SS投稿掲示板




感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[17872] PSYchic childREN (PSYREN-サイレン-) 【オリ主】
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:52360afa
Date: 2011/06/12 16:47
初めまして。チラ裏で読んで下さっていた方こんにちは。

板変更する前に親記事編集しようと思ったら削除ボタン押してしまいました。
感想を下さった方々、申し訳ないです…

注意!

・オリ主です。
・自分解釈が含まれます。
・このSSは作者の処女作です。
・1~4話が短かったので二つに纏めました。

それでもよろしければドゾー



4/3板移動
4/9色々と修正
8/14二十話達成したのでチラ裏からの表記を削除
12/23色々と修正



[17872] コール1
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:52360afa
Date: 2011/03/04 01:52
声が、聞こえた。


・・・と言うより頭に何かノイズのようなものが響いたと言った方がしっくりくる。
ノイズ、ノイズ、ノイズ、ノイズ、ノイズ――・・・

ノイズが止む気配は無くひたすらに鳴り続ける。何が目的で鳴っているのか全く見当もつかない。
砂嵐のような、入りの悪いラジオのような、そんな不快なノイズに段々イライラした感情が生まれた。


あぁうるさいなあ、と僕が思い不満を言おうとして、一瞬静寂。


ノイズが一転、意味を成した。


『お・は・よ・う』



◆◆◆



ふと気が付くと目の前が真っ暗だった。次に鼻をつく腐臭、息苦しさ、喉の渇き――・・・
そして体を動かそうとしてそこで初めて自分が『何か』の下敷きになっている事に気付いた。


「な・・・ん・・・」


重たい。初めに感じていた感覚の全てが今僕に圧し掛かる重みに塗りつぶされる。
その余りの重さに意図せず声が漏れたが、うまく発声出来なかった。

声を出そうとしたからか、喉が焼けたようにヒリヒリした。
明らかにおかしい自分の体調が気になるのと、自分の置かれている状況が気になる半々。


「ぐッ・・・!」


力の入らない体を無理に動かし自分の上に被さる『何か』をどける。
どさりと音がし被さっていた『何か』は横に倒れたようだ。

ようだ、というのは今僕は漆黒のような暗闇に包まれているため、視覚からの情報が全く存在せず、
体に掛かっていた重みが無くなった事、僕の体の横から何かが床を鳴らしたことからそう推測したためだ。

胸一杯に流れ込む腐臭。吐き気を催す臭いだったが、それよりも息苦しさが解消されたことに安堵した。
腐臭を貪るように吸う。


「こ・・・こは・・・」


呼吸が落ち着き、重力を感じる反対方向へ起き上がろうとして地に手を付く。
すると、ぐにゃりとした感触が掌から僕の脳へと電気信号として伝わった。


「なっ・・・」


目の前は相変わらず真っ暗だが、掌から伝わるその感触でその掌の下にある『何か』は人の形をしたモノだと分かった。
生温い、そして柔らかいような硬いようなどっちつかずの感触が、僕にそれが何なのかを教えてくれた。

人間の、死体。


「ひっ・・・!」


思わずその手を退けた。

息と共に悲鳴にも似た声が小さく漏れる。しかし気付いた。
自分は同じような感触のする、また別の死体の上に坐していたのだと。


「うっ・・・うわっ・・・!!」


死体の上に寝転がることに生理的嫌悪感を覚え、体を捻って横に倒した。
その先には先に横にどかした死体があったので再び声が漏れそうになるのを堪えて更に横に体を動かす。

そこは、固い床だった。
床は不規則に揺れており振動が床から伝わってきて、自分は今何らかの物に乗っているのだと推測できた。

冷たくて硬い床だったとしても嫌悪感を覚えるような死体の上よりはよっぽどマシだ。
しばらくその冷たさを堪能していると、少しだけ思考が蘇ってきた。


どうして今僕はこんな所に居るんだろう。僕は確か・・・


「あ・・・れ?」


そこまで考え、そこから先を思い出せない。冷たい汗が背中に流れた。
そんな馬鹿なと更に思いだそうとした時。


――・・・轟音。激しい衝撃。


「がッ!」


体が簡単に、まるで木の葉のように舞った。
衝撃に驚愕するまもなく体が壁に叩きつけられ僕以外のそこにあった物、死体も衝撃で舞った。


「つッ・・・」


強かに打ちつけた背中や、変な落ち方をしたらしく捻った手首に痛みの火が灯る。
それらの痛みに堪えながら体を起こすと衝撃で壁がひしゃげ、隙間が開いているのが確認できた。

その時初めて視覚が働いた。

何の明かりか分からないが、月だろうか、さほど強くの無い薄明かりが差し込み自分を、死体を照らす。
予想以上に死体の数は多かった。そしてその中に埋もれている僕。


「一体な・・・にが・・・」


慌ててその死体の山から這い出る。
改めて明かり下で死体を確認すると余計に不気味に感じる。

それとは関係なく声帯の調子が戻ってきたな、とも思いつつ状況を判断するために隙間から外に出る事を僕の脳が判断した。



――・・・



ひしゃげてできたらしい隙間から身を捩って抜け出し、地面に降り立つ。
地面はアスファルトで覆われていて、床どころじゃない冷たさと硬さだ。

外は、腐臭に慣れた僕の鼻には空気が澄み過ぎていた。
ツンと痛くなる鼻腔に、油のような臭いが混じっている事に気付いた。

辺りを見渡す。光源は月明かりだと思っていたが、実際は街灯も光源だったようだ。
そして目に入った物から状況を推測する。


・・・どうやら自分の乗っていたものはトラックで、それが乗用車と激突したようだった。


目の前にはグシャグシャになって原形を余り留めていない乗用車と、横っ面が拉げているトラックがある。
乗用車は頭から突っ込んでおり、運転手は明らかに致命傷で助からないだろう程度の傷。


珍しくもない、ありふれた交通事故のようだった。


一方トラックの方は・・・

まだひょっとしたら助かる可能性が無いこともないかもしれない程度の運転席のひしゃげ具合だった。
望みは薄いが、もしかしたら生きており話を聞けるかもしれないと思い運転席に近づく。

裸足の足から伝わるアスファルトは冷たい。割れたガラスや金属で足を切らないように気を付けた。
先程感じた油の臭いは、乗用車から漏れているガソリンの臭いだと途中で判明する。


フラフラと覚束ない足で歩く。そして運転手は、生きていた。


「大丈・・・夫で・・・すか!しっかり、して下さい!」


へしゃげた運転席に入り込み血まみれの運転手をに声をかける。
意識は無いようだ。血まみれになりながらもそれらに反応せずにぐったりとしていた。


「……ぐっ」


運転手が僕の呼びかけに気が付いたようだった。
瞼が薄く動いて、ゆっくりと開いた。


「なっ・・・!!?う、うわぁああああああ!!!?」


「うわっ!」


初め霞みがかった瞳で僕を見つめていたが、僕と視線が噛み合うと何か恐ろしいものを見るかのような反応をした。
そして僕を突き飛ばし運転席から押し出した。


「そ、そんな馬鹿なっ!実験体が、死体が・・・っ動くなんて!!ク、ソっ!!!・・・グ・・・リに連絡を・・・」


運転手は回らない舌で酷く狼狽していて何かを喋っていたが、
それは事故のことと言うよりまるで僕が動いている事についての狼狽のようだった。


――・・・その直後。


乗用車が爆発し、炎上し始めた。恐らく漏れていたガソリンに炎が移ったのだろう。
その衝撃でトラックの運転席付近が更にぐちゃぐちゃになる。運転手は、今度こそ死んだようだった。


「な・・・・・・っ!!クソッ!何か知ってるみたいだったのに・・・!!」


悪態が口から漏れ途方に暮れる。
空を見上げると場違いな程静かに光を湛えている月が目に入って、何故だかそれが酷く癇に障った。

・・・って、月にまで感情をぶつけるなんてどうかしてるんだろうか、僕。


「これからどうすればいいんだろう・・・」


自分の思考が馬鹿らしくなって少し頭が冷える。
冷えると同時に周りの情報を取り込む余裕も生まれた。

乗用車の上げる炎に照らされ、ひしゃげた壁の隙間から死体がしっかり見えた。
その半開きの瞳達をはっきりと見た時、言いようもない不気味さを覚え、恐怖を感じた。

背筋が凍る。死体は、皆同じ顔だった。


「う、うわぁ!!!」


その場から駆け出す。行く宛もないけど、一刻も早くこの場から離れたかった。
留まっていたくなかった。離れなくちゃいけないと思った。


・・・それが何故かはわからないけれど。



――・・・



「ハァッ!ハァ・・・!!」


どのくらい走り続けていただろうか。分からなかったが、とにかくあの場から離れることができた。
それだけで凄まじい程の安堵感が生まれる。


「ッはぁ・・・!」


速度を落とし、そのまま倒れ込み地面に四肢を投げ出す。
上手く回らなくなった足は限界のようだった。


「・・・・・・はぁ」


呼吸が整ってくると、一気に不安や恐怖で緊張していた神経が緩む。
そしてそのまま意識を手放した。



◆◆◆



夜の闇をライトで切り裂いて一台の車が走っていた。
黒塗りの高級車は夜に溶け込んでいるかのようだと見る者に思わせる。

その車の運転席に一人運転手が。後部座席に二人の老人が乗っていた。


「いやーそれにしても九州の温泉は良かったのー。いや、マジで。見てこれ肌ツルっつるじゃね?湯上り卵肌じゃね?」


老婆が腕まくりをして隣に座る老翁に向かって言う。
そんな様子で終始テンションの高かった老婆に少々呆れたように老爺がボソッと呟いた。


「相変わらず顔面はグレイトキャニオンじゃがな・・・」


「何か言ったかね。古比流」


「いいや、何も。エルモア」


エルモアと呼ばれた老婆が掌から光る物体を出したのを確認すると老爺、古比流は間髪入れずに言った。
老いてもなお衰えない耳の良さに古比流は内心舌打ちをする。


(それにしても昔は綺麗だったんじゃがのぅ。何なんじゃろうこのフリーズドライ。お湯に入っても治らんかったが)


その瞬間端子の形をした光が古比流の頭に刺さった。
電流が走ったかのように古比流の体が大きく跳ね、古比流は白目を剥いた。


「グハッ・・・!声に出してないのに・・・な、なぜ・・・?」


「何となく分かるんじゃよ。大事なのは言葉では無い。心じゃ」


「こ、言葉ガ無クトモ思イハ伝ワル・・・」


ドサッとの音と共に古比流は口の端に泡を浮かべながら倒れた。
その後も痙攣を続けており、エルモアはそんな古比流を邪魔くさそうに見つめて溜息を吐く。


「やれやれじゃ・・・む・・・?なんぞあれは」


エルモアはポーズを決めていると、道路に落ちている何かに気付いた。
正確には運転手が車の速度を落とし、それを訝しんだエルモアが外を見て気付いたのだったが。


「子供・・・?何故こんな所に?

今時珍しい行き倒れかね。まあ・・・見捨てるのも目覚めが悪いかの・・・連れて行くとするかね」


エルモアは運転手に車を停めるよう指示を出し、倒れていた子供を客席に、古比流の上に乗せた。
遠慮の欠片も無く子供は古比流の上に四肢を投げ出した。


「ゲブラァ!」


「・・・それにしても、この子供を拾う未来なんぞ見えてなかったんじゃがのう。能力も老いぼれたかのう・・・」


夫の謎のうめき声をスルーした老婆の呟きとともに車は帰るべき場所へと再び向かって行く。
それが全ての始まりである事を、老婆が未だ知る由もなかった。


そんな運命の悪戯。
偶然と呼ぶには大きすぎるそんな出逢いは欠ける事の無い月が満ちる、とある夜にひっそりと行われたのだった。



◆◆◆



――・・・事故現場。


トラックと乗用車が衝突してから僅か30分。事故があった痕跡は跡形もなくなっていた。

燃え盛る乗用車も、ひしゃげたトラックも、トラックに積まれていた実数多くの死体達も。
まるで初めから何も起こらなかったかのように辺りは静まり返っていた。

事故が起こったと同時に道路が封鎖され、事故の隠蔽工作、代わりの輸送車が派遣され、
死体達は、再び当初の目的地であるとある場所へ運とばれて行ったのだった。

一体の実験体が欠けているとも気付かずに。

何らかの存在の暗躍により事故は存在しなかったものとされたのだった。



◆◆◆



ELMORE WOOD(エルモア・ウッド)の一室。

「うーん・・・うーん・・・・・・ハッ!!?」


「 ここは・・・」






「知ってる天井じゃ」


天樹院古比流は自室で目を覚ました。




別の一室。


黄金の髪に白い肌、空色の瞳をした西洋人らしい顔立ちの少年が立っており、ベッドの上で眠っている少年に手を翳している。
金の髪の少年の掌からは淡い光が発せられていた。

そこに扉がノックされ老婆、エルモアが入って来た。金髪の少年はエルモアに視線を向ける。


「ヴァン、その子はそろそろ起きそうかね」


老婆がヴァンと呼ばれた少年に問い掛けた。
問われたヴァンは手を翳すのを休めることなくそのまま返事をする。


「後もう少しかかるかもしれない」


ヴァンの声は平静、というより感情の起伏が少ないといった感じのものだった。
そんなヴァンの言葉に満足げにエルモアは数回頷く。


「しょーかしょーか。まあ、気長に治療してやっておくれ。酷く衰弱しとるようだったしの」


エルモアは寝ている少年の顔を覗き込み、それからそうヴァンに向かって言うと再度扉へ向かって行った。
実際、少年がエルモアに拾われた時少年の衰弱は結構な物だった。

全身の打撲に、水分の欠乏、足の裏は裸足だったためか皮が擦り向けて赤黒い肉を覗かせていた。
それらの傷や衰弱が今はすっかり元通りになっている。


「この人、PSI(サイ)の素質がある」


ヴァンは背中を向けるエルモアに言った。
ピタリ、とエルモアは進めていた足を止めて一人頷きながら言う。


「なんと、この子もサイキッカーとな・・・ならば、この家に来たのも運命のようなものだったのかもしれんの・・・」


どこか不自然な出会いに、エルモアはそう言う運命だったのだと結論付ける。
そして新たに出逢ったPSIの力を宿す少年の背景に想いを馳せて、虚空を見上げた。


「あ、そろそろおやつの時間じゃよ・・・」



「もう行ってしもうた」


思考の海から意識を引き上げ、ここに来た理由を思い出してその理由をヴァンに告げる。
ヴァンはおやつの単語を聞くと、風のような速さで扉を出て行ってしまった。




◆◆◆




眠りが浅い時のような、夢と現が混ざり合いどちらなのか判断出来ない状態。
その境目に僕は浮かんでいた。

そして声が聞こえた。今度はノイズじゃない、しっかりと意味を成す言葉だった。


「こ・ん・に・ち・は」


…こんにちは。


「き・み・は・だ・れ・?」


僕は、僕は・・・誰だろう?ごめん、分からないや。君は?


「ボ・ク・は・・・・・・ボ・ク・は・・・ボ・ク・はボクはボクはボクはボクハボクハボクハクハボクハボクハクハボクハ・・・・・・」


暗転。



◆◆◆



エルモア・ウッド 廊下。


「ねぇフーちゃん、もうババ様がおやつだって呼んでたよ・・・?」


「うるさいわ、マリー。大体、この家にヨソ者が入り込んだってのにうかうかとおやつなんか食べてられないわ!」


二人の少女が廊下を歩いていく。

一人はレモン色のストレートロングの髪、クマの耳のようなものが着いたフード付きパーカーを着ており、気の強そうな少女。
もう一人は若干癖のあるチョコレート色のショートヘアー、そばかす、気の弱そうに眉尻が下がっている少女。

フレデリカとマリーの二人だった。


「アンタ気にならないの!?どんな奴なのか!?」


フレデリカがマリーに向かい、マリーの肩を掴みながら言った。
興奮して指先に力が入ってしまっており、肩に食い込む指にマリーは顔を顰めた。


「あぅ、・・・だ、だって、もう見たもん・・・」


「ハァ!?いつの間に!?」


「フーちゃんが寝てる間だよぅ・・・フーちゃん以外のみんなと見たんだよ・・・あ、何故かジジ様は居なかったけど」


「ちょっ!なんで起こさないの!?ホント役に立たない家来ね!死刑にするわよ!!」


フレデリカはマリーの肩を揺さぶりながら言う。
がくがくと揺さぶられてマリーは目を白黒させて喘ぎながら何とかその理不尽な問いに答えた。


「だ、だってぇ・・・フーちゃん昨日言ってたじゃない・・・漫画一気読みして夜更かしするから朝死んでも起こすなって・・・」


「た、確かに言った気もするけど・・・それとこれとは話が別だわ!!マリーは死刑!!銃殺刑!!!」


フレデリカは持っていた輪ゴム鉄砲の引き金に指を掛けマリーに向けて発射した。
輪ゴム鉄砲自体は威力はさほど無いものの、露出している肌に当たれば中々の威力を誇る物である。

輪ゴムはフレデリカが狙った場所を寸分たがわずに、マリーの二の腕へと吸い込まれ、その痛みにマリーは涙を薄らと浮かべた。


「あッ、あッごめぇん!」


「まったくもう!ダメな家来を持つと苦労するわ!」


「うぅ・・・」


言いつつマリーは輪ゴムを拾う。
理不尽だとは分かっていても、マリーという少女はこのフレデリカという少女に逆らえないようだった。


「ホラ!さっさと行くわよ!!アタシはまだ見てないんだから」


フレデリカも輪ゴムを拾いつつ言う。

ゴミは捨て置かない主義の少女達である。
一度エルモアにゴミを散らかしたのを怒られておやつを抜かれた過去を持つからだ。



そして扉の前。


「行くわよ・・・!ヨソ者がどんな奴かこのセクシー・ローズが見極めてやるわ・・・!」


セクシー・ローズとは彼女が幼少のころ夢中になっていたアニメ作品の主人公である。
今日のフレデリカはそんな女スパイなのだと、マリーはさっき告げられていた。

そんなフレデリカの調子はいつもの事なので、マリーが殊更変な目でフレデリカを見る事は無かった。
要するに諦めの境地にマリーは立っていたのである。


バン!と勢い良く扉を開け部屋に前転しながらフレデリカは入っていく。その手に輪ゴム鉄砲が握られていた。
そして起き上がりながら流れるような動作で輪ゴム鉄砲を前方に構えた。

マリーはその後に扉をそっと閉めながら部屋に入る。


「・・・なーんだ、まだ寝てるじゃない。早起きしないやつは駄目人間ね」


「フーちゃん起きたのも割とさっきじゃ・・・あッごめぇん!」


言い終わる前に輪ゴムが放たれていた。
口は災いの元の意味を知ってまた一つ賢くなったマリーは、また痛みに涙目になりながらも輪ゴムを拾った。


「うるさいわ。・・・それにしてもどんな面してんのかしら?」


言いながら少年の顔を覗き込むフレデリカ。
その直後。

少年はハッと目を覚まし、跳ね起きた。少年の額は吸い込まれる用にフレデリカの額へ。
額と額がぶつかる鈍い音が部屋に響く。


「い゛ッ!!?」


額を抑え再び倒れ込む少年。


「な゛っ!?ぐわあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


呻きを上げ、額を抑えながらゴロゴロ転がるフレデリカ。

そしてマリーは、急いでエルモアを呼びに走っていた。



続く



[17872] コール2
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:52360afa
Date: 2010/12/23 03:03
エルモア・ウッドの一室。


「なー、何で俺達はここに居なきゃいけないの?」

褐色の肌、流れるような銀の髪をした少年、カイルが寝っ転がりながら脇の少年にぼやく。
いかにも不満げであり、その不満を押し隠そうともしていなかった。


「俺"達"じゃない。ここに居なきゃいけないのはお前だけだ」


艶やかな黒い髪、中国風の服を着て、静かに本を読んでいる少年、シャオは答えた。
バッサリと切り捨てるその言葉には遠慮と言う物が無い。何故なら、カイルに対してはそのくらいで丁度いいと既に知っているから。


「えー、じゃあ何でお前ここにいんの?」


カイルがそう言うと、シャオは溜め息を吐きながら本を閉じた。
開いていた目を半目に薄めて呆れを言葉の端に含ませながら言う。


「オレはお前の見張りするよう言われてるんだよ。お前がヴァンの治療の邪魔をしそうだからだろ」


「邪魔なんかしねーよー。様子見てるだけじゃん」


カイルが心外だ、と言わんばかりにガバッと身を起こした。
けれどもシャオはそんなカイルを、やはり鬱陶しく思う。


「お前があそこに居ることがもう邪魔になるんだよ。結局騒ぐんだろ?」


「まーそりゃぁ、じっとしてるの無理だし」


「そういうことだよ」


そう言って再びシャオは本を開く。
カイルは何か反論しようかとも思ったがそれは別に面白は無いな、と思い至り結局再びゴロンと横になった。


「暇だねぇ・・・」


カイルの呟きについぞシャオからの返事はなかった。
白い髪の少年が目を覚ます少し前の事だった。



◆◆◆



声が消えて行き、思わず追いかけようとしたが体が動かなかった。。
体に脳が動くよう命令するが全く動く気配がない。

僕の体が僕の物じゃなくなってしまったみたいだ
ああもう・・・!なんなんだよこれ!!

首だけでも動かそうと全力で力を込める。
ふと僕が僕の姿を斜め上から見ている事に気付いた。


って、ああそうか、これは夢・・・

動いた!と思ったら見知らぬ女の子にヘッドバットをかましていた。


――・・・


ここは伊豆にあるエルモア・ウッドという家であり、
僕は道の真ん中で倒れて倒れていたところを拾われたという事を後から部屋に入ってきたお婆さんに説明された。

お婆さんは天樹院エルモアという名前らしい。
目が覚めたら知らない場所だった+ヘッドバットで完全に混乱していた僕の脳も情報が整理されて落ち着いてきたみたいだ。


「つまり、お前さんは事故に遭いあそこに倒れていたということじゃな?」


衝突事故に遭いその場から逃げ出し、走り続けた挙句倒れたのだということを僕はお婆さんにかいつまんで説明した。

お婆さんを連れてきた女の子、(マリーという名前らしい。お婆さんに聞いた)と僕がヘッドバット挨拶をした女の子(フレデリカという名前。お婆さんに同左)
は大事な話という事でお婆さんに部屋から出るよう言われていた。

僕が挨拶してしまった女の子は僕を親の敵のような目で僕を睨んでいたけど。


「はい。ただ以前の事は全く思い出せないんです。

自分がどこから来たのか、なぜあの車に乗っていたのか、自分が誰なのか・・・全く思い出せないんです」


口に出して再確認した事で、再び腹腔から不安が湧いてきた。
唇を噛みしめて不安を痛みで打ち消す。


「ふむ、記憶喪失というやつか。事故のショックで記憶が一時的に飛んでおるのかもしれんな・・・ちょっと待っておれ」


そう言うとお婆さんは部屋から出て行った。
部屋の扉が音を立てて閉まるのを確認して、どさっとベッドに倒れこむ。


「・・・やっぱり思い出せない」


記憶の喪失が事故に起因しているというのは違うような気がする。
事故が起こる前にはもう既に記憶がなかったと思う。そう思うのも事故に遭って記憶が拗れたからかもしれないけど。

・・・ダメだ自分の記憶すら頼りにならなくなってる。

自分が誰なのか分からないというのは、酷く怖いものだった。



――・・・



暫くすると、お婆さんはバスローブを着た知らないお爺さんを連れて帰ってきた。


「こっちのジジィはワシの亭主の古比流じゃ」


「初めましてお客人。まずは歓迎させてもらおうかの、エルモア・ウッドへようこそ」


お爺さんが手を差し出して来たので僕も手を差し出し握手する。
掌越しに伝わるザラっとした皮膚の感触がそのお爺さんの年輪のように思えた。


「お前さんの事は話しておいたぞよ。古比流は心を読むサイキッカーでの。お前さんの記憶も読み取れるかもしれんのじゃ」


お婆さんがお爺さんについて説明しているらしい。
サイキッカーの単語が気になったがそれよりも記憶を読める、その言葉に飛びついた。


「ほ、本当ですか!?お願いします!」


溺れていたときに丁度目の前に浮き輪が流れて来た気分だった。
一気に光が見えてきたような気がした。


「ウム」


そう言ってお爺さんは掌を僕の額にのせた。


「心速10000fm/m(フェムト)で潜行開始」



◆◆◆



潜行し始めてすぐにそれまでの記憶が光となって見えて来る。
だがある時を境に光が全くなくなった。何かに挟まれて身動きが取れない状態。これが少年の言う事故の直前なのだろうと老翁は思った。

そしてそこから先は闇、ではなく真っ白
記憶が細かな塵のように舞って全体が薄明るいため、記憶領域は白く見えた。

何故こんなにまで記憶は散りじりにされてしまったのだろうか。
記憶の塵からは細かすぎて何も読み取ることはできなかった。

その中でも少しだけ大きい光の塊へ近づいてみる。


――・・・グリ・・・リ・・・号 素体・・・コード・・・ふぁい・・・・・・


酷く曖昧で、かつ老翁みはその言葉の意味を理解出来ない。
その後もどれだけ深く潜っても記憶を失った手掛かりになり得そうな物はなかった。



◆◆◆



「・・・グリ・・・リ・・・号 素体・・・コード・・・ふぁい・・・・・・」


お爺さんが記憶を読み取る最中に無意識に呟いた言葉。
その中の”ファイ”という言葉を聞いた時、電流が頭を走ったように思った。

何かが繋がるような感覚、それを感じていた。


「ファイ・・・!!」


思わず口から言葉が零れる。
・・・そうだ、僕はファイと呼ばれていた!

ファイ。

その短いたった三文字の言葉を、何故か確信を持って僕は自分の名前だと言い張れるような気がした。


「何か思い出したようじゃの。それがお前さんの名か?」


お婆さんが尋ねてくる。
お爺さんも記憶を読み取るのを中止し、意識がこちらへ戻って来たようだった。


「はい!思い出しました!」


喜びが、安堵が胸に満ちてくる。
他は何も分からなかったが、名前。誰かにつけられた名前。誰かに呼んでもらえていた名前。

それは誰かとの繋がりを意味するもの。繋がりは自分の存在の証明。

お爺さんは手掛かりが他に見つからなかったことを申し訳無さそうにしていたが、それが分かっただけでも大収穫だった。
そしてお爺さんは自室に帰ったようだった。


――・・・


「しかし、ファイ。お前さんの戸籍も見つからず、身元は分からんかったし、これから行くあてもないじゃろう。この家にしばらく身を寄せんか?」


「ええ!?いいんですか!?」


「お前さんが構わんのなら、じゃ。

お前さんを拾うのも運命だったなら、お前さんがこの家に入るのもまた運命なんじゃよ。今日から天樹院を名乗るとええ」


「すみません・・・」


「感謝の気持ちがあるならありがとうといいんしゃい。その方が気分ええじゃろ?」


掌を僕の頭の上に置きお婆さんはニヤリと笑っていた。
頼もしいその言葉に、突然の家に入らないか、と言う宣言での驚きが身の置き場が決まる事の安心に塗りつぶされていく。


「・・・ありがとう、ございます・・・」


涙が堪えれそうになかった。新しい繋がり、それは不安や恐怖に勝る安堵や喜びだった。
感傷に浸っていたその時、不意にバンと大きな音と共に扉が開かれた。大きな音に反射的に首がそちらを向いてしまう。


「アタシは認めないからね!!!」


そこにいたのは、扉の外で話を聞いていたらしいフレデリカだった。その後ろにはマリーがオロオロしている。
フレデリカの顔をには怒りのような表情が張り付いていた。


「ヨソ者がこの家に居るってだけでも我慢できないのに、今日から家族!?

ふざけないでよ!!絶ッッッッッッッッッッッッッッ対アンタなんか認めないから!!!」


そうとだけ吐き捨てるように言うとフレデリカは走って行ってしまった。
マリーも戸惑いながら後を追いかけて行く。


「・・・なんか、凄く嫌われてしまったなあ・・・」


突然の宣言に半ば呆然としながら呟いた。
まあ、確かに知らない奴がいきなり家に上がり込んで居座り始めたら、そりゃいい気持ちはしないだろうなぁとは思うけど・・・

第一印象が最悪だった事もあるだろう。


「許してやっておくれ。家族に捨てられここに来るしかなかったフレデリカにはここが唯一の居場所なんじゃ。

だからかあの子のここに対する思い入れは一際強くての・・・外からの来訪者に対する過敏な反応は仕方のない事なんじゃよ」


傍に立って口を出さずに事の推移を黙って見守っていたお婆さんが僕の方を向いて口を開いた。
それはフレデリカが暴言を吐いた事を僕に対し済まなく想う気持ちと、またフレデリカを慈しむ言葉だった。


「捨てられた?あの子はお婆さんと血の繋がりはないんですか?」


「ワシと古比流はとある理由で居場所の無くなった子供達を引き取って共に暮らしておる。

先程のマリーも引き取った子じゃ。他にも子はおるが皆元は赤の他人じゃった。

だが、此処では血の繋がりなんぞは取るに足らん事。互いが互いを支え合う事が出来るのならそれは最早家族と呼んで差し支えはあるまい」


「とある理由?」

「彼らは皆、サイキッカーじゃ。古比流も、そしてワシもの。・・・お前さんにも未だ花開かぬ素質があるようじゃが」


「サイキッカー・・・さっきの古比流さんの記憶の読み取りのような力を扱う人の事ですか?」


僕にも素質があると言われ驚いたが、サイキッカーという物がいまいち要領を得ないため問い続ける。


「いかにも。遠い昔に人間が忘れてしまった超能力、PSI(サイ)を行使する者。すなわちサイキッカーじゃ。

じゃが、サイキッカー達は他の大多数の能力を持たぬ者に対し少数であるが為に周りから疎まれ、奇異の目を向けられ居場所を無くしがちじゃ。悲しい事にの。

・・・だからワシ達は居場所を作ろうと思ったんじゃ」


居場所、自分の存在理由がない・・・それはとても悲しく辛い事だ。
僕は記憶がない事を凄く不安で怖いと思った。それは、自分の居場所が分からなくなっているから。

自分がどこに、何故存在しているのか分からない。煙のようにフッと消えてしまいそうな感覚。それに耐える術を人は知らない。
だから人は人の繋がりを求め世界を繋げようとする。居場所を作ろうとするのだろう。


「フレデリカも環境に敏感なだけで良い子なんじゃよ。仲良くしてやっておくれ。

そして願わくばフレデリカもお前さんの支えにもなることを祈っておるよ。今一番辛いのはファイ、他ならぬお主じゃろうて」


そう言ってお婆さんはゆっくりと歩み、部屋を出て行った。

お婆さんの言った言葉が頭から離れずに何度も繰り返される。
何もかも分からないこの状況で、たった一つ確信できる事があった。


新しく出来たこの繋がりを、大切にしようと僕は思った。


その時。

脳のそして胸の内側に熱い物が染み渡る。
正体不明の力が湧き上がって来るのが分かる。もしかしたら、これがPSIなのかもしれないと直感的に思った。


その熱は不愉快ではなくむしろ不思議と心が落ち着くような気がした。



◆◆◆



エルモア・ウッド、客間。
長机にエルモア・ウッドの住人がさっきのお爺さんを除いて全員が席についている。

全員が、僕を見つめていた。
その12個の好奇の視線やらその他の色々な視線を肌に感じて少し物怖じしてしまう。


「皆揃ったかの。では紹介しようか。新しくこの家に住むことになったファイじゃ」


「初めまして。お婆さんに行き倒れていたところを助けてもらい、行く宛てもないので住まわせて貰うことになりました。

ファイです。今日からお世話になります」


言いながらお辞儀をする。
引っ掛かりも無く挨拶出来た事にこっそり安堵して再び顔を上げる。

自己紹介にもなってない名前だけの紹介にどう思われるか少し不安だったけど、問題無いみたいだ。


「よろしくね。あ、もうババ様に聞いてるかもしれないけど私はマリー。分からないことがあったら何でも聞いてね」


誰が僕に最初に声を掛けるか、その場にいたみんなは互いに目配せして相談しているような感じだったけど、
結局はさっき会った女の子、マリーが一番で決まったようだった。

マリーが言う。引っ込み思案な印象を受けたけど、同時に世話焼きでもあるみたいだ。そんな印象を言葉尻から感じる。
知らない人ばかりの場所で親身になってくれるのはとても有難い。近いうちにお世話になる気がした。


「ボクはヴァン。よろしくお願いします」


抑揚のない声でヴァンが言った。
声のした方を向くとヴァンとは視線が噛み合わなかった。何故ならその目は目の前に置かれたケーキに注がれていたから。


「ヴァンにはお前さんが衰弱しておったので治療を頼んだんじゃ。ヴァンは癒しの力のPSI、キュアを持つ子じゃ」


余りにもヴァンの言葉が少なかったからか、お婆さんが紅茶をすすりつつ捕捉するように言う。
癒しの力、なんて物もあるのかと改めてPSI?と言う物が不思議な物のように思えた。


「おかげで大分体の調子もいいよ、ありがとう」


「・・・・・・」


お礼の言葉を言ったけどヴァンの反応は無い。
挨拶が終わるとヴァンはもうケーキしか見えていないようだった。


「・・・・・・」


「シャオ君?」


シャオが僕の顔を見たまま身動きしないので隣に座っていたマリーが不審そうに尋ねた。
さっきから一切視線が離れていないので気にはなっていたんだけど、どう切り出せばいいかも分からずにいたのでマリーがそれに触れてくれた事はありがたい。


「あっ、ああ・・・シャオだよろしくな」


シャオは突然我に返ったように体をビクリと震わせ、おざなりな自己紹介をしてまた僕をじっと見ていた。
何だろう、初対面だし思い当たることも無いんだけど・・・


「フン!!]


思い当たる節も無く、疑問に思っていると鼻を鳴らす音が聞こえたのでそちらを向く。
さっきから決して僕の方を見ようともしない女の子、フレデリカだった。


「さっきはごめん。それとこれからよろしく」


「・・・・・・」


怒らせてしまったのなら、とりあえずは謝罪と思ったんだけど、フレデリカからの返事は無かった。
僕を無視してケーキを食べているけど、その行動の端々に怒りを含ませているのが分かる。

思いっきりクリームを頬に付けているのに、それに気付かない程度には怒っているようだった。
つまり、相当怒らせてしまっていると言う事だ。


・・・沈黙が、気まずい。


「俺様はエルモア・ウッドの切り込み隊長カイルだ。よろしく!」


褐色のはだをしたカイルは元気よく言った。
気まずい空気を、空気を読まずに破ってくれたのはありがたい。


「なーなー後で遊ぼうぜ!暇で暇でしょーがなかったんだ!」


切り込み隊長って何だろうか、とは思わずにはいられなかったがそれは今聞くべき事じゃない気がして黙っておく。
とりあえずは頷いておいた。



――・・・


「ファイっはPSIの素質を持っておる。皆と同じじゃ仲良くするように」


一通り挨拶を交わした後エルモアが締めにそう言った。
PSIという言葉を聞いてみんな思う事があったのだろうか、それぞれがそれぞれの表情を浮かべる。


「・・・ファイはもうPSIに目覚めてる」


そんな何とも言えない雰囲気の中、ケーキに夢中だったヴァンがケーキが無くなったからかこちらを向いて言った。
PSIに目覚めている、と言われても全く自覚がないんだけどどういう事だろう。

そこまで考えてさっき感じた不思議な胸の熱が浮かんだけれど、確証は持てない。


「なんと。何が切っ掛けで力に目覚めるか分からんもんじゃな・・・ならばこの子達に力の使い方を教わるとええ。

力も使い方を知らねば邪魔になるだけじゃからの。お前たち、ファイに教えてやってくれ」


『ハイ』


みんな違った表情を浮かべて皆が揃って返事をした。やっぱりフレデリカはそっぽを向いたままだったけれど。
とにかく、これからの身の振り方が決まったみたいだ。

決心する事もないけれど、これからの生活に色々と想いを馳せずにはいられなかった。



◆◆◆



みんなと客間で別れた後、誰も居ない廊下を一人歩く。

皆変わっているけれど、悪い人達ではなさそうだ、なんてそんな事を思いながら足を進めた。
部屋は気がついた時に寝ていた部屋が僕の部屋に宛がわれたようだったので、案内されずとも部屋に行く事は出来る。

窓の外を見遣る。
自分で選択した状況じゃない。ここに今僕がいるのは、奇妙な運命の巡りあわせだと言う他ない。

今は、その運命に感謝しよう。

初めは宛がわれた運命だとしても、きっと自分の足で進む事になる。その一歩目を与えてくれた事に。

窓の外には青い空が広がっている。
まるでこれからの運命を暗示している、なんてロマンチックな事は思わないけれど、単純に晴れだと暖かくて気持ちが良かった。


「・・・あれ?」


ふと、窓に映る物に何か引っかかりを覚えた。
雪のように白く、眉にかかる程まで伸びた髪、その髪を映したかのように鈍色を帯びた瞳、そして右目の下にある不思議な模様の刺青。


「なッ!?」


背筋に、あの時の寒気が去来した。

気が付いてからまだ一度も自分の顔を確認していない事に今更気付く。
燃え盛る乗用車の炎に照らされたトラックの積み荷達がフラッシュバックする。


あの死体達と、僕は同じ顔をしていた。


僕はいったい誰なんだろう。いや、何なのだろうか。
新しい繋がりができた安堵で一時忘れていた疑問が、再び湧き出してきた。



続く



[17872] コール3
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:52360afa
Date: 2010/12/23 04:52
翌日、エルモア・ウッドの庭園。


アーチ型の屋根の付いたベンチに座り、マリーとシャオからPSIの手ほどきを受けている。
フレデリカとヴァンは初めからここにいない。カイルは初めのうちはいたんだけど、途中から話に飽きがきたみたいでどこかへ行ってしまった。


「えっと、PSIっていうのは思念の力、言葉にするとこんな感じかな?簡単に言うと超能力、あ、こっちの方が分かりやすいね」


マリーがPSIとは何たるかを語っている。皆は生まれついてのサイキッカーだという事なのでその道のプロだ。
PSIに目覚めたてらしい素人の僕はプロのお言葉を有難く拝聴する。

僕が何故そんな素質を持っているかは、気になりはしたが不思議と疑問に思わなかった。
自分に脳が存在するのを疑問に思わないように、むしろ当たり前のようにすら思っていた。それが何故だかはわからないけれど。


「PSIは3つの種類の基礎の能力からなる。”裂破のバースト””心破のトランス””強化のライズ”の3つだ。

PSIに目覚めた人間は少なからずこの3つの力を使える。その人の資質によって得手不得手はあるけどな」


シャオは言う。言いながらも僕の顔をじっと見つめている。
僕の顔になんか着いてるのかな?刺青は入ってるけど、これはもう皆にこの刺青については僕も何も知らないという事を説明済みだ。

尋ねようかと思ったけど、話の腰を折りそうなので自重しておいた。


「強い力を持ってると・・・制御することが絶対必要になってくるから、そのためにも自分がどんな力を持っているのか把握しておくのは大事だよ」


強い力、と言うところで少しマリーの顔が曇った気がした。
どうしたんだろう。何か引っかかる事でもあったのだろうか。


「まずは基本のテレキネシスだな。手を触れずに離れた場所にある物体に力を加える能力。

PSIの波動を放出し、波動のベクトルを操るんだ。やってみてくれ」


シャオはそう言って地面から砂を少量拾い上げ、ベンチに置いた。


「やってみてくれって、どうすれば」


「精神を集中させて、砂を動かす力をイメージするんだ」


ひどく抽象的で何のヒントにもなっていないような気がしたが、これ以上聞くのも何だか気が咎めたので、言われた通りにやってみる。

目を閉じて精神を研ぎ澄ます。頭に奇妙な熱を感じる。これがPSIなのだろう。
それを頭の中から外へ放出するイメージ。


瞬間。奇妙な熱が灼熱に変わった。
心臓が跳ねて、急に周りから酸素が奪われたかのように呼吸が出来なくなる。


「っ!」


自分でもコントロールできない体から漏れるPSIの奔流に、シャオはビクリと体を硬直させたようだった。
だけど、今はそんな事を気にしている余裕はない。


「ッぐ!あ゛ぁあ゛ああああああああああああああああああああああ!!!!」


奔流が止まない。
押さえつけようとすればするほどに勢いが増して行くかのようだった。


「キャッ!」


「チッ!PSIがコントロールできてない!!おい!しっかりしろ!」


シャオが何かを言っているが全く耳に入らない。
頭が融けそうなくらい熱い中、脳裏に風景が浮かんでくる。

剥き出しのコンクリート、大きなガラスの壁、白衣を着た人たち、その手に握る解剖器具、そしてそれが僕にゆっくりと近づいてくる。
銀色に輝く解剖器具が僕の額に吸い込まれていった。

脳裏の風景が一瞬だけ浮かんだかと思うとまた直ぐに霞みがかって消えて行った。
鼓動の音に聴覚を支配されそうなくらい心臓が煩い。


なんだ、これ・・・


思い出せない思い出したくない思い出しちゃ駄目な気がする。
割れそうな頭、髪の毛を乱暴に鷲掴みして別の痛みでその地獄のような痛みを抑えようとした。


「あああああぁぁ・・・・・・ぁ・・・」


だけど、髪の毛を掴む皮膚の痛みも、身を苛む熱も全てが徐々に遠くなって行く。

そして僕はそこで意識を手放した。
後に残ったのは途轍もない疲労感に、果てしのない闇。

闇に意識が浸食され、呑まれて、沈んで行った。



◆◆◆



エルモア・ウッドの一室。


「フム、つまりあの子はPSIを使おうとしたら暴走し、脳が自己防衛のために意識のブレーカーを落としたと、そういうことかの」


ファイを彼の部屋に運び、事の次第をエルモアにシャオは話していた。
窓に映ったその表情は優れない。


「ハイ、ただファイは強力な固有の能力を使おうとして暴走したのではなく、単にイメージの固まりきらないPSIを放出しようとして暴走していました」


「ふぅむ、単なるPSIを放とうとして暴走することはまずありえないことじゃ。

PSIの資質を持つ者ならば本能的に、無意識的にPSIの扱い方が多少なりとも分かる筈なんじゃが・・・

・・・・・・記憶喪失、かの。魂に刻みつけられておるPSIの扱い方までが消えてしまったか・・・?そうなると、単なるショックによる記憶喪失ではない・・・?」


エルモアは思案し、一人の世界に入り込み一瞬目の前にいるシャオの存在を忘れてブツブツと呟いていた。
やはり、その表情は明るい物ではなく、不安、疑念と言った負の物だった。


「あの、彼は一体何者なんですか・・・?」


「分からん。本人にすらな」


そんな見た事のないエルモアの様子を不安気に見つめながらシャオが尋ねた。
その言葉で思案の水面から顔を上げエルモアは答えた。


「本人が思い出すのを待つしか無かろうて。

・・・しかし、の。記憶の枝葉を揺らすのは風じゃ。ワシ達はその風となれるよう力をあ奴に貸してやろう」


「ハイ・・・」


シャオは少年の事を浮かべつつ答える。その表情は、やはり晴れやかでは無かった。
それは未知の異物への恐怖感だったのかもしれない。目の前で起きた圧倒的な力への恐れだったのかもしれない。

いずれにしろあの白髪の少年の存在がシャオの中に鮮烈に刻みつけられたと言う事だけは真実だった。


「ところでシャオ、お前さんにはあ奴はどう見えたかの?」


エルモアがふと思い出したようにシャオに尋ねた。

シャオは特殊なトランス能力の持ち主であり、その人間の本当の姿、魂の姿が目に見えるという能力を持っている。
エルモアはそんな少年の言葉をいつも興味深そうに耳を傾けていたものだった。

そして今回もその例に漏れず、エルモアはあの白髪の少年の印象について何気なく尋ねた。
シャオに見える物があの少年の正体へと繋がる切っ掛けとなるかもしれないとも思っていた。


「・・・見えませんでした」


「・・・何じゃと?」


「見えなかったんです。いや、何も無いのが『無』が有ったと言った方が良いでしょうか。

真っ白なぼんやりとした何も無い空間”空隙(くうげき)”を彼をみて感じました。何かの間違いかと思って何度も確かめていたのですが・・・

結果は変わりませんでした」


だが、その言葉はより謎の色を濃くするだけの物だった。
分かった事は謎は謎のままである事、そしてその謎は想像した以上に深そうであると言う事だけ。


「”空隙 ケイオス”・・・か。この世に生を受けた者ならば必ずその者の魂の色がある。

それがないなどという事はあってはならない事なんじゃが・・・あ奴には謎が尽きんのう。

如何なる運命が待っておるのか、ワシの耄碌した目には見えんわい。・・・いや、そもそも未来などと言うものは分からぬものか」


エルモアは窓を見つめながら噛み締めるように呟いた。
一抹の不安が溶けたその言葉は何を想っての言葉だったのだろうか。

もしかすると、エルモアは感じ取っていたのかもしれない。
これから何かが変わるのだと。これから何かが始まるのだと。

だが当然、その漠然とした不安に答えを与えてくれる者の存在は有り得なかった。
運命とはその渦中に在る者にとって、決して見据え得ぬ物なのだから。

運命という舞台の上の役者が与り知らぬ所で、静かに劇の序曲が奏でられようとしていようとも。



◆◆◆



また、夢を見ていた。
僕が僕を後ろ上から眺めていて、それで夢だと気付いた。

僕が誰かと話している。


「き・み・は・だ・れ・?」


・・・僕はファイ、名前を教えるのは初めてだね。君は?


「・・・・・・」


返事はなく無音だったが、暫くすると光が集まり人の形を成した。
その人の形はチカ、チカと不定期に点滅している。

何か意志のような物を感じるけれど、人語を喋ってくれないと理解できない。
仕方ないのでこちら側から発信するしかない。


・・・どこから来たの?


「・・・・・・」


やはり光が声を返してくれる事は無かった。
だけど、答えない代わりに人の形をした光は、空を指差した。


『ト・モ・ダ・チ・に・・・』


光が霧散していく。思わず追いかけようとしたが、また体は動かなかった。



◆◆◆



エルモア・ウッド、古比流の部屋。
バスローブからスーツに着替えた古比流は、スーツの懐に手を入れる。


取り出したものを確認すると、シルクハットを被った。


そして壁に立てかけてあるステッキを握るとゆっくりとした足取りで部屋を出ていく。
部屋には書置き『少し出かけてくる』とだけ。

先程から鳴り止まず、むしろ次第に大きくなって行っているベルの音が古比流の胸中を波立たせた。
期待半分、不安半分。何れにしろ胸が高鳴るのを古比流は止められなかった。止めようとも思わなかった。


人生とは長い道のようなものだと、人はそんな安い言葉で表現する。
それが古比流という男にとって少々苛立たしくもあった。

人生とは、一つの劇である。
それが悲劇であろうと喜劇であろうと、面白い物であるに違いない。

古比流はそう信じていた。詰まらない一本の道などであってたまるか、と。天樹院古比流とはそんな人間だった。
だから古比流は常に飢えていた。満たされなかった。
どれほどの事を成し得ようとも、まだどこかで何かをより上手く出来た筈だと後悔を繰り返した。


しかし、ある時気付く。


自分は決して満たされる事のない人間なのではないだろうか、と。
それは後悔を重ねに重ねてより良くしようともがき続けた疲れから来る思考だったかもしれない。

だが、しかしその思考の真偽の程は分からずとも、その瞬間から古比流の中の何かが変わってしまった。
急激に色褪せて行く世界を、老いが差し迫っていた古比流にはどうすることも出来なかった。

古比流は、もう既に役者としての自分が終わっている事に気付いていたのかもしれない。

ただ漫然と日々を隣を歩む老婆と共に過ごして行く日々の中で、古比流は平穏を手に入れた。
それはあの身を焦がすような渇望から解き放たれた時間でもあった。

ただ、その平穏の緩やかな甘さは一抹の苦みを伴った。
劇などではなく、自分が心底憎んだ詰まらない平坦な道を歩んでいる自分が、そしてそれを悪くも無いと思っている自分が、情けなかった。

その苦味は古比流の深くに突き刺さって痛みを生んでいたが、最早古比流はそれをどうこうしようと言う気概すら湧かなかった。
その痛みを抱えたまま自分は歩いて行くのだろうと諦めていた。

だがある時、色褪せた世界に急に色が再び息を吹き返すのを古比流は覚える。

赤いテレホンカード。
その魔性の魅力に古比流は骨の心髄まで魅入られてしまった。


何かが変わる。


平坦な道はいつの間にか再び舞台へとその様を変えていた。
スポットライトに照らされて、劇の開幕を告げる音に背筋が震えるのを古比流は感じた。

耳殻の裏のベルの音が福音のようにさえ思えた。
部屋の扉を閉まると同時に、一人喜悦の表情を浮かべてそっと呟いた。

それは、感謝の言葉。


「楽しい楽しい舞台の始まりじゃ。せいぜい、儂の空虚が満たされんことを。

――・・・のう、ネメシスQ」


手には、赤色のテレホンカードが握られている。
携帯電話を耳に当てると、古比流の姿は跡形もなく消え去った。

書置きが扉から吹き込む隙間風でカサリと揺れた。


『――・・・世界は・・・つ・な・が・る・・・』




続く



[17872] コール4
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:52360afa
Date: 2010/12/23 04:53
瞼にカーテン越しの陽光を感じるが、目を開けるのが辛い。
無意識的に光を避けようとして体を横に向けようとしすると額に何か乗っていたらしくそれがずり落ちたらしかった。
何かと思って薄く眼を開けると濡れたタオルであった。
誰かが置いてくれたのだろうか、と疑問に思い、そして思考するにつれ頭が覚醒してきた。

誰かと話をしていた気がするが、頭が霞がかかったようにぼんやりとしてよく思い出せない。

重力に逆らい体を起こす。

・・・僕は確か、PSIを使おうとしてたら、頭が焼け切れるような熱を覚えて…
その後は記憶がない。気絶した、ということだろうか。
覚醒するにつれて頭がガンガンしてきた。思考するのもしんどい。


「あ、目が覚めた?」


何も考えないようにぼーっとしていると、マリーが扉の向こうから顔を覗かせた。


「まだ寝てた方がいいよ。シャオ君が言うにはPSIの暴走によるオーバーロードだって」


そう言うとマリーはテレキネシスで落ちていた濡れタオルを拾い上げ、桶に張ってあった水で再び冷やし、
そのままテレキネシスで手を使うこと無くタオルを絞っていた。
テレネキネシスには乱れが一切ない。


「オーバーロード?」


「うん。PSIコントロールできてなくて暴走しちゃったんだね。それで意識が飛んじゃったんだって」


「そっか・・・」


「ハイ、横になって」


絞ったタオルをそのままテレキネシスでこっちに向かわせ、マリーが言ってくる。頭もまだガンガンするし
特に拒む理由もないので大人しくマリーの言葉に従う。
冷えたタオルが心地いい。その感覚に気を向けて何も考えないでいると痛みが和らいでいくようだった。


「・・・すごいね、テレキネシスを完璧に操ってる。すごく丁寧だ」


額にきれいにたたまれて置かれているタオルを見てふと言った。
すると、マリーの顔に陰が生まれた。


「そんな・・・大した事じゃないよ。

凄さで言えばファイ君の方が全然上だよ・・・さっきは暴走しちゃってたけど、凄いPSIだった。私はあんな力持ってないよ」


「いやいや、謙遜することないんじゃない?

僕がこれやろうとしたら多分今度こそ目の前の妖精とおしゃべりするような感じになっちゃうし」


額のタオルを指差し言う。


「それはファイ君がまだPSIに慣れてないからだよ・・・私は昔から力持ってたから・・・慣れてるだけだよ」


マリーが俯きながら言う。表情は髪に隠れて見えない。


「じゃ、マリーは先輩ってことかな。その道9年の大先輩だ。よろしく、マリー先輩」


「えっ、で、でも私!そんな人に何か教えれるような人間じゃないよ!力も弱いし、ドジしてばっかりだし、何の取り柄もないし…」


ハッとマリーは顔を上げた。


「僕に無いもの持ってるじゃないか。PSIのコントロール技術とか。・・・自分とか」


「えっ?」


「いや、なんでも。まあ、マリーを羨ましいと思う所は一杯あるよ。そんなに自分に自信がない?マリーは自分が嫌い?」


体を起こしつつ言う。マリーの大きな目、その中心のエメラルドのような明るい緑の瞳をじっと見る。
マリーの瞳には戸惑うような成分が混じっている。


「あんまり好きじゃないかな・・・」


マリーが目を伏せた。


「じゃあ、これから自分のいいところ探して行こう。せっかく持ってる"自分"なんだからさ。

自分が自分を大事に思えるなら、周りと比べた自分なんて大したものじゃないよ。微力ながら手伝わせてほしいな。マリー先輩」


「せ、先輩はやめて!マリーでいいよぅ…」


マリーが少し頬を赤らめながら言う。


「でも元気、出たかな。ずっとつっかえてた物が取れたみたい。病人のファイ君に励まされて、

ごめんね、ホントは私が励ます側なのに・・・」


「いやいや、人間弱いもの同士支えあわなきゃ。

ま、でもなんか僕がへこんでるような時は声掛けてね。多分凄く喜ぶから」


「うん!・・・でもファイ君って不思議だね。なんだか、掴みどころがないというか、ふわふわしてる感じ。

まだ会ってすぐなのにすぐ近くにいても違和感がないみたい」


「そういうマリーは優しい感じだねぇ。近くにいるとつられて僕も優しい気持ちになれそうだよ。

あ、これもマリーの良いところだね。今なら一発までならたとえ殴られても笑って許せそうだ」


「ふふ、ありがとう」


「どういたしまして」


互いに微笑み合う。マリーの顔にはもう陰はなかった。
ホントに胸が暖かい。僕の中の優しい気持ちを濃くしたらこんな感じになるのだろうか。


・・・いや、ちょっと待て暖かいを通り越えて熱い!


熱い何かが胸に染み渡っていく。熱さが胸一杯になって、そして熱が波のように引いていく。
熱が完全に引いた時、僕はテレキネシスの扱い方を理解していた。

頭で、じゃない。魂で、本能的に。そしてその力がマリーの物だとも理解した。


「これは・・・!」


「じゃあ私行くね。ババ様にファイ君起きたって言わなきゃ」


そう言ってマリーは桶を持って晴れやかな顔で出て行こうとする。
その時。


「キャッ」


スリッパがもたついてマリーはバランスを崩した。

このままではマリーが転んでしまう。
そして桶の水でマリーも床もびしょびしょになってしまうだろう。

中身の水は桶から飛び出し、一瞬のみの芸術の形を成した。
目の前の景色がスローモーションのように見える。

今ならきっとできる!僕はとっさに腕を前に突き出した。

頭の中で理解したばかりの力を練る。
PSIとは想像の力!現実にイメージを現実に投影する力!

テレキネシス・プログラム 物体浮遊!そしてそのまま維持!!


・・・投影!!!


マリーの体が重力に従い地面へと吸い寄せられる。
しかし、地面と包容を交わす前にマリーの体はガクッと止まった。

突然の事で頭が追いつかず、困惑しながらマリーは顔を上げる。
目の前には時が凍ったかの様に水が芸術の形を維持していた。


「これはテレキネシス・・・?私じゃない・・・ファイ君・・・?」


ゆっくりとマリーの体は地面へと近づき、うつ伏せのまま着地した。
桶へと水は収まり、桶は何事もなかったかのようにそこに鎮座していた。


「大丈夫?」


体を捻り、振り返るとファイが屈みながら手を差し出していた。


「あ、ありがとう・・・それよりファイ君、今!」


「うん、ありがとうを言うのは僕の方かな。マリーのおかげだよ。

これはマリーの力だ。僕は貸して貰っただけ。マリーのおかげで僕はPSIを使えたんだ」


初めて操ったPSIは、不思議な感じだった。頭に奇妙な熱の余韻が残っている。
だが、その不思議な感覚は、やはり嫌じゃない。
むしろ喜びに近い感情が湧いている。まるで、失くしていたものが見つかったかのような…


「わ、私のおかげ・・・?」


マリーは僕の手を取りながら言う。


「うん、自分の事が少しだけ分かった気がする。だから、それも込めてありがとう」


「???」


マリーは僕が何を言っているのかよく分かっていないみたいだった。
それでもいい。

僕は、他人のPSIを借りる力、他人とPSIの波長をシンクロさせる力の持ち主。

マリーが僕の手をぎゅっと握ったので腕を引いた。


「っとと」


またマリーのバランスが崩れそうになったのでもう片方の腕をマリーの腰に当てた。
顔と顔の距離がぐっと近くなる。


「ご、ごめん・・・」


マリーが恥ずかしそうに目をそらす。
と、そこへ。


「マリー、まだそいつの世話してるの?いい加減切り上げなさい。そして今からアタシが漫画の魅力について語ってあげるから聞きなさい」


フレデリカがノックもしないで入ってきた。


「って!!!!!!!アンタ、マリーにナニしてんのよ!!!」


「ぐはァッ!!!」


フレデリカの黄金の左を顔面に受け僕は吹き飛んだ。


「マリーに何しようとしてた!?ナニしようとしたんでしょ!!!汚らわしい手でマリーに触れるんじゃない!!!

謝罪しろオラァァァァァァァァ!!」


「ガッ!グハッ!?おうふ!!!」


更に続けて流れるようにダッシュ肘鉄、アッパー、こめかみへの回し蹴りが炸裂した。

肘鉄は見事に僕の体の中心、水月に突き刺さり、僕の体はくの字に折れ曲がる。
間を置くことなく反対の拳で打ち出されたアッパーは綺麗に顎を打ち抜き、一瞬意識を刈り取られそうになった。

回し蹴りはこれでもかというほど美しい軌跡を描き、こめかみへと叩き込まれた。
パンツの柄のクマはにっこり笑っていた。


「落ち着いて!?フーちゃん!?というかナニって何!!?」


「チューよ・・・!あの体勢は間違いなく″無理やりチュー″だったわ!!!汚らわしい!」


「え!?いや、あの、その転んだところ起こして貰っただけなんだけど・・・」


「ハァ!?」


「ハァ!?はこっちの台詞じゃ無いですかねフレデリカさん。・・・表出ろおおおおォォォォ!!!」


僕はゆっくりと首をフレデリカ達に向けた。
初め向いてはいけない方を向いていたような気はしたけれども、それは今置いておいて。


「あぁっ!とうとうあの穏やかなファイ君が切れた!!

落ち着いてファイ君!さっき殴られても笑って許せるって言ってたじゃない!!」


「一発までならね!四発頂いたよ!!さぁて、じゃぁあお釣りは返さなきゃね・・・!!!」


「ちょっ!今回ばかりはアタシが悪かったわよ!!

・・・でもアンタも悪いんだからね!あんなに顔近くじゃそりゃ誤解するわよ!!この勘違いさせ野郎!!」


「言うに事欠いてそれか!!

オーケー、分かった・・・・・・戦争だァァァァ!!!!!」


体をふらりと起こしながらフレデリカに向けて宣言する。
ゆっくりとした足取りから急激に加速した。


「ま、待ちなさいよ!!!

クッ、かくなる上は・・・逃げね!!セクシーローズはそう簡単に捕まらないのよ!!」


「逃がすと思ったか!!!!待てええええぇぇぇ!!!」


フレデリカが一目散に扉の外へ駆けていく。
逃げたフレデリカを追って僕も飛び出して行った。


「もうおやめなさあああああああああい!!!!!」


マリーが後で何かを叫んでいたが、残念ながら今の僕の耳には届かない。
エルモア・ウッドは今日も平和のようだった。


◆◆◆



エルモアの部屋。

既に日が暮れてから久しいような時間。月明かりがカーテンの隙間から漏れ、部屋を薄く照らしている。
聞こえるのは、規則正しい呼吸の音一つのみ。静寂が部屋を支配していた。

しかし、突如として静寂が破られる。
老婆がうめき声をあげ始めたのだ。


――・・・夢をみていた


目の前の景色が、世界が、徐々に、だが確かに崩壊していく。
ビルは半ばから折れ、建造物は押しつぶされたかのようにひしゃげ、原型を留めず,
大地には無数の穴が刻まれ、地面が捲れ返り、隆起し、陥没し、地上は見る影もなくなっていった。

神の怒りに触れたかのような光景、それを上から見下ろすだけ。
何の抵抗も出来ずに蹂躙されていく。

世界の終末と言って差し支えないような、凄惨としか言い表せられないような光景が出来上がっていった。
そして、その身にも降り注ぐ脅威、それを目の前にしてエルモアははっきりと死を感じた。


「グッ・・・!ムゥ・・・」


そこで老婆は目を覚ました。


「・・・・・・なんじゃ今のは。気分が悪い。・・・蒸し暑いからかの・・・」


そう言って老婆は再び眠りにつくため寝がえりをする。

まだ老婆は気付いていない。
その悪夢が予知夢であることに。そう遠くない現実であることに。

凄惨な現実は、足音をたてずに忍び寄ろうとしていた。



◆◆◆



深夜。


天樹院古比流はエルモア・ウッドに帰って来ていた。
ネメシスQのゲームをクリアした時、そこは山陽地方だった。

伊豆から山陽まで飛ばされたことはどうでもいい。
金なら持っていたため、帰るのに困ったりするようなことはなかった。

そんなことよりも大事なことがある。古比流の頭はそれで一杯だった。


             ″未来″


それがネメシスQのゲームの正体。近々未来は崩壊する。
にわかには信じられないが、この目で確かに見た。

ネメシスQの正体や目的も気になる。何故人を未来へ飛ばすのか、何をさせたいのか。
そして、何故世界が崩壊するのか。

古比流は険しい顔をしながら、その日は一睡もしなかった。いや、できなかった。

平和に見える日常は、いずれ音と共に崩れ去る。
まだその時が来ていないだけ。



続く



[17872] コール5
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:52360afa
Date: 2010/12/23 04:53
『他人のPSIをコピーする力とな。

フム、最初にPSIを発そうとしただけで暴走したのは、何の能力も持っていない白紙の状態(ブランク)だったからなのかもしれんの。

PSIの出口が無い状態でPSIを放とうとして爆発した、と。』

『あくまでこれは仮説じゃがの。真実はどうか分からん。

PSIが暴走する危険があると分かった以上、早急にコントロール法を身につける必要がある。

それがサイキッカーがこの世界で生きていくのに必須な事じゃ』

『という訳で、お前さんPSIの訓練をしんさい。

前のように暴走する可能性があるか分からんのと違って一度ハッキリと暴走したんじゃ。気合い入れておやんなさい』



庭園。

・・・・・・という訳で僕は再びPSIの練習をしている。

感覚としてはもう呼吸を掴んだ気がするので暴走する気配はないと思うのだけれど、やはりPSIを扱った時間があまりに短い。
故に何か不測の事態が起こるかもしれない。
そう言ったことから、やはり自分の持つ力を完全に把握し、操れるようになっておくことは必要なのだろう。


とりあえず力の持ち主のマリーに力について尋ねておいた。

まず普通のテレキネシス。
これは前にも言われた通り、PSIの基本であるイメージをしっかりと作り出せるか、そのイメージを持続出来るか、
その後イメージを頭の中で操れるか、が大事だという。

これはマリーのテレキネシスをコピーした際に頭の中へやり方が流れ込んできた。
しかし、あくまでやり方を理解した程度なのでテレキネシスを手足のように扱う事は出来ない。

次にレベルが一つ上のテレキネシス。
これは、テレキネシスをイメージする段階で予めテレキネシスの動きを大まかに決めておく、プログラムとマリーは呼んでいた、
を組み込んだテレキネシスである。

常に意識していなければならない普通のテレキネシスとは違い、放ってしまえば後は自動で働くテレキネシスなので
使う労力がぐっと減るらしい。
ただ、投影するまでの過程がより高度になってくるのだ。

プログラムは応用技なのでコピーすることはできなかったようである。

マリーのテレキネシスと比べて分かったのだが、僕が出来るのはそのPSIの波長の模倣のみで、その力の大きさは僕の熟練度によるようだ。
マリーのテレキネシスは僕のよりも遥かに精緻で力も強かった。


ついさっき試しにその辺の小石を持ち上げてみた。
その程度の重さなら、僕の拙いテレキネシスでも簡単に持ち上げる事が出来た。

しかし、僕自身が持ち上げられないような重さの石になるとテレキネシスでも持ち上げる事は出来なかった。
要するに今の僕のテレキネシスの力では今現在僕の身体能力程度の出力しか出せないのだ。

暴走した際のPSIの奔流は凄かったとマリーは言っていたが、覚えたてのテレキネシスでは思うように出力を上げられない。
もっと大きな力が欲しいのなら対価となる努力を払う必要があるのだろう。

お婆さんが言うには前例のないような珍しい能力だそうだが、なんとも使い勝手の悪い能力である。
そもそも、周りに他のサイキッカーがいることが前提の能力であり、どこかこの能力には不自然さを感じるとお婆さんは言っていた。

この能力が以前の僕を思い出す手掛かりなのかも知れない。
暴走した際にどこか記憶に無い風景を見たような気もする。

それはともかく、今現在力を欲しているという事は無い。
欲しいのは能力の絶対の手綱。
鍛えるならば、能力の安定性、テレキネシスの精緻さである。

そんな訳で、今僕はイメージ力を高めるために瞑想して精神集中しているというわけだ。

しかし・・・日差しが暖かい。
雨続きだった六月の天気の中で久しぶりの快晴だった。いつもあったじめじめした空気は今日は感じられず、非常に快適である。

目を閉じて瞑想していると眠気が頭の内部から湧き出してきたように感じる。
脳内にセロトニンが分泌され、それによりメラトニンの分泌が促進、蓄積していく。

要するに・・・


「眠い・・・」


そう言う事だ。
そう言って僕は体をベンチの背もたれに預け、頭を垂らした状態で眠ってしまった。


◆◆◆



庭園。

カイルは久しぶりの快晴に、それまで雨で邪魔されていた分を取り返すように庭を跳ね回っていた。
カイルはじっとしている方が苦手な性格であったため梅雨の長雨に閉じこめられるのは苦痛で仕方なかった。


「よッ、と・・・」


高くジャンプしたかと思うと、そのまま空中に着地。空中に着地というのも違和感があるが、
事実着地という表現が正しいだろう。透明なブロックのような足場が出来ており、それに乗っているのだ。


「はッ」


そして次のブロックへ再び跳躍。正しくカイルは跳ね回っていた。

とは言うものの、誰か遊び相手がいる訳でもなかった。シャオには本を読むから邪魔をするな消えろと言われ、
ヴァンは起きたばかりで覚醒しきっておらず、話しかけてもあー、だの、うーとしか言わない。
マリーやフレデリカを誘うという選択肢は初めからない。


「あー・・・平和だねえ暇だねえ・・・」


仕方ないので目的もなく一人で久しぶりに思いっきり体を動かしているだけで、
手にはサッカーボールが抱えられているが、手持ち無沙汰なのであった。


「むむっ!あれは!!」


と、そこにベンチに座る白い髪の毛を見つけた。ファイである。
初めて顔を合わせて以来、食事の時など会うことはあってもしっかり会話したことはなかった。

PSIの訓練をしていて、邪魔をするのも躊躇われたり、その訓練の為にマリーやシャオが側にいたことも絡みが少なかった原因の内だろう。

しかし、今ファイは一人であり、特に能力を使っていると言う訳でも無さそうだ。
とすればここで遊び相手を増やさない手はない。

そうと決まれば早速遊ぼうぜモーションをかけるのであった。


「おーい!ファイー!!あっそっぼっうっぜッ!!!!!!!!!!!」


手に持っていたサッカーボールの全力投球によって。

カイルの予定ではファイはボールを避けるか、キャッチするか、弾くかする予定だった。
反応はどれでもいい。サッカーボールはカイル式挨拶のようなものだったのだ。

しかし、カイルの予定はどれも外れる。何故ならファイは寝ていたのであり、カイルの声気付くこともなかったからだ。



◆◆◆



夢を見ていた。
最近何度か同じような夢を見た気がするが、はっきりとは思い出せない。
まあ夢ならばそんなものかと夢の中で思う。

しばらくぼんやりしていると光が収束していき、人の形を成した。


・・・やあ、最近よく会うね。


話しかけると、人の形をした光はピカピカと点滅する。


「こ・ん・に・ち・は」


そして声が頭に響く。


・・・こんにちは。


「お・は・な・し」


・・・うん、いいよ。話して遊ぼうか。


「あ・そ・ぼ・・・」


『おーい!ファイー!!あっそっぼっうっぜッ!!!!!!!!!!!』


光が消えた。


「ん、ぁ・・・・・・・・・へぶしッ!!!?」


ふと目を覚まし顔を上げると目の前に迫るサッカーボール。サッカーボールだと気付いた時には顔面にボールがクリーンヒットしていた。
ベンチの上で仰け反り、そのままベンチもひっくり返り後ろに倒れる。


「な、なんなんなんなんなんなんなんなん!?」


なんだ!?何が起こった!?僕サッカーボールと会話してたんだっけ!?
とっさのことに混乱してまともに喋れない。
青空が綺麗だ。あと顔が痛い。凄く痛い。

痛みを意識すると徐々に頭が覚醒してきた。
と、そこにカイルが走ってきた。


「ワリィワリィ、まさか気付かないとは思わなくてさー」


ハハハっと晴天のような笑顔でカイルは言う。

ふふふっと体を起こしながら僕もつられて笑った。
ただし僕の笑顔は冬空のように乾いていて冷たかっただろうが。

穏やかな日差しのなかで眠っていて、モーニングコールがサッカーボールとの顔面接吻だったら、
人はにこやかでいれるだろうか。いや、にこやかでいられない。殺意を抱くレベル。


「お・は・よ・う・ご・ざ・い・ま・すっ!!今日はいい天気だなぁぁぁ!!!!!!!!!!!!」


シュバッと手を伸ばし、カイルの額を掴む。
そしてそのまま力を込めギリギリと締めていく。


「あだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだ!!!!!!」


カイルが涙目でもがく。
両手で僕の手を引き剥がそうとするが、僕の憎しみの右腕はそう簡単に剥がれない。

そうしてる内に、カイルは諦めたのか両手を僕の片手から離す。
・・・そしてその手を、僕の額へ突き出した!!


「な、なに!!フィンガー返しだと!!?カイル貴様、やるな!!」


カイルは涙目ながらもニヤリと強気な笑みを見せた。
口角が持ち上がり犬歯が覗く。


「ふ、フフ・・・そう簡単にくたばってたまるかっての!!」


いつの間にかフィンガー勝負に持ち込まれていた。
互いが互いの魂を指に賭け、力を込め合う。


「ぐッ・・・オオオォォォ・・・!!!!!!!」


「ぬッ・・・アアアァァァ・・・!!!!!!!」




◆◆◆



「あやつらなにしとるの」


「自分が馬鹿であるというアイデンティティの証明でしょう。ファイも巻き込まれて可哀想そうに」


「いや、ファイも馬鹿やっとるがな」


二階のテラスから一部始終を見ていたエルモアの呟きにシャオが答え、エルモアがまた呟く。
シャオはもう知らねェと言わんばかりに再び視線を本に戻そうとした。


「しかし、"空隙"が変化していたとな・・・?」


「ええ、今朝見たとき、昨日まで無かった色が"空隙"に付いていました」


「ふむ。魂の性質が変化するか・・・

どうもあ奴の力は不自然じゃ。まるで意図的にそう作られたかのような・・・」


「"空隙"からはかすかにマリーと同じ波動を感じました。恐らくファイのPSIを模倣する能力と関係しているのでしょう」


「変化する魂と変化する能力、か・・・

どうも嫌な予感がするんじゃが、これが予知にならなければええのう・・・」


「・・・万が一の為にこの家に置いて監視しているの、ですか?」


「それは違う。あ奴が記憶を取り戻す手助けになりたいと思ったのは偽りない本心じゃ。

それに、あ奴はもう家族じゃ。親が子の行く末を心配するのは当然のことよ」


「・・・・・・」


「そんな顔をするでない。ワシの予感など大したものでないわ。お前さんもあ奴と仲良くの」


そう言ってエルモアはテラスから室内へ戻っていった。


「空隙(ケイオス)のざわめきが、どんどん増していく…」


ファイを見つめての呟きに、答える者は居ない。



◆◆◆




「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!もう埒があかねぇ!」


カイルが言い、手を僕の額から離す。
急に離されたのでつい僕も手を緩めてしまった。その隙をついてカイルがバッと距離を取る。


「ハア、別の、方法で決着を、ハア、付けようじゃねぇか・・・!」


「ほう、別の方法か。ハア、いいだろう、何を、ハア、するんだ・・・?」


お互い息がゼエゼエと荒い。
カイルが別の決着方法を示して来たので乗ってやる。


「ふ・・・コイツさ!!」


そう言って差し出したのはにっくきサッカーボールだった。


「・・・サッカー、じゃないな。何をするんだ?」


「"一対一飛球"(タイマンドッジボール)」


そのとき僕に電流走る。


「た、タイマンドッジボール…だと…!?」


「そうさ、これを互いにぶつけ合い、ヒットした後地面にボールを落としたら負け…シンプルだろ?」


「面白いじゃないか…!ルールはそれだけか?」


「それと、ラインは無し。エリアはこの家の庭全体。顔面はセーフ。

球はどちらがどこで拾ってもよし、つまり奪い合いだ。ビビんなよ?」


カイルが挑発的な笑みを浮かべる。


「ククク、上等じゃないか。そっちこそビビっておもらしするなよ?」


僕も自然と挑発が口をついた。
アレ、僕ってこんなキャラだっけ?まあいいや。今は頭に血が上ってるんだ。余計なことは考えない。


「・・・・・・」


「・・・・・・」


静寂が両者間を支配する。
しかし、その間は目に見えない闘気で埋められていた。


『ッ!!!』


カイルがボールを空高く放り投げた。

戦いが、始まった。


先に動いたのは、僕だ。
上を見つめると太陽の光に目をやられるのは分かっている。
ならば!太陽の位置、ボールの影の位置から逆算してボールが降ってくる場所を導き出す!

僕は土を踏みしめ、予測ボール落下地点へと駆けだした。

カイルは・・・なにッ・・・!!?

嘲るような笑みを浮かべながらつっ立っている。どういうつもりだ・・・!?


「くくく、とんだお間抜けだナァ?……誰がPSIを使ったらダメだと言った!?」


そう言ってカイルは空へと駆け上がって行った。
ッ!!!クソッ!そういう事か!!
そう、これはなんでもあり。ただの"一対一飛球"じゃない!!


"超能力一対一格闘飛球"(サイキックバトルドッジボールロワイヤル)だ!!


カイルの能力は以前聞いていた。
空間に大気を超圧縮変換したPSIブロックを造り出す。


空間操作(ゾーン)系PSI 『マテリアル・ハイ』


それがカイルの能力。
クソッ!完全に失念していた!!


「ホラホラホラァ!気ィ抜いてるとあっという間に終わっちまうぜぇ!?」


カイルが球を上空でキャッチし、地に向かって投げつけてくる。
狙いは正確!だが、球速はそれほどでもない!十分に対応できる!!

体を捻り、ボールをかわす。

上から投げつけられたため、ボールはバウンドし、僕の手の届かない所まで再び跳ねる。
ボールが跳ねた先へは既にカイルが空を駆けて向かっていた。


僕は内心舌打ちをしていた。
このままでは、僕はボールを手にする事は出来ない・・・!僕に、出来るのか?いや、やらなければならない!

空がカイルに支配されているのなら、僕は陸を支配する!!

カイルが再びこちらへとボールを投げてくる。
またも狙いは正確!・・・・・・思わずニヤリと笑う。

狙いは正確、だからこそボールの落下地点が読める!


"テレキネシス 物体浮遊"!!


テレキネシスを放った先は、地面!
僕の未熟なテレキネシスでは高速移動するボールを上手く捕えられないかもしれない。だから、地面に。

力を抑えめに放ち、地面を浮かせるのではなく少しだけ隆起させる程度。
だが、角度は綿密に計算してある。

ボールが地面に着いた瞬間、本来あるべき反射角で跳ねる事は無かった。
イレギュラーな軌跡を描き、ボールは僕の手の中に収まる。

カイルが驚愕の表情を浮かべている。


「勝負はこれから、だよ?」


ボールの土を払い、僕は言った。



◆◆◆



エルモア・ウッド庭園。


「はぁ・・・」


「でね、この、トリに愛が語れるか!?ってセリフがね、ちょっとマリー聞いてるの!?

ここから最高に熱いとこなんだから!!」


フレデリカとマリーは庭園のベンチに座っていた。
せっかくの晴れた日なのでマリーは部屋の掃除や布団を干したかったのだが、運悪くフレデリカに捕まってしまっていた。
フレデリカは晴れだというのに外へ漫画を持って行って読んでいるという始末。


「はぁ・・・」


フレデリカは漫画に夢中でマリーの様子に気づかない。
何度目か分からない溜息を、マリーはついた。


「いいお天気・・・お布団、干したかったなぁ・・・」


「それでね、この主人公が狐を殴りつけるとこがね――・・・」



◆◆◆



「おらぁ!!!!!!!」


空へ向かってボールを投げる。
しかし、僕の投げる球速も大した事が無いため、上半身を捻じったカイルに簡単に避けられる。
そしてそれをカイルが追いかけキャッチ。

カイルが投げた球を、僕がギリギリまで読んでかわす。
そして地面を操り僕がキャッチ。

・・・このような事を長い間繰り返していた。
暫く勢いは均衡していたのだが、ある時流れが変わった。


「うおらぁ!!!!!!!」


僕はまた空へと、カイルへと向け投げる。その時!
急に射線上にブロックが生成された。ご丁寧に射線に対して面が垂直になるように調節されている。


「ッ!!!!」


反射された位置が近かった事、投げた後で体勢が崩れていた事などが原因で、避けられない!!!


「へぶしッ!!!?」


帰ってきたボールは僕の顔面へと吸い込まれた。
痛みで思わず後ろに吹っ飛ぶ。

今日ホントツイてないな・・・と思いながらすぐに体のバネを使って跳ね起きる。
顔面は、セーフだ!球はまだ生きてる!!

球を見ると僕の顔でバウンドした後、地面を転がっている。そしてカイルは・・・等距離・・・!!


『うおおおおおおおおおお!!!!」』


二人揃ってボールへ飛びついた。ズザザザと地を滑る。
ボールを手にしたのは、僕だ!

すぐさま体を起こしカイルの方へ向く。カイルは空へ駆けていた。
体の方向を変えてすぐ、狙いをしっかり定める間もなく投げつける。

そのスイッチの速さにカイルは驚いたようだが、狙いが出鱈目なのですぐに安心していた。
だが、それが命取りだ!!!


"テレキネシス ベクトル干渉"!!


出鱈目な方向へ飛んでいたボールが急に向きを変えカイルに迫る!


「なッ!?」


他人が投げたボールなら分からないが、自分が投げたボールならば速さ、向きなどが分かっているためテレキネシスで捕えられる。
そしてボールはカイルの後頭部にあたり、カイルは地に落ちてきた。

空を落とした!!!
だがしかし後頭部もセーフなのである。球は、やはり生きている!!

顔面から地に落ちたカイルもすぐさま復活し、ボールの行方を捜す。
だが、やはり僕の方が速い。

先に僕がボールにたどり着きそのまま陸に居るカイルに向かって球を渾身の力で投げつける。
さらに、テレキネシス ベクトル干渉でボールを後ろから押し、加速させる。

これで、チェックメイトだ!!!

ボールは、カイルの腹に叩き込まれた。
あまりの勢いにカイルはゴロゴロと後ろに転がって行く。


勝った・・・!


だが、終わってみれば何とも言えない空虚さが胸に渦巻いていた。
僕は、この戦いで何を得た?
むしろ、好敵手(ライバル)を失ってしまった…。カイル亡き今、僕はボールの矛先を誰に向ければいい?

ただただ、空しかった。
振り返ることなく、好敵手を見ることなく立ち去ろうとする。


「・・・待てよ。試合は、終わっちいゃねーぜ」


ピタリと歩みを止め、後ろを見ずに言う。笑みが作られるのを止められない。
考えられるのは、カイルが僕の球を、魂を受け止めきったという可能性。


「流石は、僕の好敵手」


「効いたぜ・・・魂の乗ったいい一撃だった・・・だが、俺の勝ちだ!!!!!」


カイルが叫ぶと同時にバッと振り返る。
正面なら、真正面なら、捕える事は出来なくても反らす事なら出来るかもしれない!

テレキネシス ベクトル干渉!!!


『うああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!』


二人揃って雄たけびを上げる。
・・・そして、ボールは僅かに反れ、僕の頬を掠めて後ろへ飛んで行った。


「・・・・・・」


「・・・・・・」


再び静寂。両者に言葉などという無粋な物は要らないようだった。
魂を球に込め、魂をぶつけ合い、彼らは互いに認め合えた。


「ふふ、ふふふ!」


「はは、ははは!」


賛辞は要らない。称賛も、健闘を讃えあう事も、そしてもはや勝敗を決める事でさえも彼らには不要だった。
ただあるのは深い満足感。ただただ胸に満ちる喜びを彼らは味わっていた。


「楽しかったぜ、ファイ!」


「ああ、僕もだよ。カイル」


そして拳を突き合わせる。それで十分だった。

と、そこに。


「本当に・・・・・・野蛮人どもが・・・」


僕とカイルの二人がとてつもない殺気を感じ、声のした方を向く。

向いた先にはフレデリカが佇んでいた。その身から漏れる膨大な殺気。
PSIも漏れ、周りに火花が散り始めている。


「お、落ち着け!フレデリカ!一体どうしたってんだ!!」


カイルが焦燥の表情で言う。声は僅かに震えていた。


「どうしたもクソも無い。お前ら覚悟出来とんのやろなああああああああああああああああああああああああ!!!!」


手にはサッカーボール。
顔面に付いた跡から察するに、僕が反らしたボールは後ろにいたフレデリカの顔にクリーンヒットしたようだ。
あのサッカーボール、顔面に当たる呪いでも掛けられてるんじゃないのかな。


「ま、マズイ!関西弁だ!!おい、ファイ!逃げるぞ!!黒こげにされちまう!!」


「あ、あれがフレデリカの関西弁・・・!確かにマズイ!!」


事前にフレデリカが切れると関西弁になることは聞いていたが、じかに見るのはこれが初めてだった。
黒こげにされるのは嫌なのでカイルと一緒に一目散に駆けだす!


「逃がすかあああああ!!ボケェェェェェェェェェェエ!!!!!!」


サッカーボールが炎に包まれ、必殺の弾丸と化した。
そして着弾。盛大な火柱が上がり、僕とカイルは仲良く吹っ飛ばされたのだった。

レアくらいの焼き加減となった僕は、胸に熱を覚えていた。
フレデリカの炎じゃない熱。元気な気持ちになれそうな熱だった。

そして、熱が引いた時、僕はマテリアル・ハイの扱い方を本能的に理解していた。




続く



[17872] コール6
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:52360afa
Date: 2010/12/23 04:53
世界の終り。
エルモアはそれを目のあたりにしていた。

これは夢だと分かっている。何故ならここのところずっと同じ夢を見ていたから。

いつも同じ。世界が何かに蹂躙され崩壊していく様子は寸分違えず同じだった。

初めは単に夢見が悪いのかと思ったが、次の晩も、また次の晩も、今日に至るまで同じ景色を見てきた。
途中で明らかに普通ではないと気付いた。

そしてエルモアの持つ、幻視(ヴィジョンズ)『千年万華鏡』。
これは窓の外にエルモアのみに見える未来の映像が映りだすという未来予知の力なのだが、その未来の映像が蔭り始めていた。

力が衰えたせいなのかとも思ったが、蔭り始めたのが悪夢を見始めた時期と一致していた。

嫌な予感がする。

未来の蔭りは、もしかしたら予知では及びもつかない大改革が起きようとしているのではないか。
毎晩みるあの悪夢は、それを示唆する物なのではないか。

全ての始まりは、あのファイという少年を拾ったのと時を同じくしていた。
それは果たして偶然なのだろうか。それとも少年を迎え入れた事で破滅への運命の歯車が噛み合わさってしまったのだろうか。

それは誰にも分からない。



◆◆◆



雨の銀線がここエルモア・ウッドにも掛かり、雨粒が全てを濡らしていく。
日本の六月らしい梅雨空が広がっていた。

僕がエルモア・ウッドに来てからはや数週間が経つ。
それまでの日々はPSIの訓練をしたり、カイルと遊んだりと、マリーの家事を手伝ったりと平和なものだった。

今日は天気が悪く外へ出れないのでカイルが遊びに誘ってくる事は無かった。
恐らく自室でゴロゴロしている。
カイルは外で体を動かすのが好き、というよりじっとしているのが大の苦手だから、この雨空は憂鬱な物だろう。

一方僕は雨は嫌いじゃない。この雨が奏でる水音がどこか懐かしい気持ちにさせ、心が落ち着くのである。
僕は以前よく水の音を聞いていたような気がする。それ以上の事は欠片も思い出せないが。

雨粒が窓ガラスに当たりその音を奏で続けている。そして雨粒が集まり下へ下へ流れていく。
窓ガラスの向こう側の雨粒により作られる数多の支流。雨に閉ざされた外界。

空と大地が雨によって繋がれていた。


・・・そういう訳で僕も万が一PSIが暴走すると困るので室内でPSIの練習をする訳にもいかず、朝から本を読んでいた。

ここエルモア・ウッドには書庫があり、幅広いジャンルで様々な本が数多く置いてあった。
その中で、たまたまPSIの文献を見つけた。
表紙はボロボロで千切れかけており、ページも少し引っ張るだけですぐに破れてしまう。
紙の繊維自体が劣化しているのだろう。紙媒体のデータの限界はおよそ100年だと言うが、この本は更に昔の物らしい。
それでも原本ではなく写本であるという。

お婆さんから聞いた話によると、PSIの研究は遥か昔から行われているらしい。
そして何人もの研究者が多くの文献を残している、と。これもその一つのようだった。

その文献には様々なPSIに纏わる話が載せられていた。
念動力(テレキネシス)、発火現象(パイロキネシス)、念話(テレパシー)、超収納鞄(インバックス)などetc…
知らない人が読むと胡散臭いように感じるだろうが、僕もそのサイキッカーの一人である。これらの話は紛れもなく真実なのだろう。

お婆さんは全ての文献に目を通した上で僕のこのPSIを模倣する力を珍しいと言った。やはり、この力には何かあるのだろうか。

人を、他人を取り入れ自らは変化していく力。
まるで、自分を持っていないが為に、他者に近づきたい、他者を知りたいと願う僕の心、欲望のようだ。


・・・そんなことを考えていると、足音が近づいてきた。ふと顔を上げる。


「ファイも本を読むんだな」


本を抱えたシャオがそこにいた。


・・・パラリ、パラリ、とページを捲る音、そして雨音だけが聞こえる。

お互いに挨拶した後、言葉を交わすことは無かった。
ただ時だけが静かに流れていく。



◆◆◆



・・・誰かがオレの顔を睨み付けていた。
その双眸には憎しみ、恐怖、いくつかの感情が浮かんでいる。

瞳から読み取らずとも、オレには他人の心、感情、意思が流れ込んでくる。
他人が何を胸に抱いているのか、その抱くものをオレは盗みとり絡めとってしまう。オレの意志に関わらず。

人は自分以外の存在が本当に意思を持っているのか分かり得ない。もしかしたら自分だけが意思を持っているのではないかと疑っている。
自分の隣に居る存在と自分との共通の箇所を見つけ、同調し合う事で他人も意思を持っているのだと思い込もうとするのだ。

しかし、例え共感し合い、意思を確かめ合ったとしても疑惑はどこまでも付きまとう。
何故なら、やはり自分以外の心の存在を証明する方法を持っていないから。

オレが例外なだけ。
普通は、人と人とは交わる事のない空と大地のようなものなのだ。

そして他人の意思を証明する方法がないからこそ、人は隣に人がいても、疑惑を抱きながら生きていける。
本当の意味で人と人が分かり合えてしまったら、心を共有出来たなら、人の持つその愛憎によって遥か昔に滅んでいただろう。

また人は本心を隠したがる。そうする事が人と接していくのに必要だと知っているから。
接する距離を間違えてしまった時、本心が露わになってしまった時、人と人の繋がりが崩れてしまう事がある。
人はそれを恐れる。


だから、憎しみ。そして恐怖がオレに向けられる。
心を盗むオレは人と人との関わりの中で存在してはいけない者なのかもしれない。

人がオレに向ける奇怪の目、恐れ。人が持つ汚い物を見るのが辛かった。
そんな人たちに対してオレも自然と汚い物を胸に抱えてしまうのも辛かった。

だから、人を恐れ、関わるのをやめた。


だが、それは何か間違っていると頭の中で反論する声もあった。それが何かは分からない。だがオレはそれを知りたくもあった。



オレを睨み付けているのは、かつて親と呼んでいた人だった。



――・・・



・・・雨の音が聞こえる。目の前にある文字を一文程読んだところで自分が起きたのだと気付いた。。
本を読んでいた筈だがいつの間にか眠ってしまっていたようだった。
柱にもたれ、頭を垂れて眠っていたため首や背中が痛い。

酷く懐かしくそして反吐が出るような夢だった。
オレがここに来る原因となった力。心を盗み取る蛇、そんな自分がたまらなく嫌だった頃の記憶。

もっともそれは今もあまり変わらないが。


「あ、起きた?」


ファイが声をかけてくる。
オレが寝ている間もずっと本を読んでいたようだ。


「・・・ああ。どのくらいオレは寝ていた?」


「んー、一時間位かな」


「そうか・・・」


存外に長い間寝ていたらしい。
窓の外を見てみると、雨のためもともと薄暗かったのが更に闇色の深みを増していた。
どうやら今は夕方あたりのようだ。

首の痛さが頭にも到達しこびり付いているように覚え、フルフルと頭を振り眠気や倦怠感を振り飛ばす。


「・・・・・・」


そして向かいに座っているファイを睨むように見つめる。
ファイはそれに気づき、一度チラリとこちらを見たが、再びページを捲る作業に戻った。


「・・・・・・」


「・・・どうしたの?そんな睨んで。なんか顔に付いてる?」


しかし、しばらくそうしているとやはり気になったのかファイは本を読むのを中断して話しかけてくる。


「いや、そうじゃないが・・・」


僅かに口ごもる。
オレが、他人と自分から関わろうとしている。止めておけばいいのに、それでもどうしても気になった。


「・・・どうしてファイは、そんなに人を求めるんだ?人に近づきたがるんだ?

もうそれは渇望と言っていい。何がそんなにファイを駆り立てるんだ?・・・人の心なんか知っても良い事なんか無いのに」


以前から気付いていた、ファイから流れ込んでくるトランス波動で一際強かった人への憧れ。
人の心を知ってしまうが為に居場所の無くなったオレには、それが居たたまれなく思われた。
そして、見つめる事が叶わないほどに眩しく思えた。

柄にもなく言葉を捲し立ててしまう。
本当にらしくない。嫌なことを夢に見て、イライラしているのだろうか。

ファイは突然の質問にどう答えればよいか分からなさそうであった。
視線を宙に漂わせて、自分の中の答えを探しているようだった。
そして答えが纏まったのか、本を閉じおずおずと口を開いた。


「・・・他人を知ることで、自分も周りと、自分以外の存在達と同じだと確認したいから。

自分の存在がマイノリティ・・・自分みたいな人間が自分しかいないんじゃ無いって事を、ヒトの輪に入れてるって事を知って安心したいから、かな・・・?」


ありふれた答え。そんな物が知りたいのではない。
ファイだけの考えが聞きたかった。それを知ればオレの求める物が何なのかのヒントになるかもしれないと思った。


「それは皆に言えることだ。ファイの他人を求める心はそれよりも更に強い。

オレの力で心を読むことはできても、その心が生じた由来は読みとれない、分からないんだ。

だから、知りたい。どうしてそこまで他人を求められるのか」


「・・・・・・」


ファイの顔にふっと陰が灯った。そして自虐的な暗い笑みを浮かべファイは言った。


「・・・僕は、どこかで落として来て自分が無いから。

失くした自分を探す傍らで、自分をもう一度作りなおそうとしていて、他人をその組み立てる部品にしようとしているだけなんだ。

確固とした自分を持っている皆への憧れ、いや嫉妬も原動力、かな・・・」


その答えを聞いて、オレは僅かに落胆した。
その他人を求める力は本当にファイだけの物だったから。オレの求める物へのヒントには成り得なかった。

そしてやってしまった、と思った。
他人と向かい合って関わることから逃げ出して久しいオレは、距離の取り方を間違えてしまっていた。
ファイから戸惑いの感情が伝わってくる。勝手に答えを期待して、勝手に落胆した。
ファイに辛いことを話させてしまって申し訳なく思った。そして自分から関わろうとしてみた事を後悔していた。

しかし・・・


「・・・だけど、それだけじゃないよ。

変な打算なしに、単純にその人の傍に居たいから、その人と居るのが心地いいと思うから、その人と接するんだ。

それでその自分が好きな人に、自分の事も好きになって欲しいと願う、そんな気持ち。・・・うん、これが一番分かり易い理由かな」


ファイの表情が柔らかい笑みへと。その眼差しはしっかりとオレを見据えていた。

それを聞いてハッとした。
欠けていたパズルのピースがうまるような感覚。ああそうか、これだったのか。

・・・オレは、人と関わるのが怖かったんじゃない。関わった挙句嫌われるのが怖かったんだ。

他人から目を逸らしたのも、自分が嫌われていると認めたくなかったから。
愛する人に恐れられ、拒まれた。それが一番堪らなく苦しくて悲しかったんだ。

人の心にばかり敏感になって自分の心の事はよく分かっていなかった。
本当はオレも人に近づきたい。人に求められたい。その気持ちが、嫌われる事を恐れる気持ちで誤魔化されてしまっていた。

人は本心を隠したり、他人の心の存在を疑ったり面倒くさい事をしながらも人に近づきたがる。近づいた結果傷つくかもしれないのに。

何故なら、一人はさみしいから。

空と大地は決して交じわらない。だが雨を降らせ、繋ぐ事なら出来る。人は皆雨を降らせたがっている。
オレもその例にもれない。

こんな単純な事に気がつかなかったのだ。


「自分を好きになってもらうには、やっぱりその人と向かい合って関わらなきゃね。

だから人に近づきたがる、と。・・・これって変かな?」


ファイが恥ずかしげに笑った。白い髪が僅かに揺れる。雪がふわりと舞ったかのような笑みだった。
戸惑いはもうファイの中に無く、優しい気持ちが伝わった。


「いや、変じゃない・・・全然変な事じゃない・・・オレも、同じだ」


「そっか・・・うん。僕は、シャオにも近づきたい。だからこれからもよろしくね」


ファイが手を差し出してくる。


「それって・・・」


「僕はシャオも好きだよ。それでシャオにも僕の事を好きになってほしいってこと。・・・家族だろ?」


今度は恥ずかしいセリフをファイは恥ずかしげもなく言った。


「・・・っ!」


胸の上部から生じた熱い物は喉を通り、滴になって目から溢れそうになる。
鼻の奥もひりひりと痛い。声も詰まった。
人の心を盗み続けてきたが、その中で好意を感じた事は一度もなかった。

生まれて初めて向けられるはっきりとした好意。それはひどく暖かかった。
泣きそうな顔を見られたくなくて、顔を背けようと思ったが、しっかりファイの顔を見て言った。

逃げるのは、やめよう。
ファイの顔はにじんで見づらかったが、とても綺麗な笑顔だという事は分かった。


「ああ・・・よろしくな」


オレも手を差し出し、しっかりと繋いだ。


雨は、穏やかに降り続き空と大地を繋げていた。



◆◆◆



夜。


エルモアは、古比流に大事な
話があると言って呼び出されていた。

あの悪夢、予知の蔭り。
自身も相談したいことがあったので、話すにはいい機会だと思っていた。

エルモアは、古比流の部屋へ向かうため深紅の絨毯が敷かれた立派な廊下を歩いていたのだった。

どう説明した物かと思案したり、古比流の話とはなんぞやなどと考えていたらいつの間にか古比流の部屋の前にたどり着いていた。
コンコンと扉を叩き古比流の部屋に入る。


「来たか・・・開いとるぞ」


中から古比流の声がした。
ドアノブを掴み、回しながら扉を押して開ける。

中では古比流がバスローブを着た姿でベッドの端に座っていた。
リラックスする格好をしているのに、古比流はまるでこれから死刑を宣告されるのを待つ囚人のように極度に緊張しているようだった。
眉間には深い皺が刻まれ、沈痛な面持ち。


「一体何事じゃ、こんな夜になって。・・・まさか愛の告白などとは言うまいな」


「・・・・・・」


エルモアは古比流の様子がおかしい事に気づき、冗談を言い場の重苦しい雰囲気を和らげようとした。
しかし古比流から返事は返って来ず、空気は更に重量を増しただけだった。


「・・・・・・」


古比流は沈黙を続ける。
時々口を薄く開き何か言葉を発そうとするのだが、結局呑みこんでしまう。
そしてそれを繰り返していた。

エルモアはその間何も言えなかった。


――・・・エルモア・ウッド上空


雨の銀線が降り注ぐ中、突如として空が裂けた。
空間に亀裂が走り、その傷が広がり空間と空間の隙間にまた別の空間が存在していた。

その空間には切り取られたかのように銀線は走っていない。

そしてその隙間から人の形をした何かが顔を覗かせた。

鳥の嘴のような形をし、翼のような模様が描かれたマスク。
そのマスクの下にぼんやりと球が光っている。
腰の高さまで悠に届く長い三つ編みの髪。
ファーのついたゆったり目の服。
両手首にある丸い球。


「・・・・・・」


ネメシスQが、エルモア・ウッドを見下ろしていた。
その佇まいは、刑の執行者のように冷たく無機質な物だった。


「・・・サ、い・・・・・・!!?」


暫くして漸く決心した古比流が、僅かに声帯を震わせた。


その瞬間
ネメシスQは動いた。

鍵爪の五本の指を突き出し、それから掌の中の物を握りつぶすかのようにゆっくりと指を折り曲げていく。


「ぐっ!!?ガッ・・・!!!??」


古比流の心臓が痙攣を始め、血液が循環するのをやめる。


「ど、どうしたんじゃ!!?古比流!?何が起こっておるんじゃ!!?」


突然苦しみ出した夫にエルモアは動揺が隠せなかった。
そしてそのまま古比流はゆっくりとその体を灰に変え始めた。古比流は苦しみからか白目をむいている。


「いったい何が・・・・・・ッ!これはっ!!?」


全く頭が目の前の出来ごとに追いつくことができずにうろたえていたエルモアは、ある種類のPSIの波動を感じ取った。
それは最愛の夫、古比流からのテレパスだった。

テレパスを受信し、チャンネルを開く。
頭に飛び込んできた物は・・・

赤いテレホンカード、ネメシスQと呼ばれる存在、荒廃した世界――・・・

古比流の断片的な記憶だった。
その荒廃した世界は悪夢で見たものと同じ。

古比流が走馬灯のように思い出した風景をエルモアも共有していた。
それはほんの数秒の出来ごとにに過ぎなかったが、エルモアには永遠のようにさえ感じられていた。

古比流の体のほとんどが灰になり、テレパスの波動も弱まって行く。
古比流は最期の力を振り絞り、妻のエルモアに向けてメッセージを送った。


"すまない・・・"


そう言い残して古比流は事切れた。いや、完全に灰となった。

断罪の執行を終えたネメシスQは再び空間の亀裂へと体を潜り込ませる。
後には何も残らなかった。ただ、か細い雨が降りしきっていた。




続く



[17872] コール7
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:52360afa
Date: 2010/12/23 04:54
お爺さんが灰になったあの夜から数日が過ぎた。
初め、お婆さんは何も考えられなくなったかのように呆然とし、食事もとらず部屋から出てくることは無かった。

そんなお婆さんを気遣って、マリーは色々世話を焼こうとしていたが、どれも無駄となっていた。
他の子供のみんなも目に見えて落ち込んでいた。やはり親しい人との別れとは何かを思わせるものなのだろう。

僕はお爺さんとは数度話した事のある程度の関係だが、他のみんなはそうではない。
行き場を失ったみんなにとって、お爺さんは親と呼んでも差し支えなかった。
別れる人との繋がりが強ければ強いほど残される者の悲しさも比例して強くなる。

しかし、繋がりが薄いといっても、僕には拾ってもらったという恩や、名前を思い出す切っ掛けをもらった恩がある。
それを返せないまま別れることになったのは、残念でならなかった。


お婆さんが引きこもって三日が経った時、お婆さんは何かを思い出したかの様に急に行動を取り始めた。

まずお爺さんの死の公表。
お婆さんとお爺さんは昔一世を風靡した占い師だということは以前にマリー達から聞いていた。

既に世間から身を引いていたとしても、そんな有名人が亡くなったとすればいずれは世間が気づく。
無用の混乱を避けるためにメディアにお婆さんはお爺さんの死を伝えたのだ。
ただし、死因については一切触れず。
目の前で灰になって消えました、と言っても誰も信じず、余計な詮索を受けるからだろう。

そして、"サイレン"についての事。

今、世間では謎の失踪者が出ており、全国連続神隠し失踪事件として世間を騒がせているらしい。
その失踪が、『秘密結社 サイレン』に関係している、と言うのがネットでの通説である。

『秘密結社 サイレン』とは、現実が嫌になった者達を集め、新たなる「楽園」へと導く者。
その使いが、怪人ネメシスQと呼ばれる存在で、サイレンへの唯一の連絡回線に繋がる赤いテレホンカードを人々に授けるのだという。

ありふれた都市伝説。
そんな話に、お婆さんは五億円の懸賞金を懸けた。
そのため、単なる与太話でしかなかったサイレンは急に世間に認知され、賞金を狙う者、謎を追求する者、様々な思惑達が交差し、
サイレンは社会現象へと上りつめたのだった。

懸賞金を懸けたのがお爺さんの死の公表と時期を同じにしていたという事も、世間の人達に色々と勘ぐらせ、騒ぎに燃料を注ぐ事になっていたのだと思う。


それらの事を一先ず終えると、お婆さんは子供達(僕も含む)に事情を説明した。

お爺さんが死んだのはサイレンが原因であると言うこと、世界は近いうちに崩壊すること、
そして世界の崩壊とサイレンは関係が有るだろうと言うこと。

みんなは信じられないと言った様子だったが、お婆さんが予知夢で見た事とお爺さんからのテレパスの話を告げると信じずにはいられないようだった。

そして崩壊を防ぐ事に力を貸して欲しいとみんなに頼んだ。
それは親が子供に手伝いを頼む様な物ではなく、僕たち個人個人に対しての嘆願だった。

みんなは思い思いの表情を浮かべながらその願いを承諾したのだった。
僕は、いきなりのスケールの大きい話に戸惑ったのだが、恩のあるお婆さんの頼みを断る道理は無いので、頷いた。

少しでもサイレンの情報が欲しい、そう言ったお婆さんの目は、怒りや悲しみが坩堝のように溶け合わさっているようだった。
その目を見たから、手伝いたいと思ったのかもしれない。

世界の崩壊を止めるにはどうしたらいいのか。
差し当たって思いつくのは、この身に宿るPSIの力の強化と、サイレンの情報の収集だった。
PSIを用いるような事態になるのかも分からないが、せめてみんなと同じ程度には力を扱える様になっていないと、みんなと肩を並べて過ごす事はできない。

いざという時、足を引っ張りたくはないから。

サイレンの情報については、ネット上の噂で知りうる域を出ることは無かった。
なにせ、サイレンへ行って帰って来た者は居ないとされている。話を聞く術も無いのである。
実際にサイレンへ行く体験でもしない限り、進展することは無さそうだった。

力については、最初PSIを使い始めた頃よりは遙かにマシになってきたように思う。

僕が模倣した力の持ち主、マリー、カイル、シャオに教わりながら修行する。

テレキネシスの筋力トレーニング、いやPSIトレーニングとでも言うべきか、少しづつ重い物を持ち上げる訓練、
PSIと空気をブレンドさせ、大気のブロックを作り出し、その数を増やしていく訓練、
PSIの流れを掴み取り、目ではなくPSIで世界を見る訓練、等々。

オリジナルの力に遙かに及ばなかったが、訓練を続けていくうちに、少しずつ力が着いていくのが分かった。


「じゃあ、マテリアル・ハイは空間に対して固定される物で、そのままだと空間的なベクトルで移動することはないんだな?」


「あー、マテリアル・ハイの特性なんか考えたことなかったけど俺の感覚だとそんな感じ。

だから上に物が乗っても大丈夫なんだろな」


「それで、固定解除(フォールダウン)することで空間位置が変更可能になると」


「・・・そうだな。だいたいそんなとこだ」


「いったん作り出してしまえば力を供給し続けなくてもブロックは消えないと。それで、作り出せる形状についてだけど・・・」


「・・・あー!!もう!そんなことよりサッカーしようぜ!!

