突入を確認・・・よくやった、遠野。 1025大隊、ご苦労でした! 帰り道もこのまま護衛を続行します!」

『第1025輸送大隊! 第151戦術機甲大隊、感謝する!』

周防少佐は大隊をそのまま北東方向へ突破させ、旧白山神社跡まで抜けるや、そのまままた反転して一撃離脱を繰り返した。 間宮少佐の大隊はその動きを受けて、正面から叩き続ける。
やがて2500ほどのBETAの集団は、少数の取りこぼしの他は殲滅された。 そして取りこぼした小集団は、更に後続の155大隊と、輸送隊護衛の152大隊によって殲滅された。








184分後―――2001年12月25日 1200 日本帝国 佐渡島西方海上 作戦総旗艦・強襲上陸作戦指揮艦『千代田』


『―――ウイスキー部隊損耗18%、エコー部隊損耗13%』

『―――ウイスキー第1派主力、旧沢根、旧高瀬に戦線構築。 第2派主力は旧窪田より西進中』

『―――エコー第1派主力、旧北松ヶ崎を確保、北上中』

『―――ウイスキー第3派上陸開始、エコー第3派上陸開始』

作戦指揮所で状況を確認している作戦総司令官・嶋田大将に、参謀長が報告する。

「閣下、『ブーゲンビル』、並びに『最上』より、作戦フェイズ移行の具申です」

『ブーゲンビル』には作戦副司令官兼、地上作戦担当司令官のロブリング米陸軍大将が、『最上』にはやはり作戦副司令官で、海上作戦担当司令官の小澤海軍大将が座乗している。

「ふむ・・・どう思う? 参謀長、君は。 僕にはどうも、何かが引っかかる」

「確かに、何かが、と言えば、何かが引っかかりますが・・・しかし、中断もこれ以上の延長も出来ません。 状況に変化無くば、予定通りに実行すべきかと」

「ふむ・・・」

再びスクリーンを睨む嶋田大将。 多くの大規模作戦を指揮してきた、そしてその中には敗戦も少なからずある、日本帝国有数の対BETA戦の作戦家が逡巡する。

「ふむ・・・まあ、逡巡していても始まらんか。 よし、参謀長。 全軍通達、フェイズ4に移行だ」

「はっ 全軍、これよりフェイズ4に移行します」





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この世界の『円』は、旧円、新円の切り替えが無かったとの想定です。 1ドル=2円75銭~2円76銭。 リアル40円=この世界の1円相当で計算しています。
小型ロケット打ち上げ費用、リアル換算で3億2000万円、大型ロケットの打ち上げ費用はリアル換算で64億円ほどと想定(回数増によるコストダウン込み)





[20952] 佐渡島 征途 5話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:ad831188
Date: 2017/04/29 20:35
2001年12月25日 1203 佐渡島 小佐渡山地中部 経塚山跡


―――あそこか。 結構固まってやがる・・・3000は居るか?

FO(前進観測班長)の少尉が、食い荒らされた山腹に設置した前進観測所から双眼鏡を覗き込み、目標を凝視する。 蠢く異形の存在。 本来この星にいてはならない存在。
レンズ越しの視界はまさにパノラマの世界・・・破壊と死。 その二つが支配する世界。 BETAに食い荒らされ、そのBETAと殲滅戦を繰り広げる世界。

ほんの3分前、フェイズ4移行の総司令部命令が達せられた。 少尉の属する砲兵大隊、その大隊が属する砲兵連隊の使命は、軌道降下兵団の降着予定地の『掃除』、その前段階だ。
その為に『山頂』に、砲兵大隊の前進観測班が陣取っている。 双眼鏡から見える『世界』に魅入られつつも、F10(個人用携帯無線機)を手に取り、送信ボタンを押す。

「・・・13、こちら26。 修正射、送レ」

『26、こちら13、送レ』

送信相手のFDC(砲兵大隊射撃指揮班)から、直ぐに返信が入った。 FOは大隊から伝えられた制圧範囲、その火力制圧案を元に観測した結果を、FDCに伝える。

「座標1680-2250、標高35、観目方位角4100、送レ」

『座標1680-2250、標高35、観目方位角4100、了。 続いて送レ』

「制圧エリアのBETA群、突撃級300,要撃級500を含む、約3000。 陣地正面7500。 縦深2500、光線属種は観測せず。 効力射にはM782、送レ」

目標の位置・種類・状態、射撃方法の弾種。

『こちら13、了解、待て』

指示に従い、その場でなお観測と続ける前進観測班。 とは言え、気分は悪い。 周囲を護衛の機械化装甲歩兵部隊が固めているとは言え、ここは戦場だ。
観測から漏れた小型種の群に襲われたら最後、前進観測班など一瞬に食い尽くされて全滅してしまう。 その為に1個小隊の機装兵が護衛に付いているのだが・・・





FOから報告。 暫く空電。 この間にもFDC(砲兵大隊射撃指揮班)では大隊射撃指揮幹部以下、前線からの『要求』に一斉に動いている。 指揮所テントの中が、慌ただしくなる。

「アシスト! FOから射撃要求です! 修正射、座標1680-2250、標高35、観目方位角4100! 光線属種は観測されず! 効力射にはM782!」

COP(射撃図下士官:伍長)がFOからの『射撃要求』を受け、アシスト(指揮班長、射撃指揮補佐将校:大隊運幹が兼務)に報告する。

「1中隊、2中隊、FOから射撃要求。 まもなく射撃に入る。 座標1680-2250、標高35、観目方位角4100。 M782」

COPの報告と同時に、Comp(算定下士官:軍曹)が速やかに射撃中隊(砲列)に予告を与え、準備を施す。 座標、方位、弾種。

アシスト(指揮班長)の砲兵大尉が、瞬時に状況を脳裏に展開する。 現在空いているのは1中隊と2中隊。 目標の座標は正確に取れていない、『修正射』でいく必要がある。
弾種? 当然M107榴弾だ、問題は信管だ。 敵は突撃級と要撃級BETA群で、数がそれなりに固まっている―――よし、ここはFOの言う通り、M782(多機能)だ。
効力射弾数―――突撃級と要撃級の数は800だ、効果25%として各砲弾数20発。 いやいや、確実に制圧すべきだろう。 なら効果50%で行くべき。

「大隊長! FOから要求の突撃級、要撃級含むBETA群を、速やかに制圧する必要あり! 1中隊、2中隊の修正射、効力射にはM782、各砲40発を撃ち込みます!」

瞬時のそれだけの判断を下したアシストが、奥に陣取る大隊長に報告と実施項目を伝える。 

「予備は、大丈夫か?」

「まだ余裕があります」

「よし・・・撃て!」

大隊長が『決断』を下した。 アシストは大隊長の命令を受け、FDCの各員に対し、『射撃命令』を下達する。

「射撃命令、1中、2中! 修正基準砲、座標1680-2250、標高35、観目方位角4100! M782、装薬白6、効力射、40発!」

Comp(算定下士:軍曹)が野戦電話を掴み、射撃号令が射撃陣地の1中と2中砲班長に達せられる。 同時にCompはFCE(射撃諸元算定装置)で射撃諸元の計算に掛かっている。

「1中隊、2中隊、修正射! 基準砲、M782、装薬白6」

『1中隊修正射。 基準砲、M782、装薬白6』

『2中隊修正射。 基準砲、M782、装薬白6、了』

射撃陣地から即、復唱が帰ってくる。 そして熟練の古参下士官であるCompは、射撃諸元の計算を同時進行して止めない。

「諸元、後から」

『了解・・・ おい、M782、装填!』

『M782装填、了!』

電話口の向こうから、砲班員の復唱する声が聞こえた。 

その間にもCompは射撃諸元を計算し、対面ではCOP(射撃図下士)が同様にFCEを用いて計算し、Compにミスが無いかチェックをしている。
やがて射撃諸元の計算が終わった。 熟練の砲兵下士官の技か、僅かな時間しか経っていない。 Compが野戦電話を掴み、1中隊と2中隊へ射撃諸元を伝える。

「方位角1008(ミル)、射角302(ミル)!」

『方位角1008、射角302』

「良し!」

Comp、1中隊と2中隊砲班長の伝達状況を確認したCOPが、最終的に正常を確認した。 Compが最終的な射撃指示を出す。

「各個に撃て! なお、効力射にはCVT80発を準備!」

『了解・・・よぉ~い、撃ッ! 基準砲、初弾発射!』





後方から重低音と共に、砲弾が迫りくる音が聞こえた。 途端に地表に炸裂する、同時に白煙が立ち上った。 場所は―――いいぞ、要撃級の群れのど真ん中。

「13、こちら26。 修正射確認、左右良好、前後下げ50、送レ!」

『26、こちら13。 修正射、左右良好、前後下げ50、良いか? 送レ』

良いも悪いも無い、まさに要撃級BETAの群の、ど真ん中にオン・ターゲットだ。 贅沢を言えば、もう少し近めの着弾ならば、突撃級BETA群をミンチに出来る。

「13、こちら26。 要撃級のど真ん中にオン・ターゲット! 下げ50で突撃級のど真ん中だ、縦深250! 急いで効力射、やってくれ! クソッたれのBETA共を吹き飛ばせッ!」

『26、こちら13! 了解した! 大至急、出前を届ける!』









2001年12月25日 1205 地球周回低軌道 高度296km


アンビリカル・コネクタ解放、再突入カーゴの全系統切り替え―――OK。 これで全コントロールはエレメント・リーダーの手に渡った。

『司令駆逐艦『バックレーⅢ』より、オール・ダイバーズ。 本艦の軌道離脱噴射まで100―――降着地点は、IJA(日本帝国陸軍)とUN(国連軍)が確保』

管制ユニットのコンソール・ライトに、網膜スクリーンに映った女性管制官の顔が映る。  島の降着地点は、取りあえず確保―――墓場がある事は目出度いことだ。

軌道降下作戦―――今までリヨン、マンダレー、そして横浜などの作戦で行われた、ハイヴ攻略戦の常套手段。 今ではハイヴ攻略戦の常道として定着した。
但し、『成功例が無い』 軌道降下兵団の生還率は2割を割る。 100機突入して、生還機は20機を割る。 普通の戦術機甲部隊なら『壊滅』判定だ。

今回軌道降下兵団を構成する4個大隊は、国連軍第6軌道降下兵団『オービット・ダイバーズ』 第6は欧州出身者を中心に、中東、中央アジア、南アジア系で補充された部隊。
そして今回の降下兵団の中には、過去の軌道降下の経験者が『10人と居ない』と言う事。 そして軍隊と言う暴力組織の常で、それは一切問題視されていない事だ。

だが当の軌道降下兵団の衛士達にとっては、それの現実が全てだ。 2割の生をもぎ取るか、8割の望まぬ死に飲み込まれるか。
畜生、これだったら、さっさとブッディストかヒンドゥーに改宗しときゃ良かったか? 自分の神様は、なんてったって『全知全能の』神様だ。 それがこの有様。
笑うな。 多神教だったら、一神位は恐怖にションベンを漏らす、クソッたれなチキン・ダイバーズの神様だって、居たっていいだろう!?

『ホーネット01、軌道離脱噴射、スタンバイOK・・・生き残れ、戦友!』

『ホーネット02、スタンバイ了解。 ベルリンを・・・この目でもう1度見るまで、死んで堪るか・・・! 良いか!? やってみせろ、戦友!』

西経40度、南緯35度、ウルグアイ東方・南大西洋上軌道高度270km。 速度26,100km/h。 軌道離脱噴射、開始―――高度250km・・・200km・・・150km・・・ 
もうHSSTとの通信は途切れている。 ユニット離脱タイミングを示すカウンターだけが、不気味にその数字を減じていく。
カウントダウン―――10、09、08・・・03、02、01、00! ロックボルトが爆発分離された、再突入殻分離!

『再突入殻分離、確認!』

『確認! 現在地、西経36度、南緯26度、南大西洋ど真ん中の上空!』

外部モニターに映し出される、軌道艦隊が見えた。 全艦がロケットブーストで、高度と速度を回復しつつ、低周回軌道へと復帰して行く。
暫しの別れ。 そう、暫しの別れだ。 生還率2割? それがどうした、それより低い生還率の作戦も有った! それを生き抜いてきたのだ、俺は!

眼下の地形がみるみる変わって行く。 長い航跡を引いて、この世で最も臆病で、そして生と死と、人の見栄の何たるかを知る貴き愚者達が、流れ落ちて行く。









2001年12月25日 1206 佐渡島東方洋上 作戦総旗艦 強襲上陸作戦指揮艦『千代田』


『国連軌道艦隊の再突入殻分離確認。 再突入開始しました!』

『降着予定時刻、1215!』

『降下軌道に変動無し。 予定軌道を降下中!』

『国連軍A-02、長岡付近を進航中。 航宙軍『義烈(戦略航空機動要塞YG-70b)』、能登半島沖20海里付近を進航中。 各ステーションまで65分』

『第17軍団(ウイスキー上陸第2波別動部隊)、第14、第15師団、降着地点を確保。 引き続き警戒中・・・』

『ハイヴ突入、独立機動兵団(戦術機甲4個大隊)、旧350号線ラインに進出。 ハイヴ突入、スタンバイ・・・』









2001年12月25日 1208 佐渡島 国仲平野中央部 第15師団第151戦術機甲大隊


『ゲイヴォルグ・マムより、ゲイヴォルグ・ワン! 師団本部より、オービット・ダイバーズ降下! 降着地点の確保下命! エリアD7RからC9R! 大隊はD7Rを担当!』

「ゲイヴォルグ・ワンよりマム、了―――エリア戦力評価、続けて送レ」

『マムよりワン。 エリア戦力評価、およそ700。 師団担当正面、およそ2700』

「ワン、了―――シックスより01、02、03! スイープ! エリアD7Rだ! フォーメーション・ウイング・ツー! 続け!」

『『『―――了!』』』

37機の戦術機―――94式『不知火』壱型丙Ⅲ(壱型23型)がフォーメーションを組み、大隊長機を中心にサーフェイシングに移る。
目標は旧佐渡市中心部、かつて藤津川ダムがあった辺り。 隣接する戦区は僚隊の第152、第155の両戦術機甲大隊が担当する。 後詰めは第153、第154、第156戦術機甲大隊。

『大隊長! 前方100、BETA群! 300!』

『マムよりゲイヴォルグ・ワン! 光線族種は確認されず!』

大隊担当戦区の中の、およそ半分弱のBETA群を確認した。 主戦線から零れて流れてきた個体群か。 光線級は確認されず、大型種も比較的少ない。
網膜スクリーンに浮かぶ、呼び出したコペルニクスC4Iコンセプト作戦指揮系(OPS)共通戦術状況図(CTP)を見る。 同時に共通作戦状況図(COP)を操作する。
どうする?―――無論、殲滅する。 どうやって?―――左右の比較的高度のある地形、その陰に2個中隊を機動させて包囲殲滅。 ならば自分は?―――決まった。

「―――シックスよりドラゴン、右翼。 ハリーホーク、左翼。 クリスタル、続け」

CTP(共通戦術状況図:Common Tactical Picture)は、CEC(共同交戦能力:Cooperative Engagement Capability)のサブシステムのひとつ。
CTPにおいて表示されるのは、その瞬間にCTP作成者が把握している彼我の位置関係(座標および空間ベクトル)、および戦力状況(交戦や武器の状態)である。
そこに含まれる情報は、5W1Hのうち、Who(誰が)、What(何を)、 When(何時)、Where(何処で)であり、この情報は大隊長以上の各ユニット間で共有される。

上位システムにCOP(共通作戦状況図:Common Operational Picture)がある。 COPが明示する情報は、Who(誰が)、Why(何故)、So what(従ってどうするか)である。
従って状況判断と意思決定を加味したものであることから、その生成は半自動的なものとなる。 連隊や旅団、或いは師団システムとリンクし、他部隊の行動理由を共有する。

『大隊長・・・!』

『ドラゴン、了』

『ハリーホーク、ラジャ』

『クリスタル、了―――北里、諦めなさい・・・』

『遠野大尉!』

何か、とんでもなく失礼なことを言われた気がするが・・・周防少佐は意識して気にしないようにする。 心配性の部下を持つと、上官も苦労する・・・

『・・・誰が、苦労ですか・・・! 萱場、宇嶋、両翼を! デッド・シックス(6時後方)は私が!』

わざわざ口にして! どうせ言っても無駄だ、こういうときの大隊長は!―――悟った北里中尉は、大隊長機の背中を守ることに専念しようと決めた。 両翼は部下に任せた。

2個中隊が左右両翼に急速展開する。 同時に機動砲撃開始。 ベテランは確実に、中堅も9割以上、新米達も8割の命中率で屠ってゆく。
高速機動中の砲撃は、いかにFCS(射撃管制装置)があれど、実のところ命中率は言われるほど高くない。 9割に達すれば十分『熟練』なのだ。

そして実のところ、日本帝国陸軍戦術機甲部隊のドクトリンは、従来では近接戦闘を重視してきた。 これはハイヴを近くに控える国の軍隊に顕著な傾向だが・・・
その関係で、日本帝国陸軍戦術機甲部隊における、高速機動砲撃の命中率は、数年前までは米軍のそれに比して、低い数値だったのだ。

現在、その傾向は修正されつつある。 幸か不幸か、大陸から『叩き出された』後に、更に本土防衛戦を経験した者達が、部隊長、或いは中隊指揮官に昇進し始めた頃からは・・・

「左翼100、右翼100、中央100・・・5分で始末しろ。 かかれ!」

命令と同時に、大隊長機の01式近接制圧砲(BK-57ⅡB)から、57mm砲弾が撃ち出される。 その射弾は狙い違わず突撃級BETAの装甲殻に着弾し、数発で射貫させた。
脚部噴射パドルを逆噴射させて、急制動をかけて着地する。 その周囲を3機の大隊指揮小隊の機体が守る様に布陣した。 同時に突撃砲の36mm砲弾を浴びせる。

「遠野、上昇限度、100まで許可。 前面の突撃級のケツを破ってこい」

『クリスタル、了! リーダーより各機! 躍進跳躍! 高度制限100、距離300! 続け!』

後方から1個中隊の(1機欠)、11機の94式『不知火』壱型丙Ⅲ(壱型23型)が躍進跳躍で、跳躍ユニットを噴かせて飛び越えてゆく。
同時に左右から多数の誘導弾攻撃。 第1と第2中隊が攻撃を開始したのだ。 網膜スクリーンに投影される戦術MAPで、周囲の隣接戦区の状況も含め確認する。
前面におよそ300のBETA群。 北東から250、北西から300ほどの第1陣が流れてきている。 総数850・・・両翼は長門少佐と、佐野少佐の大隊が受け持つ。 阻止は可能だ。

「・・・問題は・・・無いか」

背後から支援砲撃、遠方のBETA群に着弾。 100機以上の戦術機が、狭隘な戦区で戦っている。 BETA群の主力集団は、ウイスキー、エコーの両主力部隊と熾烈な叩き合いの最中だ。
お陰様で、こちらに流れてくるBETA群は、思い出したように数百から精々1000ほどの中規模集団のみ。 3個大隊で当たれば対応は可能。 支援砲撃も期待できる。

更に言えば、島の中央部から第14師団が、北部から第10師団が、第15師団同様に『降着エリア』確保のために押し出している。
所々に発見される『門(ゲート)』、その周辺を制圧して、オービット・ダイバーズ降着の憂いを取り除く・・・時間が少ないのは確かだが、連中もプロだ、降着後は任す。

『マムよりゲイヴォルグ・ワン! オービット・ダイバーズ降着まで、あと300秒! 予定軌道を降下中です! フォール・アラート! 待避まで250秒!』

「マム、了」

250秒―――4分有れば、ほぼ確実に掃除は完了する。 

目立たない脇役の戦区だが、確実に遂行する事を求められる戦区だ―――本音を言えば、主役など御免だ。 生きて帰る算段を・・・自分と部下の。
勿論、本音と建て前。 軍隊では、そして戦場では、往々にして後者が最優先されることも、重々承知の上で・・・部隊長として、その判断を行う覚悟もある。

(・・・いつも通りに、だ)

周防少佐は一瞬だけ目を瞑り、そして命じた。

「―――シックスよりオールハンズ! フォール・アラート! 200秒で仕留める! リエントリーシェルの落下予測をチェック! 目視も使え! 計器を鵜呑みにするな!」







2001年12月25日 1210 熱圏 高度78km 第6軌道降下兵団『オービット・ダイバーズ』


『はあ! はあ! はあ!』

荒い息、誰だ?―――自分だった。 軌道降下の真っ只中。 そろそろ熱圏が終わり、中間圏に突入する高度だ。 全行程の中間地点はとっくに過ぎた。
先程眼下に、カスピ海が見えた。 アラル海は無かった―――カフカスは低地ばかりだ。 本当なら5000m級の峰々・・・かのアララト山もあった筈・・・

≪ザッ・・ザザッ・・・!≫

鈍いノイズと同時に、網膜スクリーンの視界がブラックアウト。 熱圏から中間圏に突入したのだ。 さあ、ここからいよいよ、災害の難関に差し掛かる。

『むっ・・・! ぐっ・・・!』

シートから押し出される様な、マイナスGが急激にかかる。 高度70km、速度23,700km/h・・・軌道降下に伴う減速を補う為に、ロケット加速が始まったのだ。
外部視界は全く取れない、なので自分がどこをどう『落ちて』いるか、想像するしかない。 予めプリセットされたプログラムで、再突入殻を制御するしかない。

『ロール反転・・・開始・・・!』

ほんの僅かなスラスター噴射と、シェルに複数個所取り付けられたモーメンタム・フライホイールのトルクモーメントを使ってS字軌道を描く。 
着陸までに都合4回、強引に70度以上の深いバンク角度でS字軌道を開始する。 これも軌道降下戦術のひとつ。 現在推定地点、旧呼和浩特(フフホト)上空。 蒙古高原だ。
俗にBETAの予測を外す、等言われるが、チキンズにとって迷惑この上ない苦行だ。 瞬く間に、次のターンが迫ってくる。

再びロール反転、想定位置・旧石家庄市上空、高度66km。 更に減速した、ロケット加速第2段。 くそっ、Gが半端無い・・・!
更にロール反転、想定位置・旧唐山市上空、高度62km。 骨がきしみそうだ、だがまだ大丈夫、大丈夫な筈だ。 まだ大丈夫・・・!
最終ロール反転、想定位置・旧大連上空、高度58km。 ロール反転はこれで終わり。 さあ、次こそいよいよ・・・!

電子音が管制ユニットに鳴り響く、ブラックアウトが終わったのだ。 中間圏を何とか生きて抜けた―――地獄への玄関口は抜けた。 これからだ・・・!

『高度55km、速度23,400km/h・・・旧元山市上空、成層圏突入用意・・・』

いよいよ成層圏に突入する。 さあ、『あれ』が始まる・・・!

『・・・高度50km、速度23,000km/h・・・ターミナル・エリア・エネルギー・コントロール! 成層圏突入! 大減速、開始!』

ドンッ!―――背中を一気に蹴飛ばされた。 いや、とてつもない何かにブチ当たった感じだ。 強化装備の耐G機能が無ければ、この一気のマイナスGには耐えきれない。

『高度50・・・45・・・40・・・高度35km、速度12,500km/h・・・最大減速・・・!』

目玉が飛び出しそうになる。 内臓が押し上げられて、全てを吐き出しそうだ―――歯を食いしばって耐える。 マイナス8.0Gを超す猛烈な大減速! 正気の沙汰じゃない!

一気に高度25,000m、速度2,500km/hまで、速度で20,000km/h以上の大減速をかける。 頭から一気に血が引く、足元に全て集まる感じだ、視界が暗く狭まって意識が・・・

(―――途絶えさせるものかよ!)

日本海上空を、流星群さながらに猛速で降下して行く軌道降下兵団。 高度20,000・・・15,500・・・10,000・・・5,000・・・

『マニュアル・コントロール復帰! リエントリーシェル、離脱!』

ドッ!―――衝撃と同時に、背面で落下していたリエントリーシェルから、一気に戦術機ごと開放される。 
同時に最後の補助ブーストを自動で利かせ、リエントリーシェルがハイヴに向け急速突入して行った。 レーザー照射は・・・無い!? 嘘だと言ってくれ!?

『シックスよりホーネッツ! 淑女と野郎ども! 全員居るか!? フライドチキンになった奴は居ないだろうな!?』

『ホーネット05よりシックス! B小隊全機いますぜ!』

『シックス、ホーネット09! C小隊、A-OK!』

『02より01、A小隊、しぶとく全機、居やがった! くそったれの『フライング・コフィン』め! ざまぁみろ!』

腹の底から、何か判らない感情がせり出してきた―――全機、軌道降下をやり遂げやがった! イエス! イエス! イエス!

『OK! クソッたれ共! 重金属雲発生高度、1560m! 突入前フォーメーションを組め!』

―――『了解!』

跳躍ユニットを下方全開にして、減速着地態勢に入る。 真下に黒々とした重金属雲が広がる、あの中に入るのは嫌なものだ。 だがここではアレが唯一の『イージス』だ。

『重金属雲・・・突入!』






『うっ・・・おおっ!?』

『すげっ・・・!』

『あれがオービット・ダイバーズの『コフィン・ダイヴ』かよ・・・!』

部下達の声・・・経験の浅い少尉達の驚愕の声が、通信回線に流れてくる。 確かに驚くに値する光景だ。 何せ衛星軌道から『フォール・アタック』を掛けているのだから。
リエントリーシェルの落下に巻き込まれぬよう、100秒の余裕を持って待避していた大隊が、その落下攻撃を目前に声を飲む。 艦砲射撃を遙かに上回る『質量攻撃』だった。

大隊の大半が、リエントリーシェルの落下は初めて見る。 過去に経験があるのは、小隊長の中尉以上だけだろう。 大隊長の周防少佐にしてからが、横浜以来なのだから。

「―――シックスより01、02、03、オービット・ダイバーズがご入場だ。 以後、作戦計画フェイズ4プランに従って行動する」

『01、 了』

『02、ラジャ』

『02、 了解です』

その瞬間、分厚く張り巡らされた重金属運の中から、音を立てて大質量の精密機械の塊―――戦術機群が突き抜けてきた。






ボッ―――そんな音がした気がした。 途端に視界がブラックアウト、重金属雲は通信だけでなく、センサー系も異常を発生させる。 速度455km/h、高度650m!

『・・・む・・・う・・・ 抜けた!』

高度420m、重金属雲を抜けた。 どうやら海上と地上の友軍部隊は、念入りに降着地点の『掃除』を実施してくれていたらしい。 予定より300mも分厚いとは!

『最大逆噴射! 着地に備えろ!―――待たせたな、ジャパニーズ!』

『日本帝国陸軍、第15師団! ダイバーズ! フライドチキンじゃなくて何より! 降下ポイントはエリアC9R、旧新保川ダム跡地だ! ハイヴは北方5km地点!』

『ピンポイント過ぎて、涙が出る!―――ホーネッツ! さあ、地獄の門だ! 獄卒共を喰い尽せ!』

『『『『―――応!』』』』







『オービット・ダイバーズ降着』

『エリアD7RからC9Rを確保。 TSF151、152、155、ゲート105から112周辺を確保。 TSF153、154、156、ゲート115から119を確保』

『第14師団、エリアC7Dに進出』

『第10師団、エリアB5RからC7Fまでの回廊を確保』

『軍団司令部より入電。 フェイズ4、ミッション002-004、ハイヴ内兵站作戦準備にかかれ』

『ウイスキー、エコー、最終第3派、上陸開始しました』

師団司令部内に、かえって重苦しい空気が充満する。 取りあえず、玄関口まで入った。 これから中庭に侵入し、そして最後は奥の院まで・・・行けるか?
ウイスキー、エコー、共に第1派上陸部隊の損害は酷いモノだ。 戦闘部隊だけで言えば、損耗率30%を超した。 そろそろ戦闘続行は限界に達しつつある。

「ふむ・・・藤田君、名倉君、TSF(戦術機甲部隊)全部と、機装兵(機械化装甲歩兵部隊)を2個(大隊)預ける。 ハイヴ内補給線確保の防衛任務だ」

「はい」

「はっ」

師団長・竹原季三郎少将の言葉に、第1機動旅団長・藤田伊与蔵准将、第2機動旅団長・名倉幸助准将が頷く。 この両将は、ハイヴ内の兵站線、その確保の為の指揮を担う。

「佐孝君、機甲(機甲部隊)と機装兵1個(大隊)、それと機動歩兵に砲兵、自走砲を預ける。 ゲートへの充填剤注入の間の防衛を行え」

「はっ! 閣下!」

第3機動旅団長・佐孝俊幸准将も頷いた。 先任の2人の旅団長達が、ハイヴ内での指揮に専念する為、周辺の『門(ゲート)』封鎖の間の安全(ある程度の)確保が役目だ。

「10師と14師からも、部隊が抽出される。 通信(通信参謀)、ハイヴ内は元より、地上でも、連携は密に」

「はっ! 特にハイヴ内は無線、有線、共に複数回線を確保。 通信断の無きよう、万全を期します」

師団G2(情報・通信参謀)であり、第2部長でもある矢作冴香中佐が、師団通信課長(通信大隊長兼務)に目配せしながら答えた。
ハイヴ内の情報は、ほぼ無きに等しい。 いや無い。 突入部隊からの通信情報、それをひとつ、ひとつ繋ぎ合せ、ハイヴ内のスタヴ情報を構築してゆくのだ。 通信が命だ。

「沢渡君(沢渡平蔵大佐、後方支援連隊長)、軍団支援旅団と連携し、ハイヴ内兵站路を構築しろ。 草場君(草場信一郎少佐、施設工兵大隊長)、ゲートへの充填剤注入作業を」

「はっ!」

「はっ、準備は完了しております」

「よし・・・」

いったん、竹原少将は言葉を切る。 さあ、ここからがメインステージだ。

「ハイヴ内作戦は、私が直率する。 支援作戦、ゲート封鎖作戦は、熊谷君(熊谷岳仁准将、副師団長)、君が指揮を執れ。 フェイズ4、師団作戦副調整官だ」

「はっ! よし、各部、かかれっ!」

ここからが、本当の地獄の門の中だ―――誰かがそう言った。






[20952] 佐渡島 征途 6話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:ad831188
Date: 2017/06/01 21:55
2001年12月25日 1225 佐渡島 国仲平野 旧佐渡市仲野 国道305号付近


「ゲートNo.314から318、硬化剤注入75%」

「No300から308までは封鎖完了、309から313まで、硬化完了15分後」

「319から324、硬化剤注入開始しました。 325から330のハイヴ内調査完了は18分後の予定」

「よし・・・314から318の注入、急げ。 319から324への注入、硬化補助剤の比率を上げておけ」

「良いのですか? 隊長・・・そうなると、硬化障壁の強度が不足するかと・・・」

「不足すると言っても、3日や4日で食い破られる程度じゃ無い。 要は作戦中に、余計な穴からBETA共が湧き出るのを防げればそれでいい」

「は! おい、325から330の調査、15分で済ませろと伝えろ!」

佐渡島の全域に空いた穴・・・ハイヴの横坑の出口、ゲートだ。 BETAはここから地表に出てくる。 工兵の役目は、まずその穴を塞ぐことだ。
全てを塞ぐわけでは無い。 数と装備の問題から、物理的に不可能だ。 だいいち、そんなことをすれば今度はBETA共、新しい穴を掘り始める可能性が高い。

第15師団工兵隊は、定められたエリア内のゲートの内、作戦に沿って指定されたゲートの封鎖作業を実施している最中だった。 全員が化学防護服を着用している。
簡易型とは言え、化学防護服を着用しての作業は、なかなか困難で有る。 しかし島の中、特にこの辺は重金属雲をはじめとする、人体に極めて厄介な物質が飛び交っている。

「要は・・・昔の城攻めと同じだ」

「は?」

作業指揮所としている特殊改造型の特大型トラックのコンテナの中、作業進捗を見守っている第15師団工兵大隊長・草場少佐の独り言に、傍らの幕僚中尉が首をかしげる。 
どうやら若い中尉には、大隊長の独り言の意味がわからなかったようだ。 その若い顔を防護服越しに見ながら、草場少佐は講義するような口調で言った。

「昔の日本の城はな・・・特に平城は、全周を水堀で囲ったりせずに、わざと1方向だけ空堀にしていた。 大坂城など、有名だな」

「はあ・・・そうなると、城の防御力が低下するのでは?」

「だから、わざとだ。 わざと防御力の低い方面を作り、そこに敵兵力を吸引する。 空堀と言え、乗り越えて城壁にたどり着くのは一苦労だ。
城方はそこを鉄砲で狙い撃ちする。 兵力も集中させてな・・・ほれ、講談物の中に有るだろ、信州の武将の名を冠した・・・なんとか丸ってな」

「ああ・・・読んだことは有ります」

「あれだよ。 あそこは大坂城の南辺だが、空堀だった。 幕府軍はそこに殺到して・・・結局、城方の防御兵力集中に跳ね返された」

「ははぁ・・・わざとゲートの一部を封鎖せず、BETA共の出現地点を限定すると・・・」

「全て成功するわけじゃ無いが・・・それでも、おおよその出現地点はこちらで把握できる。 つまり、防御戦闘の主導権を握ることになる。 これは大きいぞ」

成程、勉強になりました―――若い中尉が、納得顔で敬礼して離れてゆく。 勉強になる、か・・・その為には、生きて帰してやらんと・・・
周囲を見渡す。 今のところ、国仲平野でのBETA出現の方はその後無い。 もっぱら大佐渡山地での戦闘に終始している。

爆発の閃光、曳光弾の光、120mm砲や36mm砲の射撃音、支援重砲の砲撃音に着弾の衝撃、更には沖合からの艦隊の支援砲撃・・・戦場音楽は意外と近い。
しかし、近いがこの辺りは奇妙なほど穏やかな状態になっている。 周囲は友軍が押さえ、BETAの小集団さえ近寄っていない。 時折姿を見せるが、全て撃破されている。

この国仲平野北辺と、大佐渡山地とが接する辺り。 そしてウイスキーとエコー、両部隊の作戦区域接点が、ハイヴ突入の突入路であり、かつ、兵站路の入り口となるのだ。
余計な穴は封鎖して然るべき。 現在、第10、第14、第15師団工兵隊の他、第1派、第2派上陸部隊の工兵部隊、第3派上陸部隊の工兵部隊も総出で作業中だった。
国仲平野以東の(小佐渡山地に至るまでの)ゲートの封鎖作業を行い、突入路と兵站路を確保すると共に、迎撃エリアを限定する事で、地表の防御戦闘の主導権を得る作戦だ。

その為には、この『注入封鎖作戦』は完璧に為さねばならない。

その時、離れた場所の横坑内から、甲高い発砲音が複数鳴り響いた。 あれは120mmの発砲音と、12.7mm機銃弾・・・

「第151機甲、第153機装兵より通信! 『横坑内でBETAと遭遇戦生起、小型種30、大型種5! 排除成功』、以上です!」

「よし・・・作業急げ! BETAが這い出て来ないうちに、ゲートの封鎖を完了させろ!」

草場少佐の背筋に、見えない嫌な冷汗が流れた。 経験上、BETAとの接敵は後ろに控える集団が控えている事を示す。 時間は余りなさそうだった。





『―――第9層SE-1012横坑(スタブ)、探査完了。 スリーパードリフトは確認されず』

一種、幻想的な情景だな―――網膜スクリーンに映る外の景色を見ながら、半村中尉はそう思った。 初めてのハイヴ突入だ、見るも不思議な光景だった。
見れば判る、少なくともここは、地球上の知的生命体の感性で造成された場所では無いと。 奇妙でグロテスクで、しかしある種の『美』さえ感じられる幾何学模様の空間。

半村中尉は、自身も部下達同様、ハイヴ突入は初めての経験だ。 古参の中尉以上の者で無ければ、『横浜』は経験していない。 あの頃、半村中尉は未だ訓練校の訓練生だった。

(―――奇妙な材質だな。 めちゃ硬い、ッテ訳じゃなさそうだが・・・それでも120mmの直撃にも耐えるって・・・それでいて、なんか柔軟性も有りそうだ・・・)

上官へ報告しながら、こんな時だというのに、つい興味が勝ってしまう。 緊張でテンパっているより余程宜しい心理状況だが・・・

『―――小隊長、パックボット、進めますか?』

「そうだなぁ・・・一応、サンマル(300m)進めろ」

『―――了解です』

先行する大型パックボット―――昔の軽戦車並の全装軌式の車体に、上部に用途に応じた各種モジュールを取り付けることで遠隔操作が出来る多目的大型『ロボット』
自走速度は最大45km/hで、ゲーム用コントローラに似たスティックコントローラで操作し、GPSとコンパス、そしてMCUを搭載し、最大8km離れた場所から操作可能だ。

今回は、上部にLQQ-7B・地上・地下探知ソナー(聴音機と脅威受信機、熱源探知機・振動探知器等を統合し、多機能を有する複合ソナー)ユニットをアタッチメントしている。
ハイヴ内の先行偵察、更にはスリーパードリフトの探査など、離れた後方から『比較的』安全に偵察と探査を行えるよう、日米の軍需産業界と電気産業界が合作した『秘密兵器』

この他にも78式雪上車を改造し、後部に装軌式トレーラーを取り付け、2連から3連で各種ユニットを積載してハイヴ内に運び込む『90式特大型全装軌トレーラー』
半装軌式に改良され、最大積載量20トンの『88式中型半装軌トレーラー』や、これまた半装軌式に改良された、最大積載量50トンの『92式特大型半装軌運搬車』など。

ハイヴ内の輸送に欠かせない全装軌、半装軌式車両群が、『安全を確保した』ゲートから次々と突入して、兵站物資を送り込み、通信ケーブルを敷設してゆく。
勿論、100%の安全が確保される訳では無いから、スタブ内は戦術機甲部隊と、機械化装甲歩兵部隊が、兵站路周辺の横坑内に幾重にも配置され、警戒している。

『お~し、半村。 お前の小隊はそのまま、SE-10ホールまで探査しろ。 隠れ横坑(スリーパードリフト)は見逃すんじゃねぇぞ・・・香川、お前の小隊はSE-11ホールまでだ』

上官の姿と声が、網膜スクリーンと通信システムを通して届いた。 その声にも姿にも、過度の緊張感は窺えなかった。 中隊長は『横浜』でハイヴ内戦闘を経験している。
第151戦術機甲大隊第2中隊『ハリーホーク』中隊長の八神大尉は、自身も1個小隊を率いながら、指揮下の各小隊の報告を作戦MAPにインプットしている。

『ハリーホーク02、了解』

「ハリーホーク03、ラジャ。 隣は大丈夫ッすかね? フリッカ(第3中隊)の方は・・・」

『なんだ? 半村。 貴様、遠野(遠野万里子大尉、第3中隊『フリッカ』中隊長)が気になってんのか?』

上官の冗談(と思いたい)に、思わず顔をしかめる半村中尉。 どうして、そこで遠野大尉って事になる!? 1階級上官で(そして年上で)、しかも大尉の親爺さんは将軍閣下だ。
半村中尉の守備範囲は、正直、同い年から年下。 容姿は贅沢言う気は無いが、まあ10人並ならそれで良し。 性格の良い、明るい子が好みだった。

「冗談言わんで下さい、中隊長。 俺んとこのエリアの隣、楠城の担当なんすよ・・・あいつ、見落としゃしないかと・・・」

すると横合いから、含めたような笑い声と共に、別の声と姿が網膜スクリーンにポップアップした。 どこかクールな印象を受ける女性衛士、そして女性将校だ。

『半村、少なくとも楠城は、アンタより注意深いわよ・・・ああ、そう言う事ね』

『そう言うことだ。 皆まで言ってやるな、香川』

「なんすか、香川さん、その含んだ言い様は・・・違いますからね、中隊長!」

中隊長の八神大尉と、先任小隊長の香川由梨中尉が、後任小隊長の半村真里中尉をからかう。 隣のエリアの第3中隊第3小隊長である楠城千夏中尉は、半村中尉の同期生で・・・

『ま、しっかりやんな。 生きて帰ったら、撃墜しろや』

『楠城は、良い子だからねぇ・・・』

「ちょっ!? なんすか!? その生暖かい目は!? 中隊長! 香川さん!」

この間、部下達は何も言わない。 それどころか、第3小隊の面々は、やはり生暖かい目で網膜スクリーンに映る小隊長の姿を見守っている・・・

『―――シックスよりハリーホーク・ワン、状況は? オーバー』

大隊長から、状況連絡の督促が入った。 スクリーン上でちょっと思案顔になる八神大尉。 大隊長は普段、神経質というわけじゃ無い。 むしろ神経が数本抜けているような・・・
とは言え、半村中尉から見ても大隊長の周防少佐は、普段は結構手綱を緩めるが、戦場では一切の妥協を許さないところが有る、結構厳しい上官だ。 
こういう時、直属上官としては、八神大尉は有難い存在だと、半村中尉などは思う。 直属上官としては、周防少佐はちょっと遠慮したいのが、半村中尉の本音だった。

(流石の大隊長も、ハイヴ突入戦だしな・・・)

そんなことを考えていると、中隊長の八神大尉が大隊通信系に切り替え、報告する。 そうなると小隊長クラスでは、通信を傍受する事しか出来ない。 権限が無いからだ。

『ハリーホーク・ワンよりシックス。 SE-10から12ルート、現在異常なし。 このままSE-10、11、12ホールまで探査を続行します。 オーバー』

前方数100メートルをゆく大型パックボットを見ながら、そこから送られてくる情報を確認しつつ、上官へ報告する八神大尉。 パックボット操縦は部下に任せている。
現在の所、突入部隊(オービット・ダイバーズと機動突撃大隊群)は、ウイスキーJ(ジュリエット)、K(キロ)大隊が第10層まで完全制圧した。 
H(ホテル)、I(インディア)、L(リマ)の3個大隊が、先行して第12層に突入している。 もっとも突出しているのはH大隊第2中隊『ザウバー』だった。

この他にもエコーM(マイク)、N(ノベンバー)大隊が別ルートから第12層を目指しており、O(オスカー)、P(パパ)、R(ロメオ)の3個大隊が第11層をサーチしている。

日本帝国陸軍のハイヴ兵站警備部隊(第10、第14、第15師団戦術機甲部隊/機械化装甲歩兵部隊)は、地表から第10層までの兵站路警戒を続行中だった。

『―――シックスよりハリーホーク・ワン、E-21ルートで第10師団が第10層横坑でBETAと接敵した。 100体程度の小型種の集団だったが、スリーパーから出現した。
複数回の確認を行え。 連中、何も無いところでも掘り進んでくるぞ。 先入観を持つな、何度でも、何度でも、疑わしきは疑え・・・疲れるが、頑張ってくれ。 アウト』

『・・・了解です。 アウト』

―――頑張ってくれ、だって!?

