「悪いわね、スザク君! こんな朝早くから!」
まだ陽が低い朝方。特派の移動トレーラーの中に、枢木スザクはいた。
移動型格納庫はゲットーに程近い、開けた平地に停車している。
特派の虎の子。KMFランスロットは、マリエル整備主任の元で機動の準備中だ。突然の出動命令に現場は忙しく、ひっきりなしに機械の動く音と、『そこ手をもっと早く動かす!』という罵声とも怒声とも付かない声が響いていた。
「いえ、仕事ですし!」
今スザクは、ランスロットの中に乗り込む直前だ。パイロットブロックに腰かけてはいるが、まだ組み込まれていない。周囲は非常に騒がしい。お陰で会話もままならなかった。
オペレーターも兼ねるセシル・クルーミーの声も、それに返すスザクの声も、大声になっている。
足元では作業用の移動昇降機を小寺正志(特派配属と言う事でスザク共々准尉に昇進した)があちこちに動かし、主任のロイドは打って変わった真剣さで、凄まじい速度でキーボードを叩いていた。
「セシル君! ドライブ回転確認!」
「通常です!」
「セシル! 武装にMVSは!」
「お願いします!」
「わかった。――――マサシ! コンテナAの2を、右に20メートル動かしときなさい!」
「了解、です」
普段は研究馬鹿でも、いざという時のスキルは皆、恐ろしく高かった。
空気に慣れていない雑用扱いの小寺マサシが、少々哀れになる位だった。
「――――良し、これで確認は終わり。……スザク!」
KMF胸部のファクトスフィアと、そこに直結する『ナイトメア・システム』の確認を終わらせたマリエル・ラビエが、作業服の上に白衣という、訳のわからない格好のままスザクの所にやって来る。
そのまま、ぴ、と指を顔に向けて、忠告する様に言った。
「今迄とは違って今日は実践。本当の戦場で動かすの。データ取得と私達の手間暇が賭かってる。……ランスロットも、貴方の命も、壊さないようにしなさい。今迄の練習通りにやれば良いわ」
「わかりました」
そこは、練習ではなくて訓練ではないか、とスザクは思ってが、言わない。特派に配属されてから素直に意見を言うようになったが、同時に『もうちょっと空気を読め』とも言われている。
壊さないでね、という科学者と技術者の、燃える瞳を正面から見て、スザクは素直に頷くだけに留めた。
この特派の人々は、スザクの事を色眼鏡で見ることは無かった。本来は乗れないKMFの搭乗者として扱ってくれた。そうでなくとも、周囲の職人肌を感じてしまえば、粗末に扱える筈が無い。
「よし、じゃあ乗って良いよ。武装だけやっちゃうから」
「はい」
マリエルが少し離れたところで、スザクはブロックを中に入れる。
途端に、今迄はうるさいくらいだった騒音が止んだ。代わって既に火が入っているユグドラシル・ドライブの回転音が、低く、鈍く機体に響き、稼働しているOSが電子音を奏でていた。
満足に体も動かせない。息苦しいのは、緊張か。圧迫感を与える狭苦しい空間。快適性や居住性能とは真逆の、戦争の為の道具だ。乗っているだけでそれを思う。
OSに、ウインドウが開いた。深い藍色の髪と瞳の、通信機を携えた美女が映る。
『……ザ、――――ス、ザク君、聞こえる?』
「こちらスザク。聞こえます」
『はい。……それじゃあ、今から作戦概要を説明します。スザク君、貴方の仕事はとても簡単だから、安心してね』
ウインドウに、サイタマゲットーの略地図が開いた。
コードギアス 円卓のルルーシュ 第一章『エリア11』編 その⑨
――――匂いが、します。
郷愁を誘う湿った空気の匂い。血の匂い。火薬の匂い。鼻に付く機械の匂い。そして、騎士の嗅覚が嗅ぎつける、敵の匂い。得物の、獣の匂いだ。佇みながら、モニカは空気を感じ取る。
目の前に広がっているのは廃墟の群れ。
罅割れて役に立たなくなった嘗ての高層ビル。元からの基盤がしっかりしていた為か、戦争で被害を受けても経っている。地盤の脆弱性とは裏腹に立派だ。この建築技術は十分評価に値するだろう。
灰色の街並みが、都市と言う機能を大きく削がれて久しい。モニカは七年前の日本侵攻の際は、まだ普通の学生だったから、過去の日本を見たことは無い。それでも想像はつく。大都市で、多くの人間の生活を支えていたのだろう。多くの人間が営み、日々を送り、平和を謳歌していた。
だが、今は――――少なくとも、今現在、この時は、違う。
憐憫を覚えながらも、戦闘を始める事は止めない。
街の中には、敵が居る。自分が狩る役目を負った、テロリストという得物がいる。
――――いるなら、倒しましょう。
意識を切り替える。帝国最強の一角。ラウンズの十二席という立場に。
獲物を前にほくそ笑むのは三下の証明だ、と幼い頃にモニカに教えてくれたのは誰だったか。確かレナルド博士だったと思うが自信は無い。だが言葉は覚えているし、意味は分かる。標的を見たら、余裕を己に感じるより、まず先に相手を倒せ。余裕は格下の思わぬ襲撃を招く。そして油断は死に繋がる。
モニカは死が怖い。死ぬ覚悟はしているし、撃たれる覚悟もしている。けれども死が怖い。かつて初めて銃を取り、民間人から騎士へ、否応無く歩まざるを得なくなった時から、モニカは死を恐れている。
だから、モニカは、唯、狙う。
狙い、確実に倒す。
相手が気付かぬ、相手の反撃が届かぬ、戦場から遠い、その場所から。
熱を感じ取る。ベティウィア。彼の円卓において、一撃で九の傷を生むと謳われた騎士の名前。槍と銃という違いはあるが、なに、いずれにせよ遠い距離が得意なのは同じだ。
景色は、何時もより霞んで見える。色褪せた、まるで白と黒だけで彩ったような風景。
空が灰色に覆われているからか。目標が潜むのがコンクリートの密林だからか。あるいは、これから起こる戦闘の行き先を証明しているからか。どれも不吉な印象だ。戦うには相応しい空模様かもしれない。だが、仮に晴天でも関係は無い。どれだけ不吉であろうとも、逆に幸福であろうとも――――。
――――私は、遠くから見るだけですから。
遠く、遥か遠く。川と橋、崩落しかけたビルを隔てて、軽く一マイルは先にある標的。その動きの一挙一同が、モニカには素で見えている。
限られた人間しか持ち得ない天性の才能を、今は喜ぼう。
ゆっくりと、息を吐く。
体に感じる重さは、感じ慣れた銃身と引金の重さ。
風も、気温も、湿度も、銃弾の軌道から相手の次の動きまで、全てを己のものとする。
情報の全てを掌握し、己の経験と理性と直感に叩きこみ、視界以外の全てを、一点に注ぎ込む。
視線とサイトを一致させ、片目に拡大されて移る敵を、見る。
――――中ります。
確信。これだ。世界が停滞し、まるで自分一人だけが取り残されたような、そんな感覚。
