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[20843] ちみっ子の使い魔
Name: TAKA◆1639e4cb ID:bc5a1f8f
Date: 2010/08/17 03:19
この度、初投稿しますTAKAと言います。
ゼロの使い魔の二次創作を書いていこうと思います。
よろしくお願いします。

※H22.8.17
 チラシの裏板からゼロ魔板へ移動しました。



[20843] ちみっ子の使い魔 第一話 お姉様と僕
Name: TAKA◆1639e4cb ID:bc5a1f8f
Date: 2010/08/17 03:19
 夕暮れ時、少年は友人宅からの帰途にある。
 学校が終わると、家に携帯用ゲーム機を取りに一度帰り、それから近所の友人の家に向かった。昨年から習っている剣道の練習は、この日は休みであり、そんな日はこのようにして過ごすのが通例である。
 そして、帰宅したら夕飯を食べながら大人気のアニメ番組を見て、それから風呂に入り、インターネットを見ながら眠くなれば寝る。
 それが、彼が幾百度と繰り返してきた、平凡だがそれなりに楽しい日常であり、この日もまたありきたりの1頁が彼の人生に綴られる筈だった。

 その内、見通しのあまり良くない三叉路に面すると、彼はカーブミラーで車が来ていないことを確認しながら右へ曲がった。住宅街の袋小路近くの道路であり、一日を通じてもさほど車は通らない場所であるが、彼が生まれる前に飛び出し事故があったため、母親からは必ずカーブミラーを見るように口を酸っぱくして言われていた。
 だから、彼はこの日もそれを忠実に守り、ばっちり安全確認してから曲がった。すると、彼の鼻先には、身長よりも高い楕円形の光が浮かんでいた。

「これ……何ぞ?」

 先週コンビニで立ち読みした漫画内の台詞を、彼はつい口にしていた。漫画・アニメ超大国の育ちらしい、それなりに豊富なサブカル知識から、眼前の物体が何か想像してみる。その推測は、

「ひょっとして、異世界への扉とか?」

 彼がこれまで見た作品のいくつかに、こういう展開があった。突然光る穴が生じて、主人公を吸い込み、現代日本とは掛け離れたファンタジー世界へと導く話が。

 光の横に回りこむと、それは鏡くらいの厚さしかないようだった。その後方には、日頃通り慣れた道が茜色に染め上げられ続いている。
 
 とりあえず、携帯電話を取り出して正面、横、背後から1枚ずつ写メールで撮影すると、彼は路傍の石を拾って正面から放り込んだ。
 その石は、彼の予想、期待を裏切ることなく、鏡面のような輝きに吸い込まれて消えた。

「うおっ! 消えたぞ! もういっちょ入れてみよっ!」

 石の消滅に感激した彼は、小石を数個拾って次々と投げ入れる。それらは、最初のものと同様に光の中へと消える。

 ますます興奮した少年は、三叉路を少し引き返して自動販売機の横にある空き缶篭を引き摺って来た。加速をつけて篭ごと放り入れようとした彼は、転げ出たスチール缶に足の裏を滑らせてバランスを崩し――つんのめってしまった。

「わっ? ちょっ!? ストッ、うわぁぁぁぁぁぁ!!!」

 他に転げ出た幾つかの空き缶を道連れにして、少年は頭から光の中へとダイブし、電撃のような全身ショックの後気を失った。






 目を覚ますと、最初に目に入ったのは美少女だった。

「あんた誰?」

 幾分幼さを感じさせる第一声は、当然と言えば当然の内容。何せ初対面なのだから。しかし、少年は、少女の容姿に視線と全神経を奪われて返事を返せないでいた。

 桃色がかったブロンドのロングヘアーはゆったりとしたウェーブが掛かっており、青空の下に降り注ぐ陽光を受けて反射と色艶を交互に映し出す。白い肌は透き通るようでさえあり、日差しに傷め付けられるのではと見ていて心配になるほど。鳶色のくりっとした双眸は、不満ぽい色を湛えてもなお美しかった。

 理想的なまでの白人の美少女だが、白いブラウスとグレーのプリーツスカートはともかく、肩から羽織る黒マントは、現代人の少年から見れば、たとえここが欧米だったとしても、違和感を感じざるを得ないような服飾センスに思えた。
 
「言葉が分からないの? あんたは誰かって聞いてるのよ」

 腕組みをして苛立ちを顕にする少女に、彼は慌てて答えた。

「僕、平賀才人だよ。お姉ちゃんは何て名前? そんでここはどこの国?」

 脳裏に次々と浮かぶ質問にも関わらず、少年は自分が思ったほど動揺していないことを自覚する。異世界召喚もののファンタジー作品を見ていたお蔭なのか、どこか客観的にこの状況を見つめている自分がいるのだが、その視点についての意識は無い。
 
 周囲一帯に広がる草原と、自分達を一定の距離を置いて取り巻く人垣、そして遠くに見える石垣造りの城を視野に収めながら、才人は年上と思しき少女の返答を待つ。

「私はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。ここはトリステインが誇る高名な魔法学院よ」
「どこですか、そこわ?」

 首を傾げる才人に、ルイズは形の良い眉を顰めて詰め寄る。見慣れない顔立ちと服装だが、トリステインを知らないなんて、この子供はどこの田舎モンなんだろうか。

「あんた、どこの出身なの?」
「東京。日本の首都だけど、分かるよね?」

 腑に落ちないと顰めっ面で表しながら、今度はルイズが首を傾げる番。互いに知っていて当然と思い込んでいる国名の紹介は、共に空振りに終わってしまった様子。

「何で東京も日本も知らないの!? お姉ちゃん、どこの人!? 白人さんなんだよね!?」 
「ハクジンって何よ、それ? あんたこそ、ハルケギニアに住んでてトリステインも知らないなんて、どこの辺境の育ちよ!? お子様だからって、無知にも程があるでしょ!」
「無知はお姉ちゃんの方だよ! 世界有数の経済国と、その首都の大都市なんだよ! 学校に行ってなくても知ってそうなもんだよ!」
「な、何ですって~! このガキんちょ~!」

 小柄なルイズが、自分よりも更に頭一つ近く小さな才人の両頬を引っ張った。ぷよぷよとしたほっぺが、餅のように伸びながら林檎のような血色に満ちていく。

「いひゃい、いひゃい、ひゃひぇてひょ~」

 何だか分からないけど、才人はただ謝りたかった。謝って早くこの苦痛から逃れたいとだけ思った。そんな彼等に、周囲から一斉に声が飛び始める。

「おいおい、ルイズ。人間呼び出しただけでもおかしいってのに、ましてそんなちびっ子と喧嘩して虐めるなんて、喜劇でもやらないぞ」
「魔法だけじゃなくて、寛容さもゼロだな」

 ルイズ達を遠巻きに囲む人垣に、爆笑が波濤のように広がっていく。怒りの対象を、今抓っている少年から周囲へと切り替えると、ルイズは人垣のある方向に向けて怒鳴った。

「ミスタ・コルベール!」

 その方向の人垣が割れ、頭頂部から半分ほど禿げ上がった中年の男性が姿を現した。大きな木の杖を手にし、肩から下の全てを隠す黒いローブを纏った男性は、声を荒げる女生徒に対して落ち着いた声で返す。

「なんだね、ミス・ヴァリエール」
「あの! もう一回召喚させてください!」

 黒いローブのコルベールは、首を横に振る。

「それはダメだ。ミス・ヴァリエール」
「どうしてですか!」

 必死になって懇願するルイズに、コルベールは淡々と諭す。

「決まりだよ。二年生に進級する際、君達は『使い魔』を召喚する。召喚された『使い魔』によって、今後の属性を固定し、その後専門課程へと進むんだ。春の使い魔召喚は神聖なる儀式、好むと好まざるに関わらず、彼を使い魔にするしかない」
「そ、そんな……」

 肩を落とすルイズ。それを傍らで聞いていた才人は、『使い魔』という単語から連想して背筋に冷水を流し込まれた気がした。

 彼が漫画やゲームから得た『使い魔』についての知識は、吸血鬼が使役する蝙蝠等の動物達についてのものだった。その視点を当てはめると、ルイズの美貌も、この場の全員が羽織っている黒マントも、急におどろおどろしいものに思えてくる。

 諦めたような表情で振り向いたルイズが、自分の方へ歩を進めて来ると、才人はそれに呼応して後ずさる。

「仕方がないから、あんたみたいなちびっ子でも使い魔にしてあげるわ。感謝しなさいよね」
「い、嫌だ」

 まさかの拒絶。ルイズのこめかみに井桁が浮かび上がる。

「今、何て言ったの?」
「き、吸血鬼の使い魔なんて、ごめんだよ。お姉ちゃん達は吸血鬼なんだろ? 僕をさらって来てしもべにするつもりだったんだ」
「はぁ? あんた、何口走ってんのよ?」

 ルイズは頭が痛くなってきた。何度も失敗した末にようやく呼び出せたかと思いきや、それはどこぞの辺境の子供で、しかもさっきから意味不明の単語を連発し、挙句にこちらを吸血鬼呼ばわり。周囲の阿呆共は、当然のようにいつも以上に自分を笑い者にしている。

 い、怒りで血管が切れそうだわ。

「よ~く聞きなさい、アホの子。この美しく高貴なルイズお姉様が、あんたみたいな田舎モンに、キ、キキキ、キスしてあげるってーのよ。感謝感激こそされ、拒絶するなど身の程知……」
「たぁすけ~て~!」

 擬音にすればバビュンというのが相応しかろう勢いで、アホの子は駆け出していた。
 華奢な肩を震わすこと二秒、ルイズはそれ以上の勢いで追跡を開始した。






 才人は子供の割には速かった。しかし、本気モードのルイズはそれ以上に速かった。
 小鹿と女豹のチェイシングよりもあっさりと、才人は捕獲されてしまった。ラガーマンの如く見事なルイズのタックルによって。

「やだぁぁぁぁ!! 血を吸われて『URYYYYY!』とか言うようになって、最後は太陽の光を浴びて塵になるなんてやだぁぁぁぁ!! 誰か助けに来てぇぇぇ!!」
「まだ言うか! このガキャ!」

 ごちんと音がする程豪快な拳骨を受け、才人は頭を両手で抱えて地面に丸まる。見かねた金髪縦巻きロールの女生徒が、人垣から進み出てルイズに物申した。

「ルイズ、さっきから貴女乱暴過ぎるわよ。こんな小さい子を虐待するなんて、貴族としての誇りは無いの?」
「うっさいわね、モンモランシー! こいつが訳分かんないことばっか言うからよ! 外野が知った風なこと言わないでよ!」

 ふんだんに呆れを帯びた視線で見下ろす、ひょろっと縦に長いモンモランシーの背後に、飛び起きた才人は駆け込んで隠れた。
 背中に震えを感じたモンモランシーは、気の毒になって少年の頭を撫でながら振り返る。

「僕、確かにあのお姉さんは乱暴者だけど、ここには吸血鬼なんて一人もいないわ。皆、普通の人間だから。心配しなくて大丈夫」

 その言葉を聞いてきょとんとした才人だったが、すぐにこの世界で初めての元気な笑顔を見せた。モンモランシーも釣られて微笑み返す様子を、苦虫を噛み潰したような顔でルイズが見ていたが、いつの間にか傍まで来ていたコルベールの苦言に、表情を改める。

「ミス・ヴァリエール。相手は君より随分年下の子だろう。そんなに乱暴したり怒鳴りつけたりしては、怯えさせるだけで心を開かないよ。貴族だの平民だのに関わらず、年長者の懐の深さをもって接しなさい」

 返す言葉も無かった。
 自分には全く懐かない少年は、今外野からしゃしゃり出たモンモランシーの優しい言葉と態度に、あっさりと手懐けられている。
 全くもって面白くない。しかし、色々な意味でこのままでは終われない。
 ミスタ・コルベールの言葉もご尤もだ。ならば、やることは一つ。まずは深呼吸して。

「サイト。乱暴しないから、こっちにいらっしゃい」

 波浪警報の出ていた心の水面を静めて、ルイズは穏やかに呼び掛けた。才人は、意外にあっさりと呼び声に応じて近寄って来た。

「あんたは、この私の使い魔、分かり易く言えば召使いみたいなものにこれからなるの。ちょっと熱いけど、男の子だから我慢出来るわよね」
「熱いって、どのくらい?」

 不安と緊張を交えた表情の才人に、ルイズは包み隠さず情報を伝える。

「使い魔に聞いたことなんてないから分かんないわ。でも、その代わり、先に私とキス出来るわよ」

 才人は真っ赤になって、上目遣いにルイズを見上げては足元に視線を落とすのを繰り返した。その様子に、子供相手ながらもようやく手懐けたことへの満足感に、ルイズは初めて笑顔を浮かべた。

 貴族の令嬢が醸し出す優雅さに、才人がぼうっとなっていると、ルイズは目を閉じて、小さな杖を才人の前で振り、呪文の詠唱を開始した。

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」

 杖を才人の額に置くと、ルイズの端整な顔がゆっくりと近付いて来る。

「あ……」

 綺麗だな。
 才人は見惚れて動けなくなった。そのまま、柔らかい唇の感触を受けると、彼も自然と目を瞑った。

 数秒か、数十秒か、認識出来ないくらいの時間の後、二つの唇は離れた。ぼうっと上気した才人だったが、急に体が熱くなると、膝を着いて前のめりになって身悶えた。

「あちちちちちちちっ!!」
「我慢なさい。すぐ終わるわ」
「水掛けて! 火傷して死んじゃうよ!」

 しかし、火傷が生じる前に、熱さは消えていた。
 尻餅を付いた姿勢の才人に、コルベールが近寄ってその左手の甲を見つめる。そこには、蛇がのたくったような、彼も見たことのないような模様が浮かんでいた。

「珍しいルーンだな。まあ、無事『契約』出来て何よりだ。じゃあ、皆教室に戻るぞ」

 コルベールが踵を返して空中に浮上すると、ルイズ以外の生徒達も一斉に宙に浮いた。一同は、遠くに見える石造りの建物に向けてスムーズに飛んで行った。その際、眼下のルイズに対して嘲りの言葉を残していく生徒達もおり、才人にはその意味が良く分からなかったが、肩をわなわなと震わせているルイズの様から、彼女が馬鹿にされているようなのは何となく分かった。

「私達も戻るわよ」

 才人の方を見るでもなく、ルイズは歩き出す。
 声を掛け辛い空気を漂わせる彼女に、才人は何も言うことが出来ず、するとこの時点で初めて、最も基本的で重大な事柄に意識が回った。

 どうすれば、家に帰れるんだろう?



[20843] ちみっ子の使い魔 第二話 二人の決意
Name: TAKA◆1639e4cb ID:bc5a1f8f
Date: 2010/08/17 03:19
 教室への移動中、ルイズ達は終始無言だった。才人としては、家に帰る方法について聞きたかったのだが、険しい表情のルイズに声を掛けるのは躊躇われた。

 そして、ルイズの席の横で床に体育座りしながら、その日最後の授業に同伴した。
 頭の中は、親が心配しているだろうな、警察とか学校に連絡取って大騒ぎで全国ニュースになってるんだろうな、ということでいっぱいだったが、心配ばかりしていても頭が疲れるだけなので、やがて考えることを止めた。

「なんくるないさー」

 テレビで覚えた沖縄弁をぽつり呟くと、静粛が広がる教室の中で彼の周辺だけには聞こえたらしく、声の主や更にその主に対して好奇と嘲りの視線が集中する。

 おでこをぴしゃりと叩かれた才人が数瞬目を瞑って開くと、隣の頭上からルイズが口元に人指し指を立ててシーッとジェスチャーをしている。世界どころか異世界でも共通らしいジェスチャーを。

 それを受けて、才人は太腿に顔を埋めて目を閉じた。お利口さんと評してもよい彼の反応を見て、ルイズはふうと軽く息を漏らした。






 放課後、部屋に戻ったルイズはベッドに腰掛けながら、眼前の床に正座する才人と話をしていた。平民で使い魔という立場を分かっているからなのか、ルイズの位置より低い地べたで背筋を伸ばして座る才人に、彼女は少し感心していた。
 生意気なちびっ子と思いきや、意外と礼儀や心構えが出来ているのかも知れない。それなら、少しは話を聞いてやるのもいいだろうと寛容な気分になる程に。

「お姉ちゃん、僕、自分の家に帰りたい」
「それは無理よ」

 才人の言葉は、十分に彼女の想定範囲内にあった。年端もいかぬ子供なら、一番先に言い出しそうな内容である。故に、彼女は冷徹なくらいにあっさりと返答した。

「なんで!?」

 円らな双眸を一層丸めて驚き、それから眉を八の字にして怯えが混ざったような表情で訴える。そんな才人の問いに、ルイズは文書を読み上げるように無表情な声で淡々と応じた。

「あんた、私の使い魔になったんだもん。これから私のために働いてもらうんだから、帰すわけにはいかないわ。実家って、トウキョウって村だっけ?」
「村じゃないよ、世界有数の大都市だってば。トリステインって国こそ、どこのことなの? 世界地図か地球儀見せてよ」

 さっきからいまいち噛み合わない地理上の会話に決着をつけるべく、ルイズは書棚から細く巻いた羊皮紙を取り出して、テーブルの上に広げた。立ち上がって覗き込むと、そこには才人が社会の時間に見た世界地図の、西欧地域に結構似た輪郭の地域が描かれていた。

「ここがトリステイン。南に面するのがガリアで、東に面するのがゲルマニア。西の空にぷかぷか浮かんでるのがアルビオンよ」

 トリステインと隣接国だけを手っ取り早く説明すると、ルイズは才人の反応を確かめようとする。
 彼は、顎に指を当てるという子供らしからぬ仕草で暫く考え込んでいたが、やがて入室時に背から下ろしたリュックサックからボールペンを取り出した。

「僕のいた世界と結構似ているけど……やっぱり違う。今度は僕が説明するね」

 ルイズが頷くのを確認すると、ボールペンの尻の部分でトリステインからガリアにかけて、地図上にゆったりと曲線を描きながら喋り始める。

「ここは、フランスって国です。ワインが沢山取れて、かたつむりを調理して食べまーす。次に、このゲルマニアってとこは、僕等の世界ではドイツって言います。ドイツ人は、ゲルマンって民族名です。ここは似てるよね」

 一度説明を切って同意を促す才人に、ルイズは関心を隠そうともせずに首を振る。才人は、視線を地図に戻すとアルビオンの位置にペン尻を置いて、説明を再開する。

「ここはイギリスっていって、ご飯が不味いそうだよ。小魚とじゃがいものフライしか名物が無いとか、ビールとスコッチウイスキーしか飲み物が無いとか、雨や霧が多いとか、社会の先生がボロクソ言ってた」

 説明を聞きながら、ルイズは一層興味深く頷いた。アルビオンの食べ物が不味いとか、飲み物がエール酒くらいしかないとか、こちらの事情と酷似した情報に、両世界間におけるどこか不可思議な縁の存在を疑ってしまう。

「ここはポルトガルで、そのお隣はスペイン。スペイン人は、陽気で歌や踊りが好きらしいよ。そんで、ここはイタリア。古~い歴史を持つ国で、ご飯が美味しくて観光地が多いんで、海外旅行先として日本人に人気がありまーす」

 イタリアの説明を受けたところで、ルイズはその地域に白く細い指を置いて補足した。

「ここね、こっちの世界ではロマリアっていう宗教国家なの」
「それも似てるね! イタリアって昔はローマ帝国っていうでっか~い国で、世界一の大国だったんだよ。今は小さくなってるけど、首都がローマっていうんだ」

 ルイズの顔を覗き込む才人の目は、好奇心で輝いていた。彼の話に興味関心を示しているのは、彼女の方も同じなのだが、流石に年下の少年よりは落ち着いた様子で評を下した。

「あんたって、平民の子供の割に物知ってるみたいね。学校にでも通ってるの?」
「僕だけじゃなくて、子供は全員通ってるよ。今度の社会のテストで満点取ったら、母さんがゲームソフト買ってくれるから、最近毎日勉強してたんだ」
「ゲームソフト?」
 