あの上官が、戦場でそんな言葉を掛けてきたのは初めてじゃ無いか!? 普段は,物わかりの良い上官だが、戦場ではとことん厳しい。 特に指揮官クラスに対しては。
その上官が、寄りにも因って、まさに本番を迎えているハイヴ内で・・・『頑張ってくれ』だと!? いやいや、まさか・・・八神大尉も、一瞬、呆気にとられている。

『・・・ハリーホーク・ワンより全機! スリーパードリフトのサーチを徹底しろ! 少しでも疑わしきは捨て去るな! 報告しろ! いいな!』

『っ!? 02、了解です』

「03・・・ラジャ、です・・・?」

2人の小隊長も、上官の豹変(?)に驚いている。 八神大尉としては、不気味で仕方ない。 ただし、上官―――周防少佐にしてみれば、単に部下を慰労しただけなのだが・・・

様々な思いや勘違い(!)を重ね、ハイヴ兵站路警備部隊は、更に徹底した警戒態勢を整えていった。





「第10層までの兵站路、通信路は確立できたか・・・有線の経路は、もう数ルート増やしておきたいな。 無線の簡易基地局も設置せねば」

「警戒は続行中だ。 さっきもエコーの警戒エリアで、小規模なBETA群との接触が有った」

「スリーパードリフトは、完全には潰しきれない。 何度でも重複探査が必要だな・・・」

「それしか無い。 これから更に深部へ突入していくからな。 損害は未だ軽微で済んでいる。 ここで上層部を固めておけば、下に行く際に楽になる」

「下はBETAの密度は高まるだろうが、ルートは狭まるだろうからな」

第10層、S-10広間。 今のところ、最深部の兵站末地となっているホール。 そこに仮設された指揮所で、数名の高級将校達(中佐や少佐)が話し込んでいた。
服装はまちまちだ。 防護服を着込んだ兵站将校や通信将校、戦車兵用防護服姿の機甲科将校、衛士強化装備姿の戦術機甲科将校や、簡易強化装備姿の機械化装甲歩兵科将校まで。

「第9層より上は、『接触』はほぼ無くなった。 現在は第10層、第11層で哨戒と探知中だ・・・まだスリーパードラフトが発見され続けている」

「数は少ないな、精々50から100体程度の集団だ。 スリーパー自体もそれほどの数じゃ無い、今のところは全て殲滅している・・・が」

「ここからだな。 これより深度が深まれば、BETAの密度が増す。 連中、何も無いところでも掘り進んでくる。 横浜の時のように・・・」

この将校達―――大半は日本帝国陸軍だが、少数の国連軍将校もいる―――は、過去に横浜ハイヴ攻略戦、『明星作戦』に従軍した経験を有する。
中には国連軍通信将校(中佐)の様に、リヨンとボパール、そしてマンダレーまで潜った経験のある、兵から叩き上げの古参将校すらいる。 
つまりは歴戦の実戦指揮官連中なのだ。 その彼らにしてからが、あの横浜ハイヴ内の戦闘は悪夢だった。 そしてこの佐渡島・・・甲21号は、横浜(甲22号)より大きい。

指揮官同士の打ち合わせは、警戒をより厳に、と言うことで纏まった。 仮設指揮所から乗機に戻る途中、第15師団第151戦術機甲大隊長の周防直衛少佐は、ふと周囲を見渡した。
なんとも言えない情景だった。 ある種、幻想的な美しさも備えつつ、しかし、やはりこの星の知的生命体が為し得る構造デザインでは無い、そう感じる。

「・・・生身でハイヴ内を歩くなんざ、そうそう出来る経験じゃねぇな」

背後から声を掛けてきたのは、第152戦術機甲大隊長。 僚友で、古くからの親友である長門圭介少佐だった。 長門少佐も周囲を見渡している。

「俺は2度目だけどな・・・直衛、お前は部隊を指揮してハイヴに突っ込むのは、初めてだろ?」

「ああ・・・横浜では師団参謀としての参戦だったからな。 最後の最後に、臨時中隊率いて最深部まで潜ったけど・・・お前とな。 で? 圭介、経験者としての助言は有るのか?」

「特にはなぁ・・・いつもと同じだろうな。 ああ、そうだ、振動探知と熱源探知は、絶対にサボるな。 こう狭い空間だ、前後を挟まれたら、それで終わりだ」

「ヴォールク以来の戦訓の通り、か・・・」

意外と柔軟性の有るハイヴ内の床(?)を踏みしめながら、乗機に戻る周防少佐と長門少佐。 この先、第10層から第11層の南部分は、彼らが率いる2個大隊の担当だった。

「・・・絶対、絶対に、これから出てくるぞ、連中は」

「ああ。 これまでの接敵が少なすぎる。 地表に出てきた数もそう多くない。 この下に密集しているな・・・」

周防少佐も長門少佐も、若い少尉や中尉時代から、ハイヴから飽和した10万を越えるBETA群との、気の遠くなる様な大規模会戦を何度も経験している。
20代後半の彼らは、世間では未だ『青年』と呼ばれる年代だが、軍内、とりわけ戦術機甲部隊内では、10年近い実戦を経験して生き抜いた『大ベテラン』になるのだ。

その彼らの経験が、盛んに警鐘を鳴らしている。 こんな筈は無い、絶対にだ。 ここから下、深部にはそれこそ無数の(ハイヴ内では特にそうなる)BETA群が待ち構えていると。
現在、国連軍オービット・ダイバーズは、第12層に取りかかっている。 別ルートのエコー突入部隊も、第11層から第12層に降りた。 未だ殆ど接敵していない。

「多分、15層に降りるまでに・・・何らかの動きが有るだろうな」

「ここはフェイズ4だ、最大深度は推定で1200m、階層は30層から35層あたりが最深部だ。 まだ3割ほどしか進んでいない」

「フェイズ4ハイヴの想定BETA数は約20万。 地表に出てきたのは、4万ほどしか確認されていない。 有るぞ、大規模逆襲が・・・」

小声で話し合う2人の戦術機甲大隊長。 お互い目配せをして、乗機へと進む。 やるべき事は判っている。 今までと同じ、いや、それ以上に慎重に、かつ大胆に、集中して。

何せ、ここは『ハイヴ』なのだから。










2001年12月25日 1245 佐渡島 小佐渡山地山麓 旧真野御陵 上陸第2派司令部 通信指揮所


「SE-10エリア、探知結果来ました」

「S-10エリア、振動探知結果はどうなっている?」

「第15師団TSFからの哨戒データはどれだ!?」

通信指揮所と同時に、偵察・哨戒データの解析センターも兼ねるこの場所では、多くの将校・下士官達が前線部隊からもたらされたデータを解析している最中だった。
音響、振動、熱源・・・各種データは、貴重なハイヴ内の生データであると同時に、BETA群の移動を早期察知する為の非常に有効で、無くてはならないデータだ。

「ここです。 この微振動。 結構長く続いています」

「ふむぅ・・・しかも、複数か・・・似たデータは?」

「ハイヴ内の物ではありませんが、地上作戦中の物でなら、これです」

解析担当の中尉と、当直将校の少佐が話し込んでいる。 ハイヴ内で収集された各種データの中から、僅かであるが妙に思われる兆候を中尉が発見した。

「確かに、似ているな・・・地上戦での、BETAの地中侵攻直前時の振動データの波形と・・・」

「現在、本土のデータベースにアクセスして、『横浜』の時に似たデータが無かったか、照会中です。 あと1分以内に・・・ああ、出ました」

「うん、どうだ?」

「はい、現在結果表示中です・・・あ、くそ!」

「むぅ・・・!」

結果が表示されたモニターを見た2人の将校が忌々しそうに呻いた。 素人が見れば何が何やら判らない波形の表示。 しかし専門家が見れば一目瞭然。
似ているのだ、非常に。 『横浜』で観測されたそのデータと、今現在ハイヴに突入している部隊が送ってきたデータが・・・最悪を想定せねばならない。

「横浜でも観測された現象です! BETA共、この時はシャフトやドリフトを通らず、新たに『穴を掘って』進んできました! そのお陰で、初撃で1個大隊が包囲殲滅されました」

「ハイヴ内を掘り進んで・・・侵攻部隊の後背や横合いに突如出現した・・・あの報告のか!」

「どうします・・・?」

中尉の声と視線は、直ぐにでも現地部隊へアラートを発した方が良い、そう言っている。 当直将校の少佐も同意見だった。

「よし・・・おい、通信! ハイヴ内全部隊に緊急警報発令! 続いて探知情報結果をOPS(作戦系コペルニクスC4I)に流せ!」

そうすれば、少なくとも大隊長クラス以上の指揮官へは、リアルタイムでこの情報が伝わる。 後は・・・現地指揮官連中に任せるしか無い。

その指示を出した後で、当直将校は上級司令部へ繋げるよう指示を出した。 恐らくこれから、地獄が開演するだろう。 そうなれば非武装の通信部隊は・・・

「おい、即時撤収準備を進めておけ。 大至急だ」

「は!? はっ!」





『―――有線データリンク、うまく作動していないようだ・・・』

『―――現在、ウイスキーJ(ジュリエット)、K(キロ)大隊が第10層を完全制圧。 L(リマ)大隊がN15『広間』に到達、直に追いつく・・・』

『―――地上陽動も平均的損耗率で推移。 作戦自体は極めて良好。 地下茎(スタブ)内兵站も第10層まで確立』

『―――フェイズ4ハイヴの最深到達記録511m、あと71m(現在440m)』





「っ!? なに!?」

1253―――突如、網膜スクリーンに浮かび上がった緊急警報情報に、周防少佐は一瞬身構えた。 直ぐに内容を確認する―――同時に、旅団(兵站路警備司令部)から通信が入った。

『周防! 長門! 有馬! TSFは即時戦闘態勢に入れ! 皆本(第151機械化装甲歩兵大隊長)! 機械化装甲歩兵は兵站部隊の直援に回れ!』

A旅団長の藤田准将が、直々にスクリーン上に姿を見せた。 非常に珍しい。 こんな事は普段ならあり得ない。 同時にB旅団長の名倉准将の姿も。

『荒蒔! 連中が穴を掘りながら来るぞ! 間宮! 佐野! 荒蒔に合流しろ! 志摩(第152機械化装甲歩兵大隊長) 兵站ルート上部を確保しろ!』

A旅団は藤田准将の指揮の元、戦術機甲部隊は周防少佐、長門少佐、有馬少佐の3個大隊。 そして機械化装甲歩兵部隊は、皆本少佐の大隊が属している。
B旅団は名倉准将指揮の元、戦術機甲部隊は先任大隊長の荒蒔中佐と、間宮少佐、佐野少佐の3個大隊。 機械化装甲歩兵は志摩少佐の1個大隊。

同時に全大隊長のコペルニクスC4Iに、共通情報が更新された・・・そして全員が絶句した。

『このルート・・・ッ』

『下手すれば、退路が・・・!』

佐野少佐と有馬少佐の掠れ声が流れる。 他の大隊長も同じ思いだ。 途端に、上官から叱責が飛んだ。

『馬鹿者! 指揮官が狼狽えてどうするか!』

往年の名戦術機甲部隊指揮官だった藤田准将が、咆哮する。 その怒声で大隊長全員が、ハッとなって冷静さを取り戻した。 同時に先任大隊長の荒蒔中佐が意見具申する。

『第10、第14師団と合流します。 ルートはS-09からS-08、SE-08ホールに至るルート。 BETAの予想進撃路からは、僅かですが逸れます』

旅団長クラスに次いで実戦経験豊富な荒蒔中佐の意見具申に、2人の旅団長達も賛同を示す。 その頃には他の大隊長達も冷静さを取り戻している。

「―――意見具申。 A旅団警戒部隊は兵站部隊の殿軍を行いつつ、S-10、S-09からS-08へ抜け、第14師団と合流するルートを」

A旅団の周防少佐が、旅団TSF先任(3名の少佐の中の先任)大隊長として意見を具申した。 第14師団は3個戦術機甲連隊、9個大隊を有する。 合流すれば何とか・・・

『機装兵は兵站部隊に先んじ、進路『前方』の警戒と確保を』

A旅団機械化装甲歩兵大隊長の皆本少佐も、意見を具申する。 ハイヴ内では、機械化装甲歩兵部隊では、BETAとの大規模戦闘はかなり不利だ。 先導役を務めて貰う。

結局、A、B旅団共々、第14師団との合流を指示される。 正確には第15師団A、B旅団との合流だ。 第10師団は第14師団C旅団と合流する事となった。

『―――10師(第10師団)と言えば・・・棚倉と伊庭も潜っているな』

長門少佐が周防少佐まで、秘匿回線で話しかけてきた。 第14師団にも同期生が居るが、第10師団にも棚倉少佐、伊庭少佐と、2人の同期生が大隊長をしてハイヴに突入していた。
特に伊庭少佐は、周防少佐の従姉と最近婚約した。 今年5月のマレー半島での遠征以来、会っていなかったが、この作戦が終われば一席設けようと思っていた相手だった。

「・・・腕も、悪運も、両方持ち合わせている連中だ。 何とかするさ」

自分たちは大隊指揮官だ。 まずは大隊指揮の義務と、その部下達に責任を負う。 仲の良い同期生は気がかりだが、彼らとて同様だ。 まずは己の義務と責任を果たせ。

A旅団、B旅団の全部隊に緊急警報が発令された。 同時に指揮官から即時の即応体制を取るよう命令が飛ぶ。 そして・・・





『―――振動と音紋に感有り! 下層より推定4万以上!』

『―――N17『広間』まで後退! 後続と合流して迎撃用意!』





『ゲイヴォルグ・マムよりシックス! 緊急事態! BETAの地中・・・いえ、ハイヴ内・・・いえ・・・侵攻が発生しました! 
第12層N19ホール付近で、国連軍オービット・ダイバーズ3個中隊全滅! 他にも連絡途絶部隊、多数発生!』

2001年12月25日 1255 佐渡島 甲21号目標第12層。 BETAの大群が、新たなシャフトとドリフトを掘り進めながら、突入部隊に襲いかかってきた。




[20952] 佐渡島 征途 7話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:ad831188
Date: 2017/08/06 19:39
2001年12月25日 1300 佐渡島 甲21号目標 第9層


少し前進すれば、横合いの横坑からBETAの群が飛び出してくる。 数は少なくとも、その都度、交戦して殲滅し、そして周辺の警戒を行いつつ前進を開始。
これを繰り返せば、衛士は心身共に疲労する。 衛士だけで無く、機械化装甲歩兵も同様だ。 ましてやハイヴ内でほぼ非武装に近い兵站部隊などの将兵は・・・

『ルートS-09-32、BETA群多数! 音紋推定数、約1600から1700!』

『出るな! 1個小隊じゃ、あっという間に飲み込まれて終わりだ、その数じゃ! 下がれ! 中隊集結地点まで下がれ!』

『ケルベロス・スリーよりシックス、アンド、オールズ! ルートS-09-32途絶! ケルベロス・スリーはルートS-07-31に転進!』

『ABCT(第1旅団戦闘団)HQよりオール・バタリオン! 14師より緊急信! S-10-31から大規模BETA群が上昇進撃中! ABCT全部隊は、S-09-28より北側から待避せよ!』

『ユニコーン・マムよりワン! BBCT(第2旅団戦闘団)は兵站部隊のダイレクト・エスコート(直援)! S-09-22から24の外周部、BETA群が希薄です! ルート設定済、転送します!』

『ゲイヴォルグ・マムよりワン! BBCT(第2旅団戦闘団)全TSFがS-09-22から24経由で、第8層に抜けます! S-09-25のBETA群、約500の掃討命令、出ました!』

『アレイオン・マムよりワン! アレイオンはゲイヴォルグの右翼、S-09-25Bのスタブ支路の掃討と確保命令です! BETA群、約300,小型種です!』

『セラフィムマムよりワン! セラフィムはゲイヴォルグの左翼・・・S-09-25A! BETA群、個体数推定250! 大型種は確認されていません!』

第10層から、まさに『尻に帆を掛けて』地表への脱出を急ぐ、第15師団突入部隊(第1、第2旅団戦闘団) 第10、第14師団も同様だ。
各師団の旅団戦闘団だけならば、もっと迅速に脱出できる。 しかし彼らは『ハイヴ内兵站部隊の護衛任務』をこなさねばならない。 戦友をここで見捨てるわけにいかない。
地上から通信管制を行うCP将校達の声も、焦燥感が感じられる。 特に彼女たちは、地上とハイヴ内、双方の戦況を把握できるために、また違った焦燥感を感じていた。

小型種の群に、やや距離をとった1個小隊の戦術機・・・94式『不知火』壱型丙Ⅲ(壱型23型)が、突撃砲の36mm砲弾をまき散らし、120mmキャニスター砲弾を見舞う。
小型種が相手ならば、戦車級にさえ気をつければ、兵士級、闘士級は戦術機の脅威ではない(全くそうでないとも言い切れないが・・・)
120mmキャニスター砲弾から、内蔵された1100発ものタングステン製子弾が小型種BETA群に降り注ぐ。 やがて小隊4機全てが120mmキャニスター砲弾を発射した。

威力は絶大だ、兵士級・闘士級ならば範囲内の個体は瞬く間に赤黒い霧となって霧散する。 従来の時限信管タイプでなく、新しい信管を日米欧が共同開発して搭載している。
これは、空中炸裂させる際の時限信管へのデータ入力を瞬時に行える砲弾で、まずレーザー測遠器のデータから目標との距離を瞬時に自動算出する。
そして、時限信管の起爆タイミングの数値を瞬時に計算し、砲弾の信管へ自動で入力を行う作業を完全オート・瞬時に行い、即応性を高めているのだ。
この砲弾は空中炸裂だけでなく、着発炸裂、遅延炸裂などの数種類の起爆モードを選べる、『多機能弾』として開発されている。

従って、今までのように早発、遅発による威力過小の現象が劇的に改善された。 時限起爆のタイミングを経験上、体で覚え、射撃タイミングを感覚で・・・
等という『職人芸』に頼ることなく、例え新米衛士でも、その起爆タイミングはシステムが自動で、瞬時に行ってくれる。 ロックオンさえすれば良いのだ。

やがて血路が切り拓かれた。 上出来だ。 ここまで損害無しで、退路の確保を行えたのだから。 ただし、上層がどうなっているかは、上がってみないと判らない。

『ハリーホーク03よりリーダー! SE-08-18へのルート、打通しました! 損害無し!』

『よぉし、よくやった! 半村! 第8層への一番乗りは貴様の小隊にやる! さっさと上に上がって掃除してこい! ハリーホークよりシックス・・・』

15師団ABCT(第1旅団戦闘団)の戦術機甲部隊3個大隊が、ルート上の外周部を確保して、第8層への『比較的安全な』内周部ルートを兵站部隊に与えた。
先頭を戦術機甲部隊が努め、上層への『威力偵察』を実施する。 BETAが居なければ良し、居れば撃退できなくとも、情報を持ち帰ることが出来る戦力で行うべし。

1個小隊の戦術機がハイヴ内をサーフェイシングしながら登ってゆく。 交戦は? BETAは居るのか?―――36mm砲弾の射撃音がその問いに答えた。

『SE-08-18に到達! 小型種、約40体! 掃討戦開始します!』

『半村! 突っ込みすぎるなよ! 香川! 後ろの部隊と連携とれ! 1小隊、俺に続け! 3小隊を支援する!』

中隊長の八神大尉直率の1個小隊も前へ出た。 小型種40体だけならば、半村中尉の第3小隊だけでも対処可能。 だがそれだけではないかも知れない。
やがてSE-08-18の『安全』が確保された。 八神大尉から大隊長の周防少佐へ報告が入り、周防少佐は護衛対象の兵站部隊へ前進を『提案』する。 元々命令系統が異なるのだ。

ハイヴ内輸送用に改造された全装軌、半装軌、特大型、大型、中型の各種トレーラーが、盛大に排煙を噴かして全速力でハイヴ内を『駆け上がって』ゆく。
周囲は87式機械化歩兵装甲『MBA-87C』装備の機械化装甲歩兵の2個大隊がダイレクト・エスコートを。 その前後をBBCT(第2旅団戦闘団)の3個戦術機甲部隊が固める。

当初、第8層での第10、第14師団との合流を企図していたが、やはり状況は流動的だ。 僅か5分後には、第6層での合流に変更を余儀なくされた。
それまでは、各師団の突入部隊は自力でBETA群を排除し、まずは第6層を目指す。 3個師団が合流しさえすれば、戦術機部隊だけで21個大隊。 地表への望みは、まだある。

「ゲイヴォルグ・ワンよりハリーホーク。 SE-08に上がった後は、クリスタルと交代しろ。 クリスタル、前へ。 ドラゴン、外周警戒!」

これまでずっと、大隊の『突撃力』を担ってきた第2中隊『ハリーホーク』 損失は未だ1機のみだが(補充された)、そろそろ疲労が溜まってきている。
疲労は心身に影響を及ぼす、特に戦場では。 一瞬の判断の遅れが命取りとなる。 周防少佐は、これまで後衛をさせてきた第3中隊『クリスタル』の前衛投入を決めた。

『クリスタルよりシックス、了! 八神さん、上がります!』

『ハリーホーク、了! クリスタル、頼む! SE-08-26から北側は、結構小型種が多そうだ、気をつけろよ!』

網膜投影システムの視界の片隅を、クリスタル(第3中隊)の94式『不知火』壱型丙Ⅲ(壱型23型)が10機駆け抜ける。
大隊は指揮小隊が4機(大隊長期含む)健在だが、第1中隊は11機、第2中隊も11機、第3中隊は10機に減じている。 総数36機。 突入時38機が2機喪失している。

『ドラゴンよりシックス。 外周部、SE-08-30辺りまで、哨戒の実施を行います』

第1中隊長の最上英二大尉が、周防少佐の命令を待つ間もなく、意見具申する。 こういう所は、流石、周防少佐の信頼する右腕的存在だ。
最上大尉は、生き残れば来春には少佐への進級が確実視されている、最古参の大尉だ。 周防少佐としては右腕を失うのは厳しいが・・・八神大尉も育っている。 遠野大尉も。
最上大尉の抜けた穴は、現在最古参中尉の鳴海大輔中尉(第3中隊)、香川由莉中尉(第2中隊)、三島晶子中尉(第1中隊)あたりが大尉に進級して埋めるだろう。

『・・・最上、面倒事は任せる。 進退判断は貴様の判断で行って良いぞ』

『持つべきは、話の判る上官ですな―――では』

話の判るどころか、重要な局面での判断が自身に委ねられると言うことは、かなりのプレッシャーだ。 最初から上官による決定が成されている方が、実はやり易い。
自分で状況を把握し、判断し、決断し、結果を求められる。 話が判るどころか、『丸投げするんじゃない!』と、内心で怒りたくなる状況だ。

だが、周防少佐は最上大尉に、その権限を委ねた。 最上大尉は周防少佐から委ねられた権限を了解した。 長年の上官と部下だ、そして最上大尉は少佐進級5分前なのだ。

本部指揮小隊から離れてゆく1個中隊を視界の隅に納めながら、周防少佐はコペルニクスC4I、その作戦指揮系共通戦術状況図(OPS-CTP)を操作し始める。
幾つかの情報、シミュレーション結果を入力する。 いくら有能で優秀で、経験豊富な右腕的指揮官と言えど、そうそう喪う気は毛頭無いのだから。

「・・・こんな気分か」

かつての上官達の顔が思い浮かぶ。 彼らも、今の自分と同じ様な心境を抱いたのだろう。 上官としての期待感と、同時に上官としての無慈悲。 両立は本当に難しい。










2001年12月25日 1307 佐渡島沖合 作戦総旗艦・強襲上陸作戦指揮艦『千代田』


『地表へ侵攻中のBETA群、音紋、振動データより、推定個体数4万を超しました!』

『出現予想地域、国仲平野中央部。 ウイスキー、エコー、各第2派支援部隊に、緊急退避命令発動しました!』

『ウイスキー、エコー、各第3派部隊は、上陸地点での支援部隊撤収の護衛にはいります!』

『ウイスキー第3派別動の第19軍団、小佐渡山地より上新穂前面に展開完了』

『ウイスキー戦略予備、第20軍団より第39師団、旧八幡新町橋頭堡防衛線に到着しました』

『ウイスキー第1派、損耗37%を越しました! 同じくエコー第1派、損耗35%! 聯合陸戦隊、および米海兵隊より『我、能う限り持久せんとす』です!』

作戦総旗艦『千代田』の作戦司令室。 今回の作戦総司令官・嶋田大将に並み居る幕僚達の視線が集中する。 引くのか、それとも押すのか、と・・・

「これまでの・・・」

嶋田大将はディスプレイ表示される戦況図を見ながら、傍らのG2(情報参謀)に問うた。

「これまでの、推定撃破数は?」

「は・・・ウイスキー、エコー、両戦線での地上撃破が約2万2000。 ハイヴ内戦闘での撃破数が約2000。 総数約2万4000です」

「ハイヴ内をせり上がってきている数は・・・約4万超か・・・残るは・・・」

「フェイズ4ハイヴでの、推定BETA個体数は約20万です。 地上とハイヴ内撃破、および現在地上に出てこようとしている数を差し引いて、残るは約14万前後・・・」

それだけの数のBETA群が、未だハイヴ内に留まっている。 第1派の損耗は35%から37%に達した。 第2派も20%を越し、25%に迫る勢いだ。
少なくとも第1派の各部隊は、早々に戦闘力を喪失する。 これ以上の継戦を命令することは、先の大戦での『玉砕命令』に匹敵する愚かしさだ。

目を瞑り、腕組みしながら、さながら静かに瞑想する僧のような嶋田大将が、うっすらと目を開いた。 但し強烈な光が宿っている。

「・・・全突入部隊を、地上へ引き上げさせろ。 但し、『特殊砲撃』の後だ。 それまでは・・・困難だが、ハイヴ内で持久させよ」

「は・・・はっ!」

作戦参謀と通信参謀が慌ただしくその場を離れる。 通信参謀は各軍への下達命令の起文に、作戦参謀は戦略予備部隊の状況確認のために。 他の幕僚も散っていった。

「参謀長。 中に潜った連中には、苦労を掛けるな・・・」

嶋田大将は、1人だけ残った参謀長を見やって話しかける。

「閣下・・・『義烈(YG-70b)』と『A-02』の主兵装は荷電粒子砲です。 砲撃時に下手に地表に出ていては・・・」

「加熱し、融解し、蒸発するか・・・」

「ウイスキー、エコーの両戦線は、砲撃の射線から大きく離れて要ります。 この二戦線は影響はありません。 が、現在『開いている』ゲートは・・・
それにハイヴ内でも、第1層や第2層当たりの上層では、電磁波の影響を受けかねません。 機体のアビオニクスが破壊される可能性も」

だから。 だから『義烈』と『A-02』の砲撃終了までは、ハイヴ突入部隊を地上に出すことは出来ない。 出せば彼らも巻き添えを喰らう。

「・・・10数万のBETAが未だ存在するハイヴ内に留まれとか・・・儂を恨んでくれれば、それで良いのだがな・・・」

「生憎と閣下、憎まれ役は参謀長の役回りですので・・・発信は参謀長名で出しました」

「おいおい・・・君、参謀はスタッフだぞ? ラインではない・・・」

「言いましたが? 憎まれ役は小官の役回りだと・・・閣下が部隊から憎まれれば最後、全軍の士気が崩壊します」

「まったく、君という奴は・・・」

荷電粒子砲は、簡単に言えば電荷を持つ物質を亜高速まで加速して撃ち出す。 大量の粒子が直撃する事による、物理的な消滅が起こる。
原子よりも小さい荷電粒子(原子核)が高速で目標の原子核に衝突すると、双方とも粉々に破壊され、命中部位は構成する原子そのものが消滅する。

そして磁場発生により様々な電磁波の発生。 電荷を持つ粒子が高速で移動すると磁場が発生し、様々な波長の電磁波を撒き散らす。
赤外線を撒き散らせば周囲の物体を瞬時に加熱し融解・蒸発させる。 赤外線に加え各種電波によって、周囲に存在する有機物は電子レンジ状態になり瞬時に沸騰・溶解する。
その他電波を撒き散らせば付近の電子機器を破壊し、摩擦熱の発生で大気や標的の物体との摩擦熱によりプラズマ化し、発光するとともに莫大な熱量を生み出す。

その範囲が、実際に検証されていない。 荷電粒子砲の発射テストは行われたが、その影響範囲がどこまで及ぼすのかまでは、未だ未検証なのだ。

「せめて、地表へ動いている4万のBETA群・・・これは全て殲滅させたいな」

「義烈とA-02の砲撃は、第1回目の砲撃で各々2回ずつを予定しております。 シミュレーションでは、掃討可能な数字です」

「余りは、各部隊で頑張って貰うことになるか・・・掃除が終わらねば、再突入は許可せぬ」

「地上作戦司令部、海上作戦司令部へは、小官から通達いたします」

総司令部で、いや、作戦総司令官である嶋田大将と参謀長の間で、作戦の根本方針の転換が決定した。

ハイヴ突入部隊によるBETA群の掃討後、最下層への突入・・・従来の戦術では、もはやフェイズ4ハイヴは攻略不可能。 嶋田大将と参謀長は、無言の内に共通の認識に至った。
ならばどうするか?―――穴に籠った獲物を狩るには、穴から追い出した後、射殺せば良い。 冬眠明けの熊を狩るのと同じだ。 撒き餌は突入部隊。

浅い層まで何度も突入させて、BETAの特性―――高度な電子機器を有する対象を攻撃する―――を利用して地表へ誘導する。 仕留め役は『義烈』と『A-01』
何度でも、何度でも、行うしかない。 戦術機を何百、何千機と突入させても、戦闘空間が限定されるハイヴ内では、光線属種の脅威が無い以外は、地表戦闘より圧倒的に不利。

「・・・『義烈』と『A-02』の、砲撃開始地点への到達時間は?」

「義烈は20分後。 A-02も小澤提督よりの連絡で、同時刻に到達予定と・・・1330の予定です」

ハイヴ突入部隊にとって、永遠に等しい20分の始まりだった。









2001年12月25日 1313 佐渡島 国仲平野北西部 第15師団第151戦術機甲大隊・通信管制中隊


「軍曹! 生きている通信インターフェースは!?」

「SE-15、ゲート303と305! 後はSE-13のゲート298と299です、マム!」

各戦術機甲部隊の管制、および本部機能は、ハイヴ内に突入していない。 師団司令部との連絡と、ハイヴ内本隊への通信、双方を行うために『門(ゲート)』付近に留まっていた。
82式指揮通信車の中で、大隊通信管制中隊長(ゲイヴォルグ・マム)を努める長瀬恵大尉が、端正な顔を強ばらせながら問いかける。 部下の通信下士官の声も悲鳴じみている。

『マム! ドラゴン、通信途絶!』

『ハリーホークもです!』

『ク・・・クリスタル、応答有りません!』

部下のCP将校達、1班長(ドラゴン・マム)三崎香苗中尉、2班長(ハリーホーク・マム)沢口智子少尉、3班長(クリスタル・マム)安斉美羽少尉も、声が強ばる。

82式指揮通信車は連隊以上の部隊本部で使用されるが、戦術機甲部隊に限り、各大隊に4輌(大隊通信管制中隊本部、各中隊通信管制小隊)が配備され、CP将校が指揮を執る。
その周囲を、各2輌の89式装甲戦闘車が護衛として付く。 CP車輌はかなりの確率で小型種BETAとの接触もあり、護衛無しでは地上行動は不可だ。

本来ならば、装備が更新された大隊管制中隊として、機体上部にレーダー・レドームを付けたティルトローター機『アグスタス・ウェスターランドAW702』を使う。
しかし佐渡島の特性から、ティルトローター機の使用が危険と判断された結果、今回の作戦では従来の指揮通信車輌が使用されていた。

『ゲイヴォルグ・マム! こちら本部! 長瀬! 大隊長との通信は!?』

沖合の戦術機揚陸艦に残り、大隊本部を率いる4名のスタッフの内、S2(情報)兼大隊副官の来生しのぶ大尉が、長瀬大尉に切迫した声で確認してくる。

『師団本部より通達よ! 『特殊砲撃』が開始されるわ、あと14分後! 第1層、第2層への進出は不可!』

その情報に、無意識に爪を噛む長瀬大尉。 現状は大混乱、そして複数箇所でハイヴ内通信インターフェースユニットが破壊されたのか、本隊との通信が途絶している。
何とかして迂回通信路を探しているが、どうしても途中で通信回線が途絶する。 今判明した、生きているルートは、BETAの出現確率が高くなっている。

「・・・ゲイヴォルグ・マムより本部。 これよりSE-13のゲート298と299、この2カ所に移動するわ」

『っ!? むっ・・・無理よ! 長瀬、そこは・・・っ!』

「来生! やらなきゃ、通信が回復しないわ! 何としても、ハイヴに潜っている大隊長に情報を伝えないと!」

焦燥感に満ちた長瀬大尉の声。 突然、横から通信に割り込んできた声があった。

『アレイオン・マムよりゲイヴォルグ・マム。 長瀬、同期に黙って1人で行くなんて、ちょっと薄情よね?』

『こちらユニコーン・マム。 師団最先任CP将校を差し置いての冒険は、許可できないわよ、長瀬大尉』

第152大隊の前川大尉、第153大隊の橋岡大尉。 各大隊の大隊通信管制中隊長達だ。 第153大隊通信管制中隊長の橋岡大尉は、師団最先任CP将校でもある。

「前川・・・橋岡さん・・・」

『私たちも、置いてけぼりは、無しですよ』

『こちらも、大隊長と繋がりません。 便乗しますよ、長瀬さん』

『ま、これだけいれば・・・誰かが通信に成功しますよ。 他の皆がBETAに喰われる時間があれば・・・ね?』

第154大隊の西島大尉、第155大隊の佐原大尉、物騒なこと言うのは第156大隊の由比大尉。 いずれも師団戦術機甲部隊の、各戦術機甲大隊先任CP将校達だ。

『・・・と、言うわけよ。 最先任CP将校より達する! 各大隊通信管制中隊長は、これよりSE-13ゲート298,299に向かう! 各大隊管制中隊、1班長は緊急待避の指揮を執れ!』

橋岡大尉の命令にCP将校の中尉達―――第1中隊担当CP将校だ―――が、声にならない息を漏らす。 上官達は確実にBETAと接触するだろう。 確実に喰われる。 しかし・・・

『っ・・・! ハリーホーク・マム、151大隊通信管制部隊の指揮、引き継ぎます! 2班、3班! 至急海岸線まで後退よ! ホバーに乗り組む!』

第151大隊の1班長(ドラゴン・マム)、三崎香苗中尉が怒ったような、甲高い声で後任CP将校2人に命令する。 他の大隊も同じだ。

『第152は、151に続行!』

『第153、西のルートで待避!』

護衛の89式装甲戦闘車を各1輌ずつ付ける。 本当は全て待避させようとしたが、『それは、あんまりですよ』と、指揮官の中尉に拒否された。
部下のCP将校達が、護衛車輌と共に海岸線へ向けて待避してゆく。 自分たちはこれから、逆方向の内陸へ向けて、あと10数分のタイムリミットのチキンレースだ。

『本部よりゲイヴォルグ・マム! 5駆戦(第5駆逐艦戦隊)の2小隊(イージス駆逐艦『霜月』、『冬月』)が、短時間だけれど対地攻撃支援をしてくれるわ!』

ウイスキー支援の第2艦隊。 その中の第5駆逐艦戦隊の2隻のイージス駆逐艦が、対地誘導弾攻撃で予め周囲を吹き飛ばしてくれるという。

『真野湾内に3駆戦(第3駆逐艦戦隊、第3艦隊)の2小隊(打撃駆逐艦『雪風』、『黒潮』、『舞風』)も急行中よ! 何とか・・・お願い!』

言われるまでもない。

普段、大隊副官として大隊長との接触が長い来生大尉。 しかし大隊先任CP将校として、長瀬大尉も大隊長との付き合いは長いのだ。 何としても通信を回復させる。

『ユニコーン・マムより、ゲイヴォルグ! アレイオン! セラフィム! ケルベロス! イシュタル! あと5分! 行くぞ!』

6輌の82式指揮通信車と、同数の89式装甲戦闘車が荒れ果てた佐渡島の大地を疾走する。 途端、彼方の洋上から数10発の対地誘導弾が発射された。
半数近くが光線級の迎撃レーザー照射で撃破されたが、それでも20発以上の艦対地大型誘導弾が着弾した。 思わず車輌が振動する。

「ふっ・・・ふっ・・・ふっ・・・」

知らず、長瀬大尉は目が血走り、呼吸も荒くなっている。 CP将校として初陣して以来5年以上。 しかしここまで『前線』に出た経験は殆ど無い。

「んっ・・・あと、すこし・・・!」

「見えました! 大尉殿!」

補佐役の通信下士官の声に、外部モニターに視線を移す。 あった。 SE-13ゲート298に299! BETAは・・・途端に鳴り響く90口径35mm機関砲KDE。
89式装甲戦闘車から、発射速度毎分1,000発、砲口初速1,385m/秒で、35mm砲弾が撃ち出される。 82式からもM2の12.7mm機銃弾が1,100発/分で発射された。

『ゲート298、クリア!』

『299、クリア! 続いて周辺警戒!』

6輌の89式装甲戦闘車が周囲に展開する。 82式指揮通信車がゲート内部に侵入し、生きている通信インターフェースの接続作業を開始する。

「大尉殿! 接続作業、3分!」

『護衛隊より管制隊! 北方よりBETA群接近! 小型種250! 戦車級含む! 迎撃する!』

悲鳴のような声。 兵士級や闘士級でさえ、たかられたら最後だ。 ましてや戦車級まで・・・! 侮悪な姿のBETAの群が姿を見せた。
数10体の戦車級BETAを先頭に、兵士級、闘士級BETAの数が多い。 そして小型種BETAの厄介な点は、非常に速度と機動性が高い点だ。

「護衛隊! お願い、あと5分保たせて!」

無謀、無茶、無理・・・それは長瀬大尉も判っている。 恐らく数10体の戦車級が居るだろう。 6輌の89式装甲戦闘車で防げるかどうか・・・

通信コンソールを操作する長瀬大尉の視線の先で、次々と通信ルートが回復してゆく。 あと2分・・・あと2分有れば、大隊本隊との通信が可能になる。
そして通信連絡に1分と離脱に2分。 合計5分の時間があれば・・・それだけの時間が許されるのであれば、任務を全うして生還する確率は飛躍的に跳ね上がる。 しかし・・・

『護衛隊より管制隊! CP! 大尉殿! あと1分でBETA群と接触する! 待避を!』

「1分では無理よ! 通信回復まであと2分! 通信完了まで3分かかる! 保たせて、中尉!」

『厄介なオーダーだ! 151ガードより各ガード! ここが死に場所だぜ!』

『了!』

『今まで楽させて貰ったからな!』

『来たぞ、インサイト! 距離800!』

再び90口径35mm機関砲KDEが唸りを上げる。 赤黒い霧となって爆散するBETA群・・・思ったより数が多く、早い。

『畜生・・・! 何とか・・・!』

6人のCP将校達は、覚悟を決めた。 最低でも半数は食い殺される。 それでも半数は通信に成功するだろう・・・先に逝った戦友達に会ったら、まずは胸を張れる・・・

『なにっ!?』

護衛隊指揮官の声にモニターを見る。 小型種BETAの群が大きく爆散した。 同時にかなりの重低音、これは120mm砲弾・・・キャニスター弾の集中砲撃!? 通信回線に新たな声。

『フルンティング・リーダーより15師団TSF管制! 済まん、手間取った!』

新たな戦術機の群。 12機の94式『不知火』壱型丙Ⅲ(壱型23型)が高速サーフェイシングで急接近しながら、突撃砲と誘導弾の雨をBETA群に降り注いでいた。
前衛小隊が突っ込み、BETA群を掻き回す。 その乱れに右翼の小隊が側面から攻撃を加えて、同時に左翼の小隊はやや離れた場所で砲撃支援に専念する。
チームワークのとれた中隊連携戦闘だ。 今度は中隊長直率の右翼の小隊がBETAの群に突っ込む。 前衛小隊は群を突き抜け、そこで急速反転。 砲撃戦を開始した。

「フルンティング・・・? 39師団!?」

モニターの識別コードで確認した長瀬大尉の口から、驚きと悦びに似た声色が飛び出した。 第39師団。 ウイスキー戦略予備の第20軍団の1部隊の筈・・・

『第39師団、第393戦術機甲大隊第1中隊、周防大尉だ。 お宅らの所の・・・まあ、従弟だよ、よろしく。 俺の中隊が直衛につく』

長瀬大尉が見つめるモニター越しに、若々しい、それでも精悍さを滲ませた指揮官の顔が映った。 確かに面影がある、自分たちの大隊長にどことなく・・・
1個中隊の戦術機が、小隊に分かれて小型種BETAと交戦を開始した。 36mm砲弾の雨で兵士級と闘士級を粉々にし、120mmキャニスター弾で戦車級を切り刻む。
モニターを見れば、ここから海岸線までの『撤退路』を1個戦術機甲大隊が固めてくれている。 第39師団第393戦術機甲大隊。 指揮官は・・・伊達愛姫少佐。

『キュベレイ・ワンより15師団TSF管制! タイムリミットはあと8分だよ! 2分で通信終わらせて! 6分で安全エリアまでエスコートする!』

伊達少佐の声が通信回線に流れる。 この大隊も、『特殊砲撃』に巻き込まれるか否か、ギリギリのところで護衛を果たしてくれたのだ。
大隊長機と大隊指揮小隊を中心に、1個中隊が15師団TSF管制を護衛し、1個中隊が海岸線までのルートを確保。 残る1個中隊は遊撃的に周囲の掃討を行っている。

吹き飛ぶBETA残骸をしばし呆然とみていた長瀬大尉だが、直ぐに気を取り直した。 ここは戦場だ、何を惚けているの! そう自分に言い聞かせた。

「第15師団、第151戦術機甲大隊管制中隊、長瀬大尉です! 39師団、伊達少佐、周防大尉、感謝します! 軍曹! 通信!?」

「回復しました! 通信、渡します!」

暫くして、モニターに大隊長の周防少佐の姿が現れた。

「少佐! 大隊長! 師団命令ですっ! 本隊は・・・」





ギリギリ6分後、15師団TSF管制各隊は、無事に真野湾岸の待避ポイントまで辿り着けた。






[20952] 佐渡島 征途 8話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:ad831188
Date: 2017/09/10 19:47
『ハイヴのどこが怖いかって? 狭苦しい閉鎖空間、制限される部隊展開、機動だってそうだ・・・何よりも情報が無い、これが一番怖いよ。
いつ、どこからスリーパー・ドリフトが開いてBETAが沸いて出てくるか知れない。 いつの間にか背後に回り込まれるとか・・・
正面だってな、展開できるのは精々が戦術機1個中隊程度だぜ? そこにさ、数万規模のBETAの群が押し寄せてきたときには・・・な? 判るだろう?』
(20XX年、ハイヴ突入経験者の元衛士へのインタビュー)





2001年12月25日 1318 佐渡島沖合 作戦総旗艦・強襲上陸作戦指揮艦『千代田』


『テストプランBへ移行、海上作戦司令部、陸上作戦司令部より、準備完了の報告有り!』

『ハイヴ周辺のBETA群、旧上新穂に向かう!』

『A-02攻撃開始地点に、数個師団規模のBETA群侵攻。 ウイスキー第3派別動部隊(第19軍団、4個師団)応戦中! 支援砲撃要請入りました!』

『全艦隊、安全圏への退避完了。 ウイスキー、エコーへの支援砲撃再開・・・いえ! 海上作戦司令部より、国連軍(A-01)の要請を最優先処理命令が発令されました!』

『全作戦艦艇、指定座標への支援砲撃を開始!』

『光線級BETAの迎撃照射を確認! 砲弾迎撃率・・・50・・・55・・・60・・・65・・・70%に達しました!』

『BETA群、旧上新穂向けて進撃中。 進撃速度、約60km/h! 重光線級、光線級、併せて100体以上を確認!』

『第19軍団より緊急信! 至急、対レーザー弾での砲撃支援を請う! レーザー照射の直撃で、戦術機甲部隊、2個中隊が全滅!』

『対レーザー弾への換装、上陸支援艦はロケットコンテナ換装の為のライン切替、10分ほどかかるとの報告です! 戦艦は自動化のため2分以下。 順次砲撃開始!』

『ウイスキー、エコー、両戦線より緊急信! 支援砲撃の要請多数!』





「何を勝手やっとるんだ、小澤さんは!」

参謀長が珍しく怒気を露わにして、吐き捨てるように言う。 事前の作戦計画では、支援艦艇の砲撃支援はウイスキー、エコー、共に綿密に決められていた。
しかし、海上作戦司令部の突然の命令変更により、多くの地上部隊が『急に砲撃支援が無くなった!』と、悲鳴のような報告が続々と上がり始めた。

「確かに、旧上新穂にBETA共が巣くったら拙い。 それは確かだ! だがその為に第19軍団を配備しているのだぞ! ウイスキー別動支援の第3艦隊もだ!」

艦隊はウイスキー本隊支援として、第2艦隊(司令長官:安部中将)の戦艦6隻(第1、第2、第5戦隊)と、戦術機母艦4隻(4航戦、5航戦)を基幹とした主力を張り付けている。
そして佐渡島東海岸でのウイスキー別動部隊支援に、第3艦隊の戦艦4隻(第3、第6戦隊)と、戦術機母艦4隻(2航戦、3航戦)を基幹とした『準主力』を張り付けていた。

第1艦隊(戦艦2隻、戦術機母艦2隻)は、エコー支援のために、米第7艦隊と合流している(第3艦隊は第1艦隊から『分派』された部隊を、臨時に第3艦隊としている)

本来ならば、旧上新穂への砲撃支援は第3艦隊が行う。 第2艦隊はウイスキー主力への砲撃支援を続行するはずなのだ。 それが第2艦隊まで旧上新穂へ砲撃支援を行っている。

『ウイスキー本隊、海軍聯合陸戦師団より緊急信! 『損耗65%、我に支援砲撃無し。 靖国に向け、死戦す。 サラバ』です!』

『エコー主力、米海兵第3師団より! 『ファック!』です!』

ウイスキー、エコーの両戦線が崩れかねない状況に陥っている。 そして陸上作戦総司令部からも、ロブリング米陸軍大将が凄まじい剣幕で噛みついてきていた。

『サー! 総司令官! 今すぐアドミラル・オザワを解任すべきです!』

ロブリング大将からすれば、自身が全責任を負う陸上作戦において、突然の海上作戦総司令部の『裏切り』で、指揮下の全部隊が悲鳴をあげている状況なのだ。
米軍だけでなく、国連軍も、そして日本帝国軍も・・・佐渡島では、早々、支援砲撃の砲兵部隊を展開しにくい。 事実、展開できているのは小佐渡山地のウイスキー別動部隊だけだ。

そのウイスキー別動部隊にしてからが、第19軍団は突如、自分たちへの艦隊の砲撃支援の振り分けを外されて、自前の砲兵部隊による砲撃支援だけで戦っている。
陸上の重砲は精々、最大で203mmか155mmだ。 どうしても戦艦の火力・・・最低でも381mmか406mm、大きくて460mmや508mm砲の威力が欲しい。

第19軍団司令部から、第3艦隊へ緊急の支援続行を申し入れたが、帰ってきたのは苦渋に満ちた声色での拒絶だった―――『我々も、命令に従わねばならんのです』と。

「・・・特殊砲撃の開始時刻は?」

「変らず・・・1330です。 あと12分です」

作戦司令室ではなく、偶々艦橋に上がっていた嶋田大将は、灰色の空の向こうで乱舞する迎撃レーザー照射を見つめながら、短く言い放った。

「小澤さんへ伝えよ・・・『1330、特殊砲撃開始。 各斉射2回。 追伸、次は無い。 総司令部への報告無しの独断専行は、これを許可せず』、とな・・・」

同一階級の大将同士(但し大将進級は嶋田大将の方が早かったため、嶋田大将が先任である)、しかも帝国内においては『勅任官』であり、現地総司令部での解任は出来ない。
ましてや、陸軍と海軍と言う、非常に高い壁が存在する。 日本帝国軍もまた、日本国内における最大の『官僚機構』なのだ。 その縦割りは他省庁の比では無い。

これが米軍であれば、容赦なく解任されるだろう。 そして作戦後の軍法会議と、場合によっては恒久的階級の最上位である少将への降格(役職からの解任)と予備役編入。
米軍では少将(2つ星)が恒久的階級(Permanent Rank)の最高位だ。 中将(3つ星)や大将(4つ星)は、特定の役職と結びついた一時的階級(Temporary Rank)である。
そして、その職を離れると、現役ならば少将に戻る(退役すればその階級を保持できる) これは連邦議会が現役中将・大将の数に上限を設けている為だ。

だが日本帝国では、将官は『勅任官』 つまり『皇主陛下の勅命により任じられた者』であり、その階級を下げる事は皇主陛下でしか出来ない。
そして明治以降、皇主陛下がそう言った現実的な処置に手を出すことは無かった。 つまり、将官に対しては、予備役編入は出来ても、降格は出来ない。
その役職からの解任についても、今回その職権は統帥幕僚本部に帰属し、嶋田大将の元には無い。 ましてや陸軍と海軍の違いがあるのだ。
更に言えば、その地位(役職)についても、日本独自の年功序列・任官時の成績(兵学校や士官学校、または陸大や海大の卒業成績)でほぼ決まる。

階級に関すれば、完全に軍政(国防省)に属する。 国防省人事局長は現在、海軍出身だ―――安易に解任できないのだ。

それを考えれば、嶋田大将から小澤大将への通信内容は最大限の叱責、そして最大限の不満を表している。 総司令部からこれほどの内容を受け取れば、日本の軍人として恥辱だ。


そして、『特殊砲撃』、の時刻が迫ってきた。









『隊長とは、難儀な商売だ。 数えるのも馬鹿らしくなるほど戦場を駆け巡り、数え切れないほど、部下や戦友を失いながら、敵を葬る・・・』

あれはいつ頃だったか? 少尉の頃じゃない、少なくとも満洲じゃない。 そうだ、欧州駐留の国連軍時代、中尉に進級したばかりの頃。 初級指揮官教育課程での講習でだ。

『・・・そうやって戦っているとな、不思議なことに、死んでいった連中の『想い
が乗る』のだよ・・・そう、想いがな』

確か、西ドイツ出身の戦術機甲将校・・・少佐か中佐だったか、BETAの西進を受けて祖国で絶望的な撤退戦を戦い続け、ドーヴァーを奇跡的に越えることが出来た将校だった・・・

『私もな、上官や先任将校達に言われた時には、何を言っているのか判らなかったよ。 しかしな・・・あれはカレーだったか。 ドーヴァーを渡る最終防衛線で・・・』

その将校の、それこそ幼少の頃から、軍までずっと一緒だった親友にして戦友が、目前でBETAに撃破されて戦死したそうだ・・・

『その時、私ははっきりと、死んだ親友の想いが、背中に乗ったのを自覚した。 それからだ、戦闘の度に部下や戦友、上官が逝き・・・その想いが肩に、背中に宿る気がした。
不快な感じじゃない。 苦しさでも足枷でもない。 非常に重く、多くの想いだが、それは不安で押し潰されそうな私を励まし、力と勇気を与えてくれた。
弱気になりかけた私の背中を、思い切り叩いて活を入れてくれた・・・私がドーヴァーを生きて渡り、そしてこうして今も生き抜いて戦えるのは、先に逝った者達の想いのお陰だ・・・』

そうだ、想いだ。 それははっきりと、今の自分にも自覚できる。 今までどれだけの部下を、戦友を失ってきたか・・・その、彼らの想いは、確かに自分の中に宿っている。
もしも隊長をしていて、この『想い』が判らなければ・・・感じられなければ、その者は隊長の資格がないのだろう。 ラインではなく、スタッフの道を行くべきだ。

「そう・・・隊長は『想い』だ・・・」

視界の中に、撃破された戦術機が目に入る。 部下の機体ではない、F-15E、国連軍カラー、オービット・ダイバーズの機体だ。
しかし『彼』も戦友なのだ。 同じ戦場で戦い、そして散っていった戦友なのだ。 その『想い』は確かに肩に、背中の乗ってくる・・・

『ドラゴンよりシックス。 大隊長、大隊全機、SE-06-10に集結完了。 アレイオン(152大隊)とセラフィムが一緒です。 ユニコーン、ケルベロス、イシュタルはSE-06-09に』

「10師団と14師団は?」

『10師団はSE-06-11とSE-06-12に布陣。 15師団はSE-06-05、SE-06-06、SE-06-07に布陣完了です』

第6層で第15師団は、ようやく僚隊の第10、第15師団のハイヴ突入部隊と合流した。 その直前に地上の管制より、戦況と師団命令が入っている。

「最大でも15分ほどだ。 それまでは、この円周陣地を死守だ。 大隊の受け持ちは7層へ下るスタブの防御。 5層へのスタブはアレイオンが受け持つ。 セラフィムは予備だ。
最上、貴様の中隊が最初だ。 気を抜くな、だが必要以上に張り詰めるなよ。 警戒すべきは正面だけだ。 横のスタブは友軍への通路だ」