初めて人を殺した時以来、体に刻み込まれた感覚。自分のトラウマ、忘れたくても忘れられない記憶、そして消しても消えない負の感情を、戦場はモニカに思い出させてくれる。
これだけは。
これだけは、きっと、他のどんな人にも分からない。
ここが『狙撃手』モニカが見る世界だ。
「――――モニカ・クルシェフスキー。……狙い撃ちます」
今の自分は、本気だ。
引き金を絞る。
建物の影から身を出した敵は、綺麗にパイロットブロックを貫通されて吹っ飛んだ。
狙撃手(スナイパー)。
およそ戦場において、最も畏怖され、同時に嫌悪の対象となる職業。
見えない攻撃で相手を縛り、正確な弾頭は敵勢力に致命傷を与える。その熟練者ともなれば、冷酷無比な狙撃能力で、一人で連隊の進軍を押し留める事まで可能になる。
相手に気付かれず、痕跡を残さず、遠距離から弾を命中させ、獲物を仕留める。ただそれだけ。
だが『ただ、それだけ』を、完璧にこなせる者は、軍隊の中でも極一握り。
まして“武器に頼らず”マイル(約1.61キロ)の狙撃をこなせる人間が、どれほどいるか。
――――今更、でしょうか。
その中の数少ない一人――――感情を消したモニカは、相手を捉える。
次の瞬間には、敵ナイトメアは華麗に穿ち落とされていた。
●
『なんだ! 今のは! 直ぐに確認しろ!』
『――――は! た、ただ今!』
『何だ!? 何処から撃ってきた!』
サイタマ。
旧埼玉県埼玉市を中心に広がる、荒廃したゲットーだ。朝霞の激戦の余波で壊滅したこの街は、シンジュクゲットーよりもナンバーズの数が少なく、その分治安が悪い。
推定人数は二万人未満。それだけの人間が、身を寄せ合って生活している。租界からの横流しで多少は凌げるシンジュクと違い、サイタマの暮らしはそれ以上だ。最も、租界に近く治安維持に煩いシンジュクと比較して、帝国の干渉が少ないという側面も有している。
事実、サイタマ駐留軍はゲットーの治安維持を殆ど行わないし、行っても表面上だ。抵抗勢力が身を潜め、七年間も活動を続けていられた理由も、其処にある。
今回、彼らが壊滅した理由の一つが、軍の練度の低さ、初動・対応の遅さ、油断だった。
――――しかし、だとしても。
だが、仮にそうだとしても、サイタマ駐留軍は、軍だ。司令官が無能でも、規律が緩みきっていても、KMFで行われるのが形ばかりのパトロールでも、重火器も人数も、それなりに置かれていた。
まして、三日後のサイタマゲットーでの作戦の為、モニカが必要な物(人間含む)を送っている最中だったのだ。元の数と合わせても、名誉ブリタニア人含めて250人はいる。
それを壊滅させるなど、並大抵の事ではない。はたして。帝国軍が不甲斐ないのか。サイタマで反旗を翻した連中の手腕が優れているのか。それとも、連中に武力を提供した奴らが凄いのか。きっとどれも正解だ。
――さあ、行きますよ。
左目を動かさず、右目で視界を確認する。戸田橋の手前に転がる機体は三つ。橋の入口近くのKMFが二つ。その奥にいた奴が一つ。サイタマゲットーに続く道路を占拠していた、敵性KMFは、全て沈黙させた。これで橋から帝国軍が侵入できるルートが開けたことになる。
サイタマゲットー内には、侵入ルートが二つ。南からトダ橋を経由するルートと、大宮から入るルートだ。幸いゲットーにはアラ川が接しており、これは片側を封じている。つまり、川と橋を封じればゲットーへの出入りは大きく制限できるのだ。
通信は送らない。アーニャとジェレミアと特派がいれば勝手になんとかするだろう。モニカはただ、只管に相手を狙って狙って、狙い撃つだけだ。容赦なく。完璧に。
『何機やられた!』
『報告! ただ今の攻撃で、三機やられた模様! 戸田橋方面を見張っていた機体です!』
傍受した通信が響く。相手は混乱している。当たり前だ。唐突に味方が撃たれれば誰しも混乱する。その混乱を生むのが狙撃手だ。混乱を恐怖に変えれば、尚、完璧。狙撃に恐れ戦くと良い。
『全員、橋の北に近寄るな! 入って来たブリキは待ち構えて攻撃しろ!』
指揮官らしき男の声がした。
ああ、戦法としては悪くない。狙撃手が怖いならば、見えない所に居れば良い。その視界に入り込まなければ良い。見えない相手ならば、確かにモニカも……狙うのは難しい。難しいだけだ。決して不可能ではない。分が悪いからしたくないが、夜間狙撃の成績だってモニカは帝国トップだ。
大橋にいた味方が倒された。遠方からの攻撃だ。なら、橋には近寄るな。正しい判断では有る。
けれども、何を勘違いしているのか。不用心だ。確かに、帝国軍のルートを開く為に、橋を守っていた連中を倒したが――――別に、橋の対岸から狙撃したとは限らない。彼らにしてみれば。まさかモニカが、既にゲットー内にいるとは思いもよらないのだろう。
他の部隊は囮だ。既にベティウィアとモニカは、サイタマゲットーに潜入している。誰にも気づかれず。
――――だから、橋に意識を向けていても、無駄ですよ。
口元に浮かぶ、仮面のような冷笑を携えて、橋から遠ざかろうと、朽ちかけた道を行くKMFを見る。周囲に気を配っていても、その注意の外から撃つのが狙撃手だ。視界にとらえた一機を、動力炉に狙いを定め、ぶち抜く。
特派特性の消音機を付けた銃は、その音を発さない。ただ無音のまま、淡々と相手の心臓部を穿つ。
『な! まさ……ッガ!』
訳が分からない、と声の残響と、響く爆音。燃え上がる機体。撃ちこんだ一撃は、装甲を貫通し、見事にサクラダイトに引火してくれた。ブレイズルミナスのシールドを張れない量産機体なら、十分に機関部を貫通出来る。バシュ、と空の薬莢が放出された。
エンジンを狙うなどという面倒な事をしなくとも、直接にパイロットブロックを撃てば良いのだが、生憎、機体の位置が悪かった。さぞかし熱かっただろう。悲しい殺し方をした。
『――――な! どこか』
ら、の言葉より早く、もう一体。隣接していた機体を撃墜。速度も武装も中々だったが、だからと言って、モニカに勝てるとは限らない。近接で戦えば彼らに分があるかもしれないが、そもそも戦わないのだ。絶対に安全な場所から、相手を容赦なく狙う。それこそが狙撃手だ。
これで五機。まだまだ敵の数が多い。安全を確保するまで、戦場では気を抜くな。一瞬の油断は、敵も味方も平等に命を刈り取っていく。空になった弾装を二秒で交換する。残弾は、残り30発。敵一体に一発当てて戦闘不能にして行けば、それで十分だ。
『どうした! ……まさかまたヤられたのか!』
味方の様子を見ようと、撃墜地点近くに姿を見せた無謀な馬鹿者。心配なのは分かるが、格好過ぎる標的だ。狙撃はこういう効果があるから強い。攻撃を連鎖させ、繋げ、相手を縛っていく。
