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[20458] キツク茹でろおおおおおおぉぉ!!(和訳したらコレだよ) 【サイエンス・ファンタジー・?=SF?モノ】
Name: シンシ◆777c7338 ID:b2fa2aea
Date: 2011/09/13 23:45
“ あたしのくに こくみん ぼしゅうちゅうなの みんな きてね~ by 二代目国王 火途野 彩摩智ちゃん”

 【オレノ国】。 そう名付けられた極東の島国は、そんな手書きのチラシを全世界に堂々と配布していた。
この国家概念を脅かす過激な挑発行為に対し、“第三次世界大戦”の残滓によって緊迫している世界諸国は黙殺を決め込んだ。
大国であれ、軍国家であれ、独裁国家であれ、善悪も賢愚も問わず、各国の首脳陣達は不干渉のスタンスを変えようとしない。
大儀と云う引き金に飢えた国長達の食指が留まる理由は、【オレノ国】には“ジン街”があるという噂のみ。 ただソレだけで誰もが納得してしまう。


これは、そんな“ジン街”が産んだ御伽噺。






―――寝静まった街を叩き起こすのは、白銀の軍隊と灰色の魔獣が織り成す赤い宴。


市街の中心部なのに何故か無人となっている不思議な繁華街。 其処では今夜も雄叫びと爆音と弾薬が飛び交っていた。

爆炎を撒き散らす主賓は九つの機甲兵。
 身に纏うは最新という枕詞が的確であろうメタリックなパワードスーツ【銀鎧】。
 巌の如く逞しい鋼の豪腕が掲げるは口径六十ミリを越える巨大な砲銃。 本来ならば設置式であるソレを易々と振り回させるのは、
 装甲内部に根深く張り巡らされた難解で膨大な電子回路と人造筋肉のパワーアシスト。
月光を跳ね返す背面装甲に刻まれた鳳凰のエンブレムが部隊の錬度と矜持を示している。

迎え撃つ来賓は一人。否、一匹と呼ぶべき人狼。
 迷彩柄の長ズボンのみを履いた野生的な姿。その為に武器は一目で分かる。全長三メートルを越す肉体全てだ。
 自前の毛皮を纏う凶悪に肥大化した筋肉。子供の頭程もある拳。金属光沢を持つ鋭利な爪。肉食竜を思わす巨大な口腔に生えた牙の群れ。
獰猛なイヌ科の笑みを浮かべ、羆のような巨体が縦横無尽に跳ね回る様は暴威に溢れている。

最新兵器と天然兇器。
互いを否定し狩り合う真逆の殺戮者達。 

響き渡る爆音。閃き穿つ爪牙。
両者が繰り広げる死闘に生存者はその数を減らしていく。
故に戦況は容易に分かるであろう。 軍隊の敵は一匹しか居ないのだから。


―――獣は撥ねて、刎ねて、跳ね回る。


隊長格であろう唯一赤い兵士が巨獣に撥ね飛ばされた。
ソプラノの悲鳴を出した【銀鎧】の頭部が中身ごと刎ね飛ばされた。
装甲に幾つもの傷を刻んだ兵士が砲撃する。 人狼は飛び跳ねて弾幕を回避した。


数えるにして八人と十秒。何も出来ぬまま葬られていく仲間達。
共に笑い、共に泣き、共に戦った彼等の無情な最期を見て、最後の生き残りとなった若者グロックン・サンッチは叫ばずにはいられなかった。

「クゥソッッたれがアアアアアアアアアァァ!!」

狂騒する爆音。乱舞する爆炎と粉塵。
激昂の乱れ撃ちによって深夜の街に憤怒が顕在したかのような紅蓮が狂い咲く。

けれど、憎悪と殺意の贄は建物ばかり。 嵐の勢いで跳ね回る巨大な的には掠りもしない。

------脳基移植された AIの補助、思念式発射機構により可能となったThink&Fire
------二酸化炭素と熱量、生命体の発する微弱な反応を捕らえた精密狙撃
------目標到達時間を大幅に削減した多段加速式の豪速砲弾
------実質的に再装填速度を無にした超高速連射

底知れぬ悪意によって産声を上げた殺戮の兵器達。
その筆頭を担いし討魔の砲弾が、ただ怨敵の雄姿を照らす花火へと成り果てている。


だがソレが当然である事を若者は理解していた。


経験をラジエータとして急速冷却される思考は月夜を駆ける灰獣の称号を思い返す。

―――A級害悪指定魔獣【独狗】

世界有数の軍国主義である彼の祖国を恐怖の渦に陥れた魔獣に、この程度の砲撃が命中する筈が無い。
けれど、そうと知りつつも若者は手を動かさねば気が済まなかった。

そして、

――ガッ!

「えっ?」

白銀の兵士は間抜けな呟きを漏らして静止した。 
完全な放心である。論ずるまでも無く愚行である。若輩ながらも最前線を駆け抜けてきた非凡な力量を踏まえれば、不可解とまで言える。
だが、それも致し方あるまい。 ヘルム越しに若者の碧眼に映った光景は、有り得ぬ程に不可解極まりなかったのだから。


人狼の左胸に爆炎が炸裂していた。


撃った本人すら討てまいと思った足掻き。その四桁にも及ぶ足掻きの末に一発の砲弾が人狼に炸裂した。
見間違いではない。確かに灰の毛皮に覆われた分厚い胸板は業火に蝕まれていた。
付け加えるならば、命中したのは“銀の弾”。
乱世の学徒として恐れられる【狂賢】ジェイム=グリフォードの著書“怪物の条理”によって創生された討魔の砲弾(●●●●●)だ。
つまり(●●●)呆然とする若者は此の(●●●●●●●●●●)世界にも既に登録済み(●●●●●●●●●●)である“狼男の殺し方”を成し遂げていた(●●●●●●●●●●●●●●●●●●●)






正に万に一つの奇跡。 若者は目を見開いて己の原点を思い返す。


――六歳の頃、両親を魔獣に食われた。
――復讐を誓い修練を開始した。

――三年後、女に出会った。
――五月蝿い女だった。

――それから七年の月日が経ち特殊怪魔対策室に配属された。


次々と思い出される自分の歴史。


――魔獣を狩った。ただ只管に直向きに闇雲に。
――嬉しくて楽して、何故か空しかった。

――気がつけば女が泣いていた。
――意味が分からなかった。

――更に二年経つと涙の意味が理解できるようになった。


余りの鮮明さに違和を感じたが、


――女が泣き止んだ。

――女が妻になった。

――女との間に子供を授かった。


――生きる意味を知った。



爆炎を纏いながら迫り来る人狼を見て走馬灯なのだと納得した。 
獣が浮かべる嘲笑は不条理の如く醜悪であった。


------そして、


若者の思考が現実に回帰した直後に轟音が鳴り、


------半月を背負う【独狗】は迅雷の如き突進で白銀を着飾る若者を弾き飛ばした。


驚異的な速度で飛来してきた一トン近い肉塊を前に【銀鎧】即ち、
人魔闘争の象徴である四百八十三枚にも及ぶ装甲群は存在を圧殺された。


「ヒュッ!」

若者は肺に残った酸素を根こそぎ奪われ、碌な悲鳴も叫べず大通りに新たな道を作り出す。
ガードレールを砕き、点滅する街灯をへし折り、寂れた駐車場の柵をぶち抜き、
アスファルトを抉りながら進んだ若者の強制疾走は廃ビルの根元にめり込むことで漸く終わった。

「がっ!」

堅い音が響き、頭部装甲が砕けた。破片が残る隙間から青い右眼と高い鼻梁が覗いた。口と後頭部から鮮血を吐き出した。耳鳴りが五月蝿い。
脳が揺さぶられる。また吐血した。重要な臓器が幾つか破裂したようだ。痛みは無い。意識を共有する AIが痛覚遮断措置を施したのだろう。
けれども、満身創痍に変わりはない。 もう直ぐ死ぬ。


『マスターの致死量失血を確認。本機の損害率八十パーセントを越えました。戦闘継続不能。
 これよりマスターの生命を優先し、生命維持モードに移行しま……』

――― マスターコマンド【 All Betting 】。 痛覚遮断措置、強制解除。 浮いたエネルギー使って戦線に復帰しろ --―

『……マスターコマンド承認。 戦闘モードへ復旧開始。 御健闘を御祈りします マスター』

AIの無機質な鼓舞。途端、若者の全身が焼かれた。

「ッッァ!!」

駆動音と共に、打撲と骨折と破裂による熱刺激の群れが一斉に脳髄へと到達した。
ショック死が妥当であろう激痛に、涎を垂らして失禁までした。

―――無言の悲鳴。脳裏を過ぎる妻子の笑み。

「――――シャアアァ!!」

けれど、若者は右腕を動かし、【独狗】に眼光と砲口を向けた。

砲銃を掲げる彼の目はまだ死んでいない。



「む、まだ息があるか。すまんな。今楽にしてやる」

憮然とした表情で砲弾が炸裂した辺りをポリポリと掻きながら、二本足で歩く人狼が喋った。
恐ろしいことに人語を解せるようだ。

「ぐるぜべぇよ」

――クソが。条件満たしてやっても痒いだけかよ。本気でどうなってやがる。
悪態すら上手く吐けない。代わりに血を吐いた。

視界を埋め尽くす赤色で生き延びられない事は判っている。 漸く当てた切り札ですら正答でない以上、後は一方的に喰われるだけだ。
――だからと言って即座に死ぬわけじゃねえし諦める言い訳にもならねえ

左半身のコントロール権が無くなった。規格外の衝撃で駆動回路が断線したのだろう。いや、頚椎の損傷も響いているのか。
――だからどうした まだ半分もある

頭の中で鳴り響く金切り音が白旗を揚げろと訴える。
――黙ってろ

終わりたがる体のせいで銃が上手く持てない。
――だからって


背骨が折れようと臓腑が潰れようとも曲げられぬモノが腕の震えを止める。
口が裂けようとも語るべき事は握り締めた砲銃が語ってくれる。
掲げた砲口が代弁するのは殺意溢れる命令文。

襲い来る睡魔を払いのけ、眼光に闘志を込め直す。

――自分の女房とガキを食い殺されといて許せる訳がねえだろうが。

復讐者グロックン・サンッチの殺意は向かい来る人狼に凝結した。




「しかし、此処“ジン街”にすら追っ手が来るとは。 気づかれるのが予想以上に早かったな」

そんな決死の覚悟を、向けられた砲口を気にも留めず【独狗】が呟いた。
横断歩道を渡り歩く賢狼の思念が向かう先は魔族の天敵、

「商談まで十日を切ったとはいえ、此の調子では奴等が来る可能性すら否定できんぞ」

“勇者”。

脳裏に、忌々しい姿を浮かべた【独狗】は自身の任務の行く末を思う。
人狼側も高位魔人達が派遣されるから成否には問題ない。
けれど、両者の争いに巻き込まれれば・・・。