SE-06-04ホールから第5層へと抜けるルートが、地上への脱出路になっている。 そしてSE-06-04ホールをぐるりと取り囲むように、7カ所のホールが存在した。
その7カ所のホールに、21個の戦術機甲大隊が3個大隊ずつ陣取って守りを固めている。 特に注意すべきは第7層から上ってくるBETA群、次いで第5層から降りてくるBETA群。

SE-06-04ホールには、ハイヴ内兵站部隊の他、7個機械化装甲歩兵部隊が護衛として守りを固めている。 その外周の守りが戦術機甲部隊だ。

師団本部より最後の通信で知らせてきた『特殊砲撃』まで、あと2分。

『大隊長。 師団本部から話のあった『特殊砲撃』とは・・・』

最上大尉が先任中隊長として聞いてくる。 八神大尉、遠野大尉は先任の最上大尉を差し置いては聞かない。 そこは軍としての秩序は守られている。
そして『特殊砲撃』に関して言えば、中隊長クラスには情報が与えられていない。 少なくとも部隊長(少佐)以上の指揮官にのみ、それも制限された限定情報しか与えられていない。

「・・・詳細は、俺も知らされていない。 軍が最高度の軍機として開発した兵器らしいとしかな。 国連軍にも同様の物があるとしか、知らされていない」

大隊長クラスでさえ、この程度の情報しか与えられていないのだ。 旅団長、いや、師団長クラスでも概要のみ。 情報閲覧権限は恐らく中将以上の将官か、計画中枢の佐官のみ。

「師団本部からは、『1340まで第3層以下に留まり、能う限り持久せよ』だ。 長瀬からの通信では、第2層や第1層まで上がったら、恐らく戦術機が中大破する可能性有り、だ・・・」

『第1層や、第2層で戦術機が中破や大破!? 一体、何なのです?』

訝かしげな最上大尉の表情を見ながら、言うか、言うまいか、一瞬の間、逡巡する周防少佐。 そして次の瞬間、判断した。 少なくとも中隊長クラスには概要を伝えた方が良い。

「・・・荷電粒子砲、だそうだ。 電磁波や赤外線が、どこまで影響を及ぼすか、軍は確たるデータを未だ得ていないらしい。 そこで念を入れて、第3層以下で待機だ」

『荷電粒子砲・・・ですか』

最上大尉が、一瞬、息を飲み込む音がする。

『まあ、ねぇ・・・ハイヴ内で戦術機のアビオニクスがおシャカになったら・・・BETAの昼飯になっちまいますね』

横からやや脳天気な口調の八神大尉が、話に割り込む。 そしていつもは真面目一筋の遠野大尉までが。

『ハイヴ内でローストされるのは、趣味ではありませんわ・・・お料理は好きですが、料理されるのは、それも味方にされるのは、御免被ります・・・』

『遠野、お前、料理できるの?』

『失礼な。 八神さんのような、日常生活破綻者の目で、私を判断しないでください』

『八神は別に、日常生活破綻者って訳じゃないさ。 単に不精者で、面倒臭がりで、いい加減なだけだな・・・』

『最上さん、それを日常生活破綻者というのです』

『・・・最上さん、遠野・・・駐屯地に戻ったら・・・』

『見ていろ、とか?』

『戻ったら?』

『・・・本気出す』

『ダメだな』

『ダメですわね』

周防少佐は部下のやり取りを聞いている内に、少しばかりの光明が見える気がした。 重圧は凄まじい、それは3人の中隊長達も同様。 しかし戯言を言える余裕はまだある。

「・・・少なくとも、俺はマシな日常生活を送っていたぞ。 嫁さんと結婚する前もな」

『ひでぇ!? 裏切りましたね!? 大隊長! っと! 来ましたぜ・・・第7層からお客さんだ! 何回目だよ! まったく! 10回目から先、数えてねぇぞ!』

『振動、音紋、確認しました! SE-07-09から上がってくるBETA群、約800!』

『中隊! 01式用意! 下に撃ち込め、爆風に厳重注意!』

最上大尉の中隊、11機の戦術機の内、1個小隊4機が、戦術機用としてはかなり長大な砲を抱えるようにしてスタンバイする。
その脇にはやはり1個小隊4機の戦術機が、小型のコンテナの脇に控えている。 中には105mm砲弾がびっしりと詰まっていた。

『発射指示は俺が出す! いいか、勝手に撃つなよ! BETA群インサイト! 距離20(2000m)・・・18・・・16・・・14・・・』

もう視認できる距離に、突撃級BETAを含むBETA群が、地響きを上げて下層からせり上がってくる。 その姿は正に地獄だ。 そしてここはハイヴ内。

『んっ・・・! 12・・・用意・・・撃っ!』

ドン! ドン! ドン! ドン! 意外に重低音を響かせて発射される105mm砲弾。 戦術機の突撃砲の120mm砲弾よりは小さい。
しかし、その砲弾が発生させた結果は、使用した側でさえ、目を見張らせる状況を生み出した。 炸裂と同時に発生した強烈な爆風、そして熱量。 咄嗟に機体を移動させて回避。

『うくっ!』

『ちっ・・・バランスを!』

『センサーが・・・くそ、まだ回復しない!』

『状況は!?』

通信回線に第1中隊の面々の声が流れる。 状況は最上大尉の確認待ちで・・・

『撃破! 撃破! 突撃級は全個体停止! 要撃級も同様! 戦車級以下は殆どが爆散! 進撃中の個体数、約80! 中隊、迎撃開始!』

『ハリーホーク全機! 前に詰めるぞ! ドラゴンのバックアップ!』

『クリスタル・リーダーより各機! 音紋、振動、各センサーを注視! 少しの異常も見逃すな!』

800体ほどもいたBETA群が、その9割もが一瞬にして撃破されたのだ。 残りも、最上大尉の中隊の支援に入った、八神大尉の中隊を合わせた22機の戦術機が迎撃を開始。
10数機の戦術機から撃ち出された120mmキャニスター砲弾から、内蔵された1100発ものタングステン製子弾が1万発以上、広範囲に小型種BETAを切り刻む。

同時に2個中隊のバックアップに入った遠野大尉の中隊は、各種センサーの監視に集中する。 どこからスリーパー・ドリフトが現れないか、限らないのだ。

あっという間に制圧された80体ほどの小型種BETAの残骸、その向こうはブスブスと黒く焼け焦げたハイヴ内の壁や床に、内部から破裂して撃破された大型種を含むBETAの残骸。
使用した当の本人達でさえ、その威力に暫く声が出なかった。 ハイヴ内で800体前後のBETA群を殲滅するのに、今までだと、どれほど労力を有するか・・・

「・・・兵站部隊を丸抱え出来て、今回ばかりは助かるな」

周防少佐の声に、ハッと我に返った最上大尉が報告する。

『SE-07-09からのBETA群、殲滅! 01式の砲撃で、あらかた殲滅しました。 爆風、熱風による機体の損傷は無し。 11機共に健在です。 残弾は60発』

『ハリーホークも全機異常無し。 後ろからコンテナの補給を持ってきます。 大隊への割り振りは、残りコンテナ3個分』

「なら、あと42斉射は可能な訳か」

コンテナには、105mm砲弾6発入りのケースが6ケース収納されている。 コンテナ1個で36発、コンテナ3個で108発。 現在の残弾と併せて残り168発。

最上大尉の部下の小隊が、抱えるように持っている105mm砲・・・元は旧式化・陳腐化・威力不足で早々に退役した、74式自走105mm榴弾砲の砲を流用している。
砲弾は01式広域制圧用特殊砲弾。 弾頭部には、S-11弾薬に使用している電子励起金属水素爆薬を5kg装備。 装薬は6号装薬(射程約4,400~9,600m) 砲弾重量約15kg
6連装のシリンダー式弾倉で、砲の機関部は新規設計。 砲全長:6.88m、重量:4.25tある。 爆発出力は0.1キロトン相当に匹敵する。

これは新型S-11の開発段階で出来た、副産物的な兵器だ。 爆発時中心気圧12.2万気圧、爆風速約403m/s(非常に強い台風:風速50m/s前後のエネルギーの約530倍前後)
爆風圧179.5万Pa(17.95t/㎡)、爆心地エネルギー75.5cal/㎠(約4500℃)、対BETA有効危害半径は、約50mに達する。
1m四方に約18トンもの衝撃が、風速50m/sの非常に強い台風の暴風の、約530倍もの強烈な勢いでぶつかる計算だ。

今回、少数が試験配備されてハイヴ突入部隊用の兵装として持ち込まれた。 だが使い所の難しい兵器なのは確かで、今までは使用されなかった。
猛烈な爆風速と爆風圧、そして熱量。 対BETA有効危害半径こそ50mの設定だが、戦術機がその威力の前に立てば、半径300m圏内で大破する。
そもそも対BETA有効危害半径50m自体、突撃級や要撃級、はては要塞級の大型、超大型BETAを確実に撃破できる設定距離だ。 戦車級以下なら半径300m圏内で撃破できる。

故に、最上大尉は距離1,000mで砲撃を命じた。 BETAの移動速度と砲弾の初速、そして距離を合わせれば、炸裂しても900mは距離を稼げる。
ハイヴ内は閉鎖空間であって、炸裂した爆風と爆圧、そして熱量は逃げ場を求めて前後に移動する。 それも高速で。 なので、砲撃後は速やかに射線から待避せねばならない。

ズズン・・・ズズン・・・周囲からも圧力を伴う振動が伝わってくる。 他の大隊にも分配された01式105mm擲弾砲が砲撃したのだ。

『アレイオンよりゲイヴォルグ! 上から少数が降りてくる。 逸らさんから、下からの阻止に専念してくれ、オーバー』

『セラフィムよりゲイヴォルグ。 お隣でも01式を使用しました。 現在、音紋、振動、共に新たに上がってくるBETA群は探知せず。 オーバー』

「ゲイヴォルグよりアレイオン、セラフィム、了。 引き続き下層を警戒する、オーバー、アウト」

閉鎖空間のハイヴ内で、情報が制限された上に、基本受け身の防御戦闘を行わねばならない事ほど、恐怖感とストレスを感じることは無い。
下っ端は兎も角、上官の命令を確実に実行するのみだ。 それがひいては自分自身と、隣で戦う仲間の生還にも繋がる。 だから恐怖心を押さえつつ、必死で目前のBETAと戦う。

指揮官はそれだけでは無い。 流動的に変化する状況を常に把握し、目前のリスクだけで無く、中期的なリスクをも想定し、長期的な目標達成の為の判断を下す。
視野が狭くなってしまえば、必ず崩壊する。 いっその事、部下達と共に目前の先頭に没頭できれば、どれほど気が楽か・・・立場がそれを許さない。

周防少佐は自機のコペルニクスC4Iネットワークを用い、時分の大隊や他の大隊が得た情報を確認しながら、他大隊の指揮官達とネットワーク上での作戦会議に余念が無い。
どこのルートが一番危険な状況なのか? その支援はどの部隊が? ならば手薄となる場所へのフォローは? 自分の大隊をどう指揮すべきか・・・?

(くそ・・・胃が痛い・・・)

自分はこれほど、繊細な質だったのか? 周防少佐自身、驚くほど精神的に疲労していた。 今まで経験してきた数限りない修羅場でも、ここまで精神的に重圧を感じたことは無い
しかし、それは他の大隊長達も同様のようだ。 顔を顰めながら沈考する荒蒔少佐。 いつもの不貞不貞しさが鳴りを潜めがちな長門少佐。
後任の佐野少佐、間宮少佐、有馬少佐の3人もまた、自分の大隊指揮と同時に、全体の把握を必死になって行っている―――本来ならば、旅団司令部の仕事だ。

『―――『アルヴァーク』より『ライトニング』、『ヴァイパー』、『ユニコーン』、『ドライドン』・・・』

突入戦術機甲部隊の21人の大隊長中、最先任である第14師団第141戦術機甲連隊最先任大隊長(第1大隊長)の岩橋譲二中佐から、通信が入った。
相手は同じ第14師団の宇賀神勇吾中佐(第142戦術機甲連隊最先任)、若松幸尚中佐(第143戦術機甲連隊最先任)の僚友2人。
そして第10師団最先任の鷲見憲吾中佐と、第15師団最先任の荒蒔芳次中佐。 この場に居る5人の戦術機甲科指揮官の中佐達。

『現時刻、1326・・・各司令部より知らされたタイムリミットまで、あと4分だ。 命令では1340までハイヴ内にて持久だが・・・』

『ライトニングよりカク・・・残念ながら、そうも言っておれんな。 下層よりかなりの数のBETAが上がって来ている様子だ』

『ヴァイパーだ。 こちらでも把握している。 推定で約4万以上・・・もっとも連中、まだまだ下に居るがな・・・』

宇賀神中佐と若松中佐が、各大隊が拾い上げた音紋と振動センサーのデータを見ながら、忌々しそうに言う。 他の中佐達も同様だ。
約4万・・・そんな数のBETA群にハイヴ内で囲まれたら最後、21個大隊の戦術機など、簡単に飲み込まれて終わりだ。 ハイヴ内は極端に戦闘空間が制限される。

『ユニコーンです。 ライトニング、こちらでの計算では、1335までは抑えきれる。 だがそれ以上は飲み込まれる。 5層への脱出を急いだ方が良いと進言しますよ』

第15師団最先任の荒蒔中佐が、かつての先輩に言外に『ここは放棄しましょう』と進言している。

『ドライドンだ、ユニコーンに同意する。 岩橋、後生大事に地上の命令を固守する必要を認めないぞ』

第10師団の鷲見中佐は、第14師団の岩橋中佐とは陸軍士官学校の同期生だ。 卒業後の士官序列で差があり、この場では岩橋中佐が先任だが、こんな場所では同期生同士に戻る。

そんな会話を、周防少佐を含めた各少佐指揮官達は固唾を飲んで聞いている。 勿論、大隊通信系には流さない。 大隊指揮感動詞の秘匿回線を使っている。
今しも、最上大尉の中隊と変わった八神大尉の中隊が、例の105mm砲弾をぶっ放したところだ。 盛大な爆風と爆圧、そして高温の熱線に灼かれたBETA群が吹き飛ぶ。

すでに個々の戦術機の突撃砲では、対処できない状況に陥りつつある。 後から後から、何十ものBETAの波状進撃が繰り返されているのだ。
コンテナの砲弾も、既に1個は完全に消耗した。 今は2個目のコンテナを開いて、やっとの事で食い止めている。 部下の中隊長達からは悲鳴のような報告が入る。

『大隊長! これ以上、押し止めるのは限界です!』

歴戦の最上大尉ですら、切迫した表情と声で、必死になって報告してくる。 八神大尉も全く余裕が無い。 遠野大尉に至っては、中隊指揮で精一杯だ。

そして、岩橋中佐が決断した。

『殿軍は14師団が受け持つ。 SE-06-04ホールから第5層を目指す。 1340までに第4層へ。 先鋒は15師団にお願いする、10師団は兵站部隊の直接護衛・・・宜しいか?』









2001年12月25日 1326 佐渡島 真野湾岸南東部


「フルンティングよりキュベレイ! おかしいです! 支援砲撃が薄く・・・いや、無くなった! 大隊長!」

機体を接地旋回からスピンターンへ持ち込み、捻り様に突撃砲の36mm砲弾を小型種の群に叩き込む。 同時に噴射パドルを全開に開けてのサーフェイシング。
小隊を率いながら中隊の指揮を執る。 中隊長が最も消耗が激しいと言われる要因だ。 更には個人戦闘までこなさねばならない。 だが誰もが通る道だ。
目前にBETAの群。 大型種の数こそ少ないが、不運なことに戦車級の数が結構多い。 そしてそれまでBETA群を吹き飛ばしていた艦砲射撃が止んでいた。

「2小隊、出過ぎるな! 3小隊、援護射撃! 止まるな! 足を止めるなよ!」

第39師団第393戦術機甲大隊で、第1中隊長を務める周防直秋大尉は、内心の焦燥を苦労しつつ制御しながら、戦闘指揮と個人戦闘、そして状況報告に没頭する。
戦車級を含む群が接近してくる。 CPの報告ではおよそ300体。 戦車級は半分近い160体ほどもいる。 後ろの海岸線は、ホバーに乗り組もうとしている友軍将兵でごった返しだ。

そして何よりも、つい先ほど、地表に出現した大規模なBETA群。 推定で4万以上。 その一部が向かってきている。

「大隊長! 小高(小高翔平大尉、第3中隊長)を寄越してください! ウチだけじゃ、小さいのを後ろに漏らす!」

『キュベレイよりフルンティング! 直秋! 30秒待ちな! 左翼に近藤(近藤哲平大尉、第2中隊長)を向かわせる! そこの群を潰さないと、そっちの左翼がヤバい!』

大隊長の伊達愛姫少佐が怒鳴り帰してくる。 網膜スクリーンに映し出された大隊長の姿は、完全にスクリーンを見ていない―――つまり、大隊長機も戦闘中なのだ。

第393戦術機甲大隊だけで無い。 第39師団は甲21号作戦の前に再編成された。 それまでの3個戦術機甲大隊編成から、6個戦術機甲大隊を有する乙師団へ増強再編された。
第391戦術機甲大隊は森宮右近中佐(2001年10月1日進級)、第392戦術機甲大隊は和泉沙雪少佐。 そして第393戦術機甲大隊を伊達愛姫少佐が指揮を執る。
ここまでは従来の通りだが、新たに第394戦術機甲大隊(源雅人少佐)、第395戦術機甲大隊(葛城誠吾少佐)、第396戦術機甲大隊(真咲櫻少佐)が編入された。

そして第39師団の任務は、真野湾南東部海岸線の『死守』 少なくとも戦闘部隊以外の兵站部隊、通信・管制、車輌部隊などが沖合に待避するまでその場を固守する。
甲府川南岸の旧真野新町一帯の海岸線だ。 甲府川北岸より北側は凄惨な戦場だし、旧八幡新町付近は上陸時の砲撃で地獄の様相だ。

『甲府川南岸と旧195号線の防衛ラインは何としても守るよ! 381号線のラインは森宮さんと葛城が担当する! ウチは紗雪さんところとで、ここを固守だよ!
近藤! そのまま392と一緒に左翼を固めろ! 小高! 私と一緒に来い! 直秋が泣きを入れてきたからね! 艦隊の支援砲撃は無くても、小佐渡山地に砲兵が居る!』

「泣きじゃ、ねえっすよ!」

『周防さん、今度奢ってくださいよ!』

「小高! 手前ぇ!」

そして4個戦術機甲大隊の予備として、第394(源少佐)と第396(真咲少佐)の大隊がフォローに当たる。 今までは上手くいっている、何とかこれで・・・

『キュベレイ・マムよりワン! 少佐! 師団本部より緊急退避命令! 65号線以南、190号線以西へ緊急退避命令です! あと4分!』

『なんで・・・!? あっ! くっそう、あれか!? キュベレイよりローレライ! 紗雪さん!』

『まったく・・・! ローレライよりキュベレイ! 愛姫! 兎に角下がるよ! なんだかヤバそうだしね!』

『野生の勘が働いたのかぁ・・・キュベレイ、了! シックスより各中隊! 緊急待避! 65号線で防衛線を再構築するよ!』

『愛姫! アンタ、今なんつった!?』

師団で各々特色が有る。 第39師団は、特に戦術機甲部隊の場合、大隊指揮官同士は下級将校時代からの旧知揃いの為か、師団本部が内心で頭を抱える会話が戦場で飛び交う。

『ランドックより各大隊! 下がれ! 下がって再構築だ! 源! 65号線に布陣してくれ!』

『―――了』

師団最先任戦術機甲部隊長を務める、森宮少佐が全戦術機機甲部隊へ指示を出す。 そして後方で防衛戦構築を命じられた源少佐の素っ気ない応答を、伊達少佐は心苦しく聞いた。
すっかり雰囲気が変っちゃったな―――旧知の将校の声を聞きながら、伊達少佐は急いで部下を掌握し、大隊を指定ラインまで下がらせた。 その時だった。

『キュベレイ・マムよりワン! 来ます! アビオニクスの保護回路を多重モードに!』

その瞬間、熱量と圧力を伴った(様に感じた)太く眩い光の束が、小佐渡山地の中部山麓付近から、ハイヴに向けて伸びていった。






[20952] 佐渡島 征途 9話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:ad831188
Date: 2017/12/03 20:05
2001年12月25日 1330 佐渡島 甲21号第4層


「っ!?」

突然、網膜スクリーンの映像が乱れた。 通信系にはノイズばかり。 レーダーはホワイトアウト。 一瞬にして全ての情報が途絶した。

「くっ・・・! ゲイヴォルグ・ワンよりカク! 状況知らせ、オーバー!」

しかし帰ってくるのは雑音混じりの聞取り難い通信と、乱れて画像を成さないスクリーンだけ。

『ザッ・・・ザザッ・・・明、ふ・・・ザッ・・・』

『判・・・ザザッ・・・回・・・せず・・・ザザ』

『ザザッ・・・警・・・ザッ・・・確認・・・きず・・・ザッ』

指揮下の各中隊との通信が回復しない。 スクリーン上でも、直ぐ側に位置しているはずの指揮小隊の機体さえ、網膜スクリーンが砂嵐に遭ったかのように画像を結ばない。

『・・・長、大隊長! 聞こえ・・・すか!?』

比較的明瞭な音声、接触通信だ。 とすれば、直近にいた指揮小隊の誰か。

『大隊長! 北里です! 聞こえますか!?』

指揮小隊長の北里中尉だった。 彼女の機体は、周防少佐の機体の直ぐ右斜め後方に位置していたはず。 ならば即座に接触通信・・・機体の振動を利用した緊急通信に切り替えたか。

「聞こえる。 北里、指揮小隊は?」

『萱場とは取れました。 宇嶋は萱場が確認しています。 通信系、画像情報系がかなり影響を受けています。 他部隊間の連絡も、未だ回復しません!』

「判った。 北里、貴様は各中隊との通信を続行しろ。 他部隊との通信は俺の方で行う」

『了解しました、アウト』

全く―――接触通信か。 酷く原始的だが、確かにこのような場合には有効だ。 そして腹立たしいのは、部隊長の自分が、それに気付かなかったと言うことだ・・・

(いや、そこは部下が、機転が利く、と判ったことを良しとすべきか)

苦笑するしか無い。 次第に明瞭になってきた網膜スクリーンの画像情報と同時に、通信系も回復し始めた。 他の大隊との通信も回復する。

『アレイオン・ワンよりゲイヴォルグ・ワン。 これは、アレか・・・?』

「ゲイヴォルグ・ワンよりアレイオン・ワン。 俺は物理の素養は、士官の標準しか持ち合わせないが・・・事前のレクチャーの内容からだと・・・だろうな」

『ああ。 特大のオーブンレンジか・・・それも指向性を持つ。 厄介だな、第4層でこれだけの影響か・・・!』

ようやく明瞭になってきた網膜スクリーンにポップアップした僚隊指揮官の長門少佐の顔が、厳しく歪む。 これが度々では、部隊指揮もままならない。
周囲を見回せば、『広間』には第15師団戦術機甲大隊の全てと、兵站支援部隊の一部が退避してきている。 スタブを挟んで隣り合わせに10師団と14師団、そして支援部隊。

第6層での防衛を放棄して、急遽第5層を経て第4層まで『退避』してきた3個戦術機甲師団の各部隊。 そしてハイヴ突入支援の兵站部隊の残余。
地上で何が生起したのか、部隊長級の指揮官達には概要ながら伝えられている。 しかし概要だ。 それが一体どの様な結果をもたらすのか、知っている者はこの場に居ない。

やがて各中隊からの報告が入ってきた。

『ドラゴンリーダーよりシックス。 被撃破1機、戦死1名。 通信系は回復、但し地上との交信は不通』

『ハリーホークです。 すいません、ドジりました。 被撃破1機、小破1機。 戦死1名。 小破機は戦闘続行可能』

『・・・クリスタル、被撃破2機、戦死2名。 各小隊をトライアングル(3機編制)に再編しています』

大隊全体で被撃破4機、小破1機。 戦死4名。 ハイヴ突入時点で大隊戦力は37機、現在は33機。 定数40機の80%に減じている。
上陸開始時点から言えば、佐渡島に上陸後、定数の40機で突破戦闘を続けた結果、国府川ラインに至った時点で7機を失って33機になっていた。
そこから、軍団予備の補充を受けて一時は37機にまで回復した。 そこからハイヴに突入し・・・現在は再び33機に減じた。 上陸開始以降、大隊で11機を失った計算だ。

我ながら下手な戦をしている・・・周防少佐は内心で苦り切った。 同時にハイヴ攻略戦の難しさを嫌と言うほど痛感している。
過去数度の大規模作戦の指揮を経験してきたが、この短時間でこれだけの損害を被った経験は無い。 数字では11機の損失。 そして11人の部下の命を失った・・・

「ゲイヴォルグ・ワンよりクリスタル。 宇嶋を3中隊に編入する。 中隊を10機編制に再編しろ・・・北里、指揮小隊はトライアングルを組め。
各中隊、暫くはこの第4層を固守だ。 最上、下を警戒。 八神と遠野は側面を―――いいか、戦場では必ず、誰かが死ぬ」

歴戦の中隊指揮官達に対して、今更だが言っておく。 特に自分たちは戦術機甲部隊だ、中少尉は使い捨て、大尉でさえ殆ど生還を望めない、少佐・中佐でさえも・・・そんな部隊だ。
全ての戦場でそうだと言うわけでは無いが、激戦では・・・特にハイヴ突入戦では、戦術機甲部隊の損耗率は、異常なまでに跳ね上がる。 階級を問わずに。
そんな異常な戦場に身を置く限り、最早部下の死は『予定調和』に限りなく近づく。 己の死さえも、そうなのだから―――狂気の中の冷静さを持て、周防少佐はそう言っていた。

やがて全ての部隊との通信が回復した。 コペルニクスC4Iネットワークも同様だ、これで各部隊が把握する情報を、統合して確認できる・・・

「・・・なに?」

思わず、網膜スクリーンに浮かび上がったネットワーク情報を凝視し、周防少佐が呟いた。 同時に通信系に同様の声が聞こえる。 他の部隊長達も同様だった。

『なんだ・・?』

『まさか・・・素通りだと?』

『何が起こった・・・地上で?』

各大隊長の声が通信系に流れてくる。 戸惑い、困惑した声色だ。 周防少佐も困惑していた。 少なからず混乱している今の状況で突っ込まれたら・・・そう思っていた。
ネットワーク情報が記したそれは、ハイヴ内のBETAの動向―――彼らが最も神経を尖らせている情報―――だった。 BETAは一斉に地上を目指している。

『こちらに来る個体群は・・・居るな』

『約・・・3000から3500か。 対処は十分可能な数だが・・・』

『その直ぐ側を、群の本隊の約4万が・・・『穴を掘りながら』上がって行っている・・・?』

既に存在するスタブ内には、意外とBETAの確認数は少ない。 意外なのは、今まで確認できていなかった場所から、振動と音紋が無数に確認されているのだ。 速度は遅い。

『予定出現地点は・・・くそ、まだ誤差範囲が大きいか・・・』

『それでも、大まかには算出できます』

同僚達の声に、周防少佐も同意する。 このまま(恐らく)BETAが地中を掘り進んで地表に出たとすれば、その出現予定地点は・・・

「小佐渡山地・・・国仲平野東部、上新穂付近・・・半径2km圏内。 拙いですね、こいつは拙い・・・」

非常に拙かった。 現在の地上の戦況が確認できないので、正確にはなんとも言えないが・・・その場所はウイスキー、エコー、両上陸地点のほぼ中間。
しかも両津湾、真野湾に居たる間で、防御地形がほぼ存在しない平野部。 そして兵站部隊がその周辺に展開しており、火力支援の砲兵部隊も小佐渡山地に展開中だった。

地上では、この情報を察知しているだろうか? コード991―――BETAの地中侵攻は、今まで、それこそ何十年も戦場で出くわしている。
日本帝国軍にも、特に大陸派兵の時代から、その情報の蓄積は十分の筈だ。 きっと・・・きっと、気付いている・・・筈だ。

「くっ!? またかっ・・・!?」

『くそっ!』

『何回やるんだ、総司令部は!?』

再び激しい振動がハイヴ内を襲う。 同時にアビオニクス系全てが不調に陥り・・・今度は回復に少し時間を有した。

「ゲイヴォルグより各部隊! このままではアビオニクス系がクラッシュします! 地表に強硬脱出すべき!」

アビオニクスと通信系が回復した直後の周防少佐の進言に、まず長門少佐が、そして15師団の各少佐達と、第10師団の棚倉、伊庭の両少佐(周防、長門両少佐の同期生だ)が賛同する。

『ガンスリンガーは、ゲイヴォルグの言に賛同ですわ』

第15師団の木伏少佐も賛同を示した。 古参の4年目少佐。 生きていれば来春辺りで中佐進級目前の古参少佐の言葉は、流石に中佐達も無視できない。

『かなりアビオニクス系にストレスが溜まってますわ。 このままやったら、BETAにいてこまされる前に、戦術機自身がへたってもうて、ワヤでっせ?』

のんびりした関西弁の越とは裏腹に、網膜スクリーンに映し出される木伏少佐の表情は・・・目の色が危険な光をたたえている。 彼独特の緊張感の表現だ。
1991年の大陸派兵から戦い続け、BETAとの戦場で10年間を生き抜いてきた歴戦の猛者の言葉だ。 そしてその言葉は、全ての部隊長達も理解した。

『そろそろ・・・潮時ですかね』

東日本の第15師団と並び、本来は西日本の緊急即応部隊である第10師団の、第102戦術機甲大隊長である棚倉少佐が、ゆっくりした口調で言う。

『オービット・ダイバーズが壊滅した時点で、ハイヴ突入作戦は破綻した・・・んじゃねぇですか? ここで籠って死ぬのは、いただけねぇかな・・・と』

同じく第10師団第103戦術機甲大隊の伊庭少佐も同意する。 この2人、同期の間では『東の周防と長門、西の棚倉と伊庭』と呼ばれる歴戦の戦術機甲指揮官だった。

各部隊長の視線が、網膜スクリーン上の岩橋中佐―――この場の最先任戦術機甲部隊指揮官―――に集中する。 彼らの外側では、部下達がBETAの阻止戦闘を展開中だった。

短い間、沈考するかのように目を閉じていた岩橋中佐が、目を開いた。

『―――脱出しよう』

その時再び、3度目の激しい振動がハイヴ内を襲った。 もう躊躇している暇は無い。

『15師団! 先鋒を! 10師団は側面警戒! 14師団、殿を! 各部隊長へ! 急がれよ!』

岩橋中佐の決定と同時に、第15師団最先任指揮官の荒蒔中佐から指示が飛んだ。

『周防! 長門! 先鋒任す! ルートは周防の判断で! 他の大隊は先鋒のバックアップ! 側面の注意を怠るなよ!?』

「ゲイヴォルグ、ラジャ」

『アレイオン、了解。 任されました』

2個大隊、60数機の戦術機・・・94式『不知火』壱型丙Ⅲ(壱型23型)が噴射パドルを全開にして地表面滑空に入る。 先頭を行く戦術機は・・・大隊長機だった。

「ルート検索・・・ハイヴ内スタブ情報・・・振動、音紋データ・・・」

左右で大隊指揮小隊の2機が、突撃砲の36mm砲弾をまき散らす。 横のスタブから目前に出てきた小型種の群、およそ50体を瞬く間に霧散させる。
第5層から第4層へ。 そこから表層と呼ばれる第3層、第2層、そして第1層から地表へ。 如何に無駄なく、危険度の少ないルートを辿れるか。

目の前に出現した大型種・・・要撃級の群、およそ10体の横腹に、大隊長機が01式近接制圧砲の、62口径57mm高初速砲弾を叩き込む。 同時に噴射パドルを逆噴射。
要撃級の急旋回打撃の脅威圏ギリギリのところで一瞬停止し、即座に噴射パドルを片側だけ全力噴射する。 機体が急激なターンを描いて要撃級の前腕の打撃を回避する。

「左右から挟み込め!」

指揮小隊に命じると同時に、再び57mm砲弾を連射して叩き込む。 赤黒い体液を拭きだして倒れ込む3体の要撃級。 その両側面から指揮小隊の2機が120mm砲弾を放つ。

『大隊長! 後続の群は、自分と八神で引き受けます!』

『遠野! 大隊長を護れ!』

『了解! 北里! 私の中隊の側面に付け!』

全く・・・階級が上がれば上がるほど、上級指揮官ってのは、最前線の戦闘じゃ半ばお荷物だな・・・思わず苦笑する。
自分とて、新任の少尉時代から9年以上、激戦を戦い続けてきたのだ。 今でも戦術機戦闘で部下達に負けるとは思っていない。

(だが・・・まあ、頭が潰されたら、それで終わりだしな・・・)

過去、自分が部下として仕えた大隊指揮官達は皆、個々の戦闘は部下達に任せていた。 大隊指揮官は如何に、部下の各中隊を効率良く動かし、最低限の損害で最大限の戦果を得るか。
それが部隊長だ。 個々の戦闘は、それが部下達の役目だ。 そして自分は、部下の士気を維持しつつ、如何に最大限の成果を部下達に出させるか・・・

網膜スクリーンに投影されるコペルニクスC4Iネットワークの情報を確認しながら、最適なルートを求め、小刻みに機体を動かしつつ全速で前進する。
僚友の長門少佐も、周防少佐の大隊と絶妙の連携を取りつつ(別に通信し合っている訳では無いが)、突破速度の維持に努めている。

「第4層突破・・・第3層突入!」

目前の広間に数百体のBETA群。 大型種も居る。 機体をショートジャンプさせて、頭上から57mm砲弾をフルオートで見舞う。 マガジンが空になった。
着地した瞬間、噴射パドルを片側だけ急速逆噴射。 スピンターンでBETAの一撃を交わしつつマガジンを再装填。 そのまま回転の勢いを殺さずに一斉射。

腹の中が震える。 なんだ、これは?―――判っている、恐怖だ。 初陣以来、もう何百回感じたか覚えていない、懐かしささえ感ずる感情だ。
そう、恐怖だ。 自分は今、恐怖に身を震わせている。 行動が著しく制限されるハイヴ内、後から後から湧き出てくるBETAども。 そして―――死。

「北里、萱場、追随が難しければ、エレメントで後を追ってこい!」

妙な笑みに表情を歪ませながら、周防少佐は網膜スクリーンのレーダーを確認する。 最早、指揮小隊の2機は大隊長機に追随できない。 大隊長を護るはずの第3中隊も遅れがちだ。

『大隊長! 突出しないで下さい! 鳴海! 突撃前衛は正面の群を突破! 楠城! 左右で挟み込むぞ!』

『了解! って・・・ったく、あの大隊長は!』

『ああ・・・また離されて・・・北里さんが涙目ですよ・・・』

9機の戦術機が後ろから突入し、同時に遅れた指揮小隊の2機エレメントも、広間に突入した。 それを待って、大隊長機が単機で突撃級BETA、6体の間に突入する。
突撃級BETAの僅かな合間を縫うように、噴射パドルを正噴射・逆噴射と絶妙に切り替えながら突破してゆく。 突破した後には、突撃級が側面から赤黒い体液を流して停止する。

「俺の突撃路の後をトレースしろ。 最上と八神にもだ」

『大隊長! 突撃はもう、控えて下さい! 私が先頭に立ちます!』

遠野大尉の悲鳴のような声が聞こえた。 実際、彼女の表情は真っ青だろう。 もし大隊長機が撃破されるようなことがあれば、直援指揮官の彼女の面子は丸潰れだ。
だがそんな遠野大尉の焦燥を余所に、周防少佐の機体は少し離れた先頭で、相変わらず『ダンス』を舞っては、次々と大型種を屠ってゆく。

やがて最上、八神の両大尉が率いる2個中隊が広間に達したとき、別のスタブから突入戦闘を行っていたアレイオン・・・第152戦術機甲大隊が参戦した。
正確には、大隊の先陣を切って突破戦闘を行っていた長門少佐の機体が。 目前に迫った要撃級数体の前腕攻撃を、見事なスピンターンで躱しざまに砲弾を叩き込んだ。

そして151と152戦術機甲大隊、それぞれの大隊長機がエレメントを組んで、BETA群の真只中を突破する。 片方が仕掛け、片方が援護する。 そしてまた入れ替わる。
特別に通信を行う訳では無い。 事前に取り決めていた訳でも無い。 しかし両機は互いの動きを完全に理解し合っているかのように、完璧に連携し合っている。

『アレイオンよりゲイヴォルグへ。 おいおい、部下の胃に穴が空くぞ? 指揮官先頭も、ほどほどにな?』

「・・・ゲイヴォルグよりアレイオン。 貴様にだけは、言われたくない。 それに今までの大隊長に比べれば、随分と大人しいモノだ」

過去に部下として仕えた大隊長達。 大陸派遣軍時代の藤田少佐(当時、現准将)、国連軍時代のユーティライネン少佐(当時、現大佐)、そして広江(藤田)少佐(当時、現大佐)
随分と猛々しい面を持った上官達だったと思う。 藤田准将やユーティライネン大佐などは、普段は物静かな紳士だが・・・戦場では猛将だ。 藤田大佐に至っては・・・

『比較対象が極端に過ぎる、再考を要求する―――152大隊! ここを突破する! 続け!』

「ふん・・・151大隊、トレイル陣形。 先鋒は八神が張れ。 指揮小隊はその後、次が遠野。 最上は殿軍! 行くぞ!」

目前には未だ、数千体のBETA群が迫る。 そして相変わらず、腹がよじれそうなほどの恐怖感。 だがそれがどうした?―――それこそ、自分たちが生きてきた世界なのだから。

2機の戦術機が、BETA群の真只中に突進していった。








2001年12月25日 1337 佐渡島・小佐渡山地南部上空150m 日本帝国軍航空機動要塞『義烈』


「艦長、変更座標確定、照準完了、第2斉射準備完了―――国連軍さんは、ダウンしたままです。 機体の浮上は確認されず」

「ふむ・・・軸線上に友軍はおらんな?」

「はい、確認しました。 発射後、機体を固定の上で軸線を少しずらします。 スイープで」

「うん、良かろう・・・第2斉射、撃て!」

日本帝国軍航空機動要塞『義烈』から、2回目の荷電粒子砲による砲撃が成された。 目標は甲21号、およびその周辺。 地表に湧きだしてきた数万のBETA群を蒸発させながら。
小佐渡山地全面に地中侵攻で湧きだしてきた約3万のBETA群(恐らく後、1~2万は地表近くに居るだろう)は、その殆どが荷電粒子砲の掃射を受けて蒸発した。
その戦果は絶大だった。 国連軍と日本帝国軍、2機の『航空機動要塞』から放たれた合計4回の荷電粒子砲による斉射は、既に6万近くのBETA群を蒸発させている。

(もっとも、代償も大きいか・・・)

原因不明だが、国連軍の航空機動要塞が突如、制御を失い地表に擱座した。 国仲平野東部、旧上新穂ダム跡地付近だ。 そして擱座したまま、再浮遊する気配も無い。
国連軍の直援部隊、1個中隊の戦術機甲部隊も奮戦してBETA郡から擱座機体を護っていたが、ウイスキー上陸3派から戦略予備2個師団も急遽、増援に出された。

阻止部隊は懸命に防戦した。 その働きは見事だ。 しかし、増援の2個師団は旧式の『撃震』装備の丙師団だし、国連軍は最新型と言えど、たかだか1個戦術機甲中隊。
いずれBETA群に、数の暴力で押し切られるのは目に見えていた。 『義烈』に上陸作戦総司令部よりダイレクトーダーで、第2斉射の座標変更命令が届いたのは、そう言う事だ。

『義烈』艦長の日本帝国海軍大佐がそんな思考に耽っているとき、主任機関士から報告が入った。

「艦長、拙い状況です。 冷却系に一部損傷発生、量子演算機の冷却が不調。 射撃管制と機体制御が不安定です」

「・・・主砲発射は可能か?」

戦場で思惑通りに行くことは何一つとして存在しない、正にその実例のような状況だ―――国連軍も、我々も。

「撃てるかもしれませんが、出力制御にエラーが発生しかねません。 許容範囲を上回る出力が成されれば、最悪は・・・」

「機体が爆破・・・その前にML機関の暴走で、最悪佐渡島が吹き飛ぶな。 よし、主任機関士、回復の目処を至急調べろ。 通信、総司令部宛『我、ML機関不調、主砲砲撃不可』だ」

冷却系統か、意外に厄介だな―――『艦長』の大佐は、機械の冷却系統の故障という事態が、どれ程厄介事を引き起こすか、今までの経験上、実に良く思い知らされていた。









2001年12月25日 日本海 佐渡島西方海上 作戦総旗艦・強襲上陸作戦指揮艦『千代田』


「小澤提督よりの報告では、A-02の復旧は極めて困難であると・・・」

「義烈の方は?」

「はい、量子演算機を冷却するための空調冷却システム、その大元の冷却水ポンプの制御基板がどうも・・・一部で焼損した様子。 現在、復旧作業中ですが・・・」

「予備のパッケージシステムでは、対処できないか?」

「緊急用の、あくまで温度上昇を抑えるための装備ですので・・・量子演算機がフル稼働するときの発熱量の全てを、取り除くことは無理です」

「結局は、冷却システムの復旧待ちか・・・時間は?」

「およそ2時間。 基板の交換作業、システムの再立ち上げと調整確認に、最低でもそれだけかかります」

「ふむ・・・」

A-02は擱座したままだ。 詳細な報告待ちだが、どうも『中枢部』に深刻なトラブルが発生したらしい。 既に国連軍側からは、『中枢部』の搬出を実行する連絡があった。

「・・・A-02は、あれか・・・」

「はい。 あれ、です・・・」

嶋田大将も、参謀長も、その職務上、A-02の最高機密情報は知っている。 そして現在の状況に陥った場合の、その後の結果についてもレクチャーを受けている。

「残存戦力は? 特に地上戦力だ」

「ウイスキー損耗率は55%、エコー損耗率57%・・・第1次ではありません、全体損耗率です」

「むう・・・」

全体損耗率が、両戦線共に50%を超した。 つまり、両戦線において部隊の数が半減したのだ。 戦闘部隊に至っては損耗率が7割に達している。

「被撃破だけでは無く、要修理も含めてですが・・・予備を全て投入しても、戦闘部隊の回復は60%台前後かと」

「作戦開始から3時間半・・・戦例の通りか・・・忌々しいBETA共め、やはり学習しておるな・・・」

「ハイヴ攻略の1点でのみ共通とは言え、作戦内容は過去、それぞれでした。 結局の所、ハイヴ突入後に全て後手、後手に回ってしまいます」

「プランCの実施は、厳しいか・・・」

プランCは、日本側が独自に立案したケースだ。 今までのハイヴ突入作戦の困難さ、そして国連軍と日本軍の航空機動要塞の打撃力。
それらを勘案した結果、『穴熊猟と同じだよ』と嶋田大将が称したように、要するにハイヴ突入部隊は、BETA群を地表に誘導するための罠。
BETA群を地表におびき出し、その後に荷電粒子砲の集中砲撃で掃討する。 当然、洋上の艦隊による艦砲射撃支援も同時に実施しながら・・・

「先ほど、ウイスキー2派突入部隊の生き残りが脱出してきました。 第10、第14、第15師団突入部隊です。 その報告の限りでは・・・」

未だハイヴ内には10数万の個体群が存在すると推定され、その内の数万はスタブを通らず、新たに『掘り進んで』地表へ向かっていたとの報告が入った。
タフな連中だった。 3個師団で21個戦術機甲大隊、20個機械化装甲歩兵大隊、他の部隊で突入していった連中だった。
あの荷電粒子砲の砲撃、その直撃を避けるために、敢えてハイヴ内で留まることを命じた部隊だった。 恐らく全滅するだろう、生き残っても僅かだろうと思えたのだが・・・

「這い出てきた者達の損耗率、およそ20%強。 戦力の8割前後を維持しておりました。 オービット・ダイバーズが、ほぼ壊滅した事と比べますと・・・」

「師団単位で突入した強みこそ有れ、大した連中だ・・・大した連中だからこそ、今一度、地獄に向かって貰わねばならん。 済まぬ事だがな・・・」

「では、閣下・・・?」

「事、ここに至っては、致し方なし。 あの者達の案に乗るのは、些か業腹ではあるが。 我々の使命は『人類の救済』だ。 その為には、父祖の地の島のひとつ、呉れてやろう」

「・・・全軍に撤退命令を発します」

「宜しい」

要するに、何時爆発するか判らない、敏感な爆発物を抱えながらの舞踏会など、危険極まりない。 総司令部としてはそんな作戦を指揮下部隊に強要することは出来ないのだった。

2001年12月25日 1345・・・作戦総旗艦『千代田』から、作戦全部隊に対して『総撤退』命令が発せられた。

だが、それを実現させるためには、一部の部隊は更に、再び地獄へ飛び込む事となるのだった。






[20952] 佐渡島 征途 10話
Name: samurai◆b1983cf3 ID:ad831188
Date: 2018/04/07 20:48
2001年12月25日 1345・・・作戦総旗艦『千代田』より、作戦全部隊に対して『総撤退』命令が発令。
同日 1347・・・両津湾沖の第1艦隊(エコー支援)、米第7艦隊、撤退支援砲撃開始。
同日 1348・・・真野湾の第2艦隊(ウイスキーⅠ支援)、撤退支援砲撃開始。 第3艦隊(ウイスキーⅡ支援)、旧上新穂方面への砲撃支援開始。
同日 1349・・・海上作戦司令部より、第2艦隊へ『真野湾突入中止』の命令が発令される。





2001年12月25日 1355 佐渡島 真野湾岸・国府川 ウイスキーⅡ・ハイヴ突入部隊、第15師団


「2中隊、正面を抑えろ! 1中隊は右翼を警戒! 152(152戦術機甲大隊)との間を割らせるな! 3中隊は1中隊の砲撃支援!」

網膜スクリーンに浮かぶ各種情報、そして目前の映像情報。 状況は控えめに言っても崩壊寸前、そしてこちらは疲労と残存機数の減少で戦力減少。
目の前で部下の第2中隊が迫るBETA群に向けて突進を仕掛ける。 激突の寸前で急反転しつつ、柔らかな下腹に25mm砲弾や120mm砲弾を撃ち込む。
同時に後方から、砲撃支援(インパクト・ガード)を寄せ集めて再編成した第3中隊が、57mm支援砲、Mk-57ⅢCで後方の光線族種を狙撃している。
その間を、隣接する第152大隊と連携を取りながら、第1中隊が浸透してくる小型種BETAを掃討している。

33機に減少した大隊を、周防少佐は撤退戦に当り、機能別に再編成した。 つまり、突撃前衛(ストーム・バンガード)と強襲前衛(ストライク・バンガード)で固めた第2中隊。
強襲掃討(ガン・スイーパー)と迎撃後衛(ガン・インターセプト)の第1中隊。 そして制圧支援(ブラスト・ガード)と砲撃支援(インパクト・ガード)で固めた第3中隊。

つまり、大隊を大規模な中隊としたのだ。 これは隣接する第152戦術機甲大隊も同様だった。

師団本部より発せられた命令。 『TSF全部隊は、指定時刻まで国府川ラインを死守すべし』だ。 『固守せよ』では無い、『死守せよ』だ。
『死守命令』・・・つまり、1機残らず撃破されて、文字通り『全滅』しようとも、一切撤退は許されない。 最後は自爆してでも、防衛ラインを離れることは許されない。

指定時刻は10数分、遅くとも1415までと伝えられているが、現状ではその時間・・・最長で僅か20分の時間が、永遠に思えるほどの苦戦だ。

『第2中隊、2機被撃破! 残存8機!』

『第1中隊、残存9機。 1機撃破されました、側面防御を続行中!』

『第3中隊です! レーザー照射で1機被撃破! 残存9機!』

これで周防少佐と、指揮小隊長の北里中尉を入れても、大隊の残存戦術機は29機。 指揮小隊は既に萱場少尉を第1中隊に、宇嶋少尉を第3中隊に臨時編入している。
国府川防衛ラインの南側、河口付近は第151、第152大隊が防衛線を張り、旧195号線までの戦線を防衛中だ。 194号線が南下し旧引田部神社跡地までは153大隊と155大隊。
第154と第156大隊は、それぞれ2方面のバックアップに当たっている。 更には旧194号線から旧181号線までは第10師団TSFが、小佐渡山地までは第14師団TSFが防衛中。

とは言え、第15師団TSFは第151が29機、第152が28機。 第153と第155が28機で、第154と第156は27機と26機まで減少している。
師団定数の戦術機数が240機なのに対し、現時点での稼働全機で166機。 残存69.16%、74機を喪っていた。 損耗率30.84%は師団始まって以来の損失だった。

隣接する第10師団も、定数240機に対して残存162機。 残存率67.5%で78機を喪っている。 両師団の12個TSF大隊合せて328機。
甲編制の第14師団は定数360機に対し、残存284機。 78.9%を保っているが、76機を喪っている。 3個師団合せて612機が、死守命令を受けて激闘していた。

『ゲイヴォルグ・マムよりゲイヴォルグ・ワン! 第2艦隊っ・・・第2艦隊が真野湾に突入します!』

大隊チーフCP将校の長瀬恵大尉が、戸惑いと歓喜が入り交じった声で報告してくる。 一瞬、眉を顰めた周防少佐が確認する。

「どう言う事だ? 第2艦隊の突入は、中止になったはずだ!」

そう、地上部隊にとって命綱とも言うべき、艦隊からの支援砲撃。 それが真野湾では『光線族種との距離が至近に過ぎ、艦隊の湾内突入は中止』と伝えられていた。
真野湾は撤退に使えない。 後方支援部隊の多くが、必死になって旧350号線を南下し、旧大石湾から命がけの撤退中だ。
佐渡島南西端の南岸に位置する大石湾からならば、BETAは未だ至っておらず、そして第3艦隊の支援の元で撤退が可能だった―――装備の一切合切を放棄し、身ひとつでの撤退。

『わ、判りません・・・! ただ、沢根から相川までの旧31号線防衛ラインの撤退支援が、第2艦隊からUN艦隊・・・ガルーダス艦隊に変わったと・・・!』

「・・・ガルーダス艦隊?」

ガルーダス・・・東南アジア諸国連合軍は今回、艦隊も参加させている。 タイの『スリ・アユタヤ』、マレーシアの『サマディクン』、インドネシアの『ローナ・ドーン』
更には土壇場でインド海軍がセイロン防衛艦隊から『イラワジ』を分派し、派遣してきた。 いずれも驚くほどの旧式戦艦群だが、一応の近代化改修は施されている。
因みに『スリ・アユタヤ』は旧『榛名』、『サマディクン』は旧『扶桑』、『ローナ・ドーン』は旧『日向』、『イラワジ』は旧『ウォースパイト』
艦齢は実に『スリ・アユタヤ』と『サマディクン』、『イワラジ』で86年に達し、最も若い『ローナ・ドーン』でさえ83年に達する。

この4隻を見た日本帝国海軍のある艦長が、『いくら何でも、婆様を通り越した曽婆様を、戦場に連れ出す事はなかろうに・・・』と呟いたほどの老齢艦だ。
このガルーダスの『曽婆様艦隊』に、第2艦隊から5航戦(戦術機母艦『飛鷹』、『準鷹』)、第2駆(『長波』、『高波』、『巻波』、『清波』)が加わり、撤収支援艦隊となる情報だった。

(・・・ガルーダス艦隊の後ろには、戦術機揚陸艦や運搬艦、それに通常の揚陸艦艇群が多数控えている・・・ウイスキーⅠの撤退支援はそれでやるのか?
だとしても、数が足りない気がする・・・せめて5戦隊(戦艦『出雲』、『加賀』)辺りも付けないと、砲撃支援の密度が足りないのじゃないか・・・?)