今度は超能力三次元蹴球(サイキックディメンジョンサッカー)だ!!」


「えー・・・でも修行しないと・・・」

「怖いのか。そうかそうか。ファイはチキンだな(笑)略してファイチキ」


「いや、ファミチキみたいに言わないでよ。

・・・でもまあ挑発に乗らない手はございませんな。負けた方は晩御飯のおかずを一品献上だ!!」


カイルとはいつもこんな感じ。
カイルは、世界崩壊について特に深刻には考えていないようだった。まだ先の話、それもいつ起こるか分からないからだろうか。
何をしたら良いのか分からないというのもあるだろう。
ただ、崩壊は起こる、と言うお婆さんの言葉は信じ、カイルなりに思うところはあるようだった。



――・・・



「それでね、大きい物を動かすだけじゃなくて、小さい物を思い通りに動かす事もした方がいいと思うの」


「コントロール面かー。大きい物を動かすだけならあんまり頭使わないんだよね?」


「うん、使うPSIの量は多くなるけど、動かすだけならね。でもテレキネシスって力の質を考えると、どっちも大事だよ。」


「じゃあ、何をすればいいのかな?」


「えっと、じゃあファイ君はこの洗濯物の山、テレキネシスをつかって運んでついでに畳んでくれないかな。お願いできる?」


「おー、マリーの修行法は実用的だねぇ。流石家庭的なマリーだ。癒される」


「そ、そんなことないよ・・・むしろごめんね?なんか仕事押しつけちゃったみたいで」


「いやいや、僕がやらせて欲しいって言ったんだから気にしなくていいよ。・・・それと、出てきたらどうかな。そこの人」


「えっ?」


「ちっ、ばれたか。それよりなんでマリーもそんな奴に構ってんのよ。いつからそいつの味方になったのよ」


「えぇっ!?フーちゃんいたの!?それに味方って家事のお手伝いしてもらってるだけだよ!」


「ほーう、家事手伝いねぇ・・・

ところでつかぬ事を聞くけどその手に持ってるアタシの下着はなんなのかしら・・・」


「・・・あー。分けるの忘れてたっぽいな。・・・弁解の余地は?」


「逆に聞くけど、有ると思う?」


「・・・いや。じゃあすることは一つかな」


「この変態がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


「さて、逃げますか。ごめん、マリー!帰ってこれたら手伝うよ!!

あと、その影にいるシャオも出てこいよ!じゃっ!」


「えっ」


「えっ」



「シャオ君?なんでそこにいたの?」


「い、いや・・・き、今日はいい天気だな」


「あ、お手伝いしてくれるのかな?じゃあ、そこの洗濯物お願いね」


「あ、ああ・・・」


マリーとはこんな感じ。
マリーは崩壊について、自分にできることは少ないかもしれないが、できることは何でもしたいと言っていた。
自分がそんな大きな事に立ち向かうのは怖いけど、みんなとなら・・・という感じ。
やはり、マリーもマリーなりに覚悟を決めていた。



――・・・



「これでいいの?」


「ああ、そのまま目隠しを取らずに、心羅万招を使ってオレの攻撃を避けてみろ」


「よし、おーけー」


「じゃあ行くぞ。・・・ふッ(なにマリーと仲良くしてんだオラァ!!)」


「(とてつもない殺気を感じる!!!)」


「・・・はッ(手!手が触れてた!!)」


「(見るんじゃない、感じるんだ!!というか、怒りで意識がだだ漏れだからあんまり難しくない!!)」


「(・・・せいッ)次マリーと仲良くしてたら修行にみせかけて張ったおす!!」


「・・・あの、心の声と逆になってない?」


「えっ」


シャオとはこんな感じ。
多分、シャオはみんなの中で、一番真剣に事態について考えていたと思う。普段彼はは真面目なのだ。
マリーの事になったときは、・・・まあいいや。

他には、複数の能力を同時に使う訓練など。
これは右手で円を描くのと同時に左手で三角を描くのが非常に難しいのと同じなようなもので、非常に演算が複雑なため難易度が高く、
PSIの使用量がおよそ倍になるため、負担も倍増し頭が焼き切れそうになって鼻血と血の涙の出血大サービスになったりと大変だった。

だが、これを身につける事ができれば、それは僕だけの特殊な力になる。
これは課題と言ったところだろうか。


訓練をしている間、フレデリカがこちらをチラチラと見ていた様だったが、結局僕単体に絡んでくる事は無かった。
ヴァンも僕の修行には興味が無いようだった。

時が流れていく。
それは無事に明日を迎えられる喜びと、いつ訪れるか分からない破滅への怯え。

雨の降る日も少しずつ休憩を挟むようになっていく。
僕が何を思っていようがお構いなしに日は昇りそして沈むのを繰り返していった。


――そして七月


◆◆◆



右手には坂になっており、左手は開けており海が広がっている。周りには人影は無い。この道を通る車も稀であった。
左手の海からの潮の香りが混じった風が坂のの上の木々を揺らしている。遠くには富士山が見えた。
夏の日差しが降り注ぐが、左手の崖の影にあるこの位置では直接日を浴びる事は無い。全体的に色素が薄めな僕にとってはありがたいことだ。

僕は交通事故に遭った、あの始まりの日の場所のあたりを訪ねていた。
正確な場所へ行きたかったのだが、事故にあった時周りが暗かったのと、僕自身が錯乱状態にあった事もあって場所を覚えて無く、
仕方なくお婆さんに僕を拾った場所を教えて貰い、その辺りを訪ねるしかなかったのだ。

何か僕の出生を探る手がかりになる物が見つかるかもしれないと以前から度々ここへは来ていたのだが、やはり得る物は何もなかった。

エルモア・ウッドで目が覚めてから初めてここへ戻ってきたのは事故に遭ってから一週間は経ってからだったのだが、
それだけの時間が経ってしまっていたのなら仕方のないことなのかもしれない。

しかし、お婆さんが言うには僕が目を覚ますまで、それから目を覚ました後もこの交通事故がニュースなどで取り上げられる事は無かったと言う。
そして代わりに報じられていたのは、乗用車が坂から転落したと言うニュース。
乗用車に乗っていた人は即死だったという。

それを知った時、そんな馬鹿なと思った。
なにしろ、僕がその事故を体験したのだ。あれは夢だったのだろうか?いや、そんな筈はない。

燃えさかる乗用車、血みどろのその運転手、目の前で爆散したトラックの運転手、
むせかえるような腐臭、死体を踏んだあの感触、壁にぶつかった時に切った口の中の血の味、
足の裏に染みていくアスファルトの冷たさ、トラックの運転手の何かに怯えたような血走った目。、
そして、僕と同じ顔をしたたくさんの死体達。

とても忘れられる物ではない。
ふとした瞬間にあの光景がフラッシュバックし、平衡感覚を失ったかのように世界が回り、吐き気を催した事も数度有る。


とにかく、不自然なのである。
あの事故がまるで起こらなかったかのようにされている。

何故隠蔽されたのか、何を隠したかったのか。
ぼんやりとした予想は立つものの、答えが与えられるわけでもない。

ただ、その誰かが隠したがっていた物の一部が僕であると考えることは正しいのかもしれない。

目をつぶってそんな事を考えながら、僕は潮風を胸一杯に吸っていた。
今日この場所を訪れたのは、手がかりを探しに来たのでは無い。

心を整理しておきたかったのだ。これから始める旅の前に。

エルモア・ウッドでみんなとふれ合い、時を重ねていくのは、とても心地が良いものだった。
何不自由なく過ごす毎日。記憶がない僕にはその生活が全てだった。
天樹院家の一員として生きる新しい僕。

しかし、その場所が心地よくなればなるほど、愛しく思えるようになればなるほど、
お前は誰だ、と暗い所から囁き声が聞こえる様な気がした。

新しい繋がりに安堵して、また以前の自分が誰か分からない事に不安する。
このままでは、駄目だと思った。

やはり自分が誰なのかを知らなければ、前へは歩き出せない気がした。
そしてエルモア・ウッドに、暖かい巣に籠もっていては何も変わらない、そう思ったのだ。

お婆さんに相談した時、お婆さんは優しい顔で理解を示してくれた。
かわいい子には旅をさせろ、だとか。

外を見てまわりたい、僕が知っている場所や、僕を知っている人がいないかを確認したい。

お婆さんは初め、車を使う事を勧めてくれたのだが、僕はそれを断った。
自分の足で、自分の目で一つ一つ逃すことなく世界を確認したかった。僕の中身を理解してくれる人に出会いたかった。

代わりに旅の資金を貰った。中を見ると一生分の小遣いを前借りしたような金額だった。
そしていつでも連絡がつくように携帯電話。それと旅の用具。

感謝してもしきれない。
崩壊を防ぐというお婆さんの願いを叶えるのに必ず協力する、サイレンの情報を少しでも各地から探し伝えると言うことを、
恩の利子分にもならないが謝礼とさせてもらった。

たまに帰ってきんしゃいと言う言葉に従い、一区切りがついた時は一旦帰ろうと思う。
みんなからいってらっしゃいの言葉を聞いた時、帰る場所があることを再確認し、思わず泣きそうになった。
カイルはふてくされて、マリーは少し寂しそうにして、シャオは一見平静だったが実は寂しいという思念が漏れていて(心羅万招でわざわざ確認した)
フレデリカは相変わらずツンツンしていて、ヴァンは僕が旅立つ頃はまだ寝ていた。

いつになるかは分からないが、今度はおかえりを聞きたい。

いってきます、そう言って僕はエルモア・ウッドを後にしたのだった。


「・・・とは言っても行く宛てなんかないんだけどね」


目を開き、独りごつように呟く。返事を返してくれる人は今はいない。
白い髪は目立つのと日よけのために被っている帽子の位置を直す。


「とりあえず、歩きますか」



◆◆◆



民家がぽつりぽつりとあるだけの景色から、大きな建物がある景色へ変わって行った。
出発の日から数日かかり、僕は大きめの街に着いていた。

途中はずっと見たことのない景色ばかりだった。
まあ、道なんか記憶があっても覚えてないことの方が多いだろうから、問題は街に着いてからである。

とりあえず、少し休みたいと思った。
十代の少年に宿る疑似永久機関も完全無欠ではないのだ。やはり動けばそれだけ疲れる。

川の縁の整備されたベンチに座る。
木陰になっているので強烈な日差しもなく、涼やかな風を感じた。

着ているシャツの襟を摘み、上下に動かす事で風を服の中に取り入れる。
自販機で買ったお茶を煽り、喉の渇きを癒す。温くなっていたが、水分は五臓六腑に染み渡る。生き返る。

そうして川を眺めながらぼーっとしていると、ふと川の流れの中に目に入るものがあった。

初めは脳がふやけていて認識できなかったのが、次第に鮮明になってくる。


「あー・・・あれ、子供かなぁ・・・いいなあ気持ち良さそうだなぁ・・・・・・って溺れてる溺れてる!!!」


脳が認識したのは、今にも沈みそうになっている子供だった。

とにかく、助けなきゃ!!と、荷物を下ろし、川に向かって駆け出す。

PSI使いは人から疎まれる。そんなお婆さんの言葉を思い出した。
だけど、そんな事言ってる場合じゃない!
そしてマテリアル・ハイを発動。川の上のギリギリを跳んでいく。

マテリアル・ハイの上で腹ばいになり手を伸ばして子供を掴もうとするが、届かない。
僕の手が空を切り、水に触れている間にも子供は流れにのってどんどん離れていく。


「くっそ、どうする!・・・あーもうやるしかないか!」


そしてテレキネシスを発動。
能力の二重展開。負担が脳に重くのしかかる。


「ぐッ!!」


なんとか子供の服を掴む事ができた!よしっ!このまま引き上げるっ!!


「・・・あ・・・」


しかし・・・子供を引き上げようかとしたとき、とうとう脳がオーバーロードした。
脳から始まり、腕の先の神経系まで焼ける様に熱い。

そしてマテリアル・ハイも解除され霧散してしまった。
水面に向かって僕の体は自由落下を始めた。水面に映る僕の影が大きくなる。

しかし、着水しようとした時、僕の体は物理法則に逆らい空で停止した。
どうなっているのか分からない。

顔を上げたとき、子供も水から空へと上がっていた。
それを見て安心したのか、僕はそのまま意識を手放した。



◆◆◆



河原から一人の男が川に向かって掌を突き出していた。
背が高く、がっしりした体格、たてがみのように雄々しい髪、アロハシャツ。


「・・・同類、か。やるじゃねーか、ボウズ。」


そう言って男は見えざる手、テレキネシスで二人を川岸まで引き寄せた。
幸いなことに辺りに人はいなかったようだ。

それは、自分の中身を理解する者を探す男との邂逅だった。




続く



[17872] コール8
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:52360afa
Date: 2010/12/23 04:54
エルモア・ウッド。


「今頃ファイの奴、どこで何してんのかなー」


カイルはソファーに仰向けに寝転がり、天井の染みを数えながら言う。
その声はいかにも気怠げ、いかにも退屈そうであった。


「さあな。こないだ最後に電話した時は伊豆を出る辺りだったから、おおかた神奈川に入った所辺りじゃないか」


そばの柱に背を預け、本を読んでいたシャオが答えた。
本を読む時は大抵返事もしないか、顔も上げずに答えるのどちらかなのだが、この呟きにシャオは珍しく本を読むのも中断して答えた。


「あー、なるほどね。神奈川ね。どこか知らんけど」


「隣の県だろ・・・」


シャオの実は珍しい行動にも気づかず、カイルはよっこらせなどと言いながら体を起こす。
ずっと寝転がっていて、急に体を起こしたので血が頭に上らず奇妙な感覚を覚えていた。
それを振り払うように側頭部を軽く叩いている。

シャオが心底呆れた様子で言った。


「しょうがねーじゃん。ここから出る事なんか滅多に無いんだからさ。きっと他のヤツらも知らねーって」


「いや、流石にお前くらいだろう。と言うかそうであって欲しい」


「じゃ、聞いてみっか。おーいフレデリカ!」


そう言って偶々向こうから歩いてきたフレデリカに声を投げかけた。
相変わらずのクマ耳フードであるが、最近の暑さの為か半袖で裾が腰辺りまでの夏仕様となっていた。
下はキャミソール一枚の薄着。短めのスカートは歩みと同調して揺れていた。


「あによ。なんか用?下らない用なら首から上の毛全部燃やすわよ」


暑さのせいかイライラした様子で返す。
口には人工着色料で色づけされた健康によろしく無さそうな色のアイスが咥えられていた。
最近は飴よりもアイスを咥えている事の方が多いようだ。


「あー、お前神奈川がどこにあるか知ってる?」


「はあ?そんな下らない事で呼び止めたの?と言うかアンタそんなことも知らないの?

・・・あのアレ、横浜県でしょ」


「・・・・・・」


「・・・・・・」


二人は無言で、そしてジト目でフレデリカを見つめる。
シャオの目には特に失望の色が浮かんでいた。


「なっ、なによ!いいのよ外の事なんか知らなくても!外なんて大ッ嫌いなんだから!!

下らない事で声掛けないで!アタシは忙しいのよ!」


「いや、いいんだスマンかった。つまらんことで止めて」


言いながらカイルはニヤニヤしている。
その横でお前も知らなかっただろうがとシャオは思う。


「絶望した!!馬鹿に馬鹿にされるなんて絶望した!!

あーもう!マリーで遊ぶ!!あんたら朝起きて髪が焼失してても知らないからね!!」


フレデリカは悔しそうに眉根にしわを寄せて言い、走って行ってしまった。


「この歳でハゲはキッツいな・・・」


「なんでオレも・・・」


二人は駆けていくフレデリカの背を見つめ、同時に溜息をつく。


「・・・でもまあファイなら元気なんじゃね?途中でへばるような奴じゃないと思うぜ」


フレデリカと神奈川ですっかり話が逸れていた。
カイルが思い出したかのように言う。


「へばる奴じゃあないと思うが、元気かどうかは分からんな。案外暑くてヘタレてるかもしれんぞ」


「そういやあいつ、暑いの駄目だっけ。なんか全体的に白かったし。

じゃあどっかで暑さでやられて気絶でもしてるかもな」


「熱中症は割と洒落にならないからな。今度電話で水を沢山飲むように言っておくか」


「そだな。・・・そーれにしても、あっついなァ」


シャオは再び文字を追いかけ始めた。
カイルも再びごろりと横になる。

くすんだ硝子窓の向こうでは、空を泡立てたかのように入道雲がむくむくと大きくなっていた。
蝉が熱情を乗せて声の限り鳴いている。

飛行機雲が東の、ファイのいる方の空に向かって真っ直ぐに伸びていた。



◆◆◆



久しぶりだなぁ、この感じ。

夢か現か分からないこの状態。
いや、混ざり合った状態って言った方がいいのかな。それで、この感じだと・・・

予想通り光が突如収束し、形を成した。


・・・やっぱり。久しぶり。


「こ・ん・に・ち・は」


何かのサインのように光が点滅し、頭蓋の中に声が響く。
もうこの会話にもすっかり慣れっこだ。最後に会ってからけっこう経った気がする。


・・・それで、いつものように話ししてもいいけど、
いい加減、君が誰なのか教えてくれてもいいんじゃないかな。


「・・・僕は・・・僕さ。他の誰でもないよ」


それまではっきりと聞こえず、たどたどしかった言葉遣いが急に明瞭な物になる。
その言葉がやけに鮮明に耳に焼き付いた。


・・・っこの声は・・・


そしていつものように幕切れ。
夢が現に浸食され、夢の終わりを告げる。



◆◆◆



「ッ!!!?」


急に皮膚に触れる感覚が変わる。冷たくて纏わり付く感覚。
一面の泡の壁が視界を埋め、三半規管が重力の方向を見失い錯乱する。
耳の奥では唸るような音がしている。


「ごほッ!!」


普通に呼吸をしてしまい、鼻腔と喉から水が流れ込んできた。
思わず大量の水をのんでしまった。どうやら一瞬気絶してしまっていたらしい。

鼻の奥から耳の奥にかけて疼痛がする。
どうやら水から熱い抱擁を受けたらしい。実際はすごく冷たかったが。

とにかく水中から逃れようと、光の差す方向へ体を動かす。
水の中で目を開けても強いモザイクが掛かったようにしか見えないが、目の前に何か大きな塊があることは分かった。


「っぷは!!!」


水面から顔を上げ、酸素を貪る。同時に飲み込んでいた水もはき出す。
頭上には真っ青な空が広がり、その真ん中を飛行機雲が横切り、空を等分していた。


「っと、あの子は!?」


子供を助けに川の上まで跳んできた事を思い出し、子供の存在も思い出す。
そして先ほどの塊が子供だったところまで思考が繋がった。

再び潜り、子供の体を抱え浮上する。
そして、もう一度水面から顔を上げたところで、そこが川岸だと気づいた。

おかしいな、確か川のど真ん中に居た筈なんだけど・・・

とりあえず、川を上がろう。
子供の意識が無いようで、抱えて泳ぎ、陸に引き上げるのは非常に骨が折れた。


「おい、大丈夫か?」


河原に上がり、肩で息をしていると不意に後ろから声を掛けられた。
知らない人だった。がっしりとした体躯にアロハシャツがよく映えている。

だが、その姿を見た時、頭の隅に引っかかる物があった。
デジャヴとかいうやつだろうか?


「はい・・・一応大丈夫です?」


語感が疑問系になっていた。
なぜなら、こみ上げてくる物があったから。


「ぶほぁ」


そう言って血を口から吐いた。


「うわっ!?全然大丈夫じゃねぇじゃねーか!しっかりしろ!!」


「あー、ご心配無く。吐血じゃなくて鼻血が口に行っただけです。いやーしょっぱいしょっぱい」


ははは、と笑いながら誤魔化す。
鼻血だとしても突然大量に出たら普通の人は訝しむだろう。
本当は限界を超えたPSIの使用による物なのだが、川底で鼻をしたたかにぶつけたのだという事にした。


その後、アロハの人と水着の子供の介抱をしているとその子の母親らしき人が慌てふためいた様子で走って来た。
遠くから僕と子供が溺れているのが見えたらしい。



――・・・



「ファイお兄ちゃん、ありがとねー!」


「天樹院さん、本当にありがとうございました」


親子が去っていく。謝礼を、と言われたが丁重にお断りした。
代わりに名前だけ名乗っておいた。
子供(女の子だった)が元気よくこちらへ手を振っている。動きに合わせて二つ縛りの髪が揺れる。
反対の手を握っている母親も頭をこちらへ下げていた。

僕も手を振り返しておいた。


「・・・ありがとうございました」


親子の姿が見えなくなったところで、手を振るのを止め、アロハの人に言う。


「・・・気づいてたか」


「ええ、僕は川の真ん中で気絶したはずですが、それがどういう訳か気がついたら川岸だった。

しかもそこで落ちて初めて濡れた。浮いてでもいなければ無理な話です。・・・サイキッカー、ですか?」


「・・・ああ。お前も、だろ。ったくあんな大っぴらに能力使いやがって」


「すいません・・・いや、夢中だったもんで」


アロハの人は・・・いやめんどくさい。アロハさんは自分がサイキッカーだと言うことを隠していたいようだった。
だから母親が僕にお礼を言う間、黙っていたのだろう。濡れてない男が溺れている僕らを助けるたというのは説明がつかないから。
僕が分かっていて親子のお礼の矛先をアロハさんに向けなかった事も、アロハさんは分かっていたようだった。

咎めるようにアロハさんは言う。その目は目の前ではなく遠い何かを見ていた。
会ったばかりの人にいきなり何か過去にあったのかなどと不躾なことは聞けまい。

ただやはり、お婆さんの言うように、PSIは人目に触れさせない方が良いのだろう。


「・・・いや、こっちこそすまんかったな。
人がこっちに来る気配がしたもんでな。つい落としちまった」


「いいんです、あのままだと二人とも死んでました。助けられたのは事実ですし」


隠したがっている事には触れずに返す。
触れずに喋ろうとしているのもアロハさんには分かっているだろうけれど。


「まあ、とりあえずついて来い。服も乾かさなきゃならんだろう」


そういって河原の一方向を指す。テントが張ってあった。
この人キャンプでもしてたんだろうか。一人で。

でも濡れたままだと流石に気持ち悪いので言葉に甘えさせて貰おう。
テントに向かうついでに荷物も拾ってきておいた。


――・・・


「それで、お前どっから来たんだ?

オメーみたいなガキが裏社会のサイキッカーなんてやってる訳ないし、流れモンか?」


たき火に当っているとアロハさんが聞いてくる。


「伊豆の方に居たんですが訳あって旅してます。ファイです」


「ファイ、ね。

どういった訳だ?旅にしたってガキがするには早すぎるんじゃねえか?」


アロハさんがやけに突っ込んで聞いてくる。何か思う所でもあったのだろうか。
自分から僕の境遇を人に話すのはあまり好ましくないが、聞かれたなら語ってもいいだろう。


「・・・自分探しの旅、とでもいいますか」


「傷心のOLかよ」


アロハさんは豪快に笑った。
真面目な理由だったのに笑われ、少しムッとした。


「いや、笑ってすまん。それでなんで自分探しなんかしてんだ?」


謝りながらもアロハさんはまだ顔がにやけていた。


「・・・記憶がないんですよ。

気がついた時には、僕にあったのはこのPSIの力と名前だけ。いや、名前も初めは忘れていたんだった。

だから、旅に出たんです。

僕の知っている場所がないか、僕の事を知っている人が居ないか。探してるんです」


「・・・・・・」


話した途端、アロハさんの表情が真面目な物になった。
笑いもせずただ黙って話を聞いていた。



◆◆◆



似ている、と思った。
境遇は違えど、幼くしてたった一人で未知の世界に足を踏み出した事。
理由は違えど、自分の中身を理解する者を探している事。

自分が持つ感情は壊れて久しい、いや初めから壊れていたのかもしれないが、もし感情が正常だったなら、
この胸に灯るのは、同情といったものだったかもしれない。

そして、目の前の少年はまだ人前でPSIを使う事に躊躇いはないようだった。
それはいつか破綻をもたらすだろう。

あのクソったれな研究所から逃げ出して、自分は11歳で外の世界を知った。
初めは、自由を手に入れたと思った。もう自分は檻に入れられた獣ではないと思えた。
初めて人間になれたと思った。

しかし、それは幻想でしかなかった。

畏怖、恐怖、まるで化け物を見るようかの視線。
周りの多くの人間たちとは根本的に自分は違う生きものだと言う事に気づかされた。

結局、自分は単なる檻から脱走した獣でしかなかったのだった。

それからずっと長い間、力を隠して生きてきた。
自分は人間ではないと諦める気持ちが半分、人間でありたいと願う、諦められない気持ちが半分。

そんな二つの感情が入り乱れて、浮かんだ感情は悲しい、というものだったのかもしれない。
だから、こうして自分の中身を理解してくれる者を探し続けている。

だから、少年が躊躇せず力を使った時、何も知らなかった頃の自分を思い出し、居たたまれなくなったのだ。
そして、眩しく思った。

人間でありたいと思ったから、自分は力を使って溺れている子供を助ける事はしなかった。
しかし、力を使いながらも助けに行った少年の方がよっぽど人間らしく思えたのだ。

あれが羨ましいという感情だったのだろう。
少年を助けたいと思った自分が、グリゴリ01号がいた。

そしてあの親子の笑顔が向けられる少年が羨ましかった。

少年に対しての関心が強まっていっていた。
それは、もしかしたらこの少年が自分を理解してくれる者の一人なのかもしれないという期待だった。
聞かれたのなら、自分の過去を話してもいいかもしれないとさえ思っていた。

もちろん、話せることと話せない事はあるが。



◆◆◆



「・・・と、いうわけなんです」


「・・・・・・」


「アロハさん?」


「あ、ああ。・・・アロハさん?すまなかったな・・・笑ったりして」


本当にすまないと思ったようで、今度は笑ったりしなかった。


「あ、ええと、名前まだ聞いてなかったから・・・」


「ああ、俺はグリ・・・・・・いや、やっぱアロハさんでいい」


名乗れない事情でもあるのだろうか。
力を隠したがっていた事もあるし、特に深く突っ込まないことにした。


「それで、アロハさんはなんでこんなところでキャンプみたいな事をしてるんですか?一人で」


「・・・そうだな。俺も旅をしてるんだ」


一瞬何かを思い、自分の中で確認するようにアロハさんは言った。
何を思ったかは僕には分からない。


「そうなんですか。自分探しですか?」


笑われた意趣返しに聞いてみた。
初めて会った人にしては、随分とフランクに話している自分に気が付いていた。

しかし、何故か会った事の無い筈なのにこみ上げる既視感。
ひょっとしたら記憶が無くなる前の知り合いなのかと思ったが、アロハさんは僕の事を知らないようだった。
分からない、その違和感だけが頭の片隅にへばりつく。


「俺の中身を理解してくれる奴を捜してんだよ。・・・ずっとな」


どうやら目の前の巨躯の男は傷心のOLではなく、中学二年生だったようだ。


「失礼ですが、お歳は?14歳ですか?」


半笑いで尋ねる。僕もインターネットに毒されたものである。
サイレンの情報を得るためにパソコンを利用していたら、いつの間にか要らない知識までいつの間にか身に付いていたのだ。


「お前、笑われた仕返しはやめろ。

笑ったのはそりゃ悪かったが、こっちも真面目な理由なんだよ。あと今年で27だ。」


アロハさんは少し落ち込んだように、少し困ったように笑いながら言った。


「三十路直前で、一人旅・・・触れちゃ駄目な所ですか?これ。

まあそれはともかく、どんな理由で自分を理解してくれる人を探してるんですか?こっちも話したんですから話して下さいよ」


初対面で過去聞くなんてやはり不躾だが、こっちも語ったのだから構わないだろう。
それに、なぜかアロハさんも話してもいいような雰囲気だった。
三十路前のことを言うと盛大にアロハさんは落ち込んでいたけれども。宥め賺して話しを続けて貰った。


「ああ、それはな・・・」


日が傾き、そして沈んでいく。
辺りに人影は無く、吸い込まれそうなほど大きな月が、二人だけを照らし出していた。



◆◆◆



その夜。


「感謝するよ。射場。――・・・そしてさようなら」


一人の男が檻から逃げ出した。
己の内に飼った憎しみは計り知れないほど大きく、その憎しみがついに外へ溢れ出た瞬間だった。

求める物は自由か、復習か。またそのどちらもなのか。

男の瞳に灯る凍えるほどの狂気、憎悪の炎。
縛り付けていた檻は徹底的に破壊し尽くされ、後には何も残らず。

脱走した獣を捕まえようと、猟犬が放たれるが獣が捕まる事は無かった。
人の世に紛れたもう一頭の獣、それは何をもたらすのか。

運命の歯車に、想いは弄ばれる。その歯車が今、音を立てて回り始めた。
これが全ての悲劇の始まりであることを、今は誰も知らない。

ただ、月だけが全てを見ていた。




続く



[17872] コール9
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:52360afa
Date: 2010/12/23 04:54
あの後アロハさんの話を聞いていたら日が暮れてしまっていた。
暗くなってから宿を探すのも一苦労であるし、一人で夜の街をうろうろするのも躊躇われた為、
昨日は結局アロハさんのキャンプにお邪魔させて貰ったのだった。

今日はあのアロハさんと出会った日の翌日。

今日も今日とて頭上に雲は無く晴れ渡っており、後から暑くなってきそうだ。
朝の間だけは空気がひんやりしており、吸い込む空気で胸の内部から熱が奪われるような感覚を覚える。

しかし、アロハさんから聞いた話は衝撃的だった。

PSIの研究、伊豆のエルモア・ウッドで読んだ文献のようにそれは遥か昔から行われていたものである。
それがこの現代でも続けられているらしい。

技術が未発達で、科学と超常現象が混同されていた中世ならばまだしも、
ほぼ全ての理が数字で表されるこの現代でPSIの研究が続けられているとは思わなかった。
恐らく、PSIの一般の認知度の低さからその可能性を頭の中から消していたのだと思う。

だが、よくよく考えてみると、研究が存続しているのは当たり前のことだと気付いた。
PSIとは存在するかどうか怪しい物ではない。はっきりと存在するものなのだ。
その生き証人が例えばエルモア・ウッドのみんな、例えばアロハさん、例えば僕である。

確固とした証拠があれば、研究者もそれを疑ってかかる事はないだろう。
ただの一現象として探究心の矛先を向けるだけである。

先にPSIを超常現象としたがそれも誤りだろう。単なる未だ理解されてない自然現象とした方がまだ納得できる。
そうすると、PSIの研究が現代でも続けられていると言うのは道理に適ったことになる。

・・・話がずれたが、アロハさんはその研究機関にいたのだと言う。そして実験体として生きていた。

しかし、ある時逃げ出した。
実験体である事に嫌気が差したそうだ。アロハさんが体験したものを知りうる事は出来ないが、
逃げ出したことから推測すると、実験体としての生活は決して心地よいものではなかったのだろう。

それが16年も前のことだそうだ。
それからアロハさんは世界を知った。知ってサイキッカーと人間の違いを思い知った。
アロハさんが力を隠したがった理由がこれだそうだ。

そしてもう一つ。
逃げ出したことで、アロハさんはその研究機関から追われる身になったという。
力を隠したがったのは身を隠す意味もあったらしい。

アロハさんがお尋ね者であることを知ったが、怖くなったりはしなかった。
それはアロハさんが話している最中の目が、とても寂しげだったからだろうか。

むしろ、事情を知り、同じサイキッカーとしてアロハさんが気の毒に思った。
アロハさんの過去は同情に値するものだろう。

それに、長い年月を経て機関の追っ手が来ることもなくなったのだそうだ。
アロハさんは今、人生を取り返そうとしている最中だったのだ。

そして話を聞き終えた時、胸に感じたことのある熱を感じた。
それは僕の力。他人とPSIの波動を同調させる能力の発動。

アロハさんのテレキネシスは、普通のテレキネシスとは根本から異なるものだった。
普通のテレキネシスは目に見える物体に作用する能力であるが、アロハさんのは不可視の物まで力が及ぶものだった。

例えば、大気の組成成分の物質の分子を操ったり、光子を操ったりなど。

試しに使ってみようとしたが、その力を投影する前のイメージが難解すぎて頭が悲鳴を上げそうだったので中断した。
大気中の物質を掌握し、操るとなるとそうとうな集中力と膨大なPSIが要る。
それは僕には少し荷が重い。アロハさんの力はまだ使いこなせない物のようだ。


使えない物はしょうがないと諦めて、今僕はいつもより早めの毎朝の日課のPSIトレーニングを行っていたのである。

河原にいるため、石なら山ほどある。それらをテレキネシスで操る。
それが終わると、マテリアル・ハイを発動させる。ただブロックの形にするのではなく、様々な形をイメージして作りあげる。

カイルは主にブロック、球、そして円刃(ブレード)の形を創造していた。
カイルは集中力によってはブレードを紙のような薄さにまで出来るらしい。

それに倣い、僕もブレードをどこまで薄く出来るか挑戦する。

先ずはイメージ。出来るだけ薄く鋭く。
そして投影し力を安定させる。気を抜くとブレードが大気に溶けていってしまうのだ。
そうならないように集中し、維持に神経を注ぐ。

ブレードが陽を反射して煌めいている。集中がいまいちな為ブレードの透明度は低かった。

玉のような汗が浮かぶ。
シャツが体にくっ付き、普段なら気持ち悪いのだが、この時は集中していてそれに気付かない。

そしてそれを固定解除しようとして、そこで集中力が切れた。
ブレードは陽炎のように揺らめいて消えた。


「・・・はぁっ。なかなか上手くいかないなあ・・・ 」


愚痴るように独りごちる。
アロハさんは盛大ないびきを奏でながらまだテントで寝ている。

いつもより早く起きた理由がこれだ。
あの人、環境基本法に騒音の項目で引っかかるんじゃないだろうか。訴えたら勝つ自信ならある。

頭がボーっとしてきている。
河原にあった手頃な岩に腰を下ろす。冷たい空気が汗に濡れた肌に心地良い。
目を閉じて川の流れる音に耳を傾けようとすると、アロハさんの強めの自己主張が聞こえてきた。


「やれやれ・・・」


少し、休憩してもいいだろう。



◆◆◆



「ふうっ・・・」


テラスの真ん中に立てられたポールにテラスの四隅からロープが張り巡らされている。
これがエルモア・ウッドの物干しだ。
お婆さんの服はどれも高級な品で、洗濯する時はクリーニングに出すような物なので、実質ここは子供達の衣服を干す場となっている。

そこでマリーは朝から洗濯物を干していた。
マリーの足下には洗濯籠が置かれ、そこから洗濯物がひとりでに浮いていき、ハンガーに掛けられロープに吊るされていっていた。

勿論、勝手に洗濯物が動いているのではなく、マリーのテレキネシスによるものなのだが、
傍目には洗濯物が意志を持って動いているかのように見えていた。

洗濯物を籠から出し、しわを伸ばして、ハンガーに掛けて、ロープに吊るす。

これらの一連の動作を予めプログラムとして組み上げ、発動させているのでテレキネシスが作用している間でも
マリーが集中し続ける必要はない。

そのため、テレキネシスを働かせている間は特にすることが無く手持ちぶさたなので、
マリーは柵にもたれ掛かり、ぼんやりと空を見ていた。


「今日もいいお天気だなぁ・・・」


空を見上げると吸い込まれそうなくらいの蒼さだった。
海のある方角からの風が、ほのかな潮の香りを運んでくる。風がマリーの髪と洗濯物を揺らした。


「・・・・・・」


空は晴れ渡っているが、マリーの心はあまり晴れやかではなかった。

あの白い髪の少年がエルモア・ウッドに来てから、家事を共にする仲間がマリーにできた。
本人はPSIの訓練だと言っていたが、それでも家事を手伝っていた事には変わりない。

何事も一人でやるよりも誰か相手が居る方が良いと相場が決まっている。
洗濯を干している間のこの空虚な時間も、以前なら話をする為に用いられていたのだが今はマリー一人である。

家事自体マリーは嫌いでなく、それまで苦痛を覚えたり、退屈に感じた事はなかったのだが、
マリーは今何とも言えない物寂しさを味わっていた。


「ファイ君、今どうしてるのかなぁ」


ふわっと強い風が吹く。洗濯物が音をたててはためいた。
夏とはいえ朝の冷たい空気に晒され肌も冷えてきている。洗濯物を吊るし終えたのでマリーは家に引き上げる事にした。


「風邪とかひいてないといいけど…」


白い洗濯物が、青い空によく映えていた。
そう言えばあの少年も髪色のためか空によく映えたこと思い出し、マリーは呟いた。



◆◆◆


「ふぇっくしょん!!」


誰かが僕の噂でもしてるんだろうか、いやそんな非科学的な事はないだろう。
汗が蒸発し、気化熱でどんどん体温が奪われ普通に寒くなってきたのだ。
いい加減トレーニングを再開するか切り上げるかして風邪をひく前に体を暖めた方がよさそうだ。

「ふぁ、ふぇっ・・・」


「びゃあックショイ!!!」


・・・なんだ、今の。
二回目のくしゃみがかき消されてしまった。


「あー、寒ィなチックショウ」


そんな事を口にしながらアロハさんがテントから顔を覗かせた。


「おはようございます。起きて早々なんつークシャミしてんですか」


「お?早起きだなお前。白髪といい年寄りかよ。・・・ふああぁぁあ」


テントから体を出して全身で伸びをするアロハさん。大口を開けて欠伸もしている。


「27歳に言われたくありませんよ。

白髪のせいで年より老けて見えるのは事実なんで否定しませんけど、年寄りはあんまりじゃないですかね」


「・・・お前イイ性格してんな」


アロハさんが落ち込んだみたいだった。やはり27歳はNGワードか。
アロハさんが起きたのでトレーニングを中断する。タオルを取り出して体を拭く。ついでにシャツも換えよう。


「それにしても、なんかやけに寒くないですか?朝とは言え今一応7月ですよね?」


「ああ?確かに寒ィが・・・

・・・あれ?なんか息が白いんだけど。鼻水凍ったんだけど」


そうこうしてる間に吐く息の水分で睫毛が凍り始めた。寒さで震えて歯が噛みあわない。
顔に血が通っている感じがしない。自分では見れないが多分顔色は真っ白になっていると思う。
アロハさんも表情を歪ませている。明らかに異常である。


「な、なんですかコレ・・・無茶苦茶じゃないですか!

完全に普通じゃないですよ!!一体何が・・・!」


そこまで言って気付いた。これは自然現象じゃない、人為的なものだ。
こんな不思議な現象は恐らく・・・!


"心羅万招"


辺りを取り巻くPSIの流れを感じ取り、視覚の情報として捕える。
やはり、辺りには何者かのPSIが満ちていた。


「・・・そこか!!」


そしてそのPSIの出所を見つけ、心羅万招を解除。
"テレキネシス プログラム・投擲"でその出所の方向の木の陰に向けて河原の石を放つ。

そして飛び出してきたのは・・・


「あれ、アイツ・・・?」


夏だというのにロングコートを着込み、さらにそのボタンを全てとめて前を閉じている。
口元までマフラーで覆い、耳あてまでしているあたり、真性の寒がりというかなんというか…
尖った髪を後ろに流していて、背は低め。

とにかく、そんな男だった。


「・・・・・・」


男は無言で掌をかざす。
すると掌の周辺が淡く光ったと思ったら、その手には二丁の、銃身が長く大口径の銃が握られていた。
銃の周りに白い水蒸気が発せられていることから、あれは多分氷で創られたものなのだろう。

そしてそのまま僕達に向けて何かを放ってきた。
速すぎてしっかり目で捕える事は出来なかったが、あれは恐らく銃弾の形をしていた。


「くッ!」


最初に冷気を振りまいてきたこともあるし、僕らに敵意があるとは分かっていたのだが、
本当に攻撃されるとすぐには十分な反応はできなかった。

頭の中でイメージを高速展開。マテリアル・ハイを使用して目の前になんとか空気の塊を投影する。
しかし、急いで拵えたブロックのためあまり硬度は高くない。
最初の一発目の弾でブロックに皹が入り、二発目の弾でブロックが完全に砕け散り、三発目の弾で被弾した。


「あ、っ!!」


左肩に当たったのだが、その当たった衝撃もさることながら、被弾した個所から徐々に氷が浸食していき、
左の半身が氷に呑まれてしまった。そのまま倒れこむ。


「・・・久し振りだね」


「随分な挨拶じゃねーか。俺の連れまでやりやがってどうしてくれんだ」


体が凍りつき動かし辛いので首だけを向けるとアロハさんは弾に触れることなく
見えざるテレキネシスの手で弾を払っていた。


「知り合いなんですか!?」


「ああ・・・なんと言うか、同期の桜というか。こいつも例の実験体で一応俺のダチだ」


「ダチ?勘違いしないでください。あなたは僕の元ターゲット…それだけです」


そう言うと男は跳ねた。
体を捻り空中で上半身をこちらに向けて再び弾を放ってくる。太陽を背にしているので表情は窺い知れない。

アロハさんは迫ってくる弾の正面に掌を翳す。するとレンズのような物体が何層か重なって具現化し、
僕を凍りつかせたあの氷弾を危なげもなく弾いた。


「ふん」


アロハさんが腕を振り払うと目に見えないが、もの凄い衝撃が地面を走った。
まるで地面を割ったかのような一撃。衝撃の通った後には河原の石は四散し存在していなかった。

男が着地する瞬間を狙ったもので、男の体勢が整わず直撃するかと思われたが、
男は地面に足をつけると、膝で着地の衝撃を吸収することなく、重心を後ろに傾け、
そのまま後ろに滑るように移動してアロハさんの攻撃をかわした。いや、滑るようにではなく、実際に滑っていた。

目を凝らして地面を見てみるとキラキラと光っている。どうやら地面に氷を張ったようだ。
そして男の足にはスケート靴の形をした氷が纏わり付き、そのブレードで滑ったのだった。


「少しはできるようになったじゃねーか。ポンコツ」


「・・・僕はポンコツじゃない!」


そして男はスケート靴を装備したまま移動し始め、移動しながら氷の弾丸を撃ってくる。


「おい、ファイ!お前は凍傷になる前にあの川行って氷を溶かしてこい!」


アロハさんが僕の横で弾丸を防ぎながら言う。
男が高速で移動しながら撃ってきているため、前方のガードだけでは対応出来なくなってきていた。


「分かりました!・・・というか、なんで戦ってるんですか!?

あの人ダチとか言いませんでした!?あの人は否定してましたけどあの人ツンデレですか!?」


「戦ってんのにごちゃごちゃうるせーな!後で答えてやるから早く行ってこい!!あとツンデレってなんだ!?」


「なんでもありませんよ!行ってきます」


川に向かって駆け出す。僕があそこに居ても純粋な足手まといだろう。
凍りついた箇所が動かせず、無様な動きだったが、何とか川へ辿り着き凍った所を水に浸けて溶かす。
溶かしながら二人の様子を見る。


「ホントお前しつけーな。いい加減うぜーぞ」


アロハさんが僕の動かせる数とは比べものにならない量の河原の石を男に向かって飛ばす。


「アンタに勝ってボクがポンコツじゃないと証明出来るまで纏わり付いてやるさ」


男が華麗なステップで石を避ける。避けられない物は銃で撃って相殺していた。


「チッ。おいファイ!お前PSIの訓練してたよなあ!?せっかくだから見とけ、これがサイキッカーってやつだ!!」


どうやらアロハさんは先程寝たフリをしていたらしい。
出て来なかったのは様子を窺っていたからか。人が悪い。

アロハさんは左手で弾丸を防ぎつつ、右手を川に向けて翳した。
僕の近くの水面が揺れたと思ったら、水が空へ舞い上がっていき、巨大な水の塊が浮かんでいた。


「オラァ!」


右手を振ると塊は飛んでいき、男に迫る。


「クッ!」


男は銃を放り捨てると、両手を塊に向けた。
男の両の掌が強く光り目の前に氷の壁が現れる。

水の塊は壁に激突し、球形を崩したと思ったら壁に触れた部分から凍りついていく。
しかし、一瞬の膠着の後壁は結局その膨大な水の質量の前に破れ粉々に砕け散った。

だが、男にはその一瞬で十分だったようで瞬時に移動し、水から免れていた。
そして一気にアロハさんに接近する。
遠距離は不利だと悟ったようで、近接攻撃に切り替えるつもりのようだ。

・・・というか、この二人の戦いは凄すぎる。目で追うのがやっとなくらいだ。

しかも心羅万招で流れを追っていたら、二人の思念が流れ込んできたのだが、二人に殺気と言うようなものは無かった。
つまり、これでまだまだ本気ではないのだ。手合わせをしているような物でしかない。
サイキッカーってみんなこんなんなのだろうか。頭が痛い。

男の接近を拒むかのようにアロハさんは石を放つが、どれも避けられる。


「フッ!」


男が膝を折り曲げ、体が前倒しになった状態から、一気に跳んだ。
そしてアロハさんの手前で一度左足を地面に着き、左足を軸足にして右側からアロハさんの胴体に向かって回し蹴りを放つ。

アロハさんは身を捩って躱すが、後にはためいたアロハシャツがスケート靴のブレードで切られてしまった。
どうしよう、アロハさんがアロハシャツを失ったらアロハさんとは呼べなくなる!

間を置かず男は右足を納め、背を向けた状態から左足で後ろ回し蹴りを叩き込んだ。
踵の部分の尖った刃が元アロハさんを襲う。


「ぐ!」


アロハさんは左の肘で男の足を打ち上げ、刃の軌道を逸らす。
今までずっと不動だった元アロハさんが初めて一歩後ろに下がった。

バランスを崩したようで、男の体が傾く。しかし倒れる寸前男が薄く、冷たく笑った

手には再び先程と同じ銃が握られていた。
それをほぼ零距離で元アロハさんに向けて放つ。PSIが発たれる際の光はマズルフラッシュのようだった。
懐に潜り込まれているため、レンズのような物や、テレキネシスで払う事は出来ない!

しかし・・・


「こんの・・・!いい加減にしろやァ!!!」


元アロハさんが全身からPSIの奔流を吹き出させ、弾丸もろとも男を吹き飛ばした。

何というか、すごく・・・強引です・・・

そして男が滞空している間に元アロハさんは河原中の石を集め、それらを全て男に放った。
しかもそれらはただぶつけるのではなく、男を全方位から取り囲み、男を石の牢獄に閉じ込めてしまった。

男は石に圧迫されて、気を失ったようだった。


「どーだ!ざっとこんなもんよ!」


元アロハさんがこちらに向けてガッツポーズをしてくる。
普通27歳の男が浮かべるようなものでない純粋な笑みだったので、僕も力なく笑った。



◆◆◆



その頃、某所。


「神奈川方面で大規模なPSI反応を感知。脱走した被験体06号の可能性有り。

直ちに現場へ向かい、捜索せよ。なおこれは特殊任務である。

くれぐれも一般市民に被害が出る事がないように。繰り返す・・・」


逃げ出した獣を追う猟犬が、また別の獣の臭いを嗅ぎ付けていた。




続く



[17872] コール10
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:52360afa
Date: 2010/12/23 04:55
「早朝で人通りがなかったから良かったものの、もし人に見られてたら大事になってましたよ」


「いや、面目ねえ。つい熱くなっちまって」


テレキネシスを用いて石の山から少しずつ石をばらして河原に戻す。
新しいアロハシャツに着替えたアロハさんは僕の数倍の効率で後片付けをしている。

あのコートの男が気絶したことで振りまかれていた冷気が収まり、日が昇ってくるにつれていつも通りの気温に近づいていった。
男は未だに伸びていてその辺に転がしてある。

見れば見るほど暑苦しい格好であった。直視すると暑さの幻想が体を駆け抜け、全身が痒くなってきそうだったので、
男を視界に入れないようにして石を戻す作業を続ける。


「もう少しで新聞の一面飾りそうだったんですから。そこのとこ分かってます?」


「分かってるって。しつけーなお前も」


「ったく、あんな大っぴらに能力使いやがって。

こんなこと前に言われた気がするんですが。あ、今の似てませんでした?」


「うっぜーな!ちょっと似てるのが余計腹立つ!

大体、コイツがいきなり攻撃してくるのが悪いんじゃねえか。正当防衛ってやつだろ」


「それにしたってですね、もうちょっと目立たないようなやりようがあったんじゃないですか。

こんなでかい石の山とか作らなくても」


「うるせえ。コイツが悪いの!俺は悪くないの!」


「ぐふっ」


そう言ってアロハさんは男に石を飛ばした。
石は男の後頭部に当りバウンドして飛んでゆく。男は小さい呻き声を上げると再び沈黙した。


「とりあえず、人が来る前に後片付けしてしまいましょうよ。

ふて腐れてないで手を動かしてください。僕がやるより効率いいんですから。あとこれ終わったら話聞かせて貰いますよ」


駄々をこねるように作業を止めたアロハさんに向かって言う。
渋々ながらも作業を再開する。やはり、とんでもないテレキネシスであった。

陽が突き刺さり頭が熱い。暑いじゃなくて熱い。
なんでこんな事を僕はしているんだろうか。あの人はアロハさんを狙っていたみたいだし、僕は無関係の筈なのだけれど。

考えるとモヤモヤした気分になってくる。空が青いのにも腹が立ってきた。
そういえばどうして空は青いんだろうか。分からない事にも腹が立つ。


「あ」


そんな余計な事を考えていたら、集中が切れて運んでいた大きめの石を落としてしまった。
あの男の頭上に。

ごすん、と鈍器で人を殴ったかのような鈍くて嫌な音が鳴った。
男の頭の周辺には赤い水たまりが形成されようとしていた。


「「・・・」」


沈黙が僕とアロハさんの間を満たす。
ついでにあの人も沈黙している。させたと言った方が正しいけれど。
粘ついた汗が背筋を流れた。


「エグイな」


「・・・この人が攻撃してきたのがそもそもの発端ですよね」


「そうだな。こんな派手にやらかしちまったのもコイツのせい、頭が噴水みたいになってるのも自己責任だ」


「・・・片付け、終わらせましょうか」


「ああ・・・」


二人して空を見上げる。
どこまでも青くて遠いあの空には男の人の笑顔が浮かんでいるような気がしたけど、別にそんな事はなかった。



――・・・



「・・・で、結局この人何なんですか?

アロハさんと同じ境遇って事は聞きましたけど、攻撃してくる理由が分からないんですが」


河原を元に戻す作業も一段落し、休憩がてら足を川の流れに浸して涼みながらアロハさんに尋ねる。


「そうだな、昨日俺が機関から逃げ出した事は話しただろ」


アロハさんはキャンプの片付けをするためにテントの中に頭を突っ込み、荷物を整理しながら答えた。


「はい。それで追われる身になったんですよね」


「ああ、それで機関は俺を追う為に他の実験体だった奴らを使ったんだ。

まあ餅は餅屋、化け物には化け物ってことだ。で、その実験体ってのがコイツなんだ。

因みに俺が01号でアイツが03号。名前は無いから好きに呼んでやってくれ」


「え!?じゃ、この人追手なんですか!?」


「まあ聞け」


一瞬攻撃してきた理由を推測して納得しそうになったがアロハさんの制止の声が掛かった。
テントから顔を出し、ついでに荷物も引っ張り出しながら話を進める。


「一応アイツ、03号も昔は刺客やってたんだがな。

一度俺にボコボコにされて目が覚めたらしい。それで機関を抜けて、それ以来俺に付きまといやがる。

今じゃ立派なストーカー野郎だ」


「つまり実験体から刺客に、刺客からストーカーに転職して今はフリーのストーカーって事ですね?」


「そう言うことだ。ま、03号も追われる身って境遇は俺と変わらんな」


「でも、じゃあ何でフリーのストーカーになった今でも攻撃してくるんですか?愛情表現とかですか」


「もし愛情表現だったりしたら気持ち悪すぎてうっかり息の根止めちまうかもしれねえな。

ま、ホントのとこは俺がコイツのことをポンコツ実験体って呼んだのが気に食わなかったらしい。

自分がポンコツじゃねえって証明するために俺に喧嘩売ってきてんだとさ。どうせ勝てないんだから止めときゃいいのに」


そう語るアロハさんは別段嫌そうな表情をしてはいなかった。

普通の人間というのに壁を感じてしまうアロハさんにとって、この男の人は真正面から関われる唯一の人だったのかもしれない。
だから初めにダチと表現したのだろうか。


「そういう事だったんですか。

じゃ、やっぱり僕が巻き込まれたのは完全にとばっちりだったって事ですね」


そう言ってチラリと男の人を見る。
出血は止まったようで、新しく血が流れる事は無かった。
凍りつかせられたのと岩石落とし、痛み分けだったと言うことにして自分を納得させた。

足を流れから取り出し、男の人の額に乗せてあるタオルを交換しに向かう。

ペットボトルの水でタオルを濡らし、再び額に乗せようとしたところで男の人がモゾリと微かに動いた。
瞼も僅かに動いている。もうすぐ目が覚めるのかもしれない。

それにしても、自分が自分であると証明するモノ、名前。
それが無いのはどんな気持ちなのだろうか。

いや、僕もエルモア・ウッドに行ったばかりの頃、名前を忘れていたんだった。
酷く不安。致命的な何かが足りないような気持ち、そんなだった筈だ。

この人が同じように感じたかは分からないが、持つのは良い感情ではなかったのではないだろうか。

アロハさんはこの人を03号と呼ぶ。一応人と関わる為に働いてはいるが、03号というのはあまりに記号的過ぎると思う。
だから。


「・・・っく」


そして男の人の瞳がゆっくりと開けられた。


「あ、起きましたか、マフラーさん。大丈夫ですか?」


「キミは・・・」


「おう、目ぇ覚めたか、03号。調子はどうだ?」


アロハさんが荷物の整理を終わらせこちらに向かって来た。


「01号・・・ああ、僕はまた負けたのか。・・・なんだか頭が凄くズキズキしてるんだが」


「災難でしたね・・・まさかアロハさんがあんな滅多打ちにするなんて。

当たり所が悪くなかったみたいで良かったです」


「オイ、なに人に責任なすりつけてんだ。はったおすぞ。

あとなんだマフラーさんって。アロハといいもう少しまともな名前考えられねーのかよ」


「アロハさん・・・?01号の事か?

それとキミは?普通の人間じゃないみたいだが、どうして01号と一緒に?」


「えと、まあ通りすがりのサイキッカーといいますか。ファイっていいます。

そこの人とは昨日知り合った関係で、晩ご飯と寝る所貸して貰っただけです。

あ、お二方の事はアロハさんから聞きましたからどうぞお気兼ねなく」


「オイ、無視すんじゃねーよ。寂しいじゃねーか」


「ああ・・・そうか。巻き込んで悪かった。

01号との戦いに邪魔を挟みたくなかったんだ」


マフラーさんが体を起こしながら言う。
こうしてアロハさんと並んで立つと随分小柄だという事が分かった。
それでも子供の身長の僕からすれば十分に大きく見えるのだけれど。


「それは、もういいんです。色々ありまして。

それよりどうしてマフラーさんはここに?」


「マフラーさん・・・僕の事か・・・?

昨日この辺りで01号のPSI反応を感じたから、偶々さ。戦った理由は、もう聞いたんだろう?」


「ええ、概ね」


なんだか疲れた目をしていた。まるで高い壁を、果てしない道のりを目の当たりにしたかのような。

アロハさんと戦うことで自分が否定されるのを否定しているように僕の目には映った。
マフラーさんがアロハさんと戦う事は、マフラーさんにとって自分という存在の証明なのかもしれない。


「オイ、泣くぞ?そろそろ泣くぞ?」


横でさっきからなんだかアロハさんが煩い。
アロハさんの方を見ると本当に全身からなんらかのマイナスなイオンが出ていた。


「なんですかさっきから。いい年していじけないでくださいよ」


「あれ?ナチュラルに酷い。

・・・まあそれはともかく03号、喧嘩ふっかけてきた分の謝罪くらいしろよ。お前負けたんだし」


アロハさんがすっぱりと話を切り替えた。引きずる人かと思ってたがそうでもないみたいだ。
繊細なんだか豪快なんだか。


「フン、どうして僕が謝らなくちゃいけないんだ。僕は謝らないぞ」


「謝罪の言葉なんか腹の足しにもならねーよ、誠意見せろ誠意。アレだ、朝飯奢れ」


「もっとお断りだ!大体なんで僕がアンタと食事を共にしなくちゃいけない!」


「お前負けただろ。敗者はおとなしく勝者の言う事に従うもんなんだよ。昔どっかの偉いおっさんが決めただろーが」


真面目な顔でアロハさんが言っている。
言っていることはなんとも大人げない気がするが、そこはスルーすべきなんだろう。


「・・・ッくそ!二百円までだからな!!それ以上は自腹だぞ!」


「どんだけケチくせーんだ!せめて千円くらいいいだろ!!」


「いいわけないだろ!アンタ僕の懐事情知らないからそんな事言えるんだ!!」


「知らねーよ。いいから寄こせ!」


「あッ!?」


アロハさんがテレキネシスを使ってマフラーさんから財布を取り上げた。
どこぞの国民的ガキ大将のようだ。


「さーて、中身はどんなモン・・・」


「・・・・・・」

「・・・・・・」


「・・・その、なんだ、スマン俺が悪かった。財布までポンコツだとは思わなかったんだ」


「ポンコツ言うな!!」


大人二人がさっきからアホらしいやりとりをしている。
僕は蚊帳の外だが全く寂しくない。むしろ僕を巻き込まないでほしいと心から思う。
相変わらず空が青い。暑くなってきてるし帽子被らなきゃ。帽子どこやったっけ。


「仕方ねぇ。五百円で我慢するか。

オイ、ファイよかったな、タダ飯食えるぞ」


「え?」


急に意識が現実に引き寄せられた。
帽子をどこにやったかから始まって、人はどこから来てどこへ行くのかという疑問に発展していたところなのに。


「ちょっと待て!なんでこの子の分まで僕持ちなんだ!しかも二人合わせて千円じゃないか!ふざけるな!!」


「ごちゃごちゃ言うなうるせえ。もう決まったんだよ。
ホラ行くぞ、飯食うとこ探さなきゃならん」


「あ、はい分かりました。荷物取ってきます」


なんだかよく分からないがマフラーさんががっくりとうなだれていた。
どうでもいいか。我思う故にはらへり。今大事なのは、お腹が空いたという事だ。



◆◆◆



「五百円じゃ食えるもんあんましねーなァ」


メニューに顔を突っ込みながらアロハさんが呟く。開いていた店を適当に見つけて入ったのだった。

筋骨隆々の大男に、夏なのに全身耐寒装備の男、頭が白くて顔に刺青の入った子供と人目を引きそうなフルコースだったので、
まだ朝の時間帯で人が少なかったのはありがたかった。


「贅沢言うな!僕は半ライスと水で我慢するんだぞ!!」


さっきからこの人お冷をおかわりしまくっている。水で腹を満たすつもりなのだろうか。

アロハさんがお絞りで手だけでなく上腕辺りまで拭いていた。オッサンかくあるべしといった様である。
色々と疲れるだろうから、僕はもう二人のやり取りに口を挟むのを諦めた。そしてメニューと睨めっこ。


「・・・じゃ僕このモーニングセットってので」


「ちょっと待て!それ五百円超えてるぞ!」


即座にマフラーさんが反応してくる。
よくみると些か、本当に些か五百円をオーバーしていた。


「たかが十数円だけだろ・・・」


アロハさんが呆れ成分を口調に含ませ言う。なんだかこのままでは埒が明かない気がしてきた。
そこでふと思いついた。


「・・・あの、僕お金に困ってはないんで朝食代くらいなら僕が出しましょうか?」


「「え!?」」


二人が一斉にこちらを見る。
四つの瞳に睨まれて少し圧倒された。瞳がギラギラしていた事もある。


「・・・ホントに?」


「ええ」


「・・・・・・ホントにホント?」


「構いませんって。と言っても僕だって貰ったお金なんでそんなに無駄遣いはアレですけど…」


そう言うとギラギラしていた四つの瞳の半分が死んだ魚のような目に、もう半分はよりギラギラに。
ギラギラし過ぎて怖い。そんなに血走っている目で見つめないでほしい。


「子供に飯奢ってもらう大の大人の男二人って…死にたい……俺ステーキセットで」


「メニューのここからここまでで!」


「ああ遠慮とかはないんですね、分かります。将来こんな大人にはなりたくないです」


結局なんだかんだ言いながらアロハさんは一番高い物を頼んでいたし、マフラーさんは論外だった。
・・・まあいいか。もともとお婆さんに全額出世払いで返す予定だったし、返す量が少し増えただけだ。

それに、この騒がしさはエルモア・ウッドを思い出し、なんとなく嫌じゃなかった。


「ああやっぱりこれも追加だ!」


「ドリンクバーって持ちかえりアリか?ポリタンクならあるんだが。

・・・え?ダメ?なんだケチくせえな」


「はあ・・・」


でもやっぱり溜息が自然に出てしまうのは、仕方が無いんじゃないかなと思った。



◆◆◆



トラックが砂埃を巻き上げながら疾走している。

前日の深夜に実験体06号が施設を破壊し、脱走。
施設及び、施設の警備員含む職員は06号の手に掛かり、ほぼ壊滅状態。

そんな中ででも脱走した06号を捜索し、そして始末するための部隊が急遽編成された。

実験体06号が外に出てどういった行動を取るかは不明だが、施設での虐殺を見る限り外でも凶行に走ると思われた。

尚且つ政府は異能力者の存在、そしてそれに纏わる機密研究組織の存在を明るみに出したくない。
それ故に一秒でも早く06号の行方を捕捉しなければならないという焦りが政府にはあった。

しかし、騒動が起きたのが深夜だった事や、施設内にいた異能力者の対処法を知る者達が殺された事で混乱し、
捜索の開始が遅れてしまっていたのだった。

実験体06号の行方は知れず、完全に後手に回るしかなかったが、そんな中今日の未明正体不明の大規模なPSI反応を神奈川方面から感知。

逃亡した実験体06号の可能性が高いと見て、部隊が反応のあった周辺に派遣された。
06号には捕獲命令でなく、見つけ次第即射殺せよという完全抹殺命令が出されている。

緊張が高まりつつあった。
そして今、その場所へトラックが辿り着こうとしていた。



――・・・



「行っちゃいましたね。マフラーさん。随分あっさりしてましたけど」


「いいんだよ、アイツはあれで。どうせまたいつかフラッと俺の前に現れるさ。
それが追われる身になってまで決めたアイツの生き方らしいしな」

店を出ると、マフラーさんがここで別れると言い出した。
なんでもまた力を付けるために旅をするらしい。
『僕は力を付けて戻ってくる、必ずだ。次こそは負けはしない』だ、そうだ。

自分を否定するモノを否定する。
そうして自分が存在する事を周りに認めさせる。それはある意味ではとても真っ直ぐな生き方に思えた。

自分が認めるモノを認めさせる。
確固とした『自分』を持っていないと出来ない生き方。

それが少し、羨ましかった。


「お前はどうすんだ?」


荷物を背負いなおし、歩みを進めながらアロハさんが尋ねてくる。


「探し物、探します。

今のところ、それが僕の生き方みたいなんで」


僕も歩いていた。大柄なアロハさんと並んで歩くと少し早足になる。


「そうか。

じゃ、一緒に行くか?俺も見つけたいモンがあるしな」


「・・・いいんですか?一緒に行ったら回り道になるかも知れませんよ?」


「それもいいんじゃねえか?どうせ明確な行き先なんかないんだしな」


あっけらかんとアロハさんは言った。
その言葉に、繋がりが保たれることに安堵した自分がいた。

難しい事はよく分からないが、誰かの言葉を借りるのなら、人は一人では生きていけないというやつだろうか。


「じゃあ、喜んで。これからよろしくお願いします、アロハさん」


「おう、よろしくな。じゃ、行くか」


「はい」


―その時、数台のトラックが横を通り過ぎて行った。


「・・・ッ今のは!」


「どうかしたんですか?」


通り過ぎて行ったトラックを見た瞬間、アロハさんの表情が一気に険しくなった。
出逢ってまだ短い間にも色んな表情を見せたアロハさんだが、こんなに険しい顔をしているアロハさんは初めてみた。

なんだか、嫌な予感がした。

気になってトラックが通り過ぎ去った方向を見ようとした。
しかし、それよりも早くブレーキがかかる甲高い音がした。

続いて扉を開ける音と人が中から出てくる音。
出てきた人たちはこちらを見ている。いや、正確にはアロハさんを見ていた。
通信機を取りだしてどこかに連絡する者もいた。


「・・・やっぱ、ここで別れた方がいいか」


アロハさんが微かな声で呟いた。


「え?」


トラックの方から音がしてそちらを見る。
通信機で連絡していた人は通信を終えていた。そして、代わりに銃をその手に握っていた。

その人だけでない。他の人達もそれぞれそれ銃を手にしていた。


「まさか!?あれって!?」


アロハさんを見る。


「ああ。御察しの通りだろうよ・・・クソッ!なんで今になって!!」


あれがアロハさんの言っていた機関の追手なのだろうか。
嫌な予感が急に現実のものとなって目の前にあった。


「・・・これは俺のゴタゴタだ。お前が付き合う義理はねぇ」


「でも、」


「早く行け。お前には関係ない事だ」


いや、それよりももっと嫌な感じがしたのはこれか。
せっかく出逢えたのにもう別れだなんて、それが一番嫌だ。


「・・・よろしくって、言ったじゃないですか。一緒に行くって約束したじゃないですか!

なのにこんなのって!!」


目が覚めてから、初めて感じる感情だった。
ああ、そうか。これが怒るって事だったか。

他にも悲しいとか、色んな感情が入り乱れて胸がごちゃごちゃしていた。


「だからって、」


「逃げましょう。逃げ切れれば何の問題もないんですよね。

だったら、行きましょう!今直ぐ!!」


あの人達が銃を構えた。
だけど、関係のない僕がアロハさんの傍にいる以上、直ぐには撃って来ないだろう。そう信じたい。


「・・・ああ、クソッ!!!」


「わっ!」


アロハさんが僕を腋に抱えた。あの人達の間に動揺が広がる。
人質を取ったかのようにでも見えるのだろうか。


「・・・舌、噛むなよ」


そして、アロハさんは駆けだした。



続く



[17872] コール11
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:52360afa
Date: 2010/12/23 04:55
アロハさんが風を切って走る。

およそ人間の出せる速度を超えながらの疾駆。

耳の奥では轟々と唸る音が聞こえている。
脇に抱えられた僕は激しく揺さぶられ、三半規管が悲鳴を上げそうになっていた。

単に目立つのを避けたのか、街の人達が巻き込まれることを配慮したのかはわからないが、
走り出した先は市街地とは逆の方向で、どんどん人の気配から遠ざかって行っていた。

風を顔面に受け呼吸すら儘ならないので、喋る事など以ての外であり舌を噛む心配はなさそうだ。
いいかげん苦しくなってきたので息をする為に首を丸め下を、今の体勢的には後ろを向く。


「っ!追って来てます!」


自分の腋の間から見える景色の中に先ほどのトラックの姿があった。
トラックの姿がだんだん大きくなっていっていることから少しずつ追いつかれて来ているのだと思われる。


「わーってるよ!んな事!!喋んな!」


自分の荷物片手にもう片方で僕を抱え、両手のふさがったアロハさんは切羽詰まった声音で言う。

やはりこれだけの重量を抱えていては流石のアロハさんにもキツイものがあるのだろうか。
この角度では表情は窺い知れない。

そうしてしばらく走っていると、ポツリと呟く声が聞こえた。


「・・・あ、ライズ使えばいいんだ」


その瞬間、世界が時を止めた。正しくは僕らが時の流れを突き破った。

急激で爆発的な加速。流れていた景色が急にその輪郭を崩壊させ、ただの色のついた何かに変わる。
先ほどまで出していた速度を10とするなら今は25くらいは出ているように感じた。

トラックを一気に突き放す。


「――――っ!!?」


息が出来ない言葉が出ない思考が纏まらない。
ただただ振動という名の凄まじい暴力に耐えるしかなかった。

がくがくと頭が揺さぶられる。
よく分からないが、何か危険な物が来ると頭の中で警鐘が打ち鳴らされ始めていた。

腹腔から鼻の奥にかけて奇妙な不快感を感じる。そしてその数秒後、警鐘の正体がはっきりと推測された。
どうやら、僕はここまでのようだ。


「ぅ、え゛え゛え゛え゛え゛え゛゛」


「うおッ!?きったねえ!!?」


動揺でかアロハさんの走る速度が少し落ちた。

さっきのモーニングセット、また会ったね。
謎の物体Xというか、悲劇の産物というか、通称ゲロと呼ばれる存在が口から漏れた。

口内に苦酸っぱいという不快感の象徴のような味が広がり、それが更なるゲロの連鎖を呼ぶ。

辛うじて僕を抱えているアロハさんにはかからなかったようだ。形容し難い色のアーチが描かれる。
そして吐くだけ吐くと少し気分が晴れた、ような気がする。


「・・・ふんっ!!」


「ちょっ!!?お前!!」


おもむろに吐瀉物を後ろを走っているトラックにテレキネシスを使って投げつけた。
追ってくるトラックの速度が少し緩んだように思う。

作戦は成功である。

・・・ああ、ごめんよマリー。こんな事に君の能力を使ってしまって。
でも緊急事態なんだ。きっとマリーも納得してくれるはず。

でもそんな罪悪感は吐瀉物と一緒に吐きだしたので、
申し訳ないという気持ちは今はトラックのフロントガラスの上に広がっていた。


「色んな意味でスッキリしました!もう本気で走って貰っても大丈夫です!」


「あ、ああ。しっかり掴まってろよ?」


・・・何か大事な物を失った気がするけど、なんだろう。
胸がぽっかりと空いた気がするのは食べた物を吐いたからなのか、それとも・・・まあいいか。

再び加速。


「――――っ!!!」


やっぱりこの加速には慣れない。
しばらくはこれ、トラウマになりそうな気がする。



――・・・



そして一気に視界が開けた。
昨日泊まった場所、先程までアロハさんとマフラーさんが戦っていたあの河原の付近に出たのだ。


「川か!・・・おし!」


アロハさんが何か自分の中で決心したかのように呟く。


「服掴んでろ!ぜってえ離すなよ!!」


そう言って、土手の側面を駆け上がる。
駆け上がって、土手の頂上に到達して、そこから跳んだ。

地面が遠くになる。草が生い茂っている部分が緑色のカーペットを敷き詰めたかのように見えた。
風を先程よりも強く頬に受け、耳の奥の唸る音が聴覚を完全に占めた。
空に広がる雲の姿を先程よりも大きく感じた。


「って飛んでる!?飛べたんですかアロハさん!!?」


これは・・・テレキネシスの応用なのだろうか。少なくとも僕には出来ない芸当だ。

頭を起こし大声で尋ねる。
ニヤリとアロハさんが不敵に笑っていた。


「飛べねえなんて誰が決めた!!飛ぼうと思ゃ飛べるモンなんだよ!!!」


後ろを見てみる。
トラックが走れる道が無いためトラックは停止し、中の人達はこちらを見ていた。

尚且つ橋は遠くに見えるのが一つあるだけで、向こう側にあの人達が渡るのには遠回りをしなければならないだろう。
これで大分時間を稼げる。

それに加え先程のアロハさんの加速後の速さと、トラックの速さを考えてみたら逃げ切れるような気がしてきた。

僕達の影が下方の川の水面に映る。今は丁度川の真ん中程である。
夏の強烈な陽光を反射し川がキラキラと光って見え、眩しかった。

このまま向こう岸まで飛ぼうとしていたその時。

乾いた銃声が空に響き渡った。


「グッ!!?」


「撃ってきた!?」


土手の上から銃を構えている人達の姿が見えた。
無関係な僕が抱えられている以上、撃ってくる事は無いと踏んだが、甘かったようだ。

急に高度が下がる。

川へ向かって僕達は自由落下していた。気持ちの悪い浮遊感にまた吐きそうになる。
アロハさんの能力が解除されてしまったようだ。


「当たったんですか!?大丈夫ですか!!」


「掠っただけだ!!」


アロハさんの上腕から血が滲んでいるのが見えた。
痛みでアロハさんは顔をしかめている。

そしてこのままだと川に落下してしまう!
いや、それよりも狙い撃ちされてしまうかもしれない。

それはどちらもお断りだ!!

PSIのバースト粒子を放出、大気と混ぜ合わせ、固めるイメージ。


「"マテリアル・ハイ"!!」


二人分の体重を支え得る空気のブロックが投影された。
続いて向こう岸までいくつものブロックを生み出す。


「これ使って下さい!!」

「助かる!!」


僕を抱えたままアロハさんは空中で体勢を整える。
そしてブロックの上に着地。

たわめられた膝が再び伸ばされ跳躍。
次のブロックへと跳んだ。

連続で跳躍していれば狙いが定まる事もなく狙い撃たれるような事は無いだろう。

今度こそ、渡り切れそうだ。
アロハさんも力が使えるようになったみたいだ。多分、逃げ切れるだろう。

それにしても、あんなにたくさんのブロックを創ったのは初めてだった。ひどく疲れた。
でもそれは逃げ切れた事の安堵感と混ざり合い、不思議な、快い疲労感だった。



◆◆◆



時は少し遡って――・・・


大規模のPSI反応があった地点の付近に差し掛かった頃、
捜索隊は目標の実験体06号ではなく、逃亡中の実験体01号を発見。

早朝の大規模PSI反応は06号ではなく01号の物のように推測された。本部に連絡を入れる。
本部からの指令が届く。01号の抹殺命令。

今回の目標ではない01号との接触に戸惑う捜索隊だったが、
元々目標とされていた存在なだけに抵抗は割り方少なかった。

しかし、実験体01号と同伴していた少年が実験体に逃亡を勧める。
目標以外の存在を危険に晒す訳にもいかず、発砲が躊躇われた。

そうしている内に、実験体01号が少年を人質に取り逃走。追跡する。

少年を人質に取られたことを捜索隊は本部に連絡。

実験体01号を補足した際に収めた画像データに少年が一緒に写っていた。
身元の確認の一助としてその画像データを本部に送る。


しかし・・・しばらくして返ってきたのは、少年の捕獲命令だった。


捜索隊は戸惑う。
理由を尋ねたが、それについては返事が返ってくる事は無かった。

ついで、少年を抱えている状態の実験体01号に対し発砲の許可が下りた。
状況的に考えると、それは少年に対する発砲の許可と同義だった。

何度も確認するが、指令が覆される事は無い。

そうこうしている間に、実験体01号は異能力を行使して飛行。
河川を横切ろうとした。

トラックが河川を渡るには迂回する必要があった。
このままでは逃げられると捜索隊は判断。発砲に踏み切った。

弾丸の内の一発が01号を掠める。
01号は一瞬異能力の行使が不可能になる。そのまま河川に墜落すると思われた。

しかし、着水する寸前、実験体は落下を止めた。
先程までの飛行と異なり、見えない足場に立ってかのいるように見えた。

そこで捜索隊は気づいた。少年もまた異能力者であると。

指令に納得しそうになる捜索隊。
しかし、それだけでは捕獲の対象にされるであろうかという疑問は残った。

結局、疑問を残したまま実験体01号と新たに目標とされた少年は河川を渡りきり逃走。
その行方はロストしたのだった。

その存在に気付いた者が居ることに、白い髪の少年は未だ気付かない。



◆◆◆



「・・・撒いたか」


アロハさんが肩で息をしながら言う。ひどく疲れているようだった。

だがそれも仕方ないと思う。重たい荷物(僕を含む)を抱えて半日近く走り通したのだ。
もう日も傾いて来ている。

これではいかに超人的な力を持つアロハさんと言えど無理もない。


「ご苦労様でした。これ飲みますか?」


カバンから水の入ったペットボトルを取り出した。
マフラーさんの頭を冷やすのに使った水だ。幸いまだ残っていた。


「ああ、ってぬりぃ・・・しかも水かよ。やっぱ、ファミレスで何か貰って来とくべきだったか・・・」


「その分荷物の重さは増えますけどね、というかその前に駄目ですよ。自販機でも探しますか?」

文句を言いながらもアロハさんは全部飲み干している。


「あー、そうすっかなぁ。ってか疲れたしな、飯でも食うか」


「いいですね、僕も新技を使ってからずっと胃の中が空っぽですし」


「新技?・・・ってゲロ爆撃の事か。あんなもん技にカウントすんな。サイキッカーに失礼だ。
それ以前にお前、尊厳とかそういうもん持ってねーのかよ・・・」


「・・・やっぱアレ、駄目でした?なんか駄目な気はしたんですけど、

なにぶん記憶がないんでよく分かんなかったんです。封印する事にしますか」


「封印じゃねえ。記憶から消せ。

っつーかここどこだ?なんか賑やかな街っぽいが。飯食う分にゃ問題無さそうだな」


確かに人ごみとそれに伴う喧騒。それらを五感で感じていた。
ポケットをまさぐる。良かった、ケータイは落とさなかったみたいだ。


「携帯のGPSで確認したら横浜辺りみたいですね。

凄いですね、走って半日程で神奈川を横断したんですか」


「横浜かー、中華でも食うか!!金は、まあなんとかなるだろ!」


はしゃいでいて若干聞いてなさそうなアロハさんを横目に一人思う。

あの時の激昂。
目の前の理不尽な別れをもたらす存在に対しての、明確で強烈な敵意。

あれは僕じゃなかった。よく分からないがそんな不思議な感じが今となってはする。
まるでアロハさんの怒りに引っ張られたような…

それに、あの組織。

外れとはいえ市街地で銃を使うような、それでいてケータイでニュースを見ても発砲事件として明るみに出ていない、
発砲した事を隠蔽できるような力を持つ。

そしてPSIの研究、非人道的な行いも厭わずそれもまた隠蔽し得るような集団。

力が大きいとかそういうレベルの類じゃない。とてつもない大きな何かを感じる。
何なのだろうか、一体。

・・・隠蔽。
あの事故の日が脳裏を掠める。・・・いや、流石にこれは考え過ぎだな。

それだけで結びつけるのは短絡的どころか妄想の域にまで達している程だろう。
大体、僕がPSIに目覚めたのはエルモア・ウッドへ行ってからの話なんだし、全くもって関係ない。


・・・それでも、靴の中に砂利が紛れこんだような、何とも言えない奇妙な違和感だけが、僕の奥の奥で渦巻いていた。


「おーい!置いてくぞォ」


アロハさんが僕の何十メートルか先で片手を上げながら言った。
明滅する無数のネオンが後ろから照らし出すが、その為こちらを向くアロハさんの顔は暗くてよく見えない。


「あ、はい!今行きます」


そうして僕は考えを止め、走り出した。
走らないと、低く唸るその渦に飲み込まれそうだったから。



◆◆◆



いつかあった日。


「お前、テレキネシス使えたよな?」


「はい?ええまあ使えますけど、それがどうかしましたか?」


朝、いつも通りPSIの訓練をしているとアロハさんが声を掛けてきた。
この修行の風景ももうすっかり慣れた物だと思ったけれど、何かあったのだろうか。


「ちょっと使ってみ」


顎で指しながらアロハさんが言った。


「なんですか、いきなり・・・まあ構いませんけど」


目を閉じて意識を集中させる。
そして再び瞼を開き、投影。目の前にあった石を一つ持ち上げた。

そのままそれを僕の体の周りを旋回させる。

もう一つ持ち上げ、また旋回。
もう一つ、もう一つ、そしてもう一つ。

合計五個の石がまるで恒星の周りを回る衛星のように、僕を中心として飛んでいた。

マリーのテレキネシスを模倣してから大分日が過ぎた。
訓練のかいあってか、コントロール技術やテレキネシスの力は付いてきたのではないかと思う。

五つの石を上空に飛ばし、地面に着地する際には五つ重ねて立てた。
目の前には石の五重塔が出来上がった。


「・・・・・・」


それを見てアロハさんは黙りこくっている。


「どうかしたんですか?何か問題でも?」


「・・・・・・」


そしてアロハさんは無言のまま人指し指を突き出し、テレキネシスで石の塔を崩した。


「・・・それ、拾ってみろ」


「え?」


「テレキネシス使ってな」


なんだかよく分からないままに言葉通りにテレキネシスを用いて散らばった石を拾い上げる。
その僕の掌から石までの空間を凝視するアロハさん。


「・・・遅え」


歩み寄ってくるアロハさん。
眉間には皺がよっている。


「何がです?」


「イメージが練り上げられてからPSIが放出されるまでタイムラグがあんだよ。

これは熟練度とかそういうモンじゃねえ。お前このままだと多分どっか早い段階で能力が伸びなくなるぞ」


「え、でもPSIは使い方次第でどこまでも伸びるって。成長限界とかあるんですか?」


「そんな極まってから止まるんじゃねーよ。言ってみりゃ成長期が来る前に止まるようなもんだな。

俺の感覚だがな、お前そのPSIの波動と親和してねーよ。頭でイメージして、それが外で固まる前に一度ブレちまってる。

そのブレがある限り、どんだけ力練ったとしても大したモンにはならねえな」


「ブレ・・・ですか」


「他人のPSI波動を模倣する能力、か。今までそんな奴見たこたねえ。

PSIを模倣するって事は、非科学的だが他人の魂みてえなモンを真似るってことだぞ。

んなことホントに出来んのか?いや目の前に出来る奴がいるんだがな」


「そう言われましても・・・出来るもんは出来るとしか言いようが無いです。

・・・ただ、前から気になってたんです。僕、マフラーさんの能力コピー出来ませんでしたよね?

他にも知り合いのサイキッカーのPSIをコピー出来るのと出来ないのがあったんです。

どういった条件で僕はPSIを模倣出来るのか・・・分からないんですよね」


脳裏にはフレデリカの炎、パイロキネシスとヴァンのキュアの力が浮かんでいた。


「それは俺にもわっかんねえな。お前の事はお前が一番よく知ってるだろうしな」


アロハさんが投げやりに言う。
ついでに尻をボリボリと掻き、大きく伸びをした。


「僕ほど自分の事が分かっていない人間もそうそう居ないと思いますよ」


「なに偉そうに言ってんだ。さっさと見つけるんだろ。自分」


「そりゃそうですよ。その為の旅なんですし」


「おう。じゃそろそろ行くぞ」


「ハイ」



◆◆◆



別の日。



…あつい。非常に暑い。まずいくらいアツイ。ヤバイくらいアツイ。ものすごくアツイ。
アツイがアツイ。アイツがアツイ。アイツがボクでアツイがアイツ。アツイアツイアツイ
アツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツイアツアアアイアアアツアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア


「・・・ハッ!?危ない・・・もう少しでトリップしてしまうところだった・・・」


今僕は道路の脇に立っている。

夏の尋常じゃない熱量を持った日差しを遮る物などどこにもなく、
僕はただひたすら日光を浴びて干物と人間の世界初のハイブリッド生物となろうとしていた。

頭に被っている帽子を一旦取る。ムワっとした空気が出る。
この暑さでは日差しを避けるために帽子を被った方がいいのか、暑さを避けるために帽子は被らない方がいいのか
分からなくなってきていた。

ただ分かるのはそろそろマズイという事だけだ。


「っ!!!?」


遠くからエンジン音が聞こえてきた。
それに同調するかのように心臓もアイドリングをする。

力なく地面に打ち捨てられていたボードを拾い上げた。

そして逸る息を落ち着かせ、ゆっくりと右手を胸の前に持っていく。額からは一条の汗が流れた。
卵を包むかのように優しく、だけどしっかりと五指を握る。

五指の中には夢、希望、未来、とにかく何でもいい。それらが納められているような幻視をした。
心臓が高鳴るのが右拳から伝えられる。

胸に当てた握り拳を水平に伸ばす。
そして何かを堪えるかのように折り曲げられた親指が、今、蒼天に向かって解き放たれた!


『○○県』


キキーッとブレーキの掛かる音がした。
あ、ああ・・・これで助かる。


「いやーこんな小さい子が旅してるだなんてね」


ヒッチハイクに引っ掛かってくれたトラックの運転手さんが言う。


「すいません、ホントにありがとうございます・・・危うく干物側に傾いてしまうところでした」


「干物・・・?まあいいや。君一人旅なの?偉いねーウチの息子なんか…」


「あ、いえ。連れがいます。アロハさーん!!」


そこら辺に向かって声を張る。


「おーう、見つかったかー?」


近くの草むらからアロハさんが起き上がった。


<トラック運転手>

あ!野生のふしんしゃが飛び出して来た!

コマンド?

にげる
にげる
にげる
にげる←

うまくにげきれた!



「うまくにげられた!ってどーすんですか!!!

これ四台目ですよ!逃げられるの!!なんですかそのオートほえる機能!!今すぐ捨ててください!!!」


「 03号 それをすてるだなんてとんでもない!(裏声)」


「あああああ!!!!ぜんっぜん似てないのが腹立つ!!

大体なんで僕が立っててアロハさんは寝転がってるんですか!?それが大人ってやつですか!

そんなんなら大人になりたくないですね!!大人の階段にずっと寝転がっててやりますよ!!!」


「しょうがねーだろよオメー。最初俺が立ってたら掠りもしねーんだからよ。

むしろ俺の前でアクセル踏んでたような気がすんぞ」


「まあ僕が引っかけてもアロハさんが出てきたら逃げ出してばっかですけどね!!」


「そうカリカリすんな。カルシウム足りてねーんだよ。ほら牛乳でも飲め」


「・・・これいつの瓶牛乳ですか?あとこれどこで手にいれたんですか?」


「昨日の朝。なんかひとんちの玄関の前に落ちてた」


「この暑さで牛乳なんか腐ってるに決まってんでしょーが!!

あとそれ落ちてたんじゃなくて置いてあったんですからね!!?宅配牛乳ってんですよ!!!」


「お前、ホント暑いの駄目なのな。

まあ、心配すんなそろそろ来るから。荷物、ビニールで覆っとけよ」


「何が来るんです!?もうこっちは一周回ってウサ耳眼鏡男でも電気ゴリラでも来いって感じですけど!!!?

・・・って冷たっ」


「ホラ、これで少しは涼しくなんだろ。荷物、濡れねーようにしろよ」


・・・そう言えばいつの間にか青空はその姿を隠し、代わりに分厚い灰色の雲が上空を占めていた。
暑さでいっぱいいっぱいで気がつかなかったみたいだ。

ポツリ、ポツリと空から零れた滴がゆっくりと地面を濡らし始めていた。


「ま、ゆっくり行けばいいじゃねえか。旅は逃げたりしねえって」


「・・・すいません。ヒッチハイクしようって言いだしたのも僕でしたのに・・・

でも宅配牛乳泥棒はやめて下さいね?」


「うーい」


ポツリ、ポツリとソロで歌い始めた雨は、少しずつ声音を変えていく。
そしていつしか大合唱となっていた。

それを聞く観客は今、僕とアロハさんの二人だけだった。



◆◆◆



また別の日。


「どうやっていくつも物操ってるかだって?」


アロハさんがカップラーメンを啜りながら答えた。
僕のは五分待ちの奴だ。だからもうしばらくかかる。


「なんでんな事聞くんだ?」


「えっとですね、PSIの訓練を始めて早幾年付き・・・は誇張表現ですが、とにかく大分時間が経ちました。

もう能力を単品で使うのなら問題は無いんです。

ですが、同時に二つ以上の力を使おうとしたら相変わらず頭が悲鳴あげるんです。どうしたらいいんですかね」


「んー・・・・・・知らん」


あまりにバッサリと切り捨てた返事にがっくりと肩を落とし頭を垂れた。


「知らんって・・・」


「いや、知らんモンは知らん。だってお前みてーに複数の能力使えるわけじゃねーし。勝手がわかんねーんだよ。

ただ複数の物を操る時はな、思考を分割してんだ」


「思考を分割?」


気になる言葉が耳に飛び込んできた。頭を持ち上げる。


「ああ、そうだ。お前、二人の人間から同時に話しかけられたらどうする?」


「どうするって、どうしようもなくなってどちらも無視します」


「いや、せめて片方は聞いてやれよ。

そう言う問題じゃなくてだな、お前、一つの頭で二つの事を演算出来てねーんだ」


「そんなこと言ったって人間には頭が一つしかないんだからしょうがないじゃないですか」


「そうだ、頭は一つしかねえ。だからな、頭の中で頭を増やすんだ」


「AとBの事を一つの頭で処理するんじゃなくて、Aの事はAの頭で、Bの事はBの頭でって事ですか。

簡単に言いますけど、これって凄く難しいんじゃ・・・」


「ま、その辺は仕方ねーな。俺は昔から出来たからトレーニングなんてした事ないしな。

やり方は感覚じゃ分かるんだが、それを言葉にして説明すんのは無理だ」


結局、分かったのは凄く難しいって事だけだった。
でも、新しい視点を得られたと思った。二つの頭、そんな事考えた事も無かった。

これからはその方向でトレーニングしてみようかと思う。


まずは試しにコンセントレイトしてみる。二つの頭・・・二つの頭・・・


「・・・オイ、おい!

早速一つの事にしか集中出来てねーじゃねーか。カップ麺仕上がってんぞ。

ったく、食っちまうぞー?伸びるよりマシだよなー?」



二つの頭・・・二つの頭・・・



続く



[17872] コール12
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:f9a5903f
Date: 2010/12/23 04:55
ある日。


いつも通りの朝。

澄み渡り、そして水気を含んだ空気。時折遠くで聞こえる電車がレールの継ぎ目を踏み鳴らす音。
ガタンゴトン、と街中に木霊する。

紺色の紗幕が次第に薄れて行き、星達もその姿を隠す。
夜明けを象徴する一際明るい星が傾き、月が白く薄くなり出す頃。

いつも通りのPSIの訓練を、僕はしていた。


集中――・・・


自分の奥の深く深くに潜って行き、自らの内側を感じ取る。
淡く、そして白く濁った光。それが僕のPSIだと気付いたのは、結構前の事。

意識を傾けたのに呼応して白濁した光が僅かに強まる。

深淵にたゆたいながら、イメージを練り上げていく。
白濁した光がうつろっていった。

空色の柔らかな光が白濁に広がる。
胸に仄かな熱を感じながら、練り上げたイメージを昇華させる。

せきどめられたかのように僕の中で膨れ上がったPSIを更に凝縮。
少しの衝撃で破裂してしまいそうになるのを堪えて、堪えて、堪える。

緩く五指が閉じられた掌を持ち上げた。
指先に触れる皮膚からも鼓動が感じ取れる。

きゅっと五指を握り、拳を作る。
ざわめいているPSIの方向性を決め、それにPSIを従わせる。

ゆっくりと拳を解き、掌を前に翳した。それと共に閉じられた双眸を開く。


――・・・投影。


その瞬間、出口を見つけたPSIが勢いよく体の外へ溢れ出す、かと思われたがそうはならなかった。
一度僕の中のPSIがぐにゃりと揺らぎ、ラグを挟んでから体外へと放たれた。

そして目の前に大気を固めて作られたブロックが現れた。


「・・・・・・」


それを尻目に再び投影。
もう一つ横に別のブロックを作り出した。

二つのブロック。


「"固定解除 フォールダウン"」


両の掌にどっしりとした重みが伝わる。
しかし伝わる重みはどちらの掌のも同じだった。

いつだったか、PSIのブレの事を指摘されてから注意してみたが、PSIの行使の際に
確かにブレ、歪みのようなものがあった。
特に大きな力を使おうとした時にそれは顕著であった。

練り上げられたイメージを元にPSIを放とうとする瞬間、いつも揺らぎを覚える。
その揺らぎの為かPSIが目的地を見失ったかのように明後日の方向に飛んで行き、そして霧散する。

先程のブロック、前者は僕の出せる最大のPSI出力かつ高密度をイメージして放った全力のマテリアル・ハイで、
後者はあまり気負わずに作り出したマテリアル・ハイ通常版。

両者にさしたる差は無かった。

大きな力を使おうとする。その時にPSIが結実し、具現化するのはおよそ五割程度。
普通の力だと余りロスはない。
と、言うことはマテリアル・ハイ通常版が今の僕が行使できる限界だと言うことだ。


「なーんでかなぁ・・・」


ブロックの一つを空に放り投げ、力を解除。ブロックが淡い欠片となって大気に溶けてゆく。

ブレに関しては少しだけ思い当たる部分があった。
白濁に異なる色が広がっていくとき、完全に混ざり合っておらず、斑になっている箇所が見られた。

それが『親和出来ていない』と言うことなのだろうか。


「でもなあ・・・親和出来てないっていったって、いったいどうしろと・・・」


そう、親和出来ていないと言うことは認知できたが、じゃあどうすれば親和性が上がるのか、
なんて言うことはさっぱりなのだ。要するにお手上げ。

テレキネシスにしたって、心羅万招にしたってどれもブレはついてまわった。


「・・・疲れた」


もう一つのブロックに腰掛け、首を軽く回す。
まだ朝だと言うのに一日の終りの時点のような疲労感が肩に圧し掛かっていた。


「毎日毎日飽きもせずによくやるぜ」


傍観していたアロハさんが声を掛けてくる。
胡坐をかいて新聞を読む姿が妙に様になっているのはどういうことだろう。


「ああ、おっさんくさいってことかな」


「あんだよいきなり。まだ二十台だボケ」


「聞こえましたか。いやまあPSIトレーニングは日課みたいなもんですし」


小声で呟いたつもりが聞こえてしまったようだ。
今更そんな事で気まずくなるような間柄ではないので問題はなし。アロハさんも特に気にしてない。


「・・・そういや、いままで気にしてこなかったが、何でお前トレーニングなんかしてんだ?

