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[17694] 聖闘士星矢~ANOTHER DIMENSION海龍戦記~
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:30aca1a0
Date: 2013/09/09 21:34
 ~前書き~
・前聖戦はND冥王神話ではなくLC冥王神話の設定を参考。
・独自解釈、独自設定あり。
・小説版星矢との設定
 髪の毛座は「コロナの聖闘士」の扱いで考えております。したがってアテナの聖闘士である「髪の毛座(コーマ)の盟」はこの世界では登場しません。コーマの盟は。
・本作中で「アベル」という固有名詞が出ましたら、それは「太陽神アベル」の事です。
・Ωはあり得たかもしれない未来の一つ。


2010/04/23 各話にサブタイトル追加
2010/08/25 14話加筆修正
2010/11/01  タイトル変更 旧題:聖闘士せいや!~シードラゴン(仮)の憂鬱~
2011/01/21 第19話をプロローグとして話の先頭に。23話のカミュのセリフにより矛盾点が生じた個所を修正。
2011/02/02 第24話、生存を確認できているのは五名→七名に修正。
2011/02/12 ご意見を頂きましたのでCHAPTER0(19話)の順番を1話の次に。
2011/03/17 19話を定位置に戻しました。
2011/03/19 設定・人物紹介Ver.CHAPTER2を追加
2011/06/18 第27話:五老峰でのやり取りを改訂
2011/09/16 第32話:「残る部位はあと五つ」→「七つ」に修正
2012/08/13 第36話修正

『聖闘士星矢~アナザーディメンション海龍戦記~』

 これは、某双子座の弟によりその出番を奪われた男の物語。


 2013年2月17日現在、二次創作・小説投稿サイト「ハーメルン」様にて改訂版を投稿しております。
 改訂した話をこちらで順次差し替えてしまいますと、現在投稿済みの話との繋がりがおかしくなってしまいますので、区切りがつくまでは更新を一時停止させて頂きます。

 2013年9月9日
 Chapter1の改訂終了が見えてきましたので、近い内にChapter2を一端削除する予定です。



[17694] 第1話 シードラゴン(仮)の憂鬱
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:30aca1a0
Date: 2011/03/19 11:59
 見上げた先には、どこまでも広がる深い青。
 それは水の天蓋。この海の世界の空。
 周りを見れば、古代ギリシア時代の神殿を思わせる建造物が建ち並ぶ。

「――アトランティス……神殿? ここは、幾多の……そうか、海底神殿の一つ、か」

 知らない場所だ。
 そもそも海の底など、生身の人間が訪れる事ができるような場所ではない。
 それがどうだ。たった今、自分の口からこぼれた言葉が正しいという確信がある。

 ――此方へ

 脳裏に浮かぶ声に従い、コツ、コツ、と俺の足音だけが響く無人の神殿を進む。
 やがて、目の前に現れる巨大な壁。それは、三又の矛の紋章が刻まれた巨大な扉だった。
 ゆっくりと手を伸ばし扉に触れる。
 すると、紋章が淡く光り地響きのような重い音を立て扉が開いた。

「……機能が生きている。いや、動き始めたのか?」

 頭の中に知らない知識が流れ込んでくる。
 こちらの都合などお構いなしに詰め込まれるソレによって、俺は激しい頭痛と嘔吐感に襲われる。

「チッ、くそ……ッ」

 ふらつきながらもどうにか室内へと足を踏み入れた俺の目に、幾つもの眩い輝きが飛び込んできた。

「これは……鱗衣(スケイル)!」

 金色に輝く輝き。
 それは神話の魔獣や英雄の姿を模した七つの鱗衣。
 初めて見るはずのそれらに、俺は何とも言えぬ奇妙な懐かしさを感じた。
 これが、脳裏に刻まれた知識によるものではない事だけは感覚が理解していた。

「シーホース、セイレーン、クリュサオル、スキュラ、リュムナデス、クラーケン、ポセイドン」

 口から出たのは八つの台座に置かれた鱗衣の名前。
 永きに渡る眠りから目覚めたのか、鱗衣は俺の目の前で静かに輝きを放ち続けている。

「……シードラゴン」

 海龍、大海の魔獣。その名が鍵であったのか。
 その言葉を口に出した瞬間、激しい頭痛や嘔吐感が嘘のように消え去り、俺は自分が海皇ポセイドンを守護する海闘士(マリーナ)として選ばれた事を理解した。
 海皇とは何か、海闘士とは何か。
 海闘士として知らねばならない事が、次々と脳裏に浮かび上がる。

「シードラゴン、海将軍(ジェネラル)シードラゴン。それが俺の役割、か」

 呟きと共に、自分の内側、奥底から沸き上がる未知なる力を感じる。

 地上の守護者たる女神アテナの聖闘士(セイント)は、過酷な修行により聖闘士としての資格を得るが――海闘士は違う。
 鱗衣に選ばれ、自分が海闘士であると自覚する事で覚醒を果たす。

 超常の力の覚醒。
 全身を包み込むのは、まるで世界の全てが己の物になったとさえ錯覚するような高揚感。
 しかし、同時に決定的な何かが足りていない。そんな漠然とした不安感に襲われる。それが何なのか。
 そこで、ふと違和感を覚えた俺は、もう一度光り輝く鱗衣と安置された台座を見た。
 台座は八つ。しかし、その上に安置された鱗衣は七つ。

「シードラゴンだ。俺の鱗衣が――無い? そんな馬鹿な!?」

 どういうことだと、周囲を見渡す。どこにもシードラゴンの鱗衣は見当たらない。
 しかし、近くにある事は間違いない。存在は感じている。
 覚醒した俺が、自分の纏うべき鱗衣の気配を間違えるはずがない。
 確実に近くにある。
 感覚を研ぎ澄まし、場所を特定しようとした――その時だった。

「探し物はコレかな?」

「誰だ!?」

 それは若い男の声だった。
 その声に振り向けば、いつからそこに居たのか、柱の影から人影が現れる。
 シードラゴンの鱗衣を身に纏った男が、悠然とこちらを見つめていた。

「答えろ、お前は何者だ? なぜ、俺の鱗衣を身に纏っている!?」

「俺の鱗衣、だと? ほう、そうか貴様が今世のシードラゴンだった男か。その問いの答えは見ての通りよ。このオレこそがシードラゴンだからだ」

「ふざけるな!」

 構える男に対して俺も素早く身構えた。
 力の奔流をイメージして両の掌に力を集中する。
 目の前の男を倒すために何をどうすればいいのかが分る。
 例え鱗衣が無くとも繰り出す技の威力は変わらない。
 広げた両腕を目の前で交差させた瞬間、溜めこんだ力を解き放つ。

「大海嘯に呑み込まれて消え去れ“ダイダルウェイブ”!!」

「むっ!? これはっ!」

 荒れ狂う大海の津波の如く、全てを呑み込み粉砕する破壊のエネルギーがシードラゴンを騙る男へと放たれる。

 ドゴォンン!!

 波濤の余波を受けた石畳が砕け、舞い上がり、進路上の柱や壁が次々と崩壊する。
 しかし、その様子に俺は眉をしかめていた。
 破壊は一瞬の内に終える、そのはずが終わらない。
 見れば、男の立っていた場所で破壊のエネルギーが押し止められていた。

「ク、クククッ。流石は海将軍。覚醒直後でありながら……これ程までの力を見せるとは思いもしなかったぞ」

「な!? 馬鹿な! 受け止めただと!?」

「そうら、返すぞ!!」

 そう言うと、男はダイダルウェイブの破壊エネルギーを両手で受け止めて見せただけではなく、その威力の全てを俺へと目掛けて跳ね返して見せた。

「そして消し飛べ!」

「ぐぅ!! “ダイダルウェイブ”!」

 どうにか相殺出来たものの、その余波で俺と男は吹き飛ばされる。

「ガハァ――あッうぐぅう……」

 柱をへし折り、壁をぶち抜き。
 神殿の壁を突き破り外へと放り出された俺は、そのまま受け身も取れずに石畳に叩き付けられ、全身を襲うダメージに身動きが取れなくなってしまう。
 必殺の技を放ち無防備となった状態。鱗衣のない生身の俺には余波ですら致命傷となっていた。

「咄嗟に切り返して見せたのは見事。だが……鱗衣もなく生身で俺に勝とうなどは思い上がりも甚だしい」

「……ぐッ、うぅ……」

 たちまち飛びそうになる意識をどうにか繋ぎ止め、どうにか立ち上がろうと足掻くが、それよりも相手の動きの方が早かった。

「この鱗衣と海将軍としての立場は俺が有効に使わせてもらう。その為にはお前の存在は邪魔なのだ」

 何を言っているのか分らない。
 霞がかる視界の中で、男の手が三角の軌跡を描いたのが分った。
 そこから感じる異様な力。脳裏に警鐘が鳴り響く。

「……な、何だ? く、空間が?」

「お前の存在をこの世界に残しておくわけにはいかん。本来のものとは形が違うが――消えろ、時の狭間、次元の歪、時空の彼方へと」

『ゴールデントライアングル!!』

 その声を最後に、俺の意識は闇へと沈んだ。





 聖闘士せいや!~シードラゴン(仮)の憂鬱~





 遥か神話の時代より、邪悪から女神アテナと地上の平和を守るために戦う戦士。
 繰り出す拳は空を切り裂き、放たれた蹴りは大地を割る。
 そんなトンデモ人間――聖闘士となるべく、おれたち孤児を各地から集めたのだと目の前の爺さんは語る。

「ふわぁっ……」

 その爺さんの横ではお嬢様が退屈そうに欠伸をしていた。
 それに気が付いているのかいないのか。
 爺さんは世界の平和だの正義だのと、ご大層な事を語り終えると、飛び付いてきたお嬢様の手を引いて屋敷へと戻って行った。
 去り際の、お嬢様が見せたやっと終わったとでも言いたそうな表情が印象深い。
 こっちも退屈で仕方がなかったんだから、恨めしそうに睨まれても困る。
 ここにいる誰も、お嬢様の大好きなお爺様を取ったりなんかしないってのに。

「なあ海斗(カイト)、あいつが何を言っていたのか分ったか?」

「孤児院から拾い上げてやったんだから、お前らは強くなってグラード財団の兵隊になれ、って事だろ」

「ああ、そう言う事か」

 何せ、あの爺さんは世界に名だたる“グラード財団”の実質的な支配者である城戸光政。
 日本全国から『見どころがありそう』というだけで、手段を問わずに百人近い孤児を集めた超の付く変人だ。
 中には人攫い同然の手段を取った、って話も聞いている。
 普通、そんな事をすれば警察やらなにやらから色々と問題にされそうなものだが、少なくともそんな話は一度も耳にした事がない。
 そんな馬鹿げた相手の言う事。
 どんな大層なお題目を語られたところで、おれからすれば金持ちの道楽がまた始まった、その程度の事としか思えなかった。

「那智! 海斗! 誰が私語を許可したかっ!!」

「す、すいません!」

「……」

 お嬢様の護衛兼おれたちの教育係でもあるハゲ――辰巳の一喝に、周りのやつらが身体を縮こまらせたのが分った。
 無理もないと思う。
 ここにいる百人は『お優しい城戸光政様によって城戸家に引き取られた身』として、特に『沙織お嬢様には絶対服従せよ』は骨身に叩き込まれている。逆らえば体罰だ。
 なのに、お嬢様の我が儘に従えば犬や馬として扱われる。まるで家畜か奴隷だ。そんな仕打ちを受けても邪武だけは嬉々としてお嬢様に従っていたが……。
 おれとしては、そのあまりの理不尽さにお嬢様を何度ぶっ飛ばしてやろうと思った事か。
 もっとも、まだ六歳だか七歳だかのお嬢様を殴るわけにもいかなかったので、その矛先を良心の痛まないオッサンである辰巳に向けた事もあった。
 それでも、連帯責任だと言って関係のない奴らまで罰を受けさせられては我慢するしかなくなる。
 日々、訳も分らず繰り返されるしごきと言う名のトレーニングに戦闘訓練のおかげで身体だけは丈夫になったが。

「だんまりか海斗? フン、お前といい星矢といい一輝といい。まあ、今日は特別に許してやろう。こうして顔を合わせるのも、これが最後になるかも知れんのだからな」

 そう言って、壇上に上がった辰巳が取り出したのは、くじ引きで使うような穴の開いた大きな箱だった。

「順番にくじを引け。それに書かれた場所がお前達の向かう修行の地だ。そうだな……海斗、お前から引かせてやるぞ」

 この時の辰巳の嬉しそうな顔は、きっと一生忘れる事はできないだろう。

「ギリシア……聖闘士発祥の地か。お前ならデスクィーン島を引くと思ったんだがな。フン、つまらん」



 こうして日本からギリシア・聖域(サンクチュアリ)に送られたおれは、かの地で牡牛座(タウラス)の黄金聖闘士(ゴールドセイント)と名乗る男アルデバランに出会った。

「ほう、お前が日本から聖闘士になるべくやって来た少年か。黒髪に黒い瞳に眼つきが悪い、と。資料の通りだな。確か――星矢と言ったかな?」

「……海斗です」

「ん? ははは、スマンスマン」

 気さくに笑うアルデバランはその巨体もあって確かに強そうには見えたが、城戸の爺さんが言っていた『空を切り裂き岩をも砕く』程には見えない。
 いや、確かに岩なら砕きそうなんだが。
 おれの向けた微妙な視線、その意図に気が付いたのか、アルデバランはフムと頷くと「ついて来るといい」と俺の手を取って歩き出した。

「聖闘士についてのおおまかな説明は受けていると聞いたが、口で言われただけでは信じる事ができないのも分る。やはり実際に見て体験しなければ本質は分らんものだ」

 着いた場所は朽ち果てた古代の神殿跡地。
 聖闘士の存在に半信半疑だったおれの目の前で、アルデバランは直径三メートルはあろうかという巨大な石柱を何気ない腕の一振りで――粉砕して見せた。

「……嘘……」

「聖闘士とは――原子を砕くという究極の破壊の術を身に付けた者よ。己の内に眠る小宇宙(コスモ)を感じ、それを燃やして爆発させる事ができれば……お前もこれと同じ事ができるようになる」

 唖然とするおれの肩に手を置いてアルデバランは続ける

「もっとも、こんな表面的な力を会得しただけでは聖闘士となる事はできんぞ。アテナと地上の平和を守る。正しき心と正義の意思があって初めて真の聖闘士となる事ができるのだ」

「……なれますか、おれは?」

「それは分らん。全てはお前次第だ。修行は辛く日々が命懸けのものとなる。それでも望むのであれば、一歩でも聖闘士に近づけるよう、このアルデバランが全力でお前を鍛えあげる事を約束しよう」

 正直、聖闘士になる事に興味は無かった。ただ城戸邸から外の世界に出られればそれでよかった。
 おれの目を正面から見据えるアルデバラン。
 その目には子供だからと侮る様子はなく、思い上がりかもしれないが『対等の人間』として接してくれたように思えて。

「――よろしくお願いします」

 この日から、おれはアルデバランを師と呼ぶようになった。



「むぅ、師匠か。悪い気はせんが……まだ若輩の身ではこそばゆい感じがするな」

「え? 若輩って、師匠はお幾つなんですか?」

「十四だが?」

「……」

 ――俺と四つしか違わないの? どう見ても高校生以上ですよね!?
 俺は喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。

「海斗、お前の歳は?」

「十歳です」

「……嘘はいかん、嘘は」

「――お互い様、と言う事で」

「……ああ、そうだな」

 城戸邸では、集められた孤児達の中でも年長という事で、おれは一輝と共に何かに付けて目の敵にされていた。
 年齢の割に可愛げがないだの生意気だのと散々言われて育てばこうもなろう。

 はははははと乾いた笑いを浮かべる師匠とおれ。
 師匠とは分かり合えそうだと心の底から思った。

 この時は。



 翌日、与えられた部屋で目を覚ましたおれは愕然としたよ?

「なんてリアルな夢……じゃない。分る。小宇宙が分る」

 自分が海皇ポセイドンの海闘士、海将軍シードラゴンだったと知ってしまったのだから。



[17694] 第2話 聖闘士の証!エクレウスの聖衣の巻
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:30aca1a0
Date: 2011/03/19 12:00
 神話の時代より、大海を統べる海皇ポセイドンと地上を守護する女神アテナは地上の覇権を巡り対立を続けている。
 汚れきった地上を破壊して、そこに神話の時代のように心清き人々だけの理想郷を創り上げようとする海皇ポセイドン。
 人の善なる心を信じ、地上の破壊を阻止しようとする女神アテナ。

 どちらが正しいのか。

 考える。

 夢の中、いや、あれは恐らく時間も空間も次元すらも超えたこことは違う別世界だ。
 そこでシードラゴンを騙る男が最後に繰り出した技によって四散し、肉体を失ったおれはこの世界で再生――転生を果たしたのだろう。それが解る。
 霞がかった前世界の記憶と比較して分った事だが、オレからすればこの世界は数年ほど過去にあたる。
 思考も口調もあの世界のオレに引っ張られている気がするが、今更そんな事はどうでもいい。
 オレの知識が確かであれば、この地の近くには風化して朽ち果てたとはいえ海皇ポセイドンの地上神殿があったはず。

「……師匠の小宇宙を感じたせいか、それともこの地がそうさせたのか」

 海闘士だけが感じ取れる海皇の力の残滓、そして八十八の聖闘士の最高位である黄金聖闘士の一人タウラスのアルデバランの強大な小宇宙に触発されて覚醒した、そんなところか。

 海皇による地上世界の浄化、その後にもたらされる理想郷に心惹かれるモノがあったのは確かだが、おれは夢の中のオレ程にそれを強くは願っていない。
 はっきりとは思い出せないが、夢の中のオレは常に一人だったように思う。
 何のしがらみも無く好き勝手に生きていたようだが、おれは違う。おれには僅かながらも繋がりがある。
 城戸の爺さんや辰巳あたりがどうなろうと、正直知った事ではなかったが、短いながらも城戸邸で共に過ごした百人の孤児。
 皆の仲が良かった訳ではないが、それでもおれ達には同じ身の上としての奇妙な仲間意識はあった。
 海闘士として生きるという事は、やがてアテナの聖闘士となるであろうあいつらと敵対する事を意味する。

「それは……さすがに気が引ける」

 今を守りたいと思うならばアテナ、今を破壊して変革を望むのならばポセイドン。つまりはそういう事。
 行き着くのはそこだ。

「……それにしても、あの男は何者だったんだ?」

 記憶の探索の中で思い浮かぶのはシードラゴンの鱗衣を身に纏ったあの男。
 今のおれにとっての最大の懸念。
 そもそも、おれたち海闘士はこの時代に目覚める予定ではなかった。少なくともあと二百年は。
 神話の時代、アテナに敗れた海皇はその魂を封印され、その効力が無くなるまではまだ時を必要としたのだから。
 アテナによって施された封印を海闘士が解く事はできない。それを行えるのはアテナ自身か聖闘士、もしくは力無きただの人間だけである。
 その効力が失われる時まで、海皇と共に海闘士も眠りにつくはずだったのだ。
 あの時は、訪れた海底神殿内には海皇の気配は感じなかった。
 イレギュラー的な目覚めかとも考えたが、あの場に安置された七つの鱗衣も眠りから目覚めていた。
 それは海将軍の目覚めの兆し。
 他の六人の海将軍も覚醒するのであれば、その目覚めは海皇の意思であるはず。

 つまり、何者かが海皇の封印を解いたという事。

「怪し過ぎるな」

 海闘士の聖域とも言える海底神殿に潜み、シードラゴンの名を騙り、覚醒直後であったとはいえオレを圧倒したあの男。
 海闘士ではない。当然ながら力無き人間でもない。
 ならばアテナか。違う。
 人として降臨するとはいえ、アテナは女神。その肉体は女性の物。
 残る可能性はただ一つ。

「ならば――聖闘士、か」

 鱗衣のマスク(兜)に隠れて顔も分らず、あの男の名前もおれは知らない。
 この世界にあの男と同一の存在がいるのかも、それ以前にこの世界があの世界と同じ流れに沿うのかも分らない。

「あいつはオレよりも強かった」

 あの時の戦いを思い出す。
 鱗衣の有無は問題では無い。
 純粋な力量でオレはあの男に敗れた。

「流れに沿うにしろ沿わないにしろ、用心に越した事はない、か。ここなら聖闘士の動きも情報も分り易そうだし、強くなって損はない。それに――」 

 海闘士に鱗衣があるように、聖闘士には聖衣(クロス)と呼ばれる鎧がある。
 聖闘士として認められれば聖衣を与えられるらしいが、聖衣もまたその所有者を選ぶ。
 仮に聖闘士として認められ聖衣を与えられたとしても、海闘士であるおれがそれを纏えるのかどうかは分らない。
 分らないが、海闘士として地上粛清を目指すより、海闘士が聖闘士を目指す事の方が面白そうではある。
 首尾よく聖衣を手に入れ、それを纏う事ができれば。
 仮にこの世界でもシードラゴンの鱗衣が奪われたとしても、あの時の二の舞になる事は避けられるかもしれない。

「……やってみるか」

 どう振る舞うべきか。
 そうして小一時間ほど悩んだ後、おれはこのまま聖域に留まり聖闘士となるべく修業を受ける事に決めた。





 第2話





 聖域に来て早四年。

 俺は今日、聖闘士となれるかどうかの運命の日を迎えていた。
 教皇の御前にて行われる聖闘士候補生たちとの試合。それに勝ち、己の力を見せる事により俺は晴れて聖闘士として認められる事となる。
 試験の場所である闘技場には、新たなる聖闘士の誕生を見届けようと多くの者達が集まっていた。
 しかし、その中に師匠の姿は無い。
 師曰く――

『この聖域内で、今のお前と正面から戦って勝てる者はそうおらん。白銀、いや黄金聖闘士であれば話は別だがな。俺は勅命を受けたので見届けてやる事はできん。が、まぁ問題はなかろう』

 との事。
 それを聞いた時は素性がバレたかとも思ったが、どうやら純粋に俺の力量を認めた上での言葉らしく。
 高く評価してもらえた事は、弟子としては素直に喜びたくもあるが、実際のところは……微妙だ。
 言葉のままに受け取れば、あの世界でオレを倒した男は少なくとも黄金聖闘士クラスの力量があったという事になる。

「それでは、これより最終試練を始める。ゴンゴール、海斗よ、準備はよいか?」

 その教皇の宣言で、闘技場内にいた者達が歓声を上げる。
 壇上に立つ教皇の横に、神官たちの手によって聖衣が収められた箱が置かれた。

「聞け! この戦いの勝者に栄誉ある聖闘士の証である聖衣を授けよう。この子馬座(エクレウス)の青銅聖衣を!」

「ブッ!?」

 教皇の宣言に、皆の前にその姿を見せた聖衣の存在に、場内のざわめきが増した。
 ある者は感嘆の声を、ある者は畏怖を、ある者は羨望を。
 候補生や雑兵達にとって、それはまさしく喉から手が出るほどに欲する物。
 それを目の当たりにして浮つく気持ちは分らなくもない。だが、俺はその聖衣の名を聞いて思わず噴き出しそうになっていた。

 子馬座。ギリシア神話ではペガサスの弟ケレリスの姿とされ、伝令神であるヘルメスがカストルに与えた名馬である。
 そこまではいい。
 問題は、神話には複数の解釈があるように、子馬座にも幾つかの由来があるという事。
 海神ポセイドンが三又の鉾で砕いた岩の中より飛び出しただの、その槍で突き殺しただの、と。
 海皇由来の聖衣など洒落になっていない。

 でき過ぎ、あるいは作為的とすら思えるこの巡り合わせに呆然とする俺。
 この姿を見て緊張をしているとでも思ったのだろうか。

「頑張れよ海斗ーッ!」

「うるさいよ星矢。お前には他人の心配なんてしている余裕は無いだろ」

 聞きなれた声に視線を向ければ、頭を抑えて蹲る星矢と何食わぬ様子でこちらを見ている魔鈴の姿があった。
 軽く手を振ってそれに返す。 
 鷲星座(イーグル)の魔鈴(マリン)。星矢の師匠であり白銀(シルバー)の位にある女聖闘士。
 聖闘士の女子は仮面を着ける事を掟とされるため、常々その無愛想な仮面の下にどんな素顔があるのかが気になって仕方がなかった。
 一度駄目で元々と「素顔を見せてくれ」と頼んだ事があったが「死にたければ見せてやるよ」と拳とともに凄まれては引き下がるしかない。
 それから暫くの間は、聖闘士候補の女子達から親の仇を見るような目で見られ続けていた。
 師匠に理由を尋ねても「分らん」の一言で済まされた。

「おや、星矢に魔鈴じゃないか。ああ、確かアイツはお前たちと同じ日本人だったね。同胞が気になるのかい? 東洋人同士仲の良い事で」

「わたしは別に興味なんて無いさ。星矢がどうしてもと言うから来てやっただけ。そう言うお前こそ、こんな所に来るなんてらしくないじゃないか。どうしたんだいシャイナ」

「確認に来ただけさ。所詮東洋人如きが神聖なるアテナの聖闘士になれるはずが無い、という現実のね」

「その通りです、シャイナさん。ふしゅらしゅらしゅら~」

 そう言って魔鈴に近づいたのは、蛇遣い星座(オピュクス)のシャイナとその弟子カシオス。
 シャイナは魔鈴と同じく白銀の位に位置する女聖闘士。
 魔鈴の無地の仮面と異なり、隈取が入った仮面が特徴的だ。
 聖闘士の女子は――以下略。

 掟とは言え、仮面など視界を遮り呼吸の邪魔にしかならないと思うんだが、この辺りの事は聖闘士を目指し四年経った今でも俺には良く理解ができない。
 服装のセンスも理解ができない。
 常々思うが……なんだあのけしからん恰好は。
 恥ずかしくはないのだろうか?
 魔鈴はどうみてもレオタード。
 シャイナに至っては革製ビキニの水着姿にしか見えない。
 俺と同じ十四歳らしいがそのプロポーションは小娘のものではない。

「アレか、戦意高揚のためか? 仮面で素顔が分らなければ恥ずかしさも三割減とか? けしからんな聖闘士、実にエロい」

 やはりこのまま聖闘士として生きてみるかと、あっという間に過ぎ去った日々に思いを馳せる。

『いいか海斗。この世の全ては原子でできている。人も草木もこの石も、だ』

 聖域での修業の日々は、肉体的には辛くも苦しいモノでもなかった。
 当然だろう。
 どれ程過酷な修行内容であっても、それはあくまでも『小宇宙(コスモ)に目覚めていない者が聖闘士を目指す』為に組まれたモノ。

『我々聖闘士の闘技とは、己の内にある小宇宙を極限にまで高め爆発させる事で――原子を砕く事にある』

 自分の内に眠る宇宙、すなわち小宇宙を感じる事ができるかどうか。聖闘士の必須条件であるそれに目覚める事こそが修行の目的。
 海闘士として目覚めていた俺からすれば、与えられた修行は全て解答片手に問題を解いているようなモノだった。

 辛かったのは主に精神面。

 ここ聖域は聖闘士の総本山。
 敵の本拠地にただ一人という状況に加え、俺を聖闘士とするべく真剣に取り組んでくれる師匠には申し訳なかったが、まさかこの地で

「小宇宙にはとっくに目覚めてます。俺、実は海闘士です」

 なんて言えるはずもなく。

 それに、俺自身は聖域を破壊してやろうだの、聖闘士をどうこうしてやろう等とは思ってもいなかったのだが、本来海闘士と聖闘士は敵同士。
 負い目というか、引け目もあって。
 他人との関わりを可能な限り避け続けたおかげで友人らしき友人もなく。精々が知人を両手で数えられる程度。
 強いて言うなら、俺と同じようにここに送られた星矢とその師匠である魔鈴ぐらいか。
 前世のオレを寂しいヤツだと思っていたが、今の俺も大概寂しい奴だと気付いてしまい軽くへこむ。

 加えて、聖域の人間は妙なプライドがあるのか、東洋人である俺や星矢に何かに付けては「東洋人の癖に」と難癖を付けて来る候補生や雑兵共。
 その都度、相手を裏路地に連れて行きボコる日々。



「――あ、その中に居たなお前。確か……権三さん?」

「ゴンゴールだ! あの時の恨みも込めて叩き潰してくれる!!」

 そう叫び、ゴンゴールが文字通り飛び掛かって来た。
 過去を想っている間に、どうやら試合が開始されていたらしい。
 その跳躍はゆうに十メートル以上。普通の人間では不可能な跳躍であっても小宇宙に目覚めた聖闘士にとっては驚くには値しない。

「……少なくとも、小宇宙を燃やせるだけの力は得たのか」

「抜かせ! 喰らえ、この俺の必殺技“スタンピングタップ”を!」

 俺としては褒めたつもりだったのだが、馬鹿にされたとでも思ったのか。
 上空からゴンゴールが繰り出したのは、両足を使っての無数の蹴りだった。
 小宇宙が込められたその蹴りは、衝撃波を伴って雨あられの様に俺目掛けて降り注ぐ。

「逃げ回るだけか? そらそらそらそらぁあっ!!」

 攻撃を避けるものの、一向に攻め手を見せない俺の姿を見て手も足も出せないと思ったのか。
 完全に調子に乗っている。
 戦いを観戦している者達の中には「いいぞゴンゴール!」だの「東洋人に聖衣を渡すな!!」等と煽り立てる者の多い事。
 どうも聖闘士と雑兵との間にある意識の差が激しいというか。
 比較できる程多くの聖闘士を知っている訳ではないが、一応は女神アテナと地上の平和のために戦う仲間であるはずなのに、この空気の悪い事。

「くく、クククッ。はははははっ!!」

 力に酔いしれて自分を見失っているのか、俺は放たれるその攻撃に悪意ある小宇宙を感じ始めていた。



「なっ、なんだよこいつ等!」

「よしな星矢」

「だって魔鈴さん!」

「落ち着いてよく戦いを見るんだね。心配はいらないさ。お前も気付いているだろうシャイナ?」

「……フンッ」



「相変わらず仲が悪いな、あの二人。いや、むしろ仲が良いのか? さて……」

 幼馴染とも言える星矢と俺達の事情を知る魔鈴はそんな空気に不快感を表していたが、チラリと教皇を見ればただ静かにこの戦いを見ているだけ。
 本来は敵対する立場である俺が言うのもなんだが「これで大丈夫なのか聖域?」と思わず心配してしまう。

「手も足も出ないのか? 随分と差が付いたようだな、ええっ海斗ぉっ!」

 繰り出される攻撃は、今では一秒間に七十五発。
 その攻撃を前にしても俺に焦りはない。
 衝撃波を伴う攻撃は俺の師匠であるアルデバランが最も得意とする闘法であり、必然的にその弟子である俺もその手の闘法は熟知している。
 相手が悪かったと言ってしまえばそれまでだが、ゴンゴールには状況を引き寄せる力とやらが足りなかったのだろう。
 言い替えれば、俺と戦う事が決まった時点で全ては終わっていたのだから。
 大体、海闘士最強である海将軍が聖闘士ですらない候補生相手に負けたとあっては他の海闘士に示しが付かない。

「……示しを付ける気もないけどな」

「ええいっ、ちょこまかと逃げ回りやがって! だったらこれで止めにしてやるぞ!!」

 そう叫び、ゴンゴールは跳躍した。これまで見せたどれよりも高く、高く。
 どうやら必殺の一撃を放つようだと感じた俺は、何をしてくるのかと、ある種の期待を込めて上空を見上げた。

「喰らえ! 超高高度からの――“スタンピングタップ”!!」

 俺は、この戦いで始めて拳を握った。

「高く跳び上がる意味がないだろうが!!」

「げぴょん!?」

 グーパンチ。
 思わず繰り出したツッコミは空を切り裂き音速を超え、その衝撃波はゴンゴールを遥か空の彼方へと吹き飛ばしていた。
 ついでとばかりに――闘技場も。



「な、何という強大な小宇宙!」

「し、信じられん!? 舞台が吹き飛んでいるではないか!!」

「流石はアルデバラン様の弟子という事か!」

 クレーターと化した舞台の中央。
 そんな外野のざわめきに反し、俺はその場で項垂れがっくりと膝をついていた。
 目立たないようにと気を配ってきたこれまでの努力を無駄にする一撃を、よりにもよってツッコミで放ってしまった。
 
 内心の動揺を隠しつつゆっくりと立ち上がり周囲を見渡す。
 腰を抜かした神官に右往左往する雑兵たち。
 余波に巻き込まれて頭から瓦礫に突っ込んだ者もいれば、呻き声を上げて助けを求めている者もいる。

「……何という阿鼻叫喚」

「ペッペッ。うわ~、凄いぜ海斗!!」

「ぐむぅうぅうう……おぉおおおぉおお……」

 瓦礫にまみれながらも素直に俺の勝利を喜ぶ星矢。
 股間を抑えて蹲るカシオス。
 何と言うか……スマン。

「……」

 その横で、じいっとこちらを見て――いや、睨みつけてくる魔鈴とシャイナ。
 気付かなかったふりをして、慌てて目を逸らそうとしたが遅かった。
 俺と目が合った二人は、無言で自分の身体に付いた埃を払い始めた。
 表情は分らないが、仮面越しでも分る。アレはヤバい。
 二人のその身から怒りの小宇宙が立ち昇るのが見える。



『――見事だ海斗よ』



 浮ついた気分など容易く吹き飛ばされる。威厳と迫力、そして威圧感に満ちたそんな声だった。
 その声を聞いた瞬間、ゾクリとしたものが俺の背筋に走る。

「ッ!?」

 素早くその場から飛び退いた俺は、声の主を前に身構える。
 視線の先に立つのはこの聖域の統治者である教皇。
 マスク(兜)に隠れてその表情は分らないが、俺の中の何かが――本能とも言えるそれが、目の前の存在に対して激しい警鐘を鳴らす。

「まさかこれ程の力を持っていたとはな。アルデバランから才能のある者を育てていると聞いていたが……」

 動悸が激しくなり視界が歪む。
 試合の前では感じる事のなかった圧倒的なまでの存在感。
 一歩、また一歩。
 教皇が近付く、ただそれだけであるはずなのに、俺の身体は意思に反して臨戦態勢に入ろうとする。
 海闘士としての本能的なモノなのか、生物としての防衛本能なのかは分らない。
 拳を打込み、蹴りを繰り出そうとする肉体の衝動を抑え込み、俺は目の前の得体の知れない存在を睨みつけた。

「そう緊張せずとも良い。女神アテナに代わって教皇の名の下に新たな聖闘士の誕生を祝福する。聖闘士の証である聖衣を授ける。
 海斗よ、ただ今を持ってお前はアテナの聖闘士となった。これよりは『エクレウス(子馬座)の海斗』と名乗る事を許そう」

 静まり返った闘技場。
 俺と教皇との間にある不穏な空気を感じたのか、誰ひとりとして口を挟もうとする者はいなかった。
 異論の声も、祝福の声も――ない。

「さあ、聖衣をここへ」

 その教皇の言葉で慌てて動き出す神官達。
 それは、温かみと包容力に満ちた穏やかな声だった。
 先程の光景がまるで嘘のように喧騒を取り戻す場内。

「……は、ハッ、直ちに!!」

 暫くして、神官や雑兵達の手で子馬座の聖衣が俺の前に運ばれる。
 その時には教皇からあれ程感じていた得体の知れぬ威圧感もなくなり、俺の中にあった燃え盛る様な猛りも静まっていた。

「……確かに受け賜わりました。アテナのため、地上の平和のためにこの力を振るう事を――」

 その時。
 聖衣を前に誓いの言葉を述べる俺の肩に、そっと教皇の手が置かれた。

「フフフッ、実に興味深い。青銅の器では抑えきれぬその猛々しいまでの覇気。これからの働きに期待せずにはおれんな」

 ポンポンと俺の肩を軽く叩くと、纏った法衣を翻し教皇はこの場から悠然と立ち去って行った。



[17694] 第3話 教皇の思惑の巻
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:30aca1a0
Date: 2010/11/02 23:03
 アテネの東南、アポロコーストの海岸沿いを進む事しばらく。
 その最南端の場所に俺が目指す場所があった。
 地図上ではエーゲ海に突き出たアッティカ半島の突端部――すなわちスニオン岬である。
 岬の先端には白い大理石の柱がそびえ立つ神殿の遺跡があり、観光名所として世界中から様々な人々が訪れている。そういう場所だ。

「あそこから見る夕日はまた格別だからねえ。テレビのおかげなのか、最近はあんたみたいな若い人も大勢来るようになったし。
ええと、ソツギョウリョコウってやつかい?」

「まあ……そんなところです。そんなに増えているんですか、若い人」

「ホラさ、最近ニュースでも取り上げられている『若き天才音楽家ソレント』って子がいるだろ?
この前ね、あたしあそこで会っちゃったのよ! サインも貰ったんだよ」

「ははは……いや、俺あまり音楽には興味が無くて。でも……そうですか、増えていますか」

 その遺跡はかつて海神を祀る神殿であった。
 そう――海皇ポセイドンを。



 聖闘士と認められてから四日。

 候補生の時とは違い、ある程度行動に自由が認められた俺は、旅行者を装って聖域からここスニオン岬へと足を運んでいた。
 道中はカフェのおばさんが言った通り若者の姿が多かったようにも思えたが、その事に関しては常日頃を知らないので気のせいかもしれない。

 今の俺は薄手のジャケットにシャツにジーンズというシンプルな服装だ。
 聖域を出てすぐ近くの町で買った安物であるが、四年振りの普通の服なので大切にしようと思っている。
 なにせ聖域はアテナの結界のおかげで『一般人には立ち入る事も出来なければその存在すら知覚できない』ある種の異界である。
 それにより遥か神話の時代からその在り方を変える事無く現在まで引き継げているのだが、衣食住まで引き継ぐのはやり過ぎではないかと思う。
 
「海闘士も似た様なモンだったか?」

 そう考えて思い出そうとするが、そもそも現代の海闘士の事を俺は何も知らない。
 海闘士最強である七人の海将軍、その筆頭であるシードラゴンは誰よりも早く海闘士として覚醒を果たし、海皇から全権を委ねられる――はずだった。
 生憎と、前世のオレは海皇に会う前に殺されているし、俺は覚醒から四年間聖域というアテナの結界の中で過していたので『外』からの接触も無かった。

「――ああ、聖闘士になったら報告しろ、だったか? 連絡先なんて知らねえぞ」

 接触ついでに思い出した。
 四年前、俺達を送り出す時に辰巳がそう言っていたが……どうしろと?

「財団の支部ってこの辺りにあったか?」

 グラード財団は世界中にその支部を置いているが、まさか受付窓口で「聖闘士になった海斗です」とでも言えと?

「……別にいいか。何かあれば向こうから連絡を取るだろ」

 そもそも俺達を送り出したのは財団であり、修行についての話を通したのも財団だ。
 居場所や連絡先が分らない、なんて事は無いだろう。

 と、そこまで考えて、今更ながらに引っかかる点があった。

「俺達を聖闘士にして財団に、いや、城戸光政に何の利がある?」

 あの時、あの爺さんは『聖闘士とするべく俺達孤児を集めた』と、確かに言っていた。
 グラード財団の私兵にするのではないか、と思っていたが、聖闘士を従える事が出来るのは女神アテナと教皇のみ。
 まさか、世界の平和のために一人でも多くの聖闘士を、とでも考えているのだろうか。
 そもそもどうやって聖闘士の事を知ったのか。 
 確かに要人警護や重要施設の警備などの勅命を受けて『外』へと出る聖闘士はいる。
 グラード財団の実質的な最高権力者である爺さんになら、そういったところで繋がりがあってもおかしくは無い。
 しかし、聖闘士の存在もそこで起きた事も全て秘匿する事が条件である以上、仮にそうだとすれば爺さんの行動は聖域と交わされた約束に反する事。

「……暇な時にでも調べてみるか」

仮定に仮定を重ねたところで意味はない。

ホテルに戻り、預けていた聖衣箱(パンドラボックス)を受け取った俺は、沈みゆく夕陽を眺めながら人影がまばらになった海岸をのんびりと歩いていた。
夏場、それも週末であれば海水浴に訪れる人で賑わうらしいが、温かくなり始めているとはいえ、四月ではまだ早い。
気が付けば、いつの間にか日は落ち、辺りは夜の闇に包まれようとしていた。





 第3話





 聖域十二宮。
 黄金十二宮とも呼ばれるそれは、聖域の更に奥に存在する教皇の間とアテナ神殿へと続くただ一つの道であり、道中の十二宮は聖闘士最強の黄金聖闘士が守護するまさしく聖域の要とも言える場所である。
 白羊宮――牡羊座(アリエス)から始まり黄道十二星座に沿って金牛宮――牡牛座(タウラス)、双児宮――双子座(ジェミニ)と続く。
 神話の時代よりこの十二宮を突破した人間は誰一人居ないと伝えられている。



「これはアルデバラン様。お早いお着きですな」

「うむ、教皇はどちらに?」

 その十二宮の奥、教皇の間へと続く扉の前に、黄金聖衣を纏い純白のマントを身に着けたアルデバランの姿があった。
 聖闘士にとって聖衣は正装であり、聖域の聖闘士の多くは常に聖衣を纏っている。

「先程、瞑想(メディテーション)を終えられて教皇の間へ。アルデバラン様がご到着されましたらお通しする様にと申しつかっております」

「分った」

 そう神官に返すと、アルデバランは奥へと進む。
 その先には、細やかな意匠が施され、見る者に荘厳な雰囲気を与える巨大な扉がある。
 アルデバランの姿を確認した衛兵がゆっくりと扉を開き、中へと促した。

「タウラスのアルデバラン、只今戻りました」

 片膝をつき、頭を垂れるアルデバラン。

「おお、戻ったかアルデバラン。ご苦労だったな。面を上げよ」

 労いの言葉を掛けるのは、未だ幼い女神アテナの代理として聖域を、聖闘士を統括する教皇。
 純白の法衣を纏い、歴代の教皇に代々伝えられる兜とマスクを身に着け玉座に腰掛けていた。

「何か……私が不在の間に良い事でもあったのですかな?」

 マスクによって表情は分らないが、それでも雰囲気は分る。
 顔を上げたアルデバランの問い掛けに、確かにどこか楽しそうに教皇は答えた。

「フフフッ、そうだな。だが、それはお前も喜ぶべき事なのだぞ」

 マスクで素顔を覆っているとはいえ、教皇は女性聖闘士ではない。
 それはアテナのため、地上の平和のために己という個を殺し仕えるという覚悟の証とされている。
 教皇としての役割を終えるまで、人前でそのマスクを取る事は無い。
 アテナの加護により奇跡的な長寿を得て、二百数十年前の前聖戦から生き続けていると噂される教皇の素顔をアルデバランは知らない。
 側近すら知らないとされるその素顔を知る者がいるとすれば、それは仕えるべきアテナか、同じく前聖戦の生き残りとされる中国五老峰の老師――天秤座(ライブラ)の黄金聖闘士。

「お前の弟子である海斗は先日の試練を経て見事聖闘士となった。エクレウス(子馬座)の青銅聖闘士としてな」

「おお! それは確かに喜ぶべき事ですな。しかし……青銅ですか? いや、あの者の実力から左程心配はしておりませんでしたが、それでも師としては嬉しい事です」
 
 わははははと、思わず出た失言を誤魔化すかの様に豪快に笑うアルデバラン。

「フッ、本音が出ているぞアルデバラン。弟子が可愛いのは分るが――自重しろ」

 八十八の聖闘士。
 黄金、白銀、青銅と続く聖闘士の位としては最下層とはいえ聖闘士は聖闘士。
 その事に釘を刺したのは、この教皇の間に静かに現れた一人の黄金聖闘士であった。

「ははは……。いや、いやいや、そんな事は無いぞ!?」

「なら、そう言う事にしておこうか」

 そう言ってアルデバランの横を通り過ぎた男は、教皇の前で静かに片膝をつく。

「水瓶座(アクエリアス)のカミュ、只今参上致しました」

 アクエリアスのカミュ。
 氷の闘法、凍気を極めた十八歳の若き黄金聖闘士である。

 偶然か、必然か。はたまた神の意志であるのか。
 神話の時代より、アテナを守り共に闘う聖闘士の多くは少年であったとされている。
 アテナがこの地に生を受けて十一年。
 それに合わせるかの様に、現在聖闘士として認められている者達の多くはアテナと同じく十代の少年少女であった。

「うむ、よく来てくれたなカミュ。そうアルデバランを苛めてやるな。お前とて弟子を持つ身だ、いざその時になればどうなるかは分らんぞ?」

「お戯れを」

「あ~、ゴホンゴホンッ!」

 どうやら二人からからかわれていると悟ったアルデバランは、わざとらしく咳をしてこの流れを止めようとする。
 その様子にからかい過ぎたかと、カミュは表情を改めると本来の要件に移ろうとした。

「それで教皇、今回シベリアから私を召喚されたのは? 黄金二人をもってして当たらねばならない様な事でも起きたのでしょうか?」

 聖闘士としての基本的な存在が青銅とするならば、白銀は聖闘士として完成された存在であり、聖闘士最上位である黄金はそれすらも超越した究極の存在である。
 黄金聖闘士一人の前では、青銅聖闘士や白銀聖闘士かどれ程集まったところで掠り傷一つ負わせる事は出来ない。
 身に纏う聖衣の能力に圧倒的な差があるのは確かだが、根本的に聖闘士の力の根源である小宇宙の桁が違うのだ。
 通常、聖域からの勅命は白銀を中心としてそのサポートに青銅が就く形で行われる。
 故に、黄金が勅命を受ける事自体稀有な事であり、この教皇の間に於いて黄金聖闘士同士が顔を合わせる事など聖域の、地上の危機でもない限りまずあり得ない事であった。