自身の胃に含まれた“箱”の重要性を噛み締めた【独狗】は思わず苦笑する。

「それにしても、この街は拍子抜けだな。【盗神】、【ハーツ・リベリオン】、【℃螺魂】。
 数々の魔大公すら“ジン街”からは帰還出来なかったと云う不敗神話は誇張に過ぎなかったようだ」

唐突に始まった人狼の独白は浮かんだ苦笑を誤魔化す為のモノだったかも知れない。
低音で奏でられるソレは手振りまで交えられており、演劇染みた迫力を有している。

「出向を言い渡された時は死をも覚悟したのだが、なんてことは無い。
 狩場を移して一週間が過ぎたが、ただの住み心地の良い歓楽街ではないか」

観想に安堵が含まれるのも無理は無い。 此の街は外界から忌避され過ぎている。
化け物と呼ばれる【独狗】ですら関わる事を恐れるぐらいには。

 世界最凶の治安を誇り年間死傷者数が小国の人口と変わりないだの
 人間は一切住んでおらず化物が闊歩する魔王の領土だの
 神により築かれた永久を冠する楽園だの
 実は存在してない架空世界だの

外との交流が無い為、根拠のない憶測が蔓延る孤独な“ジン街”。
確実な事は“現実と幻想の戦争”から逃れた唯一の街という事実だけ。

「しかし所詮は旧時代の遺物か」

自棄食いでもしようかと、八つ当たり気味に瀕死の若者へと足を運んでいる魔獣は鼻で笑いながら最後の言葉を締めくくる。

「これ程に豪勢な食事をしても誰も騒ぎ出さないとはな。 私にとっては実に棲みやすい土地柄をしている。
 まあ、化け物や“アイツ”が棲むと言うから当然と言えば当然だ……」


           「あっ、オ客君たち見ぃつけた」


 唐突に何者かの声が【独狗】の狩場に響いた。
修羅場に混ざる心算にしては気が抜ける程、間延びした声だった。

「何者だ!?そこで何をしている」
 【独狗】は瞬時に反転跳躍し、声の聞こえた方角に爪牙と咆哮を向けた。

警戒を露にする人狼の金色瞳に映ったのは白い半袖カッターシャツに黒の長ズボン。

「フーもワットもバイトだよ。近所で騒いでたから勧誘しにね」

間の抜けた名乗りと共に路地裏から出てきたのは夏場の学生といった風な日系少年。

 黒い短髪に黒い瞳。 猫を思わす東洋風の顔立ちは女人の様に整っている。 
 筋肉質ではないが手足も長い方であり、健康的な肌色をしているから女性受けは良いだろう。
 が、左右の頬を笑みと無表情に別けた半笑いとも呼ぶべき奇妙な表情が全てを台無しにしている。
 其の右手はズボンに仕舞われ、足取りは警戒を感じさせない軽快な歩み。
 黒い革靴の響きに合わせて“ぶらぶら”と揺れる左手は腕時計すら填めていない。

「ん?もしかしてワンコ君、昨日の夜に大きくて汚い酒場の外でオ食事しなかった? 確か五人家族だったと思うけど」

「…………ハッ、ただの人間か」

アクセントのおかしい口調に呆けたが、少年が“称号”を持っておらず
無手である事に気付くと、【独狗】は警戒を解いて口角を吊り上げた。 また一人餌が増えたと。
―――話しかけられる寸前まで気配に気づかなかった事も忘れて。


異形の笑みに何を感じたか、怪物にも見劣らない半笑いを返しながら少年は喋り続ける。
壁にめり込んだ若者は逃げろと叫びたかったようだが、声に力が入らない。

「折角、オ店の近くまで来たのなら入れば良かったのに。まあいいけどさ、オ行儀良く食べましょうよ。
 烏とか猫が集まって鬱陶しかったんだから。でも、営業妨害されたのにオ客君は減らなかったんだよ。凄いでしょ。
近所の人に言ったら、『不況に負けない逞しい発想転換だな』って褒められたしね。
 あっ、で?どうなの。ワンコ君が食べたのでザッツライト?」

「……五人家族なら身に覚えが在るが、酒場というのは見覚えが無い。 
まあ、食したこと自体に変わりは無いが。 というか何だ貴様は、“ジン街”の住民か?」

話の種が飛び回る長口上な問いかけに【独狗】は殺る機と気を削がれ、思わず答えた。

「そうだよ。 あっ、言うの忘れてたよ。 初めましてよろしくお願いします」

言葉が届く距離を残して足を止めた少年も会話に没頭する。 
此方も、自身の二倍は巨大な魔獣に掛ける言葉にしては随分と緊張感が無い。

―――屍と瓦礫が散乱する夜道で、グダグダに喋る少年と人語を語る怪物の奇天烈な問答が始まった。

「そんなことよりもね。ワンコ君のオ食事を今日一日中、掃除させられたんだ。
 そしたら、近所の人がオ食事したのは外から来た人だって気付いちゃってさ。
 『食い散らかした犯人に迷惑料払わせろ』って頼まれたんだ。
 ってことで迷惑料っていうの払ってよ」

ね?と、まるで要求が通る事が当然とでも云う様な口調に【独狗】が推測する。
理解しにくいが“ジン街”の規律を乱した己に制裁を与える心算なのだろうか、と。

――人間風情が。 嘗められているなら食してしまえ。
そう語る獣の矜持に従い、【独狗】は前足をズルリと地に着けて狩りの構えを取った。

「踏み倒させてもらう。 貴様の屍と一緒にな」

そして、破裂音が虚空に響く。 夜風に舞うのは緑の布切れ。 内部の急激な膨張に弾き飛ばされた長ズボン、其の残骸。
“力み”によって人の衣を拒絶し、剥き出しの獣と化した【独狗】の肉体は尚もギチギチと音を鳴らしながら隆起を続ける。

「ケチ。じゃあいいよ、身体で払ってもらうから。
 だけど、狗汁なんて犬の餌にもならないくらい不味いらしいんだよねぇ。あっ、でも太ってるから美味しいかも」

規格外の巨体が更なる境地に膨張していく様子に何も思わないのか、少年は表情も変えずに軽口を返した。

「ほざけ小僧がああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァ!!」

解放、跳躍。 踏み砕かれた地面の悲鳴は野生溢れる雄叫びに掻き消された。
四肢に込めた力を解放した巨獣は爆発的な推進力を以って少年目掛けて飛来する。

彼我の距離は優に五十メートルは有る。
どう考えても一跳びでは届き得ない筈の無謀な突進は、常軌を逸した筋力によって回避不能の重爆撃へと昇華されている。

「ガア?犬語って分からないんだけど」

冗談のような速度で迫り来る巨躯に、少年は反応できないのか一歩も動かない。
唯一の動作といえば挨拶する様に左手を挙げた事だけた。



そんな化け物と少年が交錯した。



壁にめり込んだ若者は声にならない声で叫んだ。

少年の左半身が赤く染まっていくのを見てしまった為に。


――マズイな。

少年の左手を口に含んだ人狼の感想はその一言に尽きる。


少年は千切れた右胴体から噴出した赤い鮮血を浴び、自然と呟きを洩らした。


「あちゃあ。しくじったなあ」


少年は振り返り、既に遠く離れた背中を見ながら言う。


「口開き過ぎだよ。服が汚れちゃったじゃんか、血って落ちにくいのにさあ」


獣の血を撒き散らす(●●●●●●●●●)少年自身より巨大な肉塊を肩に担いだまま(●●●●●●●●●●●●●●●●●●●)
―――左の逆手で引き裂いて奪った【独狗】の右胴体を肩に担いだまま。


降り注ぐ血の雨にも、半笑いは崩れない。
常識では有り得ない異形が襲い掛かってきたというのに
自らの半身以上を赤に染めたというのに少年の眼光に驚愕は見えない。

震えない胆力が意味するのは経験。
揮われた暴力が意図するのは余裕。

つまりは起こりえる常識の範囲内だと確信した動き。
故に少年にとっては当然で平凡な日常なのであろう。
消えていく意識の中で【独狗】は漸く気づいた。
―――己如きは幾度も狩られた事のある獲物に過ぎないのだと。

「じゃ、コレ貰っておくね。 バイバーイ」

少年は左手を振って別れを告げた。 つられ、肉塊が揺れて豪快に中身を撒き散らす。
其の小さな掌に、こびり付いているのは人狼の舌肉であろうか。 
アスファルトに突き刺さった白い物質は少年の柔肌に挑み、打ち砕かれた牙であろうか。


――こんな化物と出会ってしまうとは。

“ジン街”が畏怖される理由を悟った【独狗】が前のめりに倒れた。
やや左寄りに倒れたのは総重量の四分の一もある肉体を損失した為に、バランスが悪化したせいだ。



「ところで、めり込んでるオ客君も外から来たんだよね?
 オ仕事取っちゃったみたいだし飲んでってよ。半世紀くらい寝かせたワイン並のオ値段がする濁酒が飲めるよ?」
 
「早速イイのが入ったし」と、少年はコレと呼んだ肉塊を自身が来た方向へと投げ捨て、最後まで健闘していた若者に視線を投げた。

   完全武装した一個中隊を惨殺した魔獣。
   ソレを刃物すら持っていない少年が片手で狩ったと言われて、どれだけの人間が信じるであろうか。
   ――――“ジン街”の人口は不明である為、正確に解答することは出来ない。

「ん? あーあ。もう少し保てばいいのに。 まあ言われる前に掃除するけどね」

若者を見てなにかに気付いた少年は口調だけで残念がった。 
そして、何を思ったのか振り返って地に伏す【独狗】に近付き、剥き出しの腹部を踏んで歩き始めた。

莫大な質量を苦もなく運ぶ少年は、瓦礫や屍のある場所を寄り道しながら、罅割れたビルの方へと向かっていく。
体内を踏み躙りながら歩く彼の右手は結局、ポケットから引き抜かれる事はなかった。