目前の戦術指揮を行いつつも、無意識に全体状況を確認しようとする周防少佐。 本来ならば第2艦隊主力とガルーダス艦隊は、ウイスキーⅠの撤退支援が妥当の筈だ。
ウイスキーⅡ・・・真野湾岸から大石湾まで撤退中の部隊の支援は、第3艦隊と第2艦隊分派が行うのが妥当の筈だ。

しかし現在は、ウイスキーⅠの撤退支援をガルーダス艦隊と第2艦隊分派が行い、第2艦隊主力は中止されたはずの真野湾への強行突入を開始している。
それが自分たちへの支援砲撃では無いことを、周防少佐は理解している。 自分たちは時間限定とは言え『死守部隊』なのだ。 本来ならば支援を受けることはあり得ない。

友軍を支援し、助け、逃すことが任務なのだ。 助けられることは、その任務には入らない。 ならば、第2艦隊・・・いや、今や聯合艦隊主力と言っても良い第2艦隊主力が何故?
第2艦隊から、支援砲撃が開始された。 戦艦の巨砲、無数の誘導弾。 それを迎撃する光線級が発する多数のレーザー光線・・・たちまち重金属雲が発生した。

網膜スクリーンに情報を投影する。 師団命令に付属するコペルニクスC4IコンセプトのCOP(共通作戦状況図)、その中に表示された1本のルート・・・

(小佐渡山地・・・旧上新新穂ダム跡地か? あと15分以内に『支援目標甲』が洋上へ脱する・・・この為か?)

『支援目標甲』が何なのか、周防少佐には確認する権限が無い。 ただ、師団より更に上位・・・ニュアンス的には総司令部辺りからの厳命が下っている様子だった。
そこから察するに、余程重要な『支援目標』の様だが・・・その為にこの激戦場を、あと15分保たせることは、歴戦の指揮官でも困難に違いは無い。

目前に迫った突撃級BETAの突進をスピンターンで躱し、すれ違い様に『01式近接制圧砲』―――57mmリヴォルバーカノンの連射で仕留める。
一瞬の噴射跳躍後、片肺をカット。 空中でダブルクルビットを決めて要撃級BETAの頭上に57mm砲弾を叩き込んだ。

「2中隊! 八神! 深入りするな! 最上! 1中隊で2中隊の側面支援! 遠野! 制圧支援(ブラスト・ガード)に01榴(01式105mm戦術機榴弾砲)を持たせろ!」

『ハリーホーク、了解・・・! 稼働残存7機です!』

『八神! 右翼を支援するぞ! ドラゴン、稼働8機!』

『01榴、了解です! クリスタル、稼働9機!』

大隊残存機数が26機に減った。

『クリスタルよりドラゴン、ハリーホーク! 100下がって! ブラスト・ガード各機! 01榴、目標NW-115-201! 距離25(2500m)、撃て!』

4機のブラスト・ガードが放った01式105mm広域制圧用特殊砲弾が2500m先で炸裂した。 同時に襲いかかる強烈な爆風。 爆発出力は0.1kt相当に匹敵する。
対BETA有効危害半径は、約65mになる。 4発の特殊砲弾は綺麗なグルーピングを描き、約130m四方の範囲内のBETA群を霧散させ、周辺50m圏内の個体へもダメージを与えた。

『あと3斉射します!』

すると隣の戦区でも、激しい爆風が発生する。 第152戦術機甲大隊も、01式を使用し始めた。 更にはその隣の153と155大隊。 そして第10師団と第14師団も・・・

『旅団司令部よりTSF! 01式の使用、あと3斉射で制限!』

旅団司令部より、まさかの戦闘制限。

『あと3分で『支援目標甲』が通過する! TSF全部隊は500前進! 背後に国府川の回廊を作り、これを護れ!』

ここにきて、まさかの前進命令! 本当に師団はTSFを死守部隊にする気なのだ・・・3分間の地獄。 たった3分間、しかし永遠の3分間。

「ッ・・・! 本当に全滅しても、知らんぞ・・・! 大隊全機! 500前進する! 大隊長機に続け!」

叫ぶやいなや、大隊の先陣を切って突進する周防少佐の大隊旗機。 慌ててそれに追随する北里中尉機に、残存する3個中隊の部下達。
廻りを見れば、第152大隊の先頭を切って長門少佐の機体が、突撃級BETAの群の仲に吶喊していた。 彼だけではない、153大隊の荒蒔中佐も、155大隊の佐野少佐も。

『セラフィム・ワンよりゲイヴォルグ、アレイオン! 支援する!』

『イシュタル・ワンよりユニコーン、ケルベロス。 バックアップ入ります!』

支援に回っていた間宮少佐の154大隊と、有馬少佐の156大隊が支援に入った。 2個悌団に別れた第15師団TSFの6個大隊は、前方500mまで強行前進をかける。
得られた情報では、目前のBETA群は約2万。 他に小佐渡山地方面へ3万が進んでいる。 3個師団の戦術機部隊、それも大きく定数を割った部隊で支えきれる数では無い。

誰もが、ここが死地と悟ったその時、不意に後方から砲弾と誘導弾の雨が降り注ぎ、BETA群のど真ん中で炸裂する。 大型種は止まらなかったが、小型種が多数爆散した。

『15師団! 39師団393大隊、キュベレイ・ワン、支援入る! 周防! 近藤! 小高! 153と155の支援!』

『39師団第392大隊、ローレライ・ワン、15師団の支援入るよ! 周防、長門! 情けない様、晒すんじゃないよ!?』

後方で撤退中の『筈である』第39師団TSF部隊だった。

『・・・げっ!?』

「愛姫・・・に、紗雪さん・・・!?」

長門少佐はカエルが踏み潰されたような声を発し、周防少佐が思わず口を開けて一瞬呆然とする。

『39師団、391大隊、森宮中佐だ。 これより支援に入る。 葛城、真咲、395と396は10師団の支援に入れ。 源、君の394は私と14師団の支援だ。 和泉と伊達は放っておけ』

乙編制に改編された第39師団だった。 ウイスキーⅡの戦略予備戦力として、この真野湾一帯を護っていた部隊。 一足先に撤退したはずが・・・

『師団長が、総司令部にねじ込んだそうだ。 そう言う訳で、地獄巡り、ご一緒させて戴きますよ、岩橋さん、宇賀神さん、若松さん、鷲見さん・・・荒蒔さんも』

第14師団の岩橋中佐、宇賀神中佐、若松中佐。 第10師団の鷲見中佐。 第15師団の荒蒔中佐。 階級は同じだが、いずれも森宮中佐からすれば大先輩の先任達だ。

『・・・以前の君は、もっと理性的だったが? 森宮君・・・』

岩橋中佐の苦笑とも呻きとも、呆れとも取れない声。 宇賀神中佐が小さく笑う。 若松中佐と鷲見中佐は呆れるように頭を振り、荒蒔中佐は面白そうに笑っていた。

『我々だけじゃ有りません。 第3派別動のうち、戦闘力を有している27師団、戦略予備の37師団と38師団のTSFが戻ってきます』

『・・・なんだと?』

森宮中佐の言葉に、岩橋中佐が疑問の声を投げかける。 それらの部隊は全て、撤退海岸線の防衛部隊に指定されているはずだ。

『エコーの方が、両津湾を使えなくなりました。 撤退は大佐渡山地北端の鷲崎からになります。 エコー1派と2派は鷲崎から撤退中です』

『では、エコー3派は・・・?』

エコー上陸3派は、両津湾に上陸して時間が経っていないはずだった。

『旧319号線を、尻に帆をかけて総撤退中です。 第1艦隊と第7艦隊第70任務部隊、それと75-1、75-2任務群が鷲崎沖合に集結中です。
75-3任務群と75-4任務群が、第3艦隊に合流途中です。 エコー3派は東海岸から撤退させる様子です。 BETAが小佐渡山地に迫っていますが、両津湾よりマシ、と言うわけで』

エコー3派の米第34戦術機甲師団(レッド・ブル)、UN第23師団(『インドシナ』)、UN第27師団(『ハーン』)、UN第122師団(サイゴン)も損害は受けている。
しかしまだ戦力は維持している。 東海岸の撤退防衛部隊の『代替』部隊くらいは務まる。 そしてほぼ戦力を維持している戦略予備の4個師団が、国府川防衛ラインに進出したのだ。

『7個師団のTSF・・・あと数分ならば、十分かと』

『その後は、撤退海岸線の防衛があるがな・・・!』

『岩橋さん、それは折り込み済みだ。 森宮君、すまぬ、各師団戦区の間隙を塞いでくれ』

14師団の宇賀神中佐が最後を纏めた。 岩橋中佐もついには苦笑しながら部下に命令を飛ばす。








「第5斉射、近、遠、遠、近! 目標を狭差!」

戦艦『出雲』砲術士の綾森海軍中尉が、陸上の画像を確認して発令所に報告する。 傍らでは砲術士のダブル配置の周防少尉候補生が、諸元入力に必死だった。

『発令所より、第6斉射―――発射!』

僅かに艦が揺れる。 巨砲の砲撃時の衝撃を完全に消しきれないためだ。 僚艦の『加賀』、そして1戦隊の『紀伊』、『尾張』、2戦隊の『信濃』、『美濃』も砲撃中だった。

『1戦隊、『紀伊』にレーザー照射!』

『2戦隊の『信濃』、複数本のレーザー照射を受けています!』

『2戦隊『美濃』、後部艦橋破壊されました!』

損害がじわじわと広がっている。 既に打撃軽巡『長良』と、イージス駆逐艦『冬月』が沈んだ。 イージス軽巡『酒匂』が戦線を離脱、大型巡洋艦『鈴谷』も中破。

『艦体中部、レーザー射貫! 第2機械室全滅!』

『速力22ノットに低下!』

『僚艦『加賀』、前に出ます! 『加賀』より信号! 『武運を』です!』

やれやれ・・・これで乗艦の損傷は2度目だ・・・暢気な感想を抱きながら、綾森中尉がふと横を見ると、周防候補生が真っ青な顔をしていた。

「候補生、気にするな。 死ぬときは、あっという間だ。 そうならなけりゃ、助かる、生きて帰れる」

「・・・分隊士(中少尉クラスの各部の下級幹部)、落ち着いていますね・・・怖くないのですか?」

「怖いよ? そりゃ、怖い。 でもなぁ、こればかりは仕方ない。 艦は全体でひとつだからな、俺達がテッポー担いで、BETAをぶち殺しに行くわけにもなぁ」

艦は全体で個、個は全体。 個がそれぞれの役目を十全に果たして初めて、艦としての個の力を発揮する。

「だから、怖くても、自分の仕事をやりきるしか無いんだよ。 ほら、手が止まってるぞ、周防候補生! 貴様の役目を果たせ!」

「はっ、はいっ!」









「急げ! 急げ! 装備なんて、捨てちまいな! 御身大事! 代わりの装備は、後で政府がアメちゃんから分捕ってくるよ!」

大野湾の海岸線で撤収部隊の指揮を執っているのは、何と補給隊指揮官の沙村予備主計少佐だった。 声の大きさが幸いしたのか、或いは不孝の元だったのか・・・
大混乱の最中、気がつけば誰もが『補給部隊のビッグ・マム』の指示に従っていた。 沙村少佐は、捨てられた96式装輪装甲車の上に仁王立ちで、檄を飛ばし続けている。

「戦車隊! そんなデカブツ、脱出艇にゃ乗せられないよ! 砲兵! この大馬鹿! 未練たらしく砲に取りすがってんじゃ無い!」

そろそろ脱出のタイムリミットが近い。 LCAC-1級エア・クッション型揚陸艇の最大速度は70ノット。 人員輸送用モジュールを搭載して最大240名まで運べる。

ゼロ・アワーより前に10海里(18.52km)、海岸線から離れなければならない。 エア・クッション艇で最大人員を運ぶとなれば、速度は60ノット程度に落ちる。
60ノット、つまり時速で約111km/h、分速1852mジャスト。 加速時間を考慮すれば、ゼロ・アワーより最低で2分前には脱出しなければならなかった。

何とか自力脱出が可能な戦術機甲部隊以外の地上軍戦力は、海岸線から必死の脱出の最中だ。 それも身ひとつで。 装備は全て投棄した。

「全く! 女々しい女は居なくても、女々しい男は相変わらず居るね! そこのWAC(女性陸軍将兵の総称)! あんた、そこの男どもを引っ張って行きな!」

「少佐! 沙村少佐! タイムリミットまであと5分を切りましたよ! さっさと艇に乗ってください!」

沙村予備主計少佐の部下である久須予備主計中尉が、やや顔を青ざめさせて怒鳴る。 普段の余裕を消して叫んでいた。 それはそうだ、正に生きるか死ぬかの瀬戸際だ。

「まだ4分強ある! 4分ありゃ、海岸線まで400mは走って辿り着けるんだよ!」

「しかしっ!」

目視できる範囲には、もう誰も居ない。

『―――沙村少佐、1km圏内に脱出可能な部隊は探知せず。 脱出してください』

通信回線から、やや訛りのある日本語が聞こえた。 ネイティヴの日本人じゃ無い、確か・・・

「・・・あんたらは? どうするのかな? 趙少佐?」

『我々はTSFです。 脱出は自前で可能です。 さあ、早く! 小佐渡山地の西側に、BETA群が取り付きました! ここまでは後、数分で到達します! 脱出を!』

国連軍横須賀基地所属の戦術機甲部隊指揮官、趙美鳳少佐が答えた。 付近には数個大隊のF-15E戦術機が結集している。

「・・・死になさんな、趙少佐。 アンタ、いい女なんだから、死んだら負けよ?」

『・・・有り難うございます、沙村少佐。 女性としての先達の言葉、有難く・・・死ぬつもりは毛頭ありません、死ねない理由もありますし』

その理由は敢えてここで言わない。 フラグを立てるつもりは無い。

「沙村少佐! あと3分!」

「判ったよ! 脱出する! 趙少佐! あと3分頼むよ!」

『お任せを』

エア・クッション艇に乗り込み、人員輸送用モジュールに飛び込むやいなや、エア・クッション艇が猛然とダッシュして海岸線から離脱を始めた。
高速走行による合成風とガスタービンエンジンの排気と騒音、そして、高速走行中に艇が巻き上げる激しい波飛沫。 あっという間に島から脱出した。

『美鳳、私たちは3分後に最大速度で離脱。 島の東方に待機している戦術機揚陸艦まで・・・』

僚友で長年の戦友、そして親友の朱文怜少佐が、網膜スクリーンに上半身の姿をポップアップして伝えてくる。

『それと、周中佐から伝言よ、『2人とも、帰還したらたっぷり扱いてやる。 新米の頃を思い出して貰うぞ』ですって・・・怖い、怖い』

妙に余裕の有る僚友に少し呆れながら、趙少佐は懐かしさすら感じた。 もう10年近く前から、それこそ新米衛士だった頃から、周中佐と自分、そして朱少佐は供に戦ってきた。
もう1人居たが、彼女は今、ヨーロッパに居る。 そしてこの島には、趙少佐がこれからの人生を、ともに歩もうと思っている男も戦っている。

『いずれにせよ、会敵はあと1分後ね。 戦闘時間は正味2分弱。 一撃で、ありったけの火力を叩き付けて、弾倉が空になるまで撃ったら、即離脱よ』

3人目の指揮官、李珠蘭少佐が割り込んできた。 統一中華連邦から派遣されている趙少佐と朱少佐と違い、李少佐は亡命韓国政府軍からの派遣だ。 昔なじみ同士でもある。

100機前後の戦術機、F-15Eストライク・イーグルが島の中央に指向する。 

『攻撃開始!』

『各中隊、撃て!』

『全力斉射!』

姿を現した数千のBETA群の醜い姿、その群にありったけの火力を叩き込む。 誘導弾、120mm砲弾、36mm砲弾。 あっという間に赤黒い霧のように霧散するBETAの群。

しかし、その後から、後から、数千体規模の群が波状攻撃の如く群がってくる。

『全部隊、最後の全力射撃! タイムリミットまであと1分! 斉射後、脱出する! 撃てぇ!』








『脱出しろ!』

先任指揮官の岩橋中佐の声が、回線内に響いた。 既に23分を回った、『支援目標甲』は脱出したはずだった。 師団・旅団司令部からも脱出命令が発せられていた。
第10師団、第14師団、第15師団。 そして増援に駆けつけた第27師団、第37師団、第38師団、そして第39師団の各戦術機甲部隊が、一斉に脱出し始めた。

状況は控えめに言って地獄だ。 万単位のBETAの大群に突っ込まれた。 そこかしこで乱戦が発生している、周防少佐も大隊の全体指揮どころでは無かった。

目前の要撃級の、振り上げた前腕の一撃をスピンターンで機体を捻って回避する。 咄嗟に57mmリヴォルバーカノンの一連射で仕留めた。
戦車級の群が数10体、急接近する。 咄嗟に小さく跳躍し、10体ほどを踏み潰す。 後ろから120mmキャニスター弾・・・エレメントを組む北里中尉だった。

「最上! 八神! 遠野! 生きているか!? 生きていたら返事をしろ!」

最早、前後左右、全てがBETA群のように錯覚するほどの包囲の中、周防少佐は戦闘機動だけで回避しつつ、部下を呼び出した。

『八神です! 中隊残存6機!』

『遠野です! 中隊・・・5機ですっ!』

『・・・最上です、7機』

20機・・・定数40機の戦術機甲大隊で、2度の補充を受けてなお、残存は20機しか居なかった。 内心を荒れ狂う感情を押し殺して、周防少佐は命じた。

「脱出しろ! 指定母艦は無視しろ、手っ取り早い艦を見つけたら、そこに降りろ! 行け!」

『了解! 2中隊! ずらかるぞ! 続け!』

『3中隊、脱出します! 中隊、続けぇ!』

最早中隊と言えない、増強小隊規模にまで減じた部下を率いて、八神大尉と遠野大尉が脱出を始めた。 傍らの僚機に向けて、周防少佐が命じる。

「北里、先に母艦に行け。 散り散りになるだろうから、全体の集計を・・・俺が戻るまでに終えておけ。 行け!」

『っ!? りょ、了解です! 脱出します!』

実際はそんな余裕も時間も無い。 自分を脱出させるための強弁だと、北里中尉は気付いている。 しかし同時に、そうすべきだと言うことも。

そして、妙に静かな口調で、最後に残った部下に、周防少佐が言った。

「・・・最上、跳躍ユニットか?」

『片肺は全損、もう一方は・・・30%も出力が出ませんね。 サーフェイシングは可能です。 他の2機も同じです』

一瞬の沈黙。 重く、重く、そして乾ききった・・・

『S-11は起爆可能です。 遠藤と段野の機体も・・・』

スクリーンに、最上大尉の他に2人の部下達・・・まだ若い2人の少尉の顔が映った。 遠藤貴久少尉に段野吾郎少尉、まだ19歳と18歳の若さだった。

『大隊長・・・脱出は不可能です・・・最後の時間は、稼ぎます・・・ッ! 家族は居ません、墓は・・・千葉に建てました・・・!』

『逃げずに戦ったと・・・家族に・・・お袋と、弟妹に・・・難民居住区に居る・・・お願いします・・・ッ!』

一瞬。 一瞬だけ目を瞑った。 そして一瞬後、周防少佐は上官としての威厳と、敬意を表すべき相手への敬意を示しつつ、敬礼をし、そして命じた。

「・・・命じる。 最上大尉、遠藤少尉、段野少尉。 遅滞戦闘にて最後の時間を稼げ・・・了解した。 不手際な指揮の不始末は、後であの世とやらで詫びる・・・頼んだ」

『来るのは、何十年後かで良いですよ、大隊長・・・』

『は・・・はい・・・っ!』

『くっ・・・はいっ!』

最後にもう一度、最上大尉に言った。

「最上、貴様がいて良かった。 今まで散々、助かった・・・感謝する。 これ以上は言わん」

『お陰様で、今まで生き延びました。 大隊長・・・周防少佐殿、武運長久を。 後は八神に任せて大丈夫です・・・では』

再び敬礼し、周防少佐は機体の跳躍ユニットを全開に噴かした。 山間部の山肌ギリギリをなぞるように西へと全速で飛行し、海岸線へ。 そして洋上へ出る。
そして500km/h近い高速で、海面上20mの超低高度を突進しつつ、秒速130m以上の早さで佐渡島から遠ざかる―――3人の部下達は敬礼していた。

5秒後、背後で大規模な爆発が3回―――S-11の起爆による衝撃波だと、機載コンピューターが判断した。
10秒後、機体の警報システムが鳴り響く。 咄嗟に機体を左右に振る。 光線級のレーザーが近くを通り過ぎた。 0.1秒遅ければ撃墜されていた。
15秒後、1隻の戦術機揚陸艦が視界に入った。 艦上の半分が、降着した戦術機で埋まっている。 背に腹は替えられない、その艦に向かって突進する。 オペレーターの悲鳴。
20秒後、ギリギリのスペースに、無理矢理着艦。 オペレーターの罵声。 そして猛烈な衝撃波が襲いかかり、機体のバランスを崩した。

「くおっ・・・!」

バランサーも咄嗟に作動できず、艦上で機体が倒れる。 酷使しすぎた機体の各所が壊れている。 衝撃波は暫く続き、そして唐突に収まった。

「はっ・・・ふっ・・・はっ・・・!」

『・・・士! 倒れた機体の衛士! 無事か!? 応答しろ! それと、所属と官姓名を名乗りやがれ! 無茶苦茶しやがって! この馬鹿野郎!』

よほど頭にきたのか、機体のマーキングさえ目に入らない艦のオペレーターの声に、周防少佐も我に返った。

「はっ・・・陸軍第15師団、第151戦術機甲大隊。 陸軍少佐、周防直衛・・・だ」

『っ!? し、失礼しましたっ! しかし、少佐・・・無茶が過ぎます!』

「詫びる、申し訳ない・・・艦長、副長へも後ほど・・・済まない、故障のようだ、管制ユニットが開かない。 外部から解放してくれないか?」

『は・・・了解です』

外部操作で管制ユニットが解放され、やっと機外に出た周防少佐は、そこが戦術機揚陸艦『松浦』だったと知った。 出撃した戦術機揚陸艦だった。

冬の日本海。 その彼方に、見えているはずの姿が無かった―――佐渡島が消えていた。

「・・・凄まじい威力だった。 G弾、何発分かね? 『あれ』は・・・」

『松浦』艦長が周防少佐の背後から話しかけてきた。 振り向かず、波濤の彼方、消えた島を見据えながら、周防少佐は言った。

「・・・正直、判りません。 しかし・・・我々は戦闘で、戦術的に負け・・・戦略的に勝った・・・しかし・・・しかし・・・ッ!」

腸の奥底から、何か、灼けた熱い何かが噴き出してきそうだ。 数年前、佐渡島で散った2人の従弟達。 そして、この作戦で散っていった多くの部下達・・・

「周防少佐・・・指揮官は『想い』を背負う者だよ。 どれ程、己を悔いても、己を罵ってもよい・・・だがな、『想い』だけは、責任を持って、背負っていかねばならん」








甲21号作戦損失報告(2001年12月26日、概要)
・戦術機 :5551機(損耗率72.1%)
・車輌損失:6689輌(損耗率79.6%)
・遺棄火砲:2016門(損耗率69.4%)
・艦艇沈没:戦闘艦艇42隻(損耗率28.0%)、支援艦艇186隻(損耗率48.8%)
・人員損失:戦死5万8000余名、戦傷9万1500余名、行方不明1万2000余名、総数16万1500余名


『我々は戦闘に負けた。 それは見事に完敗した。 しかし、東アジアでの局地的な戦争には勝利した・・・数多の英霊に謝す。 大愚の愚将は去るのみ』

作戦総司令官・嶋田大将は、腹の中に詰まった言葉の一言も言い出すことは無く、作戦終了の3日後、予備役に依願編入された。








「・・・何とか、今回も生き残ったなぁ・・・」

「周防、貴様のとこの伊達少佐、年明けで戦術機を降りるって?」

「ん・・・正確には異動だけどな。 訓練校の主任教官だってさ・・・後任は・・・美園少佐が、年明けから移ってくるってよ。 蒲生、貴様のとこの和泉少佐もだろ?」

「ああ、国防省勤務だそうだよ。 似合わねぇ・・・何て言ったら、怖いからな、言うなよ? 後任は仁科少佐だ。 森上、貴様のとこは・・・森宮中佐は変わらずか」

「暫く、師団の先任戦術機甲部隊指揮官だな。 なんだかんだで、俺達も大隊の中じゃ、それぞれ先任中隊長ってのに、なっちまったなぁ・・・」

第39師団の周防直秋大尉、蒲生史郞大尉、森上允大尉。 同期生同士で24歳になる彼らが、既に大隊先任中隊長、と言う事実が、日本帝国の人的資源の払底を懸念させる。

第39師団はこの戦いで、終始、遊撃部隊として戦った。 兵站線の防衛、撤退部隊の護衛、防衛戦の後詰め・・・幸いなことに、人的被害は2割程度で済んだ・・・

「誰が死んで、誰が生き残ったのかな・・・」

周防大尉が、戦術機揚陸艦の舷側から大海原を見つめて、ぽつりと呟いた。

「誰が死んで、誰が生き残っても・・・やるこた、ひとつさ」

蒲生大尉が煙草に火を付けながら言う。

「生きる、戦う、そして・・・生き残る」

森上大尉が言う。

生きる。 戦う。 そして生き残る―――『想い』を背負って。 

暗く、長く、過酷な道程だが、それ以外に人類が生き抜く道は無いのだから。








「おい・・・この波形は何だ?」

「ん・・・? 新潟付近・・・か? 地震?」

「確かに、あの付近は昔から・・・だけど、少し違う気がするな・・・」






[20952] 幕間~その一瞬~
Name: samurai◆b1983cf3 ID:ad831188
Date: 2018/09/09 00:51
2001年12月27日 東京・日本武道館 『甲21号作戦 戦没者慰霊祭』


式典は盛大だった。 皇主の名代として皇族の臨席の下、征威大将軍、五摂家、内閣全閣僚、軍部(統帥本部総長、陸軍参謀総長、海軍軍令部長、宇宙軍作戦本部長、本土防衛軍総司令官)
更には内務省高級官僚、国防省の高級軍人達、全国在郷軍人会の各地区会長、戦没者遺族会・・・文部省は全国から戦没者遺族の学童を『招聘』した。

2日前に作戦が『終了』し、多くの部隊が未だ駐屯地への期間途中というこの時期に、慌ただしく開催された式典。 主に関東近隣の留守部隊からも多くの軍人が『動員』された。

「・・・茶番も良いところだ」

佐官クラスの軍人が座する席の中で、長門圭介陸軍少佐が吐き捨てるように言った。 隣の席に座る周防直衛陸軍少佐は、先ほどから黙して何も話さない。

「戦略的には兎も角、戦術的には・・・作戦的には大失敗、見事に大転けしたからなぁ・・・」

「戦死、戦傷、行方不明・・・合せて15万人を上回るのは確実らしい。 1度の作戦でこれだけの損害を受けた試しは、この数十年無かったからな・・・」

更には伊庭慎之介陸軍少佐、棚倉五郎陸軍少佐も、渋い表情で小声で言い合う。

かの『明星作戦』でさえ、被害総数は10万人を切る。 『本土防衛戦』は被害総数では上回るが、あれはBETAの九州上陸から京都失陥までの、一連の戦いでの総数だ。
日本陸軍が過去に経験してきた大作戦、その失敗事例でも、第2次大戦時のインパール作戦での戦死・戦病者7万6000人。 ニューギニアでの12万7000人を上回る。

1回の大会戦の損害としては、日本陸軍建軍史上、最大の損害だった。

結果としてG弾数発の爆発(軍内部の非公式発表による。 佐官クラス以上には『G元素の何らかの暴走による』と伝えられている)により、佐渡島ごと甲21号目標が消滅した。
佐渡島からの脅威は取り払われた。 これは紛れもなき事実。 しかしその実態は・・・と言うことだ。 政府も軍部も、それを糊塗しなければならない。

周防少佐、長門少佐、そして同期の伊庭少佐に棚倉少佐が、この式典に急遽駆り出されたのも、その一環だ―――帝国を滅亡の淵から救った、勇猛にして優秀な戦術機甲指揮官として。

「何が、『勇猛にして優秀な戦術機甲指揮官』だ・・・!」

それまで黙って、式典の壇上を凝視していた周防少佐が、小声で吐き出すように言葉を発した。

「部下の半数を無様に失って・・・這々の態で逃げ帰っただけの・・・何が『勇猛にして優秀な戦術機甲指揮官』だ・・・!」

何に対して怒っているのか。 事実を糊塗する政府や軍上層部へか。 それとも不甲斐なく多くの部下を失った己の指揮に対してなのか。

帰投途中、富山湾の中継拠点に上陸するや否や、師団命令でヘリに乗せられ、その日のうちに帝都に帰還させられた。 それが昨日のことだ。
野戦装備のまま国防省に呼び出された挙げ句、本日の式典に参加するよう命じられた。 周防少佐は妻の綾森少佐が、未だ国防省から帰宅していなかった(子供は実家に預けていた)
長門少佐も妻の伊達少佐が甲21号作戦に参加した関係で、子供は両親に預けていた。 家には誰もいなかったが、取りあえず通常軍装はある。
伊庭少佐と棚倉少佐は関西(大阪)が駐屯地な為、取り急ぎ、周防少佐と長門少佐から予備の軍装を借り受けた(4人とも、似たような体格だった) 但しサラダ・バーは無し。

そして駆り出されたのが、本日の『甲21号作戦 戦没者慰霊祭』だった。

「それを言うなって、周防・・・クソ拙い指揮で部下を大勢死なせたのは、貴様だけじゃ無いぜ・・・?」

「伊庭もそうだし、長門も、そして俺も・・・半数の部下を死なせた。 貴様だけじゃ無い、そう言いたいのは貴様だけじゃ無い。 だから黙れ・・・」

伊庭少佐と棚倉少佐が、随分と剣呑な視線で周防少佐を睨み付けた。 長門少佐はぶすっとした表情で何も言わない―――彼も同じなのだ。

これまでに無いほど、多くの部下を死なせた。 作戦の要求があった。 部隊長として決定し、命令し、実行させねばならなかった。
それでもわだかまりは残る。 あの爆発は何だったのかと・・・最初からあのオプションを選択する事は出来なかったのかと・・・理屈では判っても、感情がついて行かなかった。

「・・・判っている! 判っている! あれは『最終的オプション』だったと! 最初から国土を消滅させる作戦など・・・! 判っている!」

小声だが、腹から絞り出すような声。 全貌を知る立場には無いが、それでも師団の参謀、或いは軍団、軍の司令部から漏れ聞こえる情報・・・
それらを整合すれば、総司令部の判断は『最終的オプションの選択を迫られた』事だと言うことくらいは、前線の少佐風情でも判る。
致し方なき決断。 総司令部の苦渋さえ、想像できる。 その選択の可否さえも・・・でなければ、佐官の階級を持つ資格は無いのだから。

だがそれでも、目前の式典で流れる美辞麗句には、隔絶する感情を覚える。

「・・・俺達でさえ、この様だ。 この場にかき集められた若い連中がどう思うか・・・心配と言えば、心配だ」

「ああ・・・12.5事件、あれの『後継者』を作らなきゃ良いんだが・・・」

「その時はまた、権力と暴力で押さえつける。 歴史を見てもそうだ」

棚倉少佐、伊庭少佐が心配げに小声で話し、長門少佐が吐き捨てる。

「そして俺達は・・・その暴力装置・・・か」

周防少佐が、先ほどとは違って、小さく、小さく呟いた。 不意に昔の記憶が蘇る。 1995年、もう6年以上も前の記憶。 国連軍に出向していた当時の・・・

「・・・結局、切羽詰まれば国家と軍は、パールマターやファイナーの言う通りか・・・」

「ん? 何だ?」

周防少佐の独り言に、長門少佐が問いかける。 が、周防少佐は乾いた苦笑を浮かべるだけで、無言で首を振って会話を打ち切った。
衛兵主義(プリートリアニズム)に乾杯! 軍の政治介入に乾杯! それで祖国と人類と・・・何よりも愛しい者達を守れるのであれば。

「・・・俺は・・・俺達は、職業軍人って事さ・・・」










2001年12月28日 日本帝国・帝都東京 千住


彼女たちがようやく帰宅したとき、夫達は既に家に帰り着いていた。

「ねえ祥子さん、お宅は?」

長門少佐夫人である伊達少佐の問いかけに、隣家の主婦で有り、周防少佐夫人である綾森少佐は首を振った。

「ずっと縁側で胡座をかいて座り込んだままよ・・・怖い顔をしてね。 呼びかけても『うん』しか言わないわ。 子供達が怖がっちゃって・・・」

「はあ・・・ウチもそう。 畳の上に大の字で寝転がって、ずっと目を瞑ったまま。 寝ているわけじゃ無いのよね。 圭吾がじゃれつくと『愛姫。 圭吾、邪魔』って・・・」

側で幼子達が遊んでいる。 周防少佐の双子の子供に、長門少佐の息子だ。 もう1歳半になる。 スコップ片手に、何やら楽しそうだ。
そんな我が子を愛おしそうに見ながら、2人の女性少佐にして、母で有り妻である彼女たちは、夫の心配をしている。

「私は前線に出ていないけれど・・・佐渡島、酷かったようね?」

「うん・・・私は戦略予備だったから、最後の最後、撤退支援戦闘だけだったけれど。 まあ、控えめに言って地獄ね」

それでも伊達少佐の部隊は、損害を限りなく抑えることが出来た。 だが彼女たちの夫の部隊は、損失が50%を超すほどの被害を受けたのだ。
そして歴戦の伊達少佐をして、『控えめに言って地獄』だったと言わしめた戦場。 綾森少佐にしても、大陸で歴戦した元衛士だ。 京都防衛戦も経験している。
そんな彼女たちをして、同等以上の戦歴を有する、歴戦の戦術機甲指揮官である夫達を案じてしまうほどの、凄惨な戦場が佐渡島の戦いだったのだ。

「・・・今日1日、好きにさせておくわ。 流石に明日には戻っているはずよ」

「そうね、じゃなきゃ、今まで生き残っていないわね・・・私の旦那だし?」

「あら・・・私の旦那様だし?」






「おう、八神」

駐屯地内で第2中隊長の八神大尉が、その人物から声を掛けられ、その姿を見て素っ頓狂な声を出した。

「・・・!? 摂津さん!? どうしてここに?」

第14師団の筈の摂津大介大尉。 戦死した最上少佐(戦死後1階級特進)の半期下で、八神大尉の1期上。 歴戦の戦術機甲指揮官。 何故か第15師団の駐屯地に顔を出していた。

「聞いてないか? 補充だよ」

「補充!?」

吃驚する八神大尉。 普通、補充とは若い連中の事を差す。 間違っても摂津大尉のようなベテランで歴戦の戦術機甲指揮官のことでは無い。
同時に、ある事に気がついた。 第15師団の各戦術機甲大隊。 その中隊長達の中での最先任者は、全員が訓練校19期B卒から20期B卒の卒業生だ。
19期A卒は今年の10月に少佐に進級している。 馴染みの顔で言えば美園少佐、仁科少佐、真咲少佐と言った面子だ。 八神大尉の上官は、その1期上の18期A卒。
戦死した最上少佐は19期B卒。 そして師団の他の戦術機甲大隊では、先任中隊長は全員が健在。 しかし第151戦術機甲大隊だけは、現在先任は21期A卒の八神大尉だった。

「最上さんの後任に指名されたよ。 まさかなぁ、中尉時代に引き続いて、またあの人の下とはなぁ・・・」

「そうか。 摂津さんて、20期のA卒・・・」

ならば、順当に行けば少佐進級は来年の10月か。 それまでの間、大隊の先任中隊長と言うことか。 理解した瞬間、内心でほっとした感情を覚えた八神大尉。
いずれその立場になると判っていても、あの大作戦の直後、大隊も大損害を受けた現在の状況で、大隊先任中隊長の立場は重いと感じていたのも事実だ。

「大隊長は本夕、フタマルマルマル(2000時、午後8時)に帰隊されます。 3中(第3中隊)の遠野は、居ます」

「遠野大尉か・・・22期Aだっけ? 俺は面識無かったな」

「中隊事務室に居るはずです、将集(将校集会所)に呼んできますよ」

「頼むわ。 俺はひとまず、師団長に着任報告に行くから」

「了解です」







「甲21号は消滅した。 これが何を意味するか、だが・・・」

「まず我が国にとっては、中枢部へ直撃を為し得るBETAの拠点が消滅した事。 国内のBETA拠点が消滅した事。 これにより防衛戦力を半島方面・・・鉄原に向ける事が出来る」

「防衛戦力の集中化。 本土防衛戦前のラインまで、押し上げることが出来る。 同時に関西以西は、比較的安全な後背地として機能させることが出来る」

「日本海での監視は引き続き重要だし、南樺太への兵力の進駐も対ソ支援で必要だ・・・連中またぞろ、兵力を、兵力をと煩い」

「まあ、北樺太とアリューシャンをソ連に維持させるのは、我が国の北方防衛上、必要不可欠だ。 幾らか増強させても良いが・・・」

「まて、まて、その前に大規模な再編成が必要だろう。 何せ15万もの損失を出したのだ」

「うむ、第1線部隊でさえ、軽くて3割、健闘して5割、最悪で全師団の8割の兵員を失った部隊もあるのだ」

軍人達が話す中、背広を着込んだいかにも高級官僚然とした男達が、横槍を入れる。

「防衛戦力の再編成も必要不可欠と認識しますがね・・・その前にインフラ整備を行わないと。 物流、生活インフラは元より、経済・工業インフラが無ければ・・・」

「無から有は産み出されませんのでね。 経済が回って、初めて税収が増えて、それから国防予算に割り振りが出来る・・・今のままだと、ジリ貧を逃れようとしてドカ貧になる」

「米国からの支援も、佐渡島が陥落した事で、来月にも見直しの準備会議が始まる。 戦略物資の備蓄もいつまでも保つという訳じゃ無い」

「稼がないといけないのですよ。 稼いで、その金で物資を購入する。 でないと、他国に居候している、他の亡命政権と変わらなくなる」

「九州に最前線が移った今こそ、国内のインフラ整備に重点を置かねばならない。 本土防衛戦以来、放ったらかしで、どうやって国内産業を立て直せと?」

主に経済・財務官僚達の話が続く中、別の高級官僚達がまた横槍を入れる。

「しかしな、台湾からの突き上げも激しくなってきた。 連中、『統一中華』の1枚看板は表向きだけだし、国内が四分五裂になりかねない状況だ」

「中共か・・・かつての圧倒的数量はどこへやら。 今では台湾軍の『傭兵』程度じゃ無いのか?」

「華僑を馬鹿にしたら、潰れるぞ? 北米にも中南米にも、そしてアフリカにも、中共の息の掛かった華僑はゴマンと居る・・・いや、共産党幹部と同郷の華僑達がな」

「連中は所詮、地縁、血縁、そして職縁だ。 現地で経済界に影響力を持つ者も少なくない。 そしてそう言う場所ほど、戦略物資の重要産出地だ」

「豪州でも、半島系の移民が問題になっている。 豪州政府からは、一刻も早い半島奪回をと、在豪大使館を経由して政府に矢の催促だ・・・早く、自国から追い出したいが為に」

「欧州連合は、生産拠点の一部日本移転を匂わせてきている。 対米牽制と、北アフリカでの情勢故だ。 政治不安な地域が過半だからな」

「ああ、それは日経連経由でも陳状は来ている。 アフリカの市場に食い込める、とね・・・アメリカとのバランスをどうするかと、欧州の3枚舌、4枚舌をどう封じるかだが」

「他にもガルーダスが大規模な資本提携を申し出ている。 生産拠点の移転、技術援助、その他諸々・・・」

「技術はダメだ。 それはまだ早い。 ノックダウン生産だな」

外務官僚達の話が続く中、今度は内務官僚が横槍を入れる。

「防衛再編、結構。 国内インフラ再整備、大いに結構。 問題は労働力だ」

「難民キャンプでの募集は?」

「順調。 極めて順調―――現代の奴隷狩りだがね。 お陰様で警察組織が過労死しそうだ」

「右に左に、中道も・・・百花繚乱だな」

「戯言では無いよ。 城内省筋からは、またぞろ政威大将軍の『御不満』が出始めている様子だ」

「城内省は巻き込んでいるのだろう?」

「斯衛の中で声が大きい。 まあ、一部の者達だが・・・『処分』も検討中だ」

「戒厳令・・・は、流石に賛成できないよ? 『国家非常事態宣言』、この継続と拡大解釈でどうかな?」

「落としどころはその辺か・・・軍としては如何かな?」

「この上で、更に行政権と司法権まで丸投げされても、首が回らないよ・・・否やは無い」

「いずれにせよ、防衛の重点は西に。 それ以東はインフラ整備を重点とし、国内生産力の向上を更に図ること。 難民問題は国家非常事態宣言を拡大解釈して封じる・・・宜しいか?」

全員が頷いた。






「お互い、大変でしたね」

「14師団も結構叩かれたな」

「まあ、分母がでかいので、率的にはこちらほどは・・・数はどっこいどっこいですが」

帰隊した周防少佐へ、着任挨拶を済ませた摂津大尉が向き合って話している。 場所は大隊長室。 他には誰も居ない、時刻は2030時過ぎ。

「再編成に骨が折れそうですね・・・」

大隊は損害50%に達した。 流石に摂津大尉もうんざりする高率だ。 周防少佐は既に普段のポーカーフェイスに戻っている。

「このままでは中途半端な戦力しか発揮できない。 師団長や旅団長とも話したが、当面は3個大隊を留守部隊(訓練部隊)にして、残余を3個大隊に集中させる」

「戦術機甲1個連隊規模ですか・・・丙師団編制で?」

「連隊結束は置かれない。 旅団の下に3個大隊が置かれる。 佐野君や間宮、有馬には申し訳ないが・・・」

人員を取られるのは、佐野少佐、間宮少佐、有馬少佐の指揮する3個大隊。 その人員を荒蒔中佐、周防少佐、長門少佐の3個大隊に集中させる。
代わって佐野少佐達の3個大隊は留守部隊として、暫くは補充要員の錬成部隊となる。 再編制が叶ったときには再び、戦闘大隊に再編されるだろう。

「最上の後釜だ、宜しく頼む」

「少佐の部下って立ち位置は、よくよく理解しているつもりですよ」

周防少佐と摂津大尉は、過去にも中隊長と小隊長だった間柄だ。 今度は大隊長と、大隊先任中隊長だが。 気心は知れている。

「最上さんも・・・殺しても死なない人だと思っていましたよ」

「誰もがそうさ。 そう思っていて、しかし死ぬときはあっさり死んでしまう。 それが戦場だな・・・」

過去、何度もそう言う場面に遭遇したことか。 歴戦の強者、決して戦死しないと思えるほどの凄腕の衛士。 そう思っていた上官達が、同僚達が、あっさりと戦死する場面を何度も。

「1中(第1中隊)は最上の他に、三島(三島晶子中尉・第3小隊長、23期B)が死んだ。 1小隊の鳴瀬(1小隊2番機・鳴瀬健司中尉、25期B)を3小隊長に入れるか?」