「いや、そう緊張する必要は無いカミュよ。アルデバランとお前がこの場で顔を合わせたのは偶然だ。本来、アルデバランが此処に来るのはもう少し後であった」

 余程弟子が心配だったのだろう、そう言って笑う教皇に成程と納得するカミュ。
その二人の様子にまだ引っ張るかと、アルデバランは顔を背けムスッとしていた。

「さて、カミュよ。お前に頼みたいのはブルーグラードについてだ」

「永久凍土の氷戦士(ブルーウォリアー)ですか。しかし、今や彼らは力を失い滅んだと」

「杞憂で済めばそれで良い。だが、最近彼の地から良くない気配を感じるのだ。お前を向かわせる程でもないのだが、場所が場所だけに適任者がいなくてな」

 雪と氷に覆われ、草木すら育たず命を育む事の無い極寒の地ブルーグラード。
 確かに自分以外の適任者はいないとカミュは考え、しかし、ならばと進言を行う事にした。

「畏まりました。しかしながら教皇、ならば以後氷戦士の件はこのカミュに全て一任して頂きたく」

「お、おいカミュよ、何を考えている! 教皇の命に対して……」

 カミュの無礼とも言える発言を諌めようとしたアルデバランであったが――

「よい、アルデバランよ」

「は、ハッ」

 教皇自身が構わぬと言うのであれば、彼には何も言う事は無い。

「弟子が可愛いのはカミュもまた同じという事だ。与える試練としてふさわしいかどうかは分らんが……。よかろう、カミュよ。教皇の名に於いて、この件はお前に全て一任しよう」

「ハッ」

 恭しく頭を下げたカミュの姿に満足そうに頷いた教皇は、次いでアルデバランへと視線を向けた。
 その視線に気付き、アルデバランは姿勢を正す。

「ご報告致します。五老峰の老師からのお言葉は『七百十八』との事です」

 そう伝えられたものの、アルデバラン自身この言葉の意味は分らない。
 自らの高齢と、アテナからの直々の勅命である事を理由としてこの十数年間、教皇からの召喚に一切応じようとしない老師。
 また、この様な伝言程度の事を態々黄金聖闘士である自分が行う事に疑問もあったが、教皇や老師のお考えなど自分如きに推し量れるモノではないと考える事を止めていた。

「そうか。いよいよなのだな。ご苦労であったアルデ――」

 アルデバラン、そう続けようとした教皇の言葉が止まった。

「教皇?」

 何事かと、訝しんだアルデバランが顔を上げれば、玉座から立ち上がり微動だにしない教皇の姿。
 カミュを見れば、彼もどうしたのかと分らぬ様子でアルデバランを見た。

 教皇と、もう一度声を掛けようとしたアルデバランであったが、突如感じた巨大な小宇宙に思わず周囲を見渡していた。

「……何だ、この異様な小宇宙は」

 カミュもそれを感じたのか、普段冷静な彼には珍しくどこか緊張した様子でその出所を探ろうとしていた。
 ほんの一瞬であったが、二人が感じた小宇宙は黄金に迫ろうかとする程。
 白と青、事なる二色が螺旋を描き混ざり合う様なイメージ。
 この特徴的な小宇宙の持主をアルデバランは知っていた。

「海斗……か? しかし、どこから? それにこの小宇宙の感じは、まるで戦いの場であった様な……」

「……ふむ。やはり興味深い」

 その呟きに、落ち着きを取り戻したアルデバランが視線を向ければ、教皇は再び玉座に腰を掛けようとしていた。

「気にする事は無い。二人は知らぬであろうが、この教皇の間は秘術により小宇宙を感じ取り易くなっているのでな」

 そう言って教皇は続ける。

「海斗が聖闘士となって四日。そろそろ己の小宇宙が聖衣によってどれ程高められるのかを知りたくなる頃だ。限界を知る事は悪い事ではない」

 これは早々に昇格を考えねばならんかと教皇が笑う。
 アルデバランとカミュが顔を見合わせた。
 二人ともその様には感じていなかったのだが、教皇がそう言うのであればそうなのであろう。
 どこか納得できないモノを抱えつつ、二人は片膝を付き頭を下げた。

「教皇、そろそろ……」

 そんな二人の背後から、教皇の側近が姿を見せた。

「女神アテナ様に拝謁なされるお時間にございます」

「そうか。では二人とも、下がってよい。お前も下がっていよ」

「ハッ!」

 そう言って皆を下がらせた教皇は、しばらく玉座に腰掛けたまま微動だにしなかったが、やがて玉座の後ろ、アテナ神殿へと続く扉を覆う巨大な天蓋を潜るとその向こうへと姿を消した。




[17694] 第4話 シャイナの涙!誇りと敵意の巻
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:30aca1a0
Date: 2010/04/23 01:43
 考え事に没頭していたせいか、俺がソレに気が付いた時には既に日は沈み辺りは夜の闇に包まれようとしていた。

「ひょっとしたら、と思ったんだけどな」

 聖域から出れば、何らかのアクションはあるのではと期待をしたが、どうやらハズレを引いたらしい。

「お前らはさ、聖域の聖闘士候補たる者、みだりに離れてはならない。この掟ぐらい知っているだろう?」

 振り返った先には、聖域で見覚えのある顔がちらほらと。
 岩影から、海岸から、出るわ出るわで、あっという間に二十人近くが集まっていた。
 雑兵達だけでは無く、その中には聖闘士候補やゴンゴールの姿もあった。
 皆、聖域での服装のままである。
 百歩譲って服は良しとしよう。しかし、プロテクターやらヘルメットやらは目立ち過ぎやしないだろうか?
 まさか身に着けたまま聖域から此処まで来たのだろうか?
 秘匿義務はどこへ行った?
 いや、むしろあまりにアレ過ぎて、何も知らない人からは古代ギリシャをモチーフにした仮装としか思われないだろうから逆に大丈夫なのか?
 恐るべし聖闘士。少なくとも俺には真似できない。

「フンッ、馬鹿な事を言うな。俺達は勝手に聖域を離れた貴様を捕えるためにやって来たのだ!」

 俺を指差し見得を張るゴンゴールに、周りのやつらも「そうだそうだ」と気勢を上げる。

「勝手にって、許可は取ったぜ。教皇直々にだ」

 これは嘘では無い。
 実際にそれを許可する旨の書状を俺は受け取っていた。
 取り出した書状を見せると、何がおかしいのかゴンゴール達が一斉に笑い始めた。

「それが、本物ではないとすれば?」

 何がおかしいと、問い質そうとする俺の前にシャイナが立つ。
 聖域での服装のままで。
 シャイナよ、お前もかと突っ込もうかと思ったが、どうにもそういう空気では無い。

「……ナルホドね、そう言う事か」

 つまり、俺は嵌められたと言う事。

「この書状は真っ赤な偽物。ノコノコ出て行った俺をそれを口実に私刑にかける、ってか。お前ら、自分のやった事が分っているのか?」

 聖闘士を騙しただけでは無く、教皇の書状を偽造するなど死罪となってもおかしくは無い大罪だ。

「ハッ、馬鹿を言うな。そんな書状など知らんなぁ。俺達はただ無断で聖域を飛び出した貴様を連れ戻しに来ただけよ。力尽くでな」

 そう言って出てきた大柄な男に俺は見覚えがあった。
 確か――ジャンゴといった筈。
 候補生の中でもずば抜けた実力を見せつけ、その小宇宙は既に聖闘士の域に達していると聞いた事がある。

 それにしても、これ程までに恨まれる覚えは全く無かったのだが。
 日々を地味に過ごし、人付き合いも最低限に留めていたというのに。
 よくもまあと、俺は呆れを通り越して素直に感心してしまう。

「テメエ、人気のない所で散々俺らをボコった事を忘れてやがるのか!」

 失礼な事を。

「……シャイナ、お前も同意見か?」

「さてね。本物か偽物か、嘘か真実かなんてあたしが知るわけ無いだろう? こいつ等に見届ける様に頼まれただけさ」

 お前の言葉が嘘であった方が面白いんだけどね。
 俺の問いにシャイナはそう呟くと肩を竦めてみせた。

「このサディストめ。……覚えとけよ」

 どうやらシャイナには連中を止める気は無い様だ。
 こうなるともう書状の真偽は問題では無くなってしまった。
 要するに、奴らは知らぬ存ぜぬで通すと。

「余所見をするとは余裕だな」

 ジャンゴはそう言い終えるや否や、俺目掛けて拳を放つ。
 ブチッ、と聖衣箱を担ぐ為のベルトが断ち切られた。
 ドン、と音を響かせて聖衣箱が足下に落ちる。

「フフフッ、見えたか? 気付いたか? 今のは手加減をしてやったのだ。理解できたろう? たかが青銅如きがこのジャンゴに適う等と思わん事だな」

「ス、スゲエ。俺には全く見えなかった!」

「さすがはジャンゴさんだ!」

「……」

 盛り上がるゴンゴールと雑兵達。
 周りからの賞賛の声に気を良くしたのかジャンゴは胸を張って続ける。

「俺の小宇宙は青銅を超え白銀の位まで高める事が出来るのだ。やがては黄金の域に達し、聖域を、いやこの地上を手にしてくれるわ!!」

 ジャンゴ、ジャンゴ、ジャンゴ!

「フフフフッ、うわはははははははっ!!」

「…………」

 もう、何と言えば良いのやら。
 本当に大丈夫なのか聖域は?
 思わず瞼に込み上げて来る熱いモノを抑え、俺はシャイナを見た。

「……好きにしな」

 俺の視線に気付いたシャイナは、こめかみを抑えながら投げやりに言った。
 この場にまともな感性の人間がいた事を神に感謝したくなった。

 どの神に感謝すればいいのか分らなかったので止めた。

 取り敢えず、馬鹿騒ぎを始めた有象無象は無視して俺はゴンゴールに話し掛けた。

「お前、この間負けたのにまだやるのか?」

「アレはオレの本気では無かった!」

「……」

 その答えに、俺はもう何もかもどうでも良くなった。

「お前らさ、泳げるか? 泳げない奴がいたら手を上げろ」

「ハァ? イキナリ何を――」

「……泳げるのかどうかと聞いている」

「ちょ、ちょっと待ちな。落ち着きなって海斗!?」

 シャイナが慌てているがどうしたというのか。
 冷静だ。至って俺は冷静だ。

「ようし、誰も手を上げていないな。ならば遠慮はせん」

 何やら有象無象共が直立不動で固まっている。
 誰一人として口を開こうとはしていない。
 静かなのは良い事だ。
 右腕をゆっくりと振り上げる。
 エクレウス(子馬座)を構成する四つの星をなぞり描かれる小宇宙の軌跡。
 歪な台形はかざした俺の手の前で完全な四角形となり、その内側では高められた小宇宙が集中、集束、圧縮を繰り返し、限界を超えたそれは今にも爆発しようとしている。
 無論、本気で放つつもりは無い。
 有象無象共は確かに馬鹿者共には違いは無いが、まだ笑って済ませられる馬鹿共だ。
 今の自分にどの程度の事が出来るのかを試すだけ。

「死ぬなよ? ヘルメスの足となりお前達に終焉を告げる――最終宣告(エンドセンテンス)」



 何かが光った、そうとしかジャンゴには感じる事が出来なかった。

「な、何が?」

 思わず目を閉じたジャンゴであったが、身体には何のダメージも無い。
 目を開けば、腕を組みこちらを見ている海斗と、その横でこちらを見ながら立ち尽くしているシャイナの姿。

「目くらましか? 小癪な……真似……を?」

 そこで、ジャンゴは何かがおかしい事に気が付いた。
 自分の周りが余りにも静か過ぎる事に。
 気配が無い。
 自分の後ろに控えていた筈の者達の気配が。
 背中を流れる冷たい汗に、ゆっくりと振り返ったジャンゴは言葉を失っていた。

 そこには誰もいなかった。

 まるで最初から此処に来たのが自分一人であったかの様に。
 夢でも見ていたのかと、現実を疑いそうになったジャンゴであったが、海岸や砂浜に残された足跡が痕跡となってこれが現実であると物語っていた。

「……ば、ばば」

 呂律の回らぬまま、全身を襲う震えを必死に抑え込み、ジャンゴは海斗へと振り返る。
 そのジャンゴの額に、ピタリと海斗の人差し指が付き付けられていた。

「どうやらお前が主犯かな?」

 その指を掴もうと手を伸ばしたジャンゴであったが――

「聖域に連れて帰るぞ」

 その言葉を耳にしたのを最後に、ジャンゴは意識を失った。





 第4話





「か、海斗、アンタ一体何を。いや、それよりも今見せた力は?」

「何って、ちょいと軽く吹っ飛ばしただけだ」

 エンドセンテンス(最終宣告)――四角形の中で極限にまで高めた小宇宙を破壊のエネルギーとして変換し、その波動を対象目掛けて一気に放出するエクレウスとしての俺の新たな必殺拳。
 前世のオレが放ったダイダルウェイブ(大海嘯)には威力では劣るものの、片手で放てる分使い勝手としては上だ。
 小宇宙の更なる圧縮という工程に手間取っていたが、溜めて放つという師アルデバランの居合拳からコツを得てどうにかモノにした。

「あいつらも鍛えてるんだから、その内泳いで戻って来るだろ。それにしてもコイツ重いな」

 二人ぐらいはこの場に残しておけばよかったか、と軽く後悔するが今更だ。

「取り敢えず、アテネまでタクシーにでも乗せて……いや、金が無いしな。バスは……もう最終が出てるか。シャイナ金持ってない?」

「何なんだって聞いてるんだ。一瞬だったけど確かに感じたあの馬鹿げた小宇宙。それに今の技。試験の時にも思ったけどね、アンタは今まで手を抜いていた」

 一言一言を噛み締める様に、静かに俺へと詰め寄って来るシャイナ。
 確かに手を抜いていたと言われれば否定出来ない。
 それに、理由など話せる筈も無く、言ったところで到底納得出来るモノでも無いだろう。

「落ち着けって、マスクが外れるぞ?」

「そんな事はどうでもいい!」

 どうでもいいって、お前自分が何を言ってるか分ってるのか?
 そう軽口を叩こうとした俺だったが、ジャケットの襟元を掴みそのまま首を締め上げようとするシャイナの尋常では無い様子に、俺は何も言う事が出来なかった。

「……ふざけんじゃないよ。アタシらはね、聖闘士となるために命懸けでやってきたんだ! 再起不能になった奴もいれば死んだ奴だっている!! それを何だ!?」

 ギリギリと締め付けられる力が強くなる。

「それだけの力があったんなら、アンタにとってアタシらが必死になってる姿はさぞ滑稽だったんだろうね? 陰で笑っていたんだろう? 馬鹿にするのもいい加減にしな!!」

 パシンと、乾いた音が鳴った。
 掴んでいたジャケットが破れ、行き場を失ったシャイナの手が俺の横っ面を叩いた音。

「なんで避けないのさ? 同情かい? 憐れみかい? 余裕過ぎて避けるまでも無いって?」

「……」

「何とか言ったらどうだい?」

 俺を見上げるシャイナのマスク、その隙間から流れる涙が見えた。
 言える筈が無い。
 何を言ったところで言い訳にしかならない。
 謝罪の言葉を述べたところで、それは侮辱でしかない。

 そのまま、互いに無言で向かい合う。

 そうしてしばらく経った頃、ハァと大きく息を吐いたシャイナがトンと俺の胸に拳をあてた。

「……悪かったね。あんまりだったからさ、ちょっと驚いちまってね。アンタには才能があった、それだけの事だろ?」

 そう言うと、シャイナは倒れているジャンゴの下へ歩み寄り、その身体を担ぎあげると肩に乗せた。

「心配しなくても聖域にはちゃんと報告してやるさ。連絡の行き違いがあったってね。ただ、コイツの言った言葉は聞き逃せるもんじゃない」

「……ああ、そうだな。頼むわ」

 俺とシャイナはそれ程親しいわけでもなかったが、それでも雰囲気が俺の知る普段のシャイナに戻った事で、気持ちが少し軽くなった気がした。

「アンタもさっさと聖域に帰りなよ。知らないだろうけどね、アンタも星矢も『上』の連中から目を付けられているんだ。今日みたいに難癖を付けられるのが嫌なら迂闊に聖域から出ようとはしない事だね」

「名指しかよ? そんなに東洋人が嫌いなのかねぇ」

 聖闘士はギリシア発祥とは言え、閉鎖的にも程がある。
 ぼやきであって、特に返答を期待したものでは無かったのだが、シャイナに聞こえていたのだろう。

「確かに聖域の連中には快く思われていないけど、意外と聖闘士の中には東洋人も多いんだ。理由は別にあると思うけどね」

 東洋人以外で、俺と星矢に共通する点といえば城戸光政かグラード財団しか思い付かない。
 こうなると、ますます城戸の爺さんが聖域の反感を買う様な余計な事をしていたんじゃないかとの仮定が信憑性を帯びて来る。

「ご忠告感謝するよ。それにしても、今日は随分と優しいな」

「フン、みっともない所を見せちまったからね。これでチャラにしといてやるから他言は無用だよ!」

 そう言い残し、ジャンゴを担いだシャイナはこちらを振り向く事無く去って行った。





「意外といい女かもねアイツは」

 人気の無くなった海岸で、打ち寄せる波の音を聞きながら、俺はシャイナに言われた事を思い出していた。

「馬鹿にするな、か。全く、痛い所を突く」

 あえて考えない様にしていた事だけに、それを指摘されてはかなりクルものがあった。

「俺は……どうしたいんだろうな」

 ずるずると先延ばしにしていた結論。
 地上粛清を完全に否定する気は無いが、海闘士として生きるには俺にはオレ程の熱意は無い。
 現世では時期尚早であるという、オレと俺の知識から得た確信もある。
 海皇の完全なる覚醒にはあと二百年は必要であり、不完全なままの海皇の下ではその加護をどれ程得られるのかが分らない。
 相手は人の身とは言え女神アテナとその加護を受けた聖闘士。
 冷静に考えて、海皇が負けるとは思わないが、加護を得られぬ海闘士が勝てるとも思えない。
 無駄に被害を出すのは俺の本意では無い。

 こう考えてしまう時点で、俺はオレに比べてかなり聖闘士寄りになってしまっている事が分る。
 だが、シャイナにも言われた通り、俺が聖闘士を目指したのは打算であり成り行きに過ぎない。
 師匠に真実を打ち明ける事も出来なければ、女神アテナに対する忠誠も無い。
 オレと違い、俺には海闘士としてやがて聖闘士になるであろう星矢達孤児仲間に拳を向けるつもりもない。

 思考はいつもぐるぐると同じところを回る。
 何も変わらず回り続けるだけならば、それはある意味で停止と変わらない。

「結局、中途半端でも今のままがいいんだろうな」

 現状維持、行き着くのはそこだ。

「なら、せめて最高の一手は無理でも最善の一手は打たせてもらおうか」

 聖衣の箱に手を伸ばす。
 箱の正面に描かれた馬の口に咥えられた握りを捻り、一気に引き抜いた。
 ドンという音を立てて開かれる聖衣の箱。
 そこから立ち昇るのは、夜空へと向かい飛翔するエクレウスのオーラ。
 残されたのは、馬の顔を模した白いオブジェ――エクレウスの青銅聖衣。
 オブジェ形態から、弾かれるように四散した聖衣が俺の身体へと装着される。
 膝、腰、胸、腕、肩そして額へと。
 海将軍の鱗衣や黄金聖衣に比べて必要最低限の保護しかないが、それでも内なる小宇宙の高まりに応じる様に、エクレウスの聖衣が俺の力を増しているのを感じる。

「聖衣は……俺を聖闘士として認めた」

 嬉しくもあり悩ましくもあり。
 思わず苦笑してしまった。
 これでは、ますますどちらを選ぶべきかが分らなくなってしまった。

「どちらにせよ、する事は一つ」

 ゆっくりと視線を動かす。
 スニオン岬の崖下、女神アテナが捕えた敵を懲らしめるために使ったとされる岩牢へと。

 人影があった。

 ゆっくりとこちらに歩み寄る人影は、月の光に照らされてその姿を晒し出す。
 シードラゴンの鱗衣を纏った男。
 その身から感じる小宇宙は間違いなく前世の俺を殺した男と同一。
 十中八九、この世界でもこの男が海皇復活に関わっているのは間違いないだろう。

「ほう、奇妙な小宇宙に興味を持ってやって来たが、まさか聖闘士とはな」

「そういうお前も、鱗衣で誤魔化している様だが俺には分る。海闘士とはやはり少し違う。思った通り――聖闘士か」

 ハズレを引いたと思ったが、最後に大当たりが来てくれた。

「……貴様、何者だ?」

 その男の問い掛けに、俺は笑いを抑えきれなかった。

「何がおかしい」

「ハハハハハッ! いや、あの時とはまるで逆だと思ってな。気にするなよ、『お前』には分らない事だ」

 拳を握り、真っ直ぐに相手を見据える。
 あの時と同じ。
 いや、あの時と今の俺は違う。

「俺が誰かって? 見て分らないのか? 聖闘士さ、お前を倒す為の聖闘士」





「エクレウスの海斗だ」



[17694] 第5話 宿敵との再会!その名はカノン!の巻
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:30aca1a0
Date: 2011/01/21 12:17
「エクレウス(子馬座)の聖闘士――海斗か」

 そう呟き、奴が一歩を踏み出した。

「聖闘士になりたてのヒヨッコが、聖衣を得た事で思い上がり、ハネッ返って見せた。そう言ったところか?」

 その瞬間――

「がッ!?」

 全身に、まるで巨大な壁を叩き付けられた様な衝撃を受けて、俺は吹き飛ばされていた。
 奴の繰り出した左拳の一撃だ。
 その拳速は、黄金(ゴールド)聖闘士である師アルデバランのそれに勝るとも劣らない。
 
 聖闘士の基本として、青銅(ブロンズ)聖闘士はマッハ1の速度で動き、秒間に百発近い拳を繰り出す。
 その上位である白銀(シルバー)聖闘士は、マッハ2~5の速度を持つ。
 青銅と白銀、この時点で既に埋め難い差があるのだが、黄金のそれは全てを超越する。
 光り輝く黄金聖衣を纏う彼らの早さは――光速。
 光の拳と光の鎧を持ち、光の速度で活動する究極の聖闘士。

 マッハを超えた光速の拳。
 それを振るう奴の力は、まさしく黄金聖闘士に匹敵していた。

「ぐっ!」

 身体を捻り体勢を立て直す。
 聖衣が軋みを上げている。
 まだ持てよと、俺は着地と同時に左右の連打を繰り出した。

「フッ……しかし青銅如きに本気になろうとしたオレも大人気無かった」

 奴はまるで意に介した様子も無く、僅かな動きだけで俺の繰り出す拳を避ける。

「そうだな、この左拳一つで相手をしてやろう」

 その言葉通り、奴は避けるのを止め、左手一つで俺の繰り出す連打を全て捌き始めた。

「ほう、なかなか速い。それに威力もある。成程、これならば思い上がるのも無理は無い。白銀の中でもこれ程の使い手は多くは無いだろう」

「今世の海闘士は随分と詳しいんだな、聖闘士の事を!」

 バシンと、音が響いた。

 俺の右拳が奴の左手に受け止められ――

 奴の右拳を俺の左手が受け止めていた。

 そのまま俺達は視線を逸らす事無く睨み会う。

「……お前は――何者だ?」

「海闘士の敵なら聖闘士だろう? 聖闘士の敵なら――海闘士だ」

「……!!」

 俺の言葉に奴はその意味を悟ったのだろう。
 奴に僅かな動揺が見えた瞬間、俺は抑えつけていた小宇宙を解き放ちそれを――爆発させた。

「なッ!? 何だこの小宇宙は!?」

 マスク越しでも奴の驚愕が分る。
 前世のオレを殺した男と、この目の前の男が異なる存在だと頭では理解していても感情は別。

「オレの仇を取らせて貰う」

 奴には俺が何を言っているのか分らないだろうが、これは俺自身の区切りだ。
 この期に及んで隠す必要は無い。
 俺は、この生に於いて初めて己の小宇宙を極限にまで高めた。

 俺を中心に螺旋を描いて吹き上がる小宇宙。
 激流となって立ち昇るその流れから奴は逃れようとしたが、その手を俺が掴んでいる為にそれも出来ない。

「チッ!」

 この場から逃れるのは無理と判断したのだろう。
 奴の左拳が俺の顔目掛けて放たれる。
 だが、その一撃は届かない。

「拳が……弾かれるッ!? か、身体が捻じれっ、こ、これは!?」

 小宇宙の激流が生み出す巨大な竜巻。
 破壊の螺旋に巻き込まれた奴の身体を引き裂かんと激しさを増す。

「シードラゴンを名乗るつもりなら知っておけ。これが――」

 海将軍(ジェネラル)シードラゴンに伝えられる必殺の拳。
 力場に捉えられた奴の顔が苦痛に歪む。

「ぐっ!? こ、この、これしきでッ!! この程――ぐ、ぐわぁああっ!?」

「本物のシードラゴンの技――ホーリーピラーだ!!」

 奴の叫びと共に、俺は小宇宙を爆発させた。





 第5話





 打ち寄せる波の音が聞こえた。

 足下に水の流れを感じて、俺は自分の意識が飛んでいた事に気が付いた。
 急激な小宇宙の消耗によって気を失っていた様だ。

「奴は?」

 周囲を見渡すがそられしき姿も気配も無い。

「倒した……倒せたのか?」

 一切の手加減なし。全力で放った一撃だ。
 どうであれ無事に済んだとは思えない。
 とは言え、その反動で気を失うようでは。

「まだ制御が甘い、か」

 想像以上に高まりを見せたからと言って、己の小宇宙に振り回される様では師匠に未熟と笑われる。

「……さすがに、今のは聖域に気付かれたか?」

 掟により、聖闘士は聖衣を纏っての私闘は禁じられている。
 奴との戦いは、確かに私闘ではあったが、聖闘士と海闘士の戦いでもあった。
 これは屁理屈ではあるが事実だ。
 問い質されても困る事は無いが、面倒な事に違いは無い。

「それにしても、よく持ってくれた」

 そう呟いて聖衣に触れる。
 聖衣はただ身を守る為のプロテクターでは無い。
 持ち主の精神と力に呼応して、その小宇宙を高める力がある。
 青銅から白銀、そして黄金と、位が上がる毎にその効果は顕著だと言う。
 海将軍である俺の力を受け止めきれるか不安もあったのだが、聖衣は見事に応えてくれた。

「シャイナ辺りが戻ってきそうだな。誰かが来る前にさっさと――」

 戻るか、と。
 そう呟きこの場を離れようとした俺だったが、突如感じた巨大な小宇宙にその足を止めた。



「謝罪しよう、たかが青銅、たかが聖闘士と侮った事を」



 その声に俺が振り返れば、そこにはゆっくりとこちらに歩み寄る人影。
 シードラゴンの鱗衣を纏ったあの男。
 纏った鱗衣には亀裂が奔り、その身体は確かに傷を負っていたが、感じる小宇宙に衰えは無い。

「ここは聖域に近い。今はまだ我らの動きを気付かれては困る。お前にも聞きたい事があったからな。そう思い手を抜いていたが」

 奴の拳が放たれる。
 俺も一撃を放つ。
 互いの一撃がぶつかり合い――弾けた。

「どうやら――そうも言ってはおられん様になったな」

「……ホーリーピラーの直撃を受けて……無事だったのか!?」

「フッ、無事では無いぞ。恐るべき威力だった。見ろ、黄金聖衣に匹敵するこの鱗衣がこれ程迄に破損をしている。相手がオレでなければ倒されていただろうな」

 奴の小宇宙が急速に高まるのを感じる。
 このままでは拙いと、俺は直感に従い拳を放つ。

「エンドセンテンス!」

 描かれた四角形より放たれる波動が奴目掛けて襲い掛かる。

「青銅の身で、いや海闘士でありながら小宇宙の真髄『セブンセンシズ』に目覚めたのか」

 しかし、その一撃が奴を捉える事は無かった。

「何!?」

 奴が突き出した両手の前に、破壊の波動が受け止められていた。

「海斗と言ったか。認めよう、お前の力は黄金に匹敵する。その力に敬意を表し、オレの名を教えてやろう。カノンだ、今からお前を殺す男の名よ」

 俺の脳裏に『あの時』の光景が浮かぶ。
 この流れは拙い、と。

「お前の纏う聖衣が青銅では無く黄金であればどうなっていたかは分らん。だからこそ、お前という存在はオレの野望にとって大きな災いとなるだろう」

 奴――カノンの小宇宙にエンドセンテンスの力が呑み込まれ、突き出された両手に尋常ではない程の小宇宙が集束して行くのを感じた。

「聖域に気付かれるかも知れんが最早構うまい。お前は今、この場で倒さねばならん敵だ!」

 空間が歪んで見える程に凝縮された小宇宙。
 それを宿した両腕を、カノンがゆっくりと掲げる。

「受けよ、銀河の星々すら砕くこの一撃を!!」

 俺はこの時、カノンの小宇宙に広大な銀河の星々を見ていた。

「くっ、エンド――」

 俺が技を繰り出すよりもカノンの方が早い。

「ギャラクシアンエクスプロージョン(銀河爆砕)!!」

 打ち合わされるカノンの両手。
 限界まで凝縮された小宇宙がぶつかり合い爆発を起こし、それはまさに銀河の星々すら砕く破壊の奔流と化し俺を目掛けて襲い掛かった。
 圧倒的な奔流の前に、俺は耐える事が出来たのはほんの一瞬だけだったのかもしれない。

「ぐ、くぅう!! が、あああああぁ……!!」

 亀裂が奔り砕けて行くエクレウスの聖衣が見える。
 薄れ行く意識の中、すまないと、俺は聖衣に詫びた。





 砂浜に力無く倒れ伏した海斗の前で、カノンは膝をつき荒い呼吸を繰り返していた。

「聖衣も肉体も残ったか。しかし――」

 オレでなければ倒されていた、そう言った言葉に嘘は無かった。
 海斗の放ったホーリーピラーはカノンの身体に大きなダメージを与えていた。
 万全の状態で放たれたギャラクシアンエクスプロージョンの前では、全ては塵芥と化してもおかしくはない。
 それ程の力を秘めた正しく必殺の技であったのだ。

「……恐るべき小宇宙であったが、オレの方が上だった。力も技も経験も、だ」

 そう漏らしたカノンであったが、ピクリと、僅かながらも海斗の身体が動いた事に気が付いた。

「まだ息があるか。せめてもの情だ、この場で止めを刺してやろう」

 手刀の形とした腕をゆっくりと振り上げる。
 狙いは海斗の首。

「お前が何者であったのか、出来れば知りたくもあったがな。……さらばだ」

 振り下ろされる手刀。
 それが海斗の首に触れようかというその時だった。

「貴方は一体何をしているのですか?」

 静かでありながら凛とした声に、カノンは動きを止めた。
 振り下ろされた手刀は、海斗の首の薄皮一枚を切り裂いたところで止まっていた。

「……セイレーン(海魔女)のソレントか」

 手刀を解き立ち上がる。
 カノンが振り返った先には七人の海将軍の一人、セイレーンを司る海闘士ソレントが鱗衣を身に纏い鋭い視線を向けていた。

「地上に出るのは構わん。しかし、どうしてお前が鱗衣を纏い此処にいる?」

「それはこちらのセリフですよ、シードラゴン。まだ動く時では無いと、我々に力を振るう事を禁じた貴方が鱗衣を纏い外に出た」

 それにと、ソレントはその視線を聖域へと向ける。

「この地はあまりにも聖域に近過ぎる。貴方のその姿から何があったのかは想像出来ますが、だとするならば我々の存在を気付かれた恐れもある」

 ソレントは海闘士として覚醒するまでは世界でも有名な音楽生であり、彼が奏でるフルートの美しく澄んだ音色は聞く者の心を癒す奇跡の音色と賞賛されていた。
 彼はおよそ戦いには向かない穏やかな心の持主であったが、海闘士としての使命に対する姿勢は誰もが認める程に強い。

 問い質す様な視線、その言葉に含まれる怒気を感じ、厄介な奴に気付かれたとカノンは内心で舌打ちをしていた。

「……この男は海闘士でありながらアテナの聖闘士となった我らの裏切り者よ。始末を付けるのは当然の事」

「そんな馬鹿な。海闘士として目覚めた者がアテナに付くなどと!?」

 ソレントの驚愕はカノンも同じ。
 もっとも、裏切り者の存在に驚いているソレントとは違い、カノンのそれは相手が本来のシードラゴンであった事だが。

「事実だ。それに聖闘士でありながら海闘士になった者もいる。過去そういった海闘士がいた様にな。ならばあり得ぬ話ではあるまい」

 だから、これは制裁なのだと、カノンは再び海斗へと視線を向けた。
 手刀を振り上げ狙いを定める。
 聖域に気付かれては拙いのは確かであったが、それよりもソレントに海斗の事を知られる事だけは絶対に避けねばならない。

 自分が偽りのシードラゴンである事を。
 海皇すら知らぬこの事実を、カノンは誰一人として知られるわけにはいかなかったのだから。

 十一年。
 己の野望を果たさんと費やしたこの十一年間を無駄にする事など出来る筈が無い。

「待て、シードラゴン!」

 なのに何故、こうも邪魔が入るのか。
 振り上げられたカノンの腕を、ソレントが掴む。

「何故止めるソレント!」

「貴方の言葉が真実なら、裏切り者とは言え彼は海闘士なのだろう? 貴方にそれ程の手傷を負わせる程の。だとするならば、彼は未だ覚醒者が現れていないシーホース(海馬)かスキュラ、クラーケンの海将軍である可能性がある」

「裏切り者だぞ!」

「私は海闘士に裏切り者はいないと信じている。きっと何か理由がある筈だ」

「ぐっ、くく……!!」

 どうしてこうなるのだと、カノンは怒りに身を震わせる。

『そんなことはあり得ない』と。

『この男は自らシードラゴンだと言ったのだ』と。

 そうソレントに言ってやりたかった。
 カノンにとって、ソレントの海闘士としての使命感と仲間に対しての信頼の強さは非常に頼もしいものであったが、この時ばかりは恨めしくあった。
 こうしている間にも、時間は刻一刻と過ぎて行く。

「……分った、この場で命を取る事は止めよう」

「シードラゴン」

 カノンの言葉に安心したのか、ソレントは掴んでいた手を離す。

「ならば、せめて海皇が目覚めるまでこの世界から消えて貰う事にしよう。その時には、この男が残る海将軍であったかどうかの答えが出ている筈だからな」

 そう言ってカノンは右手を高く上げると空間に巨大な三角形の軌跡を描く。

「シードラゴン! 何をする気なんだ!!」

「言った筈だ、暫くこの世から消えて貰うと。命までは取らんのだ、黙って見ていろ」

「ううっ、これは!? シードラゴンが描いた三角形軌跡、その内側の空間が歪んで見える!!」

「フッ、バミューダトライアングルを知っているか? その海域に侵入した船や飛行機が突如として消えてしまうと言う魔の三角地帯の伝説を」

「何? ……まさかそれは!?」

「そのまさかよ。時の狭間に落ちろエクレウスの聖闘士よ!」

「ま、待て! 待つんだシードラゴン!!」

 ソレントの制止の声も、今のカノンには通じない。

「もう遅い、ゴールデントライアングル!!」

 時空の狭間へと導く力が海斗目掛けて放たれる。

 ――消えろ、エクレウスよ。オレこそがこの世界でのシードラゴンなのだ!

「フ、フフフフフッ、フハハハハハハハハッ!!」

 ソレントにはああ言ったが、海斗を呼び戻すつもりも生かしておくつもりもカノンには無かった。
 最大の危惧とした、己の野望を脅かすであろう敵の消滅を前にして、カノンは笑っていた。

 そう、この時のカノンには海斗を消し去る事しか頭に無かった。
 ソレントは自分の邪魔をする者でしかなかった。
 だからこそ、ソレントの言葉の意味を捉え間違ってしまった。

「その場から離れるんだシードラゴン!!」

「なん――」

 そこから先の言葉は継げなかった。

 突如として放たれた目も開けられぬ程の眩い光。
 今にも海斗の身体を呑み込もうとしていたゴールデントライアングルの力が、巨大な小宇宙によって打ち砕かれる。
 その余波をによって吹き飛ばされるカノン。
 気配を察知していたソレントはとっさにガードした事で何とかその場に踏み止まる事が出来ていた。

「くっ、いったい何が!?」

 ソレントが目を凝らせば、倒れ伏した海斗の前に黄金の輝きが見える。

「……あれは」

「黄金聖衣、だ」

「シードラゴン、無事か!?」

 何なのかと、そう思ったソレントの心を読んだかの様に、カノンがふらつきつつも立ち上がり答えた。
 右と左、陰と陽、表と裏。
 同じ身体でありながら、決して向き合う事のない双子の姿。
 カノンは憎悪の炎を宿した瞳で、海斗を護るかの様に現れた黄金聖衣を睨みつける。

「あれは――双子座(ジェミニ)の黄金聖衣だ」

「……あれが黄金聖衣。何という輝き――」

 ソレントが呟いたその瞬間、双子座のオブジェ形態であった聖衣が弾け飛び、まるでそこに聖闘士が存在しているかの様に人の形へと姿を変えた。
 無人である筈の双子座の黄金聖衣から立ち昇る巨大な小宇宙に、思わずソレントの足が一歩下がる。
 それに対してカノンは一歩も引く事無く、むしろ獰猛な笑みを浮かべると、

「フッ、クククッ、クハハハハハハッ!! 良かろう、今日のところはこのまま大人しく引き下がってやる」

 そう言ってその身を翻し、この場から立ち去るべく歩き出した。

「シードラゴン?」

「フン、交換条件だそうだ。あの聖闘士を助ける代わりに今日この場の事は忘れるとな」

 そうソレントに言うと、カノンはもう一度だけ双子座の黄金聖衣へと振り返った。

「……良いだろう、今回だけは貴様の提案に乗ってやる」



 だが、いずれはオレの手でその首を貰い受けるぞ――サガよ。



[17694] 第6話 乙女座のシャカ!謎多き男の巻
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:30aca1a0
Date: 2010/04/23 01:48
 聖域――黄金十二宮、第二の宮『金牛宮』

 アルデバランは己の守護すべき宮の中で、瞳を閉じ腕を組んだまま微動だにせず立ち尽くしていた。
 教皇の間で感じた海斗の小宇宙を探り続けていたのである。
 しかし、あの時を境に海斗の小宇宙を感じ取る事が出来なかった。

「……どう言う事だ?」

 アルデバランの呟き。
 それは海斗の事だけでは無い。

「十二宮にいる他の黄金聖闘士の小宇宙すら感じ取れぬとは」

 現在十二宮にいる筈の三人の黄金聖闘士。
 彼らの小宇宙も感じ取れなくなっている事にアルデバランは困惑していた。

 十二宮の守護者である黄金聖闘士とは言え、この地から離れるには十二宮を通らねばならない。
 教皇の間へと向かう時も同様。
 神でもない人の身では、それが例え聖闘士であっても。十二宮のあるこの聖なる山に張られたアテナの結界を潜り抜ける事は不可能。

 教皇の間から金牛宮へと戻る際に、アルデバランは確かに彼らの存在を確認していたのに、である。

「……いや、違う。確かに小宇宙は感じる。だが、まるでこの十二宮全体が霧に包まれた様な?」

「お前も感じたのかアルデバラン」

 余程集中をしていたのか。
 アルデバランは背後からそう声を掛けられた事で、自分以外の何者かがこの場所に足を踏み入れていた事を知り愕然とした。
 しかし、驚いているだけでは済まされない。

「――ッ、何者だ!?」

 咄嗟に振り返ろうとしたアルデバラン。
 その動きを止めたのは、己の組んだままの腕を静かに抑え込んだ相手が誰であるかに気が付いたためであった。

「怖い事をするなアルデバラン。いかに俺でも聖衣も無しにソレを受ける気は無いぞ?」

「おお、アイオリアか! いや、ウワハハハハハッ!!」

 組んでいた腕を解いたアルデバランは、豪快に笑いながら「すまん」と詫びる。

「ハハハッ、まあ細かい事は気にするな」

「……全く、こちらとしては笑い事では無いぞ?」

 現れたのは黄金聖闘士の一人『獅子座(レオ)』のアイオリア。
 現在、十二宮にいる四人の若き黄金聖闘士の一人である。

 十二宮五番目の宮「獅子宮」を守護し、普段は主に聖域周辺の警護の任に当たっている。
 女神アテナ、そして教皇への忠誠も厚く、聖域では『聖闘士の鑑』として尊敬の念を集めている男でもある。
 拳による聖闘士にとっては王道とも言える闘法を極限にまで極めた男として、黄金聖闘士の中でも一目置かれる存在であった。

「だが、良い所に来てくれたアイオリア。俺は少し金牛宮より離れる。この異様な小宇宙も気になるが――」

「先程の巨大な小宇宙も気になる、か。お前の弟子である海斗が聖域から離れる許可を求めていたが、それに関係しているのかも知れんな」

「何だ、お前に頼んだのか海斗は。俺が戻るまで待てぬ事でもあったのか? まあいい。教皇は気にするなと言われたが、やはり気になってな」

 頼んだぞと、そうアイオリアに頼もうとしたアルデバラン。
 アイオリアもまた構わんと、そう答えようとした。

 その二人の動きが止まった。
 突如として脳裏に響いた声によって。

『それは無用ですよアルデバラン』

「な、脳裏に、いや俺の小宇宙に直接語りかけるこの声は!?」

「まさか!? いや、あの男ならば有り得る。この十二宮を覆う異様な小宇宙。この様な芸当が出来るのは聖闘士の中でもあの男しか考えられん」

 キッと、アイオリアは射抜く様な鋭い視線を十二宮六番目の宮「処女宮」へと向けた。

「これはお前の仕業か。乙女座(バルゴ)の黄金聖闘士――シャカよ!」

 乙女座のシャカ。
 カミュ、アイオリア、アルデバランと、現在十二宮にいる四人の黄金聖闘士最後の一人。
 彼は常に瞳を閉じ、己の守護する処女宮で瞑想を続けている。
 最強を誇る十二人の黄金聖闘士にあって「最も神に近い男」と呼ばれ、「仏陀の生まれ変わりである」と言われる程の強大な小宇宙を持つ。
 女神アテナを護る聖闘士でありながら、異国の宗派を改めず、あらゆる空間を自在に行き来し神仏と対話を行うとさえ言われている。
 聖闘士でありながらシャカは明らかに異質な存在であり、他の黄金聖闘士達から一歩引いた場所に己の位置を置いている。
 シャカが一体何者であるのかを知る者はいない。
 しかし、その実力に異論を挿む者もまたいない。

『フッ、そう気を荒立てるものではありませんよアイオリア』

 シャカの声にはまるで赤子をあやす様な穏やかさがあり、二人は我知らず握っていた拳を解く。

「……では、この十二宮を覆う小宇宙は何なのだ?」

「うむ、これでは十二宮はおろか『外』で何が起こっているのかすらも分らんではないか」
 
『其れについてはこのシャカの落ち度である事を認めましょう。教皇より新たな結界を求められ試してみましたが――どうやらアテナの結界と作用し合い君達の感覚を狂わせてしまった様ですね』

 ――今解きましょう。
 そのシャカの言葉と共に、十二宮を覆う様に感じていた小宇宙が瞬く間に消えた。

「ん? おお、分る。感じるぞ、小宇宙を」

 十一番目の宮「宝瓶宮」にカミュの、処女宮にシャカの、そしてこの金牛宮にいるアイオリアの小宇宙を感じる事で、シャカの言葉が真実であったと納得するアルデバラン。
 しかし、アイオリアは未だ難しい顔をしたままであった。
 その顔を上げてシャカに問う。

「シャカよ、お前は先程海斗を探しに行こうとしたアルデバランに無用と言ったな。何があったかを知っているのか?」

『君が気にする必要はありませんよアイオリア。そしてアルデバラン、教皇は気にするなと言われたのでしょう? ならばそのお言葉に従う事です』

 穏やかな口調に反し、その言葉の中に秘められた拒絶の意思。

 隠さねばならない何かがあった事は明白。それをシャカも知っている。
 だが、と食い下がろうとするアイオリアの肩を、しかしアルデバランが抑える。

「アイオリアよ、俺の弟子の事を気にかけてくれるのはありがたいが、そこまでにしておけ」

「……アルデバラン……」

「分った、お言葉に従おう。だが、これだけは聞かせて貰いたい――海斗は無事か?」

『……』

 アルデバランの問いに僅かの逡巡を見せたシャカであったが、全てを語る事は出来ないがこの程度ならば構うまいと、こう答えた。

『……彼は教皇の勅命を受け数日の内にこの聖域から『外』へと向かいます。私が伝えられるのはそれだけです』





 第6話





 突き出された拳を蹴りを、避ける、躱す、受止める。
 十字で受けたにもかかわらず、その衝撃は星矢の内臓を激しく揺らし、込み上げる嘔吐感に堪らず膝を着いた。

「~~ッ!? ッぐぅ~~うえぇえ……」

「何をぼさっとしてるのさ」

 いかに苦しんで見せたところで攻撃の手が緩む事は無い。
 目前に迫る爪先を、どうにか身体を逸らした事で避けた星矢であったが、そのまま振り下ろされた踵の一撃を背中に受けた事で、ついに地面に倒れてしまう。

「……フゥッ……。全く、成長しない奴だね」

「……な、なにおぅ……」

 呆れを含んだその声に、こなくそと闘志を燃やして立ち上がろうとした星矢であったが、駄目押しとばかりに頭を踏みつけられてその意識を失った。



 聖域の端には、一見すると廃墟にしか見えない朽ち果てた一角が存在する。
 そこでは、聖闘士を目指す多くの若き候補生達が昼夜問わずに激しい修行を行っていた。
 早朝であるにもかかわらず、周囲からは大地を砕く音や、気合いの声が聞こえて来る。

 彼らと同じ様に、聖闘士を目指す星矢は師である魔鈴と共にここで修行を行っていた。

「痛テテテ。魔鈴さん、これ絶対コブになってるって。もうちょっと手加減してくれたって……」

「したさ。でなきゃあお前の頭は――」

 こうだよ、と。
 拾い上げた石を軽く握り潰して見せる魔鈴。
 それを見た星矢の顔から血の気が引く。

「今の組手の採点をしてやるよ。零点だ」

「な、何でだよ! 今日はいつもよりも持った筈だろ!?」

 星矢と魔鈴の修行はこの早朝の組手から始まる。
 この結果によってその日の修行内容が決定され、魔鈴の採点が低ければ低い程、その日の修行は辛いものとなっていた。
 それだけに、この採点は星矢にとって到底受け入れられるものでは無かった。

 しかし、この星矢の態度は減点になりこそすれ加点になる筈も無く。

「げふっ!?」

 魔鈴の繰り出した衝撃波を受けて吹き飛ばされた星矢は、瓦礫の中に頭から突っ込んでいた。

「ケツの青いガキが生意気言ってんじゃないよ。この間言った事をもう忘れたのかい?」
 
「ペペッ、そうやってすぐに暴力を振るってたんじゃ、魔鈴さんには絶対嫁の貰い手が――あぶしっ!?」

「――今、何か言ったかい?」

 気にしていたのかいないのか。
 折角這い出せたものの、余計な一言を言った星矢は再び瓦礫の中へ。
 先程よりも深くめり込んでいる様に見えるのは気のせいか。

「教えただろう? 聖闘士は原子を砕く破壊の究極をモノにした存在だって。そんな相手の攻撃を、聖衣の無い生身で受け止められると思うのかい? 自殺したいってんなら止めやしないけどね」

 バタバタと動いていた星矢の足が止まる。

「小宇宙を極めた連中――黄金聖闘士であれば可能かもしれないけどね、あいつらは例外だ。避けるか、間合いを潰すか、相手よりも先に当てるか。お前が選べるのはそれだけさ」

 しょうがないね、と呟いて魔鈴は星矢の足に手を伸ばす。



「あんた達はいつもこんな事をやっているのか?」



 その時、そう言って現れたのは、どこか感心した様子のシャイナだった。

「成程ね。カシオスにあれだけやられておきながら、毎度毎度ぴんぴんしてるのはこのせいか」

 瓦礫の中で「それは違う!」と抗議の声を上げる星矢。
 でも、内心そうかもしれないと思っている事は口には出さない。
 それを言えば、このドSの師匠は嬉々として自分をいたぶるだろう。そんな未来予想図を破り捨てる。

(姉さん、美穂ちゃん、オレ絶対に生きて帰るからな!)