『な、これは――――』
だが、これは見逃そう。今だけだが。
胴体を貫通された一体と、燃え上がる一体。駆け寄るKMFが、二つに意識を取られている間に、モニカは動いた。ヒット・アンド・アウェイ。狙撃の基本に忠実に。一ヶ所から狙っていては、何れ機体の銃痕からモニカの位置が割り出されてしまう。最も、今の彼らに狙撃手を倒せる武装があるとは思えない。だが、それでも油断はしない。
街中を素早く走り、相手に発見される前に、場所を移す。幸いにも嘗ての都会だ。隠れる場所にも狙う場所にも事欠かない。橋から少し距離を取り、慎重かつ大胆に、確実な安全性を得ながらモニカはゲットー内部の奥へ進んでいく。
――――絶対に、見つかりませんよ。
狙撃手のくせに、と思うだろう。しかし、これがモニカだ。
死が怖い。銃を向けられるなど身震いする。だから絶対に、敵に見つかるヘマをしない。相手からの攻撃をさせない。死が身近にあるならば、全力でその状態から逃れようとする。
良くも悪くも生き汚い。騎士になる前から、ずっとそうだった。
だから、攻撃されない事を最優先だ。反撃を受けないように相手を倒し、決して手を抜かずに確実に命を奪う。それがモニカの戦い方だ。騎士道とはかけ離れた、生存を何よりも重視した戦闘スタイル。
先程の狙撃場所より、移動した距離は北東に80メートル。身を潜め、見据えるのは自分を探す、先程駆け付けたKMFだ。
引き金と共に、また一機、愛銃が得物を捉える。ベティウィアのOSが敵との距離、風、湿度、高低差、全てを図って情報を送る。その情報を頭に叩き込み、命中させる為の複雑怪奇な計算を導く。機械以上の数字を叩きだすのは、人間にしか出来ない芸当だ。
通常、狙撃は二人一組で行う。相手を撃つ狙撃手と助ける観測手。観測手は、敵を狙う優先順位を決め、狙撃に必要な要素を伝え、近寄る敵を退治する。モニカの観測者はベティウィア。情報を観測し、必要な情報を伝えて来る。本当ならば機情のルクレティア辺りが欲しいのだが、文句は言うまい。
――――これも、中ります。
『何処に……!?』
きょろきょろと相手がKMFの頭を動かすが、それじゃ見つからない。用心しているようだが、無駄があり過ぎる。言ってはいけないが――狙撃手から逃れるには、相手の視界に入らない。そして己と相手の間に遮蔽物を入れるしかないのだ。あるいは、いっそ狙撃を無効化する程に固いか。
幾ら相手が、GX量産型と言えど、乗ってる人間は素人に毛が生えた程度だ。その事実に気が付き、行動するには遅すぎる。
――――さようなら。
サイトの中で、騎士馬が爆ぜた。
●
次々と消えて行く敵性KMFの反応に、ランスロットの中で、スザクは呟いた。
「……凄い」
そう、凄い。話によれば、モニカ・クルシェフスキーの乗るベティウィアは射撃に特化した機体、彼女自身も狙撃の腕が凄い、とは聞いていたが、ここまで圧倒的とは思わなかった。機体の性能だけではない。乗っている、操っている人間の技量が違う。なにせ戦闘が始まって、まだ六発しか銃声(消音機の為か、ランスロットが捉えただけ)がない。
その六発で、六機が消えた。このままいけば、ゲットー内部にいる約30機は、一人残さずに全滅させられるかもしれない。一発の外しも無く、相手に何もさせずに。しかも、未だ発見すらもされていないのだ。
狙撃手。その恐ろしさを感じ取る。自分は果して、逃れられるだろうか。
『クルシェフスキーは燃えてるからねえ? 良く見ておきなよ、スザク君』
そうロイドは告げていた。
大体では有るが事情は聞いている。
元々、サイタマ攻略に五日間の準備期間を総督へ要求したのが、クルシェフスキー卿だった。この時点では、要求は正しかったが――――しかし、その準備の五日間で、サイタマが全て敵の手に落ちてしまった。
総督の要求を退ける形での指示だった事が不運だ。速い内に殲滅命令を出しておけば、こうはならなかった……そう訴えられれば、何も言えない。確かに、真実の一面を突いている。
だから、責任を取る意味も込めて、彼女が出撃しているのだそうだ。
『怖いよ、彼女は』
『……そうなんですか?』
軍人でラウンズだから、公私混同はしないだろうし、実力を示すに違いないとは思っていた。
だが、あの優しそうな雰囲気からは、戦場で恐ろしいと言われても想像が出来なかったのだ。
『そう。――――スザク君さぁ、モシン・ナガンM1891/30って知ってる?』
唐突にスザクに話しかけた時、ふやけた笑顔の中で、目だけは真剣だった。
『確か……狙撃銃、ですよね』
『正確には狙撃にも使えるライフルだけどね。帝政ロシアで1891年に開発されて、その後100年間で37,000,000丁も製造され、ロシア赤軍から大日本帝国陸軍まで、大ヒットを飛ばした名銃さ。全長は大凡一メートル強、ボルトアクション式で、7,62ミリ口径。射程距離は――――推定で、400~500メートル。世代交代で狙撃銃としての価値は減ったけれど、観賞用、スポーツ用、狩猟用なんかに今でも残っている』
ロイド・アスプルンド。実は兵器にもそれなりに詳しい。
最も詳しくなった理由は、KMFに技術転用可能かもしれない、という思考回路が原因なのだが。
『それが、何か?』
『クルシェフスキー卿の伝説の一つ。……私立名門中学校時代、祖父の形見だという、その射程400メートルの狙撃銃で、700メートル先の的に一発で直撃させた』
『……は?』
何か今、色々と変な単語が聞こえたのは、スザクの聞き間違いだろうか。
『いいや、聞き間違いじゃないよ。中学生時代の彼女はね、時代遅れの古びた銃で、物理的に銃弾が届くギリギリの相手を一撃で葬った。その時の事件には、僕も師匠も少し関わっている。だから嘘じゃない』
ロイドは、その時の事を思い出したのか、肩を軽くすくめながら語る。
『それ以来、彼女は騎士の道を歩まざるを得なくなった。天性の才能を帝国は放っておかなかった。まあ、その辺の事情は教えてあげらんないけど……。中学校で、既にそんなレベルだったんだ。軍人として真剣に訓練した彼女に、才能を十分に奮える得物と標的さえ用意してあげれば――――』
そこまで思いだした所で、OSが更に一機、敵が消えた事を伝えてきた。今も彼女は、きっと身を隠しつつ、移動しながら狙撃を続けている。
自分が兵隊として、あの中に飛び込めと言われたら、どこまで回避出来るだろう。幾らランスロットとはいえ、ブレイズルミナスだけで十分だろうか。
『――――彼女は、決して何も、逃さないんだよねぇ』
ランスロットの中で、スザクは、静かに息を飲んだ。
ラウンズという存在と、そこにいる親友の事を思う。
