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[20808] 真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~ 第五十話、更新。
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2013/07/14 23:01
こんにちはこんばんは。槇村と申します。



これは『真・恋姫無双』の二次創作小説(SS)です。
『萌将伝』に関連する4人をフィーチャーした話を思いついたので書いてみた。

簡単にいうと、愛紗・雛里・恋・華雄の4人が外史に跳ばされてさぁ大変、というストーリー。
ちなみに作中の彼女たちは偽名を使って世を忍んでいます。漢字の間違いじゃないのでよろしく。(七話参照のこと)


上記原作をベースとしていますが、原作の雰囲気、キャラクターの性格などを損ねる場合があるかもしれません。
物語そのものも、槇村の解釈で改変される予定です。
そんなことは我慢ならん、という方は「回れ右」を推奨いたします。

感想・ご意見及びご批評などありましたら大歓迎。
取り入れると面白そうなところは、貪欲に噛み砕いてモノにしていく所存。叩いて叩いて強くなる。
でも中傷はご勘弁を。悪口はなにも生み出しません。
気に入らないものは無視が一番いいと思う。お互い平和でいられますし。



読むに堪えられるモノを書けるよう精進していきます。
少しでも楽しんでいただければコレ幸い。
よろしくお願いします。

あと、同内容のものを「TINAMI」にも投稿しております。




100802:第一話投稿。
100802:タイトルを修正。ご指摘感謝。
100804:第二話投稿。
100807:第三話投稿。
100810:第四話投稿。
100815:第五話投稿。
100818:第六話投稿。
100821:第七話投稿。
100826:第八話投稿。
100903:第九話投稿。
100906:“チラシの裏”に『ラヴひなコイバナ伝~』投稿。
100907:第十話投稿。
100909:第十一話投稿。
100912:第十二話投稿。
100917:第十三話投稿。
100921:第十四話投稿。
100924:第十五話投稿。
100928:第十六話投稿。
101004:第十七話投稿。
101005:“チラシの裏”から“その他”に移動。
101008:第十八話投稿。
101014:第十九話投稿。
101030:第二十話前半投稿。
101103:第二十話後半投稿。
101111:第二十一話投稿。
101119:第二十二話投稿。
101125:第二十三話投稿。
101203:第二十四話投稿。
101220:第二十五話投稿。
110105:第二十六話投稿。
110114:第二十七話投稿。
110210:第二十八話投稿。
110302:第二十九話投稿。
110318:第三十話投稿。
110402:第三十一話投稿。
110420:第三十二話投稿。
110426:第三十三話投稿。
110508:第三十四話投稿。
110515:第三十五話投稿。
110604:第三十六話投稿。
110620:第三十六話、書き直すために削除。
110805:第三十六話、修正して再投稿。
110903:第三十七話投稿。
110914:第三十八話投稿。
111007:第三十九話投稿。
111120:【洛陽炎上】編、サブタイトル変更。
111120:第四十話投稿。
111202:第四十一話投稿。
111215:第四十二話投稿。
120110:第四十三話投稿。
120127:第四十四話投稿。
120218:第四十五話投稿。
120430:第四十六話投稿。
120628:第四十七話投稿。
121208:第四十八話投稿。
121226:第四十九話投稿。
130714:第五十話投稿。



[20808] 01:新たな邂逅。
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2010/11/04 15:59
ガタゴトと、荷馬車が揺れる。
彼ら商隊の旅路も終わりが近づいていた。
拠点としている町・遼西に到着するまであと少しとなっている。
ここまでこれといった問題もなく、食い詰めた賊が襲い掛かってくることもなかった。
今回の道中は、驚くほど平穏に進めることが出来ている。
非常に珍しく、恵まれたものだったといっていい。
おまけに出先での商談や仕入れに関しても、想像以上の結果を出すことが出来ている。
ここまで順調だと却っておっかないぜ、などと口にしてしまうほどだ。それゆえに、商隊の面々の顔は一様に明るい。
いいことがあれば気分が良くなる。それが続けばなおさらのことだ。

そんな彼らの道中でひとつだけ、想像しなかったことがある。生き倒れを拾ったことだ。
意識を失った女性が、4人。それぞれがかなりいい身形をしており、3人は武器を携えていた。
規模の大きな商隊か、はたまた旅するお偉い面々を護衛していた輩なのか。倒れていた理由は分からない。
見て見ぬフリをしてもよかった。訳の分からないものを拾って、余計な面倒を抱え込むことは極力避けたい。そう思うのは当たり前のことだ。
ましてや商人である。利に聡い彼らは殊更そういった考えを強く持っている。
とはいえ、拠点である遼西を治める太守の気風に影響されたのか、彼らもまた他人に対する情が深い。
お人好しといってもいいかもしれないそれは、世知辛く乱れた世の中において枷となりかねないものだろう。
それでも遼西の商人たちは、情という横糸と、損得という縦糸をもって、強かに生きている。
情も損得も一緒に編み込んだ商売は長持ちするものだ。そう信じて疑わない。
そんな気質の彼らである。おまけに今の彼らは非常に気分がよかった。損得よりも情の方が、より太い糸となったのだろう。
そしてなにより、彼女らを助けたいと強く願い出た青年がいた。
彼はこの商隊の護衛役のひとりであり、頼りになる仲間であり、一番の世話焼きであった。
お前がそういうなら仕方がない。笑いながらすべてを任される程度に、彼は商隊の中で信用を得ていた。
そんな流れで、彼女らはその場で野垂れ死ぬことを免れたのだ。



保護された女性たちは、その青年が御する荷馬車の中で横たわっている。
その中のひとり、黒髪の美しい女性が薄く目を開ける。

……身体が揺れているのはどうしてだろう。

目の覚めきらないまま、辺りを見回した。

……ここは何処だ。

途端に彼女の頭から眠気が消え去った。

ここは何処だ。

まるで戦場に投げ込まれたかのように、彼女の気持ちが切り替わる。
久しく平穏な日々を過ごしていた彼女にとって、身のうちに張られた緊張感は久方ぶりのものだった。
意識をはっきりと取り戻した上で、改めて周囲を見る。
自分の周囲を囲む、何某かのものが入った木箱や甕。
そして、日や雨を遮るためなのだろう、天幕のごとく覆われた中にいることが分かる。
絶え間なく揺れていることから、荷を運ぶ荷車の中、と判断する。
自分たちが横になっていてもまだ余裕があるのだから、荷を運ぶ集団としては大きなものなのだろう。
自分のすぐ隣には、その知に信頼を置く友と、その雄に一目を置く戦友が横になっている。
衣服に乱れはない。呼吸もしっかりとしているようだ。単に眠っているだけなのだろう。
そう安心してすぐ、慌てて自らの衣服を改める。これといっておかしなところはないようだ。心から安堵した。
しかし、まて。彼女は疑念を持つ。
目を覚ます前のことを思い出す。
自分はいつもの通り、寝台に入り眠っていたはずだ。ひとりきりで。

ならば、拐かされたか。

そう考えて、すぐ否定する。
自分がいたのは、政庁および将たちが寝起きする屋敷が立ち並ぶ一角。どこよりも警備の厚い場所だ。誰にも気づかれず誘拐など不可能に近い。
ましてや自分が、なにも気づくことも出来ずにいられるとは思えない。そもそも理由が分からない。
いったいどういうことなのか。今、自分は何処に向かっているのか。

「……愛紗、起きた?」

延々と、詮ない考えに耽りそうになったところで、目の前の幌が大きく開かれた。

「恋」

彼女に声をかけた女性。普段からあまり感情を大きく表さない表情で、いつもの通り言葉少なに話しかけてくる。
愛紗と呼ばれた女性は、見知った女性の存在を得て、知らず安堵する。
恋、と呼んだ彼女の、いつもと変わらぬ風が気持ちを落ちつかせてくれた。

それにしても、分からない。
なぜ自分はこんなところに居るのか。
恋と、自分、そしてまだ横たわったままの友がふたり。この4人が荷馬車に揺られているのはなぜか。
その経緯がまったく見えない。覚えがない。

「恋、私たちはいったい……」
「目が覚めましたか?」

恋が開いた幌の向こう側、愛紗からは隠れて見えないところから声がかかる。

「貴女たちは、道端で倒れていたんですよ。
揃って意識のない状態で、そのまま放って置くのも気分が悪かったので保護させてもらいました。
あともう少しで遼西に着きます。
事情は知りませんが、ひとまず落ち着いて、考え込むのは到着してからの方がよろしいかと」

こちらを気遣うような口調。柔らかい、優しげな声。

「私たちは遼西を拠点とする商隊です。私はその護衛役を務める者でして」

聞いただけで分かる。
それは彼女にとって、普段から耳にする、そして誰よりも耳に心地よく響く声。
なのに。

「名前は、北郷。北郷一刀といいます。字はありません。好きなように呼んでください」

彼の言葉は、拭い難い違和感を彼女に感じさせていた。

「ご主人様」

感情を抑えようともせず、愛車は御者台の方へと身を乗り出した。
仕切りとなっている幌、そして恋の肩を掴んで、声の主が自分の求める男性なのかを確かめるべく。
ある意味、彼女の想像した通りだった。
そこにいた男性は、彼女にとって、普段から傍らにいることを望み、そして誰よりも愛しさを募らせる男性。
突然顔を見せた彼女の勢いに押されたのか、驚いたような顔。
そして彼女の身を案じていたためか、どこかほっとしたような空気をまとわせる。それは優しい、幾度となく彼女に向けられてきた、彼特有のもの。
愛紗を気遣う彼の笑顔は、とても優しかった。
だが。
その表情は、愛しい人を見つめるものではなかった。



「えーと、起きて早々で申し訳ないんだけど、名前を教えてもらえないかな。いつまでもキミアナタじゃ話もできないし」

そっちの彼女は喋るの苦手みたいだし。

そんな彼の言葉に促され、愛紗は恋をうかがい見る。
恋の、表情そのものは変わらない。
だが彼女の目には、悲しいというのか、理解できないゆえの混乱というのか、感情を表に出せない薄い膜のようなものを感じさせている。

「いやー、びっくりしたよ。
彼女が目を覚ましたと思ったらいきなり抱きついてくるし。おまけに俺の名前知ってるし。真名を呼ばせようとするしさ」

俺も男だから悪い気はしないけどね。

ははは、と、軽く笑って見せる。
そんな風に、あえて軽く流そうとしているのだろう。
理由は分からなくとも、彼は、恋や愛紗が現状に戸惑っていることを感じ取っていた。
自分が、彼女たちの知る誰かに似ているのかもしれない。彼はそれくらいの想像しかしていなかった。
だが、彼女らの戸惑いと混乱はそれどころではない。
当然といえば当然だ。
自分の愛した、愛してくれたかけがえのない男性。
姿形、その気性、名前まですべて同じなのに、自分たちに対して初対面のごとく言葉をかけてくるのだから。

「混乱しているみたいだから、無理に考えなくてもいいよ。いきなり訳の分からないところに放り出されたら、そりゃ戸惑いもする」

そういう彼の笑い方は、どこか苦いものを感じさせる。そのような状況に、まるで心当たりがあるかのように。

「とりあえず、名前だけでも教えてくれない?」

愛紗は、彼が口にするその言葉にいい様のない絶望感を感じた。
知っているはずなのだ。名前どころか真名も、仕える主として自らの武も捧げた。身も心もすべて捧げていた。
なのに。それなのに。目の前の青年は「名前を教えろ」という。
いったいこれはどういうことなのか。あまりに残酷、残酷に過ぎる仕打ちだ。
唇を噛み、その手に力がこもる。
そんな愛紗の手に、恋の手が重なった。
愛紗は初めて気づく。自分の指が、露になった恋の肩に食い込み、血を流させていたことに。

「す、すまん」
「……」

恋は黙って首を振る。その姿をみて、愛紗は幾ばくか、冷静さを取り戻す。
愛紗よりも早く目を覚ました彼女は、一足早く、彼女なりに似たような気持ちを得ていたのかもしれない。
そんなことを考え、恋の心境を思いやる。

自分以外を、思いやる心。彼女の知る主はそれに満ちていた。
この胸の絶望を感じているのは、自分だけではない。愛紗は遅まきながらそれに思い至る。
そしてまだ目を覚まさないふたりもまた、同じような気持ちに陥ることだろう。
片方は自分よりも直情的な分、どんな反応を見せるか分かったものではない。
もう片方は気の細やかな分、取り乱し泣いてしまうに違いない。
ならば取り乱さないためにも、現状の把握は必須であろう。そう考え、

「私たちの、名前だったな」

少なくとも表面上は落ち着いたように、青年の言葉に応える。

「私は関羽。こちらの彼女は呂布という。後ろでまだ寝ているのは、鳳統、華雄だ。
 今更ではあるが、我ら四人を助けていただき、感謝する」

愛紗は深く頭を下げる。
他人行儀な所作をしている自分に、彼女はいいようのない不自然さを感じ、戸惑わずにはいられなかった。












・あとがき
荷馬車がでかすぎる気がします。えぇ、私もそう思います。

槇村です。御機嫌如何。




えー、『萌将伝』に関する一部の騒動(?)にインスパイアされまして。話をでっち上げてみた。
平たくいうと、四人は他の外史に飛ばされてしまったのさー、
なんだってー、
そりゃあ当人がいないんだからイベントなんて起きないよねー、みたいな感じ?(なぜ疑問形)

さて。
簡単なプロットは出来ていますが、果たしてそこまで再構築できるかどうかは一切不明。
やってみなけりゃ分からないので、やれるところまでやってみます。
よろしければお付き合いください。



100802:凄いミスを修正。素で履き違えていた。ごめんなさい。



[20808] 02:彼の立つ場所。
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2010/08/07 18:30
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

02:彼の立つ場所。





幽州遼西郡。
この地域は、商人の活動が非常に活発である。
商人という身分は、他の地方ではいささか低く見られる傾向がある。
そんな中で、幽州遼西郡の太守である公孫瓚にはそういった偏見があまりない。

「遼西を活性化してくれるのなら、ありがたいことじゃないか」

などと、いったとかいわなかったとか。
言葉の真偽はともかくとして。遼西郡は商人にとって仕事のやり易い地だ、と認識されている。

商売がやりやすいとなると、必然的に商人が集まってくる。
商人が集まれば物の流れが活発になり、その恩恵が地域を潤す。
地域が潤えばそこに住む人々の生活にも影響し、生活が豊かになれば余裕が生まれる。
そんなありようが風評となり、その地を治める太守の評判が上がる。
その評判を聞き更に人が集まり、人の集まるところを求めてまた商人がやってくる。
派手ではないが、しっかりとした好循環。ここ遼西の地には豊かさが根付き始めていた。
なかでもここ、陽楽は、太守が執務を振るう城があることもあり、その賑やかさは顕著だった。



そんな恩恵を生む一端に携わる青年。

北郷一刀。

ある商隊の護衛役として、短くない旅から戻ってきたばかりであるが、彼の本分は武にあるわけではない。

彼は、料理人である。

陽楽にある、それなりに大きな酒家。
彼はそこで日々包丁を握り、鍋を振るい、店を訪れる人たちの舌を満足させることに生きがいを感じていた。
その力量と独創的な料理の数々は町の評判になっており、店を訪れる客足は引きも切らない。
ちなみに、遼西郡太守である公孫瓚も彼の料理をいたく気に入っており、その店に足を運ぶことが少なくなかった。

彼の本分は料理人であるが、多少は武にも心得がある。
そのため、町の様々な商隊の護衛役を買って出ることがある。
食材その他の仕入れや買い出しが必要になると、彼は商隊の護衛役兼食事係として便乗させてもらうのだ。
実際に、護衛としても食事係としても重宝されており、彼の参加は歓迎されている。
持ちつ持たれつ。商売人であればこその意識が、働いているともいえるだろう。

そんな仕入れの道中に、彼が護衛をしていた商隊は彼女たちを保護した、ということになる。
困ったときはお互い様、ということになるのかもしれない。





さて。
一刀たちが遼西郡・陽楽に戻ってきた、その日の夜。
営業を終えた酒家の中で、一刀は保護した四人の女性と対面していた。
そして、頭を抱えていた。
彼はなにに頭を抱えているのか。その原因は、保護した彼女たちの名前である。



荷馬車の中で目を覚ましたふたり。

長く美しい黒髪、切れ長な瞳が一刀を睨みつけている。そのせいか一見とっつきにくい雰囲気を持つ彼女。
名を関雲長。あの関羽である。

もうひとりは、赤毛の短髪、まっすぐ相手を見つめるつぶらな瞳が印象的。小動物系というのだろうか。
名を呂奉先。つまり呂布。

そして後から目を覚ましたふたり。

なぜか魔法使いな帽子をかぶる、小ちゃい女の子。保護欲に駆られるのは父性ゆえと信じたい。
名を鳳士元。かの鳳雛(ほうすう)だ。

最後は、短い銀髪、目つきは鋭いがヘソ出しなお召し物。横暴なお姉さんという印象を持ったのは口にしてはいけない。
名を華雄。ふたつ名のようなものはちょっと思い出せない。



ちなみに、後のふたりが目を覚ました時にも、ひと悶着あった。
鳳統は目を覚ますなり、顔を赤くしながらあわわあわわと取り乱し。
華雄は鳳統以上に顔を赤くさせ、「寝起き早々襲う気か!」と拳を見舞う。
一刀は青あざを作りながらもなんとかふたりを落ち着かせ、改めて自己紹介をと、名前を尋ねたのだが。
鳳統はこの世の終わりが来たかのように泣き崩れ。
華雄は涙を浮かべながらも烈火のごとく怒りを見せた。

胸を裂くような哀しみと、これまでにないほどの命の危険を感じはしても、
彼女らがそんな感情を自分に向けるその理由が一刀にはまったく分からない。
悲痛な表情を浮かべつつ、仲間ふたりをなだめようとする関羽を見つめることしか出来なかった。



そんな騒動を経て、なんとか自己紹介を終えると。

……ありえねぇ。

一刀は再び頭を抱えた。

いわゆる有名な人が女性っていうのはもういいよ、公孫瓚様と趙雲さんを見た時点で覚悟はしておいたから。
でも鳳雛があんなちっこい女の子ってどういうことなの?
呂布もあんな細い身体で天下無双なの? ありえなくない?
というか関羽と華雄が一緒にいるってどういうことよ、確か華雄って関羽にやられる役だよね?

そんな声には出さない疑問が、彼の頭の中を駆け巡っていた。

今この時代に生まれ生きている者であれば、このような疑問はなにひとつ生じることはなかっただろう。
例えば、その名を持つ者たちが"女性"であることは当たり前のこととして認識されている。
しかし彼の知る知識では、関羽にせよ呂布にせよ、これまでに知った主要人物はすべて男性のはずだ。
ならばその知識はいったい何処から来るものなのか。



北郷一刀は、今この時代この世界に生まれ育った人間ではない。
彼は、現在から1800年以上未来の世界で生まれ育った人間なのだ。

今から3年ほど前のこと。目を覚ますと、彼は砂と岩ばかりの荒地に独り、放り出されていた。
目を覚ます前までは、自分の通う学校の寮で眠っていたはずだった。
学校に通い、勉強をし、部活動で剣道に励み、時には両親と祖父の下に里帰りをする。
そんな普通の学生だった。
それなのに。
ある朝目覚めてみると、目の前には荒地が広がり、人の姿どころか建物すら見えない場所に置き去りにされていた。
これはいったいどういうことか。たとえ叫んでも誰も応えない。彼はひたすら混乱した。
移動しようにも目印になるものがない。その場から動くだけでも、恐怖が募った。
途方に暮れたまま数日を過ごし、疲労と空腹で意識を失っていたところを、一刀は遼西の商人たちに拾われた。
久しぶりの人との対話。なんとか精神を落ち着かせた一刀は、彼らとのやり取りの中で、今自分がいるのは古代の中国、しかも三国志の時代だということを知る。
到底、信じられることではない。しかし信じざるを得ない。
感じていた疲労と空腹、そして混乱。癒された疲労と空腹、そして取り戻した精神はなによりも現実のものだった。
そして思い至る。この世界に拠るべきものがなにもないということに。
自分以外のことがなにひとつ分からぬまま、野垂れ死にしようとしていた自分。そこから脱したとはいえ、相変わらず独りのままだという事実に身を震わせる。
そんな時に、彼は救いの手を差し伸べられた。
「行く処がないのなら、しばらく面倒を見てやってもいい」
胸のうちに広がる暖かいもの、喜びはいかほどのものであったか。彼は一も二もなく飛びついた。
一刀は彼らに恩を返そうと躍起になった。
今となって考えてみれば、商人たちも自分のことを信用していたわけではないだろうと、彼は思う。
それでも、生きるべき拠り所を得るために、自ら動き、がむしゃらに働き、信用を得るよう務めた。
幸いにも、ひとのいい商人たちの伝で働き口を得ることも出来た。用心棒のようなこともやった。賊退治という名の下に、人も殺した。
彼は、他人の死と縁遠い"現代人"だ。ましてや自らの手で、など想像だにしなかった。
思い悩むことがなかったわけではない。だがそんな余裕はなかった。
迷っていれば隙が出来、隙が出来ればこちらがやられる。そして自分の周囲が危険に晒される。
人間の命に順列をつけることを覚えた。
だが、それで守れるものがあった。
恩人である商人たち。同じ町に生活する人たち。
彼ら彼女らのおかげで、割り切ることが出来るようになった。といっても、思い悩む時間が短くなった程度だったが。

一刀は思う。
もう元の世界には戻れないだろう。物理的にも、そして精神的にも。
未練がないわけではない。
しかし今の彼は、かつての世界にいた頃よりも、"生きている"という充足を感じていた。
料理を出し、会話を交わし、笑顔になる。
そんな些細なことを積み重ねるために、これから先を生きていこうと決めた。
自分の出来ることは高が知れている。歴史に名を残すようなことなんて出来やしない。
それならば。
目の届く、手の届く人たちに、喜ばれることをしたい。
出来ないことは、出来なくていい。出来ることをしっかりと、やっていこう。

一刀はこの世界に投げ出され、思い悩んだ末に、この地で生きていく覚悟をした。



そんな自分の体験を振り返ってみると、彼女たちにも、あの頃の自分と同じものを感じる。
一刀はそう考え、彼女たちの話を熱心に聞く。

目を覚ます前の行動。
目を覚ます前の自分。
目を覚ます前の環境。
そして、目を覚ます前の世界。

そうして、彼が出した結論は、「彼女らもまた、別の世界から此処へやって来た」ということ。
此処と似た未来の世界。その内容を更に聞き出していく。

弱き民を想い戦い続けていたこと。
群雄割拠の世を終えた世界。
諸侯が手を取り合い平和を目指していること。
そして、その中心にいるのは彼女らの主、"北郷一刀"。

みたび、一刀は頭を抱え、今まで以上に重たい息を吐く。

「なんてことだ……」

違う世界に立つ自分。その姿のなんと立派なことか。
あまりの眩しさに、同じ自分とは思えない。羨望も嫉妬も抱けないまま、ただただ溜め息だけ。
同時に、彼は、彼女たちを不憫に感じずにはいられない。
4人ともがそれぞれに、北郷一刀という男を主として仰いでいる。さぞかし尊敬に値する男だったのだろう。
しかし、今、目の前にいる男は違う。彼女たちが求める、主と仰ぐ"北郷一刀"ではないのだ。
名前が同じ、顔が同じ、声が同じ、あらゆるものが同じだが、まったく違う男。
そんな輩を目の前にするその心境たるや、いかほどのものだろうか。彼には想像もつかない。
知らなかったこととはいえ、自分が名前を尋ねたことに絶望感を感じたのも無理はない。
彼女らが泣くのも怒るのも、当然だ。

それでも、彼は北郷一刀である。彼女たちの中にいる"北郷一刀"ではない。
同情はするが、それだけだ。
手は差し伸べよう。手助けするのもやぶさかではない。
だがその手を不要と払うならば、それならそれでいい。去るに任せるだけだ。
手の届かない人まで助けられるとは、ここの北郷一刀は思わない。



「まず、受け入れてもらわなければならないことがある」

すっかり冷めてしまったお茶をひと口含み、喉を湿らす。

「君たちのいた世界に、北郷一刀という男がいた。そしてこの世界にも、北郷一刀という男がいる」

一刀は改めて、彼女たち四人に向かい合う。

「ならば他の人たちも、同様にこの世界に存在するだろう。
つまり君たちの他に、関羽がいて、鳳統がいて、呂布がいて、華雄がいる。
本物とか偽者とか、そういうことじゃない。
ただ彼女たちは、この世界で生まれ育ち、それぞれに自分がいるべき場所を培っている。
それに比べて、今の君たちは居場所がない。この世界で培ったものがないからだ。
その上で、君たちがこの世界で、どう生きていくかを考えて欲しい」

四人に向かい、手を差し伸べる。
新しい、それぞれの居場所を作ってもらうために。










・あとがき
一発目から痛恨のミス。寿命が300年縮みました。

槇村です。御機嫌如何。




今回は一刀のターン。
一先ず、一刀の立ち位置をはっきりさせとかないと、彼女らの身の振り方が決まらないなー。とか。
そう考えた上での展開なのですが、どうなんだろう。変かな。まぁいいか。(いいの?)
変なところがあったら、後から直せばいいのさ。前向き志向っていい言葉だよね。
次は4人のターン。どうなるかは槇村もまだ分かりません。

華雄をどう納得させりゃいいんだ……。



[20808] 03:揺れる想い
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2010/08/07 18:43
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

03:揺れる想い





「今の君たちは、想像以上に不安定な場所に立っていると思って欲しい」

一刀は重々しく、真剣に、四人に語りかける。

「君たちが知る北郷一刀は、天の世界からやって来たという。それは君たちがいたところとはまったく別の世界だ」

飯台(テーブル)に木簡をふたつ並べ、ひとつを「天の世界」、もうひとつを「君たちのいた世界」、と、指を差し示す。
次いで、木簡を折って作った小さな駒をひとつつまみ、「天の世界」に置き、「君たちのいた世界」へと動かした。

「君たちは天の世界からやって来た北郷一刀と出会い、様々な戦を経て、平穏の足がかりを得た。
そして、理由は分からないが」

更に駒を四つ、「君たちのいた世界」に置く。そしてもうひとつ木簡を置き、そこに四つの駒を動かす。

「君たちは、まったく違う世界へと来てしまった」

それが「今いる世界」だ。一刀はそう告げる。

「君たちには見覚えのある世界かもしれない。しかし、まったく別物だと思って欲しい。
君たちの世界で起こった出来事が、ことごとく起きていないんだ。
黄巾党の動きはまだ本格的になっていない。
反董卓連合は結成されていない。
魏という国はまだない。
蜀という国もない。
赤壁の戦いも起きていない。
つまり、君たちが経験してきた戦いが、まだ起きていない世界。
今君たちがいる世界は、そういう世界だ」

そして俺もまた、"北郷一刀"とは別の世界から飛ばされた男だ。と、軽く流すように、自分のことを告げる。
彼はもう一枚木簡を取り出し、飯台に置いてみせた。そこにひとつ駒を置き、「今いる世界」へと駒を移動させる。

一刀は、その時の自分の境遇を話す。
この世界に来る前の自分のこと。
3年前に、前触れもなく放り出されたこと。
寄る辺とするものがなにひとつなかったこと。
自分の居場所を作るべく必死に働いたこと。
その甲斐あってか、なんとかこの町に受け入れられていること。

自分もまた、"北郷一刀"と同じく"天の知識"を持っていること。
そして。彼女たち4人の持つ知識も、この世界では"天の知識"と呼ばれるに値するものだということを。

「まだ起きていない出来事。その突端も内容も、どうように収まったかも知っている。
むしろ君たちの方がよく知っているだろう。その渦中にいたんだから。
それらは、もちろん、これから起こるんだろう。
君たちがかつて経験した戦いが、この世界でもおそらく起こる。
その中を、君たちはどうやって生きるのか」

君たちには、それを決めてもらわなければいけない。と、一刀はいう。

「"北郷一刀"も、俺も、別の世界からこぼれ落ちて来た。そのせいか、"天の知識"なんてものを持っている。
だがこの世界にいる俺は、天の御遣いなんてものじゃない。ただの料理人だ。
大陸の平和のために役立とう、なんて大仰なことは考えていない。
せいぜい、遼西が危なくなったら名もない義勇軍のひとりとして参加するくらいだろう。
君たちの知る"北郷一刀"に比べれば、器の小さいものだと思う。
でも俺は、今この生活に幸せと充実を感じている。今の生活を壊したくない。
俺はただの民草として生きていくことを決めている。君たちのような将を目指すことはない」

自分が生きようとしている道を、同じ"世界からこぼれた者"として示す。
そして同じ"こぼれた者"だからこそ、彼は、自ら進む道をそう簡単に決められるものではないと分かっている。

「もちろん、今すぐ決める必要はない。
自分に納得のいく答えが出せるまでは面倒を見よう。
正直なところ、混乱していると思う。俺がなにをいっているのか分からないとも思う。
不安に感じること、分からないこと、気になること。俺に答えられることならなんでも答えよう。
自分が持つ"天の知識"を踏まえた上で、これからどう生きていくのか。考えてくれ
その上で、行くべき場所を得たなら止めはしない。
だが、出て行くなら、よく考えてから出て行け」



まるで畳み掛けるかのように、現状をいって聞かせた一刀。
突然のことに精神が揺らいでいる、そんな状態での説明が理解できるものかと思ったが、変に間を開けて混乱を助長するのもよろしくないと考えていた。
結果、傍から聞けば優しくない一方的な物言いになったことは否めない。彼もそれは自覚している。

もっと取り乱すかとも思ったが、そこは一時代を駆け抜けた将というべきなのだろう。想像以上に平静に見える。
歴史に名を残す勇将たちなんだ、ただの学生だった自分と比べる方がおこがましいな。と一刀は自嘲する。



「……私たちは、戻れるんでしょうか」

「正直なところ、分からない」

鳳統のつぶやきに、一刀は遠慮なく応える。

「俺もこの世界に来て3年経ってる。だけど今のところ、元の世界に戻れる気配はないな。
君たちの世界の北郷一刀は、天の世界に戻る気配はあったかい?」

さりげなく、おどけたように尋ねた言葉。

かつて、北郷一刀が天の世界に帰ってしまうかもしれない、と考えなかったわけではない。しかし彼女らの主たる彼からは、そんな気配を感じられることはなかった。元いた世界であったなら、それは彼女にとって喜ばしいことだったろう。
だがそれを、今の彼女たちに当てはめるとどうなるか。
彼が天の世界に帰らなかったということは、すなわち、今の彼女たちが元の世界に帰れないということに他ならない。

そのことに思い至ったのだろうか。鳳統は伏せがちだった目を更に下へと向け、被っている帽子を目深に引いて見せた。
彼女は軍師。一を知って十を知り、百の道さえ時に示さなければならない者。
その頭脳の非凡さゆえに、想像を超えた内容と現状に絶望を感じたのかもしれない。



「……あなたは、今ある貧困や飢え、民草、世界を、なんとかしたいとは思わないのですか」

「俺の見える世界は狭いんだ」

関羽が一刀を睨みつける。けれども彼は、自分の考えを淡々と返してみせる。

「目に見えないところの飢餓に心を痛めることはできるけど、そこまで足を伸ばして料理の腕を振るおうとは思わない。そういう依頼があったのなら、条件次第で引き受けはするだろうけどね」

「人の命よりも、お金の方が大事なのですか!」

「場合によっては。
それに、戦で身を立てる武将にそんなことをいわれたくない。
軍資金がなければ、君たちが立つ戦場は成り立たない。
食料、武具、その他もろもろ。それらを生み出すのは多く民草で、それを世に回しているのは商人。間にあるのは金銭だ。
情が不要だとは思わない。むしろ情のない世の中は味気ないだろう。だが、情だけで回るほど世の中は甘くない」

身に覚えがあるのだろうか。彼の言葉に関羽は口を噤む。
剣呑な目はそのままに、視線だけを外してしまう。理解は出来る、だが納得は出来ない、とばかりに。
なによりも彼女は、自分の主と同じ顔で、自分の知るものとは違う言動を取られることに苛立ちを感じていた。



「難しいことは分からんが」

目を伏せていた華雄が、ゆっくりと目を開き一刀に問う。

「つまり、わが主とお前は、別人だということなんだな?」

「うん、そう思った方がいい」

「ならば、今の我々は主を失った状態で、なおかつ主の下へ帰る術も分からない。
武を振るおうにも、旗印となるべきものがないのだから振るいようがない」

「そういうことだね」

「必要なのは、当面、どういった旗印の下で自分が動いていくのかということだな?」

彼女の答えに、彼はなにもいうことはなかった。
想像以上に冷静に、目の前の問題を考えようとしている。
その場その場で事象に対処する、という姿勢が、かえって頭を冷静にさせているのかもしれない。

さすがは歴史に名を残す武将、と、一刀は素直に感心していた。



同じ境遇にいたあの頃の自分を思い返す。
現実を受け入れることが出来ず、ただひたすらに過去を振り返るだけだった。思い出すだけで赤面してしまう。
仮に今、元の世界に戻ったとしたら。それはそれで困ったことになりそうだ、と、一刀は思う。
3年も経ってしまえば、周囲も大きく様変わりしているはず。どうなっているかなんて想像も出来ない。
それでも案外、なにも変わっていないのかもしれないな。などと、友人、家族、いろいろと思いを巡らした。

一刀は、随分と久しぶりに元の世界のことを考えたような気がしていた。
ゆっくり省みる余裕もなかったし、そうしても仕方がないことと割り切っていたせいでもある。
だからこそ不意に思い返す機会を得て、案外素直に思い返すことが出来る自分に気付き、心強かったり、薄情だなと感じたりもした。
したのだが。

「おい、どうした」

華雄が、保っていた冷静さを崩して声をかける。
自分でも気づかない間に、一刀は、涙を流していた。

この世界に降り立ってから3年。その間はただひたすらに、この世界に馴染むように生きていた。
かつていた世界を忘れることはなかったが、必要以上に思い出そうともしなかった。
そもそもこんな話を誰かにしたところで、荒唐無稽と眉をしかめられるのが関の山だったろう。
妙な妄言を口にするやつ、と、せっかく築き上げた人間関係が崩れるとも限らない。
そう考えて、前の世界のことなど今まで口にしたことはなかった。
それを初めて、自分の意志で口にした。彼の中のなにかを、刺激したのかもしれない。
吹っ切ったつもりだった。覚悟をしたつもりだった。
しかし、郷愁のようなものは拭いきれていなかったようだ。

「済まない。ちょっと、いろいろ思い出しちゃったみたいだ」

慌てて目元をこする一刀。
先ほどまでは、やや重たい雰囲気で満たされていた場。それがほんの少し軽くなる。
戻る場所をなくしたと思え、と、いい募っていた青年。
その彼もまた、戻る場所をなくし、翻弄されていたひとりなのだ。
彼の涙を見て、彼女たちはそのことに気付かされる。



「……恋は、ここにいる」

今までひと言も喋らなかった呂布が、初めて声を出す。

「……ご主人様とちょっと違う。けど」

じっと、彼女は一刀をまっすぐに見つめて、つぶやいた。

「……一刀は、一刀。だと思う」

その小さな声を聞いて、彼は思わず笑みを浮かべる。
呂布が、なにを考えていたのかは分からない。
本能、というべきか、感性というべきか。そういった根幹のところで判断したというのだろうか。
確かに彼女のいう通り、進んだ道は大きく違っていても、共に北郷一刀であることには違いないのかもしれない。

それにしても、と彼は思う。ここまでの信頼を得ていた、もう一人の自分が羨ましい、と。

「あの呂布に、こうまで信用してもらえるっていうのは、どうにもこそばゆいね」

「恋……」

「ん?」

「……恋、って呼んで」

「いいのかい? 俺に真名を呼ばせても」

「……」

恋は静かにうなずく。

「分かった。その真名、あずかるよ」

ありがとう、恋。
礼をいいながら、一刀は彼女に手を差し出す。
彼は握手のつもりだったのだが、差し出されたその手を、恋はじっと見つめ。
両手で握り締めたと思ったら、そのまま自分の頭へと持っていった。
突然のことに、一瞬思考が停止する。はた、とそこから回復すると同時に、身じろぎ、その動きが腕にまで伝わり。
手のひらが恋の頭を撫でるような動きを取る。
その感触に、恋は、心なしか強張っていた表情を僅かに緩ませ、目じりを少しばかり下げさせた。

頭に乗ったままの手のひら。髪の感触。押さえつけられた手の甲。その陰で見せた、僅かな変化。
そのひとつひとつが、一刀の心の柔らかいところに、凶悪なほどストレートに突き刺さった。

……いかん、悶え死ぬ。

波立つ心を必死に押し止めたのは、空気を読んだと褒めるべきか、素直じゃないと責めるべきか。



「難しい話はこれくらいにしておこう。とりあえず、自分の考えをそれなりにまとめておいてくれ、ということで」

腹も減っているだろうし、ちょっと遅いが食事にしよう。
なにかをごまかすかのように、彼はことさら明るい声で四人に告げる。

「ちょっと待っててくれ。簡単になにか作ってくるから」

そういって、厨房へと小走りに去っていく一刀。
それを追いかけるように、恋がちょこちょこと後を付いて行く。

残された三人は、それぞれに色の違う複雑さを表情を浮かべ、互いの顔を見合った。












・あとがき
「ラブひなコイバナ伝」、なんて素晴らしき誤読。そのネタいただきます。

槇村です。御機嫌如何。




今回も一刀のターン。
……あれ? どうしてこうなった。
四人に関しては、混乱もしているだろうし。
いきなり決めることも出来ないだろうから。少しずつ気持ちを詰めさせていこう。

次は、公孫瓚及び趙雲のおふたり登場予定。どう転がっていくかはまだ分からない。
それにしてもいい加減にもうちょっと、話に動きを入れなければ。



[20808] 04:仕上げを御覧じろ
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2010/08/11 23:53
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

04:仕上げを御覧じろ





関羽、鳳統、呂布、そして華雄。四人は当面、一刀の世話になることを決めた。
彼はそれを歓迎し、力になれることがあれば出来る限り協力する、と、約束を交わす。
そうなると、彼女たちの処遇もどうにかしなければならない。
いろいろと思い悩むことを抱えていたとしても、その身を遊ばせておくわけにはいかない。
悩んではいても、腹は減る。
そして、働かざる者、食うべからず。
というわけで。彼女たちは、一刀と共に酒家で揃って働くことになった。

働き口もそうだが、彼女たちを何処で寝起きさせるのか、という問題がある。
一刀は当面、今自分の寝起きしているところを彼女らに提供し、自分は酒家の中で寝起きしようと考えていた。
自分を拾った恩人でもあり、酒家の主人でもある商人の旦那。彼のところへ、その旨を相談に行ったのだが。
「そんなら、ひと部屋用意してやろう」
という太っ腹なひと言。四人で寝泊りするのに充分な平屋をひとつ、新しく用意してくれた。
恐縮する一刀だったが、商人の旦那はそんな彼を笑い飛ばし。
「代わりに、俺たちが遠出する時にまた護衛と食事を頼む」
お前がいるだけで、食事も身の安全も格段に良くなるからな。あの部屋を使っている間は、こき使わせてもらうことにする。と。
それぐらいでいいのなら喜んで、と、一刀はその好意と温情に心から感謝した。

こうした経緯もあり、現在、彼女たちは宛がわれた平屋から酒家へと通勤する形になっている。
その待遇を見た一刀が、ふと自分の現状と照らし合わせてしまい、少しばかり気落ちしたのはまぁ別の話。
とはいえ。
そんな好待遇を後から納得させられてしまうほど、彼女たちは大いに働いた。



愛紗は給仕係を請け負っている。
武官として鍛え上げられているからだろう、彼女は立つ姿も歩く姿も非常に様になる。
店の中をあちらへこちらへと動き回り、注文を聞き料理を運ぶ。そのひとつひとつが非常に格好良い、とは、一刀の評。
彼が「笑顔を忘れるな」と口を酸っぱくしていっても、どうにも引きつった笑みになりがちなのが悩みの種。
もうひとついえば、一度にこなすことが多くなってくると、気が急くために走り出す。
そのたびに「走るな!」と、彼女が注意されてしまうのは、まぁご愛嬌というべきか。
その分、愛紗が時折浮かべる渾身の笑顔は、見た客を男女問わずリピーターにさせる力を秘めていた。恐るべし関雲長。

ちなみに給仕に立つ面々は、それぞれに異なる給仕服(ウエイトレスなユニフォーム)を身に着けている。
集客を狙ってというのはもちろんだが、ひとえに一刀の趣味からなるものだったりする。
しかしこれが導入してみると大反響。その姿をひと目見ようと、客足が増える増える。
賑わう店内とあわただしく働く彼女たちを見て、一刀は満足げな商人の旦那とがっしり腕を組む。
煩悩とは偉大であるなぁ、と、しみじみ思ったのだった。

さて、愛紗の給仕服(ウエイトレスなユニフォーム)姿なのだが。
濃紺を基調としたロングスカート。
白いブラウスに、濃紺のベストを身に着け、首元には黒のリボンタイ。
腰から下正面を覆う白いエプロンが、服の濃淡にメリハリをつけている。
そして足元は、黒い靴とストッキング。
全体的にシックな装いになっている。

そんな服装を、一刀は、愛紗を仕立て屋に強引に連れ出しオーダーメイド。
出来上がりを見て満足し、彼女が身体を捻った際に膨らみ流れたスカート、そして美しい黒髪との組み合わせを見て更に満足を深めた。
素晴らしい、と思わずサムズアップである。
ちなみにサイズを計ったりなんなりといった作業は、仕立て屋のお姉さんがやっている。問題ない。



雛里も給仕係だ。軍師ということで計算なんかもいけるだろう、という安易な発想から会計の一部も任されている。
とはいえ、店内での給仕係が主な仕事になるのだが。これまた愛紗とはまた違った意味で、非常に絵になる。
愛くるしい、というのがしっくりくるだろうか。
小さい身体があちらこちらにヒョコヒョコ動き回るさまは、見ていて非常に和む。
はじめこそ、注文聞きひとつするにも涙目状態だった彼女。
もともと人見知りをする性格なのだが、そんな彼女に、一刀はひとつ意識改革を行った。
曰く。
軍師にとって、自分の言葉を他人に正確に伝えることは必須。
また他人の言葉をしっかりと聞き取らないことには、軍師は策を立てることなど出来ないだろう。
雛里は軍師として、兵に意志を伝え言葉を聞き取ることは出来る。
ならば、客に注文を聞き厨房に伝達する程度のことが出来ないわけがない。
つまり、状況は違っていてもやっていることは大して変わらん、ということを示唆してみたのだ。
なにか思うところがあったのか、それからの雛里はそれほど物怖じせずに、給仕や注文受けをすることが出来ている。
時折忙しさのあまりパニックに陥ったりすると、「ご主人しゃま~~~」などと涙声で厨房に駆け寄ることもあったりする。
いわゆるご主人様と一刀が混合してしまったり、雛里のその台詞を聞いた一部の客の目が怖くなったりすることも、まぁご愛嬌ということで。
そんな駆け寄る姿も非常に愛らしいので問題なし、と、一刀は判断した。

雛里の給仕服(ウエイトレスなユニフォーム)姿は、以下の通り。
明るい青のスカート、白いブラウス。青いリボンタイ。
白地に同じ青の格子を施したエプロンは、腰から胸の下までを覆い、肩紐が背中に回り交差した形で身体を引き締める。
必然、胸の上下左右を青色に囲まれ強調したような形となるが。
だが例え胸がなくとも、そこに生まれるなだらかなラインは目にして美しいものだ。一刀は大いに満足した。

平たくいえば。
彼は雛里に給仕を手伝って貰うと考えた際に、"神戸屋○ッチン"のイメージが降りてきたのだ。
そこから派生して、愛紗たちにも服を新調しよう、という流れになった次第。
もちろん彼女も、仕立て屋に連行され、店のお姉さんにアレコレ計られたりしている。
終始「あわわあわわ」と取り乱していたのは想像に難くない。



恋もまた給仕係。をして貰おうと彼は考えていたのだが。

彼女が初めて酒家の手伝いに立った日、店の中で喧嘩が始まった。
止めようと一刀が動くより前に、恋がその喧嘩の間に立ち、男ふたりを問答無用で組み伏してしまった。
とんでもない、圧倒的な速さと力。さすがは天下無双の飛将軍と呼ばれるだけある。一刀は素直に驚嘆した。
そんな当の本人、恋は、取り押さえた輩を横目に、床に飛び散ってしまった料理を料理を集める。

「喧嘩、よくない。ご飯がおいしくなくなる」

そうつぶやいて、料理を集めた皿を彼らの前に置いた。
いたたまれなくなった男ふたりは、代金を置いてそのまま逃げ帰る。
残された恋の元に一刀は駆け寄り、ひとしきり彼女の頭を撫でた後、店内のお客に謝罪をしたのだが。
店内は拍手に包まれた。
その後は、店内のあちこちに恋は引き入れられ、あれこれとご馳走をされていた。
恋、大人気。
大立ち回りを見て気に入って、更に彼女の食べっぷりにほんのり癒されるというダブルコンボを喰らった客たちは、大いに気分を良くして帰っていった。
それからというもの、恋は店に来たお客さんに対しマスコットのような立ち位置を得ることに。
常連客からの誘いがあればテーブルを巡りご馳走され、時に厨房の中を覗き込み一刀の仕事振りを観察し、料理を運んでみたかと思うとその席でなにやらご馳走になっていたりする。
また時には店の前に立つ木の陰で昼寝をしてみたり、その周囲にいつの間にか犬猫など動物たちが集まってきたり、それがまた評判になって新しいお客が集まってきたりと。まさにフリーダム。
恋の存在は、知らない間に広告塔のようなものになっていた。あとは用心棒みたいなもの。
彼女にも給仕服を着せてみたかった一刀だったが、今の状態なら別に良いか、とも考えていた。
どんな服を着せれば似合うか、というイメージがうまく浮かばなかったというものあるのだが。



一刀にとって、店に対する一番の戦力と認識したのは、華雄である。
彼女は、彼と一緒に厨房に立っている。その腕前は感嘆に値するものだった。
いや、戦力などという簡単なものではない。師匠といってしまってもいいだろう。

かつて華雄は諸地方を放浪していた時期があり、必要に駆られ料理の腕前を上げざるを得ない状況だったという。

「だからといって、質素で野性的な食事ばかりだったわけではないぞ」

もちろん、野宿などした場合は自分から狩りに出向き、食料を調達して調理し、食べていた。
その一方で、町や村などに世話になった場合は、調理場を拝借しそれなりの料理を作り上げ、借りた家の面々にも振舞ったりしていたらしい。その評判は概ね良好だったという。
ちなみにもといた世界で、彼女は放浪の末に三国同盟を知り、呂布(恋)を頼って蜀の面々と合流したらしい。苦労人なんだね。
そのせいか、"北郷一刀"とは主従の関係ではあっても、それ以上の感情は特になかったらしい。
この世界の北郷一刀と会っても冷静でいられたのは、そんな理由もあったのだろう。

それはさておき。
華雄は、様々な地方の、様々な食材の調理方法に長けている。
そのオールマイティさに惹かれた一刀は、料理に関する会話を彼女と重ねた。
これまで一刀は、いわゆる"天の世界"の料理をこの世界で再現し、酒家に出す品目に数多く付け加えていた。
しかし、それにも限界はある。彼自身が持っている知識もそうだが、なによりこの世界で可能な料理法というものに幅がなかった。
そこに、華雄が現れる。
一刀が持つ"天の世界"の料理のイメージ。そしてそれを形にする足がかりとなり得る、華雄の技術。
彼は興奮した。興奮するなという方が無理だ。
一刀は自分の持つ知識を総動員し、作ることが可能かを華雄に問う。
その熱意に応えるように、自分の知る料理の技術を指南する華雄。
そんな精進の日々が、一刀に足りなかった技術の幅を厚くしていき、同様に、華雄は持ち得なかった知識を吸収することによって腕を振るう幅を拡げていった。
毎日のように行われる、実技を交えたディスカッション。さながら腕と言葉と食材が飛び交う戦場のごとく。
もともと持つ才というものもあるのだろうが、幸い試食係には事欠かないこともあり、ふたりの料理の実力は短期間のうちにメキメキ上がっていった。



今日も今日とて、一刀と華雄の料理講座。
出す皿出す皿に、一刀と華雄は自分なりの工夫と課題を乗せていく。それらひとつひとつを、彼女らは平らげていく。

満足げにひたすら食べ続ける恋。
出される料理の多彩さに目を回す雛里。
そして、厨房という名の戦場に立つ一刀に目を見張る愛紗。

そう、まさに戦場だと、愛紗の目には映った。
彼女が戦場だと思い至った理由は、彼の求めるものが自分のものと重なるのではないかと思い至ったからだ。
料理という場で、怒号が飛び交うのを初めて見たというのもある。
それだけ、料理というものに本気なのだ、ともいえるだろう。
食べてくれた人が優しい気持ちになって欲しい。彼は料理を作りながらそう願っている。
見知らぬ誰かを笑顔にする。
そう考えると、自分が武を振るった理由となんら変わらないのではないか。そう思えたのだ。

かつていた世界の“北郷一刀”と、今此処にいる北郷一刀とでは、生き方がまったく違う。
しかし、こちらの一刀も、彼なりに本気で生きているということはよく理解出来た。
そして恋がいった通り、自分の主でなかったとしても、一刀は一刀なのだろうとも。
愛紗は、彼が作る料理を通じて、彼と自分たちの間にあった垣根のようなものが、少しずつ低くなっていることも感じていた。



ちなみに、一刀に真名を許したのは恋だけである。
彼もそれなりの期間をこの世界で過ごしている。真名というものの重要性は理解していた。
恋はすっかり懐いてくれたとはいえ、これは例外ではないのかと彼は思う。
いくら世話になっているからといって、そう簡単にあずけるものではないということは分かっている。
華雄はもともと真名を持たないらしいが、厨房でのやり取りから察するに、悪くは思われていないという感触を一刀は感じていた。

一方で愛紗と雛里は、うまく言葉にできないわだかまりが胸の内にあった。

「いえ、北郷さんを信用していないとか、そういうわけではないのですが……」

雛里などは、見ている側が恐縮してしまうほどに、申し訳なさそうな顔をする。
そんな彼女を見て、気にするな、と、一刀は頭を撫でてやったり。
なんとなくそうしたかった、というだけだったが。
彼女は嬉しそうな、そしてどこか複雑な気持ちを抱えたような、微妙に色の違う笑みを交互に浮かべた。
とはいっても、パニックを起こすと「ご主人様」などと口にしてしまうのだ。
彼女を初めとして、皆から本気で嫌われているわけではないと考えることにする。
打ち解けるられるまで、気長に待とう。
そう思い、今日も包丁を振るう一刀だった。












・あとがき
シリアスチックなノリに、気持ちを戻すのが大変でした。(シリアス?)

槇村です。御機嫌如何。




あれ? 趙雲も公孫瓚も出てこなかったな。
いや、出す気は満々だったのですが。そこまで行く前に切り良くなっちゃったのでぶった切った。まて次号。

もうひとつ、『愛雛恋華伝』のスピンアウト作品(スピンアウト?)を勢いだけで投稿してしまいました。
『ラヴひなコイバナ伝』ご覧いただけたでしょうか。よろしければそちらも読んでみていただけると嬉しいです。

『愛雛恋華伝』は一応、反董卓連合くらいまではアウトラインが出来ているので。
間が開き過ぎない程度に書き進めようとは思っております。
毎日更新とかは出来ませんが、よろしければお付き合いください。



[20808] 05:この世の定め
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2010/08/15 20:53
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

05:この世の定め





酒家の手伝いに奔走する、愛紗、雛里、恋、華雄の四人。
その姿は非常に絵になり、かつ愛らしいものだと、一刀は思う。

だが。
彼女たちは本来、知将かつ武将だ。
なんの因果か、群雄割拠の時代を終えた時代から、黄巾党の乱が本格的になっていない時代へとやって来た
つまり彼女たちは、いち時代を駆け抜け生き抜いた、生え抜きの猛者たちなのだ。
経験と実践に裏打ちされたその武力や知力は、相当なものであろう。
この時代の関羽、鳳統、呂布、華雄と比べても、かなりの開きがあるだろうことは想像に難くない。
一刀は基本的に、自分やその周りに危害が及ばないのであれば争いなどしたくない、という姿勢を持っている。
そんな彼でも、彼女たちが一地方の酒家で働いているだけというのは、もったいない、と考えてしまう。
とはいえ、彼女たちは一度すべての戦いを終わらせているのだ。その上で、また同じ戦いを繰り返すという選択も酷だと思う。
結局のところ、彼女たち自身が、道を決め、場所を決め、進み方を決める他ないという結論に落ち着く。
いまのこの生活に満足を感じるなら、それでもいい。
やはり己の武を発揮できる場を求めるというのなら、それもいいだろう。
結局、必要だと思ったときに、例え気休めでも自分なりに手を差し伸べることくらいしか出来そうにない。

一刀がそんなことを考えていたころ。ひとりの女性が、関羽たちに興味を示す。
彼女の名は、趙子龍。
一刀が住む陽楽を治める公孫瓉の元で、客将を務めている人物である。
分かる人には、やはり分かってしまうのだろう。武人同士が惹き合う、とでもいうのだろうか。
普通の民草には分からないような、達人同士にしか分からないようななにかが、あるに違いない。



ことの起こりは、一刀の勤める酒家へ、趙雲が久方ぶりに顔を出したこと。
関羽たち四人が働きだしてからは初めての来店、ということになる。

「ほぉ……」

店の中をのぞくなり、つい声を漏らした趙雲。
彼女の視線は、給仕に奔走する関羽の姿を捉えていた。
佇まいや立ち居振る舞い、そして雰囲気を見れば、その人となりや本質は把握できる。
かねてから趙雲は考えていたし、実際にそれが間違っていたことはまずなかった。
ゆえに、彼女は疑わない。関羽の持つ武力の程を感じ取った、自分の目と直感を。

「おや、趙雲さん。お久しぶりです」
「北郷殿、ご無沙汰しております」

一刀は久しく見なかった客の姿をを目にし、声をかけた。趙雲も同じように挨拶を返す。

「随分長いこと見なかった気がしますね。烏丸対策あたりで、遠出でもされてましたか」
「遠出をしていたの事実ですが、むしろ不在にしていたのは貴方の方でしょう?」

何度無駄足を踏まされたことか。自分のせいにされているようで心外だ、と、彼女はわざとらしく溜め息をついた。
確かにそうだ。そのの返しに、彼は思わず苦笑いをする。

「そうですね。仕入れやら護衛やらで、店を空けていたのは俺の方だ」
「貴殿の料理は不思議とクセになりますからな。下手に店を不在にされると苦しくて苦しくて」

知らないだろうが不在の間に、同じように中毒で苦しむ輩が何人も店の前に転がっていた。などといわれては、さすがに大げさに過ぎる。どうせホラを吹いているだけだと、一刀は本気にしたりはしない。もっとも、似たようなことは実際に起こっていたのは彼のあずかり知らないところである。

「クセになるといっても、貴女はメンマさえあれば満足なんでしょう? 持ち歩き用に、小瓶に入れて用意してあげたじゃないですか」
「そんなものはとうに平らげております」
「いやそんな風に威張られても」
「それだけ美味だった、ということですよ」

そういわれれば、料理人として悪い気はしない。

「そういわれると悪い気はしませんね。大人しくおだてられておくことにしましょう」
「割と本心なのですが」
「それなら尚更ですよ」

ありがとうございます、と素直に頭を下げる一刀。
それを受けて、趙雲は少しばかり相好を崩す。料理ばかりではなく、彼のそんな素直なところも好んでいた。

「なので、新しくメンマを調達したいのですが」
「ちなみに、メンマ以外にきちんと食べているんですか?」
「それはもちろん。メンマがなければ、他のものを食べざるを得ないでないか」
「……そうですか」

そんな得意げにいわれても。
彼はもうそれ以上追及することをやめた。

「……なにかいいたげな顔ですな」
「気にしないでください。裏でメンマジャンキーとかいったりはしていませんから」
「じゃんきー?」
「狂おしいほど愛している人、って意味でしょうかね」
「……まぁ、よろしいでしょう」

一刀のセリフに思うところはあるようだが、趙雲は追求するのをやめておく。



「それよりも、新しく人が入ったようですな」
「えぇ。おかげさまで大分ラクになりましたし、お客さんの数も増えましたよ」
「彼女たち目当て、ですかな」
「まぁそうですね」

否定はしません、と、彼はおどけてみせる。
事実、彼女たちがやってきてから客足は格段に伸びている。
可愛い女の子や綺麗な女性が給仕をしてくれる、それを目当てに客が店を訪れる。
そんな心理を彼は否定はしないが、これほどの効果があるとは、と、正直なところ驚きを禁じ得ない。
前にいた世界でも、制服の可愛いレストランやらメイド喫茶やらが持て囃されていた。その理由がよく分かる。
まさか経営者サイドからその理由を噛み締めることになるとは思わなかったが。
そんな一刀であった。

「どうですか。趙雲さんから見て、こういうのは」
「いいですな。眼福とはこのことをいうのでしょう」
「おぉ、分かってもらえますか」
「えぇ。見目麗しい女性の働く姿、そしてそれは誰でも良いというわけではなく、洗練されていなければいけない。北郷殿こだわりのが見て取れます」

随分と過大な評価。しかし狙っていた部分は分かってもらえたようで、一刀はその同志の言葉に心強さを感じた。ふたりは互いに腕を取り合い、想い(趣味)のほどを共有する。

「しかし。料理を作る者として、そういった客は気に入らないのでは?」
「別に。構いませんよ」

趙雲の、からかうような言葉。それを聞いても、一刀は気にした風もなく受け流す。

「最初は女の子目当てでも、その後、俺の料理の味で引き止めて見せればいいんです。問題ありません」
「ふ、いいますな」
「現にこうして、通ってくださる方が目の前にいますからね」

メンマだけですけど。
そんな言葉に、彼女はおどけて、メンマだけではないというのに、と嘆いてみせる。

「まったく心外ですな、足繁く、わざわざ貴方に会いに来ているというのに」
「そんなことをいっても、メンマの量は変わりませんよ」
「……割と本心なのですが?」
「名もない民草相手に、太守のいち将軍がそこまでいいますか?」
「なに、武将といってもひとりの人間ですからな」

腹も減れば恋もする。そういって趙雲は笑う。
光栄なことで、と、それに合わせて一刀もまた笑ってみせる。

一刀と趙雲。
真名こそ交わしていないが、ふたりの仲は非常に良好だ。
もともと客将として、公孫瓉の元に身を寄せた彼女。それから程なくして、太守自らお勧めの場所だと連れてこられたのが、一刀のいる酒家である。
そこで出された付け合せ料理のひとつ、メンマ。それに趙雲は激しく反応した。
周囲も省みず、いかにこのメンマが素晴らしいかを力説し出したときは、一刀もどう反応したものか困ったものだ。
公孫瓉もそんな彼女に対し呆然としていたが、やがてその熱弁に一刀も加わってしまう。
あまりのメンマ賛歌に、彼女は他の料理を蔑ろにしている、と、彼はその熱弁を受け取ったのだ。
その後は数刻に渡り、公孫瓉が頭を抱えるのも意に解さず。互いに熱弁を繰り広げた。
長きに渡った料理トークは、その場はひとまず痛み分け、ということで収められた。
それからというもの、一度腹を割ったこのふたりは、なにかとふざけあったり軽口を叩き合ったりするようになった。
精神的な嗜好が似ている、というのが、ふたりを引き合わせたのかもしれない。
相手が武将だというのに、その態度が変わらないという一刀を、趙雲が気に入ったというのもある。
そしてなにより、彼の作る料理(メンマ)に絆された。これが大きい。
相手を胃袋で釣る、という手法を実演されたといってもいいだろう。



「まぁそれはいいとして」

趙雲はおもむろに話を変えてみせる。

「あの給仕の女性は、どういった御仁で?」

店の中を立ち回る関羽に視線を定めながら、彼女は尋ねる。
本題に来たな、と、一刀。
彼は素直に答える。
商隊の護衛で方々を巡っていた際、行き倒れていた彼女を保護したこと。
記憶が混乱しているようで、どうしてそんな境遇になったのか分からないこと。
この先どうするかは分からないが、どうするかを決めるまで働いてもらうことになったこと。
いろいろと鋭い趙雲を前にして、そんなことを口にしてみせる。
嘘はいっていない。本当のことすべてを口にしていないだけ。

ちなみに今日働いている面子は、関羽、鳳統、華雄。
呂布は今日はお休み。家かどこかで転寝をしているのかもしれない。
客席の間を駆け回るのは、関羽と鳳統。華雄は厨房に引っ込んでいるので姿は見えない。

「ほほう、難儀な境遇ですな」
「まったくです。俺も似たようなもんだったから、他人事だと思えなかったんですよね」

趙雲も、彼がこの地にやって来た経緯は知っている。それを思えば、そんな彼の気持ちもさもありなん、と、彼女は納得することが出来た。

「なにものなのかは、具体的には分からない、と?」
「えぇ。少なくとも今のところは」

少し、嘘を混ぜる。
分からないこともあるが、分かっていることもある。けれどそれはあまりに荒唐無稽過ぎて、説明の仕様がない。
もっとも、説明しようにも理解できるものか。
だから、一刀は強引に話を切った。趙雲も一先ず、それに乗ってみせた。

「では、彼女の武に関しては、どうなのです?」
「……分かるもんなんですか?」
「ある一定以上の力量を持つ者であれば、相手を見るだけでそれなりに推し量れるものですよ」
「一度、手合わせをお願いしたことがあります」

手加減をしてもらった状態でも、三合も持たなかった。
そのときのことを思い出したのか、彼はそういってうなだれてみせる。

「ほう、北郷殿を相手に瞬殺とは。少なくともそんじょそこらの輩というわけではなさそうで」
「ただの料理人を基準にして、なにが見えるっていうんです?」
「そのただの料理人が、武将である私を相手に十合持つのです。自信を持って良いですぞ?」
「そもそも料理人に手合わせを願い出る武将ってのが有り得ないでしょう」
「まぁあのときは確かに、伯珪殿も苦笑していましたな」

性分なのだから仕方がない。そういって彼女は悪びれない。
その点はよく分かっているので、彼もそれ以上はなにもいわない。

「いずれは手合わせをお願いしたいですな。北郷殿も来なさるといい」
「随分と入れ込んで見えますよ?」
「なに。私の目には、彼女は相当の使い手に見える。ひょっとすると私も敵わないかも知れないほどに」
「それなのに、いや、だからこそ、気になる?」
「そういうことです。武人としての性、でしょうな」

そういって、趙雲は食事もせずに店を後にした。
関羽の武人としての雰囲気を察して、食事どころではなくなったのかもしれない。
武人っていうのは、厄介な人種だよなぁ。
一刀は思う。
それでもメンマの催促だけは忘れなかったのには苦笑せざるを得なかったが。



四人にも揃って、このことをこれからのことを少し考えてもらわなきゃいけないかな。
前の世界でも知り合いだろうし、間違って真名とか呼んだら厄介だしな。
趙雲の態度を見て、そう考えざるを得ない。
まったく関わらずに過ごすことはもう無理、ということは、痛いほど理解できた一刀だった。













・あとがき
気が付いたら、「趙雲」を「しょううん」って読んでいました。駄目だろオレ。

槇村です。御機嫌如何。




熱くて頭イタイ。誤字じゃないよ。頭熱い。なんとかしてくれ。

まぁそれは置いておいて(え?)
趙雲(ちょううん)さん登場。
でも一刀との世間話で終わってしまった。でも軽口を叩き合える仲っていいよね。

さーて、この先どうするかな。



[20808] 06:求めよ、さらば与えられん
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2010/08/18 18:43
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

06:求めよ、さらば与えられん





「とまぁ、そんな話をしたわけだ」

趙雲とやりとりをしたその日の夜。仕事のなかった呂布を呼び出して、揃ったところで軽く晩の食事を振舞う一刀。
食事をしながらするにはふさわしくないかもしれないが、彼は趙雲との内容を四人に話し、その先にあるであろうことを予想し合う。
武人として、関羽が興味を持たれたこと。
そこから他の三人にも、興味の目は広がっていくだろうということ。
この場をごまかしたとしても、良い目はなにもないだろうということ。
特に関羽と鳳統は、以前にいた世界では共に仲間として長く戦っていた間柄だ。趙雲の人となりは良く分かっている。
興味を持ったものに対して、そう簡単なごまかしでやり過ごせるとは思えない。彼女らもそう考えるに到った。

それはつまり、群雄割拠の世で武を振るうという方向で、巻き込まれる可能性が大きくなったということ。
彼女たちがどのような道を進むにしても、それを決めるまでの時間はそう長く残されていない。



かつていた世界の時系列を思い起こせば、これからなにが起こるのかが分かる。
それは"天の知識"を持つ者ゆえのアドバンテージ。
もっとも、それを生かすも殺すも、持つ者の使い方次第ではある。

「前にいた世界でも、趙雲さんは公孫瓉様のところにいたの?」
「はい。桃香さまと共に私たちが白蓮殿を頼った際には、すでに客将として仕えていました」
「関羽の顔を見て反応がなかったってことは、まだ劉備勢は遼西に来ていないってことだよね」
「……なるほど。この世界にも"私"がいるのなら、そういうことになりますね」
「となると、黄巾党が本格的に暴れ出すまで少し間があるってことか」

一刀は彼女たちから、以前の世界で起こった出来事を聞き出していた。
今この時代がどんな状況にあるのか逆算して考えてみようと思ったのだが、関羽の辿った話が、現状に一番近いものだと知る。
彼女たちの話を聞きながら、一刀は自分の三国志に関する知識とも照らし合わせる
。時代の流れを大まかに把握して、その上で、彼は四人の今後を考える。
もし彼女たちが群雄割拠や乱世とは関係なく、ただの民草として生きるのならそれはそれで構わない。
だが武人として頭角を現そうというのなら、今はまさに好機といっていいだろう。
事実、彼女たちのいた世界では、劉備たちはこの後の黄巾党の乱における活躍をもって頭角を現したのだから。

「いっそのこと、この四人で勢力を立ち上げちゃえば?」

冗談交じりの軽口。それでも、やろうと思えば無理ではないだろうと彼は考える。
以前の世界で、関羽が劉備と共に勢力を立ち上げ大きくしていった経緯を聞いた後では尚更だ。
だが彼の軽口に対して、鳳統は想像以上に重い口調でその可能性を否定してみせる。

「おそらく、それは無理です」
「……どうして? 前の世界の劉備と、今の鳳統たちは似たようなものじゃないの?」

敢えて自分も含めていいますが、と、鳳統が口を開く。

「皆さんは確かに、個人の才は相当なものです。
恋さんも愛紗さんも華雄さんも、単純な戦力という意味では大陸随一といってもいいかもしれません。
ですが、この世界で身を立てるとなると、今の私たちには思想的な部分で支柱とすべきものが足りないんです」
「なんのために勢力を立ち上げるのか、っていう部分が、薄い?」
「はい」

彼の合いの手に、鳳統はうなずく。
それを補うように、関羽はかつての自分を思い出しつつ、語る。

「以前の私たちは、賊から弱き民を守りたいという気持ちのもと旗揚げをしました。
動乱の渦を駆けて行く中で、雛里や朱里……諸葛亮といった同志が加わっています。
私を始め彼女たちが桃香さまに従ったのは、乱世における桃香さまの想いに理想を見たからです。
自らが御旗となり群雄として起つ。今の私には、その御旗となって立っている自分が、想像できない。
武を誇りたい気持ちはある。民が虐げられているなら、それを助けたいという気持ちももちろんある。
……かといって、自ら立つ、というほどの大きな理想、いい換えるのなら熱さのようなものが、自分の中に感じられない。
悔しいですが、これも事実です」
「いうなれば、私たちが持つ"強さ"というものは、あくまで将としてのもの。群雄の主が持つ"強さ"とは、また違うんです」

なにか苦いものを噛み締めるように吐露する関羽。その一方で鳳統は、空虚さを噛み締めるように言葉を紡ぐ。
彼女たちが胸の中に感じているものは、なんなのか。

強いていうならば、苛立ち。
やるべきことを一度成してしまったある種の満足感、だからこそ感じられる損なわれた積極性、そんな自分を良しとしない感情。
そんなものが、彼女らふたりの中で渦巻いている。
そのせいだろうか。酒家での給仕で駆け回るという、今まで触れたこともないことに懸命になり没頭していた彼女ら。
その間の彼女らは、不必要に思い悩むこともなく、武や知を極め世に役立てんとしていた頃とはまた違った充実感を感じていた。
初めて知った、そんな自分たちの一面。悪くはないと思いはしても、どこかで"違う"と声を上げる自分がいるのもまた事実。
そんな二律背反が、彼女経ちを苛立たせている。

「……燃え尽き症候群、って奴なのかな」

一刀がなにげなくつぶやく。聞いたことのない言葉に、関羽と鳳統は首をかしげた。

「あー、俺のいた世界の言葉だよ。
えーと……。<なんらかの理想や目的に向かってがむしゃらだった人が、果たした結果が自分の労力に見合ったものではなかったと感じてしまった。それによって感じる徒労感や不満感なんかに囚われた状態のこと>、だったかな」

なんとなく、分かるような気はする。
だが、そんな簡単な言葉で同意を示していいものか。一刀は言葉を返せずにいた。
仲間と共に理想を追いかけ、ようやくその基盤を整えたと思った最中に、自分たちだけが理由も分からぬまま外されてしまった。
一時代の真っ只中を駆け抜けてきた者だからこそ抱える葛藤だといえる。
この世界でも以前にいた世界でも、ただの一般人でしかない彼が、たやすく同意することが許されるのだろうか。察することは出来ても、その深さを推し量ることは出来ないのだから。

「難儀だな」

だから彼は、一線以上は踏み込まない。

「自分たちが懸命に戦った、その末に訪れた平和な世界。それを充分に甘受することもなく、振り出しに戻されたんだ。
おまけに主と慕っていた男は頼りなくなってる。気落ちしたって無理はない」

少しだけおどけて見せて、しかしすぐに真面目な顔に切り替える。

「それでも、いつまでも落ち込んでもいられないだろう?
いくら嘆いても、俺は君たちの知る"北郷一刀"にはならない。元の世界に戻る術は分からない。
かつて自分がいた場所には既に誰かが立っている。
理不尽だと感じていると思う。でもその理不尽の中をどう生きていくか、それを決めるのは、他ならぬ君たちだ。
選択肢が必要なら一緒に考えてあげることも出来る。気になることがあるなら、出来る範囲で応えよう。
でも、何度もいうが、俺に出来るのはそれだけだ。
俺の生き方は、俺が自分で決めている。同じように、自分の生き方は、自分で考えて、決めろ」

何度となく繰り返した言葉。一刀は言葉だけをかけて、後は勝手にしろと突き放す。
女性とはいえ、彼女たちは歴史に名を残した英雄たちと同一人物。しかもすでに群雄割拠の時代を経験している。
ただの民草である彼にしてみれば、本当ならあまりにも遠い存在。
フィジカルであろうとメンタルであろうと、自分などより遥かに出来上がった人間に違いない、と。
それならば、自分に出来ることはひとつ。世界と時代を飛び越えた先達としての、経験と考えを伝えるのみ。そう考えていた。
それらは確かに事実でもあった。だが、一刀は思い違いもしている。
彼は決め付けていた。英雄という括りでしか、彼女たちを見ていなかった。ひとりの女性、女の子としての彼女たちを、考えの外に置いていた。
一刀はこのとき、まだそのことに気が付いていない。



「ならば、私は先に決めてしまうか」

関羽と鳳統が口をつぐみ、考えにふける。そこに割り込む声。
それまでは黙って、聞くにまかせていた華雄。気負った様子もなく言葉を挟んでくる。

「私は、武人としての道を進もうと思う」
「……料理人の俺としては、その腕が離れていくのは物凄く惜しいなぁ」

淡々とした華雄の言葉。それを混ぜ返すように、一刀はあえて軽い口調で返す。
自分で決めろといっておいて勝手な奴だ。彼女は嗜めるように、お姉さん然とした笑みを浮かべる。

「確かに、料理は楽しい。充実したものを感じる。
自分の料理を食べてもらうことで、人が笑顔になる。満たされていく。それも分かる。
だが、私はそれでは足りないんだよ。
充足出来ない。血が滾らないのだ」

静かに、拳を握る。

「武を振るい、より強い者と対峙し立ち向かう感覚。それを乗り越えたときの達成感。
それに似たものを、料理では感じることが出来ない。
ならば感じられる術はなんだ? 私は、それを武の道以外に知らん。
考えるまでもない。私が進むべき道は、そういうことになるのだろう」

彼はなにも、言葉を挟まない。
華雄の、静かな、そして揺るがない言葉が紡がれる。

「一刀、お前の生き方を否定するわけではない。
しかし、"これ"は、やはり私の生きる道ではなさそうだ」

一刀が出した料理をつまみながら、華雄はいった。

彼女は思う。
口にこそ出さないが、料理人として一刀と働くのは楽しかった。
武と同様に、自分の料理の腕が上がっていく様が分かるのは嬉しかった。
自分の言葉と技術を受けて、彼が料理の腕を上げていくのを見るのも、弟子が逞しくなる様を見るようで満足感も得られた。
それでも、やはり物足りなかった。言葉どおりの充実や満足の先にある、愉悦ともいえるもの。それがない。
かつて歩んでいた武の道では、その愉悦に満ちていた。生きているという喜びを感じられた。
ならば、この先、進むべき道は決まっている。ためらいなど、ない。

「うん。残念だけど、華雄がそう決めたんなら。それでいいと思うよ」
「すまんな」
「あやまらないで。もっと引き止めればよかったとか思っちゃうから」
「まぁ、気が向いたらここまで出向いて、また料理の腕を指南してやろう」
「それはありがたい。よろしくお願いします、師匠」

ふたりは笑う。さも当たり前のように。



「……華雄、どこかいっちゃうの?」
「……あぁ。もっと鍛えないことには。まだまだお前に勝てないしな」

優しい笑みを浮かべながら、華雄は、呂布の頭を撫でる。
その手を素直に受けたままで、呂布は長く共に戦い続けて来た友人を見る。

「お前はどうするんだ? その力は、必要とされる場は山のようにあるだろう。お前自身は、どうしたいんだ?」
「……一刀と、一緒にいる」
「……そうか」

頭に乗せられたままの手が、やさしく動く。
この面子の中では、華雄は呂布との付き合いが一番古い。彼女が武を振るう理由もよく知っている。
それは、自らの日々の糧を得るためであり、セキトら家族を養うためであり、董卓の身を守るためだった。
呂布が以前の世界と"北郷一刀"をどう捉えているかは分からない。
だが今、この世界にはセキトらはおらず、守るべき董卓もいない。食事に関しては、一刀に保護されればひとまず心配はない。
そう考えると、呂布は、強いて武を振るう理由がなくなってしまう。
あれだけの武の才、このまま腐らせるにはあまりに惜しい。
しかも華雄は、まだ彼女の才に手が届いていないのだから、彼女の腕を惜しむ気持ちは人一倍ある。
だが。彼女がそれで良いと考えるならば、武を捨てることもまた、ひとつの道だろうとも、思う。

「だが鍛錬は怠るんじゃないぞ。お前は私の目標なんだ。弱くなったりしてみろ、許さんぞ」
「……分かった。負けない」

優しくも、物騒な言葉。だがそれでなにかは通じているのだろう。ふたりは自然と笑顔を浮かべる。
そんなやり取りを見て、一刀は声を挿んでくる。

「それじゃあ、恋は俺のお手伝い?」
「……うん、手伝う」
「それで、恋は本当にいいの?」
「? うん」

コクリとうなずく呂布。
そんな彼女の仕草は可愛いし嬉しいのだがいやしかし、などと、なにか悶え出す一刀。

「一刀、とりあえず一緒にいてやってくれ」
「でも華雄、いいのかな本当に。いや、俺は嬉しいよ? 嬉しいけどさ、かの天下無双を給仕扱いって。世の中に喧嘩売ってるような気がするよ」
「諦めろ。変にお前がゴネると恋が泣くぞ。
それに、この世界にはもうひとり呂布がいるのだろう? 天下無双の名はそちらに任せておけばいい」
「そういう問題?」
「そういうことにしておけ」

頭を抱える一刀。それをみて笑う華雄。よく意味も分からないまま、目の前にある一刀の頭を撫で回す呂布。
妙にほんわかした空気の流れる一角だったが。
反対の一角は、対照的に思いつめたような重たい空気が漂っている。



「私は……」
「雛里、待て」

華雄と呂布が、進む道を決めてすぐ。次は自分が決めなければいけないとでも思ったのだろう。
そんな鳳統が口を開くよりも前に、華雄が彼女の言葉を止める。

「そう急いても碌な答えは出ないぞ雛里。愛紗、貴様もだ」

華雄は、関羽と鳳統の方へと身体ごと向き直す。
暗い雰囲気を漂わせるふたりを見て、彼女は溜め息をつきながら話しかける。

「ふたりは、考え過ぎだな」
「考えすぎ?」
「頭で理解しようとし過ぎている、といい換えてもいい。だが一刀、お前は考えさせ過ぎだ」

華雄がたしなめる。関羽と鳳統に向けるだけでなく、一刀にも自重しろと。

「私が問いを出す。ふたりとも、その問いに五つ数える間に答えろ」

関羽と鳳統。ふたりに反論を許さない、一方的な問い掛け。

「今、お前たちがやりたいと願うことはなんだ?」

単純な問い。ゆえに、本当に望んでいるものが、胸のうちからこぼれ出てくる。
短いようで、長い時間が経ち。
先に口を開いたのは、鳳統だった。

「私は、自分の策で人が死んでいくのを、見たくありません……」
「……」
「たくさんの策を献じてきました。何百人何千人何万人が動くという策を。
自分の頭で組み立て、その策でどのような結果が現れるのか。頭の中で考え続けてきました。戦いを展開し続けてきました。
多くは、私の考えた通りになりました。策から外れたとしても、想像しようと思えば出来る程度のものがほとんどでした。
作戦通りに戦が動く。それはつまり、私の想像したとおりに、何百、何千、何万の人たちが、傷つき、死んでいったということです。
笑顔で過ごせる、平和な世の中を作るため。私はそう自分にいい聞かせて、策を練り続けてきました。
戦が終わり、国同士が手を取り合って、これからは平和を目指すことが出来る。
戦いがなくなるわけではないだろうけど、その数は格段に減るに違いない。そう思いました。
でも」

鳳統は静かに、しかし一気に捲くし立てる。だんだんと、声が荒々しくなっていき。

「でも、今の私は、また群雄蔓延る世界に立っている。
私たちがこれまでやってきた戦いはいったいなんだったのでしょうか。
また、何万人と殺さなければいけないのでしょうか。どれだけ殺せば平和になるのでしょうか。
もう既に、私の頭の中は死人でいっぱいなんです。

……私は本当に、平和に浴することが出来るのでしょうか」

涙声になった。
嗚咽を止めるでもなく、湧き出る感情をそのままに任せて、ただ、泣く。
そして、しばし。感情を形にした言葉を、出し切ったのか。鳳統は意識を闇に落とす。
倒れこむ彼女の身体を咄嗟に抱え込み、華雄はその小さな身体を抱きしめる。
一刀もまた、鳳統の髪を梳き、目元の涙をそっと拭ってやる。

「難儀だな……」
「まったくだ……」

一刀のつぶやきに、華雄が応えた。

彼は内心憤っている。
すでに鳳統は彼にとって身内だ。
可愛い彼女が心を痛めている原因。それは乱世。
その乱世を呼んだ大元となるのが、元朝廷の、世の乱れを正す力のなさだ。
ふざけんじゃねぇぞ漢王朝ぶっとばすぞ。
口にこそしないが、そんなことを考えてしまうのは元"現代人"ゆえなのかもしれない。



意識を失った鳳統を一刀に託し、華雄は関羽へと向き合う。

「愛紗、お前はどうだ」
「……私は、桃香さまに会いたい」

少し意外な言葉だったのか。華雄はその答えを聞いて少しばかり目を見開く。

「では劉備軍に加わって、再び武を振るいたいということか」
「いや、違う。そうではないんだ」

関羽は首を振る。

「あの、私たちがいた世界で結ばれた三国同盟。
あれは桃香さまや私たちが夢見て望んできた、争いのない国を実現する足がかりとなるものだった。
その目標を私に与えてくださったのは、桃香さまだ。
今の私には、あのときに感じた熱さのようなものが湧き上がらない。
それがただ、燻っているだけなのか。それとも燃え尽きてしまったのか。
私は、それを確かめたい」

このままでは、我が偃月刀はくもったままだ。彼女はそういって、唇を噛む。
その姿を見て、一刀は思う。
確かに彼女自身が持つ力は、他を圧倒するかのような強いものなのだろう。
だがその力を振るうべき理由、方向性を、自分の中から導き出すことが出来なくなっているのではないか。
彼女が持つ本来の性格ゆえか、それとも、劉備または天の御遣いという御旗のまばゆさから見失っているだけなのか。

腕の中で眠る鳳統と同じくらいに、彼は、今目の前にいる関羽という女性の在り方に不安を覚えた。



四人の今後を示唆する夜が明け。まだ数日もしないうちに、新たな分岐点が示される。

「北郷殿、彼女らを少々お借りできないか」

遼西郡太守・公孫瓉の使いとして、趙雲が一刀の元を訪れた。
彼女はいう。客将のひとりとして、なにより趙子龍個人として、彼女の実力を量りたい、と。
その上で、彼女を公孫瓉の客将として迎えたい、と。

彼女のその入れ込みように、一刀は人知れず溜め息をついた。













・あとがき
設定はちょっとばかり派手かもしれないけど、話がとんでもなく地味じゃね?

槇村です。御機嫌如何。




もっと細かいところを積み重ねたい!
すっごい些細なところの繰り返しで厚みをつけたい!

でもそんなの読んでも皆さん楽しいのだろうか。
私? 私はむっちゃ楽しいよ!!

そんな葛藤は置いておくとして。
少し話が動きます。やっと。
ひとまず、書きたいと思ったシーンに向けて続けていく所存。
でもどれくらい掛かるか分かりませんが、よろしければお付き合いください。
また、いろいろと書き込みをしていただきありがとうございます。励みさせていただいております。



それにしても、作中の華雄がすごい「みんなのお姉さん」化してるのはなぜだろう。



[20808] 07:進む一歩も 逃げる一歩も
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2010/09/03 07:52
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

07:進む一歩も 逃げる一歩も





確かに、遠からずやってくることは予想できた。
それでも早過ぎるんじゃないか趙雲さん?
心中でそんな悪態をつきながら、一刀はついつい溜め息をつく。

「? どうかされましたかな北郷殿」
「いえいえ、なんでもありませんよ」

悪態はついたが、なにも彼女を攻めようというわけじゃない。落ち着け。クールにいこうぜクールに。
そんな風に、彼は気持ちを落ち着かせようとする。無理やりに。
慣れないところに連れてこられたせいで、少しばかり気が動転しているんだろうきっとそうだ。

場違いなところにいる自覚はあった。ただの料理人でしかない一刀にとって、あまりに縁のない場所。
遼西郡・陽楽にある、公孫瓉が太守として勤める城。彼は、その中にある謁見用の広間にいた。
ことの経緯を簡単にいうならば。
趙雲が関羽の武才を嗅ぎ付け、それを公孫瓉に報告。
それほどのものならぜひ客将として招きたい、という風に話は流れ。
ならば早速顔合わせを、と。関羽、鳳統、呂布、華雄の四人は城に出向くことになり。
そんな四人を保護している立場として、一刀は四人に付き添ってここまでやってきたのだった。



「よーう、久しぶりだな北郷」
「はい。ご無沙汰しています、公孫瓉様」

地域一帯を束ねる太守。そんな身分を考えると、あまりにフランクな言葉をかける公孫瓉。
それでも、自分はただの一市民、という立場をわきまえて、一刀は恭しく礼を交わす。

この世界にいる一刀は、ただの料理人。単なる民草のひとりである。
関羽たちがいた元の世界の"北郷一刀"のような、天の御遣いといった特別な存在でもなんでもない。
ではあるのだが、彼は公孫瓉にたいそう気に入られている。料理の腕ももちろんだが、その人柄と気質を彼女は好んでいた。
いかにもお偉いひと、といった態度を普段から取らない御仁ではある。
それを差し引いたとしても、彼女は随分と砕けた接し方をしている。
人懐っこい笑み。太守という高い立ち位置にありながらも、あまり裏表を感じさせない気性。
それらはこの乱世において、美点となりえるのか疑問ではある。
とはいえ、治められる民としては好ましいもの。一刀もまたこの"らしくない"太守に好感を持っている。
寄らば怒鳴りつけるような太守よりは、常に笑顔な太守の方が親しみやすいというものだ。

「で、後ろにいるのが、趙雲のいっていた人かい?」
「はい。行き倒れになっていたところを商隊が保護し、現在は私が身を引き受けております」
「関雨、と申します」
「鳳灯、です」
「……呂扶」
「華祐と申す」

関羽、鳳統、呂布、華雄。四人それぞれが名を名乗った。

表舞台に出るにあたり、彼女たちは名を変えている。
原因の分からぬまま、この世界へと跳ばされた彼女たち。
跳ばされてしまったこの世界は、彼女たちにとって経験済みな、既に通り過ぎた世界であった。
ならば、そこにはかつての自分がいるに違いない。
顔はもう仕方がないとして、名前が被るのは問題が生じるのではないか。
そう思い至り、一刀は彼女たちに名前を変えることを提案したのだ。
といっても、姓、字、真名は同じまま。名を変えるといっても文字を変えただけである。
まるまる偽名に変えてしまっても、当人たちが反応しきれないのでは、という思惑もあった。

「彼女たちは記憶が混乱しているようでして。
行き倒れた前後のことや、なぜあの場所にいたのか、といったことがさっぱり分からないらしいのです。
それ以前のこともあやふやになっているようですが、日々の生活に困るほどのことはありませんでした。
もっとも。仕官というお話も、過去が怪しいという理由で拒否されるのであらばどうしようもありませんけども」

うまく説明できない彼女たちの現状を、一刀はこういってあらかじめ釘を刺しておく。
だが公孫瓉は、そんな彼のフォローも些細なことだと一蹴する。

「あぁ、構わないよ。
正直なところ、出自が多少怪しくたって、有能ならそれでいいと思ってるし。人材不足は本当に深刻だからな」
「……あの、本当にいいんですか?」
「使える人材なら問題ない。使い物にならなきゃ話は別だけどな。まぁ、趙雲の推薦ならハズレじゃないだろうし」

仮にも一地方のボスに仕えよう、っていう話がこんなに簡単でいいのか?
そんな一刀の葛藤などどこ吹く風。話はどんどん先へと進んでいく。

「で、四人ともウチに仕官してくれるのか?」
「いえ、申し訳ないのですが。
今回仕官を願っているのは、関雨と華祐のふたりです。鳳灯と呂扶は、今回は見送らせていただきたく」
「ふーん。まぁ、いいさ。ふたりも新しい将候補が来てくれたんだ。それでよしとするさ。
……まぁ、呂扶、に関しては、もっと必死に引き止めるべきなんだろうけどな」

ほう、と、趙雲が感心したような声を上げる。

「伯珪殿でも分かりますが。あの者の凄さが」
「私でもってなんだよ、気分悪いな趙雲。
いやでも、まぁ、私なんかじゃ羽毛のごとくあしらわれるんじゃないかなー、ってくらいのなにかは感じる」
「正解ですな」
「なんだよ、本当に気分悪いぞ」
「いえいえ、褒めているつもりなのですよ。
実際、私でも敵わないでしょう、おそらくは。そういった意味では、伯珪殿も私も、大差はありません」

そこまでなのか、と、趙雲の言葉に息を呑む。
これまで公孫瓉が目にしてきた武才というもの。その中で、趙雲の持つそれは随一といっていいものだった。
その彼女が敵わないという。その武才の高さに想像が及ばない。
見た限りの印象では、ぼおっとした小動物系なのに。

「仕官はしないとして、それじゃあ呂扶はこれからどうするんだ?」

無理やり仕官をさせる、というのは性に合わない。かといって、他のところに仕えられてもそれはそれで嬉しくない。
そんな不安感をありありとさせながら、公孫瓉は問いかける。

「ひとまず、俺の店のお手伝い、というのが彼女の仕事になりますね」
「……は?」
「ですから、店の給仕係とか」
「趙雲すら凌ぐだろう武才を持つ者が、給仕?」
「当人がそれでいいっていうんです。
私もそれはどうかと思いますけど、無理に武器を持たせるのもなにか違う気がしますし」

あとは、店の用心棒? みたいな。そんなところでしょうか。
などとのたまう一刀に、少しばかり頭を抱える公孫瓉。
だがまぁ、他の勢力のところに流れないと分かっただけでもよしとするか。そう思うことにして、彼女は納得することにした。

「北郷。鳳灯はどうするつもりなんだ」

仕官を見送ったもうひとり。
見た印象からは、武官とは思えない。ならば文官・軍師の類か。
趙雲が目をつける者たちと同行しているのだから、その才はやはり相当なものなのだろう。公孫瓉はそう当たりをつける。
そんな考えを、一刀は肯定する。

「彼女、鳳灯は、軍師文官としてその才を発揮していたらしいのですが、故あって少々病んでしまいまして。
少なくとも軍師としての働きは、しばらく無理だろうと。
そんな理由から、今回は見送らせていただきたいと判断した次第です。
ちなみに彼女も、店の手伝いをしてもらうつもりです」
「なるほど」

しばし、考える。その後、彼女は鳳灯に話しかける。

「鳳灯。仕官を受けない理由は分かった。詳しいことも聞かないでおく。
だが。その知、戦場ではなく、遼西の内政に活かすつもりはないか?」

戦が嫌なら、それ以外で本領を発揮すれば良い。そんな言葉に、鳳灯は思わず公孫瓉を見つめ返す。
答えは急がない、考えておいてくれ。そういって、彼女は返事も待たずにこの話を切り上げた。



そのふたりについては分かった、と、話が進められる。
次は、関雨そして華祐についてだ。

「関雨と、華祐。ふたりとも、こちらの願いを聞き入れてくれて感謝する。ありがとう。
だが。趙雲と北郷から聞いたが、あくまで客将として扱ってもらいたいらしいな。
よければ理由を教えてもらえないか?」

その言葉に、まず華祐が口を開く。

「取り立てていただく公孫瓉殿には、心より感謝いたす。
ですが、私が歩もうとしているのは武の道。己の武を研ぎ澄まし、より高みへと進むことを目的としている。
ここで貴殿に仕えても、己の武をより高めてくれるであろう場があるのならば、そちらの方へと参るつもりです。
仕える以上、やるべきことはやり、それ以上のものを残すつもりではいる。
だが、私がなにを第一としているのか、それを踏まえた上で受け入れていただきたい」

いうなれば、腕には自信があるけども、いつこの地を離れるか分からない、それでもよければ使え、といっているのだ。
なんという、不遜な物言い。事実、これを聞いた一刀は顔を覆ってしまう。公孫瓉も、思わず素直に感心してしまった。

「華祐。ものすごい自信だな」
「矜持だけは人一倍あると自負している。
だがそれでも、ここにいる関雨と呂扶に私の武は及ばないのだから。お恥ずかしい限りだ」
「いやー、でもその矜持は大切だと思うぞ?」

私も弱っちいのを自覚させられてるからな、趙雲のおかげで。そんな言葉を、半笑いで返してみせる。
太守という地位にはいるが、公孫瓚もまた武将のひとりである。武を突き詰めたいという気持ちはよく分かる。
だが、今の自分には立場がある。武の鍛錬ばかりにかまけているわけにはいかない。それを自覚していた。
ゆえに、華祐のまっすぐさが、眩しくも羨ましいと感じる。
なんとかしてやりたいと思う。出来得る範囲で融通を利かせてあげようと思った。
それを甘さだと断じてしまえば、確かにその通り。
だけど、まぁいいんじゃないか? と、通してしまうところが、彼女の美点といえなくもない。

「分かった。次に行きたい場所が出来たら遠慮せずにいってくれ。遼西から離れられるように手はずを取ろう。
だがそれまでは、遠慮せずにこき使わせてもらおう」

一時とはいえ、新しい主を得た。お心遣いに感謝する、と、華祐は頭を下げる。



「私は、武を振るう理由が揺らいでいるのです」

関雨はつぶやくように、口を開いた。
自らの武を誇る気持ち。それを振るいたい衝動。
しかし、なぜ自分が武を振るうのか、というところで躊躇してしまう自分。
そんな内心を、言葉少なに彼女は口にする。それでもいいのであれば、せめて客将として使って欲しいと。彼女は願い出た。
かつて共に乱世の中を駆けた盟友、公孫瓉。だが目の前にいる彼女は、関雨の知る彼女とは別の人間である。それは分かっている。
分かってはいるが、知己の者に自分の不甲斐なさを吐露しているようで、関雨の心中は穏やかではなかった。

「ふむ。いかに優れた武といえども、錆付いていては役立たずですな」
「え、おい趙雲」

そんな気持ちの不鮮明さは、以前の世界では背中を託した武将、趙雲に、まさに不甲斐なさを感じさせていた。
彼女にとって目の前にいる関雨という人物は、なるほど、確かに初対面でもあり正確な武のほどを知るわけでもない。
だがそれでも、気に入らない。気に入らないのだから、仕方がない。
だから、彼女は煽る。

「確かに、私の目は確かだった。だが関雨殿の武に気付けはしたが、その気質にまで到ることは出来なかったようだ。
そのような中途半端な気持ちでいられては、客将として招き入れても却ってこちらは迷惑するかもしれぬ」
「……確かに、貴殿のいうことはもっともだ」

関雨の言葉を聞きながら、趙雲の声音が剣呑なものになっていく。
辛辣な言葉。だが戦場に立つ武将として、その言葉の正しさも分かる関雨はなにも返すことが出来ずにいる。

「ならば私が、その武にこびり付いた錆を削ぎとって差し上げましょう。
なに、実はその錆の塊を己の武の重さと取り違えていたのなら、身軽になって却って目も覚めるというもの。
その際は、いち雑兵として使わせていただこう」

趙雲は、城の中庭にて関雨との仕合を望んだ。
理由は分からないが、彼女なりになにか思惑があるのだろう。そう判断した公孫瓉はその申し出を許可する。

「関雨殿も、よろしいかな? もちろん、逃げていただいても一向に構いませぬが」
「……構わない。お心遣い、感謝する」

挑発でしかない、趙雲の言葉。関雨はそれに激昂することもなく、その申し出を淡々と受け入れる。
広間にいた、ふたりと四人。それぞれが中庭へと移動する。



「随分とまぁ、安直な展開をこしらえたもんですね」
「なに。妙に考えすぎる御仁には、却って単純な方法の方が合点がいく、ということもあるのですよ」

率先して先を歩く趙雲に、早足で追いついて見せた一刀。
先ほどまでの不機嫌さは何処へやら。微塵も浮かべていない彼女に、彼は普段どおりの調子で話しかける。
ちなみに、呂扶は一刀を追いかけるように付いて来た。
関雨と鳳灯は、公孫瓉となにやら話をしながらゆっくり後を付いてきている。

「初対面なのに、よくそんな性格云々まで見て取れましたね」
「ふふ。人を見る目はそれなり以上にあると自負していますからな。
やろうと思えば、武才向きだろうと内政向きだろうと誰でも引っ張ってみせますぞ?」
「ある意味、非常におっかない能力ですよそれは」

武官なのに、外交官顔負けのやり取りが出来、内向けの細かい思慮にも長けている。
万能なひとだよなぁ、と、一刀は感嘆する。

「それにしても。公孫瓚様もそうですが、趙雲さんも硬軟なんでもこなす人ですよね。便利な人だ」
「ふ。まぁなににおいても、そこらの者よりはやってのける自信はあります。便利屋扱いされるのは業腹ですがな。
しかし私などよりも、伯珪殿の方がよほど万能ですよ。器用貧乏といった方が的確かもしれませぬが」
「……仮にも自分の主に対して、ひどい言い種だ」
「これでも伯珪殿のことは認めているのですよ?
個人の武においては、あの方よりも私の方が上です。これは間違いない。
しかしいい方を変えるのなら、私が勝てるものとなるとそれ以外に見当たらないのですよ。
武以外のものは、伯珪殿の方が勝っていると思います。
仮に私が伯珪殿の代わりに太守をやれといわれても、出来ませんからな」

所詮、私は武官なのです。と、思いの外真面目に、公孫瓉を賛美する趙雲。

「なにをやってもそこそここなす。そんな万能さが、なにかに突出した者を前にすると"普通"に見えてしまう。
伯珪殿はそれを気にしているようですがな」
「普通、ね。結構じゃないですか。民草が一番求めているのは、その普通な日々ですよ?
それに、実際には相当の実力があるのに、それでも自分は未熟だと仰る。しかもそれで陰に篭るわけでもないでしょう。
心強いじゃないですか」
「そうですな。まぁ、群雄と呼ぶには今ひとつ足りない感は否めませぬが」
「……それ、俺がうなずいたら相当問題あるよね」
「誰も聞いておりませんぞ?」
「誰よりもいい触らしそうな人が、目の前にいるので。仕方ありません」
「まったく、貴殿は私のことをどう見ておられるのか」
「鏡、持ってきましょうか?」

真面目な雰囲気で終わらせてなるものか、とばかりに、最後におどけてみせる趙雲。
一刀はもちろん、それに乗ってみせる。

「そうそう、女としての器量も私の方が勝っておりますぞ。これも間違いありませぬ。
ふむ。このような大切なことを失念していたとは、不覚」
「……その点はノーコメントでお願いします」
「のーこめんと?」
「我が身が可愛いから答えたくない、といっているんですよ」
「ほほう。北郷殿は、伯珪殿のような女性がお好みか」
「もちろん、趙雲殿のことも忘れていませんよ?」

一度話が外れ出すと、ふたりのやり取りはなかなか終わりを見せなかった。

ちなみに。
そんなヒソヒソ話を小声で交わす趙雲と一刀を見て、公孫瓉は渋い顔を見せていた。
曰く。

「あの顔を浮かべてしている話は、近づくと怪我をする内容だ。主に精神面で。聞き取れないけど絶対ヤバい」

関雨と鳳灯も、内心その言葉にうなずいていた。





場所は変わり、城内の奥にある中庭。
多人数が軽く運動が出来るほどの広さがあり、周囲を囲む樹々は見目良く整えられている。
城に詰める武官が鍛錬を行うこともあり、文官が仕事に一息つく姿もよく見られる。人の行き来もそれなりに多い、そんな場所である。
その中心をなす広場。そこにふたりの武将が対峙する。

「さて。心の準備はよろしいかな?」
「うむ。こちらはいつでも構わない」

片や、「常山の昇り龍」という二つ名を成し、舞い踊る槍を「神槍」と呼ばれるまでの武才を誇る、趙子龍。
片や、「美髪公」と誉れ高い髪を靡かせながら築くその武功に、後年「関帝」とまで神格化された関雲長こと、関雨。

ふたりは自らの片腕とする武器を手に、互いにその姿を睨め付ける。静かに、高まっていく。
公孫瓉が、一歩、前に出る。そして、始まりの声を上げた。

「はじめっ!」

と、同時に。
趙雲と、関雨。ふたりは駆け、躍り懸かる。己の信じる武をぶつけ合うために。













・あとがき
相変わらず地味だなオイ。

槇村です。御機嫌如何。




仕合まで持っていくつもりが、その前のやり取りで妙に長くなってしまいました。
まぁいいでしょう。(いいのか?)

関羽、鳳統、呂布、華雄の改名とか、客将になることを決めた経緯とか、いろいろ理由はちゃんとあるのですが。
本文にうまく絡ませられなかったかも。
後から細かいところを直すかもしれません。

やっと、派手な展開になりますよ。なるでしょう。なると思います。なるといいなぁ。
乞うご期待。(弱腰だな)



[20808] 08:胸のうちを支えるもの
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2010/08/27 05:13
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

08:胸のうちを支えるもの





対峙したふたりは始まりの合図と共に駆け出す。

「っふ!」

先に武器を繰り出したのは、趙雲。
己の相棒たる直刀槍・龍牙の間合い、そして向かって来る関雨の速さを見越して、一閃。薙ぐ。
足の速さを僅かに殺し、関雨は襲い掛かるその槍をすぐ目の前でやり過ごす。
すぐさま、彼女はもう一歩踏み込もうとするもそれは叶わない。
それよりも先に趙雲が一歩踏み込んだ。振りぬかれたはずの槍が、恐ろしい速さで切り返される。
関雨はそれでも慌てることなく、青龍偃月刀の鋒先を僅かに合わせるだけで往なしてみせた。
それでも、趙雲の身体が流されることはなく。まだ自分の番だとばかりに彼女は槍を振るい、突き続ける。
関雨はそれをただひたすら受け続けた。

一合、三合、五合、十合と、ふたりは連撃を重ね合いその数を更に増していく。
無言のまま成される仕合。耳を打つのは、ふたりの武器が弾き合う金属音と微かな呼吸音のみ。
静かに、しかし激しく、幾合もの連撃を交わしながら互いに一線を越えていない。届いていない。
趙雲の手がことごとく、往なされ、かわされ、弾かれ、やり過ごされるがゆえに。
関雨に至っては、受けに徹してまったく手を出していないがゆえに。
傍目には激しい攻防に見えなくもない。
だが実際には、趙雲の攻撃すべてがしのがれ続けているに過ぎなかった。



「……貴殿はなんのつもりか。武の劣る私をからかうのはそれほど楽しいか?」

ことごとく届かない自分の攻撃に、趙雲は苦々しい表情を隠そうとしない。
己の武が、この関雨という女性に届かないことは分かった。悔しいが、彼女は理解した。
実力差のある者に対して手加減をするのはいい。余裕から自分があしらわれるのならば仕方がない。
だがやる気の見えない輩に、どうでもいいような対応をされるのはどうにも我慢がならない。

「確かに、実力の差があるのだろう。だが面倒であるなら、さっさと私を叩きのめせばよいではないか。
仮にも同じ武人として、その態度は私に対する侮辱ではないのか?」
「……」
「手加減と手抜きは別物だぞ」

趙雲は再び、愛槍たる龍牙を構え直す。

「参る」

言葉と同時に彼女は跳んだ。

「つッ……」

より速さの増した一撃。
その薙ぎを受け止める関雨。ただ先ほどよりも余裕の欠けた表情で。

「けしかけたのは私だが、仕合を受けたからにはしっかりと相手になってもらわねば困る」

まだ行くぞ。
というや否や、趙雲は更に槍の速さを上げていく。
己が槍の間合いに立ち、右から下から上から左から、薙ぎ、払い。
その最中にもう一歩もう半歩踏み込み、ひとつふたつみっつと神速のごとき突きを見舞う。
関雨はまたも、ただ愚直に受けるのみ。だが、ひとつひとつ捌いていく様が少しばかり強張って見える。

「なるほど。これだけしてもまだ届かぬか」

ひたすら攻める趙雲。止まることなく繰り出していた連続攻撃に、彼女の息もさすがに上がり出す。汗も流れる。

「たいした武才だ」

つぶやきながらも、その手が治まることはない。

「だが」

また一歩踏み込む。幾度となく繰り出された突きが、関雨の正中線に沿い襲い掛かる。
ひとつ、ふたつ。身を捻ることで辛うじて凌いだ速く鋭い突き。その二突き目が戻らぬうちに、下から上へと逆袈裟懸けが疾る。

「っ、つ」

初めて見せる表情。だがそれさえ避けてみせた関雨。
まだ終わらない。趙雲が更なる一手。振り上げた直刀槍・龍牙の勢いに乗り身を起こし、そのまま関雨の鳩尾に渾身の蹴り。

「ぐ、は」

辛うじて腕を挟みこんだもののその衝撃は受けきることが出来ず、身中の息を吐き出される。
刹那、関雨の動きが止まる。だがその瞬きほどの間であっても、達人にとっては大きな隙。
身を縮めた相手の傍らで、舞うがごとき趙雲の槍は止まらない。
立つ姿を崩すこともなく、美しい円を描いた槍は関雨の頸を奪うべく頤(おとがい)を解き襲い掛かり。
直前に、動きを止めた。

「……あるのが武才だけならば、さほど怖くもない」

速く、大きな身の運び、槍を手に踊る、舞のごとき武。
その姿は天に挑み舞い上がるかのごとく激しく、美しいもの。まさに、昇り竜のごとし。
趙雲の手にした直刀槍・龍牙が、関雨の首筋に当たった状態で、時が止まる。

この仕合は、趙雲の勝利で幕を閉じた。




趙雲は思う。
これだけの武。生半可なことで得られるものではない。
見通しの通り、彼女の実力は相当なもの。本来ならば、今の自分では敵いはしないだろう。
ならばなぜ、勝つことが出来たのか。
武が錆付いたという言葉も、彼女は煽り文句として使ったに過ぎない。
思うに、関雨の中のなにかが、武を振るう腕を鈍らせているのではないか。
それゆえに、彼女は武を振るうことに迷いを見せている。そう見えたのだ。
もちろん、それがなにかなど趙雲には分からない。
理由は知らぬが彼女は迷っている。いや、持て余しているというべきなのか。

「なにを迷っている」

趙雲は、彼女がその身になにを抱えているのかは分からない。
だが、相応の武才を持つ者ならば、そこにまだ至らぬ者のために毅然としているべきだ。
少なくとも、趙雲はそう考える。
まだそこまで至らぬはずの自分に負けるなど、あってはならないのだから。

「貴殿は。その武において何某かを成し、それで満足してしまったのかもしれん。
だがそれゆえに、なんでも出来ると思い上がっていないか?」

彼女の武才を培った想い。関雨はそれを見失っているのか、それともただ慢心しているだけなのか。
後者ならば、もういい。その程度の武であるなら、今は及ばずともすぐに手を掛けてみせる。事実、勝利を収めているのだから、そこまでの道は容易かろう。
だが前者ならば。

「確かに、武才には秀でているのかもしれん。だが、今の貴殿に背中を預けようとは思わんな」

趙雲は、あえて棘のある言葉で突き放した。



「貴殿がそこまでの武才を積み重ねた想いは、その身からもう尽きているのか?」

趙雲のその言葉に、関雨は思う。
かつて、自分の背を託しかつ自分に背を預けてくれた武将、趙子龍。
自分の知る彼女・星と比べれば、同一人物とはいえ、目の前の彼女はあまりに未熟に見える。
それでも、今、地に足を付いているのは自分であった。
慢心していたつもりはない。手を抜いたつもりもなかったが、身体が萎縮していたのは自分でも分かる。
ならば、何故?

「貴殿は、武を振るう理由とやらに依存し過ぎなのではないか?」

狙ったかのような、趙雲の鋭い言葉が関雨を刺す。

「志が高い者ほど、他を蔑ろにし易いのかも知れぬな。
遠くを見過ぎて、それを見失い、足元がおぼつかなくなったというところか」

ひとつ、苦笑いを浮かべる。少し喋りすぎたな、と。
趙雲はそのまま踵を返し、関雨を気にすることなくその場を離れ、公孫瓉たちの下へと歩み寄った。

その後姿を見送ることなく、関雨は思考の渦へとはまり込む。
自分が、依存している? 足元が見えていない?
いわれてみれば、まさにその通りだった。
北郷一刀と劉備。想いを寄せる主人と、敬愛する義姉。ふたりの側で武を振るうことこそが、これまでの自分のすべてだった。
それがこの過去の世界へと流されたことで、なによりも愛しいふたりを失った。
寄る辺をなくした彼女は、胸のうちにあった確かなものがポッカリと空いてしまったような、虚脱感を得る。

あぁ、そうなのか。

関雨はここでやっと気付く。
自分は、あのふたりがいないから、武を振るう理由が見出せないのだ、と。
だから、劉備に、桃香に会いたいと思ったのだ、と。

この世界にいるであろう劉備は、おそらく関雨の知る劉備とは異なるのだろう。
そしてかつて自分がいた、義姉の隣という場所には、自分とは違う関羽が立っているのだろう。
そう、この世界の北郷一刀が散々指摘していたこと。
そこに自分の、関雨の居場所はないということを。だからこそ、自分の立ち位置を自分で決めろと。
そして、自分がなにをしたいのかを考えろ、と。

"こちらのご主人様"は、気質は同じかもしれないが、随分と人が悪いのではないか?

それでも自分を導こうとしてくれている北郷一刀という存在に、関雨は少しばかり笑みがこぼれる。



静寂。声が出ない。出せない。
長くはない仕合だったが、その内容の質は実に濃いものとなった。

「……いやこれは、凄いものを見たな」
「……趙雲さんが強いのは分かってたつもりだけど、これほどとは」

強いとかのレベルが違う。一刀は心底そう思っていた。
そして、"武"というものに対する認識を改めた。
こんなものを見てしまったら、「多少は武に自信が」などといえない。いえたものじゃない。そう思わずにはいられない。
自分の隣に立つ公孫瓉様でも驚くほどなのだ。今目の前で繰り広げられた攻防は、さぞ凄いものだったのだろう。

「実際のところ、今の仕合はどの程度のものなの?」

これまた隣に立つ華祐に、一刀は小声で尋ねる。

「あれだけの立会いは、そうそう見ることは出来ん。素直に喜んでおけ」

華祐は続けて、関雨についても触れる。

「関雨の武は私よりも上だ。
だが今のあいつは、いろいろと囚われすぎて本領を発揮できていない。
そこを趙雲に突かれてしまい、あの結果となった。
趙雲の武才も、今はまだ未熟ではあるが相当のもの。
でなければ、鈍った関雨だとてそう簡単に勝つことは叶わん」
「悩みは深いのかねぇ」
「なに、周りが見えていない猪なだけだ」

かつての彼女を知る者なら「お前がいうのか」と突っ込むような台詞を口にしたところで。
彼と彼女らのところに趙雲がやってくる。

「伯珪殿」

公孫瓉の前に立ち、彼女は進言する。

「このような結果にはなりましたが、あの者の武は本物です。仕官そのものは私も歓迎いたす。
ですが、一将として立たせるには多少不安がある。ゆえに、私の下に副官として付けていただけないだろうか」

お願いする。
と、自分がいうべきことだけをいい、彼女はその場を離れていった。
少々疲れました、と、呟きつつ。疲れたから食事を振舞えと、片手に一刀の腕を掴みながら。

なにかを喚く一刀が、趙雲と共に城の中へと消えていく。
その場には、公孫瓉と華祐、鳳灯、そして関雨だけが残される。ちなみに呂扶は一刀についていった。




相変わらず、開かれた中庭の中心で蹲る関雨。
彼女に近づくでもなく、残された三人は立ち尽くしていた。

「……なんとなく、愛紗さんの雰囲気が柔らかくなった気がするのは、気のせいでしょうか」
「吹っ切った、というわけではないだろうがな。あやつなりに、腑に落ちたものがあったのだろう。
同じように眉間にシワを寄せていても、暗さが少しばかり取れている気はするな」

鳳灯のつぶやきに、華祐が応える。ふたりの声は少しばかり明るいものだった。

「趙雲殿の進言には、私も賛成です。今の関雨は少々危ういところがある。
あやつ個人の悩みで、兵を危険に晒すことはない。かといって一兵としては使いきれぬ。副官程度の扱いが妥当かと」

華祐は趙雲の進言を支持してみせ、改めて公孫瓉に上申する。

「私にはそうは見えないんだが。でも長く付き合ってる華祐がいうなら、そうなんだろうな。
分かった。そうしよう。
でも本来なら、将としての才も充分なんだろ?」
「それはもちろんです」
「なら精神的に復活してから、本格的に働いてもらうことにするさ」

公孫瓉はそういってまとめてみせ。

「多分、趙雲に引きずられたまま北郷が料理を作らされてるだろうから。
関雨も誘って腹ごなしといこう」

落ち込んでいるのを盛り立てようとしているのか、それとも空気を読んでいないのか。
微妙な誘いをかけ、この場を引き上げるようとするのだった。





「……正直なところ、死ぬかと思いましたぞ」

ひとまず自分秘蔵のメンマを貪りながら、先ほどまでの立会いを一刀に語る趙雲。
張り詰めていた空気はどこへやら。まさに憔悴しきったというような表情を浮かべて見せる。
ここまで素っぽい彼女も珍しい。いや、彼は初めて見たかもしれない。
ちなみに呂扶はなんとか彼女が追い出した。武人には聞かれたくないという、せめてもの矜持だろうか。
とりあえず、メンマ増量を約束させて、いいたいことを全部吐き出させてやろうと考える一刀だった。













・あとがき
「趙雲」と打つ際に、時折「張遼」と打っていた自分が油断なりません。

槇村です。御機嫌如何。




話の流れで趙雲趙雲いっている中で、一箇所二箇所「張遼」が混ざってたりするとか。
終いには頭の中で、関雨の相手をしているのがいつの間にか張遼になっていたり。
いやいやおかしいでしょ。
おかげで名前以外にもところどころ文章変える羽目になったりね。
恐るべし張遼。(明らかに槇村のせいです)


それにしても、戦闘シーンが難しい。
一対一でこれだよ。合戦シーンなんてどうするんだよ。くっ。
……精進します。

あと、愛紗の扱いがひどいと思われるかもしれませんが。
あれですよ、高く飛ぶためには一度大きく屈まないといけないのです。
そんな感じで。はい。



・追記
この話の中で関雨関雨と連呼しているのを誤字だと思われた方もいらっしゃいましたので、補足。
現在作中にいる関羽・鳳統・呂布・華雄は、自ら偽名を名乗っています。

四人が外史の過去世界に跳ばされた。
 → そこには同じ自分がいるはず。
  → じゃあ同じ名前だとまずいよね。
   → 偽名を名乗ることにしよう。

性・字・真名は同じ、名を漢字だけ変えて読みは一緒にした、という設定になっています。
そのうち、関羽同士バッティングするシーンも出します。はい。



[20808] 09:それさえも おそらくは平穏な日々
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2010/09/03 17:04
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

09:それさえも おそらくは平穏な日々





関羽、鳳統、呂布、華雄。彼女たちが外史に跳ばされ、ひとまずそこで生きていくしかないことを理解してしばらく。
四人はそれぞれ、関雨、鳳灯、呂扶、華祐と名を変え、それなりに平穏な日々を過ごしていた。



関雨と華祐は、遼西郡太守・公孫瓉の元に客将として身を寄せた。公孫軍に属する兵たちをビシバシ鍛える毎日である。
もとより公孫軍の兵力は騎馬主体だったこともあり、歩兵となるとその練度にやや不安があった。
そこに現れた、ふたりの英傑。彼女たちの行う訓練は容赦なく厳しいものだったが、着実にその質を上げていった。
ことに、関雨のシゴキ振りは相当なものだった。
彼女は、ある一定の目標を設定した上で、そこに向けてひたすら訓練を重ねる。無理をする。無茶もする。
それでも、へたばる者は出るがなんとか脱落者を出さずに目標を達成させているのだから、いろいろと見極めた上でシゴいているのかもしれない。

反面、同じ訓練であっても、華祐が担当する方が分かりやすいと兵たちには評判だ。
どれだけ丁寧に指導したとしても、関雨は、天武の才でこなしてしまう部分が伝えきれない。兵は理解しきれない。
逆にそれが華祐になるとやや異なる。
彼女は、才能よりも努力によって自分を高めた者である。そのために、ここはこうしろ、と、具体的に噛み砕いて伝えることが出来るのだ。
結果、華祐の方がウケがいい、ということになる。
その事実には関雨も気づいていたし、理解もしている。努めて噛み砕いて伝えようとはするのだが、どうしても通じきらない部分が出ることにもどかしさを感じている。ままならないものだ。

逆にそういった部分を汲み取ることが出来るのであれば、関雨を相手にした方が効率がいい。
意を汲めるほどの実力者。その筆頭が、趙雲だ。
近しいものを持ってはいるものの、彼女と関雨の間には力の差がはっきりと存在している。
彼女もそれは自覚しているのだろう。殊勝なんだか尊大なんだか分からない態度を見せながら、関雨が行う訓練を大人しくこなす。
それが終わると、趙雲は、個別に関雨に挑みかかる。力が及ばないなりに、一手一手工夫をし考えを巡らせながら仕合ってみせる。
趙雲のその様は、必死ではあるものの、どこか楽しげでさえある。なにかを得ているという手応えを感じているのだろう。
同様に、相手をする関雨もまた、趙雲の相手をするときはどこか楽しげだ。
幾ばくかの斬り返しの手は出している。だが、関雨から斬りかかることはなかった。その点は、先だっての仕合と同じである。
だがそうしている動きに、受けきってみせようという意思が感じられた。
いうなれば、余裕。
関雨の見せるその余裕が、趙雲は癪に障って仕方がない。
とはいえ、その余裕はこちらを侮ってのものではないことは感じられたので、気分が悪くなるということはない。
趙雲は胸を借りるつもりで、力の限り強く、速く、槍を振るうのだった。

ちなみに。趙雲は、華祐とも幾度となく仕合っていた。しかし彼女にもまた、一度も勝てないままでいる。
関雨とはまた質の違った強さ。手が届きそうで、届かない。歯痒いことこの上ない。
また呂扶とも仕合っている。一度立ち会ってみただけで分かるその武才に、世の中の広さと、武の世界の奥深さを痛感させられた。
ここまでまったく歯が立たないとなると、却って清々しく感じるほどだった。
しかしこのままでいられるほど、趙雲の性格も大人しいものではない。いずれ追いつき追い抜いてみせる、と、捲土重来を誓うのだった。

このような訓練は、一般兵たちも一堂に会して行われる。趙雲をはじめとした将扱いの者はもちろん、公孫瓉まで一緒に混ざる。
最初に、基礎を固めるための走りこみや体力づくりといった内容をこなす。その後、模擬刀や模擬槍を使っての組み合いや型の展開。そして集団での陣形態などを教え込む。
これまで公孫軍でもやっていなかったわけではない。しかしその質のほどは、いまひとつ突き抜けきれないような物足りなさがあった。
それが関雨と華祐という指導役を得たことで、地味にしかし着実に、その実力が底上げされていく。
公孫瓉は非常にご満悦だった。心身共に疲労する兵たちに関しては、この際目をつぶろうと棚上げされてはいたが。

全体的な訓練を終えた後は、より小規模な陣形での、もしくは個々での鍛錬に入る。より身近に、関雨や華祐に扱かれるということだ。
先にも触れた通り、多くの一般兵に華祐は大人気である。となると自然に、将扱いの者は関雨が相手をすることが多くなってくる。
もとより根がまっすぐで真面目な関雨。
この地の中核を成す人たちが教えを乞うているのだから、しっかりとしなければ。
などと意気込んだりするわけなのだが。変に力が入りすぎることも多々あり。
時折手加減を間違えて、趙雲以外は打たれ過ぎて死屍累々といった事態になったりもする。
趙雲もひとりまだ立っているのをいいことに、
伯珪殿はもう少しもたせることは出来ないのかとか、
関雨殿は仮にも太守殿に対してずいぶんと思い切りますなぁとか、
あれこれイジりながら煽る煽る。
そんなやり取りに発奮したりやせ我慢をしてみたりと、なんやかやで日々中身の濃い鍛錬は続けられている。



鳳灯は陽楽の町をよく出歩くようになった。
はじめこそ、なにか用事の際に一刀について行く程度ではあったが、いつからかひとりで町中を歩く回るようになる。
彼女は考えていた。三国同盟以後の町並みと、今ここの町とはなにが違うのかを。
以前にいた世界を思い出す。
今と同じころにいた町と比べてみると、陽楽という町は賑やかで平穏な、しっかりと統治されている印象を受ける。
それでも、かつてご主人様や自分たちが治めていた町並みには及んでいない、と、鳳灯は考える。
ならば、かつて自分たちが執っていた内政策を適用したらどうなるか。
それはこの陽楽でも通用するのか。
……自分の知が、人を不幸にせずとも役立てることが出来るのか。
彼女は思考を巡らす。

かつて彼女の主たる"北郷一刀"は、すでに知っている知識をこの世界に当て嵌めてみただけだといっていた。
今の鳳灯には、この時代にはない知識と具体策が頭の中に入っている。
つまり、それは"天の知識"に等しいもの。
一刀がいっていたことはこういうことだったのだろう、と彼女は実感していた。
なるほど。知っているからこそ、対処出来るものに対して具体策を立てられる。
避けられるものは避け、抗えるものには抗う。そんなことが出来たのだろう。
自分が同じような境遇になって、かつて主が抱えていたであろう気持ちに、初めて気づく。

それなら、私はどうする? 鳳灯は自問する。
かつてご主人様がしたように、"天の知識"を駆使して、少しでも過ごしやすい世の中を目指すべきではないのか。
そして白蓮、いやさ公孫瓉さんのいう通り、知を振るうのは戦場に限らなくてもいいのではないか。
彼女は思う。
戦を治めるために知恵を絞るのではなく、戦を起こさぬような治世のために知恵を絞ればいいのではないか?
鳳灯は、自らの在り方の、活路を見出し始めていた。

「最近、表情が明るくなってきたね」
「……そう、でしょうか」

"天の知識"について、知っている内容のすり合わせなどを一刀とするようになった鳳灯。
なにを考えているのかまでは分からなかったが、自分からなにか動き出した彼女に対して、彼は喜んでそれに付き合う。
そんな話し合いを何回も重ねているうちに、彼女の表情が随分と明るく柔らかくなって来ていた。
彼女に自覚はなかったが、これまでどこか影を指したような表情を浮かべ続けていた。
彼を始めとして、関雨、呂扶、華祐、事情を知る皆が揃って彼女の心身を心配していたのだが。
最近の鳳灯の様子を見て、ホッと一安心といったところである。

鳳統は、かつて自分たちが行っていた治世・内政策をまとめ上げていた。
それを一刀の"天の知識"と照らし合わせ、今現在実行可能かを突き詰める。いわば勉強会のようなものを重ねている。
もっとも、以前にいた世界ではさほど問題は起きなかったのだ。こちらの世界で同じことことをしたとしても、問題が起こるとは思えない。
それでも、よりよく洗練させようという気持ちが、一刀との勉強会を続けさせている。
そんな鳳灯を見て、一刀は暖かく見守るばかりである。

ある程度の具体案がまとまったところで、彼女は公孫瓉に面会を求めた。
自分の知識と陽楽の現状を合わせ見て、治世案及び内政案をまとめてみたので目を通してみて欲しい、と、上申したのだ。
突然のことにさすがに驚いた公孫瓉だったが、その上申案に目を通すや否や、彼女の表情は太守のそれへと変わる。
ひと通り目を通し終えたと同時に、公孫瓉は内政担当の文官数名をすぐさま呼び出し、鳳灯の上申案を検討させる。
そのままあれよあれよと話は進み、数日のうちに、上申案のいくつかは実行に移されることとなった。
発案者として鳳灯は、文官たちのアドバイザーのような位置に立つことになる。
他の案件に対しても、遼西郡全般に適用するにはどうすればいいか、といったやり取りが城内で重ねられることになり。いつの間にか彼女は、文官の間に指示を出す重要位に立つことを求められるようになる。

相変わらず、話すときは噛み噛みになることが多い。
だが逆にいうなら、勢いで噛んでしまうほどに、伝えたい形にしたいというものが彼女の中に再び沸き起こったのだといえる。
鳳灯の立ち居振る舞いに、これまで差していた陰は見られなくなった。
生きる指針を失っていた鳳灯が、もう一度その知を生かす場を見出した。喜ばしいことに違いない。



呂扶の生活の中で、この世界にやって来て一番変わったことといえばなにか。
それは、食事の量が減ったということだろう。もちろんそれでもものすごい量ではあるのだが。
一刀に保護されたおかげで食と住の不安がなくなった。
自ら戦場に出ることがなくなり、それだけのエネルギーを消費する場をなくした彼女には、必死に力を溜め込む必要がなくなったのだ。
とはいえ、天下無双とまでよばれる武の持ち主だ。そう腐らせておくのももったいない、と、彼女を知る者は思ってしまう。
ゆえに、彼女は城に呼び出され、訓練の相手をさせられることが度々あった。
呂扶としても、身体を動かしたくなるのだろう。
特にその呼び出しに逆らうこともなく訓練に参加し、向かってくる兵や将たちを吹き飛ばしている。もちろん手加減して。
また関雨や華祐、そして趙雲や公孫瓉などを相手に仕合ったりもしている。
やはりというか、呂扶のひとり勝ち状態。趙雲はあっという間に叩きのめされ、公孫瓉もいわずもがな。
関雨、華祐との立会いも、人はどこまで強くなれるのかと思わせるような鬩ぎ合いを見せてくれる。
またそのふたりをまとめて相手に仕合が行われた際は、まさに圧巻。公孫軍の誰も敵わないふたりが掛かっても、呂扶はひとりで凌ぎきってしまうのだから。
その仕合を見た兵たちは、まさに雲上ともいえる武の程をつぶさに見て興奮を隠さない。以降の修練に発破をかけるのに大いに一役買ったという。

ちなみに、一番の成長株は公孫瓉。
始めは剣を構えるだけで吹き飛ばされていたのが、気が付けば五合程度は切り結ぶことができるようになっていた。

また趙雲の提案で、対武将を想定した一般兵の対処法を練習したりしている。
実力の勝る敵武将に対して多対一で囲い込むなどして、無駄死にをしない方法を見出そうというものだ。
その練習相手は、無手の呂扶。例え無手であっても、やはり天下無双。
「ぎゃわー」とか「どわー」とかいう悲鳴と共に、かかって行く兵たちが吹き飛ぶ様は見るも無残ではあったが。

「なに。あれだけの相手に慣れておけば、そんじょそこらの将相手に怯むこともあるまい」

とは、趙雲の言葉。確かに一理ある、とはいえる。

城に出向かないときは、一刀の勤める店でお手伝い。というか、看板娘役。
給仕役らしいことは、そう多くはしない。
ほとんどの時間を、どこかのテーブルに招かれてなにかしら奢ってもらっている状態だった。
人気者だ、といえば確かにその通りなのだが。
なにか違うような気がするも、儲かってるんだから気にしたら負けかもしれないな、と、思い込む一刀だった。
店に顔を出していなければ、周辺の木陰で昼寝をしている可能性大。気侭に日向ぼっこの日々である。
おかげで、呂扶がどこからか呼び込んだ、犬や鳥をはじめとした動物たちが一緒に転寝をしていく。それがまた話題となって、一刀の店に客がやって来て、呂扶の存在に癒されていく。そんな人たちが増えていった。

ある意味、四人の中で一番平穏な時間を満喫しているのかもしれない。
それでも時折、店の屋根の上に登って、なにか考え込んでいるように、どこか遠くを眺めている姿が見られる。
彼女もまた彼女なりに、なにかを感じ、なにかを考えているのだろう。
一刀はそう思っている。



一刀は本来、外史を超えてきた彼女ら四人に対してなんの関係もない男だ。
ただ、行き倒れていた彼女たちを見殺しにするのは気分がよろしくなかった。だから助けた。
事情を聞くと、自分と同じように、こことは違う世界から訳も分からず跳ばされて来たという。だから親身になって話を聞いた。
いってしまえば、それだけなのだ。

一刀は思う。
彼女らから見てみれば、"北郷一刀"という存在は特別なものだった。それは分かる。彼自身も理解は出来た。
じゃあ自分がその"北郷一刀"のように、彼女らと一緒に行動を共にするのか。そう問われれば、答えは否、だ。
なぜなら、俺は彼女らの知る"北郷一刀"じゃないから。これに尽きる。
自分には自分の生活がある。文字通り裸一貫から、曲がりなりにも自分で築いた居場所がある。それを捨ててまで、彼女らに付き合う義理はない。
だから、彼女たちが自分なりに進むべき道を決めたのならば、それを止めない。そしてそれに付いて行き陽楽を離れることもない。少なくとも、今の自分はそう考えている。
そもそも、彼女らは歴史に名を残す英雄たちなのだ。自分ごときなど足手まといにしかなるまい。
そう考えることに、なんらためらいはない。かつていた世界でも、この世界でも、自分はただの民草のひとりなのだから。
こうして知り合ったこともなにかの縁なのだろう。自分ごときでなにか役に立つのであれば、出来る範囲で働いてみせる気概はある。
だが、一刀は彼女らの保護者になるつもりはない。自分には自分の、進むと決めた道があるから。

確かに、この世界は荒れている。もうすぐ乱世と呼ばれる時代がやってくるだろう。
泣いて過ごすよりは、笑って過ごせた方がいい。
将来を笑顔で過ごすために、今を泣いて過ごす必要が出て来るのかもしれない。
だけど自分は、今、笑顔になることを望む。
この世界で一刀が選んだ手段は、料理。この三年間で、陽楽の町に少なからぬ笑顔を生んできた自負がある。
例え小さいといわれても、それは自分が出来る範囲で選んだ道。自分の選んだ道は、否定させない。
最近では太守である公孫瓉とも知己を得て、城勤めの料理人との交流も増えた。自分の選んだ道が、少しずつ広がって来ている。
一刀は少なからず、そう実感していた。



武に秀でた者、そして知に秀でた者の働きかけが、少しずつ少しずつ実を結んでいく。
そんな毎日の積み重ねによって、公孫瓉の治める遼西郡は、軍部においても内政においても、質の高い充実したものを保持するようになる。
まさに、平穏な日々。だれもが、このまま穏やかに時が過ぎればいいと思っていた。
だが世の中の流れはそれを許そうとはしなかった。
遼西郡に限っていえば、さほど目立った諍いは起きていない。
だがそれ以外の地域となると、必ずしもそうとは限らない。
商人たちの行き来に伴い、他地方の動向に関する情報も陽楽に流れてくる。実感は沸かないが、民草が徒党を組み方々で狼藉を働いているという。
後に、黄巾党と名乗る集団。その規模は非常に大きく、数千数万にも及ぶものが各地で頻発しているらしい。
その黄巾党を鎮圧するべく立ち上がったひとつの義勇軍が、あるとき、陽楽の町を訪れた。
義勇軍を取りまとめる長が、遼西郡太守・公孫瓉に面会を求める。
その長の名を、劉玄徳。
ここではない世界で関雨と鳳灯が仕えた、かの劉備その人であった。













・あとがき
まだまだ(地味に)行くよー?