 でもその前に引っ張り上げて欲しい、そう願う星矢の声が二人に聞こえる筈も無く。
 魔鈴は伸ばした手を引くと、シャイナへと向き合った。

「なんだ、シャイナかい。よその候補生の修行を覗きに来るなんて、良い趣味とは言えないよ」

「フン、別にあんた達の修行に興味は無いね。ここに海斗がいるかと思って来ただけさ」

「……何で海斗の名前が出るのかが分らないけど、あんたとあいつに接点なんて……ひょっとして昨夜のアレかい?」

 昨夜、二十人近くの雑兵達が聖域を離れた事は魔鈴の耳にも入っていた。
 その中には海斗に敗れたゴンゴールやジャンゴの姿もあったと。
 何をしようとしていたのかは知らないが、どうせ碌でもない事だろうと、魔鈴は当たりを付けていた。

「どうだっていいだろ、そんな事は。で、魔鈴。あんたは知ってるのか?」

「知らないよ」

「使えないね」

 そう言うと、シャイナは周囲を見渡した。

「ここにも……いないか。おい星矢!」

 魔鈴の横を通り過ぎ、シャイナは星矢の足を掴むと雑草を抜く様にあっさりと瓦礫の中から引き抜いた。

「ぶへっ、ぺぺぺぺっ。口の中が砂利だらけって、何だよシャイナさん」

 片手で吊り下げられた星矢が見上げた先には自分を見下すシャイナの姿。
 引き上げてくれた事には礼を言いたいが、男としてこの体勢はいかがなモノかと悩む。

「あんた海斗とは親しかったよね。アイツが普段どこにいるのかを知らないか?」

「海斗? さあ? そりゃあ、オレはあいつと同じ所から来たけど、ここで再会したのも最近だしなぁ」

「そうかい」

 なら用は無いと言わんばかりに、シャイナは星矢の身体を放り投げた。

「邪魔したね。精々無駄な努力を頑張んな」

 後ろで星矢が何か文句を言っている様だが、シャイナにとってはどうでもいい事。
 振り返る事無くこの場を後にすると、ならばどこに行ったのかと考える。

 しかし、いくら考えたところで思い付く筈も無い。
 海斗とシャイナは顔と名前が一致する、その程度の間柄でしか無かったのだから。

「チッ、ジャンゴの事を教えておいてやろうと思ったのに」

 不機嫌さを隠そうともせずに呟くシャイナ。
 そもそも、自分がこうして探してやっているのに姿を見せないのが気に食わない。

「全く、どこに行ったんだか」

 足を止め、見上げた空には雲一つ無い。
 だと言うのに気分は晴れない。
 それが何故なのかが分らない。

「ハァ……ならアイオリアにでも聞いてみるか。それで駄目ならもう知ったこっちゃないね」



 結局、シャイナはこのまま一日を費やしたが、海斗に出会う事も、その行き先を知る事も無かった。



[17694] 第7話 新生せよ!エクレウスの聖衣の巻
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:30aca1a0
Date: 2010/04/23 01:50
 ジャミール。
 中国とチベットの国境近くに存在する山岳地帯である。
 標高六千メートルを超えるその場所は、極端に空気が薄く、その険しい道のりもあって地元の者達ですら足を踏み入れる事は無い。
 迂闊に近付けば二度と返っては来れぬ魔の山として、チベット族の人間から恐れられていた。
 
 何人たりとも訪れぬ秘境。
 それがジャミールであった。



 今より二百数十年前。
 ここは女神アテナと冥王ハーデスの繰り広げた前聖戦、その地上に於ける最後の戦いの地であり、多くの戦士達の魂が眠る場所でもある。

「それ故に、彼らの眠りを妨げる事が無い様にと、その事実を知る者が結界を張る事でこの地にみだりに近付く者が現れない様にした――で、あってる?」

「ええ、完璧よ貴鬼。そのメモが無ければ満点だったのにね」

 そのジャミールの奥深く。
 霧に閉ざされたその場所に、一人の少女とまだ幼い男の子の姿があった。
 透き通るような銀色の長い髪に見る者の心を温かくする、そんな笑顔を浮かべる少女と、やや吊り目がちではあるが、くりっとした大きな眼のいかにも活発そうな男の子である。
 小さな岩の上で向かい合う様に腰掛ける二人の間には、数冊の本が置かれていた。
 どうやら、少女が貴鬼という男の子に勉強を教えているらしい。

「え? あはははは……ムウ様にはナイショだよ?」

「ん~、どうしようかな?」

 人差し指を顎に当て、首をかしげて見せる少女。

「いじわるだよお姉ちゃん」

 貴鬼と呼ばれた子供は不満そうに頬を膨らませる。
 その様子にしょうが無いなと、少女――セラフィナは苦笑した。

「ふふふっ。それじゃあ、ここを間違えずに読めたらムウ様には内緒にしておいてあげる」

「え~~っ」

 ちょっと可哀そうかなとも思ったが、セラフィナは彼女の師匠――ムウより貴鬼の勉強を見る様にと頼まれた以上ここは心を鬼にするところだと、厳しくする事に決めた。

「ううう」

 涙目でセラフィナを見上げる貴鬼。

「……」

 厳しくするのだ、決心したのだと、セラフィナはその視線に耐える。

「ううううううううッ」

「……それじゃあ、ここからここまでね」

「あはっ、やったあ! だからお姉ちゃんは好き!!」

 視線に耐えきれず、セラフィナは一分も持たずに陥落した。
 嬉々としてはしゃぐ貴鬼と、がっくりとうなだれるセラフィナ。

 いつもと変わらぬ風景。
 繰り返される日常の一コマ。

「へへへっ。……アレッ?」

 はしゃぎまわっていた貴鬼がピタリとその動きを止めて、じっと空を見上げた。

「貴鬼? どうしたの、何か見えるの?」

 釣られる様にセラフィナも空を見上げたが、特に変わった様子は無い。
 霞がかったジャミールの空である。

「そう言えば、あなたもムウ様と同じ様に超能力が使えたものね」

 自分では感じ取れない何かを感じているのだろうか。
 そう思い、セラフィナが貴鬼に声を掛けようしたその時であった。

「来るよ」

 貴鬼の言葉に何がと問う事は出来なかった。
 その時にはセラフィナも何が起きたのかに気が付いたのだから。

 二人が見つめる先から眩いばかりの黄金の輝きが放たれる。
 そして、それと同時に強大な小宇宙が生じていた。
 そこからゆっくりと現れる人影。
 黄金に輝く聖衣を纏い、艶やかな絹糸の様な黄金の髪がふわりと広がっていた。
 その人物は瞳を閉じていながら、まるで自分の全てを見透かされる様だとセラフィナは無意識の内に胸元を握り締める。
 彼女は目の前の人物から威圧感とは違う、奇妙な圧迫感の様なモノを感じていた。

 人影が地上へと降り立った。
 そこで、ようやくセラフィナは目の前の人物が黄金聖闘士である事に気が付いた。
 その手には、黒髪の少年が抱きかかえられていた事も。
 良く見れば、少年は治療されている様ではあったが、その顔に生気は無く意識も無い様子であった。

「ッ!?」

 慌てて駆け寄ろうとするセラフィナの腕を貴鬼が止めた。
 その表情にはつい先ほどまであった活発さは無く、むしろ怯えの色が濃い。

「ダメだよ、お姉ちゃん。あの人は――違う」

「貴鬼?」

「ほう、君は『感じ取る事』は出来るのですか。成程、ムウが手元に置くだけの理由はある」

 瞳を閉じていながら、まるで全てを見通すかのように呟く黄金聖闘士。



「来ましたかシャカ」



 そう言って、セラフィナ達二人の背後から現れたのは彼女達の師であるムウであった。

「すまないが理由は先刻話した通りだ。急いで貰いたい」

 黄金を纏い現れた男、シャカの言葉にムウは頷いて見せた。

 ジャミールのムウ。
 アテナの聖闘士であり、十二人の若き黄金聖闘士の一人である。
 牡羊座(アリエス)の黄金聖闘士として本来であれば聖域に赴かねばならない義務があるのだが、彼はそれに応じる事無くこの地にて隠者の様に過ごしていた。

「少し力を抑えて貰えないでしょうか、この者達が怯えてしまっている」

 そう言ってセラフィナ達の肩にムウが手を置くと、それまで感じていた奇妙な圧迫感が消え去っていた。

「貴鬼、杯座(クラテリス)の聖衣をここに。セラフィナはあの少年を」

「は、はい!」

「分りました」

 ムウの言葉に従い、貴鬼は自らの念の力により杯座の聖衣をこの地へと呼び寄せる。
 セラフィナはシャカの手より傷ついた少年――海斗を託された。

 変わらぬ風景、繰り返される日常。
 それは今終わりを迎え様としていた。
 この時を境に、彼女達の時間は動き始める事になる。





 第7話





 ドンという音が鳴り響き、貴鬼の横に聖衣の収められた箱が出現する。
 そこに描かれたのは杯。
 セラフィナが触れると箱が開き、その中から白銀の輝きを放つ杯の形をしたオブジェが姿を現した。
 杯座の白銀聖衣である。
 
「聖衣よ」

 セラフィナの言葉に応える様にオブジェが弾け、彼女の身体へと装着される。
 海斗の身体を横たわらせると、セラフィナは両手を使い、その掌で器を形作った。
 小宇宙を高め、掌により湧き出る水をイメージする。

「ほう、彼女が杯座の聖闘士であったか。神の酒を注いだ杯、その杯で汲んだ水には癒しの力が宿ると言われるが」

「そうです。しかし、杯座の聖闘士であれば、己の小宇宙によって癒しの水を生み出す事が出来るのです」

 ムウの言葉を証明する様に、セラフィナの手より美しく澄んだ水がまるで星屑を散りばめられたかの様に輝きを放ちながら溢れ出し、傷ついた海斗の身体に降り注ぐ。
 すると、みるみるうちに海斗の傷が塞がり、血の気の失せた顔に赤みが戻り始めていた。

「そうか、ソーマ(※インド神話上での神々の霊薬。口にした者に活力を与え、寿命を延ばし、霊感をもたらすと言われる)の力なのだな。聖闘士の中には戦いの力では無く癒しの力を持つ者がいると伝えられている。しかし、過去の聖戦に於いても杯座の聖闘士は現れなかったと聞いていたが?」

「杯座の聖闘士の力は聖戦の行方を左右しかねないものです。過去幾度かの聖戦に於いても真っ先にその命を狙われたと聞いています。故に、アテナの命によりその聖闘士の存在は秘匿とされていました。それに――」

 ムウが視線を向ければ、快方に向かう海斗に反してセラフィナの小宇宙が急激に低下し、その表情に苦悶の色が現れ始めている。

「そこまでです。良く頑張りましたねセラフィナ」

「……ハァ……は、はあッ……ムウ様? この人、は……?」

 ぐらつき、倒れそうになった彼女の身体をムウが支える。

「大丈夫ですよ。あなたのおかげで彼の傷は癒されています。安心なさい」

 穏やかに語りかけるムウの言葉で張り詰めていたモノが切れたのか、セラフィナは微笑みを浮かべるとその意識を失った。

「貴鬼、二人を館へと連れて行きなさい。私はいましばらくここでする事があります」

「ハイ!」

 貴鬼の手が海斗とセラフィナに触れる。
 瞳を閉じ、集中する貴鬼。

「んっ!!」

 シュンと、気合いの声を残して貴鬼達の姿がこの場所から消えた。

「相手の傷の深さに比例する様に小宇宙を激しく消耗するのです。その献身故に命を落とした者もあったと伝えられています」

「ならば、事が済めば彼を彼女の護り手にでもすると良い。異論を唱えられる立場では無いのだからな」

「セラフィナは必要ないと言いますよ。あれはそういう子です。……さて。ではシャカよ、エクレウスの聖衣を」

「うむ」

 ムウに促される様に、シャカがその手を掲げる。
 すると、瞬く間にシャカの前に聖衣の箱が現れていた。
 まるで聖衣から働き掛けたかの様に、ひとりでに箱が開かれる。

 ムウは牡羊座の黄金聖闘士であるが、彼にはもう一の顔があった。
 この地上に於いてただ一人、破損した聖衣を修復する技術を伝えられた者としての顔である。
 
 そこにあったのは、かろうじて形を保っているとしか言えない程に破壊されたエクレウスの聖衣。

「……駄目ですね。やはりこの聖衣は死んでいます」

 ムウにはそれが一目見ただけで分った。

 聖衣にも命がある。
 持ち主が死亡したとしても聖衣が死ぬ事は無い。
 新たなる持ち主が現れるまで眠りに付くだけである。
 その間に、軽微な損傷程度なら自らの力で修復を行い、場合によっては自らその形を変える事もあると言われている。

「死んでしまった聖衣を生き返らせる事は、このムウにも出来ぬ事。それを知らないあなたや教皇では無いでしょうに」

「其れは承知。だからこそ教皇は手を打たれた」

 シャカの言葉にムウがもう一度エクレウスの聖衣を見た。

「な、これは!?」

 ムウの表情が驚愕に変わる。
 エクレウスの聖衣に近付くと、何かを確かめる様に触れ始めた。

「死んだ聖衣を生き返らせるためには聖闘士の、小宇宙が宿った大量の血を必要とする、だったか」

「聖衣から微かに感じる生命の鼓動、それに無数の亀裂に沁み込む様に与えられたこの大量の血液は……まさか!?」

 あり得ないと言う思いと、それ程の価値がこの聖衣に、いやあの少年にあったのかと。
 立ち上がったムウはその視線を館の方へと向けていた。

「そう、その血は教皇が流されエクレウスの聖衣へと与えられた物だ」

 ムウの驚愕を余所に淡々と語るシャカ。
 役目は終わったとばかりにその身体が色を失い、まるで空間に溶け込むかの様に薄れ始める。

「その血と君の力で聖衣を蘇らせて貰いたい。そして彼に新たなる力を」

「シャカよ。教皇は、いや君は何を考えている?」

 ムウが振り返った時には、その場にはシャカの小宇宙の残滓が残されているだけであった。



 溜息を一つ吐き、ムウはその長い髪を掻き上げる。

「いや、今は何も言うまい。私は私に課せられた使命に従い、ただ目の前にある聖衣を修復するだけだ」

 そう呟くと、ムウは瞳を閉じて――念じた。
 すると、ムウの前に色とりどりに輝く無数の鉱物が出現する。

「オリハルコン、スターダストサンド、そしてガマニオン……」

 そこから必要と思われる鉱物を見繕う。

「……これ程までに破壊された聖衣を元の形とする事はこのムウにも不可能。大幅に形を変える必要がある」

 シャカは言った、新たなる力をと。
 そして聖衣から感じる教皇のものとは異なる小宇宙の残滓。

「求められるのは青銅を超えた青銅、と言う事ですか。やれやれですね、これは一筋縄ではいきそうもありません」

 懐から黄金に輝く槌と鑿(のみ)を取り出したムウは、その刃先をそっと聖衣に当てる。
 言葉とは裏腹に、ムウの表情は真剣そのもの。
 ふうと一息を吐くと、その顔から表情が消え去り、その視線はただ聖衣にのみ注がれる。

「新生の時だ――エクレウスの聖衣よ」

 そうして振り上げた槌を、ムウは鑿の柄へと振り下ろした。





 聖域、教皇の間。
 暗闇の中、ただ一人玉座に腰掛けた教皇は何も無い宙をじっと見つめていた。

「やはり生きていたか、カノンよ」

 その呟きに応える者はいない。

「岩牢から姿を消して十一年。いつかは姿を現すと思っていたが、まさか海闘士となっていたとはな」

『何故あの場で殺さなかったのだ? 袂を分ったとは言え、やはり弟は可愛いのかサガよ』

「あの場で争えば海斗は死んでいただろう。あれ程の小宇宙の持主を殺すのは惜しい」

『シャカの言っていたギガントマキア、あの小僧をそれに当てるつもりか?』

 いや、応える者はいた。
 それは、教皇――サガにのみ聞こえる声で続ける。

『しかし、だからと言ってたかが一聖闘士の命と海皇軍とを秤に掛けるとは――愚かな事を』

「アテナの封印はそこまで柔な物ではない。おそらく現世では神話の時代の様な力は振るえぬ筈だ。ならば俺の敵では無い」

『あの小僧を助けた理由にはなっていないが……。フン、まあ良かろう。だがサガよ、これだけは忘れるな』

「……」

『貴様が何を企もうとも、俺を出し抜ける等とは思わん事だ。何故なら俺は――お前なのだからな』

「黙れッ!!」

 玉座から立ち上がり叫ぶサガ。

『クククククッ、フハハハハハハハハハッ!!』

 脳裏に響くのは、サガが最も憎むべき男の――己の笑い声。

「黙れッ、黙れ黙れ黙れ黙れ黙れッ!!」



 暗闇の中で、サガの慟哭だけが響き渡っていた。



[17694] 第8話 その力、何のためにの巻
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:30aca1a0
Date: 2010/04/23 01:54
『海斗、お前に聞いておきたい事がある。まあ、今更ではあるがな』

 これは夢か。
 しかし、また懐かしい記憶だ。
 目の前の光景を見てそう思う。

『お前は本当に聖闘士になりたいと思っているのか?』

 確か、二年程前だ。
 その日の修行を終え、宿舎に帰ろうとする俺を珍しく師アルデバランが呼び止めて、そんな事を聞いてきた。
 俺は、何と答えたのだったか。
 誰もが納得する様な、模範的な、当たり障りのない事を答えた様な気がする。

『アテナのために、地上の平和のために、この力を正しく振るう事こそが我ら聖闘士の本分だからな』

 さすがは夢。
 脈絡も無く場面が飛ぶ。
 これは……三年程前だったか?

『ウワハハハハッ! まさかオレが一撃を貰うとは思いもしなかったぞ!?』

『拳の引きが遅い。聖闘士にとって速度は命だ』

『お前は小宇宙こそ強大だが、あまりにも制御が雑過ぎる。そうだ、もっと意識を集中させろ』

『出来が良過ぎるのも考えモノだな。これではオレの教える事が無いではないか。ワハハハハハッ』

 次々と浮かび上がる光景。
 僅か数年前の出来事がひどく懐かしく感じる。
 ただ、そのどれもが師との修行であったのは何故か。
 また場面が変わった。
 俺と師匠が組手をしていた。
 師の攻撃を避けて、その懐に潜り込んだ俺がボディーブローを放とうとしている。

「そうだ、この拳は受け止められ、俺はカウンターの一撃を貰った」

 言葉の通り、師は難無く俺の拳を受け止める。
 あの一撃は効いたなと、その時の事を思い出して腹に手を当てた俺は、そこで違和感を覚えた。
 直後に放たれた筈の一撃が来ない。
 師は俺の拳を受け止めたまま、微動だにしていなかった。
 それだけでは無い。

「これは!? 俺が観ていた筈なのに、俺の拳を師が掴んでいるだと!?」

 傍観者であった筈の俺が舞台に立ち、師と向かい合っていた。

『お前の拳は――軽い』

「……何?」

 師の口から出た言葉。それは俺の記憶に無い言葉。
 夢の雰囲気が変わった。
 俺の周り、いや周りだけでは無い。全てが闇に包まれて何も見えなくなる。

『お前は何のためにその拳を振るうのだ?』

 暗闇の中で師の声だけが響く。

『お前は強い。同じ条件の下で戦えば、オレとて容易く勝てるとは思わん。だが、その力でお前は何を望むのだ?』

『己のためだけに振るう拳は空しいぞ』

『言葉は悪いかも知れんがな、お前の拳には執念が無い。命を賭してでも何かを成そうとする覚悟、とでも言えば分り易いか。それが他の者達と比べて感じられんのだ』

「……まさか、夢の中で説教を喰らうとは思いもしなかったな」

 そうぼやいた俺の背後に、暗闇の中であっても眩い輝きを放つ黄金聖衣を纏った師の姿が浮かび上がる。
 いつもの様に両腕を組み、どっしりと構えたその姿は、しっかりと大地に根付いた一本の大樹の様。
 胸を張り、常に前だけを見ているその姿勢、その力強さは俺には無いものだった。
 今思えば、俺はその姿に憧れを感じていたのかもしれない。

「フッ……師の前では言えないな」

 何と言うか恥ずかし過ぎる。言えるわけが無い。

『女神アテナは戦(いくさ)を司る神ではあったが、その戦いは常に護る為の戦いであった』

 師の言葉が続く。

『デスマスクやシュラ、ああ、俺と同じ黄金聖闘士だがな。彼らは勝利にこそ意味があると言う。何に於いても勝たねば意味は無いと』

 それはそうだ。負けてしまえば何も言えない。勝たなければ何も成せない。
 そう、あの時だって俺は勝たなければならなかったのだ。

『真理ではあるが、オレはそれだけが全てだとは思っておらん。何かを護る事、誰かを護り抜こうとする意志こそが重要なのではないか、とな』

 この言葉は、一体いつ聞いたものだったか。
 覚えていない。
 馬鹿馬鹿しいと聞き流した言葉だったか。

 そんな事を思案していると、気が付けば師の姿は消え去り暗闇の中で俺一人となっていた。

 何も無い空間に、全力を込めた拳を突き出し蹴りを放つ。

「勝利の為では無く……護る為……」

 そう呟いて、ようやく俺は気が付いた。

「はははっ、無いな。星矢達やシャイナ、師匠とはただ戦いたくないだけだ。何かを護ろうなんて考えちゃいない」

 海闘士達の事だってそうだ。
 戦いたくないと思いこそすれ、彼らを護ろう等とは考えていない。

 不意に自分の身体が浮き上がるような感覚を覚えた。
 周囲の闇を消し去る様に、白い光が俺の周りから溢れ出す。
 ああ、目が覚めるんだなと、漠然と考える俺の下に再び師の声が響いた。

『何かを護ろうとするその想いこそが、己の拳に力を与える。オレはそう考えている』

『アテナのため、それを強要はせんよ。そうである事が望ましくはあるがな』



『お前も早く見つける事だ、お前自身の護るべきものを、な』





 第8話





 ゆっくりと瞼を開く。
 視界に映るのは一面の白。
 まだ夢の中にいるのかとも思ったが、よく見てみれば天井が白いだけだった。

「ここは病院……か? カノンに負けた俺は……」

 どうなったと、その後の事を思い出そうとするが、意識を失っていたのだから思い出すも何も無い。

「取り敢えず起きるか」

 身体に掛けられたシーツをどけようとして、俺は自分の右腕が動かせない事に気が付いた。

「ん?」

 何か温かいモノが俺の腕に乗っている。
 犬か? 猫か? 病院に? いやまさか?
 昔見たTVドラマや漫画であれば、この重さの正体は――期待せざるを得ない。
 細心の注意を払い、俺が目を覚ました事を気付かれない様に、ゆっくりと視線を動かした。

 そこには、俺の腕を枕にして――
 
 涎を垂らして気持ちよさそうに眠る見知らぬ子供の姿があった。

「まあ、現実なんてこんなモンだろうさ」

「……うぇへへへ~」

「……」

 一体どんな夢を見ているのか。
 落胆する俺に対して、この見知らぬお子様は実に幸せそうでいらっしゃる。

「……いただきま~す」

 ガブリと、大口を開けてシーツごと俺の腕に噛み付いた。
 虫歯は無い様で結構な事だ。

 上半身を起こして周囲を見る。
 俺のいるベッドの横には簡素なテーブルに椅子が二つ。
 奥には古びたクローゼットと思わしき家具が一つだけと言う、聖域も真っ青の質素かつシンプルな部屋だと言う事が分った。

「病院では無い。それにこの空気の薄さは、聖域でも無い」

 自分の身体を見れば、貫頭衣の様な服を着せられて所々に包帯を巻かれていた。
 それは別に構わないのだが、思っていた程の傷が無い事の方が気に掛かった。
 まさか、ここまで回復する程眠り続けていた、などという事は無いと思うが。

「分らない事を考えていても仕方が無い」

 ならば分る人間に聞けばいいと、未だ腕をかじり続けるお子様を見た。

「ムグムグ……マズい~……」

「……これは虐待ではない。教育だ」

 自分でも何を言っているのか分らなかったが、俺はこの幸せそうなお子様に目覚めの一撃をプレゼントする事にした。



「まあ、良かった。目が覚めたんですね! それに、人見知りをする貴鬼を相手にもうそんなに仲良くなるなんて!」

「んが?」

「あん?」

 ドアを開け、取っ組み合う俺とお子様の姿を見たそいつの第一声がこれだった。
 胸の前で両手を合わせて心の底から嬉しそうに笑う銀髪の少女。

 これが、俺とセラフィナの何とも締まらない出会いであった。



「つまり、俺はシャカって黄金聖闘士の手でここ――ジャミールに運ばれて来た、と」

「そーだよ、三日前にね。なんかおっかない人だったケド。にーちゃんの知り合いじゃないの?」

『……あうぅぅう……』

 軽く自己紹介を済ませた俺は、早速貴鬼にこれまでの経緯を尋ねる事にした。
 貴鬼は見た目に反して意外としっかりしている様で、六歳児とは思えぬ利発さを見せている。

「知らん知らん。そりゃあ名前ぐらいなら聞いた事はあるけどな」

 それにしても、乙女座のシャカか。
 最も神に近い男、だったか。
 何を考えているのかまるで分らない男だと、師匠はそう言っていた。
 俺を助けたと言う事は、あの時の戦いを知られたと思って間違いは無い。
 知られるのは構わないが、だとすればカノンや海闘士の事はどうなったのだろうか。
 海皇の事までは知られていないのか、それとも既に手は打たれた後なのか。

「なあ貴鬼。そのシャカって奴は何か言っていたか?」

「さあ? おいらはムウ様の命で直ぐににーちゃん達をここに運んだから知らないよ」

 貴鬼は、傾けた椅子の上で器用にバランスを取りながら遊んでいる。
 この事はこれ以上聞いても分らないだろう。

「ところで、さっきから言ってるムウ様って、もしかして――」
 
 ならばと、俺は次の質問をする事にした。
 師匠から聞かされた事がある。
 ジャミールのムウ。聖闘士となるのなら覚えておかなければならない名前だと。

「にーちゃんはさ、お姉ちゃんに感謝しなよ」

 しかし、貴鬼はそんな俺の言葉を遮って話し始めた。

「死に掛けてたにーちゃんの怪我を治したのはお姉ちゃんなんだからな」

 杯座の白銀聖闘士。
 自らの小宇宙によって傷付いた者を癒すという、八十八の聖闘士の中でも一人しか持ち得ない治癒の力の持主だと言う。

「ずっと付きっきりだったんだぞ。感謝しろよ!」

『……バカバカ、私の馬鹿……ッ!』

「ああ、それは……そうだな、感謝するよ。でもな、何でお前がそんなに偉そうなんだ?」

「おいらだって看病してやったぞ?」

 寝てたじゃねーかと言ってやりたかったが、気分良さ気にしているところに態々水を差す必要も無い。

「ありがとな」

 素直に礼を言うと、照れくさそうに笑っていた。

「へへっ!」



「ふ~ん。このお茶美味いな」

「でしょ? セラフィナお姉ちゃんの淹れてくれるお茶はおいしいんだよ、お茶は」

 あれから暫く、貴鬼の分る範囲ではあったがあらかたの質問を終えた俺は、セラフィナが持って来てくれていた茶を飲みながらのんびりと無駄話をしていた。

『……うぅぅぅ、どうしよう、どうしよう』

「そこを二回言うのが気になるが。まあ、確かに美味いよ」

『……そうだ、さっきのは無しって事でもう一回始めからやり直せば……』

「……」

 いい加減、無視するのも疲れて来た。
 ちらりと貴鬼に視線を送る。
 サッと目を逸らしやがった。

 ……仕方が無い。

 覚悟を決めた俺は、部屋の隅でしゃがみ込んでいる不審者に声を掛ける事にした。
 こちらに背を向けたまま、先程からずっと何かをブツブツと呟いている。
 瀕死であった俺の治療をしてくれたと貴鬼から聞かされている以上、このまま放っておくわけにもいかない。

「……セラフィナ」

「ひゃい!?」

 いや、そこまで驚かれても困るんだが。

「な、何でしょうか、か、海斗しゃん?」

 ピンと背筋を伸ばして立ち上がったセラフィナだったが、その言葉は噛みまくりで気が動転しているのが良く分る。
 おまけに顔をこちらに向けようとしない。
 理由は分らんでもないが、今更気にしても仕方が無いと思うのだが。

「……見なかった事にしておいてやるから気にするな。俺か貴鬼が言わなければ分らない事なんだからさ。素顔を見られた事なんて」

「あぅううううううう」

 がっくりと肩を落とすセラフィナ。
 ずっと観察していて思ったが、随分と喜怒哀楽の激しい奴だ。見ている分には面白い。
 聖闘士の女子は――以下略。
 貴鬼から聞かされ、セラフィナも言っていたが、このお間抜けなお嬢様は、俺は今でも信じられないが聖闘士だと言う。
 しかも白銀の。
 更に十六歳だと言う。俺よりも二つ上だ。精神年齢はどうか知らんが。
 滅多に人が訪れる事の無いジャミールで、この館の周囲には人避けの結界まで張られているらしく、セラフィナは普段から仮面を付けていなかったらしい。

「親兄弟、家族や師匠の前では外してもいいんだよ」

 とは貴鬼の弁だ。
 で、普段から仮面を付けない事が当たり前となっていたセラフィナは、素顔のままで俺の様子を見に来てしまった、と。

「まあ、掟だか何だか知らないが、別にそれで死ぬわけでも――」

 無いだろうと、そう続けようとした俺は目を見張った。

「じゃあ、責任とってくれますか!?」

「――は?」

 イキナリ何を?
 部屋の隅でうなだれていたかと思ったら、俺の目の前へとあっと言いう間に移動したセラフィナ。
 成程、さすがは白銀聖闘士、良い速さだと感心している俺の肩をがっしりと掴む。

「責任とってくれますか!?」

 ずいっと身体を乗り出して俺に迫って来る。
 男なら喜ぶべきところなのかもしれないが、そんな色気のある状況では無い。
 正直言って眼が怖い。
 この感覚は、闘技場を吹っ飛ばしてしまった時の魔鈴やシャイナから感じた威圧感に匹敵する。
 否とは、とてもではないが言えない。
 言っている意味は分らないが、つまりは「素顔を見た事を悪いと思うなら、この事を一生他人に口外するな」と言う事なんだろう。
 そんな必死に念を押さなくても、元々言いふらすつもりは無い。

「あ、ああ、分った」

 だから、もう気にするな。
 そういうつもりで言ったのだが。

「~~ッ!?」

 セラフィナは俺の肩を掴んだまま、何故か顔を真っ赤にして動きを止めてしまっていた。

「オイ貴鬼?」

 コイツ大丈夫かと、そう思って貴鬼を見れば、何とも生暖かい視線をこちらに向けていた。

「あのさ、にーちゃん。意味分って……無いね。分ってたらそんな間抜けヅラじゃいられないもんね」

 誰がマヌケか。
 六歳児にマヌケと言われる日が来るとは思いもしなかった。

「聖闘士の女子はね、素顔を見られたら相手を殺すか――愛するのが掟なんだよ。ムウ様が言ってた」

「……ちょっと待て。何だそのぶっ飛んだ掟は!? やはりおかしいぞ聖闘士!!」

「にーちゃんだって聖闘士じゃん」

 どこから出て来るんだ、そんな二択が。極端にも程があるだろうが!!
 じゃあ何か、昔俺が聖闘士候補の女子達に白い目で見られたのはそういう事だったからか?
 知っとけよ師匠!
 そりゃあ、聖域の女子から敵視もされるわ!!

「ええっと、海斗さんは日本の人なんですよね。こういう時は……二日物ですが、でしたっけ?」

「分ってたんなら止めろよ貴鬼! それから、二日物じゃナマモノだ! 違うからな、俺はそういうつもりで言ったんじゃないからな!?」

「そんな!? それじゃあ、私は海斗さんを殺さないと!?」

「だからその発想がおかしい事だと気付け!!」



「……騒がしいですね、何をしているんですか貴方達は?」

 結局、騒ぎに呆れたムウが止めに入るまで、延々とセラフィナとの噛み合わない問答が続けられた。
 貴鬼はただ面白そうにケラケラと笑っていた。





 聖域だけかと思ったが、古代ギリシアを彷彿とさせる内衣(キトン)と外衣(ヒマティオン)という服装は、どうやら聖闘士にとっては普通の様だ。
 とは言え、さすがに現代の『外』の事情も考慮する気はあるのだろう。当然下着とズボンは着用している。

 外衣を纏い現れたムウを見て、俺は一瞬彼を女性だと見間違えてしまった。
 長い髪を後ろで結んだ、長身の美しい大人の女性だと。
 静かで穏やかな物腰、その落ち着いた様子は俺の知る聖闘士像とはまるでかけ離れており、一見しただけではとても戦いを行う人間には見えない。

「……やれやれですね。阿呆ですか貴女は」

 外見に反して、随分と辛辣な言葉を仰る方の様だ。

「いざ戦いとなった時に、マスクが外れるかどうかを気にする者がいますか。本来、女性聖闘士にとってのマスクとは、聖闘士である事の証であり誇りの様な物でしかありませんよ」

 ムウの言葉に、俺は貴鬼を見てセラフィナを見た。
 二人ともぶんぶんと首を振っている。

「他人の手でそのマスクを外されると言う事は、女性聖闘士にとっては誇りを汚される事と同意。そして自らの手でマスクを外すと言う事は、相手への、相手にとっても、これ以上無い信頼の証となるのです」

 納得した。
 成程、それが長い年月の間に徐々に歪んで伝えられた結果があの究極の二択になったと。

「ヒドイですよムウ様。それならそうと教えておいて下さっていれば!」

 セラフィナが頬を膨らませてムウに詰め寄っている。
 その点は同意だ。

「わたし子供の名前まで考えちゃったじゃないですか! 男の子だったらユニティとか、女の子だったら――」

「……」

「……」

「……さて、海斗でしたか。君には少々聞きたい事があります。後ほどで構いませんので下まで来てもらえませんか?」

 貴鬼は課題を済ませておくように。
 そう言ってムウは踵を返し、この部屋を後にした。
 何食わぬ顔で。

「は~い、分りました」

 ひょいっと、軽快に椅子から飛び降りた貴鬼がその後に続く。
 その際、俺を見て手を合わせ――ニヤリと笑いやがった。

「……」

「そうですね、犬を飼うのも良いかもしれませんね。大きい子だったら子供達の枕代わりになって貰うんです。こう、おなかのところに――」



少女がやがて年老いて、ひ孫に看取られて息を引き取る。
とある家族の半世紀上にも渡る壮大な物語が語り終えられるまで、俺はそのまま一人でセラフィナの相手をするハメになっていた。



[17694] 第9話 狙われたセラフィナ!敵の名はギガスの巻
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:30aca1a0
Date: 2010/04/23 01:56
 履き慣れない靴の感触に戸惑いながら、一歩一歩を確かめる様に階段を下りる。
 三日も寝ていたと言われた割には、思った程身体がなまっている様には感じられなかった。
 筋肉痛の様な痛みはあったが、耐えられない程でも無い。

「傷の手当てや看病をしてくれた事、それは感謝はしてるんだけどな」

 頭を掻きながら海斗は呟く。
 タイミングと言うのは重要なもので、先程の馬鹿騒ぎのせいでセラフィナに礼を言う機会を逃してしまっていた。
 今更面と向かって礼を言うのも恥ずかしい。

「それでも……どこかで言っておかないとな」

 そう独り言ち、階段を下りた海斗は目の前に見えた扉の前に立つ。
 古びた木製の扉に手を掛けると、軋んだ音を立ててゆっくりと開く。

「――何だ……これは!?」

 無人の室内に海斗の声が響く。
 広間へと足を踏み入れた海斗が見た物は、部屋中に散らばった大小様々な無数の欠片。
 足下に転がるそれを一つ拾い上げ、海斗は室内を見渡した。

「これは……聖衣、か。そうだ、あそこに見えるのは手甲、あそこにあるのは肩当て。あれも、あれも、ここにある物は全て――破壊された聖衣」

 一つや二つでは済まない。
 形が残されたパーツの数から推測しても、恐らく十や二十では収まらないだろう。
 それが分る。

「しかし、これではまるで聖衣の墓場だな」

「そうですね。そして同時に再生の場でもあります」

「――ッ!?」

 背後からの声に海斗が振り向けば、そこには落ち着き払った様子で佇むムウの姿があった。

「……室内に人の気配は無かった。それはここに来るまでも。驚かせるにしても、あまり趣味が良いとは言えませんね、アリエス(牡羊座)のムウ」

「フッ、アルデバランから聞いていましたか? その名で呼ばれるのも久しぶりです」

 付いて来なさい、そう言って広間の奥へと進むムウ。
 手にした破片を足下に置くと、海斗は無言のままその後に続く。

 広間を抜けて館の外へ。
 まるで石で出来た五重の塔だなと、背後の館を一瞥する。

「こちらです」

 ムウの指示に従い先に進むにつれて、辺りに立ち込める霧がその濃さを増す。
 霞がかった視界は方向だけではなく、時間の感覚すら狂わそうとしている様だと海斗は感じていた。
 聖域とチベットの時差は五時間程だったかと、おぼろげな記憶を頼りに思いだそうとするが、どうでもいい事かと、先を進むムウの背中を追う。

 それからどれ程進んだのか。
 二人には会話らしい会話も無く、あるのは精々が指示程度。
 その事自体は海斗にとって気にする事では無かったのだが、聞きたい事があると言ったのはムウ。
 まさか、あの場から離れるための方便であったわけでもあるまいにと、海斗は自分から話を振る事に決めた。

「止まりなさい」

 しかし、話とは、と口を開こうとした海斗よりも先にムウが言葉を発した。

「ここより先に、あなたの聖衣があります。新生したエクレウスの聖衣が」

 ムウが指示した方向を海斗はじっと見たが、深い霧のせいでその先がどうなっているのかは分らない。

「俺の聖衣がここに? かなり手酷くやられたと思っていたが……。そうか、あなたが修復してくれたのか。ありがとうムウ」

「修復ではありません。新生と言いました。そう、一度死んだエクレウスの聖衣が新たな命を得て生まれ変わったのです」

「――生まれ変わった」

 感慨深く呟いた海斗とは異なり、ムウの言葉にはどこか鋭いものがあった。
 海斗へと振り返ったムウ。
 その雰囲気こそ『静』であったが、その奥底から感じる気配は激しいまでに『動』。
 
 ジャミールのムウ。聖域との関わりを断ち、だた聖衣の修復を手掛け続ける世捨て人の様な男。
 かつて、アルデバランは海斗にそう話した事があった。

 だが、と海斗は目の前に立つムウの小宇宙を感じて思う。
 一見すると物静かで優雅ささえ感じさせるこの男。
 その本質はやはり聖闘士――戦う者なのだと。

「さて、色々と尋ねたい事はありますが、単刀直入に聞きましょう。あなたは――」

 スニオン岬でカノンと対峙した時点で、こうなる事は覚悟していた。
 だからこそ、海斗に動揺は無い。
 来るべき時が来た、その程度の事。

 しかし、ムウの口から出た言葉は、その海斗をして驚きを隠せないものだった。





 第9話





 海斗がジャミールの地で目覚めてから一週間が経っていた。

 最初の数日こそ物珍しさも手伝って、海斗は周囲の散策などを行う事で退屈を感じる事は無かったのだが、それも今では過去の事。
 ならば、本でも読むかと、ムウの蔵書から何冊か本を借りはしたものの、難解過ぎて三十分もしない内に返していた。内容がでは無く、書かれた文字が理解出来なかった為だ。

「あれは文字じゃない」

 こうなってしまっては、途端にする事が無くなってしまう。
 聖域からの迎えが来るまでゆっくりすると良いでしょう、ムウはそう言ったが生憎と海斗にとっては聖域以上に娯楽らしい娯楽の無い退屈な場所である。
 長くいれば、それなりに楽しみも見い出せるのであろうが、そこまで厄介になるつもりも無かった。

 館から少しばかり離れたところにある広場。
 広場と言っても、むき出しの岩肌に囲まれた少しばかり開けた場所でしか無いが、この地に住むジャミールの民からすれば十分に広場だとは貴鬼の弁である。

「――暇だ。迎えってのはいつ来るのやら」

 手頃な岩を見つけて腰掛けた海斗が、霞がかった空を眺めながらそう呟く。
 その横にはエクレウスの聖衣が納められた聖衣箱(パンドラボックス)があった。

『私と貴鬼は今日から数日程ここを離れる事になります。その間は工房を閉めますので、聖衣はあたなが持っていなさい』

 ムウからそう告げられたのが二時間程前。
 そこで、留守番を任されたセラフィナに捕まりずるずると連れ出されてここにいる。



「だったら一緒に修行しましょう!」

 海斗の呟きが聞こえたのだろう。
 瞑想を終え、四肢の柔軟をしていたセラフィナが、名案だとばかりに申し出る。

 暇を持て余していた海斗にとって、ムウとセラフィナ達の修行を見学する事だけが唯一の日課とも言えたが、その中に加わろうとはしていない。
 傷も癒え、身体を動かすには何の支障も無い筈であるのに。
 その事がセラフィナや貴鬼にとって疑問であったのだが、ムウはそれについて特に何も言う事は無かったので深く追求する事は無かった。

「ね?」

 そう言って、空を見上げる海斗の後ろから覗きこむ様に身を乗り出すセラフィナ。
 大きな瞳を輝かせ、何かを期待する様に海斗を見る。

「ふわぁあ……あふっ。いや、止めとくわ」

 欠伸を一つ。
 そう言って身体を起こし、立ち上がる海斗。

「もうっ、またですか?」

 セラフィナにとって、この海斗の答えは予想通り。
 今迄であれば、ここで引き下がる所ではあったが、今日は違う。
 一人で修業を行う事は珍しい事でも無かったが、それでも一人より二人で行う方が良い。
 目の前に普段目にする相手とは異なる存在がいるのだ。海斗がいつここから去るか分らない以上、これを逃す機会は無い。

 よしっ、と気合いを入れ、もう一度海斗に言ってみようと顔を上げたセラフィナ。
 すると、先に立ち上がっていた海斗がじっと自分を見ている事に気が付いた。
 何かを確かめる様に自分の拳を握り、開き。

「海斗さん?」

 どうも様子がおかしい。
 何かを言いたそうで、しかしそれが言葉にならない、纏まらない。
 そんなもどかしさ、とでも言うのか。
 迷っている、そうとも感じられる。

「あ、まさか!?」

 慌ててセラフィナは自分の身なりを確認する。
 何かおかしなところでもあったのかと。

「……何をやってんだ?」

「え? あれ?」

 いきなり何をと、その海斗の言葉にでは何なのだろうと考える。
 そう言えば、貴鬼が出掛ける前に何か言っていた筈。
 二人きりだのなんだのと。

「ハッ!? 駄目ですよ海斗さん!?」

 両手で身体を抱きしめる様にして後ずさる。
 さすがにそれは早過ぎる、と。
 顔を真っ赤にし、涙目で睨み付けるセラフィナであったが、海斗はまるで気にした様子も無く淡々とした口調で話し掛けた。