『ラウンズっていう人たちはねぇ。好むと好まざるとに関わらず、人を効率よく殺す技術に、皆、秀でているんだ。戦闘か、戦術か、謀略か、暗殺か。そういう得意分野は別としてね。皆、生と死を良く知っている。だからこそ彼らは、命を大事にする。命を大事にするから、偏見や差別も気にしない。――――クルシェフスキー卿も同じさ。彼女は才能があった』
射撃と狙撃。銃の扱いにおける、才能が。
帝国で生きるという意味では幸運。しかし、平和に行きたいだけの普通の人間には不幸だ。
『だから色々と歪なんだよね。命を投げ合う戦場では、さ』
ロイドの目は、真剣で、そして少しだけ悲しそうだった。
●
モニカを探す『ヤマト同盟』のメンバー達は、既に互いに叫び合っていた。
30機の内、いつの間にか八体も倒されたとなれば冷静でいられるはずもない。
『くっそ! またヤられた! 何処にいる!』
『何故だ! 何で、KMF一機が見つからない!?』
『落ち着け! 冷静に行動しろ!』
通信を傍受されていることも知らずに、テロリスト達が騒いでいる。声の中には、見えない敵への恐怖がある。狙撃手冥利に尽きるというものだ。有り難い。彼らが怖がってくれればくれる程、モニカは安心して戦える。
拡大機能付きのサイトには、銃を四方に向けて警戒をする敵が映っていた。
――――混乱してますね。
まあ、相手の気持ちも分からなくは無い。何せ、今迄モニカは、一回も発見されていないのだ。
狙撃手はいる。どうもゲットー内部らしい。しかし、その撃ち手は影も形も見えない。ただ淡々と味方の被害だけが増えて行く。音も無く、まるで死が一歩一歩迫りくるように。鍛えられた兵隊でもこの恐怖に抗える者は少ない。
障害物が多いゲットー。KMFの大きさは、幾ら大きくとも五メートルを超える物は希だ。そんな巨大兵器が、ヒット・アンド・アウェイを繰り返し、縦横無尽にゲットー内を駆け回っていて発見が出来ない。その事実が相手の混乱に拍車をかけている。
何処から弾が飛んでくるかわからない。精神は消耗するし、疲労は蓄積する。そしてどんなに警戒しても無駄であると、見えない攻撃はそう思わせる。無理もない。これは簡単なことだった。
――――それじゃ次は向こうまで、“走りましょう”。
今のモニカは、KMFに乗っていない。
騎士服の上から、目立たない迷彩用の襤褸を被り、目立つ金髪碧眼も隠し、民間人の装いで銃を携え、あちらこちらを走っているのだ。天下に名高いラウンズが、まさか銃と共にKMFに戦争を吹っ掛けているなど――――普通は予想できない。
相手も、KMFで狙撃しているのではない。モニカが生身で、廃墟の死角から狙い撃っているとは思っていなかった。だから見つけられない。細身で身長も高く無いモニカならば、KMFと対面さえしなければ、幾らでも隠れる事が出来る。そして、隠れる事さえ出来れば、自由に動いて狙い撃てる。
音を経てずに、走りだした。
周囲を伺う。敵の姿は見えない。軽やかに、影から影に、まるで獣か特殊部隊員のように動くモニカの動きは、滑らかでしなやか。足跡はおろか、彼女が其処を通ったという痕跡も見えない。
元々狙撃手は、徹底的な一撃を相手の急所に叩きこむ職業だ。その為には、幾ら狙撃の腕が良くとも、銃の扱いに長けていても、隠密工作技術に精通している必要がある。標的を狙えなければ意味が無いのだ。自分の存在を嗅ぎ取られず、必要とあらば泥水でも啜って生き延びる事を求められるのが狙撃手。要求されるのは、己の腕と愛銃と生存能力だ。
最も、彼女は、殆ど訓練を受けた事は無い。極圏に近い実家の周りで、狩猟で生計を立てていた祖父に付いていたから自然と習得しただけの話だ。その時に学んだ銃の取り扱いが、まさか騎士候になった時に役に立つとは、当時は欠片も思っていなかったが。
――――さて。
滑る様に、先程から40メートル程離れた建物に入り込んだモニカは、そのまま建物上部に上った。そして、そのまま素早くポイントを探す。外の様子が伺え、しかし相手からは見えにくい。逃走経路が確保できるか、いざとなれば飛び降りても大丈夫か。愛銃の巻き起こす土煙は見えないか。
全ての要素を確認しながら、音も無く窓際に近寄る。元々は窓が有ったのだろうが、もう失われて久しいのだろう。顔だけを僅かに覗かせたモニカは、視界の中に、今迄見えていなかった標的を確認する。
――――ベティウィア。情報をよこしなさい。
腕に繋いだ携帯端末に情報を要求して、同時、熱を持つ愛銃を担ぎ出す。
M95。キロ単位の狙撃もこなせるベストヒット対物ライフルM82から発展した軽量型。モニカの狙撃能力に惚れた銃会社、ブリタニア本国に本拠地を置く「バレット・ファイアーアームズ」が進呈してくれた特注品。――要するに、対KMF用にカスタムされた、携帯用アンチ・マテリアル・ライフルだ。
普通はキロ単位の狙撃を行う為の武装だが、十分にKMFに効果がある。消音機で音をなるべく消し(と言っても静かにしていれば十分に聞こえる)、弾速で巻きあがる砂煙さえ誤魔化せば良い。消音機に、低周波を出す機械を銃近くにおいて音を打ち消し合って、建物内部で狙撃をすれば問題は無い。
――――『風速2メートル。気温21度。湿度37パーセント。周囲100メートルに大型機械の影は無し』。
ピ、ピ、ピ、と端末が無音で明滅し、情報を送って来る。上出来。十分だ。
モニカが隠したままにしてある、KMFベティウィアには、地形を読む観測用OSが乗っている。電子戦には全く役に立たないが、狙撃の補佐として見れば優秀だ。いや、優秀にしている、と言う方が正しいか。機体の整備よりも、このOSの調整に時間がかかる。特派に頼んで置いたのも、これが理由だ。
開発はレナルド博士。組み込まれていたOSを、モニカ専用にカスタムして貰ったのが、もう七年以上も昔になる。その時から全く支障は出ていない。ロイド・アスプルンドも、『真剣に弄らないと性能が落ちますからねぇ、本当に』と、眼を鋭くして言うほどだ。勿論、入手する情報に間違いは無い。
静かに送られてきた、全ての情報を頭に叩き込み、目標までを図る。
――――さあ。
頬当ての感触を顔に感じる。片目の先には、標的がある。髪を微かに乱す、吹き付ける風は、機械と燃料の悲鳴を、此処まで運んでくれるだろう。
アンチ・マテリアル・ライフルとはいっても、技術の進歩のおかげで、モニカの体格でも持ち運べるし、反動も決して強くは無い。精々が十二口径ショットガンくらいだ。小型化の弊害にセミオート機能こそ無くなったが、腕で支えて普通に撃つ事も出来る。別に行うつもりは無いが(そして怖いから絶対やりたくないが)、やろうと思えば小銃と拳銃での近接戦闘もモニカは出来る。そう言った時にも、この愛銃は活躍していた。