灰色の毛皮が地面から汚物を略奪していく様は自然の摂理を体現しており、
其のアクセントは捕食者から転落した人狼には花冠のように似合っていた。


蜘蛛の巣状に罅割れたビルへ視点を変えれば、其処の底には砕けたパワードスーツから食み出た瞳が見える。

ソレには迫り来る雑巾と成り果てた人狼が映っていた。

獣の表情は右頬から下が欠けているため不明。
獣の生死は剥き出しになった心臓からも明白。



鼓動を止めた若者グロックンがソレを理解できたとしたら何を感じるのだろうか。



[20458] プロローグ  出会い 【大幅改訂】
Name: シンシ◆148261f6 ID:05636c94
Date: 2011/09/15 23:56
目が覚めたら白い光が見えた。

『……月七日午前八時九分、急速眼球運動停止を確認』

格好付けて言ったが、天井にぶら下がった環形照明が発光しているだけだ。 大した光景ではない。

『及びGCS意識レベル判定、10ポイントをマーク。 覚醒と判断』

ぼんやりとバスタオルの柔らかな重みを感じていると、妻の声が響いてきた。
今日も舌滑が好調らしく、電子音声が喋っている様に聞こえる。

『おはようございますマスター』

聞き慣れた挨拶が起き立ての頭に染みていく。 六時間も寝ていないらしいが、思い浮かぶのは鮮明な光景ばかり。
市民権も無い俺をマスターと呼ぶ幼馴染の想いを知ったのは、出会いから十年後の夜だったか。
指輪渡して漸く相思相愛だと気付けた時は笑った。 幼少時から惚れ合ってたマセガキ共は笑える程に鈍かった。
そういや、今日は娘の誕生日だ。 祝日と重なっている為、毎年この日は朝からキャンプに行く約束をしていたのだった。
こんな大事な約束も忘れて暢気に寝惚けているとは。

眠気が霧散し、自分の頭の悪さに嘆息する。

「おはよう【SIL-00】。マスターと呼ぶなと何度言えば判る。死んだ(アイツ)とダブるんだよ」

――――――守れなかった妻子に詫びねばならないのに。
知らない天井を眺めながら、妻に良く似た AIに挨拶を返した。 同時に顔が歪む。
思念波相手に言葉で返したせいで嫌な現実が聞こえたのだ。 覚えが悪いので最近は寝覚める度に不意打ちされてしまう。

『マスターに対する精神圧迫を感知。 原因となる記憶の廃棄を提案します』

――― 却下する。 つうか聞けよコラ ―――

零距離思念通信(●●●●●●●)の相手は電脳寄生知能【SIL‐00】。
高位医学技師である妻が自らの人格を基に創製した補助AI。 俺の脳髄に住む妻の複製品。

『ならば御自分を責めないで下さい』

故に連想するのは必然。 だが、混同視していい筈がない。
手前勝手な願望で、共に苦難を乗り越えてきた相方を蔑ろにするとは本当に頭が悪い。 
脳味噌抉り出してゴミ箱に叩き付けたくなる。

『改善が見られない為、マスターの記憶初期化を提案します』

――― 善処するから止めろ。 何が悲しくて記憶喪失せにゃならんのだ ―――

彼等(●●)に関する記憶素子の数が膨大である為、整合性を保つには全消去の方が適しています』

妻そっくりのキツイ返しに口を噤む。 悔しいが正論だ。
八人加えて百六人。 十六歳の頃から快速特急で増え続ける恥晒しなカウントが遂に三桁台に突入した。
しかも両親が始まりなのだから始末に負えない。

「しかし、また俺だけ生き延びてんのかよ。 見苦しいったらありゃしねえ」

昨夜、人狼に撥ね飛ばされた俺グロックン・サンッチは殉職した同胞の数に自嘲した。
見え透いた誤魔化しだったが、優秀な知性体は黙ってくれた。

……こういう処まで似てやがるから堪らない。


 =================== 第零話 プロローグ 出会い ==================


嘆いても死者は喜ばないし悲しめない。 叱られずともそれぐらい判る。

――― コード:ゼロワンオクトーバ。 警戒レベルS。 直ちに現状報告を開始しろ【SIL‐00】―――

判っている癖に軋む心で指示を出し、上半身に掛けられたタオルを引っ掴んで身を起こす。
特に痛みは無い。思考の隅に駆動音が響き始めたが、十年来の付き合いが不快感を解消している。
勝手に感覚が冴えていくのも含め、もう慣れた。

『了解。 システムギアをミッションにチェンジ。 これより本機は設定された非常事態対策行動に入ります』

相方の稼動宣言と同時に、俺も目に掛かった金の長髪を払って前を見る。
すると、買った覚えの無い黒ズボンを履いた俺の足が木目の床を辿り、玄関口を差していた。
視点が低いのは、床に直接寝ていた為。 【銀鎧】と衣類は脱がされ、腰から上はバスタオル以外に何も着けていない。

「……市街地で乱射した馬鹿を見張りも手枷も無しで放置か。 流石だな」

浮かんだ感情を畏怖で誤魔化し、周囲を見回す。 白い壁に包まれた此処は物が少なく中々に広い。
俺の後方、部屋の中央は背の低く四角い机が陣取り、左手の壁は木製ベットが鎮座。
ベッドの奥手は酒瓶だらけの食器棚に手入れの行き届いた台所。
右手の壁には引き戸があり、薄いカーテンが開いたベランダ窓から朝の日差しが差し込んでいた。
高級マンションの一室と云った処か。 無機質な印象もあるが整然としているのは好ましい。

『生体スキャン及びGPS情報検索完了。結果を報告します。
 マスターの肢体に治療を要する内外傷無し。治療放棄された心傷以外に異常ありません』

聞こえた報告に、俺は無表情を装いながら上半身に巻かれたタオルを剥がして見る。
少し見辛いが、引き締まった腹筋には染み一つ無い。 薄々感じてたが、無傷らしい。

「本気で異常だな」

不気味すぎて感想が零れた。 人狼にやられた痕跡処か元々あった縫合跡さえ消えてやがる。
脳改造により回復力は格段に上がったが、致命傷が一夜で治る程ではない。
普通なら夢オチ扱いすべきだ。 けれど、左胸を握れば弾力と鼓動が返ってくる。
帰ってこない妻達が痛みを訴えてくる。 コレが夢など有り得ないしアレは夢でも有り得ない。

『現在座標は【GOD】とのアクセスに支障がある為、確認できず。 従って、該当エリアは一つしか有り得ません』

続きの報告で自分の状況を思い出してしまい、軽く欝になりながら考察を打ち切る。
此処はそういう街だ。 太陽系全てを監視している【GOD】にすら認識させないのが禁忌の街と呼ばれる所以。
地獄以上の未開土地、“ジン街”に身一つで残される等とは悪夢以外の何者でもない。

『良かったですね。 悪夢なら死なないんでしょう?
 本機はこれより無意識下領域に沈降し周囲警戒に入りますので、目が覚めましたら教えて下さい』

端然と言い切り、思考から気配が消えた。 阿呆な妄言を引用されてしまった俺の方も、息を吐いて気を引き締める。
説得を跳ね除け、自分の意思で来た以上は自業自得だ。 流石に覚悟くらいはしている。
上半身にバスタオルを巻き付け、脇で結んだ結び目が解けないか確認し、腰を浮かそうとすると、

「おっ? 起きてるじゃんか」

間延びた声が真後ろから聞こえた。

「ッ!?」

戦慄と共に振り返れば、酒瓶の腹。

「ハロー」

俺の鼻先で静止した瓶の後ろには、右手を仕舞った黒ズボン。
息を飲んで視線を上げれば、瓶の首を掴む左手の後ろに紅白斑の奇天烈な半袖カッターシャツ。

「……おはようございます。 本日はお日柄も良くて何よりです」

左胸を中心に広がっている赤い染みが返り血である事に気付き、勝手に口が動いた。
喋りながら更に見上げると、此方を見下ろす黒い双眸と目が合う。
東洋風の黒い短髪の下には予想通り、顔面の左半分だけが笑う奇怪な表情。 

「おっ、オ客さんって外人なのに喋れるんだ。 凄いね」

其処には人狼【独狗】を二つに裂いた少年が立っていた。 
洗顔位はするらしく半笑いから血化粧は落ちている。 その癖、服を着替えないのは洗剤が勿体無いとでも思っているからだろうか。
最鋭の索敵機能付きの俺が背後を取られたのは初めてだが、どうでもいい感想しか出てこない。 怨敵の死に対しても同様だ。

『一ミリセック前まで次元認識センサーに対象の反応無し。 暫定呼称、【少年】をSSSレベル相当の危険生物と認識。
【少年】から魔族因子反応、聖剣反応、駆動波長、全て感知できず。【少年】を人類と認識』

不敗の警戒網を潜られた動揺もなく、【SIL-00】が瞬時に診断。
第三世代量子解析学に基く高速検査は魔獣を片手で狩る怪力の持ち主を人間だと判定した。

「ん? なに変な顔してんのオ客さん。 オ酒が珍しいの?」

眉を顰めた俺をどう思ったか、自分の表情を棚に上げた少年が瓶を振る。
見れば、水音を奏でるボトルのラベルは俺の元上司が好きな赤ワインの物だった。

「こうやって開けるんだよ」

言葉と共に硬い音。 眼前で瓶の首が千切れ飛び、傍のゴミ箱に落下した。
冷霧を放つ断面は折り畳まれた人差し指が塞いでいる。 どうやら指一本で陶器を千切ったらしい。

「……そっか、知らなかったよ。 それより助けてくれたみたいだな、ありがとう。この恩は忘れねえ」

適当な報告をした AIのメンテは後回しにし、頭を下げる。 脅威を感じている分、口から出たのは月並みだが素直な内心。
化け物の血に塗れた子供が傍に居るというのに、冷静に対応できたのは餌の境地と云う奴だ。
祖国にて総計四十七名の【銀鎧】武装者を惨殺し、【金鎧】の出動までもが大真面目に検討された人狼【独狗】。
語り継がれし月夜の怪物を瞬殺できる奴に抵抗できる等とは自惚れていない。

「だってオ客さんでしょ? ロボットっぽい服着てたからオ客君だと思ったけど、良く見たらオ客さんだったからね」

声が遠い。 頭を上げると、中央の机の前で少年が胡坐を組んでいる処だった。
何時移動したとか云う以前に、机上に現れた二つのコップの意味が良く判らない。 さっき見回した時は室内の何処にも無かった。

「飲むよね? ていうか知ってる? この机“こたつ”なんだって。 今は無いけど布団掛けたら猫が丸くなってね。 
その猫を鍋にして温かくなるんだって近所の人が言ってたよ。 あっ、ていうか」

怪奇現象に驚く間もなく、妙な薀蓄が始まった。 雑談に流された情報、俺がオキャクサンだった事が助けた理由らしい。
人違いか何かだろうか。 身に覚えが無い俺は迂闊な突っ込みはせずに立ち上がる。