槇村です。御機嫌如何。




すこし間が空きました。
しばらくネットが出来ない状況にいたりしたのですが、やっとこさ続きをでっち上げましたよ。
で、その内容は相変わらず地味。これはもうどうしようもないね。えぇ。
さてさて。次回、劉備さんご一行登場。愛紗と雛里がこの世界の自分とご対面です。

続き、どうすっかなぁ。
震えて待て。



[20808] 10:劉備来たる
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2010/09/07 21:18
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

10:劉備来たる





「白蓮ちゃん久しぶりー!」
「おー! 久しぶりだな、桃香」

時間にして三年ぶりとなる、友との再会。挨拶もそこそこに、互いに手を取り合う劉備と公孫瓉だったのだが。

「愛紗ちゃん?」
「関雨?」

互いの後ろに控える人物を見て、なによりも先にその名前が出て来る。誰何する口調のままに。

「え? なんで愛紗ちゃんがもうひとりいるの?」
「すごいそっくりなのだ。愛紗なのに、愛紗じゃないのかー?」
「はわわ、瓜二つでしゅ!」
「あわわ、びっくりでしゅ!」

思いもよらぬサプライズに、劉備一行は大騒ぎ。
それはもちろん、劉備の後ろに控えていた関羽当人にとっても予期せぬ出来事。
自分と瓜二つの人物が目の前に現れたのだから、慌てるのも当たり前だ。

「貴様何者だ! 妖の類か!」

などと、今にも飛び掛らんというくらいに身構えてみせる。その性格ゆえに、すわ一大事と、思い込んだら一直線なのだろう。
ちなみに彼女たちの武器は、城の中に通された時点で預かられている。いきなり切りかかるということはない。
もっとも彼女の勢いから察するに、武器を持っていれば切りかかっていたかもしれないが。
いや。僅かに腰が引けて見えたのは、実は少し怖がっていたのかもしれない。

反面、関雨の方は、かつての自分の姿を見ても平静でいられた。
もうひとりの自分の存在をいい含められていたから、というのもある。一刀さまさまだ。
とはいえ、理屈としては理解できても、やはり実際に目の当たりにしてみると。やはり驚かずにはいられない。
過去の自分と対面するなど、普通なら思いもよらないことなのだから。
それと同時に彼女は思い知らされる。この世界に、自分の居場所は本当にないのだということを。
その事実がことさら、関雨を冷静にさせていた。

「確かにここまで瓜二つだと、妖かと思いもするな。その気持ちはよく分かる」

ゆえに、関雨は落ち着いた声を返してみせる。

「しかし、身を寄せ頼った先の太守の前で、その方に仕える者に掴みかかろうとするのはいかがだろうか。
自分の仕える主の名を貶めることになるとは思わないのか?」
「ふむ。確かに関雨殿のおっしゃるとおりですな」

関雨の言葉を受けて、趙雲が話の続きを引き受ける。

「関雨殿。本当に貴殿は妖や化生の類ではないのか?」
「生まれてこの方、この姿のままだ」
「では、生まれてこの方ずっと化生として生きて来たとか」
「私は人間だ」

引き受けたはいいが、返してくる言葉は面白半分に茶化したもの。
関雨も律儀に言葉を返すものだから、趙雲もまた調子に乗って来る。

「おい趙雲、そのくらいにしとけ。話が進まないだろ」
「おお、これは失礼を。ついつい、いつものように関雨殿をイジってしまいました」

そんなやりとりがあり。互いに満足な自己紹介もしないうちから、関雨と関羽の名前と顔だけは周知となる。

「お姉ちゃん、顔だけじゃなくて名前も愛紗といっしょなのかー?」
「どうやらそのようだ。君の口にした名前が彼女の真名ならば、真名まで同じということになる」

張飛の言葉に、関雨がサラリと答えてみせる。
さり気ない応対だったが、関羽を始め劉備一行はもちろん、公孫瓉や趙雲まで、その彼女の言葉に驚かされた。
関雨にしてみれば既に分かりきっていたこと。なにしろ当の本人。同じで当然なのだから。
更にいえば、当人ではないとはいえ顔も名前もよく知った面々なのだから、真名を知られることにも抵抗がない。

「世の中には少なくとも三人、自分と同じ姿かたちをした者がいると聞いたことがある。
そのほとんどは互いに顔を合わせることもなく生涯を終えるらしいが……。
こうして自分と同じ顔を目の当たりにすると、その話もまんざら戯言とはいい切れないようだな」

関雨はそういい、同じ顔同じ姿、同じ名を持つ存在を肯定してみせた。
ちなみにこの言い訳を彼女に吹き込んだのは一刀である。
自分のいた世界ではこんないわれ方がある、と、当人同士が顔を合わせたときのために用意しておいたのだ。

「名前や姿が同じでも、逆にいえばそれだけだろう。私がこれまで辿って来た道まで、関羽殿と同じではあるまい。
私は私。関羽殿は関羽殿。それでいいのではないか?
いかがか、関羽殿」
「ふん、当たり前だ」
「関雨殿の言葉に、関羽殿がソッポを向く、か。言葉にすると実に紛らわしいですな」
「趙雲、お願いだからお前もう黙れ」

趙雲は、本当に楽しそうな笑みを浮かべていた。公孫瓉のいうところの、"近づくと精神的に怪我をする"笑顔を。
紛らわしいのは事実だったが、ややこしくしているしている当人が楽しそうにいう。それを公孫瓉がうんざりした顔で諌める。

「趙雲殿の戯言は捨て置くとして、だ」

関雨は、そんな趙雲の悪乗りを華麗にスルーして見せて、

「我が名は、関雨。関(せき)に雨(あめ)、で、関雨という。よろしく頼む」

早々に自己紹介。

「姓は関、名は羽、字は雲長。関(せき)に羽(はね)で、関羽だ」

まだなにか気に入らないような、威嚇するかのような視線を向けつつ、関羽もまた名を名乗る。
そのまま他の面子の紹介を、というところで。関雨がしばし考える。

「公孫瓉殿。彼女も紹介しておいた方がよろしいのでは」
「……あー、そうだな。あとあと混乱するかもしれないしな」
「それならば、私が連れて来ましょう」
「頼む、関雨」

王座の間から出て行く関雨の背中を見送りながら、劉備が首をかしげる。

「まだ紹介する人がいるの? 白蓮ちゃん」
「あぁ。もうひとり、その青い帽子の彼女にそっくりな者がいる。一緒に紹介しておいた方がいいだろう?」

その言葉に、何度目か分からない驚きの表情を、劉備一行は浮かべるのだった。



「鳳灯、といいます。鳳(おおとり)に灯(ともしび)で、鳳灯、です。公孫瓉様の下で内政に携わっています」

鳳灯が名乗り、一礼する。
そんな彼女の姿に、劉備一行はまたも興奮を見せる。ことに、はわわ軍師とあわわ軍師のふたりが著しい。

「本当に雛里ちゃんにそっくりだよ!」
「自分のそっくりさんだなんて、なんだか変な気分です……」

互いの手を取り合って、まるで有名人を目の前にしたかのような盛り上がりをみせる。
まるきり見世物状態の鳳灯は、やはりかつての自分と比べて冷静な状態でいられた。

関雨と同じく、彼女もまた心中は複雑だった。
本当に、自分は違う世界に来てしまったのだな、という、新たな諦めの気持ち。
自分の傍に親友の朱里がいないことに、改めて感じてしまう寂しさ。
目の前にいる過去の自分に対する、わずかなうらやましさも。

かつて主と仰いだ桃香、劉備を目の前にして、自分はどんな気持ちになるのだろうと、鳳灯は考えていた。
実際に対面してみて、懐かしいとは思う。けれど、それだけだった。
改めて主と仰いでどうこう、と、考えもした。
しかし、自分が今の劉備勢に参加しても居場所がないだろう、そう認識しただけだった。彼女たちを目の前にして、その思いを新たにする。
こちらの世界の劉備さんは、こちらの自分に任せよう。
彼女は、そう決めた。



改めて、劉備が主だった仲間を紹介する。
武将のふたり、関雲長と張益徳。軍師のふたり、諸葛孔明と鳳士元。
彼女たちがいかに頼れる仲間なのか、劉備は熱い口調をもって説く。そして彼女たちの武勇も披露していく。

劉備曰く。
自分の村が賊に襲われ、それを追い払う際に関羽と張飛に出会った。
義姉妹の契りを交わし、民が笑顔で過ごせる世の中を目指して義勇軍を結成。
各地を放浪している間に、諸葛亮と鳳統を得た。
軍師ふたりの意見を取り入れつつ、賊の規模を考えながら確実に鎮圧を続け、各地を転戦していたという。
事実、拠点を持たない数百の勢力ながら、劉備たち義勇軍の名はそれなりに名の通ったものになっていた。

「おいおい、桃香ほどのやつがずっと放浪? 慮植先生のところを卒業してからどこにも仕えずに?」
「うん、そうだよ」
「桃香だったら、どこかの県の尉くらいは簡単になれただろうに」
「でも、それはイヤだったの」

確かにその道も劉備は考えた。
しかし、それでは思うように動くことが出来ない。
どこかの県に所属したとしても、助けることが出来るのはその周辺の人たちだけになってしまう。
なら他の地域で困っている人たちはどうすればいいのか。
自分がどこにも所属しないで、助けを求めているところに直接行ける自由な立場でいればいいのではないか。

「私は、みんなが笑って過ごせるような、そんな平和な世の中になって欲しいの」

そのためなら、地位なんて欲しいとは思わない、と、彼女はいう。
大きく手を広げ、なんの迷いもなく、ただ理想のみを一心に追い求めるまぶしさをもって。



桃香様の掲げる理想像は、世界は違えど相変わらずまぶしい。関雨は心からそう思った。
しかし今の関雨の中には、かつての自分が感じていた胸の高鳴りが生じない。自分でも驚くほどに。

良くいえば、劉備は純粋なのだ。
まるで子供のようなまっすぐさをもって、欲しいものに向けて手を伸ばす。その気性はとても好ましい。
だが反面、その理想に対する具体的なものが見えないために、彼女の言葉は子供の駄々に聞こえなくもない。
なにかが違う。今の関雨は、うまく言葉に出来ない違和感を感じていた。

良くも悪くも、今の関雨は現実の姿を知っている。悔しいが、出来ることと出来ないことがあることを、身をもって体感している。
その事実を鑑みると。公孫瓉の手堅い治世の方が地に足が付いている。着実に民を救っている。彼女はそう思わずにはいられない。
自分の持つ力の程を弁え、それの及ぶ限りで全力を尽くしている。少しでも民の生活がよくなるように努力している。
そんな人たちの前で、己が理想を唱えるのは不遜なことなのではないだろうか。
ふと、そんな疑念が沸き起こった。

関雨たちは、かつて同じ理想を追い求めて戦い続けた。
その理想が実現する、もうすぐ手が届く、そんなところで、取り上げられた。
彼女たちは一度、理想に裏切られている。
劉備の掲げる理想の後を追うのが、怖いのだろうか。同じ道をもう一度歩むことに、躊躇せずにはいられない。



公孫瓉と劉備たちの会話が盛り上がっているのを傍目に。関雨と鳳灯は小さく囁き合う。

「どうですか、愛紗さん。こちらの世界の劉備勢は」
「……いろいろ思うところはあるが、今の自分が直接関わることはない、と思ったな」
「劉備さんについて行くことはない、と?」
「あぁ。あの中に、私の居場所はない」

雛里も、そう思ったんじゃないのか? 傍らに立つ仲間に問いかける関雨。
鳳灯は、自分と同じ気持ちを持っていた仲間に、ついつい笑みを浮かべてしまう。
同様に、過去を懐かしむかのような、感傷的な気持ちにもなってしまう。
あの、理想に向けて愚直なほどの姿勢であるからこそ、劉備は大陸に名を馳せる存在になりえたんだろうと思う。
この世界の彼女も、かの世界の桃香のようになるかもしれない。
だが。そのどちらでも自分たちは、劉備の傍らに立つことはない。立つことが出来ない。

「我々が関わらずとも、経験をつんで行くうちに自分たち程度までは成長するのだろう? 同じ自分なのだから」
「……それは、どうでしょうか」

鳳灯の言葉に、関雨はなにか引っかかるものを感じる。

「どういうことだ?」
「私たちと同じ道を辿るかというと、そうともいいきれません。
この世界の劉備さんには、"ご主人様"がいませんから」

以前にいた世界において、関雨たちの行動の指針となっていたのは、桃香の理想。
だがそれに沿った行動の舵を執っていたのは、ご主人様こと北郷一刀だった。
その舵取り役が、この世界の劉備勢にはいない。
抑えるべきところで抑え、諌めるべきところを諌める、そして押すべきところで押す、そんな支柱となる存在がいないのだ。
その時点で、かつての関雨たちとはかなり異なる。

「なるほど。この世界でいうなら、私と、軍師ふたりがその役目を担うのだろうか」

その場面を想像してみる。だが、この当時の自分にそんなことが出来るかどうか。
過去の自分を卑下するようだが、正直なところ不安が残る。

「今の面子では、そうなりますね。ただ皆さん、劉備さんには甘いですから」

かつての自分たちを思い出し、鳳灯は笑みを浮かべる。
関雨もまた、違いない、と、自嘲気味に笑う。

「それでも、助けてやろうという気持ちが意外なほど出てこないのは、どういうことだろうな」
「"自分"のことだから、じゃないですか?」
「……自分のことは、自分で決めろ、ということか?」
「はい」

これも、老婆心っていうものなんでしょうか。そういって、鳳灯が笑う。

「ならば私たちも、これからのことは自分で決めて行かないとな」
「そうですね」

結局、自分たちは劉備勢の下に行くことはなく。
その上で、これからどうするのか、どう生きて行くのかを決めて行かなければならない。

といってもなんのことはない。一刀が散々口にしていた通りにするしかないのだ。



世界が変わっても自分たちは、一刀に行く先の舵を取ってもらっている。そう実感してしまう。
まったくいくら感謝してもし足りない、と、彼女らは思わずにはいられなかった。













・あとがき
「関(せき)に雨(あめ)で関雨」って自己紹介は、中国じゃ無理ないかな?

槇村です。御機嫌如何。




音読み訓読みの区別ってないはずだよなぁ。
まぁいいか。(いいのか?)

さて。関雨と関羽、鳳灯と鳳統の出会いです。
といっても、まったくドラマチックじゃありませんが。これといった騒動もありません。
関雨さんも鳳灯さんも、クールに対応します。年の功ってやつですかね。(悪気はありませんよ?)

馴れ合いをさせるつもりはなかったし、
「俺は劉備にはついていかねぇ」ってのがいいたかっただけなんだけど。
なにか物足りない気がするのは気のせいだろうか。



[20808] 11:世界は終わってなかった
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2010/09/09 21:26
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

11:世界は終わってなかった





「つまり、当面の路銀が底を尽きそうだから主の知り合いを頼ろうぜ、ってことなわけだ」
「平たくいってしまえば、そういうことですね」

どの地域に属することもなく、放浪する義勇軍として転戦を続けていた劉備一行。
行動の自由さを売りにしているはずの彼女たちが、遼西郡に入り公孫瓉を頼って来たのはなぜか。

もともと遼西郡には争いごとそのものは少ない。だがまったくないかといえば、そういうわけでもない。
治める太守・公孫瓉が商人を優遇する傾向から、遼西郡はよく栄えている。
その繁栄にあやかろうと、商人だけではなく、盗賊の類までが寄ってくる。公孫瓉にとっても、これは悩みの種だった。
もちろんこれまでも、そういった賊の類に対する対処はしていた。ことに最近は、鳳灯が提案した警備案によって周辺防備が充実している。
それでもやはり、労せず利を掠め取ろうとする輩は絶えることがない。つい先だっても、華祐を筆頭として盗賊の征伐に出向いたばかりである。
また同時に北方の烏丸の動向にも気を配り、防衛に努めなければならない。周囲の脅威というのは、数限りないというのが現状だ。
諍いが起こっていないといっても、起こりうる火種は無数にある。それらに対する備えを怠らないからこそ、平穏を得ることが出来ているといっていい。

そんな遼西郡の事情と、盗賊の征伐に出ていた公孫軍の噂を聞きつけた劉備。
豊かな地域であるがゆえに、賊に狙われる頻度は高い。噂に聞いた出征も、一度や二度ではないらしい。
友人が困っている、ならば自分たちの力が助けにならないだろうか。彼女はそう考えた。

彼女自身は、純粋な好意から手を貸そうとしていた。
だが劉備を支えるふたりの軍師は、そんな好意ばかりでは動かない。名と実、その両方を欲する。乱世に生きる者としては当然の考えだ。
劉備の率いる義勇軍は、拠点を持たない流浪の軍隊である。
兵の数は数百と、決して多いとはいい切れない。だがそれほどの勢力であっても、維持していくには元手がかかる。
戦えば腹が減る。喉も渇く。例え戦わずとも、移動するだけで食料も水も減って行く。消費したそれらを手に入れるには金が必要だ。
これまでの彼女たちは、転戦してきた各地方の有力者が寄せる好意に頼って、金や食料、飲み水などを補ってきた。
そろそろ蓄えが危なくなってくると、賊の集団が暴れている噂を聞きつける。それを鎮圧することで、新たな糧食を得る。その繰り返し。
幸か不幸か、彼女たちはそれでなんとかやっていけた。
幸運なのは、そんな彼女たちの行動が感謝され笑顔を生んだこと。
不幸なのは、民の不幸を求めることで自分たちの糊口をしのいでいる事実である。
その事実を、彼女たちがどれくらい理解しているのかは分からない。
だが今回もまた、義勇軍を維持するための戦場を見つけ出すことが出来た。
様々な蓄えが危うくなってきたところで、義勇軍は遼西郡付近を通りがかった。
この地を治めるのは、かつて共に学んだ友人だ。賊の討伐に出征しているという噂も聞いた。困っているなら助けたい。
そんな劉備の提案に、軍師たちは現実的な思惑を載せて、公孫瓉の下を訪れたのだった。



劉備一行との対面を果たしたその日の夜。
関雨、鳳灯、呂扶、華祐の四人は、一刀に晩御飯をご馳走になっていた。
献立の主役は、麻婆豆腐の試作品。一刀渾身の作である。
三国志のこの時代、麻婆の元となるものはあっても、豆腐がない。
大豆はあるんだから、豆腐を作ることが出来れば料理のバリエーションが増えるじゃないか、と思い続けて幾星霜。
関連資料の流し読み程度の知識を振り絞りつつ、あれこれと作り方を試行錯誤し続けた末にそれらしいものを形にすることに成功。
さらに調整と試作を繰り返した末に、他人に出してもいいんじゃないかというモノを作ることが出来た。
そんな経緯を経て、麻婆豆腐の初試食と相成ったわけである。
味に対する、彼女たちの反応は上々。少しばかり辛味が強かったようだが、柔らかい豆腐の感触に不思議がるやら驚くやら。
特に関雨と華祐は、炊いた米と合わせて食べる味の広がりが大層気に入ったようだ。
呂扶はいわずもがな。落ち着けと思わずいいたくなるほどの勢いで掻き込んでいく。
鳳灯がひとりだけ、思わぬ辛さに舌を刺され「ひゃわわー」と悶えていた。その刺激が引いた後は、辛い暑い辛い暑いと繰り返しながらレンゲを動かし続けている。
彼女らの食べっぷりを見て、これはイケる、と。一刀は新メニューの誕生にひとりガッツポーズを取るのだった。
ちなみに次なる野望は味噌。絶賛試行錯誤中である。



さて。
食事を終えて、少しばかりの酒を振舞う。一息ついた後には、あれこれと会話が交わされた。
その内容は、とうとう出会ったこの世界の自分たちについて。
関雨と関羽、鳳灯と鳳統、それぞれの話。そして劉備たちが公孫瓉の下にやってきた理由にも話は及んだ。
そんな中で交わされたのが、冒頭の内容である。

「確かに、兵たちの食事を確保することは重要だ。流浪の身となると、その苦労もさぞ大きいだろうな」
「華祐さんは、ずっと月さんのところにいたんですよね」
「あぁ。部下を率いていたのは、月様の下で武を振るっていたときだけだ。
汜水関で関雨に敗れた後も、一時は部下を連れていたが、結局は身ひとつになっていたがな」

私のしていたことは、部下を養うというよりもひたすら鍛えていただけだ。華祐はそんなことを応える。
らしいといえばらしい、そんな彼女の言葉についつい笑ってしまう。

「部下を養うという意味では、あぁ見えて恋の方が、私などよりよっぽど優れていたぞ。
あの面倒見のよさが、言葉は少なくとも意が通じる一団を作ったのだろうな」
「確かに。恋直属の兵たちの以心伝心は、真似しようと思っても出来るものではなかったな」
「恋が中央で相手を蹴散らし、その周囲を兵たちが補うことで討ち漏らしをなくす。
芸がないといわれるかもしれないが、恋ほどの武になると、あれこれ工夫を凝らすのは却って無意味に感じるな」
「本当にそうです」

関雨と鳳灯は、心の底から同意する。
華祐のいった通り、策を弄しても力技で強引に突き破ってくる。かつて呂扶を相手にしたことがあるふたりには、その怖さが充分に理解出来た。
思わず呂扶の方に顔を向けてしまう。麻婆豆腐を平らげ、今度は肉まんを頬張っている彼女。今のその姿からは、かつて反董卓連合を相手に暴れまわった天下無双の面影はまったく見られない。三人の視線を受けても、なんのことか分からずに、呂扶はただ首を傾げるばかりである。

「それはいいとしてさ。これまではなんとか劉備たちも遣り繰りしてこれたんだろ? どうして公孫瓉様を頼ってきたんだ?」
「一番の理由は単純に、蓄えがなくなって頼るところがなくなったから、ですね」

これまで劉備らの義勇軍は、遼西郡周辺で活動をしたことがなかった。
理由は簡単。彼女らが出向くような諍いは、それよりも前に公孫軍が対処していたからだ。
ゆえに、この地域周辺で彼女らが頼るような有力者が存在しない。補給を担う拠点を作れないため、更に足が遠くなっていった。
ところがここ最近は、盗賊が跋扈する数がかなり増えている。これまでは自前の軍勢ですべて対処し切れていたものが、手に余るようになってきた。
そんな噂を聞きつけて、劉備一行はやってきた。だが拠点とする場所がない。今からこれまでに頼ったことのある地方に身を寄せようとすれば、到着するまで蓄えが足りるかどうか。不安を覚えたのだろう。

「糧食という"実"もそうですが、義勇軍の"名"を上げるためにも有効だと考えたんでしょう」

鳳灯は流れるように言葉を連ねる。

「確かに、劉備さんの義勇軍もそれなりに知られている存在です。
ですがその以上に、遼西郡における諍いの少なさは、他地域によく知られています」
「それだけ公孫瓉様の治世の良さが知られている、ってことだよね」
「はい」
「そんな平穏な地域に出入りする、現在売り出し中の義勇軍。
……地域の平穏は、義勇軍によってなされていると思われちゃう?」
「その可能性は、大いにありますね」
「嫌な感じだな」

一刀の素直な感想に、鳳灯は、くすり、と、笑みをこぼす。

「もっとも、劉備さんはそんなことまで考えてはいないと思いますけれど」
「純粋に、友人の手助けに来たつもりなんだな」
「おそらくは」

一刀の言葉に、かつての軍師はうなずく。

「ただ軍師のふたりは、そういった風評による自分たちの損得まで、ある程度は考えていると思うんです」
「自分だったらそうするから?」
「はい」

少なくとも、公孫軍の盗賊討伐に実際に参加することによって、遼西郡の平穏にひと役買っているという印象を与えることは出来る。
彼女たちにとって、損になることはなにもない。

「なんだかそう考えると、公孫瓉様がいいように利用されているみたいで腹が立つな。苦労して治めているのに」
「すみません」
「……どうして鳳灯が謝るのさ」
「一度、自分が取った行動ですから」
「……あぁそうか。なるほど」

確かに、この行動を練り上げた片割れは、鳳統。目の前にいる彼女の、過去の姿なのだ。

「言い訳にしかなりませんが、あのときは自分たちのことだけで必死でした。
桃香様には申し訳ないと思いつつも、充分に利用させてもらおうと思っていましたから」

白蓮さんも、ある程度は承知の上だったと思いますけれど。
そういいながら鳳灯は、かつて自分の取った行動をなぞる鳳統と諸葛亮のことを考える。
改めて外側から自分の行動を見ると、いろいろ考えさせられる。鳳灯はつくづくそう思った。



過去の自分の姿を見て、いろいろ思うところがあるのは鳳灯ばかりではない。

「なんといいますか、かつての自分の姿を見るというのは、かなり辛いものがありますね」
「そうなの?」
「はい……」
「なに、若気の至りってやつ?」
「……はい」

公孫瓉を始め、これから世話になる面々を前にして、胸を張っての自己紹介。関雨はその場面を思い出す。

「桃香様の第一の矛にして幽州の青龍刀、と」
「自己紹介でそういったの?」
「はい……」
「外側から自分の言動を見てみたら、随分大きなこといってんなオイ、みたいな感じ?」
「その、通りです」

的確な、あまりに的確な一刀の突っ込みに、関雨は口元を噛み締める。顔を赤くしながらソッポを向いて。

「若さ、なのかね。経験の量という意味で」
「正直にいえば、ものすごく恥ずかしいです」

顔には出さなかった、あのときの自分を褒めてあげたい。彼女はそこまでいい放つ。

「でもそういえるくらいの実力はあるんでしょ? ねぇ鳳灯。関羽以上に、幽州関連で名高い人っていたっけ?」
「いない、と思いますよ?」
「おまけに青龍刀に限定していますから。一概に間違いだとはいえないのですが、それでもやはり」

愛紗さんが一番ですよ、という慰めなのか止めなのか分からない鳳灯の言葉を受けつつも、関雨は気持ちを落ち着かせる。
だがやはりそんな二つ名を口にしてしまうこと自体が、今の彼女の目には恥ずかしく映ったのだ。
かつての自分の姿を脳裏に映し出し、関雨は頭を抱えひたすら悶えている。

「でも趙雲さんも、自分のことを昇り龍とかいってるよ?」
「アレはそういったことも楽しんでいるんです」
「あー、楽しんでそうだなぁあの人」
「その言葉に相当する力を持っているのが、また性質が悪いのです」
「敢えて口にして、ハクをつけているようなもんなのかな」
「そういうところもあるでしょう」
「でも関羽は、それを真面目にいっていた、と」
「うぅ……」

赤い顔はそのままに、関雨が沈み込む。

「まぁ、正論でも実際に口にすると恥ずかしい言葉、ってのはあるよなぁ」
「あの、自分から持ち出しておいてなんなのですが、この話題はもうやめませんか?」

お願いだから。
酔いも回って来ているのかもしれない。関雨が半分涙目で頭を下げるという、想像しづらい姿を最後にこの話題は終了となった。



「それにしても。想像はしていたが、相当に変な気持ちだぞ?」
「なにが?」
「自分と同じ人間がもうひとりいる、ということだ」

劉備たちと公孫瓉が顔を合わせた際には、華祐もまた立ち会っていた。自分の名も名乗っている。
自分ではないが、仲間と同じ人物が目の前に立つ。経験の分だけ若さは感じたが、姿かたち名前まですべて一緒なのだ。奇妙なことこの上ない。

「関羽と鳳統がいたのだ。だとしたらやはり、私と恋もいるのだろうな」
「多分、いると思うよ?」
「私も、過去の自分を見ると恥ずかしくなるのだろうか」
「……華祐、頼むからその話題は」

つぶやく華祐。その言葉を拾う一刀。なんとか話を終わらせようとする関雨。
何気ないその一言一言が、酔いも手伝ってだんだん妙な方向に膨らんで行く。

「だが、華祐がふたりか。といっても、共に猪武将では怖くもなんともないな」
「……愛紗。あれだけ沈み込んでいた奴が随分と吠えるものだな」
「ふん、事実なのだから仕方あるまい?」
「猪なのは貴様の方ではないのか? おまけに過去の関羽は、貴様を化生かなにかと腰が引けていたようだが。猪の方がマシかもしれんな」
「くっ、いわせておけば」
「華祐さんと、恋さんがふたり……」

剣呑な雰囲気で睨み合うふたりを放置したまま、鳳灯がなにかを思いついたかのようにつぶやく。

「あわ……。敵側に恋さんがふたりなんて、軍師からしてみれば絶対に相手にしたくないです」
「……さすがに私もそれは太刀打ちできん」
「……悔しいが、勝てる気がしないな」

天下無双×2。想像を巡らした三人は身を震わせる。
もし戦場で出会ったなら、なにも考えずに撤退をすべきだろう。どれだけ将兵が削られるか、分かったものじゃない。
戦々恐々、くわばらくわばら。などと漏らしたところで。

「……恋、いらない?」

微かに聞こえたその声に、関雨、鳳灯、華祐の動きが止まる。
見れば、そこには哀しそうな表情を浮かべる呂扶。
ズザァッッ!! という幻聴。そして幻痛。どんな戟や槍よりも鋭いものが、三人の胸に突き刺さった。

「あわっ! 恋しゃん決してそんにゃ意味では!」
「いや違うぞ恋! お前が悪いわけじゃない、戦場に立つものとしてその実力の差というものをだな!!」
「それは思い違いだ恋! 確かにお前の武は脅威かもしれないがお前の気質そのものがどうこうとは!!」

「俺は、恋のことが大好きだぞぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

慌てふためく三人。哀しそうな顔をする呂扶に胸ときめき、思わず抱きつく一刀。力いっぱい頭を撫でまくる彼にされるがままの呂扶。
いつの間にか大騒ぎ。気づけば相当量の酒が目減りしている。
どいつもこいつも酔っ払っていた。

それでも。
彼と彼女たちは皆、笑顔を浮かべている。



自分のことを曝け出せない。本当のことを口に出せない。他人には到底信じてもらえないものを抱えている、彼女たち。
心から、真名と真名に等しい名を呼び合える。気兼ねなく、気になることを口に出来る。
そんな仲間が傍にいるからこそ、救われているのかもしれない。
そしてなにより、北郷一刀という存在。
理由も分からないまま外史という異世界に跳ばされ、かつていた世界に存在から否定された自分たちを、理解し認め肯定してくれた。
それがどれだけ、彼女たちの救いになっていることか。

それは、彼にとっても同じことがいえた。
一刀がこの世界に落ちてきて、三年。
誰に対しても日々真摯ではいたが、心を通わせ誰かと同じ時を過ごす、ということに無縁のままだった。
独りでいることが当然だった。
だが今の彼は、彼女たちのおかげで、誰かが傍にいるという感覚を思い出していた。

この世界において、彼が誰かと心から笑いあったのは、この夜が初めてだったかもしれない。












・あとがき
地味で動きがないのは承知の上だぜ!

槇村です。御機嫌如何。




開き直りはよくないよね。うん、よくない。



異世界から跳んできた、という荒唐無稽な事情。
そんなものを抱えているがゆえに、他の人たちとどこか一線を引かざるを得ない彼と彼女たち。
相通じる境遇であるがゆえに互いを察することが出来る、知らず知らず素の自分で接することが出来る仲間。そのやり取り。
今回は、そんなものを書いておきたかった。思惑通りいったかは別にして。

四人を動かすために、どうしても彼女たちの素地を固めておきたかったのです。間延びした感じがするのはそのためかと。
でもこれからです、これからですよ奥さん。(誰だ)

ちなみに、槇村の中でこの話の主役は一刀じゃありません。
一刀にはぜひとも名脇役になっていただきたい。目指すは、得点王よりアシスト王。(?)

でも、此処まで間延びするとは思わなかった。
おかしいな。黄巾の乱さえまだなんだぜ?



[20808] 12:理想と実利 狭間の思惑
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2010/09/12 12:03
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

12:理想と実利 狭間の思惑





劉備たち義勇軍が、公孫軍の下に参入した。彼女たちはしばらく、遼西郡陽楽を拠点として活動することになる。
公孫瓉としても、力のある者が増えることは渡りに船。現状では人手が多くて困ることはない。

実際に公孫瓉が治めている地域は、なにかの際には公孫軍が出張ってみせる。または各地域に自警団を結成させ、防衛策を指南する。
そこがいい具合に収まってくると、そこよりももう一回り外側で騒動が起こる。またそこにも出向いて行き、鎮圧した後に防衛策を取る。
問題に対して着実に対処して行く、そんな公孫瓉の治世は一帯で噂になっていた。

当面の脅威を凌いだ村の噂を、もう少し遠い村が聞く。そこにまた匪賊の類が出没する。
公孫軍がやって来て匪賊を鎮圧し、あの噂は本当だったんだと村人が感謝する。
それがまた噂になり、もう少し遠い村がそれを聞きつける……。

それを繰り返されていくうちに、公孫軍の評判と、遼西郡の治まり具合が、外へ外へと伝わって行く。
風評は根付いて行き、公孫瓉様に守ってもらいたい、といった村や集落が増えて行った。

公孫瓉としても、そういって慕ってくれるのは嬉しいことなのだが。実際には、そうそう遠くの村々にまで手を回すことが出来ない。
よって目の届かないところには、周辺の他郡や県とやり取りを繰り返し、人々の平穏を少しでも守れるようにあれこれと心を砕いて行く。
そんな太守の民を思う心に、民草は感謝の念を送る。各地方に出向く公孫軍は、多く歓迎をもって受け入れられていた。

だが。
方々に出征する公孫軍の中で、受け入れられ方が少しばかり異なる部隊があった。
劉備率いる一行である。

匪賊は鎮圧できた、
当面は安心だろう、
でもあなたたち以外にも苦しんでいる人たちがたくさんいる、
そんな人たちのために私たちは頑張らなきゃいけない、
みんなが力を合わせれば平和な世界が出来るはずだ、
でもまだ力が足りない、
だから力を貸して欲しい。

彼女は争いのない世界を夢見て、民と同じ目線に立ち語りかける。
関羽や張飛といった突出した武勇の持ち主を擁しながら、理想の世界を説く劉備。
不思議と惹きつけられる存在感と親しみ易さもあって、彼女の言葉に、今以上の豊かな暮らしを夢想する人たちが多く現れる。
民草の目に、太守の苦労など映るわけもない。それはそれで仕方のないことでもあるし、当然のことでもある。
それゆえに。
今以上の暮らしが得られるのならば従ってもいい、そう思い劉備になびいていく者が後を絶たなかった。
どうやってそれを成すのか。具体的な方法に想像を働かせないままに。
民たちの暮らしの現状を考えれば、それも仕方のないことではあるし、理解出来ることでもあった。



「進言したいことがありましゅ」

鳳灯が努めて静かに、それでも少し噛んでしまいながら、公孫瓉に上申する。

「どうした、改まって」
「劉備しゃんたちのことです」

自分が噛んでしまっても流されていることに気づき、顔を赤くしながら数回深呼吸。
目を瞑り大きく息を吐いて。
改めて鳳灯は口を開いた。

「劉備さんたちの処遇について、進言したいことがあります」
「ん、聞こう」

曰く。陽楽を始め遼西郡における彼女たちの影響力を考えて、遠くないうちに公孫軍から離れてもらうべきだ、とのこと。

「劉備さんが掲げる理想は、聞く者にとって心地いい響きを持っています。彼女たちの甘い言葉が、これ以上、民の間に浸透するのは危険です。その言葉にほだされた民の心が、公孫瓉様から離れる恐れがあります。
この遼西郡で執られている内政は、しっかり根付いて初めて結果が現れるものです。せっかく形になりかけているところを、具体的な形が見えない理想論に掻き乱されては堪りません。これまで頑張ってきた、文官内政官たち皆さんの努力を無にすることに等しいといえます」

鳳灯も、劉備の理想が分からないわけではない。
むしろ、かつてはその理想を共に追いかけ、実現させるべく尽力していたのだ。そしてその実現は不可能ではないことも分かっている。
それでも、今、この遼西郡の安定を考えるならば。彼女たちの理想論は要らぬ不和を生みかねない。
同じ"平穏"を求めていながら、片方の理想のために、もう片方の程よく治まっている現実を乱されるのはどこか違うと考える。

「今しっかりと受け止めている民の生活を、保証も定かでない理想を手に入れるための担保にさせるわけにはいきません」

不満があるならまだしも、公孫瓉の治める遼西郡に住む民からは大きな不平不満は起きていない。
もちろん、太守という地位よりも上、州を治める刺史であるとか、更にその上に対してであるとか、それらに対しての不満はあろう。
とはいえ、いわゆる朝廷からの様々な要求を、なんとか誤魔化しながら遣り繰りしているのが現状なのだ。むしろ公孫瓉たちが不満を持っているくらいだ。その分、民に直接かかる負担は極力減らせているという自負がある。

「桃香たちの、救国の志はよく分かるんだけどな」

私だって、それがないわけじゃないしな。
公孫瓉は溜息をつく。
それは、遠く理想を見て止まない劉備に対してか。それとも、目の前の現実にあくせく対処しているに過ぎない自らに対してか。

「公孫瓉さまは、民のことをよく考えて、治世を行われています。
なにをもって立つのか、その違いです。どちらの方が優れている、ということではありません」

鳳灯のそんな庇うような言葉を聞き、公孫瓉が苦笑する。ありがとう、と、礼を述べながら。

「地位なんていらない、と、理想をいうのは構わないんだが。その地位を持つ友人を目の前にしていうことじゃないよなぁ」

私が地位に感けて民をないがしろにしているみたいじゃないか。
公孫瓉は、友人の言葉を思い出して笑い飛ばす。やや顔を引き攣らせながら。
ちなみに。友人と再会した場のすぐ後に、彼女が少しばかり落ち込んでいたのは誰にも内緒だ。
悪気がなければなにをいってもいい、というわけではない。そのいい例だろう。
趙雲と鳳灯はそれを察していたが、わざわざ触れることでもないので黙ったままである。

「確かに、鳳灯のいう通りだな。自分たちの中に、勢力を分裂させかねないモノを置いておくのはよくない」

いい機会だから、独立を促してみよう。
その言葉で、ひとまず劉備たちのことは置いておき。
文官武官問わず集められた会議の内容はより重要な用件、漢王朝からの"地方反乱鎮圧の命"について移って行く。



遼西郡から遠く離れた地方で起きた、民の武装蜂起。民間宗教の祖が世を憂い、悪政を働く太守に対して暴動を起こす。
いい方は悪いが、この時代においてはよく聞く話のひとつだった。しかし、今回はやや結果が異なった。
鎮圧のために派遣された官軍が、暴徒の手によって全滅させられたのだ。
これに朝廷の面々は当惑し、やがて恐慌する。暴徒のその勢いは次々と周囲に飛び火し、多くの町や村を巻き込みながら広がって行った。
後に黄巾党と呼ばれる一大勢力。その勢いはとどまることなく、大陸の三分の一までを呑み込まんとしていた。
手に負えないと慌てふためく朝廷は、それら暴徒の鎮圧を地方軍閥に命じた。つまりは押し付けたのである。
もはや漢王朝に、世を統べる力なし。
その事実を、周知のものとするに足る行い。刺史、太守、尉といった役人はおろか、ただの民草にさえも、朝廷の衰弱振りを知らしめるに充分だった。

そして、世に己の勇名を轟かさんと考えるものにとって、これほど都合のいいこともなかった。



遼西郡を治める面々の間でそんな会議が行われていたことは、もちろん劉備一行はまったく知らない。
そして採られた、穏やかに独立を促して遼西郡から離れてもらおう、という決定は、公孫瓉の口から何気ない会話の中で劉備に伝えられる。

「桃香、これは好機だと思わないか?」

より多く広く民を救って行くためにも、ここで手柄を立てて、地位と拠点を手に入れろ、と。
劉備の心根を理解した上での、好意からの思いが大半を占めている。しかし同時に、太守としての思惑も混じる。
それを自覚しながら、公孫瓉は言葉をつむぐ。出来る限りの笑顔を浮かべながら。



それから数日の後。劉備たち義勇軍は公孫瓉の下を後にした。
劉備たちが遼西郡に腰を据えていたのは、僅か数ヶ月。
志は同じにしながらも、彼女たちはその思惑の違いによって異なる道を歩むことになる。

遼西郡を離れるにあたり、劉備たちは手勢を集める許可をもらっている。
繰り返された賊の征伐ごとに成された勇名、合わせて説き続けた理想。それらに惹かれ集まった義勇兵は、およそ二千。
二千も連れて行かれたというべきか、二千で済んだというべきか。
判断は難しいところだが、友人の門出だ、と割り切ることで、公孫瓉は複雑な心中を切り替えた。

ちなみに。劉備たちはこの地を離れるにあたって、趙雲に対して引抜を行っている。
生憎まだ公孫瓉の下を離れるつもりはない、と、趙雲はやんわりと断っていた。
それを耳にした公孫瓉は、心の底から安堵したという。













・あとがき
原作にない部分を書くのは楽しいなぁ。

槇村です。御機嫌如何。




ゲームにもありました、蜀ルートで、白蓮が桃香の独立を促す場面。
一刀がモノローグでいっていた通り、彼女なりに思惑もあっただろうな、と。
で、その裏側に触れてみたいと思ったのさ。

ゲームと同じ台詞や場面なら、わざわざ書かなくてもいいだろう。
そんなことを考えていた。
おかげでやっぱり進展が遅い。これはもう槇村のクセだと思って諦めてもらうしかないかもしれない。



[20808] 13:【黄巾の乱】 既知との遭遇 其の壱
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2010/09/21 19:12
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

13:【黄巾の乱】 既知との遭遇 其の壱





黄巾党という勢力の台頭。それは漢王朝の持つ力の衰退をつぶさに表すものだった。
広大な大陸を治めた巨大な龍。その龍は今や骨と皮のみにまでやせ細った状態となっている。
その現実を見て、人はどう思ったか。
威光の衰えと世の乱れを儚み嘆く者と、世の流れが自分に向かって来たと歓喜する者。その二手に分かれた。
殊に後者。自らの威をこの世界に広く示さんとする者たちが、この機を逃すわけもない。
この黄巾党の乱は、表立って堂々と、自らの力を世に鼓舞できるまたとない好機なのだ。
世の中に躍り出んと、大陸各地の諸侯は蠢動を始めている。

関雨や華祐たちが、かつていた世界。そこで仕えた主の考え方は、どちらかといえば前者。民を想い、世の乱れを嘆いていた。
世の中の乱れに溺れる民をなんとか救いたい。そんな理想を胸に抱きながら、力の限り乱世を駆け抜けた。
なんの因果か、時と世界を飛び越え、彼女たちは再び乱世の入り口に立っている。
そんな今、客将とはいえ新たに仕えた主は、公孫瓉。
彼女もまた、同じく民の生活を第一に考える者。目を向けている方向という意味では、仕えることに抵抗が起きない人物だった。
後は、関雨たち自身がどのように生きていくのか。それによって外史は異なる姿を見せることになるのか。
それはまだ、誰にも分からない。



鳳灯が上申した内政案のひとつとして、遼西郡を始めとした周辺地域の地図作成が挙げられる。正確な地図を作ることによって、地形や周辺環境を把握する。同時に、どういった順路によって遼西郡に人が流れてくるのかを掴もうという狙いだ。
これは人の流れを知るためばかりではなく、匪賊などの不心得者がどうやって来てどこに身を潜めるか、といった点を察知するためにも有効だ。
実際に、作られた地図を元にして、効率のいい周辺警護案の作成や、物見の砦を置くなどの方策が採られている。これによって、ただでさえ少ない諍いがことごとく水際で潰されるようになり、それが更に遼西郡の評判を上げることになっている。
この発案の狙いを理解し、そして現れた結果を見た公孫瓉は大歓喜。鳳灯の腕を取り、上下に振るだけに収まらず、ぐるぐる回転し振り回すほどの喜びを身体で表した。勢いに押された鳳灯は、ただ「あわわー!」と悲鳴を上げながら目を回す。
そんな太守の様子を臣下たちは微笑ましく眺めながら、共に平穏のありがたさを噛み締めていた。

話を戻す。
自前の正確な地図のおかげで、公孫軍は周辺地域の地理にとても明るい。黄巾党が暴れようとしても、潜んでいそうな場所をあらかじめ察知することが出来るのだ。
自ら治める地の利を活用し、公孫軍は黄巾党勢力をことごとく征圧していった。その圧倒的な内容は、黄巾党に対して「例え食い詰めていても遼西に手を出すのは危ない」という印象を植え付けるほど。現れる黄巾党の数は自然と減って行き、やがて彼らは遼西郡周辺に近づくことも少なくなった。

遼西郡周辺の黄巾党は、あらかた討伐し終えたといっていいだろう。例え出没しても、各地域に作らせた自警団程度でも対応できる。
そう判断した公孫瓉は、もう少し広い範囲を転戦していくことにした。遼西郡の外に出て、進軍して行くことになる。

「よろしいのですかな、伯珪殿」
「なに、陽楽にも兵力は残っているし問題ない。なにかあっても、留守番の鳳灯たちがなんとか対応してくれるだろう。
烏丸の奴らが気になるといえば気になるけど、丘力居とはひとまず休戦の盟も結んであるし。なんとかなるんじゃないか?」

やることはやってあるんだから考えても仕方が無い。そういって、今は目の前のことに集中しようと公孫瓉は臣下に促す。
そんな彼女のひと言で、これから執る公孫軍の行動が決定した。
公孫軍のこれからの行動を大まかにまとめ、陽楽に伝令を走らせる。糧食の補給などのやり取りを交え、しばしの休息をはさんだ後。公孫軍は再び進軍を開始した。



ちなみに。
烏丸族というのは、遼西郡より北方に割拠する遊牧民族である。かつては漢王朝に従っていたが、王朝の弱体にいち早く気づいたのかしばしば争いを繰り返している。
その烏丸族を統べる大人(たいじん)、酋長に位置する人物が丘力居である。
漢王朝に対していい印象を持っていない彼女だが、公孫瓉に対してはそれほど嫌なものを感じてはいない。むしろ共感し通じるものを持っている。
その共通点は、馬。
丘力居は騎兵の運用を好んでおり、馬に乗ったまま弓を射る騎射の精度には自信を持っている。
同様に、公孫瓉もまた騎馬隊による軍勢を編成し、馬も白馬に統一させ、白馬義従と名づけるほどに熱をあげている。公孫軍の騎兵は、烏丸の間でも"白馬長史"と呼ばれるほどに知られていた。
戦場で相見え、愛馬を操り剣を振るい、互いにぶつかり合うことも幾度となくあり。その実力を互いに認め合うのに時間はかからなかった。
そんな長の個人的な事情もあり、いくらかの小競り合いはあるものの、公孫瓉と丘力居の関係はそれなりに良好なものになっている。
そして今回の、黄巾党討伐の命。公孫瓉は遼西郡を離れる前に、烏丸族との同盟を結ぶに至った。
だからこそ、他の地域に比べて争いごとの起こりやすい土地であるにもかかわらず、太守自らこういった遠征に出ることが出来たわけだ。



さて。
遼西郡の外に出て、更に南下していく公孫軍。
黄巾党の勢力は、東は徐州、南は豫州、西は益州に及ぶまでになっていた。遼西郡の属する幽州も、少し南下すればそこは黄巾党の勢力内に入ってしまう。公孫軍はまさに今、敵地の只中に侵入したといっていい。
細作と呼ばれる間諜役を方々に派遣し、周辺の状況を把握しつつ。町や村の近くを通れば、よく観察した上で、黄巾党征圧を目的に転戦している旨を伝える。
村全体が黄巾党のアジトでした、なんていうことだったら目も当てられない。幸いにも、そういた鉢合わせは今のところは起きていなかった。
そんな手探りの行軍を続けながら、時折現れる黄巾党の勢力を討伐して行く。
その規模は、それこそ100人以下の集団から1000人を軽く超えるものまで多種多様。
とはいえ、対する公孫軍の総数はおよそ6000。しかも半農とはいえ、皆しっかりと軍兵としての訓練を受けている者ばかりである。
数どころか質まで大きく差があるのだ。ここまで差があると、弱いものいじめのようにも思える。

「とはいえ、先に弱いものいじめをしていたのは奴らの方ですからな」
「確かに。黄巾の行いを弾劾した上での討伐だ。あれこれいわれる筋合いはないな」
「関係のない民まで巻き込んでいるのだ。例え少人数でも容赦はしない」

元は同じ民草。だがより弱い者たちに向けて牙を向けたのであれば、それは匪賊として討伐される対象となる。公孫軍だけじゃない。他の軍閥も容赦はしないだろう。
その中でひとり、関雨はまだ武を振るうに少しの抵抗がある。自分なりの納得が得られていないのだろう。
だが思い悩んでいる暇などない。仕えると決めた主に求められれば、その武を振るうまでのこと。ましてや世を乱す者たちにを許して置けない気持ちは、以前の世界と変わらずに持っている。黄巾の徒に対して、躊躇といえるものは湧き上がらない。
少なくともこの黄巾党討伐に関しては、割り切って考えている。それでも、どこか己の中に燻るものを感じている。
彼女の中にある棘は、存外深く刺さっているのかもしれない。



行軍を進めるうちに、索敵に出ていた細作が、これまでとは違う雰囲気を持つ一団を発見する。
その集団はやはり、黄色の巾を身につけた黄巾党。その数はこれまで討伐した中でも最大の数となった。

「5000人近くの黄巾党?」
「拠点のひとつであろう集落がありました。その周辺に駐留している黄巾たちの数が、およそそのくらいの規模になると」

細作の報告を受け、公孫軍の将たちが顔を付き合わせる。

「5000対6000か。負けはしないだろうが、下手に突いて散り散りにさせてしまうと面倒なことになりそうだな」
「そうですな。出来ればここで根絶やしにしておきたい」

公孫瓉の言葉に、真面目な顔で趙雲がうなずく。
黄巾党を構成する多くは、食いはぐれた農民や盗賊の類。戦に秀でた者が臨んでいるわけではない。数の多い敵の姿を見て、不利と見るや一目散に逃げ出して行く。これまで対峙して来た黄巾党の多くはそうだった。

「多少討ち漏らしたとしても、拠点のひとつを潰す、という方を重視した方がいいのでは?」
「うむ。拠点であるならば糧食も溜め込んでいるでしょう。それがなくなれば、派手に暴れることも出来なくなると思いますが」
「……それもそうか。奴らだって、食料やらなにやらが必要なわけだしな」

拠点を潰せばそれだけ活動する範囲も狭まるだろう。関雨と華祐の言葉に、公孫瓉はそう考え方を改めた。

「よし。この周囲に村は?」
「人の姿が残る村は、ありません」
「……分かった。近隣の村に黄巾が流れ込む心配はないな。
主目的は、黄巾たちの拠点制圧。全滅させるのが望ましいが、深追いはするな。制圧後は、糧食ともども見せしめに焼き払う」

公孫瓉はしばし苦い顔をして、すぐに進軍の指示を出す。

「功を焦って無駄死にするのは許さないぞ」

彼女の言葉に将たちは気合を込めて応え、それぞれの前線へと散っていく。公孫瓉は後方での動きなどの指示を与えながら、馬上で軍全体の動きを調整する。自分から動いてしまうあたりは大将として難はあるが、すでに性分ともいえるもの。兵たちも慣れているのでなにもいわない。
つまり普段通り気負うことなく、公孫軍は機能しているということだ。



その後の展開は、速いものだった。
数では勝っている。おまけにひとりひとりの錬度も違う。
特に、黄巾の徒とは比べ物にならない武を持つ趙雲と、それ以上の武を誇る関雨と華祐。この三人が吶喊し敵陣を掻き回す。
目の当たりにする、太刀打ち出来ない力の差。黄巾たちは恐れをなし、ひとりふたりと、時間を追うごとに逃げ出そうとする。それを、将に付き従う兵たちが漏らさず討ち取っていく。
公孫軍の被害は、ほぼ皆無。まったくなかったとはいわないが、この結果に大将たる公孫瓉は満足する。周囲を探索し、残党や捕虜の有無を確かめた後。当初の指示通りに、黄巾たちの拠点は焼き払われた。

そんな行動の最中に、公孫軍に近づく官軍の姿が確認された。
漢王朝の命により黄巾党征伐を命じられた軍閥のひとつ。統べる大将の名は、曹孟徳といった。



拠点を覆った火の手も収まってきてしばらく。一息つく公孫軍の元に、曹操が訪れ面会を求めた。
断る理由はなにもない。公孫瓉は、ふたりの護衛と共に現れた曹操を招き入れる。

「あなたが公孫瓉? 遼西郡で敷かれる善政の噂は聞いているわ」
「そちらの噂もよく聞くぞ。陳留郡の太守の座に就いてさほど経たないうちから、町の調子が上向いて来たって話らしいな」
「ふふ。先達にそういってもらえると光栄だわ。こちらはまだまだ駆け出しなの。いずれ善政のコツでも盗みに行きたいものね」
「そんなことなら歓迎しよう。それで民の生活が上向くなら、いくらでも盗みに来てくれ」

曹操は陳留郡の太守となってまだ日が浅かった。太守としての経験の差を考えて、曹操はややお世辞も交えた言葉を吐く。
それに対して、公孫瓉は言葉の意味そのままに受け取って見せ、素直に思ったことを返してみせる。
民の生活が第一、そのためにする苦労ならまるで厭わない。そんな噂に聞いた話そのままの人となりに、内心多少驚いてみせる曹操。
噂を聞く限りでは、ただのお人好しかとも思っていた。
しかし、周辺地域への平和的な根回しや、烏丸などに対する武力行使など、硬軟合わせて行えるのだ。一筋縄でいくような人物ではあるまい。
そう考えて、少しばかり身構えていた曹操なのだが。
実際に顔を合わせてみると拍子抜けしてしまった。見た限りでは、噂の通りのお人よしに見える。
いや、お人好しが総じて無能だというわけでもないか。
曹操はそう思い直す。同じお人好しでも劉備よりは現実寄りの人間だ、と彼女は判断する。

「高くは翔べないのかもしれないけれど、培った徳に見合った力といったところか」
「ん? なんのことだ」
「いいえ。なんでもないわ」

曹操は、有能な人材に目がない。武にせよ文にせよ、何某か突出したものを持つ者に対して興味を持つ癖がある。
故に、太守としての経験に勝る、公孫瓉の人となりを値踏みする。
彼女の目には、公孫瓉は無能という風には映っていない。では有能なのかといわれれば、即座にうなずくことが出来なかった。
ある意味、曹操と同じく公孫瓉も"なんでも出来る"人物である。万能型の人材に出会ったのは初めてだったのだろう。突出したものがない故に、判断に困ったのかもしれない。
まぁいいわ。
曹操はそれ以上考えるのを止めにした。



「あなたが関雨ね」

話しかけて来た曹操に、関雨は少しばかり驚きの表情を見せる。
関雨はもちろん、曹操たちの名前を知っている。だがこちらの外史にやって来てからは、魏の面々と顔を合わせるのは初めてである。

「なぜ私の名前を?」
「劉備たちに聞いたのよ。公孫瓉の元に、関羽とそっくりな客将がいるってね」
「……なるほど」

関雨は思い出す。かつては自分たちも、曹操軍に組み込まれた状態で転戦を続けていたのだ。
こちらの世界でも、同じ展開になっているのだろう。彼女はそう考え納得した。

彼女の想像通り、劉備たち義勇軍は曹操軍の中に組み込まれていた。転戦している最中に会い、今は共同戦線を張っているとのこと。
といっても実際は、物資や食料などをいろいろ助けてもらう代わりに協力をしている、というのが本当のところらしい。
理想は持っていても現実は厳しい、といったところだろう。かつての自分とまったく同じ状況に、思わず関雨は苦笑を浮かべる。

「話に聞いただけだったけれど、目の当たりにしてますます思いは募った。貴女のその武勇、欲しいわ」

私のところに来ない? と、曹操は率直に引き抜きにかかる。
黄巾の徒を前に、一騎当千さながらの武を振るって見せた関雨。その姿を見た曹操は、彼女に多大な興味を示していた。
関羽としてだけではなく、"関雨"としても引き抜きを受けるとは。あの曹孟徳に二度も誘われるのは、一面では光栄の至りといえるだろう。
今の関雨には、そう自分を評価してくれる曹操に感謝の念を持つくらいの余裕はあった。
だが、実際に引き抜きを受けるかどうかは話が別である。

「光栄ではありますが、お断りさせていただきたく。
今の私は公孫瓉殿に仕える身。また陽楽に居を構える仲間もおりますので。公孫軍を離れるつもりは今のとこはありません。
それに。そう簡単に乗り換える様では、却って曹操殿も信用が出来ますまい」
「そう。でも、今は、なのね。
ならいずれは、と思ってもいいのかしら。仕えているといっても、今の貴女は客将なのでしょう?」
「……曹操殿が、公孫瓉殿の下にいらしてはどうか。それならば、共に仲間として過ごすことが出来ますが?」

その言葉に、曹操の後ろに控えるふたりの臣下がいきり立つ。それを曹操は軽く手をやり抑えてみせた。
関雨はそのふたりの、名前もその人となりも知っている。だが今はまだ紹介を受けていない。故に、相手にしない。

「ふふ、ずいぶん遠回りな拒絶ね」
「曹操殿の目指すものが、民の平穏と平和であるなら、ありえない話ではないと考えます。
目指すものが己の覇のみ、というのであれば、話は別ですが」
「……そう」

曹操を纏う空気が変わる。笑みを浮かべながらも、その目はあまりにも鋭く射るかのように。関雨はその視線を、正面から受け止め続ける。
どれほどの間そうしていたのか。
まぁいいわ。
また会いましょう。
笑みを浮かべたまま、曹操はふたりの臣下と共に公孫軍の陣から去っていった。



曹操軍の細作が探ったところによると、ここよりやや離れた地点で、進軍中の黄巾党が確認されたらしい。先だっての拠点にも負けないほどの数とのこと。
曹操軍と劉備の義勇軍であれば、その集団は制圧できそうだという。合流するかどうかを問う曹操に、公孫瓉は不参加を申し出た。

「私たちは、そちらの鎮圧から溢れた小さい集団を潰して回ることにするよ」

公孫軍は、曹操が率いる軍勢と別れた。












・あとがき
書いているうちに、銀河英雄伝説の偉大さがよく分かりました。

槇村です。御機嫌如何。





丘力居って。名前だけだけど、恋姫シリーズに出てこない名前がきましたよ?
でも、触れておいたほうがいいと思ったんだよ。太守が地元を離れてるんだから、なにかいろいろ対策を取っているのは当たり前だと思うんだ。
以後本編に出てくるかどうかは不明。
……オリジナルな人は出したくないんだけどなぁ。主に槇村の技量が理由で。
展開上、出さざるを得なくなるなら考えますが。でも、出てきそうな気がする。

キャラが増えてくると、全体を把握するのが難しくなってきますよね。
えぇ、まだ書いてないのに、ばんばん人が増えていく予感がします。分かりきっていたことですが。
本当は13話で、もっと出して会わせていこうと思ったのですが。
むっちゃ長くなりそうなのでスパッと切りました。次にまわす。



設定の話。
真恋姫無双の華琳は、黄巾の乱より前に州牧になっています。が、このお話での身分はまだ陳留郡太守、という設定です。
というか、刺史が牧に変わったのって、黄巾の乱より後じゃね? その方が説明つくし。うん、変えちゃえ変えちゃえ。
みたいな槇村的設定の都合により、今回のように原作設定が改変されることも多々あると思われます。ご容赦を。
いろいろ調べてから本文を書くようにしていますが、変だなと思われる点がありましたらご指摘いただけるとありがたい。
"設定"という名の説得力が、物語に厚みを与えると信じている。

また原作の中で、槇村的なんでも出来る人ナンバー1は華琳さん。ナンバー2は白蓮さんです。
だって恋姫ワールド的には、魏とか蜀とか呉とかが幾人もの将でやっていることを、白蓮さんは太守としてひとりでこなしてるんだぜ?
そんな彼女をスゲーと思うのは、私だけでしょうか。なんか間違ってる?



[20808] 14:【黄巾の乱】 既知との遭遇 其の弐
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2012/05/09 07:10
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

14:【黄巾の乱】既知との遭遇 其の弐







「どうした愛紗。なにか考え込んでいるな」

馬に乗ったまま考え込んでいる関雨。やや足並みが遅れだした彼女の元に、華祐が馬を寄せてくる。

「いや、華琳のことをちょっと、な」
「……あぁ、曹操のことか」

しばし考え、真名から名前を結びつける華祐。
以前にいた世界では、華祐が関雨たちの仲間となったのは三国同盟結成の後だ。そのため、彼女は曹操との接点があまりない。
故に、当人がいないとはいえ真名を口にするのは避ける。

「引き抜きを受けた。以前にいた世界と同様、目をかけられたようだ」
「なるほど。武人として考えれば、光栄なことではあるな」
「確かに、その通りなのだがな」

関雨が、以前の世界においてまだ"関羽"だった頃。なにくれとなく自分の下へ引き込もうとする曹操に対して、彼女は反発し続けていた。
自分は桃香を守る楯、そして道を作る矛。桃香の理想に惹かれた自分が、他の者に仕えるわけがない、と、頑なだった。
その気持ちが間違っているとは、今の彼女も思わない。だが、周囲に目を向けなさ過ぎる感がある。自分のことながら、関雨は思う。
今の彼女は多少変わって来ている。成長した、といい換えた方がいいかもしれない。
曹操に誘われた、つまり自分の武才が他に評価されたということに、少なからず喜びを感じる。そのくらいは心に余裕を持てるようになっている。
かつての自分は、曹操の誘いに対して違う捉え方をしていたのだと思う。自分が見くびられている、と感じたのだろう。今の彼女はそう考える。

「自分を評価してもらえるというのはありがたいことだ。だが客将だからといっても、そう簡単に主を変えるわけにもいかない」
「己の矜持に関わるからか?」
「そうだ」

自分たちを受け入れてくれた恩もある、と。それをないがしろにすることは出来ない。関雨は胸を張っていう。
そんな彼女に水をかけるように、華祐は疑問を投げかけた。
お前が今此処にいるのは、単に恩を感じているからなのか? ならば恩を返し終えたなら公孫瓉殿の下から離れるのか、と。

「曹操に引抜を受けて、自分の武を認められたようで嬉しかった。そういったな?」
「その気持ちは確かにある」
「公孫瓉殿の恩はひとまず置いておけ。その上で考えてみろ。
曹操の下に仕え、曹操のためにその武を振るう。そんな自分の姿を想像できるか?」

関雨は想像する。華琳、いやさ曹操の下で、彼女の覇道に関わる一将として戦場に立つ自分の姿を。
その姿は、彼女にとって、どうにも違和感を拭い切れないものだった。

「今の華琳、いや、曹操殿が、私の知る華琳と同じ道を歩いていくかは分からん。
もし同じ道を歩くというのならば、魏の将の中に自分が立つ姿は想像が付かんな。なにより、彼女の考え方は私には少々そぐわない」

なるほど。うなずきながら、華祐は続けて質問を投げかける。

「今のお前は、その武を振るうにもいくらか陰が差す。そのことは自分でも分かっているのだろう?」
「……うむ」
「ならば、無理に武人として生きようとしなくもいいではないか。一刀のところで給仕をするのも、生き方のひとつだぞ?」
「いや、確かにあれはあれで、新鮮だったといおうか楽しかったといおうか」

俄かに顔を赤くしてみせる関雨。それを見て少しばかり、人の悪い笑みを浮かべる華祐。
赤くしたままの顔で、拗ねるような恨みがましいような、そんな視線を華祐に向けて。すぐに顔ごと表面へと向き直った。

「確かに、あぁいったことも嫌いではない。そんな一面があったことも、我ながら意外なことだった。
……思えば、誰かの役に立ち、求められるということを、私は望んでいるのかもしれん。」

民のため桃香さまのためご主人さまのため、自分が役に立つ一番の方法は武を振るうことだった。
関雨はかつての自分を思い返す。

「かつて私たちが桃香さまと共に起ち上がったのは、この乱れた世の中を平和にしたいという想いからだ。
その甲斐もあってか、ひとまずの平穏を得ることが出来た。……そして、この世界に跳ばされた。
私は、この世界が平和になることが怖いのかもしれない。同じような平穏を得たとき、私はまたどこかへ跳ばされるのではないか」

口から突いて出た言葉に、驚いた表情を浮かべる関雨。
いずれ自分が皆の前から姿を消してしまう、だから進んで世の中に関わろうと思えないのか? そんな、彼女が思い至った連想。
彼女は、同じ境遇の仲間に目を向ける。

「私は、怖がっているのだろうか?」
「いや、……そう考えると、怖くなっても無理はないだろう」

華祐は言葉を詰まらせる。彼女の考えはそこまで至っていなかった。答えなど分かるはずがない。
確かに、いわれてみれば十分にあり得ることだ。だが、望みがないわけでもない。

「以前にいた世界で、主は、"北郷一刀"は消えたか?」

そう。彼女たちがかつて主と仰いだ"北郷一刀"は、乱世が治まり、平和になっても消えることはなかった。
ならば自分たちはどうなのか。平穏を手に入れた後も、何事もなく暮らしていくことが出来るのではないか。
とはいっても、確証も持てなければ、そのときにならなければ確認も出来はしない。
考えてもどうしようもないことは、いくら考えても時間の無駄だ。

「そもそも今のお前は、そんな先のことよりも前に命を落としかねん」
「……いい返すことができないな」
「曹操に仕えるまでもない。武を振るう理由が必要ならば、もっと身近にいいものがある」
「なに?」
「一刀が暮らす、陽楽の町を守る」
「な!!」
「それぐらいに簡単な理由の方が、考えすぎなお前には丁度いいんじゃないのか?」

人が戦う理由など、欲が絡むか、大事なものを守るかくらいだ。その両方が手に入るのなら御の字だろう。
華祐は笑いながらそんなことをいい、関雨の傍を離れていった。

「まったくあいつは」

顔を赤くしながら、関雨はひとりこぼしてみせる。

かつて"関羽"だった頃。彼女が武を振るう理由は外側にあった。
理想を抱く義姉・桃香と、それを支えるご主人様の一刀。その二人のために、彼女の武才はある。あの頃はそれでよかった。
支えになっていたものがなくなり、彼女は初めて知る。自分がどれだけ不安定な人間なのかを。
なにかをする基準となっていた桃香と主はいない。私自身は今、なにをしたいのだろう。
自分からなにかをしたいと望んだことが、どれだけあったろうか。

華祐が茶化しながら口にした言葉を、関雨は考えてみる。
一刀を守る、ということ。その先には、結果として陽楽の町を、遼西という地を守るということが繋がってくる。
なにかのために戦ってきた彼女にとって、これは魅力的な響きを持っていた。
一刀の傍にいる。ただそれだけで、武を振るう理由にもなるのだから。
こちらの世界の北郷一刀。彼はかつての主とは別人である。これは彼女もよく分かっている。
それでも、やはり"北郷一刀"という人となりに惹かれていた。別人ではあるが、その芯は"同じ"なのだと思う。
それ以上に、関雨の中にある距離感がよりいっそう想いを募らせていた。
主にそのつもりはなかったかもしれない。だがかつての彼女の中には、彼と自分は主従関係なのだという壁があった。それを失くすことが出来なかった。
こちらの世界ではどうか。同じ"北郷一刀"であっても、彼と自分の立つ高さは同じになっている。かつて感じていた壁は、彼との間に感じられない。
自分の主人ではない、ただひとりの男性として、見つめることが許される。自分で、それを許してもいいような気がする。関雨はそう思った。
ふと、彼の名前を呼んでみたくなる。

「かずと、さん」

途端に真っ赤になった。関雨の顔どころか、身体中が熱を帯びる。彼女らしからぬうろたえ振りを見せ、わずかに身をもだえさせる。乗っていた馬が慌てたほどだ。
彼女は自覚してしまう。自分の想いと、それを遂げようとする自分を抑えていた枷が外れていることに。
女としての自分が、想いを正直に表していいということに喜びを感じていた。

「まずは、名前を呼ぶことからか」

名前を呼ぼうとするたびに真っ赤になっていたのでは、なんの進展も期待できまい。頑張れ愛紗。
いろいろと自分のその後を想像しつつ、自分を鼓舞させる関雨。
だが彼女は気づく。その想像のいたるところに、すでに呂扶が入り込んでいることに。

……ひょっとして、今は恋のひとり勝ちではないのか?

負けられぬな。
そんなことを思い立ち、思わず関雨は笑みを浮かべる。その笑顔は、これまでの陰を感じさせないものだった。



赤くなったりスッキリしたりと忙しい関雨。彼女に反して、焚きつけた華祐の表情は浮かないものだった。
想像もしていなかったこと。自分がこの世界にやってきた理由はなんなのか。そして、それを成し遂げたなら、自分はどうなってしまうのか。

「平和になれば、この世界から自分が消える。か」

小さくつぶやく。考えもしなかったことに、彼女もまた思い悩むことになる。

「天とやらは、いったいなにをさせたいのだ」

見上げる天は、ただただ青く広がっていた。





ふたりが思い悩んでいる間にも、公孫軍は進軍を進めている。細作を方々へ放ち、黄巾党の集団を探し出しては、制圧。それを繰り返す。
転戦を続けていくうちに、また別の官軍と鉢合わせた。
曹操軍とは違っていた。既に黄巾党とぶつかっており、目の前の官軍はやや押され気味。劣勢になっている。

「これは悩んでいるヒマなんてないな」
「うむ。助太刀ですな」
「よし、これから官軍の助勢に入る。声を出せ! 旗を掲げろ! 公孫軍の力強さを、これでもかと見せ付けてやれ!!」
「皆、私に続けぇっ!」

公孫瓉の檄に押されるように、趙雲が一番に飛び出していく。追いかけるようにして、関雨と華祐が。その後を、遅れてなるものかと兵たちが駆けて行く。

おおおおおおおお、と、勇ましい鬨の声を挙げながら、公孫軍は黄巾党の背後を突く。
突然現れた勢力に、押していた黄巾の徒は途端に動揺する。突如背後から敵が現れたのだから、うろたえもするだろう。
黄巾党の数はおよそ8000ほど。官軍側が5000といったところか。大きな差はあるが、それでも公孫軍が加われば相手の数を逆転できる。
趙雲が中央を駆け抜け、関雨が右、華祐が左へと広がっていき、黄巾党勢力を挟み撃ちにするように包囲していく。
相手は策もなにもない徒党。単純な数の力をもってして圧倒し、ただ目の前の相手を倒す。その繰り返しで、じわじわと包囲網を小さくしていく。
三方を公孫軍が塞ぎ、もう一方は官軍が位置している。包囲したといっても、やはり急造したもの。公孫軍と官軍とで密な連携が取れるはずもない。ところどころに出来る隙間から抜け出し、戦場から逃げ出す黄巾の徒も現れる。ことに、官軍が位置するところから漏れ出す人数が多かった。
6000が引き受けた三方と、5000が受け持つ一方。普通に考えれば、後者の方が逃げられる見込みは薄い。なのに、なぜか。
それもそのはず。官軍に属する兵そのものが自陣から外れ、勝手に撤退を始めていたのだ。





戦場特有の喧騒も過ぎ、周囲には殺伐とした静けさが漂う。
その只中に佇む、公孫軍を率いる将の面々。彼女らは総じて渋面を浮かべていた。
無理もない。味方である官軍が劣勢と見て助けに入ったにも関わらず、その味方が我先にと逃げ出してしまったのだから。自分たちはなんのために助太刀したのか、と思ってしまう。
そんな彼女らの前で、ひたすら謝罪を繰り返す将がひとり。逃げ出さず戦場に残った官軍の一部を率いていた人物。
名を、張文遠。かの張遼である。



「いや本当に、すまんかった!!」
「分かった、もういいよ。そっちの事情もよく分かったから」

平謝りの張遼だったが、合間合間になされる事情の説明を聞くに及び、よく持たせることが出来たなと公孫瓉たちは感心してしまう。
張遼曰く、事情は以下の通り。

本来、彼女たちは涼州に属する軍勢だという。涼州の黄巾党討伐が落ち着きを見せたところに、朝廷から軍勢派遣の要請が来る。
無視することも出来ないため、3000の兵を引き連れ官軍と合流。合計7000の軍勢をもって、長安や洛陽を中心とした司州近辺の警護および黄巾党の討伐を行っていた。
ちなみに、洛陽などに常駐する兵力はこの数に入っていない。合計で万単位の兵が蓄えられているはずである。
それはさておき。
名目上は、軍勢を率いるのは官軍の大将。なのだが、この大将がなにも仕事をしようとしない。仕方がないので、張遼や、彼女と共に派遣された呂布が軍勢を仕切ることになった。
涼州郡の兵を2000と1000に分け、官軍を3000と1000に分けた。前者を張遼が引き受け北へ向かい、後者を呂布が引き受け南へと向かう。
兵の数に偏りがあるのは、「呂布がいるなら官軍数千なんか誤差の範囲や」ということらしい。
むちゃくちゃな話ではあるが、公孫軍の面々はなんとなく理解できた。
司州の南側を担当することになった張遼だったが、自分が引いた貧乏くじに思わず天を仰いでしまう。
引き受けた官軍の兵たちの質が悪い。これでもかとばかりに役に立たなかったのだ。
相手は黄巾党、もしくは匪賊の類が大半だ。お世辞にも手強いといえる相手ではない。怖いのは数だけなのだ。
それなのに、兵たちはことあるごとに隊列を乱す。作戦を聞こうとしない。あげく劣勢と見ると勝手に逃げ出す。などなどなど。
ここまでくると、通常の行軍でも気を使い、軍勢を整えるだけでも一苦労である。黄巾党討伐どころではない。
そのくせ自意識だけは高く、兵たちは自分たちが手柄を立てることを信じて疑っていない。
ならせめていうことを聞けと張遼がいってみても、暖簾に腕押しであった。
不安しかない混合軍であったが、これまでで一番の大勢力に当たった。それが先ほどの黄巾党である。
初めて目にする、数に勝る敵。これまでがこれまでである。官軍たちは動揺し、やがて恐慌にまで陥った。
なんとか隊列を整えようと躍起になっているときに、公孫軍が助太刀に入ってくれた。おかげで兵力をさほど損なうことなく、討伐することが出来た。
だが、恐慌を起こした官軍勢はすでに戦場を遠く離れている。3000のうちおよそ3000が、この場からいなくなっていた。

「それってほとんど全部じゃないか」
「……そうなんや」
「官軍というのは、そこまで酷いものなのか……」
「あの酷さは言葉じゃ表しきれん。体験して率いてみんと分からん酷さやで」

呆れを通り越して感嘆してしまう公孫瓉。身の不幸を嘆く張遼。それを察して労わる関雨に、思わず彼女は抱きついてくる。
まさか辛さのあまり泣き出したか、と思いきや。張遼の顔は実に喜色満面。物凄く嬉しそうである。

「もうあんな奴らのことはどうでもえぇねん。
アンタ、関雨いうとったよな。見てたで、青龍刀を振り回して立ち回るんを。凄いなアンタ、惚れ惚れしたで」

目をキラキラさせた表情で、抱きついたまま顔を見上げてくる張遼。
関雨は激しく嫌な予感がした。
もし張遼という人物が自分の知る彼女と同じ性格ならば、この後どうなる?
まとわり付かれるに決まっている。

「いや、あの、張遼殿?」
「霞でえぇで。あんな危ないところを助けてくれたんや、真名くらい安いもんや。仲良くしようや、なぁ?」

手を取りブンブンと振り回し、まとわりつく張遼。それをなんとかいなそうとする関雨。
彼女は内心、溜め息をつく。
なぜ異性を意識した途端に、同性からまとわり付かれなければならんのだ。
吐く息はとても重く、深い。



ちなみに。
張遼が必要以上に下手に出ていたことや、気苦労ばかりの彼女の立ち位置を不憫に思ったりなどしたせいもあって、初対面にも関わらず公孫瓉も言葉遣いが素になってしまっている。最後に関雨を口説きだした奔放さもを見て、今更言葉遣い云々を気にするのも馬鹿らしくなっていた。
華祐を見て、涼州に残っている仲間と同じ顔と名前に、不思議なこともあるもんやな、と感心してみせたり。
顔は同じか分からんが呂扶という強者(つわもの)が遼西にいる、という言葉にさらに驚いてみたり。
張遼と趙雲が妙に仲良くなっていて、関雨がいいようののない不安を覚えたり。
その場の流れでなんとなく、公孫軍の将たちは互いに真名を交換したりと。
張遼はいつの間にか相当に打ち解けていた。
単に、これから使えない官軍たちのところに戻らなければいけない事実から逃げようとしていただけかもしれないが。

名残は尽きないものの、この恩はいずれなにかの形で返す、と、張遼は改めて礼を述べ、公孫軍から離れていった。
あれこれ馬鹿なやりとりをしていたにもかかわらず、すでに部下を使って官軍たちをまとめ終え待機させているあたり、実にやり手な張遼であった。





関雨や華祐にとって思わぬ知己との出会いからしばらく。公孫軍は再び黄巾党征伐のために行軍を開始する。
ほどなくして、趙雲が奇妙な動きを見せた。

「ぬ?」
「どうした趙雲?」

唐突に声を上げる彼女。らしくもない、切羽詰ったような声音。耳にした公孫瓉がいぶかしむ。

「……なにやら、嫌な予感がしますな」
「いきなりどうした、縁起でもない」
「手持ちのメンマが、なくなりました」
「……趙雲」

口調に反して、その内容は実にどうでもいいこと。公孫瓉は途端に脱力した。

「いやいや。長丁場を覚悟して、私なりに切り詰めながら食していたのです。自制心を総動員して、減り方が少なくなるようにしていたのですが」

彼女の表情は真剣だ。こんな顔はそうそうお目にかかれない。
ただ内容がメンマのことでなければ、耳を傾けようとも思えるのだが。

「にも関わらず、気がつけばメンマは底を突いていた。私自身も気づかぬうちに食していたのでしょう。まるで逸るように。
ならば、なにが私をそこまで逸らせたのだろうか。
私の生命線ともいえるメンマを、知らず食べつくしてしまうほどに急かすなにかがあるのか」

すでに彼女の言葉に誰も耳を貸していない。
それでも趙雲は、誰に聞かせるでもなくぶつぶつとつぶやいている。

「北郷殿、いや、陽楽になにかあったか?」

飛躍といえば、あまりに飛躍した連想。

「伯珪殿。私一人だけでも、陽楽に戻れませんかな?」
「駄目に決まってるだろ馬鹿」

公孫瓉は当然のごとく受け入れない。真剣な顔をすればするほど、滑稽さがますます浮き上がってくる。
確かに傍から見れば、メンマを補給したいから帰る、といっているようなものだ。聞き入れられるはずもない。
メンマを理由に、嫌な予感がする、といわれても一笑に付されるのは当然だ。根拠もなにもないのだから。

ただ、虫の知らせというものはある。武人としての勘がなにかを告げるということもあるだろう。普段ならば、細作をひとり陽楽にやるくらいのことはしたかもしれない。
普段の行いのためだろうか。それとも理由がメンマだったためか。彼女の言葉がそれ以上話題に上ることはなかった。





ほぼ同時刻。遼西郡・陽楽。
政庁に詰める面々に、趙雲の予感を形にしたかのような報告がなされていた。

「どこからこれだけの数が……」
「おそらく、討伐から逃れた輩がまとまった、ということでしょうね」

烏丸族の領土と遼西郡の境に、大量の黄巾党が押し寄せた。烏丸と遼西ともに、小さな村々がことごとく襲われ被害にあっていると。
陽楽で太守の留守を預かる面々は、その報告の内容に頭を抱えた。

「正確な数は分かりますか?」
「報告にはまだ分からない、と。
ただ、離れた場所にある村がほぼ同時に襲われています。結託はしていないでしょうが、総数で見れば相当の数になるかと」
「……残っている兵全員に出撃の準備をさせてください。いつでも出征出来るように。それと義勇兵の要請を」

鳳灯が、浮き足立つ武官文官を落ち着かせながら指示を出す。落ち着いて報告を受けつつ、現状を把握し、まとめ、仕切ってみせる。
可愛らしい外見からは予想できないが、幾つもの戦場を経験しているからこそのものだろう。その差異が、周囲に妙な頼もしさを与えていた。

「それと、一刀さんのところに伝達をお願いします」
「呂扶殿、ですか?」
「……はい」

公孫軍を鍛える天下無双。その助力があるのならば、この事態も乗り越えられるに違いない。
そんなことを考えつつ、使いの男は飛び出していった。
反面、鳳灯の浮かべる表情は思わしくない。呂扶すなわち恋を、戦場に送り出す。そして一刀まで巻き込んでしまう。
遼西郡を守るためなら、彼はきっと力を貸してくれるに違いない。彼は役に立つ。でも。

彼女の中で、理と情がせめぎ合い、渦となっていた。












・あとがき
関雨、覚醒。(恋姫的な方に)

槇村です。御機嫌如何。




愛紗さんが、『真』よりも無印のキャラっぽくなったような気がする。
武人としてと同じかそれ以上に、女の部分を意識し出すというか。うまく表現できているか不安だ。

また愛紗さんがそこそこ吹っ切ったと思ったら、今度は華祐さんが悩み始めた。ままならぬ。

華琳さんに続いて、霞さん登場。
槇村の中では、彼女もまた苦労人。でも楽観的というか、最後の最後で「んなこたどうでもいいんだよ」とかいいそうじゃない?
同じ苦労人でも、白蓮さんは陰に篭りそうな気がします。



さて。
太守のいない遼西郡に、なにやら動きあり。
やっぱり一刀と恋を動かしておいた方がいいかなぁ、と。気になっている方もいらしたようなので書くことにした。
待て次号。

いろいろと書き込みありがとうございます。
励みになっております。感謝感謝です。



100922:本文を少々修正しました。



[20808] 15:【黄巾の乱】 幽州騒乱 其の壱
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2010/09/25 04:54
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

15:【黄巾の乱】 幽州騒乱 其の壱





「ごめんなさい」

遼西郡の政庁である城に呼び出された、一刀と呂扶。出迎えた鳳灯と顔を合わせた途端、ふたりは彼女に謝られた。
呼び出しを受けた理由に関しては、おそらく黄巾党に関してだろうな、と、見当が付いていた。
だが謝られるようなことをされただろうか。一刀には覚えがない。

「謝られる理由が分からないよ、鳳灯」
「恋さんを戦場に出してしまうこと。そのために一刀さんをダシに使うこと。そして、一刀さんにも戦場に出てもらうかもしれないこと、です」

辛そうな、本当に辛そうな表情を見せる鳳灯。

「おふたりとも、こちらへ」

一刀の視線に気付いたのか、すぐに顔を背ける。そのまま背中を見せ、玉座の間へと先導すべく歩き出した。
彼女の小さい背中を見つめながら、一刀は謝罪の意味を考える。だが、考えるまでもなかった。
戦力として、一刀と呂扶の力が欲しい。特に呂扶の武が。
だが今の彼女は、戦場に立つことを義務としない民草のひとりだ。断られたとしても、強制することは出来ない。
なにより鳳灯自身が、内心、呂扶を無理に引き込むことを好しとしないのだろう。
だからこそ、一刀を巻き込むことで、呂扶が断れないような状況を作る。情に流れそうな、自分自身の退路を断つために。
今の彼女は、遼西郡の内政に携わる内政官のひとりだ。この地の平和を守り、この地に住む民たちの平穏を守ることを第一に考えなければならない。だから、沸き起こる情を押さえ込む。必死に押さえ込もうとしている。
ゆえに、彼女は謝る。そんな彼女の心遣いに、一刀は嬉しさを感じていた。
逆にいえば、それだけ彼のことを、呂扶のことを、大切に思ってくれていたということなのだから。

陽楽は商人の多い町だ。商人の耳は聡い。太守が留守にしている今の遼西郡になにが起こっているのか、すでに耳にしている者は多い。一刀も、護衛仲間や、商人の旦那衆などを経て話を耳にしている。
ほどなく義勇兵の募集がかけられるだろう。一刀はそれに参加するつもりだった。兵のひとりとしてでも、兵站・補給部隊に回されて食事係としてでも、なんらかの役に立とうと考えていた。
こうして鳳灯に呼び出されていなくとも、遅かれ早かれ一刀は戦場に出向いていた。そのことで鳳灯が思い悩むことはない。彼はそう思っている。

ただ呂扶に関しては、一刀も、鳳灯と同じことを考えていた。
呂扶がかつて、どんな思いで戦場に立ち、どれだけの武を重ねて来たのか。この世界の一刀には分からない。
それでも、出会ってからの彼女は終始穏やかな生活を営んでいる。誰が好き好んで、戦場に送り出そうなどと思うものか。
だが、彼女の武才、天下無双と呼ばれた武勇は、この上なく頼もしいもの。公孫軍の本隊が留守にしている今、頼りにしたくなる気持ちは彼にもよく分かる。
だから、彼は察することが出来た。鳳灯があえて、個人の情を切り捨て、内政官としての理と利を取ったことを。



「滑稽ですよね」

歩を進め背中を向けたまま、鳳灯は、なにげなく、呟く。
これまで自分の行っていたことが、自分の策で戦場を展開させていったことが、果たしてどんな意味があったのか。彼女は思い悩んでいた。
悩んだ末に見た光明が、争いを生まない国の素地を作ること。
自分の持つ知識を、陽楽そして遼西郡という地に、出来うる限り注ぐことを決めた。平和な町を作るための、ひたすら具体的な案を考え続けた。
この知を、戦場で役立つような使い方はもうしない。彼女はそう決めていたのに。

「戦いを嫌がっていた私が、他の人を戦いの場に送り出そうとしているんですから」

鳳灯は今でも、戦に関わるのは嫌だと思っている。しかし、そんな甘えたことは状況が許してくれない。
彼女が求めたのは、平和と平穏を得るための道。戦いを避けるために選んだ道だったにも関わらず、戦場は、自分の求めたものを壊さんと威を振るって来る。
既に歩き始めている道。彼女の知が求められ、それに沿って動いている大きな流れ。こんなことは求めていなかったと思いながらも、どこかで、こんな事態になるのは当然だと考えている自分。
仕方がない、そういう時代なのだから、と。
どう足掻いても戦いは避けられない。鳳灯がかつて、親友や主や仲間たちと駆け抜けた時を思えば、それは火を見るよりも明らかだ。
だから、彼女は心を凍らせた。少しでも早く、この騒乱を終わらせるために。
そのために使えるものがあるならば、躊躇わずに活用してみせよう。それが、戟を置いた天下無双であろうと、羽を失くした鳳雛の知であろうと。
凍りつかせた胸の内で、鳳灯は思う。悪意の方から向かってくるのならば、跳ね除けてみせる、と。もう二度と向かってこないように。



「思うんだけどさ。戦うってのは、二種類あると思うんだ」

一刀の言葉に、鳳灯はつい足を止める。後に付いて歩いていた彼に背中がぶつかった。背の低い彼女の身体は、そのまま一刀の手の中に納まってしまう。
彼はそんな彼女の肩に手を置き、言葉を続ける。

「ひとつは、なにかを生み出せる戦い。もうひとつは、なにかをただ壊していくだけの戦い。
黄巾党は、明らかに後者だと思うよ。でも鳳灯のやっていることは、前者じゃないかな。
戦場で、策を練る。でもその戦が終わった後になにかを残そうとして、鳳灯は戦っていたんだろ?」

自分の中にある、壊れそうななにかを守るために。鳳灯は、戦いに手を下す自分を必死に正当化しようとした。
そんな彼女を、一刀はなんでもないことのように肯定してみせる。
肩を支える、彼の広い手。その手を伝って、鳳灯の身体と、心が震えだす。揺るがないようにと張り詰めていたものが、いとも簡単に溶け出してしまう。

「これまで散々突き放していた俺がいうのもなんだけど、相談には乗るっていったろ? 今の鳳灯を理解できる奴が、少なくとも四人いるんだから」

頼るなといった覚えはないぞ。一刀はそういい、呂扶にも同意を求めてみせる。彼女もまた、こくり、と、うなずいた。

「立ち向かうなら、皆で立ち向かおうぜ。まぁ、俺個人はそんなに胸を張るほど強くないけどな」
「……気にしない。恋が、一刀も雛里も守ってみせる。あと、他のみんなも」

呂扶が、鳳灯の頭を撫でつけながらいう。

「じゃあ、恋の後ろは俺たち、町の義勇兵みんなで守ってやるよ」

鳳灯の頭に載せられた、呂扶の手。その上に、一刀は自分の手を置いてみせる。呂扶の手ごと、鳳灯の頭を撫でてやる。

「あれこれ気遣ってる場合じゃないんだろ? 使い出のありそうな奴は、遠慮なく使おうぜ。
自分たちの住んでいる町に関わるんだ。この陽楽じゃ、誰も嫌なんていいやしないだろ。俺だって逃げ出したりしないよ」

逃げるところもないしな。そういって、一刀は笑う。

「ありがとう、ございます」

被っている帽子のつばを下ろし表情を隠しながら、鳳灯はつぶやいた。





そんな、特殊な事情を持つ者同士の交流を終えて。
一刀と呂扶は、諸将が席を並べる玉座の間に通された。

「……恋は、どうすればいい?」

彼女のひと言は、その場にいる武官文官たちに暖かな安心感を与えていた。
普段から呂扶は、口にする言葉や表情の変化も必要最小限だ。だからこそ、口にする言葉も、時折見せるしぐさも、飾りがなく嘘もない。信じるに値する。
この陽楽の町に彼女がやって来て、まださほど多くの時間は過ぎていない。だがそれでも、彼女なりに重ねてきた言動の一つひとつが、信用と信頼を築き上げて来た。
遼西郡の中枢に属していないとはいえ、その存在は大きなものになっている。ことに軍部の人間には、公孫軍を支える支柱のひとつと思われているくらいだ。そんな彼女の言葉を信じずに、なにを信じろというのか。
呂扶は呂扶で、そんな、信用されているという感覚を肌で感じ取っている。彼女も彼女なりに、陽楽の町や人々に対して愛着を抱いていた。
その町が、今、危険にさらされようとしている。ならば、町を守るために武を振るうことになんの躊躇いがあろうか。
単純といえば単純。だがそれだけに、気持ちの程は純粋なものだ。
自分の力が役に立つならばいくらでも使え。そういってみせる呂扶に、鳳灯は心から礼をいい、玉座の間にいる全員を代表して頭を下げた。

「恋さんは公孫軍に属していないといっても、事実上の指南役ですから。臨時の将軍職に立っても問題ないと思います。むしろ士気が上がるんじゃないでしょうか」

いかがですか? と、武官の面々に伺いを立ててみる。鳳灯の言葉に、考える間もなく皆うなずく。むしろ是非に、とばかりの推しようだった。

「一刀さんは、そうですね、義勇軍の取りまとめと指揮をお願いできませんか?」
「いやちょっと待ってよ。恋のオマケでしかない俺が、そんなご大層な役割出来るわけないだろ。そもそも軍の指揮なんてやったこともないし」
「謙遜されなくてもいいですよ。普段から商隊の護衛役として活躍してるじゃないですか。自分も護衛をしながら、他の護衛の方々の指揮をとる。やってもらうことはそれと変わりません。ただちょっと規模が大きくなるだけです」
「……大きくなりすぎじゃないか?」
「大は小を兼ねる、っていうじゃないですか」
「いっている意味がまったく分からないよ鳳灯」

言葉の意味が逆じゃないか、と、一刀は内心思いながら、その強引さに思わず溜め息をつく。
冗談です、と、彼女はクスリと笑う。だがそれだけだ。要するに、決定を覆すつもりはない、ということなのだろう。

「実をいえば、義勇兵を集めて編成をしても、公孫軍との中継ぎがうまく出来そうな人が一刀さん以外に思いつかなかったんです。
参加してもらえる義勇兵の皆さんと、公孫軍のみなさん。その両方に顔が知られているという点では最適だと思うんです」
「分かった。好きなように使ってくれ。微力を尽くすよ」

彼は控え目にいうが、彼もまた呂扶に稽古をつけてもらっているひとりだ。公孫軍の面々と同様、吹き飛ばされてばかりの実力差はある。それでも、将までとはいわないが、普通の兵よりもよっぽど高い武を得るに至っている。旅の商隊を守る護衛役として、一角の働きをし続けていたのだから、もともとそれなりの武才は持っているのだ。
また鳳灯が指摘している通り、護衛をこなしていた関係もあり、彼はその場全体を俯瞰して見ることが出来る。自分で店を切り盛りしている、という点も関係しているだろう。適時適当な指示を出す、ということにも慣れていた。
この時代に、手広くこなせるということがどれだけ稀有なことなのか。"現代人"である一刀にはよく理解できていないのかもしれない。
彼は料理人になると決めた。いい換えるならば、それ以外の可能性に無頓着なのだ。
自分がどれだけのことが出来るのか。彼はまだ把握し切れていない。





「それでは改めて、状況を説明しましゅ」

臨時の武将として呂扶が据えられ、町の義勇兵代表として、一刀が作戦会議の末席に着く。
気を許す人間が傍にいたせいか、鳳灯が少しばかり噛んでしまう。他の面々は大人の対応でそれを流してみせる。
顔を赤くしながら、仕切りなおそうと咳払いをする彼女。内心悶えていた武官文官が数人いたのは秘密である。

さて。
現在の状況をまとめると、以下のようになる。
遼西郡の北部、烏丸族が治める地域との境を中心にして、黄巾党の勢力が猛威を振るっているという報告があった。
報告が届いたのは今日の朝方。その内容は昨日の時点のもの。
報告では、烏丸との境に点在する小さい村がことごとく襲撃を受けているという。遼西側の村はもちろん、烏丸族の村も多数被害を受けているとのこと。黄巾党はとくに区別をして襲い掛かっているわけではなようだ。
報告の入っている範囲では、被害に遭っているのは、遼西郡を始めとして、北平、漁楽、広陽、上谷といった、烏丸と接している郡のすべて。各郡と烏丸の境あたりをうろうろしているようで、それ以上南下してくる気配は今のところないという。
点在する黄巾の徒は、それぞれ連携を取っているというわけでもないようだ。

「なぜわざわざ、境界線あたりをうろついているんだろうか」
「おそらくですが。公孫軍を始めとした各軍閥に追い立てられて北上しているうちに、烏丸の勢力地域まで逃げて来てしまったのではないかと」
「なるほど。幽州の各郡が抱える自衛軍も、相当の力がありますから」
「逃げ続けて、追っ手が来なくなったところで落ち着いてみたら、烏丸の勢力内に入り込んでいたというところですか」
「我々も、うかつに烏丸の地まで進軍することは出来ませんからな」
「烏丸にいらぬ誤解を与えて刺激しかねんしな」

玉座の間に集まる遼西の諸将が、口々に会話を交わす。それを制して、鳳灯が説明を続ける。

「皆さんのおっしゃる通り、南から北へと逃げ続けた結果、烏丸との境界周辺に居座ってしまった。ということだと思います。
同時に、遼西を始めとした各郡に目をつけている、という点も考えられます」
「目をつけられた、というと?」
「公孫軍を始めとして、各町や村に作られた自衛団。それらに属している皆さんのおかげで、遼西郡は豊かさと堅強さをもって知られるようになりました。方々を荒らして回る黄巾党の中でも、食い詰めても遼西には近づくな、という意見が出るほどだそうです。
その実績が幽州全体にも影響が出始め、それぞれの郡で自衛軍の強化を進めたりしています」

本来であれば、それは誇ってもいい評価。だがそれを語る鳳灯の顔は険しいままだ。

「これまで遼西郡に手を出しあぐねていたのは、公孫軍による討伐が恐ろしかったのでしょう。命あっての物種ですから。
ですが今は、公孫瓉さまを始めとして公孫軍の大半が出払っています。そこに目をつけたのが、おそらく、遼西に手を出して来たひとつ目の理由」
「ひとつ目、ですか?」
「はい」

鳳灯はうなずく。

「ふたつ目の理由。こちらの方が深刻かもしれません。
現在、黄巾党を討伐する勢力が各地を転戦しています。鉢合わせになれば、戦うか、逃げるか。少なくともその場からは立ち去ります。
各地で襲撃と逃亡を繰り返す。拠点となる地が制圧されれば、糧食を失ったまま放浪する。その先で村を襲い、討伐を受け、また放浪する。
それが繰り返されるうちに、黄巾党が襲う土地がなくなってきます。
まだ襲っていない地はどこか? その考えに至り、候補に挙がるのは」
「……幽州、ことに遼西郡ということですか」
「はい。本格的な制圧と討伐が繰り返され、黄巾党は、もう余裕がないのだと思います。だからこそ、遼西にやって来た」

これがふたつ目の理由。
鳳灯の言葉に諸将は言葉を失う。これまで良かれと思い行っていた政策が、巡り巡って黄巾党を呼び寄せる原因を作っていたのだから。ままならない。
だが、こんなことになるなどとは、例え天でも想像できまい。気に病む必要はない、と、一刀は初めて発言する。

「町の皆は、内政官の皆さんがやってきたことのお陰で笑って暮らせていたんだ。それは事実だし、間違ったことじゃない。
それにそこまで黄巾党が追い詰められてるってことは、ここを凌げばヤツらの襲撃を怖がることもなくなるんだろう?」
「一刀さんのいう通りです」

ひとりの民草としての言葉。それが、自分たちのやって来たことが間違いではないと保証してくれる。

「起こってしまったことの原因は後で追究しましょう。今は、この事態をどうやって治めるか。その方が大事です」

文字通り、具体的な案を鳳灯は出していく。
陽楽に残っている兵力はおよそ5000。それに義勇軍が加わることになる。
その内の4000を黄巾党討伐にまわし、残りは万が一のために陽楽で待機。
受けた報告の限りでは、多くても1000を超えるかどうかという集団ばかりだという。それならば問題ないだろうと判断し、隊を二つに分けることを提案した。
まず討伐隊の内3000を一隊として、準備が整い次第出征させる。行軍する先の町や村と情報をやり取りしつつ、黄巾党を討伐していく。
遼東郡まで足を伸ばし、討伐を進めた後、頃合を見て南下し戻ってくるというもの。
もうひとつは、討伐隊残りの1000を第二隊としてまとめ別ルートで北へ。丘力居率いる烏丸と合流し、共に黄巾党討伐に当たろうという案。これには諸将も驚きを見せる。
幸い、丘力居とは友好的だ。討伐するのは共通の敵、遼東方面の黄巾党はこちらで相手をするといえば、断ることはないだろうと予想しての発案。気持ちの上で少なからず抵抗のある将も一部いたようだったが、そんなことをいっていられる場合でもない。鳳灯の案は受け入れられることとなった。
諸将と作戦案を論議し、各隊各部署の基本的な行動を詰めていく。
遼西郡の取るそれらの行動を、幽州の各郡にも伝令し、それぞれの軍勢で対応もしくは合流するといった行動を臨機応変にしてもらうことになる。烏丸の元にも大急ぎで使者が送られた。

一通り、決めるべきことは決め終えた。では早速準備に取り掛かろうと、諸将は腰を浮かせる。

「豊かさと堅強さ。その風評によって、これまでは平穏を保っていることが出来ました。
ですが今回は、その風評ゆえに、黄巾の徒を招き入れてしまったともいえます。
さらにいえば、周辺諸地域、それに烏丸の皆さんまで巻き込んでしまいました」

その償いは、より豊かでより堅強な幽州を作っていくことで、埋め合わせていきましょう。
鳳灯は笑顔を浮かべながら、そういって軍議を締めくくった。













・あとがき
鳳灯、覚醒。(無双的な方に)

槇村です。御機嫌如何。




前半のところで、リンキンパークの『Namb』が頭の中で流れ出した。なぜだ。
まぁ槇村の脳内PVはどうでもいいですよね。



雛里がなにか吹っ切ったようです。性格が変わってない?
華琳さんは殴られる前に殴る人ですよね。
なにかに目覚めたウチの雛里は、こちらからは手を出さないけど、殴られたら死ぬまで殴り返すイメージ。
怖っ。

それにしても槇村は、どうにも悩ませすぎなのではなかろうか。と思ったり思わなかったり。
でも、書いてるうちにこういう展開になっちゃったんだから仕方ないよね。
悩んで仕方がない境遇だもの。「ま、いっか」じゃ済まねぇって。うん。





やべー、黄巾の乱編、ちょっと長くなりそうだ。



[20808] 16:【黄巾の乱】 幽州騒乱 其の弐
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2010/09/28 19:09
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

16:【黄巾の乱】 幽州騒乱 其の弐





遠征に出ている公孫軍の元にも、現状を報告するための伝令が走っている。
公孫瓉が留守にしている間の権限は、鳳灯たちに委ねられている。だが、ことは遼西郡全域に、それどころか幽州全体にも関わる事態である。ひとまず執り行うべき処置、これからの行動、動かす軍の陣割や規模の決定、周辺地域との折衝などなど。いつまでも太守代理が仕切るには、やや荷が重い状況だ。
いつまでも太守が留守のままではいられまい。一刻も早く陽楽に戻ってきてくれ。伝令にはそんな文面を含ませた。
進軍する道程は大まかに決められているし、変更があれば報告が来ている。後を追うことは難しいことではない。遼西郡の現状が伝わるにも、そう時間はかからないだろう。
とはいえ。戻ってくるのをただ待っていられるほど、ゆっくりはしていられない。やることはたくさんあるし、備えるべきことも山のようにある。武官も文官も大わらわだ。

軍議で採られた作戦案の通り、陽楽に残っている兵力の内3000が第一陣、北上組として編成される。
率いる大将は、公孫瓉の妹・公孫範。同じく従姉妹の公孫続が、軍師見習いとして従軍する。彼女らふたりを公孫軍古参の面々が補いつつ、行軍していくことになる。
公孫範は、若輩ながら経験もそれなりに積んでおり、公孫軍の中でも一角の武才を持つ将として認められていた。古参の面々も、彼女に関してはあまり心配することはない。呂扶という修練相手が現れてからというもの、その武の調子は上がりっぱなしだった。公孫瓉に続く急成長株といったところである。
それに対して、公孫続は、大きい規模の遠征は今回が始めてだった。陽楽周辺で起きた小競り合いの鎮圧に同行したことが数回ある程度。おまけにまだ若い。公孫瓉より七歳下、鳳灯より四歳も下になる。更にいえば武よりも知に長け、軍師というよりも内政官向きの人間であった。
鳳灯は彼女を陽楽に残すつもりだったのだが、公孫に仕える古参の将に止められた。彼女に、千単位での遠方従軍という経験を積ませておきたいのだという。
確かに経験は大事だ。今回のような、規模が大きい割りに危険度が小さい遠征はそうないだろう。経験を積むにはうってつけだ。
説得を受け、納得し、鳳灯は反対することなく受け入れた。
だがそれでも、心配は募る。

「続ちゃん、くれぐれも無理はしないでくださいね」
「分かっています。範ちゃんの邪魔をしたりしませんから」

年相応より少し小さい背丈の公孫続と、それより少し高い程度の鳳灯が手を取り合う。
張飛よりも年下なのに、という連想が、より心配を高めているのかもしれない。そこまでするかというほどに、鳳灯は公孫続の心配をしてみせる。

「なんだよ鳳灯、続ばっかり心配してさー。ワタシは心配する価値もないってことかー?」
「あわわ、範しゃん決してしょんなことは」
「鳳灯、噛んでるよー?」

からかう言葉に、鳳灯が反応して噛んでみせた。彼女のそんな様子を見ながら、公孫範は声を殺しながら意地悪く笑う。
動く前に考え込む鳳灯と、考える前に身体が動き出す公孫範。中身は正反対だが、それゆえに性が合ったのだろうか。同い年ということもあり、ふたりの仲はとてもいい。
もちろん彼女のことも、鳳灯は心配である。例え弄られていようと。

「行軍する範囲は広いですが、やることは普段の討伐行とまったく同じです。範さんなら問題ないありません。さほど気負わずに。無茶はしないでくださいね」
「大丈夫だって、心配性だな鳳灯は。いつもワタシが無茶して突っ込んでるように見えるのか?」
「……皆さん、範さんのことをよろしくお願いします」

心得た、とばかりにうなずいてみせる公孫軍古参の将たち。彼女の性格を熟知しているからこその受け答えだろう。おぉいちょっと待て、と、喚く彼女を流して見せる様も堂に入ったものだった。
そんな態度を見せてはいるが、彼女が勝手に突っ走るのではという心配は誰もしていない。
公孫範が本当に猪突猛進な性格であるなら、誰も大将に据えたりしない。軍と兵を率いる立場、というものをわきまえ自制を働かせるだけの思慮はもちろん持っている。それでも抑えられない気性の部分に関しては、周囲が止めればそれでいいこと。だから問題はない。
むしろ、今回のような討伐という目的を持つ行軍ならば、彼女の気性の熱さはそのまま士気の向上にもつながる。

「よーし行くぞー。ワタシに続けー!!」

掛け声も勇ましく、公孫範の率いる3000の軍勢は、遼東郡を目指して北へと向かっていった。





第二陣を率いる大将は、公孫三姉妹の末妹・公孫越。姉と同様、公孫軍の一将として頭角を現している。公孫範、公孫続らと同様に、古参の将が脇を固めての行軍だ。そして副将として呂扶が、また義勇兵のまとめ役として一刀が同行する。
第一陣を出征させ休む暇もなく。次は第二陣の出征準備にかかる。
といっても、数は第一陣の三分の一。おまけに平行して準備を進めていたのだから、後回しにしていた糧食や装備などが整うのを待つくらいしかすることが既にない。
状況の割りに手持ち無沙汰という中。焦れる気持ちを誤魔化すように、打ち合わせと称して第二陣の主要な面子が集まる。打ち合わせといっても、その実は井戸端会議でしかないのだが。

「考えて見るとさ。義勇兵のまとめ役云々の前に、これだけ規模の大きい遠征に参加すること自体初めてなんだけど」

衝撃の事実、とばかりに一刀はいう。
彼は護衛の仕事だけでなく、義勇兵のひとりとして公孫軍に参加し遠征に出たこともある。だが経験した軍勢はせいぜい300程度の規模のものでしかなかった。
それが一足飛びに、数百の義勇兵を取りまとめ、1000の公孫軍に混じり、なおかつその数倍の烏丸族と行動を共にすることになったのだ。感慨に耽るというか呆然とするというか、この現状に彼は自分のことながら俄かには信じきれない。

「でも兵隊さん全員が、俺と同じように恋に吹き飛ばされているんだと思うと、妙に仲間意識が沸くなぁ」
「あはは……」
「そのお陰で、皆さん物凄い勢いで実力が上がっているんですよ?」

一刀の言葉に、乾いた笑い声を漏らす公孫越。
彼女もまた、呂扶に吹き飛ばされ続けているひとりだ。兵だろうと将だろうと関係がない。彼の気持ちはよく分かる。
だがその圧倒的力量差をもって行われる修練が、公孫軍の実力を底上げしていることも事実。鳳灯はその点を指摘し、無駄にはなっていないのだと主張する。

「確かに、恋姉さんと対峙するだけでいろんなものが鍛えられている気がします。
対峙し続ける気力もそうですけど、どうやって手を出そうか、って考えることで、頭が鍛えられるんですよね」
「それはよく分かりますね。頭が鍛えられるというか、相手と対峙したときに繰り出す手数のバリエーションが豊かになるって感じかなぁ」
「ばりえーしょん?」
「んー、選択肢が増える、ってことです」
「なるほど。それは分かる気がします」
「……越は器用。でも使いこなす力が、まだちょっと足りない」
「……そうですか」

公孫越は普段から呂扶に懐き、真名も許され"恋姉さん"と慕っている。
一刀との談義の中で、そんな師匠からのダメ出しを受けて彼女は少し落ち込んでみせた。

「あわわ、恋しゃんは越しゃんを否定してるんじゃなくて、伸び代があるっていうことを指摘しているんであって」
「雛里のいう通りですよ。ない、っていってるわけじゃない。足りないってことは、これから力をつけていく余地があるってことですから」

鳳灯と一刀が、落ち込む彼女に助け舟を出す。
その中の一刀の言葉に、公孫越が反応した。

「北郷さん」
「はい?」
「いつのまに、鳳灯さんを真名で呼ぶようになったんですか?」
「え?」
「あわっ!」

会話の流れとは違ったところに反応したようだ。
呂扶と同様に、公孫越は一刀も慕っている。しかもちょっと恋愛感情が入っている。
常に呂扶と一緒にいるのだから、接する機会も多くなる。そのせいでいつの間にか、といった感じだ。
優しさだとか料理の腕だとかいろいろ器用なところだとか、理由はいくつも挙げられるが、今の彼女にとってそんなことは些細なことになっていた。

「いや、ここ数日の間にちょっとしたきっかけで」
「ふーん」
「いえその、もともとお世話になっていますしいろいろ悩み相談というか助けられたこともたくさんありましたので今更ですがって」
「へー」

なんの話だ、とばかりに淡々と返す一刀。
反面、ものすごく焦っているのにまったく噛まずにいいわけを繰り広げる鳳灯。
そんなふたりを見比べながら、生返事を返す公孫越。彼女は嫉妬、というよりも、なにか面白くない、という感情に駆られていた。

鳳灯を始め、新しく将として加わった面々。それに将ではないがなにかと世話になっている、呂扶や一刀。彼や彼女らに対し、公孫越は信頼もしているし信用もしている。真名を許すことになんら抵抗を感じないほどに。これは彼女の姉や従兄弟である、公孫瓉、公孫範、公孫続も同じ考えだ。
だがなんとなく、それを伝える時期を逸していた。以来、皆からは名を呼ばれ続けている。
一抹の寂しさを感じていたところに、一刀が鳳灯の真名を呼んだ。正直なところ、ずるい、という気持ちが胸のうちを占めていた。
それじゃああたしのことも真名で呼んで、といえればよかったのだろうが。つい腰が引けてしまう公孫越。少しばかり考え過ぎて、踏ん切りをつけるのを躊躇ってしまう。彼女にはそんなところがあった。

結局、一度こじれた公孫越の機嫌は元に戻ることはなく。呂扶の腕を抱きこむようにして縋り付きながら、不機嫌な表情を見せ続けていた。
もっとも、そんな態度を見せられること自体が、彼と彼女たちを信頼して甘えていることの証左だともいえる。そのことに、公孫越は気付いていない。呂扶は片腕を取られたまま彼女の頭を撫で付け、その様を見て、一刀と鳳灯はほんのりと微笑んでいた。





それから数日。出征の準備を整えた第二陣は陽楽を出発。第一陣とは違う道を辿り、北へと向かう。
目指すは、烏丸族と落ち合う地点。
距離もそう遠いというわけではなく、黄巾賊と出くわしつつも、問題なく合流地点に到着した。
烏丸族の面々は既に到着しており、いつでも進軍できる状態になっていた。その数、およそ5000に及ぶ。

「おう、よく来たな公孫越」
「丘力居さん、ご無沙汰しております」

互いの軍の大将として挨拶を交わすふたり。だが共に顔見知りであり、今回の状況については既に何度も使者を通して意見を交わしている。今更確認すべきことも多くはない。

「今回は我々に協力していただけて、感謝しています」
「いやなに、どのみち黄巾の奴らは討伐しなきゃいけなかったんだ。
境界線の上の方はそっちが請け負ってくれるんだろ? こちらとしても今回の申し出は願ったりかなったりさ」
「それでも、黄巾賊が烏丸の皆さんのところまで来てしまったのは、我々が原因のひとつでもありますから」
「まぁ、確かに漢の奴らのせいで黄巾が出てきたのは腹が立つが、公孫瓉やお前たちにまで非があるとは思ってないよ」

あまり気に病むな、と、公孫越の頭をぽんぽん叩く。丘力居にされるまま、静かに笑う。
ふたりの性格が読み取れるやり取りだったといえよう。



早速互いの軍勢をまとめて再編成を、ということになり、将扱いの面々が顔合わせをする。中でも、丘力居は呂扶に興味深々だった。

「お前さんが呂扶か。噂は聞いてる、公孫軍全員でかかっても倒せない、一騎当千の指南役だってな」

なんでそこまで知っているんだ、と、一刀は思ったが。
瓉姉さんが喋ってました、という公孫越の耳打ちに納得する。
それって、いわば身内の恥部に当たるんじゃないの? ひとりに全滅とか。そんな一刀の小さい囁きに、公孫越も笑って誤魔化すしかなかった。

「で、お前さんは?」

丘力居の視線が一刀に向けられる。この場にいる中で、呂扶を除けば彼だけ面識がないのだ。訝しむのも無理はない。

「義勇兵を取りまとめる大役を仰せつかった、北郷といいます。本職は武将でもなんでもない、ただの料理人です」
「ほう。その割にはずいぶん、肝が据わっているように見えるぞ」
「自分の生活がかかっていますからね。黄巾賊をなんとかしないことには、落ち着いて鍋も振れない。肝も据わるってものですよ」
「確かにな。面白いなお前」

丘力居は笑いながら、ばんばんと一刀の肩を叩く。
一刀の見たところ、年のころは分からないが、公孫越よりも一回り大人な印象。一刀よりももっと上だろう。
関雨にも負けない、長く綺麗な黒髪が印象的だ。
一見キツそうな雰囲気だが、話してみれば気さくでよく笑う。表情もくるくる変わるが、目つきは常に鋭いままだ。しかし怖さは感じない。
……馬に乗る人は皆とっつきやすい人なのだろうか。そんなことを考える一刀だった。



公孫越たち一行が、丘力居率いる烏丸軍と合流。いくらかのやり取りを終えた後、公孫・烏丸合同軍は進軍を開始する。
互いの領土の境界線に沿って南下していく。互いに細作を方々へ放ちながら、黄巾賊の動向を探る。
黄巾賊がたむろしているところを見つければ、それ行けとばかりに討伐にかかる。一応は降伏を求めるが、すでに村を襲ったことなどが分かると容赦なく討伐、処刑。特に烏丸の面々は容赦がない。止める理由もないので、公孫軍もなにもいわずにいる。

小規模の集まりをひたすら数で押し潰す。そんな形で黄巾賊を討伐していく合同軍。大きな被害を出すこともなく、北平郡を通り、間もなく漁陽郡に入ろうとしていた。
そこで、黄巾賊と戦う軍勢の姿を確認する。

「戦っているのは、北平と漁陽の軍ですか?」
「そのようです。北平・漁陽の軍がおよそ7000。対して黄巾賊の数が、15000ほど」

細作の報告に、公孫越は顔をしかめる。これまでに遭った黄巾賊とは規模が違う。

「いきなり数が増えたな。まるでイナゴだ」
「ここまでに討伐した黄巾賊も、これに合流するつもりだったのかもしれませんね」

これだけの数、どこから集まって来たのか。感心するやら呆れるやら、といった態度の丘力居。
これだけの数、なんらかの手段で組織として機能し出したら大事になる。可能性のひとつを想像して戦慄する公孫越。

「我々の5000と、戦闘中の7000。数ではまだ勝てんが、相手は黄巾だ。策と連携と勢いで、なんとか出来るんじゃないか?」
「楽観的ですね、丘力居さん」
「出来る素地はあるだろう?」
「……無理ではない、と思います」

じゃあそれで行こう。
丘力居が頭を撫でる。されるに任せながら、公孫越は苦笑するしかなかった。

「幸い、このままヤツらに突っ込んでも黄巾どもの側面を突ける。速さで掻き乱して、慌てた所を囲んで叩き潰すか」
「……そうですね。あと一部は背面の方に回りこんで、逃げ道を限定させましょうか」
「そうしてさらに追い立て殲滅、か。
ふむ、突撃しつつ広がって行き、駆けつつ射やり回り込むとしよう。馬もない黄巾どもでは我々の速さには付いて来れまい」

公孫越の案を拾い上げながら、丘力居が道筋を作っていく。
大将同士のやり取りに、他の将たちは口を挟まない。信頼ゆえでもあり、その内容に異がを感じないからでもある。
素早く淡々と、作戦が固められていく。その内容を含ませた細作を北平・漁陽の両軍に飛ばし、合同軍も突撃の準備に入る。

「じゃあ恋が、先に行く」
「ふむ。遼西の一騎当千が先駆けで行くか。その武才、とくと見せてもらおう」

策の内容を聞いた呂扶が、一番槍を申し出る。他の面々もそれに異はない。
ここまで相手にしてきた黄巾賊は、数も少なくあっけなく討伐されている。いわば呂扶が出るまでもなく片がついていた。それでも被害がほとんどないのだから、公孫軍の実力の高さが窺い知れる。
そんな彼ら彼女らが束になっても勝てないという、呂扶という人物。彼女がどんな戦いぶりを見せるのか、丘力居は楽しみで仕方がなかった。
胸の高鳴りを隠すこともなく、彼女は笑顔を浮かべながら、呂扶に烏丸の騎馬隊が取る動きを伝える。そのいちいちに、呂扶はうなずいていた。
そうしている間に、陣割と再編成は完了する。
先鋒に、呂扶率いる公孫軍の騎馬隊。それに歩兵部隊が後ろに付く。
呂扶たちの背後を囲むようにして、烏丸族の騎馬隊と歩兵。先鋒の突撃を弓で援護しつつ広がって行き、黄巾賊の動きを限定するように包囲していくのが狙い。
その後ろに、一刀率いる義勇兵を中心とした一団。先鋒が蹴散らした黄巾賊に止めを刺すこと、そして大将である公孫越の防備、というのが主だったところだ。
それぞれが、おのおのの為すべきことを為すために、胸の内を高ぶらせながら待機する。

そんな中で一刀は、先頭へと進んでいく呂扶に声をかける。

「恋、無理はするなよ?」
「ん……。でも、今は無理をしてやるとき」
「……確かにそうだな。すまん」

不要な言葉だったかもしれない。それでも、彼の心遣いは確かに届く。
呂扶が戟を握る手に力が篭る。しかし、その身体に要らぬ力みが雑じることはない。
彼女にとっては、久しぶりの戦場。にもかかわらず、その心身に不安なところなどひとつとして感じられなかった。





時を少し遡り。
遼西郡・陽楽の政庁。
軍の第二陣を無事に送り出し、ひとまずホッとする内政官たち。
もちろん、大変なのはこれからだということは理解している。変わっていく状況に合わせて、適時適当な対応をしていかなければならないのだ。
それでも、ひとつ区切りがついた、という気持ちは否めない。ひと息ついてから、次の難題に取り掛かろう。
そんな空気に満たされていた玉座の間に、新たな報告が入る。その内容を聞いた鳳灯は愕然とした。

伝令が伝えた内容は、幽州刺史からの派兵依頼だった。
曰く。幽州の南部、楽陵郡・渤海郡・章武郡に渡り黄巾賊が集結しているとのこと。
その数は30000にも及び、これの討伐のために兵力を貸して欲しいという内容だった。
遼西郡の兵力は、現在北方に展開する黄巾賊の討伐にかかりきりである。南方にまで兵を回せるほどの余裕がない。

「……北方の黄巾賊討伐が終わり次第、そちらに軍勢を回す、と。使者さんにお伝えください」

他の内政官たちに目を向ける鳳灯。皆なにもいわずに、ただうなずいた。

場合によっては、挟み撃ちにされる可能性がある。黄巾賊の間で連携が取れていないことが、救いといえば救いだ。それでも、いつどのようにして襲い掛かってくるか読めない。そこが懸念点でもある。
本当に、黄巾賊の残党すべてが集まってきたのではないか。そんな想像さえしてしまう。
鳳灯は、歯噛みする。



すべてかどうかは分からないが、残っている黄巾賊の大多数が幽州周辺に集まっていた。
この時点の鳳灯はまだ把握出来ていないが、幽州は北に15000、南に30000の黄巾賊に挟み撃ちにされている状態となっている。
これがいつ、南下し、北上してくるか。
予断を許さない状況となっていた。












・あとがき
うん、戦場描写にまで至らなかった。すまない。

槇村です。御機嫌如何。




唐突に、オリジナルキャラが続出。
人を増やさないと、表現しきれないと判断しました。あと公孫瓉陣営に誰がいたっけ。
それにしても、難しいなオリジナルキャラ。


公孫範(こうそんはん):
公孫瓉の弟もしくは従兄弟。
本作では、公孫瓉より三歳下の妹。恋姫無双のお約束にのっとり、女性にしてみた。
伯珪より力は強いが猪突気味。伯珪よりもちょっと短慮。


公孫越(こうそんえつ):
同じく公孫瓉の弟もしくは従兄弟。
本作では、公孫瓉より四歳下の妹。恋姫無双のお約束にのっとり以下略。
伯珪より武に劣り、伯珪よりやや思慮深い。だがここぞというとき即決する思い切りにやや欠ける。
瓉、範、越で公孫三姉妹と称する。
……今気付いたけど、黄巾の三姉妹と被るような気がする。


公孫続(こうそんしょく):
公孫瓉の息子。
本作では、公孫三姉妹の従兄弟。恋姫無双の以下略。
年齢設定は鈴々より下。
原作でいう、張三姉妹における一刀みたいな立ち位置にしたいと思っている。若いのに苦労しているみたいな意味で。


丘力居(きゅうりききょ):
13話で名前だけ登場した方。晴れて本作に登場。やっぱり女性。
烏丸族の長。史実では、公孫瓉と対立し、幽州を自分の下に治めてしまったりしているらしい。やり手だな。
現在出てくるキャラの中で一番年上。経験を十分に積んだお姉さん的年齢。(訳分からん)
お肌の曲がり角、とかいったらステキに笑いながら剣を振るってくるに違いない。
ちなみに最初は戟を振るっていたらしいが、「髪に絡まるから」という理由で剣に持ち替えたという逸話あり。(槇村の中で)


もちろん、書いているうちに性格が変わる可能性も大。多分、他にも出て来るだろうなぁ……。



最近になって気付いたことがある。
「黄巾党」と「黄巾賊」って使い分けてないねオレ。
黄巾たちを認めていないんだから、討伐する側が「黄巾"党"」って口にするのは変じゃないかなぁ。
と思って調べて見たら、やっぱり変らしいです。
……直そう。うん、いずれ直す。

小さなところが気になって仕方がない槇村でした。



[20808] 17:【黄巾の乱】 幽州騒乱 其の参
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2010/10/04 06:25
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

17:【黄巾の乱】 幽州騒乱 其の参





北と、南。図らずも万単位の黄巾賊に挟み撃ちにされた幽州。
口でいうのは簡単だが、その数字は想像を絶するものだ。大きな町のひとつふたつが丸々黄巾賊となって襲ってくる、そんな例えをしても差し支えないだろう。
とはいえ、数万の黄巾賊がそのまま襲い掛かってくるわけでもない。
集結しつつあるといっても組織だっているわけではなく、ただ徒党を組んでいるだけだ。
討伐に当たっても、出くわす黄巾賊の規模は数百から多くても千数百程度。それが連なっているのだと考えればいい。
数は多いが、慌てずに各個撃破してい行けば、その数は着実に減らしていくことが出来る。
そして、それは決して不可能ではない。
各地域の自衛軍や自警団は、自分たちが生きる土地を守るために力の限り抵抗している。
共同体が自ら守る戦力を有し 遼西郡が提唱した軍事拡張及び充実案を取り入れたことにより、この黄巾という名の暴徒にも、必死ではあるが余裕を持って対処することが出来ている。
互いに被害を出しながらも、趨勢は徐々に黄巾賊の下から離れつつある。大きく集まりだしたのは、そんな不安を黄巾賊が感じ出していたのかもしれない。

北で集結をなした黄巾賊は、まず漁陽郡に侵入。また同時期に別の集団が北平郡へと入り込み、それぞれが領内で暴れ周る。
報告を受けた太守はこれを鎮圧するために軍が出動させる。それから逃げるようにして、黄巾賊は郡境へと撤退していった。
これまた意図していたわけではないが、ふたつの黄巾賊が合流する形となり、結果的に15000もの勢力に膨れ上がった、というのが実情である。
遼西郡の公孫瓉を除いて、幽州の各郡には名を馳せる将と呼ぶほどの人材がいない。気力も兵力も十分ではあるが、やはり大きく差のある数をひっくり返すような決め手を欠いている。故に、倍にも及ぶ数の黄巾賊に対して、奮闘はしているものの頭数の差に押されている状況だった。
漁陽軍北平軍共に、よく堪えてはいるが旗色が悪い。
そこに、天の助けとも呼べる勢力が介入する。
数の差を反転させるほどの武才を持つ将。呂扶を含む、公孫・烏丸の合同軍だった。



「今の恋がやらなきゃいけないことは、一刀と越を守ること」

呂扶は小さくつぶやいて、

「……行く」

馬に軽く蹴りを入れ、駆け出した。
後方から、呂扶が飛び出す姿を見る公孫越。彼女は剣を抜き、公孫軍と烏丸軍に檄を飛ばす。

「我々が住む地の平穏を乱す、獣のごとき黄巾賊。もはや獣と化した者に与える温情は不要である!
奮闘し、黄巾賊のすべてを討伐せよ! 己の振るう腕に友の、家族の、自分に関わるすべての者の安寧がかかっていると知れ!!」

突撃、の声と共に、合同軍全体から鬨の声が上がる。先駆けた呂扶たちに追いつかんばかりの勢いで、総勢5000の兵が駆け出した。

「呂扶が駆ける先の黄巾を減らす! よし、放て!」

丘力居のよく通る声。その命令に従って烏丸の兵たちは弓を構え、矢を放つ。
正確で素早い騎射。乱れのない組織だったそれに、黄巾賊はただ身体を晒すのみ。烏丸の騎兵たちの矢は着実に、ひとりまたひとりと賊の数を減らしていく。

黄巾賊の中に、組織だった命令系統は存在しない。
まったくないわけではないが、所詮は互いの欲のために集まった集団である。他人の命令など素直に聞く者の方が稀だ。
横から突然、思いもよらぬ攻撃を受けた。味方がバタバタやられていく。じゃあどうする?
そんな考えを各々巡らしはするものの、行動に移されることはない。移したとしても時間がかかる。
黄巾賊にとって、その間が命取りとなる。次から次へと矢が放たれ、自分の隣に立つ者が倒れたかと思うと、次いで自分が矢を受ける。
誰も彼もが混乱し出す。そこで初めて、正面以外に敵が現れたことに気付く者も多かったろう。
勢いに任せ、興奮に駆られた人間は視野を狭くさせる。そんな視界の中に、自分たち黄巾の徒へと向かって来る者が映る。
遼西の一騎当千、呂扶。
黄巾賊15000の内、数千が彼女の姿を捉え、迫り来る敵として認識した。



馬を駆り、突出する呂扶。その速さに付いて行けている者はほんのわずか。
彼女は周囲を置いてけぼりにしていることも気にしない。後方から矢の支援を受けながら、ひとり、黄巾の側面へと突っ込んでいく。

呂扶が、馬の上から跳んだ。
戟を手にしているとは思えぬほどの軽やかさで、高く、遠く、跳んで見せた。
その姿はまるで燕が空を翔けるかのように鋭く、美しかった。
かつては飛将軍とも呼ばれた彼女の華麗な動きに、後を追う兵たちは魅せられ、わずかに時間の進みを遅く感じたほど。
だが、空を翔けた時も実際にはごくわずか。
心奪われたといっても、ただ馬から飛び降りただけのこと。黄巾という名の獣の群れに向けて降り立っただけである。
ほんの数瞬であったからこそ、印象に残り、心の内に感銘を残したのかもしれない。
そして、この後に繰り広げられた光景がさらに、その思いを強くさせたのだろう。

空を翔けた呂扶が、地に足を届かせる。刹那、彼女の持つ戟が唸りを上げた。
風を切る音。それだけで周囲を圧倒する。立ち上る雰囲気が、場の空気を彼女ひとりのものにしてしまう。
黄巾賊がその姿に怯む暇もなく。
呂扶は一歩、踏み込んだ。



「本当に、恋姉さんは凄いんですね……」
「目の当たりにすると、言葉をなくしますね……」

武才の程は聞いていた。手加減されていたとはいえ実際に武器を交えもした。それでも、目の前で繰り広げられる光景は想像以上のものだった。
公孫越と一刀、ふたりは揃って絶句する。それほどに、戦場で武を振るう呂扶の姿は圧倒的で、凄まじかった。

公孫軍との修練と称して、兵たちに振るわれていた武も相当なもの。兵たちは遠慮会釈なく吹き飛ばされ続けていた。気絶し、怪我もし、ときには骨折する者もいた。重症となる兵もいた。
それさえも、やはり加減されていたものだったのだろう。
今、呂扶の前に立つ者たち。彼女の戟に薙ぎ払われる者たちは、そのほとんどがことごとく命を散らしているのだから。

横薙ぎの一閃で百もの黄巾賊が倒され、振り下ろせば地に穴が開き千もの敵が吹き飛んでいく。
後にそう称された呂扶の戦い振りだが、流石にそれは誇張に過ぎる。
だがそう錯覚してしまうほどに、一挙手一投足が速く、重く、鋭い。
切る。薙ぐ。さばく。突く。掃う。
戟がひとつ振るわれるごとに、一合とて耐えることも出来ず地に伏していく。一人二人三人、十人二十人三十人と。その人数はどんどん増えていく。
彼女の前では、ある意味、命の重さは平等だった。立ちふさがった黄巾賊は皆、例外なく屠られていくのだから。
呂扶は戟を振るい続ける。大切な者たちを守るために。その姿には気負いも、迷いも、躊躇いも一切感じられない。

「戦場で、不謹慎かも知れませんけど。恋姉さん、すごく格好いいです」
「……確かに」

ここは戦場だ。割り切っているとはいえ、人が死んでいる。黄巾賊はもちろん、少なからず味方にも損害は出ている。それは分かっている。
それでも。見惚れてしまうふたりだった。



呂扶が持つ、戟の間合い。彼女はその内に黄巾を立ち入らせることなく切り捨てる。薙ぎ払う。吹き飛ばす。
歩を進めるごとに、間合いも動く。半歩で構え、一歩進めば戟が振るわれる。その一振りだけで幾人の黄巾が打ち倒されていることか。
倒れた者を振り返ることもなく、呂扶は歩みを進める。彼女の通った後はまさに死屍累々。生死を問わず、意識のある者をひとりとして残さない。

戦働きの成果を出しているのは呂扶ばかりではない。当然だ。この戦場で奮闘してるのは、彼女だけではないのだから。
だが誰の目にも、呂扶の働きが別格であることは一目瞭然。驚くやら感心するやら呆れるやら。
中でも、丘力居は彼女の戦う様を間近で見つめていた。いや、彼女もまた見惚れていた。

「凄まじいな」

そのひと言に尽きる。
人の身で、あそこまでの動きが出来るものなのか。武をたしなむ者が目指す高み、その天井の高さを目の当たりにして知らず溜め息が出る。
そんな態度とは裏腹に、丘力居の顔は笑みを浮かべていた。ことにその目は、まるで獲物の姿を得たかのごとき剣呑な喜びを湛えている。

「騎射隊はそのまま歩兵たちの援護を。隊の動きはお前たちに任せる。
いくらかはわたしについて来い。黄巾どもを直に蹴散らしてくれよう」

指示を飛ばし、彼女は軽やかに馬から飛び降りてみせる。部下たちが後に続くのを確認もせずに、ひとり先に歩き出す。
ゆっくりと、剣を抜く。途端に、丘力居の纏う空気が変わった。

「この齢になって、己の未熟さを痛感させられるとはな。
感謝するぞ、呂扶。わたしの立っていた場所が、どれだけ低いところなのかを教えてくれた」

黄巾賊を囲むべく大きく外を回っていた烏丸の騎馬隊。そこからひとり、歩み寄ってくる女性。その姿に黄巾たちはあらぬ不安を覚える。
向かってくるのはたったひとり。自分たち黄巾は十、百、千と固まっているのだ。不安を感じる方がおかしい。
おかしいのだが。それだけの数をものともせずに暴れ回る人間が、万を超える黄巾の中に飛び込んできたばかりだった。
黄巾の目に、その姿はまさに鬼神、化け物だとしか映らない。いつ自分がそいつの前に立つことになるかと、呂扶から離れた場所にいた者はたちは戦々恐々としていたのだ。
そんな彼らの前に、単身現れた、丘力居。

こいつも、あの化け物と同じなのか? 