力使いこなしてどうすんだ?」


アロハさんが新聞を畳みながら尋ねてきた。同時にお婆さんの言葉が蘇ってくる。
・・・これは、話してもいいのだろうか。


「・・・明日世界が終わるとしたら、どうします?」


「あ?急に何の話だ?」


「いいからいいから。どうします?」


「そうだな、なんか旨いモンでも食って、風呂入って、そんで寝る」


アロハさんは割と真面目な表情で答えた。


「あんましいつもと変わらないじゃないですか。まあ、そんなもんですよね。

・・・僕は、多分抵抗します。世界が終わるって言われたって、そんなの認めたくないですから。

終わらせようとする奴と戦って、駄目ならそれで納得して終わりを受け入れます」


苦笑しながら返す。
途中からは真剣な顔になっていたと思うけれど。


「おいおいなんだ、ホントに世界の終わりが来るみたいな言い方だな」


「いやまあ戯れ言ですよ。気にしないで下さい」


よっこらせと、口に出しながら腰を上げる。
ブロックの表面を軽く叩き、ブロックを消した。


「で、鍛える理由は?」


「まあいいじゃないですか。筋トレが趣味の人だっていますよ。そんなもんです」


腰を反らし、背骨を伸ばす。ポキポキと軽い音がした。

逆さまになった世界を眺める。
太陽が顔を覗かせ、空は燃えるような色に色づき始めていた。

曙光が目に突き刺さる。
柔らかな日差しで疲れが体外に滲み出ていくような気がした。

世界は、逆さまになっても何も変わらないままだった。
いつか世界が変わらなければならなくなるその日まで、それが続けばいいと思う。



◆◆◆



別の日。


「人と人って分かりあえると思いますよ」


「・・・なんだ藪から棒に」


「だって、同情とか感情移入って言葉とかあるじゃないですか。

人の気持ちを理解できるようにできてるんですよ。人間って」


「・・・・・・」


「今アロハさんに同情してますよ。僕は」


そう言って買ったばかりの、一口しか食べていないアイスを落として
盛大に落ち込んでいるアロハさんに声を掛けた。


「人間はそんなに簡単じゃねぇよ」


公園のベンチに座り斜め45°の虚空を見つめながらアロハさんは言った。
横でアイスを食べる僕。子供がはしゃぐ声。


「他人が何考えてるか分かったモンじゃねえ。例えば、今俺が何考えてるか分かるか?」


「アイス落とした後悔でしょ?」


「ぐ・・・今のナシだ。じゃあその辺にいる人間が何を思っているか分かるか」


「それは分かりませんけど・・・」


視線をアイスから公園で遊ぶ子供達に向けた。楽しそうな笑顔で駆け回っている。
ふとカイルを思い出し、少し寂しくなった。


「でも、大体の推測なら出来ますよ。遊ぶのが楽しくて仕方が無いって感じですね」


「どうだか。今あそこのガキは、実はもう一人のガキが憎くて仕方ねえかもしれねえぞ。

分かんねえモンなんだよ。推測ってったって所詮は自分の中で完結してるモンじゃねえか。

証明できねえモンは信じれねえな」


もう一度遊んでいた子供達を見ると、なんだか雰囲気が険悪になっていた。
どうやらボールの取り合いだか何だかで、喧嘩になりつつあるらしい。

片方の子が泣き出した。
それを見つめるもう片方の子も何かを堪えるかのような顔をしている。


「お前は理解できねえ奴が存在するってことを知らねえからそんな事が言えんだ。

感情持ってる人間なんてのは絶対に理解出来ないんだよ」


感情、と言ったところでアロハさんの顔が曇った気がした。


「難しいですね。みんなが分かり合えるなら争いとかも無くなると思うんですけど」


堪えるような顔をしていた子供が手を振りかぶった。
その周りの子供達もおろおろしている。


「そりゃ自分を理解してくれるヤツしかいらないって言ってるのと同義だな。

ま、それは悪いことじゃねーさ。ただエゴってだけだ」


「・・・じゃ、分かり合おうとお互いにし合える、って事で手を打ちましょうか」


「・・・・・・」


アロハさんは少し驚いたような顔をした。

手を振りかぶった子供は、そのまま手を差し出していた。
泣いていた子供もポカンとした顔をしている。


「理解出来ないからって関わろうしないって事も無いんですし。

誰だってホントは仲良くしたいのかもしれませんよ」


「それなら、まあ・・・」


泣いていた子が差し出された手を握っていた。
アロハさんもどこか納得しきれないような表情だったが、とりあえず頷いていた。


「という訳でこれどうぞ。アロハさんの気持ちを理解しようと努力した結果です」


食べていたダブルソーダアイスの二本の持ち手を握り、そのまま引っ張った。
食べかけのと、まだ口を付けていない方の二本のアイスが出来た。

まだ新しい方を差し出す。


「・・・・・・。めんどくせーヤツ」


「文句あるんなら食べなくてもいいんですよ」


「いや!もらうから!!おい!くれよ!!」


何事も無かったかのように再び走り回る子供達や、隣で苦笑いしているアロハさんを見て思う。
人を完璧に理解しようという事は、おこがましい事なのかもしれない。


それでも僕は――・・・



◆◆◆



最後の日。


「どうだ、この街は見覚えあるか?」


人通りの多い道を歩きながら、大柄な男が尋ねた。
白く、陽炎のように揺らいでいたあの夏の日、僕がこの人に出逢った日からどれくらい経ったのだろうか。


「いいえ、全く記憶に引っ掛かりませんね。

もしかしたら僕が思い出せてないだけかもしれませんけど」


大気に満ち満ち、全身に絡みつかんばかりだったあの生温い夏の生気も随分前に影を潜めた。
僕が自分を探し出せていなくても、季節は巡る。

探し出せない事に焦って、必死にもがくけれど、何も変わらない。
変わって行くのは季節だけだった。

夏が南風と共に去っていき、秋が落ち葉と共に吹かれ、冷たい北風が冬を運んできた。

アロハさんは寒くなっても下に着込んだその上に相変わらずアロハシャツを纏っている。
譲れない何かがあるのだろうか。
アロハシャツを着てくれないとなんと呼んだらいいか分からなくなるので助かってはいるが。


「・・・なかなかみつかんねーモンだな」


「ま、初めからそう簡単に見つかるとは思ってませんよ。

それに、探し物が見つからないのはお互い様でしょう?」


「まあ、な」


こちらをチラリと見てくる。

アロハさんとも大分長い付き合いになる。もう半年は過ぎただろうか。
初めて逢った時には一緒に旅をするなんて思ってもみなかった。

だけど、今は逢えて良かったと思う。

色んな経験をした。色んな思い出が出来た。
それに、一人だったら絶対に寂しかった。この事と感謝の言葉は恥ずかしいから言わないけど。

はらり、と視界に入る物があった。
掌の上に一つ乗せると、すぐに体温で溶けて消えた。


「雪ですよ。ホラ」


「ああホントだな。どうりでさみーわけだ。もうそんな季節か」


二人して空を見上げる。
顔に雪がかかり冷たいが、その冷たさも忘れるほど雪が舞い降りてくる光景に見とれていた。

しばらく二人の間に沈黙が満ちた。


「・・・どうします、これから」


ふと我に返った。
別に急いでいる訳でもないけれど、何となくそんな疑問が口をつく。


「・・・さてな。とりあえず、さみーから何か温けえモンでもちょっと買ってくるわ」


「あ、じゃあ僕のもお願いします。適当に温かくて甘いので」


「おう。じゃ、ちょっと待ってろよ」


そう言ってアロハさんはどこかへ向かって行った。
コンビニか自販機でも探してくるのだろう。

雪が頭の上に積もるのは避けたいし、僕はその辺の建物の軒下に入った。

はあ、と息を吐く。
最近白く見えるようになった溜息は、少し宙に留まってすぐにまた見えなくなる。


「はあ・・・」


再び溜息が洩れる。
胸の中で焦げ付いている焦燥感を吐きだすかのような重たい溜息だった。

先程アロハさんにああは言ったけれども、実のところ僕はかなり焦っていた。

半年だ。
半年もの間旅を続けたが、自分はおろかその手掛かりさえも見つけられていないのだ。

もし知っている風景に出会わなかったとしても、時間の経過と共に思い出す物があるかもしれないと思っていたが、
それはどうやら甘かったようだ。

この旅が無駄だったとは思わない。思わないけれど、目的は果たされていない。
だから、やっぱり不安になる。

でも、


「へたれるなー僕ー」


不安がってばかりいても仕方ない。
自分に言い聞かせる。溜息は手を暖める為の物にした。

諦めたらそこで試合終了なんだそうだ。
じゃあさっさと先取点とって試合を終わらせたいものだけれど、そういう訳にもいかない。


「がんばれー僕ー」


そう一人で呟いていると、なんだか焦るのが馬鹿馬鹿しくなって少しだけ気が晴れた。


「・・・よっし、もう大丈夫。

・・・それにしても遅いなあ、あの人。どこまで行ってんだろ」


待つ側というのは何故かいつも心細くなるものだ。
アロハさんが歩いてきていないか喧騒の中を見渡す。


――・・・その時、騒がしかった人ごみが一瞬凍りついた。

そしてその僅か後には弾かれたように更に喧騒が強まった。
それまで決まった方向に流れていた人の流れがぐちゃぐちゃに乱れる。

歩行者で溢れるこの道に、一台の大型の車が突っ込んできていた。


「え?」


横断歩道を渡っていた数人の人達が跳ね飛ばされた。

ドサリ、と近くで音がした方を見ると跳ね飛ばされた人だった。
頭が割れ、首が変な方向に捻じれていて、顔が血まみれだった。


「きゃああああああああああああああ!!!!???」


喧騒が悲鳴に変わる。

そしてそのまま車は別の人を跳ねた。
最初は事故かと思ったけど、違うようだ。明らかに殺意をもって車を動かしている。


「あ・・・」


車の前に茫然とした小さな子供が立っているのを見た時、弾かれたように頭が働いた。
テレキネシスを超高速展開し、見えない手を子供に伸ばす。


「っく!」


間一髪で子供に届き、車の走行方向から押し出した。
小さな女の子は状況に頭がついていって無いようで、ただ震えていた。

車が止まった。続いて中から男が出てくる。
手には銀色に鈍く輝く大きめのナイフが握られていた。


「・・・・・・ろ・・・く」


男が何かをブツブツと呟いている。泥水のように濁った目の焦点は合っていない。
クスリか何かをきめたかのような…明らかに普通でない雰囲気だった。


「・・・・・・マギ・・・クに・・・われ、命をささげ・・・・・・」


男がナイフに両手を添える。そしてそれを水平に構えた。
構えたナイフの先に居るのは…さっきの女の子!

男が走り出す。
今度は、考えるよりも早く、体が動いていた。

走り出してから、テレキネシスで女の子を突き飛しても刺されるのは逃れられないだろうし、
男の方を狙ったとしても男を抑えつけられる程の力は多分僕にはないだろう。

だから、今僕が走っているのは正しいんだろうな、とどこか他人事のようにぼんやり思った。


「・・・はっ、・・・」


肺から湿った息が漏れる。
女の子を抱き締めるような形で覆った。
その子はやっと状況に頭が追いついたようでパニックになりかけていた。

背中に刺さったナイフが引き抜かれる。
流れ出る血が朱い。積もり始めた雪を染めるその朱が、綺麗だと思ってしまった。

――・・・ああ、痛いってこういう事だったっけ。久しく忘れていた気がする。



・・・忘れて、いた?

なにか、おもいだし・・・・・・


暗転。




◆◆◆



(なんだ?騒がしいな。事故でもあったのか?)


帰ってくる途中、人の流れが一斉にこちらへと向かって来ている事に疑問を感じた。
それに先刻の何かが衝突したような大きな音。何かが壊れる音であった。

それらを考えて、事故でも発生したのだろうかと、01号は推測した。


(アイツ、巻き込まれてなきゃいいいんだが)


妙な胸騒ぎを覚え、進める歩みが僅かに早くなる。

白い髪の少年が待っているであろう場所へ、人ごみを抜けて辿り着いた時、
目に飛び込んできたのは、朱く染まった地面と、それと同じ色に染まったナイフを掲げる男だった。


「な・・・」


己の目に映った風景が理解できない。
目を凝らしてよく見ると、地に伏せ泉のように血を湧かせているのは、あの白い髪の少年。

そして今正に男が掲げたナイフを再び振り下ろさんとする所であった。


「な、にしてんだああああ!!テメェえええええええええええ!!!!」


瞬時にテレキネシスを展開。
男を見えざる拳で殴り飛ばした。男がきりもみ回転しながら後方へ飛ばされる。顔が陥没しているのが見えた。

急いで少年の元へ駆け寄る。


「おい!!何こんなとこで寝てんだお前!!起きろ!!」


少年を揺さぶる。
すると、少年の瞼が薄く開かれた。


「・・・ぁ・・・・・・おそい、じゃ、ないですか・・・どこまで、いってた、んですか・・・」


「喋んじゃねえ!!クソっ!」


そして自分が着ていたアロハシャツを、血が溢れだしていた傷口に押し当てた。
シャツに少年の血が染み込んでいき、シャツが朱に染め上げられる。


「ア・・・ギ・・・ロク・・・に・・・・・・ささげん・・・」


男がゆっくりと立ちあがり、ナイフを構える。
辺りに人は既におらず、再び倒れている少年達に狙いを付けた。


「アマギ、ミロクにわれ…」


男は最後まで言う事が出来なかった。
何故なら、その体が浮かび上がり、言うのを妨げられたから。


「・・・・・・」


男の体が二m程まで持ち上がったかと思うと、急に男の右肩から先が千切れた。
千切れた断面から血が噴水のように噴出し、そこから白い骨を覗かせていた。


「・・・ギ・・・クに・・・」


左の肩が消失した。
捩じ切られた左腕は、血を吹かせながら地に向かって落ちてゆく。


「アマギ・・・ロクに・・・」


ぐぐっと男の頭が首から下と違った向きを向き始める。
バキバキと骨が鳴る音が、人の居なくなった通りに響いた。


「・・・命、捧げん」


ブチっという音と共に、首から先が無くなった。

浮いていた体がもの凄い速度で地面に叩きつけられる。
液体を地面に零したかのような、パシャッという聞こえた。


「・・・テメエは・・・絶対に許さん・・・!」


01号は気付いていた。
少年が死にかけていてひどく悲しい筈なのに、感じるのは、どうしようもない程の怒りだけだという事に。

やはり、自分の感情は壊れている。
そう改めて実感させられた瞬間だった。

そして、その怒りに任せて人間を殺してしまったこと。

人間を殺すのはこれが初めてな訳ではない。
十六年前に脱走する際、刺客と対峙した際、幾人もの命をその手で奪った。

あの時は必死だった。
何も考えずに、降りかかる火の粉を払うように殺した。

ただ、今は違う。
世界を知り、絶望しても、それでもこの世界で生きようとする想いがあった。やり直そうとしていたのだ。自分の人生を。

過去に犯した事実は覆らない。だから、それを受け入れた上で生きようとしていた。
けれど、また犯してしまった。自分がこの世界で生きる権利を、少年と共に在る権利を捨ててしまったかのように、01号は感じていた。

遠くからサイレンの音が聞こえてくる。誰かが警察や救急車を呼んだのであろうか。


「ア、ロハさん・・・」


少年が呼ぶ声が聞こえた。少年の傍に寄る。


「・・・なんだ」


「ありが、とう・・・ございます・・・」


少年の口から漏れたのは感謝の言葉だった。
それが何に対しての言葉かは分からない。ただ感謝しているという想いは伝わった。


「・・・馬鹿野郎。

一瞬でも、ほんの僅かな間でも俺は獣なんかじゃないと思わせて貰ったんだよ・・・感謝するのはこっちの方だ」


そして少年は再びその重たそうな瞼を閉じた。

サイレンの音が近づいてくる。
ここにいてはいけないのだろうと、01号は思った。


「・・・死ぬなよ」


そう言い残して、01号はその場を去った。



◆◆◆



「フン、死んだか」


赤みがかかった茶髪の青年、天戯弥勒は呟いた。
世間の目を誤魔化すための傀儡としていた男が死んだという感覚が伝わってきたのだ。


「やはりもっと念入りに洗脳する必要があるな…」


天戯弥勒は、男の意識を僅かに残した状態で男を傀儡としていた。
完全に自意識を失わせるよりは、意識を残して半自動で操った方が良いかと思っていたのだった。

しかし、その男に残った自意識が傀儡とするのに妨げとなった。
その為に天戯弥勒の存在が世間に露見しそうになったことがあったのだ。

だから、男を始末して新たな傀儡を手に入れることにした。

男を見限り、男に命令を送るのを止めると、その僅かな自意識で男は行動し始めた。
天戯弥勒の預かり知らぬ所ではあるが、それが悲劇を呼んだ。

男に残る殺人を求める欲望が無差別の殺人をもたらしたのだった。


「さあ、やることはまだ山程ある。次の傀儡は、コイツだな」


そう呟き、次の傀儡の標的の男の写真を眺めた。




続く



[17872] コール13
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:3563f643
Date: 2010/12/23 04:56
見た事のあるような気がする風景。何もない真っ白な空間が目の前に広がっている。
いや、何も無いように思えたが、意識を傾けてみると目には見えない何かが存在していた。

その不明瞭な何かは不規則に流動している。

しばらくの間ぼんやりとそれを眺める。
その不思議な動きを眺めていて、僕は夢を見ているのだと突然気が付く。

前にもこんな事があったような気がするけど、はっきりしない。
いつもにも増して頭がボンヤリとしている。
何かが思い出せそうで出せない、そんなもどかしい感覚が僕を包んでいた。

ふと視線を前に向けると、光があった。

光が集まってゆく。頭の中で何かが燻ぶった。
光が集まって形を成した。燻ぶりが大きくなる。


「・・・また、しんだ?」


僕自身と、同じ声が響いた。

その声を聞いた時、燻ぶりが一気に弾け、脊椎を貫く衝撃が駆け抜けた。
それはまさに電流が流れると言った様だった。


・・・思い出した。長い間逢わなかったから、忘れてたよ。久し振り。


「ひさしぶり」


光が僕の声で答えた。

自分の声を録音して聞いた時のような違和感のある声じゃない。
いつも自分が話す時に聞こえている自分の声だった。

奇妙な物で、録音した声が聞こえても違和感を感じるのに、
自分の声と変わらない声が聞こえても、やっぱり違和感はあった。

そして光が言った事が気になり、尋ねる。


・・・死んだ?僕が?じゃあ、ここはあの世ってやつ?


「すきま。うらとおもて、ないとあるのあいだ」


光は抽象的な言葉をくれた。

声が響く度に鼓膜が、耳小骨が、内耳が、渦巻き管が、
耳の奥、頭の中がジンジンと熱くなるのを感じた。

それが頭の中で渦巻く疑問と相まって、考えるのが少し億劫になった。


・・・よく分からないんだけど。


「なんだ。しんでない」


光が詳しく教えてくれる事は無かった。

急に話を変えられる。
そして違和感に包まれている中で、更に別の違和感が生まれた。

ざわめきが大きくなる流動していた何か。


「ばいばい」


光が手を振ったような気がした。確証はないけれど、きっとそうだと思う。
だから、僕も振り返そうと思った。けれど、違和感に呑まれていて、それは出来なかった。

違和感に引っ張られてゆく。
これからどうなるのかが、何となく分かった。

夢の、終わり。



◆◆◆



真っ白な天井を眺める。
自分が天井を眺めていると気付くまでに、しばらく時間を要した。

自分がベッドに寝ているのだと認識すると、霞んでいた視界が漸く少しクリアになった。
どうやら頭が働き始めたようだ。

肘をついて起きようとすると、体の上に重みを感じた。
怪訝に思い、首から上だけを持ち上げ見てみると、それは毛布に包まれて眠っているヴァンだった。


「なんで、ヴァンが?」


何よりもまず先に口を突いたのは、どうしてヴァンがここにいるのか、だった。
その疑問で口火を切ったかのように次々と別の疑問が湧いてくる。

そして思い出した。
行動を共にしていた一人の男の人を。


「ッ、アロハさんは!?」


ガバッと一気に体を起こした。
僕にもたれて眠っていたヴァンはゴロリと体の向きを変えた。

そこに見慣れた人の影は無かった。ただ病室の壁だけがそこにあった。
気分を和らげる筈の薄いクリーム色の壁が、なぜだかとても冷たく無機質なように感じた。


「・・・ここは」


疑問の内の一つ、ここがどこかという事が気になった。
どうやらここは病室らしいが、それが何処の病院かという事は分からない。

ヴァンがいる以上、そんなに伊豆から遠くにいる訳ではないのだろうけど。
僕が倒れたのは、伊豆からは結構離れた土地だった筈なのに、どういうことだろうか。
そこまで考えて、僕は倒れた原因が刺された事だったのを思い出す。
記憶が芋蔓式にどんどん蘇ってくる。頭の回転も大分戻ってきたようだ。

コツ、コツと誰かが床を踏み鳴らす音が聞こえてくる。
そして僕のいる部屋の前でその足音は止んだ。

扉がゆっくりと開かれる。
ドアの前に居たのは、花が活けられている花瓶を抱えたマリーだった。


「ファイ君?」


丸く、大きな瞳が更に開かれた。
それから、深緑のようで見つめていると吸い込まれそうになるマリーの瞳が、ジワリと滲んだ。

マリーは花瓶を抱えたままこちらに駆け寄ろうとして、それを留めた。
それからあたふたと近くの机の上に花瓶を置き、駆け寄ってきた。

マリーに抱き締められる。

顔にマリーの髪がかかって、少しくすぐったい。
シャンプーの甘い香りが鼻腔を掠めた。


「…久し振り、マリー」


僕の首に顔を埋めているマリーに話しかける。

その久し振り、という挨拶をした時、何か既視間のような引っ掛かりを感じたけれど、
それが何なのかまでは記憶が蘇って来ない。


「久し振り、じゃないよ…!すっごく心配したんだから…」


「…ごめん」


マリーが涙でくぐもった声で言う。

マリーが僕にもたれ掛っている形なので、倒れないように片手を後ろにつく。
そのもう片方の手をどうしたら良いか迷い、暫く宙を彷徨っていたが、結局マリーの背中に落ち着かせた。


「ヴァン君も危ないかも知れないなんて言うし…!一時は心臓も止まったって…!

知らせが来た時はホントにびっくりしたんだよ!?」


「ごめん」


謝る事しか僕には出来なかった。
というより他に何かを言おうという気も起きない。


「行ってらっしゃい、って言って見送ったのにそれでお別れだなんて、私嫌だよ・・・」


背中に落ち着かせた片手をぎこちなく上下にさする。
それは気まずさを紛らわす為の誤魔化しだった。

マリーが顔を僕から離す。
泣いている顔を見られたくないのだろうか、俯いて目を擦った。


「ゴメン・・・でも、ファイ君が死ななくて、ホントに良かった…!」


そして顔を上げ、綻ぶような笑顔でそう告げる。
朝露に濡れた花弁のような笑顔に、思わず見とれてしまう。

綺麗、という言葉では表現し切れない。日本語の不便さをもどかしく思う。


「・・・うん、僕も死ななくて良かったと思うよ。心配してくれてありがとう」


なんと言えば良いか分からず、とりあえずお礼が口をついた。

そこに足音からでもその元気さが伝わってくるような、ドタドタという音が聞こえた。
ドアの方に視線を向ける。見なくても分かるが、恐らくカイルだろう。

懐かしさに、頬が少し緩む。
勢いよくドアが開かれた。


「おっしゃ一番!って!ファイもう起きてんじゃん!!」


予想通りの騒がしい声。
それに続いて落ち着いた、どこか大人びてすらいるシャオの声が聞こえた。


「病院の廊下は走るなって言っただろ。勝手に競争なんかするな」


「えー、シャオだって早足だったじゃんか」


「・・・うるさい。起きたのか、ファイ。大丈夫か?」


「ああ、ありがとう。大丈夫、頭がちょっとぼんやりしてるだけ」


シャオの気遣いを嬉しく思いながら返事をする。
カイルとシャオが病室に入ってくる。途端に騒がしくなった気がする。

そしてドアの近くにもう一人の気配。


「・・・フン」


最後に、熊耳付きフードを被り直しながら入ってきたのは、フレデリカだった。
フレデリカも、いつも通りだ。

傷口を見せてくれと言ってくるカイル、それを諫めるシャオ、林檎を剥いてくれるマリー、
林檎を勝手に食べるフレデリカ、これだけ騒がしくてもピクリともしないヴァン。

また皆に会えた事が、堪らなく嬉しい。
その思いの成分を含ませて、言った。


「ただいま、みんな」



◆◆◆



あの後、病室でみんなから事情を聞いた。
僕が刺されてから殆ど記憶が無いので、それからどうなったのか。

通り魔の事件は直ぐに全国のニュースに流された。
みんなが僕の事を知ったのは、通り魔の事件があってから数時間経ってからだそうだ。
警察から連絡があったらしい。僕の身元は荷物の中身から分かったのだろう。財布とかも入っていたし。

僕は近くの大きな病院に搬送された。
運悪く刃が肝臓に達していたらしい。しかも肝動脈まで傷ついていた。
救急車が到着した時には地面が真っ赤に染まっていた。そして同じく血に濡れたアロハシャツ。

僕は多量出血でショックを起こした。一時は心肺停止まで陥ったそうだ。
それから、唐突に蘇生した。何故突然蘇生したかは一切不明。

なんでも急に脳波が乱れたと思ったら、心臓が活動を再開したらしい。

医学に全く精通してないので良く分からないが、奇跡的だと言うことは分かった。
不幸中の幸いだとでも思っておいた。

それから、キュアでの治療を行う為にお婆さんの私設病院である"天の樹"へと運ばれた。
どうやらあの時いた場所は伊豆だったらしい。

二日程眠っていたようだ。
その間みんなが宿泊しながら見舞ってくれていた。

ヴァンのキュアのお陰か、後遺症や感染症などは見当たらなかった。
起きたときには既に痛みも消えていた。

本当にヴァン様々だ。


気になっていたことの一つ、僕を刺した男はどうなったか。

男の死体が直ぐ側で見つかったそうだ。両腕と首がねじきられた状態で。
警察は不審死として処理したらしい。
けれど、僕にはそれをやったのが誰なのか理解出来た。理解出来てしまった。

そして、もう一つ。
現場に背の高い、がっしりとした体格の男の人が居なかったかと尋ねたが、知らないと言われた。

記憶が途絶える直前、朦朧とする意識の中で僕はあの人と確かに言葉を交わした。


『・・・馬鹿野郎。

一瞬でも、ほんの僅かな間でも俺は獣なんかじゃないと思わせて貰ったんだよ…感謝するのはこっちの方だ』


確か、そう言っていた。
どうせ、僕と一緒にいてはいけないなんて事を思ったのだろう。

――・・・あの人に言いたいことが、言わなくちゃいけないことが出来た。

もし、また会うことが出来たなら、それらをぶちまけてやろう。
手元に帰ってきたアロハシャツに、そう誓った。

お婆さんに会うと、お婆さんに謝られた。
いったい何で謝られるか分からずに当惑していると、訳を話してくれた。

お婆さんは僕が旅に出る前に未来予知を行い、僕の未来の姿を見ていたらしい。
元気に帰ってくる僕の姿がそこには映っていた。

けれどこんな事になってしまった。
未来を見誤り、危険な目に遭わせてしまった事への謝罪らしかった。
当然、僕が今回事件に巻き込まれたのはお婆さんのせいじゃないので、謝罪は遠慮願った。
むしろ僕が心配掛けさせた事を謝っておいた。

それから、この先外出禁止などにするのは勘弁願いたいという旨も伝えておいた。
一旦捜し物は中断したけれど、またしばらくしたら捜しに行くつもりだったから。

お婆さんは渋い顔をしていたが、頼み込むと認めてくれた。
ただやっぱりしばらくの間、遠出は禁止されたけど。

要するに、出掛けるのなら近場にしておけという事だろう。

ついでに僕が庇った女の子は無事だそうだ。
精神的ショックは多少残るかもしれないけど、命あっての物種だ。
とにかく、僕が体を張ったのが無駄にならなくて良かった。

休養と術後の検査も兼ねて一週間ほど入院した後、僕は懐かしのエルモア・ウッドに帰って来たのだった。



◆◆◆



「っと帽子、帽子」


帽子を忘れていた事に気付き、声を上げた。
誰もいない玄関に僕の声が響く。


お婆さんに遠出は禁止されたため、最寄りの大きめの街に出掛ける事にした。

別にこの家に居るのが嫌なわけでは無いのだけれど、
何もしないまま無為に時間を過ごすというのは、あまり好ましい事では無かった。

靴に足を入れ、堅めに靴紐を結ぶ。この家に来てから買って貰った靴は、
色んな所を歩き回ったせいか、大分くたびれてきていた。

夏の間も愛用していた帽子を被る。
防寒と髪の色を誤魔化してくれる優れものだ。

帽子を被ると前髪が押さえつけられ、視界が遮られる。

旅の間に一度も切らなかったから、髪がかなり伸びている。
正直邪魔くさいので今度切ってこようとぼんやり思った。


「あれ?ファイどっか行くのか?」


準備が整って、さあ行こうと言う時に歩いてきたカイルに声を掛けられた。
今日も今日とてカイルは暇そうだ。むしろカイルが忙しそうにしていた方が拙いんじゃないかと思う。世界平和的に。


「ああ、ちょっと街にね」


「ふーん。何しに?」


カイルが興味を持ったのか尋ねてくる。


「街を見に」


僕の答えは単純だ。
別に誤魔化しているのでは無く、本当に街を見るつもりだった。


「えー、そんな事して楽しいのかよ?」


「うん、まあ楽しく無くはないんじゃない?」


「楽しく無くはない、えーとつまり楽しいって事か。どう楽しいんだよ。

と言うかなんで街なんか見るんだ?」


カイルが疑念の目で見てくる。


「色んな風景があるし、色んな人もいるさ。それを見るのは退屈しないよ。

街を見る理由は、まあちょっと捜し物。

灯台もと暗し、って言うしね。意外と探してるものが近くで見つかるかもしんないし」


「ふーん、よくわかんねえけど、なんか捜しに行くのか」


「そういうこと。お土産は期待するなよ」


そう告げて出て行こうとした。


「・・・じゃ、俺も行く」


するとカイルが驚いた事に、ついてくると言い出した。
別におかしな所は無いのだけれど、何となく意外に思った。

そして、今までカイルが、いやこの家の子供みんなが
自分から外に出ている所を見たことが無いのに気がついた。


「いや、僕は構わないんだけど、いいの?」


「あー、まあここでずっと暇してるよりは良さそうだしなー。
ちょっと待っててくれ。俺も準備してくる」


そう言ってカイルは自分の部屋の方へ走って行った。


『持って生まれた力や、環境によって行き場を無くした』


いつかお婆さんがそう語った。
ひょっとしたら、みんなどこか外に対する抵抗があるんじゃないだろうか。

フレデリカほど極端では無いにしろ、多少は。
そんな事をカイルを待ちながら思った。

それが悪いという訳じゃない。
でも、嫌いな物が少なければ少ない程良いんじゃないかとも思う。

けどそれは僕がどうこう言うことじゃない。本人の問題だ。
それに口を出せる程僕は偉い人間じゃないんだし。


「待たせたな。行こうぜ」


カイルが冬なのに涼しげな、いや寒々しい格好でやってきた。
カイルがいいんならそれで良いのだろう。


「ああ。財布は持った?」


「いや。今月の小遣いは新しいボールに消えました」


「おい、どうするんだ。バスとか使うんだぞ?」


「頼んだ」


即答される。

うん何も聞かなかった事にしようか。
だってなんだかこのままだとたかられる気がしたし。


「行ってきまーす」


カイルにしがみつかれる。
それも無視して進むとカイルが引きずられる。


「オイ!頼むって!バス代とかだけでいいんだよ!
ファイばっかり前にすげえ小遣い貰ってたじゃん!ズリーって!」


「まああれは旅費なんだけどね。

・・・でもそう言われたら確かに不公平かもなあ」


立ち止まって考え込む。

お婆さんに貰った額は一人の子供が持つには余りに膨大な額だったし、
旅費は残っていてまだまだ底を尽きそうにもない。


「だろ!?奢ってくれたって罰は当んないって」


「はあ、しょうがないか。奢るのは結構トラウマな気がするんだけど」


「さっすがファイ!よっしゃ、早くいこーぜ!!」


カイルが走って出て行った。
どうやって行くかも教えてないのだけれど、まあいいか。

それに続いて、僕も駆けだした。



バス内。


「なーこれ何なんだ?」


「ん?

っておい!吊革で体操するなよ!ウルトラC!?すごいな、じゃなくて!」


「こう使うもんじゃないのか?」


「違うって!ホラ、運転手さんが睨んでる睨んでる!」



「なーこのスイッチって何なんだ?押したらバスが爆発でもするのか?」


「してたまるか。そんな物騒なもの備え付けてありません。

それは次降りますって知らせるサインだからまだ押すなよ。って・・・」


「押しちった☆」


「あああ、運転手さんが睨んでる・・・」



チーン

「お?」


チーン

「おお」


チーン

「おお!」


チーン

「整理券取りまくるなああああ!運転手さんが、運転手さんが!!」



――・・・


街。


「疲れた・・・まだ着いたばっかなのに・・・」


「おー、街ですなあ」


カイルは元気そうだ。
僕は気疲れでか、既に結構へとへとだった。

あの運転手さんの睨む顔は完全に人を殺したことのあるそれだった。
この歳で胃痛持ちにはなりたくない。僕等以外に客が居なくて助かった。


「で、どーすんの?」


カイルが尋ねてくる。


「そうだな、とりあえず見て回ろうか」


「おう」


カイルが頭の後ろで手を組み歩き出した。
僕も帽子を被り直し、ゆっくりとした足取りで歩き出した。



――・・・



夕方、街。


「なあ、なんで今日はついてきたんだ?」


大した成果もなかったが、初めからそんなに期待していなかったからそこまで落胆もしなかった。
結果からすれば、今日はカイルと街に遊びに来た形になった。
そして気になっていたことをカイルに尋ねた。


「んー?

言っただろ、家で暇してるよりは良いかって思ったんだよ」


横を歩いていたカイルが前を向いたまま答える。


「・・・それに、なんでかね。

今まで街に出ようなんて考えた事も無かったけど、お前となら行ってもいいかなって思ったんだよ」


カイルが続けた。


「・・・そっか。で、楽しかったか?」


僕がそう尋ねるとカイルが僕の方を向いた。
銀色の髪が揺れ、角度によって紅くも見える二つの瞳が僕を捕らえる。


「おう。悪くなかった」


そして、くしゃっと笑った。
どこか清々しさを感じる笑みだった。


「そりゃ良かった」


僕もカイルにつられたのか、口元に薄く弧を描いた。



「あれ・・・?」


胸が、熱い。
これは前に経験したことのある熱。

以前マテリアル・ハイが使えるようになった日に感じた熱。
それが再び胸に灯っていた。

どうしてだろうか、何となく今なら前よりマシにマテリアル・ハイを使える気がした。


「おーい!なにしてんだ。バスが来ちまうぜ」


前方でカイルが呼んでいる。
正面から感じる斜照でカイルの影が長く伸びていた。


「ああ、今行く!」


地を蹴って駆け出す。
沈んで行く夕日に追いつこうとしている、そんな光景だった。


「バスで暴れんなよ?あとお前が結局飲み食いした事は忘れないからな?」


「いやー!明日もいい天気だといいな☆」



◆◆◆



炎が舞を舞うかのように揺らめいている。
くべられた薪が、乾いた軽い音を立てて爆ぜた。

暖炉から漏れる赤光が、近くのソファーに腰掛けるエルモアの横顔を照らしていた。


「そういえば、ファイはどこに行ったんじゃ?」


エルモアは、暖炉の側に座り本を読んでいるシャオと、寝っ転がっているヴァンに尋ねた。
手には紅茶の入った白磁のティーカップが握られている。


「うー?」


「ああ、ファイのやつなら街に出掛けましたよ」


ヴァンは知らないといった様である。
文字を追うのを止め、顔を上げてシャオが答えた。


「また街に行ったのか。出掛けるとは聞いていたがどこに行くかは聞き忘れてたのでの」


そう言って一口紅茶を含む。
違和感のない、自然な動作から優雅さが垣間見えた。

お茶請けは既にヴァンが食べた後だったのでエルモアは紅茶だけで飲んでいる。


「そういえば、おばあ様はカイルのやつがどこに行ったか知りませんか?
あいつ今日は姿が見えないんですけど」


「カイルならファイと出掛けたわよ」


部屋の入り口から鈴を鳴らしたような、澄んだ声が聞こえた。
フレデリカが数冊の漫画を抱えて部屋に入ってきた。

その後ろに更に多くの漫画を抱えたマリーも続けて入ってくる。


「あの、フーちゃん、前が見えないよ・・・」


漫画を文字通り山ほど抱えたマリーの足取りはふらふらとしていて心許ない。
シャオが読んでいた本を投げ捨て、マリーの元に駆けつけた。


「なんと、カイルもか。あやつが自主的に屋敷の外に出るなど珍しいの」


「そうでもないわよ、おばあ様。

最近カイルのやつ、ファイに引っ付いて外に出るようになってきてるわ」


フレデリカが絨毯の敷かれた床に座り込んだ。
横に漫画を下ろし、熊耳のフードを下ろした。


「あ、そういえばカイル君、こないだも何処かに出掛けてたね」


マリーもフレデリカのすぐ横に腰を下ろす。


「ふむ、前まではどんなに暇そうにしていても自分から出掛けるなんて事は無かったんじゃがのう。

・・・ファイが帰ってきてから、変わったのかの」


「どうせファイのやつの放浪癖がうつったのよ。アイツいっつも何処かにふらふら行ってるし」


フレデリカがばっさり切り捨てながら漫画を読み始めた。
既に視線はそのページに釘付けになっている。


「・・・外、か」


シャオが呟いた。
その呟きには単純ではない想いが込められている事を、その場にいる全員が察していた。


「・・・」


「あやつの記憶が戻るように、枝葉を揺らす風になってやろうと思っていたが、

案外風になったのはあやつの方かもしれんの」


エルモアが空になったティーカップをソーサーに置き、言う。


「ここ、エルモア・ウッドに変化をもたらす風にの」


四人は黙っていた。

そうしている内に外で風が大きくうねり、窓を揺らすのが聞こえた。
四人がそろって窓の方を、それから窓の外を見た。

冬の乾いた風だった。


「・・・フン。下らないわ」


沈黙を続けるのが苦痛であったかのようにフレデリカが鼻を鳴らして言った。


「フーちゃん・・・」


「この寒い中で外なんて出ようと思うやつの気が知れないわ。

アタシとは分かり合えない種類の人間ね」


窓に向けていた顔を再びページに戻す。
そして顔が上げられる事は無かった。


「ホント、外なんて・・・下らないわ」


風の音に遮られかき消えてしまうような声で、人知れずフレデリカは呟いた。




続く



[17872] コール14
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:3563f643
Date: 2010/12/23 04:56
暦の上では既に春になって久しいけれど、寒さは未だ健在。

流石に雪が降るような事はないが、動植物が活発になり、目覚めているという気配が空気全体に満ちるまで
もう少し掛かりそうな気がする、そんな三月の半ば。

カイルは暇そうだし、シャオは既に読んだ事のある本を読み直していて、
ヴァンは眠たげで、マリーは家事手伝いに励み、フレデリカは新しく仕入れた漫画を読み耽っていた。

要するに、相変わらずの日常が続いていた。

僕は、お婆さんに少しの遠出の許可を貰ったので余り長期の外出にならない程度に、
ちょくちょく出かけていた。
少し出かけて来て、土産話を持ち帰る。
夕食の時などに話すと、みんな結構興味を持ってくれていたようだ。

あの外嫌いのフレデリカでさえも、話に興味がないフリをしながら耳を傾けていたらしい、
という事をマリーから聞いた。

その後その事を僕に話したのがフレデリカにバレてマリーは罰として漫画の感想文を書かされていた。

僕は心の中で応援しておくのに留めておいた。
マリーの涙目は心に突き刺さったけど、僕だって下手に口出しして巻き込まれたくなかった。

それと、相変わらずと言えば記憶が戻る気配はなかった。

それでも旅は止めない。
見つけたいものが自分の過去だけじゃなくなったから。

あの日から一度も姿を見てないどころか連絡の一つもないあの人に、もしかしたらまた出逢えるのではないか、
という淡い期待も旅を続ける理由の一つになっていた。

空から降り注ぐ陽光と空気の冷たさが戦ってまだ寒さが勝つ中で、
もう少し経って暖かくなったらそろそろ遠出をお婆さんに申請してみようと考えていたある日の事だった。



◆◆◆



「フレデリカの様子がおかしい?」


プログラムを組んだテレキネシスを投影。
皿洗いを自動で行う為、僕自身は暇になった時にマリーが話かけてきた。


「うん、そうなの。ちょっと前からなんだけど…」


マリーは皿を拭いて食器棚にしまうまでを一連の動作で行っている。

本当はマリー一人で十分な仕事なのだけれど、テレキネシスの練習も兼ねて
僕が手伝わせてもらっていたのだった。


「おかしいって、どんな風に?また漫画のキャラクターに影響でも受けたとか?」


「ううん、それはいつもの事だから・・・

えっとね、なんて言ったらいいのかな、なんだかボンヤリしてるの」


マリーとテーブルを挟んで向かい合うような形になり、話を続ける。
その間も食器はカチャカチャと音をたてながらひとりでに片付けられていっていた。


「ボンヤリ?」


「話しかけても反応が薄いっていうのかな、いつも何か考え込んでるみたいな感じなの」


「うーん、ちょっと僕には心当たりは無いなぁ。

本人に聞けば手っ取り早いんだろうけど、多分フレデリカの事だから教えてくれないだろうし」


少し考えてから答える。

外の人間が嫌いなフレデリカは、この家の人間には逆にある程度の親愛の情を持っているようだった。
それでも、ある程度。

フレデリカは以前から誰に対しても一定の距離を保っていたように思う。
例えその相手がマリーでも例に漏れず。

完全に胸襟を開いている人間は居ないのではないか、そんな印象を僕はフレデリカに持っていた。
そんなフレデリカに悩みは何だ、教えろなどと言っても教えてくれる筈がないだろう。


「特に僕は嫌われてるみたいだし・・・」


初めてフレデリカと会った日のことを思い出す。
もう随分と前の事だけれど、今思い返してみれば僕の第一印象は最悪だった、と思う。

ヘッドバットから始まった共同生活は、フレデリカにしてみたら決して快いものではなかっただろう。


「うーん・・・フーちゃんも口で言うほどファイ君の事嫌ってないと思うよ?」


「え?」


「ホントに嫌いな人ならこうして一緒に生活してないし、ファイ君の旅行の話も聞いてないと思うの」


マリーが告げたのは意外な事だった。

てっきり話に耳を傾けていたのは嫌いな奴が何かほざいている、
といった具合の冷めた視線なのかと思っていた。


「それは、どうなのかな…。まあどっちにしろ好かれてはいないと思うよ。

だからフレデリカが何を思っているかは、ちょっと分からないや。ゴメン」


「そっか…ううん、いいの。もしかして分かるかなって思ってちょっと聞いただけだから。

それより、手伝ってくれてありがとう。もう終わったみたいだよ」


そういえば食器はもう全部仕舞われたみたいだ。


「いや、こっちから言い出したんだから構わないよ」


そして仕上げにテーブルでも拭こうかと思って、台拭きをテレキネシスでこっちに引き寄せる。
台拭きが空を滑ってくる。

と、そこに急に扉が開かれ人影が台所に入ってきた。


「あっ・・・」


その人影の顔面に台拭きが直撃した。

ずずず、といった擬音がしそうな様子で台拭きがゆっくりと顔面からずり落ちる。
粘ついた汗が背中をじっとりと濡らす。

時の流れが遅くでもなったかのように感じた。

そこに立っていたのは、フレデリカだった。
頭の中で未来予測が直ぐさま行われる。

1.その場でウェルダン
2.拳で挨拶される
3.台拭きの生搾りを飲まされる

・・・どれだろうか。
どの選択肢でも酷い目に遭うのは決まっていた。


「ゴメンナサイお手柔らかにお願いします」


とりあえず平謝りしておいた。
望みは薄いけれど情状酌量の余地があることを期待するしかない。


「・・・・・・」


「・・・?」


いつまで経っても浴びせられる筈の暴言が来ないので、地面すれすれまで下げていた頭を上げた。

フレデリカがじっとこちらを見ていた。
なるほど、確かに様子がおかしいみたいだ。それも明らかに。

無言を突き通すフレデリカの、その深い海のような瞳の奥で渦巻いている感情は読み取れなかった。


「あ、あの、フーちゃん・・・?」


マリーがおずおずと尋ねる。
マリーも巻き込まれないかビクビクしていた。

けれど、フレデリカが怒り出す様子はない。
こっちに明らかに非があるのだから、これをネタに一ヶ月はネチネチといびられてもおかしくは無いのだけれど。

そうした不思議な時間をしばらく続けたと思ったら、フレデリカがようやく口を開いた。


「・・・付き合いなさい」


…ああ、これが体育館裏まで来いとかいうヤツなんだろうか。


でもここエルモア・ウッドには体育館なんて無いんだけど。
とにかく、人目に付かないところでボコるという意味だから体育館じゃなくても良いのかもしれない。

ちょっと気になって尋ねてみた。


「・・・どこに?」


「・・・いいから付いてきなさい」


僕は返事も返す暇もなく、襟を掴まれ引きずられていった。
マリーがこっちに向けて手を振っていた。口元が頑張れと動いた気がする。

こうなったらフレデリカの気が収まるまでどうにもならないとみんな分かっているので、マリーの対応は妥当だ。
僕がマリーでも同じ対応をする。

どうやら今日は厄日風味らしい。
あまり過激にならない事を祈りながら、僕は引きずられていった。



――玄関。



「準備しなさい」


そうフレデリカが言ってようやく僕は解放された。
心の準備ならもう済ませてあるし、準備って何に対してのだろうか。


「何の?」


「出掛ける準備よ。さっさとして」


「え?」


フレデリカが、出掛ける?
この上なく珍しいというか意外な言葉を聞き、固まってしまった。

フレデリカの方を見ると、確かに言われてみればフレデリカの服装は外行きの格好だった。


「ちょ、ちょっと待って!

どこに!?何しに!?お金は!?お婆さんに許可は!?」


疑問をまくし立てるかのように言う。


「遠くに。ちょっと用事で。アンタ持ち。許可は、いいでしょ別に」


実に端的に答えてくれた。
その中にいくつか聞き捨てならない事や答えになってないものもあったけれど。


「ええ!?お金僕持ちとか許可無し、って・・・」


「・・・ごちゃごちゃうるさいわね。アンタは付いて来さえすればいいのよ」


言うのを遮られる。
色々と納得出来なかったけれど、不満を言うのを続けられなかった。

フレデリカの目が、原因が僕にはよく分からない憂いのような物を帯びていたから。


「・・・ちょっと待ってて」


そして、準備をしに自室へ向かったのだった。



◆◆◆



「えっと、子供二枚で」


最寄りの駅から新幹線の通っている駅まで先ずは移動。
そこから、新幹線に乗った。

電車賃などは例の如く以前にお婆さんから貰った旅費から出した。
子供料金とは言え、決して安い物ではないが、これも旅の一環だと言うことで納得しておいた。

行き先は、関西方面だった。
何故フレデリカが関西に行きたがるのか、ちょっとした用事というのがなんなのか、教えてくれなかった。

移動している間ずっとだんまりを決め込んで何かを考えていたフレデリカ。
会話がなく、非常に気まずい思いを僕はしていた。

指定席のシートに座り、しばらくすると電車が動き出す。
初めはゆっくりと、そして段々景色が流れる早さが早くなっていった。



――・・・



『(今日も、パパとママは帰ってこない)』


遠く、幼い日の頃を夢に見ていた。
アタシがまだ外の人間を、パパとママを嫌う前。

部屋で一人、漫画のページを捲る。パラリ、という乾いた音が部屋の壁に吸い込まれた。
いつもはワクワクするその行為が、すごく虚しく感じてた。

パパとママが忙しいのは分かってる。誰かの為に働いているって事も分かってた。
けど理解はできても、納得はできなかった。

どうにも読む気になれなくて、漫画をベッドに投げ出す。
カバーに描かれた主人公の目がこっちを見ていた。


『・・・フン』


なんだか寂しいような、不思議で、気分の悪い気持ちになってる自分が嫌で、
それを振り払うかのように鼻を鳴らす"アタシ"。

その主人公に見つめられているような気がして、漫画もひっくり返した。

部屋が静かなのが、辛い。
世界にたった一人で取り残されてしまったような感覚。


『(今日くらい、こんな日くらい帰ってきたって・・・)』


そんな風に心の中で愚痴を言う自分も嫌いだった。
そう思うんなら、言えばいいのに。

そんな時下の階、玄関の方から音が聞こえた。


『(帰ってきてくれたんだ!)』


"アタシ"の表情が一気に明るくなる。
それを見て、凄くイライラした。


――どうせ、すぐに裏切られるのに。


玄関の方へ駆けていく。
さっきまでのもやもやが嘘みたいに晴れていたんだった。


『おかえりなさい!あのね、今日ね、』


"アタシ"がパパとママの足下に駆け寄った。


ああもうこの先は見たくない。
けど、ひたすら当時の映像が再生されている。夢は終わってくれそうもない。


『ごめんよ、疲れているんだ。フレデリカ』


告げられる拒絶の言葉。
パパとママは、アタシの為に帰ってきてくれたんじゃなかった。
単に予定が変わっただけ。


『え・・・ごめんなさい・・・でもね、今日は・・・』


そしてその時パパとママの、不思議そうな表情から悟ったんだった。
パパとママはアタシの事なんかどうでもいいんだって。

自分の娘の、誕生日すら忘れるなんて。

そして気がついた時には、"アタシ"は泣いていた。
泣いて、PSIが抑えられなくなって、みんな燃えた。

忘れたい。
そう、必死に忘れようとしたのにどうして今頃こんなものを見てしまうのだろう。

アタシは夢が終わってくれる事をただただ祈った。



――・・・



流れていた景色が様子を変えた。
閑散とした風景が少し賑やかな景色に変わった。もうすぐ目的地に着きそうなのだろう。

初めはずっと頬杖をついて窓の外を眺めていたフレデリカは、今は眠っていた。
シートに体を預け、寝息を立てている。

それにしても、どうして急に出かけようなんて言い出したのか。
しかも僕を連れて。

…まあ僕を連れてる事に関しては、何となく分かった気がする。
多分、案内役みたいな同伴者が欲しかったのだと思う。

こんな電車を乗り継いだり、新幹線に乗ったりするのは一人じゃ心細い。
そこで、頻繁に外出したり遠出したりしていた僕に白羽の矢が立ったのだろう。

それならそうと言ってくれれば良いのに。
でも言わないからこそのフレデリカなんだろうな、とも思う。

そういえばと、ふと思い出し携帯電話を取りだした。

流石に何の相談も無しにこんな遠出をするのはマズイ。
お婆さんに連絡を入れておいた。
お婆さんはフレデリカが出かけた事を聞いて驚いていた。
そしてその後、どこか納得したような雰囲気もあったのだけど、それが何故なのかは僕には分からない。

遠出禁止令を破ったので何か罰を言われるかと思ったけど、
罰として下されたのは、フレデリカを頼むという事だけだった。

もちろん承諾。

電話が終わり、再びフレデリカの方を見るとフレデリカは夢見が悪いのか苦悶の表情を浮かべていた。
端正な顔に皺が刻まれ、目頭には光る滴があった。

僕にはフレデリカの見る物が分からない。苦しいのを共有する事もできない。
だけど、その苦しいのが少しでも和らげばいいなと思いながら、僕は自分の上着をフレデリカにかけた。



◆◆◆



「…確か、こっちよ。早く付いてきなさい」


電車を降りた僕らは、フレデリカが指定した街までバスを乗り継いだりして漸く辿り着いた。

バスから降りて、その景色を眺めてその空気を吸う。
そうしているとフレデリカに急かされた。

見た事のない風景。
僕にとっては知らない街なんだけれど、フレデリカにとっては違う。
見た事のある場所。
そこにかつて自分が存在していたという確信が持てる場所。

こんな時だけれど、それを持っているフレデリカがちょっぴり羨ましく思ってしまった。

フレデリカの進める歩みが少し早くなる。
段々その速度が上がって、最後には小走りになっていた。


「ここ…!」


フレデリカの足が止まる。
そして辿り着いたのは、大きな屋敷だった。


「ここって、ひょっとして…」


かつて聞いた話を思い出していた。
フレデリカはエルモア・ウッドに来る前はかなりのお嬢様だったと。

その話と今、目の前にある大きな屋敷。
それらを考えて、一つの推測が纏まっていった。


「……」


フレデリカが屋敷の門をじっと見つめている。
ある一定の所まで近づいた後、それから一歩も前に進めていなかった。

何度も進もうとして、やっぱり足が固まってしまう。

そうしている内にフレデリカがグッと俯いた。
レモン色の、陽光のような髪がフワリと揺れた。


「フレデリカ…」


「・・・ッ!」


僕がそう呼びかけると、フレデリカはハッと弾かれたように顔を上げ、同じく弾かれたように走り出した。
ちらっと見えたフレデリカの目には形容しがたい、様々な感情が浮かんでいた。


「あっ!ちょっと!!」


慌てて声を投げかけるが、声はフレデリカの背中に降り掛かるだけだった。
フレデリカはそのまま止まらずに、走って行ってしまった。


「…探すしか、ないよね。ここがどこかもよく分からないんだし」


一人残された僕が思わず呟いたのは、建前。
本当はフレデリカが心配だから。
それに今ここで追っかけないと、何となく瞬間最大風速でかっこ悪いような気がした。

だから、僕もフレデリカの後を追って走り出した。



◆◆◆



どのくらい走り続けただろうか。
土地勘が無い場所をデタラメに走って探すのは凄く骨が折れた。

走って、片方の脇腹が痛くなって、無視してまた走って、両脇と肺が痛くなった頃に、
ようやくフレデリカを見つけた。

フレデリカは、小さな公園のブランコに座っていた。
少しも揺れはしないブランコが、フレデリカの心情を表しているような幻視をした。


「はあっ・・・!やっと、見つけた・・・!」


呼吸を整える為に僕もブランコに座りながら、横にいるフレデリカに話しかけた。
フレデリカはこっちを見向きもしない。


「・・・・・・悪かったわね。こんな下らないのに付き合わせて」


下を向いたままフレデリカが言ってくる。

フレデリカらしくない謝罪の言葉。
どうも今日のフレデリカといると調子が狂う。


「・・・いや、いいんだけどさ。ついでにちょっとくらい話してくれると嬉しいんだけどね。

・・・なんでそんな泣きそうな顔してるのか、とかさ」


フレデリカがこっちを向く。
僕の顔を覗くフレデリカの顔は、何かを堪えるかのような痛切な顔をしていた。


「やっと目があった。今日初めてだよ?

なんか思うところがあるんなら、話してくれてもいいんじゃない?誰にも言わないからさ」


再び沈黙するフレデリカ。


言わぬなら 言うまで待とう フレデリカ


沈黙を保ったまま、僕はブランコを揺らし始めた。
キイ、キイと錆び付いた音が二人だけの公園に響く。

既に日は沈みかけ、辺りを暗闇が包み始めていた。

公園内に設置された外灯に明かりが灯り、烏の鳴く声も聞こえなくなった頃、
ようやくフレデリカがその重たい口を開いた。


「・・・アンタ、どうしてここまでアタシに付き合ってくれたの?

普通、こんなに振り回されたら怒ってもおかしくないのに」


「さあね。なんか放っておけなくて。

良く分からないけど家族が悲しそうにしてたら、そりゃ心配もするさ」


視線を虚空に向けたまま答える。
ブランコは揺れているけど、視線は一点に固定されていた。


「家族、か。

・・・今日はね、アタシが初めてエルモア・ウッドに行った日なの。つまり、アタシが家族に捨てられた日」


ブランコを揺らすのを止めた。
横にあったフレデリカの顔をじっと見つめる。


「それで、なんだか分からないけど急に気になったの。

大嫌いな、アタシを捨てた奴らが今どうしてるのか。アタシを追い出して幸せそうにしてたらどうしてやろうって」


「・・・」


「・・・でも、確かめられなかった。

馬鹿馬鹿しいわね、下らない理由でわざわざこんな所まで来て、それなのに確かめられなかったなんて」


言いながら、フレデリカが自嘲気味に笑った。
顔が皮肉げに歪められる。


「どうして、確かめられなかったの?」


「・・・分からないわ」


フレデリカが何かを否定するかのように頭を軽く振りながら答えた。


「・・・それは。・・・多分、フレデリカがその人達の事が好きだからだよ」


「違うっ!!だってアイツらはアタシの事を捨てたのよ!?アタシの事なんてどうでもいい人達なの!!

あの日だって・・・!あの日だって!!!」


堪えていた物が一気に決壊したかのように、フレデリカは大声で言った。

瞳と瞳が交差する。
多分、今、初めて本当の意味でフレデリカと向かい合っていたんだと思う。


「・・・どうして、フレデリカはその人達にどうでもいいと思われてるって思って、悲しかったの?」


「それはっ・・・」


僕の、どうして?という疑問の言葉は、冷たい刃になってフレデリカに突き刺さった。


「確かめられなかったのは、怖かったから。

本当に幸せそうに過ごしてたら、本当にどうでもいいと思われてるって事になってしまうから。それを認めたくなかった」


「・・・っ!」


多分、今フレデリカはずっと目を逸らしてきたものに直面している。
捨てられた事を恨む気持ちが強すぎて見えなくなっていた、本当の理由。


「アタシが、あの人達に捨てられて悲しかったのは・・・」


本当に嫌っていた人達なら、離れていても悲しくなんて無い。
好きだからこそ、近づけなくて悲しい。

フレデリカの瞳が、ジワリと滲んだ。


「・・・うん、辛いんならそこからは言わなくて良いよ。

フレデリカが自分でそう思えたなら、それをフレデリカの中で大事にするだけでいいんだ」


そしてティッシュを差し出す。
しばらくしてフレデリカはそれを受け取った。


「それに、フレデリカの両親はフレデリカを捨てたんじゃないと思うよ。

あくまでエルモア・ウッドに預けただけな気がするんだ」


「・・・どうしてそう思うのよ」


鼻をグスグス鳴らしながらフレデリカが尋ねてきた。
赤く腫れた目がこっちを見た。


「フレデリカが、好きな人達だから。悪い人達な訳がないさ」


「・・・なによ、それ」


自信を持って言ったつもりだったんだけど、笑われてしまった。
フレデリカが呆れたように言う。でもどこか嬉しそうに見えたのは都合が良すぎるだろうか。

フレデリカがゆっくりとブランコから腰を起こす。


「・・・アンタ、変な奴だと思ってたけど、やっぱり変な奴だったわ」


「なんかよく分からないけど、ここはお礼を言った方が良い気がする」


そうして僕も立ち上がる。

日はとうにその姿を隠し、紺色の紗幕が一面に広がっていた。
その紗幕には無数の瞬く星が散りばめられていて、なぜだかいつも見る空より綺麗に思えた。


「さ、帰ろうか、家(エルモア・ウッド)に。

本当の家がどうとか今は考えない考えない。家が幾つもあったら駄目なんてことはないんだしさ」


「・・・そうね」


フレデリカが、力のコントロールを身に付け、いつか大人になった時にかこの話は解決するだろう。
そんな気がした。いや、そう信じている。

それから、二人でゆっくりと歩き出した。
フレデリカの歩みには、来たときとは違った感情が表れているような気がした。




◆◆◆
エルモア・ウッド



「やれやれ、日帰りって疲れるんだなあ」


呟きながら玄関へと向かう。
すっかり遅くなってしまったが、電車の中でそろそろ帰ると連絡は入れたので大丈夫だろう。


「・・・」


フレデリカとはあの後ずっと会話が無かったけど、行く時と違ってそこに気まずさは無かった。
むしろその沈黙が心地よくすら感じたのは、どうしてだろうか。


「ただいま」


「・・・ただいま」


鍵を差し込んで回して、扉を開く。

玄関で言っても聞こえないのは分かっているけど、これは僕自身の気持ちの問題。
ただいま、と口に出す事で帰ってきた!という感じがするのだ。

と、そこにパーンと何かが破裂するような音が複数響いた。


「誕生日おめでとう!!フーちゃん!!ケーキもあるよ!」


僕らがびっくりしていると、クラッカーを鳴らしたマリーが姿を現し、そう告げた。
マリーの後ろから、エルモア・ウッドのみんなも出てきて口ぐちに祝辞を述べる。


「・・・なによ」


僕が目を丸くしていると、フレデリカが睨んできた。
三月十四日。今日が誕生日だったんなら、教えてくれてもよかったのに。


「いや、なんでも。誕生日、おめでとう」


「フン。・・・ありがと」


お礼の言葉は凄く小さかった。
ようやくいつものフレデリカが戻って来たのだろうか。やっぱり、そっちの方がフレデリカらしくていい。


「・・・それから、今日の働きでアンタをアタシの子分にしてあげる。感謝なさい!」


「ははは・・・そりゃどうも」


告げられた言葉に苦笑いとも違う笑いが漏れた。これはなんという笑い何だろうか。

そんな事を考えていたら、胸に熱を感じていた。
今まで感じたどの熱よりも熱い、どこかフレデリカらしさを感じる熱だった。

なんだかんだでめでたしめでたしなんだろう。
その方がすっきりしてていい。


「・・・そういえば、落ち着いたら思いだしたわ」


「何を?」


「台拭きの味」


「あー・・・」


その後僕がどうなったかは、別に良いだろう。
あんまり思い出したくないし。

何はともあれめでたしめでたし。
・・・僕以外が。



◆◆◆



五月。
暖かくなったし、お婆さんにも遠出の許可を貰った。

フレデリカについて関西へ行ってから、次の旅の行き先は西と決めていた。
夏に旅したのは、東へ進んでいき、そこから折り返して日本海側を来る道。

要するに関西方面は未知だったのだ。
だから、伊豆を出て太平洋に沿って西へ行った。

とりあえずは隣の愛知県に。


――そこで、運命を変えることになる。




続く



[17872] コール15
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:3563f643
Date: 2010/12/23 04:56
僕がエルモア・ウッドに拾われて、そろそろ一年近くが経とうとしていた。

つまり、お爺さんが灰になって亡くなってから約一年。

僕が旅に出ている間も、お婆さんは西にサイレンの情報があると聞けば西へ行き、
東に怪人 ネメシスQが出たと聞けば東へ行くような、必死の捜索を続けていた。

その話を聞いて、そんなお婆さんを尻目に勝手な旅を続けていた事を申し訳なく思った。

お婆さんは、『気にする事はない。お主の願いと老いぼれの願いどっちが大事か比べるまでも無いじゃろう』
と言ってくれたけれど、やっぱりなんの恩も返せてないのは気が咎められる。

こうして旅を続けていられるのもお婆さんの好意だし、そもそもお婆さん達に拾われていなかったら
野たれ死んでいても不思議じゃなかった。

恩を一つも返せていないどころか、恩がどんどん増えていっているのは申し訳ないという気持ちを通り越して
罪悪感すら抱くようになってきたのだった。

少しでもサイレンの手掛かりに対してアンテナを広げて旅をしていたつもりだけど、旅の途中でそんな話を聞く事は無かった。
だから、どうにか恩を返す方法は無いかと考えながら今日も道を歩いていた。

陽光は分厚い雲に遮られ、どんよりとした空気が満ちる中で強めの風が僕の頬を叩く。
置き去りにされた冬の名残を感じさせるような、肌寒くもある日だった。



◆◆◆



・・・そもそも僕は一体どういう形でお婆さんに恩を返せるのだろうか。

お婆さんが今最も望む物はサイレンについての情報だ。
そしてそのサイレンの情報は、お婆さんの予知夢の事も考えると、世界崩壊の謎に恐らく繋がる。
その情報をお婆さんが掴む手助けになること。これが僕の出来る最大の恩返しだろう。

そこで、サイレンについて考えを纏めてみた。

お爺さんは赤色のテレホンカードを用いサイレン世界へ行った。
その後、帰ってきてお婆さんに何か告げようとして灰になった。

ここで気になるのは、お爺さんが帰って来た、という事だ。

もはや噂が広まり過ぎて社会現象となっているサイレンに対しての世間一般の認識はこうだ。


・現実が嫌になった者を集め、楽園へと導く。
・全国の神隠し事件は、サイレンが首謀者なのではないか。
・サイレンは秘密結社と称される組織である。 

等と言ったところである。


・・・そう、神隠し。
つまりサイレンへ行ったとされる者は、帰って来ない筈なのだ。

それがサイレンは楽園であるという噂の種火になっているのだろう。
サイレンは一度行った人間が帰って来たくなくなる程の魅力的な場所である、と。

しかし、お爺さんは帰って来た。
つまり、帰ってくる人間はいると言うこと。

では何故サイレンへ行って帰ってきたと言う報告が無いのか。
これだけ世間が騒いでいるのだから、実際にサイレンへ行った、なんて話があれば過剰なほどに注目される筈。

これは多分、話さない、のではなく話せないのだろう。

お爺さんが灰にされた理由。
それは定かではないけれど、恐らくサイレンの話をお婆さんにしようとしたから。
推測になるけれど、サイレンの話を他言しようとしたら、命を奪われる。

命を奪う理由、サイレンについて他言させない理由なんかは不明。
しかし、分かるのは秘密を漏らす者には制裁が下るということ。


だから、例えサイレンから生還した人間がいたとしても、それが知られない。
そしてサイレンの情報が広まる事も無い。
こんな事では、お婆さんが欲しがるサイレンの情報なんて手に入る訳もない。
情報が流出しないようになっているのだから。

ならば、サイレンの情報を手にしようというのなら、方法は二つ。

サイレンの世界へ行き、生き残った人間に直接会う事。
もしくは、自分自身がサイレンへ行く事。

この二つしかないのだ。

しかも前者の方法は、条件が厳しすぎる。
まず、出会う事自体が難しいし、出会ったとしても情報を漏らすことは出来ないのだから。

かといって、後者の条件が易しいかと言えばそんなことはない。
なんの共通点も持たない人間が無作為に選ばれ手にすると言う赤いテレホンカード、それをそんな簡単に手にする事ができるだろうか。

そんな考えてもどうしようもない事を考えて、思考を纏めきれずにいたら辺りが暗くなり始めていた。

曇っているためか、いつもより暗くなるのが早い。
空を見上げると、濁った雲が僅かに流動していた。

近いうちに雨が降るかもしれない。そんな気がした。




◆◆◆



宿泊施設を探すために、地図を確認しながら最寄りの駅へと向かう。

辺りはすっかり暗くなってしまっていた。
肌寒さと視界の悪さが相まって、漠然とした不安な気持ちがこみ上げてくる。


―――風が吹いた。


その余りの冷たさに驚き、ブルッと身震いを一つする。
首を襟の中に引っ込めて寒さに耐えようとした。

しかし、その時に顔に何か当る違和感を感じた。
何かと思って顔を上に向けると、続いてまた同じ感触。
顔に手を触れると指が濡れた。

予測されたことだけれど、雨が降り出していた。

本当に今は五月なのだろうか、という疑問を感じる程の気候。
容赦なく僕に吹き付ける風と、徐々に強くなっていく雨を避けるため、僕は走り出した。

現在地が住宅街らしく、入れる店のようなものは見当たらなかった。
人の家の軒先で雨宿りをしてもいいのだけれど、それでは風は防げない。
何か適当なものはないか、と走る足を緩めない。人通りは僕以外に無かった。
ますます強くなる雨。荷物を頭の上へ持っていき、ないよりはマシ程度に雨を凌ぐ。

その時、外灯とは違う明かりを見つけた。
それは、古びた電話ボックスだった。

携帯電話が普及し、次第にその姿を見せなくなっていった物。

それでも一部の人の為に、と残されていたのだろうか。
とにかく全方位覆われているそこならば雨風を防げる。

急いで扉を開け、駆け込む。
扉を閉めると、風の唸る音と雨が全てを濡らす音だけが世界を支配した。

一先ず避難できた安堵からかはあ、と息を吐く。
樹脂でできた壁が口から零れた水蒸気で白く曇った。

個人の電話番号が落書きされた台、ずたぼろに裂かれた電話帳、
壁に貼り付けられたいかがわしい店の電話番号が書かれたシール、それを剥がそうとして汚く残った跡。
それらを無感動に見つめ、はあ、と再び息を吐いた。

どうしてこんなに憂鬱で、不安な気持ちになっているのだろうか。
まるで、何か嫌な予感でもしているみたいだ。

荷物を台に置き、背中を樹脂の壁に預ける。
静かに瞼を伏せ、目で捕らえる世界から耳で受け取る世界へ移行した。

何かが近づく音を感じ、ふと瞼を開く。
一台の車が、電話ボックスの横をそのスピードを落とすことなく走り抜けていった。


「・・・」


一人世界から置き去りにされたような重たい空気の中、言葉が発せられる事はない。
何かから目を背けるように、僕は再びその瞼を閉じた。



――その時。



突然目の前の公衆電話がけたたましく鳴り出した。


「ッ!?」


心臓が一瞬跳ね、バッと体を起こす。突然の事に一瞬思考出来なくなった。


「びっくりした・・・」


しかし、冷静になると大した事ではない。

日本の公衆電話がどういったシステムになっているかは知らないが、
前に公衆電話に電話が掛かってくるというシーンを外国の映画で見た。

公衆電話だって、この電話の番号が分かればこの電話に掛ける事は可能だろう。

でも、どうしてこの公衆電話に掛ける必要があるのだろう。
単なる悪戯か、それとも・・・

前に観た映画は、その公衆電話を主人公が取ると見越した上で、公衆電話が鳴っていた。
もしかしたら、ここに僕がいて、電話を取る事を見越した上での連絡なのかもしれない。


「・・・なんてね」


この周りの雰囲気の影響で不安な気持ちにさせられたから、こんな事を考えるのだろうか。
リリリリン、と僕に呼びかけるように鳴り続ける電話を見て思った。


「・・・」


・・・でも、どうしてこの嫌な予感は拭えないのだろうか。
心臓がドクン、ドクンと鳴るのが耳の奥に聞こえる。

放っておけば止むだろうと思っていたが、呼び出し音のサイレンが止む気配は無い。
ひたすら鳴り続けている。

生唾を飲み込む。その音が嫌にはっきり聞こえた。
震える指を伸ばす。

そして、頭の片隅で数えていたベルが21回鳴った時、僕はその受話器を握った。


「・・・もしもし」


受話器を耳に当て、言う。自分でも驚く程の低い声が出た。


『・・・もしもし』


僕の声と全く同じ低く、起伏の無い抑揚で合成音声のような声音が聞こえてきた。
その不気味な声音に僕の心臓が再び高鳴る。

そして、ふと視線を持ち上げたとき、視界に飛び込んできた映像に愕然とすることになった。


『ピー・・・ピー・・・ガガガッ』


「なっ・・・!」


樹脂の壁に映っていたのは、僕の驚きに目を開く顔と、人外の存在だった。

鳥の嘴のような形をし、翼のような模様が描かれたマスク。
そのマスクの下にぼんやりと球が光っている。
腰の高さまで悠に届く長い三つ編みの髪。
ファーのついたゆったりめの服。
両手首にある丸い球。

怪人 ネメシスQと思われる者が、そこにいた。


「ッ!!」


扉を殴りつけるように開く。
雨に打たれるのも構わず飛び出た先で、ネメシスQと対面する。

パタンと何かが閉じる音がした。
ネメシスQの手元をよく見ると、携帯電話らしき物が握られている。おそらくその音だろう。

そしてネメシスQが体勢を変え、飛び上がろうとした。


「っ、待て!!」


テレキネシスを投影。
その手で掴もうとしたけれど、手は空を切るだけ。


『ピー・・・ガッ・・・、・・・Q・・・!!ガガッ』


ノイズ音を空に残して、ネメシスQらしき存在は煙のように消えてしまった。


「消えた・・・!」


しばらく呆然としていた僕にを現実に呼び戻す物があった。
ピー、ピーと公衆電話を使用し終えた時に鳴る音。それが聞こえてきた。


電話の前に戻るとそれは、そこにあった。


「赤い、テレホンカード・・・!?」


真っ赤なカードに三本の縦線と横に倒した月のような線等から成る不思議な模様。
恐らくサイレンと読むのだろう、P、S、Y、そしてロシア語のЯ(ヤー)のような反転したR、E、Nの文字が描かれている。

震える手でそれをカード返却口から引き抜く。
驚きの連続で停滞する頭と別に、冷静に今何をすべきか考えている自分がいた。

荷物から携帯電話を取り出し、電話を掛ける。
一コール、二コール、三コール・・・

長く、もどかしく感じられる呼び出しの後、電話が繋がった。


「・・・ファイです。迎えをお願いします。大事な話が、あるんです」


降ってわいた都合の良すぎる偶然。
これは運命とかいう物なのだろうか。それとも、もっと別の何かか。

いや、そもそも偶然や必然などと区分するのがおかしいのかもしれない。

土砂降りの雨が、全てを包み込み、そして洗い流していった。
粘りつく胸の高鳴りだけが、耳に残るだけだった。



◆◆◆



「・・・して、なんじゃ大事な話とは。お前さんが旅を中断せねばならんほどの事だったのかの?」


エルモア・ウッドに連絡を入れたあの後。

お婆さんはこんな日も暮れてから、しかも隣の県まで迎えに来いという僕の要求に驚いていたが、
僕の真剣な口調から何か汲み取ってくれたのか、すぐに車を寄こしてくれた。

それでも隣の県に僕が居るため、車が到着するまでに結構な時間を要した。
けれど、赤いテレホンカードで頭が一杯になっている僕にはその程度の時間はあっという間に感じた。


「・・・コレです」


ポケットに仕舞ってあったあの赤いカードを取りだす。
そして目の前のテーブルの上にそっと差し出した。

お婆さんの目が開かれる。
ガタッという音と共に立ち上がった。


「こ、これは・・・!!」


お婆さんが恐る恐るといった様子でカードに手を伸ばす。


「これを、どこで・・・?」


震える指を抑えようとして、抑えきれなかったお婆さんが尋ねてくる。
ただ、瞳はカードに固定されたままだった。


「愛知県に居た時にその道中で。何の変哲もない電話ボックスで、です。

・・・その時にネメシスQに、逢いました」


「なんじゃと!?」


お婆さんが顔をバッとこちらに向ける。
目に宿る眼光の色が変わった。


「ソイツは、特に僕に何かをするという事も無く消えてしまいました。

ソイツが消えた後には、そのカードが」


そう告げるとお婆さんは何かを考えるように少しの間押し黙った。
沈黙が、満ちる。


「・・・ファイよ、このカード、ワシに預けてくれんか?

このカードからは異様な感じを受ける。少し知らべてみたいんじゃ」


考えが終わったのか、暫くしてお婆さんが口を開いた。


「ええ、それは構いませんが・・・」


「・・・すまんの。

さあ、今日はもう遅い。他の子供達はとうに眠っておる。お主も休むとええ」


お婆さんがそう言い残し、部屋を出て行った。


「・・・」


後に残された僕は、去っていくお婆さんの背中を見つめるだけだった。



◆◆◆



深夜、雨の降りしきる中人影が一つ歩いて行く。
目的地の、近くの公衆電話に向けてひたすら歩みを進めている。

前方から吹きつける雨風に抵抗するために傘を前に傾ける。

風が押し返そうとするかの如く吹きつけ、その余りの力に一瞬歩みが止まった。


「・・・」


それでも歩みを再び進めようとする。しかし、


「・・・お婆さん」


その人影、エルモアは声が掛けられ、立ち止った。
エルモアが声を掛けられた方向を向くと、同じく傘をさした、白い髪の少年が立っていた。


「・・・どうしたんじゃ、こんな雨の中真夜中に」


「それは、こっちのセリフですよ。お婆さんこそ何してるんですか」


「・・・」


エルモアが口を閉ざす。
しかし、自分が何をしようとしていたのかを少年が理解しているだろう事も、エルモアは分かっていた。


「・・・赤いテレホンカード、ですか?」


「どうして気付いたんじゃ・・・?」


少年がエルモアに近づく。
答えになっていない答えだが、それは質問への肯定を意味した。


「・・・お婆さんの言葉に、違和感があったんですよ。それで嫌な胸騒ぎがしたんです。

感謝の気持ちがあるなら、ありがとうと言えって教えてくれたのはお婆さんじゃないですか」


「そうか、そうじゃったの・・・」


納得したように頷いて、また前を向く。


「ワシは、知りたいんじゃ。古比流が見た物を」


「だから、お婆さん自身がカードを使うんですか。

もし、お婆さんまで灰になったらどうするんですか!灰にならなかったとしてもお婆さんは心臓に持病があるでしょう!?


・・・お婆さんまで居なくなったら、みんなどうしたらいいか分からなくなりますよ・・・僕だって悲しいです」


少年はエルモアの背中に声を投げかける。少年の言葉がエルモアに届く事を祈って。


「・・・万が一の事があった時のために、後の事はもう手筈は整えてある。お主らが何不自由なく暮らしていける手筈がな。

じゃが、それも世界が崩壊すれば何の意味も成さぬじゃろう。・・・ワシは知らなくてはいけないんじゃ」


「そんな事じゃなくて!お婆さんがいないと駄目なんです!!」


「ならば、このまま手をこまねいて見ているというのか!

こんなにも近くに、渇望した情報があるんじゃ!これを逃す訳には・・・」


エルモアが声を荒げる。
少年に対して怒鳴っているのではない。どうしようもないほどの焦りから来る声。

目に見えない何かに対しての問いかけだった。


「・・・だったら、僕がやります」


「なんじゃと!?」


「誰かがやらなくちゃいけないんだったら、それが僕でもいいでしょう。

・・・ずっと、恩返しがしたかった。

これは僕を拾ってくれた事への、僕に居場所を与えてくれた恩を返すチャンスなんです」


「・・・お主達子供を失う訳にはいかん」


「死にませんよ。自分の事も思いだす前に死にはしないです」


エルモアと少年の瞳が交差する。
少年の瞳に宿る意志は、揺らぎが無いようだった。


「・・・・・・必ず帰ってきてくれると、約束できるか・・・?」


エルモアが何かを堪えるような痛切な表情で尋ねた。
その問いは、少年の意志にエルモアの心が動かされた事を示す。


「!、はい!!」


少年が大きくうなずく。


「・・・ならば、頼む。どうかワシに力を貸しておくれ」


そう言って赤いテレホンカードを少年に差し出した。


「はい」


そして二つの人影は、揃って進みだした。
目的地である公衆電話にむかって。



◆◆◆



目の前にある公衆電話の明かり。
いつもと何ら変わらない筈のそれが、嫌に不気味な物に思えた。


「・・・」


電話ボックスの扉を開ける。
これからする事への緊張感からか、喉がヒリつく感覚を覚えた。

お婆さんには外で待ってもらっていた。雨風は先程よりは弱まっていた。

手の中にある赤いテレホンカードをじっと見つめる。
カードに描かれた模様が僕を見ていた。

受話器を持ち上げ、そして意を決してカードを挿入口に入れた。


ピポパポポピパポ、と自動でどこかに繋がる音が受話器から聞こえた。
急いで受話器を耳に当てる。電話のトゥルルルルとどこかを呼び出す音が耳に吸い込まれた。


一体どこに繋がって何が予備出しに答えるのか。唇を軽く舐めた。
呼び出し音が、ほんの一瞬途切れた。


『おはようございます!世界はつ・な・が・る。サイレン入国管理センターです』


「っ!!」


『――それではこれから入国審査を行います。質問にお答え下さい』


聞こえてきた声に驚き、一瞬言葉が詰まる。
それでも返事しようかとしたら、続けて音声が聞こえてきた。

多分この感じは録音音声なのだろう。
ならばこの女の人の声に話しかけても無駄と言う事。

チラっと外を見るとお婆さんが不安そうにしていた。
頷いたのと目配せで、自分は大丈夫だと伝えた。


『質問ハ二択ニナッテオリマス。はいノ場合ハだいやるノ①を、いいえノ場合ハだいやるノ②を押シテ下サイ』


質問?なにかの選択形式と言うことは何かアンケートのようなものなのだろうか。
そう考えている間に、問いが始まった。


『第1問―― 12歳以上ノ日本人デアル Y or N(イエスオアノー)』


・・・僕は何人なのだろうか。今までそんな事考えた事も無かった。

でも戸籍をお婆さんに取って貰ったと言うこともあるし、日本人なのかな・・・
髪色から判断するなら決して日本人ではないのだけれど。
結局、12歳にもなってないような気がしてこの問いは②、N(ノー)を選んだ。

二択なら余り煩わしくないだろう。余り悩む必要のない質問ならさくさくこなしていこう。


『第2問―― コノ国ノ未来ニ絶望シテイル・・・ ――Y or N』

・・・②

『第3問 過去ニ脳ニ傷ヲ負ッタ事アルイハ疾患ガアルト認メラレタ事ガアル Y or N』


過去、か。今の僕にあるのは一年前からの記憶だけだ。
もしかしたら、それより以前には疾患があったかもしれないが、分からない。

分からないという項目が無いので迷った挙げ句、②を押した。


『第4問 慢性的ナ呼吸困難・・・モシクハコノ星の空気ガ息苦シイト感ジル事ガアル Y or N』

・・・②

『第5問 喋ル羊ノ夢ヲ見タ事ガアル・・・ Y or N』

・・・②

『第6問 宇宙人ハイルト思ウ・・・ Y or N』

・・・①

『第7問 昔ノ事ヲ思イ出シテ赤面スル事ガアル・・・ Y or N』

・・・②

『第8問 自分ハ優レタ存在ダ・・・ Y or N』

・・・②

『第9問 幼イ頃ボンボン派ダッタ・・・ Y or N』

・・・②

『第10問 他人ガ自分ノ考エヲ読ンデイルト思ウ事ガアル・・・・・・ Y or N』

・・・①

『第11問 他人ガ怖イ・・・ Y or N』

・・・②

『第12問 言葉ガナクトモ想イハ伝ワル・・・ Y or N』

・・・①

『第13問 青イ血ヲ流シタ事ガアル・・・ Y or N』

・・・②

『第14問 神ハイルト思ウ・・・ Y or N』

・・・②

『第15問 自分ノ内蔵ヲ見タ事ガアル・・・ Y or N』

・・・②

『第16問 人間ヲ殺シタ事ガアル・・・ Y or N』

・・・②

『第17問 大切ナ人ヲ裏切ッタ事ガアル・・・ Y or N』

・・・②

『第18問 タケノコノ里ヨリキノコノ山ガ好キ・・・ Y or N』

・・・②

『第19問 カレー味ノウンコヨリハウンコ味ノカレーガイイ・・・ Y or N』

・・・ッく!①!!

『第20問 後悔シテイル事ガアル・・・ Y or N』

・・・①

『第21問 魂ハ存在スル・・・ Y or N』

・・・①

『第22問 痛イノハ嫌イダ・・・ Y or N』

・・・①

『第23問 好意ヲ寄セル人ガイル・・・ Y or N』

・・・①

『第24問 大切ナ友人ガイル・・・ Y or N』

・・・①

『第25問 アノ頃ニ帰リタイ・・・ Y or N』

・・・②

『第26問 目玉焼キニハ醤油ダ・・・ Y or N』

・・・①

『第27問 死ヲ経験シタ事ガアル・・・ Y or N』

・・・②

『第28問 月ニハ不思議チカラガアル・・・ Y or N』

・・・①

『第29問 人ハ分カリ合エル生キ物ダ・・・ Y or N』

・・・①

『第30問 人間ヨリ大キナ生物ヲ殺シタ経験ガアル・・・ Y or N』

・・・②


――・・・


『・・・それでは第60問!!』


いい加減にしんどくなってきた。
この良く分からないアンケートはいつまで続くのだろうか。

お婆さんの体を冷やすのは余り良くないから早く切り上げたいのだけれど。


『記憶ヲ失ウ前ノ自分ガ怖イ・・・ Y or N』

・・・①



「・・・え?」


無意識的に問いに答えてから気付いた。
どうして、僕が記憶を失っていると知っている?

それまでの質問とは全く異なるモノ。
治まっていた鼓動が再び鳴り始めた。


『第61問 本当ハ自分ガ何ナノカ知ルノガ怖イ・・・ Y or N』


「・・・」


無言のまま①を押す。

否定しようとして、出来なかった。
薄々気付いていて、ずっと目を逸らしていたもの。ずっと心の内に隠しておいたもの。

答えをどれだけ探しても見つからない問い。
その問いの答えに不穏な気配を感じずにはいられなかった。


『第62問 ドウシテ心ガ、コレ以上読メナイ?』


「ッ!!」


受話器を投げ捨て、心羅万招を発動。PSIの流れが瞳に映るようになる。


「やられた・・・!!」


その目で自分自身を見ると、僕の内にあるPSIの流れが明らかに狂っていた。
どうやら、トランス系のPSIで侵入されていたらしい。

あの意味不明なアンケートは、僕の内部に侵入するための罠・・・!

・・・だが、何も起こらない。
遅効性の物なのか、それともある条件で発動するタイプの物なのか。疑問の渦が唸る。
耳障りな心音を聞きながら、再び受話器を拾い上げた。



『お前は、私を知っている・・・?』


「え・・・?」


聞こえてきた言葉が理解出来なかった。
僕の過去の陰が一瞬チラついたのだと、理解するのに数秒要した。


「ッ!どういう事だ!?お前の事を僕は知らない!!

お前は、誰なんだ!?」


『・・・』


急に黙る受話器。
その沈黙が永遠の物のように感じられた。


『―・・・第63問 "さいれん"に行キタイ? Y or N』


拳を痛いほどに握る。爪が掌に食い込んだ。


「お前が、そこに居るのなら」


そう呟き、迷わずに①を押した。


『審査終了――・・・。合否は追ってこちらから連絡いたします――・・・』


そう告げられ、入国審査とやらは終わった。
謎が謎のままである不快感。それが胸の内を焦がしていた。

電話ボックスの扉を開けると、お婆さんが心配そうな顔でこちらを見てきた。
・・・何はともかくこれ以上お婆さんの体を夜の冷気に晒すのは良くないだろう。

僕が怒鳴った理由や、ふざけたアンケートの事、
トランスで侵入されてしまった事などを話しながら、僕達はエルモア・ウッドへ向かって行く。


「・・・お婆さん」


「なんじゃ」


「サイレンに行く理由が、恩返しだけじゃなくなったんですが、構いませんか?」


「そのような事を気にする必要はない。とにかく、お主が無事に帰って来てくれるならの」


「・・・ありがとう、ございます」


雨はすっかり弱くなっていた。
この分なら、日が昇る頃には晴れ間が見えるかも知れないと、歩きながら思った。


◆◆◆



昼過ぎ。
昨日はかなり遅くに寝たためか、起きるのが大幅に遅れてしまった。

予想通り、空には雲が多少残っているものの、雲の切れ間が出来ていた。
そこから青い空が顔を覗かせている。

着替えを済ませ、寝起きで気だるい体を引きずりながら部屋を出た。
体温が微妙にいつもより高い気がする。昨日の雨で風邪でも引いたのだろうか。


「ゲホっゲホっ」


咳まで出てくる始末。
これは、マズイかもしれない。風邪を引いた事が無かったのが自慢だったのに・・・


「あ゛ー・・・」


「あれ?ファイじゃん!お前いつ帰って来たんだよ!」


フラフラ歩いていると、後ろから声を掛けられた。
振り返ってみてみると、記憶に寸分違い無いカイルの姿。


「あー・・・昨日の夜にね。用事があってお婆さんに迎えを頼んだんだ」


「え?ファイ君?」


続けて別の声がかかる。声で分かったがマリーだった。
その横にはフレデリカも居た。


「アンタ、途中だったんじゃないの?帰ってきて良かったの?」


以前ほど僕に対してわだかまりが無くなったフレデリカが尋ねてくる。
フレデリカは飴を銜えたまま器用に喋っていた。


「それくらい大事な用だったんだ。言い忘れてたけど、ただいま」


三人に向けて言う。
やはり、ただいまを言うと安心する。


「おう!思ったより早かったな!」


「おかえりなさい」


「・・・おかえり」


三人がそれぞれの返事をくれた。
挨拶を考えた人は凄いと思った。こんな簡単な事で気持ちがはずむのだから。


「これからどうすんだ?しばらくはここにいんだろ?」


「ああ、一応そのつもり。なんか風邪ひいたみたいだし暫くは大人しくするよ」


カイル達と会話しながらリビングへ向う。
リビングに入るとヴァンがいた。おやつの時間じゃないのにお菓子をむさぼり食べていたみたいだ。


「ただいま、ヴァン」


「うー」


ヴァンにも挨拶をする。
ヴァンは口いっぱいに物を詰めていて上手く話せていなかった。


「これ!ヴァン!!おやつの時間じゃないのに食べてはならんと言うたじゃろ!!」


僕もヴァンに一つ貰おうかと思っていたらお婆さんがリビングに入って来た。
その後ろに続くシャオ。

全員が何故か一度にリビングに集合するという不思議な事になった。

お婆さんとシャオにも挨拶をする。
ただ、お婆さんとは昨日の時点で既に逢っていたのだけれど。

お婆さんと目があった時、昨日の確認のつもりで軽く頷いた。
サイレンに行くのを誰にも話さないという事も含めて。
みんなには心配を掛けたくないし、サイレンの事は黙っているつもりだ。
普段からあちこちに出かけている僕なら、急にサイレンへ行ったとしても不自然じゃないだろうし。

それに、もしかしたらサイレンの情報のみならず、サイレンへ行くと言う事を漏らす事自体禁忌なのかもしれない。

いつサイレンへ呼び出されるのか分からない。
だから、それまではこの暖かい空間に浸っていたいと思った。


「全く!ヴァンは仕方のない。

しょうがないから、これからお茶会にでもしようかの?」


何がしょうがないのかはよく分からないが、お婆さんが皆におやつを提案してきた。
多分、僕が帰ってきたので揃ってみんなと話す機会を提供してくれたのだろう。

その心遣いに感謝する。


「あ、じゃあお茶淹れてきますね」


「冷蔵庫にケーキもあるからそれも持ってきておくれ」


マリーがキッチンへ向かって行き、マリーにお婆さんが声を掛けた。
ヴァンはケーキの単語に目を輝かせていた。

昨日とは打って変って、暖かな日だった。
春の柔らかな陽光に包まれて、気だるい体がすこし楽になった。


――・・・


「それじゃ、頂きま・・・す?」


ケーキを食べようとした所で、気が付いた。


「・・・あれ?電話鳴ってない?」


遠くからジリリリと電話のベルの音が聞こえた気がしたので、皆に確認してみる。
みんなは、不思議そうな顔をしていた。


「電話?ううん、聞こえないけど」


マリーがみんなの意見を代表するように言った。


「え?おかしいな・・・でもどんどん音が大きくなっていってるし」


そして、ハッと気が付いた。
お婆さんに目配せする。それでお婆さんは気が付いてくれたようだ。


「あー・・・ごめん、みんな。ちょっと席外すね。

僕の分のケーキは取って置いてよ。絶対だからね!」


「ちょっと!どこ行くのよ!」


フレデリカの声が背中に降りかかった。
それを無視して急いでリビングを出て、真っ直ぐに自室に。

赤いテレホンカードを掛けてあった上着のポケットから取り出す。
見ると、あの不思議な模様が変化していた。

横倒しの月のように見えた線が二本に分かれていく。
完全に分かれた時、それはまるで閉じていた瞼が開かれたようだった。
上着を羽織り、再びそのポケットにカードを突っ込んだ。
後は、帰って来た時の為に携帯電話を引っ掴む。

靴を履いて家の外に。敷地の外に出た時に携帯電話を取りだした。
携帯電話は非通知から着信中だった。

これからどうなるのか分からないのに、不思議と怖くは無かった。
久し振に皆に逢えたから、一人の状態じゃなくなったから、気持ちが昂ぶっているのかもしれない。


「行ってきます」


ケーキがヴァン辺りに食べられる前に帰ってこよう。
そう思いながら、携帯電話を耳に当てた。



『――・・・世界は・・・つ・な・が・る・・・』





続く



[17872] コール16 1stゲーム始
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:3563f643
Date: 2010/12/23 04:57
瞬間、静寂―・・・


耳に届く乾いた風の唸り声。土埃の匂いが鼻を掠める。
細かな砂塵が目に入る為、あまり長い間目を開けていられない。 

僕は確かに伊豆のエルモア・ウッドに居た筈なのだけれど、気付いた時には見知らぬ場所に立っていた。


「ここ、は・・・」


目に砂が入らないよう手で目の付近を覆いながら薄く瞼を開け、周りの状況を確認する。

地層がズレたかのような不自然な程に切り立った崖、大地に半身を呑まれた高層ビル。
見渡す限り植物の気配は無く、どこまでも赤茶けた岩肌が続く。

そして、光を奪われたかのように薄暗い空。


「・・・」


世界の終末。
そんな言葉が頭に浮かんだ。

同時にお婆さんの言葉を思いだす。


『近い内に、必ず世界は滅びる』


・・・ここはその滅んだ世界なのだろうか。

お爺さんの見た景色、お婆さんの見た予知夢、そして今目の前に広がる世界。
以前からもしかしたら、と思っていた事が現実味を帯びてきていた。

つまりサイレンは滅んだ先、未来の世界なのではないか。

確かめようもない事だ。
だけど、それでも一旦固まりだした疑念は、中々頭から離れなかった。


「ッ、ゲホっゲホっ!」


考えるのに頭を使っていたら、熱っぽかったのが本当に熱が出てきたような気がする。
頭もガンガンする。関節に異物を差し込まれたような鈍痛も感じ出していた。

これは、風邪確定だろう。


「っはあ・・・」


吐く息も熱を帯びている。

体調は最悪。しかもこれからどんどん悪化していくだろう。
それでもいつまでもこんな何も無い所に突っ立っている訳にはいかない。

とにかく、何とか帰る方法を探さないと・・・
お爺さんが帰って来た以上、帰る方法はあるはず。お爺さんはどうやって帰ったのだろうか。

フラフラとあてもなく歩く。
一歩進む毎に体力が削られて行くような気がした。


「オーイ!!」


「っ!?」


しばらく歩いていると、不意に声を掛けられて驚いた。
振り向くと、少し離れた建物から誰かがこちらに向かって手を振っている。

手を振っている人以外にも複数人の人影が見えた。
まさかこんな場所に僕以外の人が居るとは思わなかった。

しかし、よく考えれてみればサイレンへ行ったとされる人は多く居る。
ここがそのサイレンなら僕以外にも人が居ておかしくない。と言うより居ない方がおかしいのだろう。


「オーイ、こっちこっちー!!」


こっちが気が付いたと言う事を示すために僕も手を振り返し、そこへ向けて歩き始めた。
大声で返事をする気力は、あまり無かった。



◆◆◆



建物の中には、6人の男の人が居た。

眼鏡で金髪坊主頭の男。ニット帽を被り、風船ガムを膨らませている青年。
がっしりした体で、角ばった顔で髪の毛を後ろで一つに纏めた男。

貫禄のある体にこげ茶色の髪をした男、
どこかの制服だろうか、ブレザーを着てシャツをズボンから出している明るい茶髪の毛の逆立った青年。
そして、男達の中で最年長であろう、ジャンパーを着込んだ老け顔の男。

12個の瞳が僕を捕えていた。


「チッ、変なガキまでいんのかよ」


真っ先に角ばった顔の男が吐き捨てながら言った。


「・・・どうも」


変とは髪と右目の刺青の事だろうか。ガキ呼ばわりされたけれど、それは事実だから別に腹は立ったりしない。
それに、今は腹を立てる元気も無かった。とにかく腰を下ろしたい。立っているだけでしんどかった。


「キミも、カードを使って・・・?」


全員が興味を失くしたように僕から目を離す中、貫禄のある、悪く言えば太った男の人が僕に話しかけてきた。
男の人が言いたいのは、カードを使って、気が付いたらここに居たのか?と言う事だろう。


「・・・ええ、まあ一応」


答えながら、足で床に散らばる礫やガラス片などをどけた。
そしてそこに座り、息を整える。

男達を見ると何かの話し合いをしていた。
僕がその話し合いに入れられないのは、子供の相手なんかしていられないと言うことだろうか。

ホントは僕だって情報が欲しいのだけれど、相手にされないし、しんどいしで横から眺めるだけだった。


「なんか、随分大変そうだね。具合悪いの?」


弱々しく息をしていると、まだ傍に居た太った男の人が話かけてきた。


「・・・多分風邪です。それより、あなたは話し合いに参加しなくていいんですか?」


「あいつらどうも荒っぽくてね・・・さっきから除け者扱いされてたんだ。

キミ、いくつ?どこから来たの?」


太った男の人も僕の隣に腰を下ろした。どうしてか、やけに親しげに話しかけてくる。
僕としては嬉しいんだけど、熱で朦朧としてきているから話すのはしんどい。


「歳は、9歳です。伊豆の方に住んでました」


「9歳かー。僕もこんな事になって泣きたいんだけど、キミみたいな小さな子の前じゃ泣いてられないな。

あ、僕は愛知の豊口市に住んでるんだ。千葉拓也って言うんだ。よろしくね」


「天樹院ファイです。こちらこそよろしくおねがいします」


ホントは実年齢も不明なんだけど、身長的にエルモア・ウッドのみんなと同じくらいだから9歳としておいた。
向こうが名乗ったのでこっちも名乗らないと失礼だから自己紹介する。


「・・・天樹院だって?」


僕たちの話が聞こえていたのか、眼鏡の男の人がこちらを向いて言った。
他の男達もそれに釣られて一斉にこっちを向く。


「まさか、サイレンの謎に懸賞金を掛けたあの天樹院エルモアの関係者か?」


眼鏡の男が近寄ってきた。
そして僕の目線に合わせるように屈んだ。


「・・・天樹院エルモアは僕の保護者ですが・・・」


「サイレンの謎を解いたら、5億・・・。ほんとなのか?」


ああ、そうか。
お婆さんの掛けた懸賞金に釣られた人もこの中に居るのか。


「・・・ええ、本当です。お婆さんがそう言ってました」


今、この場で僕に注目しているのは4人。
眼鏡の男と、髪を纏めた男、老け顔の男、そして千葉さん。

ニット帽の青年とブレザーの青年は興味無さそうにそれぞれ床と壊れたデスクの上に座っていた。

千葉さんが僕を見るのとは異質な目で男3人が僕をじっと見つめていた。
多分、この3人が懸賞金目当ての人達なんだろう。


「おいガキ!適当なこと言ってんじゃねえだろうな」


髪を纏めた男が便乗して尋ねてくる。


「・・・証明なんてこの場じゃできませんけど、この場で天樹院の名を語る理由がありますか?」


いい加減に喋るのがしんどい。
それに、なんだか懸賞金目当ての人達はギラギラしていてあまり近寄りたくない。


「・・・ケッ!」


「5億の話はデマじゃなかった、か。しかも良い証人まで見つけた。

オレ達は5億にグッと近づいた訳だ・・・!」


眼鏡の男が言った。
他の懸賞金目当ての二人もニヤけるのを抑えられないと言ったようだった。


「あ・・・!あれは!」


そんな、何となく嫌な雰囲気の中突然千葉さんが声を上げた。
窓の外を見つめて何かを指さしている。


「オーイ君達ーッ!!!こっちこっちー!!」


手を外に向けて振っている。
あの様子だとまた新たに人を見つけたのだろう。

座るのも怠くなってきた。少し、横になろう。

・・・これからどうなるんだろうか。
寒気が背中を走り、心細さと不安が入り交じって精神的にも少し辛かった。




◆◆◆



新しくこの建物にやって来たのは、制服を着た高校生らしい二人の男女だった。

黒いツンツンの髪と短ランの男の人が綺麗な長い髪の女の人を背負っている。
どうやら女の人は気を失っているらしかった。


「どうやら君達も僕らと同じ状況のようだな」


代表するように眼鏡の男が二人に声を掛けた。
新たな参加者に再び全員の視線が注がれる。


「ああ・・・」


気を失った女の人を背負った短ランの人は生返事をする。
そして女の人を床にそっと下ろした。

それから、脇目もふらず部屋の隅にあった公衆電話へ向かう。


「くそ!!」


何が目的なのか良く分からないが、壊れている公衆電話の受話器を取りボタンをガチャガチャと押した。
助けでも呼ぼうとしたのだろうか。


「壊れてるよ・・・オレ達だって試したさ・・・」


眼鏡の男が短ランの人を諫める。


「――・・・ねぇ、キミ達もここに来る直前・・・

妙な奴・・・いや・・・ネメシスQってやつが目の前に現れたりしなかったかい・・・?」


それまで沈黙を保っていた千葉さんがおずおずと短ランの人に尋ねた。
新しい人が来て、もう一度全員で話をする事になり、そこには千葉さんも加わっていた。

僕はやっぱり話し合いに参加させて貰えないが、せめて話だけでも聞こうかと体を起こした。


「やっぱり・・・あの妙チクリンなヤツがせやったんやな」


「オレの前にも現れた・・・!!