 聞き慣れない単語を反芻するルイズに、才人は得意気に笑ってみせながら、再びリュックに手を突っ込んだ。取り出されたものは、日本では大概の子供が持っている横長方形型の折り畳み式携帯ゲーム機。子供の掌には軽く余るくらいのサイズである。

「お姉ちゃんには特別に見せてあげるね」

 電源を入れると、画面に白い光とそれを背景にした字幕が現れ、一度暗転してゲームブランド名が浮かび上がる。そして、オープニングアニメをスキップすると、太字のゲームタイトルが荘厳な音楽と共に浮かび上がる。

「これ何? どんなマジックアイテムなの?」
「マジックアイテムじゃないよ。これは機械。電気で動いてるんだよ」

 才人がセーブデータの一つを選んで開始すると、草原と山地を俯瞰したマップ上に、青色をした人型ユニットと、赤色のそれが各々十数体ずつ距離を置いて固まっている。
 ローブを着た青色ユニットにカーソルを合わせると、赤い敵部隊の先頭にいる鎧騎士に向けて移動させ、一マス空けて間接魔法を行使させた。
 風の刃を飛ばされた鎧騎士は、直接攻撃用武器しか持たないために、無抵抗のまま一方的に倒された。

「魔法は反撃も受けにくいし強いんだよ~。でも、くっつかれて攻撃されたら打たれ弱いから、間に打たれ強い騎士とか置いて盾にするのが原則なんだ」
「ふ~ん、こっちのメイジと使い魔の関係そのものね。字は読めないけど、良く出来てるじゃない、このゲームソフトとやらは」

 未知の物体が描き出す現象に感心しながら、ルイズは改めて自分の使い魔が見知らぬ異世界から来た存在なのだと実感させられた。
 ルイズは肩越しに暫くプレイを覗いていたが、赤いユニットが数体倒されたところで、才人はゲームを中断して機体を二つに折り畳んだ。

「話が脱線しちゃったけど、これで僕が違う世界から来たって信じてもらえるよね?」
「う、うん、まあね」

 ルイズの相槌を得ると、才人の活力に溢れた目の色が、急に弱々しく潤んで凪いでいった。

「僕、一生お姉ちゃんの使い魔なのかな? もう、家に帰れないのかな……」

 しゅんとして俯いてしまった少年の落ち込みぶりを見ると、ここまで冷静に振舞っていたルイズも、流石に胸を締め付けられる思いがした。

 故意ではないとはいえ、いたいけな子供を突然連れて来て、一生自分に仕えさせる――人買いや人攫いに近い所業と非難されても、否定し切れない気がする。人道的見地からして。

 自分に出来ることは何だろうか。まずは、誠実に事情を説明し、その後慰めたり面倒を見てやる。そして、いずれは帰る方法を探してやらねばならぬのではないか。
 
 子供本人もそうだが、突然我が子を神隠しに遭わされた親の悲痛は、到底計り知れない。
 図らずも自分は、この子を守り育て、必ず親元へ帰してやらねばならない責を負ってしまった。貴族云々の前に、人として当たり前の責務を。

「あのね、サイト。元の世界に戻る方法は、私もこの学院の先生も誰も知らないわ。でもね、私が責任もって方法を探して、必ずあんたを元の世界に帰してあげるから。それまでは、私があんたの面倒を見るから。だから、これ以上悲しまないでね」

 黒髪をくしゃっと指で梳かすと、才人はルイズの胸に飛び込んで抱き付いて来た。子供の高い体温を感じたルイズは、そのままぎゅっと抱き締め返してやる。

「大丈夫だから。貴方は一人じゃないの。……ルイズお姉ちゃんが、一緒だよ」

 ブラウスの胸が、中からも外からも熱くなった。涙が滲んでいるのだろう。

 やがて、顔を上げた才人は、ルイズの胴に回した両手を外すと、パーカーの袖で涙と鼻水の残滓を拭い――笑った。

「僕、もう大丈夫だよ。父さんも母さんも凄く心配してるだろうけど……泣いたってどうにもならないもん。こっちで元気に暮らして、いつか戻るんだ。それまでは、お姉ちゃんとこっちで暮らす、ね」

 その肩に乗せた手を頭上に運んで撫でてやると、才人は子犬のように心地良さそうにして目を閉じ、ルイズの胸にこてっと寄り掛かって来た。

「偉いよ。あんたは強い子、いい子よ、サイト」

 心からそう思った。この子は、『強い』か『賢い』のどちらかが確実に当て嵌まるに違いないと。






 トリステイン魔法学院の食堂は、敷地内で一番背の高い本塔の中にある。食堂内部では、やたらと長いテーブルが三つ並んでおり、各テーブルが一~三学年の各々に対応している。
 ルイズ達二学年は、真ん中のテーブルに座って夕食を摂っていた。
 ここでは貴族以外の者、つまり平民が食事を摂ることは通常許されていないのだが、この日終にそれが破られてしまった。

 金髪縦巻きロールのモンモランシーを見付けた才人は、その隣に座りたいと主張したので、ルイズはその通りに連れて行ってやった。
 ミスタ・コルベールには、事前に才人の同席の許可を得てある。寛容な彼らしく、使い魔であることと保護者の同伴が必要な児童であることを理由に、あっさりと許可は下りた。それが、彼の独断によるものか、学院長のお墨付きなのかまでは彼女の知る所ではない。

「美味しいね~、お姉ちゃん」

 ルイズとモンモランシーに挟まれて鳥のローストを頬張る才人はご満悦。両隣の姉達は、自分のフォークをしばしば止めて、その様を笑顔で見守っている。

「サイト、口に物を入れながら喋るのはみっともないわよ」

 パンを千切りながら苦笑するルイズに、才人を挟んで向こう側のモンモランシーは、楽しそうに声を掛ける。

「さっきはあんなに荒っぽかったのに、どうなっちゃったの? 保護者っぷりが板に付いてるじゃない」
「さっきは子供っぽ過ぎたわ、反省してる。私がこの子の面倒見るんだから、もっと大人にならないとね。それと、サイトのこと見てくれてありがとう」

 モンモランシーは言葉が出ない代わりに、目を丸くすることで語った。
 魔法がまともに使えないために誰からもからかわれ、尖り続けていたルイズが、素直に『ありがとう』なんて言葉を言う。本人に失礼かも知れないが、何とも別人のように思えて仕方が無い。

「あによ、その目は。私だって身内が世話になれば、お礼くらい言えるわよ」

 これまでのような尖った視線で不服そうに見せると、その仮面をすぐに剥ぎ取ってルイズはにっこり微笑んだ。同性のモンモランシーでさえ魅力的と感じる程の、深みと柔らかさのある美しさが花のように開いたが、その瞬間を鑑賞する恩恵に与ったのは、彼女一人だけであった。



[20843] ちみっ子の使い魔 第三話 魔法使いとの初喧嘩
Name: TAKA◆1639e4cb ID:bc5a1f8f
Date: 2010/08/17 03:19
 ハルケギニアに召喚されてから最初の夜、才人は床で寝ることを避けられた。
 彼のご主人様にして姉代わりのルイズが、ふかふかのベッドの上にご招待下さったのだ。

 ベッドの中は、ルイズと同じいい匂いがした。並んで横になると、彼女は才人の柔らかい髪を手櫛で梳いてくれた。それがやけに心地良くて、才人はルイズの胸の方に体を向けてくっつき、先程の半分くらいの力で抱き付く。すると、彼女の方も軽く抱き止めながら、優しい子守唄を口ずさみ始めた。

 オルゴールのように繰り返される何周目かの旋律で、才人はすーすーと寝息を立てていた。無意識に紡ぎ出されたその唄は、彼女自身幼少時に枕元で姉に唄ってもらったものと同じものであった。






 翌日午前最初の講義は、『赤土』の二つ名で通っているシュヴルーズが教鞭を取った。紫色のローブに帽子という、才人でも一目で魔法使いだと見当の付く服装に身を包んだ、ふくよかで優しそうな中年の女性である。

「皆さん。春の使い魔召喚は、大成功のようですわね。このシュヴルーズ、こうやって春の新学期に、様々な使い魔達を見るのがとても楽しみなのですよ」

 教壇から新たな教え子達を一通り見回すと、シュヴルーズはルイズと才人に視線の照準を合わせて、優しく微笑んだ。

「あらあら、ミス・ヴァリエールは随分可愛らしい使い魔を連れているのね」

 自分を見て告げた優しそうなおばさんに対し、才人は少し得意そうに胸を張ってVサインを見せる。その右隣のルイズは教師に愛想笑いで返し、今日も左隣のモンモランシーはくすりと上品に笑う。
 しかし、優しい三人のレディ以外の反応は、どっと沸き起こる賑やかな笑い声、そして続けて投げ付けられる嘲りの言葉であった。

「ゼロのルイズ! 召喚出来ないからって、その辺歩いてた平民を連れてくるなよ!」

 男子のガラガラ声が、不快な音波と内容でルイズの耳に届く。
 いつものルイズなら、即座に立ち上がり、形の良い眉と目尻を吊り上げて言い返すところだ。しかし、この日の彼女の心理状態は、昨日までとはほぼ対極に位置している。

 罵声の主、太っちょ体型の『風上』のマリコルヌに対して彼女が抱いた感想は、幼稚な奴であった。
 甘やかされて自意識過剰な貴族の子弟。他者に対する思いやりに欠ける我が儘なお子様共。こんな奴ばらに昨日までムキになって張り合っていたなんて、考えただけで赤面する思いだ。

 こっちは、大事なちみっ子を守り育ててやらなきゃならないわ、自分のメイジとしての勉強もしなくちゃならないわで、とにかく忙しい。こんな馬鹿ボンボン共を相手取ってる時間も余力も無いってのよ。言いたきゃ、勝手に言ってりゃいいわ。

 己を侮辱する相手を、逆に同情さえ混ざった冷たい蔑みの視線で見るルイズ。この娘一晩で急に大人びたわね、と席二つ隣のモンモランシーは興味深そうにしてその様を見つめている。
 彼女がこの調子なら、円滑に授業が始まる筈であった。のだが、

「そこのでぶちん! ルイズお姉ちゃんを馬鹿にするな!」

 彼女達の間に座するちみっ子が、まるで昨日までのルイズが乗り移ったかのように、勢い良く立ち上がって言い返した。二人の美少女は、目を丸くして彼を凝視してしまう。

「で、でぶって言ったな! お前、平民のガキのくせに、貴族の僕を、ぶ、侮辱したな!」

 幾つも年上の男子に睨み付けられ、怒りをぶつけられても、才人は平然と睨み返した。
 大好きな優しいお姉ちゃんを不当に馬鹿にされたことで、この世界に来て初めて腹を立てているのだ。相手が謝るまで許さないつもりでいる。

「そっちが先に言ったくせに! 誰だって、馬鹿にされたら腹が立つんだい! そんなことも分からないなんて、でぶちんの上に鈍ちんだよ! そんなんじゃあ、どうせ実年齢=彼女いない歴なんでしょ!」

 刃物で刺されたかのように硬直するマリコルヌを、彼を中心に広がっていく笑い声が弄っていった。
 ふっくらした顔がみるみる青褪めていったかと思うと、楕円に近い輪郭の全身を震わせたマリコルヌの顔は、やがて蛸のように真っ赤に染まっていく。
 
「でぶって言ったな……もてないって言ったな……」

 剣道を習っているせいか、短い人生経験の割に、才人は気配の読めるところがある。
 今、数メイルの間を置いて対峙する相手が、危険な空気を孕んでいることを、彼は理屈でない感覚で察知してしまう。

「あのっ、あのね、僕もちょっと言い過ぎたよ。ぽっちゃりしていて可愛いと思うよ、うん。そういうのが好きな人も世の中に……」
「やっかましっ!!」

 その目が赤く光ったのは、魔性の域に達する怒り故か、心底からの血涙故か。マリコルヌの怒号と共に、才人に向けて空気を絞るような突風が巻き起こり、彼だけを広い講義室の最後方の壁まで吹き飛ばした。

「ぎゃんっ!」
「サイトッ!!」
 
 長い髪を強く煽られただけで済んだルイズとモンモランシーが、ほぼ同時に才人の落ちた所に駆け寄る。水の系統魔法を代々専門とするモンモランシーが、横たわって苦悶する才人に治癒魔法を掛けてやると、彼は上体を起こしてゆっくりと立ち上がった。

「あれ? もうあんまり痛くないよ」
「モンモランシーが、魔法で怪我を治してくれたのよ。お礼を言いなさい」
「お姉ちゃん、怪我を治してくれて、どうもありがとうございます」

 ルイズから説明を受けて理解した才人は、地面と平行近くまで上体を曲げてお礼を述べた。元気溌剌とした声と折り目正しい作法に、根は真面目な性格のモンモランシーはついつい口元が綻ぶ。

「どういたしまして。それにしても」

 才人に向けている優しい眼差しを、向こうの肥満した同級生に向けると同時に、彼女は視線と言葉を鋭くしてセットで突き刺した。

「子供の悪口にカッとなって魔法で攻撃するなんて、あの人何考えてるのかしら! ミセス・シュヴルーズ! ミスタ・グランドプレの今の暴力について、見過ごされるべきではないと思います!」

 片手を上げて高らかに意見を述べる彼女を見て、才人は自分のクラスの学級委員長の女子を思い出した。モンモランシーみたいな美少女ではないが、真面目で勉強が良く出来る眼鏡っ娘のことを。

「確かにミス・モンモランシの言う通りです。ミスタ・グランドプレ、子供と口喧嘩して自分から先に手を出すなんて、貴族どころか人間として問題有りですよ。講義の後話がありますから、そのつもりで」

 穏やかながら有無を言わせない視線と言葉の力で、興奮冷めやらなかったマリコルヌは一気に零度近くまで冷却させられる。不安と後悔がありありと浮かぶ表情で、彼は力無く腰を落とした。

 アクシデントこそあったものの、ようやく授業が始まると一同が思ったその矢先、タタタタッと小刻みな足音が近付いて来たため、シュヴルーズはその小さな影が自分の元に来るまで待っていてやった。

「先生―! 僕もあのお兄ちゃんに酷いこと言いましたー! だから、これ以上叱らないであげてくださーい!」

 眼前で立ち止まって挙手すると、何かを宣言するかのように甲高い声を張り上げる男の子に、シュヴルーズはきょとんとする。それから、優しい笑顔を添えて、彼に言葉を投げ掛けた。

「貴方は優しい子ですね、えーと……」
「才人だよ。僕、平賀才人っていうの」

 元気で思いやりがある可愛らしい男の子。そう評価したシュヴルーズは、慈しむようにして彼の視線を受け止めながら、丁寧に言い聞かせる。

「サイト君。貴方の今の言葉は、とても素晴らしいわ。でも、彼のしたことは、明らかに悪いことよ。罰を受けなくては、彼の今後のためにもならないの」
「うん、そうだと思うよ。だからね、僕も一発痛い目にあったから、一発お返ししたいんだ」

 少年の口から意外な言葉が続き、シュヴルーズはまたもきょとんとしてしまった。彼に対する今ほどの評価は、『思いやりがある』という項目については宙ぶらりんとなる。

「それはいけないわ。やられたらやり返すじゃ、いつになっても争いは収まらないのよ」
「収まるよ。一発に対して一発、イーブンだもん」

 今にも鼻歌を歌いだしそうなくらいに嬉々とした様子の才人。意外と口達者な子供をどう納得させようか腐心し始めたシュヴルーズの視界に、彼の後方から保護者の生徒が駆けて来るのが映った。

「申し訳ありません、ミセス・シュヴルーズ。サイト、無理を言ってミセス・シュヴルーズを困らせてはダメよ」

 講師に頭を下げると、ルイズは才人の両肩に手を置いて優しく諭す。唇を尖らせてむ~と呻く才人と、俯き加減のマリコルヌを交互に見遣ったシュヴルーズは、それを二、三度繰り返すとぽんと手を叩いて言った。

「では、こうしましょう。何の罰も与えないと言う訳にはいかないので、ミスタ・グランドプレに選ぶ権利を与えましょうか。ミスタ・グランドプレ、私の指導とサイト君の一発の好きな方を選びなさい」

 穏便そうなシュヴルーズにしては、腕力の行使を許すような意見は少し意外だったようで、教室はまたもざわめき出した。
 己が醜態を自覚するマリコルヌとしては、教師からのお小言の方が重くて長引きそうに思えたので、生意気な平民のちびっ子とは言え、一発殴るか蹴るかさせてやった方が結果的に楽そうに思えた。

「そのガ……子供の方を選びます」

 おーっと言う声が至る所から上がった。場を騒がせたお子様は、今やこの空間における興味関心事の寵児となっていた。それ故に、次は何をやらかすのだろうかと無責任に期待する者達は、マリコルヌがそちらを選ぶことを望んでいたのだった。

「あの、ミセス……って、ちょ、ちょっと、サイト!」

 基本的に生真面目なルイズが、教師に一言確認しようとした矢先に、才人が元気に走り出してマリコルヌの背後まで行ってしまった。

「じゃね、起立して前かがみになって」
「こ、こうか?」

 言われるがままに中腰体勢になったマリコルヌの丸い背中に、おんぶしてもらうように乗り上がった才人は、彼のぽちゃぽちゃの大腿を足でロックするようにしながら、後ろから手首を掴んで背中の上に向けて両腕を吊り上げると、更にそのまま掴んだ両手首を相手の頭部に近付けるようにして押し出した。

「いだだだだだだ! 痛いっ! 痛いって!」
「にゃははははっ! 僕はもっと痛かったもんねー! 『ポロ・スペシャル』の味はどうじゃい? 辛ければ、さっさとギブアップせい!」
「良く分からんけど、勘弁っ! 勘弁してくれぇっ!」

 ギブアップと言う言葉が存在しない世界で、両肩を裏側に捻られるような激痛に耐えられなくなったマリコルヌは、悲鳴にも似た声で許しを乞うた。怪我までさせる気は無い才人は、手首を解放して彼の背中から降りた。

「兄ちゃん、大丈夫か? 一応手加減したつもりなんだけど。……それと、さっきは言い過ぎてごめんな」
「た、多分、大丈夫……身も……心も」

 机に前のめってぐったりとするマリコルヌの顔を、才人は心配そうに覗き込んでいたが、本人の言う通り大丈夫だろうと判断すると、姉達の隣に戻って行った。
 ちなみに、この日は才人の方をちら見するあまり、授業に集中し切れない生徒が続出したという。






 放課後、ルイズ達は部屋でこの一件について語り合っていた。

「あんたってば、授業の妨害になるようなことしちゃダメよ。私なら、からかわれたって気にしてないんだから」
「だって、お姉ちゃんのこと馬鹿にされて、凄くムカついたんだもん。僕、我慢出来ないよ」

 その時のことを思い出したのか、不服と苛々の混じった様子で才人は真っ直ぐに訴えた。ルイズは、困ったように微笑んでその頬を撫でてやる。

「だからって、いちいち突っかかってたらきりが無いわ。私が馬鹿にされるのは、まともに魔法を使えたことがないからなの。貴族の子弟なんてプライドは高いし、他者の弱みに付け込んで見下す奴なんてざらなのよ。ほっときゃいいのよ、そんな奴等は」

 昨日までは自分もその一人だったんだけどね、と心中独り言つルイズは、今となっては嘲笑をくだらないとこそ思えど、悔しいとは思わなくなっていたので、ただ淡々と本音を語った。

「今日はたまたまあの程度で済んだけど、もっと強い魔法を使う奴と喧嘩したら、命に関わるのよ。お姉ちゃん、サイトがそんなことになるの、絶対嫌だからね」

 両頬を優しく挟まれて姉に覗き込まれると、才人は視線を落として考え事を始める。そんな彼に、ルイズは声調をより穏やかにして語り続ける。

「約束して。もう喧嘩しないって」

 才人は即答しない。姉の言うことは頭では分かるのだが、心が納得し切れていないから。
 そんな彼の気持ちを読み取ったのか、ルイズは才人のおでこに自分のおでこをそっとくっつけて伝えた。