黄巾の徒は一様に怯えだす。目の前の女性ひとりに。

「お前たち黄巾にも、多少は感謝せねばならんか。おかげで呂扶という存在を知った。
烏丸の大人としてはよろしくない言葉だが、遼西に喧嘩を売るのは危険だということが分かったのも収穫だな」

丘力居の歩みは止まらない。急ぐでもなく、ゆっくりと、剣を握り笑みを浮かべたまま、黄巾の群れへと近づいていく。

「だからといって、我らの村を襲ったことは許せん。その報いはしっかりと受けてもらおう。お前たちの命でな」

丘力居と黄巾たちの間はすでに至近距離。襲い掛かろうとすればすぐに手を出せる。
彼女の放つ重圧感に耐えられなくなったのか、黄巾のひとりが雄たけびを上げつつ襲い掛かる。
だがその蛮勇も報われることはなかった。
丘力居の剣が、黄巾の腕を掃う。斬り落とされはしなかったが、刃は腕を切り裂き骨にまで至る。
痛みの叫びを上げる暇もなく、返す剣が首元を切り裂いた。噴き出る血。事切れた黄巾は周囲を赤く染めながら倒れ伏す。
その様を見届けることもなく、彼女は更に歩を進めていく。

「変に抗うと、苦しみながら死ぬことになるぞ?」

そう口にする彼女の周囲でも、次々に黄巾賊は斬り捨てられる。大人たる丘力居を追い、馬を降り歩兵となった部下たちが黄巾賊たちに襲い掛かる。
丘力居ひとりが放つ重圧に気を取られていた。そのために黄巾たちは、彼女の後ろから迫る増援に気がつくことが出来なかった。
隣に若しくは目の前に立つ仲間の悲鳴でようやく我に返る。棒立ちのままだった黄巾賊が、少なくない被害を出してようやく動き出す。
だが烏丸軍はそれさえも許さない。
向かってくる烏丸の歩兵。その背後から弓が飛んでくる。我を取り戻した黄巾賊が、動きを見せる前に次々と射抜かれていく。目の前で穴だらけになっていく仲間を見て、再び取り乱す。それを止めるように、新たな矢が襲い掛かる。
騎馬隊として残った面々は、右に左にと展開しながら弓を放つ。騎射に自信を持つ軍である。その制度は正に正確無比。烏丸の歩兵を囲む黄巾たちに、着実に死と矢傷を与えていく。そして騎馬が走る距離を広げるのに比例して、まるで扇が広がっていくかのように、黄巾賊が被害を受ける範囲が広がっていく。
その扇の要ともなる位置、中心部分で、丘力居は笑みを浮かべながら剣を振るい続けていた。

「呂扶よ。その高みからは、いったいどんな景色が見えるのだろうな」

その姿はどこか、戦場に立ち命を奪っているものとは違う雰囲気を醸し出している。いうならば、そう。未知を知り、胸躍らせる無邪気な子供のようにも見えた。



気がつけば、趨勢は完全に討伐側に傾き、山場を既に乗り越えていた。

漁陽と北平軍およそ7000と、黄巾賊15000の激突。そこに参戦した公孫と烏丸の合同軍5000。それでも数はまだ互角とはいえない状態だった。
だがいくら頭数に差があったとしても、その有利さが顕著となるのはうまく動いてこそのこと。数の差を補うべく、合同軍は策を弄し、連携を密にし、士気を高め勢いをつける。
味方が現れたと知った漁陽・北平軍は士気を取り戻し、伝えられた友軍の動きを把握しそれに連動する。
その動きを得た合同軍は、自ら立てた策に沿って動いていき、黄巾賊の動きさえも制御していく。
なによりも衝撃を与えたのが、呂扶の働きだ。
たったひとりで数千もの黄巾の目を集め、そのほとんどを蹴散らしてしまった。彼女の戟から逃れた輩も、他の公孫軍の手によって討伐される。
更に、怯えうろたえる一団の背後を烏丸軍が襲う。率いる丘力居の自信に満ちた態度に、黄巾は呂扶の姿を重ねて錯乱する。そこに付け込むようにして、頭数による連携をもって圧倒した。数千の黄巾賊が次々倒れていく。
残るはもう、ただ慌てふためくだけの烏合といってよかった。
なんとか逃げ出そうとする黄巾賊。討伐隊の面々は、その背中を容赦なく斬りつける。情けなどかけない。殲滅であった。

黄巾賊15000の内、最低でも10000強は切り捨てられた。それに対して、公孫・烏丸合同軍の被害は1000にも届かない数に抑えられている。
漁陽・北平軍は、初めからぶつかり合っていたこともあり、規模に見合うだけの被害は出ているようだった。それでも、軍としての体裁が崩れない程度に抑えられたのは僥倖といえるかもしれない。
やっていたのは討伐戦。殺し合いである。共に出征した仲間と死に別れ、それに涙する者もいる。
それでも、結果だけを見れば、なんということはない。圧勝である。
なすべきことの結果を計るために、兵の命を数字で表すことには誰でも抵抗がある。
それでも、これが幽州の、烏丸の平和につながるのだと、誰もが割り切っている。
公孫越も、丘力居も、呂扶も一刀も、この遠征に参加したすべての兵が。
例え割り切れなくとも、割り切ろうとしていた。



この戦場から逃げ切った黄巾賊を追討する。
追討隊を再編成する一方で。公孫・烏丸の合同軍と、漁陽と北平の合同軍、互いの大将格が顔を合わせた。
助勢に対する感謝と、遼西郡が行っていた軍備充実の先見性に対しての賛美。そんなものが公孫越に寄せられる。
あたしではなく姉の公孫瓉と、内政官の皆さんのお陰です。彼女は顔を赤くしながら、自分ではなく身内の功績だと謙遜する。
彼女のそんな態度に、丘力居はやはり笑いながら公孫越の頭を撫で回し、漁陽と北平の面々も穏やかな笑みを浮かべてみせる。
だが、続けて口にされた話に、その場の空気は冷たいものとなる。
幽州の南に、黄巾賊が集結している。その数は、30000にも及ぶ、と。
彼らの話す内容に、丘力居は顔をしかめ、公孫越はその表情をひどく強張らせた。













・あとがき
早々に、オリキャラたちの出番が危惧されていてなんだか悲しい。

槇村です。御機嫌如何。




こうなったら意地でも出番を増やしてやろうかチキショウ。
とか反発するようなことを考えてしまうのは何故だ。
坊やだからさ。

戯言はともかくとして、なんとか活かしていこうとは思っています。生暖かく見守って欲しい。



呂扶について。
本文中、飛将軍っていうイメージの使い方が少し違う気がした。どうしようかと思ったけどそのままにしました。
行動が迅速、っていう意味では間違っていないしな。と言い訳をしてみる。

そんな恋さんに、丘力居さんが興味を持たれたようです。むしろ興味津々。
さてさてどうなることやら。




動物で思ったことあれこれ。

作中で、黄巾賊を"ハイエナ"と表現しようと思ったのですが。
調べて見たら、ハイエナってアフリカから中東あたりの生き物なんだね。せいぜいロシア南西、インドあたりまでとか。
中国にはいないのか? となると、使うのはちょっと変だな。
なんてことを思った。

燕って、三国志の頃にもいたのかしら。
でも燕って文字はあったみたいだし、いるってことにしておこう。

極力、理論歴史学的な進め方をしたいなと思っている槇村なのですが。
反面、恋姫だしなぁ、という気持ちがあるのも事実。
あれはおかしいこれもおかしい、といい出したらキリがないことも分かってはいるんですけどね。





それにしてもなによりも。
戦闘シーン、難しいです。精進、精進。



[20808] 18:【黄巾の乱】 幽州騒乱 其の四
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2010/12/28 21:09
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

18:【黄巾の乱】 幽州騒乱 其の四




「お疲れさま、恋」

一刀は笑顔を浮かべて、戦場から戻ってきた呂扶を迎え入れる。
さすがに疲れを見せている彼女。俯くほどではないが、一刀の言葉にもうなずきで返すだけだ。
もともとが無口なだけに、その違いも傍目からでは分かりづらい。
だが普通に考えれば、疲れだとか怪我だとか、そんな心配で済むような状況ではなかったのだ。
たったひとりで、数千もの敵の只中に吶喊し、その中心で武を振るい続ける。それがどれだけ異常なことか。
どれだけ頑強な精神を持っていようと、どれだけ経験を積んだ百戦錬磨の手練れであろうと、"普通"でいられるはずがない。
身も心もヘトヘトに決まっている。
ゆえに彼は、一騎当千たる"呂扶"を称えるのではなく、ひとりの人間としての"恋"を労わる。

「恋、ありがとう」

一刀は優しく彼女を抱きとめてやり、頭に回した手に力を込め、撫でる。呂扶も心地よさそうに、目を閉じながら、彼に身体を預けっぱなしにする。

彼は、よくやった、とはいわない。
がんばったな、ありがとう、と、労うと同時に感謝する。

黄巾賊は、自分たちに害を為す者。公孫越が檄を飛ばしたように、温情を与える余地はない。一刀もそう考えている。
だがそれでも、その手で奪っていたのは、ヒトの命。
やらなければいけないことだったにせよ、それを“よくやった”と褒め上げていいものか。疑問に思ってしまう。
ただの言葉遊びだ、といってしまえばそれまでだ。
一刀自身、生き残るために多くのヒトの命を奪ってきた。なにを今更と内心自嘲もする。
理由があれば殺していい、などとはいわない。だがこの時代、ヒトを殺めるには多く理由がある。
そこにあるのは良い悪いではない。許せるか許せないか、だ。
誰でも好んでヒトを殺すわけではない。どれだけの武を誇っていても、ヒトの命を奪うことを目的とする者がいるものか。
一騎当千と呼ばれる呂扶であっても、おそらく戟を振るうたび、その心に傷を負っているだろう。一刀はそんな想像をする。
彼が"現代人"であった名残が考えさせる、見当違いなことなのかもしれない。
それでも、手にかけた命の重さに知らず圧し潰されぬよう、気を配る。自分にも、そして周囲にも。
だから一刀は、呂布だけではなく、戦場から戻ってきた人たちを出来うる限り労わろうとする。
ヒトの命を奪うことに、慣れてしまわないように。





幽州の北に集結した黄巾賊はほぼ討伐し終えたと見ていた。
転戦してきて感じた感触から、今回ほどの規模にまで膨れ上がることはないと、公孫越を初めとして各諸将は考える。
小競り合いはまだまだあるだろうが、規模の大きなものは直近では起こらないだろう、と。

「次は、南ですね」

まったくこれだけの黄巾賊がどこから現れるのだろうか。思わず公孫越は溜め息を吐く。
もともと黄巾賊が蜂起したきっかけは、地方を治める太守に対する反発だ。
ひとつが引き金となり、暴動が各地で発生する。規模はどんどん大きくなっていき、漢王朝に対する不満が連鎖的に爆発していった。
それぞれにつながりはなくとも、行動の根底となるものは同じだ。漢の勢力にあった地には、まんべんなく黄巾賊がいるといっても過言ではない。

「幽州はともかく、他の地方の民はそれだけ、生活に限界に来ているということですよ」

だからといって、他の人間に弓引く理由にはなりませんが。
そんな一刀の言葉に、身を引き締められる公孫越だった。



漁陽と北平の両軍も、幽州南部の黄巾討伐に出向くという。だがその前にそれぞれの郡へと戻り、軍の再編成を行うつもりだと。
それなりに被害も出ている。当然の行動だろう。
では公孫軍はどうするか。

「……このまま南下し討伐に向かう、のは、ダメでしょうか」

公孫越が、やや自信なさげに口にする。
漁陽軍や北平軍と比べ、公孫軍が一度戻るには遼西郡はやや遠い。
戻ってすぐに軍を再編成し、大急ぎで再び出征するとなると、時間も手間もかかる。
その間に状況が悪い方へと向かうとしたら、後悔してもし切れないだろう。彼女はそう考えた。
幸い公孫軍の死者はそう多くはない。怪我人も、重症といえる者はほとんどいなかった。他の軍勢と合流して共同戦線を張れば、数は少なくとも戦力になれるだろう。
遼西郡にも、派兵の要請はいったらしい。だが、北方の黄巾討伐に兵を裂いたためすぐには対応できない、という返事があったという。
ならば、少数であってもすぐさま駆けつけた、という事実は、遼西郡に対する風評もいい方に受け取られるに違いない。
将たちの間でのそんなやり取りを経て。これからの方針が決定する。
公孫越に対して、自分の考えと決定は自信を持って口にしなければなりませんぞ、といった教育的指導が行われながらではあったが。

公孫軍はひとまず、漁陽軍に同行し行軍。そこからさらに幽州治府の置かれる薊へと向かうことにした。
漁陽の細作に依頼し薊へと伝令に走ってもらい、幽州刺史に軍勢を合流させる旨を伝達する。
合わせて、遼西郡・陽楽にも伝令を走らせることも忘れない。
予定外の行動に入るのだ。行く先がひとまず伝わっていれば、なにかと調整も出来る。増援も期待出来るかもしれない。

「でも、いま遼西の兵力って空っぽなんですよね」
「北方の黄巾討伐に、出払ってしまっていますからね」
「鳳灯さんが、南に兵力を避けないって応えたのも、相当苦しかったでしょう」

北上組の公孫範、公孫続たちが陽楽に戻ってきたとしても、そう簡単に出征出来るわけでもない。
改めて周囲の防備などに兵力を割り当て直さなければならないし、強行軍に過ぎて合流前に兵が潰れてしまうこともあり得る。
公孫越のそんな言葉に、一刀もうなずいてみせる。他の将の面々も、そうそう人を割けない現状に頭を痛めていた。

「それならば、我らが遼西の防備役に立ってやろうか?」

丘力居の申し出に、公孫の将たちが一様に驚く。

「ついでに伝令も買って出てやろう。細作よりも我らの馬の方が早いだろうしな」

烏丸の兵が、幽州南部にまで足を伸ばすのはさすがに問題がある。漢側から見れば侵略かとも取られかねない。
同時に烏丸族から見ても、あまり自領から遠く離れるのはよろしくない。ゆえに、これ以上は公孫軍に付き添うことは出来ないということだ。
ならその代わりに、遼西郡の防備に手を貸してやろうというのが丘力居の提案である。
入れ替わりに今現在防備に当たっている軍勢をまとめ、幽州南部に派兵すればいい。
程なく北上していた軍勢も戻ってくるだろう。その後にまた再編成して派兵を追加する。
無格好ではあるが、時間と兵力を遊ばせておくよりはよほどいい。

「どうだ? 悪くない提案だと思うが」
「はい。あたしは、いい案だと思うのですが」

公孫越は、ちら、と、背後に居並ぶ古参将の様子をうかがう。それを見て、心配は要らない、と丘力居は笑ってみせる。

「将の方々が懸念するのはよく分かる。だが遼西に手は出さんよ。
呂扶の働き振りを見て、喧嘩を売るのは得策じゃないと思い知らされたからな。割に合わん。同盟を組んだ方がよほどいい」

黄巾どもを大人しくさせたら改めて、同盟を組みたい旨を伝えるつもりだ。
その言葉に、公孫の将たちは先ほど以上に驚いて見せた。

こうした思いもよらぬ流れから、遼西郡と烏丸族との同盟がなされることとなった。これは後に幽州全体にも広がっていくことになる。





幽州の南部に黄巾賊が集結している。この知らせを受けたのは幽州の人間ばかりではない。
黄巾賊討伐のために方々を転戦している諸侯の元にも情報は入ってくる。独自に細作などを放っている勢力ならば、なおさら情報の鮮度は高い。
もちろん、曹操の耳にもその情報は入って来ていた。同時に、幽州北部と烏丸族との国境にも黄巾賊が集まっているという情報も入って来ている。
これを耳にした劉備は、今すぐ幽州に向かうべきだと談判する。

「今、遼西郡に白蓮ちゃんはいないよ!」

友達の故郷が危ない、助けに行かなきゃ。友を思うがゆえに、劉備は半ば本気でそう主張する。
彼女に仕える諸葛亮、鳳統ら軍師も、主とは違った理由で、幽州に向かうべきだと考えていた。
今現在、劉備たちと行動を共にしている者の数はおよそ4000。その半数近くは、かつて公孫瓉の元で募った兵たちだ。
ここで幽州の危機に駆けつけず無視をすればどうなるか。故郷を心配する兵たちが劉備から離れていく恐れがある。
曹操軍から離れてでもここは幽州に駆けつけるべきだと、諸葛亮と鳳統は、劉備に進言していた。

曹操もまた、これに対してどう動くか考えている。
彼女は幽州、ことに遼西郡に興味を持っていた。
治世の良さや町の発展具合など、遼西郡のいい噂を数多く聞く。その流れを受けて、幽州の他の地方もまた同じように発展を遂げつつあるという。
そこまで噂になる、遼西という地。そしてそこを治める公孫瓉を始めとした人材の働き。
よいものを取り入れることに貪欲な曹操にとって、それらを無視することなど到底出来ない。どういったものなのか、一度視察に赴く必要があると思っていた。
そこに、今回の黄巾賊集結の報。一番興味の的である遼西郡からは距離がある。直接なにかの害が及ぶということはないだろう。
だが、あの見るからにお人好しな太守が治める地だ。彼女以外の臣下たちも似たようなものなら、同じ幽州の危機に黙ってはいまい。
風評にも関わる。上り調子の遼西郡にとって、自分の土地以外はどうでもいいといった印象を持たれることも避けたいに違いない。

「ここで公孫瓉に恩を売っておくのも手か」

そんな軽い思惑から、曹操も幽州へ向かうことに決める。

こうして、曹操軍と劉備軍は進路を北に取った。





「あわっ、丘力居しゃん」
「久しいな鳳灯」

相変わらず噛み噛みだな。
そういいながら無造作にワシワシと、慌てる鳳灯の頭を撫でる。

丘力居と鳳灯。このふたりは既に面識がある。
公孫瓉が出征する前に結ばれた、遼西郡と烏丸族の同盟。これに関するやり取りは、このふたりの主導で行われていた。

「ここにいらっしゃるということは、越さんたちも直に戻られるということですか?」
「残念ながら違う。今のわたしは伝令係なのさ」

丘力居は、公孫軍の伝令として伝えるべきことを鳳灯に伝える。
その内容に驚いた彼女は、即急に内政官や武将格の面々を集めるよう、伝達を回した。
彼女の招集に応えて、さほど時間を置くことなく主要な面子が集まる。
玉座の間に居並ぶ面子を確認し、鳳灯は、まず公孫越らに関する報告をする。

黄巾賊15000と相対した。
それを聞いた面々は一様に顔色を青くさせる。だが、漁陽軍や北平軍との連携もありその過半を打ち破ったと聞き、胸を撫で下ろす。
一息つく間もなく、公孫越たちは移動。漁陽軍に同行し、漁猟を経由して薊へ。そこから南へ向かうという。

「で。さすがにそこまで付き合うことは出来ないから、烏丸が戻るついでに伝令役を請け負ったってわけさ」
「なるほど、そういうことでしたか」
「あと、公孫越には軽く話をしたんだがな」

現在、遼西の防備を努める兵力を再編成し、南征させる。代わりに烏丸族の兵が遼西の防備に回ろうというもの。
丘力居の提案に、その場の面々は揃って驚く。
公孫越のところでも同じ反応だったな、と、彼女は苦笑を禁じ得ない。
確かに、このところは穏やかになっていたものの、かつてはことあるごとに諍いを続けていた相手なのだ。こんな歩み寄りがなされるとは思いもしなかったのだろう。

「他意はない。呂扶の戦いぶりを目の当たりにして、あれに敵対するのは損だと思ったのさ」
「……なるほど」

信用していいだろう。鳳灯はそう思う。他の諸将たちも同じ考えを得ていた。
今の丘力居の話だけでも、数千の黄巾賊を呂扶ひとりで蹴散らしたというのだ。いかに腕に覚えがあったとしても、出来るならば敵になど回したくないだろう。

「分かりました。ご好意に甘えさせてもらいます」

内政官たちとの軽い話し合いも経て、丘力居の提案を受けることにする遼西郡の面々。
そうと決まれば早速と、武官の面々は席を立ち、再編成の陣割のために退室する。烏丸族の面々にも合流してもらい、必要事項の伝達などに走り出した。

「北に向かっていた範さんたちも、あと数日で戻って来られるようです。後発組として、可能な限りこちらも組み込みましょう」

公孫範からの伝達も数日前に届いていた。
兵たちの疲労度にもよるが、いま陽楽にいる兵を出征させた後にすぐさま、軍の再編成を行う必要がある。
範さんと続ちゃんは、戦場の恋さんは見ておいた方がいいかもしれない。なら私もついて行った方がいいかも……
これからの対応に、あれこれと思いを巡らす鳳灯だった。



そして、遠征に出ている公孫軍本隊。
遼西郡陽楽からの伝令は無事に合流しており、現在の状況を公孫瓉らに伝えていた。

「北に15000、南に30000か。挟まれたな」
「いや、れっきとした軍勢ならまだしも相手は黄巾賊。それぞれが連携して動いているとは考えづらいですな」
「それもそうか」

趙雲の言葉に、公孫瓉はうなずいてみせる。
とはいうものの、実際に挟み撃ちにされる危険もある。気分のいいものではない。

「北の勢力に関しては、鳳灯に任せておけば平気だと思います。呂扶も借り出されたようですし」
「そうですな。あやつひとりいれば、それくらいであれば凌げましょう」

付け加えるように、関雨と華祐が"問題なし"と太鼓判を押す。
呂扶の実力は、公孫瓉も趙雲も理解している。だが仮にも万を超えた相手に対して、彼女一人でなんとかなるとは普通は思わない。
だが付き合いの長いふたりがそういうのならば、なんとかなるのだろう。それでも、不安を覚えるのは無理からぬことだ。

「まぁ、丘力居たちも混ざるなら、そう妙なことにはならないか」
「それもそうですな」

戦場に立つ呂扶の姿を見たことがないふたりにしてみれば、きちんと実力の程を知っている丘力居の方が把握しやすい。
公孫瓉と趙雲がそんな考えに落ち着いたのも、無理からぬことだ。

「伯珪殿。ならば、我らは南の黄巾賊の討伐に当たりましょう」
「そうだな。薊にも討伐隊が集められているようだし、うまくいけばこちらが挟み撃ちに出来るだろう」
「では薊に伝令を走らせましょう」
「あぁ、頼む」

こうして、公孫瓉、趙雲、関雨に華祐らも、北へと行軍を開始する。



幽州南部に展開する、黄巾賊約30000。
これを包囲するかのように、討伐軍が集結する。
幽州の治府に集まった、公孫軍を始めとした合同軍約16000。
南から幽州へ向けて進軍する、曹操軍6000と劉備軍4000。
そして公孫瓉らの公孫軍本隊6000。
各々思惑を持ちながら、黄巾の乱の山場は、幽州南部にて展開される。













・あとがき
またひとつ、書きたいシーンが浮かびました。

槇村です。御機嫌如何。




一度消えたテキストを思い出しながら復元していたら、まったく違うものになりましたよ?
まぁいいや。


今回に限らないのですが、書いているうちに、もっと先に展開するであろうストーリーを思いついたりします。
そういうのはぜひとも書いてみたいシーンでもあるので。
そこに向けて、途中のお話を組み立てているという面もあります。辻褄を合わせながら。

で。
またひとつ、いやふたつか、シーンが頭の中に出てきまして。
想像して見ると、ラストシーンっぽい展開に。
……そこまで、書き続けられるのだろうか。

時間はかかるでしょうが、なんとか、続けて行こうとは思っております。
書くのが辛くならない程度に、かつ時間がかかり過ぎない程度に。
書きたいように書いていこう。


いろいろと書き込みもいただき、ありがとうございます。
皆様の書き込みが切っ掛けで、ふとなにかを思いついたりもしております。ありがたや。
でも、槇村が書こうとしていた内容そのままを、「こうなるといいなぁ」みたいに書かれたときは心臓がビートを刻みます。超高いBPMで。
……追いつかれる。(進展が遅いせいだろ)



[20808] 19:【黄巾の乱】 幽州騒乱 其の五
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2010/10/14 18:27
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

19:【黄巾の乱】 幽州騒乱 其の五





幽州の南部に位置する涿郡、そして漁陽や広陽と接する河間国や渤海。そんな広い範囲に渡って、黄巾賊が集結している。
その数は、およそ30000にも及ぶ。最低でも、という報告を考慮するなら、実際の数はさらに上回るだろう。

当初、この30000の勢力と時期を同じくして集結していた、幽州北部の黄巾賊15000との挟撃が懸念されていた。
だがそれも、公孫越及び丘力居の率いる合同軍の働きによりその大多数を討伐。
生き残った者も散り散りに逃げ出し、北部の黄巾賊はほぼ壊滅したといってよかった。

残るは、南だ。
公孫越率いる公孫軍は休む間もなく移動。幽州の治府である薊まで行軍し、黄巾賊討伐軍に加わることとなる。
数が少ないとはいえ、精強で名の知れた遼西の軍勢である。烏丸族と共に、幽州北部の黄巾賊を蹴散らしたことも伝わって来ている。彼女らの参加は大いに喜ばれた。

公孫越、呂扶に一刀らが討伐軍に組み込まれている間に、遼西からの伝令が到着した。
内容は、北上組であった公孫範公孫続は無事に帰還したというもの。それを聞いて公孫越は思わず笑みを浮かべる。
被害も極少のため急ぎの出征も問題ない、出来る限り早く軍勢を整え薊に向かうとのこと。その数3000。
公孫越はさっそくその件を幽州刺史に報告し、それも踏まえた陣割を要請する。
また加えて、合同軍の中でも先陣を切らせてもらえないか求めた。
北での討伐戦もあり、連戦となる。刺史も驚いていたが、申し出の理由を聞き納得。求めた通りに、公孫軍は先鋒を請け負うこととなった。
先鋒を求めた理由は、遼西からの伝令が伝えた、鳳灯の求めによるもの。
曰く。公孫瓉らの公孫軍本隊が遼西に戻るべく北上している、ならば本隊と連携し黄巾賊を挟み撃ちにしよう、というのが狙いである。
頭数で大きく負けている中、この提案は魅力的に過ぎた。合同軍の取る策の骨格が決まり、それに沿った陣割などが組まれていく。
出征準備の終えた合同軍は一足早く出立し、行軍の道中で、公孫範や公孫続そして鳳灯らの軍勢と合流する。
合計で16000にも及ぶ大所帯となり、幽州合同軍は一路、黄巾賊の屯する地へと進軍していった。

ちなみに。行軍中の軍勢と連絡を行き来させるという、責任重大なおかつ忙しないやり取りをやってのけた伝令係数名の奮闘が重要であった。
彼らに対し、黄巾の乱後、お疲れ様という理由から"北郷一刀が腕を振るう舌鼓コース"が振舞われたという。
これを羨む人がかなりの数に及んだというのは余談である。



行軍の最中にありながら、細作や伝令の行き来は激しい。同じく黄巾賊の勢力を目指して北上している公孫軍本隊とのやり取りのためだ。
そんな報告の中に朗報があった。公孫軍とは別に、曹操軍と劉備軍までが加わることになったのだ。その兵数は合わせて16000にもなる。
こうなると、北に16000、南にも16000という数で挟撃することが出来、数字の上でも上回る。
この事実は兵の皆に明るい話題として広がっていった。

「劉備は分かるけど、曹操って?」

あくまで一般人の一刀は、遼西の外のことに関してはあまり詳しくない。
もちろん"天の知識"としてのものは知っている。だがこの世界における曹操については、最近良く聞くようになった新太守、程度の知識しかない。

「商人の旦那衆が、最近良く話してるんだよ。遼西の次は、陳留が盛り上がるって」
「皆さんらしい、たくましい反応ですね」

一刀の話を聞いて、鳳灯は、くすり、と微笑む。

「曹操さんは陳留の太守となってまだ日は浅いのですが、執っている治世が厳格ではあるものの公正で、民からの評判もいいようです
商人をあまり差別しないこともあって、以前よりも賑わっているらしいですよ」
「ふーん。……"前の世界"と比べても、変わらない?」
「そうですね。今のところ知る限りでは、私の知っている"華琳さん"と違いはありません」
「歴史と一緒に、そこにいる人なんかも変わってくるのかねぇ」
「どうでしょう。歴史に関しては、幽州南部に黄巾賊が集結、ということ自体がありませんでしたから。まったく違う道を行く可能性もありますね。
人については、やはり同一人物がいますから。少なからず変わっていく人もいるんじゃないかと」
「鳳統とか?」
「さぁ? 変わっていく様を見てみたいというのは、少なからずあります」

どうなるんでしょうね。
自分のことではあるが他人事、という複雑なところを、鳳灯は微笑むだけで受け入れてみせる。
自分と同じではあっても、彼女は"私"ではない。彼女はそう考えるようになっていた。



黄巾賊が集結する地点。此処を目指す勢力の中で、一番初めに到着したのは幽州の合同軍。
地元であり距離も一番近かったことから、薊を出発してさして時間がかかることもなかかった。
地形の起伏に隠れるように、合同軍は静かに陣を敷く。南から来る公孫軍らの到着、もしくは状況に変化が現れるまでひとまず待機となった。

山間の小高い場所に立ち、身を隠すようにしながら黄巾賊を見下ろす。
これだけの数の"敵"を見るのは、公孫範や公孫続には初めてのことだった。思わず声が漏れてしまう。

「……壮観だな」
「数はおよそ三万と聞いていましたが、四万から五万いても不思議じゃないですね」

公孫範のつぶやきに、鳳灯が何気なく言葉を返す。その数字を聞いて、すぐ横に立つ公孫続が顔をしかめた。

「これだけの人が、朝廷に反発しているんですね……」
「良く思わない理由は、それぞれでしょう。でも、毎日をそれなりに幸せに暮らしていければ、人は案外不満を持たないものです」
「……その"それなり"でさえ、朝廷は与えられていない。ということでしょうか?」
「正確にいえば、与えられない太守や領主を、今の朝廷は御すことが出来ていない。ということでしょうか」

その点では、遼西はいい統治が出来ています、と、鳳灯は応える。

「その証拠に、これだけの義勇兵が今回の出征について来てくれています。
太守が募った義勇兵の呼びかけに、強引な手法を取ったわけでもなく自然に人が集まってくる。太守に対する信頼がなければ出来ないことです。
普段から搾取に熱心な太守が兵を募っても、誰も助けようなんて思いません。
上に立つに値する人物、というのは、良かれ悪しかれ、普段の言動がものをいうんです」
「遼西にあまり黄巾賊が出てこなかったのも、伯珪さんが普段から良政をしていたおかげ、なんですか?」
「公孫瓉さまだけじゃありませんよ? 範さんも越さんも、武将や内政官の皆さんも、普段から遼西の民のことを考えて頑張っているからこそ、今の遼西の繁栄があるんです」

教え含めるようにいいながら、公孫続の肩に手を置く。

「もちろん、続ちゃんも頑張っているひとりです。
公孫瓉さまがひとりで治めているわけじゃありません。
仮に続ちゃんが太守になったとしても、ひとりで全部を切り盛りするわけじゃありませんから」
「そりゃそうだ。なにかあるごとに姉さんが出張ってたら、忙しすぎて死んじゃうよ。
やるしかないと思ったら、姉さん、死ぬまでやりそうだし」

ふたりの会話に、公孫範が口を挟む。
太守である実の姉に対し、そんな評価をしてみせた。

「ワタシの出来ることは、姉さんの代わりにあちこち飛び回るってとこかなー。そうすりゃ姉さんもゆっくり出来るじゃん。
まぁ、武才が追いついてない内からこんなことをいうのもなんだけどさ」

まてよ、仕事で机に張り付かせておいて、その隙に追い越せるように頑張るか。
そんな前向きだか後ろ向きだか分からないことを呟く公孫範。

「あわ、範さん、なにも能力の多寡で役割が決まるわけでもないんですから」
「そうですよ範ちゃん。そんなことをいったら、鳳灯さんがいる限りあたしのやることなんてないままになっちゃいます」
「あわわ、続ちゃんけひてしょんなことは」
「鳳灯? なにも続相手にまでそんな噛まなくても」
「範ちゃん、あたしにまでってどういうことですか」

じゃれ合いのように、公孫範と公孫続が互いに喚き合う。その間で鳳灯があわあわと取り乱す。
距離が離れているとはいえ、黄巾賊の屯する陣地の程近くである。声を上げるのは危険極まりない。
程なく、声を聞きつけた一刀に引きずられながら自陣に連れ戻され、呂扶の拳骨を喰らい半泣きになる公孫範と公孫続。
さらに公孫越の説教を喰らい、涙目になる姉と従姉妹だった。



合同軍の大将格は、名目上、幽州刺史である。だが実際に軍勢を指揮するのは公孫軍だった。
作戦立案もそうであるし、一番兵を動かすのに長けているのが公孫軍だというのもある。
なにより、現在の幽州各地にある軍勢の在り様がそもそも、遼西のものを手本としているのだ。刺史が指揮権を譲るのも無理はないだろう。

姉妹の順番を考えれば、大将の位置に座るのは公孫範が適当なのかもしれない。
だが、この合同軍の参加を決め、他軍との交渉をし取りまとめていたのは公孫越である。
情報のやり取りや折衝をするにしても、公孫範はまだ自軍以外に顔が知られていない。
すでに顔の知れた者の方がなにかとやり易いだろうし、兵たちも付いて来易いだろう。
理由も種々ありながら。合流した公孫軍の、すなわち幽州合同軍の総大将の位置に、公孫三姉妹の末妹である公孫越が座ることとなった。





そんな知らせを受けて、公孫瓉はなんともいえない面映さを感じていた。
分かりやすくいえば、顔がニヤけて仕方なかった。

「おいおい、越の奴が16000の総大将だよ。幽州の合同軍だぞ? 私だってそんなことやったことないのに」
「伯珪殿、随分とご満悦のようですな」
「ご満悦ってなんだよ。妹に抜かれたようなものだぞ? それを喜ぶ奴がどこにいるっていうんだ」

趙雲の指摘に、言葉だけは憤ってみせる公孫瓉。だがその口調と表情は隠せていない。
そんな姿を微笑ましく見やり、関雨が言葉をかける。

「ふふ、素直に喜べばいいではないですか」
「え、そうかな。
……そうだよな、喜んでいいことだよな。妹が認められたようなものだものな」

彼女の言葉に、もう堪えられなくなったのだろう。身体いっぱいを使って喜びを表してみせる公孫瓉。もう、ひゃっほーい、という感じで。
その姿は、とても太守とは思えないほど無邪気なものだった。

「これでもう、後進の心配はないということですな。いやはや、とうとう伯珪殿も隠居ですか」
「え?」
「確かに、いろいろと気苦労もされていたようですからなぁ」
「いやいや、ちょっと待て趙雲」

さっきまでの喜びようはどこへやら。自分の去就にまで急展開した話に、公孫瓉は待ったをかける。

「人を年寄りみたいにいうな! 私はまだまだ現役だぞ!!」
「減益?」
「現役だ!」

言葉の響きに不穏なものを感じた公孫瓉は即座に突っ込む。
というか気苦労をしているとしてもその理由の大半はお前だ、という突っ込みに、趙雲以外の大多数がうなずいている。
普段の言動が表れているといえよう。

「隠居後はどうされますか。華祐殿のように武を極めんと修行に明け暮れますか。
……それとも、北郷殿と一緒に、料理屋でも営んでみますか?」
「んなっ!」
「はぁっ?」

懲りずに掻き回そうとする、なんとなくの思いつき。だが趙雲のそれは思いの外、爆弾発言でもあった。
想像もしなかったことだったが、一瞬想像してしまったのか公孫瓉は顔を赤くさせ。
自分の気持ちを再確認したばかりの関雨は、自分以外の者が一刀の隣に立つという連想に反応してしまう。
ふたりのそんな反応を確認できただけで、趙雲は満足した。
このネタはもっと違うところで活用しよう。そう考えて、彼女はやや強引に話を変えることにする。

「まぁ伯珪殿のウキウキは置いておくとして。
布陣としては、越殿を大将に据えるのは悪くないでしょう。範殿はむしろ、前線において士気を鼓舞する方が向いていそうですしな。
強いていうなら、いざというときの思い切りに欠ける気もしますが」
「……それは確かにあるな。まぁ今回に関しては、鳳灯が付いてくれてるみたいだし。
決断する思い切りっていうのも、軍師役が横に付いてくれれば解消できると思うんだよな」

なにがウキウキだよ、と、突っ込みつつ。突然真面目になった趙雲の言葉に、公孫瓉も表情を改め思うところを返す。
華祐もその言葉を受け、鳳灯が勉強会を開いていることに思い当たり、その点に触れる。

「なるほど。続殿に軍師としての教えを施しているのは、その辺りのことがあるのでしょう」
「だろうなぁ。
続の奴も、範や越に振り回され続けてるし。重し役としては経験豊かだからな。
これに知識と経験が重なれば、うまいこと皆を支えてくれると思うんだよな」

妹と従兄弟。三人が並んで遼西を治めている姿を想像して、公孫瓉は再び表情を緩ませる。
……いかん、こんなことだから隠居だとか弄られてしまうんだ。彼女は表情を引き締める。
だが、そんな変化を趙雲が見逃すわけもなく。

「おや、振り回しているひとりに伯珪殿が入っていませんが」
「私は振り回してなんていないぞ? そんな大人気ない」
「まぁそういったことは、当人は多く自覚出来ないものですからな」
「気分悪いな趙雲」
「まぁまぁ」

これまたいつもの通りの、趙雲が公孫瓉を弄るやり取り。その間に関雨が立ち取り成してみせる。
関雨から見れば、自分も日頃から弄られる立場にある。他人がそれをされているのも、あまり気分がよろしくないといったところだ。
とはいえもちろん、趙雲も本気でいっているわけはないし、公孫瓉もその辺りは分かっていい返している。じゃれ合っているような物だ。
そんな間に割って入ればどうなるか。

「自覚といえば。関雨殿も、胸の内のなにかに気付かれたようでして」
「ほう、一体なにに気付いたんだ?」
「は?」

必然的に、標的が替わる。
弄る相手が関雨に変更される。おまけに公孫瓉まで弄る側に参加し出した。
突然のことに慌てながら、助けを求めて周囲をうかがう関雨だったが。
いつの間にか華祐はその場から立ち去っていた。

「かゆうーーーーーーっ!」
「ほう、想い人は華祐殿であったか」
「なんだと、同性か。いや、当人の好みにどうこういうのはよろしくないな」
「さすが伯珪殿。分かっていますな」

戦前の舌戦もかくやという勢い。とても、戦を前にしたやり取りとは思えなかった。




幽州勢の、どこかゆとりを感じるやりとりと相反して。
助力の一勢力である曹操軍。行軍の最中であっても、曹操は絶え間なく細作を動かし、情報の収集に明け暮れていた。
結果、この討伐戦そのものには不安を感じられなくなった。
曹操軍と劉備軍、そこに公孫瓉らの軍勢が終結すれば、その数は16000にも及ぶ。そして同数の軍勢が、幽州の合同軍として北からやって来る。
策もなにもない黄巾賊を、総数で上回った軍勢が挟み撃ちにするのだ。余程の油断がない限り負けるとは思えない。彼女はそう思っている。
だが、油断はしない。逐一状況を報告させ、意識して情報を最新のものにしていく。
そんな情報の中のひとつ。
南下してくる幽州合同軍。その大将に座る、公孫越の名に関心がいく。公孫瓉の妹だというが、曹操はこれまでにその名を聞いたことがなかった。

「桂花。その公孫越という者、合同軍を率いるほどの経歴を持っているのかしら」

桂花、と真名を呼ばれた少女・荀彧。曹操軍の軍師を勤める彼女は、主の問いに対し知る限りを答える。

「報告の限りでは、大規模な軍勢を率いるのは初めてのようです。
この少し前に、幽州の北に集結した黄巾賊を、烏丸族と共同戦線を張り討伐しているとのこと。その数は一万強だとか」
「へぇ」

数ばかりの烏合の衆とはいえ、いざ万を超えるほどの黄巾賊を相手にするとなれば厄介なこと極まりない。
それを討伐しているのだから、少なくとも無能ではないのだろう。と、曹操は評価する。

「また、たったひとりで黄巾賊数千を相手取った将がいる、という報告もあります」

荀彧の言葉に、片眉を上げ反応する。馬鹿馬鹿しさ半分、興味深さ半分をもって。

「報告といっても、伝聞でしかありませんので正確さは疑問です。
たったひとりで黄巾賊の群れに吶喊し、その将の元に数千が襲い掛かるもこれを撃破。
乗じて公孫軍が雪崩れ込み、混乱する黄巾賊が更に恐慌する、という状態だったとか。
その吶喊した将が、公孫軍の兵を鍛え上げているとのことです。名を、呂扶、と」
「りょふ、というと。噂に聞く天下無双、と呼ばれる輩のこと?」

曹操は初めて口を挟む。彼女の表情はすでに、真剣さと、興味深さとに変わっていた。

「天下無双と噂される呂奉先とは別人のようです。ただ、姓も字も同じで、名の文字が"扶"。ここが違うだけとのこと。
遼西周辺では、"遼西の一騎当千"などと呼ばれているとか」
「なるほど。幽州北での働きが本当であれば、そう呼ばれるのもおかしくないわね」

呂扶、ね。まだ知らぬ武将の名を口にしながら、曹操は考えに浸る。

「……その呂扶は、幽州の合同軍に加わっているのかしら?」
「はい。北での戦いと同じく、先鋒に立つとのことです」
「そう」

曹操は、これ以上考えるのをやめた。考えを深めるには情報が少なすぎる。
幸い、すぐ目の前で戦いぶりを拝めるのだ。どの程度のものか、興味は尽きない。楽しみにするとしよう。
そんなことを考えながら、彼女はほくそ笑む。

だが、また別の考えが脳裏に浮かび上がる。
それは考えというよりも、疑問。
遼西にいるという、天下無双と同じ名を持つ、呂扶。
同じく遼西で客将になっている、関雨。
そして、彼女らと同じ名前の者が存在するという事実。
彼女は考える。
関雨の顔や身形は関羽と同じ、瓜二つだった。ならば呂扶と呂布も、外見が同じということはあり得るだろう。
名前の同じ人間がいる。これはいい。
顔の同じ人間がいる。これもまぁあり得ないとはいえないだろう。
だが、顔も名前も同じ人間が、同じ時期に、同じ地域に現れるなどあり得るのか。

「……なにか意味があるのかしら」

それとも考えすぎ?
曹操はひとり、思い悩む。





同じ頃。曹操軍と行動を共にする劉備一行。
進軍する中で、劉備は思い悩んでいた。
この大規模な討伐戦を引き起こした切っ掛けは、自分たちなのではないか、と。

自分が兵を募らなければ、ここまで大きな規模にはならず、小規模なうちに黄巾賊の対処が出来たのではないか。
公孫瓉の下を離れる際、劉備たちは義勇兵を募った。その数は2000人にも及ぶ。決して少ない数ではない。
そのせいで、遼西の兵力を削ってしまい、黄巾賊に対する対処に、後手を踏ませてしまったのではないか。
要らぬ争いを起こしてしまったのではないか。

彼女の抱いているそれは、傲慢な考えだ。
もちろん自分でも分かっている。それでも、考えずにはいられなかった。
自分の、自分たちの力だけで人を集められたのなら、公孫瓉を頼ることもなかったろう。
友人の優しさに甘えて、大切な領民を義勇兵として連れて行くこともなかったかもしれない。
劉備が夢を形にしたいのならば、世に出て起ち上がるいい機会だと背中を押してくれた。そんな友人の好意を仇で返してしまったかもしれない。
挙句、今の彼女は勢力としても不十分で、曹操軍の厄介になっている。
彼女が率いる勢力は、現在6000ほど。この数も、もともとは10000近い数だったという。疲弊した兵を一度帰還させ再編成をした上での数なのだから、実質連れていた兵力は倍以上の差があったのだ。曹操と自分を比較して、また肩を落とす。

自分たちは、弱い。なにかを為すには力が足りない。
ならば、どうするか。彼女は考える。理想主義を地で行く劉備も、さすがに現実を見る。
彼女自身に、誇れるほどの武や知はない。だが、誰よりも高く掲げる理想がある。そして、その理想について来てくれる仲間がいる。
仲間を増やそう。
もっと本気で、もっと熱心に、皆が悲しい思いをしなくて済むような世界を実現させるよう、説いて行こう。
誰でも、好んで戦おうという人はいない。自分たちの考えに賛同してくれる仲間は、きっといる。

劉備は自らを省みて、自分の胸にある理想を新たにする。



関羽は内心、穏やかではなかった。
自分の主であり、敬愛する義姉でもある劉備が、なにか思い悩んでいる。
その表情は、気がかりがあるといった軽いものではない。思いつめている、といった方が適切ではないか。
彼女は幾度となく、劉備に話しかける。その度に、なんでもない、大丈夫だからと、大丈夫とはとても思えない笑みを返されていた。
しかし。

「愛紗、お義姉ちゃんがなにか吹っ切ったのだ」
「あぁ」

張飛が周囲に聞こえないように、小声で囁く。
関羽もまた、言葉少なにそれに同調してみせる。

「ねぇ、愛紗ちゃん」
「はい」

劉備が、なにかを決心したかのように、張り詰めた表情を見せていた。関羽は知らず、緊張してしまう。

「黄巾のみんなは、太守の悪政が不満だったから、武力蜂起したんだよね?」
「すべてがそうとはいいませんが、蜂起した切っ掛けはそうです」
「じゃあ太守が、治める人が民のことを考えてしっかりしていれば、こんなことは起こらないのかな」
「……おそらくは、そうだと思います。
事実、白蓮殿の治める遼西は大きな諍いも起きずに栄えています。それに触発されてか、幽州全体が活気を帯びているとも聞きます」

関羽の言葉に、劉備はしばし思考を巡らせる。
その姿は普段の彼女からはうかがい知れないほど、真剣なものだった。

「例えば、なんだけどね。
例えば、私がその太守の立場だったとして。
みんなが不満を溜めないように政治をして、みんな仲良く笑っていけるように訴え続けていたら。
……この先にいる黄巾の人たちは、私たちの遠征についてきてくれるような、仲の良い、町の人になってくれたのかな」

あくまで、もしも、の話だ。
だが、関羽は夢想する。これから討伐されるであろう、そしてこれまで討伐してきた黄巾賊が、桃香様の下で平和に暮らしていたのなら?
確かに、あり得たかもしれない。関羽の知る義姉、劉備が心を砕きながら治世を行っていたのなら。
互いを思いやる民に溢れた町だったかもしれない。黄色い布など巻かなくとも、穏やかな生活を過ごせていたかもしれない、と。

「桃香様……」
「私、頑張るよ。もっとたくさんの人を幸せに出来るような、そんな立場になってみせる」

だから、これからも私を助けてね。
そういって、劉備は関羽を、次いで張飛を抱きしめる。

「お義姉ちゃん、もっとえらくなるつもりなのか?」
「そうだよ、もーっとえらくなって、みんなみんな、幸せにしてみせちゃうんだから」

張飛の手をとりながら、ぶんぶんと無邪気に振り回す劉備。だがその笑顔にはどこか、頼もしさのようなものを感じられる気がする。
少なくとも、関羽の目にはそう映っていた。

彼女が掲げて見せたものは、相変わらずな理想。
だがその想いはさらに強固なものとなる。



劉備軍の軍師である、諸葛亮と鳳統。ふたりはこの討伐戦について、そして幽州合同軍を率いる鳳灯について、考えを巡らしている。

「ねぇ朱里ちゃん。鳳灯さんのこと、覚えてる?」
「うん、雛里ちゃんにそっくりな人だよね。白蓮さんの内政官をやってる」
「あの幽州合同軍の軍師として、参加してるんだよね」
「うん……」
「凄いよね……」

鳳統は溜め息を吐く。半ば憧憬、半ばは自分を省みた思いから。もちろん、かの鳳灯が数年後の自分の姿だとは想像しようもない。

「これだけ大規模な軍勢を動せるんだから」
「雛里ちゃんだったら、どうする?」
「私だったら……」

鳳統は考える。あごに手を当てみるも、すぐに首を振ってしまう。

「対黄巾賊、っていうことなら、もう策なんて要らないよ。
挟撃するように、これだけの軍勢を集めて配置できただけで、もう軍師の仕事はお終い。
そこまで持ってくる方法、バラバラなところにいた勢力を一箇所にまとめる手段が、私には思いつかない」
「でも、結果的に32000も兵力が集まったからいいけど、こんなに散り散りだった勢力を集めようとするのは無理がないかな」
「多分、その都度その都度細かく情報を組み立てていたんだと思う。
鳳灯さんが把握している戦力と、自分の権限で動かせる兵力の多さ、それらが今どの位置にあって、動かそうとしたらどれだけかかるのか。
そういったことが全部分かっていて、動かせると判断できたからこそ、幽州を遠く離れていた白蓮さんたちの軍までなんとか動かそうとした。
無理そうだと思っても、実際には伝達は伝わったし、そのやり取りで黄巾賊と同数の兵力で挟み撃ちが出来るようになったよ。
……私と違うところは、頭の中に描いた策を形にするための手段があることだと思う」
「相手を挟み撃ちにしよう、という策は誰でも考えられる。それを実際の形に出来るかどうかの違い、っていうことかな」

ふたりは考えを巡らし、会話を交わす。自分たちと鳳灯、それぞれの違う点はなんなのか、その違いを埋めるにはどうすればいいのか。

「私たちには、力がない、っていうことに行き当たっちゃうね」
「うん。一番の違いは、勢力としての地力の違いだね」

諸葛亮の言葉に、鳳統は何度目か分からない溜め息を吐く。

「あとは、判断を下してからの行動が速くて的確だったんだよ。状況で変わってくる伝達も、問題なく伝わってる。
それを正確に伝えようと思ったら、将や兵の人たちと信頼関係を築けてないといけない」
「指示がうまく伝わらないし、伝達の速さも変わってくるしね」
「そう。それも指示を出す軍勢が大きくなればなるほど、伝わり方は遅くなるし、正確さも欠けて来る。
しかも距離が離れているなんて、きちんと伝わるかどうかなんて分からないよ」
「そういうところも、きちんと伝わる、っていう素地を、鳳灯さんは公孫軍に作り上げているってことだよね」
「うん……」

鳳統は思う。
先を読みつつ、現状に対応しながら、立てた策を形にして動かしていく。顔や風貌は同じでも、ひとつひとつこなしている内容量が自分と違う。
約4000の、しかも常に固まって動いている劉備軍でさえ、親友である諸葛亮とふたりでなんとか動かせているかという具合なのだ。
その力量に、憧れもするが、同じくらいに悔しい気持ちも沸き起こる。

「知識、ううん、情報を持っていても、それを有効に使う手段がないと、なにも出来ないね」
「そうだね。……うん、手段がないと、なにも」

鳳統と、諸葛亮。ふたりの気持ちは、かつて水鏡塾を飛び出した頃と同じものになっていた。
志はある。役に立てるべき知識もある。
しかし、それを有効に使う手段が不十分だった。まったくないわけじゃない。だが、当たるべき規模に見合う力がない。
他の勢力を頼っても、自分たちが主導権を持てるほどの地力がなければ思うように動けないのだ。

「道は遠いね……」
「そうだね……」

主とともに夢見る理想。そこに至るまでには、彼女たちにはまだまだ足りないものが多すぎた。





ひとつの地点に向けて、それぞれの勢力が、そして名高い将の多くが集結する。
目的は、黄巾賊の討伐。
すべては、自分たちに関わるすべてのものの平穏のため。それを脅かす者ならば、経緯はどうあれ容赦はしない。
覚悟を決め、思いを割り切り、そして幾ばくか思惑も交えながら。

これまでにない規模の大討伐戦が行われる。














・あとがき
さすがに長引きすぎだと思う黄巾の乱。

槇村です。御機嫌如何。




本当は、今回でオールスターな討伐戦を終わらせて、次回で事後処理を書いて黄巾の乱終了、といきたかったのですが。
戦闘すら始まりませんでした。
おかしいな、なぜこんなことに。

最初はやたら難産だったのですが。
戦闘に入るのを諦めた途端、あれよあれよと文字数が増えていき。気がつけばいつも以上の量に。一万文字超えたよ?
おかしいな、なぜこんなことに。

でも槇村的には、結構満足です。(読む人のことを考えようぜオレ)



[20808] 20:【黄巾の乱】 幽州騒乱 其の六 前半
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2010/10/30 23:56
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

20:【黄巾の乱】 幽州騒乱 其の六 前半





「ふふふ、華琳様に私の武をお見せするに不足のない場。これだけの数を蹴散らせば、どれだけ喜んでいただけるだろうか」
「気持ちは分かるが、落ち着け姉者」

やる気に漲っている、春蘭こと夏侯惇。そんな姉を冷静に諌めようとする、秋蘭こと夏侯淵。
ふたりは曹操軍における生え抜きの将として、華琳こと曹操のため働くことに喜びを見出している。
黄巾賊の討伐に際しても、己の振るう武がそのまま曹操の殊勲に繋がるのだ、と、その働き振りは他の追随を許さない。
ことに夏侯惇の、曹操に対する心酔振り心服振りは相当のものだ。

「確かに、姉者が焦る気持ちは理解できる。だからといって逸ってみても、仕方がないだろう」
「だがな秋蘭。華琳様は、あの関雨とかいう奴に妙にご執心だ。
あやつの武才が凄いというのは分かる。目の前で見せ付けられたのだから、わたしとてそれを認めるくらい出来る。悔しいがな。
ならばあれ以上の武を、華琳様にお見せする。
そうすれば、華琳様をお守りする剣にふさわしいのが誰なのか、あやつにも見せつけることが出来よう」

うむ、完璧だ。
夏侯惇はなんの疑いもなく、自分の理論に満足してみせる。純度満点な笑顔を浮かべる彼女は、傍目からは物凄く魅力的に移った。
思考の筋道をところどころすっ飛ばしている気がするのは、気のせいということにしておこう。

結局のところ夏侯惇は、主である曹操の関心が、自分以外のものに向けられているのが気に食わないのだ。
ゆえに、その目を自分の方に向けようと、関雨に対して一方的に対抗心を燃やす。
あやつより一人でも多く黄巾賊を薙ぎ倒す。彼女の頭の中はそのことで一杯だった。
血気盛んといおうか、血気に逸るといおうか。とにかく彼女は、黄巾の群れに飛び込む瞬間を今か今かと待ちわびている。

「だがな姉者。仮に華琳様が関雨を召抱えたとしても、そのせいで姉者をないがしろにすると思うか?」
「華琳様に限ってそんなことはありえん」
「私もそう思う。今は少しでも戦力の欲しいとき。ならば、つわものが華琳様の下に集うのは喜ばしいことじゃないか」
「それとこれとは話が別だ!」

胸を張って言い切る夏侯惇。感情のみでいい放ち、聞く耳を持とうとしない姉に思わず溜め息をつく夏侯淵。
たが、その内心が"華琳様の一番じゃなければ嫌だ"という、駄々みたいなものだということは分かっている。
だからこそ、夏侯淵は頭を痛めながらも、素直な態度を隠そうとしない姉を愛しく思う。
その言動を諌めはしても、よほどのことがなければ止めようとは思わない。
姉に対する愛情ゆえでもあり、"夏侯惇"という武将が主に不利益になる行動は起こすまいという信頼でもあった。

姉妹でそんなやり取りをしている間に。彼女らの遥か前方から鬨の声が上がる。
それは幽州合同軍が突撃を開始した合図。

「よし、行くぞ! 曹操軍の名を貶めぬよう、その武の限りを振るい黄巾賊を殲滅させよ!! わたしに続けぇ!!」

夏侯惇は他の兵たちに活を入れつつ、待ちかねたとばかりに吶喊する。
その様に苦笑しながらも、夏侯淵もまた姉の後を追う。

「全軍突撃せよ! 曹操軍の名に恥じぬ武を見せ付けてやるのだ!!」

先陣を切る夏侯惇。それを後ろから補佐する夏侯淵。ただ前のみを見つめ剣を振るう姉と、その背後に何人たりとも近づかせぬと弓を引く妹。このふたりが生み出す連携は、目前に映る"敵"をことごとく再起不能にしていく。呂扶のみならず、夏侯姉妹の前に立ち塞がることもまた、黄巾の徒にとっては地獄の入り口に立つに等しいことだろう。
そして彼女たちが率いる、精鋭たる曹操軍の兵たち。彼ら彼女らもまた、将たる夏侯姉妹の行動を忠実に再現する。前衛が剣を振るい、後衛がその背を守りつつ手助けをする。歯車が噛み合ったかのような連携、それが千にも届こうかというほどに横へと広がり繋がっている。
曹操軍は派手にかつ確実に、その戦果を増やしていく。黄巾賊にとってはまさに恐怖の軍勢であり、味方にとってはこの上ない頼もしさを与えるものだった。



時を少し遡り。北側に陣取る幽州合同軍。

烏丸族との黄巾賊討伐戦と同じように、呂扶が陣の先頭に立つ。
その立ち居振る舞い、その強さの程をすでに目の当たりにしている兵たち。
呂扶の姿がそこにあるというだけで、彼ら彼女らはこの上ない心強さを感じる。

「……命は大事に。無理はしない。死んだらご飯も食べられない」

そんな、呂扶の小さなつぶやき。
今の彼女にとって、戦場に立つ理由はただひとつ。自分のいる場所を侵されそうだから。これに尽きる。

黄巾賊が幽州に入り込むと土地が荒れる。
土地が荒れると人が離れ、人が離れると物流が滞る。
物流が滞ると食材の確保が難しくなり、ひいては毎日の食事さえ満足にいかなくなる。

乱暴な論理ではあるが、これはこれで間違いではない。
なによりこれは、呂扶がこの外史にやって来て改めて認識した事実でもあった。
一刀が毎日作る食事、その元となる食材、それを流通させる商人や作る農民。ただの民草である一刀の後に付いて回ったことで、そういった"表に出て来ない"人たちの存在を実感し、一掴みの麦が実際に自分の胃に収まるまでの過程をつぶさに知った。自分の食べるものには、たくさんの人が関わっているのだということを理解した。

「無理は恋がする。みんなは、がんばってくれればいい」

そんな人たちが危険な目に遭う。彼ら彼女らを守ることは、すなわち毎日の食事の充実に繋がり、毎日の平穏に繋がる。
普段から人一倍食べる呂扶。ならば、いざというときには人一倍働く必要があるだろう。彼女の思考はそういうところに落ち着いたのだ。
だから、それらを侵そうとする輩はおしなべて敵である。ゆえに、北方の黄巾賊討伐にも請われるままに参加し、呂扶はその武を振るうことを躊躇わなかった。
そして再び、平穏を乱す存在を薙ぎ払うため。彼女は討伐の先陣に立つ。



呂扶の後姿を眺め、やはり頼もしさを感じながら。公孫越は檄を飛ばす。

「この一戦を終えれば、幽州の平穏は約束されたも同然です。
剣を掲げ、鬨を上げよ!
我ら幽州の民は、不当なる略奪を許しません。我らの友、家族、仲間の安らぎを守るために、害為す黄巾賊を殲滅する!!」

不当なる略奪を繰り返し、平穏を乱すもの。黄巾に身を寄せ牙をむいた以上、庇いたてする理由は少しもない。

「全軍、突撃!!」

号令とともに、幽州の兵たちは鬨の声を上げつつ吶喊する。声は木霊となって響きあい、その音は雪崩となって一帯を覆い包む。
その先頭を駆けるのは、やはり呂扶。
合同軍の半数である公孫の兵たちは、すでにその武の程をつぶさに見ている。だがもう半分の兵はそれを知らない。
たったひとり、突出して駆ける呂扶の姿に驚きの表情を浮かべる者もあったが。その驚きはすぐに色を変え、更に高まることとなる。



幽州合同軍の先陣、その中央を呂扶が勢いよく駆けていく。一拍遅れて、先陣左翼に陣取る公孫範が突出する。
白馬義従を率いる将のひとりとして、その実力のほどは周囲にも広く認められている。趙雲に師事し、このところは呂扶にも教えを乞うていることもあり、武のほどの成長もまた著しい。
姉の進む道の露払いを自認し、武を誇示することが己の役目と考える彼女にとって、呂扶の在り方はひとつの指標となっていた。
そこに立つだけで威を振るい、敵には脅威を、味方には安心感を与える。敵に斬り込めばそこから陣形が崩れていき、後に続く兵たちがそれを潰すのに労がない。

目の前にある戦況は、正にそれだった。
戟を振るい暴れ回る呂扶の姿。それに恐れをなした黄巾賊が、彼女から少しでも離れようと逃げ惑う。
となるとどうなるか。呂扶から遅れて馬を走らせる公孫範の目の前に、黄巾賊の姿が現れることになる。
背中に感じていた脅威から逃げ出す黄巾の徒。その多くが、自分たちの側面から襲い掛かる軍勢に気付くことが出来なかった。
ひとりの男が蹄の音に意識を向けたとき、その首は黄巾の布と共に、公孫範の剣によって容赦なく斬り捨てられた。おそらくは死んだということさえも気付けなかったことだろう。

「一度怯んだ輩を我に返すな、すぐさま叩きのめせ!」

後続に向けて檄を放つ。
彼女の振るう剣先は次々と黄巾賊を切り刻んでいく。首、腕、胸、背、馬上から届く範囲に一閃を与え、後に続く兵たちが漏らさず止めを刺していく。

公孫範は想像する。自分の姿を呂扶と同じ位置に置き、陣が展開する状況を。
いずれ自分がその位置に立つことを意識しながら、呂扶の背を追いかけていく。

「恋姉ぇの立つ場所に、ワタシも立ってみせる」

全力で駆けたとしても、呂扶の立つ場所はまだまだ遠い。



「越の奴、私より才能があるんじゃないか?」

自慢の白馬に跨り、白馬義従と称される直属の騎馬隊を引き連れて。今の公孫瓉は、太守ではなくひとりの武将として戦場に立っている。
彼女が自ら先頭に立ち剣を振るうのは久しぶりのことだった。どれくらいになるだろうか。烏丸族、丘力居と最後にやりあったとき以来かもしれない。
人を斬る、というのは決して気持ちのいいものではない。理由はともあれ、人の命を奪っているのだから当たり前のことだ。
だがそれでも、戦場特有の雰囲気と感触に、公孫瓉は気持ちは高ぶる。死と隣り合わせの場で武を振るうことで、知らず胸のうちに溜まっていた鬱屈が晴れていくかのようだった。

趙雲、関雨、華祐が先陣を切った後。彼女らを追いかけるように公孫軍の兵たちも突き進む。
公孫瓉自身は、普段と同じように後方で指揮を執るつもりでいた。だが改まって指揮を執るほど差し迫った状況はまったくなく。
今の公孫軍を指揮するのは妹の公孫越で自分ではない、ならばむしろ戦働きをしたほうが士気も上がるだろう。
そんな理由をでっち上げて、わずかな供を連れ自ら吶喊していってしまったのだった。
軍勢を統べる人間としては決して褒められた行動ではない。それに普段の彼女らしからぬ行動でもあった。
一番上の立場ではないという気持ちが湧いたがためか、手持ち無沙汰になった彼女は指揮権を副官に押し付け、戦線へと飛び出していた。

彼女はもともとは武人として身を立てるつもりだった。それが今では一地方を統べる太守である。大出世といっていい。
だが反面、内政に携わることが多くなることで、本分であった武から離れがちになっていた。
そのこと自体は、彼女も仕方のないことだと思っている。
自分の治める遼西という地を豊かにしたい、民の生活を平穏なものにしたいという気持ち。それを実現させるには武の力が多くを担う。
だが公孫瓉は、剣を振るうだけでは成し遂げられない、もっと複雑に入り組んだ凡雑な現実を知っている。むしろそちらの方こそが、民の生き死にを左右するということを実感している。それらを大事だと思うからこそ、日々雑事に追われ、彼女の毎日はより武から離れていく。
だが今この時は、自分の剣の一振りが世の平穏に繋がるという、単純な図式の中でいられた。
公孫瓉の武才は、趙雲に及ばない。関雨にも華祐にも劣っている。
だが馬を駆けさせれば随一だという自負が彼女にはある。伊達に白馬義従などと名乗っているわけじゃない。
その自負の元に、彼女は馬を駆り、ただ愚直に剣を振るう。忘れかけていたなにかを思い出したかのように。

「烏丸さえ恐れた我ら白馬義従、弱きを襲い奪うばかりの賊徒にどうこうできるものではないぞ!!」

少し前までは、遼西を守るために心血を注いでいた。今は幽州を守るために剣を振るっている。
彼女の求める平穏とは、かつては自らが治める遼西周辺のものでしかなかった。
だんだんと大きくなっていく、守りたいもの。
公孫瓉は思う。ならば、次はなにを守るために戦うのだろうか。
もちろん、彼女がそれを知る術はない。












・あとがき
読者ー! オレだー! ちょっとまってくれー!

槇村です。御機嫌如何。




これまでの槇村ペースに比べると、更新に間が開きました。
いやだってぜんぜん書けなかったんだもん。(だもんじゃねぇだろ)
戦闘オンリーの、なんて難しいことか。いやはや。
もっとチャンチャンバラバラなシーンにするつもりだったのに。

しかも書こうとした分を全部書けていません。だから“前半”なのです。

残りはまた後日。



ちなみに、
孫呉の出番は、反董卓連合編に入らないと出てこなさそうです。
すまぬ。本当にすまぬ。

……どうやって袁術を絡ませるか、なんだよな。



[20808] 20:【黄巾の乱】 幽州騒乱 其の六 後半
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2010/11/11 16:58
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

20:【黄巾の乱】 幽州騒乱 其の六 後半






呂扶や公孫範らの突撃に浮き足立つ黄巾賊。その背後を突くようにして、公孫瓉率いる公孫軍本隊が突撃をかける。
先陣を切るのは、趙雲、関雨、華祐。
その先頭に立つ趙雲は、兵を率い槍を振るいつつ、勢いと力強さをもって黄巾賊の群れを引き裂いていく。
敵の布陣を分断し、綻びを生む。ふたつに分かれたそれぞれに、関雨、華祐が率いる一隊がぶつかっていきねじ伏せる。
世界が違うとはいえ群雄割拠の時代を生き抜いた武将。そしてその将に鍛え上げられた兵たちである。食い詰めた匪賊程度では太刀打ち出来るはずもない。

兵たちへの信頼ゆえか、趙雲は後ろを振り向くこともなく黄巾賊の群れを掻き回し続ける。
勢いをつけすぎたのか、それとも敵が思いのほか脆かったのか。彼女の吶喊はかなり深い位置にまで達していた。
そこでふと視界に入ってきたのは、呂扶の姿。これにはさすがに趙雲も驚く。
これはつまり、北側と南側の軍勢が鉢合わせるほどに、黄巾側の戦力が削ぎ落とされているということに他ならない。
一瞬、視線を交わす。だがその最中でも、ふたりの槍と戟はひとりまたひとりと黄巾の徒を屠っていく。
止められない勢いで武の程を見せ付ける将。そんなものがふたりも同じ場所に現れた。
ただでさえ、逃げようにも逃げ切れない厄介な相手。黄巾の側から見てみれば、湧き上がる恐怖は倍どころではなかった。
そんな恐怖の対象ふたりは、涼しい顔をしたまま合流し、背中を合わせる。

「随分と久方ぶりな気がしますな、呂扶殿」
「ん、元気だった?」

戦場に立ち、ただひたすら戟を振るうばかりだった呂扶。その最中で、気を許すひとりである趙雲の姿を見て少しだけ雰囲気を緩ませる。彼女に背中を預けながら、足を止め、肩をほぐすかのようにぶんぶんと腕を振り回してみせた。
もちろん、周囲は黄巾賊に囲まれている状態。呂扶の余裕を持った仕草も、場違いといえば場違いなものなものだ。それでも、これまでの彼女の奮闘振りを見せられていれば、そんな態度も隙を生んでいるようにはとても思えない。呂扶の進んできた道を見れば、打ち倒された黄巾賊がこれでもかとばかりに積み重なっているのだから。

「呂扶殿の武才であれば今更驚きもしませんが。さすがにこれほどのものを見せ付けられると、やりきれないものを感じますな」

そういいながら、趙雲は軽く溜め息を吐く。
だが彼女の口調も、普段と変わらぬ飄々としたもの。気持ちに余裕を持って戦場に立っている証左といえる。
同時に、意識して呂扶の戦いぶりを観察する余裕まで持っていた。
呂扶が戟を振るうたびに、文字通り相手が吹き飛ぶほどの膂力。
公孫軍で行われる鍛錬においても実感していたものだったが、いざ戦場で見るとなると、その威力に味方ながら寒気が湧き上がるのを禁じ得ない。
幾度となく趙雲自身も吹き飛ばされている。それはやはり彼女なりの手加減がなされているのだろう。
でなければ、五体満足でいられるわけがない。
今この場で呂扶の武に晒されている黄巾たちは、身体のそこかしこを失いながら絶命しているのだから。
まったく容赦がない。寒気と共に頼もしさを感じつつ、趙雲も負けじと愛槍である「龍牙」を振るう。

振るわれる戟の猛威に触れた結果打ち倒される呂扶に対して、趙雲の槍は致死または行動不能に至る点を確実に狙い襲い掛かる。
呂扶に比べ派手さに劣るかもしれない趙雲の立ち回り。だがその槍を一閃するごとに、着実にひとりまたひとりと、黄巾の徒が地に伏していく。
彼女の槍もまた、向けられたが最後、避けること逃げることの叶わない恐怖を敵に植えつけている。

「ところで呂扶殿」
「?」
「メンマをお持ちでないか?」
「……お腹減った?」
「不覚にも、手持ちのメンマを切らしてしまいましてな。そのせいか身体のキレが今ひとつなのですよ」

緊張感などまるで感じられないやりとり。言葉だけを聞けば、ここが戦場、ましてや賊に囲まれている状況だとはとても思えない。
だがそれも、ふたりともが尋常でない実力を持つ武将なればこそ。余裕を見せてはいても油断はしていない。
身体のキレが悪いといいながらも、趙雲の動きはそこらの兵では太刀打ちできないほどに速く鋭いものであった。軽口を叩く間にも、好機と思い斬りかかった黄巾賊を軽く返り討ちにしてみせるほどに。
呂扶に到っては戟の構えすら解いている。それを隙だと見て襲い掛かる輩もいたが、その判断の浅はかさを悔いる暇もなくその命を刈り取られてしまう。

「……一刀の用意してたご飯に、あったと思う」
「おぉ、さすがは北郷殿。痒いところに手が届く心配り。思わず惚れてしまいそうですよ」
「……独り占めはよくない」
「メンマをですかな? それとも北郷殿?」
「……両方」
「ふふ、安心召されよ。仲良く分けようではありませんか」

早々に討伐を終えて戻りましょう。
趙雲がそういうのを締めとして、ふたりは己の武器を構え直す。
それぞれが反対の方向へと駆け出し、黄巾賊の群れの中へと再び飛び込んでいった。




趙雲が、呂扶と顔を合わせた場所よりやや後方。中央突破によって分断され乱れた黄巾賊に止めを刺すべく、関雨と華祐は兵を指揮していた。
もちろん指揮するばかりではない。自らが先頭に立って各々が愛器を振るう。その立ち回りを目の当たりにし、公孫の兵たちは大いに士気を高め、黄巾賊は襲い掛かる猛威に恐怖を抱く。

華祐の武を支え続けてきた金剛爆斧。破壊力と速さを兼ね添えた一撃が、途切れることなく流れるように振るわれる。
暴風のごときその勢いに巻き込まれればたちまち命を奪われる。触れるだけでも、五体のいずれかがを持っていかれてしまう。
にも関わらず、傍目にはまるで重さを感じられない動き。羽毛のごとく振るわれる戦斧に、黄巾賊は近づくことさえ出来ずにいる。
それは関雨の振るう青龍偃月刀にも同じことがいえた。
並みの使い手であれば振るうだけでも難しいであろう偃月刀。それをいとも容易く操り、向かってくる者たちを斬り伏せていく。
一時代といっても過言ではない動乱の中を、共に潜り抜けてきた愛器。その重さも間合いも身体に染み付いている。彼女はまるで息をするかのように振るうことが出来る。
ゆえに、関雨が息をするかのごとき容易さで、黄巾賊は次々とその命を散らせていく。彼らにとって、まさに悪夢としかいいようのない状況であった。

「思えば、不思議なものよな」
「なにがだ?」
「かつて武を交わし叩きのめしてくれたお前と、こうして背を預け戦場を共にしているのだ。天という奴も気まぐれなものだ」
「ふ。気まぐれも過ぎて、こんな状況に置かれるとは露ほどにも思わなかったがな」

華祐の言葉を背中に聞きながら、関雨もまた言葉を返す。
少しばかり、背中を合わせただけ。戦場の中でのわずかなすれ違い。
ほどなくして、ふたりはまたそれぞれの方向へと散っていく。かかってこないのならば、こちらから向かっていくとばかりに。
偃月刀と戦斧。扱う武器は違えども、生み出される破壊力はそう違わない。関雨や華祐が武器を振るうだけで、黄巾賊はなにも出来ないままにその命を散らしていく。まるで草を薙ぎ払うがごときのあっけなさで、一人二人三人と、血の海に沈んでいった。
あまりに圧倒的な力の差。ただ斬り捨てられていくばかりの仲間を目の当たりにして、黄巾の徒たちは襲い掛かるにも躊躇する。わが身可愛さに逃げ出すものも少なくない。だが背を向けたが最後、その身はたちどころに切り刻まれる。
かかってくる勢いが薄れたことを感じ、関雨、華祐は、時を同じくして駆けていた足を止め、周囲をうかがう。
目を向ける。それだけで、ざざっ、と、黄巾賊が一歩退く音が鳴る。
彼女らの周囲だけに、ぽっかりと、円を描いたかのように空白が生まれた。
踏み込めば死に至る、結界のようなもの。彼女らが一歩二歩と歩みを進めるごとに、その空間もまた同じように動いていく。
逃げ出せるのならすぐにでも逃げ出したい。だが目の前の武将、関雨と華祐に背中を見せた途端に、自分たちの命は狩り取られてしまう。黄巾の徒らの本能はそう感じ取っていた。ゆえに、逃げ出すことも出来ずにただ、睨みつけ続けるしかない。彼女らの歩みに添って、距離を保ち包囲したままで移動する。
関雨と華祐は再び背を合わせた。不可思議な空間が、ひとつの円となる。相変わらず彼女らの周囲を遠巻きに包囲するが、それ以上になにかをしようとする気配はない。

「武を振るうといっても、こうも一方的に過ぎると弱いものいじめのようだな」
「仕方あるまい。脅威とはいえ、黄巾はしょせん賊でしかない。武将と比べるのは酷というものだ」
「それでも、手を抜く理由にはならないがな」
「同情はするが、因果応報というものだ」

互いの背から離れ、ふたりは一歩踏み出す。その一歩分、空間は外へと広がった。だがそれにも限界はある。
彼女らの猛威は、まだ収まることはない。




「公孫瓉は、こんなにも将を抱えているというの?」

曹操は、目の前に繰り広げられている光景に驚きを禁じえない。
先だっての戦いで、公孫軍の戦いぶりは垣間見た。中でも、趙雲、関雨、華祐の三人は、欲しいと切に思う程のものを見せてくれた。
だが間近で見る彼女らの武は、秀でているなどという言葉で簡単に済ませられるものではない。
ことに、関雨と華祐、そして呂扶。あれは尋常ではない、と、曹操は驚愕せずにはいられなかった。

曹操が自らの剣と誇る武将のひとり、夏侯元譲。彼女の武に敵う者などそうはいるまいと思っていた。
それがどうだ。ここしばらくの間に、匹敵し凌ぎさえするだろう武才を持つ者が幾人も現れる。
だからといって、決して夏侯惇の武才が劣っているわけではない。関雨らが突出しすぎているだけなのだ。

「桂花。あの呂扶が私たちの前に立ち塞がったとして、捕縛、いえ、打ち倒すにはどうすればいいかしら」
「……勝利するためには、将の数をもって圧倒するしかないのではないかと。
春蘭の奴が、もう二人、それに秋蘭の補助があれば、捕縛も可能かもしれません」

自分の想像に忌々しさを感じるのか、敬愛する主の前だというのに渋面を隠そうとしない。
そんな荀彧を見て、曹操は笑みを浮かべる。

「普段からなにかとキツい貴女にしては、随分高い評価をするわね」
「私も、あれほどの武を目の当たりにしたことがありません。想像するしかない以上、確たることはいえませんが」
「違うわよ。私がいったのは春蘭の評価の方。正直なところ、私は春蘭三人に秋蘭二人は必要かと思ったわ」

春蘭こと夏侯惇と、桂花こと荀彧。彼女らは毎日毎日、顔を合わせればなにかと突っかかり合う。
だが、夏侯惇の武才は確かなものであったし、荀彧の持つ知略もまた誇るに足るもの。そして、感情ではいがみ合いながらも、その能力に関しては互いに認め、信用している。それを曹操はよく分かっている。

「それにしても、分からないわ」

曹操は考えに沈む。
あれだけの武才を持ちながら、なぜこれまでその名を耳にすることがなかったのか。彼女は疑問に思う。

この大陸を統べている漢王朝。その中枢を牛耳る宦官や外戚等の存在に、曹操は嫌悪を表し隠そうとしない。
自分よりも無能な輩に使われるなど真っ平ごめん。ならば自分が頂点に立ち、すべてを一掃して天下を作り変えてくれよう。
それこそが自分の辿る道、覇道である、と、彼女は心の内に決めている。
無能な朝廷内部に対する反発。逆にいえば、有能な人物に関しては一定の敬意を持つ。ゆえに、彼女は使えそうな人材に関する情報に気を配り続けている。その密度と範囲の広さは相当なものと自認していた。
趙雲の名は既に知っていた。関羽と張飛の名も報告を受けている。だが他の三人はその情報網にかからなかった。
まさに一騎当千ともいえる彼女らの存在を、なぜ知ることが出来なかったのか。自身の細作たちが完璧だとはいわないが、それでも腑に落ちない。
理由はあるのかもしれないが、その見当は付かない。
だが彼女らの持つ武才、実力は本物だ。

「桂花。仮に呂扶を引き込めたとして、貴女ならどう使う?」
「……相手にもよりますが。曹操軍の一武将として考えると、他の将や兵との連携が執り辛い気がします。
曹操軍の兵は精強です。それでも、呂扶の下で戦働きをするとなると相当苦労するのではないでしょうか」

付いていくのに苦労する将は春蘭だけで十分です。
そんな小さな声も聞こえたが、曹操は咎めることもなく聞き流す。彼女のいい分もよく理解できる。

「……欲しいけど、手に余るわね」

彼女らの圧倒的な武才。今の曹操には喉から手が出るほどに欲しい人材だった。
だが呂扶らの持つ武の高さゆえに、無理に引き込めば自軍の持つ力の均衡が崩れる気もしていた。
これまで彼女なりに苦労してまとめ上げ築き上げてきた軍勢である。将ひとりふたりのために、精鋭を誇る兵を使えなくするのは愚の骨頂だ。

「ひとまず、置いておくことにしましょうか」

呂扶、関雨、華祐らについては保留することにする。
太守としても、遼西は気になる地だ。現時点では、変に事を構えたりせずにいこう。
曹操はひとまず、そう結論付けた。




公孫続は涙を流している。目の前で繰り広げられる戦場を思うだけで、涙が溢れ出るのが止められない。
彼女の立ち位置は文官である。その上まだ幼さが残る年齢だ。いくら聡明だといっても、公孫瓉より七つも年若い。
これだけ規模の大きい戦場に出ること自体、初めてでもあった。前線に近い場所に立っているだけで震えが止まらない。
だが、今の彼女を襲っている感覚は、恐怖よりも、悲しさ。
なぜこれだけの人が死ななければならないのか。彼女は心を痛める。

「死者の数、病に倒れる人の数、飢える人の数。これらを少しでも少なくしていくことは、上に立つ者の役割のひとつです」

同じように、戦線に目をやりながら。鳳灯は努めて優しく言葉を紡ぐ。

「少なくない数の太守や領主が、己の私腹を満たすために搾取を繰り返しています。
民草に無理な税を強制し、それを無理やり奪っていく。その大半は朝廷への貢物となります。覚えを良くしてもらい自分の権限を増すためです。
権限が増せば、治める土地が広くなる。広くなればその分だけ自分に入る税収が増えます。結果、懐に入る財は以前よりも増える。
さらに税を徴収しようとすれば、中には倒れる人もいます。疲労であったり病であったり。亡くなられる方もいるでしょう。
働き手が少なくなれば、税収は減ります。それでも朝廷に納める分量は変わりません。税収が減ったことを知られれば、管理能力を問われて権限が奪われてしまうからです。自然と、上げる報告に嘘が紛れることになります。朝廷も、きちんと税が集まってくるのならうるさいことはいわないのが現状です。
となると、減った税収の分は更なる課税で補うことになります。その負担はもちろん民草にかかります。
その辛さにまたひとりまたひとりと倒れていき、働き手が減ります。そしてまた税収が減る。この繰り返しです」

内政官としての師である鳳灯の言葉に、公孫続は、じっと耳を傾ける。

「この戦は、治める太守への不満が爆発したことで起こり、同じ不満を持つ人たちの間に広がっていきました。
逆に考えれば、内政に携わる人たちの頑張り次第で、こういった戦を未然に防ぐことは可能なんです」

自分の方へと顔を向ける公孫続を、前を向いて、と、たしなめながら。鳳灯は続けていう。

いい方はよくないが、民が不満を持たずにいてくれれば、一定の税収は確保できる。
黄巾賊による騒乱は、太守の圧政に対する農民の蜂起が切っ掛けである。
ならば、気持ちよく税を納めてくれるような環境づくりを心がければいい。それもまた反乱防止の一手である。
公孫続と共に、公孫越もまた、彼女のそんな言葉に遼西の現状を思い浮かべる。

「良政を心がけようとするのはいいことです。
ですが、民の要望すべてを聞き入れることは、実質不可能といっていいでしょう。
結局は、治世側と民との間で、利と理をすり合わせていくしかないと思います」

ならば、そのためにどうするか?
あちらを立てればこちらが立たず。その両方を程よく立てるために、具体策とその結果を常に考えて実行することが肝要だと諭してみせる。
公孫瓉の日常を見ている公孫越と公孫続のふたりは、その言葉に合点がいく。
常日頃から頭を悩ませ、周囲に意見を募り、組み入れた上でよりよいであろう案を形にし、決断し実行する。そして笑顔を浮かべて先頭に立っている。
そんな、姉であり従姉妹である公孫瓉の行いが、遼西という地に形として現れている。

「自分の中で、なにを第一とするのか。それによって、人の行動や考え方は変わります。
公孫瓉さまは、立身出世よりも地域の活性に重きを置いています。その考えの下に行動をし、結果、遼西は他地域の噂になるほどの豊かさを得ました。
民の現状を第一に考えるのか、己が抱く理想の治世を第一に見据えるのか、それとも目先の利益のみを追いかけるのか。人によってそれぞれです。
どれが正しくて、どれが間違っている、とはいいません。
大事なのは、それらを判断する自分の基準を作ることでしょうか。」

いうなれば、なにが許せなくて、なになら許せるのか。そう考えれると分かりやすい、と、鳳灯はいう。

「税ばかり取られ飢え死にしそう、そんな圧政を敷く太守は許せない。黄巾賊蜂起の切っ掛けはこうです。
そんな行動を、太守は許すことが出来ません。
民や町に被害が出るからか、税収が減るからか、朝廷からの評価に響くからか。理由はいろいろでしょう。とにかく制圧しようとします。
制圧というからには、死人も出ます。黄巾賊にも兵にも、そこにいただけの領民が被害に遭うことさえあるでしょう。
黄巾賊から見れば官軍は許せない存在。官軍から見れば黄巾賊は許せない存在。ならば共に許すことが出来た一線というのはなんなのか。
その辺りの機微や均衡を見極めることが、平穏に繋がるのだと思います」

感情だけではなく、理と利を踏まえた一線を自分の中に課す。
そうすれば、自分の目指すもの、そのためにやるべきこと、そして相反するものに対して下す対応を割り切ることが出来る。

「割り切る、ですか?」
「そうです。
この戦場は、まさにそれです。
匪賊の類はともかく、農民から黄巾賊に加わった人も多くいます。彼らの命を奪うことは、気持ちのいいものではありません」

わずかに表情を変える鳳灯。
だが、紡がれる言葉は止まらない。

「黄巾賊に身を落とした理由は理解できます。でも、他の民を襲う理由にはなりません。少なくとも、私の基準では許せることではありません。
ゆえに、割り切ります。
黄巾賊は、民草の平穏を乱し大きな被害を生むものとして討伐します。軍師の立場なら、皆殺しにして殲滅せよ、と命令します。なにもしなければ、戦場以外でも、人は多く死んでいくことになると判断するからです。
その反対のこともあり得ます。場合によっては、黄巾賊を生かすこともあるかもしれません。
例えばの話ですが。
かつての友人が立場の異なる勢力として敵対していた。戦いに勝利し、友人が捕虜となる。
その敵勢力自体は許せない、でも友人は許してあげたい。そんな判断も、自身の中にある基準しだいで対応が変わります。
友人といえど敵、だから処刑する。
はたまた、敵勢力といっても友人、だから助ける。
どちらが正しいとはいえません。後にどんな影響があるか、ということは考えておく必要はありますけれど」

自分はどうしたいのか、というのが結局、落としどころになるのだ。彼女はそう締め括る。
それを元に下した判断を、どうやって実行していくのか。あるいはそれが後にどんな影響を及ぼしていくのか。
そういったところにまで思慮が及ぶような人が、いわゆる"偉い人"になっていくのだと。
遼西の"偉い人"の血縁であるふたりは、その言葉に考えさせられる。



関雨や華祐を始めとした公孫軍の立ち回り、そして幽州合同軍、曹操軍や劉備軍の勢いを目の当たりにする。黄巾賊はやがて逃げ惑うばかりとなった。
背を向けたとしても容赦はしない。温情をかけここで見逃せば、また新たに匪賊と化す可能性は十分にある。不安の芽は絶たねばならない。討伐は徹底して行われる。
とはいえ、その数は膨大なもの。どれだけ徹底していたとしても、その網目からこぼれる者が現れる。
そんな輩が、たまたま幽州合同軍の陣深くまで入り込んでしまうことも。

「北郷さん」
「ご心配なく」

幽州合同軍の総大将、公孫越。彼女が陣取るのは、戦場が俯瞰できる最奥部だ。その周囲を守り固めるのは、主に、一刀を含めた遼西の義勇兵。
それを指揮するのは、北郷一刀。彼は公孫越に一礼し、義勇兵の一部を引き連れ、主の下を少しばかり離れる。

この最奥部にまで紛れ込んできたのは、100程度の集団が細切れにいくつか。だがそのほとんどは公孫兵の手で討ち取られる。
一刀たち義勇兵が陣取る場所に至るころには、その数も格段に削られている。総合計で100に届くくらいか。

「囲め」

そのひと言で、義勇兵たちは黄巾賊を取り囲む。
自分の持つ得物がかち合わない、そんな間合いを意識しながら。二層の形を執る包囲網が少しずつ縮められていく。

「油断せず、敵一人につき二人で当たれ。一層目は目の前の奴を討つことを意識しろ。二層目は敵とその周囲の動きに気を配れ」

静かになされる指示。その声は兵たちの耳にしっかりと届く。
振り上げられる黄巾賊の剣。それよりも速く、義勇兵は相手を斬り捨てる。または斬撃を受けきってみせる。
いずれにしても、一拍の間が生まれる敵の動き。そこに向かって二層目の兵が剣を振るう。
更に生まれる敵の隙。一層目の兵は慌てることなく、確実に止めを刺していく。
ひたすら、その繰り返し。敵が動きを止めるまで、一、二、一、二、と、攻撃を与え続ける。敵も味方も、互いに質の異なる声を上げながら。
相手が本職の兵ならばこう簡単には行かないだろう。だが相手はしょせん、賊。武才のない義勇兵でも落ち着いて対処が出来る。

一刀が執る指揮、それに従う義勇軍の動きに、華やかさはない。
だが彼らは本来、兵ではないのだ。戦で華を咲かせる必要はない。
対象を守りつつ、自分の命を確実に持ち帰る。商隊の護衛を生業ののひとつとしていた一刀は、それが至上と考えている。
手勢がいないのなら話は別だが、今は本職である兵たちが多くいる。そもそも、義勇兵が本職の兵に敵うはずもない。
なにより「人を殺す」ということに対する覚悟の程が違うのだ。乱戦にでもなれば却って邪魔になりかねない。
だからこそ、一刀が率いる義勇兵は陣の最奥部で守りに専念する。戦場へと飛び込まない。地味に、地味に、出来ることだけをこなしてみせる。

程なくして。一刀が率いる義勇兵たちは、紛れ込んできた黄巾賊をすべて斬り捨てた。
義勇兵の誰もが、自分の基準で判断し、決め、行動している。その過程で血に汚れていくことも、仕方がないこと、と、割り切っていた。
もちろん、それに慣れるということはまったく別物ある。義勇兵といっても、しょせんは民草。戦場に立ち続けるにはあまりに脆い。
彼らは戦う理由があるからこそ、一時的に割り切って、戦場に赴いているだけなのだから。




時折陣地の奥深くまでやって来る黄巾賊も、姿を消してきている。趨勢はすでに決したといっていいだろう。

愛する義妹ふたりが、危険な戦場を駆け抜け命を狩り続ける。
頼りになる軍師ふたりが、こちらの被害を抑えながらも相手の被害を広げるように知恵を絞る。
どれだけの人が、死んでいったのだろう。目の前に広がる戦場を眺めながら、劉備はひたすら心を痛める。涙はもう枯れ果てていた。

黄巾賊の非は理解できた。ことの起こりは共感できるものの、同じ民草にまで手を上げてきたことは、彼女とて許せることではない。
だからもう同じことが起きないように、黄巾賊を討伐する。それは分かる。
仕方のないことなのかもしれない。さすがにこれだけの黄巾賊を前にして、話し合いでなんとかなるとは劉備も思わない。
それでも彼女は、人が死ぬのを見るのは嫌だった。誰かが死ねば、その周りの人が悲しんでしまう。想像するだけで、胸が痛んだ。

どうすれば、この黄巾の人たちを助けることが出来たのだろう。
劉備は考える。自分がどうすれば、皆が幸せな気持ちになってくれるのかを。
戦争で人が死ぬのは哀しい。なら、戦争を起こさないためにはどうしたらいいんだろう。
劉備は考える。自分が望む、誰もが笑顔で過ごせるような世界はどうすれば作れるのかを。

自分の抱く理想は、どうすれば皆の心に届くのだろう。どうすれば叶うのだろう。
劉備は、ひたすら考え続けていた。




精強で知られる公孫軍と、それが素地となる幽州合同軍。そして躍進著しい曹操軍に劉備軍。
対して黄巾賊はしょせん賊である。剣を振るうにしても、その質は明らかに違う。
ましてや軍勢として、地の利を取り、唯一の懸念点だった数も上回り、それを率いる将も一騎当千とあっては、討伐側は一人一殺でもおつりが来る。
事実、30000を超える数がぶつかり合ったにもかかわらず、討伐側の軍に死者はほぼ皆無。重傷者がそれなりに出る程度で収まっている。この戦いは圧勝といっていい。これだけの数が集まり蜂起しても軍閥には敵わない、と、知らしめることになった。少なくとも幽州軍と曹操軍の名は広く大きく知られることになるだろう。

だが、それだけの結果を出していても。実情は画竜点睛を欠いたものだった。討伐側の主だった将は、総じて浮かない顔をしている。

「それにしても」

曹操が顔をしかめる。
いままでずっと気にかけていたこと。それが未だに解消されていないことに、彼女は腹立たしさを感じていた。

「公孫瓉。貴女のところに、張角捕縛の知らせはある?」
「……ないな。ここに集まった黄巾賊の主将格は、知る限りでは皆死んだ。
その中に張角もいたのか、それとも逃げ出したのか、もともとここにはいなかったのか……。正直、分からん」
「そう……」
「そもそも、男か女か、年頃はどれくらいか、どんな風貌なのか、っていう情報がほとんどないからな。確かめようがない」
「そうなのよね……。忌々しいわ」

爪を噛み、腹の底から不機嫌さを滲ませる曹操。
黄巾賊を統べる長というべき存在、天公将軍・張角、地公将軍・張宝、人公将軍・張梁。
嘘か真か、黄巾賊の中でもその姿を知るのは極限られた一部であるらしく、討ち取ったのかどうか首級を確認することが出来ない状態だった。
戦場での動きから察するに、おそらく此処にはいなかったのだろうと想像するしかない。

もちろん、関雨、鳳灯、華祐の三人は、張角らの姿かたち人となりまで分かっている。
彼女らは、この戦場にはいない。だが、ここではなにもいわず、口を噤んでいる。

「これだけ大きな騒ぎになっても、根源は絶てず、か」
「いつまたこんなことが起こるか。そう考えると、太守としちゃ頭が痛いよ」
「本当ね」

立場を同じくする、曹操と公孫瓉。ふたりは肩を並べて深く溜め息をつく。

なぜこのような争いが起きたのか。そして、どのようにしてここまで大きな規模にまで発展したのか。
公孫瓉は騒乱の再燃を憂い、曹操は騒乱を肥大化させた手段の流布を懸念する。
抱くものの色合いが互いに異なることまでは、さすがにうかがい知ることは出来なかった。











・あとがき(後半編)
意外なところで結構読まれている。分かってはいたもののちょっと驚き。

槇村です。御機嫌如何。




PV数が10万を超えました。

みしらぬみなさまに、じゅうまんかいもわたしのだぶんをよんでいただけたということですよ。
ついつい平仮名オンリーになってしまうくらいの衝撃です。読んでいただいている皆様には本当に感謝です。
またいろいろと書き込みもしていただき、ありがとうございます。もっと!もっと!



さて。
思いつきで始めたお話ですが、案外続けていられることに我ながらびっくり。
その割には、まだ山場らしい山場がまだないんだよなぁ。
反董卓連合やその後などに、書きたいシーンが控えていますので。更に気を入れて臨もうと思う次第。ただし無理しない程度に。

このお話のことなのですが。
基本的に、"ここをこうしたら面白いんじゃね?"という感覚で原作を改変・再構築しているだけです。
『三国志』や『三国志演義』では"こう"だから、こういう展開もアリだよね。という意識は多分にあります。
それらを踏まえて、槇村の中で合点がいって辻褄が合えば、それでいいというスタンスを取っていますから。
読む方によってはお気に召さない点もあると思います。それはまぁ、仕方ないよね。
それにしても、『恋姫無双』に入っていない『三国志』ネタを絡めると非常に楽しい。
おかげで普段読む本のラインナップに三国志関連が多くなってきた。

ちなみに。
「誰が主役なんだよ」というご指摘もありますが、槇村の中では一巡組の四人が主人公です。一応。(一応?)
一刀はあくまで脇役に徹して、進めていきたい。なー、と。
でも気を緩めると、公孫瓉こと白蓮さんが主役になってしまいます。気が抜けません(笑)



やっと、黄巾の乱編が終わった……。
さてさて。これからどう展開していくことやら。
よろしければお付き合いください。かなりの長丁場になりそうではありますが。



[20808] 21:はるばる来たぜ遼西へ
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2010/11/12 06:09
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

21:はるばる来たぜ遼西へ





大規模な討伐戦を終え、各軍閥はひとまずそれぞれの拠点に戻ることとなった。
公孫軍もまた遼西へと帰還する。およそ四ヶ月に及んだ黄巾賊討伐の遠征は、ひとまずここで終わりを告げることとなる。

公孫瓉と公孫越だけは、幽州刺史と共に洛陽へと向かった。今回の討伐に関する報告を、朝廷に行うためである。
権限を引き継いだ公孫範に引き連れられ、公孫軍の面々は意気揚々と遼西へと凱旋する。
その道中にも、黄巾賊を始めとした匪賊の類に出くわすことはあったが、その規模はいずれもきわめて小さく。
幽州周辺で行われた大討伐に関する風聞も広がっているのだろう。公孫軍の姿を見て一目散に散っていく。
今回の討伐遠征が、力の誇示が、周辺地域の騒乱を抑えるものとなっている。その実感、手応えを、公孫軍の誰もがしっかと感じ取っていた。

遼西へ帰還した後も、その無事を喜んでばかりもいられない。
戦死した兵の家族への補償や慰撫、留守を預かっていた烏丸族との申し送りや、軍の再編成などなど、大小硬軟やるべきことは山のようにある。
とはいえ、最終的な決断をするのは公孫瓉の仕事である。公孫範や鳳灯らは、出来る範囲のやるべきことをすべて整えた上で、後は決算待ちという状態で太守の帰還を待つ。
しばし日数を経て、公孫瓉と公孫越の帰還が知らされる。
遼西の主だった将たちが出迎えると、彼女らは客人を伴っていた。その一団に、一部は驚きの表情を表す。
公孫瓉らと共にやってきたのは、曹操とその家臣たちであった。



「それにしても、そのまま付いてくるとは思わなかった」
「長い間留守にしていたのだもの、少しくらい不在が伸びても問題はないわ」

その旨は伝達してあるし、不在が伸びたくらいでどうにかなる治世をしているつもりもいないしね。
と、自信満々にいってのける、陳留の太守である曹操。彼女は黄巾討伐の後、自分の治める地へ戻る前に直接、遼西におもむくことを決めた。
彼女自身、その治安のよさと民の豊かさで噂に上る遼西を、同じ太守として一度は見ておかなければと考えていた。
陳留に戻ってしまえば次はいつ自由に動けるか分からない。という懸念もあって、わずかな共と護衛を従えただけで遼西までやって来たのだった。
公孫瓉も、それを断る理由はない。むしろ自分の治める地を褒められているのだから、かえって気分がいいくらいである。

そんな彼女ら一行、曹操、夏侯惇に夏侯淵、それに荀彧ら主な将を迎えてささやかな宴席が開かれる。
迎えるは、公孫瓉ら三姉妹、公孫続、鳳灯らである。ちなみに同行していた曹操軍の兵たちは別所にてもてなしを受けている。
また曹操たっての希望で、関雨、華祐、呂扶も席に呼ばれている。ちなみに呂扶に引きずられる形で、裏方として一刀も厨房に詰めていた。
乾杯の音頭と共に、穏やかに進む宴席。互いに黄巾討伐の労をねぎらい、新たに得た地位を踏まえた意見などを交えたりする。



朝廷への報告に洛陽に入ったのは公孫瓉ら幽州組ばかりではない。
合同戦線を張っていた曹操と劉備もまた同じように洛陽入りし、報告を行っている。
そこで彼女たちは、今回の大規模な討伐に対する恩賞として新たな地位を授かった。

劉備は、青州平原の相として取り立てられた。
いかに劉姓を持つとはいえ、彼女は確たる拠点を持たない一義勇軍でしかなかった。それが唐突に一地域を治める長である。実績を立てて見せたとはいえ、いくつもの段階を飛び越した大出世といえよう。
ちなみに、友人による陰からの強い後押しがあって初めて、劉備は地位を手にすることが出来たという側面もあった。
救国の志を強く抱く彼女にとって、今なにが必要なのか。
そう考えた公孫瓉は友として、彼女らがそれだけ勇猛に働いたかを説いて見せたのである。
そんな様を横目にしながら、曹操は内心呆れていた。だが反面、ここまで来ればいっそ清々しいか、と、苦笑も零していたのだが。
さて。
劉備は相を地位を授かった後、足早に平原へと向かった。
出立の前。劉備は彼女らしい無邪気さで公孫瓉に抱きつき、任官の後押しに対して礼を述べる。また彼女に仕える関羽、諸葛亮、鳳統からも頭を下げられられた。と同時に、彼女らは、身を寄せていた際にあった言動のいくつかに対しても謝罪する。心当たりのあった公孫瓉は、苦笑しつつ「気にしないでくれ」と水に流してみせた。

曹操は、現行の官職と平行して、袞州の牧を兼任することとなった。
もともと陳留の太守を務めていた彼女は、そのまま更に広い地域を治めることになる。
持てる権限の制約上、これまでは内政の充実にしか力を入れられなかった曹操。だが牧の地位を得たことで、より大規模な兵力軍事力を持つと同時に、陳留以外にも影響力を与え手を伸ばすことが可能となった。愚鈍な宦官外戚どもに目にものを見せてくれる、と覇気を募らせる彼女にとって、動きやすく、力を溜め込むに都合のいい立場を得たといっていいだろう。

公孫瓉は、幽州の牧に任ぜられた。
これまで幽州刺史に就いていた人物は、年齢が高かったこともあり、此度の黄巾討伐から戻ると自ら退きたい旨を皇帝に進言した。
では空いた役職に誰を置くか。
当初は、幽州合同軍の総大将を務めていた公孫越に、という意見もあった。だが若輩である以前に、彼女自身はこれまでにな何某かの地位に就いていたという実績がない。いきなり州牧を任せるのも無謀な話だろう。
そんな理由もあり、州牧の空位には公孫瓉に任ぜられた。
朝廷直下の軍勢ではなかったとはいえ、官軍の危機に助けに入った実績もあり、朝廷の中で彼女は好意的に見られていたこともいい判断材料となった。公孫瓉は陽楽を離れ、幽州の治府が置かれる広陽郡・薊へと移ることになり、空席となる遼西の太守には公孫越が任ぜられることになった。
公孫越を始め、公孫範や公孫続も、皇帝に名を披露する機会を得ることが出来た。後々、機があればこれが生きてくることもあるだろう。無名に近かった妹たちの名を売ることができたというだけでも十分であったが、公孫瓉にとって、此度の黄巾討伐は自他共に得るものが多かった。

ちなみに。
"牧"という役職は、この黄巾党が起こした反乱を鑑み復刻された役職だ。とはいえ、漢王朝の治世における立ち位置は基本的に刺史と同じである。
これまでの刺史と違う点は、より自治的な統治権が与えられると同時に、大規模な軍事、兵備、徴兵を牧の裁量で行えるというところである。
軍閥として名を馳せていた公孫瓉や曹操であっても、太守という地位である限り、揃えられる軍備や兵力には制限が付いていた。それが牧の座に着任することで、対外に対する防備の充実を公然と行えるようになった。
公孫瓉は長く続いていた烏丸族への対策として、曹操は未来に起こるであろう戦乱に備える思いから、それぞれ軍備の重要性を切に感じ取っていた。用途はともかくとして、今この大陸の中でもっとも必要としているであろう者にその官職が与えられたのは、時代の必然か。それともただの気紛れなのだろうか。



そんな時代の趨勢など、当人たちに分かるはずもなく。ひとまずは、手にした新たな官職に対し喜びを見せるばかりである。

「州牧への就任、おめでとう。と、いっておこうかしら」
「あぁ、ありがとう。
だが曹操こそ、出世という意味では同じだろう。洛陽や司州に近い分、私よりも重要視されてるんじゃないか?」
「近い分だけ、面倒ごとが起こりやすいだけだわ。
面倒ごとが起こること自体はいい。でもね、それが他人の仕出かしたことの尻拭いでしかないのは御免よ」

もっとも、面倒ごとの大部分は後者なんだけど。そういって渋面を隠そうとしない曹操。
公孫瓉もまた、彼女と同じく漢という王朝に仕える身である。本来であれば諌めるべきことなのだろう、が。曹操のいう言葉に思い当たるところがありすぎて、苦笑いを返すことしか出来なかった。

「余計なことに巻き込まれずに力を蓄える、という意味では、幽州や涼州はいいところかもしれないわね」
「いや、案外そうでもないぞ? 幽州は烏丸、涼州は五胡。北側から来る奴らを、気を張って見ていなきゃいけないからな」

気持ちの安らぐ暇がない、と、公孫瓉はおどけてみせる。
と同時に、かなりギリギリな曹操の言葉もあえて軽く流してみせた。

だが、曹操のいうことも一面では事実ではある。
幽州の各地、ことに遼西は、たかが一太守の身分には過ぎた兵力を有している。それはひとえに北方勢力に対する自衛のために他ならない。
彼女らが食い止めければ、北方勢力は更に南下してくるに違いない。朝廷もまたそれを理解しているからこそ、幽州や涼州が軍事力を充実させていることを黙認しているのだ。他の勢力が同じように軍備拡張を行ったならば、朝廷に対する翻意ありとして圧力をかけてくることだろう。
少なくとも、幽州における勢力としての充実は、地理的な理由によるところが大きいことは否めない。

「今この時代に、自分たちを守るために自前の軍備と兵力が必要だってことは分かる。
かといって、増やしに増やしていってその後どうするんだ、っていうのもあるんだよな」
「もちろん、兵ばかりで治世が成り立つはずもないわ。基本的に、兵は一方的に消費ばかりを強いるもの。なにかを作り生み出す層はなくてはならない。どちらに偏っても、どちらをおざなりにしても、泣くのは結局、民なのよ」
「同じなら問題も少ないんだけどな。作る層と、消費する層が」
「農民を兵にしようとでも? そんなことをしても中途半端になるだけよ。いざ戦場に立ったら味方が全員義勇兵並みなんてゾッとするわ」
「いやそうじゃない、逆だ。兵の方に農民も……」

と、口に出しかけた公孫瓉が言葉を止め。咄嗟に鳳灯の方を見やる。苦笑するのを隠さずに、鳳灯はうなずいてみせた。

「兵の方に、農民がするようなことをやらせるんだよ」

筆頭内政官殿のお許しが出た、ということで。公孫瓉は、遼西が現在採ろうとしている方法を語ってみせる。

彼女のいう方法とは屯田制、要するに兵屯の導入である。手の空いた兵を農作業や開墾に回そうというもの。これはもちろん鳳灯の発案によるものだ。以前にいた世界から知識と実績を持ち越しているのだから、有効性は実証済みである。
わざわざ曹操の前で披露することではないかもしれない。だがここで話題にしなかったとしても、曹操はいずれこの考え方に至り実行するだろう。鳳灯はそう考え、あえて情報の秘匿にこだわらなかった。以前にいた世界でも、曹操は黄巾の乱以後に兵屯の考えを取り入れていたはず。だから問題ないだろう、という判断である。
そもそも、遼西においてはすでに手がけ始めている方法である。遅かれ早かれ、先見に富む人物であれば目をつけるに違いない。そしてその筆頭となるであろう人物が、今、目の前にいる曹操なのだ。ならばこちらから情報を出して恩に着させてみよう、というのが、鳳灯の思惑であった。
事実、曹操はこの案に非常に食いついた。強く興味を持ち、彼女は公孫瓉に先を促す。
そんな硬めの話を展開しつつ。治世者側に立つ、公孫瓉、公孫越、曹操と、彼女らを支える鳳灯、荀彧ら文官組は、宴席というには少し趣の異なる盛り上がりを見せていた。



一方、武官組はというと。

「わたしはおまえなんかみとめないんだからなー!」

かなり酔っていた。

まず騒ぎ出したのは夏侯惇である。
宴席を共にしている関雨に対して、もともと彼女は思うところがあった。といっても一方的なものなのだけれど。
黄巾賊の討伐戦で暴れ回り、自分なりの戦果を上げられたと思っていた彼女。主である曹操の反応も上々で、夏侯惇はご機嫌だった。
それも、関雨本人を目の前にして急降下してしまう。
愛する主が気に留めている武将。武才に誇りを持っているからこそ、知らず自分のそれと比べてしまう。
もっとも、彼女とてそれを口にしてしまうほど自制心がないわけではない。
だが酒が入ったことで、そのわずかな自制心も箍が外れ、感情にまかせるまま喚き散らす。

「わたしが、わたしが華琳さまの一番なんだぞ! お前なんかに負けるものかー!」
「いや、そもそも曹操殿について行くとはひと言もいっていないのだが」
「なんだと貴様、華琳さまが目に留めてくださったにも係わらず応えないというのかー!」
「夏侯惇殿、貴女は私を引き入れたいのかそうじゃないのかどっちなのだ」
「そんなこと知るかー!」

酔っ払いに理屈は通じない。そんな言葉が人の形になったかのような傍若無人ぶりを発揮していた。
関雨は彼女の性格もよく知っている。以前にいた世界でもなにかと絡んだことがあった。曹操第一なところはまったく変わりがない。
夏侯惇の、直線的なのにどこか変化球な絡みをなんとかかわしつつ、話をなんとかずらそうと試みる。

「私などよりも呂扶の方がよほど強いぞ? 未だに負け越しているくらいなのだからな」
「ぬ、そうか? 呂扶は遼西の一騎当千と呼べれているらしいな。
なんのわたしとて、華琳さまのためなら黄巾の千や二千簡単に吹き飛ばしてくれるぞ!」

夏侯惇の矛先は、みごとなまでに関雨から外れていった。
話題を振られた呂扶当人は、突然呼ばれた自分の名前に反応するも、すぐにまた手元の料理に意識を戻してしまう。
そんな態度を、お前なんか興味ない、というように捉えたのだろうか。夏侯惇は先ほど以上の勢いでくってかかる。
だが、反応して来たのは呂扶ではなく。

「なにいってんだアンタ! 恋姉ぇに比べりゃアンタなんて足元だぞ足元!」

突っかかってきたのは、公孫軍一の直情型、公孫範である。
武においては、まだ夏侯惇に及ばないだろう。だが高みを目指す意気込みなら勝るとも劣らない。
そんな彼女は、師でもある呂扶を取り沙汰されて過敏に反応してみせる。勢いのままに。
ふたりとも、既に相当の量を飲んでいる。口にする言葉を吟味することもなく、互いに大声をぶつけ合う。罵り合いといってもいいかもしれない。その中身は極端に程度の低いものではあったが。

「ちょっと待って、待ってよ範ちゃん! 落ち着いて、落ち着いてってば!!」

声と同時に腕まで出しそうな勢いの公孫範を、身体を張って止めようとするのは公孫続。従姉妹の腕に自分の腕を巻き込み、全身をもって押しとどめる。
そんな彼女を見て、夏侯淵はなにやらうんうんとうなずいていた。
目の前の光景に、なにか共感するところがあったのかもしれない。

すわ一触即発か、という空気が流れもしたが。
気がつくと何故か、呂扶、公孫範、夏侯惇の三人による早食い対決が繰り広げられていた。
三人が三人とも、その身体のどこに入るんだというくらいの勢いで、目の前の料理を平らげていく。
そして何故か、三人に次の料理を差し出す係を請け負ってしまった公孫続。

「続、おかわり」
「続、次だ!」
「わたしも次だ!!」

息を吐く暇もないほどにおかわりを要求する、呂扶、公孫範、夏侯惇。あわわわわわ、と、鳳灯もびっくりな程に取り乱す公孫続。
料理を乗せた皿がなくなり、いわれのない突き上げを食らう。
彼女は半泣きになりながら、追加の料理を求めて厨房と宴席の間を行ったりきたりしていた。
そんな公孫続を、夏侯淵は慈愛の念を込めながら暖かく見守っていた。なにか非常に満足そうな笑みを浮かべつつ。
でもまったく手伝おうとしないで。

そんな按配で。
誰も彼も酔っ払っていた。



「なんだか、食い物の減りがハンパないんだけど」

なにかあったの? と尋ねるのは、呂扶に連れられるまま城の厨房で鍋を振るうことになった一刀。その質問を受けるのは華祐である。
ちなみになぜか趙雲が、厨房の片隅で一刀を冷やかしていた。

「経緯は分からんが、恋を筆頭に早食い対決が始まったぞ」
「……なんで?」
「知らん」
「食事で恋に勝てるわけないじゃん」
「結構いい勝負をしてるぞ?」
「……相手は誰?」
「範殿と、夏侯惇だ」
「……なんで華祐はここにいるの?」
「巻き込まれたくなかったからな」
「確かに、訳の分からない盛り上がり方をそこかしこでしていましたな。私も巻き込まれるのは勘弁願いたい」
「というか趙雲さん、なにもしないなら帰んなよ」

酒と勢いのせいで場が乱れてきたから逃げてきた、と、華祐はひょうひょうといってみせる。
宴席に呼ばれていなかったとはいえ、場をのぞいて見た感想を口にし、趙雲も同調してみせた。
一刀は一刀で、出す皿出す皿すべてをつまみ食いしていく趙雲にゲンナリしていた。

「宴席に置いてある料理が冗談のように減っていってるぞ。すぐに次をくれ、と駆け込んでくると思うが」

厨房の熱気と忙しさに汗だくの一刀だったが、華祐の言葉に、なにか違う汗が流れるのを背中に感じていた。
そんな嫌な予感はすぐに形となる。駆け込んでくる公孫続の、正に半泣きな声と共に。

「北郷さぁーーーーーん」
「……話は聞きました。ひとまずこれを」

仕上がったばかりの、料理を載せた皿。何人かの給仕たちと一緒に、まだ熱い料理をいっせいに運んでいく。

「続殿も大変ですなぁ」
「そう思うなら、少しくらい手伝ってもいいんじゃないですか趙雲さん」
「こう見えても私は忙しいのですよ。主につまみ食いなどで」
「そうですか……」

諦めたように嘆息しつつ、一刀は厨房という名の戦場へ戻っていく。
彼の背中を見やり、華祐は苦笑しながらその後を追う。

「どれ、私も手伝おう。作り手はひとりでも多い方がいいのではないか?」
「ありがとう、師匠」

皆聞いて驚け、我々は華祐将軍という心強い援軍を得たぞー。
一刀の芝居がかった言葉に、厨房の中から歓声が溢れる。
彼女は料理の腕も将軍並み、という印象が持たれている。料理番の面々にはまさに頼れる援軍といっていい存在だ。
華祐っ、華祐っ、と、鼓舞する声まで沸きあがる。もちろん乗せているのは一刀であったが。

ほどなく、その声も忙しげな雰囲気と喧騒にまぎれていった。華祐もまた、厨房を回す歯車のひとつとして動き出す。
そんな将軍の姿を、宴席との間を行き来する給仕たちや、なぜか料理を運び続ける公孫続が目に留め驚いたりもしていた。



「ひとまずは、平和といっていいんでしょうな」

自分用に確保していた料理をつまみつつ、趙雲は微笑みながら呟いた。













・あとがき
なんだろう、なにか違和感を感じる。

槇村です。御機嫌如何。





違和感があるのは、華琳さんなのか、白蓮さんなのか。はたまた両方か?
……このふたりが親密になるのが想像できないのかもしれないな。うん。


まぁそれはいいんですよ。狙ってやっていますから。
ただ、原作から外れた進み方をしようとすればするほど、書くのに時間がかかってしまいます。
槇村的に、一週間に一話は遅い。
二話は書きたい。
そうでもしないと終わりそうもない。

急いで中身がスカスカにならないよう気を配りながら、早足で書いていこうと思う次第。

ラストに近いシーンばかり思いつくのは、嬉しい反面すごく困ります。



あ。ちなみに第20話は、前半後半で一話という括りにしていますので。“20”がふたつでいいのです。



誤字修正のついでに追記
:想像以上に料理が気にかかるようで。掲示板を見てびっくり。ぬぅ。
 一刀と酒家ネタは次でやるつもりでした。少々お待ちを。



[20808] 22:腹くちて笑みこぼれし
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2010/12/28 22:42
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

22:腹くちて笑みこぼれし





宴席が開かれたその翌日から、曹操一行は早速とばかりに遼西の視察を始める。
彼女らの視察に対して、鳳灯が極力同行して歩く。名目上は案内役であるが、実のところ監視である。
公孫瓉自身は、「自分たちの手法が他の地域でも役立つことで、民の生活が少しでも楽になればいい」という程度の考えを持っている。
しかし、曹操の"覇王"という本質を理解している鳳灯にしてみれば、いたずらにすべてを見せるわけにもいかないと考えていた。
曹操にしても、行く先々ですべてを見ることが出来るとは思っていない。
同じ治世者として、その町に布かれている治安策や内政策を事細かに教えてもらえるなどとは考えていなかった。
もっとも、その点では大っぴらな公孫瓉の在り様に面くらいはしたが。
とにかく。監視や行動の制限がつくことも当たり前のことだ。引き出せる情報は出来うる限り引き出し、それ以上のものは実際に目にして想像して補うしかない、と、曹操は考えていた。
だからこそ、傍らに鳳灯が付き添っているのは十分に理解できた。
逆に説明役として鳳灯が随行していることは、曹操にとってはむしろありがたいこと。
投げかける質問に対して、適時適当な答えをその場で返してくれるのだから。やりやすいことこの上ない。
先日の宴席で交わした会話や議論によって、彼女の知の深さや思考の速さは分かっており、曹操をして感嘆させるほどのものをを持っている。筆頭軍師を自認する荀彧も、悔しいと感じつつも、その実力の程を認めることにやぶさかではなかった。

曹操ら一行が視察するのは陽楽の町ばかりではない。近辺の村やその道中などもその対象に入っている。
遼西という地域をつぶさに観察しようと、可能な限り遠くまで足を伸ばそうとする。
陽楽郊外に出向く際には、公孫範と公孫続が同行した。行く先々での仲介役としてである。
規模は小さいとはいえ、武装した一団が近づいて来るのを見れば要らぬ混乱を呼びかねない。それを避けるため、町や村に入るたびに公孫範らが間に入るのだ。
そのおかげで、曹操たちの郊外視察は円滑に進んだ。陽楽の外になにかがある際に出向く場合は、公孫範が請け負うことが多かった。そのため、遼西郊外に関しては、公孫瓉よりも彼女の方が顔を知られている。今回の郊外視察同伴に公孫範が選ばれた大きな理由でもあった。

ちなみにこの視察中、夏侯惇と公孫範、夏侯淵と公孫続、この組み合わせで妙に仲が良くなっている。
前者ふたりは、おそらくは気質が近いという理由だろう。なにかと噛み付き合いながらも、剣呑な雰囲気にはならずにいる。喧嘩するほど仲がいい、というやつだろうか。
後者ふたりは、互いに姉貴分に当たる人物を抑え宥める位置にいることが共感を呼んだのかもしれない。なにかと穏やかに会話を交わしつつ、ほんわかとした雰囲気を醸し出している。
そんな二組を微笑ましく眺めながらも、曹操はやるべきことをこなしていき。荀彧は思いもよらぬ主独り占めな状況に嬉々としていた。



そんな具合に、色々と忙しい強行軍を進めながら、曹操らは遼西で数日を過ごす。

「そろそろ、陳留に戻る頃かしらね」
「そうですね。参考になりそうなところはあらかた得られたと思います」
「来て良かったわ。いろいろと刺激を得ることも出来たし」

相変わらずの視察を終え、一息吐いている曹操ら一行。現在治めている陳留、そしてこれから治めていく袞州全域に新たに敷く治世案の雛形。それを意識した上での、此度の遼西視察であったのだが。彼女らはこれまで得た情報を取りまとめながら、得られた結果に満足している。
そんな曹操に、湯気の立つ料理の皿を差し出しながら、一刀は世間話よろしく話しかけた。

「おや、もう陳留へお戻りですか?」
「個人的にはまだいてもいいのだけれど、太守に州牧の立場から考えればそうもいっていられないわ」

湯気の立ち上る料理に頬を緩めながら、曹操は彼の言葉に応える。

「大変ですね、お偉い地位にいる方っていうのは」
「公孫瓉も似たようなものよ? もっとも、彼女の場合は傍目にそうは見えなそうだけど」

キツい物言いではあるが、その表情は存外好意的なものだ。それを察した一刀は、思わず笑顔を浮かべてしまう。
自分の認めている人物が、他の人にも認められる。平民という立場であれば不遜な考えかもしれないが、彼は嬉しいという感情を抑えることが出来なかった。誇らしい、という言葉に代えても良いかもしれない
そもそも、そんな感情を持つほどに近い関係にある、ということ自体が普通ではないのかもしれない。
なにしろ、公孫瓉が州牧として薊に移る、それに付いて来ないかと直接誘われているくらいなのだ。
もっとも、一刀とて、その誘いが個人的な親しさからきているとは考えていない。
お気に入りの料理人を連れて行きたい、という気持ちも多少はあるだろう。
だが誘われた理由の多くは、自分と共にいる呂扶にあるんだろうな、と、彼は醒めた判断をしている。
一刀自身は、曹操や公孫瓉らと同じ舞台には立てるわけがないと思っている。立てたとしても、強いて立ちたいとは思わない。
あちらは英雄、こちらは庶民。立場が違う、生きている"世界"が違う。
半面、いろいろなものが余りに違うが故に、彼は公孫瓉や曹操らに対して、かえって力むことなく接することが出来ていた。
相手を見ながら、無礼じゃない程度にざっくばらんな態度を。そして出来る範囲でやれることをこなしていく。それが彼が持つ心意気だった。
だからこそ、実際に夏侯惇という武将を前にしても、まるで急き立てる子供を宥めるかのような態度が自然と取れている。

「おい北郷、わたしの分はまだなのか」
「もう少し待ってくださいよ、用意しているところですから。それとも、曹操さんの分よりも前に持って来た方がよかったですか?」
「……むぅ」

幾度となく交わされているやり取り。そのたびに、一刀はなにかと彼女を押さえつけて見せている。
彼がなにを考えているかなど、曹操はもちろん分からない。だが夏侯惇をやり込める彼を見るたびに、少なからず感心している。
夏侯淵は拗ねる姉の表情を満喫しており、荀彧に関しては意地の悪い表情を浮かべてニヤついていた。



何度もこんなやり取りが交わされるほどに、曹操ら一行は、一刀が営むこの酒家に毎日通いつめている。
やるべきことをひと通りこなし、一息入れようとなると、一行は自然とここに足を運ぶようになっていた。

宴席のあった次の日のこと。曹操ら一行を引き連れ、公孫瓉と鳳灯は遼西の町を案内して回った。あれこれ突っ込んだ会話を交わしながら歩いているうちに、日は高くなり、やがて傾きだす。昼食もとらずに歩き回っていたため、気がつけば空腹も相当なものになっていた。
それじゃあ食事にしよう、と、公孫瓉が案内したのが、一刀のいる酒家である。
案内された先で、曹操らは驚かされる。
店先にある大木の下で、一騎当千の武将が昼寝をしている。
飯台のひとつには、同じく公孫軍の将が昼間から酒を飲んでいる。
店の中に入れば、なぜか武将のひとりが給仕に駆け回っていた。
順番に、呂扶、趙雲、関雨である。
町中の店に将軍格が集結し、あまつさえそのひとりが働いているなどとは想像していなかった。
ちなみに、関雨のウエイトレス姿を見た曹操が密かに胸ときめかせていたのは、彼女だけの秘密である。

重ねていうが、この世界で生きる北郷一刀は平民である。普通に考えるならば、将軍やら太守やらといった人たちは、偉すぎて接点さえないはずなのだ。
彼の人徳なのか、それとも多大な幸運が働いたのか、幽州において彼は"ただの平民"というには少々微妙な立ち位置にある。公孫瓉姉妹を始め、城勤めの人たちとも、平民の立場から考えれば破格の付き合いを許されている。
それゆえだろう。このとき、太守が別地方の太守を一平民に紹介する、というなんとも珍妙なことが起きた。
冷静にそこを突っ込んで見せたのは一刀である。
いやいや立場的におかしいでしょソレ、と。指摘されて始めてそのことに気がついたくらい、自然な流れだった。
わざわざ紹介されたのだからそれなりの人物なのか、と思いきや、ただの料理人でした。
そんな紹介をされて、曹操らもさぞ面食らったことだろう。良くも悪くも天然なところが抜けない公孫瓉である。

そんな経緯はあったものの。
仮にも太守や諸将が贔屓にしている店なのだ、それなりのものを出しているのだろう。
曹操ははじめその程度の期待しかしていなかったのだが。それはいい意味で裏切られた。
結果、彼女ら一行は毎日、一刀の酒家に通いつめていた。
言葉で評価をする以上に、足を運ぶ頻度が彼女らの気に入り具合を表している。なにしろ自他共に認める重度の男嫌いな荀彧でさえ、表向きは変わらず悪態を吐いているものの、明らかに一刀の料理を気に入っていた。

一刀の作る料理は、基本的にそう凝ったものでもない。この世界に現存する食材と料理に、いわゆる"現代人"の食事事情を掛け合わせているだけである。
だがその掛け合わせこそが、目新しくも斬新なものとして、この時代の人々の目は映り、深い味わいとして舌を楽しませていた。
例えば。曹操らが初めて店に訪れた際、一刀が彼女らに出したものは鳥料理である。
三国志の時代において、鳥肉というものはあまり重視されていない。まったくないというわけではないが、食材としてはあまり見かけない部類に入る。曹操も鳥料理を食すことはあるものの、その頻度は決して高くない。
知っている食材を使った、にも係わらず目にも舌にも新しいもの。それでいて、作ろうと思えば誰にでも作れるもの。
例えば。

チキンソテーのオニオンソースがけ。
鳥のもも肉に、塩、醤、おろしニンニクを揉み込む。
一刀謹製のフライパンで皮の部分を焼き、ほどよく焼き色がついたら蒸し焼きに移行。
擦りおろしたタマネギを酒と酢、蜂蜜と混ぜ合わせ煮詰めた特製オニオンソースをかけた、一品。
彩りとしてカブの葉を下に敷いてみせる。トマトがないのが非常に悔やまれる、とは一刀の談。

若鶏のから揚げ。
醤油、酒、擦り下ろしたニンニクと生姜を混ぜ合わせ、そこに切り分けた鳥肉を加え揉み込む。
しばし漬け込んだ後、溶き卵に浸して小麦粉をまぶす。それを、キツネ色になるまで揚げる。
カリッとした衣の歯ごたえ。でもその向こう側にある柔らかい鶏肉の感触。たまらない。
三国志の時代でも"揚げる"という調理方法は存在している。
だが油の熱と火の強弱を調整するのが難しいため、一日通して出せるメニューではないのが残念だ、と、彼は呟く。今後の課題らしい。

焼き鳥各種。
串に刺す、という仕込みは必要だが、手軽に食べられるのが大人気。
鳥のムネ肉、モモ肉、鳥皮、レバー、つみれ、軟骨などなど。種類も豊富。
おまけに特製タレまたは塩、という味の違いも楽しめる。
酒のつまみにもいい感じだ。実際、焼き鳥を店に出し始めてから、酒の出る量も増えている。
このあたりの感覚は、今も昔も変わらないのかと感心しきりの一刀である。

「料理は珍しすぎちゃダメ。誰でも手を伸ばせる範囲になければいけない」

そんな信条をもつ一刀。陳留太守というお偉い方を前にしても、彼が出す料理は決して華美なものではなかった。
ひとつひとつを見れば、誰でも知っている食材である。
だがそれらを調理する方法の違いが、目に新鮮なものとして映し、口にすれば一風変わったおいしさを生み出していく。
更にその料理の種類は多岐に渡っている。仕込むことの出来た食材によって、出す料理が日替わりで変わる。ゆえに飽きることがない。
訪れる客にとっては、嬉しいやら迷惑やら。公孫瓉が「薊に付いて来て店を出せ」というのも、その点を踏まえた、かなり本気な言葉なのだ。
お膝元な公孫瓉でさえそうなのである。遼西を離れる曹操らにしてみれば、まだまだ種類があるという料理に未練が残って仕方がない。

「残念ね。遼西を離れたら、この料理も食べられなくなるわ」
「その言葉は、とても嬉しい褒め言葉ですよ」

本当に残念そうに、曹操は溜め息をつく。
ちなみに、そんな彼女の目の前にあるのは、牛肉の特製ハンバーグ・オニオンソースがけ。
箸で簡単に切れる肉の塊に、そしてその断面から溢れる匂いと肉汁に、目を輝かせていた。
普段では見られない主の姿に、荀彧と夏侯淵はこの上ないほどに愛しさの籠もった表情を浮かべ、夏侯惇はうらやましそうな顔をしながらソワソワ落ち着かずにいる。
そんな彼女らの元にも、一刀はすぐさま同じように料理を運ぶ。未知なる味に舌鼓を打つ曹操らに、満足感を得るのだった。



「遼西を離れる前に、もう一度誘っておくわ。北郷、あなた、私のところに来ない? もっと大きな店を陳留に用意してあげるわよ?」

以前にも振られた、引き抜きの勧誘。一刀はそのとき、なぜ自分のようなただの平民を気に入ったのかと思いもした。
いわゆるパトロンというやつか、と、自分の料理が認められたのだと考えればやはり嬉しく思う。
ましてや、声をかけたのは歴史に名高い曹孟徳である。
彼の知識にある歴史的人物と違って、年若い女の子であったりはするが、歴史的人物に目をかけられたということに違いはない。
引き抜きを受けること自体は嬉しい。だが公孫瓉の場合と同様、やはりどこか醒めた目でどうしても見てしまう。
現在の遼西を担う人材、関雨、鳳灯、呂扶、華祐、それぞれと誼のある男。それに目をつけないわけがない、と。
曹操にしてみれば、彼の考えた通りの思惑も確かにある。だがそれは後からつけられた理由でもある。純粋に、彼の作る料理が気に入ったというのがまずあった。
会話を通しても馬鹿ではないことは分かったし、武将知将という括りの外にある"有能さ"というものに新鮮なものを感じたことも大きい。
戦なり政務なりを終えた後に、この料理が毎日出てくる。そう考えると、毎日の雑務もさぞ捗ることだろう。
男を勧誘するということに難色を示していた荀彧でさえ、その点を指摘した途端に「なんとしても連れて行きましょう」とあっさり、むしろ自分から乗ってきたくらいである。

「そうだぞ北郷。我らと共に来い。そして華琳さまのためにその料理の腕を振るうといい」
「姉者、涎が」
「おっと」

彼女が彼になにを求めているのか、実に正直な反応をしてみせる夏侯惇。
「美味い」と「おかわり」は、料理人にとって最上の褒め言葉。それを夏侯惇は臆面もなく繰り返してくれるのだから、相当気に入ったのだろう。
そんな姉に負けぬくらいに、夏侯淵もまた彼のことを評価している。
料理もさることながら、曹操や夏侯惇に対し一目置きながらも物怖じしない態度、それに姉を巧みに弄ってみせる力加減。
主に一番最後の点において、夏侯淵にとって彼は得がたい人材に思えて仕方がなかった。もちろん、そんなことはおくびにも見せないが。

「姉者もそうだが、なによりも華琳さまがお前の料理を気に入られている。もちろん私もな。男嫌いの桂花でさえ、姉者に負けぬほどの執心振りだ。なんとかして引き入れたいところだ」
「ちょっと、秋蘭!!」

夏侯淵の言葉に、慌ててみせる荀彧。取り乱しはして見せても、彼女のいう言葉を否定しようとはしない。
そんな褒めるばかりの曹操一行を目の前にして、ありがたいやら申し訳ないやら。一刀は苦笑するばかり。

「俺みたいな庶民に対して、曹孟徳を始め名高い方々に過大な評価をしていただき感謝していますよ」

だがそれでも、彼はその申し出を受けることが出来なかった。

「せっかくのお誘いなのですが、やはりお断りさせてください。今の自分に、結構満足しているので。
器が小さいと思われるかもしれませんが、それなりに充実した今を捨ててまで、新天地を求めようとは思わないんですよ」

今現在と、近い未来。それがよければそれでいい。大半の民草が考えることはそんなものだ。
英雄とは違い、庶民は遠大に過ぎるものを考えない。一刀自身も、自分のことをそのひとりだと思っている。
だから、英雄と共に歩むなど想像も出来ない。息切れした挙げ句、置いていかれて野垂れ死になど目も当てられない。
ゆえに、自分の力量に合わせた調子を心がけ、出来ることをする。
とはいえ、少し欲が出たのか、公孫瓉の誘いには乗るつもりではいるようだが。

「腹が減っては戦が出来ぬ、といいますから。私は食材の続く限り、後方の片隅で、皆の笑顔を生む一助ってやつをするのがせいぜいです」

知ってますか、人っておいしいものを食べると笑顔になるんですよ?
そういって、一刀は微笑む。



曹操は思う。
誰もが笑顔で暮らせること。それは確かに理想の姿ではあろう。
だが実際にはどうか。己の利益のみを求め、弱き民のことなど省みない領主のなんと多いことか。笑顔を生むなど夢のまた夢だ。
彼女はそんな輩に辟易し、権力に寄生しそれを自分の力と勘違いする者たちを一掃すべく、自ら身を立てんとした。
それを実現させるだけの実力も気概もある、そう信じて疑わない。己の器を理解し把握しているということだ。
反面、一刀はどうか。彼もまた、自分なりに己の器を自覚しそれを活用せんとしている。
曹操がまず重要視するものは、誇り。
誇りとは、天に示す己の存在意義のことであり、己のやるべきなすべきことを自覚することである。
彼女の目には、一刀はその誇りを有しているように見えた。
曹操に比べれば、彼のそれは小さなものだろう。だからといって、彼女は一笑に付すことはしない。
誇りの大小は問題ではない。持つか持たざるかという点こそが重要なのだから。
皆が笑顔で過ごして欲しい。言葉だけを聞いたならば、曹操は不快を露にしていたことだろう。
だが彼は、その考えを胸に、限られた狭い範囲ではあっても、料理という手段で実践し結果を出して見せている。
なによりも、曹操自身を始め、家臣たちまでもが笑みを浮かべてしまったのだから。認めざるを得ない。
ゆえに、この場では彼を立てる。
誇り高き未来の覇王が、ただの一料理人の意を酌んで見せた。
それは、例えそのときだけであったとしても、対等の位置にあったということ。
要するに、気に入ったのだ。
もちろん、当の本人はそんなことを知る由もないが。



その翌日。曹操ら一行は遼西を後にし、陳留へと戻っていった。
仮にも一地方の太守である。公孫瓉らは律儀に彼女たちを見送る。同じくお土産を渡すべくやって来た一刀を見ながら、曹操はいう。

「今回は諦めるけど、また別の機会に引き抜きをさせてもらうわ。それまでに、私たちが楽しめる料理を増やしておきなさい」

そんな言葉に、公孫瓉、関雨、鳳灯、公孫続は心底驚いてみせ。公孫範、公孫越は、させじとばかりに一刀の腕や身体に縋り付いてみせる。
冗談のように見せた本気の言葉、なのだろうか。最後の最後までなにかと騒がせる、曹操らだった。



先だっても触れた通り、新たな地位を得たことによって、公孫瓉は陽楽から薊へと居を移す。
遼西に関しては、すべて妹の公孫越に引き継がれる。とはいっても、実質、公孫範と公孫続にも公務は振り分けられる。
妹たち三人が遼西を取りまとめる、といういつかの想像が現実のものとなり、公孫瓉はニヤニヤ笑みが浮かぶのを止められない。
引越しやら引継ぎやらで忙しい中ではあるが、やるべきことはやっており特に害もないので、そんな太守の姿をどうこういう者はいなかった。趙雲ひとりだけは、なにかと公孫瓉をからかってはいたけれども。

そんな、州牧就任に際して生じるあれこれに慌しい中。公孫瓉の下に新たな客人が訪れる。

彼女の名は、賈文和。
黄巾討伐の働きにより、司州・河東の太守となった董仲穎の軍師である。












・あとがき
当時の文献にある"胡葱"はタマネギじゃないらしいんだけど、タマネギと解釈した資料は存在するので押し通すことにした。

槇村です。御機嫌如何。




前回のお話の中で、華琳さんが一刀の料理に反応しないのはなんでよ? という御意見を多数いただきました。
話の優先順位を考えて後回しにしただけだったのですが。うぅ。

そんなわけで、今回は一刀を中心にして話を膨らませて見た。ある意味、一刀無双。(敵は恋姫たちの胃袋)
攻めてよし、退いてもよしですよ?