本当にいたんだ・・・秘密結社 サイレンの遣い・・・怪人ネメシスQ・・・!!」


関西出身だったらしい老け顔の男が関西弁で言う。
その後にはニット帽の青年が続いた。


「待ってくれ・・・!!じゃ、もしかしてここにいる全員とも・・・?」


「そーみたいだな・・・」


状況がまだよく飲み込めてないらしい短ランの人、もとい短ランさんが言い、髪を纏めた男が答える。
そして、眼鏡の男が話を総括するように最後に言った。


「ここにいる全員がテレカを手に入れ、公衆電話でアンケートに答えた・・・

その僕らが今・・・。このどこかも分からないこの荒野に連れてこられてしまったというわけさ。


キミだって外を見れば・・・・・・ここがもう日本ですらないことは分かるだろ・・・?」


・・・確かに日本にはあんな風景の場所はない。現代、では。
ただ、未来だと言っても仕方がない気がする。
僕だって確証がある訳ではないただの推量だし、なにより言っても信じないだろう。未来だなんて。


「フザケんなーーッ!!!じゃ、ここはどこだッて言うんだ!!?」


「知るかーーッ!!今それを話し合っとるんだろうが!!!」



「あぐぅ・・・」


短ランさんと眼鏡の男の怒鳴り合いが頭の芯にまで響いた。思わず声が漏れる程の頭痛に身を捩る。
そんな僕を無視して話し合いは続く。



「――・・・しかし、一体どうやったんだ・・・?家にいたら頭の中でベルの音がして・・・

オレはあっという間にこの荒野につっ立ってたんだ・・・」


髪を纏めた男が腕を組みながら、思案するように言った。


「そうだ・・・ベルと一緒にネメシスQが現れ・・・」


「ケータイをとった瞬間ここにいた・・・!!」


千葉さんを補うようにニット帽の青年が言う。全員同じ経験をしたみたいだ。
僕は来る直前にはネメシスQを見なかったんだけど、気付かなかっただけか。


「多分・・・あのベルにゴッつい催眠効果が仕込まれ取ったんちゃうか・・・!?

そんでワシらは気ィ失っとる間にここへ運ばれて来たっちゅうわけや・・・」


・・・前から気にはなっていた。あのネメシスQという存在。

直接会った時にも確認した訳では無いけれど、トランスのPSIで侵入されたことも考えたら、
あのネメシスQは何らかのPSIの力が関係している気がしてならない。
PSIの力ならばこんな状況が作り出されてもおかしくはない。

ただし、よっぽど強力な力を持つ存在にしかこんな事は無理だ。
・・・誰なのだろうか。コレを仕組んだ人というのは。


「ククク・・・まァ何だっていいさ・・・!どうやら決まりだ・・・!!

オレは今・・・!とうとう都市伝説サイレンの尻尾を掴んだんだ・・・!!

ここがあの・・・!秘密結社 サイレンの・・・楽園ってやつに違いねェ・・・!!」


髪を纏めた男がいちいち強調しながら言った。


――空気が、変わった。


「よ・・・喜んでる場合じゃないでしょう!?これは完全な拉致じゃないか!!」


「オレも嬉しいね・・・!!オークションでテレカにはたいた大金はムダじゃなかった・・・

大量の人間が失踪した事件の謎に・・・オレは今迫ってるんだ・・・!」


「っ!?」


その不穏な空気を感じ取ってか、千葉さんが怯えたように言うが、
それを否定するように眼鏡の男が言った。


「ワシもや・・・ここに連れてこられた人間はこっからどうなるのか・・・

サイレンがどう仕掛けてくるか興味シンシンやで・・・!」


「突然だったけど後悔はないね・・・!楽しくなってきた・・・・・・!」


千葉さんに追い打ちを掛けるかのように関西弁の男とニット帽の青年も言う。
自分の意見に賛成の人がいなくて千葉さんはもう涙目になっていた。

そもそも、サイレンの謎を追おうとする人間が、まともな思考をしている訳がなかった。
金目当てか、オカルトに対する好奇心か。サイレンを追う動機なんてそんなものなのかもしれない。

突然置かれた状況に戸惑っていた空気が、サイレンの謎に迫ろうとする方向へ流れが変わり始めていた。


「この際だ・・・!今の内にお前らにも警告しとくぜ・・・!!

サイレンの謎を解くのはこの俺だ・・・!邪魔する奴はブッ殺す・・・!!」


髪を纏めた男がその口火を切る。
そのせいで流れが、完全に変わってしまった。


「痛い目に遭いたくなきゃ大人しく俺に従うこった・・・俺は本気だぜ・・・!!」


「・・・ッふざけやがってこのダルマ・・・!」


「何やワレ独り占めするつもりかいな!」


止めをさす男の台詞。ニット帽の青年と関西弁の男が触発される。
目に見えて緊張感がその場を包んだ。


「うう・・・僕はテレカを拾って・・・それを一度使ってみただけなのに・・・!

どうしてこんなことに・・・!」


触発されたのは怒りだけじゃない。
千葉さんの不安感が限界に達し、泣きごとを漏らし始めていた。

・・・嫌な空気だ。
怒りにしろ、不安にしろそれが自制出来なくなってきている。
しかもそれは感染し、連鎖するようだ。
全員が先程と違った雰囲気を醸し出していた。


そんな時。


ずっと今まで沈黙し続けていたブレザーの男が立ちあがった。
ゆったりとした足取りで、けれど真っ直ぐに髪を纏めた男の方へ歩いていく。


「お・・・?」


至近距離までブレザーの男が近づいて、やっと髪を纏めた男が気が付いた。

そして、ブレザーの男は、予備動作無しで固めた拳を振りぬいた。
拳は髪を纏めた男の顔面のど真ん中を打ち抜き、男は後方へ吹き飛ぶ。


「邪魔だ。お前が死ね」


鼻筋から上唇の真ん中の人体の急所を同時に二つ捕えていて、とても痛そうだった。


「・・・げ・・・!思いだした・・・!アイツ地久羽(ちくわ)高の朝河じゃんか・・・!!」


「アサガ・・・?」


今男を殴ったブレザーの男を知っているらしいニット帽の男がそのニット帽を押さえながら、
なにかおっかない物をみるかのように言った。

それに短ランさんが反応する。


「ウチの地元のチンピラの吹き溜まり地久羽高の有名人さ・・・

"ドラゴン"朝河だよ・・・!なんでこんなとこいるんだよ・・・!!」


ブレザーの男、ドラゴンさんが振り返り、全員を見渡しながら言った。


「オレは金目当てじゃねェ・・・!人を探していたらこんな所へ飛ばされた・・・!

サイレンのテレカを持って消えたタツオって後輩を探してる・・・誰か知ってる奴いるか・・・?」


全員は突然の出来ごとに茫然としていて、ドラゴンさんの質問に答える人は居なかった。

そして、また空気が変わる。より険悪な方向へ。
殴られた男が立ちあがった。


「~~~テメェ・・・ブッ殺してやる・・・・・・!!!」


男は懐に手を突っ込み、銀色に鋭く輝く小型のナイフを取りだしていた。

・・・どこかで見たような光景。どうしてもあの雪の降る日を思い出してしまう。
だから僕は、微かに震える右手を、前に突き出していた。


「……ホォ・・・やってみろ。ハズすなよ・・・」


ドラゴンさんが更に挑発する。
お互いに一触即発な雰囲気だった。

イメージを精神の深層から呼び起こし、それを昇華させる。
作り出すは不可視の掌、テレキネシス。



・・・投影。



「な、なッ!?」


ナイフは男の手を離れ、硝子窓を突き破って物凄く勢いよく外へ、銀の軌跡を描きながら飛んで行った。
男には何がどうなったか全く分からないだろう。

そして、周りで見ていた人達には男が突如ナイフをすっぽ抜かしたようにしか見えない。
男は、戸惑っているようだった。


「何やってんだ・・・?」


「う、うるせえ!!こうなったら直接・・・!」


「やめろ!!今は・・・!こんな事してる場合じゃねえだろが!!」


こうなったら僕も直接男をテレキネシスで押さえつけようかと考えていた時、
そして男がドラゴンさんに殴りかかろうとした時、二人の間に短ランさんが割って入った。

・・・てっきりこの場には見て見ぬフリをする人しかいないと思っていたから、短ランさんの行動は意外だった。
驚きと共に掲げた右手を、密かに下ろす。


「どけ・・・テメェも殴るぞ・・・!」


男が痛みと短ランさんの雰囲気に少々圧倒されたように言う。


「邪魔すんじゃねェよ・・・!これはオレの喧嘩だ・・・!!」


「じゃ、オレが両方買いとってやるよ」


やっぱりドラゴンさんは火の粉を払うのではなく喧嘩するつもりだったらしい。
この状況で喧嘩しようだなんて何を考えているのだろうか。


「ケンカなんざオレがいくらでも相手してやるよ。

・・・ただしこのクソみてぇな世界から抜け出してからだ!!」


短ランさんがそう啖呵を切った。
かっこいいのだけれど、それはこの状況で火に油を注いでいるとしか思えない。


「コイツ・・・!!」


予想通り、短ランさんの行動は余計にドラゴンさんを煽っていた。
ドラゴンさんの矛先が短ランさんに向きそうになる。

これはいよいよ僕が収めるべきか、と右手を浮かすか浮かすまいか悩んでいた。



"ジリリリン、ジリリリン、ジリリリン、ジリリリン、"



―・・・その時。
部屋の隅の忘れ去られた公衆電話が、けたたましく鳴った。



「なんだ!?電話が!?」


「壊れてたんじゃねーのかよ!!?」


誰が言ったかは分からないが、誰かがそう言った。


「ッ、とるぞ」


「あ、待ッ・・・!!」


「待てやオマエがとるて誰が決めてん!?」


短ランさんがドラゴンさんを無視して公衆電話へ向かう。
周りからの制止の声も聞いていないようだった。


「オイ!!聞いとんのか!?」


そして短ランさんは、受話器を取った。


―刹那、世界が姿を変える。


「何だあァァアアッッ!!?」


「うわあああああああ」


「ッぐ、これは・・・」


頭に響いてくる違和感。
気持ちの悪い浮遊感と、頭の中で反響する音。その二つに思わず胃の中の物を吐きだしそうになった。

この感覚は、恐らくトランス・・・!
アンケートの時に侵入された物か、それとも別の物か・・・

吐き気を堪えていると、音だけでなく声も聞こえてきた。
その声は、あの入国審査の時の女の声。僕の過去を握っているかもしれない人の声。



『――サイレンを目指す者に・・・・・・絶望と力を・・・!!』



サイレンを目指す者に絶望と力を。サイレンに辿り着いた者に世界の全てを

このゲームの出口はひとつ……!!


サイレンを目指す者よ・・・世界の出口を目指す者よ・・・』


そして頭の中に、一つの映像が浮かんでくる。
どこか荒れ果てた建物の中、その中には佇む一つの公衆電話が。



『 門"ゲート"を探せ―・・・!!!』



「!?戻った!!」


音声の終わりと共に、異常感は消え去った。
後には先程と何も変わらない世界が。胃がひっくり返りそうな感覚は残っていたけれど。


「オエ・・・!!何やったんや今のは・・・!!」


関西弁の男の口ぶりからすると、この場の全員が同じ感覚を味わっていたみたいだ。

しかし・・・これでお爺さんが帰って来た方法が分かった。
門"ゲート"・・・それが元の場所に帰る鍵らしい。
それを見つけさえすれば、帰れると。
このどこかもよく分からない広大な場所で、たった一つの公衆電話を見つけさえ、すれば。





・・・・・・無理じゃない?





「はあ・・・」


溜息とも熱のだるさからくる息ともつかない空気が肺から漏れた。

これからどうなるのかなあ・・・
どこか吹っ切れて他人事のように考えている僕が居た。

そして、異常事態というのは二度ある事は三度あるらしい。
ここに連れてこられた事、公衆電話からのトランス音声。


「ひいッ!!?」


「こッ・・・今度は何だ・・・!!?」


「一体何の音や・・・!!」



そして、窓の外から、正確には遠くの丘の向こうから拡声器による警報の音が、空気を震わせていた。

いい加減にしてほしい。もう異常事態はお腹いっぱいだ。
かのブッダだって三回までなんだから。

僕は今、忍耐度で言えばブッダに並んでいた。
すごいぞ、僕。




・・・あ、まずい。泣きそう。



◆◆◆



あの警報が鳴り終えた後、男の人達はゲートを目指して行ってしまった。
どうやら、あの警報がゲームの始まりの合図だと受け取ったらしい。

ここを起つ際に眼鏡の男が僕に言った。


『君はここにいろ。オレ達はゲートを見つけたら戻ってくる。大事な証人に何かあったら困るからな』


気遣ってくれているように聞こえるが、意訳をするならフラフラの子供なんか連れて歩くのは嫌だということだろう。

僕のお守りをさせられて他の男達に出し抜かれては困ると言ったところか。
迎えに来るというのも多分誰かが押しつけられる役割になるのだと思う。

ここに残ったのは、僕と千葉さんと、髪の長い女の人の三人。
何はともあれ僕はこの初めのビル内で待機する事になったのであった。

そういえば、行く直前になって短ランさんが男達と口論していたけど、あれは何だったんだろうか。


「なんでこんな事になっちゃったんだろうね・・・」


横にいた千葉さんが僕に話しかけるでもなく、自分に問うのでもなく、ボンヤリと虚空に向かって呟いた。

別に答えは期待していないのだろう、答えが返ってくるとも思ってないだろう。
ただ、口に出さずにはいられなかったと言った様子だった。

千葉さんは事態に戸惑っていると、競争相手を減らそうとする目論見からか、
足手まといだから来るなと男達から言われていた。

千葉さん自身も早く帰りたがっていて、ついて行きたそうにしてはいたが、
僕がここに残る事になると千葉さんもここに残った。


「キミは小さいのに偉いね。こんな状況になっても泣かないなんて。ボクはもう泣きたいよ・・・」


「・・・僕だってさっきちょっと泣きかけましたよ。でも泣いてても仕方ないですし」


今度は僕に言ったようなので返事をする。
この人はどうしてこんなに親しげにしてくるのだろうか。


「そうやって割り切れるのが凄いんだよ・・・。

そう言えば、キミ親は?突然居なくなって心配してるだろう?」


「親は、いません。僕はお婆さんに拾われたんです」


そう告げると、明らかに千葉さんがしまったという顔をした。
いや、もしかしたら居るのかもしれないけど、分からない。覚えていない。

記憶がないことまで話すとややこしくなるのでそこは黙っておいた。


「・・・ごめん、無神経なこと聞いちゃって」


「いいんですよ。家のみんなを本当の家族みたいに思ってますから、親が居なくても寂しくはないです。

そういう千葉さんはどうなんですか?」


こっちが会話の受け身になってばかりじゃアレなので僕も尋ねてみた。


「僕は、普通の家だよ。親が居て、兄妹が居て。結婚相手はまだ居ないんだけどね。

・・・妹はまだ小さくて、キミくらいの歳なんだ。だからかな、どうもキミの事が他人事に思えなくて」


千葉さんはそう言ってははは、と笑った。
なるほど、やけに親しげだったのはそう言う事だったのか、と一人納得した。


「お互い、生きて帰りましょう。妹さんの為にも」


「・・・そうだね。よしっ!泣いてなんかいられないな!」


千葉さんはそう言って勢いよく立ち上がった。
別に立ち上がってもすることなんかないんだけど、立ち上がりたい気分だったんだろう。


「そう言えば、あの女の子は大丈夫なのかな。

気を失ってるみたいだったけど。あの黒髪の男の子も行っちゃったみたいだし」


髪の長い女の人の顔をのぞき込む。
僕も気になって近くへ寄った。

その時。



「あンのトサカ野郎ーッ!!!」


短ランさんの怒鳴り声と、短ランさんが何かに八つ当たりする音が聞こえた。




続く



[17872] コール17
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:3563f643
Date: 2010/12/23 04:57
「・・・外・・・外をウロつくのは止めたほうがいい・・・!」


建物を出て門"ゲート"へと向かおうとする男達に、黒髪の青年が言った。
思い出すのはこの建物に来る前の事。
突然見知らぬ土地に飛ばされた青年の耳に飛び込んできたのは、恐怖に彩られた男の叫び声だった。

そして、助けを求める男を絶望で塗りつぶすかのように現れた異形の化け物。
生理的嫌悪感を抱くムカデのような体に、人間のような顔。

青年よりも大きなその化け物は、男を牙のような顎で捕えると傷口から消化液を流し込み、溶けた男の肉を吸い始める。
その激痛に悶え苦しむ男。だがそれも長くは続かない。

既に絶命した男から溢れだす血を旨そうに啜るその化け物は青年の存在に気が付くと、
獲物を前にした獣のように青年に襲いかかって来たのだった。


「バケモンがいるんだよ・・・!!人間のカオしたムカデみたいなヤツで・・・!

オレよりデカくて・・・!そいつ人間を喰っちまうんだよ・・・ッ!!」


青年の言葉に一瞬男達はポカンと呆けた表情をして、お互いに顔を見合わせる。
全員が青年の言っている事が理解できないと言った様だった。


「ガハハハハハハハ!何言ってんだコイツ!」


「アハハハハハハ、頭ワリー!!」


「突然何を言ってるんだキミは・・・」


青年が突然妄言を吐いたと判断し、嘲笑する者もいれば呆れて青年の正気を疑う者もいた。
各人の反応は様々だが、青年の言葉を信じていないという点では共通していた。


「本当だって!!オレも襲われたんだよ!!」


男達の全く信じていない様子に若干の苛立ちを込めながら、青年が続けた。
しかし、それもニット帽の青年によって遮られる。


「とにかく!外に出るのは少し様子を見た方がいいって・・・!!」


「ハッハァーン・・・わかったぜ・・・お前さァ、オレ達を行かせたくないんだろ?

そーだよなァ・・・こんな場所に動けない女とガキとグズのデブなんかと置き去りなんてカンベンだよなぁ・・・」


ニット帽の青年が片方の口角を釣り上げながら言った。その目には嘲笑の色が浮かんいる。
そして、それが黒髪の青年の苛立ちを増長させた。


「ああ!?ちっげーよボケッ!!」


「じゃあ証明しろ。あるんだろ?死体がよ・・・」


朝河の言葉に苛立ちを何とか抑え、青年と男達は歩き出した。
青年が襲われた、あの場所へ。


(バケモンの死体を見りゃコイツらだって信じる・・・!!)


そう考えた末に青年はなんとか爆発しそうな苛立ちを抑えたのだった。
しかし・・・


「ッ……!?死体が、ない!?」


そこにあったのは、風に舞う細かな砂礫と、冷たい岩肌だけだった。


「アーーッアホらしいわァーーーッッ!!」


「とんだ時間の無駄だったな・・・」


「クソガキ・・・」


片膝を付き、呆然と岩肌を見つめる青年に容赦なく男達の罵倒の声が降りかかる。
しかし、青年の頭は疑問で占められ、男達の声は届かなかった。


(ムカデの死体も男の死体も消えちまってる―――・・・!!

血の跡すら無いなんてそんなバカな事が――・・・!!)


「ガッカリだぜ。狼少年クン」


擦れ違った朝河にそう声を掛けられた時、ようやく青年はハッと気が付いた。
瞬間、怒りが込み上げてくる。


「・・・んンだとコラァアッッ!!!」


だが、男達は最早青年の言葉に耳を傾ける事は無かった。
そうして、男達は青年に背を向けて去って行ってしまった。



◆◆◆



『あンのトサカ野郎ーッ!!』



短ランさんの怒鳴り声と、何かと何かがぶつかり、そしてそれが落下する音が聞こえてきた。
女の人を覗き込んでいた顔を階段の方に向ける。

見ると、短ランさんが階段を上がってきていた。
短ランさんは眉間にしわを寄せ、歯をギリギリと食いしばっていて、見るからに怒っている様子だった。
男達とどこかへ行っていた間に何かあったのだろうか。
男達の姿が見えない事も関係しているのかな。


「ッ!お前ら雨宮に何してんだ!!」


女の人、どうやら雨宮さんというらしい、を覗きこんでいた僕と千葉さんに向かって短ランさんが駆け寄ってくる。
すごくピリピリした感じで正直怖い。


「な、何もしてないよ・・・ボク達はこの子が心配で・・・キミもどっか行っちゃうし・・・」


短ランさんの様子に圧倒された千葉さんがしどろもどろに自己弁護する。
知らない人間が気を失った連れの傍で何かしていたら、たしかに焦るだろう。

だけど、短ランさんの言葉には焦りだけじゃなくて、怒りみたいのも含まれていた。
何があったかは知らないが、八つ当たりは勘弁して欲しいと思う。


「・・・僕達はこの人の様子を見てただけです。

それより、何かあったんですか?随分と荒れてるみたいですけど・・・」


「ああ!?

ッ、ああ・・・。アイツら人の話も聞かねェでどっか行っちまったんだよ。クソッ」


荒れてる事を指摘して一瞬怒鳴られるかと思ったけど、何とか抑えてくれたみたいだ。

短ランさんの話を聞くと、どうやらあの男達は短ランさんの様子を見てからにしろという制止も聞かずに、
門"ゲート"を探しに行ってしまったらしい。


「お前らは何で行かなかったんだ?」


近くの廃材に腰掛けながら短ランさんが尋ねてきた。


「・・・僕はあの人達にここにいろって言われましたから」


「ボクは、アイツらに足手まといだって言われて・・・」


短ランさんが腕を組みながら僕と千葉さんをじろじろと交互に見る。
そして、どこか納得したように息を吐いた。


「まァ、確かにお前らじゃアイツらに付いて行けそうにないもんな・・・

特にお前、どうしたんだ?雨宮程じゃねェが、お前も随分とキツそうだぜ?」


僕がぐったりしているのを見て短ランさんが言った。
実際かなり辛い。来る前に風邪薬飲んでおけばよかったと激しく後悔していたところだ。


「・・・風邪だと思います。まあ多分気絶したりはしませんから大丈夫ですよ。

それより、雨宮さんはどうして?」


「・・・分からねえ。こっちに来て、会った時にはもうこんな状態だったんだ」


短ランさんが雨宮さんの顔を見たのに釣られて、僕と千葉さんも雨宮さんの顔を見る。

すると、雨宮さんの長い睫毛が眼鏡の奥で微かに動いた。
ゆっくりと開かれる瞼。


「・・・・・・ん・・・」


開かれた瞳は、焦点がしっかりと定まっていなかった。


「雨宮!!まだ動かねェ方がいい・・・!」


「う・・・ぐ・・・けほっけほっ・・・!!」


短ランさんが急いで傍に駆け寄る。
雨宮さんは激しく咳き込み、起き上がるのも無理な様子だった。


「ほ・・・他の人達・・・は・・・?」


雨宮さんは僕と千葉さんを見て一瞬安堵したような表情になったが、
辺りを見渡してこの場の4人以外居ない事に気付き、短ランさんに尋ねた。


「行っちまった・・・!電話がかかって来て・・・」


倒れそうになった雨宮さんの体を支える短ランさん。


「みんな・・・門"ゲート"ってやつを探しに行っちまった・・・!」


それを聞いた時、弱々しく閉じられていた雨宮さんの目がカッと見開かれた。
そしてそのまま支えている短ランの胸倉を掴んだ。


「どこへ・・・!!!そいつら一体どこへ・・・ッどっちに行ったのッ!?」


「サッ、サイレンが・・・!!

電話の後警報が鳴って・・・!そっちへ行ったんだよッッ!!」


雨宮さんに首を極められ、苦しげに短ランさんが言う。
突然の事に茫然とするしかない僕と千葉さん。この二人の会話に割って入れる自信は無かった。


「サイレン・・・・・・!!サイレンの方へ・・・?」


何かショックを受けたような、蒼白な顔を雨宮さんは俯けた。
短ランさんの首を絞めていた両手は力なく地に付いている。


「・・・あああ・・・!ああああああ・・・!!」


そして、真珠のような大粒の涙をぽろぽろとこぼし始めた。

その反応をみて、僕の中では一つの可能性が浮かんできていた。
雨宮さんはこの世界について何か知っている、という可能性が。


「・・・雨宮さん、あなたは何か知ってるんですか?」


「・・・ええ・・・知ってるわ・・・

あの映像だけ・・・じゃ門"ゲート"は見つからないのよ・・・!!辿り着く前に・・・殺され・・・る・・・!!」


雨宮さんが息も絶え絶えに言う。
そんな事を尋ねたのでは無いのだけれど、今は尋ねている余裕は無さそうだ。


「げほっ!!げほ、げほっ!!」


「無理するな!雨宮!?」


雨宮さんが震える指を突き出し、何かを差す。
指された方向の先を見ると、そこにはあの公衆電話があった。


「・・・公衆電話・・・・・・!!

電話のメモボタンを押して・・・!早く・・・!!」


真っ先に短ランさんが駆け寄り、それに僕と千葉さんも続いた。
短ランさんが言われた通りにメモボタンを押すと、液晶画面に地形図のような物が表示された。


「これは・・・」


「地図・・・!

そこに・・・ゲートの位置が描いてある・・・!」


見ると、地形図の中に、何らかの意味を表すであろう、記号が記されていた。

Sの文字・・・これは恐らくスタートだろう。
扉の記号・・・これがゲート、つまりゴール。

そして不思議な記号。
足場のようなものの上に拡声器が置かれている記号。それを中心に色づけされた円が広がっていた。


「サイレン塔・・・」


後ろから雨宮さんのか細い声が聞こえた。
それに反応して全員が振り返る。


「あの警報は・・・門"ゲート"を探す手掛かりなんかじゃ・・・ないの・・・!地図の黒い部分は警戒区域・・・!

入ってはいけない場所・・・侵入した者は問答無用で殺される・・・!」


「こッ、殺される・・・!?」


殺される・・・つまり殺す存在がいるという事か。
一体誰が、なんの為に・・・?


「どッどういうことだ・・・!?雨宮・・・!ここはッ・・・!!

オレ達は今どこにいるんだ!?」


そう、それは僕が聞きたかった質問。
この世界は一体何なのか、ここは一体どこなのか。





「・・・教えてあ――・・・げ・・・」




「・・・未来」




全員が雨宮さんに注目する中、僕は何故かそう呟いていた。
僕の中で燻ぶっていた疑問がそうさせたのだろうか。


「ッ!?」


呟きが聞こえたのか、雨宮さんの顔は驚愕の色に染まっていた。


「なんであなたがそれをっ!?

まさか・・・あなたも漂流者(ドリフト)経験者なの!?」


雨宮さんに詰め寄られる。
この雨宮さんの反応それ自体が答えのようなものだ。

・・・やはり、未来か。
お婆さんの見た夢、お爺さんの見た景色、そして僕が見ているこの世界。

全てが、繋がった。


「漂流者(ドリフト)と言うのが何かは分かりませんが、僕がここに来たのは初めてです」


「じゃあ・・・じゃあどうして・・・?」


「それは、後でいいでしょう。それよりも・・・」


警戒区域に侵入した者は殺されるというのが引っ掛かっていた。
男の人が進んだ方向は、あの警報が聞こえてきた方向。

雨宮さんの言う事が本当ならあの人達は、殺されると言う事だ。


「ちょ、ちょっと待ってくれよ!

未来、ってどういう事だよ!!ここが未来の世界だって言うのかよ!?」


短ランさんが僕の言葉を遮る。
それを聞いて雨宮さんの目の色が変わった。

短ランさんを見つめるその目には、諦め、失望、苛立ちなど様々な、しかし等しく負の感情が浮かぶ。
堪えていたものが決壊したように雨宮さんは言った。


「フ、フフ・・・何よ・・・どうせアンタも信じないくせに・・・頭のおかしい女と思うんでしょ・・・!

みんなそうよ・・・私が何を言っても、いつも誰も信じなかった・・・!!

そして死んでいった!!いつも無駄!!!うんざりよ!!!」


最後は、叩きつけるよう、泣き叫ぶようだった。
雨宮さんの顔はもう涙でぐちゃぐちゃになっていた。


「・・・僕は、信じます」


「・・・え・・・?」


雨宮さんが涙で濡れた顔を僕に向けた。


「僕にも心当たりはあったんです。今やっと雨宮さんの言葉で確証が持てました」


「・・・あなた、一体・・・?」


「僕は天樹院ファイ、天樹院エルモアの家の人間です」


「サイレンに5億の懸賞金をかけた、あの天樹院エルモアの・・・?」


「詳しい事は後で話します。今はそんなことよりもあの人達の事が先です!侵入したら殺されるって・・・!」


そう言うと、雨宮さんの顔は再び涙で曇った。
両膝に顔を埋め、何かから逃れようとするようだった。


「塔に向かった人達はもう手遅れ・・・!でも私には関係ない・・・ッ

関係ないもん!!・・・もう・・・誰が死んでも・・・!!私にはどうする事もできないの!!!」


「そんな・・・!」


「私のせいじゃ・・・ないよ・・・ぅ・・・!」


雨宮さんは嗚咽を噛み殺しきれていなかった。
しゃっくりをする音、鼻をすする音が聞こえてくる。


「・・・なんかよくわかんねェけどよ。俺も信じるぜ、雨宮」


沈黙を保っていた短ランさんが、何かを決意したような目で、そう言った。
雨宮さんの嗚咽の声が途切れる。


「言ったろ。俺は元々お前を助けに来たんだよ。

それなのに、俺がお前を信じてやらなくてどーすんだ。オラ、顔上げろ」


雨宮さんがおずおずと顔を上げた。
うん、後でティッシュ渡しておこう。


「俺は、お前の味方だ」


そう恥ずかしげもなく短ランさんは雨宮さんの目をじっと見つめたまま言った。
雨宮さんはせっかく上げた顔をまた伏せてしまった。

伏せた意味は、さっきとは違っているだろうけれど。


「・・・クサイですけど、いい言葉ですね。クサイですけど」


「オイ、何で二回言うんだ」


短ランさんの言葉を無視して、僕は公衆電話の方へ向かう。
そしてケータイのカメラで地図を撮る。


「何してんだ?」


「・・・ただ、一つだけ僕は雨宮さんの言葉を信じません。

あと、ケータイ出して下さい、短ランさん」


顔を伏せていた雨宮さんも含め全員が僕を見た。


「なに・・・?」


「あの人達が手遅れだなんて、僕は信じません。きっとまだ間に合います。

赤外線通信で。コレ、地図です」


「あなた、まさか・・・」


雨宮さんが信じられない物を見るかのような目で見てきた。


「今からあの人達を追いかけます。急いで警戒地区の外まで引き帰らせれば何とかなる筈です」


「キミ、この子の話聞いてなかったの!?キミも危険じゃないか!!」


ずっと話に入れずに黙っていた千葉さんが抗議の声を発した。
僕は、千葉さんの目を見る。


「・・・千葉さん」


「なんだい・・・?」


「ありがとうございました。最初に話しかけてくれた時、すごく嬉しかったんです。

こんな場所でこれからどうなるか分からなくて不安だったんですけど、千葉さんと話しができて不安が和らぎました」


「そんなことっ・・・!

キミ、殺されたらどうするの!?生きて帰ろうって約束したじゃないか!!」


「僕なら、大丈夫ですよ」


言いながら微かに微笑んだ。
譲る気は微塵もなかった。


「・・・塔に近づくなっつールールに逆らってこのゲームをひっくり返す、か。なかなかいい考えじゃねーか。

俺も賛成だぜ、その考え。丁度これを企んだやつをブッ飛ばしてやりてぇと思ってたんだ」


そうしていると、短ランさんが僕に話しかけてきた。
頭の上に手をポンと置かれた。大きな掌だった。


「夜科ッ!!」


「ただし、お前はここにいろ。俺が行く。

そんなフラフラの子供(ガキ)が行ってもどうしようもねぇだろうが」


短ランさん、夜科さんが僕の目線に合わせて腰を屈めながら言う。
ああ、そうか。この人は僕をただのふらふらな子供だと思ってるのか。


「・・・ただの子供なら、ですが」


心の深淵からイメージを呼び起こし、具現化させる。
想像するのは灼熱の炎、とまでは行かないけれど、フレデリカが使っていた発火現象(パイロキネシス)。


掌に、小さな炎の華が咲いた。



「「「なッ!!?」」」


「子供は子供でも、ちょっと変わってるんです。これなら多少は役に立つと思いますけど」


「あ、あなたもサイキッカーだったの!?」


雨宮さんが一番早く現実に復帰し、尋ねた。
しかし、サイキッカーの事まで知っているとは。しかも、あなた"も"ってまさか・・・


「その話も纏めて後でします!そんなことより、急がないと!」


「あ、ああ・・・じゃあ、ホントにいいんだな?お前がいいんなら行くぞ!

そこのアンタ!雨宮の事は頼んだ!!」


「あ、ちょっと!!」


僕と夜科さんは千葉さんの制止も聞かずに、飛び出して行った。
僕の走る足がふらふらで危なっかしかったので、途中で夜科さんに負ぶわれた。



◆◆◆



男達が荒野を歩いて行く。

強く吹き付ける風と共に砂塵が舞い、ほんの少し先までしか見えない程に視界は悪かった。
服で覆われていない箇所に飛んできた砂礫が突き刺さり、痛みを覚える。

しかし、それでも歩みが止まる事はなかった。


「あれは、鉄塔・・・?」


歩みを進めると、隆起した岩壁の向こうに何らかの建造物の影が見えた。
しかし、やはり砂塵に遮られボンヤリとしたシルエットしか見えない。


「くそ・・・よく見えない・・・あれが警報の発信源・・・!?」


「門"ゲート"は近いぞ・・・・・・!!」


「どこかにビルか何か見えないか!?」


「あ――・・・シンど・・・」


男達は信じて疑わなかった。警報が示すのはゴールの在処だと。
自分達が間違っているのではないかなどと、男達は疑いもしなかった。

そして、物陰から自分達の命を刈り取ろうと狙っている者が居る事に、男達は気付きもしなかった。


「がッ・・・!?」


「何だ!?」


風を切って飛来したボウガンの矢が先頭を歩いていた眼鏡の男の右肩に突き刺さった。
唐突にもたらされた激痛に、眼鏡の男は肩を押さえながらパニックに陥る。

苦痛で歪められる男の表情。
何が起こったか理解しようと、その歪められた顔を矢の飛んできた方へ向ける。


「・・・あ・・・」


男の網膜に映った物は、迫りくる矢。それが男の最期に見た物だった。

眼鏡を粉砕してボウガンの矢が男の眼窩に突き刺さる。
矢は眼球を貫通し、脳を破壊し、男を呆気なく絶命させた。

男の体がグラリと傾き、少量の砂埃を巻き上げながら力なく地に伏せた。
俯けになった男の体に影が差す。
影は無防備になった男の後頭部に降り注いだ。

影は、男の頭蓋骨を砕き、脳を包む三層の髄膜を破り、血と脳漿で彩られた灰色の脳をブチまけた。
水の入った袋が破裂したかのように血飛沫と脳の一部が飛び散り、周りにいた男達の衣服を染め上げる。


「・・・アグロ・・・」


フルフェイスのメットのような物で顔を覆い、露出した肌のあちこちがクリップのような物で肉を留められている。
身に付けた衣服の上にはエプロンが掛けられ、そのエプロンには既に酸化し黒ずんだ血がこびり付いている。

眼鏡の男の脳と血で汚れた足で地を踏みしめ、その降って来た影、人の形をした化け物は不気味な言葉を呟いた。


「う、うわあああああああああああああああっ!!!」


男達は突然の出来事に頭が追いつかなかったが、一瞬の硬直の後、恐慌状態になる。
化け物は男達へと歩み寄って行った。
歩く度に鳴る靴底に付着した脳がプチプチと弾ける耳ざわりな音と、塩と鉄の臭いは、風に吹かれて消え行く。


「こっ、殺しやがった!!!」


「ヤベェッ!!ヤベェぞ!!!」


(なんだこいつは――!!?)


これから運動でも始めるかのように化け物は関節を鳴らす。
男達には、その音が無慈悲な死刑の宣告にも等しく聞こえた。

そして、化け物は虚空に向けてその口を開いた。


「ヒイイイイイィィィイ!!!」


空中に放たれたその鳴き声と思しき音は、荒れた地に木霊する。
数拍置いて、その声に応ずるかの如くまた形を異にする化け物が岩陰から姿を現した。


「ば・・・ッ化け物・・・!!?」


「に・・・逃げろ・・・!!」


残ったニット帽の青年と髪を纏めた男が正気に戻り、危険から逃れようとする。
しかしそんな中、朝河は一人化け物へと向かった。

助走から入りその勢いを殺さぬように左半身を半歩引き、左足に重心を預ける。


「調子ノッてんじゃねェよ・・・!!」


そして、裂帛の気合と共にその右足を振り下ろした。



◆◆◆



走る夜科さんの背に負われ、揺れる世界を眺めながら自分の内面を観察する。

僕はどうして、あの人達を助けに行こうと思ったのだろうか。
個人的にあの人達に良い印象を持っていなかった筈なのに。
死ぬかもしれない人を見捨てる事が出来ないという正義感から?

―・・・いや、違う。

少しでも知り合った人達が死ぬのは寝覚めが悪いから?

―・・・これも違う。

死の可能性が、怖かったから。

―・・・これだ。

あの人達が死ぬかも知れないと聞いた時、喩えようもなくただ怖かった。
自分とは関係の無い死の可能性なのに、何故だか分からないがまるで自分の事のように恐怖を覚えた。

どうしてそんな風に思考の回路が繋がるのかさっぱり分からない。
もしかしたら、記憶を失う前に何かあったのかも知れないが、それは考えても仕方のない事。

まあ、そもそも僕の内面の事なんか自体今はどうでもいいことだった。
とにかく、これからどうするかだけを考えるべきだろう。


「大丈夫ですか!?夜科さん!」


「ちょ、キツい・・・!今話しかけんな・・・!脇腹がいてェんだよ!!」


流石に僕を背負って全力疾走は堪える物があったみたいだ。夜科さんは息も絶え絶えになっている。
この歳くらいの平均体重からは大分下回るんだけど、それでも20キロを超えるからキツいのも当然か。


「地図ではこのまま真っ直ぐです!あ、返事はいいです!」


片手で夜科さんの首に手を回し、もう片手でケータイで撮った地図を見ながらナビゲートする。
多分、もうそろそろ塔に近づいてきた頃だ。


『ヒイイイイイィィィイ!!!』


突然、風の唸り声を切り裂いて前方から何かの鳴き声のような物が聞こえてきた。
それはまるで獣が咆哮するかのような声だった。

それを聞いて夜科さんの顔が、険しくなったのが背中側から見えた。


「な、なんですか!?今の!」


「・・・バケモンだ」


「え・・・?」


「ッ!!!」


規則的に揺れていた夜科さんの背中が急に一際大きく揺れ、そして揺れが止まった。
どうやら走るのを止めたみたいだ。


「チッ!!」


舌打ちが聞こえてくる。
夜科さんの首の向こう側を覗くと、そこにいたのは我が目を疑うような異形の怪物だった。

四本の人間の足のような物がでっぷりとした胴体から生えていおり、
背中には羽が畳まれ、顔は人間の顔を逆三角形に切り取ったかのような輪郭。
そして、人間の上腕を長くしたような二本の腕からは、まるで鋸の刃のような棘がびっしり生えていた。
人間とカマキリを足して間違って二乗したかのような姿の怪物だった。

それが、僕と夜科さんの前に立ち塞がっていた。


「・・・近づいたら問答無用で殺されるってこういう事かよ、クソッたれ!!」


「何か知ってるんですか!?」


「ああ。さっきの建物に行く前にアイツの親戚みたいのに襲われたんだよ・・・!

だから、止めたのに・・・ッ!あいつらまだ死んでねえだろうな!?」


どうやら、この世界は単なる滅んだだけの世界じゃないみたいだ。
未来は異形の怪物が複数存在する不思議な世界になるらしい。


「ギギ・・・!!」


怪物が鎌を左右に広げる。
どうやら威嚇しているらしい。


「ただで通してくれる訳じゃなさそうですね・・・」


「・・・どうする!?雨宮もいねェ・・・!!一体どうやってアイツを倒す!!?」


そうこうしている内に怪物がこっちに向かって来た。
大きな体に似合わず、その動きは素早かった。


「クッ!!」


「・・・夜科さんは、このまま真っ直ぐ行って下さい」


夜科さんの背を降り、掌を翳す。
怪物は、縛られたかのようにその場で硬直している。


「ギ!?」


「なっ!?」


「ここは僕に任せて!早く!!」


僕は見えざる掌、テレキネシスでカマキリの怪物を押さえつけていた。
さあ、ここからが僕の頑張り所みたいだ・・・!





続く



[17872] コール18
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:3563f643
Date: 2010/12/23 04:57
「調子にノッてんじゃねェよ・・・!!」


右踵が人の形をした化物の左側頭部を捕らえる。
肉を打つ鈍い音が辺りに響き、化物は地に伏せた。


「お・・・!!おお・・・やッちまえッ!!!」


逃げようとしていた髪を纏めていた男が振り向きながら言う。
男に命令される事に若干の苛立ちを覚えるが、それを無視し朝河は振り下ろした右足で地を踏みしめ、倒れた化物に駆け寄った。

化物が起き上がろうとするのを遮るかのように何度も踵を打ち下ろした。
顎、喉、鎖骨、肋骨、水月、膀胱、股間・・・

ヘルメットで覆われている顔面と頭部を除く、およそ人間の急所とされる体の中心を容赦なく打つ。
喧嘩に明け暮れる日々で培った知識と、力。普通の人間ならば絶命する程の威力だった。

しかし、朝河の判断は誤っていた。
それは相手を人間の範疇に考えていた事。

突然一人の人間の命を散らせた化物を、決して侮っていた訳では無い。
ただ、仕方のないことだが、人間を超える化物と出会った事がなかった事が朝河の不運だった。

朝河の中の常識が化物の力を計り損なわせたのだった。

朝河の足が急に空中で止まる。
どれだけ力を込めようとも、ピクリとも動かない。
まるで万力で締め付けられたかのような感覚を、朝河は覚えていた。


「!!」


しかし、その感覚も刹那の物だった。
直後、脳と三半規管が激しく揺さぶられ、気味の悪い浮遊感が朝河を包む。
重力でも突然狂ったのかと、朝河は一瞬考えた。
だが、その答えが思考の中で出る事はなかった。

自分が投げ飛ばされたのだと気が付いたのは、岩壁に背を強かに打ち付け、その痛みを認識してからだった。


「エイブラハム・・・・・・」


化物は打ち下ろされる朝河の足を掴み、不安定な姿勢からその膂力のみで身長190cmにも届きそうな大男を投げ飛ばしたのだった。
そして、化物には朝河の攻撃によりダメージを受けた様子は見られなかった。

朝河の肺から僅かに息が零れる。
その後は痛みの余り呼吸することすらままならなかった。

岩壁に激突する瞬間、咄嗟に顎を引いて後頭部を打つ事を避けられたのは、
死を避けようとする朝河の本能的な判断からだった。

自分がまだ生きている事を微かに感じながら、朝河は意識を手放した。

投げ飛ばした朝河の方を一瞥し、化物は起き上がろうとする。
しかし、そこに髪を纏めた男による岩石が化物の頭に打ち据えられた。


「へ・・・へへ・・・!!」


体勢が整っていない今が好機だとでも思ったのだろうか。
不意打ちが決まって男は不敵な笑みを浮かべた。
その笑みを浮かべる男の足下で、化物が唸る。
膝をついた姿勢のまま、化物が男の足首を掴んだ。


「あが・・・!!?」


そして、握力のみで男の足首を握り潰す。骨が砕ける乾いた音が鳴った。

男がみるみる腫れていく足首を押さえて蹲る。
それとは反対に化物は立ちあがった。


「・・・アグロ・・・」


化物は蹲っている男を見下ろす。
拳を固めた右手を掲げたと思うと、一気にそれを男の頭へと叩きつける。
如何に丈夫な頭蓋骨と言えど、それも岩の硬度の前では無意味な物だった。
化物の拳と岩の地に挟まれ、男の頭は原形を留めなかった。

首から上を肉塊に変えた男の死骸の周りには、視神経が繋がったままの眼球、砕けた歯、そして血と脳漿が散乱した。
それらを見る化物には、何の表情も浮かんでいなかった。

ニット帽の青年が化物のいる後ろを振り返りながら必死の形相で逃げていった。
青年が一瞬前を確認し、化物から目を離した瞬間、青年の背にボウガンの矢が牙を立てた。

化物は無言のままボウガンに矢を装填する。
そして、辺りを見渡した。

嵐のような暴力が吹き荒れた後、辺りにはもう動く生物は存在していなかった。
ただ、空虚な風が吹き抜けていくだけだった。



◆◆◆



僕と怪物の間に、一陣の風が吹いた。
怪物は低い唸り声を上げながらこちらを睨み付けている。

それは、獲物を前にしてお預けを食らわせれたような獣の瞳だった。


「早く行って下さい!」


「でっ、でもよ・・・!」


怪物との膠着状態を続けながら、夜科さんに向かって言う。
しかし、夜科さんは目の前の怪物と僕を見比べて戸惑っているように見えた。

純粋にあの怪物が怖いのか、それともあんな怪物と僕みたいな子供だけを残して先に行く事の罪悪感か。



「僕なら大丈夫です!」


夜科さんは僕の掌を、そしてその先にいる身動きが取れなくなっている怪物を見た。
心配してくれているとしたら嬉しいのだけど、はっきりと言ってしまえば夜科さんがここにいてもどうしようもないだろう。


「大丈夫ですから・・・」


「・・・クソっ、すまん・・・!死ぬなよ!!」


僕の真剣な表情を見てか、夜科さんは納得は出来ないけれど、理解は示してくれたと言ったようだった。
怪物の横を真っ直ぐに駆け抜けて行ってくれた。

夜科さんの背中が見えなくなった所で、少し安堵。そして更に気を引き締めた。

テレキネシスで押さえつけられた怪物は、何とかその支配から逃れようと暴れる。
それに負けないように僕も力を加える。脳が軋むような気がした。

必死でテレキネシスに力を加えながら、僕は頭の片隅で違和感を覚えていた。


僕は、こんなに強い力を出せたっけ・・・?


思えば、あの建物で男がナイフを取り出した時も変だった。
いつもの調子で力を使ったら、想像した以上の力が出てナイフが建物の外にまで飛んでいったのだった。

この世界に来てから、枷が外れたように力が上昇している。頭への負担も小さい。
PSIのブレが収まったのだろうか・・・?

いや、そんな事はない。しっかりとブレはある。
ただ力全体が底上げされたような、そんな感じだった。


「ギギ・・・!」


そんな事を考えていたら、怪物の動きが激しくなってきた。
今は原因を考えている場合じゃない。
この力の変化をありがたく利用させて貰おう。
負担が小さいこの状態なら、できるかもしれない。


『そうだ、頭は一つしかねえ。だからな、頭の中で頭を増やすんだ』


瞳を閉じると、いつか聞いた言葉が蘇った。
それと以前に複数の能力を平行して展開しようとした時に味わった、あの脳が灼ける感覚も。

テレキネシス操って前に突き出している右手。
そして、空いている左手の掌を虚空に向けた。


―平行思考"パラレルタスク"―


テレキネシスで占められている思考を割く。
もう半分を、一撃で怪物を倒し得る力、パイロキネシスに。


「・・・ぐっ!」


頭の奥が灼けるように熱い。
でも・・・この程度なら耐えられる!

そして、左手に炎が咲いた。朱い尾を引きながら火球は空を舞う。
フレデリカのような鮮烈な朱ではなく、何処か白くくすんだような華だった。


「できた・・・!!」


「ギギギ!!」


同時に怪物の動きが一層激しくなり、伏せられていた体を起こした。
もう直にテレキネシスの縛鎖が解けてしまうだろう。

そうなる前に、潰す・・・!


「ごめん。みんなの力、傷つけるために使うね」


力を暴力として使う事に対して、胸中に罪悪感が生まれる。
その罪悪感を打ち消すように誰に向かってでも無く呟いた。

そして、まだ完全には身動きが取れないカマキリの怪物に左手を向けた。
頬に火球の熱を感じ、それから火球が大気を焦がしながら怪物へと奔った。


「ギッ・・・!ギギィ!!!」


「っ・・・!」


しかし、怪物の目前へと火球が迫った時、怪物が炎に恐怖を覚えたからか、
力を振り絞ったかのように一際大きな力を発揮し、縛鎖から抜け出した。

怪物は僅かに体を横にずらし、火球の射線上から逃れる。
そして、怪物はその横移動から間を置かずに僕に向かって来た。


「くっ!」


焦りを覚え、向かってくる怪物を迎撃するために再び炎を掌に灯す。
しかし、その掌を怪物の方に翳した時、怪物は地上に存在していなかった。
折り畳まれていた羽を広げ、吹き付ける風に逆らいながら怪物は空を舞っていた。
展開した羽を高速で羽ばたかせこちらへと向かって来ている。

カマキリは空を飛ぶのが苦手だった筈だけど、そもそもあれはカマキリじゃなかった。
カマキリっぽい何かだった。カマキリと同じに考えてはいけない。

自分よりも体の大きな異形の怪物が、大きな体に似合わない程の速度で飛んで向かって来る。
今度はこちらが恐怖する番だった。羽が高速で大気を叩く唸るような音が余計に僕の恐怖感を煽った。

火球を飛ばす。

怪物は空中で進行方向を変え、簡単に火球を避けた。

怪物は両腕を広げた。棘の生えた腕の内側が露わになる。

どうする・・・!

あの動きの速さじゃ多分怪物の攻撃はかわせない。炎も当たらない。

どうする・・・!!


「・・・だったらっ!」


思考の分割を一旦全てカット、そして全力でマテリアル・ハイに力を注ぐ。
大気と僕のPSIが配合、圧縮されて出来る白濁したプレートが具現した。

そして怪物がプレートに激突。


「ギ・・・!ギ・・・!」


なんとか間に合った。
マテリアル・ハイが防御壁の役割を果たしてくれる。

怪物は半透明なその壁の向こう側で、涎を撒き散らしながら牙をギチギチと鳴らしていた。
よく見れば怪物は複眼になっており、その緑の目の中心にある黒い点の偽瞳孔が僕を睨みつけていた。
本当はカマキリには瞳孔はなく、角度的に目の奥まで見る事が出来る位置が黒い点に見えるだけだ。
それが偽瞳孔なのだけれど、分かっていながらもこの状況では怪物の瞳が僕を捕えているようにしか思えなかった。

怪物が壁に遮られている間に距離を取る。
防げたのはいいが、攻撃しようもないという状況だった。

一番威力の高い炎は当たらないし、テレキネシスでは怪物を屠るのに力が足りない。
心羅万招とマテリアル・ハイでは攻撃手段たり得ない。

一体どうすれば・・・

とにかく壁に纏わり付いている怪物を攻撃しようと左手を向けると、それを見た怪物は壁を蹴って再び空へと舞い上がった。
吹き付ける風が存在しないかのように危なげなく飛んでいた。
どうしようもない状況に、いよいよ焦りが全身に廻り嫌な汗が流れ始めた時、
マテリアル・ハイの防御壁を見て思いついた。


「・・・試してみる価値はある」


意識の半分を怪物に向ける。もう半分は自分の内側へ。
一つの思いつきを実行するために、イメージを作り出すために、僕は心の深淵へ潜り始めた。



◆◆◆



(――・・・クソッ、何なんだアイツらは!?)


自らの体の痛みで意識を取り戻した朝河は、荒い呼吸を上げながら伏せていた体を起こした。
目を覚ますと直ぐに先程の得体の知れない化物に対しての恐怖心がこみ上げてくる。


(体が・・・動かねェ・・・!!)


痛む体を無理矢理に引きずる。
それは、少しでも脅威から遠ざかろうとする、生物の本能がそうさせていた。

ある程度進んだところで、朝河は体が無意識的に動いていく方向へ向かってふと顔を上げた。


「っ!!」


そこには先程人の形をした化物が呼び寄せた、更に異形と言うに相応しい姿をした化物が立っていた。
昆虫のような6本の足に、芋虫のようなずんぐりとした巨躯。
血管が浮き出たようなぼこぼこの表面の皮膚からは、3個ずつの眼球が左右両側それぞれに生えていた。


「ギィ、ボォ」


化物が涎を啜る音と共に獣の鳴き声を漏らす。

化物が朝河へ向かって歩を進める度に地響きが鳴った。
口を開けると、中から二叉に分かれた舌が伸びる。朝河を食わんとする意志が見て取れた。


(――タツオ―・・・)


逃げようとしても、体が上手く動かない。
朝河が生きることを諦めかけた時、脳裏に浮かんだのは探していた後輩の名前だった。

―その時。


「どっけええええええええええええ!!!」


怒号とも咆吼とも取れるような大声が朝河の耳に届いた。


「テメエは!!」


朝河が声のした方を見ると、それは先刻建物で朝河と男の喧嘩を買い取ると宣言した夜科だった。
夜科は抜き身の刀を思い切り振りかぶり、それを思い切り振り下ろす。

金属が硬質な物を打つ音が辺りに鳴り響いた。


「おらボサッとしてんじゃねーよこのウスラデカーーッ!!!」


「誰がウスラデカだ誰が!!?」


夜科のその叱咤に反発するように、朝河は震える膝に渾身の力を込めて立ち上がる。
しかし、それと同じく化物も体を起こす。


「全ッ然斬れねーじゃんこの刀!?」


化物にダメージが全く無かった事に夜科が驚いていると、起き上がりざまに化物は二叉の舌を伸ばしてくる。
舌は、夜科の握っていた刀を絡め取った。


「しまった・・・!」


尋常ではない力で刀を巻き取られ、為す術もなく夜科は刀を奪われた。


「ウガァーーーッ!!!」


咄嗟に事態を判断した朝河が側面から化物を殴りつけ、叩き伏せた。
だが、それも化物にとって大したダメージではないだろう。地に伏せたのも一時的な物でしかない。


「走れーーーッ!!」


そう判断した二人は急いでその場を離れた。



――・・・



「・・・クソがッ!何なんだ・・・ッ!あの化物はよッ!!」


痛む体を無視して走った朝河は、隆起した岩に座り息を切らせながら言った。
隣では同じように夜科も荒い息を上げている。


「・・・だから・・・!!外はヤベーッつったろ・・・!!」


「・・・テメーに・・・!助けられるとは・・・な・・・!!」


しばらく肩で息をしていた二人だったが、時間の経過と共にそれも落ち着いてくる。
乾いてヒリつく喉を、唾を飲み込むことで緩和した朝河が隣にいる夜科に尋ねた。


「・・・・・そういやオマエ一人か・・・?他の残った連中はどうした・・・?」


「・・・雨宮とあのデブは最初の建物でオレ達を待ってる・・・

お前等に追いつくにはアイツらを連れたままじゃ無理だった」


「・・・あのガキは?」


口元をリストバンドで拭っていた夜科の動きが止まった。
そして歯軋りがするほどに噛みしめた。


「・・・あのバケモンのとこだ・・・」


「なッ!?正気かテメー!?あんな化け物相手に子供がたった一人でだと!?」


「・・・雨宮によるとここは警戒区域ってヤツで・・・ヤバイやつらがウロウロしているらしい・・・

それを知ったら、急にあのガキもお前らを助けに行くって言ったんだ・・・!それで、途中であのバケモンが現れて・・・」


「なんで止めなかった!?・・・いや、待て警戒区域?一体そりゃ何の話だ・・・!?」


「・・・」


そして夜科は居心地が悪いかのように無言で携帯電話を取りだし、地図を撮影した画像データを朝河に見せた。
その画像データを見ると、急に朝河の表情が変わった。


そして、その激情のまま夜科を殴りつけた。


「・・・ふざけやがって・・・!!何なんだこの地図は・・・!?知ってたってワケか・・・!?

女の事も・・・地図の事も・・・オレ達には黙ってたのか・・・!!」


「だから・・・ッ雨宮が気付くまでどういう事か分からなかったっつってんだろ!!」


殴りつけられた口元を押さえながら夜科が言う。


「・・・テメェが・・・ッ!!テメェが殺したようなもんだ・・・!!

アイツ等だって、あのガキだって・・・!!」


その言葉を聞いた時、夜科の目が見開かれた。
まるで言葉の刃が胸に突き刺さったかのような痛みだった。


「・・・・・・・・・・・・ッ・・・・・・!!

・・・今はこの状況を切り抜ける事が先決だ・・・!!オレのせいにしたいのなら勝手にしろ・・・!」


しかし、爆発しそうになる感情を何とか飲み込み、夜科は言った。
この状況で無意味な争いは避けなければならないという理性と、少年が身を挺して自分を先に進ませた事を思ったから。

朝河は、殴った手と夜科の背を交互に見つめていた。
自分から殴った筈なのに、その拳は鈍く痛んでいた。


「・・・それに、あのガキは死んじゃいねぇよ」


朝河に背を向けながら、それでも朝河にはっきりと届く声で夜科が言った。


「なに・・・?あの化け物のとこだってテメェがいったんじゃねえか・・・!」


「大丈夫だって、アイツがそう言ったんだ。よく分からねえが、アイツには何かある・・・!」


堪えるように、吐き捨てるように言った。
そして眼下に広がる崖下の大地を覗き込む。


「・・・いた・・・!!奴か・・・!!」


自身を襲った人型の化物を視界に捕らえ、朝河が言う。


「オレ達を探してる・・・しばらくこの辺をウロウロしてそうだな・・・」


化物はせわしなく頭を動かし、辺りを見渡しているように見えた。


「あの化物が・・・全員・・・殺りやがったのか・・・!!」


まるで腹腔からどす黒い物が湧きだしてきているようだった。
その一端を言葉に織り交ぜながら夜科が言った。


「・・・いや、オレが逃げる時・・・一人はまだ息があった・・・!

アイツだ・・・アレ・・・ニットをかぶった・・・」


朝河はニット帽の青年の事を言おうとしたが、青年の名前も知らない事に気が付いた。


「矢が背中に刺さって藻掻いているのが一瞬見えた・・・まァ・・・もう、死んでるだろうが・・・」


青年の事を可哀想だとは思った。
しかし、この自身の生命さえも危ういこの状況において、名前も知らない相手のことを真剣に悼む余裕は、朝河にはなかった。


「・・・・・・」


無言で化物を見つめながら、夜科は思い、そして決心した。


「オレがあのガキとアイツを見てくる。オマエはここで隠れて待ってろ」


「な・・・!?」


それは、己の危険も顧みず化物の所に居る少年と、生死も不明な青年を助けに行くという決心。


「一人であそこに戻る・・・!?ふざけてんのか!?」


「お前はケガしていざって時逃げられねェ・・・行くならオレ一人だ」


(―・・・オレの見間違いかもしれねェんだぞ・・・!)


朝河には目の前の青年が信じられなかった。
この生と死がすれすれの状況で、最も優先すべきは自分の命だと朝河は考えていた。

それなのに、目の前の青年は自ら危険に飛び込もうと言う。
恐怖心がないのか、それとも恐怖心を抑え込む事が出来ているのか。

そのどちらなのか、恐怖に塗りつぶされていた朝河には分からなかった。


「雨宮達の事もあるからすぐ戻る。ここで待っててくれ」


「死ぬぞ・・・!テメェ・・・」


「死ぬもんか。オレはこのゲームを企んだ奴をブッ飛ばすって決めたんだ」


しかし、夜科は揺るがない。
そしてその揺るがなさは、朝河の精神にも影響を与えた。


「・・・・・・ッ!!・・・地図貸せ・・・」


「・・・ハイ?」


「さっきの地図・・・!もう一度見せてみろ・・・!!

オレがその女達を連れてゲートまで行く・・・!ケガ人扱いしやがって・・・!

オレだけ隠れて待つなんてフザけた真似ができるか・・・!

2手に分かれりゃさっさとゲームをクリア出来る・・・!女を早く医者に見せるんだろうが・・・!!」


捲し立てるように言った。一気に言った所で朝河が息をついた。
そんな朝河の態度の急変が夜科を驚かせた。


「・・・・・・・・・どした・・・?」


朝河はギリッという音が聞こえるほどに歯を食いしばっている。


「・・・借りを作るのは好きじゃねェんだ・・・!!」


化物に植え付けられた恐怖心が薄れて行っていた。
代わりに芽生え始めたのは、怯えていた自分に対する情けなさや、憤り。

そして、夜科のその揺るがなさを目の当たりにして、自分を客観的に見る余裕も生まれた。


「・・・さっき、"お前が殺した"と言ったのは・・・・・・熱くなりすぎた・・・!

お前は女を守ろうとしてた・・・"外へ行くな"ってオマエの警告を笑い飛ばしたのは、オレ達だ・・!」


朝河は、虚空を仰ぐ。その顔は険しかった。


「このよく分かんねえ状況で・・・全員自分の物差しで行動した・・・それで招いた結果だ・・・!!

あれは・・・お前のせいなんかじゃ、ねェ・・・!!」


己の過ちを認め、受け止める。
その苦痛を、その苦みを飲み込みながら朝河は言った。


「・・・凶暴なツラして気持ち悪ッ」


「何だコラァーーッ!!!」


その朝河の謝罪の言葉が、急速に夜科に絡みついていたモノを氷解させて行った。
胸の内側から染み出し、口から零れそうになるモノをずっと堪えていた。

堪える為に、本人すら気付かない内に強張っていた喉の筋肉が緩む。


"お前のせいじゃない"


そう言われた時、夜科は自分でも驚く程にホッとした。
絡みついていたのは、自責の想い。

あの時無理矢理にでも男達を止めていたなら、もっと早く男達に追いつけていたなら、
雨宮のようにあの化物をどうにかする力が自分にもあったなら・・・

そんな無意味な仮定が、胸の内で暴れ回る。
全ての責を背負ったような感覚さえ覚えていた。

だけど、その責を背負わなくていいと言う。
下ろし方が分からなくなっていた責が、ストンと夜科の背から滑り落ちた。

そして、同時に思う。
もし、誰も言ってくれなかったら・・・と。

脳裏には膝を抱え、蹲る少女の姿が浮かんだ。

自分を責め続ける事でしか、壊れそうになる自分を保つ事が出来ない。
自らを慰めるためのモノは、自らを更に傷付けるモノ。

そんな矛盾を一人飲み込む。
想いのその重さに押し潰され、立ち上がる事が出来なくなった少女の姿だった。

自分もそう陥りそうだった。
だけど、すんでの所で助けられた。

堕ちていきそうな自分を掬い上げてくれた目の前の青年に、夜科は素直に感謝する。
気恥ずかしさから口を突いたのは悪態だったけれど。

それから、今度は自分が掬い上げる側になってやろうと、夜科は一人思った。


「――おし・・・!じゃあまだ見ぬ門"ゲート"で合流ってことで♪」


気持ちが高揚している。
長い間影を潜めていた、自分らしさの象徴である軽口が夜科の口から零れた。

画像のデータを受け渡しして、ついでに茶髪の青年の背中を軽く叩いた。
感謝の気持ちを掌に乗せて。


「このゲーム考えたクソ野郎に一発ブチ込むってなァ・・・いい考えだぜ・・・!!」


茶髪の青年も叩き返してきた。
体格の差から夜科はよろけるが、その顔には薄い笑みが浮かんでいた。


そして、二人が別々の方向に歩きだそうとした時、それは訪れた。


『ヒイイイイイィィィイ!!!』


大気を切り裂いて鳴き声のような物が聞こえて来る。


「今の声は・・・!」


それは、夜科が背負っていた少年と共に聞いた声と同質な物のように思えた。
だが、それが何を意味するのか夜科には分からなかった。

その声に化物は素早く反応する。
声の方に頭を向けたかと思うと、直ぐさまその方向へ駆けだした。


「アイツ、どっか行きやがった・・・!」


崖下の化物を確認しながら夜科が言った。
近くに化物が居ないのなら、危険を避ける為に遠回りする必要もない。


「チャンスだぜ・・・!」


二人は互いに頷き合い、そして走り出した。

化物が離れていった理由など、二人は考えもしなかった。



◆◆◆



―・・・駆ける。



熱と頭痛で朦朧とする頭を叱責して、靴裏で地を踏みしめながら走る。
僕が出せる精一杯の力で足を運ぶ。

時々ふらつくけれど、そのふらつきも前に傾けて走るための手助けとした。


「はあっ!!はあっ・・・ッ!!」


大気を震わす羽音が背後から迫ってくる。
ヒュッと言う音が聞こえた時、後ろも振り返らずにマテリアル・ハイを発動。

物体と物体がぶつかる音が後ろから僕に追いついた。

確認をする事すらしない。
何故なら、これはもう既に何度か繰り返している事だから。

カマキリの怪物が僕を捕らえようと、棘の生えた腕を振り下ろしてくる。
その腕が振り下ろされる時に聞こえる、空気を切る音を合図として防御壁を創り上げる。

怪物が僕に接近する前に壁を創っても、怪物は驚異の旋回能力で壁を避けてしまう。
だから、ギリギリまで近づかせてから壁を創る。

怪物は壁に阻まれその進行を一時止めた。
その間に僕は必死に足を回転させるが、怪物の飛行速度と僕の走る速さなど比べるまでもない。

しばらくすると直ぐにまた羽音が迫ってくる。
だから、同じ行動をさっきから繰り返しているのだ。
しかし、そろそろこの手も通用しなくなって来る頃かもしれない。
こんなその場しのぎの方法など直ぐに覚えられ対策を練られるだろう。いかに相手が獣だとしても。


「はあっ!!はあっ!!ゲホッ、げほっ・・・!」


僕に迫る危険に、頭の半分が焦りと恐怖にどっぷり漬かる。
しかし、そのもう半分を自分でも気味が悪い程に冷静に、冷徹に働かせる。

全ては、今から僕がやろうとしている事を成功させる為だった。


・・・どの位走っただろうか。


僕は、真っ直ぐ直線上を走るのではなく、走り始めた場所を中心にして大きな円を描くように走っていた。
もう全身のありとあらゆる箇所が悲鳴を上げている。


「もう少し・・・頑張れ・・・!僕ッ・・・!!」


気持ちが折れそうになる時には、僕自身に声援を送る。
なんとなく自分に声援を送る自分が可笑しくて、少しだけ頑張れそうな気持ちになった。

羽音が聞こえた。

今度は、後ろを振り返り火球を怪物に向けて飛ばした。
壁と炎のパターンを組み合わせる事で相手に警戒心を与え、相手の動きを鈍らせる為だ。

予想した通り、火球は避けられた。

火球はPSIのブレのせいか今の僕には一つしか生み出せなかった。
先に、テレキネシスで火球を操作するホーミングの火球も試してみたが、火球の速度を怪物の速度が上回っていたため当らなかった。

火球を長い間操作する為に足を止めれば、容赦なくあの腕で捕らえられる。
当たりさせすれば勝負は決まると思うが、当らなければどうしようもない。相性が悪すぎる。
もどかしさで苛立ちそうになるのを必死に堪えた。

苛立って精神の集中が切れてしまえば、全てが台無しだ。
どこまでも冷静に、頭を芯まで冷えた金属のように。そう言い聞かせた。

火球を避ける為に、怪物が空中でのバランスを崩している。


「ッ、今だ・・・!!」


覚悟を決め、進行方向を急激に変更する。
それまで進んでいたラインと垂直の方向に。円の中心に向かって走る。

当然、怪物も即座に体勢を立て直し迫ってくる。

空を支配する者にとって地べたを駆けずり回る者は、どう映るのだろうか。

空という聖域に足を踏み入れられない者を哀れむのだろうか。
それとも高みから見下ろし、地に捕らわれた者を見て嘲笑っているのだろうか。


―・・・そんな事を思った。


羽音が迫る。僕は足を止め、怪物の方へ振り返った。

怪物の姿が大きくなってくる。

まだだ・・・!まだ、あと少し・・・!!

怪物が更に大きくなる。棘の生えた腕を広げた。

怪物と目が合う。
僕が立ち止まったので、僕が観念したと思ったのだろうか。
怪物の口が、嘲笑うかのように歪んだ。


「ッ!マテリアル・ハイ!!」


掌を怪物の方に突き出した。
大気を固めた壁が生み出され、具現化する。

そして、今までと同様に怪物は壁に激突する・・・・・・はずだった。


「・・・ッ!?」


怪物は羽を目一杯に広げ、風を掴み取り。それを上昇するための力に変えた。
殆ど垂直の上昇。そんな馬鹿げた事を怪物はやってのけた。

結果、阻まれる事無く壁を軽々と乗り越え、僕の頭上に怪物の影が差した。
見上げると、怪物の顔は嫌らしく歪んでいた。
まるで空を飛べる者の優位性を見せつけているようだった。

怪物は両腕を左右に大きく広げた。
もう防ぐ時間もないし、あの腕のリーチでは逃れようもない。

そのまま振り下ろせば僕の体は晴れて真っ二つだろう。


だけど・・・・・・僕は、絶望しなかった。

むしろ、この時を待っていた!!


「ギ!?」


膝をたわめ、溜めた力を解放する。
空に向かって足を突き出すという滅茶苦茶な格好で、一気に飛び上がった。

怪物の腕が振り下ろされるよりも早く、怪物の汚らしく歪められた顔面を下から踏みつける。
そして、そのまま再び踏みつけた足に力を入れて跳躍。

怪物が飛ぶ高さより遙か上で、体を捻って体勢を整える。
そして、着地した。

空に浮かぶ、白濁のブロックに。

僕はライズを使えない。カイルのようにブロックとブロックを縦横無尽に飛び跳ねる事はできない。
だから、まず先程の壁を創るのと同時に上空にブロックを一つ生成。
それにテレキネシスの掌を掛け、一気に引っ張る。
空中に固定されたブロックは不動であり、引っ張った僕自身が引き寄せられる。

こうして僕は、空という舞台に躍り出たのだった。


「・・・空は、お前だけのモノじゃないよ」


蹴りを入れられ、バランスを大いに崩している怪物を見下ろしながら言った。
飛ぶ者を上から見下ろすのは、別に何も思わなかった。

それでも、怪物はなんとかしてこちらに向かって来ようとする。


さあ・・・ここからが仕上げだ!


ずっと仕込んできたイメージを解放する。
薄く、鋭く、形を思いのままに創り上げる。

カイルとの遣り取りの中で感じた二度目の熱。
そして、それからマテリアル・ハイのブレが少し収まった。

だから、出来る。


「マテリアル・ハイ」


空には細長い二等辺三角形のような形をしたブレードが具現化した。

その数二十本。
これを創るため、PSIを空中に仕込みながら僕は円を描いて走っていたのだった。

そしてここは円の中心。
ブレードは怪物を360°全体から囲んでいた。

僕自身を餌にして怪物を円の中心に誘き寄せる。
そして一気に上昇し、ブレードの監獄から僕だけが抜け出す。これが作戦だった。
岩などを飛ばしてもダメージを与えられないのなら、ダメージを与えられる物を飛ばせばいい。
一つを飛ばして当らないのなら、多くを飛ばせばいい。

そして、そんな物が周りに無いのなら、創り出せばいい。


・・・そんな単純な考えからだった。


「ぁ、ぐっ・・・はっ、はあッ・・・!」


PSIの使いすぎで、いい加減頭が焼き切れそうだった。
だけど、今頑張らなくていつ頑張るんだ・・・!
思わず膝が崩れそうになるが、自らを鼓舞して体を起こす。
違和感を感じ、顔に手を当てると手には紅い液体が付いていた。

どうやら鼻腔からの出血、早い話が鼻血が出たようだ。
そろそろ限界が近いのだろう。

でも、辛いのも苦しいのも罪悪感も後で感じればいい。
今は何も感じなくていい。



―平行思考"パラレルタスク"―



「"固定解除 フォールダウン"それから、"プログラム 投擲"」


空間に捕らわれたブレードは一瞬自由を得て、地上目掛けて落下する。
しかし、そこにテレキネシスが再びブレードの自由を奪った。
予めプログラミングされたテレキネシスが投影される。
ブレードの矛先が全て、円の中心にいる怪物に向けられた。

息を軽く吐き、・・・前に差し出した両の腕をクロスさせる!



「"円想虚刃 マテリアル・サーカス"!!!!」



「ギ、ギギイイイイイイイィィィィイイイイ!!?」


ブレードが迷うことなく一直線に、怪物に吸い込まれるように襲い掛かった。

空中で怪物が藻掻く。
しかし、全て同時に投擲された二十本ものブレードを躱せる訳もなく。

一本が怪物の腹に突き刺さる。
そして、続けてまた別のブレードが。ブレードが、ブレードが、ブレードが――・・・・・・


「ヒイイイイイィィィイ!!!」


怪物が断末魔の叫びを上げる。
全身を幾多の刃に貫かれて、空中に鮮やかなヘモグロビンの紅を咲かせながら怪物は絶命した。




続く



[17872] コール19
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:3563f643
Date: 2010/12/23 04:58
思わず膝を崩した。
ブロックから落ちそうになるけど、堪える。


「頭・・・痛い・・・」


足を宙に投げ出しブロックに腰掛ける形になる。
心臓の鼓動に合わせて、ガンガンと頭の中で警鐘が鳴っているようだった。

その鈍い、けれど痛烈な痛みに顔をしかめる。

元々体調が悪かったのに加えてあんなに大規模なPSIを使ったのは初めてだった。
その結果か、これでもかと言う程具合が悪かった。


「はあ・・・」


脳だけじゃなく、神経系全体が痛いような錯覚すら覚える。
掌は微かに震えていて力が入らなかった。

いい加減流れてくる鼻血が邪魔なので止めようとポケットの中を手探りでティッシュを探す。
ようやく見つかったのでそれを鼻に当てた。

そう言えば、雨宮さんにティッシュ渡し忘れてたなぁ・・・


「・・・」


見渡す限りどこまでも続く荒れた大地――・・・
上空のブロックからその景色を眺め、放心する。

しばらくそうしていると、突然強い風が吹いた。


「っ、うわっ!」


その風が砂嵐を、雲を吹き飛ばしてゆく。
ついでに僕もブロックの上から飛ばされそうになった。

視界を遮っていた物が消え遠くに見覚えのある高い、高い円錐型の山が見えたけれど、
ここが未来だと分かっているので見てもああ、やはりそうか、ぐらいにしか思わなかった。

飛ばされては叶わないので慌ててブロックをいくつか下に作り、それを使って地上に降りる。

PSIがまだ使えて良かった・・・
使えなかったら空から降りようがない所だった。

地上に降りると、そこには先程まで戦っていた怪物の死骸が転がっていた。
ブレードは解除した為にもう存在しないが、怪物の体には無数の裂傷がはっきりと残っていた。
全身からとめどなく血を噴き出させて、怪物はピクリとも動かない。
刺し貫かれてしまい、原型を留めていない怪物の顔を見た。

空虚な疑瞳孔が相変わらず僕を見つめている。
・・・いや、疑瞳孔は僕の見る角度によって現れる物でしかない。

暴力で何かを傷付けたという苦み。
頭の痛みよりも、体の痛みよりもそれは響いた。

空虚なのは、僕の方だった。


「・・・」


自分がした事、それを確かめる為に怪物の体に触れてみようとする。
しかし・・・


「な・・・っ!?」


手を後ほんの少し伸ばせば届きそうな所で、怪物の体は灰になった。
それは空気と混ざり合い、風に煽られてやがて消えてしまった。

後に残ったのは、本当に空虚さだけだった。


「・・・倒したら、モンスターは消えるって?・・・はは、ホントにこれが現実か疑いたくもなるよ・・・」


余りの出来事の連続に、頭が自棄になってしまっていた。
今度こそがっくりと膝をついた。

・・・だけど、これは紛れもない現実なんだ。
お爺さんが殺され、お婆さんが追い求めた現実。

気付けば鼻血は止まっていた。
垂れていた頭を持ち上げ、前を向く。拳を堅く握った。


「あの人達の所に行かなきゃ・・・!夜科さんは・・・」


最後まで言い切る事は出来なかった。
なぜなら、僕の体が風に吹かれた枯れ葉のように宙を舞っていたから。


「か、は・・・っ!?」


肺から息が漏れる。
辛うじて認識出来たのは、背中への凄まじい衝撃だけだった。

それはまるで自家用車が後ろから突っ込んできたような衝撃だった。
背骨がミシリと音を立てたのを確かに感じた。

何の慈悲も無く地面に叩き付けられる。
勢いでゴロゴロと転がる中で受け身もまともに取れず全身を強かに打った。

勢いが治まった時、熱を感じて腕を見ると岩肌と擦ったのだろう、真っ赤な液が滴っていた。
頬や掌からも同様に紅い血が流れる。


「また別の奴か・・・!っく!!」


歯を食いしばり体を起こすと、目の前に新たな怪物が迫っていた。
咄嗟に身を捻ってその怪物の体当たりを躱す。

怪物が通り過ぎた際に、ちらっとその姿を僕の目が捕らえた。
それは、やはり異形としか言いようのない怪物だった。

左右対称な薄い羽に、突出した頭部。
背からは幾つもの突起が生え、尾が収斂していき最後には針のようになっていて、三つの目玉がこっちを見ていた。

そして腹部にはあのカマキリのような怪物と同様に丸い玉が。


「っ・・・!!」


気配を感じ、辺りを見回すとまた別の怪物が。その横から更にまた別の怪物が現れる。

夜科さんが言っていたようなムカデの姿の怪物に、蜘蛛の足に芋虫の体をした怪物。
新種の生物として学会に発表したくなるような奴らが僕を囲んでいた。


「これは、ちょっと・・・拙いかも、なぁ・・・」


唇を舐めると鉄の味が口内に広がる。
冷たい汗が、背中を流れた。



◆◆◆



「あの子達、大丈夫かな・・・」


廃屋に雨宮と二人取り残された千葉は、窓ガラスの向こうを見つめながら呟いた。
雨宮はじっと目を閉じて荒い呼吸を繰り返している。

千葉は窓ガラスに映る自分の顔を見ると、思わず目を逸らした。
それは、ガラスに映った自分に責められているような気がしたから。

幼い子供を危険な場所に行かせ、自分は安全な所で待っているだけ。

自分が行ったってどうしようもない。
そう言い訳をするが、窓に映る自分はその嘘を容易く見抜いていた。


(本当は、行くのが怖いだけなんだ)


(違うっ!)


(誰だって自分の身は可愛いもんな、仕方ないよ)


(そうじゃない!そうじゃないんだっ・・・!!)


葛藤が千葉の頭を支配する。
その心のもやもやのままに拳を壁に叩き付けた。


「しょうがないじゃないか・・・!!」


その言葉が雨宮に聞こえたのだろうか、雨宮は瞼を薄く開けた。
そして深い呼吸を一つして、言った。


「・・・あの子は、力を持っているわ。・・・少なくとも夜科よりは頼りになるはずよ」


「っ!!でも、あんなに小さい子供じゃないか!!」


それは、力が無いから、行ってもしょうがないから行かない、
逆に言えば力があるなら行くのはおかしい事ではないとする千葉の言い訳と矛盾した言葉だった。

思わず本音が出た事に、混乱した頭の千葉は気付いていない。


「・・・ええ、そうね。いくら力があるとは言え、危険な事にはなんら変わりないわ・・・

歯痒い・・・!私も動けたら・・・!」


雨宮は体を起こそうとするが、膝に力が入らず再びその場に崩れた。
そして悔しそうに息を吐く。


「どうして・・・どうしてみんなそんな風に頑張れるんだ・・・」


そんな雨宮を見つめ、そして自らの危険も顧みず男達を助けに行った少年を想い、千葉は言った。

その時、廃屋の階段から何者かが上がってくる足音が聞こえた。
二人は少年達が帰って来たのかと思い、緊張の眼差しで階段を見つめる。


「・・・よう」


「キミは!?」


そこに現れたのは、朝河だった。
二人の視線を浴びながら若干居心地悪そうに朝河は言った。


「あなたは・・・?」


気を失っており、朝河とは初対面だった雨宮が尋ねた。


「あの男と約束した・・・これからアンタらを連れてゲートに行く。

あの男とはゲートで合流する手はずになってる・・・」


説明する暇も惜しいと思ったのか、朝河は質問にも答えなかった。


「ちょ、ちょっと待って!あの子は!?」


夜科の生存は朝河の言葉から確認出来たが、少年の名前が出て来ず千葉は不安に駆られる。
そしてよろけている朝河に詰め寄った。


「・・・ガキは・・・化け物の所、だそうだ・・・」


「そんな!あの子、一人で戦ってるの!?」


雨宮の顔が驚愕に染まる。
一方、千葉は化物というのが何なのか分からずに戸惑った表情をしていた。


「ば、化け物って、どういうこと・・・?」


「・・・」


千葉の見つめてくる瞳に耐えられず、朝河は目を逸らした。
そして、事情を掻い摘んで話した始めた。


外には人間を襲う異形の化物がいること。

自分を含む、先にゲートを目指した男達は化物に襲われて殆ど死に絶えたこと。
少年は男、夜科を先に進ませる為に一人化物の足止めをしたこと。
夜科は、襲われた男達で生存の可能性がある者と、少年を助けに行ったこと――・・・

話終えると、千葉は朝河に詰め寄っていた所から放心したかのようにフラフラと離れた。


「そ、んな・・・大人も殺してしまう化け物の所にたった一人でなんて・・・」


「あの男は、ガキなら大丈夫だって言っていた・・・あのガキがそう言ったんだとよ・・・」


「そんなの・・・!周りを心配させないようにするために決まってるじゃないか!!」


千葉は怒鳴っていた。

少年を犠牲にした青年に対してではない。
少年が一人戦っているのに、逃げてしかいない自分に対して怒鳴っていた。


(ボクは、ボクは・・・!ボクは!!!)


色が変わるほどに唇を噛み、血が滲むほどに拳を固める。
そして、意を決したように窓の外を見た。


「ッ・・・!」


「おい!!どこ行くんだ!!」


背中に降りかかる朝河の制止の声も聞かず、千葉は廃屋から駆けだした。



◆◆◆



(風が強くなってきたな・・・視界も悪くなってきやがった・・・!)


朝河と別れた後、夜科は広大な荒野を一人駆けていた。
前方から吹き付ける砂礫混じりの向かい風に、行く手を阻まれながらも走る。

目的地は、朝河達が化物に襲われた場所。
初めは人型の怪物の他に別の化物が襲ってこないかと用心しながら進んでいたのだが、それは杞憂だったようだ。

あの人型の化物が何処かへ移動したのと同様に別の化物達も移動したのか、化物の姿は一切見えなかった。
しかし、その呆気なさに夜科は逆に不穏な様子を感じ取っていた。

嵐の前には静けさが訪れるものだ。
ひょっとしたら、何かが起ころうとしているのではないか。

そう考えると、どうしようもない程の不安に駆られた。


(・・・けど、今はとにかく進まねェと・・・!)


そんな考えを頭から追い出すように頭を振る。
自分に言い聞かせ、進める足を更に早めた。


「ッ・・・!!」


それからしばらく進んだところで、夜科は急に足を止めた。
地面に、真っ赤な華が咲いていた。それは血と肉で出来た花弁だった。


「・・・ひでえッ・・・!!」


顔面を無くした男。服装から察するに眼鏡の男だったのだろう。
それと、顔面はあるものの元の形を留めていない男。これは髪を纏めた男だったのだろう。

二つの肉塊と化した男達を見て、夜科は憤りを露わにする。
その側を歩いた時、靴裏に感じたプチプチした感触が男達の脳髄によるものだと気付き、夜科は吐き気を催した。

そして風に混じって鼻を掠めた、鉄と塩とアンモニアの臭い。
死亡した事により筋肉が弛緩したのだろう。男達の股間は等しく濡れていた。


「ぐ・・・ううう・・・」


「!!」


その時、風の唸り声に遮られながらも確かに声が夜科に届いた。
声がした方向を見遣ると、そこにはニット帽の青年が体を引きずっている姿があった。

急いで青年の元へ駆け寄る。
青年の体を抱えながら大声で呼びかけた。


「オイ・・・オレだッ・・・!!わかるか・・・!!」


「ア゛ア゛ッ、ケホッ・・・い゛てえッ・・・助けてくれ・・・」


「ああ助ける!!今はあんま喋んな・・・!!」


青年が喋ると、それに伴って口から血が溢れた。


(クロスボウ・・・傷が深いな・・・!とにかく安全な所へ運ばないと・・・!!)


青年が呼吸と共に血を吐き出したという事は、呼吸系、恐らく肺に損傷があるのだろう。
青年の背中の上部に牙を立てている矢を見てそう判断した。

その矢を抜こうか迷ったが、矢を抜くと血が大量に流れる可能性を考えて止めた。
そしてニット帽の青年を起こそうとして顔を上げた時、気付いた。


「!?・・・これはッ・・・!!」


周りにあった男達の死体が風に吹かれて形を失って言っている事に。


「灰・・・!?灰だ・・・・・・!」


近くに寄って死体に触れてみると、その触れた箇所は呆気なく崩れた。
それはまるで燃え滓のような軽さと脆さだった。


「そんなバカなッ・・・!死んだ人間が灰になるなんて・・・!?」


呟きながら、夜科は思い出していた。
この世界に来て一番初めに化物の被害に遭った男の事を。


(――・・・そうだ・・・!最初に殺されたあの男・・・!まさかあの男の死体が煙のように消えていたのは――・・・!!)


「・・・・・・嘘だ・・・」


「・・・行くぞ」


ニット帽の青年が弱々しく言った。
そんな青年の肩を強引に担ぎ、夜科は歩き出す。


「ぐぅ・・・!!俺も死んだら灰になっちまうのかなァ!なァッ・・・!!」


「・・・・・・バカ言ってんじゃねぇよ!!黙って歩くんだッ・・・!」


「いやだァ・・・!!チック・・・ショォ・・・!!俺みてえなガキがテレカ拾って・・・調子に乗っちまった・・・!!」


青年はもう自分の足で歩く気力も無いのか夜科に引きずられるようだった。
夜科はそれを支えるが、青年の蹌踉めきにつられて夜科自身も倒れそうになる。

青年が崩れかけ、咄嗟に背中に手を回すと背中に染みていた青年の血が夜科の腕にべっとりと付着した。


「・・・いやだ・・・こんなどこかもわからねえとこで・・・死にたくねェよ・・・!」


「オイ!しっかりしろ!!」


荒かった青年の呼吸が少しずつ弱くなって行っている事に夜科は気付いた。
立ち止まり青年の肩を担ぎ直す。


「ゲホッげほ・・・!!はっ、はっ・・・!」


「っ!!」


激しく咳き込み、青年は大量の血を吐いた。地に零れた血は直ぐに砂に染み込んでいく。
ヒュー、ヒューという浅い雑音が青年の呼吸音に混ざり出した。


「ゲホっ・・・!・・・っなァ・・・ひとつ頼んで、いいか・・・な・・・

俺は杉田望・・・もし俺が死んだら・・・俺のテレカ・・・を・・・俺の母親に届けて、くんねえかな・・・

一回使っちまったけど、少しは・・・生活費の足し、に・・・!」


「死なねェつってんだろ!!!そんなもん自分で渡せ!!!

行くぞ・・・!!生き残るんだ・・・!!」


今にも掻き消えてしまいそうな青年、杉田の言葉に叱責を飛ばす。
担いでいた肩を一度離すと夜科は杉田を背中に背負った。


「・・・!あそこは・・・」


地図を確認しつつ警戒区域から離れようとしていた夜科の目に、断崖に存在する岩穴が飛び込んできた。


「よし・・・!」


岩穴を覗き込むと、そこには優に人が入れるほどのスペースが中にはあった。
身を屈めながら岩穴に体をねじ込む。


「・・・ここなら多分化け物には見つからねえ。ここで待っててくれ。

他にもう一人連れて来なきゃいけねえ奴がいるんだ」


背から杉田を下ろし、地に寝かせながら夜科は言った。
杉田は薄く目を開け微かに頷いた。


「じゃあ行ってくる・・・!?」


走りだそうとした夜科が背中が何かに引っかかったような抵抗感を感じ、
振り返ると杉田が弱々しく夜科の短ランの裾を掴んでいた。


「なぁ・・・悪かったよ・・・お前の、事・・・笑ったりして、さ・・・」


「・・・ああ、んな事はどうでもいいんだ。気にしちゃいねェよ・・・」


突然の杉田の謝罪に夜科は首を横に振りながら静かに答えた。
それを聞くと、杉田の表情が少し晴れた物になる。


「よかっ、た・・・

・・・そんで、さ・・・やっぱり、テレカ・・・頼むよ・・・!そうじゃなきゃ、俺、安心・・・できねェから・・・」


杉田がずっと握りしめていた掌を解くと、そこには折れ跡のついた赤いテレホンカードがあった。
震える腕を伸ばしそれを夜科に差し出す。


「・・・っ!ああ、分かった・・・!だから安心して待ってろ!!」


テレホンカードを両手で受け取ると、夜科は杉田に背を向け走り出した。
それを見送る杉田は満足そうに頬笑んでいた。


「へへ・・・済まねえなァ・・・」


吹けば消えてしまいそうな程にか細く杉田は呟いた。


「・・・でも・・・もう、ダメかもしんねえや・・・・・・」


言い終えると再び血を吐いた。口一杯に血の味を感じていると杉田の表情が変わった。
穏やかなモノから酷く怯え、歪んだソレに。


「一人、で・・・死ぬのは・・・寂しいなぁ・・・!

やっぱ・・・死にたく、ねえ・・・!死にたくねえよ・・・!!・・・母さん・・・・・・」


最期にそう言い残し杉田はゆっくりと目を閉じた。
その言葉が誰かに届く事は、決して叶わなかった。



◆◆◆



空を駆る怪物が僕に迫る。
そのスピードはあのカマキリの怪物よりも数段速い。

カマキリの怪物のように地上と空のどちらにも適応しているのではなく、この怪物は空にのみ適応している形なのだから、
この差は当たり前なんだろうと思った。

そう思ったのは怪物が僕の脇を掠めてから。

体調の不良で鈍くなっているとは言え、思考すら追いつかない程の速さだった。
そして、追いつかないのは思考だけでなく回避も。怪物が脇を掠めただけで声を漏らす程の激痛が走った。


「がッ・・・!!」


痛みに思わずよろける。
その体を崩した所に更に他の怪物が追い打ちを掛けた。


「シャアアアアアアアアアアッ!!」


「く・・・っ!!」


蜘蛛の足に芋虫のような体をした怪物が真っ赤な口腔を見せつけながら突進してくる。
僕は痛む脇を押さえながら炎を具現化させようとする。

しかし・・・


「あ、ぐ・・・!!」


ここにきてPSIの行使、いや酷使による脳へのダメージが痛みとなって表れた。
固まりかけたイメージが霧散し、そして無防備のまま怪物の体当たりをもろに食らった。

凄まじいまでの衝撃に吹き飛ぶ僕。
しかし、そのまま呆けていると即死んでしまうので急いで体を起こす。

口内を切ったようなので唾と血を吐くと、中に白い歯が混じっていた。
まあ、乳歯だろうから構わないけれど。

そして、走り出しながら思った。

――痛みとは、体からの警告だ。

それ以上の負荷が掛かれば壊れるという知らせであり、ブレーキでもある。
人は痛みを恐れるが、それは痛み自体を恐れる訳では無い。痛みの先にある物を恐れているのだ。

・・・だけど、と僕は思う。

その先にある物よりも恐れる物があったら?
痛みの先にある物を恐れるせいで、それよりも恐れる物を味わう事になったら?
僕がここでこの怪物達から逃げ出したせいで、夜科さん達が襲われる事になったら?

・・・誰かの死の可能性。
それは痛みの先にある物、自分が死ぬ事なんかよりもよっぽど怖い。

だから、痛みなんか怖くなかった。


「っああああああああああああああああ!!!」


走る方向は迫ってくる怪物の方。
ブレーキなんか、いらない。痛む頭と体を無視して駆けた。


「ギィイイイイ!!!」


僕を迎え撃つように怪物は長く、二叉に分かれた舌を伸ばしてくる。
身を屈め、躱そうとするが避けきれず舌が僕の左上腕を裂く。

血が迸るが、しかしその程度。

怪物の懐に潜り込み、左手を翳す。
そして、一気に怪物の口腔にその左手を突っ込んだ。


「・・・暴力を正当化するつもりは無いさ。全部・・・全部僕が受けとめるから・・・・・・壊れろ」


「ギイイ!?ギャアアアアアァァ!!!」


左手が炎に包まれる。
突如口腔内で発生した火炎に怪物が悶えた。
蛋白質が焦げる不快な臭いが鼻を掠め、左腕を引き抜く。
一度発生させた炎は僕が解除するまでは中々消えない。

口腔内の炎が全身に回り、鳴き声にもならない叫びを上げながら怪物は行動を停止した。

羽音が聞こえたので、確認もせず大きく右に跳ぶ。
先程まで僕のいた場所を空を飛ぶ怪物が猛スピードで通り過ぎていく。

着地し、体勢を立て直そうとしてハッと気付いた。


「しまっ・・・」


跳んだ先にいたのはムカデの怪物。
目の前に跳んできた僕は、怪物には自分からやられに来た間抜けな獲物に見えたのかもしれない。

ムカデの怪物はその大顎を広げ、僕の右腕に噛み付いた。
そして、その顎肢にある毒腺から毒液、消化液を傷口から流し込んだ。


「づ、あああああああああ!!!?」


ムカデ毒の成分である、蛋白質分解酵素、ヘモリジン、ヒアルロニダーゼ、サッカラーゼ、
ヒスタミン、セロトニン等の酵素が注がれ肉を溶かす。

そしてセロトニンが、激しい痛みを腕に灯らせた。余りの激痛に視界が赤く点滅する。
噛まれた箇所は心臓の鼓動に合わせて紅くなったり白くなったりしていた。

感じる羽音。
振り向くと羽を持つ怪物がこちらに戻ってきていた。

腕を噛み付かれ、身動きが取れない。
このままではまともに突進を受けてしまう。今度食らったら多分もう動けなくなる・・・!


どうする・・・!


怪物は速い。ムカデの怪物を倒していたらやられる・・・!!

怪物が目の前に迫る。
怪物が閉じていた口を開き、その中からナイフのような牙が覗かせた。


「・・・っ!!間に合え!!マテリアル・ハイ!!!!」


咄嗟に閃き、イメージを展開させた。

怪物が早いか、マテリアル・ハイが早いか。
・・・いや、僕が死ぬか、怪物が死ぬかだ!!





――・・・僕の体が、血で染まった。





それは、怪物の血だった。

怪物が僕の体に触れるか触れないかのその瞬間、ギリギリで空気の刃が僕の前に投影された。
空中に固定された極薄の刃。

それに猛スピードで突っ込んだ怪物は、鮮やかな二つの断面を見せながら、左右に開かれた。
殆ど抵抗もなく切れたので、怪物の勢いのまま怪物の体液が僕に降りかかる。

白い僕の髪は怪物のヘモグロビンによって紅く染められた。
口に入った血に吐き気を覚えながら、僕は行動を止めない!


「"固定解除 フォールダウン"!!!」


空中に投影した刃は、単なる刃では無かった。

それは、僕が握る為の柄が作られていた。
噛まれている右腕の反対でその柄を握り締め、空に捕らわれた刃を解放する。

そのまま、僕の右腕に噛み付いているムカデの怪物の額に刃を吸い込ませた。
刃は表面に突き刺さり、怪物に苦悶の声を上げさせるが、力のない僕では頭蓋骨を貫通させることは出来なかった。


だから、何度も何度も繰り返し突き刺す。
引き抜いては、刺し、引き抜いては、刺し、引き抜いては、刺し、引き抜いては、刺し、
引き抜いては、刺し、引き抜いては、刺し、引き抜いては、刺し、引き抜いては、刺した。


怪物の両方の眼窩に刃を突き立て眼球を裂いたりしたが、怪物を傷つければ傷つけるほど怪物も必死になり、
腕に噛みつく力は増して行った。

その間にも噛まれた箇所はどんどん肉が溶けて落ちていった。

二桁ほど突き刺すのを繰り返した頃だろうか、怪物の噛み付く力が弱まる。
無理矢理力任せに腕を引き抜き、刃を怪物の柔らかい箇所、喉から胴にかけて刃を走らせる!

鋭い刃は易々と怪物の体を縦に裂き、その裂かれた腹から血と臓物を溢れさせ、怪物は絶命した。
裂いた本人である僕はその血と臓物の雨を全身に浴びる。


「はあ・・・はあ・・・っつ・・・」


全身が、痛い。
痛くない所を探す方が難しいくらいだった。
噛み付かれた腕を見ると皮膚は破れ、肉は溶けてぐずぐずになっており、溶けた肉の隙間に尺骨と橈骨の白い二本の骨が見えた。
あまり見たくは無い物だったので目を逸らす。

怪物の血が目に入ったのか、目が紅い液体で覆われてやけに見辛い。
目を擦ったが、一向に良くならない。

そして、それが自分の目から流れている血だと気付いた時には、僕は限界だった。

怪物の血溜まりに倒れ込む。
その生暖かさと気持ち悪さが、罪悪感と安堵でごちゃ混ぜになった胸を誤魔化してくれた。

今は、それがありがたかった。



続く



[17872] コール20 1stゲーム終
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:3563f643
Date: 2010/12/23 04:58
「道なりに行くと2股に分かれた峡谷!・・・マッタク地図通りだぜコノヤロウ・・・!」


朝河は携帯の地図を片手に、雨宮を背負いながら進んでいた。
一歩進むごとに全身が痛みを発して走ることは出来なかった。


「・・・・・・あなた・・・朝河君でしょう・・・?」


この地図を初めから知っていれば・・・と朝河が悔しさを噛みしめていると背中に担いでいる雨宮が尋ねてきた。


「・・・?・・・そうだ、オレは朝河だが・・・オレ名前教えたか?

なんでオレの事を知っている?」


ここまでに一度も朝河と名乗った事は無かったのに何故か背中の少女は自分の名前を知っている。
雨宮の言葉に違和感を覚えて逆に朝河が聞き返した。


「フフ・・・知ってるに決まってる・・・!!なんでもクソもない・・・!!」


(あ、この女ヤバい)


突然の答えになっていない答えと少女の不気味な笑顔に朝河はビビりながら胸中で呟いた。
少女はフフフ・・・と薄く笑い続け、朝河は冷や汗を流し続けた。


「さあ走れッ」


「ムリだッ背中が痛ェよッ・・・」


無茶な注文に朝河は反論するが、雨宮の雰囲気に飲まれて進める足は自然と早くなっていた。
しばらく行くと、岩壁に囲まれた少し開けた場所に出る。

そこには、四階建ての、初めの建物と同じように廃墟と化している建物があった。


「あれだ・・・!あのビルに間違いない・・・!あのビルがゴールの門"ゲート"・・・!!」


「・・・行きましょう・・・彼が来るのを待たなきゃ・・・」


「ああ!」


朝河達は辺りを警戒しながら廃墟に足を踏み入れた。
中には砕けた窓ガラスや壁が散乱し、非常に進み辛かった。


「・・・夜科は、まだみたいね・・・先に門"ゲート"を探しましょう・・・」


周りの安全の確認を終えると、雨宮が言った。
朝河も黙って頷くと、痛む体を引きずって門"ゲート"を探し始めた。



◆◆◆



(よし、大丈夫だ・・・)


夜科の身長を遙かに超える大きな岩に背中を密着させ、顔だけを岩陰から出して確認する。
岩の向こうには冷たい岩肌が広がるだけであり、動いている存在は見えなかった。

岩穴を出てからここまで一度も化物に出会う事は無かった。

だが、それでも注意し過ぎると言うことは無い。相手は人智を超える化物なのだ。
素早く、けれど慎重に夜科は目的地に向けて足を進めていた。


(無茶しやがって・・・!アイツ、死んでねえだろうな・・・!)


不安の思いと共に白い髪の少年の姿が頭に浮かぶ。
最後に見た少年の顔に怯えは無かった。

代わりにあったのは、覚悟。
あの化物を前にして一歩も退く気は無いと言った様子だった。
恐らくその自信は少年が見せた不思議な力による物だろう、と夜科は思う。
少年が掌に炎を灯した時、少年が何をしたのかは夜科には分からなかった。

ただ、何となくは理解した。
少年は自分が持たない何か、力を持っていることを。


(・・・だからって・・・!)