「私の代わりに怒ってくれて、嬉しかったよ。ありがとね」

 複雑に渦巻いていた才人の気持ちは、表情から抜け落ちていった。晴れ空のように澄んだいつもの瞳に戻ると、彼は大好きな姉に約束するのだった。



[20843] ちみっ子の使い魔 第四話 女たらしとクックロビン
Name: TAKA◆1639e4cb ID:bc5a1f8f
Date: 2010/08/17 03:20
 昼下がり、才人はマリコルヌと並んで食堂でケーキを食べている。
 ほんの十数分前、ルイズが調べ物のために図書館に行ったので、小腹の空いていた育ち盛りの才人は、食堂で軽く何かを食べながら姉の帰りを待つことにした。
 すると、先日小競り合いをしたマリコルヌの丸い撫で肩が見えたので、暇に飽かせて隣に座ったのだった。一応和解は成立しており、マリコルヌは特に嫌そうな素振りも見せずに才人に応対していた。

 マリコルヌの眼前の皿には、三種類のケーキが二ピースずつ、風車の羽のように並んで円を成している。オレンジゼリー付きショートケーキ、レアチーズケーキ、チョコレートムースが各々二つずつ並ぶ皿の上の密度は、見ただけで胸焼けする者もいることだろう。

「兄ちゃん、食い過ぎ。そんなんじゃ痩せられないよ。だから援護しまーす」

 言うが早いか、才人はチョコムースを一つフォークで突き刺して、さっと自分の皿の上に運び去る。そして、マリコルヌの非難よりいち早く一口目を堪能していた。

「あ、こら! 僕のケーキを勝手に取るな!」
「兄ちゃんは、自分に厳しく出来ない人なので、僕が協力してあげるのです。感謝してほしいのです」

 マリコルヌは、奪われたものについては諦め、とりあえず五ピースを搭載した皿を小さな盗賊から遠ざけた。奪われたチョコムースは、既に半分以上才人の胃袋へと姿を消している。

「はー、ここのケーキ美味しいね~。パティシエさんは、そりゃもう凄い人なんだろうね~。お兄ちゃんが食べ過ぎるのも無理ないかもだけど、その分運動しないと痩せらんないよ」

 無造作に自分の腹肉を抓む小さな手を、マリコルヌは反射的に払い除けた。ケーキは盗む、小言は言う、脂肪を掴むとやりたい放題の子供に対して、不機嫌さを半分は漏らしながらも返事をする。

「別にいいんだ。確かに、太ってたらなかなか女の子は振り向いてくれないけど、それでも僕は、太っちょでも振り向いてくれる相手を諦めずに探すんだから」
「そうだね~。お笑い芸人なら、デブとかブッサイクでも綺麗な女の子にもてたりするね~。お兄ちゃん、そっちの才能は有るの?」
「喜劇役者ってことかい。無い、って言うかそもそも考えたことも無いよ」

 互いに異世界の住人同士である両者の、お笑い芸人に対する認識はかなり違う。
 現代日本に生きる才人の認識では、お笑い芸人とは、ルックス・学歴・スポーツ等のスペックに関係無く、視聴者を楽しませることさえ出来れば、お金や女の子からの人気を沢山得られる、アメリカン・ドリーム的性質の非常においしい職業だというものである。
 片やマリコルヌからしてみれば、喜劇役者と言うのは、一発当てれば下手な貧乏貴族などより遥かに上の収入を得られるものの、世間の目からすれば所詮道化師に過ぎない、色眼鏡で見られるものだという認識である。貴族のご子息である彼からすれば、職業の選択肢に上ること自体ナンセンスなのだ。
 故に、才人の言っていることは、マリコルヌにはいまいち意図が掴めなかったりする。

「ふ~ん。やっぱり痩せるのが、一番大変だけど確実と思うけどね~。あとは特殊技能とか性格でカバーかな~。ファイトファイト!」

 肩をばしばし叩いて励ます、陽気で能天気な子供の方に、マリコルヌは首を向けてじっと見つめ、そしてケーキに視線を戻してフォークを刺しながら考える。
 ルイズとモンモランシーという二人の美少女から、大層可愛がられている羨ましい子供。こいつが人気なのは、元気でやたら人懐こいところと、何と言っても年が離れていることだろう。
 性格に関しては、自分とこいつとではかなり違うのだが、年下というアドバンテージを活かすことは自分にも可能ではなかろうか。こいつと彼女達は六、七歳くらいの年齢差だろうから、自分も二十代前半の美しいお姉様に甘え――。

 何やら重大な勘違いをし始めたマリコルヌは、脳内で桃色の妄想に囚われていく。
 肉付きのいい顔をますますだらしなく緩める彼の隙を突いて、才人は次のケーキを掠め取ろうと皿の上の三角柱達に目を光らせ、フォークを伸ばそうとした。
 が、その直前、ぱしーんと乾いた音が響いたので、マリコルヌは現実世界に意識を引き戻され、才人も二度目の略奪をすんでのところで断念させられる。

 音のした方向を見れば、数名の男子による一団と、そこから両手で顔を押さえて早足で去っていく少女の後姿があった。男子達の中心では、金色の巻き髪でフリル付きのシャツを着た少年が頬を押さえている。

「何があったのかな? ひょっとして修羅場?」

 インターネットの動画サイトで恋愛ドラマを見たこともある、少し耳年増の小学生に、マリコルヌは問題の場に視線を向けたまま答えた。

「そのようだね。あの頬を押さえている奴は、ギーシュ・ド・グラモン。トリステインでも有数の大貴族の四男坊だが、ちょっと顔がいいからって、可愛い女の子に次々と声を掛ける軟派な気障男さ」

 幾分忌々しげな言い方から、才人はギーシュに対するマリコルヌの良からぬ心象を感じ取ったが、視線の先に近付いて来る黄金の巻き毛を見ると、彼の関心は一瞬でそこに取って代わられた。

「モンお姉ちゃんだ」

 反射的に動き出した才人の表情は、ご主人様を見つけて駆け寄る甘えん坊の子犬を彷彿させるものであったが、自分の脇を通り過ぎようとした子犬の首根っこを、マリコルヌはがしっと掴んで捕らえた。

「今は止めておけ。後にしときなよ」

 捕まれて振り向いた才人の驚いた顔は、どうしてと尋ねるが如くだったが、マリコルヌがポーカーフェイスで首を左右に振るのを見て、そして優しいモンお姉ちゃんの初めて聞く怒鳴り声に、振り向いた顔を元に戻す。

「嘘吐き!」

 遠ざかっていく金髪巻き毛を追い掛けようとした才人だったが、まだ拘束されている手応えを感じると、怒りと寂しさが入り混じった目でマリコルヌを見上げた。

「気持ちは分かるけど、今すぐは行かない方がいいと思うぞ。ルイズに相談してからの方が」

 マリコルヌの助言が適切であると心から納得出来てしまった才人は、しょんぼりして視線を落とす。何故か罪悪感を感じてしまった太っちょの年長者は、自分のケーキをもう一つくれてやるかと覚悟を決めたが、顔を上げて才人が求めたのは慰みではなかった。

 説き伏せたつもりになって手を緩めたマリコルヌの元から、才人は子供なりの早足でさっさと離れてしまっていた。その向かう先は、ほんの今まで修羅場となっていた男子達のたむろするテーブル。
 それ以外は沈黙が支配する空間において、小さな足音だけが響いて近付いて来ると、男子生徒達はその主に視線を集中させた。

「ねえ、なんでモンお姉ちゃんに怒鳴られたの?」

 金髪に引っ被ったワインをハンカチで拭う色男は、見慣れない格好の黒髪の男児に対し、何かしら答えようとした。しかし、咽喉から言葉を押し出す前に、隣の男子生徒が代わりに答えてしまう。

「二股掛けてるのがバレちまったんだよな、ギーシュ!」

 その言葉を指揮者のタクト代わりにして、ギーシュを除く男子数名は声を合わせて笑い出す。
 才人の年の割におませさんな部分が、初歩的なジグソーパズルを組み立て終えた。この人は、浮気をしてモンお姉ちゃんを怒らせた女たらしだ、という絵図が彼の中で完成すると、後は憤りを色帯びた言葉が自然と紡ぎ出されていく。

「お、女たらしのっ、わ、悪もんだぁー!」

 男子グループ全員の目が丸くなり、そして平静を取り繕うとするおすまし顔のギーシュ以外は、再び愉快そうに笑い出す。

「そうっ、その通り! こいつはギーシュ・ド・ワルモンっていう、可愛い娘には目が無い、根っからの女たらし、病的な女好きなんだ!」
「おいおい、君達。誤解を招くような言い方は止めてくれないか。この子が勘違いしてしまうだろう。いいかい、坊や」

 手櫛で前髪を梳かし、目を閉じながらうっとりと語るギーシュを、才人のボキャブラ辞典が瞬時に適切単語を当て嵌めた。『ナルシスト』である。

「僕には、付き合うといった特定の女性はいないのだ。薔薇が咲くのは、多くの人を楽しませるため。そういうことなんだよ」

 才人の小学生の読解力でも、今の発言の意味は十分に理解出来た。つまり、モンモランシーのことも付き合っている訳ではないと。
 ならば、何故泣いた女の子や、怒ったモンモランシーがいるのだ。それについては、この人はどう思っているのか。

「モンお姉ちゃん、凄く怒ってたよ。お兄ちゃんは、怒らせないようにしなきゃダメなんじゃないの?」

 見上げる子供の真っ直ぐな目と言葉。それでも、ギーシュは後ろめたさなど全く無いかのように、また髪をかき上げて涼しげに微笑んでいる。

「言っただろう。僕は、皆が楽しむための薔薇。誰にも手折られないけれど、誰にも僕を見るなとは言えないのさ」

 周囲の男友達は肩を竦めたり、呆れ混じりの笑顔でいる。いつもの事ながら、よくもまあ芝居がかった臭い言葉が吐けるもんだと、彼等の思考は一致していた。

 一方、才人の心中は憤りがよりくっきりはっきりとなりつつあった。
 ルイズお姉ちゃんと同じくらいに優しくて大好きなモンお姉ちゃん。そのお姉ちゃんを浮気で怒らせて、自分は誰にも縛られないと平然と言い放つ眼前の男は、才人が近所のおじさんから聞いたことのある、所謂『悪い男』の一例であった。
 そんな悪い奴は、こうやって責めてやるんだ。酔っ払いながらも、そのおじさんはやり方を才人に教えてくれたものだ。
 
 パッパンッがパン。
 才人は、町内会の盆踊りでやるような手拍子を始めた。それを何度か繰り返すと、次は手拍子に合わせて掛け声と踊りが加わった。

「だ~れが泣っかせた、モンお姉ちゃん。あっそ~れ」

 甲高い、日本の祭囃子を思わせる声が食堂に響く。
 その踊りは、パッパンの二拍の後の、パンで手を打つ代わりに右足一本立ちになり、そのままヘッドスライディングみたいにして、両手を前に左足を後ろに突き出しながら、地面と平行に前傾する。これを、ひたすら才人は繰り返す。

 この世界の人間が知る筈も無いが、はっぴが似合いそうな可愛らしい男の子の踊りである。
 最初は呆気にとられていた生徒達だったが、ギーシュを除く一同は才人に合わせて手拍子と同じ歌詞、やがて踊りまで真似し始めた。

「わっはっはっ! こいつは傑作じゃないか! お前、面白い歌と踊り知ってんなあ!」
「次は歌詞を変えてみようぜ! もう一人の娘、ケティちゃんでやってみるか!」

 離れたテーブルにいた生徒達も、聞いたことのないリズムの歌と手拍子に、何事かと思ってぞろぞろ人垣を成し始める。さしもの厚顔無恥なギーシュも、終には平静を保てなくなり、才人の両肩を強めに押さえた。

「き、君っ、周りの人に誤解を与えるようなことは止めたまえ! これじゃあ、まるで僕が悪者に聞こえるじゃないか!」
「そうだよ。知らなかったの?」

 平然と肯定する子供の純粋さは、時として残酷である。

 爆笑の渦中でいたたまれなくなったギーシュは、才人を脇に抱えてその場から脱兎の如く走り去る。それに最も速く反応して後を追い掛けるは、彼の悪友の一団。

「ギーシュが逃げたぞ!」
「あの子供を口封じしようったって、そうはいかねえぞ!」
「こんな面白えこと、いつもある訳じゃねえからな! まだまだあれで遊べんぞ!」

 口々に好きなことを言ってはしゃぐ貴族の不良子弟達。彼等の脳裏に、ギーシュへの友情というものは、どのように解釈され収まっているのだろう。






「は~な~せ~! この人攫い~!」

 宙に浮いている状態のため、暴れようにも声を上げるのが精一杯の非力な才人を抱えながら、ギーシュは敷地内を走っていた。
 この平民の子供による想定外の行動によって、公衆の面前で随分と赤っ恥をかかされてしまった。本来なら厳罰に処してやるところだが、残念なことに、この子供はモンモランシーがいつも可愛がっているお気に入り。下手なことをすれば、一生口も聞いてもらえなくなる。それは困る。

 成り行きであの場から逃亡したものの、その後の身の振り方に悩むギーシュは、日頃そんなに体を鍛えていないせいもあり息が切れてきて、やがて才人を抱えたまま石畳の上で膝を屈した。

「はあ、はあ、なんでこの僕が、はあ、こんな、目に」
「あのさ~、いい加減離してよ~。僕、食堂でルイズお姉ちゃんと待ち合わせしてたんだから」

 止まってもなお、才人の胴を拘束する腕をぴしぴしチョップすると、何もかも疲れてしまったと言わんばかりに、ギーシュは攫った児童を地面に転がした。
 パーカーに付いた埃を払い落とした才人は、自分を攫った女たらしを一瞥さえせずにすたすたと歩き出す。そして、視界にある人物が入ると、ぱあっと喜びで表情を明るくし駆け出した。

「モンお姉ちゃーん!」

 自分を呼ぶ元気な声に気付いたモンモランシーその人は、変わらぬ歩行速度で進み、抱き付いて来る少年を笑顔で受け止めた。

「サイト、どうしたの? こんな所に用があるの?」
「あの兄ちゃんに無理矢理連れて来られた。食堂でルイズお姉ちゃんと待ち合わせしてたのに」

 ギーシュは立ち上がりも出来ずに固まった。モンモランシーの冷水の如き視線は、息の上がった体に優しいどころか、慌しく胸を揺らす己の呼吸を逆に止めかねないと彼は感じた。
 そんな視線をすっと外すと、モンモランシーは才人の手を引き、春の小川のような柔らかく温かい笑顔を彼に注ぎながら歩いて行った。敗北感に打ちのめされて頭を垂れた、数十分前までの彼氏のことなど歯牙にも掛けていないと言わんばかりに。






 食堂に着くと、ルイズがテーブルに頬杖を突いて待っていた。駆け寄った才人に、責めとは異なった口調で問い質す。

「どこ行ってたのよ? 心配するでしょう」
「えーとね、ギーシュって兄ちゃんに攫われてましたー」

 さらっと問題発言をする無邪気なお子様に、皺などとは無縁のルイズの眉間に縦筋が数本走る。

「何ですって」
「まあまあルイズ、詳しくは私も今聞いたところだから、説明するわ」

 道すがら、才人から一連の流れを聞き出したモンモランシーの話を聞くと、ルイズは眉間の皺の代わりに腕組みをして、ふうと長めの溜息を吐き出した。

「全く、あんたは毎日のように騒動起こすわね~。人気が出るのは結構だけど、あんまり注目を集めるのはちょっとね~」
「あら、サイトは全然悪くないわよ。悪いのはぜ~んぶ、あの女ったらしのろくでなしなんだから。サイトは、あんな悪い男になっちゃダメよ」
「は~い! 才人君は、悪い男にならないことを誓いまーす! そんでねー、今からさっきの続きやるから見ててねー。花は爛漫、咲っき乱れ~」

 両手を上げて元気に宣誓した才人が、先の音頭の続きを始めると、そんなルイズの気懸かりも、一時的に和みの中に紛れていった。



[20843] ちみっ子の使い魔 第五話 今ここにある幸せとどこでもない理想
Name: TAKA◆1639e4cb ID:bc5a1f8f
Date: 2010/08/17 03:20
 期せずしてギーシュを精神的に撃破してしまった日の晩、才人はルイズと並んでベッドに腰掛けながら、一緒に音楽鑑賞していた。
 赤くて薄い掌サイズの金属片に浮かぶ映像と、イヤホンなる紐を通してそこから自分の片耳に流れ込む音色に、ルイズは全神経を集中させられている。

 液晶画面の存在など彼女が知る由も無いが、金属片表面の上半分を占めるディスプレイに映る風景は、水のたゆたう川面とそこに棹差す小船に船頭、その両岸に延々と連なって咲き誇る幾百幾千本の桜。
 耳に流れ込むピアノの旋律は、画面を通して漂わんばかりの穏やかな水の流れや春の陽気を、その実体験の無い異世界の少女にさえ、幾らかの想像を掻き立てようとさせる。
 無論上手くはいかないのだが、桃色の花木が空間を埋め尽くしてその色さえも変えてしまうかのような幻想的風景に、何を言っているか分からないが絶妙に美しい男女の混声合唱も手伝って、心は夢中になって映像と音楽に引き込まれていた。異世界『日本』の春に。

 動画と演奏が終了すると、ルイズはまるで才人みたいに目を輝かせながら金属片とイヤホンを才人に返した。停止ボタンを押す彼の頬を、彼女は興奮冷めやらぬ称賛と共に撫で回した。

「何て素晴らしいの! あんたの国の春って、こんなに素敵な世界なの!?」
「そうだよ~。毎年桜の木の下で、お花見やるの」

 自国の風景を絶賛された才人も、にこーっと満面の笑みを浮かべながら返事をする。
 親も教師も近所の大人達も、口を揃えて言っていたものだ。『日本は美しい四季のある国。花鳥風月を愛でる心こそ、日本人が古くから受け継ぐもの』と。

 難しいことはよく分からないが、才人は普通に日本人として春も桜も花見も大好きだ。上野公園の敷地の広さや膨大な桜木の数も凄いとは思ったが、彼は川沿いの桜の方が、開放感があって好きだった。

「この音楽も風景にぴったりで、穏やかで暖かい春そのものじゃない。ニホンって、素晴らしい文化を持つ国なのね」
「えへへ、お褒めに与り光栄です~」

 お国を更に褒められ頭を撫でられた才人は、身も心も春の陽気に浮かされたかのように心地良くなり、姉の胸に頭をあずける。細くて柔らかい黒髪の草原を、彼女の白魚のような五指が、牝鹿のように跳ねては消え、跳ねては消える。

「このキカイとかも、風景や音楽を後から好きな時に見られるなんて、本当に凄いものよねー。こんな便利なもの、誰が作ったのかしら」
「僕もよく知りませーん」

 あまりボリュームには恵まれていないが、いい匂いのする姉の胸に才人は顔を押し付ける。いつも甘えん坊だが、とみに夕食後の二人の時間になるとそれが顕著になる子供を、ルイズは目一杯受け止めてやる。彼女の方もまた、甘え上手な弟分が可愛くてそうせずにはいられない。

 何分かそのままで過ごした後、髪を撫でしつける手を止めると、ルイズは指の腹を才人の細い顎の下にあてがい、ワイングラスを挙上するよりも優しい手つきでほんの少し持ち上げた。

「サイト、このキカイとかゲームソフトの事は、他の人に言っちゃダメよ」

 優しく語り掛けるルイズの言葉を、才人は良く理解出来なかった。モンお姉ちゃんにも言っちゃダメなのかな、と残念な思いが浮かぶ。ルイズの言葉は、なおも続く。

「それだけじゃなくて、貴方の国のこともよ。貴方が異世界から来たって知られたら、秘密を解き明かそうとして研究機関に閉じ込められたり、悪いことを考える奴が利用しようとして攫いに来るかも知れない。それくらい……」

 暗い話題を淡々と語るルイズは、幸せいっぱいだった才人の目が急激に潤んでいるのを見て、言葉を途中で飲み込んだ。拙いと思った彼女が、何かしらの対処を取る前に、才人は彼女の胴をかき抱いて泣き出した。