正直なところ、
「ミナゴロシDAZEヒャッハー!!」
みたいな頭の悪い、デビルメイクライな一刀無双を書いてみたくもあるのですが。
槇村は空気を読める奴なので自重しています。えぇ、必死に。


本当は、
いつの間にか真名を許していた雛里さんに絡む愛紗さんとか、
ウエイトレスな愛紗さんを見てお持ち帰りを強行しようとする華琳さんとか、
暴れた春蘭さんが料理をダメにしてそれを説教する一刀とか、
いろいろ幕間っぽい話を書こうと思っていたのですが。
ばっさり切った。
頭の中に詠さんが現れたので、本筋に進むことになりました。物騒な話はもう少し先ですけども。


そんな新たな人物、詠さん登場です。
そう遠くないうちに、董卓陣営も絡んできます。乞うご期待。
さぁここから本格的になるぜ? 原作からの乖離がよぅ。



[20808] 23:酒家の誓い
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2011/09/03 16:38
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

23:酒家の誓い





店を閉めた後の酒家。時にそこは、訳ありな将たちが人知れず集う場所となる。
場を提供するのは、北郷一刀。集まる面子は、関雨、鳳灯、呂扶、華祐。彼と同じく、元々いた世界から弾かれた四人である。
毎日集まるわけでもない。なにか気になること、話をしたいことが出来ると、自然と声をかけ集まるようになった。



今夜の献立は、焼きソバのペペロンチーノ風味。
麺を茹でた後、にんにくと一緒に植物油で炒める。唐辛子がないので、辛味として醤を投入。きつめのものを極々少量。
塩と山椒で味を整えるも、味見をするたびに首を捻る一刀。納得いかない様子。

「……やっぱり、胡椒がないのが敗因か」

古代ローマの時代にも胡椒はあったらしい。だが、握り拳程度の量で奴隷十人が手に入るくらいの高級品だったという。
例え中国に流れてきていたとしても、庶民の一刀がそんなものを手に入れられるわけがない。

「ペペロンチーノが食べたいです……」

これなら普通の焼きソバでいいじゃん、と、肩を落とす一刀だったが。

「これはこれで、おいしいと思うのですが」
「はい。不思議な味ですね」
「そもそも、汁のない麺料理というのが新鮮だ」
「……おかわり」

案外、好評だったようだ。



お腹が満たされた後は、酒を嗜みながら雑談に興じる。これまたいつもの通り。
この日集まった理由は、かつていた世界では旧知である知将、賈駆の登場。話題は自然と彼女のことになっていく。
中でも古くから共に過ごしていた華祐は、彼女が遼西に現れたことがとても気になっていた。

「雛里よ。詠のやつは結局なにをしに幽州まで来たのだ?」
「先の黄巾討伐で、公孫軍が張遼さんの率いる官軍を助けましたよね?
同じ董卓さんに仕える仲間として、そのことの礼を述べに来たというのがひとつあります。
あと本命としては、曹操さんと同じく、噂の遼西を視察しに来たというのが本音みたいです」

華祐の問いに、鳳灯は答える。
賈駆に対する応対をしたのは、主に公孫瓉と鳳灯。隠すことではないかもしれないが、こういった私的な場で話題にするのはどうなのか、と、一刀は内心思っていたりする。それだけ気を許しているのか、それとも彼が気にしすぎているだけなのか。

それはともかくとして。

此度、遼西にやって来た賈駆は、董卓に仕える軍師兼文官という立場だった。彼女らの知る立ち位置と、それは変わってはいないことになる。
公孫瓉や曹操、劉備と同様に、董卓もまた大規模な黄巾討伐を果たした恩賞として官位を授かっている。
涼州一帯に発生した黄巾賊を討伐し、その後、朝廷からの要請により司州近辺の警護を引き受けていた。その働きが認められ、董卓は河東郡の太守に任ぜられる。
河東郡は司州の一角。朝廷の目が届きやすい地であるため、その治世にも気を抜くことが出来ない。
太守である董卓は、民によりよい暮らしをして欲しい、という気持ちを強く持っている。自身の出世などよりもそれを優先しようとする。
ならば参考のために、良政を布くと名高い遼西を視察してはどうか、という風に話は流れ。
賈駆は、護衛として張遼ら少数を引き連れ、幽州は遼西までやって来たという。

そんな説明に、なるほど、と、うなずいてみせる面々。

「曹操殿もそうだが、遼西の治世はそれほどまで噂にのぼっているのか?」
「結構遠くまで広がってるみたいだよ? 商人の旦那方がいうには、呉とか荊州の武稜とか、そんなところでも知られているらしいし」
「それはすごいですね……」

関雨の疑問に、一刀が答える。
事実、その噂は広い範囲で口にされており、その伝聞に惹かれて幽州へとやってくる人たちもそれなりにいる。
だが噂に挙がる高さの割には、その数は決して多いとはいい切れないだろう。
その理由として、幽州は遠い、という点が上げられる。漢という朝廷が治める土地の中で、幽州は最も北に位置する。また他民族との衝突が起こる地としても知られているため、わざわざ遠路を経てまで移り住もうと考える人がいなかった。現在は烏丸族との関係も良好になっているが、そもそも異民族に対する偏見もある。これもまた、幽州から人が遠ざかる理由のひとつになっているのだろう。
逆に考えれば、幽州においては異民族との融和がなされており、それぞれに大きな不満が生まれることもなく治められているといえる。
黄巾賊の蜂起は、治世者に対する不満が切っ掛けとなって起こったものだ。幽州において、黄巾賊に同調して動く輩が少なかったことは、まさに治世の安定を裏付けている。それゆえに却って黄巾賊を寄せ集めてしまったことは想像外の出来事ではあったが、太守である公孫瓉が先頭に立ちしっかりと鎮めて見せた。黄巾賊の活動も収まりつつある中、幽州の名はより一層高まることになるだろう。

平穏さが世に知られるのはいいことだ。一刀はつくづくそう思う。



一刀が抱いた安堵感をよそに、交わされる話は物騒なものになっていく。

「黄巾党がひと息つけば、次は反董卓連合、か」
「……やっぱり、起こるのかね?」
「おそらくは、起こるでしょうね」

関雨の言葉に、一刀は現実に引き戻されゲンナリしてしまう。鳳灯もまた、間髪入れずに肯定して見せた。
知識でしか知らない彼と違って、彼女たちは実際にその歴史の渦中にいた人間である。いつなにが起こるのか、それは分かっているしその原因もおおよそ理解している。すべてが同じではないにしても、まずその通りに起こるであろうことも予想していた。
だからこそ、近い未来を予測し、緊張してみせる。その点だけは、庶民という立場を通している一刀と異なるところだろう。

「だが、董卓殿が治めているのは河東なのだろう? 洛陽にいないのならば、連合が組まれる火種はまだないと思うのだが」
「連合が組まれた切っ掛けは、宦官と外戚の権力争いです。以前の世界でも、董卓さんはそれに巻き込まれたようなものですから。朝廷内の諍いが静まらない限り、おそらくこの世界でも、董卓さんが巻き込まれることは変わらないのではないかと」

四人は自分たちの経験に基づき、これから起こるであろう事柄を思い起こす。
呂扶でさえも、かつて臣下として仕えていた董卓のことは気になるのだろう、なにか考え込んでいる。
そんな中で、頭脳担当の鳳灯がまず最初に口火を切る。

「天の世界では、董卓という人は暴政を布いていたと聞きました。一刀さんの知る"董卓"も同じですか?」
「そうだね。俺の持ってる知識では、暴君ということになってる」

彼女の言葉にうなずいてみせる一刀。

「これまでに会った人たちから考えると、この世界の董卓さんも、私たちの知る月さんと同じ人物だと思います。
私たちのいた世界では、董卓、いえ、月さんは暴政など行っていませんでした。
暴君どころか、むしろとても優しい人で、民のために心を砕いていました。当時の洛陽はまったく荒れていなかったんです」
「でも、反董卓連合は起こった?」
「はい。袁紹さんを始めとして参加した諸将は、地位や名誉勇名といった、それぞれの思惑を実現するために集まりました。本当に暴政が行われているかどうかは、あまり関係なかったんです」

もっとも、私たちも半ばそれを承知した上で参加していたんですけれど。
と、鳳灯は自嘲するように笑みを浮かべる。

「私たちの主、桃香様は、本当に圧政が行われているのなら董卓を倒さなければならない、そう考えていました。
その気概はとても得難いもので、美しいものではあるのですが、世の中は綺麗ごとばかりではありません。私たち軍師は、桃香様の想いを御旗にして、あえて事実確認をしないまま、連合に参加しました。そのおかげで、群雄の世に乗り出すことが出来たんです」

その戦いの中で、倒された立場にいた、華祐。彼女は、鳳灯の言葉にじっと静かに耳を傾ける。
彼女とて今であれば、そういった表に出ない思惑も理解は出来る。だが例え当時の自分が理解できたとしても、納得など出来るはずもない。
今の自分であってもそうだ。あらぬ疑いをかけ攻め立ててくる連合に対して、力の限り反抗するに違いない。
関雨もまた、風評を信じていた側の人間だった。悪政を布く董卓、それに与する武将として、すぐ隣にいる華祐を打ち倒している。巡り巡って共に仲間として過ごすようになったとはいえ、反董卓連合に関する一連の出来事は、彼女たちにとって思うところの募るものであった。

「それじゃあ、暴政云々って話はどうして出てきたんだ?」

一刀の疑問。彼にとってはもう、まったく知らない世界の出来事になる。

「私たちが知ったのは、袁紹からの檄文が最初だな」
「はい。その風評も同時に、方々で聞かれるようになりました。
出所が名家として知られる袁家であれば、それなりの信憑性をもって伝わります。十分な根回しをした上での檄文だったんです」
「いいがかりであったとしても、払拭できない状況を作って追い込んだわけだ」
「そういうことです」

関雨の言葉の通り、袁紹の手による檄文によって"董卓の悪政"を知った者がほとんどだったろう。その内容が事実かどうか、中には独自に調べた勢力もあったかもしれない。だがほとんどは、自分たちの思惑を果たすいい機会だと乗ってみせたに過ぎなかった。なにより発起人である袁紹が、"地位が欲しいという"自分の思惑丸出しでいたのだから。

「その噂って、お膝元の洛陽ではどんな感じだったの?」
「そもそも悪政自体がでまかせなんだ。どうしてそんな噂が立つんだ、と、憤るもので持ちきりだったな」
「……みんな、怒ってた」

華祐と呂扶は、当時を思い起こし、答える。
彼女らを始め、董卓、賈駆、張遼、その他数多くの武官文官らにとって、その檄文は寝耳に水のこと。気がついたときには、もう既に風評に対してどうこう出来るほどの時間は残されていなかった。すでに連合は組まれ集結を始めており、その進軍を阻むための軍勢を急いで編成するくらいしかできなかったのだ。

「霊帝が崩御され、宦官と外戚、つまり十常侍の皆さんと何進大将軍の対立が激しくなりました。
その中で、袁紹さんは思っていたほど頭角を表すことが出来なかった。
その後、内外で乱れていた洛陽をまとめて落ち着かせたのが月さんです。その働きが評価され、朝廷内で高い地位を得ることになりました」
「袁紹は、それが気に入らなかった?」
「簡単にいえば、そういうことですね」

地位を望まなかった董卓が召し上げられ、地位を望んだ袁紹が野に降ったということになる。
なんだかなぁ、と、一刀は腕を組みながら、知識だけであれこれと考える。

「袁紹って、外戚派だっけ? 外戚筆頭の何進が勝っていれば、反董卓連合は起きなかったのかな」
「それも、怪しいですね。
月さんの率いる西涼軍を洛陽に呼び寄せたのは何進大将軍でした。
袁紹さんと月さんは同じ外戚派といっても、求めているものが違っていたでしょうし」
「月と、麗羽、か。朝廷の中で地位が同じだったとしても、反りは合わなかっただろうな」
「袁紹が一方的に捲くし立て、董卓殿が苦笑して終わりだろう」

関雨の想像に、華祐が突っ込みを入れる。その様が簡単に想像できて、思わず鳳灯は笑ってしまった。



この世界ではまだ至っていない未来。その原因をたどってみせる鳳灯。
そんな彼女の表情が、だんだんと強張っていく。まるで、なにかを決意していくかのように。

「私がこの世界でやろうと決めたのは、出来るだけ戦を避けて、平穏な世の中を作ろうということです」

ふと、話が途切れる。しばし沈黙した後、鳳灯は再び言葉を紡いでいく。

「反董卓連合での争いは、人の命がとても容易く失われました。
月さんは善政を布いていた。それなら董卓軍は、汜水関で、虎牢関で、戦死する理由なんてなかったんじゃないか。
袁紹さんは董卓を倒せと檄文を発しました。でも朝廷内の権力闘争がなければ、地位を得ようと欲をかかなかったんじゃないか。
権力闘争が激しくなったのは何故か。朝廷の持つ求心力が弱くなったからでしょうか。
ならもしも、朝廷の力を取り戻すことが出来たら?
"もしも"といい出したらキリがないことは分かっています。
でも、今の私は。その"もしも"を、歴史の流れを切り直せるかも知れない場所にいるんです。だから」

漢王朝という名の、死を待つばかりの伏した龍。その大いなる陰で日々を過ごす民のために、再び龍を飛び立たせんと、鳳雛と呼ばれた者が決意する。
"天の知識"を元に、戦の原因を事前に絶つ。そのために、洛陽に行く、と。

「私、賈駆さんについて行こうと思います」

鳳灯は、小さく、けれどしっかりとした声で、そう口にする。

「群雄割拠の時代が愚かだとまではいいません。でももっと、人が命を落とすことなく、平和な世の中を目指すことが出来るはずなんです」

そのためにまず、反董卓連合が組まれる原因をつぶす、と。

彼女が経験した歴史と同じ道をたどるならば、董卓は西園八校尉のひとりとして任ぜられる。
何進が呼び寄せた軍閥勢力のひとつとして、洛陽の中枢に食い込んで行くことになる。
その後、何進と張譲の対立が活発化し、やがてふたりともが暗殺され。霊帝の娘である劉弁と劉協が、董卓の保護下に置かれる。
董卓の下でなら、戦を止めるために動けるかもしれない。そして今ならば、賈駆の手引きで董卓の下に入れるかもしれない。

「この遼西で、以前の世界で得た天の知識を元にした治世を実行してきました。
長い目で見た結果はまだこれからでしょうけど、今のところ問題はないと思います。
公孫瓉さまや、範ちゃん越ちゃん、続ちゃんたちならきっと、私たちと同じ想いを実現してくれると思うんです」

大袈裟にいうならば、幽州の治世はすでに鳳灯の手を離れた。彼女がいなくとも、公孫瓉らがしっかり治めてくれるだろう。
鳳灯は、さらに大きなものに目を据えた。自分の目指すもののために、幽州を離れる。
かねてから、うっすらと考えていたこと。それを自らの意思を持って、口にし決意した瞬間だった。



「それなら私は、この幽州をより精強にすべく動いてみせよう」

関雨はいう。
どれだけ戦を忌避したくとも、この時代、どうしても争いは起こる。ならばそのときに備えて兵を鍛える。

「以前の世界では、白蓮殿は麗羽に敗れ幽州を追われた。それを避けられるようにしたい。それを目指すことにする。
雛里がうまくやってくれれば、兵の増強は無駄になるのかもしれない。いや、それでも公孫瓉殿にとっては無駄にはならないだろう」

曹操らの魏軍に勝るとも劣らぬ軍勢を作ってみせる。
そんな自分の想像に心躍ったのか、関雨の気分は妙に高揚していた。

「かつて私たちがいた世界とは異なる未来を目指すのは、確かに面白いな。
天の意思に背くことなのかもしれないが、私はその天から弾かれた身だ、今更そんなことを気にすることもないだろう」



関雨の言葉に、華祐もまた考え込む。

「天に歯向かう、か。
……ならば私は、雛里に付いて行くか」

以前の世界の話が通じる相手はいたほうが良いだろう? 華祐は、鳳灯に向けていう。
鳳灯にしてみれば、護衛役としても、精神的な意味でも、彼女が付いて来てくれるのはありがたい。
本当にいいのか、と聞くも。自分が行きたいのだ、むしろ供が出来てこちらがありがたいくらいだぞ、と、華祐は返す。

「ついでに、この世界の華雄を鍛えてみるか。
愛紗。前の世界では不覚を取ったが、この世界の私をもって、この世界の関雲長を倒してみせるのも一興かもしれんな」

歴史が変わるぞ? と、華祐はさも愉快そうに笑う。
関雨もまた、不適な笑みを浮かべ応えてみせた。

「例え今は至らずとも、あれは私だぞ? そう簡単に勝てるのか?」
「なに、今考えて見れば、あのときの私とお前に大きな差があったとは思えん。私が仕込めば、すぐに追い抜いてしまうのではないか?」

ズルいとはいうなよ? と、華祐は指を差し、関雨を挑発してみせる。

「私自身も、この世界の華雄も、どちらもお前を超えて見せよう。楽しみにしていろ」
「ふふ、楽しみにしておこう」

嬉々とした表情を見せながら。さも楽しいことを見つけたかのように、ふたりは互いに拳をぶつけ合った。



「となれば、恋は一刀を守る役だな」
「……一刀を守る?」

華祐の言葉に、呂扶は首を傾げてみせる。

「そうだ。我々がまた集まるためには、その場所が必要だろう?」

一刀の酒家がなかったら、私と雛里が帰ってくるときに困るじゃないか。
さも当然のように、華祐はそういい含める。

「……分かった。頑張る」
「いや、それなら私も残るのだから私でも」
「恋。可哀相だから愛紗のやつも一緒に守らせてやれ」
「……愛紗はおまけ?」
「あぁ、おまけで構わん」
「分かった」
「分かった、じゃない! 恋、ちょっと待て!! いやそれよりも華祐、なんだ私が可哀相っていうのは!!」

関雨の想いを分かっていながら、華祐はまぜっかえしてみせる。真に受けてうなずく呂扶と、噛み付いてくる関雨。
そんな風に騒がしい空気を醸しながらも、いきなりトントン拍子に決まっていく、彼女らにとっても重要な岐路の先。
あまりのことに、いい出した始まりである鳳灯も、ただ耳を傾けていただけの一刀も、ふたりは呆然としてしまい顔を合わせる。
それもわずかな間。互いの呆けた顔を見て、ついつい、笑い出してしまった。

散々、一刀が促してきた、自分で決めて自分で進む道。
四人がどんな気持ちでそれを選び、それを決めたのか。言葉に出した以上のものは、彼にはうかがい知ることが出来ない。
でも、彼女らが自分でそう決めた。ならば、それでいい。

「歴史に名を残した"関羽"と"呂布"に守られる男ってなんだよ。大袈裟に過ぎない?」

空気に合わせるように、茶化したような声でいう一刀の言葉。

「まぁまぁ、いいじゃないか。得ようと思って得られるものじゃないぞ?」
「贅沢すぎるだろ」
「恋も愛紗も、やりたくてやろうとしているんだ。男の甲斐性だと思って受け止めろ。
さっきもいったが、やることを終わらせたらお前のところに帰ってくるつもりなんだ。お前になにかあると困るんだぞ?」

華祐の言葉に続いて、鳳灯が補うようにいう。

「この世界に迷い込んで、今まで折れずにいられたのも一刀さんのお陰なんです。
一刀さんのところが、私たちの家、っていう気持ちでいられるとすごく嬉しいんですけれど」
「なるほど。雛里、その考えはいいな」
「……家族?」
「確かに家族なら、守ろうとするのはするのは当たり前のことだな」

血よりも濃いもの、という。
彼と彼女たちの間にあるものは、"世界から弾かれた"という、他には理解しがたい事実。
それを誰よりも理解できる間柄。得ようと思って得られるものではない。なるほど、家族といっても過言ではない。
此の世界に独りぼっちだった一刀は、まさかこれほどに親しい間柄を得られるとは思ってもいなかった。
彼女らは、一刀がいてくれて助かったという。
だが彼にしてみれば、自分の方こそ、彼女らのお陰で取り戻したものが数え切れないほどある。感謝をしてもし足りないのは彼の方だった。

「じゃあ、疲れたらいつでも来い。体力気力を取り戻す料理を、腕によりをかけてご馳走してあげよう」

一刀はいう。まるで姉妹を甘やかすかのような優しい声で。

「力が必要になったらいつでも頼るといい。武力の後押しがあって初めて避けられる争いもあるだろうしな」

関雨はいう。同時に、華祐に対して「猪振りを発揮して雛里に迷惑をかけるなよ」と釘を刺しながら。

「ふ、いらぬお世話だ。愛紗はせいぜい、一刀と乳繰りあってるといい」

華祐はいい返す。後半は小声であったが、関雨はしっかり顔を赤らめさせた。

「……恋は、雛里も守る。いつでも呼んで」

呂扶もつぶやく。鳳灯の頭を撫でながら、少ない言葉の中に想いを籠めて。



そんな四人の前に、一刀は小さな甕を取り出した。
曰く、かねてから試行錯誤して作り出した結晶のひとつ。日本酒である。

「せっかくの門出だ。とっておきを出して乾杯しよう」

満足の出来る質ではまだ量産できないため、ひとりずつにわずか杯半分ほど。注がれた日本酒は、色もなく透き通っている。
彼女たちは、手元の杯を眺める。

「天など省みない、俺たちに」

一刀は、杯を小さく持ち上げて見せた。
そして、思う。


我ら五人、
進む道は違えども、
肝胆相照らす友として、
事あらば心同じくして助け合い、
困窮する友たちを救わん。
駆け抜けた彼の世界に厭われしも、
願わくば同年同月同日、そして此の世界に死せんことを。


夜の帳がすっかりと降り、わずかな蝋燭の灯かりが、彼と彼女たちの姿を浮き出している。
誰ともなく、五人は自然と、己の杯を互いに傾ける。
言葉はない。わずかに重なり合う音だけが、闇の中に響き、それぞれの胸の中に染み込んでいった。
互いに表情をうかがうことは出来ない。
それでも五人は、確かに笑みを浮かべていた。












・あとがき
なぜか詠さん出番なし。

槇村です。御機嫌如何。




詠さん自身がどうというよりは、彼女の登場が一巡組の状況を動かす切っ掛けになった。
そんな感じで。
桃園の誓いみたいなものを書きたかったんです。バラける前に。

大まかな話の筋道は出来ているのですが、肉付けにえらく難儀しております。
週に二回更新は、ちょっと難しそうだ。週イチが精一杯だぜ。要精進。



22話が妙に評判がよろしいようで。槇村は戸惑っております。
皆さん褒めすぎじゃないかしら。
や、嬉しいんだけども。

にも係わらず、なんとこれからしばらく一刀さん出番なし。舞台のメインは洛陽近辺に移ります。
原作ですっ飛ばされた権力闘争部分に介入。雛里さんと詠さんが、その智謀で暗躍します。(する予定)
はてさてどうなる『愛雛恋華伝』。
次回からは【漢朝内乱編】の仕込みに入ります。



その間、見えないところで恋さんと愛紗さんは、一刀さんとイチャついていることでしょう。





……なんだかどんどん話が大袈裟になっていく。



[20808] 24:【董卓陣営】 既知との遭遇 其の参
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2010/12/04 05:56
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

24:【董卓陣営】 既知との遭遇 其の参





「本当に、よかったのかしら」
「なにがですか?」

馬上で揺られながら、賈駆がひとりごちる。小さい呟きを耳にした鳳灯が、その言葉を聞き返した。

「内政に携わる人間を、こうも簡単に外に出すことよ。
鳳灯、あなた筆頭内政官なんでしょう? 公孫瓉が州牧になって忙しいはずなのに、こんなことをしていていいの?」
「確かに。公孫瓉さまの治める地域が格段に大きくなりますから、やるべきこともかなり多くなるでしょうね」
「……それだけ?」
「はい」

なんでもないことのように、鳳灯はさらりといってのける。
そんな彼女を見て、賈駆は頭を抱えている。自分の持つ常識と必死に戦っているかのように。

「あまり気にしないでください。付いて行きたいと思ったのは私ですし、公孫瓉さまも許してくださいました。なにも、河東に行きっ放しというわけじゃないんですから」
「確かにそうなのよ。そうなんだけど、気持ちとしてこう、なんだか納得いかないというか」

気持ちの上で、なにか消化不良を起こしているような気持ち悪さ。自分たちにばかり都合のいい出来事と、それによってこれまで良く流れていた幽州の治世に影響が出るのではという懸念、そのふたつが彼女の中でせめぎ合う。そんなところだろうか。
なにやら葛藤している賈駆の姿を見て、鳳灯はついつい笑みを浮かべてしまう。

鳳灯の知る"詠さん"とは、一度こうと決め割り切ったのならばすべて切り捨てることが出来る人物だった。物事の理と利を情、それらを把握した上で優先順位をつけることが出来る。もっともその優先順位も、董卓、いやさ親友である"月"にどう影響を及ぼすかが判断基準になっている。それ以外に関しては、情が勝ち、決めきれない事柄も多々あるのだろう。

「大丈夫ですよ。これまでやってきたことですし、理解すれば誰でも出来るようなことです。内政官の皆さんに不安は持っていません。
それに、いざとなったら一刀さんに頼るようにいってありますから」
「……それって、あの、酒家の男?」
「はい」
「一地方の筆頭内政官の、後を頼む人間が料理人?」
「そうですよ?」

賈駆は、彼女がなにをいっているのか理解できなかった。
それもそうだろう。一地方の政治を左右するであろう人間が、いざとなったら頼れといい含んだ人物。それがただの料理人だというのだから。

「えーと、つまりあの男は、貴女の考えることと同じ水準の頭を持っているというの?」
「少なくとも私はそう思ってます」

鳳灯が幽州で立ててきた数々の治世案。それらの大元は、以前にいた世界で一刀が提案したものだ。展開し均していったのは鳳灯や諸葛亮などの手によるとはいえ、そもそも彼がいなければ発想さえしなかったであろうものである。
こちらの世界の一刀も、同一人物であるならば、同じ程度の頭脳を持ち発想が出来るはず。庶民の目線での生活を経験している分だけ、彼の世界の一刀よりも取っ掛かりとなる視野が広いという点もある。そんな諸々の考えから、鳳灯は一刀に対して、出来る限り知識をと知恵を治世に貸してもらえないかとお願いをしてあった。状況に応じて、新しい策を提示することも出来るに違いない、と、彼女は考えている。

もちろん、賈駆がそんな内情を知る由も無い。彼女からしてみれば、北郷一刀という男はただの料理人でしかなかったのだから。
料理人としてならば、一流だろうということに異議を挟もうとは彼女も思わない。
曹操らと同様に、賈駆や張遼もまた彼の酒家へと連れられ。やはり同様に、滞在中その料理にハマり込んでいた。
賈駆は、董卓のためにお土産として日持ちするものを用意してもらい。張遼は張遼で、一刀秘蔵の日本酒を分けてもらっていた。ただでさえ貯蔵の少ない酒だったために、かなり吹っかけられたが張遼はまったく後悔していなかった。ホクホク顔である。

話を、ふたりの会話に戻す。

「遼西の治世は軌道に乗っていますし、そのままとはいかないでしょうが、幽州牧としての仕事にも応用が利くはずです。
私程度が不在にしていたところで、問題などありませんよ」
「その割には、公孫瓉の顔が物凄く哀しそうだったけど」

確かにそうだった。
去り際に見せた公孫瓉らの顔を、鳳灯は思い浮かべる。

鳳灯は、公孫瓉の下を離れたというわけではない。名目上は「新しい治世案に対する相談役」のような立ち位置で、意見を求められ出向する、という形になっている。やることをやったら幽州に帰ることになっているのだ。もちろん、彼女にしてもいずれ帰るつもりでいる。
とはいえ、幽州を離れるのはそれなりに長い期間に及ぶだろう。それを考えれば、これまで内政の屋台骨として働いていた人間が一時的とはいえ抜けるということに、新しい幽州牧が不安を覚えることは当然ともいえる。
公孫瓉だけではない。その姉妹や従姉妹ら、他の武官文官らからもあれこれ声をかけられた。表向きでは笑って送り出してはくれた。だがその実、やはり不安や寂しさも感じていたのだろう。申し訳ないという気持ち半分、そこまで良く思ってくれているという嬉しさが半分。それぞれが鳳灯の中に沸き起こる。
寂しさはともかくとして、不安に関しては、感じることはないと鳳灯は思っている。
いざというときのことを一刀に頼んだ、ということもあるが、彼女が手がけていた仕事の後を託した公孫続らの手腕を信じている点が大きい。
遼西の治世に係わり出してからというもの、鳳灯は文官らに対して自分の知識の伝達を積極的に行っていた。完全とはいわないまでも、おおよそのものは伝えられたと思っている。中でも、公孫続の呑み込みの良さ吸収の早さに、鳳灯は驚かされていた。知識はすでに十分。後は経験を積んでいくことで、その知識はより洗練されていくことだろう。

ちなみに。
卒業という意味と、また後を託したという意味も込めて。鳳灯は遼西を離れる間際に、公孫続に自分の帽子を手渡している。
手ずから被せてあげた鳳灯だったが、公孫続に思い切り泣かれ抱きつかれるといった一幕があった。かつて自分を送り出した水鏡先生もこんな気持ちだったのだろうか、などと、教え子を抱きとめながら感慨に耽ったりもした。
そういった理由で、かつては特徴のひとつでもあった帽子を鳳灯は被っていない。心機一転という意味で髪形も変えようかと試みたが、いまひとつピンと来ないため、まだツインテールのままになっている。そのせいか、髪をくるくるといじるクセがついたようだ。




文官組ふたりがあれこれやりあっている一方で。武官組のふたり、張遼と華祐もまたいろいろと会話を交わしていた。
話のタネは、主に華雄と呂布のことである。

「しっかし、ウチの華雄はどんな反応するんやろな」
「そんなに私とそっくりなのか?」

張遼の言葉に、華祐が問いを返す。
本人なのだから似ていて当たり前なのだが、そこはもちろん腹の中に仕舞いつつ。彼女は素知らぬ風を装ってみせる。

「そっくりもなにも瓜二つやで? まぁ、あんさんの方が落ち着いてるせいか、ウチの華雄の方が幼く見えるけどな」
「聞けば私の方が年上のようだしな。それは無理もあるまい」
「いやでも、それ以上に経験っちゅーか、驕りじゃない自信みたいなもんを感じるで?」

アイツも少しは見習って欲しいわ、と、張遼は華雄に対するあれこれをこぼしてみせる。
重ねていうが、華祐はその当人である。知らぬこととはいえ、"昔の自分"に対する評価を聞かされる華祐。こんな風に思われていたのだな、と、後から後から苦笑いが湧き出て止まらない。
だがさすがにこれ以上聞き続けるのは精神衛生上よろしくない。華祐は程よいところで、やんわりと張遼をなだめてみせる。

「なに、私も少し前までは猪と呼ばれた。私の短慮と勇み足で、部下をいたずらに失ったこともある。自分自身が死に掛けたこととてある。
そんな経験を、まぁ無いに越したことはないだろうが、そんな経験でも己の糧とし繰り返さないようにすれば。私程度の武ならばすぐに追いつく」

自分にも出来たのだ、華雄にも出来るだろう。そんな言葉を聞き、張遼は素直に感心してみせる。

「なんや、アイツと同じ顔でいわれると、説得力があるんか無いんか難しいなぁ。
そうかぁ。……ウチも、もっと伸びるんやろか」

遼西でもボコボコやったしなぁ。と、張遼は溜め息をつく。
彼女は、賈駆らと視察に出歩く一方で、なにかと関雨にまとわり付いていた。個人として気に入ったというのもあるが、また関雨の武将としての素地に震えたという面もあった。幾度となく立会いを申し込み、その度に倒され続けた。
関雨を始め、呂扶にも、もちろん華祐にも挑んでいる。この三人相手にはことごとく全敗。辛うじて趙雲を相手に五分五分の勝負を繰り広げていたが、遼西で挑んだ戦歴は大きく負け越している。それなりに自分の武才に自信を持っていただけあって、この結果には張遼も溜め息が出るばかりだった。上には上がいるという現実を思い知らされたというところだろう。
天下無双というべき呂布が仲間にいて、その武を毎日のように目にし、相手にしている。
逆にいえば、呂布以外の強者を見ることがほとんどないということでもある。
彼女は、完敗といえるほどの負け方は、呂布が相手のとき以外にはしたことが無かった。
ゆえに、知らず「呂布は特別だ」という意識が彼女の中に生まれていたのかもしれない。
そこに現れた、自分よりも遥かに実力を持つ、呂布以外の武将。為す術なく倒され自分の身の程を知らされた。
同時に自分の中から湧き上がる、渇きが癒されたかのような快感にも似たもの。自らに対する不甲斐なさと、まだまだ高みに至っていないことを知った歓喜。そんなものに張遼は気付く。
歓喜、そして愉悦。初めて偃月刀を手にしたときのような気持ちが沸きあがる。気がつけば、張遼は本来の要件である遼西の視察をすべて賈駆に押し付け、ヒマさえあれば誰かと仕合をし続けた。勢い余って公孫軍の修練にまで混ざるほどの熱の入れ様である。
そんな彼女の姿を見て呆れ果てる賈駆であったが、公孫瓉や関雨に頭を下げ「相手をしてやってくれないか」と願い出ていたりする。

ともあれ。
張遼にとって今回の遼西視察は、武将としては個人的に得るものばかりの内容であった。だがそれでも、まだまだ足りないと感じている。

「あー、もっと遼西にいたかったわぁ」

などというボヤキが漏れ出るほどに。
純粋に武をぶつけ合うのが楽しい、ということもあったが、もちろん、もっと関雨と仲良くなりたかったといった点も少なからずある。
関雨の真名を呼びながら、馬の背に身を任せへたり込んでいる姿を見れば、どちらが本命なのかは一概にいえない。
こと武才に関することならば、華祐であっても相手をすることは出来るのだから。

「なんだ、私では不足か?」
「いやいや、そんなことあらへん。華祐はん相手でも十分以上に高ぶるで? 
でもなんちゅうか、好み? うん、好みの問題や」
「確かに、傍から見ていてもよく分かるほどの執心振りだったからな」
「そうやねん。愛紗はえぇよなぁ。
こう、女としてもなにか醸し出すもんがあるにも係わらず、あそこまで武の力があるとかもう、なんていうか」

愛紗とあんなことやこんなことを、などと妄言を漏らしつつ、自分の身体を抱きしめながら馬の上で器用に身をくねらせる張遼。
そんな彼女を眺めながら、"こちらの霞も"変わらんのだな、と、改めて思う華祐。どこまで本気なのかは分からないが、華祐としては害がないので放置する。

晴れ渡る空を眺めながら、華祐はこれからのことを思う。
以前の世界でも、黄巾の乱が終わる頃になって、彼女は董卓に呼び寄せられている。涼州から河東に移り、司州近辺を護衛する兵たちを鍛えていた。おそらくはもうすでに、華雄は河東に呼び寄せられていることだろう。
かつての自分と会う。
そのことに、彼女は少なからず緊張を覚えていた。





河東郡安邑。董卓が太守として居を構える地である。遼西からの帰路、賈駆ら一行は特に問題もなく安邑の町へと到着した。
護衛のひとりが先触れに走ったこともあり、彼女らの帰還はすでに伝えられている。その報を受けた董卓は、自ら町の入り口まで出向いていた。

「詠ちゃん、霞さん、お帰りなさい」

無事に戻ってきた友の姿を見て、本当に嬉しそうな笑顔を浮かべる。
ふわりと波打つ髪をなびかせながら、董卓はふたりの下に駆け寄り抱きついてみせる。

そんな姿を見て、懐かしいものを愛でるような表情を浮かべる華祐。
鳳灯もまた、記憶の中にある"月"と同じ笑顔を目にして、心が温かくなるのを覚えた。
同時に、歴史を変えると決めた意志を新たなものにする。
朝廷内の権力闘争と、反董卓連合。その争いが、心優しい董卓からこの笑顔を奪ったのだという事実。そしてこの笑顔が、河東を、そして洛陽の人々に平穏を与えていた源だったという実感。彼女は表舞台から消えるべきではない、と、鳳灯は思いを重ねていく。



「詠ちゃん、こちらの方は?」

首をかしげながらの董卓の問いに、賈駆は鳳灯を紹介する。その後改めて自分から自己紹介をする鳳灯。

「姓を鳳、名は灯、字は士元と申します。幽州の牧、公孫瓉さまの下で内政に携わっています。
私が賈駆さんに我侭をいいまして、同行させていただきました」
「我侭だなんて思っていないわ。むしろその申し出はありがたいくらいよ」

噂に聞く良政の素地を作った内政官、その当人が足を運んで協力してくれるというのだ。賈駆にとって、断る理由など少しもない。

「そんなわけで、幽州牧の公孫瓉に許可をもらった上で、鳳灯に同行してもらったの」

詳しいことは城に戻ってから報告するわ、と、賈駆は董卓を促す。護衛の兵たちに労いの言葉をかけ、一行はその場を解散することになった。

「え? でも、華雄さん?」
「そのあたりもちゃんと説明するから」

華祐の姿を見て驚いている親友の手を引きながら、賈駆は歩き出した。
引きずられるように、その後を追う董卓。
そんなふたりの後ろを笑いながら付いて行く張遼。

董卓陣営にとって転機となる事象がまだ起こっていない時期。
そこには、暴君や悪政といった言葉とは程遠い、優しく穏やかで心地いい空気が流れていた。

「……やっぱり、なんとかしたいです」
「それは、お前次第なのだろう? この時期を知る者としては、出来るならばこのままでいさせたい。私もそう思う」
「頑張ります」

華祐の言葉に、鳳灯はしっかりとうなずいてみせた。

こうして、鳳灯と華祐は無事に、董卓陣営に入り込むことが出来たのだった。



兵の調練に出向いていた華雄と呂布、それに陳宮が呼び出され、他にも主だった武官文官が一同に会す。そうして、鳳灯と華祐が紹介された。
案の定、華祐の姿を見た面々は誰もが驚いた。中でも一番の反応を見せたのは、やはり華雄である。

「……私の知らない、生き別れの姉かというくらいに似ているな」
「いるの? 生き別れの姉」
「いやいない。少なくとも聞いたことはないな」
「いやちゅーか、聞いたことあるんなら生き別れとはちょっと違うんとちゃうか?」
「細かいことは気にするな」
「……そっくり」

唖然とし言葉を漏らす華雄。そんな彼女に賈駆と張遼が突っ込みを入れ、それをよそに呂布が素直に驚いてみせる。
ちなみに悪態を吐きかけた陳宮に対して、賈駆は竹簡を投げつけ逸早く口を封じていた。
仮にも招いて来て貰った客人である。変なことを口にして機嫌を悪くされては困る、という判断だった。目を回す軍師仲間に、少しは考えてモノをいえ、と、賈駆は溜め息を吐いてみせる。もちろん、目を回す陳宮にその言葉は届かなかったが。

さて。
確かに驚きはしたが、華雄はだんだんと、遼西から来た武将に興味を覚える。
年はやや上のようだが、その風貌は瓜二つ。見れば身につけている甲冑や手にしている武器までが、少しは意匠の違いがあるもののほぼ同じ。なにからなにまで自分と似ている。
ならば武の程はどうなのか? そう結びつけるのに時間はかからない。

「華祐、私と勝負だ!!」

当然、こういう展開となる。それを見て董卓は素直に驚き、賈駆は頭を抱える。張遼は愉快そうに笑みを浮かべ、呂布はじっと華祐を見つめていた。陳宮はまだ目を回したままである。
勝負を挑まれた華祐は、内心いろいろな感情が駆け巡っていた。
それは主に、かつて関雨が感じたものと同じ。かつての自分を目にした、穴があったら入りたいという気持ちだ。

……確かにこれはかなりキツいものがある。

関雨に今度会ったときに謝らねばなるまい、などと考えながら、鳳灯を横目に見る。彼女もまた、苦笑を隠せずにいた。

「董卓殿。このように申していますが、よろしいのでしょうか?」
「へぅ……。詠ちゃん、どうしようか」
「……あー、華祐さえよければ、あの猪の相手をしてやってくれないかしら。武官なら武官なりの自己紹介ってのもあるでしょうし」

董卓は"招いた将"にいきなり突っかかるのはどうかと考え、賈駆はもういっそ叩きのめされてしまえとばかりに頭を抱えてみせた。

「ふむ。ならば華雄殿、お相手しよう。
呂布殿もいかがだろうか。噂に聞く天下無双の武、ぜひとも見てみたい」

華祐のそんな言葉に促されて、武官たちは調練場へと移動する。華雄、張遼はもちろんのこと、呂布までもが、どこか浮き足立っているように見えた。武に秀でた者と立ち会う、ということに、どこか高揚感を覚えたのかもしれない。

「ごめんなさい。なんだか早々に変な展開になっちゃって……」
「いえいえ。武将の性、みたいなものなんでしょう。遼西でも、張遼さんも同じような感じでしたし」
「本当にね。仕事を放っぽり出して、視察先の武将と立会い三昧って、どんだけよもう」
「そんなことがあったんだ……」

溜め息を吐きボヤく賈駆。それを聞いて安易に想像がついた董卓。鳳灯もまたただ笑うことしか出来なかった。

「まぁ、あっちはあっちで仲良くしてくれるでしょう。こっちはこっちでやることをしましょう」
「うん。鳳灯さん、よろしくお願いします」

董卓が頭を下げる。
それ以降、彼女らと文官たち、そして鳳灯は、これからのことについて簡単に打ち合わせを始めるのだった。




鳳灯が、董卓らと接して抱いた印象。
彼女らは総じて、まだ"甘い"。
かつて鳳灯らが体験したような、果断や動きの鋭さや苛烈さには今ひとつ及ばないように感じられる。

もともと、董卓らは涼州の出である。常に五胡などの対応に追われる地でもあることから、武においても知においても常に高い力を持っていた。それが司州付近で起こる争いや諍いに巻き込まれることで、より高い質のものへと洗練された。
もっとも、以前にいた世界で董卓らと相見えたのは反董卓連合の際、汜水関や虎牢関が最初である。そのときの董卓らはすでに、朝廷内で裏に表にと駆け回ったあとだ。それが彼女らの実力を底上げさせたと考えれば、皮肉にも程があるといえよう。

おそらくそう遠くない内に、董卓らは洛陽へと呼ばれることになる。

彼女らの立場をどうこうしようと考えても、朝廷内での立ち位置が定まらないことには動きようがない。
ならばその時に備えて、状況を予測して策を考えておく。
それ以外には、武官文官ともに、いざという時に動けるよう実力を上げる。当面はそれに専念することになるだろう。
たかが文官と武官がひとりずつ増えたところで、そう大きく状況が変わるとは思わない。
だが、鳳灯と華祐には、他にはない"天の知識"がある。
無駄にはならないであろう手を打ち続け、大事に備える。あらゆる可能性を考慮し思考を巡らせる。ただ、無駄な争いを極力避けるために。

この時期はまだ、平和な時といえた。















・あとがき
なんだろう。妙に長くなるな。

槇村です。御機嫌如何。




現状把握の回。というほど説明してないな。

次回は、武官同士の(仕合という名の)会話を絡ませつつ、洛陽に行く前段階みたいなものを。
雛里さんメインになりかねないから、今のうちに華祐さんを目立たせておかないと。




『愛雛恋華伝』を書き出して、四ヶ月経ったことに気がつく。案外続けられるもんだな。



101203:誤字修正。



[20808] 25:【董卓陣営】 強さの基礎
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2012/04/30 05:03
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

25:【董卓陣営】 強さの基礎





鳳灯はまず、賈駆と共に河東郡の地力底上げを試みる。
遼西で行っていた、治政や警備の体制、情報伝達方法、それらに携わる人員の構成などなど。
それらを河東に置き換えて考え、どう組み立て行けばいいかを考察し、意見を戦わせる。
文官らのみならず、董卓もその場に同席していた。だが鳳灯と賈駆、ふたりの思考の高さと速さにほとんどの者がついていくことが出来ず。董卓も理解しようと努めるも目を回してしまい脱落。ふたりにお茶を入れてみたりしながら、無理に理解しようとはせず耳を傾けるにとどめていた。
もっとも、そのお茶に気付いた賈駆に「太守が侍女みたいなことをするな」「周りも止めろ」などと怒られたりもしていたが。

それはともかく。
董卓、賈駆を主とした文官組は、鳳灯の意見と遼西の実例を踏まえながら治政案を練り上げていく。
時には座学のごとく教えを受け、時には現状を確認すべく町中や郊外を歩き回り、時には過去の情勢を遡り地域の特性を再調査する。
地味ではあるが手は抜けない、そんな仕事に昼夜追われ続けていた。

この下積みが、後の洛陽に布かれる善政の基礎となる。



内政の充実も重要ではあるが、軍閥勢力としての力を蓄えることも必要である。
戦を望まない鳳灯にしてみれば、苦い思いを抱かざるを得ない。だが鳳灯は、この先なにが起こるのかを既に知っている。好むと好まざるとに係わらず、今この時勢に兵力の充実を怠ることは出来ない。必要と分かっていることを、分かっていながら手をつけないなど愚かのひと言に尽きる。

軍閥としての力を蓄える。それはすなわち、兵の総数を増やすことと、兵ひとり当たりの実力を上げることだ。
数はともかく、実力に関しては既になかなかのものを持っている董卓軍。彼女らの出身地である涼州は、より以北、北狄と呼ばれる勢力と常に相対している土地である。それらに対応するために、軍の精強さというのは他の軍閥よりも身近かつ切実な問題となっている。
こういった気風のせいだろうか。張遼や華雄、一般の兵に至るまで、己の強さというものの必要性を肌身に感じている。そしてひとりひとりが武を高めることに貪欲であり、その成長に喜びを感じる気質がある。

そんな董卓軍に対して、華祐は率直に意見を述べられる立場となった。

華祐らが到着したその日早々に、彼女は華雄に立会いを求められた。董卓の許しを得た上で、華雄を始め武官らと調練場で武を交わしている。
結果は、華祐の圧勝。並み居る武官、そして張遼や華雄を相手にしても勝利を収めていた。
唯一、呂布には一歩及ばず黒星となっている。だがそれ以前に何戦もこなしている点を考えれば、やもすれば呂布よりも、という実力を華祐は見せ付けたことになる。もっとも華祐にしてみれば、疲れたから負けた、など理由にもなりはしないのだが。
ともあれ。まさか飛将軍・呂布と互角に渡り合う武将がいるとは、と。董卓軍の誰もが驚愕し、次いで胸を躍らせた。

前述したように、兵たちは自分の強さを発揮する機会が多い地で育ったがゆえに、武に秀でる者に対し誰もが敬意を払う。武の程を見せ付けられた兵たちは、華祐に対して教えを受けることに抵抗を感じなかった。
華雄だけは、どこか悔しげな顔をしていた。だがそれでも、今の自分では敵わないことが理解出来ているのだろう。彼女もまた教えを請うている。内心の気持ちはどうあれ、華祐に自分と相通じるものを感じたのかもしれない。

華祐にしてみても、過去の自分を始めとして、董卓軍の兵を鍛えたいという気持ちはあった。
以前にいた世界では、自分が起こした考えなしな行動によって部下をいたずらに死なせてしまった。そんな慙愧の念が改めて彼女の中に生まれてくる。
避けられるのなら避けたい。そんな思いが、過去の自分を鍛えようという気持ちに繋がっている。
だが今の彼女は董卓軍にとって余所者である。一勢力の軍事内容に、外部の人間がそうそう介入できる出来るはずもない。ひとりの武人として、気になったところに意見を挟むくらいが関の山だ。
指導するという意識はなかったが、遼西で行っていた鍛錬・修練法などを提示し、それによって公孫軍がどういった働きを見せるようになったかを話したりする。それらが使えると思ったならば、董卓軍でも採用してみるといい。そんな意識をもって、華祐は、董卓軍の武将らと意見を交し合う。彼女自身が驚くほどに、始めは武器を手にしているよりも座学の割合が多くを占めていた。
とはいえ彼女もまた武将である。しかも己の武を突き詰めんとする者だ。座ってばかりよりは身体を動かし発散する方を好む。
これは董卓軍の面々も似たものであり。己を鍛えるあれこれについて話した後は、それらを試すべく実際に身体を動かす実戦形式に移っていた。

調練に関しては、結局のところ画期的ななにかが導入されたわけではない。走り込みや反復演習などによる基礎鍛錬の繰り返し。ただその分量ややり方、内容などの見返しが行われた程度である。
毛色の違うものとしては、手足に重しをつけての修練などが採用されている。
華祐いわく「慣れればたいしたことない」ものではあったが、慣れないうちはやはり重たい身体に振り回される兵たちだった。

この下積みが、後の洛陽を守護する董卓軍の屈強さを支える基礎となる。



地味な基礎訓練を続ける毎日。そんな調練の締めとして、その日の最後には一対一で本番志向の対戦が行われる。刃を落とした調練用の得物を手にし、ぶつかり合うやり方だ。
我こそはと、華祐に勝負を挑む者も多い。一般兵の身で、目上の武将と立ち合うことが出来る好機なのだ。奮い立つのも無理はない。
華祐はそのひとりひとりと、無理のない程度に相手をする。そのいちいちに、彼女は相手の良い所悪い所を指摘し精進を促してもいる。そういった面倒見の良さと具体的な言葉のためだろう。華祐は、公孫軍の時と同じように河東郡においても、一般兵からの評判は特に良かった。

相手をするのは一般兵ばかりではない。武将として軍の上位にいる者たちとも当然立ち会う。
日によって面子は変わるが、張遼、華雄、呂布の三人は毎日のように挑みかかっていた。
董卓軍の三強ともいうべき三人をそれぞれ相手にし、華祐はそのほとんどに勝利を収めている。呂布が相手であっても、その勝率はほぼ五分であった。
その立会いは見ているだけでもためになる。華祐も、兵全員に向けて「自分が相手をしていると想像して見ろ」といい含めていた。
自分ならばどうするか、という意識を持たせる。だが実際には、一般兵では呂布の前に立ち続けることは難しい。なにかを考える前に打ち倒されてしまうのが関の山だ。その点、華祐であればそれなりに打ち合うことも出来、なおかつ打ち勝つことも出来る。呂布の武というものを"観察する"というほどまで長引かせることが出来る。張遼や華雄でも、そうそうできることではない。彼女らも食い入るように見るようになった。
董卓軍の将ふたりに限ったことではない。かの飛将軍の実力をつぶさに見ている董卓軍の面々にとって、勝率五分という数字は驚嘆に値する。そしてこれほど長く立会いを続けられるということも。それがまた、華祐という武将を強く印象付ける結果になっていた。

華祐とて、武に秀でた将兵たちと手合わせするのは楽しい。やりがいもある。
なにより、自分の実力が確かに上がっていることを感じられる。
現時点で既に天下無双とまで呼ばれている呂布と、真っ向から立ち合えているのだ。以前の彼女ならばこうはいかないだろう。



華祐の武がここまで高められた要因。それはなによりも経験の数である。
そして、そのひとつひとつに彼女は意味を持たせ、教訓とし自ら反芻を怠らなかったことだ。
華祐は以前の世界において、関雨と相対し敗れた。その大きな原因は、経験不足ゆえに陥った視野の狭さと、その枠の内しか知らなかったが故の思い上がりにあった。彼女はかつての自分をそう評価する。
関雨に敗れてからというもの、華祐は自分の行動ひとつひとつに考えを巡らせるようになった。武を振るう争いの場はもとより、普段からの些細な所作、それこそ箸の上げ下ろしに至るまで。武の高みを目指すということ、そこにすべてを集約させるために。
関雨への憤りや、自分自身に対する自嘲といった"内面の戦い"を一通り経て、華祐は"自ら経験し得たものこそ至高"という考えに至る。
三国同盟が成立する前の流浪の日々、そして成立後にも繰り返した三国の勇将たちとの立ち合いの経験が、彼女の血となり骨となって、今の華祐という武将を形作っている。彼女にはその自覚があった。

ゆえに、華祐はひとつでも多くの経験を、少しでも多くの下積みを促す。それらが身につくことによって、咄嗟に自分の身を動かす選択肢の幅が広がる。それが豊富になることで、董卓軍の兵たちが生き残る確率が上がり、ひいては兵力の充実、軍勢としての地力の向上へと繋がるからだ。

文においても武においても、図らずも鳳灯と華祐は同じ結論を出し、董卓陣営にそれを求めていた。



華祐は手と口を出せる範囲で、兵たち武将たちをひたすら叩きのめす。足を、手を、思考を止めるな、と、声を大にする。そして倒れた兵を前にして、なぜ倒されたのか、どうすればよかったのか、考える糸口を与え放置する。その繰り返しだった。

ことに、華雄に対しては厳しく当たっている。
以前にいた世界では、張遼と同格か、それよりもやや下といった立ち位置だった。もちろん、呂布には敵わなかった。これはこの世界の華雄も同じだと、華祐は判断する。その割には自分の持つ武に自信を持ち過ぎていることも、かつての自分と変わらない。
増長とも取れるそれは、やがて起こるであろう汜水関での戦いで砕かれることだろう。自身の敗走、部下たちの死、そして董卓軍の作戦を内から崩すという結果をもって。
それを、避ける。そうなる芽を事前に摘むために、かつての自分を鍛え上げる。
今の彼女の目で見れば、華雄の振るう武の程は荒く大振りで付け入る隙が大きい。気迫と膂力そして勢いだけで押しているようなものだ。
そこを指摘する。勢いだけで叩きのめそうとする華雄をいなし続け、冷静になれ周囲を見ろ頭を使え、と、猪の如き動きを矯正する。
華雄は、華祐を睨みつける。だが、ただ苛めているだけではないことは分かっているのだろう。指摘されていることはもっともなことだ、と、判断する力は彼女にもある。
だからこそ、幾度となく叩きのめされても、文句もいわず従っている。事実、指摘された部分を意識するだけで、華雄は身体の動きが違っていることを感じていた。

華祐にとって、この世界の華雄や張遼は格下である。侮るつもりはないが、実際に武を交わし立ち合った感触から判断しても、まだ自分に及ばないと感じている。
董卓軍の将たちにとって、いわゆる実力者という相手は、呂布、張遼、華雄を指す。目にする武の高みと幅は、その三人の幅でしかない。
だが華祐は、それ以上の、なおかつ多彩な武将たちと立ち合っている。
蜀の面々。関羽、張飛、趙雲、馬超、馬岱、黄忠、厳顔、魏延。
魏。夏侯惇、夏侯淵、許緒、典韋、楽進、李典、于禁。
呉では、孫策、甘寧、周泰、黄蓋。
そして文醜、顔良、孟獲、公孫瓉などなど。
すべてに勝てるとはいわないが、それぞれに相性のいい立ち合い方を考え、彼女はそれを実行することが出来る。この差は非常に大きい。
ゆえに、今の張遼と華雄では、華祐に勝てない。
事実、勝てていない。経験の厚さを至上とする彼女にしてみれば、その結果は当然といえば当然のことだった。

それでも、呂布に対しては必勝といえない辺り、どれだけ恋は武の神に愛されているのか、と。
内心、呆れたり嘆いたりしている華祐であった。



いろいろと思うところはあるにしても。
今の自分の考えはそう間違ったものではない、と、華祐はそう思っている。事実、かの天下無双と五分に渡り合えているのだから。
彼女もまだまだ精進中の身。兵や武将に指南をしつつも、それらが絶対に正しいというわけではない。意見を聞き、他人の立ち合いを見て、自分なりの在り方を考えろ。そう華祐はいう。経験というものは、自分で考え噛み砕いていかないことにはしっかり身につくことはない。
そんな考えを反映させているのが、一日の終わりに行われる、一対一の演習。
このときは、他人の立会いもよく見るようにさせていた。
殊に、武将らの立ち合いを見ることは、兵たちにとって大いに参考になり、また刺激にもなる。
あの動きをするためにはどうするか、対応するためにはどうすればいいのか、立っているのが自分ならどうすればいいのか。そんな風に頭を働かせることが、ひとりひとりの地力を上げる糸口になる。

中でも、呂布、張遼、華雄の三人が行うそれは一味違った。一般兵ではとても敵わないであろう立ち回りを見せる。
自分ならどうするか、と考えることは無為なことではない。実力差に絶望するのではなく、自分なりの対応策を常に考えるようにさせる。それだけで、例え戦場で圧倒的な強さの敵に出くわしたとしても、立ちすくんで簡単に死ぬ、ということが避けられるのだから、と。
もし自分が、天下無双と対峙したらどうするか。
この意識を一般兵にまで持たせたことが、華祐のもたらした最大の意識革命だったのかもしれない。

さて。
そんな立っている舞台が違うもの同士の立ち合い。これは毎日のように行われている。そして今日も、この時間がやって来た。
華祐と、呂布。
董卓軍に身を置く者の中でもっとも高い武を持つ者同士が、今日もぶつかり合う。













・あとがき
きっと求められていないであろうところを、延々書こうとしていた。

槇村です。御機嫌如何。




地味で地味で仕方がないところ、例えば町の区画がどうだとか、民屯を導入して税制がどうのとか、詳しく調べてしっかり考えて書こうと張り切っていたのですが。
読み手はそんなの求めてないんじゃね? と思い至り。バッサリ捨ててしまいました。

無視は出来ないけど、こだわり過ぎると読んでる人が飽きてしまう。
うん、気がつけてよかった。

その割には、違うベクトルで読んで飽きそうなものを書いている槇村。(自重しろ)
華祐や関雨が強い理由、みたいなものをでっち上げて、こっちの世界の恋さんに、華祐さんをぶつけようとした。
そこから派生して、華雄さんや霞さんの伸び代云々みたいなお話にしたかった。



挙げ句、なんだか薄い印象が。文章量少ないし。その割りにクドいし。
まぁいいや。(いいのか)

次は、華祐vs呂布の立ち合い、そして月さんらが洛陽に入る前振りを書くつもりです。
なるべく、今年中に更新するつもり。出来なかったら勘弁な。

二週間も更新に間が空いたのは初めてだ。



[20808] 26:【董卓陣営】 日々研鑽に勝るものなし
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2011/01/06 20:39
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

26:【董卓陣営】 日々研鑽に勝るものなし





董卓軍の兵たちが鍛錬に励む修練場。今そこに集まる兵たちは皆、手を止め足を止め、ひとつの立ち合いに注視する。
呂布と、華祐。
天下無双とその名を世に響かせている、董卓軍屈指の武将。
そして、その呂布と互角の武を見せ付ける、見知った自軍の武将と同じ顔を持つ客将。
幾度となく行われているふたりの立ち合い。戦歴はほぼ五分。その内容も一進一退。毎回毎回、先の読めない展開を繰り広げている。

「さーて、今日は恋のやつ、どんなやり方を見せてくれんねんかな」

ウキウキと声を弾ませ、張遼は、調練場の中心に立つふたりを注視する。華雄はその声に応えることもせず、腕を組みつつただジッと、同じようにふたりを見つめている。
彼女らだけではない。今、この調練場に集まっている者は皆、中央部分に対峙しているふたりに目を向けていた。



身構える呂布。のほほんとした普段のものとは異なり、今、その表情は真剣そのものだ。
正面に立つ華祐が身構えると同時に。呂布は地を蹴り距離を詰めに行く。

空を翔るが如き速さ。その速さを落とすこともなく、手にした戟になお速さを重ね振り抜いた。
呂布の間合い。踏み込んだ刹那、彼女は下方から逆袈裟に斬り上げる。
並みの兵ではその軌跡を追うことさえ出来るかどうか。それだけの速さを持つ、正に一閃。しかしそれも華祐はかわしてみせる。
戟が走る軌跡をしっかと見、華祐はその一閃を受け流す。受け止めずにそのまま、刃を合わせただけで勢いを逃がす。
その反動を活かし、華祐が持つ戦斧の石突部分が顎先を狙う。
呂布の一閃そのままの速さ。呂布はわずかに身をよじるだけでそれを避けてみせるが。華祐の攻めは止まらない。
彼女の手の中で戦斧が回る。まるで手に吸い付いているかのように一回転させ、刃の部分が再び呂布の顔先へと疾る。
呂布はそれさえも避けてみせる。顔色ひとつ変えないままで。
かわすだけではなく、足の運びをそのまま次の攻撃へとつないでみせた。
相手をねめつける呂布。地を噛み練り込まれた力と共に戟を振り上げ、振り抜けるや否や横薙ぎ。
さらに右肩から左足先へと抜ける斬り下ろ、そうとして。
華祐は一歩踏み込み、呂布の戟を柄の部分で受けきってみせた。
いかに膂力に満ちた一撃であっても、得物にその力が行き切る前に受け止められては、勢いもまた霧散してしまう。
組み付かれる状況を嫌い、呂布は交わる得物を力任せに押しやり距離を取る。
華祐もそれを無理に追おうとはせず、体勢を立て直す
ふたりは得物を握りなおし、再び構える。
どちらからということもなく。ふたりは同時に、互いへと向かい再び駆け出した。



ふたりが手にしている得物は、刃を落とした鍛錬用の戟と斧。それぞれが愛用する武器に近しいものだ。
刃を落としたといっても、扱う者が一流であればその破壊力は相当なものになる。斬れないからといって安全だといえるものでもないのだ。
うかつに一撃を受ければ骨まで持っていかれることは必死。その辺りも考慮され、ふたりの持つ武器は刃を落とした上で、赤い染料を漬した布が巻かれている。武器が当たり身体に染料がついたら負傷、という仕組みだ。
それでも、気を抜くことは出来ない。事実、呂布の一撃を受け止めただけで動けなくなる兵も少なくないのだ。その勢いと重さが骨まで響けば、さすがの華祐も動けなくなってしまう。

董卓軍の中で、呂布の武に及ぶ者はいない。張遼と華雄が追随してはいるものの、彼女が本気を出して戟を振るえばふたりとてそう長く相手をすることは出来ないのが現状だ。そのせいもあって、呂布は普段から加減をし武を振るうことを、自分でも知らず強いられていた。

ちなみに。
呂布が天下無双と広く呼ばれるようになった切っ掛けのひとつに、たったひとりで30000もの黄巾賊を屠ったという風聞がある。
さすがに数の誇張はあるものの、相手が匪賊の類であるということから枷をかける必要がなかったがゆえに、万を超える相手を捻じ伏せることが出来た。これは鬱屈した力の解放によるところが大きかったといえるだろう。

それはともかく。
普段から力を抑えていた呂布であったが。ここで、華祐という、自分の持つものと拮抗する武を持つ者が現れた。
彼女の出現による恩恵を、董卓軍の中でもっとも厚く受けているのは呂布であるかもしれない。
本来持っている力を発揮し、武の才を遺憾なく振るうことが出来るようになったのだから。
自分に敵う者がいないがゆえに、常に力を抑えていなければいけない。そんなことを気にすることなく、思い切り出し切ることが出来る相手。しかもそれを前にして渡り合うことが出来るのだから、出し惜しみや遠慮など気にする必要がない。そのことに呂布は喜びを感じていた。
彼女の武の程をすでに知っているはずの董卓軍の面々でさえ、本気を出した呂布の立ち回りを目にして認識を改めたほどである。
中でも張遼と華雄のふたりは、呂布の本気を引き出すことが出来なかったという自分の武に不甲斐なさを感じさえした。
そのふたりに対して、華祐は課題を与える。
「あの天下無双に対して、自分ならどうするか。よく考えろ」と。
以降、ふたりは立ち合いのひとつひとつを熱心に見るようになり、互いに「自分ならこうする」と意見を戦わせるようになる。呂布の存在を手の届かないものではなく、如何にあの高みに追いつくかという対象へと変化させたのだった。

呂布にとっても、華祐と行う立ち合いは新鮮なものだった。
これまで出せなかった力を振るえるというのはもちろんのこと。
それ以上に、ただいたずらに戟を振るうだけでは勝てないということを知った。

武才というものを基準として、いい方は悪いが格下の者を相手にすることが多かった呂布。これまで彼女は、ただ速さと勢いにまかせればたいがいの相手はなんとかなってしまっていた。技術や策を講じるよりも前に、単純な力でもって捻じ伏せてしまえた。
だが、華祐はそれでは倒せない。倒せなかった。そのため自然と、頭を捻り工夫を凝らさねばならなくなる。
呂布の武の働かせ方が、立ち合いの一回一回ごとに、少なからず変化を見せ出した。それはひとえに華祐の存在によるものだろう。

そして、その変化を日毎つぶさに見る、張遼、華雄、他の将兵たちにもまた同様の変化をもたらしていた。
常に工夫を凝らすふたりの立ち合いは、観ているだけで大きな刺激を受ける。
いかにして勝ちを引き寄せるか。
他の仕合を我がことのように意識し、ひとりひとりが、自分なりの手数を増やすことに余念がない。そんな董卓軍であった。



どれだけの時間が流れたか。得物同士がぶつかり合う鈍い音が、調練場の中で響き続ける。

膂力と勢いを主に押していく呂布に対して、華祐はひたすら技術で受け流す。
右に左に、上に下にと、ふたりは縦横無尽に得物を振るい。
力の強弱、握りの硬軟、更に虚実を交えながら。呂布と華祐は武をぶつけ合う。

殊に力が込められた一撃を防ぎきり、互いの腕に痺れが走る。
先に手を打ったのは、華祐。
以前までの"華雄"であれば、想像もしない一手。彼女は躊躇うことなく得物を手放した。
思いもよらぬ行動に周囲が驚きの声を上げる。呂布でさえ、一瞬だけ目を見張って見せた。
その一瞬が勝負の明暗を分ける。
身軽さを得た華祐が、身体に捻りを入れながら上段蹴りを放ち。
呂布は危機感に弾かれるように頭部を防御する。
必然、華祐の蹴りは呂布の戟を弾きあさっての方へと追いやり。
そのまま呂布へと組み付き、重心を崩し押し倒してみせ。
華祐が首を極めた状態で、時が止まる。

この日の立ち合いは、華祐の勝利で終わった。



武官ではない者が観ても、先ほどまでの立ち合いが尋常ではないことはよく分かる。

「あの恋さんに勝てるなんて……」
「本当にすごいわね……」

これを観覧していた董卓と賈駆は言葉も出ない。ただただ「すごい」としかいいようがなかった。
将兵たちの鍛錬に華祐が係わり、呂布までもが時折打ち倒されると聞いたふたり。かの飛将軍の実力を知っているがゆえに、一概に信じられなかったのだが。実際にその様を目の当たりにして、驚きを禁じえない。

これまでに、彼女に勝る武のほどを持つ者を見たことがなかった。
自分たちの擁する、最強と信じて疑わなかった将。それと肩を並べる武を持つ者。実際に目の当たりにしたことで、呂布の強さに頼り切ることは、軍閥として非常に危険だと賈駆は感じざるを得ない。そう考えれば、華祐が行っている"兵ひとりひとりの力量の向上"は理にかなったものだと、同時に納得することが出来る。

幽州勢は、敵に回したくないわ。賈駆は言葉通り、心からそう思っていた。

そんな軍師の内心など露知らず。華祐は董卓たちの姿を見て取り、わずかに一礼をしてみせた。

「お前たち、董卓殿がご覧になっているぞ? いい格好をしてみようとは思わんか?」

呂布に手を貸し起き上がらせた後。華祐は、董卓軍の将兵たちに向けて煽ってみせ。兵たちは発奮した。
河東軍に属する将兵のほとんどは、男である。
可愛らしい主が見ている。
単純といわれようが、それは実に効果的であることも事実であった。
董卓も董卓で、華祐の言葉に少しばかり顔を赤くしながらも手を振って見せたりするのだから。効果のほどは著しい。
その日、調練場に男たちの雄叫びが絶えることはなかった。













・あとがき
なんだか、書き方忘れてるような気がするオレ。

槇村です。御機嫌如何。




結局、年内に終わらせることが出来ないまま持ち越し。
その割に内容は超短い。なんという体たらく。

というか、この回って不要じゃないk





まぁいいです。
気にせず先に進みます。朝廷暗躍編に突入だぜ。

次の更新まで、また間が空きそうな気がします。
でも書く気はあります。バリバリです。(バリバリ?)



[20808] 27:【漢朝回天】 軍閥勢、上洛す
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2011/11/20 18:45
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

27:【漢朝回天】 軍閥勢、上洛す





この時期、大陸全土あらゆる場所で黄巾賊が蜂起していた。
悪政を行う領主に対して反旗を翻す。始まりは、そんな純粋なものだったのかもしれない。
しかし今この大陸を脅かしている黄巾賊のほとんどは、勢いに便乗し、己の欲求を満たさんがために黄色い布を巻いているだけである。
事実、黄巾勢力を立ち上げたとされる張角、及び張宝や張梁らの名前は聞かれなくなっている。賈駆や鳳灯、公孫瓉、曹操など。それぞれが独自に細作を放ち、方々から情報を掻き集めてさえそうなのだ。黄巾賊を捕縛し尋問をしても、居場所を知らないならまだしも、その名前を初めて知ったという輩が出てくる始末である。
結果、独自に調べを進めていた軍閥たちは、張角らはすでに死んでいると判断する。少なくとも、今の黄巾賊に係わってはいない、と。
曹操をはじめとした軍閥らは、主格の生存確認よりも、黄巾賊の勢力減退に力を入れるようになった。思想的な繋がりが見られない以上、もはやただの匪賊でしかない。投降は認めるものの、民に害為すと判断すればただひたすらに鎮圧し討伐していくのみである。

黄巾賊が暴れまわると、その地を治める領主は朝廷に泣きつく。普段からなにかと賄賂を贈っているのだ、なんとかしてくれ、と。
もちろん、放っておくことは出来ない。朝廷は軍勢を派遣するが、その数が多くなればこなしきれなくなる。更にいえば、かつて張遼が嘆いていた通り、朝廷軍の質がよろしくないのだ。鎮圧に赴いて逆に全滅したといった事態も少なからず発生している。
結局、朝廷側は「各地の軍閥を頼れ」と返事を返すようになった。それがまた各軍閥の勢いを増す原因となるのだが、ここではひとまず置いておく。



そんな嘆願の数が増えるほど、朝廷内部にもまた動揺が生まれる。
司州、更には洛陽にあっても、賊の猛威に晒されてしまう。これはまことによろしくない、と、朝廷の高官たちは危惧を深めた。
だが、これはなにも朝廷の権威どうこうという問題ではなく。単純に、自分たちの身にまで危険が及ぶのではないか、という、自己保身からのものでしかなかった。

必要と感じたときに権力を振るう。でなければなんのための権力か。
漢王朝の軍部を司る地位・大将軍に位置する何進は、自分の持つ権力を躊躇いなく振るった。
まず、彼は名家として名の知られる袁家、袁紹と袁術のふたりを引き入れる。名家ゆえの、名声、財力、兵力といった素地まで含め、己の属官として召抱えようとしたのである。新たな地位と権力という餌でもって釣り上げようとした。
見方によっては、名家の威光を金で靡かせようとしているように見える。だが袁家のふたりにしてみても、何進のしめした権力と地位は魅力的に映った。結局、袁紹と袁術らは揃ってその呼び掛けに応じ上洛する。

次いで彼は、北夷を押さえるほどの軍事力を持つ、涼州の董卓に目をつける。
建前としては、これまでの黄巾討伐に対する恩賞を与えるということで、董卓を呼び寄せた。そして、何進はそのまま、司州である河東の太守という地位、そして朝廷のある洛陽を守護するという誉れ等、いくらかの餌を用意した上で召し抱えたのだ。
事実上、有無をいわせぬ上意である。ただ涼州の一地方を治めていただけの彼女が、朝廷の大将軍に歯向かうことなど出来るわけがなく。董卓は、内心はともかく、恭しく河東太守の任を拝命した。
彼女は、河東をまとめ軍備を整えつつ、いずれ何進直下の朝廷軍の一角として従うように命じられた。有事の際には、有するその力をもって洛陽を守るように、と。

このように何進は、袁紹、袁術、董卓といった軍閥を手元に引き入れ。西園八校尉の地位を与えた上で、己の後ろ盾とした。軍部の最高責任者という立場を大いに活用し、皇帝直属の軍の長という地位でさえ、自己保身のために私物化してみせたのである。



さて。
何進が軍事力を強化している一方で、それを危険視している者たちもいる。
朝廷権力のもう一端を担う宦官の長ともいうべき、十常侍と呼ばれる面々だ。
表向きは、洛陽を守る戦力の強化に勤しんでいるという何進の言葉。だがもちろんそれを真に受けるわけがない。
では我々も洛陽を守る者を募りましょう、と。十常侍は独自に軍閥を招き後ろ盾を得ようと考える。
そこで挙げられたのが、曹操だ。
彼女の祖父・曹騰が、かつて宦官の最高位である大長秋を務めていたことから選ばれた。宦官特有といってもいい、近しさゆえの皇帝への直言や、裏から行われた牽制なども功を奏し。曹操もまた、西園八校尉の一角に強引に捻じ込まれる。
これに対して、大将軍である何進はもちろん反発したが。形としては皇帝から直々に地位を与えられたということになっており、さすがにこれを撤回させることは出来ず。朝廷軍の一角である以上は大将軍に従うべし、という原則を含ませるに留まった。

ちなみに。
西園八校尉という地位は、簡単にいえば、「西園軍」と呼ばれる皇帝直属の軍の長に当たる。この西園軍が、洛陽の四方の門の警護を一手に引き受けるのだ。まさに洛陽の守護を司る、重要な地位だといえる。
とはいえ。世が荒れているとはいっても、大陸を統べる朝廷のある地なのだ。どれだけの匪賊が押し寄せたとしても、洛陽はそう簡単に落とされるような街ではない。それだけの軍勢を集中させる必要があるのかと問われれば、首を傾げる者もあろう。
事実、何進は、自分の身を守る背景たる軍事力を集めるがためだけに、西園八校尉という地位を利用したに過ぎなかった。
何進はもちろん、十常侍も、そして西園八校尉に任ぜられた四人でさえも、それは重々承知している。
それを受け入れているかどうかまでは、各々の胸の内にある以上うかがい知ることは出来ないけれども。





「本当に、忌々しいわね」
「まぁそういってくれるな」

不機嫌さを隠すでもなく、悪態を吐く。
常々、宦官の言動を嫌う様を隠さない彼女である。その宦官によってもたらされた現状が気に入らないのだろう。不満を隠そうともせず、目の前に座る男性に向けて言葉をぶつける。
そんな様子を目の当たりにして、その男性は、彼女の荒々しい態度を気にもせずに宥めていた。

ここは洛陽の王城内にある、十常侍に数えられる宦官が執務に励む一室。そこでふたりは椅子に座り向かい合っている。
片や、年若い少女ともいって差し支えない風貌を持つ女性。片や、その父親といわれても不思議ではない年齢の男性。
女性の名は、曹操。
男性の方は、この部屋の主である張譲である。

「だいたい、私が宦官を嫌っていることは貴方もよく知っているでしょう?
お爺様が大長秋だったからといって、私まで宦官に与するなんて、本気で思っているの?」
「私はそんなことを思っちゃいないよ。もっとも、他の十常侍は皆そう思っているようだが」

ゆったりとした声で、お茶を啜りながら。まるで他人事のようにいってのける張譲。
度し難い馬鹿ね、と、曹操は曹操で呆れてみせた。



宦官を嫌うことに関しては自他共に認める曹操。そんな彼女が、宦官の長たる張譲と席を同じくしている。何故か。

ふたりの接点は、曹操の祖父・曹騰にある。
かつて曹騰が、宦官の長・大長秋として務めていた際、張譲は部下として従っていた。そのおかげで、ふたりは面識があった、
当時の宦官の中では、張譲は賄賂などで汚れようとしなかった。そんな彼を曹騰が気に入り、目をかけられるようになり、張譲は曹騰や曹嵩といった宦官の大勢力と知己を得ることとなる。そして両名の薫陶を受けながら、宦官として出世を着々と重ねていき。現在では十常侍まで、その中でも最たる地位につくまでになった。

曹騰に曹嵩、そして張譲。彼らがその地位をもって成そうとしたのは、霊帝を頂点とした漢王朝の安定。ただそれだけである。
王朝の安定、そして権威の高潮。それによって民の生活を保護し、一定の税収を確実なものにする。そうすることで王朝の在り方はより安定し、権威は更に高まっていく。
つまり、「正統な権力による、人民にとっての善政」を目指していたのだ。

しかし、人の心というものは易きに流れやすく。己を律し続けるよりも、欲望に忠実であることの方が容易い。
遠くの大きな理想よりも、目の前にある小さな利に。多くの官吏たちが目を奪われ、足を取られ、やがてその身を蝕まれていく。
ここ洛陽は殊にそれが顕著であった。私利私欲と感情による専横がまかり通り、もし汚職が発覚しても賄賂ですべてが解決してしまう。そんな蛮行が、幾多となく繰り返されて来た。曹騰らの奮闘が空しくなってくるほどに。
その最たる例は、賄賂によって後宮入りし、皇后にまで上り詰めた何皇后の存在だ。
義兄である何進を大将軍にまで引き上げ、子を生したことに嫉妬し霊帝の寵妃を毒殺するなど。何皇后は、朝廷や後宮の和を乱し続けている。宦官と軍部による対立が顕著になったのも、彼女の台頭によるものといっていいだろう。
度重なり起こる問題の数々に晒されて、曹騰が去り、曹嵩が去り、数少ない良心ともいうべき人材はことごとく朝廷を去っていった。
曹騰らが朝廷を去ると同時に、他の宦官たちの腐敗はさらに勢いを増し、酷いものになっていった。それは宦官に収まることはなく、末端の文官や、軍部の将兵にまで広がって行く。まるでなにかの枷が外れたかのように。
ひとり残されたような形の張譲は、大長秋が不在の宦官勢力において、確かに、最大の力を持つ人物となっていた。その力をもってして、朝廷内の澱みをなんとか改善しようと尽力を続けていた。だが彼に味方する者は現れぬまま。大多数の声という大きな波に、実質上の権力者たる彼の声は攫われてしまった。すでに、彼の声は響かなくなっている。

朝廷の内部に喝を入れる、劇薬の如きものが必要だ。
そんなことを考えていた矢先に、何進による軍閥召集の騒ぎが起こった。
これは却って好機と判断した張譲。反発しつつも具体的な行動を起こせない他の十常侍を他所に、"宦官に縁のある軍閥"として、曹操を西園八校尉の一角に無理矢理捻じ込んだ。表向きは、宦官の後ろを守る軍閥として。
その実、事あらば宦官たちを薙ぎ払うことを期待して。

「飴と鞭、というだろう。どうやら私の振るう鞭は、彼らには温いようなのだよ」

しょせん、宦官が思いつく程度の鞭では効き目がない。ならば軍閥の手による、容赦のない制裁が必要になると張譲は考え。

「それで、私を?」
「そうだ。曹孟徳、君に、鞭役を担って欲しい」

彼は、乱世の奸雄とまで称される彼女を呼び寄せたのだ。

「この私を使おうとするだけじゃなく、承諾さえ取ろうとせずに事後報告とはね。開いた口が塞がらないわ」
「なに、朝廷が地位を与えるときなど、報告が事後になるなど当たり前のことさ」

呆れた曹操の声に、張譲はさも愉快そうにいう。
だが笑みを浮かべるその表情は、苦悶と憔悴によって刻まれた深いシワに覆われていた。
曹操と並んでみれば、父親と子ほどに離れた年齢差が実際にある。だが傍目には、祖父と孫ほどの差があると見られかねないほどだ。彼の外見は、実年齢よりも遥かに上に見える。
内心、相当まいっているのだろう、と、曹操は彼の心情を察することが出来た。

胸の内で思いはしても、それを口にするようなことはしない。張譲はそれを望まないだろうし、曹操もまた小娘の労わりがなんになろうかと考えている。ゆえに、交わす会話は普段と同じようなものになっていた。
言葉の上では、曹操の方がやや後方に退いている印象はある。だが実際には、彼女は張譲に対して上司とも年上とも思わない遠慮のなさを見せている。祖父を間に挟んだ旧知ということもあり、公的な場でならともかく、いまさらこの男に遠慮など必要なものか、という気持ちがある。
彼女は宦官を嫌っている。だが正確にいうならば、権力を笠に着る無能が嫌いなのであって、それが宦官の中に蔓延っているから毛嫌いしているに過ぎない。そんな中で、張譲は数少ない例外というべき人物であった。真名こそ交わしていないが、彼女の知る男性の中では評価の高い人物であるといっていい。

朝廷の中で渡り合うためには清廉潔白でい続けることは出来ない。彼とて、叩けばそれなりに埃の出てくる人間である。
それでも、向かうべき先は、漢王朝の安定と人民の平穏。そのことに偽りは一切なく。
なにより、曹騰の目指したものを未だに胸にし、実現に向けて足掻き続けている。そのことに関して、曹操は好感を抱いていた。

朝廷の、そして権力や人民に対する考え方の齟齬が、他の宦官たちとの格差を露にする。
ゆえに、張譲は宦官勢力の重心人物であるにも係わらず、多くの宦官、ことに十常侍の面々から疎まれていた。
もっとも、彼とてそんなことは重々承知しており。分かった上で彼は、未だに宦官の長たる地位に座り続けているのだ。

「これまで、私は飴を与えすぎていたようだ。曹騰殿に比べてどうも侮られている。恥ずかしい限りだよ」
「その程度でも、宦官たちはあれこれ文句をいうのでしょう? お爺様の目が離れたとはいえ、質が落ちたものね」
「返す言葉もない。次を担う者たちには、こんなことがないよう願うよ」

張譲は、それこそ一気に宦官の首を挿げ替えるくらいのことを考えている。少なくとも、曹操はそう見て取った。
そして、曹操らのような若い者たちに譲り渡そうとしている。その後の後始末までが、自分のすべき仕事だと。

「貴方たちの残した面倒まで見るのは御免だけどね」
「自分たちの尻拭いくらいはさせるさ」
「そう願いたいわね」
「しかし、害ばかりではなく利もあると判断したからこそ、文句をいいつつも中央へとやってきたのだろう?」

確かにその通り。朝廷の挙動をつぶさに知り、いざというときにすぐさま動くために、悪態を吐きながらも自ら中央へと乗り込んだのだ。呼ばれたのが宦官側、というのは、曹操にしてみれば本当に気に入らないけれども。

曹操は溜め息を吐く。
中央に身を寄せてからというもの、気に食わないことばかりで眉間にシワが寄り続けている。
張譲はともかく、他の宦官たちは曹操の背中の向こうに曹騰を見ているのが分かる。しょせん小娘になにが出来るという視線に晒され続け、毎日必死に自制を働かせているのだ。目の前の張譲に対してかなり素の部分が出てしまっているのも、相手が顔見知りだという緩みもあっただろう。
此処でなければ得られないものが多々あることは理解している。しかしそれらを投げ出して、さっさと陳留に帰りたいと思うことも一度や二度ではなかった。こんな場所で毎日のように権謀に明け暮れていたのだから、祖父・曹騰や、父・曹嵩の豪胆さには感嘆せざるを得ない。
それは目の前にいる張譲についてもいえるだろう。心労のほどは、年齢を伺えないその表情に表れている。もちろん悪い意味で。



自分の才に自信をもってはいるものの、経験のなさは如何ともし難い。
曹操の中に沸き起こる、苛立ちや負の感情。それらを抑えるのもの一苦労だ。

「……なにか美味しいものが食べたいわ」

鬱々とした気分を晴らしたい。
それなら美味しいものを食べるのが一番だ。そんなことをいっていたのは、ふとした縁で知った料理人。
なるほど、確かにそうかもしれない、と、曹操は思う。
弱音ではないが、愚痴にも近いものをこぼしてしまう辺り。彼女もまた慣れぬ境遇に参っているのだろう。
ゆえに。簡単に気を晴らす手段として、彼女は食事を連想した。

「少し前に、幽州に出向いたのよ。新しく州牧になった身として、善政を敷くという噂の遼西に視察に行ったの。
そこで、なかなかの酒家を見つけてね。珍しいものをいろいろと食べさせてもらったわ」
「ほう。君がそこまで褒めるとは、かなりのものだね」

引退したら、一度行ってみるといいわよ。曹操は軽い口調で勧めてみせる。
さりげない口コミ。これがすなわち評判の基となる。ましてや口にするのは、かの曹孟徳。鉄板といってもいいだろう。
彼女がなにかを褒める基準の高さを知る者として、張譲はそれを記憶に留めておくことにした。

後に、乱世の奸雄そして宦官の長さえ動かした料理人、と、北郷一刀の名がごく一部の者の記憶に残されることになるのだが。
思い切り余談であるので。これ以上は触れない。



「幽州といえば」

張譲は話を変えてみせる。

「何進が抱えている軍閥の、董卓だが。彼女のところに、幽州からの客人が身を寄せているらしいぞ」
「へぇ。張譲殿の耳に入るということは、それなりの人物なのかしら?」
「君と同じように、董卓の軍師が遼西を視察に行ったらしい。その後に内政官を引っ張って来たそうだ。
河東を任されて、そこをまとめるための相談役みたいなものが欲しかったのだろう。
実際、河東の治世はなかなかに評判がいいらしい」

若い者が実績を残しているのはいいことだ。
その腕を遺憾なく発揮できる環境があるというのはもっといいことだ。
なにより、年をとった者がそれを妬まず受け入れることが出来る、これはとてもいいことだ。

張譲もまた、少しばかり気を抜くことの出来る者を前にして気が緩んだのかもしれない。
気がつけば、余裕を持っていた語り口がガラリと崩れ。悪い意味で年齢相応な愚痴っぽい口調に様変わりする。

曹操にしても、そんなオヤジの愚痴に耳を傾ける義理などさらさらなく。
適当に相槌を打ちながらも話を流してみせ、自分の考えに耽っていく。

曹操は考える。
出向くほどの、幽州の内政官。というと。鳳灯だろうか。
なんのために? 公孫瓉が中央に出向くための足がかりか?
いや、見た限りでは出世願望はさほど強くなかった。権力よりも地元の平穏を望んでいるように見えたから考えづらい。
仮に鳳灯ならば、なにか考えがあるのだろう。ただの親切心だけで、わざわざ他地方に出向くとは思えない。
共に過ごしたのはわずかな期間ではあったが、曹操は、彼女の内面をそれなりに把握したつもりであった。

董卓について上洛してくるならば、ここで顔を合わせることもあるだろう。
河東に在住しているならば、洛陽からもそう遠くない場所だ。会う機会も少しくらいはあるかもしれない。

幽州を離れることが出来るなら、自分のところにも来てくれないかしら。
有能な才を好む曹操は、張譲の独り語りを聞き流しつつ、そんなことを考えていた。





何進の求めに応じて、とうとう、董卓たち涼州勢も上洛することになった。
なぜ董卓を呼び寄せたのか。その理由が極めて利己的なものだという事実に、賈駆は怒りを抑えることが出来ずにいる。

「理由こそもっともらしくしているけれど、何進はボクたちを使い潰すつもりに決まってる。
大事にしようなんて思わない。使いこなそうなんてこれっぽっちも思ってない」

そして、何進はそれを当然だと思っている。大将軍という地位の高さが、目の下に立つ者の姿を霞んで見せているのだ。
兵というものを"数"でしか捉えていない、ともいえる。1000人の兵が、戦を経て500人になったとしても、何進にとって、それは500人が死んだのではなく兵力が500減ったということにしか過ぎない。

「そんな、月を使い捨てになんてさせない」

利己的という点のみをいうならば、賈駆とて似たようなところはある。
彼女の場合は、董卓だ。
親友である董卓が微笑んでくれるのならば、なんでもやってみせる。親友が悲しむようなことがあれば、全力でもって排除する。

賈駆にとっては、なによりも"月"が一番。
極論をいえば、親友さえ無事であるなら、他の誰がどうなろうと構いはしない。

彼女が平穏な日々を望むのならば、すべてを捨てて朝廷などから逃げおおせてみせる。
彼女が民の生活に心を痛めるのならば、民の生活を少しでもよくしてみせよう。

もしも彼女が。
もしも、権力を求めるのなら。智謀のすべてをかけて、手に入れてみせる。

相手が大将軍だろうと、自分は逆らってみせる。そのくらいの覚悟が、賈駆の中にはある。
しかし。
董卓はそんなことを望みはしないだろう。
ただ愚直に。自分の目が届く人たちが、笑って暮らしていけるのならば。それで満足出来るに違いない。
誰もが望むであろう、簡単なこと。
同時に、あまりに忘れやすく、為すには難しいこと。
そんな想いを、董卓は常に抱き続け、どうすればいいのか日々悩み続けている。
董卓がそれを望むのならば、賈駆もまた、民の平穏を第一に考えるだけだ。

涼州、河東。そして今度は洛陽である。漢王朝の核ともいうべき場所に赴くことになる。
ならば。
親友の想いを叶えるために、中枢から変えてやろう。

これから乗り込むところは、権謀術数の飛び交う場所。一筋縄ではいかないだろう。
幸いというべきか。賈駆は、鳳灯という仲間を得た。
彼女の目的もまた、董卓が目指すものと違いはない。
なにより。親友のことを第一とする賈駆の心情を理解してくれる。
鳳灯に対して、賈駆は大きな信頼を寄せるようになっていた。



心強い友を得て。
賈駆はその思考の深さと幅を更に広げつつ、洛陽に向かい立つ
親友の身を守り、そして彼女の愛するものを守らんがために。すべてを注ぎ込む覚悟をもって。












・あとがき
こんな風にグダグダ書く方が性に合っているような気がするな。

槇村です。御機嫌如何。




はい。今回から朝廷内でのあれこれ、「洛陽炎上」編となります。

さっそく新キャラ登場。張譲さんです。真名は考えていません。
多分名乗らないからなくてもいいでしょ。(え?)

張譲というと、なんだか悪者で雑魚っていう扱いが多いような気がします。
ウチの張譲さんは、そこから外してみた。というか書いているうちにそうなっちゃっただけなんだけど。
この先に進むのならば俺の屍を超えていけ、みたいな人にしたいと思っている。



このままだと軍師サイドな人たちばかりになりそうですが、追々武将サイドな人たちも絡めていくつもりです。

この時期の原作キャラとしては、麗羽さんの扱いはある程度もう決まっているのですが。
美羽さんはどうしようかなぁ。まだ決まっていない。
同時に、呉の面子をどう扱うか。いくつか妄想はしているのですが、煮詰まっていません。

まぁ、書いているうちにピースが嵌っていくでしょう。うん。



[20808] 28:【漢朝回天】 夜を駆ける
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2011/11/20 18:45
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

28:【漢朝回天】 夜を駆ける





西園八校尉に採り上げられた軍閥として、董卓は宦官外戚を問わず注目を受けていた。
もっともそれは、使えるのならばこき使ってやろうという程度の興味でしかない。
北夷を抑えていたとはいえ、たかが地方の田舎太守。そんな捉え方をされている中、董卓勢は他の軍閥に遅れて上洛する。

朝廷の中でも、涼州における黄巾賊討伐の実績などもあり、董卓の名はそれなりに知られている。だがそれでも、彼女がどんな人物なのかはまでは知られていなかった。それこそ、呼び寄せた何進だけしか知らなかったといっても過言ではない。
事実、上洛した董卓と顔を合わせた人たち、そのほとんどは「え、この人が?」という反応を返していた。
思いもよらぬほど線の細い風貌、そしてその腰の低い受け答えにも、それぞれが持っていた先入観を覆されている。
高い地位を得た以上、面通しをすべきところは数多くある。董卓はそのひとつひとつに自ら赴く。
その律儀さと、やはりその見た目に、顔を合わせる面々はそれぞれ驚いてみせた。

そんな反応を前にして、董卓は初めこそ「そんなに頼りなく見えるのか」と落ち込んだりもしていたが。そこは、地方とはいえ仮にも太守を務めていた彼女である。ある種の厚顔さというか、逞しさというべきか、そんなものが備わっている。
気持ちを切り替えたのか、普段の彼女の持つ温厚な笑顔を周囲に振りまきつつ、朝廷内のあらゆる場所に挨拶回りをする董卓。
そんな親友の後に付き従いながら、賈駆は何度も溜め息を吐き、同じく同行する鳳灯に宥められるのだった。

ちなみに。
董卓と共に上洛した将は、賈駆、張遼、華雄。それに客将として、鳳灯と華祐が付き従っている。
呂布と陳宮は、河東にて留守を任されていた。上洛と共に兵力の半数以上を連れ出してしまったが、留守を守っているのは、天下無双の呂布である。こと呂布の動かし方には非凡なものがある陳宮がいることもあり、多少の兵力差なら負けはしないという、兵の数以上の安心感を生み出していた。そのことが、後顧の憂いを生むこともなく、董卓らを洛陽に向かわせたといっていいだろう。



さて。
そんな背景をもって上洛した董卓らは、もともといる将兵たちも組み込み、改めて朝廷軍を編成する。そして、外からの脅威に備えるべく、洛陽の守護に当たる。
洛陽を守護する朝廷軍、といえば聞こえはいいのだが。普段から彼女らがすることべきことはそう多くない。
司州周辺の警護に出向くこともあるが、それは彼女らとは別の軍勢が担当している。基本的に、西園八校尉という役職は、有事に備えて待機することこそが仕事だといってもいい。将兵を再編成し、関係各所への挨拶回りを終えると、董卓は途端に暇になってしまった。

その一方で、賈駆と鳳灯のふたりはなにやら忙しなく動き回っている。
朝廷内における地盤を確固たるものにするため、賈駆は智謀を巡らす。すべては、董卓が望むものを手に入れるために。
彼女が望むものは、民の笑顔。それには、私欲に溺れ、民を省みようとしない愚者たちの存在が邪魔になる。
ならば、董卓が代わってその地位に立てばいい。望みを実現できるほどの高みまで上らせてみせる。そんな未来を見据えて、賈駆は、情報の収集や根回し、布石作りに暗躍する。親友である"月"の望む治世を、広く、もっと広くするために。
鳳灯の望むものも、戦などで人が不要に傷つかないような世界である。董卓や賈駆が目指すものに同調し、彼女らの手助けをする。
だが鳳灯は、他の世界で体験した"未来"を知っている。ゆえに、賈駆とはまた違う動きをする。賈駆が主に表立った動きをするなら、鳳灯は裏から手を回す。正確には董卓の臣下ではないという立場が、大っぴらには口に出来ないやり取りを円滑にさせていた。

賈駆や鳳灯だけに限らず、朝廷内においてこういった裏工作は珍しいものではない。
だが上洛した他の軍閥らと比較して、董卓勢のそういった動きは、慎重ながらも実に素早いものがあった。
実際に動ける人材という意味では、他の勢力も数は変わりはしない。
人材を動かす案や策を練る頭脳役の存在。それが、董卓を他の勢力から一歩先に進ませる大きな要因となっていた。

曹操の筆頭軍師である荀彧は、州牧代理のひとりとして陳留に留まっている。共に上洛した夏侯淵も、知に秀でているとはいえ本来は武将である。政治的な駆け引きといった働きが出来るかというと心許ない。
袁紹は軍師らしい人物を連れていない。袁家の示威を誇るかのごとく、二枚看板と称する武将ふたりを始めとした親衛隊を常に引き連れ、何進に付き従い王城内を闊歩している。
袁術はどちらかといえば、常に傍らに置く張勲を始めとした軍師・文官が配下に目立つ。だが、地下工作といった活動もこれといって派手なものは見受けられず。傍目には目前の任務を無難にこなしているだけのように見えた。

上に挙げた三勢力と比べて、董卓は手元に軍師をふたり抱えている。その両名が共に、相当に質の高い指示を、先を読んだ上で常に出せるのだ。他の軍閥は、情報の収集は出来ても、それを次にどうするかを練り上げ指示まで出せる人材に欠けていた。
目的を持ちなにか事を成そうとすれば、勢力として、柔軟かつ機敏に動かすことが出来る。そんな状況判断の機微と、それにあわせることが出来る身軽さ。それらが、朝廷の中にある新興勢力として抜きん出ることを可能にし。朝廷内の見えないところで深く広く、勢力としての影響力を少しずつ拡げていた。



董卓もこういった軍師たちの動きを把握はしている。自分の、自分たちのために働きかけていることは、十分に理解している。
しかし、彼女はその詳しい内情にまでは係われない。そんな自分に思い悩んだりもしたのだが。

「月は、大枠が分かっていればいいわよ。細かいところをあれこれ悩むのは、ボクたちみたいな下の人間がやることだし」

勢力の長らしくどっしりと構えていろ、と、キツいのだか優しいのだか分からない口調で賈駆はいう。
董卓も、そんな親友のことや、ひょんなことで友誼を得た客将のことは信用している。
だから、必要だと思うとき意外は口を挟まない。内緒で動いているというのなら話は別だが、やろうとしていることの報告は受けているし、必要なときは意見も求められている。ならば彼女たちの望む立ち居振る舞いをすることこそが、自分のすべきことなのだろうと考えていた。

とはいうものの。
当面、董卓自身がすべきことが少ないことは事実。暇なことには変わりない。
やることもなく行ける場所も限られた董卓は、自然、仲間のいる場所に足を運ぶことになる。
張遼や華雄、そして華祐らが詰める修練場だ。
董卓は、彼女らが行う将兵たちの鍛錬にしきりと顔を出すようになった。

重ねていうが、董卓軍に属する将兵の大多数は男性である。
自らの属する軍の長が頻繁に顔を見せる。しかもそれは、可憐な少女といっていい董卓なのだ。
となるとどうなるか。
それはもう、将兵たちのやる気と気合も増しに増すというもの。
華祐が煽り、張遼がそれを更に煽ることもあり。董卓のいるときの修練場は、皆が皆、己が主にいいところを見せようと、本気かつ真剣さに満ちた空気に満たされる。そんな修練の繰り返しが、軍閥の中でもことさら士気も実力も高い一団を作り上げていった。

それが果たして賈駆の狙いだったのかどうかは分からない。
だが、新たに組み込まれた朝廷軍も含めて、董卓勢の兵力は着実に上がっている。
命令を出すだけの大将軍と、顔を見せながら叱咤激励する西園八校尉。いざ動くとなったときに、兵が従う声はどちらのものか。
考えるまでもないだろう。





董卓勢の客将という扱いであることから、鳳灯は朝廷内においては多く知られることのない存在である。賈駆とは違い公的な場所に出ることもないため、己を主張することに熱心な宦官や外戚などの視野に入らないのだ。
敵であれ味方であれ、コマともいえる"一般人"が動き回っても気にかけない。地位に胡坐をかく人たちの多くはそんなものであった。
それを幸いとばかりに、鳳灯は根回しに朝廷内を駆け回る。主に下部の将兵たちに働きかける。
目的は反董卓連合の阻止。その要因となる霊帝の後継者争いに際して、将兵たちが連動して動かないようにするのだ。
結局、人を殺すのは人である。武器を手にする人間が減るほどに、死ぬ人間は減っていく。いざというときになって武器を取る人間を少しでも削るため、鳳灯は情にかけて利にかけて、騒乱を起こす愚かさを説いて回る。

そんな鳳灯は、今日も朝廷内を歩く。
表向きは董卓と賈駆の補佐をするという立場にある彼女。方々であれこれと話しを聞き、現状を知り把握しようと努めることは対外的にも不自然なものではない。
そうして知れば知るほどに、思い知らされる現状。
朝廷内の腐敗振り、あまりに利己的な考えの横行に、鳳灯は呆れるやら感心するやら。思わずお腹の辺りがキリキリ痛み出しそうなほどだった。

そんな中で、唯一といってもいい希望は、実質的な宦官の長、張譲の存在。
彼の目指すものが、鳳灯の、董卓らの望む未来に近しいことを知ることが出来た。まさに一条の光のように思えた。
朗報ではある。だがこれからどうするか。
朝廷内において、鳳灯の存在は最下部にあるといっていい。西園八校尉の一角たる董卓の下にいるとはいえ、正確には彼女に仕えているわけでもない。出来ることは限られてくる。対して相手は、宦官勢力にとって事実上の頂点である。話をするどころか、普通に考えれば顔を合わせることすら困難だ。
張譲はこの朝廷の中で長く生き抜いてきた人間である。周囲の評価をそのまま真に受けるわけにも行かないだろう。
話を聞いてみたい。彼女はそう考えていた。

そんな鳳灯に、好機が訪れる。
王城の中を歩いている際に、曹操と出会ったのだ。



「あら、鳳灯?」

これは曹操にとっても好ましい邂逅であった。
張譲との話に挙がった、董卓の下にやって来たという内政官。予想はしていたが、やはり鳳灯のことだったか、と。
曹操は知らず喜色を浮かべる。自陣に引き入れたい人材のひとりとして、本格的に勧誘しようと心に決める。

それはさておき。

「話には聞いていたけれど、董卓のところにいるのは本当のようね」
「話題になるようなことをしているつもりはないのですが……」

曹操の言葉にとぼけるような言葉を返し、幾ばくか会話を交わす鳳灯。
あくまで意見役を求められて董卓に同行しているのだ、という立場を通すつもりでいたのだが。
自分が董卓の下に知るという話を聞いた相手、それが張譲だと知り、鳳灯はさすがに驚きの顔を見せる。

それなりに広く深く動き回っている自覚はある。だが、まさか宦官勢力の長たる張譲に知られているとは彼女も思ってもいなかったのだ。
小さな事象も漏らさぬ性格なのか、それとも目をつけられたのか。あるいはその両方かもしれないが。

長く立ち話をしているわけにもいかず。積もる話もあるということから、夜にまた改めて会うことになった。
それは曹操からの提案だったが、鳳灯にしてもこれは渡りに船といえた。
張譲との友誼を持つ彼女に、顔合わせの場を設けられないか、頼み込もうかと一考する。
将兵への根回しといっても、下部だけではやはり限界がある。行動を決め指示を出す層にどこかで食い込まなくてはならない。
それを考えれば、いきなりその頂点へと繋がる糸口が現れたのは、まさに好機といっていいだろう。これを逃す手はない。
対価を求められるのならば、自分が曹操陣営に出向いてもいいと彼女は思う。
でも閨に誘われたら噛み付いてでも逃げ出そう。
以前の世界での曹操を性癖まで知るがゆえに、あれこれ要らぬことまで考えてしまう鳳灯だった。



曹操との会合の約束。このことはすぐさま賈駆に伝えられる。

張譲の目指しているものを知り、なんとか味方にすることが出来ないかと、賈駆と鳳灯は考えていた。
かの大宦官と友誼のある曹操。そして曹操と縁のあった鳳灯。その線をつなげることが出来ればよもや、という思いはあった。
ひとまず鳳灯がなんとか渡りを付け、次いで賈駆に、場合によっては董卓に直接出向いてもらわねばならなくなるだろう。
その点はかねてから賈駆や董卓にも話はつけている。行動するに際しての問題はない。
なによりもまずは、今夜だ。

「雛里、身の危険を感じたら直ぐ逃げるのよ」
「へぅ……、雛里さん、頑張ってください」

聞き様によっては妙な意味にも取れかねない、そんな言葉をふたりから受け。
鳳灯は、闇夜の中を歩き出した。



夜の帳も下り、人気も退いた王城の中。高官や将軍位に割り当てられている部屋のひとつから灯りが漏れている。
部屋の中にいるのはふたり。部屋の主である曹操と、彼女の元を訪れた鳳灯である。
ちなみに部屋の外では、曹操の腹心である夏侯淵が警備兵よろしく周囲を窺っていた。

「改めて。久しいわね、鳳灯」
「はい。ご無沙汰しております」

互いに顔を合わせたのは、幽州遼西での僅かな時間、ほんの数日でしかない。
それでも、過ごした時間の密度はそこらの友よりも濃いものであったと曹操は思っている。
鳳灯もまた、同様の想いを抱いていた。
以前の世界の彼女と同様に、この世界の曹操も相当に"濃い"。同じ人間なのだから当然といえばそれまでだが、鳳灯は改めて、曹操から、人として将として、そして民の上に立つ王としての格や器のようなものを感じたものだった。

互いが互いを評価し、無視することは難しい人物だと捉え。
だからこそ、今、目の前にいる者をよく知ろうと試みる。

一本だけの蝋燭を間に挟み、ふたりは互いに言葉を交わす。
遼西でのこと、取り入れた治世案のこと、治安の改善案などなど。そういったことを皮切りに、曹操や公孫瓉の州牧としての今後の予想や、呂扶の武才、呂布と華祐の修練風景や、はたまた関雨の給仕姿や酔って暴れる夏侯惇についてなどなど。話題は硬軟を織り交ぜながら、様々なものが挙がる。
そのひとつひとつに、お互い真剣に案を出し合ったり、笑みを浮かべたりしながら。時間は緩やかに過ぎていった。

しばし、まるで手の内を探り合うかのような会話が続いていたのだが。

「さて、鳳灯?」

不意に、話題を切る。
先に動き出したのは、曹操。

「貴女は"此処"に、なにをしに来たのかしら」

なにかを試すような、そしてなにか悪戯を仕掛けるような、笑み。そんなものを浮かべながら、彼女は問いかける。
その問いに、鳳灯は。

「民を、兵を、いたずらに死なせないための根回しに」

先ほどまでと同じような口調で応える。ただ、目には強い力を込めつつ。

これから更に荒れていくであろう、朝廷内での権力争い。その引き金となるのは、時の帝たる霊帝の崩御である。
体調が思わしくないことが公然と囁かれる中、その後を巡って争いが起きることは想像に難くない。
後継者問題という建前をもって、十常侍ら宦官勢と、大将軍何進らの軍部勢が、より激しく対立する。
それぞれが、自分たちの権力欲と私欲を満たすためだけに争うのだ。
私欲に満ちた争い。その過程で散っていく命は、彼らにとって気に留める価値のないもので。
どれだけ死のうとも、将兵は"兵数"が少なくなるだけであり、民草は数さえ数えられることはない。

鳳灯は、それをよしとすることが出来なかった。

「戦を起こさないこと。それが、私の望みです」

考えたことは、高官たちにとっての手足を奪うこと。
戦において、実際に動くのは末端の将兵たちだ。彼ら彼女らが、高官たちの思う通りに動かなければ、戦は起こらないのではないか。

現状を見、推論を重ね。鳳灯、賈駆、そして董卓は、宦官と外戚、両勢力を下から崩すべく動き出す。
表側からは賈駆が、裏側からは鳳灯が、そして地位という権威が必要な場面では董卓が。情を、理を、そして利をもって話し説得を試みる。
裏切れというのではなく、このまま高官たちに従っていればどうなるのか、自分や友人そして家族らのことも踏まえて考えてみて欲しい、と、問いかける。同じように、勢力に関係なく多くの将兵に会っているということも添えて。

朝廷の上層部がどれだけいきり立ったとしても、兵が動かなければ戦にならない。それが両勢力で起きれば、なにも起こらぬまま終わってしまうだろう。
極端にいえば、下につく兵たち全員が武器を取らなければ戦にまでは発展しない。高官たちがどれだけ暗躍しようとも、それが当人たちだけで生き死にを巡っているのならばわざわざ止める必要はない、と、彼女は考えている。
むしろ腐敗した面々が同士討ちをするのであれば、却って手間が省けるとまで思っていた。

もちろん、それをこの場で口にすることはない。
代わりに、問う。
曹孟徳の求める姿を。

「官と、民。曹操さんはどちらを取りますか?」

一拍の間を経て。曹操は応える。

「民を味方につけ、官を取るわ」

自信に満ちた声で。

「今の高官どもは、己の保身ばかりで民をまったく省みず、民が荒んでいる。
それは上に立つ者が持つべき理想、それを生す気概がないからよ。
私は、目の届く限りの民を、私の目に適う姿にしてみせる。そして、いずれはそれを大陸中に広めてみせる」

まず自分の理想ありき。それを現実にすることが、民の幸せに繋がると。曹操は信じている。
傲慢ともいえる思考、その在り方。
だがそれを生し得るだけの覇気も知識も力量も持っている。至らず足りないもがあれば、それを認めるだけの度量も具えていた。

鳳灯も、それは認める。認めている。
しかしその一方で、彼女の覇道に賛同しきれないことも自覚している。

道が交わるなら、共に歩むこともいいだろう。
だが進まんとする道を、あえて乗り換えようとは思わない。

「私は、曹操さんの生き方を否定はしません。
それが最善となる場合も、確かにあることは分かります。
でも」

鳳灯は、未来の覇王を正面から見据え。

「臨む先に害をなすようであれば。私は、貴女の前に立ち塞がります」

自らの在り様を示す。
曹操がなによりも重視する、誇りというものをもって。





「話は、一区切りついたのかな?」

不意に、部屋の入り口から聞こえる声。
夏侯淵が立ち塞がっているはずの戸口から、部屋の中を窺うようにして立つ男性がひとり。

「曹孟徳に向かってこうも啖呵を切るとは、いやいや、いいものを見せてもらったよ」
「女性同士の話の中に割って入るなんて、褒められたものではないわよ?」
「なに。空気を読まない厚顔さは、宦官の得意とするところだからね」

台詞の割には不機嫌さを感じない、曹操の口調。それに軽い調子で答えながら、彼はふたりの下に歩み寄る。

言葉を交わしたことはなかたとしても、朝廷の中に身を置いている以上その顔を知らない者はいない。
蝋燭の灯りに浮かんだのは、宦官勢力の長、張譲の姿であった。

「鳳灯君、だったね。君たちの話に、私も一枚噛ませてくれないか?」



漢王朝、その中枢が、大きく動き出す。













・あとがき
更新に間が開くと、どうも説明くさくなってしまうな。

槇村です。御機嫌如何。




鳳灯がいたために、董卓と曹操が顔を合わせることになった。
鳳灯がいたために、董卓が張譲を斬ることがなくなった。

原作では軽く地の文で流された部分。それが鳳灯の存在によって変化します。

じゃあ、どんな風になるの? というのがこれからのお話。
はてさてどうなることやら。



なんとか、今月中に次の更新をしたいとは思っています。
はてさてどうなることやら。



[20808] 29:【漢朝回天】 臨むモノ 交わる場所
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2011/11/20 18:46
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

29:【漢朝回天】 臨むモノ 交わる場所





会って話を聞いてみたい。そう願っていた人物、張譲。
その取っ掛かりになればと思い臨んだ曹操との会合だったが、まさかその当人が現れるとは、鳳灯も予想していなかった。

そんな彼女を置き去りに、話を進めようとする張譲。
だが鳳灯は無礼を承知でそれを押し留め。

「お話は、董卓さんと賈駆さんも同席してからお願いしましゅ」

と、願い出る。久しぶりに噛みながら。

個人的な思惑はあれど、今の鳳灯は、董卓の客将であり、彼女らの勢力下で動いている。勝手に話を進めるわけにはいかない。
そんな鳳灯の申し出を、張譲は苦笑しながら聞き入れた。

鳳灯は今すぐに、ふたりをこの場に連れて来ることにする。改めて場を用意するよりも、勢いのまま話を詰めた方がいいと判断した。
夜も更け、普段ならば床に就いていてもおかしくない時間だったが。董卓と賈駆は、起きたまま鳳灯の帰りを待っていた。
少しばかりうつらうつらと、董卓が船を漕ぎ出したところに。勢いよく鳳灯が駆け込んで来た。
突然のことに賈駆は目を見開いたが、次いで出た鳳灯の言葉に口まで開いて驚くことになる。

張譲と会談する、今すぐ来て欲しい、と。

寝ぼけ眼の董卓を激しく揺り起こし。
三人は慌てて駆け出す。
といったことは、しない。

落ち着いて、現状の確認と、しばしの作戦会議。
賈駆はそうなった経緯を聞き、鳳灯はそのときの様子を事細かに伝え、董卓は真剣に耳を傾ける。
気を落ち着かせ、頭のめぐりを安定させる。
自分たちの望むもの、そして臨むものを再確認した上で。
三人はゆっくりと、張譲と曹操の待つ部屋へと歩を進めた。目の前に広がる暗がりを恐れることもなく。





新しく蝋燭に火がつけられ、部屋の中の灯りが増す。
居並ぶ顔は、曹操、張譲、董卓、賈駆、そして鳳灯。護衛として夏侯淵と張遼が同席し、部屋の外には華祐が陣取っている。董卓側の護衛ふたりは、急ぎこの場に呼び寄せたものだ。

「まず、このような場を設けていただき御礼申し上げます」

鳳灯が代表して、頭を下げ、礼を述べる。今度は無事噛まずにいうことが出来た。

「先ほど、私にかけてくださった言葉。
一枚噛みたい、というのは、宦官勢力の長としてですか?
それとも、張譲殿が個人として乗り出しているだけなのでしょうか」

第一に、確認を取ろうとする。
彼が鳳灯に近づいたのはどういう理由からなのか。
彼がどのような立場と思惑で動こうとしているのかによって、手を借りた後の対応も変わってくる。董卓陣はそう考えていた。

「半分半分、といったところだね。
君たちに興味を持ったのは、私個人によるもの。一方で、私の思惑に君たちを巻き込んでことを進めようと考えたのは、朝廷の臣たる宦官としてのものだ」

力の抜けた調子の声で、張譲は答える。
それぞれが臨む、在りたい姿と在るべき姿。目的地と細かい部分は違っても、大筋では彼女らと共に歩むことが出来る、と、彼は考えていた。
また彼は曹操の祖父・曹騰の薫陶を受けていることもあり、有能な人物というものに目がない。曹操の人材好きが祖父の影響であるのと同様に、張譲もまたその影響を多大に受けていた。
この部屋に集まった面々に、前途を託す。
そうする価値が彼女らにはある、と、彼は捉えている。

「私ももういい齢なのでね。
目指すところを見極めた上で、後進に後を頼まなければ不安なのだよ」

若い君たちに、我々老人のツケを回してしまうのは心苦しいのだが。
そういってこぼす言葉は、おどけてはいるもの、思うように行かない憔悴の色を持っていた。

これまでの張譲は、同じ宦官という立場の中で出来る限りのことをやって来たつもりではある。だがそれらも、傍から見れば手ぬるいと思われる程度なのかもしれない。ならば外部から与える思い切った行動によって、彼自身では出来ないような変化を求めるのも手であろう。
そう考えての、曹操の招聘であり、突発的に設けた今夜の会談であった。



張譲の思惑は図れないものの。董卓らにとっても、今夜の会談は一足飛びに得られた紛うことなき好機だった。

董卓らが臨む姿は、平穏な生活を営む民たち。
そして。官の位置に立つ者は、すべからく民あっての官であるべし、その逆はありえない、と、意識させることを望む。
その考えの下に、鳳灯が持つ非戦の考えが加わった。
手を取り合った彼女たちが考え、その末に取った行動、それは"中央勢力の実質戦力を削ぐ"こと。
戦力そのものを殺ぐのではなく、自軍高官の下で戦力を振るう意識を減退させることだった。

麻の如く乱れた、世の現状。それらを生した原因の多くが、朝廷内で威を振るう多くの高官にある。
だがその当人たちは、あくまで命を下すだけだ。実際に動くのは、下につく将兵。多くは末端に位置する兵たちである。
如何に諍いの元が燻ろうとも、人が動かなければなにも起こらない。
いくら頭が喚こうが、手足が動かないことにはどうしようもないのだから。
そうすれば、戦など起きない。無用に人が死ぬこともないに違いない。