「お前は、どうして聖闘士になろうとしたんだ?」



 城戸光政に集められた孤児たちは、半ば強制にも近い形でそうなる事を命じられた。
 その中には、星矢の様に交換条件を提示された者もいれば、海斗の様に力を得る事に目的を見出した者もいるだろう。
 ふと、海斗はこの争いとは無縁としか思えない少女が何故と、確かめてみたくなっていた。

 セラフィナはぽかんとした様子で海斗を見ている。
 理由や目的は人それぞれ。あえて聞く様な事でも無かったかと、海斗は苦笑する。

「悪い、忘れてくれ」

「……陽光(ひかり)です」

 しかし、セラフィナは一言一言を確かめる様に答え始めた。

「ムウ様が仰られました。やがて、この地上を闇に包み込もうとする存在が現れると。私達聖闘士は、やがてアテナの下でその闇と戦う事になるのだと」

 その言葉に、闇とは海皇の事かと海斗は考えたが、何かが違う様にも感じる。

「この地上に生きる全てにとって陽光は必要なものでしょう? それが無くなるのはとても悲しい事だわ」

 セラフィナは真っ直ぐに海斗を見つめた。

「わたしは争いは望みません。でも、そうと分っていながら何もせずにただ見ている、そんな事は出来ないから」

「……」

「わたしにどれ程の事が出来るかは分りません。何の役にも立たないのかもしれない。それでも、こんなわたしでも出来る事があるのなら」

 それが理由です。
 そう言って、照れくさそうにセラフィナは微笑んだ。



 ――役には立つさ。



「え?」

「チッ、ここまで近付かれていながら気付かなかっただと!? お前達、何者だ!?」

 伏せろセラフィナ、そう言って海斗が拳を放つ。
 衝撃がむき出しの岩肌を、大地を穿つ。

 ――フフフッ、どうやら威勢の良い者がいる様だが。

 ――お前には用は無い。

「……どこだ?」

 瞳を閉じ、小宇宙を探る事だけに意識を、感覚を集中させる。
 周囲から揺らぎの様に感じる攻撃的な小宇宙。
 聞こえてくる声も一つでは無かった。

「チッ、感覚が、この歪む様な感じは……これでは……」

 気配を探ろうにも、この地に張られた結界のせいか海斗にはそれを手く掴む事が出来ない。
 小宇宙の感覚に頼る事を諦めて、視覚により相手の姿を探る。
 霧のせいで決して良好とは言えなかったが、それでもノイズ交じりの気配を探るよりはマシだと。

「こんな時に……」

 ムウが、いやせめて貴鬼がいれば、この場からセラフィナだけでも逃がす事は出来ただろうが二人は不在。

「海斗さん!?」

 異様な小宇宙をセラフィナも感じ取ったのだろう。
 海斗に背中を預ける様にして周囲を窺う。

「いや、むしろ不在であるからこそ、か。だとすれば、随分と嘗めてくれる」

 ――甞めてなどいない。

 ――その価値すらない。

 ――そら、どこを見ている。足下が留守だぞ。

 その言葉と共に、突如として海斗達の足下が激しく隆起した。

「え? きゃああああああぁっ!?」

 大地から巨大な影が飛び出したかと思うと、それは海斗とセラフィナの身体を宙へと吹き飛ばす。

「くっ、セラフィナ!?」

「他人の心配をしている余裕があるのか?」

 体勢を立て直そうとした海斗の背後から聞こえる声。
 振り向く間もなく、轟、という衝撃を受けて、海斗の身体が岩肌へと叩き付けられた。

「海斗さん!」

 駆け出そうとするセラフィナであったが、そうはさせぬと無数の人影が立ち塞がる。

「そこをどきなさいっ!!」

 それは、二メートルはあろうかと言う大柄な男達であった。
 全員がその身に、鈍い輝きを放つ聖衣の様な物を見に纏っている。

「構わんぞ、お前が大人しく我等に従うのであればな」

「我等はギカス。古の時代より蘇ったギガンテス(巨人族)よ」

「我らの王の命により、女、貴様を連れて行く」

 ギガス、その言葉をセラフィナは知っていた。
 神話の時代、この地上を我がものにせんとしてオリンポスの神々と激しい争いを繰り広げた者達。
 その身には、聖衣の素材であるオリハルコンすら凌駕する高度を持つ金剛衣(アダマース)を纏っていたと言う。

「……あなた達は、オリンポスの神々の力によって封じられていた筈……」

「フン、確かに我らの魂は封じられた。しかし――」

 セラフィナの呟きに、ギガス達は醜悪な笑みを浮かべて見せた。

「こうして我等は此処にいる」

 リーダと思わしき男が手を上げると、その巨体からは信じられぬ速度で散開したギガス達がセラフィナを囲む。

「あの男が心配か? そうだな、ならばこうしよう。お前が抵抗すれば……あの男を殺す」

 輪から外れた三人のギガスが、海斗が吹き飛ばされた岩肌へとその足を向けた。

「あなた達は!!」

 セラフィナは小宇宙こそ白銀にふさわしい大きさであったが、聖闘士としての戦闘力と言う点に於いては下位である青銅に等しい。
 まして、今は聖衣すらない。
 自分一人の事であれば、敵わぬとしても立ち向かおう。
 しかし、卑劣にも相手は海斗の身を人質にとしている。
 その目的が何であるのかは分らないが、セラフィナには選べる選択肢は無かった。
 
「分り――」



「黙って聞いていれば、お前ら何を好き勝手ぬかしてやがる」



 立ち昇る巨大な小宇宙。
 白と青の輝きが放たれる。
 ドンと、音を立てて岩肌が「内側から」爆発を起こした。

「ぐわぁあああ!?」

「おごぅ!!」

「げわばあぁ!?」

 次いで、その場に向かおうとしていたギガス達が叫びを上げて宙を舞う。

「まったく。いくら不意打ちだからと言って、あの程度で俺がどうこうなるとでも思ったのかセラフィナ」

 どこか呆れた様子で、その表情に苦笑を受かべながら海斗が姿を現した。
 白く輝く新生したエクレウスの聖衣をその身に纏い。

 人を心配させておきながら、しかもギガスと言う敵に囲まれたこの状況で。
 何食わぬ顔で現れた海斗の様子に、セラフィナは思わず笑ってしまいそうになる。
 だったら、せめてこれぐらいは言ってやろうと思った。



「思いましたよ、わたしはボロボロの海斗さんしか見てませんから!」





[17694] 第10話 天翔疾駆!対決ギガス十将の巻
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:30aca1a0
Date: 2010/04/23 01:59
 ピンドス山脈。
 アルプス山脈最南端の分嶺であり、ギリシア本土を貫く様に存在する。
 標高二千メートル級の山々が連なる延長約百八十キロに及ぶ山脈である。

 ギリシアから北西部、その麓に世界遺産にも登録されているメテオラの町が広がっている。
 無数の奇岩群に囲まれた静かな町である。
 メテオラとはギリシア語で『宙に浮く』と言う意味があり、平地から四百メートルもの高さのある岩峰の上に建てられた修道院は、その岩肌が深い霧に包まれた時にはまるで宙に浮いている様に見えると言う。
 利便性だけで考えるのならば、この様な高所に修道院を造る事など不便でしかないのだが、戦乱を疎み俗世から離れ少しでも天に近い場所、神々を感じられる場所で修業をしたいと願った修道士たちにとってはこれ以上の場所は無かった。



 起立した岩峰や奇岩群に囲まれた山中にて、眼下に映るメテオラの姿に暫く足を止めてその風景を眺めていた若者が感嘆の声を漏らした。

「道も無く、便利な道具すらない時代にあの様な岩峰の上に修道院を築き上げる、か。神を感じる為に費やされた彼ら敬虔なる修道士たちの百年の努力、その行為は確かに――美しい」

 黄金に輝く聖衣を纏ったこの若者の名はアフロディーテ。十二人の黄金聖闘士の一人、魚座(ピスケス)のアフロディーテ。
 美の女神の名を称する彼は、その名に違わぬ美しさを持っていた。
 その美しさは性別に依らぬ外見上の美しさだけでは無い。
 ただ観るというその佇まいが、長い髪を掻き上げるその仕草が、ただただ美しかった。

「彼らの信念に基づいたその行為は、意図されたモノでは無いにもかかわらず、こうも私に美しいと思わせる」

 まるで演劇の場に立つ役者の様に。
 アフロディーテは眼下に映るその光景を、愛おしいものを抱きしめるべく、その両手を優雅に広げる。

「美とは、全く私を飽きさせる事が無い。いつまでもこの地に留まり続けたいと思わせる程に。しかし――」

 しかしと、広げた両手を下ろしたアフロディーテは、その表情に憂いにも似た陰を落とす。

「それは叶わぬ願い。私には果たさねばならぬ役目がある。だからこそ、か。限られた時間であるからこそ、こうまで私の胸に強く訴え掛けるのは……」

 そう呟くと、アフロディーテはゆっくりと背後へと振り返る。
 その手には、いつしか一本の紅い薔薇があった。

「限りある時間の中にこそ見出せる美しさと言う物がある。その点で言えば、君達は醜いと言わざるを得ない」

 アフロディーテの視線の先には、金剛衣を纏ったギガス達の姿があった。
 彼らの背後には巨大な空洞がその漆黒の口を開けている。
 暗闇の中から一人、また一人と現れるギガス。

「君達の時間は神話の時代に既に終わりを告げているのだ。偽りの命を宿したそこの土くれ共々大人しく地の底――タルタロスへと還りたまえ」

 手にした薔薇をそう言ってギガス達へと突き付けるアフロディーテ。
 先頭に立ったギガスがアフロディーテの存在に気付き、その歩みを止めた。

「終わりなど告げられてはおらぬ、此処より始まるのだ。小癪な女神の雑兵に過ぎぬ聖闘士如きが知った様な事を語るのは……実に度し難い」

 そのギガスが掲げた腕を振り下ろすと、それを合図として背後にいたギガス達がアフロディーテ目掛けて襲い掛かる。

「フッ、ならば私も言わせて貰おう。神話の遺物でしかない君達ギガス、その雑兵である土くれ如きではこのアフロディーテに触れる事すら叶わぬ、と」

 アフロディーテの手にした薔薇の色が変わる。紅から黒へと。
 そして、彼の周りに無数の黒薔薇が姿を現す。

「この黒薔薇は、触れた物全てを噛み砕く。醜悪なる物に存在する価値など無い。灰燼と化せ――ピラニアンローズ!!」

「う、うおおおおおおおっ!?」

「な、これは!? 薔薇に触れた金剛衣に亀裂が奔る!? 馬鹿なこの金剛衣が打ち砕かれるだとぉおお!!」

 舞い上げられた破壊の小宇宙を宿した無数の黒薔薇が、あたかも意志を持つかの様にアフロディーテへと迫り来るギガス達へと降り注いだ。
 その身に纏った金剛衣を破壊し、むき出しとなった身体を文字通り吹き飛ばす。
 あたかも砂での作られた城の様に、その身体が崩れ次々と砂塵と化して行くギガス達。
 ピラニアンローズの勢いはそれだけに止まらず、この場にいる全てのギガスへと襲い掛かった。
 包み込むように展開されたピラニアンローズは避ける事を許さず、弾こうにもその黒薔薇に触れた時点でダメージを負う。
 アフロディーテを叩こうにも黒薔薇の壁を前にそれも出来ない。
 なす術も無く倒されるギガス達。
 やがて、数十人近くいたギガス達はその姿を砂と変え、風に吹かれ散って行った。

「……土くれ故に醜い死骸を残さない、その点だけは評価してあげましょう。さあ、残るは君だけです」

 全てが砂と化した中、ただ一人だけ残ったギガスがいた。
 まその周りには、無残に散らされた黒薔薇の花弁がある。
 そのギガスは明らかに他のギガス達とは違った。
 金剛衣の輝きが違った、身に纏う小宇宙が違った、瞳に宿る意思の輝きが違った、その肉体の在り様が違った。
 そのギガスは土くれなどでは無く――人の身であった。

「成程、教皇の仰られた通りですか。ヒトの器を得て現世に蘇ったギガスの力は強大であるから注意せよ、と。どうやらピラニアンローズを耐えるだけの力はある様ですね」

「……何者だ貴様は?」

「覚えておきなさい、私はピスケスのアフロディーテ。ああ、君は名乗る必要はありません。美しく無い者を記憶に留める等、私にとっては……苦痛でしか無い」

 ギガスに対して向けられたアフロディーテの手には、再び紅い薔薇があった。
 それを口元に運び静かに銜える。
 その仕草はただ優雅。

 それに一瞬足りとは言え見とれてしまったギガスは、頭を振って目の前の敵を睨みつける。

「このギガス十将パラスを前に、よくもほざいた。よかろう、ならばお前にはもっとも醜く惨たらしい形での死を与えてくれるッ!」

 立ち昇る小宇宙が物理的な風となって吹き荒れる。
 
「神を前に大言を吐いた事、後悔するがいい」

 凄味を見せるパラスを前に、アフロディーテは僅かに眉を顰めていた。

「だから君は美しく無いと言うのです。その様に感情に振り回され。戦いとはもっと優雅に美しく行われるべきものだとは思いませんか?」

 それがどうしたと言わんばかりに、風によって吹き上げられた砂塵を払い落しながら告げるアフロディーテ。



「良いでしょう。特別にこの私がそれを君に教えて上げましょう。その身をもって――学びなさい」





 第10話





「この聖衣――凄い」

 突き出された拳をいなし、繰り出される蹴りを避ける。
 四方から襲い掛かるギガス達を冷静に捌き、次々と迎え撃つ。

「カノンと戦った時とは明らかに違う。聖衣に覆われた場所が倍増しているのに、むしろあの時よりも身体が軽い」

 大地を蹴り、宙へと舞い上がる。
 いつしか海斗の表情には薄らと笑みが浮かんでいた。

「小宇宙のノリが違う。俺の力を増幅するだけでは無い、まるで奥底から沸き上がる様なこの感覚! 新生は伊達では無いと言う事か!!」

 膝と踝程度しか保護されていなかった脚部は、まるでブーツの様に膝から下を包み込んでいた。
 ベルト状であった腰には前垂が加えられ、同様に側面にも追加されている。
 左胸を覆う程度であった胸部は、肩当てと一体となり胸部全体を覆う。
 手甲は外側だけでは無く、肘から下を包み込み、サークレット状であった頭部はヘッドギアとも呼べる形へと変化していた。
 その外観は身体の必要部分だけを覆う青銅聖衣のそれでは無く、上位である白銀聖衣と言っても過言では無い物となっていた。

 跳躍した海斗が見下す先には、自分を見上げるギガス達の姿。
 よく見れば、自分が吹き飛ばしたギガス達の身体が崩れ去って行くのが見えた。

「アレは……人形なのか? 原理は分らんが、ならば遠慮する必要は無い」

 残るギガスは九人。
 その内自分を見上げる者が三人、セラフィナの周りに三人、まるでこちらを観察する様に、離れた場所に立つ者が三人。

 右脚に小宇宙を集中させて狙いを付ける。
 目標はセラフィナの周りにいるギガス。

「我が脚は大地を穿ち天空を駆け抜ける――天翔疾駆(レイジングブースト)!!」

「これは!? 光か!」

「避けきれん!! うわぁああああああああ!!」

 星空に流れ落ちる流星の様に、光の矢と化した海斗の蹴りがセラフィナを囲むギガス達を撃ち貫く。
 砕け散り四散する金剛衣。
 穿たれたクレータの中心で砂と化すギガス達。

「黙ってろ、舌を噛む」.

 セラフィナの下に着地した海斗が、一瞬の出来事に反応しきれていない彼女の身体を片手で抱き寄せる。

「か、海斗さん!?」

 セラフィナの動揺を無視すると、海斗は残るギガス達へとエンドセンテンスを放つ。
 悲鳴を上げて吹き飛ぶギガス達。
 しかし、その数は三つ。
 残ったのは離れた場所からこちらの様子を窺っていた三人であった。

 或いは受け、或いは避け、或いはその威力を自ら放った拳撃で相殺し。
 その中にはリーダ格と思わしき者も残っていた。

「どうやらお前達は土人形、ってわけでも無さそうだな」

「……あの、海斗さん、この体勢はさすがに恥ずかしいんですが……」

 海斗はこの状況でそんな呑気な事を気にしていられるセラフィナに呆れと関心を感じたが、彼女から非難めいた視線を向けてられても無視する事を決め込んだ。
 大地を割って現れるというふざけた登場をした相手である。
 しかも、狙いはセラフィナであると言っていた。迂闊に離れるわけにはいかない。

「ギガンテス(巨人族)だと言ったな? 確か、神話の時代にオリンポスの神々と勇者ヘラクレスの前に敗れた蛮神だった筈。その魂は神々の力で冥府の底タルタロスに封じられた」

 目の前に立つ三人のギガスに注意を払いつつ、海斗は自分の拳を見た。
 先程、エンドセンテンスを放った際に気が付いた事だが、新生された聖衣の手甲には三又の鉾と思わしき装飾が施されていた。
 子馬座の由来を考えればおかしくは無い装飾だが、狙ってやったのだとすればムウは随分とイイ性格をしていると、海斗は苦笑してしまう。

「そう言えば、その戦いでは女神アテナや海皇ポセイドン、冥王ハーデスですら共闘したらしいな。まあ、どうでもいい話だが」

 そう言って肩を竦めてみせる海斗に、問答無用とばかりにギガス達が迫る。
 海斗に対して当初見せていた侮る様な雰囲気は無い。
 立ち塞がる敵として、ギガス達はその認識を改めていた。

「我はグラティオン」

「アグリオス」

「トオウン」

「――我らギガス十将なり」

「エクレウスの海斗。青銅聖闘士だ。」

 名乗りを上げると同時に散開し、海斗の正面からグラティオンが、アグリオスとトオウンが側面から襲い掛かる。
 その攻撃は、これまで海斗が倒したギガス達とは根本から異なっていた。
 速さも、重さも、一撃に込められた小宇宙さえも。

「……チッ!」

「きゃあッ!?」

 海斗はセラフィナを強く抱き寄せると、そのまま攻撃に応じた。

 グラティオンの拳撃を空いた右拳で打ち払い、右側から迫るアグリオスにはその反動のまま拳をバックブローの様に振り抜く。

「むおぅ、貴様!」

「ぐっ!?」

 衝撃波がアグリオスの勢いを阻止してその動きを止めると、海斗はセラフィナを抱き抱えてアグリオスの身体を踏み台としてその場から大きく跳ぶ。

「逃がさん!」

「逃げるかよ、レイジングブースト!」

 左側から迫っていたトオウンが、背後を見せる形となった海斗目掛けて攻撃を仕掛けるが、上空で反転した海斗が放った光の矢に撃たれてアグリオス共々大地に叩き付けられる。

「……予想以上に硬いな。先刻までの連中なら粉々になったって言うのに」

 そう言って着地した海斗が振り向けば、クレーターから何事も無かったかの様に立ち上がるアグリオスとトオウン。
 身に纏った金剛衣には亀裂こそ入っていたが、完全に打ち砕くところまでには達していない。

「ダメージも大して無いのか。伊達に巨人族を名乗ってはいない、と。呆れたタフさだ」

 三対一でおまけ付きと言うこの状況は、決して楽観視出来るものではなかったがそれでも海斗に焦りは無い。

「なら、徹底的に叩きのめすまでだ。仕方がない、あまり俺から離れるなよセラフィナ」

「……分りました」

 どうやって神々の封印を解いたのか、どうしてセラフィナを狙うのか。
 気になる事は多かったが、今の海斗に出来る事は目の前の敵を排除する事のみ。
 そうして目の前の敵に集中しようとした海斗であったが、そこで目の前にグラティオンの姿が無い事に気が付いた。

「海斗さん! 後ろ!!」

 海斗から離れたセラフィナの声。
 海斗の背後から、再び大地を割って現れるグラティオン。

「同じ手を!」

 忌々しげに吐き捨てると、海斗は全力を込めた一撃をグラティオンに打ち込んだ。
 金剛衣を打ち砕き、その拳がグラディオンの腹部に突き刺さる。
 ぐしゃりとした感触、骨を砕く音。
 その魂が神話の時代の神のものであろうとも、その力を振るう為の肉体は違う。

「……終わりだ……」

 これでは二度と立ち上がれまいと、海斗が拳を引き抜こうと力を込めたが、万力で絞めつけられたかの様にその拳を抜く事が出来ない。

「馬鹿な!?」

「嘘、そんな!?」

 動ける筈が無いと、海斗とセラフィナが視線を上げればニヤリと口元を歪めて見せたグラディオン。

「フフフッ、惜しかったな。残念だがこのグラディオンに『痛み』は無い。痛み等と言うもので怯む事は無いのだ。そして我等真のギガスは己の小宇宙がある限り倒れる事は無い。再生するのだ、瞬く間にな」

 海斗の一撃を意に介した様子も無く、組み合わせた両手を振り上げる。

「しかし、お前は人の身でありながら我等三人を相手に短い間とは言えよく戦ってみせた。褒美として我が最大の拳で葬ってやろう。そこの女はその後に連れて行く」

 グラディオンの組み合わされた両手に集まる小宇宙。それは巨大な鉄鎚の姿を見せる。

「受けろ、人間よ。これが――破壊の鉄槌(ハンマー)だ!」

 振り下ろされるグラディオンの拳。
 それは、身動きの取れない海斗の身体を圧殺する死の一撃。

「――死を受け入れよ」

 宣告と共に、寸分も違う事無く海斗の脳天を目掛けて振り下ろされた。



 鳴り響く轟音と、大地を揺るがす震動。
 周囲の岩肌が崩れ、大地が裂ける。

 吹き上がる鮮血が大地を赤く染め上げていた。

「……あ、ああ……」

 呆然と、その場に立ち尽くすセラフィナ。
 アグリオスとトオウンも微動だにしない。

「……」

 ぐらりと、その身体を揺らす――グラディオン。
 纏っていた金剛衣に亀裂が奔り、やがて乾いた音を立てて崩れ去った。

「……ぐ、がぁぁあぁ……」

 呻きともつかぬ声を上げて倒れ伏す。
 全身に残った無数の拳の痕。

 それは、海斗の放ったエンドセンテンスによる破壊の痕跡であった。

「痛みを感じず、小宇宙ある限り再生する。大した能力だが……小宇宙が消えればそれも意味を成さないか」

 身じろぎ一つしなくなったグラディオンの身体を見下す海斗。

「ほう、どうやら手助けは無用だった様だな」

「いえ、助かりましたよ」

 掛けられた声に視線を向ければ、そこには黄金の輝きを放つ聖衣を纏った男――黄金聖闘士の姿があった。

「あのまま振り下ろされる可能性もありましたからね。それしてしても、師から聞かされてはいましたが、さすがは聖剣と称される手刀。拳圧ですらこうも容易く……」

 その海斗の言葉を合図とする様に、空からナニかが落ちてきた。

「……ッ!?」

 セラフィナが息をのんだのが気配で分る。
 さすがに刺激が強かったかと、海斗は彼女に近付くと僅かに震えのあるその手を取った。

 セラフィナの前に落ちてきたモノ。それは組み合わされたままのグラディオンの両腕であった。

「どうやら、貴方が聖域からの迎えの様ですね。まさか黄金聖闘士が来るなんて思いもしませんでしたよ。山羊座(カプリコーン)の黄金聖闘士――シュラ」

 山羊座のシュラ。
 鋼の如く研ぎ澄まされた両手から放たれる手刀は、触れた物全てを切り裂く聖剣(エクスカリバー)と称される程の切れ味を誇る。
 力をつらぬく事こそが正義であると、常に己を律し鍛え続けている。その生き様すら鋼であると、彼を知る者は言う。

「シャカの言う通り、本当にこの様な場に出くわすとは思いもしなかったがな。しかし、本望ではある。ギガスは我ら聖闘士にとって倒さねばならぬ――敵だ」

 セラフィナを一瞥したシュラは、そのまま海斗の横に立つ。
 自然と二人の背に護られる事になり、セラフィナの緊張がほぐれたのを感じた海斗はその手を離し、シュラと共に残った二人のギガスを見た。
 二人の視線を受け、アグリアスとトオウンが身構える。

「海斗と言ったか、お前はそこで見ていると良い」

「……シュラ?」



「折角の機会だ、学ぶと良い。小宇宙の真髄セブンセンシズを極めた黄金聖闘士の戦いをな」



[17694] 第11話 黄金結合!集結黄金聖闘士の巻
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:30aca1a0
Date: 2010/04/23 02:01
「ふざけた事を……。我等二人を相手に一人で立ち向かおうと言うのか?」

 倒れたグラティオンを見やり、シュラの不遜な態度にアグリオスの表情が歪む。

「人間如きの分際で!」

 大地を踏み砕き、トオウンが拳を振りかざして突進する。

「フッ、一人を相手に三人掛りであったお前達から、その様な気遣いを受けるとは」

 見ていろと呟き、シュラが海斗達の一歩前へと踏み出す。

「海斗よ、先程お前から感じた小宇宙は、まるで大海のうねりの如く強大で激しいものだった」

 視線はギガス達に向けたまま、まるで弟子に教えを説く師の様にシュラが語る。

「そう、荒れ狂う海の様に、激し過ぎる程に、な。恐らく片鱗は掴んでいるのであろうが、ソレが何であるのかを認識し、自覚する事が出来ていないのだ」

 トオウンに続きアグリオスも突進する。
 巨体の陰に隠れる形となり、アグリオスの動きが海斗達からは掴めない。

「感じ取れる筈だ。五感を超えた第六感、その先にある第七感――セブンセンシズの存在を。意識しろ、感じ取り自覚せよ」

 シュラは動じない。
 ただ真っ直ぐに正面を見据えるのみ。

「小宇宙を高め集中する。そして研ぎ澄ますのだ、戦う意思を!」

 突き出されたトオウンの拳がシュラの心臓を穿つ。
 トオウンの背後から跳び上がったアグリオスの蹴りがシュラの顔面を打ち貫く。

 ――その幻想を、シュラは正面から打ち砕いた。

 トオウンの拳が触れた瞬間、身体を後方へといなす事でその威力を殺し、勢いのまま前に進むトオウンの身体を高速で蹴り上げる。

「超絶飛翔(ジャンピングストーン)!」

「ば、馬鹿な!? 俺の拳速より――うばぁああああ!?」

 それは、瞬時に相手の攻撃を見切り、その勢いを利用して攻撃するシュラ必殺のカウンター。
 正中線をなぞる様に、一直線に金剛衣を破壊され吹き飛ぶトオウン。

「トオウン! おのれぇえ!!」

 吹き飛ばされたトオウンの身体が壁となり、跳び上がる事が出来なくなったアグリオス。

「ならば、この手で粉砕してくれる!」

 組み合わせた両手を振りかぶりシュラ目掛けて振り下ろす。
 それはグラティオンの放った鉄鎚と同種の技。
 破壊の槌がシュラへと迫る。

「一意専心、ただ一つのみを考えよ。己が成すべき事に集中し感覚を、小宇宙を研ぎ澄ませろ」

 そう言ってシュラは手刀の形とした右腕を振り上げた。

「決して折れぬ刃の様に!」

 振り下ろされる鉄鎚に合わせる様に、シュラもまた手刀を振り下ろす。

「――聖剣抜刃(エクスカリバー)!!」

 手刀は光の刃となり、一筋の閃光がアグリオスの身体を捉えた。
 光が奔り抜け、拳圧が大地を抉り、岩肌に亀裂を生じさせる。

「ふ、ふふふ、ふはははは! なにが聖剣だ、この身体にはキズ一つ……ま、まて何故背を向ける!?」

 そのまま立ち去ろうとするシュラの背に、ふざけるなとアグリオスが拳を振り上げる。
 その瞬間、視界に映る光景が縦にずれた。

「お、おおおお!? こ、これは……まさか、既に断たれて――」

 最後まで言葉を発する事は出来なかった。
 アグリオスは、ぐらりとその身体を傾けると、半身を左右にずらしながら大地に崩れ落ちた。





 第11話





 同日、同時刻――聖域。
 ジャミールとの時差は約四時間。
 聖域ではようやく日が昇ろうかという時間である。
 
 女神アテナと共に地上の平和を守る聖闘士が在る場所とはいえ、そこに暮らす者全てが闘いを行う者という訳ではない。
 聖闘士であろうとも人の身で在る以上は衣食住は必要であり、結界によって外界と必要以上の接触を断っている聖域ではそれらを賄う為の職人や商人、聖域に関係する者達の家族等、闘う力を持たない者達も多く暮らしている。
 彼らの居住区は、聖域の中央であるアテナ神殿を守護する十二宮から最も離れた外界との結界付近に、幾つかの区画に分けて存在していた。

「おや、星矢じゃないか。今日は随分と早いね」

「ああ、おばちゃんか。はは……ハァ。早いって言うより、今訓練が終わったとこだよ」

「魔鈴ちゃんは真面目だからねえ。それもアンタの為を思っての事なんだろ? ほら、こいつをあげるからシャンとしな」

「そりゃあ……分ってるケドさ。おっと、ありがとおばちゃん!」

 果物屋の女主人から手渡されたリンゴを受け取った星矢は、軽くこすってソレに噛り付いた。

 この聖域で魔鈴と星矢が共に暮らし始めてから四年。
 料理自体は魔鈴が行うが、食材の調達は星矢の仕事である。
 こうして毎朝商店に向かうのは日課であり、それもあって商店街では顔馴染みとなった星矢にこうして話し掛けて来る者も多い。
 雑兵や候補生達からは何かと目の敵にされている星矢であったが、この場所ではそう言った事は無かった。

「へへっ、うめえや! あ、でも……」

「分ってるよ。魔鈴ちゃんには内緒にしといてやるさ」

 動きを止めた星矢であったが、女主人の言葉に再びリンゴへと向かう。

「それにしてもさ、なんだかここ数日聖域全体がピリピリしてる様に感じるんだよ。見回りの人員も回数も多くなっているし。アンタ何か知らないかい?」

 星矢のそんな姿を微笑ましく見ながら椅子に腰掛けた女主人であったが、最近感じる様になった不安を星矢に問うていた。

「ん? さあ、おれには分らないよ。魔鈴さんだったら何か知ってるかもしれないけど――」

 星矢がそう言った瞬間、聖域全体に一つの音が響いた。
 ボンッと何かが燃え上がる様な音が。
 それはボッ、ボッ、ボッと規則正しい感覚で、合計五回。

「な、何だ、この音は? 何が燃え上がったんだ?」

「あ、あれは!? 見なよ星矢、火時計だ! ここからでもはっきりと見える、あの巨大な火時計に炎が灯ったんだよ!!」

 女主人が指示したのは聖域の中央部に建てられた、火時計であった。
 黄道十二星座を象った、聖域のどこからでも見る事の出来る巨大な建造物である。
 今は牡牛座、蟹座、乙女座、蠍座、水瓶座の五つの枠に炎が灯されていた。

「確か、以前見たのは十年近く前だったかね」

「……すげえ。火が灯ったのなんておれ初めて見たよ。飾りじゃなかったんだな、あれ」

「あれは、黄金結合(クリューソスシュナゲイン)だ。どうやら聖域のみならず、世界各地の黄金聖闘士全てに召集が掛かった様だな」

 感心した様に火時計を眺めていた星矢の背後から、若い男の声が掛けられた。
 その声は、星矢にとってこの聖域での数少ない知人の一人。

「アイオリア、どうしてあんたが?」

 星矢が振り向いた先には、簡素な闘衣を身に纏ったアイオリアの姿。
 毎日こうして見回って下さっている、と女主人に耳打ちされて星矢は思わず呆れた声を出していた。

「あんたって確か聖域でもかなり偉いって聞いてたけど、見回りなんて部下にでも任しとけばいいじゃないか」

「性分でな。多くを部下に任せはしても、やはりこの目で見回らん事にはどうにも落ち着かんのだ。それに、こうして面白いものも見れた」

 そう言ったアイオリアの視線の先には、星矢が手にした食べかけのリンゴがあった。
 アイオリアと魔鈴の仲が良かった事を思い出し、しまったと星矢の顔が引きつる。

「フッ、安心しろ、言わんよ。そうして人々から好かれる事は誇るべき事だ。その行為を無下にする事が無い様、より一層精進するのだな星矢よ」

 そう言い残すと、アイオリアは星矢達に背を向けてこの場から立ち去って行った。

「ほら、アイオリア様もああ仰ってるんだから頑張りなよ星矢!」

 バンバンと力強く背中を叩かれて星矢の身体がつんのめる。

「あタタタッ、分ってるさ! おれは絶対に聖闘士にならなくちゃいけないんだからな!!」

(――待っててくれよ姉さん)

 炎の灯った火時計を眺めながら、星矢は己の中の誓いを確かめるかの様に、その拳を強く握り締めていた。





 薄暗い教皇の間にあっても、その黄金の輝きに翳りは無い。
 灯された明りに、その場に居並ぶ黄金聖闘士達の姿がよりはっきりと露わとなった。

 玉座に腰掛ける教皇を中央として、その左右に合計五人。
 黄金の野牛、牡牛座(タウラス)のアルデバラン。
 冥界とこの世を行き来する事が出来る男、蟹座(キャンサー)のデスマスク。
 最も神に近い男と称される、乙女座(バルゴ)のシャカ。
 真紅の一指、蠍座(スコーピオン)のミロ。
 氷結の小宇宙、水瓶座(アクエリアス)のカミュ。

「獅子座(レオ)のアイオリア、只今参上致しました」

 そして、黄金の獅子が加わった事で、教皇の間に黄金聖衣を纏った黄金聖闘士が六人揃った事となる。

「遅いぞアイオリア」

「アイオリアは先程まで居住区の見回りをしていたからな。十二宮にいた我らより遅れるのは仕方あるまい」

 アイオリアに対してのミロの叱責を、アルデバランが諌める。

「黄金結合の意味を忘れたかアルデバラン。聖域の危機が迫っていると言う事だぞ!」

 スコーピオンのミロ。
 十一年前に起きたとある事件により、黄金聖闘士としてのアイオリアを認めてはいるものの、同時に強い警戒を抱いている。
 普段はそれ程でもないのだが、この様な非常の場では実直過ぎる性格が災いして、度々その感情を表に出してしまう事があった。

「落ち着けミロよ。聖域に住まう者達の安全を守る事も聖域に迫る危機を防ぐ事も同位だ。
 ならば、アイオリアはこの場にいる誰よりも早く聖域を護っていた事になる。そうは思えんか?」

「むぅう。……カミュよ、お前にそう言われては、これ以上は何も言えんではないか」

「ハッ、そいつは詭弁だぞカミュよ。まあ、そんな事はどうでもいいだろう? 現にアイオリアは来た。
 ここに来てない奴等よりは遥かにマシってもんだ。ああ、どうあがいても来れない奴が一人いたか」

 デスマスクの言葉に、それまで黙っていたアイオリアの眉が動いた。

「――止さんか」

 険呑な雰囲気となったこの場を収めたのは、心の奥底にまで響き渡る様な重さを持った教皇の声であった。
 その声に、この場の全ての黄金聖闘士達が膝をつき頭を下げる。

「射手座(サジタリアス)は空位。双子座(ジェミニ)の黄金聖闘士は十数年前より消息不明だが、聖衣がこの地に残されている以上もはや空位と考えても良いであろう。
 牡羊座(アリエス)のムウは、聖衣修復の材料を得る為にジャミールを離れるとシャカが連絡を受けている。
 天秤座(ライブラ)は前聖戦から続くアテナの命で、五老峰を動けぬそうだ」

 玉座から立ち上がった教皇に合わせる様に、黄金聖闘士達も立ち上がる。
彼らを見渡して教皇が続ける。

「魚座(ピスケス)のアフロディーテはピンドスの地にて一足先に任に当たらせている。
 山羊座(カプリコーン)のシュラには万一の場合に備えて子馬座(エクレウス)の迎えと伴に、ある人物の護衛を命じている。これで良いかデスマスクよ」

「ハッ」

 教皇の言葉に頭を下げるデスマスク。
 しかし、教皇の言葉に首を傾げる者がいた。
 アルデバランとアイオリア、そしてカミュである。

「失礼、教皇は今エクレウスと仰られましたが……」

 教皇の間でアルデバランが海斗の小宇宙を感じ取ってから一週間近く経っていたが、以降の消息について告げられる事は無かった。
 どうやら無事であった様だと内心胸を撫で下ろしつつも、この場で教皇の口からその名を聞く事になるとは思ってもいなかった為にアルデバランは動揺を隠せない。

「うむ、黙っていてすまなかったなアルデバランよ。この際だ、皆にも伝えておこう。エクレウスの海斗の事を。
 青銅聖闘士となって日は浅いがその小宇宙は黄金聖闘士に匹敵しようかという男だ」

「な、何と!」

「青銅でありながら我々黄金聖闘士に匹敵とは。その様な者がこの聖域にいたのですか!?」

 アルデバラン達とは異なり、海斗の存在を知らないデスマスクとミロはその言葉に驚愕した。
 これが他の者の言葉であるならば、戯言であると一蹴も出来たがそれを発したのは教皇である。
 異論など挿める筈も無い。

「あれには力がある。試練を与え成長を促し見極める事で、ゆくゆくはジェミニの黄金聖衣を任せようかとも考えていたのだ。
 アルデバランよ、師であるお前に無用な心配をさせぬ為にと思い秘密にした事を許せよ」

 この言葉には、さしものアルデバランも空いた口を塞ぐ事が出来なかった。

「……は、ハッ。いや、教皇のお心遣いには感謝いたしますが……その、海斗を黄金聖闘士と認めるにはまだまだ未熟かと……」

 しどろもどろとなるアルデバランの肩に、落ちつけよとデスマスクが手を置くと気さくに話し掛けた。

「何言ってんだよアルデバラン。そいつが使える奴だってんならオレには異論は無い。教皇が直々に目を掛けられた奴なんだろ、むしろ歓迎するぜ?」

 なあと、同意を求める様にミロ達を見る。

「オレはその海斗と言う聖闘士の事は知らんが――教皇のお言葉に従うのみよ。共に闘おうという意思があるのならば拒みはせん」

「――やれやれ、気の早い方達だ」

 ミロの言葉が終わるのを待っていた様に、これまで一言も話さなかったシャカが口を開いた。

「教皇は見極めたうえでゆくゆくはと、そう仰ったでしょう。仮定ですよ。そんな事よりも今は黄金結合の意味を伺うべき時ではありませんか?」

 穏やかでありながらも、逆らい難い力の籠ったシャカの言葉に、黄金聖闘士達はその身を正して教皇へと向き直る。

「うむ。ここ数カ月の間に人知を超えた怪異や、神話に語られる魔物と思わしき物共の報告が急激に増えている事は皆も承知であろう」

 地上の平和を守る事が聖闘士の使命とは言え、彼らが表立って国家間の争いに等に関わる事は無い。
 それが、やがては世界を滅亡させるモノだとしても、である。
 関わろうと思えば如何様にも出来るのだが、人の愚かさによって人が滅ぶならば止む無しとするアテナの意向に従っている為であった。
 これは、一見すると放任しているだけの様にも取れるが、その実は人はそこまで愚かでは無いと人の心の善を信じようとするアテナの想い故である。

 そんな聖闘士にとっての敵とはアテナの想いを踏みにじろうとする邪悪なる意思であり、人の手ではどうする事も出来ない怪異であると言える。
 神話の神々――神々の意思を宿した人間や聖闘士、海闘士達が実在する様に、伝説の中にある怪異や魔物もまた実在していたのである。

「スターヒル(星詠の丘)から見た星の動きは、近々この聖域に古の邪悪が迫り来る事を告げていた。
シャカにも調査を頼んでいたが、どうやら杞憂では済まぬ事態となっている」

「かつてゼウス率いるオリンポスの神々と、地上の覇権を掛けたギガンテスと呼ばれる巨人達の戦い――ギガントマキアがあった事は皆知っているでしょう」

 教皇の言葉を引き継ぎ、皆に告げる為にシャカが一歩前に出る。

「オリンポスの神々を敗北寸前まで追い詰めた大神ウラノスと大地の女神ガイアの子。
 神の力では決して倒れる事は無く、人の力を借りねば倒す事が出来なかったと言われる神々の天敵です」

「神々の力により封じられていた彼らギガスが、何者かの手によってその封印を解かれていた事が発覚したのだ。
 ここ数カ月の異変はそれに呼応した物であったのであろう」

「神々の敵だと? それは真実か、シャカよ」

 アイオリアの問いに、落ち着いた様子のままシャカが答える。

「ええ。このシャカ、北ギリシアの洞窟に隠れ住んだと言う曰くの通り、先日ピンドスの地にてギガス十将ポリュボテスを名乗る者と戦っています。
金剛衣(アダマース)と呼ばれる鎧を纏った彼の力は我等黄金聖闘士に近い物がありました。今はアフロディーテが彼らを呼び出した門を封じている筈」

「封印に関してはカミュの方が適任ではあったのだがな、時間が無かった事もあってアフロディーテに一任したのだ」

「とは言え、既に門は開かれた後。どれだけのギガスが蘇ったのかは分りません。彼らの王は既に目覚めたとポリュボテスは言っていましたが」

 淡々と答えるシャカ。
 普段と変わらぬその様子からは、まるで些細な事を告げるかの様で。

「クククッ、勿体ぶるなよシャカ。つまりは俺達にその神々ですら手を焼いたと言う過去の遺物をぶちのめせって事だ」

 そう言ってデスマスクは確認する様に教皇を見た。

「大層な肩書だが、倒せない相手でも無かったんだろう? 教皇、ならばこのデスマスクにお命じ下さい。今すぐにでもそのギガス共を冥府へと送り返して見せましょう。教皇のお心を乱す者――全てを」

 恭しく一礼するデスマスク。

「フフフッ、頼もしいなデスマスクよ。しかし、この件に関してはお前一人だけに任せる訳にはいかぬのだ。ギガスの狙いはこの聖域全体なのだからな」

 再び玉座に腰掛けた教皇の傍にシャカが立つ。

「ギガスの恐ろしさはその不死性にあります。今はその力の大半を封じられている為に左程脅威とはなりませんが、ある物を手にした時に神々すら恐れた彼らの不死の力が甦るのです」

「そのある物とは一体何なのだ、シャカよ」



 それは――と、カミュの言葉にシャカが答えようとした時であった。

「――!?」

「何だ!!」

「こ、この纏わり付く様な不快な小宇宙は!」

「―――来たか、ギガス共よ」

 上空から圧しかかる様な不快な小宇宙にアイオリア達が反応する中、玉座から立ち上がった教皇の呟きに応えるかの如く圧力が高まりを見せる。

『聖域にいる全ての戦士に告げる! 雑兵と候補生、青銅聖闘士は聖域の民を護れ! 白銀聖闘士は即刻侵入者を排除せよ!! これは――勅命である』

 教皇の思念波が聖域全土に響き渡る。
 聖域の数百年に渡る平和の時が終わりを告げた瞬間であった。

「クッ!」

 外へと駆け出すアイオリア。
 それを追う様に、ミロ達も教皇の間から駆け出した。



 そうして教皇の間から外へと出たアイオリア達が目にした物は、空一面を覆い尽くす不気味な黒雲。
 そして、聖域のあちこちから立ち昇る悪意に満ちた小宇宙。

「馬鹿な、結界の張られたこの聖域に侵入されただと!?」

「黄金聖闘士が六人もいて気付かなかったとは! これでは只の無能ではないかッ!!」

 聖域の守護を任されていたアイオリアと、黄金聖闘士である事に強い誇りを持つミロ。
 過程は違えども、その心に沸いた感情は同一であった。己に対する不甲斐無さと怒りである。

「この小宇宙はギガスの先兵か? 数が多い、これでは聖域内の白銀聖闘士でも手を焼くぞ。いかん! あそこは居住区に近い!!」

「急げアイオリア! オレは向こうに現れた連中を片付ける!!」

「ま、待てお前達!!」

 アルデバランが手を伸ばすが、飛び出して行った二人には届かない。

「ええい、気持ちは分らんでもないがアテナと十二宮の護りはどうする気だ!」

「ハン、聖域に侵入した事は褒めてやるが……十二宮周辺の結界を破る事は出来なかったみたいだな。ここはお前らの誰かが居れば充分だろ? 待つのは性に合わないんでな、オレも出るぜ」

 手を伸ばしたままのアルデバランの横を、そう言ってデスマスクが駆け抜ける。

「おい、デスマスク!?」

 どいつもこいつも人の話を聞けと、叫びたくなったアルデバランの横をまたも通り抜ける人影。

「……任せる」

「カミュお前もか!?」

 冷静沈着、皆を抑える役割のカミュまで。
 思わず抜けそうになる気力を奮い立たせ、オレがしっかりせねばと気合いを入れるアルデバラン。

「……アルデバラン」

 その肩に触れる者があった。

「いい加減にせん――」

 ここまでの流れから、次はシャカかと反射的に叫んだアルデバランであったが、その叫びがピタリと止まった。
 アルデバランの肩に触れたのはシャカではなく教皇であったのだから。