「ていうか助けてないよ。 オ客さん死んだからゴミ袋に入れて捨てたんだけどさ。
掃除終わって帰ってきたらオ医者君がソレ持ってきてね。 オ客さんを生き返らせて置いてったんだ」

思わず足が止まる。 間延びた発言者は手元に視線を落とし、ボトルをコップへと傾けていた。
顔面の左右で表情が違う為、彼が何を考えているか全く判らない。

「ヒトのオ店で何してんのって聞いたら『うぜえ。こいつやるから餓鬼は寝ろ』だって。
 あと、集めたゴミ袋全部燃やし……あれ?なんか言ってたけど、また忘れてるや。
 とにかく君がオ客さんだったからオ医者君は生き返らせたらしいよ」

半笑いの少年が顔を上げる。 二つのコップは赤い液体で満ちていた。

「あっ、言うの忘れてたよ。 いらっしゃいませ、オ客さん。 座って飲んだら?」

声を掛けられ、硬直が解けた。困惑しながらも何とか歩き出す。 けれど、再起動した足取りは覚束無い。
善意の無償救助などと云う美談は期待していなかったが、今の説明は根本も覆している。

「生き返らせた? 魔術と科学………他の連中もか!?」

寒気を感じながら少年の正面に座ると、仲間の生存率の高さに気付いて身を乗り出した。
悲惨な死に様ばかりだったが、此処は禁忌の街だ。 自分の身に起きた奇跡を考慮すれば、あの惨状でも一粒程度の希望は残る。

「ん? あっ、オ医者君が後で病院に来いってさ。 燃えカス渡すらしいよ。 遺骨っていうんだっけ? 八人分なんだって」

無論、夢想に過ぎなかったが。

「……そうか。そんな絵空事が在る筈もねえか」

虚脱感に襲われ、言いたくもない正論が漏れた。
仲間をゴミ呼ばわりされて冷静に対応出来たのは、日頃から散々言って下さるご近所様達のお陰だ。
如何に悲惨な結末に至ろうが、私怨に生きた暴力警官ならば当然の報い。 それより、自分の心配をすべきだろう。

「そりゃあ絵は空には無いよ」

独特な返しを他所に、思考に没頭する。
火途野愚笠を旗頭とする学徒達の研鑽により、現代医術は心臓が破裂した者を急患扱いするまでに発展した。
無論、搬入時の状態によって生還率は大幅に変動するが、呪いや脳髄損傷が無い場合は後遺症さえ容認すれば大抵どうにかなる。
本当に忌々しいが、俺の祖国では首から下をなくした者用の蘇生法さえ検討されている程だ。

だが、死人が生き返るのは異常だ。 心臓の扱いが軽くなっただけで、脳死からの生還は未だに絶望的な領域にある。
つまり、死者蘇生の法はこんな世界でも異常扱いされる禁術以外に有り得ない。

 世界制覇に王手を掛けていた帝国【ルゼルム】が不死の戦奴を作る為に考案したエリクサー。
 摂理を冒涜する魔大公【℃螺魂】が古代英雄隷属化の為に活用した死霊魔術。
 クローンボディに魂魄を移植する“引継ぎ人”、聖女十人の血肉で練った霊薬、etc。

この異常なる例外達は何れも等価交換に基づく正当な対価を必要とする。
言い換えれば、禁術を施された死者達は生命に匹敵する何かを無くした上で、二度目の苦界を歩む羽目になる。

だが、行き倒れ相手に禁術を施術するのも考え難い。 コスト云々以前に、死神がまた発生しかねない。
故に、少年の観察が適当だったと祈る余地はある。 そもそもの問題として、この少年が赤の他人の為に……。

「ねえ、飲まないのオ客さん? ていうか、なんで唇噛んでんの?」

考え込んでいたら指摘を受けた。唇を意識したら歯が食い込んでいた。滲んだ血を拭おうとしたら拳を握っていた。
無意識に恩人を睨んでいた様だ。 阿呆か、本当に。

「……悪いな。気が立ってたらしい」

拳の力みは直ぐに抜けた。 逃避代わりの考察を止め、差し出されたコップを受け取る。
血の様に赤い液体を見て一瞬だけ飲んで良いか迷う。 が、結局は口を付ける事にした。
脳内から警告が聞こえない事もあったが、単純に飲みたい気分だった。 それに今日の日付の事もある。

「その御医者様には今度会いに行かせて貰うよ。 ついでに、その人の好物や趣味とか知らないか?」

こういう日だけは健康に煩い妻達の小言が無かったのだ。 数少ない若妻との晩酌の光景を思い出しながら、一気にグラスを傾けた。

「知らないよ。ていうか木が立ってたって何? もうモンキッキー君に会えたの?まだ夏なんだけど」
「何をいってんだっっずうううウウ!」

そして、吐いた。
俺が履かせてもらってる少年の予備らしきズボンにも掛かるが構ってられない。 身を折って咽せながら吐きまくる。
ラベルに騙された。 中身替えてやがる。 これ赤ワインなんかじゃねえ。 クソ不味い何かだ。

「なんつうモンを……」

文句を言おうと少年を見れば平然と飲んでいた。 味覚障害者らしい。 言葉が続かない。
考えれば、胡坐を組んでいる状態でさえポケットから右手を出さないのは流石に変だ。

「呑めるよ?」

少年が空いたコップを左手で振りながら言った。 その不自然な表情を見て、俺は思い出してしまう。

勇者到来の日まで人類が生き延びた最大要因を。
人でありながら生身で魔族と闘っていた子供達の特徴を。
狂った賢人によって兵器である事を強要された【染災孤児】の伝説を。

争う為だけに製造された彼等の中には、戦闘に不要な機能を削って巨竜並みの膂力を得た者まで居るという。
一見して普通の人間に見える戦の申し子を識別する特徴は右手首に彫られた刺青。 そして、其の寿命は最長でも……。

「あ、悪い。つい口が滑った」

内心を隠せて言えたか、自信は無い。

「気にはしないけど凄い滑り方だねえ。 口に入れた物を吐くなんてさ」

身勝手な大人の視線を浴びる少年は左手でボトルを掴み、残っている中身を飲み干した。
凄まじい事に一息で。

「まあ判るけどね。 さっきも味見したけど本当に不味いねコレ。
 ていうか営業スマイルってキツイね。 オ医者君に言われたけどキモイしさ」

そして、ポケットから出した右手の甲で口元を拭った。 猫のように握った右拳の下には傷一つ無い。 
表情筋も自然になった。

「不味いって判ってるなら出すんじゃねえよ!飲むんじゃねえよ!こんなクソ不味いモン!
 それに営業スマイルって。あーもうすみませんでしたあ!!」

「商品だからね。ていうかなんで謝ってるのさ? 許すけど」

思わず出た罵声を少年は受け流して笑った。 “満面の笑みで”。


「ん?なんで黙ってんのさオ客さん」

「……別に。 あーっと、とにかくお前が居なけりゃ食われてたんだ。 改めて言うわ」

急に切り出したのは、照れ隠しだ。 此の少年、左右が揃うと随分と印象が変わるようである。
いい年こいて見惚れていた俺は“こたつ”から離れ、背筋を伸ばして正座した。

「助けて下さりましてありがとうございます。 この御恩は一生忘れません」

そして、首の後ろ側を見せるように頭を下げた。昔、同僚に習った“DO GE ZA”だ。
“チュウゴク四千年の歴史において宇宙最大の感謝法”とやらをしながら赦しの言葉を待つ。

……。

暫く待つ。

……。

「ん?なんか言ったオ客さん?」

また声が遠い。 首を後ろに回すと、右手をポケットに戻した少年が引き戸から出て来る処だった。
本気で気配の無い少年は左手の二本指でシャツを摘まんでいる。 汚れているから、雑巾代わりだろう。
開いた戸の奥に大量の学生服が掛けられたハンガーラックが見えたが、上半身バスタオル一丁の俺に恵む気も無いらしい。

「……ありがとうございます。 ところで、お前何者なんだ? 
 俺はグロックン=サンッチだ。 家内と娘を殺しやがった人狼がこの街に逃げてきたんで八つ当たりに来た」

タイミングを外されながらも立ち上がる。 ズボンに掛かった汁がやけに粘ついたが、無視して少年の方に向かう。

「フーもワットもバイトだよ」

全く説明になってない返答も慣れた。 答えてくれるから気は楽だ。

「職種は?」

「このオ店でオ酒を売ってるんだ」

酒場で働いているアルバイトか。 考えながら少年の元に着くと違和感。 
そういえば、さっきも聞いた言葉に疑問を放つ。

「ここは酒場なのか?」
「そうだよ」

スムーズに即答されたが、多分違う。
“ジン街”は未知の異界だが、一週間近く歩き回って人間寄りな文化である事は確認している。
レジ処か椅子の一つも見当たらず、ベッドが堂々と置かれているこの部屋が業務用スペースだとは思えない。
まあ今は祝日の朝だし、別室で営業してる可能性もあるので断言までは出来ないが。

「まっ、今日もオ客君来ないけどね。 折角、二十四時間営業なのにさあ」

やっぱり違った。 一向に開く気配の無い玄関扉を見ながらの愚痴を聞いて良く判った。
ちなみにバイトと云う台詞に疑問は無い。 “ジン街”を冠に付けた肩書きに常識を説く程、間抜けな話も無い。

「なんで、あんなところに来たんだ?」

「近所で騒いでたからオ招きしにね。 そしたらワンコ君が居たんだ」

「近所? あの辺りは無人・・・ん?」

立った事によって視点が変わり、ベランダから見える光景も変化。
此の部屋は十階程度の高さにあるらしく、煌びやかな繁華街が一望できた。
その手前側に焼け落ちたビルが並ぶ大通りがある。 燦々とした街並みは見覚えがある。
嫌な事に、六割方は俺の仕業だ。

「ココって人狼と闘ってた大通りの近くなのか」
「そうだよ。 此のオ店が出来てから皆引っ越したけど。 何でだろうね?」

紅白斑のシャツを着こなす少年が不思議そうに首を傾げた。 反動で鎖骨の辺りに赤黒い肉片が付着しているのが見えた。

「……何でだろうな?」

一夜明けたのに消滅しない悪夢の欠片から目を逸らし、黙考する。 人狼の情報を集める為、聞き込みはしていた。
完全武装の俺達に驚きもしなかったゴロツキ達を信じるなら、この区画は最近出没し始めた意味不明な怪物の住処だそうだ。
其の情報に俺達は【独狗】の巣だと早合点したが、本当は……。

「ねえ」

重要な事を思い出した瞬間、愛らしい顔が視界を埋めた。
至近距離まで少年に接近されていた。 身長の関係上、上目遣いで見上げられる形になる。
吹き掛けられた吐息に思わず身を引くが、相手もその分前進してきた。

「そんなことよりさ」

やけに声が艶っぽい。黒い短髪から仄かな香りが漂い、性別を誤解していないか不安になる。
“しな”まで作ってやがる。 だが、大人な俺は此の程度では揺るがない。

『マスターの心拍数、急激に上昇中。 典型的な興奮状態にあるようですが?』

俺だけに聞こえる冷たい指摘を無視し、少しも揺るがない俺は余裕の表情で言葉を返す。

「何だ。 昨日の事なら俺が聞きたい位なんだが」

「オ酒代払ってよ」

「金取んのかよおおおォォ!! あのクソい飲み物でえぇ!?」

色気のない言葉に仮面が崩れた。 少年は痴態を嘲弄するかのように続ける。

「半世紀くらい寝かせたワインのオ値段がする濁酒が飲めるって言ったじゃんか。 あっ、死んでたっけ? 関係ないけど」

しかもボッタクリだ。 ……濁酒?