「そんなのやだよぉーっ! 僕、お姉ちゃんと一緒にいたいよぉーっ! 拉致られるなんてやだぁーっ!」

 決壊したてのダムのように号泣し始めた才人を、ルイズは狼狽しながらも懸命に宥めすかしに入る。

「大丈夫っ! 大丈夫だからっ! お姉ちゃんの言うこと守ってれば、絶-対大丈夫!
だから、怖がらなくてもいいの! ねっ!」

 耳元で少し叫ぶようにして言い聞かせると、才人は涙と鼻水でくしゃくしゃになった顔でルイズを見上げた。

「本当?」
「ええ、本当よ。お姉ちゃんの言うこと、守れるわね?」

 こくりと頷く才人の顔を布で拭ってやると、ルイズは指をぱちんと鳴らした。同時に、ランプの灯りが消える。

「今日はもう寝ましょう」

 横になると、才人はルイズに強くしがみ付いてきた。
 あんなに急に泣き出すなんて怖がらせ過ぎたかな、とやや反省もするが、とても大事なことであるので仕方無いと彼女は考えている。何もかもが手遅れになってからでは遅いのだ。才人は勿論、自分だってこの幸せを失うようなことは認められない。そのためなら、何だってするつもりだ。
 さっきまで鳴いていた烏の子がまだ笑わないので、ルイズは強めに抱き締め返すと、頭や頬を撫でたり、顔にキスしたりしながら、寝息が聞こえるまで安心を与え続けてやった。






 揺すられて、ルイズは目が覚めた。茫洋とした半開きの瞼の視界には、自分の肩を揺する子供の姿が少しぼやけて見える。

「お姉ちゃん、おはようさん」
「ん~おひゃよう~」

 片手で目をこすりながら、空いた手で才人の頭を撫でてやる。寝起きの悪い自分に比べ、このお子様は結構寝起きがいいと彼女は思う。もっそりと着替える内に頭が回り始め、才人と手を繋いで部屋を出た。
 廊下には、自分達の部屋のものと同じ作りの木製ドアが3つ並んで見える。その内の一番手前のドアが開くと同時に、決して不機嫌ではなかったルイズの表情が険しくなった。

 燃えるような赤い髪に褐色の肌。その背の高い少女は、ドアを開いて最初に目に入った二人に、余裕を十二分に湛えた笑顔で朝の挨拶をした。

「おはよう、ルイズ。それと可愛い使い魔ちゃん」
「おはよう、キュルケ」
「おっはようございまーす! うわぁ、お姉さんって、モデルさんみたいですね~」

 近距離で声を掛けられたので渋々挨拶を返すルイズに比べ、才人の物怖じしない元気な挨拶が廊下に乱反射する。

 才人が初めて見るタイプの女性だった。
 色白で細っこく、出るとこがまだあまり出ていないルイズやモンモランシーと比べると、キュルケと呼ばれた娘は身長も男子一般とさほど変わらず、ブラウスの第一、第二ボタンを外した胸は、それでようやく呼吸が出来ると言わんばかりに強烈な自己主張をしている。
 彫りの深い顔立ちはエキゾチックな魅力を振りまき、モデルに譬えられた抜群のプロポーションと相まって、野生的雰囲気をもうかがわせる。ぶっちゃけ、同い年とは思えぬ程に雲泥の色気の差がある。

 ルイズとモンモランシーを称えるなら、清楚な美少女と言う表現こそ相応しかろうが、このキュルケに関しては、魅惑的な美女と言うほかなさそうだ。双方の美は、極端なくらいに対照的であった。

 街中でたまたま芸能人を発見したかのように呆ける才人を、キュルケはにっこり微笑みながら見下ろした。

「モデル? ああ、私がもてるって言いたいのね。まあ、その通りだけど」

 しれっと言い放つと、口元に手を当ててキュルケは笑う。高慢ちきそのものの高笑いに、ルイズは憮然としたまま才人の手を引いて立ち去ろうとする。

「はいはい、そりゃあ結構なことで。サイト、行くわよ」
「まあまあ待ちなさいって。折角だから、私の使い魔を見ていきなさいよ。フレイム」

 首だけ後方を向いたキュルケが、開きっぱなしのドアの向こうに声を掛けると、大きく真っ赤な爬虫類らしき四足生物がのっそり姿を現した。それを見た才人は、キュルケが使い魔を紹介するのを待たずに、興奮して言葉を溢れ出させた。

「あっ! ド、ドラゴン!? 火ぃ吐いてるー!」

 その生物は、口元からライター数個分もありそうな火をちろちろと発しており、尻尾も炎で形成されていた。才人にとって、それはテレビゲームの中で幾千回と遭遇してきた、竜族のイメージの範疇に当て嵌まって見えたのだった。

「ん~、当たらずとも少々かすってるかな。フレイムは、火竜山脈に生息するサラマンダーよ」
「サラマンダーって、火トカゲのことだよね! でっかいね~! ライオンくらいありそう~!」

 目をきらきらさせて、フレイムを前から横からじろじろ鑑賞する才人の様子は、動物園で大型動物を見てはしゃぐ子供そのもの。キュルケはますます得意になり、愉悦に満ち満ちた笑みをルイズに見せ付けてきたが、ルイズはそれを受け流して才人に近付き手を引っ張り寄せた。

「サイト、もう行くわよ」

 手を引かれながらもちらら振り返る才人は、キュルケとフレイムの主従にぶんぶんと手を振って去って行った。






 その昼休みのこと。自室で寛ぐルイズは、才人に対して苦言を呈していた。お題は、キュルケとの付き合い方についてである。

「いい? あのキュルケは、この前説明したゲルマニアとの国境にあるツェルプストー家の出身なの。我がヴァリエール家とは、国境を挟んで領土が隣接しているため、古くから命の取り合いをしてきた宿敵同士なの。私達は先祖代々、血で血を洗ってきた間柄なのよ」

 天真爛漫な才人も、殺し合いという言葉には息を呑んで沈黙させられた。平和な日本の年端も行かぬ子供には、リアルとして突き付けるには重過ぎる言葉である。
 あのキュルケという明るいお姉さんと、ルイズお姉ちゃんが戦争するところを想像すると、才人はずーんと気分が沈んでしまう。

「だから、本当のことを言えば、私はあいつと顔を合わせるのも嫌なの。と言う訳で、あんたも極力口を聞かないようにしなきゃダメよ。親しくするなんて論外」
「……お姉ちゃん」

 突然しがみ付いてきた才人に不意を付かれ、鼻息も荒く訴えていたルイズは勢いを削がれる。

「戦争に行っちゃ、やだよ」

 そして哀願するように見上げる才人の視線が直撃すると、渋い気分で説教していたルイズは、急激に彼に対する切なさが胸に込み上げてきた。
その感情に支配されると、つい思わず抱き締めてしまっていた。

 不倶戴天の敵への憎しみを語ることより、この子を気持ちごと抱き締めることを優先した。そんな自分を不思議に思いながら、ルイズは才人の後頭部を優しく撫で、耳元で説き伏せた。

「大丈夫よ。お姉ちゃん、魔法使えないから役に立たないもん。戦争なんかに行くことはないから。サイトと一緒だよ」

 物心ついてよりほんの数日前まで、ルイズの背に重くのしかかり続けてきたものが、今はすっかり裏返って、鳥の羽根のように彼女の心を軽くしていた。



 私はずっと否定されて生きてきたと思う。
 格式も財産もある大貴族に生まれながら、家族の中で自分だけが、魔法の才の欠片も無い落ちこぼれだった。あまりに出来の悪い自分に対する家族の教育は厳しく、いつも叱られてばかりだったような気がする。どこまでも優しくて大好きな、ちいねえさまの傍だけが安らげる場所だった。
 魔法学院に入れば、鬱屈した日々から少しは解放されるかと思っていたが、やはり出来の悪さは変わらず、どいつもこいつも自分を蔑み笑う屈辱の日々。実力は無いから、毎度のように減らず口で返し、罵り合うだけ。これでは友人など出来よう筈も無い。
 そうして一年が過ぎ、何度も失敗した挙句、使い魔召喚に成功したと思いきや、前例の無い人間の召喚。やり直しはきかないと言われた瞬間、気が遠くなったものだ。

 しかし、その不思議な男の子は、あっと言う間に私の中の空隙を満たしていった。
 貴族が存在しない世界から来たようなその子は、何の物怖じもせずに元気いっぱいで、人懐こくて甘えん坊で、純粋な子犬のよう。意外と礼儀正しいところや、幾つも年上の男に向かっていく気の強さも持っている。
 そして、こんな私をお姉ちゃんお姉ちゃんと引っ付いてきて、必要としてくれる。離れるのは嫌だと泣き出すほどに。

 ちいねえさまが私にくださったのは、庇護と安心だった。一緒にいれば、自分の存在を肯定し、居場所を与えてもらえた。
 才人が私にくれたのは、義務と決意、初めての慕われる喜び。彼を抱き締めたあの日、私はこれまで自分を押し込めていた、狭くて色の無い殻を突き破った気がした。すると、頭上に広がった遥か空に向けて、どこまでも風が流れていくような期待感が溢れ出た。
 この子は私を必要としている。そして、それは私も同じだ。必要とし、必要とされること――何と満たされて温まることなのだろう。

 この温もりは、心に流れた嬉し涙の温度なのだろうか。




「約束だよ。僕もいい子にして言うこと聞くから、どこにも行っちゃやだよ」
「うん。絶対に約束」



 嘘を言っているつもりはない。しかし、心は揺れ動いている。
 ずっと立派なメイジになりたいと思ってきたから。一度も成功どころか成長さえ出来なくても、焦がれるほどにずっと願ってきたから。
 まず有り得ないとは思うが、もし自分が家族のような優秀なメイジになったりしたら、有事の際に前線に投入される可能性は高まる。嘗ては、そうなれることが貴族の誉れと思い、憧れていた。もとい、今でも幾らかそれは残っている。
 でも、今はそうなって死ぬのを恐れる自分を自覚する。そっちの方が、より偽らざる気持ちに思える。

 幸福感・充足感ある日々を送っている内に、私は弱くなってしまったのだろうか。
 
 今の自分の気持ちを正当化する理由を探してみた。
『私みたいな落ちこぼれメイジがいなくたって、トリステインの貴族社会にとっては何の影響も無い。でも、この子にとっては、頼れるのは私だけ。代えは利かないのだ』とか。
 尤もらしい理屈ではあると思うが、つまるところ、私は幸せになりたい。何かしらの縁で飛び込んできたこの幸せを、決して手放したくないのだ。

 嘗て、寄る辺無い私の心は、依って立つ何かを必要としていた。それが、幼少時より口を酸っぱくして教え込まれた『貴族としての誇り』だった。それを胸に持っていれば、どんなに非力だろうと胸を張って生きていけると思っていた。そう信じ込むことで、弱い私は杖代わりにしながら辛うじて立ち続けたのだろう。その杖には茨が巻いてあったので、私はいつも傷付き血を流し続けていたが。

 今、私の手を引くのは、温かい男の子の小さな手。苦く辛い思い出しかない杖は、箱に入れて物置にでもしまってしまいたいのが本音。

 『ゼロのルイズは意地さえも捨てた』と馬鹿にされようと、才人と温かい日々を過ごしたいという本音と、貴族としてメイジとしての誇りを持てるようになるべしという理想。両立出来れば最高なのだが、もしも片方しか選べないとしたら、その時私はどうするのだろう。



 自分を抱き締める力が強くなり過ぎたので、才人はルイズの肩をタップして訴えた。

「お姉ちゃん、ちょっと痛いよ~」

 その声でようやく思案の世界から抜け出られたルイズは、両腕の拘束力を緩める。自由になった才人は、ルイズの視線の下に潜り込んで難しそうな彼女の表情を見つめた。

「お姉ちゃん、難しい顔してるけど、どうしたの?」

 どきっとしたルイズの表情がリセットされた。才人に気付かれるような顔をしていたとは、年長者として不覚である。だから、即座に笑顔を作り直して、心配を取り去ってやることにする。

「何でもないよ。サイトって泣き虫君だなって思ってただけ」
「え~そうかな? お姉ちゃんが、怖くて嫌な話ばっかりするから~。僕、お子ちゃまだもん」 

 ころんと仰向けになり、自分に膝枕をしてもらう才人を見下ろしながら、ルイズは一つだけ自分の気持ちを再確認する。どんな状況になろうと、この子を捨てるという選択肢は自分には無いことを。



[20843] ちみっ子の使い魔 第六話 探検、発見、町と剣
Name: TAKA◆1639e4cb ID:bc5a1f8f
Date: 2010/08/17 03:20
 草原を駆け行く騎影一つ。鞍上には少年と少女。
 手綱を握る少女の懐に、包まれるようにしている少年は、先程から正面や側方に広がるほぼ草一面の景色をきょろきょろと落ち着き無く見回しては、背を預ける少女に話し掛けている。

「お馬さん乗るの楽しいー。かっこいいー」
「そう。気に入ったんなら、良かったわ」

 乗馬の躍動に引けを取らぬほどに、胸を弾ませて喋る才人。彼が落馬しないように互いの胴をしっかり結わえてあるルイズは、額にうっすらと汗を浮かべながら、ようやく見えてきた草原と青空以外の存在を遥か向こうに捉えた。



「明日は虚無の曜日で講義も無いから、城下町へ連れてってあげる」
 
 昨日、ルイズがそう言うと、才人は目を輝かせてはしゃぎ出した。

 いつ元の世界に帰れるか当てども無い以上、こちらの世界の知識を得て暮らしに慣れておく必要がある。この国の首都であるトリスタニアの城下町を見ておくことは、才人にとっていい勉強になるだろう。
 保護者として当然の意識を働かせる姉心たっぷりのルイズは、弟の元気な反応を見ると、とても報われた気持ちになった。

「ありがとー、お姉ちゃーん! 行っこう、行っこう、町へ行こー!」

 即興の歌で喜びを表す彼は、ぱたぱたと落ち着き無く部屋の中を回り始めた。無邪気に喜ばれて悪い気などする筈もないルイズは、苦笑してその頭に手を置く。

「あんまりはしゃぎすぎて怪我しちゃダメよ」

 彼女のその心配は杞憂に終わったが、興奮しっ放しの才人はいつもより一時間以上寝付きが遅くなり、明日熱でも出したらどうしようかと新たな心配事を生じさせた。
 幸いにして、才人は熱も寝不足も無い健やかな朝を迎え、天候にも恵まれた彼等は予定通りに城下町へと出掛けたのだった。



 町の門の傍に駅舎があるので、そこに馬を置くと、二人は町に足を踏み入れた。
 門をくぐると、そこは空の青以外は真っ白な世界だった。
 ルイズに取っては当たり前の、才人にとっては初めて見る白い石造りの町は、快晴の空から降り注ぐ光のシャワーを反射し、東京育ちの彼の目には優しくないほどに白を主張している。一言で言えば、眩い。

「うわぁ、あっかるいね~。壁とか地面が光ってるみたいだ~」
「今日は快晴だしね。もっと雲があれば、ここまで明るくはないんだけどね」

 幅五メイル程の往来には、老若男女がそれぞれのペースで行き来しており、結構ごちゃごちゃしている。そこへ、道端の行商人達の声が重なり合って響いており、陽射しと人の熱気の相乗効果で、春とは思えぬむせるような空気が一帯に立ち込めている。
 早足で歩くには熟練を要しそうな人通りを、ルイズは才人の手を引いて懸命にすり抜け進む。その才人が強めに手を引いたので、彼女は止まってやった。

「どうしたの?」
「あれ、あの苺買って」

 彼の指差した先は、種々の青果を売る露天商。そこに向かって手を繋ぎながら人混みを横断したルイズは、青果の入った数種類の木箱の内から、苺の入ったものを指差した。

「これを、この子が片手で抱えられるくらい頂戴」

 そう言ってから、懐から財布を取り出し、金貨を一枚才人に握らせる。

「貴方が支払いなさい。お釣りはいらないって言えばいいわ」

 姉の指示を正確に理解した才人は、日に焼けた中年の店主からくすんだ色の布袋を受け取ると、声を弾ませながら金貨を渡した。

「お釣りは取っといてください」
「毎度どうも。またお越しになってくださいまし」

 幾重にも皺が刻まれた大きな顔に、店主は満面の笑みを浮かべて頭を下げる。再び歩き出す前に、才人はルイズの方を向いて軽くお辞儀した。

「お姉ちゃん、買ってくれてありがとうさんです」
「どういたしまして。店主さん、袋をこの子の首から掛けられるようにして頂きたいんだけど」
「畏まりました。坊っちゃん、その袋をちょいと貸してもらえるかな」

 店主は愛想良く応じ、才人から差し出された袋を受け取ると、口の部分に錐で穴を開けて紐を結わえ、彼の首に掛けてやった。

「これで大丈夫でさ」

 両手の自由が確保された才人は、ルイズに手を引かれながら、空いた手で袋の中にぱくぱくと苺を放り込み歩く。

「美味しい! 無農薬有機栽培って感じだね!」
「ムノウヤクユウキサイバイ?」

 嬉しそうな才人の口から飛び出た初耳の単語に、ルイズは首を傾げる。そしてすぐに、才人の耳にキスするように唇を近づけて、小声で釘を刺した。

「それ、後で部屋に帰ってから教えてね」
「? あ、秘密だね」
「そう、才人とルイズお姉ちゃんだけの秘密だよ」

 顔を見合わせると、二人は悪戯っぽく笑い合う。歩みを再開すると、才人は姉に別の話題を持ち掛けた。

「お姉ちゃんのお家って、お金持ちなんだね~。『釣りはいらねえぜ』なんて、うちの父さん一回しかやったことないよ。去年関西に遊び……」

 言い掛けて、はっと口に手をやった才人の頭を、ルイズはにっこり笑って空いた方の手で撫でてやる。良く途中で気付けました、のご褒美代わりに。

「ご先祖様や父様のお蔭でね。裕福な家の生まれだから、お釣りは受け取ったことないわ。それが当たり前だもの」
「うわぁ。正にお嬢様だね~」
「そうね。そして、貴方のお姉様でもあるのよ。サイト、そろそろお昼だけど、何食べたい?」

 東京育ちの才人君、おフランスチックなトリステインで毎日高級料理に舌鼓を打っていたが、そろそろ和食が恋しくなる頃。頭の中に、これまで食してきた料理達の映像を、ふわふわと浮かべてみた。

「えっとね~、お好み焼き!」
「?」

 首を傾げるルイズの耳に、才人は背伸びしてひそひそと説明を始めた。
 小麦粉と山芋にだしを溶かしたものに、野菜や肉を刻んで入れ、それを鉄板で平たく延ばして焼いてから、ソースを塗って食べる。
 食材に関しては全部手に入るし、調理法も問題無く出来そうものだとルイズは判断したが、全く聞いたことのない料理だったので、トリステインどころかハルケギニア全土にも存在しないかもと思った。

「その料理は知らないけど、材料は手に入るわ。作り方は、サイト分かる?」
「うちで作ったことあるから、多分大丈夫。今度一緒に作ろう~」

 才人の誘いに、ルイズは口籠もった。
 即答したいのはやまやまだ。料理人に作らせると、才人の出自に関心を持たれてしまうかも知れない。余計な火種は起こさないという点では、彼の誘いに頷くのが正しいだろう。
 しかし、頷くとなると、ルイズ自身も厨房に立つことになる。大貴族の令嬢である彼女は、生まれてこの方厨房に踏み入ったことなどない。
 更に、母親から無理矢理習わされてきた編み物を通じて、自身の手先が結構不器用だということを、彼女は痛感している。

「お姉ちゃん? 一緒に作ってくれないの~?」 

 答えてくれない姉を急かす才人の方は、そこまで考えが及んでいない様子。日本の常識として、深窓育ちの令嬢でも、嗜みとして料理が出来るのは不思議ではないと彼は思っている。

 そんな彼に対して答えるのは、さほど難いものではない。自分に料理経験が無いことなど、才人のことを秘匿する重要さに比べれば、何ということはない。それに、聞く限りでは、食材を切って混ぜて鉄板の上で焼いてソースを塗るという、単純作業ばかりの工程に思える。どちらかと言うと不器用で、かつ料理未経験者の自分でも、慎重にやれば何とかなるのではなかろうか。才人は作ったことがあると言っているし。 

「うん、一緒に作ろうね。でもね、お姉ちゃん、一度も料理したことないの。役に立てるかな」
「そうなんだ~。でも大丈夫だよ、僕が教えてあげるから。難しくないよ」

 才人の言葉に安堵したルイズの心中では、未知の料理を姉弟で作ることへの期待感が風船のように膨らんで、不安材料を隅っこに追いやってしまった。足取りも軽やかに、彼等は昼食を取る店を見繕って回った。