「フッ、構わぬよ。お前も行きたいのであろう。アテナの護りは私とシャカが務めよう」

「きょ、教皇!? し、失礼致しました! しかし、構わぬのですか?」

「貴方は妙なところで責任感が強いと言うか、損をする人ですね。構いませんよ、この場は教皇とこのシャカに任せて行きなさい」

 二人の言葉にアルデバランが逡巡を見せたのは一瞬。

「では、お言葉に甘えさせて頂きます」

 教皇に一礼し、頼むぞとシャカに告げてアルデバランもまたこの場から駆け出して行った。



「この流れ。どう見る、シャカよ」

 アルデバランの背が見えなくなったところで教皇が呟く。

「この侵攻は予想していたモノよりも早いですね。ギガスの王の復活だけとは考えられません。何か彼らを勢い付かせるだけの事があったと――」

 そこまで言って、シャカの表情に初めて動揺の色が浮かぶ。

「考えられる事は一つです。ギガスはソーマ――ネクタールの力を持つあの少女を手に入れた」

「馬鹿な!? ムウが不在とは言え、いや、だからこそセラフィナの傍には海斗だけではなくシュラも置いたのだぞ!」



『――そこな美しき男の言う通りよな』



 ビシリと、何も無い筈の空間に亀裂が奔り、まるでガラス細工の様に音を立てて砕ける。

 教皇が見上げた先には、空間に空いた穴から這い出す様に姿を現した人影が映った。

 それは、色素の抜けた白い髪に漆黒の仮面を付け、大蛇を模した意匠の施された金剛衣を纏った女であった。
 女性体である事を強調するかのように、胸元は開かれ、大腿を曝け出している。
 妖し過ぎる色気があったが、その身から感じる小宇宙は深く暗い。
 澱みに満ちたおぞましい物だと感じる。

「何者だ」

「我が名はデルピュネ」

 そう名乗り、ゆっくりと地上に降り立つ。
 仮面の為か、くぐもった声からは女の正体を窺い知る事は出来ない。

「あの小癪なヘルメスの使いの名を宿した小僧も、黄金の山羊も所詮は人の子。神すら倒して見せた我等の前では余りにも――無力」

 空に向かって掲げたデルピュネの右手に燃え盛る炎が現れると、それは劫火となってデルピュネの身を包み込む。

「さて、ネクタールの力を宿した娘は手に入れた。後はこの地に封じられたアンブロシアさえあればギガスの不死の力が甦る。大人しく渡すならば、この地から去ってやろうぞ」

 デルピュネの纏った炎の勢いに、敷き詰められた石畳が融解を始める。
 吹き付けられる熱波。
 教皇を護るべく、シャカがその身を盾として二人の間に立つ。
 印を組み、力ある言葉を静かに呟いた。

「――カーン(不動明王迦桜羅焔)」

 シャカの周りから吹き上がる小宇宙の炎。
 それは不動明王の浄化の炎。悪意を焼き払い、敵を焼き尽くす迦桜羅の炎。

「シュラと海斗の事か? しかし、貴女の言葉が真実であろうが偽りであろうが、この場に於いては些細な事。ここで貴女を討つ事に変わりは無い」

 デルピュネの熱波とカーンの熱波がぶつかり合う。

「むぅ、まるで巨大な炎の壁だ。シャカの炎とあの女の炎がぶつかる事で互いを喰らいあっている為か」

 その余波は、シャカの背に守られていた教皇の身体すら押し下げる。

「ほう、凌ぐかえ。良い良い」

 デルピュネの言葉に喜色が混じる。

「ふむ。アンブロシアについてはそこな男に語らせるとしよう。喜べ、美しき男よ。お前はこの我が直々に喰ろうてやろう」

 そう言うとデルピュネが左手を掲げた。
 そこから生じた炎が、右手から生み出された炎と混ざり合い巨大な渦となって立ち昇る。

「むっ!? くっ、まさかこのシャカが押される!?」

「シャカ!!」

 駆け寄ろうとする教皇の身体をシャカの小宇宙が弾き飛ばす。

「ふふふっ、さあ、骨も残さず――喰ろうてやろうぞ」

 吹き上がる炎の螺旋。

 それは、さながら巨大な竜神の様に。

 巨大な口を開き、シャカの身体を呑み込んだ。



[17694] 第12話 ぶつかり合う意思!の巻
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:11bb2737
Date: 2010/05/12 22:49
 地中海最大の島――シチリア島。
 ギリシア時代からの数多くの遺跡が残され、温暖な気候も手伝って観光地としても名高い場所である。
 また、その島にはヨーロッパ最大の活火山であるエトナ火山も存在している。
 過去幾度か噴火した事のある活火山ではあるが、他の活火山と比べてその危険性が低いとされている事も有り、周囲では多くの人々が暮らし生活を営んでいた。
 その山のふもとには、土壌の特性を生かした果樹園なども広がっている。

 しかし、それらは全て表の顔。

 ギリシアの地に結界に隠された聖域がある様に、このシチリア島にも神話の時代から結界によって人々に知られる事無く存在し続けている場所がある。
 それは、エトナ火山火口部にある地下へと続く洞窟であった。



 そこは、日の光の届かぬ地の底でありながらも、幽玄を感じさせる淡い輝きに満ちた場所。
 例えるならば、月夜の静寂。
 月明りに照らされた大地の様に、全てを見通せる程ではないが、周囲が見えない程でもなく。
 全てが眠る夜の如く、しんと静まりかえってはいるが、決して無音と言う訳でもない。

 その淡い輝きはこの場所が広大な洞窟である事を、鳴り響く足音がこの場所に何者かが存在している事を教えていた。

「只今戻りましたアルキュオネウス様」

 そう言って、闇色のトパーズの金剛衣を纏ったギガスが恭しく頭を下げた。
 こけた頬、窪んだ眼窩、まるで皮を被った髑髏を思わせる風貌。
 大柄なギガス達の中でも、この男の体躯は小さいと言える。無論、ギガスの中では、という前提ではあったが。
 このギガスの名はエンケラドゥス。ギガス十将の一人である。

「デルピュネ様はあの場から聖域に向かわれました。エキドナ様は娘を連れて先に戻られた筈ですが……」

「話は聞いている。エキドナは娘を連れてガイア宮殿(パレス)へと向かった」

 答えたのはアルキュオネウスと呼ばれたギガス。
 東洋の鬼を思わせる面を着け、黄金の輝く金剛衣を纏った男。
 漲る覇気、金剛衣越しからでも分る逞しい体躯。
 この男が放つ雰囲気は、明らかに十将のそれを凌駕する。

「ネクタールの娘を護衛していた聖闘士――エクレウスの青銅聖闘士をデルピュネとエキドナが、黄金聖闘士をお前が倒したと聞いたが」

「ハッ。多少は抵抗されましたが黄金聖闘士があの程度とは……些か拍子抜けでありました。所詮は小娘の使い走りに過ぎませぬ」

 エンケラドゥスはそう言ってぎょろりと瞳を動かし、ククッと声を押し殺して嗤った。

「所詮、か。グラティオン、アグリオス、トオウンの三人が敗れ、そしてお前達の三人掛りでようやく聖闘士二人だ。釣り合わんな」

「お言葉ですが……最初からこのエンケラドゥスに全て任せて下されば、奴等にあの様な無様を晒させる事は無かったかと」

 十将の中でも体躯に恵まれていないエンケラドゥスは、それ故に他の十将よりも手柄を立てる事によって自分の自尊心を満たしていた。
 それが、吉報である筈の勝利の報告を諌められた事に、エンケラドゥスは眉を顰める。

「それは驕りだなエンケラドゥス。何故この私が王の座すパレスを離れ、地上との境であるこの場まで出向いたのか。それを疑問には思わなかったのか」

「は?」

 何をと、首を傾げるエンケラドゥスの横を、さして気にした様子も無くアルキュオネウスは通り過ぎる。

「プロメテウスの因果はまだ我等を縛っている。忘れたのか? オリンポスの神々をも追いつめた我等を滅ぼす毒が何であったのかを」

 そうして歩みを止めたアルキュオネウスは、自身の右拳を腰だめに構えるとエンケラドゥスに背を向けたまま淡々と語る。

「それは人間だ。大いなる母ガイアの加護により十二神は我等を滅ぼす事が出来ない。しかし、その意を受けた人間であるならば……」

 右腕に力を込め、アルキュオネウスが『何も無い空間』に拳撃を打ち込んだ。
 放たれた小宇宙は巨大な拳の像となって空を切る。



『そう――お前達ギガスを打倒す事が出来る』



 空間に奔る一筋の光。

 ドンと、周囲に衝撃波を撒き散らし、『何も無い筈の空間』でアルキュオネウスの放った拳撃が光に――両断された。

「ふむ。やはりな」

 それを見て、さも当然と呟くアルキュオネウス。

「な!? 馬鹿な!!」

 対して振り返ったエンケラドゥスは目の前の光景に声を荒げた。
 あり得ない、と。

「私が出向いた事の答えがこれだ。尾けられていたのだよエンケラドゥス」

「何故だ!? お前は確かにこのエンケラドゥスが倒した筈!」

 閃光が幾重にも奔り、空間が切り開かれる。

『貴様に殺された覚えは無い』

 そこから溢れ出すのは眩いばかりの黄金の輝き。

『海斗には悪いが、当たりを引いたのはこのシュラだったな』

 それは、太陽の輝きにも似た黄金聖衣の輝き。

「何故生きているのだ! 黄金聖闘士!!」

「……ああ、ジャミールの地では時折り『性根の曲がった亡霊』が彼の地に踏み入る者を惑わせるそうだ」

 光を纏いエンケラドゥス達の前に立ったのは――山羊座の黄金聖闘士シュラ。
 傷一つ無い聖衣、微塵のダメージも感じられぬその姿はエンケラドゥスの記憶とはかけ離れ。

「亡霊だと!? 馬鹿な! それでは我らが倒したのはまやかしだとでも言うのか!? 認められるかーーッ!!」

「止せエンケラドゥス!」

 冷静さを欠いたエンケラドゥスの耳に制止の声は届かない。

「ならば! 今度こそ貴様を魂ごと四散させてくれる!! ハウリングボマー!!」

 突き出された両手から放射状に広がるリングのビジョン。
 それは無数に連なりシュラへと襲い掛かる。

「そのリングは触れた物全てを破壊する。原子の結合すら砕く超振動! 灰燼と化して消え去れ!!」

「奇遇だな」

 そう呟き、シュラが右手を掲げる。

「このシュラの聖剣(エクスカリバー)は――」

 迫り来る無数のリング。
 シュラは揺るがない。

「触れた物全てを――」

 振り下ろされる手刀。
 それは一条の光と化して迫り来る破壊の力を両断する。

「――斬る」

 断たれたリングは放たれた勢いのままにシュラの横を通り過ぎ、光の粒子となって霧散した。

「あ、あああぁああ……」

「言った筈だエンケラドゥス。釣り合わん、とな。不死の力を封じられた十将では、黄金聖闘士の相手は荷が勝つと言う事だ」

 ピシリと音がした。
 エンケラドゥスの金剛衣に浮かび上がる一筋の線。
 
「いや、ここはシュラと言ったか。お前の力量を認めるべきなのだろうな」

 アルキュオネウスの言葉が終わると同時に、エンケラドゥスは鮮血を噴き出して崩れ落ちた。



「エクスカリバーか。余波ですら金剛衣を切り裂く。見事な切れ味だ、聖剣を名乗るだけの事はある」

「理解したのなら大人しく下がれ。先を急ぐのでな、逃げる者を背後から斬る真似はせん」

「ふむ。驕りや増長と笑う事は出来んな。お前の強さにはそれを言うだけの資格がある」

 そして、私と戦う資格も。
 そう言ってアルキュオネウスがシュラへと向かい歩を進める。

「お前の聖剣程ではないが、私もこの右拳には少々自信があってな」

 一歩一歩、その歩みが進む毎に増す威圧感。

「……どうやら、貴様は今まで見たギガス達とは違う様だな」

 このギガスは違う。
 感じる小宇宙は自分と同等かそれ以上。
 己の感覚に従い身構えるシュラ。

 あと一歩で互いの間合いに入る。
 そんな場所でアルキュオネウスがその歩みを止めた。

「我が名はアルキュオネウス、我らが王ポルピュリオン様に仕える神将アルキュオネウス」
 
 先程放った拳撃の様に、右拳を腰だめに構える。

「黄金聖闘士、山羊座のシュラ」

 右腕を掲げ、手は手刀の型に。

「いざ――」

「――参る」

 互いの間合いへと踏み込み、両者は同時に必殺の拳を放った。

「エクスカリバー!!」

「神屠槍(カタストロフ)!!」





 第12話





 巻き上がる炎の螺旋。舞い散る火の粉。
 燃え盛る火柱は周囲を赤く染め上げる。

「シャカ!」

 駆け寄ろうとする教皇であったが、勢いを増した炎から放たれる熱波がその行く手を阻む。

「クッ!」

「ふふふっ。どうじゃ、この炎の色はあやつの命の色よ。燃え上がり燃え盛り。しかし、これ程の炎は見た事が無い。実に美しい光景とは思わぬか?」

 炎を背に、デルピュネが教皇へと向き直る。

「さあ、後は主だけよ。アンブロシアの場所、答えて貰うぞ」

 悠然と進むデルピュネ。

(……もはや逡巡などしてはおれんか)

 それを前にして教皇――サガは決断を迫られていると感じていた。

「何、先にも言ったが、大人しく従うのであればこの場で命を取る事はせぬ」

 降伏するか否かでは無い。
 自分の力を見せる、その事に対してである。
 教皇となって十一年。
 ここで戦ってしまえば、その築き上げた年月を無為にしかねない。

(まだ時期ではないというのに。せめてアテナが成長するまでは)
 
『この期に及んでまだ偽善の仮面を取り繕う気かサガ』

「!?」

 内から響く声。
 その声を聞いた瞬間、サガの意識が弾ける。
 周囲から一切の音が、光が消え去った。





 見渡す限りの闇。
 上も下も右も左も何も無い。
 何も無い中心にただ己だけがある。
 サガにはそれが分った。

「目を覚ませサガよ」

「目なら覚めている」

 そう、闇の中心にあるのは己だけ。
 向かい合う存在もまた己。
 違うのは身に纏う色。
 目の前の己が纏うのは夜の闇より暗き黒。

「十一年だ。お前は教皇として良くやった。アテナのいない聖域を纏め上げたのは紛う事無くお前の力だ。今ならば名乗りを上げたところで逆らう者はおるまいよ」

 黒の己が口を開く。

「良心とやらの呵責に悩み続けるのは苦しいだろう? オレを出せ。お前以上に上手くやって見せよう。だからお前はもう休め」

「状況を生みだしたのは貴様だ!! 生まれたばかりのアテナ! 幼い黄金聖闘士! 動けない老師!! やらねばならなかったのだ! この地上を邪悪から護る為にはやらねばならなかった事だ!!」

 慟哭にも似た叫びを黒いサガはせせら笑う。

「ハハハッ、今更何を言っている。状況を生みだした? 違うな、全ての発端はお前だ。教皇をその手に掛けた――お前なんだよ」

「……ッ!? 黙れッ!!」

 サガの繰り出した拳が黒いサガを貫いた。
 しかし、まるで小石を落とした水面に浮かぶ波紋の様に。
 拳を打ち込まれた胸を中心として、黒いサガの身体が揺らいだかと思うと、何事も無かったかの様にサガの横に立っていた。

「今でもはっきりと思い出せる。屈辱だったろう? 仁智勇全てを兼ね備えた者として次期教皇に選ばれたのはお前では無く、親友であった――」

「言うな!!」

「射手座(サジタリアス)のアイオロスだ。自分が選ばれると思っていたのになあ。親友とは言え内心では見下していたんだろう? 故に祝福など出来る筈も無い」

「違う! アイオロスは仁智勇を兼ね備えた男、次期教皇にふさわしいのはあの男だった!!」

「この期に於いても綺麗事か。己の自尊心と野心のために教皇を手に掛け、幼いアテナを亡き者にしようと企み、その罪をアイオロスに被せた者は言う事が違う」

「黙れ! 黙れッ!! 私は正義の為に戦いたかった! アイオロスと共にアテナの為に戦うと誓った!! その全てを狂わせたのは貴様ではないかッ!!」

 両腕を交差させ上段に構える。
 それは、かつてカノンが海斗に向けて放った技と同じ構え。

「そうだ、私は罪を犯した。貴様を抑える事が出来ず教皇と親友を殺めアテナの身を危機に晒した。報いは受けよう。だがそれは今では無い!!」

「何を言ったところで、所詮は我が身可愛さの保身にしか聞こえんな。その言葉をお前が裏切者の汚名を着せたアイオロスの弟――アイオリアの前で言えるのか?」

「言った筈だ、報いは受けるとな。今私が出来る事は一刻も早くアテナを見つけ出し、来るべき邪悪との戦いに備え一人でも多くの聖闘士を育てる事。それが成されればこの身、この命が引き裂かれようと構いはせん!!」

「それは困る。この身体はお前だけの物では無い。それを忘れてもらってはな」

 黒いサガもまた、同じ構えで向かい合う。

「大人しく従うならば良しと考えていたが、言っても分らん様だな。ならば力尽くで眠らせるまでよ――」

 打ち合わされ、振り下ろされる両手。
 漆黒の闇を銀河の星々の輝きが照らす。

「くどい! 私は――アテナの聖闘士だ!!」

 サガの掲げた両腕に光り輝く小宇宙が集約される。
 そして現れる銀河の星々の輝き。

「貴様を表に出すわけにはいかん。我が内で砕け散り永遠に眠れ!!」

 振り下ろされる両手。

『――ギャラクシアンエクスプロージョン!!』

 それは、銀河の星々を打ち砕く破壊の瀑布。
 爆砕した銀河の奔流が互いの銀河を埋め尽くさんとぶつかり合い、削り合い、喰らい合い、膨張し、そして――

「フン。いいだろう、この場はお前に譲ってやるさ。だが、忘れるな。お前という光が強くなれば俺という影はその濃さを増す。兆候は表れているのだ。そう遠くない内に、この身体の主導権は俺の物となる」

「分っているさ。貴様は私なのだからな。だが、そう思い通りに事は運ばせん。貴様の全てを私が理解出来ぬように、貴様もまた私の全てを理解出来ないのだから」

 ――爆発した。





「――ッ!?」

 肌に感じる熱波と吹き上がる炎の音で、サガは自分の意識が現世に戻った事を確信した。
 歩み寄るデルピュネの位置から、もう一人の自分に囚われたのは時間にして僅か数秒の間といったところと推察する。

「さあ、返答は如何に?」

 絶対的強者であるとの余裕からか。
 漆黒の仮面越しでも、醸し出す雰囲気でデルピュネが笑った事がサガには分った。

「一戦すら交えぬまま、この私が大人しく従うとでも思っているのか?」

 そう告げるサガに先程の迷いは無い。

「来い、我が――」

 双子座(ジェミニ)の聖衣よ。
 そう告げようとしたサガであったが、周囲の様子の変化に気が付きその動きを止める。

 身を焦がさんと押し寄せていた熱風が止み、空に舞っていた火の粉がいつの間にかその姿を消していた。
 宙を舞う赤い粉は、その色を白へと変え、幾何学模様の結晶となって灼熱した地に優しく降り注ぐ。

「これは……雪か」

 デルピュネもまた異変に気が付き、何事かと周囲を見渡す。
 そして、空を舞う雪の結晶よりも、この地に起きた異変を雄弁に示す物がその目に映った。

 シャカの身を包み燃え盛っていた筈の炎の螺旋。
 それが瞬く間に凍りつき、巨大な氷柱と化してそびえ立っていた。

「あ、あり得ぬ! 炎が、我の炎が凍りつくなど!!」

 狼狽するデルピュネからは、つい先程までの余裕は無い。

「一体何者が!? む、これは、氷の柱に亀裂が――う、ああああああっ!!」

 動揺が、デルピュネの判断を鈍らせた。
 亀裂を奔らせ砕け散った氷柱が、無数の氷塊の散弾となってデルピュネに降り注ぎ、彼女の身体を弾き飛ばした。



「護りを薄くすれば現れるのではないか、ある意味で賭けの様なものだったが。存外上手く行ったか。勝手な行動、申し訳ありません教皇」

「いや、責めはせぬよ。良い判断だ」

 砕けた氷柱の影から姿を現したのは水瓶座の黄金聖闘士――カミュ。
 氷の闘技、凍気を極めた男。

「ハッ、ありがとうございます教皇」

 そしてもう一人。

「さて、君には余計な事だったかな」

 カミュが視線を向けた先には、炎の螺旋に呑み込まれた筈のシャカの姿。
 両足を組み合わせ、両腿の上に乗せた結跏趺坐の型で瞑想するその身には、炎に晒された痕跡は一切見受けられない。

「いえ、助かりましたよ。おかげで結界に阻まれていた迷い子を呼び込む事が出来ました」

「……迷い子?」

「ええ、そうです。少々手間取りましたが」

 カミュの疑問の声に、シャカが微かに笑みを浮かべた。
 結跏趺坐を解き、立ち上がるシャカ。
 目を閉じたままでありながら、まるでその先が見えているかの様に自然な動作で居住区の方へと顔を向ける。
 シャカの閉ざされた眼には、聖域の各地に立ち上る無数の小宇宙、命の輝きがハッキリと見えていた。
 そこに、突如として現れた光。
 その輝きは青と白の螺旋を描く。

「デルピュネと言いましたか。貴女も先に出会ったギガスもそうですが、聖闘士を甘く見過ぎです」

「……く、ククッ。ほざくなよ人間如きが!!」

 怒号と共に、爆炎を噴き上げて立ち上がるデルピュネ。
 その身に傷は無いが、己の矜持を傷つけられ事への怒りが周囲に広がる炎の勢いに現れていた。
 吹き付ける熱波は先程の比では無い。
 宙を舞っていた雪の結晶は炎の粉と化し、再び周囲を赤い色に染め上げる。

「む、この勢いは……拙いか?」

「いえ、大丈夫ですよ」

 そう言って、デルピュネとの間に立とうとするカミュをシャカが下がらせる。
 そうして再びシャカとデルピュネが対峙した。

「元より彼女の相手を務めるべきはこのシャカ。貴方にはこの戦いの余波が及ばぬ様にお願いしたい」

「ク、ハハハハッ!! かつてゼウスすら封じて見せたこの我を! たかが聖闘士如きが相手にすると!? アハハハハハハハハッ!!」



「――黙りなさい」



 言霊という概念がある。
 声に出した言葉が現実の事象に影響を与えるという、言葉に宿る霊的な力。

 静かな一言だった。
 しかし、その言葉には逆らい難いまでの力があった。
 シャカの言葉にはデルピュネをして動きを止めさせるだけの何かがあった。

「感じませんか、あの小宇宙を。貴女が無力と嘲ったエクレウスの小宇宙です」

「馬鹿な事を、あ奴は確かに我らが――」

 デルピュネはそれ以上を言う事が出来なかった。
 シャカの言う通り、結界越しにでもデルピュネには感じ取る事が出来た。
 つい先程の事なのだ。忘れられる筈が無い。

「そう、エクレウスの聖闘士は無事ですよ。おかしな事です。ゼウスすら封じたと豪語する貴女が、たかが一聖闘士の生死すら判断する事が出来なかった。もう一度言いましょう」



「聖闘士を――甘く見ない事です」



[17694] 第13話 海龍戦記外伝~幕間劇(インタールード)~
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:11bb2737
Date: 2010/07/30 11:26
 第13話 海龍戦記外伝~幕間劇(インタールード)~





 あの二人には油断も隙も無かった。
 襲い掛かる敵を倒したとはいえ、未だジャミールの結界は狂ったまま。
 現状ではあらゆる攻撃が不意打ちとなる。
 とは言え、二人にとってそれは左程脅威にもならない事は理解できた。
 問題はあの少女。
 守らねばならない存在が、エクレウスとカプリコーンの枷となる。
 それを二人ともが理解しているからこそ油断は無い。

 さてどうするかと思案する。

『一刻も早くこの地を離れる』

 動きがあった。
 カプリコーンが僅かではあるが先行し、エクレウスが少女の手を取る。

「うん、いいねぇ」

 笑みが浮かぶ。
 僅かでいい。
 その距離が欲しかった。

 カプリコーンがエクレウスを認めたからこそ生まれた距離。
 エクレウスがカプリコーンを信頼したからこそ生まれた距離。

「さぁて、と」

 ここに来るまでに少し乱れてしまったタキシード。
 埃をはたき落とし、皺を伸ばし、お気に入りのシルクハットをかぶり直す。この白いラインがオシャレポインだ。
 これを悪趣味だと断じたアリエス。彼の美的感覚こそがおかしいと言わざるをえない。

「第一印象は大事だからねぇ」

 さあ行くかと身を乗り出せば、どうやら場に変化があった模様。
 ガラスが割れたような甲高い音が響き空間が割れた。
 現れたのは新たなギガス。
 黒き仮面の竜女デルピュネ、白き仮面の竜女エキドナ。そして十将エンケラドゥス。

「おやおや、彼女等も必死と言うか何と言うか。ふむ、まあこれぐらいのアクシデントがあった方が面白いわな」

 どうやらこの演目はまだ続くらしい。

「でも駄目だな。このままじゃあ直ぐに終わる」

 お姫様を守る騎士が強過ぎる。
 せっかくの舞台の延長が、このままあっさり終わってはツマラナイ。
 主演は彼らであり今の自分は観客だ。
 だが、この脚本の無い舞台の演出家になってみるのもそれはそれで面白そうだ。
 挨拶の機会は失われそうだが、この際我慢しよう。
 それに役者が演目を続けようとしている。それを止める事は出来ない。

「このままエンディングじゃあヒネリが無いからさァ」

 この地の結界を弄り場を少々乱す事にする。
 カプリコーンとエンケラドゥスを離し、エクレウスと少女の前にデルピュネとエキドナを向かわせる。

「後は――そうだな、いっその事挨拶も済ましちゃおうかね」

 裏方が出張るのは宜しくないし、観客が舞台に上がるなど以ての外。
 だが、演出的にはとても良い。
 彼もきっと気に入ってくれる筈だ。

「聖戦までの暇潰しと思っていたが……これはこれで楽しくなってきたなァ」





「――下がってろ!」

 そう短く放たれた海斗の言葉は、これまでセラフィナが聞いた事の無い緊迫した物を含んでいた。
 
 気が付いた時にはシュラと分断されていた。
 お互い警戒していた筈であったのに。
 明らかに――異常。
 今の海斗に口調を気にしていられる程の余裕は無い。

「え?」

 状況を把握できぬまま、セラフィナはトンと身体を押された。
 何を――と、問う間も無かった。
 その瞬間、全身を舐め回す様な不快な視線を感じた。
 嫌悪感に眉をしかめたのと同時に、衝撃がセラフィナの身体を包み込みその場から弾き飛ばす。

「海斗さん!」

 勢いこそあったもののダメージは無い。 
 体制を整えたセラフィナが顔を上げれば、仮面を着けた女達の攻撃を両手で受け止めている海斗の姿。

「……ッ!」

 加勢すべきだ。
 海斗は下がれと言った。
 大人しく下がるべきだ。
 海斗だけを戦わせて?

 ここにいた相手がシュラであったのならば、セラフィナは迷わず下がっただろう。
 一週間という短い期間であったが、共に過ごした時間が情となりセラフィナの判断を鈍らせた。

 僅かな逡巡。
 しかし、その僅かな逡巡こそが致命となる。
 迷うセラフィナの思考の隙を狙い、漆黒の仮面の女――デルピュネが動いた。
 空中で器用に反転し、海斗の身体を蹴りつけてセラフィナへと跳ぶ。

「俺を踏み台に!? させるかっ!」

「それは――貴方も同じ」

 デルピュネを追撃しようとする海斗。その動きを、白い仮面の女――エキドナが阻む。

 黒い艶やかな髪に表情の無い白い仮面が際立つ。
 蠱惑的な肢体を強調するデルピュネに対し、エキドナは纏う金剛衣こそ似ていたがその体格は少女のもの。
 見た目通りであるならば、自分と同年代か。
 女性を殴る事に抵抗が無いわけでもないが、海斗にとって優先順位は明らか。
 正体、素顔がどうであれ、自分の行く手を遮ろうとするならば倒すのみ。

「貴方に……用は無い。大人しくして」

 同じような仮面を着けながらも、どこかくぐもった様な感じのするデルピュネの声とは明らかに違う。
 纏わり付く様な炎を連想させるデルピュネとは違い、エキドナの抑揚の無い声はまるで人形。

「もう一度言う。大人しくして」

「大人しくして欲しいなら俺の邪魔をするな!」

「ならんぞエキドナ。つまらぬ禍根は消さねばならぬ。そ奴は殺せ!!」

 耳障りな声に海斗が視線を動かせば、そこには苦悶の表情を浮かべるセラフィナが見えた。
 デルピュネに片手で首を掴まれて吊り上げられた姿が。

「どけっ!! エンドセンテンス!」

 エキドナ目掛けて放たれる青い閃光。
 無数の光弾は、しかし、その全てが空を切る。

「避けられた? いや、これは……くッ!? セラフィナ!」

「私は避けてはいない」

 そう言って左手を掲げるエキドナ。
 その手首には、真紅に輝くルビーが填められた腕輪があった。
 エキドナがそのルビーに触れると、まるで心臓の鼓動を思わせる様に妖しく明滅を繰り返す。

「貴方が外した」

「……エキドナ……神話上では魔物の母、だったか」

 海斗が体勢を崩し、攻撃を外した原因となったモノ。
 唸りを上げて海斗の足に食らいつくモノ。

「グゥルゥウウウウッ」

 喰らいついた海斗の脚を噛み砕かんとする頭と、胴体目掛けて喰らいつこうとする頭。
 二つの頭を持つ神話の魔獣。
 そこにいたのは二メートルはあろうかと言う巨大な魔獣――オルトロス。
 新生聖衣のおかげか、噛みつかれた脚にダメージは無いがこのまま無事でいられる保証も無い。

 いつの間に、どうやって。
 疑問はあったが、今優先すべきはセラフィナを救う事。

「グゥアアァアアアアアッ!!」

「この!」

 胴体に食らいつこうとするオルトロスの頭を抑えたものの、海斗の動きはこれで完全に止められてしまう。

「フフフッ、よく堪えるのう。そのまま喰らわせい。続けよエキドナ」

 デルピュネの声に従い、エキドナが再び左手を掲げる。
 本来ならば美しさを感じさせる筈の宝石の輝き。
 明滅を繰り返すそれは、まるで脈打つ心臓。
 視界に入っただけで倦怠感を、直視すれば嘔吐感が襲い掛かる。
 それが一体何であるのか、海斗には分からない。
 ただ、おぞましい物である事は分かる。
 ルビーが明滅し、そこから巨大な影が生み出される。
 影は徐々に形を変えると、獅子と山羊の頭、蛇の尾を持った巨大な魔獣の姿を形作る。

「キマイラ……だと……!?」

 広げられた巨大な顎。
 唾液を撒き散らし向かって来る。

「ケダモノ風情が……調子に――乗るなああああッ!!」

 咆哮と共に解き放たれる海斗の小宇宙。
 大地は鳴動し、立ち昇る小宇宙は螺旋の渦を描き天を突く。
 吹き荒れる小宇宙は物理的な衝撃を伴い、魔獣達を粉砕した。

 エキドナは見た。
 小宇宙の高まりに呼応するかの様に、エクレウスの聖衣が黄金の輝きを放った事を。

「今のは……確かに……」

 人形であったエキドナの感情がブレた。
 現れたのは戸惑い。

「セラフィナ!」

 動きを止めたエキドナを無視し、四散する魔獣の血潮に構わず駆け抜ける海斗。

 異変に気が付いたデルピュネが振り返ろうとするが、遅い。

 伸ばされるセラフィナの手。

「海――」

 伸ばされる海斗の手。

「セラ――」

 指先が触れ合う。

 互いの手が――





『      』





 届く事は無かった。

「――な、に?」

 海斗の伸ばした手の先には何も無かった。
 目の前にいた筈のセラフィナがいない。
 セラフィナに手を掛けていたデルピュネも。

 次いで衝撃。
 それが背後からの攻撃だと気が付くのに海斗は数瞬を要した。
 幻術はあり得ない。 
 確かにお互いの指先が触れ合った感触があった。
 自分の知覚を超える超スピード。
 そんな事が出来るなら、今頃自分は死んでいる。



 何が起こったのか分らない。



「――それがどうした!」

 意識はある。身体も動く。
 今考える事はセラフィナを助ける事。
 それだけでいい。

 頭を振って立ち上がった海斗が見た物は、エキドナの手に抱えられた意識の無いセラフィナの姿。
 現れた時と同じ様に、空間を割ってその姿を消そうとしている。
 このまま転移されては――拙い。
 全力で駆け全力で跳ぶ。

「その娘を連れて先に行けエキドナ。この小僧はこの場で燃やし尽くすでな!」

 そうはさせじと、行く手を遮る様にデルピュネが立ち塞がる。
 掲げられた右手に燃え盛る炎が現れると、まるで矢の如く姿を変えて海斗へと向かい放たれた。

「その程度の火で俺を焼けるか!」

「馬鹿な!? 水の盾が我の炎を喰らうなど!!」

 小宇宙によって生じさせた水が盾となり、次々と放たれる炎の矢を呑み込んでいく。

 海を司る海将軍シードラゴンの力。
 海闘士の特殊能力は鱗衣を纏う事で発揮される物が殆どであるが、これは海斗の持つ資質による能力であり、鱗衣に依存する能力では無い。
 だからこそ聖衣を纏っていても使う事が出来る。
 余計な詮索を受けぬ様、聖域では隠してきた能力であったが、この期に及んで形振り構うつもりは今の海斗には無い。

「小癪な! ならばその身毎この炎で呑み込んでくれる」

 両手を掲げ、これまで以上の炎を燃え上がらせるデルピュネ。
 しかし、海斗はそれに構わない。
 海闘士だの海龍だの聖闘士だのとゴチャゴチャ考えていた時よりもやるべき事は明確でシンプル。
 セラフィナを救う事だけに集中する。

 仮面越しであろうと海斗には分った。エキドナが自分の動きを知覚している事が。
 そして、この速度には追い付けない事も。

「セラフィナーーッ!」

 手を伸ばす。

 届く。





『             』





 伸ばされた海斗の手の先には――何も無った。

 掴めた筈の手のぬくもりはそこには無った。

「……そうか……そう言う事か……」

 セラフィナの姿はそこに無く、エキドナの姿も無かった。
 視線の先ではデルピュネがその身を空間に溶け込ませていた。
 周囲では紅蓮の炎が自分を取り囲むように渦を巻いていた。

 過去完了形。

 周囲の全てが『留まった』中で「ああそうか」と、海斗はこの異常な状況を理解して納得をしていた。
 辻褄は合うな、と。

 いつの間にかシュラと分断されていた事。
 届いた筈の手が届かなかった事。

 カチリ、と小さな音がした。

「時間よ留まれお前は美しい。なあ少年、この言葉をどう思う?」

「……悪い冗談だ」

 若い様で年老いている様な、兎にも角にも軽薄で碌でも無い男には違いない声だ。
 そんな事を考えながら海斗が首を動かせば、そこには懐中時計を手にした黒づくめの随分と場違いな男が、何が嬉しいのやら笑みを浮かべて立っていた。

 黒い髪に肌の色。そして雰囲気から東洋人だと言うのは分る。恐らくは日本人。
 無精ひげのせいで若干老けて見えるが、二十代後半から三十代半ばの様に見える。
 黒いシルクハットにタキシード、赤い蝶ネクタイを着けた一見紳士然とした男。

「初めまして少年。いや、エクレウスの聖闘士さん」

 懐中時計をポケットに押し込み、帽子を取って恭しく一礼する男。

「初めましてオッサン。そしてさようなら――エンドセンテンス」

「うおっとォ!? いきなり御挨拶だねェ、エクレウス!」

 放たれた無数の光弾を器用に避けながら男は続ける。

「おいおい、まったく聖闘士ってのは気の短い奴らしか居ないのかァ? ここは何だとか、お前は誰だとか色々聞く事があるでしょうが!」

「この状況で理解できた。お前が俺の邪魔をしていた。少なくとも3回。テメェが誰かなんて――どうでもいい」

「うおッ、とっ、ハッ! キミ本当に青銅聖闘士? 嘘でしょ? あ~っと、訂正しとこう。邪魔したのは色々合わせて6回ね」

 避ける、避ける、避ける。
 男はそう言って軽口を叩きながら、威力と速度を増し続ける海斗の攻撃を避け続ける。

「と言ってもさ、ここでやったのは3回だけだよ。カプリコーンと分断して、君の手から彼女を引き離――」

 パァンと乾いた音が鳴り響き、男の軽口が止まった。
 無数に放たれた海斗の拳。
 その一つが避け続けていた男の動きを捕えていた。

「……良いね。うん、スゴク良い」

(想像以上。コイツぁ、ひょっとすればひょっとするんじゃねえか?)

 突き出される海斗の右拳。
 それを受け止める男の右手。

「あの子の事を言おうとしたらパワーアップ? まるっきり物語の勇者様だなァ。あの子は囚われのお姫様。キミはそれを助ける騎士様――」

 男はそれ以上を言えなかった。
 ゾクリ、と背筋に奔った悪寒に従いその場を飛び退く。
 再び黄金に輝くエクレウスの聖衣。
 刹那、男の立っていた場所に巨大な破壊の渦が立ち昇った。

 ホーリーピラー。
 カノンを窮地に追い込んだ技。
 海将軍シードラゴン最大の拳。

「おいおい! なんてぇモンをぶっ放しやがる!! って、引きずり込もうってかァ!?」

 破壊の渦に引き込もうとする力の奔流は凄まじく、この場に留まる事は危険だと即座に男は判断する。

「だからって、コイツをこのままにしとくワケにもいかねえしなァ!」

 男は右手を突き出すと、掌をホーリーピラーへと向ける。

「わりいけど消させて貰うぜ」

 男を中心として空間が歪んだ。
 歪みは陰陽を思わせる二色の光を放ちながら回り出し、男の背後に巨大な渦を描く。

「な、馬鹿な!? ホーリーピラーのエネルギーが――光の粒子になって消えていく!? それに、身体が……動かない!」

「マーベラスルーム! ――この渦の生み出す先は時間も物質も無い世界。入れば量子レベルで分解されてその世界にバラ撒かれる、ってさァ!! 安心しな、消すのはその厄介なエネルギーだけだ」

 ズレた帽子を左手で抑えながら、ケラケラと笑い男は続ける。

「正直な、今度の聖戦にはあんまり期待してなかったのよね。いやいや、それがどうして。触れ合ってみて初めて分る事、ってか」

「……誰だ、お前は」

 ホーリーピラーのエネルギーが消滅した事を確認すると、男はパチンと一つ指を鳴らした。
 陰陽の渦はその姿を消し、男の周囲に黒い霧の様な物が滲み出す。
 それは一つの塊となり、やがてその姿を翼を持つ白馬――天馬へと姿を変えた。

「観客さ。君達の繰り広げるであろう物語を――特等席で眺める、ね」

 そう言って男が天馬に跨る。
 天馬はその翼を大きく広げて嘶いた。

「今日のところは挨拶だけ、な。お前さんが生きていれば、また顔を合わせる事もあるだろうさ」

 そう言い残し、男は天馬と共にこの場から姿を消した。





 男が姿を消すと『留まって』いた時間が再び動き出し、動けない海斗へと燃え盛る炎が迫る。
 その窮地を救ったのは、異変を察知しジャミールへと戻ったムウであった。

 そして、戦いの舞台は聖域へと移る。










「アリエスは間にあったか。随分とタイミングのいい事で。これもアテナの加護ってか?」

 こっちの神様にも見習って欲しいものだ。
 お気に入りのシルクハットを指先で器用に回しながら男は呟いた。

「今回も主演は天馬座(ペガサス)とアテナだと思ってたんだが……エゲツないねぇ、あのお花ちゃん。意図したものとは思えないけど、いくら兄弟星だからって……」

 ――神殺しの業まで分けるかよ普通。

 男は笑う。
 両手を広げ、楽しそうに、可笑しそうに、まるで無垢な子供の様に。

「天馬座(ペガサス)の兄弟星である子馬座(エクレウス)。俺の因果とするにはそれだけで十分な理由だ」

 男は嗤う。
 両手で自らの身体を抱きしめ、愉しそうに、堪らないと。

「舞台は俺が用意しよう。どんな演目であろうと素敵に演出してやるさ。踊れエクレウス、踊れ演者諸君! 神も、魔も、人も――」





「――この冥闘士(スペクター)天魁星メフィストフェレスの掌でさァ!」





 幕間劇(インタールード)・完



[17694] 第14話 激闘サンクチュアリ! 立ち向かえ黄金聖闘士(前編)の巻 8/25加筆修正
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:11bb2737
Date: 2011/01/22 12:34
 神話の時代より常に噴煙を立ち昇らせる火山島。
 今より二百数十年前に一度大きな噴火があったものの、幸いにして大きな被害が出る事も無く。
 常に熱く滾る大地の力に満ちたこの島は、効能高い湯治場として現在も遠方から多くの人々が訪れている。

 そこは、地中海に浮かぶ島々の一つ――カノン島。

 噴煙と熱波に満ちたその火口。
 そこは、大地の力が最も満ちた場所。
 普通の人間であれば立ち寄れない、毒に満ちた場所でしか無いその場に、鱗衣を纏った一人の男の姿があった。
 まるで『そうするために』あつらえられたかの様に形作られた岩に腰を下ろし、身じろぎ一つする事無く静かに瞑目をしている。
 男の名は――カノン。



「驚いたな、負傷だけでなく鱗衣の破損まで修復されている」

 聞こえた声に、閉じていた瞼をゆっくりと開くカノン。その目に、鱗衣を纏ったソレントの姿が映る。

「……カノン島の伝承、こうして目の当たりにするまでは信じていませんでしたよ」

 穏やかな笑みを浮かべるソレント。その表情はカノンの知るソレントに間違いは無い。

「……何の用だ」

 しかし、ソレントの言葉の中に含む様な“何か”を感じ取った事で、カノンの言葉にもどこか棘の様な物が含まれる事になる。
 殺気、とまでは行かなくとも敵意はあったのか。
 僅かに立ち昇ったカノンの小宇宙は拒絶の意思を示すかの様に、周囲に斥力を伴った力場を生じさせていた。

「お見舞いです。しかし、『傷付いた聖闘士が噴煙に身をひたし再び復活する』でしたか」

 カノンを中心として岩肌に奔る亀裂。
 その力場はソレントをも巻き込んでいたが、当の本人には全く意に介した様子も無い。
 ソレントは早期に海将軍として覚醒した事も有り、海闘士の中ではカノンとの付き合いが最も長い人物である。
 時折りカノンが見せるこの不安定さには最早慣れたものであった。

「伝承が伝えるものなど真実の一端にしか過ぎんと言う事だ。聖闘士の様な力ある存在しかこの場所に留まる事が出来なかった、ただそれだけよ。奴等に出来て我等海闘士に出来ぬ道理はあるまい」

「……道理ですか。アテナの加護故の奇蹟、その可能性は? 我等海闘士にとっては毒であったかも知れない」

「回りくどいな。何が言いたいのだソレント?」

「別に。ただ疑問に思った事を口に出しただけですよ。他意は……ありませんね」

 肩を竦めてそう言うソレント。
 カノンはそれを苦々しく思いながらも一瞥すると、「そうか」と呟きゆっくりと立ち上がった。
 お互いに無言。そのまま暫く。

「まあいい」

 ややあって、先に口を開いたのはカノンであった。

「それよりも、だ。俺は言った筈だな、迂闊に動くなと」

「言ったでしょう? 貴方を心配して、ですよ」

「ぬかせ。『俺に成代わるために命を取りに来た』そう言われた方がまだ納得できる」

 軽く腕を振り調子を確かめながら、カノンは鱗衣の状態も確認する。

「この数日の状況は把握している。この圧しかかる様な不快な小宇宙……ギガス共が目覚めた様だな」

「彼らの存在は、私達にとっても見逃す事は出来ない筈ですが」

「お前の言いたい事は分るが手出しは無用だ。他の海将軍達にも――そう伝えておけ」

「……静観すると? 手遅れになる可能性も有ります。私としては承知しかねます」

 海将軍シードラゴンのカノン。
 その力は海将軍の中でも群を抜く、絶対的強者。

「ギガントマキア、それを知らない貴方では無いと思いますが」

 ソレント自身、仮にシードラゴンと戦う事があったとしても無事に済むとは考えてはいない。
 最も早く海闘士として目覚め、海皇の名の下に全ての海闘士を統べる者。
 それがソレントの知るシードラゴンの全てである。
 海闘士の誰も、“カノン”の事を知らない。

「奴等が万全であれば或いは、な。だが今の奴等ではさしたる脅威にもならん。それはお前にも分っている筈だ」

 そう言って、カノンは聖域のある方向へと視線を動かした。

「聖闘士共には精々頑張って貰うさ」

 それは、ソレントが知る限り普段の傲慢とも思える程に自信に満ちたカノンから一切の色が失われる瞬間。
 しかし、それも一瞬の事。
 カノン自身意識しての事ではなかったのか、踵を返すと何事も無かったかの様にこの場から離れるべく歩き始めた。

「シードラゴン、貴方は――」

 そこまで口に出しながら、ソレントは続ける事を止めた。
 先日の事である。
 シーホースとスキュラの海将軍が見つかった事で、遂に六人の海将軍が揃った。残るは海将軍はクラーケン。しかし、未だクラーケンの鱗衣は覚醒の兆しを見せてはいない。
 ならば、と。ソレントにそこにどうしても引っ掛かるものを感じていた。

(それでは、スニオン岬でシードラゴンと戦った彼は一体何者だ? 残るクラーケンであるならば、鱗衣が反応を見せているはず)

 海闘士でありながらアテナの聖闘士であり、シードラゴンを追いつめる程の力量を持つ存在。
 彼への執着、双子座の黄金聖衣の介入、多くを語ろうとしないシードラゴン。
 本の口から語られぬ以上、何を思ったところで全ては推測でしか無い。