そんな想いを抱きつつ、朝廷内の勢力図を調べ上げ、行き交う思惑や力関係を探り続けていた。
調べれば調べるほどに現れる、癒着、賄賂、権力を笠に着た横暴の事実。そしてそれらを当然のように行う高官たちの存在。
目を覆うばかりに腐敗した中で、一抹の救いにも感じられたのが、張譲の存在であった。
その目指すところに共感を覚え、自分たちの臨む姿に被らせる。同じ道を歩めるのではないか、そう思うに至った。

だが、それでも。

「私たちも、拙いながらいろいろと調べさせていただきました。ですがそれらも、所詮は人伝のものに過ぎません。
張譲殿から直に、この先になにをお望みなのか、お聞きしたいのです」

鳳灯は、いや、彼女たちは。敢えてその心の内を問うた。



立場から見れば、その物言いは不遜とも取れる。
だが鳳灯は遠慮をしない。こちらから協力を乞うたわけではなく、向こうから係わらせてくれといってきたのだから。その点を突く。
もちろん、鳳灯としては、張譲の助力というのは喉から手が出るほどに欲しい一手。
それでも、押し過ぎない程度に強く出る。不用意に下手に出ないよう、意識する。

そんな鳳灯と相反するかのごとく、張譲の纏う雰囲気は柔らかく自然なものであった。
だがそれは決して、優しく穏やか、という意味ではない。
油断のない、見るものにどこか緊張を強いるような笑みを浮かべながら。張譲は身をよじり体勢を立て直した上で、董卓を、賈駆を、そして鳳灯を見やり。

「私の考える漢王朝とは、例えるなら一本の大樹だ」

落ち着いた声音で、ゆっくりと、噛み締めるように言葉を紡ぐ。

「帝は、根にあたり幹にもあたる。なくてはならない、基礎となるものだ。
それに対して我々のような臣下はどうか。
宦官にせよ将兵にせよ、漢王朝にとっては枝葉でしかない。
代えは利かないが、だからといってそう大事にすべきものでもない」

幾人かが、その言葉に反応する。張譲は手をかざしその動きを抑えてみせ、言葉を続ける。

「帝という、根と幹を基点として、我々のような枝葉が生い茂り広がっていく。
そしてその陰が、地に住まう民たちを、雨風や日照りから守る。
我々のような枝は、帝という根と幹を敬いつつ、出来る限り手を広げ、葉を生み出し、民を守る笠となるべきなのだ。
われわれは民を守る笠として動き続けねばならない。とはいえ、我々もしょせんは人。出来ることにも限度はあろうし、歳を重ねれば衰えもする。使えば使うほど、その笠が傷むことは避けられない。
だが傷むからといって、大事に仕舞い込み出し惜しみをしていては本末転倒だ」

もちろん、傷んだ笠を直しはするし、そのために税やらなにやら、生い茂るに必要なものを地から吸い上げはするがね。
そういって、自嘲するような笑みを浮かべる。

「だが、今、この大樹の高い位置につく枝葉たちはどうか。
実際には、碌に笠の役目も果たさず吸い上げるばかりだ。
地を荒らし、根を腐らせ、幹を細らせる。あげく枝の分際で、幹よりも太くなろうとする始末。
枝が腐りかければ、その影響は葉にまで及ぶ。高官どころか、末端の将兵にも悪影響を及ぼしているのは知っての通り。
雨にも陽にもあたろうとしない。風が吹けばそれを避けようとする。お陰で民は、雨に晒され、陽に炙られ、風に飛ばされる。翻弄されるばかりだ」

結果、なにが起こったか。
黄巾賊を始めとした各地での民衆蜂起。民の生活は更に苦しくなっていき、それが不満となり新たな蜂起を産む。
無理もないとも思う。さもなければ死、だからだ。

「本来、葉は、地に住む民を笠となって守らねばならない。そして枝は、そんな葉を生み続けなければならないのだ。
にもかかわらず、朝廷の高官たちは自らの在り方を省みるでもなく、権力欲と私腹を満たすことに熱心なまま。税が中央まで上がってこない理由を想像もせず、ただただ吸い上げるばかりだ。腐った自分の姿に気付きもせずに。
放置すれば、その腐敗は幹にまで至る。やがて樹そのものが倒れてしまいかねない」

そうなれば、民は更なる恐慌に晒されることだろう。

「腐った枝は切り落とさねばならない。切り落とさねば、新しい枝葉は生えて来ない。
そして新しくならねば、民を、今の苦難から救えんのだ。
私を含め、今、生る枝や葉の多くは、漢王朝という大樹を弱らせている。」

静かだが、熱い想いを込めた言葉。
張譲は息を継ぎ、再びその目に力を込める。

「私の望みは、漢王朝の持続。帝の威光の下に、民の生活に平穏をもたらすことだ。
そのために、腐った枝葉を取り除きたい。そして」

そういって、部屋の中にいるそれぞれの顔を見回し、告げる。

「君たちに、新しい枝となってもらいたいのだよ」



張譲の臨んだものは、いうなれば朝廷内の世代交代である。

彼は、出世や私欲のみを考えるような輩を、宦官外戚問わず裏側から粛清に走る心積もりであった。
威嚇し実行するための軍事力そして軍事的背景として、外戚らが軍閥を招き寄せたことに乗じる形で、張譲は曹操を中央へと招き寄せた。曹操は裏工作といった類のものをあまり好まないのは重々承知していたが、そんな青臭い感情は一切無視している。

この動きが活き、利己的な部分の薄い、目をかけている幾人かの人材に代えられればよし。また彼の命が狙われ志半ばで倒れたとしても、それはそれでいいと、彼は考えていた。
もしも彼が裏で奔走する途中で暗殺でもされればどうなるか。おそらく曹操は、裏を取るべく動き出す。そしてその意図が気に入らないものであれば、全力を持って叩き潰そうとするだろう。実際にそうなれば、気に入ることはないに違いない。

死ぬのであれば、それはそれ、曹操が動く理由付けになる。
曹操がその気になり、朝廷内の粛清に動き出せば、おそらく今よりはマシな官吏に挿げ替えられる。その点では、彼女の見る目というものを信用していた。
自分の死がそのきっかけになるのならば安いものだ。張譲は、本気でそう思っていた。
もっとも、担がれたと知れば彼女は激怒するに違いない。だがそうなったときには彼はもうこの世にいない。手を出せないのをいいことに、墓の下で笑ってやろう、と、張譲は暗くほくそ笑む。

いずれにせよ、彼の中で、自身が漢王朝の礎として倒れることは決まっていた。





「別に漢という大樹を倒そうと思っているわけじゃないのよ」

張譲が語ったものを受けて。曹操は己の思うところを紡いでいく。

「私は、上に立っている人間が無能でなければそれでいい。あまりにも使えない、気に入らない輩が多すぎたから、自分自ら上に立とうとしたに過ぎないわ。
私にとって出世と付随する権力は、手段であって目的ではない。相応の力があってそれを欲するのであれば、いくらでも手にすればいい。私が手にするよりも相応しいと思えば、くれてやるのも吝かではないわ」

もっとも、すすんで手放そうとは思わないけれど。
そういって、曹操は嗤う。一物含むような笑みを浮かべる。

「霊帝が身罷られた後、次帝の後ろから漢をいいように動かそうと考えている輩は気に入らないわね。
腐った奴らにやらせるくらいなら、私がやる。
少なくとも、民が泣かないようにしてみせる気概はあるわ」

本当に、皆殺しにして乗っ取ってやろうかしら。
冗談と言い捨てるには物騒すぎる言葉。
しかし浮かべている笑みを見れば本気と取られても不思議ではない。

「いよいよとなれば、軍部に十常侍、朝廷の上部にいる奴らをすべて断罪する。
その下に就く者たちも、自分かわいさに長けている輩なのだから、歯向かうことはないでしょう。
使えるのならば改めて迎え入れるもよし。それでも好からぬ事を考えるようなら、却って排除する理由になる」

己の為すべき事さえ満足に見出せず、目の前の欲でしか動けない。そんな、己の言動に"誇り"を持たない輩は、彼女には不要であり唾棄すべき存在であった。
その点において、曹操の目指すところは、張譲の臨む姿と重なっている。彼に対して頭を下げるつもりは微塵もないが、世を治める同僚として付き合うことに抵抗を感じることはない。

正直なところ。彼女にしてみれば、張譲ほどに、漢という王朝にこだわる気持ちは強くない。
だが漢という王朝を倒さねばならないという理由もなかった。この朝廷内を組み直すことで凌げるというのならば、それはそれで構わない。曹操は、そう考えていた。

曹操は、人の上に立ちたいのではない。"誇り"を持つ者たちと、魂を高め合いたいだけなのだ。





「私も、地位や権力を望んでいるわけではありません」

董卓はいう。か細い声で、けれどしっかりと力を込めながら。

「私が望むものは、民の笑顔。共感してくれる仲間と共に、それを形にするために働いて来ました。それは、これからも変わりません」

生まれ育った涼州において、一地方の太守であった両親を見て育った彼女。
その治世によって生まれる民の笑顔、それはなによりも得難いものだと捉えるようになり。
やがて世の理と現実を知ることによって、平穏を生むのは上に立つ人間次第なのだということを知る。
両親の跡を継ぐことを決めてからは、優しいだけでは、巡り巡って民に害をなすということを体感し落ち込みもした。

だがそれでも、董卓の目指すものは変わることがなかった。なにかのたびに、どうすればいいのかを悩み抜く。そして、今の自分がなにをすべきかを見出し実践していく。
自らの身を粉にして、民のことを想う領主。
そんな董卓に対して、人々は親愛の情を寄せる。それは通じて、彼女の目指すところ臨むものが伝わっていることに他ならないだろう。

人は利に走る。それは仕方のないこと。よく分かる。民も官も変わりはしない。
ならば上に立つ者は、他の者たちに対して利の部分で納得させつつ、難の出ないように使いこなし御していけばいい。
これは賈駆の主張した方法だったが、心情はともかくとして、董卓も理解は出来る。それで世の中がうまく回っていくのであれば、それでいいと思っている。
そして、争いから目を背け続けるだけではなにも解決しない、時には武力による実力行使がもっとも適切なことがある、ということも理解している。
穏やかな性格ゆえに争いを好まない董卓ではあったが、いざとなれば自ら剣を取り弓を射る覚悟は既にある。

救える者は、出来る限り救う。しかし、救いようのない者を切り捨てることを躊躇わない。





張譲、曹操、董卓。それぞれが臨むものはいささか異なる。
だが。

漢王朝の中枢をなす高官たち、甚だ救い難し。

ただこの一点において、彼と彼女らの意思は交わることとなる。

互いの思惑はひとまず置き、そして、ことによってはそれを否定されることを理解して。
この夜、三者は漢王朝の自浄と再構築を目的として手を組んだ。

ただの権力争いとは違うなにかが、大きく動き出すことになる。














・あとがき
張譲と曹操と董卓が手を組んだら誰も太刀打ちできないのではないか。三国志的に考えて。

槇村です。御機嫌如何。




思惑はどうあれ、張譲と曹操と董卓が手を組んで、死なない程度に腐った輩を追い詰めよう。
そんな一幕を書きたかったわけですよ。
書きたかったわけですよ。

なんだか、うまくいっていないような気がする。
まだ、練り込み考え込みが足りないか。
というか、いくら考えてもキリがないことは重々承知しているんですけどね。
また書き直すかもしれん。なんか短いしな。



次回は、ちょっと幽州勢を書こうかなぁ、と。
留守番サイドが絡んでくる前振りみたいなものを書きたいんだけど。
どうするかはまだ未定。

それにしても、終わりが見えねぇ……。



[20808] 30:【幕間】 北の国から ~遥かなる幽州より~
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2011/03/19 20:29
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

30:【幕間】 北の国から ~遥かなる幽州より~





洛陽で鳳灯があれこれと駆け回っている頃。
幽州に残る彼女の友らは、自分たちの足元を整えることに専念しつつ、黄巾賊の騒乱後に訪れた平穏を満喫していた。



公孫瓉は州牧となり、幽州を一手に統べる長となった。治府の置かれる薊に居を移し、治世を行っていくことになる。
遼西郡・陽楽の民たちは、彼女がこの地を離れることを惜しんだ。
だが太守の跡を継ぐのが公孫越ということもあり、寂しさを見せつつも、皆一様に笑顔をもって公孫瓉を送り出した。
これまでの治世のなす業か。まことに、民に慕われている公孫一族である。

そんな公孫瓉を始めとして、彼女に関連する人々は皆、"平穏を求める気持ち"が押し並べて高い。

「戦なんて、やらずに済めばそれに越したことはない」

好戦的な部類に入る公孫範でさえも、そう考えている。
ましてや、新しく治世者となった公孫越や、鳳灯に大きな薫陶を受けている公孫続、はたまた他の文官ら一同らに至ってはいわずもがなだ。
軍部の存在を否定するかのような考え方だが、かといって将兵たちが萎縮しているというわけでもなく。公孫範を筆頭に、その補助をする形で趙雲と関雨が、日々鍛錬を行いそれを怠ることはない。
むしろ他の地域が抱える軍勢よりも、濃く厳しいものを行っているといっていい。
そうしなければならないほどに、幽州は戦の起こる頻度が高かった。また常に戦を意識しているがゆえに、平和を望む気持ちが高いといえるだろう。

幽州で起こる戦の原因。その筆頭は、漢王朝の力の及ばない地に住まう民、俗に北狄(ほくてき)と呼ばれるものたちに対するものだ。
中でも烏丸族との対立が長く続いている。公孫瓉らも直々に馬を駆り、幾度となく烏丸との衝突を繰り返して来た。
一方で、烏丸の現在の大人・丘力居との個人的な誼もあり、公孫瓉らと烏丸族との関係は比較的良好なものを築けるようになっていた。戦を繰り返すうちに、互いのなにかを認め合うに至った、といったところである。
そんな少なくないぶつかり合いと積み重ねを経て、公孫瓉と丘力居は互いに手を取り合うことになる。

好意的な点とそれ以外の妥協点の模索。公孫瓉にしてみれば、それで争いがなくなるのならばそれに越したことはなく。
丘力居にしても、漢王朝に従うつもりは露ほどにもないが、公孫瓉らと友になることに抵抗はない。
互いに思うところはそれなりにあれど。烏丸族との同盟関係は正式に結ばれた。
ひとまずは遼西郡と結ばれた独自なものとなるが、公孫瓉が幽州牧に就くことによって、後にその関係は幽州全域に及ぶこととなった。

これまでも、治めていた遼西を発端とした治世案軍備案といったあれこれにより牽引していたこともあり。彼女の名は他地方においても広く知られていた。
此度また新たに、烏丸との平和的友好的な関係の維持が新しく謳われる。
これによって、公孫瓉の名はより高く知られることとなり。
彼女は、名実共に幽州を統べる存在となる。





公孫瓉にばかり良い様に進んでいるようにも見えるが、なにも彼女ばかりに都合がいいわけではない。同盟の相手、烏丸族にとっても得るものは多大にある。
丘力居らにとって、この同盟によって得た最も大きなもの。それは鐙だ。

もとより遊牧民としての気質を持つ烏丸族にとって、生活する上でも馬は日常的なものである。
公孫瓉との誼のきっかけになったものでもあり、騎馬に対する興味は甚だ高い。
そんな烏丸族に対し友好の証として、公孫瓉は鐙を送った。
丘力居を始めとして、彼ら彼女らはこれに非常に強く食いついた。

「これはすごいな。騎馬の歴史が変わるぞ」

教えを受け、自らの愛馬に鐙を取り付けた丘力居。いざ乗ってみればこれまで以上に、労少なく意のままに馬を操れることに驚嘆する。

もともとは一刀が、いわゆる"天の知識"によって個人的に作ったものに過ぎなかった。
それを見た鳳灯、関雨、呂扶、華祐の四人が、同じく"天の知識"を用いて本格的なものに作り直し。
更にその完成形を見てやはり興奮した公孫瓉の許諾の下、材質などを再検討した上で量産体勢が組まれ。
あれよあれよとあっという間に、公孫軍の馬すべてに装備させるにまで普及した。
以前の世界で実際に用い、戦場を駆けていた人間が監修した一品である。その有用さは折紙付きだ。
軍秘とまではいわないが、外部への喧伝はされていないので、その存在を知る者は少ない。
それを明かしたのだから、この同盟に対する公孫瓉の本気さがうかがい知ることが出来る。事実、丘力居もその想いに応えようと心を新たにした。
だがそれ以上に彼女は、鐙の性能にご満悦であった。それを使っての馬のあしらい方を早々に模索し出している。

「公孫瓉、素晴らしいなこれは」
「分かった、分かったから落ち着け」

興奮の程を隠そうとしない丘力居。公孫瓉よりも七つは年上であろう妙齢の長髪美人さんが、満面の笑みを浮かべてはしゃぎ回っている。
一族の長がそこまで、と思いもするが。丘力居の供としてやってきた人たちも、鐙装備の馬に乗って全員がはしゃぎ回っていた。

「どこのロデオ会場だよ」

と、思わず一刀は呟いてしまう。もちろん、それを理解できる者は誰もいなかったが。

なお鐙の発案者という扱いをされていることで、一刀もこの場に立ち会っていた。それを知った丘力居が問答無用で抱きついて来て。

「お前、わたしの婿になれ」

情熱的な接吻を一方的に交わすという一幕が起こったりした。
関雨と呂扶がそれに反応。僅かな差で先に動いた呂扶が丘力居に襲い掛かり、馬を使っての鬼ごっこに発展したりもし。
鐙を装着済みだったとはいえ、怒気を露にする呂扶の追跡から、丘力居は愉快そうに笑いながら逃げ切って見せたりもした。
呂扶から逃げ切るほどの技術を引き出すとは、恐るべき順応力。潜在的な力は恐ろしいものがあると、公孫軍らに再認識させた丘力居であった。



ともあれ。
硬軟様々なやり取りを重ねていき、幽州と烏丸族はより厚く友誼を重ねていくことになる。
元より、公孫瓉率いる軍勢は"白馬義従"と呼ばれるほど高名な存在であった。
それが烏丸族との混成軍が作られたことにより、騎馬という軍編成においては、質も量も更に突出したものになっていく。

後に、同じく騎馬を好む将である張遼がこれを見て、

「いやいや、こんなん反則やろ。あんだけの騎馬があんだけの速さと正確さで駆け回ったら、敵さん敵わんで。
というかウチも混ぜろや」

などとこぼしたとかどうとか。



ちなみに。
この友誼の一端として、というよりも一刀絡みで怒らせてしまった詫びなのかもしれないが、丘力居は呂扶に対して個人的に馬を一頭送っている。
彼女曰く、「呂扶ならこいつも認めてくれるはず。気性はともかく地力は随一だ」という。
気性が荒いというよりも、敢えて誰もその背に乗せようとせず靡かないらしい。
そんな馬であったが、いざ呂扶と対面すると、互いに見つめ合い、やがて懐くように身を寄せた。これには丘力居も驚きを隠せなかった。
その場で、名は"セキト"とつけられる。
呂布で馬、といえば赤兎馬だからか? という、"天の知識"ゆえの連想をした一刀であったが。呂扶曰く、「セキトに似てるから」とのこと。
彼は知る由もなかったが、これは、以前の世界において彼女の家族当然の存在であった犬、セキトのことだ。
名をつけたといっても、セキトは決してかの"セキト"ではない。
当然それは分かっているのだろうが、なにかしらの感傷はあったのかもしれない。
後に関雨から、彼女の"家族事情"を聞いた一刀はそんなことを思いもした。

さて。
陽楽から薊に移動するに当たり、呂扶は当然のようにセキトに乗って移動する。
これがまた、水を得た魚といおうか、抑え切れない衝動のようなものが湧き上がったのだろうか、誰も付いて行けない止められないほどの勢いで駆け回る。
それが、向かうべき薊とは違った方向に駆け出したらどうなるか。

「れーーーーーーーーん!!」

あっという間に、彼女とその愛馬の姿は小さくなっていく。
追いつけないのを承知の上で、一刀は馬を駆り呂扶を追い駆けた。
だが馬どころか乗り手の腕にも雲泥の差があるのだから、もちろん追いつけるはずもなく。
たちまち姿を見失い、一刀はひたすら彼女の名を呼びながら走り回るしか術がなくなる。
声を枯らして途方に暮れて、挙げ句、一刀の方がはぐれかけ。それを探しに呂扶が遣わされるという訳が分からない展開になった。
その余りの理不尽さに涙が出そうな彼であったが。

「ひょっとして、俺が却って迷惑かけただけ?」

思わずこぼした一刀の言葉に、傍らの関雨はただ力なく笑うだけだった。
走り出した気持ちは分からなくもないが、考えなしだったことには変わりない。
なんともいえない関雨だった。





軍の修練においては、一刀曰く"鬼軍曹"振りを発揮している関雨。これは薊に移ってからも変わることはない。
大の男が泣き喚くことも一度ならずあるという、キツい内容を課す彼女であったが。そうする理由はもちろんある。

以前にいた世界で起こった、袁紹による幽州の併呑。それに伴う公孫勢の崩壊。
これを防ぐことが、関雨の臨むもののひとつだからだ。

いざそうなったときのために、対抗出来るだけの戦力を蓄え、その質を少しでも上げる。そのための労など惜しまない。
平穏を望みはするが、だからといって武力を忌避するわけでもない。そんな公孫軍の気質は、関雨にとってとても好ましいものだ。
ゆえに、彼女の"鬼軍曹"ぶりにも力が入る。将兵たちも、武力と兵力の後ろ盾があってこその平穏であることを理解しているがために、その底上げを促す修練に対しても、いいたいことは多々あろうがしっかりとこなしている。

公孫軍の地力向上は、関雨にとって実にやりがいがあり。彼女の日常は実に充実していた。



そんな関雨であるが。修練中の厳しさを持ち越すかのように普段から身を引き締めている。
怖いということはないにしても、迂闊に近づくことが躊躇われるような、そんな雰囲気を常日頃から醸し出していた。
だがそこがいい、痺れる憧れる、という者も多く存在する。
言動にブレを見せないその心の在り方に憧れ、男女を問わず、華祐とはまた違った人気を公孫軍の中に築いていた。

凛とした佇まいが時折崩れるところも、また人気を集める理由になっている。

関雨の佇まいを崩す存在、というのは限られている。
筆頭に、趙雲。時折、公孫瓉。さりげなく華祐、鳳灯。そして、北郷一刀。

趙雲は、なにも関雨に限らずとも、すべての公孫軍将兵にとっての天敵であるといってもいいだろう。主に精神的な理由で。
実に巧みに、思考の死角から突いて来る精神攻撃。ひとつひとつは大したことのないものであっても、確実に心の柔らかいところを撫で上げて来る。
槍で突かれた方がマシだ、と心から叫ぶものも少なからずいる。だがそれでも然程憎まれないというのは、趙雲の性格ゆえの人徳なのか。弄られた方もなぜか憎みきることが出来なかったりする。上司であろうと同僚であろうと部下であろうと、その接し方が変わらない辺りがキモなのかもしれない。

公孫瓉は逞しくなった。主に精神的な意味で。
これまでの彼女は、ただ趙雲に弄られ続ける立ち位置にあった。
臣下将兵その他の面々にも通じる共通の認識だったのだから、よほど繰り返し弄られ続けて来たのだろう。
だが関雨の登場によって、公孫瓉は、趙雲の補佐的な位置で他人を弄るという技術を取得している。彼女自身が意外に思うほどに、その才を見事に花開かせていた。
もっとも、弄られる関羽にしてみればたまったものではないが。
周囲の目から見ても、公孫瓉と趙雲の組み合わせによる弄りは相当に強力なものらしく。
ふたりの世間話に口を挟むときは気をつけろ、という、暗黙知が広がるほどであった。
その辺りから心の余裕でも生まれたのか、普段の治世や業務にも、締めるところは締めつつも肩に力を無駄に込めない姿勢が表れている。
誠に、なにが幸いするか分からないものだ。
幽州の平穏に一役買っているのならば、弄られる関雨にしても甲斐があるというものだろう。

華祐と鳳灯はいわずもがな。今は共に幽州を離れているとはいえ、本当の意味で心を許す友である。いい意味で油断してしまう。
意識を張り詰め緩ませようとしない関雨が、鳳灯や華祐を相手にしているときに、ふと、素の顔を見せることが多々あった。
それがまた、普段の彼女の印象の格差を生む一端となり。"鬼軍曹"振りは敢えて憎まれようとしているのだ、といった思いを将兵に抱かせるようにまでなる。
与り知らぬところで信用度信頼度が上がっていることを、もちろん関雨は気付いていない。

そして、北郷一刀。
関雨に対して、印象の格差というものを生む人物としては最も大きな存在である。
彼女は類まれなる才を持った、幽州が誇るべき将のひとりである。少なくとも、関雨を慕う将兵らはそう信じている。
そんな彼女が、傍から見て分かるくらいに好意を向けている。
かつては少なからず隠す素振りを見せてもいたが、いつからかそういった抑えが見られなくなっていた。
嫉妬する者も中にはいたが、それ以上に"なぜ彼なのか"という点に疑問を持つ者が多かった。
傍から見れば、彼は料理人でしかない。ただの、料理人である。多少は武が立つといっても、しょせんは一般兵の目からみての"多少"でしかない。

彼女が一刀に向ける感情、好意。そこに至るまでの気持ちの経緯や、彼と彼女らの底にある共有点など、そういったものに気づくことはない。思い至ることは決してない。だからこそ、疑問に思う。
分からないなら知ればいい、とばかりに。一部の将兵は、関雨と一刀の観察に走ったり、はたまた彼の店に入り込み内情を知ろうと動いたりした。
まず前者。すでに知られていることだが、関雨は一刀の店の手伝いをよくする。そのときの彼女はウェイトレス姿である。そんなものを目にして遠目に観察などで満足できるはずもなく。観察に走った者は早々に店内へと突貫していった。
そして後者。前者も含めて店内に入り込んだ者たちは、まずは普段と違う関雨の姿に目を楽しませた後、運ばれた料理に胃を掴まされる。

これは美味い、と。

いつしか関雨そっちのけで食べることに集中し。一息つくと関雨の姿を目にして心を潤す。彼ら彼女らは、そのとき至福を感じていた。

彼が提供する、食事、酒、つまみ、そして空間などなど。その味と目新しさに気を取られ、自然とまた足を運ぶようになり。
気がつけば、彼の料理とその人となりを受け入れていることに気がつく。

ヤツは人誑しだ。

誰がいったかは定かではないが、その評価は概ね正しい。挙げ句それさえも、まぁどうでもいいか、と、思わせてしまうのだから相当だ。
そんなことが繰り返され。いつの間にか一刀の店は、公孫軍の将兵たちがたむろする場所になっていた。
気がつけばそんな状況になっていることに、一刀自身はいぶかしみながらも深くは考えず。
繁盛するならそれでいい、と、今日も料理作りに励む。
そしてまた、胃袋から人の心を誑し込んでいくのだった。





一刀の店が売りにしている物は、もちろん料理だ。
だがもうひとつの名物といっていいもの。それは、関雨の給仕服、ウェイトレス姿である。
これがあったからこそ、将兵たちがたむろするようになったといっても過言ではない。
とはいえなにも男性ばかりが注目しているわけではなく、意外と女性客にも好評である。
キレイなものカワイイものに興味を持つ、という意識は、どの時代でも共通するものなのだろう。

一度だけ、興に乗った趙雲が戯れに、関雨のウェイトレス服を身に纏い店内に立ったことがあった。
好んで着る物から白や蒼という印象がある趙雲だったが、このときの彼女が纏う雰囲気はまた違ったものがあった。
黒を基調とした全体のシルエット。ブラウスの白が胸の部分だけ強調する一方で、腰に巻かれたエプロンが緩みを許さないとばかりに見た目を引き締めている。また普段とは異なるロングスカートの裾を翻す様は、どこか落ち着いた清楚さを醸しながらもなにかを開放しているかのようにも見えた。
そんな予想を超えた変身を見せてくれた趙雲に対して、一刀は思わずサムズアップ。非常に満足する。
またその日の店に訪れた客たち、ことに修練明けに屯する公孫兵に多大な衝撃を与えた。皆軒並みサムズアップである。足に纏わり付く布に慣れず、戸惑いながらロングスカートを押さえる様などは、男どもにとって非常に眼福な光景であった。普段の彼女の言動を知るならば尚更である。

だが、彼らにとっての天国はここまでだった。
関雨の真似事とばかりに、料理を運び、注文を取り、店内を歩き回る趙雲。
そのうちに彼女は、思わし気な流し目をやりつつ、余分な注文をせびり出した。

「この酒など、私、興味があるのですが」
「ここのメンマは絶品ですぞ、なんにでも合う、是非」
「ふふ、いい飲みっぷりですな、ぜひともお相伴にあずかりたいものだ」

主に酒を、そしてつまみを所望する。
そんな言動を見た一刀などは、「どこのキャバクラだよ」と突っ込んでしまったが。もちろんその言葉の意味を解する者はいない。

だが気をよくした男どもは、趙雲のいわれるままにあれこれ振舞いだす。趙雲の掌で踊るばかり。実に悪女である。
ひとしきり騒ぎ楽しんだ彼らは、会計の際になって一様に顔色を変えることになったのだが。
申し訳なさを表情に乗せつつも背後に呂扶を配し、きっちり請求する一刀。
彼を前にしてどうすることも出来ず、みな素寒貧になって店を去っていった。その後しばらくの間、この店に近づくことはなかったという。

これはなかなか楽しいですな、と、妙にやる気を出していた趙雲であったが。以降、一刀は趙雲の手伝いの申し出を頑なに断り続けている。
店の風評に係わる、ウチはキャバクラじゃない、というのが彼の主張する理由であった。
最後まで、キャバクラという言葉は誰にも解されなかったが。





丘力居から馬を譲り受けてからというもの、呂扶は、セキトと共によく遠乗りをするようになった。
関雨や趙雲なども時折同行することもあったが、彼女がことに誘い出すのは一刀であった。
彼にしてみても、薊に移動する際に置いてきぼりにされた記憶が甦り、馬術を習いたい気持ちもあって極力付き合っているのだが。
やはり店を構える人間である以上、そうそう町を離れるわけにもいかない。

呂扶の誘いを断る。そのときの彼女が浮かべる哀しげな表情などが、一刀の心の柔らかい場所を問答無用で突き抜く。
目に見えない痛みに悶えること必死なのだが、だからといって店を放り出すわけにもいかない。二律背反に苦しみながら説得を試みる。

「いいかい、恋。
恋と遠乗りに出るのは楽しい。俺だって出来る限り付いて行きたい。
でも、俺には店がある。そう度々、店を空にするわけにもいかないんだよ」

優しく、それでも毅然と、彼は彼女にいい含める。

「俺の料理を楽しみにして、お客さんが俺の店に来てくれる。
想像してみてごらん? 恋が食事をしようとして、そのお店が休みだったらどう感じる?


そしてそれが何日も続いたら、恋のお腹はどうなる?」

自分自身に置き換えるようにして、自分のすることがどんな影響を及ぼすか。彼女に説いてみせる一刀。
残念がりながらも、呂扶は納得してくれたようで。
それ以降は無理に誘い出すこともなくなり、単身、周辺を駆け回るようになった。

聞き入れてくれた呂扶に安堵を得ながらも、どこか寂しい気持ちが沸き上がる。
難儀なものだ、と、一刀はひとり苦笑いをしたりする。





薊に異動するに当たって、関雨は正式に公孫瓉に仕えることとなった。
客将というこれまでの立場から、名実共に直属の臣下となる。公孫軍の面々はこれを大いに歓迎した。

だが、これを受けて少しばかり躊躇した人物がいる。
誰であろう、公孫瓉その人だ。

勢力の長としては、関雨の正式な仕官は諸手を挙げて歓迎すべきことだろう。
だが公孫瓉個人の想いとしては、即応することに躊躇いを感じていた。

「本当にそれでいいのか、関雨」

正式な仕官を申し出ると同時に真名も預けた関雨。
そんな彼女を前にして、敢えて真名を呼ばずに問いただす公孫瓉。

「自分でいうのもなんだが、私は自分の器のほどを弁えているつもりだ。
関雨、お前が恭順の意を示してくれることは素直に嬉しい。
だがお前は、私程度の輩に従って、その才を発揮できるのか?
お前の才は、それで満足できるのか?
ことによっては、お前は幽州の地で埋もれることになる。それでいいのか?」

関雨の中での、公孫瓉の人となり。
締めるべきところはしっかり締めるが、案外ヌケているところがある。そしてなにより、お人好し。そんなところだった。
この応対にしても、彼女のお人好しなところが見て取れる。

自ら仕えようとする将を前に、その意気を挫きかねないことを問う。
有能な人物を自ら抱え込もうとするのではなく、その才をもっと活かせるところがあるんじゃないのか、と。
名の知れた勢力の長としてではなく一個人として、公孫瓉は、関雨の立つべき場所を案じてみせる。
お前ほどの将が、自分如きに仕えて満足なのか、と。

以前の世界での"白蓮"、そしてこの世界での公孫瓉と、共に接して感じられた人となりに齟齬は見られない。
となれば、こういった類のことをいってくるだろうと。関雨は予想していた。

「あまり、ご自身を卑下なさらない方がよろしいですよ?」

とはいえ実際に耳にしてみると、そのあまりといえばあんまりな聞き様に苦笑を禁じえない。
自分から仕えたいといっているのだから、素直に受け入れてくれてもいいではないか、と。

「これより先、戦乱の時代がやってくると思います。朝廷や司州どころか、この幽州にまで戦禍は広がってくることでしょう。
その中にあっても、私は死ぬつもりはありません。生き抜いてみせるつもりです。
戦は、いずれ終わる。戦乱の中を駆け抜けた後、どうするのか。
私は、"普通"に過ごしたい。
そしてそれが成るならば、おそらく、戦乱の時代よりも長い時間を"普通に"過ごすことになると思います」

要は、誰と共に長い時間を過ごすか。今の関雨は、そこに思い至る。
今の彼女にとっての第一は、一刀。そして鳳灯、呂扶、華祐の三人。それに次ぐのは、公孫一族、そして幽州の民だ。
望むものは平穏。ならばそれを求める者と共に歩もうとするのは当然のこと。

「貴女は、永く共に過ごすに値する人物だと私は思います。
そして共に泣き、笑い、汗をかいていきたいとも、思わせてくれます。
主従がご不満であれば、同じものを臨む友として、傍にあろうと」

州牧という身分にある公孫瓉。共に歩むのならば主従と形になる、とばかり考えていた彼女にとって、その申し出は予想の範囲外のものであった。
共にいて欲しい、しかし関雨の才は自分にはもったいない。そんな思いの板挟みにあった公孫瓉に対して、受け入れやすい、それでいて断りにくいようないい方。
それが関雨の気遣いであることが察せられて。思わず公孫瓉は笑ってしまった。腹の底からおかしく、涙を流すほどに。
やがてその表情は、可笑しさよりも嬉しさの色に変わり。
公孫瓉は、関雨と同じ高さに立ち。その手を取る。

「真名は、白蓮だ。私の足りない分は、遠慮なく頼ることにする」

頼りっぱなしにならないよう、努めることにするよ。
そう告げる公孫瓉は、関雨の目にはまったく変わりがないように見えて。
しかしどこか頼もしくも見えた。



関雨は思う。かつての自分は、主従、という形にこだわっていたのかもしれないと。
それは転じて、自らが臨むものが見えていなかったがために、それを他に依存しようとしたことに繋がる。
そんな彼女の前に現れたのは、劉備。
彼女の在ろうとした姿は関雨にとって眩しいもので。自分を賭けるに値する理想像として、それを掲げる劉備を主と仰ぎ、彼女の矛となり盾となり戦乱を駆け抜けた。
それが間違っていたとは思わない。ましてや悔いているなどということは断じてない。その頃の自分があって初めて、今の自分があるのだから。

なんの巡り合わせか、新たに武を振るう場を得た。この世界で、自分はなんのために武を振るうのか。
誰かの想いに従い再び駆けるか? だがその気持ちは既になりを潜めている。
自ら立つ? そんな気概は起きないし、将にはなれても主の器ではないと思っている。

ならば、自ら思うところを御旗として、下に立つのでもなく、上に立つのでもなく、その者の横に立つ。
言葉遊びの類かもしれないが、関雨の意識の上では、そんな例えが最もしっくりときていた。

そして、いずれ青龍刀を置くことを臨み武を振るうと決めたことに、我がことながら驚いた、と。
新しい、主君であり友でもある者を得た関雨は、嬉しそうに語る。

一刀はそれを聞きながら、おぼろげな"天の知識"を思い返す。
三国志正史において、公孫瓉という人は有能な人材を周囲に置こうとしなかったという。
それは有能な人材を嫌ったのではなく、ひょっとして、有能であるがゆえに自分の下を去らせたのではないだろうか。
幽州で燻るのではなく、お前にはもっとその才を生かすべき場所があるはずだ、と、発破をかけて。
もちろん、その真意は分かるはずもないし、測る術もない。
だがこの世界の公孫瓉は、今回の件を聞く限りにおいては、自分よりもいい主君が居るはずだ、と、相手の才を慮っている。

「例えそうだったとしても、やっぱり公孫瓉様は向いてないね」
「そうですね。失礼ながら、王という印象は持てない」
「でもあの人はもっと、がっつくべき立場のはずだよ」
「しかしこの時勢に、あのような人はなかなか貴重ですよ?」

確かにそうだ、と、彼と彼女は笑い合う。
仮にも、自分の仕える主君と、自ら居を構える地の長に対する寸評。あまりといえばあんまりな物言いではあったが。
その笑いは、混じり気のない、好意の色に満ちていた。





「関雨に対して、お前はどう思っている?」

その日の業務も一通り終えた後、公孫瓉は、酒を付き合えと趙雲を誘っていた。
珍しいこともあるものだと思いながらも、趙雲に断る理由などなく。喜んでお付き合いしましょうと、ふたりは互いに杯を傾け合い雑談に興じる。
しばし時間が過ぎた後、これが本題だとばかりに、公孫瓉は切り出した。

「あいつを客将に迎える際、お前はあいつを否定していた。
そんな関雨が正式に私に仕えるようになって、お前はどう考えているんだろう、と思ってな」
「なるほど。お心遣い、痛み入りますな」

彼女らしい気の使いよう。その相変わらずな様に、思わず趙雲は笑みを浮かべる。
その口元を杯で隠しながら、彼女はしばし考えをまとめる。

「ふむ。確かにあのときは、関雨殿のことは気に入りませんでした。
才はあるにもかかわらず、その基点となるものがぶれていた。そのように不安定な将の下で、戦働きなど出来はしない。そう思いましたからな」
「なら今は、どうだ?」
「今の関雨殿、いや、もう愛紗殿と呼んだ方がいいのでしょうな。
今の愛紗殿ならば、自分の背を預け、戦場を共をするに異存はありません。理由はともあれ、武を振るう切っ先が鈍らなくなった。
そうなれば私としては、武人として認めるどころか、教えを請うことにもなんの痛痒も感じませぬ。
兵を率いる将としても、鍛え導く者としても、あれほどの御仁はそう現れるものではない。なにをしてでも引き止めるべき人物でしょうな」

なのに貴女はわざわざ放出しようとする、なにを考えているのか。
趙雲の目はそう語っていた。公孫瓉にもそれは重々読み取れている。

「いや、そうなんだけどなぁ。
分かるよ、分かる。お前がいいたいことも、本来私がすべきことも。
それでもな、もったいないと思うんだよ」
「己を知る、というのも、程度の問題だと思いますが」
「そうはいうけどな趙雲。私の指揮で関雨が戦働き、なんて想像できるか?」

絶対持て余すぞ、と、悪い意味で自信満々にいい切る公孫瓉。
実際にはすでに何度も、将のひとりとして関雨を戦場で使っている。それでもなお、使いこなしている実感が得られないと彼女はいう。

「まったく。もっと真っ当な意味で自信を持てばいいものを、逆の意味で胸を張ってどうなさる。
そんなことですから、いいように弄られるのです」
「いや、それは関係ないだろ?」
「関係ありますな。隙を突かれるという意味で」
「じゃあ愛紗はどうなる」
「彼女は別です。どれだけ気を張っていても弄りやすい」
「まぁ私でも弄りに参加できるくらいだからなぁ」

意識してのことかは分からないが、話の矛先が微妙にずれる。
酒を飲むにも美味しくなくなりそうな流れでもあったため、ふたりは強いて戻そうとは思わない。

「それにしても。今まで弄られるばかりだった私が、まさか弄る側に回るとは思いもしなかった」
「意外な才能の発芽、という奴ですな」
「同じ才能なら、もっと違うものが芽吹いて欲しかったけどな」

ひとしきり笑った後。
声色を改めて、公孫瓉は呟く。

「あいつらは、不思議だ」

特に、鳳灯と、関雨。

まるで自分のことを古くから知っているかのように、意思の疎通を図り、最善となるものを与えてくれる。
そして此度、主君としての器の小ささを自覚する公孫瓉に対して、器の大きさなど関係ない、武を振るう形はなにも主従ばかりではないといってのける。
事実、その言葉のお陰で、公孫瓉は関雨を手元から離さずに済んだ。
州牧としての彼女は、その事実にひどく安堵を覚えている。
一方で、彼女個人としては、この上ない喜びを感じていた。今の自分を肯定してもらえたことが、嬉しかった。

「主従が嫌なら友として傍に置け、といわれたぞ。
そこまでいわれて突き放したら、どれだけ人でなしなんだと思われるか」

これって結構ひどい話だよな。
くっくっ、と、肩を震わせて笑ってみせる公孫瓉。だが俯いた彼女の表情は、窺うことは出来ない。

そんな姿を見て。
趙雲も、魔が差したのかもしれない。

「確かに、より高みを目指そうというのであれば。伯珪殿は、主君としては物足りないかもしれません」

つい、口に出た言葉。
だがもう、それを戻すことは敵わず。

「ですが、友として、共にあろうとするならば。
……伯珪殿は、十分なものをお持ちかと。それは私も保証しましょう」

二度といいませんからな。
最後に小声で、なにかを誤魔化すかのように呟き。照れ隠しなのか、手にした杯を一気に傾け飲み干してみせる。



そんな、らしくもない彼女の言葉を受けて。沈黙。
公孫瓉は、真剣な表情を趙雲に向けていた。

「……どうされました」
「なぁ、趙雲。お前は、どうなんだ」

思えば長い間、客将として公孫瓉の下にいる趙雲。
主君ではなく、ひとりの武人として、なにより友として。公孫瓉は問いかける。

「お前の槍が求めているものは、幽州にあるのか?」

ふたりの間に、沈黙が流れる。
だがそれは決して、苦しく感じるものではなく。

聞こえるものは、時折触れる杯の音ばかり。新しい言葉もないままに、その夜は更けていった。





慌しい日が続いた、ある日。遼西から、幾ばくかの護衛を伴い公孫越がやって来た。
薊にある政庁を訪れた彼女は早速、公孫瓉に面会を請う。

「ご無沙汰してます、瓉姉さん」
「よく来たな、越。確かに久しぶりなはずなんだけど、なんだかそんな気がしないな」

姉のそんな言葉に同意しつつ、公孫越は笑みを浮かべる。

太守就任と同時に、引継ぎや周辺地域への対応などのあれこれをこなしていた公孫越。それらも一区切りつき、烏丸族との同盟も周知のものとなった。
そこで、朝廷に対して烏丸との現状の報告と合わせて、遼西郡太守就任の挨拶に、と、彼女らは洛陽へと赴くことにしていたのだ。

現在、中央がキナ臭いことになっていることは十分に承知している。だが漢に仕える者として、こういったことをないがしろにすることは出来ない。かといって、代理のものを遣わして済ませられることでもない。
結局、公孫瓉と公孫越のふたりが直接、洛陽に赴くことになるのだが。

この律儀さが、中央の騒乱に巻き込まれるきっかけになるとは。ふたりは想像もしていなかった。













・あとがき
舞氏に感謝の念を送りつつ。

槇村です。御機嫌如何。




白蓮さんにフラグ立ちましたー。
それにしても白蓮さん、前に出すぎじゃね?


ひとまず、洛陽に絡む前振りを書きたかった。
ちなみに上洛する面子は、白蓮さん、星さん、それに越ちゃんです。
愛紗さんはあれだけやっといてまたお留守番。不憫な。(お前がいうな)



今回のお話は、小話をいくつかまとめたような体裁。
実はもう二つくらい入れようとしたネタがあったんですけど。
長くなりすぎるのでカットしました。
個人的にすげぇ残念。
一刀と恋さんの出番が中途半端なのはそのせいです。無理に入れると流れが滞ると判断した。

それにしても、今回の幕間は妙に書きやすかった。
また洛陽編なんだぜ。
もっとテンポよくしないとなぁ。





当方の安否に気を揉んでくださった方もいらっしゃったようで。ありがとうございます。
東京在住の槇村は、これといった被害を受けておらず。すでに日常モードに入っております。

今の槇村には、花粉のせいでハナが止まらない方が辛いです。



[20808] 31:【漢朝回天】 この道は何処へ
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2011/11/20 18:46
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

31:【漢朝回天】 この道は何処へ





霊帝の体調が思わしくなく臥せっている。
原因は不明。症状の程が詳しく知らされることはない。

だがそれもしょせんは表向きの話。宦官外戚ともに、主な高官らは詳細をしっかりと掴んでいる。
朝廷中央に係わる者たちにとってみれば、皇帝の症状がよろしくなく改善が見込めないことは分かっていたことだった。そこに悲しみはあっても、驚きはない。
だがこの洛陽という地の中では、霊帝に近しい者ほど、悲しみの程度が浅い。唯一といってもいい例外は張譲くらいである。漢王朝に身を捧げている彼にしてみれば、この事実と現実に、身を引き裂かれそうな思いを感じる。
彼とて、皇帝こそすべてとまではいうつもりはない。
だがその存在如何で、世の中がどれだけ揺れ動くか。それを民の視点から見る者が皆無である現状を嘆かずにはいられない。
反面、その状況を作り上げたのは、他ならぬ彼ら宦官たちなのだということもまた事実であり。張譲は内心忸怩たるものを抱えている。

「腐った輩を燻り出すに、確かに好機ではあるのだが」

霊帝の崩御までもう時間はない。崩御と共に、宦官と外戚による、後継問題という名の権力争いが表面化するだろう。
漢王朝の忠臣として、歓迎する気持ちと、歓迎できない気持ち。彼の心中は千々に乱れていた。



張譲が抱いていた悪い予想。これは裏切られることなく、朝廷内に蔓延る高官たちは活発に動き出した。
崩御のときを待つまでもなく、自分の懐と権力欲をより満たさんと、私欲丸出しの権力闘争が目に余るようになった。
これまでもそういった諍いは数多くあったものの、曲がりなりにも表に表れないよう隠密裏に行われていた。それが今や隠されることもなく大っぴらになっている。現状はまさに、腐敗、というに相応しい状態であった。

張譲は漢王朝を大樹に例えた。帝を頂点として、仕える臣たちはすべて、枝であり葉であると。
彼が曹操を手元に呼び寄せ行おうとしたことは、その枝の腐った部分を切り落とすこと。そして新しい枝を接ぎ、漢王朝を新しく大樹として形作ることである。

そんな彼が、新たに董卓と手を組んだ。
彼女らに求めたことは、落とす枝と共に巻き込まれる葉を拾い上げること。
枝の腐敗が及んでいない葉、すなわち私欲に駆られない将兵たちに新たな恭順を促すことだった。
これはもともと、賈駆と鳳灯が陰で行っていたことと変わりはない。ふたりを筆頭にして、董卓軍の文官たちは、朝廷内のみならず洛陽中を駆け回っている。

乞われるまでもなく進めていた独自の策、末端将兵らの懐柔。短い時間ながらもその成果は確実に現れていた。
話を持ちかけた賈駆や鳳灯らが驚くほどに、彼女らの思惑に乗って来ている。少なくとも、盲目的に高官らに従うような将兵の数は減って来ている。

彼ら彼女らと接して分かったこと。それは末端に近ければ近いほど、いざというときに自分たちは使い捨てにされることを理解出来ていたということだ。
洛陽に詰める兵、といえば、ただの民草からみれば相当な身分にあたる。だがそれでも実際は、高官たちに扱き使われ、悪し様に扱われているのが現状なのだ。それが結果としてためになる行いならまだしも、所詮は己の私腹を肥やすことに熱心なゆえのものなのであると知ればどうなるか。将兵たちの心も離れていくのも、無理からぬことだろう。





権力争いはどうしても起きる。
今この朝廷中枢に居座る歴々の考え方、これらを変えることは難しいといっていい。困難という言葉では表せないほどの時間と苦労が必要になるに違いない。
ゆえに、当の高官たちを変えようとはしない。賈駆と鳳灯は外堀を埋めていく。

彼女らが目指すものは、権力争いにおける"実質的な諍い"を出来る限り起こさないことだ。
つまりは、ことが起きた際に、将兵が動かないようにする。
洛陽で上に立つ輩の大多数は、命令を口にするだけで、実際に身体を動かすわけではない。実働隊である将兵が動かないのであれば争いにもならない、

鳳灯は、自身がかつていた世界の歴史を反芻して考えてみる。

何進が兵力を嵩に無理を通さなければ、宦官も不必要に反発しないだろう。
反発心が高まらなければ、宦官も実際に動き出すこともなく、何進の暗殺といった行動に走らないのではないか。
何進が暗殺されなければ、袁紹も宦官虐殺など起こさないかもしれない。
宦官虐殺が起こらなければ、洛陽も混乱せず、董卓が相国という地位にまで上り詰めることもなかったろう。
そして、反董卓連合などが組まれることもない。

しょせんは、鳳灯がひとり頭の中で考えたものだ。想像の域を出ることはない。とはいえまさか、賈駆に意見を聞くことなど出来はしない。
だが大枠を示すことは出来る。詳しいところをぼかしつつ、これから起こるであろう可能性として予想図を描いてみせる。その上で意見を戦わせつつ。董卓と賈駆、鳳灯は、臨む未来図を具体的にしていった。
その結果立てられた策が、末端将兵らの懐柔及び意識改革である。



賈駆に示したように、鳳灯は、張譲にも未来の予想図を展開してみせた。
多く推測が混じるものではあったが、それは彼にも十分にありえる未来だと思える。いやむしろそうなる可能性の方が高いだろうと結論付けた。

ならば特に付け加えることはない。これまでとやって来たように、董卓勢の文官たちは、武器を持たずに戦を止めるべく、奔走する。

賈駆や鳳灯らは、末端から中堅までの将兵たちに接触する。
そこでするべきは説得ではない。未来を予測させることで、現状が導く将来に自ら気付かせることが目的になる。
賛同を求めるのではなく、このままでいればどうなるのかを説き、それでいいのか、そうなったときにどうすべきなのかをいい含めるのだ。

もちろん、彼ら彼女らにとって、賈駆や鳳灯の言葉に強制される謂れはなく、従う義理もなにもない。
だが、いっていることの辻褄と、そうなった際の利益不利益は理解出来ていた。
そして、ただ上からの命令ばかりではなく、自ら考え動くことを覚える。
各々が自分の頭で行動を考え出す。上部への不信感が元となるそれは、いざというときに将兵の動きを鈍らせる棘となるだろう。

ふたりの行動を不審に思う者もまた、当然いる。
中には注進に及ぶ者もいる。だが高官たちはもともと下部将兵たちを歯牙にもかけていないのだ。それが好意と忠誠から来る進言であっても取り合おうとはしない。
そうした対応を取られることで、高官側に立っていた者たちにも不信感が生まれる。更にまた、有事にあって動きを鈍らせる枷が生まれることになる。

仕込みだけで今は十分。賈駆と鳳灯はそう考え、少しでも多くの将兵に語りかけて行く。



ふたりの暗躍を隠すかのように、表立っては張譲と董卓が動く。

外戚派にあたる董卓が、張譲と顔を合わせる。これは同じ外戚派である何進らに在らぬ疑いを持たれかねない行動だ。
だが董卓は、張譲と同じくらいに何進とも面通しを請うことで、釣り合いを持たせている。
名目としては、洛陽及び朝廷を守る西園八校尉として各所に顔をつないでおくことは重要なのだ、という理由。
だが何進を始めとした高官たちは、それを素直に受け取りはしない。宦官外戚両方に取り入ろうとする田舎太守ではないか、と、董卓のことを捉えている。

この誤解自体が、彼女らの狙いでもあった。
自己保身に長けた人間にとっては、欲のない行動よりも、なにか裏を感じさせる行動の方が理解しやすい。
それゆえに、彼女の行動を勝手に解釈し、自分の判断であるがために納得する。
彼ら高官の中で、董卓は"強者になびこうとする小物"という評価がなされ、それ以上取り合われることがなくなった。

「ちょっと待ってよ。そんなの、月ひとりが小悪党みたいじゃない!」

当初この案には賈駆が強行に反対した。
曰く、親友の印象がそこらのクズと同じになってしまう、そんなことは耐えられない、と。

だがこれによって、宦官と外戚の両方から目をつけられにくくなり、それでいて朝廷内の深いところまで入り込むことが出来、それなりに重要な話を耳にし口にしても不自然ではないという、実に動きやすい立場を得ることが出来る。
鳳灯と董卓はその利点をもって説得を試み、しぶしぶ賈駆を承諾させている。
理解は出来ても、納得は出来ない。内心を隠そうとしない賈駆に、ふたりはついつい苦笑を漏らした。

そんな経緯はあったものの。
高官たちの思い込みを利用することで、董卓は、堂々と張譲に会うことが出来るようになり。通じて、賈駆と鳳灯も彼と会うことが容易くなる。朝廷の内情や、下部上部の動きや考え方の変化などを絡めつつ、話し合いを行うことが多くなった。
蜜に意見を戦わせつつ、朝廷内を満遍なく工作していく。
張譲によって宦官勢の高官層に、董卓によって各派の中間層に、そして賈駆と鳳灯によって下位将兵らに、相手の人となりを留意しながらそれぞれ働きかける。
宦官の長たる張譲の手引きによって、董卓一派は想像する以上に広く深く、自由に動き回っていた。





軍部の長、大将軍である何進に付き従う勢力として、最も近しい場所に立つのは袁紹である。
だが彼女とて、唯々諾々と頭を垂れているわけではない。むしろ胸中は屈辱と怒りに煮えくり返っている。

名家として名高い袁家、それを誇りとしている袁紹。
彼女にとって、賄賂によって成り上がった庶民としか捉えられない何進の存在は、どうしても相容れられないものだった。
それでも、漢王朝に仕える者として、仮にも大将軍である何進の命に従わないということは出来ない。それは家名を汚す行為に他ならないからだ。

彼女の幼馴染でもある曹操は、そんな心情が手に取るように分かった。
家名を誇りにしているがゆえに、地位以外のなにものも劣る者が自分の上に立つということに耐えられないだろう。曹操もまた、袁紹の思いはよく分かる。

ゆえに、彼女を引き入れることにする。

顔合わせの際に曹操は、いっそ西園八校尉すべてを引き入れてしまえばいいと考え、提案する。
そのひとりである袁術とは、曹操はこれといった繋がりがない。ならばまずは、人となりも理解している袁紹に手を伸ばす。そこから同じ袁家である袁術に繋げれば、と目論んだ。

鳳灯ひとりだけが少しばかり難色を示したが、その理由が"天の知識"だなどといえるはずもない。
もし引き入れることが出来るのならば、将兵の数が多いこともあり、確かに心強い。
反董卓連合が組まれる引き金となる人物を自陣で押さえ込める、そう考えることにして。鳳灯も思考を切り替え、袁紹の引き込みに理解を示した。



こうと決めれば曹操の行動は速い。
彼女は機を見て早速、袁紹と会う場を整えようとする。

時間はさほどかからなかった。
朝廷の其処彼処を我が物顔で歩く何進。表情を殺しそれに付き従う袁紹。
何進と離れ、その背を見送り、自らもその場を離れようとする彼女の表情を見た。
浮かべていたのは、それまでの無表情から一転した、憤怒を噛み締めるかのような苦しげなもの。

曹操は確信する。造反を促すのは容易い、と。



「で、正直なところどうなの? 麗羽」
「どうもこうもありませんわ!どうしてわたくしがあんな輩に媚びへつらわなければならないのか!!」

飲み干した杯を手にしたまま、袁紹はその拳を机へ叩きつける。
彼女の口癖である"華麗さ"に欠けた所作であったが、そこに気が回らないほどに激昂しているということだろう。

静かに謀略が進められ気づかぬ内に己の身までも巻き取られる、そんな朝廷内において、袁紹が持つ良くも悪くも直情的な気性は甚だ相性が悪い。むしろよくこれまで抑え込んで来れたものだと曹操は感心する。
その抑え込んでいたものを曝け出している袁紹。かつて勉学を共にした幼馴染の前であるがために、気持ちが揺るんだのだろう。自慢の巻き毛を振り乱しながら、部屋の外へ声が漏れることも厭わずにひたすら喚き散らしている。

名門として知られる袁家、その一門としての自負、家名を継ぐに値する自身の力。内外に影響を及ぼす実力を持つ、と、袁紹は自負している。
だが。潜在的な能力を持つものの、地位がない。
ただそれだけで、"地位しかない輩"に見下されている。自意識の高い袁紹にとって耐え難いものであり、鬱屈鬱積その他諸々に苛まれていた。
それでも、利用価値はある。自分自身がより高みに行くために、袁家の名を更に高めるために、今このときを耐えることは無駄ではない。
袁紹もそれは分かっている。分かってはいても、沸き上がる負の感情を宥めることは非常に難しかった。

「まったく、宦官などに使われずに済むと思っていれば軍部の長とは名ばかり、武どころか知のほどもなにもない肉屋風情に振り回される。
中央に出てきて得たものは不愉快さだけ。外戚の頂点までが宦官同等ここまで美しくないなんて、見込み違いもいいところですわ」

曹操はわざとらしく呆れてみせる。
何進が碌でもないという意見には賛成だけれど、と、漏らしながら。

「麗羽。あなた、かつての大長秋の縁者の前でそこまでいう?」
「あら。宦官嫌いではわたくし以上の華琳さんが、なにを戯けたことをおっしゃるのかしら」

面白くもない冗談ですわね、と、愉快とは質の違う笑い声を上げた。

「麗羽。貴女、中央にまでなにをしに出張ってきたの?」
「もちろん、袁家の名を洛陽に、果ては朝廷の奥深くにまで響かせるための足掛かりを作るためですわ」

なにを分かりきったことを、とばかりに、袁紹は迷いなくいい切る。
彼女にとって、袁家の名を高めるということはなによりも優先されること。
新しい袁家の当主として、過去の当主らよりも高い名声を手にすることは、自らが持つ矜持に賭けて成さねばならぬ一事であった。

「足掛かりを作る切っ掛け、あげましょうか?」
「……華琳さん、なにを企んでいますの?」

袁紹は、訝しげに曹操を見やる。

曹操は宦官が気に入らない。袁紹は外戚が気に入らない。このふたりにしてみれば、今更いうまでもないことだ。
正確にいうならば、役職や立場というよりも、今現在その場所に居座る面々の在り様が気に入らない。
ならば、今そこにいる輩を弾劾し追いやってしまえばいい。

そういいながら曹操は、張譲や董卓らと会談が持たれたことを伝え、彼と彼女らが目指そうとしているものを示唆してみせる。
目指すところの是非はともかく、今いる高官らを排除するというのならば乗ってみるのも一興だろう、と。

「張譲と董卓が、主に宦官たちの相手をする。
麗羽、貴女が乗ってくれるのなら、私とふたりで軍部の高位を相手にすることになるでしょう。
董卓たちは血を流したくないみたいだけど、私としては全員斬り捨ててやっても構わないと思っているわ」

下手に残しても、生き汚く邪魔してくるかもしれないし。
そんな風にさらりといっているものの、彼女の言葉は決して冗談ではない。
曹操の中では既に、宦官外戚を問わずその多くは生きるに値しない人間だと断じている。己の保身と利益にしか目を向けようとしない高官・官吏たちは、"誇りを持たない人間"として、曹操は歯牙にかける必要さえ感じていない。
愛用の武器の錆にしてしまってもいいのだが、曲がりなりにも誼を交え、行動を共にすることになった者がいる。結果として上に立つ輩が排除できるのならば、董卓の思惑に合わせて動いてみてもいいだろう。そんな風に、曹操は考えていた。

「とにかく。
外戚の輩を持ち上げるだけ持ち上げて、気がつけば頼るものもなにもなく孤立していた。そんな状況を作ってあげようと思ってるの。
下につく将兵は董卓らがなんとかするでしょう。
手足を奪われ、自分ひとりではなにも出来ずにアタフタする様が目に浮かぶわ」

あまり想像したくない姿だけど我慢してあげる。
不遜にそういってのけ、本当に愉快そうに笑う。
笑いながらも、その目は剣呑な光を湛えていた。それを受ける袁紹の目にも、同じものが浮かぶ。

「無様ですわね」
「まったくね」

ひとしきり、笑うというよりは嗤い合った袁紹と曹操。
ふたりは互いに、持つ情報の交換と現状の確認を行い、これからどうするかを模索し始めた。



何進たちが朝廷から除かれれば、その空席に誰かが座ることになる。
その一席を自分が、という野心は互いにある。
曹操としては、そこを独占しようとする気持ちは強くない。

だが袁紹は、手に入るのならば貪欲に得ようとする。
一足飛びに軍部の長にまで駆け上れば、袁家の先達さえ成しえなかった前途が開けるかもしれないのだ。

袁本初の名を、漢王朝において袁家の名を最大に高めた者として知らしめる。
袁紹は夢想し、それを確実に手繰り寄せてみせようと想いを固くした。



かつて鳳灯がいた世界で、彼女の知る"華琳"が覇道を辿らんとしたきっかけ。それは朝廷上部に居座る宦官外戚らの無能にあった。
役に立たない輩に権力を握らせておくくらいならば、いっそ自ら世の中のすべてを作り直す。そう考えるに至ったからだ。

だがこの世界においては、その覇道という考えは熟成を果たしていない。それよりも前に、此度のような朝廷に対する対処策が組まれ実行に移されているからだ。これにより曹操は、漢王朝というものの未来に未だ一縷の望みを残している。張譲と董卓、そして袁紹と手を取ったことも、これを端に発していた。

おそらく進んだであろう歴史の大筋では、曹操はこのとき既に覇道を志しているはずである。
だがこの世界における彼女が進もうとしている道はやや異なっている。
鳳灯の介入により、歴史が進む道が変化した。
もちろん、これに気付いた者はいない。
鳳灯でさえ、己の存在が生んだ変化に気づいてはいなかった。





文官側が慌しく駆け回っている間、武官側がなにかをするということは特にない。
少なくとも董卓軍にそういったことはない。ただひたすら、自分たちの地力を上げるべく修練に精を出す。それだけである。

洛陽の一端にある、軍部の修練場。この町を守ることを任とする西園軍はここで修練を行う。千単位で万を超える将兵が部隊を整え演習が出来るほどの広さをもつそこは、西園八校尉それぞれが抱える軍勢同士が鉢合わせたとしても、それぞれが気を散らすこともなく修練が行えるようになっている。

そんな修練場で、董卓軍は今日もまた汗を流している。
洛陽に詰める軍勢の中で、殊に董卓軍の熱心さはよく知られるようになっていた。
元々いた朝廷軍、張遼のいう"率いてみなければ分からないほど酷い官軍"に属する将兵たちの多くは、そんな董卓軍を醒めた目で見ていた。
だが、賈駆や鳳灯らによる働きかけが功を奏し始めているのか、董卓軍の熱意に感化を受けた将兵の数が増えて来ている。
各々がまとまり修練を行うのはもちろん、董卓軍と混じり合同修練になることも多くなっていた。

勢力を問わずに顔を合わせることが珍しくない、そんな場所に。
初めて顔を見せた人物。

「うむ、話に聞く董卓軍というのはなかなか凄いのじゃ」
「そうですねー、凄い迫力ですー」

声を上げたのは、西園八校尉の一角である、袁術。その側近である張勲のふたりであった。

彼女たちは、同じ地位にある董卓や曹操、袁紹とは異なり、将兵らに対して直接あれこれ命令を出したりはしない。ゆえに、他の将兵らの前に姿を現すことが稀であった。
実際、軍事関連は子飼いの将にすべて一任しており、その内情を張勲がそれなりに把握しているというのが現状である。
これを信頼からの委任と取るか、それともただの放任と取るか。
外部からそこを判断することは難しい。それでも袁術旗下がそれなりに回っているのであれば、他が口を挟むことでもない。

さておき。
袁術の顔は辛うじて覚えがあったとしても、満足に接したこともない人物が顔を見せている。そして彼女らの立場は明らかに上だ。修練場にいる将兵たちでは、どう応対すればいいものか分からない。これは張遼、呂布、華雄も同様である。
ゆえに。

「袁術殿、と、お見受けする。いかがなされましたか」

華祐が、応対を買って出た。

以前にいた世界で接点のあった人物であるため、気持ちに余裕があったことがひとつ。
彼女らの人となりを知っているために応対し易かったのがもうひとつ。

「申し遅れました。董卓軍の調練に指導を行っております、華祐、と申します」
「いかにも、妾が袁公路なのじゃ。苦しゅうないのじゃ」

畏まり、頭を下げる華祐。それをさも当然のように受ける袁術。

「妾の軍勢を鍛えている将が、おぬしら董卓軍を見てみたいといっての。せっかくじゃから妾もこうして足を運んだのじゃ。
なに、修練の邪魔をするつもりはない。ちょっと遠目から見物するだけのつもりだったんじゃが」

この修練場は誰でも出入りが出来る。自陣以外の人間に対して、来るな見るなというのは無理な話だ。この場所で修練を行う以上、他勢力の目に晒されることは避けることが出来ない。
董卓軍を鍛えることでその名が他勢力の耳に入るようになれば、こうして視察もしくは監視といった行動がなされる。これは華祐でなくとも想像するに難くない。董卓軍としても、それを咎めるつもりはない。見られても困らない程度のことを繰り返しているだけなのだから。

だが華祐個人としては、やや趣が異なる。
今、目の前にいる人物に対して多少思うところがあった。それが、最大の理由。つぶさに見られることに、やや抵抗を感じる。

華祐が感じる抵抗とは、果たして目の前の女性に対するものか。
それとも、自身の知る歴史と明らかに違う流れを感じたことに対するものなのか。

どちらであるかも解らないまま、今の彼女は流れに身を任せるしか術はない。

「そちらの方が、袁術軍を統べる武将、ということでしょうか」
「うむ、その通りじゃ」

袁術の傍らに立つ女性。小柄な主に促され、彼女は、華祐に話しかける。

「華祐、といったか。ぶしつけな応対をしてしまい、済まなかった」

その女性は、かつていた世界で華祐と浅からぬ縁のあった人物。

「袁術の旗下で軍勢を率いている。姓を孫、名を堅、字は文台という」

明るく無邪気さを感じる雰囲気、しかし剣呑さを醸し出す雰囲気と鋭い視線は微塵も隠そうとしていない。

孫堅。
かの、江東の虎その人であった。














・あとがき
歴史の乖離、更に加速。

槇村です。御機嫌如何。




3月中に仕上げられなかった。無念。

まぁそれはさておき。
麗羽さんと美羽さんが新しく登場。
彼女らに対して、このお話における槇村の捉え方としては、「馬鹿かもしれないが間抜けではない」という感じ。
馬鹿といっても頭が悪いという意味ではなくて。
うまくいえないけど。
その時点でキャラ崩壊といわれればそうかもしれないけれど気にしない。

そしてまさかの孫堅さん登場。
最後まで悩みましたが、出すことにした。
雪蓮さんらももちろん出ますが、もっと先になりそうだ。



なんとか、月に二話は進めたい。



[20808] 32:【漢朝回天】 過去 現在 未来
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2011/11/20 18:46
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

32:【漢朝回天】 過去 現在 未来





孫堅こと、孫文台。この名は華祐にとって特別なものである。

歳若い頃の華祐は、己の武才に自信と誇りを持っていた。
確かに、それに恥じないほどのものを有していたが、それゆえに慢心していたところもあった。
そんな鼻っ柱を叩き折ったのが、孫堅である。
何度立ち向かっても太刀打ちできず、ただ黒星を重ねるばかり。これまで培ってきた武への自信が粉々にされた。

その後の華祐は、打倒孫堅を掲げ更なる精進を重ねる。
だが再戦の機会を得ることなく、孫堅は他界。彼女にとって、永遠に敵わない相手となってしまう。
やがて、孫堅以外に負けたことがないという事実は、華祐の中で歪みを見せていった。
事実、彼女が敵わないと実感したのは、孫堅と呂布くらいのものだった。
だが孫堅は既に故人、呂布は同じ主に仕える仲間である。
ならば、敵となるだろう下野には自分に敵う者などいないじゃないか。
自分は最強じゃないか。
そんな歪んだ思いが、また質の違う慢心を生み。
慢心が視界を狭まらせ、"猪"と呼ばれる軽率さを生んだ。
挙げ句、ここ一番という場面において関雨に敗れ、味方である董卓勢に多大な損害を与えている。

我ながら度し難い、と、華祐は苦いものを感じる。
もうあんな醜態は見せない。
そう自戒する今の彼女にとって、孫堅という存在は非常に大きなところを占めている。



華祐の場合、かつていた世界では、董卓に仕えるよりも前に孫堅に出会っている。
自分の顔を見ても孫堅はなんの反応も示さなかった。
ということは、この世界の"華雄"は彼女と会っていないのだろう。
"華雄"に対する、かつての孫堅の位置に自分が立っているのかもしれない。華祐はそう考える。

この時点で、彼女の知る歴史と比べかなりのズレが生じていた。
自分が関わったことで歴史が変わる。それは華祐も理解出来る。
だがあずかり知らぬところ、自分がこの世界にやって来たよりも前の時点で歴史が異なっている。
これが一刀ならば"平行世界""パラレルワールド"といった言葉が出て来るかもしれない。だが華祐にはどう捉えればいいのか分からなかった。

とはいえ。
今の彼女にとって、それらは大きな問題ではない。
それ以上に胸の内を占めるものがある。

この世界の孫堅は、どれほどの武を有しているのだろうか。

武の道に生きることを第一と決めた、そんな華祐にとって、強者と見れば手合わせをしたくなることは必然。
しかも目の前にいるのは、かつて手も足も出なかった相手である。
自分の知る孫堅と同じならば、今であればいい勝負が出来るはず。華祐はそう考えていた。

いや、考えるよりも前に、口をついて言葉が出て来た。

「我々は、一日の修練の最後に一対一の立会いをしている。
切磋琢磨したものをぶつけ互いに高め合う、というわけなのだが。
孫堅殿。よろしければ一手、ご教授願えないだろうか」

かつて敵うことのなかった相手。取り戻せない黒星を抱えたままだった華祐。
今ならば、形はかなり異なるものの再び挑むことが出来る。
はっきりと感じる、歓喜。胸の内に高まるものを抑えることが出来ない。

経験を積み、頭を使うようになり、以前の自分よりも遥かにマシになったという自負はあったが。
性根の部分は猪のままらしい。
華祐は人知れず苦笑する。



「そういうわけで、一手願えることになった。すまんが勝手に決めてしまったぞ」
「えー、そりゃずっこいで大華」
「話に聞く江東の虎、私も相手をしてもらいたいぞ」

華祐の言葉に、張遼と華雄が声を上げ不満を露にする。
呂布もふたりに同意するようにコクコク頷きを繰り返していた。

「すまないが早い者勝ちだ。私もやはり武将なのだなとつくづく思った」

自分が相手をしているつもりでしっかり見ていろ。
その言葉で、三人は渋々といった風に引き下がった。

名の知れた将と、既にその実力を良く知る者との立会い。確かに、観戦するだけでも得られるものは多いに違いない。
三人それぞれに、自分が立ち会うのとはまた別の高鳴りを感じている。
一方で、華祐が終わった後直ぐに自分も一戦願い出よう、そう考えていた。



ちなみに。
このところ董卓軍の中で、華祐は"大華"と呼ばれている。
仲間内で同じ "かゆう"という名前がいるのは呼ぶのにも紛らわしい。
実力の程そして外面も加味し、じゃあ華祐を"大華"、華雄を"小華"と呼ぼう、と。
渾名のつもりで、張遼が何気なく口にされたのが切っ掛け。
驚くほどあっという間に広まっていった。いつの間にやらその名が定着し、賈駆などの文官にまで通じてしまうほどになる。
華祐も華雄も、初めこそ共に反発していた。
だがいくらいっても改まらない董卓軍の面々に、華祐はすぐに諦め、華雄は怒鳴り疲れて引き下がった。

一般兵にしてみれば、上司である将を渾名で呼ぶのはさすがに躊躇われることもあり。
長く付き合いのある華雄に対しては、表向きは"華雄"とそのまま呼ばれることになった。
もちろん裏では小華殿などと呼ばれていたりするのだが、悪意を持ってのことではない点が救いといえば救いだろう。
また華祐の方は、表立って"大華"と呼ぶことを兵に許していた。
戦場で上がった声にふたりが同時に振り向く、なんていうことは御免蒙る。
そう笑って見せたところにまた、兵たちがこぞって華祐を"姐御"と慕うようになるのだが。
それはそれでさて置くとする。





そんな華祐が、董卓軍将兵らの注視を一身に受けて、ひとり、修練場の中央に歩み出る。
待ちきれぬとばかりに、早々に中央へと進み出ていた孫堅がそれを迎え入れた。

手にした得物をひとり、さも楽しそうに振り回している孫堅。
身体を解す準備運動代わりなのだろうが、その剣筋は実に鋭い。
華祐自身が、以前にいた世界では難なく吹き飛ばされているのだ。そこいらの兵では、その準備運動のひと振りでさえ受けきれるかどうか分からない。
逆に安心もする。この世界の孫堅は、華祐の知る"孫堅"と同様の武を持ち、やもすればそれを超えたものを有していることが感じ取れたからだ。

この世界において、孫堅がまだ存命であり、袁術の旗下にいる。これに関して、華祐は既に鳳灯から聞いていた。
今の孫堅は、その高い武の程を知られ、"江東の虎"という別名をもって広く名を馳せている。
黄巾賊の出現を待つまでもなく、江東一帯に頻発していた騒乱をことごとく鎮圧せしめたことで頭角を為し。更にその地を平定し民に安政を施すといった手腕を発揮した。
地元領主や果ては朝廷といった上に立つ者たちを初めとして、ごく一般の民たち下の者たちにま至るまで、孫堅の名は既によく知られているのである。

かつて会った"孫堅"がどういった経緯をもって武を磨いていたのか。華祐はそれを知らない。知りようがない。
だがこちらの世界の孫堅は、広くその実力と名を知られるに値する経歴を経ている。
「身をもって得た経験こそ至上」と考えている華祐にとって、例え初対面であったとしても、今、目の前に立つ孫堅という人物は尊敬に値すると感じていた。

それこそ、胸を借りるつもりで。
華祐は、孫堅の前に立つ。

「あくまでも修練の一環なので。"本気になり過ぎない"ようお願い致す」
「本気でやるなとはいわないのか?」
「それでは私たちが面白くないではないですか」

本気にならず相手取れる武ではないでしょうに。
苦笑をこぼす華祐。
だがその表情は非常に好戦的な、物騒なものへと変わっている。
対する孫堅もまた、そうでなくてはな、とばかりの表情を浮かべていた。

「本気でやっていただかねば、困ります」
「本気を出しちゃ拙いんじゃなかったのかい?」
「一応いっておかなければいけない、体面というものですよ」

華祐はそういいながら、手にした戦斧を派手に振ってみせる。
斬り裂くのではなく、空気ごと薙ぎ払うかのような轟音を上げて周囲を震わせた。
修練用とはいえ片手で扱うようなものではない得物は、華祐の胆力のままに振るわれ。振り抜かれたそれは意のままに動きを止める。
ただ一振り。
それだけで、自身の持つ武の威を表してみせる

「なるほど。ちょいと捻ってやろうというつもりじゃ、こっちが怪我しちまうね」

愉快そうに、孫堅も手にした剣を弄ぶかのごとく振り回す。
振り回すとはいうものの、その動きはまるで演舞のようでもあり、変幻自在そのものだ。
円を描きながら走る剣筋は鋭く速い。右手で一閃、振り切ったかと思えば次の一閃は左手から繰り出される。
遠目からならばその剣の流れを見て取れるかもしれない。だが目の前に対峙した状態となると、死角どころか、見えていても想像の埒外から剣戟が降りかかってくるように見えるだろう。
速さと上手さに裏打ちされたそれらは、何気ない無造作な所作から繰り出され、立ち会う人間に先を読ませることを難しくさせている。

例え修練用の得物であろうと、ひとつ間違えば只では済まない。
実際に対峙してみて、華祐はその思いを新たにする。

そして孫堅もまた、同じ思いを感じていた。
手にした得物ゆえに、力のみに目が行きそうではある。
それだけではない。当たればそれこそ只では済まないだろう一撃を、意のままに操ってみせる上手さが華祐にはある。あると見て取った。

互いの実力の程を読み、それを理解して同様に高揚する。
ふたり共に、武を振るうひとりの人間として、目の前に立つ者と対峙できることに喜びを感じていた。

「さてと。それじゃあ行くかい」
「では」

華祐が手にするのは、模擬戦用の戦斧。片や孫堅が手にするものもまた、模擬戦用の長剣。それぞれが愛用する武器と同じ形を成したもの。
手に馴染ませるように、互いに幾ばくが武器を握り直し。構え、相対する。

地を踏む音がふたつ鳴り、周囲から音が引いて行く。

合図はない。
視線が交わると同時に。
ふたりは相手へと向け跳びかかった。





やはり、速さでは孫堅。
華祐が間合いを捉えたとき、孫堅は既に剣を振り被っている。
振るわんとした戦斧をすぐさま防御に回し、華祐は辛うじて一撃目を防いでみせた。

だがそれは始まりでしかない。
挙動のひとつひとつが速い。華祐に立て直す暇を与えないまま、孫堅の剣戟は数を重ねていく。
華祐の戦斧が一振りなされる間に、孫堅の剣ならば三合は振るわれる。
速いだけではない。勢いもあり、なによりも変化が激しい。
上から下から、右から左から。
方向角度あらゆるところから斬り込んで来る剣に、華祐の意識は方々に散らされる。構えを崩される。

足を止めて受け続けるのは愚。
剣戟を受け、身をかわしながら、華祐もまた足の運びを速める。自分の得意な間合いへと距離を取ろうとする。

しかしそれ以上に孫堅が速い。
華祐がどれだけ足を速めようと、すぐさま孫堅に具合の良い間合いへと詰め寄られる。

武を交わす、とはいうものの。実際には一方的なものになっていった。
孫堅の振るった剣は瞬く間に五十を数えるまでになり。
対して華祐から手を出した数は両手で数える程度である。
だが華祐は、すべて受けきる。
なにも出来ずにナマス斬りにされかねない孫堅の剣戟を凌ぎながら、数は少なくとも攻撃を返している。
それだけでも彼女の武才の高さはうかがい知ることが出来るだろう。

目の前の立会いを、自分の姿に置き換える。董卓軍の将兵は常にそれを意識させられている。
凝視する将兵たちの頭の中では、孫堅と相対した自分が幾度となく切り刻まれていた。
呂布や張遼の速さに目の慣れている董卓軍の将兵らが見ても、孫堅の剣筋はとてつもなく速い。
想像の中で立ち合うたびに、彼ら彼女らはその速さに翻弄され、自身を血まみれにさせていた。



傍から孫堅を見ると、その速さに強く目を惹かれる。
だが彼女の攻撃は、速いだけでなく、重い。
ただ力任せに振り回しているわけではない。腕の振り、腰の捻り、足の運びといったあらゆるものが、剣の一振り一振りに込められている。
それらの要素すべてが凝縮され、剣筋に乗る。このことで、孫堅の細い外見からは想像できないほどの一撃が生み出されている。
華祐とて、受けてばかりでは力尽きてしまうことは想像に難くない。

「さすがに、このままでは後手後手だな」

受けるだけでも難しい剣戟。それが絶え間なく襲い掛かって来る。
ひとつ受けたとしても、反撃に移るよりも前に次の剣戟が向かってくるのだ。攻められ続ける限り、反撃する糸口を掴むことが出来ない。
ならば大きく下がり逃げるか。
それも愚策だろう。速さで勝る相手に対して、更に大きな隙を与えることになるのは目に見えていた。
ならばどうするか。



華祐の動きが変わる。
ひたすら受け続けてきた剣戟を、いなし、流した。

孫堅の剣筋が乱れる。
生まれたわずかな隙。
華祐にはそれで十分だった。

声にならない気合と共に、華祐の戦斧が振るわれる。
轟音。
孫堅が綴る剣戟の隙間を強引に引き裂く。

「くぁっ」

楽しげだった孫堅の笑みにヒビが入った。
速さには劣っても、力では勝る華祐。
振るわれた戦斧をさすがの孫堅も受けきれず、勢いに身体ごと流される。
さらに広げられた隙。
孫堅がそれを立て直すよりも速く、華祐は次の一撃を振るう。

「行くぞ孫堅殿」

これまでよりも深く踏み込み、華祐は己の武器を振るう。
すべてを叩き潰さんと呻りを上げる戦斧。
孫堅はその一撃を受け。だが受けきることは出来ず、無理矢理弾くことで難を逃れた。



華祐の手数が増える。
剣戟を受け止めるだけではなく、受け流しも織り交ぜることによって、孫堅の動きを誘導し限定させる。
体捌きと力の強弱、ただそれだけで相手を自分の間合いに誘い出す。

孫堅もそれが出来ないわけではない。
流される勢いを逆手に取ることも、出来ないわけではない。
だがそれ以上に、華祐のいなし方が巧みだった。
刃先、斧頭、柄、石突と、戦斧のあらゆる箇所を用いて受け、流し、いなしてみせる。
ただでさえ重い戦斧でそれをこなすこともそうだが、相手は"江東の虎"、孫堅である。
あの速く重い剣戟を、どうやればあれだけ捌くことが出来るのか。
見ている将兵には、想像ですらそれに追いつけていなかった。



華祐の攻撃に流れが生まれていた。

捉えどころのない孫堅の剣戟。ならば捉えず流してしまい、自分の間合いに引きずり込めばいい。
手を出すたびにいなしてみせ隙を作り。
一方で、力づくで受け止めて押し返し自らの距離を作る。
相手が組み合うことを嫌えば、それこそ自ら寄って勢いのままに得物を振るう。

華祐はひたすら自分に都合の良い舞台を作ろうとする。
相手の得意な場所に立つ必要はない。そこが動き難いのであれば、相手の立つ舞台そのものを強引に作り直す。
自分の方に、相手を合わせてやるのだ。

だが言葉やその傍目ほど、簡単にこなしているわけではない。
未熟な相手であればその労は少ない。だが才に秀でた者であれば、大なり小なり同じことをしてくる。
いわゆる、駆け引きというものだ。

華祐は基本的に力押しを好む。
戦斧で剣戟をいなすなど明らかに高度な技巧を見せているのも、彼女にとってはしょせん"従"でしかない。
技巧を凝らし、自分の好む場を形作るために駆け引きを巡らす。
整ったところで、力任せにすべてを叩き潰し薙ぎ払うのだ。

単純な力強さだけでは足りない。
更に加味されるなにかが必要だと考え、華祐は器用さを求めた。
その結果、今の彼女のような戦い方を修めるに至る。

戦い方の再構築。それを試行錯誤する切っ掛けもまた、孫堅だった。
歯牙にもかけられなかったとはいえ、かつて相対した際に感じられた、力以上のもの。
単純な力であれば、かつての"華雄"であっても、孫堅に負けることはなかったろう。
かなり後になり思い返せば、孫堅の振るう武には、押し返しきれない力が込められていた。
力で振るわれるだけの武ではない、そこに加味されたもの。それが、更なる重さとして伝わってくる。

それがなんなのか、当時の"華雄"は分からなかった。
だが今の彼女なら、華祐ならば分かる気がする。
いうなれば、それは "自信"ではないだろうか。
己の振るう武が打ち立て積み重ねてきたものに対する信頼が、ひとつひとつの所作から迷いを消していく。
余計なものが削ぎ落とされ、同じだけの"武の程"が身に付いていき。動きの軽やかさと鋭さ、一撃の重さが増していく。

武を振るう自分のすべてから、不純なものが減っていき、その純度が上がっていくのだ。

少なくとも、華祐はそう考えた。
だが今の華祐とて、積み重ねてきたものに対する自信は相当なものだ。負ける気はない。
そう。負ける気はない。

一見追い詰められているように見える孫堅が、本当に楽しそうな笑みを浮かべている。
純粋に、今、互いに武をぶつけ合うことを楽しんでいるからだろう。

きっと、自分も同じような顔をしているに違いない。

そんな思いの通り、華祐は、心から楽しそうに笑みを浮かべていた。





互いに得物を交えた数が三桁を越す。
だが華祐が戦い方を変えてからこちら、孫堅の剣のほとんどが思う様に届かなくなる。
手を変え品を変え、あれこれと向き合い方を試してみるもことごとく、流され、いなされ、受けきられ、自分なりの動きを取ることが出来ないでいた。
それでも孫堅は、華祐の反撃をすべて凌ぎきっている。
危ないところも多々あるにはあったが、致命打はひとつも受けずにいるのだ。ふたつ名を得るほどの武は伊達ではない。

幾度目か分からない、流された孫堅の剣戟。
勢いに乗せて、そのまま反転してみせ再び剣を振るう。
戦斧の柄にそれは阻まれたが、華祐の出だしを潰すことになり。
その刹那に後方へと二度飛び退る。
一度ならばまだ華祐の間合いだったが、二度飛ばれたことでその外へと外れてしまう。

「結構本気でやってるつもりなんだけどね。ここまで凌がれるとは驚きだ」
「そういっていただけるとは光栄だ、孫堅殿」

相変わらずの笑み。楽しそうな表情とその声音が、華祐の戦いぶりを賞賛している。
彼女の言葉は心からの本音だった。

それに対して返す華祐の言葉も、心から出たものだった。
かつて歯牙にもかけられず翻弄されていた自分が、正面から得物を交わしそれなり以上に立ち会うことが出来ている。
格別の思いがある。
嬉しくないわけがない。

だが、満足出来ているわけではない。
欲が沸く。
勝ちたい。
武の道を進まんとする矜持が、勝利という結果を欲する。

勝てるかどうかではない。
勝ってみせる。

胸を借りるつもりだった気持ちが、より勝ちを求めるものへと変わっていく。
胸中の思いそのままに、強く戦斧を握り締めた。
表情が引き締まる華祐。



反して、孫堅は未だ笑顔のままだった。

「もう少し、本気を出すことにしようか」

いうや否や。孫堅が、華祐に肉薄する。
正に、瞬く間。
その姿を辛うじて捉えた華祐は反射的に構えを改め、これまた辛うじて孫堅の一撃を防いでみせる。
刃と刃が弾け合う音が鳴る。
その音はこれまで以上に鋭く響いた。

「どれだけいなせるかな」

華祐がその言葉に応える暇もなく、二撃目三撃目が彼女を襲う。

孫堅は、さらに速度を上げてみせる。
例えるなら、一般兵の速さが一、華祐が二。先ほどまでの孫堅が三なら、今の速さは五にまで届く。
途切れない金属音。得物同士がぶつかり合い、最初の音が引く前に次の音が立つ。

「く、はっ」

華祐は追い込まれていく。勝ってみせるという光明が吹き消えそうになるほどに。
元より余裕などなかったが、熱くなりながらも落ち着いて対処し、反撃を返すことは出来ていた。
だが今はそれさえ覚束ない。
速すぎる。重すぎる。振るわれる剣戟に曝されないよう防ぐだけで精一杯だった。

そう。それでも、華祐はなんとか防ぐことは出来ていた。
孫堅の表情が、その様を見て幾ばくか引き締まる。

「っつ」

振るわれる剣筋が更に変わる。明らかに、華祐の表情が必死なものになる。
ほんのわずかな、ずらし、溜め、強弱の変化。
速さの乗った剣戟に、虚が混ざり出す。

外から立ち合いを見る将兵たちには、なにが起きたか分からない。
だが、華祐が明らかに余裕をなくしたことは見て取ることが出来た。

目で見るだけでは追いつけないほどの攻撃。そしてそれらに対応することが出来る華祐。
さすがにいなすまではいかないが、なんとか防ぐことは出来ていた。
だが、そこが却って仇となる。
速さに対応出来るがために、ちょっとした牽制の動きにまで反応 "出来てしまう"。
力の及ばない将兵であれば、その牽制に気付くことさえないはず。
気付いてしまうがために、無意識に身体が反応を見せる。
その反応が、隙になる。
虚の動きであるならば、その後に来るのは実。
刹那ともいえるわずかな隙間に、孫堅は自らの刃を捻じ込んでくる。

重ねられる、目に捉えることさえ困難な剣戟。そのひとつひとつに虚実が混ざる。
ひとつとして判断を誤れば、得物を取られ切り刻まれるだろうひと振り。それが、十、二十、三十と続く。
反響するかのように鳴り響く、得物が噛み合う音。
絶え間ない衝撃音に晒されながら、華祐はひたすら、孫堅の剣を受けることに集中する。
もはや焦りなどというものではない。ただただ必死に、堪える。



突如、孫堅が更に深く踏み込んで来る。
刹那、思考よりも先に身体が動いた。

華祐にとっては、武器の振るい難い至近距離。
確かに戦斧という武器は、懐に入り込まれると十分な威力を発揮できなくなる。
だが華祐とてそれに対処する術を得ていないわけではない。
不安の残る部分だからこそ、受け方捌き方をその身に叩き込んでいる。
相手の動きは速い。だからこそ華祐の身体は反射的な動きをする。
孫堅の剣戟を受けるべく動く。動くのだが。
戦斧を振るい難い距離であることに変わりはない。

次の動きに繋がるまでの刹那。これが長くなればなるほど大きな隙となる。
肉薄する孫堅。迎え撃つ華祐。
集中し過ぎたことで意識が若干朧ろ気になり、挙動が遅くなった。その時点で、華祐に刹那ひとつ不利。
次いで手にした得物の振るい難さをもって、刹那ふたつ。
振るった剣が、華祐の身ではなく戦斧の出先を潰し。生まれた反動がそのまま孫堅の次手に繋がった。刹那みっつ。
触れ合う程に近づいた場所で、剣を振うべく身を捻った孫堅。その勢いに合わせ、振り乱された長い黒髪が踊り。
刹那、華祐の視界を奪って見せた。

重ねられた刹那の差。わずかというには余りにわずかな隙が生み出され。
孫堅は姿を消す。
視界を取り戻した先にない相手の姿。何処に、と意識を広げたことがまた、新たな隙を生む。

既に死角にもぐりこんでいた孫堅が、そこから華祐の背後を取ることは容易く。
気がつけば。
華祐の背後に立った孫堅は、その剣先を首筋に突きつけていた。



最後は、時間にしてみれば指折る程度の短い攻防。
だがその密度は、この仕合の中で最も濃かったといえる。

「……張遼、見えたか?」
「……見えたことは見えた。けどな、どうしてあぁなったかがよく分からん」
「……恋の戟なら、こうして返して……」

華雄、張遼、呂布。
それぞれが、ふたりの攻防を噛み砕き租借しようとする。

自分ならどうするか。
華雄は、華祐に自身を重ね。
張遼は、孫堅に自身を重ねる。
呂布は、華祐と孫堅両方に自身を重ねていた。

それぞれがそれぞれに、目指す形を頭に描きながら。己を高めんと試行錯誤する。
してはいるのだが。
まずは一戦願わねば話にならん、と。
あれだけの立ち合いを目の当たりにしながら、むしろ気持ちはより高まっている三人だった。





「思いつきでやってみたけれど、案外うまくいくものね」

笑顔を取り戻し、突きつけた剣を収めながら。孫堅はさも大したことのないようにいう。

「それだけ見事な髪、こんなところで切られてしまうのはもったいないのでは?」
「あら、貴女を相手に勝ちが拾えるならさほど惜しいとは思わないけど?」

二度も使える手じゃないし、まぁ切られなかったからいいじゃない。
孫堅は愉快そうに、皮肉にも似た華祐の言葉を笑い飛ばした。

褐色の肌に映える、長い黒髪。同性の華祐でさえ、落としてしまうには惜しく感じる。少なくとも、平時の修練中にそんなことになるのはもったいないと。
そう、この立ち合いはあくまで修練だった。
どれだけ本気になっていたとしても、華祐の中でその意識はどこかに残っていた。
彼女の視界を覆った孫堅の黒髪。強引に掃うのが遅れた理由は、そのせいかもしれない。
武人として生きると息巻いてみても、華祐とて女性なのだ。髪に手をかけるのはやはり躊躇われる。

そこを突かれたのかは分からない。偶然だといってしまえばそれまでだ。
相手の髪が自分の視界を奪うなど、そもそも誰も想像だにすまい。

結果として、失った視界に対して対処の遅れた華祐は敗れた。
だがそこ以外では、決して引けを取らなかったと思う。

「この髪、お気に入りなのよ。相手に手を触れさせずに勝つって、素敵でしょう?」
「次は、躊躇わずに斬ってみせます」

髪の長さが、すなわち勝ち続けている証なのだ、といわんばかりに。孫堅は見せ付けるように自らの髪を梳いてみせる。

「次に私と仕合うときは括っておく方がよろしいかと」
「そうね、考えておくわ」

髪の長さが、そのまま己の武への自信となる。

考えてみれば、武器を持った相手と立ち会おうというなら長い髪など邪魔でしかない。
戦場というものはほんの少しのなにかで命の有無が左右される。髪に武器を取られる、敵に髪を引かれるなど、不利になる場面は簡単に想像できるだろう。

それを分かっていてもなお、髪を伸ばし続ける。
孫堅にとってその長い黒髪は、敵に手を触れさせないという矜持の現われなのだ。
髪を流れるに任せていても、なんら遅れを取ることはない。
そんな想いが、彼女の髪にはかけられている。
髪の長さは、そのまま孫堅の戦歴でもあった。



敗北を知り、弱さを知り、不足を知り、至らなさを知り、小ささを知り。
経験を積み、精進を重ね、思考を巡らせ、想いを募らせ。
自身の中に積み重ねられた武の程に手応えを感じながらも、まだ届かなかった。

それでも、一端に手を触れた感触はあった。
華祐は、戦斧を握る手に力を込める。

まだ、足りない。

その実感を新たにして、この日の負けを受け入れる。
華祐は負けた。
だがいずれ、その黒髪貰い受ける。

彼女の表情は、負けた者のそれにしては力強さを湛えていた。





「私も髪を伸ばしてみるか……」

髪の長さは重ねた武の証、という考え方。
華祐の小さい呟きは、誰に聞こえることなく流れた。













・あとがき
華祐さん、渾名ゲット。

槇村です。御機嫌如何。




今回はタイマンオンリーでお送りしました。

それにしても、一対一の仕合で一万文字いくとは思いませんでした。
書き方がくどいだけあるな。

でもどうなんだろう。こんな書き方でもいいんだろうか。
読み手の皆さんに、くどくて読み辛いんだよ、とか思われていないだろうか。
真面目に聞いてみたい。
でも槇村的には、「ガキィン」「ビュン」「ガガガガ」みたいな擬音を並べるのが好きではないので。
どうしても地の文が多くなる。
なんとか表現しようとしているのですが、出来ているだろうか。



書きながら、孫堅さん強すぎじゃね? と、正直思ったりもしました。
でも頭の中で、そんな動きをしてくれたものだから。私は文字でそれをなぞっただけです。

一応、一巡組を含めた強さランキングみたいなものは、槇村の中で作ってあります。
強さのインフラは起こさないように気をつけてはいますが、読み手にどう映っているかまではちょっと分からん。

戦闘シーンを、もっと気持ちよく書きたいです。
殺陣とか格闘とか、魔法とかでもいい、戦闘場面の描写がうまく出来ている小説をご存知の方、教えてもらえませんか?



[20808] 33:【漢朝回天】 その身を動かすもの
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2011/11/20 18:47
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

33:【漢朝回天】 その身を動かすもの





華祐と孫堅の立ち合いを経て。合同修練に袁術軍も加わるようになった。
董卓軍からしてみれば、面倒を見る面子が増えた、とも取れる。
だがそれ以上に、孫堅という指導役を新たに得たことの方が大きい。

華祐が、袁術軍の将兵を見る。
例によって、叩き潰しながらその都度改善点を指摘し放置。
自ら起き上がり試行錯誤するに任せるやり方だ。
これが袁術軍にも好意的に受け入れられた。
むしろ「優しく丁寧で涙が出そう」といわれるほどである。
いくらなんでもそれはいい過ぎだろう、と、華祐は思ったのだが。
すぐにその理由を知る。

叩き潰してなにもせず放置。それが孫堅のやり方だった。

「先を進むやつの姿をよく見て、後は自分で考えな」

進んでなにかをしようとしない。それが当たり前だ、と、彼女はそういって憚らない。
確かにそれと比較するならば、直接声をかけ指導する華祐は親身に感じられるだろう。
とはいうものの、孫堅が袁術軍将兵に嫌われているわけではない。
彼女の見せる背中は、参考にし、後ろを追い駆けるに値するものだと理解しているのだろう。
軍閥としての実力を持ちしっかりまとまっているのも、彼女の実績と、人徳ゆえといえる。



華祐と入れ替わるようにして、孫堅が、董卓軍に混ざる。
彼女はひたすら立ち合い三昧。物凄く楽しそうに、将兵たちを遠慮なく吹き飛ばし続けていた。
その様を見た華祐は、

「幽州で、公孫軍を鍛えていた恋と同じようなものだな」

という感想を漏らしている。

非常に生傷の絶えないやり方ではあるのだが。
これ幸いとばかりに、孫堅に挑み続ける者もいた。
華雄、張遼、呂布の三人だ。

先だっての、対華祐戦。三人はこれを見て非常に発奮した。彼女らは立て続けに立ち合いを願う。
さすがにその日はもう勘弁と流されたが、以降、孫堅の姿を見るたびに「勝負しろ」と口にするようになった。
手応えのある将とやり合うことは、孫堅としても望むところ。嬉々としてその誘いに乗ってみせる。

董卓軍きっての三将であっても、孫堅の優位さは揺るがなかった。
華雄には速さで勝り。
張遼には力で勝る。
呂布には武を振るう引き出しの多さで勝っている。
孫堅は、それぞれの相手に勝る部分を駆使しながら、楽しそうに剣を振るう。
三人共にいい勝負はしてみせる。ことに呂布は、一見互角とばかりに渡り合ってみせる。
だが結果を見れば、常に孫堅の勝ちで終わる。
一体なにが足りないのか、と、三人は頭を悩まし続けた。



他の軍閥と修練を繰り返し、互いにしのぎを削りながら。董卓軍はただひたすら、地力を上げることに努めている。
普段ならば手綱を握るのは張遼なのだが。華祐が参加し、そして孫堅まで参加したことで、彼女は、将というよりも兵の一人として修練に当たるようになっていた。

「兵をまとめる? ウチが弱っちいうちはそんなこと出来るわけないやろ」

明らかに言い訳でしかないのだが、かなり本気でそんなことをいう張遼だった。

では誰が董卓軍をまとめているのかというと。

「いい加減にするのですこの猪どもーーーーっ!!」

陳宮であった。

他を省みようとしない華雄と張遼の代わりに、自軍の将兵たちの指揮を執っていた。
彼女は"呂布付きの軍師"という立ち位置にあり、なによりも呂布を第一に考える。
他を省みないという点では随一な人物なのだが。
あるとき、華祐が吹き込んだ言葉が切っ掛けでまとめ役を引き受けた。

「董卓軍すべての将兵を意のままに動かし、ここぞというところで呂布を投入する。
呂布が、とてつもなく引き立つ。そのすべてを仕切ってみようとは思わんか?」

呂布が一番、と常に豪語する陳宮は、その言葉にころりと転んだ。

「お前たち、呂布殿を前にしても恥ずかしくないようにしてやりますぞ!」

これまでの董卓軍は、良くも悪くも呂布が基準となり動いていた。
それを下敷きにしつつ、他の将兵らの実力が少しでも呂布に近づくように鍛え上げる。
やることは同じであっても、地力が違えば出来ることにも幅が生まれる。
呂布のみが突出するという事態が少なくなれば、つけこまれる隙も小さくなる。
軍閥としての威も厚くなるだろう。
呂布に頼るのではなく、他と連携することで使いこなす。
そのために、陳宮を担ぎ出したといってもいい。

ちなみに。
陳宮に軍を任せるという案は、賈駆と鳳灯によるものだ。
彼女の性格と手腕をよく考えた上で乗せて見せ、軍師としての実力も上げようという試みである。
知ってか知らずか、陳宮は思惑通りにやる気になってくれた。
彼女は今日も修練場に顔を出し、将兵ら、特に華雄と張遼に対して声を張り上げている。





やる気に溢れた董卓軍。
それに触発されるかのように、他の西園八校尉ら、曹操袁紹袁術が率いる将兵たちもまた熱心に修練を続けていた。



曹操は、元来持つ気性もあって、自軍に属する一将兵らにも高い理想を課す。それを目標として行われる修練、その内容は元より厳しいものだった。
それが董卓軍の存在により煽られるようになる。
負けてなるものか、という気持ちが多少はあるのだろうが。

「別に、そんなこと思ったりしていないわよ?」

例え尋ねたとしても、涼しい顔でこう返されることだろう。
否定する一方で、時折ではあるが彼女自身もまた武器を持ち修練を行っている。
更に夏侯惇を洛陽に呼び寄せた。
自分よりも高みにある存在を知る、という経験を持たせる意図からの招聘である。
夏侯惇は孫堅に挑むも、当然のように敵わなかった。
華祐とは幽州に引き続きここでも敗れ、呂布にも力及ばず、張遼と華雄には勝ったり負けたりの繰り返し。
想像以上に負けを重ねて毎日のように落ち込む夏侯惇。
だがもともとの気性ゆえか、一晩休んだ次の日には気持ちをすっきりさせ、それぞれの将たちに喰って掛かっている。
そんな姿を見て、曹操と夏侯淵は満足するように笑みを浮かべていた。

自軍の戦力をより高めようという思い。
やはり、どこか気持ちが逸っているのかもしれない。
だが、曹操にしても旗下の将兵にしても、逸りはしても無理や無茶というところまでは追い詰めない辺りは、程度というものをよく弁えているといっていいだろう。
彼女らにとって、厳しくも充実した時間が流れていた。



袁紹の抱える将兵は、数では抜きん出ていたもののその質となると今ひとつであった。
なによりも彼女自身が、董卓軍の修練を見て、自身が持つ将兵らが"華麗さ"に足りないと自覚した。

彼女には"袁家である"という誇りがあった。
それを保つためならば、足りないものは補ってみせるし、大概のことはやってのけてみせる。
鍛える必要があると判断すれば、自分から修練参加を願い出るくらいのことは大したことではない。

「この! 袁本初自ら! 貴女方の修練に参加して差し上げてもよろしくってよ!」

大したことはないといっても、それはあくまで彼女の基準の中でのこと。周囲にはただ尊大な態度にしか見えないかもしれない。
面と向かって人になにかを「頼む」「お願いする」には、袁家という看板が邪魔をするのだろう。
それでも、少なくとも曹操鳳灯華祐には、あのような態度でも頭を下げているに等しいことが理解できていた。
あれが物を頼む態度か、と、一部憤る者もいたが。前述の三人が宥めることで事なきを得ている。

修練の際にも、袁紹自らその内容を見つつ、反復を怠らない。時には自らも武器を手にし参加するという入れ込みようであった。
尊大な態度は変わらないものの、彼女の中で思うところがあったのかもしれない。

ともあれ以後、袁紹軍は、董卓軍との合同修練を積極的に行うようになる。



袁術は、相も変わらず表に出てくることが少ない。

「妾よりも良く出来る者がいるのじゃ。ならばその者に任せた方がいいじゃろ?」

自領の内政は張勲に、軍部のまとめは孫堅に。そして"袁家"という金看板は袁紹に任せている。
すべてを他に任せ、当の袁術は優雅に蜂蜜水を飲んでいるだけ。
曲がりなりにもそれでうまく回っているのだから、あれこれいう必要はないのかもしれない。

西園八校尉の地位に就いたことも、朝廷からの勅命だったからこそ、自ら出向いたに過ぎない。そうでなければ、袁術は自領から出ようとはしなかった。
そもそもその地位に推されるほどの軍閥になったのは、すべて孫堅の業績によるものだった。
袁術も、"その働きに応える褒賞"として孫堅に押し付けようとしていたのだが。

「中央に行くなんて面倒くさい」

とバッサリ断られている。

「軍閥のひとつとして呼ばれているのじゃぞ? おぬしが行かないでどうするのじゃ」
「呼ばれているのは行路なんでしょ? アンタが行けばいいじゃない」
「いやじゃ。面倒じゃし」

面倒くさがるのを隠そうともしないふたりだったのだが。

「お酒と蜂蜜水、止めますよ?」

ある意味、ふたりの命そのものを取り上げられかけ、顔色を変える袁術と孫堅。
笑顔の張勲がかけた脅しに屈する形で、不承不承やって来たという経緯があったりする。

洛陽へやって来てからも、袁術のものぐささは鳴りを潜めようとはしない。
袁術の代わりに、袁術軍を統べる孫堅があらゆる面で顔を出してくる。
張勲がそれに同行することもあるが、なにか口を挟むこともなく。彼女は孫堅と並び立ち、ただ笑顔を浮かべているだけだ。

「孫堅さんがやってくれるなら私いらないじゃないですかー」
「うるさい。張勲、お前も苦労しろ」
「えー、面倒くさーい」

面倒くさがりばかりな袁術陣営であった。





各々が思惑、というには一部首を傾げるところもあるが、まぁ思惑を抱えつつ。
"洛陽を守護する"という名目の下に、軍閥らはそれぞれに将兵を鍛えていく。

西園八校尉という地位にある以上、将兵の質を上げるべく鍛錬をすることは日常のことだといっていい。
だが、これまで抱えていた朝廷軍を基準にして考えるとどうか。
この熱心さは、いささか常軌を逸しているように見える。
少なくとも、自己保身と私腹を肥やすことに熱心な高官たちには理解が及ばないものだった。

いや、我々のいる洛陽を守る兵なのだから、強力なことに越したことはない。

そんな都合の良い考えに至り、彼ら彼女らはそれ以上考えることはなくなった。

各軍閥らの熱心さや武の高さ。
既に名高い"江東の虎"の名。
黄巾賊を三万も屠ったとされる"飛将軍"。
また彼女らに勝るとも劣らない将の存在。
そんな彼女らの下で鍛錬を重ねる将兵。

こういったことが口から口へと伝わっていき、朝廷内のみならず、洛陽の町中にまで風聞は広がっていく。
普段から気に留めようとしない高官たちの耳に入るくらいなのだ。それ以外の人たちの、目に耳に入ってくるのは当然のことである。

下に伝わるのであれば、上にも当然伝わっていく。
西園八校尉らの噂は、いつしか病床に臥す霊帝の耳に及ぶまでに至る。

霊帝も、孫堅と呂布の名は知っていた。その武勇のほども聞き及んでいる。
そのふたりに迫ろうという武を誇る将、華祐。
名を聞くのは初めてであったが、公孫瓉配下の武将であり、縁あって董卓軍の指導を受け持つに至ったと知る。
黄巾賊討伐の際に響いた、幽州・公孫瓉の勇名。その一端を担う者であれば、よほどのつわものであるに違いない。
そう、霊帝は納得する。

呂布と華祐を擁する董卓軍を中心として、西園八校尉の四軍閥がしのぎを削り合っている。洛陽の守りはこれからより磐石なものになるだろう。
これを知った霊帝は、その頼もしさをより身近なものにしようとする。
あくまで軍部の一角であった西園八校尉を独立させ、皇帝直属の禁軍、つまり厳選した近衛軍として扱うことを下知したのだ。
洛陽のみならず、朝廷そのもの、特に皇帝の周囲を守護するものとして掬い上げたのである。

これを進言したのは、張譲と董卓。絵図を描いたのは、加えて賈駆に鳳灯である。
朝廷内において都合よくあろうとする腐敗官吏たちを相手に実力行使を行える、そういった存在を、軍部と宦官よりも上位に作りあげる。不正などが発覚すれば、漢王朝ひいては霊帝に渾なすという理由で正当に処断できる。そういった存在を求めるよう、霊帝の言質を引き出したのだ。
腐敗官吏たちも、はじめはその存在の重要さに気付くことが出来なかった。
だが西園八校尉の面々が、霊帝、その娘である劉弁、劉協、この三人に付き従うようになったところでやっと、事態の重さを知る。

霊帝には近づけない。
各々の御輿となる劉弁と劉協にも近づけない。
不穏な動きをしようものなら堂々と取り締まられる。
陰で動こうにも兵のほとんどが既に握られている。

狭い朝廷の中において、四面楚歌といってもいい状態に陥っていた。



それでも、何進大将軍は猛然と反発してみせた。
軍部の最上位であるにも係わらず、軍閥の下につくことを強いられるのだ。これが面白いわけがない。

近衛軍は独立した存在。大将軍が率いる軍勢とは扱いが別となる。
どちらが上下といった考えを持つには及ばない。
気にするな。
己が統べる将兵たちを用い、これからも漢王朝を支えよ。

内心はともかく、皇帝に仕える直臣である以上、霊帝自らにそうまでいわれては大人しく頭を垂れる他ない。
妹である何皇后による懐柔策も用いることが出来ず、何進は歯噛みするばかりであった。


これに気をよくしたのが、宦官勢である。
身動きが取れないと意気消沈していたのも束の間、軍部に対し強く態度を取るようになる。

近衛軍の配置。これの発起人は張譲である。
董卓は軍部・外戚側ではあるが、張譲に従う形になっている。何某かのやり取りを経て宦官側に取り込まれたのだろう。朝廷内にあえて放置した董卓に対する風聞も手伝い、宦官らはそう解釈した。
さらに他の軍閥勢は、董卓軍の指揮の下で動いているように見える。
ならば、西園八校尉のすべては、宦官の兵に等しいじゃないか。

彼らは、自分たちに都合の良い捉え方をもって、気を大きくさせたのだ。

何進もまた、宦官勢と同じ考えに至っている。
自ら招き寄せた軍閥らが董卓と結託し、宦官と外戚の間を日和見していたのを張譲が取り込んだ。
近衛軍と何進旗下の軍は別物だというものの、董卓は既に将兵の多くを掌握していた。
実質、手元の兵力の大多数が敵側に回ってしまったに等しい。
そう思い込んだ。



各派の思い込みと思い違いによって、宦官と外戚の間に不思議な緊張感が生まれた。
互いにいがみ合いながらも、それに干渉する第三者が現れ、表立って逆らうことが許されない。
結果、大きな衝突や騒動が起こることもなくなり、空気が張り詰めていながらも、朝廷内に平穏なときが流れる。

宦官にせよ軍部にせよ、裏に回っての陰湿な行動はやり慣れたことではある。
人目につかぬよう裏工作に動く者もいたが、それらも実を結ぶことはなかった。
ここでも、賈駆と鳳灯らが一手も二手も先に敷いて来た工作が活きている。
自分たちの手足である、いや、手足であったはずの兵や官。
これを動かし働きかけようとしても、彼ら彼女らの動きが鈍く、思うようにいかない。
なぜいうことを聞かないのかと怒鳴り散らす姿を見て、下につく将兵たちはより醒めた態度を取り。
それが更に激昂する火種となるが、もはやこれまでと上司の下を離れていく。
"これまで通り"のやり方でなんとかしようとするたびに、各派の高官たちは配下の数を減らしていった。
もちろん、その原因を理解することはない。

八方塞であった。
数少なくなりつつある配下を大っぴらに動かすことも出来ず。
離れていった者たちを表立って処断することも出来ない。
正に、賈駆や鳳灯らの目論んだ通り。
腐敗官吏らの手足は大きくもがれた状況となっていた。





すべてが、張譲、董卓、賈駆、鳳灯、曹操らの思惑通りに転がっていく。
宦官も軍部も、もちろんそんなことには気付かない。その手足をさらにもがれていく。

宦官と外戚の諍いとは、漢王朝における権力の奪い合いであった。
現在、その頂点にある霊帝は病床にある。病状は芳しくない。朝廷内の誰もが、崩御のときはそう遠くないと感じていた。
皇帝の崩御となれば、次期皇帝に誰を据えるかが問題となる。
候補はふたり。劉弁と、劉協。
共に霊帝を父とし、劉弁の母は何太后。劉協の母は生後間もなく毒殺されており、霊帝の生母である董太后に育てられている。
劉弁を次期皇帝に推すのは、外戚派だ。何太后の兄はである何進は、肉親という繋がりを持って朝廷を牛耳ろうと画策していた。
対して劉協を推していたのが、宦官。主に董太后の住む宮殿で育てられたため、宦官が接しやすく、傀儡とするには都合の良い存在だった。

担ぎ上げるべき御輿。
外戚にせよ宦官にせよ、ふたりの幼い皇帝候補に対して、その程度の思いしか抱いていなかった。
だが、西園八校尉らの台頭により、その御輿に近づくことさえ出来なくなったのである。

霊帝の声掛りによって、西園八校尉は近衛軍として扱われるようになり。彼女たちは、皇帝らの身辺警護に立つようになる。
劉弁の傍には曹操らが。
劉協の傍には董卓らが。
そして霊帝の傍に、袁紹と袁術、孫堅らが付き添う。

実力行使を厭わない近衛軍。彼女らを前にして、宦官及び外戚らは迂闊なことを進言出来ない。
傀儡とする仕込みにしても、都合のいい人間のみで囲むことも出来ず。
劉弁と劉協からなんとか護衛を引き離そうとするも、近衛の面々はまったく耳を貸そうせず、警護の目が薄くなることはなかった。

ことに宦官たちの憤りは大きい。
宦官である張譲の声掛かりで組まれた近衛軍なのだ、董卓を初めとした西園八校尉は宦官の私兵に等しい、と、都合よくそう思い込んでいた彼らだったのだが。まさか近衛軍の面々に一顧だにされないなどとは想像もしていなかった。むしろ顎で扱き使うつもりであったのだから、気持ちの反動はさぞ大きかっただろう。
だからといって、反発はしても反抗することは出来ずにいた。実力のみならず地位の上でも、西園八校尉の四人は遥かに上で、皇帝に近しいところに立っている。
立場は自分たちよりも上なのだ、という現実を、宦官らは今更ながらに理解した。

現状に憤っているのは軍部もまた同様である。
董卓、袁紹、袁術は、元々は何進が呼び寄せた兵力。
であるのにも係わらず、近衛軍となった彼女らに今は手を出すことが出来ない。
軍部の頂点である大将軍の命令にも従わない。そんな彼女らに対し噴飯やるせない何進であったが、一方で、なんとか自分も近衛軍の指揮系統に食い込めないか働きかけていた。
洛陽に呼び寄せたのは自分であるし、今の地位を宛がったのは自分だ、だからお前たちは自分に従うべきだろう、と。
何進は、彼女らの上洛当初の繋がりを取り戻そうとするも、その結果は惨憺たるもの。曹操と袁紹には居丈高に罵られ、董卓に哀れな視線を向けられる。袁術には無視を決め込まれ、孫堅には冷笑を浴びせられた。
性質の違う悪意に連続して晒されたせいか、何進は恐慌に陥ったかのように、顔色を赤くしたり青くしたりと忙しない。
落ち着けば落ち着いたで、周囲に当り散らし喚き散らす。
そんな態度がまた、何進の下から配下がひとりまたひとりと、距離を置いていく原因となる。
思うようにいかない、なぜこんなことになった。
何進は誰にいうでもなく呟く。怨嗟の如き声が、ただ繰り返されるばかりであった。




「ここまでくると、滑稽じゃな」
「まったくですわね」

朝廷内の現状を見て、ふたりは心からの思いをこぼす。

護衛の任を孫堅に任せ、いっとき、霊帝の下を離れてひと息つく袁術と袁紹。
もっとも、袁術に関してはすべて孫堅に任せっぱなしで飄々としているのだが。
幼少から彼女をよく知る袁紹も、いろいろな意味での奔放さには匙を投げているので今更なにかをいうこともない。

だが現在の腐敗官吏たちの所業と比べれば、袁術など十分にまともなものだ。
袁術自身は非力なりであっても、出来る者を見出した上で委任し、その結果に対してあまり文句をいわないのだから健全なものだ。
人の上に立つ者として、ある意味理想的な姿かもしれない。

朝廷内に蔓延っている腐敗官吏は、彼女とは逆である。
出来るかどうかを吟味せずに他へ放り投げ、結果は当然のように自分のものにする。
またその結果が気に入らなければ文句をいい、なぜそうなったかを省みない。
ただただ、気にいらない、なんとかしろ、と、癇癪を起こすばかり。

「妾とて、次に蜂蜜水を飲める時間まで我慢するくらいは出来るのじゃ」
「美羽さん、他にいい様はありませんの?」

腐敗官吏らの、身の丈に合わぬないものねだり。
その様を見ての感想を袁術は漏らすが。あまりといえばあんまりな例えように、思わず袁紹も言葉を挟む。

だが、袁術のいうことは的外れでもない。
程度の差はあれ、我慢が必要となる場合とは、望んだものに対して手が届かない状況だといえる。
なぜ手が届かないのか。それは、手にしようとしているものを抱えきれるほどの力を有していないからだろう。
力の足りないまま手にしたとしても、抱えきれずに手放してしまうか、持て余し潰れてしまうか。大方そんな結果で終わるに違いない。
この"力"というものも、文字通りの意味、権力や知力腕力といったものだけではなく。意志であったり理想であったり決意であったり、そういった形として見え辛いものも含まれる。むしろ前者を方向づけるという意味で、後者の方が重要だといえるだろう。

なにかを手に入れようとする。そのために力を尽くす、力を蓄える。
一方で、手に入れることが難しそうだから手を出さない、と諦める。
どちらの判断を取るにしても、己が実力を自ら把握していることが前提となる。
つまり、身の丈を知るということだ。
そこで初めて、手に入れる努力をするか、我慢をし諦めるか、という判断が可能になる。

前者は袁紹、後者は袁術。
そういった点では、血縁であるこのふたりは好対照といっていい。
袁紹は、袁家という威光を更に高めるべく、遠慮呵責なく欲をかき、それを手に入れるための労力を惜しもうとしない。
袁術は、幼ささえ残る若さゆえの非力さと出来ないことの多さを自覚し、自ら無理をしようとせず、出来る者に遠慮なく押し付けてしまう。
どちらが正しいか優れているかという問題ではない。
自らの持つ"力"を知った上で、どう反応し行動するかの違いだ。

腐敗官吏たちの場合はどちらでもなかった。
ただ闇雲に"欲しい"というばかりで、手に入らなければ泣き出しねだる子供と大差ない。
彼らに対する評価は、袁紹にしろ袁術にしろ共に低い。
だからこそ、張譲や董卓、曹操らの思惑に乗って見せたのだ。もちろん、自分なりの思惑も絡めながら。



ことの良し悪しを判断する基準というものがある。このふたりにもそれはあった。

袁紹の場合は、袁家の長子という自覚と、それに相応しくあろうとする意識、このふたつを昇華させた自分への戒め。
彼女の口癖でもある、"華麗たれ"という金科玉条。
人の上に立つ者としての気概が、彼女の言動をぶれないものにさせている。
彼女はいう。

「なにかを欲するならば、それに相応しい"力"を得なければならないのですわ」

と。

反して袁術は、父・袁逢や孫堅、張勲といった、文に武に突出した人物に囲まれて育ったがゆえに、"自分に出来ることは少ない"という意識を抱えていた。ならば自分でなくとも、出来る者にすべて任せてしまえばいいではないか、という考えに至り。良くも悪くも子供らしい奔放さに任せて成長していく。
袁逢の死後も、出来る者が出来ることを無理なく割り振られたため、自領が混乱することもなく。それが許される家柄立場を持つこともあり、袁術は変わらず放蕩に過ぎない程度の生活を続けることが出来た。
孫堅の教育もあって、実力ある名家の人間として最低限の分別は身についているのだが。自分の"非力さ"を拭うまでには至っておらず、周囲にすべてをまかせるという在り方はそのまま。彼女は"今このときが続けばいい"という、現状維持を望むようになっていた。
彼女はいう。

「過ぎた欲をかくと、碌なことにならんからの」

と。

向いている方向は互いに違っていても、根本のところは同じものを有しているふたり。

「楽をして、大きな利を得ようとするな」

共に口する言葉の意味は同じ。
袁紹は利を求め、袁術は楽を求めた。
それだけの違いなのだ。





利も楽も、両方とも得たい。
朝廷内の腐敗官吏はそう考え恥じようとしない。
これまでは曲りなりにも、楽をしつつ利を得ることが出来ていたのだ。それを当然と捉えている以上、改めろと迫られたところで改まりはしないだろう。

だからこそ、張譲たちは力任せに押さえつけた。
今、朝廷内の政治及び勢力図は、宦官、外戚、そして近衛軍の三竦みが成立している。
この現状に、人死にを好まない董卓や鳳灯はほっと胸を撫で下ろし、徹底した排除を視野に入れる曹操は物足りなさを感じていた。

そんな、表向き平穏ではあったものの、どこか朝廷内の空気が悪い中。
御身の傍に近衛を置いたことで、ひとり、心の安寧を得たのだろうか。
霊帝は、思いの外穏やかに息を引き取った。

霊帝の崩御。

これによって権力争いが激化していくかとも思われたが。
宦官外戚共に、既にその言動を相当に抑圧されており、傀儡として擁立するはずだった皇帝候補も手元にない。
動こうにも動けず、声を上げようにも上げられない。
沸き立つ私欲を抱えながら上から押さえつけられ続けることで鬱積が溜まる。
宦官にせよ外戚にせよ、自分たちの立場の不利さは、この期に及んでさすがに理解出来ていた。
だが、理解は出来ても納得はいかない。

張譲の思い描いた通りに、腐敗した輩を排除しつつ、内から漢王朝すべてを組み変えることが出来るかとも思えたが。
私利私欲に執着した者たちが、それらを簡単に諦めるはずもない。
宦官、軍部、それぞれが、近衛軍に反抗を示し出す。

洛陽の裏表を問わず、よからぬものが動き出した。













・あとがき
やべぇ、なんだか袁術陣営が楽しくなってきた。

槇村です。御機嫌如何。




前回32話。孫堅さんの髪の色に、皆さん福本作品のごとくザワめいていましたが。
正直、そこまで反応が来るとは思っていなかった(笑)

書いている最中、実は娘さんらのことに思考が行きませんで。
途中で気がついたけど、頭の中に現れた孫堅さんが"褐色黒髪長髪"だったから。
そのまま行くことにしました。(笑)

後付けだけど、親父周りの設定をいろいろ考えるのが超楽しい。
おかげで呉陣営の設定が充実したよ!
活きるかどうかは分からないけどな!!