「北里(北里彩弓中尉、大隊指揮小隊長、24期A)、貰えませんか?」

「・・・良いだろう。 あいつもそろそろ、中隊長の補佐で、中隊指揮の勉強をさせないとな。 その代わり、鳴瀬を貰うぞ」

「了解です」

その後も暫く、補充要員の配置についての打ち合わせが続いた。 おおむね周防少佐と摂津大尉の意見が合致したことに、両者が安堵のため息を付いた時だ。

「失礼します。 大隊長、152の長門少佐より、『師団作戦室まで足労頂きたし』とのご連絡が・・・」

大隊副官の来生しのぶ大尉が、遠慮がちに報告してきた。 わざわざ作戦室に? 電話で済ませれば良いのでは? しかも・・・

「摂津大尉も、同行願いたし、とのことです」

「俺も!?」

摂津大尉が素っ頓狂な声を上げる。 てっきり、大隊長クラスの打ち合わせか何かかと思っていたのだろう。 周防少佐の顔を見る―――少佐が頷いた―――大尉は観念した。

師団作戦室には既に先客が居た。 第153戦術機甲大隊長の荒蒔芳次中佐、153先任中隊長の蔵野善司大尉。 第152の長門圭介少佐に、先任中隊長の古郷誠次大尉。
そして第151の周防直衛少佐と、新先任中隊長の摂津大介大尉。 第15師団戦術機甲部隊の、その戦闘部隊の幹部連だった。

「まずは、甲21号作戦、ご苦労だった・・・良く生き延びた」

荒蒔中佐が最先任指揮官として発言する。 ここに居る者は全員、甲21号作戦の参加者だ―――そして撤退戦の殿を勤めた部隊の指揮官達だった。

「しかしながら、諸君も承知の通り、師団は甚大な損害を受けた」

機甲部隊で30%、機械化歩兵装甲で35%、自走砲や自走高射砲部隊でさえ、15%から20%の損害を受けた。 戦術機甲部隊に至っては50%―――師団は『全滅』判定を受けた。

「だが、しかし・・・しかしだ。 我が師団が即応部隊である事に変わりは無い。 軍上層部はその変更をしていない」

「・・・戦力半減の部隊で、即応部隊か。 末期的です、それは」

長門少佐の皮肉に、荒蒔中佐も同感だとばかりに頷く。 周防少佐は僚友の悪い癖に、少しばかり眉を顰めた。

「そうだな。 そこで今回、まだ内々にだが、部隊再編成の命が降りた。 合衆国で研究中の『モジュラー・フォース化師団』、これに再編される」

モジュラー・フォース化師団は、現在合衆国でも運用研究中の運用方法だ。 

これにより師団は、機械化歩兵装甲旅団戦闘団、機甲打撃旅団戦闘団、戦術機甲旅団戦闘団の3種類の旅団戦闘団を組み合わせた編制に改められる。
従来の旅団は師団内旅団であり、諸兵科連合作戦を遂行する能力はなく、また各種の後方支援部隊などをほとんど持たなかった。
この為に旅団単独で即応地帯に派遣されることはなく、部隊を動かす際には戦力を逐次抽出して戦闘団を編成するか、あるいは師団全体を動かすしかなかった。

これに対し旅団戦闘団(BCT)には、諸兵科連合能力と最低限の後方支援能力が与えられることによって、最低限の追加部隊の配属のみで即応地帯へ派遣しうるようになる。
これらのBCTは小規模の師団として、親部隊から独立しての活動が可能となり、現在の戦力激減状態で師団を動かすよりは、余程状況にあった運用が可能になる。

「戦術機甲旅団戦闘団長・・・旅団長は藤田准将が指揮を執られる。 まあ今までと変わらん。 変わることは、軽装甲歩兵部隊と軽機甲部隊、自走砲部隊などが付く。 そして・・・」

3個戦術機甲大隊を主力とし、他にも補給部隊や衛生部隊、旅団通信部隊など、独立作戦遂行に必須の支援部隊が『最初から』旅団編制内に組み込まれることになる。

「我々の旅団戦闘団は、今のところ西の第10師団内の旅団戦闘団と共に、最も機動力と即応展開力を有する部隊になる」

「要は、様々な火消し現場に投入され続ける、と・・・」

「不満か? 周防少佐?」

「いいえ・・・そう変わりませんな、今までと」

昔、大陸派遣軍時代に所属した経験のある独混(独立混成旅団)も、同じコンセプトだった。 あちらは上位に師団が存在しなかったが。

「明日より編成を開始し、即応訓練を始める。 急な話だが、ご時世だ。 『軍服に身体を合わせろ』・・・君らは得意だろう?」

酷い、何という時代錯誤、帝国陸軍の伝統通り、エトセトラ、エトセトラ・・・主に大尉達、蔵野大尉、古郷大尉、摂津大尉が苦笑いしながら文句を垂れる。
だが大隊長を補佐して、下の不満を抑えるのは彼らの役目だ。 骨が折れそうだが、これも誰もが通る道だ―――部隊長になるまでに。

「旅団は、旅団の命運は、我々に掛かっている。 各大隊長と、各先任中隊長。 肝に銘じてくれたまえ」






「とうとう、結婚するんですね、木伏さん、美鳳も・・・」

夜、自宅を訪問してきた昔馴染みの相手に、ほっとした表情で微笑む、周防少佐夫人の綾森少佐。 目の前に居る一組の男女のカップル、どちらも昔馴染みだった。

「ま~、木伏さんが、『あの』木伏さんがやっと身を固める覚悟をしたんだし、目出度い事よねぇ・・・」

「おい、伊達・・・『あの』って、なんじゃい?」

「お互い、見知ったもの同士だし、気心も知れているから言うけれど・・・美鳳、お願いね。 美弥さん(故水島美弥中佐、京都防衛線で戦死・戦死後1階級特進)の分も・・・」

「判っているわ、愛姫・・・美弥とは、京都の防衛戦で一緒に戦ったわ。 彼女の分も、私は生きる・・・彼と一緒に」

「ありがと・・・そう言うわけですよ、木伏さん」

「ちっ・・・これだからのぅ、全く・・・」

照れ隠しで顔を背ける木伏少佐の横顔を、優しく見つめる趙美鳳少佐。 そんな2人を見守るように見る綾森少佐と、長門少佐夫人の伊達少佐。
数少なくなった昔馴染み。 その生き残り同士が結婚する。 本当に嬉しい。 今の時代に、次の世代へバトンを託す、その第一歩として・・・

「で? 木伏さん、退役って、本当に?」

「ん・・・おお、ホンマや。 年度内でな。 来春からは、石河嶋でテストパイロットの職にありつけたわ」

「けど美鳳、台湾が・・・中共が良く許可したわね?」

「祥子、連中が許可などするものですか・・・正式な処分は年明けになると思うけれど、軍籍剥奪、そして国籍剥奪処分は免れないわね。 これで私も、年明けには晴れて難民ね・・・」

そうなれば、現在所属(出向)している国連軍にも、居ることは出来ないだろう。

「馬鹿なの・・・? 美鳳ほどの腕前の、歴戦の戦術機甲指揮官を・・・?」

「日本軍の外国籍軍人の志願は? しなかったの?」

日本軍も、兵力不足を補うための方針として、難民で他国出身者の軍への志願を受け入れている。 一定期間、軍務を勤め上げれば、日本国籍を与える制度だ。

「まあ、その手もなぁ・・・国家憲兵隊がウロウロしよってな。 美鳳にもやけれど、俺にも憲兵隊が貼り付いとる」

「益々、馬鹿・・・? ねえ祥子さん、直衛の伯父さんって・・・」

「ええ・・・右近允閣下(国家憲兵隊司令官・右近允陸軍大将)だけれど・・・」

流石に、いちいち、細かい現場のオペレーションまで把握していないし、介入すべきでも無いのだろう。 しかし・・・

「うん・・・ダメ元で、お話はしてみるわ。 余り期待されても、だけれど・・・」

「ありがとさん。 それだけでも十分や」

「有り難う、祥子・・・気持ちだけでも嬉しいわ」

それからは、和やかな雰囲気で話が盛り上がった。 古い昔の思い出話。 妻が知らない、夫達の欧州時代の話―――木伏少佐は内心で、周防少佐と長門少佐に謝っている。
途中で目が覚めた子供達が、見知っている小父さん、小母さん(1歳半の幼児達からすれば、そんな認識だ)を見つけて遊んでと、じゃれつく。

やがて子供達が、電池が切れたように眠りこけた頃を見計らって、木伏少佐と趙少佐も、辞することになった。

「年度内は俺も14師団やし、美鳳も年内は横須賀や・・・年明けからは一緒に住みけどな」

「早く、子供の顔を見せてよ、美鳳」

「そうね、赤ちゃん、早くね」

何気にプレッシャーを掛ける子持ちの母2人。 趙少佐もこれには苦笑せざるを得なかった。






「・・・子供というのは、良いものだなぁ・・・」

生まれたばかりの我が子をあやす、宇賀神中佐。 まだ生後間もない女の子の赤ん坊だ。 はたして父母のどちらに似ているのか、父である宇賀神中佐には判別できない。

「どうしたのです、あなた? 急に・・・」

まだ産後の体調が完全に回復していない宇賀神中佐夫人・・・宇賀神緋色少佐(旧姓・神楽)が、夫と生まれたばかりの愛娘を見つめながら微笑む。
自分にもこの様な穏やかな時間が訪れるとは、思ってもみなかった。 10代の後半から、ひたすら戦場で戦い続けた。 多くの死を見てきた。

それだけに、一層、この情景が愛おしい。

「いやなに・・・あの周防と言い、長門と言い、あのヤンチャだった連中が、子供が産まれてから見違えるほどだ。 しかし・・・うん、判るな」

「祥子さんと、愛姫が言っていました。 『子供が産まれた途端、もう1人子供が増えた』と・・・ふふ、本当ですね」

「おいおい、緋色・・・この年になって、それは無かろう?」

「さあ? どうでしょう?」

今夜のおかずは、肉じゃがですよ―――そう言って台所へ姿を消した愛妻を、愛娘と同様に愛しげに見送る宇賀神中佐。 戦場での勇猛果敢振りとは、全く見違える。

「はは・・・そうだな。 周防や長門のことは、俺も言えんか・・・」

今日、木伏少佐から相談を受けた。 やはり退役の決心は固そうだ。 しかし、佐渡島もBETAから取り戻した(正確には消滅だが)

すこしばかりは、そう、すこしばかりは、未来を視ても良いだろう・・・そう思った。 愛娘が笑いかけてくる。 思った。 この娘の未来は、どの様な未来なのだろうかと。






2001年12月29日 0350 日本帝国 群馬県赤城山 日本帝国陸軍地中震動観測所


「ん・・・?」

観測員の1人が、不意に呟いた。 それを横で別のみにターを監視していた同僚が聞き留めた。

「どうした?」

「いや・・・さっき一瞬、変な波が・・・ああ、消えた・・・?」

「変な波? 地中振動波か?」

「ああ、北から・・・気のせいか?」

「北? って言えば、佐渡島しか無いじゃ無いか・・・あそこは4日前に消滅したぞ?」

「そうだよな・・・? 変だな? 確かに一瞬、連中の地中侵攻時の波形にそっくりな波が・・・あれ?」





[20952] 幕間2~彼は誰時~
Name: samurai◆b1983cf3 ID:ad831188
Date: 2019/01/06 21:49
2001年12月29日 0930 日本帝国 千葉県 陸軍松戸基地 第15師団


昨日未明、最後の戦術機甲部隊が基地に帰還した。 師団での被害総数は、TSF全定数240機に対し、被撃破89機、大破・中破36機。 戦死84名、戦傷31名。
残余は115機、衛士125名。 機体損害率52.08%、衛士損失47.92%に達し、師団TSFは半壊、実質的に戦闘力を失っている。

「151、152、153に、それぞれ36名で108名。 残りは他師団からの転属者で埋めるか・・・」

「機体の転換訓練も早急にしなければ、ですね・・・取りあえず、大隊長には第3中隊をお願いします」

「久しぶりだな・・・中隊指揮も」

人員の問題で大隊指揮小隊が編制できず、大隊長が1個中隊を直率する形になった。 その為、第1中隊を摂津大尉が、第2中隊を八神大尉が指揮をし、第3中隊を周防少佐が直率する。
本来の第3中隊長である遠野大尉は、臨時で周防少佐指揮の第3中隊で第2小隊長を努めることになっている。 5年以上昔の編制に逆戻りだった。

周防少佐と摂津大尉が、大隊の戦術機ハンガーのキャットウォークから見下ろしているのは、急遽再編された大隊の戦術機群。 激戦の跡も生々しい機体もある。

「佐野君達の部隊も、新米達の受け入れに、てんやわやだった」

「基幹要員は残りましたが、ほぼ新米達の錬成部隊になりますから・・・」

佐野少佐の154大隊、間宮少佐の155大隊、有馬少佐の156大隊は、戦闘部隊の任を一時的に解かれて、新米達の錬成部隊に再編されている。
それぞれ、大隊長や中隊長を含めて5~6名は、幹部基幹要員として残っているが、他はほぼ、新米達という有様だ。 小隊長要員ですら、他部隊から引っ張ってくる予定だった。

周防少佐の大隊にしても、大隊指揮小隊の人員の手配が終わるのは、年明けの予定だ。 恐らく明年1月中旬頃か。

「摂津、データの摺り合せは午前中に終わらせろ。 午後から中隊単位で、シミュレーター訓練。 機材は抑えてある」

機体を見ながら、本日の予定を伝える周防少佐。 伝えられた摂津大尉も、やはり機体を見ながら簡潔に応えた。

「了」







2001年12月29日 1000 日本帝国・帝都 統帥幕僚本部


統帥幕僚本部、第1局第2部(国防計画部)の第3課(国防計画課)課長と言えば、日本の対BETA戦争の全貌を取り仕切る総元締めとして、幕僚本部内外の発言力は絶大だ。
藤田直美陸軍大佐は、日本帝国の健軍以来、初の女性第3課長に任じられた『女傑』と言える。 そんな彼女にとって、『同業他社』として気の抜けない相手は何人か居る。

まず、国防省軍務局第1部第2課、国防政策・軍備・編制を担当する。 同じく兵備局第2部第3課、出師準備・動員等を担当する。 
そして陸軍参謀本部第1部作戦課と、海軍軍令部1部1課、航宙軍作戦本部1部2課。 いずれも作戦担当課である。
更には同じ統帥幕僚本部でも、同じ第1局第2部の戦争指導課、兵站課。 第1局第1部の各作戦課(第1~第3課) 第3部(編制動員部)も気が抜けない相手だ。

今日、この場に非公式、且つ極秘に集まったのは、国防省軍務局第1部第2課長(国防政策・軍備・編制)、同兵備局第2部第3課長(出師準備・動員)
そして統帥幕僚本部第1局第2部第2課長(戦争指導課長)と第1課長(兵站課長) 召集したのは統帥幕僚本部第1局第2部第3課長(国防計画課長)・・・藤田大佐だった。

「財布が底をついた」

兵站課長の第一声は、それだった。 ちらりと国防計画課長・・・藤田大佐を見る。 が、当の彼女は戦艦のアーマー並の面の厚さで、ポーカーフェイスを守っている。

「少なくとも、大規模作戦はあと半年以上先でないと、戦略物資の備蓄がままならん」

「動員後の教育も、急ピッチで進めているが・・・促成栽培も極まれり、だ。 それでも時間が足りない、あと最低でも4ヶ月、出来れば6ヶ月」

と、兵備局第2部第3課長が言えば。

「機械というモノは、使えば疲労するし、壊れもする。 艦艇の修理にはあと4ヶ月、補充を含めて慣熟訓練に3ヶ月。 7ヶ月は掛かる」

国防省軍務局第1部第2課長も渋い顔だ。

皆が統帥本部第2部3課長・・・藤田大佐を見た。 彼女は部内外での評判通りの切れ者だが、時に鋭い舌鋒で相手を切り裂く。

「戦略物資の備蓄、重要よ。 動員訓練、大いに大切ね。 機材や艦艇の修理、必要不可欠―――答えは兵站課長の言葉の通り。 財布は底をついたわ、逆さに振っても何も出ない」

臨時予算に次ぐ臨時予算、明年の税収を見込んだ上での前借り、国債の大量発行・・・正直、この時期の日本は財政破綻一歩手前まで追い込まれている。

「とは言え、中途半端な充足率の部隊を多数抱えていても、仕方の無い話しよ」

「重点は西日本に、は、変更無し?」

「その為の、佐渡島だったのよ?」

「了解した。 北海道や日本海岸には、一部の部隊は変わらず常駐させねばならんが・・・関東や東北南部、東海地方の部隊を解隊し、西日本に再編可能だ」

「関西地方を後方拠点に、九州と中国・山陰地方に縦深陣地を敷くように部隊配置を?」

「関東は2個師団だけ残す。 ああ、斯衛もな。 東海は兵站拠点に」

参加者の発言を受け、藤田大佐が他の問題を提起する。

「国防省人事局1部1課に話を通さないと。 何人か、将官や佐官を予備役編入・即時召集する事になるわ」

将官や佐官の人事権は、国防省人事局第1部が握っている。 特にその1課は将官人事を決定する部署だ。 今回、何人かの将官の『リストラ』を行おうとするのだから。

非公式の、しかし日本の国防政策の実務を取り仕切る各部署責任者達の了解がなった後で、それまで口数が少なかった兵站課長が口を開いた。

「鉄原は早くとも明年夏以降と考えて欲しい。 それまでに兵站を確立する必要がある・・・と言うより、それ以前の兵站確立は不可能だ。 宜しいか?」

全員が頷いた。

しかしこの予測は、大きく遅延することになる。






2001年12月29日 1500 日本帝国 千葉県 陸軍松戸基地 第15師団


シミュレーター訓練の結果は、周防少佐に渋面をさせる結果となった。 寄せ集めの臨時部隊を率いる難しさは、これまでも散々経験している。 判っていたことだ。
個々の技倆はさして差は無い。 元々、同じ師団で戦ってきた衛士同士なのだ。 しかし、大隊が違えば、それまでの微妙な連携などで違いが生じる。
それは生死の境の局面などで、顕著に表れる・・・つまり、元から151大隊に属していた衛士と、154,155,156大隊から移動してきた衛士とで、その微妙な差が出ているのだ。

「俺もヤキが回ったか・・・こんな初歩的な間違いを犯すとか・・・全く」

情けない―――思わず口にした言葉に、大隊副官の来生大尉が困惑した表情で問う。

「しかし、大隊長・・・練度でも左程変わりません。 元は154から156大隊だった者達です。 これほどチグハグになるとは・・・」

「・・・来生、貴様も衛士上がりだから判るだろうが・・・戦術機乗りは中隊で1つの結束をしている。 生死を共にする、な・・・」

厳しい訓練を共にし、結束を固め、生死の戦場を共にする。 そして更に結束を深め、連携を密にさせ・・・その基本にして絶対の単位が、中隊なのだ。

「そして大隊は、中隊と中隊の結束を、だ・・・俺には俺のやり方で。 佐野君や間宮や有馬には、彼らなりのやり方でな。 どれが正解という訳じゃ無い」

その大隊のやり方で結果的に生き残ったならば、そのやり方がその大隊にとっての正解だったのだ。 そして、それはそれぞれ違うのだ。

「いきなり、俺のやり方に合せるようにしても、連中は戸惑う」

周防少佐の渋面は、そんな初歩的な事を考慮できずに、部下に余計な混乱を起こさせた己の不手際に対してだ。 昨日、今日に大隊指揮を始めたわけで無いのに。

「来生、摂津と八神に伝達。 まずは中隊での編隊行動に注力。 ああ、遠野にも伝えておいてくれ」

「遠野には、大隊長からお願いしますわ。 彼女、先ほどの中隊シミュレーション訓練で、まともにサポート出来なかったと言って、ちょっと落ち込んでいますから」

「・・・君は、同期だろう?」

「同期だからこそ、ですわ。 では、摂津大尉と八神大尉へは、早速伝えておきますので」

来生大尉は思った。 私の上官は、大抵で理解のある、信頼できる上官なのに。 どうしてこう・・・そう、女性心理となると鈍くなるのか。
これでよくもまあ、あんなに出来た奥様を射止められたモノだ・・・師団の女性士官達の間での『七不思議』と言われる所以だ。 ほかの六つは何か知らないけれど。

それと、同期生に対しても、いつまでも未練タラタラしているんじゃ無い。 どこかで良い男を捕まえろと言いたい。 素材は上々なのだから・・・

(ま、それが出来る性格じゃ無いのよね、彼女の場合・・・)

そして、それに気づいてくれて、それとなく断念するよう仕向けてくれるほど、敏感な上官でも無し。 戦場では戦場の、後方では後方の、副官ならではの心労は尽きない・・・

最近の来生大尉は『大隊のおっ母さん』化してきたと、八神大尉などが影で話している。 もっとも彼女に聞こえないように。








2001年12月29日 1700 日本帝国 高崎 日本帝国陸軍地中震動観測所


「おい・・・! これ、この波形・・・!」

「どうして判らなかった!?」

「周辺で火山性の微振動が継続している! それがシャドーゾーンの役目をしていた・・・!」





2001年12月29日 1725 日本帝国 帝都 中央管制気象・測候司令部


「高崎からのデータは!?」

「出ました!」

「長野、前橋、熊谷、甲府、それに秩父! 各地中震動観測所からのデータ、転送完了!」

「照合しろ! 大至急だ!」





2001年12月29日 1835 日本帝国 帝都 本土防衛軍司令部


「詰まるところ、佐渡島の残余BETA群、推定でおよそ3万以上が・・・大深度地中侵攻を仕掛けてくる、ほぼ100%確実に、と言う訳か?」

「はっ! 閣下!」

本土防衛軍総司令官代理(総司令官・野々村尚邦海軍大将は12.5事件で負傷・加療中)、岡村直次郎陸軍大将の無表情の威圧に、報告した参謀が思わず背筋に冷たい感触を覚える。
参謀長の国武三雄陸軍中将、高級参謀の丹生栄治海軍少将も厳しい表情だ。 同席している第18軍団長の福田定市陸軍中将も、渋面を作っている。

元々、甲21号作戦の後に『依願退役』を申し出た嶋田豊作陸軍大将への引止め工作をどうするか、が、今日の会合の主題だった。
多大な損害を出したとは言え、兎に角、甲21号目標は消滅した。 帝国は直面の危機からは、ひとまず逃れることが出来た。
その作戦を総指揮した嶋田大将を、このまま依願退役・・・予備役に編入することは、あり得ない。 そして日本帝国軍は階級として、元帥の階級を有していない。
ならば年明けにでも、嶋田大将を『元帥陸軍大将』として、皇主陛下の最高軍事顧問として元帥府に列する。 但し、現役の役職は全て退いて頂き・・・様は終身名誉職だ。

そこへ、この凶報だ。

「情報参謀・・・聞くがな、連中の地表到達予測地点、判るか? それと、その予測時刻もや」

いち早く、現実の問題、それも最も切実な情報を欲したのは、福田中将だった。

「はっ! それにつきましては、中央管制気象・測候司令部での算出結果が出ました。 確度は98%以上とのことです。 
まず、地表出現予測地点は・・・旧町田市、沢谷戸公園・・・鶴見川付近の半径1km圏内。 推定出現時刻は2200時プラスマイナス30分です」

「と言う事はや・・・早くてあと4時間、遅くてもあと5時間で・・・関東のど真ん中、帝都のすぐ側に、3万以上のBETA群がお出まし、と言う訳やな?」

「はっ・・・はっ!」

穏やかな口ぶりとは裏腹に、福田中将から漏れる殺気に、情報参謀が思わず身を縮める。 そんな情報参謀の姿を尻目に、福田中将は岡村大将に向き直り、言い放った。

「閣下、帝都の臣民を避難させる時間的余裕は、全く有りません。 更に言えば、今、この時点で避難指示を出せば、未曾有の大混乱が生じます」

すかさず、国武参謀長が異議を問いかける。

「しかし18軍団長、そのまま帝都を、臣民を、BETAの脅威に晒すのか? 皇主陛下は? 皇族の方々をどうする?」

「参謀長、儂が思うに、BETAの到達点は帝都やないと思う。 佐渡島からのコースも見てやけれどな、恐らく・・・十中の九か、それ以上で横浜や」

「横浜・・・『あれ』か!」

岡村大将、国武中将、丹生少将も、福田中将の導いた結果に同意せざるを得ない。 なぜなら、横浜には、佐渡島を失ったBETA群が絶対に必要とする『あれ』が今も存在する。

「横浜の防衛戦力は、TSFが7個大隊を基幹に、機甲連隊、戦闘ヘリ大隊数個、機械化装甲歩兵連隊1個に、機甲連隊と軽歩兵連隊各1個、他に支援部隊で1個師団ほど。
これに近隣の横須賀(国連軍横須賀基地)にも、TSFが6個大隊と、他も横浜とほぼ同等の戦力が駐留しとる・・・2時間あれば、横浜前面に2個師団の戦力展開が可能」

福田中将は続ける。 横浜自体の防衛は、国連軍に丸投げする。 どうせ連中、我が軍の基地内への介入は絶対に断るだろう。 誰よりもあの『魔女』が。
とは言え、横浜の陥落は再び『甲22号目標』の復活であり、今の日本には、再びその攻略の余力は無い・・・少なくとも現時点では。 全く、極めつけの悪夢だ。

「よって、我が軍としては、横須賀沖、及び川崎沖に艦隊を展開。 水上打撃部隊による艦砲射撃支援と、母艦戦術機部隊による大型誘導弾支援攻撃。
そして陸上では・・・多摩川の東岸に砲兵部隊を並べて砲撃支援。 機甲部隊とTSFは・・・そうですな、鶴見川辺りを攻撃限界として、側面から削るだけ削る」

「洋上支援と、側面支援は行えるだけ行うが、積極的な正面防御は一切しない、と・・・?」

「そんな余力、残念ながら、有りませんからなぁ。 予測からの防衛プランは・・・火力制圧エリアの開始線を旧東急沿線・・・あざみ野から南町田、長くて中央林間までの線で。
南端は鴨居から、いずみ野のライン。 そこから横浜新道跡までのエリアが『ダンスホール』でしょうな。 それ以降は旧横浜駅周辺から保土ケ谷、上大岡に至るライン・・・」

その先が、つまり横浜基地ですな。 我々はその側面を削れるだけ削る―――福田中将が即案で出した防衛案は、以上の通りだった。

「・・・参謀長、どれだけ出せるか?」

福田中将の案に、岡村大将が出しうる戦力がどれだけあるか、聞いてくる。 参謀長・国武陸軍中将は、高級参謀の丹生海軍少将に目配りした後、答えた。

「東部管区で、佐渡島に参加していない師団は6個師団。 そのうち3時間以内に多摩川対岸に展開可能なのは、第1師団、禁衛師団の2個師団です。 第3師団は再編成中です。
第44師団、第46師団は、西関東防衛部隊として帝都の防衛に・・・主力の第13師団は佐渡島から戻ったばかりです、十分な戦力発揮は難しい。
北関東の第40師団と第56師団は、少なくとも6時間は必要となります。 こちらも主力の第12と第14師団が佐渡島から戻ったばかりで、即時移動は困難です。
他に独混(独立混成旅団)8個のうち、4個が即応可能ですが・・・TSFは各々、1個大隊のみです。 残りはやはり5~6時間必要です」

「海軍は第1、第2、第3艦隊共に、太平洋側に。 しかし即時出撃可能な艦となると・・・1戦隊(紀伊、尾張)、3戦隊(駿河・遠江)、5戦隊(出雲・加賀)、戦艦は6隻。
他には2航戦(飛龍・蒼龍)と5航戦(飛鷹・準鷹)、7戦隊2小隊(鳥海・摩耶)と12戦隊(大淀・仁淀)、13戦隊(矢矧・酒匂)・・・後は2駆と3駆のイージスです。
19戦隊(伊吹・鞍馬、艦載電磁投射砲搭載艦)も、4時間後ならばギリギリ・・・現在は相模湾です。 急行させます」

「陸は2個師団に、独混4個か・・・海軍は、それ以上は無理かね。 戦艦は半数か・・・」

「2戦隊(信濃・美濃)、4戦隊(大和・武蔵)共に、損傷しております。 特に『信濃』と『美濃』が・・・復旧には半年かかります。 6戦隊(三河・伊豆)は呉に回航しました。
他の航空戦隊も、艦載戦術機を地上基地へ下ろしており、再編作業に入っております。 即応可能は2個航空戦隊のみです」

暫く腕を組み、考え込む岡村大将。 その横顔を見ながら、福田中将が国武中将に問う。

「総予備はどうだ? 16軍団の3個師団は? 45(第45師団)と57(第57師団)は佐渡島に出してへんやろ? 39(第39師団)も損害軽微な筈や、あそこは府中やろ?」

「45師団と57師団は、臨時で北関東に回している。 佐渡島に12師団と14師団を引抜いたからな。 まだ戻っておらん、移動には半日以上掛かる。 
39師団は・・・うむ、3時間は無理でも、ギリギリ4時間なら布陣できるか・・・後は・・・酷な話だが、第15師団も出すしか無いか」

「15師団? それは・・・流石に殺生な話や無いか? 15は・・・あそこは佐渡島で殿軍を張った部隊やぞ? TSFなんぞ、あの歴戦部隊にして、半数喪失や」

「甲22号が再出現するか、しないかの瀬戸際だ。 軍人なら、無理と無茶と無謀は専売特許だ」

「あとで15師団には、大いに恨まれてくれ」

「参謀長のお役目だな・・・閣下、陸上展開戦力は3個師団に4個独立混成旅団、それに予備として半個師団(15師団) 砲兵は東部管区から根こそぎ、6個砲兵旅団。
それと、佐渡島で使った試験部隊、ほら、あれだ。 ライトガスガンの運用試験部隊があっただろう? アレも回そう。 今は確か富士だ、急げば間に合う」

「あれか・・・確かに、使えるか」

105mmライトガスガンを搭載した『試作01式駆逐戦車』配備の、第1001教導駆逐戦車大隊(38輌)
155mmライトガスガンを搭載した『試作01式火力戦闘車』配備の、第2001教導機甲中隊(12輌)
57mmライトガスガンを搭載した『試作01式野戦自走高射砲』配備の、第3001教導高射大隊(57輌)

駆逐戦車と火力戦闘車は、佐渡島で、射距離5000で、突撃級の正面装甲殻を見事に貫通して撃破してのけた。 自走高射砲も射距離3500で、突撃級の正面装甲殻を貫通した。
突撃級・要撃級ならば、射距離5000から撃破可能。 3500以内であれば、高射砲型でも撃破可能だった。 現在は試験部隊しか無いが、年明けから逐次、既存部隊に配備される。

「富士からやったら、補給部隊も随伴できる。 佐渡島では弾切れを起こさせてもうたからなぁ・・・悪いことをした」

「海軍の母艦艦載戦術機は、4個大隊定数装備です。 戦域制圧任務型ですが、1機当り36発の瞬間制圧力を有します。 反復出撃も可能です」

4個大隊160機で、1機当り36発。 4個大隊全力で1度に実に5760発の誘導弾を一気に叩き込める。 フェニックス換算でも2560発になる。

「大型種は、海軍機、並びに戦艦群が請け負います」

「問題は、時間だな・・・散らばった中型・小型種をどれだけ早急に始末できるか。 それとやはり光線級か・・・居るだろうな?」

「居るでしょうな」

「居ると考えるべきかと」

よし―――岡村大将が小さく呟いた。 覚悟を決めた。

「参謀長、俺はこれから大至急、陛下の元へ参内する。 君は国連軍(太平洋方面第11軍)に大至急、話を付けろ。 特に横須賀の部隊の、横浜への移動についてだ。
ああ、それと福田君。 君を・・・臨時の第1軍司令官代理に任じる。 安達君(第2軍団長・安達二十蔵陸軍中将)、久世君(第7軍参謀長・久世四朗中将)とで指揮しろ」

「閣下・・・また、無茶振りですな・・・」

「仕方有るまい。 第1軍司令部は、例のクーデター騒ぎの容疑で、雁首揃えて査問委員会に召喚中だ。 寺島(第1軍司令官・寺島陸軍大将)は、ほぼ有罪確定だぞ?」

おまけに第1軍司令官と同格だった嶋田大将が、辞める、辞めないで、引止め工作中ときた。

「この騒ぎが収まれば、君も来春には、大将進級確定だ。 俸給が上がるぞ」

「俸給が上がるのは、素直に嬉しいですけどなぁ・・・はぁ、しょうがない。 拝命しました」

大物達の会話が終わるのを待って、情報参謀が最後の推測情報を報告した。

「・・・なお、現在も観測、演算中ですが・・・BETA群の地表到達後、横浜までは最短で20分、最長でも30分で到達となります」

岡村大将、福田中将、国武中将達が一瞬目を剥いた。 20分から30分! 最早、戦術をどうこう、ひねり回す時間はなさそうだったからだ。







2001年12月29日 1930 帝都 国家憲兵隊本部


「では長官、陛下を始め、皇族方のご避難は・・・」

「横浜の陥落が確定次第、早急に行う。 ルートは確立しておるな?」

「はい。 以前のルートを見直しました。 大手前から乗り入れ、埼玉の久喜まで直通の特急列車です。 そこから東北新線で仙台までのルートは確立しました」

「時間的猶予は?」

「横浜が陥落し、BETAが『満腹』したあと、飽和するまでに、最低でも数週間です。 今回のルートでは、脱出開始からご乗車まで15分。 久喜までおよそ1時間あれば」

帝都の臣民の脱出はそれからだ。

「・・・城代省への連絡は、如何しましょう?」

「君、向こうも俸給を喰む身だよ。 己の主人の身の安全確保は、彼らに任そうじゃ無いか」

とは言え、城代省官房長官とは、既に裏で話は付けてある。 後は向こうに任せよう。 帝都に残るも良し、脱出するも良し。 但し、陛下の後でだ。

それと、この機会にネズミの始末も行わねば。 ダブル、トリプルは当たり前の世界だが、それでも『使用済み廃棄予定』のネズミはいつまでも飼っておけない。
城代省、五摂家、斯衛。 反政府勢力。 アメリカ、欧州諸国、ソ連に台湾の藤一中華戦線、ガルーダス・・・様々な勢力との間で用いたダブル、トリプルスパイ。

ああ、横浜にもこれを機会に、『新しい血』を入れる必要が有るな。

「推定されるBETA群は約3万以上か。 投入戦力は国連軍を併せれば5個から6個師団。 6時間以内に更に3個から4個師団の投入が可能だ。 殲滅は可能だ」

もっとも、帝国軍が『エサ』にする予定の横浜基地は、甚大な被害を被るだろう。 しかし甘受願いたい。 『大家』を守るためにも。

日本帝国国家憲兵隊長官、右近允陸軍大将は冷めた目で窓の外・・・横浜の方角を見ながら、心からそう思った。








2001年12月29日 2000 日本帝国 千葉県 陸軍松戸基地


「TSFと機械化装甲歩兵が先に布陣する。 攻撃発起地点は六郷土手と鶴見川の間。 攻撃終末点は保土ケ谷の手前までだ」

旅団戦闘団長を努める藤田准将が、各級指揮官を前に伝達する。 既に機甲部隊(第152機甲大隊・篠原恭輔少佐)と自走砲部隊(第151自走砲大隊・大野大輔中佐)は先発した。
自走高射部隊(第153自走高射大隊・井上佳寿子少佐)、通信部隊(第15通信大隊・加藤幸彦少佐)も、先ほど慌ただしく出撃していった。

そして戦術機甲3個大隊と、機械化装甲歩兵1個大隊。 これが現在、第15師団が出せる最大戦力だ。 本来の4割に達しない。

「良いか? 絶対に正面に立つな。 我々の任務は『側面援護』だ。 BETA群の横腹を、徹底的に削る。 防御正面は国連軍が担当する・・・いいなっ!?」

悲痛な面持ちの藤田准将の命令に、各部隊長が無言で頷く。 確たる情報は与えられていない。 しかしおおよその事情は汲み取れる。 その程度の情報アクセス権は持っている。

荒蒔中佐(153TSF)、周防少佐(151TSF)、長門少佐(152TSF)の各戦術機甲大隊長達、そして志摩少佐(152機装歩兵)の4人の大隊長が、旅団長に敬礼する―――別れ。

「大隊、進発用意!」

「兵装は制圧兵装!」

「10分後に全機出撃開始する!」

「TSF出撃前に、出撃開始する! 足は無いぞ、予備のタンクを担いでいけ!」

慌ただしい出撃模様。 それを見守る藤田准将の、苦渋に満ちた表情。 何しろ目前の部下達は4日前、地獄の佐渡島で激戦を戦い、殿軍を成し遂げて生還したばかりなのだ。
しかし3人の大隊長達は、一言も文句を言わなかった。 そう、かつての自分もそうしたであろう態度で、そう行ったであろう行動を、自分に目の前に見せている。

(・・・俺もなまったか。 違うか。 これもまた、違う困難か)

階級が上がれば上がるほど、『死んでこい』と言うに等しい命令を下す部下の数が多くなる。 そして自分は今や将官であり、もう直接戦闘を行える立場では無い。
ここまで弱い男だったのか―――我ながら情けなく、笑い出したくなる。 要はアレだ、戦場の地獄に身を置いた方が、精神的にずっとマシだ、そう感じているだけで無いか。

かつて、大陸戦線で名を馳せた歴戦の戦術機甲指揮官。 准将に進級してからも、幾度と旅団を率いて戦ってきた。 歴戦の勇将、等と言われたりもする。

(・・・嫁さんの方が、絶対に上に行くな)

藤田准将の細君は、統帥幕僚本部の藤田直美大佐。 彼女が非情というのでは無い。 実際は情の深い女性だ。 しかし、確実に自分より芯の強い人物なのは確かだろう。

(・・・取りあえず、今は振り払え。 泣き言は全てが終わってからだ)

自分がぶれては、部下が死ぬ。 そして今はその時では無い、それが許されるときでは無い。

指揮通信車輌に乗り込むために、外へ出ようとした准将は、ふと、不意に、自分が元々は軍人志望では全くなかった、と言う古い記憶を思い出し、苦笑しながら歩き出した。








2001年12月29日 2030 日本帝国 帝都


「済みません、お義母さま、子供達を暫くお願いします」

「はい、はい、判りましたよ。 心配しないで祥子さん。 直嗣ちゃんも祥愛ちゃんも、ちゃんと預かりますからね。 ほら、ママにご挨拶は?」

「ママ、ばいばい!」

「ママ、ママ!」

娘は元気に、あっさりしたものだ。 内心で思わず苦笑してしまう。 それに対して甘えたの息子は、むずがっている。 母親としては、ちょっと後ろ髪を引かれる思いだ。

「すぐに戻るからね、祥っちゃん、直ちゃん」

むずがって、遂に泣き出した息子をあやしながら、側に居た義姉に託す。 彼女の側で、既に小学生になっている甥っ子と姪っ子が、幼い従弟をあやしてくれている。

「祥子さん、大丈夫よ。 孫達は大丈夫。 あの子もね・・・安心なさい」

「・・・はい。 それじゃ、お願いします、お義母さま、お義姉さん」

何の根拠も無かろうが、女の勘というのだろうか。 義母は息子の・・・自分の夫のことも大丈夫だと。 義姉も微笑んでくれている。

「お願いします」

周防少佐夫人―――綾森祥子陸軍少佐は、緊急呼集の命を受け、これから職場・・・国防省へ急ぎ向かうことになった。
事前情報として『911事前警報』が出された事は聞いた。 恐らく夫の部隊は即応部隊として出撃だろうと言うことも。

(・・・どこから? 数は? 時間? 友軍は・・・?)

兎に角、国防省へ行かないことには。

回された車の後部座席に乗り込んだ綾森少佐は、既に母親の顔から、歴戦の佐官級の軍人の顔に変わっている。

そして今夜、多くの場所で綾森少佐と同じ様な光景が、あちこちで見られるのだった。





「大隊長、お早いお帰りで」

「子供を親に押しつけて、駐屯地にトンボ帰りよ、全く・・・直秋、大隊は?」

「いつでも。 行動開始できます」

「宜しい・・・あんた、婚約者は?」

「実家に避難させました・・・あ、俺の方の。 どうせ親爺は留守ですし」

「籍だけでも、早く入れてあげなよ」

「了」





「済まんな、非常呼集だ」

「お気を付けて、あなた」

「うん・・・ここはまず大丈夫だろうが、万が一の時は駐屯地に。 緋色、君をよく知る連中も多い。 緋音(あかね)、ママと一緒に、良い子にしていなさい」

「あ~、ぱ~!」

「ふふ・・・大丈夫よね、緋音? パパに行ってらっしゃいって、ほら・・・」





2001年12月29日 日本帝国 帝都


「ウィソ、どうしたの? 外で何かあるの?」

家の外で聞こえる音に耳を澄ませていると、中からナラン―――姉(正確には族姉だが)のナランツェツェグが出てきた。

「うん・・・ほら、ナラン姉。 聞こえるでしょ? あの音・・・」

「大勢の・・・車の音? え? 何、あれ?」

他の家(難民区にある家だ)からも、近所の人達が顔を出した。 不安そうな顔だ。 みな、昔に散々聞いた音だ。

「軍隊が移動しているな・・・それもかなり大部隊だ」

「どこだ? この辺で聞こえるなんて・・・まさか、第1師団?」

更には兄のユルールと、族兄のオユン・・・オユントゥルフールまで。

「姉さん、今夜は夜勤だから聞けないな・・・」

「夜勤じゃ無いにしても、流石に知らないと思うよ」

オユンの言葉に対して、ユルールが少し混ぜ返す。 オユンの姉、ムンフバヤルは国連難民高等弁務官局の東京弁務官事務所勤務だ。

「何だろう、ナラン姉・・・怖いよね」

「判らないわ・・・でもウィソ、ここは日本の首都だし・・・近くには、ほら」

「うん、直衛兄さんの部隊もいるし・・・」

彼らが幼い頃、祖国で死にかけていたところを助けてくれた若い日本の軍人。 逃げ延びたこの国で再会できた。 今では幼い双子の子供がいる、若い父親。

「大丈夫、大丈夫だって。 ほら、家に入れよウィソ、ナランも」

「そうそう。 ああ、今度の休み、兄さんに会いに行くか? 駐屯地は無理でも、家に行けばさ」

「祥子姉さんがいる。 祥っちゃんと直ちゃんも」

「うん。 久しぶりに会いたいね」



夜遅くの大規模な車輌音は、まだまだ延々と続いていた。






[20952] 横浜基地防衛戦 第1話
Name: samurai◆fb16190c ID:22692a51
Date: 2019/04/29 18:47
2001年12月29日 2100 日本帝国 国連軍太平洋方面第11軍 横浜基地 外周南西部


『HQより、ジューファ、ムーラン、ファラン、ホンライ、パイフー、チンロン、各隊。 我々の座席が決まった』

国連軍横須賀基地戦術機甲隊司令・周蘇紅中佐の声が通信に乗って聞こえた。 付き合いが長ければ判る、はっきり言ってご機嫌斜めだ。

「ジューファ・ワンよりHQ、中佐、どの辺りの指定席です?」

そしてこの場合、最初に話すのは、最先任大隊長で有る自分だ。 昔からとは言え、これが結構面倒臭い・・・内心でそう思いつつも、趙美鳳少佐は口調を普段と変えずに問うた。

『どの辺り? クソッたれだ、美鳳! 全くクソッたれだ! 横浜の連中、どこまで後方ボケしているんだか・・・!』

周中佐からのデータリンク、表示される防衛計画の布陣・・・皆が呆れる溜息が、微かに通信に乗って聞こえてくる。

『・・・3万以上のBETA群を正面切って、3段の防衛線ってのは、まあ及第点だが・・・』

ホンライ・ワン。 第203戦術機甲大隊長の韓炳德少佐(亡命自由韓国軍)の落胆の声。

『最も分厚い第1防衛ラインでさえ、TSFが2個大隊に、機甲2個大隊か・・・』

チンロン・ワン。 第204戦術機甲大隊長、郭鳳基少佐(台湾軍)がスクリーン上で天を仰いでいる。

『・・・第2、第3・・・最終ライン、それぞれ2個TSFに1個機甲大隊・・・?』

パイフー・ワン。 第205戦術機甲大隊長、曹徳豊少佐(台湾軍)が呆れている。

『何よ? 基地内に1個TSFを? ここまで来られたら、意味無いじゃ無い・・・』

ファラン・ワン。 第208戦術機甲大隊長、李珠蘭少佐(亡命自由韓国軍)が、珍獣を見たような表情で呟く。

『HQ、司令、こちらから配置についての打診は・・・?』

ムーラン・ワン。 第207戦術機甲大隊長、朱文怜少佐(中国軍)が、恐る恐る聞く。 付き合いが長い分、活火山の噴火予知には優れている・・・と思いたかった。

『・・・ダメだったのですね? 司令?』

ジューファ・ワン。 第206戦術機甲大隊長にして、横須賀基地の最先任戦術機甲大隊長、趙美鳳少佐が、乾いた苦笑と共に聞いた―――上官が爆発した。

『ダメだ! ダメだった! まさか連中、ここまで後方ボケしているとは思わなかった! ウチの司令官からの『提案』も、全くな!
この程度の防衛ラインで、3万以上のBETA群を殲滅できるのなら・・・我々は祖国を失っていない! 日本はここまで叩かれていない!
世界は・・・人類は、ここまで落ちぶれちゃいないんだ! それを・・・っ! あのっ・・・後方ボケのっ・・・ええいっ!』

横須賀基地からの防衛プランの提示は、徹底した火力集中。 横浜、横須賀、両防衛戦力が保有する全機甲戦力と全砲兵火力戦力を全面に張り付け、全域に面制圧を実施。
それを左右両翼から、TSFが全力機動防御での・・・攻勢防御で側面から削り続ける。 今回、日本軍からの増援が得られる手筈なのだ。 およそ3個師団強。

ならば戦線左翼・・・南西側を国連軍TSFの全力、13個大隊で叩き続け、戦線右翼を日本軍に叩いて貰う。 最悪、戦線正面にTSFを1個大隊、配してもいい。
TSFが12個大隊、つまり連隊結束で4個連隊。 昔の重戦術機甲師団(最近は流行らない編制だが)で、2個師団分の攻撃力なのだ。

『予定では、日本軍は虎の子の第1師団と、ロイヤル・ガード(禁衛師団)を出してくる! TSFを9個大隊保有する、世界最強級の重戦術機甲師団だ! 2個師団で18個大隊!
それ以外にもTSFを2個連隊(6個大隊)保有する師団が1個! それと・・・佐渡島の戦友達が3個大隊参戦する!
全部で27個大隊だ! TSFが27個大隊だぞ!? 右翼からの圧力で、かなりの数を仕留めきれる可能性が大きい! 
よしんば、日本軍に頼んで5個か6個大隊ほど、こちら側に回して貰っても良いのだ! そしてその間、少しの間、正面を保持すれば良いのだ!』

仮に日本側に頼み込み、戦術機甲6個大隊を戦線左翼に回して貰ったとして、左翼で19個大隊、右翼で21個大隊。 しかも数時間後には更に数個師団の増援も確約済み。

だが、横須賀基地所属部隊の配置は、『横浜基地南外周部からの、BETA群の侵入阻止』だ。 確かに今回、日本軍は『側面からの増援』を出してくれるが、正面防衛は拒否してきた。
佐渡島で被った多大な損害、各地に再配備すべき予備戦力、そして首都防衛にも戦力を残さねばならない。 その中で側面援護の3個師団というのが、出しうるギリギリの限界だ。

その貴重な戦力を、正面防衛線で磨り潰したくない、と言うのが本音だろう。 それはそれで良い。 日本には日本の事情がある。
であればこそ、左右両翼の戦力差を、攻撃の圧を、もっと近づけねば。 東側からの圧だけが強ければ、BETAは正面と西側に突出する。

それぞれ、戦術機甲7個大隊(正面)と6個大隊(西側)では、あまりに攻撃の圧が弱すぎる。 BETAの圧力は、ますます正面と西側に増すばかりになってしまう。

だから、横須賀は提案したのだ。 2つの基地防衛戦力の総力を合せ、機甲・砲兵・自走高射・機械化装甲歩兵・更に時間限定で攻撃ヘリまで。
兎に角、機動性は劣れども、正面に分厚い防衛線を敷く。 そして2基地の戦術機甲戦力を統合して、一翼を構成する。 

12から13個大隊、480機から520機の戦術機、これはかなりの圧力になるのだ。 

馬鹿げている。 確かに、横須賀より、横浜の司令官の方が先任だ。 この場合、決定権は横浜にある。 しかし・・・

「・・・こんなに薄い防衛線では、如何に右翼から日本軍が圧力を掛けても、殲滅させる前に抜かれてしまいますわね・・・」

『教本に載るくらい、格好の各個撃破の的だな。 趙少佐、賭けても良いです。 連中、ダブル(2重地中侵攻)で来ますぜ』

『オッズが低すぎて、賭けにならないわよ、郭少佐』

『李少佐、漢人ってのは、どんな時にも賭けは必要です』

『喧嘩売ってんの? 韓少佐?』

『おいおい、怖い次席を怒らせるなよ? まあまあ、朱少佐・・・』

どこまでも危機感を感じない、後任指揮官達にして僚友達の無駄話を通信越しに聞きながら、趙少佐は最も重要なことを確認するために、周中佐に問うた。

「司令。 もし、横浜の防衛線が全て破られ・・・基地内への侵入を許した場合について。 我々の進出限界は? その場合の『国連軍』の対応は如何でしょう?」

暫く、周中佐の無言が続く。 そして、明確な声で答えが返ってきた。

『我々の進出限界は、基地外周部まで。 内周への侵入は許されない。 そして基地内部へのBETA群の侵入を許した場合・・・『国連軍』が取る対応は2つ有る』

ひとつは、横浜基地自身が、『最深部』に位置する『あの存在』を、S-11を起爆させ、消滅させる。 BETAの目的は確実に『あの存在』だ。 佐渡島を潰され、食事が出来ないから。
ふたつめは、日本軍が『公然の秘密』である、『所持していない筈の、特殊な重力系兵器』にて、横浜基地を消滅させる―――基地要員の脱出時間は、一切考慮しない。

いずれにせよ、国連は今後、日本に対して大いに譲歩せざるを得ないだろう。

(もしかして・・・日本は、横浜基地の壊滅を期待している・・・?)