 界隈では高級な部類に入る店で食事を取った後、ルイズは才人の希望に応じて店を回ることにした。昨晩、ベッドに入ってもはしゃいでいた彼が告げた希望は、子供にしては変わった内容に思えた。

「武器屋と防具屋と道具屋と酒場に行きたい」

 どういう脈絡がある組み合わせなのだろう。小さくても、男の子は武具を見たがるものなのだろうか。酒場というのも意外だが、これは無理だ。夕方にならないと開店しないので、帰るのが遅くなり過ぎる。

「酒場は遅くなるからダメよ。そもそも子供の行く所じゃないわ。他の所ならいいけど」

 酒場は重要な情報が得られるんだよ、などと情報収集の基本を語る才人に、ルイズは内心舌を巻く。
 歳の割に色んなことを知ってる子だが、まるで間諜みたいなことを言い出すとは。天真爛漫に育ってきたかと思いきや、実は特殊な環境で育ってきたのだろうか。帰ってからまた聞いてみようと彼女は思う。

 狭く日当たりの悪い路地に入ると、鼻腔を刺す酸っぱい臭いがした。道端にはゴミや吐瀉物が遍在して、その奥へ行こうとする者を拒絶せんばかり。白い光を帯びた先の通りと比べて、町の負の部分が吹き溜まっているように感じられる。

「臭くて汚いね~。やな所だね~」
「汚いものを踏まないように気を付けなさいね」

 美しく高貴な少女と純粋無垢な少年は、手を取り合って無事に通り抜けると四辻に出た。周囲をきょろきょろ見回すルイズは、やがて剣の意匠を凝らした銅看板を見付けると、指差しながら言った。

「あれが武器屋よ」

 期待に目を輝かせる才人の手をしっかり離さぬようにして、ルイズは店の前の石段を上り、羽扉を開けた。

 店内は薄暗く、ランプの黄色い明かりが最初に目を引いた。その光量の下では、壁や棚に乱雑に並べられた刀槍類や立派な甲冑が映し出されており、それらにさらっと視線を流すと、ルイズは店の奥でパイプを咥えた壮年の男が、自分達を胡散臭そうに見ているのに気付いた。

「貴族の旦那、うちは真っ当な商売をやってますんで。お上に目を付けられるようなことは、一切やってませんぜ」

 ドスの利いた声の店主に対し、ルイズはポーカーフェイスで応じる。

「そういう理由じゃないから安心して。今日は、この子に店の品を見学させて欲しいの。勿論、見学料は払うわ」
「見学ですかい……」

 武器屋を営んで長くなるが、純粋に見学目的の客というのは初めてだ。この子供も、容姿も服装もトリステイン人とは随分異なっていて、連れの貴族の娘とは全く共通点が無いように見える。まあ、なんだか珍しい話だが、貴族子弟の社会勉強の一貫というところなのか。こちらとしては、金を払ってくれるのなら、見学くらいは構わないが。
 店主は考えを纏めると、無愛想だった人相に営業用スマイルを乗っけて言葉を続けた。

「よござんす。見ていってくだせえ」
「おっちゃん、ありがとー。見せてもらうねー」

 武器の積んである場所にとててと小走りで駆け寄ると、才人はしゃがんで一つずつ手に取ってみる。最初に手にしたのは、長さこそ1.5メイルほどあるが、表面に錆の浮き出た細く薄い刀身の長剣だった。
 日本刀の博物館に連れていってもらったことのある才人からすると、その時見た工芸品としても一級の刀の美しさに比べて、この錆付いた長剣はフォルムだけがそれらしい、ただの廃品にしか見えなかった。

「ぼろぼろだねー。ここまでひどいと、研いでもダメかも。そんじゃ次いこー」

 錆付き剣を、元あった場所に転がし戻す才人。次の剣を手に取ろうとしたら、低い男性の怒鳴り声がした。

「おい待て、坊主! お子様の分際でこの俺様をダメ扱いとはおでれーた! 性根を叩き直してやらあ! こっち見やがれ!」

 才人はきょとんとして動きを止めた。ルイズも声の出所が分からなくて店内を見回すが、それらしき人物はいなさそうだ。店主は顔に手を当てて溜息一つ付くと、才人の方へ歩きながら怒鳴り返した。

「やい! デル公! お客様に失礼なことを言うんじゃねえ!」

 少し遅れてルイズもそこに近寄る。才人の隣にしゃがんだ店主は、錆の浮いた刀身を野太い指でつんつん突いている。

「おめえと話すこたねえよ。俺は、そこのちび助と話があるんでえ。毛深い指をどかしやがれ」
「剣が喋ってる? インテリジェンスソードなの?」

 ルイズの質問に、店主は頭を掻きながら申し訳無さそうに答える。

「へえ。お察しの通り、こいつは意思を持つ魔剣インテリジェンスソードでさ。お聞きの通り、口が悪くてお客に喧嘩を売ることもしょっちゅうの困った奴なんですよ」

 立ち上がった店主の背後では、才人が興味津々に喋る剣を覗き込んでいた。

「すっげー! ソーディアンだー!」
「何だそりゃ?」

 ソーディアンと言うのは、才人の持っている携帯用ゲームソフトの物語中の存在で、実在の人物の人格を投射された、意思を持つ剣のことである。物語の中だけの存在と思っていた『喋る剣』の存在に、お子様は夢中になって剣を手にする。

「お姉ちゃん、僕、この剣買ってほしいな~」

 ルイズも店主も、目を丸くして彼を見た。
 本来は見学目的とは言え、ちょっとした剣なら買ってやってもいいかとも思っていたルイズだが、何も一番ぼろっちいものを選ばなくてもと思う。
 甘えの入った可愛らしい視線と声でねだる弟を、彼女は優しく微笑んで宥めすかす。

「サイト、お姉ちゃん、剣を買ってあげてもいいのよ。でも、何もそんな錆付いたおんぼろ選ばなくたっていいんじゃ」
「おんぼろたあ言ってくれるじゃねえか! 剣のいろはも知らねえ、貴族の娘っ子が!」
「デル公! いい加減にしねえと、貴族の方に頼んで溶かしてもらうぞ!」

 荒い口調に少しむっとしたものの、人と剣との口喧嘩をルイズは冷静に見つめることにする。確かに剣のことはさっぱり知らない。が、才人にはちゃんとした品を選ばせたいと望んでいる。まだまともな剣を扱える歳ではないから、飾りみたいなものではあるだろうが。
 その才人は、甲高い声を店内に響かせて喧嘩に介入してきた。

「ダメーッ! この剣溶かしちゃ、ダメッ! 喋るから面白いんだもん! 僕、この剣がいい! 他の剣はいらないよ!」

 前半部分は店主を見て、後半部分はルイズに向かって才人は懸命に訴える。子供の円らな眼に頑固な決意を見て取ったルイズは、暫く彼の目をじっと覗き込んでいたが、睨めっこのように視線も表情も変えない様子を見て根負けしたのか、彼女の方から視線を外し店主の方を見た。

「あの剣はおいくら?」
「本当にあれでいいんですかい!? あれなら、新金貨で百で結構でさ」

 ルイズは金額に納得したが、支払う前に才人を手招きして呼び寄せる。

「なあに?」
「サイトが本気で欲しがってるみたいだから、買ってあげてもいいんだけど、大切に出来る?」
「出来まーす! 大切にするよ! 毎日沢山話し掛けるから!」

 片手を挙手して元気に宣言する才人に、パトロンのルイズも得心いったようで、財布から代金分を取り出して支払うと、彼の背にその身長より長い剣を鞘ごと背負わせてもらった。

 その後、防具屋と道具屋を適当に見学した才人達は、日が落ちる前に学院の寮に戻って行った。買ってもらった剣と話がしたくて、武器屋を出てからの見学コースは上の空の才人であった。






 夕食後、寮の部屋にて、才人は鞘から剣を抜き出して机の上に置いた。錆で机が汚れるのを嫌ったルイズにより、予め布を敷いた上に細長い剣は横たえられている。

「自己紹介がまだだったな。俺はデルフリンガー様だ」
「私はルイズ、こっちはサイトよ」
「僕、平賀才人だよ。よろしくね、デスブリンガー」

 人は自分が見たい聞きたいと望むように事物を解釈するもので、剣が名乗った名前がゲームに出て来た魔剣とよく似た名前だったため、才人の耳は微妙に間違ったヒアリングをしてしまった。

「デルフリンガーだっつーの! しっかりしてくれよ、ったく。一応、これから相棒になんだからよ」
「ごめんごめん。デルフリンガー、デルフリンガー、デルフリンガー。ん~、長いからデルフって呼ぶね」

 ボケツッコミという日本の芸能用語は知らないルイズだが、喜劇の一幕を見ているような気になって、ついにやっと笑ってしまう。

「まあ、いいけどよ。おめーはなりこそ小せえが、少しは見所あるみたいしな。何せ、もっとでかい剣や小奇麗な剣がある中で、結局このデルフリンガー様を選んだんだからよ」

 ぼろぼろに錆びた剣の分際で態度のでかい奴だと、ルイズは腕組みしながら思う。自分が構ってやれない時の、才人の話し相手にはいいかも知れないが、純粋で愛らしい弟の柄が悪くなったらどうしようと将来の心配をしてしまう。

「やっぱ、幼くともガンダールヴってことか」

 剣が得意げに語った単語を、ルイズは最初聞き取り損ねたかと思った。
 今、何て言った? ひょっとして……ひょっとしてだけれど、ガ、ガンダールヴとか言ってなかった?

「あんた! い、今、ななな、何て言ったの!?」
「ガンダールヴつったんだが、何慌ててるんだ? まさか知らない訳ではなかろうに」

 知らない訳はない。六千年前からハルケギニアで語り継がれてきた英雄譚、始祖ブリミルの物語は、貴族は勿論平民だって知っている。ハルケギニアの四王国の創始者ブリミル。その使い魔の名が、千の兵も蹴散らしたと伝えられるガンダールヴ。
 
 幼くともって……どういうことよ!
 ルイズは、それが喜ぶべきなのか否か判断が付かないまま、デルフが次に語るであろう言葉を待った。さらさらの掌には急に汗が滲み出し、嚥下された唾液がその白く細い咽喉を鳴らす。

「その坊主、つまり俺の新しい相棒は、伝説の使い魔ガンダールヴだ。左手のルーンが証拠だよ」




[20843] ちみっ子の使い魔 第七話 ルイズとモンモランシー
Name: TAKA◆1639e4cb ID:bc5a1f8f
Date: 2010/08/24 22:22
 一大事である。
 ただひたすらに愛らしい弟が、伝説の使い魔だとは。こんなに小さな子供が。

「どうしてなの」

 ルイズの口から辛うじて押し出された言葉は、無念を訴えるかのように静かで重いものだった。

「俺にも分かんねえなあ。この坊主がガンダールヴになった理由は。だが、逆から考えてみたらどうだ。ガンダールヴの主は誰だった?」

 言わずと知れた始祖ブリミルだ。では、何か。自分がその再来だとでも言うのか。

「私は、始祖ブリミルと比べるなんておこがましい、コモン・マジックの一つも使えない落ちこぼれメイジよ。その使い魔のサイトが、なんで伝説のガンダールヴなのよ?」
「そうなのかい。だが、ひょっとしたら、お前さん『虚無』が使えるのかも知れないぜ。今は使えなくとも将来とかな」

 適当なことを言うな、と怒鳴りつけてやりたい気分にルイズは襲われた。
 地水火風の四系統魔法より遥かに強力と言い伝えられる、最強の系統『虚無』。それに関して多くは伝わっていないが、始祖ブリミルが用いたと言われている。

 落ちこぼれの自分が、最強の『虚無』の担い手だなんて、そんな都合の良い話があるとは思えない。もし仮に才人がガンダールヴだとしても、無力な自分がそんな強力なメイジになるなんて、とても想像が及ばない。そもそも、この剣はどうしてガンダールヴのルーンだと判別出来たのか。

「あんた、適当なこと言ってんじゃないでしょうね」
「心外だぜ。俺はその昔、ガンダールヴに使われてたんだから、間違い無いっての。信じる信じないはそっちの勝手だがね」

 騙っているだけかも知れない。寧ろ、そうであってくれたなら、どんなに気が楽か。
 強い力を持っているというだけで、それを利用しようとする者がいる。それが世の常だ。せめて、この子ではなく、自分に与えられればまだ良かったものを。

 幸福な日々に終わりを告げられたような気がして、ルイズは眩暈がした。目を閉じて額に手を当てる彼女を、才人が心配そうに見上げ、その袖を軽く引っ張った。

「お姉ちゃん、ガンダールヴって何のこと?」

 ルイズは瞬時に作り笑いをして、手を額から才人の髪の中へと移す。全身が強張った感じがして、ちゃんと不安を与えない笑顔でいるのかいまいち自信が無い。

「難しい話になるから、また今度教えてあげるね。でも、その言葉を他の人の前で口にしちゃダメよ。サイトの世界の話と同じようにね」

 頬を撫でるすべすべの感触と共に言いくるめられると、やたら心地良くて彼は姉の言いつけに頷いた。
 穏やかながらも真摯な瞳と言葉から、大事なことだというのは見当が付く。だから、教えてほしくとも、とりあえず彼女の言うことを守ろうと思った。

 剣を鞘に収めると、ルイズは早めに消灯して、ベッドの中で才人をぎゅっと抱き締める。彼の方も、姉の匂いと柔らかさが嬉しくて、しがみ付いてくる。
 
 ルイズは怖かった。温かく優しい日常が壊されるのが。陽だまりのような少年を失うのが。
 暗がりの中、懸命に始祖ブリミルに祈った。この子を血生臭い戦乱や謀略の世界に巻き込まないでください、私から取り上げないでくださいと。

 使い魔として召喚しながら、戦いに巻き込みたくない。むしのいい話だとは分かっている。でも、役立たずメイジの自分の使い魔なのだから、魔法の才能同様に軍役からも見放してくれてもいいだろう。主が戦に行けないのに、使い魔が行かなきゃならぬのはおかしい話だ。
 しかし、あの剣の言ったとおり、もしも自分が虚無の担い手だったりしたならば……。

 悪い方に考え出すと、思考も坂を転げ落ちて行きがちである。
 ルイズは、細かい震えに全身を支配されると、朝方までそれが止まらなかった。幸いにして、胸に抱く愛し子は、速やかに安らかな寝息を立てて目覚めることはなかった。






 翌朝、不安に苛まれたまま一睡も出来なかったルイズは、いつもよりぬぼーっとした状態だったので、才人に手を引かれながら食堂へ向かった。

 今日の講義居眠りしちゃうかも。こんなんじゃダメ、才人に心配掛けちゃうわ。姉失格よ。

 朝食の味も良く分からぬままに、咀嚼と嚥下を繰り返しながら、彼女の頭は自身を鼓舞する声が何度もリフレインされていた。

 だから、講義室に移動して、二つ隣の席から掛けられた声を認識することが出来ず、肩を揺らされてようやく気付く。

「ルイズ、まだ寝惚けてるの? 夜更かしでもしたの?」

 講義室と食堂でのお馴染みの隣人となった、モンモランシーの怪訝そうな表情があった。才人を軽く抱きかかえているのを見ると、自分はいつも一緒にいるくせに、それでも羨ましく思ってしまう。

「ちょっと寝付きが悪くて」
「あんまり続くようなら、いいポーションを調合してあげようか? 代金はもらうけど」

 名門貴族のくせにけち臭いわねと思いながらも、ルイズはモンモランシーの心遣いに感謝する。
 貴族の例に漏れず、高慢ちきなところがある娘だったが、才人が来てから丸くなったように感じられる。昨年度は罵り合ってばかりいた憎ったらしい娘だったのに、今はとても感じが良くなった。

 尤も、それは自分も同じかと思うと、ルイズは自然と笑みがこぼれ、陰鬱な気分が幾らか押し流された。

「ありがとう。今晩も続いたらお願いするわ」

 これって友達なのかな。
 ルイズは、これまでの人生で唯一の友、王女アンリエッタのことを思い出した。

 王女の幼少のみぎり、ルイズは国内屈指の有力貴族の子女で年齢が近いこともあって、ご学友に指名されたことがあった。
 小さく可愛らしいお転婆娘二人は、当時は毎日のように宮中を騒がせ、侍従達の頭や胃を痛めさせていたが、同時に和ませもしていた。高貴な育ち故に友達のいなかった彼女達は、しばしば喧嘩もしたけれど互いを大事に思い合っており、その時のことは今でも良い思い出として心のアルバムにしまわれている。

 眼前にいる金髪縦巻き毛の娘は、自分にとって二人目の友達になり得るのだろうか。
 これまではプライドをぶつけ合うばかりで、互いに歩み寄ろうとはしなかったが、偶然才人が結び付けた縁で近付いてみると、結構いい娘なのかもと思える。
 数日前までは、気を許せる者などいないピリピリした学院生活だったが、才人に心の余裕をもらったのを切っ掛けに、そういう存在を求める秘めた願望が開放されつつあるのかも知れない。

「悩み事があるなら聞くわよ。貴女に何かあったら、サイトも困るんだから」

 下瞼が熱い。頬骨を何かがつたって落ちた。やばい。

 気の強そうな目尻を下げて心配するモンモランシーと、不安げにくっ付いてくる才人の姿が視界に滲んだ。

「あれ? 変ね、私。寝不足で涙が出たみたい」

 ごまかしきれるか。まあ、ごまかしきれないなら、それはそれでいいのだが。

 自分は疲れている。
 才人の出自の隠匿と、それに加えガンダールヴの件では自分の気持ちも不安で消化しきれてないまま、他者に知られないようにしなければならない。
 才人から沢山の元気と癒しをもらいながらも、それとは別の次元で緊張と重圧、不安を強いられ、精神的に参りかけているのだろう。相談相手もいないし。

 モンモランシーは、才人を可愛がってくれるしいい娘だ。本音を言えば、隠し事を打ち明けて協力してほしい。重荷を分かち合ってほしい。
 しかし、相手に全幅の信頼が無くては、才人の命運がかかった選択は出来ない。彼女はいい娘だと思うが、信頼しきれるとまでいえるのだろうか。

 こんな自分は、猜疑心に凝り固まった嫌な人間になっているのかも知れない。

 また、この問題は、巻き込まれた者の人生にも重大な影響を与え得るものだ。藁をも縋るあまり、彼女を巻き込んで良いものか。

 ルイズがハンカチで目元を拭うと、才人が額をくっつけてきた。続けて、互いの額に掌で触れると、モンモランシーの方を振り返って告げる。

「ルイズお姉ちゃん、熱あるよ」

 モンモランシーも、才人と同じようにして熱を測ると、小さく頷いた。

「熱いわね。貴女、今日は部屋で休んだ方がいいわ。後で熱冷ましを届けてあげる」
「そうするわ。悪いわね」

 ルイズはふらりと立ち上がると、才人に手を引かれながら自室へと戻って行った。
 急に心労が増えて眠れなかったところに、思わぬ優しい言葉を掛けられて、張り詰めていた部分が緩んだのだが、茫洋とした頭ではあまり細微な自己分析は出来ない。
 ただ、疲れたので休みたかった。才人を抱いて、何も考えずに眠りたかった。






 自室のベッドに入っても、ルイズは暫く寝付けないでいた。
 モンモランシーのありがたい言葉に、多少不安が和らいだが、その代わりに彼女に秘密事を打ち明けてよいものか、判断に迷っているのだ。