第六感。あるいは勘。そうとした表現できない“何か”は、モニカに告げている。これは当たる。当たるから外れない。そんな言葉だ。きっと外したら死ぬかもしれない、そんな強迫観念から生まれたのだろうと勝手に予想しているが、詳しくは不明だった。
だが、中ると確信できるなら、別にどうでも良い。そもそも此処まで育つ以前には、私は散々、はずしていた。騎士の運命を怨みつつ、死なない為の研鑽を積んだ。だから、これは努力だ。努力の証。そう思っておこう。
――――逃がしませんよ。
キュイン! と空気を一直線に裂いて、秒速800メートルを超える弾丸が射出される。
これで、合計九体だ。
ガショ、と空の薬莢を排出し、落下させずに膝で受け止める。室内で銃を撃つ時の癖だ。野外で、しかもアンチ・マテリアル・ライフルを撃っている状態で行う行動ではない。だが、身に付いた癖は抜けない物だ。それが、死に関わる物であるならば特に。
――――ええ、絶対に。
逃がしてなるものか。
サイトの先の、テロリスト達が繰る「機体」を見据えて、モニカは。
死神の如く、とびきり冷酷に、微笑んだ。
●
――――また一機。胴体を撃ち抜かれ、地に落ちる。
さて、何機落としたか。数えてはいない。撃って、撃って、移動。隠れ、移動して、また撃つ。この行動を繰り返した。体に染みついた狙撃手のルーチンワーク。派手さは無いが、確実に相手を葬っていく。より多く敵を倒す事。自分が絶対に安全を確保できる事。この両方を天秤にかけ、どちらかに傾く事が無いように、思考し、実行し、追い詰める。
モニカ・クルシェフスキーが、このサイタマで、彼女にしては珍しく“燃えている”のには理由がある。
それは、結果的にミスになってしまった、ラウンズとしての命令ではない。それもあるが、別の理由もある。もっと別の問題。サイタマで確認された、テロリスト達が乗っている「機体」。その機体を見た瞬間に、彼女はこの作戦に、思い切り、本気で、関与することを決めた。
弾倉を交換しながら、冷静に的を見る。選ぶ時間を置かない。選ばず、無作為に、容赦なく。相手に「次は自分だ」と思わせなければならない。そして、また一機。
見える敵機体。
第七世代KMF・GXシリーズを、叩き潰していく。
――――GXシリーズ、か。
本国のKMF開発史と、技術に精通している人間ならば、知らない者はいない。
第七世代KMFの中で、闇の中に消えて行った機体だった。
GXシリーズ。特派のランスロットよりも早く完成していた第七世代。だが、その開発者・設計者・そして完成品の機体。僅かな試作機体を残して、全てが消えてしまった。いや、技術者は死体で発見されたから、消されてしまったという表現が正しい。表向きは、技術争いに敗北した、とされているが違う。奪われて、証拠共々全て消されたのだ。
長くなるから、今はこれ以上の説明はしない。言いたい事は、一つだけだ。
――――『奴ら』がいるのは、確実。
今、サイタマで暴れたテロリストが乗っている、“誰かから渡されたであろうKMF”は、本来ならば存在しない機体、もしくは存在してはいけない機体だ。持っているのは敵だけ。『教団』に連なる者だけだ。
容赦なく、冷酷に、確実に、モニカが倒す真の理由がこれだ。あれは敵だ。『ヤマト同盟』と言う存在以前に。帝国の敵で、モニカの敵なのだ。乗組員に罪は無いが、逃しもしない。
負の思いを乗せて、モニカは更に一機を撃ち抜いた。
これで何機落としたか。ベティウィアのOS《エネヴァク》が伝えるには、トダ橋方面から逃げ出そうとしてジェレミア率いる純血派に倒された者もいる。残像勢力を倒しきるには、十分だ。生身のモニカが直接、狙われる様な事が無ければ。
――――どうせ、彼らは助からないのだ。
――――だったら自分が、息の根を止めてあげた方が良い。
心の底から、そう真剣に思って一機を落とす。素早く移動して、場所を変える。息すら乱さず、ただ淡々と極められた作業をする。例え想いが煮えていても、理性を冷やし、今迄やってきた通りに。
今、目の前にアレがある。事実は、それだけで本国の上に確実に報告するべき問題だ。勿論そんな事は、総督は愚か特派にも伝えていない。『教団』に関する情報は、帝国内でも極秘事項だ。
『あれは機情で運用している特殊KMFです。本来ならば、試作機が一体と、そこから生まれた四機。GX01-Aから、D、L、M、Sだけですので、技術が流出したのでしょう……』
この理屈で抑えてある。後は帝国元帥が手を回してくれるだろう。ロイドは宰相閣下を経由して多少事情を知っているだろうが、彼も口は固い。言って良い事と悪いことの区別は付いている。
そして、機体の詳細を調査するならば、一機を鹵獲すれば後は始末をして構わない。
……いや、総督一派を初めとする内なる敵、テロリスト達外の敵。両方の敵を考えるのならば、残りは全て破壊しておいた方が良い。機体はともあれ、“乗組員”の状態を隠す為にも、だ。
『―― !』
『 !! !!』
『×××! ■■、■■!』
思わず顔を顰めたくなるような、聞きに絶えない罵詈雑言を耳にしながら、モニカは息を吐く。意識を研ぎ澄ませる為に。
――――そろそろ、相手の精神力も限界でしょうか。
さっさと恐慌状態になって欲しい。
GXの細部を見る限り、あれは量産型機体だろう。敵はどうやら、何処かで軍隊を製造しているらしい。エリア11国内なのか、それとも中華連邦で作って運び入れているのか。どっちにしても、政庁内に手引きしている事も、多分確かだ。やれやれ、ますます仕事が増える。
一機。撃墜しながらも、頭は静かに思考を続ける。あのGX量産型は、性能自体は――――かなり良い。サザーランド以上だ。グロースターと互角くらいだと、判断出来る。だから30機もあれば、かなり上手に戦えば、ゲットーを落とす事も出来ると思う。ルルーシュレベルの指揮官ならば、まず可能だ。
しかし、どうも兵の様子を見ていると……そこまで熟練の立場ではない。指揮官が優秀と言う訳でもない。第七世代という機体性能を引き出すのではなく、どちらかと言えば力押しだ。だとすると、事実と仮定の間に齟齬があることになる。
単純に考えて、今、順調に数を減らしている連中の戦法が力押しだとしよう。だとすると、サイタマゲットーの駐留軍を、簡単に壊滅させるには至らない。軍規が乱れた軍隊の戦闘方法も、実力を過信しての力押しに近い。彼らと同じ様に、だ。力押したい力押しならば、どちらかが一方的に敗れることは無い。あるとすれば、よっぽどに性能差があるか――――あるいは、“別の力”が働いたか。
そして先も言ったが、グロースターの力押しならば、サザーランドが圧倒的不利になる事は、まず無い。
――――乗組員に、“渡されて”いますかね?