(海闘士を纏め上げる力量。シードラゴンとしての貴方は信用出来る。しかし、“カノン”としての自分を隠し続ける貴方を私は――)

 そこまで考えながら、ソレントは頭を振って浮かび上がる疑念を振り払う。今はまだ詮無き事だと。
 だから、ソレントは当たり障りのない、しかし気にはなった事を尋ねてみる事にした。

「では、万一聖闘士が敗れる様な事があれば?」

 答えを期待していた訳ではない。
 ソレントにとっては自分の気を紛らわす、その程度のつもりでしか無かった。

「可能性としてはアレの復活か、それとも……。まあ、それを許す程に間抜けでもあるまい」

「……説明義務という言葉を知っていますか?」

 その言葉に歩みを止めたカノンは、ゆっくりとソレントへと振り返り――

「憶測に過ぎん事をベラベラと喋る物でも無かろうに」

 そして、ハッキリと言った。

「俺が片を付ける」





 第14話





 聖域には聖闘士となるべく修行を続ける多くの候補生達がいる。

 その大半は十代の少年少女であった。
 これには、少年期を過ぎた者の小宇宙の体得率が著しく低下する事が関係している。

 聖域を守る雑兵の多くは、聖闘士を目指し修行を積んだ者達である。
 その多くは青年から壮年であった。

 少年期の内に小宇宙を体得出来なかった彼等にとって、聖闘士は絶対であり、憧れであり、夢であり、希望である。
 聖域に於いては最下級とされる彼等ではあるが、修練により得たその力は“普通の人間に比べて”遥かに高みにあり、だからこそ自分達も『聖衣さえあれば』と思い願う。

 その想いが自らを高める糧となるのか、妄執として枷となるのかは誰にも窺い知る事は出来ない。



 聖域東側の城楼。
 聖域を守るのは結界だけでは無く、この様な物理的な城壁がぐるりと周囲を覆う様に建てられている。

「くっ、ひ、怯むな! 怯んではならん!!」

 物見台に立った雑兵――兵士長が声を張り上げる。
 迫り来るギガスの徒兵を前に、城楼を守る兵士の気合の声が響く。
 指示も何もあったものではない。
 突然の襲撃に即座に対応できた者は極僅か。

「うおおおおおお!!」

 眼前の恐怖から自らを鼓舞すべく、雄叫びを上げて立ち向かう兵士達。

「なんだあの鎧は!? 硬過ぎる!!」

「そっちに行っ――逃げ――」

 雑兵に過ぎないとは言えやはりギガス。
 人間を凌駕する身体能力、聖衣を彷彿とさせる鎧、倒しても倒しても立ち上がるその姿。
 前聖戦からこれまでかろうじて保たれていた平和により、聖域の兵士達の多くは人ならざる者との戦いを経験していない。

「こ、こいつら痛みが無いのか!?」

「くっ、わあああ、うわああああっ!!」

 突然の襲撃、未知なる敵に成す術も無く多くの兵士達が倒れる。
 しかし、その犠牲は無駄ではなかった。

「敵は多くは無い! 一人で向かおうとするな! 三人で掛かれ!! 倒せない相手では!!」

 そう、決して“倒せない”相手では無い。
 数人掛りとは言えど確かに“倒せている”のだ。
 その事実が彼らの闘士を支え――

「お前達は下がれ!」

 大気を切り裂く拳圧がギガスの身体を弾き飛ばし、次いで白銀の輝きが兵士達の傍を駆け抜けてギガスへと向かう。

「ここからは我々の仕事だ!」

「おお!! 皆! 白銀聖闘士様だ!!」
.
 戦場に現れた白銀の輝き――聖闘士達の姿が希望となる。

「貴様等の勝手がまかり通る等とは思わぬ事だ! 行くぞアルゲティ! ディオ!」

「応!」

「おうよ!」

 巨犬座(カスマニヨル)の白銀聖闘士シリウスの堂々たる宣言に、ヘラクレス星座の白銀聖闘士アルゲティが、銀蠅座(ムスカ)の白銀聖闘士ディオが応じる。
 先頭を走るのはシリウス。
 白銀聖闘士屈指の敏捷性を持つ男。

「シリウス! 何人か抜かれているぞ!!」

 天高く飛翔したディオが叫ぶ。
 その星座が司る様に、ディオの得意とするのは空中戦であり、その跳躍力と滞空時間は白銀聖闘士の中でも上位に位置していた。
 上空から見れば良く分る。既に戦域は聖域全体に広がっている事が。

「構うな、向こうはシャイナやモーゼス達に任せておけ!」

「俺達はここにいる奴等を叩きのめす! まとめて喰らえ、このヘラクレス星座アルゲティの必殺技を!」

 目前へと迫るギガス達を前に、アルゲティがその身を屈めて地面に両手を突き刺す。

「そうれっ! 天高く舞い上がり叩きつけられて砕けろ!! コルネホルス!!」

 コルネホルスとはギリシア語で棍棒を持つ者の意。
 アルゲティは白銀聖闘士の中でも最も大きな体躯とパワーを持ったヘラクレス星座に恥じぬ剛腕の持主。
 裂帛の気合と共に、ギガス諸共地面をめくり上げ天高く放り上げた。

「うおぉおおおお!?」

「ぐああああああっ!!」

 高速で吹き飛ばされる事で身動きを封じられたギガス達は、受け身を取る事も出来ず舞い上げられた土砂と共に次々と地面へと叩き付けられる。
 コルネホルスから逃れたギガス達も、体勢が崩れた隙をシリウスとディオに狙われ打倒されていく。

「おおっ!」

「凄い、これが聖闘士の力か!?」

 劣勢からの逆転は兵士達の士気を否応も無く高めた。

「フッ、伝説のギガスとはこの程度か。精々が青銅レベルより、と言ったところだな」

「くくく、まあ所詮は過去の遺物だ」

 それは、シリウス達とても同じ事。
 かつて神々すら退けて見せたギガスとはこの程度かと。

 この程度、その認識は間違ってはいない。

「お、おい。ちょっと見てみろよ。死体が……」

 高揚に沸く中で、周囲を確認する余裕が生まれたのか、ある兵士が奇妙な事に気が付いた。
 倒されたギガス達の身体が次々と土くれと化して砕けて行く事に。

「人間じゃ……生物でも無い? こ、こいつ等は!?」



 ――木偶よ



 その“声”は、その場にいた者達全ての脳裏に響いた。

 ――貴様等虫けらを掃除するための

「――!? 巨大な小宇宙?」

「い、いかん! 避けろアルゲティ!! お前達も下がれッ!」

「う、うわあ――あああああっ!!」

「こ、これは!? 何だこの強大な小宇宙は!?」



「我が名は紅玉(アントラクマ)の鉄(ジギーロス)!」



 それは、紅く輝く巨大な鉄鎚を持った、黒く輝く金剛衣に全身を包んだ巨人であった。
 腕も、脚も、胴も、全てが大きかった。

「こ、コイツは!? こ、この小宇宙は我等と同等――いや、違う! これは、まるで――」

「光槌破砕!」

 紅の輝きを放った鉄鎚が振り下ろされる。
 耳をつんざく様な爆音と、目を焼かんばかりの閃光が周囲を埋め尽くした。
 巨人の名乗りと共に振り下ろされた鉄鎚は大地を穿ち、光を放った衝撃波が水面に浮かぶ波紋の様に周囲へと広がり弾けた。

 そして静寂が訪れる。

 破壊の中心に悠然と立つジギーロス。
 破壊の波濤は触れた物全てを粉砕していた。
 岩も、城壁も、残っていたギガス達ですらも。

 更地と化した足下の様子に、いつもの事だとさして気にするでもなくジギーロスは歩を進めた。
 巨体の動きで風が吹き、その流れは粉塵を舞い上がらせる。

「う、ううぅう」

「……あ、ぐく……」

 僅かながらも聞こえた呻きの声にジギーロスはその歩みを止めた。

「ほう」

 その口から感嘆の声が漏れる。
 粉塵が晴れた先には倒れ伏した白銀聖闘士達の姿。
 聖衣は砕け、重傷を負ってはいたが、その身は城壁やギガスの徒兵達の様に砕け散ってはいない。
 しかも、その後ろには、意識のある者はいなかったが聖域の兵士達の姿もある。

「我が紅玉槌の一撃を受けて消えぬとは中々大したもの。だが――無力」

 そう言ってジギーロスは鉄鎚を振り上げると、一切の躊躇をする事も無く振り下ろした。





 聖域の外れにある修練場。
 打ち砕かれた器材や赤に染まった地面、粉砕された石畳がこの地で起きた戦いの凄惨さを物語っていた。
 この場にいたのは聖闘士を目指し修練を積んでいた若者達。
 希望に満ちた声、情熱が生みだしていた熱気は全て失われていた。
 時折り聞こえる怨嗟の、苦痛にむせび泣く声だけが辺りに響き渡る。
 
 むせかえる様な濃密な死の香りが漂うその中心に、全身を返り血で赤く染めた巨人達の姿があった。
 中世の騎士が身に纏った甲冑の様な黒い金剛衣に身を包んだ巨人と、白い甲冑の様な金剛衣に身を包んだ巨人。
 そして、剣闘士を思わせる軽装な金剛衣に身を包んだ巨人。

「ヒヨコですらもっとマシではないか? 白(レウコテース)の風(アネモス)よ」

「そう言うな。育てれば卵を産む分、ヒヨコの方が遥かにマシだとは思わんか? 黒(メラース)の雷(ブロンテー)」

 ハハハハハ、そう声を大にして笑う白と黒のギガス。
 その様子を見て、候補生や兵士達は、あるいは恐怖に震え、あるいは悔しさに唇を噛み締める事しか出来なかった。
 そう、彼らは“生かされて”いた。目の前の巨人達はいつでも自分達を殺せるのだと、その事がハッキリと分っていた。
 瓦礫に半身を埋められながら、見ている事しか許されない男は涙していた。
 死を恐れているのではない。
 戦士となるべく聖域に来た時点でその事は覚悟していた。
 悔しかったのだ。
 絶対的な力を前にして余りにも無力な自分が。
 恐ろしかったのだ。
 このまま“何も成す事無く”死を迎える事が。
 このままでは只の犬死。受け入れられる事では無い。
 意味が欲しかった。どんな小さなことでも良い。戦士として生きると決めた以上、死ぬ時には意味が欲しかった。

(力だ! 何者にも屈さない圧倒的な力!! それさえあれば、それさえ……あれ……ば俺だって――)

「さて、では我等も動こうか。お前はどうするのだ、紅(ポインクス)の熔岩(リュアクス)」

「そうだな、ここにいるサコ共を始末してからオレも動こう」

「遊ぶのは構わんが程々にしておけよ? 我等の使命は聖域の破壊だけでは無いのだからな」

「分っている」

 そう言ってアネモスとブロンテーがこの場を去ると、リュアクスは生き残っている者達の下へと向かい歩き出した。

(力、力、力、力、ちから、ちか――)

 男が意識を失う直前に見たのは、醜悪極まる笑みを浮かべた暴力の具現たる存在であった。





  「感じませんか、あの小宇宙を。貴女が無力と嘲ったエクレウスの小宇宙です」

  「馬鹿な事を、あ奴は確かに我らが――」

   デルピュネはそれ以上を言う事が出来なかった。
   シャカの言う通り、結界越しにでもデルピュネには感じ取る事が出来た。
   つい先程の事なのだ。忘れられる筈が無い。
   忌まわしきヘルメスの従者の星を宿した男。
   己の生み出した炎を水の力で消して見せた男。
   劫火に包まれて焼け死んだ筈の男。

  「そう、エクレウスの聖闘士は無事ですよ。おかしな事です。ゼウスすら封じたと豪語する貴女が、たかが一聖闘士の生死すら判断する事が出来なかった。
   もう一度言いましょう。聖闘士を――甘く見ない事です」

   シャカの言葉に嘘は無い。それはデルピュネにも理解出来ていた。
   感情がそれを認めようとしないだけ。
   内心に沸き立つ苛立ちを抑え込みながら、事実だけを冷静にとらえる事にした。
   確かに、感じ取れる小宇宙はエクレウスのもの。
   しかし、デルピュネは困惑していた。あの時あの場所で感じたものよりも小宇宙が強大になっている事実に。

   そして――





「我が紅玉槌の一撃を受けて消えぬとは中々大したもの。だが――無力」

 そう言って鉄鎚を振り上げたジギーロスは、一切の躊躇をする事無く大地へと振り下ろした。

「光槌破砕!」

 爆音が響き閃光が周囲を覆い尽くす。
 衝撃は光り輝く波濤となって、全てを粉砕せんと倒れたシリウス達に迫る。
 光を受けた者達はその身を砕かれて塵となる。

 そうなる筈であった。

「……何だと!?」

 振り下ろしたその手に握られたのは鉄鎚の柄のみ。

「紅玉槌が折れた? いや、この痕跡は――これは……まるで鋭利な刃物で切断されたかの様な!?」

 その事実にジギーロスが到達した時、ドゴンッ、という轟音を響かせて背後に鉄鎚が落ちた。

「これ以上、無差別な破壊を振り撒かせる訳にはいかんのでな。先ずは、その武器を破壊させて貰った」

「……何者だ!」

 聞こえてきた声に何者かとジギーロスが視線を向ける。
 現れたのは、黄金に輝く聖衣を身に纏った巨漢であった。

「黄金に輝く聖衣、黄金聖衣。そしてマスクにある巨大な二本の角と聖衣に施された意匠。そうか、……貴様がこの時代の黄金の野牛か」

「人に名を尋ねるのなら、先ずは自分が名乗れ。それが礼儀だ。いや、所詮蛮族でしかないギガスに礼儀を求めても無駄か」

 ならば、そう言って男はジギーロスに向かい真っ直ぐに歩を進める。

「この俺が――タウラスのアルデバランが、貴様に礼儀を叩き込んでやろう」

 ジギーロスの前に立ち、両腕を組んだアルデバラン。
見上げねばならない巨人を前にして、その態度は大胆不敵。
まるで見下すかの様に悠然と言い放った。
 それは、誰が見ても明らかな侮辱。
 ジギーロスにとって、その姿は神をも恐れぬ許されざる不遜。

「虫けら如きが何たる不遜! 神をも恐れぬその厚顔を討ち砕いてくれるわ!!」

 万死に値する。
 激昂したジギーロスが掲げた両腕に紅い輝きが宿る。
 その輝きは紅玉槌と同じ輝き。

「紅玉槌を破壊した程度で思い上がるでないわぁっ!!」

 鉄鎚をそうした様に、ジギーロスは己の両腕を大地へと叩き付ける。
 放たれる輝き、鳴り響く轟音。

「光腕破砕!!」

 放たれた光り輝く衝撃破がアルデバラン目掛けて迫る。

「己の傲慢を悔いあらた――な、何だとぉおっ!?」

 悔やめと、思い上がるなと言い捨てようとしたジギーロスの声が驚愕に震えていた。
 全てを破砕する筈の破砕光が押し止められている事に。
 腕を組み、不動のままのアルデバランの目の前で。
 不可視の障壁。目の前の光景をジギーロスにはそう表現する事しか出来なかった。

「この程度の涼風で、このアルデバランが揺らぐと思うな!」

 アルデバランの一喝。
 それを合図として、不可視の障壁と光腕破砕のエネルギーが互いを打ち消し合い消滅した。

「う、うう、うおおおおおおおおおっ!!」

 人は、己の理解の範疇を超える存在と対峙した時に恐怖を覚えずにはいられないという。
 それを受け入れるのか、拒絶するのか。対峙したその先に取る行動にこそ、人の真価が現れる。
 ならば、このジギーロスの上げた咆哮は、未知への存在に対する恐怖であったのか、それとも……。

「矮小な人間如きが! 神に刃向うと言うのかあぁあああっ!!」

「むうっ!? この速度は!」

 無数に繰り出されるジギーロスの連撃。
 巨体から繰り出されるその連撃の速度にアルデバランは驚愕する。

「そうか、貴様の闘法は鉄鎚を用いた物では無く――」

「我が名はアントラクマジギーロス! 紅とは血、鉄とは我が拳! この拳こそが紅の鉄よ!!」

 矢継ぎ早に放たれる拳がアルデバランを捕える。
 鋼と鋼が打ち合う様な音を響かせてジギーロスの連撃が続く。
 アルデバランの足下が連続する衝撃と圧力に耐え切れずに砕け始める。

「ぬぅおおおおおああああああ!!」

「くっ、速い!」

 砕けた大地は土砂となり、アルデバランを中心として舞い上がる。

「砕け散れ人間よ! 神に逆らった己の愚かさを悔やめ!!」

 ジギーロスが振り上げた巨碗は言わば撃鉄。
 その腕に込められた破壊の力を打ち出すための。

「光腕破砕!!」

 破砕光を纏った拳がアルデバランに振り下ろされる。

 ドンッ、という音が鳴った。

 打ち出された光輪は拳を伝い、アルデバランの身体を包み込む。
 圧力に押される様に、大地に巨大なクレーターが作りだされた。

「く、くくく、くはははははは――!?」

 振り下ろされた拳は確かにアルデバランを捕えていた。
 直撃。無事で済む筈が無い。粉微塵に砕け散っている。

(ならば、この拳に“感じている”手ごたえは何だ!?)

 全てが終わったのであれば感じる筈の無い感触。
 そこに在ると、ハッキリと判る感触。

「ば、馬鹿な……」

そこに在るのは、大地に根差す大木の様に、しっかりと大地を踏みしめて仁王立ちするアルデバラン。

「貴様の拳は確かに早く力強い、まさしく――暴力。だが、そんな拳ではこのタウラスを怯ませる事など出来ぬと知れ」

「我の拳が……効いていないと言うのか!?」

 ダメージは有るのだろう。
 よく見れば、聖衣の隙間から擦り傷や打撲の痕が見て取れる。
 だが、それだけでしかない。
 全身全霊を込めた一撃で“この程度の”ダメージしか与える事が出来なかった。

 アルデバランが一歩を踏み出す。
 ジギーロスが一歩下がる。
 アルデバランが一歩を踏み出す。
 ジギーロスが二歩下がる。

「冥府へと戻れギガス。地上に我等聖闘士が在る限り貴様等の好きにはさせん!!」

 アルデバランの背後に浮かび上がる黄金の野牛。
 それは、小宇宙の生み出す力のビジョン。

「神を騙る者よ。聖闘士が、このアルデバランが信じる神はただ一つ」

 それは、極限まで高められたアルデバランの小宇宙が生みだす力の具現。

「女神アテナただ一人! 受けよ、タウラス最大の拳!!」

「う、うおおおおおおおおおおおおおお!?」

 それは、抜き手を見せぬ居合の拳。
 極限にまで高めた小宇宙を両腕に集束させて一瞬の内に解き放つ。
 そこから生み出される衝撃波はあらゆる物を撃ち貫き破壊する。
 それは破壊の暴風。

「グレートホーン!!」

 その瞬間、ジギーロスは己に向かって来る黄金の野牛のビジョンを見た。

「た、耐えきれん! 押し切られ――」

 堪えようとするジギーロスの眼前に迫る巨大な掌底。

「ぐぅわあああああああああああああああ!!」

 感じた衝撃は一瞬。
 風はジギーロスの巨体を包み込み、その身に纏う金剛衣ごとその存在を破壊した。







[17694] 第15話 激闘サンクチュアリ! 立ち向かえ黄金聖闘士(中編)の巻
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:11bb2737
Date: 2010/08/26 03:41
 旧き神族であるギガスにとって、人間とは塵芥にも劣る存在である。
 同族の中には家畜としての価値を見出す者もいたが、リュアクスはその存在すら許す気にはなれなかった。
 何故なら、神々の加護を受けていたとは言え、自分達を冥府へと封じたのは人間の戦士。

 しかし、ただ一点に於いてリュアクスが人間に対して価値を認めている事がある。

 生かしておいた者達の前に立つと、リュアクスは嗤った。
 目が合った幼い少年をその手で掴み上げ――力を込める。

「くくくっ。そうだ、その表情だ、その嘆きだ。もっと見せろ、もっと聞かせろ。絶望と恐怖に満ちたその情念こそがオレの渇きを満たすのだ!」

「あ、あが、ぎ……ゃぁあああ……」

「どうした、ほんの少し力を入れただけだぞ? 全く、貴様等虫けらは弱過ぎる。オレを楽しませることすら出来んのか。その弱さはもはや罪だ」

 つまらん、と呟きリュアクスは手にした少年を放り投げた。
 あのまま地面に落ちれば死ぬ。それが分っていても動ける者はこの場には一人としていない。
 ある者は目を閉じ、ある者は耳を塞ぎ。
 無力な己を呪いながら、見ている誰もが少年の死を、訪れる惨状を確信していた。

 だが、何時まで経っても少年の落ちる気配が無い。
 既に地面に落ちていた、そんな事は無い。

 誰かが恐る恐る少年の行方を捜した。
 そして見た。

 宙に浮かぶ少年の姿を。
 意識は失っている様だが、そこには確かな生の気配が合った。

「弱さは罪、か。――その点に関しちゃぁ、同じ考えなんて甚だ不本意ではあるが同感だ。戦士である以上、弱い事はそれだけで罪だ」

 若い男の声に、リュアクスは己の意識を戦いのものへと切り替えた。
 気配を感じさせる事無く現れた存在を警戒したのだ。

「だがな、それを断罪する権利がお前にあるのか? そんなにお前は強いのか?」

「誰だ?」

 砕けた石畳の上を音も無く歩む男。
 黄金に輝く聖衣を身に纏い、薄く笑いを浮かべたその表情、その雰囲気は傲岸不遜。

「キャンサーだ。キャンサーの黄金聖闘士デスマスク」



「弱者であるお前を断罪する強者だ」





 第15話





「弱い……だと? このオレが、神であるオレを貴様の様な虫けらが弱いと言うのかぁあっ!!」

「ハッ、この程度の挑発で切れるのか? 流石は神様、気が短いよなぁ!」

 リュアクスの巨体から繰り出す剛腕の一撃は、全てを薙ぎ払う嵐。
 その嵐をデスマスクは笑みを浮かべたまま涼しげに避ける。

「まず一つ、頭が弱い」

 遠巻きに眺めていた兵士の下へ、気絶した少年を送ってみせる余裕すら見せて。

「技法も何もあったもんじゃないなぁデカブツ。扇風機ならもっとマシな風を送ってくれるぞ?」

「があああああっ!」

「ハッ、阿呆が」

 滅殺の意が込められた攻撃は、成程、当たればただでは済まないのだろう。

「当たれば、な」

 だが、それも全ては怒りに身を任せての単調な攻撃。
 それを避ける事はデスマスクにとっては造作も無い事。

「まあ、空振りの余波だけで大地が抉れるってのは……流石は神様って事か」

 巻き上げられた土砂は散弾と化し、周囲に破壊の雨を降り注ぐ。
 その中には兵士達の遺体も混ざっていた。
 リュアクスは人間を虫けらと蔑んだ。
 遺体の事など気にもしていないのだろう。

「チッ、面倒臭い……」

 そう呟きながら、飛散する“それら”を拳や蹴りで次々と撃ち落とすデスマスク。
 その事に気が付いた者達の中には目を逸らす者も、その不快感に顔を顰める者もいた。
 しかし、デスマスクを非難する事は誰にも出来ない。
 その行為のおかげで、自分達が破壊の雨から守られている事を解っていたために。

「うがぁらぁああああああっ!!」

 薙ぎ払う様に振るわれたリュアクスの拳を掻い潜り、デスマスクは無防備となった胴体を蹴り付けた。
 ギシッ、という軋みを上げて金剛衣に亀裂が奔り、突き抜けた衝撃がリュアクスの巨体を浮かび上がらせていた。

「二つ、技量が低い」

 そして、浮いた巨体をボールに見立て大地へと蹴り飛ばす。

「ガァああああああああああっつ!!」

 轟音と共に瓦礫の中へと叩きつけられたリュアクスが憤怒の表情で立ち上がりその拳を振るう。

「三つ、動きが遅い。ノロマめ」

「ば、馬鹿なああ!?」

 響き渡るリュアクスの声。
 己の一撃がデスマスクの手に受け止められていた為に。
 それだけでは無く、逆に押し返されようとすらしている事に。

「四つ、まるでなっちゃあいない。馬鹿力だけでこの俺の相手が務まるか。総評だ、お前は――弱い」

「ぬあっ!?」

 瞬間、デスマスクが手を引いた事で、リュアクスはその勢いのまま体勢を大きく崩した。

「間抜け」

 踏ん張ろうとした足を払われ、頭から地面へと倒れるリュアクス。
 起き上がろうと手を着いた時――

「頭が高い」

 笑みを浮かべたデスマスクがその頭を踏み抜いた。

「ぶぐああああっ!!」

 顔面を地面に打ち付けられるリュアクス。

「ハハハッ、い~い土下座だなぁ。ハハハハハ」

 巨人の後頭部を踏みつけながら、デスマスクの嘲笑が響き渡る。
 その言葉の通り、両手を地に付けて頭部を地面へと埋め込まれたリュアクスの姿は土下座以外の何物でも無かった。

「おいおい、どうしたよ神様? 虫けら相手じゃあ本気を出せないのか? それともこの程度が全力か? チッ、神様だと聞いて期待していたんだがな……」

 その光景を見ていた兵士達は言葉を無くしていた。
 自分達を歯牙にもかけなかったあのギガスを相手に見せたデスマスクの圧倒的なまでの強さに。
 皆がデスマスクの勝利を確信していた。
 これで終わったと。
 そう誰かが安堵の息を吐いたその時であった。

「がぁああああああああぁっ!!」

 獣の如き咆哮を上げてリュアクスが立ちあがった。
 その手はデスマスクの足を掴み、まるで小枝を振るう様に軽々と掴み上げる。

「殺す! 捻り潰す!! 叩き潰す!!」

 憤怒、屈辱、恥辱。リュアクスの顔は鬼の形相と化していた。

「その身を引き裂き四肢を捩じ切る!! 臓物をばら撒き魂魄すらも破壊する!!」

 掲げ上げたデスマスクを両手で掴み、その身を引き裂こうとリュアクスが力を込める。
 赤黒い靄の様な何かがリュアクスの両腕に纏われると、それは瞬時に業火となってデスマスクを包み込んだ。

「虫けらが! 弱者が強者に逆らうな!! 神が人に屈するなどあってはならんのだ!! 貴様の罪は――」

 重い。
 その一言を口に出そうとしたリュアクスは眼前の異変にその動きを止めていた。
 生きたまま炎で焼き、その身を引きちぎる。そうする筈だった。この期に及んで手を止める理由は無い。
 なのに腕が動かない。
 腕だけでは無い。脚が、首が、全身が動かない。動けない。
 目と口だけが動かせるという異常。
 耳からは不快な音が響き始め、それがリュアクスの精神を掻き乱す。
 そして“デスマスクの身を包んでいた炎の色が変わる”というあり得ない光景に思考が追い付かない。
 そうしている間にも、赤い炎はその色を蒼へと変えて。

「俺の罪は――何だ? 強過ぎる事か?」

 その全てを蒼へと変えた時、不遜な笑みを浮かべたデスマスクが何食わぬ顔でリュアクスの前に現れていた。

「な、何だと! 何だこの炎は!? 何なんだこれは!! なぜオレの身体が動かない! なんなんだこの音は! この声は!!」

「積尸気」

 そう言って、デスマスクが右手を掲げる。人差し指を立て、まるで天へと道を示す様に。
 デスマスクから立ち昇る異様な小宇宙に、リュアクスは言い知れぬ何かを感じていた。
 遥かな昔に感じた事があったそれ。
 一体何であったのかと。

「声は聞こえても見えてはいないのか。ならば見せてやろう」

 デスマスクがその指先をリュアクスへと向けた。
 周囲に浮かび上がる幾つもの燐光。
 それを認識した途端、悲鳴とも叫びとも、咆哮とも感じ取れる声がリュアクスの脳裏に響き渡る。

「ぐぅああああああ!? 煩い五月蝿いうるさい!! 何だこの声は!! 何だこの光は!!」

 分らない、解らない、判らない。
 激しい混乱状態に陥ったリュアクスは、自分の身体が震えている事にも気が付かない。

「その燐光は鬼火。死体から立ち昇る燐気、肉体を離れたヒトの魂の炎。そしてお前が聞いている音はこの場で殺された者達の怨嗟の声」

 その言葉を肯定する様に、遺体から次々と燐光が立ち昇るとそれらは全てリュアクスの周囲へと向かう。
 燐光はその姿をヒトの形へと変えて、リュアクスの腕へ、脚へと取り付いていた。
 まるで生者に群がる亡者。
 これが、リュアクスが動きを止めた理由。
 精神を掻き乱す音の正体。

「虫けらと嘲り弱者として一蹴した人間。その魂がお前の動きを封じ、精神を掻き乱していたのだ。一寸の虫にも五分の魂という言葉があるが……」

「う、うわぁ、うおわあああああああああああああああああああああッ!?」

「そいつらの怒りと憎しみは余程のものだな。よく燃える。ああ、勘違いはするなよ? 俺は種火を与えてやっただけにすぎん。そこまで強く燃え盛っているのはお前の行い、自業自得と言う奴だ」

 リュアクスに取り付いた燐光が蒼い炎となって燃え上がる。

「積尸気鬼蒼炎」

 その炎がリュアクスの肉体を傷つける事は無い。
 その炎が燃やすのは魂。
 リュアクスは肉体では無く魂そのものを焼かれようとしていた。

「おぉぉおおおぉおおおおお!?」

「このまま焼き尽くしてもいいんだが、コイツが神様に通用するかを試してみたいんでな。実験台になって貰う」

 そう言って、デスマスクが再びリュアクスへと指先を突き付ける。

「積尸気とは中国での蟹座の散開星団プレセペの事。そして積み重ねられた死体から立ち昇る鬼火の燐気の事でもある。霊魂が天へと昇る穴。それが積尸気」

 デスマスクの指先に小宇宙が集束する。
 集束した小宇宙は白いオーラへとその姿を変えた。

「さあ、時代遅れの神よ。積尸気を通って再び冥府へと帰れ。積尸気冥界波ーー!!」

 デスマスクの指先から放たれたオーラが身体に触れた瞬間、全身を激しい虚脱感が襲う。
 そして、己の目が映した光景にリュアクスは絶叫した。

「う、うぉおあぁあああああああ!? 馬鹿な、なぜオレの身体がそこに在る! オレはここだ! ここにいるのだぁあ――」

 それは“力無く崩れ落ちる身体を上から自分が眺めている”という事に。
 己の魂が肉体から切り離されたという事実に。
 積尸気へと急速に引き上げられる感覚に、リュアクスは自分が再び冥府へと送られる事を理解した。
 あの暗くて寒い場所に戻される。
 一度は光を手にしていながら。
 今度はいつ光を手にできるのか。
 口惜しい。許せない。
 自分をこの様な目に遭わせたあの人間を許す事など出来はしない。

(ああ、そうだ。人間の寿命など我等に比べれば余りにも短い。ならば、奴の魂が冥府に来た時に――)

「なんて事でも考えているのか? 折角だ、コイツも試させて貰う」

「な――に!?」

 肉体から切り離されて積尸気へと向かっていたリュアクスの魂。
 その前に、天高く飛翔したデスマスクの姿があった。

「肉体という鎧を失くした剥き出しの魂。神様とは言え耐えられるか?」

 広げられた両腕。その指先は鉤爪の様に曲げられている。
 そこに蒼い炎が灯されている事に気付き、リュアクスはこれから何が起こるのかを理解した。

 理解して――絶望した。

「直に喰らえ――」

 耐えられる筈が無いと。

「じゃあな名ばかりの神様。積尸気鬼蒼炎」



 意識が消え去る刹那、リュアクスは言い知れぬ感情が“恐怖”であった事を思い出していた。



[17694] 第16話 激闘サンクチュアリ! 立ち向かえ黄金聖闘士(後編)の巻  ※修正有
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:11bb2737
Date: 2010/09/29 02:51
「うわわわわっ!?」

 ジャミールからセラフィナを攫った者達の小宇宙を辿り行ったテレポーテーション。
 幼い貴鬼にとっては負担の大きい超能力の行使であったが、セラフィナを助けるためとあれば戸惑う理由は無い。
 これまでにムウの指導の下で幾度も成功させている。ここ半年の間に限れば失敗した事は一度も無かった。
 異なる点は、ムウが傍にいない事。万一の事態に対する保険が無い、つまりはそういう事なのだが、貴鬼には失敗はしないという自信があった。

「うわあ~~っ、お、落ちるぅうううう!?」

 それが、どういう事か“失敗”した。
 転移中に感じたのは普段とは異なる感触。
 全身を包み込む様な抵抗感と、引っ張り上げられる様な奇妙な感覚。
 イメージするならば、水中から何者かによって引き上げられる、腕では無く足首を掴まれて。
 初めての感覚に戸惑い、そして目の前に飛び込んできた光景に、貴鬼は混乱し悲鳴を上げていた。

 一言で言えば、運が悪かった。
 これは、聖域に張られた結界による影響であり、決して貴鬼が失敗したというわけでは無かったのだが、そんな事を本人が知る由も無い。
 もう一つ。目的地が聖域だと分っていれば貴鬼に変わってムウが行っていたのであろうが、小宇宙を目印としてのテレポーテーションではそこまで分る筈も無く。
 結果として、シャカの誘導もあってテレポーテーション自体は成功したものの、到達場所に問題が残った。

 聖域の上空である。

 失敗した、ショックを受けた矢先にこの状況。
 全身に受ける風圧。
 迫り来る建造物。
 敷き詰められた石畳。
 完全にパニックに陥った貴鬼は叫ぶ事しか出来ない。

「ひッ、ひぃやぁああああああ!? ム、ムウ様ぁあああ!? おねえちゃぁあああん!!」

 もう駄目だと、貴鬼が諦めかけたその時、

「耳元で叫ぶな」

 ぐいっと、力強い何かが貴鬼の身体を掴む。

「この程度の高さならコイツでいける……か?」

 そう言って貴鬼の身体を小脇に抱えたのは海斗であった。
 迫り来る眼下を見据えながら、空いた手で自らの聖衣の肩をドンと強く叩く。
 その瞬間、ガシャンという音を立てて聖衣の背中から純白の翼が展開した。
 広げた両手よりもさらに大きい。
 それは天馬の証、天駆けるエクレウスの翼。
 動きの邪魔にならないよう、普段は背中に収納されているパーツである。

「うわあぁあ――って。あ、あれ?」

 グンと、上へと引っ張られるような感覚。
 そして、自分の身体に感じていた風圧が収まった事で、貴鬼は恐る恐る目を開けた。
 先程とは事なりゆっくりと迫る石畳。自分を抱えている海斗。その背に広がる聖衣の翼。

「すっげぇえ~」

 安全が確保されたと分ると途端に余裕が生まれたのか。
 貴鬼はきょろきょろと眼下の光景を見渡し始める。
 真下には巨大な神殿の様な建物が在り、その前後を一本の長い階段が繋いでいる。
 どちらの先にもここと同じ様な神殿が在った。
 少し視線を動かせば、巨大な火時計が見える。時間を示す場所に幾つかの炎が灯っている。
 見慣れない風景にせわしなく頭を動かしていると、小さな声であったが海斗の呟きが聞こえた。

「パラシュート代わりになるかと駄目もとでやってみたが……。背中の翼は飾りじゃ無かったワケだ、さすがムウ」

「……え?」

「黙ってろ、舌を噛むぞ」

 何やら聞き捨てならない事をさらっと言われた気がした貴鬼であったが、海斗が聖衣の翼を収納した事で慌てて口を閉じ落下の衝撃に備える。

「ん~~んんっ……あれ?」

 落下の速度を感じたのは一瞬。
 何時まで経っても貴鬼が予想していた衝撃を感じる事は無く。
 ふわりと、羽根のように柔らかく。
 海斗は静かに着地を果たしていた。





「ねえ兄ちゃん、ここって?」

「聖域だな。しかも、よりにもよって――十二宮、か」

「十二宮?」

「怖い聖闘士の居る場所だ」

 貴鬼の問いに応えながらも、海斗の意識は周辺の様子を窺う事に集中していた。
 上空からの光景と慣れ親しんだ空気、炎が灯された火時計と回廊によって繋がった宮。
 ここが聖域であり、今自分達が居る場所が十二宮である事は把握している。
 自分達の侵入に反応が無いところから無人の宮だと推察できるが、何れにせよ海斗としてはあまり長居したい場所では無い。

「……ここは」
 
 十二宮はそれぞれの星座に因んだ装飾やオブジェが、各宮の入り口にはそれぞれの星座を示す刻印が刻み込まれている。
 鏡映しのように左右対称に作られた宮。そして入り口に刻まれた双子座の印。

「……双児宮、か。だったら、この下が金牛宮で上が巨蟹宮」

 この先にアテナが住まう神殿が在る。

(今はどうでもいいか)

 ふと、脳裏に浮かんだそれを、海斗は忘れようと軽く頭を振って貴鬼を見た。

「貴鬼、セラフィナの小宇宙は?」

「……ううん、この辺りにお姉ちゃんの小宇宙は感じない。でも、とんでもなく大きな小宇宙があちこちから感じるよ!」

「感覚は一流だよな、お前。俺はそういう繊細なのは……って、この感じは戦闘の真っ最中か? それで、一番近いのが……」

「あっちだよ、大きな小宇宙が四つ。ジャミールで感じたいやな小宇宙と……バルゴの小宇宙!?」

「バルゴ? ああ、俺にも分る。で、この纏わり付く様な感じは――エキドナか!」

 丁度良い、そう言って駆け出そうとする海斗。

「ちょ、兄ちゃん!?」

 待って、とその後を追うべく走り出す貴鬼。
 しかし、

「ふぎゃ!?」

 突然その足を止めた海斗。
 既に走り出していた貴鬼は急には止まれない。
 海斗の足に勢いよく、しかも生身や靴にではなく聖衣にぶつかる。
 鼻を抑えて涙目の貴鬼である。
 文句を言おうとした貴鬼であったが、不意に“気付いて”しまう。
 急速に接近しつつある複数の悪意ある小宇宙に。
 いやな予感を感じて背後を、金牛宮の方を見た。

「に、兄ちゃん! 後ろから何だかいっぱい来るよ!!」

「正直、時間が惜しいんだがな。ま、後ろから邪魔されるのも面白くないか」

 うざったい、と呟いて、海斗も背後へと振り返る。
 そこには今まさに、金牛宮を抜けて駆け上って来るギガス達。
 あちらも双児宮の前に立つ海斗と貴鬼の姿に気が付いたのであろう。
 明確な敵意と殺意に満ちた攻撃的な小宇宙が二人へと向けられた。

「ひいっ!? う、うわわわわっ!?」

 遊びでも訓練でも無い、貴鬼にとって初めて向けられた明確な殺意。
 圧迫されるような感覚。
 吐き気を催す様な不快感。
 全身が震え、思わずその場にしゃがみ込んでしまいそうになる。
 幼く、戦闘経験のない貴鬼には、まだそれを平然と受け止められる余裕は無い。

「……え?」

 その感覚がぷつりと途絶えた。

「ほれ、下がってろよ貴鬼」

 そう言って海斗が貴鬼の前に立つ。
 それだけの事で貴鬼の身体から震えが消えていた。
 貴鬼が見上げた海斗の表情からは、不安も緊張も浮かんでいない。
 むしろ、何がおかしいのか口元を歪めて笑みを浮かべてすらいた。

「クッ、ククッ。いや、まさか俺が形だけとはいえ十二宮を守る事になるとは思わなかった、って事だ」

 双児宮を前に、ギガス達を見下す様に立ち塞がる海斗。
 ゆらりと立ち昇る小宇宙。
 海斗の戦意を示すかのように、徐々にその大きさを増す。

「……来たな」

 そうして遂に、海斗の目の前にギガス達が現れた。
 その数は十人以上。

「ほう、ここまで無人の宮が続いたので、てっきり我等に恐れをなして逃げたものと思っていたぞ」

「……退け小僧」

「十二宮にはそれを守護する星闘士が居ると聞いた。ならば小僧、お前がそうか?」

「苦しみたくなければさっさと退け。楽に殺してやろう」

 海斗を前に口々に語り出すギガス。
 言っている事は違えども、その根底にあるものは同じ。

「まあ待て」

 その前に、一際屈強な体躯のギガスが歩み出た。
 十二宮がアテナを守る為の砦である以上、それらを繋ぐ回廊も侵入者に対する備えを考慮されている。
 特にこの場で最もギガス達に影響を及ぼした事は通路の幅の狭さであった。
 並の人間よりも一回りも二回りも巨大な体躯を持つギガス。
 それが十人も集まればまともに動けるものではない。
 そして、どれ程数を引き連れようとも正面から対峙するしか無く、同時に仕掛けられる人数も限られる。
 そこまで考えての行動であったのか、単なる驕りであったのか。

「たかが聖闘士の小僧一人に我らが全員で掛かる必要もあるまい。このギガス十将の――」

「うるさい黙れ」

 口上を待ってやる義理は無い、とばかりに海斗が口を開く。
 そしてギガスが名乗りを上げるよりも速く、放たれた拳がギガスの顔面を打ち抜いた。

「ガッ!?」

「遅い」

 次いで胴体に一撃。
 巨体をくの字に折り曲げて崩れ落ちようとするギガスの身体を「邪魔だ」と蹴り飛ばす。
 そして、海斗は密集状態にあったギガス達の中心へと飛び込んだ。

「な、何いっ!? エウリュ――」

 小僧と侮っていた相手からの予想外の一撃に、ギガス達から余裕が消え去った。

「き、貴様あぁあッ!?」

「許さんぞ小僧!!」

 拳を振り上げて海斗へと迫るギガス達。

「兄ちゃん!!」

 危ない、と。その光景を見ていた貴鬼が叫ぶ。
 死ね、と。ギガス達が叫ぶ。

(集束させる……もっと鋭く、もっと速く!)

 シュラは言った、小宇宙を研ぎ澄ませと。
 その言葉を思い出し、海斗がイメージするのはエクスカリバー。
 求めるのはあの鋭さと速さ。
 目の前に立ち塞がる全てを撃ち貫くための力。

「エンドセンテンス!!」

 海斗を中心に放たれる青い光弾。
 それは海斗の小宇宙の高まりに応じるように徐々にその形を変えていく。細く、鋭く。
 
「な、何だこの光は!?」

「ひ、光が……」

 遂には光弾は無数の閃光と化して、群がり来るギガス達の身体に無数の軌跡を描き――深く、鋭く、その身へと破壊の力を刻み込んでいた。

「うぎゃああーーーーーーッ」

 嵐の様に吹き荒れる巨大な小宇宙。
 爆発にも似た轟音と、それに混じるギガス達の絶叫。
 巨体が弾かれるように次々と宙へと舞う。

「ッ!?」

 眩いばかりの輝きに思わず目を閉じてしまった貴鬼。
 だから分らなかった。
 黄金の光を放った聖衣の輝きを。
 海斗の身体から立ち昇った小宇宙のビジョンを。
 天駆ける天馬がその姿を変えようとしていた事を。



 やがて、舞い上げられたギガス達が次々に地上へと叩きつけられていく。
 呻き声も無ければ、身動ぎする気配すら無い。
 双児宮の前に訪れる静寂。
 海斗を中心として激しく吹き荒れていた小宇宙は、まるで凪の様に穏やかな静まりを見せていた。

「やっぱり、あの切れ味は俺には無理だな。貴鬼、終わったぞ」

 静寂を破ったのは海斗の声。
 ポンと、頭の上に置かれた手の感触に貴鬼は顔を上げる。

「どうやら上でも戦闘が始まったな。俺は行くが貴鬼、お前は――」

 ジャミールへ戻れ、と言おうとした海斗であったが、

「おいらも行くよ! 大丈夫、危なくなったら隠れるからさ」

「……離れとけよ、巻き込まれても知らんからな」

 言われると思ったとばかりの貴鬼の反応に、隠れてコソコソされるよりはマシかと、妥協する。

「行くぞ」

 そう言って、海斗は十二宮を駆け上がる。



『戦うのですか?』

 ジャミールを離れる前にムウはそう海斗に尋ねた。

『今の貴方にはこの戦いに関わる理由がありません。違いますか?』

 セラフィナは気にもしてはいないだろうが、海斗は命を救われた事を恩だと感じているし、大きな借りが出来たと思っていた。

「借りを作ったままで放っておけるか」

 拳を握り締め、ただ前だけを見る
 目指すのは十二宮最奥へと続く教皇の間、エキドナの居る場所。





 第16話





「どうやら、この辺りは片付いたみたいだね」

 瓦礫に腰掛け、聖衣についた埃を払い落しながら魔鈴が呟く。
 その身に纏うのは鷲星座(イーグル)の白銀聖衣。
 プロテクターとしての防御特性を特化させた白銀聖衣にあってイーグルの聖衣は敏捷性を重視した物であり、纏う部位は必要最低限の部位に留められている。

「まあ、所詮コイツらはギガスにとっての雑兵なんだろうさ」

 魔鈴の呟きに答えるシャイナもその身に聖衣を纏っている。
 蛇遣い星座(オピュクス)の白銀聖衣。
 イーグルの聖衣と同じく敏捷性を重視している為か、身に纏う部位は青銅聖衣並に少ないが、上半身だけで言えばイーグルの聖衣よりもパーツが多く身を守る範囲も広い。

「こんな風に、ね」

 そう言ってシャイナは足下に倒れているギガスの徒兵の身体を蹴り転がした。
 邪魔な小石を蹴飛ばす、その程度の動作。
 その僅かな衝撃で、倒れ伏していたギガスの身体が崩れ去り塵となった。
 風が吹き、塵と化したその身体を空へと舞い上げていく。
 それを目で追いながら、そう言えばとシャイナは魔鈴に問うてみた。

「……アンタ、星矢はどうした?」

 二人が居るのは居住区から少しばかり離れた小高い丘。
 ここからは居住区全体を見渡す事が出来る。
 聖域全体からは未だ戦いの気配は消えてはいないものの、幸い居住区への被害は未然に防げた事は見て取れた。
 そして、悪意ある巨大な小宇宙がそれを上回る小宇宙によって次々と消えている。
 その事を感じ取り、こうして世間話を持ちかける程度の余裕がシャイナにも生まれていた。

「おれも戦う、なんてふざけた事を言ったから寝かしつけてきた。今頃良い夢でも見ているだろうさ」

「そりゃあまた随分と過保護な事で」

「勝てない相手に挑んで殺されるのは星矢の勝手さ。でもね、この四年間の苦労が無駄になるのは面白くない……それだけだよ」

「無駄、ね。だったら一日も早く聖闘士になる事を諦めさせてやったらどうだい? 星矢じゃあたしが育てたカシオスには勝てないよ。今までもそうだったし……これからもそうさ」

「それが出来れば楽なんだろうけどね。諦めろと言って諦めるような奴ならとっくに日本に帰っているよ」

 魔鈴はそう言うと、無駄話は終わりだと言わんばかりに立ちあがり、周囲の様子をうかがい始めた。
 意識を集中し、感覚を広げる魔鈴の身体からは、うっすらと小宇宙が立ち昇っている。
 シャイナには分らない感覚であったが、空から周囲を俯瞰する、そういうイメージなのだと魔鈴から聞いた事があった。

(こういう繊細さはあたしには無いな)

 好きか嫌いかで聞かれれば、迷う事なく嫌いと答える。シャイナにとって魔鈴はそういう相手であったが、その能力は認めていた。



「何だ? 今感じた小宇宙は……アイツの?」

 僅かに感じた覚えのある小宇宙。
 一種のトランス状態となった今の魔鈴に話し掛けたところで返事が返る事はない。

「まさか、ね」

 それはないか、と。
 手持無沙汰となり、さてどうするかとシャイナが視線を動かし――違和感にその動きを止めた。

(何だ?)