 熱っぽい頭で悩む彼女の隣には、眠気など欠片も無い筈の才人が入り込んでいる。風邪をうつすといけないと思い、ルイズはベッドから出るように促した。

「サイト、風邪だったらうつるといけないから、ベッドから出て。お姉ちゃんなら大丈夫だから、デルフと外で遊んでらっしゃい」

 熱があるためか、ルイズの声や微笑は、いつもより力弱く、そして一層優しく感じられた。才人は首をぶんぶん横に振って、彼にしてはボリュームを絞った声で返事する。

「僕、風邪なんてひいたことないもん。馬鹿だから風邪ひかないって、クラスのみんなに言われるんだ」

 自慢げにピースする才人の頭を、ルイズはそっと抱き寄せて自分の頬を軽く当てた。

「サイトは馬鹿なんかじゃないよ。元気で優しくて、とてもいい子。お姉ちゃんの、大事な大事な弟」

 ルイズは、懸念事項を一時的に頭の隅に追いやってしまっていた。講義を休む形になったが、昨日楽しめなかった二人の時間を、ここで取り戻そうと思った。

 いつもの半分くらいの力で才人を抱き締める。
 体が気だるいので話はしない。そのまま音の無い時間が過ぎていく。

 身長差の関係でか、才人が抱き付いてくる際の頭の位置は、ルイズの胸辺りになる。彼の頬や呼吸が当たるたびに、ルイズは己のその箇所について、思いを馳せずにはいられない。魔法の次に自信の無いその箇所について。

 ルイズは体型にコンプレックスを持っている。己が『貧乳』に対して。

 彼女が敬愛してやまない“ちいねえさま”こと次女のカトレアは、今のルイズが数歳年経て穏やかさを得たならそうなるであろう、たおやかで美しい魅力的な女性である。その包容力を象徴するかのように、彼女は胸も中々に豊かであり、ルイズはそこに憧れつつ、どこかの時点で成長が止まってしまったかのような、己の現状に溜息をつくばかりなのだった。

 学院の男子どもときたら、あのキュルケの巨乳に夢中で、女王様の如く祭り上げて、馬鹿みたいに鼻の下を伸ばしているのだ。トリステイン貴族の誇りと分別は無いのか、と蹴飛ばしてやりたくなったことは、昨年度中一度や二度ではなかった。他の女子達の視線も、同様の思いを雄弁に語っていた。『巨乳がそんなにいいのか!』と。

 そこにくると、このちみっ子は自分の凹凸に欠けた胸がお気に入りらしい。
 『いい匂いがして柔らかいから好き』なのだそうだ。この場所が。
 
 この胸を褒められたことなど、一度も無かった。
 ちいねえさまのように育たない限り、一生称賛を浴びることの無い、誰からも価値を認められないもので終わるのではと恐れていた。

 しかし、この子は、そんな自分の劣等感の一つを、朝靄の如く立ち消してしまった。そしてそのまま、この痩せた土地の永住権を獲得してしまった。今では、地主が認めた唯一の存在である。

 言葉や体で触れ合う度に幸せが溢れ出る、無限の宝箱のような子供。この出会いを始祖ブリミルに毎日感謝して、自分は全力でこの子を大切にしよう。
 その思いで薄い胸を熱くしていると、やがてドアをノックする音が聞こえた。






 返事の後に入って来たのはモンモランシー。午前の講義が終わったので、休憩時間中にわざわざ熱冷まし用のポーションを持って来てくれたようだ。
 『水』の系統魔法において一家言持つ、名門モンモランシ家の令嬢が直々に調合した治療薬だ。良く効くことだろう。

「ありがとう。元気になったら支払いに行くわ」
「特別に無料にしてあげてもよくてよ。貴女の悩み事を話してくれればね」

 ルイズの視線が釘付けになる。その先には、余裕ある涼しげな笑顔のモンモランシーが、長い足を曲げてベッドに腰掛けようとしていた。

「寝不足だけならともかく、何気ない会話中に涙をこぼすなんて、私じゃなくても変に思うわよ。さっきも言ったけど、貴女に何かあったらサイトも困るんだから。愚痴でもいいから言っちゃいなさいよ」

 才人のことを考えてくれるから、その関係で自分のことも考えてくれる。今一番ありがたい存在だとルイズは思う。

 あの日、『自分が才人を守り育てる』と意気込んではみたが、出自のことだけならまだしも、ガンダールヴの問題まで出て来たことで、非力な自分は早々に心労で体調を崩した。気張ってはみたものの、所詮世間知らずの貴族子弟なのだと悔しくも痛感させられる。問題に対処するための知識も経験も、人脈も精神力も、何もかもが全然足らない。
 倒れるのは遅かれ早かれの問題であったろうから、翌日に軽めの症状でそれを思い知らされたのは寧ろ幸いである。才人と離れての長期療養とかになってしまっては、最悪だし手遅れなのだから。

 自分一人では無理だと判明した。ならば、協力者を募る他ないだろう。
 
 理想の協力者は、自分に足らない前述のものを豊富に持ち合わせ、更に自分と才人の側に立ち、情報の秘匿という点においても、信頼に値する大人である。実家の両親が理想だと思うが、忙しい人達だし、頼るとなると退学せざるを得なくなる。家から学院は、通えるような距離ではないから。
 学院長や講師達は、資質こそありそうだが、自分達の側に立って情報も固く秘匿してくれるかが不安だ。それらにおいて信頼に値しない人に才人の秘密を知られたら、命取りである。
 こうして考えると、家族以外で秘密を打ち明けられるような人物を知っているということは、実に難しいことなのだと思い知らされる。

 このモンモランシーは、自分と同じ未熟な貴族子弟ではあるが、才人のことを真剣に考えてくれているという点で、信頼性は高いと思われる。自分の乏しい人脈にこのような人物がいて、しかも向こうから心配して聞きだそうとしてくるなど、相当運がいいと言える。
 どんな人間にも必ず“機”というものはやって来て、それを逃さず掴めるかどうかでその後の人生が変わる、とどこかの偉人伝に書いてあったが、自分にとっての“機”が今目の前に来ているのかも知れない。

「モンモランシー、『ディテクトマジック』と『ロック』を唱えてくれる?」

 ルイズの言葉に頷いたモンモランシーが杖を振り、短くルーンを呟くと、光の粉が部屋中に舞った。

「きれーだねー。モンお姉ちゃん、魔法使いさんなんだねー」

 CGで似たようなものを見たことがある才人は、天井から壁を見回しながら感嘆の声を上げる。くすりと笑うと、彼女は入口のドアに向けてもう一度杖を振った。

「誰もこの部屋を見聞きしていないみたいわ。『ロック』も掛かったし、これでいいでしょう。ルイズ、話す気になったのね」
「ええ。でもその前に一つだけ確認させて。もし仮にだけど、私に何かあってこの子の面倒を見られなくなったら、貴女に代わりをお願い出来る?」

 いきなりの重い質問だった。ただならぬ事情が背後に控えていることを、否応無しに連想させるような。

 ルイズの目は真剣だ。こちらも真剣に考えて答えなくてはならない。
 モンモランシーは、腕組みして考えようとした。が、それと同時に、彼女とルイズの間にいる才人の様子が目に入り、狼狽する。

 才人の両眼は丸く見開かれ、大半を占める黒目部分は、何の感情も映していないように見えた。そして数秒後、目からは涙が溢れ出す寸前となり、口は開かれたまま今にも号泣を吐き出しそうに輪郭を震わせ、全身は小刻みに痙攣している。
 今押さえないと大泣きし出すと、保護者経験から見て取ったルイズは、宥める台詞を準備しながら慌てて頭を撫でてやった。

「今のはたとえだからねっ、たとえっ! お姉ちゃんがサイトから離れるわけないからっ! ねっ!」

 目に涙を滔々と湛えながら、才人は安堵の笑顔を浮かべた。

「な~んだ、たとえか~。びっくりしたな~、もう」

 びっくりしたのはこちらだと言いたいモンモランシーだったが、姉弟の息の合ったコミュニケーションを見せつけられると、苦笑する他なかった。

「貴女達の仲に割って入る程の自信は、ちょっと足りないかもね。でも、今の質問には自信を持って答えるわよ。私は責任持ってサイトを育てられるわ」

 モンモランシーの青い瞳は、一片の曇りも帯びていなかった。誇り高く自信に溢れた双眸にこもった意志の力。その原動力には、才人への愛情も含まれているのだろう。
 自分に勇気をくれたモンモランシーの優しさに、ルイズは心から感謝し、迷うことなく秘密を語り始めた。

「ありがとう。じゃあ、サイトの秘密を話すわ。この子はハルケギニアとは違う、異世界から来たの」

 モンモランシーは、最初はルイズの話す言葉の意味が良く分からなかった。しかし、ルイズがそうであったように、両世界の地図の対比や才人の世界の機械を見せてもらったりする内に、ハルケギニアとは全く異質のものが存在する世界を、少しづつ考えられるようになってきた。

「そうだったの。サイトって、毛色の変わった子だと思ってたけど、全く別の世界から来てたなんて……。いえ、そう考えれば、かえって納得しやすいかも」

 異世界から来た少年の髪を、モンモランシーは白魚のような指で梳いてやる。トリステインでは異彩を放つ黒い髪は、夜の草原を彼女に思い起こさせる。自分に寄りかかってきた少年に対し、彼女はルイズの場合とは少々異なる言葉でアプローチした。

「サイト。お家から離れて寂しくない?」

 質問の選択を間違えたかも、とモンモランシーは少し後悔した。望郷の念に泣き出すかも、そうなったら自分の責任だから、たっぷり慰めてやろうと構えた。しかし、才人の反応は、彼女の想定範囲から外れていた。

「平気だよ。お姉ちゃん達がいるもん」

 無理はしていないように見えた。それだけ屈託の無い笑顔だった。モンモランシーは何か堪らなくなって、少し覆い被さるように彼を抱き締め、頬擦りした。

「ルイズ、ルイズったら。貴女が羨ましいわ。こんな不思議で可愛い子を使い魔にして、いつも一緒の独り占めなんて。私にもお裾分けしてほしいわ」

 心地良さそうに頬擦りされている才人を見ると、ルイズは自分と才人が普段どうしているのかを鏡で映されているような気がして、少々照れ臭かった。先程講義室で彼を抱き締められた時は、少々嫉妬する気持ちが沸いたが、今は不思議とそれが無かった。それどころか、自分以外で彼を大切にしてくれる娘の存在が、ありがたくさえ思える。

「私は、大事なことをべらべら喋るような間抜けじゃないわ。だから安心して。三人で協力し合って上手くやっていきましょう。これで、貴女の悩みは万事解決かしら」

 とても嬉しい言葉だった。彼女の言葉に頷いて、これにて一件落着ならば、大分楽になれるのに。実際は、これよりずっと重い問題がもう一つ残っている。

 こっちは言って良いものだろうか。
 モンモランシーが、信頼に足る人物だということは分かった。しかし、こっちの秘密は、軍事関係が絡み得るもの。彼女の生活をキナ臭いことに巻き込んでしまいかねない。

「まだ何かあるみたいね。言ってごらんなさい」

 見透かされた。
 ルイズは、自分が今どんな表情をしているのか鏡で確かめたかった。自分は、気持ちを隠すのが下手なのだろうと、泣きそうなのか笑っているのか微妙な表情のまま思い知る。

「モンモランシー、あのね、もう一つだけサイトの秘密があるんだけどね、これはさっきの話より全然重い話なの。最悪、貴女の人生を変えてしまいかねないほどに」

 余裕のあったモンモランシーの表情が、峻厳なものを帯びた。人生を変え得ると言われれば、大概の人間はこうなるのも已む無しだろう。
 彼女は、言葉を慎重に選んでルイズに問いかける。

「サイトの人生についてはどうなの? その秘密によって、もう変わってしまったの? そして、貴女の人生もそうなったの?」

 ごくりと唾を飲む音と共に、ルイズは首を縦に振る。両方の質問について肯定する回答を受け取ると、モンモランシーは少し考え込んだ。それは、長考と言うにはかなり短い時間だった。

「あともう一つ聞きたいんだけど、それを聞いた場合、私はサイトや貴女の力になれるのかしら? 役に立てないのなら、聞いても仕方無いし」

 役に立つのかと聞かれると、いてくれた方が助力を請う相手としても、秘密を分かち合う精神的負担の意味でも、大いに役立つと思われる。しかし、相手にとってデメリットはあってもメリットのある話ではない。それ故に、気楽に頼めない。
 迷ったルイズは、才人の方を見た。本人の気持ちを確認したいと思った故の動きだったが、それ程に彼女は判断に困っていた。
 気持ちや雰囲気を感じ取る感覚が鋭い彼は、姉の迷いを表情から読み取った。そして、昨日デルフと会話してから様子がおかしかったことから、彼女に代わって自分の取るべき行動を判断した。

「モンお姉ちゃん。僕、ガンダールヴなんだって」

 彼の言葉は、ルイズが望む方向に向けられたものではなかった。

 確かに迷ってはいたけど、私に代わって勝手にモンモランシーに話してどうすんのよ。
 そう窘めたい気持ちのルイズだったが、覆水盆に還らずである。賽は投げられてしまったのだ。

 モンモランシーは口をあんぐり開けて、令嬢らしからぬ少々間の抜けた表情で驚いていた。始祖ブリミルの伝承に出てくる伝説の使い魔の名前を、この場で聞くことになるとは夢にも思わなかった。と言うか、神話同然の存在が知り合いにいると言われたも同然で、実感をもって受け止めるのが難しい。

「まあ、サイトが、ガンダールヴなんて……。俄かに信じ難いわね。何て言えばいいのか」

 それでも、聡い彼女は、自分が言うべき言葉やそれを向ける相手が、分からなくなったりすることはなかった。

「ルイズ、独りで不安な思いをしていたのね」

 自分より小柄な肩に手を置くと、桃色がかったブロンドの同級生は、ぼろぼろ涙をこぼし始めた。

「ばれたら、サイトが利用されるんじゃないかって、凄く怖かったの。私一人じゃ何にも分かんなくて、無力で、本当は誰かに聞いてほしかったの」

 泣きながら子供のように心情を吐露するルイズを、間に才人を挟むようにして、モンモランシーは肩を抱いてやった。

「貴女の立場になったら、誰だってパニックで不安になるわよ。大変だったわね。知ってしまった以上、これからは私も分かち合うから、少しは安心しなさい」

 少しどころか、大分安心だとルイズは素直に思った。気持ちがすっきりして泣きべそが収まってくると、自分を心配そうに見上げる才人の両頬を、少し強めに挟んで覗き込んだ。

「サイト。モンモランシーは信用出来る人だけど、ガンダールヴのことを簡単に言うのは迂闊だったわよ」

 軍事利用云々は口にしなかったが、ルイズは秘密だと約束したことを漏らした科で、才人に優しく注意する。彼は、悪かったと思う気持ちともう一つの気持ちを素直に告げた。

「ごめんなさい。でもね、モンお姉ちゃんにも、僕のこと知ってほしかったの」

 そう言われると、ルイズはそれ以上責める気になれなかった。天真爛漫な才人は、もう一人の大好きなお姉ちゃんに隠し事をしているのが、ストレスだったのかも知れない。

「あら、私はサイトが話してくれて嬉しかったわよ。これからは、モンお姉ちゃんも一緒だからね」

 ほっぺにキスされた才人、両お姉ちゃんに挟まれてすっかりご満悦となる。
 その頭上では、ルイズが小声でモンモランシーに謝っていた。

「あの、モンモランシー、面倒な話聞かせちゃって……」
「ルイズ、私はトリステイン貴族なの。誇りがあるの」

 申し訳無さそうなルイズの言葉を、モンモランシーは静かだが逆らい難い力の秘められた視線で遮断してしまう。

「小さな子が火の粉を被りそうなのに、自分は安全な場所でのうのうとしているなんて、貴族じゃないわ。貴女だってそうでしょう?」

 その通りだった。全くの同意を、相手の目を見て頷くことでルイズは示す。それを受け取ったモンモランシーは、自慢げに巻き毛を指でかき上げて顎先を反らした。

「これで気持ちは楽になったかしら? そろそろ午後の講義があるからもう行くわ。サイトに会えないと寂しいから、さっさと体調回復しなさいね」

 才人の頬を一撫ですると、彼女は『アンロック』をドアノブに唱えて出て行った。

 精神的な重荷は、かなり軽くなった。しかし、まだ一つだけ残っている荷物がある。虚無の担い手のことについてである。
 この荷物の重さは、自分でもいまいち良く分からないのだが、これを打ち明けることが出来た時、モンモランシーとは本当の友達になれるのかも知れないと、ルイズは思いながら横になるのだった。



[20843] ちみっ子の使い魔 第八話 ちっぱいと牛ぱい
Name: TAKA◆1639e4cb ID:bc5a1f8f
Date: 2010/08/24 22:30
 翌日、すっかり全快したルイズは、講義室で才人に文字の読み書きを教えていた。
 教材は、先日城下町の本屋で入手した、比較的子供の読み書き練習にも使い易い本で、先程から才人は一生懸命練習している。勉強を始めてまだ数日のため、度々分からないところを聞かれるものの、それでもルイズの見たところ、覚えは中々早いと言えた。

 この日の午前の講義は、講師の都合により休講となっていた。つまり自習の時間となった訳だが、真面目に自学自習する生徒は少数で、半数以上は早々に外に出てしまい余暇に充てている模様。ちなみに、モンモランシーは調べ物をすると言って、図書館に行ってしまっている。

 やがて、ルイズの決めた区切りまで書き取りを終えた才人は、隣の席に立て掛けておいたデルフリンガーを手に取った。

「お姉ちゃん、書き取り終わったから、デルフの素振りしに行きたい」
「あんた、ちゃんと振れるようになったの? 突き以外上手く出来ないって言ってたわよね」
「うーん、そうなんだよねー。長過ぎて振り回されちゃうんだー。でもね、昔日本には佐々木小次郎って凄い剣士がいて、背丈より長い剣を振るってたんだよ。別名『物干し竿』っていう……ムグッ」

 ルイズに口を塞がれた才人は、自分がうっかりしていたことを思い知らされる。彼の隣には、先日廊下であったモデルのようなお姉さんが、いつの間にか近付いて腰掛けていた。

「こんにちは、僕。面白そうな話してるじゃない。お姉さんにも聞かせて欲しいな」

 机に頬杖突いて、余裕たっぷりに優雅な笑みを浮かべる美女は、才人の肩を抱き寄せながら睨むルイズと視線が合う。

「あんたには関係無いわよ。こっちはやることあんだから、暇人のあんたに構ってられないの」
「それは貴女の都合でしょ、どうぞお好きに。私は、そっちの可愛い使い魔ちゃんと話がしたいの。ねえ」

 才人の頭を撫でようと伸びるキュルケの手を、ルイズは無造作に弾いた。なおも余裕を崩さないキュルケは、ルイズの剣呑な視線を、柳に風とばかりに受け流している。

「あらあら、随分過保護ねえ。色んな人と交流させた方が、その子のためになるのに」
「あんた以外とならね! あんたに誘惑される不純な男子達と、この子を一緒に扱わないで! この子は純粋なの!」

 ルイズの物言いに、キュルケの優雅な笑顔がいささか性質の異なるものへと変化する。一度ニュートラルに戻った表情は、今度は棘や毒を連想させる褐色の薔薇となって咲いた。

「へ~、過保護って言うか、心が狭いって感じねえ。ちっぱいの娘は心も小さいのね」
「ちっぱいって、何よそれ?」
「『ちっちゃいおっぱい』の略よ。分かり易いでしょう、おーほっほっほっほ!」

 ルイズ、カチンとくる。
 元々胸についてのことは、魔法の出来ないことに次ぐコンプレックス。魔法のコンプレックスは、今では以前と比べかなり小さくなったため、胸コンプレックスが彼女の中の一位に繰り上がっていた。しかも、宿敵ツェルプストーの、これでもかと言わんばかりの巨乳保持者による侮辱である。その憤りときたら、他者には推して知ることも困難なくらいであろう。

「よよよ、よくも変な略語造ってまで馬鹿にしてくれたわね! この乳牛! 牛パイ! 牛女!」 
「ほほほ、持たざる者の遠吠えは哀れがましいわね。ゼロパイのルイズ」

 むきゃーっと逆上するルイズ。やがて発狂に至ろうとせん彼女を、才人が抱き付いて宥めにかかった。

「お姉ちゃん、あんまり怒っちゃ体に毒なのー。僕、お姉ちゃんのおっぱい好きだよ」

 一生懸命伝えようとする才人に見上げられたルイズは、はっと正気に還った。荒れ狂う情動から自分を引き戻したのは、愛情の実感・体感。才人の顔を自分の胸に押し付けながら、彼女は初めて得意気な笑顔となって、キュルケを真っ向から見据えた。
 キュルケはそれがちょっと気に食わなかったが、表面上は涼しげな様子を崩さず、更に言葉攻めを継続する。