しかし夜科は、男達を助ける為に少年を一人化物の所に残した自分の行動に納得し切れていなかった。

自分は、弱い。

恐らくあの場に少年と共に残ったとしても何の手助けにもなれなかっただろう。
それどころかむしろ足を引っ張る可能性の方が大きい。

それは痛いほどに理解していた。
だから、少年を残して行った自分の行動は間違いでは無い、そう思う。

しかし、その思いには苦みを伴った。

何も出来ない自分が歯痒かった。
少年を一人残して行った事が、それなのに男達を助けられなかった事が申し訳なかった。
自分は弱いのだ。・・・だから、仕方が無い。
そんな自らの弱さを盾にした言い訳は、良くも悪くも真っ直ぐな夜科には出来なかった。

だから夜科は走っていた。

本来なら杉田と共に警戒区域から脱出するのを優先させるべきだったのだろう。
しかし、夜科は少年の元に向かった。
少年が死んだとしても自分のせいじゃないと、逃げる事はしたくなかったのだ。

あの少年と別れた場所に戻っても自分に何が出来るか分からない。だけど、何か出来るかもしれない。
それが、夜科を突き動かしていた。


「っ!あれは・・・」


起伏の激しい岩肌のその中でも一際大きな起伏の頂上に立つと視界が開けた。
そして見えたのは赤い水溜まり。

その中心で全身を赤く染め、倒れ伏す少年を夜科の目が捕らえた。


「おいッ!しっかりしろ!!」


急いでその元に駆け寄る。
少年の周りには焼け焦げた異形や左右に開かれた者、そして腹を割かれて血と臓物を溢れさせている異形の死体が転がっていた。

絶命している異形、伏したままピクリともしない少年、それらを一瞥して夜科はギリッと奥歯を鳴らす。
ここで何が起こったのかは想像に易い。

焼け焦げた異形の姿が見たことのある化物だと気付いて、さらに夜科は憤った。
ここに至るまでに化物に出会わなかったのは、この少年がその全てを引き受けていたからだ、と言うことに気付いたのだ。


「くそっ、すまねえ・・・!」


何も出来なかった自分に無性に腹が立った。
しかし、腹を立てていてもどうしようもない。とにかくは俯せになっている少年の体を起こした。


白かった髪は未だ色褪せることのない鮮やかな血で朱く汚れ、左の腕は裂かれ血が溢れており、手首から先は火傷したかのように爛れている。
右の腕は二本の突起物で刺されたような穴が二つ開き、その周りは肉が崩れ骨を覗かせていた。

顔を見ると半開きの目は虚ろで、そのそれぞれからは二条の朱い線が流れている。
そして肌を露出しているありとあらゆる場所に擦り傷や打撲の青黒い跡が見られた。
それはまさに満身創痍と言ったようだった。
だが、まだ死んではいない。胸に手を当てると薄く鼓動しているのを感じたし、なにより灰になっていなかった。

少年が死んでいなかった事と、少年の元へ駆けつけて良かったと安堵した。
しかし、放置すればそのまま死んでしまうような状態だ。急いでこの場を離れなければ、と夜科は少年の細い体を担いだ。


「・・・ぁ・・・」


その動きで体を軽く揺さぶられたからであろうか、少年が微かな声を上げた。
何の色も映さなかった空虚な瞳に色彩が戻る。


「・・・無事、だったんですね・・・よかった・・・」


「ああ、お前のおかげだ。ありがとな・・・直ぐにここを離れるから、しっかりしろ」


こくりと首を縦に振る。少年はしがみつく程の力も腕に込められないようだった。
だらりと垂れる腕を自分の首に回し、少年の足を抱える腕に力を込めた。

その時、足音が近づいて来る音が風の唸る音に紛れて聞こえてきた。


「っ!あの化け物どもか・・・!?」


慌てて側にあった岩の影に身を隠す。息を潜めて様子を窺った。


「あいつは・・・なんでここに・・・?」


現れたのは肥満気味の男、千葉だった。
千葉は、何かを探すようにせわしなく辺りを見渡している。

そして、千葉の他にも影が一つ現れた。それはあの人の形をした異形だった。
異形は手にボウガンを携え辺りを見渡している。

幸い、まだ夜科の方も千葉の方も気付いて居ないようだった。


「こっちだ!!」


夜科は声を潜めつつ大声を出すという器用な事をしつつ、千葉に向けて手を振った。
それに気付いて千葉は駆け寄ってくる。


「千葉さん、どうして・・・?」


少年は岩陰に入って息を切らしている千葉に尋ねた。


「キミが危ないって聞いて・・・いてもたってもいられなくなったんだ・・・」


胸を大きく上下させながら、絶え絶えに言う。
千葉は少年に向けて頬笑んでみせた。しかし、少年の様子をみると顔を顰める。


「酷い怪我じゃないか・・・!どうして、こんな・・・」


「・・・痛みを通り越して感覚がなくなってますから、動かせませんけど辛くはないです」


「話は後だ・・・!あの化け物がすぐ側に来てる・・・!」


岩陰から顔を出して確認しながら、夜科が言った。
異形はまだ辺りを見渡していて、ここら一帯から移動する気配が無い。


「クソッ、一体どうやってアイツを切り抜ければ・・・!」


まだ異形は夜科達に気付いていないが、気付かれるのも時間の問題と言った所だった。


「・・・僕が、やります」


進退窮まった状態に夜科が焦れていると、少年が言った。
夜科の背中から降りようと身動ぐ。


「バカ言ってんじゃねえ!そんなボロボロで戦える訳ねえだろうが・・・!!」


「そうだよ!無茶だ!」


夜科と千葉がそれぞれ言う。
しかし、少年は譲らなかった。


「この中であの怪物と戦える力があるのは僕だけ、です。

だったら僕がやるしかないじゃないですか・・・!」


「力があるからって戦わなくちゃいけない理由なんかにならないよ!!

どうしてキミは、そこまで誰かの為に自分を傷付けられるんだ・・・」


千葉が怒ったように言う。しかし最後の方には悲しそうな顔になっていた。
それを聞いて、少年が弱々しく吐露するように言った。


「・・・誰かが居なくなるのが、誰かに置いて行かれるのが、何故だか分からないんですけどすごく怖いんです。

誰かが居なくなるくらいなら自分が居なくなる方がいいって思うくらいに。だから・・・誰かの為に頑張るんじゃないです。

結局僕が怖いから、やるだけなんです」


「・・・ボクにはよく分からないよ・・・キミの思う事が。

でも・・・誰かに居なくなって欲しくないって気持ちは、ボクにも分かる・・・!」


「まずいッ!こっちに来やがった!!」


様子を窺っていた夜科が焦った声を発した。
異形が真っ直ぐこちらに向かって来ているのが見えたのだ。


「何で分かった・・・!?ッ、しまった!!影か・・・!?」


岩陰からはみ出していた三人の影が揺れたのが見えたのだろう。
異形は迷うことなくこちらへ近づいて来ており、ボウガンを向けていた。


「僕がやります!だから離して下さい!!」


少年が自分を抱えている夜科に言う。
少年の剣幕に押され、夜科はその手を緩めてしまいそうになった。


しかし――・・・


「ボクが・・・ボクが、やるよ」


それを、千葉の声が遮った。
その声は微かに震えているのが分かる。


「ボクが囮になってあの化け物を引きつける。その隙にキミ達は行って」


「っ!?何言ってるんですか!?」


「・・・ボクは、キミに居なくなって欲しくない、生きて欲しいんだ」


千葉は少年を見て気丈に頬笑んだ。
それが無理しているのだと、誰の目にも見て取れた。


「誰かが居なくなってキミが悲しむのと同じように、キミが居なくなって悲しむ誰かもいるって事、忘れないで。

きっと上手く逃げてみせるからボクなら大丈夫。それから、もっと・・・自分を大事にして。約束だよ」


「千葉さん!!やめて・・・・・・いやだ・・・嫌だ!!」


制止も聞かず千葉は岩陰から飛び出し、走って行った。


「アグロ・・・?」


それに気付いた異形がその背中を追いかけ始める。

最後に千葉が振り返った時見えたのは、泣きそうな笑顔で・・・だけど覚悟をした顔だった。
千葉の背中に手を伸ばすように少年が必死で藻掻く。


「アイツの頑張り、無駄にすんじゃねぇよ!!行くぞ!!!」


異形の姿が見えなくなった時、夜科は歯を食い縛りながら少年に怒鳴った。
背中の少年は朱ではない、透明な涙を呆然と流していた。


「・・・ごめんなさい・・・」


駆けだした夜科の背中で、少年が言葉を漏らした。
それは謝罪の言葉。もう届く事のない謝罪の言葉だった。


「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・・・・」


涙を流しながら、少年は壊れたテープのように繰り返し続ける。
けれど、その言葉は無感情な乾いた風に吹かれて、空に融けて消えてしまった。




◆◆◆



「はっ、はっ、はっ・・・!」


息を切らせながら千葉は走る。
一歩一歩地を踏む度に、体の肉が波打っていた。

後ろを振り返ると、異形が小さく見えた。
大丈夫、まだ距離はあると胸中で呟き、再び前を向いて走ろうとした。


「・・・え・・・?」


感じたのは焼けるような感覚。それが痛みだと咄嗟に頭が認識できなかった。
灼熱の感覚のする方、右足を見る。

右足の脹脛からは、一本の矢が生えていた。
異形は矢を命中させた事に何の感慨も感じないように、ただ冷徹に新たな矢をボウガンに込めた。


「うあああああああ!!!」


千葉は右足に力を入れられず、体勢を崩した。
顔面から地面へ倒れ込む。


「ぐぅっ・・・!!」


地面に顔を摺り下ろされ、血を流す。
それでも、四つん這いになり必死の形相で前へ進んだ。


「あがぁっ・・・!!」


今度は左足に熱が走る。
これで千葉の機動力は完全に奪われた。異形は、どこまでも冷徹だった。


「う、うぅ・・・」


千葉は耐えきれずその双眸に涙を滲ませた。
怖くて、痛くて、辛くて仕方がない。そんな感情が千葉の胸の内で吹き荒れた。


「やっぱり・・・ボクにはあの子みたいに強くなれないや・・・・・・でも・・・」


異形が千葉の元へ近づいて来る。
もう千葉が動けないと判断したためか、その歩みはとてもゆっくりだった。

その緩慢な時間が、千葉の恐怖を更に煽る。
それは死が近づいて来るのと同義であった。

千葉は腹這いになりほふく前進のような形で地面を這う。
しかし、もはや逃げることが叶わないのは誰が見ても明らかだった。

それでも千葉は絶望はしない。
なぜなら胸の中に、一抹の満足な気持ちがあったから。


「・・・こんなボクにも、勇気ってあったんだなぁ・・・」


肘を付いて必死に這う。肘の皮膚は破れ血が滲んだ。
そして、千葉は薄く笑った。


「なんだ・・・やれば出来るんじゃないか、ボク・・・」


直ぐ後方に異形が地を踏み鳴らす音が聞こえた。
千葉の顔は、最後まで頬笑んだままだった。




◆◆◆




「ここだ・・・!」


夜科は杉田が居るはずの岩穴を見つけ、言った。
少年は夜科の背中でぐったりとしていた。

呟きが止んだので気になって見てみると、少年は目を閉じていた。
眠ったのかと思ったが、揺さぶっても起きない。

どうやら気を失ったようだった。
血を流しすぎたからなのか、千葉の一件で精神の糸が切れてしまったからなのか、夜科には分からなかった。

ただ、分かるのは急いで門"ゲート"に向かわないと手遅れになりかねないという事だった。

身を屈め岩穴に入り込む。
中は薄暗いが、辛うじて見渡せる程度には光があった。


「・・・?杉田が、いない・・・?」


見渡せども杉田の姿はどこにもなかった。
ただ冷たい岩肌がそこにあるだけであった。


「どういうことだ・・・?」


ふと、思い出したかのように杉田に渡されたテレホンカードの事が気になった。
そして少年を抱えながらテレホンカードを入れたポケットを探る。


「なっ・・・!?っ、まさか・・・!!」


指にあった感触は、細かな粉に触れたかのようだった。
手をポケットから取り出すと、指には灰色の粉、灰らしき物が付着していた。

よくよく見ると、杉田が横になっていた場所には灰のような物が、風に吹かれながらも微かに残っていた。


「そんな・・・」


がっくりと夜科の膝が崩れた。抱えていた腕の力を抜いたため少年が横に倒れる。
夜科は、死んだ男達が灰になったのを思い出していた。

そして、察する。


「お袋さんに渡すんじゃねぇのかよ・・・

くそっ・・・何やってんだ・・・っ!!どうすりゃあいいんだよ・・・!!俺はッ・・・!!」


ただひたすらに無力感だけが夜科の胸にあった。
拳を地面に叩き付け、その痛みでもって無力感を誤魔化そうとする。

ちらりと横を見ると呼吸の浅くなった少年の体が。


「生き残らなきゃ・・・!」


ここで自分達も死んだのなら、死んでしまった杉田や囮になった千葉に申し訳が立たなかった。
夜科は再び少年を担ぐと、歩き出した。


「絶対に・・・!」




◆◆◆




「アイツ、遅せぇな・・・まさかやられたんじゃねえだろうな・・・」


全身の痛みでフラフラする中、壁にもたれながら朝河は呟いた。
既にゴールの門"ゲート"は見つけており、後は夜科達を待つだけだった。


(・・・まったく、どうなってやがる・・・!怪力の殺人モンスターに、この荒れた世界・・・

――・・・一体どんな秘密がある・・・?)


夜科達を待つ間、朝河は一人考える。

しかし、考えても答えの出ない問いなので、直ぐに朝河は考えるのを止めた。
全身の痛みのせいで考えるのも億劫になっていたのだ。

そして、ちらりとガラスの無くなった窓から外を見る。


「っ!!アイツだ!あのガキも背負ってる!!」


窓の外には、黒い髪に短ランを着た夜科の姿があった。
背中には少年が背負われているが、腕はだらりと垂れ、意識が無いように見えた。


「良かった・・・無事だったのね・・・」


雨宮が隣で安堵の息をつく。
そして朝河はこちらの場所が夜科に伝わるように窓から身を乗り出し、声を発しながら手を振った。

夜科がそれに気付くと進める足の方向を定め、真っ直ぐに入口へと向かって行った。
それを確認すると朝河も安堵からか再び腰を下ろした。

その為・・・夜科達の背後に迫っている存在に、朝河は気付けなかった。



――・・・



「へへ・・・待たせたな・・・」


「ああ、待たせ過ぎだ・・・!」


暫くすると、夜科が階段の入り口から姿を見せた。
出逢って早々に軽口の応酬を行う朝河と夜科。

二人の口元には薄い笑みが浮かんでいた。


「その子は大丈夫・・・?酷くぐったりしてるみたいだけど・・・」


雨宮は夜科を見てほっとしていたようだったが、背中の少年の様子を見て不安そうな顔をした。
全身の傷に加え、両腕の酷い損傷を見て雨宮は痛切な表情になる。


「ああ・・・!こいつ、ヤベェんだ・・・!!早く医者に見せねえと・・・」


「・・・こんな小さなガキがあの化け物と戦って勝ったのか・・・一体どうやって・・・」


朝河は瞳も開かない少年の顔を覗きながら言った。
その顔には疑念の表情が浮かんでいた。


「それは後・・・とにかくここを離れないと・・・!

そう言えばあなた達だけなの・・・?千葉さん、は・・・?」


名前がうろ覚えだったのか、雨宮が多少詰まらせながら夜科に尋ねた。
すると、夜科は何かを堪えるかのような顔になる。


「アイツは・・・」


言い辛そうに顔を逸らし、拳を固く握った。
それでも現実を受け止めなければ、と自分の見たありのままを伝えようと口を開こうとした。


その時――・・・


勢いよく階段を上がって来る音が聞こえてきた。
リノリウムの床を鳴らすその音に全員が全身を硬直させるが、何の対策も取りようが無いほどにその音はもう近かった。


「ッ!!」


そして現れたのは・・・




「うおおー!!!やったで・・・!!ここが門"ゲート"かいな!!」




関西弁を話し、刈り上げた短髪にジャンパーの姿の、死んだ男達の中にいた筈の男だった。
男は息を切らしながら、階段の入り口に背をもたれている。


「おいおいワシを除け者にせんといてくれや・・・!寂しいやないか・・・」


「アンタ生きてたのか・・・!!」


全員が、特に異形の暴れようを間近で目の当たりにした朝河が驚きを口にする。
それを聞いた男は口を半月に歪めた。


「あン時バケモンに気ィ取られて崖から転げ落ちてなァ・・・

けど、それが逆に身を隠すチャンスになって助かったわ」


「よくここが分かったな・・・」


大げさな手振りで自分がいかに大変だったかを男は語る。
そんな男に夜科はふと湧いた疑問を尋ねた。


「へっへっへ・・・」


すると、男の笑みは益々厭らしく歪んだ。
そして意味ありげに夜科を見ながら夜科を指差した。


「そんなもん・・・!ずっとアンタの後くっついて来たに決まっとるやん・・・!!

気付かへんかった・・・?せやろなァ!?大変そうやったもんなアンタ・・・」


男の言葉を聞き、夜科の瞳孔が開く。眉間には深い皺が刻まれ額には薄らと青筋が浮かんでいた。
しかしそんな夜科の様子に気付く事なく男は語る口を止めない。


「アンタがそのガキのとこに行った時は焦ったで・・・なんせ着いてったらあのバケモンがおるんやもんなァ・・・

まァでも、あのデブがビビって逃げ出してくれたみたいで助かったわ・・・」


男は触れてはいけない場所を土足で踏み荒らしているかのようであった。
もう限界だった。

夜科の怒りは理性で抑えきれる範疇を超え、その溢れた怒りは固く握られた拳に集束して行く。


「な、なんやアンタ・・・そないな怖い顔して・・・!」


「黙れ・・・!それ以上その汚ねえ口でアイツを語るな・・・!!」


背中の少年を下ろし、一歩一歩夜科が男に近づいていく。
それに伴って男が一歩一歩後退していった。


「一発殴らねえと気が済まねえ・・・!!」


「ヒッ・・・・・・ガッ!?」



そして夜科がその拳を振り上げた時、男は白目を剥いて倒れた。

突然の事に夜科はその拳の矛先を失い動揺する。
男の側頭部には、黒金の矢が刺さっていた。


「な・・・に・・・!?」


髪の生え際の辺りの皮膚が抉られてピンク色の肉を見せ、赤黒い血液を頭から流しながら男は痙攣していた。
男の股間が濡れて、直ぐにそのアンモニアの不快な臭いが鼻を掠める。

しかし・・・それよりも先に、声が耳に届いた。


「アグロ・・・」


それは、死を届ける不吉な死神の声だった。


「アイツだ!!!」


声を聞いた途端に朝河の背中に冷たい汗が流れた。
それは、朝河達を襲った異形。死と破壊を撒き散らす死神。

それが階下にいて、入り口から階段の方へ身を出した男の頭をボウガンで打ち抜いたようだった。


「う・・・」


男の死体から後ずさった夜科とぶつかり、少年がうめき声を上げながら目を覚ます。
そして、階下から一回の跳躍で異形は夜科の目の前へと躍り出た。


「アグロ・・・」


「う・・・あ・・・」


夜科は目の前に現れた圧倒的な存在に、身動きが取れなくなっていた。
頭では動かなければ死ぬという事は分かっても、体が言う事を聞いてくれない。


「夜科!!」


雨宮が叫び、異形が拳を振り上げ、少年が身を起こし、異形が拳を振り下ろす。
その間数秒、夜科はただただ呆然とするしかなかった。

夜科の目の前に岩石のような拳が落ちてきた。


「・・・ライズ!!!」


夜科の頭が砕かれる直前雨宮が呟き、雨宮は颶風となって異形へと迫った。
異形の胸元に雨宮の履くローファーの踵がめり込む。


「ハアッ・・・!ハアッ・・・!」


そして異形は勢いのまま壁に激突して、轟音と共に堅固なコンクリート打ち放しの壁に大穴を開けた。
土煙がもうもうと舞いあ上がって視界が悪くなり、目を凝らさなければほんの少しの先も見えないようになる。

雨宮は、それが限界だったようだ。膝を崩し頭を押さえ蹲っている。
その鼻腔から血が流れているのが見えた。


「ッ、雨宮!!」


「オイ!!大丈夫か!!」


ようやくハッとした夜科と、事態を眺める事しか出来なかった朝河が動いた。
二人は雨宮の元に駆け寄る。


「っ・・・ハアッ・・・!!まだ・・・終わって・・・ない・・・!!逃げて・・・!!」


雨宮がか細く言ったのが聞き取れた。
そして雨宮の言葉通り、異形が土煙の中から姿を現した。


「アグロ・・・!」


異形に然したるダメージは見受けられなかった。
首をコキコキと鳴らし、それはまるで準備運動をたった今終えたかのようだった。

そんな異形の前にふらりと立ち塞がる姿。それは意識を取り戻した少年


「・・・お前は・・・お前だけはぁぁああああああ!!!!」


異形の付けるエプロンに、最後に見た時にはついていなかったまだ新しい鮮やかな血痕を見つけ、少年は吼える。
憎しみを込めながら異形を睨みつけるその双眸からは再び紅い涙が流れていた。

動かせない両腕の代わりに視線を虚空に向ける。
次第に流れる紅い涙の量も増え、最後には目が充血して目が真っ赤に染まっていた。


「"固定解除 フォール、ダウン"!!!」


白く濁った一振りの刃が目の前のリノリウムに突き立てられた。
それに少年は手を伸ばそうとして、前のめりになる。

どれだけ力を込めようとも、四肢はもう動かなかった。
いや、正確には力を込めるだけの気力が無かったのだ。

それでも、視線だけで異形を射殺さんと睨み続ける。

限界まで張り詰めていた糸がプッツリと切れてしまったような感覚を少年は味わっていた。
それと同時に込み上げてくる脳の痛みと眠気。
瞼がだんだん重たくなって行っていた。

しかし少年は自ら奥歯を噛み砕き、それを堪える。


「ッ雨宮を頼む!!」


「ああ・・・!!」


弾かれたように駆けだす者達がいた。
夜科に頼まれた朝河は雨宮を抱え移動し、夜科は刃の元へ。


「エイブラハム・・・!!」


異形は足の筋肉を盛り上がらせ、跳躍。
刃の柄を握った夜科に、目を疑うような速度で異形が襲い掛かった。


――身を低く、低く落とし、一閃。


異形の拳がこめかみに掠め、夜科がふら付く。
しかし、その刃は異形の脇腹にしっかり食い込んでいた。


「アグ・・・ロ・・・」


夜科達と同じ、赤い血を零しながら異形が膝を付いた。
刃は、胴の半ば程まで食い込んでいおり、その断面からは肉が付着したままの叩き折られた肋骨が覗かせる。


「アラララご愁傷様だァ・・・・・・!!」


こめかみを打たれ、盛大な吐き気に襲われながら夜科が言って捨てた。
異形を見ると傷を確認する為であろうか、エプロンを剥ぎ取っていた。

そして露わになる異形の胴体。
その胸には、鈍く光る丸い珠があった。

その珠に惜しくも刃は、届いていなかった。
肋骨やその周囲の肉を裂けても、珠には傷一つ無い。


「グァロッ!!!」


「冗談、だろ・・・?」


異形が叫び声を上げ、立ち上がった。
息を荒くしながらも異形はその二本の足で歩む。

一歩、二歩、三歩・・・

もう打てる手は何も無く、夜科は絶望と吐き気で目の前が真っ暗になった。
だんだんと近づいてくる音。それが到達した時に自分は死ぬのだと夜科は理解した。


――・・・しかし、四歩目の音は鳴る事は無かった。


「"炎虚刃 パイロ・エッジ"」


その声はやけにはっきりと、廃墟に響いた。
それと同時に異形の胴体から巻き起こる炎。

異形の肉と骨を断った刃。それは、ただの刃では無かった。
大気と自らのPSIを混ぜ合わせる際に、PSIにあるイメージを込めておいた物だった。

対象にその刃を突き立て、その体内から焼き尽くす。
フレデリカのパイロキネシスとカイルのマテリアル・ハイの力を借りて具現化された力の結晶だった。


「グァ・・・!!ア・・・ロ・・・!!!」


「な・・・!?」


夜科はその光景に目を見開いた。
そして声のした方を見ると、少年がゆっくりとその瞼を閉じる所だった。

異形は炎に身を苛まれ、悶える。
焼かれる痛みのためか所構わず殴りつけ炎が更に体に回ると、膝をおって地面を転がり出した。
蛋白質の焦げる異臭と異形の断末魔の叫びが灰虚を彩る。
この世の物とは思えないほどのうめき声を上げながら、その内動かなくなった。

そして炎が消える。
後にあったのは、炎に全身を舐められ硬直した異形の死体と、静寂。


「やった、のか・・・?」


朝河が雨宮を下ろしながら恐る恐る近づいてくる。
念のために炭化した異形を靴先でつついて見ると、やはり異形は死んだようだった。


「すごい・・・違う波長のバーストを同時に使うのなんて・・・初めて見た・・・!」


地面に座り込みながら雨宮が少年が見せた芸当に驚嘆の声を漏らした。


「ッ!?おい!しっかりしろ!!目ぇ覚ませ!!!」


しかし・・・その芸当をやってのけた少年は倒れたまま身動ぎ一つしない。

少年の様子がおかしい事に気付いた夜科が少年の元に駆け寄りその肩を激しく揺らす。
双眸からは閉じられてもなお紅い涙が流れ続け、元々白かった顔が更に生気を失って行くかのように青白くなっていた。


「マズイわ・・・!これは・・・PSIの使い過ぎ・・・!

一刻も早く治療しないと命に関わる・・・!!行きましょう!」


雨宮がそう言って立ち上がろうとするが、膝が笑っており自力で立つことは叶わなかった。
そのため朝河の手を借りてようやく起き上がる。

そして、夜科達が来る前に見つけていた門"ゲート"へと歩き始めた。


夜科達が背を向けた後、異形の焼死体が崩れ始めた。
それは、他の異形や男達が見せたのと同じ灰化現象。

廃虚に吹き込む風に乗って、それは窓の外へ。

後には静謐。
ただそれだけが、その場を包みこんでいた。




◆◆◆




雨宮は少年のポケットを探り、赤いテレホンカードを取り出した。
さして電話を弄って夜科達には分からない行動をすると、少年は消えてしまった。

続いて雨宮も電話に赤いテレホンカードを差し込み、受話器を当てると雨宮は消えてしまった。
驚く夜科だが、消える直前に雨宮が言った私に着いてきてという言葉を信じ、夜科も同じようにする。


「こ・・・ここは・・・!?」


そして、次に瞬きした時に目に飛び込んで来たのは目に痛い程の朱い光だった。
思わず目を細め辺りを窺うと、それはどうやら斜陽の光が夜科の目に刺さっていたらしかった。

窓の外にはを血潮を零したかのような焼けた空が広がっている。
その終わりを象徴するかのような黄昏の美しさに夜科は一瞬見とれてしまう。


「帰って来たの・・・元の世界に・・・ね・・・」


「・・・帰って来た・・・!?」


雨宮が浅い呼吸を言葉に織り交ぜながら言う。調子の悪さが声音から読みとれた。
そして夜科は窓を見下ろし、行きかう人々や車の群れを見て確信する。


「うおおおお!!マジに帰って来たみたいだぜェーーッ!!」


喜びの声を上げる夜科だが、急にハッと気が付いたように顔が真剣な物となる。
見渡し、横たわる少年を見つけた。


「そうだ・・・!!一刻も早く医者に見せねえと・・・!!」


「待って・・・!今助け呼んだわ・・・その子は普通の治療じゃ治せないの・・・」


雨宮に制止を掛けられる。
雨宮を見ると掌の中には携帯電話が握られており、それを弄っていたようだった。


「治せないってどういう事だよ!?」


「そのままの意味よ・・・!その子には特別な治療が必要なの・・・お願い、早く出て・・・!!」


「・・・ッ!?こいつ、息してねえぞ・・・!?」


そして夜科は、黄昏の―・・・終わり行く物の儚さを感じた。

日は次第に傾いて行く。
最後には僅かな残照だけを残し、辺りは闇に包まれてしまった。




続く



[17872] コール21
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:3563f643
Date: 2010/12/23 04:58
呼び出し音が一つ、二つ、三つ――・・・

雨宮が握る携帯電話が声を上げる。
日が完全に沈み静寂と闇が支配する中でその音はやけにはっきりと響いた。

夜科は呼吸を止めた少年の肩を揺さぶっている。
その顔には焦燥が刻まれていた。

――四つ、五つ、六つ・・・

雨宮は携帯電話が軋むほどに強く握った。
普段は気にならないような僅かな間であったとしても、急を要する今この場ではその僅かな間が雨宮を酷く焦らす。


そして七つ目のコールで、繋がった。


『桜子か!?』


聞こえてきたのは女の声。
その声からは電話の向こうの女が真剣に雨宮を案じているのが聞いて取れた。


『帰ってこれたんだな!?サイレンから帰って来たんだな・・・!?』


雨宮はその声を聞き安堵の表情を浮かべるが、直ぐに表情を引き締めた。
そして一つの呼吸を挟んで話し始める。


「マツリ先生・・・」


『桜子!!良かった・・・!無事なんだな!?怪我は無いか!?』


「私ならちょっと厳しいけど・・・なんとか大丈夫、です。

それよりも大変な子がいるの!!直ぐに治療しないと命に関わりそうで・・・!!

ううん、もう命が燃え尽きかけてる!!」


『大変な子・・・?漂流者(ドリフト)の一人か!?』


「サイキッカーの子で・・・多分PSIの使い過ぎだと思う・・・!」


『分かった!待ってろ直ぐに迎えに行く!場所はどこだ!?』


雨宮は一旦携帯電話を耳から離し、すっかり暗くなってしまった窓の外に目を向ける。
外では、建物から漏れる照明やビルの看板に灯るネオンが紺色で塗りつぶされた街を照らし出していた。

目を細め、それらを見つめる。
しかし雨宮にはそこがどこなのか、直ぐには判断出来なかった。

その時後ろで物音がした。
振り返ると、朝河がまだ新しげなリノリウムに膝を着いている。


「ここは!?さっきのビル・・・!?・・・にしてはいやに新しいが・・・」


目の前の景色が急に変わるという信じられない現象が起きても、朝河はそこまで取り乱さなかった。
それはもう既に常識を遙かに超えた出来事に何度も遭遇しているからか、それとも持ち前の冷静さから来る物なのか。

辺りを見回しながら、そしてその中である公園を見つけると朝河は呟いた。


「あの公園は・・・ここは豊口市、か・・・?」


「豊口市・・・ここは豊口市なのね!?」


「あ、ああ・・・ビルの下の公園に見覚えがある。ここは豊口市の外れだ。・・・っと!」


朝河の呟きを捕らえると、雨宮は朝河に迫って確認をする。
しかし、詰め寄ろうとして雨宮の足が縺れて、朝河の方に倒れ込む。朝河は逞しい腕で倒れてきた雨宮を受けとめた。

その拍子に携帯電話が床に音を立てて落ちる。


『うわ!うるさ・・・ウッ、う゛え゛ぇぇぇぇぇぇえええええ』


雨宮の電話相手は音量を上げていたのだろうか、携帯電話が床に落ちた雑音に不快感を露わにした。
そして同時に不吉な声が電話の向こう側から聞こえてくる。

なんとも言えない空気が広がった。


『うぅ・・・頭痛い・・・飲み過ぎちゃったよぉ・・・』


ぐすぐすという鼻をすする音とがさがさと紙を捲る音も聞こえてくる。
びちゃびちゃという液体が零れるような音を、雨宮と朝河は聞かないことにした。


『うっ・・・!・・・ゴクン・・・

・・・と、とにかく豊口市だな!?豊口市なら5分で行ける!待ってろ!!』


そう言って電話が切れた。
後に残されたのは闇と、静寂と、微妙な空気。


「お、おい!!ホントに大丈夫なのか!?やっぱりすぐに救急車呼んだ方がいいんじゃ・・・!」


そのふざけた空気をぶち壊す。

夜科は少年を抱えて焦ったように言った。
しかし、それは首を力なく横に振る雨宮によって否定される。


「ううん・・・普通の病院じゃ、大騒ぎになるだけで治せる見込みはないの・・・

助けが間に合うこと祈るしか・・・!」


そう言う雨宮は、悔しそうだった。
唇の色が変わるほどに噛みしめ、拳を堅く握っている。


「・・・行きましょう。迎えが来た時にすぐに動けるように外で待ってなくちゃ・・・」


雨宮は、出口に向かってふらふらと覚束ない足取りで歩き出した。
後に少年を抱えた夜科と朝河が続く。

窓の外には月が、気味が悪い程に大きく、そして血を零したかのように紅い月が地上を見つめていた。

月が紅く見えるのは、月の高度が低く、光の通る空気の層が厚くなるため、
波長の長い赤外線しか地上まで届かないからだ。

単なる物理現象に過ぎない。
しかし、科学では説明できない見る者の不安を煽るような雰囲気が、天上の紅い星にはあった。

それはまるで、地上に在る全てを見下ろしているようだった。



◆◆◆



白い世界。
何も無いのがそこには有った。


無色、無響、無他、無界、無何有――・・・

そこに僕は有った。
世界と僕との境界が無くなっていき、儚く融け合わさりそうになっていても、確かにそこに。

今僕がそう思う。それこそが僕が有るという証明。

けれど、酷くその存在が弱々しい物に思えた。
まるで刻一刻とその存在が流失して行くかのように。

このままでは世界に、白い何かに吸い込まれそうな気がした。
けれど不思議と怖くはなかった。

・・・胸、なのだろうか。

自分の体の輪郭すら朧気に成り始めていたが、曖昧ながら胸だと感じた部位に宿ったのは、安堵感。
その暖かな物が胸と思わしき所に広がって行くのが分かった。


(ちょっと・・・疲れた、かな・・・)


そう呟こうとしたけれど、思考を、想いを音声に変換する器官の使い方が思い出せなかった。
だから想いは想いのまま僕の中で膨らんで、弾けずに終わる。

終わりが近づいて来るのが分かった。
いや、僕が終わりに近づいて行っているのだろう。

――その時、微弱な電流が流れたような微かな痛みを頭、だったような気がする場所に覚えた。


"・・・・・・り・・・・・・・・・の・・・は・・・れ・・・て・・・"


痛い。


痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。


声とも呼べないようなノイズが響く。
そのノイズは僕の脳髄を掻き毟り、神経線維を逆撫でしているようだった。


"・・・あ・・・・・・とう・・・わ・・・の・・・は・・・・・・れて・・・"


また声が響いた。頭が割れるように痛い。
心の中で必死に痛みが止む事を祈るが、一向に治まる気配はなかった。


痛い、


痛い、


痛い。


・・・だけど、ノイズを聞いた時、痛みの中に紛れて引っ掛かりのような物を感じた。
それは胸にぽっかりと虚穴が開いたかのような喪失感。

何か大事な事を失くしているような気がする。
そして、それは絶対に忘れちゃいけない物だったような気がした。

思い出せない。分からない。
それが、吐き気が込み上げて来るほどにもどかしかった。


(・・・ごめんなさい)


ノイズに対して想ったのは、謝罪の言葉。
自分でもどうしてその言葉を想ったのかは分からない。


(どうして・・・?)


分からない。何もかもが分からない。


(・・・僕は一体何なんだ!!)


内なる叫びは誰にも届かず、


(どうして僕は存在するんだ!!)


全身全霊の問いは、元より生まれ出る権利を持たなかった。

答えてくれる事など無く、ただそこに単に存在し続けるだけの白に気が狂いそうになる。

そんな僕の思考など関係ないとばかりにゆっくりと流動し始める白。
いっその事この白い混沌に身を任せてしまえば、楽になれる気がした。

今は何となく生よりも終焉が愛しい。
胸に感じた安堵感はこれ、生きる事からの解放による物だったのだろうか。

そもそも何で僕は生きていたのだったか。
そんな事すらも分からなくなる。

生き続ける意味って?
僕を生に繋ぎ留めていたものは何?

それは誰が与えてくれる訳でもない、自分で見つけなければならない問い。
だけど、その答えを探す時間は残されてないみたいだ。


(答えがない空虚なまま終わるのも、僕らしいかな)


そうぼんやりと思う。

そしていよいよ僕の形が決壊し始めた。
いざ終わるとなってみれば随分と呆気ないものだ。

なんの痛みも、感慨も無いあっさりとした物。
もっと苦しいのかと思っていた。
崩れて行く中で、ふとエルモア・ウッドのみんなの事を思い出した。

痛い。

それは先程から続いている頭の痛みとはまた別の痛みだった。
まるで胸が締まるかのような疼痛。


マリーにはお世話になった恩を返せなかった。


シャオには教わりたい事がまだまだあった筈なのに。


カイルとはもっと親しくなれた気がする。


ヴァンにはこれから仲良くなれたかもしれないのに。


フレデリカとは結局しっかり仲直りできなかった。


お婆さん・・・力になれなくて、ごめんなさい。
生きて帰るって約束、破ってごめんなさい。

もっとみんなと一緒にいたかった。
もっとみんなと笑ったり泣いたりしたかった。

――・・・もっとみんなと生きていきたかった。


(あ・・・そうか、これが答えなんだ・・・)


悩んでいた事がバカらしくなる程に、ストンと腑に落ちた。

最期にたった一つでも、それでも大事な答えを見つけられた。
悔いはないって言ったら嘘にはなるけれど、これならだいたい満足だ。

段々思考さえもぼやけて行く。
消えてしまう前に想っておきたい言葉があったけど、間に合うかな。


(ありがとう)


よかった、想えた。

じゃあね、みんな。




◆◆◆



白が揺らめき、うねりながら流れる。
そこに先程まで在った少年の存在は今はもう影も形も無かった。

音も無く、規則性もなくただただ白は流動し続ける。

その時、不意に光が集まり形を成した。


「・・・・・・」


何時ものように点滅したりせずに、じっと少年が溶けて消えた白を見つめるかのように光は佇んでいる。
光が何を見て、何を想うのかは誰にも分からない。それは光だけが知る事。


「・・・キミとはなして、すこしずつ・・・おもいだしたんだ」


光が浮いた。
周りには白しか無い為上下の感覚は無いけれど、先程まで居たらしい場所を見下ろす。


「ながい、ながいあいだわすれてたこと・・・」


光が点滅しながら唄うかのように言葉を続ける。
けれどもその唄を聞く者はもはや存在しない。


「キミのこと・・・それから、ボクのこと」


その光は淡く、そして柔らかく、それは月の光にもよく似た光だった。
白がその仄かな光に照らされる。

すると、不規則に無秩序に流れていた白がその動きを止めた。
そして白い混沌の中からかつて少年だった物の欠片が吐き出される。


「まだあんまりおもいだせないけど・・・」


欠片が徐々に集まり、再び形を成し始めた。
それでもまだ完全に欠片が集まった訳ではない。


「・・・これだけは、わかる。キミはここでおわるはずじゃない」


そして、白が疼き出す。
まるで悲鳴を上げるかのように、唸り、白が裂け始めた。

白の向こう側から現れたのは、紅い空隙。
それはまるで白い皮膚を裂いたら血が溢れ出たと言ったようだった。

光がゆっくりと言の葉を紡ぎ出す。


「・・・カ・・・」


それは、軟骨蓋破裂音の無声子音と後舌の広母音とからなる音節。


「・・・オ・・・」


後舌の半狭母音。


「・・・ス・・・」


歯茎摩擦音の無声子音と後舌の狭母音から成る音節を紡ぎ終えた時、紅い空隙が一気に開いた。
白が紅に飲み込まれ、世界は真紅に染め上げられる。

同時に少年の欠片の残りが集まった。


「・・・これで、にかいめだね」


紅い世界で尚も唄い続ける光。
それは完全に元通りになった少年の輪郭に向かい合った。


「キミがしなないのは、キミにはやるべきことがあるから」


しかし、その光は段々と弱まり薄れて行く。
そして最後に告げた。


「ここでのことはおぼえてられないだろうけど、それだけはせめて・・・おぼえていて」


光が風に吹き消されたかのようにフッと消えた。
後には紅い世界と少年と、一瞬の静寂。


「いいわすれてた。おはよう」




◆◆◆




闇色の中で、街灯の光が公園の一部分を浮かび上がらせている。
その光に照らされて色彩を取り戻しているベンチの上に少年は仰向けに伏せていた。

その横に雨宮が座り、夜科と朝河が立った状態でその少年を覗きこんでいる。


「酷い怪我・・・気絶したのはPSIの使い過ぎだけじゃない。きっと外傷のショックのせいもあるのね・・・」


少年の体、特に裂けた右前腕を見て雨宮は言う。
前腕は鋭い刃物で切り付けられたかのように断裂しているだけでなく、筋肉繊維が融解し、血と混じり合ってピンク色の汁が滴っていた。

少年の胸に手を置くと微かに心臓が鼓動しているのが分かり、ほんの少しだけ安心する。


「息が止まったってならヤベぇぞ・・・!確か10分以上放置すれば半分の確率で死ぬはずだ・・・」


しかし、朝河が思い出すように言った。
聞いた瞬間、その場にいた者たちが青ざめる。

雨宮の言う助けが来るまでに5分掛かると言った。
すると、迎えに来るまで5分かかり、帰るまでにまた5分掛かると言う事になる。

助けを待っている間に助からなくなってしまったのでは元も子もない。


「クソッ!助けられなくても、何か出来る事があるはずだ!!」


夜科が焦りや苛立ちを隠すことなく言った。
そしておもむろにシャツを脱ぎ出す。


「ちょ、ちょっと!何してるのアンタ!?」


引き締まった夜科の上半身を見て驚き、僅かに顔を赤らめる雨宮。
しかし夜科の顔は真剣だった。


「傷口に縛り付けて血を止める!」


それを聞いて雨宮はハッと我に返った。
そして赤くなったのを隠すように軽く頭を振り、それから夜科の顔面を掴んだ。


「あ、あの・・・雨宮さん・・・?」


「・・・アンタの汚れたシャツじゃ、不衛生で逆効果だわ。だからこれ、使いなさい」


雨宮が取り出したのは真っ白なハンカチ。
使用した形跡は見当たらず、清潔そうであった。


「あ、ああ!」


雨宮に顔を掴まれるのを解かれて、ハンカチを受け取ると夜科はすぐに少年の腕にきつく巻きつける。
途端、白いハンカチは真紅に染められた。


「・・・息が止まってんだから、まず呼吸させるのが先決だろう・・・」


そんな二人のやり取りを見て、呆れるように朝河は言った。
こんな時でも朝河は冷静だった。
そして少年の顎を持ち上げ、頭を反らさせて気道を確保する。
鼻を摘まんで呼気が漏れないようにした。

人工呼吸。

朝河はそれを実行しようとしていた。
段々と少年と朝河の顔が近づいて行く。少年の顔に朝河の影が差した。

朝河の顔と少年の顔が重なろうとした時、それは起きた。


「・・・ッ!!」


閉じていた少年の瞼が突如として開かれ、血で濡れた瞳が露わになる。
瞳孔が裂けたように開きその奥にある物を覗かせた。

紅。

普段は白に近い、灰がかったような鈍色の瞳が今は紅く、紅く・・・
それは血で染まったが故に見せる色ではなく、完全な紅蓮の色。

先天性色素欠乏症、つまりアルビノでも有り得ない透き通った、それでいて底が見えないような紅だった。


「・・・カ、はッ・・・!ハァ・・・ッハァ・・・!」


胸を上下させ、酸素を貪るように取り込み始める。
そして少年は体を細かく痙攣させた。


「意識が戻った・・・!?」


「何が起こったの!?」


朝河が驚いて顔を離す。
雨宮達も何が起きたのか理解できず、心配そうに少年の顔を覗きこんだ。

そして気付く。


「傷が・・・癒えていってる・・・!?」


少年の顔にあった無数の擦り傷や切り傷、打撲の跡等がまるで時間を逆戻りさせているかのように消えて行っているのが分かった。
街灯の明かりで誤魔化されて分かりにくかったが、少年の表層が薄く光っているのが見て取れる。

これはライズによる自己治癒ではない、まるで他人から何らかの力を受け取っているかのようだと雨宮は感じた。


「・・・カ・・・・・・オ・・・・・・ス・・・・・・」


少年がうわ言のように呟くと、突如体をビクンと跳ねさせ、再びその紅い瞳をゆっくりと閉じ始めた。
後には、静かに規則的な呼吸をする少年。

突然の事に雨宮、夜科、朝河の少年を看ていた三人は呆然とするしかなかった。

そして鳴り響く轟音。


「今度はなんだ!?」


轟音のした方に三人が一斉に振り向くと、そこには濛々とした土煙が。
目を凝らして見ると、公園にあった煉瓦製の壁に大型の単車が突っ込んだようだった。


「うおおおおおおお!!暴走バイク!?」


「無事じゃすまねえぞ今の・・・!!」


夜科と朝河が驚きの声を漏らす。雨宮は、一人だけ口元に薄い笑みを浮かべていた。
単車に激突された壁は盛大に瓦解し、その傍には倒れた単車と、四肢を投げ出しているライダースーツを着込んだ人影があった。


「っててて・・・・・・よっこらせっと」


しかし、そんな大事故にも関わらず、人影は軽く砂塵のついた肩を払いながら腰を起こす。
そして肩を回し、それから首を回した。


「うッ・・・!うぉえええええええ・・・!!」


首を回した際に頭が振られたのが効いたのか、人影は急いで頭を覆っていたフルフェイスのヘルメットを外して胃の内容物をブチ撒ける。


頭頂部の髪は跳ねて、長い後ろ髪は大雑把に一括りにされている。
長い睫毛に切れ長の目は芯の強さを思わせる、まさに気風のいい美人と言った女がヘルメットの下から顔を覗かせた。

女はフラフラと覚束ない足取り(この場合は千鳥足と言った方がいいだろう)で雨宮達の方へと歩み寄って来る。


「雨宮桜子を迎えに来た・・・大丈夫か桜子」


突然現れて大事故を起こしたと思ったら、何事も無かったかのように起き上がり、何事も無かったかのように吐瀉物を撒き散らす。
そんな女に呆然とすることしかできず、突っ立っていただけの夜科と朝河だったが、女が近寄って来た事で二人は警戒の色を見せた。


「お酒飲んで運転したら危ないよマツリ先生・・・」


雨宮は女の行動に慣れているかのように軽く笑みを浮かべながら女に声を掛けた。
そしてふらつきながらも自分の足で立ち上がり、女と抱擁を交わす。


「よかった・・・いつまで経っても連絡が無いから心配してたんだぞ・・・!」


雨宮にマツリ先生と呼ばれた女は雨宮の髪をそっと撫でながら言う。
その声には本当に雨宮の事を心配している成分がまざっているのが分かった。


「行こう・・・早く手当てしないと・・・!」


「そうだ・・・!先生!もう一人治療が必要な子が・・・!」


雨宮が再び気を失ってベンチで伏せている少年を見た。
女も雨宮の視線を辿り、少年を見た。


「コイツか・・・確かに酷い怪我だが・・・今は安定しているように見えるぞ・・・?」


女が少年の寝顔を覗きこむ。
女の言った通り、少年は規則正しい寝息を立てており、その表情も安らかな物でとても死に瀕しているようには見えなかった。


「それは、何故か突然回復して・・・」


「突然回復・・・?PSI、か・・・?

・・・まあいいか。治療がいるのには変わりないんだ。コイツも連れていくぞ」


女は少年を軽々と持ち上げた。
スラリと背の高いその女に持ち上げられると少年はいつも以上に小さく見えた。


「・・・アンタが雨宮の呼んだ助けなのか・・・?」


女が再びヘルメットを被り単車に乗る準備をしていると、ようやく我に返った夜科が女に尋ねた。
女も見た目から感じる通り、きっぱりと簡潔に答える。


「ああ、そうだ」


「アンタを・・・信用してもいいんだな・・・?」


先程の雨宮の態度や女との接し方で、雨宮が目の前の女に対して全幅の信頼を寄せているのが分かった。
それでもやはり、正体が分からないと言うのは今一信用できず、夜科は確認するように尋ねる。


「ああ」


またも女は肯定を表す首を縦に振る動作と共に簡潔に告げる。
そして単車へと向かった。


「なっ!?」


女が掌を翳すと、何百キロもあるであろう大型の単車はパラパラと土砂を舞わせながら軽々しく空に浮かんだ。
散々人知を超えた経験を今日一日でした夜科と朝河と言えど、驚きはいまだ尽きなかった。


「・・・よく生き残ったなお前達・・・!

お前達は言わばネメシスQに選ばれた『サイレンの漂流者(ドリフト)』・・・」


言いながら女は単車に跨る。
その後ろには雨宮を乗せて、少年は胸に抱えるような形だった。


「体を休めておくんだな・・・次のネメシスQの着信に備えて・・・

お前達はまた、サイレン世界に飛ばされる・・・!」


女が単車のエンジンを掛けると辺りに轟くようなエンジン音が響いた。


「次の着信・・・!」


「ネメシスQの呼びかけでオレ達は何度でもあの世界に飛ばされる・・・って事か!?」


夜科と朝河の二人がほぼ同時に答える。
それに対して女は首を縦に振る。肯定の証。


「そうだ・・・テレカの度数をゼロにするまで、な。

一つ忠告しておこう・・・!サイレンでの出来事を軽々しく第三者に話すのは止めておけ」


二人と女との間にはエンジンの唸る音が満ちる。
その大音量の中でもはっきりと通る声で女が告げた。


「公的機関やメディア・・・家族にも自分が"サイレンの漂流者"である事をバラしてはいけない。

ネメシスQは許さない。秘密を漏らす者にはネメシスQ(ヤツ)の制裁が下るぞ・・・!」


夜科と朝河の二人は告げられた事実に戸惑うが、何とか秘密を話してはいけないと言う事は理解したようだった。
女が夜科達に背を向け、前に振りかえる。


「悪いが先を急ぐ。じゃあな・・・桜子を守ってくれてありがとう」


「雨宮を・・・頼んだ・・・!」


女の背に夜科が声を掛けた。女は振り返ることもなく黙って頷く。
雨宮も夜科達に薄く微笑み、目配りで自分は大丈夫だと言う事を示した。

そして女が走り去ろうとした時に、急に思い出したかのように女が再び夜科達を見た。


「そうだ・・・一つ言い忘れてた。

今夜お前達は極度の高熱と鼻からの出血に悩まされると思うが・・・寝てればすぐ直るから気にするな。

それはサイレンの大気を吸引した事によるただの感染症状だ」


女は親指を立て他の指を畳み、サムアップの形を作る。


「"力"の目覚めだ」


そう言い残し、女は単車の爆音と共に去っていった。
女の言う力が何なのかは分からなかったが、後に残された夜科と朝河はどっと疲れたかのように肩を下ろした。


「・・・何か、スゲー疲れた」


夜科が肩と首を回しながら言った。
一日の疲れが重く首周りに圧し掛かっていたのだろう。


「これからどーすんだ」


そう夜科に尋ねる朝河の顔にも疲労が色濃く浮かんでいた。


「ああ?帰んだよ。ワリィか」


夜科としては一刻も早く家に帰って休みたいと言うのが本音だったが、朝河に声を掛けられて立ち止る。
朝河を見ると、朝河は何かを思い出すかのように虚空を見つめていた。

そして夜科の方へ向き直る。


「『アゲハ』・・・だよな?お前夜科アゲハだろ?」


「んだよ・・・それがどうした」


言いつつも、あれ?俺コイツに名乗ったっけ?と疑問に思う夜科。
疲れてボーっとしていた頭に少し血が巡る。


「・・・白滝第一小学校5年2組夜科アゲハ、雨宮桜子。

4年半くらいか・・・思い出してみりゃあ変わってねーなお前の方はよ・・・」


夜科と話すようで、その実独り言を朝河が呟いた。
そして親指で自身を指し、告げる。


「分かんねーか?飛龍だよ。

小5ン時半年間だけ一緒だった・・・朝河飛龍だよ」


血を頭に巡らせ、夜科は自分の記憶に検索を掛ける。


(朝河・・・ヒリュー・・・?)


そして閃いた。
まるで電流が背筋を駆け巡るような感覚。


「ええええええええええええ!!?」


信じられないと言った様子で夜科が大声で言う。
それは、自分の記憶にある朝河飛龍と今目の前にいる大男とが全く噛み合ってなかったから。


「ヒリュー!?お前が!?あのドチビの!?牛乳瓶みたいな眼鏡で!?でも牛乳が死ぬ程嫌いな、 あ の !?

人生の約半分泣いてたあのヒリュー!?」


矢継ぎ早に言う夜科の言葉の内容に、苦笑しながらも朝河は返した。


「・・・そう、その飛龍だ・・・!久し振りだなあアゲハ・・・」


(いやいやいや!!・・・え?いやいやいやいやいやいや!!!嘘だッ!!!)


血が巡っていた頭から一気に血が引いて行く感じを夜科は覚えていた。
一人首をブンブンと横に振り、また昔を思い出して目の前の大男と比べては更に激しく首を横に振った。


「まァいいや・・・思い出話は今度にしよう・・・今日はオレも体がガタガタだ・・・」


苦笑の顔からまた疲弊した顔に戻して、朝河は歩き始めた。
ポケットに両手を突っ込み、上を向いて歩く。


「・・・色々聞きたい事が沢山あるからよ。雨宮が戻ったらまた会おうや」


そして最後に振り返って、朝河は言う。


「オレはもう泣き虫ヒリューじゃねえ。そこんとこ頼むぜ夜科アゲハ。

・・・雰囲気変わったな、雨宮。相変わらずカワイかったけど」


「・・・・・・」


朝河が去って、公園に居るのは夜科だけだった。
そんな夜科を街灯の明かりと、月明かりが照らす。

月はもう高くまで昇っており、色は赤から柔らかくて淡い白色の光に変わっていた。

その月を何となく眺めると、思考を追い払うかのように頭を振り、そして歩き出す。
長かった一日が、終わりを迎えようとしていた。




◆◆◆




「ただいまー・・・」


自宅のマンションに着いた夜科は、誰も居ない事を知りながらもいつもの癖で帰宅時の挨拶を呟いた。
当然、返事をする者はいない。

部屋の明かりを付け、洗面所へと向かう。
その間に身に付けた服を脱いで行っていた。

そして上半身裸の状態で、鏡に向き合う。


「くー・・・いちち・・・」


夜科の体には、打撲などによる痣や擦り傷などは無かったが顔面、特に異形の拳が掠めた米神辺りは青紫色に変色していて、
見ていて痛々しかった。


(とんでもねぇ一日だった・・・今日はアネキの帰りが遅くて助かったぜ・・・)


顔を蛇口から流れる冷水で洗いながら胸中で呟いく。
水が傷口に沁みるが、その冷たさは疲れで鈍くなった頭を多少スッキリさせてくれた。


「ん、目の充血が酷いな・・・って!」


鏡の向こうに居る夜科アゲハは、鼻腔から紅い血を流し始めていた。
同時に襲い来る頭痛と、吐き気と、寒気。


「な、何じゃこりゃああああああああ!!!」


明らかにおかしい体調。
これは不味いと痛む頭で考えながら、寝室へと向かった。
その途中で体温計や解熱剤などを入手。
部屋に入ると、勢いのままベットへと倒れ込んだ。


「あ――つかりたー。たっだいまぁ―――。

おーいアゲハァー・・・」


遠くで夜科の姉が帰って来た音が聞こえた。
しかし、それに反応する気力など夜科には無かった。

39度5分。
体温計が示す温度は、下手をすれば命に関わって来るような温度だった。


「何?寝てんの!?どっか具合でも悪いわけ・・・?」


姉が気遣って来るが、今の夜科は自分の体調に精一杯でありがたく感じられなかった。
季節は夏で気温も高くなってきていると言うのに、頭から布団を被り全身を苛む寒気に抵抗する。


「大丈夫・・・大丈夫・・・!!」


その大丈夫と言う言葉は姉に言ったのか、それとも自分に言い聞かせた物なのか。


力の目覚め。
舞台は刻々と整い始めようとしていた。

この先劇と言う名の日々がどうなっていくのか、劇を演じる者達には分からない。
だが、舞台を客席から見ているような者にだけは、それは分かるのかもしれない。


月は相変わらず、全てを見下ろすように静かに光を放っていた。





続く



[17872] 幕間
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:3563f643
Date: 2010/12/23 04:59
ヴァンの日記より


2008年6月某日



『あー・・・ごめん、みんな。ちょっと席外すね。

僕の分のケーキは取って置いてよ。絶対だからね!』


ファイはそう言い残して家を飛び出して行った。
目の前にあるケーキも投げ出すほどのきんきゅう事たいだったのだろうか。

僕にはそんなじょうきょう想像もできない。

僕ならまずケーキを食べてからこうどうする。
人生にはゆとりと言うものも必要だというのがファイにはわからないらしい。

みんなファイが飛び出して行って初めはびっくりしていたが、


「フン、またいつものアイツのほーろうへき?が出たわね」


「またどっか行くのかー。オレも連れてけよー」


などとフレデリカやカイルは言って、またそのすぐ後はいつも通りの×様子だった。
マリーやシャオもふあんそうな顔をしていたが、そんなフレデリカやカイルの様子を見て心ぱいないのだと思ったらしい。

僕はいまいちじょうきょうがのみこめていなかったが、とりあえずケーキが一人分あまったという事はわかった。

ケーキをじっと見つめているとマリーがケーキを冷ぞう庫にしまってしまった。
残り物には福があるというが、ケーキを残しておいても福はないと思う。

くさる前に僕がかわりに食べておこう。
ケーキをくさらせるなんてケーキをつくったかみさまに失礼だ。

そういえば、おばあ様はじっと×まどを見つめていて、しばらくするとなんだかがっかりしたみたいだった。
なにが見えたのだろうか。僕にはよくわからない。



◆◆◆
2008年6月某日



ファイが飛び出して行ってから何日かすぎた。
ファイからの連絡はいまだにない。

今まではどんなに長い間家を空けていても×必ず連らくは入れたのに、なんだか変だ。

シャオは読書仲間が、カイルは遊び相手がいなくてひまそうだ。
フレデリカは、


「バカがバカやってバカな事になってるんじゃないの。バカに付ける薬はないってホントだったのね」


と言っていた。
バカって言うヤツがバカなんじゃ、と言ったらあやうく燃やされかけた。

前にマリーが珍しくフレデリカに反こうした時にフレデリカが言っていたのだけど、アレはうそだったらしい。
あれはファイにフレデリカが何か言った時だったっけ。

ファイほんにんは困ったみたいに笑っていただけだったけど、マリーはそばで顔を真っ赤にしてフレデリカに


「フーちゃんのバカ!!」


と言った。
その後のフレデリカの言葉がアレだった。

二人の間をなんとかおさめようとファイが必死になっていたのを覚えてる。

ファイの一部分が焦げたり、物がぶつかったような青あざが顔に出来てたりしたけど、なんとかなったみたいだ。
二人は仲直りして、そのあとファイにあやまっていた。

ファイは、


「許すもなにも、そもそものほったんが僕なんだし。二人が仲直り出来てよかったよ」


と笑って二人から頭を下げられるのを断っていた。
そばでおやつを食べながら眺めてただけなのでイマイチじょうきょうが分からなかったが、何となくファイは心のひろいヤツだと思った。

でも、二人が去った後、ファイはうつむいてじっとてのひらを見つめていた。
その顔はなんだかふくざつそうだった。

どうも単に心が広いだけのヤツじゃないみたいだ。
ふしぎな男である。

ファイが何を考えているのかわからなかったが、それはそれとして僕の存在感があまりないのでは、と言うことにあせりを覚えた。
三人がさわがしくやっていた時も、ファイが一人になった後も誰も僕にきづいてなかったみたいだ。

ファイは最後まで僕にきづかずに自分の部屋に戻っていった。
いめちぇん?でもするべきなのだろうか・・・と思ったのだった。


・・・はなしがそれた。


みんなどうもファイの事を変に信らいしているきらいがある。
何かもんだいがおきてもファイなら何とかするだろう、みたいに。

僕にはそれが何でなのかよくわからない。

そんなにファイとは親しくもなかったから、わからなかったのかもしれない。
何でなのか×気になるけれど、かんじんのファイがいないのでどうしようもない。

ファイが帰って来るのを待って聞いてみようか。

だけど・・・

変な信らいが僕にはないからこそ、何となくいやな感じがした。
もうファイが帰って来ないんじゃないか。そんなきもちになる。

あのケーキは食べるべきではなかったんじゃないだろうか。
今になってざいあくかんがわいてくる。

それこそ、今となっては本当にどうしようもない。
ケーキを食べていやなきもちになったのは、これがはじめてだ。

・・・なにかがおかしくなっていっているような気がするのは、僕の気のせいであってほしい。



◆◆◆
2008年7月某日



おばあ様が死んだ。
交通じこだった。

みんな泣いた。僕も泣いた。
体のどこにこんなに×涙が入っていたのだろうか。

自分が泣いている事を思うと、よけいに涙が出てきた。
おばあ様が死んでかなしいから泣いているはずなのに、泣いている自分がかなしくて泣いているように感じた。

頭の中がぐちゃぐちゃで、なんで泣いているのかもわからなくなった。
むねが苦しい。おなかもむかむかする。

どうして人は泣くんだろう。

僕にはわからない。どんなに考えてもわからなかった。

シャオが泣くまいと必死にこらえていたが、けっきょく涙を止められなかったみたいだ。
その時のこらえる顔が、いつかのてのひらを見つめるファイの顔にそっくりだった。

でもファイはあの時泣かなかった。
どうしたら、泣かないでいられるんだろう。

もしかしたら、ファイなら知っているのかもしれない。
だけど、ファイももういない。

あれから一月以上がすぎたけど、ファイからはなんのおとさたもなかった。
おばあ様は何か知っているようで、


「・・・近々話すことがある。あやつ、ファイの事、それからこれからの事じゃ」


と言っていた。
おばあ様が死んだのはその矢先のことだった。

けっきょく、おばあ様は何を言おうとしていたのだろうか。
それを聞く前におばあ様は死んでしまった。

おばあ様の表情から何となくよくない事なんだろうな、というのはわかった。

おばあ様が死んで、おそうしきが終わって、みんなは家に帰った。
家に帰ると、スーツを着た変なおじさんが家にいた。

なんでも、おばあ様に万一の事があった時に僕達の事をおばあ様にたのまれていたらしい。

くわしい話はわからなかったけれど、どうやら僕達はもうこの家にはいられないらしい。
どこか、しせつのような所へ行く事になるそうだ。

フレデリカがまた荒れに荒れていたけれど、マリーが、


「みんないっしょだから、大丈夫」


と言ってなだめた。


「・・・一人、足りないじゃない・・・」


フレデリカがそうつぶやくとみんなまた泣きそうになった。
そのしめった空気にした事をマズイと思ったのか、


「あーもう!!あんなヤツの事なんか思いだすんじゃなかった!!こんな時に主人の側にいないなんて、アイツは家来失格だわ!!」


そう怒鳴って、何かをふりはらうようにひっこしの準備を始めた。
そのいきおいにみんな動かされて僕達も荷物をまとめた。

これからたぶん、どんどんいそがしくなるのだろう。
もう日記を書いているひまもないかもしれない。

これが最後になるかもしれないので、書けることは書いてしまおう。
それで、もう日記を読み返さないでおこうと思う。

読み返せば、きっとまた泣いてしまうから。

・・・さいきん夜に空を見ると、なんだか不安になる。
なにかがもっとおかしくなるような、なにかがとてつもない事がおこるような、そんな不安なきもちになる。

でもそんな時、白くぼんやりと光る月を見ると、少しその不安はなくなる。

まるで見守られているかのような・・・
何とも言えないふしぎな感覚だ。

そのふしぎな感覚は、どこかで覚えたような気がするんだけど、うまく思い出せない。
思い出したくないのかもしれない。

とにかく、c'est tout (これでお終い)。



◆◆◆
2009年12月某日


部屋をせいりしていたら、なつかしい物を見つけた。
人生ゲームやその他おもちゃなどごちゃごちゃにつっこんであった荷物のおくのおくに、この日記帳があった。

いぜんによそうした通り、新しい生活はけっして楽じゃなかった。
この日記帳の事なんかさっぱりきれいにわすれていたのだから。

日記を読みふけっていたら、ぐずぐずするなとシャオに言われた。
やれやれ、人生にはゆとりと言うものも必要だというのがシャオにもわからないらしい。

こんな日くらい、以前をふり返るのも許されるだろう。

明日は、"ワイズ"宣戦の×儀決行の日。
僕達はソイツ達と戦うつもりだ。みんなと話し合って、そう決めた。

世界をほろぼそうなんて大マジメに言う相手と戦って、どうなるかわからない。
でもだまって見すごす事なんかできない、というのが僕達のけつろんだった。

きっとおばあ様もこのけつろんを許してくれるはずだ。

たつとりあとをにごさず。

しせつにあった荷物はおおかたかたづけた。
あともう少ししたらここを出る。

部屋の明かりを消すと窓から入りこむ月の明かるさが、今日か明日が満月なのだと教えてくれた。
この日記も今、月明かりで書いている。

相変わらず月の明かりはやさしい。

明日が来るのがあんなに怖かったのに、今はそれほどでもない。
・・・このままずっと月を眺めていたかったけれど、もう時間みたいだ。シャオが呼んでる。

くしくもこれが最後のページだ。
もし、ぶじに帰って来れたなら、また新しく日記を始めよう。

こんどは、こんな悲しい事ばかり書いてあるんじゃない。
どんなにささいなつまらない事でもいい。


しあわせな日記にしよう――・・・





幕間終わり



[17872] コール22
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:931a3b03
Date: 2010/12/23 04:59
死ぬって、なんだろう。

肺機能が停止すること?

心臓機能が停止すること?

脳機能が停止すること?

生きるのを、諦めること?

何となくどれも微妙に違う気がする。
それらは原因であって、直接「死」には繋がらない。

僕達は普段当たり前のように生きていて、ふとした瞬間にそれが「死」に飲み込まれる。

喩えるなら、生と死の間には薄い膜みたいものがあって、その膜が破れてしまった時に僕達は死ぬんだと思う。
心肺が停止して、脳が停止して、生きるのに絶望して、それで膜が破れたから「死」が流れ込んできて、死ぬ。

"人間とは死への存在である。"
ちょっと昔の難しい事を考える人はそう考えたらしい。

人間は常に死と隣り合わせで生きている、と言うこと。

生の理と死の理。
裏のすぐ裏には表がある。生のすぐ裏には死がある。

それらの理を隔てる膜は堅固なように思えて、その実薄っぺらいのだろう。
人は、実に簡単に呆気なく死んでしまうのだから。

そして一度死の理に飲み込まれると、もう二度と生の理は機能しなくなる。

当たり前だ。
「生」とは一回性であるという大原則があるからこそ、「生」たり得るのだから。

だったら、


「生きて、る・・・?」


それならば、どうして死んだ筈の僕は今こうして生きているんだろうか。



◆◆◆



ふと目を覚ますと、目の前には真っ白なシーツがあって、僕はどうやらそのシーツにくるまれているらしくて。
けれど、まだ頭は寝惚けているせいで目の前の状況が頭に入らなくて。


そして、意識が途切れる寸前の事を思い出そうとして、やっとこの身の異常に気付いた。


「生きて、る・・・?」


僕は確か、あのエプロンを身につけた怪物を倒そうとして、最後の気力を振り絞ってPSIを行使した。
その時に確かに頭の中の何かが罅割れる音を感じた筈だ。


「なんで・・・」


そう、あの時に確かに僕は死んだ。その筈だったんだけど・・・

PSIの過負荷(オーバーロード)。
元々あの三体の怪物を相手にした後、既に僕はもう限界ギリギリだった。

PSIの行使による脳への負担が膨れ上がり今にも破裂してしまいそうな状況だった。
何とか意識をつなぎ止めようとしたのだけれど、体が自動で危機を回避しようとしたのか、いつの間にか僕は気絶してしまっていた程だ。

それがふと意識が戻った時、目の前にはエプロンを新しい鮮やかな血で染め上げたあのもう一体の怪物がいた。
それで僕は、状況を把握することよりも先に、その血が誰の物なのか分かってしまった。

認めたくなかった。誰かに否定して欲しかった。
これは悪い夢なんだって、悪戯がばれた時のように微かに照れた笑いを浮かべた誰かに、そう言って欲しかった。

でも・・・現実は現実でしかなかった。
だったらいっそそんな現実壊れてしまえ、なんて思った。

現実を壊す方法は二つある。
それは自分以外の物全てを壊す事。それか、自分自身を壊す事だ。
僕がした事は、多分無意識的に後者の考えに基づいての事だったんだと今になってみれば思う。
だから体の芯から末端にまで染み渡る痛みなんか、警告なんか無視してPSIを使った。

そして緩慢になっていく思考と、波が押し寄せるように脳を濡らした眠気だけが僕にあった。
明確な死の感覚。

そこで意識は途切れている。


「・・・なんで、他の人が死んで、僕が生きてるんだろう」


胸にはまた喪失感。
風が胸の空洞を吹き抜けて行くかのように空しい。

目の縁に熱い物を感じたので慌てて固めた右の拳で目の周りを覆う。
拳に遮られて視界が黒く染まる中で、鼻腔へと染みて行くその熱だけがそこにあった。

自分が生きているという安堵は、不思議と湧いてこなかった。


「・・・僕にはやるべき事があるから・・・・・・やるべき事・・・?」


右手で乱暴に目元を拭い左手をベッドに着き、上半身を起こしながら一人呟く。
その呟いた事に引っ掛かりを覚えるけれど、不鮮明な記憶からは蟠りを解消する答えを見いだせなかった。


「・・・・・・ん」


頭を強く振る。
空しさを振りはらうように。

遠心力によって脳が揺れる感覚で少し意識がはっきりしたような気がする。
同時にその感覚の気持ち悪さに顔を顰めた。


「そう言えば、ここは・・・」


顔を上げると白基調の柔らかい色合いの壁がまず目に飛び込んでくる。
首を横に回すのと同じ順に観葉植物、クローゼット、そしてあまり使われた形跡のない化粧台が映った。

見覚えのない部屋。何となくこれが一般的な寝室と言う物なんだろうとぼんやり思った。
化粧台があると言う事はここは女性の部屋なのだろうか。


「ん・・・?」


ふと視界に何か掠めたような気がして視点を少し戻す。
それから下に向ける。

女の人が、ぶっ倒れていた。


「・・・えっ、と・・・」


自己主張が激しいように跳ねた髪、伏せられた長い睫毛に、整った鼻筋、
スラっと伸びた肢体、そして色気を象徴するようなふっくらとした唇。

美人、だと一目で思う。


「・・・・・・どちら様?」


ただ・・・その豊かな胸に抱かれた酒瓶が全てを台無しにしていた。

顔色は悪く、白い肌、というより青ざめていて具合が悪そうだ。
そしてなにより漂ってくる、


「お酒くさ・・・」


アルコール特有の鼻に衝く匂い。
酒気を帯びた吐息が、浅い胸の上下に合わせて吐き出され部屋に充満していた。

シーツから抜け出し女の人の横に屈む。
女の人をベッドに持ち上げようとしたけれど、僕の腕力では完全に脱力した大人の人を持ち上げるのは叶わなかった。


「・・・・・・っ」


一瞬の逡巡。
その後に恐る恐るテレキネシスを使った。

心配していたPSIの行使による痛みは無かった。
女の人の体がゆっくりと宙に浮き、そしてベッドに深々と沈む。


「あれ・・・?そう言えば右手・・・」


痛みも無く何時も通りにPSIを使えた事にほっと安堵の息を吐いていると、
右手は肉が崩れて骨が露出しているような酷い有様だった事を思い出した。
それが今は何事も無かったかのように元通りの、生気が感じられないほどの病的に、死人のように白い腕があった。

いや、右手だけではない。

誰かに着せられたらしいサイズの合っていないブカブカのTシャツを捲ると、
体中に出来ていた大なり小なりの裂傷や擦り傷たちが全てきれいさっぱり無くなっていた。

そして体調もいい。

気を失うまであった頭痛や吐き気も消えている。
どうやら風邪?も癒えているらしかった。


「この感じは、キュア・・・?」


体に残っていたのはいつだったかヴァンにカイルと遊んでいて出来た傷を怪我を治療して貰った時と似た感覚だった。
でもこの感覚はヴァンのものじゃない。そもそもヴァンがここに居るわけもない。

キュア使いのサイキッカーが他にも居るのだろうか、と考えていると足音が聞こえてきた。
反射的に扉の方へと首を回す。


「あなた・・・目が覚めたのね。よかった・・・」


扉が開かれるとそこには雨宮さんが本当に安心したように、僕に向けて頬笑んでいた。



◆◆◆



「・・・そうですか。あれからそんな事が・・・」


ベッドの縁に腰掛け、僕が気を失ってからのことを雨宮さんから聞いた。
僕が最後に意識があったあの場所は門"ゲート"と呼ばれる場所で、そこの公衆電話があの世界の出口だったらしい。

そして、僕達はこの世界に帰って来た。
恐らく未来であろう、あの崩壊した世界から。
生き残ったのは僕と雨宮さんと朝河さんと夜科さんの、たった四人だけ。

その事実を改めて突きつけられた僕は、また目から熱が溢れそうになる。
顔を伏せて、ぐっとその涙が出るのを堪えた。

ここで泣いても何も変わらない。
泣くことに何の価値もない。泣いても、死んだあの人達は帰らない。

そんな事分かってる。
だけど一度生まれたその熱は、まるで燃焼反応が連鎖していく炎のように止まってくれはしなかった。


「・・・・・・」


頭に、そっと掌が置かれたのを感じた。


「・・・あなたは頑張ってくれた。あなたが居なかったら夜科も私もどうなっていたか分からないわ。

あなたに感謝する人こそいても、あなたを責める人はいないのよ」


掌が優しく僕の髪を撫で、雨宮さんの熱が伝わってくる。
その言葉に、一瞬堪えていた何かが決壊しそうになった。


「・・・だから、」


だけど・・・


「・・・誰も責めなくても、僕が責めます」


白い、寝癖であちこちに跳ねる僕の髪を撫でる掌が止まった。
同時に顔を上げる。

目には涙は浮かんでいなかった。
拳で拭い、無理矢理に涙は止めた。


「もっと力があれば・・・力がないから・・・!」


口から零れるのは後悔の言葉。
誰かを守る事すら出来ない非力な自分への失望。

それを、雨宮さんの言葉を遮って言った。
雨宮さんの掌は行き場を失い宙を彷徨い、ベッドの上に落ちる。

僕を見る雨宮さんは、まるで痛ましいものを見るかのような表情だった。
なんと言って良いか分からない、そんな表情。


そして、ふいに抱きしめられた。


「雨宮、さん・・・?」


「・・・あなたは、強い子だわ」


当然のことに戸惑いながらも、言葉を何とか発する。
雨宮さんの腕は温かかった。


それは、生きている温もり。


「誰かを守りたい、誰かの為に力を使いたい、そう思えるのはすごい事だわ。だけど・・・」


雨宮さんが離れる。
そして肩に手が置かれたまま真っ直ぐに雨宮さんと向かい合った。


「・・・その"誰か"の中に自分を入れてもいいんじゃないかしら」


悲しげな顔だった。
雨宮さんの透き通った瞳の奥に何が映っていたかは分からない。

でも、それは僕を通して別の何かを見ているようだった。


「そのまま全てを背負いこめば、きっとあなたは壊れてしまう。

自分を責めて、責めて、責め抜いて。それが行きつく先は、狂気か破滅しかない」


肩に置かれた手が再び頭に乗せられる。
そして雨宮さんは、微笑んだ。

儚さを多分に含んでいて、けれどその笑みはとても綺麗だった。


「守れなかった人達の事を忘れろって言ってるんじゃない。

守れなかった人達を後ろを振り返らせる足枷じゃなく、前に進む為の指標にして欲しい」


それが自分自身を守ることにもなるわ――・・・、と雨宮さんは言った。
頭に置かれた手がまた髪を撫で始める。


「――・・・なんてね。

ごめんね、偉そうなこと殆ど初対面のあなたに言っちゃって。私にこんな事言える権利なんて無いのに・・・」

一瞬、雨宮さんの顔に自嘲の陰が差す。

雨宮さんの言う事は、難しい事だ。
けれど雨宮さんのその言葉に、僕は確かに救われたような気がした。


「・・・ありがとうございます」


だから、お礼を言った。
お礼を言った時雨宮さんが驚いたような顔をしたけれど、そのまま黙って僕の髪を撫でる。

僕も髪を撫でられるのは気恥かしかったけれど、今はそのまま黙って撫でられるままに委ねた。
その時。


「っ・・・」


胸に熱が灯った。
それは、何処となく寂しさが混じったような熱だった。


「どうしたの?傷がまだ痛む?」


胸を押さえて下を向く僕に、雨宮さんが髪を撫でる手を止めながら心配そうな顔で見つめてくる。


「いえ・・・大丈夫です。ただちょっと持病的なものが・・・」


「うう・・・み、みず・・・水を・・・くれ・・・」


熱は僕のPSIに由来する物なのでどう説明しようか、と考えていたところ突然後ろから声がした。
振りかえると、青ざめた顔を土気色に悪化させた女の人が目を覚ましていた。


「マツリ先生!!」


「・・・ぅぇ」


マツリ先生と呼ばれた女の人がえずく。
あれ?どうしてこの人はこっちを向いてるんだろう?


「マジで・・・ゲロ吐く・・・五秒ま・・・おう゛ええええええええええええええええええ」


「ぎゃああああああああああああああああああああ!!!!」


カウントをフライングしてミラクルなシャワーが僕に降り注いだ。
フライングゲロってなんだか空飛ぶゲロみたいでやだなぁ・・・なんて事を脳が勝手に考えた。

僕の脳も意外と図太いのかもしれない。
気は遠くなりかけてるけれど。



◆◆◆



「いやー・・・すまんかったな」


女の人、八雲祭と言うらしい、は未だ顔色が悪いながらもはっはっはとカラッとした笑いと共に言った。
雨宮さんはゲロで前衛的な色に染め上げられたシーツを洗濯しに行っている。

僕はここ、八雲さんの家のシャワーを貸してもらって苦酸っぱい臭いのする体を洗って来て、今に至る。
首にかけたタオルで髪を拭きつつ、僕は微妙にまだ臭いがこびり付いている事にショックを受けていた。


「・・・おめでとうございます。元気なお子さんでしたよ。苦酸っぱい臭い液状のお子さんでしたけど」


「はっはっはっ。そんだけ皮肉が言えるなら大丈夫そうだな」


「・・・次からはゴミ箱で出産してくださいね。

でも、まあいいんです。お世話になりましたし、何となく懐かしい気がしましたから」


いつだったか僕もゲロキネシスを使った事を思い出した。
もう一年近く前の事だ。・・・あの人は元気だろうか。


「ゲロでノスタルジーに浸るなんて、変なヤツだな」


「そのゲロぶっかけた張本人にあんまり言われたくないんですが」


僕が少し前の前を振りかえっていると八雲さんは水を口に含んで、一部を口の端から零しながら水分を採っていた。
目も死んでる。美人が台無しである。上等な料理にハチミツをブチまけるなんてもんじゃない。

上等な料理にゲロ・・・いや、止めておこう。考えたら僕まで吐きそうになった。

着替えとして借りた服は全て女物(幸い、男っぽい物ばかりだったが)にも関わらずブカブカで動きづらい。
八雲さんの物のようなので仕方が無いのだろう。マツリさんは身長170cmを軽く超えている。

未使用の下着も貸してやろうか、と言われたが、流石に女物の下着を着れるほど人生に達観していないので丁重にお断りしておいた。
洗濯して脱水にかけただけの下着は湿っぽくて不快だけどしょうがない。

そうこうしている内に雨宮さんが洗濯場から戻って来た。
その扉が閉まる音で少し部屋の空気が変わる。

引き締まった、真面目な雰囲気に。


「・・・んで、ファイだっけ?桜子から聞いたがお前、天樹院エルモアの家の人間だって?」


八雲さんはさっきまでのだらけた表情を止め、真剣な眼差しを向けて来た。
その目力に少し圧される。


「はい、そうですけど・・・」


言いながら僕も八雲さんの目を見つめ返す。
視線と視線が交差する。

天樹院の名前を出す時には、注意してその人を見ることにした。
あのサイレンの世界で出逢った人達のようにお婆さんが掛けた懸賞金に釣られる人もいる事を知ったのだから。


「・・・・・・」


「・・・・・・」


無言で見つめ合う事数秒。
その数秒は何故かとても長く感じた。


「ふーん・・・」


「あの、今更なんですけど、八雲さんと雨宮さんはどういった関係で?」


何か思うところがあったのか八雲さんは僕の顔をじろじろ見ている。
どう切り出せばよいか分からず、とりあえずさっきからずっと気になっていた事を尋ねた。


「ああ、そう言えば自己紹介もまだだったな。桜子から聞いたと思うが、私は八雲祭。

んで、桜子にPSIを教えた人間で、元サイレンの漂流者(ドリフト)で、天才美人ピアニストだ」


サラッと幾つかの大事な事が言われた。
余りにサラッと言われたので流してしまいそうになったが、慌てて頭の中に幾つかの質問をリストアップした。

後半はスルー。


「ちょ、ちょっと待って下さい!

つまり、八雲さんもサイキッカーで、サイレンに行った人で、え、"元"・・・!?」


「落ち着いて。

マツリ先生と私はサイレン世界で出逢ったの。私とあなたがあっちで出逢ったようにね」


雨宮さんが質問も纏まっていない僕を鎮めた。
それにハッとして身を乗り出していたのを戻す。


「ああ、PSIの事は知ってるんだったよな。そうだ、私はサイキッカーだ。

"元"っていうのはそのまんまの意味で、私はもうネメシスQのゲームをクリアした。

そんでもうネメシスQの奴に呼びだされること無い日々を送ってる」


他の奴も揃ってから纏めて話すつもりだったんだがなー、と言いながら八雲さんは頭をボリボリと掻く。
それを視界の端に捕えながら、僕は八雲さんの言った事を反芻させた。


「・・・つまり、あのサイレンの世界に行くゲーム?は回数が決まってて、それが終わるとゲームをクリアした事になるってことですか。

あの世界は何一体・・・?何が目的であんな悪趣味なことを・・・」


「そう言う事だ。

それからあの世界については私も詳しくは知らないんだ。あの世界について知る前にゲームをクリアしてしまったから・・・」


そう語る八雲さんの目には、過酷なゲームから解放された喜びは存在しなかった。
あったのは、何をも成す事が出来なかった無力感のような物。


「・・・その為に私がいるんです」


「桜子・・・」


しばらくの間黙っていた雨宮さんが口を開いた。
口調に僅かな決意の色を滲ませながら。


「私が先生の代わりになる。サイレンの謎を、解き明かしてみせる・・・!

――・・・ね、先生」


雨宮さんを見つめる八雲さんは、ほんの少し、痛ましい表情だった。
それは自分の代わりにたった一人の少女に全てを負わせてしまう事への呵責か、自身のふがいなさへの失望か。

そしてそれに雨宮さんを按ずる気持を混ぜたような、そんな表情だった。
その表情は、さっき雨宮さんが僕にしていた顔に少し似ていた。

不安や恐怖もあるだろうに、それを包み隠して気丈に微笑む雨宮さん。
その痛ましさを八雲さんは十全に分かっている。

・・・と、言う事は雨宮さんの目に僕は痛々しく映っていたと言う事だろうか。
ここまで考えてその事実に一人気付き、少し落ち込んだ。


「・・・まあ、話は逸れたがそう言う事だ。私と桜子はサイレンの謎を追っている。

お前も、もしよかったら力を貸してくれないか?」


八雲さんが手を差し出して来る。
願っても無い事だ。

ずっと探していたサイレンの関係者と繋がりを持てて、更に協力関係を結べる。
それに、八雲さんの話が本当なら僕はまたあの世界に行く事になる。

今回は何とか生き残れたけど、次はないかもしれない。
だったら少しでも力を合わせて生き残る確率を上げた方がいいに決まってる。

僕は迷うことなく八雲さんの手を取った。


「よし・・・じゃあ話を続けようか。

あのゲームについての詳しい事や、お前さん側の事情も含めて、な」



◆◆◆



――あの後、色んな事を話した。

まず、テレホンカードに隠された情報。

額にあのカードを当ててPSIを働かせると、何も書かれていなかったカードに文字が浮かび上がった。
どうも変な感じがカードからすると思っていたが、やっぱりあのカードもPSIの力に関係しているようだった。


『Welcom to PSYREN』


・あなたはゲームの参加者<サイレンドリフト>となる
・サイレンドリフトとはアンケートに答えネメシスQとの契約を交わした者
・このゲームはカードを使いきるまで続く
・PSYRENの事、サイレンドリフトである事をドリフト以外の者に決して話すべからず
・スタート地点では地図を確認せよ
・塔は危険。力無きものは近寄るべからず
・サイレンドリフトは死して灰となる運命


ネメシスQと共に・・・時を飛び越え未来を変える旅をするドリフト達に幸あれ――・・・

これと、カードの残数の48の数字。

"未来を変える旅"

これで雨宮さん達があの世界が未来だと知っていた理由が分かって、
僕もお婆さんの言っていた事が正しかったのだと改めて認識できた。

何らかの理由で、世界は崩壊する。
僕は、その原因を突き止めなければならない。あのゲームをクリアしなければならない。

守れなかった人達の為に。
それは生きている者の完全な自己満足に過ぎない事は分かってる。

だけど、僕が途中で死んだらそれこそ代償に死んだ人に申し訳が立たないから。

生きるものは全て等しく何らかの犠牲の上に成り立っている。
だから、生きると言う事はその責を背負う事なんじゃないかと思う。

だから、僕は死ねない。

お婆さんの為に。
僕に居場所を与えてくれた事の恩を返したいから。

誰かの為に。
もし世界が滅びるのだとして、それがいつかは分からない。
百年後か、千年後か・・・
もしかしたらもう僕の知る人は生きていない時代かもしれないけど、もしかしたら世界が滅びるのは来年かも知れない。明日の事なのかも知れない。

それは分からない。

けれど、少しでも僕の知る人が傷つく可能性があるのなら、僕はそれを全力で防がなくちゃいけない。
いや、防ぎたい。

世界の為に戦うなんて大仰な事は僕みたいな矮小な存在には似合わないだろう。
ただせめて隣に居る、僕の手の届く範囲にいる誰かだけは、何としても守りたいから。

もう手から零れ落ちてしまうのは、ごめんだ。


"PSYRENの事、サイレンドリフトである事をドリフト以外の者に決して話すべからず"


秘密を漏らす者にはネメシスQからの制裁が下るらしい。
具体的には灰化させられる。

これでまた一つ確信できた。
お爺さんはお婆さんにサイレンの事を話そうとして、ネメシスQの制裁を受けた。

お婆さんや僕もその事はおおよその推測はできていたが、これではっきりと確認できた。
ただ、そうするとお婆さんにサイレンの事を報告しようとしたら、僕まで灰になってしまう事になる。

それについては頭を長い間捻らせたけどいいアイディアは浮かんでこなかった。
追々考える事にしよう。

それからお婆さん、天樹院エルモアがサイレンに拘る理由、予知夢やお爺さんの事、もそこで八雲さんと雨宮さんに話しておいた。
それに関連してどうして僕がサイレン世界が未来だと推測出来ていたか、等の事も。

雨宮さんと八雲さんはお婆さん、天樹院エルモアが極度のトランス偏重サイキッカーだと知って、どことなく納得したようだった。

近い内にサイレン関係者をエルモア・ウッドに招くことにした。

お婆さんなら、僕がいきなり知らない人達を家に友人として招くなんて事をしたら察してくれるはずだ。
多分、サイレン関係者だとお婆さんに話さずに"友人"として呼ぶのなら問題ないだろう。


多分、きっと。

いや、どうかな・・・


まあ、その事については今考えていてもしょうがない事だ。

それから、PSIについての事。

一通りサイレンについての話が一段落した時、八雲さんは僕に鼻血は出なかったかと尋ねてきた。
何の事かよく分からないけどとりあえず鼻血は出ていなかったと思うので僕は首を横に振た。

八雲さんはあれー?と首を傾げていたが、雨宮さんが『天然のサイキッカーは脳覚醒をしないのでは』
と推測の色混じりに言うと八雲さんも納得したようだった。

僕は天然の意味がよく分からず、不思議に思っていると説明してくれた。

曰く、サイレンの大気には人間の眠った脳を覚醒させる作用がある、とのこと。
八雲さんも雨宮さんもサイレンの世界に行ってからPSIに目覚めたらしい。

PSIに目覚める際には高熱と鼻血を伴うと言う事だ。
それで僕に鼻血が出なかったか尋ねたそうだが、元々PSIを使えた、天然のサイキッカーの僕には関係の無い事だった。

しかし・・・

脳を目覚めさせ、PSIを覚醒させる。

それは何処かで聞いたような気がする言葉だった。
同時になんだか嫌な感じがした。
思い出せないんじゃ無くて思い出したくないような。
まるで脳が思い出すのを拒否しているような、そんな感じがした。

そんな事を考える僕をよそ眼に八雲さんが
『今頃あのガキンチョ共も苦しみ終えたころかなー。まァ、そうだといいんだが』なんて言って笑っていた。

ガキンチョとは夜科さんと朝河さんのことだろう。
また、鼻血と高熱はPSIの才能の証でもあるらしかった。

あとはサイレンのゲームについて等々。
話したのはまだまだ細かい事もあるけれど、大体そんな事あたりだ。

とりあえず、その辺りの事を纏めて話した後、家に連絡するのを忘れていた事を思い出した。
家を飛び出してきて連絡も居れずに一日経った訳だから、みんな心配してるかもしれない。
特に、事情を知っているお婆さんは気にしているだろう。

そう言う訳で、連絡を入れた。

電話にはお婆さんが出て、すごく驚いていた。
とにかく詳しい事は家で話す事にして迎えを寄こしてもらう。

電話の向こう側からカイル達の騒がしい声が聞こえてきて、つい頬が緩んでしまった。
そしてやっと現実に帰って来たような気がした。
明日もう一度夜科さんや朝河さんを交えて話し合いをするという約束と、携帯電話の個人情報の交換を済ませ、
八雲さんの家を後にした。


「とにかく、これから忙しくなるなぁ・・・」


お婆さんが寄こしてくれた車に揺られながら僕はそう呟く。
夏が近付いてきているのを感じさせる日差しが車の窓から差し込む、少し暑い日曜日の午後の事だった。



◆◆◆



「行ったか・・・」


高層のマンションの比較的中層にある八雲マツリの部屋から黒塗りの一台の車が走り去っていくのが見えた。
車はマンションの駐車場から公道へ出て車の群れに呑まれて、その内姿が見えなくなる。

それを目の端に捕えながら八雲マツリは一人呟いた。

そして窓から視線を外すと手に持っていたポケットウイスキーの瓶をおもむろにあおる。
二日酔いには迎え酒が一番の特効薬だと言うのが彼女の持論だ。
迎え酒とは本当はただ酔いで二日酔いの不快感を麻痺させているのに過ぎず、その酔いもいずれは二日酔いの元となる
アセトアルデヒドに変わるという悪循環なのだが、八雲マツリはそれを盲信的に信じ込んでいた。


「ええ。・・・先生、お酒は程々にした方がいいよ」


そんなマツリを見つめながら雨宮がそっと相槌を打つ。
吐瀉物を撒き散らしながらもまだ酒を止めないマツリに、ほんの少しの呆れを混ぜながら付け加えた。


「はは・・・まあお前が無事で帰って来てくれてうれしかったんだよ。このくらい許せ」


「もう・・・。

・・・心配してくれるのはすごく嬉しいですけど、今回はそれだけじゃないですよね?」


マツリの言葉に一瞬嬉しそうな顔をする雨宮だが、その表情をすっと元に戻して続ける。
マツリはまた一口酒をあおった。


「・・・別に、ただ珍しい奴がいるもんだなぁって思っただけさ」


「それで、ちょっと興奮しちゃったんですよね?」


「いやー、アイツが勝手に治っていく様子を観察してたらいつの間にか飲み過ぎてたんだ。不覚だった。」


マツリは少々バツが悪そうに毛の跳ねる頭を掻きながら答えた。
そう言いながらも酒を口に含もうと瓶を顔へと近づける。

しかし、あと少しで瓶の口がマツリの口に達そうとした時、忽然として瓶がマツリの手の中から消えた。


「・・・おいおい、病み上がりでライズを使うなよ。イアンのキュアだって一流だが完璧じゃあないんだぞ」


「分かってます。

・・・あの人はなんて言ってました?」


消えた瓶は雨宮の腕に抱かれていた。
どうやらライズによる高速機動で文字通り目にも止まらぬ早さでマツリの手から瓶を奪ったらしかった。

その瓶を後ろに隠しながら雨宮が尋ねた。
その口調には些かの不安の色が混ざっていた。


「驚いていたよ。あれはキュアでもライズでもなんでもないってさ。念のためにキュアで治療してもらったが、ありゃ必要なかったな。

まるで時間を巻き戻すように怪我が治っていった。そう、怪我が無かった事になったんだ。

・・・あれは一体なんなんだ?」


「・・・分かりません。

あの子が息絶えようとしてたその時に、突然光り出したんです」


「見てて異様な感じがしたよ。PSI、である事は間違いないと思うんだがあんな異様なPSI見るのは初めてだ。

・・・明日、もっぺん詳しく聞かないとな」


「はい。・・・渡しませんよ?」


マツリがお手上げだと言わんばかりに両手の掌を上に向け持ち上げる。
雨宮は頷き、そして持ち上げた掌を雨宮に向けて酒瓶を要求するマツリをばっさりと切り捨てた。


「ちぇっお固いなァ。桜子は。

・・・これからアイツと何度も顔合わす事になると思うが、気にかけてやってくれよ。

アイツはどうも異様で、危なげだ。何が起こるか分からない怖さというか・・・」


雨宮に向けた両の掌で今度は降参のポーズをマツリは取った。
そして光が入って来る窓の外を再び見つめながら言う。


「分かってますよ。

それに、ちょっとあの子には気になる事が他にもあるんで」


雨宮もそれに倣い眼鏡の奥にある瞳を窓の方へと動かす。


「なんだなんだ、とうとう桜子にも気になる奴ってのが出来たか?赤飯炊くか?」


「・・・先生は私を9歳の子に恋心を抱く変態にしたいんですか?」


「冗談だよ。だからその酒瓶を下ろせ」


マツリのからかいに雨宮は酒瓶の首を右手に持ちいつでも殴りかかれる仕草を取った。
もちろん、そこまでが二人の冗談だとお互いに分かっている。


「・・・まあとにかく、不安も増えたが希望も増えた。

これから事態が好転する事を願おうか」


「上手い事まとめようとしてますけど、真っ青な顔じゃ全然説得力ないです。

吐くならゴミ箱にお願いしますね」


「やべ・・・また酒回って来たかな・・・

あ、ダメだ出ぅおぼろろろろろろろろろろろろろろろろろろろr」


「はぁ・・・」


ゲロが蒸れて部屋に酸っぱさが宿る、そんな初夏の日の事だった。



◆◆◆



車が門の前で停まった。
慣性の法則によって乗っていた僕は少し前のめりになる。


運転手さんにお礼を言って扉の外に出て、扉の閉まる音と同時に思いっきり深く息を吸って吐いた。
やっぱり山の上だけあって空気が綺麗だ。
それなりに長い間車の閉じた空気をすっていたからか、よけいに爽やかに感じられた。

西に傾きつつあり、オレンジ色に変わっていく太陽の光が目に入り少し目を細める。
頭に降り注ぐその太陽光の熱でそう言えば帽子を部屋に忘れて行っていた事を今更思い出した。

まあ、サイレン世界に持って行って失くすよりは良かったのかもしれない。

そんな事を考えつつ門の取っ手を引っ張る。
錆びた金属が擦れる音と共にゆっくりと門が開く。

門を閉じて、もう一度深呼吸。
そしてあの言葉を言おうと口を薄く開けた。


「ただい・・・」


「おっかえりィーー!!!!」


「げふっ!!?」


帰った時の挨拶をつぶやこうとしていたら、門の近くに植えられてあった木の上から黒くて髪が銀色の物体が飛びかかって来た。
確認するまでも無くカイルだけど、避ける間もなく蹴り飛ばされた。ものの見事なドロップキックだった。


「ん、の・・・!!ただいまァーーー!!!!」


「げ・・・!あべしッ!!!!」


蹴り飛ばされながらも展開したテレキネシスでカイルの体をホールド。
蹴られた勢いをプラスしてのサイキックスープレックスだった。

黄金の橋が架かる。
カイルは奇妙な声を上げながら地面にめり込んだ。これで一勝一敗の引き分けって事にしておこう。

二人して地面に伏せていると複数人の足音が近づいてくるのが聞こえた。


「ファイ君!カイル!」


「バカに付ける薬ってやっぱり無いのかしら」


「角度、勢い、入り方、いいスープレックスだった」


「うー」


順番にマリー、フレデリカ、シャオ、ヴァンだ。
蹴られた顔面が痛むけれど、みんなの姿を見たら自然と笑みが浮かんだ。

そしてその薄い笑み湛えたまま、改めて言う。


「ただいま、みんな」





続く



[17872] コール23
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:3563f643
Date: 2010/12/23 04:59
扉が閉まる音が部屋に響き、壁へと吸い込まれて消えた。
一点の曇りも無く磨き上げられた窓硝子からは茜色の西日が差し込んでいる。

その西日に照らされている箇所だけは埃がキラキラと陽光を反射しながら舞っているのが視認でき、
それが無音の空間と相まって一つの芸術を織り成しているかのように思えた。

そのまま刹那の芸術に見とれていそうになるけど、意識を現実へと引き戻す。
窓からずらした視線の先には紅茶を飲みながら座るお婆さんがいた。

お婆さんが紅茶のカップをそっと置く。
カップとソーサーがぶつかり立てる音に促されて、僕はお婆さんの対面のソファーへと腰を落とした。

お婆さんがゆっくりと瞼を開け、そして口を開く。


「・・・お帰り」


「・・・ただいま、帰りました」


たかが挨拶、されど挨拶。
そこには様々な想いが込められている。


「・・・まずはお主に謝罪をしなければならん。

余りにも重い責を負わせてしまったことを。すまん」


唐突にお婆さんが頭を下げた。


「や、止めて下さい!僕が自分の意志でやった事なんですから・・・

お婆さんが頭を下げる理由はありませんよ」


突然に頭を下げられて逆に恐縮してしまう。
お婆さんは顔を上げ、ふむ、と喉を鳴らした。そして続ける。


「ならば、礼だけでも言わせて貰おうかの。

無事に帰って来てくれて、ありがとう」

お婆さんが僕の手を取った。

少しかさついた皮膚から伝わる暖かさにまた少し泣きそうになるけれど、泣く訳にはいかない。
これ以上心配を掛けるわけにはいかないのだから。

・・・今日は泣きそうになってばかりだ。
いつから僕はこんなに涙腺が緩くなってしまったんだろうか。


「・・・全然、お婆さんが心配するような事は無かったですよ。

ただ・・・色んな事がありました」


お婆さんに無駄に心配を掛けないように微弱な嘘を織り交ぜながら告げ、手をそっと離した。
お婆さんは再びソファーへと体重を預ける。


「全てを話せば灰になってしまうから、これから話せる事だけは話します。

と言っても、どこまで話していいか分からないですけど――・・・」



――・・・



扉が閉まる音が廊下に響く。
灯火が消えたかのように闇色に染まった廊下を一人歩く。

お婆さんに伝えた事は三つだけ。

一つ、お婆さんの予知は正しかった事。
二つ、これからも僕はサイレンへ行くことになる事。
三つ、新しい友達が出来た事。

お婆さんはそれを聞いて納得したような、嫌な予感が的中してしまった時のような複雑な顔をした。
そして三つ目の事を伝えた時、お婆さんは他にもサイレンへ行く人が居るのだと言うことを瞬時に察してくれたようだった。

それからなぜ僕がそんな回りくどく言うのかも。
今度友達を呼んできなさい、とお婆さんはそう言った。

サイレンの漂流者と会ったとお婆さんに伝えてからその人達を連れてきたのでは、その人達がサイレンの漂流者だと告げるような物で、
何がネメシスQの制裁基準に触れるのか分からない現状ではそれは好ましくなかった。

だから、単なる友人としてお婆さんに紹介する。

・・・その人達がサイレンの漂流者だとお婆さんが察しているのでは余り変わらないような気もしたけど、
どうやら制裁は下らないようだったので密かに心中で安堵した。

これからだ。

緋色の残光が影を潜め、陰影が世界を包んでいる。
その影の中でか細い光を湛える月を硝子窓越しに見ながら思った。

これから、全てが始まる。
変わらない日々がずっと続いていくように思えたけれど、これからそれは変わる。

そう胸中で呟き、改めて直面している事態を確認し気を引き締めた。


「とりあえずは、明日。明日もう一度八雲さん達と話をしなきゃ・・・」


硝子窓から零れる屈折した月光から目を逸らし、伸びを一つ。
と、同時になるお腹。


「最優先事項は晩御飯だった」


誰も見ていないのに一人照れながら食堂へと歩を進める。
お婆さんは先に行ってろと言っていたが、みんなもう集まっているだろう。

色々聞かれるんだろうなぁ、と騒がしい夕食が簡単に想像できて、なんだか可笑しかった。



◆◆◆



想像通り騒がしかった夕食の後。


「あれ?そう言えば僕のケーキは?」


ふとサイレン世界に行く前に食べ損ねたケーキの事を思い出した。
確か取って置いてくれと頼んでから行った筈なんだけれど・・・

台の上に乗って、更に爪先立ちをして冷蔵庫の中に頭を突っ込む。
・・・が、それらしい影は見当たらない。


「・・・・・・」


後ろで物音がする。
さっき後ろにいたのは、ヴァンだ。
振り向かないで掌を後ろに向ける。

テレキネシスを投影。

テレキネシスに何かを掴んだ感触がして振り向くとそこにはキッチンから出て行こうとしていたヴァンがいた。
手には食後のおやつが握られている。


「・・・ヴァン、別に疑ってないけどさ、僕のケーキ知らない?いや、別に疑ってないけどさ」


ヴァンは急いで部屋から出て行こうとしていたのか、急に掴まれてもがいている。
額に薄く汗が浮かんでいるのが見えた。


「う、うー?」


知らないと言ったように首を横に激しく振るヴァン。
さっきから決して目を合わせようとしない。


「・・・そっかー知らないかー。僕のモンブラン。

あれ確か、有名店の一日百個限定のやつだったんだよなー。どこ行ったんだろうねー?」

笑顔を張りつけたままゆっくりとヴァンに近づいて行く。
歩を進める度にヴァンの抵抗が激しくなる。


「・・・で、おいしかった?僕のモンブラン」


「ほろ苦さと甘みのハーモニー?モンブランって人生みたいだと思う」


ふふ、と思わず嗤う。
必死こいてサイレン世界から帰って来て、ケーキはもう食べられてましたとさって、怒るのを通り越してがっくりきた。


「ハァ・・・」


テレキネシスを解除。
拘束を解かれたヴァンがこちらを見る。


「・・・まあいいよ、ケーキくらい。そんな事で怒るのも馬鹿馬鹿しいよね」


諦めを多分に含ませた言葉を放つ。
本当は食べたかったんだけど、もう無くなってしまったものは仕方が無い。


「・・・今なんて言った?」


「え?そんな事で怒るのも馬鹿馬鹿しいって・・・」


「そんな事・・・?ケーキが、そんな事?あまつさえケーキ"くらい"?