趙少佐は、まさか、と思う。 流石に自国領土内で、国連軍基地を、最終的にではあれど、故意に壊滅させようなどと・・・

(まさか・・・ね?)

疑惑だけが膨らんでいった。






2001年12月29日 2125 日本帝国 帝都・東京 某所


かつてこの国の近代化を成し遂げる原動力となった財閥が、その当主家が保有していた広大な屋敷。 現在は敷地面積が3分の1ほどに減少しているが、それでも5000坪はある。
その中の主要建物である洋館、その一室に2人の壮年から老年の男達が『密会』していた。 そう、『密会』だ。 東京の東部から横浜に掛けての騒動の最中に、だ。

「夜分、お呼びだてしまして、大変失礼を。 閣下」

「いえ、会長。 あなた方からのお話、無碍にする者は、この国にはおりますまい」

初老の(そう言っていい年だ)軍服姿の男は、左近允陸軍大将。 国家憲兵隊長官である。 もう一方の三つ揃いを着込んだ老人は、時の経団連会長、『経済界の総理大臣』だった。

暫くの間、2人の男達は他愛ない無い世間話に興じていた。 今この瞬間にも、横浜の前面では数万人の男達と女達が、BETAを相手に死闘を演じている。
しかしこの場では、そのようなことは一切語られない。 世の苦悩も困難も、全ては己が掌中である、とでも言うように。 それが彼らのスタンス。

「ところで・・・今夜は閣下に、ひとつお話を」

経団連の会長が、それこそ天気の話をするような気楽さで切り出した。 ただし、内容は気楽さからはほど遠い。

「・・・『我々』は、来年度に、新たに東京湾、伊勢湾、大阪湾の3カ所に、農業用プラント、工業用プラント、その他・・・各種合計、20基の建造を決定致しました」

瞬間、右近允大将の目の奥に、抜き身の日本刀のような輝きが宿った。 ただし、人が知覚できないほどの一瞬だったが・・・

「ゆくゆくは・・・そう、10年後には、駿河湾、三河湾、播磨灘、備後灘、安芸灘、有明海、鹿児島湾、仙台湾、陸奥湾、内浦湾・・・できれば日本海側にも」

何気無しの口調で話すその内容は、聞く耳を持つ者が聞けば、卒倒しかねない内容だった。 右近允大将は内心は計り知れないが、表面上は筋ひとつ動かさずに聞いていた。

「無論、複合メガフロートにて・・・資金は『我々』が、お出ししましょう」

それだけの投資。 果たしてどれ程の・・・天文学的数字に登るのか。 とても現在の日本帝国の国家予算では、10年掛かっても実現できないだろう。
だが『彼ら』にはその力がある。 今までためこんできた海外資産、その一部を割り振れば良いだけなのだろう。 戦費獲得に汲々としている国軍からすれば、羨望の限りだ。

経団連会長の言葉が終わると、右近允大将は静かに、語りかけるような口調で話し始めた。

「・・・基礎技術、原理、原則、その膨大な記録データ・・・どれも、いかなる時代でも、最強の盾と矛になり得る。 そう言う訳ですな?」

何気ない声で、かましてみる。 ここまで露骨な餌をぶら下げてきた試しは、ここ数年なかったことだ。 右近允大将の言葉に、経団連会長ははっきり言った。

「はい。 『我々』が欲して止まぬは、それであります」

経団連会長は、ぼそぼそとした口調で話し始めた。

結局、日本には基礎技術、その大元たる原理、原則に基づく膨大な基礎データ。 それが哀しいほど不足していると。 それを狂おしいほど欲していると。
先の大戦後、経済的に米国の傘下に組み込まれ、暫くは下請の立場を余儀なくされた。 その後の東西冷戦の特需で、1950年から72年まで、年率10%を超す経済成長を遂げた。
しかしながら、1973年の『喀什(カシュガル)』事件以降、日本は『経済発展から、科学技術立国への移行』の機会を逸した、経済界はそう見ていた。

BETAの脅威に対応するため、全ては軍需最優先となった。 そしてその分野においては、ほぼアメリカの技術・・・ブラックボックス化の多い技術を使わざるを得なかった。
日本は基礎技術を長い時間掛けてじっくり研究・熟成させ、それを民需に展開してフィードバックを得た上で改良し、その技術を軍需に転用し・・・その機会を失った。

「戦術機ひとつ取ってしても、『我々』のルーツは所詮、米国の下請です。 リバースエンジニアリングを用いて、形だけでも独自開発・生産は可能で、実際に行っておりますが・・・」

「ふむ・・・我が国の機体は、米国のそれに比べて改修頻度が高い・・・か」

「同じ原型機を使ってさえ、です。 如何に無理をしても、米国製に比べれば汎用性に劣る上に、発展余剰に乏しいのが現実です。
根っ子が無いのです、その上に大樹は育ちません。 鉢植えの盆栽と、自然の大樹を比べて・・・とは、全くもって愚かしいほどに」

「それに見合う投資であると?」

右近允大将が確認するように言うと、経団連会長は枯れた笑いを漏らしながら答えた。

「所詮、出来合いのブロック組み立てでしか有りませんからな。 原材料は札束で叩けば宜しい。 現状でも『我々』は世界各地に、それだけの根を持っておりますれば」

そうかも知れない。 彼らは謂わば『経済生命体』と言って過言では無かろう。 世界中、姿を変え、名を変え、しかし生き続ける。
成程な。 しかしながら、彼らも欠片ほどの愛国心とやらは感じていると言うことか? いやいや、そんな、あやふやで根拠の無い代物では無かろう。

(だいいち、この俺様がして、そんなモノは笑い飛ばしたくなるのだから)

己の心の奥底の、薄暗い部分を見せられる気がして右近允大将は、内心で罵倒の言葉を吐き出す―――誰に対してかは知らない。
右近允大将は愛国者である―――時と場合によっては、売国的手段さえ厭わないほどの。 そしてその言葉の空虚さを熟知している男だった。

「・・・あなた方のご要望は、良く承った。 断じて横浜は『潰す』・・・」

「回収のほど、よろしくお願いいたします」

「あそこは・・・国連軍のビッグデータ、その『花園』へのアクセスが可能。 よしんば、それを無しとしてもだ・・・」

「我が国が・・・『我々』が投資し続けた『横浜』の研究成果、そのデータは、全てにおいて活用が出来ます。 正直、軍需産業などは、『我々』にとって余技なのですから」

「でしょうな・・・あれは、あなた方の利益を生み出すための、『営業ツール』に過ぎない。 軍需とは即ち『広告』だ」

「はい。 実際の話、民需の方が数万倍、数十万倍、数百万倍、『我々』に利益をもたらします。 ゆくゆくは、フィリピン、インドネシア、ニューギニアにANZAC、ですが・・・」

確かにその通りだ。 激減したとは言え、10億人が使う民生品の方が、数万人が使う高価な兵器よりも余程、利益を生み出す。 簡単な話だ。 何しろ原価が全く違う。
それに、確かにそれらの国々に投資が進めば、国連内の日本の発言力もより高まる。 少なくとも東アジアから東南アジア方面での対BETA大戦略は、日本が絵図を描ける・・・

「そう。 ですが、『遊び場』が無くなれば・・・我々も、あなた方も、随分と心胆寒からぬ心地になろう」

「では、よしなに・・・」

「承った」





初老の軍人が帰った後、経団連会長の老人は一人、ソファに深く腰掛けながら独り言のように呟いていた。

「・・・生き残るため。 東海岸の、あの者達の支配を覆すため。 ふん、それまではどうしても、この島国から出るわけには行かぬか」

拠点は世界中に分散させている。 しかしそれは、あくまでも『現地拠点』に過ぎない。 いみじくも本人が話したように、『根っ子』は根付かなければならない。

「儂とて、この国を愛しておる・・・しかし、だ・・・」

右近允大将が感じたように、『我々』とは生き物だ。 経済活動を、呼吸するが如くに、絶対に必要とする『生命体』なのだった。

「脳と神経、筋肉に骨格・・・別々では生きられないのだ」

昏い目をした老人は、独り呟き続けていた。





『仕事場』へ戻る車中、右近允大将は『先方』の意図を把握した、と思っている。 連中は一枚岩では決して無い。 むしろ、無数の頭を持つヒュドラだ。

(が・・・胴体はひとつ。 今回はどの頭が動いたか・・・)

まあ良い。 いずれにせよ、横浜は潰す・・・いや、分捕る。 日本帝国がその手に。 連中の無数の頭、その大半にとっても、それは喜ばしいことだろう。

(ただし・・・現地軍が崩壊しなければ、の話だが)

即応3個師団半に数個旅団。 即時に動かせる最大兵力を出させた。 よりによって、禁衛師団までも。 投資に対する手数料だ。 安くは無いが、決して高すぎはしない。

(死ねば・・・それまでだったと言うことか。 許せよ、義兄殿、義弟殿よ)

現地軍・・・横浜に即応で出撃させた部隊の中には、彼の甥子―――妻の兄と弟の息子達が2人、居るのだった。






2001年12月29日 2145 日本帝国 神奈川県旧横浜市上永谷 横浜横須賀道路跡付近


かつて、繁華な賑わいを見せていた場所、横浜。 僅かな時間、BETAによって食い荒らされた結果、今では無人の荒野といった趣が広がる土地。

本来、戦域右翼に布陣する予定だった筈が、国連軍の緊急要請で、戦線左翼に引抜かれた第15師団所属の3個戦術機甲大隊と、第39師団。
その穴埋めに本来、総予備だったはずの4個独混旅団が、旧横浜駅付近に配置されている。 BETA群出現予測地点から、真っ直ぐ先のルート、そのすぐ脇と言って良い場所に。

(―――『本来ならば、我々は総予備として、六郷土手の対岸配置だったのだが・・・代わりにと言ってはだが、39師団の6個大隊が一緒だ。 気心知れた連中だ、上手くやろう』)

流石に藤田准将も、腹立ちを隠せない声色だったが、第39師団長から戦術機甲部隊の総指揮を一任されては、何時までも勝手な感情任せにも行かない。
第39師団の戦術機甲部隊指揮官は大佐で、全6個大隊を指揮していた。 それまで第39師団は3個大隊編制だったのを、佐渡島参戦直前に6個大隊編制に変えている。 

本来なら3個戦術機甲大隊に、他の部隊を併せた旅団編制を2個・・・が、間に合わなかったからだ。 旅団長は准将以上を持って充てる、と言うのは世界的にも順当な話だ。

今回、先任指揮官となる藤田准将が臨時に編入という形を取り、一気に9個戦術機甲大隊を纏めて指揮を執る。 第39師団の指揮官である大佐はその副司令役だ。
増強旅団戦闘団、とでも言うべきか。 戦術機甲9個大隊の他、15師団から引っ張ってきた機械化装甲歩兵1個大隊、機甲1個大隊、自走砲1個大隊に自走高射1個大隊。

これらが『槍の穂先』となり、背後に第39師団本隊が控える。 旧柏尾町から旧東永谷。 彼らが第1防衛線の左翼側面を担当する。
因みに第2防衛線の左翼側面は横須賀の防衛戦力が、旧上大岡から旧磯子付近に布陣。 各々の後方を、各師団の支援部隊が埋めた。

戦線左翼は、戦術機甲15個大隊。 日本軍と国連軍の混成集団。 右翼の日本軍18個大隊(独混を含めれば22個)に比して、やや攻撃力に劣る。 が、左翼は今回、『助攻』だ。

『―――旅団本部より各部隊。 地中震動波を探知!』

『―――推定数、およそ3万・・・4万に近い。 当初予測に変わりなし』

『―――位置、当初予測に変わりなし』

『―――全部隊! コード991! 繰り返す! コード991! 来ますっ!』


いつ見ても、嫌な光景だ―――周防直衛少佐は内心でぼやきながら、命令を下す。

「ゲイヴォルグ・ワンよりフラガラッハ、ハリーホーク、保土ケ谷より向こう側は立ち入り禁止だ。 それよりこちら側は―――全て叩け!」


―――大地が、爆ぜた。







2001年12月29日 2148 川崎沖 帝国海軍第5戦隊 戦艦『出雲』

夜の東京湾上を巨艦が波を引き裂いて進んでいる。 後方に僚艦が後続する。 主砲塔がゆっくりと旋回し、巨大な砲身が緩やかに上下している。
12月の東京湾上には、粉雪が舞っていた。 世界的な寒冷化に伴い、東京でも冬には普通に積雪があるのだ。 すでに関東は雪の季節だった。

『―――射撃諸元、よぉし!』

「目標座標、変わらず!」

高解像度モニターに映し出された、奇妙に明るい『夜の戦場』 目視できる距離では無い、衛星情報と無人機からの情報画像だ。
距離にして約2万4000m・・・『出雲』の主砲では、十分射程距離だ。 いや、これが艦と艦との『砲撃戦』であれば、既に交戦距離に入っている。

『―――ホチ(砲術長)より各砲、交互撃ち方! 撃て!』

ズッ・・・ズズンッ・・・発令所まで、微かに響く。 『出雲』の各砲塔が、左右砲、そして中砲を交互に砲撃を開始したのだ。

「・・・着弾! 目標を狭差!」

狭差しただけでは無い。 地表に這い出てきた先陣の突撃級BETAの数体を、50口径18インチ砲弾が直撃して霧消させ、周辺の10数体を爆散させた。 僚艦『加賀』も同様だ。

『ホチ(砲術長)よりカク(各主砲塔)、別途指示有るまで、交互撃ち方!』

暫くは主砲の砲撃に留めるのか。 VLSは光線級が確認されるまで、取っておくつもりだな・・・戦艦『出雲』砲術士の綾森喬海軍中尉はそう思った。
そして、隣席で目標諸元を確認し、調整しているダブル配置の候補生・・・周防直純海軍少尉候補生をチラリと見た。 真剣な表情でモニターを凝視している。
佐渡島が初陣だったこの候補生も、戦場の海を乗り切ったことで、随分と違う印象を与えるようになった。 まだまだヒヨコだが、使えるヒヨコになった。

「候補生、この騒ぎが終わったら・・・年が明けたら、君らは少尉任官だ。 ガンルーム(第1士官次室)総出で、任官祝いをしてやる」

「・・・楽しみにしています、サブガン(第1士官次室次長) 実は・・・ケプガン(第1士官次室長)からもさっき、同じ事を言われました」

「あいつめ・・・」

ケプガン(キャプテン・オブ・ガンルームの略)は、海兵同期の電測士だ。 まあ、考えることは同じか。 因みにサブガンは『サブキャプテン・オブ・ガンルーム』の略だ。
ガンルーム・・・『第1士官次室』は英国海軍の伝統を引き継ぐ、『候補生以上、中尉(分隊長職に就く中尉を除く)以下の若手士官の食堂兼居室』のことだ。
ケプガンはその中で、『兵科将校中の最先任』であり、サブガンは『兵科将校中の次席』である。 つまり、艦の若手士官達のまとめ役だった。

「まあ、君はその内、兄上(周防直秋陸軍大尉)や義兄(周防直衛陸軍少佐)から、連れて行かれるかもな?」

「兄は兎も角・・・従兄(周防直衛陸軍少佐)は、どうでしょう? それに兄も、年が明けたら結婚しますし」

兄弟で、随分と性格が違うな、やはり。 兄貴(周防直秋陸軍大尉)はかなり砕けた人柄だったが、弟は正反対の真面目な人柄のようだ。 義兄(周防直衛陸軍少佐)とも違う。
まあ、それが人間ってもんだよな。 それぞれの個性、それぞれの性格、それぞれの好み・・・でもって俺は、姉さん(周防(綾森)祥子陸軍少佐)の様な『重い』女性は、ちょっと勘弁だな!

「ははっ! そりゃ、ちょっと無理か! 義兄も、俺が言うのも何だけどな、姉貴の尻に敷かれているぞ・・・っと、そろそろお出ましかもしれん、警戒に集中!」

「了!」

再び発令所に震動。 砲撃戦は継続し、巨艦はその巨砲を地上に向けて吐き出し続けていた。








2001年12月29日 2155 日本帝国 神奈川県旧横浜市大岡 旧鎌倉街道付近

「ジューファ・ワンよりランファ、タオファ、ロンダン! 前に出すぎるな! 旧弘明寺公園跡から、旧大岡公園、旧岡村公園跡のラインが我々の『指定席』最前線だ!」

『ランファ、知道了!』

『タオファ、ラジャ』

『ロンダン、コピー』

第1中隊(ランファ)の陳桂英大尉、第2中隊(タオファ)の王雪蘭大尉、第3中隊(ロンダン)の夏林杏大尉、それぞれ3者3様で返してくる。
趙美鳳少佐は網膜スクリーンに映った部下の中隊長達を頼もしそうに眺め、そしていくばかの喪失感と罪悪感、そしてやるせなさも感じていた。

陳桂英大尉、王雪蘭大尉、夏林杏大尉の3人は、趙少佐が国連軍から復帰して、大尉で中隊長になった頃からの部下達だ。 当時はまだ少尉達だった。
漢族風の名を名乗っているが、陳桂英大尉はミャオ族(モン族)、王雪蘭大尉はチワン族、夏林杏大尉はイ族(彝族)の出身。 中国における少数民族の出自だ。

BETAの脅威、少数民族故の様々な迫害と差別、そして難民化。 それらを撥ね除けるには、少数民族出身の少女達には、軍に入隊するしか方法が無い。
彼女たちは必死に努力し、懸命になって戦い続けた。 自分のために、家族のために。 趙少佐はその姿を見守り続けてきた。

「11時、距離3000! 突撃級30! ランファ、側面を叩け! タオファは後続の要撃級! 気をつけろ、50体! ロンダン、私と指揮小隊に続け! 戦車級を排除する!」

3人の部下達も、面倒見の良い上官を敬愛してくれるようになった。 立場的に危ういところのある趙少佐だったが、自分たちはそれ以上だ。
それに趙少佐の戦歴に、素直に賞賛の念を抱いている。 これは周中佐や朱少佐に対しても同様だが・・・彼女たちは上官を敬愛し、プライベートでは姉のように慕っていた。

その彼女たちを、自分は見捨てることになる。 この戦いに生き残る事が出来て、年が明ければ・・・自分は日本人の軍人と結婚し、祖国の国籍を剥奪される。
恐らく、日本帝国軍が採用している『外国籍軍人』・・・『外人部隊』に配属されるのだろうか? 婚約者は除隊しろと行っているけれど、上手くいくかどうか・・・

いずれにせよ、生き残ればもう、彼女たちを指揮することは出来ない。 彼女たちを見捨てることになる。 それが、心苦しくて堪らない。

「まだ光線級は出てきていない! 攻撃ヘリの航空支援がある、それに連動して動け! 戦車級以下の小型種だ! ヘリの攻撃エリアまで誘導するぞ!」

だめだ、そんな雑念は。 今は戦いに集中するべき。 彼女たちを、部下達を・・・そして、何よりも自分が生き残るためにも。






[20952] 横浜基地防衛戦 第2話
Name: samurai◆fb16190c ID:22692a51
Date: 2020/02/11 23:54
2001年12月29日 2205 日本帝国 神奈川県旧横浜市上永谷 横浜横須賀道路跡付近


『旅団HQより各部。 第1001教導駆逐戦車大隊第2中隊(15輌)、第3001教導高射大隊第3中隊(24輌)、位置に着いた』

『ゲイヴォルグ(第151戦術機甲大隊)は第1001、アレイオン(第152戦術機甲大隊)は第3001のエスコートに付け』

『BETA群第2派、旧青葉台・旧長津田間を突破、厚木街道から旧瀬谷・旧鴨居防衛ラインを突破』

『第2001教導機甲中隊、第1001教導駆逐戦車大隊第1中隊、突撃破砕射撃開始』

『国連軍師団砲兵、砲撃開始した』

まだ光線族種は視認出来ていない。 だが爆音と爆炎ははっきりと認識できる。 洋上の海軍艦艇からの対地砲撃戦に始まり、陸軍部隊も師団砲兵が攻撃を開始した。
夜空に流れる曳光弾の光。 まだレーザー照射は発生していない。 今回のBETA群、光線族種の出現はどうやら遅いようだが・・・

「ゲイヴォルグ・ワンよりカク、仕事は試験部隊にBETA共を寄せ付けないことだ。 1km圏内のBETA群は全て潰せ。 以遠への攻撃は不許可」

案の定、BETA群は2重地中侵攻を掛けてきた。 今や戦闘は、最前線は第2防衛線の全面。 第1防衛線戦力(横浜所属部隊)は左右に展開して、日本軍との協同体制に入った。
そして左右両翼から、突出してきたBETA群先頭集団へ猛攻が加えられている。 東京湾の艦隊からの艦砲射撃、地上軍の野戦重砲、多連装ロケットシステム(M270MLRS)

地獄の蓋が開いた夜。 再びの悪夢。 それを再現させぬ為の、炎と鉄による大火力の集中を、この夜の日本軍と国連軍は実施し続けた。

「試験部隊を中心に、サークルを捲け! 移動し続けろ、止るなよ?」

周防直衛少佐は部下の各中隊に命令を下しながら、己も1個中隊を率いて試験部隊北西部から接近してくるBETA群を迎撃する。
突撃級、要撃級、他の中小型BETA群、約300が接近してきていた。 陣形を雁行陣に保ちながら、距離100で攻撃を開始する。
01式近接制圧砲の56mmリヴォルヴァーカノン、突撃砲の36mmチェーンガンから発射される高初速の弾幕が突撃級の側面を貫き、要撃級の装甲前腕をかい潜り命中する。
同時に戦車級、兵士級、闘士級と言った中小型種BETAが、擦過しただけで大きく体構造を抉り取られ、直撃して赤黒い霧のように霧散する。
120mm滑空砲で突撃級の正面装甲殻を射貫し、Mk-57ⅢC・57mm支援砲から高初速・高発射速度で弾き出される砲弾が、要撃級の側面をぶち抜いて始末した。

「シースファイア! 2-8-5へ高速移動、サーフェイシング」

水平噴射跳躍で高速移動しつつも、戦闘指揮としては特筆すべき点はない。 今はただ、試験部隊の突撃破砕射撃の邪魔をさせないこと。
指揮下の3個中隊を用い、ひたすら寄ってくる中小規模の『はぐれ』BETA群を始末し続けること。 そして必ず距離を保つこと。

ただそれだけだった。

背後から摂津大尉が指揮する第1中隊が、BETA群に向けて突進するのが見えた。 前方では攻撃ターンが終了し、試験部隊の背後を旋回中の、八神大尉指揮の第2中隊も見える。
迎撃後衛、ガンインターセプター。 大尉の頃、中隊長時代はこのポジションをこなせていた、そう思う。 ただ、やはり幾ばかの違和感を感じ、周防少佐は内心で苦笑する。

自分は元々、突撃前衛(ストームバンガード)や、強襲前衛(ストライクバンガード)上がりの衛士だ。 そう言う意識は余り無かったが、少尉、中尉の頃は専ら前衛だった。
『三つ子の魂、百まで』では無かろうが、大尉に進級し、中隊を率いるようになってからも、思い返せば意識がどうしても前衛よりになっていたかもしれない。

―――今でもその色は濃い方なのかと、苦笑しつつも、そう思う。

自分の大隊が、師団での突破役として使われる傾向が強いのは、指揮官のそんな色のせいか・・・戦場に似合わない思考の最中で、次の命令を下す。

「ゲイヴォルグ・ワンよりカク、試験部隊が前進する―――上大岡だ。 国連軍との合流に留意。 ゲイヴォルグは大岡川西岸に位置する。 続け」

『フラガラッハ、了解』

『ハリーホーク、ラジャ』

僅かに残る高低差の地形を利用して、BETAの進撃路から身を隠すように高速移動する。 試験部隊も元はM42自走高射機関砲に74式戦車の車体だ。 不整地に問題は無い。
試作01式火力戦闘車だけは、元の車体が重装輪回収車だが、路外機動性能は装輪装甲車と同程度であり、努めて接地圧が低い事から意外に軽快な動きをする。

上永谷から上大岡まで、わずか1kmほど。 臨時にペアを組んだ試験火力部隊と第151戦術機甲大隊が、大岡川西岸に布陣し直すに、15分ほどで済んだ。

ここで国連軍―――横須賀の部隊と合流だ。 網膜スクリーンにポップアップしてきた、見慣れた顔に、内心でホッとする部分を認める。

「ゲイヴォルグよりムーラン。 文怜、状況は?」

隣接部隊の指揮官のコードを確かめ、旧知の女性将校と確認し、状況を聞いた。

『ムーランよりゲイヴォルグ。 “Neither Good nor Bad”(可も無く、不可も無く)よ、直衛。 何か面白そうな玩具を連れてきたようね?』

「佐渡島にも参加した。 取りあえず、5000で突撃級の全面をぶち抜ける。 小口径のヤツでも3500で」

『頼もしいわね。 ん? 美鳳?―――判った』

国連軍同士の通信があったようだ。 網膜スクリーンにもう1人、見知った姿がポップアップした。

『ジューファよりゲイヴォルグ、アレイオン。 ムーランとファランを付けるわ。 大切な遠距離火力ですもの、守り切らねば』

「ゲイヴォルグよりジューファ、美鳳、助かる」

『アレイオンよりジューファ、了。 ツケは木伏さんに・・・酒代で返す』

『アレイオン、余り飲ませすぎないでね? それと飲み過ぎないように。 愛姫に言うわよ?』

『参った―――アレイオンよりファラン。 珠蘭(李珠蘭少佐)、久しぶり。 宜しく頼む』

『ファランよりアレイオン。 圭介、こちらこそ』

『ムーランよりゲイヴォルグ。 よろしくね』

「ムーラン、文怜、お手柔らかに」

『ユニコーンより国連軍、周中佐との調整が付いた。 私が現場での指揮を執る。 宜しくお願いする』

この場の最先任指揮官である、日本陸軍の荒蒔芳次中佐が9個大隊の現場統一指揮を執ることになった。 後方で戦術作戦指示を出すのは、国連軍の周蘇紅中佐。
皆が1度は供に戦ったことのある間柄だ、意思の疎通は為やすい。 4個大隊は試験部隊の護衛とはぐれてきた小型種の掃討。 5個大隊は大型種の撃滅。

国連軍横須賀基地の6個TSF大隊に、日本陸軍第15師団の3個TSF大隊が合流した。 後続する第39師団の6個TSF大隊も、急速移動展開中だ。
これまでは何とか上手く推移している。 BETA群の進路上からはぐれを出させず、側面からかなりの数を削ることに成功している。

まだまだ数は多いが、この調子でいけば最早ルーチンワークだ。 今回は補給面でも不安は少ない。 何しろ『本土』なのだ・・・


『旅団本部より各部! BETA群第1派、東戸塚を突破! 横浜基地第3防衛ラインに急速接近中!』

『BETA群第1派、残り約2万5000! BETA群第2派は旧東海道新幹線跡に到達、約2万2000!』

『海軍母艦戦術機甲部隊、発艦。 広域面制圧攻撃開始は2分後!』

海軍の母艦艦載戦術機部隊、4個大隊160機で、1機当り36発。 4個大隊全力で1度に実に5760発の誘導弾を一気に叩き込める。 フェニックス換算でも2560発になる。

「ゲイヴォルグ・ワンよりカク! 500後退しろ! 海軍さんの余り物を貰いかねないからな! ムーラン! 文怜!」

『了解よ! 各中隊、急速後退! 日本海軍の広域制圧攻撃は、えげつないわよ!』

東の夜空から、甲高い轟音を立てて海軍母艦艦載戦術機群が、お得意の低空突撃飛行を敢行してきた。 やがて多数の白煙が上がる―――『95式Ⅲ型多目的誘導弾』
元は海軍が開発した戦術機用誘導弾だった。 現在は使い勝手の良さから日本帝国全軍共通の多目的誘導弾として使用されている。

第1派の40機で、1200発以上の誘導弾の飽和攻撃。 と同時に迎撃レーザー照射が上がった。

「ッ! やはり居たか! だが・・・まだ少ない!」

レーザー照射は20本前後。 すでに200発以上の誘導弾が蒸発したが、まだ1000発以上が高速で地上に向けて突進し・・・炸裂した、2000体以上のBETAを葬りながら。

『旅団HQより各部! 海軍部隊は4派まで! 以降は艦砲射撃を継続する! 着弾に注意!』

戦艦の艦砲射撃、16インチや18インチ砲弾が音速を超す高速で着弾すれば、辺りはちょっとしたクレーターになる。 近すぎれば戦術機も衝撃波で破壊されかねない。
ここまで1万以上を削った。 いや、1万5000になるか? 戦線右翼の日本軍本隊も総攻撃を開始した(突入はしていないが) 地中侵攻は予想の通り。 このまま削り続ければ・・・

(・・・場合によっては、基地正面への移動も有るかも知れないが・・・)

何とかなる、周防少佐はそう考えた。 その時までは。


『緊急! 旅団HQより各部! 緊急! コード991! 繰り返す! コード991!』

一瞬、通信回線に流れてきた旅団CP将校の声が、周防少佐には理解できなかった。 コード991? そんなことは百も承知だ。 だから想定しての部隊配置を・・・

『―――ゲイヴォルグ・マムよりワン! 少佐! 緊急! コード991!』

大隊CPの長瀬恵大尉の緊迫した声。 歴戦のCP将校として、常に冷静に大隊の戦術管制を行ってきた長瀬大尉らしくない声だった。

「ワンよりマム! 長瀬、落ち着け! 何があった!? 991? それは判っている!」

だが、それに対する長瀬大尉の言葉は、流石に周防少佐でも、絶句するしか無かった。

『マムよりワン! コード991! 地中侵攻です! 3重の! 出現予測地点は・・・『横浜基地敷地内』です! 周防少佐! BETAの3重地中侵攻です! 横浜基地の敷地内に!』





2001年12月29日 2225 日本帝国 帝都・東京 本土防衛軍司令部


今や実質的に本土防衛軍総司令官となった岡村直次郎陸軍大将(正式には本土防衛軍総司令官代理)が渋面で目を瞑っている。
参謀長の国武三雄陸軍中将、高級参謀の丹生栄治海軍少将も同様だ。 国家憲兵隊長官、右近允陸軍大将はいつも通りのポーカーフェイス。

「・・・状況は?」

岡村大将の問いに、情報参謀の大佐が答える。

「はっ! 本2235時、BETAの地中侵攻第3派が、国連軍横浜基地内に出現。 基地防衛の第3防衛ラインが壊滅し、横浜基地内への侵入を許しております。
現在、遊兵化しつつあった第1、第2防衛ラインの国連軍部隊を、左右両翼より迂回させ、後方より横浜基地内へ突入させております。 戦力はTSFが3個大隊」

「横浜のTSFは、7個大隊だと聞いているが? 第1から第3防衛ラインの6個大隊、半数は壊滅か?」

国武参謀長の質問にも、情報参謀は淡々と堪えた。

「はっ 基地内に総予備として留め置かれた1個大隊の他は、第1防衛ラインから1個大隊半、第2防衛ラインから1個大隊半、合せて3個大隊。 第3は文字通り『全滅』です」

続けます―――情報参謀の報告が続いた。 横浜基地内に突入したBETA群は、約8000弱ほど。 ただし施設内への侵入を許したことで、攻撃オプションが非常に限定されている。
現在はTSFと機械化装甲歩兵部隊による『肉弾戦』の真っ最中だと言う。 他に基地施設内への突入は行っていないが、基地敷地内へは横須賀基地TSF部隊、6個大隊が突入した。

「同じ国連軍でも、横須賀は統一中華と、亡命韓国軍からの派遣部隊ですので・・・こちらからも『ご遠慮願った』次第であります」

高級参謀の丹生栄治海軍少将が、岡村大将と国武中将へ説明する。 この辺り、現場の状況は考慮されない。 政治の世界だ。

その時、ドアがノックされて岡村大将の副官が入室した。 会釈し、右近允大将の元へ書面の報告書を手渡す。 一瞥し、少しだけ片眉を歪めた右近允大将に、岡村大将が問いかける。

「凶報かな?」

「・・・そう言えなくもない、と言うところですな。 米国大使館付首席武官、アンダーセン米陸軍少将が、国家憲兵隊司令部に来訪。 ウチの参謀長が対応中です」

国武参謀長が、右近允大将へ問いかけた。

「閣下、何故・・・米国大使館の首席武官が、国家憲兵隊司令部へ?」

「政治の話、だね。 アンダーセン少将は大使館付武官に着任する前は、米陸軍情報部に属していた。 まあ、同業他社の間柄だよ」





「では、参謀長閣下。 帝国はヨコハマを再び手放すことはない、と言うことですな?」

「Exactly、ミスタ・アンダーセン。 我々は『いかなる努力を払ってでも』、横浜を再びハイヴとする事は無いでしょう」

アンダーセン陸軍少将の問いかけに、国家憲兵隊参謀長・窪岡海軍中将が答えた。 因みに国家憲兵隊は、陸・海・空・航宙の4軍から人員を提供される組織だ。

「That's Great! 我らが同盟軍の力強いお言葉、大変心強く思います」

お互いに腹の探り合い。 米国として横浜失陥は東アジア防衛戦略の、ひいては環太平洋方面防衛戦略の崩壊に直結する。 日本にしても亡国の序章となる。
その為の認識の摺り合せと・・・日本による『いかなる努力を払ってでも』と言う言質。 これはいざとなれば、日本が秘匿しているG元素由来兵器を自国内で使用する決意表明。

「であるからして、ミスタ・アンダーセン。 第7艦隊と海兵隊遠征軍の投入は、間に合わないでしょう」

「そのようです。 直ちに本国とハワイ(パール・ハーバー、米太平洋軍総司令部)へ報告致しましょう」

「貴国と、貴軍の心よりの協同の意思、大変心強く思います」

日本としては、米国の介入は絶対に避けたい。 国内世論は勿論のこと、横浜はいずれ帝国が熟した果実を貪る予定の『果樹園』なのだから。

「では、参謀長閣下、小官はこれにて・・・」

「わざわざのご足労、感謝致します、ミスタ・アンダーセン」

米国首席武官を見送った後、国武参謀長は第4部と第5部―――海外公館の監視と情報収集(第4部)、防諜(第5部)―――の、それぞれの部長を呼んだ。
3人とも真剣ではあるが、悲壮な表情では無い。 寧ろアメリカがここで、横浜の戦況をリアルタイムで正確に把握している事が、彼ら3人にしてみれば『墓穴掘りだ』と思う。

「本土防衛軍司令部の『清掃』がまだ済んでいない。 それと横浜にも、ネズミがまだ居る様子だ」

「本土防衛軍司令部の方につきましては、『対象』は判明しております」

「横浜につきましては、駆除業者が今回の騒動で動きが取れません。 が、包括すべき『対象』は、ほぼ完了しております。 本土防衛軍司令部の方も同様です」

第4部長と第5部長の報告を聞き、窪岡参謀長は少しの間思案し、決断した。

「このまま包括を完了させろ。 駆除は・・・BETAがしてくれるのなら、そうお願いすべきか。 残っていたら、改めて『駆除業者』に発注しろ。
それと、同時進行で米大使館の二等書記官・・・国務省(日本の外務省に相当)のな、あれも進めろ。 司令官へは私が報告する」





本土防衛軍司令部で、参謀長から報告を受けた左近允大将は、岡村大将へ向き直り言った。

「米国の介入は、ひとまず延期。 ただし、あれやこれや、細かい仕事が残りましたが・・・閣下、航宙軍軌道艦隊へ、お願いします」

「第13特務軌道戦隊・・・一応、『あれ』は首相直属部隊と言う名目なのだが、な・・・」

「実質は、本土防衛軍総司令官直属です―――つまり、今現在は、岡村さん・・・アナタの直属だ。 腹を括って欲しい、でなければ連中、第7艦隊と海兵遠征軍を強行介入させる」

「うむ・・・宜しい。 軍最高司令官代理として、発する―――おい、参謀長」

「はっ 書面においては、爾後に達します。 直ぐに特務戦隊司令部へ達します」

日本帝国軍の『最高司令官』は、憲法上でも『内閣総理大臣』だ。 政夷大将軍は『国事全権代理』であり、『統帥権代理執行者』であるが、軍への直接命令権は無い。
この辺り、日本国内でも多分に誤解があるのだが、政夷大将軍が『自由裁量』出来る軍事力は、あくまで『斯衛軍』のみ(それとて帝国内貴族社会のパワーバランスに拘束される)

『12.5事件』以降、憲法改憲論が盛んとなり、改憲右派(大半が軍部・中央省庁・大企業などの支持層)と、護憲左派(政夷大将軍支持層・斯衛・貴族社会など)で割れている。
そして現在、明確に『国軍最高司令官』は、皇主陛下と政夷大将軍から、国軍の指揮命令権を委ねられる『内閣総理大臣』なのだ。 最も、今時点では『臨時』の上、影が薄い。

「作戦の変更は、現場に一任する。 福田君(福田陸軍中将、本土防衛第1軍臨時司令官)に伝えよ」





2001年12月29日 2245 日本帝国 神奈川県旧川崎市川崎区 第1軍司令部


上級司令部・・・本土防衛軍司令部よりの命令に、第1軍司令官・福田中将は、喜ぶべきか、絶望すべきか、よぅ判らへんな・・・正直、そう思っていた。
横浜基地内へのBETA群の突入、これは絶望すべき事か。 少なくとも、下手を打てば絶望することになるだろう。 そしてもうひとつは・・・

「おい、久世君(第1軍参謀長・久世四朗中将)よ、作戦変更や。 安達(第2軍団長・安達二十蔵陸軍中将)を呼んでくれんか」

「良い知らせで?」

「半分、半分や。 先の半分は、君も知っての通りの戦況や。 後の半分は・・・現場で好きにせい、との仰せや。 ま、政治的なあれこれは、守らな、あかんけどなぁ」

「守ってください、絶対に・・・帝国が困りますから。 安達軍団長と回線、繋がりました」

「うん、ありがとさん・・・おう、安達、どんな塩梅や?」

『どんなもクソも、貴様の方で把握しているだろうが・・・』

「現場の声は大切や」

『はっ! まあ・・・戦線左翼がちょっと拙いな。 39師団が到着したが、横須賀のTSFが6個大隊、抜けたからな』

「藤田君(藤田准将、戦線左翼TSF総指揮官)からは?」

『あの男、嫁さん(藤田直美大佐、統帥幕僚本部第1局第2部(国防計画部)第3課長)に比べれば、穏やかな男だと思ったが・・・戦術機に乗り込んで、怒鳴り込みに来かねん』

「そりゃ・・・大変やなぁ・・・」

『笑い事か!』

「すまん、すまんよってに。 まあ、岡村さんからフルーハンド貰えたんでな、ちょいと変更するで」

『おう』

軍司令官と、その指揮下の軍団長の間柄であるが、福田中将と安達中将は同期生で階級も同じだった。 福田中将の方が先任であるが。

福田司令官の作戦変更は、国連横浜基地が立案した作戦に、一見似ている。 しかし横浜基地の作戦が徹頭徹尾、ライン防衛戦であるのに対し、福田中将は・・・

「第1出現地点の町田、第2出現地点の東戸塚。 これを叩く。 町田は右翼のTSF18個大隊主力で、東戸塚は左翼のTSF9個大隊・・・では足らん、右翼から4個大隊を廻す」

「町田を、TSFが14個大隊主力の戦力で、東戸塚をTSF13個大隊主力の戦力で・・・根っ子を抜くのか?」

「海軍サンの艦砲射撃と、艦載戦術機部隊も再登場願ったしなぁ・・・横浜は、横須賀のTSFが6個大隊突入したから、これ以上の流入BETA群は阻止できるやろ」

―――おい、横浜の敷地内に出てきよったBETAの数は? 