「アルコール入ってなかったぞアレ。 いや、味わってないけどさ。 匂いもないし」
「アルコール? 何で消毒液を入れるのさ」

「は?」
「ん?」

至近距離で首を傾げあう俺と少年。 まさか、先程の赤汁が“ジン街”にとっては酒なのだろうか。
いや、験担ぎに同僚達は飲んでいたが、普通に美味しそうだった。 

そういえば、もうあいつ等と騒げないんだっけか。

お前も飲めよと絡んできたウワバミ共の笑い声を思い出し、一瞬だけ胸が痛んだ。

「……まあいい。命助けて貰った上に世話までしてもらったんだ。 そのくらいは払わせてくれ」
「毎度ありぃ」

さっぱりしている癖に粘着質な笑顔から現実に逃げると、嬉しそうに少年が笑っていた。
つられて俺の口元も緩む。財布の紐も……。

「あっ。 けど、今オレ金持ってないぞ」
「えっ? 無銭飲食?」

緩んだ俺の口元が引き攣る。 少年の驚いた顔は中々に愛嬌がある。 
だというのに、悪寒が消えてくれない。

「いや、情報集めと景気付けにやった宴会で全部使っちまったし。
 あ、俺達が着てたパワードスーツがあるだろ。 多少、壊れたがアレをバラ売りすれば金になるぞ」

冷や汗を掻きながらの返しに嘘は無い。 悪名高き特殊怪魔対策室も技術力だけはある。
まあ私物ではないが、未成年の頃から危険手当も貰えずに扱き使われてきたのだ。スクラップなら退職金代わりに貰っても罰は当たるまい。

「ゴミは全部掃除したってば。ていうか現金じゃないしね。 まっ、無いなら仕方ないか」

人狼追討中止命令を拒絶した脱走犯唯一の金策は笑いながら却下された。
雑巾代わりのシャツが床に落ちた。 空いた少年の左手を見たら、なぜか引き裂かれた人狼の虚像と重なった。

「身体で払ってもらうから気にしなくて良いよ。 結構、美味しそうだし」

間延びた宣告。 緩やかに少年の左手が挙がり始める。
勘だが、怒っていない気がした。 昨日もこんな感じだった。

「待て待て待て待て。 そうだな、皿洗いくらいはやれるぞ」
「何で皿洗い? コップしかないよココ?」

咄嗟に繰り出した命乞いが、まさかの成功。左手が止まった。 俺も少し停まった。

「は?」
「ん?」

再び、首を傾げあう俺と少年。
微妙な間。 間抜けな硬直を暫くやっていると、奇抜な推測が生まれた。
敵意を感じない事も助けになったのだろう。 妙な余裕が出来た俺はあろうことか少年をジト目で見ながら問いかけた。

「お前、ここで働いてるんだよな?」
「そうだよ」

「店長は何処だ?」
「雇ってないよ。 募集したけど誰も来ないんだ」

アルバイトですらねえのかよ、お前。

「……もしかしてさあ」
「何?」

「お前、酒場っていうより飲食店がどんな店なのか詳しい事知らなくて。 
 それっぽい事しようとしてるだけじゃないのか?」

荒唐無稽な推理。 言われた少年はキョトンとしてしまった。

「何で判るの? もしかして、オ客さんって酒場がどんなのか知ってるの?」

そして一泊置いた後、純粋無垢な視線で見つめられたというのだから苦笑せざるを得ない。
本当に生き残る事に関しては悪運が働きやがる。

もっと有意義な事に働けば良いのだが。



―――――以下、蛇足――――

「ていうか、さっき家内とか言ってたけど変じゃない?  確か、オ嫁さんって意味だよね?」

俺が“こたつ”を拭き終えて暫く経つと、ベッドに寝そべった少年が薄い文庫本を読みながら尋ねてきた。
ちなみに少年の半笑いは復活している。 着替えてもない。 乾いた血糊がベットに付着しても気にならないらしい。

問い掛けられた俺の方はタワシと少年の服―――頼んだら簡単に貰えた―――を借り、汚したズボンを流し台で洗っている。
中々落ちない染みに苦戦しながらも、意外に話を聞いていた少年に言葉を返す。

「そういう心算で言ったが、なんか変なトコ有るか? 覚えたてなんで間違ってたら悪い」


「君って女の子じゃんか。 オ婿君じゃなくてオ嫁さんでしょ?」


――――――。
瞬間、俺の手が止まり、蛇口から落ちる水の音とページが捲られる音が静寂を支配した。

「……成る程。さん付けに変わったのって、そういう理由か。確かにヘルム被ってたら顔は見えんわな」

どうでもいい納得と共に、タワシを持つ右手が再起動。 水道水の冷たさを感じながらズボンを擦りだす。 
しかし、意識は過去へと跳んだまま。 少年の言葉、いや目覚めの時から痛感していた生涯最悪の悪夢へと。

「さっき、家族が人狼に殺されたって言ったよな」
「言ってたね」

本を読みながらの生返事が遠く聞こえ、代わりにあの日の悲鳴が聞こえてくる。

――――――満月の夜、妻の研究所に向かった俺が見たのは無数の警備兵の屍。

「そんときにな」

――――――絶叫しながら妻のラボに入ると、待っていたのは【銀鎧】を着たまま死んでいた妻と娘の生首を齧っていた人狼。

「娘と一緒に、俺の体も人狼に食べられちまったんだよ」

――――――吼え猛る人狼は呆然とする俺の左胸に一瞬で牙を突き立てた。

気付いたら喋ってた。
妻子の血に染まった奴の笑みを思い出し、狂いかけるが舌は止まらない。
過去を知る【SIL-00】は咎めもせずに喋らせてくれる、首から下をなくした者に対する蘇生法を。
未だ、電脳の持ち主以外には不可能とされる検討段階の芸当を。

「でもな、俺は少しだけ食べ残されててな。 俺の脳を……」

――――――そして、パワードスーツを剥くのが面倒だったのか、妻は……


              「へえ、あっそ」


微かにくぐもった声に、俺は回想を止めて頭を上げる。
視線の先にはベランダの縁で屈んでいる少年の横顔があった。 なぜか文庫本を口に咥えていた。

「じゃ、近所の人に漫画返してくるから洗っててよ。 あっ、それと後でオ店の準備始めるよ」

サンダルを履き終えた少年が立ちながら言った。 左脇にも大量の本を挟んでいた。
左手の五指の隙間にも三冊ずつ挟まっている。 なのに右手はポケットの中だ。

「よっと」

そして跳んだ。 あっさり柵を越えた。 直ぐに姿が下に消えた。
二秒後、どでかい音が響いた。 恐らく、車の屋根にでも着地したのだろう。

……。

そんな少年に俺は口を開けて目を丸くした。 そして何とも言えない感情に襲われ、苦笑した。
此処まで自由すぎると笑うしかない。

「貸してもらったモンを咥えんなよ」

『着目点は其処ですか? 此処の高……。 いえ、心配は不要ですね。
 というか、三億も吹っ掛けられておいて感謝しないで下さい。 一生を束縛される金額ですよ』

「ローンは組んでくれるらしいし、命が付いてくるなら良心的じゃねえの?
 ……確かにあんなクソ不味いので良くボレるなぁ、とは思うがよ」

毒されたコメントに【SIL-00】が突っ込んだ。 だが、妻に似た知能体も毒されているのかキレが無い。
今更だが、同じ声同士が会話している現状を考えてしまい、苦笑が深まる。
思念波で会話する気にならないなんて、妻子が殺されてから初めての事だ。

「まあ、何にせよ此の不景気に雇ってくれるんなら感謝するべきだろ。 多分」

様々な意味で苦笑しながらも蛇口を止める。 タワシも捨てて、ズボンを持ち上げる。
赤い汚れは全く落ちてない。 もしかしたら、勝手に落ちるんじゃないかと不安になってきた。

『左様ですか。 ちなみに、先程の赤い液体の分析は終わっていますが、報告致しましょうか?』

「……勘弁してくれ。予想が当ってたら本気で死にたくなる」

嫌な想像をしてしまった俺は阿呆な一人芝居を止め、前を見た。 

其処には若い女が居た。

――――――いや、まあ今も死にてえんだけどよ。

艶のある金髪をポニーテールで纏めている西欧美人だ。 苦笑しているが、端正な顔立ちは育ちの良さを感じさせる。
おまけに胸も大きいが、意外と学ランが似合っている。 背が高いからだろう。

自慢の妻だ。


最近は鏡でしか見れなくなったのが残念でならない。



[20458] 第一話    来客
Name: シンシ◆148261f6 ID:05636c94
Date: 2011/02/16 00:13
――――――カツ カツ カツ。

狭い路地裏に堅い靴音が響き、紫煙が空へと昇っていく。
咥えタバコで闊歩する鑑賞者は閑散とした脇道を抜け、大通りへと歩み出た。

陽光が照らす其処は街の残骸だった。

へし折れた街灯やガードレール。 弾痕と血痕と皹割れだらけの車道。 焼け落ちたマンションやショッピングモール。
嘗ては街の中心部であった其処は明らかな暴の気配によって退廃を極めている。
路傍に落ちた 『店長募集中。頑張ったらオ給料あげるよ』 という手彫りの立て看板は雲一つ無い快晴と相まって無常を感じさせた。
壁一面を穿たれた一軒家もあった。 露わになった屋内には家具などは見えない。恐らく事件発生前から廃屋なのだろう。
鑑賞者の隣にあるコンビニの壁面には焼け焦げた弾痕に混じり、深く陥没した箇所が幾つかあった。