・・・を言ってるんだ・・・」


僕の言葉を聞いた途端俯き、何かをブツブツと呟き始めるヴァン。

・・・え?ちょっと、何なんだろうこの空気。
僕がケーキ食べられたんだよね?

なんで僕が悪いみたいな感じになってるんだろう?


「ファイは、何を言ってるんだ!!!」


ヴァンから黒い何かが噴出した、ような幻覚が見えた気がした。
死にかけたり何だリでちょっと疲れているんだよ、僕。

そしてヴァンは緩慢な動きで、それでも圧倒的な威圧感を出しながらポケットに手を突っ込んだ。


「っ!!?」


ヴァンがポケットから手を出す瞬間、生物としての本能的な危機を覚えた、気がした。
思わず両手で顔を覆う。


「・・・これを」


そして差し出されたのは、一枚の広告。
恐る恐るチラシを受け取り視線を向けると、華やかな写真が目に飛び込んできた。

色とりどりのケーキの。


「・・・これが?」


ケーキは美味しそうだったけどいまいちヴァンの意図が分からずに尋ね返した。
するとヴァンはそんな事も分からないのか、と言った失望の色を浮かべた。


・・・いや、さっきから何なんだろう。ホントに。
どうでもいいけどヴァン性格変わってない?


「そこの右下」


「え?ケーキ・・・フェア・・・?」


そこにはケーキフェア開催中!伊豆ホテル、と書かれた文字が。
読むと、どうやらケーキバイキングがこの期間に行われているらしい。


「そこでケーキの魅力を教える」


それだけ告げてヴァンは去っていった。
要約すると、今度ケーキバイキングがあるから一緒に行こう、ケーキの素晴らしさを教えてあげるよって事なんだろうけど・・・


「・・・なんか、釈然としないなぁ」


一言くらい謝って欲しかったのだった。
しかし、そこまで考えて、これはヴァンなりの謝り方なんじゃないだろうか、と思い至った。

ケーキを食べてしまった分はケーキで返す。
そう言う事なのかもしれない。

それはいいとしても・・・


「・・・怖かった」


凄んでいる時のヴァンの目は、割とマジだった。
なんというか、親しい人を馬鹿にされたヒーロー(ヴァン)をブチ殺される寸前の敵(僕)が見ている、そんな感じだった。


「・・・ヴァンって、あんな性格だったんだ」


それなりに長い間一緒に生活しているけれどあんなヴァンを見るのは初めてだった。
そう思っていると、胸に宿る熱。

呆然と立ち尽くしている僕の頭にキュアの使い方が流れ込んで来たのだった。


「なんだかなぁ・・・」


そんなこんなで夜は更けて行くのだった。
・・・明日に備えてもう寝てしまおう。



◆◆◆



そこは真っ暗だった。

瞳を閉じて、その上を掌で覆ってできた闇よりも更に深い闇。
目を空けても閉じても変わらない世界で漠然とした不安に襲われる。
掌を持ち上げて顔に触れた。

掌から伝わる輪郭の感触。
どうやら僕は存在はしているらしい。

ふと、気が付いた。下方の一か所がぼんやり光っている。草原だ。

上から照らされているのかはっきりとは分からないが、それは円形に光る草原だった。
そしてその草原には群れる羊達の姿が。
白い羊たちは揃って草を食み、時には小競り合いを起こしながらもそこに確かに共存していた。
そんな光景に何処となく安堵した。

そして気付く。
体を寄せ合い生きる白い羊から外れた場所に、一匹の黒い体毛の羊がいる事に。

白い羊達は一匹だけのその黒い羊を気味悪がり避けているようだった。
黒い羊は時折白い羊達の方を向き、また悲しそうに目を逸らす。

そして黒い羊は自分の体を見て何かを想うようだった。


"どうして僕は黒くて彼らは白いんだろう?"


"誰が色を決めたんだろう?"


"どっちが、正しい色なんだろう?"


そんな風な声が聞こえてくるようだった。
いや、事実そう僕には聞こえていた。

もう一度黒い羊は白い羊達を見遣る。けれど、何も変わらない。
諦めたように黒い羊は視線を光の範囲外、漆黒に染まる闇へと向き直った。


・・・・・・。


そんな羊達を見下ろしながら思った。
体の色が違うから、何なんだろう・・・?

羊は羊だ。
間違っても狼や牛や山羊になんかなれやしない。羊に生まれた限り、羊は死ぬまで羊なんだから。

だから、僕にはいまいち黒い羊の悲しみが分からなかった。
色が違うからと言って何を卑下する事があるんだろう。自分は羊だと胸を張って言えばいい。

だけど、何となく黒い羊の気持ちも分かる気もした。
実感の薄い、ぼんやりとだけだけれど。

多数派(マジョリティ)と少数派(マイノリティ)。

自分と違うものが多すぎる時、自分と同じものが少なすぎる時、少数派は自分が間違っているのではないかと不安になってしまう。
最悪、自分の存在が否定されていると思い、自分で自分を否定してしまう。
逆に自分と同じものが多い時は、安心する。まるで自分の存在が肯定されたかのように。
だから、誰しも繋がりを求めながら日々を過ごす。

だけど今、黒い羊に言ってやりたかった。
キミは、羊だ。白いも黒いも関係ない羊なんだ、って。キミは勝手に自分が周りと違うって思い込んでいるだけだ、って。

他の白い羊達も勘違いしてるだけだ。
自分とほんの少し違う所に、びっくりしているだけ。

言葉を話せば通じ合う事が出来る。手を伸ばせば触れ合う事が出来る。
草を分け合う事も出来る。草を奪い合う事もする。他の羊の死を悼む事も出来る。共に在る喜びを感じる事も出来る。
そう想えるのなら、全部想いのまま。

それでどこが違うと言うのだろう。

・・・少なくとも手の届かない所から眺めるしかない、声も届かない、自分がどんな姿をしてるのかも分からない、
こんな僕とは、違うのだから。
そして唐突に気付いた。草原を照らしているものに。

それは月だった。そしてそれは僕だった。

果てしない暗闇の中で、唯一の明かりをもたらす物。
草原を照らしていたのは僕だった。

愕然とする。
驚きと、そして申し訳ない気持ちで、体が震えた。

光が存在しなければ、暗闇の中ならば白いのも黒いのも分かりはしない。みんな仲良くできただろう。
光が存在するから、たとえほんの少しの物だったとしても違いが生まれてしまっている。


・・・明かりを消そう。
僕が羊達を眺めていたいなんて思ったから光が出来てしまった。

さっき黒い羊に言ってやりたいなんて偉そうな事を思った自分に腹が立った。
どの口がそんなことを。僕にはそんな事を思う資格はない。

最後に申し訳ない気持ちと共に黒い羊を見た。
そして先ほどとは違う意味で愕然とする。
黒い羊は、闇の向こうに潜んでいた漆黒の狼の語りかける言葉に耳を傾けていた。

・・・もう本当に自分が嫌になる。
虫が篝火に惹かれるように、明かりに惹かれて狼が羊達に気付いてしまったらしい。

このまま明かりを消せば、狼は羊達に一気に襲い掛かるだろう。
白いのも黒いのも関係なく。きっと等しく無感情に、無慈悲に、冷徹に死をもたらす。

また明かりを消さなくともいずれ黒い羊は狼を呼び寄せてしまうだろう。そんな気がした。

僕に出来る事。
そう、僕にも何かできる事があるはずだ。羊達に手は届かなくとも、声は届かなくともきっと何かが。

考えている間に、黒い羊は鳴き声を上げ狼を呼び寄せてしまった。
口元を喜悦に歪ませながら狼が疾駆して行く。

黒い羊は、呆然としていた。
呼び声を上げれば自分は食われないと思った。自分は何かに変われると思ったのだろう。

しかし、何も変わらない。

自分のした事の重大さに打ちひしがれる羊がいるだけだった。
そして狼にとっては白いのも黒いのも関係ない、ただの餌だ。

狼の牙が真っ先に黒い羊に向けられる。

見たくなかった。
目の前で羊達が襲われるのを見るだけなんて我慢ならなかった。
どうせ月が無くなっても何も変わりはしない。明かりが無くても羊達は生きていける。
自分がどうなろうとも構いやしない。

祈った。
信じてもいない神様に。


そして僕は・・・



――・・・



場面が変わった。
今度はぼんやりとした空間だった。

そしてさっきまで見ていた物がなんだったか思い出せない。
霞みがかったような頭では上手く物を考えられなかった。

突然、後ろから物音が聞こえた。
何かを引きずるような音。

何だろう、と疑問を浮かべながら振り返ると、一瞬息が止まった。

千葉さんがいた。
両足から血を流しながら、歯を食いしばって必死に這いずる姿。


「ッ、千葉さん!?」


なんで・・・、どうして・・・、疑問が胸中で嵐にように吹き荒れ、そして考えるよりも先に声が出ていた。
しかし僕の声が聞こえていないかのように千葉さんはこちらを一瞥もしない。

また別の物音。
今度は地面を踏み鳴らすような音だった。


「っ!!?どうして・・・」


どうして、目の前にはあの焼き殺した筈のエプロンを付けたあの化物がいるんだろう。


鼓動が一気に速まる。
早鐘のように煩い心臓の音を鼓膜の裏側に聞きながら、僕は弾かれたように動いた。

化物の歩む前に踊り出てその後ろの千葉さんに声を掛ける。


「早く逃げて下さいッ!!ここは僕が時間を稼ぎます!!」


「うぅ・・・助けて・・・」


「助けますから、早く!!」


掌を化物に向け精神を集中する。
なんでアイツが生きてるのかは分からない。だけど生きてるって言うのならもう一度殺すまでだ。

イメージするのは、炎(パイロキネシス)。
最後に聞いたあの化物の焼かれ苦しむ声が蘇る。それをまた再現してやる・・・!

頭に感じる熱(イメージ)が次第に膨れて行って、そして外へと排出する!!


「え・・・?」


しかし。
掌からは何も、塵一つすら生まれなかった。


「この・・・!このっ!!なんでだよッ!!なんで力が使えないんだ!!」


テレキネシス、マテリアル・ハイ、どれも使えない。
ただ掌が空しく空を切るだけだった。

化物の歩む早さは変わらない。
既に瀕死の獲物を前にして興が覚めた狩人のように、その歩みは緩慢な物だった。


だがそれでも一歩一歩確実に近づいてくる。


「はっ・・・!はッ・・・!!」


ジワリと不愉快な冷たい汗が背中を流れた。
焦りで呼吸が上手く出来ない。

どうあがいても絶望。
力の使えない僕なんかただの子供でしかない。

何か、何か考えないと・・・!


「くそッ!!」


そうこうしている間に化物がもう目の前に。
PSIを使うのを諦め、地面に落ちていた石を拾おうとする。

気が付けばぼんやりした空間はあの時のサイレン世界の荒涼とした風景に変わっていた。

石に手を伸ばす。
しかし、その指も空しく石をすり抜けた。


「なんで!!」


目の前の出来事に頭が追いつかない。
石を拾うのも諦め、化物へ直接殴りかかった。


「なんでッ・・・!!!」


僕の体が、化物のそれをすり抜ける。
何の抵抗も無く文字通りすり抜けるように。気が付けば化物は千葉さんの血の流れる両足まで辿り着いていた。


「ひっ!?い、嫌だ・・・!死にたくない!!誰か、助けて・・・!!!」


化物が千葉さんの髪を掴んだ。
髪を上に引っ張り、頭自体を少し浮かせる。

そしてそのまま、地面へと叩きつけた。


「ガッ!!?ひ、ヒッ!!」


その一撃で、千葉さんの前歯が消失した。
鼻腔と口腔から湧いた血だまりに根ごと折れた歯や中ほどで割れた歯の欠片が落ちる。

千葉さんは顔半分を血で染めている。
鼻筋は折れ曲がり、唇は歯で切ったのかすっぱりと避け、頬骨は顔の輪郭が変わる程に陥没していた。


「やめろ・・・!!!やめて・・・!お願いだから・・・」


化物の千葉さんを掴む腕に縋りその単純な破壊行動を止めようとするけれど、腕に触れることすら叶わない。
そして化物は再び髪を引っ張り上げる。

肉色の口腔内から真紅の血が零れた。


「あ、ガっ!!えほっ・・・」


二度目の地面との接吻。
折れていた鼻骨は原形を留めないほどぐしゃぐしゃになり、千葉さんの顔は最早人間の顔とも思えない赤色をしたボールのようになっていた。

下顎骨が折れたのか、既に歯の存在しない歯茎は断裂し離開して、黄色がかった骨を覗かせていた。
血と共に切れた舌の一部が落ちる。口の端の血泡が弾けまた地面を紅く染めた。


「あ・・・あぁ・・・」


ただ、見ている事しかできない。
膝が崩れた。目の前の光景がぐるぐる回り頭が認識出来なくなってきていた。


「うぐ・・・!!」


「あ、が・・・!」


「ぁ、っ・・・」


「・・・・・・」


千葉さんは何度も何度も地面に叩きつけられ、声を発する事すら出来なくなって行く。
化物の手がふと止まった。

千葉さんの反応が無くなった。
だらりと全身を弛緩させ、股間は濡れて湯気が上がっていた。


「アグロ・・・」


化物は掴んでいた千葉さんの頭を無造作に離す。
血だまりが跳ね化物のエプロンに紅の色を足した。

そして化物はその行為に何の感慨も抱かなかったように千葉さんを見ることなく去っていった。
初めから最後まで僕の存在を気にかける事も無く。


「ぁ・・・」


静寂の中に残された僕は放心していたが、しばらくして我に帰り千葉さんの元へ歩み寄る。
何を確認したかったのかは自分でも分からない。

どう考えてもこの惨状では千葉さんが助かる見込みは無い。
そんな事は嫌でも分かる。それなのに。ただ、認めたく無かったのだろう。

うつ伏せになっている千葉さんに手を伸ばそうか一瞬逡巡した後、そろそろと手を伸ばした。


「・・・助けてくれるって、言ったよね?」


「ッ!!?」


体がビクッと硬直する。
聞こえる筈の無い声。発せられる筈の無い声。


それが突然聞こえた。


「・・・力があるんだったら、守ってよ」


血だまりから、千葉さんが顔を上げた。
眼球が破裂し焦点が何処なのかも分からない状態なのに、千葉さんは真っ直ぐに僕を射抜くように責めるように見つめていた。


「・・・痛かったんだよ?苦しかったんだよ?辛くて堪らなかったんだよ?それなのに、どうして・・・」


眼孔から流れる血が、まるで涙のようだった。


「ご、ごめんなさい・・・なぜか、力が使えなくて・・・!」


千葉さんが体を起こす。
どう見ても致命傷なのに、千葉さんはそれらの傷を無視して立った。


「・・・・・・」


千葉さんは僕の事をジロジロと舐めるように見る。
沈黙が、痛い。


「・・・なぁんだ。キミも力のない側なんだ。他人から力を借りてるだけ。自分の物なんて何一つありやしない」


その言葉が突き刺さる。
分かっていた。力があるように振る舞う事は出来ても、所詮それは張りぼて。偽りの物だって事が。

――・・・僕には、何も無い。


「ごめんなさい・・・」


「だったら!!!!なんで!!!力が無いのは同じなのに!!!!ボクが死んで!!!!キミは生きてるんだ!!!??」


「ぐッ・・・!」


千葉さんの土気色をした太い指が僕の首へと伸びた。
まるで万力で締められるようだった。

爪が食い込んで皮膚から血が溢れる。
気道が締められ、呼吸が全く出来ない。このままでは窒息死、いやその前に千葉さんの腕が僕の首を折る方が早いか。


「なあ!!なんでなんだ!!?教えてくれよ!!!キミとボクの何が違うのか!!!

一緒だろ!!!じゃあ何でボクばっかりこんな目に会わなきゃいけないんだ!!!!」


「・・・ごめん、なさい」


「っ!!!」


首を絞める千葉さんを、僕には止められなかった。
それは力が無いからとかじゃなくて、止める権利が僕にはないから。

一番理不尽で、可哀そうな目に遭っているのは、生きている僕じゃなくて死んだ千葉さんなのだから。


「・・・ご、めん、なさ・・・い」


切れ切れに贖罪の言葉を言う。
そんな物に何の意味も無い事は分かっていながらも言わずにはいられなかった。


「ボクが欲しいのはそんな無意味な物じゃない!!

・・・なあ、返してよ。妹に会いたいんだ。・・・ボクの命を、返してくれよ!!!!!!!!」


ゴキリ、と鈍い音がした。
全身から力が抜けて行く。

これで千葉さんの気が済むのなら、千葉さんが死ななくて済むのなら僕のこんな命くらい差し出すさ。

掠れ行く意識の中でそう思う。
でも・・・きっとこれは夢だ。僕の深層心理を映した、下らない夢に過ぎないんだ。

そう、千葉さんは、あの他の男の人達は生き帰らない。
もう戻って来ないんだ――・・・



◆◆◆



「あああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」


自分自身の獣の唸り声のような声で跳ね起きた。
心臓が煩い。耳の裏の動脈も煩い。


「こ、こは・・・」


暗闇の中でぼんやり見えたのは、自分の部屋の風景。
机やベッドを除いて余り物の無い、ポツンと鞄と帽子だけが隅っこに置かれている、いつも通りの自分の部屋だった。


「・・・は、はは・・・夢、か・・・」


額の汗を拭う。
シャツがベッタリとくっついていて気持ちが悪かった。喉もカラカラだ。


「・・・・・・」


時計を見ると二本の針が頂上で交わる頃、深夜零時ごろだった。
もうみんな寝静まった頃だろう。今の僕の声でみんなを起こしてないか心配だ。

汗が染みたシャツは着替え、新しい物を身につける。

とりあえず、喉の渇きや心臓を鎮める為に喉から手が出るほどに水が欲しかった。
部屋をそっと出てキッチンへと向かう。

暗い廊下を歩いていると、少し落ち着き余裕が出てきた。
自分がいかに無力かを、再確認する余裕が。

強くなりたい。そう思った。

人からの借り物なしじゃ何も出来ないこんな自分を変えたかった。
でも無い物強請りしても仕方ない。喩え借り物だとしても何かは出来る筈だ。


(明日から、鍛えよう)


この張りぼての力で出来る事をしようと、心に決めた。



――・・・



キッチンで胃が満ちるほどに水を飲んだ後部屋に戻る途中、一つの部屋からに明かりが漏れている事に、ふと気が付いた。
暗くて分かりづらいけどあの部屋はソファーや暖炉があった部屋だ。


(こんな夜中に誰だろう?)


小さな疑問を抱きながらその部屋へと近付く。
扉をそっと開けた。


「・・・フレデリカ?」


「・・・ファイ?なによ。こんな時間に」


そこに居たのは、ソファーに寝っ転がりながら漫画を読んでいるフレデリカだった。
扉の開く音と僕の声に気付いたのか、フレデリカもこちらを見て問いかけて来る。

その問いは僕もしたい問いなんだけれど。


「僕は・・・ちょっと目が覚めて。

フレデリカは?夜更かしは美容の大敵とか言って無かったっけ?」


言いながら部屋に入った。
静かに漫画を読んでいるのを邪魔されて少し不機嫌そうな顔をフレデリカはしている。


「アタシは・・・ちょっと寝れないだけよ。

で、何?アンタは怖い夢でも見たの?ガキなの?」


漫画を閉じ、体を起こしながらフレデリカは言う。
恐らく冗談で言ったのだろうけど、余りに図星な言葉にギクリとしてしまう。


「・・・まあね」


いつもならからかわれた時否定するのだけれど、今はそんな気になれなかった。
だから、素直に認める。


「・・・なんか、調子狂うわね」


そんな僕の様子を見て訝しそうな顔をするフレデリカ。
まあいいわ、と続けて再び漫画を開く。


「・・・・・・」


何となく部屋に戻る気もしなくなって、僕もソファーに腰を下ろした。
もちろんフレデリカの座るソファーとは別のソファーに。


「・・・何でそこにいるのかしら?」


「部屋に帰っても寝れる気がしなくてさ。しばらく、居させてよ」


フレデリカはフンと鼻を鳴らし漫画に視線を戻した。
何も言わないと言う事は、勝手にしろと言う事なのだろう。


「・・・・・・」


「・・・・・・」


僕とフレデリカの間に沈黙が続く。
別に話す事も無いのだから構わないんだけど。


「・・・・・・」


「・・・・・・」


部屋の明かりでよく分からなくなっているが、どうやら外は月が明るいらしい。
カーテンの裏側が青白い光で照らされている。


「・・・・・・」


「・・・あー、もう!」


ぼーっとしているとフレデリカが突然声を上げた。
そしてバン!とソファーに漫画を叩きつける。


「アンタ、何かあったの!?

んな泣きそうな顔目の前でされたら、なんか、こう、イラっとするから止めてくんない!?」


あーーー、と声を上げて頭を掻き毟りながらフレデリカは言った。
突然の大声に僕はびっくりしてしまう。それよりも、自分が泣きそうな顔をしている事に驚いたのだけれど。


「泣きそうな顔、してた?

ああ、ごめん・・・じゃあ、部屋に帰るよ」


僕が落ち込むのは僕の勝手だろうけど、それで周りを不愉快にする権利は僕にはない。
申し訳なく思いながら立ち去ろうとした。


「・・・待ちなさい!!」


去ろうと思い、ソファーから立ちあがった時、フレデリカに制止された。
何なんだろうと思っていると突然部屋の明かりが消された。


「え・・・?何するの?」


「黙って見てなさい!」


部屋の明かりを消したフレデリカは、今度はソファーの元へと向かう。
そして、


「ふんんんんんんんん!!」


力んだ声を発しながらソファーの向きを変え始めた。
何をしているのか分からずに僕は呆然とする。


「・・・見てないで、手伝いなさい!!」


さっきは見てろって言ったくせに・・・
その言葉は呑み込んで一緒に僕もソファーの向きを変えた。

そしてソファーは、窓に向かう形になった。


「・・・で、これが?」


「はっ!せいっ!!」


その勢いのままフレデリカは左右のカーテンを開け放つ。
そこにあったのは、星空。

紺色をキャンバスに塗りたくって、そこに細かい宝石を散りばめたような空が、窓の向こうにはあった。
そしてその中で一際、だけど優しく光る月がふんわりと浮かんでいた。

全てを包み込むような光。
強すぎず、弱すぎず、ただ静かな光が部屋に流れ、満ちる。


「ふぅ・・・」


夜空に見とれていると、ドサリと音がした。
見るとフレデリカがソファーに座ったらしい。

そして目線で僕にも座れと促して来る。
フレデリカが真ん中に陣取っているので、僕は端っこに座った。


「・・・なるほど」


優しく光る月が、僕も包んでくれているような気がして、なんだか不思議と落ち着いた。
さっきまで一人ぐちぐちと考えていたのがちょっと馬鹿らしいくらいだ。


「何か辛い事があったんなら、月見なさい月。

・・・アタシも昔から月見たら何故か元気出たわ。ママに怒られた日だって、パパに逢えない日だって」


ふとフレデリカに連れだされて神戸まで行った時の事を思い出した。
あの時も、確か月が綺麗だったと思う。


「・・・ありがとう」


「・・・フン!」


本当にありがたかったからお礼を言ったけど、フレデリカは大した事じゃないと言わんばかりに鼻を鳴らしただけだった。
それでいいのだろう。

だって、こんな綺麗な星空の前では言葉も何だか無粋のような気がしたから。
ただ黙って、僕達は月を眺めていた。

胸にまたいつか感じた熱が宿る。


(ありがとう)

声には出さず胸の中でもう一度呟いたその言葉は、熱と合わさって溶けた。



◆◆◆



太陽が昇る前、薄らと明るみ始めた紫色の空が広がる。
時折小鳥が囀る高い声、もう少し大きな鳥が鳴く中間の高さの声、そして大きな鳥の鳴く低い声が窓から差し込んでいた。


「んー、今日もいいお天気だなぁ・・・」


パジャマ姿のマリーは廊下で伸びをしながら歩いていた。
まだ冴え切らない眠気をあくびと目尻に浮かぶ涙に溶かして頭を起こす。

マリーはこの家でも早起きな方だった。

一番はシャオで、次にエルモア、その次がマリーだ。
因みにそれからカイル、ファイ、フレデリカ、ヴァンと続く。


「あ、シャオ君、おはよう」


「ああ、おはよう、マリー」


既に起床後の軽い運動を終えたらしいシャオと出くわし、マリーは挨拶を交わす。
素っ気ないように見えて、その実パジャマ姿のマリーに目のやり場に困っているだけのシャオと、マリーは共に朝食に向かう為に一緒に歩き出した。


「あれ・・・?」


そしてマリーはふと、一つの部屋の扉が少し開いている事に気付いた。
本来ならば夜皆が寝静まる前にお手伝いさんが全ての部屋の戸締りをするのだから、開いているのはおかしい。

そう思ったマリーは軽い気持ちでその部屋へと向かった。
そして見る事になる。


「っ!!!??」


「ん、どうかしたか、マリー?」


マリーの眠気がコンマ数秒以下で吹っ飛んだ。
扉を覗き、言葉にならない言葉を上げているマリーに気付き、シャオが尋ねる。

マリーは、こんな時どんな顔をすればいいか分からないの、と言った表情を浮かべてシャオを手招きした。
そして促されて扉を覗いたシャオも眠気は無かったが、何かが吹っ飛んだ。


「!!!!」


そこには、ソファーにもたれて眠るファイの姿と、そのファイにもたれて眠るフレデリカの姿があったからだ。


「ね、ねえ!何あれ、私まだ夢見てるのかな!?」


「い、いや、オレも見たから夢じゃないと思うが・・・」


その光景は、直径150kmの隕石が降って来るよりも大きな衝撃を二人に与えた。
ありえない。それが二人の共通の思いだった。

フレデリカが、あのフレデリカが誰かと一緒に寝ている姿など、それは天文学的大発見にも等しい発見だったのだ。
しかもそれがマリーやエルモアでなくて、ファイと来た。衝撃は推して知るべしだろう。


「こ、こんな時どうしよう・・・そうだ写真っ!!」


「いや、それはおかしい」


余りの光景にテンパっているマリーにシャオが突っ込む。
それもまた珍しい光景なのだが、そんな物は太陽の明かりの下で蝋燭を灯すようなものだったので誰も気にしない。


「ん・・・」


そうこうしている間に、フレデリカがモゾリと身を捩った。
窓から差し込み始めた太陽光が眩しかったのだろう。


「「・・・あ」」


マリーとシャオは同時に声を上げた。
そして想定されるパターンを元に行動を始めた。具体的にはヴァンを起こしに。


「・・・って!!!なんやねんこれえええええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」


「ん・・・うわっ熱ッ!!!??」


背中から追いついて来るフレデリカの驚愕の声と、ファイの悲鳴を聞きながら二人は思った。
ああ、今日もいい天気だなあ、と。


「ぎゃあああああああああああああ!!!!!あっつ!!あっつ!?もみあげ燃えたァァァァ!!!?」


新しい朝が来た。
それは希望の朝になるのか、それとも破滅への一歩の朝になるのかは分からない。

ただ、その日も相変わらず、空は綺麗だった。




続く



[17872] コール24
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:e773c107
Date: 2010/12/23 04:59
月曜日。


それは新たな一週間の始まりを告げる日であり、人類が最も忌み嫌う曜日だ。
事実、世界中で自殺者が男女共に月曜日が最も多く、また脳卒中や心筋梗塞の発生率も他の曜日に比べ高い。

何故か。答えは実に単純明快だ。
学生は学校に、社会人は職場へと、それぞれが為さなければならない事を為しに向かわなければならないからだ。

そして、学生である夜科アゲハもその例に漏れず、憂鬱さを鞄と共に肩に背負いながら学校へ歩を進ませていた。


(雨宮は、帰って来た)


その憂鬱さを誤魔化す為、夜科は歩きながら思考する。
思うのは、未使用ならば五百万円の価値のある赤いテレホンカードを泣く泣く使用し、自分がサイレンの世界へとその行方を探しに行った少女の事である。

ニュースで放送された、頻発している謎の失踪事件の被害者リストの中にその雨宮の姿を認め夜科はサイレンへ行く事を決意。
それが、夜科があの荒野に立っていた理由だった。

そしてその少女、雨宮桜子は帰って来た。
行方不明者として扱われていた雨宮はお騒がせな家出少女として。
勿論、それが真実でない事は夜科はよく知っている。
雨宮と一緒にサイレンから帰って来たのは他ならぬ夜科なのだから。

しかし家出少女、無事保護というニュースは世間からすれば心底どうでもいいものだった。
自分の知らない誰かが死んだとしても心が動かされる事は滅多にないのに、ましてや家出した少女の事など、と言う事だ。

そのニュースは事実、芸能ニュースや議員スキャンダルなどより世間の関心を煽るゴシップ色の強いニュース達の間に埋もれ、
世間の隙間にスルリと入り込み見えなくなった。

雨宮の事を記憶に留める人間は、世間にはもういないだろう。


「よォーアゲハー。雨宮見つかったんだってよ。ったく迷惑な話だよなァ」


一部のそれなりに近しい人間を除いて。
夜科と雨宮のクラスメートである坂口、愛称サカは友人である夜科へと挨拶代わりにそう声をかけた。


「――・・・あぁそうだなァ・・・」


夜科は無難な言葉を投げ返す。
自分や雨宮がサイレンへ行って帰って来たと、本当の事を言えない理由があるからだ。


(一日でサカとヒロキに話せない事がたくさんできた)


サイレンに関する事を他者に話すと灰になる呪いの事もあるが、
しかしそれ以上に自分の友人を余計な面倒事に関わらせたくなかったというのもある。


「土曜日お前もあの後どーなったの!?ケータイかけても全然繋がらねーんだもん」


「学校フケた後はケータイ切って寝てた。すまん」


だから夜科は嘘をついた。
人を欺くための嘘ではなく、傷つけない為の嘘だった。


「担任に色々聞かれるんじゃないかな。ニセ刑事二人組の事。

・・・ま、でも学校側も事を荒立てたくないみたいだけどね」


そう言ったのは夜科の友人の一人、ヒロキだった。
実は夜科アゲハがサイレン世界へ行く前にちょっとした騒動、警察を名乗る二人組に赤いテレホンカードを狙われると言う事があった。
サカとヒロキはその騒動を見ており、二人が気にする事は雨宮の事だけでは無かった。
そのニセ刑事の事もサイレンに関する事のようなので夜科は、やはりその事についても口をつぐんだのだったが。


「――そー言われてもなぁー・・・特に何も無かったしナァー・・・

寝てたし・・・疑われてもなぁー・・・」


(なんて嘘の下手なヤツだ・・・)


(怪しい・・・)


しかし、夜科アゲハという人間は根が真っ直ぐな、真っ直ぐ過ぎるきらいもあり、嘘をつく事に慣れていなかった。
友人二人から同時に疑念の目を向けられている事にも気付かないでいる辺りがその表れであろう。


『夜科アゲハ 聞こえる?』


「ぅおッ!?」


二人を完全に騙し切れたと思いこみ頭の後ろで腕を組んでいた夜科は突然聞こえてきたその言葉に驚き、
盛大にバランスを崩して椅子ごと後ろにずっこけた。


「うはははははは!なにやってんだ」


「い、今の声は・・・!?」


『 夜科!  私の声が分かる・・・?


  耳を澄まして ワタシよ 


     夜科


 ここにいる やっぱいない 近い


       アゲハ


  遠くに ちょっと遠く・・・』


「これは雨宮の声・・・?」


聞こえてきた、と言うよりは頭に響いて来たと言った方が近いその音声は、夜科にとって聞き覚えのある雨宮の声だった。
隣に居るサカやヒロキの様子を見る限り、その音声は彼らには聞こえていないようだった。

会話をするというよりは一方的に投げかけられるその言葉を夜科は黙って受け取る。
サカやヒロキはそんな夜科の様子を訝しんでいた。


『学校近くの展望台で待ってる。通信終わり』


それだけを言い残し、音声はプツリと切れた。後に夜科の頭に残ったのは奇妙な感覚。
椅子から転げたと思ったら急に眉間に皺を寄せて辺りを見回し始めた友人にサカは訝しんだ。


「突然どーした・・・?」


「帰る」


「ハァ!?」


簡潔にそう告げ夜科は学校をフケた。
友人の二人は夜科に訳を尋ねてきたが、やはり夜科は頑として話さなかった。

どうせまた何かの面倒事だろう、と判断してその内友人二人も諦めたようだった。
夜科は普段から報酬を貰って頼まれごとを解決するトラブルバスター紛いの事をしていた。
今回もその類だろうというのが友人二人の判断であり、そして夜科は一度物ごとを決めたらそう簡単には判断を覆さない、
頑固ともとれる性格をしている事を長年の付き合いから二人は熟知していた。

友人二人はまだ一限目の授業すら始まっていないのに学校から去っていく夜科を黙って見送った。



――・・・



「夜科アゲハと交信しちゃった。テレパシーで」


街を眼下に一望する事が出来る展望台。
頭に響いた音声が継げた通り、そこに雨宮はいた。
遮る物が無いため、直に受ける風が雨宮の着けているマフラーをはためかせた。
涼しい顔をしながら乱れる髪を押さえつけている雨宮を視界に捕らえながら夜科は思う。


(・・・そもそも一日や二日で治る怪我じゃねぇっての。涼しいカオしやがって・・・)


最後に夜科が見た雨宮の姿は、ボロボロで弱々しいものだった。
体のあちこちに傷をこさえ、立ってもいられない状態。

それが、今目の前にはその弱々しかった姿が幻だったのではないかと錯覚させられる程に健全な雨宮の姿がある。
直面している現実が自分の常識から外れるという不快感を、夜科は一昨日の土曜日から連続して味わっていた。


そんな夜科を余所目に雨宮は思い出すような口調で説明を始める。


「・・・私がサイレンのテレホンカードを手に入れたのは半年以上前。去年の冬・・・

何もかもイヤになって大阪まで家出した時の道ばたの公衆電話・・・

私はネメシスQに出会い深く考えずにアンケートに答えた」


そこまで一息に言って、眼下に広がる街並みから夜科へと視線を移す。
瞳を閉じながら言った。


「以来――・・・私はあの世界を何度も旅している」


ゆっくりと夜科へと向かって歩き出す。
その顔は何かを思い出しながら、その記憶を噛みしめているようだった。


「サイレンて一体何なんだ――・・・!?」


「さ、行こ!」


「って、行くってどこへ・・・?」


雨宮が夜科の言葉に答えることは無かった。
そして夜科の短ランの袖をキュっと掴む。


「デ・エ・ト」


「・・・・・・・・・ハィ!!?」



◆◆◆



「ありがとうございます」


伊豆から送ってくれた運転手さんにお礼を言って、車から降りる。
目の前の道にはそれなりに車は走っているけれど、流石に時間帯が時間帯なだけに喧騒という程でもなかった。

照りつける日差しに夏を感じながら帽子を被り直す。
目の前には豊口市民ホール。

ここが今日、八雲さんに呼ばれた場所だった。


「・・・・・・」


メールアドレスは昨日の内に交換しておいたので、雨宮さんの携帯電話にメールし居場所を尋ねた。
流石に待ち合わせの建物は指定されたけれど建物内のどこにいるかまで指定されなかったから、どこへ行けばいいのか分からない。

メールを打つのに慣れていない為打っている間は無言になった。


「・・・っと」


送ってすぐに返事が帰って来たらしい。
ポケットに仕舞ったばかりの携帯電話が震え、それを教えてくれた。


「一階のカフェ・・・」


ズレてきた鞄を肩に掛け直し、歩き始めた。



――・・・



平日の午前中であるため人気の少ないカフェに足を踏み込む。
店員さんに人数を聞かれたけど、先に連れがいる事を伝えてやり過ごす。

一人でこんな所に入るのはなんだか緊張した。
目立たない奥の席に見知った四人の姿を認め近寄っていく。


「どーも」


そこには八雲さん、雨宮さん、夜科さん、朝河さんのサイレン関係者が集っていた。
なにやら話し込んでいたようなのでこちらから声を掛けて存在をアピールする。


「ん?・・・おお、遅いじゃないか」


八雲さんが話すのを止めて振り返った。
そして浮かべる微妙な顔。


「・・・って、なんだその頭」


「・・・朝起きたら髪が燃えてました。何を言ってるか分からないと思いますが、僕にも分かりません。

それはともかく、遅れてすみませんでした」


八雲さんが見ていたのは焦げた髪を急いで切った為に多少ちぐはぐになった頭だった。
約束の時間を大分過ぎていたのは、髪の一部が焼失したりしたのを何とか誤魔化そうとしていたからだ。


「夜科さん達も、こんにちは」


おう、と何処か意識が別の所に向けられている様子で夜科さんは答えた。
よく見ると夜科さんだけじゃなく朝河さんも僕の事を訝しむように見ていた。

何でだろうかと考えてみると、一昨日まで死にかけていた人間が今目の前でピンピンしている事に引っ掛かりを覚えたのでは、と言う結論に思い至る。

よくよく考えれば夜科さんと朝河さんはPSIの事を知らないのだから無理はない。
どう説明したものか、と内心首を捻りつつ椅子に腰かけた。

僕の分のオーダーを取りに来た店員さんにオレンジジュースを頼む。
他の人はみんなコーヒーだったけれど、コーヒーの美味しさが僕には分からない。

カイルやフレデリカ達も苦いのが無理だったし、僕だけじゃないんだろう。
多分まだ子供だからだ。だからって別に早く大人になりたいとは思わないけど。


「・・・で、だ。話の続きになるが、PSIとは脳の潜在能力。

人間が遥か昔に使い方を忘れてしまった危険な力・・・!私と桜子は・・・おっとソイツもそのPSIの使い手だ」


どうやら夜科さんと朝河さんにPSIの説明をしていた最中だったらしい。
僕にとっては昨日聞いたのと、PSIについては以前から知っていた話なので届いたジュースを飲みながら横で聞いているだけ。


「オレと朝河も・・・!その力に目覚めたって訳か?」


「そう・・・と、言ってもまだ赤んぼ同然だけどね」


コーヒーを一口含み唇を湿らせる八雲さん。
よくブラックで飲めるなぁと変な風に感心する。


「"PSI"は全脳細胞を瞬間的に100%活性化する事で発揮できる『思念の力』だ。

普段ヒトの脳細胞は負担が大きすぎる為およそ9割の脳細胞を眠らせ活動していると言う・・・」


「それって誤情報じゃありませんでしたっけ?

脳における神経細胞の割合が1割なだけで、実は脳は最適に働いているって聞いたような気がしますけど・・・」


「それはあくまでも現在の人類が科学の分野で解明し得る範囲での事さ。

違う分野から見れば、また事情は変わって来る。・・・続けるぞ」


何となく話に首を突っ込んでみたが八雲さんに軽くあしらわれてしまった。
大人しく話を聞いていた方が良さそうだ。


「PSIは脳を酷使する危険な力・・・ヒトは進化の過程で脳にリミッターを掛けてPSIを封印したんだ」


だが、と八雲さんは続ける。


「お前達はサイレン世界の大気に感染した事で・・・!本来人の脳にあるべき制御装置(リミッター)が解除されてしまったんだ・・・!」


これは昨日既に聞いた話。
だけど、脳の制御装置(リミッター)を外すと言う言葉。これに対する違和感が未だ拭えない。

何処かで聞いたような・・・そして、嫌な感じがする。
実際僕はサイレン世界に行く前からPSIに目覚めていたんだし、僕には関係のない事の筈なのに。


そしてもう一つ思う所が。


ヒトが進化の過程で封印した、と八雲さんは言った。
じゃあヒトは、生物はいつPSIを手にしたのだろうか。それは生まれつき持っていたのか、与えられた物なのか。

生物が生存の為に持つには余りにも過ぎていて不自然な力、PSI。
それは一体何なのだろうか。そしてどこから来たのだろうか。

・・・なんて考えても無駄な事を無駄に考えるのは話に入れなくて暇だからなんだろう。
手持無沙汰にジュースを啜る。甘くておいしい。


「PSIが覚醒した者は五感・身体能力を飛躍的に伸ばす事も可能になる。

筋力、視力、聴力、反射神経・・・上げる力は人により様々だ。

リミッターの外れた脳に超負荷をかけ、PSIは人間性能限界を突破する事ができるんだ・・・!」


八雲さんの口ぶりから察するに、ライズの事を言っているらしい。
そう言えば、とふと思う。僕がライズを使えないのは何でなんだろう。

そもそも僕が模倣出来るのは特定の人から限られた能力だけ。
サイキッカーには得手不得手はあれど、みんなバースト、ライズ、トランスの三つの力が備わっているのに。

ヴァンのキュアなどはバーストとライズの複合技だ。
それにも関わらずライズによる身体強化が出来ないのは、一体どういう仕組みになっているんだろうか、僕のPSIは。


「そしてもう一つ――・・・!オーバークロック状態の脳はある特殊な力の波動を産み出す・・・!」


思考の海に沈んでいると八雲さんがコーヒークリームを手に取ったのが見えたので何をするんだろうか、と意識を引き戻した。
八雲さんはそのままクリームをコーヒーに注ぐ。クリームは真っ黒なコーヒーの水面に不安定な白い波紋を描き白と黒が交わり始めた。

・・・存外、普通な事だったので少し拍子抜けしてまた思考に戻ろうかと腕を頭の後ろで組む。


「桜子」


「はい」


すると八雲さんは辺りを見渡し、人が近くに居ないのをわざわざ注意深く確認して雨宮さんに短く告げた。
雨宮さんがカップに手を添える。


「コーヒーのクリームが・・・!」


見ると不安定な波紋を描いていたクリームが、まるで意志を持ったかのように波打ち、波面には白い五芒星が浮かび上がっていた。
ああ、と僕は胸の内で納得の声を上げる。


「通称"テレキネシス"。PSIの波動でコーヒーの波面に模様を描いたのさ」


「一般的に巷で超能力と呼ばれる力はこのPSIの産み出す思念の波動によるものよ。

PSIは念動力(テレキネシス)、テレパシー、透視、発火現象(パイロキネシス)、予知・・・その応用は個人の資質と訓練で幾多にも及ぶ・・・」


どうやら八雲さんは今度はバーストを夜科さん達に説明したかったらしい。
確かに黒いコーヒーと白いクリームを使えば手を触れずに物を動かすと言うのが理解しやすいだろう。

それに液体なら固体を動かすよりも少ない力で済む。

八雲さんの言葉に雨宮さんが捕捉を入れ、更にその先は八雲さんが続ける。
横から見ていて気持ちのいいほどに連携が取れていた。それだけ二人は意志の疎通が取れていると言う事だ。


「・・・そしてPSIはあのサイレン世界の謎を解くカギでもある・・・!

PSIを覚醒させるサイレンの大気・・・つまりあの世界はPSIの力に満ちた異界に変貌してしまったんだ。

禁人種(タヴー)・・・!あの異形達の誕生にもこのPSIの力が何らかの形で関わっている・・・!!」


これも昨日八雲さんと雨宮さんから聞いた話だけど、僕が戦ったあの化物は禁人種(タヴー)と呼ばれているらしかった。
八雲さんも雨宮さんもまた別のサイレンに行った人から伝え聞いたそうだ。誰がそう呼び始めたのかも分からない。

サイレンに行った人がそう名付けたのか・・・それとも、禁人種を創った者がそう名付けたのか・・・
一切が不明で、腑に落ちずなんだか気持ちが悪い。


「我々を襲う何者かのPSI創られた生命体――・・・

PSIに対抗するにはより強力なPSIしかない・・・!」


八雲さんはそう言葉を結んだ。
・・・何だか話が壮大な事になって来たものだ。

僕はこっちの世界で普通にPSIに目覚めたから、いまいちサイレン世界とPSIの結びつきのイメージが弱いのだろうか。
八雲さん達、サイレン世界の大気でPSIに目覚めた人にとっては、PSI=サイレンの関係式が立てやすいのかもしれない。


「オレも強くなりたい・・・!そのPSIって力を・・・使い方を教えてくれ!!」


そうだ。
夜科さんが言うように、何はともあれ力を付けなくちゃいけない。

組んでいた腕を元に戻して少しテーブルに身を乗り出す。
八雲さんは、そんな夜科さんを頼もしく思ったのか、口元に薄く笑みを湛えた。


「まずはお前達の力を試させて貰おう。PSIの基本の一つ・・・テレキネシスの訓練だ。

さっきと同じ模様をクリームを操ってコーヒーの波面に描いて見せろ。グズグズしてるとすぐ混じり合っちまうよ!」


そう言って八雲さんは夜科さんと朝河さんと、そして僕にクリームを差し出した。
いや、あの・・・僕のはコーヒーじゃなくてオレンジジュースなんですけど・・・


「・・・・・・ええぇ・・・」


夜科さんと朝河さんは真剣な表情でコーヒーにクリームを注いでいた。
僕は・・・雰囲気に流されてジュースにクリームを入れた。何だか断れる雰囲気じゃなかった。


「できるなんて期待しちゃいないよ・・・カップにさざ波が立てば合格点。

まずは力の引き出し方を自分で見つけて覚えなきゃ、ね」


八雲さんがそう告げるが、PSI初心者二人はその声も聞こえないかのようにコーヒーを親の敵のように睨み付け、必死にクリームを動かそうとしている。
僕のは、案の定クリームがジュースの酸で凝固して白い粒が表面に浮いていた。

コーヒーが混ざり合わないようにテレキネシスを使う以前に、クリームが混ざり合っていない。


「あーあ・・・」


ぼやきながらテレキネシスを発動。
揺れるジュースの波面が、固まったクリームの脂肪分を中央に寄せる。


「あれ・・・?」


そして白い塊を引き上げようとした時、テレキネシスが急に乱れて塊が黄色の波面に落ちてしまった。
塊は再び脂肪の粒にばらけ、波面から飛び出した飛沫がテーブルに落ちる。


「・・・ブレ、か」


もう一度テレキネシスを使う。
脂肪が中央で塊になった時、思考を割いてマテリアル・ハイを投影。

脂肪が、空気と僕のPSIで創られたブロックの中に閉じ込められて、真っ白な液体で満たされたブロックが出来た。
固定解除(フォールダウン)するとブロックがプカプカと水面に浮いたのでそれはストローを使って掻き出す。


「・・・ん?」


やれやれ、と内心ノーと言えない自分に対してため息を吐いていると、ふと視線を感じたので顔を上げてみる。
すると、その場にいた全員が僕を凝視していた。


「・・・どうやったんだ!!?それっ!?」


「うわっ!?」


椅子を蹴飛ばす勢いで夜科さんが詰め寄ってくる。
咄嗟にジュースが零れないようにグラスを移動させたのは、自分でもナイスプレーだと思う。


「え、えーと・・・」


「しかも何だアレ!?変な四角いヤツ!!

どっから出したんだ!?マジシャン!?てか、あれもPSIなのか!?」


「夜科、落ち着いて」


雨宮さんが制止をかけてくれた。
やっぱり初見では無いにしろ殆ど初めて見る人にとってPSIは結構な衝撃らしい。


「・・・昨日感じたあの異様な感覚じゃない。それにどこか・・・ぎこちない?

なんなんだコイツのPSIは・・・」


八雲さんが何か呟いているけれど、よく聞こえないし今は夜科さんに詰め寄られていてそれどころじゃない。
夜科さんは取り敢えず雨宮さんの制止を聞き入れて自分の椅子に腰を戻した。


「えっとですね、PSIを使うときは・・・その、こうぐあーって感じで、ずばぁーって感じです」


「・・・なるほどな。全然分からん」


夜科さんが言葉の端に呆れを多分に含ませて言った。

すっかりPSIを使うのに慣れてしまっており、一々PSIを使う度に意識していた訳では無いので、
改めてPSIの使い方を言葉にするのは難しかった。

確か初めてPSIを使った時は僕もシャオから教わったはずだけど、シャオはあの時なんて言ってたっけ・・・?


「二人とも目を閉じて。意識を集中させて・・・頭の中にカップを思い浮かべるのよ」


「桜子ォ・・・甘やかしちゃそいつらの為にならんぞー・・・」


・・・そうだった。
PSIは自分のイメージを具現化する力。そうシャオから聞いたんだった。

一番大事なのはイメージ。
そして自分はイメージを具現化出来ると信じる気持ち、心の持ちようだった。


「PSIは思念の力・・・イメージを現実に変える力・・・!

自分を信じるの・・・あなたはもうPSIに目覚めている・・・!」


八雲さんの非難の言葉にも涼しい顔コーヒーを啜っていた雨宮さんが言った。

二人はその言葉通り瞳を閉じ、瞼の裏に潜む闇に目を向ける。
闇の先にあるのは、自分。

PSIは思念、つまりその人その物を映し出す。
思念とはその人を形作る物の表れ、決して同じものなど二つとして存在しない。

だから、PSIは人によって異なる表れ方をするのだろう。
それは言わば魂みたいな物だといつかアロハシャツを着た人は言っていた。

そんな人の魂を写し取るなんて決して有り得ないし、有り得ては駄目だ。
その有り得ない事が体現されている、僕。

・・・いつかは知らなければいけない事だけど、今は関係のない事。


「己のイメージを実現させる事があなた達には出来るはず・・・!」


「む!?」


「創り上げたイメージを、目を開いて投影する」


ちょうど雨宮さんと八雲さんのその声で意識を現実に引っ張り戻した。
二人が瞼を持ち上げる。

その直後。


「ッ!!?」


「どうしたの?」


店内に椅子の倒れるけたたましい音が響いた。不意に店内に静寂が満ちる。
みんなコーヒーのカップじゃなくてそんな僕を見つめて来る。店にいた人達も何事かとこちらに首を向けていた。

椅子を弾き飛ばしたのは、僕だった。

・・・何かが、無理やりに言葉に表すなら、恐怖を直に想像させる物が僕を貫いた。
背中を氷塊が滑ったような心地がして鼓動が急に煩くなる。


「い、いや・・・なんでも、ないです・・・」


上手く回らない舌で弁明しながら椅子を元に戻す。
怖かった。そう、怖かったと言う他ない。


「大丈夫か・・・?」


そう尋ねて来る夜科さんの顔をまともに見れなかった。
夜科さんが心配そうに手を伸ばして来る。


「ッ・・・!!」


「いつっ・・・!」


触れられた瞬間電流が走ったかのように体が跳ね、夜科さんの手を払ってしまった。


「あ・・・ご、ごめんなさい・・・」


「何だ一体・・・?」


朝河さんがPSIを初めて使った感覚に顔を顰めながらこっちの様子を窺ってくる。
急に態度が変わった僕を心配そうに夜科さんも見つめている。

二人にもう一度大丈夫ですと伝え、ついでに店内の人達にも頭を下げておく。
自分でも良く分からない感覚に戸惑いながら、椅子を元に戻した。

血液が濃くなり粘度を増したかのように鼓動が、心臓が痛い。
椅子を掴んだ手を見ると微かに震えていた。

本当に何なんだろうか、一体・・・
自分の頭と体が今更ながら訳が分からなくて不安になる。


「・・・大丈夫だってんなら、いいけどよ」


夜科さんも納得し切れていなさそうに自分の席に腰を下ろす。
それでも大丈夫だと僕が念を押すと、二人は僕から視線を外し、本来の目的のコーヒーカップを覗き込んだ。


「おお・・・!!」


朝河さんが驚きの声を上げる。
見ると波面には不完全ながらも五芒星が描かれていた。

一方夜科さんの方は・・・


「こ・・・これは・・・?」


「完全に混ざってるだけなんじゃないか?」


恐る恐ると言った様子で目の前の事実を否定して欲しそうに八雲さんに尋ねるが、八雲さんはばっさりと切り捨てた。
そして暫くの間事態を静観していた雨宮さんが軽く息を吐いて、一言。


「このダメ人間・・・!!」


「うわあ!?」


「怖いな・・・才能ってヤツは・・・」


雨宮さんからの冷たい一撃で心を抉られ、留めの朝河さんの一言で夜科さんの心は砕け散ったようだった。
それにしても雨宮さんは夜科さんに対しては遠慮が無いと言うか、何と言うか・・・

それにしばらくこの場にいる人を観察していたけど、どうやら朝河さんと夜科さんはサイレン世界で出会う以前からの知り合いのようだ。
どことなく初対面のぎこちなさがない。


「・・・こんにゃろう!!泣き虫ヒリューのくせに生意気だぞ!!」


「だぁ!コーヒーが零れるッッ!!」


逆ギレした夜科さんが朝河さんに飛びかかった。
・・・が、悲しいかな、体格の差から割と簡単に夜科さんは羽交い締めされてしまった。


「・・・まァ、初めから上手くいくなんて思っちゃいないさ。

悪いが時間だ。この辺で失礼する」


そんな二人を余所目に八雲さんは腰を上げた。
そして視線を向けた先は、僕。


「・・・ったく、ホントはお前にも聞かなきゃならん事は幾つかあったんだが、仕方ない。

これ以上は束縛怪獣(マネージャー)が五月蠅いんでな。代わりに桜子と話をしといてくれ。私は後で桜子から聞くから」


どうやら僕の遅刻のせいで話そびれた事があるらしい。
仕方なかったにしろ申し訳なく思う。


「すみません」


「・・・・・・」


頭を下げる僕を意味深に見つめる八雲さん。
一言も発さずに見つめるその深い瞳に吸い込まれそうな錯覚を覚えた。

実際に見た訳じゃないけど、この人には力がある事は分かる。
何で分かるかは聞かれても困るけれど、何となくそう感じる。


「・・・まぁ、いいか。

オイお前ら!アホな事ばっかやってないでPSIの腕はしっかり磨いておけ。PSIを使う敵と遭遇すれば今のお前達では必ず殺される・・・!」


不意に強さが滲むその瞳が外れ未だにいがみ合っている二人を捕らえる。
そしてその場にいた全員を見渡しながら言った。


「そしてもう一つ・・・経験から言わせて貰おう。

次のネメシスQの呼び出しは恐らく二週間以内・・・!十日でPSIを身につけろ」


「十日だって!?」


「スプーン曲げを覚えた所でお前達に勝ち目は無いが・・・」


八雲さんがカップをつまみ上げてその湯気の立つコーヒーに人差し指を突っ込んだ。
力が高まるのを肌で感じる。やっぱり、この人は強い。

クリームの玉が指先で回る。僕が出来なかった液体を纏め上げて持ち上げるなんて芸当を、この人はやってのけた。
だけど・・・夜科さんのような圧倒的じゃない。


「力は使い方次第さ。PSIは己の発想と想像力でどこまでも伸びる・・・!頑張れよ」


夜科さんのアレは一体何だったんだろうか。
胸を押さえると早鐘ようだった心臓は治まっていた。


「ほい、あーん」


「はい?・・・って」


そんな事を考えていたら口にクリーム玉が突っ込まれた。
八雲さんの指が唇に触れてびっくりする。

・・・意外とクリームおいしい。


「んじゃ、後はよろしく頼むぞ桜子。出来の悪いちっこい方はよぉく面倒みるよーに」


そして八雲さんは去っていった。

確かに平日の昼間っから暇な大人というのも問題だし、都合が付かないのもしょうがない。
いつかのアロハシャツの人みたいな方が世間的には珍しいのだろう。

・・・二、三個クリーム貰っていこうかな。

そんな事を八雲さんを見送りながら思った。


「あーくそ!!ちくしょうが!!

体調が悪かっただけだ・・・!ヒリューに出来るもんがオレにできねー訳がねぇ!!!」


「ハッ、ひがむなひがむな。コツでも教えてやろうか?」


「だー!ウっせーんだよ!!」


・・・まだこの遣り取り続いてたのか。
と言うかこの二人、顔見知りなんて関係じゃなさそうだ。昔の友人、とかそんな所かもしれない。


「こんなとこで躓いてられっかよ!

・・・っつー訳で教えてくれ、PSIの使い方!!」


「はい!?」


急に夜科さんが僕に頭を下げて来たので驚いた。
それに意外と夜科さんが子供の僕にも頭を下げられるような人だとは思わなかった。


・・・それだけ真剣って事か。


「えーと、はい。いいですよ、それくらい」


「おお!マジか!!サンキューな!!」


頭を乱暴に撫でられた。
大丈夫・・・さっきまでの恐怖は感じない。目も合わせられる。

それどころか、大きな手が頼もしくさえ感じた。


「うん・・・じゃ、行こっか」


「行くって、どこへですか?」


頬まで抓られ始めたので流石に夜科さんの手を払って雨宮さんのに尋ねた。
伸びる伸びるとか言って楽しそうに引っ張るのは止めて欲しい。普通に痛い。


「私の部屋」



◆◆◆



それから徒歩で数分の雨宮さん宅へ。
予想した通り、三人は幼なじみだったらしく道中はその昔話に花を咲かせていた。

しかし、その中に僕は入れないためにただ黙って聞いているだけだった。
そんな雰囲気が宜しくないと思ったのか、間を持たすために時折夜科さんが僕に尋ねてきたのだった。

そんな訳で道中で色々な事を夜科さん達から聞かれた。

白い髪の事。
地毛だと答えた。

目の下の刺青の事。
僕にも分からないと答えた。

記憶が無いことなど色んな事を話さなければいまいち話に整合性がとれないけれど、正直、話すのが面倒だった。
それに、あまりその事を人に話すのは好きじゃない。

気の毒な奴だと、どうしても偏見が入ってしまうから。
打ち明けるとしたら話す必要性が出来た時で、それなりに親しくなってからだろう。

まあ、自分語りなんて面白くも何ともない物を話したくないし、夜科さん達もきっと聞きたくない。


「そう言えば、お前親は?」


そうしている内に夜科さんが何気なく尋ねてきた。
本当に何気なかったから、特に何も意図していなかったんだろう。

平日の真っ昼間に小学生くらいの子供が学校も行かずにこんな所にいる。
親は何も言わないのか?と、そんな所かな。

・・・元々学校は行ってないんだけど。


「あー・・・親はいません。保護者のお婆さんにはちゃんと言ってから来てるんで大丈夫です」


「・・・親はいないって、天樹院エルモアがあなたの親じゃないの?」


それまで黙っていた雨宮さんが突然話に参加してきた。
何が雨宮さんの琴線に触れたのだろうか。


「お婆さんと僕じゃ歳が離れすぎですよ。せめて孫とかなら分かりますけど、お婆さんに子供はいませんでしたし。

・・・それはともかく。僕はお婆さん、天樹院エルモアに拾われたんです」


「拾われたって・・・」


「色々あったんです。ま、いいじゃないですか」


「・・・・・・」


雨宮さんが口をつぐんだ。
僕が特に語りたがらない事から何か察してくれたんだと思う。本当は説明が面倒なだけだけど。

流石に気が付いたらトラックの中に居て、記憶が無くて、トラックには僕と同じ顔の死体がいっぱいありました、
それで目が覚めたらお婆さんの家でした、なんて言われても信じにくいし反応し辛いだろう。僕だったら困る。

それからしばらく無言で歩く。
親がいない発言も重たかった、のかな?それとも単純に話題も無いだけか。


「ここよ」


角を曲がって、雨宮さんがふと足を止めた。
目の前にはそびえ立つ高層マンションが。


「ひぇーここが雨宮ン家!?これ全部かよ・・・」


自動ドアが僕達を迎え入れ、更に雨宮さんが持っていた鍵で中のもう一つのドアを開ける。
かなり新しいマンションらしく、防犯設備も充実しているようだった。

平日の昼だからか人の気配しないマンションを歩く。
それにしても、どこか不自然過ぎる気がする。

余りに気配がなさ過ぎることや、全くマンションの内部が汚れていないこと。
比喩じゃなく人が居ないようだった。


「ハッハ!!オレのボロい家とは比べモンになんねェや」


「俺達手ぶらで邪魔していいのか、雨宮?」


「気にしないで」


キョロキョロと忙しなく豪華なマンションを見渡す夜科さんに、高校生で手土産を心配する朝河さん。
素っ気なく返し歩みを進める雨宮さん。

個性的だなぁとぼんやり思う。
そしてぼんやりしたまま鞄を漁る。


「はい、そう思って名物うなぎパイ持ってきました」


「・・・用意がいいのね」


「なんでうなぎパイ・・・?」


「うなぎパイって伊豆の名物だっけか・・・?いや、でも静岡・・・?」


雨宮さんは苦笑しつつ受け取ってくれた。
夜科さんは、どこか納得し切れないようでぶつぶつと何か呟いている。


「・・・でも、気を遣わないで。親はいないから」


「え・・・?」


「ここはパパが私の部屋用に借りてくれたマンションだから。私一人で住んでるの」


人の気配がしないのはそういう事だったらしい。
ドアの内側にあった表札にも雨宮さんの名前がポツリと書かれていただけだったから、半分確信に変わっていた所だった。


「な、なんたる金持ち・・・!」


「雨宮の家族ってそんなにスゴかったのか・・・!」


それにしても。

親がいるのに、愛されない。
それは親がいるかどうかも分からないのとどっちが悲しいのか。

・・・以前にフレデリカに言われたことを思い出す。


『思い出したくない過去があるくらいなら、いっそアンタみたいに記憶がない方がマシだわ』


そう言われた時、すごく悲しかった。
悲しかったけれど涙は出せなかった。どこかその言葉に、納得した自分がいたから。

まあ、その時は何も言えず悲しいのを気取られないように笑うしかない僕の代わりにマリーが怒ってくれたんだけど。
その後二人が喧嘩に発展して止めるのが大変だった・・・色んな所が燃えたり青痣が出来たり。


それはともかく。


僕には雨宮さんにかける言葉が見つからなかった。
同情するのも違う、自分なんか親が最初からいない、なんて言うのはもっと違う。

僕には分からない。だからただ、その言葉に耳を傾けるしかなかった。


「パパは今新しい女と一緒に住んでるから・・・この方が都合がいいの。・・・パパも、私も。

ママは、パパと沢山喧嘩して・・・もうずっと前に出てっちゃった」


人はそんな簡単なものじゃない。
そうかもしれませんね、アロハさん。

たった今目の前で悲しそうな顔をする雨宮さんに、僕は何もする事が出来ないんですから。
人は支え合うことが出来るかもしれない。けど、それはお互いに支えを望んだ時だけ。

支えを望まないのに支えようとしたら、それは単なる押しつけだ。


「結局、ママにも恋人が居たのよ。最後の日・・・これから買い物行くみたいに私に"じゃあね"って・・・」


「雨宮・・・」


「"じゃあね"じゃ、すまないよ。

二人とも・・・あんなに私にキョーミないとは思わなかったなぁ・・・」


でも・・・
人は何か出来ると思う。いや、そう信じたい。そうじゃなきゃ、悲しすぎるから。

横を歩く雨宮さんの手をそっと握った。
身長差の関係で手を上げる形になってしまった。これじゃどっちが手を握られてるのか分かったもんじゃない。


「・・・どうしたの?」


雨宮さんが驚いた顔をした。それから子供を見るような、いや実際子供だけど、そんな柔らかい表情になった。
自分からやっておいてアレだけど、気恥ずかしい。それを悟られないように全神経を注いだ。


「なんとなく、こうしたいんです。ダメ、ですか?」


「・・・そんな風に言われたら、ダメって言える訳無いじゃない」


「・・・すみません」


雨宮さんの手は、暖かかった。
一見冷めているように、冷たそうに見える雨宮さんだけれど、そんな事はないらしい。


「ん?」


ふと視線を感じて振り返って見ると、夜科さんが凄い形相で睨んでいた。僕を。
目があった僕に対して、親指で自分の喉の前に一文字を描く。


「・・・・・・」


・・・どうやら、本当に僕のやった事はお節介だったらしい。
雨宮さんには、もう支えようとしてくれる人がいるみたいだから。

・・・いや、そうならそうで僕なんかがしゃしゃり出る前に行動起こして下さいよ。夜科さん。




続く



[17872] コール25
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:3563f643
Date: 2010/12/23 05:00
外を見ようとすると窓に映った自分の顔に遮られる。
外の光量が減り、室内の蛍光灯の漂白されたような肌寒い光を窓硝子が反射させていると言う事。

なぜ光量が減っているか。
それは雨粒の地表を叩く音がそのまま答えだ。

午前いっぱいは晴れていたのだけれど、今は6月らしい雨模様。
空気が全体的に重みを帯びたかのように、湿っているように感じる。

鼓膜を揺らす雨音にそのままそっと身を委ねていると、まるで体が雨音に包まれているような錯覚を覚えた。
優しく穏やかなそれは心地いい。

だけど、背後から聞こえた物音が僕の意識を現実に引き戻した。
余り見たく無い現実に。


「で・・・これは一体どーゆー事だ」


「オレに聞くな!!」


そこには胴体を椅子に締め付けられ、後ろに組んだ手には手錠を掛けられた二人の男子高校生の姿があった。
二人は背中合わせの形になっておりむさ苦しいことこの上ない。


「どーしてこの俺様がこんな手錠で拘束されにゃならんのだ!?」


「知るか!!なんでオレまで!?テメーが雨宮の恨み買うような事何かしでかしたんじゃねーのかよ!?」


「そんで何でお前は縛られてねーんだ!?」


うわ、びっくりした。

急に夜科さん達が首の角度を折り曲げ、理不尽だと言わんばかりの視線を送ってくる。
妙に二人の動きが揃っていて不気味だ。


「そんな事僕に言われても・・・雨宮さんに聞いて下さいよ」


窓から視線を離し、そう切り返した。

もし雨宮さんに聞いて趣味だ、なんて答えが返ってきたらどうしよう。
もしそうならもう雨宮さんをまともに見る自信が無くなってしまう。


「はっ・・・!まさか罠にハメられたんじゃ・・・!!雨宮の部屋なんてのも嘘で・・・」


「バカ言ってんじゃねえよ!!」


どんどん疑心暗鬼になって行く二人。
心なしか話す声も微かに震えているような気がする。


「うお!?」


すると、クローゼットが突然開き中から一振りの刀が倒れてきた。
夜科さん達は露わになったクローゼットの中身、大小幾つかの刀と鎖鎌を見て盛大に頬の筋肉を引き攣らせている。

確かに何であの場、サイレン世界に刀があるんだろうと密かに思っていたけど、こういう事だったのか。
いや、サイレン世界で生き延びるのには武器も必要なのかもしれないけど、実際に一人の女子高生の部屋に光り物が幾つもあったら引くのも仕方ない気がする。


「お、オイ!動けるんだからお前が、戸ッ・・・!戸を閉めろ!!」


「見てない!オレ達は何も見てない!!」


「はあ・・・」


ふう、と内心でもため息を一つ吐いて、テレキネシスを使う。
逆回しの映像を見ているように刀がクローゼットに吸い込まれて扉も独りでに閉まった、ように夜科さん達には見えただろう。


「・・・それもPSIか」


「夜科さん達もそのうち出来るようになりますよ。・・・多分、きっと」


「そこは自信持って言ってくれよ・・・」


朝河さんがすかさず突っ込みを入れる。
付き合いは凄く浅いけれど、何となく朝河さんのキャラが分かった気がする。この人、突っ込みキャラだ。


「勝手に私の物に触らないで。

そうだ、この間刀一本オシャカにしたからまた学校に隠しておかなきゃ・・・」


突然ドアの向こうから現れた雨宮さんにビクッと体を硬直させる二人。
がたがたと椅子を鳴らしてクローゼットから離れようとしているけれど、すごく挙動不審だ。

というか、雨宮さんも何さり気なく物騒な事を言ってるんだろうか・・・

そんな事を思う僕や未だ不安の色が隠せない二人を余所目に雨宮さんは何かの準備を始めたのだった。



――・・・



「おーし!!オレ様は狼ウサギのアンドリュー様だ!よろしくな!!いいかー!今日はオレ様がPSIについてみっちり教えてやっからよ!!

ちゃーんと話を理解してしっかりオレ様についてくるんだぜ!!ワオーン!!」


・・・何やってんですか、雨宮さん。


雨宮さんが神妙な顔つきでベッドの縁に腰掛けたかと思うと、取り出したのは狼ともウサギともつかない手をはめるタイプの手人形だった。
そして雨宮さんはそのまま裏声を使ってアンドリュー?を演じる。


「みんながんばるワーン」


「くそっ・・・!最初っから話について行く自信がねえ・・・!!」


「オレ達に一体何をさせるつもりだ?もう少し分かりやすく説明しろ」


ついていけないのはどうやら縛られ組二人も同様のようだ。
雨宮さんの横に座っている僕も何とコメントしたら良いか分からずに黙ってしまった。


「はい、コレ」


「いや、僕に渡されても・・・」


狼ウサギのアンドリューが僕の頭に乗っかったと思うと、そのまま雨宮さんは手を抜き取る。
僕の頭からはアンドリューが垂れ下がり無表情な目で僕を見つめていた。


「さ、冗談はこれくらいにして」


「あ、そのキャラもう終わりなんだ!?」


「何の意味が!?」


「もーいちいちうるさいなあ!!私のペースでやらせてよ!!

なんならこのまま3日くらいほっとこうか!?いいんだよ私はそれでも!!」


「あ、ききますききます!」


「・・・・・・!!」


二人の突っ込みに雨宮さんがとうとうキレた。
持っていたスケッチブックで床を叩いて憤慨の意を表す。

仕草は可愛らしいけど、言っている事はかなりえげつない。
二人はそんな雨宮さんに振り回されっぱなしだ。

・・・もう雨宮さんのノリには突っ込まない方がいいんだろう。
突っ込み役がもういるんだから、僕が出しゃばる必要もないよね、とどこか現実逃避気味な僕。

それに、これからPSIの説明らしいので僕が話に参加する雰囲気じゃなさそうだ。
仕方ないのでテレキネシスでアンドリューを頭から下ろし、操り人形のように動かす。


「・・・ん?」


ふと視線を感じたので顔を上げると雨宮さんが操り糸なしで動くアンドリューをキラキラとした目で見ていた。
アンドリューを動かすと雨宮さんの視線も釣られて動く。

・・・何か期待されている気がしたのでアンドリューに踊ってもらった。
自分で操っておいて言うのもあれだけど、見てるとMPを吸い取られそうな動きだ。


しかし何が雨宮さんの琴線に触れたのかは分からないが、雨宮さんは感極まっていた。


「あなたが真のアンドリューマスターよ・・・!!これからそう名乗るといいわ・・・!」


「いえ、恥ずかしいので遠慮します」


そう断ったけれど、半ば強引にアンドリューを授けられた。
アンドリューの無表情な目が疲れているように見えるのは、僕が疲れてるからなんだろうか。


「・・・いや、漫才はいい加減にしてくれ」


「っつーか、俺達を開放しろ!!俺達は暴力には屈しない!!!」


二人の突っ込みが入る。
ああ、突っ込まなくていいって素敵だ。疲れない。


「うるさい」


「ひうんっ!?」


夜科さんが何処かの人質のような台詞を大声で言うと、雨宮さんは機嫌悪そうにトランスらしい端子を夜科さんの頭に突っ込んだ。
奇妙な声を発しながら夜科さんは全身を弛緩させ、顔を伏せる。

・・・何か、気持ち悪い動きでビクンビクンしてる。
何か呟いているようなので近付いてみると、微かにその声が聞こえた。


「・・・体中の穴と言う穴に・・・うなぎパイが・・・尿道は・・・やめて・・・」


・・・聞かなきゃよかった。
尿道から表面がざらざらのうなぎパイが侵入するのを無駄に想像してしまって背筋が凍る。

・・・というか人の土産物をなんて使い方してるんだろうか。いや、実際に使っている訳じゃないけど。
朝河さんは急に痙攣し始めた夜科さんを見てドン引きしている。そりゃそうだ。


「ジャスト1分よ。悪夢(ゆめ)は見れたかしら?」


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい

ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――・・・」


壊れたスピーカーのように言葉を発し続ける夜科さん。
おお よしなさん こわれてしまうとは なさけない。


「あの・・・流石に話を進めた方がいいんじゃ・・・?」


つい突っ込んでしまった。
突っ込みが2人じゃ足らないと言う事だろうか、恐るべし雨宮さん。

それから夜科さんが復活するのを待って、話が再開されたのだった。
始まっても無かったから再開と言うのもおかしな気がするけど、もうその辺はどうでもいいだろう。



――・・・



「――・・・今日はまず3つの力の内の1つ、"バースト"の力を試して行きましょう。

今日コーヒーカップで見せてもらったあの力を発展させていくの」


あれからしばらくは雨宮さんによるPSI講義が続いた。


PSIにはバースト、ライズ、トランスの3つがある事と、どの力が大きく伸びるかは人の素質による事。
力の大小は有れど、3つの内どの力かは使えないとか言う事は無く、PSIに目覚めた人間には等しく3つの力を持っている事。そんな辺りの事だった。


「"バースト"ね・・・!いいぜやってやるよ・・・!!今度こそコイツにオレの本当の力を見せてやらあ!!」


「フン・・・!カップでやった事をもう一度やりゃあいいんだろ・・・?楽勝だぜ・・・!」


夜科さん達二人はPSIと言う未知との遭遇に惹かれているのか、真剣に雨宮さんの言葉に聞き入っていた。
僕は既にPSIについてはそれなりの知識があるので今更口を挟む事は無し。

二人は互いに動けないながらも目線で火花を散らし合っている。
特に夜科さんはさっきコーヒーで上手く力を発現出来なかった事を引きずっているようだった。


「さーて、それじゃ・・・んー・・・」


説明を終えて雨宮さんが長い息を吐きながら何かを思案しているように呟く。
両手の指を組んで伸びを一つ。雨宮さんの向こう側の、硝子窓の更に向こう側では相変わらず雨がか細い銀線を描き続けていた。


「その場から動かずに、どこでもいいから私の体にタッチしてみて」


コーヒーの時は力を及ぼしやすい波面だったのに対して、今度は空気中にPSIを伝導させるやり方を教えるらしい。
物体によってPSIの伝導率は異なる。そう以前に聞いた。

空気はまだPSIの伝導率はそれなりに高い方らしい。
一番PSIの伝導率が悪いのは、実は生き物との事だ。

例えばテレキネシスを人間の体内に作用させて体の内側から壊す、なんて事はそう簡単には出来ない。
なぜなら人間の体、特に脳には恒常的に外界からのPSIの影響に抵抗を持っているからだ。

多分それはPSIを生み出す部位が脳な事に関係しているんだと思う。
ただし、それもバーストに限った話。

トランスは、相手のPSI抵抗を突破して内側に侵入する事が出来る特徴を持っている。
さっき雨宮さんはトランスの端子を使って直接夜科さんの脳にPSIを作用させて幻覚を見せていたのだろう。

とにかく、PSIには様々な性質がある。
PSIを使う時はPSIの性質を考えて状況に応じた物を使う事が大事で――・・・


「シャアアアアアアアアアアアアア!!!!バァアアアアアアストオオオオオオオオッ!!!!!」


「っ!?」


突然の大声に意識せずに体が跳ねた。
夜科さんが必死の形相でPSIを使おうとしている。

・・・いや、と言うより必死に雨宮さんにタッチしようとしているみたいだ。顔にそう書いてある。
気迫は凄いけれどそう、何と言うか・・・単純だ。いっそ清々しい程に。


「まったく・・・!コーヒーカップの時の私のアドバイスをすっかり忘れてるんだから・・・!」


雨宮さんがそう嘆息した。
私は呆れています、と一目で分かる表情をしていた。


「朝河君も、頑張ってね」


それから呆れ顔を解いて朝河さんに微笑みかける。
朝河さんは一瞬驚いた顔をしたが、その後何かに対して溜息を吐いて静かに瞼を閉じた。

朝河さんの方からPSIの力の高まりを感じる。これはPSIが作用しようとしている時のソレだ。
雨宮さんのアドバイスを覚えていたみたいだ。


「正解」


そして再び目が開かれた時、朝河さんの目の前にPSIの波動が形成された。
ただし一瞬だけ。


「がっ・・・!イメージを維持するだけで頭ん中が茹であがっちまいそうだぜ・・・!!」


形を成したPSIは数秒の間ももたずに霧散してしまう。
PSIを初めて使う時はこんなに苦労するものらしい。

僕が初めて使った時は・・・別に大した苦労も無く使えたけど。
これがサイレン世界でPSIに目覚めた人と自然にPSIに目覚めた人の違いなのかもしれない。

もしかしたら僕が異常なのかもしれないけれど、エルモア・ウッドのみんなにもその事を尋ねた事はないので真偽のほどは分からない。
それにもしそうだとしても、自分がちょっと変わってると言うのにはもう慣れっこだ。


「少しずつ・・・少しずつだ・・・」


朝河さんが自分に言い聞かせるように言う。
そうして二人はPSIを使う為に奮闘し始めたのだった。


「・・・さて、放ったらかしにしてごめんなさいね」


「いえ。それより八雲さんも言っていた聞きたい事って・・・」


二人が集中し始めたのを見届け、やるべき事を一先ず終えた雨宮さんがスカートの皺を直しながら僕の方に向き直った。
八雲さんが言っていた、聞きたい事が何なのかずっと気になっていた。それとは別に僕の方の用事の事もある。

膝の上に乗っていたアンドリューを下ろして僕も雨宮さんと向き合う。


「・・・あなたのPSIの事よ。単刀直入に言うわ。あなたのPSIは、一体何なの?」


「・・・はい?」


眼鏡越しにある透き通った雨宮さんの瞳と僕の視線がかち合う。疑惑と、不安とが混ざり合ったような色。
僕は、PSIの事なんかについて聞かれるとは思っても無かったので間抜けな声を上げてしまった。


「えっと、僕のPSIですか?」


「そう。

あの時見せた波長の違う二種類のバーストや、あなたが気絶した後のあの不思議な光・・・」


不安は未知の物との遭遇によるものらしかった。恐る恐ると言った様子で言葉を並べる雨宮さん。
だけど、気絶した後の光・・・?それは一体何のことだろうか。身に覚えが無い。

と、言うか何でそんな事を聞いて来るんだろう。
天然のサイキッカーは珍しいとは言え、そんなに興味を惹く物でもないだろうに。


「えーとですね、何て説明したらいいか・・・簡単に言えばですね、僕はPSIを持ってないんです」


「・・・どういう事?あなたはさっきもテレキネシスを使っていたじゃない」


僕の言葉で更に疑念を深める雨宮さん。目つきが少し細くなった。
まあ、あんな説明にもなっていない言葉で納得できるとも思ってない。だから言葉を続ける。


「すいません、分かり辛かったですね。PSIを使えないんじゃなくて、PSIを持っていない。

あれは僕のPSIじゃないんです。・・・僕は他人のPSIを模倣してるだけなんです」


「他人のPSIを模倣(コピー)する、力・・・?嘘、そんなの聞いたこと無い・・・!」


雨宮さんの表情が疑惑のそれから驚愕のそれに変わる。
そんなに珍しいのだろうか、この力は。確かにどの文献にも載っていなかったけれど。


「まあ、そうらしいですね。前にも別の人にも同じ事言われましたし・・・でもホントなんです」


おもむろに右手を空に翳す。思考を二つに割いて別々のイメージを練り上げる。
自分自身の力の高まりを脳髄に感じながら、力を解放。

目の前に擦りガラスのように微かに白く濁ったブロックが現れた。


「・・・これは?」


「空間系のPSI、マテリアル・ハイって言うらしいです。それから・・・」


もう一段階力を意識して空中に固定されている立方体の壁面を軽く叩いた。
ブロックの中にくすんだ白の炎が灯る。


「っ・・・!」


「パイロキネシス。と、まあこれらは元々他人のものなんですけど、一度覚えれば僕にも使えると言う訳です。

あ、そうそうこれもだった」


これ以上は力を重ねるのは頭へのダメージから厳しい。
中で炎が踊るブロックを一旦消して掌にトランス端子を出現させた。


「これは・・・私の・・・!?」


「そうです。昨日使えるようになりました」


それは、先程夜科さんの頭に突っ込んだトランス端子と見た目が同じものだった。
使い方は何となく頭の中に入っている。いつもPSIを覚えた時にその使い方も分かる仕様だ。

雨宮さんはトランス端子をまじまじと観察している。


「・・・目の前で見せられたら流石に信じるしかないわね。未だに信じがたいんだけど・・・」


「なにその力。・・・つーか、ズルくね?こっちはPSI使うのにこんなに苦労してんのに・・・」


ふと気付くと夜科さんが集中するのを中断してジト目でこちらを見つめていた。
確かにPSIを行使する事自体は大変じゃないのは不公平かもしれないけれど、そんな事言ったってそう言う体質、いやPSI質なんだからしょうがない。


「あんたは集中だけしてなさい」


「ヒィッ!?ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい・・・」


雨宮さんが軽く叱責ついでにうなぎパイを手に取ると夜科さんは真っ青な顔をして集中する作業に戻った。
見せられた幻覚がよっぽど怖かったのだろう。無理も無い。


「ところで、僕が気絶した後の光ってなんですか?それは身に覚えがないんですけど・・・」


「え・・・?あなたのPSIの内の一つじゃないの?」


「いや、そんなPSIは覚えてない筈です」


僕がそう言うと雨宮さんはまた難しい顔をしてしまった。
気絶した後なんだから僕が覚えている訳が無いんだし、疑問に思うのは僕も同じだ。


「この子のPSIじゃないとすれば、一体誰が・・・?それとも気絶した後に無意識でPSIを使ったと言うの・・・?」


雨宮さんがブツブツと独り言をつぶやきながら自問自答を始める。
全く記憶のない僕よりは、その不思議な光と言うのを間近で見ていた雨宮さんの方が情報保持量は多い筈だ。

そう考えて今度は逆に僕が尋ねる。


「あの、雨宮さん。その光ってどんな感じでした?」


「えっ?あ、ああ・・・そうね、どんな感じかって言うと・・・異様。そう、異様としか言いようがなかったわ。

見ている傍で傷が逆回しの映像のように消えて行ったんだから・・・しかもあれはライズじゃなかった」


「傷が消えた・・・?でも、傷が治ったのってキュアのおかげじゃ・・・?腕にその感覚が残ってましたし」


「いいえ。確かにあなたはキュアによる治療を受けているわ。けど、それは本当に念のためといっただけなの。

実際の所はその光だけで問題なかった・・・」


八雲さんの家で目が覚めて、すぐに全身の傷が消えている事に気付いた。
体にキュアを受けた感覚が残っていたのだから、てっきりキュアの力による物だと思い込んでいたが、どうやら何か裏があるらしい。

でも、キュアや自身のライズ以外での治癒ってなんだろう。聞いた事が無い。
それに誰がそのPSIを僕に作用させたと言うのだろう。

雨宮さんの言うように僕が気絶した後で無意識の状態でPSIを使ったのかもしれない。
でもそのPSIは僕自身知らない、傍で見ていた人が異様だと評するPSI。

・・・何が何だかわからない。


「マツリ先生が知りたがっていたのはその異様なPSIの事よ。

・・・残念だけどあなた自身が知らないと言うなら、これ以上分かる事はないわ」


頭にこびりつく疑念や思考を振り払うように雨宮さんはしばらくしてそう告げた。
確かにその通りだ。

・・・やはりこのPSIは僕の正体を知る手掛かり足り得るのかもしれない。


「実はこの力の事をよく知らないのは僕も一緒なんです。何か分かればお知らせしますよ。

それで、今度はこっちの要件なんですが・・・」


「何か話があって今日はわざわざ伊豆から来たんだったわね?」


僕のPSIの事は聞かれたから答えたに過ぎない。一年とちょっと自分でも謎なままのPSIの事なんか今更考えたって分かる訳も無い。
それより、昨日約束していた夜科さん達を交えての話をしなければいけない。


「ええ。夜科さんと朝河さんも一旦集中を中断して聞いて下さい」


雨宮さんに向いていた体を三人全員に向けるように捻る。
怪訝な顔をして集中していた二人もその瞼を開けた。


「みなさん、一度伊豆、僕の住んでいる家に来れますか?」


「伊豆ぅ?何だってそんなとこに・・・」


夜科さんが怪訝な思いを言葉の端にのせたまま聞き返して来る。朝河さんも言葉には出さなかったが同じような思いらしい。
雨宮さんは一人真剣な目をしていて、僕が夜科さんの問いに答える前に雨宮さんが口を開いた。


「あなたの保護者、天樹院エルモアが、私達(サイレンドリフト)と話をしたがっているのね?」


「その通りです」


「ちょ、ちょっと待てよ!!雨宮はなんか知ってんのか!?」


「そう言えば、さっきもあっちの世界でもそんな事言ってたな。サイレンの謎に5億の賞金を掛けたエルモアが親だって・・・

そんな天樹院エルモアがオレ達に何の用だ?説明しろ」


朝河さんが尋ねてくる。

そう言えば、サイレン世界で僕の保護者が天樹院エルモアだと告げて周りの人達が騒然となった時に、その場に朝河さんはいた。
殆どの人が賞金の話に食らいついて来る中、朝河さんは特に反応していなかったので何となく印象が残っていたんだった。


「・・・ヒリューまで知ってんのかよ。なんで俺だけ・・・」


あ、夜科さんがスネた。
それはどうでもいいとして、話を続ける。


「一度、サイレン関係者と話をしたいそうです。それから、これから先の事も話し合わなければいけないですし」


「これから先の事・・・?」


朝河さんが相槌を返して来る。この人は真面目な話になったら輝く人な気がする。
それはともかく一瞬間を置いてから、告げる。


「世界は、崩壊します」


「っ!」


驚愕に顔を染める人が二人に、表情を険しくする人が一人。
構わずに言の葉を続ける。


「お婆さんは、PSIの力を使って元々それを予知していました。だけど、その崩壊がいつなのか、原因は何なのかなど細かい事は分かりませんでした。

サイレン世界のあの崩壊した姿・・・きっと何か関係あるはずです」


「・・・・・・」


「それを、話し合いたいんだそうです」


沈黙がその場を支配した。
みんなそれぞれに思うとがあるらしく、自分の心の内に目を向けているようだった。


「・・・そうね、天樹院エルモアの真意を一度本人の口から聞いておいた方がいいかもしれない」


沈黙を保っていた雨宮さんが目を閉じたままそう言った。
言葉から察するに伊豆に来れると言う事だろう。


「じゃあ、皆さんは学校があるでしょうし、今週の土日のどちらかにでも」


「その方が都合がいいわね」


雨宮さんが軽く顎を引いて肯定の意を表す。
雨宮さんが三人の総意みたいになっているけれど、一応他の二人にも聞いた方がいいだろう。


「夜科さんと朝河さんもそれでいいですか?」


「ああ、オレは問題ない」


「いつでも構わねえよ、俺は。どーせ、俺は話に入れてもらえないしね。俺なんか居ても居なくても一緒だしね。どーせ」


どうやら他の二人も大丈夫みたいだ。
一人は違う意味で大丈夫じゃなさそうだけど、まあそれはそれとして。


「じゃあ決まりですね。車は多分お婆さんが出してくれると思います」


さて、これで僕の方の用事は終わったんだけど、これからどうしようか。
それに夜科さん達の訓練の様子を見ていたら、僕もなんだか居てもたっても居られなくなってきた。

なにか、僕も出来る事をしないと。


「用事は終わったみたいだけど、これからどうするの?」


「そうですね、特にもうすることも無いんで帰ろうかと思います」


荷物を肩にかけて立ち上がると雨宮さんが尋ねてきた。
こう言っては感じが悪いけれど、PSIを使う事から始めている訓練の場に居ても、僕に出来る事は何もない。


「帰りは車なの?」


「いえ、お婆さんが今日の夜に何処かへ出かける用事があるらしくて。車がないので帰りは電車です」


「外、雨が酷いけど」


「・・・・・・」


そう言えば雨が降っていたんだった。それもかなり激しく。
この状態で外に出れば駅に着くまでに全身しっぽりと濡れる事は間違いないだろう。


「雨、上がるまで待っていったらどうかしら?」


「お言葉に甘えます・・・」


雨は好きだけど、不便な所は好きじゃない。
そんな自分勝手な思考をしている事に気付いて、内心溜息といっしょに苦笑いが零れた。



◆◆◆



味気なさを感じさせるほどに整頓され過ぎている雨宮さんの部屋。
生活に必要な物と、あとは気持ちばかりの観葉植物が置いてあるだけ。

その部屋で時計の爪先が空気をコツコツと叩く音と、雨が地上に降り立つ音が一つの音楽を奏でていた。
賑やかな時には耳を傾けられる事はないその音楽を今は楽しむ。

雨が一向に上がる気配はなく、ただ時計の長針が短針を追いかけて、追い越して、再び追い始めた。

・・・そんなどうでもいい事を考えていないとやってられない。


「あの・・・雨宮さん、これ滅茶苦茶辛いんですけど・・・」


「だからそう言ったじゃない・・・」


雨宮さんがやれやれと言わんばかりの表情をしながら言った。

今僕はマテリアル・ハイで創った剣を左手に添え、その剣を体の正面に構えてじっとしていた。
そう、ただ単にじっとしているだけなのに、何でこんなしんどいんだろう。

・・・あれは、僕が手持無沙汰にしていた時の事だった。



――・・・



『そういえば、あの剣も力の内の一つなの?』


雨宮さんがふと思い出したように尋ねた。
あの剣とは、サイレン世界であのエプロンを付けた化物、禁人種に対して出したマテリアル・ハイとパイロキネシスを合わせた剣のことだろうか。

と言うかそれ以外に思い当たる剣が無い。


『能力の一つ、と言うよりは力の応用と言ったとこですね。さっきブロックを作ったのと同じ力です』


そう言ってさっきはブロックの形で投影したマテリアル・ハイを今度は薄く、鋭い二等辺三角形のブレード型にする。
固定解除は予めプログラミング済み。物の大きさに対しては軽い剣の重みを右腕に感じた。


『あなた、剣を握った事は?』


『まるっきり無いです。サイレン世界で初めてこんな形で力を使いました』


雨宮さんが僕を、正確には僕の手元を注視する。
品定めをするような目線を感じて、多少居心地悪く思いながらも剣を見つめた。

薄く白いそれは僅かに蛍光灯の光を反射して表面に僕の顔を映している。

・・・剣を使った時の事を思い出してまた自己嫌悪。
いつまでも自己嫌悪している自分に更に嫌悪。剣に映る自分の顔を見たく無くて目を逸らした。


『まあ、普通は剣を握る事なんて無いわよね』


そう言って軽い息を吐きながら雨宮さんは腰を上げた。
腰を上げて向かった先は、先程夜科さん達が見て慌てていたクローゼットの所。

取り出したのは、一振りの日本刀。
左の親指と人差し指を輪のようにして自然体に緩く刀を携えた雨宮さんは、そのまま自然な動作で親指で鯉口を切った。

周囲の空気を切断するかのような冷たい鋼の刀身。
黒味を帯びた軟鉄に白味を帯びた硬鉄部分の明暗の差が刃紋として浮かび上がっている。

雨宮さんは正面に刀を構えて、それから微塵も動かなくなった。
まるで時が凍ったように思えるほどに剣先と視線で正面を睨みつけたまま動かない。

それからゆったりと振りかぶったかと思うと、銀の軌跡を目で追えないほどに鋭く刀を振り下ろす。

風を裂く音が、一拍遅れて部屋に響いた。

一切の澱みの無い流れるような動作に一瞬目を奪わる。
裂かれた空気が焦げる幻臭までして来そうにさえ思った。


『・・・・・・』


雨宮さんは静止して微動だにしない剣先の更に向こう側をその目線に捕えていた。
何をその瞳で見ているのだろうか。多分、それは剣を振った事のある人間にしか分からないんだろう。

そして雨宮さんはそのまま無言で刀を鞘に収める。
鍔が鞘を鳴らす音でハッと我に返った。どうやら比喩で無く意識を奪われていたらしい。


『武器は心得のない者が持てば、手を塞ぐ事にしかならない。

もし、あなたがこれから剣を使うのなら、あなたはその使い方を知るべきだわ』


そして僕の背後にに回り込み、腕で包み込むような形になって剣を握る僕の手に雨宮さんの手を添えた。
伝わる掌の感覚に、あれ?という疑問が心中に生まれる。

外側は白く滑らかな皮膚をしている雨宮さんの掌は、内側は女性らしくないゴツゴツとした物だった。
そしてそれが刀を振るが為に出来るマメによるものだと気付く。

そして夜科さんが血の涙を流さん勢いの目でこっちをまた睨んでいる事にも気付いたけれど、それはどうでもいい。


『剣を握る時は、左手の薬指と小指だけで剣を持つ感覚で。後の左の指は刀を包むように。右手は紙筒を持つように緩く、けれどしっかり』


ガチガチに柄の部分の真ん中あたりを握り締めていた僕の手を、雨宮さんの手が解いて持ち直させる。
左手の小指で柄の先、柄頭を巻きつけるように、右手は刃と柄の境目に。

・・・初めてこんな持ち方をするけど、違和感が凄い。
本当にこの持ち方で合っているのだろうかと疑問を抱くけれど、どう考えたって経験者の雨宮さんの方が正しい。


『・・・剣の振り方の前に剣の持ち方から始めた方がいいみたいね』



――・・・



・・・と、そんなやり取りがあったのが一時間以上前の事。
雨も上がらないし、丁度いいかと思って軽く考えていたのが間違いだった。

柄を体の中心、鳩尾辺りに持ってきて腕を軽く突き出した形。
両足は肩幅ほどに開いて足の先を同じく正面に向ける。足は踵を濡れた紙が一枚入る程だけ浮かせた爪先立ち。

また左右の足を上下に少し差を付けて、体重を後ろに引いている左足に僅かに傾ける。
剣はさっき教わった持ち方で固定。

これが雨宮さんから習った剣を中段に構える、正眼の構えだった。
そして雨宮さんは剣を持つ事になれる為に"この姿勢のまま動かない事"を指示した。


なんだそんな簡単な事か、とか初め余裕をこいていた自分を殴りに行きたい。
そして雨宮さんは、最初のうちは辛いから30分程度にしておこうか、と提案してくれていたのに、調子に乗ってもっと長くやれますとか言っていた自分がほんともう大嫌い。

爪先で体重を支えているため脹脛に掛かる負担が凄まじい事に気付いたのは開始して10分もしない内。
軽く思っていた剣が鉛のように重く感じ始めたのは開始して30分もしてからだった。

自分の筋力の無さとその疲労を考慮に入れていなかった。実に簡単で、間抜けな事だ。


「大丈夫・・・?キツいならもうやめておく・・・?」


雨宮さんが心配そうに尋ねて来る。
確かにキツいけれど今更止められない。なぜなら、今止めるのはとてもカッコ悪いから。


「だ、大丈夫です・・・」


有言実行、約束は守るが座右の銘です。たった今適当に決めた物だけど。
奥歯を噛んで無理やりな笑顔を作って答えた。

その間頭の中では何故かカイルがしゃがみ込んで下溜めの格好をしていた。
そしてフレデリカはにぱー☆と言い、ヴァンは砂糖に砂糖をかけて食べてて、シャオはマリーの事をこっそり陰から見つめてて、マリーはビスケットを食べていた。

人間って、しんどい時頭がおかしくなるのだろうか。特にフレデリカ。誰だ。
シャオは平常運転な気がしないでも無かったけど、どうでもいい。とにかく今はキツい。キツいと考えると余計にキツい。

剣先がぶれて脹脛も痙攣し、先程の雨宮さんとは比べ物にならないほど無様な僕だけど、心だけはまだ折れていない。・・・辛うじて。


――・・・更に時が流れた。


「すいません、ギブアップです・・・」


あれから更に30分程経って、腕がもう上がらなくなった所で白旗を上げ、同時にマテリアル・ハイのブレードを消した。
腕と足の両方が僕の意志とは関係なく震えている。明日は筋肉痛に違いない。


「初めてにしては上出来な方よ。そんなに落ち込まないで」


雨宮さんはそうフォローしてくれたけど、自分が情けない。
もうちょっと自分は頑張れるかと思っていたが、どうやら思い違いだったみたいだ。


「はあ・・・」


自分の体重が支えきれなくなった膝が崩れる。ふと荒い息とため息が合わさってどちらか分からなくなった息交じりに時計を見上げた。
1時間と30分ちょっと。永遠のように思われた時からの解放は、解放感よりも悔しさの苦みの方が強かった。


・・・少し、休憩しよう。


少ししっとりとした床に四肢を投げ出しながら窓の外に視線を向ける。
相変わらず雨は止まない。このままでは街が水没してしまわないかと心配するほどだ。

夜科さんと朝河さんは、少しづつPSIを作用させられるようになって来ている。ただしほんの一瞬だけ。
力を維持できるレベルに到達するまでには、もうしばらく掛かりそうだ。


「・・・・・・」


「・・・・・・」


「・・・・・・」


「・・・よし、っと」


弛緩させた四肢から疲労物質の乳酸が少しだけ抜ける感覚がしたので沈黙を破る声と一緒に再び力を込めて立ち上がった。
やけに体が重たく感じられる。

今日は何気に力を結構な頻度で使っているので、頭に僅かな痛みを感じながらもブレードを創る。
それを合図にしてベッドの上で本の頁を捲っていた雨宮さんがその手を止めてこちらに目を向けた。


「あなたがライズを使えないで、逆に良かったかもしれない。力任せの剣が身に付いたら癖を直すのが大変だから。・・・見てて」


再び白刃が湿めり気を帯びた大気の元に晒される。
凛、と音がしそうな刀を先程と寸分の狂いも無く精緻な軌跡で振るう雨宮さん。

人間の動きを極限に極めたのなら、どんな芸術も敵わないと言うのもあながち間違いじゃないのかもしれない。
そう思わせるほどには雨宮さんの動きは美しかった。


「・・・・・・」


ただ見とれるのではなく、今度は観察としての視覚を働かせる。
雨宮さんは今、どんな動きをしたか。筋肉の動き、目線、体の運び、刀の先の軌跡――・・・

人の真似をするコツは、その人を出来る限り観察して、自分の中で理解し、消化する事だ。剣に限らずあらゆる場面において。
記憶を失くし色々な事を思い出せなくて、唯一の物事の判断基準としてあるのは他人の行動だった。

そんな僕にとって、人を真似る事は正しい事をするのと同義だった。
だから自然と観察する目が育って、気が付いたらモノマネが上手くなっていた。


「・・・・・・」


無言で剣を振る。違う。この動きじゃない。
頭の中に描くイメージと現実の体の動きは全くもって噛み合わさらない。

雨宮さんは言葉もなしに剣を振り始めた僕に対して気を使ってくれたみたいだ。
何も言わずに見守ってくれている。


剣を振る。違う。


剣を振る。違う。


剣を振る。違う。


剣を振る。・・・今のはほんの少しだけ近かった、気がする。でもまだまだだ。

地表を洗い流す雨のように、留まる事は無く、時間は流れて行った。



◆◆◆



「・・・すごいわ」


「楽勝だよ」


時計の二本の針が丁度時計盤を左右に等割する午後6時を過ぎた辺りの頃。
朝河さんが雨宮さんにPSIで触れる事に成功した。

気が付けば雨も上がっている。
雨音がしない事と窓から差し込む朱色の陽光に今更ながらやっと気付いた。


「どうだ・・・?」


「その調子・・・!」


先に訓練を終えた朝河さんと雨宮さんは残る一人、夜科さんの訓練を見守っている。
俺だって、と言わんばかりに夜科さんもPSIを練り上げる。


「ああっ・・・!」


だがしかし、PSIの力は高まるものの、それが形を結ぶ事は未だ無かった。
どうも傍で見ていて力が高まり切らないと言うか、高まっていく間に同時に力が霧散していっているような印象を受けた。


「まだまだ掛かりそうだけど、彼のPSI自体は作用してるみたい。安心したわ」


「それはそれは」


そして朝河さんは夜科さんより一足早く拘束を解かれた。
雨宮さんはマンションの出口まで朝河さんを見送りに部屋を出て行った。


「あ゛――・・・」


ドアが閉まった後に部屋に響いているのは、何らかのマイナスなイオンを放出する夜科さんの声と、薄白の剣が風を切る音だけ。
あれからひたすらに剣を振り続けて、ようやく弱々しい音が出せるようになった。


「あ゛―――・・・・・・」


「・・・なんですか」


夜科さんが何かを訴えるような目で僕を見ていたから、剣を振るのを止めて答えた。
柄から手を離すと白い柄には薄茶色の染み、僕の掌からの血が付着していた。

・・・夢中で気が付かなかったけど、痛い。すごく痛い。
左手の小指と薬指の付け根の辺りの皮が捲れて血の赤色とは別に真皮のピンク色が顔を覗かせていた。

他にも親指と人差し指付近や右手にも水膨れが出来ていたが、これは雨宮さん曰く良くない握り方故に出来る物らしい。
痛いけれど、何となく頑張った証のような気がして悪くないものだ。


「・・・いや、さあ。自分が女一人守る力も身に付けられないダメ野郎だとは思わなかったからさあ・・・

・・・生まれてきてすいません。生まれ変わったら貝になりたい」


朝河さんに先を越されたのがそんなにショックだったのか、えらい卑屈になってらっしゃる。
ブレードを消して椅子に縛られた夜科さんの元へ近寄る。


「ちょっと位ダメでもそんなに落ち込む事はないですよ。それに、雨宮さんは夜科さんに守られるほど弱くなさそうですし」


「・・・死のう」


あれ?フォローのつもりで言ったんだけど、逆効果だったらしい。
夜科さんは顔を伏せてブツブツと辞世の句がどうとか呟き始めてしまった。


「そういや!お前PSI教えてくれるって言ったじゃん!何でさっきからずっと剣振ってんの!?