「もてないからって、可愛らしいツバメちゃんを飼うわけか。意外とやるものね」
「ツバメ?」

 聞き慣れない言葉に首を傾げるルイズに、キュルケは妖しく笑いながら説明する。

「年上の女性に面倒みてもらう若い男性のことよ。見返りとして恋人とかにさせたりすることもあるわね。さしずめ、その坊やにナイチチでも吸わせてあげてるってとこかしら?」
「そそ、そんなことさせてないわよっ! あんたじゃあるまいし、いやらしい憶測はやめてよね!」

 キュルケの過激な発言に、ルイズは真っ赤になって声を張り上げた。休講後時間が経っていたため、既に三人を除いて誰もいない空間だったのは、彼女にとって幸いである。
 即座に初心な反応を見せたネンネのルイズに対し、キュルケは頬に指を当てながら、いかにもわざとらしく驚いた素振りを見せた。

「そう? まあ、お乳が恋しい年頃にしては大きいし、憧れる年にしては幼過ぎるかしら。ねえ、坊や。貴方のお名前と年は?」
「平賀才人。九歳だよ」

 腰を曲げて前傾しても、まだ才人より高い位置から降って来るキュルケの質問に、彼はルイズの胸からそちらの方向に顔を捻って答える。にこりと微笑み掛ける長身の女性は、美しい上に気さくで親しみやすい風に、彼には感じられた。

「少し変わった名前ね。サイトって呼んでいいのかしら」

 こくりと頷く少年は、特に保護者から言動を規制されるでもなかった。キュルケは、今度は自慢の豊乳を、才人の眼前に突き出すように近付けてきた。

「ねえ、サイト。ルイズお姉ちゃんの平べったいおっぱいより、私の方がいいと思わない?」

 頭上から囁きかけられた才人は、たわわな一対の果実をじっと見つめる。その視線に、キュルケは常日頃のような見られる喜びと、他の女子より優位に立つ愉悦に浸っていた。

 学院の男子達は、自分に視線や言葉を投げ掛けられるだけで、皆鼻の下を伸ばしている。小さいとはいえ、この子も男の子。自分の美貌と魅力に抗える筈が無い。まして、相手は貧相な体つきのラ・ヴァリエール。負ける訳が無い。

 だが、今回に限っては、彼女の情報量と分析は不足していた。

「僕、ルイズお姉ちゃんの方がいい。お姉ちゃんといると、安心するの。良く眠れるんだよ」

 キュルケの記憶の中では、異性絡みで初めての敗北であった。それも、先祖代々相手を寝取ってきた、言ってみればコケにしまくってきたラ・ヴァリエール家の、歯牙にも掛けてなかった幼児体形の相手にである。

 一方、先祖代々の無念を引き継いで、一矢報いてやった感のヴァリエール家三女は、最功労者を強く抱き締めて、額の辺りに何度もご褒美のキスを落としてやる。そして、宿敵ツェルプストー家の子女に対し、初めて優越感を覚える昂りを隠せぬまま、勝利の笑顔を見せつけてやった。

「残念だったわね、ツェルプストー。あんたが侍らせてきたオツムの軽い男達と、うちのサイトは違うのよ。純粋で優しいの。本当にいい子なんだから」

 キュルケからは、余裕や陽気といった彼女を構成する基本的要素が、消え失せたかに見えた。ざまあ見なさいと言葉で追い討ちを掛けようとルイズは思ったが、それが実行される前に、キュルケは消えた表情を構築し直した。

「私の鼻を初めて明かしてご満悦なのかも知れないけど、勘違いはしない方がいいわよ。その子が貴女に懐いているのは、過ごした時間の長さによるもの。同じ条件なら、女として貴女がこの私に勝てる要素なんて無いのは明らか。だって貴女、その子以外の異性にもてたことある?」

 実績を盾にするキュルケのパワープレイ。悲願だった初勝利の余韻も、それまでの九十九敗を思うと幾らか霞んでしまう。
 恋の達人の家系であるツェルプストーは、彼女達の代になっても心理戦でヴァリエールを翻弄するようである。

「そ、それがどう関係あるって言うのよ。大体ね、あんたが誑かしてきた馬鹿男達が束になろうと、この子には敵わないわよ!」

 姉馬鹿と言うか、他者が聞けば特殊な嗜好の持ち主なのだろうと、生温かい視線で見られかねないルイズの反撃。重ね重ね、この場に彼女等三人しかいないのは幸いである。
 その発言を鼻で笑われるかとルイズは身構えたが、意外にもキュルケは負の感情を交えない自然体で応じた。

「そうかもね。貴女に対する忠誠心や思いやり、勇気。見所はありそうね。将来どんな殿方に成長するのか見てみたいかも」

 華のある魅力的な笑顔。健康的、野生的な生命力の躍動を想起させるその美しさは、学院の男子生徒全員を魅了すると言っても過言ではない程である。しかし、今相対するルイズにとってそれはとても危険なものだと、自身の中の女が告げた。

「どうせ、あんたには関係無いことだわ。サイト、行くわよ」

 手を繋ぐと、一度も振り返ることなく去って行くルイズ達の後ろ姿を、キュルケは講義室を出るまで見つめていた。その笑顔は、捕食者の獰猛さが幾らか混ざったものに変質していた。






 トリステイン魔法学院の構造は、俯瞰すると五角形になっているのが分かる。五角形の中央には最上階に学院長室を置く本搭があり、ここには他に宝物庫、食堂、図書館等の施設がある。五角を形成する各搭とは『土の搭』『火の搭』『風の搭』『水の搭』『寮搭』であり、寮塔以外の四搭は本塔と渡り廊下のようなもので繋がっている。そして、外角の五塔は、各々の隣塔と辺を成すようにして、その間には外壁が形成されている。

 ルイズ達の部屋がある女子寮は火の塔にある。夕食後、才人はその塔近くの外壁傍にて、デルフリンガーを素振っていた。もとい、素振られていた。

 才人の身長より20サントばかり長い全長の剣は薄身とはいえ、まだ筋骨未発達のちみっ子を振り回すには十分な慣性が働く。長物を振り回すのは、筋力と技量の双方を要求される動作なのだろう。
 面を打とうと振れば、体が前に引っ張られるようにのめり、胴薙ぎに振れば、剣身によってその方向に上体が引っ張られてしまう。体が流れることなく使いこなせるとしたら、踏み込みを加減しての突きくらいのものであった。

「デルフ~、やっぱ長過ぎだよ~。僕には使いこなせないよ~」

 剣を隣に置きながら、石畳にべたりと尻餅を付くと、ひんやりと気持ち良かった。デルフを買ってもらってから、毎日素振りを続けているのだが、今のところ修行内容はいつもこう。まともに振ることも出来ず、愛剣に愚痴を垂れるのが日課。

「相棒はまだちみっ子だかんね。体が成長すれば、振れるようになるさ」
「それまで何年もかかるんだよー。僕はお姉ちゃんの使い魔なんだから、すぐに守れるようじゃなきゃダメなの! そんな悠長なこと言ってられないよ!」
「とは言ってもなー。現状では、精々突くくらいしか出来そうにないしな。相棒、何かいい知恵は無いか?」

 長生きしてるくせに、御年九歳の子供に意見を求める超ベテラン。それに対する彼の答えは、子供らしくシンプルなものだった。

「デルフさ~、半分くらいに短く切っていい?」

 デルフは戦慄に震えた。薄暗い星空を背景に、自分を見つめる子供の目はガラス玉のように透き通っている。本気なのだろう。

「相棒。俺は随分長く生きて、色んな奴と組んできたが、そんなおっかねーことを言ってきたのはおめぇが初めてだよ」
「そうなの? で、どっちなの? 切っていいの? 悪いの?」
「悪い! 絶対的に悪いから、切るなよ!」

 才人に握られて以来初めて見せる、デルフの狼狽であった。絶対的に否定された才人は、少しご機嫌斜めになる。

「じゃあ、デルフがいいアイデア出してよー。六千年も生きてるんでしょー」
「……悪ぃ。何か手があったかも知れんが、すぐには浮かばねえや。何せ長いこと生きてるからよ」

 どうも頼りない回答だったので、才人はこの日、相棒に対して初めての毒を吐いた。

「デルフは、ぼけじーさんだったんだね。聞いた僕がアホの子だったさー」

 デルフ、咄嗟に言葉が出ない。
 この子供、さっきから割りと酷いことをずけずけと言ってくる。中々の暴言ぶりだが、物忘れしていることについてはこちらも言い返せない。自分がぼけてるのは事実っちゃあ事実だし。

「デルフがダメなら仕方無いや。お姉ちゃんにお願いして、僕でも使えるような剣を買ってもらおっと」

 お前さん、今さらっと凄いこと言わなかった? 剣の沽券に関わるような事をよ。

「ちょっと待ちな、相棒。そんな簡単にダメ出しするなんざ、俺を手に取った奴とは思えない浅はかさだぜ。これでも俺は――」
「大丈夫だよ~。デルフには、これから知恵袋として活躍してもらうからさ~」

 その目と声の色からは、何の悪気も感じられなかった。

 知恵袋って、俺、これでもガンダールヴに使われたこともあるんだが……。俺の存在って一体……。

 お子様のフリーダム発言に、何とも言えないくらいに気持ちが切なくなる伝説の剣。無邪気な寸鉄を警戒して何も言えないでいると、暗がりから低姿勢の何かがのそりと現れるのが見えた。
 星明りの恩恵を受け始めたその巨体は、薄暗い中でも赤色がやけにくっきりと映えた。 

「フレイムだ。どうしたの~? お散歩中?」

 長い胴体をくねらせるようにして、巨大な爬虫類は才人の傍までやって来ると、その袖を咥えて軽く引っ張った。そして口を離すと、自身の尻尾に向かうように体をゆっくり回転させて、彼に背を向けた。
 相手の意図を読んだと言うよりは、才人はフレイムの行動を、自分の望むように解釈した。

「背中に乗っていいの?」

 フレイムは、首を後方へ捻ってきゅるきゅると鳴く。
 ファンタジー世界の住人が実在することを知って以来、興味津々だった才人は、公園の遊具にでも乗るようにフレイムの背中に跨った。すると、フレイムは小さな剣士を乗せたまま、ちょこちょこと四足を動かして発進した。

「うわぁ、たっのしいぞー! フレイムー、どこに連れてってくれるのー?」

 大型動物、それもファンタジー世界のかっこいい魔物に跨れば、小さい男の子が興奮するのも已む無しである。
 彼の育った日本国には、DQ、FF、ポケモンといったモンスター達が活躍する大作ゲームが幾つもある。漫画やアニメ等のメディア展開までするこれらの作品群により、やたらとファンタジー知識に通じたお子様がごまんといるのが、漫画・アニメ超大国日本の児童の特異性でもあった。

 お気楽極楽にはしゃぐ相棒とは対照的に、先程まで少し凹まされていたデルフリンガーは、彼のお目付け役として必要な情報を与えられていたため、注意を喚起する。

「相棒、こいつはお前のお姉ちゃんの宿敵が飼っている使い魔だろう。その背中に乗って、どこかに運ばれるってのは拙いんでないかい?」

 昂る気分に水を差された才人は、言われてはっと気が付いた。
 キュルケというモデルや映画俳優みたいなゴージャスお姉さんは、彼個人としては明るくて感じの良い美人さんと思うのだが、ルイズお姉ちゃんが歩み寄る余地の無いほどに忌み嫌っているため、距離を置かなくてはならないと自分に言い聞かせている。
 しかし、その使い魔のサラマンダーについては、彼の中ではかっこいいものとして認識されている上に、キュルケのように特にコンタクト禁止を言いつけられてないため、誘われればあっさり背中に乗ってしまったのだ。

 坊主憎けりゃ袈裟まで憎しと言う考え方は、古今東西どころか地球とは異なる世界においても普遍かも知れないが、無邪気なお子様にとっては、その発想までは考えが回らない程度のものだったりする。

 道徳的には褒められない類の考え方に、染められることなく育つことが出来ている才人少年は、今のところは幸せと言ってよいのかも知れない。

「ん~そうかな~。やっぱり、お姉ちゃん怒るかなぁ?」

 どうも腑に落ちない才人は、蜥蜴の背の上で腕組みする。かっこいい上に友好的なフレイムのことを、敵側だとカテゴライズすることにどうしても抵抗があるのだ。

「そうかもな。まあいい気分はしないだろうよ。それもあるが、お前さん、もう一つ言われてたことを思い出した方がいいぜ」
「もう一つって?」

 逆側に首を傾けた才人に、デルフリンガーは淡々と教えてやる。

「世を騒がせる大怪盗“土くれのフーケ”のことだよ。このメイジの巣に乗り込むような無茶はしないだろうが、一応気を付けて夜は出歩くなって言われてたろう。そろそろ戻らないと心配されるぞ」

 これまた言われて思い出した才人は、グーにした手の下側を、もう一方のパーの下にポンと打ち合わせる。
 そう言えばそうだった。ルパンみたいな大泥棒が最近またぞろ出没したとかで、暗くなったら出歩くなと言われていたのだった。

 だが、すぐに帰れるからと安心して火の塔の傍で素振りしていたものの、現れたフレイムの背中に好奇心だけで乗ってしまって、気が付いたら結構離れた所まで運ばれてしまっていた。



[20843] ちみっ子の使い魔 第九話 キュルケと才人と振り回された人達
Name: TAKA◆1639e4cb ID:bc5a1f8f
Date: 2010/09/02 23:38
 気が付くと、フレイム達は女子寮とは違う塔の前に来ていた。
 入口を通って階段を一つ上ると、サラマンダーの尻尾の灯りを頼りに暗い廊下を進む。そして、ある部屋のドアノブを彼は器用に咥えて開いた。

 部屋の中は真っ暗だった。しかし、すぐに指を鳴らす音がすると、蝋燭の火が灯された。部屋の奥には、薄手の寝巻きから手足がもろに露出している、褐色の美女がベッドに腰掛けていた。

「こんばんは、坊や」

 あまりに違い過ぎた。
 才人が普段慣れ親しんでいる、ルイズお姉ちゃんの寝巻き姿とは、何かもが。
 肌の色、背丈、豊満さ、そして自分の頬を舐めずるような妖しい視線。それらを一言で集約すると、色気である。それもむせるような。

 何故だか分からない危機感を覚えた才人は、フレイムから降りて回れ右をした。しかし、後ろから香水の匂いと、弾力のある感触に包み込まれてしまう。

「どこに行くの? まさか、もう帰るなんて言わないわよね? お姉さん、そんなの寂しいな~」
「ぼ、僕もう帰らなきゃ! 遅くなったらお姉ちゃんが心配するし」
「大丈夫よ。そんなに遅くならないし、部屋の前まで送って行ってあげるから」

 そのまま抱っこしてベッドまで運ぶと、お姉さんは自分の膝の上に、少年を横抱きにして座らせた。

「ごめんなさいね。貴方とお話したくて、フレイムに連れて来てもらったの。貴方に興味が沸いちゃって」

 彼女の左胸に、才人の右頬が当たっている。その感触は、彼が体育館で使ったことのある、ソフトバレーの球の弾力を思い起こさせた。バレーボールよりは柔らかくて、押すとそれなりに凹んでは戻るあの弾力を。キュルケのそれは心地良く、何と言うか遊びのような楽しさを感じさせるものだった。

「お姉さんね、今日生まれて初めて男性にふられたの。それは誰だか分かる? 貴方よ、サイト」

 全く責めるような気配の無い、寧ろティータイムの他愛ないお喋りのように、気楽に話すキュルケ。見上げて話を聞く少年と目が合うと、彼女は溢れんばかりの豪奢な笑顔を、水瓶を傾けるように彼の上にこぼす。

「あの時は驚いたわ。私に靡かない男性なんていなかったから。それも、女性の魅力で負ける筈が無いと軽く見ていた相手との勝負でよ。内心びっくりだったわ。顔には出さなかったけど」

 才人は午前中のことを思い出した。自分は正直に言っただけだったのだが、結果的にこの凄く綺麗なお姉さんを傷付けてしまったのだろうか。だとしたら、まずは謝らなくてはと思った。

「ごめんなさい」

 神妙な顔付きの少年に、キュルケは一呼吸置いて、それから優しげながらも色気が溢れ出す笑顔をゆっくり近付けた。

「謝らなくてもいいの。貴方が自分のお姉ちゃんを大好きなのは仕方の無いこと。大事にしてくれるのでしょう?」
「うん! すっごく優しいよ~! 僕、ルイズお姉ちゃん超好きなの~!」

 キュルケの胸の奥に、火種が灯る。
 ご機嫌な子犬のように目を輝かせる少年に、わくわくする珍しい感覚。そして、この子を朝から晩まで独り占めしているルイズを思うと、その占有を侵したくなる禁忌にも似た気持ちが沸き起こる。

 才人をしっかりと抱き寄せながら、キュルケは唇を近付けていく。終わり掛けの焚き木のように、静かな炎が揺らぐ瞳に覗き込まれると、彼は何故か身を縮こまらせてしまった。とても綺麗で優しげに感じるのに、何故か。

 顎を目一杯引いて唇の落下を避けようとする少年の頭頂部辺りに、キュルケは額を軽く押し当てて呟いた。

「お姉さんのこと、嫌い?」

 甘い吐息が香ると、意識がくらっとした。
 嫌いな訳ではない。
 優しくて、華やかにも関わらず、親しみ易さを感じさせるグラマラス美女。基本的に、男に好かれこそすれ、嫌われる要素があるとは思えない。才人もまた、その例に漏れず。

「嫌いじゃないよ」

 にも関わらず、逃げたくなってしまう。
 彼女が魅力的であることは、幼い彼にも分かる。しかし、年頃の男子にとってはブラックホールのような引力となる彼女の魅力も、才人少年にとっては圧力となっていた。姉の言い付け以外の、はっきりとは分からない何かしらの理由によっても。

「それなら、顔を上げて頂戴な」

 怖い言葉。
 学院の男子達なら喜んで従うだろう言葉も、才人にとってはみすみす罠に呼び込む声のように聞こえる。亀のように上体を丸めたまま、彼は硬直していた。

「緊張してるの? 大丈夫よ、痛いことも怖いこともしないから」

 首を懸命に外側に回しながら、キュルケは才人の左頬に軽くキスをした。

「ひぃ、ゃぁっ」

 驚いたが、自分の中に押し殺した。でも、泣きそうな気分になる。
 なおも亀の子を堅持する才人に、キュルケは苦笑しながら声色を作って囁いた。

「やっぱりお姉さんのこと嫌い?」
「そうじゃ……ないんだけど」
「お姉さん、そんな風に拒まれると寂しいな」

 二度目のごめんなさいを言うべきか否か、才人は迷った。
 凄く綺麗だし、しかも優しい感じのお姉さんだ。ふられたことがないと言うのもあながち嘘とは思えないくらいに。そんな人に、自分は失礼なことをしているのだと思う。

 でも、怖い。はっきりとは言えないが、何かが。
 ルイズお姉ちゃんやモンお姉ちゃんと比べると、安心出来ない何かがある。
 これと似た感覚を、どこかで経験したような気がする。
 才人は、目を閉じて九年間の記憶に検索をかけてみた。この不安の正体に近いもの。



 さざなみ。ボートの腹に当たって割れる水の音。
 朱色の空には、雲に寄り添うように濃淡が表れ、太陽のある所だけは溶鉱炉のような白色に輝き、その縁取りには明るい黄色。
 そして、自分達が乗るボートが浮かぶ海は、太陽の真下だけは炎の雫が水平線に向かって一直線に走っていたが、自分達の周辺においては、黒い水の上にワイン色の箔を貼り付けたような波がたゆたっていた。
 その波の色が揺らいで移ろうと、切なくなるくらい綺麗なのに、魅入られてその下の暗い底に引きずり込まれるような感覚に襲われ、つい親にしがみ付いたものだった。



 小学校に上がりたての頃、沖縄に連れて行ってもらった際体験した、他に譬えようのない不安と恐怖のイメージ。それを思い出して、今現在自分が感じているものと比べ合わせてみた。

「お姉さんは……夕方の沖縄の海!」

 俯いていた顔を上げてぱっと言い放った才人の言葉に、キュルケは意味を捉えきれず黙って彼の言葉の続きを待つ。

「すっごく綺麗でじーっと見てしまうんだけど、見過ぎると海に吸い込まれそうで怖かったの。お姉さんの顔が迫って来た時、そんな感じがしたよ」

 ショックな言葉だった。
 自分の魅力が否定、拒絶されたことなどついぞなかった。それも、純粋な子供に怖いと言われるのは、女としては傷付くものがあった。
 ルイズやモンモランシーが良くて、自分がダメな部分があるなんて……それは何?