本作品について。

恋姫どころか、実際の歴史まで都合よく改変しています。
西園八校尉は初めから皇帝直属だろ、といったような突っ込みどころが多々あります。
これ以降も、都合よく史実を取り入れたり改変したりということはありますので。その点はご容赦を。

物語をでっち上げるスタンスとして、

"ネタ(史/資料)を調べるだけ調べた上で、おもむろに嘘をつく"

というのを、司馬遼太郎氏が著書でいっていたような気がする。
さも本当のように、都合の良い嘘をつく。
そんな書き方で行くつもりですので、読まれる方は注意してください(笑)
でも、"ここはこうじゃね?"といった突っ込みは歓迎します。むしろカモン。



劉弁と劉協を、息子にするか娘にするか、本当に悩んだ。
それが後々どう動くかは分からない。



[20808] 34:【漢朝回天】 その心を動かすもの
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2011/11/20 18:47
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

34:【漢朝回天】 その心を動かすもの





「なんだか、大変なときに来ちゃいましたね」
「確かにな。いろいろな意味でそれどころじゃないって状況なら、あんな扱いも仕方ない、のか?」

説明を聞き終えた後、公孫越が溜め息交じりにいい、妹の言葉に続けて公孫瓉もまた溜め息をつく。
数刻前の自分たちを思い返しながら、頭を抱えるふたり。
そんな彼女らの姿に、思わず鳳灯は苦笑いを浮かべてしまう。

公孫瓉と、公孫越。
ふたりは遠路はるばる、幽州から洛陽へとやって来た。
目的は、州牧に太守という新しい地位についてからの近況報告がひとつ。もうひとつが、烏丸族と独自に結んだ同盟関係の詳細を報告することだった。
当初は遼西郡のみであったが、公孫瓉が州牧に就任したことによって烏丸族との融和が幽州全体に広がった。さらに鮮卑との交流も行われるようになり、幽州に関していえば、いわゆる"北からの脅威"に対して友好的な方向へ進み出している。
漢王朝の在り方にも係わってくるであろう変化である。内容の規模と重要度が大きいがために、直接携わっているふたりが直々に報告に赴いたのだが。
報告を受けるどころではないと、各所で一蹴されてしまっていた。

霊帝が崩御し、朝廷内の雰囲気は険悪で、軍部と外戚そして近衛の間で起こる小競り合いが頻発している。
確かに、外部に意識を回している余裕はないのかもしれない。
だが霊帝崩御はともかく、起こっているいざこざはしょせん内輪での権力争いでしかない。少なくとも公孫瓉の目にはそう映っている。他にすべきことがあるだろう、と、憤りを案じずにはいられない。
その一方で、今現在起こっているいざこざ、その絵図を描いているひとりが鳳灯だと知り。感じていた憤りも突き抜けて呆れに転じてしまう。驚きはしたが、それ以上に溜め息が出てしまう。

はるばる幽州からやって来たというのに、朝廷内の高官たちに門前払いの如き扱いを受けた。
その原因もまた、回りまわって身内にあったと思うと更に溜め息がこぼれそうになる公孫瓉だった。



上洛したにも係わらず、本来の用件を果たすことも出来ないまま。公孫瓉と公孫越はしばし洛陽に逗留することになった。
鳳灯と華祐の繋がりで、彼女らは董卓勢の世話になっている。
更に、董卓の横の繋がりから、公孫瓉と縁のある面々が集まり。小さな宴席が設けられた。

招いた側は、董卓、賈駆、張遼。
曹操、夏侯惇、夏侯淵。
鳳灯、華祐、それに袁紹。
招かれた側は、公孫瓉、公孫越、趙雲である。

直接の面識がないために、袁術勢はひとまずこの場に呼ばれなかった。
それでも、洛陽における近衛軍の将がほとんど一堂に会している。
宦官勢や外戚らがこれを見れば、なにを企んでいるのかと慄くこと請け合いだ。

とはいえ、上洛したばかりで現状をまったく把握できていない公孫勢。
宦官や外戚の勢力図、その中で近衛軍が台頭した経緯、張譲や鳳灯らが画策してきたことなどなど。
ここしばらくの状況推移を説明され、内容を把握したところで漏らした言葉が冒頭のものになる。





ややこしい話が交わされてはいたが。全員がそれに加わっていたわけでもなく。
張遼と趙雲は早々にそこから離れ。更に華祐と夏侯惇が離れ。

「なにをいっているのかさっぱり分からんぞ」
「分かることは分かるが、分かりたくないな」
「小難しいこと考えながら飲んでも、酒が不味くなるだけやで」
「うむ、どうせなら楽しく飲みたいものだ」

いつの間にか武将勢だけで輪になり飲み交わしていた。感情がそのまま表に出るような、分かりやすい盛り上がりを見せている。



話がひと段落ついてから、もうひとつの輪が出来る。
賈駆、夏侯淵、公孫越だ。
三人共に、普段立っている位置は一歩引いた"副官"、いざというときは主の代わりに表にも出てみせるという役回り。
"自分の周囲を傍から助け、大変ではあるが辛いとは感じていない"という点で通じ合うところがある。賈駆は董卓の、夏侯淵は曹操の、その陰に好んで立っていることも似通っていた。公孫越は少々異なるが、姉の補佐をして来たという意味ではその期間は長い。

「つまりそういうことなのよ」
「そうだな」
「そうですね」

言葉は少なくともいいたいことが分かる。そんな雰囲気。
静かではあるが、目に見えない部分で妙に盛り上がっていた。



残る面子、董卓曹操袁紹鳳灯、そして公孫瓉が輪を囲む。酒も相当進んでいたが、各々意識はしっかりとしていた。

董卓は、烏丸族との同盟をなしたという公孫瓉と話すのを内心楽しみにしていた。
涼州出身の彼女も同様に、北に対する異民族対策に追われていた。
中央に呼ばれたことで、他の軍閥らにすべて任せてしまった負い目もあり。なにか参考になることがあればと思い意気込んでいたのだ。

「ぜひとも、お話を聞かせていただきたいんです」
「お話、といわれてもなぁ……」

酔いが勢いをつけていることもあるのだろう。細く小さく可愛らしい外見の董卓が、赤い顔をしつつ意気込んで迫ってくる。
見掛けからは想像し難いその勢いに圧されながら、公孫瓉は、自分の経験したやり取りや同盟の切っ掛けなどについて語った。
曹操と袁紹も、時折言葉を挟みながら耳を傾ける。
同盟を結ぶ最後の一押しが、呂扶の持つ圧倒的な武を目の当たりにしたからだと聞き。それは無理もない、と、その程を知る曹操と鳳灯は笑いだした。

「例えるなら、董卓軍の呂布を怖れて朝廷軍が同盟させてくれというようなもの」

そんな例えをしてみせた曹操に、董卓も袁紹も笑い出す。

「失礼だな、烏丸は朝廷軍ほど腰抜けじゃないぞ。曹操、丘力居に謝れ」

公孫瓉もそんなふざけた言葉を返してみせ、また五人は揃って笑う。



漢王朝にとって、北狄と呼ばれる異民族の存在は悩みの種であった。
その一角である烏丸族と、いきさつはどうあれ同盟し、融和の道を取り出した。
漢王朝に対する脅威のひとつが解消されるかもしれないのだ。これは偉業といってもいいものだろう。

「貴女が洛陽まで来た本来の理由も、遠からず知れ渡るわよ。"幽州の公孫瓉"の名は更に上がるわね」

そうなると、どうなるか。
保身と利に聡い連中が近づいてくるだろうことは想像に難くない。

「むしろ、既にいくらか接触して来てるんじゃない?」

曹操のいう通りだった。
上洛して朝廷中枢に報告を上げ、数日が経つ。そのわずかな間に、宦官外戚を問わず何人もの高官が公孫瓉に接触している。その度に会談の場を設けられ、彼女はあちらこちらに引っ張りまわされていた。
会談といえば聞こえはいい。だが、その内実は一方的なものでしかなかった。彼らは地位を嵩にし、高圧な態度で要求だけをする。そして、そうした態度をとることになんら疑問を感じていない。

朝廷に任官する者たちは多く、中央、つまり朝廷のある洛陽から離れた地域を一段下に見る傾向がある。これは宦官も外戚も大差はない。
幽州といえば、洛陽から見れば北の果てといっても過言ではなく。そこを治める公孫瓉に対する態度はどんなものになるか、容易に想像がつく。
とはいえ、善政を敷く者として、また白馬義従を率いる軍閥として、彼女の名はここ洛陽においてもよく知られている。
知名度の高い有力者が上洛してきたのだ。内心はどうあれ、その言動は大いに気にかかる。

ましてや、今は各派ともに戦力に不安を抱えている状態だ。士気は大きく落ち込み、反意さえ隠そうとしない兵も中にはいる。
とはいえ、未だそれなりの兵力をそれぞれ抱えている。単純に兵力差でいうのであれば、近衛軍に与する兵力はまだ及ぶところではない。将兵の質では明らかに上をいっているが、数で押されて近衛が太刀打ちできるかというと甚だ怪しい。質と量を含んだ戦力差では、宦官及び外戚たちがまだ辛うじて勝っている。だからこそ、情勢は危ういながらも均衡を保たれていた。

そこに現れたのが、公孫瓉。
軍閥として名高い彼女は、質としては文句をつけるところがない。味方につければ、質が補え、兵力も増加し、さらに烏丸族までついてくるかもしれない。
宦官にしろ外戚にしろ、なんとか自陣に取り込みたいと考えている。そして近衛軍に対抗出来る形を作りたがっていた。

現状において、彼女の交友関係を知る者ならばなにをおいても公孫瓉を引き込もうとするだろう。
なにしろ、近衛軍の主要人物のほとんどに誼を得ているのだ。

西園八校尉である曹操とは、黄巾討伐の際は共に戦場を駆けた仲だ。
袁紹とは、幼少の頃に机を並べて勉学に励んだ旧知である。
董卓軍の軍師である賈駆は、治世のほどを学ばんと幽州へ出向いている。それに応えて、公孫瓉は自身の内政官を派遣するほどなのだから、その親密さがうかがい知れる。その内政官も、董卓と共に上洛するほどの信頼を得ており、これからもより厚い誼を交わすに至るだろう。
董卓軍配下である張遼は、戦場での危機において助力を受けたということもあり、公孫軍の将らとは真名を交わすほどの親しさがある。
更には近衛軍の修練を指導しているのが、客将扱いとはいえ公孫軍の将。指導役の主君となれば、他の軍閥とはいえ、近衛軍の将兵らが向ける目も相応のものになる。
そして、軍閥としての名はかつて霊帝の耳に届くまでのもの。事実、これまで悩まされていた烏丸族の脅威を水際で防いでいた実績がある。また同時に、長く諍いが続いていた烏丸族と同盟を結んでのけたという政治手腕も見せているのだ。

これだけの人物が、表立っては近衛軍に与していない。引き入れたいと思うのは当然だ。もし自陣につくことになったならば、近衛軍に対する影響力は途方もなく大きい。
自分たちは漢王朝の中枢を握る重鎮なのだ、いざ話を通せば色よい返事がもらえるに違いない。いや、返事をするに決まっている。
宦官も外戚も共にそう思い込み、それを疑っていなかった。
ここでもまた、視野の狭さと、都合のよいことを重視する楽観さが表れている。
自分たちに都合のいいように進むと、この期に及んで信じて疑わない。

公孫瓉は、漢王朝に仕える臣下である。遼西を任されていた頃から、例え田舎太守と呼ばれていても、仕えるべきは皇帝であり尽くすべきは漢王朝であると考えていた。
彼女が粉骨砕身するのは、あくまで"漢王朝の治める御世"のためである。間違っても、一部の官吏が抱える私利私欲を満たすためではない。
会談という名の服従命令を、公孫瓉は数え切れないほどの苦虫を噛み潰しながら、保留という形でいくつもいくつもやり過ごした。そんな彼女に対して、高官らは信じられないという表情を見せ、苛立ちと不機嫌さを隠そうともせず舌打ちをする。
これまでも公孫瓉は、中央官吏の腐敗具合は目にし、耳にもしていた。だが、市政や民の生活が乱れるであろう時期にあっても変わらない、むしろ酷くなっているその態度を目の当たりにして。彼女の感情は更に冷めていった。此度のやり取りは、温厚な公孫瓉でもさすがに度し難いとしか思えなかった。

「なぁ、本当に皆あんな感じなのか? 私のところに来た奴が特別酷かったってわけじゃないのか?」
「残念ですけど……」
「皆似たり寄ったりよ」

無駄とは分かっていても、思わずすがりたくなる一縷の望み。
公孫瓉の言葉に、鳳灯はいい辛そうに口ごもったが、曹操は正直に断言してのけた。

連発される溜め息。その中で最も深いものが吐かれる。
絶望感、といえばいいのだろうか。中央官吏のお歴々を思い起こし、公孫瓉は胸の内で悪態をつく。
ふざけるんじゃない、と。
漢王朝の支柱ともいうべき霊帝が崩御した今、なによりも優先すべきは、つつがなく次期皇帝を選出し、即位させ、改めて治世を整えることだろう。
それが私利私欲に耽り、後継問題をそのまま権力争いへと横滑りさせ、民と政に見向きもしないとはどういうことか。
彼女の憤りは止まらない。

正直にいうならば。公孫瓉は、この期に妹の公孫越を売り込もうと考えていた。
あわよくば朝廷中枢に届くまで、と思いはしたものの。
鳳灯らの言葉、そして実際に見た高官官吏たちの態度をつぶさにして、その考えを改める。
下手に覚えがよくなろうものなら、かえって使い潰されてしまう。
今の中央に身を寄せても碌なことにはならない、と。
妹の身を案じて、必要以上に名を明かさぬよう、最低限の応対しかさせていなかった。

思惑からは外れたが、違った意味で新しい繋がりを公孫越は得られた。
陽楽で得た、夏侯淵との個人的な誼をより深められたようで。さらに賈駆とも仲良くなれたように見える。
軍閥の中、というよりも近衛軍のといった方が妥当だろうが、その中枢に位置する人物らと顔を繋げることが出来たのだ。
現状において、宦官や外戚と縁が出来るよりもよほど有益であるに違いない。
彼女はそう思うことにして、自らを慰めた。



「白蓮さんも、名を高めた割には変わりませんわね」
「うるさい。変わらないのはお前もそうだろ」

袁紹が呆れたようにいい、それに応えるように公孫瓉がいう。

袁紹と公孫瓉。
幼少のころに通じた、数えるほどのものでしかない誼ではあったが。互いにどういった性格なのかは、十分に分かり合っている。
顔を合わせ再会したのが、こんな政争真っ只中であるのは想定外だが。やはり旧知の友に会うというのは嬉しいものだ。
公孫瓉はもちろん、さすがに袁紹であっても、そんな気持ちがこぼれ出る。口にするのは憎まれ口であっても、その口調に悪意はない。

「私なんかより、袁紹の方が変わりないだろう。
小さい頃から言い続けていた"華麗に"がまだ続いてるんだから、相当だな」
「そういった意味でも、貴女は変わりませんわね。あの頃から華やかさに欠けていましたもの」
「うるさい、黙れ」
「そんな頃から普通だったのね貴女」
「普通っていうな、気分悪いぞ曹操」
「あら、これでも褒めてるのよ?」
「どこがだよ」
「白蓮さん、いい加減に受け入れなさいな」
「お前も気分悪いな袁紹」

曹操まで参戦し、憎まれ口を叩き合う。
公孫瓉がなにやら劣勢になっていくのも、ある意味いつものこと。鳳灯は笑みを湛えながら見守るばかりだった。

「それより袁紹、身内ばかりでもないのに真名を口にするなよ」
「身内みたいなものですわ。ここにいる方々は全員、いうなれば共犯者みたいなものですもの」

常に通して、公孫瓉の真名を呼び続けている袁紹。確かに真名を交し合った中ではあるが、人前でそう連呼していいものでもない。
真名は人にとって神聖なもの、という意識があれば、公孫瓉の非難は尤もなものなのだが。
袁紹は歯牙にもかけなかった。

「わたくしのことも真名でよろしいわよ? いっそこのまま、貴女も共犯者になりなさいな」
「そうね、ちょうどいいじゃない。こんなときにせっかく洛陽まで来たのだもの。
公孫瓉、貴女も一枚噛みなさい」

その口調はもはや提案ではない。決定事項を通達しているだけのように、曹操はさらりといってのける。

「……曹操、私に拒否権は?」
「あら。更に名を高める好機だというのに、断る理由なんて存在するのかしら」

あるなら是非とも教えてもらいたいものだわ、と。おどけた声でいってみせ。公孫瓉は渋面を浮かべる。

曹操は分かっている。公孫瓉は、このまま幽州に帰ろうとはしないだろうことを。
事実、なにが出来るのかは分からないが、このまま洛陽を離れてしまうことを公孫瓉はよしとしなかった。
鳳灯の友として放っておけない、という想いもある。
だがなにより漢に仕える臣下として、混迷する朝廷内を見過ごすことが出来なかった。
現状を落ち着かせる役割がなにかあるのであれば、その労を惜しむ気持ちは公孫瓉にはない。妹である公孫越とて、その想いは同様であった。

「そもそも、いきなり出てきた私たちが出来ることなんてあるのか?」
「そうね。厳密にいえば、なにもないわ」
「おい、ちょっと待て曹操」
「まぁ最後まで聞きなさい」

曹操曰く、公孫瓉がこれといってなにかをする必要はない。
彼女は既に、宦官外戚らの勧誘を断っている。少なくとも、相手は断られたと思っているだろう。
それが既に、近衛側にとって一手となっている。

このことで、宦官外戚らは深読みしてしまう。
なぜ自分たちになびかないのか。すでに近衛軍と共にあるからではないか?
となると、只でさえ差のある戦力が更に差をつけられ、兵力さえも差が縮まってしまう。
相手が勝手に、そう考えてしまう。

「権力がそのまま自分の力だと思い込んでいる輩。
だから思うようにならないことには我慢がならない。理由を考えても、深く考えようとはしないわ。
そして、なにか理由を見つけたならそれを盲信する。それがどれだけ荒唐無稽なものだろうとね」

宦官外戚につかなかった公孫瓉が、近衛軍の者と会う。
それだけで、もはや敵だと見なされかねないのだ、と、彼女はいう。

「なにもしなくても、きっと変わらない。
あいつらの中ではもう、貴女は近衛についたと見なされているでしょう。
それなら、妙なことに巻き込まれる前にこちらについておいた方が面倒もないわよ」
「いやまぁ、いっていることは分かるんだが」

曹操のいう言葉も、考えてみれば確かにその通り。どうしてこんなことに、と、頭を抱える公孫瓉。
どちらにつくかといわれれば、少なくとも宦官外戚の側につくつもりはない。
ならば近衛の側につくのかといわれれば、中央の政争にわざわざ巻き込まれるのもどうかと思われる。
かといって、早々に幽州へ帰ってしまうというのも、彼女の性格上気分がよろしくない。

朝廷の内乱について、何某かの結果を知るためには洛陽に滞在していた方がいい。
滞在を続けるならば、軍閥の一角である以上そちらを支持しているか表明していた方が面倒も少ないだろう。
そして、内情を知れば知るほど、支持するのは近衛側しか考えられなかった。

その辺りすべてを考慮した上で、こちら側につけ、と、曹操はいっている。

「腹芸が嫌いといっていた割には、外堀を埋めた上でしっかり追い込んでくれるじゃないか」
「嫌いだとはいったけれど、出来ないわけじゃないのよ?」

このままでは漢王朝は命が尽きてしまう。それを憂慮しての、新しい枠組み作りなのだ。
有能な人間であれば、逸早く引き込んでおく必要がある。
公孫瓉は役に立つ。董卓と同じく、前線よりも後衛、戦時よりも平時の方が力を発揮出来そうだと、曹操はにらんでいる。

それでいて戦働きも出来るのだから、器用なものよね。
自分のことは棚に上げ、そんな評価をする曹操だった。

「こちらについていれば、近い将来、相当いいところまで出世出来るわよ?」
「出世ねぇ…・・・」

曹操の内心など、察することはもちろん出来るはずもなく。彼女の言葉に対して、公孫瓉の反応はいまひとつ芳しくない。

公孫瓉とて、出世願望がないというわけではない。
ないわけではないのだが、どうもそういう気持ちが湧いてこなかった。

強いて理由を探すならば、“自分よりも優秀な奴はゴロゴロいるじゃないか”というもの。
その切っ掛けは、関雨、鳳灯、呂扶、華祐との邂逅だ。
武に知にそれぞれ突出した彼女らを見て、公孫瓉は、自分の程度の低さを実感していた。少なくとも彼女はそう感じた。

自分程度がそんなに偉くなってどうする、という気持ちがある一方で。
自分が出世すれば彼女らの働きに応えることも出来る、という気持ちもある。
出世によって得られるものとして想像するのが、他に高位を与えられることというのだから。宦官外戚らが、彼女と合わないのも仕方がないだろう。

自分が出世をするよりも、妹たちにそういった道を用意してみせる方に喜びを感じる。
こういうところが、お人好しといわれるところなんだろうな。

自分の考えに苦笑いしてしまう、そんな公孫瓉だった。





時勢を見るに長けるということ。それは、力を持つ勢力を見定めるに敏、ということでもある。
長く、漢王朝の舵取りを担って来た、宦官と外戚という二大勢力。新たに近衛軍が台頭したことによって、その力関係は大きく変化した。
宦官は、主に政に携わっている。ことの良し悪しはどうあれ、時勢や物事の変化を見、なにがしかの決断をするということに長けているといっていい。
近衛軍の台頭に際しても同様だった。

はじめこそ、自分たちの権力財産その他、あらゆる物を手放さないために、反発し、反抗しようとさえした。
だがどう足掻いても敵いそうにないと悟ると、宦官勢の態度は正反対のものになる。
なんとかして近衛軍に取り入り、自分たちの心象を良くしようと画策し出したのだ。
賄賂を贈り、媚びへつらい。董卓の、曹操の、袁紹の、袁術の元へ日参する。少しでも、自分の名を覚えてもらえるように。

確かに彼女たちは、日参する者たちの名を、姿を、覚えていった。
だがそれは決して宦官らの望んだようなものではなく。ただひたすら拒絶すべき対象として記憶したに過ぎない。

彼女たちが何故自分たちを毛嫌いするのか。
これだけ褒め称え金品も贈ろうとしているというのに、耳も貸そうとせず、なにひとつとして受け取ろうとはしない。
宦官らには理解が出来なかった。

当然といえば当然だ。そもそも彼女らが臨み求めるものが、宦官勢と異なるのだから。
金品や名声はあるに越したことはない。程度の差はあっても、それらは彼女らにとってあくまで手段でしかない。
それらが目的となってしまっている宦官らが、最上と思えることをすればするほど、四人の対応は冷たく醒めたものになっていく。

理由は分からない。しかし機嫌を損ねていることは分かる。
相手の醸し出す雰囲気を読み取ることには長けている者たちである。焦りを募らせる。
近衛の面々はなにを望んでいるというのか。
ただひたすらに、宦官らは見当違いな思考を重ねていく。



焦燥感と恐怖に晒された彼らは、突飛ともいえる考えに行き着いた。
近衛にとって、宦官が敵視する存在だというなら、外戚も同じく敵ではないか。
敵の敵は、味方だ。
ならば自分たちが外戚派を潰してしまえばいい。

一度思いついたそれに囚われる。
これこそ最上の案だと、宦官らは配下の者を動かし、実行した。

何進と、何皇后の暗殺。

文字通り"敵"の首を土産として、近衛軍に取り入ろうとしたのだ。

自らに都合のいい思考。その渦に身を取られながら、宦官たちはただ保身のためだけに駆け回った。
その行動自体が、自分たちの首を絞めていることにも気付かないままに。
そして、その想像以上に素早い行動が、さらに状況を込み入ったものにするとは予想もせずに。





公孫瓉を囲んでの宴席、それから数日後に起こった、何進大将軍と何皇后の暗殺。
近衛軍はこれに対してどういった対処をすべきか。
主だった将が集まり論議を重ねている。

「まさか、宦官どもがこうも直接手を汚してくるとはね」

苛立ちを隠さず、吐き捨てるように曹操は呟く。これは他の面々にも共通した思いであった。

正直なところ、何進はまだいい。大将軍を失い、軍部が不安定になるのなら、その隙に取り込んでしまえばいいのだから。
だが何皇后まで手をかけたのはよろしくない。
彼女はそう考えている。

普通に考えれば、次期皇帝の座には長子である劉弁がつくことになるだろう。
何皇后は、その劉弁の実の母親である。私利私欲にまみれ、愛娘さえそれを満たすための道具とみなし、満足な愛情を与えていなかったとしても、血の繋がった肉親であることには違いない。
父を亡くし、時を置くことなく母まで亡くした。それも暗殺で、である。
いかに聡く、自身が権力の座に近しいことを理解していたとしても。未だ幼いといってもいい齢の少女が負う心の傷は、大きくその身を苛む。
ただでさえ、皇帝というものは多くを抱え込む地位だ。心に傷を負った状態では、皇帝の座に就いたとしても早々に潰れてしまう。
それなりの年齢の者でさえそうだろう。歳若い劉弁であればなおさらだ。

事実、劉弁は、何皇后の死を知ると人事不省に陥り、そのまま寝込んでしまっていた。
父、母、伯父、血縁のことごとくが亡くなり、唯一の縁者は妹である劉協のみ。漢王朝という巨大な存在の中心に、身ひとつで取り残されたといってもいい状態。劉弁劉協の姉妹はただ"皇族の血"という部分だけを見出され、いいように利用されるだろう。
幸い、劉弁の周囲には近衛の者がいる。護衛対象としての、そして皇族に対してのものと考えると、その接し方は親愛の念に満ちていた。董卓の影響によるものだったが、劉弁の精神に安寧を与える意味では効を奏していた。

優しく接するということ。
曹操とてそれが出来ないわけではない。だが董卓と比べて、その想いには幾ばくかの功利が混じる。軍閥と呼ぶには線の細い、争いを嫌う同僚のように、無上の親愛を傾けることは出来そうになかった。ついつい、どこか厳しく当たってしまいそうな気がしてならない。

「だから、劉弁様のお世話は貴女に任せるわ」

精神的に疲弊した次期皇帝を、董卓に任せる。
対して、曹操は、宦官や外戚らが仕出かす火遊びの対処を一手に引き受けた。
争いを望まぬ者と、争いが起きても一向に構わぬ者。適材適所、というものだ。

董卓と鳳灯が常から口にする、戦は嫌だ争いは嫌だ、という言葉。
言葉だけならば簡単に口に出来る。口にするだけだったならば、一顧だにせず捨て置けばいい。
だが彼女たちは、戦を争いを避けるために力を尽くしている。そのために上洛してきたのだということを、当人たちの口から聞いている。
そして思う通りにいかなかったときのために、自らが抱える軍勢を鍛え上げてもいる。
曹操としても、そこまでして臨んでいるのならばなにもいわない。董卓らの好きな通りにすればいい、と、考えている。
だが。

「血を流さないための努力は尊いものだけれど、汚れた血まで惜しむのは愚かなことよ」

どれだけ綺麗ごとをいおうと、そのために努めようと。傷つき血を流し死ぬ者、そして傷つけ血を求め殺す者は現れる。存在そのものが害悪となる者も、また同様に。
少なくとも、何進何皇后暗殺に参画した輩は生かしておくべきではない。
後々余計な諍いを生む原因となり、彼ら自身が問題を起こすであろうことは想像に難くない。

汚れた血はむしろ流しきらなければならない。放置すれば、その汚れは他にも移り、汚れることで澱み膿んでいく。
漢王朝の腐敗は、そんな澱みや膿みが溢れ出した結果なのだ。
見栄えを気にして剪定を繰り返したとしても、腐った根が残っていれば、大樹といえど倒れてしまう。
それは、董卓も鳳灯も、よく分かっている。

「……少なくとも、同じ轍を踏む原因は取り除いておくべきでしょう」

宦官を排除する。
すべて殺すことも視野に入れ、それを受け入れたということ。

「曹操さん、お願いします」

董卓は頭を下げ、手を汚す役を引き受けた曹操に感謝する。同様に、鳳灯もまた頭を下げる。
ふたりとて、"戦を避ける"が信条であっても、避けきれない争いにまで背を向けようとは思っていない。
手段が他にないのならば、躊躇いなく武器を取る。そのために、董卓軍は日夜修練に励んでいるのだから。

だがそれでも、鳳灯は、死なずに済む人がいるならば人死にを避けたいと思っている。
よくいえば、有能なものを掬い上げるために。悪くいえば、恩を着せ縛り付けるために。

「迅速に、でも余計な人死にがでないよう、お願いします」
「随分と難しいことを、簡単にいってくれるわね。鳳灯」
「出来ませんか?」
「出来るに決まっているでしょう」

約束はしないけれどね。
愉快そうに笑いながら、曹操は背を向けその場を離れる。
その姿を見送りつつ、董卓と鳳灯は顔を合わせ。
釣られるように笑みを浮かべた。



世の中が、そう悪くない方向へと変わろうとしている。
そんな感触を得ているからだろうか。
董卓らと手を取り合い、共に行動し、手段は違えど同じ方向を見て歩むということ。
悪くない、と、曹操は感じていた。














・あとがき
まとまりが悪い気がして仕方ありません。

槇村です。御機嫌如何。





一刀の影が薄いぞなにやってんの、という声が上がっておりますが。

なんだ、そんなにみんな一刀が好きなのか?(笑)

誠に残念ながら、少なくとも洛陽炎上編が終わるまでは出て来ません。
その次のお話でも、出番があるかどうか分からない。
話の区切りを見つけて、幕間の話を入れるくらいしかないか。
いや、なんとか理由をつけて出張させるか?



今回の話を書いていて思ったのですが。
白蓮さんって、どんな経緯で麗羽さんと誼を通じたんでしたっけ?
確かゲームでは、最初っから真名を呼んでいたような気がするのですが。
出会ったときのこととか、ゲーム内に描写ありましたか?
思い出せないから、盧植先生のところで劉備と一緒に勉強していた頃より前に、別のところで勉強していたことにした。
……普通普通といわれながら、随分恵まれた環境だな白蓮さん。



それにしても、ここまで長かったぜ。
次、もしくは次の次くらいで、書きたかったシーンのひとつに届きそうな気がする。
それが過ぎても、書きたいシーンは山盛りだけどな。

……洛陽炎上編は、あと四話くらいは続きそうです。
ゲーム本編で数クリックのところが、ここまで膨らむとは。我ながらびっくりだ。



[20808] 35:【漢朝回天】 蹌踉
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2011/11/20 18:47
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

35:【漢朝回天】 蹌踉





何進及び何皇后の暗殺。
これは敵の首を土産に近衛軍に取り入ろうとした、宦官勢の浅慮ゆえに起きた事件である。

後宮に出入りできる宦官が何皇后に渡りをつけ、次期皇帝には愛娘である劉弁を、と、そそのかした。
近衛の存在が邪魔だが除くための策がある、ついては何進大将軍のお耳にも入れたいので呼んでもらえないか。
そんなやり取りが交わされ、目論見どおりに現れた何進を労なく暗殺。何皇后もまた同様に殺された。

「華麗じゃありませんわ」
「まったくね」

大事件ではある。
確かに大事件ではあるのだが、袁紹と曹操は醒めた口調で断じてみせる。

時勢から、百歩譲って、暗殺に走るという行動は理解出来るとしても。それを実行するに至った理由が滑稽だ。
同様に、いくら妹の呼び出しだったとはいえ、ノコノコと単身現れる何進に対しても呆れてしまう。

何進の死後に取られた外戚ら軍部の対応も、感情に任せたお粗末なものだった。
突然、自分たちの長が死んだのだ。混乱することもよく分かる。
だが実際には混乱どころではない。その様は恐慌にまで陥っていた。

宦官の手による暗殺。それが近衛に取り入るためのものだったことは、外戚らの耳にも届いている。
大将軍が殺され、次は自分たちの番に違いない、と。
恐怖に駆られた外戚らは、自分たちの周囲を常に将兵で囲むようになった。
その上で、宦官と見れば誰彼構わず制裁を行おうとする。それはもはや私刑でしかなかった。
仮にも朝廷を守るための軍勢を、一部の人間を護衛するためだけに動かしたのだ。私物化というだけでは済まされない行動である。
更に。それらの行動が却って不安を煽ったのだろうか。極一部の暴走という規模だったそれが、より大規模に宦官を制裁すべきという動きに傾きつつある。
実際に行われるとなれば、それはもはや虐殺といった方が近いだろう。

「無様ね」
「まったくですわ」

軍部が要らぬ虐殺に走り出す前に、宦官外戚らの身柄を共に押さえる
そして、"洛陽の不安を煽った"という視点から裁く。

これが、近衛軍の取る姿勢となる。
洛陽の守護を任ぜられている西園八校尉として、平穏を乱す原因を取り除くことは最優先されるべきもの。
名目上も、それを行う地位を見ても、近衛の取る行動は少しもおかしなものに見えない。
即惨殺ではなく、極力生け捕りにし妥当な罰を与える。
結果死罪になったとしても、これは自業自得だ。それを庇おうとするほどのお人よしはさすがにいない。董卓も鳳灯も、処断が必要と判断すれば、躊躇いなく断罪する気概は有している。
むしろ自分よりも容赦ないかもしれない。そんな想像をし、曹操は思わず苦笑する。

ともあれ。
これを機に、"朝廷の腐敗"に係わっていた者たちを一斉に炙り出し排除する。
漢王朝の再構築に向け、彼女たちは本格的に動き出した。





洛陽の一角。曹操と袁紹は、外れとはいえ町中で堂々と、将兵らの取りまとめを行っている。
普段ならばやろうともしないこと。彼女らとしても、人々に要らぬ威圧感を与えることは本位ではない。
だが今回は、敢えて広く人の目につく必要がある。

「行きますわよ」
「はいはい」

先んじて一歩を踏み出す袁紹。逸る彼女に呆れるような声を漏らしつつ、曹操も後に続く。
彼女らの率いる近衛軍将兵らは、宮廷に向けて進みだした。



害になりそうなものは早い内に排除すべし。曹操も袁紹もそう考えている。
ことに袁紹は、上洛してからはずっと何進に付き従っていたこともあり、朝廷高官らの老害ぶりを多く目の当たりにしている。誇りの高い分だけ、排除すべきと考える対象は格段に広い。皆殺しにしてやりたいとさえ考えていた。

そう思いはしても、実際にやるかといわれればそんなことはない。
ここは漢王朝四百年の歴史において中心となる洛陽、その中枢である宮廷なのだ。宮中を徒に血で汚すことは憚られる。外敵によるものならともかく、内乱による身内の血であるならその気持ちはなおさらだ。

宮廷を血で汚したくない。それ以前に、この場所で騒動を起こしたくない。
曹操らに限らず、漢の臣民である以上、その想いは大なり小なり誰しも持っている。持っているはずだ。
それを逆手に取り、敢えて派手に動く。

普段ならば宮廷内に詰めている将が先頭に立ち、宮廷の外に出てわざわざ遠方で兵をまとめ、これ見よがしに進軍してみせる。
洛陽の町中を進む近衛軍。物々しさに怯えながらも、なにごとかと誰もが目を向ける。

畏怖と好奇の目に晒されながら、近衛軍は朝廷の中枢たる宮廷を前にして陣を取る。
将兵を率い先頭に立つ曹操と袁紹は、名乗りを上げ、共に"らしい"口調で詰問の言葉を口にした。

「西園八校尉が一、近衛軍の曹孟徳、袁本初である。
何進大将軍ならびに何皇后暗殺を企て、実行に移したその悪行、誠に度し難い!
世を乱す浅慮な行い、漢王朝四百年の歴史においても最たる背信行為である!」
「証拠は既に揃っております。言い逃れは受け付けませんわ。
大人しく投降するならば、弁明をした上で処罰を受けるくらいの猶予は差し上げますわよ?」

宦官らの腐敗具合。
権力を嵩に着た横暴。
民たちにかかる負担。
劉弁と劉協を巡る宦官外戚らの権力争い。
それに心を痛めた霊帝による近衛軍の結成。
崩御後も変わらない私利私欲ぶり。
その末に実行された、大将軍と皇后の暗殺。

朝廷内の高官たちを糾弾する言葉。まるで講談のように、流々と語られる朝廷内の現状。それは野次馬として集まって来た町民たちの耳にも届き、噂程度でしか知ることの出来なかった内情に誰もが驚愕する。
もちろん、すべてを詳細にしての口上ではない。知られても困らない部分を、分かりやすく噛み砕いたものだ。耳にした民にも、彼女らが口にしていることがどういうことなのかが理解出来る。
宮廷に兵を向けるという、見た目で与えた衝撃。そこに言葉で重ねられる理由。
反応した民の言葉が囁きが、ざわめきとなり、連鎖し広がっていく。
自分たちの生活を守るために、近衛軍は立ち上がったのだ。そんな意識が染み渡っていく。

こうして、洛陽の民が近衛軍の味方に付く。
張譲、賈駆、鳳灯が、練った策。
作戦の通り。
彼と彼女らの思惑に沿って、事態は進んでいる。



口上を述べるふたり。その後ろに控える将は、三人。夏侯惇、夏侯淵、張遼。
背後にまた付き従うのは近衛軍兵士。その数およそ800。
宮廷の入り口、普段ならば余裕ある広さを感じられるはずの場所が、完全装備の近衛軍兵士によって埋め尽くされている。
ひと目見るだけで分かる、脅威。
その先頭に立つふたり、曹操と袁紹。付き従う兵らと比べ軽装といっていい身なりが、さらに軍勢の覇気を高めている。
まさに威風堂々たる姿。それは付き従う将兵らには自信と士気と覇気を与えるに十分であり、また敵となる相手を震え上がらせ意気を挫くに十分であった。

「全員生け捕れ! ただし、抵抗する輩は各兵の裁量により処断を認める!!」
「無意味な殺生は美しくありませんが、志に準じて散るのならば本望でしょう。
もっとも、そんな志をどれだけ持っているかは疑問ですが」

鋭く厳しい声と、興に乗った実に楽しそうな声。
曹操と袁紹、その声音は正反対なものではあったが。
表情は共に、この上ない危険を感じさせる笑みを浮かべていた。

軍勢が宮廷へと突入する。
しかも、洛陽の世相はそれを半ば受け入れている。
曹操らの口上を耳にした民ならばなおさらだろう。
目の当たりにしても信じ難い、前代未聞のことだ。

そう仕向けたことではある。だがここまでして反発がないということは、やはり誰もが、今の漢王朝の在り方に不満や絶望を抱えているからなのだろう。
近衛軍の設立。初めこそ、それは民には関係のない存在だと思われていた。
だが、軍としての精強さや規律を意識する高さ、なによりも人々に対する態度の柔らかさなどが知れ渡るにつれて、洛陽中にその存在は好意的に受け入れられていった。

それさえも目論見の内である。
だが彼女らの、民を想う気持ちは嘘ではない。





宮廷入り口から聞こえる口上を耳にし、そこに広がる近衛軍を見て、宦官らは揃って腰を抜かしていた。

近衛が、我々を捕らえに来る。
近衛兵の精強さは鳴り響いている。それが自分たちに向けて迫ってくるのだ。太刀打ちなど出来るわけがない。
逃げなければ。

宦官らは慌てふためき駆け出していく。
何処へ行くのか。そんなものは分からない。
とにかくこの宮廷から出なければ。
幸い近衛軍は宮廷入り口から動いていない。今ならばまだ逃げ切れるはず。

心暗い者たちは皆そう思い込んだ。
あまりに突然のこと。恐慌状態に陥る宦官たちは我先にと逃げ出そうとする。
だが、すでに彼らに逃げ道はなかった。

近衛軍は元より、洛陽ないし朝廷を守護することが役目。町中の主要箇所、宮廷内のあらゆる場所に普段から将兵らが詰めている。
この日も、それはまったく変わりない。
どういうことか。
つまり曹操に袁紹らが未だ宮廷入り口に留まっていたとしても。
宦官らの逃げようとする先々に、近衛軍の兵らは既に待ち構えているのだ。

そこに頭の回らなかった宦官たちは、大した抵抗も出来ないまま捕縛されていく。
方々で上がる怒号、悲鳴、泣声。そして逃げ回る者と追捕する者の足音が、宮廷中に響く。

宦官だけではない。軍部を預かる外戚らもまた、同じように制圧を受けている。
武を振るう本職ということもあり、抵抗する力の強さはそれなりにあるものの。近衛軍の将兵と比べ、やはり素地が違う。
程なく無力化され、捕らえられ、ときに斬り捨てられ血を流す。
敵わないと分かれば、逃げる。仮にも朝廷軍の一角を担う兵といっても、結局は腐敗した高官らと結託した者。程度は知れている。
近衛軍の方とて、そうなれば遠慮することも面倒さもない。躊躇いなく追尾をかける。

乗り込んできた近衛軍はおよそ800。だが常時宮廷の守護に立つ将兵の数はそれ以上に及ぶ。
800という数に囚われた輩は、想像以上の数で押し寄せる近衛兵に混乱する。なぜどうしてと、疑問は浮かんでも答えにまで想像は至らない。
取り乱し、混乱を極める。
逃げ切れない。抗い通せるわけがない。
その点に限っては、宦官外戚そして近衛軍にも、思いは共通していた。





「手筈通りに、私は軍部側を押さえに行くわ」
「ではわたくしは宦官側に」
「宦官だからといって、気を抜かないように」
「お気持ちだけは受け取っておきますわ」

宮廷内をそれなりに進み、廊下が大きく二手に別れる。
右側が、外戚らが集まる軍部関連施設の集まる区域。
左側が、宦官を始めとした文官内政官らが詰める区域。
曹操が右手に向かい、その後を夏侯惇夏侯淵が付き従う。さらに近衛兵の半数がその後を追った。
袁紹は左手に。補佐として張遼が後を追い、残った兵がさらにその後を進む。
更にそれぞれの将が方々に別れ、反抗する者を虱潰しに探していく。
彼女らはこの制圧戦の起点であり、また同時に幕引きの役目をも担っていた。



宦官外戚の大半が既に捕縛もしくは無力化されている。賈駆と鳳灯の指揮による制圧が、曹操らの突入と同時に行われていたからだ。
宮廷入り口で上げられた口上は、洛陽に住む民たちのみでなく、宮廷内に詰めている宦官外戚らに聞かせることを目的としている。
わざわざ宮廷外に兵を集め、洛陽の中を進軍して見せたのも同様だ。
敢えて派手に動いてみせることで、どのような動きを見せるか。
それ如何によって、捕縛懐柔または排除とどういった対処をすべきか、見定めようとしたのだ。

その選定の大半は既に終わっている。
逃げ出すような者は論外。背を向ける者に関しては、追い詰め問答無用に捕縛する。
なにも気付かぬまま仕事をしており、抵抗の素振りを見せなかった者に関しては特になにもない。念のために監視を置き、そのまま業務を続けるようにしたのみである。
捕らえきれない者も捜索はするが無理には追わない。時間が経てば経つほどに、曹操や袁紹ら、西園八校尉の中でも好戦的な軍勢の捜索を掻い潜らなければならなくなる。そこまでして逃げようとする者ならば、後ろ暗い人間であるに違いない。逃げれば逃げるほどに、その結果は悲惨なことになる。
なんとか逃げ切り宮廷を出られたとしても、孫堅や呂布が指揮取る警護の中に身を晒していかなければ、洛陽の町を出ることは叶わない。

東西南北四方に位置する門、町内各所にある厩(うまや)、また宮廷直轄の厩。宮廷内の宝物庫、資料庫といった持ち出される怖れのある場所などなど。
万が一の事態に備えて、主要と思われるところに十分な兵を置き備える。また洛陽の町中随所にも、町民らに被害や混乱が起きないよう将兵が派遣されているのだ。

この制圧戦には、洛陽に駐屯する将兵のおよそ七割近い数が動いていた。
それはつまり、それだけの数が近衛軍の動きに賛同する、少なくとも悪くは思っていないという証左である。
賈駆と鳳灯が進めていた、下位将兵らに対する説得がここに来て実を結んだといっていいだろう
近衛軍との同調を望んだ将兵らは事前にまとめられ、軍勢として再編成を行われた上で、洛陽各所に兵力が振り分けられている。

主要な将もまた、必要と思われる箇所にまんべんなく配置されている。
曹操、袁紹、夏侯惇、夏侯淵、張遼。彼女らは制圧の起点として動く。
賈駆と鳳灯は、曹操らの宮廷突入前に配置された将兵らの指揮に。
董卓は、後宮に避難する劉弁劉協に付き添い、現状の全体把握に努める。
華祐、公孫瓉、公孫越。外部の人間ではあったが、彼女ら自身の知名度と、董卓らとの友誼から信用を得、後宮近辺の警護に回ることになった。
呂布、陳宮、華雄、そして趙雲。彼女らは洛陽四方に位置する門の警護に当たり、逃亡しようとする高官らなどに備える。
袁術、張勲、そして孫堅が、四方の門及び洛陽の町内全体の警護を指揮する形となっている。

どうやって逃げろというのか。
逃げようがない。
逃げなくとも、この洛陽ではもう偉い顔をすることが出来ないだろう。

漢王朝を蝕んでいた古き膿み。出し切るのも、もはや時間の問題といえた。





それでも、抵抗する者はいる。
力の差を実感せずただひたすら上からの物言いをする者。
敵わぬと分かっていても武器を手にする者。
そして、敵わないとは露にも思わないまま挑みかかってくる者。

恐怖に駆られ、涙を流し、失禁しながらも、ひたすら逃げ回る男がいた。
宦官の長、十常侍のひとりである。誰が見てもみっともない姿を晒し、それでも悪態を吐くことを忘れぬまま、ひたすら逃げ惑っていた。

彼を追っていたのは、袁紹。
曹操と分かれ張遼と分かれ、さらに付き従う兵を小分けにしながら宮廷内を探索している中で、息を殺し隠れていた男を見つけた。
彼女を見るや否や、情けない声を上げながら逃げていく。袁紹は、その男を追った。

捕らえればなにか得られる情報もあるかと思い、自ら追いかけていたのだが。
今ではすっかりその気持ちも消え失せていた。醜いものを見続ける気分の悪さを感じている。
こんなことなら配下に任せていればとよかったと、内心思いつつ。慌てず騒がず優雅な足取りのまま、彼女は男を追い詰めていく。
宮廷の奥深く、袋小路となった一角。男は逃げ場を失ったことを知り、思わずその場にへたり込む。
振り返れば、表情を消し、愛刀を振りかざす袁紹。
なぜ。どうして。
そんな断片的な言葉だけの叫び。
耳を塞ぐでもなく、彼女は自らその首を落として見せた。

物言わぬ躯と化した十常侍のひとりを見つめ、立ち尽くす袁紹。
彼女の目に映る男の姿は、誇りもなにもない、受け入れがたい醜いもの。
彼女の耳に届いた男の声は、意味を成さない、怨嗟と慟哭。

だが、ひとつだけ。
袁紹の意識に届いた言葉があった。

―――貴様自身が皇帝にでもなろうというのか。

抜き難い棘のように、その言葉が彼女の中に引っかかる。

「……わたくしが、皇帝に?」

自ら声にしたその言葉が。
妖が囁く甘言のごとく。
袁紹の中に染み込んでいく。

胸の内に、小さな火が点る。不穏な熱を持つそれは、身を焦がさんと、彼女の中で疼き出した。













・あとがき
今回は前振り。次回、本番。

槇村です。御機嫌如何。





このまま平和裏に治まるか? と思いきや。
もちろんこのまま終わらすつもりはなかったさ。えぇ。

やっと、想像していたシーンに追いついた。
ただそれがちゃんと書ききれるかはまだ分からない。
調子に乗ってまだまだ続けます。よろしければお付き合いください。

歴史のベクトルを変えて、自己解釈して辻褄を合わせ膨らませていく。
楽しくて仕方ないぜ。



ちなみに今回のタイトルの読み方は「そうろう」。
「蹌踉めく(よろめく)」ともいいます。



[20808] 36:【漢朝回天】 岐路 (修正版)
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2011/11/20 18:48
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

36:【漢朝回天】 岐路





宮廷内部は混乱の極みにあった。

近衛軍将兵の突入。
慌てた宦官外戚ら、殊に後ろ暗いところを持つ者たちの逃走。
そんな輩を取り押さえんと、先読みするかのように配置された兵たち。

曹操袁紹らの突入組を囮として、賈駆鳳灯が指揮を取る待ち伏せ組が制圧を行う。
その包囲網から逃れた者は、突入組による探索によって虱潰しに押さえられる。
どうにか宮廷を脱出出来たとしても、そこから先は孫堅が指揮する警護の網が張られている。
逃がしはしない。そんな思いを形にしたかのような布陣に、宦官外戚らはひたすら逃げ惑うばかりだった。



逃げる輩ばかりでもない。中には立ち向かってくる者もいる。
特に顕著だったのは、軍部に属する、外戚派の高官たち。
近衛兵に追われるようにではあるが、彼らの多くは宮廷の最奥部へと向かった。
このままでは無残に殺されてしまう、ならば劉弁劉協を人質にして逃げおおせよう。そう目論んでの行動だ。
その面々には軍部の人間のみならず、宦官までもが混じっていた。

次期皇帝候補の身柄を狙っての襲撃。近衛軍側とて、そういった行動を予測していないはずもない。
宮廷最奥部に避難した次期皇帝候補を護衛する、そのために宛がわれた武将は三人。華祐、公孫瓉、公孫越。
程度の差はあるものの名の知れた将が兵を率い、揃って守りについているのだ。私利私欲を満たすことばかりに熱心な輩が、日々自己鍛錬を行うに貪欲な武将と相対してなにが出来ようか。
なにも出来ない、出来るわけがない。
危機意識の違いか、素地の違いか、はたまたその両方か。幾度か表れた集団を、近衛軍側は大した労もなく打ち破っている。
数人の集まり、果ては百人に届こうかという一団までが現れた。だがその練度は総じて高くもなく。武才をもってかかって来るならばともかく、この期に及んで、地位を根拠に居丈高に接してくる者さえいた。
そんな輩を相手にしながら、公孫瓉などはついつい呆れてしまう。結託して一度にかかってくれば少しは違っていたかもしれないだろうに、と。
襲撃といっても、そんな考えに駆られてしまう程度の、苦にもならないものであった。

質があまり高くはなかったとはいえ、やろうとしていたことは立派な造反である。
次期皇帝候補を拐かそうとしたのだ。死罪に値するといわれても反論は許されない。事実、襲撃した面々の大多数は近衛軍将兵らの手によって斬り捨てられた。
ここで慈悲を出せば、後々よからぬことになりかねない。人死にを望まない董卓であっても、それは十分に理解している。
命乞いをし、武器を捨て、捕縛したとしても、寿命が少しばかり延びるだけ。許してもいずれまた害になる、この場に現れた以上は全員処断すべし、というのが、董卓と張譲、そしてこの場にはいない賈駆と鳳灯の判断である。その命を受け、華祐、公孫瓉、公孫越を始めとした近衛将兵らは、襲ってくる一団に対して容赦のない対応を徹底して布いていた。

宮廷内を血で汚せない。その意識はこの場を護衛する者たちにも共通したもの。
だがそれ以上に優先されることは、劉弁劉協の安全であり、また将来に禍根を残すであろう者の排除である。
神聖とはいっても、宮廷たる王城はしょせん建物。壊れても直せばそれで済む。だが劉弁と劉協を失うことは、霊帝亡き今、すなわち漢王朝の終わりを意味するのだ。どちらが重要かなど、わざわざ問うまでもない。

そうなれば当然、護衛に立つ近衛軍将兵らは遠慮も躊躇いも手加減もしない。全力をもって、襲い掛かってくる宦官外戚の兵たちを処断する。
先にも触れた通り、これらはさしたる労を感じることなく行われている。事切れた躯は放置することなく片付けられ、重症軽症を問わず戦意を失った者に関しても、拘束した上で治療を施し別所に軟禁する。その繰り返し。近衛軍の兵たちは、さすがに無傷の者はいないものの死者が出ることもなく、淡々と警護の任を全うしていた。



そんな宮廷最奥部から離れた、ある一室。
曹操袁紹の突入よりも前に、宮廷内あらゆる場所に将兵を布き、効率よく制圧を行うべく指揮を取っていた賈駆と鳳灯。
彼女らは逐一報告を受けながら現状を把握し、ひとまず一区切りついたと判断した。

宦官外戚共に、反抗してきた者に関しては極力捕縛している。もちろんそれは、殺したくないといった理由から来たものではない。
逸早く逃げ出そうとするということ、それはすなわち後ろ暗いところがあるということだ。
叩けば埃の出る身を、"公平に"法の下で裁き これまでの腐敗振りを表に曝け出す。その上で罰を与え処断することで、同じことをすれば以後どうなるかを自覚させる。
殺さない理由の一番大きなものは、そこにある。

「でも肝心の十常侍が捕まらないのよね。しぶといわ」
「権謀術数飛び交う宮廷で出世したのは伊達ではない、ということでしょうか」
「逃げ足と悪巧みばかり有能、ってのは勘弁してほしいわね」

大枠では収束しつつあるものの、肝心なところが押さえ切れていない。そのことに賈駆は苛立ち、鳳灯はまぁまぁと宥める。

十常侍と呼ばれる者は、全員で十二人。近衛側についている張譲を除いた残りの十一人の内、捕縛が確認されているのはわずか三人。更に二人は斬殺されたと報告が来ている。
それでもまだ、半数が残っている。
兵数はともかく、質では明らかに勝っている近衛軍将兵らの包囲網。その中を、十常侍は未だ逃げ切っているのだ。しぶといだろうと予測はしていたにしても、賈駆のように愚痴がこぼれてしまうのも無理はない。一方で鳳灯などは、彼らが持つ逃げ足の巧みさを目の当たりにして素直に感心していたりする。

「さすがに、全員捕縛というのは難しいでしょうね。袁紹さんも曹操さんも、理屈では分かっていても斬ってしまいそうですし」
「まだ三人しか捕まえてない。せめてあと三人、生かしたたまま捕まえたいわね」
「事前に処断した数の方が多い、というのは避けたいですからね。外聞を考えても」

近衛軍に都合の悪い人間はすべて斬り殺したのだ、などと思い込まれることは避けたい。
大義名分としても実益としても、近衛軍の方に理がある。だがそれでも、十常侍らがこれまで漢王朝の中枢を動かしていたことは事実。実質はどうだたにせよ、それを一方的に処断しては、漢王朝の屋台骨から崩れてしまい、要らぬ混乱を呼んでしまう。
だからこそ、段階を踏んで糾弾し、罪を罪として広く晒し、罰を与え、漢王朝の再構成再構築の過程を認知させる。
証拠は既に出揃っており、あとは当人の口から言質を取るだけ。
その多くは死罪を免れないが、それこそ自業自得といえる。
曲がりなりにも新しい漢王朝の礎になれるのだからむしろ感謝しろ、というのが、曹操、賈駆、張譲の主張だ。
それを聞いたとき、董卓と鳳灯は乾いた笑みを浮かべることしか出来なかった。



あれこれ会話を交わしていたふたり。突然、彼女らのもとに伝令兵が飛び込んできた。その内容に、賈駆と鳳灯はさすがに慌てる。

宮廷奥にて火災が発生。
曰く、火をつけたのは錯乱した宦官のひとり。
曹操と袁紹は既に事態を察知し、配下の兵を消火作業に回した。
だが既に火の手は大きくなっており、完全に消すのは難しいだろうと判断。
劉弁劉協を宮廷から逃がすべく、董卓の下へ向かっているらしい。

「手に入らないのなら燃やしてしまえ、ってことかしら」
「追い詰められた末のことなら、やりかねませんね」
「ふんっ、自業自得よ」
「そのいい方だと、宮廷が燃え出したのは自業自得だって聞こえますよ?」
「そんな意味でいったんじゃないわよ!」
「分かってますよもちろん」
「……鳳灯」
「はい?」
「……もういいわ」

こめかみに指をやりながら、賈駆はそれ以上いい募るのを止めた。詰まらない言い合いなどしている暇はない。
どこか捩れたようないい回しをする鳳灯に疲れた、というのもあるが。それは賈駆の胸の内にしまっておく。

「とにかく。私たちも月と合流しましょう」

宮廷内にいれば火の手に巻き込まれかねない。だが、曹操と袁紹のふたりともが董卓の下へ向かっているということ。
ということは、宮廷最奥部とはいえそこまで火が回るまでは時間があるということなのだろう。
賈駆はそう判断する。
外への伝令、そして消火作業への対処などを指示しつつ。ふたりもまた、董卓の下へと向かい駆け出した。





劉弁と劉協が避難していた宮廷最奥部。宮廷内での行動に係わった将が、全員集まった。
それぞれが現状の報告をし、把握。そしてこれからの行動を具体的にしていく。
火の手は待ってくれない。
とはいえ、制限時間はあるものの、幸いいくらかはまだ余裕がある。

「まず劉弁様、劉協様を宮廷の外へお連れして。お二人の無事、それがなによりも最優先」
「あと、宮中にいる人たちの避難と、消火、だね。
消火が難しそうなら、無理はしないで放棄した方がいいと思う」
「建物は建て直せば済みますからね。
むしろ火元周辺のものをあらかじめ壊しておけば、火の広がりは抑えられませんか?」
「なら、それを踏まえて外で指揮をとる必要があるわね。孫堅たちとも連絡を取って、場合によっては民を避難させないと」
「では必要な役目を振り分け、手分けいたしましょう」

手早く役割を決め、兵を振り分ける。

劉弁劉協らを王城外まで護衛する組。これに董卓、袁紹、公孫越が。
宮廷外の面々を取りまとめ民の混乱を抑える組。これに賈駆に張遼、公孫瓉が向かう。
そして、宮中に残った者の捜索と、消火を指揮する組。これには曹操に夏侯惇夏侯淵、鳳灯に華祐が当たる。

大きくこの三組に分けられた。
宮廷内の捜索及び消火活動。これには広い範囲で対処に当たる必要があり、人手が必要であるのと同様に指揮を執ることが出来る者が必須。
宮廷外へ急ぐ組も、内部の状況と火の回りを把握した上で、洛陽中の民や兵に指示を出さなければならない。
もちろん、未だ宦官や外戚らが何処に隠れているかもわからない。
この状況では、ただ宮廷外へ脱出するだけであっても、劉弁劉協に対してそれなり以上の護衛が必要だろう。
将兵らの振り分けは、こういった面を考慮した上で行われた。

「時間が惜しいわ。行くわよ、春蘭、秋蘭」
「はっ、お任せください!」
「姉者。頼むから火の中に飛び込んだりしてくれるなよ」
「秋蘭、わたしがそこまで馬鹿に見えるか?」
「春蘭。お願いだから馬鹿な真似はしないでね?」
「そんな、華琳さままでぇ~~~っ」

相変わらずのやり取りを交わしつつ、曹操らはこの場を離れていく。

「切羽詰った状況とはとても思えんな」
「まぁ、悲壮感に囚われているよりはいいんじゃないでしょうか」

華祐と鳳灯は苦笑を漏らしつつ、曹操らの後を追いかけた。宛がわれた兵も、それぞれの後を追い移動を始める。

「さて。それじゃあボクたちは先に外に向かいましょう」
「せやな、ウチらも急がんと。
白蓮、ウチは馬に乗ってなくても神速やでぇ。追いつけるか?」
「いやちょっと待て。競争だ、みたいなそのいい方はなんだ。そんな場合じゃないだろ」
「グズグズいうなや、ほな行くでー」
「しあーっ! あぁもう、公孫瓉、悪いけどあのバカ追いかけて殴ってやって!!
それと、月! ボクたちは先に行くけど気をつけなさいよ」

張遼が駆け出し、それを公孫瓉が追う。怒鳴り声を上げながらも、賈駆は、後に残る董卓を心配する。

「それでは、劉弁様、劉協様。私たちは先行させていただきます。
袁紹、公孫越、頼んだわよ」

最後に、言葉を改め、賈駆は全員を代表して劉弁と劉協に礼をしつつ。周囲の面々にも声をかけ、護衛の者たちと共に駆けていった。

「それでは、私たちも参りましょう。
急ぐ必要はありますが、焦らなくとも大丈夫です」
「問題ありませんわ。いざとなれば、わたくしがおふたりを抱えて走りますわよ」
「……あの、麗羽さん? さすがにそれは失礼なのでは」
「越さん、緊急事態というものですわ」
「……そういうものでしょうか」
「越ちゃん、場合が場合だから。そう考え込まなくていいよ?」

公孫越の肩を叩きながら、董卓は声をかけ。後ろから見えないように、背後を指差す。
見てみれば、劉弁と劉協のふたりは、なにやら愉快そうに笑みを浮かべている。張譲や董太后らも同様に、その表情は柔らかいものだった。
雛里さんのいう通り、悲壮感がない分だけいい傾向なのかな、などと考える。
そして知らず、釣られるようにして笑みを浮かべてしまう公孫越だった。





漢王朝の政すべてを取り仕切る宮廷。洛陽の町に永く存在し続け、華美を極めたその王城は、この日、宦官一派の放火によって半焼した。
幸いにも、火の手は宮廷から外に広がることはなく、洛陽の町への延焼だけは免れた。
とはいえ、火災の規模はこれまでの記録にないほどのものとなった。
それでも半焼で済んだのは、宮中を駆け回った数多の近衛軍将兵らの尽力ゆえだろう。

殊に、焼死者の数は驚くほど少なく済んだ。火災の規模を考えると、これは奇跡的な数字といってもいい。
鳳灯はまず、先だっての制圧戦により捕らえた者たちをすべて自由にし開放した。状況を説明した上で、近衛兵の指示による地力での避難を促したのだ。
宮廷を出てしまえば逃げ出すのではないか、という懸念もあった。そこで、素直に戻れば罪の減一等を保証し、逃亡した場合は即斬首、といい含めた上で捕縛を解いた。
これによって捕縛者に関わる人員を最低限まで減らすことが出来、それ以外の理由で王城内に残っていた面々の救出に当てることが可能となった。
独断での行動ではあったが、その結果が焼死者数の数字となって現れている。董卓も曹操も、彼女の判断に文句をつけることもなかった。

だが、いいことばかりでもない。
この制圧戦において、最重要とされたのは十常侍の捕縛。
十一人の十常侍の内、最終的に身柄を確保出来たのはわずかに五人。死亡が確認されたのは三人、そして行方不明の者が三人となった。
状況から責めることは出来ないとはいえ、三人も逃がしてしまった事実に誰もが顔をしかめる。
ことに袁紹は、誰よりも不機嫌さを顕わにし微塵も隠そうとはしなかった。もっとも、それを理由に鳳灯に当たるなどといった"華麗でない"行動には出なかったけれども。

袁紹は、「討伐隊を編成し追っ手をかけるべき」と主張する。
捕縛出来るかはともかくとして、生死の確認だけはしておかなければならないだろう。鳳灯もそう考えていた。
ひょっとすると、火に巻かれて確認できないまま死んだのかもしれない。だがそれは余りに楽観した考えだろう。
捕らえ損ねた十常侍の探索と捕縛。その提案はあっさりと認められ、早々に組まれた討伐隊は洛陽内外に散っていくことになる。

「袁紹さん、ご自身で指揮を執りますか?」
「……いいえ、鳳灯さんにお任せしますわ。少し、頭に血が上ってしまいましたわね」

優雅さに足りませんでしたわ、と、袁紹は先ほどまでの自身を省みて視線を逸らす。
そんな彼女の内心に気付かない振りをしつつ。

「それにしても、よく逃げ出せたものよね」
「ふん、生き汚さだけは大したものよね」

曹操と賈駆は、感心半分呆れ半分、といった言葉を漏らす。

「ただでさえ必死に身を隠していた輩ですもの。火事のどさくさにまんまと逃げ果せた、といったところなのでしょう」

わたくしの捜索にも尻尾を見せなかったのですから、と、袁紹は再び憮然とした表情を見せる。
どれだけ人を割き万全を尽くしても、漏れてしまうものは大なり小なりある。今回はそれが、無視することの難しい部分に現れてしまっただけなのだ。
などと思いつつも、取り逃がしてしまったことに対して、鳳灯もまた同じように憮然としてしまうのもまた事実。

「予測していたことではあるんですけど、実際に逃がしたと分かると」
「面白くない?」
「ですね」

鳳灯の直線的ないい様に、曹操と賈駆は苦笑を禁じえない。

「以前から思っていたのだけれど。鳳灯、貴女、かなり歯に衣着せない物言いをするわよね?」
「……そうですか?」
「……アンタ、自覚なかったの?」

曹操の言葉に、素で疑問を返す鳳灯。そんな彼女を見て、賈駆は本気で頭を抱え込んだ。

「どうかしましたか? 賈駆さん」
「……なんでもないわよ」
「賈駆、貴女もそのうち"コレ"に慣れてくるんじゃないかしら?」
「アンタのところの姉妹と一緒にしないで」

なにやらいい合う曹操と賈駆に、可愛らしく首を傾げる鳳灯。
訳の分からない雰囲気を醸し出す場に、袁紹は手を叩き切り替えて見せた。

「そういったお馬鹿な話は、現状を収めてからになさいな。
行きますわよ、最後の締めですわ」
「はいはい、分かってるわよ」
「袁紹に窘められるとは思わなかったわ……」
「なんですの、その言い草は」
「あわ、そういきり立つようなことじゃありませんから落ち着いて」
「鳳灯、事の発端がなに他人事みたいにいってるのよ」
「え、そうなんですか?」
「……いいかげんに行くわよ、貴女たち」

裏側では、こんなグダグダしたやり取りを交わしつつも。
やるべきこと、締めるべきところはしっかりする。

彼女らはこの制圧劇を終わらせるべく、洛陽の民の前へと向かっていった。





劉弁に劉協、そして洛陽の町。
多少の混乱と懸念点はあっても、概ね無事に済んだということに、誰もが胸を撫で下ろした。
近衛軍の将らは特に、その想いもひとしおだった。不測の事態だったとはいえ、自分たちの行動が切っ掛けで、洛陽が火の海になりかけたのだから無理もない。

火の手が上がる最前列で、鎮火の指揮を執る曹操。その手足となって兵を動かす夏侯惇と夏侯淵。
また王城の外で、不意の事態や混乱に備えた賈駆。彼女の指示に従い、洛陽中を対処に駆け回った張遼、公孫瓉、公孫越に趙雲。
逃げ遅れた者たちを立場問わず退避させるべく、指示を出し檄を飛ばし続けた鳳灯と華祐。
近衛軍の包囲を掻い潜り逃走を図った宦官外戚らを抑え込み、不要な混乱を事前に潰すべく動いてみせた呂布、陳宮、華雄。そして袁術に張勲、孫堅。
そして、劉弁と劉協を無事に退避させた後、ふたりの無事を伝え、宦官外戚らの暴政を声高に弾劾してみせた、董卓、袁紹。

火の手が上がる朝廷を遠巻きに眺める民は、そんな近衛軍の働きを目の当たりにしていた。
立場の違いという意味では、遥かに高い地位にある将軍たち。そんな人たちが、民と同じ目線で立ち回り、民を守ろうと奔走している。
その姿は、長く洛陽に住む民でさえ初めて見る光景だった。
上に立つ者が、民のために働く。当たり前といえばこれほど当たり前のことに対して、奇異さを感じさせる。
その一事をもって、大多数の官職らがどれだけ利己的な考えの下に動いていたか、窺い知れるというものだろう。



半焼し、半壊した、朝廷王城。その目前に広がる空間に、近衛軍将兵が一堂に会して立ち並ぶ。
普段ならばお目にかかることもないだろうその光景に、洛陽の民は目を向けずにはいられなかった。
更に、向けられた視線の先、上。目に入った人物が誰なのかを、刹那、誰もが理解するに至らなかった。

次期皇帝たる小帝弁、その妹たる劉協らが、自ら民の前に姿を見せたのだ。
その脇を固めるように、董卓や賈駆、張譲といった文官勢が背後に従い、臣下の礼を取る。

破損を逃れた、宮廷外部から突き出た露台越し、さらに離れた場所ゆえに、その姿をはっきりと認めることは難しい。だが帝位に就こうという人物が自ら、民の前に姿を現すということはまずもってありえない。少なくとも、このとき洛陽に住む者の中で、小帝らを初め前皇帝の霊帝の姿さえ見た者は皆無だった。

その立ち姿に向け、近衛軍の将らが揃って臣下の礼を取る。後を追い従うかのように、配下の兵たちも一斉に臣下の礼を取った。
臣従。言葉にすれば簡単なもの。
だが形として成されたそれは、見る者に峻厳たる思いを感じさせるかのような空気を生み出していた。
洛陽の町全体に、一種儀式めいた静けさが広がる。身動ぎすることもなく、誰もがその中へと浸されていく。

いつしか、小帝弁と劉協の姿は消え、近衛軍将兵らは臣下の礼を解いていた。
その一歩先に、曹操が足を進め。
洛陽の民に向けて言葉を紡ぐ。

すべてがすぐに良くなるわけではない。すぐに生活が楽になるわけではない。
しかし、少しずつ、洛陽のみならずすべての民が、漢王朝という大樹の下に平穏な生活を紡いでいけるよう、我々は努力する。

曹操の、いや、それは近衛軍としての言葉。
民を蔑ろにしないという、改めて口にされた臨む姿。
これからの漢王朝を新しく、平穏と利潤を民の間に敷いていけるよう宣言する。

同時に、居並ぶ将兵が立ち居を改める。
僅かな動き。それに伴い生まれたのは、身を包む甲冑が重なる音と、各々が地を踏みしめる音。
だが千に届こうかという兵たちの規則的な動きが、乱れのない音の波となって周囲を包み込んだ。
徒な威圧ではない。いうなれば決意であろうか、そんな思いの籠められた動きが、新たな静寂と、確かな熱を生む。

彼女らの言葉、働き、そして熱意。
それらのひとつひとつをつぶさに見た洛陽の民は、声の限りに鬨を上げた。
具体的に、目に見える形で民の気持ちを汲む、という輩がこれまで皆無だったという事実もあるのだろう。
これまでとは違う、なにかが変わる、といった予感のようなものが、人々に声を上げさせたのかもしれない。
民の誰もが、連鎖するかのように、その胸のうちに広がる熱さのようなものを感じていた。

この日、洛陽の至るところから絶えず歓声が上がり続けた。





周囲の高揚と相反するかのように、鳳灯は努めて、冷静に動静を見つめている。
彼女は思い出せる限りの"天の知識"を動員させつつ、今この世の中がどう動いていくのかを思索していた。

此度の制圧劇。見る者によっては、これは漢王朝の崩落そのものにも見えただろう。
官職にあるものを初めとして、洛陽に住む一般の民の心にも、宮廷の半焼は衝撃を与えている。事実、火に巻かれることは免れたとはいえ、人々の間に起こる混乱は小さいものではなかった。その混乱を放置すれば、さらに大きな災厄となって広がっていきかねない。
宦官外戚らを押さえた近衛軍にとって、まずやるべきは民の慰撫。そのために、劉弁劉協の安全を確保した後、洛陽全体の動揺を抑えるべく、趣向を凝らし敢えて派手に行動して見せた。

霊帝の崩御、その後の権力争い、腐敗した宦官外戚らの排斥。これだけのことが立て続けに起これば、民はおろか朝廷内部でさえ混乱する。上層部が乱れれば、その不穏な空気はそのまま民の間にも伝わっていく。
だからこそ、上層部に混乱はない、心配することなど微塵もない、と、民に印象付けるべく行動した。徹頭徹尾、民の眼に触れるように行動し、仰々しく寸劇じみたことまでやってのけたのだ。
お上に対して不安がなければ、民は案外平穏でいられる。規模は違えど、鳳灯は既に幽州で経験済みだ。政も、落ち着いて対処していけばなんとかなるだろうと思っていた。賈駆や董卓、曹操袁紹ら各将とも、不安に駆られて突飛な行動を起こすような輩は現れないだろうと推察するに至り、同意の下に実行に移された。



一方で、現状、鳳灯が抱えていた一番の懸念点。それは袁紹である。

この世界へと流れ着き、今、"鳳灯"として動く指針はひとつ。「無駄な戦を起こさないこと」。
まず彼女は、反董卓連合の結成阻止を目的として洛陽に乗り込んだ。その中で様々な伝を得、反董卓連合の起こる火種を事前に摘み取るべく奔走した。
その甲斐あって、権力争いが不毛なほどに激化することは抑えられた。結果的に、人死にを極力出さずに収められたと思っている。
そしてなにより、連合が組まれる中心人物である袁紹を味方に引き込んで行動することが出来た。傍で共にいた感触から見るに、鳳灯には、近衛軍の面々と相反するような気配を袁紹に感じることは出来ないでいた。普通に考えれば、現状から、反董卓連合のような展開は起こらないという結論が出るだろう。

それでも、鳳灯は不安を拭いきれない。
世界を超え逆行するという、ありえない経験をしてしまったがゆえだろうか。
歴史という奔流が、たかが数人の異分子が足掻いた程度で変わるのか? 
彼女は疑問に思い、そこから離れることが出来ないでいる。

気にかかるのは、袁紹なのか。はたまたその以外のなにかなのか。

……これより世の中はどう流れていくのだろう。
記憶にある歴史の流れに沿うのか、はたまた望んだ通りに変わっていくのか。
沸き立つ洛陽の町のなかで、独り、鳳灯は思い悩み続けていた。















・あとがき
数少ない待っていた方々、そして大多数の待っていなかった方々も、ご無沙汰しております。

槇村です。御機嫌如何。





削除した話を書き直している内に一ヶ月が経過しました。
やっとこさ続きを拵えたのですが、超・方向転換です。

槇村の中では、ベクトルそのものはさほど変わっていないので。なんとか辻褄を合わせていこうと思います。

ご指摘のあったとおり、麗羽さんが動く理由が薄い、というのがあったので。
もう少し、いろいろ積み重ねく必要があると。そう思った次第。

そのお陰で、いろいろ潰れたネタもありますが。
まぁ、その辺りは別のところで転用するつもりではいますけれども。

とりあえず、今月中にもう一回更新出来るように書き進めます。




あ、それといろいろ御意見いただきありがとうございます。
取り入れた方がいいかなと思ったところは、噛み砕いて取り入れていきたいと思っております。
でもまぁ基本的に自分が書きたいように書いているので。
お気に召さないところも多々出て来るでしょうがその点はご容赦を。

それではまた。



[20808] 37:【漢朝回天】 採光
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2011/11/20 18:48
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

37:【漢朝回天】 採光





宦官と外戚勢力。これまで漢王朝のほぼすべてを牛耳っていたといっても過言ではない両勢力は、近衛軍の手によって排除させられた。
これまで執って来た治世の粗雑さが、権力を握っていた者たちに仇となって返ってきた。そう考えれば、自業自得因果応報と、納得することも出来るだろう。

もはや改革といった方が適切なこの一連の出来事。その主要たる一翼を担った者として、鳳灯の名が挙がることに誰も異を唱えない。
彼女の事情をひとたび知れば、いわゆる"天の知識"があったからそう上手くいったのだ、と、口にするかもしれない。
だがその指摘は見当違いのものだ。
以前にいた世界での記憶と知識を有しているといっても、鳳灯は、この時期の洛陽近辺での出来事について詳細を知らない。
当時の"鳳統"は、いち義勇軍の軍師でしかなかったのだ。政の中枢である洛陽の動静を知ることなど、簡単なことではない。大まかな流れを知り、それらについて幾らかの想像を巡らす程度のことしか出来ていなかった。
以前の世界において、袁紹は何故宦官を力ずくで排除したのか、董卓は何故洛陽を治めざるを得なかったのかなど、正確な理由までは知らない。分からない。
今にしてみれば、しっかり聞いておけばよかったと思いはする。
だがそれも、今となっては詮無いことだ。と、鳳灯はすぐにその考えを手放す。



それはともかくとして。
洛陽で起こる権力争いの果てがどうなるのか。鳳灯は、結果は知っていてもその詳細は分かっていなかった。
袁紹が宦官を皆殺しにし、その後の洛陽を董卓が治め。それに反発するように、野に下った袁紹が反董卓連合を結成する。
これらに対して、鳳灯は、何故、という部分を知らなかった。

以前の世界において、袁紹は何故、宦官をすべて排斥しようとしたのか。董卓を敵視したのか。
きちんとした理由を、当人から聞いたことはない。ゆえに、そこに至った経緯などは想像するしか方法はない。
だが"こちらの世界"の袁紹を見ていると、先入観から組み立てたあらゆる想像が揺らいで来る。

言い方は悪いが、鳳灯の知る"麗羽"と比べてお馬鹿ではないのだ。
印象を新たにしなければならないかも、と、鳳灯は考えている。

かつていた世界での袁紹は、どこか短慮なところを感じさせていた。
事実、彼女の言動は、そう親しくない間柄の者が見る限りでは、それを裏打ちするに値するものを見せていた。"愚か者"と切って捨てて問題ないといってもいい。

袁紹がその通りのお馬鹿な人間であったのならば、
「地位を得た董卓に対して嫉妬し、気に入らないからという理由だけで反董卓連合を結成した」
といわれても、あんまりだと思う反面あり得るとも思える。

だが、それよりも以前の行動に関してはどうか。
洛陽で宦官を皆殺しにし、張譲を始めとした十常侍や何進ら、朝廷を動かす主要な者を軒並み排斥した。そんなことを、"お馬鹿な袁紹"が果たして実行し得るだろうか。
朝廷中枢で、己や周囲を意のままに動き動かすこと容易な地位にあった集団に対し、造反しかつ抑え切る。
そんなことが、傍から見て"お馬鹿"と評されるような人間に出来るのだろうか。

もっとも、腐敗した中央官吏が同様に"お馬鹿"だったゆえに、手元に置いた駒に噛み付かれただけだった、という考えも否めないけれども。



袁紹が取る言動の基準は、良くも悪くも"袁家という家名"へのこだわりだ、と、鳳灯は考える。

以前の世界での袁紹には、名家である袁家の自分に対して、他の人間は相応の態度をとるのが当然だという意識が見られた。
言い方を変えれば、袁家という威を被り増長していた、と見ても取れる。
対して"こちらの世界"の袁紹は、名家の威を理解しつつ、その威を自らより高めようとする気概が感じられる。
家名を背負っているという誇りが、我が儘さや傲慢さよりも、配下の者や治める地・民らへの配慮に多く向けられている。
事実、彼女の治める冀州は、生活の安定さでは一番とも噂されていた。
治世の良さでは幽州も台頭して来ているものの、異民族の地と隣り合っているということが民に幾ばくかの不安を抱かせている分、実際の評判は冀州の方が高い。事実よりも印象が民の意識を左右するがために、現実の治世と、名家である袁家の知名度によって、冀州の安定性が抜きん出てくるというわけだ。

袁家の長に立つ者として、治める地の民が貧困にあえいでいるのは耐えられない。
そういえば聞こえはいいが、それはおそらく民そのものを思いやってというよりも、袁家の治世能力を問われることで権威が損なわれることを嫌っての言葉だろう。
不遜かつ尊大な態度極まりないかもしれないが、人の上に立ち導く者の在り様としてそれもひとつの方法だと、鳳灯は考える。自ら動き、目に見える形で結果を出しているのだから、文句をつけるのは筋違いかもしれない、と。
単に、以前の世界よりも親密になっているがゆえにそう見えるだけなのかもしれない。だが同じ居丈高な態度でも、鳳灯には、"こちらの世界"の袁紹の方がより好感を持てていた。
いわゆる"麗羽らしい言動"は、己の背負っている"袁家という看板"を意識してのものなのだろう。
周囲の接し方や教育を受け、相応に威を払う姿を考えた上でああいった性格が編まれるに至った。
その過程があるからこそ、彼女の配下を始め治める地の民などに至るまで、居丈高でも害はないというある種の信頼のようなものが、袁紹に対して生まれているのかもしれない。

自ら持つ地位と権力を自覚し、それを行使し、相応な結果を下の者に対して出し続けている。
そんな袁紹が、より高い地位にいる高官らの堕落振りを目の当たりにしたらどうなるか。
不愉快だろう。面白くないに違いない。
彼女の信条である"優雅さ"の欠如に対して、怒りさえ覚えているかもしれない。
鳳灯にしても、朝廷内の状況を知る度に「これは酷い」と思いっぱなしだったのだ。袁紹のように、自らが立つ位置に自意識と自負そして責任を持って在ろうとしている者にしてみれば、歯噛みし嫌悪するのは当然ともいえる。
それこそ「殺してやりたい」とまで思うかもしれない。能もなくのさばっている輩よりも、まだ自分の方が、誇り高くこの国の舵を取っていけるのに、と。

良くも悪くもまっすぐな想いが、袁紹を動かしたのだろう。
どちらの世界でも、結果と過程はどうあれ、基点となる部分は同じようなものであったに違いない。
鳳灯はそう考えた。



鳳灯が洛陽に、朝廷中央にやって来たのは、反董卓連合を起こさないためである。

反董卓連合の発端となるのは、宦官と外戚による権力争い。そして、袁紹の、董卓に対する敵愾心だ。
だから鳳灯は、事態が大きくなるよりも前に対応しようと動き、他の勢力と連動し、宦官と外戚の両勢力を挫くよう動いた。
さらに、反董卓連合の主勢力となる面子を、自分を通じて知己にする。
董卓の人となりを知れば、暴政云々といった理由での挙兵は出来なくなるだろうとの考えからだ。
殊に、袁紹が衝動に身を任せて駆け抜けないよう、抑えに回り手を打った。
その甲斐もあって、袁紹と董卓を知己にすることが出来たし、その間柄も良好なものになっている。ひとまず、袁紹と董卓の勢力同士が、戦に発展するほど険悪になるということはないだろう。

それでも、連合は組まれてしまうかもしれない。拭い去れない懸念点としてあり続けたのは、袁紹と袁術の存在だった。
だが実際に知り合ってみると、袁紹、袁術共に、彼女の知る"麗羽"と"美羽"よりもしっかりしていた。その人となりや気質に違いはなくとも、当人の"在り方"のようなものが異なっている。
異なる世界ゆえか、それとも自分たちの存在から生じた差異なのか。鳳灯には想像がつかない。
これが一刀であれば、彼女よりも適切な意見を述べられたかもしれないが。

それはさておき。
権力争いの両勢力を抑え、実権を奪い、騒乱の火種を消し、主要な面子を出来る限り知己にすることで反目する芽を摘んだ。
反董卓連合が起こる原因となるものを、手堅く潰していったつもりの鳳灯だったのだが。
ここに来てまた、雲行きが怪しくなっている。

宦官外戚それぞれが大多数を占めていた朝廷内部の人事を一新する。その後をどのようにして動かしていくか。
その意見で、大きな対立が見られるようになる。

袁紹と、曹操だ。





漢王朝の屋台骨が揺らごうとも、日々の生活は変わらず流れていく。ゆえに、宦官外戚らの抜けた朝廷内のあれこれを補い、大小の混乱を抑えることは急務であった。
旧体制からの生え抜きが存在するとはいえ、実際に動かしていくのは近衛を中心とした新体制の面々になる。足りないものや分からないことばかりが積み重なっている中、それらをなんとか形にするために、会議や会合が毎日のように開かれていた。

その中でも特に強い発言権を持つのは、やはり近衛の中核として動いていた五人。董卓、曹操、袁紹、賈駆、鳳灯である。
殊に強く意見を発するふたり。曹操と袁紹は、自分が善しとする形を声高に主張し合い、強く衝突していた。

「体制はそのままに中の人材を入れ替る」という主張と、「腐敗した体制ごとすべて作り変えるべき」という主張。
簡単にいうならば、そういうことになる。
前者は曹操が、後者は袁紹が持ち出したものだ。

曹操はいう。
漢王朝における腐敗の原因は、朝廷内部に巣食った人間そのものである。
体制自体は、曲がりなりにも長い間機能し、漢を支えてきたものだ。中で動かす人間が変われば、色を失っていた体制も息を吹き返してくるに違いない。
結局は、用いる人間のありよう次第なのだ、と。
加えていうならば、大きすぎる変革は漢王朝下の民を混乱させかねない。変える必要があるならば、変えられるところから少しずつ変えていき、徐々に全体へと拡げていくべきだ、と、人材を重視する彼女は主張した。

それに反する意見として、袁紹はいう。
新体制に就く近衛の面々を信用していないわけではない。だが現体制の中には、新参者である自分たちでは目の届かないところが多くあるだろう。そこからまた、よからぬ輩が現れないとは限らない。
だからこそ、近衛の目が届かない場所のないような形を、自分たちの手で新しく組み上げるべきだ、と、主張した。
体制の全体を把握することは、治世者としては必須である。長い目で見るならば、自分たちですべてを組み直してしまう方が労が少ないに違いない、と。
規模は異なるものの、実際に袁家という体制を統べる袁紹。その立場からの実感もあるのだろう。彼女の言葉には説得力が籠められていた。

鳳灯自身は、ここで改革を進めておいた方がいいと考えている。他の軍師文官勢も、同じような考えを持っているようだった。
しかし、賈駆は改革を推す気持ちはあるものの決定権は董卓に委ねており、張譲は旧体制の人間であるということで強く主張することを自粛していた。

鳳灯は、他の面々と同様に表立って動いてはいるものの、立場そのものは董卓傘下の客将である。普通は、声を大にして我を通すのは憚られると考えてしまうかもしれない。
だが鳳灯は、立場よりも今成すべきことを重視する。堂々と、袁紹の案を支持してみせた。
いざとなれば、董卓の下から離れ、在野の人間として改めて意見を述べてみてもいい、とさえ考えて。



新しく体制を作り直す。口にすることは容易いが、実行に移すとなると、時間も人手も膨大にかかることは誰にでも分かる。
確かに、すべてを建て直すためにはこの上なく適した状況だ。しかし現実には、時間も人手もそこまで割く余裕はない。
それは袁紹もよく分かっている。改革よりも前に、目の前の混乱を鎮めることを優先せざるを得ないことは、彼女も理解はしていた。
ゆえに、彼女はいったん妥協し退いて見せる。
曹操の主張の通り、ひとまずは現体制をそのまま引継ぎ、現状の平定が優先されることとなった。
また、賈駆張譲ら文官側の、ことに鳳灯の強い主張もあって、新体制の骨組みを作る会合も逐次持たれることになる。
長い目で見た場合、体制改革の必要性も十分に理解できる。そのため曹操もこれを承知した。

以降、袁紹と鳳灯が主体となり、補佐として張譲が参加し、新体制の改革草案が練られることになる。必要に応じて、賈駆を初めとした他の文官軍師ら、そして曹操や董卓らも参加しながら、漢王朝の行く末を睨んだ会合が進められることとなった。

そんな経緯から、鳳灯は、袁紹と会話を交わす席を多く持つようになっていた。





「袁紹さんは、どんな姿を臨んでいるんですか?」
「簡単なことですわ。
誇り高く在らんとするものが上に立ち、下の者がその姿に啓発され自ずと動く。
統治者として相応しい者が民の前に立つことによって、その威光がすべてに及ぶようになるのです」

あるとき、鳳灯は聞いてみた。袁紹が目指そうとしているものはどんなものなのか、と。
返ってきた答えは、らしいといえば実に彼女らしいものだった。

袁紹自身、袁家という威光をもってして冀州を治めている。その内容は、民をして不満を抱くには至らない善政といっていいものを布いていた。"天の知識"を用いたものに比べればさすがに粗は見えるものの、漢王朝の腐敗具合とその下にある治世水準から見れば、袁紹は充分以上に"善き治世者"であるといっていい。

その経験と実績が、自分が取ろうとしている行動に自信を持たせる。
国の政治と州の統治では、比べようがないかもしれない。だが袁紹は、判断する基準もしくは比較して考察するに足るものを持ち、朝廷に蔓延っていた腐敗官吏たちよりよほど民の在り様を考えている。

「悪事を働くのはしょせん人。それは分かります。
だからこそ、頂点に立つ者が変わるならば大きな変化が必要です。
下につくあらゆるものはその都度、頂点に立つ者が把握し動かしやすいものへと変わるべきでしょう。
もちろん、旧なるものすべてを否定するわけではありませんわ。
ですが、今回は話が違います」

既に在った形に対して、人は皆、絶望に近いものを感じていた。
ならば、そんなものは壊してしまった方が、民は目に見えて変化を感じ取ることが出来る。治める立場から見て後々はかどるだろう、と。

これまで朝廷内で取られていた体制は、宦官と外戚の二勢力に権力が分散されていた。
互いに噛み合い、組織としてうまく動けばいい。だが実際には、私利私欲のためだけに権力を振るう輩ばかりであった。それぞれが牛耳る分野を固持しながら、互いの分野をなんとか切り崩そうと躍起になる。
そんな様では、下に付くものがどう思うか。悲哀か、憤怒か、絶望か。いずれにしても、漢王朝の衰退を感じるのは無理もない。

だからこそ、腐敗を生んだ体制を壊し作り変えることで、そこに新たな希望を提示できる。
先だっての制圧劇も、周囲への印象を植え付けるために敢えて派手な立ち回りをしてみせた。それと同じこと。そして結果を出して見せることで、正当性とその威光が浮き彫りになる。

そういった、頂点に立ち導く者の威こそ、今もっとも求められているのだ。袁紹はそう主張して憚らない。

彼女の臨む姿は要するに、上が変わり自ら動いて見せれば下の者もそれを理解しついてくる、という考え方である。
対して曹操の方は、下の在り様を上に立つ者が整えながら徐々に理解を深めさせる、というもの。

上がぐいぐい引っ張っていく形と、下の変化を求める形。
前者はもちろん、皇帝を頂点とした形を想定している。
逆に後者は、皇帝の存在などなくても民は統べられるという考えだと取られかねないものだ。
だが見方を変えれば、前者は、皇帝をさて置き配下の者が独裁に走る危険もあり。後者は、世の中の些事は配下の者が処理すれば十分だという考えによるものともいえる。

どちらの考えにもいい分はあり、一長一短、見方次第で捉え方もがらりと変わる。
結局は、自分自身がなにを第一として判断を下し行動するか。
かつて鳳灯が、公孫越と公孫続にいい含めた言葉に行き着くことになる。

「本当に、まず袁家ありき、なんですね」
「当然ですわ。わたくしは袁家に生まれ、袁家に育ち、袁家の名に相応しくあるよう努めて来たのです。
この世に、袁家の名をより轟かせること。それこそがわたくしの臨むもの。
先導する袁家の威が高まるほどに、民も豊かになっていくのです。少なくとも、そう在るようにわたくしは努めていますわ」



鳳灯は、自身の考える形を布く道程は、袁紹の考えに近いと判断する。

頂点に掲げる存在があり、その下で諸将がそれぞれに見合った個を振るう。
かつて鳳灯がいた世界でなされた、"天の御使い"を頂点とする「三国同盟」。
これと同じ形を、皇帝を頂点として立ち上げればいい。鳳灯はそう考えていた。
軍閥を始めとした各勢力が戦いを繰り返し、魏・呉・蜀という三国に煮詰められたからこそ成しえたのだ、とも考えられる。"この世界"において同じことをしようとすれば、要らぬ混乱も起こるかもしれない。各地の領主らとの折衝や意思疎通にも、多大な労力が割かれるだろう。
だがそれでも、戦に次ぐ戦に日々疲弊するよりはずっといい筈だ。

そのための御旗たる皇帝、それに次ぐ旗印のひとつとして、袁紹は、内実共に申し分ないといえる。
況してや、御旗という存在の意味を理解した上で、袁紹自身がやる気になっているのだ。
自分が引っ張ってみせる、と。

その気概と勢いを、わざわざ挫くような真似をすることもない。
いい方は悪いが、使える、と、鳳灯は考えを巡らす。

「不敬な言葉ではありますが、此度の宮廷延焼はある意味では好機、と、わたくしは考えますわ。
過去のよからぬものをすべて排除し焼き払う。
それをつぶさに目にしたことで、大幅な体制の変革を行ったとしても不自然さは感じられません。
王城の建て直しを見ると同じように、体制の在り方を再構築するに当たっての混乱も、仕方のないものとして捉えるでしょう。
鳳灯さん。わたくしの考えはそう的外れでもないと思うのですけれど、いかがかしら?」

間違ってはいない。
腐敗した体制を是正する、というこの上ない名目がある以上、実質的にも対外的にも不自然なことはなにもない。多少の不具合は出てくるだろうが、大事の前の小事としてその都度対処すればいい。そこから新たな改正案も生まれてくることもあるだろう。根本から改革改変を行うのであれば、今このときがもっとも適した好機といえる。

一方で、曹操のいう現状の平定もまた、間違っているわけではないのだ。
ことがなんであれ、何事かを成そうとするに際して足元が乱れ騒いでいることは望ましくない。ゆえに、まずは民の混乱を宥めた上で、いち早く日常を回して見せることこそ肝要だと。

どちらにもいい分があり、どちらにも道理がある。
あちらを立てこちらを立てと調整しながら、結果的に、袁紹がわずかながらに不満を覚える形ではあったが、話はまとまった。
それがつい先日の話。一先ず、朝廷及び洛陽は再始動を開始する。
確たる衝突、それに大きな負の感情を生むことなく落としどころが見つかったのは、僥倖といっていいだろう。





以前に鳳灯がいた世界において、反董卓連合を発起したのは袁紹だ。
その引き金となったのは、朝廷内における権力争い。"こちらの世界"では大元となる原因を潰してみせたが、ここに来て袁紹が、董卓や曹操と対立してしまっては元の木阿弥である。

ゆえに、鳳灯はそれぞれの間に立ち、進言を多くし取り成そうとする。
袁紹と曹操の間に要らぬ波風が立たないよう気を回しながら、鳳灯は、数多く話し合いの場を重ねる。新体制についての会合を行う関係上、殊に袁紹と会話を交わす機会が増えた。鳳灯にしても、袁紹との話し合いは意義のあるものだった。
袁紹もまた、鳳灯とのそういった話し合いに刺激を覚えたのかもしれない。高圧的な所作言動は相変わらずではあっても、存外素直に、というよりもむしろ積極的に、話し合い語り合う数が増えている。

膝を突き合わせるほどに語り合う。袁紹とそんな機会を重ねる毎に、鳳灯の中にある評価が更新され続ける。
以前の世界から引き摺っている記憶。それによって、鳳灯はどうしても、袁紹に対しての警戒心が働いてしまう。それゆえに、話し合いの相手という理由をつけてまで彼女を見張る、という気持ちは少なからずあった。
そんな鳳灯の警戒心も、話し合い語り合いを袁紹と重ねた今はかなり小さくなっている。

この人は、無体な理由で戦を起こしたりはしない。
少なくとも"この世界の袁紹"は、自分なりの理由がなければ動かない。そして、いざ動くとなれば、それが"袁家"という名にどう影響するかを吟味した上で動こうとする。感情だけでなく、充分に理と利を押さえた上で動く。言葉を発する。
以前の世界の"麗羽"を思わせる言動もちらほら見えはするが、時折それを恥じるような素振りを見せることもある。独り善がりではない、自分なりの良し悪しの基準を持っていることが窺い知れた。

決して暗愚ではない、ひとりの統治者として、敬愛するに値する人物だと。鳳灯は判断する。
一方で、我の突出した人物としての言動に一抹の不安は残る。
宦官を粛清し、幽州を攻め公孫瓉を没落させ、覇王たる曹操に戦いを挑んだ、そんな激しい気質が"こちらの世界"の袁紹にもあるのだろうから。
そういったところは、軍師の立ち位置にある者が手綱を握ることが出来ればなんとかなる。
なによりも、誇りをもって自ら動こうとするその気概はなかなかに得がたいものだ。徒に萎ませてしまうには惜しい。



想いがどれだけ崇高で固いものであっても、いざ実践するとなると簡単にはいかない。
物事をなすには力がいる。それも様々な意味での力が。

個人の地力ではなく総合的な勢力として、一番強力なのは、現時点ではやはり袁紹だ。
兵力地金基盤、名声有名信用その他諸々。個人としての能力は拮抗していたとしても、その背後にあるものの厚みが違うのだ。
宦官の長・大長秋の系図である曹操でさえ、周囲に対するその影響力はまだ袁紹に及ばない。
ましてや台頭し出したばかりの勢力程度では、発言力など高が知れているといっていい。

他に影響を及ぼす発言力が高いこと、それはすなわち権力の強さを表す。
なにかを大きく変えていこうと声を挙げるに相応しい立ち位置、そこに在るのは、やはり袁紹である。

以前の世界で、袁紹は、悪い意味で漢王朝をひっくり返して見せた。
ならば、進もうとする道が違えばどうなる?
ひっくり返すにしても、もっと違った結果を出すことも出来るのではないか。

進み方次第で、袁紹は更に化ける。
漢王朝の未来にとっての、標となる光にさえ成り得る。

大袈裟に過ぎるかもしれない。
だが鳳灯には、そんな一条の光が、仄かに見えるような気がしていた。





曹操と董卓を主とした、現体制による朝廷の平定と運営。袁紹を筆頭とした、幅広い改善案の練り上げ。そういった、こなさなければならない多くのことに明け暮れながら時は流れる。
朝廷内の人の流れ、洛陽の町の動揺などが落ち着いてきた頃。近衛軍の中でも幾ばくか人の動きがあった。



まず袁術たち一行。
彼女らは早々に、拠点である揚州へと帰っていった。
洛陽内で行われた一斉人事にあたって、袁術は新たに具体的な地位を授かることを辞退している。

「だって、面倒じゃろ?」

身内ばかりとはいえ、仮にも朝廷最奥部の人事に対して臆面もなくそういってみせる。大物なのか大馬鹿なのか、意見が分かれるところだろう。
とにかく。袁術は、少しばかりの直轄地拡大と、朝廷内における申し訳程度の位階を得るに留まった。
決まるものが決まった途端に、彼女らはさっさと自領へ戻ることにした。

「必要なら孫堅を置いていくぞえ。こきつかってやるといいのじゃ」
「武官はもう間に合ってるだろ。むしろ、必要なのは文官じゃないのか? だから置いていくなら張勲だな」
「私には美羽様のお世話という崇高な役割があるんです。それとも孫堅さん、私の代わりにお世話しますか?」
「済まない。行路の世話なんて、わたし如きでは無理だったな」
「のっほっほ、妾の偉大さが垣間見えるのじゃ」
「さすが美羽様、話がズレてるのにそこを気にしない懐の広さ。細かいことは他人任せの唐変木め、よっ、可愛いぞっ」
「ならば、なにかを押し付けられる前に揃って帰るとするか」

袁術、孫堅、張勲。言葉にこそしなかったが、総じて「なんで私が」という態度を隠そうともしない、相変わらずなやり取りがあったらしい。
そんな声を伝え聞いて、賈駆や曹操などは、頭痛を堪えるような表情を隠そうとしなかったという。終始ブレのない態度を取り続ける様は、もういっそ清々しいとさえいえるかもしれない。



公孫瓉らも、幽州へと戻ることになった。
いろいろな要因が重なり、近衛軍に手を貸した公孫瓉だったが。彼女自身は大した働きをしていないと思っている。
彼女もまた朝廷内での位階を新たに受けはした。だが、これといって特別な恩賞を受ける理由がないとして、彼女もまたそれ以外のものを辞退している。立場そのものは引き続き、幽州牧の地位を全うするということで落ち着くことになった。

「鳳灯、まだ戻る気はないのか?」
「はい。申し訳ないのですが、もう少し、中央での政治の在り様を学びたいので」

幽州へ戻る際、鳳灯に声をかけた。彼女の言葉に、公孫瓉は寂しさを隠そうとせずに名残を惜しむ。
その姿を見た、趙雲や、一緒に残る華祐も苦笑を隠せず。同じように寂しさを感じていた公孫越が、なぜか姉のなだめ役に回るという状況になってしまう。
どこか締まらない場面を作り出してしまうのは、ある意味、公孫瓉の才能なのかもしれない。
公孫瓉にしてみればまったく嬉しくないだろうが。



更に袁紹までが、冀州へ一時的に戻ることとなる。
切っ掛けは、彼女に宛てられた一通の便り。それなりに規模の大きい集団が複数、あちらこちらで暴れまわっているという。

「黄巾賊でしょうか」
「黄色い布の輩もいるみたいですわね。
ただ皆が皆そう、というわけではないようですわ。おそらくは、暴れる生き残りに便乗した匪賊の類でしょう」

辛うじて対処はしているものの、制圧に乗り出すには兵の数が心許なく、統べる胆力の足る人材も少ない。中央に遣した兵と共に、戻ってきて活を入れてくれないか。送られてきた便りは、そういった内容のものだった。

「確かに、地元を疎かにしているのはよろしくないですわね」
「出世に腐心して地元のことは放っている、なんていわれかねませんね」
「……そこまでいうんですの?」
「でも、そんな風に見えかねませんよね?」
「もっといい様があるでしょう」

さすがの袁紹も、鳳灯の直球な物言いには多少圧されるようだった。
余談ではあるが、彼女とのやり取りを繰り返すうちに、袁紹は自分の口にする言葉を吟味するようになったという。思わぬところで、名家の長に影響を与えていた鳳灯だった。

「とにかく、大したことではありませんわ。
中央が軌道に乗り始め余裕があるとはいっても、やらねばならないことは山積みなのですから」

ちょちょいと捻ってやって、さっさと洛陽に戻ってきますわ。
袁紹はそういい、すでに個性といっていいだろう高笑いを、自信満々に上げてみせた。



中央において行われた新しい人事、その者たちによる朝廷の運営。旧体制からの生え抜きによる補助があるとはいえ、なんとか問題なく動かしていけるであろう感触は得られていた。
となれば、日常の動きに関してはすでに将が手ずから関わるという段階を離れたといっていい。将が洛陽を出るといっても、不安になる要素はさほど大きくはない。もちろんゼロとはいわないが、それは実質的なものよりも、多くは気持ちや気分的なものなのだ。

鳳灯はわずかに不安を覚えている。
確たる理由はない。それこそ、"なんとなく"という気分的なものだった。
今の袁紹ならば、洛陽に向けて弓を引くことはないだろう。そう思う反面、洛陽から離してしまっていいのかとも思う。
かつていた世界の"麗羽"と、彼女は違う。印象を被らせてはいけない。今となってはその記憶は枷にもなる。

そう考えると、また別の問題が沸き起こる。
つまり、鳳灯が経験してきた"天の知識"は当てに出来ないということだ。
現時点で、彼女の知る歴史とは相当の違いがある。
そもそも、孫堅が存命であったり、その孫堅と袁術が好意的であったりと、前提となるもの自体が違っていたりするのだから

孫家はどうなるのだろう。
劉備たちはどうなるのだろう。
曹操の覇道はどうなるのだろう。
その他その他その他。

なまじ知識と経験がある分、要らぬ想像を巡らしてしまう。
なるようにしかならないといっても、出来る限り先を見通しておかなければならない。
そう、余計な戦を起こさず、出来るだけ平穏な世界を形作るために。

鳳灯は、見えなくなった先に差しているであろう光明を手繰り寄せるべく、執務机にひとり向き合った。













・あとがき
「鳳灯、袁紹を再評価する」のこと。

槇村です。御機嫌如何。





ひと言でいうなら、今回のお話はそういうこと。
なのになんでこんなに冗長になってしまうんだ。というか前半いらないんじゃ、と思ったのは気のせいだと思いたい。

後々必要だと判断して入れた回。山がない。強いていえば麗羽さんをひたすら持ち上げているのが山。



というかさ、誰だよコレ。(お前がいうな)

自分の中で、麗羽さんが秘めた潜在能力は半端ねぇところまでいっています。
『恋姫無双』以外の三国志関連作品、及び資料等いろいろ読めば読むほど、

「『恋姫』の袁紹、扱いが不憫すぎだろ」

と、ココロの汗が頬を伝っていく。

そんなわけで、麗羽さんは、槇村的解釈に沿って改変されていきます。
逆に「こんなの麗羽じゃねぇ」とかいわれる可能性は実に大ですが。
それこそ「俺には関係ねぇ」で通します。

キャラ改変をしつつも、"麗羽さんらしさ"はキープしなければ。

麗羽さんって、「おーっほっほっほ」を使わずに表現するのが案外難しい。
地の文だけで突っ走ろうとするところがあるのは、そんな理由も少なからずある。



ちなみにタイトルの“採光”とは、明るさを取り入れるとう意味の他に、なにかを誘導する、という意味もあります。



[20808] 38:既知との遭遇 其の四
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2011/09/15 05:21
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

38:既知との遭遇 其の四





洛陽において、漢王朝を根底から変えかねないような騒動が起こっていた頃。
幽州・薊。
ここは平穏そのものであった。



州牧である公孫瓉が洛陽へ出向いている間も、幽州の政務に携わる官吏文官らには、やらねばならないことが日々変わらず発生する。
普通ならば、最終的な決定権は州牧にある。だがそこは鳳灯仕込みの文官たちである。
あれこれと能力を底上げされ続け、それらを遺憾なく発揮できるような場も与えられている。
「彼ら彼女ら同士が合議をした上での決定なら、ある程度の裁量で動かしても構わない」
そんな体制を鳳灯は形にしており、その運用を公孫瓉に認めさせていた。
これによって、なんでも抱えがちな公孫瓉の仕事量が大幅に改善されることになり、配下の者にしても重要度の高い仕事を任されることで質の向上に繋がるという、良い循環が生まれていた。州牧の不在という中であっても、これといった面倒事が起こるでもなく平穏な日常が流れている。

軍部においては、これまた日常の如く、関雨が日々張り切って将兵らを鍛えている。
鍛えているという表現も、あくまで関雨から見た印象であって。
一般将兵らの目線からみれば、それはまさにシゴキとしかいいようのないものだという。
さらに時折、遊びに来るような感覚で呂扶が参加してくる。
となるとどうなるか。
当然のように、立ち会った将兵らはことごとく吹き飛ばされていき、その身を流星と化し燃やし尽くしていく。
それでも死なずに生還してくる辺りは、呂扶の手加減具合が絶妙なこともあろうが、なにより公孫軍将兵らの頑丈さが効を奏しているといっていい。これまでのシゴキいやさ厳しい修練の賜物であろう。
恨むべきか感謝すべきかは微妙なところだが。

そんな厳しい修練も、関雨が「まだいけそうだな」と判断するごとにどんどん激しさを増していく。
元来であれば、関雨と呂扶に対してある意味で緩衝材のような役を担っていたのは、趙雲であった。手段はともかくとして、修練の内容が行き過ぎない内に歯止めをかけていたことは事実である。
だが彼女のいない今、関雨の修練激化を止められる者は誰もいない。
関雨もさすがに、将兵らが潰れないよう気を配ってはいる。だがそんなものは、シゴキを受ける側にしてみればなんの慰めにもなりはしない。
一般将兵の面々は、息の抜きどころのない自己鍛錬の毎日に、心身共に疲れが抜けないのが正直なところであった。


そんな彼ら彼女らを不憫に思ったのは、一般人代表である北郷一刀。
毎日毎日お疲れさま、という慰撫の気持ちを籠めて。彼は公孫軍の将兵ら全員を店に招待し、酒に料理にとふんだんに振舞った。話を聞き込んだ文官勢までもが参加したこともあり、ある程度の自制は求められたものの、その日はとんでもないドンちゃん騒ぎが繰り広げられた。普段の憂さを晴らさんが如き盛り上がりに、給仕に借り出された関雨ひとりだけが心なしか表情を強張らせていたとか。

なお一刀は後日、修練を終えた将兵らに対して会計時に割引を行うと通達。加えてウエイトレス姿の関雨将軍を可能な限り投入することを約束した。
公孫軍将兵らはこれに心から歓喜する。
動きに動き力を使い果たした末の、空腹感や喉の渇き。本能ともいうべきその渇望を、割安で満たしてくれる。
おまけに、つい先ほどまで孤高の存在よろしく君臨していた武の鬼将軍・関雨の給仕を受けることが出来るのだ。
それらは身とか心とかいろいろなものを満足させ、明日への活力をもたらした。
公孫軍の彼ら彼女らは、毎日のように酒家に顔を出すようになり。その都度、鍛錬による疲れや日々の憂さを晴らして帰っていく。
そんな様を眺めつつ、一刀は忙しく鍋を振るう。緩く、笑みを浮かべながら。


ちなみに。
後日、幽州に戻った趙雲はこの話を聞きつけ、では自分もと一刀にたかりにかかったのだが。
彼は、趙雲のメンマ代だけは頑なに通常価格を貫いたという。

「あの人は甘やかしちゃ駄目だ。スキを見せると骨までしゃぶりついて来るに違いない」
「本人を目の前にして、そのいい様はあんまりではなかろうか」
「時々エサをチラ見せするくらいで丁度いい」
「猫ですか? 私は」
「……自分の行動に自覚がないというのも考え物だな」

一刀と趙雲のやり取りにを傍目に、溜め息を吐く関雨が居たとか居なかったとか。





幽州そのものに変わったことは特にない。だが北郷一刀という個人には、様々な変化が現れている。

まずは、彼自身が遼西から薊へと移住したこと。
それに伴い、公孫瓉の後押しや遼西の商人たちの援助もあって、新しく店を開いた。遼西の店は一緒に働いていた料理人に譲り渡している。
造りもしっかりとしたものになり、店の規模も大きくなった。さらに軍部の将兵が常連となり、雲の上の存在であるはずの将軍が給仕姿で奔走するというのも話題となって一般客も増えた。話題が話題を呼び、店はこれまで以上に繁盛するようになり万々歳な状況である。

変化はそればかりではない。店以外においても、今の彼は思いのほか多忙の身である。
彼は、料理の弟子を数人取ったのだ。
いや、正確には取らされたといった方がいいのかもしれないが。



「兄様、この味付けはこんな感じでいいんですか?」
「……ふむ、いい塩梅だ。さすがだな流琉」

そういって、彼女の頭を撫でてやる。一刀のそんな仕草を素直に受け止め、えへへー、と、嬉しそうに笑う少女。

見た目はまさに少女、といっていい。実際に年齢も低く、背丈も一刀の胸に届くかどうか。若いというよりも幼いと呼ぶ方が妥当だろう身体の細さでありながら、自身の顔の数倍はあろう大きな鍋をいとも簡単に振り回す胆力を持っている。
彼女の名は、典韋。
かの曹操に仕える親衛隊のひとりで、傍目には幼い少女であっても、兵を指揮する立場にある生え抜きの将軍位だ。


そんな有力者がなぜ、わざわざ幽州に赴いて、ただの料理人の弟子などをしているのか。もちろん理由がある。

ことの起こりは、曹操ら一行が陳留に帰還した頃。彼女が張譲に呼ばれ中央へと上洛する少し前に遡る。
なにかの際に一刀の料理に話が及び、典韋がそれに興味を持った。なんでも、料理の様を口にする曹操が実に幸せそうな顔をしており、同行していた夏侯惇、夏侯淵、荀彧までが同じような表情をしていたという。
さぞ素晴らしい料理だったに違いない、と、典韋は四人に話を聞き。味の再現を試みるも、なかなかうまくいかずに挫折する。
どこか琴線が触れたのか、どうにか味の再現を、と奮闘する典韋。それに促されるように、定期的な試食会が開かれるようにまでなる。夏侯惇の大雑把な意見と、夏侯淵の具体的な意見、それを元に作られた料理を曹操と荀彧が新たに違いを指摘するといった大掛かりなものになっていった。彼女の親友である許緒も試食に混ざるようになり、やがて味そのものは文句の付け所のないものとなるも。

「確かに美味いが、なにか違う」

という感想を一様にもらうことに。
そんなことをいわれても、比較対象がまったく未知のものなのだからどうしようもない。
納得がいかず悩んでいる典韋を見て、曹操が鶴のひと言を発する。

「それなら、幽州まで学びに行く?」

典韋はその言葉を真に受け、本当に幽州・薊までやって来たのだ。
その経緯を聞いた際、一刀が本気で頭を抱えてしまったのも無理はないだろう。
なにを考えてるんだあのクルクルヘアーは、と口に出さず思っただけに留めたのは、彼だけの秘密である。

ともあれ、典韋を始めとした数人の料理人が一刀に教えを乞う形でやって来た。
彼にしても、特に秘密主義な訳でもない。食の豊かさが少しでも他に伝わるならば、むしろ願ったり適ったりである。彼はその弟子入りを快く引き受けた。

決して、彼女らの背後にいる曹操が怖かったわけではない。
「弟子入りを引き受けてくれるなら、次に会ったときは真名で呼んでいいわよ」という伝言を聞き、断ったらどうなるかと怖気づいたわけでは決してない。

必死にそう思い込む一刀であった。


経緯はどうあれ。今の一刀にしてみれば、働き手が増えてくれるのは渡りに船のことである。
忙しい時間帯はせっせと働いてもらい、客足が遠のいてくると、流琉を始めとした弟子たちに対し料理のレパートリーを披露する。その横で、自分たちでも実際に作ってもらうという形を取っていた。
ごく普通の、どこにでもあるような食材。それがたちまち、見たことも食べたこともないような料理へと姿を変えていく。
押しかけ弟子たちは、その様を見、口にして得た味に目を輝かす。

殊に典韋はそれが顕著だった。
目を星のように煌めかせる、という言葉の通りに、料理のひとつひとつを食い入るように見つめ、吟味し始める。そして、意地でも我が物にせんとばかりに、自分もまた鍋を振るい出すのだった。
同じ料理に携わる者として、よほどの衝撃を受けたのだろう。典韋は、一刀のことを"兄様"と呼び慕い、真名である"流琉"を預けるほどに懐いていた。




思った通りの味を出すことが出来、褒められた典韋は嬉々として料理の盛り付けを進める。
そんなところに、狙い済ましたかのごとく新たな客が来店する。

「一刀さん、食事をお願い出来ますか?」
「……お腹すいた」

関雨と呂扶である。
この日のふたりは、関雨は主に内向けの政務にかかり、呂扶はその代わりとして軍部へと足を運んでいた。
共に仕事を一区切りつけたのだろう。店の最も混むであろう頃合を避け、ひと息吐くべくやって来た。

ちなみに。
鳳灯が洛陽へと向かった後、関雨は、一刀に真名を呼ばせている。
同時に、恋や雛里に負けていられない、と、関雨が一念奮起し、自身が"一刀"と呼ぶようになるまでのやり取りがアレコレあったりするのだが。
余談になるのでここでは触れない。

それはともかく。
公孫瓉が不在ということもあり、関雨もまた政務の一端に係わるようになっていた。
曲がりなりにも、以前の世界においては国政に携わっていたのだ。鳳灯ほどではないにしても、その実務能力は中々に高い。
そんな彼女が現在、軍部以外に手がけている仕事のひとつは、"警備隊の統括"。
治安維持を主目的とした隊を結成し、運営する。以前にいた世界で既に実践済みのものを、鳳灯と共に再び練り直し、多種多様な護衛を経験している一刀の意見も取り入れつつ、新たな形へと作り上げた。
彼女らはこれを、薊のみならず幽州全域に教え広めるつもりで居る。公孫瓉旗下で指導役を育て上げ、各地域に派遣する。その上で、当地にて更に人材の育成にあたるという形を布こうと目論んでいた。
そのあたりの割り振りなども、鳳灯から内容を引き継ぐ形で、現在は関雨が取り仕切っていた。

かつての遼西を始まりとして、公孫瓉の統治する地域の治安の良さは内外に良く知られている。曹操や賈駆といった一角の人物が、わざわざ視察に訪れるほどのものなのだ。その有用性を具に見て、あわよくば取り入れたいと考える者がいても不思議ではない。
殊に曹操は想像以上に、幽州が布く治安維持の方法を評価しているようだった。
彼女は同様の警備体制を導入することを決め、さっそくその雛形を作り出す。
更に新設した警備隊の責任者を、研修という形でを幽州へと派遣させていた。身をもって体験して来いということなのだろう。

派遣された人物は、姓は楽、名を進、字は文謙。紛うことなき、曹操の周囲を固める武闘派の将のひとりである。
警備隊の研修に関して応対した関雨は、こんなところに楽進が来るとは、と、非常に驚いた。
……典韋の件と、楽進の件。どちらの方が主要なものなのだろう。
そんなことを考えながらも、彼女は、幽州の警備体制について差しさわりのない程度に指導する。その後は実際に薊の警備隊に参加させ、自身の肌と頭で覚えてもらうといったところだ。楽進にとっても、頭よりも身体で覚えた方が実感出来るということで、警備のあれこれを吸収せんと毎日実務に努めていた。

関雨にとって、楽進もまた、いうなれば旧知の人物である。厳密にいえば別人だと分かってはいても、その人となりが同じように感じられるのであれば、新たに誼を通じることに抵抗などない。
生真面目な性格をした者同士、相通じるところがあったのかもしれない。関雨と楽進は、当人らが思っていたよりも遥かに良好な関係を築けていた。


一緒に居ることの多いふたりが、ひと息吐こうと思うとどうなるか。
関雨がいる以上、一刀の酒家に足が向くのは必然なことだ。
そんな理由から、楽進は既に、一刀と顔を合わせている。彼女の主と同様に、彼の作る料理にハマり込んでいた。
もっとも、ふたりの出会いは険悪なものだったが。

楽進が初めて彼の酒家を訪れたとき、不穏なやり取りがなされた。
出された料理は美味しかった。しかし大の辛党である彼女にしてみれば、もう少し辛くなればもっとよかったらしく。

「もう少し辛く出来ませんか?」
「辛けりゃなんでもいいってんなら唐辛子でも齧ってろ」

たったひと言で、すわ一触即発か、という空気が流れた。
こと料理に関しては、一刀もキレることがある。なにか不愉快な過去でもあるのか、楽進の言葉に突っかかった。この反応には、関雨も驚いたという。
会話が途切れた。互いの第一印象は最悪だったといってもいいかもしれない。
だがそれも互いに言葉の足りない状態での思い込みだったということに気付き、今では和解に至っている。
大人気なかったと思い、一刀は、辛党の楽進に出せる品を考えてみようと考えていたり。
楽進にしても、辛味は個人的な嗜好でしかないことは理解している。自分の言葉は考えなしだったかと反省したりしていた。

さて、それもまた置いておくとして。
この日もまた、楽進は警備隊のひとつに混ざって薊の町を巡回し、その後に関雨とあれこれ意見を戦わせていた。
日の高さも程よいところに来たことに気付いたふたりは、道中で呂扶を拾い、連れ立って一刀の酒家へとやって来たのだった。



「おや、皆連れ立って丁度いいときに」

訪れた関雨呂扶楽進を目にして、よく来た、と、一刀は店の奥へと招き寄せた。
彼の目の前には、弟子たちが作った料理たちがおいしそうに湯気を立てている。

彼女らがやって来ることを見越した上で、一刀は弟子たちへの料理修業を行っている。やはり食べてくれる人がいないことには、いくら料理を作っても張り合いがないというものだ。おまけに振舞う相手は、見かけ以上に良く食べる胃袋まで将軍格な人たちである。量を作らざるを得ないとなれば、是非とも協力を願いたいところだ。彼女らにしても、この申し出は大歓迎だろう。

だがこんな考え方も、この時代の指向とズレている一刀だからこそのものなのかもしれない。
典韋もそうだが、楽進もまた、曹操に仕える直近の将である。前述したとおり、普通に考えればそんな人物は偉い人過ぎて、そう簡単に接することは出来ないものなのだ。幽州まで同行した料理人たちもまた、同じ厨房に立つ典韋はともかく、楽進に対して、試作品である料理を出すことを躊躇っていたのだが。

「うまい料理を前にして将もなにもない。臆するな。自信を持って皿を出せ」

流石は、かの曹孟徳から料理ひとつで笑みを引きずり出した男だけある。
相手が高位な者であってもまったく引かない一刀の態度に、料理人たちは尊敬の念を新たにする。
一刀自身はそれすらも意に介していないというのも、彼らしいといえばそういえるかもしれない。
かなり勘違いも混ざっていそうな雰囲気はあるが。



「さぁ召し上がれ」

飯台に所狭しと並べられた料理の数々に対し、いただきます、と、皆が手を合わせる。
まず誰よりも早く、呂扶が目前のご馳走に挑みかかった。料理たちが勢いよく消えていく。
だがそれも想定済み。焦らなくとも、量も種類もまだまだ十分にある。
席に着いた面々は、口にする料理の感想をあれこれ漏らしながら、和気藹々と食事を進めていった。

その流れに、一刀は新作料理を投入する。
弟子たちが作る料理とはまた別に、一品、一刀は皿を用意していた。

豚肉のしょうが焼きである。

生姜をすりおろし、醤油、酒、みりんと少量の蜂蜜を混ぜ合わせ、豚肉をそれに漬け込ませる。
一刀謹製フライパンで油を熱し、下味のついた豚肉の汁気を切ってからおもむろに焼く。
肉の両面を焼き、ほどよく焼き色がついたら、上記の漬け汁を投入。煮詰めるようにしながら肉とからめていく。
甘藍、つまりキャベツの千切りを添えて盛り付ける。うん、ご飯が進むこと間違いなし。
それにつけてもトマトがないのが悔やまれて仕方がない。もしあったとしても俺の知ってるトマトじゃないんだろうなぁ、とは一刀の談。
現代日本に流通しているトマトは品種改良を重ねた一品だしね。

しょうが焼き特有の匂いが店内を満たしていく。お椀に山盛りのご飯と一緒にさぁどうぞ。

「……兄様、なんですかこの癖になる味は」
「……白米が、この白米がまた曲者です」
「組み合わせの妙というやつなのか。箸が止まらない」
「おかわり」

非常に好評のようだ。
日本人として、米の進むおかずが受け入れられることは無上の喜びであった。

店内に残ったわずかな客も、この匂いに興味を惹かれたらしく。作ってくれと注文が来る。
まだ試作段階のものだ、と、クギを刺しつつ。一刀は追加のしょうが焼きを作るべく厨房へと戻っていく。
彼は明らかに嬉しそうな、そんな笑みを浮かべていた。

他の方々にも、しょうが焼きとご飯の組み合わせは大好評だったという。





将の面々は空腹を満たし、幸せそうな緩い空気を醸し出している。
あー食った食った、という奴だ。
一刀もまた、夕方までひとまず休憩。仕込みの追加などは弟子の面々に任せているため、彼自身がやるべきことというのは数が少なくなっている。典韋たちがやって来て起こった、嬉しい環境の変化といえるかもしれない。
逆にいえば、暇になってしまうということなのだが。

「さて、それじゃあ少し身体を動かすか」
「はい」

ひと息吐いた後、関雨は、楽進に声をかけつつ。ふたりは連れ立って店の外へと出て行く。
一刀に呂扶、典韋らもまた、それに従うように後に付いていった。



武将が持つ血、とでもいうべきだろうか。強者を目前にすると、自分と比べどれだけの武を有しているのか、と、いう気持ちが沸き起こってくるという。
比較的大人しい印象を受ける楽進であっても、それは変わらないらしい。ひょっとすると、仕える主の影響なのかもしれないが。

切っ掛けは、楽進は気が使える、という言葉を聞き、一刀が興奮しだしたことだ。

「じゃあ、気弾みたいなものが撃てたりする?」
「出来ます」

そこから彼は止まらなかった。楽進に対して、彼はあれこれ質問攻めにする。

気弾は手からしか出せないのか?
足とか他のところから出せないのか?
出すのに溜めは必要なのか?
動きながらでも出せるのか?
威力はどれくらいなのか?
威力の調整は意識して出来るのか?
他にも気を扱える人はいるのか?
いるなら楽進はどれくらいの実力を持つところにいるのか?
気を扱うというのは一般的に知られている物なのか?
知られていないのなら、知られていいものなのか?
そしてなにより、

「俺にも使えるのか?」

ずずずいと、言葉を返す暇も与えぬほどに威圧する一刀。さすがの楽進も一歩引くような体勢を取ってしまう。いつになく興奮する一刀を、関雨が思わず羽交い絞めにして抑えるという珍しい場面がそこにあった。

「多いとはいえないまでも、気の使い手はそれなりにいるようです。私はまだ、教えを受けた両親以外に会ったことはありませんが」
「確かに。気を意識して使っているような者には、私も数えるほどしかあったことがないな」
「え? 愛紗、会ったことがあるの?」
「はい」
「初耳だよ」
「そうでしたか?」

可愛らしく首を傾げる関雨。それでも未だ一刀を押さえて離さない辺りは流石である。

「いやいや、そんな可愛らしい仕草じゃ誤魔化されないよ? 教えてくれてもよかったじゃん」
「……確かに。ですが聞かれたことがありませんでしたし。そもそもそこまで興奮する話だとは思ってもみなかったので」

可愛いという言葉に一瞬身を硬くしたが、そこは仮にも後世武神とも語られる身である。いち早く我を取り戻し、言葉を返してみせる。
例え取り繕うような形であっても、さすがは関雲長といえよう。

「関雨さん、他に気の使い手に会ったことがあるんですか?」
「あぁ。楽進と同じ無手の使い手と、あとは弓使いに……」
「ということは、気の使い手を相手取ることにも長けているということでしょうか!?」
「いやまぁ、確かにそれなりには」

なぜか物凄く喰い付いて来る楽進。先ほどまでの一刀顔負けの勢いで迫る彼女を、落ち着けとばかりに、無意識のまま押し留めようとする。未だ羽交い絞め状態の一刀を壁として使う辺り、やや落ち着きを失っているように見えた。
仮にも想い人だろう、どうした関雲長といわざるを得ない。


自身が口にした通り、楽進はこれまで、両親以外に気を扱う者に会ったことがなかった。
正確にいえば、気の扱いを武にまで昇華させているほどの使い手に会ったことがないのだ。

楽進が気を扱う以上、使い手が非常に少ないということは、相手もまた気の使い手に慣れていないということになる。これは手の内を知られることなく敵と相対することが出来るという、彼女にとって大きな利点であるといっていい。
だが逆にいえば、彼女自身もまた気の使い手を相手取ることに慣れていないということでもあり。
同時に、対処方を知る輩が現れた場合はどう相対するか、という課題が生まれることになる。

気の使い手と相対したことがある。
関雨のその言葉に、楽進は、戦う前から手の内を知られているような不安を覚えたのだ。

「ぜひ一手、手合わせを願えませんでしょうか!!」

自分の知らない技術を持つ者と、相対する。そのことで自分がより高い舞台へと上がれることを夢見て。
一心に、楽進は、関雨の手を取り願い出た。

そんな彼女を目の前にして、弱りながらも、関雨は断ることなど出来なかった。


蛇足ながら、関雨と楽進に挟まれる形で密着され、身動きの出来なかった一刀。
それだけ聞けば羨むような場面にも思えるが。
これだけの至近距離にありながら、ふたりの視線が彼に向けられていないことはなかなかに耐え難いことだった。
向かってくる楽進の物凄い勢いを正面から、身動きの取れない状態で受けたこともあり、一刀の精神はガリガリ削られていたことだけは記しておこう。



そんな一幕があって以来。関雨と楽進は、なにかの合間に立会いを行うようになっている。
互いに行う修練の延長、という気持ちではあったが。繰り広げられるものは、傍から見れば本気そのもの。そこらの将兵ではたちまち沈められるであろう濃い内容だ。
無論、一刀などでは太刀打ちも出来ないであろうことはよく分かる。
であっても、彼には、このふたりの立会いは見ているだけで心躍るものであった。

今日もまた、軽く腹ごなしとばかりに相対するふたり。

「さてさて、今日はどんな展開になることやら」

関雨と楽進。ふたりの立会いを想像し、実に楽しそうな笑みを浮かべる一刀だった。














・あとがき
はっはー、なぜか幽州組が登場だぜ。

槇村です。御機嫌如何。





おまけになぜか、流琉さんと凪さんまで登場です。
どうだろう、こういう流れはアリですかね。

実はこれ、30話で入れようとしていた小話をいじって入れてみたのです。
……愛紗さんと凪さんがぶつかるお話って、どれくらいありますかね? 見たことないような気がするな。
次回はふたりが立ち会う戦闘シーン。あと魏組ふたりとの絡みをもう少し。

幽州編は、もう少しだけ続きます。



唐辛子って、アメリカ大陸以外では歴史の浅いものらしいんですよね。
コロンブスが西インド諸島で見つけたときに初めてヨーロッパに伝わったらしい。
それから大陸を東へと伝播していき、安土桃山時代(16世紀後半)に日本へやって来たそうな。
……三国志時代の辛味ってなんだよ。なにがあるんだ教えてくれ。

悩んだ末、唐辛子はあるものとして扱うことにした。後悔はしていない。
恋姫だからな、仕方ない。(逃げ口上)

ちなみにみりんは、一刀が日本酒を作る過程で見つけたということになっています。槇村の中では。



[20808] 39:既知との遭遇 其の五 そして
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2011/10/13 19:41
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

39:既知との遭遇 其の五 そして






関雨と楽進、それに一刀らが向かった場所は、酒家の裏手。それなりに広く、程よく開かれた草場が広がっている。
もともとは、ビアガーデンとかバーベキューみたいなものをしたいな、という一刀の思惑から、店の立地条件の中に広い空き地の確保も入れてあった。
彼にしても、贅沢な要望であることは自覚していた。見つかればいいなぁ、程度の考えだったのだが、実際に用意されたときはさすがに彼も驚嘆した。想像以上に優遇されていることを改めて知り、その恩返しみたいな気持ちから、公孫軍将兵の飲食を優遇しているところもあった一刀である。

とはいえ現状、せっかく用意してもらった土地もただ遊ばせているだけだった。構想はあれこれあるものの、そこまで手が及んでいないというのが正直なところである。
土地を遊ばせたままなのはもったいないと思ったのだろうか。時折、関雨や呂扶がこの場所で身体を動かしている。
身体を動かす、と軽くいいはしても、"あの"関雨と呂扶である。傍目にはとても軽い運動などには見えない、まるで果し合いのような殺陣を繰り広げている。
ビアガーデンの前に、まさかプライベートなバトルフィールドになるとは、と、一刀は溜め息を吐くのだった。



それはさて置くとして。
今、その店舗裏(バトルフィールド)では関雨と楽進が向かい合っていた。

考えてみれば、凪とこうして立ち会うことは少なかったかもしれない。
以前の世界を思い浮かべながら、関雨は、身体をほぐし準備運動する楽進を見やる。

魏の面々との交流が始まったのは、主に三国同盟が成された後のことだ。
その後も、親交を深めるという名目で立ち合いなどをしたこともあった。だがそれも、なぜか春蘭こと、夏侯惇を相手にしたことしか思い出せない。印象が強すぎるのか、はたまた本当に彼女としかやり合っていないのか、そのところは分からないけれども。

楽進との立ち会い。始まりは乞われてのものだった。だが関雨にしても、これはなかなか刺激的なものである。
以前の世界においても、前述の通り楽進とやりあった記憶はあまりない。他に無手の使い手と出会ったこともないのだから、彼女との立ち合いは、関雨にとっても得難い機会なのだ。
結局のところ、彼女もまた武に生きる者。血が騒ぐのは抑え切れないのかもしれない。

「お願いします」
「来い」

楽進の一礼に対し、関雨が尊大に構え応える。

関雨が手にするのは、刃を落とした模擬戦用の偃月刀。
対して楽進は、肘まで覆う手甲、拳鍔(ナックルダスター)を握りこむ形状になっている彼女の愛器・閻王を身につけている。

ふたりが手合わせをするようになり、この日で既に七戦目になる。
戦歴は、楽進の五敗一分け。一戦目に、実力の程を探る意味で関雨は程よく相手をし引き分け。それ以降は、力量の差を見せ付けるかのごとく打ち臥せられ続けている。
はじめの頃は、楽進の方も布を握るなどして威力を抑えていた。だがそんな気遣いなど無用だと、負けを重ねる度に思い知らされている。四戦目に挑む際には、戦に出るための装備と気合をもってして臨んでいた。関雨もまたそれを承諾している。
それでも、楽進は勝てていない。関雨とて無傷というわけではないが、これといった決定打を与えること少ないまま、楽進は地に這わされる回数を増やしていた。

だが勝てないなりに、楽進はその都度、改善すべき課題点を見出し、自分なりに工夫をし次に繋げようとしている。
事実、回を重ねるごとに当たる攻撃の数が増えて来ている。
勝てないまでも、手応えはしっかりと感じることが出来ていた。





先手を打つか、後の先を取るか。

今回は、関雨が先手を打った。
突進。気合の声と共に迫る関雨。引いた位置に構えた偃月刀が、楽進の視野から姿を消す。
関雨がわずかに身を捻る。突きが来ると感知した楽進が微かに身を捩り、重心を移そうとした刹那。偃月刀が横薙ぎに襲い掛かった。

初手から読みを外した。
避けろ。楽進の頭の中で鳴り響く声。
いわれるまでもない。移しかけた重心を無理矢理散らせるように身を落としてみせ、辛うじて斬撃を避ける。

目線の直ぐ先を走り抜ける偃月刀に、肝を冷やす余裕もない。
すぐに次が来る。
させじと、楽進は軸足を刈るかのような蹴りを振るう。
間に合った。
当たりこそしなかったが、関雨はその場から飛び退き改めて構えを取る。
相手の次手を潰してみせただけで良しとし、楽進もまた、体勢を立て直すべく距離を取る。

「ふむ、よく避けたな」
「そちらこそ。脚にかかって転びでもしてもらえれば楽だったのですが」
「私はそんな楽に倒せないぞ?」
「骨身に沁みて、分かっています」

互いに、憎まれ口を叩き合う。
本当にほんのわずかな、接触すらしていない初手。受けに回り、後の先どころか少しもいいところを引き出せなかった楽進。
気を取り直し、閻王を握り直す。
仕切り直しだ。
相手に掴まれた流れを引き戻すべく、声を出し気合を入れる。
見るのは、関雨の持つ得物の一点。同時に、彼女の腕の動きと足捌きも目の端に上らせつつ。
楽進は前へと駆け出した。



挑みかかる度に、何某かの変化を見せる楽進。そんな彼女を前にして、関雨は、弟子の成長を見るような面映さを感じている。

自分は、武において楽進よりも上いる。彼女ばかりではない、公孫瓉や趙雲らとて未だ及んでいない。
実際に手合わせをした感触から、関雨はそう感じていた。
しかしそれは、彼女らに比べてズルをしているからだ。そんな思いが拭いきれないでいた。
彼女自身は、一度時代を一巡して経験していることが優位に働いているに過ぎない、と考えている。
黄巾賊の乱から、反董卓連合、群雄割拠の時代を経て、数多くの将や兵とぶつかり合い生き残った。その末に磨かれ高められた武才が、今の関雨を支え成り立たせている。
逆にいえば、かつての世界における楽進もまた、同じだけ高められた武才を持っているのだ。目の前にいる彼女がかの"凪"であったなら、こうも余裕を持って相対することは出来ないだろう。

世界を超えて持ち越された、"天の知識"ならぬ、"天の武才"とでもいうべきだろうか、それをもってして自分はズルをしていると考えていたこともあった。
そんな後ろ向きな思考も、一刀がその名の通り、一刀両断している。

「経緯はどうあれ、その経験は紛うことなく、自分自身が積み重ねて来たものだろ? 後ろめたくなってどうするんだ」

持っている力は十分に使ってやろうぜ。
そんなものは悩みですらない、という彼の言葉に、吹っ切っていたつもりの曇りが晴れていった。
いやむしろ、悩んでいるのが馬鹿らしくなった、というべきなのかもしれない。

やって来た時代が異なるせいもあるのだろう、関雨らと一刀では、抱えていたであろう鬱屈も異なる。
彼とて、むしろある意味では彼の方が、多く苦労を重ねて来たに違いない。
にも関わらず、彼は今この時代に生きながら、毎日を楽しそうに過ごしている。

大袈裟に構えすぎず、その日と近い未来を生きていく。
そんな過ごし方も、悪くない。
彼を見ている内に、関雨はそう考えられるようにもなっていた。


日々楽しみを見つけつつ生きていこう、その考え方には彼女も賛同するのだが。
一刀にとって最近の"楽しみ"のひとつが、関雨を少しばかり悩ませている。
間接的には、彼女にとってもなかなか楽しめる結果となっているのが腹立たしくもあるのだが。

簡単にいえば、幽州へやって来た楽進の成長は、関雨とのやり取りばかりが理由ではない、ということ。
ちなみに嫉妬ではない。断じて。
そう思い込む関雨である。



関雨と楽進の立会いを初めて見た際に、一刀は、剣道三倍段、という言葉を思い出していた。

己の持つ間合いが短いというのは、それだけ懐に深く踏み込まなければ行けないのと同時に、相手の攻撃に晒される隙が大きく生じるということだ。
なんとか間合いを詰めたとしても、無手では攻撃そのものを深く入れることが出来ない。当たったとしても、得物によるものと比べ攻撃力そのものも違い、そもそも当たらないことさえままある。
古代の戦闘の歴史は、素手よりも、石や棒を武器として手にしたものの方が古いくらいなのだ。相対するにしても、無手がどれだけ不利なのかうかがい知れる。
そんな不利な部分を埋めるために三倍程度の力量差は必要になるだろう、ということだ。

目の前のふたりに当てはめてみれば、実際、無手の楽進の方が、偃月刀の関雨よりも実力に劣る。
素地が違う上に、単純計算で得物の有無による三倍の力量差。
関雨に対して、やはり楽進は攻めあぐねてしまう。
さてどう対応するか。

一刀は考えた。
手数が、技術の引き出しが三倍あれば、なんとか対処できないものか?