乗りなれない機体を操るには負担が懸かる。この負担を、無理やり何かで解消してしまう。どうやってか? 負担が懸からない機体、とは考えにくい。そもそもKMFは操るにも技量が居る。乗って動かす“だけ”ならば兎も角、昨日今日KMFを得たばかりのテロリストが、駐留軍を破れるほど、柔軟に操れるかと言えば、答えは否だ。
事実、彼らは力押し。だが、普通な力押しでの戦いだって、難しいのだ。『テロリストだから操れるんじゃないのか』と納得しそうになる。だが、GXシリーズは、グラスゴー、サザーランドとは系列が違う。性能は高いがピーキー。勿論、普通に戦うにもハードルが高い。
――――けれども、その条件で、動いている。
あのGXシリーズ(と呼ぼう)を生んだのが、『教団』なのだとすれば……。同時に、人口のギアスユーザーが居る事も、多分、間違いない。そのギアスユーザーが何者か。それは全然、見当もつかない。だが当たらずとも遠からずだ。きっとGXシリーズのデヴァイサーは、ギアスによる効果か、あるいは人工ユーザー製造技術か、どっちにせよ、そんな技術で無理やり体を弄られている。
ノスフェラトゥシスによる細胞破壊は発生していないようだが、ひょっとしたら抑制剤も混みかもしれない。
まあ、彼ら自身にどこまで、問題意識と自覚があるかといえば、こちらも相当、怪しいのだけれど。
『くっそ! 何でだ! どうして!』
『落ち着け! 冷静になれ! この混らガッ!』
止めよう。終わった後で考えれば良い。そう思考を中断して、またも狙う。
どうやら、未だに辛うじて平常心を持っていた者を、上手に撃ち抜けたらしい。景色を捉える片目は、サクラダイトに引火して爆燃する機体を捉えていた。狙撃の鉄則だ。冷静で、周囲への影響力が強い者を狙う。自分に立ち向かえる、勇気のある者から優先的に狙うことは。
やはり素人だ。狙撃に対して冷静になれ、対処をしろと言っても、言うだけならば簡単だ。誰でもできる。しかし、対処方法を知らないのならば、それも納得だ。もしも彼らが、最初から狙撃への対抗方法を知っているのならば、きっと周囲を確認するなどというまどろっこしい事はしない。
ベティウィアが情報を送って来る。今迄、モニカが撃墜した機体は21。トダ橋から入った純血派が倒せた機体が3。狙撃の混乱で銃を乱射し、同士撃ちした間抜けが1。30機いた雑魚達は、残り5機だ。……雑魚では失礼か。七面鳥くらいにしてあげよう。格好の狩りの的という意味も込めて。
『いずみッ! どうする! もう残りが無い!』
『逃げましょう! 全滅しますよ! 泉さん!』
『っ! ……逃げる!』
『っくそ、なんで、どうして!? 勝っていたんじゃ無いのかよ!』
ああ、訳が分からないという声だ。あっという間の状況に、今尚も付いていけていない人間が多い。
弱い。即決即断が出来なければ、組織は緊急事態の時、瞬く間に瓦解する。
――――駄目ですね。
部隊再編をする事も無く、指導者(イズミ、と言うのか)は逃げ始めた。申し訳程度に後ろに従う者が居るだけだ。その数は合計で4機。おや、一機足りない。
『待って、ください! 泉さん!』
孤立していた一機がいたらしい。残存部隊で、まだ合流できていない彼の命運は尽きたという事実に等しい。可哀想に。タイミング良く視界の片隅に、逃げる仲間を、文字通り必死で追いかける姿を発見したので、彼の抗議の声がイズミに届くよりも先に撃墜してやる。
『ひ、――――ッギ!』
ブツッ! と、泣き声混じりの断末魔を最後に、声は途絶えた。
可哀想に。心から同情してあげるが、戦場にいる以上、彼女は敵に容赦をしない。
――――これは、指導者に問題があります。
殺した自分に罪はあるが、死んだ責任はモニカだけに有る訳ではない。優柔不断なリーダーを上に置いたテロリストも悪いのだ。
まあ、ルルーシュ並みの指揮を期待するのは間違っているだろう、とはモニカも思う。だが、幾らなんでも情けない。ひょっとしたら彼らは『教団』の捨て駒に過ぎないのかもしれない。機体性能の調査とか、そんな理由での。
だとしたら、余りにも悲惨だ。そして愚かでもある。
戦闘を始めて、まだ三十分も経過していない。だが、その三十分で『ヤマト同盟』は壊滅した。昨日までとは逆に、直ぐに駆られる立場へと変化してしまった。あの総督の言葉に同意するのは癪だが、ラウンズの実力が此処まで、と周囲に伝われば抑止力にはなるだろう。
勿論、このまま、彼らを逃がしてあげる程、モニカは優しくない。
容赦なく、後腐れなく、禍根を一切残さないように、しっかりと倒してあげることは優しさだろうか?