福田中将の問いに、司令部情報参謀が、約7700、と答えた。

「7700かいな・・・ちょいとホネかも知れん。 建物の中は? どんな塩梅や?」

司令部情報参謀は、敷地内に確認できるBETA群、およそ4500です。 建物内への侵入は、約3000と推測されます―――そう答えた。

「そうかぁ・・・悪いけど、横浜のTSFと機械化装甲歩兵は、『全滅』するまで頑張ってもらわな、あかんな。 それと横須賀の連中に『忠告』しとけ、『コード999』や」

『コード999』―――G弾投下命令だ。 本土防衛司令部が、発令を司っている。 その情報はリアルタイムで第1軍司令部へも達せられる。

「横須賀だけで宜しいので?」

久瀬参謀長の問いかけに、福田中将は首を竦めて答えた。

「政治や、政治・・・統一中華や、亡命韓国軍の連中をな、こっちの『コード999』で消滅させたとあったら・・・な?」

「ま、そうなりますか・・・」





2001年12月29日 2325 日本帝国 神奈川県旧横浜市南区 弘明寺付近

「弘明寺まで抜ける! 右翼から4個大隊、保土ケ谷から井土ヶ谷へ向かっている! 上大岡~弘明寺~井土ヶ谷で戦線ラインを形成、そのまま押し上げる!」

戦術機の中で、周防少佐が叫ぶ。 同じ内容を第152戦術機甲大隊の長門少佐、第153戦術機甲大隊の荒蒔中佐も、同じ事を部下に対して伝えていた。
戦線左翼の戦術機甲部隊―――第39師団の6個大隊と、第15師団から抽出された3個大隊、そして国連軍横須賀基地の6個大隊、合計15個大隊は既に編制が崩壊した。

国連軍横須賀基地の6個大隊は、横浜基地の敷地内へ突入し、3重地中侵攻があった場所でBETA群と死闘を演じている。 
救いは地上のBETA群の中に光線族種の数が少なく、既に排除できたことか。 ただし基地建物内部には、数百体の光線族種が存在すると、横浜から連絡が入った。

そして古本帝国陸軍のTSF、9個大隊もまた、第1軍司令部寄りの命令変更により、休息移動を余儀なくされていた。

「左翼の『壁』は、39師団の4個大隊に任せる! 右翼は向こうの4個大隊! 我々は中央の『壁』を形成する! 後は気にするな! 横須賀に任せておけ!」

戦線中央部は、第15師団TSFの3個大隊(荒蒔中佐、周防少佐、長門少佐指揮)と、第39師団から抽出された2個大隊、第392、第396戦術機甲大隊とで形成する。

『ローレライ・ワンよりユニコーン! ローレライとフリッカは両翼のバックアップを担当します!』

『ユニコーンよりローレライ、了解した。 周防、右翼! 長門、左翼形成! 中央は俺がやる!』

170機以上の戦術機が大地を滑空する。 第39師団からの増派部隊は、和泉少佐指揮の第392戦術機甲大隊と、真咲少佐指揮の第396戦術機甲大隊だった。
最初は第393戦術機甲大隊『キュベレイ』が増派されるはずだったが・・・第39師団最先任戦術機甲指揮官の森宮中佐が、『流石に長門が可哀想だ』と、真咲少佐にお鉢が回った。

中央部を荒蒔中佐の第153戦術機甲大隊『ユニコーン』 右翼を周防少佐の第151戦術機甲大隊『ゲイヴォルグ』 左翼を長門少佐の第152戦術機甲大隊『アレイオン』
『ユニコーン』と『ゲイヴォルグ』の後方間隙を、第396戦術機甲大隊『フリッカ』が、『ユニコーン』と『アレイオン』の後方間隙を、第392戦術機甲大隊『ローレライ』が。

全機が『94式『不知火』壱型丙Ⅲ(壱型23型)』で編成されている。 現時点で日本陸軍が望みうる、最上の戦術機甲部隊だ。 機体も、指揮官達も。
脚部のスラスター各部から、青白い焔に似た排気炎を出しつつ、地表すれすれをサーフェイシングしてゆく。 途中で出くわしたBETA群は、高速砲戦で殲滅されている。

『―――15師団か? こちら第1師団、第1戦術機甲大隊『スパルタン』、横山中佐だ』

『スパルタン。 こちら第15師団『ユニコーン』、荒蒔中佐。 横山、久しぶりだ』

『荒蒔、貴様だったか!』

どうやら第1師団の先任戦術機甲部隊長は、荒蒔中佐の同期生だったようだ。 慌ただしく情報交換が行われる。

『―――判った。 左翼は森宮君に任せよう。 右翼は我々が張る、中央へは絶対に流さん』

『期待している、横山。 中央は任せてくれ』

第1師団は『12.5事件』で、クーデター戦力の中核を出したが、横山中佐の大隊は協力を一切拒否し、その為に一時、兵営に軟禁状態に置かれたほどだった。
そのことが返って軍上層部の信頼を得ることになり、横山中佐は現在、日本陸軍頭号師団の、更に戦術機甲部隊の頭号部隊長・・・『第1戦術機甲大隊』の指揮官を努めている。

『そろそろ、海軍の艦砲射撃が始まる。 それが終われば・・・地獄の再演だな』

『横浜内部への突入ほどじゃないさ・・・来たぞ! 全機、対衝撃防御を為せ!』

東戸塚のBETA群出現地への、海軍第5戦隊(戦艦・出雲、加賀)、第7戦隊第2小隊(大型イージス巡・摩耶、鳥海)の艦砲射撃が始まった。
町田への艦砲射撃は第1戦隊(戦艦・紀伊、尾張)、第3戦隊(戦艦・駿河、遠江)が担当する。 空母部隊は2航戦(飛龍・蒼龍)が町田、5航戦(飛鷹・準鷹)が東戸塚だ。
遅れて第12戦隊(イージス巡・大淀、仁淀)、第13戦隊(イージス巡・矢矧、酒匂)も参加するだろう。 更には第19戦隊(伊吹・鞍馬、艦載電磁投射砲搭載艦)も到着した。

『く・・・っ! バランサーを切らすなよ!? 海軍の連中、余程本気だ!』

横浜基地の防衛を、国連軍だけに任せて大丈夫なのか・・・それは上層部が考えることだ。 部隊長とは言え、大隊指揮官クラスでは覆すことなど出来ない。

彼らが為すべき事は、命令を確実に実行し・・・そして勝利し、部下と共に生還することだ。





[20952] 横浜基地防衛戦 第3話
Name: samurai◆fb16190c ID:d442e510
Date: 2020/08/16 19:37
2001年12月29日 2335 日本帝国 神奈川県旧横浜市 国連軍横浜基地 第2滑走路


『ジューファ・マムよりジューファ・ワン! 搬入ゲート隔壁損傷を確認! 更に要塞級8体、ゲートに融解液を噴出! 隔壁が一部融解しているとの事!』

「・・・ジューファ・ワン、ラジャ。 横浜からの支援要請は!?」

『第2滑走路防衛支援依頼を受託! 団司令(周蘇紅国連軍中佐)より、メインゲート、及びCゲートを守り抜け、との命令です!』

「ラジャ。 要塞級の対応は!?」

『横浜基地TSFにて行います! ジューファ・ワン、趙少佐! 団司令より『様子がこれまでと違う、連中、学習している』との事です! お気をつけて!』

「判ったわ。 C4Iシステムには気を遣うが・・・リアルタイムの情報更新は、最優先で行って頂戴!」

『ジューファ・マム、ラジャ! アウト!』

国連軍太平洋方面総軍第11軍、横須賀基地戦術機甲団第206戦術機甲大隊長の趙美鳳少佐は、整った美貌を曇らせながら管制との通信を切った。
周囲を見渡すと、かなりの数の大型種BETAの死骸の山が目に付く。 そのお陰で小型種の発見に齟齬をきたすケーズも増えており、部下も数機が取りつかれて損傷している。

正直、今の戦況は芳しくない。 BETA群の3重地中侵攻は、横浜基地北西エリアの野外演習場に出現し、ここを守っていた横浜基地第7戦術機甲大隊が大損害を受けた。
だがその時点では光線族種は確認されず、航空支援が有効に行われた結果、何とか防衛できそうだ・・・との空気もあったのだが・・・3重侵攻第2波がやってきた。
それも最悪の場所、第1滑走路付近へ。 更には要塞級BETAまで出現した、8体だ。 推定で50体前後の光線族種が地表に現れたと推測される。 完全に裏をかかれた。

第1と第2防衛ラインに張り付き、戦力を半減させた横浜基地TSF3個大隊(臨時集成大隊)のうち、1個大隊が第2滑走路付近に防衛線を張った。
横須賀基地のTSF6個大隊の増援も、現在は第2滑走路に布陣している。 南東端、第1滑走路との交差付近に3個大隊。 演習場側、北西部に2個大隊。 
趙少佐の指揮する1個大隊は、メインゲートとCゲート付近に布陣し、メインとC、2か所のゲートの『ゴールキーパー』を命じられていた。

先ほど通信を交わした横浜基地TSF大隊の指揮官たちの顔が浮かぶ。

『頼む! 何とかして、少しでも流入を減少させてくれ!』

『我々は、中央集積場を死守する』

祖国をBETAに滅ぼされ、流れ流れて、この横浜の地に着任しただろう衛士たち。 1人は南欧系の顔立ち、1人は中央アジア系の顔立ちの男たちだった。

『ここは・・・ここは、守る』

『祖国を守れなかった我々だが・・・ここは『死守』してみせる』

気負うこともなく、しかし確実に死を覚悟した歴戦のベテラン戦術機甲指揮官たち。 その前に、横須賀基地所属部隊にも、脅威が差し迫っているが・・・

『ムーランよりジューファ! 美鳳! 日本軍の支援砲撃が薄くなった! 町田と東戸塚への砲撃支援に振り替えたわ! 第2層までの硬化剤注入作業は!?』

「ジューファよりムーラン、文怜、まだ少し時間がかかる状況よ・・・でもその前に、C4Iシステムを確認して」

『・・・? っ!? 搬入ゲートが・・・! くっそう! 要塞級が発情していた(TSF乗りの隠語で、触覚攻撃のこと)のは、これか!』

「横浜基地TSFは3隊が、中央集積場に降りたわ。 第5と第7、それにさっき第3大隊も。 ここは実質的に私たち、横須賀だけで『死守』よ、文怜・・・」

第1滑走路、そして北西の演習場から流入してくるBETA群は、何としても防がねばならない。 多少の流入は許されても、残るメインとCゲートの突破は許されない。
そしてそのミッションは、横須賀基地所属の6個TSF大隊・・・先任大隊長の趙少佐の指揮にかかっているのだ。 我知らず、汗がじっとりと美貌を濡らした。
改めて管制ユニットから見える外界を見る。 地獄だ。 しかし、見慣れてしまった風景だ。 これが彼女の常の風景になってしまっていた。

「・・・ジューファより各TSFに次ぐ。 AゲートとBゲートの奪回は不可能、流入を少しでも減少させる。 同時にメインとCゲートは死守」

誰かがゴクリ、と喉を鳴らした音が聞こえた。 部下の誰かだろう。 指揮官クラスは歴戦だが、新米連中も多い。

『Aゲート、充填剤投入は完了しているが・・・完全硬化まで少し時間がかかる。 光線級に照射されたら最後、保たないか・・・』

『第1滑走路に面したBゲートは、だめだ。 あそこからの流入が多い。 先任、重点攻撃目標に?』

第203戦術機甲大隊長の韓炳德少佐(亡命韓国軍)、第204戦術機甲大隊長の郭鳳基少佐(統一中華・台湾軍)がC4I情報を確認しながら、趙少佐に確認するように言う。
おおよその腹は決まっているが、そして先任指揮官ではあるが、ここは同僚たちの意見も確認すべき・・・趙少佐はそう判断した。

「・・・郭少佐の言う通り、Bゲートはもう救いようがないわ。 Aゲートも演習場側のために、北西方面からの圧力次第ね・・・当面は第2滑走路の死守。
そして北西と南東からの圧力を弾き返すこと。 中の横浜基地部隊がどれだけ踏ん張るか・・・どういう作戦を最終的に実行するかによるけれど、当面はそれで行く。 どう?」

郭少佐と韓少佐は、すぐに頷いた。 というより当面はそれ以外、取れる手はない。

『・・・それで良いと・・・というより他に手はありませんな』

第205戦術機甲大隊長の曹徳豊少佐(統一中華・台湾軍)が、おそらく網膜投影モニターを凝視しながらだろう、視線を動かしながら言う。

『了解、美鳳・・・というより、貴女の口から『死守』なんて言葉、出たことに驚きよね』

第208戦術機甲大隊長の李珠蘭少佐(亡命韓国軍)が、からかうような口調でいる。 この場では2番目に付き合いが長い相手に、趙少佐が苦笑する。

「人間・・・切羽詰まれば、誰もが同じになる様ね。 昔はさんざん、侮蔑したものだけれど・・・ね・・・」

部隊長になり、指揮の権限と裁量は増えたが、現場で出来る事は、選択肢は、それほど増えないようだ。 そんな苦笑する姿を通信で見ながら、最も古い戦友が声をかけてきた。

『・・・ムーランよりジューファ。 ダメもとで町田方面か東戸塚方面か、どちらかから少しでも援軍要請できないかしら?』

「無理よ、ムーラン・・・文怜。 『国連』は、ここに『帝国』を入れる事を良しとしないでしょう」

政治的に、だ。 戦場にとって、それは常に上位に位置し、そして常に歯がゆく、恨みがましい事である。

『横浜基地施設内への突入は、そうでしょうとも。 私たち、横須賀基地部隊でさえ、ですものね。 同じ『国連軍』なのに。 でも、ゲートへの流入阻止任務、としては?』

「・・・どんな指揮官が来るかによる。 でも、打てる手はすべて打ちましょうか」

指揮官たちが『作戦会議』を行っている最中でも、戦闘は継続されている。 南東方面、第1滑走路に溢れるBETA群に対し、3個TSF大隊がヒット・アンド・アウェイを仕掛ける。
北西方向の演習場に隣接したエリアでは、撃破された大型種の死骸を盾にしながら、2個TSF大隊が巧みに壮語できるゾーンを形成しつつ、BETAの数を減らし続けている。

すでにかなりの数のBETA群を、横浜基地施設内に侵入させてしまっている。 これ以上の侵入は、確実に横浜の失陥に直結する。 とは言え・・・

(せめて・・・せめて、あと3個大隊。 贅沢を言えば4から5個大隊の増援・・・)

日本軍とて、これ以上の横浜への流入を防ぐべく、町田と東戸塚の出現地点を猛攻撃している最中だ。 果たして増援が来るのかどうか、まったく心もとないが・・・

(ここには反応炉があると聞く・・・佐渡島は消滅した、そしてこのBETA群は恐らく佐渡島の個体群・・・とすれば、活動時間か限られているかもしれない)

最低でも部隊長、少佐以上の階級の者に対する開示情報。 それから想像するしかなかったが、そう考えるのが最も自然だとも思える。
部隊長の自分は、開示情報を閲覧できるが、部下たちはそうもいかない。 全体の戦況は? 増援は? 友軍は? そしてBETAは? どう取捨選択して伝えるか。

趙少佐は、回線をオープンに切り替えた。

「先任指揮官、趙少佐だ! BETAは佐渡島からの『大遠足』で腹ペコだ! ここで何としても時間を稼ぎ、時間切れさせる! 増援を要請した。 各員、意地を見せろ!」

回線に乗って、各大隊の衛士たちの雄たけびが聞こえた。 同時に親友の『無理しちゃって・・・』と言う呟きも。





2001年12月29日 2355 日本帝国 神奈川県旧横浜市 東戸塚付近


「ゲートから出てくる連中を集中的に叩け! 摂津、右翼! 八神、左翼! 中央は1中(第1中隊・大隊長直率)! 漏れた個体群は後ろの『フリッカ』に任せろ!」

周防少佐指揮の第15師団第151戦術機甲大隊の後ろには、第39師団第396戦術機甲大隊『フリッカ』(真咲少佐指揮)が布陣している。

「突撃級と要撃級を狩れ! 小型は『フリッカ』と支援砲撃で仕留める! 前に出るな、距離を保て! 弾切れの者は即時後方へ! 補給は十分にある!」

上大岡~弘明寺~井土ヶ谷で戦線ラインを形成、そのまま押し上げる形となった『第2ラウンド』は、目標の東戸塚出現地から東へ1㎞ほどの、六ツ川付近まで押し上げている。
もうすでに出現地の『地獄への門』は目視できる。 そこから未だにBETA群が出現している様子も、確認できている。 ここを叩かねば、際限なく横浜に流入する。

中隊を指揮しながら、自機の脚部のスラスター各部から、青白い焔に似た排気炎を出しつつ、地表すれすれをサーフェイシングしてゆく。
すれ違いざまに01式近接制圧砲の56mmリヴォルヴァーカノンが唸り、要撃級BETAの側面から赤黒い体液が飛び散り、その巨体が倒れた。
部下たちも、指揮難の指示を守り小隊単位での集団機動戦闘を崩していない。 まだまだ新米の連中は、上官が撃てば自分もトリガー引く、というレベルだが。

これまで経験した大規模戦闘より、まだ数は少ないほうだ・・・周防直衛少佐は、そう感じている。 甲21号では、もっと多くのBETA群とやりあった。
1999年の明星作戦時は、この辺り一帯がBETAで埋まったほどだ。 京都防衛戦、それに先立つ西日本防衛戦、半島や満州、東南アジアに欧州各地・・・

「摂津! 右翼、突撃級10体、仕留めろ! 側面は1中が支援する! 八神、左翼を迂回して機動砲戦! 小型種を側面から削れ、正面には立つなよ!?」

『フラガラッハ、ラジャ』

『ハリーホーク、了』

2人の部下中隊長たちが、鮮やかな部隊運用で中隊を動かし、周防少佐の意図したとおりの攻撃を仕掛けている。 少佐自身は中央で両翼を支援すべく、中隊を動かす。
摂津大尉も八神大尉も、上官の意図を間違いなく汲み取り、指揮する中隊を動かすのに問題ないレベルの指揮官になっている。 そして2人とも周防少佐の子飼いだ。

「改めて言うが・・・全部を殲滅しようとして、接近される愚は犯すな。 後ろには『フリッカ』が控えている、取りこぼしは後ろに任せろ」

大隊を指揮しながら、同時に直率中隊の指揮も行う。 更には個人戦闘も・・・目前に迫った戦車級の群れ。 01式近接制圧砲の56㎜砲弾をばらけさせながら始末する。
制圧支援機に命じて誘導弾を前方へ。 突撃前衛の第2小隊を前に出し、突出してきた群れの一部を左右から包み込ませて殲滅させる。

戦場での戦術機甲大隊指揮官は、とにかく忙しい。 そんな中、脳裏では戦場の状況を確認し続ける事も止めていない。 今の戦況は?
出現ゲートから這い出てくるBETAの数は、当初より勢いが減じている。 C4I経由の情報でも、自分の感覚でも、双方ともそう言っている。
出現したBETAの数は、今ではかなり数を減じている。 東戸塚だけで残りは総数が1万強、2万に達しないだろう。
町田と合わせて3万前後・・・3万5000に達しない。 しかも大型種の数は少ない傾向だ、小型種の比率が大きい。 今までとは少し傾向が異なる。

(・・・面倒だが、殲滅できない数じゃない。 索敵を密にし、取り零しに注意さえすれば、この戦力ならば確実に殲滅できる・・・今までの大規模作戦に比べれば)

だが、そんな大規模作戦を経験してきた周防少佐が、今回はそれ以上の焦燥感を抱いているのも事実だ。 後方・・・横浜の様子が、リアルタイムで、C4I経由で伝わっている。

横浜基地はすでに『メインシャフト』(周防少佐はその基地構造は知らなかったが)の隔壁が破損。 中央集積場にBETA群が流入し、防衛のTSF2個大隊が全滅。 残り1個大隊。
地上に残った唯一の横浜基地所属TSF大隊が1個大隊、先ほど第2滑走路防衛線から、中央集積場に投入された。 地上戦力はこれで、横須賀基地所属の6個TSF大隊だけだ。
『メインシャフト』では、機械化歩兵中隊が小型種BETAとの『肉弾戦』の真っ最中だと言う。 そしてたった今、旅団本部から、飛び切りの凶報が飛び込んできた。

「要塞級!? 別の場所に、ですか!?」

『第2滑走路付近に出現、との事だ。 やってくれる、4重侵攻だ・・・横須賀の周中佐(国連軍横須賀基地・戦術機甲団司令)から、悲鳴の報告が入った・・・』

俄かに信じられなかった。 周蘇紅中佐。 周防少佐とも古馴染の、中国軍出身の歴戦の衛士で、戦術機甲指揮官・・・あの古強者が、悲鳴のような支援要請をするとは!
それに横須賀の部隊は、指揮官連中は自分もよく知る指揮官たちだ。 歴戦で、部隊指揮の実力は、帝国軍内であっても精強と称されるほどの筈・・・

『横須賀の部隊は、光線級の照射を背後から浴びせられて・・・11機が直撃・爆散。 16機が中大破。 残存200機以上だが、衝撃から立て直せていない』

「・・・旅団長、で・・・?」

『荒蒔(荒蒔芳次中佐、第153戦術機甲大隊長、先任指揮官)は動かせん。 長門(長門圭介少佐、第152戦術機甲大隊長)も、荒蒔の補佐に残したい。
周防、貴様、自分の大隊と、他に2個大隊連れて、横浜へ突入しろ。 基地施設内への侵入は不許可。 向こうの先任指揮官は横須賀の趙少佐だ、指揮下に入れ』

上級指揮官はえてして、こういう状況では、力量も、気心も知れた自分の『子飼い』の部下を使いたがる。 その意味で周防少佐は、軍内部で藤田准将の子飼いと認識されていた。
或いは、藤田准将の細君の藤田直美大佐(統帥幕僚本部第1局(作戦局)第2部国防計画課長)の子飼いか。 いずれにせよ、実戦派(現場派)だ。

「は・・・哀れな子羊は、小官の他には、誰と誰が?」

『子羊・・・などという柄か? 貴様が。 39師団の真咲少佐と、あと14師団が、かなり無理をして増援を送ってきた。 貴様の馴染みだ、美園少佐の大隊だ』

「あの2人は同期で・・・下剋上されかねませんね・・・」

真咲少佐もそうだが、14師団の美園少佐も周防少佐とは馴染みが深い。 18期A卒の周防少佐の1期下の19期A卒。 新任少尉時代に同じ小隊の古参少尉だったのが、当時の周防少尉。

『手綱を引け、慣れた相手だろう。 貴様と真咲少佐が抜けた穴は、14師団からの増援で塞ぐ。 葛城少佐の143大隊と、仁科少佐の149大隊だ』

これも馴染みの深い指揮官たちだ。 葛城少佐は、周防少佐の半期下の18期B卒で、仁科少佐は、真咲少佐や美園少佐と同期の19期A卒。 やはり『周防少尉』時代を知る人物。

14師団は3個戦術機甲連隊・9個戦術機甲大隊を有する、所謂『重戦術機甲師団』だが、先般の佐渡島の激戦で消耗している。 戦力回復を図っていたが・・・

『師団長の独断だそうだ。 とりあえず動ける機体と、動かせる衛士を集めて、『行き足』のある若手の少佐3人に付けて送り出した。 お陰で今、ようやく補給が終わった』

なんとも、哀れな後任たちだった。

『時間が惜しい。 一刻も早く第2滑走路付近の要塞級と、腹に抱いている光線級を排除せねばならん・・・周防、このコードを打ち込め』

旅団長・藤田准将より転送されてきた秘匿コード。 訝しげな表情の周防少佐に、藤田准将が秘匿回線に切り替え、伝えた。

『コード999・・・G弾投下事前連絡コードだ。 脱出する時間が与えられる・・・こちらからの自動送信で、周知される。 コードは今すぐ入力しておけ』

「准将・・・っ!」

『軍司令部より、師団へ秘匿緊急信だったそうだ。 大本は防衛軍総司令部あたりだろう・・・横須賀を巻き込むな、脱出させろ。 それが貴様のもう一つの任務だ、周防』

自国内で再び。 それも本土で。 しかも自軍が。 まだ血気盛んな下級将校ならば、もしや食って掛かったかもしれない。 周防少佐とて、腸が煮えくり返りそうだ。
だが、戦況は、情勢はそんな贅沢を許さない。 少なくともC4I経由で伝えられる情報は、それも雄弁に物語っている。 そして自分はその情報を知る『権限』を与えられている。

「・・・了」

もしここで、BETA群の阻止に失敗すれば・・・もしここで、再び横浜が『ハイヴ』と化せば。

(日本は・・・祖国は、亡国となる)

それだけではない。 米国が主導する環太平洋防衛圏構想、その最重要の要石の日本が脱落すれば、それはもはや画餅に過ぎない。

『国連軍第11軍へも、極秘伝達が済んでいると報告を受けた。 使用判断は防衛軍総司令部。 そして第1軍司令部。 いいな、周防。 従え』

「了・・・小官もまた、部隊指揮官です」

『よし・・・行け』

「ゲイヴォルグ、ラジャ、アウト」






2001年12月30日 0018 日本帝国 神奈川県旧横浜市 国連軍横浜基地 第2滑走路

「大型種の死骸を盾にしろ! 連中、停止した『同類』だと、照射はしない!」

『タオファ・リーダーよりジューファ・ワン! 南東からの圧力増大! 保ちません!』

網膜スクリーンに部下の姿・・・第2中隊を率いる王雪蘭大尉の姿がポップアップした。 まだ23歳の若い大尉。 だが16歳から7年を生き抜いてきた歴戦の衛士。
その彼女が、絶望的な表情を浮かべながらも、必死で中隊をまとめようと奮闘している事は、CI4情報からもよくわかっている。 彼女の中隊が、残存7機に減じていることも。

「保たせろ、雪蘭! 引く場所は無い!」

何と無慈悲な命令か。 部下に対して『そこで死ね』と言っている。

目前に突撃級の小規模な群れが迫った。 6体。 光線級からは大型種の残骸がスクリーンとなっている。 咄嗟に跳躍ユニットの噴射ペダルを全開に、サーフェイシング。
飛び出しながら接地高機動戦闘、120㎜砲弾をすれ違いざま、次々に叩き込む。 後続する列機の楊義延中尉も同様の機動で3体を仕留めた。 すぐに『塹壕』に戻る。

『大隊長、お出ましの時は、ご一報を』

「楊中尉、貴様が私の機動を読めないほど、耄碌したと?」

『いえいえ、木伏大人(ターレン)の元に、お嬢をご無事に、お返ししなければね・・・』

「ちゅ、中尉!」

柄にもなく、戦場で思わず赤面してしまう。 楊中尉は年齢的には30代半ば。 元々、衛士で本当ならば中佐程度の階級になっていなければならない筈の、歴戦のベテラン。
しかしながら、どこの軍でも、組織でも、こういう男はいるようだ。 楊中尉は政治部とは、とことん相性が悪い。 というより政治将校をからかう趣味がある。

なので・・・すでに10年以上、『万年中尉』だった。 今では、横須賀では裏でこっそり『美鳳お嬢様と、お付きの爺や』などと笑い話のネタにされている。

『まあ、戯言は置いておいて・・・そろそろ、拙いですな。 戦力半減、向こうさんは・・・幾分か、数も減っては来ていますが、光線級が面倒くさい。 照射されると・・・』

すでにAゲートは陥落した。 そこからのBETA流入も続いている、横浜基地内は阿鼻叫喚の様相の様子だった。 横浜の中央指令センターからの通信では。
今は何とか、第2滑走路を死守し、メインゲートとCゲートを守っているところだ。 味方は戦力半減、すでに100機以上が撃破、あるいは中大破して戦線離脱している。

大隊指揮官に戦死者はいまだいないが、中隊長以下の指揮官で戦死者が出始めた。 趙少佐の大隊も、第3中隊長の夏林杏大尉の機体が先ほど、光線級の照射直撃で爆散した。
少数民族であるイ族(彝族)の出身で、普段は明るい笑顔を振りまく陽性な性格で、大隊のムードメーカーだった。 趙少佐にとっては、可愛い部下で、妹のようなところもあった。

そんな部下を戦死させた。 悔悟の念は後から幾らでも甘んじて受けよう。 でも今は残った部下たちを掌握し続け、この場を指揮し続けねばならない。

(2時間は保つと踏んでいたけれど・・・このままでは1時間も無理ね。 読みを外したわ・・・)

何よりも、これまでの戦歴でも経験がないほど、今回のBETA群はある種の『意思統一』がなされているのでは、と思えるほど、組織だった行動をしている。
本能のままに突き進む、これまでの力押しではない。 確かに地中侵攻など、裏をかかれた経験も多分にあったが、今回のBETAの行動はそれを大きく裏切る。

(・・・ここが、私の死に場所なのかしら・・・せめて、もう一度会いたかったわ・・・)

共に人生を歩きたいと思った、そうしようと約束した、日本人の将校。 古馴染だった。 もう会えないのかと、心の片隅が凍る。
そんな刹那の思いを振りほどいて、網膜スクリーンに投影された統合戦域情報を確認する。 現状はとてつもなく厳しい。
既に横浜基地内では『メインシャフト』の第1、第2隔壁が破られた、との報告が入っている。 これ以上のBETA個体群の流入は許容されない。
とは言え、第2滑走路上に陣取られた要塞級と、数10体の光線級、アレをどうにかしなければ、流入阻止の戦闘行動もままならない。

(北西、演習場方面は・・・郭少佐と曹少佐が踏ん張っている。 南東の第1滑走路からの圧は、韓少佐と殊蘭(李殊蘭少佐)が引き受けてくれている。 問題は・・・)

第2滑走路南東端付近から出現した、予想外の要塞級BETA6体と、光線級30体以上。 それと付属する大小1000体を超すBETA個体群。
これに当たるのは、朱少佐の大隊と、趙少佐の大隊、2個TSF大隊だけだった。 戦力が足りない、せめて正面(趙少佐と朱少佐)に2個大隊、圧の厳しい南東に1個大隊欲しい。

(ない物ねだり・・・は判っている! でも・・・くそっ!)

突撃級BETAの残骸を盾に、光線級の照射を避けた。 そしてわずかなインターバルを縫って突撃。 数体を始末して、また残骸の陰に隠れる。 この繰り返し。
お陰で、小型種BETAの横浜基地施設内流入を阻止できていない。 自分が周中佐から受けた命令を果たせていない。 そんな焦燥感が、趙少佐の脳裏を焦がす。

(くそっ・・・何か・・・何か手を・・・っ)

目前に迫った要撃級の小さな群れを目視し、焦燥感に苛まれたその瞬間・・・要撃級の群れが爆ぜた。

『横須賀部隊! 遅れてすまない、日本帝国軍だ。 コールは『ゲイヴォルグ』、『フリッカ』、『ステンノ』 3個大隊だけで悪いが、こちらはこれで抽出戦力はカンバンだ』

迂回機動でやってきたのか。 北西方向、第2滑走路出現デートの斜め後方から、日本帝国陸軍の94式『不知火』壱型丙Ⅲ(壱型23型)が100機以上、急接近する。

『ゲイヴォルグ・ワンだ。 こちらの戦況は把握出来ていない。 ジューファ・ワン、指示を!』

待ちに待った増援。 もう来ないと諦めかけていた増援。 そして聞き慣れた日本の僚友の声。 見れば他にも、懐かしい顔ぶれもいる。

「っ! ジューファ・ワンより増援部隊へ! 大歓迎よ、地獄へようこそ! ゲイヴォルグとステンノは、このまま中央へ! フリッカは南西の援護を! 助かったわ、直衛・・・真咲、美園!」




[20952] 横浜基地防衛戦 第4話
Name: samurai◆fb16190c ID:d442e510
Date: 2020/12/28 21:44
2001年12月30日 0220 日本帝国 神奈川県旧川崎市川崎区 第1軍司令部


「第3隔壁が保たんか・・・」

情報参謀から渡された報告書を読みながら、第1軍司令官・福田中将は思案していた。 現在、第1軍は増援戦力もほぼ全力を投じて、町田と東戸塚を封じようとしている。
しかしその戦闘も、すべては横浜次第・・・横浜が如何に手早く『反応炉』を停止させるか。 その情報はすでに日本側に通達されている。 機密の壁をどうこう言う局面ではないのだ。

「現在、要員が保守点検口からラダーを伝い、反応炉制御室へ急行中、との事ですが・・・第1、第2隔壁を守っていた機械化歩兵中隊は2個とも全滅、第3隔壁も・・・」

傍らの久世参謀長も、憂慮の色が深い。

「こら、いよいよ『コード999』の発令かもなぁ・・・おい、今現在で横浜基地周辺におる部隊は?」

「はい。 横須賀の6個TSF大隊・・・こちらはかなり戦力減ですが。 それと増援に送り出した我が軍の3個TSF大隊です。 横浜と横須賀の航空戦力は、羽田に退避済み」

「その部隊は、直前に退避やな。 他は・・・まあ、何や・・・あそこの基地司令官と、副司令官・・・香月博士は、救出せな、あかんな。 あとは・・・研究者連中も」

「他は?」

「必要な犠牲、そう言うものや。 全員は無理やな・・・そう言うもんやろ、参謀長」

「はっ・・・致し方ありませんな」

G弾投下を前に、横浜基地要員の全てを脱出させることは不可能だ。 基地司令官と副司令官、基幹要員に、そして研究者達を脱出させる事が精いっぱいだろう。

「国連軍には、事前に筋は通してある。 そして今の現状や・・・通信、回復はまだか?」

未だ、横浜基地との通信途絶中―――通信参謀の報告に頷いた福田軍司令官は、参謀長を見返り行った。

「総司令部に繋げ。 岡村さん(本土防衛軍総司令官・岡村大将)と、話すよってに」





2001年12月30日 0230 神奈川県旧横浜市 国連軍横浜基地 第2滑走路


『ゲイヴォルグよりジューファ! 要塞級、2体撃破! 残存、2体!』

「ジューファよりゲイヴォルグ、ラジャ! ジューファよりステンノ! 南から突き上げ出来ますか!?」

『やってみましょう! ステンノ全機、今の照射が終わったら、インターバル開始と同時に飛び出すぞ! 遅れた奴は帰投後に腕立て300回と、酒代と甘味代を請求するよ!』

部下たちからの『酷い!』、『指揮官横暴!』のブーイングを無視した美園少佐が、レーザー照射が終わるや、いの一番に期待を跳躍させて突撃級BETAの残骸から飛び出す。

『ムーランよりステンノ! 援護するわ! 制圧全機、誘導弾! 砲撃支援は邪魔な戦車級以下を撃て!』

日本軍の増援到達から、およそ2時間が経過した。 戦況は好転しつつある。 あれから他にも、日本海軍の艦砲射撃支援が3回行われた(第5戦隊の戦艦『出雲』の艦砲射撃)
他にも東戸塚ゲートから抽出されてきた、特殊戦闘車両・・・第1001教導駆逐戦車大隊第3中隊(15輌)、第3001教導高射大隊第2中隊(24輌)が急行してきた。
駆逐戦車は105㎜単装ライトガスガンを、自走高射砲は57㎜単装ライトガスガンを装備している。 小型種なら距離8000以上で撃破、大型種も5000あれば十分撃破できる。
他にも少数だが、155㎜自走砲と多連装ロケットシステム(M270MLRS)の支援が復活しつつある。 他方面でのBETAの圧力が弱まった結果だろうか。

『ステンノ・ワンより2中隊! デカブツ(突撃級/要撃級)の上を跳び越せ! まだインターバルだ! 1中隊、3中隊、私と側面から崩す! 続け!』

『制圧支援! ポイント118-52-445から449に集中して叩き込め! 砲撃支援、左翼の要撃級を狙え! 他は私と左翼の戦車級を屠るわよ! 行け!』

要撃級と突撃級BETAの直上、攻撃が届かないすれすれの極低高度を噴射跳躍で飛び去ってゆく戦術機群。 その支援に側面から噴射滑走で砲撃を行いつつ、光線級に迫る本隊。
『ステンノ』大隊が光線級への攻撃を開始したと同時に、横須賀の『ムーラン』大隊から誘導弾多数が発射される。 120㎜滑腔砲から大型種の側面に砲弾が叩き込まれる。

『ステンノ! ムーラン! インターバル終了5秒前!』

統一指揮を執るジューファ・ワン―――趙美鳳少佐が注意喚起。 前面に出たステンノの美園杏少佐、ムーランの朱文怜少佐が即時に対応する。

『ラジャ! ステンノ全機、全力後方跳躍! 引き籠もりの巣に戻るよ!』

『ムーラン、ラジャ! 全機、ステンノの支援、2斉射! 撃て!』

積み重なったBETAの死骸(と連中が判断しているかは不明だが)の陰に舞い戻る。 BETAは同士撃ちをしない、それが活動を停止した個体であっても。

『何だかねぇ・・・こんなの、余り経験ないわ・・・おい! 迂闊に頭を出すな! 連中、結構な精密狙撃をするぞ!』

『ドーヴァーの拠点防衛戦で、経験したわ。 日本じゃ、こういったケースは無かったの?』

『基本、戦線の維持ですからね! それも機動戦で!』

撃破され、活動を大型種BETA数体の死骸を『防御壁』にして、そこから迫りくるBETA群を砲撃で排除する。 もうかなりの時間、こう言った戦法を取っている。

『言い出しっぺは、うちの先任ですが! ああ、そうか・・・あの人も、その頃は欧州でしたね・・・』

『直衛と圭介、それと・・・直人もね・・・』

『・・・そうですね』

国連軍の朱少佐、日本軍の美園少佐、ともに先だって発生した日本のクーデター騒動には、内心で含むところが多い。 否定的な面でだが。
そしてその首謀者と見做される(何せ、実行者の最高階級だったのだ)、死亡した元陸軍少佐、久我直人は、それこそ新米の少尉時代から知る古い知己だったのだ。

現在、第2滑走路南東部防衛は『ジューファ』大隊、『ステンノ』大隊、そして『ホンライ』大隊(韓炳德少佐)の日中韓連合部隊、この3個大隊。
ただし『ジューファ』、『ホンライ』は共に戦力の30%を、数時間前の地中侵攻による奇襲と、その後の消耗戦で失っている。 この方面の主力は、美園少佐の『ステンノ』大隊だ。

この傾向は他の方面でも言えた。 北西方面は『チンロン』大隊(郭鳳基少佐)と『パイフー』大隊(曹徳豊少佐)の台湾軍コンビに、日本陸軍の真咲櫻少佐の『フリッカ』大隊。 
しかし『チンロン』、『パイフー』共に戦力の35%以上を喪失している。 防衛線の主力は真咲少佐の『フリッカ』大隊が前面に出て、何とか抑えていた。

そして第2滑走路正面、Cゲート前は『ジューファ』大隊(趙美鳳少佐)、『ファラン』大隊(李珠蘭少佐)と、『ゲイヴォルグ』大隊(周防直衛少佐)
ここも『ジューファ』と『ファラン』が戦力の35%前後を喪失したため、周防少佐指揮の『ゲオヴォルグ』大隊が前面に立って流入を阻止していた。



「ゲイヴォルグ・ワンよりHQ、後続情報求む」

周防少佐が秘匿回線を用い、旅団本部へ問い合わせる。 無論、欲しているのは横浜基地内部の情報だ。 が、聞こえてきたのは聞きたくない情報。

『HQ、藤田だ。 周防、コード受信解除の準備をしておけ』

まさかの旅団長、藤田准将直々の応答だった。

『師団へ直通通信が入った、横浜からだ』

「師団へ。 直通」

周防少佐の声が思わず固まる。 こんな、指揮系統無視の通信連絡、有り得ない。

『保安要員による、反応炉停止は失敗した。 現在、『最終手法』による停止を試みる、との内容だ。 無論、軍団、軍司令部へ転送済。 軍司令部より本土防衛総軍司令部へも』

(コード999、そのカウントダウンが始まった、そういう事か・・・くそっ!)

『内部情報から、恐らく後・・・15分から20分が勝負だと考えられる。 それ以上かかれば、横浜内部の実行部隊戦力は消滅する。 命令だ周防、受信解除を』

「・・・了」

通信が切れると同時に、周防少佐は無意識にコクピットの側面障壁を拳で殴りつけていた。 痛みは感じない。 怒り、焦燥感、無力感、そして少量の絶望感。 痛みを感じない。
目が血走っている。 きつく食いしばった唇が破れ、かすかに血が滲んでいる。 昔、イベリア半島で受けた古傷の右頬の裂傷跡が、薄らと血の色に染まった。

ひとつ、大きく、荒い息を吸い込み・・・操作パネルに手を動かす。 受信解除コード、打ち込み。 識別個別コード、パスワード・・・すべて打ち込み、きつく目を閉じた。

「・・・ゲイヴォルグよりジューファ。 美鳳、話がある・・・」

この場の最先任指揮官、国連軍の超美鳳少佐へ、秘匿回線を開いた。






2001年12月30日 0235 川崎沖 帝国海軍第5戦隊 戦艦『出雲』 後部甲板


『シーバード501、テイクオフ』

『LSO、シーバード501、テイクオフ』

『続けてシーバード502、テイクオフ』

『シーバード502、テイクオフ、ラジャ』

戦艦『出雲』後部甲板から、LSO(Landing Signal Office)の指示で、2機のSH-60K哨戒ヘリが飛び立った。 乗員を除き、1機につき8名を収容出来る。
更には周囲の艦隊各艦のうち、ヘリ搭載能力を有する大型艦よりAH-1Wスーパーコブラが4機。 更にアグスタウェストランドMCH-101が1機。
アグスタウェストランドMCH-101は乗員の他に収容人員30名の能力がある。 SH-60Kと合わせれば46名を収容できる。

更には母艦戦術機甲部隊から、2個飛行隊(大隊)73機が飛び立った。 全機が95式Ⅲ型多目的誘導弾を装備している。 1機当り36発。
他にも館山沖に移動していた揚陸艦からは、LCAC-1級エア・クッション型揚陸艇が3艇、既に発進している。 2艇はLAV装輪装甲車を計8輛搭載している。
残る1艇は、車両甲板上に人員輸送用モジュール(personnel transport module, PTM)を設置し、最大180名を収容できる様にしていた。

『回収部隊、発進した』

『近接航空制圧部隊、高度30で横浜沖へ飛行中』

『戦術機甲部隊、間もなく横浜基地周辺へ広域飽和攻撃を開始する。 展開する陸軍部隊へは緊急通知済』

『回収部隊、近接制圧部隊は鶴見上空で待機。 『最終工程』実施確認後、速やかに収容作業に入れ』

射撃管制指揮所で、スピーカーから流れてくる情報を聞きながら、『出雲』砲術士の綾森喬海軍中尉は、ポーカーフェイスのその下で、激しく毒づいた。

(くそっ・・・だめなのか? やっぱり、だめなのか?)

艦隊から『回収部隊』が横浜へ・・・間違いない、国連軍横浜基地首脳部を『回収』するためだ。 つまり、横浜基地はもう救えない、上はそう判断したのだろうか。
情報では、義兄の部隊が展開しているはずだ。 隣でダブル配置について、あれこれと教えている後任・・・周防直純海軍少尉候補生の実兄の部隊も。

艦は砲撃目標を『町田ゲート』に移している。 砲戦距離3万5000、出雲の主砲にとって、然程遠い距離ではない。 艦対地ミサイルならば、指呼の間だ。
それがつい先ほどだ、目標の変更指示が入った。 変更目標は横浜基地。 その第2滑走路外周部。 少なくとも滑走路へ直撃弾は出すなと言う。 ゲート付近は厳禁だとも。

(見ればわかる・・・戦術機甲部隊が張り付いて防戦中だ。 滑走路よりゲート寄りに着弾すれば、戦術機でも爆風で大破する・・・それが戦艦主砲の艦砲射撃だ)

本当にダメなのか? もう手段はないのか? 狂おしい程の速さで、思考が脳内を巡る。 が、哀しいかな、綾森中尉は『中尉』だったのだ。






2001年12月30日 0240 神奈川県旧横浜市 国連軍横浜基地 第2滑走路


『艦砲射撃だ! 全機! 耐衝撃防御! 身を晒すなよ!?』

小隊長が怒声を張り上げている。 もう何が何だか、自分には判らなくなっていた。 無意識に耐衝撃防御姿勢を機体に取らせたのは、我ながら褒めてくれていいと思う。
彼方から地響きのような、重低音の轟音が連続した。 数秒後、まるで大地震に見舞われたような振動が襲ってきた。 激しく揺れる。 網膜スクリーンがぶれる。
スウェイ・キャンセラーを稼働させていなければ、コクピットでシェイクされただろう。 自分の機体、94式『不知火』壱型丙Ⅲ(壱型23型)が激しく揺れた。

「ふっ・・・ふっ・・・ふっ・・・」

教えられて以降、何度目か忘れた。 大きく口を開き、小刻みに大きく呼吸をする。 教えてくれたのは・・・誰だったかな?

「はっ・・・はっ・・・はっ・・・」

気付けば振動が収まっている。 馬鹿、もっと周りを気にするべきだ。 死にたくなければ。

『02より04! 当麻! まだ正気か!?』

ペア―――分隊を組む2番機の先任少尉から通信が入る。 同時に網膜スクリーンに上半身姿がポップアップする。

「04・・・より02! 当麻少尉っ・・・だいっ・・・じょうぶっ、です!」

何とか声を出せた。 しかしもう、何が何なのか、自分には判らない。

元々、自分は東部軍・・・西関東防衛任務の第4軍団、第46師団に属する戦術機甲大隊に配属された新米少尉だった。 今年の9月末に訓練校を卒業したばかりだ。
最初の乗機は『撃震』だった。 そして、その習熟訓練中の12月初旬のあの日。 いきなり、友軍と思っていた連中に(後に第1師団の戦術機甲部隊と分かった)急襲された。

大隊はあっという間に壊滅された。 尊大な大隊長。 叩き上げで人情家だった中隊長。 気さくで、美人で、秘かに憧れた小隊長。 あれこれ面倒を見てくれた先任少尉。
皆が、あの夜に第1師団の『不知火』に撃破され・・・死んだ。 自分は最初に撃破された口だったが、幸運にもコクピットは無事。 自身も怪我ひとつ無かった。

だが、パニックになりながら、撃破された機体から脱出した時の光景は、今でも忘れない。 撃破され炎上し、夜空を焦がす多くの機体と、混乱する通信回線から上がる声。
そして・・・傲慢とも見えるほど、屹立した姿勢で戦場を見下ろす(様に感じた)第1師団の戦術機群。 訳も判らぬ激情にかられ、護身用の自動拳銃を何発も撃った。

その後は何も出来なかった。 師団司令部さえ壊滅状態で、臨時に指揮を引き継いだ上級将校が臨時司令部を開設し、自分はそこの警備要員に組み込まれた。 戦術機は無かった。

暫くは第46師団(の生き残り集団)に居たが、甲21号作戦終結後に、いきなり転属命令が出され・・・友軍にあっさり撃破される初陣だった、ヒヨコの自分が・・・

(まさかっ・・・15師団だとはっ!)

日本帝国陸軍第15師団。 緊急即応師団で、最精鋭師団の誉れも名高い部隊。 甲21号作戦にも参加し、最後まで全軍脱出の時間を稼ぐ遅滞戦闘で殿軍を演じ、生還した部隊。
その中でも中核大隊の一つ、第151戦術機甲大隊に転属。 それを知った時、自分は・・・誇らしさは無かった。 有ったのは、ただひたすら、畏怖と恐怖だったはずだ。

そして転属し、機種変換訓練も殆ど無かった今日、いきなりの出撃! 相手はBETAの大群! 何も考えられず、一切の余裕はなく、ひたすら、先任や小隊長の指示で動くだけ!

『01より04! 当麻! それだけしゃべれりゃ、上等だ! まだ来るぞ! 構えろ!』

小隊長の声。 見れば、あれほどの衝撃だった艦砲射撃から生き残ったBETAの群れが突っ込んでくる。 無意識にレクチュアルを合わせ、トリガーを引く。
指を引きっぱなしではなく、何度も拳を握り込むように、小刻みにトリガーを引く。 これも先任に教わった。 引きっぱなしだと、自分の様な新米はあっという間に撃ち尽くす。

「はあっ・・・はっ・・・はっ・・・せ、先任っ! これって・・・いつまでっ・・・はっ、はっ・・・」

もう何時間、こうしてBETAと戦っている? 何度、リロードした? 何度、後方までコンテナを拾いに行かされた? 覚えていない!

ペアを組む先任少尉から、返答はなかった。 代わりに聞こえてきたのは小隊長・・・半村真里中尉の声だった。

『いつまで? 中隊長の命令があるまでだ! 大隊長が判断されるまでだ! それまで、俺の指示に従え! お前は・・・お前らは俺の小隊だ! 死なせやしねぇよ!』

小隊長の声。 冷静に考えれば、ヒヨコの自分など、真っ先に戦死するだろう。 だけど、何故か安堵できた。 理由は判らない。

『小隊長! こいつ、やっぱり『持って』ますよ!』

『そうです。 初陣で1連隊に殴り掛かられて、『撃震』で生き残って。 今もこうして声が出せるんですから!』

2番機の渡部邦夫少尉、3番機の矢野桃子少尉。 1期上と半期上の先任少尉たち。 声が笑っている。 何故だろう? 自分、何かやらかしたか?

『ははっ! 確かにな! おい、当麻! 現時刻は?』

え? なに? 現時刻? 慌てて網膜スクリーンに集中する。

「はっ・・・はっ・・・げ、現時刻っ・・・0244です!」

訳が分からず、ヤケクソで答えた。 答えながら反射的に、突撃級の陰から迫ってくる戦車級BETAの小さな群れに、36㎜砲弾を浴びせかけた。

『はっ! そうだ! そして戦闘開始時刻は・・・えっと? 昨日の2208か、4時間40分ほど前だ。 つまりそれだけの時間、くそBETAと戦っている!』

「は? はい・・・?」

え? それが? え? 何だ? すぐそばで射撃音。 小隊長と渡部少尉、矢野少尉の機体から、36㎜砲弾が雨霰と発射され・・・小型種BETAの群れを赤黒い霧に変えた。

『おい当麻。 4時間40分て事はだ・・・ええと、何分だ・・・』

『280分ですね』

突撃級の死骸で作った『バリケード』を超そうとした戦車級BETA数体を、矢野少尉の機体がナイフで切り裂いている。

『・・・おい、矢野ぉ・・・ま、いい。 当麻! 280分ってことはだ、8分の何倍だ?』

「はっ!? ええと、ええと・・・」

『35倍ですね』

含み笑いを噛み締めたような声で言いながら、ペアを組んでいる先任の渡部少尉機が突撃砲の120㎜砲弾で、横腹を見せた突撃級を仕留めた。

『渡部ぇ、貴様ぁ・・・も、いいや・・・おい当麻、貴様は今晩、既に『死の8分』の35倍もの時間、BETAと戦い続けているってことだ!』

「・・・あっ!?」

忘れていた。 いや、気付かなかった。 そうか・・・『死の8分』、いつの間にか、とうに過ぎていたのか・・・小隊長機は36㎜砲弾で戦車級の群れを掃討している。

小隊長の半村中尉と、先任の渡部少尉が、戦いながら爆笑する。 矢野少尉も笑っていた。

『な、当麻。 実際、実戦で1時間を超す戦闘なんざ、大規模戦闘以外、そうそう無いぜ。 大抵は30分以内だ』

『280分・・・てことは、普通の戦闘出撃10回分は稼いでいるわね』

『戦闘出撃10回って、結構ベテランだぜ? 普通の部隊じゃ!』

先任2人から、『よっ! ベテラン衛士!』などと囃される。 信じられない、今はまさに戦場なのに! 目前にBETA群が迫っているのに! そう困惑しながらトリガーを引く。
左翼に小規模な要撃級の群れ。 こっちに向かってきていないけれど・・・中国軍の側面に迫っている。 アレを放置すれば、友軍が痛撃を受ける。

『11時! 要撃級10! 砲撃します!』

120㎜砲の狙いを付けて発砲する。 1発目、外れ。 2発目、命中! 3発目も命中! 要撃級1体撃破! 他の個体へも、小隊長や先任たちが攻撃を加えている。

『なかなか、良い目をしているなぁ』

通信回線に、不意に割り込んできた声。 あまり聞き慣れない声、誰だっけか・・・

『大隊長の言う通り、『何か持っている』奴でしたよ、中隊長』

中隊長・・・あ! 中隊長だ! 八神大尉の声だった!

『ハリーホークは、この巣穴に籠って制圧射撃続行だ。 多分、もう少しで大隊長から何かある』

『何かって? 何です? それより中隊長! いつまで続きますかね!?』

『我慢しろ、半村。 俺だって我慢している!』

『了解!』

何の事か、さっぱり判らない。 ただ、小隊長の声は少し苛立ちがある気がする。 中隊長も泰然としていながら、どこか焦燥感を感じるのは気のせいだろうか。

そんなことを考えながら、ひたすら、目に付いたBETA群を観察し、危険と感じた群れに36㎜と120㎜砲弾を浴びせかけ続けた。
多分、大隊長は何か、自分の考え付かない事を考えてらっしゃるのだろう。 中隊長はそれが何か判っているのかな? 小隊長は? 自分は判らない。

(判るのは・・・ここで手を止めたら最後、死ぬってことだけだ!)