そんなに振りたいんならもう腰でも何でも振って踊り狂ってろよぉぉぉぉぉ!!!!」


「いや、意味分かんないです。

そもそも僕が教えられるのはPSIをどうコントロールするか、とかであって、PSIを発現させるやり方とか基本的な事はちょっと・・・」


椅子ごと体を倒し横になる夜科さんの隣に体育座りで並ぶ。
傍から見ればシュールな光景なんだろうなぁとぼんやり思った。


「うるさい!大体ガキが生意気なんだよ!!雨宮と手を繋いだり雨宮に後ろから抱きつかれり雨宮に手を添えられたりぃぃィィィ!!!!!!」


「いふぁい!!いふぁいでふって!!!」


突然関節を外して手錠を抜けたかと思うと、夜科さんはそのまま目をぎらつかせて僕の頬に手を伸ばして来た。
滅茶苦茶に頬を引っ張るもんだからすごく痛い。千切れたらどう責任とってくれるんですか。


「コラ!!なに子供に当たってるの!!!」


頬を抓られ過ぎて顔の輪郭がゲシュタルト崩壊を起こし始めた頃、丁度雨宮さんが戻って来てくれた。
夜科さんの延髄にチョップで仲裁してくれる。仲裁と言うよりは夜科さんが奇妙な声を上げてダラリとしたという話なんだけど。

夜科さんが白目を剥いてビクンビクンしていて気持ち悪かったのでキュアをかけると直ぐに意識を取り戻した。
・・・と言うか、延髄チョップって玄人がやっても死ぬ可能性ありませんでしたっけ、雨宮さん?


「全くもう!さっきはもう少しだったんだから、不貞腐れずに頑張りなさい!!」


「うぅ・・・死んだ母親が見えた・・・」


不吉な事をサラりと言いながら夜科さんは再び体を起こす。
そうしてまた集中する作業に戻るのだった。


「大丈夫?」


「なんとか・・・まあ、別の場所の方が痛いんで別に気にならないです」


「別の場所?あー・・・」


血がにじむ掌を見せると雨宮さんは納得したようだった。
そして自分の時の事を思い出したのか、痛ましげに顔を歪ませた。

ちょっと待ってて、と言って別の部屋に行った雨宮さんが抱えて持って来たのは、救急箱。
雨宮さんは妙に手慣れた手つきで治療を施して行く。


「いつっ・・・!」


「染みるけど、我慢して」


オキシドール消毒液が傷口に染みて脳髄から尾底骨にまで電流が走った。
消毒液は酸素の泡と音を立てながら傷口に浸透していく。


「ちょっとやり辛いから、膝の上に来てくれる?」


「はい!?」


傷口にガーゼを当ててテーピングしようとするが、向きが悪いのか悪戦苦闘し、最終的にそんな提案を雨宮さんがしてきた。
僕が子供だからか雨宮さんは恥じらいの成分を微塵も滲ませずに言いきる。

いや僕は多少の恥ずかしさはあるものの構わない。問題は・・・
ぎぎぎ、と錆び付いた擬音がして来そうな動作で夜科さんの方を向いた。


「・・・・・・」


いかん、目がマジだ。
嫉妬だの何だのじゃなくて、あれは何かを超越した目だ。


「どうしたの・・・?さ、早く」


「ちょっと、まっ・・・!」


必死に抵抗したけれど悲しいかな、体格の差からか僕の体は不思議そうな顔をした雨宮さんにあっさりと持ち上げられ、雨宮さんの太ももの上に着陸することとなった。
因みに雨宮さんは今スカート姿であり、その太ももは大気に晒されている。


「・・・シャアアアアアアアアアアアア!!!!!」


「うおおおおおおおおおおおおお!!!?」


「キャッ!!


今日の昼ごろに感じた恐怖感が全身を貫いて通り抜けて行った。
本格的にマズいと感じ、雨宮さんを押し倒して横に倒れ込む。

すると背後からとてつもない衝撃を感じ、体がまるで木の葉のように吹き飛んだ。
ギャグみたいなタイミングだったけど、あれは間違いなく危険なPSIだった・・・!


「そんな・・・!」


吹き飛ばされた衝撃で頭がガンガンしているけれど、急いで顔を上げる。
するとそこには円形に削り取られた、いや、円内の壁が消滅して出来た虚穴があった。

PSIの基本は集中、創造、投射・・・だけど、今の夜科さんのバーストは全く違った。
爆ぜるような感情にPSIが呼応し、膨らんで弾けた・・・!

夜科さん自身にも全くコントロールできていないとてつもなく危険なモノ。
これが、昼ごろに味わった恐怖感の元凶だった。



続く



[17872] コール26
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:2ed57cc7
Date: 2011/06/20 03:08
「大丈夫!? 夜科!?」

「あ…ああ…」

 夜科さんが雨宮さんの言葉に何とか答える。
 隣の部屋との風通しが良さそうになった部屋に夜科さんの荒い息の音が灯った。

「じっとして!! 何も考えちゃ駄目……!」

 僕も物理的に頭が痛いけれど、頭を振って痛みを振り飛ばして起き上がる。
 集中無しで感情任せのPSIを使用・・・そんな事をしたら下手をすれば脳が潰れてしまうかもしれない。

「ちょっと……シャレにならねえ、かも……!」

 夜科さんの顔が苦痛に歪む。
 練習も無しに初めてPSIを使う人間があれ程までに大きな力を発現させたのだから、その痛みは恐らく相当な物だ。

 喩えるなら狭い出口からいきなり大量の水を流したようなもの。出口自体が耐えきれずに破損してもおかしくない。
 夜科さんの呼吸が荒い。これは本当に不味いかもしれない。

 ……キュアは、昨日使えるようになったばかりだ。
 そんな拙いPSIで脳を治療だなんてそんな高度な事が出来るなんて自信がある訳が無い。

「これは……!?」

 けれど、雨宮さんの驚く声を背にして夜科さんの額に掌を乗せ、目を瞑った。
 キュアの力を意識の底から喚起して力を発現させる。出来ないのなら出来ないなりに出来る事をするだけだ。
 雨宮さんに僕のPSIの事を聞かれてから、久し振りに自分のPSIについて考えていた。

 胚、のようだと自分のPSIが生じるのを感じて思う。
 何にでもなれるだけど、他の何かを模らないと存在し得ない1未満の存在、0。

 形を成す以前の状態、色を持たないPSI。それは、自分を持たない僕らしい力なのかもしれない。
 ライズの力が意識の奥に湧き上がりそれがバーストと融けあって一つのPSI、それ自体の形を成した。

「……? あれ、急に頭が軽くなったよーな・・・ってこれはさっきの感覚……?」

「あなた、キュアまで使えるのね・・・」

 掌が淡い光を放つのを止めると、夜科さんは霞みがかった瞳から多少回復して頭を振りながら呟いた。
 良かった、なんとかなったみたいだ。力の元の持ち主であるヴァンに心の中でひっそりと感謝する。

「はい。と言いますか、さっき夜科さんが気絶させられ……した時も使ってましたよ。
それはともかく、どこかまだ痛いとことかありませんか?」

 どうやら先程のキュアの行使を雨宮さんは見ていなかったようだ。
 余りにも夜科さんの回復が早かったから多少は訝しんでいたようだけれど。

「お前が治してくれたのか……いや、大丈夫だ、多少ボーっとするけど問題ねぇよ。サンキューな」

 元気そうな夜科さんを見て雨宮さんが安堵の息を吐いていた。
 そして、目の前に出来た大穴に視線をそっと移す。

「……それにしても」

「……ク、ククク」

 雨宮さんが夜科さんのPSIを見ての感想を述べようとでもしたのだろうか。
 何か言葉を告げようと口を開いた時、喉を鳴らす音がその声を遮った。

「クククク……!! ハァーハッハッハッハッハッハァ!!!」

 突然、夜科さんがかませの敵役のような笑い声を上げた。
 手の自由を奪っていた手錠を引き千切ってガッツポーズを上げたかと思うとその勢いに任せて床を転げ回る。

「すっっげぇー!!! だははは何だこの穴!? すっっっげェぞオレの力ーッ!!!
ねェ見た!?雨宮見てた!?」

「……」

 あ、雨宮さんの目がスッと細まった。
 まるで猫の死骸にたかる不愉快な蛆虫よりも更に不愉快な物を見たような、そんな目をする雨宮さんに気付き僕は何故か崩していた足を正座に正してしまう。

「さすがはオレ様!! オレは天才夜科アゲハ様だ――ッ!!
……っと、そーだヒリューのバカに送ってやろー」

 夜科さんが壁の大穴の写真を撮ろうと携帯電話を取り出す為にポケットの中を探った。背後に迫る脅威に気付く事無く。

「へが!!?」

「ねぇ……謝らないの……? 部屋に極大の穴開けられた女の子に……! 謝らないの……!?」

 僕は、そっと瞳を閉じた。多分今から目の前で行われる事は教育上よろしくない事だ。
 それに、世界は悲しい物だって僕はまだ知りたくないから。信じていたいから。
 視界からの情報が消え失せ、音が支配するようになった世界に不吉な音が舞い降りた。

「あ、あああ……」

「私にタッチするつもりでアレ出したの?そうなのね?」

 何かが軋むような嫌な音が鼓膜を揺らす。
 何が起こっているかは想像に易いけれど、だからこそ考えたくない。

「ごごごごごごめんなさいぃぃぃィィィィ!? あ、あ、いやあああああああああああああああぁぁぁ――……」

 鈍い打撲音。
 それが続く、続く、続く、続く、まだ終わらない……続いて行った。

 そう言えば、映画とかで使われる人を殴る際の音ってこんにゃくでフランスパンを叩いて作られた音だってどこかで聞いた気がする。
 ああ、うん。どうでもいい豆知識だった。


◆◆◆


「――……クソー、雨宮の奴、手加減ってモンを知らねェのかよ……
目立ちやすい顔じゃなくて服の下の部分を狙うってアイツどこの苛めっ子だ……」

 横を歩く夜科さんが独りごちた。
 まだ体のあちこちが痛むようで、異常が無いか色々な関節を回して確認している。
 そんな夜科さんを尻目に眼前に広がる空へと目を向けた。
 少し前まで空を覆っていた分厚い雲は既に散会したようで、散りじりになった濃紺色のそれらが今日一日の終わりを告げている。

「なあ、聞いてる?そりゃあ、穴開けたのは悪かったけどさ……」

「聞いてないです。夜科さんがその後調子に乗ったのが雨宮さんを怒らせた原因の大部分だと思いますよ」

 雨上がりの後のアスファルトから立ち昇る独特の匂いに胸が一杯になりながら返事をした。
 濡れたアスファルト、鼻を掠める水分の匂い、街路樹の葉が風に擦れる音……この何とも言えない雰囲気は夏が近い事の表れだろう。

 また、夏がやって来る。色々な、本当に色んな事があったあの夏から一年が過ぎた。
 僕はあれから何か進歩出来ているのだろうか。もう一度あの人に会った時にキチンと言いたい事が胸を張って言えるのだろうか。
 そんな自問が風の音と共に脳を掠めて吹き抜けて行った。

「ばっちり聞いてんじゃねーか……いや、それにしたってさぁ……」

 愚痴をこぼし続ける夜科さんがいい加減に鬱陶しくなってきたので僕の返事も投げ遣りな物になっていた。
 あの後、テレビだったら放送できないような状態の夜科さんに三度キュアを掛けて復活させた。

 ボコボコにされてもキュアがあるなら安心ね、などと言って雨宮さんはまだ笑みを浮かべて拳を持ち上げたので、流石に止めておいた。
 もっとも、雨宮さんもあれ以上はするつもりは無いようにも見えたのだけれども。
 あれは雨宮さん流のジョークだったらしい。なんとも心臓に悪い冗談だ。

「あ、猫」

 夜科さんとの会話と呼べないような会話も途切れたので、ふと視線を夜科さんから逸らすと、そこには白い毛を基盤として一部に茶色の模様が浮かぶ一匹の三毛猫がいた。

 猫は路上駐車してある車の下で丸くなって周りの様子を窺っているようだった。何となく気になって猫の方へとふらふらと向かう。

「おいおい、ンな事してたら電車に遅れるぞ――……って!?」

 夜科さんの声にハッと我に帰った。
 そうだ、今僕は帰りの電車に乗る為に夜科さんに駅まで送っていってもらっているんだった。
 ああ、でも触りたい。猫に触りたい。いやいや間に合わなくなるのは困る。でもちょっとだけ……

 遠い国の心理学者の言葉を使うなら、接近―回避型の葛藤が心の中で荒れ狂う。

「おっ、おい! ソイツ捕まえろ!!」

「はい?」

 と、そんな胸中とは無縁な所で急に夜科さんが何かを思い出したように顔色を変えて猫の方を指差した。
 突然の事に当然僕が戸惑っていると、指差された猫は何か自身の身に迫る危機を感じ取ったのだろうか、一目散に逃げて行った。

「あぁ――!! 逃げられた!? オイ、何ボサっとしてんだ! 追いかけるぞ!!」

「ええ!? いやあの……電車は……ああもう! なんで僕の周りにいる人は癖が強い人ばっかなんだ!?」

 小さくなっていく夜科さんの背を見つめながら悪態が独りでに零れた。
 夜科さんが居なくては駅までの道が分からない。要するに、僕に選択肢は初めから一つしかないのだ。

 仕方なく僕も走り出す。
 理由は後から聞こう。それから何か奢ってもらおう。とりあえずは猫を捕まえる事を考えなきゃ。

「待てェ――!!! コルァァァァァ!!!!」」

「……」

 あんな大声と凄い形相をしているもんだから猫は脅えて滅茶苦茶に逃げ回っている。
 あ、夜科さんが逃げる猫を追いかけて民家の植え込みを掻き分けながら進んでいった。
 ……住居不法侵入罪に器物破損罪ですよ。あと僕もついてかなきゃ駄目なんですか駄目なんですよね。

「はぁ……」

 自然と溜息が漏れた。
 なんか最近多くなっている気がする。これじゃ白髪なだけじゃなくて本当に老けてしまうような気がしないでもない。
 とにもかくにも。電車には間に合わなさそうだ。


――・・・


「ぐへへへへさぁもう逃げようが無ェぞ……!! どうする……? 袋の鼠ならぬ袋の猫って訳だ……!」

 猫が路地裏の行き止まりに入りこんでしまい、いよいよ逃げ場が無くなった所で夜科さんが下卑た笑いを浮かべた。
 どうでもいいですけど、どっからどう見ても悪役の顔ですよ、ソレ。
 と、心の中で突っ込みを入れつつも僕も夜科さんにやっとの事で追いつき、横に並んで逃げ道を完全に断つ。
 走り過ぎて肺や脇腹が痛いやら、口の中が乾いて唾を飲むたびに喉が痛んで吐き気を催すやらで結構しんどい状態だった。

「ギャ――!! フギャ――!!!!」

 おお、猫が壁に追い詰められて二本の脚で立った。生き物、死ぬ気になれば色々出来ると言うが本当だったらしい。

 猫の顔が必死過ぎて憐れみを誘う。
 それにしても、何で夜科さんはこの猫を追いかけていたのだろうか。まさか食べるとかそんな事は無いと思うが。

……いや、でもまさかな。

「……夜科さん、猫なんか食べても美味しくないですよ……?」

「誰が食うかッ!!」

 よかった、一応確認してみたけど即答してくれた。
 これでぐへへへへなんて言われた日にはサイレンの協力を頼むのを考えなければいけない所だった。

「ってそんなアホな事を言っている間に猫が俺達の隙間をこう、うまい具合にするりと抜けて逃げたァ――!!?」

「随分と説明的な……はいっと」

「フ、フギャ――!!?」

 誰に説明しているのか分からない夜科さんは置いておいて、密かに練っておいたテレキネシスを発露。
 見えない掌に掴まれて理解不能と言った表情で猫が宙でジタバタしている。

「……お、おお、ナイス!!やっぱすっげぇな、超能力!!」

「……」

 夜科さんは、PSIを実際に使う所を見て喜んでいるようだった。
 そのまま猫を夜科さんの方にやってやる。猫は、必死の抵抗も空しくすっぽりと夜科さんの腕の中に収まった。

 ……いや、収まったと言うと語弊があるだろう。腕の中で物凄い勢いで暴れているんだから。
 顔に幾つもの傷をこさえて、夜科さんはやっと猫を鎮められていた。
 今日はよくキュアにお世話になる日だ。お世話になるのが僕じゃないだけ良いのかもしれないけども。

 そんなどうでもいい事を思いながら、僕と夜科さんは駅への道を再び行くのだった。
 ほんっとに疲れた一日だった。


――・・・


 結局、あの猫は夜科さんが捜索を頼まれていた猫だったらしい。名前はミィと言う。
 飼い主に似てコイツ性格が……とか夜科さんは言っていたけど、僕には何の事か分からないのでその辺には触れないでおいた。

 それから電車は予想通り間に合わなかったので結構な時間を待って次の電車で行く事にした。
 もう直ぐその列車がホームに入るようだ、と言う事を駅のアナウンスから知る。

 もう、行かなくちゃ。

「じゃーな、今日はあんがとな。PSIの事とか、コイツの事とか」

 すっかり大人しくなった、いや、大人しくさせられた猫を片手に夜科さんがもう片方の掌を僕の頭に軽く乗せてきた。
 身長的に丁度いい場所にあるとは言え、頭を撫でられ過ぎている気がする。別にいいんだけど、ちょっとだけ恥ずかしい。

「いいんですよ。……夜科さん」

「ん、なんだ?」

 そんな事より言わなきゃいけない事がある。
 声色のトーンを少しだけ落として、それから真剣な目をしよう。多分出来たと思う。

「力って、何だと思います?」

「ハァ……?力って、そりゃあ……力としか言いようがねぇよ」

 夜科さんが怪訝な顔をした。それはそうだ、力は力でしかない。答えになっていない答えにも構わずに僕は続ける。

「すみません、質問が悪かったですね。力って、何のためにあると思いますか?
夜科さんは……力をどう使いますか?」


「……」


 夜科さんの目が少しだけ細まった。
 その視線を真っ直ぐに向けて来る。まるで僕の言う事を見極めようとしているような。

「夜科さんは、大きな力を手にして喜んでいるように見えました。けど、大きな力がもたらす物は決して良い事ばかりじゃないんです。
世間一般の人達の常識から外れたモノ、それがPSIです。そして常識から外れたモノは、常識が織り成す世界の中には存在できない」

 ホームに響いた電車の到着を告げるメロディに遮られて、言葉が一瞬切れる。その間も夜科さんは目を僕から逸らす事は無かった。
 言いながら脳裏に浮かんでいたのは、エルモア・ウッドのみんなやあの人の事。
 そしてエルモア・ウッドに来て直ぐにお婆さんに言われた事を思い出していた。

「PSIの力が原因で大切な何かを失くした人達を、僕は知っています。異質なんです。PSIと言う物は。
……だけどPSIが悪いとは僕は思いません。要はその使い様、心の持ちようで悲しい事は避けれると僕は思っています。だから……」

「……あぁ分かってるよ。そんなムズカシー事考えなくても俺は力をあぶねえ事に使うつもりはねェよ。安心しな」

 真剣な顔を崩し、薄く笑いながら夜科さんは僕の頭に手を置いた。それに誤魔化されてしまって最後まで言葉を続けられなかった。
 力の目的、矛先を忘れないで欲しいと言う事を伝えようと思ったのだけれど、それは夜科さん自身が自分で理解して初めて効果がある物なのかも知れない。
 それに僕だってPSIが使えるようになってからまだ一年とちょっとしか経っていないのだから、あまり偉そうなことを言う物じゃないだろう。

「っ……!」

 胸に急に寒気が宿る。
 それはPSIを覚える時のいつもの感覚だったのだけど、これは熱が熱すぎて、逆に冷たく感じているようだった。
 胸に鋭利な氷のナイフを突き立てられたような、心臓を冷たい手で握られたような感覚に思わず眉を顰めた。
 なんだか……嫌な感じがする。ふとした瞬間に全てがその冷たい熱に呑まれてしまいそうな……

「お、電車来たみたいだぞ。そろそろ行かねぇと」

 その夜科さんの言葉にハッとする。
 それまでの表情を無理やり変えて悟られないように誤魔化した。

「……ええ。それじゃ、また」

 最後に夜科さんに別れを告げて、その場を後にする。
 別れ際に何かあったら連絡してほしいと言う事で携帯電話のアドレスや番号を交換しておいた。
 夜科さんの力については、きっと夜科さん本人が上手くやるだろう。
 僕なんかが心配した所でどうこう出来る訳じゃないんだし。それに、雨宮さんも居る。きっと大丈夫だ。

 電車の窓から外の景色が流れて行くのが見える。
 すっかり日が暮れて濃紺に染められた空は、晴れてはいるが所々に雲が残り、それが何となくすっきりしない内心を映しているかのようで、
 僕はそっと窓から目を離した。


◆◆◆


 火曜日。

 昨日の焼けるような夕日から予想はついていたが、今朝は雲ひとつない快晴。雲が無い為に地表の温度は宇宙へ逃げて行き、晴れている方が逆に寒い。

 夏が近いとは言え、まだ日も昇らない今の時間は流石に肌寒かった。
玄関の重たい扉を開けて、早朝の薄青色の空気を胸腔いっぱいに吸い込む。

「うー……さむ……」

 踵を踏んでスリッパ履きにしている靴を屈んでしっかりと履きなおす。靴ひもをきつく結ぶと心なしか気も引き締まったように感じた。

「よし……がんばろ」

 一人呟き、庭園の芝生へと向かって歩き出す。芝が朝露に濡れて、その湿り気が靴越しに伝わって来てグリップが効いた一歩一歩が何となく気持ちいい。
 芝生の真ん中に立つと、目を瞑って集中。目を開いた時には掌の中に一振りの剣が出来ていた。

 皮が破れて違和感がまだ残る掌に、昨日雨宮さんに教えられた通りに剣を握りこむ。そして剣先と視線を交差させて直立する。
 脹脛には昨日の訓練や猫を追いかけまわして走った事による筋肉痛独特の感覚がこびり付いていて、構えた時に薄く顔を顰めた。
 昨日は何となく熱っぽかった脚は一晩寝ると見事に鈍痛に生まれ変わっていた。

 朝ベッドから起き上がる時にその痛みで思わず唸ってしまった程だ。
 それでもその痛みを無視、とはいかないがなるべく気にしないようにして昨日と同じ訓練を始めた。


――・・・


「はぁ……」

 丁度あれから30分後。そこには芝生に倒れ込む僕がいた。
 そんな一朝一夕で体が出来上がるとは思っていないけれども、本当に進歩しているのか不安になる程のしんどさだ。
 芝に面している部分がその露で冷たい。背中は不快だけれど、脚にはその冷たさが心地よかった。

 ……いい加減な所で体を起こして再び訓練を始める。今度は、素振りの練習。
 地面に突き刺していた剣を引き抜くと持ち方を意識しながらまた剣を構える。

「ふっ!」

 風が小さく唸る。昨日よりもほんの少しだけ、けれど確実に大きく。

「えへへ……」

 いきなり一発目から音を出せた事に嬉しくなって一人にやけてしまった。
 掌に巻いていたテープにまた血が滲むけど、それも気にならないほどだ。

「……なに気持ち悪い顔してんの?こんな遅くに」

「え?」

 不意に声が掛けられ、少し驚きながら声がした方を向くと、二階のバルコニーから顔を覗かせているフレデリカがいた。
 フレデリカは胡乱な目つき、いや眠たげな眼で僕の方を見つめていた。
 そんなフレデリカに言葉を投げ返す。見られていた事の恥ずかしさを誤魔化すように。

「いや、フレデリカこそ何してるの、こんな早くから」

「え?」

「え?」

……。

 どうも、僕とフレデリカの間には認識の溝があるみたいだ。
 何となく察しはつくけれど、要するにフレデリカは今の今まで夜更かしで起きていたのだろう。
 それでこんな遅くに、と言った。
 僕にとってみれば一度寝たから日付は変わったように思うけれど、寝てないフレデリカはまだ昨日が続いている。きっとそんな所だ。

「……まぁいいわ。で、何してたの」

 バルコニーの柵に片肘をついて欠伸を噛み殺しながら尋ねて来る。
 こんな風にフレデリカが何かに興味を持って自分から尋ねて来るのは珍しい、いや変だと言って差し支えない事なんだけど、
 眠いから思考がどこか変になっているのかもしれない。そう結論付けた。

「……訓練だよ。何か、僕に今出来る事見つけたかったから」

「……ふぅん。訓練、ね。……まぁ変な奴の考える事はアタシには理解できないわ」

 変な奴……。
 僕って、変なんだろうか。変わっていると言う事は持っている力などから分からなくも無いが、変なんだろうか。
 昨日夜科さんを見てどうして僕の周りには癖が強い、要するに変わった人が多いのだろうかと嘆いたけど、
 もしかして……僕が変わっているから僕の周りの人も変なんじゃないだろうか。

 ……急に不安になってきた。頭を抱えたい気分になる。そんな僕の様子を見て一層フレデリカは胡乱な目つきを強くしていた。
 そしていつも着ている熊のフードを被りながら言った。

「ま、あんまり思い詰めない事ね。アンタってどうも危なっかしいから」

「……え?」

 今のは、幻聴だろうか。
 何か、フレデリカの口から、不思議な、言葉が、聞こえた……気がしたんだけど。
 フレデリカは自分の言った事に気付いていないのか、いつもの癖で髪の先を指でくるくると弄っていた。

「フレデリカ……もしかして、僕に気を使ってくれて、る……?」

「ッ!!?」

 フレデリカの指が急に止まった。
 いや、多分聞き間違いか、変な電波でも受信したのだろう。
 それかサイレン世界で色々あった時に変な風に頭を打ったのかもしれない。
 だってフレデリカが人の事を心配するなんておかしいもの。有り得ないもの。

 ああほら、僕が変な事を言うからフレデリカが目を見開いた。
 あ、顔がみるみる赤くなって行っている。

「……ふんっ!」

「って、うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!? ……って!そう何度も燃やされてたまるかっ!!」

 急に押し黙って真っ赤になったフレデリカが、その顔の赤さに負けないくらい真紅の炎を投げつけてきた。
 僕も大人しく燃やされるつもりも無いので、前々から考えていた対フレデリカの炎用の防御を発動する。
 マテリアル・ハイの防御壁を球状にして体の周囲に創る。

 これだけだと炎の熱に壁を突破されてしまうかもしれないので、更に工夫を重ねる。
 最初に創った壁の直ぐ前にもう一度マテリアル・ハイを発動。
 ただし、この時に神経を集中させて普通とは違った物を作り出す。
 一枚目の壁のすぐ後ろにもう一枚空気を圧縮させた壁を創る事で、壁と壁の間の空気を失くす。

 所謂なんちゃって真空状態を持った二枚組の壁が出来上がるのである。そして真空中は熱の伝導率が非常に悪い。
 壁に炎の塊がぶつかり、壁に沿って炎が広がる。
 だが、炎が壁を破壊する事もないし、その内部にいた僕に熱が届く事も無かった。

「フン……!」

 そして炎が消えて視界が開けた時、そこにフレデリカの姿は無かった。僕の言葉に怒って部屋に引っ込んでしまったのかもしれない。
 それなら、多分今から自室に戻って寝るのだろう。壁を叩いて消しながら独りごちる。

「酷い目に会った……。何だったんだ、一体……」

 壁と接していた場所の芝は見事に真っ黒に焦げていた。これが僕だったかと思うとぞっとする。溜息を一通り吐いてから、また僕は素振りを始めた。
 ……人の事は言えないけど、フレデリカも感情の表現があまり上手くないみたいだ。
 どこか、何かを誤魔化す為に力を使っているような、そんな気がする。

 もっとも、感覚や感情と言った物がいまいちすっきりと理解できない僕にはフレデリカも言われたくないだろうけど。
 相手がどう思ったかなんて他人には分からない。
 その場の状況や相手の表情や性質などから推測、そう推測する事でしか分からないのだ。
 誰もいちいち本人にどう思ったかなんて聞く事はしないだろう。

 それは分かる、とか理解、とかの言葉を当てはめるのに相応しくない気がする。
 感情をある程度分類分けし、自分に当てはめて考えてみるという方法で人は相手を理解したように思っている。

 言うなれば、納得。
 相手が分かると言う事は、相手が自分の中にある様々なパターンの人間像の範疇に収まっていると言う事。
 だけど、その人間像が僕の中には無かった。
 人がどう思ってどう行動するのか、初めはよく分からなかった。

 初めと言ってもエルモア・ウッドで目が覚めてからだけど。その前はそもそも覚えていない。
 なんで分からないのかも分からない。綺麗さっぱり忘れてしまったのか、それとも……

 とにかく、僕には拙い推測でしか人を見る事が出来ないのだ。推し量る基準がそもそもに拙いんだから。
 今だってどこか自分の判断が自分の物じゃないような感覚に陥る事がある。自分の言葉や動作さえも全て誰かから借りているような、そんな感じ。

 だから、何でフレデリカがあんな風に真っ赤になって炎を飛ばすような事をしたのか僕にはよく分からない。何かを誤魔化そうとした、とそんな程度にしか。
 その何かを推測しようにも、僕の中に当てはまる判断基準は見当たらなかった。


◆◆◆


 火曜日。
 それは一週間のうち最も苦痛とされる月曜日を何とか乗り越えた者達が迎える事の出来る日である。

 月曜日は新たな一週間が始まったと言う無慈悲な事実にただただ打ちのめされ、呆然と悲しみに暮れるだけだ。
 だが、火曜日はその事実に改めて気付く日である。まだ週は始まったばかりでしかないと言う事実に。

 肉体的疲労感に加え、精神的な負担も大きい火曜日は人によっては月曜日よりも辛いと感じるかもしれない。

 一介の男子高校生である夜科アゲハも、雲一つない晴天の空とは対照的な、どんよりと曇った顔をしながら道を歩いていた。
 それは歩いている、と言うよりはふらふらと勝手に脚が進んでいると表現した方が相応しかったかもしれない。

「あ゛――……」

 途中、目の前の電柱にぶつかりそうになるが、それを何とかかわす。
 頭が揺れたその感覚に夜科は眉間の皺を更に深く刻んだ。
 しかし夜科が陰鬱な表情をしている訳は、今夜科のすぐ横を歩いているサラリーマンが憂鬱な顔をしている理由とは、どうも違うようだ。

 その理由とは、自身の体調の悪さと夜科の手が握っている一挺の籠にあった。
 夜科がよろめいたのに合わせて籠も揺れると、籠の中で何か生き物が暴れるような感覚が夜科に伝わる。

「どーすっかな……」

 暴れて鳴き声を上げるその中身とその飼い主を想って、夜科はぼそりと呟いた。
 籠の中身は、先日の猫だった。
 そしてそれは夜科がクラスメートの倉木まどかから捜索を依頼された猫であった。

 トラブルバスターの真似事をしている夜科はそもそもの初め、その倉木まどかからストーカーの退治を頼まれていた。
 ストーカーとお話、肉体言語によるものだが、をして倉木まどかに付きまとわせないように言って聞かせる依頼は成功した。

 依頼が成功すれば報酬は一万円と夜科はしていたのだが、いざ依頼の成功を報告しようと倉木まどかと顔を合わせた時に、
 夜科は見栄を張る為に報酬はいらない、困った事があったら何でも言え、と調子のいい事を言ってしまったのである。

 小動物系八方美人。全ての原因は倉木まどかが非常に夜科の好みの顔と雰囲気をしていた事にある。
 ここまでなら例え骨折り損の草臥れ儲けであったとしても何の問題は無かった。
 問題は、その倉木まどかが夜科の想像するような可愛らしい性格をしていなかった事である。

 倉木まどかは雨宮の財布を鞄から抜き取り、ゴミ集積場に隠すと言う雨宮に対して陰険な苛めを行っていた。
 その現場を夜科は見てしまい、倉木まどかに対する夜科アゲハの幻想はそこで潰えてしまった。

 倉木まどかに対して微かに覚えた憤りを夜科は、猫は自分で探せ、と捨て台詞のように言う事で倉木まどか本人にぶつけてしまっていたのだ。
 そんな事が先週の終わりにあって、今は火曜日。

 幸いな事に月曜は雨宮の呼び出しがあった事で倉木まどかとは顔を合わさずに済んでいた。
 だが、今日。猫を捕まえてしまった以上猫を引き渡す為には顔を合わさなければいけない。
 そんな時何と言えば良いのか夜科には分からず、それで悩んでいたのだ。

「おっすアゲハー」

 不意に夜科は声を掛けられ、そして挨拶代わりに背中を軽く叩かれた。その衝撃で夜科はどさりと地面に倒れ伏す。

「……っておい!! アゲハ!!? しっかりしろ!!?」

「ふ、ふふ……親友の坂口君じゃあないか……俺は、もう、駄目だ……」

 夜科の友人の坂口、通称サカが夜科の体を抱え起こし、夜科が震える声で言った。
 顔色は、見るからに悪い。青白いのを通り越して夜科は土気色の顔をしていた。

「しっかりしろ!! 傷は浅いぞ!!!」

「なに朝からアホやってるのさ」

 人通りの多い朝の通勤路で朝も早くから漫才をする友人二人に対して突っ込みを入れたのはヒロキだった。
 いつもの事であると分かり切ってはいるが、流石に人の目が多いこの時間帯に人の目もはばからずおふざけをしている二人に対して突っ込まざるを得なかったようだ。

「……頭にまだ血が上ってる。しんどい」

「まーた姉ちゃんにどやされたのか」

 まともに突っ込まれたことで演技じみた行動を止め、頭を振りながらゆっくりと夜科は立ち上がった。
 夜科の表情がすぐれなかったのは猫関連の懸念のみが原因にはあらず、夜科アゲハの姉、夜科フブキに昨日こってりと説教を受けた事にもあった。

 普段家に親のいない夜科家にとって、姉は夜科の幼いころから親代わりのようなものだった。
 姉は半ばグレてしまった弟を更生させようと躍起なり、それが説教と躾と言う名の暴力という形で表れていた。

「……布団に簀巻きにされて一晩吊るされてた」

「マジか……」

 学校をサボった事、門限を破った事など夜科家七つの大罪の内の幾つかを犯した夜科は、姉の手によってしかるべき処置を受け、
 そしてそれによって体調の悪さがメーターを振り切っていたのだった。

 もっとも、まだもう一つ悩む原因とも言えなくもない、気になっている事もあったのだけれど。
 一人の少女の姿を頭の端に浮かべて、夜科は軽く被りを振った。今は考えても仕方のない事だと。
 肩と首を回して泥にようにこびり付く疲労感と違和感をぬぐい去ろうとする。
 同じ体勢で長時間いたため、回すたびに骨が乾いた音を立てた。

 しかし、どんなに陰鬱な朝だろうと朝は朝だ。気持ちを切り替える必要があると夜科は考える。
 そして肩を回し終えた夜科は一つ伸びをして気を取り直し、両端の口角を持ち上げながら言った。

「おはよっス、サカ、ヒロ」


――・・・


 三人で話をしながら廊下を歩く。
 話す内容は昨日のテレビがどうだっただの、今日の授業はどうだの、他愛の無い物達ばかりだ。

 だが悪く無いと、夜科は思う。
 常に腹腔で暗く澱んでいる漠然とした満たされなさが、友人達とふざけ合っているこの瞬間には忘れられていた。
 そしてサイレンという非日常の泥沼に片足を突っ込んでしまった夜科は、その変わらない筈の日常がどこかそれまで感じていた物と違うように感じる事に、気が付いていた。

 夜科が教室の扉を手にかけた。
 教室に響く扉の開く音に既に教室の中にいた生徒達は一瞬扉の方を見遣るが、また直ぐにそれぞれの友人たちとの会話などへ帰っていく。

 男子生徒の中の夜科達とそれなりに親しい者達は一言二言夜科達に声を掛けた。
 そしてクラスメート達と挨拶する途中で、夜科はハッと視界に映った物に気付いた。
 廊下側から2番目の列、そして後ろからも2番目の席。
 そこに座っている、雨宮桜子の姿に。

 雨宮の席の周りに人影は無く、雨宮は一人で本を読んでいた。
 文字の羅列から決して目を離す事の無いその姿勢はまるで他人と関わる事を、他人が自分の世界に入って来る事を拒んでいるかのようだった。

 もっとも、例え雨宮が本を読んでいなくとも、進んで雨宮と関わろうとする生徒は皆無だっただろう。
 それは、雨宮が入学したての4月の上旬に話かけてきた生徒に言い放った言葉による。

『――……卒業式まで放っといてくれる?
サイレンがやって来るわ……!その時はアンタも私も無力なゴミ……!
せいぜいそれまで……下らない青春を謳歌してなさいよ……!!』

 その言葉で、雨宮桜子のクラスでの立ち位置は完全に決まってしまった。話かけてはならない女(アンタッチャブルガール)。
 危なげな妄想を内に秘めていて、そしてそんな妄想と現実を区別出来ていない頭のおかしい女だと、そう見なされたのだ。
 当然そんな雨宮を気味悪がって近付く生徒は存在しなくなった。

 今から思えば、当時の雨宮はサイレンのゲームにたった一人で挑んでいた事になる。
 あの化物どもとたった一人で渡り合い、何も無い世界を彷徨う。
 そんな事をしていれば心が摩耗して行くのももっともだと、夜科は内心頷く。

……しかし。

 もうちょっと良い対処の仕方もあったのではないかと、夜科は思う。
 せめてもう少し愛想よくしていれば、せめて奇抜な言動を取らなければ、せめて自ら他人を拒むような真似をしなければ。

――……せめて、辛いのならば一言でも相談してくれれば。

 そこまで考えて、夜科は一人嘆息を吐いた。
 そして頭を掻きながら思う。

(やっぱ、そりゃ無理だよな……)

 自分一人で何でも抱え込んでしまう性の少女に、そんな事が出来る訳ない。
 何でもかんでも抱え込んで、そして抱えた物の重たさに溺れかけても、助けの求め方を知らないのだから。
 そもそも自分は相談に乗るような間柄でも無かった事もある。だが・・・

(だけど……)

 今は、違う。
 赤いテレホンカードに導かれ、サイレン世界へと共に行き、共に帰って来た今ならば以前とは違うと夜科は思った。

 何がどう違うのかは分からないがとにかく何かが違い、そして今ならば雨宮に手を差し出す事が出来る気がすると、そう思ったのだ。
 それは雨宮との間柄の変化と言うよりは夜科の心情の変化だったかもしれない。

「アゲハ?」

 自らの席に荷物を置いて友人たちとの会話に戻ろうとしていたサカは、夜科が自分達とは違う方向へ向かっている事に気付き、声を上げた。
 しかしそんなサカの声をも無視して夜科は近付いて行った。
 背中を丸め、本を読む雨宮桜子の元へ。

「……オッス」

「っ!!?」

 そして雨宮の脳天に、挨拶を伴った軽いチョップを落とした。
 さほど強い衝撃では無かったものの、完全に予想外の出来事に雨宮は驚き、開いていた本に顔をぶつける。

「なっ、なっ……!」

 言葉にならない言葉を、雨宮は顔を赤らめながらに言った。
 それは羞恥と言うよりは驚いたための紅潮であったが、夜科はその雨宮の赤みを帯びた顔に一瞬見とれてしまった。
 一方で不意に衝撃を食らわせられた雨宮は、まるで睨みつけるが如く夜科を見つめる。

「なっ、なんだよ、朝に挨拶するのがそんなにオカシー事か?」

「あっ、アイサツ……?」

 雨宮は、一瞬夜科の言った『挨拶』という単語の意味が理解できていなかった。
 何故なら挨拶などという概念はこの学校と言う場において、雨宮の中に存在していなかったから。
 そして僅かな間の後に雨宮の思考回路が繋がる。

 挨拶とは二人以上の人間が存在している場合にのみ成立するものである。
 また、今現在自分の目の前には夜科アゲハしか存在しない。
 つまり今自分は挨拶されて、その返答を期待されているという事実に雨宮は辿り着いた。

 瞬間、思考が沸騰。
 返答とは何だったか、どうすればいいのか考えようとしても思考は耳の裏のやけに煩い鼓動の音に塗りつぶされてゆく。
 そして雨宮は涙目になりながらも、ある一つの答えに辿り着いた。

「おっ……」

「お?」

「……おっす!!!!!!!!!」

「めるぜずッ!!!!!!!!??」

 轟音。

 何かに答える時は、とりあえず相手がした事と同じ事をすればいい。そうすれば一応はキャッチボールが成立する。
 それが、極度にテンパっている雨宮が導き出し得る精一杯の答えだった。

 そんなライズを込めたチョップの挨拶は夜科の脳天にめり込み、夜科は奇妙な声を上げながらに床に倒れ伏した。
 床にうつ伏せに大の字になった夜科は微かに痙攣している。

「あ……ご、ごめん、なさい……」

 やってしまったと、直ぐに自分の行動に後悔。
 ふと気が付くと先程までの教室のざわめきは姿を潜めシン、と静まり返り、誰もが雨宮を見つめていた。
 正確には夜科が雨宮に挨拶した瞬間には静まり返っていたのだが動揺に塗りつぶされている雨宮はそれに気付かない。
 誰もがまた自分を頭のおかしい女だと言う目で見ているのだと、勝手に自己解釈する。

「……っ!」

 俯き、破れる程に唇を噛み締める。
 夜科に挨拶されても、いつものように拒めば良かった。どうしてそれが出来なかったのだと、自分を責める。
 自分は、どうしてこの場に存在していたのか。
 最初から上手く出来ないと分かっている事を、どうしてしたのか。
 後悔すると分かっていながら、どうして止められなかったのか。

(どうして……どうして……どうして、どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして!!!!!!)

 そんな声が雨宮の内側に木霊した。
 その自分を責める言葉が雨宮の中に満ち、喉元にまで達した時、雨宮の足は意図せずにも独りでに駆け出していた。

 逃走。
 どうすればいいのか分からない。自分がどうしたいのかも分からない。
 雨宮が選んだのは、答えを出そうとする事から逃げ出す事だった。

 それは優しくも残酷な選択だった。
 悩む事を放棄する代わりに、また新たな自己嫌悪に苛まれる事になる。

 ――……だが、突然の腕を掴まれた感覚が、選択する事を阻んだ。

「……ふ、ふふふふふ……中々効いたぜ、あまみゃーさん……」

「っ!?」

 訳も分からず後ろを振り向くと、そこには目の焦点のあっていない夜科が雨宮の腕を握り締めていた。
 夜科は自らの側頭部を掌の底で叩いて魂が抜け出て行きそうなのを必死に押し戻している所だった。

 そしてゆっくりと立ち上がると、困惑する雨宮の腕を改めて握り直し、夜科は駆けだした。

「ちょ、ちょっと!!?」

「……」

 夜科は何も答えない。
 ただ真っ直ぐ先を見つめ雨宮の手を引きながら走っていく。

 そして辿り着いたのは、屋上だった。

 雨宮の視界が一気に開ける。一点の曇りもない、どこまでも続いて行く蒼穹に。
 無言で走り、階段を駆け上がってきた夜科は息が切れている。それでも笑みを浮かべて真っ直ぐに雨宮を見つめて言った。

「……ホラ、こんないい天気なんだぜ? ……湿っぽい顔してんなよ、オラ」

「いたっ!?」

 夜科が雨宮の額を中指で弾いた。
 会心の一撃のデコピンは、気持ちのいい音を立てて青空へと吸い込まれていく。
 しかしデコピンを受けた当の本人である雨宮はその余りの痛さに思わず額を押さえて目尻に涙を浮かべていた。
 また、何が起きているのかまだ頭が追いついていないようで呆然とした表情を浮かべている。

「嫌な事を引きずるのは、夜までだ。もう終わった日の事を引きずるなんてアホらしいと思わねぇか?
朝が来たらオハヨーさん。これでリセットすりゃいいんだよ」

「……っ」

 驚いた顔を一瞬浮かべた後、雨宮の目尻に浮かんだ涙の成分が変わっていった。
 握られている手とは反対の手でそっと目元を覆う。

「……そんな簡単にいくのは、バカなあんた位よ……」

「天才アゲハ様にバカとは失礼な。……でも、そっちの方がきっと楽だぜ?」

 くぐもった声で雨宮が反論する。それでもなお夜科は言い切った。
 その言葉に堪え切れずに雨宮が俯く。夜科に自分がどのような顔をしているのか悟られないために。
 そして、雨宮は何故自分が夜科を拒む事をしなかったのか、分かったような気がしていた。
 諦めたつもりでいて、どこかでまだ諦め切れていなかった。

 心の扉をどれだけ頑丈に閉めたつもりでも、それが扉である限り扉は開かれる為にある。
 雨宮は、あの時に鍵の掛けられた扉がノックされるのを聴いたのかもしれない。
 繋がりが作られるのを期待したのかもしれない。

「……お、はよ……」

 晴天快晴の青空の中、雨が降り始めた。
 雨はコンクリートの床を濡らし、染みを作っていく。

 それは大きな粒で、その雨は暫く止みそうになかった。



続く




とりあえず何とか忙しいのは一先ず片付きました。
長い間更新出来ずに済みませんでした。それから次話で2ndゲーム入るとかいっときながら長くなったからって分割してすみません。

待ってくれてるなんて奇特な方がいるかはわかりませんが次は必ず近い内に・・・!



[17872] コール27
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:9f519081
Date: 2011/06/12 16:49
 放課後。

 ホームルームを終えた生徒達は帰宅する者、部活へと向かう者、友人達と話を続ける者など思い思いの時間の過ごし方をしている。
 一方夜科アゲハは一人第一校舎と第二校舎を繋ぐ連絡橋の柵に体重を預け、それらの人々を漫然と眺めていた。

(『世界は、崩壊します』……か)

 思い出すのは、あの白髪の少年が告げた言葉。
 そして自らの脳裏に浮かぶ、あの静謐と呼ぶには余りに荒れすぎ、荒涼と言うその一言では表し切るを能わない光景。
 言うなれば、止め処ない空虚。

 それを今現在目の前に広がる何の変哲もない日常と重ねて見るには、あの景色は些か懸け離れすぎていた。
 あの世界が未来だと、そう言われてもどうしたらあの光景が現実の物だと想像できると言うのだろうか。
 そもそも何を以て世界は崩壊するのか。そしてそれは何時の事なのか。

「……」

 瞳を動かすことも少なく、ただボンヤリとグラウンドで部活に勤しむ生徒達を追っていた夜科は、そこで溜め息を吐いた。
 思考が及びもしないことを考えるのが馬鹿らしくなったのか、それとも考えることに疲れを覚えたのか。
 いずれにしろ、夜科は後頭部を荒々しく掻くことで頭にこびり付いていたその思考を頭の隅に追い遣った。
 そう、真に今悩むべきはそんな事ではない。

「夜科クン、話って……?」

 夜科が一人こんな場所で黄昏れていた理由、倉木まどかが夜科の背後から声をかけた。
 倉木まどかは呼び出された理由が分からないようで、少しの疑問に困惑を混ぜたような顔をして立っていた。
 そんな倉木を横眼で一瞥すると夜科は再び息を一つ吐いて、それから倉木へ向き直る。

「……あーその、なんてーか、この前はゴメンな。アン時はちょっと急用で急いでたんだ」

「この前……?ああ、先週の……」

 倉木が思い浮かべたのは、先週の土曜日の事。
 以前から頼んでいた愛猫の捜索はどうなったか、といった旨を目の前の夜科アゲハに尋ねた所、夜科はそれまでの態度を急に改め、突っぱねるように捜索を断ったのだった。
 突然の夜科の変容に倉木は面喰らってしまい、ただ茫然とするしかなかった。夜科への憤りや悪態が零れる以前に思考が真っ白になってしまったのだ。
 そんなわざわざ気まずくなる話題を持ち出して来た夜科の真意を問おうと、倉木はじっと夜科の顔を見る。やはり、夜科は気まずそうであった。

「……それが、どうかしたの?」

「あー、特に他意はないんだ。ただ謝っておこうと思ってさ。あと、コイツ」

 倉木は問いかけた。そんなことでわざわざ呼び出したのか?と。
 視線に困ったような笑みを浮かべた夜科は、目線を一度も合わせる事無く、足元にあった籠を持ち上げ倉木へと差し出した。
 なんであろうか、と倉木は自分が呼び出された釈然としない理由や、夜科の態度、籠の中身など様々な疑念が重なり、重たげな疑問符を浮かべて籠を受け取った。

「……! ミィ!!」

「見つかって良かったよ。……そんじゃ、オレはこのへんで」

「あの、待って!!」

 終始一貫して気まずげな雰囲気を漂わせそそくさと去ろうとする夜科を、倉木は慌てて呼びとめた。
 これでこの話は終わりだと言わんばかりに背を向けて走り出そうとしていた夜科は、声にギクリとし、再び振り返る。

「その、ありがとう。ミィを見つけてくれて」

「……」

「……やっぱり何か様子ヘンだよ夜科クン。どうして何も言わないの?それに、朝のホームルームの時、雨宮さんと……」

 夜科は、振り返ったもののやはり倉木を見る事は無かった。しかし、そこには先程浮かべていたような、何かを誤魔化す為の笑みは張り付いていない。
 俯きがちな夜科の顔は、能面のように無表情だった。
 そんな夜科の顔が、僅かに歪んだ。倉木の言葉を聞いてからだ。目が細まり、犬歯を噛み合わせているのか口角が微かに上がる。

「…………くっだらねぇ」 

「え?」

 それは、何に対しての言葉だったのか。子供じみた虐めにも似た行為をする倉木に対してか、そんなサイレンと言う巨大な問題の前では些細な事で頭を悩ます自分に対してか。
 それとも、身を削るようにたった一人戦う少女が誰にも認められず、それどころか輪に入る事すら叶わない、そんな現実に吐き気がしたのか。
 倉木まどかは気付く事が出来なかったが、夜科の周りの空気は変わっていた。その空気に触れる者をまるで消し去らんとするかのように重々しく、苛烈な物に。
 ジ、と何かがまるで空気を引き裂き千切るような音を夜科は聞いた気がした。

「……ゴミ捨て場で財布拾ったんだ。中身抜いて無かったから、盗みじゃねえ」 

「あ……」

「……下らねえよ、ホント」

 まだ続けそうになる句を無理矢理飲み込んでそう短く言い残し、今度こそ夜科は走り去っていった。
 歪を孕んだ空間は終ぞ爆ぜる事は無く、ただ吹き抜ける風とその風が運ぶ部活動の掛け声だけが場を包み込んだ。
 
 あとに残された倉木は一人、去っていく夜科の背中を見つめる。
 クラスに馴染めていない、言ってみれば異端であった雨宮を苛めても誰も咎める事をしなかった。加担した者はみな笑っていたのだ。
 それは肯定と言ってよかった。自分の行動に罪悪感が伴う事は一度たりとも無かった。
 だが今、夜科に断じられた。なぜ関係の無い夜科に言われるのか倉木には分からなかったが、ともかくはっきりと自分の行動を否定されたのだ。
 夜科の言葉は夜科が思う以上に、そして倉木も予想だにしないほどに倉木へと深く突き刺さっていた。
 
「……チッ!! 何だってのっ!!」

 夜科の前で晒すような猫を被った姿では無く、素の状態の倉木が思わず悪態を吐いた。
 しかし、悪態を吐いたからと言って胸の蟠りも吐き出されると言う事は無く、より一層蟠りは体積を膨張させていく。
 中身の三毛猫が動いたのだろう、倉木の持つ籠が揺れた。その揺れに、自身までもが不安定に揺れていくような気がして、思わず見つめていた籠から目を逸らす。

 風が校舎の隅に吹き込み、つむじ風となって地面の塵芥を吹き回した。
 風に塵芥が巻き上げられ乱されているその様は、否定と言う名の冷たい風が吹き込んだ倉木の胸中によく似ていた。


――・・・


「クソッ!!」

 学校を飛び出て自宅へと向かう帰路で、夜科は吐き捨てた。
 本来ならば夜科は倉木に財布の事を話すつもりは無かった。見なかった事としてその話題に触れる事無く、穏便にさっさと籠を渡してそれで終わりの筈だった。
 何故なら夜科は倉木に対して言う事のできる言葉を持っていなかったからだ。

 誰かをからかって、つまる所蔑んだり、馬鹿にしたりすることで愉悦に浸るという心の仕組みを夜科は知らない訳では無い。
 夜科も過去にそういった類の行動をとった事があったのだ。例を上げるとするならば、牛乳が苦手な朝河に力ずくで牛乳を飲ませたりしたことなどである。
 夜科は倉木の行動が理解できなかったのではない。また、道徳に背く行動を倉木がしたから憤った訳でもない。夜科はどちらかと言えばそのような類の物とは遠い距離にある人間だ。
 それらの事から、つまり夜科には倉木を咎める資格が無かったのである。

 ならば何故、夜科は現に倉木に対して憤りを露わにしたのか。 

「クソっ……なんで、オレは……」

 それは、夜科自身にもよく分かっていなかった。分かるのは、その憤りが雨宮に関連していると言う事だけ。
 何故自分とはそこまで関係も無い筈の雨宮の事でこれほどまでに感情が揺れるのか。よく分からないからこそ、更に苛立ちは膨れていく。
 苛立ち紛れに夜科は電柱を蹴りつける。乾いた快音が道路に響くが、蹴りの為に持った足の裏の熱は、夜科を尚も苛立たせた。

「――よォ、白瀧高(シラコー)の夜科アゲハ君」

「……あ?」

 内面の苛立ちにずっと気を取られていた夜科は、不意に声を掛けられ意識を現実へと帰還させた。
 俯いていた顔を上げると、目の前には多良高の制服を着たいかにもな出で立ちの男が複数人。その中心には見覚えのある顔もあった。
 見渡すと背後にも幾人かの男達が夜科を睨みつけており、辺りにその集団以外の人影も見当たらない。
 夜科は、まさに四面楚歌と言った状況に立っていたのであった。

「テメーは、多良高の判戸……!」

「おーおー、ボクチンを覚えてくれてたか。そいつは嬉しいねぇ」

「……ンの用だ、……ってそんなにぞろぞろ引き連れてんだ。まァ聞かなくても分かるか」

 中心に居た金髪の角刈りの男、判戸に向かって言葉を返す。
 判戸は、かつて倉木まどかに付きまとうストーカーまがいの事をしていた男であった。そして、夜科によってそれを止めさせるよう暴力で説得させられた男でもあった。
 夜科の脳裏にとっさに浮かんだ言葉は、復讐。夜科に一度は屈した判戸が、仲間を連れて再び目の前に現れたのだろう、そう夜科は考えた。またそれは正解であった。
 それ故に夜科は挑発的な雰囲気を醸し出していた。そして顔に浮かんでいたのは、夜科本人は気付かなかったが、喜びの表情だった。口の端を持ち上げ不敵な笑みを作りながらに言う。
 夜科のそんな余裕の表情に、判戸の周りに居た金属バットなど数多の凶器を抱えた男達は殺気立つ。だが、判戸はそれらを視線で一先ず引っ込めさせた。

「理解が早いようで助かるよ。本当は学校まで迎えに行くところだったんだが、丁度キミが走って行くのが見えたからねえ。こっちとしても人に見られない方がありがたい。
ま、要するにチミは今ここでボクチンに殺される、って事だ……!!」

「ボクチン達、だろ。いいね、らしいぜ。すげェ小物っぷりだ。弱ぇ奴らが息巻いて群れてやがる。
……だけど残念だなァ、ハンブンどころか丸ごと一個間違いがあるぜ。――ボコボコにされんのはテメーらの方だって事だよ!!!」

「上等だ……!!」

 その遣り取りを皮切りに、夜科と男達は動いた。
 まず真っ先に行動を起こしたのは夜科だった。前方と後方を男達に挟まれて進退窮まる夜科は、迷うことなく横にあった路地へと掛け込む。
 狭い路地ならば囲まれて背後からやられると言う事は無いだろうと瞬時に判断したが故の行動だ。
 また建造物の隙間である路地は一人が通るのがやっとな程で、大勢いた男達は路地へと入るのにもたついてしまっていた。
 
「野郎ォ!! 待ちやがれ!!!」

「ヘッ! この状況で待つヤツなんかいねぇよ!! 顔だけじゃなくオツムまでゴリラなのかァ!!?」

 そんな中夜科は一人スイスイと置かれているゴミ箱等の障害物を器用に躱して進んで行く。
 無心で足を進める夜科は、密かに内心でどこか違和感を感じていた。――何故自分は今日こんなにも好戦的なのか。
 倉木の時もそうであったし、今現在も喧嘩を売られた側だとは言え、やけに挑発的な言葉が自然と口をついていた。
 
(『衝動的な暴力に身を任せている瞬間だけが、原因の分からない心のもやもやを吹っ飛ばしてくれる』……か)

 脳裏に浮かんだのはあのサイレン世界へと夜科を導いた、赤いテレホンカードを初めて使用した時の事。
 公衆電話へと吸い込まれたカードは、代わりに入国審査と表して吐き出すように多くの質問をぶつけてきたのだ。
 その質問のどれもこれもが下らない物に思えて正直なところ夜科は質問の殆どを忘れてしまっていたのだが、やけにハッキリと今、その内の一つが思い出された。

(そうだ……間違っちゃいねぇぜ。暴れてる間だけは、下らねえ事を考えなくて済むんだ)

 何故自分が雨宮に関する事でここまで心乱されるのかも分からない。
 だったら、考えなくてもいい。考えても仕方のない事だ。そう夜科は一人結論付けた。
 心の蟠りや、その原因、本質から瞳を逸らし、腹腔で燻ぶる暴力的な衝動に身を委ねる。ある種の逃避であった、が夜科はそれに気付かず甘んじて衝動を受け入れる。
 
「っらあッ!!」

 走っていた足を急に減速させ運動を無理矢理停止させた。靴裏で地面を踏みしだき、上半身を捻じって後ろを睨む。
 そしてゼロになった運動エネルギーは、それまで進んでいた方向を正とするならば、負の方向へと転換された。
 後ろを追いかけて来ていた先頭の男に向かって、不意打ちとも呼べるタイミングで夜科は飛び掛かった。足を折り曲げ、膝の皿やや上あたりを以て男の顎を打ち抜く。

「ぐあ!!?」

「っの、野郎!!!」

 一撃で昏倒した男を跨いで次の男が再び夜科に迫って来る。男が手に握るのは金属バット。
 鈍器として用いられるそれは、いとも容易く人の頭を破裂させる威力を秘めていて、例え急所に当たらなかったとしても人体の何処かに当たりさえすればかなりの痛みを与える事が出来る。
 だが夜科は恐れなかった。神経が昂ぶっていたからではない。雑魚のような面構えをした男を侮っていたからでもない。

 単純に、見えたのだ。男がバットを振りかぶって、自分へと振り下ろそうとしているその男の動作が、信じられないほどに緩慢に。
 初めは冗談かと思った。だがしかし男の顔は真剣そのもので、ふざけてやっていると言った様子は見られない。
 訳が分からなかったが、とにかく夜科は振り下ろされたバットを難なく躱し、体をずらした流れのままに男の腹へと蹴りを叩き込んだ。
 それほど強く踏み込めた訳ではなく、本人としては余り威力を出せていない筈の蹴りで男が沈む。その様を見て夜科は微かに訝しむ。

「なんだ……? 真面目にやってんのか?」

 一人ごちながらに夜科は後ろを振り返る事すらしないで、裏拳を背後から迫っていた男の顔面にめり込ませる。
 次いで別の男が振り下ろさんとしていた鉄パイプの、男が握る根元の辺りを蹴りつけスイングの軌道をズレさせた。
 そして傾いた上体を起こす勢いに乗せて、固めた拳を男の向こう側へと貫かんばかりに打ち抜く。
 流れるような動作。物理的な時間では瞬息の経過であったが夜科には感覚的にその時の流れが酷くゆっくりな物に思えた。
 それはまるで感覚が途方も無く鋭敏になったようで、自分だけが周りと異なる時の感じ方であるような――

「オラァッ!!!」

(……アー……)

 男を殴ったことで体勢が崩れた夜科を男が羽交い締めにし、また別の男が身動きの取れない夜科に向かう。
 だがやはり夜科は動じない。上半身を掴まれて動けない為、夜科は拘束されたまま思い切り飛び跳ねた。そして男が武器を振りかぶるそれ以前に男の喉に靴底をめり込ませる。
 目の前の男が湿った息を漏らしながら崩れるのを脇目に頭を大きく反らし、後頭部で以て羽交い締めにしている男の鼻を潰した。
 一瞬ひるんだ男は夜科に投げ飛ばされ地面と熱い抱擁を交わす。
 
 圧倒的であった。

(…………つまんねー)

 それはまさに赤子の手を捻るように容易く。
 一切合切男達を寄せ付ける事無く、夜科はただひたすらに暴力的であった。


――・・・


「――さて、残りはアンタ一人みたいだけど、どうする? 判戸さんよ」

「グ……」

 物の数瞬で判戸を除く全ての男達を叩き伏せた夜科は、多少乱れた息を整えながら言い放った。
 夜科の足元、そして周りには失神する者やうめき声を上げて微動だにしない男達が地に伏せている。
 判戸へ未だ夜科の暴力が届いていない理由は単純。判戸は夜科へと襲い掛かる事無く、後方の安全な位置で夜科とその他男達との遣り取りを傍観していたからだ。
 この大人数、そして凶器を携えているのだからまず負ける筈がないと高を括って当初余裕の表情を見せていたいた判戸は、ここにきて自分に残された可能性が最早そう多くない事にやっと気付いていた。

「く、クソっ……!! コイツ本物の化物か……!? 有り得ない、これだけの状況の差をたった一人でひっくり返しただと……!!?」

 判戸が顔に浮かべるのは、焦燥と絶望に彩られた物。目の前の状況が受け入れがたい物で、必死に現実を否定しようとする顔。
 震える手を懐に忍ばせ、判戸は鈍く輝く刃物を取り出した。本来ならば使う予定の無かった物だが、予定は狂いに狂った。そして縋る物は最早ちっぽけなナイフ一本しか無かったのだ。
 化物。そう呼ばれて夜科の顔が僅かに曇ったのに、判戸は気付く事は無い。
 
 夜科は一通り男達を倒し切り、余裕が生まれたことで物を考える余地が生まれていた。
 そこに掛けられた言葉が『化物』だ。化物、そう聞いて浮かぶのはあのサイレン世界で出会った、化物と言う言葉が形容では無い、正しく化物をしていた存在の事であった。
 同時に浮かべたのは、助ける事の出来なかった一人の青年、杉田望。こんなものではない、そう思った。あの化物はこんな程度の生易しさでは無かった。

 自分が本当に化物だとしたら、ここに居る人間は等しく人間だった物、に変えられていただろうと胸中で嗤う。
 その思考には、あの時本当に自分に化物のような力があったなら、という苦みを伴う反実仮想が吐いて回ったからだ。

「バケモノ。化物、ね……」

「……」

 夜科が空を仰いだ。ビルの隙間の路地からは建物に切り取られた薄青の空が僅かに覗く。その抜ける青さも、夜科を見下ろし嘲笑を浴びせかけているように感じて、憎らしかった。
 はっきり言ってしまえば、その行為は慢心であった。今目の前にいる男がナイフを振りかざして突っ込んで来たとしても、軽くいなせるであろうと言う油断。

 判戸が夜科の表情の変化に気付かなかったように、夜科もまた判戸の様子の変化に気が付かなかった。
 判戸が見ていたのは、夜科の背後。倒れていた男のうちの一人だった。倒れていた男はその顔を持ち上げ、判戸と視線を交わす。視線は確認と、希望の糸口を見つけた喜悦。
 脂汗に装飾された判戸の顔が僅かに上下に動いた。

 その時。

「――ラァッ!!!」
 
「なにっ……!!?」

 突如背後で声が起こった事により思考を中止し、反射の如く振りかえった。
 夜科が見た物とは、倒した筈の男が起き上がりざまに鉄パイプを振りかぶる姿。反応が一瞬遅れた夜科の膝に、鉄パイプが吸い込まれていった。

「――がっ、ああっ!!!」

 衝撃は瞬時に痛みに変換され、体への警告、痛みが脳を駆け巡る。その痛みは夜科の視界を真っ赤に染めるほどであった。
 夜科は殴りつけられた足とは逆の脚で、男の後頭部を思い切り踏みつける。男の顔面が硬いアスファルトと接吻を交わし液体が漏れる音が混じった鈍い声を漏らす。
 だが、その時には既に判戸は夜科へと接近し終えていた。そしてその距離はナイフが夜科へと突き立てられるに十分な物で――
 
「……っ」

「へ、へへ……ボクチンに喧嘩を売るからだ……!!」

 夜科の肩口から鈍い輝きを放つソレが、生えていた。
 震えた声で、この結果は自分に喧嘩を売ったお前の責任であると自己弁護に似た言葉を放つ判戸。だが、そんな矮小な物に夜科は目を向けなかった。
 向けたのは、自分の内なる声。脳髄から湧き上がる衝動。
 
(痛ぇ。……そうか。ああそうか、痛ぇんだ。俺)

 自分が今、痛みを覚えているのは目の前の男が自分にナイフを突き立てたから。
 詰まる所、痛みの原因は目の前の男にある。ならば、どうするか。
 夜科はその声を聞いた。次にするべき事は。否、自分が望む行動は。夜科の内なる暗がりが囁く。疾(と)く、疾く、早くしろと駆り立てる。
 鼓動と共鳴するその声が鬱陶しくもあり、逆に甘美な響きも含んでいた。

(なら、どうするって? ……簡単だろ)

 夜科が、肩に突き刺さったナイフの刃の部分を握った。
 暖色の掌が更に赤色を重ねる。刃に傷付けられた掌から血が溢れるのも構わずにナイフを抜き捨てた。
 無言で血を流す夜科に、判戸は嫌な感覚を覚えていた。まるで今目の前に居るのが誇張では無く人外の存在であるかのような気がして。
 そしてその化物が牙を剥くように仕向けてしまった気がして。取り返しのつかない事をした、そんな感覚がねっとりと絡みついていた。

「ひ……! グッ!!?」

「……」

 血が止め処なく流れる掌で判戸の喉を掴んだ。その勢いのまま凄まじい膂力を以てして判戸をビルの壁面へと押し付ける。
 夜科の身長を悠に超える巨体が哀れな人形のように、この光景を見る者がその場に居たのならば、映ったかもしれない。

 俯き加減の夜科の表情は判戸からは見えない。
 だが、それは判戸にとって幸運だったのだろう。何故なら、夜科は嗤っていたから。
 怒るでもない、脅えるでもない、この極限の状態で尚も口角を持ち上げ顔を歪ませていたからだ。もしそれを見ていたならば、判戸は恐怖のあまり失禁すらしていたかもしれない。

(壊しゃいいんだ。気に入らねぇ物は……全部)

 夜科の眼前の空間が歪み始める。
 剛力で無理矢理空間を捻じったような、軋むような、悲鳴の如き音が路地に静かに響いた。
 
 「あ、ひ……!! ば、バケ……モノ……」

 「ッ!!!!」

 その言葉が最後のブレーキを壊してしまった。
 夜科の感情が沸騰し、それは容易く弾けた。


 ――轟く炸裂音。

 
「あ、あふぅ……」

 判戸の顔の真横の壁面に、巨大な穴が穿たれていた。それは以前雨宮の家で見せたPSIの発露と同じ物。
 雨宮宅でのあの後、夜科は雨宮に力の訓練を禁止されていた。正体不明の強大な力が暴走する事を恐れたのだ。
 せめて、その力の正体が判明するまで使用を控える事、そう告げられて夜科は解放されていた。

 だが、夜科は密かに力を再び行使しようとした。手の内に転がり込んできた物を無視できるほど、夜科は堪え性では無かったのだ。
 もっとも、PSIの暴走と言う雨宮の杞憂は徒労に終わる事になったのだが。何故なら夜科は再びPSIの力を使う事が出来なかったから。
 何度PSIを練り上げても、雨宮宅でのように力が破裂する事は無く霧散してしまっていた。

 コツを掴んだような気はしていたが、どうにも何かが邪魔しているような感覚が夜科にあった。
 それが、理性と言う名のブレーキであったと気付く事は無く。そして、今。そのブレーキは判戸の言葉によって壊された。

「……お……俺は……! 違う!! 違うんだ!!!」

 絞めていた判戸の首から掌を離す。ドサリと音を立てて気を失った判戸の体は崩れた。
 自分のしでかした事を目の当たりにして、突然夜科はうろたえる。
 それは内面を占めていた禍々しいまでの感情がPSIの破裂と共に姿を隠したために理性が戻り、そして気が付いたと言った風であった。

 自分は、目の前の男を殺す気であったと言う事に。

 力が具現するその直前まで戸惑う事も無く、何処までも冷徹に、残酷に。
 寸前で我に返り力を男にでは無くその横に逸らさせたのは、ブレーキを壊す事にもなった『化物』という言葉による物。
 その意味に夜科は気付き、愕然とした。

「お、俺は……力が欲しかっただけだ!! ちが、うんだ……っ」

 誰に言い訳をしているのか夜科は必死に否定の言葉を繰り返す
 脳裏には、あの白い髪の少年に告げられた言葉が蘇った。 

『夜科さんは……力をどう使いますか?』

 化物の如き力を欲していた事は事実。二度と何かを喪わないように。
 だがその力に囚われて、今、夜科は衝動のまま本物の化物になろうとしてしまっていた。その事に、気付いたのだ。
 そして化物になることなど望んでいない事にも。自らの内に眠る化物の巨大さにも。

 気が付けば夜科は走り出していた。
 足や肩、掌の焼けるような痛みに構う事無く一心不乱に何かから逃げるように。
 夜科に問いかける少年の言葉は胸を抉るかのように苛み続ける。

 何か、とは少年のその言葉だったのかも知れない。


◆◆◆


 金曜日。

 本当は昨日と一昨日、水曜日と木曜日も早朝の練習をしたかったのだけれど、生憎の梅雨空がそれを許してくれず、仕方ないので室内で出来るPSIの集中の練習をしたり、本を読んだりで過ごしていた。
 そして今日は快晴とはいかないものの雨雲の姿は見当たらず、雨が降る気配もなさそうだったのでまた早朝に訓練する。
 その為に暖炉にくべる薪が積んである家の裏へ行き、割られる前の手頃な丸太を探し出して来た。

「ふう……」

 丸太は結構な重さを持っていて、中々持ち上げられなかったのでテレキネシスを使って運んだ。
 生身よりもPSIの方が強い、と言うのは喜んでいいのか悪いのか。
 でも、初めてPSIが使えるようになった頃の生身と同じ程の力しか出せなかった頃よりは進歩していると言う事なので、喜んでいいのだろう。
 そんな事をつらつらと思いながら丸太を芝生の真ん中に置いた。
 直立する丸太に視線を向けていたのを一度目を瞑って視線を切る。そして瞼を開いて、同時に創り上げていた物を解放する。

「……」

 目の前に、柄のついていない三本の刃が現れた。
 それらは空中に固定されていて地面とは垂直に、つまり地面に水平にその刃を向けている。そしてその刃先は先程置いた丸太の方へ。
 サイレン世界で思いついたブレードを飛び道具として使う技の縮小版である。

 あの時この技を実際に化物、禁人種へと使ってみて分かったのだけれど、どうも狙いが甘い。
 ブレードは禁人種へ刺さっていたものの、二十本あったブレードの内、半数ほどしか当たっていなかった。

 倒せたからよかったが、もし外れていたらと思うと嫌な汗が出る。もっとも、外れる事の無いように禁人種をブレードで囲んだんだけれど。
 しかし一々敵をブレードの檻に閉じ込めていては効率が悪いし、何より負担が大きい。
 理想は1本のブレードで一体の敵を倒すことだろう。その為にも、ブレードの投擲練習をしようと思い立ったのだ。

「固定解除(フォール・ダウン)」

 呟いたその言葉と共に刃が地面へと落ちかけるが、それを僕のテレキネシスが許さない。
 テレキネシスの意識を保ちつつ、目線を丸太へと向けた。

「よし……! 行けっ!」

 掌をゆっくりと持ち上げ丸太へと五指を伸ばした。息を一つ吐いて、テレキネシスに力を加える。
 ブレードは結構な勢いで飛んで行き、丸太へと深々と突き刺さった。……ただし一本だけ。
 残りの二本は丸太から狙いが逸れ、丸太の縁を掠りながら後ろへと飛んで行きそのまま重力に負けて地面へと墜落した。
 力を直ぐに解除したのでブレードはゆっくりと空気へと溶けて行く。

「あれー……おっかしいな……」

 何が駄目だったのか、考え得る原因を頭の中に幾つか浮かべてもう一度刃を投影する。
 また3本の刃を創り上げて、飛ばした。
 今度は掠りはしたものの一本も当たらなかった。何が駄目なんだろうか。……いや、答えは何となく分かっている。

「……」

 PSIのブレ。

 目覚めた当初より力は大きくなっているが、相変わらずテレキネシスの精度はそれほど高まっていないように思う。
 いや、恐らく成長してはいるのだろうけども、初めが酷過ぎたために成長してもこの程度なのだろう。
 PSIのブレを根本的に治すしかPSIの成長を見込めないのかもしれない。……だけど、どうやって?

 そう言えば、マテリアル・ハイのブレが少し収まったのは二度目の熱を胸に感じてからだった。
 感覚的に分かる。あれは、恐らくカイルの心により近づいたからだ。

「要するに誰かと仲良くなれ、って事なのか……?」

 誰しもが自分じゃない誰か、他人に対して壁を持っている。その大きさが大なり小なり個人差はあれどそれを持たない人間なんか居ない。
 その壁が、あの熱を感じた時にほんの少し薄らいだような気がした。

 人を羨み、その人のように成りたい、何も無い自分から生まれ変わりたい。
 ……いや違う。僕は、自分が誰なのか知りたいんだ。誰かが誰かであるその証拠とは何なのか、恐らくみんなそれぞれが持っているだろう自分が自分だと言えるような証明、それがどんな物なのか知りたいんだ。
 そう願い壁を侵してまで人の心に触れようとする。触れて、ずっと分からない物『自分』とは何なのか知ろうとする。
 そんな決して綺麗とは言えない利己的な心から、誰かの力に依存するのが前提なこの不思議な力は生じているのかもしれない。

 ただ……自分と人との距離感が上手く掴めない。
 壁を無理に侵そうとすれば逆にその壁は厚くなってしまう、ような気がする。だけど触れようと手を伸ばすのを止められない。近付き過ぎてしまう。
 そして無遠慮にべたべたと心を触ってしまったなら、きっと僕はその人の隣に居る事が許されなくなる。

 そもそもまず第一に、色々な事を含めて自分が判断する全てが正しいのか分からない。
 手を伸ばそうとするのが正しいことなのか間違っていることなのか。例えば誰かが僕の隣に居るとして、僕はどうするべきなんだろう。
 顔を向けて手を取り合う事を願うのが正しいのか、視線を交わらせる事も無くただそこに平行線のように在るだけでいるのが正しいのか。

 こんな大事な事も分からない、身についていないのは僕に記憶が無いせいなのだろうか。
 それに、人と仲良くなる事の根本的な方法を教えてくれる人もいなければ、そんな本も無かった。

 ……みんなどうしているんだろう。
 いつの間にかみんな誰かに教えてもらっているんだろうか。それとも独りでに出来る事なんだろうか。
 僕だけが、分からない事なんだろうか。

「……っ!」

 思考を振り払うようにブレードを再三飛ばした。今度は、三本とも掠りもしない。
 ……考えても答えが出ない事をうじうじと考えるのは、きっと良くない癖だ。頭を振ってこびり付く思考を頭から追い出してまた丸太へと向き直った。
 今やれる事をやる。無いものを望まない。それが正しいかどうかは分からないけれど、間違ってもいない。そう思う。

「おはよう、ファイ君」

 不意に声がかかった。
 後ろは振り返って無いけど、声から判断するに多分マリーだろう。
 振りかえると、そこにはやはり思い描いていた通りのマリーの姿があった。声から一抹の眠気が感じられるマリーは、寝巻から既に着替えた普段着にサンダルの格好。

「や。おはよ」

 いつも通り軽く挨拶を交わす。そう、いつも通り。無駄に心配を掛けたくないから、つまらない考え事をしていたのを顔に出さないようにして。
 こんなタイミング良く声を掛けて来ると言う事は、マリーは結構前からこっちに気付いていて敢えて声を掛けなかったのかもしれない。
 気配りの出来るマリーなら僕の訓練が終わるまで待とうとするだろう。

「フーちゃんから聞いたんだけど、ホントに朝から訓練してるんだ。偉いなあ、ファイ君」

「フレデリカが? まあ確かにこの間訓練してるのを見られて……もののついでに燃やされそうになったんだけど」

 あの時フレデリカは何だか不機嫌なようだった、と言うより僕が怒らせてしまったようだったから、あの事について誰かに話すとは思わなかった。
 早朝の訓練だから、誰かに見られる事はもうないだろうとも考えていたけど、それだったら思いがけない遭遇が重なるのも頷ける。
 マリーは、少し離れた所に置いてある丸太と、僕を感心したように見比べていた。そんなマリーの視線は、少しこそばゆい。

「偉い、って程のもんじゃないさ。ただ僕がしたいからしてるだけ」

「ううん。それでも偉いよ。でも、どうして急に? ……おばあ様が言ってた事となにか関係ある、の?」

 不安そうな顔。
 お婆さんが言っていた事、とはお婆さんの予知夢の事、世界崩壊についての事だろう。
 お爺さんが亡くなって暫くしてからお婆さんに予知夢の事を話された、あの日の事を思い出しているようだ。
 急に僕が訓練なんか始めたから、何かに対して備えるような事をし始めたから不安になったと言ったところか。

「……いや。その事とはまた違う、かな?」

「そう、なの? よかったぁ……何かあるんじゃないかって心配してたの」

「その事とは、ね。ま、単純にこのままじゃマズイなと思ったんだ。まだまだ弱いから。弱くて、何の力にも成れないから僕は」

 サイレンの事は、言えない。
 灰にされる事もあるし、やっぱり余計な心配を掛けるのは無用。避けられるなら避けた方がいい。
 上手く誤魔化せられたと思うけど、どうなんだろう。この家の人達は妙に鋭い所があるから。サイレンには触れなくとも何か厄介事に首を突っ込んでいる事くらいは見抜かれそうで怖い。
 意識しなかったのに言葉の端々にも苦みが現れてしまっているような気がしたし。

「そんな! ファイ君は随分PSIの使い方が上手くなったよ! 私が一番みんなの中で弱いから、私こそ訓練しないといけないのに……やっぱり偉いし、すごいよ。ファイ君は」

「……」

 おっと。いつものマリーの自信の無さが出たみたいだ。俯き加減でもじもじと芝を見つめながら言う。
 視線を下に落とすのはマリーの自信のない時の癖だと言う事にこの家で生活し始めてからしばらくして気付いた。
 そしてマリーは訓練をあまり好まない自分を恥じているようだった。

 マリーが力を、PSIを戦う為に鍛えるのに抵抗が有るみたいなのは、マリーが優し過ぎるからだろう。
 優しいから、他人を傷つける目的で力を使うのに嫌悪を示す。だから訓練自体から無意識に遠ざかる。
 訓練をしてしまったら、力の刃を研いでしまったらこの平穏と言う名の日常が壊れ始めるように錯覚して。それは誰にも責められないし、責めるべき事でもない。

 だったら、どうするか。

 簡単。マリーが心を殺してまで力なんか使わなくて済むようにすればいい。
 そしてマリーだけじゃなくて、誰かの代わりに力を振るう人間が居れば、誰かが傷つかなくて済む。その人間とは僕でも構わない。それだけの事。

 それはわざわざ言わなくても良い事だ。言ったら何だか恩着せがましいと言うか、その、気恥かしいから。
 その事もあって誰にも会わないように早朝に秘密に訓練しているんだけど、思いっ切り見られてしまった……無念。
 
「ふむ。マリーが一番弱いとは思わないなぁ、別に」

「でも……」

 仕方ない。こうなったら多少強引に話を変えよう。
 内心密かに頭をボリボリと掻くようなイメージで、向こうに置いてある丸太へと向き直った。
 そっと瞼を結んで、力を思い浮かべる。

 ―――投影。

 目の前には先程と全く同じマテリアル・ハイ製のブレードが三本。揃って丸太へ刃先を向けている。
 何が何だか分かっていなさそうなマリーに再び顔を戻して、言った。

「じゃ、さ。僕に教えてよ、テレキネシス。見てたかもしれないけど、僕じゃ上手い事当てられなくて」

「え? で、でも……」

 はい、と体をどかしてマリーとブレードの間を開ける。
 殊更に笑顔で言って、有無を言わさない話の切り替え。マリーがおずおずと掌をブレードに向けたから、成功のようだ。

「いいからいいから」

「う、うん……じゃあ、いくよ?」

 マリーがテレキネシスのプログラムを組む為に力を練り始めるのと同時に僕はまた眼を閉じる。
 開いたのは、片目だけ。その片眼には先程までと異にする景色が広がっていた。
 『心羅万招』シャオの力だ。僕らを取り巻く空間にはPSIの存在が流れて見える。マリーを中心にしてPSIが高まっていくのも片眼が捕えた。
 
 ……あれ、こうやって改めてマリーを見てみると何か普通に力が強い気がするんだけど?
 溢れ出ているPSIの存在が強い。それこそ、エルモア・ウッドの誰よりも強い気がする。
 口から出まかせにマリーが弱いとは思わないと言った訳じゃない。僕なんかよりもずっとテレキネシスに長けているのだし。
 それにしても、こんなに強い力を秘めているとは思わなかった。

「えっ、えい!!」

 マリーのテレキネシスがブレードに絡みついたのが見えたから、固定解除してブレードを自由にする。
 可愛らしい掛け声とは裏腹にブレードは、さっき僕がやったみたいのとは違う、まるで躾されているかのような綺麗な軌道を描いて飛び、丸太へと全てが突き刺さった。

 衝撃で倒れた丸太に近寄って見てみると、ブレードは三本とも深々と食い込んでいた。
 三方向から異なった角度で丸太に突き刺さった筈なのに、丸太はマリーから見て真っ直ぐ後ろへ倒れている。

 つまりは、左右の二本は真ん中の一本から等しい角度で、また等しい力と等しいタイミングで入ったと言う事になる。
 そしてブレードは深々と食い込んでいた。加えられた力は相当な物らしい。
 とんでもなく精緻なコントロール、そして十分に巨大な力。それらを目の当たりにして、思わず笑みが浮かんだ。……自嘲の。

「……なんか、ゴメン」

「え!? なんでファイ君が謝るの!?」

「いや、調子乗ってた。もうそろそろ追い越せはしなくともみんなに追いつけたかな、とか考えてた僕がバカだった。何だこれ僕如きがテレキネシスを使えると自称する事すら恥ずかしいレベルだよ……いや存在がもう恥ずかしい」

「えっ、えっ!?」

「ナマ言ってすいませんでしたマリー先輩」

 何がマリーが一番弱いとは思わない、だ。エラソーに。マリーの足元にも及ばないじゃないか僕。
 若干カッコ付けてた。マリーを元気付けようとか考えた。それは認めよう。とんでもない。身の程知らずだったあの頃の僕を殴りたいよ。
 マリーは頭を下げる僕にどうしたらいいか分からずにあうあう言っている。
 先輩呼びは恥ずかしいと以前言っていたから、その事もあるのかもしれない。

「あの、すみません先輩。もう一回お願いできますか……? 愚鈍な後輩めにぜひその卓抜したテレキネシスをご教授下さい」

「せ、先輩はやめてってば!!」

 土下座せん程の勢いだったのをマリーに慌てて止められた。
 ……流石にここまでの差を見せつけられると少し凹む。途方も無く壁は高い、か。いや壁が高いのもあるけどそもそも僕が低いのだろう。日々精進するしかないらしい。
 今度は僕が俯けていた顔を上げるのと同時にブレードを作り出す。気を取り直して先程の言葉通りマリーに教えてもらう為に。
 目にまた心羅万招を使ってPSIの流れを観察する。

「あ、あの……ファイ君? か、顔が近いかなー、なんて……」

「え? あ、ゴメン気付かなかった。口臭? その、寝起きだから……」

「そうじゃなくて……いいや、もう」

 マリーの掌に僕の掌を重ねてPSIの波長を感じられるようにしてテレキネシスを教えて貰おうと思ったのだけど、なんだかマリーに心なしか遠ざけられた気がする。
 そして僕は、咄嗟に冗談で誤魔化した。そもそも歯はもう磨いてあるのだから多分大丈夫。
 ただ――また僕は無意識で接し方を、距離を間違えてしまったのかもしれない。マリーの思った、感じた、考えた事が、分からない。

 ……止めろ。今考える事じゃない。落ち込むのは独りの時だけだ。そう言い聞かせて、再び教えてもらうのに意識を移した。

 その時だった。胸に熱を感じたのは。
 いつか感じた事のあるそれは、ゆっくりと僕の内側に染み渡っていく。少し熱いけれど、暖かい。
 ――だけど、その暖かさがほんの少しだけ、怖く思ったのは気のせいなのだろうか。望んで手を伸ばしている筈なのに、何かを恐れるなんて意味が分からない。

 距離が縮まる事は、縮める事を望むのは正しい事なのか。
 とてもじゃないが僕なんかには、分かりそうになかった。

 ……ホントに口臭だったらそれもそれでどうしよう。


◆◆◆


 土曜日。

 その日、夜科アゲハと朝河飛龍と雨宮桜子の三名は豊口駅に待ち合わせしていた。
 駅で、と言っても鉄道を利用するのではない。ただ単に集合場所として三名の家から大体等距離にある分かりやすいこの場所を選んだのだ。
 
「よう」

「……おす」

 駅の構内で互いの姿を確認した朝河と夜科は軽く声を掛け合った。
 もう一人の待ち人である雨宮の姿は未だ見えない。もっとも現在時刻は集合時間の三十分は前なのだから、致し方ない事である。

「……」

「……」

 声を掛け合った切り、無言になってしまう男二名。
 共通の話題が無い訳ではない。ただ、何となく二人はお互いにしばらく黙っている気分だったのだ。
 二人の間には雑踏の騒音が駆け抜けていったが、奇妙な静謐にもまた満ちていた。

「なあ……」

 そうして十分は経っただろうか、不意に朝河が声を発した。ただしそれは夜科の方を向いて言った言葉では無かった。
 朝河の正面にある改札口から溢れる人の群れを視線で捕えたままに、口の端から零れるようにふと声を上げたのだ。
 そんな朝河に同様の視線を合わせない返事を夜科が投げ返す。

「あんだよ」

「多良高の判戸、って知ってるか」

「……! ……知らねぇ」

「そうか、なら良いんだけどよ」

 手持無沙汰だった腕を組むのに合わせて大きめの息を一つ吐く朝河。
 相変わらず二人は視線を合わせる事をしない。果てに、朝河は静かに瞳を閉じた。

「……その多良高の判戸がどうしたってんだ」

 多良高の判戸という言葉を聞いて夜科が僅かに顔を強張らせたのに横目で気づいていても、朝河は何も言わなかった。
 一度は閉じた瞼を再び薄く開け、視線をもう少し下げると組んでいた夜科の脚は解かれ、壁に預けていた背中も浮いるのが映った。
 夜科は隠し事が大の苦手である。その事を朝河が知らずとも、何かあると言うのは薄らと傍目で分かったらしい。

「いや。今週妙な噂が俺の高校にも聞こえてきたもんでな。噂によると判戸って野郎は中々に強い力を持ってたらしい。勿論、不良の勢力ってカテゴリーの中の話だが。
……そいつが、ついこの間ボコボコにシメられたって話だ。それも完膚なきまでにな」

「……それがどうした。どこぞの不良がバカやらかして、俺と何の関係がある?」

 むきになっているような声音。語尾が僅かに上擦っていた。
 朝河に食ってかかろうとしている自分に夜科はハッと気付き、それがばれない様に背中を壁に再度着陸させる。尤も、その行動も見透かされてはいたのだが。

「そいつらはよっぽど手酷くやられたらしくて、揉め事をやらかしていた時の事は口外しないそうだ。安いプライドってやつだろう。
ただ、現場にはバカデカい穴が残っていたそうだ。それと付近にいた人が爆発音を聞いたらしい。あんな街中で爆発物を使うなんて、相当ヤバい奴だったって噂だ」

「っ!」

 夜科の目が見開かれた。その深い色を漂わせる虹彩には、明らかな焦燥と、それに類する感情が浮かんでいる。
 何か言おうと唇が微かに震えるが、喉が鳴る事は無い。見つからなかったのだ、この場に相応しい言葉が。
 流石の鈍い夜科と言えど、朝河がその出来事と自分を何らかの形で結びつけんとしているのに気が付いた。

「なあ、お前が先週送ってきた雨宮の部屋のあの大穴、あれは……」

「……うるせえよ」

「PSIってヤツは確かにすげえ。だがその力をむやみやたらに使うのは」

「うるせえッつってんだろ!!」

「おーす」

 群衆の視線を集めるほどの大声を上げて、勢いで朝河の胸倉を掴む夜科。
 一触即発のその状況に、場違いな程の暢気な声が二人を遮った。見ると、私服姿の雨宮桜子が軽く手を上げて二人のすぐ側に居た。
 その雨宮の突然の登場に気勢をそがれた夜科は、乱暴に掴んでいた朝河の服から手を離した。朝河もいざとなったら応戦するつもりであったが、同様にそんな気勢ではなくなってしまっていた。
 ただ、互いに目を合わす事はまたしても無くなり、今の気分を表すかのような粗野な舌打ちが響いた。

「二人とも、どうかしたの?」

「何でもねぇよ」

「何でも無い」

 様子のおかしい二人に対して首を僅かに傾けて言う雨宮だが、二人は同じ内容の言葉を即座に叩きつけた。
 まるで聞くな、と言っているように。事実そうであったので、それを何となく察した雨宮はそれ以上突っ込む事は無かった。
 ただ、傾けていた表情の変化のあまり無い顔を真っ直ぐに戻しただけ。内心はまだ首を傾けたままなのだが、仕方なくそれとは別の話を始める。

「それより、そろそろ時間だわ。恐らく車はもう着いている筈よ。探しましょう」

 確か迎えの車は黒塗りのメルセデス・ベンツだった筈だ。それならば見つけやすいだろうと駅の構外へと三人は向かって歩き出す。
 そんな折、雨宮は本人に気付かれぬようにちらりと夜科の顔を見た。不機嫌な顔をしている。
 何故自分は今夜科の顔を見たのか、理由を説明できない自分の行動に雨宮は訝しんだが、考えても具体的な答えが出て来ないので、その思考を頭の隅から追いやった。

 そして三人は酷く目立っていた黒塗りの車を容易く見つけ、乗り込んだ。
 三人を乗せた四輪駆動車は注ぐ陽光に黒の体を焼かれながら、排気ガスの呼気を吐き出して伊豆へと向かうのだった。


――・・・


 車内にはエンジンの駆動音と、タイヤのゴムがアスファルトを撫でる音だけがあった。
 運転手は一言二言話したみで、あとは三人ともが口を開く事は無かった。朝河と夜科の剣呑な雰囲気に加えて、雨宮は一人考え事をしていたからだ。

「……天樹院エルモア。サイレンの秘密に五億円の懸賞金を掛けた大富豪……か。そして、あの不思議な子の保護者」

 乗車してそれなりの時間が経過した後、雨宮が思考の海から意識を掬い上げてポツリと言った。
 エルモアがサイレンに拘る理由については、大まかに白髪の少年から聞いていた。それについては疑問は無い。
 だが、どうにも違和感があったのだ。サイレンについての情報を望んでいるエルモアの元に、実際にサイレンのゲームに参加している者、しかも子供が居る事が。

 偶然にしては出来過ぎな気もする。まるで、誰かに仕組まれたかのような都合の良さだ。
 もしかするとその仕組んだのはエルモアで、年端も行かない子供を使ってサイレンを探っているのでは無いか、と邪推すらした。
 
「……アイツは何なのかねぇ。なんっか変な感じがするんだよな。アイツ見てると。こう、見た事がある気がする、と言うか」

 その邪推についてはエルモアの口から本意を聞けばいい、わざわざ伊豆くんだりまで呼ばれたのだから、と雨宮が考えるのを打ち切ろうとした時、不意に夜科がそう零した。
 どうやらエルモアの事では無く、白髪の少年の事を言っているらしい。そしてその内容には引っ掛かる物があった。

「……お前もか? 実はオレもどっかで会ったような気がするんだが」

「え、あなたたちも? 私はデジャヴかと思って口に出さなかったんだけど……それも三人ともだなんて」

 ふとしたことから、それまで視線を交わす事すら無かった三人が顔を見合わせた。
 それまで生きて来て三人が経験する事の無かった奇妙な感覚。それが共通して三人にあった。だがその正体は分からない。

「……」

「……」

「……」

「……間もなく到着いたします」

 三人の会話に入るタイミングを暫く見計らっていた運転手が何とか隙を見つけて、ここだとばかりに告げた。
 三人がその声で見合わせていた顔をまた別々に向ける。告げる事が出来た運転手は、どこか嬉しそうだった。


――・・・


「大奥様はこの先のお屋敷にいらっしゃいます。少々お待ち下さいませ」

 車が大きな門を潜り、その先にあった建物の前で停車した。客席の扉を丁寧に開けた運転手はそう言って建物の中へ消えていった。
 残された三人は車から降り、背伸びしたり肩を回したりしていささか窮屈だった車からの解放を体で感じ取っている。
 空を見上げると仄白い欠けた月が浮かんでいた。

「今日はいい天気だな。それにしても、大きな屋敷だ」

「あまり広すぎても寂しいだけじゃない」

 肩に次いで首を回し終えた朝河が降り注ぐ光線に目を細めながら呟く。その呟きに雨宮が感情を乗せない声で何気なく返した。
 雨宮は特に意図したわけでは無かったのだが、朝河にはその言葉があの雨宮の寒々とした広さの部屋のイメージと重なり、どこか哀調を帯びた物に聞こえた。

 一方夜科は、水音を聞きつけ何気なくその音源である噴水に近づき、何気なく覗きこみ、何気なく靴を脱いで噴水に入り、何気なく噴水内の鯉を捕まえていた。
 えも言えない何かで満たされた顔を、夜科は離れた所に居る二人に向ける。

「おい、なんでアイツあんな嬉しそうなんだ。なんであんなドヤ顔してんだ」

「……色々とためらいってもん持ってないのかしら」

「あの錦鯉、二百万円はするんですけどね……」

「うわっ! びっくりした!」

 意識を夜科に取られていた二人には少年が突然現れたように思えた。実際は普通に建物から出て来て横に並んだだけなのだが。
 呆れた表情の二人のように少年の顔にも呆れのような物が浮かんでいたが、それはどちらかと言うと高級な鯉を遠慮会釈も無く手で弄んでいる事への驚きに近い物だった。