考えても答えは出ない。戦争に正しい答えは無いのだ。そしてモニカは、悩むという時点を当の昔に通り過ぎている。
――――そろそろ、お終いにしましょうか。
撤退命令を出すのは、もう後十分、いや十五分、速くするべきだった。そうすれば、リーダー含め5、6機はゲットーから逃げだせたかもしれない。けれども、所詮は“かもしれない“話だ。もはや無意味。
ブリタニアという国家の、最強の剣の一本を、本気にさせた事が、彼らの敗因だ。
トダ橋とは逆の、大宮方面に機体が逃げて行く光景を確認してモニカは外に出た。このままM95 で後ろから狙い撃っても、全員は倒せない。それでは駄目なのだ。
ならば、何とかできる方法に変えよう。
建物から、傍らの建物へと、走る。
走りながら、M95を背中にまわす様にしまう。銃身はまだ熱いがマントに固定する格好になるので、苦にはならない。ルキアーノのナイフと同じだ。この愛銃を、モニカは移動する時は、常に傍らに置いている。何時でも、いざとなったらKMFの中からでも、敵を狙い撃てるように。
そして同時、身にまとっていた襤褸を脱ぎ捨てた。
ゲットーの荒んだ空気に、襤褸は吹き流されて何処かに消えて行く。
ライトグリーンの衣裳が、覆い隠されていた金髪が、その風に煽られて翻る。
隠す気は無い。もう、隠れても意味は無い。今更相手が、自分に銃を向ける気概は無い。そもそも一回、逃げるという選択をした以上、もう一回戻って来るような胆力は、気力は、士気は――――彼らには無い。
道路を走り、そのまま古びたビルを駆け昇る。罅割れた壁と、傾いた床。今にも折れそうな支柱を横目に、片方の外壁からが全て失われた二階に上がる。
一角に無造作に広がるブルーシートを、一気に剥ぎ取ると。
一つのKMFが置かれていた。
「待たせましたね」
モニカは、愛機に向かって声をかける。
彼女は別に、効率と隠れることだけを中心に動いていた訳ではない。最初にこっそり、このゲットーのこの場所に愛機を隠し、ECSと建物の死角で、偽装工作を施して置いておいた。そして、最初に狙撃した場所から、場所を移動する度、移動する度に、この愛機に向かって走ってきた。
初めから全て計算済みだ。
狙撃手が戦場で最も重要視するのは、己の腕と愛銃、場合によっては観測手のみ。なればこそ己の銃でもあり、観測手でもあるベティウィアを軽く見る筈が無い。
「待機から稼働へ。ドライブ上昇。《エネヴァク》稼働率を60パーセントまで。狙撃シークエンス、操縦ムーバー、何れも問題なし」
素早く乗り込み、機体を通常稼働に戻す。機体コンディションはオールグリーンだ。
画面に光が灯る。狭苦しい窮屈な空間の中で、モニカは大きく息を吐く。座席の前。OSウィンドウの傍らにある、焼け焦げたテディベアを一目見て、自分に気合を入れる。まだ終わっていない。
ヴン、とエンジンが吠える。こうしてブロックに腰かけて、愛銃と共にあるのも悪くは無い。M95と共にKMFを撃つのも良いが、親から託されたこの機体を駆るのは――――もっと良い。騎士となった運命は厭うているけれど、それはそれ。これはこれだ。
「さあ、――――行きましょうか。ベティウィア!」
滑るような動きで機体は宙へ踊り出る。モニカが狙うは、隣接したビルだ。
幅数メートルの距離を、機体が飛んだ。
●
推進力。回転するランドスピナー。殆ど消耗していないそのエネルギーを存分に使用し、思い切り壁を蹴って上に機体を向ける。両足を開いて支え、銃身を制御し、崩落しかけた、急勾配に傾いたビルの斜面を、機体は登る。
操縦者の技量にもよるが、第七世代のKMFにもなれば、加速さえすれば壁走りが可能だし、かなりの急勾配の斜面でも、駆け上がる事が出来る。重量や機体バランスにも左右されるが、幸いにもベティウィアの総重量は並みだ。サザーランド、グロースターが行える機動ならば、十分にこなせる。
登りきった。傾いた屋上に、崩落しかけた転落防止の柵。ビルの角に重心を保つように、壁と屋上に足を置く。何かに寄りかかる事はしない。丁度、三角形の直角の上に立つ格好だ。
――――発見、しました。
遠く、町の反対側へと向かい、オオミヤから逃げるGX量産機を発見した。
丁度モニカが目線を向けた瞬間、その内の一体が、唐突に破壊される。
彼らの前に純白の機体が立ち塞がっていた。第七世代KMF。特派の嚮導兵器、ランスロットだ。きっとオオミヤ方面に逃亡するだろうから、逃げない為の抑えとして展開してて、と命じておいたが、言われた通り仕事をこなしてくれたらしい。
四機の内、一機はランスロットが倒した。それを視界の隅に捉えながら、モニカは機体の主武装を取り出す。
「……やっと出番ですよ? 《アムレン》」
長距離狙撃武装《アムレン》。
ベティウィアの息子の名前を冠する、其れは銃だ。KMFの全長よりも長い銃。まるで背中に野太刀を負ったようにも見える、全長5メートルはあろうかという巨大な鉄の塊。銃身だけで優に4メートルはあるだろう。保有弾数は少ないが、その威力・射程ともに帝国最高。
同じ場所に、正確に連続して直撃させれば――――ミストレスの絶対守護領域すらも、叩き割れる。
――――まず、一機。
画面越し、相手を把握したモニカは、むしろ雑にも見える挙動でベティウィアを操り、軽くアムレンを構えて、撃った。余りにも軽い引き金だった。
2秒後、視界の一番奥で、背中から一機のKMFが吹っ飛んだ。
背中から受けた一発の銃弾は、KMFを勢いで前方にふっ飛ばし、それが倒れるより早く前面から飛び出る。その際、パイロットだったモノも一緒だ。モニカと相手の間には、軽くキロ単位の空間があったが、障害にはならない。
《アムレン》は少なくとも“理論上は”10キロ以上の射程を誇る。放射角を使えば、20キロは行くだろう。そして、その範囲内ならば大抵、計算と補正と――――そして『勘』で、モニカは的に中てる事が出来る。
「……一回、“ちゃんと”撃ちましょうか」
遠く、爆発と黒煙が上がる。町を横断した弾丸は、正確にGX量産機を撃ち抜いていた。だが、モニカは不満だったらしい。何が、と言う訳ではない。狙撃手として、なんか嫌な感じがした。
そのすぐ近くでは、枢木スザクが巧みな操作で、スラッシュハーケンを拘束帯として使用。二つ目の命令通り、一体のGX量産機を鹵獲していた。乗員を殺してはいないようだが、まあ良い。これであと一機。逃げる機体を倒せば、それで終わる。
「……やりましょうか」
折角だ。機体調整の為、ラウンズの実力示威の為、最強攻撃で撃ち抜かせて貰おう。多分、今迄で一番楽に、一番簡単に黄泉路へ行けるはずだ。どうせ処刑される彼らへの、仮に捕縛されずとも地獄の苦痛の末に死ぬだろう彼らへの、ささやかな恩赦である。