純白のスーツを着こなす鑑賞者は惨状に一瞥もくれずに歩を進める。その歩みに怯えはない。
荒れ果てて焦げ付いた無人の街に対して無慈悲とさえ言える緩やかな足取りだった。

「3.15メートルの人狼か。 獏薙の坊主が出会ってたら毛皮にしそうだな。 アイツ灰色大好きだし」

前を向いたまま鑑賞者は呟き、コンビニの脇を抜ける。 そのコンビニの周囲を誰かが調査しすれば、灰色の体毛と大型狼の足跡を二周りほど大きくしたものがあることが判ったかもしれない。

「一、二、三」

移動し続ける革靴の響きに数え歌が混じり始めた。
桜色の唇から出たソレは咥えた煙草を気にさせず、惨劇に見舞われた街には似合わない美しい音色だった。

「四と五」

二種の美音を従えて進む鑑賞者は凄まじいほどの美女だった。 
青いバンダナで右眼が隠されているのが、美を競う人種にとっては救いに思える程に。

「六に」

風格を纏った革靴の響きは常に一定。 『貴方は神を救えますか?』というアメコミ風の猫と烏の喧嘩が描かれた奇天烈なポスターが落ちていようが蹴り剥がして進み、崩れ落ちた歩道橋があれば其の上を踏んで進む。
故に、鑑賞者の歩みは緩やかなれど迅速。

「七、八…っと」

十秒後、数え歌と革靴の響きが同時に止まる。 立ち止まった鑑賞者の前方には長大に抉れた地面があった。 轍よりも深い。
かつて横断歩道であった其処は舗装ごと白線を消し飛ばされ、獣道へと成り果てている。
アスファルトが荒々しく抉られた其処を少しばかり辿ると、断裂した柵に至った。
廃ビルに備えられた駐車場の物だ。 そして、その駐車場の中心部には大穴が穿たれている。

「九死。 【銀鎧】側の全滅。 四日前に此処でやってた喧嘩は人狼の勝ち」

美貌を退屈そうに歪めた観測者は煙草を吐き捨て、言い当てた。
柵越しに罅割れた玄関口を見つめる鑑賞者の紅い左目には、かつて此処で倒れた白銀装甲の若者グロックン・サンッチの死に様が映っているのかもしれない。

「そして人狼もバイトに始末されて……あン?なんで殺神が来るんだよ。
 いや、それよりもなんで一人しか蘇らせねえんだ?」

元凶達はもう居ない。 十の死体となった彼等は一人の少年が掃除し、鑑賞者の前に広がるのは燦々たる街並みばかりだ。
だというのに、鑑賞者はまるで実際に見ているかのような口ぶりで話している。
と、そのとき風が吹いた。
鑑賞者の首が動き、上を見上げる。 彼女の紅い視線を追えば、当然の如く青空があった。 数羽の烏が翔けているだけの普通の光景。

「……成る程ね。 本当に懲りない馬鹿ばっかだな」

雲すら無い、孤独な太陽が佇む空を相手に何を感じたのか。 鑑賞者は紅い左眼に映った光景に対して、深い溜息を吐いた。

「消えろ」

次いで宣告。 殺意も善意も透き通るような、短い死刑宣告。
しかし、何も起こらない。 空には風一つ音一つとして生まれない。 相も変わらず、太陽が輝いているだけだ。 飛行機雲すらない。

「お前に話しかけてねえよヤブ医者が。 相変わらず、出鱈目な勘しやがって」

そんな変化の無い光景に興味をなくしたのか、鑑賞者はもう空を見ていなかった。
彼女は罅割れた玄関口に向き直って喋っていた。 念の為に言っておくが、其処には誰も居ない。

「まあ聞こえてるんなら、そのゴミ袋を連れて行く前に教えろよ。 あのダイイングメッセージは何だ?
中途半端に掃除してあると思ったらアタシへの当て付けかよ」

独り言を話す鑑賞者が前を向いたまま軽く顎を動かした。 
顎先で指されたのは駐車場から二十メートルばかり離れたアスファルトにある池の如き血溜まり。
其の周囲には肉食獣の物にしても巨大過ぎる牙が落ちている。 太古に生きた恐竜の牙と言っても信憑性は高いように思えた。
だが、観測者の興味を惹いたのはソレではなく、大牙から僅かな距離を挟んだ所にある血文字だろう。
水分を弾くアスファルトの上に書かれたソレは隆起による高度差をモノともせずに、綺麗な文字の形に整えられていた。 書いた者の悪筆ぶりが良く判る程に。 
余りにも癖がありすぎる血文字を解読すれば、こう書かれていた。


『二日前、此処で五人家族の死体を喰った犯人は人狼。 バイトじゃねえ。
 バイトから聞いた話だと、被害者はキチンと死体入れ袋に詰めといたらしい』


それから一分ほど後、会話染みた独り言を終えた鑑賞者は罅割れた駐車場の脇にある狭い路地へと入った。

其処は人狼と装甲兵士達の激闘が行われていた夜に、半笑いの少年が乱入した路地だった。






鑑賞者が通り過ぎて暫く経った後、とある物が傷跡一つ無くなった街へと降ってきた。

大量の死骸だった。

人造の瞳を持つ機械仕込みの烏の屍であった。 全身から噴き上げる青白い火花は身分も弁えず鑑賞者を監視していた者の末路を示唆している。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・


「アレ? なんか酒場っぽくなってらァ」

その日の夜。 とある高級マンションのドアが開き、ショットバー風の室内に声が響いた。
その声は人の上に立つ者特有の雰囲気を持つハスキーボイスだった。

黒スーツを着た十人の男を侍らせて入店した美声の主は、純白のスーツを着こなす麗人。
一言で述べるなら美の化身だ。 青いバンダナで纏められている空色の短髪と紅い左眼は冷たく冴え、表現できぬ美顔との相乗により陰陽を超えた輝きを放っている。
スタイルも完璧だった。 男とて見下ろせる長身、グラスマスな肢体は女の究極を体現していた。
故に救いは、先に述べた青いバンダナだろう。 髪どころか右眼までを隠した欠陥のお陰で、かろうじて麗人は神魔の領域で留まっている。

「お前ら、運良いな。 今日は罰ゲームになりそうにねえわ」

女神すら恍惚となる麗人の第二声を切欠に、後ろで控えていた黒服の男達が騒ぎ出す。 それは終戦の情景を思わせた。
金や黒や赤の髪が入り乱れる黒服の男達は、白人だの黒人だのという括りに捕らわれず、目尻に涙を溜めて抱き合っていた。 
要するに、暑苦しい。 まあ、それだけ真剣に恐ろしかったのだろう。 この店の主がオ酒と言い張る奇怪な汁が。

「改装したんだよ。オ皿洗いの人が酒場が何するトコか教えてくれたからね」

数少ない常連達の入店に対して、部屋の中央を陣取る丸テーブルの席に着いている少年が口を開いた。
一応は店の経営者である彼が着ているのは、洗い立ての白いカッターシャツに黒ズボン。
何よりも印象的なのは、東洋風の童顔を飾る左右で情の異なる奇怪な笑み。

書き入れ時たる夜中に独りとして客が居なかった事に対して危機感を覚えていないらしい少年はバイトと名乗る日系人であった。

「アレがオ皿洗いの人だよ」

少年は挨拶もせずに左手の人差し指をカウンターに向けた。 指の先に居るバーデン服を着た若い女は既にお辞儀をしていた。

「いらっしゃいませ。本日はご来店ありがとうございます」 

深々と下げた西欧美人の頭から緊張が感じ取れたのは、働き出して初めての客が来たせいだ。

酒場の内装に気を取られていた黒服達に笑みが浮かぶ。 
長い金髪をポニーテールに纏めた西欧美人が胸元の谷間を強調している事にも気付かずお辞儀した為でもあるが、何よりもこの部屋をバーに改装してくれた恩人だと認識したのだ。
令嬢染みた容貌に見合わない体育会系の挨拶は、中々に大きかった。 あと、胸も大きかった。

「大変申し訳ありませんが準備がまだ出来ておりません。 少々、お時間を頂けないでしょうか お客様」

「ああ、そんな慌てなくて良いから。 ゆっくりしてくれ」

麗人は軽い会釈を返す、女の身体を持つ若者グロックン・サンッチへと。 
掛けた言葉に労わりの成分が含まれていたのは、初対面である筈の彼の実状を知っている事もあったかもしれない。

「あっ、言うの忘れてたよ。 いらっしゃい」

時間差で来た間延びた挨拶に、麗人は中央の丸テーブルへと視線を向ける。
少年が椅子に座ったまま手を振っていた。 営業中であることまでは思い出せなかったようだ。
黒服の男達は何も言わない。 礼を無くしきった少年の態度に、体育会系と云うか軍人っぽい彼等が怒鳴らないのは事前に彼の逸話を聞かされている為だろう。

「うるせえよ。 つうか幼稚園児のリアルままごとな汁で良く金毟れるなァと感心してたが、本当に知らなかったんだな。 無知ってェのは大罪だなァ」

「はは。確かに君に鞭を持たせたら酷い事になりそうだね」

美貌に似合わず口の悪い麗人がバイトと噛み合わない軽口の応酬をしながら、少年の正面席に着く。
同時に慣れていない手つきでメモとペンを持ったグロックンが麗人の傍に来た。 皿洗いと呼ばれていたが、接客もグロックンが担当するらしい。

「おまたせしました 御客様。御注文はいかが為さいますか?」

――――――割と照れ症、警察畑にしては堅い感じがしねえな。

「よくやってくれた」「姉ちゃん、本当に助かったぜ」と、麗人の背後に立ち並ぶ男達に声を掛けられた皿洗いが耳まで赤くして俯いたのを見て麗人はそう考えた。
しかし、実際は凶器とも称せる強烈な美貌を間近で見たせいだ。 いくら女の身体を持っていようが、脳髄は男のモノなのだから仕方ない。
同性であれば逃れられるという訳でもないだろうが、麗人と対の性別である者が直視するのは危険に過ぎた。
恐らくは護衛であろう黒服の男達が守護するべき麗人を見ようともしない理由は其処にあった。
麗人を初めて見たグロックンが俯くだけで済んだのも、彼だけが聞こえる“声”のお陰だ。

尤も、麗人と目と目を合わせて会話ができる少年については性別以前に人間かどうかも定かでは無いが。

「そこで年甲斐もなく騒いでる阿呆共に聞いてくれ。アタシは未成年だ。
ああ後、初めまして。 アタシの名前はヤシャラ=シュラ=シェラバーグってンだ。
適当に略してくれ。よろしく」