少しだけ、まだやれる気がした。 そしてまた、トリガーを引く。







2001年12月30日 0248 神奈川県旧町田市南西部 第15師団戦術機甲旅団本部


「はっ・・・はっ! では師団長、横浜は・・・」

師団司令部・・・師団長と野戦通信で話している藤田准将の表情は、歴戦の猛者に違わずポーカーフェイスを保っている。 内心はどうであれ。

『最終手段に出たようだ。 反応炉をS-11で吹き飛ばす。 最後の戦術機部隊を突っ込ませたとの事だ』

「成功率は・・・低いかもしれません」

『戦術機乗りだった君がそう言うのなら、そうなのだろうな・・・周防へは?』

「先ほど、受信の封印解除命令を出しました」

『よし・・・発令された場合、衛星軌道から『あれ』が着弾するまでの10数分が勝負だ。 既に国連軍へは事前通達した。 横浜が失敗した時は、回収部隊が突っ込む』

「では、その援護を命じます。 その後は急速撤収」

『それで行く。 送れ』

「了解。 終わり」

通信機を置いて暫く、藤田准将は目を閉じたまま、微動だにしなかった。 旅団本部要員も、そんな准将に声をかけられない。

「・・・町田ゲート周辺の状況?」

「152、153を中心に、持ち堪えております。 横浜への流入率は、明らかに減少しています」

「判った」

指揮車両を出る。 彼方から聞こえる砲撃音。 今も部下たちが死闘を演じている。 そして自分は指揮車両で、様々な情報をもとにした戦況図を見て指揮するしかない。
戦術機を駆って、戦場で戦っていた頃が懐かしい。 まさに地獄、そのものだったが、そこには確かに仲間たちがいた。 今もその筈だ、その筈だ・・・

(責任は俺が・・・上層部がとる。 だが周防、貴様には色々と・・・嫌な思いをさせ続けたな・・・)

思えば少佐だったころ、今の妻が率いた中隊に所属する、元気な少尉だった。 色々と辛い思いをさせた。 半ば左遷のような形で、海外に出さざるを得なかったこともあった。
今現在は、自分の子飼いと言える数少ない戦術機甲部隊長の一人になっている。 言葉にしたことは無いが、長門少佐と共に、最も信頼する部下の一人だ。

(横浜の頭脳は、海軍が回収する。 周防、横須賀の部隊を壊滅させるな。 統一中華と、亡命韓国・・・このふたつと、今、摩擦を生じさせる訳にはいかない・・・)

それがどれほど困難でも、命令するしかなかった。






2001年12月30日 0252 神奈川県旧横浜市 国連軍横浜基地 第2滑走路


「っ!?」

スウェイ・キャンセラーが効いた。 機体のセンサーが僅かに拾った振動。 場所はほぼ直下。 波形は爆発時の波形。 大深度。

「美鳳!」

最早、コールサイン無しで呼びかける。 相手も同じだった。

『直衛! この振動! この波形! これなの!?』

「問い合わせる! ワンよりマム! 旅団本部から情報は!?」

『は、はい! 今のところ特には・・・っ! 旅団本部に問い合わせをしますっ! HQ! こちらゲイヴォルグ・マム! 横浜に関する最新リポートを! 繰り返すっ・・・』





2001年12月30日 0255 日本帝国 神奈川県旧川崎市川崎区 第1軍司令部


「総司令部より緊急信! 『巣穴は潰れた、獲物は這い出す』 以上です!」

「司令官閣下!」

「15師団に至急、伝えい!」





2001年12月30日 0257 神奈川県旧町田市南西部 第15師団戦術機甲旅団本部


「師団司令部より緊急入電!」

「緊急信、発信しろ! 151の周防少佐宛だ!」





2001年12月30日 0258 神奈川県旧横浜市 国連軍横浜基地 第2滑走路


『マムよりワン! 旅団HQより緊急信! 大規模なBETA群、逆流出現の危険あり! 現地点より1マイル(約1.6㎞)避退せよ、以上です! 大隊長!?』

「了解した! マム、長瀬! 貴様たちは八景島から横須賀へ抜けろ! 直ぐにだ! 横須賀基地まで退避しろ! 他のCP部隊もだ! 美鳳!」

『許可する! 全CPは八景島から横須賀へ避退せよ! 全戦術機甲部隊! 磯子まで後退する! 急げ!』

その頃には、全大隊指揮官機へ、C4Iシステムを通じて概要情報が共有されている。 各大隊長は異口同音に避退命令を出した。

「ゲイヴォルグよりジューファ! 連中が側面に散らばると面倒になる! 3個を上大岡へ! 3個を東戸塚へ!」

『判ったわ! ジューファより各大隊っ・・・』

暫くしてからの光景は、地獄であり、そして救いだった。 周防少佐はそう感じた。

横浜基地のメインゲート、そしてAからCゲート・・・それぞれから、無数のBETA群が湧き出てきた。 ハイヴより湧き出るBETAの大群、正に悪夢の光景。
しかし目前のその光景は同時に、この・・・無数のBETA群が、もはや横浜の大深度に存在する反応炉に『見切りをつけた』証左なのだ。

「こっ・・・これでっ・・・甲22号の悪夢は・・・回避したっ」

周防少佐も流石に、声が枯れている。 気を抜けば崩れそうな気がする。 同時に横浜基地に向け、その全基地要員に対し、無意識に敬礼をしていた。
基地内と言う極めて限られた閉鎖空間での、BETA群との死闘。 恐らく突入していった戦術機甲部隊は無論、肉弾戦を展開しただろう機械化歩兵部隊は全滅だろう。
どれだけの犠牲を出したのか、伺い知れない。 横浜基地は今なお、BETA群を吐き出し続けている。 その中で作戦を実行し、成功させ、地上の日本軍へ連絡した者達がいる。

―――敬意を賞さず、どうするか。

網膜スクリーンの片隅で、同僚の各大隊長たちも敬礼していた。 部下の中隊長たちもだ。 首脳部の考えなど、今は一顧だにせず。 ただ、勇敢だった者たちへ、敬意を。





地上に展開していた日本軍は、横浜基地から『脱出』したBETA群に対して、夜通し追撃戦を仕掛け続けた。 居住区域を避けるため、ルートを固定する作戦を仕掛けて。
甲府から松本平、大町を経て糸魚川まで。 西部軍管区の各部隊も動員し、BETA群を各所で削りつつ、日本海へ叩き出すことに成功する。





2001年12月30日 1352 日本海 隠岐の島北方100海里海域 第411護衛戦隊


汎用駆逐艦『竹』は、この艦名を持つ艦としては3代目である(初代は『樅』型駆逐艦の6番艦、2代目は『松』型駆逐艦の2番艦)
基準排水量3,500トン、満載5,200トン、全長137.00m COGAS方式機関を搭載し、最大速力は30ノット以上。 巡航20ノットで6,000海里の航続力。
兵装は62口径76㎜単装速射砲1基の他、20㎜CIWS、シースパロー、ハープーン、アスロック他。 旧式化しつつあるが、海上護衛戦隊としては使い勝手が良い。

弱い冬の日差しの、冬の日本海。 波の荒れた航海。 だが艦内は静まり返っているようでいながら、緊張感に包まれている。

「・・・水測より報告。 海底のBETA群、進路、旧江陵市方面へ向け移動中。 およそ1万8000」

「了解」

報告を受けた艦長は、艦橋左舷側の小さな椅子、通称『お猿の腰掛』と呼ばれる司令席に座る戦隊司令に対し、具申する。

「司令。 水測の聴音結果、変わらず。 連中は鉄原(チョルウォン)を目指しているようです。 追撃を行いますか?」

汎用駆逐艦だとて、海中のBETA群への攻撃手段は持っている。 僚艦の『槇』、『榧』、『椿』と共同すれば、数百体は『潰せる』筈だ。 しかし冬の海を見続ける司令は、違った。

「・・・いや、最終方向さえ確認できれば、それでよい。 この辺りは大和堆の最浅部だ。 飛び掛りはないと思うが、不注意に攻撃を仕掛けることもあるまい」

「・・・はっ」

「艦長、舞鶴へ連絡。 『BETA群進路、鉄原を確認』 以上だ」

「了解です」

これで・・・これで、国内のBETAの巣は無くなった。 1998年以前に戻せたのか? いや、国内の疲弊を考えれば、とてもそう思えない。 戦隊司令はそう思った。

「が・・・陸軍さんの貼り付け戦力は、整理できるか・・・」

恐らく数年後には、半島上陸・・・奪回作戦が立案されるだろう。 その後は? 満州、中国本土、東南アジア・・・悲願の最終目標まで。

「生きているうちに、能う事はあるまいが・・・」

灰色の空、冬の日本海を見つめながら、隊司令はそれでも、微かな光を見た気がした。





[20952] 終章 前夜
Name: samurai◆fb16190c ID:d442e510
Date: 2021/03/06 15:22
2001年12月30日 0025(日本時間12月30日1425) アメリカ合衆国 ニューヨーク 国連本部ビル


「ならば、合衆国は『餌』に食いついたと・・・」

「ああ・・・『アトリエ』攻略を独占できるのだ、どちらに転んでも損は無い・・・」

「日本の国連全権大使も、渋々、の様子だったな・・・」

「あれはポーズさ・・・『アトリエ』攻略を米国に独占させる代わり、第4計画の接収を認めさせたからな・・・」

各国の代表団の間で囁かれる話。 全世界は急遽、大博打以外の何物でもない大作戦を決行することとなった。 その信ぴょう性はUNCSC(国連統合参謀会議)が示した。
国連へ派遣されている各国軍人も、同じだった。 この異常な作戦、その真意、その意味、その影響・・・少しでも自国の国益に利する情報の収集に努めている。

ただ時間がない。 作戦発起は2001年12月31日1500(日本時間2002年1月1日0500)、あと38時間30分しか残っていない。
その間に戦闘序列を決定し、動員し、兵站準備を整え、部隊を移動させ、作戦を周知させ・・・軍事的には『素人の妄想』と称して良いはずだ。

「リヨンは大西洋総軍第1軍。 ロヴァニエミは大西洋総軍第3軍が多少の陽動か・・・」

「ロヴァニエミは仕方あるまい。 北欧諸国には余力が全くない、ミンスクも同じだ。 東欧の連中と、ソ連軍の一部がちょっかいをかけるだけだ」

「ブダペストは地中海総軍第1軍。 マシュハドとアンバールはインド洋総軍。 定期便以上の事は出来まい? 下手に突けば今度こそスエズを越されかねん」

「マンダレーは太平洋総軍第12軍だが・・・敦煌も担っている。 無理だな、あそこはH21に抽出した戦力が、未だ日本に残っている。 ましてや敦煌まで、など・・・」

「重慶、鉄原、ブラコエスチェンスクの3か所は太平洋総軍第11軍だが・・・論外だ、先日の横浜で戦力を消耗しすぎた。 日本もそうそう大規模な派兵は出来まい」

「北樺太のソ連軍は、流入阻止に必死だしな。 妥当な線で、日本軍主体で鉄原への陽動か。 統一中華はどうかね?」

「福建の大陸橋頭堡の確保が精一杯の連中だぞ? 重慶まで直線距離でさえ、1400㎞だぞ?」

「愚問だったな。 まともな陽動を仕掛けうるのは、リヨンへの大西洋総軍第1軍とEUの連合軍。 ブダペストへの地中海総軍第1軍とアフリカ連合派遣軍だけか」

「鉄原へは、日本軍の西部軍集団と九州軍集団(第2総軍)から、数を出すそうだ。 代わりにまだ日本にいる国連軍第11軍の指揮権を寄越せと」

「飲まねばなるまい? 今からガルーダスへ帰しても、間に合わん。 せめて東西で陽動を仕掛けねばなるまい」

「ただし、横浜の指揮権は、今作戦終了までは国連に属する事で、日本を了解させた。 何せ、あそこの魔女殿の立案案件だ。 まだ指揮権移譲は出来ない・・・横浜だけは」

「それ以外は? 米太平洋艦隊は?」

「ごねている。 が、海上作戦の統一指揮権を、日本海軍の小澤大将から第7艦隊のヴァン・ヴァスカーク中将に移管する方向で調整中らしい」

「小澤提督では、米国も感情的に納得しないだろう。 陸上と、統合作戦指揮は?」

「日本の嶋田大将だ。 昨日、予備役編入されたのだが・・・即日招集、部隊を押し付けるそうだ。 もっとも大将クラスで、野戦を任せうる人材が、今の日本は払底している」

「・・・あのクーデター騒ぎか。 統合作戦指揮は嶋田大将、陸上作戦指揮は誰が?」

「宮嵜中将。 第2総軍の司令官、今邑大将は日本本国に留まる」

「妥当か。 あの将軍は戦上手だ」






2001年12月30日 1645 日本帝国 若狭湾 舞鶴 戦術機揚陸艦『松浦』


「艦長、いったい何なのでしょう、今回の出撃は・・・?」

「副長、俺程度では、そこまでの情報は判らんよ」

戦術機揚陸艦『松浦』は、多忙の極みの中にいた。 大量の物資の搬入。 『松浦』は完全充足の1個戦術機甲大隊を『運搬』出来る艦だが、今のままでは半数しか運搬できない。
運搬作業を見つめる、艦橋内の艦長と副長。 海軍内での傍流ゆえに、こういう時は情報が少なすぎ、言い知れぬ不安感が拭えないものだ。

「なんにせよだ。 正月の0500には半島東岸の、旧江陵市沖合50㎞の海上に達しなければならん。 巡航20ノットで丸1日、明日(12月31日)0400に出港だぞ」

「あと11時間ですか・・・」

副長としては、甲21号で受けた損傷が、応急修理だけと言うのが気にかかる。 機関も出来ればオーバーホールさせたいと、機関長より懇願されている。
甲21号作戦後、12月26日に若狭湾に入泊して4日。 応急修理と負傷した乗員の後送、及び半減上陸(と言っても、BETAに食い荒らされた市街は何もないが)

「・・・今度は、いったい何を運ぶのですかね・・・」

「副長、本艦は『戦術機運搬艦』だぞ? それ以外、何を運べと?」

「そして、半島東岸へ、ですか・・・ああ、嫌だ、嫌だ・・・」

「正直は美徳だがね、副長。 その言葉は、俺の前だけにしろよ?」






2001年12月30日 1700 日本帝国 松戸 第15師団駐屯地


「嫌だ、嫌だ・・・本当に、嫌だ・・・」

どこかで、誰かが呟いたセリフと同じ言葉を、周防少佐が顔を顰めて呟いている。 周囲の部隊長級も同感だが、周防少佐ほど『素直に』なれないでいる・・・苦笑していた。

「いや・・・直衛。 お前、その年と階級になって、嫌だ、嫌だ、は、無いだろ?」

僚友にして親友の長門少佐が、呆れ口調で混ぜ返す。 大隊最先任戦術機甲指揮官の荒蒔中佐も同感のようで、表情に苦笑を張り付けていた。

「しかし・・・鉄原ハイヴへの陽動作戦、ですか・・・」

佐野少佐が、今一つ納得のいかない顔で呟くと、間宮少佐、有馬少佐も同感だと頷く。

戦術機甲部隊指揮官が使う会議室。 急遽、師団司令部経由で入ってきた命令に、各部隊長も困惑していた。

「参加戦力は第2総軍、西部軍管区から第5師団(甲編成)、第31師団(丙編成)。 九州軍管区から第19師団(乙編成)の3個師団。 それに海軍の聯合陸戦第4陸戦団(舞鶴)」

「米軍から『ラファイエット(第11戦術機甲師団)』と・・・国連軍第12軍からの助っ人で来ていた『インドシナ(UN第23師団)』と『グルカ(UN第123師団)』ね」

「6個師団と1個旅団(海軍陸戦団)、2個軍団・・・ぎりぎり、1個軍相当の戦力。 これで鉄原に・・・?」

佐野少佐、間宮少佐、有馬少佐が読み上げた戦力表。 荒蒔中佐が付け足す。

「上陸はしても、深部侵攻は無しだ。 日本軍は北の旧襄陽郡、米軍と国連軍は西の平昌郡、それぞれの境目までだ。 陽動だからな」

「侵攻距離にして、40㎞行くか、行かないか・・・」

「海軍戦力は第1艦隊と、米第7艦隊? 第2艦隊は、滅茶苦茶叩かれましたしね」

第1艦隊と、第3艦隊から第3戦隊、第2航空戦隊と第12戦隊が分派・合流する。 これに米第7艦隊のうち、第75-2任務群と、第70-1任務群が加わる。

「戦艦6隻(大和、武蔵、駿河、遠江、アイオワ、ニュージャージー)、空母(戦術機母艦)が5隻。 その他諸々・・・まあ、対地支援は受けられますか」

「にしてもだ。 1900に出撃、戦術機での高速移動で、舞鶴まで行け、それも明日の0330までに・・・8時間で松戸から舞鶴だ。 行けるけどな、行けるけれど・・・」

「着いたら、丸々半日、機体の整備が必要だな」

「整備班はヘリに押し込んで、数か所中継して運ぶしか・・・」

甲21号作戦、そして横浜基地防衛戦。 立て続けの激戦。 そろそろ部下たちを休ませなければ。 機体だってオーバーホールが必要だ。

「だから、今回は『選抜中隊』だ」

そう言う荒蒔中佐も、疲労の色が見える。 第15師団、戦術機甲部隊から選抜した中隊規模の部隊を『東部軍の面子が立つために』派遣する。
他にも第14師団、第37師団など、『生贄』にされた主力師団からの選抜中隊も存在する。 が、それで気休めになる訳でもない。

「とはいえ、何時までも愚痴の言い合いではな。 選抜は旅団長(藤田准将)から、俺が一任された。 今から言う、済まんが異論は無しだ」

他の5人の部隊長も、頷く。 実際、軍務なのだ。 そして彼らは部隊長なのだ。

・第15師団選抜中隊
中隊長(兼第1小隊長) 荒蒔中佐
第2小隊長 周防少佐
第3小隊長 長門少佐

留守部隊指揮官 佐野少佐
留守部隊指揮補佐 間宮少佐、有馬少佐

「各小隊の選抜は、周防と長門に一任する。 内容が内容だ、留意してくれ」

「判りました」

「了解です」





「で!? 何故、私が留守部隊指揮官なのですか!?」

第151戦術機甲大隊長室で、遠野万里子大尉が周防少佐に食って掛かっている。 珍しい事もあるものだと、先任の摂津大介大尉と、次席の八神涼平大尉が面白そうな表情だ。

周防少佐が編成表から顔を上げ、平静な表情と声で遠野大尉の『抗議』に反論する。

「・・・うちの大隊からは、突撃前衛小隊を出す。 俺も、摂津も八神も、元は突撃前衛上がりだ。 連れてゆく半村(半村真里中尉)は、現役のストームバンガード・リーダーだ」

「・・・っ!」

周防少佐の淡々とした説明の前に、絶句し、言葉を失う遠野大尉。 彼女自身は打撃支援、又は砲撃支援上がりの衛士で、突撃前衛の経験は無い。
しかも、甲21号で自身の中隊の損害が大きく、横浜基地の防衛戦では大隊長に中隊指揮を委ねざるを得ず、自身は第2小隊(左翼迎撃後衛小隊)を指揮した。

その為に、今度こそは・・・の意気込みだったのだ。

「しかしっ・・・ですがっ・・・!」

「遠野。 貴様の中隊指揮能力に異議を言っているのではないぞ。 貴様は冷静に戦場を俯瞰できる能力がある。 今後、より大きな規模の部隊を指揮できる能力がある」

周防少佐が、諭すように言う。 最近の『強面』大隊長ぶりとは、打って変わって穏やかな声だ。

「要は、適材適所だ。 俺も、摂津も、八神も・・・半村も、いわば『鉄砲玉』上りだ。 逆に戦場では、その辺の空気を互いに読み合える。
そして今回は選抜中隊だ。 俺たち『突撃前衛小隊』の手綱は、中隊長として荒蒔中佐が握る。 支援を長門少佐が率いる小隊がする・・・」

そこで、言葉を区切る。

「貴様も、部下を見ているだろう? フリッカ(第3中隊)の鳴海(鳴海大輔中尉)の小隊だ。 互いにどう動くのか、体に感覚で染みついている。 俺たちもそうだ」

次第に俯き加減になる遠野大尉。 そんな姿に、周防少佐は内心で苦笑する。

(・・・やれやれ。 こう言うと、法務部が五月蠅いが・・・国連軍出向の頃から、女性の部下の扱いは苦手だ・・・俺も進歩が無いな・・・)

そう言えば、初めて死なせた部下は、女性衛士だった。 国連軍時代、イベリア半島。 だからと言う訳ではないのだが。 不意に思い出すものだ。

「不在の間、大隊長代理を命じる。 再建途上の部隊で難しいが、貴様なら任せられる。 もし、俺や摂津、八神が未帰還となれば・・・遠野、貴様が大隊長だ」

「そんなっ・・・ことはっ!」

「ああ、早々、死ぬ気はない。 これでも10年間、しぶとく生き抜いてきた。 俺はせめて、息子や娘が、孫の顔を見せに来るまで、死ぬ予定はないからな」

「うわ・・・フラグ立てたよ、この人・・・」

「いや、案外、立てては自分でへし折ってますぜ?」

「野暮天2人は、黙っていろ・・・遠野、俺からの頼みだ、大隊を暫く頼む・・・」

「・・・卑怯ですよ、そんな物言い・・・」

それでも、渋々ながらも、遠野大尉は抗議を引っ込めた。





「万里子!」

完全に納得はしていないが、それでも大隊長から話を聞き、仕方がないと無理やり内心に押し込めた遠野大尉は、中隊事務室へ戻る途中の廊下で名前を呼ばれた。

振り向くと、同期生が走り寄っていた。

「・・・しのぶ? どうしたの?」

遠野大尉の同期生で、大隊副官兼第2係主任(情報・保全)である、来生しのぶ大尉だった。

ロシア人の血が入ったクォーターの来生大尉は、日本人離れした美貌の持ち主だ。 遠野大尉にとって仲の良い同期の友人だが、内心で見比べられることに、少し自信が無い。

「その様子だと、大隊長に撃破された様ね」

「・・・何よ? 人聞きの悪い。 ええ、ええ! 私が浅はかでした! それでいいのでしょう!? ふん!」

普段は大隊一の『淑女』で通っている遠野大尉だが、親友の前では着ている毛皮の数枚は脱いでしまうものだ。 そんな親友の姿に、来生大尉が苦笑する。

「そうじゃないわよ・・・今回は、何時にも増して、本当に大変。 生き抜くことが大変な作戦。 だから大隊長も、生存の可能性が最も高い編成をした。
そして大隊も大変。 再建途上で、大隊長と中隊長が2人、抜けるなんてね。 だから、誰かがやらなきゃいけない。 中尉、少尉たちを安心させ、士気を保ち、再建を継続する」

横から来生大尉の顔を見ていた遠野大尉が、割と真剣な親友の表情に少し考え込む―――そうなのだろう。 私の場所は、今回の選抜中隊じゃない。

「・・・摂津大尉や、八神大尉に任せていたらって・・・ちょっと怖いわね」

「そうそう。 あの2人より、万里子に任せる方が正解なのよ」

ここに摂津大尉と八神大尉がいたら、大いに異議申し立てをするだろうが・・・やはり、自分は残って、大隊長の後顧の憂いを払拭するのが役目のようだ。
そう考えた途端、すべき事が山のように脳裏をよぎる。 戦死・負傷した大隊員の報告を師団人事部へ。 補充要員の申請もまだだ。 機体の整備の手配も必要。 後は・・・

「こっちも戦場よ、万里子」

「しのぶ、貴女、逃がさないからね?」

吹っ切れたような表情で、中隊事務室へ向かう親友の背中を見て、来生大尉は思う。 

(・・・万里子の『あれ』は・・・恋愛免疫のないお嬢様の『麻疹』の様なものよね・・・)

親友が、上官に対して好意を抱いている事は承知している。 それが決して実らない事である事も(何せ、上官の夫人には、散々お世話になってきたのだから!)

「さっさと・・・他に男を見つけなさい。 全く、手のかかる子だわ・・・」






2001年12月30日 1830 日本帝国 帝都・東京 市ヶ谷 国防省ビル


「祥子」

呼ばれて振り返ると、同期の親友と、1期後輩の親友、2人が連れ立って現れていた。 国防省機甲本部第2部第2課戦力分析班長の綾森祥子少佐は、珍しいものを見る目だった。

「沙雪? 愛姫ちゃん? どうしてここ(国防省ビル)に!?」

同期生の和泉沙雪少佐、1期後輩の伊達愛姫少佐。 2人とも戦術機甲部隊指揮官で大隊長を務めている。 早々、国防省に顔を出す用事など・・・

「・・・ああ、そうか、そうね。 2人とも、戦術機を降りたのだったわね」

ホッとしたような、寂しいような、そんな綾森少佐の表情を見て、和泉少佐が苦笑する。

「だってさ、年が明ければ、私は・・・あんたもだけど、29歳だよ? 愛姫だって28歳のお母さんだよ? いつまでも戦術気乗りって訳にもね」

「でも正直、沙雪さんが統幕3部(統帥幕僚本部編制動員部)の編制課とは、驚きましたけどね」

「私はね、愛姫。 あんたが中央訓練校の『期指導官』になるって人事の方が、腰を抜かしかけたわよ?」

綾森少佐の同期生の親友、和泉沙雪少佐は、年が明ければ戦術機を降り、統帥幕僚本部第3部(編制動員部)編制課勤務を拝命している。 
1期後輩の親友、伊達愛姫少佐も戦術機を降り、こちらは中央(衛士)訓練校の教官、それも『期指導官』と言う重要な役割を任じられていた。

「そうね、期指導官ともなれば、学校長(少将)、副長(大佐)、教務主任(中佐)、訓練主任(中佐)に次ぐ、訓練校のNo.5だものね」

「訓練生にとっての期指導官って、一番影響を受ける相手よ? 誰が考えた人事なのやら・・・」

「いやぁ・・・我ながら、帝国陸軍も度胸があるなぁ、ってね・・・それを言えば、沙雪さんだって。 本来なら陸大(指揮幕僚課程)出身者のポジションじゃない?」

「陸大出の高級将校が払底しているのよ。 私たちの期も1年3か月後・・・再来年度から陸大に放り込まれるし・・・祥子もでしょう?」

「ええ。 来年度は16期が訓練校出身として、最初に陸大入校の期になるわね」

綾森少佐と和泉少佐は訓練校第17期、伊達少佐は第18期だった。

「私も、その予定で言えば2年後の春に放り込まれる予定・・・って、上官から言われたなぁ。 推薦されればだけれど」

「大丈夫でしょう。 愛姫ちゃん、第1選抜に戻ったし。 士官学校出だけじゃ、定員が埋まらないのよ」

そんな話で、しばらく時間がつぶれたが。 そこは現役の陸軍少佐同士。 差し迫った『作戦』の話になった。 和泉少佐が、親友を値踏みするような目で見て、問いかける。

「国防省には、情報回っていなかったの?」

「ええ、事前には、全く。 情報本部が矢面に立たされて、気の毒になってきたわ」

「横浜の発案でしょ? 連中、事前に把握していたのかな?」

伊達少佐の独り言の様な発言にも、綾森少佐は無言で首を振った。 どうやら今回、横浜は『シロ』の様だ。 とは言え、前例にないほど急遽決定した作戦だ。

「祥子・・・あんたのトコ。 愛姫もだけど。 15師団選抜は・・・?」

「課内回覧されたわ。 突撃前衛小隊を指揮するようね。 昔に戻って、無茶しなければいいのだけれど・・・愛姫ちゃんも心配でしょ?」

「まあ、ウチの宿六は・・・その辺、要領良いですからね。 迎撃後衛だから気楽だ、なんて考えているんじゃないですか?」

第14師団でも、和泉少佐と伊達少佐の第37師団でも、選抜中隊が編成されている。 だがそこに彼女たち2人の名前は無かった。

「来年早々の異動が決定している者を出せるか、って言われたわ・・・森宮少佐に」

「本当なら、先任の沙雪さんと私が出るべきなのだけどね・・・美園と仁科には、申し訳ないなぁ・・・」

第37師団選抜中隊は、最先任の森宮少佐が中隊の指揮を執り、第2小隊を美園少佐が、第3小隊を仁科少佐が、それぞれ指揮を執るらしい。 留守部隊指揮官は源少佐。

「源をね・・・押し止めるのが、ホネだったわ」

「最近は落ち着き始めているけれど、まだ『冷たい熱さ』があるかなぁ・・・」

もう1人の同期生の事を聞き、内心で安堵する綾森少佐。 今彼を戦場に出せば、何の感情もなく死地に飛び込むかもしれない。
亡くなった彼の妻も、綾森少佐、和泉少佐の同期生の親友だった。 あれ以来、源少佐がいつも浮かべてきた、穏やかな微笑を見た者はいない。

今は、あまり触れたくない。 綾森少佐は意識して他の話題に持ってゆく。

「14師団は、豪華メンバーよ・・・中隊指揮を宇賀神中佐が。 第2小隊を岩橋中佐が。 第3小隊を若松中佐が。 だって・・・」

「なに!? その鬼神と、武神と、戦神の組み合わせは!?」

「うわぁ・・・14師団の3個戦術機甲連隊、その最先任部隊長ばかり、持ってきたかぁ・・・」

流石に和泉少佐も、伊達少佐も驚いている。 今、名の上がった3人は、現在の日本帝国陸軍戦術機甲部隊指揮官中、確実に5本の指に入る猛者ばかりなのだから。
15師団の荒蒔中佐もその中に入るし、周防少佐や長門少佐も、10本の指には数えられる歴戦の猛者だが・・・14師団の3人の名前と実績には、まだ及ばない。
そして14師団にも、彼女たちの見知った顔は多い。 と言うより、14師団の前身だった部隊に、期間の長短はあれ、以前は身を置いていた彼女たちだ。

「木伏さんは外された様よ。 永野(永野蓉子少佐)から、悲鳴のような連絡があったわ」

「永野、ご愁傷様。 まあ、木伏さんはねぇ・・・来春に退役だしね・・・」

「永野、骨は拾ってあげる・・・少佐にもなって、少尉の頃と同じように、鬼から怒鳴られたくないよねぇ」

宇賀神中隊の第2小隊第2分隊長(3番機)は、永野少佐の様だ。 和泉少佐も、伊達少佐も、薄情なコメントしかしない。 自分がその立場には、今更、絶対に戻りたくない。

「いずれにせよ、『主力』は第2総軍の3個師団と海軍の陸戦団。 それと米軍と国連軍の3個師団。 選抜中隊3個の運用、どうする気だろ?」

「現場の司令官、宮嵜中将でしょ? 何かしら、考えられるわよ」

綾森少佐も、伊達少佐も、内心では不安でいっぱいだ。 彼女たちの夫が、選抜中隊に選ばれている。 甲21号、横浜基地防衛戦。 この半月でどれほどの激戦を。 そして今回。

「まあ、今更、戦場で固まる様な繊細な神経は、擦り切れて無くした面子ばかりだし。 テンパって弾切れ起して、近接戦する羽目になるほど、素直な性根も持ち合わせていないし。
大丈夫じゃない? 前頭葉は産まれてくるときに、ちゃんとお母さんのお腹の中から、一緒に持ち出さなきゃいけなかったのよ、あの面子は」

「沙雪・・・酷い言い様ね、人の旦那を・・・」

「沙雪さんも同じだからね?」

「祥子、顔が怖っ! って、どういう意味よ、愛姫!?」

(・・・気が紛れるなら、付き合ってあげる)

和泉少佐は同期の親友と、1期後輩の親友の顔を見ながら、京都防衛戦で戦死した1期先輩と、クーデター騒ぎで殉職した同期生に話しかけた。

(美弥さん、麻衣子・・・支えになる女を喪った男って、ホント、面倒だったよ。 源は、現在進行形だけどさ・・・だけど、女も同じかもしれないからさ、だから・・・)

「―――あのバカ野郎2人を、そっちに連れて行かないでよね。 お願いだよ?」

小さな、小さな小声だった。 綾森少佐と伊達少佐の耳には、入っていなかった。 





2001年12月30日 2200 日本帝国 若狭湾 舞鶴鎮守府 兵站部事務棟


「で? 何を、どれだけ持って行けるのさ?」

「ビッグ・マム。 取りあえず、手あたり次第、ですよ」

舞鎮(舞鶴鎮守府)兵站部の兵站参謀に、半ば食って掛かるような勢いの沙村予備主計少佐に対し、舞鎮兵站参謀の主計中佐は肩をすくめながら言う。
階級で言うと沙村少佐は『陸軍予備主計少佐』で、兵站参謀は本職の『海軍主計中佐』だ。 陸海の違い、本職と予備の違い、何より中佐と少佐の階級差。
だが新任少尉の頃に艦で庶務主任をしていた彼は、当時の大陸戦線で地上に取り残された際、沙村予備中尉に助け出された事がある。 補給隊のトラックに拾われたのだ。

「何処にあるのさ? そんな物資。 この舞鶴も再建途上でしょうに。 余裕はないはずだね?」

「仰る通り」

1998年のBETA本土進攻で、舞鶴鎮守府は『半壊』の損害を受けた。 山陰から流れてきたBETA群の分派と、海軍連合陸戦第4陸戦団(旅団)が死闘を演じた結果だ。
1999年より再建が始まったが、2年近く経過した現在でも、往時の7割程度の機能しか回復していない。 とは言え、完全に壊滅した呉や横須賀鎮守府よりマシだが。

「舞鶴の兵站は、日本海防備部隊・・・護衛総隊の艦艇に絶対必要です。 常に大和堆を突破してくる海底のBETA群を監視、攻撃しなければなりませんから」

生き残った佐世保鎮守府は半島に対する防御、そして攻勢拠点。 再建途上の呉と横須賀の両鎮守府も、将来の大攻勢拠点。 対して、舞鶴鎮守府と大湊警備府は、海域防備の拠点だ。
それなりの海面面積を有する日本海。 半島の鉄原ハイヴ、大陸のブラコエスチェンスクハイヴ。 この2か所から日本海に流入するBETA群を日々監視し、追跡し、時に攻撃し・・・

これを休む日無く、毎日繰り返さねばならない。 消費される物資は膨大だ。

「ですが今、この舞鶴・・・と、周辺の若狭湾内には、琵琶湖運河の通過待ちの艦が溢れています。 兵站物資を残した支援艦艇も」

「ふん・・・根回しは?」

「第2艦隊の兵站参謀に。 同期です」

「第2艦隊は、佐渡島で叩かれたからねぇ・・・どの艦だい?」

「第2補給隊から、AKE(貨物弾薬補給艦)の『本巣』と『余呉』 AE(給兵艦)の『浦河』、『静内』、『幌尻』 AO(給油艦)の『笠間』と『千振』です」

「AOE(総合補給艦)は?」

「まさか、『摩周』まで分捕れと?」

佐渡島から脱出の際に便乗した艦で、琵琶湖運河の通過待ち(と称して、夜毎上陸していたが)をしていた沙村少佐。
その彼女に、臨時編成戦術機甲部隊の兵站参謀の役目をして半島へ行け、と無茶振りの命令が入ったのは、今日の昼過ぎだった。

「そうは言わないけどさ。 でもさ、せめて1隻は欲しいところだよね?」

「はぁ・・・何とか2番艦の『淡海』を回してもらえないか、調整中です。 『摩周』と3番艦『相模』は、第3補給隊と九州に急行中ですよ。 第2総軍向けに引っ張られました」

「ま、こっちで編成されるのは、2艦隊の生き残りから『鈴谷』と『矢矧』、それと『長波』、『巻波』、『秋霜』、『清霜』だそうだよ。 それと『松浦』と『渡島』に『志摩』さ」

「大型イージス巡1、イージス巡1、打撃駆逐艦4、戦術機揚陸艦3、これに随伴するのが補給支援艦艇7・・・これで手を打ってもらえないでしょうか、マム?」

「洋上補給は私の範疇外だからね。 陸上でまともに補給してやれるコンテナが確保できれば、あとは海軍さんの問題だね・・・『淡海』の件、部内で恨まれたくなきゃ、頑張れ」

「アイ、マム」

立ち上がり、部屋を出ようとした沙村少佐が、ある事に気づいた。 兵站参謀を振り返り尋ねる。

「支援艦艇の補給物資搭載率は・・・佐渡島分を差し引いての量かい?」

「運河を通過する補給艦艇から、『通行料』として根こそぎ降ろさせました。 後は政府がアメリカにおねだりすれば宜しい・・・搭載率は、95%に達しています」

あの時の沙村少佐の笑みは、まるで獰猛な女豹の様だった―――後に兵站参謀の中佐は、そう回顧していた。






2001年12月30日 2300 日本帝国 帝都・東京 本土防衛軍総司令部


「またぞろ、面倒な事を言ってきおった」

「豪州に居る亡命政府ですか。 鉄原ハイヴ陽動作戦に、兵力参加させろ・・・ですか」

苦虫を潰した様な岡村総司令官(岡村大将)と、冷ややかな笑みを浮かべる右近允国家憲兵隊司令官(右近允大将)

「まったく・・・『七星(UN第25師団)』は、第1陣で27日に琵琶湖運河を通過した。 今は太平洋上・・・硫黄島東方50海里の海上だ」

「琵琶湖運河を再通過するにせよ、九州を回るにせよ・・・半島までどんなに急いでも2日半、現実的には3日かかりますな。 作戦は終わっております」

「自国領内で行われる、大規模な陽動作戦・・・それも、全世界規模で行われる大作戦の一部。 それに自国軍が参加しないのは、国連軍憲章上、認められない、とな・・・」

「苦情は、国連に言って貰いたいものですな・・・で、閣下?」

「お引き取り願ったよ。 作戦日程の遅延を、貴国の全責任において、UNCSC(国連統合参謀会議)を説得し、了解と正式な承認を得る事。 書面にて正式通知される事。
そして・・・これはまあ、私の嫌みだがね。 参加兵力を派遣するのであれば、その兵站は全て貴国の責任の下、貴国が準備し、運用する事、だよ・・・」

最後に一言に、右近允大将も人の悪い笑みを浮かべる。 自国を喪失した彼らには、造船能力は存在しない。 家主の豪州も聖人ではない、貸し出しは不可能だろう。

「で、問題は?」

「便乗する連中が現れた。 美麗島(フォルモサ)に居候する、片割れの方だ」

「あの連中も、状況は同じはずですが? 総統府からも?」

「もう片方は、非常に親日的で友好的だ。 無理は言ってこない・・・外交ルートではなく、大使館の武官経由でな、UNに居る部隊で、顔を立ててくれないか、とな・・・」

「横須賀の連中ですか? あの連中は先日の横浜戦で、半壊の損害を受けておりますぞ?」

「両方とも、党上層部にとっては、外交政争の駒にすぎんよ」

それは、そうですな―――右近允大将もあっさり引き下がる。 参加させるとしても、せいぜい1個中隊規模になる。 戦術機揚陸艦を追加で1隻、見繕えば済む話だ。

「あとは、現場に任せましょう。 過保護は不要だが、あざとい駒扱いも禁止すると」

「影響の無い範囲で、勝手に動き回ってくれてよい。 その結果、全滅でもしてくれれば、尚の事宜しい」

その結果、多少でもこちらに損害が生じてくれれば、益々宜しい。 連中の頭を押さえつける材料にもなる・・・国家間の付き合いと言うものだった。






2001年12月31日 0430 日本海海上 旧京都府京丹後市 経ヶ岬沖10海里 戦術機揚陸艦『松浦』


「いやぁ、またお会いするとは、周防少佐」

「また、今度もお世話になります、艦長」

艦内の狭い士官室。 『松浦』艦長(海軍中佐)と副長(海軍少佐)、そして戦務長(海軍少佐) 戦務長は艦内の情報・管制を一手に担っている。 
陸軍側は荒蒔中佐、長門少佐、そして周防少佐。 陸海軍とも、中佐が1人ずつに、少佐が2人ずつ。 大尉クラスの陸軍側幹部は、逃げた。
正確には、艦内での戦術機整備にかかりきりでもある。 同乗している整備科(『棟梁』の草場信一郎少佐、『オヤジさん』の児玉修平大尉、他)に拉致されている。

「本艦の搭載能力から言えば、あと戦術機甲1個中隊とCP部隊1個、その他少々・・・くらいの空きは合ったのですが」

「補給コンテナを搭載しています。 射出機付きで。 ですので、丁度、1個中隊が定員一杯になります」

副長と戦務長の説明に頷く、陸軍側幹部3人。 強行軍で松戸から舞鶴まで移動してきて、乗艦するや否や、即出港したのだ。 

「整備の予定は、本日1500までの予定です。 それ以降は・・・」

「夕食は、1630にご用意します。 1730から2330まで、休息してください。 明0130に夜食をご用意します」

「ご配慮、有難うございます。 助かります」

艦長と荒蒔中佐の遣り取りの後、軽く懇親。 とは言え、酒は飲まない。 合成食とは言え、海軍の飯はかなりのものだ。 その工夫を、陸軍の給食部隊に教えて欲しいと思う。
牛乳寒天に、密柑を汁ごと合わせたデザート(繰り返すが、合成食だ。 なのに、どうして、ここまで美味なのか) 熱い紅茶。 3人の佐官は、食事だけは海軍になりたいと思った。

「いやぁ、佐渡島では・・・周防少佐の部隊を送り出した後は、急速後退したので被害は無かったのですがね・・・」

「隣で、僚艦がボカ沈喰らいまして。 流石に青くなりましたよ」

「撤退時には、今度は島から帆をかけて逃げ出してくる上陸部隊を収容しろ、と。 また急速前進で・・・と言っても鈍足な艦ですから、ヒヤヒヤものでしたね」

「そうしたら、最後の最後に、誘導を無視して着艦する戦術機が・・・」

戦務長の海軍少佐が、悪戯っぽい笑みで周防少佐を見る。 その視線に気づき、頭をかきながら申し訳なさそうな表情を浮かべる周防少佐。

「あ、いえ、その節は・・・大変、無礼をしてしまい、申し訳ありませんでした・・・」

その様子に、こいつ、また無茶をしたな、と気づいた荒蒔中佐と長門少佐。 

後任が、大変失礼を・・・と、艦長に謝罪する荒蒔中佐。 今度、こいつが無茶をすれば、構いませんから日本海に叩き込んでください、と笑って副長と戦務長に言う長門少佐。
いやいや、陸上で苦闘されたのですからな。 遺恨は全くありませんぞ―――笑って答える艦長と副長、そして戦務長。 1人、小さくなっている周防少佐。

暫くの寒暖の後、陸海の幹部たちは、自分の仕事に戻っていった。






2001年12月31日 1500 日本帝国 博多 第2総軍 九州軍管区司令部


『・・・と言う訳だ、宮嵜君。 寄せ集めの部隊を押し付けて申し訳ない。 が、2総軍で君以上に、こういうイレギュラーな用兵を指揮しうる者を思い浮かばん』

「有難うございます、閣下。 まあ、何とかやり繰りしてみましょう。 福田さん、助言、感謝します」

『ええて。 大した助言も出来へんで、申し訳ないなぁ、宮嵜君・・・』

鉄原ハイヴへの陽動作戦、その総指揮官兼陸上部隊指揮官に任じられた、九州軍管区第3軍司令官の宮嵜中将が、通信モニター越しに話す相手は、第2総軍司令官の今邑大将。
そして、佐渡島、横浜防衛線と、激戦を連続して指揮した、東部軍管区第7軍司令官の福田中将。 とは言え、福田中将は年明け元日に、大将昇進が決定している。

『海軍からは、第3艦隊と、第1艦隊からの分派艦艇。 それと米第7艦隊が支援を行う』

「はい。 ヴァン・ヴァスカーク中将とは、先ほど通信で話を。 米陸軍、国連軍の師団長達とも・・・陽動作戦は、やって見せます」

気負うではなく、淡々と、しかし静かな自信を目に浮かべ、言い切る宮嵜中将。

「第10師団の増派も決定下さり、有難うございます。 横須賀の国連軍1個中隊は、15師団から出張してきた藤田君に押し付けます」

東部軍の選抜中隊3個と、国連軍横須賀基地からの選抜中隊1個の統合指揮は、これまた『生贄』として出張させられた、第15師団の藤田准将が指揮を執る事となった。

『・・・7個師団で、半島へ行け、とは・・・本当に、申し訳ない、宮嵜君』

『ええか、宮嵜君。 部下の手綱を締めることも大事やが・・・君は、最後まで『冷たい熱さ』で戦況を見て判断せな、あかんぞ? 
まあ、君には『釈迦に説法』やろうし、上には嶋田さん(嶋田大将)が、老体押して出張って来て頂けるけどな・・・』

「・・・先輩、そこまで、おだてないで下さい。 思わず、その気になってしまう」

福田中将が、通信モニターに移っている訳は、東部軍からは大規模な戦力抽出が出来ない事。 選抜3個中隊が精々だったこと、そのことへの謝罪と、仲の良い後輩への気遣いだった。

(全く・・・福田さんは、相変わらず、下の者の使い方がうまい人だ・・・)

内心で苦笑する。 方言丸出しの柔らかい口調に、『恵比須顔』と称される、ニコニコした表情。 下士官兵や若い将校には、正に慈父(幹部には、それなりに厳しい)

「佐渡島、そして横浜・・・貴重な戦訓情報、感謝します。 では、最後の準備に取り掛かりますので、これで・・・」

『うむ・・・武運を』

『気張りや』

上官と先任の2人の姿が、通信モニターから消えた。

真っ黒になったモニターを見据えながら、宮嵜中将は脳裏で作戦要目を急速に修正し始めていた。






2002年1月1日 0330 日本海洋上 旧江陵市沖合100㎞洋上 戦術機揚陸艦『松浦』


真っ黒な海上。 何も言えない。

艦艇に乗る経験は何度もしている。 そして気付いた事は、自分は案外、海が好きだったのだ、という事。 考えてみれば、戦死した兄も、叔父も、従弟達も、海軍が多い一族だ。

陸軍将兵用に『特設』された煙草盆(喫煙スペース) 無論、船外だ。 真冬の日本海を吹き渡る寒風はかなりの寒さだ。 しかし、煙草を吸いたい。
ぼんやりと、夜の海や、寒天の夜空を煌めく星々を見ながら、ぼんやりとしている。 こっそり忍ばせたポケットフラスコ。 中身は秘かに手に入れたウィスキー。

喉を湿らせる程度に、口に含む。 立派な軍規違反だが・・・悪事の相棒が、隣で同じようにフラスコを傾けている。 喉を焼く熱い液体。
夜の洋上の闇に隠れて見えないが、付近の海域には他に、戦術機揚陸艦の『渡島』、『志摩』、そして『福江』が航行しているはずだった。
『渡島』には第14師団選抜中隊が。 『志摩』には第37師団選抜中隊が。 『福江』には国連軍横須賀基地からの選抜中隊が、それぞれ乗艦している。

「なあ、直衛・・・聞くところによると、横浜の連中は『オリジナル』を叩くそうだな」

「・・・米軍と一緒に。 さてさて・・・」

極秘の作戦内容。 本来ならば、現場部隊長の少佐では知りえない情報。 が、そこは軍隊だ。 同期生の繋がり、かつての上官・部下の繋がり。 様々なルートがある。
周防少佐と長門少佐。 10年来の戦友で、それ以前からの親友同士。 逝く共の激戦と共に駆け抜けてきた。 そんな彼らも、今回は妙に灌漑深い。

「成功すれば・・・30年は時間を得られるという話さ。 旅団長(藤田准将)が、どこからか、仕入れてきたネタだ」

「奥さんじゃないか? ま、失敗すれば即時、アメリカ主導のG弾集中攻撃か・・・軍内でも、重力異常の影響を精査しきれていないから、危険に過ぎる、って声もあるな・・・」

1本目を消し、2本目に火をつける。 フラスコから1口。

「俺は祈るよ・・・この星の全てに。 敬意を称するよ、米軍と・・・横浜の、実働部隊の連中に・・・」

「実働部隊の連中には、な・・・例え失敗しても、連中は紛れもない、戦場の勇者だな。 臆病でも、恐怖しても・・・紛れもなく、連中は勇者だ」

仄かな煙草の火の灯りと、暗闇に消し去ってゆく紫煙。 寒風の中、夜空を見上げる。 周防少佐が、ポツリと言った。

「あと1時間半・・・例え、卑怯と言われようと・・・自身と、部下たちを生きて還す指揮を執る。 そして陽動は達成して見せる」

「・・・『武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つ事が本にて候』 少し違う気がするが、俺もそんな気分だよ」


作戦決行時刻、2002年1月1日 0500 あと1時間半に迫っていた。




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