いかに達人といえども、初見の技に対応するのはそれなりに手こずるに違いない。
それが延々と続けば、案外ガリガリ精神が削られて隙が出来ちゃうんじゃない?
一刀はそんなことを考えた。

声には出していないので、もちろん周囲はなにを考えているか分からない。
だが一様にして、そのときの彼を見た誰もが、

「あれはロクでもないことを考えている」

と断言したという。





これまで行ってきた立会いの中で、回を重ねるごとに、楽進は"前回よりもマシな展開"になるよう心掛けてきた。
明らかな格上との立会いを繰り返すことが出来る、という、ある意味恵まれた状況だからこそ成り立つ鍛錬法といえる。
事実、立会い毎の回想と反省によって、負けを昇華をし続けている点が形になり結果になっている。
彼女自身、負け続けではあるものの、その内容については毎回それなりに満足を得ることが出来ていた。

とはいえ、彼女もやはり武将。さらにいえば、かの曹孟徳配下の将である。負けが続いて悔しくないわけがない。


振り下ろされた偃月刀を、踏み堪えることでやり過ごす。目前を通り過ぎる刃に、わずかばかり肝が冷える。
そこまでしての、紙一重の避け。それは楽進が相手に肉薄する時間を短くする。
踏み出す足は一歩にも満たない。偃月刀の背、刃のない部位を踏み込み関雨の行動を殺す。
刃が地に埋まる感触を踏み台にし、蹴り上げた。
容赦なく、頭部を狙う蹴り。関雨は首を捻るようにしてやり過ごす。
が、その避けた先にまた楽進の逆脚が襲い掛かる。突き抜け風を斬る音を真横に聞きながら、なんとかかすめることを避ける。

だがそれもまた囮か。
振り抜いた蹴り足が、関雨の肩に引っ掛かる。引かれる様にして持ち上がった最初の蹴り足までが首に絡みついた。
刹那、関雨は目を見張る。
それを意に介さず、楽進が吠えた。
自らの身を捻り巻き込む形で、そのまま引き倒さんとする。
逃げろ、と、関雨の本能が叫ぶ。
冷たい汗が止まらぬまま、自ら跳ぶようにして難を逃れた。力任せに楽進の脚から抜けてみせ、距離を取るべく更に跳びのく。

関雨の、強引に過ぎる回避。体勢を立て直す余裕などない。

咄嗟に、楽進は気弾を溜めた。踏み込みながら少しの暇もなく、彼女は気合と共に関雨の足場へと叩きつける。
轟音。
同時に土塊と土煙が巻き上がり視界を奪う。
関雨が見失った姿を捉えようとした刹那、楽進の蹴りが土煙を割って現れた。
一刀曰く、サマーソルトキック。
相手の顎先から脳天に抜け、蹴り砕かんばかりの鋭いもの。低い姿勢から身体ごと回転し、筋力によるバネと遠心力が増幅させた威力のすべてを楽進は叩きつけた。
関雨は辛うじて、堪える。
決定打には至らない。だがそれでも浮かぶ苦悶の表情。わずかにかすらせるだけで凌いでみせたのはさすが関雲長といういうべきか。

楽進とて、これで終わりではない。
低く飛んで回って見せたのは、次に繋げる時間を短縮するため。すぐにまた地に足がつく。

再び地を噛んだ楽進の軸足が、さらに深く踏み込んでみせる。
跳ね上げて見せた関雨の頭。その視界から隠れるように、軸足へと低い蹴りが奔る。
見えないはずの蹴り。実際見えていなかったそれを、関雨は偃月刀の柄を突き立てることで止めてみせた。
脚甲とぶつかり合い鋭い音が鳴る。後に関雨本人も神懸りと評した反応が、自身の脚が持っていかれることを防いだ。

まさか防がれるとは。
一瞬顔をしかめながらも、楽進の脚はまだ止まらない。
低い位置から腹部へ、流れるように連撃が走る。防御に立てた偃月刀の上から圧し折らんばかりに蹴りを叩き込んだ。
ひとつふたつみっつさらにもっと。
速くそれでいて重い蹴りが、足元腹部さらに上段へと意識を散らしつつ関雨を圧していく。
蹴りの連撃が、再び偃月刀を構えさせることを許さない。関雨がいなそうとする度に打点の高低が変化する。防御以外に意識を回せば、楽進の蹴りがたちまちその身を薙ぎ倒すだろう。

後手に回るばかりではどうしようもない。もちろん関雨はそう考えているのだが。
楽進とてそれは分かっている。

わずかでも焦りを生み出す。わずかでも判断を鈍らせる。
それが狙い。楽進がこのまま一手先に駆け抜く。

関雨の意識が、蹴りを受け続ける右手側のみに向けられている。
右手最上段、関雨の頭部を薙ぎ払うかのような蹴りが、忽然と姿を消し。
真逆、左手最上段から姿を現す。
関雨が集中させていた意識の逆側へ、楽進の蹴りが襲い掛かった。

激しく、痛い、音が鳴る。
金属音ではない、身体の一部が弾け飛ぶような音だった。

死んだ、とさえ思ったかもしれない。
だが関雨は寸でのところで腕を捻じ込んだ。
これもまた神懸りといえる反応をしてみせ、その蹴りを腕に受けてのけた。

意識が、本当に飛びかける。が、薄れようとした意識を必死に繋ぎとめた。
関雨はなりふり構わず身を投げ出し、飛び退くように楽進から離れて見せる。
好機である。
楽進はそれを追う。だが追尾した拳も蹴りもわずかに届かず。関雨はわずか一重の差をもってその猛攻から逃げる。
まるで毬が跳ねるかのように、追う楽進の追撃をかわしつつ。踏み込むには間合いが遠すぎる、それだけの距離を稼いでみせた。
傍から見れば、恐るべき逃げ足、といってもいいだろう。

だが必死に稼いでみせたその距離も、飛び道具を持つ楽進には手が届く。

再び彼女の手が気弾を練る。
威力よりも速さを重く見たそれはたちまち形を成し。

「てりゃぁぁぁぁぁっ!!」

未だ体勢の整わない関雨に向け、容赦なく投げつけた。


咄嗟に動いた。備えなどなにもない。それこそ骨まで砕けよといわんばかりの一撃を、その腕のみで受けてみせた。
骨は折れていない。だがこの上ない痺れが関雨の腕を縛った。
咄嗟に防いだとはいえ、なぜ受けようとした逆から蹴りが飛んできたのか、理解できない。関雨は、傍目よりもずっと、心を乱していた。
そこから持ち直す暇さえなく、楽進の気弾が襲い掛かって来る。

まともに動かぬ腕に活を入れ。偃月刀を両手持ちに直し。無理な体勢から強引に身を捩り。

「とりゃああああああっ!!」

力いっぱい、気弾を叩き返すべく振り抜いた。


楽進の放った気弾が、軌道を変え地面を抉る。
爆発。再び土塊と土煙を巻き上げ、傍らで見学する一刀たちのところまで飛んできた。

「……兄様。今、凪さんの蹴りが」
「変だと思った?」
「左足で出した蹴りが、いきなり右の蹴りになりましたよね?」
「うん。見間違いじゃないよ」

さも当然のように、目の前で起きたことを肯定する一刀。

「……そんなこと、出来るんですか?」
「やって見せたんだから、出来るんだろうねぇ」

実戦で本当に使ってみせるとは思わなかったけど。
彼は笑いながら、そういって典韋の問いに答えてみせた。


物凄い速さで襲い掛かる左の蹴り。防御したと思わせた刹那、それが戻る間もなく右から同様の蹴りが襲う。
これを楽進に仕込んだのは、一刀。
かつていた世界で愛読していた漫画から拝借した蹴り技である。

楽進が無手の使い手ということを知って、彼が持つ"天の知識"、平たくいえば漫画や格闘ゲームの知識が炸裂した。
自分では使えないが、使えるかもしれない力量を持つ人材が目の前にいる。
一刀は、自重することが出来なかったのだ。

組み手方式で実用性を確認する、というやり取りを繰り返すうちに、その多種多様な手法に楽進も興味を顕わにし。
腕や足を実際に振るってみるたびに感じられる、それら技の可能性に、彼女は没頭し始める。
やがて楽進は、彼を「師匠」と崇めるようになり、真名を預けるまでに心酔した。
一刀にしてみても、「リアル格ゲーが出来る」と妄想を逞しくし、彼女の求めるままにあらゆる知識(主に漫画やゲームの)を披露していった。

周囲を余所に盛り上がる、一刀と楽進。
店の裏手で、ふたりが同じ型をなぞるように鍛錬をしている様を見て。なぜか溜め息を吐く関雨がいたとかいなかったとか。
そんなことがあったりもした。



やや趣きの違う鍛錬が実を結んだのか、ここ一番で繰り出した一撃が関雨を捉えた。
だがそれでも、まだ楽進は一歩及ばなかったことを知る。

「凄いな。今の蹴りは、まったく見えなかった」
「しかし、しっかり防いでいるじゃありませんか」
「自分でも、なぜ防げたのか分からん」

痺れっぱなしの腕を振りながら、本心からそう応える関雨。
揉み解し、なんとか痺れを抜こうとしたものの、それもどうやら無理のようだった。思いの他深く衝撃が入ったようで、骨が折れていないのが奇跡にも思える。

関雨は、右手に握る偃月刀を下ろし、足元に突き立て。

「この勝負、私の負けだ。痺れ過ぎて腕が動かん」

そして、両腕を上げ降参してみせた。

時と場合よるのはもちろんだが、今の関雨は、「負ける」ということに対して抵抗がなくなっている。
「負け」が次の糧になるのならば、いくら負けても取り戻せる、と。
それが修練ならなおさらだ。

……ここぞというときに負け続けているような気がするのは、気のせいということにしておこう。

内心そういい聞かせている彼女を見て。
楽進は突然のことに放心し。
一刀は腕を振り上げ高く親指を突き立てていた。





お疲れ様、ということで。
お茶と共に軽くつまめるものを前にしてひと息吐く面々。

ひとり楽進は、感情を高ぶらせていた。
「ありがとうございます師匠!」と、一刀の手を握りぶんぶん振り回している。
まぁ、彼が仕込んだ技術のお陰で得た初勝利なのだから無理もないかもしれないが。

「というか、初見であれが防御出来た愛紗の方が信じられないよ俺は」
「勘がいい、では済まない反応でした」
「いや、あれは自分でも何故反応出来たか不思議なんだが」

楽進の感謝に振り回された一刀がひと心地ついてから、彼は関雨に話を振る。楽進もまた、同感だとばかりにうなずいてみせる。

「やっぱり経験値が、無意識に身体を動かすのかねぇ」
「自分でいうのもなんですが、片方に意識を向けている逆から蹴りが飛んで来るのは、普通ありえません。
だからこそ有効なんですが、それさえ反応して見せるのは非常識です。これはもう、経験云々じゃないと思うのですが」
「……楽進、そこまでいうのか」

悪気はないのだろうが、遠慮のない言葉をズバズバ放ってくる楽進。それに晒される関雨は意気消沈していた。
負けたという事実よりも、非常識と評されたことの方が堪えているようだ。

関雨自身、なぜ反応できたのか説明が出来ない。危険を感じたから、咄嗟に腕を防御に捻じ込んだ。それだけに過ぎない。
嫌な予感、というものに対して否応なく反応してみせるのは、なるほど、経験のもたらすものかもしれない。
その嫌な予感というやつが起こるか、という次元になると、楽進のいう通り、経験よりは才能の域になるのだろうか。
感性重視の動きとなると、呂扶などはその範疇に入るだろう。理屈じゃない、傍から見て無体な動きをやってのけたりするのだ。そういったものを見ていると、経験だけでは届かない領域があるといわれても納得してしまいそうになる。
経験至上主義の華祐などは泣きながら否定するかもしれないが。

それはともかく。
実際に楽進との立ち合いを重ねることで、関雨は、無手に対する可能性の豊かさをつぶさに感じていた。
己の技量と工夫次第でいくらでも表情を変える様に、多大な興味を覚えている。

「私も、無手を学んでみようか……」
「無駄にはならないと思うよ? いざというときに武器を失って、後はなにも出来ません、っていうのはカッコ悪いし」

得物を失っても依然脅威であり続けるというのは、武人として、確かに理想の姿ともいえる。
有無にこだわらないという意味では、既に華祐が無手に手を出している。
一刀や関雨らは知らないが、彼女は洛陽において、実際にあの呂布を相手取り無手で押さえ込んでいるのだ。

「でも得物を持つ人が下手になにかを殴ったりすると、拳を痛めて得物が握れなくなる、なんてこともありえるから」
「あまり手を広げようとするのも、痛し痒し、というところですか」
「それでもまぁ、無駄にはならないと思うよ? 繰り返しになるけど」

無手の専門家が丁度良くいるんだから習ってみればいいじゃん。
そんな一刀の言葉に、楽進は驚いてみせ、関雨は「確かに」と頷いてみせる。
ふたりの格ゲー講座に参加するのも手か、と、半ば本気で考える関雨。
もっとも、格ゲーという言葉の意味は未だ理解していないが。


無手の可能性に身を疼かせているのは、なにも関雨ばかりではなかった。
呂扶もまた、楽進の武の伸びに興味津々であった。
もちろん、その伸びが、一刀と一対一でなにかやっているのが理由のひとつと知ればなおさらだ。

難しいことは判らなくとも、その内容に刺激を受けたならばそれ十分だ、という捉え方もある。
主に感性を大切にする呂扶などは正にそう。

武人の性が疼くなら戦ってみればいいじゃない、とばかりに。
呂扶は、楽進の両肩をがっしりと掴んだ。

「……楽進、次は恋が相手」
「え?」
「はやくする」
「ちょっと待ってください呂扶殿、あの後に続けて連戦はさすがに厳しいので少し休ませて」
「はやくする」

悲鳴に近い声を聞く耳持たず、呂扶は、楽進を引き摺りながら再び店の裏へと向かって行く。

「師匠! 助けてください、助けて」
「さて流琉、俺たちもそろそろ夕方の仕込を始めるか。また忙しくなるぞー」
「ひあっ!」

聞こえない振りをする一刀は、典韋の身体を持ち上げ抱え込む。
突然のことに思わず悲鳴を上げる彼女にも気を留めず、彼は厨房へと向かって行った。

「あの……いいんですか?」
「平気平気、あれで恋は手加減が上手いから」

高い高いをするように抱えられたまま、店の外を指差す典韋。
問題にしている部分にズレがあるような気もするが、分かっていつつも敢えて無視を決め込む一刀。
どこか遠くで、彼を悪罵する声が響いて来たとか来なかったとか。

各人のそんな様を眺めながら。
ひとり、沸き上がる笑いを必死に押さえ込もうとする関雨だった。






平穏ながらも忙しく、飽きの来ない毎日を過ごす関雨。
幽州・薊の政庁に詰めていた彼女の元に、上洛した鳳灯から便りが届く。
現状がどういった状況なのか、それらに対してどんな動きをし、自身の知る歴史と比べどのような変化が起きたのか。
そういった内容を、定期的に、事細かに報告をしているのだ。

「しかし、あの麗羽がこうも違うのか」

関雨にとって、友からの便りの中で一番おどろいたのは袁紹に対する記述であった。
彼女にとっても、"麗羽"に対する印象は、"お馬鹿"であるとか"傲慢"であるとか、そういった芳しくないものがまず先に出てくる。
少なくとも、他を慮るとか、思慮深いといった言葉は、なかなか想像することが出来なかった。

「……まぁ雛里がそういうなら、そうなんだろう」

どこか、信じきることが出来ずにいるようだったが。


また同様に、鳳灯は以前の世界との相違に触れつつ、自身の思い込みに囚われることの危うさを説いていた。

孫堅がまだ生きている。
袁術と孫一族は不仲ではないらしい。
華雄は孫堅に会っていない。
などなど。

自分たちが関わらなかった場所でも、以前の世界とは異なる部分が多々ある。
袁紹や袁術を始めとして、人間性においても大きな違いが見受けられた。

洛陽での一事を始めとして、歴史の流れの大枠がかなり変わって来ている。これから先に起こるだろう事柄はまったくの未知といってもいいだろう。
そんな中で、以前の世界からの記憶が、かえってこの世界での先入観となって判断を違える要素になり得るかもしれない。
鳳灯は、報告の手紙にそうしたためている。

確かに、彼女のいう通りだろう。その危険性は、関雨にも少なからず理解できた。

朝廷における騒動が平定され、十常侍ら宦官勢も洛陽からいなくなり、劉弁も劉協も無事。袁紹と董卓は知己となり、その間柄も悪いものではない。
状況だけを見るならば、反董卓連合など起こる要素はない。
それでも不安を感じてしまうのは、やはり袁紹に対する先入観によるものに違いない。

「まぁ、このまま備えが無駄に終わる方がいいのだろうが」

もともとは、袁紹による幽州侵出に対抗するためにやっていた軍事力の強化だ。
無駄になることはないとはいえ、目的の最上段ともいえる仮想敵が事実上消えたことに、関雨はやや拍子抜けしている。
北の烏丸族とは友好を結び、南の冀州を統べる袁紹には対立する意思が見られない。隣接する并州からもこれといった騒動は耳にしない。
幽州の周囲を眺めるに、現時点では、驚くほどに騒動の種が見当たらないのだ。
公孫瓉や鳳灯を始めとした、様々な内政官吏らの働きが実を結んでいる。そういって差し支えないだろう。
だがそれでも、武官ゆえの性なのだろうか。本当にこのまま平穏でいられるのか、と、不必要な不安に駆られもする。

穿った考えから構えすぎるのも、いいこととは思えない。
そう自分にいい聞かせ、苦笑を漏らしつつ、鳳灯からの便りを脇へと寄せる。
関雨は、日常の書面仕事に再び取り掛かった。



薊の町を警護する兵たちからの報告、またはそれらの仕事に関連するような書面が、逐一、関雨の元へ送られてくる。
そのひとつひとつに目を通しながら、これといった騒動が起きていないことに、取り越し苦労な自分の考えに荒む心をなだめて行く。
人が増えれば衝突も増えていくのが常。それが抑えられているのはいいことだ、と、関雨は相好を崩す。

幽州全体の治安の良さを聞きつけて、移入したい、商売をしたい、といった理由から、少なからぬ人たちがやって来る。そういった人たちによって、幽州における人の出入りはかなり活発なものになっていた。
それらをひとつひとつ把握するために、幽州で何某かの活動をする際には申告することが義務付けられている。
例えば。
曹操との関係から、薊と陳留は商人のやり取りがかなり大きな扱いになっている。
それを見た他の地方の商人が「自分たちも混ぜてくれ」とやってきた場合、理由と目的を届け出させ、その内容から判断し当たるに適した部署へと振り分けられていく。
こういった業務の流れを作ることで、人の流れを把握し、要らぬ諍いを事前に防ぐよう試みているのだ。
届出のないままの集りを見た、という報告を元に調べてみると、実は黄巾賊の残党だったということもあった。
騒動の芽を摘む、という意味でも、その有用性は大である。実際に動く面々にしても、町を守っているという実感を得ながら業務に当たっている。


ふと、関雨は、ひとつの木簡の内容に目が留まる。
町の一角を、人が集まるために使わせてもらいたい。そんな陳情を許可したという、取るに足らないありふれた報告だった。
問題はその内容ではない。陳情をした、その人物らの名前だった。

関雨は、眉にシワを寄せ、考え込む。
しばし難しい顔をした後、彼女は幾ばくかの指示を回すべく人を呼んだ。

「なぜ、この時期に、この場所にいる」

関雨は、執務室の壁にもたれながら小さく呟く。
もちろん、聞く者も応える者も、誰もいない。
彼女の下へと駆ける足音を遠くに聞きながら。関雨は、別のなにかが近づいてくるかのような、そんな錯覚を覚えていた。



数日後。
関雨は、幾人かの兵を従えながら町中を歩いていた。
従う兵たちも、いつになく厳しい顔をしている関雨を前にして戸惑いを見せている。
ただひと言、「着いて来い」といわれただけである。後は、ことによると捕り物になるかもしれない、と、いい含められたのみだ。
だがそれでも、いい返すこともなく、いわれるままに着いて行く。
なんやかやいったとしても、彼女のいうことやることに間違いはない。そんな信頼ゆえといっていいだろう。

しばし歩き、町の外れ。やや開かれた場所に、人が集まっている。
集まりそのものは既に終わっているのだろう。皆一様に笑顔を浮かべ談笑しながら、それぞれ町中へと戻っていく。
人影も少なくなったところで、関雨は、再び歩を進める。
その先には、この集会を催した人物であろう女性が三人、思い思いに息を吐いていた。

三人の内のひとり、最もしっかりとしていそうな印象を受ける彼女が、関雨に気付く。そして、その背後に従う兵を見て表情を硬くさせた。

「ここ、薊の警備隊を統べている、関雨という。済まないが、しばらく付き合ってもらえないだろうか」

突然現れた、この町の主要人物。声をかけられた彼女らには戸惑いしか見られない。

「場合によっては、手荒な真似をせねばならん。大人しく、着いて来てもらえると助かる。
……張角殿、張宝殿、張梁殿」

関雨の言葉に、三人は身を竦ませた。
何故、その名前を知っているのか。
もちろん、彼女らにそれを知る術はない。


















・あとがき
思ったより流琉が前面に出て来なかった。でも後悔はしていない。

槇村です。御機嫌如何。




凪さん超インファイト。
でも連環腿からフランケンシュタイナーもどきに行くのはどうかと思う。(おまえがいうな)

一刀は自重できませんでした。
でもリアルに格ゲーが出来るって、心沸き立つものがないかね。ないかね?
バーチャファイターとかストⅡシリーズのコンボを、実際に身体を動かしてなぞったことはないか?
……私だけですかね。

今回改めて、格闘シーンを書くのが好きなことに気がついた。
質はこのさい置いておくとして。





前回のお話で、辛味についての御意見ありがとうございます。
そうだよ、山椒だよ。
素で、意識の外だった。なんてこと。
突っ込まれなかったら、多分最後まで山椒が出てこなかったと思う。皆様には感謝を。



その他料理について。
……ゲームの中で、そんなにいろいろと具体的な料理が出てきましたっけ?
え、唐辛子も出てた?
凪さんの辛味好きも、時代背景から考えて唐辛子じゃないとばかり思い込んでた。
田楽やマーボー豆腐も出てたのか。
どうしよう、まったく覚えてないんですけど。

ふむ、いろいろ折り合いを付けていくしかないか。



五行思想について。
これもまた素で、考えていなかった。勉強不足が露呈する有様。
で、軽く調べてみたのですが。……正直、よく分からない。

要するに、万物を形成する要素として五つの元素が存在して、その中で一緒にするとよろしくない組み合わせがある、っていうことですよね。
で、豚のしょうが焼き。
豚と生姜の組み合わせがいけないのか、調理方法がいけないのか、はたまたその他の調味料等に難があるのか。
さっぱり分からないのです。

理解の悪さを晒すようですが、なにがいけないのか教えていただけないでしょうか。
割りと、本気で知りたい。
ご教授いただければ、これ以降のお話を組み立てる際にも意識していくつもりです。
反映するかまでは約束できませんが。



[20808] 40:【動乱之階】 己が立つ舞台
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2011/11/20 20:18
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

40:【動乱之階】 己が立つ舞台





かつて、関雨鳳灯呂扶華祐らのいた外史。その世界において、"北郷一刀"という存在は特別なものであった。
彼女ら個人にとってとはまた別に、世界そのものにとってもまた同様である。"天の御遣い"という名の下に群雄割拠の中心を翔け抜け、乱れた世を統一に導いた一条の光。その名は世界のあらゆるところに鳴り響いたという。

だが、"此処"では違う。
この世界における北郷一刀は、一介の料理人。自他共に認める、ただの民草である。彼の名を知る者など、幽州の中のごく一部だけだ。

とはいうものの。彼をただの民草と呼ぶのは、傍から見れば無理があるかもしれない。
そもそも、"ただの民草"の名など、狭い中であれ知られることなどまず皆無に等しいのではなかろうか。
北郷一刀という名は、幽州の一角、またそこに関連するごく一部の中でそれなりに高いものとなっている。その事実だけでもう、"ただの"と称するには難があろう。

彼は料理人である。そのこと自体に間違いはない。
だが、料理人として店を構えた遼西において、彼は当時の太守である公孫瓉に気に入られ、その周囲の高官らからも覚えを得ている。公孫瓉などは州牧就任に際して転地が決まると同時に、一刀に対して「ついて来い」と直々に誘うほどの入れ込みようである。普通に考えれば、"普通"ではない。
いわゆる地元のお偉いさんに対する印象もよく、一方で一般の町民らにも手が届く料理を振舞っていたために、彼の営む酒家はよく繁盛し、話題にもなっている。料理人としての彼は、十分に名を上げているといっていいだろう。

料理人であると同時に、彼は商売人でもあった。
"この世界"に墜とされ、右も左も分からず途方に暮れていた彼を保護してくれたのは、幽州の商人たち。そうせざるを得ない状況だったとはいえ、彼は"現代社会で得た教養"を駆使し、彼らの側で懸命に働いた。
時代の違いによる教養の違いもあるのだろう。それは有用に働いた。
また彼が持つ人柄もあったのだろう。がむしゃらで誠実な働きぶりは、着実に信用を重ねていき。その信用から、商人らと共に方々へと出向くことも多くなった。
自然と、彼の考え方が商人のものへと書き換えられていく。彼が持つ、人同士のやり取りの機微や計算高さといったもの。それらは幽州の商人らをして、目を見張るようなものがあった。
いわゆる三国志の世界では、読み書き計算というものさえ、十分に使える民は多くはなかったのだ。それらを基本的なものとしてたちまち習得してみせた彼が、"この世界"において質の高い人材と見られたのは当然といってもいい。
ちなみに、読み書きはともかくなぜ言葉が通じるのか、といった疑問は抱く余裕もなかったために無視してしまっている。通じてるんだからいいじゃん、といって許容してしまえる大らかさは、また違った意味で大物の一端を表していたのかもしれない。

遼西郡でそうだったように、公孫瓉が州牧に就いたことによって、商人の働きを重視する傾向が幽州全体へと広がっていた。
政庁のあるここ薊は、商人の動きが最も活発になった町といっていい。公孫瓉のやり方を熟知している商人の幾人かも遼西から移って来ており、商売の流れを再編成するのにもさほど時間は掛からなかった。
一刀もまた、そんな商人たちのひとりとして数えられている。
公孫瓉に近い立ち位置を確保しており、このところ話題に上がる陳留の太守・曹操と知己を得ているのだ。物事の機微に聡い商人たちが、彼を放って置くわけがない。事実、放って置かなかった。
商人連中は、陳留及び曹操の治める地との通商を取り持つ窓口として一刀をあてがうことに決める。
ちなみに一刀に拒否権はない。彼のあずかり知らぬところですべてが決められていた。
逆にしていえば、それだけ信用されているのだ、ともいえるだろう
彼としても、これまで世話になった人たちである。頼まれれば嫌というのも憚れる。
一刀は、馴染みである商家の旦那に引き摺られるような形で、商人たちの集まりに参加するようになっていた。

こういったあれこれの現状を鑑みれば、彼を"ただの民草"と呼ぶのは疑問である。
少なくとも、"ただの民草"という括りの中においては、一刀はこの上なく上位に位置するところにいるといえよう。
それでも、実際はどうあれ、「一般市民でしかない」という気持ちは、彼の中では揺らいでいない。
俺は俺。"北郷一刀"とは違う。
それだけは確かなようである。
張り合うわけではないだろうが。





そんなこんなで、いろいろと忙しい北郷一刀。
この日もまた商人らの集まる会合に顔を出し、いろいろと話し合いをこなして来た。そろそろ仕入れのために遠出をしなければいけないな、等と考えつつ、背中に覆いかぶさるようにしがみついている呂扶を引き摺りながら、酒家への帰路を辿っている。

意外に感じるかもしれないが、こういった会合などにも、呂扶はよくついて来ている。
とはいえ、特に彼女がなにかをするというわけではない。彼の邪魔にならないように、傍らにちょこんと、おとなしく座っているだけである。
ただそれだけにも関わらず、彼女の存在は周囲に癒しを与えていた。一刀曰く、「マイナスイオンでも出てるんじゃないの?」というほどに。
互いに利益を重要視し、集まれば喧々諤々となることも少なくない、商人らの会合。これが呂扶の同席した際は、なぜか驚くくらい穏やかにまとまるのだ。
彼女が参加するようになってからというもの、茶程度しか用意されていなかった会合に、点心やら甘味やらが大量に用意されるようになった。すべて、幸せそうにそれらを口にする呂扶の姿を見んがためである。そんな彼女を見るだけで商談が滞りなく収まるのなら、数人分の食費など安いものだ、と。
恐るべし呂奉先。商人の旦那衆からも、彼女は大人気であった。
そんな彼女の姿に心の癒しを受けつつも、商人の旦那衆はやるべきことはしっかりとやり、決めるべきことは漏らさずに決めている。そのあたりはさすがというべきかもしれない。

その日の会合はいろいろと決め事も多く、終わるまでかなりの時間がかかった。
呂扶も最後まで付き合い、あれこれと間食を挟んではいたものの、傍目以上に疲れを表している。
仮にも飛将軍とまで呼ばれた勇将である。じっとしているだけというのは、やはり性に合わないのかもしれない。
もっともそれ以前に、なにもすることがない、というのが逆に疲れさせているのかもしれないが。

それでも出来るだけ一刀と一緒にいようとする様は、微笑ましいものがある。とはいえそれは、想い人に寄り添おうとする女性、というよりも、兄や父に向ける親愛さゆえにじゃれ付いている、といった方が適当かもしれない。
彼女の内心がどちらにせよ、共に在りたいという気持ちが、彼女を密着させるに至っているといえる。本能であるとか、感じるものを直接表に出す傾向のある呂扶だからこそ、こういった行動を取らせているのかもしれないが。

「お腹すいた……」
「はいはい。帰ったらなにか作るから、もうちょっと我慢しようなー」

呂扶にとって、疲労すなわち空腹といっていい。体力もそうだが、気力というか精力というか、そういった活力のようなものが削られていくのだろう。
空腹を訴え、もう動けない、とばかりに一刀にもたれかかる彼女。自分の足で歩くことさえ放棄して、彼にしがみつき引き摺られるに任せている。そんな呂扶に苦笑しながら、背負った子供をなだめる様に、一刀は身を揺らしつつ声をかける。

「……ん?」

一刀らが歩く通りの遥か先。よく顔を知る面々が連なり歩いているのが見えた。
遠めに見ても、その雰囲気は物々しいもの。町中にも関わらず武器を手にし、周囲に気を配っている様が見て取れた。周囲の人たちも、なにごとか、と、遠巻きに意識を向けている。

「愛紗、か?」

その兵たちの中心にいるのは、関雨。彼女の視線はすぐ前を歩く三人の女性に向けられており、少しの反意も許さない、といわんばかりの物々しさを醸し出している。
傍目には、なにか粗相をした輩を取り押さえるべく出動したようにも見えた。だがその程度のものに、警備責任者である関雨が直々に出張る理由はない。

「女の子三人が下手人か? なんだか、捕り物にしては物騒過ぎるような」
「…・・・張、三姉妹」

背中の方から漏れ聞こえた言葉に、一刀が振り向く。目の前には呂扶の顔。肩越しに見える彼女の表情が真剣になっているのを知る。

「……多分、張角、張宝、張梁。だと思う」
「それって、黄巾賊の?」

一刀の言葉に、うなずく呂扶。
また厄介ごとか、と、彼は少しばかり機嫌を悪くする。
彼自身よりも、関雨や呂扶に対して降りかかるであろう厄介の種。
せっかく平穏に暮らしているのだから、天とやらも、自分たちを放って置いてくれてもいいんじゃないか。
一刀は、そう思わずにはいられなかった。





夜。客のいない酒家にて。
蝋燭一本の灯りでも分かるほどに、関雨は難しげな表情を浮かべている。
そんな彼女の前に一刀と呂扶は大人しく座り、伝えられた言葉を反芻していた。

「……それ、本気?」
「はい」
「恋を護衛にして、俺に洛陽へ行けって?」
「はい」
「適材適所というべきなのか、苦肉の策というべきなのか……」
「一刀さんにこんな役目をお願いするのは心苦しいのですが……」

腕を組みながら苦笑する一刀を見て、関雨は苦虫を噛む。呂扶はただ首を傾げるばかりであったが。

関雨が、一刀に告げたお願いごと。
それは、洛陽にいる鳳灯に、張三姉妹の身柄を確保した旨を伝えて欲しいということ。
この夜、合わせて告げられた話題は、彼にしてみればあまりに荒唐無稽なものだった。



唯の旅芸人として薊の町へとやって来た、張角、張宝、張梁の三姉妹。
以前の世界において、彼女らは黄巾賊の乱が起こる発端であった。
この世界においても、黄巾賊の頭領として三姉妹の名は知られている。
現在どういった立場にいるのかは分からないが、黄巾賊の蜂起に多少なりとも関わっているだろうことは予想がつく。

関雨は数人の兵を背後に控えさせつつ、三人の前に進み出た。同行を求めるといえば聞こえはいいが、半ば脅迫でもある。関雨にしても、場合によっては強引に身柄を確保するつもりでいた。
幸いにも、張三姉妹は大人しく同行を受け入れた。自分たちの身元と経緯を知った上でのものなら逃げ切れない、という思いもあったのだろう。結果的に、互いに不要な諍いが起こることもなくその場は治まった。

関雨が行った聞き取りにより、彼女らは、黄巾賊の首領と見做されていた張角張宝張梁らであることが分かる。黄巾賊が、旅芸人である彼女たちを偏愛し持ち上げ続けた集団であることも、そしてその発端となった"太平要術の書"の存在も明らかになった。

「太平要術の書?」
「はい。私たちがいた以前の世界においても、この書の存在が黄巾賊拡大の要因になっています」

一刀の疑問の答えも織り交ぜつつ、関雨は言葉を繋げる。

流しの旅芸人として地方を転々としていた張三姉妹が、あるとき一冊の書物を手に入れた。
それがなんなのかは分からなかった。だがその書には、自分たちの歌や踊りで、人々をより魅了する術が事細かに記されていたという。
この内容を早速、自分たちの歌や踊りに組み込む三人。途端に、彼女らの歌や踊りに熱狂する人たちが増えに増えた。
気をよくした彼女らは方々で公演を重ね、熱狂する人たちをどんどん増やして行く。その数の増え方から自発的な親衛隊のようなものが結成され、それが後にいわゆるファンクラブのようなものになり、張三姉妹は行く先々で持て囃された。その熱狂の度は回数を重ねるごとに跳ね上がっていく。あるときは町そのものすべてが声を挙げ、彼女たちの歌に踊りに心酔したという。

町ひとつを呑み込むほどの熱狂。それにあてられたのか、その町を治める領主の息子が張三姉妹に相当入れ込んだ。
そして、領主の息子という地位を用い、彼女らを自分のモノにしようとしたという。
それを知った熱狂的なファンは激怒し、領主の息子を糾弾、集団をもって殴り殺すという事件が起きる。
彼ひとりの死ではこの興奮は収まらず、ファンクラブの面々は、彼の父親、つまり領主の下へと乗り込んだ。元より統治に難のあった領主であったがために、便乗するかのように数がとてつもなく膨らみ、大規模な暴動へと発展した。

結果として、その地域を治めていた上層部分は皆殺しにされ、代わりにファンクラブの面々がその地位を私物化。この地を基点として張三姉妹の素晴らしさを国中に広めていこう、という、ファンクラブの面子による統治が行われるようになった。
彼らの一連の行動は、旗印として身につけた黄色い布によって目を引いた。それにちなんで、彼らは後に"黄巾党"と呼ばれるようになる。

切っ掛けは、権力を嵩に着た暴挙。
この時代には珍しくないことかもしれない。
だがこれに逆らい、果ては領主を力ずくで排除するようなことは、これまでに見られないことだった。

民が、領主に対して反旗を翻す。この出来事が、やがて周辺地域にまで伝播する。
横暴な治世を執り行う領主に対して蜂起すべし、という、反発する気質が人々の中に芽生えたのだ。
彼らの多くは、一番初めに蜂起を成功させたファンクラブの面々にあやかるべく、黄色い布を身体に締めていたという。
だが、現領主に代わって良政を敷こうと立ち上がった者も、本当にごく一部でしかなかった。
三姉妹を崇めるという意思統一が出来ていたファンクラブらと違い、後続して蜂起した輩は総じて統制が利いていなかった。大多数は、便乗するかのように、己の欲望のまま動いたに過ぎない。
そんな行動も、傍から見れば、強欲な領主に天誅を行ったと映る。
ファンクラブの面々も黄色い布を巻く彼らを見、自分たちの想いがこうして広がっていくのだという風に受け取っていた。
黄巾賊の熱狂と心酔ぶりは、担がれている張三姉妹に恐怖を抱かせるほどまでになる。

やがて、ファンたちの規模と重圧に耐えられなくなった三人は逃走。
それに気がついたファンクラブの面々は総動員をかけて捜索をおこなった。
張三姉妹を探す彼らの形相は、必死という言葉では足りない、正に鬼気迫るものがあったとか。

「……ひょっとして、黄巾賊の出没地域が広がっていった理由って」

一刀の想像した通り。
地域を問わず黄巾賊が跋扈し出した原因は、三姉妹を捜索するファンが四方八方に散っていったことに端を発していた。
あちらで姿を見たという情報があればそこへ、こちらでそれらしい女性たちがいたと聞けばそちらへと。数に任せてあちらこちらへと駆け回る。
そして、その情報が誤りで無駄足を踏んだと分かれば、彼らは総じて発狂した。
周囲を憚ることなく三姉妹への妄信と親愛を触れ回り、または感情の赴くままに暴れ回る。
共に迷惑なものではあったが、実際に被害を生むのは、主に前者よりも後者の方だった。
先に挙げた通り、全員がすべて張三姉妹に対し盲目なわけではない。彼女らよりも金銭、酒、その他目先の欲望を重視する者も多くいる。また生粋のファンらの暴走も少なからぬ被害を生んでいたために、被害の程度に差はあったとしてもすべて「黄巾賊が引き起こした被害」として受け取られた。

そんな中、張三姉妹は北へ、幽州へ向かったらしいという情報を得た黄巾賊。実際に姿を見たという声も多く聞かれたために、ファンらはこれまでにないほどの徒党を組み北上した。強奪目的の輩も数え切れないほどに合流し、幽州近辺へと集結していく。
公孫瓉らの幽州軍と、曹操や劉備らがこれを制圧した、幽州南部での騒乱。これの経緯はこのようなものだった。

「じゃあなにか? あの一連の黄巾騒動は、旅芸人の追っ駆けが膨らみ過ぎた結果の産物ってこと?」
「そういうことになります」
「……ありえねー」

一刀は頭を抱えた。

「一刀さんのいう通り、普通に考えればそんなことはありえません。
しかし、実際に起こりました。
そしてそれを引き起こした要因は、"太平要術の書"にあります」

張三姉妹はどういう経緯からか手に入れた書。彼女らはそれに書かれていたという、人心掌握の術を自分たちの歌と踊りに組み込んだ。
その結果、彼女らを追いかけるファンが爆発的に増え。気をよくした三人は更にその規模を広げていき。
やがて御しきれなくなったファンが暴走を始めた。これは既に前述した通りである。

「あの三人から聞きだした言葉と、私が持つ"天の知識"から考えるに、この世界においても原因はその書ではないかと。
ただ、私たちがかつて"以前の世界"で体験した黄巾賊の騒乱は、"華琳"らの勢力が、三人の身柄と太平要術の書を共に押さえたことで終わりました。
しかし"此処"では、そうはなっていません」
「張三姉妹は逃げ延びていて、なおかつ書の行方は知れないまま、と」

何処とも知れない誰かがまた手にする可能性は大いにある。
そういって締め括った一刀の言葉に、関雨は静かにうなずいて見せた。



「そもそも、太平要術の書ってなに?」

一刀のもっともな疑問に、「あくまで"以前の世界"でのもの」という前置きをしつつ、関雨は答える。

太平要術の書というのは、簡単にいうと「望んだものを手にする術が書かれた書」。
望んだものがなんであれ、それに至るまでの方法を浮き上がらせ、持つ者に知識と術を与えるという。

張三姉妹は、自分たちの歌と踊りで民を虜にしたい、という願いを持った。それが形となることで、御しきれなくなるほどの人数が彼女らに熱狂し、果てには暴走し国中を巻き込む騒乱にまで膨れ上がった。
確かに、望んだものは手に入った。だがその果てに起きたことの規模は、彼女たちはもちろん、誰にも想像することは出来なかったろう。

「まぁ確かに、歌と踊りが上手くなりたいと願って、漢王朝が傾くほど荒れる切っ掛けになるとは思わないよなぁ」
「後から聞くならばその筋道に納得も出来ますが、渦中にあってはそこまで考えられないでしょう」

発端といえば確かにそうかもしれないが、時代の気運や状況といった様々なものが絡まりあったことで起きたともいえる。すべての原因が彼女らにある、というのは、やや酷といえるだろう。

事情を聞きだした後、張三姉妹はひとまず幽州軍部直々に保護されることになった。
関雨の命により、幽閉とまではいわないが、行動には制限が設けられ、護衛という名の監視役が常に着いている。
監視をする兵らには、まだ詳しいことは知らされていない。だが、「黄巾賊の騒乱に関係するかもしれない」と聞かされれば、慎重さと厳重さを規すのも無理はないと思い、その役目の重要度に身を引き締めたという。

「とはいっても、おそらく彼女たちは、もう黄巾賊と繋がってはいないでしょう。
しかし、その存在が知られれば、生き残った黄巾賊がこぞってやって来るやも知れません」

それを考えれば、張三姉妹の身柄を洛陽へ移すのはよろしくないだろう。残った黄巾賊すべてが洛陽に向けて駆け込んでくるなど、想像するだけで怖気が走る。
ならば、それなりの軍備を持ち、先だっての黄巾賊制圧により黄巾賊から忌避されている幽州で確保していた方がいい。関雨はそう考えた。

自分の頭では考えられることに限界がある。思いつくのはこの程度のことだ、と、彼女はいう。
だからこそ、鳳灯の意見が聞きたい。
場合によっては、董卓らにも事情を話し、朝廷を上げての対策を取るのもいいだろう。
まかり間違って、洛陽から逃げ出した宦官などが書を手にしたりすればどんなことが起きるか分かったものではない。そう考えれば、漢王朝を挙げて探索するのもひとつの手だと考えられる。

もっとも、太平要術の書が持つ危険性を正確に伝えることが出来るなら、であるが。

「私が幽州に残ったのは、来たる有事に備えて軍備を充実させるためです。それを指揮する立場にある私が、薊を離れるわけには行きません」
「うん、それはよく分かる」
「張三姉妹を見つけることが出来たのは、以前の世界の記憶、"天の知識"があってのことです。
その辺りが絡むとなると、私が出向けないなら、後は恋なのですが……」
「あー、うん。それもなんとなく分かる」

鳳灯相手に話をするだけならまだいい。
だがそうならなかった場合は、裏の事情を誤魔化しつつ、上に挙げたような表向きの理由を押し通さねばならない。
そんな器用な真似が呂扶に出来るかどうか。
関雨とて、彼女を信用していないわけではないのだが、少々不安が残るのも事実であった。

「となると確かに、後は俺しかいないよね」

一刀は一般人である。関雨らのような、歴史に名を残すような人物ではまったくない、と、彼は思っている。
ゆえに、なんで俺が、と、考えてしまう。
だがその反面、関雨らの頼みごとなら少しくらい気張ってみてもいいかな、という気持ちも湧いていた。
自分ごときになにが出来る、と思う一方で、自分に出来る範囲なら断る理由もないな、とも思う。

「要は、雛里に対する伝達役をすればいいんでしょ?」
「はい」
「行きだけで構わないよね?」
「こちらへの返答が必要ならば、おそらくはあちらで足の速い者を都合するでしょうから。平気だと思います」

関雨の言葉に、一刀はうなずきながら、少しばかり考え込む。

「分かった。
丁度、仕入れやらなにやらで遠出する必要もあったんだ。そのついでにまず洛陽に寄る、ってことで。
それでもいいかな?」
「はい。それで、お願いします」

なんのかんのといいながらも、やはり人がいいというべきか。関雨の頼みを聞き入れる一刀。
彼女もまた、聞き入れてもらえたことに胸を撫で下ろす。

「よし。恋、一緒にちょっと遠出してみようか」

ついて来るかい?
そういった一刀の言葉に、呂扶はこの上ない笑顔を見せつつ、うなずいた。



「しかし、私は損な役回りばかりのような……」

呂扶の無邪気なところを眺めながら、関雨がひとりぼやいていたりしたのはご愛嬌。
実のところは、自分も一緒に行く、と、口にしたくて仕方がない関雨だったりする。

先に自分が述べた通り、関雨の役割は、来るかもしれない有事に備えて軍備を充実させること。
仮想上の敵であった袁紹は、鳳灯曰く、幽州を狙う可能性はごく低いものだという。
だがそれでも、「あの麗羽だぞ?」という印象が、関雨の中から拭われていない。
更に、袁紹は洛陽を離れて自領である冀州に戻っているという。そう聞けばなおさら、関雨は幽州を離れることが出来ない。
状況だけではなく、彼女自身の気持ちがそれを許そうとしないのだ。

元々責任感の強い関雨であるからこそ、自らに課した役割に縛られ、それを優先してしまう。
自分で決めたことであり、それが必要なことだと彼女自身も考えている。
だが、かの関雲長といえども、理性と感情は別物のようで。
このときばかりは関雨も、自分のそんなところが憎憎しく思えたりもした。

もちろん、彼女のそんな生真面目なところも、自分自身を優先したくても出来ないところも、一刀はよく分かっている。
一緒に行けない分だけ濃く親密な接触をしようとばかりに、一刀は、関雨の頭を撫で、頬を撫で、言葉を交わす。
顔を真っ赤にさせながらも、抵抗せず、されるままに任せ。さらに呂扶まで撫で回す側に立ち、関雨はもみくしゃにされていく。

「いや、あの、一刀さん、それに恋?」

戸惑う彼女の言葉は聞き流され。
その夜の関雨は愛玩動物よろしく、ふたり揃ってべたべたと弄られ続けるのだった。





さて。
その夜から程なくして。洛陽から、公孫瓉と趙雲が帰って来た。公孫越も同様に薊に立ち寄り、関雨や呂扶、一刀らと顔を合わせている。

関雨は、張三姉妹について、公孫瓉に報告をする。
彼女が持つ"天の知識"にも関わることであるため、すべて正直に告げるわけにもいかない。詳細はいくらかボカしたものになった。

張三姉妹の特異性に目をつけられ、黄巾賊を統べる大首領に強要されていた。
何度目かの暴動の際にそれは死亡し、その隙をついて彼女らは逃走。幽州まで逃げ延びた。
黄巾賊への尋問により、三姉妹の風貌が聞き出されていたため、関雨は彼女らを確保することが出来た。

そんな筋書きを用意しつつ、太平要術の書についても説明する。
太平要術の書、それによって心ならずも扇動することになった経緯など。表向きのものとはいえ、その内容は相当規模の大きな話である。
内容を聞き、公孫瓉以下、その場に集まった武官文官らは総じて言葉を失った。

ではこれからどうするか。
これから取るべき幽州の立ち位置も含め、喧々諤々の話し合いが繰り広げられる。

とはいえ、書の行方も定かではなく、危険の程は理解出来たものの、具体的に動けることは黄巾賊の残党に対処するくらいしかない。
結局、漢王朝に、少なくとも近衛軍には報告をしておいた方がいいだろう、という公孫瓉の判断に落ち着く。
黄巾賊の残党もまだいるであろうことを考えれば、関雨のいう通り、張三姉妹の身柄を洛陽へ移すのは危険を感じる。
鳳灯に話を通した上で、近衛軍でどう扱うかの判断を委ねることになった。

ではさっそく伝達役を派遣せねば、というところで、関雨は、「一刀と呂扶が商用で遠出するらしいので、ついでに伝達役の護衛を頼んだらどうか」と進言。これがすぐさま取り入れられ、一刀は、公的な理由で鳳灯と顔を合わせることが可能となった。

役割の重要さを問わなければ、一刀は護衛役としての役割を幾度となく行っている。ましてや、文武を通しこの政庁の中で彼の名はよく知られているのだ。今回のように、護衛役として名前が挙がることも不自然なことではない。
皆そう思っていたのだが。
ひとり、趙雲は首をかしげていた。



伝達役が洛陽へ向かう、すなわち一刀が薊を離れる直前。
趙雲は、しばし彼が不在となる間のメンマを補充するために酒家を訪れた。
とはいえ、それは表向きの理由である。
もちろんメンマの方も、彼女にとっては重要なことではあったが。

「なぜ、わざわざ北郷殿が行かれるのです?」

趙雲が気にしたのは、その一点。
多少腕が立つといっても、彼は自他共に認める一般人。派手なことは出来ない、関わらないと公言している彼である。
にも関わらず、殊によれば漢王朝そのものに関わる騒動の一端に首を突っ込もうとしている。
なぜか。
彼女は疑問を感じていた。

「それは単に、近いうち遠出する予定が俺にあったからで。洛陽に寄るのはそのついで、ってだけなんですけど。
愛紗から聞いてません?」

もちろんそれは聞いている。そうなった経緯も、筋の通ったものではあろう。
だが、彼がそれを引き受けた理由が分からなかった。
趙雲は、一刀と知り合い、そう短くもない時間を経ている。彼がかねてから公言している通り、規模の大きな厄介ごとに進んで関わろうとするようには思えなかった。
ゆえに、今回の洛陽行きが意外に感じられたのだ。

そんな趙雲に対して、考えすぎだと、一刀は一笑に付す。

「こういってはなんですけど、たかが護衛ですよ? 更にいえば、その護衛の主役は恋で、俺はオマケです。
政治的ななにかに首を突っ込むとか、そんなことはありえない立場だし、そんなことをするつもりもありませんよ?」
「そういわれてしまえば、こちらも返す言葉がないのですが」

普段の趙雲らしくなく、自分の感じている違和感をうまく言葉にすることが出来ないでいるようだった。
一刀にしてみても、なんとなくではあるが、彼女のいいたいことが分かるような気がした。

「つまり、なんからしくねぇぞ、っていうことですか?」
「かなり乱暴ないい方ですが、そんなところですな」

我がことながら、確かに乱暴な言い草だ。一刀は苦笑してしまう。
ひとつ指を立て、いい含むようにゆっくりと。彼は言葉を紡ぐ。

「例えばの話。
家族でも友人でも誰でもいい。趙雲さんなら、将来仕えるかもしれない主、でもいいかな。
"誰か"のためになにかをしてあげたい。もしくは、自分がなにかをすることでその"誰かさん"が喜んでくれる。
そんな感じを、想像出来ます?」

今回、自分にとってその"誰かさん"が、関雨だった。
簡単にいえばそれだけだ、と、一刀はいう。

趙雲に詳しく話したことはないが、一刀が幽州へとやって来た過程は荒唐無稽なもの。
なにしろ時代を超えてやって来たのだ。話したところで到底信じられるようなものでもない。
だが、まったくといっていいほど同じ境遇の者たちが現れた。関雨鳳灯呂扶華祐の四人である。
彼と彼女らは、表に出せない過去を持ち、その過去ゆえに新たな絆を得ることが出来た。家族みたいなものである、と、一刀自身は思ってもいる。

その"家族"が頼ってきたのだから、なんとかしてやろうと思うのが人の情というものだろう。

「なるほど。確かに、頼られるのは悪い気がしませんな」

少し考えを巡らせて見れば、彼女もまたなにかと頼られていた。
誰もが認める偉い立場にも関わらず、あまりそういったものを感じさせない州牧の顔が、趙雲の脳裏にちらつく。
仮とはいえ仕える主である、公孫瓉その人だ。
立場としては格下である趙雲に対して、かの州牧は、命令だけではなく"お願い"も多用する。
人の上に立つ者なのだから、もっと毅然として指示を出せばいいだろうに。
公孫瓉という主に対して、そんな感想を抱えていたりする。
もっと毅然としろといいながら、そうなりきれないところがまた彼女の良さだということも理解はしているけれども。



「俺の目には、趙雲さんの方こそ違和感を感じるんですが」

偉そうにいうなら、何処に向かおうとしているのか分からない、と。
一刀の言葉に、趙雲は驚く。

「俺は武将とかじゃないんで、趙雲さんの考え方とはかなり違うと思うんですけど」

一刀はそう前置きをし、言葉を続ける。

「これはという主を得て、忠誠を誓い、主従の関係になる。いわゆる上下の関係ですよね。
普通の人、というよりも商人は、といった方がいいのかな。俺を含めて、上下よりも横の関係を重視します」

自分の上に立つのが、誰であれどんな暗愚であれ、その環境の中で、自分たちに都合のいいやり方を模索し組み上げていく。
もちろん、それはひとりでは出来ない。少なからず助けの手が必要になってくる。つまり共に働く仲間である。
上がどんな人かということよりも、共にある仲間がどんな人間かの方が重要なのだ。

目上を蔑ろにするって意味じゃないですよ? と、一刀はひと言付け加えた。

「趙雲さんは、仕えるに相応しい主を求めて放浪していた。幽州にいるのはその途上でしかない。
確か、そんなことをいっていましたよね?」

彼女はうなずく。
いずれ来るであろう動乱の中、悪しき世を正す槍として、その武を振るうに相応しい主を見つけるべく士官を繰り返していた。公孫瓉の客将となったのはその一端に過ぎない。
いい方は悪いが、一時の腰掛のつもりだったのだ。

「趙雲さんが目指している物がなんのなのか、俺みたいな民草には想像もつきません。
でも」

一刀の表情が、引き締まる。

「これだけ栄えて、民の生活もそれなり以上に富んでいる幽州。そこを治める公孫瓉様。
その他に、愛紗、恋、今はいませんが雛里に華祐。公孫範様に公孫越様、公孫続様。文官の皆さんや、公孫軍の将兵らもそうでしょう」

今まで、趙雲が見たこともないような顔。
真剣で、問いただすような目が、趙子龍に向けられている。

「これだけの繋がりを振り切ってまで仕えたくなるような、そんな未来の主君って、どんな人ですか?」



趙雲は、公孫瓉の客将として仕え、自分でも意外に思うほどに長く幽州に腰を据えていた。
その間に、あくまで仮のものと考えていた主、公孫瓉は、驚くほどの結果と出世を実現している。

いち地方の太守から州牧にまで成り上がり、政を行う立場としてもその良政ぶりはすでに名高い。
武においても、幽州の公孫軍といえば精強として広く知られる。また烏丸族との交流を実現させたために、強力さ強大さはより堅固なものとなった。
また先に触れた烏丸族との融和を実現させたことにより、漢王朝の悩みの種であった北部からの侵攻に一部歯止めをかけたという、政治的手腕も振るってみせている。
さらには現王朝の屋台骨というべき近衛軍の中枢に個人的な誼を持つ。
その気になれば上洛し我を張ることも出来る交友関係は、漢の臣下の中では髄一といっていい。

そこまでになる切っ掛けは、趙雲であったり関雨であったり、鳳灯呂扶華祐、はたまた一刀だったりするのかもしれない。
だが最終的に、それらをまとめ上げ形にして見せたのは、他ならぬ公孫瓉自身である。

対して、自分はなにを成し遂げたというのか。
趙雲は自問する。
世の悪を正す槍になる、といいながら、これまで自分はなにをしてきたのか。

仕えるに値する主を求めて放浪、といえば聞こえはいい。
この関係も一時のもの。そう考えながら、公孫瓉と自身を比較して、「自分に見合う主君はこの程度ではない」と、仮の主に評価を与える態度は傲岸といってもいいだろう。
公孫瓉と相対し、自分はこれだけのことをしたのだ、と、胸を張れることがどれだけあるのか。

単純に武を誇ろうといういうのならば、洛陽にいた際に、他の軍閥のいずれかに入り込めばよかった。
誇りを乗せて槍を振るう、ということならば、おそらく幽州に戻るよりもその機会は多いに違いない。

しかし、趙雲はなんの疑いもなく、幽州へと戻ってきた。
だが未だ、その身分は客将のままである。

自分の立とうと望むのは、そんな舞台なのか?
それが分からなければ、相応しい舞台を探すことさえ出来ない。

そんなことに、趙雲は今更ながら気付く。



既に冷めたお茶を、一刀は新しく淹れ直す。
目の前を舞う湯気に気付くこともないまま、趙雲は、思考の中に入り込んでいた。













・あとがき
異論は認める。むしろカモン。

槇村です。御機嫌如何。
『修羅の門』が大好きです。あと『拳児』も大好きです。





黄巾の乱から、反董卓連合の空白期間。
原作では数クリックしかない部分の風呂敷が、ここまで広がるとは思わなかった。
全然先が見えねぇ。むしろみんな先を教えてくれ(おいこら)

えー。
いろいろ想定している展開の都合上、一刀を幽州から出すことにしました。
しましたが。
でも、ウチの一刀は前面には出しゃばりません。
要所要所で顔は出しますが、ストーリーの最前線で大活躍、みたいなことはありません。
少なくとも現時点では考えておりません。

ウチの一刀の立ち位置は、後方で主人公の帰りを待つヒロインポジションですから。

一刀が方々で大活躍、みたいなものを期待した方は申し訳ありません。
一刀は脇役のままでいい、という方はご安心ください(笑)



さてさて。
今回から、新たな面倒ごとに向けてお話が進んでいくわけなのですが。
その前に、各人の立ち位置をしっかりさせておこうかな、と考えた上での第40話。
特に星さん。ココにてこずっているうちに、時間ばかり経ってしまった。
おかしいな、もっとカラっとした展開にするつもりだったのに。
あげく悩ませるだけ悩ませて放置ですよ。超ドS(書いた奴がいうな)

……もう11月も末だよ。前回から2ヶ月弱経ってるよ。
なにをしてたかっていうと、なにをトチ狂ったのかエロ小説の下地作りに熱中していた。
自分で書いて自分で出すってエコだよね(やめろ)

そんなこんなで愛雛恋華伝ですが。
このペースだと、今年中にもう一話出来れば御の字、か?
せめて二話出来るよう頑張ります。

三日で一話を仕上げていた頃が懐かしいぜ。



[20808] 41:【動乱之階】 上洛 再会 新たな誼
Name: 槇村◆cc29ff23 ID:31cf670a
Date: 2011/12/02 22:24
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

41:【動乱之階】 上洛 再会 新たな誼





北郷一刀は、洛陽へと赴く。
とはいうものの、彼にとってそれはあくまでオマケであり、ついでである。
彼が幽州を出た本来の目的は、各方面への買い付けや商談なのだ。

だったのだが。少々予定が変わっていた。
いろいろな理由から洛陽行きが決まったことで、他の人に任せられることは極力任せてしまっている。任された他の商人仲間らは、一刀に先立ち既に出立していた。
結果、一刀が直接向かうのは、洛陽に立ち寄った後、場合によっては陳留へ。その後はさらに南下して、馴染みの商家等に顔を出し、米の確保に赴く。そんな予定である。



「お米、ですか?」
「そう。南部で取れる米は、俺にとってなくてはならない存在だ」

典韋の言葉に、一刀は力を籠めて力説する。米は俺のソウルフードだ、と、誰にも分からない横文字を口にしつつ。

一刀が幽州から離れるにあたり、料理の弟子として彼に師事している典韋も随行していた。
彼女は、一刀がいないのであれば幽州に居続けても仕方がないと考え、陳留へと戻ることにしたのだ。仮にも曹操の親衛隊である。徒に不在を伸ばすのもよろしくない、という判断だった。
ちなみに、他の弟子たちは幽州に残り、一刀のいない酒家で働いている。彼が戻ってくるまでの間を実践経験の期間として設け、卒業試験のようなものが課せられていた。
楽進もまた居残り組である。もうしばらく関雨の下で警備体制等を学んだ後、陳留へと戻ることになっている。

「幽州でもお米は採れますよね? なにか違うんですか?」
「違うぞ。大いに違う」

いいか流琉、と、一刀は身振りまで交え弟子を説く。

「幽州近辺、つまり北部で採れる米と、南部で採れる米は別物だ。おそらくは育つ環境の違いだろう。幽州は寒いしな。
ウチの店で出しているご飯は、基本的にすべて南部で採れた米だ。
なぜかというと、そちらの方が俺の好みだから。
ついでにいうなら、出した米料理の違いが物珍しさになってお客を引っ張れるというのもある」

欲望全開なものいいではあるが、一応それらしい戦略もあるらしい。

一刀はいわゆる"日本人"である。日本人の大枠に外れることなく、彼の好みは米が基本だ。
この世界にやって来て、彼を最後まで苦しめたのは"米が食いたい"という禁断症状だった。それを解消するために料理人になった、といっても過言ではないかもしれない。
先にも触れたとおり、幽州でも米は採れる。だがそれだと、日本人の感覚でいう"炊き立てご飯"が出来ないのだ。幽州の米は、粥など水気を残した料理や調理方法に向いているといっていい。
絶望に暮れた一刀だったが、商人たちの伝により南部産の米を手に入れたことが転機となった。
南部の米なら"炊き立てご飯"に近いものが出来る、と、復活。
自ら南部の各地を旅して周り、一番好みに合う米の産地を探し出したというくらいの執着を見せた。

「そ、そこまでこだわるんですか」
「料理人としてこだわりを持っているのはいいことだぞ? といっても、俺くらいまでいくのはお勧めしないけどな」

自分でいうのもなんだけど、と、やや引き気味の典韋に対して言葉を返す一刀。

「まぁその頃にあちらこちら顔を繋げたおかげで、いろいろ商売の足しにもなってるんだから。なにが幸いするか分からないもんだよね」

あっはっは、と、笑い飛ばす彼の笑顔は、どこまでもさわやかだった。



彼個人で、または商人ら一向と旅して回っていた際に築いた誼によって、一刀はいろいろなところに、身を寄せる要所のようなものを作っている。
旅の途中、すぐに目的地につくわけではない。時には日が暮れるまでに町へ入れないというときもある。
そんなときは、近くの集落などを訪ね、一晩の宿を乞う。下手に出ながらあれこれ交渉しつつ、彼は当然のように料理の腕を振るったりする。
それを切っ掛けに仲が良くなり、近くを通ったらまた寄れ、という展開になったり。そんなことを繰り返していたのだった。

今回の洛陽行きでも、道中で何泊かしているのだが。泊まるところを手引きしたのは一刀である。
いうならば、出先で作った馴染みの宿及び厨房、といったところか。
旅の行く地ごとに女、ならぬ、訪れる先々に厨房を持つ男。
そんな奴は、どの世界においても彼ぐらいしかいないかもしれない。

事情を知る商人仲間は平然としていたが、なにも知らない典韋や、使者役の官吏などは驚くばかりだったという。





さて。
今回の洛陽行きによって、彼の持つ"出先の厨房"がもうひとつ増えることになる。
しかも、超大物が。

「……冗談でしょ?」
「本気よ」
「あの、曹操さん」
「華琳、と呼びなさい」

聞く耳持ちやしねぇ。
内心で思うに留めはしたが、これ見よがしについた溜め息が、彼の自制をすべて台無しにしていた。



商人仲間と道中で別れ、本来の使者一行と護衛、それに典韋を加えた彼ら彼女ら。道中これといった問題が起きることもなく、無事に洛陽へたどり着いた。
遠路通した疲れを癒す暇も惜しむかのように、さっそく鳳灯に面会を求める。
事前に便りは送っている。取次ぎは問題なくされるだろうと思っていたのだが。
なぜか、現れたのは曹孟徳とその従者たち一行。
久しぶりに顔を合わせる典韋としばし触れ合うも、「ちょっと北郷を借りるわよ」と、有無をいわさず一刀を引き摺っていく。

一体なんだ、と、いぶかしむ一刀だったが。そんな彼の戸惑いなど何処吹く風と、気にも留めない辺りはさすが覇王、というべきか。
想像は出来たが、彼が連れて来られたのは厨房。

「北郷。貴方には、近衛軍上層を集めた場に出す料理を用意してもらうわ」

そして、前述のやり取りに繋がっていく。
彼女は自らの権限を振りかざし、この日の食事を用意しろ、と一刀に強いたのだった。

「楽しみにしてるわよ」

こうして、近衛軍が将・曹孟徳の後押しによって、北郷一刀は、洛陽の中枢たる王城、その厨房に足を踏み入れることと相成った。

「確かに俺もさ、行く先々で厨房を借りることはあったけど、まさか王城の厨房に入ることになるとは思わなかったよ」
「あはは…・・・」

一刀のぼやきに、補助役として付けられた典韋が力なく笑ってみせる。
彼女もまた、曹操に仕える将のひとりである。時に振るわれる彼女の強引さはよく知っている。

「まぁ、そう求められれば引き受けるのもやぶさかではないけどね」

ここまで来ちゃえば出来ることも少ないし、と。
どちらにしても、久しぶりに会う鳳灯と華祐に料理を振舞うつもりではいたのだ。
一刀は、それが少々大袈裟になっただけに過ぎない、と考え直すことにする。

もちろん、たったひとりでそれだけの量をこなすことが出来るはずもない。
傍らに立つ小さな弟子の頭に手を乗せて、改めて手伝いを乞う。

「頼りにしてるよ、流琉」
「はいっ」

まずは、厨房の皆さんに挨拶だな、と。
一刀と典韋は、料理人としての戦場に身を投じるのだった。





一刀が、曹操に連れて行かれ。残された他の一行は、近衛軍将兵の案内によって鳳灯の下へと向かっていた。
同行している呂扶にしてみれば、世界が違うとはいえ、かつては自分も出入りしていた王城である。どこになにがあるかは熟知している。まさに、勝手知ったるなんとやら、だ。案内役を追い越さんばかりの迷いのなさで歩いていく。

「雛里」
「恋さん!」

遠目に鳳灯の姿を認めた呂扶が、声をかけた。大きくはないが、不思議と通るその声は鳳灯の耳に届く。
嬉しそうな笑みを浮かべ、駆け寄る鳳灯。呂扶もまた心持ち早足になる。
そして、幾許振りかの再会を体現すべく。

「あわわっ!」

呂扶は、鳳灯を力いっぱい抱きしめた。

「……雛里、久しぶり」
「……はい。恋さんも」

鳳灯もまた、抱きしめ返す。
平坦な言葉の抑揚と違う、籠められた力の入りよう。それが、呂扶が本心から口にしていることを知らせてくれる。
それが、鳳灯には嬉しい。

嬉しい。本心からそう思う、のだが。

「……恋、さん、そろそろ、ちから、ゆるめて」

感情に任せた呂扶の抱擁に、鳳灯が長く耐えられるわけもなく。

「雛里?」
「きゅう……」

ほどなく、彼女は意識を手放した。



次いで、呂扶は、華祐と再会する。
鳳灯を背負った状態の呂扶を見て、なにがあったのか想像出来た華祐。相好が崩れるのを抑えることが出来ない。
それでも笑みを噛み殺しながら、久しぶりに顔を合わせる戦友に歩み寄る。

「久しぶりだな、恋」
「うん。華祐も元気?」
「あぁ。そちらも元気そうでなによりだ」

そういいながら、華祐は、呂扶の頭を撫でる。
人ひとりを背負っている彼女は、抗うこともなく、素直にそれを受け入れた。

「おぉ、呂扶、呂扶やん! もう着いとったんか!」

久しぶりの再会、といった場面を掻き回す様な声。その場に現れたのは張遼。
ちなみに、幽州からの使者に護衛として呂扶が着いて来る旨は、近衛軍上層には知らされていた。

「早速、恋に会わせたろ。呂扶のそっくりさんやで。こっち来ぃや」

さぁさぁと勢いよく引っ張られるままに、呂扶は連れて行かれてしまう。
目を回した鳳灯をいつの間にか引き受け、華祐はその姿を見送った。

「話を聞くのは、食事の後か」

鳳灯を背負い直し、置いてきぼりを食らっていた顔馴染みの使者に挨拶を交わしつつ。これからのことを考え出した。





見方によっては、完全に敵地である。
戦友たる華祐はこの場に居らず。顔を合わせたことのある張遼と賈駆は厳密にいえば他勢力の人間だ。
いくら勝手知ったる場所とはいえ、今の呂扶は"呂布"ではない。
その場にいる将兵らのほぼ全員にとって、彼女は初めて見る人物なのだ。

そのはずなのだが。

目の前の光景に、周囲がざわつく。
よくよく見れば小さな差はあるだろう。
だが傍目にはまったくといっていいほどに違いがない。
普段見ている呂布そのままの姿。それが、呂扶という人物を見た董卓勢の印象であった。

「……恋は、恋」
「……恋も、恋」

言葉にせずとも、なにか通じるものがあったのだろうか。
呂布と、呂扶。
ふたりは互いに手を握り合い、当然のように真名を交わした。

外見の通り、どうやら中身も同じらしい。
董卓勢の結論は、そんなところに落ち着いた。

「いやー、夢のような一場面やで」
「天下無双と一騎当千が顔を合わせているわけだからな」
「……見方次第じゃ、悪夢よ」

いいものを見た、とばかりにうなずく張遼。
居並ぶ武の最先鋒に興味が尽きない華雄。
そして、ふたりの戦力としての底のなさを把握するがゆえに頭を抱える賈駆。
ちなみに、董卓は政務のためこの場に来ることが出来ず。
陳宮は、「なんと、呂布殿の偽者ですか!」などと吠えたために、賈駆の竹簡攻撃を受けその場を退場していた。

「やっぱりここはひとつ、呂扶の武勇を披露してもらいたいとこやけど」
「おまえの話でしか聞けなかった武の程、是非とも見せてもらいたいな」
「やめなさいあんたたち。仮にも客人相手に、休ませもせずにいきなり戦えとか無茶いわないの」

本当にこの猪どもは、と、逸るふたりを諌める賈駆。
当たり前といえばあまりに当たり前な意見にも関わらず、張遼と華雄は不満を漏らしてくる。
賈駆の頭痛はまだまだ治まりそうもない。

「でも曹操とか、会うなり北郷を連れて行ったで?」
「北郷?」
「遼西、じゃなくて今は薊か。公孫瓉のところで酒家をしている男よ。
使者の護衛役として同行したらしいわ。呂扶の保護者役でもあるらしいけど」

料理を作らせようとか思って連れて行ったんでしょ、と。賈駆は、また違った方向で自由な相手に対して苦笑を隠さない。

「……そういえば、お腹すいた」
「ご飯?」

思い出した様に、お腹をさすり出す呂扶。
つられる様に、食事という言葉に反応する呂布。

「一刀のつくるご飯はおいしい。期待していい」
「楽しみ」

まるで姉妹のような受け答え。
なにかに引き寄せられるかのように、ふたりは迷いなく歩き出した。
いうまでもなく、彼女らが目指すのは厨房である。

すべてを平らげるであろう、ふたりの呂奉先。
彼女らの向かう先を想像するだけで、賈駆張遼華雄の三人は、料理人たちの安否を思わずにはいられなかった。





王城内に設けられている広間のひとつ。そこに、現在の洛陽における重要人物、その大半が集合しようとしている。
張譲、董卓、曹操。その他主な将たる面々が揃わんとしている。
その全員が、自分の作る料理を待っている。
ただの民草であると同時に、"天の知識"による三国志の世界を知る一刀は、今の状況を考えるだけで胃の辺りがキリキリ痛んできそうだった。

「なにこのプレッシャー。半端ないんだけど」

厨房に入っている料理人の面々に挨拶をしたのはいいが。改めて今の状況を思い返すと、とんでもないところにいることに気付かされ愕然とする。
誰にも分からない横文字を口にしつつ、緊張から身体中をガチガチにしていたのだが。
それも最初だけだった。

「一刀。ご飯はいつもより多めでお願い」
「……お願い」

呂扶と呂布。このふたりが揃って直々にお願いに来て、緊張している場合ではなくなったからだ。

料理人として、質と速さと量、すべてが求められる呂扶の食事の前準備。
ひとりでも大変なそれが、単純に倍になったことを知った。

「これは想像してなかった」

というと、嘘になる。
想像は出来ていた。
関羽がいて、関雨がいる。鳳統と鳳灯、華雄と華祐がいた。
それならもちろん呂布もいて、彼女もまた呂扶と同じ性格や人となりをしているに違いない。
だからこそ、食べる量も同じだろうということは、容易に想像できたはずなのだ。

この王城に詰める料理人の間でも、呂布の食べる量というのはよく知られている。
その呂布と同じくらい食べる人物が、同じ食卓に座る。
それを聞いた料理人たちは、げぇっ、と思わず口に出すほどに驚愕し、一様に表情を青くさせる。

「うろたえてる場合じゃねぇ!」

一刀は声を上げ、喝を入れる。

「お偉いさんに出す質重視の料理と、主に呂布将軍ら向けの量重視の料理が必要になる。
それぞれ分担してあたりましょう。
後者はひとまず、いつもされているように料理を進めてください。
前者用のは、ひとまず俺が作った後に、それを追いかけながら皆さんが作ってください。
華り、っと、曹操さんに頼まれた以上、珍しいなにかを用意しないと殺されそうですから」

事情は後で説明するから、今ある食材を確認させてくれ、と、彼は厨房を仕切りだす。
料理人たちも、曹操の真名を口にしそうになったところで彼の立場を察したのだろう。いわれた通りに各々が動き出す。

それなりに広い厨房に火が入り、温度が上がっていく。
鍋をあてる火もさることながら、料理人たちの意気がまた周囲を熱くさせていく。

高揚感というよりは、追い詰められた焦りみたいなものかもしれないが。
なんにせよ、やることが山盛りになり、身を硬くしている暇などなくなった。
逆にいえば、呂扶と呂布のおかげで緊張が解れたといっていいかもしれない。

こうして、厨房内は途端に慌しくなり。戦場もかくやといった緊張感と喧騒に包まれていくのだった。













・あとがき
悩むだけ悩ませて、やっぱり星さんを放置する。マジ鬼畜。

槇村です。御機嫌如何。





早々に洛陽到着。今回はひとまず顔を合わせただけ。
本題まで含むとえらく長くなりそうだったので。
短いけどここで区切ることに。

次回は、太平要術の書に対する近衛軍のスタンスなどに触れていこうと。
真面目サイドなお話。
今年中には更新します。えぇ、しますとも。



音々音さんがギャグ要員になっているような気がする。不憫な。(書き手がいうな)



[20808] 42:【動乱之階】 食事は楽しく賑やかに
Name: 槇村◆cc29ff23 ID:31cf670a
Date: 2011/12/16 17:52
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

42:【動乱之階】 食事は楽しく賑やかに





さてどうするか。一刀は、今更ながら悩んだ。
此処は漢朝の中枢、洛陽である。その王城にある厨房となれば、普段から豪勢なものを作っているに違いない。
となれば、豪華さでは太刀打ちなど出来ない。彼自身、華美な細工など考えたこともないからだ。

ゆえに、物珍しさで勝負をすることにする。

彼が持つ"天の知識"は、その点で大いに利点となる。
三国志の時代にはおそらくないであろう料理を考えればいいのだ。
もっとも、それに溺れると足元をすくわれてしまう。
実際に、これまで色々とすくわれたこともあるのだ。その経験を無駄にはしない。

曹操の、期待という名の無茶振りに応えるべく。一刀はいろいろな意味で気を引き締めた。



・ワイン仕立てのローストビーフ。
なんと葡萄酒があった。さすが洛陽、貴重なものがゴロゴロしてるぜ、とばかりに早速使用。
牛肉に串を突き刺し、味を染み込ませる穴を開ける。葡萄酒をまんべんなく回しがけして、そのまましばらく放置。
汁気をふき取ってから、ニンニクと塩をかけ、油で焼く。
ニンニクが焦げないように気をつけながら、肉全体を程よく焼き上げる。
焼き上げた肉の熱を冷まし、食べやすい大きさに切り。
すりおろしたタマネギ、酢、蜂蜜少々を混ぜ合わせたソースをかけて完成。

盛大に葡萄酒を使ってのける一刀に他の料理人は目をむいていたが、出来上がったものを口にして皆黙り込んだ。


・スパイシーなサイコロステーキ ガーリック仕立て。
胡椒があってまた驚く一刀。承諾を得た上で、躊躇いなく使用する。
厚めな肉を一口大に切り、すりおろしたタマネギにからませてからしばらく放置。
その後、薄切りにしたニンニクと一緒に肉を焼き、程よいところで塩、胡椒。
肉を皿に移し、再びすりおろしたタマネギと、醤、酒を加えて煮立てソースを作る。
お肉にソースをかけて、出来上がり。

ただ焼くだけでも、胡椒があるとないとじゃ大違いである。少なくともそう信じている一刀であった。



さすが漢朝の中心部。その中核たる王城の厨房ともなれば、抱えている食材も多種多様だぜ。
そんなことをいいながら、一刀は嬉々として鍋を振るっていた。

とはいえ、この日は料理を用意するまでの制限時間がある。なにか物珍しいものを、といわれても、咄嗟に思いつく料理には限りがあった。
でも、一品モノ以外、量重視の方でもなにか珍奇なものが欲しい。どうしようか。

「"普通"に毛が生えた程度のものしか絶対作らないけどな」

さすがは"現代人"。王朝の中枢であろうと地位やら肩書きやらを重要視しない、畏怖の念など何処へやらといった言動である。ここまで来るといっそ清々しい。
だがそれも当人のみで。彼が時折漏らす、不敬とも取れる言葉に、周囲の料理人たちは内心ビクビクしていた。
もちろん、それを一刀は知る由もない。





「懐いたな」
「懐きましたなぁ」
「胃袋から懐柔さすのは確実やな」

華雄は淡々と、陳宮はやや面白くなさげに、張遼はとても面白そうに、目の前の光景を評してみせる。
呂扶と同じように、呂布もまた、一刀に懐いた。

洛陽に詰めている、近衛軍の上層部。誰もが認めるお偉方ばかりが一同に介し、夕食会が開かれた。
そこで出された料理の、普段とは少し異なる味付けに呂布は気付く。

一刀曰く、
「シェフを呼べとばかりに連れ出されたら、知らない間に真名を許されていた」。

いつの間にそこまで仲良くなったのか、まるで姉の如く振舞う呂扶に連れられ、一刀の前に立つ呂布。
第一声、恋と呼べ、と。

いってしまえば同じ人間である。本人同士、なにか相通じるものを感じたのかもしれない。
呂布は、呂扶に懐いた。
一刀に対しても、呂扶が慕うのだから悪い人ではないに違いない。
おいしいものを作ってくれるし、気を許すのにも抵抗はない。

彼女の頭の中で、そんな連想がチキチキ働いたかどうかは分からない。
いずれにせよ、一部が予想していた通り、呂布は胃袋から責められ陥落、と相成ったわけだ。

陥落せしめた一刀当人は、なにがなんだか分からない。
混乱しつつ呂扶の方を見れば、もう用は済んだとばかりに、彼女は空になった皿を突き出す。

「一刀。おかわり」

次いで呂布に目をやれば、姉貴分に従うかのように、彼女もまた空の皿を突き出す。

「恋も、おかわり」

おいしいものが食べたい、という、純粋な気持ち。あまりにまっすぐなその視線。
思わず愛でたくなる、ただでさえ強力な目力(めぢから)。それが倍となっては、一刀に抵抗する術などあるはずもなく。
厨房との間をひっきりなしに往復し、しばらくの間は、呂扶と呂布、恋姉妹専属の給仕役となって奮闘したのだった。

その様子を見る他の面々は、ひたすら朗らかな表情を浮かべていたという。



一刀はあれこれ料理を用意してはみたものの、結局、彼自身が手掛けた料理は、各人に皿が回される一点もののみ。
手が回らなかったというのもあるが、量を作れてなおかつ珍しい料理というのを思いつけなかったのだ。

そういうわけで、いくつかの一品料理を除けば、出されたものは普段と変わらない"いつもの"料理になっている。
だがそこはそれ、"天の知識"を料理限定に発揮させる一刀である。
既にある料理に、新しくひと味ふた味追加するよう指示を出し、味に変化や深みを与えていた。
ほんの少し濃い目にしてみるだとか、塩や胡椒をひと摘み加えるだとか、香りつけに酒を垂らすだとか。
彼にしてみれば、ほんの些細なひと手間ふた手間でしかない。
しかしこの三国志の時代、その手間がどれだけかけられているかが、いわゆる高級料理として見なされる基準のひとつであった。
そういった意味で、一刀が手掛けた料理は、洛陽の実質的な権力者たちに出す基準値を超えているといっていい。
事実、見た限りでは代わり映えのしない料理たちが、口にしてみると、やや違った味が口の中に広がる。
それが十分に美味といっていい内容ならば、文句をつけるいわれなどない。
箸の進む速さが、それを如実に物語っている。

量よりも質、もっといえば目新しさ。考え方がそこに特化している人物もいる。
一刀を厨房へ無理矢理押し込んだ、曹操である。
彼女はローストビーフを口にし、聞いたことのない調理法に目を丸くしていた。

「まさか葡萄酒とは思わなかったわ」

存在は知っていた。しかしそれも、風変わりな酒の一種としてである。
そんな葡萄酒を調味料のひとつとして使い、風味をつけるなど考えたこともなかった。
はじめこそ、中心部分がまだ赤いままの牛肉を見て、抵抗を覚えた。
だが、初めて見る形や微かに匂う果実に対する興味と、一刀が作った料理に対する無意識な信頼が、それを薄めていく。

ひと口目で、驚嘆し。
ふた口目で、感心する。
さん口目で、その中身を見極めんと頭を働かせ。
その次には、中身を再確認し改めて吟味を始める。

そんなことを繰り返している内、曹操の手元にあった皿はいつの間にか空になる。

「……もうひと皿、もらえないかしら」

どうやら気に入ったらしい。
このとき彼女は、西部からの葡萄酒取り寄せを決めたという。




董卓は、サイコロステーキにご執心だった。

「へう~~~~~、おいしいよ詠ちゃん~~~~~」

実に幸せそうな笑みを浮かべる。正にとろけそうな、という表情だ。

彼女は、体格は小柄ではあるものの、決して小食というわけではない。
ただ、口が小さいがために、食べるのに時間が掛かるだけなのだ。
そんな彼女にとって、ひと口で食べられる、というのはこの上ない利点であった。
おかげで、まごつくことなく、味わって食べることに時間をかけられる。
味もさることながら、出された料理の形によって食べ方も変わるということを知り、ご満悦な董卓であった。

幸せそうな親友の姿を見て、賈駆は、我がことの様に感じ相好を崩す。
そんな彼女の背後に、給仕に回る一刀が忍び寄り。
他には聞こえないような声で、悪魔の囁きを吹き込んだ。

「自分のステーキを掴み、董卓さんに、あーん、と、差し出してごらん?」

物凄い勢いで振り向く賈駆。
だが時既に遅く。焦りに顔を赤くした彼女の席から、彼は歩み去っていた。

くっ、あの男。
と、悪態をつき、顔は赤くさせたまま、遠ざかる一刀の背を睨む。
だが頭の中では、自分が董卓に対し、あーん、をしているところが浮き上がっていた。

ちょっと待ってそんな恥ずかしいことでもボクが月に直接食べさせてあげるなんてあぁボクの箸が月の口元にちょっと待ってそんなことしたらボクと

「ゆ、月」
「? どうしたの詠ちゃん」

手にした箸を震わせながら、賈駆は、親友に声をかけた。

その後どうなったかは、割愛させていただこう。



呂扶呂布姉妹には負けるものの、呆れるほどの健啖家ぶりを見せる者がひとりいる。
曹操の臣、夏侯惇である。

食べる。物凄い勢いで食べる。そして手元の料理がなくなれば一刀を呼びつけ、おかわりを要求する。

「北郷、はやく次を持って来い」

彼女らが遼西に訪れた際も、夏侯惇はよく食べた。
呂扶とはまた違った大食漢ぶりに、見ていて感心するやら呆れるやら。

そう、呂扶とは違うのだ。
思わず次々に料理を勧めたくなる呂扶と違い、尊大さなのか、粗野さとでもいえばいいのか、なにか引っかかるものがある。
反発したくなるというか、そのくらいで止めておけといいたくなる雰囲気を彼女は醸し出す。
一刀は躊躇わず、それを口にする。少しばかり変化球な言い回しで。

「おいしそうにたくさん食べてくれるのは、料理人としてとても嬉しいです。
でも、夏侯惇さん。ちょっと考えてみてください。
自ら仕える主と席を同じくした食事の場。そこで臣下が取る言動や態度は、そのまま主に対する評判につながります。
たかが料理人に対してあぁだこうだ声高に注文をつけている姿は、あまり見栄えのいいものではありません。
知った顔なんだから細かいことをいうな、と思われるかもしれませんが、回りの方々はそういった事情も分かりませんし。
となると、料理人一人にガーガーいっているあいつは何処の者だ? なんて風に見られちゃいます。
茶がないぞ酒がないぞ料理がないぞ早く持って来い、なんて余裕のないことを臣下がいっていると、その主も余裕がない人物なんだろうなぁとか見られかねません。
器の大きな主に仕えているのだぞ、でな感じで余裕しゃくしゃくに構えていれば、おぉさすがあの人に仕えているだけあって臣下もまた大物だみたいに思われたりなんだったり」

流れるような言葉回しをもって、一刀は、夏侯惇を言い包めていく。

なにか思うところがあったのか。もしくは憑き物でも落とされたのか。
その後、彼女の食べる勢いが少し落ち、大人しくなったたとかどうとか。



「なぁ北郷。料理人とかそういうことではなく、本気で我らのところに来んか?」

料理を差し出す一刀に、労わる気持ちも込め酒を差し出しつつ。
そんなことをいうのは夏侯淵である。

「姉者さえ丸め込むその口八丁は、政務やらなにやらでいろいろ役立ってくれそうだ」
「いやいやいや、なにいってるんですか夏侯淵さん」
「秋蘭、でいいぞ。華琳様からも真名を許されているのだろう? ならば私も預けるにやぶさかじゃない」
「は? いやいやちょっと、本気でなにいってるんですかたかが料理人に」
「幽州の商いが活性している要因のひとつが、お前だと聞いている。
商人の謙遜はよくあることだが、それも過ぎれば相手の気を悪くするぞ」

ものすごい勢いで首を振り、買い被りだと謙遜してみせる一刀だったが。
夏侯淵は、彼のそんな素振りを一顧だにせず話を進めていく。

「とはいっても、お前の周りがそう簡単に許すとは思ってはいない。割と本気でその気になっていることだけ、分かってくれればいいさ」
「……正直なところ、俺の周りにいる人って信じられないくらい豪華ですよね」
「確かにな。無理にでも引き入れたいところだが、そんなことをすればこちらが痛手を受けそうだ」

冗談交じりに彼女はいうが、それは十分にあり得る話だ。
洛陽まで同行している呂扶は当然のこと。関雨の耳にも届けば、偃月刀片手に幽州から飛んで来るかもしれない。物凄い笑顔で。

「……なんだか、今、えらく怖い想像が」
「愛されていて、結構なことだな」

自分の身体を抱えるように手を回し、身震いをしてみせる一刀。
不意に想像してしまったものから逃げるように、彼は受け取った酒を飲み干してみせる。
そんな彼を見て、夏侯淵は楽しそうに、くっくっ、と笑みを漏らす。

「ほら、鳳灯がこちらを睨んでるぞ。速く行ってやれ」

彼女が指を差す方に目を向ければ、なるほど、鳳灯と一刀の視線が合った。
やや上目遣いな目。睨みつけてはいないものの、気にはなるといったところだろうか。
夏侯淵にいわれる通りに、彼はその場を離れようとして。
少しだけ足を止める。

「……真名ですけど、本当にいいんですか?」
「私がいいといっているんだ。しつこい奴だなお前も」

さっさと行け、と、夏侯淵は手を振り、一刀を追いやった。



なにはともあれ、酒である。
張遼は騒がしく、酒の美味さと呑める喜びを身体いっぱいで表してみせる。
対して華雄は、静かに、静かに、だがその表情に笑みを浮かべながら呑む量を重ねていく。

「食い物が美味いと、酒もまた美味くなるちゅうもんやな」
「あぁ、まったくだ」

ふたりともに、かなりの量を飲んでいる。呑み方は対極にあっても、傍目にはあまり酔っている様には見えない。
そんなところに、新しい料理を運んでいた一刀が通りがかり。張遼は、彼を捕まえ絡みだした。

「なー北郷ー、アレないんかー、アレ」
「アレ、ってなんです?」
「ほれ、遼西で譲ってくれた日本酒や」
「あれは譲ったんじゃない、あんたが無理矢理奪っていっただけでしょうが」
「なんやのー。えぇやん、金はちゃんと払ったし。また作ればえぇやんか」

その言葉に、一刀がキレる。

「あれだけ作るのに、どんだけ苦労したと思ってんだこのサラシ女が。あぁ?」

キレは彼は、言葉遣いも荒々しく、それでいて平時以上に口の回りが滑らかになる。

曰く、
武将が少しずつ鍛錬を積み己の実力を高めていくように、料理の作り方酒の仕込み方も積み重ねの成果なんだ。
俺が仕込んだあの日本酒も、試行錯誤を繰り返してやっと形にしたもの。
作ると簡単にいっても、武将が毎日毎日自分の武器を磨き丹念に手入れをし続けるのと同等以上の手間隙が必要になる。

「あんたのいったことはな、武将でいうなら、愛用する得物を粗末に扱った挙げ句に壊されて、金を払えば文句はないだろ、といわれてるのと同じなんだよ」

相手は洛陽有数の武将? 知ったことか。
ふざけんじゃねぇぞちくしょうが、平民舐めんな。

いうことすべてを吐き出したのか、隠そうともしていなかった不機嫌な顔が一転、気持ち悪いくらいの笑顔になり。
目の当たりにした張遼、それに華雄まで、思わずたじろいだ。

「そうですね、もう張遼さんには売りません。
うん、決めた。そう決めたのでご了承ください。
あ、華雄さんは、お望みでしたらお売りしますよ。いつでもおっしゃってください」

それじゃあ俺はこれで、と、一礼し。一刀はその場を離れようとする。

「や、ちょ、待ちーや堪忍やで」

言葉の意味を理解した張遼は、一刀にすがりつくようにして引きとめようとする。
彼女は、仮にも武将である。有する力、胆力は、そこらの男では対抗できるようなものではない。
つまりは、一刀程度では振りほどくことなど出来ないということで。
引き止められた勢いに負け、張遼諸共ふたりして倒れこんだ。
それでもどうにか逃れようと、一刀は、抱きついた張遼を引き剥がそうとする。
だが、振りほどくことも出来ず。はーなーせー、と、ジリジリ這いずるくらいが関の山だった。

実質はどうあれ、その姿は、酔っ払い同士が絡み合っているようにしか見えない。

「……おい北郷、お前も酔ってないか?」
「酔ってない。酔ってませんー」

華雄の言葉に、すぐさま返してみせる一刀だったが。
口にしたのは、明らかに酔った人間しかいわないであろうもの。

実のところ一刀は、先の夏侯淵だけではなく、料理を出すべく歩き回ってい先々で酒を振舞われていた。
立場はただの平民。無為に断ることも出来ず、勧められるままに呑み続けていたために、地味に酔いが回っている。

いつの間にか、酔っ払い同士による実りのない口論が始まった。

助けを求めて、華雄は周囲を見回したが。
呂扶は、鳳灯を抱え込むようにして共に料理に挑んでおり。
呂布もまた同様に、この上なく幸せそうな陳宮を抱え込み、黙々と食事を進めている。
華祐はこのとき、助っ人として厨房に引っ込んでいたため姿がない。

華雄はひとり、溜め息を吐く。
世界は違っても、彼女の立ち位置は苦労人になってしまうようだ。



一刀と張遼が絡み合っている他方で。
この場に集まった面々では、実質上は最上位といっていい張譲。
絶望的なほどに男女比の偏った中で、静かに、出された料理と酒を味わっていた。

「ふむ。もう少し食べてみたい、と思わせるのが曲者だな」

自分の前に置かれた料理をすべて平らげ、満足そうに息をつく。
今食べたものの味を反芻するかのように、張譲はゆったりと目を閉じた。

かと思いきや。

「……典韋くん。私にも、おかわりをもらえないかね」

通りがかった典韋に声をかける。

随分と、気に入ったようだった。













・あとがき
なぜか料理オンリーな回になってしまった。

槇村です。御機嫌如何。





井波律子『酒池肉林 中国の贅沢三昧』(講談社現代新書 1993年)を読む。
面白かった。
面白かったのだが、
"貴族たちは贅沢の髄を凝らし、膨大な種類の料理を用意させてもひと口ふた口食べて残りはすべて捨ててしまう"
って、具体的になにを食ったのか教えてくれよ。
そんなことを思った槇村です。

でも本当に、三国志当時の王宮料理って、どんなものだったんだろう。
恋姫ワールド的な考え方なら、単純に満漢全席みたいなのを想像しておけばいいのだろうか。
時代は全然違うけど。

ちなみに作中で使っている、葡萄酒。
これ、前漢の時代には伝来していたらしいです。『四民月令』に書いてあった。
(崔寔・渡辺武 訳注『四民月令 漢代の歳時と農事』東洋文庫 1987年)
違う本だったかもしれないけど。

胡椒とか唐辛子など、食材の時代背景については極力、現実寄りに書いていこうとしています。
唐辛子なんかは、出すか出さないか悩んだけれど実はゲームに登場してました、っていう例ですな。
ゲーム内に出てきた料理やその食材なんかは原作準拠、という感じで。

以前に指摘していただいた五行思想とかも、未だよく分からないんですよ。
いろいろ本を読んだりしているのですが、槇村の頭がヘッポコなこともあって理解が追いつかない。
この辺りはもう開き直ろう。
書いているうちに気になったらその都度調べることにして、基本はスルー、というスタンスにした。


それにしても、設定作りのためのネタ本探しが楽しくて仕方ありません。
宮崎市定『アジア史概説』(中公文庫 1987年)とか非常に面白い。




さて。
今回書きたかったのは、恋シスターズのコンビ結成と、太平要術の書の行方について。
だったのですが。
書いているうちになぜか食事シーンが長くなってしまい、後者は次回に持ち越すことにした。
どうしてこうなった。



[20808] 43:【動乱之階】 出来ること 望むこと
Name: 槇村◆cc29ff23 ID:31cf670a
Date: 2012/01/10 19:43
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

43:【動乱之階】 出来ること 望むこと





どうにか問題もなく、といっていいのは分からないが、とにかく夕食会を乗り越えることが出来た一刀。
重圧から開放され気が抜けたのか、宛がわれた部屋にたどり着くなり寝台へと飛び込んでしまう。

「うあー、しんど……」

しなくていい気疲れと、断れずに重ねた酒気に圧されるようにして、自然とまぶたが閉じそうになる。
そんな状態でしばらく彼がだらけていると、部屋の外から声がかけられる。
どうぞー、と、その声に応えつつ。身を起こし、身内が入ってくるのを迎えた。
鳳灯、呂扶、華祐の三人である。
一刀が洛陽を訪れた本当の理由。それは、これから行う報告にあったのだから。



とはいうものの。
幽州からの使者が無事に上洛できた以上、報告出来ることはほとんどない。
彼自身は、伝達が断たれてしまうような事態に備えた"保険"のようなものだったからだ。
そもそも一刀が洛陽まで同行したのは、あくまで"念のため"でしかなかった。
伝えるべき内容は、公孫瓉が派遣した官吏が持つものとと変わりはない。
ただ、そこに至った背景に関雨の"天の知識"が関係している、という点を伝えておきたかったからに過ぎない。

こうして一刀と対面するよりも前に、鳳灯は、正式な使者である幽州官吏の報告を受けている。
黄巾の戦乱の原因、首領格の身柄確保、そして太平要術の書の存在。
それらの内容には、さすがの彼女も驚いて見せた。
同時に、一刀と呂扶が伴って洛陽までやって来た理由も察する。

使者からの報告に対しては、「一晩考えさせて欲しい」と保留にした。
近衛の面々にどう伝えるか考えた上で報告し、明日以降、どう対応するかを検討することになるだろう。

「本当に、なにが起きるか分かりませんね」
「むしろ起こしてる張本人だろうに。どの口がそんなことをいうのやら」

やれやれといった風に、頬に手を当て嘆息してみせる鳳灯。そんな彼女に突っ込みの言葉を入れる一刀。
華祐はふたりのやり取りに苦笑を漏らし、呂扶はそんな様を眺めながら、大人しくお茶を飲んでいる。

一刀と鳳灯が話を進めていき、華祐が時折口を挟み、呂扶はその傍らで飲み食いをする。
そんな、彼と彼女たちにとって、普段通りの光景が広がっていた。



「結局、雛里はどうするの? あの三人とか、例の書とかは」
「少なくとも、太平要術の書は押さえなきゃ駄目だと思っています」

別の誰かの手に渡ってなにか起きる前に、朝廷が保管、または破棄する。
その必要があると、世の平穏を望む鳳灯は考えていた。
ただの旅芸人が、漢王朝を揺るがすほどの騒動を起こせてしまうのだ。
これがなにがしかの意志思想を持つ者が持てば、それこそ世の中が傾くほどのことが起きるかもしれない。
有事の芽は、早々に摘んでおくに越したことはない、と。

「俺は話に聞いた程度しか知らないけど。太平要術の書、って、本当にそんなこと出来るの?」

普通に考えれば、そんなとんでもないモノが存在することなど信じられない。
しかし彼自身、時間と世界を超えるという不可思議に巻き込まれているのだ。
今であれば、そんなモノもあるのかもしれないなぁ、程度には信じることが出来る。
なにより、世界が違うとはいえ、その書に翻弄された経験を持つ者が目の前にいる。これ以上に説得力のある話もない。

その彼女、鳳灯が、噛み砕くようにして説明をする。

「私たちがいた"以前の世界"では、黄巾賊鎮圧の際に、"華琳"さんたちが天和さん、つまり張角さんたちを確保しました。
そして、彼女たちの歌や踊りを活用して、兵力の充実を図ったんです」
「それが後世のいう、魏の兵力充実に繋がるわけだ」
「張角さんたちを手に入れた"華琳"さんは、彼女たちの歌や踊りを国威向上に用いました。
活用はしても、悪用されることはなかった。
そういった意味では、"華琳"さんが保護したのは幸いだったのかもしれません」

一刀は、うろ覚えな「三国志」の知識と照らし合わせながら、鳳灯の言葉にうなずく。

「もし雛里が保護者だったら、どうなってたかね」
「どうでしょう。そのときはまだ、義勇軍でしたから」

どうにもならなかったかも、と、鳳灯は笑う。

「でも、太平要術の書には興味を持ったでしょうね。
自分だったらどんな内容が書かれているのか。今の私でも、ちょっと見てみたいです」
「危険だな」
「危険ですね」

一刀もまた、彼女の言葉を茶化すように笑う。

「で、書は最終的にどうなったの?」
「黄巾の戦乱において、失われました。少なくとも、私は見たことがありません」



この世界では、歴史の進み方が大きく異なっている。鳳灯がいう通り、彼女らの経験から得た群雄割拠の知識は、今では参考程度にしかならない。
それでも、有事に際しての選択肢に幅が生まれる。そんな強みはあろう。
事実、こうして太平要術の書の存在を察知出来たのは、なにより"天の知識"のおかげなのだから。
張三姉妹の力を活用するかはともかく、騒動の元を押さえたという意味では、彼女らの経験に沿った流れといえなくもない。

黄巾賊による騒乱が落ち着いてきた頃、張角ら三姉妹は改めて旅芸人としての活動を始めようとしていた。
人を集めてしまう歌や踊りをやらなければ問題ないだろう、と考えていた。
彼女らの存在に気付くことが出来なければ、旅をし転々とする先々でまた黄巾賊が蜂起する可能性もあった
だが彼女たちが逃げ延びた幽州には、"天の知識"を持つ関雨がいた。
関雨は、保護という名目で張角らを確保した。現在は、彼女を初めとした幽州軍の下に置かれている。保護とはいっても、実質、監視といっていいものだったが。

「まだ、人前で歌わせるのはやめておいた方がいいと思います」
「大っぴらに歌って踊って、っていうのは、黄巾の残党が燻ってるかもしれないから許可出来ないってことか」
「はい。彼女たちの噂が立って、また再集結されると問題になりますし。
冗談ではなく、張角さんたちを奪回するために幽州へ雪崩れ込む、なんて展開になりかねません」
「それでも、制圧するだけならば、今の幽州なら容易いだろう。後々のことを考えれば、それだけでは済まないだろうがな」

鳳灯の言葉に、華祐が応える。一刀もまた同様に理解を示し、腕を組みながらうなずいてみせた。
そうか、そうだよな、と、彼はなにやら想像を巡らす。
巡らしたのだが。

「……いやな想像しちまった」
「はい?」
「ウチの店で手伝いをしながら、時々歌うくらいならいんじゃないか? って思ったんだけどさ」

言葉を切る。深く考えたわけじゃないが、と念を押す。

「……今、ありがたいことに、公孫軍の人たちがたくさん店に来てくれるんだよね。
で。考えちゃったわけ。
公孫軍将兵が、ウチの店で彼女らを見て、軒並み黄巾賊みたいに我を忘れて熱狂したらどうなる? ってなことを」
「……想像したくないですね」
「冗談でも、洒落にならんぞそれは」

かの白馬義従とそれに連なる将兵たちが、群を成し、まるで黄巾賊のように暴れ回る。
そんな一刀の想像に、勘弁してくれと首を振る、鳳灯と華祐。口にした彼自身も、そんなのは御免だと、心から思う。

「恋が吹き飛ばせば、恐怖心かなにかで元に戻るとか、ないかな」
「それは……ないとはいい切れませんけど」
「長く植えつけられたものは、仙術もどきでは払拭できんのかもしれんな」

ある意味、物凄く酷い言い草なのだが。
一刀、鳳灯、華祐のそんな言葉にも、呂扶は大した痛痒も見せず悠然としていた。

後になって、呂扶に首周りを極められ苦しむ一刀が見受けられたのだが。
それを考えると、彼女もいくらか気を悪くしていたのかもしれない。



それはともかく。
想像はしていたものの、随分と規模が大きい上に掴みどころのない話になり。一刀は溜め息を吐いてしまう。
俺は庶民で一般人のはずなのに、と。

「やっぱりあれだね、"天の知識"みたいなモンがあっても、出来ることと出来ないことがあるよ」
「一刀さんは、出来ることの方が多いような気がしますけど」
「いやいや、雛里たちみたいに世に名が知られる、なんてことはありえないね。
基本は、幽州で鍋振るってるだけ。時々は地元のために気張って見せようかなってくらいだよ。
そもそも現状ですら、ありえないほどに恵まれてる状況だし。州牧に知己があるって出来過ぎでしょ」

普通に考えれば、どれだけの運が巡って来ているのか、というほどの知己を得ている。
しかも今回は、漢王朝の中枢部分に顔を出すまでになった。おまけに、彼に対する評判評価も悪くはないのである。

ここまで来ると、光栄とかありがたいといった気持ちを突き抜け、怖くなってくる。
そんな一刀だった。
高名な面々と顔を合わせるたびに感じていた、気後れするような感覚。それが、洛陽についたこの一日だけで突き抜けてしまった感がある。すすめられた酒をひたすら飲み干していったのも、この感覚からの逃避だったのかもしれない。

「いやもう正直、早く洛陽を出たい。さっさと商談を済ませて、幽州に帰りたい。
俺はただの平民なんだよ。小物ですよ? こんな、偉い人しかいないようなところにいるのは場違いだよ」

あんまり長居すると、物凄く買い被っている華琳さんに無理難題を吹っかけられる。
その前に逃げるんだ、気疲れで死んでしまう、と。
一刀は本気で口にしていた。

「このまま懇意にしてもらえれば、幽州に戻ってもいろいろ役に立つんじゃないのか?」
「それにも程度ってものがある。商売人としては、仲が良くなりすぎるとかえってやりづらくなるし」
「そんなものか」
「そんなものだよ」

華祐の疑問にも、淡々と答える一刀。

「そもそも、世に名を残すような英雄武将知将と同じ扱いをされるのがおかしい。
俺は吹けば飛んで埋もれちゃうような庶民だから。前の方へ出ることなんてないから」
「その気になれば、色々な意味で洛陽お抱えな人になれそうなのに」
「だから、その気になんてならないの。というか、目立ちたくない」

大局で見た世界平和なんて、それが出来る立場の人が考えてくれ。
俺はどうあがいても庶民だ、と、一刀はそういって憚らない。



「私も、出来れば表だって名を残すようなことはしたくないですね」
「え、そうなの?」

意外といえば意外な、彼女の言葉に一刀は少し驚く。

「そもそもこの世界において、私は在るべき存在ではありませんし。
すでにいる、同じ"自分"に悪いような気持ちも、少しあります。
洛陽に来てから裏方仕事ばかり選んでいたのは、目立ちたくなかったから、かもしれません」

改めて考えてみれば、自分の知る未来をどうにか変えようという思いはあっても、それによって名を上げようといった気持ちはまったくない。
遅まきながら、鳳灯は、そんな自分に気がつく。

「現状を見る限りでは、反董卓連合が起こる可能性はほぼないと思うんです。
でも他に争いの種が出て来るなら、洛陽にいた方が対処し易いんですよね」

いつになったら幽州に帰れるんだろう。
そんなことを漏らしながら、彼女は溜め息を吐く。



都合が悪いわけではないが、華祐もまた、強いて目立ちたいわけではない。
名声云々も、彼女が胸の内の声に従い動いた結果生まれた副産物のようなものだ。

「そういう意味なら、私もそうか。
武才を突き詰めていく志はあっても、名を上げようという気持ちは大きくないしな」
「なにいってるんですか。毎日のように、名のある武将や将兵たちをバタバタ薙ぎ倒しているような人が」

華祐さん凄く有名になっちゃって、と、鳳灯は、彼女の現状を一刀に吹き込む。大人気だ、と。
いわれ慣れない言葉に気恥ずかしさを覚えたのか。華祐は、ふい、と、横を向いて視線を合わせようとしない。

「武を競う相手に困らない、ということでは、洛陽は確かに居心地がいいな。
相手が誰であれ、課題を見つけながら修練を繰り返すのは楽しい」

それはそれとして、と、話題を変えるように言葉を重ねる。

「とはいえ。雛里と違って、私は洛陽にこだわる必要はないんだな。
……孫堅殿のところに行ってみるのも、ありかもしれん。
"こちら"の孫策がどの程度のものかにも興味があるな」

それはそれで楽しそうだ。
面白いことをも思いついたように、彼女は笑みをみせた。

「一刀。お前たちは、南に向かう予定だったか?」
「うん、長江に沿って揚州に入るつもりだけど」

ふむ……と、華祐は考え込む。

「……恋。孫堅殿に会ってみないか?」

聞き手に回りっぱなしだった呂扶に、いきなり話が振られる。
お前なら私よりもいい勝負が出来るだろう、というか私がその立会いを見てみたい、ならどういった順路で行くのがいいか。
などなど、華祐は自分の中で勝手に段取りを組んでいく。
もちろん呂扶は、なんのことやらさっぱり分からない。

「あ、それなら。明日の報告で方針が決まったら、華祐さんに、袁術さんたちへの言伝役をお願いしますよ。出向くいい理由になるじゃないですか」
「それはありがたいが、いいのか?
というよりも、あいつらに伝える必要があるか? きっとなにもしようとしないぞ」
「いえいえ、ちゃんと伝えたっていう事実が大事なんですよ」

これまた酷い内容の会話を交わしながら、華祐と鳳灯はどんどん話を進めていく。
一刀と呂扶は置いてけぼりである。

「……孫堅?」
「あー。つまり、強い奴がいるからそいつのところに行ってみようぜ、ってことかな?」
「分かった」

一刀の乱暴な解説に、納得がいったと呂扶がうなずく。

少しばかり真剣な話をしていたと思うんだが。
と、話題が捻じ曲がり妙な盛り上がりを見せ始めた場を見て、彼はひとり首を傾げる。
一方で、場所が変わっても、鳳灯と華祐のふたりが、楽しそうに過ごしていることが知れてほっとする一刀だった。





翌朝。鳳灯は早々に、近衛の面々を集める。
幽州から報告があり、漢王朝として対応が必要と判断した。
添えられた言葉、その規模の大きさに驚きながら、誰もが表情を真剣なものにする。

先に起こった、黄巾賊による騒乱。
切っ掛けは、領主の悪政。それを拡大させたのは、"太平要術の書"の存在。
前者は、近衛軍が組む新体制の指導によって改善して行けるだろう。
だが後者は、手にしたものが誰であれ不要な諍いを生むとも限らない。

出来れば漢王朝の手元に置き、場合によっては破棄すべき。
鳳灯の主張は近衛の将らに受け入れられ、早速各地に調査の手を広げるべし、という指針が決められた。

黄巾賊の発生から拡がり方までが確認され、それに沿って書の行方を追いかける。
同時に周辺地域におかしなことがないかの調査を行うべく、細作などの編成の見直しが急務となる。
数は少ないとはいえ、洛陽から逃れた十常侍一派もいる。その探索の手を緩めるわけにもいかないため、効率よく人員を使っていく必要があった。

そんな中で。

「華琳様」

夏侯淵が顔を寄せ、小声で、主に注進する。
鳳灯の報告を聞き、彼女は引っかかるものを感じていた。

「青州近辺のことで。桂花からの報告に、気になるところが」

武官とはいえ、知能派である夏侯淵の言葉。曹操は先を促す。

曰く。
幽州南部で起きた黄巾賊の鎮圧戦以降、戦場となった冀州東北部と青州西部の復興が進められている。
冀州は、州牧たる袁紹が帰還したこともあり、力強いその手腕をもって問題なく行われていた。
一方で青州は、率先して復興の指揮を取れるような人材が不足していた。冀州の復興作業のおこぼれによって、少しずつ手をつけられているといった状況だったらしい。
それがこのところ、復興の速度が驚異的に上がっているという。
冀州の梃入れがあったわけではなく、青州独自にそれは行われているとか。西部を中心として、治安や民の混乱が落ち着き、まとまりを見せている。

「数日前の報告によれば、治安が乱れているわけでもなく、むしろよく治まっているそうです。
話だけを聞くならば、いいことだと思うのですが」
「不自然さを、感じるのかしら?」
「はい」

曹操は、腕を組み、眉を寄せながら思考に耽る。

考えすぎだと一笑に付してもいいだろう。
だが。
黄巾賊を煽っていた三姉妹が逃亡し、その手から書が離れた。
彼女らを追い、徐州、青州、冀州とだんだん北上していった黄巾賊。その道程である青州で、書を拾った者がいたとしたら?
その者が領主に近しい、もしくは義勇軍でもいい、人を指揮する地位にあり書を活用したとしたら?
時期としても、辻褄が合う。

だが、推測でしかない。
なにか騒動が起きているとでもいうならば、こういった話し合いの場に持ち出してもいいだろう。
怪しいとは思う。しかし、なにも問題は起きていないのだ。

「……さぐりは入れておくべきか」

かといって、なにもいわずに無視を通せるほどの些事ではない。そんな予感はある。
なにより、曹操の勘にも、良からぬものとして引っかかる。

「もっと詳しく調べさせましょう。現在の領主らとその繋がり、なにか起きたのか、または起きているのか、土地の雰囲気諸々ね」
「はっ」

一礼し、夏侯淵は再び主の後方につく。

裏ではともかく、表立って話すにはまだ情報が足りない、か。
曹操は考えに耽りながら、軽く頬杖をつき、自らの巻き髪をいじる。
当面にすべきことを頭の中でまとめながら、彼女は、この場が解散するのを待った。





青州西部・平原。
町を治める領主が新しくなり、緩やかにであるが、民の顔に余裕と笑顔が戻り始めていた。
慣れない治政に頭を捻りながら奮闘し、その結果が町の中に溢れていく。
そんな様を見るにつけ、新米領主は、もっと、もっと頑張ろう、と、想いを新たにしていく。

平原の新米領主を補佐する、文官であり軍師でもある臣のひとり。
彼女はどういった経緯からか、一冊の書物を手にしていた。

「……なんだろうこの本」

彼女の名は、諸葛亮。
知に秀でた彼女も、手にした書が呼び起こすであろう難事について、まだ、想像することは出来ずにいた。













・あとがき
年が明けてもペースは相変わらず。

槇村です。御機嫌如何。





新年一回目の投稿です。
ちんたらした牛歩ペースではありますが、よろしければこれからもお付き合いいただけると幸いです。
読む人がいなくなっても、ひとまず最後までは書いてやるぜ。



さて。
今回、後々広がっていくための種をいろいろ蒔いたつもり。
なのですが。
まとまりに欠けるような気がしないでもありません。コレでいいのかーって気持ちが、最後まで拭えないでいた。
それはそれで、これからの展開や内容で巻き返していこうと思ってはいますが。
もっとテンポ良く話が進むよう精進します。

……三国志時代って、生肉OKなんだ。知らんかった……。



[20808] 44:【動乱之階】 点をなぞり線となる
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2012/01/27 08:05
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

44:【動乱之階】 点をなぞり線となる





洛陽のある司州から、東を見て、袞州、豫州。更に向こうには徐州があり、海にぶつかる。
その豫州と徐州の南に位置するのが、揚州だ。

一刀が揚州へ向かうのは、商談及び食材の仕入れのため。もっといえば、新たな米の確保である。
他に商人としての連れがいたが、そちらはまた別途の用件が出来たために別れている。つまり護衛のみで単身赴くということになる。
そんな彼に従うのは、幽州の一騎当千、呂扶。
単身でも問題ないと判断した所以でもある。たかが商人の護衛には破格の存在だ。

またふたりに同行するのは、鳳灯と華祐。
彼女らは彼女らで、別件で揚州へ赴く用件がある。
西園八校尉のひとりである袁術に対して、"太平要術の書"についてと、それに対する近衛軍の方針などを報告するためだ。

「さすがに、なにも知らせないでいるわけにもいきませんから」

ということで。
使者として鳳灯が、その護衛として華祐が出張るということになった。

もっとも、そう決まるまでにひと悶着あったのだが。

先だって華祐が洩らした、孫堅のところへ出向いてみるか、という言葉。それに釣られるわけではないが、鳳灯は、"こちらの世界"の孫策や周瑜に興味が湧いていた。
孫家と袁術が不仲でないならば、彼女たちはどんな境遇にあるのかも気になる。
なら自分もついて行って確かめてみよう、と。
鳳灯は軽い気持ちで、袁術への使者役に立候補したのだが。

「鳳灯、あんた馬鹿?」

心底呆れたような口調で、賈駆にダメ出しをされる。
当然といえば当然のこと。現在の鳳灯は、洛陽における文武の"文"にあたる部分を統べる立場の人間といっていい。
普通に考えれば、そうほいほいと遠出を許すわけにもいかないだろう。

「内容はさておいて、やること自体はただの伝達役でしかないのよ?
そんなことに、上から数えた方が早いような立場の人間をやれるわけないでしょ!」
「でも、私は正式な地位を貰っているわけでもありませんし」
「そういう問題じゃないわよ!」
「不在にするのがまずい、っていうなら、私がやっているようなことはもう他の誰でも出来ますよ?」

これまで一部の人間がこなしていた様なことも、さすがにすべてとはいかないが、鳳灯は細かく解した上で分かりやすく体系化させている。既に同じことを幽州で実行済みなので、中身は違っても、形にするのはさほど苦になることではなかった。
これによって、実際に政務の効率化が成され、新しい人材の育成などにいい影響が生まれている。そして、洛陽の政務は大きな問題もなく回っている。

なら自分がいなくても平気じゃないですか、と、鳳灯は胸を張り主張する。

賈駆はそれでもいい募る。いいたいことは分かるが、やることはやったから出て行くわ、なんてことは許さないぞ、と。
同僚としての有能さを惜しむためか、それとも友人が離れようとする寂しさからか。
押したり引いたりのやり取りの末、「終わったらちゃんと帰ってくること」をしっかり約束させらて。鳳灯はやっとのことで、洛陽を出ることを許された。

鳳灯としても、太平要術の書の行方は気になっている。世の中がどのような流れを見せるか分からない以上、洛陽にいた方が動きやすい。
だから今はまだ、幽州へ戻るつもりはない。
賈駆だけではなく、哀しそうな表情を浮かべる董卓に対しても、そういった説明をする。
正直なところ、このように感情を先に出して接してくるのは、互いの心の距離というようなものの近さを感じて、嬉しい。
鳳灯はそう感じている。

「詠さん、月さん、ありがとうございます」

面映さを隠せないまま、彼女は久しぶりにふたりを真名で呼ぶ。
自分の役割を意識するために、許されてはいても敢えて口にしなかったそれ。
鳳灯の言葉に、賈駆と董卓は、自然と柔らかい笑みを浮かべた。



今生の別れというわけではない。そんなことは皆分かっている。
だがそれでも、不安になるのは仕方ないのかもしれない。
なにより、鳳灯と華祐は、正式には近衛軍の一員ではないのだ。
ふたりはあくまで、董卓軍の客将でしかない。それゆえに、状況次第でいつ洛陽を離れるか分からない。

にも関わらず、鳳灯は政務の裏方を統べる人材のひとりであり、華祐もまた軍部の指導役に等しい場所にいる。
名目上の地位ははっきりしていないが、実質的にはそれぞれ近衛の中核を成す人物と見なされているのだ。

これまでも幾度か真剣に勧誘されている。ふたりはその都度、やんわりと断っていた。
力になれるのなら、喜んで協力する。
けれど、自分たちの帰るところは幽州なのだ、と。

それを考えれば、一時とはいえ、鳳灯と華祐が、洛陽を離れるという知らせに動揺する者が現れるのも無理はないだろう。

「本当に戻ってくるんやろな」
「勝ち星を取れないままオサラバされるのは勘弁だぞ」

一番動揺しているのが、軍部の上位にあたる張遼と華雄だというのは、笑うべきか、笑えないというべきか。
まるで問い詰めるかのように、華祐に喰って掛かるふたり。
もっともこのふたりに関していえば、董卓や賈駆のような寂しさというよりも、勝ち逃げは許さないという気持ちゆえのものといえる。

結局のところ、戻ってくるまでに武のほどを上げ自分を驚かせてみろ、と。
煽りつつも帰還を約束することで収束を得た。
なんとも、色々な意味で愛されている。
そんな自身の境遇に、どうにも面映さを感じずにいられない華祐であった。



ついで、というと語弊があるが。

「恋も一緒に行く」

一刀と呂扶が洛陽を出ると聞き、自分も着いて行くと呂布が駄々をこねた。
さすがにそれは聞き入れられない、と。一刀は必死の思いで説得を試みる。

「また会うことも出来るし、なにかの際には洛陽に寄るようにする。逆になにかあったら、恋が幽州に立ち寄ればいい」

彼が丁寧に言葉であやし、呂扶が優しく頭をかいぐりなだめる。
外部とはいえ文武の大戦力が抜ける。そこに内部の最大戦力までいなくなるなど、許されるわけもない。

「懐いたな」
「懐きましたなぁ」
「胃袋から懐柔いうても、ここまでいくと驚きやで」

どこかで聞いたようなやり取りを、華雄陳宮張遼がしている。
呂布のいい出したことに驚きはしたものの、自分たちが動くよりも早く一刀が止めにかかったおかげもあり。
今の彼女たちは、目の前のやり取りをのんびりと見守っていた。
そして、しぶしぶながら彼の説得に応じる呂布を見て、ひそかに安堵するのだった。

呂布の引き留めに当たって、陳宮の、一刀の料理の幾つかを学び繋ぎとめてみせたという努力もあった。
彼ほどではないにしても、やはり胃袋からの懐柔が効いたといえるだろう。
陳宮自身は、呂布の喜んでもらおうという純粋な気持ちからだったが。

更に蛇足となるが。
このときのことが、陳宮が、董卓軍の将兵に対し"美味い食事"という"飴"をもって掌握を図ろうとした切っ掛けになったという。
前線で指揮を取る立場である張遼が、華祐らと会ったことで、軍勢の指揮よりも個人の武を優先し出していた。代わりに軍勢指揮の立場に置かれた陳宮が、なんとか効率よくまとめられないか、と、知恵を絞った末のこの考え。これが後々董卓軍に大きく影響を与えていくのだが。余談となるので置いておくことにする。



そんなこんなで、いろいろとありつつ。
目指すは一路、揚州。一刀ら四人は、洛陽を出立したのだった。





彼らを追う様にして、夏侯淵と夏侯惇も、洛陽を出る。
こちらも鳳灯らと同様に、西園八校尉たる袁紹への報告伝達が目的である。それなりの立場にあり、なおかつ袁紹と顔なじみであるという単純な理由から、夏侯淵と夏侯惇が選ばれた。

目指すは冀州・鄴。袁紹が拠点とする地であり、州牧として活動する政庁が置かれる治所。
黄巾賊の騒動も落ち着き、洛陽での大騒動は鎮火した。それらの只中で威を振るっていた将ふたりである。道中になにかが起きることなど毛ほどもなく、彼女らは鄴の町までたどり着く。

「夏侯惇さんに夏侯淵さん。わざわざこの袁家のお膝元まで、どうされましたの?」

到着早々、夏侯淵らは謁見を望んだ。さほど待たされることもなく、袁紹はふたりの目通りを許す。
政庁の中、謁見の間。自らの威を誇るように、袁紹が一段高い所に座し。二枚看板と称される将、顔良と文醜がその側に控える。さらに広間の外壁には護衛の兵が幾ばくか。

「態度は崩しても構いませんわよ。洛陽からの使い、というよりは、身内の話に近いのでしょう?」

ただの報告ならば、やって来るのは誰でも構わない。なにか意図したところがあるからこそ、見知った者が派遣されて来た。袁紹はそう捉えている。
そんな想像をしていたが。夏侯淵が告げた内容は、さすがの袁紹らにも驚きのものだった。

先に起こった民衆蜂起。
黄巾賊たちが膨れ上がった原因。
太平要術の書という存在。
書に対する近衛軍の対応。
といった内容のものが、淡々と伝えられる。

「……そんな裏があったんですね」
「うへー、おっかねーなー」

袁紹と共に報告を聞く、顔良と文醜がそれぞれに言葉を漏らす。

なによりも、太平要術の書。
他にどんな効果が現れるのかは分からないが、民衆を徒に扇動する手段になり得ることは理解出来た。放置しておくわけにもいかない。

「わたくしの華麗な統治が、無粋な書物一冊で乱されるのは気に入りませんわね。
気をつけておく、と、華琳さんにお伝えくださいな」

このとき、夏侯淵は、気になった平原の動向について深く触れなかった。
復興の進みが早くなった青州に対して、袁紹からなにか手を出したのか、またはその切っ掛けを知っているかどうかなどの意見を交わしたのみである。
袁紹と、政務に携わる顔良も、そのことについてはすでに知っていた。だが、あくまで現状について知っているのみで、その内情まで把握しているわけではない。

「早く元に戻りそうなら、それでいいじゃん」

文醜が口にしたその言葉の通り、復旧が進んでいるならなにもいうことはないだろう。袁紹らはそう考えているし、なにより他の州のことだ。それ以上関心を寄せるようなことではないこともまた事実だった。
仮にも州の頂点に立つ人物に対し、不確かな情報を伝えるわけにも行かない。
同様の理由から曹操は、董卓や賈駆、鳳灯らにも"青州の違和感"についてはまだ伝えていない。情報を集め、違和感がもう少し形になってから伝えるつもりであった。

どちらにしても、さほど遠くない内に、各州、県、郡その他地方を治める領主格の下へ通達が回ることになっている。
幽州で確保された張角ら三人に対し、書についての詳細や事情を聞くべく、洛陽から直々に官吏が派遣されている。詳細を得た後、盛大に捜索の手を広げようというのが狙いだ。
同時に、それら調査を取りまとめる役人として、またその地の治政に対する意見役として、人材を派遣することも視野に入れられている。これについては、「人が足りない」という、朝廷内の新陳代謝を進めたがための問題から難航していた。
優先順位を決めて、出来るところからやっていこう、というのが、今の漢王朝、そして近衛軍の方針である。



かなりの時間を要した、袁紹らと夏侯淵らの意見や情報の交換。
役割を終え、やっとのことでふたりは開放される。

「ぬ」

政庁を出ようとした、通路の先に。夏侯惇は見た覚えのある顔をみつけた。

「秋蘭、こちらに向かってくる奴を見たことがないか?」
「ん?」

覚えはあっても、名前を思い出せないらしい。こちらに向かってくる人影に、遠慮なく指を差す。
夏侯淵もそちらに目を向ければ、なるほど、それは彼女も知る人物であった。

「あぁ、彼女は」
「お久しぶりです! 夏侯惇さん、夏侯淵さん!!」

姉に向け名を告げるよりも前に、指を差されていた人物はふたりのことに気付き。声を上げ駆け寄ってきた。
ここ冀州に隣接する、青州。中でも冀州に程近い平原を治める、劉備であった。