「いつの間に、って二百万……だと!!? おい馬鹿止めろ夜科鯉を今すぐ捨てろ!! いや全力で優しくそっと下ろせ!!!」

 金銭にあまり不自由のない雨宮はさほど驚かなかったが、庶民である朝河は二百万円と聞いた途端顔色を変えて夜科に向かって怒鳴りつけた。必死の顔だった。
 少し離れた所の夜科は朝河の必死な顔をする理由がよく分からずにポカンとしている。

「あ? 恋は優しく全力で? 何言ってんだあい……ブォッ!!?」

 胡乱な眼をする夜科だが、最後まで独り言を言い切る事は叶わなかった。急に光が陰ったと思った瞬間、顔面に予想もしない大きな衝撃が走り、夜科は吹き飛ばされていたからだ。
 それと同時に鯉も空中へと投げ出される。

「ああっ! フレデリカ!!」

「夜科!!? いやそんなのより鯉だ!!!」

 朝河が見ると、鯉は空中にふわふわと漂っている。あのままでは地面に叩きつけられると咄嗟に判断した少年が、テレキネシスを使ってそれを未然に防いでいたのだ。
 そのままゆっくりと噴水い戻される。朝河はそれを見てほっと安堵の息と共に胸を撫で下ろした。

「何だ!? 飛んで来やがった!!?」

「はッはァ!! 我こそはエルモア・ウッドの……」

「んな事より、なに鯉なんかに人の名前付けてんのアンタ。燃やされたいの?」

「金髪の方のフレデリカ!!? いや、あの鯉達名前無いって聞いたから、カイルとかマリーもいる……ってあァァっっっっつぅぅぅぅぅぅぅ!!!? 燃えてる!! 襟足!! もう燃えてるから!!!」

 順序立てて描写するならば、まず夜科が鯉を手にして少年のような笑顔を浮かべていた。
 次に突然肌の浅黒い白髪の少年と同じ背丈ほどの別の少年が夜科の顔面を気持ちがいいほどに蹴り飛ばした。
 そしてフレデリカと言う名の鯉が白髪の少年のテレキネシスによって噴水に戻されて、それからまた唐突に現れた金髪碧眼の少女に白髪が燃やされた、と言った所だ。

「金髪の方って、アタシと鯉の区別はそこか。そこだけか。もし鯉に金髪が生えたら見分けが付かないのか」

「ああああああああああ!!! 禿げる!! これは間違いなく禿げる!!!」

 白髪の少年、ファイは襟足から炎の尾を引きながら慌てて噴水へと飛び込んで行った。噴水に頭を突っ込んで足をジタバタしている。
 気付けば一同に静寂が降りていた。あまりに展開が唐突かつごちゃごちゃして、ついて行けなかったのだろう。
 フレデリカと呼ばれた少女はそんな一同を一瞥し、フンと鼻を不愉快そうに鳴らして再び建物の中に入っていった。残された一同は相変わらず何も言えない。

「あー……その、な? オレはこの家の警備隊長で、天樹院カイルって言うんだ。よろしくな」

「あ、ああ、よろしく? それよりアレ、大丈夫なのか……?」

 すっかり雰囲気が消沈してしまい、カイルは気を取り直して夜科に手を差し出す。
 咄嗟に差し出された手に困惑しながらも起き上がった夜科は噴水を、気付けば顔を沈めたままぐったりして動かなくなったファイを見遣って、若干顔を引き攣らせながら尋ねた。

「まァ大丈夫なんじゃね? もやしに見えてそれなりにしぶといから、あいつ」

「そうか……じゃ、謝ろうか」

「へ?」

 ガシっと頭を掴まれたカイルは間の抜けた声を上げて夜科の顔を見上げた。そこにはこう書かれていたと言う。悪ィ子゛はいねが、と。
 歯をむき出しにしていっそ清々しい程極悪な笑みを浮かべた夜科に、カイルは本能的な恐怖を覚えた。

「あ、あああ……」

「キャーッチ」

 頭を掴んだまま持ち上げようとする目が真剣な夜科に、このままだと最悪殺されると判断したカイルは身を捩って夜科の手を振りほどいた。
 それもまた必死の形相だった。どうしてこんな事に、とカイルは後悔するが後悔した所で目の前の悪鬼をどうにかする方法が浮かぶ訳ではない。
 
「い、嫌だ!! う、うわああああああああああああああ!!!!」

「待てコラぁぁ!! 悪い事したら謝罪と習わなかったのか!! よーしアゲハ様を敵に回したなクソガキ!!!」

 残された唯一の選択肢、逃げる事を選ばざるを得なかった。空中にブロックを形成し、空へと跳び上がって一目散に駆けだす。
 ただの人間が自分に追いつける訳が無い。そう自分に言い聞かせるが目をギラつかせて迫る夜科の憤怒の形相を見ると、その自信は儚く瓦解していった。

「……なんだか、酷く賑やかね」

「ああ……ところで俺達、忘れられてないか?」

 どちらが子供なのか分からない具合に早速騒々しさに馴染んだ夜科が走り去っていくのを見送りながら、雨宮と朝河の二人は呟いた。
 呆然と呆れが入り混じったような表情が互いに浮かんでいる。そこに、一人の老婆が現れゆっくりと二人に近付いていった。

「まあ遠い所へよう来てくだすったね。ありがとう、ありがとう。うちの子達がとんだ失礼をしたね」

「……!」

 天樹院エルモア、その人であった。


◆◆◆


 後頭部がヒリヒリする。幸い火傷は負っていないようだけど。
 あの後噴水から引き摺り出た僕は、お婆さんと雨宮さん達について客間へ移動した。サイレンの参加者でもあるんだから話には参加しないと。
 雨宮さん達がお婆さんに促されるままソファに腰を下ろしたのを見て僕も座る。机を挟んで僕とお婆さん、雨宮さんと朝河さんは向かい合った。
 
「カイル君のあの動き……彼も超能力者ですね?」

「うむ……その通り。カイルも先程のパイロキネシスの子も自分の持って生まれた力と環境によって行き場を失くしてしもうた子供達。
わしは、ここでそういった子供達を集め育てておるのじゃ」

「じゃあ、あなたもなの?」

 お婆さんがさっきのみんなについて説明していたと思ったら、突然僕に話を振られてびっくりした。雨宮さんと雨宮さんと朝河さんの瞳がじっと見つめて来る。
 びっくりしたせいで初め何を聞かれたのか分からなかったけど、少しして僕の境遇について聞いているのだと分かった。
 
「いえ、僕は違うんです。僕のは少し変わった事情と言いますか、どう説明したらいいか……けどまあ今はいいじゃないですか。話、続けましょう」

 話をしてもいいのだけど、それを説明するにはやはり時間がかるし、それは本筋ではないだろう。
 控えめな笑みを浮かべて首を振っておいた。

「……ふむ。先に話しておく事がある。この子には友達、と紹介されたがお前さん達の事情をワシは推測は出来ておる。サイレンの世界に行き、生き延びた人間じゃろ」

「……」

 雨宮さん達と視線を交わす。どこまでお婆さんに話したのか、という問いかけを含んだ視線だろう。
 サイレンについての核心に触れるような事は話していない。僕が灰になっていないのがその証拠だ。大丈夫です、という意味を込めて頷いておいた。

「だからお前さん方は何も話さんでいい聞いとればいいんだ。これでもただのババァじゃないんでね」

「極度のトランス偏重型サイキッカー、そして、予知能力者……」

「そうじゃ。この子からこちら側の事情は大体聞いておったようじゃの。ならば話は早い」

 事のあらまし、どうしてお婆さんがサイレンに拘るのか、お婆さんが見た夢の事についてなどは以前に雨宮さんに話しておいた。
 朝河さんにもそれが伝わっているのだろう、二人は揃ってお婆さんの言葉に頷いていた。
 
「ワシはね……サイレンと世界崩壊の謎をその足で直接調べに行ける……資格と実力を持ち合せた者とずっと話がしたかったんじゃ」

 お婆さんは言葉をそこで切って、ふと、首を傾け窓を見つめた。
 それはお婆さんがよくする癖。多分、お婆さんのPSIの特徴がそのまま癖となって普段無意識のうちにも表れているのだろう。

「正確な時も原因も分かん、だが確かに近く訪れるあの崩壊を何としても止めねばならぬ。……ここでPSIを学ぶ子はこの子のみではない。未来の希望は、ワシの巣の中ですくすくと育っておるのだ」

「……」

 ……なんだろう? さっきから雨宮さんの視線をチラチラと感じる。
 お婆さんの話を聞いていない訳じゃない。だけど、その合間合間に意識が僕に向けられているみたいだ。

「……だが、そんな事よりも。どうかこの子とよろしくしてやってくれ。この子を……よろしく頼む」

「お、お婆さん?」

 突然、お婆さんが頭を下げた。
 どうやら二人に僕の事を頼む、つまり保護者のようにあって欲しいと頼んでいるらしかった。

「今日お前さんらを招待したのは、他でもないその事についてじゃ。……ワシはサイレンへ行く事は出来ん。その肩代わりをこの幼子に背負わせてしまっている。
だがお前さんらなら、共にサイレンへと行く事が出来る。どうか……どうかこの子の事を見守ってやっておくれ」

 ……僕が思っていた以上に、どうやら僕はお婆さんに心配を掛けていたようだ。世界の崩壊の事を、そんな事とまで呼んで。
 みんなの前、特にお婆さんの前ではサイレンと言う物が危険な物だと悟られないよう、また何の異変も無いように振る舞ってはいたけど、見透かされていたのかもしれない。
 もしかすると、僕がお爺さんのように灰になって消えてしまうのではないかと恐れているのかもしれない。

「……分かりました。頭を上げて下さい」

「雨宮?」

 雨宮さんが平生と変わらない口調で短く言った。
 表情は、なんだか複雑な物だ。薄く微笑んでいるような、何か納得し切れていないような、とにかく雨宮さんの感情が読みとれない。

「本当は、一言二言聞きたかったんです。どういうつもりだって。こんな小さな子たちを、まるで運命を変える道具みたいに使う人だと思ってましたから」

「あ、雨宮さん!?」

「それについては……ワシは弁解しようも無い。この子たちを危険に晒すような真似をしているのは事実。この子たちにはどれだけ責められても責められ足りんのは、分かっておる」

「……だけど、なんとなく分かったんです。あなたとこの子との関係が。あなたはとてもこの子の事を心配している。サイレンの事なんかよりも、ずっと。
胸が張り裂けそうなほど、この子をサイレンに送る事をついて悩んだのでしょう。部外者の私にはとてもじゃないが想像もつかないほど」

「……」

「大丈夫。この子の事は、私達に任せて下さい」

「……すまぬ。いや、ありがとう、と言うべきじゃな……本当にありがとう」

 雨宮さんがお婆さんの手を取った。
 なんだろうこの穏やかな雰囲気。話し合いがこんな方向に向かうなんて全く予想していなかった。
 と言うか、なんで僕がそもそも守られる前提で話が進んでいるんだろう。僕だって、誰かに守られなくてもいいように一応は頑張っているつもりなんだけど。
 朝河さんも、なんで目を細めて僕を見るんだ。満場一致で子供扱いか。いや、子供か。……こんなに子供であるのが何だか悔しい事は無かった。

「あの……なんで僕が守られる立場前提なんですか。僕だって……!」

 そう言おうとしたけど、その場に居た僕以外の人がなんだか微笑ましい物を見るような目つきをしていて、最後まで言いきる事が出来なかった。
 ……なんだこれ、すごい悔しいんだけど、なんだこれ。
 悔し紛れに窓の外を見ようと微笑ましい顔をした大人組から顔を背けると、目が合った。外からこちらを覗いていたフレデリカと。

「……」

「なにしてんの」

 その言葉が向こうに聞こえたのかどうかは分からないが、フレデリカのギクリとした顔がゆらゆら揺れていた。
 この部屋は一階だけど窓まで微妙に高いから、何かの上に乗って覗いていたのかもしれない。……マリーとか。で、ビックリしてバランスが崩れたと。

「……あ」

「ん? ……あ」

 窓の向こうのフレデリカの更に向こうに不吉な物が見えて、思わず声が漏れた。
 その声に反応して、部屋にいたみんなも一斉に窓を見た。そして僕と同様の声を漏らしたのは、傍から見ればおかしな光景だったかも知れない。
 不吉な物とは、カイル、そしてその背中に掴まっている夜科さんだ。空中をギクシャクした動きで飛行しながら、その軌道をフレデリカに向かわせている。
 こうしてこんな事を考えてるうちにも……

「どいてどいてお願いだからそこどいてぇぇぇぇ!!!」

「な!!? に゛ゃああああああああああ!!!?」

「きゃああああん」

 ああ、ほら考えている間に予測が現実となった。予知能力なんかなくても誰でも分かる未来予想だった。
 フレデリカ、ついでにやっぱり居たらしいマリーを挟んで壁に激突した二人の衝撃で家が僅かに揺れる。この家結構年季入っているんだからそんな事されると埃が振って来る。やだなぁ。

 ……とか、現実逃避に考えてないで、さっさと外に向かおう。


◆◆◆


 遡る事幾許か。
 来客の姿を確認しに来て、たまたま聞こえてきた同居人の白髪の少年の発言に腹が立って少年にその苛立ちをぶつけた後。フレデリカは客間を盗み見していた。

「何なのよあいつら!! アイツの友達が来るとか言うからどんなツラしてるか見に行ったのに、全然友達に見えないじゃない! アレ絶対ただの友達なんかじゃないわよ」

「私もビックリしたんだけど、疑っても仕方ないよ、フーちゃん。ファイ君の知り合いなのは本当みたいなんだし……」

「怪しい。怪しさの塊よ。疑うなって言う方が無理があるわ」

 フレデリカ達エルモア・ウッドの住人には予め、今日来客があると言う旨が伝えられていた。エルモア曰く、白髪の少年の友達だと。
 この家にエルモアへの客以外で来客がある事自体が珍しく、またこの家の外の友人などと言われれば気になるのは仕方のない事だろう。
 好奇心と、外の人間への警戒を織り交ぜた感情を秘めて、その客人を見定めに行ったフレデリカだが、その客人は彼女の予想に反して、少年少女と言うよりは青年と言った風体の三人組だった。

 流石のフレデリカも面喰ってしまい、また少年への苛立ちも加わって有耶無耶になってしまった偵察だったが、そんな事で諦める彼女では無い。
 エルモアが人払いをしたのに巻き込まれて外へ行かざるを得なくなったフレデリカだが、そこは自称高貴で美しい女スパイの彼女である、なんとか秘密の会合を耳に入れようと躍起になっていた。

「……ところで、重たいよ……フーちゃん」

「煩いわね。中の声が聞こえないじゃない」

 苦労するのは、専らマリーなのであったが。
 彼女の背丈では覗く事が出来ない高さに窓がある為、彼女はマリーの肩を踏み台にすることでどうにか窓に達していた。
 フレデリカの蒼い瞳がキョロキョロと部屋の中を転がすように眺めている。しかし、部屋の中の人らが窓から遠いのも手伝って、残念ながら声ははっきりと聞きとる事が出来なかった。

『サ……レ……』

 聞こえてくるのは途切れ途切れの声だけだ。ああ、もうじれったいと、地団太を、正確にはマリーの肩を強く踏みつける。その度に小さくマリーが苦悶の声を漏らした。
 そうしている内に、中の少年がふと、窓の方を向いた。そしてフレデリカの蒼い視線と少年の薄い銀色の視線がぶつかった。

『なにしてるの』

 少年の口元がそんな風に動いたように見えた。
 ドキリ、と内心の動揺と同調するかのように思わずバランスを崩してしまう。倒れまいと強く踏ん張ったせいでとうとうマリーが悲鳴を上げた。

「痛い!! 痛いよフーちゃん!!」

「あっ、ごめ……」

 フレデリカはその句を最後まで告げる事は叶わなかった。
 この後の悲劇の種がガラス窓にしっかりと映っていた事に、フレデリカはフレデリカが気付く事も無かった。


――・・・


 いつの間にか開催された鬼ごっこに、カイルと夜科は興じていた。
 尤も、二者どちらも興じるなどと言う言葉が似つかわしくないほどに必死の形相であったが。

「な、なんで……! ただの人間がオレに付いて来られる!?」

「超能力なら持ってるぜッ!! 根性と言う名の超能力をなああああああああ!!!」

 そう叫びながら夜科は執拗にカイルを追いかけ回す。
 マテリアル・ハイを用いて逃げたとしても先読みと先回りを繰り返し追い詰めるなど、勘と体力に物を言わせた方法で夜科は縦横無尽に三次元を飛び回るカイルに対抗していた。
 そしてその荒くなった鼻息と血走った目が更なる恐怖をカイルに与えている。

 カイルが言うように、夜科はPSIが使えないわけではない。
 ただ夜科のPSI、バーストは牽制や威嚇に用いるような、そんな器用な使い方が出来るような気が夜科にはしなかった。まるで用途が破壊それのみに限られているような気がしてならなかったのだ。
 そんなPSIをおいそれと使うわけにはいかない。また夜科は未だライズを修得していない。結論として、頼れる物は己の肉体のみであった。

 そうしてその鬼ごっこがどれほど続いた頃であろうか、両者に疲労の色が現れ始めた。
 カイルにはPSIの連続使用による脳へのダメージ、そして追われる事への精神的疲労が。夜科には単純に肉体的疲労が。
 そんな中カイルは致命的なミスを犯した。

「見えたッ!!」

「なっ!!?」

 創り出すブロックの高度を誤って低くしてしまったのだ。
 空中を闊歩するカイルの動きをしばらく観察し続け、夜科はそれが飛行しているのではなく、何らかの物体に着地とそれからの跳躍を繰り返しているのだと考えた。
 その推測は的を射た物であり、実際カイルの能力はほぼ不可視のブロックを創り出す物である。
 それに気付けば後は早かった。カイルが乗ったと思わしき物体目掛けて、夜科は跳んだ。

「ファイっトぉぉぉぉ!! いっ、ぱああああぁぁぁつッ!!!」

「い゛っ!?」

 目論見は見事成功し、土踏まずに感じる確かな感触と共に、夜科は空へと舞い踊った。
 勢いのままにカイルの背中に飛びつき不敵な、いや、不気味な笑みを浮かべる。

「ぐふふ。ぐふふふふふふふふうふふふふ」

「ごっ、ごめんなさああーい!!」

 首筋の裏側で気味悪く笑う夜科が真剣に怖かったと、後にカイルは語ったと言う。
 思わず無我夢中でブロックをデタラメに創り、その上を駆け出す。背中の鬼を振り払うような滅茶苦茶な動きで。
 そうして見えてきたのは、マリーの肩を踏んづけて、なにやら建物の中を覗いているらしいフレデリカ。
 不規則な軌道で、だが確かにその方向へと進んで行く。フレデリカはまだこちらに気付いていないらしかった。
 マズイ、と夜科が慌ててこちらに気付くよう大声を上げるが、後の祭りである。

「……って、どいてどいてお願いだからそこどいてぇぇぇぇ!!!」

「な!!? に゛ゃああああああああああ!!!?」

 まるでその運命が最初から定まっていたように、また美しい方程式のように、きっちりとその結果は訪れた。
 フレデリカをサンドイッチの具として勢いよく壁と激突した夜科達。衝突音にフレデリカ達の悲鳴のコーラスが加えられた。

「いっちち……無茶苦茶しやがるこのヤロウ」

「脳ミゾいでえ……」

「いたぁい……って、キャー!! フーちゃーん!!!」

 全身の痛みに顔を顰めながら瞼を開いたマリーが見た物とはカイルと、その下の得体の知れない男と、そしてそれらに下敷きにされたフレデリカの姿だった。
 重なるような形で倒れたため夜科の顔とごく至近距離、僅か数センチで向かい合うフレデリカの顔。痛みの為か、羞恥の為か、怒りの為か理由は判別がつかないが、赤らんだそれは小刻みに震えていた。

「う、うわっ悪い!!」

「……こッ……こッ……この……!! この、野蛮人共が~~!!」

 慌てて夜科は体を起こす。が、一度燃焼を始めたフレデリカの怒りがそう容易く鎮火する事は、無さそうであった。
 肩を震わすのに合わせて髪も、そして彼女の周りの空気さえも震え始める。大気が爆ぜる小さな音が辺りに響いた。

「ゲッ、やべ!!」

「って、うわ!! あれはマズイ!! 夜科さん!! 早く逃げて!!!」

 いち早く自体を察したカイルは焦燥に駆られてフレデリカから離れるが、彼女の事を知らない夜科は何が起こっているか分からないようで、呆然と立ち尽くしている。
 そこに、建物から現れた白髪の少年が夜科へと警告を送りながら駆け寄って来た。少年の顔は脳裏に照らされた過去の経験から真剣に焦っている物だった。

「は? ……え?」

「……お前ら、全員灰にしたるわボケ――ッ!!!」

 だが少年の警告も空しく、大気が熱を帯び始めた。フレデリカのPSIが顕現する前兆だ。
 間の抜けた声を上げる夜科の目に映った物は、陽炎に揺らぐ眼前の景色。そして自分の立っている場所ですら危険そうだと言うのに、更に金髪の少女の近くに倒れている茶髪の少女の姿だった。

「い、痛っ! 嘘、立てない……」

「おっ、おい!! マリー!! マズイって、関西弁が出てる!!」

 茶髪の少女、マリーは起き上がろうとするが、足首を捻ったらしく足に力を入れる度に痛みが走り、立つのは能わないようだった。カイルの顔に自分の身の危険とは別の種のマリーの身を案じる焦りが浮かぶ。
 そうこうする間に小さかった大気の爆ぜる音が徐々に大きくなって行く。そして、ついに火蓋が開かれ中の火薬に火が灯るように、空気が一気に膨張した。

 だが様子がおかしい。流石のフレデリカも近くにマリーが居る状態で最大出力の炎を使うほど非情では無い。しかしフレデリカ本人の意志とは裏腹に、炎は拡大するのを止めない。
 それは通常の順当に構成されたPSIではなく、一時の突発的な感情の高まりから生まれた物。コントロールの効かない、所謂、PSIの暴走と呼ばれる現象だった。

「うぐ……ぐ!」

「チッ!!!」

「きゃっ!?」

 具現した炎を前に夜科が取った行動は、逃げる事では無く炎へ向かって行く事。
 痛みと焦燥と恐怖に駆られて身動きが取れないでいるマリーを、炎から庇うように抱きしめた。

「っ!!」

 訪れるであろう熱の痛みに備える為に歯を食いしばる夜科。抱きしめる腕に力も籠った。
 ――だが、何時まで経っても痛みは襲い掛かって来なかった。何故なら、夜科の周囲だけ炎が存在していなかったからだ。

「何……!?」

「あ、あれは……!?」

 目の前の事態に頭が追いつかず、駆け寄っていた足を思わず止める白髪の少年。
 夜科の周りを炎が避けたのではない。炎が喰われたのだ。夜科の背後に浮かぶ紫電を帯びた漆黒の球体によって。
 それは、正しく暴力の権化と呼ぶに相応しかった。何をかを破壊し混沌を生み出す為だけに存在するかのような、圧倒的な力の塊。不用意に近付けば、音も無く消されると、少年は理性では無く本能のような物で判断する。

「あ、あ……」

「フーちゃん!!」

 いつしか内臓が溶けるようなPSI暴走の反動も忘れ、フレデリカはただ呆然とその漆黒の球体に見入っていた。マリーの自分を呼ぶ声も耳に届かない。
 その存在に牙を向けられたら最後、自分の恐怖心ごとに抹消されそうに思えて。どうする事も出来ないと諦めるしかないように思えて。
 
「……くっ!!! 」

 恐怖心に駆られたのはPSIの持ち主である夜科を除き、その場にいた者全て。ファイもその例に漏れなかった。
 粘つくような、頭の底から湧きあがってくる恐怖心。だが少年はとりあえずその恐怖心を無視した。無視して、炎に向かって再び駆け出す。球体がどう動くかは不明だが、何となくあのままでは炎を喰らうのに巻き込まれフレデリカも喰われてしまうと思ったのだ。
 自身も危険に晒されるか、少女が危険な目に遭うか。どちらの恐怖心の方がより強いか――比べるまでも無かった。

「フレデリカッ!!」

「アンタ……くっ!?」

 瞬間固定解除までプログラミング済みのマテリアル・ハイを前面に作用させ空気の壁を作り出し、壁によって未だ盛んな炎の渦を突破する。
 そう、炎は渦なのだ。仕様者本人まで炎が及ばない様に、その中心に炎は存在しない。炎の壁を抜けるのは一瞬、抜けたと同時にマテリアル・ハイを解除。呆然としたフレデリカに勢いのまま覆いかぶさった。
 砂埃を上げながら後方へと倒れ込む。直後、先程までフレデリカが居た場所を球体が通過して行った。

 驚きと衝撃の連続で意識が強制的にPSIから切り離されたのか、いつの間にかフレデリカの炎は消えてしまっていた。
 その事と、球体をとりあえずは避けられた事にファイは安堵する。――先程、正確には夜科が球体を呼びだしてから耳元で鳴り続けている、電話の呼び出し音のような物に気付く事も無く。

「ふう……、……え?」

 安堵の息を漏らしたのも束の間、振り返ると漆黒の球体が今まさに自分へと襲い掛かろうとしている光景が目に映った。
 炎と言う獲物が消えた今、球体はどこへ向かうのか。その答えが自分自身だとは、思いもしなかったと言う表情だった。

「夜科!!」

 その時、遅れて出てきた雨宮と朝河の声が響く。自分のしでかした事態に唖然としている夜科に、それと同時に投げつけられた物体が迫った。
 夜科が、消えた。まるでその場に消しゴムを掛けたように。いや、それ以上に完璧に、何の跡形も無く消え去った。
 投げつけられた物は、雨宮の携帯電話。それが夜科の顔面に触れるか触れないかの瞬間の出来事であった。

「これは……?」

 夜科が消えるのと同時に消えた球体。余りに唐突過ぎて理解の及んでいない少年の頭が、ようやくそこでベルの音に気が付く。
 その音は以前にも聞いたことのある物。サイレン世界への誘い、ネメシスQが掛ける招集の音であった。

「呼び出しよ! 音が脳を壊すほどに大きくなる前にあなたも早く電話を……」

 雨宮の言葉が少年に届く事は無かった。何故なら、言いかけたその時既に少年の体はそこに無かったからだ。
 少年もまた視界から拭い去られたかのようにその姿を忽然と消していた。

「え? 電話を当てずに、招集に答えた……? どう言う事……?」

「とにかく雨宮、俺達も行かねぇと!!」

「え、ええ」

「おお……これはまさか……」

 雨宮が浮かべた疑問はともかく、早く電話を取らないと呼び出しの音はいつかベルが聞こえる者の脳を壊してしまう。朝河が焦った声音で言った。
 いやがおう無しに答えなければならないそれに、苛立ちの表情を浮かべる雨宮。
 そこに、ようやく追いついたエルモアが驚きの声を上げた。

「はい。ご想像の通り、です」

 夜科が手にしていたわけではない無いため、招集に巻き込まれなかった雨宮の物である携帯電話を拾い上げ、薄く笑みを浮かべながら雨宮は答えた。
 その笑みはあの子の事は任せろと言っているような、優しげな物だった。

「大丈夫。行ってきます」

 その言葉の響きを残したまま、雨宮と朝河の姿も消える。
 雨宮にとっては幾度目かの、少年や夜科、朝河にとっては二度目の命がけのゲームが、音と共に始まりを告げた。


続く




近いうちに、とか言っておきながらはや三ヶ月近く。申し訳ございませんでしたッ!
原作主人公が活躍せずに何の二次創作か、と言う事でアゲハの描写多め。原作より危なげになることを期待しての活躍ですが。原作と違った終わりを迎えるために色々蒔いてます。
あとオリ主が原作キャラに好かれると言う二次創作王道展開を狙ってみました。好かれるのは暴王の月からですが。
PSI使ってないのに暴王に狙われる理由とか色々あるのはいつか本編で。



[17872] コール28 2ndゲーム始
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:2ed57cc7
Date: 2011/07/29 00:23
 耳障りなベルの音、それ以上に騒がしい心臓の音がその瞬間消失した。
 目の前一杯に広がる程に差し迫っていた球体の漆黒も気が付けば無くなって、一転。辺りは一面真っ白な風景だった。
 一瞬僕は死んだのかな、とさえ思った。それほどまでにあの球体は死を鮮烈に連想させたから。
 でもちょっと思い直してみて、球体に呑みこまれるより先に夜科さんが突然消えて、その後雨宮さんと言葉を幾つか交わした事を思い出した。
 それで、やっぱり死んではいないと結論付けた。あのままだったら間違いなく死んでいたと言う事もついでに再確認。

 ……怖かった。早鐘のような心臓がその隠しようの無い証拠。
 ……証拠、だったんだけど、今はありとあらゆる全ての音が消え去ってしまったかのように何の音もしない。
 今自分が置かれている状況が明らかにおかしいと言う事は分かるのだけど、その異様の正体がつかめなかった。
 
「ここ、どこなんだろう……?」

 思った事がそのまま音に変換された。このよく分からない世界で初めての音が生まれたみたいだ。
 それは何とも言えない奇妙な感覚。普段声を発する時に感じる喉の振動が感じられないのだから。普段意識した事はなかったけどいざ無くなってみれば違和感が凄かった。

 ふと辺りを見渡す。何も無い。何も無いのが有る、とかしょうも無い事を思ってみても、当然だけど突っ込みは無かった。
 こんな真っ白な何も無い場所なんか見た事無い。そもそも地球上に存在するんだろうか、こんな場所。
 頭がおかしくなってしまったか、目と耳が壊れてしまったのか。――そう思った瞬間、今までの違和感よりも数倍強い違和感があった。
 
「あれ……違う。僕……見た事ある、この風景」

 それは、自分の考えた事に対しての違和感だった。僕はこの風景を何度か見た事がある……気がした。
 何処で見たのか、本当に見たのか断言できないあやふやな感覚だったけど、確かに見た事がある気がした。

 あと少し、ほんのそこまで出かかっているんだ。思い出せ……僕……! ああ、もどかしい。叩けばポロっと出たりしないだろうか。
 今僕の身に起きている現象はとても大事な事なんだって、そんな声が頭の片隅から聞こえた気がした。
 やはり頭を叩いてみようかと思い、頭に手を伸ばそうとして気付いた。僕、今形が無い。

「あ、あれ? まさか、やっぱり死んだ?」

 気が付いた途端、途轍もない気持ち悪さに襲われた。
 存在していないんだけど、存在している。存在しているんだけど、存在していない。そんな訳の分からない感覚が頭に往来した。
 ……いやちょっと待て、落ち着け、僕。いやいやだっておかしい、明らかにおかしい。あっそうだ、夢だきっと夢に違いない。ゆめゆめ。
 なんか理屈とかは分かんないけど、多分白昼夢とかそんなのだ、きっと。
  
「じゃあ早く起きなきゃ。あれ、でもどうやって起きるんだろう?」

「やあ」

「いつもどうやって起きてたっけ? ……というか起き方なんて意識した事無かったよ」

「……やあ」

「寝る時は羊を数えるんだから、起きる時は何を数えるんだろう? あれ、あの……アルパカ?」

「なんでだよ。どこからアルパカ出た。と言うか聞いてよ」

「うわ、毛を刈った方を想像しちゃったよ……顔怖っ」

「聞いて。大事な話だから聞いて。……キミを治す時にあの人のPSIの効果まで消えてしまった。
このままだとキミが招集に応じられない事があの人にバレた時、周りの人がキミにあの世界についての事を話してしまうと周りの人が灰になってしまう。
要するにキミはもう漂流者じゃないからね。だから、ボクがその『代わり』になる。――キミを、あの世界に送る」

 ……なんかさっきから耳元でボソボソと声が聞こえる気がする。なんだろう、幻聴まで来たのだろうか。もう何が来ても驚かないけど。
 途中から目を閉じたイメージで真っ暗な中アルパカを数えていたのを止めて、もう一度目を開けるイメージ。
 するとそこには眩い、とまではいかない、仄かに白く明るい光の塊が僕の顔のまん前にあった。

「うわっ!? 何これ!? 蛍光灯のお化け!!?」

 さっき思った事を早速撤回する事になったけど、仕方がない。
 そりゃこの空間は異常だけど目の前のこんな訳の分からない物まで来るとは思わなかったから。
 何だろうか、これ。今まで見た事も無い、温かいような、冷たいような、柔らかいような、硬いような、そんなよく分からない光だった。

「なんでもいいよ。本当は余り干渉しない方がいいんだ。バレ易くなるし、それに……いいや、時間が無い。
ああそれと『ボクに会った事は誰にも言わないで』……そう確か、こう言うんだった」

「え? 光が喋った……それに、この声……う、うわっ!!」

 目の前の光が最後の辺り何と言ったか聞き取れなかったが、何らかの音が聞こえた気がした時にはもうあの白い世界が崩れ始めている所だった。
 夢が終わり始めるような、世界がゆっくりと闇色に染まっていくのではなく罅割れるように、急激に。
 上下も分からない空間だけど地面と思わしき僕のとって下の方が瓦解して行く。
 僕がいる場所まで浸食が進んで来た。このままだとその崩壊に巻き込まれてしまう気がして不安になり、思わず宙を仰いだ。

「っ、あれは、テレカのマーク? なんで……」

「この力を使うのは……いつ以来だっけ? 確かこんな風に使った筈だけど……あれ? 違ったかな?」

 すると空には見た事のある、赤いテレホンカードに刻まれた目のような模様が浮かんでいた。
 そればかりに気を取られていたけど、気が付けば光の塊が薄れていっていた。
 違う、光が薄くなったんじゃない。僕が薄れていっているんだ。世界が罅割れていっているのに合わせて、僕と言う存在もその構成を失っていっている。

「うん、まあいいか。大丈夫大丈夫…………多分」

 響いた言葉を認識するかしないかの狭間で、僕の意識は混濁に呑みこまれて――消える。
 ……多分てなんだ。多分って。最後の最後でなんか不安な言葉がボソッと聞こえた気がする、よ? あれ?

「じゃあ、頑張って」


◆◆◆


 ふと夜科が気が付くと、そこはつい数瞬前までとは全く異にする光景が目の前に広がっていた。
 先程までの光に満ち、軽く感じるほどまでに乾いていた陽の下の空気とは対象的な、薄暗く埃臭い澱んだ物。
 突然の環境の変化に追い付けず、眼球が暗順応し始めるまでに夜科は幾らかの瞬きと時間を要した。

「あれ、俺は……」

 更に気が付いた事は、景色が変わる直前まで有った、頭を支配するかのような圧力が消えていた事だ。
 同時にその原因と思われた漆黒の球体も今は影を潜めたようでどこにも見当たらない。
 夜科に理屈や仕組みは分からなかったが、強制的にPSIをキャンセルさせられたらしいという事に、薄暗い目の前の景色の輪郭を捕え始めた頃にはなんとか理解が追い付いていた。

「夜科!! 大丈夫!?」

「ここは……」

 続いて雨宮と朝河が唐突に虚空から姿を現した。
 雨宮が夜科の姿を認め、先程の異常なPSIによる体の異常は無いかと確認の声を送る。心配する声には自分の行動が功を奏した安堵もまた染み出ていた。
 一方で朝河は投げ出された体を起こしつつ先ず目を細め、映った景色を見定めようとしていた。

 朝河が見上げた先に映るのは、皹の入った幾本かのコンクリート剥き出しの支柱らしき物。
 支柱は、塗装が剥がれボロボロになった床と、何本ものダクトや配線が犇めく天井から伸びてその二つを上下に繋いでいた。
 どうやらここはどこかの建造物の内部のようだと、朝河は判断を下す。

「あ、ああ。俺は大丈夫だ。それよりこれは……サイレンの招集、だよなやっぱ」

「ええ。前回の呼び出しから一週間……早過ぎるけれど間違いないわ。それより出来過ぎていて逆に不自然なあのタイミングの招集……」

(ネメシスQが人為的な呼び出しをした……? それも夜科のPSIの発露に合わせるように――)

 これまで何度もサイレンへの呼び出しに応じている雨宮にとって、今回の招集は異様な物に感じられた。
 今までの呼び出しは、一定の期間を置いての機械的な物でしかなかった。それ故に今回の何者かの意図が感じられる呼び出しは異常だと言っても差し支えが無い、と雨宮は密かに思う。
 まるで何かを特別視しての行動、特例のような――と。
 腹の中だけで思い口に出さなかったのは、確証など全く存在しない自分の勘が推測の根拠であった事と、ゲームに二度以上の複数回参加した事があるのはこの場に自分だけであり、相談できる相手も居なかった事もある。

「ここは前回のゴールとは別の場所らしいな。辺りに見覚えが無い」

「経験から言って、恐らく前回のゴールからそう遠くは無い筈だわ。地図を確認しない事には何とも言えないけれど」

 辺りを一通り見渡した朝河は、今現在自分たちが居る場所は前回辿り着いた最終地点とは異なる場所であるという事をポツリと零す。
 雨宮の捕捉によって、これが二回目の参加である朝河にまた一つサイレンに関する知識が蓄えられた。
 ゴールとスタートの位置がずれていっている。先日八雲祭から聞いた話と照らし合わせると、西から東へ一定の方向へ向かって移動している。
 それは、まるで何らかの力に導かれているようだと、そんな漠然とした印象を朝河は受けた。
 しかしそれが誰の何の目的でどこへ導こうと言うのか、俗に5W1Hと言われる疑問詞の答えがさっぱり見えてこない。
 それ故に朝河の受けた印象は漠然とした物だったのであり、その不明瞭な感覚は好ましくないと言うようにフン、と朝河は小さく鼻を鳴らした。

「そう言えば、あの子は? 私達より早く転送されていたからもうこっちに来ていると思うんだけど……」

「すみませんあなた達……」

 辺りを見渡そうと雨宮が顔を持ち上げた時、不意に声が掛けられた。声の主にその意図は無かったのだが、結果として雨宮の疑問の呟きを遮るように。
 聞いた事のない声音だったそれに三人が一斉に振り向くと、声の主も少し面喰ったようだ。不安げな色を声に隠さないでおずおずと続ける。

「あ、あの、ここがどこだか分かりますか……? 僕自分の部屋に居たはずなんですけど」

 サイレンの参加者だ、それも雰囲気からして初参加の、と三人が同じ思いを浮かべる。
 前回のゲームで見た事が無かった人物であっても、スタート地点が異なっていたりゴールのタイミングが違っていれば面識は無くともゲームの経験者である可能性はある。
 だがこの目の前の男は何も知らず、突然の自分の置かれた環境の変化に戸惑っている様子などからその推測が成り立っていた。

「ここは……、!」

「多いな……オイ」

 雨宮が三人を代表して説明しようと口を開きかけたその時、突如雨宮達の目の前に多くの人間が姿を現し始めた。
 みな一様に呆けた顔をしている彼らは招集に答えるのが自分たちと比べ遅かった人達なのだろう、人が突然現れた事それ自体に驚く要素は無い。雨宮にとってもう幾度となく目にした光景だ。
 雨宮が驚きの表情を僅かに浮かべた理由は、その数の多さだった。

「あ、あれ……?」

「なんだ? ベルの音が消えた……?」

「は……? にゃ? こりは……どゆこと?」

「……」

 彼らは目の前の光景を認識できるようになると、表情を呆けた物から様々な物へと変化させていく。
 脅える者、未だ眼前の光景が信じられないと言った顔の者、そして――疑念の中に隠しきれない好奇心を浮かべる者。まさに十人十色であった。
 一斉に大勢の人間が言葉を発したために、各々が何と言っているのか聞き取れないほど騒然とした状況に陥ったその場はしかし、唐突に水を打ったような静けさが訪れる事となる。

 金属製のベルを槌で高速に何度も打ち鳴らした、古い黒電話のような呼び出し音が、出し抜けに澱んだ空気に響いたからだ。

「な、なんだ……!?」

「ベルだ……鳴ってるぞ、この階だ! 部屋の中央の公衆電話……!」

 一度はベルに気を取られシン、と静まり返った人々だったが、それもほんの僅かの間の事で直ぐさま再びざわつき始めた。
 ベルという新たな混乱の種が増えたためか先程、一度静まる前よりもむしろざわめきが大きくなっていたようだった。
 この音はなんだ、ここはどこだ、所持していなかった筈の赤いテレカが何故この場にあるのか、など各々が疑問に思った事を放縦にぶつけ合い益々混乱が大きくなって行く中。
 一人の男がその喧騒を不意に抜け出し、音の発生源だと思われる公衆電話へと近づいて行った。

 男が公衆電話の前まで来て屈むと、髪が動きに合わせて揺れる。
 髪は男性にしては酷く長い。だがそれは無精に伸ばされたものでは無く、丁寧な手入れが行き届いており、見苦しさや鬱陶しさと言う物は一切感じさせなかった。
 自分が摘まみ上げた千切れている電話線の先を指先で弄りながら、男は端正な輪郭の内に行儀よく鎮座している口を僅かに崩した。

(完全に壊れている……! まさにルール無用って感じだね…………さて、どうする……?)

「電話、取らせて貰うぜ」

 男が異常な事態に直面しても尚不敵な笑みを保持したまま、目の前の電話を見遣った。
 その視線には、隠しきれない好奇心の熱が灯っている。内心で呟いた、先行きを思う言葉も不安から来るものでは無く、これから何が起こるのかと言う期待故の物であった。
 心臓が送り出す血液量が増えたのを男が耳奥の鼓動に感じていた時、不意に男の傍に寄る者が居た。
 夜科アゲハだ。夜科は断りを一応男に入れたものの、初めからその行動に迷い無く男の反応を待つ事はしなかった。
 前回のゲームでの出来事を思い出しながら、片方の手をポケットに突っこんだまま、反対の手で力無く転がっている受話器を拾い上げ、そっと耳に押し当てた。

(何だ――!?)

 瞬間、男にとっては初めての、夜科達漂流者にとってはもう慣れたあの奇妙な浮遊感、視界のホワイトアウト、そしてある光景が頭に流れ込む感覚が訪れた。
 傍で驚愕の表情を浮かべている男や周りの人々と違い、一度経験している夜科は殊更驚く事はしない。
 ただやはりそれらの感覚は決して快い物では無かったため、僅かに眉を顰めた。

『――サイレンを目指す者に……絶望と力を……!!

サイレンを目指す者に絶望と力を。サイレンに辿り着いた者に世界の全てを。このゲームの出口はひとつ……』

 前回と全く変わらない定型句のような声がその場に居た全員の頭に響き、そしてどこかのボロボロになった公衆電話の映像が流れた。
 ゲームの主催者による開始の合図。ゲームの経験者たちは与えられる情報を逃すまいと注意深くその映像を脳に刻みつけている。
 しかし初参加の物たちにはそんな余裕などない。それは無理もないことだ。
 これまで生きてきて経験する事など無かった、想像の範疇を超えた出来事の坩堝に投げ入れられた彼らには、ただ驚き、不安に身を苛む事しかできなかった。

「ど、どうなってんだよ!? 今の女の声と映像は……!?」

「っ!? 今度はなんだ!?」

「あ、あわわわわわわわ」

 奇妙な感覚が終わったかと思うと、今度はサイレンの音が大気を震わし始める。
 それは部屋の窓に残っている割れたガラスをも揺らし、不気味な警告音の他に鈍い振動音が室内を彩った。
 
「見て!」
 
 音が室内へ侵入してくる方向を見た雨宮があっ、と小さく声を漏らしたかと思うと、夜科と朝河に声を掛けながら窓枠の向こう側を指差した。
 何事かと急いで夜科達が窓の傍へと駆け寄ると、そこに広がっていた光景に驚くよりも先に呆然としてしまった。
 それは広大な砂漠であった。見渡す限りの砂、砂、砂――そして所々に点在する建造物らしき物。だがどれも等しく砂に半身を呑みこまれていた。

「砂漠……街が埋もれてる……」

 夜科は呆けたように呟く。
 いつだったか、サイレン世界の風景と照らし合わせた学校で眺めた日常の風景をも、同時に脳裏に浮かべていた。
 あの時は目の前の光景がサイレン世界に繋がる事を想像できなかった。そして今再びサイレン世界の景色を眺めて、今度はそれを日常の風景と照らし合わせようとしたのだ。
 だが、上手くいかない。想像しようとするとその思考が途中で乱れてしまう。やはり二物は懸け離れ過ぎているのだ。

 そして何より、夜科は照らしわせる事自体を脳がどこかで拒否している事に、僅かながら気が付いた。夜科は信じたく無かったのだ。
 受け入れなければいけないとは分かっていながらも、しかし幻、虚構であって欲しいと願わずにはいられない。否定される事が望まれるようなその風景は、だが確かにそこにあって、一つとして表情を変えなかった。
 臓腑にまで届くような音と砂塵を乗せた風が一陣、夜科達の間を吹き抜けて行く。それは空しさを吹き付けるような、虚ろな乾いた風だった。

「お、オイ! ここはどこなんだよ!!」

「知るかよッ!! オレは自分ん家で寝てたんだ!!」

「冗談だろ……」

 一度恐慌状態に陥った人々は益々混乱を大きくしていく。それは一度燃えあがった物が勝手に燃焼反応を進めていく様に似ていた。
 一人の大男が近くの痩身の男の胸倉を掴み上げ脅すように自分たちが置かれた現状を尋ねる。相手が何の情報も持っていない事は男にも分かっており、それは一種の気の紛らわし、不安からの心の防衛機制だった。
 八つ当たりの暴力行為が場を混沌とさせていく。誰もが不安で満ち満ち、ともすれば不安が爆発し人間同士の諍い、最悪殺し合いにも発展しかねない状況。――それは雨宮が何度か目にしてきた光景だった。

(…………)

 全く嫌になりそうだ、と雨宮は腹腔に沸いた毒の苦みに眉を顰めた。
 極限の状態に陥った時、人はその本質が現れるものだ。恥も外聞も無く脅え、取り乱し、何とか感情の捌け口を求め、もしくは考える事を止めただ無力に膝を抱えて震えるだけ。
 超自己中心的とでも言うのか、己の身の安全を求め一筋の窮地から脱するための蜘蛛の糸を我も我もと探すのは、理性を持った生物としては、些か醜い行動であった。
 勿論、高潔な人間というのも存在するのであろうが雨宮が見てきたのは大抵そのような人達ばかりだった。

 だがやり切れないとは思いつつも、どこか仕方ないと諦めの気持ちもあった。他ならぬ雨宮自身も、かつてはそのようなか弱い人間の一人であったからだ。
 もし、自分が初参加の折、八雲祭と言うその人に出会っていなかったのら……と考えて雨宮は改めてぞっとする。
 少なくとも自分は今こうしてここにある事は出来なかっただろう。何度も目にした参加者が禁人種に囚われる、若しくはその場で引き裂かれるような、そんな事例の内の一つになっていた事は間違いない。
 あの日の八雲祭の姿が絶えず雨宮の中にあったのは、尊敬、憧れ、そして自分を救ってくれたと言う、偽りの無い感謝の気持ちがあったからであった。

 グ、と雨宮は喉に力を入れて毒を、自らの感情を漏らしそうになるのを堪える。そして固めた自分の拳を見た。

 八雲祭がゲームを終え、参加する事が無くなっても、雨宮の目は八雲祭の姿を見つめていた。あの日の八雲祭――すなわち、自分を救ってくれた人の存在を。
 以来それはゴールとスタート以外何も定められていない、どう行動するかも自由なただただ空虚な世界、自由の刑に処せられているようなこの世界で、そうでありたい、そうすべきだと言う雨宮の行動の指針の一つとなったのだ。
 ――すなわち、ただ守られるのではなく、誰かを助ける側の人間になる事。
 それ故に雨宮はゲームの度に他の参加者に注意を促したり、自分の知っている情報を話したり、時には身を張って他の参加者を助けようとした事もあった。

 だが……無駄だった。

 雨宮が何を話しても信じる者は誰一人無く、そして禁人種の危険に晒された人々は雨宮の言葉に従わなかった事を悔むと言う事も無く、それどころか助けてくれなかった事を恨む呪詛を吐きながら散って行った。
 事実が到底信じがたい形相をしていた事が最大の不運。またいくら雨宮がPSIを身に付け人の限界を超える力を有していようとも、自分の身だけでなく他の参加者を守り切るなどと言う事は不可能だった。
 たび重なる恨み言と、そしてそんな人々を守ろうとしたが故に増えていく傷は、雨宮の精神をも急速に犯し、摩耗させ、凍りつかせて行った。
 そうして何時からか、八雲祭の姿は霞んでしまっていた。八雲祭への気持ちが消えてしまったのではない。
 八雲祭のように強く気高くある事、そして彼女のような行動を実践し切る事。その重みに耐えられる程、自分は強く無い――そう気付いてしまったのだ。

 いつからか雨宮は他の参加者に注意を呼びかける事も無くなっていた。
 助けようとしても、助けられない。どうせ助ける事が出来ないのならば、初めから助けようとしなければ自分の無力さを改めて見せつけられずに済む。
 なにより、余裕と言う物が雨宮には無かった。自分の身を守ることで精一杯だったのだ。
 先程雨宮が利己的な人々を見て苦々しく思ったのは、その人達の行動が醜悪だったからと言う理由だけではない。
 人間の弱さが隠す事無く表れているその人たちが、強くある事が叶わない自分と重なって見えたのだ。
 
 そして雨宮は拳から視線を、夜科と朝河の二人に音も無くそっと移した。
 八雲祭を除くと、初めてできたサイレンの漂流者の仲間。強くあれない自分に力を貸してくれる者。それらの存在は、再び重みを背負おうと雨宮に思わせるものだった。
 元々他の人を見捨てるのは雨宮の本意だったのではない。自分のその行動には常に脳裏に反駁があった。
 だから、自分の他にサイレンを生き延びた者があった今、今度こそ上手くやれるのではないか、八雲祭のようである事が出来るのではないか――そう期待せずにはいられなかった。

「落ち着いて!! ……ここに居る人達、死にたくなければ私の話を聞きなさい」

 雨宮が拳を手近にあった窓枠に叩きつけた。
 衝撃がじんわりと変換されてゆく熱に、どうせ無駄であろうという諦めを半分、だがもう半分にもしかしたらと言う期待を感じながら、雨宮が言う。
 先程までのざわめきはそれによって水を打ったかの如く静まり、混沌は注がれる視線と共に雨宮へと収束して行っていた。


◆◆◆


「ガハハハハハ!! ここが未来だとよこの女!!! オレたちゃタイムスリップしてここに来た訳だ!! ケッサクだぜこのイカレ女!!」

 参加者の中の一人の男が言った。
 それは雨宮が説明を始めて暫く経った頃、話が『この世界は未来である』と言うくだりに差し掛かった時の事だった。
 初めは誰もが何かを知っている風であった雨宮の話に耳を傾けていた。今現在置かれている状況がネメシスQと呼ばれる存在による物だと言う事、赤いテレホンカードはそのネメシスQとの契約の証である事――等々。
 危険に巻き込まれてしまった事がようやく理解できた人々は、戸惑いを深めたり、逆にそのゲームをクリアしてやろうと言う意気込みに駆られ目に光を取り戻すなどその反応もやはり様々であった。
 
 だが、外には禁人種と呼ばれる異形の怪物が闊歩している、サイレンに関わる秘密を話すと灰にされる、と言った現実からかけ離れた話になると、それまで真剣に聞いていた人々の表情が曇り始めた。
 そしてこの世界は未来である、と告げた雨宮に投げ掛けられたのは、先の言葉と嘲笑だった。

「……」

 雨宮は握りこんだ拳を更に固めた。
 心の中で『やっぱり、』とまで呟いて、『聞いてもらえなかった。駄目だった』と呟こうとしたのを、雨宮は止めた。思いなおして『無駄だった』と呟き直す。
 ただ裏切られるよりも、期待していたのが裏切られる事の方が堪えがたい物だ。ならば初めから期待してなどいなかったと自分に言い聞かせれば、期待と落胆の相転移の苦しみを味わわずに済む。
 余計な心の傷は負わない方が良い、そう分かっていた筈なのに。と雨宮は自分を呪った。苦い顔をしてしまったなら、それが自分が期待して裏切られた事の証明になってしまうような気がして、その苦みを飲み込んだ。
 こうなった以上、何を言っても無駄だと言わんばかりに冷めた目をそっと伏せる。

「何だとあの金髪」

 その僅かな言葉の中からは明確な怒気が滲んでいた。
 怒りを言葉に込めたのは、朝河だった。そして夜科は、それよりも分かりやすい行動に出た。
 言葉を発すようなまどろっこしい真似はせず、ただ黙って雨宮に嘲笑を浴びせかけた男の前へと歩み寄っていく。

「んぁ? 何だテメェは」

「取り消せ。雨宮はイカれてなんかねェ」

 夜科はじっと金髪のその男を睨みつけた。
 髪を金に染め、後頭部でその髪を一括りにした、金髪も髪型も似合っていない男は夜科の敵意むき出しの視線に少しばかり苛付きを覚えたのか、吐いて捨てるように返す。
 
「知らねェよ。アイツの言うテレカの裏ルールなんて俺にゃ見えねェしな。イカレ女にイカれてるって言って何が悪い」

 その言葉に夜科は首筋が泡立つのを覚えて、気が付けば男の顔面を殴りつけていた。
 本気で殴った訳ではない。本気で殴ってしまい気絶でもされようものなら、この滾る感情をどこにぶつければよいか分からなくなる。相手が怒り、殴り合いが始まってこそ解消されると夜科は考えた。
 それ故に夜科の拳は軽いジャブ的な物だった。――もっとも、男にとってみれば脳が揺さぶられる程の物だったのだが。

「おい! やめろ夜科!!」

「ってぇ!! 何しやがんだブッ殺してやるクソガキッ!!」

「おお来いやァ!!!」

 一触即発の状況が爆ぜた。
 慌てて周囲の男達が金髪の男を、朝河が夜科を羽交い締めにして何とかその諍いを収めようとする。
 しかし夜科はスルリと朝河の束縛を抜け出し、男に迫っていた。
 羽交い締めにされている男に感情の赴くまま更に一撃を加えようとした瞬間。

「……は? ……え? ぶべらっ!!?」

「なんだ……? って、うぐぁっ!!!?」

 唐突に何も無かった夜科の頭上の空間が光ったかと思うと、白髪の少年が落ちてきた。
 それは狙いを外す事無く真っ直ぐに夜科の頭めがけて。同時に夜科の登庁日も少年の鳩尾を狙って外さなかった。

「ぐ、お、おおおお……!! 出たらダメな物が出るッ……!! 転送に何らかの悪意を感じるッ……!!」

「痛ってぇ……! 何でお前、人の上に……」

 腹部を押さえて悶絶している少年に夜科は頭部と頚部の痛みを堪えつつ言った。
 先程から姿が見当たらないと夜科は訝しんでいたが、その答えはまだ転送されてきていなかった、と言う事らしい。
 鳩尾付近を押さえ、意味不明の呻き声を上げて転がっている少年を尻目に夜科はゆっくりと起き上がった。
 男に今すぐ飛び掛かろうとする意欲はその出来事で霧散してしまっていた。

「子供……? 子供が何でこんな所に……?」

「白髪……外人の子供、か……?」

 周囲からヒソヒソと囁く声が聞こえた。声の内容は変わった外見と不可解な現れ方をした少年についての物らしい。
 周囲の視線を一身に集めているその当人は、今は少し離れた場所でぐったりと横たわっている。
 その少年に二人の人間が近付いて行った。

「よかった無事だったのね。……いえ、大丈夫? それにしても先に転送された筈なのにどうして時間差が生まれたのかしら……」

「ああ、はい……うえっ。多分大丈夫です、んくっ……雨宮さん。ちょっと苦くて酸っぱい汁が漏れましたけど……あ、ダメだ出る」

 少年が言葉の端々に喘ぎ声と吐き気を混ぜながら答えた。苦しげに浅く上下しているその背中を摩りながら言ったのは雨宮だ。
 どこか別の場所に転送されて、もしかすると禁人種と鉢合わせしている可能性も考慮に入れていたのだが、それはどうやら憂慮だったらしい事が分かって、ほっと安堵の息を吐いた。
 そしてもう一人の人間とは先程の髪の長く、眉目秀麗な男だった。男は雨宮と少年の少し後ろに立って二人を見つめている。
 何の用かと、雨宮はやや目を細めながら後ろを見遣った。

「やあ、雨宮さん? キミの話、面白いじゃないか。僕はキミの話を信じるよ」

「……あ、どっかで見た事あると思ったら朧! ほら、あのドラマに出てるアイドルの望月朧」

 少年に代わって今度はその男が視線を集める事となった。
 一般の男性にも知られている程度には認知度が高い俳優であるその男、望月朧は視線を集めるのに慣れているのか、その程度の視線に晒されるのを毛ほどにも思っていないようだ。
 飄々とした様子で雨宮に話かけている。だがその表情の裏からは飄々と言った言葉からは遠い、ぎらつく何らかの感情が見えている事に雨宮は気が付いた。

「それから、そこの少年」

「何ですか……あの、僕今ちょっと手が離せないんですけど……押さえてないと多彩色の濁流が……」

「天樹院ファイ君、だね? キミの保護者の天樹院エルモアからこっちでキミに会ったらよろしくと言われてるよ」

「っ! びっくりしてちょっと出た……じゃなくて、お婆さんとお知り合いなんですか!?」

「ああ。ちょっとした縁でね。と言っても一度しか会った事はないんだが」

「お婆さん……ひょっとしてサイレン関係者に僕の事話して回ってるのかな……」

 そこまで話して、ファイは不意に気が付いた。周りの空気が先程とは異なる物になっている。
 恐らく原因が天樹院エルモアと言う名と、自身の天樹院と言う名字のせいであると前回の経験から推測した。そしてそれは誤りではなかった。
 周りからはサイレンの謎、懸賞金、五億円、エルモア、等と言った言葉が散りじりに聞こえて来ている。

 自分を見る目の色合いが変わったと、ファイは目敏く気付く。
 おおよそこの場に似つかわしく無い妙な子供が居る、と言った何となく眺める視線では無く、サイレンの懸賞金を直接眺めるかのようなそんな即物的な物に。
 嫌な目だ、とファイは思った。その人々とは初対面である為にその人達に対する印象という物は未だ白紙の状態に近かった。
 そんな時にそのような視線を向けられたら、良い印象を受ける筈が無い。白紙に嫌な色が塗りつけられたような気がした。

「……あなたは、私の話を本当に信じたの?」

 雨宮が望月とは視線を合わせないように床の罅割れを見つめたまま、小さく言った。
 視線を合せなかった理由は単純。今まで雨宮の話を信じると言ってきた人達は、その実本当に話を信じている訳では無く、嘲弄する為にそのような言葉を吐いて来たからだ。
 先程見事に期待を裏切られた事もある。尋ねた雨宮の声も希望に縋るような声音では無い、冷たく硬い物だった。

「勿論。だってその方が――面白いじゃないか」

「……面白い、ですって? ……いいわ。信じたのなら結構よ。協力してゴールを――」

「でも僕は自分の目で確かめないと気が済まない性質でね。地図があるんだよね? それを見せてもらいたいな」

 面白い、と言う言葉に嘲笑の意図を思い浮かべて雨宮はバッと顔を上げ望月の顔を睨んだが、そこには予測されたような表情は無かった。
 あったのは、純粋な、どこまでも純粋な好奇心。先程のチラついて見えた感情の正体はこれだったのだと雨宮は一人納得する。
 このような状況に放り出されて、好奇心を滾らせるような人間を雨宮は見た事が無かった。だが、少なくとも敵意は無いらしい。
 それ故共に行動する事を提案しようとしたのだが、望月はどうやら人の話を聞かない性格らしく、雨宮の言葉を遮って自らの句を告げた。


◆◆◆


 それにしても、飛ばされてきていきなり酷い目に遭った……。
 送られてきた場所が夜科さんの真上で、しかも腹這いの状態でだなんて誰かの意図を感じる。それも何か、こう、嫌がらせ的な。
 ……誰かって。あの光しか考えられないけど。あの光が言った事、『ボクがその代わりになる』だなんて、一体どういう事なんだろう。全く意味が分からない。
 それにあの声、どこかで聞いた事があると思ったらあれは多分、僕の声だ。

 夢……だったのかな? やっぱり。夢だったから一番よく聞く自分の声で再生された、とか。
 分からない。夢にしてはハッキリし過ぎている気もする。

 他にも何か言っていたような気がするけど、真剣に聞いていなかったから余り脳に言葉が残っていない。
 ただ、『ボクに会った事は誰にも言わないで』この言葉だけは確かに覚えている。どういう事だろう、これも分からない。
 夜科さん達もこっちに来る時にあの光の会ったのだろうか。でも確かめようにも誰にも言うな、って言われたし……
 他の人に言っていいならわざわざそんな事言い残して行かないはずだ。言ったら何が起こるのかも分からないけど、わざわざ危険を負うかもしれない事をするのもどうかと思う。
 
 ……また考えても僕の脳みそからは回答が出て来ない類の謎か。
 こんな時は考えない方が賢明なのだろうという事は経験から学んで知っている。そんな訳で考えるのを止めよう。今すぐ。

 それにしても。
 よし、意識の切り替えが上手くいったっぽい。……最近僕の思考が切り替えだとか機械じみて来てる気がするけどそれはまあいいや。

 何なんだろう。この周囲の人と夜科さん達の温度差のような物は。さっきから気まずくて仕方ないのだけど。
 雨宮さんを見る目はどこか馬鹿にしたような、若しくはペテン師を見るような胡散臭げな目だし。夜科さんを見る目は憎悪や犯罪者を見るような恐れの混じった目だし。
 朝河さんや僕も二人の知り合いだと向こうも分かっているみたいで朝河さんと僕にも似たような視線が送られてきている。
 もっとも、僕のにはそこにサイレンの懸賞金に眩んだような視線も混じっているのだけど。
 
 前回のゲームで言われたように、僕を懸賞金の証言者にでもするつもりなのだろうか。
 こんな事になりそうだからこっちじゃ天樹院の名前を名乗らない様にするつもりだったのに。あの望月と言う人のおかげで腹積もりが狂ってしまった。
 ……厄介な事にならないといいな。サイレンの協力料だとか言ってお金なんかをせびられて、僕のせいでお婆さん達に迷惑を掛ける事になるのは避けたい。

 とにかく。夜科さんたちと周りの人の間に何かあったのだろうか、僕が来る前に。
 聞こうにもそんな雰囲気じゃないし、みんな夜科さんと望月さんの行動に気を取られてる。
 
「……!! 何だって……!?」

「丸ごと警戒区域……!?」

「一歩外に出たら危険……って事かい?」

 公衆電話の地図を見た夜科さん、雨宮さん、朝河さん、望月さんの四人は一斉に驚いた表情を浮かべた。
 ……いや、望月さんだけは驚愕の表情ではないらしい。口元が微かに歪んでいる。あれは、楽しんでいる……? この状況を……? と、そんな表情だった。
 何が描いてあったのだろうか。床に打ち捨てられた公衆電話の前に僕よりも遥かに体の大きい人達が屈んでいるから僕には見えない。
 でも丸ごと警戒区域だとか、そんな不吉な言葉が聞こえた気がした。嘘だと言ってよ。

「っ!」
 
 何を思ったのか夜科さんが急に急に立ち上がり、硝子が残っていない窓の方に向かって走って行った。
 その分空いたスペースに体を潜り込ませると、地図が僕の目にも飛び込んできた。
 ……。……え、っと。
 これ、誰がこんな所をスタートに設定したんだろうか。ここにしなきゃいけない理由でもあったんだろうか。
 もしそうじゃなくて、ただ単に漂流者をイジめて遊びたいとか、そんな下らない理由だったらどうしよう。自分を抑えられる自信があんまりない。
 見ると、受話器の模様が描かれたスタート地点らしい現在地をすっぽり丸ごと覆うように暗い色が塗られていた。要するに今僕が立っているこの場所も危険って事らしい。

 あれ、でも。ふと思ったんだけど。
 この警戒区域ってのは何なんだろう。警戒って事は危険だぞ、注意しろって意味なんだと思うけど、それは誰が誰に対して言っているんだろう?
 このゲームを設定した存在が僕達を掌の上で遊ばせる為にゲームの設定として設けた、と考えてもおかしくは無い。
 ……でもなんかそれは違う気がする。それだとわざわざ危険な場所を探して、そこをゲームのステージにしたって事になる。

 八雲さん達から聞いた話だと、このゲームは少しずつ一定方向東にズレて行っているとの事だ。方向性の意志はそこに感じられるけど、わざわざ難易度を決める為に場所を選んでいるとか、そんな風には感じられない。
 じゃあ、この警戒区域と言うのは、このゲームを開いている存在が僕達を少しでも生き延びさせるために僕達に注意を喚起している物、なのかもしれない。
 その存在が空からでも状況を確認して、僕達に教えてくれているの、か?
 でも何の為に? 全ての疑問がそこに繋がるけど、やっぱり答えは分からない。その存在に直接聞いてみるでもしないと。

「ゲートはもうすぐそこだ!! かなり近いぞ……!!」

 そんな事を取り留めなく考えていると窓の方から夜科さんの大声が聞こえてきた。
 難易度設定とでも言うつもりなのか、警戒区域が広くて近い分、どうやらゴールも近いらしい。
 確かに改めて地図を見るとドアの模様、ゴールが現在地の直ぐ側だった。

「なんだ……そこに辿り着けば帰れるのか……良かった……!」

「簡単じゃないか……!」

 その言葉を聞いた周りの人達の顔に安堵の色が浮かんだ。
 口々に良かったとかこれで帰れるとか言っているのが聞こえてきた。

「さっきからなんの話してんの?」

「今からあそこへ行くんだよ。テメーは話聞いとけよ」

「ねーあの子カワイくない?」

「聞けっつってんだよ!」

 何か一人全く空気読んでいない人が居るらしいけど、朝河さんが漫才的なノリで対処してくれているから大丈夫だろう。
 みんな簡単とか言ってもうクリアしたかのような口ぶりだけど、果たしてそんな上手くいくだろうか。
 さっきの僕の推測はともかく、警戒区域がゲームの主催者の善意であれ悪意であれ、警戒区域は警戒区域だ。危ないと言っておいて危なくない、なんて事は無い気がしてしょうがない。

「じゃあ、僕は行くよ」

「待てよ!! 危ねぇから一人で行くな!! 死ぬかもしれねぇつってんだ」

 そんな未だ疑問の渦中に居るのに、望月さんがゲートへ行くと言いだした。言い出した、と言うよりもう出口に半分以上身を吸いこませていて、殆どもう行ってしまうようだ。
 こっちに来てからそれほど望月さんを観察した訳ではないけど、どうも望月さんは人の話を聞かない、自分の意志で突っ走っていってしまう、そんな人らしい。
 慌てて夜科さんも追いかけて部屋を出て行ってしまった。

「……オレも行くぜ」

「あ?」

「元の世界に帰るにはここに居てもしょうがねぇだろが。オレも自分の足で確かめるさ……未来とか抜かす女の言う事全部信じられるかってんだ……!」

「…………」

「せっかく手に入れたチャンスなんだ……! アイツらに先越されて堪るか……五億はオレのモンだ……!!」

「オレも行く……」

「危険だとしてもどうせ行かなきゃならないなら大勢で行った方が……!」

「そうか……!!」

 望月さんが出て行ってから間をおかずに事態が一気に変わってしまっていた。火蓋が切られたかのように。
 どうせ行かなきゃいけないのなら全員で行った方が良いと、我も我もと部屋に居た人達が騒ぎ始めていた。
 ……どう考えてもこれは良く無い状況だ。さっきから周りの人達の視線に嫌な物を感じて一切口を出す事をしなかったのだけど、そうも言っていられないような状況になっている。
 丸腰のなんの力も持たない人達がノコノコ出て行って、もしまた化物が現れたりでもしたら殺して下さいと言っているような物だ。
 そもそもこの人達はあの禁人種の事を知っているのだろうか。この世界が現実や常識とは懸け離れた事象を生み出す異世界だと、ちゃんと分かっているんだろうか。
 とてもそうは思えない……!

「あ、あのっ……!! 外は危ないですよ!! ここは警戒区域の中ですし、滅茶苦茶な化物が外を……」

 一斉に大人たちが僕の方を見た。その顔は……嫌らしく歪んでいた。
 コイツは何を言っているのだと言わんばかりの、戯言を口にする子供を見るかのように上からの目線の――嘲笑だった。
 初めから僕を対等な位置に見ていない呆れさえも含ませた表情。そんな顔をされるとは、思ってもみなかった。

「……なんだ。未来とか化物とか、その話ならもう聞いたよ。禁人種? って言うんだろ? 君もあの女の子の話を信じてるのかい?」

「え……?」

「まァ君位の男の子なら怪獣とか好きそうだもんな。分かるよ。俺も君位の歳なら信じていただろうしね」

 雨宮さんの方を向くと、静かに目を閉じて首を力無く左右に振っていた。
 それで何となく察してしまった。先程からの雨宮さん達と周りの参加者との温度差の理由を。
 雨宮さんは、多分あの人達に知っている情報を明かしたんだ。それは余りに突飛な話だから、きっと受け入れられなかったんだろう。
 前回だって夜科さんが禁人種の話を周りの人に話したのに誰にも信じてもらえず、あんな事になってしまった。

 ひょっとしたら、何も知らない人達は、信じたがらないのかもしれない。唯でさえこんな訳の分からない世界に放り出されているのに、これ以上奇天烈な話なんか聞きたくないと、そんな心理が働くのかもしれない。
 人の心の働きなんか想像でしか話せないけれど、もし僕が何も知らなかったのなら、どうするだろう。未知を知ろうとして情報に対して貪欲になるのか。
 でも知ってしまって、それを受け入れる事はそれまでの常識をかなぐり捨てる事を意味する程の情報なら、もしかしたら僕だって知る事を恐れるかもしれないと、思った。
 
「それよりも君。天樹院と言ったね。あの天樹院エルモアの懸賞金の話は……」

 人ってそんな目も出来るのかと思うほど冷たい視線は、もう興味が尽きたと言わんばかりに僕から逸らされ、みんな出て行ってしまった。
 そんな中、さっきから僕と会話をしていた一人の縦縞のシャツの男の人が僕に詰め寄って来た。
 
「……」

「っ! ……まあ、いいか。元の場所に帰ってから話せば済むことか」

 男の人が僕の肩辺りを掴もうとした時、朝河さんがスッと僕の前に立ち塞がってくれた。
 ギラついた目のその男の人は朝河さんの剣幕に圧されて引き下がる。そして何かをぶつぶつと呟きながら、結局その人も出て行ってしまった。

「……ありがとう、ございます」

「気にするな。……全員あの朧って奴に追従しちまった。結局自分で考えちゃいねェ……つられて動いてやがるんだ………!」

 朝河さんにお礼を言う。反射的にその言葉が出たけれど、心は呆然としてしまっていた。
 まさか善意で言った言葉のせいであそこまで露骨に嘘つきを見るような目で見られるとは。人というものが……分からなくなりそうだ。
 雨宮さんは、あんな視線に今までずっと耐えてきたのだろうか。

「切っ掛けは望月朧だ……!」 

 どうやら説得に失敗したらしい夜科さんが部屋に帰って来るなりそう吐き捨てた。
 あの望月という人は、どうも止められない雰囲気が出ていたから仕方ないのかもしれない。
 でも、望月さんは仕方ないにしろ、周りの人達は止められたような気がする。なにか、望月さん以上に求心力のような物があれば……

「テメーは行かないのか?」

「……んー……イエス! なァんでオレがむっさい男どもの尻を追っかけなきゃいけないのよ♪」

「バカばっかりだ」

 全員行ってしまったと思っていたら何気に一人のバンダナを額に巻いた、軽そうな男の人が一人残っていた。
 見た目通りの軽薄な性格の人らしく、軽口を叩いて朝河さんに呆れられている。
 ……それはともかく。どうすればあの人達を止められた? いや、まだ出て行って直ぐだ。まだ止めようと思えば止められる。

「……! あっ、そうだ! PSIを見せれば――」

「――無駄よ。未だPSIに開眼してなくて、PSIの才能があるかも分からない人達に、PSIが見えるかどうかも不明だわ。
たとえ目の前で使用してみても、見える人と見えない人が居るようでは胡散臭がられるだけ。
そもそも、切羽詰まった精神状態の人達にそんな事をしたら余計不安がらせる事にしかならないのよ」

 ずっと口を開かなかった雨宮さんが、一気に捲し立てた。
 それは僕があの人達にPSIを見せて、驚いてくれたなら僕達の話を真剣に聞いてくれるかもしれないと閃いて、口にしかけた時のことだった。
 PSIを見せれば、としか僕が言っていないのに雨宮さんがそこまで精密に展開を予測できるなんて、つまり、雨宮さんは以前にそれを実行したのかもしれない。
 そして儚く無駄に終わったという事、なんだろう雨宮さんの様子から察するに。その表情に、僕はまた何も言えなくなってしまう。

「ああなったら何を言ってもムダ。どれだけ言葉を尽そうとも……いえ、必死になって説得しようとすればするほど、遠ざかっていく。
どうってこと無いわ。いつもの事だし、今回もまたそうだったというだけよ。それにこれだけゲートが近いなら何事もなく着けるかもしれない」

「雨宮さん……」

 そう語る雨宮さんの表情は、言葉とは裏腹な物だった。
 どうってことが無いのなら、どうしてそんなに痛切な顔をするんですか。血が出んばかりに固められた掌は何なんですか。

 本当にムダだと……思ってるんですか?

 ――そんな風に言いたい気がしたけど、言えなかった。僕に一体何を雨宮さんに言う権利があるんだろうか。
 この世界を幾度もたった一人渡り歩いてきた雨宮さんに対して、僕なんかの言葉は余りに薄っぺらな物だ。
 短いつきあいだけど、きっと雨宮さんの性格なら雨宮さんに出来ることは全部したに違いない。
 散々手を尽して、それでも手は無慈悲に打ち捨てられた。届かなかった。そうして手を伸ばすことに絶望した。
 そんな雨宮さんに届く言葉を、誰が持っていると言うんだ。少なくとも僕が持っている訳がない。
 と、言うかそもそも言ってどうする。これ以上雨宮さんに傷付けとでも言うつもりか。
 
 ――だったら。

「……? どこに行くの? まさか……!」

「ちょっとあの人達の所に行ってきます。……やっぱり、あのままじゃ絶対良くないですよ。もし禁人種なんかが出たら僕達はあの人達を見殺しに――……いえ」

「おい! ふざけんな!! これじゃ前と一緒じゃねぇか!!」 

「多分大丈夫ですよ。パッと行ってパッと帰って来ます」

 枠だけが無残に残された窓の方へと歩いて行く。途中夜科さんに怒鳴られた。
 前と一緒なんかじゃ、ない。もう前みたいな事はこりごりだ。絶対にあんな事にはさせない。
 頭に浮かんだのはいつか見た夢。ずっと焼き付いて離れない、ヒトが壊されていく場面。あれは多分自分の弱さへの後悔の現れなんだろう。

 朝河さんに捕まえられそうになったけどその前にさっさと僕は窓から飛び出した。
 みんな驚いた顔をしたけど、落ちたりはしない。ライズも使えないのにビルの何階かから飛び降りるのは流石に無茶すぎる。
 僕は、空中に浮かんだブロックの上に靴の裏を着地させていた。
 ブロックに夜科さんが飛び乗ってしまう前に足下の一つを消して、もっと少し向こうにもう一つ作る。
 足場が消えたことで自由落下が始まるけれど、落ちきってしまう前に新しく作ったブロックにテレキネシスを引っ掛けて、思いっきり引き寄せるイメージ。

「それじゃ、行ってきます」

 後ろから馬鹿野郎とか聞こえた気がしたけど気にしない。
 体が振り子のように弧を描いて加速していく。そして体は弧の最下地点、つまり最高速度の場所に。
 頬を切る乾いた風と、内蔵や髪の毛が後方に引っ張られる感覚に二の腕辺りの皮膚が泡立つ感覚を覚えながら、運動エネルギーが位置エネルギーに変換され切ってしまう前に、ブロックを消す。
 支点の無くなった振り子、要するに僕は放物線を描くように、砂交じりの風に満ちた空中へと飛び出した。

「って、これ予想以上に怖いいいいいいいぃぃ!!!!! あああああああああああ!!!!!」

 ……ライズも使えない奴がやるにはちょっと難があったっぽい。だって三半規管が無理無理言ってる。
 いや、チビってないから。目元が濡れてるのはあの、砂が入ったからだから。涙とかその、ちょっと……何言ってるのか分かりませんね。
 そして僕は誰に弁解してるんだ。

 ……ああ、かっこ悪ッ!


◆◆◆


「とんでもねェ所だぜ」

 男が砂地に足を取られながら悪態を一つ吐いた。
 男達の眼前に広がる広大な砂丘と荒らしく隆起した大地。
 どこか有り得ない世界に迷い込んだような気がして、自分がその異世界に呑みこまれているように錯覚して、男は微かな眩暈を覚えた。
 無遠慮に靴の中に侵入してくる砂の感触も、崖から降りる際に擦った腕の痛みも全てが幻のように思えた。
 
「あっちでいいのか!? 砂煙で前がよく見えねェ……!」

「歩きにくいぜクソッ!」

「俺なんか裸足なんだぞ」

 風が男達を、その耳殻を叩き聴覚がごうごうという音一色に塗りつぶされる。その為男達の声は怒鳴るかのような大きさだった。
 だが誰も気にかけない。固まって行動してはいるが、それぞれが勝手に同じ方向を目指しているだけと言った様子であり、怒鳴り声も誰に話しかけているのでも無い、いわば独り言だったからだ。
 訳の分からない状況に対する感情が独り言となって吐き出される。そうでもしないと不安や疑惑、未知に対する恐怖などの感情は、男達を叩きつぶしてしまいそうだった。

「……なぁ。ここって……もしかしたら本当に……未来の世界なんじゃ……!」

「バカかお前」

「でも埋まってる足元の街とかよ……!」

 一人の男が視線を落とす。
 そこには風化した金属の板が半身を砂に埋めていた。よく見るとそれは家屋用いられている金属屋根の一部らしかった。
 男の声は震えていた。砂煙で視界は良好のその真逆であったが、目を凝らすとそこらじゅうに見慣れた建造物らしき物や道路標識、信号機などが朽ちた姿で項垂れている。

 隣の男に軽くあしらわれてもその男は言葉を続けた。言葉は同意を求めるような物だったが、その実それは否定して欲しくて発された物であった。
 先程の少女が口にした言葉が頭蓋の中で繰り返される。その耳障りな音声の羅列から逃れるため少女の言葉を誰もが否定した理由を考えた。

 有り得ないからだ。容易く結論に達した。
 だが、何故自分や他の人間は有り得ないと思ったのか。
 その判断の根拠は何だったのかそしてどこに有ったのか。

 ふと男は気が付いた。
 少女の言葉は、自分の頭蓋骨のなかに大事に仕舞われた『常識』に照らし合わせ導き出された答えによって否定された。
 「常識的に考えて有り得ない」なんとも頼もしい言葉だと男は思う。
 ……ただしそれが常識的な状況においてならば、と言う事に男は、気が付いてしまったのだ。

「っ!? なっ、なんだ!!?」

 突然大きな地面の揺れが男達を襲った。
 生まれてから一度も経験した事の無い程の大きな揺れ、それはまるで震源がすぐ足元に存在するかのような。
 風の唸り声を更に塗りつぶす大きな地鳴りが男達の鼓膜を叩く。そして、目の前の砂が急激に膨れ上がった。

 ああ――、と男は思わず零す。感嘆にも似たその声は、納得の響きを含んでいた。
 どうして自分はあれ程までに疑惑の念に囚われていたのか。少女の言葉など有り得ない物の筈なのに。
 ……答えは非常に、非情に理解に易い物だった。

 そもそもこの世界は、常識など通用しない物だったのだ。考えてもみろ、何人もの人間が突然こんな所に投げ出される事自体が『有り得ない』じゃないか。
 大前提自分がこんな場所に立っていると言う事実が有り得ない。だったら、それは自分の『常識』が間違っていると言う事じゃないか。

「……は?」

 目の前には、ビル程の背丈を持つ蟲が、男に向けて鎌首を擡げていた。
 有り得ない、有り得ない、有り得ない、と男はうわ言のように口の中で繰り返す。
 だが、上書きされた男の常識はこう告げた。事実だ、と。

「はぁあああああ!!?」

「ひぃ!! ばっ、化物ォ!!!」

 周りに居た他の人間は掛け出す。恐らく何が起きているかも理解していないだろう。
 だがこの男ははっきりと理解してしまっていた。疑いようも無く自分は死ぬ事に。
 恐怖に対する本能で訳も分からず掛け出した者と違い、男の足は動いてくれなかった。逃げようと思考するが、直ぐさま無駄だという思考が返答のように浮かんだのだ。

「……間に合えッ!! 固定解除プログラミング済みマテリアル・ハイッ! テレキネシス――プログラム投擲ッ!!」

 目の前の蟲が大瀑布のように男に向かおうとしたその時――少年期特有の高い通る声が砂漠に響いた。
 蟲の周囲の空間が揺らいだかと思うと、何らかの形状をした物体が虚空に浮かぶのがぼんやりと見えた。

「"円想虚刃 マテリアル・サーカス"!!!!」

 砂煙で遮られている為目視は難しい状況だったが、確かにその物体は少年の掛け声と共に蟲へと殺到した。
 それは、男の常識を今一度更新せざるを得なくなる物だと言う事を、男はどこかぼんやりと理解する。

「……やった、か?」

 



続く



あとがき


やったか!? ← やってない



[17872] コール29
Name: 昆布◆de1a5a25 ID:2ed57cc7
Date: 2014/01/25 05:06
 先に出て行った人達に追い付こうと、僕は空中ブランコの動きに近い曲芸じみた方法で空を渡っていた。
 荒れた地形に邪魔されないだけあってその移動速度は流石に中々の物だった。……速過ぎる気がしないでも無かったけど。

 ところで僕は何故あの人達を追い駆けよう、追い駆けなければいけないと思ったのだろうか。
 何に急き立てられたのだろう。夜科さん達の制止を振り切ってまで一体僕は、何をしたいのだろう。
 時々自分の感情や思考がよく分からないままに行動してしまう事がある。これも、自分の行動が正しいのかそうでないのか判断付きかねる原因の一つになっている気がする。
 だから一々考えなくちゃいけない。自分の行動の正当性は、何を理由に行動したのか、その理由に至る想いは――

 真っ先に思い浮かんだのは、前回のゲームの事。
 人が、それまで生きて積み重ねてきた物が余りに呆気なく終止符を打たれてしまう、そんな光景が単純に見たく無かった。
 人の死ぬ瞬間だとか誰が見たいだろうか。見たい人が居るとしたら、それは変わった趣味の人だ。あまり友達にはなりたくない種類の。
 だから、あの人達に危険が及ぶかどうかは分からないけれど、万が一の時その可能性を僕が行くことで下げられるんじゃないかと思った。
 尤も僕が行った所で下げられる保証なんて無い。だけどただ黙って見ているだけと言うのは嫌な物だから。

 それから、もう一つ。
 雨宮さんの表情を見ていたら、どうにもじっとして居られなくなった。
 ……きっと雨宮さんはゲームの度に説得も含めて誰かを助けようとしたんだろう。でも、叶わなかった。
 それは、雨宮さんの行動が間違っていたと雨宮さんに思い込ませるんじゃないだろうか。
 不可能な事をしようとしていた、と目の前の惨憺たる状況が雨宮さんに囁き掛け、取った行動、そして行動を取る理由になった雨宮さんの想いさえも後になって自身で否定させる――
 雨宮さんの行動が間違っていたとは、僕にはどうしても思えない。でも……正しかったのかも分からない。他人を助けようと自分が危険な目に遭っていては本末転倒なんだから。
 他人は助けられない、しかも自分は危険な目に遭うと、結果論的に雨宮さんは否定された。ならば、僕にとっての結果が未だ出ていない今だからこそ雨宮さんの結果論が正しかったのか否か、確かめたいのかもしれない。
 結果論による否定自体が否定される事を期待しながら。
 要するに雨宮さんと僕が取った行動、誰かを助けようとすることが間違っていなかったのだ、という答えを望んでいると言う事なんだろう。結局。

「あれは!?」

 そうこうしている内にあの人達の姿が砂塵の幕の向こう側に映った。
 PSIの連続使用で多少荒くなった息を整えて、大声で呼びかけようと、砂を吸いこまないためにシャツの襟で覆っていた口元を大気に晒したその時。
 ――耳元の風音よりも遥かに大きな音量の大地の唸り声が届いた。同時に砂が膨れ上がり紗幕が一層濃度を増す。
 何が起こったのか一瞬理解できなかったけれど、理解できなかったからこそ導かれる解答がある。目の前の事象は常識の範疇を超えた物、PSIや禁人種による物だ、と。
 
「くそっ!! やっぱり……!」

 果たしてその回答は、禁人種の方が正解だったようだ。
 前回遭遇したものたちとは比較に価しないほど巨大で、重厚で。眺めるだけで威圧されるような蟲(ワーム)が、あの人達を高くから睥睨していた。
 のっぺりとした恐らく頭の部分に、体節ごとに堅固そうな外骨格に区切られた胴体が続き、そしてその先は未だ砂に埋められていた。
 全貌が露わになっていないのに10メートルはありそうなあの巨大さ、全身を露出させたらどれほどの大きさかは分からないが、とにかく化物と呼ぶにふさわしい大きさを身に備えた存在。

 それを目の当たりにして、一瞬心が折れそうになる。どうやって倒せばいいんだあんな奴……?
 テレキネシスで引っ張り出す? 無理に決まってる。いくらなんでも出力が足りない。
 パイロキネシスで燃やす? 果たして炎が効くのだろうか。表層の外骨格はまるで岩石を思わせる。そもそも質量が違い過ぎて僕程度の炎じゃ火傷させられたら恩の字な気がする。

 どうすれば……! この状況で何をするのが正解なんだ……!? 
 あのままじゃ間違いなくあの人達は蟲に襲われて死んでしまう!

 …………襲われる?
 
「……っ! 間に合えッ!!」

 テレキネシスの振り子から解かれた僕は空中に投げ出される。
 高く、高く放られて一瞬無重力を味わった後、僕の体は重力に内臓を引かれて自由落下を始めた。
 背中から落ちそうになるのを無理矢理腹筋に力を込めて反らし、視界の下方に呆然としているあの人達と蟲を捕えながら、想像を現実に創造する。
 
 そうだ。何もあの蟲を倒す必要なんか無かったんだ。いざ圧倒的な存在を目の前にして、どうやって倒すかと言う事ばかりに気を取られてしまって失念していた。
 今僕が第一にすべきことは、あの人達を無事に逃げさせる事。
 そしてあの人達が蟲に襲われない様にする為には、蟲の気をあの人達から逸らさせればいい。
 倒さなくてもいい、蟲の注意を引いて逃げる為の時間を稼ぐ……! その為にはっ!
 
「固定解除プログラミング済みマテリアル・ハイッ! テレキネシス――プログラム投擲ッ!! "円想虚刃 マテリアル・サーカス"!!!!」

 外骨格の隙間から砂を零す蟲の、頭と思わしき部分の周囲の空間が歪む。
 砂煙が均一に満ちている空間で空気を圧縮させるマテリアル・ハイを使えば、どのように空気の塊が出来るかが砂の動きで分かりやすい。
 落下と、その際生じる空気抵抗によって後方に引かれている腕を目の前へとクロスさせながら叫んだ。
 
「……?」

 蟲は大声に反応したのか僕の方を振り向く。
 その些細な動作だけで元々の狙いとの数メートルもの巨大な誤差が生まれるけれど、今は関係ない。一部当たりさえすればいいんだから。
 創られたブレードぼ数は十本。超高速展開でイメージしたんだからその位の数で上出来だろう。
 自由落下を始めるブレードをテレキネシスで捕まえて……思いっきり飛ばす! 狙いは頭らしき部分にある三つの模様、目玉らしき物!!
 ……1。

「ッ!」

「やった……か?」

 砂混じりの濁ったブレードが蟲へと殺到し何らかの刺激を感じたのか蟲が反応を見せる。
 逃げ遅れたのか、蟲のすぐ近くに居た男の人のぼんやりとした声も聞こえた。
 だけどブレードは……蟲に突き刺さる事も無く、それどころか蟲の表面に到達した途端、どれも等しく砕け散ってしまっていた。
 やはり質量差は覆せない。蟲に比べてあんな小さなブレードでは羽虫が止まった程度の感覚だったのだろう。
 PSIによる圧縮が物理的な衝撃によって解除された空気の塊は、儚く大気へと還元され溶けて広がっていく……
 ……2。

「やってませんから!! 早く逃げて下さいッ!」

 僕自身が落下して地面とぶつかってしまわないよう空中の適当な高さに新しい固定されたブロックを創ってそこに着地。
 勢い余ってブロックから落っこちてしまいそうになる。が、そこは必死で踏ん張って、未だ現実が理解できていないのかぼんやりし続ける男の人に向かって叫んだ。
 だがその叫びも半ばで掻き消されてしまう。蟲が何事も無かったように、事実そうであったので再び声を発した男の人へ顔を向けたのだ。
 このままでは僕のした事が何の意味も為さず男の人が襲われてしまう。だけど、そんな事させない。

「……3ッ! まだだっ!! プログラム"三秒経過後、発火"!!」

「ギャウッ!?」
 
 だから、予めブレードには固定解除の他のプログラムを組み込んでおいた。
 具現化された後、時間経過による発火。ブレードのまま発火させたのでは炎も広がらず固まった小規模な炎にしかならないだろう事が予測された。
 それゆえにブレードが粉砕されて、圧縮した空気が解除され含んでいた僕のPSIが大気に広がっただろう当たりの時間を狙って発火するようにプログラミングしたのだ。
 炎自体を飛ばさなかったのは、炎では蟲に到達するまでに時間が掛かってしまうから。

「お前を攻撃した奴は僕だッ!! ここにいるぞ!!」

 炎のベールが蟲の顔面を覆い隠し、嘗め上げる。
 熱を孕んだ空気が一気に膨張し、破裂したような音が轟いた。……ぶっつけ本番でも意外と威力が出るもんなんだ。蟲は一瞬仰け反るような大きな動きまで見せた。
 マテリアル・ハイ、テレキネシス、パイロキネシス。PSIの三重展開と轟音の為にズキズキ痛む頭を振って正気を保ちつつ蟲へと怒鳴る。
 もちろんそれは男の人達に向かっての逃げろという意味も込められていた。男の人達はその示唆に気づいてくれたのか、僕の突然の空からの出現で止めていた足を再び動かし始めていた。
 ぼんやりしていた人も大きな破裂音で我に返ったらしく逃げ始めている。
 後は、空中を移動できる僕が囮になるだけだ……!

 空中ブランコの影響が今になって現れたのか、それともPSIの多重使用のためか、一気に速くなった側頭部の脈拍に眉を顰める。
 初めてPSIの三重展開が上手くいって昂ぶっているのもあっただろう。だが最も僕の心臓の鐘を打ち鳴らさせたのは、緊張であった。
 ブレードによって目を潰し蟲の視覚を奪えることは期待していなかった。どこに目があるかよくわからなかったのだし。だからこその広域の炎。倒さずとも、肉を焦がさずとも、蟲の眼球に熱によるダメージが届けば……!
 蟲が大きく首を振ったことで炎が消された。反らせた首をゆっくりと戻し出す蟲を睨み付けたまま密かに唾を飲み込んだ。
 そして炎が蟲への挑発と受け取ってもらえれば、狙いがあの人達から僕へと移れば作戦は完遂される。

 ――はずだった。

「え……? な、なんで……!」

 僕の啖呵にチラリと一瞬顔を向けたものの、蟲は直ぐさま逃げている人達に向かい直ってその巨軀を揺り動かし始めた。
 それはまるで僕を意図的に無視したかのような仕種で……。
 蟲が一瞬、僕を嘲笑ったかのような錯覚がした。蟲だけじゃない、砂に埋もれたビルが、家屋が、標識が、この茫漠な世界全てが僕を嘲弄の的だと認識しているような気がした。
 小賢しい策を弄そうとも、僅かばかりのPSIの力を持とうとも、どのように足掻こうとも、何をしようとも――無駄だ……と、そう言われたように思えた。

「う、うあああああああああ!! た、助け……!」

「……無駄なもんかっ! 間違ってなんかっ、ない!!」

 内に響く自分の行動を否定する声に囚われて動けなくなってしまいそうになる、けどそんな物は頬を殴って黙らせた。
 殴られた頬の痛みに引かれるようにブロックから飛び降り、蟲の泳ぎ始めたのと同じ方向へ駆け出す。
 後悔なんて今してる場合か! しっかりしろ僕のアホ……ッ! 

 蟲がその巨軀を砂へと潜らせる。元々砂の中に身を隠していたのだから砂中を移動する性質なのかもしれない。
 砂中を移動するならその速度は遅い物であって欲しいという僕の儚い望みは、しかしあっさりと裏切られた。
 それは凄まじい物だった。身を進ませる度に莫大な量の砂礫が巻き上げられる。質量が違い過ぎるために挙動の一つ一つは緩慢な物に見えたのだけど、実際の速度は恐らく自動車のそれなんか優に超える物だった。
 炎が広がっても獲物を狙う動きに変化が、澱みが無いという事は炎が当たった部位が実は顔じゃ無かったか、ひょっとしたらそもそもあの蟲は視覚で事物を認識していないんじゃないだろうか。
 どんな生き物でも大抵は視力に頼って生きていて、目が弱点だと思っていた。だからあんな大きな生物に目が無いなんて考えもしなかった。
 ……だったら、僕のした事は見当はずれもいい所だ。

「はあっ! はあっ!! い、嫌だ! 嫌だッ!! 死にたくねぇ……!!」
 
 男の人達の足では追いつかれるのは火を見るよりも明らかだろう。背後からは死の煙を撒き散らしながら極大の死神が迫っている。
 無論ライズが使えない子供の僕の足なんかじゃ尚更だ。
 なら、大分距離を開けられてしまったけど、間に合うか……!

「う、うわっ!? なんだ!?」

「痛ッ……!!」

 走りながらテレキネシスのイメージを展開させる。あのまま真っ直ぐ走っていたのでは追い付かれるのなら、テレキネシスで無理矢理引っ張って蟲の進行方向から退かせなければ。
 さっきの慣れないPSIの三重展開や、その他今日はもう随分PSIを使っているためイメージを練ろうとするだけで頭が小さな悲鳴を上げた。
 痛みによる警告、これ以上PSIの乱用は拙いと言う事だ。まだ大丈夫だろうけど、もし警告を無視し続けたのならどんな結果が待っているか分からない。最悪、脳が滅茶苦茶になるかもしれない。
 だけどそんなもん……!

「……知るか!!!」

 蟲が砂面から顔を覗かせたかと思うと一気に跳ね、男の人達へと土砂崩れのように襲いかかった。
 その直前、男の人達にテレキネシスを作用させる。その感覚に困惑する声が聞こえた。
 テレキネシスの対象が重ければ重いほど掛かる負担は大きくなる。僕自身の筋力では物理的に持ち上げる事が出来ない大人の男性を複数人、それ相応の脳への負荷、痛みが走った。
 砂煙で全くあの人達の姿は見えないからどうなっているのか分からない。だけど何かを掴んだ手応えは十分にあった。
 確認は出来ないけど、蟲を躱せている事を祈りながらそのまま引き続けようとした。

「ぎゃアアアアアあああああ!!!!」

「はッ、はなせぇあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!?」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛い゛でぇ゛え゛え゛!!!!」

「……ぁ……」

 その時、耳の奥で張り詰めていた糸が切れる音がした。
 頭の痛みが突沸を起こし、痛みという液体が頭蓋から溢れ出たような感覚。

 気が付けば、柔らかな砂の上へと膝は音もなく崩れ落ちていた。
 上空から襲い掛かった為に埋もれていた顔を持ち上げた蟲、その口にはあの人達が何人か咥えられている。
 無理矢理あの人達に掛けたテレキネシスの捕縛を引き千切られたらしい、というのは目の前が暗くなったり真っ白になったり、視界が点滅していた事で理解できた。
 強引に解かれた事でテレキネシスの反動が一気に僕の脳へと雪崩れ込んだようで、その為PSIの使用限度ギリギリまで一気に到達してしまったらしい。痛みを痛みと頭が認識出来ず、ただ呆然と力が抜けてゆく。
 だけどその脱力の原因はPSIの使用によるダメージだけでは無かったのかもしれない。
 助けようとしたけど、助けられなかった。無力さ、すなわち自分自身への失望が、膝を崩させたのかもしれなかった。

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……ぁ」
 
 喉が裂けんばかりの必死の声の末に聞こえた音。水を入れた袋が破れたようなくぐもった破裂音が、力ない僕の耳をただ通り過ぎていった。
 同時に生温い液体が注いだのを頬に感じる。震える手でそっと触れてみるとそれは僅かな粘りを持っている事が分かった。
 頬から離した指は、赤い。沈黙が色として塗られたような灰色のサイレン世界に似つかわしくないほどに鮮やかな赤色――……

 視界が急に翳った。
 意識が遠のいているのか、などと鈍くなった頭でぼんやり考える。だけどその答えは顔を上げればすぐに分かることだった。
 蟲が、あの人達を咀嚼し終えた蟲が今度は僕に襲い掛かろうとしているらしい。それに気が付いた時には鮮血色に染まった蟲の口がもう目の前で――

「あ……ダメだ……」

 死ぬ、とまで呟こうとしたけどそんな時間は無さそうだった。ましてPSIを使う余裕なんて。
 走馬燈だとか、時間がゆっくりに感じるとか言われてるけどそんな事は無いらしい。
 何かを思い出そうとしたけど、なんにも出てこなかったから。空っぽ。
 ただ高めの誰かの声が聞こえた気がした。

 ライズ、と。

 ――そして感じる横向きの凄まじい衝撃。
 

◆◆◆


 少年が飛び出していった後雨宮は一人呆然としていた。
 危険を顧みず、また何の具体的な策を持たないままに勢いだけで行った無鉄砲な少年の姿が雨宮には痛ましく思えた。
 恐れを知らないのか、何事も不可能など無いと思い込んでいるのか、どこまでも真っ直ぐただ何かに急き立てられるように出て行った少年。
 勇気と言うより蛮勇に近いその行動は、現実を見せ付けられたことがある者にとって直視に耐え難い物だったのだ。

 それに、その行動によって自分が非難されているように雨宮には思えてしまった。
 どうせ無駄だと初めから諦めて何も行動を起さなかった自分――何をしているんだ、と言われた気がした。
 それは少年から言われたように思ったのではない、声の主は自らの内心だった。
 とうの昔に捨ててしまった雨宮の本心が声を荒げていたのだ。八雲祭のように誰かを助けられるほど強くありたい、と言う。
 
 だから、少年が飛び出して行ってもすぐに後を追う事が出来なかった。
 これ以上バラバラに行動するのは危険だ、一人で何ができる、とライズで後を追いかけ首根っこを引っ掴んででも帰還させるべきだという思考が一つ。
 そしてもう一つ、自分は出来なかった誰かを助けるという行動をやってのけるかもしれない。それが可能ならば見届けてみたい、誰かを助けたいという想いは可能なのだ――と証明してみて欲しいという思考。
 止めさせるべきだという思いとそのまま見届けてみたいという思考、相容れない二つが雨宮に行動を起こさせるのを阻害したのだ。

 だが巨大な蟲が現れた途端、そんな悠長な事を考えている場合では無くなった。その子の事は大丈夫、とエルモアに自らが言った事を思い出し、それは呆然としていた自分の頭を叩いた。
 迷って行動を起こさなかった自分を叱責し、その思考も邪魔だと言わんばかりに振り払い無心で割れた硝子の残る窓枠を蹴って雨宮は飛び出していた。

(恐らく足音……!