「《エネヴァク》の観測地点を、現地点より北東に距離5キロへ――――」
《アムレン》の長距離狙撃。これは、銃の内部機構が持つ、電磁加速だけで成立している訳ではない。ベティウィアそのものが持つ力。要するに、機体のユグドラシル・ドライブから発生する、サクラダイトのエネルギーを、電磁加速と並行して使用することで、常識外れの長距離攻撃を可能にしているのだ。
絶対守護領域やブレイズルミナスのような、結晶化現象。それを弾丸に纏わせて射出しているから、超速度のレールガンで射出しても弾丸が空中融解することは無いし、威力の減衰も殆ど無い。上手くやれば空中輸送艦だって一撃で撃墜可能だ。
「《アムレン》ジェネレーターを、ベティウィアに直結。――――《エネヴァク》補正適応。マニュアルトリガーをオン」
最も、弾数制限に加えて、機体出力の限界もあるから多用は出来ない。しかし、自走砲並みの飛距離と威力を持つ物が、KMFの大きさに収まっている。その上、狙撃の恐るべき正確さで標的に叩きこめるのだ。その有用性は言うまでもなかった。
彼女は、細い、銃を握るのに不釣り合いな指でコンソールを叩いて、主武装使用の準備を完了する。
目の前には、操縦桿が三つ。腕の傍にある物は、機体を動かす操縦桿。モニカの顔の位置に、上から吊り下がる格好で設置された操縦桿は、武装専用だ。その三つ目を、モニカは掴んだ。
丁度、ライフルを構える格好。覗き穴はベティウィアのファクトスフィアが送る拡大画像に通じ、細長いトリガーは、そのまま《アムレン》に繋がっている。構えるとなんとなく、成層圏まで狙い撃てそうな感じがした。……いや、きっと気のせいだ。
座ったまま、相手を捉え、素手で銃を取った時の感覚で撃てば良い。既に準備は完了している。
照準も合った。口元に、狩人の如き笑みを微かに携えて、モニカは囁く。
「穿ちなさい、ベティウィア……!」
次の瞬間。
赤の閃光が、宙を走った。
それは、一直線の赤い光の直線だった。
赤い色の尾を引いて、まるでレーザーの如き速度で直進する“それ”。煌めく尾を持つ姿は、まるで彗星。大気を揺らがし、空中に残る赤の残滓は、サクラダイトの名残りだ。まるで砕けた硝子のように、舞い散って大気に消えて行く。
光が空中に線を描く。遠目で見ていた特派のモニターにすら、それは線として観測された。有するエネルギーが、ハドロン砲の様な、血の赤い光となり、電磁加速で射出され、コーティングされた弾丸と共に突き進む。
崩落しかけたビルの角から、地面を駆けるテロリストに向けて。サイタマゲットーの空中を、まるで魔弾の如くに突き進み、寸分違わない。
完璧な軌道を描き、モニカの予想の通りに進んだ弾丸。それは鹵獲した得物を抑え込むランスロットの背後、300メートルの所を一目散に逃げる、GX量産機に迫り――――。
機体の上半身を丸ごと、消し飛ばした。
着弾の衝撃と威力で、装甲も、フレームも、武装も、勿論乗員ですらも、全てが爆散し、細切れにされて拡散した。良く探せば残骸くらいは見つかるかもしれないが、霧になったと思って構わない。一点に集中した威力の為か、残った下半身は削り取られた状態だ。回転したままのランドスピナーが、慣性のままに前進する。そして、段差で重心が崩れたのか、騒音と共に倒れ伏す。
それを遠目に見ながら、モニカは冷静に言う。
「撃墜、確認」
仕事が終わった。その事実の方が、大きかった。
《アムレン》の様子も見れた。エリア11で本気で撃った時の情報は、今後大きな役に立つだろう。また特派にデータを回しておこう。
画面には、余りの威力に呆然とするランスロットが見えていた。首だけで背後を振り返り、今の口径を思い出す様に、視線をふらふらと彷徨わせている。けれど、鹵獲したGX量産機はしっかり確保している。
あれも特派、か。仕事を回し過ぎだとエルに怒られるかもしれない。
モニカはランスロットを見る。
そして、なんとなく――――持ち前の『勘』が、反応した。
あの枢木スザクという青年。
もしかしたら化けるかもしれない。
ひょっとしたら、自分達の領域にまで――――。
「……まあ、ともあれこれで、サイタマゲットーの戦闘は終了」
一瞬、頭に浮かんだ思考を切り替え、モニカは大きく息を吐く。肩を伸ばしたかったが、生憎そんなスペースは無かった。
しょうがない。随分と披露した事だし、さっさと帰ろう。
「モニカ・クルシェフスキー。帰還します」
穏やかな、優しげな顔。普段通りの顔。
20人以上の『敵』を容赦なく撃ち殺した、この作戦最大の功労者には見えない。
もしもこの場に、普通の人間が居たならば――――きっと、得も言われぬ寒気を、感じ取った事だろう。
因みに、翌日。
緊急事態の連絡を聞いて、妹に会う暇もなく、言葉通りエリア11に“飛んで帰って来た”ルルーシュの最初の仕事。
それは、このサイタマの事後処理になった。
登場人物紹介 その12
泉
サイタマゲットーの抵抗組織『ヤマト同盟』のリーダー。
GXシリーズ量産型と、力押しでも勝ち得るような小細工を、『何者か』を経由して得た結果、ブリタニア駐留軍を壊滅させた。
しかし、優位に立ってからの油断に加え、力押しの戦法を取らせず、狙撃に徹したモニカの術中に嵌る。兵卒を纏めきれず、結局GXシリーズの本来の力も引き出せないまま終わった。
未熟な奴に力を持たせても、調子に乗った挙句、扱いきれずに崩壊する、と言う良い見本である。
彼自身、どちらかと言うと裏方仕事が得意。リーダーとしての資質は微妙。決して悪くは無いが、直人に比較すると見劣りする。頭は良いが、性根やカリスマ性が伴っていない感じだろうか。
実際、原作ではゼロと手を組んだが、圧倒的な武力のコーネリア軍に恐れをなして逃亡。逃げ切れるはずもなく敗北、死亡した。今回の話でも、やっぱり逃げる。
用語解説
ベティウィア → おまけの機体解説へどうぞ
神聖ブリタニア帝国の何が凄いって、このレベルの人材が、まだ後十人以上は軽くいる事です。
狙撃はモニカが一番ですが、他の皆も負けず劣らず、化物。
今回、作者とモニカの本気。原作に描写が無いので捏造ですけど。カッコイイと思ってくれれば幸いです。フルメタル・パニックを引っ張り出して参考にしました。
でもモニカ、スナイパーって時点で死亡フラグかも。ロックオン、ミシェル、クルツ(生きてたけど)……。同じ道を歩まないで欲しいものですね。
さて次回は、本国から飛んで帰って来たルルーシュと、その補佐官の話。ヒントはモニカが語っていた、GX01シリーズのイニシャルです。ナナナを読んだ人なら、気が付けるかも。
それではまた次回。
あ、そうそう。そろそろ『追跡者(ネメシス)』も更新できそうです。最新刊も出ましたしね。
(5月21日)