 未体験のダメージを受けながらも、キュルケは倒れずに踏ん張って相手を分析する。少年の言葉を、彼女自身の映像の記憶に翻訳してみた。
 裕福なツェルプストー家は、海の近くに別荘も持っているので、夕暮れの海を見たことはある。自分が子供の時は、夜の海が怖いと思ったことはあったかなと思い起こしてみた。なるほど。

「君から見た私って、そんな感じなのね。ロマンチックな譬えで素敵だけど、怖がられてるのはねえ」

 才人から視線を外し、キュルケはしばし思案する。
 薔薇や宝石に譬えられることはあったが、海に譬えられたのは初めてだった。怖いと言われたのは別として、面白い表現だ。

 ともあれ、同世代には絶対的な効力を発揮する自分の魅力も、お子様には香気が強過ぎるということか。これまでと同じ攻略法では、ちみっ子には逆効果のようだ。アプローチを変えてみようか。

「それにしても、君って小さい割に詩人みたいこと言うのね。面白い子」

 色気路線ではなく、率直に思ったことを口に出して、キュルケは何も飾らずに笑った。妖艶さが消えて、彼女が元来持つプリミティブな陽気だけが残ったことを、子供の勘は見逃さなかった。

「お姉さん、怖くなくなった。楽しい、いい感じ」

 ちゃんと自分を見てくれた。そのことが、キュルケにはやけに嬉しくて、才人のおでこにキスをした。今度は嫌そうにされなかった。

「ありがとう。この学院の男子達より、君の方がよっぽど女性を喜ばせるのが上手かもね。退屈しなさそう」
「お姉さんは退屈なの?」

 素朴に質問する才人の黒髪を撫でてやると、目を閉じて心地良さそうにしている。愛情を注がれて育った子犬のような仕草に、キュルケの内の普段使われてなかった本能がどくんと脈打った。

「そうね。退屈だから、目ぼしい男子とデートしたりするんだけど、誰も彼も似たような感じの人ばかりで個性に乏しいと言うか、ワンパターンと言うか。ルイズが羨ましいわ。君みたいな可愛くて退屈しない子といつも一緒なんだから」
「僕といると退屈しないの? 僕、全然普通で平凡だと思うけどなー」

 才人にその自覚は無い。異世界から来た変り種としてのことは、ルイズとモンモランシー以外には秘密にしているため、容姿や服装こそ目立つものの、普通のお子様として過ごしているから。
 子供故か、性格なのか、本人の順応性がすこぶる高いのも、それに寄与している。

「だって、平民の子供にしては、貴族に対して全然物怖じしないし、髪の色や目鼻立ちも服装も、トリステインやゲルマニアでは珍しいものだわ。アルビオンやガリアには、いるのかしらね? ねえ、君の出身地ってどこなの?」

 才人、先程とは別の理由で緊張する。
 動揺しそうになるのを飲み込みながら、姉に教え込まれた、出身地を聞かれた場合の対処マニュアルを思い出してみた。対処法その1『内緒だもん』。

「内緒だもん」
「あ~ら、お姉さん、ますます気になるな~。教えてくれなきゃ、今夜は帰さないわよ~」

 ふざけ半分で楽しそうに笑うお姉さんに、対処法その1は通用しないらしい。帰してもらえなかったら、ルイズお姉ちゃんが怒り狂うことだろう。悪いお姉さんではないと思うので、喧嘩はして欲しくない。
 続けて対処法その2『東方の国ロバ・アル・カリイエから来ました』を使用することにした。

「えっとね~、ロバ・アル・カリイエってとこだよ」
「ロバ・アル・カリイエって、聖地の更に東にあるって所じゃない!? とんでもない所からやって来たのねえ」

 親元から離されて来たのか。そう思うと、キュルケはつい才人を胸に抱き締めてしまった。

「お、お姉さん、苦しいよ。ギブ……」
「あ、あら、ごめんなさい」

 包み込むような弾力から解放された才人は、赤くなった顔で水泳時のようにぷはっと息を吸い込む。普段はルイズのちっぱいに顔を埋めているため、キュルケのような窒息級の巨乳は体験したことがなかったのだ。

「サイトは、寂しくないの?」

 キュルケにしては珍しく、陽気までも一時的に影を潜めていた。神妙と言うか心配そうな顔付きの彼女に、才人はさらりと答える。

「大丈夫だよ。ルイズお姉ちゃん達がいるから」
「そっか」

 この質問に対して聞かれたのは二度目だが、前回同様に才人は屈託無く笑った。
 無理をしている訳ではない、子供のごく自然な笑顔に対し、キュルケに浮かんだ感情。それは、褒めてやりたいと言う気持ちだった。 

「偉いわね。私やフレイムの所に、いつでも遊びに来ていいからね」
「ありがとう、お姉さん。でも、お姉さんがルイズお姉ちゃんと仲良くなったら、遊びに行きやすいんだけどな~」
「ん~難しいわね~。まあ、そうなれなくても、こうやって忍んで会えばいいじゃない。もしバレても、サイトにはとばっちりが行かないようにするから」

 う~んと唸りながら考え込む才人を、キュルケは笑顔で見守る。
 難しいことなんて無かったのだ。男の子だからと学院の生徒達と一緒くたにして、色気で迫ろうなんて考えずに、子供に対してただのお姉さんとして接するだけで良かった。そうすれば、向こうも自然体で接してくれる。
 将来の育児の予習になるかもねと思いながら、彼女は最後に成果を確認することにした。

「ねえ、サイト」
「なあに?」
「お姉さんのこと、もう怖くない?」

 今度こそ否定されない確信はある。それでも生じる緊張を、彼女は表面に出さないようにして、合否判定を待った。

「うん。お姉さん、優しくていい感じ。綺麗だし」

 合格おめでとう。自身を祝福しながら、キュルケは小さな審査員に頬擦りした。これで今日はもやもやを残さずに眠れそうだ。

「ありがとう。じゃあ、今日はもう帰ろうか」

 才人を膝の上から隣に移すと、キュルケはマントを羽織り、彼に背中を向けてしゃがんだ。

「おんぶしてあげる」
「えっ、い、いいよう。抱っことかおんぶとか、僕、赤ちゃんみたいだよ」
「サイトが可愛いからおんぶしたいの、私が。ね、一回だけ、いいでしょう?」

 才人のお願いにお姉ちゃんが断り切れなくなることはあっても、才人の方がお願いされて断り切れなくなるのは初めてだった。好印象を持ったお姉さんからおんぶさせてと言われると、彼としては無碍に断り辛く感じる。

「うん、じゃあ、今日だけね」

 キュルケの首に腕を軽く回すと、いつもより頭二つ程高い位置まで視界がぐんと上がった。彼女の赤い髪に鼻が埋もれると、いつも嗅いでいるのとはまた違う良い匂いがする。背中の温もりが伝わってくると、心地良い落ち着きが染み渡っていったが、それと同時に自分が赤子のように思え、気恥ずかしさをも才人は感じるのだった。






 魔法学院の本塔外壁に垂直に立つ人影があった。
 長い緑の髪を風の向くまま靡かせ、目深に被ったローブに身を包むこの人物こそ、世を騒がす大盗賊『土くれのフーケ』である。

「物理衝撃が弱点とは言え、この厚さじゃ魔法はおろか、私のゴーレムでも壊せそうにないね。どうしたものか……」

 足の裏で直接外壁に触れ、壁の厚さを測った彼女の感想である。土の系統魔法のエキスパートである彼女にとって、これくらいの業は苦も無かった。
 しかし、情報収集と実地調査を合わせた結果、自分の力でもこの外壁を壊すのは不可能と判明した。

 先日、彼女は宝物庫を内部から開けられないか試してみた。宝物庫を守る鉄扉の錠前に、得意の『錬金』の呪文を唱えてみたのである。しかし、結果は無効。
 数多の貴族屋敷の壁やドア、錠前を土くれに変えてきた自慢の商売道具も、由緒正しき魔法学院の宝物庫を抜くことは出来なかった。彼女以上の魔法の使い手が、強力な『固定化』の魔法をかけて鉄扉を保護していると目された。
 『固定化』の魔法は、対象物質をあらゆる化学反応から保護し、そのままの姿を永久に保つことを可能とする。これをかけられた物質は、『錬金』の魔法をも受け付けないが、使い手の実力が上を行くならその限りではない。
 つまり、土系統のエキスパートである彼女の『錬金』を受け付けないのだから、ここの鉄扉に『固定化』をかけたメイジは、相当強力な使い手ということである。

 腕組みして考えるフーケ。何とかして盗み出したい。かの高名な『破壊の杖』を。

 『破壊の杖』とは、ここの宝物庫に収められている品の中でも著名な一品であり、強力な魔法を付与された、所謂マジックアイテムである。
 高価な品々もさることながら、マジックアイテムについては特に目が無い彼女は、何としてでも手に入れたいと思っていた。

 誰かが近付く気配を察知したフーケは、外壁から足を離して落下した。地面に激突する直前で『レビテーション』の魔法を唱えて浮遊し、回転して勢いを殺しながら猫のようにしなやかに着地すると、すぐに中庭の植え込みの中に隠れた。






 才人をおんぶして歩くキュルケは、本来長い歩幅をわざと短くし、足の回転も遅くしていた。それは、少年の体重のせいではなかった。
 子供を背負うという初めての体験を、ツェルプストー家令嬢は明らかに楽しんでいた。
 
 男児の高い体温を背に感じながらしがみ付かれると、胸の奥も自分の熱量でほかほかしてくる。
 これまで数多のデートで経験してきた、落ち葉のように瞬時に燃え上がって終わるようなものではない。じわーっと体の芯から温まり、そのまま留まり続けるこれは、一過性の興奮によるものとは違うと思った。
 熱しやすく冷めやすい、言ってみれば移り気な自分の恋がもたらしてきたものとは趣を異にする何か。それが何なのかはまだはっきりしないが、この子を背負い続ける間はずっと感じ続けられるのではとも思う。
 こんな風に感じるのは自分が女だからなのだろうかと、うきうきした気分で自己分析しながら、彼女は帰路の踏破を引き伸ばそうとしていた。

 片や、背負われている才人の方は、子供なりに気遣いをしていた。自分が重いから、このお姉さんは歩みが遅いのではないかと。

「お姉さん。重たいなら、僕自分で歩くから」

 キュルケは、自然と顔を綻ばせながら背負った子に答える。子供なりに気を遣うのが本当に可愛らしいなあと、撫で回したくなる気持ちを堪えながら。

「いいの。今日はお話出来て楽しかったから、そのお礼のつもり。それとも、サイトはおんぶされるの嫌になった?」
「全然嫌じゃないよ。でも、僕平民だし、お姉さんは貴族のお嬢様でしょ。いいのかなあ?」

 天真爛漫かと思えば意外にこういう認識もあるのね、とキュルケはこの世界では常識に当たる認識の所持を、改めて感心したりする。

「気にしないで。君が楽しくて可愛いから、私がおんぶしたいの。君のこと、気に入っちゃったのよ」
「ありがとう、お姉さん。お姉さんって、とっても温かいね」

 また一層奥までじわりと、胸に熱が篭った気がした。
 この子を自分の部屋までお持ち帰りしてしまいたい衝動が芽生えそうになったその時、向こうから駆けて来る足音と人影に、彼女は感情エネルギーの一部を割いて、幾らかの冷静さの製造に充てた。

「キュルケ? そ、そそそ、それにっ、サイトッ!!」
「ルイズお姉ちゃん!」

 キュルケがしゃがんで下ろしてやると、才人はだーっと駆け寄って姉に抱き付いた。弟を確保したルイズは、安堵と心配がまだ半々の表情で、彼の両頬を軽く挟んで尋ねた。

「何でキュルケと一緒なの!? ま、まさか、拉致られて酷いことされてたとかっ!?」
「違うよ。フレイムが散歩してたから背中に乗っけてもらったら、あのお姉さんのいる所までご案内されたの。酷いことされてないよ。優しかったよ」

 ルイズは頭に血が上った。
 才人が無事だったことは、何よりの幸いだ。しかし、使い魔を使って連れ込み、何をしたと言うのだ。優しかったとは、どういうことか。

「心配しなくていいわよ。貴女が思っているようなことは何も無いわ。ただお喋りしてただけ」

 キュルケがくすくす愉快そうに笑うのが、ルイズの苛立つ神経に一段と障った。
 人の大事な大事な弟を連れ込んでおきながら、何がおかしいのか。当の才人本人が『優しかった』などと言うのも、キュルケに対する怒りの燃料となって更に燃え上がらせる。

「大事な弟くんを連れ出したのは悪かったわ。でも、貴女に頼んでも相手させてくれないでしょうし、こうでもしなきゃ会えな……」
「ざけんじゃないわよ」

 己の内に溢れんばかりの膨大な物量を、ルイズは強引に押さえ潰した。そのため、声が震えていた。
 それを受けたキュルケは、空気がやばいと瞬時に感じ取った。相手の尋常じゃない眼光と共に、危険な何かが空気中を伝播してくる。

「ひひひ、人の、だだだ、大事、大事な、おおお、弟をっ、よくもっ! よよよよよっ、よくもっ! 拉致っ、ららららりっ、拉致ってくれたわねっ!!」

 怒りっぽいルイズがからかわれて怒る様は、昨年度飽きる程に目にしてきた。しかし、眼前での今の怒り具合は、それらとはまるで別物、別格、別次元。鳶色の双眸は血走り、白磁のようなこめかみには青筋が立ち、桃色のブロンドは逆巻き立って不気味に揺らいでいる。
 キュルケが散々からかって遊んできた『ゼロのルイズ』とは、明らかに別の何者かが、怒気と殺気を突風のようにぶつけてきている。

「ツツツ、ツェルプストー! あ、あああ、あんた、ここで、し、し、ししし、死にゃっ、ぐべっ!」

 激情という大河の氾濫に、口内が震えっぱなしだったルイズは、舌を噛んでしまった。痺れるような鈍痛に僅かに気勢を削がれると、先程からしがみ付いていた才人が心配そうに彼女に呼び掛けた。

「ルイズお姉ちゃん! 落ち着いて! 僕なら本当に何も無かったんだから! そんなに怒っちゃ体に悪いよ!」

 私の優しい子。最愛の弟。分かってるわ。でもね、こればかりはただで済ます訳にはいかないの。貴方のことで、それもよりによってツェルプストーなんかに好き放題されるなんて、絶対許さないの。たとえ退学処分になろうとも、ここは退けないの。

「サイト、お姉ちゃんを後ろから抱き締めていて頂戴。そうしたら、怒りも治まりやすくなると思うから」

 彼を見る目は、いつもの理性と優しさが幾らか戻っていた。こくりと頷くと、才人は姉の背後に回って細い胴体に抱き付いた。 

「ツェルプストー! あんたは私の一番大事な宝物を無断で持ち出した! 罰として魔法一発喰らっときなさい!」

 キュルケに杖を向けるルイズの目は、先程よりは理性を取り戻していたが、依然として炯々たる光を宿している。こんなに威圧感の出せる娘だったのかと、キュルケは己の軽挙を少し後悔していた。

「分かったわ。貴女の一番大事な子を勝手に連れ出したのだから、罰は受けるわ」

 自由恋愛主義を謳歌するキュルケだが、それでも彼女なりにあるポリシーを持っていた。『他人の一番大事なものは奪わない』ということである。
 人の本当に大事なものを奪おうとすれば、殺し合いに発展しかねない。そんな面倒なことは、快楽主義者としては御免なのである。
 今回、ルイズの一番と分かっていながらも、才人を借り出してしまった。こっそり返そうと思っていたが、ばれてしまったのでは仕方が無い。奪った訳ではないが、素直に謝って罰を受けておくことにする。自身で定めたルールに少し抵触したのだから、痛い目に遭おうとも納得は出来る。

 魔法の腕比べなら、ゼロのルイズなので恐るるに足らないのだが、喰らうとなると話は別。
 何の系統魔法を使おうとしても、必ず爆発になるルイズ。しかし、その爆発の威力は、まともに喰らうと結構痛そうなのだ。近距離で爆風を浴びて黒板に叩き付けられる本人や教師の姿は、昨年度何度も目にしていた。被害者が気絶することもしばしばだった。

 歯を食い縛って自分から目を離さずにいるキュルケを、ルイズは凝視する。脳裏には、様々な思いや感情が渦巻き、彼女を混乱させながらも気持ちを昂ぶらせていく。

 魔法も得意で胸も大きくて男子にもてまくっている、忌々しきツェルプストー。自分の魔法と胸を、いつもゼロゼロとからかう憎い女。あんたなんかに、私が生まれてこのかた味わってきた思いなんて、これっぽっちも分からないでしょう。ちいねえさまとアンリエッタ殿下との時間以外に、安らぎも光も無かった私の気持ちなんて。
 誰からも馬鹿にされ続け、荒んで尖ってしまい、学院内には敵しかいないと思っていた私に、安らぎと愛情をくれた男の子。私を一番好きだと言って引っ付いてくる私の可愛い才人。その才人にまで、何もかも持っているようなあんたが手を出すと言うの。

 殺すわよ。
 たとえ仇敵ツェルプストーでなかったとしても、殺さなくちゃならないわ。
 私の生き甲斐、私の光と温もりを奪うような奴は、絶対に許さない。

 ルイズの心の中は、どす黒い砂嵐が巻き起こって視界が利かなくなっていた。十六年の人生における、一部の人以外には認めてもらえなかった悔しさや悲しみ、宿敵ツェルプストーへの憎悪、最愛の弟に手を出されそうになった怒りと危機感、それらが一斉に入り混じったことで、彼女自身にも感情の色が分からなくなってしまったのだ。
 一つだけ確かなのは、負に属する様々な感情達が融合して、これまでに体験したこともない暴虐の嵐が彼女の中に吹き荒れたことである。

 炎系統の呪文『ファイアーボール』の、どうせ成功しない詠唱を始めた時、これまでとは違う迫力と力が満ちるのを、向けられているキュルケは感じた。そして、それがもたらす不吉な死の予感をも、直感的に。

 この力、嘘でしょ!? まさか私、死――

「ダメーッ! ルイズお姉ちゃぁーん!!」

 詠唱が終わる直前に、才人の甲高い叫び声と、自分の細腰を後ろから目一杯抱き締める力を、ルイズは感じてはっと我に返った。
 自分はとんでもないことを考えていた。いくらツェルプストーとは言え、この子の眼前で殺しても構わないと思ってしまった。このままではやばい。

「くっ!」

 詠唱終了の直前で、標的を眼前の相手から脇の空間に逸らしたルイズの杖は、植え込みの連なりに向けられていた。
 その植え込みを中心に、半径五メイルばかりの爆発が巻き起こり、黒煙の中を葉っぱや細い枝が舞って落ちた。爆音の中で、短い女性の悲鳴も確かに聞こえた。

「嘘!? 誰かいたの!?」

 冷静さを取り戻したルイズは、急激に顔面蒼白になった。
 無関係の人間を殺してしまったら、何のためにキュルケから標的を逸らしたのか分かんないじゃないのよ……。

 へなへなと腰砕けになったルイズは、後ろから懸命に彼女を支えようとする才人の声を至近距離で受け、耳がきーんと鳴りながらも爆煙の方を見遣った。

 ひび割れた眼鏡を掛けたローブ姿の女性が、あちこち黒く煤けてボロボロに破れた服のまま、よろよろとこちらに歩いて来る。死のプレッシャーから解放されて地面に両手を着くキュルケの隣まで来ると、女性は糸の切れた人形のように両膝を着き、そして前のめりに倒れ込んでしまった。



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