「久しいな、劉備殿」
「はい! あ、黄巾のときは本当にお世話になりました」

そういって、劉備は、夏侯淵そして夏侯惇に向け頭を下げた。

なぜ、青州の一国・平原を取りまとめる立場にある劉備が、冀州の州牧である袁紹の下にいるのか。

曰く。
自分はまだ、人の上に立ち町を治めるには未熟である。
平原の統治にあたり、至らぬところを学ぶために教えを乞うことにした。
そこで、場所も近く、義勇軍時代に少なからず顔を合わせたことのある袁紹に願い出て、治世の術を学んでいるとのこと。

「もっとも、冀州に居っ放しっていうのもまずいですから。期間を決めて通わせてもらってるんです」

なるほど、と、夏侯淵は納得がいった。
地位に胡坐をかいて碌な治世をしようとしない輩もいた中で、自らの質をなんとか上げようとする彼女の姿勢は、なかなかに好感を持つことが出来る。
袁家という名前の強さもあるだろうが、冀州はよく治まっている地だ。隣接した地理的条件もあろうが、参考にする地ととしてはいい選択といえよう。

民のために尽くそうとするその心掛けと努力が、少しずつ実を結び、青州西部の復興と平穏に結びついた。
そう考えれば、辻褄も合うし、納得することも出来る。

だが、それでも。夏侯淵は、どこか腑に落ちないものを感じていた。
確かに辻褄は合う。劉備の努力と姿勢も好ましいものだろう。
だとしても、結果が出てくるのが早すぎはしないか。

夏侯淵は思い出す。荀彧の報告にあった、青州西部を中心として行われている復興具合を。
そう、"不自然なほどに良く治められている"ことを。

「劉備殿。つかぬことを聞くが」
「はい?」
「……太平要術の書、という名を聞いたことは?」

直接、直に、聞きだしてもいいものか。
しばし悩むも、夏侯淵は、渦中の地を治める領主に問いかける。

「たいへい、ようじゅつ?」

初めて耳にする名前、それがなにを意味するのか、まるで分からない。
表情にそんな色をありありと浮かべ、劉備は、夏侯淵の言葉を鸚鵡返しに口にする。

いくらか問いかけてみるも、結果として、劉備はその存在を知らなかった。
ひょっとすると、隠しているのかもしれない。
だが夏侯淵の目には、少なくとも、彼女が嘘をついているようには見えなかった。

無理もない。
事実、彼女はなにも知らなかったのだから。
このときはまだ、なにも知らなかった。





ところ変わり、揚州の治所、歴陽。
一刀ら四人はここまで、道中危険なこともなにもなく無事に到着した。

「さて。これからどうしますか?」

鳳灯と華祐は、袁術に謁見を求めるべく政庁ほと向かう。
対して、一刀と呂扶はまったくの部外者。それ以前に、顔を合わせたことすらない。
ゆえに、悩む余地など毛ほどにもなく。
この日の宿を決め、その後は別行動となった。



歴楊という町は、揚州の治所ということもあり、人の出入りも多く賑やかなところだ。治政においても、洛陽や、公孫瓉の幽州、袁紹の冀州、または曹操の陳留といった地に比べれば評価は低いものの、荒れていないという点では、良政が布かれているといって差し支えないだろう。

楊州という地は、州牧である袁術が細かいことにこだわらない分、旗下の者たちの裁量によって治められているといっていい。
そのさきがけとなったのは、孫堅を中心とする孫家の存在だ。
ひと昔前には、長江近辺を中心として、土着の宗教集団による暴動や、癒着した領主の暴政などが数多く見られた。それらをことごとく鎮圧してみせ、治政の再編を行い、広く民の生活に心を砕き奔走したのが、孫堅、そして孫家一派である。
このとき彼女が躍進する後ろ盾となったのが、袁術の伯父である、袁成。この誼が長く続き、その信頼の程は後に袁術の後見役を任されたほどであった。
袁成の死後、袁術は統治者として独り立ちすることを強いられる。たが孫堅や張勲といった面々の補佐もあったことで、なんとかこれまで彼女は一角の領主としてやってこれている。
実際には、物事すべてを出来る者に丸投げし続けることしかしていない。それでも、出来ない者に投げられることは多くないことから、人を見る目はそれなりにあるのだろうと判断できる。その辺りは、やはり袁家という名家の血が関係してくるのかもしれない。

さて。
この日、その孫堅は不在だった。他地方の巡回に出ているとのこと。
華祐は残念がったが、主な目的は袁術である。ひとまずやるべきことは終わらせよう、と、鳳灯は彼女を促す。

袁術への謁見、報告は、あっという間に終了した。
鳳灯の言葉をひと通り、大人しく聞き流した後。

「なんとなくは分かったのじゃ。七乃、あとは任せるからの」

袁術は丸投げする。
いつものこと、とばかりに。側近である張勲は軽く受け答えする。

「お部屋を用意しますので、後ほど詳しくうかがいますねー」

しばらくした後、通された別室にて、報告の詳細を告げたのだが。このときの応対も、張勲は一貫して軽い態度で受け答えをする。
とはいえ、聞くべきことは聞き、軽くはあっても御座なりではない。
鳳灯は、袁術と同様に張勲にもまた"以前の世界"とは違う印象を受けていた。

そして、まだ出会っていない知己たちのことを考え、胸が躍るような気持ちを感じるのだった。



政庁へと向かうふたりと離れ、一刀は、顔馴染みの商人に会うべく移動する。呂扶はそれについて行くかたちになった。

やることはなにも難しいことではない。
いつもの人に会い、いつものようにモノを用意してもらい、いつものように代金を払う。
それだけなのだが。

「あれ、姉さんは絡まないの?」

これまでとは違ったやり取りに、一刀は首を傾げた。

彼が口にした"姉さん"というのは、名前を出さないための隠語のようなもの。
なぜなら、名目上は"賊"に括られる人たちとの取引であるため、表立って口にすることが憚られるからだ。

揚州から幽州まで、大量の商品を運ぶのは大変だ。馬を用意するだけでも何頭必要になるか分からない。重量のあるものならなおさらである。
一計を講じた一刀は、長江を拠点とする江賊と渡りをつけ、海路から輸送してもらっている。その江賊の首領を差し、一刀は"姉さん"と呼んでいるのだ。
かの江賊らは、長江一帯では一種の義賊として、民に認知されていた。だがそれでも、賊は賊。討伐される側に立つ者たちとやり取りがあると分かれば、商人たちもただで済むとは思えない。ゆえに、名を公言することを避けているのだ。

これまでは、江賊の首領である人物と直接やり取りをしていた。
目の前の商人とも、その絡みで幾度も顔を合わせているし、交流もある。だが、一からすべて代わりに請け負う、というのはこれが初めてだった。

一刀の疑問に、笑みを漏らしながら彼は答える。
曰く、彼女はこのほど、さる有力者に召抱えられたのだという。
その人物の在り方も好ましいもののようで、身辺警護や諜報役としての任に就いているとか。
同時に江賊の面々もごっそり軍勢として引き入れたと聞いて、本当かよ、と、一刀は目を丸くした。

となると、だ。
権力者の私兵扱いとなったなら、商人相手の仕事なんて引き受けてくれなくなるのでは?
そんな不安に駆られたが、それはそれ。抜け目ないのが商人という人種である。
陸の上だけでなく、水上でも縦横に動いてみせる江賊の力量はそれなり以上に高い。それを維持するための調練になることやら、金銭的実利やらを仄めかし、取引その他を引き続きやっていけるようにしてあるらしい。
もちろん、後々のことかいろいろ損得を考えてのことだがね、などと付け加えるあたりは強かである。
これらについてはすべて自分が引き継ぎ、窓口役になったからよろしくな、と、彼は笑う。腹に一物あるような笑みで。

一刀としては、これからもきちんと取引が出来るのなら問題はない。
了解了解、と、負けじと商人くさい笑みを浮かべた。

一刀と共に笑い合うこの商人。名を魯粛という。
歴楊のみならず揚州全体に商いの手を広げているとまで噂され、彼自身もまたその有権者に眼をかけられていたりするのだが。いかんせん、商談と称して方々に自ら出向くことを好む性格をしているため、捕まえることが難しい。そんなところから、未だ抱え込まれることなく商売を続けていたりする。

そんな彼は、やることはやっとばかりに早々に姿を消した。
次の商談の場へと行くのだろう。相変わらずの商売熱心さに、感心するやら呆れるやら。
一刀はそんなことを考えながら、去り際に伝えられた言葉を思い起こす。

「まぁここまで来れば、少し足を伸ばすのも変わらないしな」

言伝を頼んだというのは、かの"姉さん"である。
彼女は現在、居を移しているため歴楊にはいない。
そして、一刀が来たら「一度顔を出せ」と言付けるようにいわれたらしい。

彼は、もう少し寄り道をすることにした。



「とまぁそんなわけで。俺は少し寄り道するつもりなんだけど、ふたりはどうする?」

一刀の言葉に、華祐は考える間もなく飛びついた。鳳灯もまた、渡りに船とばかりに了承する。
こうして彼ら一行の次なる目的地は、孫堅ら孫家の活動基点となる地、呉郡と相成った。













・あとがき
地味な展開を好む。今回は正にそれ。

槇村です。御機嫌如何。





あちらこちらの繋がりを示唆する回。
盛り上げる山場がまったくないのは自覚しています。
その上、なにか物足りない。
どう膨らませればいいか分からなくなったので、諦めて先へ進めることにした。


なぜか出来てきた、魯粛さん。しかも商人扱いってどういうことだよ。
これからまた出番があるかは不明です。


次回、新たに原作キャラが登場します。
"姉さん"って誰なんでしょう? 楽しみだなー。(棒読み)



[20808] 45:【動乱之階】 程を知り 知らぬを知る
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2012/02/19 20:39
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

45:【動乱之階】 程を知り 知らぬを知る





楊州の治所である歴楊からさらに東へ向かうと、孫堅を始めとした孫家が治世を任されている呉郡がある。
その呉郡の中でも拠点と行っていいだろう町が、呉だ。

ここまで来ても、華雄は未だ疑問を拭うことが出来ないでいた。
自分が付いて来る意味は本当にあったんだろうか、と。

使者役として鳳灯がいて、護衛に華祐と呂扶がいる。
この面子の中で自分のやることなどないではないか、と。

華雄とて理屈は分かっていた。重用されているとはいえ、厳密にいえば鳳灯と華祐は外部の人間なのだ。それなりの内容を携えて使者に立つとなれば、正式に近衛に属する者が出向くのが道理だろう。その白羽の矢が華雄に立ったとしても不思議ではない。
だが、頭脳では鳳灯に及ぶことはなく、武においては華祐にも呂扶にも及ばない。
同行する面々に勝るものがなにもない、求められたのは"近衛に属している"という肩書きだけだったのではないか。
そんなことを考えてしまえば、落ち込み気が荒むのも無理はない。

とはいうものの今回、華雄に同行を求めたのは他でもない、華祐である。

「孫堅殿の娘、孫策殿はなかなかの武を持っているらしいぞ。あわよくば仕合ってみたいと思わんか?」

そんなことを口にし、華雄をそそのかしたのだ。

そそのかされた彼女にしても、在野の手練という存在は気になるようになっていた。なにより、目の前にいる自分そっくりの華祐という存在。外見ばかりか得物や武の振るい方まで似ているというのに、手が届かない。そんな人間が世に出ず埋もれていたことを知り、驚きもし歯噛みもしたのは記憶に新しい。
同時に、己の見識の浅さというものを知らされた。だからこそ、経験による知というものに求める。ゆえに、今回の同行を承知したのだが。
なにもすることがないまま、楊州に入り歴楊を経て呉まで辿り着いている。それが、要らぬ考えが持ち上がってくる切っ掛けになっていた。

引っ張って来た華祐にしても、過去の自分自身といっていい華雄の見識を広げ経験を積ませたいという意識があっての提案だった。
道中になにか騒動でもあれば、華雄に丸投げしてみようといった考えもあったのだが。想像以上になにごともなく呉まで到着してしまったのは誤算であった。
楊州は、古くから土着宗教などによる暴動が多かった地域である。程度はあってもまだ活動が活発かと睨んでいたのだが。孫堅らの治世、ひいては新生した漢王朝の意識は思いの他行き届いているようだ。孫堅にせよ、楊州の牧を務めている袁術にせよそれを補佐する張勲にせよ。「面倒くさい」が口癖の割りに、やるべきことは最低限しっかりやっているということなのだろう。

平穏な世を目指すという意味では喜ぶべきことだと思う。だが今回に限っては、それでも素直に喜べなかったりする。
本当に、孫策にぶつけることくらいしか出来ることがない。
どうしたものか、と。不穏当な目論見が外れやや不満顔な華祐だった。





さて。
呉に到着して早速、孫堅に面会を求めることにする鳳灯たち。
ただ、一刀ひとりだけが別行動となった。
洛陽での同僚が尋ねる面子の中に、ただの民草が混じっているなど不釣合い極まりない。
彼はそういって同行を断っている。
当たり前の判断ではあるのだが、この面子ではその当たり前が通用しない恐れがある。何食わぬ顔で、ただの料理人を州牧やら太守やらに面通しさせかねない。お願いだから偉い人たちに紹介しようとしないでくれ、と懇願した。
元々一刀自身にも人と会う用事がある。そういって彼は退散したのだった。

呂扶も彼について行こうとしたが、華祐に引き止められている。
彼女を孫堅に会わせること。華祐がここまでやって来た理由はそれなのだから、その当人がいなくなっては堪らない。

こうして。華祐が呂扶を引き摺り、その後を鳳灯と華雄が歩くという一団が出来。一刀はそれを微笑ましく見ながら、ひとり手を振り見送ったのだった。



「久しいわね鳳灯」

少し前まで洛陽で顔を合わせていた仲間を招き入れ、孫堅は人懐こい笑みを浮かべる。

「華祐に華雄も、よく来たわ。歓迎するわよ」

ことに華祐と華雄には、互いに武をぶつけ合ったからこそ得た親近感、のようなものを見せる。
自身が武官であることもあって、文官軍師である鳳灯よりも武人である華祐たちの方が親しみを感じるのかもしれない。

「募る話もあるけれど、それは後でお酒でも呑みながらにしましょうか。
まずはお堅い話を済ませちゃいましょう」

孫堅の表情が、温和なものから少し引き締まったものに変わる。
引かれる様にして鳳灯もまたやや気を引き締め、袁術らに行ったものと同じ内容を伝える。

黄巾賊が行った一連の騒動、その経緯。
太平要術の書について。
それに対する現時点での近衛の対応、これからのことについてなど。
そして、遠くない内に漢王朝としての対応策が正式に通達されることになるだろうことも。

「……なるほど。面倒なことが起きてたのねぇ」

鳳灯の説明をひと通り聞き終え、孫堅は呆れたような声を上げる。
腕を組み、長い脚を扇情的に組み替えながら、しばし思考に耽ったかと思うと。

「説明してくれた鳳灯には悪いのだけれど、ウチの娘にもう一度同じ話をしてもらえない?
あの娘たち、今ちょっと外に出ていていないのよ」

実際に今の呉を取りまとめているのは自分ではなく娘の方なのだ、と、言葉を繋げる。
孫堅曰く、彼女には娘が三人おり、上の娘は軍部を主に取りまとめ、真ん中の娘は政を手掛けている。末の娘は年齢のこともあり任せている物はないが、どちらかというと軍部寄りだとか。
それぞれまだ若輩なために、孫堅ら夫婦や古くからの仲間側近などの助力はある。それでも、いずれ一族を率いる者としての自覚を育てるために、領主としての主な判断や決定などをすべて任せているとのこと。

「そんなわけでね、今の呉に関わるあれこれはすべて娘たちにやらせているのよ。
わたしから伝えてもいいけれど、そういった内容なら使者本人から直接話を聞いた方がいいでしょうしね」

といった会話が交わされ、幾ばくか関連のあるだろう情報のやり取りが済み。
ひとまず、鳳灯とのやりとりは終了した。



「普段は家族や仲間らと一緒になって走り回っているから、たまにこういう高いところに座ると肩がこって仕方ないわ」

場所は謁見の間だ。名目上はこの地を治める太守であるがゆえに一段高いところにいた孫堅がぼやく。これみよがしに肩を回して、疲れた疲れたと口にする。
文官側の用件が終われば次は武官だ、とばかりに。

「それで、貴方たちはどうしたの。
まさかわざわざここまで吹き飛ばされに来たわけじゃあないでしょう?」

華雄を見ながら、孫堅は、人の悪い笑みを浮かべていう。
洛陽ではまったく歯が立たないままだった華雄は、一瞬悔しそうな表情を見せた。そんな彼女の肩に手をやり、華祐がなだめてやる。

「私の場合は、そういった意味の理由も確かにありますが。
孫堅殿に、会わせてみたい者がいまして。呉まで足を運んだのです」

黙って立っているだけだった呂扶を見やり、華祐はいう。
これまでずっとひと言もしゃべらず傍らにいた人物。洛陽で会い見知った人物そっくりではあったが、どこか違うことには孫堅も気付いていた。

「気にはなってたのだけれど、呂布じゃないわよね? 彼女」

華祐の後ろに立つ呂扶を指差しながら、不思議そうにつぶやく。
当然といえば当然な反応だ。彼女は、呂布には会ったことがあっても呂扶に会ったことはない。
長く共に戦っていた友だ、と、華祐は紹介する。

「悔しいですが、彼女は私よりも手強いですよ」

華祐の実力は、実際に手合わせをしている孫堅はよく知っている。
その彼女が、自分よりも上だといって憚らないのだから、相当なものに違いない。

「……呂扶。よろしく」

言葉少なに名を告げ、硬くなるでもなく自然に手を差し出した。
手を取り応えただけ。だがその力の抜け具合に触れただけで、孫堅は呂扶に興味を持つ。身体の奥底を巡る血が滾ってくる感覚を覚えていた。
なるほど、武人として彼女と相対するのはそそられる。面白そうだ。

と思う一方で、ふと、別に思いついたことがあった。
呂扶を見、次いで華祐と華雄を見る。

孫堅は笑みを浮かべる。
なにか面白いことを思いついた、といわんばかりの笑みを。





政庁からさほど遠くないところに、呉の将兵が屯する兵舎がある。一刀は、呉軍に組み込まれたという江賊の面々と顔を合わせるべくそこを訪れた。
声をかけるよりも早く、向こうの方が一刀の姿を見つける。名を呼びながら近づいてくるむさい男たちに苦笑いしつつ、手を振り応えながら近づいていった。

久しぶりの対面に、野郎同士ならではの荒っぽい話が弾む。
呼び出されてここまで足を伸ばしたという話から、"姉さん"の近況にまで及ぶ。なんでも今は、雇い上げた主と一緒に郊外に出ているという。
その地域は畑や農耕地が広がる場所だった。いつ戻ってくるかも分からないため、一刀は農耕地を見て回るついでにこちらから探してみることする。
なら早速、と。厨房が用意できるなら明日の夜あたり晩飯を作ってやろう、などと江賊の面々と約束し。彼はその場を離れた。

余談になるが、一刀が約束した晩飯の話。
江賊らの話を聞きつけたのか、なぜか孫家側の将兵たちも多く混ざってやって来た。
どちらにも好評だったが、後日この振る舞いが孫家上層部の将軍らの耳に入り。一刀の名前が知られることになる。



呉の町を出て、少し足を伸ばす。しばらく進んでいくと、田畑らしき開けた場所が所々に見えてくる。
畑仕事に精を出す人たちの邪魔にならないようにし、それでも時折声をかけ話を聞いてみたりする。
土地の調子や実りの程、暮らしの按配など、ただの世間話の中であれこれ情報を仕入れようとする辺りは商人の一面を持つゆえなのかもしれない。

歩き続けているうちに、ふと目に付いた畑があった。
作られているのは、カボチャ。実りが多く、手のかけられ方も他と違うように感じられた。

そういえば、カボチャ料理は作ったことがなかったか。
そんなことをつらつらと考え。一刀は畑を眺めながら、作れそうなメニューを思い出そうとする。

座り込み野良仕事をしている人に近づき、ここのカボチャはどこかに売りに出されているのか尋ねる。
残念ながら、ここ一帯の畑はすべて孫家に関係する一族自前のものだとか。出来たものが売りに出されることはほとんどないらしい。

「一族だけではなくて、配下の家族といったところまで回っていくものよ。残念だけれど、町で売られるものではないわ」

一刀の残念そうな顔に、受け答えをした彼女は済まなそうに、それでいて嬉しそうににいう。
自分たちの作るものに興味を持たれ、手に入らないと知って残念がられる。済まないと思いつつもどこか誇らしさを感じてしまうのは、仕方ないのかもしれない。

向けられた笑みを見て、彼はやっと、声をかけた人が若い女性だということに気がついた。
いかにも農夫、といった出で立ちをし、土塗れで汚れた格好。
だがそれでも、目の前の彼女はひどく魅力的に映る。

しばしの間、思わず見とれた後。
一刀は不意に、鈴の音を聞いた。
次いで、彼の首筋になにか冷たいものが触れる感触。

「貴様、なぜこんなところにいる」

冷たい声。
少しばかり肝を冷やすが、聞き覚えのある、問い詰めるようなその口調に思わず苦笑を漏らす。

「顔を出せっていったのはそっちの方でしょ、"姉さん"」
「その名で私を呼ぶな」

淡々とした声と共に、刀の鞘が一刀の頭に叩き込まれる。
大きく、鈴の音が鳴った。

甘寧こと、甘興覇との再会。
そして、孫権こと、孫仲謀との出会い。
また新たにひとり、一刀は、歴史に名を残した有名人と邂逅する。決して当人が望んだわけではないのだが。





"以前の世界"において、孫策を始めとした孫家一派は、袁術に虐げられていた。一刀は、鳳灯にそう聞いている。
とはいえそんな言葉を聞いても、彼にしてみれば、正直なところ「そうなんだ」とうなずくことしか出来ない。
彼自身、孫堅という人を見たことがない。"天の知識"においても、孫家と袁術がどのような関係であったかなど知らないのだ。

一刀は強いて高名な人物と知り合いたいとは思っていない。
現状から考えてみると、彼のいっていることは矛盾して見える。
だが少なくとも、そうと知って自分から近づいていくようなことはこれまでほとんどなかった。

"姉さん"こと、甘寧にしてもそうだ。

三国志の歴史における三大勢力のひとつ、呉。その重鎮といっていいだろうひとり、甘寧。
一刀が彼女との誼を得たのは偶然でしかない。
そもそも知り合った時点では、彼女はまだ、歴史から見て"偉い人"ではなかったのだ。

かつて、幽州の商人たちが仕入れの旅に出た際のこと。一刀は護衛のひとりとしてそれに同行していた。
幽州の商隊は揚州に入り、さる地方の領主と商談を行った。だがその相手は悪徳領主そのものといった傲岸さで賄賂を要求してきたため、決裂。
地元である幽州を治める公孫瓉の気質が映ったかのような、この時代としてはらしからぬ商人たちだったということもあるが。長い目で見て、アレと付き合っても絞られるだけで旨みがないと判断したせいでもある。
その後、別の町に移動しているところで賊に襲われた。
評判のよくない悪徳領主や商人だけを襲う義賊として、平民の間で名を知られた「錦帆賊」。甘寧は、それを統べる立場のひとりだった。
悪評が広く知られている領主の屋敷から出てきた商人たち。ならば悪徳を成す一味に違いない。
一刀たち幽州の商人たちが襲われたのは、そんな理由からだった。
甘寧は一刀に向かって行く。それは本当に偶然だった。ただ、護衛を務める輩のひとりを無作為に選んだに過ぎない。

襲われた方はたまったものではない。ただでさえ意に沿わぬやり取りをし、得る所がなかったのだ。
虫の居所が悪かったという理由もあって、商人たちは賊たちを全力で迎え撃つ。八つ当たりといってもいいだろう。
だが気持ちだけでどうにかなるような甘いものでもない。
ましてや甘寧は、将来その名を残す将のひとりである。彼女が振るう武を受けて、彼如きがなんとか出来るはずもなく。ほんの数合斬り結ぶだけで、彼はその手から得物を奪われる。

「悪徳領主に虚仮にされたと思えば、今度は賊に襲われてこの様か。やってらんねぇなオイ」

組み臥されたまま相手を睨みつけ、悪態を吐く。そんな一刀の言葉に疑問を持った甘寧が、得物を突きつけながらも話を聞き出し。幸いにも、互いに死者が出る前に誤解を解くことが出来た。

その後にもそれなりに諍いはあったものの、互いに利するところを見出し手打ちにということになり。以降、主に米の輸送という仕事を思いついたことから、一刀と甘寧ら錦帆賊との誼は現在まで続いている。

そんなあれこれを、一刀は面白おかしく披露する。
聞いたことのないような話や、自身の知らない時期の甘寧についてなど、そのひとつひとつに孫権は興味深く耳を傾け。
自身に都合が悪い、または隠しておきたいような話題が挙がりそうになるたびに、甘寧は表情を変えずに刀の鞘で一刀を叩く。
その様子は、気の知れた知己同士が談笑しているとしかいいようがない。

孫権は、自分の護衛役でもある甘寧の態度が新鮮なものに感じられた。
お役目大事とばかりに、普段から常に冷静な言動と佇まいを崩そうとしない彼女である。鋭い視線はきつい印象を与えているように見えるだろう。そんな甘寧が、傍目こそ常のものと変わりないが、自分の知らない男性に少なからず気を許している。自身が信用する護衛が、それなりに信用を置いているように見える男。甘寧を側に置く者として、興味が湧く。

「ふたりとも、仲がいいのね」

唐突に、孫権がそう言葉を挟む。

「仲がいい?」
「私たちがですか」

はっ。
ふっ。

なにをいっているんだか、という風に、質は違えどふたりは同時に一笑してみせる。

「商売相手としては、まぁ信用しているつもりですけどね」
「互いの利を見据えた上でなければ、接点などなかったからな」

互いに口にするのは憎まれ口。いいたい放題なふたり。しかし傍から見れば十分に仲がよく見える、一刀と甘寧。
そんな反応を見て。孫権はさも愉快そうに、どこか品よく笑った。





和気藹々、といっていいだろう雰囲気のまま、三人は呉の町まで戻って来る。

これまで担ってきた輸送の仕事やその他もろもろについて彼と話すことがある、と。甘寧はしばし離れる許しを請う。孫権はもちろんそれを了承した。

「私も、後で混ぜてもらっても構わないかしら。北郷、あなたの話ももっと聞いてみたいし」
「俺は構いませんが」

ちら、と、一刀が甘寧を見やる。
彼女は少しばかり表情を動かしたように見えたが。
私の方は問題などない、と、ただうなずくだけで彼の視線に答える。

「分かりました。ではまた後ほど、そこの"姉さん"の話を面白おかしく吹聴して」

すべていい終えるより早く、何度目か分からない甘寧の鞘が一刀の頭に叩き込まれる。
それを見て孫権は、やはり愉快そうに笑うのだった。



政庁の内部を奥へと進む孫権は、戻った旨を報告するために母の姿を探す。

「あら、丁度良く戻って来たわね」

孫堅の方が先に、周囲を見渡す娘の姿を見つけ出した。なにかが楽しみで仕方がないような、そんな嬉々とした雰囲気を隠そうともせずに声をかけてくる。
実の娘である。これまでの経験からだろう、あからさまに明るい態度を見て孫権はいぶかしむ。

「……お母様、今度はなにを企んでいるんですか?」
「人聞きの悪いこといわないでよ蓮華」

そんな娘の胡散臭そうな声音にもめげることなく、孫堅の表情から笑みが抜ける様子はない。

「洛陽からちょっと、使者みたいな人たちが来ていてね。貴女にも改めて話を聞いてもらいたかったのが、ひとつ」

確かに、それならば自分を探す理由になる。政に関わることならば孫権に話を通すのが、今の呉では当然のことなのだから。
しかし、孫堅が笑みを浮かべる理由にはならないだろう。
ひとつ、といったのだから、他にもあるに違いない。

「……それで、他はなんですか?」
「その使者にね、ちょっと縁のあった護衛が付いて来てるのよ。

孫堅の浮かべる笑みは、心底楽しそうであり、またそれ以上になにかを企んでいるような色を含んでいた。
仕方なく、先を促す。

「雪蓮に、洛陽の武将をぶつけてみようかと思ってね」

その表情は、面白がってなにかをしようとしているものだ。
孫権は、母親のそんなところを見抜いてしまい。知らず軽い溜め息を吐いた。













・あとがき
立てたつもりはないが、フラグだというならそうだというのもやぶさかではない。(なんだそれは)

槇村です。御機嫌如何。





唐突ですが華雄さん乱入。
対外的には外部の人間である鳳灯&華祐コンビだけで使者役なんてやらせていいの?
みたいな意見をいただいて。
なるほど確かにそうかもしれない、と素直に思って。
あと別に書きたいシーンが出来てしまったので、急遽ニューチャレンジャーとして突っ込んだ。
44話も、後ほど修正するつもりです。


みんな大好き、蓮華さんと思春さんが登場。
ご存知の方も多いでしょうが、かぼちゃと孫権のエピソードを練りこんでみた。相手は張飛じゃなくて一刀ですけど。
シチュエーションのせいかな、蓮華さんがはじめから柔らかめでほんにゃりしています。
初登場時に警戒心バリバリじゃない蓮華さんって、見ないような気がする。

また今回の蓮華さんを考えたとき、
「方々から見事だといわれる彼女のお尻は、野良作業の継続から生まれ、実り、引き締められたことで出来たのだ」
という妄想に駆られました。
微塵も後悔していない。




チンタラして本筋が進まないことに定評のある槇村ですが。
もう少し、回り道が続きます。
なぜなら槇村がそれを書きたいから。

……せめてスピードを上げるようには努めます。



[20808] 46:【動乱之階】 誼と縁
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2012/04/30 05:08
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

46:【動乱之階】 誼と縁





孫堅の長女、孫策。字を伯符、真名を雪蓮という。
"江東の虎"と呼ばれる母の武才を色濃く継ぎ、それを磨いていくうちに人一倍鋭いカンを得るにまで至った。こと得物を持った立会いにおいては呉に敵なし、といっていい。おまけに、策を練るまでもなく、ただ「なんとなく」というカンに任せた行動で成果を出す奔放さもあり、軍師泣かせな存在でもある。
実力があり、ざっくばらんな性格で愛嬌も具えていて、おまけに美人という彼女は、孫家の後継者として呉に住まう人たち皆から好かれていた。

彼女は現在、呉の軍部を統べる立ち位置にいる。その血筋と武の程を考えれば、当然といってもいい。
だが、彼女の実力は母親である孫堅にまだ及んでいない。それは孫堅のみならず、孫策当人も理解はしていた。

いずれは超えてもらわなければならない。そんな考えもあるのだろう。
孫堅はなにか機会があるたびに、武芸に秀でた者をこの長女にぶつけようとする。さまざまな経験を積ませていって、娘の成長を促そうとしているわけだ。
相手を探すのも不便はない。
仮にも郡の長である。どんな人間が呉に出入りしているかという知らせはそれなりの精度で集まってくる。
立場を私用に使っているといえなくもないが、長い目で見れば呉そのもののためになる。そう考え、孫堅は気にも留めないだろう。事実、彼女は気にしていなかった。

娘である孫策も、そんな母の目論みは理解している。
見知らぬ者を連れてきて立会いを強いる、ということはこれまでも幾度かあった。彼女にしても、見知らぬ相手と手合わせすることは為になり、面白くもある。なによりそのひとつひとつをこなすことで、己が強くなってくることを実感できるのが快感でもあった。

今日もまた、同じような立会いが組まれた。
いってしまえばそれだけのことであり、いつものことである。

「さぁて、準備はいいかしら?」

楽しそうに跳ねる声音を隠そうともせず、孫堅は両陣に声をかける。その脇には、頭痛を抑えるかのごとく額に手をやる娘・孫権がいた。

呉の政庁近くにある修練場。そこに立つのは、孫策と、華雄。
連れて来られた場所を考えれば、なにをさせられるのか想像するのは容易なこと。
孫策にしろ華雄にしろ、仕合いや手合わせをするのは一向に構わない。むしろ望むところだ。
とはいえさすがに、面識もなかった相手と一緒に修練場に放り込まれ「さぁ頑張れ」といわれれば戸惑うくらいはする。
これもまた、孫策にしろ華雄にしろ同様だった。

なぜこんなことになったのか。

ふたりは視線だけで言葉を交わしつつ、正面に立つ相手を見やる。
その先には、ふたりの武将。
戦斧を手に仁王立ちする華祐と、戟を担ぎ始まりを待つ呂扶がいた。

孫策と華雄、そして呂扶と華祐。
ふたつの組み合わせによる、二対二の立会いが始まろうとしていた。



孫堅は、娘である孫策に力のある武将をぶつけることで経験を積ませたいという思惑があった。
一方で華祐は、"こちらの世界"の孫策がどの程度の地力を持つのか知りたいと考えていた。
双方の思うところが重なり、互いに利するということもあって。今回の立会いが組まれることとなる。

呂扶にしても、引き受けるに当たって得るものはある。
"以前の世界"では会ったことのない孫堅という人物。
会わせてみたいと華祐がそこまでいうならば、相当の力量を持つのだろうと想像する。そして彼女もまた、興味を持ったのだ。

孫堅にしてもまた、華祐がそこまでいう呂扶という存在に多大な興味を示す。
平たくいえば「手合わせをしてみたい」という気持ちが沸きあがってくる。
だが彼女は、自分に待ったをかけた。
すなわち、「娘にぶつけてみた方が面白くなりそうだ」と。ふと思いついた考えの方を取る。
自分は外から楽しませてもらおう。
孫堅は、それはもう楽しそうに笑みを浮かべた。

このようにして、なぜか当人であるはずのふたりを置いてきぼりにして、さも自然と流れるようにことは決まっていった。

「……あの方が母親というのも、いろいろな意味で大変そうだな」
「貴女の方も難儀よね。わざわざ洛陽から連れて来られてこんなことになるなんて」

つい先ほどまで見ず知らずだったふたり。
同じ境遇に置かされてしまった共感ゆえだろうか。
華雄と孫策は妙なところで気持ちを通じ合わせ、思わず溜め息を吐いた。





"以前の世界"で、呂扶もまた孫策とは知らぬ仲ではなかった。
反董卓連合において敵としてぶつかり、世が平穏になってからは真名も預け合い、なにかと武を交わす知己の間柄となっていた。

その孫策が、"こちらの世界"ではどの程度の力をもっているのか。呂扶も興味がある。
華雄とは洛陽で、また呉までの道中で、既に幾度か仕合っている。
かつての"華雄"と比べてどうか、といった武の程もある程度つかんでいた。

だからこそ、初手にまず孫策を選ぶ。
かつて反董卓連合の最中、虎牢関で自分が振るったであろう強さの力を込め。
呂扶は迷うことなく孫策に向けて駆け出す。

全力ではないものの、それでも傍目にはそれなり以上に早い突進。
見てからでも対処は出来たかもしれない。
だがそれ以上に、孫策の勘は激しく警報を鳴らす。
それに逆らうことなく身を奔らせ防御を取った。
接触とともに、強い衝撃。
たった一振りの斬戟を受けただけで、彼女の身体がその勢いに流される。

受けてみせた相手を見て、呂扶は満足を覚える。
少なくとも、自身が知る当時の"孫策"と同じだけの強さは持っている。彼女にはそう感じ取れた。

「……まだ、いく」

ならば、それはどこまで上がっていくのだろう。
柄にもなく、ふと、呂扶はそんなことを考える。
傍目には分からない程度の笑みを、わずかに浮かべながら。



対して、孫策は驚愕し通しだった。
想像以上に強く重い初撃を受け、衝撃が抜けないまま攻められ続けている。
まだ母親には及ばぬとはいえ、彼女もまたその名を馳せる武将。
簡単にやられはしないし挫けもしないが、受ける一撃の速さと重さに内心舌を巻く。

彼女が知る中で、武において最強を誇る存在は、母である孫堅だった。
これまでも、どこからともなく母が連れてきた武の者たちと立会いを重ねてきた。それでも、母ほどに強いと感じた者はいなかったし、孫策自身に及ぶと思われる者も数えるほどしかいなかった。
だが目の前に相対している者は違う。
違う、などというひと言では済まされないほどに、孫策は自分との力量差を感じさせられた。
ただ一回振るわれた戟を受けただけで、それを思い知らされる。

「だから諦めるかっていわれれば、そんなことはないんだけどねっ」

止まらぬ呂扶の追撃を、持ち前のカンの良さでなんとか堪えることは出来ていた。
だが、堪えているだけだ。
速くその上重い、呂扶の攻撃。なんとかしてその合間を抉じ開け反撃する糸口を掴まなければ、押し負けて潰されるのは目に見えている。

さてどうするべきか。
思考を巡らすわずかな時間さえ許さないほどに、呂扶の振るう戟の勢いは止め処ない。
孫策は気を張り詰めつつ、目の前に襲い掛かってくる攻撃を受け、いなし、かわし続けるばかりだ。

わずかにいくつか息をつく程度の短い時間。にもかかわらず、得物が交わった数はすでに二十を超えようとしている。
振り抜かれた呂扶の戟。孫策は身を捩らせるだけでやり過ごす。
ふたりともが大きくその身を勢いに流し、ほんのわずかだが斬り結んでいた距離に隙間が生まれる。
そこへ、

「うおおおおおおおっ!!」

華雄が、戦斧を捻じ込んだ。
不意打ち、という者がいるかもしれない。
だが当人にして見れば、そんな気の抜けたことを言っていられる余裕はない。
呂扶はそれさえも、不十分な体勢のままにかわしてみせた。
身を投げ出し転がるようにして距離を取ろうとする呂扶。逃がさないとばかりに、華雄はさらに詰め寄っていく。

「くっ」

助けられたことに思わず悪態を吐きそうになる孫策。
すぐさま身を立て直し、自分も呂扶を追おうとする。
が。

「私を忘れているぞ?」

孫策の腕が粟立ち、反射的に防御を選ばせる。
襲い掛かる、いつの間にか手が届くほどまで近づいていた華祐の一撃。
戦斧が生む重いそれを、手にした剣でなんとか防いでみせた。

「よく防いだ」

まだ行くぞ。
華祐は余裕を持ってそう口にしつつ、二撃目を振るう。
戦斧と剣がぶつかり合い、甲高い音を鳴らす。
持つ得物の見た目通りの威力と、見た目らしからぬ速さ。来ると分かっていても、孫策はまた防ぐことしか出来なかった。

重さがある。勢いもある。そして意外なほどに速さがある。
一見対処するにも容易と思われた華祐の攻撃が、見た通りではない速さをもって襲い掛かる。
見た目の印象と、体感する実態。その齟齬、ズレに、孫策は戸惑う。

見る者が見れば、それは隙となる。
華祐がそれを見逃すことはなく。

「え?」

孫策の身体が宙を舞った。

なにが起きたか分からない。
気がつけば、脚を地から離し身を浮かせていた。
華祐を見据えていたはずの視野が突然、青い空に切り替わる。
背に強い衝撃が走り。ここで初めて投げ倒されたのだと感づくが。

「避けろよ」

得物を構えた華祐が視野に入る。
カンさえも超えた本能が、孫策の身体を動かし。
不愉快な金属音が耳元で鳴る。
間一髪。
戦斧の刃が土を噛む音を直ぐ横で聞くに留まった。

孫策の全身から冷たく嫌な汗が噴き出る。
地に背を預けた状態で、振り下ろされた戦斧など受けようものならさすがに死んでしまう。
避けるに必死だった孫策だったが、対して華祐は注意を促す余裕があった。
無事に避けられることを織り込んでいたのなら、それもまた腹立たしくもなる。

だが、そんな暇さえ与えられなかった。
距離を置き、体勢を立て直すことに全力を傾け。
必死に身を起こし、その場から飛び退く。

脚になにかがかかる感触はあった。それは思い出せる。
ということは脚払いを受けて、孫策はその身を躍らせたということになるのだろう。
それが、彼女には解せない。
華祐が振るった一撃を避け、流れる相手の身体を追うようにして剣を振るおうとした。
確かに足元は見えていなかったが、そこで脚を出せるとは思えない。

とはいっても、実際にそれは出せたのだろう。事実、転ばされているのだから。

「戦斧なんて使っている割に、随分と器用な真似が出来るのね貴女」
「戦斧だからこそ、だ。工夫しないことには隙だらけの得物だからな」

距離を置き余裕を取り戻した孫策の声に、華祐は律儀に応えてみせる。

「だが話をしている余裕などあるのか?」

なにをいってる、と、言う暇もなく。

「ぐはっ」

飛んできたなにかに巻き込まれて、孫策は再び地を転がる羽目になる。
飛んできたのは、華雄。
ひとりで呂扶を追い、立ち会うも、振るう攻撃すべてをいなされ吹き飛ばされたのだ。
その先に孫策がいたのは、偶然か、はたまた。

「多人数を相手にしているときは、常に周囲に気を配れ。目の前だけを相手にしていては死んでしまうぞ?」

華祐は、偶然ではないとばかりに言葉を紡ぎ。
その彼女の横へと、呂扶が歩み寄る。

「戦場に立つのはひとりだけではない。目的の同じ仲間がいるならば、例え初対面でも連動することを考えろ」

ふたりとも立て。

華祐は促し。
呂扶は再び戟を構えた。




「あの姉様がなにも出来ないなんて……」
「想像していた以上に一方的な展開になったわねー」

目の前で行われている立ち合いを見て、孫権は信じられないと目を瞠り、孫堅はさも愉快そうに笑う。

「……あれだけの武才を持つ者が、なぜこれまで無名に等しかったのでしょうか」

そんな彼女たちの傍らで、理知的な表情をしかめながら呟く女性。
姓を周、名を瑜、字は公瑾。真名を冥琳という。
呉の孫家一派において、知の分野で突出した将であり、奔放な性格を持つ孫策の抑止役としても知られている人物である。

「幽州の奥の方で暮らしていたそうよ。
ほら、ちょっと前の黄巾騒動のときに、初めて表に出て来たらしいわね」
「その威に黄巾賊数千が竦み上がった、と噂されている武将が……」
「あの呂扶って娘らしいわね。本当かどうかは知らないけれど」

本当でも不思議はないわね、と、うなずく孫堅。そんな主の態度に、周瑜は頭を痛める。

「地力向上のために強者をぶつける、というのは理解できますが……」
「なんのかんのといっても、これまでお願いしてきた人たちは雪蓮に敵わなかったじゃない?
ここらでわたし以外にあの娘を挫けるような相手が欲しかったのよ。
華祐は華祐で、雪蓮と組んでいる方の華雄に経験を積ませたかったらしいし。
雪蓮もいきなり見ず知らずの将と組むっていうのはなかったから、都合のいい話だったわけ。
本当はわたしが相手をしてみたかったんだけど……」

可愛い娘のために、泣く泣く譲ってあげたというわけよ。
さも殊勝な顔をする孫堅だったが、娘のひとりである孫権も、部下である周瑜も、まったく取り合おうとしない。

「確かに雪蓮は、他との連携といったことには疎いところがあります。いい経験になるといえば正にその通りでしょう」
「でも、冥琳。それは姉様についていける者がいなかったから、仕方がなかったのではないの?」

周瑜の言葉に、孫権が疑問を呈す。

「それもあります。
なにより雪蓮はカンのひと言で好きなように動こうとしますから。ついていくのは誰でも一苦労です。
それで上手い具合に収まっている内はいいかもしれません。
ですが、なにかの作戦、相手を蹴散らすだけでは収まらない計画を進めようというときなどは、ひとりだけ突出されるのはいただけません。
例えば、格が下の者と合わせて動かなければならないという事態はありえます。
いざというときに、やったことがないから出来なかった、では困るのです」

確かにその通りだ、と、周瑜の言葉に笑いながら応じる孫堅。

「ただの一兵としてならそれでも構わないわ。活かすも殺すも、上で動かす者次第だから
でも雪蓮は上に立つ側にいるのよ」
「自分を元にして考えるだけではなく、他の力量に自分の方を合わせることも覚えなければならない。ということですね」
「その通り」

孫堅と周瑜のやり取りに、孫権は素直に「なるほど」と思う。

「下にいる者たちの力量を考えて動く、っていう意味では、むしろ蓮華の方がいい具合になっているんじゃないかしら」
「わたし、ですか?」

突然振られた母の言葉に、孫権は少し驚く。

「戦場ではなく、政の場に立つ者として見た印象では、ね。
むしろもう少し、雪蓮みたいな強引さが欲しいというのが正直なところだけれど」

でも雪蓮みたいになっても困るし……、などと孫堅が悩みだす。
どういう反応をしていいか分からない孫権は、複雑な表情を見せながら周瑜に顔を向けるも。
周瑜もまた、困ったように苦笑いを浮かべるだけであった。




折り重なるようにして地を這わされた華雄と孫策。ふたりはゆっくりと立ち上がる。
立ち合いといっても、これはただの修練の一端。だがそれでも、ここまでやられて黙っていられるはずもない。
すでに幾度となく倒されている華雄はともかく、格上の強者は母親くらいだった孫策は悔しくて敵わない。

「落ち着け孫策」
「落ち着いてるわよ。腹は立ってるけどね。
悔しいけれど、あのふたりが格上なのは分かった。でも私だけ地べたを這わされたんじゃ収まりつかないわ」

先ほどの接触の際に、孫策の髪がわずかに切れていた。
孫家の女にとって、髪の長さは勝ち続けていることの証。
師であり母である孫堅の考えをそのまま受け継いでいる孫策である。わずかとはいえ、自分の髪に相手の得物が通ったことが気に入らないのだろう。面白くなさそうに、長い髪の先に指を絡めくるくると回している。
内心では腸が煮えくり返っている、といったところか。

「孫策、お前はどちらを相手にしたい?」
「……難しいわね。
どちらともやりたい、と思うし、どちらとも相手をしたくないって気持ちもあるわ」
「あいつらとやり合って早々、そう思えるのは大したものだな」

わたしはそんな弱音を認められなかったからな。
と、遠くない過去の自分を思い起こし、華雄はつい苦笑する。

華祐、そして呂扶と、初めて相対したとき。華雄は、少なからず自負を持っていた己の実力を一蹴された。
上には上がいる、と感嘆すると同時に。もう相手をしたくない、という気持ちがわずかに沸く。
それは自分の中の弱さだと、認められなかった。
認めたくなかった。

もっとも、今となってはそんな気持ちなど叩き伏せられている。
幸か不幸か、思い悩んでいる暇など与えられなかったのだから。
孫策の態度を見て、みたび、己の弱さに気付かされる。
華雄はそう思えるようになっていた。

なるほど、見識を広げるというのはこういうことか。
知れば知るほど、己の弱さが目について嫌になる。
それでも、弱い自分に向かって「手を伸ばせ」といってくれる強者がいるのは恵まれているのだろう。
ならば、遠慮せずに挑んでいく方がいい。

「私は呂扶をもらっていいか?
吹き飛ばされた分は、しっかりやり返さねばならんからな」
「……そうね、いいわよ。
私も、あっちの華祐にお返ししないといけないしね」

敵わないまでも、ただでは終わらない。
華雄と孫策は共に相手を定め、隙をつければ2対1で掛かっていこうと決める。
向こうからやれといっているのだから、遠慮をする必要などありはしない。

ふたりは不敵に笑みを浮かべながら。
拳を作り、互いに打ち付けあった。













・あとがき
書くスピードを上げるとかいってたのはどの口なんだろうね?

槇村です。御機嫌如何。





のっけから言い訳で恐縮なのですが。
3ヶ月ほど前に再就職しまして。
新しい仕事と職場に慣れるためにてんてこ舞いで、これを書いているどころじゃありませんでした。

これからも、出勤前の1時間とかくらいしか書く時間が取れなさそう。

続ける気持ちは満々なのですが、
ただでさえトロい展開に加えて更新頻度まで間延びすることは必至です。
楽しみにしていただいている方々には申し訳ありませんが、
飯のタネを優先するということで、ご理解いただけると幸いです。

いくらか仕事のペース配分は分かってきたので、
1ヶ月に1回更新を目指そう。うん。



えー、今回のお話について。

ゲームでは、孫堅との確執が原因で、
華雄さんと雪蓮さんが汜水関でぶつかり、華雄さんが負けるという展開だった。
この"愛雛恋華伝"では、華雄と孫堅は会っていない。
だったら雪蓮さんと会っても険悪にはならないよね?

というわけで、華雄さんと雪蓮さん親友ルートに入る、ってー感じの展開が書きたかったんだ。
で、ふたり揃ってボコボコにされて、打倒・呂扶&華祐の想いから友情が芽生える……
みたいな展開にしようとしたんだけど。

このお話に手をつけるのが久しぶりすぎて、どう書けばいいのか分からなくなっていた(笑)
これからは、1行でもいいから毎日なにか書くことにしよう。

次回は本筋に入るつもり。
うん、つもり。



[20808] 47:【動乱之階】 そこへ至る道
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2012/06/28 00:41
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

47:【動乱之階】 そこへ至る道






鳳灯に華祐、そして呂扶らが呉にやって来てしばらく経った。
呉での滞在は洛陽に報告してある。孫堅にも話を通しておくため、ということであれば、至極当然といっていい行動だ。
とはいえ、本来、鳳灯らの役割はただの伝達役だ。そう長い間居続けることも出来ない。
そろそろおいとまして洛陽へ戻ろうか、ということになり。
鳳灯と華祐、そして華雄の三人は洛陽へ。一刀と呂扶は仕入れた荷と共に幽州へと帰ることとなる。

わずかな期間の滞在ではあったが、その間にいろいろなことがあった。



孫策と華雄は、とにかく毎日得物を交わし、立ち合い続けだった。

ふたりが組み華祐と呂扶相手に仕合いをしてからというもの、1対1はもちろんのこと、組み合わせを変えた2対2の勝負が繰り返された。
孫堅、華祐、呂扶、それに華雄や孫策、ほかにも我こそは望んだ将兵らも入り乱れ立会い三昧である。

とにかく数をこなしていく。しかもひとつひとつ容赦なく。
孫策や華雄を始め、参加した面々が疲れ果て手をついてしまうほどだったという。
対して孫堅、そして華祐に呂扶などは平然としている。このあたりは地力と経験値の違いかもしれない。



数え切れないほど行われた立会いの中で、これは、と、見応えのある勝負がふたつあった。

ひとつは、孫堅と孫策の母子組と、華祐と華雄の同名組との一戦。

戦場において集団戦となった際、まっ先に狙われるのはその中で弱い者だ。削げるところから戦力を削ぎ、戦況を少しでも有利な方へ持って行こうとするのは常套手段といっていい。
この立会いの場合、まず狙われるのは孫策と華雄になる。
互いにそれが分かっているからこそ、孫策と華雄がまず飛び出し、ぶつかり合う。
そして、その隙間を狙って孫堅と華祐が手を出そうとし。牽制をしながらも互いに相手の手を止めようとする。
2対2でありながら、実情は孫策対華雄、孫堅対華祐。それでいて双方がもう片方のぶつかり合いに手を出そうとして場は入り乱れる。
咄嗟の連動、目の前の相手を意識しながら他にも気を配る。そんな状況に対するお手本といって過言ではない立会いになった。
事実、その立会いを見る呉の将兵たちは食い入るようにして見入っていたという。
立ち回る主の姿を自らに置き換え、あれこれ試行錯誤しているのだろう。
やり方次第で、状況はいくらでも変えられる。そう思わせられる一戦だった。



もうひとつは、華祐と呂扶、そして孫堅と黄蓋のふたり組のぶつかり合いだ。

姓を黄、名は蓋、字が公覆。真名を祭。孫堅と同年代の武将であり、孫呉勢力の古参、支柱のひとりといっていい人物である。
武においても孫堅に勝るとも劣らないものを持つ。彼女の弓を前にすれば味方であろうと、いやさその威力と速さと正確さを知るからこそ、将兵らは思わず尻込みしてしまうほどに。
そんな彼女は、鳳灯と華祐がやって来た際、呉から離れていた。先にも触れたが、揚州は土着宗教が多く根付いており、先の黄巾賊の蜂起よりも前から大小さまざまな騒動が多発していた。このところは落ち着いているとはいうものの、たまたまこの時期ちょっとした蜂起騒ぎが起こり。その鎮圧に、黄蓋が指揮する呉軍の一部が出向いていたのだ。

ほどなくして戻った黄蓋が目にしたものは、見知らぬ武将ふたりと、友であり主でもある孫堅に蹂躙される呉軍将兵らの姿だった。
いったいなにごとかと目を瞠った黄蓋だったが、孫堅から経緯を聞き、納得。

「ならば儂も混ぜい」

そんなやり取りが交わされ。
総当りの組み合わせのひとつとして、前述した仕合が行われることとなった。

剣を振るう孫堅を、弓を持つ黄蓋が後方から補佐する。
前衛の者を、後衛に立つ者が補助し支援するということ自体は、特別なことでもなんでもない。
だが、前衛に立つのは"江東の虎"と呼ばれる孫堅である。その動きを十全に活かすために支援するということが、どれだけ難度の高いことか。
理を解しその上で勘に任せもする孫堅。黄蓋の放つ矢はその動きを遮ることなく、むしろその動きの幅を広めるかのごとき働きをみせる。俗に露払いというが、遠方から放つ矢が、正に孫堅の動く先を切り開いていた。

黄蓋の射た弓を避けた先に、すでに剣を振り上げている孫堅がいる。
はたまた、孫堅の剣撃から逃れた先に、予定調和のように黄蓋の弓が襲い掛かってくる。
息の合った連携、などという言葉では表しきれない、一体となった攻め様が繰り返される。

そこらで見られるような簡単な代物では、決してない。
事実、身内であるはずの孫家の面々が一番目を瞠っていたのだから。

曰く、
「あんな動きをみせる孫堅と黄蓋は初めて見た」と。

同時に、
「あんな楽しそうな孫堅と黄蓋は初めて見た」とも。

前者は純粋に驚愕から、後者はやや恐怖を覚えたという理由から漏れた言葉だ。
孫堅と黄蓋は、剣を振るい、弓を射ながら、それはそれは楽しそうな、それでいて物騒な笑みを浮かべていたという。

自らの主や身内に対して思わぬ戦慄を与えられたと同時に、そんな一面を引きずり出した華祐、呂扶という武将に対しても一様に目が集まる。
誰もが、孫堅や黄蓋は特別な存在だと捉えていた。しかし鍛えようによっては"あの"孫堅と立ち並ぶことさえ可能だ、ということを、華祐と呂扶の存在は示したといえる。主の気風もあり、武に重きを置く傾向のある呉の将兵にとって、この上なく発奮する刺激となったという。



蛇足ではあるが。

一刀が幽州へ帰ると聞き、元錦帆賊の兵たちと一部の孫呉軍一般兵らがこの上なく別れを惜しんだ。
正確にいえば、もう彼の作る料理が食べられないという事実に対する嘆きだったりするのだが。
その点を正面から指摘した一刀と、彼のツッコミに逆ギレを起こした錦帆賊たちの間でつかみ合いになりかけた。
彼らなりの、親愛の示し方、といえばそういえるのかもしれない。
といっても、その場にいた者を甘寧が全員しばき倒すことで場は収まった、というのはなんとも締まらない話ではあったが。
なお、一部始終を見ていた孫権は必死に笑いを堪えていたという。



鳳灯らが呉に滞在したしばしの期間は、実に平穏なものであった。
慌しく生傷が絶えない毎日でもあった、といっても、それは平穏であるからこそのものだろう。
笑顔の満ちる、普通の日々。
そんな時間が流れていたといっていい。

いなかった人物がいる。ただそれだけで、争いは減り、対立もなくなり。戦どころから小競り合いさえ少なくなっている。
それでいて、個人の武であるとか、多くの将の能力が伸びずにいるということもない。有事に備え、日々の研鑽や切磋琢磨を無駄だと思わない、そういった精神が培われている。
そういったあれこれが積み重なり、気がつけば、かつて関雨、鳳灯、呂扶、華祐らが生きた"世界"とはまったく異なる時を刻んでいる。

世の流れをいい方向へ変えようと、些事から手をつけ変化を促した。
その甲斐あってか、反董卓連合は結成されず、原因となる権力闘争も鎮圧され、王朝中枢の腐敗も排除できた。
懸念するところはまだあるものの、概ね"民が穏やかに生きていく御世"に向けて動けている。

これでいい。
鳳灯たちは、そう思っていた。









世の平穏を望んでいるのは、なにも彼女たちばかりではない。

青州・平原を治める、劉備。彼女もまた、同じような志を胸に抱いている。
「より多くの人々が、笑顔で過ごせるようになって欲しい」
そんな想いを秘めてはいても、自分自身がまだ未熟であることは重々承知していた。

義勇軍を立ち上げ。黄巾賊の戦乱に身を投じ。救うべき民を救えない、自分の力量を知った。
そうして彼女は、臨む未来像に向けてどうすればいいのかを考えるようになり。そのためになにをすればいいのかを模索するようになった。
彼女は至らないなりに頭を使い、考えを重ね、仲間の声に耳を傾けながら、新米領主として精進を重ねている。

彼女の大きな転換期ともいえるのが、平原の領主に任ぜられたことだろう。
すべてを救うことは出来ない。ならばまず、自分の手の届く限りを救ってみせよう。そして少しでも広く、伸ばす手が遠くまで届くようになろう。
劉備はそう考えながら、慣れない領主生活に奔走している。

これまで統治に携わっていた官吏たちの助け借りながら、仲間である関羽、張飛、諸葛亮、鳳統を中心に治世を布く。
また自身の未熟さを知る彼女は、領主としての技量を磨き学ぶべく、隣接する冀州へ定期的に出向いていた。
冀州を治めるのは、名家として名高い袁家。その良政ぶりを取り入れたいと、劉備は自ら考え、実行に移している。
その想いは立派なもので、自ら学ぼうとする姿勢もまた治世者として好感が持てる。
折から冀州へ戻っていた袁紹の許可を得ることもでき、差し支えのない範囲内ではあるが、劉備は袁家の執り行う治世を目の当たりにし吸収しようと努めていた。

想いに繋がる具体的な行動が実を結ぶ、と、すぐさまそうなるほど世の中は都合よく出来ていない。
だがそれでも、平原の治世は上向いているように見えた。

平原の新米領主・劉備の名はそれなりに知られるようになっている。
民のことを考え、領主自身が学ぶことを怠ろうとしない態度。
また先だっての黄巾賊の騒乱では、かの陳留太守・曹操と共に武勲を立て。
治世の良さでは随一ともいわれる幽州の州牧・公孫瓉とも真名を交わすほどの間柄だという。
耳にするこれだけの風評が、民の耳に心地よく響かないわけがない。

それが更に巡り巡って、劉備自身の耳にも入る。
赤面するやらなにやら、彼女はただ取り乱すばかりではあったが。
内心、もっとがんばろう、と、想いを新たにしたりもする。

ともあれ。
そんな想いが伝わっているのか、はたまた彼女の持つ人徳ゆえか。
劉備は領主として、平原の民に好意的に受け入れられている。
一部では、熱狂的なほどに。



「ねぇ朱里ちゃん、太平要術の書って知ってる?」

きっかけは、劉備がそう尋ねた言葉。
なにかと頼る軍師のひとり、諸葛亮に向かい、彼女はなにげなく口にした。
敬愛する領主、自ら仕える主の言葉に、諸葛亮はわずかに身を固くする。
劉備はその変化に気付かないまま、話を続ける。

「あのね、袁紹さんのところで、ほら、曹操さんと一緒にいた夏侯淵さんに会ったの」

今回の勉強で学び得た内容を報告する一端として、彼女は、夏侯淵から聞いた話をそのまま伝える。
書の存在。
黄巾賊拡大の原因と見られていること。
その書が行方知れずであること。
放置すればまた騒乱の火種になりかねないことなど。

ひとつひとつ告げられるごとに、諸葛亮の顔が固くなっていく。
やがて表情というものがなくなるにまでなり、劉備もさすがに彼女の変化をいぶかしむに至る。

「朱里ちゃん?」
「桃香さま」

劉備の話をひと通り聞いた後。
諸葛亮は、鳳統と目を合わせ。
それに応えるようにうなずく彼女に押されるようにして、主に告げる。

「太平要術の書は、ここにあります」




諸葛亮がそれを手にしたのは、劉備と共に平原にやってきて程なくした頃だろうか。
太平要術の書。それは彼女が仕入れた書物の山の中に知らず紛れていた。いつ入手したのかも、彼女自身覚えていない。
初めは、それがなんなのか分からなかった。
いぶかしみながら手にしたその書。読み始めると、彼女は、書を繰る手を止めることが出来なかった。
これからの治世に、劉備が民を統べ率いるに有用であろうことが事細かに記されている。
興奮が抑えきれず、諸葛亮は没頭し、書を読みふけった。

知的興奮の波が静まった頃、彼女は今更のように、手にしている書について疑問を感じる。

これはいったいなんなのだ?

このときの彼女はもちろん、太平要術の書、などという言葉を知るはずもない。
だがその名を知らずとも、その書がどういったものなのか程なく想像することができた。

つまり、「読む者が望んでいることについて記される」ということ。

鳳統に書を見せても、書かれていた内容が異なっていたことからその結論は導き出された。

親友が持ちかけてきた内容に、鳳統もまた書に対して興味を示す。
だが諸葛亮とは反対に、彼女は読み進める途中で書を閉じた。
曰く、「危険だ」「怖い」と。
書に夢中になる自分が、"自分"ではなくなってしまうような錯覚に陥り。
その恐怖が、書に没頭しかけていた自分を引き戻したのだ。

すべてに目を通してしまった諸葛亮と違った反応。
いうなれば、知識を取り入れるのではなく、知識に捕り込まれるかのような感触。
親友の感じたそれを、諸葛亮は充分に理解できた。
なにより同じものを、彼女もまた感じていたのだから。

諸葛亮はそれを肯定し、鳳統はそれを否定した。
ただ、それだけの違いだ。どちらが良い悪いという話では、ない。



諸葛亮は自分が読んだ内容を書き留めながら、本当にこれが有用なのか確かめたい、と、親友に告げる。
つまり、劉備が統べる"笑顔の溢れる御世"の足掛かりにしたい、と。

書き写された木簡を眺めながら、鳳統もまた未来図を頭の中に描く。
確かに、劉備の名の下にこれらが実践されれば、領主としての名声はより上がっていくだろうことは想像に難くない。
そう思わせるものが、彼女の手の中にある木簡には記されていた。

だがこれは、"あの書"から生まれたものだ。
その一事が、鳳統にわずかな不安を生じさせる。
一方で、確かに"これ"は有用だ。頭では、それが十分に理解できる。

「だからこそ、わたしは"これ"を確かめたい」

木簡を握りしめながら、諸葛亮は小さく、それでいて意思と意志を込めたつぶやきを漏らす。
劉備の描く理想、それを成す具体的な手段を得た。
出所に不安と不審を感じながらも、その中身を吟味した上で、使える、と考える。使いこなしてみせる、と決意する。

「雛里ちゃん。もし私が書に取り込まれたと思ったら、どんなことをしてでも止めて」

例え、わたしを殺してでも。

親友の手を取りながら、諸葛亮は告げる。痛いほどに込められた力の程が、彼女の決意の強さを感じられる。鳳統には、そう取れた。
鳳統がそれ以上書に触れることを拒否したことで、却って釣り合いが取れるようになったいえる。
暴走したなら止めろ、と。
同等の知識を持ち、同じ未来図を臨み、それでいて違う基準を持って判断を下せる親友に、なによりも辛いだろう役割を諸葛亮は託す。
強く握られた手を、鳳統は、同じくらいに強く握り返すことで応えた。





「……名前までは知りませんでした。
しかし、お聞きした限りでは、おそらく、あれが"太平要術の書"だと思います」

報告もせずに隠していた、申し訳ありません。と、深々と頭を下げる諸葛亮。その後ろで、鳳統も同じように謝辞を示す。

報告とも告白とも取れる言葉を聞きながら、劉備は思う。

主に話を通さずにいたことは確かに褒められたことではない。いいか悪いかでいえば、良くはないことだろうとは思う。
しかし実際に報告をされたとしても、今の劉備にどれだけ理解することができたかは分からない。結局は軍師ふたりに丸投げしてしまう、ということになったろう。それは彼女自身よく分かっていた。
ならば、余計な手間など省いて動いてもらったほうがずっといい。
劉備はそれだけ、目の前の軍師たちを信用し信頼している。
諸葛亮と鳳統のふたりが、よからぬ思いを持って黙っていたとは露ほどにも疑っていない。
ゆえに、不都合が起きたときはすべて自ら泥を被ろうとしていたのだろう、ということにも気付いていた。

「ねぇ朱里ちゃん」

だからこそ。劉備は、すべてをふたりだけに背負わせることを好しとしなかった。
彼女もまた、新たに決意を見せる。

「わたしにも、その本を見せて欲しいの」

自らが望み、臨む世界を目指すため。
劉備は、もう一歩、踏み込んでいく。
そんな主の姿に、諸葛亮と鳳統は、嬉しいのか悲しいのか、複雑な表情を浮かべた。



彼女が踏み出した道がどんなものになるのか。
それは、まだ誰にも分からない。


















・あとがき
隔月刊「愛雛恋華伝」ってーノリな更新ペース。

槇村です。御機嫌如何。





ご無沙汰しております。
本当にすいません。

おまけに短くて、書こうと思っていたところの半分くらいですよ。
いや本当にすいません。

でも、短くてもいいからインターバルを空けずに、コンスタントに更新していった方がいいかなぁ。
と、考えていたりもします。

今度の日曜日までにどれだけ書けるか、にもよるな。
来週になるとまた仕事詰めになってしまう。



さてさて。
そんなこんなで、桃香さんたちの出番です。
なにやらきな臭い感じがしますが。

鈴々さんや愛紗さん(関雨に非ず)の出番も追々入れていくつもり。




……おかしいな、書きたいのは主に戦闘シーンのはずなんだけど。
心情表現の場面が多くなっている気がする。



[20808] 48:【動乱之階】 己が内に棲むモノ
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2012/12/08 22:31
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

48:【動乱之階】 己が内に棲むモノ






例えどんな願いであっても、望むものへの道が示されると聞いたなら。
人は、どのような望みを思い浮かべるだろうか。




諸葛亮は、「"劉備の下で"平穏に民が笑って暮らせるような御世」を望んだ。

覚悟を決め、気持ちを落ち着かせた後。彼女は改めて、太平要術の書を開く。
浮かび上がる、彼女の望むものへの道標となるだろう文字。諸葛亮はそれらを木簡に書き写しながら、内容を吟味し、頭の中でその効果を反芻する。
確かに効果的であろう内容ではあった。
しかし、それらは今の漢王朝の下では実行し難いものも少なくない。
なにしろ、民を治めるため漢に牙を剥け、としか取れない内容さえ記されていたのだから。
今ならばそれも有用だろうことは、諸葛亮にも理解できる。だが実行しようとは思わない。
王朝の体勢が弱体化し、近衛軍一派の改革によって不安定になっているといっても、望んで中央に歯向かうつもりは彼女にはなかった。

黄巾賊のような轍は踏まない。

示されたのは方法だけ。結果まで保証してくれているわけではない。
すなわち、どのような結果をもたらすかは未知数。
同時に、どのような結果にもなり得るということに他ならない。
そのことを胸の内に留めた上で、諸葛亮は書に写し出された言葉を拾い上げ、時に捨てていく。
漢王朝を敬いながら、他と軋轢を生むことなく、劉備の影響力が広く強く及ぶ手段を練り上げようとする。

諸葛亮は知と思考を総動員させ。
太平要術の書に操られることのないよう気を張り巡らせながら。
浮かんでは消えていく文字たちと向かい合う。



劉備は、「"少しでも多くの人たちが"笑って過ごせるようになること」を望んだ。

手を差し伸べると、その人が笑ってくれる。それが嬉しかった。
すべてを救いたかった。目の前の人、そしてその先にいる人たちもすべて、笑顔になって欲しかったから。
だから、手を伸ばした。伸ばし続けようとした。

けれど、すべてを救う事はできない。彼女はそれを黄巾賊制圧の際に痛いほど思い知った。
それでも、諦め切れない想いはある。手の届かない先にいる人たちにも笑っていて欲しかった。
劉備は思う。そう考えることは罪なのだろうか、と。

救えるのならば、少しでも多くの人を救いたい。
涙に暮れることなく、笑顔で日々を過ごせるような世の中にしたい。
そのために自分が出来ることは何だろう。
この平原で、何をすればいいんだろう、と。

北の幽州は、友である公孫瓉の善政名高く。
西の冀州は、名門として知られる袁家、袁紹の治世から程よく収まっている。
南の楊州は、時折蜂起が見られたものの悪い話を聞くことは少ない。

周囲は、彼女自身の治める地よりも問題なく治まっている。
劉備の目には、自身の治める地が、他よりも見劣りするように見えた。

だがこれは無理のないことではある。
先に挙げた3つの州はそれなり以上の時間と辛苦を経て今の姿になっている。好評悪評問わず、その在り様というものは一朝一夕に出来上がるものではない。
劉備は平原を治める地位に就いてまだ日が浅い。治世のほどがよろしくないと断じてしまうのは、比べる方が酷と言うものだろう。

それでも、劉備は求めてしまう。周囲よりも平和に治まった、笑顔のあふれる民と地というものを。

今はまだ、至らないところだらけの新米領主でしかない。
だからといって、理想を求めてはいけないということはないはずだ。

周りに負けないような、素晴らしい地にしてみせよう。
他の州の民が羨み、思わず移り住んでしまいたくなるような、住みよい場所を、自分が作る。

まずは、青州に笑顔を。
叶うならば、それを少しでも遠くまで。

"少しでも多くの人たちが、笑って毎日を過ごせるような世の中にしたい"

そう願って。
彼女は、太平要術の書を手に取った。



これまで劉備は、臨む理想の大きさに反して余りにも非力だった。どうすればいいのかさえ分からず、哀しみに暮れることも少なくなかった。
だが今の彼女は、理想に向けて進む具体的な手段を手に入れた。それを心の支えにして、自ら精進を重ね、汗をかき、頭を捻りながら実行に移す。
自分の言動が徐々に反映されていき、平原の評判がよくなっていくことに、劉備はかつてないほどの充実感を感じている。

太平要術の書は、確かに彼女の望む術を示した。
だが、しかし。

義勇軍として動き出したばかりの彼女ならば、"すべての人々が"と、望んでいたかもしれない。
だが黄巾賊との戦いを経て、良くも悪くも、彼女は少なからず現実の姿を見た。
ゆえに、劉備の望みは"少しでも多くの人々が"と形を変えた。変わってしまった。

彼女はまだ気付いていない。
現実によって曇りを見せたその理想では、どう足掻いても、すべては救えないということに。





冀州を治める袁家の下へ、治世について学ぶために通っている劉備。このところの彼女はすこぶる機嫌がよかった。
それは付き添いと護衛として同行している鳳統と関羽も同様で。引き締めてはいるものの、雰囲気は明るいものを醸し出している。

「何かいいことでもありましたの?」

袁家の長・袁紹の目には、久しぶりに顔を合わせた新米領主一行の姿がそう映っていた。
常日頃から笑顔の絶えない彼女が、傍から見て機嫌がいいと分かるぐらいに浮かれている。理由は察することが出来ずとも、何かいいことがあったのだろう、と、傍目に思わせるほどに。
聞けば、劉備の治める平原の雰囲気や生活の程度が上向いて来ているのが感じられているとのこと。自分の手掛けてきたあれこれが、身を以って感じられるほどになって嬉しい、というのが理由のようだった。

それを聞いた袁紹も、なるほど、それならば領主として浮かれるのも無理はないだろうと察する。

元よりそれを学び平原の統治に役立てたいという想いが、劉備をわざわざここまで脚を運ばせているのである。
それが現実に実になっていると領主自身が感じており、風聞として伝え聞く青州の評判も悪くはない。
同時に、袁紹からしてみれば平原が活性化する理由のひとつとして、冀州の内政の一端に触れているからだとも考えていた。

「もちろん、このわたくしを、この袁家を模範としているのですから。よく治まっていくことは当然ですわね」

袁家の治世の術が反映されているのだからそれも当然だろう、という考えに至って、袁紹の気分もよくなっていく。思わず高笑いをしてしまうほどに。

冀州を治める州牧・袁紹が詰める政庁。その一角である政務室のひとつ。
そんなところに彼女が足を運んだのは、ほんの気まぐれだった。二枚看板と称される側近・顔良と文醜を引き連れることなく現れたことからもそれは察せられる。
劉備に対応している内政官たちがどんなことを教えているのか。
袁紹が、畏まり礼を取る内政官たちの広げていた内容を覗き込んだのも、本当に気まぐれでしかなかった。

袁家の血がそうさせるのだろうか、袁術ほどではないにせよ、冀州の内政は基本的に"それ"をこなせる人間に割り振り任せてしまうことで進められている。それらをやや飛び抜けている者、つまり顔良や文醜といった将の地位に立つ面々が指揮をし取りまとめ、最終的に全体の把握と大きな判断を袁紹が行っているのだ。言い方は悪いが、末端の者が実際にどんなことをしているのかまで彼女が把握しているわけではない。

だからこそ彼女は、まさか冀州を運営する金銭の流れや規模についてまで、他の州の人間である劉備に明かしているとは思いもしなかった。
穏やかだった袁紹の雰囲気が、がらりと剣呑なものに変わる。
さすがにこれはよろしくないと、その内政官たちをすぐさま叱り付け。顔良ら内政に関わる将を呼び出すよう命じる。
正に豹変といっていい変わりようだった。

「待って袁紹さん、違うの!あっ、違わなくないんだけどそれだけじゃないっていうか」

更に叱り付けようとする彼女を前にして。
劉備は、これまで教えを受けていた内政官たちを庇い立てた。

州牧と、他州のいち地方の相。比べるまでもなく、すべてにおいて後者の方が劣っている。
ましてや前者は何代にもわたり漢に仕えて来た名家である。ぽっと出の義勇軍から成り上がった領主では、名実共に敵うところなどあるはずもない。こうして治世を学ぶという名目で訪れ言葉を交わせること事態が、袁紹の余裕と寛大さによって許されているに過ぎないのだ。
完全ではないにしろ、劉備もそれは理解している。
関羽と鳳統は言わずもがな。いち領主の家臣でしかないふたりが、袁紹を前に顔を下げずに同席出来るのは異例であり温情であることを十分に理解している。
そして、他州の政策や運営、人事の扱い様に口を挟むことなどできないことも、ふたりは理解していた。
だがひとり、劉備は、その理解が深いところまで及んでいなかった。
彼女らしく、"情"が先走ったがゆえに。

「劉備さん。確かに、貴女方が治世を学ぼうとするその姿勢を善き物として招き入れましたわ。
ですが、これは明らかにその範疇を超えています。
治世の術を教えることと、その内情を漏らすことは等しいことではありませんのよ?」

袁紹は激昂する一方でいぶかしむ。
主の怒りを前にして身を縮めている数人の内政官。彼らは長く袁家に仕えている一派だった。
仮にも内政と資産の運用に携わっている者たちだ。余所の者に伝えていいものと悪いもの、その判断や加減の分からない者ではないはずなのだが、と。袁紹は疑問に思う。
とはいえ、目の前に広げられている物はそうそう晒していいようなものではなく。
そして、それらが他の州の領主の目に入ってしまったことは変え難い事実。
彼女は袁家を背負う者として、起きてしまった事実に対して何らかの処断をしなければならない。一端とはいえ、これは一族の懐具合を晒されたに等しく、うやむやにして流してしまっていいことではないのだから。

「とはいうものの、貴女方がそこまで深い内容を求めたとはさすがに思えませんわ。
だとすれば、こちらの困った方々が自分から見せてきたのでしょう」

内政官たちを睨みつけていた視線が、劉備、関羽、そして鳳統へと移される。

「……鳳統さん。少なくとも貴女は、治世に携わる者として余所に漏らしていいものかどうか、という判断はできたはずです。
どういった経緯からこういうことになったのか、話していただきますわ」

分かっていて情報の露見を享受していたのならば、それはそれで許し難い、と。
静かに告げられた言葉は、有無を言わせぬ重さに満ちていた。
普段から大きい袁紹の態度、言動。名家という名の蓄積に裏打ちされたそのひとつひとつが、今、対する者を威圧するにまで達していた。劉備と鳳統が身をすくめ、武将である関羽でさえも身じろぎしてしまいそうなほどに。

実際に袁紹は、次第によってはこの場で劉備たちを拘束しなければいけないと考えていた。
だが彼女の耳に、劉備が小さく、本当に小さく呟いた言葉が飛び込んで来る。

「まさか書の影響がこんなところまで出て来るとは思わなかったし……」

……書、とはなんのことだ?
思うや否や、袁紹の頭の中でいくつかの知識が繋がる。
先だって洛陽から伝えられた、曹操に遣わされた夏侯淵たちが述べていたもの。
それは確か。

「……太平要術の、書?」

袁紹の漏らした声に、鳳統と関羽が身を震わせる。
劉備は、知っているのか、といった驚きの表情を見せた。

「本当にあるのですか?
いえ、なぜ、貴女が知っているのです」

袁紹とて、信じていなかったわけではない。非公式とはいえ、仮にも洛陽から直接知らされた情報だ。その書は確かに存在し、効果の程は定かではないものの不穏を生み出すものとして認知されているのだろう。
それが仕える漢という王朝から来た情報であり、信用に足る友人の言葉であるなら疑う余地はない。
もちろん、彼女は自分なりの解釈と納得を経て受け入れている。
その上でもやはり、太平要術の書は存在するだけで危険であると判断したがゆえに。気に留めており、こうして記憶が思い浮かんで来た。

まさか在り処をたどる糸口がこんな間近にあるとは想像だにしていなかったけれども。
いや、だからこそなお腹立たしい気持ちに駆られると言った方が適当かもしれない。

「貴女は、それがどれだけ危険なモノなのか理解しているのですか!」
「で、でも袁紹さん」

袁紹が吼える。
それに身をすくめ、手を上げながら、発言許可を求めるかのように恐る恐る、劉備は声を掛けた。

「袁紹さんは、曹操さんたちから話を聞いただけなんですよね?」
「……そうですわ。
ですが、それは洛陽の中核にある近衛の者の言葉です。
現状では、それは漢王朝に最も近い者が下した判断になるのですから、漢の臣下としてそれを疑う余地などありませんわ。
それに、あの華琳さんが、これだけの大事に対して軽率な判断をするとは思えませんし」

これでも、あのおチビさんを相応に信用していますの。
そう言いながら、わずかに柔らかい笑みを浮かべる。
だがすぐに、自分が何を口にしたのか気付き、再び眉間にシワを寄せてみせる。

「ともかく。その書の存在が知れた以上、放って置くことはできませんわ。
私個人としても、また黄巾たちのような華麗でない輩が現れることは避けたいですし」

劉備は逆に、袁紹のその物言いに眉を顰めた。
確かに黄巾の人たちがしたこと事態は許せることじゃない。そうせざるを得ないほどに追い詰められた民が、指標のないまま動き出したがために太平要術の書に煽られてしまったのだと。
民を導く指標として働くべきはその地の領主であり、その者に民を見る目と目標、そして理性があれば、書は必ずしも害をなす存在ではない、と、劉備は主張する。
事実彼女は、諸葛亮ら仲間の手を借りながらも、平原の統治と治世に手応えを感じ始めていた。だからこそ冀州での勉強にも力が入る。
結果として見てはいけない部分にまで踏み込んでしまったことは謝るが、太平要術の書を悪し様に言うのはやめて欲しい。使い方次第で役に立つものなのだから、と。

不快感を顕わに、袁紹は更に眉間の皺を深くするが。
その後の言葉に驚愕し、心を揺さぶられてしまう。

「じゃあ、袁紹さんも実物を見てみる?」



後に、関羽と鳳統は言う。
この時に、主である劉備を止めることができていたなら。
もっと違う未来になっていたに違いない、と。





青州・平原。
今、この町の住民たちは動揺し、いったい何が起きるのかと怯えていた。
それも当然であろう。少数とはいえ、この地に他勢力の軍勢が入ってきたのは黄巾賊の跋扈した時以来のことなのだから。

兵たちは隣接する冀州のもので、引き連れているのは、その州牧である袁紹。
平原の住民たちも、姿は知らずともその身形などの噂は聞き及んでいる。隣接する州を治めている長であり、長く漢に仕えている袁家の名は他州のいち庶民の耳にまで行き届いていた。
そんな雲の上といっていい人間のひとりが、自ら兵を引き連れ他州にまで足を運ぶ。不安を覚えるのは当たり前だ。

だがそれもすぐに落ち着いていく。
武器を携えた一行を先導するかのように進む、平原を治める領主・劉備の姿が認められたからだ。
民の気持ちを、その存在だけで穏やかにさせることができる。
彼女がどれだけこの地に受け入れられているかが分かるだろう。

一行を出迎えたのは、平原の留守を預かっていた軍師、諸葛亮。
彼女は冷静に、そして淡々と、袁紹らに対し礼を取った。

袁紹らは、諸葛亮とも面識はある。
初対面の時から変わらず、見た限りの彼女の印象は、まだ幼く小さいと言ってもいい。
にも関わらず、今の彼女は実際よりも遥かに大きな威容を以って映る。齢相応にわたわたしてみせるようなところは微塵も感じさせない、そんな佇まいを見せていた。
むしろ、見た目にそぐわない緊張感を湛えていた。
いうなれば、張り詰めた危機感のようなものを。

「それでは、こちらへ」

身を返し、諸葛亮は先導するようにして歩み出す。
袁紹ら、そして劉備らも、彼女の後を追うように歩を進め、平原での政務を司る建物へと入っていった。



冀州へ出向いての勉強会。これには劉備と共に、付き添いとして軍師と護衛の将が同行している。
今回の冀州行きに同行したのは、鳳統と関羽。これは本当にたまたまとしか言いようがない。

太平要術の書を知るのは、平原において極一部の者に限られる。
そして実際に書に目を通したのは、劉備と諸葛亮のみであった。

同じ軍師である鳳統は、自ら拒否したということもあるが、主と親友があらぬ行動を始めた際に止められる冷静な頭脳を残すために。
関羽と張飛は、独断を物理的に止めるための抑止力となるために。
書に目を通す人間をふたりに限ったのは、いざという時に備え、書に染まった者は少ない方がいいという判断からである。

此度はそれが逆に仇になった。諸葛亮はそう考えた。
書の存在が余所に漏れてしまう危険性。鳳統もそれは理解してはいるが、実際に目を通した諸葛亮の方がより深く認識している。
自分であれば飛び掛かってでも止めただろうに、と思わなくはない。
だがいつまでも起きてしまったことに気を取られていてもいられない。
まずは目の前の袁紹に対して、どう対応するか。
そしてその背後にある近衛軍に、ひいては漢王朝そのものに対してどうすべきか。
もちろん、劉備をはじめ諸葛亮らも、漢に弓引くつもりなど毛頭ない。世の乱れを正そうとする気持ちはあっても、皇帝に成り代わろうなどという野心は持ち得ていないのだ。最悪の場合は、書を手放し、王朝へ収めることも已む無し、と。

一方で諸葛亮は、中央を相手に無用な諍いを生まないために、袁紹を引き込むことも考えている。
彼我の身分差などは承知の上。袁紹という人物は本来であれば、自分はもちろん主である劉備も、家柄はもちろん公的な身分までその足元にも届かない存在なのだ。そんな彼女を、言い方は悪いが利用する、ということも視野に入れる。
隣の州であり、かねてより勉強のためという名目でやり取りはあるのだ。不審さは限りなく緩和されるだろう。

もっとも、すべては袁紹の反応や思惑次第ではある。
書に記された"袁紹の望み"がどんなものなのかは、諸葛亮も想像するしかできない。





普段の尊大な態度は鳴りを潜め。袁紹は、らしくもなく緊張を覚えていた。
平原へと入り、諸葛亮の出迎えを受け、難しい顔をした彼女の先導により、想像以上に厳重な書の扱いを見る。
袁紹は、少なくとも軍師勢は書が持つ危険性の程度を理解していると察する。それでもなお、覚悟を決めて利用しようとしている。そう感じられた。

理解はできる。だが、受け入れられるかとなれば話は別だ。
かの黄巾賊の騒動を広めた原因とも見なされる、太平要術の書。世を乱す要因となりかねないそれを用いようとする劉備らを、漢王朝から治世を預かる者のひとりとして、袁紹は受け入れることはできない。そんなものに頼ろうとすることは、彼女の誇りが許さない。

だがそれでも、ひとりの人間として、書の存在に好奇心を掻き立てられた。
そこを突く様に、胸の奥で疼くような何かが彼女をわざわざ青州まで足を運ばせ。

今、"それ"に対面させる。

一見みすぼらしく見える書物。題名もなく、内容はうかがい知ることが出来ない。それと知らなければ、手に取ることもないのではないかと思われる、"それ"。
袁紹は書を手に取り、ゆっくりと表紙をめくった。



袁紹は、そこに記されていたものに驚かされた。
彼女の生まれから育ち、境遇、それらの成り立った経緯など。
袁家の長である彼女でさえ知らない、けれど示唆されれば納得できるような事情や事柄まで。
"袁本初"にまつわるあらゆることが、このみすぼらしい書の中に収められている。

震える手、慄く心を必死に抑え付け。
袁紹は、太平要術の書を読み進めていく。

彼女の威、それを支える情感。それらがなぜ生まれたのか。そして、袁家の長として求めるべきものは何なのか。
気付かなかった、いや、気付こうとしなかった自らの望みを知り、袁紹は目が見開かれる。
嵐のように乱れる胸の内を慮ることなく、書は無情なほどに淡々と文字を浮き出していく。

その内容が、己の望むモノを手に入れるための術に差し掛かろうとして。

袁紹は本を閉じた。

まるで悪鬼が乗り移ったのか如き形相で、砕けよばかりの渾身の力を込めて。
そうしなければ離れられないかのように、魅入られかけた書の前から己の身体を引き剥がす。
絶え絶えに荒くなった息。呼吸そのものが覚束ない身体。胸の鼓動を落ち着かせようとして、却って息が詰まり咳き込んでしまう。

気分は、最悪だった。
なぜここまで袁家の、いやさ"袁本初"について熟知しているのか。
まるで身体の内側から弄られ犯されているかのような感覚に陥る。
それにも増して、記されていた"望み"に間違いがないことに気付かされたことに気持ちが荒ぶった。
書に従ってしまえ、と、胸の内のナニカが囁く。

だがわずかに勝った、"在るべき姿"を求める"麗羽"としての誇り。
それが彼女を踏み止まらせ、その身と理性を持ち堪えることに、危ういところで成功する。



「……斗詩さん、猪々子さん。帰りますわよ」

ふらふらと、何かに生気を抜かれたかのような覚束ない足取りで。袁紹は部屋を出て行こうとする。
搾り出すようにして、顔良と文醜のふたりに声を掛けはしたものの、他の者には一顧だにすることもしない。

「ちょ、ちょっと姫、どうしたんだよ」
「いきなりどうしたんですか麗羽さま、顔色が物凄く」

憔悴し切ったような主に、ふたりは慌てて付き従う。
部屋の中に残されたのは、招いた側である面々のみとなった。

劉備と関羽、張飛は、何が起きたのか分からず立ち尽くすばかりだった。
一方で、軍師ふたり、諸葛亮と鳳統は、袁紹の反応に驚いている。

彼女が太平要術の書を読み、そこに何が記されていたかは分からない。
だが形となって目の当たりにさせられた己の願望とその手段を目の当たりにして、そこから己を引き離せる意志の強さ。
鳳統はそれに、驚嘆と、羨望に似たものを覚え。
諸葛亮は、やはり驚嘆と、次いで恐れに似たようなものを覚えていた。





幽州・薊。
政庁である城の一室で、関雨は政務に勤しんでいる。州牧である公孫瓉に仕えているのだから、それは当然なことだ。
だがこの日の彼女は、誰が見ても明らかに挙動不審であった。そわそわしっ放しなのである。
普段の彼女からは懸け離れたものではあるが、事情を知っていれば、その気持ちも分かるしむしろ微笑ましくもある。

幽州を出ていた一刀ら商人たちが、荷と共に戻ってきた。

それを聞いた関雨は、掛けていた椅子を鳴らしながら盛大に立ち上がり。
すぐさま思い直したように座り直した。

想い人が長い旅から戻って来た、という喜びが彼女を衝動的に動かそうとし。
いやいや今の自分はまだ仕事中だ、という、お堅いと称される責任感が彼女の気持ちを押さえ込んだ。
何もまたすぐいなくなるわけでもないのだ、仕事の後でもゆっくり会える、と。
思い直し再び手元の書類仕事に戻ろうとする。
それをひたすら繰り返しており。

「……愛紗、行って来ていいぞ?」
「わたしがどこにいきたいというのですなにをいっているのですかぱいれんどの!」
「分かった、無理かもしれないがとにかく落ち着け」

公孫瓉の言葉に、過剰な反応を見せる関雨。
部屋の中にいる文官たちが思わず苦笑してしまうほどに、取り乱したその姿は滑稽に映り、そして可愛らしく映る。

「北郷が気になるなら、先に顔を合わせて来い。側でそんなにうずうずそわそわされたらこちらの方が気になって仕方がない」
「う、いや、ですが」
「会って気が済んだら戻ってくればそれでいい。
あぁ、なんなら今日はそのままあがってしまっても構わないぞ」

浮かれたお前の横で仕事をするのはそれはそれでご免だ、と、公孫瓉。
関雨は真っ赤になった顔を隠そうとするかのごとく、政務机に突っ伏すように頭を抱える。
何やら小さい呻り声が漏れ聞こえるのは、まだ頭の中で葛藤があるのだろうか。趙雲がいればさぞ弄りまくるであろう状況だったが、この場に彼女がいなかったのは関雨にとって幸いだったといっていいだろう。

「……では、お言葉に甘えさせていただきます」

ひとしきり頭を抱えていた関雨は、唐突に立ち上がり。
そう言ったかと思うとまるで逃げ出すかのように、政務室から飛び出していった。
わずかな間ではあったが、赤くなった表情に隠せない喜びの色を浮かべた姿を、部屋にいる全員に晒しながら。

風のように駆け出していった関雨を見送り、公孫瓉は面映い表情を浮かべる。

「……何ともはや、可愛らしいもんだな」

彼女のつぶやきに、部屋にいる全員が心から同意した。



逸る心を抑えていた、とは贔屓目にもそうは見えなかったけれども。少なくとも関雨自身は、政庁を出るまでは自制しているつもりでいた。
だが一歩外に出ると、彼女は弾かれたように全力で駆け出す。あまりの速さに、その姿をしっかり捉えた人は皆無に等しかった。
当人は気付いていないが、この上なく嬉しそうな笑顔を浮かべていた関雨。表情まで注視する隙を周囲に与えなかったこともまた、彼女にとって幸いだったと言っていいかもしれない。
だが一刀の酒家にたどり着いて、彼女はその笑顔を凍りつかせてしまう。

そこにいたのは、一刀に同行していた商人のひとり。
彼が言い難そうに口にした言葉。

一刀と呂扶は、まだ到着していない。

ここまで上がりっ放しだった気勢の反動か。関雨は、その場で膝をついてうずくまってしまった。
商人の青年自身は何も悪いことはしていない。それなのに、彼は物凄い罪悪感に襲われてしまい。
普段の気丈さの欠片も失くした関雨に慌てて事情を説明する。
彼曰く。道中に立ち寄った青州で所用が出来、運ぶ荷や金銭などを仲間たちに任せ、一刀と呂扶のふたりだけ滞在を伸ばしたのだという。
併せて関雨宛ての便りも預かっている、と、青年は幾束かの木簡を差し出した。

彼の言葉を聞き、目線を上げた関雨。木簡を受け取りながら、いぶかしむような表情を浮かべる。

「……青州?」

そう呟き、関雨は、便りというには大仰な木簡の束に目を落とした。





同じ頃の、洛陽。
漢王朝のすべてを司る王城の一室に詰める曹操の元に、突拍子もない報告が届けられた。

「……どういうことかしら?」

訳が分からない。
理解に苦しむように顔を顰めさせ、ひとり、彼女は言葉を漏らす。

冀州より袁紹が兵を挙げ、青州に侵攻した。

曹操は、俄かにそれを信じることができなかった。

















・あとがき
戻って来たとは、大きな声では言えないくらいに間が空いた。

半年ぶりの槇村です。御機嫌如何。





旧36話辺りに続いて、またも麗羽さんが台頭し始める。
どれだけ槇村は彼女を動かしたいんだ、と。
いっそメインで話を作れとか言われるレベル。

そんなわけで、ちょっと違ったところから戦乱の芽が出始めたよ、というお話。

でもこのまま進めようとすると、書きたかったシーンのいくつかが潰れちゃうんだよなぁ。
どうしよう。

と思っていたら、また別にお話のネタを組んでいる自分がいました。
華琳さんベースで、やっぱり一刀がスーパーサブなお話を。

おまけに今更感漂う「ネギま!」ネタでふたつほどネタを組んでいる自分がいて驚愕。
まぁ「恋姫無双」も今更感ハンパないけどな。




今年中にもう一回更新したいけど、正直、微妙だ。
来年1月始めに更新できれば御の字だろう。
自分で言っていてなんですが。



[20808] 49:【動乱之階】 思考の縁 ~幽州~
Name: 槇村◆933b1c4d ID:31cf670a
Date: 2012/12/26 21:06
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

49:【動乱之階】 思考の縁 ~幽州~





一刀率いる商人一行を乗せた船が、海路を伝い楊州から幽州へと向かう。大量の荷を抱えた状態では、陸路を行くよりも遥かに労力が少なく済むのだ。
この時代、海路を利用する者は少なくはなかったが、やはりそれでも、商人が船を借り切って大量に荷を運ぶというのは珍しいことではあった。
ましてや船を操るのは知る人ぞ知る錦帆賊である。彼らに向かい、荷を運んでくれなどと頼めるような豪胆な人間はそういない。
だがもし引き受けてもらえるのならば、頼りになることこの上ない。何か面倒事が起きたとしても、ひとりひとりそれぞれが対応できる濃い面々が集まっているのだ。そこらの賊が不用意に襲い掛かってきたならたちまち返り討ちにされてしまうだろう。

とはいえそんな彼ら彼女らも、人間である以上、疲れもするし腹も減る。
休息や補給などを挟みながら船は進み、道中、一刀たちは青州の海岸寄りにある町に立ち寄っていた。

海路を伝い大量の荷が運ばれる、と、言葉にすると軽く受け流されてしまいそうだが。この三国志の時代ではそれなり以上に大掛かりなものだ。少なくとも、たかが酒家の料理人程度が仕切るような規模の商用ではない。
そういった物珍しさもあって、一部の幽州商人たちは色々なところで知られていたりする。
青州でもそうだ。海路では楊州と幽州のほぼ中間に位置することもあり、これまで幾度となく立ち寄っている。宿屋や食事処など、顔馴染みな人間や場所が多くある。

いつものように立ち寄り、いつもの場所でひと休みし、いつも会っている面々と顔を合わせる。
そんないつも通りのやり取りの中で、一刀は何か違和感を感じていた。

きっかけは、ひとりの商人との会話。
世間話が膨らんでいき、このあたりを治める領主が宗旨替えをしたかのごとく良政をするようになったという話になる。
そして、そのきっかけになったのは、少し前に平原の地にやって来た劉備という相の影響なのだという。
平原と隣接する地域とのやり取りが重ねられ、そのひとつひとつに劉備は出向く。実際に言葉を交わしその人柄と真摯さを受けた領主たちが、彼女の言う言葉を理解しその実行に務めようとする。
こういったやり取りが繰り返され、広がっていき、いつしか彼女の薫陶は青州全体を覆うかというところにまで及んでいた。
そんな経緯を、その商人は身振りも大きく伝えようとする。
商売がやりやすくなったということはもちろん、それ以上に彼女の在り様はすばらしいものがある、と。

劉備がいかにすばらしいかを陶然と語るその商人に、一刀は違和感を感じていた。
この人、こんなキャラクターだったか?と。

その後も何人かの商人仲間や顔見知りを渡り歩き、あれこれと会話を交わす。
さりげなく劉備の話を振っていくと、程度の差はあれ誰もが彼女を褒めるばかりだった。

領主がいい人だ、という。確かにそれに越したことはない。いいことなのだろう。
だが聞こえるのは褒め言葉ばかりというのは、彼には納得がいかなかった。
この時代、商人というものは見下され虐げられている存在だ。幽州などの例外は幾つかあるものの、漢王朝の威が届く大半の場所では、いい扱いをされることはまずないといっていい。
だからこそ商人は、人を見る目が辛くなる。認めたとしても、一歩引いて醒めた目を持って対応しようとする。
少なくとも、一刀がこれまで付き合ってきた商人たちはそうだった。お人好し揃いな幽州の商人でさえ、公孫瓉を相手に利用し利用されという立ち位置を取っているのだ。
劉備がどれだけ高い人徳を持っているのかは知らない。だが、そんな商人らをここまで心酔させ熱くさせるのは無理があるのではなかろうか。
むしろ裏で繋がっているから褒めざるを得ないのだ、と言われた方がよほどしっくりくる。
穿った見方だということは重々承知で、一刀は、首を捻ってしまう。

「……劉備、ね」

彼女らが公孫瓉を頼った際、一刀は店に訪れた彼女たちをお客として対応しただけだった。ゆえに、劉備や関羽などの人となりを知っているわけではない。"こちら"の関雨たちを通じて話をしたわけでもなく、せいぜい、"天の知識"を引き出して「あれが"こちら"の劉備か」と見やった程度である。
公孫瓉の良政の恩恵を利用しようとして幽州へ来た、という先入観もあり、強いて接点を持とうとしなかったということもある。
関雨と鳳灯が仕えた主、ということも聞いてはいたが、彼にしてみればそれこそ"この世界"では関係ないことだと考えていた。
ゆえに、それきりだったのだ。

「やっぱり、何かおかしい」

縁のない人間について、何かを言おうとは思わないし気にもしない。
しかし、自分に縁のある人間が知らぬ間に様変わりしてしまっていて、それに何かしら関係があるのならば、何か言いたくもなるし気にもなる。

「少し、調べてみるか」

一刀はそう決めて、ひとり残って探りを入れてみることにした。
商人仲間と錦帆賊の面々に輸送は任せても問題ないだろう。
だが呂扶は、ひとり幽州へ帰ってくれるとは思えない。
先に帰れといっても無理だろうなぁ、と、一刀はひとり笑みを浮かべる。
困ったような、それでいてどこか嬉しそうな色を滲ませながら。





そんなこんなで、一刀と呂扶が青州に残ることになり。ほかの面々だけが幽州・薊へと戻ってきた。
一刀がいない。そのことに関雨は初めこそ意気消沈していたが、商人から手渡された一刀の木簡に目を通す内に、引き締まった普段の調子を取り戻していく。

青州は、どこかおかしい。

簡単に言ってしまえば、書かれていた内容はそういうもの。
人々の生活は平穏そのもので、それまで領主が行っていた負担大の横行も穏やかになっている。
耳にするのは、新米領主に関するいい話ばかり。それは青州の中でも平原から正反対に位置する海寄りの地にまで及んでいる。
劉備が平原を治めるようになって以降、悪い方面での話題が何ひとつ民の口に上っていない。

だからこそ、おかしい。
一刀の木簡にはそう記されている。

まったく同じ人間ではないとはいえ、関雨にしてみれば、劉備は曲がりなりにもかつて仕えた主であり義姉である。"この世界"では道を違えたとはいえ、何もそこまで言わなくても、という気持ちは多少なりとも沸いてくる。
だが一方で、一刀が記している民の状態に不穏なものを感じてもいた。
盲目と言ってもいい一途さが、黄巾賊へと身を落とした民の姿と被る。
すなわち、その陰に、太平要術の書があるのではないか、と。
そんな考えに関雨は行き着く。
突拍子もない、と思う反面、ありえないと断じることもできない。判断を下すには情報が少な過ぎ、かつての経験からの得た"天の知識"だけでは説得力がない。
となると、一刀が青州で探りを入れている動きは都合がいいと言える。

気を落ち着かせようと務めながらも、関雨は大きな溜め息をこぼした。

州牧に仕える公人として見れば、頼むまでもなく情報を集めようとしている一刀の行動は都合がいい。
青州の件に限ったことではないが、公孫瓉も独自に情報の収集を行っている。何かあればその網に引っかかるだろうし、洛陽にいる鳳灯からも知らせが来るだろう。だがそれらとはまた違った視点、つまりは損得の絡む商人から見た情報というものは有用であるに違いない。
さらに言えば、一刀は"天の知識"を持ち、太平要術の書の存在を知っている。自分と同じ想像にたどり着き、その上で調べを進めてくれることも期待できる。

ならば、次の便りか、はたまた彼自身の帰りを待つのが賢明か。

無事な便りがあったということだけでも、喜んでおくべきなのかもしれない。
恋が付いているのだから、これからも危険なことはないだろう。
と、考えて。
関雨はまたひとつ溜め息を吐く。

さて、どうしたものか。

この便りはあくまで私的なもの。その上、記された内容に確たるものはない。
どれも印象からの推論でしかないのだ。
公孫瓉に報告すべきか悩みながら、関雨は政庁への道を戻り始めた。





それからわずか数日の後。薊にある政庁にひとつの報告がもたらされる。
「袁紹、青州へ侵攻す」という報が。

公孫瓉と同じ場でそれを聞いた関雨は、いつぞやと同じように勢いよく立ち上がり。
そして、我を忘れ暴れ出した。

「今すぐ青州へ行って一刀さんを連れ戻します!」
「乙女な思考は結構だが落ち着け愛紗!!」

今すぐにても出発しようとする関雨に、公孫瓉がすぐさま突っ込みを入れる。
こと突っ込みに関して言えば、関雨の動きさえも潜り抜け一撃を与えられるようになった公孫瓉である。
もっとも彼女にしてみれば嬉しくも何ともないだろうが。

電光石火な彼女の働きも、しょせんは突っ込み。ささやかなものでしかなく。
放せー、とばかりに暴れ回る関雨を押し留めるには力が足りなかった。
公孫瓉をはじめとした女性陣が群を成して彼女を抑え付けようとするも、それさえ振り払われそうになり。
これは危うしと男性陣も加わろうとすれば、

「私に触れていい男は一刀さんだけだー!」

といった半ば惚気染みた叫びを上げつつ、呂扶さながらに男性陣を吹き飛ばしていく。
吹き飛ばすのは本当に男だけなのだから、器用なことだと感心するやら呆れるやら。

そんなある意味くだらない騒動を経て。
落ち着きを取り戻した関雨を尻目に、中断された報告が続けられた。

ちなみに関雨は、顔を赤くし頭を抱えながら絶賛猛省中である。
取り乱して自分が何を口走ったかを思い返しているのだろう。

「関雨、いい加減に復活しろ。
それにお前が"北郷好き好き"なのは誰でも知ってる。今更だ。落ち込むようなことじゃない」

ひと通り報告を聞き終え、公孫瓉は、頭を抱える軍部筆頭に声を掛ける。
真名を呼ばす、公的な立場に戻れと暗に告げながら。割とキツい言葉で。

「そもそも北郷がいるのは海寄りなんだろう? 同じ青州でも、戦が始まったのは反対の西側だ。
それに呂扶が一緒なら、何かあるなんて想像できないんだが」
「そう言う問題じゃありません、私が、私が側に行きたいのです!」

ダァン、と激しく机を叩き鳴らしながら再び立ち上がり、叫ぶ関雨。
そしてまた自分が何を口走ったのかに気付き。
これまで以上に顔を赤くして、また頭を抱えてしまった。

「もういいや、この乙女思考は放っとけ」

ひらひらと手を振りながら、公孫瓉は呆れた声を漏らす。
意識はしていないのだろうが、関雨を弄りまくりである。
ほかの面々は、逞しくなった主の姿に感慨ひとしおであった。

「でだ。
袁紹が青州に侵攻。その意図は現状では不明。
何が起きるか分からないから軍はいつでも動かせるようにすること。
言ってしまえばそれだけなんだが、理由が分からないのが気持ち悪いな」

腕を組みつつ、公孫瓉がこぼす。

「冀州は十分に富んでいる。青州を呑み込んだところで何を得る?
あいつ自身は確かにおバカなところもあるが、"袁家の長"としては分別のある奴だ。
そうそう馬鹿な真似をするとは思えないんだけどな」
「……ぱ、ではなく。伯珪殿、それなのですが」

気を取り直したように見える関雨が、弱弱しくも挙手。
辛うじて公私を切り替えながら、やや気まずそうに声を掛ける。

「青州に残った一刀さんから、商人の方々に私宛の木簡が託されまして。
その中に、青州の民に違和感を感じると記されていました」
「ほう」
「曰く、一点において視野狭窄に過ぎると。
顔見知りである者たちまで、まるで人が変わったかのようだったとありました。
あくまで書かれた内容を一読して感じただけの、ものなのですが」
「……話せ」

言葉を切る関雨に、公孫瓉は先を促す。
印象と状況から推測したものでしかない旨を断り、関雨は続ける。

「私は、黄巾に身を落とした者たちと被りました。
上に立つ者に心酔し、熱狂し、誰ひとり否定することがない。かつて黄巾賊が、張角たちを崇めたように。
そして今、青州の民が褒め称えているのは。
……平原の相、劉備だと」

公孫瓉はうなだれた。手を組み、両の甲に額を預けるようにして、溜め息を吐く。

「桃香か……」
「一刀さんが調べた限りでは、劉備の名は青州の主立った地のすべてに知れわたっているようです。各地の領主が彼女の威を認め、その意を汲み入れるほどに」
「桃香が平原を治めるようになってから、あの辺りの評判は随分上向いていたよな?」

内政官の何人もが、公孫瓉の言葉に是を返す。
もうひとつ溜め息を吐き、顔を上げる。手は組んだまま、憂鬱に歪む口元を隠しつつ言葉を続ける。

「関雨。仮にお前の想像する通り、とう…、劉備の下に、太平要術の書があったとしよう」

その場にいる者すべてが緊張する。
関雨は、無言でうなずいた。
公孫瓉も、真名で読んだ友の名を改め、想像したくない仮説を紡いでいく。

「やり方までは知らんが、劉備は書を活用して平原を治めた。
その力は平原では収まらず、青州全体へと広がっていった、と」

平穏に治まるならばそれに越したことはない。
だがそれが望まぬ力によって強いられているというのなら、話は変わってくる。
劉備が平原に着任して、太平要術の書によって"平穏を強制した"とするのなら?
ゆえに、一刀の目には知人らが不自然に見えたのなら?

「これはあいつから来た便りにあったんだが、冀州、袁紹のところに治世の術を学びにちょくちょく通っていたらしい」

そんな術を持つ領主が、他州へと足を運ぶのは何故か?

「もし、袁紹が書の存在と効力を知ったら?
思惑はどうあれ、書を持つ劉備が何かと自分のところに通っていると知ったら、袁紹は何を考える?」

領主としては、想像するだに恐ろしい。
何しろ自分の知らないところで、自ら治める民の意識を意のままに塗り替えることができるのかもしれないのだから。
そして、袁紹がそれに気付き、危機感を覚えたのなら?
それゆえの、青州侵攻なのではないか?

「筋は、通ります」
「だがすべて想像だ。状況と伝聞を混ぜ込んだ推論で、確たるものは何もない」

考えすぎだと思いたい。だからこそ、自分の仮説を肯定する関雨の言葉を否定する。
だが公孫瓉は、相当に近い線を突いている様な気がしていた。

「誰かをやって、ちゃんと調べた方がいいか」

冀州に何某かの影響があれば、そのすぐ北である幽州も無視することはできなくなる。
出征した冀州の思惑と、青州近辺の現状。このふたつは確認しておく必要がある。

重々しい気持ちを抱えながら、公孫瓉は州牧として今後の対策を考え始めた。


















・あとがき
テキスト量は多くないけど、年内に更新しちゃおう。

槇村です。御機嫌如何。





なんだか、想像よりも大事になってしまう気がする。
どうすんだよおい。(お前が言うな)



ちなみに槇村は、桃香さんが嫌いなわけではありません。
というか嫌いなキャラいないし。好みの大小はあるけど。
でも今後の展開上、いわゆる"劉備アンチなお話"に見えてしまうかも。

特定のキャラクターを貶めるつもりはありません。
ただこのお話では、桃香さんには貧乏くじを引いてもらうことになりそうですが。
だって頭の中で、そういう流れになっちゃったんだもの。



[20808] 50:【動乱之階】 思考の縁 ~冀州・洛陽・青州~
Name: 槇村◆cc29ff23 ID:31cf670a
Date: 2013/07/15 05:51
◆真・恋姫†無双~愛雛恋華伝~

50:【動乱之階】 思考の縁 ~冀州・洛陽・青州~





青州で何が起き、冀州は何をもって侵攻したのか。
何かが起きたという事実は伝わっていても、その内実は分からないままだった。

平原の相・劉備と個人的に知己のある公孫瓚の想像、青州に滞在しているという一刀から便り、そういったものをつなぎ合わせ、ありえるだろう状況を組み上げてみる。現状でできることはその程度だ。
とはいえ、それもしょせんは想像でしかない。正確な情報が伝わって来ない状況では、対策ひとつ立てることさえままならないのだ。
ゆえに、公孫瓚は、青州と冀州の現状を知ることを優先すべきと考える。それぞれの地にそれなりの人数を派遣し、状況を極力詳しく調べ、持ち帰り、対応策を練ろうと試みる。

関雨はそれを聞くや否や「ぜひ自分にその役目を、と言うか青州に行きたい」と真っ先に立候補した。
だが公孫瓚はそれを聞くや否や「ダメに決まってるだろ馬鹿」と間を置かず却下する。

関雨が幽州にとどまっているのは、そもそも此度のような有事に備えてのものだ。
「冀州が幽州に侵攻する」という、"天の知識"から得た危険性。詳細はともかく、今の状況は懸念していた事態に限りなく近い。こんな時期に、軍部の長である関雨が不在になるなど到底許されるはずがない。

もちろん関雨も理性では理解している。それでも、一刀を助けに行きたいという感情が湧き出てくることも事実だった。先の申し出も、拒否されるだろうとは思っても勢いで口に出してみた、という程度のものである。それでも、却下されれば気落ちしてしまうのだが。

落ち込む関雨を尻目に、公孫瓚は手早く諜報隊を編成し指示を与えていく。
そこで、青州行きに意外な人物が名乗りを上げた。
趙雲である。

彼女の意図が掴めず、公孫瓚はいぶかしがる。それも当然だ。兵を引き連れ進軍するわけではなく、今回のような状況ではむしろ単身での行動が主となる。関雨は問題外としても、客将とはいえ武将の位置にいる人物がわざわざ出向く必要はない。

「どういう風の吹き回しだ?」
「少々、思うところがありましてな」

できれば自分を、と言う彼女に公孫瓚は少々悩むも、趙雲の青州行きを許した。

礼を述べる趙雲と、彼女を憮然とした表情で見つめる関雨。
恨めしそうにというよりも、羨ましそうにといった方がいいだろうか。そんな関雨の視線を受けて、趙雲は微笑ましさすら感じている。堅物だと思っていた彼女が、男絡みとはいえここまで崩れた態度を見せ、素直に振舞うところなど想像すらしていなかったからだ。
人は素直になるとこうまで変わるものか、と思わずにいられない。

そういう意味では、趙雲は誰よりも素直に生きているつもりだった。
だが実際にはそうでもなかったらしい。

幽州に求めるものはあるのかと公孫瓚に問われ。求めるものそのものがきちんと見えているのかと一刀に指摘された。そして自分に素直な振舞いを見せる関雨を目の当たりにして、趙雲は自分が思い込みに囚われていたことを知る。

彼女は、自分の在り方、何処で何を為すべきなのかを見つめ直す必要があると考え。事態を思えば不適切な言葉かもしれないがこれはいい機会だと、あえて青州行きに名乗りを上げ、幽州を離れることを望んだ。

「……ちゃんと、戻って来いよ?」

口には出さない趙雲の心情を感じ取ってか、公孫瓚は不安げな声で話し掛ける。
州牧ともあろう人物が、たかがひとりの客将の行動に気を揉んでいる。そう考えると、趙雲は彼女にもまた苦笑を禁じえない。

「どのように身を振るとしても、そのまま出奔するような不義理はしませぬよ。きちんとやるべきことをやり、戻ってきますゆえ」

心配なされるな、"白蓮殿"。
趙雲は真名で呼び掛け、仮の主君であり、友でもある公孫瓚に笑顔で応える。
相変わらず睨み付けている関雨の視線は無視したまま。

本当に変わったものだと、趙雲は思う。
公孫瓚はもちろんのこと、関雨も感情を素直に出すようになった。
きっかけは共に、北郷一刀。
そして趙雲に対しても、変わるべきではないかと思わせたのは、彼だ。
彼女は悔しさを感じると同時に、どこか面映さを感じてもいた。











いろいろと入り混じった思いを抱えながら、趙雲は薊を発った。
ただ状況を知るだけならば彼女でなくともできる。趙雲が出向くのなら武人としての目で状況を見届けて来い、と言い含められている。その意を汲んだ彼女はまっすぐ、戦場となっているであろう冀州と青州の州境を目指した。

馬を駆り数日を要して、趙雲は目的とした地にたどり着く。既に戦が治まっているかとも思ったが、彼女の懸念に反し未だ軍勢のぶつかり合いは続いていた。
平地に展開している陣が遠目に見える。あれが冀州軍と青州軍だろう。そうあたりを付け、少しでもよく見渡せるように丘陵地を見繕い、趙雲は腰を据えることにする。

周囲を見渡す。距離は離れているが、大まかには陣全体を見通せそうだった。
さてさてどんな動きを見せるやら、と彼女が考えた時。

「あれ、趙雲さん?」

突然声が掛けられる。
振り返った趙雲の前に現れたのは、

「北郷殿?」

青州に居残ったという、北郷一刀。
そして、彼の背に覆い被さるようにして身を任せている呂扶だった。

「なぜこんな場所に?」
「それはこちらが言いたいですよ。俺の方はまぁ、ちょっと気になることがありまして」

想像もしなかった顔を見て驚きながらも、相変わらずな人当たりのいい笑顔を浮かべる一刀。呂扶もまた趙雲に向かい、軽く手を上げるだけではあったが挨拶を返す。
背中に抱える呂扶のそんな態度に、一刀は内心「物凄いコミュニケーション力の向上だ」と喜びに打ち震え。後で思い切り撫でてあげよう、などと考えながら既に呂扶の頭を撫で回していたりした。

一方で、趙雲は彼と顔を合わせることにいささか気後れを感じていた。
一刀が幽州を出る前に問うた言葉。彼女はそれを「自分が為そうとすることはなんなのか」だと捉え、改めて自問した。そして未だその答えを見出していない。居心地のいい幽州から離れることで何らかの取っ掛かりでも得られれば、と考えていたのだ。その出先で彼と顔を合わせてしまっては、また余計な考えが渦巻きかねない。

などと、思いはした。したのだが、久しぶりに見る一刀は普段とまったく変わりがない。彼女自身があれこれ思い悩んでいることが馬鹿らしくなってくるほどだ。

「あ、そうそう。趙雲さん、愛紗に宛てた便りは見ました?
というか届く前に幽州を出ちゃったのなら知りようがないかな」
「いえ、ちゃんと届きましたぞ」

感情はひとまず置き。
趙雲はわざわざ青州までやって来た理由を思い起こし、表情と気持ちを改める。

「ここまで来たのも、北郷殿の便りが理由のひとつですからな」
「あー、なるほど。現状把握に派遣されたとか、そんなところですか」
「言おうとしたことをそう先取りしないでくだされ」
「でも、わざわざ趙雲さんが出向くほどのことかな?」
「……しかも置いて放ったまま進めるとは」

普段の趙雲に負けない自分本位さで、一刀は話を進めていく。
何やかやと、それぞれが戦場付近まで来た経緯などを交わしつつ。ふたりは状況の把握と報告をし合う。

「青州の顔見知りは、今のところ元に戻りそうになかったので。放置することにしたんですよ。誰を信望していようと、こちらまで強制されるんじゃなければ問題ありませんし。
ただ、その中でも結構な数が、この騒動に乗り込んでるんですよねぇ」

一刀は商人仲間の顔を思い浮かべつつ、お前らは前線じゃなく後方で動くべきだろう、と、ぼやいてみせる。
果たしてどうなるのかと、この後の展開が気になった彼は、距離を置きながら青州軍を追い掛け、状況を観察し続けていた。そして、戦況も決しそうだという雰囲気を察し、そろそろ幽州へ帰ろうかと考えていたところで、趙雲に出会った。

「見ていた範囲でよければ、戦況の推移もお話しますよ。さすがに冀州軍が進攻してきた理由までは分かりませんが」
「ほぉ、それはありがたい」
「何でしたら幽州まで一緒に行きますか? 話はその道中でしますし。冀州に立ち寄るつもりなので、そこで久しぶりに食事も振舞いますよ」
「……それは、本気で魅力的ですな」

手をかざし、遠くに見える軍勢を見ながら趙雲は応える。
そんな彼女を横目に、一刀と呂扶は「そう言えば一刀のご飯をしばらく食べてない」「あー厨房のないところばかりを進んでたからなー」といった、これまた普段と変わらないやり取りをしている。
ふたりのやり取りに懐かしささえ感じ、自然と口元を緩ませてしまう。

「しかし、理由はどうあれ冀州、袁家の兵が出張ったのです。新米領主の劉備殿が応ずるには荷が重いでしょう。むしろこれまでよく持ちこたえたと言うべきかもしれませぬな」

趙雲は話を元に戻そうとした。
劉備の人となり、そして袁家の兵力と財力の厚さを彼女は知っている。だからこそ、例え関羽や張飛が青州軍を率いたとしても、冀州軍の勝利は動かないと考えていた。

「いや」

だが、一刀はそれを一蹴する。

「負けるのは冀州軍の方ですよ」
「何ですと?」

その言葉に、趙雲は眉を顰めた。










洛陽にある、近衛軍が日々執務を行う居城のある一室にて。

「桂花、報告してちょうだい」

仕える主君・曹操の言葉を受けた荀彧は、頭を下げつつそれに応える。

今の彼女は、洛陽に拠点を移した曹操に呼び寄せられ、より豊かな人員と高い権限を行使し情報収集と現状把握に努めている。これまでは広くても州単位で行っていた情報収集が、一気に漢王朝が統べる地の全土に広がった。作業量と難易度は桁違いに上がったが、むしろ活き活きしているとは同僚たちの談である。

「冀州軍の青州侵攻に伴い、両軍が衝突。結果は、冀州側の敗北で収束しつつあります」

冀州軍の巻き返しは無理だろう、と告げた。
荀彧は淡々と、報告を続ける。



先に起きた、冀州牧・袁紹の声掛かりによる青州侵攻。その原因についてははっきりとしない。
荀彧がどれだけ調べを進めても分からなかった。それこそ袁紹ひとりが抱え込んでいるのかもしれない。ならば袁紹自身から聞き出すほかに術はないかと判断し、現在は保留としている。

次いで、先に手を出したのは袁紹だということ。彼女は約1万の兵を引き連れ、青州へと進軍を開始した。
袁紹率いる冀州軍の進攻上、青州でまず矢面に上がるのは西部である。これを知った平原の相・劉備は慌てて軍を編成し、冀州との州境へ出兵。併せて冀州軍へ向けて使者を派遣する。

知らぬ仲ではない袁紹に対し、理由を質し何とか引き返してもらおうとした劉備。だがその甲斐もなく、冀州軍の進みは止まろうとしない。返事どころか使者も帰って来ない。劉備はやむなく、兵力を持って臨まざるを得なくなった。

冀州と青州の境で両軍は陣取り、ぶつかり合った。
兵力は、冀州軍1万に対し、青州軍はおよそ5000。

軍がぶつかる、というのは、やや正確さを欠いているかもしれない。最初は、冀州軍による蹂躙、と言っていい惨状だった。
数にして、冀州軍は青州側の倍。さらにその大多数が専任の兵である。武器を取り戦うことに秀でた者ばかりが集まっていた。
対して青州軍は、その大多数がただの平民だった。専任の兵と呼べる者は1割以下、500人にも満たない。普段から持つ農具をそのまま剣に持ち替えた程度の錬度しかなく、中には実際に農具を手にしていた者も少なくなかったと、荀彧は報告を受けている。

兵の総数も、質も、装備も、すべて冀州軍が圧倒的に秀でていた。
だが結果は、冀州軍は敗走し、6割強の兵を失っている。
なぜか。

最終的に、冀州軍は数に押しつぶされたのだ。

当初出兵した青州軍は、たちまちその数を減らしていく。内実は兵ではなく農民なのだから、戦場において生き残る術に劣ることは想像に難くない。
だが農民であるがゆえの利点もあった。言い方は悪いが、取り替えと補充が安易だ、という点である。
5000の青州軍が3000まで減り、すぐさま3000の兵が現れた。
そこからさらに3000が減る間に、新たに5000の兵がという具合だ。
こうして時間が経つにつれて、1000、2000、5000、10000と、兵と言う名の農民が次々増えていき。一方で冀州軍は、減り幅こそ少ないもののその数を確実に減らしていく。
増えていくばかりの青州陣営。さらにそのすべては劉備の命令によって集められたものではなく、彼女を慕う者たちが自ら、戦場である州境へと集まって来たものだった。自らの命さえ、省みることなく。

冀州軍は、やがて対処することができなくなり。純粋な数のみで押され始めた。

そこに、青州牧が派遣した軍兵が到着する。
これも決して錬度が高いわけではなかったが、命を顧みない農民たちの力押しばかりを相手にしていた冀州兵にすれば急に錬度の上がった兵を相手にすることになってしまい。相手の力量差を捉え損ねたまま、命を落としていった。

冀州軍は撤退を開始。殿を文醜と顔良が務め、撤退する軍勢の中に袁紹の姿もあったらしいが、無事に冀州まで戻ったのかどうかは確認できていない。

戦場を制した青州勢は、そのまま冀州へと侵入を開始。渤海郡・南皮、常山国・高邑、魏郡・鄴と全方位へ広がっていった。その総数は把握しきれるものではなく、青州の民すべてが動いたのではないかと思わせるほどだったと言う。

まさに厚い壁が押し寄せてくるかのように、人波が冀州の各地に雪崩れ込んで来る。
地響きと鬨の声に民は恐怖したが、その規模に反して、道中の村が襲われるなどの略奪は驚くほど少なかった。
どのように律したのか、そこまでは荀彧に報告は上っていない。冀州に入った青州兵を追い掛けるようにして劉備自身が駆け付け、軍全体を抑えて見せた。それと併せるように、先々の地で怯える人たちをなだめて回ったとか。

「仁将を気取っているのかしら?」
「状況だけを見れば、周囲にそう思われていても不思議ではありません」

不意の侵攻を何とか追いやり、先走った兵を自ら出向いて諌めて見せ、成り行きとはいえ攻め入った地では配下の人間に狼藉を許していない。また冀州を我が物にしようという素振りを見せるわけでもない。
自身の利ばかりを考え民を省みない領主の多い中で、劉備の行動は一見高潔なものに映る。

欲がないと見るべきか。それとも、世を乱す先駆けとなることを嫌ったと見るべきか。

「確かに、劉備の立場は侵略して来た軍勢を追い返しただけなのよね。勢いで配下の兵たちが先走って冀州まで行ってしまったとしても、新米領主としてなら良く抑えたと言うべきかしら」

州牧、そして名家・袁家の長が不在となり、攻められた地の人間が乗り込んで来たのだ。略奪を行うこともなく大人しくしているといっても、冀州の上部は慌てふためいてることだろう。

「袁紹が不在となった冀州に早く代わりの州牧を送れと、その劉備から遣いの者が来ています」
「なるほど」

確かに、劉備はひとつの地域を治める相でしかない。それがいきなり州規模の地を取りまとめるなどできるはずもない。そもそも現在ある平原の相という地位でさえ、義勇軍のまとめ役から一足飛びに得たものだ。それだけでも手一杯だろう。

そう思うが、荀彧の言葉はやや趣が異なっていた。

「冀州各地で少なからず起きていた混乱も、現在は落ち着いています。不思議なほどに。
頭だけを挿げ替えただけのように、統治を行う袁家という枠そのものが変わらず機能し始めています」
「不自然だと?」
「はい」
「確か、同じようなことがあったわね」
「劉備が青州・平原の相に就いた際にも、同じような手際のいい治まり方を見せています」
「2度も続くのは、やっぱり?」
「不自然です」

曹操の言葉に、荀彧は渋面を浮かべながらうなずいてみせる。

「確かに、不在にとなった州牧に新しく人材を派遣する必要があります。このまま劉備に任せるのは、いろいろな意味でよろしくありません」
「青州での不自然さを考えると、心情的にも任せたくないわね」

袁紹は行方不明。主だった将も同じように行方が知れない。文醜と顔良のふたりは撤退する軍の殿に立っていた姿が確認されているも、やはり行方が分からなくなっている。そこに付け込み何かをされるのではないかというおそれも抱く。
とはいえ劉備も、大人しく青州へ帰ることはできないだろう。戻った途端に再び攻め入られたりしてはたまったものではない。そう考えれば、何某かの確約を得ようと、劉備が次の州牧就任まで冀州に留ろうとすることも分からなくはないのだ。

「まずは、代理の州牧を派遣。残った袁家の人間と絡めながら、当面の冀州はなだめていきましょう」
「はっ」
「麗羽と、顔良に文醜も必要か……。3人の捜索の手配を。
州牧を置いて引き継ぎを終えたら、劉備に上洛を命じるわ。今回のこと、報告は必須でしょうし」
「ではそのように」
「お願いね」

このようなやり取りがあり。対応の詳細が詰められる。
おおよそをまとめた後、同じく洛陽の要職にある董卓や賈駆らへと報告が回り。認証を経て実行されることになった。

折衝役として、袁家に仕えていたこともある荀彧が出向く。そして情勢が不安定だろうことも鑑み、幾ばくかの兵と、それを指揮する長として夏侯淵が派遣されることになった。
新しい州牧就任の裏方としてだけでなく、冀州と青州で何があったのかを直々に調べることが目的である。此度の侵攻騒ぎに当たっていた細作、その中でも劉備に近いところを探っていた者の一部が、劉備贔屓になって戻って来ている。そこそこの者では取り込まれてしまうかと懸念し、荀彧と夏侯淵という腹心をわざわざ遣わせることになった。

「せめて麗羽の無事が分かれば、別の対処もできるのだけれど」

忌々しそうに、曹操は強く爪を強く噛む。

「麗羽、貴女は何をしようとしたのよ」

そのつぶやきは誰に聞かれることもなかった。











戦場となった、冀州と青州の州境。
見渡す限り途絶えることがないかのように、万を超える死者が累々と折り重なっている。

多くの民が死んだ。
そのほぼすべてが彼女のために、自ら身を投げ出し、命を散らした。

攻め入られた地を治める領主・劉備は、戦場の只中で立ち尽くしている。
独り、涙を流し続けながら。
























・あとがき
やべえ、各キャラの話し方とかすっかり忘れてるわ。

槇村です。御機嫌如何。





またしても約半年ぶりとなりました『愛雛恋華伝』。
どのくらいおられるかは分かりませんが、
待っていただいている方々にはお詫びをば。
お待たせして申し訳ありません。

お話の肉付けがなかなかできないと称して、
別サイトさん・ハーメルンで別のお話をでっち上げたりしていましたが。
このところは時間のなさゆえにどちらも放置状態。

その割には、書いてみたいお話のアウトラインとか取っ掛かりを思いついたりする。
なんというジレンマ。
さらにこのお話で「こうすれば面白いんじゃね?」みたいなものを思い付いたり。
どうすっかなー。

このお話に皆さんが求めてるものって、7割くらいは一刀さんの料理な気がするんですよね(笑)
話の流れを追っていくと、料理シーン出てこないんだよなー。



……もう、容赦なく「巻き」でサクサクと話を進め行った方がいいかなぁ。
でもシーンとシーンの間を埋めたくなっちゃうんだよなぁ。




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