「西方から来ましたグロックン=サッチンと申します。
至らない処が多々あるかと思いますが精進しますので何卒よろしくお願いします」

未だに顔を上げられなくても会話を出来るのは立派といえよう。 
ついでに麗人の名前と年齢に戸惑いを覚える事すら出来たグロックンは丁寧に名乗り返して更に深く頭を下げた。
しかし麗人がもう少年に視線を戻している事に気付くと、何処か安心した表情を浮かべて振り返り、大柄な男達にオーダーを取り始める。

言う必要性を感じないのか、麗人もグロックンも互いの素性やバイトとの関係は語らないし聞かなかった。

「ドンベリ!」「いちごミルク」「ジントニィックとイカのから揚げ」

「落ち着け馬鹿野郎共!姉ちゃんが困ってんじゃねえか!一人ずつ言ってやらんかい! 
 姉ちゃん。 俺は刺身盛り合わせと赤ワインの高そうな奴とタコ焼きとフライドポテトと。 ああ、それとこの皿洗いお奨めのカクテルって云うのも貰おうか」

「「「テメエが落ち着け!」」」

などと、好き放題に言われるオーダーを何とか無事に取り終えたグロックンが小走りでカウンターに向かう。 
ちなみに、国籍不明な黒服の男達は各々の国の言葉を使っていた。
十種の外国語を聞き分けたグロックンも相当だが、黒服の男達同士がどうやってコミュニケーションを取っているかは謎だ。

「ていうかオ酒が何かくらい教えてよ。どうせ暇なんでしょ?」

二人の挨拶が終わるのを見計らった訳ではないだろうが、少年が再び麗人に話しかけた。
余りにも不遜な物言いに、黒服達の中で最も若い華僑の男が麗人の顔色を窺った。
直後、彼は硬直して別の黒服に肩を揺すられるまで呼吸を忘れる羽目になった。
呆れた表情を浮かべていようが、傾国の美貌が揺らぐことは無い。

「スゲエ責任転換だなあオイ? アタシはオマエの母親か? その知識量で、何で酒場なんぞ始めようとか思ったンだ?」

「バイトでもして働けってオ医者さんに言われたから」

少年は椅子に座ったまま、迷い無く言い切った。 グロックンはカウンター奥で大急ぎで料理を始めた。
そんなアルバイト志願者と皿洗いの筈の西欧美人を見比べた男達の全員が後悔しながら同じ事を考えた。が、誰も口には出さない。 
少年の人徳であろう。

「意味が分からないし通じてねえ。 バイトつう名乗りは聞き飽きたが、接客業なんか向いてねえっツってンだよ。
アレか? 生年月日だけで判断するようなインチキくさい適職占いに引っかかったか?」
「オ医者さんがオ酒飲みたいって言ったから」

「普通に酒買ってやればいいじゃねえか」
「え? オ酒って買えるの?」

本気で首を傾げるバイトの言葉を聞いて、カウンターの奥でカクテルを振り出したグロックンが苦笑する。
仕入れも皿洗いにやらせてんのか、と考えながら麗人は会話を続ける。

「売りモンじゃないと思ってた物を売ってンのか?」
「作ってたよ。 酒っぽい材料を集めて」

衝撃的な告白。 グロックンは手を滑らせてカクテルボールを落とした。 
黒服達は本気で慌てる西欧美人を微笑ましい目で見つめた。……彼が男だとも知らずに。

特に不味そうにも見えない無臭の液。
ソレに何が秘められていたのかを知る者は実の所、この場には少年とグロックンしか居ない。 
黒服達が怯えていたのは病院送りになりかけたと言う先人達の噂であり、体感はしていない。

「成分不明な産業廃棄物を飲ませるボッタクリバーか。 訴えられる程に客が来てなくて良かったな。
 未だに寝込んでいる部下達の話じゃ夢に出てくるくらいクソ不味いって評判だぜ。 アタシは飲んだこと無いから判らんが」

そんな危険物を部下と呼ぶ者達に飲ませてきたのか。 此方も平然と言い切る麗人は胸元のポケットから煙草を取り出した。
グロックンを聖母のような顔で見つめていた黒服達の様子を見て、
面白そうだから皿洗いの性別について説明するの止めようか、等と茶目っ気を出した事を億尾にも見せずに。

「飲んでよ」

少年は半笑いを崩そうとせずに言い放った。 カクテルボールを拾おうと屈んでいたグロックンが固まった。 十人居る黒服の男達が同時に表情を消した。
麗人は煙草を咥えながら言葉を返した。

「さっき、飲まねえと理由付きで言ったのが聞こえてねえのか。 まあ口が裂けたら飲むかもな」

瞬間、風が唸った。 血の気が引いたグロックンが立ち上がれば、黒服達が八方から銃口を少年に突きつけていた処だった。

状況は容易に判った。
何時の間にか振り上げられていた少年の左手の中指の先には小さな灰が付着している。
そして、此方も何時の間にか背もたれを傾けている麗人が咥えた煙草の先端は欠けて火を灯していた。
彼女の長い足がテーブルを蹴るように伸ばされていなければ、突風を生み出した少年の手は桜色の唇を引き千切っていたに違いない。

故に、黒服の男達が迷い無く撃とうとしていても不思議は無かった。
立場以前に、よりにもよって顔を狙った者を男として許せる筈が無い。
隠す気もない殺意が充満した。 十の銃から同時に撃鉄を挙げる音がした。 
包囲される少年は奇怪な笑みを浮かべたまま、左手を挙げていた。

「冗談だよ。 死んでも飲まねえ。 お前らも気にすんじゃねえよ。 煙草の火ィ着けて貰っただけだ」

浮いた椅子を戻しながらの麗人の制止に、殺意は霧散した。
中にはバイトを睨みつける者も居たが、黒服達は皆大人しく拳銃を懐に戻す。
彼らがやけに素直なのは無駄なき麗人への敬意というより、無意味である事を悟っているからかもしれない。
そもそも半笑いを浮かべる少年は、一度として黒服達に注意を向けた事はないのだから。

「あっそ。じゃあ君、何しに来たの?」

少年が左手を降ろしながら平然と問う。 銃口に怯えた様子も無かった彼が二撃目を放とうとしていた事実は麗人しか知らない。

「お前が何してるのか聞きたいんだが。 あんま心配掛けてやんなよ。 胃に穴が開きかねんぞアレ」

煙草の紫煙と共に心中の思いをそのまま口から出して、麗人はカウンターの方を向いた。
皿洗いの若者が走って出てくる処だった。 顔色から考えて土下座でもする心算なのだろう。
その対応を考えたら、麗人の口から自然と溜息が漏れた。

「しかし毎回聞くよなソレ。 仕事でも頼みに来なけりゃァ可愛い部下に泥水啜らせようとは思わねえよ」

そして、浮かんだ苦笑を隠そうともせずに“ジン街”の顔役である【醜焉】ヤシャラ=シュラ=シェラバーグは返答を行った。

少年の凶行に慣れきっている麗人は“ジン街”の未成年喫煙法を改正した張本人でもある。


-------------------------------[追記] 作者コメント-------------------------------


前書きは削除しました。 

………現在、自分のネーミングセンスに絶望中です。



[20458] 第二話    忌むべき訪問者達 前編
Name: シンシ◆148261f6 ID:05636c94
Date: 2010/09/07 23:45
夕暮れ。即ち、逢魔ヶ刻にして大禍時。
駅前の慌しい人の流れが途絶えた空白の時間帯。

「ねえ、そこのオ客さん」

そんな時、間延びした声がした。

――――――やっぱり、ただの都市伝説だったんだろうか。
それは駅の傍にあるショッピングモールへと入ろうとしていた女性が、絶望していた処でもあった。

「目に隈ができてて、オ化けみたいに顔色が悪くて黒いワンピースを着たオ姉さんだよ」
声変わりしていないような綺麗な高音だった。 発音はともかくとして。 

其の言葉に思う処があったのか、怪訝な顔をした女性は立ち止まって辺りを見回した。
すると、彼女の直ぐ後ろに学生服を着た少年が立っていた。


――――――ピエロみたい。

左頬は心の底から愉快そうな笑み、右頬は能面のような無表情。
顔面の左右で表情が違う奇妙な少年を見ていたら、失礼とは思いながらも彼女=ベルマ・ホケラッタはそんな感想を抱いた。

「私ですか?」
  
「そうそう、君だよ君」

少年の失礼な言い草を気にすることも無くベルマが聞き返すと、奇怪な表情をした少年は頷きながら彼女へ歩み寄る。

良く見れば少年は可愛らしい顔立ちをしていた。 
二重瞼の円らな瞳。スラリと伸びた鼻筋。小さな桜色の唇。寝癖混じりの短い黒髪。
小さな顔に乗せられたソレ等は、髭一つ生えていない顎のラインに助長されて猫科の小動物のような雰囲気を出している。
 
そんな感じの少年に見つめられて、ベルマは勿体ないなあと心中で呟いた。
表情さえまともだったら、誰からも怯えられずに済むであろうに。

ベルマがそんな“ややズレた観察”をしている間に、少年は左手に持ったトランプサイズの用紙が目に入る距離―――つまりは彼女の鼻先―――で立ち止まり、更に言葉を投げかける。

「 なんか困った事とか有る? タダで聞いてあげろってさ。 タダでだよタダで。
オ偉いさんから頼まれたんだ。凄いでしょ?
あっ、オ客さんはベルマ・ホケラッタって名前でザッツライト?」

何処か嬉しそうに弾んだ声と共に彼女に見せ付けたソレは何かの証明書のようだった。 
ベルマの顔写真付で簡単なプロフィールが書かれている。 
恐らくは彼女が【オレノ国】での入国審査時に提出したモノであろう。

どう贔屓目に見ても役所勤めには見えない少年が何故そんなものを持っているのか、

「そうです!ベルマ・ホケラッタです!あります!凄く困っているんです!!貴方は誰ですか?助けて欲しいんです!!」

そんな事を深くも考えもせずに、ベルマは文法も呂律も考えずに、勢い込んで言葉を返した。 

彼女に迫っている少年は真っ赤に染まっているというのに。

とは言っても、少年が赤い肌をしているとかそう云う突飛な話をしている訳ではない。
返り血を浴び、全身が紅く染められているだけだ。そう、少年の全身からは血の雨に打たれたかのように赤い水が滴っていた。