 見晴らしの良い丘の上。
 ここにいるのは自分と魔鈴の二人だけ。
 周囲にあるのは朽ちた遺跡の瓦礫とギガス達の塵と化していく骸。
次々と“撒き上がる”塵。

「風は……吹いていない。なのに――塵が撒き上がる!?」

 魔鈴は何も感じていない。自分も何も感じない、見えもしない。
 半身を下げ身構える。
 気配は無い。
 それでも、拙いと、感覚が訴える。
 感覚に従い思考を打ち切る。
 今は考えるよりも動け、と。
 塵が撒き上がる場所。何も無い筈のその場所へ拳を撃ち込む。
 音速を超える拳撃、放たれる衝撃波。
 二発、三発と続けて放つ。
 拳撃は空を切り裂き大地を穿つ。
 手応えは――ない。

「シャイナ!」

 焦りの籠った魔鈴の声。
 何だ、と問う間もない。

「ッ!?」

 四方から迫る圧迫感。
 脇目もふらず、シャイナはその場から急ぎ飛び出した。
 その直後、大地に十字の亀裂が奔る。
 背後から吹き付ける熱波と飛礫、そして轟音にシャイナの身体が吹き飛ばされる。

「っくぅううう!!」

「シャイナ!?」

 魔鈴は叫び、シャイナのもとへと駆け寄ろうとして気付く。

(飛礫が――砂塵が“あの場所にだけ”届いていない)

 魔鈴の視線の先。遮る物が何もない、見晴らしの良いこの場所で、そこだけが何かに遮られているかのように影響を受けていなかった。

「まさか、小宇宙によって姿と気配を消しているのか? 試す価値はある!」

 右足を引き右拳を腰だめに構える魔鈴。
 相手の正確な位置が分らない以上、必要となるのは手数。

「流星拳!」

 それは、秒間百発以上の拳を放つ音速の連撃。小宇宙の散弾。
 無数の拳撃が空を切る中、鈍い音を響かせて遂に数発の拳が見えぬ敵を捉えた。

「そこか! よくもやってくれたね、倍にして返してやるよ!!」

 好機とばかりに立ち上がったシャイナが追撃を仕掛ける。
 今まで見えなかった敵の姿が、じわりと空間に浮かび上がろうとしていた。

「コイツを喰らった奴は口を揃えてこう言うのさ――電撃を喰らったようだ、とね」

 右手の指先を鉤爪の様に曲げ小宇宙を込めて大きく振り上げる。

「受けてみな! サンダークロウ!!」

 雷の爪。その名の通り、シャイナの繰り出した拳は落雷にも似た轟音を響かせて見えざる敵へと打ち込まれた。

「ハッ、どうだい!」

 確かに感じた手応えにシャイナは勝利を確信し――



『ほう。私の存在に気が付くとは、女の身でありながら――見事。しかし神である私に対して拳を向けるその姿勢、やはり人間は邪悪』



「な、何だ!? 直接脳裏に響いてくるこの声は!」

「小宇宙が、巨大な小宇宙がヒトの形を!? お、大きい……十メートル以上? マズイ!! 駄目だ! 離れろシャイナ!!」

 距離を置いていた魔鈴だからこそ気が付く事が出来た。
 シャイナでは近過ぎて気付けなかった。
 そこに現れたのは群青の炎を纏った巨人。

「我が名は群青(キュアノス)の炎(プロクス)。神の前ぞ。さあ、平伏せ娘よ」

 無造作に振るわれる巨腕。
 ただそれだけの動きであったが、巨人が身に纏う破壊の小宇宙はそれすらも必殺の技とする。

「!?」

 目前に迫る破壊の力。
 シャイナがそれに気付いた時にはもう遅い。
 先のダメージもあった。
 受けるのか、避けるのか、相討つのか。思考が身体に追いつかない。身体が思考に追いつかない。

「あ、あ……」

 視界の中、魔鈴がこちらへと飛び出そうとするのがシャイナには分った。
 無駄だ、と言ってやりたいがそんな猶予が無い事は理解している。
 迫る拳。
 この時、不思議な事に、シャイナはこの場を中心として聖域全体の様子が手に取る様に解る、そんな奇妙な感覚を経験していた。

(死を前にして小宇宙が爆発したって事か、この感じは)

 身体は動かない、なのに思考は澄み渡る。
 今まで感じ取れなかった各地の小宇宙が判る。
 生命と小宇宙は必ずしもイコールではないが密接な関係にある事に違いは無い。
 実際、極稀ではあったが五感の一部を失った聖闘士の中には、以前よりも遥かに小宇宙を高める事が出来る様になった者もいたという。

(だからってこんな時に。あ~あ、こんなのがあたしの終わりとはね)

 悔いは有る。やりたい事もすべき事も。自分は死を目前にしても生き足掻く。
 そう思っていただけに、妙に達観している今の自分に苦笑する。

 迫り来る死の瞬間。

 ふと、自分が死んだと聞いたらあいつはどう思うのか、と。瞳を閉じたシャイナはそんな事を思い浮かべて――

「……?」

 何時まで経っても訪れない衝撃。
 何も感じる間も無く死んでしまったのか。
 ならば、今こうして思考している自分は何なのか。
 死を意識した瞬間のあの奇妙な感覚は既に無い。
 愚にもつかない事を考えながら、そうだった、とシャイナは閉じていた瞼を開く。

 視界に広がる一面の赤。
 風に吹かれて空へと舞い上がる薔薇の花弁。
 その中で悠然と佇むのは黄金の輝きを纏いし聖闘士。
 右手に持った一輪の薔薇でプロクスの拳を止めている。

「急ぎ戻ってみれば……全く、情けない事だ。シャカやアイオリアが居ながら……この聖域を汚らわしい巨人族の血で染める事になるとは。実に嘆かわしい」

「……何者だ貴様」

 問い掛けるプロクスの口調が固い。
 それも当然。
 花一輪で自分の拳を止める。そんな事が出来た相手など話にも記憶にもない。

「我が名はアフロディーテ。ピスケスのアフロディーテ」

 羽織っていた純白のマントを翻し、アフロディーテが名乗りを上げる。
 それに応える様に、宙を舞っていた薔薇の花弁が螺旋の渦と化して一斉にプロクスへと迫る。

「ぬうっ!? 小賢しい真似を」

 視界を埋め尽くさんばかりの赤。
 小宇宙の込められたそれは、プロクスの視界を奪っただけではなく、感覚すら狂わそうとしていた。

「そこのシルバー二人、あのギガスの相手はこのアフロディーテがしよう。君達はここから離れたまえ、邪魔だ」

 敵の姿を見失い動きを止めたプロクスを前に、シャイナ達へと淡々と言い放つアフロディーテ。

「なっ!」

 助けられた事は感謝するが、邪魔だと、こうもハッキリ言われて引き下がれるシャイナではない。

「よしなシャイナ。相手は黄金聖闘士、大人しく従うものさ」

 いきり立つシャイナを抑え、ほら行くよ、と魔鈴がシャイナの腕を取る。

「フフッ、分れば良い。それに、どうやらまだ戦闘を続けている地区もあるようだ。ならば、君達はそこに向かいたまえ」



「……素直に自分に任せろと言えばいいのにねぇ」

「何か言ったかイーグル?」

「いえ、別に」




「ええい、この程度!!」

 プロクスが拳を引き構えをとった。
 小宇宙によって生じた炎が拳を包み込む。
 炎を宿した両手を広げ、それを宙を舞う花弁目掛けて振り下ろした。

「我らギガスは大地――ガイアの加護を受けし者! 大地に宿りし炎の力の前にこの様な花弁など!!」

 その言葉の通り、次々と燃え上がり灰と化していく花弁。
 視界が晴れ、プロクスの視線の先にはただその場に立ち尽くすアフロディーテの姿が見えていた。
 握り締めていた拳を開き、纏った炎が指先へと伸びる。

「焔爪鞭!!」

 それは片手に五本、計十本の炎の鞭となってアフロディーテへと襲い掛かった。
 アフロディーテは動かない。

「神の裁きを受けろ!」

 振り下ろされる炎の鞭。
 空を裂き、大地を抉り、アフロディーテの身体を捉える。
 聖衣を引き裂き、粉砕し――その身を燃やし尽くした。

「愚かなり、人間よ」

 業火の中で崩れ落ち灰となったアフロディーテの姿を一瞥すると、プロクスはその場から立ち去るべく踵を返す。
 先程から共に聖域へと侵入した十将や兵神達の小宇宙を感じ取れなくなっている。
 その事がプロクスに焦りを生む。

「封印から目覚めたばかりとはいえ、たかが人間に敗れたのか?」

 あり得ぬと、逸る気持ちを抑えて一歩を踏み出し

「……ほう、万全であれば負けぬと? 自ら攻め込んでおきながら、その言い訳は実に見苦しい」

「何!? 馬鹿な!! 何故貴様が生きている!? 灰と化した筈だ!!」

 聞こえた声に振り返る。
 そこには目の前で灰と化した筈のアフロディーテが何事も無かったかのように悠然と立っていた。
 焔爪鞭で砕いた筈の聖衣には傷一つ無く、焼き尽くした筈のその身には傷一つ見当たらない。

「こ、これは一体? 私は幻でも見ていたと言うのか!? それに……何、だ? 力が……入らぬ……」

 突如として全身を襲う脱力感。 
 膝をつき頭を垂れるプロクスの目に、自らの四肢に突き刺さる紅い薔薇が映った。

「その真紅の薔薇はブラッディローズ。お前の血を吸って紅く染まった白薔薇だ。そしてこれが――」

 動揺するプロクスを前に、アフロディーテはそう言って一輪の赤い薔薇を差し出した。

「デモンローズ。良い香りがするだろう? と言っても、本来のデモンローズに比べて色も香りも劣る物だ。
 この香気を吸った者は幻に囚われ、まどろみの中ブラッディローズによって思考と体力を奪われる」

「馬鹿な、一体何時の間に? その様な物は……まさか!!」

 そこでプロクスは思い出した。
 目の前の聖闘士が現れた時の事を。薔薇の花弁に包まれて現れた事を。

「あの宙を舞っていた花弁がそうだったと言うのか!?」

「気付いた時にはもう遅い。このアフロディーテと対峙した時、ギガスよ、お前は既に敗北していたのだ」

「お、おのれぇええええええッ!! 認めぬ! 神が人間如きに屈するなどあってはならぬ!! うオォオオオオオオオ!!」

 プロクスの身体から吹き荒れる小宇宙が炎となって、周囲の色を紅蓮に染め上げる。

「神を前にしてのその傲慢、許すまじ! 神に逆らう人間よ! 貴様は邪悪だ!! 私の手によって神罰を与えられなければならない!!」

 生み出した炎によって四肢に突き刺さったブラッディローズを焼き払い、プロクスは咆哮を上げてアフロディーテへと迫る。

「愚かな。美しい薔薇には棘があるのだ。無碍に手折れると思っているのならば、それこそがお前達ギガスの傲慢であると言わざるをえない」

 アフロディーテの手にした薔薇の色が変わる。赤から黒へ。

「実に醜悪。だからこそ、せめて散り際だけはこのアフロディーテが美しく飾ってやろう。舞えよ黒薔薇! ピラニアンローズ!!」

「花弁如きでこの焔爪鞭は止められん! 燃やし尽くして――な、何だとぉお!?」

 目前の光景に驚愕するプロクス。
 アフロディーテの放った無数の黒薔薇は焔爪鞭に触れて燃え尽きるどころか、逆に焔爪鞭の炎が掻き消されていく。
 それは、触れる者に死を与える毒を秘めた黒薔薇。
 それは、触れる者全てを破壊する棘を持った黒薔薇。
 そして、遂に黒薔薇がプロクスに触れた。
 亀裂を奔らせて次々と砕けていく金剛衣。

「こんな事が……こんな事が……」

 それが、プロクスが残した最期の言葉であった。





 行く手を遮る兵士達を歯牙にもかけず吹き飛ばし、立ちはだかる青銅聖闘士や白銀聖闘士達をその巨躯を持って象が蟻を踏み潰すが如く粉砕した。
 侵略して勝利する事。
 蹂躙して支配する事。
 それが暴力の権化であるギガスにとっての全て。
 白い巨人アネモスと黒い巨人ブロンテーの戦いは、正しくギガスの在り方そのものであった。

 しかし――

「ば、馬鹿な! 身動きがとれぬ!? それにこの巨大な小宇宙!?」

「人間が……人間如きの小宇宙が我等に匹敵するなど――ありえん!!」

 その暴力の権化が今、明らかな怯えを見せて恐怖に揺らいでいた。
 目の前に立つ二人の聖闘士を前に。

「リストリクション。ヒトのカタチをしているからと思い試してみたが……。蠍の一指、効果はあったようだな」

 全身の感覚を麻痺させて、拳を振り上げた体勢のまま動きを止めたアネモス。その前に現れたのは蠍座の黄金聖闘士ミロ。
 ゆっくりと、右手の人差し指をアネモスに突き付ける。その爪は紅く鋭い。

「これ以上、お前達の好き勝手に出来る等と思うな」

 片膝をつき腹部を抑えて蹲るブロンテー。その前に立つのは獅子座の黄金聖闘士アイオリア。
 静かな口調とは裏腹に、その身から迸る小宇宙は熱く激しい。
 ギシリと音が鳴る程に力強く握り締めた右拳を、ブロンテーの眉間へと突き付ける。

 力無き人々の嘆きの声を聞き、アイオリアにその“拳”を止める理由は無い。
 戦士達の血に濡れた巨人を前にして、ミロには“慈悲”を与える理由が無い。

 ブロンテーはアイオリアの背後に吠え猛る黄金の獅子の姿を見た。
 アネモスはミロの背後にその毒針を今まさに自分へと向ける巨大な黄金の蠍の姿を見た。

「もはや問答無用!」

 その言葉に込められた思いに違いはあれど、奇しくもアイオリアとミロの啖呵は一致していた。

「ライトニングボルト!!」

 アイオリアの右拳が輝きを放つ。
 それはアイオリアの必殺の拳。
 光の一撃。全てを破壊する光速の拳。

「スカーレットニードル。今から放つこの技は蠍座の星の数、すなわち十五発を撃ち込む事で完成する。
 本来であれば降伏か死か、その十五発の間に考えるゆとりを与える慈悲深い技ではあるが――お前達には必要あるまい!!」

 ミロの右手から放たれる赤い閃光。
 針よりも細く、髪の毛よりも細く。
 相手の中枢神経へと直接撃ち込まれるその一撃は、蠍の毒のような激痛を相手に与える。
 アネモスの身体をキャンバスに見立て、蠍座の軌跡を描くように正確無比に撃ち込まれたその数は十四。

「蠍座の心臓部に位置する赤い巨星。スカーレットニードルの致命点、最後の一指を受けよ。スカーレットニードル――アンタレス!!」

 アネモスの肉体に刻まれた蠍座の刻印。
 蠍の心臓を狙った致命の一撃。
 それは、アネモスの心臓の位置と一致していた。

 光。それが、ブロンテーが最期に思った事。
 熱。それが、アネモスが最期に認識できた事。

「――――――――!!」

 大気すら震わせる絶叫。
 最早声では無く周囲へと響き渡る轟音。
 砕け散る金剛衣。破片を撒き散らしながら衝撃に吹き飛ばされる白と黒の巨人。
 それは互いにぶつかり合い、鈍い音を立てて大地へと崩れ落ちた。





「もう一度言いましょう。聖闘士を――甘く見ない事です」

 シャカの言葉に嘘は無い。それはデルピュネにも理解出来ていた。
 感じ取れる小宇宙は確かにエクレウスのもの。
 しかし、デルピュネは困惑していた。ジャミールで対峙した時とは明らかに小宇宙の高まりが違う。

 そして――

(馬鹿な、この地に侵入した他の者達の小宇宙が感じ取れぬ)

 十将だけではなく、王に黙って兵神すらも動かした。
 必勝を期しての侵攻であった。
 勝てると、そうヤツは言っていたのだ。
 今の聖域にアテナは無く、兵も無いと。

「ク、ククク、クハハハハハハッ! そうか、そう言う事か!! 口惜しい! 口惜しいぞ!! アハハハハハハハハ!!」

 そう叫ぶや否や、デルピュネは仮面を抑えながらまるで気が触れたかの様に哄笑を始めた。
 そのあまりの様子に、サガもカミュも、目の前で対峙するシャカでさえ思わず動きを止めてしまう。

「王は知っていたのか? 所詮我等は贄か!? そんな事が認められる筈があろうものかッ!!」

 気鬼迫る、そう形容するに相応しいデルピュネの変貌。
 そして、振り上げた右腕から迸る炎が無差別に撒き散らされる。

「……これは」

 迫る幾つかの炎を相殺しながら、勢いこそ激しいが先程までと比べてあまりにも威力が無い事にシャカは疑念を抱く。
 何かの策か、そう考えたシャカであったがその答えは即座に明らかとなる。

「最早貴様等の相手をしている暇などはないわ」

 天高く舞い上がったデルピュネが、その身体を何も無い空間へと溶け込まそうとしていた。
 アンブロシアと言う物にあれほどの執着を見せておきながら、突然の逃げの一手。

「逃がさん」

 その動きに反応したのはカミュ。
 転移される前に仕留めると拳を向けたが、突如左右から迫って来た炎の蛇にその動きを止められてしまう。

「これは先程の炎か!」

 無差別に放たれたかに見えた炎は、巨大な炎の蛇の姿となってこの場にいる者達全てを焼き尽くそうと動き出す。
 カミュが見上げた先では既にデルピュネの半身は空間に溶け込んでいた。

(間に合わない)

 そう考えた瞬間、カミュの目がデルピュネへと向かう一筋の光を捉えた。
 それは純白の聖衣を纏った聖闘士。エクレウスの海斗。

「キ、キサマ――」

 デルピュネもまた迫り来る海斗の姿に気付いていたが、既に転移に入っていてはどうする事も出来ない。
 伸ばされた海斗の手がデルピュネの肩を、その身に纏っていた金剛衣を掴む。
 そこにビシリと亀裂が奔った。

「セラフィナを返してもらう。聞けないと言うのなら――」

 ぞくり、と。静かに告げる海斗の様子にデルピュネの身体が震える。

「叩き潰す」

 そう言って、海斗はデルピュネと共に聖域の空からその姿を消した。



[17694] 第17話 交差する道!の巻
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:11bb2737
Date: 2010/10/26 14:19
「ふむ。驕りや増長と笑う事は出来んな。お前の強さにはそれを言うだけの資格がある」

 そして、私と戦う資格も。
 そう言ってアルキュオネウスがシュラへと向かい歩を進める。

「お前の聖剣程ではないが、私もこの右拳には少々自信があってな」

 一歩一歩、その歩みが進む毎に増す威圧感。

「……どうやら、貴様は今まで見たギガス達とは違う様だな」

 このギガスは違う。
 感じる小宇宙は自分と同等かそれ以上。
 己の感覚に従い身構えるシュラ。

 あと一歩で互いの間合いに入る。
 そんな危うい場所でアルキュオネウスがその歩みを止めた。

「我が名はアルキュオネウス、我らが王ポルピュリオン様に仕える神将アルキュオネウス」

 先程放った拳撃の様に、右拳を腰だめに構える。

「黄金聖闘士、カプリコーンのシュラ」

 右腕を掲げ、手は手刀の型に。

「いざ――」

「――参る」

 互いの間合いへと踏み込み、両者は同時に必殺の拳を放った。

「エクスカリバー!!」

「神屠槍(カタストロフ)!!」



 剣撃と拳撃。
 打ち合わされた剣と拳。
 微動だにしない二人。
 互いの視線が相手を射抜かんとばかりに交差する。

「むっ!?」

 苦悶の声。そして、ピシリと亀裂の走る音が鳴った。
 声の主は――シュラ。
 振り下ろした右手――最強の黄金聖衣に亀裂が生じていた。
 拮抗が崩れる。

「どうやら私の拳の方が上であったようだな」

 アルキュオネウスの右拳を中心として生まれる衝撃。
 円状に広がるそれはシュラの身体を包み込み、

「がっ!?」

 抵抗する間もなく、まるで撃鉄に撃ち出された弾丸のように、シュラはその場から弾き飛ばされていた。
 洞窟の壁面へと叩きつけられたシュラ。その身体を覆い尽くすように砕かれた土砂が降り注ぐ。

「ぐっ……むぅ……ッ!?」

「さすがは黄金聖衣。威力が削がれていたとは言え、カタストロフを受けて亀裂で止まるか。しかし――」

 ――ヒトの身体で耐え切れはすまい。

「ぐ……がぁああああっ!?」

 土砂を払いのけて立ち上がろうとしたシュラ。
 その直後、“肉体の内側から爆ぜる様な衝撃”を受けて、その口から、全身から鮮血を撒き散らす。



「それが神ならぬヒトの器の限界よ」

 そう呟いてアルキュオネウスは踵を返した。
 背後では、黄金聖衣を自らの血で赤く染めその場に崩れるシュラの姿があるのだろう。それは予測では無く確信であった。
 カタストロフを受けて立ち上がって来た者はいないのだから。

「……む?」

 数歩進んだところで、ふと覚えた違和感からアルキュオネウスはその足を止めた。
 右腕に感じる微かな何か。

「痺れ……か? いや、これは……金剛衣に亀裂……だと!?」

 カタストロフを放った右腕。エクスカリバーと打ち合った金剛衣の拳に一筋の亀裂が奔っていた。

「奴の一撃は確かに私に届いていたと言うのか!?」

 その事実に至った瞬間、アルキュオネウスは背後から巨大な小宇宙が立ち昇るのを感じた。

「……この傷は戒めだ。十将を統べる神将の力を見誤った……このシュラの迂闊」

 アルキュオネウスが振り返れば、そこには全身を赤く染めたカプリコーンの姿。
 その身の傷など意に介した様子も無く。瞳に映る闘志には欠片の翳りも無く、全身から立ち昇る小宇宙は鮮烈。
 両の脚でしっかりと大地を踏み締め、亀裂の入った聖剣を掲げる。

「……カプリコーン……」

 半死半生、罅割れた剣。
 馬鹿な、と。アルキュオネウスは内心で浮かんだ愚考を振り払う。
 目の前の敵から感じる小宇宙は、傷を負って衰えるどころか、むしろより苛烈に燃え上がっている。

「く、くくくっ。ハハハハハ!!」

 右拳を腰だめに構えながら、面白い、とアルキュオネウスは己が高揚している事を感じていた。

「誇れ。この私に二度放たせた事を――カタストロフ!」

「エクスカリバー!」

 神足の踏み込みが互いの距離を零にする。
 再びぶつかり合う剣と拳。

 決着は一瞬。

 砕け散るエクスカリバー。カプリコーンの右腕(ライトアーム)が弾け飛ぶ。
 両断されたカタストロフ。金剛衣ごとアルキュオネウスの右拳が切り裂かれる。

「相――」

 相打ち。眼前の光景にそう結論付けようとしたアルキュオネウス。
 しかし、まだ終わってはいなかった。
 結論を付けるにはまだ早かった。

 視界に奔る一筋の閃光。

「な――に!?」

 見誤った、とカプリコーンは言った。
 同じだ。
 自分もまたこの男を見誤っていた。

「聖剣は――折れぬ。このシュラの小宇宙が燃え続ける限り!」

 振り上げられるカプリコーンの“左腕”。
 もう一振りの聖剣。

(この男は私と同じ“使い手”では無い。聖剣そのも――)

「エクス……カリバー!!」

 振り下ろされた一撃は空を断ち、大地を断ち、金剛衣を断ち。

「ふ……ふは、ははは……。見、事だシュラ。……お前は……神に勝……」

 アルキュオネウスの意識共々その肉体を両断した。



 塵と化して崩れていくアルキュオネウス。
 その光景を横目で見ながらシュラは膝をついていた。

「ハァ……ハァ……」

 カタストロフによる肉体的なダメージとそれに伴った夥しい出血。
 己の全身全霊を込めて放つエクスカリバー。それを連続した事もシュラの小宇宙に著しい消耗を強いていた。
 生命の、意思の、全ての根源であり源でもある小宇宙。
 それを消耗すると言う事は、己という存在そのものを消耗するに等しい。

「まだ……立ち止まる……訳には……」

 朦朧とする意識の中で、どうにかして立ち上がるべく手を伸ばそうとしたシュラであったが、右腕は意に反して動かず逆にバランスを崩してしまう。

「……」

 まるで力尽きたかのように倒れ込むと、シュラの意識は闇の中へと沈んで行った。





 第17話





 違和感は一瞬。
 身体に感じる重力と、硫黄の臭い。そして周囲の景色が洞窟へと一変した事で、海斗は転移を終えた事を理解する。

「チッ!」

 舌打ち。
 デルピュネの転移に強引に割り込んだためか。その時、海斗の感覚に異常が起こっていた。

「小僧ッ!!」

 デルピュネのヒステリックな甲高い声。
 僅かに開いた間合いから繰り出されたのは蹴り。
 それを分っていても身体が動かない。反応が――遅れる。
 ガッ、と胸に受けた衝撃に、デルピュネの肩を掴んでいた海斗の手が離れた。

「ぐっ!?」

 蹴り穿たれたエクレウスのチェスト(胸部)に亀裂が奔り、海斗はそのまま洞窟の底へと叩き落とされる。
 
「あああああああああっ!! 消え去れ!! 塵一つ残さず燃え尽きよ!!」

 獣の咆哮の様な叫びを上げて、デルピュネが球状に纏め上げた炎の塊を海斗目掛けて解き放つ。

「――ッ!? なめるなぁあ!!」

 自ら高めた小宇宙によって土砂を吹き飛ばした海斗が叫ぶ。
 目前に迫る炎を前に、両手を腰だめに構えて不動の姿勢で迎え撃つ。
 彼の者を知る者ならば、大地を踏みしめて立つ海斗の姿にタウラスのアルデバランを見たであろう。
 螺旋を描いて立ち昇る小宇宙。黄金に輝く聖衣。

「聖闘士として過ごした日々が今、ダイダルウェイブを昇華させた。受けろデルピュネ!」

 吹き荒れる小宇宙は海斗の意思に従い流水へと変質し、天駆ける天馬の姿を経て大海の魔物――海龍の姿となった。

「ハイドロプレッシャー!!」

 突き出された両手から、溜め込まれた力が、海龍が全てを呑み込み喰らうべく解き放たれた。
 炎を呑み込み瀑布の如き爆発的な勢いを持って、圧倒的な質量を持った水がデルピュネへと襲い掛かる。

「……永遠が……我の……。あの娘の力と――」

 圧壊する金剛衣。砕け散る仮面。
 破壊の意思に満たされた小宇宙によって生み出された水。それは規模こそ違えども、神話の時代に神々が地上を破壊するために起こした大洪水のそれであった。



「――う……ぁ……」

 ハイドロプレッシャーを消し去った海斗の耳に呻き声が聞こえたのはそのすぐ後の事。
 声の下へと向かえば、そこには無残に転がるデルピュネであった物の姿。

「エキドナ、だったか。あいつとは気配が違い過ぎるからもしや、とは思っていたが。本物の神様――いや、化物だった、って事か」

 仮面を失い露わになったのは窪んだ眼窩に剥き出しの歯茎。ひしゃげた鼻に骨と皮。
 例えるならば老婆のミイラ。
 妖艶な色気も艶に満ちた声も全てが偽り。
 それが、神話の時代より現代まで封じられていたデルピュネの真の姿であった。

「まだ息があるな。ここがどこか、何て事はどうでもいい。答えろ、セラフィナはどこにいる? この奥か?」

 膝をつきデルピュネの身体を抱える。
 まるで枯れ枝のようなその軽さに、これが本当に先程まであれ程荒々しい姿を見せていた者かと、海斗はその不気味さに息をのむ。

「……お……れ、ゆ……るさ……」

「おい!」

「……若……を……」

 海斗の事を認識しているのか、それとも既に正気を失っているのか。
 デルピュネの口から洩れる言葉は酷く断片的で一向に要領を得ない。
 時間の無駄か、と諦めて立ち上がろうとしたその時、死に体であった筈のデルピュネが何かを掴もうとするようにその手を伸ばす。
 何事かと海斗がその手を掴もうとした瞬間、

「――ドルバルッ!!」

 口から血を吐き出しながら、怨嗟に、呪いに満ちた声でデルピュネが叫んだ。
 そして――
 
「ガハッ!」

 大きくせき込み吐血すると、そのまま力無く腕を下ろしてその動きを止めた。
 程なくしてその身体が灰と化して崩れていく。

「……ドルバル? 何だ?」

 意味は分らなかったが、少なくとも自分に向けられた言葉では無い事は理解できた。
 呪いの言葉を向けられるならばまだ分るのだが。
 気にはなったが、その事をこれ以上考える事は無かった。

「――!? この感じ。この奥からかすかに……小宇宙を感じた」

 大地の奥深くから微かに感じた小宇宙。
 海斗の向けた視線の先には先程の戦闘の影響か岩肌が崩れた場所があり、そこから奥へと続く通路の様な物が見える。
 岩肌が淡く発光している事もあり、視界に関しての問題は無さそうだった。

「坑道か? 隠し通路ってわけでもなさそうだな。それなりにでかい洞穴だが、あの巨人どもが複数で動くには狭すぎて廃れた道、ってところか」



 どれ程の距離を進んだのか。
 数キロか、それとも数十キロか。
 どれ程の時間を歩いたのか。
 数時間か、それとも数分でしかないのか。

「この臭いは……やはり硫黄か。それにこの暑さ」

 流れる汗をぬぐいながら、変わり映えのしない洞窟内を延々と歩き続ける。
 進む程に増す暑さと、奥から感じ取れる小宇宙だけが前に進めている事を海斗に実感させる。

「探索中に噴火、って事だけは勘弁してもらいたいな」

 時折り洞窟内が震えて岩肌に亀裂が奔り、天井からはパラパラと破片が降り注ぐ。
 周囲の様子に気を配りながら歩みを進めると、やがて大きく開けた場所へと辿り着く。

「火山洞に地底湖かよ」

 周囲の熱気とは正反対の涼を感じさせる巨大な地底湖がそこにあった。
 ザバンと大きな音が鳴り響き、湖面に巨大な波紋が浮かぶ。
 そうして次々と、天井から崩れ落ちた破片が大小様々な波紋を生みだしていた。

「……あれは“門”か?」

 舞い散る水飛沫の向こうにぽっかりと空いた黒い穴。
 丸みを帯びた洞窟の中で、その穴の周囲だけが“切り取られたかのように”四角い形状をしていた。
 微かな小宇宙はその闇の奥から感じ取れる。

「あの奥か」

『――そうだ、あの奥に我らが王のおわすパレスがある』

 ぞくりと、背筋に冷たいものを感じて海斗はその場から跳んだ。

「アクスクラックス!!」

 熱波が背中に纏わり付き、次いで圧しかかるような圧力が加わる。
 ビュオウと風を切り裂く音が聞こえた時には、海斗の身体は衝撃と共に地底湖へと叩き付けられていた。

「ッ……!!」

 幸いにも地底湖の水深はそれほど深くは無く、腰まで水に浸かりながらも海斗は直ぐさま立ち上がり敵の姿を探す。
 すると、先程まで立っていた場所に奇妙な影があった。
 それは、蝙蝠の様な翼を広げたギガスであった。
 灼熱の炎を纏った大蛇にも似た剣を右手に、悪魔の頭部を思わせる山羊の顔を模した盾を左手に持ち、赤黒い輝きを放つ金剛衣を纏っている。
 振り切られたように構えられた右手から、海斗は斬撃を受けたのだと理解した。

「オレの名はキマイラ。合成獣のキマイラ」

「キマイラ、だと? 神話の化物か。……づぅ!?」

 背中から感じる灼熱の痛みに思わず苦痛の声を上げる。
 水面には背中の方から赤い色が広がっていた。
 痛みと背後からパシャパシャと続く音で海斗は聖衣が砕かれた事を理解する。

『――だが、それを知ったところで無駄な事』

 響いたのは先程とは違う声。

「二人いた!? いつの間――ぐあっ!!」

 音も気配も無く。
 意識の外から叩きつけられた衝撃に、成す術も無く海斗の身体が吹き飛ばされ再び地底湖へと叩きつけられた。
 完全なる不可視の一撃。
 重圧により聖衣が軋みを上げ、衝撃に耐え切れずにヘッドギアが額から弾け飛ぶ。

「がはっ!!」

 気管に入った水を吐き出しつつも、追撃に備えて直ぐさま身構える。
 キマイラの対面、海斗からすれば正面にそのギガスは立っていた。
 頭部、胸部、両手足。その全てが魔竜の頭部を模した漆黒の金剛衣を身に纏っている。
 その輝きは闇夜に流れる雲のように黒と白が流動していた。

「吾は百頭龍のラドン」

「……また神話の化物か。それも龍、だと……」

『――あの娘と共に、お前はここで王の贄となる』

 気配も無く聞こえる声。
 この声もまた、キマイラともラドンとも違う。

「何度も何度も……いい加減に――」

 不意に海斗の周囲に闇が落ちた。

「ッ!? 上か!!」

 闇の正体は巨大な影。
 天井から、巨大な顎を開いた三つ首の魔獣が海斗目掛けて迫る。

 地底湖に凄まじい水飛沫が上がり、まるで爆発でも起こったかのような轟音が鳴り響き、洞窟内が振動する。
 天井からは大小無数の欠片が地底湖へと降り注ぎ、それがまた音と飛沫を上げ続ける。

「オレの名はオルトロス。魔双犬のオルトロスよ!」

 飛沫を撒き散らしながら立ち上がった魔獣が名乗りを上げる。
 両肩に獰猛な魔犬の頭部を模した金剛衣を纏ったギガスであった。青い輝きは暗く濁っている。

「忌々しい封印の地なれど、もはやここは我らギガスの領域! 気配を消し去る事など造作も無いわ!!」

 顎を開き得物を睨みつける、そんな魔獣の顔を思わせる兜の存在もあって、その姿は三つ首の魔獣にしか見えない。

「そして! 我らがいる限り、お前のような虫けらがあの門をくぐる事など叶わぬと思い知れ!」

「上等だ。俺の邪魔をするのなら――叩き潰す!!」

 オルトロスが天井へと視線を向ければ、そこには一瞬の内に跳躍していた海斗がいた。
 先程とは真逆の状況。
 仕掛けるのは海斗、迎え撃つのはオルトロス。
 オルトロスは両手を広げ、海斗は空中にあって器用に体勢を変えると右脚に小宇宙を集中する。
 互いの視線が真っ向からぶつかり、その刹那、互いに必殺の技を解き放った。

「レイジングブースト!!」

 放たれた蹴りは、夜空に流れる流星のように光の尾を引いてオルトロスへと。

「サフィロス・エネドラー!」

 交差された両手から獰猛な唸りを上げた二頭の魔犬が現れる。
 魔獣は巨大な顎を開き、涎にまみれた鋭い牙と口腔を剥き出しにして、左右から海斗の身体を喰い千切ろうと襲い掛かる。

 一瞬の交差。

 再び地底湖に轟音と巨大な水飛沫が巻き上がった。

「ぐうっ!」

「むおおおおお!?」

 弾かれるように吹き飛ぶ海斗とオルトロス。
 しかし、先に体勢を立て直したのはオルトロスであった。

「く、くくっ。多少はやるようだが、オレを後退させるのが精一杯だったようだな」

 その言葉には嘲りを含み、眼差しには侮蔑が込められている。

「……そうかな?」

 オルトロスの視線の先では、右足から血を流し聖衣の左肩を破壊された海斗がゆっくりと立ち上がろうとしていた。

「虚勢を張るな。デルピュネとの戦いは知っているぞ。小宇宙を消耗し、今またこうして手傷を負ったその身でオレたちを相手に出来ると本気で思っているのか?」

 そう言ってキマイラがオルトロスの横に立つ。
 ラドンもまた無言のまま並び立っている。

「思っちゃいないさ。相手に――するんだからな!」

 額から流れる血を拭いながら、しかし、言葉とは裏腹に海斗の闘志に衰えは無い。
 ダメージは確かにある。想像していたよりも右脚の裂傷が酷い。
 背中の傷も無視出来無い。
 長期戦は無理だろうと判断するが、それについての問題は無い。
 海斗には元より長期戦などするつもりは無いのだ。

 海斗の身体から立ち昇る小宇宙に衰えが無い事を感じ取り、ラドンが一歩前に進んだ。
 キマイラもまた剣と楯を構えて身構える。

 まさに一色即発。

 僅かな動きも見逃すまいと、対峙する者達の間の空気が張り詰める。



『――手負いの相手が不満であると言うのならば、わたし達が相手をしようか』



 洞窟内に響き渡るフルートの音色。
 澄んだ音色と共に、力ある声がその場にいた者達の動きを止める。

「何者だ!」

「聖闘士か?」

「――聖闘士では無いよ」

 キマイラとラドンの問いに応えるように、洞窟の奥から人影が二つ現れる。
 それは黄金聖衣とはまた違う、黄金の輝きを放つ鎧を身に纏った闘士であった。

「海闘士だ。海将軍セイレーンのソレント」

 口元からフルートを離し、ソレントが名乗る。
 地中海に於いて、その美しい歌声で船人たちを誘い喰らったとされる神話の魔物セイレーン。

「同じく、海将軍クリュサオルのクリシュナ」

 そう名乗ったのは黄金の槍を持った浅黒い肌の男であった。
 海皇ポセイドンの子であるクリュサオル。その名には、黄金の槍を持つ者という意味を持つ。その姿を模した鱗衣を纏った男。

「……海闘士、それも海将軍が二人だと」

 キマイラ達へと向けた構えは崩す事無く、海斗はちらりと背後の様子を窺った。その内心の驚愕は新たなる侵入者に驚きを隠せないキマイラ達の比では無い。
 万全の態勢であればまだしも、この状況下で海将軍までも相手に出来ると考えられる程自惚れてはいない。

 ソレントとクリシュナが一歩一歩近付いて来る。
 背後に感じる二つの巨大な小宇宙に海斗の緊張がいやにも高まる。

(――来るか?)