少年の黒髪は水の重みで寝癖の一部を抑え付けられ、少年の半笑いは赤く彩られ狂気を浮き彫りにし、少年のカッターシャツは水分をたっぷりと含み肌に張り付いている。
色白な肌や、真っ黒である長ズボンですら目立ってしまう程の大量の鮮血。
それに飾られただけで日常から逸脱できるのだから血化粧というのは本当に不可思議なモノだ。
誰しもにも平等に流れるものを浴びただけだというのに。

少年の全身を汚す鮮血は乾いてすらおらず、落ちる血の雫が少年が通ってきた道のりを赤く汚している。――――――辿っていけば、被害者の末路が判るかもしれない。

少年の革靴から鳴った水が跳ねる音がベルマの鼓膜を震わせた。少年が纏うむせ返るような血の匂いがベルマの鼻腔を襲来した。少年の左手の指先から血が滴り、ベルマの顔写真を赤く滲ませた。

けれど、前述したようにベルマは怯える処か歓喜の表情で少年を見つめ言葉を返した、探し物を見つけたかのような嬉しそうな表情で。
真に追い詰められた者が求めるのは、聖書ではなく凶器だ。 己を脅かす災厄を殺せる強大な狂気だ。
もしかすると、この少年なら“アイツ”に勝てるかもしれない。
そうだ、此処は“ジン街”なのだ。 機神ですら侵略できなかったと伝えられる禁忌中の禁忌の街だ。
ならば、やはり“アイツ”に対抗出来る者が居てもおかしくは無い筈だ。
彼女が世界中から忌避されている“ジン街”へと足を運んだのは概ねそう云う思考回路が原因だった。

少年は希望に満ち溢れた熱視腺を、祈りのような切願が篭められた言葉を受け、

「へえ、あっそ。 じゃあコレあげる」

如何でも良さそうな声で遮った。そして持っていた用紙を裏返してベルマに手渡した。

反射的に受け取ったソレを見て、ベルマは小首を傾げた。
手渡された名刺のように硬いソレには濃いインクで五行分の文章が書かれているのだが、彼女には読めなかったようだ。
無理も無い。 彼女は止むを得ない事態に見舞われた為、大急ぎで【オレノ国】へと渡ってきたが、本来ならば絶対に避けるべき国の標準言語など解読出来る筈が無い。
会話は耳と喉元に付けた翻訳機が如何にかしてくれるが、流石に文字までは対象外なのだ。


「……なんですかコレは?」

「知らないよ。 じゃあバイバイ」

少年は平然と言い切って、彼女に背中を向けた。 足は動いているから、もう彼女への関心は無くなったのだろう。













「…………へっ? あっ! あっあの、ちょっと待ってくださいよ! 話を聞いてくれるんじゃなかったんですか!?」

ベルマは余りにも自由すぎる少年の振る舞いに言葉を失っていたが、やがて自分が渡来してきた目的を思い出すと慌てて少年の背を追い縋った。

「ん? まだ言いたい事、有ったの?」

そして彼女は、律儀に振り向いた少年を横殴りに襲う“黒い鉄槌”を見た。


「あっ……」

思わずベルマの口から漏れた言葉は意味を持たなかった。

プチッ! 
現実で生じた轟音に混じり、彼女の脳内では昆虫が潰れるような嫌な擬音が鳴った。 
何の前触れもなく突如出現した“ソレ”は少年の上半身を覆いつくし、
数十キログラムは有る筈の少年を軽々と浮かせ、少年を挟んだままショッピングモールの壁面へと激突した。その衝撃波で、周囲の建築物のショーウインドウが割れた。
サンドイッチという奴だ。挟まれた具材は少年、挟むパンは鉄槌と白壁。 最も、白壁に関しては瞬時に砕かれてしまったが。 
鉄槌の面積よりも遥かに大きな空洞からはパラパラと降り注ぐ粉末に混じり、買い物籠を持った主婦達の驚いた顔が覗いていた。
レジに座っていた店員も驚愕して停まった。其の眉間にライフル銃を突きつけていた覆面強盗達も驚いた顔をした。パン、と乾いた音がした。指に力が入りすぎていたようだ。

そんな妙に生々しい光景を他所に、惨劇に見舞われた少年は鉄槌から離れずにプラプラと地面から浮いている。 少し遅れて、少年と少年を襲った襲撃者の間から横殴りの赤い雨が生じた。 鉄槌に覆われていない少年の下半身まで遠慮なく降り掛かるソレは鮮血だった。

振り向いていた少年の顔が、どんな表情をしていたかも判らない。 あっという間の出来事だった。

圧倒的な風圧を顔面に叩きつけられながら、ベルマはぺたんと歩道に膝を着いた。 

爆撃のような轟音を聞いた人間達が周囲の道路や建物から集まりだした。 大半は野次馬だったが、中には飛散したガラスの破片が刺さった子供の為に救急車を呼んでいる年配の男性も混じっている。 その男は血相を変えた人間達に殴り飛ばされ、直ぐに行動を止めさせられたが。
「新参者が。悪魔なんぞ呼んでんじゃねえよ」と言いながら、暴行を受けている年配の男を忌々しそうに見ていた三人の若者達が血塗れの子供の治療に取り掛かる。 医学生と言っても通用しそうなくらい手馴れた様子だった。
警官は一人として居なかった、もとより存在していないのかもしれない。

ベルマはそんな周囲の騒ぎ声を気にせず、虚ろな目で惨劇を起こした襲撃者だけを見つめていた。
少年の襲った巨大な鉄槌の主を。

「ギャギャギャャギャあああやギャギャギャやギャがヤヤヤアガヤヤッガギあああやギャギャギャやギャがヤヤヤヤッガギャアアャがヤヤヤアガヤヤッガギャアアああああャャギャあああやギャギャギャやギヤアガヤヤッガギャアアがヤヤヤアガヤヤッガギあああやギャギャギャやギャがヤヤヤアガヤヤッガギャアアャがヤヤヤアガヤヤッガギャアアああああ!!」

無意味な哄笑をしながらベルマを見返しているのは“アイツ”だった。 ベルマにとっては容貌など説明したくもない、相も変わらず醜い奴だった。
孕んだ邪気を撒き散らすかのような醜悪な笑みに、ベルマは先程の自分の行動を思い返す。
―――用紙を手渡される際に少年の手に触れてしまったことを。

「……ごめんなさい」 

ベルマはポツリと謝罪の言葉を呟いた。其の目元から一筋の涙が垂れる。

「ごめんなさい!ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!ごめんなさい!!ごめんなさい!!ごめんなさい!ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!ごめんなさい!!」

ソレを決壊の切欠としたのだろうか、彼女は滂沱のように零れる涙を拭こうともせずに、懺悔の言葉を叫び続ける。
ソレが少年を巻き込んでしまった罪悪感によるモノなのか、“アイツ”に対する恐怖心から生まれるモノなのか本人ですら判っていなかった。

狂ったように笑い続ける“アイツ”、壊れたように叫び続けるベルマ、そしてあることに気付いて悲鳴と共に逃げ出した野次馬達。
三者三様の絶叫が入り混じる混沌とした狂想曲が大通りを占領している中、


「不味いね、君」


やけに響く間延びした声がした。 黒い鉄槌がある場所から発生した声だった。


「ギャああアアアアアアアアアアアアアアアアギャがギャギャがっやああぎゃぎゃぎががっやあ!?」

次いで悲鳴。 耳を劈くような悲鳴に当てられて、数人の男性が失神した。 新参者であろうソレをランドセルを背負った少年達が引き摺って逃れようとする。
ショッピングモールで強盗をしていた男達が人質を放って裏口から逃げ出した。 其の背を追うように店員や客達も逃げ始める。 主婦の一人がこっそりと商品を万引きした事に店員達は気付いていないようだった。


気付いたら“アイツ”は消えていた。 あるいは最初から存在していなかったのかもしれない。白昼夢だったという線も有り得る。 
大量の血液と巨大な破壊痕と、ソレによって生じた二次災害さえなければ、そう思わす程度には唐突な退場の仕方だった。


黒い鉄槌が消え、ふわりとアスファルトの上に着地したのは、先程の少年だった。
其の口はモグモグとナニカを食べているように動いていた。 
その様子を見てベルマは鮮血を噴出したのは“アイツ”だったのかもしれないと、本能で正解を感じ取っていた。
――――――この時、野次馬達が逃げ出した原因が血塗れのカッターシャツを着ていた少年を目撃したせいだったとベルマが気付くまでに三日程掛かった。

「アレ? 消えちゃった。 不味いとか言ったから怒っちゃったのかな」

感想はソレだけだったらしい。
“常人なら”絶対死の災厄に見舞われたばかりだというのに、少年は半笑いを浮かべたままだった。 

ベルマは唖然とした。

「あっ、そうそう。 良かったら、オ店に来てよ。 
其処に看板があるからソレを辿っていけば、着けると思うからさ」

少年は既に行進を再開していたが、途中で何かを思い出したかのように、左手の人差し指を左方に突き出した。

そして今度こそ、少年は立ち去った。 異常なまでに緩やかな足取りだった。







少年という形をした悪夢が立ち去って十秒程度が経過したであろうか。
再び静けさを取り戻した大通りに独り残されたベルマは、呆然としながらも立ち上がって、少年が指していた路地裏を見た。
――――――其の途中で“アイツ”が零した鮮血が消え去った事にベルマは、とうとう気付けなかった。


ショッピングモールとコンビ二で挟まれた狭い路地の行き止まり――といってもコンクリートで出来た壁の中央には巨大な穴が開いているが――に設置された、立て札を見た。


『 【警告】 この先に進むべからず。 【有差別引き裂き魔 少年B】が出没する超危険地帯です』

今度はベルマも意味を理解できた。
なぜなら警告文の下には、言語を変えて同じ意味を持つ文章が備え付けられていたからだ。
アルファベット、漢文、ハングル文字と上から続き、数えて五番目に彼女の母国語の文字が書かれている。
かなりマイナーの部類に入る彼女の母国語すら案内に含まれて居る事から、この警告文の重要度が良く理解できた。
それ以前に、狂人も悪人も魔人も関係なく受け入れる“ジン街”が危険区域に指定する空間。 
そんな領域が常人が住める領域でないのは判り切った事ではあるが。


ゴクリ。
“ジン街”の洗礼を受けて固まっていたベルマは、自分が唾を飲み込む音を感じて意識を取り戻したようだ。

多分、先程の少年が引き裂いたのであろう行き止まりに出来た大穴。
ソレから覗く繁華街を見て、覚悟を決め終えたベルマは警告を無視し、“ジン街”の住人ですら恐れる中心部へと足を運んだ。

全身が震えているが、仕方あるまい。 彼女は呪われただけの一般人なのだから。


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