 海斗が意識を切り替えようとしたその時、スッと二人は海斗の横を通り過ぎた。
 そして、次いでソレントの口から出た言葉に、海斗はここが戦場である事も忘れて呆けてしまう。

「行きたまえエクレウス」

「……な、に?」

「ギガスは――」

 呆けた海斗の様子など気にした風も無く、クリシュナが口を開く。

「ギガスは我らが神ポセイドン様にとっても討ち滅ぼさねばならぬ敵よ。邪魔をすると言うのならば、手負いの身であっても容赦はせんぞ、アテナの聖闘士」

「……いや、言っている事が分っているのか?」

「心配せずとも時が来れば我々海闘士と聖闘士は戦う事になる。今はまだその時ではないという事です」

 そう言ってソレントは手にしたフルートをギガス達へと突き付ける。

「シードラゴンは手出し無用と言いましたが……今、最も優先すべきは――ギガスの排除」

「俺たちは“出会わなかった”。そういう事か」

 ソレントの真意を測りかねる海斗であったが、時間が惜しいのは事実。
 
「……海斗だ。借りが出来たな」

 自ら名乗り、海斗は門へと向かい駆け出した。

「むぅ!? 行かせんぞ!」

 その動きを察知したキマイラが飛び出そうとするが、その前にクリシュナが立ち塞がる。
 ラドンの前にはソレントが立ち、その行く手を阻む。

「吾の邪魔をするか。よかろう。聖闘士も海闘士も敵である事に変わりない。しかし、それでも三対二だ」

「違うな。二対二だ」

「何?」

 いぶかしむラドン。
 その耳にキマイラの急かす様な声が聞こえた。

「何をしているオルトロス! あの聖闘士を――な、オルトロス!!」

 驚愕の声にラドンが視線を動かす。
 その先ではオルトロスが微動だにせず、ただその場に立ち尽くしていた。

「気付いていなかったようだな。エクレウスとあのギガスが繰り出した技は相打ちでは無かったのだ」

 ソレントが告げる言葉の正しさを証明するように、オルトロスの纏った金剛衣に亀裂が奔り――四散した。

「エクレウスの一撃は、既にあのギガスを破壊していたのだ」

 悲鳴すら上げる事無く、オルトロスは全身から血を吹き出して地底湖へとその身を沈めた。

(恐るべき聖闘士だな。カノンがあれ程までに危険視した理由が分る。だからこそ、次に会う時は同胞として合いたいものだが)

 内心に浮かぶその想いを押し止め、ソレントはラドンへと向き直った。

「さあ、始めようかギガスよ。お前達のその魂、再び冥府の底へと送り返して見せよう」





 大陽の光が届かぬ地の底にあって、妖しい光に灯されたパレスの最深部。
 円形に形取られたその広間はまるで古代の闘技場を思わせる。

 例えるならば支配者の座す場所。
 全てが見渡せるその場所に――王がいた。
 巨大な岩石をそのまま加工して創り上げた玉座。形容するならばそうなる。
 そこに腰掛けるのは煌びやかな装飾が施された外套を纏ったギガスの王ポルピュリオン。
 外套越しにも分る屈強な体躯。ぎょろりと見開かれた瞳、炎のように逆立った髪、無造作に蓄えられた髭。
 その容貌は、伝承に伝えられる巨人族そのものであった。

「ふむ。アルキュオネウスが敗れデルピュネも逝ったか。僅かの間に随分と多くの鼠を紛れ込ませたものだ」

 そう言って、ポルピュリオンは手にしたグラスを傾ける。

「紛れ込むもなにも、元より迎え入れるつもりであったのでしょうに」

 ポルピュリオンの横に控えていた純白の外套を身に纏った男が、そう言ってグラスに紅い液体を注ぎ入れる。
 それは穏やかな物腰と、僅かな動きにすら優雅さを感じさせる美しい男。
 細身の身体、真っ直ぐで長い黒髪、色白にも見える肌は隣に座るポルピュリオンとの対比もあってあまりにもギガスらしからぬ存在であった。

「聡いな、お前は」

「――では、そろそろわたしが出向きましょう」

「随分と楽しそうではないかトアス」

「……分りますか?」

「だが、どうやら相手は黄金聖闘士ではないぞ」

「構いませんよ。聖衣の優劣が強さの全てではない、かつて我等と戦ったアテナの聖闘士達がそう言っていたではありませんか」

 柔らかな笑みを浮かべながらそう言うと、トアスは手にした水差しをテーブルに置きポルピュリオンの前に進む。
 そして、その場に片膝をついて告げた。

「全ては――我らが王の御心のままに」

「期待しているぞ迅雷のトアス。我が右手。最強の神将よ」

「ハッ」

 外套を翻して立ち上がるトアス。
 その身に纏われた金剛衣には、まるで孔雀の羽根を思わせる優雅な装飾が施され、曲線を多用されたそのフォルムは聖衣に近いものがあった。
 ポルピュリオンに恭しく一礼すると、トアスは踵を返して歩き始める。
 己が待ち焦がれた戦場へと。



 頬杖をつきながら、去り行くトアスをしばし眺めていたポルピュリオン。
 その背中が見えなくなったところでゆっくりと口を開く。

「そう、実に多くの鼠が紛れ込んだ。それは聖闘士の事だけでは無い。お前の事でもある。なあ――ドルバルよ」

「……これはこれは。手厳しいですな」

 玉座の背後からゆらりと影が蠢いた。
 現れたのは、ぼろ布の様なローブで全身を包み込んだ男。
 目深にかぶったフードによってその容貌を窺い知る事は出来ない。
 ただ、僅かに窺える口元には笑みを浮かべていた。

「上手くデルピュネをかどわかしたものだ」

「肉体と魂を切り離されて封じられた貴方がたギガスとは違ったのです。デルピュネが封じられたのは魂のみであり、その肉体は時の流れと共に無残にも老いていた。
 女としては……耐えられなかったのでしょうな」

「老い、か。若さに執着する、その感覚は我には分らんな」

 クククッと喉を鳴らして笑うポルピュリオン。
 可笑しそうに、愉しそうに笑う。

「目論見通りか? おかげで我らギガスと聖闘士共は消耗した。フッ、アスガルドだけで満足しておればよいものを」

「……さて」

 ドルバルはそれ以上を語らない。
 口元に笑みを浮かべたままじっとその場に立つのみ。

「アテナに施された我らの封印。効力が弱まっていたとはいえ、それを解いた事には感謝しよう。戦えと望むのであれば言われずとも戦おう。
 だが、覚えておくが良い。我らギガスにとって我ら以外の全ては討ち滅ぼすべき敵よ。その事を、ゆめゆめ忘れるなよ、ドルバル」

「結構。その時には……我らアスガルドの神闘士(ゴッドウォリアー)が存分にお相手致しましょう」

 その言葉を最後に、まるで初めからその存在など無かったかのように、周囲からドルバルの気配が消えた。

「フン。我ら、か。我が、の間違いであろうに」

 そう呟いたポルピュリオンは、グラスに残った紅い雫を飲み干すと玉座から立ち上がった。
 投げ捨てられたグラスが音を立てて砕け散ったが、それを気にした様子も無く、ゆっくりと広間へ向かい歩を進める。

 そこには岩で造られた祭壇があり、手足を漆黒の鎖によって拘束されたセラフィナが一糸まとわぬ姿でまるで咎人のように括り付けられていた。

 微かに上下する胸がセラフィナの生を伝えている。
 それを一瞥すると、ポルピュリオンはその視線を祭壇の下、血溜まりに倒れる少女――エキドナへと向けた。
 纏われていた金剛衣は無残に砕け、仮面は真っ二つに割れて転がっていた。
 海斗の想像していた通り、仮面の下にあった素顔は東洋人風の少女のもの。
 しかし、美しいと形容出来たその素顔も今は赤く血に染まっている。
 ポルピュリオンは無言のままエキドナの右腕を掴み上げると、真紅のルビーが填められた腕輪を力任せに引き剥がした。

「う……あっ……」

 その痛みで意識が戻ったのか、エキドナの口から苦悶の声が上がったがポルピュリオンは意に介さず、そのままエキドナの身体を投げ捨てる。

「あがっ!」

 祭壇に叩き付けられたエキドナは、セラフィナの身体に覆い被さるようにして力無く崩れ落ちた。

「聖闘士の資質を持った者をエキドナの器とし、その者にこのルビーを与えるとはな。ドルバルめ、下らぬ事を考える」

 エキドナは――その名を与えられたのは人間の少女であった。
 ドルバルによって精神を支配された少女は己をギガスと信じて行動していた。
 その綻びはジャミールの地で生じ、そして、この場で少女はアテナの聖闘士として覚醒を果たす。

 聖闘士とギガスが対峙して行われる事は一つしかない。

「……無謀にも我に挑んで見せた蛮勇は好ましいが、如何せん実力が伴わぬ。聖衣の無い聖闘士に何が出来るものか」

 そこでふと、ポルピュリオンは彼らしからぬ愚にもつかぬ事を考えた。

「神話の時代、我と対峙した聖闘士が言っていたな。聖闘士はその魂に星座の定めを刻み込んでいる、と。
 セイカと言ったか。その定めがこうして傀儡と化して果てる事であれば――実に哀れなものよ」

 腕輪からルビーを外したポルピュリオンは、それをセラフィナの胸へと押し当てる。
 途端にルビーから赤い闇――そうとしか形容の出来ない何かが溢れ出し、セラフィナの周囲を覆い尽くすように広がり始めた。

「ク、クククッ。フハハハハハハハハ」

 赤い闇が、哄笑を上げるポルピュリオンに迫る。

「いま暫くの御辛抱を。間もなく全ての準備が整います」

 全てが赤い闇に呑み込まれる中、ポルピュリオンの声だけが広間に響き渡った。



「全ては我らが――王のために」



[17694] 第18話 千年の決着を!の巻
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:11bb2737
Date: 2010/11/19 01:58
 洞窟内を照らす明かりが赤みを帯び始める。
 それは赤黒く煮え滾る熔岩、その炎に照らされた色だ。
 地下深く、その火口をぐるりと囲むように螺旋を描いた通路と呼ぶのもためらわれるような道を抜ける。
 行く手を阻むのは、百の蛇の頭と何本もの手足を持った魔獣、そうとしか形容のできない意匠を施された巨大な青銅の扉。
 そこから先は王の――ギガスの神の意志が支配する聖域。
 その先にあるのは巨大な広間と神の為の祭壇。

 現世と神域、その狭間である扉の前で激しくぶつかり合う二つの小宇宙。
 人の目では捉えきれない速度で交差する輝き。
 幾重にも重なり合った軌跡は、やがて地の底で聞こえるはずのない落雷にも似た轟音が鳴り響いた事で消え去った。

「……これで三度目。私の“スティグマ”が君を捉えた回数だ」

 扉を背に、人影がゆっくりと歩を進める。
 呟かれる声の主は神将“迅雷の”トアス。穏やかさを秘めた眼差しのまま、落ち着いた様子で続ける。

「これで分ったろう? 君は確かに速い、まさしく神速だ。それでも……私の方が速い。私の二つ名を教えよう、迅雷だ」

「――だが、軽い。その重さじゃあ、俺は倒せない」

 トアスの正面。
 崩れ落ちた壁面と、うず高く積み上げられた土砂の山から黄金の輝きが放たれる。
 その光に押し上げられるように、内側から土砂が弾け飛んだ。
 飛礫がトアスの周囲にまで及ぶが、そのどれもがその身に触れる事はない。
 光の中から現れたのは黄金の輝きを放つ聖衣を纏った聖闘士――海斗。

「確信したよ。この聖衣は俺の小宇宙の高まりに応じてその強度を遥かに高めている。
 “スティグマ”だったか? 確かに速く鋭い一撃だったが……俺の意思が、小宇宙の炎が消えない限りこの聖衣を貫く事はできない」

 海斗の言葉を証明するように、黄金の輝きを放つ聖衣にはこれまでの戦いでの破損こそ有ったが、トアスによって新たに付けられた傷はない。

「そして、お前の速度にも慣れてきた。“スティグマ”の正体は小宇宙を針のように細く鋭く集束した指弾だな? 確かに速いが――次は捉える」

 腰を落とし、構えた両手がエクレウスの星座の軌跡を描く。
 アルファからベータ、ガンマ、そしてイオタ。四つの星からなる縦に長い台形。それがエクレウスの軌跡。
 高まり続ける海斗の小宇宙はその背にオーラとなって天駆けるエクレウスの姿を浮かび上がらせる。

 それを見て、トアスの表情が変化した。
 一瞬であったが、そこに浮かんだのは驚愕と歓喜。

「……形状が異なっていたのでね、こうして目の当たりにするまで半信半疑だったよ。だが――その構え、その小宇宙が生み出すオーラを私は知っている。やはり、君は“そう”だったのだな。
 これから君が繰り出す技を当てて見せようか? その体勢から放たれる技は“エクレウス”の必殺拳、小宇宙の流星“エンドセンテンス”だ!」

「!? チッ!」

 一分の隙も見逃すまいと意識を集中していた海斗であったが、初見の相手に、この地では見せた事のない技を言い当てられた事は、ほんの僅かであったが技の精度を乱す結果となった。

「まさか千年の時を経て、こうして再び相見える事ができようとはな! 久しいな、とでも言うべきかなエクレウスッ!!
 決着を! 運命が私たちに決着を着けろと言っているのだ!!」

 穏やかな雰囲気から一変し、トアスの口調はまるで闘争心をむき出しにしたかのような激しさを帯びる。
 それまでが例えるならば陽光であったとしよう。今のトアスは業火であった。

「何を――言っている!!」

 放たれるエンドセンテンス。
 それを前にしてトアスは構えを取った。奇しくも、その構えは海斗と同じ。

「これが我が迅雷のトアス最大の拳“アヴェンジャー・ショット”!」

 交差する閃光と閃光。
 ぶつかり合う光弾。
 せめぎ合うのは破壊の意思。
 その事実に、今度は海斗の表情が変わる。

「同質の――いや、同じ技だと!?」

「言ったはずだよ“知っている”と!」

 海斗とトアスの横を、互いに相殺しきれなかった光弾が飛び交う。

「そう、今の君には分らない事だ! ならば教えてあげよう。千年前、私は、いや私たちギガスは目覚めていたのだ。今、この時のように!
 そして私たちの王、ギガスの神復活の目前まで事を進めていた。それを阻んだのは二人の聖闘士だったッ!!」

 光の軌跡の中を駆け抜ける海斗とトアス。
 光の乱舞は二人が互いの拳をぶつけ合う事で終わりを見せる。

「私はあの時の事をよく覚えている。そう、一人はエクレウスの聖闘士だ。今の君よりもう少し年を経ていた。髪の色も瞳の色も違っていたがね。
 しかし、身に纏った聖衣は今の君と同じく黄金の輝きを放っていたよ! そしてもう一人、その師と名乗ったジェミニの黄金聖闘士」

 痩身の優男のように見えてもその本質はギガスという事か。
 その外見からは信じられないような圧力が、拳を伝わり海斗へと押しかかる。

「これは運命だと私は感じているよ。あの時はジェミニによって邪魔をされたが、こうして再びエクレウス――君と相見える事ができたのだから!!」

「千年……だ? そんな、昔の話、俺の……知った――事かあっ!!」

 ふざけるな、と。その意思を込めた海斗の叫びとともに、トアスの身体から一瞬力が抜けた。
 その事実にいぶかしむ間もなく、突き上げるように繰り出された海斗の蹴りがトアスの頬に一筋の赤い線を刻みつける。
 それは押しかかる力の流れに逆らわず、むしろそれを勢いとして相手に返すカウンター“ジャンピングストーン”の変形。
 とはいえ、所詮は見よう見まねの紛い物であり、本家の技におよぶはずもない。
 しかし、状況を変化させるには十分な効果があった。
 後退したトアスと、空中にて身体を反転せて着地した海斗との間に距離が生まれる。
 近過ぎず、遠過ぎず。
 それは互いの必殺拳の間合い。

「さあ、あの時の決着を着けようエクレウス。千年前の君は強かった。そして今の君も強い。ならば何の問題もないッ!! “アヴェンジャー・ショット”!!」

「ああ――そうだな。お前の言い分なんぞ知った事か。俺の邪魔をするのなら、誰であろうと倒すべき敵である事に変わりはないんだからな!! “エンドセンテンス”!!」

 同質の技であるエンドセンテンスとアヴェンジャー・ショット。
 今度はお互いに万全の体勢から全力で放たれた。

「うぅおおおおおおおおおおっ!!」

「あぁああああああああああっ!!」

 閃光の中で繰り広げられるのは無数の拳撃の応酬。
 威力は互角、精度も互角、速度も互角、放たれる拳の数も全てが互角。

 変化が起こったのは直ぐであった。
 繰り出される拳撃のあまりの数に、行き場をなくした力の余波が二人の間に小さな渦を生みだした。
 雫の一つ、その程度の大きさであった渦は、周囲の力を取り込み続け瞬く間に巨大な渦となり、渦はやがて破壊の力に満ちた巨大な繭となって具現化する。

 千日戦争(ワンサウザンドウォーズ)という言葉がある。
 実力の伯仲した黄金聖闘士同士が戦った際、互いに一歩も動けず、膠着したまま千日経っても決着が着かない状況に陥る事を表した言葉である。
 
 この時の海斗とトアスの状況はまさにそれであった。
 むしろ、互いの力を集束した爆弾が目の前にある時点で状況としては最悪としか言いようがない。

「フ、フフフ。ハハハハハッ! 全てにおいて互角か!! それでこそエクレウス、私の認めた人間だ」

 そう告げるトアスの表情が、口調が、最初に対峙した時のように穏やかなものになっていた。
 その眼差しは慈愛に満ちてさえいた。
 二人の間に生じた光の繭により、こうして向かい合っていながらもトアスからは海斗の表情を窺う事は出来ない。

「だが……全てにおいて互角であるならば、それはすなわち――」

『――私の勝ちだ』

 その言葉をトアスは胸の内に秘めた。
 二人を包み込んでいた閃光は既にその色を失っていた。

「万全の態勢であったならば、そうは言うまいよ。これは戦いなのだからな」

 憂いさえ帯びたトアスの視線の先。光の繭の向うから赤い色が散っていた。
 それは生命の色。鮮血の赤。
 海斗の背中から、左肩から、右足から。ここに来るまでに受けた傷口の全てが開き出血をしていた。

「そして、既に君の肉体には私の与えた聖痕――スティグマが刻み込まれていた」

 海斗の身体に浮かび上がる淡い光点。聖衣の上から灯ったその数は三つ。

「成程、確かに君の聖衣を貫く事はできなかった。しかし、私のスティグマは身に纏う物の有無を問題とはしないのだ。だからこそ“聖痕”なのだよ」

 トアスのその言葉が終わると同時に、海斗の聖衣から黄金の輝きが消えた。
 そして、三つの光点から鮮血が噴き出す。

「この技は、本来生贄となった人間の血を神に捧げる為のものだ。その中で私は生物の気脈、血脈の急所を知り研鑽を重ねて“スティグマ”とした。
 君に打ち込んだスティグマは血を奪い、五感を奪い、そしてゆるやかに君の命を奪うはずだった。しかし、この状況ではそれもかなわない。
 五感が衰えた事で苦痛が和らげられる事がせめてもの救いか」

 光の繭がその力の全てを解き放とうと、海斗へと向かいゆっくりと進みだしていた。

 事ここに至り、両者の拮抗は完全に崩れていた。
 糸の切れた人形のように海斗の身体が崩れる。
 だが、完全ではない。その額が地に触れようかという所で、どうにか膝をつきながらも堪えている。

「その身体で……よく持たせるものだ。しかし、その光球はもはや私の力でもどうする事もできない。君はよくやった。間違いなく強者であったよ。静かに敗北を、死を受け入れたまえ」

 光の繭が迫る。
 突き出された海斗の両手からピシリと音が鳴った。亀裂の音だ。
 エクレウスのアーム(腕部)に無数の亀裂が生じていた。
 それはアームだけではなく、立て膝となっていたレッグ(脚部)にも現れていた。
 光には触れてはいない。
 余波だ。
 炎の周囲に手を近づければ熱を感じるように。
 光の繭が放つ破壊の力、その余波ですらが聖衣の耐久値を超えていた。

 光が海斗の身体を包み込む。
 その瞬間、海斗がどのような表情を浮かべていたのかをトアスは知らない。
 トアスは背を向けていた。
 それが情と言わんばかりに。

「これが私たちの千年の決着だ。さらばエクレウス」

 眩い閃光がトアスの背を照らし、地に長い影を落とした。





 第18話





 少し昔話をしようじゃないか。
 これは、俺が先代から、いや先々代だったか? まあどうでもいいやな、兎にも角にも聞いた話さ。

 今より千年の昔。
 って、ぴったり千年ってわけじゃないんだ。数十年ぐらいの誤差はある。
 まあ、キリが良いから千年って事にしとこう。カミサマ方々からすれば人間の十年なんてクソみたいなもんだろうしなァ。

 んで、これから話すのは聖域に於いてその将来を有望視されていたとある聖闘士の兄弟、その弟クンの話だ。
 お兄ちゃんの話はアレだ、機会があればまた今度じっくりとしてやるよ?

 さて、仁智勇を兼ね備えた兄はペガサスの聖闘士として常に女神アテナの傍らに。
 才能に於いてはその兄に勝るとも劣らないと言われた弟は、エクレウスの聖衣を身に纏い常に誰よりも速く戦場へと駆けていた。
 兄弟は互いに切磋琢磨し、高め合いながら来るべき聖戦に備えていた。

 そして、遂に訪れた冥王との聖戦だ。
 その戦いに名を連ねた聖闘士は六十九人。その中で生き残った聖闘士は七人。
 これが多いのか、少ないのかってのは、判断に困る所だな。
 で、生き残った聖闘士、そこにお兄ちゃんの、ペガサスの名は無い。
 ペガサスは最期の時までアテナの為に戦い、アテナの為に死んだそうだ。
 そしてエクレウス、弟クンだな。
 彼もまた兄と同じく聖戦を戦ったワケだが……彼の名は聖域の史書にも正史にも――後世伝えられるべき歴史のどこにも記されてはいなかった。
 名前だけじゃないんだな、これが。
 “エクレウスの聖闘士”の存在自体が後世の歴史書には記されてはいなかったのさ。



「それは何故かって? それはな、エクレウスがその存在すら赦されぬ程の大罪を犯したからさ。その切欠となったのが“ギガントマキア”だ」

 暗闇の中、どこからか現れたスポットライトが光を灯した。
 照らされた光の中に古びた安楽椅子の姿が浮かび上がる。

「そう、ギガントマキアさ。知ってるかい? ギガスとの戦いをこう呼ぶのさ。ハハハッ、皮肉だねえ」

 その椅子に腰掛けるのは黒いタキシードに身を包んだメフィストフェレス。
 彼は、逆さに向けたシルクハットを指先でくるくると回しながら続ける。

「ペガサスとエクレウスの二人は兄弟だが、実はその下に妹が一人いたんだ。三人兄弟だったわけだな。
 年の離れたペガサスとは違い、エクレウスとは歳も近く過ごした時間多かったせいかね、妹はエクレウスによく懐いていたそうだ。とても仲の良い兄妹だったらしいねぇ」

 麗しの兄妹愛ってやつか、俺そーゆーの好きよ?
 そう言って歯を見せて屈託なく笑うメフィストフェレス。
 その表情はまるで幼い子供が見せる無邪気なもの。
 そう、子供は無邪気だ。善悪を知らず、それ故に禁忌に、悪意というものへの枷がない。
 ならば、このメフィストフェレスは何者なのか。
 聖人か、それとも――

「そう、らしい、さ。詳しい事を知る者は兄であったペガサスか、エクレウスの師であったジェミニ黄金聖闘士――カストルしかいなかった。
 その二人が口を閉ざしていた以上、他人が知る事など微々たるモンだな。
 さてさて、いよいよ激化する聖戦の中で誰もが予期せぬ事態が起こった。忌むべき存在、そうギガスの復活だ。冥王もギガスもどちらも放ってはおけぬ大事。すぐにでも戦力を割く必要があった。
 しかし、ギガスとの戦い――ギガントマキアは、聖域にとっては聖戦ではない“歴史にさえ残す意義の無い”戦いとされている。
 なにせ、大義も何もないんだ。人とギガス、種族としての生存を駆けた殺し合いにすぎないんだからなァ。
 その戦いで命を落としても名が残る事はない、いや誰にも知らされる事がないんだから最悪野垂れ死にと同程度の扱いになるかもしれない。ヒドイ話だよ、と、とととっと」

 指先から落ちそうになったシルクハットを爪先で拾い上げ、それを軽く蹴り上げる。
 舞い上がったシルクハットはそこにあるのが当然のように、メフィストフェレスの頭に覆い被さっていた。

「その戦いに自ら名乗り出たのは、聖戦の中で破損した聖衣の修復を終えたエクレウスだった。ハハッ、まるでどこかの誰かさんのようじゃないか?
 だが、そのエクレウスの進言を止めた者がいた。女神アテナと兄であるペガサスさ。止めただけじゃあない。その身を拘束さえもした。
 その時にはギガスの神の復活が目前まで迫っている事が分っていた。一刻の猶予もない事も。なのに、だ」

 メフィストフェレスがパチンと指を鳴らした。
 すると、彼の周りに何体もの西洋人形が現れ、まるで生きているかのように手と手を取り合いダンスを始める。
 人形の種類は様々であったが、共通している点が一つだけあった。
 どの人形にも――顔がない。

「くるくるくるくる。廻り回るロンドの様に。歴史は繰り返す、人の営みが流れとなってくるくると。そう、終わりのない輪舞さ。これがまた意外と飽きないんだよなァ。むしろ好きだね」

 メフィストのフェレスの鳴らす口笛のリズムに乗って、人形達は回る。まわる。周る回る廻る。

「そう、歴史は繰り返している。キャストは違えど舞台で繰り広げられている演目は同じ。ギガスの神の復活を阻むべく突き進むエクレウスが――」

 安楽椅子を蹴り飛ばし、メフィストフェレスが暗闇へと飛び込んだ。
 スポットライトが消え、安楽椅子が消え、そして人形達が消える。

「――お前さんだよ、エクレウスの海斗クン」

 ずいっと、メフィストフェレスが顔を近付けた暗闇の中には、膝をつき力無く項垂れた海斗の姿があった。
 身に纏われた聖衣はカノンと戦った時程ではないにしろ酷く破損していた。
 純白であった聖衣は、無数の亀裂と海斗の血によってその輝きを失っている。
 その身体は身じろぎ一つせず、噴き出す程であった出血は止まっていた。

「現代において神復活の為の贄として、聖母として選ばれたのはあのお嬢ちゃんさ。言ったよなァ、歴史は繰り返すと。
 ならば、今まさに危機にあるあのお嬢ちゃん。千年前のその役は誰が演じていたのかな?
 ここまで来ればわかるだろう? お約束だもんなァ。だからこそ、千年前のアテナとペガサスは止めたのさ。最悪の事態を想定した上で、ね。
 そう、ギガスの聖母として選ばれたのはペガサスとエクレウスの妹だったのさ。拘束を破り、制止を振り切ったエクレウスはギガス達の下へと向かい――そこで業を背負った」

 しっかりと聞こえるように、一語一語を理解できるように。
 メフィストフェレスは海斗の耳元に顔を近付けて呟いた。

『エクレウスはその手で妹を、その身に宿したギガスの神ごと――殺したんだ』

「その後、エクレウスは聖域から姿を消し、聖戦終結後に海皇の海将軍として生き残った聖闘士達と戦ったそうだが……まァ、その辺は蛇足だな。
 さて、その辺を踏まえた上で、満身創痍で聖衣もボロボロ、そんなお前さんにビッグなプレゼントをあげようじゃないかァ!」

 そう言って、おもむろに立ち上がったメフィストフェレスがシルクハットに手を伸ばす。
 まるでマジシャンが観客へ向けて行うように、帽子を取り海斗へと深々と頭を下げて見せた。

「じゃじゃじゃ~~ん! こちらに取り出した商品は冥王軍自慢の一品!」

 勢いよく頭を上げたメフィストフェレス。
 その手の上にあったのは先に手に取ったシルクハットではない。

 そこにあったのは大の大人ほどはあろうかという巨大な彫像。
 冥界の宝石、そう思わせるかのように黒く光り輝く彫像であった。
 それは人に似た姿をしながら、角を生やした鳥の頭を持ち、その背には巨大な羽を持った、言うなれば鳥人の姿をしていた。

 女神アテナの聖闘士に聖衣があるように、海皇ポセイドンの海闘士に鱗衣があるように。

「何と冥衣(サープリス)にございます!!」

 冥界の王、冥王ハーデスに従う冥闘士がその身に纏う鎧。それが冥衣。

「ただ一言、来い、とお求めになるだけで、この最高位の冥衣がアナタの物に!! な~に、御心配は無用です。この冥衣は聖闘士でも問題なく身に纏っていただけますよ」

 海斗の肩に手を回したメフィストフェレスは、旧年来の友人にそうするかのように気安く、気さくに語りかける。

「さあ、ここに力があるぞ! 手を伸ばせばいいさァ!! 助けるんだろう? 助けたいんだろう? 間に合わなくなるぞ?
 今のお前さんじゃ無理なんだ、でもこれがあれば助けられる!! 勝てる!! 何者にも負けやしないさァ!!」

 ピクリと、これまで何を語っても反応しなかった海斗の身体が、指が動いた。
 それを見て、メフィストフェレスは――嗤った。

「我々は君の選択を歓迎しよう。そして、ようこそ冥王軍へエクレウス。いや――」



「新たなる天雄星――ガルーダよ」



[17694] 第19話 CHAPTHR 0 ~a desire~ 海龍戦記外伝1015 
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:ecc718c3
Date: 2010/11/24 12:40
 冥界の王、冥王ハーデス。
 地上界の護戦者女神アテナ。
 冥王に付き従いし冥闘士。
 女神の下に集った聖闘士。
 二神とその下に集いし戦士たちが地上界の覇権を、平和を賭けて繰り広げた戦い――聖戦が終結した。

 冥王の野望――地上界への侵攻を防いだ、という点ではアテナの勝利と言えたが、苛烈を極めた戦いの傷跡は深い。
 聖戦に参加した多くの聖闘士が倒れ、アテナでさえその力を使い果たし長い眠りについた。
 失われた命の中にはアテナを補佐し、聖域を統括していた教皇も含まれていた。
 最強とうたわれた十二人の黄金聖闘士もその数を三人にまで減らしていた。

 多くの犠牲を払ってなお冥王を滅ぼせたわけではなかったが、アテナの力によって施された封印により、少なくともあと二百年は冥王が目覚める事はない。
 神々から、歴史から見れば、二百年の時など些細な時間にすぎなくとも、この時を生きる人々にとってはかけがえのない時間である。

 陽の昇らぬ朝、明けない夜は終わりを告げる。
 平和を取り戻した地上には再び陽の光が、新緑が芽生え、傷付いた大地を、人々の心を安らぎで満たした。
 
 そう、誰もが感じていたのだ。
 戦いは――終わったのだと。





 第19話 海龍戦記外伝1015





 季節はうつろい時は流れる。

 先達を失い、戦力を著しく消耗し、アテナが長き眠りにつき、教皇の座も空位となった聖域。
 先の見えぬ混迷の中で、次期教皇とみなされていたジェミニの黄金聖闘士カストルが聖戦より生還を果たしていた事は不幸中の幸いであったといえる。

 多くの戦士たちの命が散った聖戦の終結より一年。

 新教皇となったカストルはその人望と優れた手腕を持って、僅か一年の間に次の聖戦を見据えられる程までに聖域を纏め上げていた。
 聖闘士候補生達も良く育ち、次代を担うに相応しい才覚を発揮し始めた者もいる。
 この事は、今は亡きサジタリアス(射手座)の黄金聖闘士アルナスルが残した成果によるところが大きい。
 彼は聖戦前から後進の育成に意欲的であり、目前に迫った聖戦の“その後”を見据えていた聖域でも数少ない人物の一人であったのだ。
 教皇の補佐役たる助祭長の職に任命したアルター(祭壇座)の白銀聖闘士エイリアも、つい先日聖衣を与えられたばかりの若き少年である。

 過ぎ行く季節が樹々の葉を落とし、花を散らせ、そしてまた芽生えさせるように。
 若き力に満ちた聖域は、再生を経て新生への道を進もうとしていた。



「手紙、ですか?」

 日も暮れ始めた頃。
 日課となった聖闘士候補生達の訓練の視察を終え、十二宮、その先にある教皇の間へと向かっていたエイリア。
 その彼を呼び止めたのは、先程の視察の中で見かけた事のあった少年であった。

「はい。実は、自分は家族と口論の果てに故郷を飛び出してしまったもので。せめて母だけにでも近況を知らせたいと」

「……ふむ」

 そう呟くと、エイリアは口元に手を当てて瞑目した。
 少しクセのあるブロンドの髪が風に揺れる。
 それだけで華になる美しさがエイリアにはあった。
 もっとも、本人は自分の小柄な体格と少女のような容姿を快くは思っていない。
 こうした仕草にしても、若くして助祭長となった自分に少しでも威厳や貫禄のようなものがつけば、との思いで始めたのだが……。
 その成果の有無については、エイリアのその姿に見入ってしまったこの聖闘士候補生の少年が雄弁に物語っている。
 知らぬは本人ばかり、である。

「……その、規律に反している事は分っているのですが……」

 黙したまま語ろうとしないエイリアに対して明らかに委縮した様子で少年が続ける。
 聖闘士を目指す者は、その修行中には外界との接触を大きく制限される。
 家族との連絡を行う、という行為も制限の対象であった。
 聖闘士は地上の愛と正義を守る者。
 その修行は過酷を極める。命の危険などあって当然なのだ。
 世俗の情を断つ。その程度の意思と覚悟すら持てないようでは到底耐える事などできはしない。無駄に命を散らすだけ。

「分っているのならば、是非を問うまでもないでしょう」

 凛とした声でハッキリと。
 少年の目を真っ直ぐに見つめてエイリアは言った。
 覚悟はしていたのであろうが、やはり面と向かって否と言われた事に堪えたのか。

「申し訳ありません」

 失礼致しました、と。そう続けて一礼し、踵を返す少年の足取りは、本人は隠しているつもりであるのだろうが明らかに重い。

「……ああ、そうでした」

 背後から聞こえた声に少年の足が止まった。
 周囲には他に人影はない。
 ならば、これは自分に声が掛けられたのだと、少年はエイリアへと振り返った。

「……私の記憶が正しければ、君の出身はサロネ村でしたか?」

「あ、は、はい。そうです!」

 助祭長、そして正規の聖闘士であるエイリアが、自分のような一候補生の故郷の事を知っていてくれた。
 その事が少年を高揚させ、その返事にも力がこもる。

「あの村の近くでは、他の土地にはない珍しい植物が育っています。薬草の一種なのですが、昨日切らしてしまいましてね」

「え? え、ええと……」

 必死に思い出そうとするが、少年にはそのような心当たりはない。
 ひょっとすれば聞いた事があったかもしれないが、草木を愛でるよりも走りまわる事が好きだった自分が気に留めるはずもない、と結論に至る。

「すいま――」

「あの辺りの地理に詳しい者が皆出払っていまして」

 すいません、と。
 少年が口にするよりも速くエイリアは続けた。

「君さえ良ければサロネへの使いを頼みたいのですよ」



 勢いよく駆け出して行く少年の背中を見送ると、エイリアは人知れず深く溜息をついていた。

「まったく、お前は甘過ぎるな。万事そのようでは他の者に示しがつかんぞ」

 エイリアが少年に言った言葉は嘘ではないが、急を要する用事ではない事も事実であった。
 全ては詭弁に過ぎなかったのだ。

「……どこから見ていらっしゃったんですか?」

「ふふっ、それに気が付かんようではお前もまだまだ修行が足りんな」

 ハハハハと、豪快に笑いながらエイリアへと近付くのは隻腕隻眼の巨漢であった。
 先の聖戦を生き残った黄金聖闘士の一人、タウラスのエルナトである。
 百を超える冥王の冥闘士、その三十近くをただ一人で打ち倒した聖闘士。
 三十二歳という聖闘士としては高齢であり、聖戦の中で右目と利腕であった右腕を失っていたが、それでもなお闘将と呼ばれ続けている男である。

「面目ありません」

「気にするな、とは言わん。だが、まあ……」

 父親が子供にそうするように。

「オレはそういう甘さは嫌いではない」

 くしゃりと、エルナトは項垂れたエイリアの頭を撫でた。



「教皇様ですか?」

「ああ。大した用ではないのだが。カスト――いや、教皇に少々、な」

 十二宮。その宮と宮を繋ぐ長い階段を二人は並んで歩く。
 肩肘を張る事なく、自然体で話すエイリアはたおやかな少女にしか見えない。
 そして、豪放磊落(ごうほうらいらく※度量が大きく快活であり、些細な事には拘らない)を体現するエルナト。
 その二人が並ぶ姿はどう見ても父と娘のそれ。
 ここにキャンサーの黄金聖闘士アルタルフがいれば、その姿を見て腹を抱えて笑っていた事であろう。

「――もう一年と言うべきか、まだ一年と言うべきか」

 この場にいない旧友たちの姿を思い出しエルナトがぽつりと呟いた。
 我が強く、一癖も二癖もある者たちばかりであり、中には確かに気に食わない者もいた。
 それでも、同じ場所を目指し駆け抜けた仲間であり友であった。

「……エルナト様?」

「ん? ああ、何でもない」

 エイリアの気づかいに、らしくない、と頭をふる。
 そうしてエルナトは目前に迫る双児宮を見た。
 一体いつ現れたのか。
 いつからそこにいたのか。



 そこに――男が立っていた。



 黄金聖衣とは異なる、異質な黄金の輝きを放つ鎧を身に纏った男が。
 その手には黄金に輝く三又の鉾が握られていた。
 マスク(兜)に隠れてその素顔を窺い知る事はできない。
 その身から発せられる強大な小宇宙は、かつてエルナトが対峙した強敵達と比較しても劣るものではなかった。

「何者ですか!」

 エイリアが一歩踏み出し、そう叫んだ。
 どこか、ヒステリックささえ含んでいたのは、それが恐怖を誤魔化すためのものであったのか。

 虚勢であると気が付いたのか、最初から脅威とも感じていないのか。
 男の口元が僅かに笑みの形を浮かべた事がエルナトには分った。

「答えな――」

 答えなさい、とエイリアが続ける事はできなかった。
 何かが光った、と。
 そう感じた瞬間、エイリアの身体はエルナトに抱きかかえられて上空にあった。
 続けて、ドン、と。
 大気が震え、瓦礫が舞った。
 着地したエイリアが見た物は、それまで二人が立っていた場所に生じた巨大なクレーター。

「な、何が……」

「……どうやら、挨拶だけのつもりであったようだな」

 エルナトには見えていたのだろう。
 しばし呆然としていたエイリアの耳に、ため息交じりのエルナトの声が通り過ぎる。
 二人が向けた視線の先、先程まで男が立っていたその場所にはもう何者の姿もなかった。

「……敵、ですか」

「さて、な。敵意も殺気もない相手を敵と決めつけるのも早計だとは思うが」

 二人はそう話しながら双児宮へと進む。
 周囲を注意深く警戒するエイリアに対し、エルナトは特に何かを警戒しようというそぶりさえ見せていない。

「敵意、って。実際に攻撃されたではありませんか!」

 そのあまりの差は、こうして気を張っている自分がどうにも間抜けのようにエイリアには思えてしまい、八つ当たりと分っていても、つい口調が荒くなってしまう。

「本気であれば、足下など狙わず心臓か頭を狙っていたであろうな」

 それに、とエルナトは続ける。

「この地にはアテナの結界がある。そう易々と敵の侵入を許したとは思いたくはない。今後の対応が尋常では無く面倒になるぞ?」

「それはエルナト様が楽をしたいだけではありませんか!」

 危機感が足りていません、と先を行くエルナトに駆け寄りエイリアは続ける。

「由々しき事態ですよ!! この事は急いで教皇様に――っぷ!? って、急に止まらないで下さいエルナト様!」

 背中にぶつけた鼻を押さえ抗議するエイリア。
 何事ですか、と問いかけようとして――

「――いや、その必要は……ない。教皇に知らせる必要はない」

 これまでの快活な雰囲気から一転し、眉間にしわを寄せて厳しい表情を見せたエルナトの様子にエイリアはかける言葉を失う。

「……!? あれは!」

 ならばと視線を動かせば、エルナトの視線の先、男が立っていた場所に古めかしい箱が置かれていた。
 それはエイリアにも、いや聖闘士であるならば誰もが馴染みのある物。

「パンドーラ・ボックス!? それに、このレリーフは天馬。ならば、これはペガサスの聖衣!?」

 パンドーラ・ボックス。
 神話の時代より聖衣を守り、保護してきた箱である。
 善悪を見定める力があるとされ、収められた聖衣を身に纏う資格のない者には決して開く事がない、と伝えられている。

 駆け寄ったエイリアが確認すれば、その青銅の箱には天駆ける天馬のレリーフが施されていた。

「どうしてこんな所に? ペガサスの聖衣ならば今はジャミールにあるはず……」

「違う。レリーフを良く見るんだ、同じ天馬でも槍を咥えたそれはペガサスではなく――エクレウスだ」

「エクレウス!? 聖戦後に姿を消したというあのエクレウスですか!?」

「……そうだ」

 険しい表情のままパンドーラ・ボックスを見つめるエルナト。
 その頬に、ぽつりと水滴が落ちた。
 ポツリ、ポツリと。
 天から降る雫は徐々にその数と勢いを増していく。
 それはやがてざあざあと音を立てて雨となり、聖域を濡らし始めた。

「雨? さっきまで雲は出ていなかったのに……。取り敢えず双児宮に入りましょうエルナト様。このままでは濡れてしまいますから」

「……ああ、そうだな。こいつは俺が運ぼう。お前は先に行け」

「え? あ、分りました。お願いします」

 一瞬逡巡したエイリアであったが、そう言うと双児宮へと向かい駆け出した。
 エルナトは動かない。
 雨に濡れるのも構わず、ただじっとエクレウスの箱を見つめ続ける。
 レリーフを伝う雨水は、そんな筈はないと分っていても、まるでエクレウスが涙を流しているように見え。

「これが、お前の答えか?」

 そう呟いて、エルナトはエクレウスの箱に手を伸ばした。





 スターヒル。
 代々の教皇のみが立ち入る事を許された場所。
 また、その険しさ故に教皇以外には登れぬ場所。
 そこには聖域の歴史が、封じられし記録が、英知が、全てがある。
 故に禁忌の地。

 そして、聖域の中で最も夜空に近い場所でもある。

 満天の星空に煌びやかに輝く数多の星々。
 その輝きを受けながら、ジェミニの黄金聖闘士であり現教皇でもあるカストルは何をするでもなくただ静かに佇んでいた。

 風が吹いた。

 身を包む教皇の法衣が風になびき、アッシュブロンドの長い髪がふわりと流れた。
 陰と陽、金と銀。
 異なる光を宿したその双眸に映るのは、聖域に暮らす者達の営みの明りか。

「あの日から今日で一年、か」

 視線を夜空へと移し、カストルが独りごちた。

「ずっと考えていた。なぜ私はあの時お前を止められなかったのかと。例えお前の憎悪をこの身に浴びる事になろうとも、手を下すべきは私ではなかったのか、とな」

「……貴方の悪い癖だ。なまじ力があるからそのように考える。言ったはずですよ、俺は貴方を恨んでなどいない、と」

 背後から返された言葉に、カストルはゆっくりと振り向いた。
 教皇以外立ち入る事ができぬはずの場所に、黄金の鎧を身に纏い右手に三又の鉾を持った男が立っていた。
 双児宮の前でエルナトたちと対峙した男である。

「よくここまで来れたものだ」

「険しいとはいえ、貴方が来れる場所ですよ? ならば、俺が行けない道理はないでしょう?」

 そう言って男が左手を掲げると、ぐにゃりとその周囲の空間が歪みを見せる。

「とはいえ、“アナザーディメンション”を使った反則ですが」

「これはどうしたものかな。怒るべきなのだろうが、師としては弟子の成長を素直に喜ぶべきかな?」

「師としては喜んで頂いても結構ですよ? 教皇としては怒るべきでしょうがね」

 ふふっ、とカストルと男が笑い合う。

「一年振りだなキタルファ」

 男の名はキタルファ。
 カストルの弟子であり、共に聖戦を戦ったエクレウスの青銅聖闘士。
 聖戦後、突如として聖域から姿を消した男であった。

「貴方は……少し痩せられましたね。我が師カストル」

 澄みきっていたはずの夜空をいつしか雨雲が覆い隠そうとしていた。





「今の俺はシードラゴン。海皇ポセイドンを守護する海将軍(ジェネラル)シードラゴンのキタルファ」

 平和を取り戻したはずの地上に再び迫る邪悪の影。

「この雨は四十日四十夜降り止む事はない。そう地上の全てを覆い尽くす時まで」

 降り続ける雨は、地上に未曾有の水害を引き起こそうとしていた。

「海底神殿には俺の他にもあと六人の海将軍がいます。地上を救いたければいつでもどうぞ。ただし、生き残った黄金聖闘士たちを連れて来る事をお勧めしますよ」

 破滅の報をもたらしたのは、かつてアテナの聖闘士として聖戦を戦った男。

「一人で向かう気かカストル。お前にはキタルファを討つ事はできんよ。俺が行く。あいつは俺が討つ」

 闘将タウラス。

「ただ待つのも退屈なのでな、遊んでもらおうか聖闘士どもよ」

 海将軍リュムナデス。

「死ぬ気はないさ。弟子が道を踏み外したのなら、それを正すのは師の役目だ」

 教皇の法衣を捨て、再び戦場に立つジェミニのカストル。

「分っているなシードラゴン。僕らの成すべき事はただ一つだ」

 海将軍セイレーン。

 様々な思惑が交差する中、アテナなき聖域はこの危機を乗り越える事ができるのか。

「なぜだキタルファ!? こんな事を彼女は望んではいなかったはずだ! それが分らないお前ではないだろう!!」

「分っているさ、そんな事は! それでも俺は戦うと決めた!! 貴方も聖闘士なら覚悟を決めろ! 俺を倒さない限りこの雨が止む事はない。カストル! 貴方の迷いが地上を滅ぼすぞ!!」

「キタルファーー!!」

 お互いに譲れぬもののため。
 かつての師弟が全てを賭けてぶつかり合う。

「退け! お前も巻き込まれるぞ!!」

「ここまで来て諦めてたまるか! 今度こそ、今度こそーー!!」

「この力だ! この力さえあれば!! 俺は、俺は!!」

 伸ばされた手が掴むのは果たして希望か絶望か。



「せめて、その魂に安らぎが訪れる事を。さらばだ――」



 CHAPTHR 0 ~a desire~



 NEXT  CHAPTHR



「ほう、お前が日本から聖闘士になるべくやって来た少年か。黒髪に黒い瞳に眼つきが悪い、と。資料の通りだな。確か――星矢と言ったかな?」

「……海斗です」

「ん? ははは、スマンスマン」

 気さくに笑うアルデバランはその巨体もあって確かに強そうには見えたが、城戸の爺さんが言っていた『空を切り裂き岩をも砕く』程には見えない。
 いや、確かに岩なら砕きそうなんだが。
 おれの向けた微妙な視線、その意図に気が付いたのか、アルデバランはフムと頷くと「ついて来るといい」と俺の手を取って歩き出した。

「聖闘士についてのおおまかな説明は受けていると聞いたが、口で言われただけでは信じる事ができないのも分る。やはり実際に見て体験しなければ本質は分らんものだ」

 着いた場所は朽ち果てた古代の神殿跡地。
 聖闘士の存在に半信半疑だったおれの目の前で、アルデバランは直径三メートルはあろうかという巨大な石柱を何気ない腕の一振りで――粉砕して見せた。

「……嘘……」

「聖闘士とは――原子を砕くという究極の破壊の術を身に付けた者よ。己の内に眠る小宇宙(コスモ)を感じ、それを燃やして爆発させる事ができれば……お前もこれと同じ事ができるようになる」

 唖然とするおれの肩に手を置いてアルデバランは続ける

「もっとも、こんな表面的な力を会得しただけでは聖闘士となる事はできんぞ。アテナと地上の平和を守る。正しき心と正義の意思があって初めて真の聖闘士となる事ができるのだ」

「……なれますか、おれは?」

「それは分らん。全てはお前次第だ。修行は辛く日々が命懸けのものとなる。それでも望むのであれば、一歩でも聖闘士に近づけるよう、このアルデバランが全力でお前を鍛えあげる事を約束しよう」

 正直、聖闘士になる事に興味は無かった。ただ城戸邸から外の世界に出られればそれでよかった。
 おれの目を正面から見据えるアルデバラン。
 その目には子供だからと侮る様子はなく、思い上がりかもしれないが『対等の人間』として接してくれたように思えて。

「――よろしくお願いします」

 この日から、おれはアルデバランを師と呼ぶようになった。



 CHAPTER 1 ~GIGANTOMACHIA~

 To be continued.



[17694] 第20話 魂の記憶!の巻
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:ecc718c3
Date: 2010/12/02 18:09
 海斗の手にあるのは一冊の古びた書物。
 それは、一人の男の十七年の記憶。
 男の喜びと悲しみ、想いと怒りが綴られた物語。
 書に刻まれた名はキタルファ。

 圧し掛かるような倦怠感に頭をふり、海斗は溜息を吐きながら書を閉じた。
 同情も、共感もできた。
 男の心情が手に取るように分った。
 だからこそ、腹立たしく、どうしようもなく海斗を苛立たせる。

「……細部は違えども、大まかな流れはまるで同じ。いや、俺に関してだけなら……」

 状況は――より悪い。

 書はその役目を終えたとでも言うように、ボロボロと崩れ去り、灰と化した。
 おそらく、もう二度と目にする事は、思い起こす事はできないだろう。それだけは分る。

「……」

 握り締められた海斗の拳。
 そこから零れ落ちた灰が舞い上がり、瞬く間に周囲へと広がった。

「こんなモンを見せたのは、俺には無理だから、と? だから……諦めろ、って事か?」

 白に染まる。
 
 世界は見渡す限りの白に埋め尽くされ、自分の身体すら白に溶け込み認識する事ができない。
 上を向いているのか下を向いているのか、そもそも、自分が立っているのか、座っているのか、見ているのか、見ていないのか、それすらも分らなくなる。

「……余計な……お世話だ……」

 自分と言う輪郭が、消えていこうとするのが、分る。

「……」

 意識が、意思が、海斗を海斗とする要素の全てが、白の中へと消えた。





 ポルピュリオンは無言のままエキドナの右腕を掴み上げると、真紅のルビーが填められた腕輪を力任せに引き剥がした。

「う……あっ……」

 その痛みで意識が戻ったのか、エキドナの口から苦悶の声が上がったがポルピュリオンは意に介さず、そのままエキドナの身体を投げ捨てる。

「あがっ!」

 祭壇に叩き付けられたエキドナは、セラフィナの身体に覆い被さるようにして力無く崩れ落ちた。

「聖闘士の資質を持った者をエキドナの器とし、その者にこのルビーを与えるとはな。ドルバルめ、下らぬ事を考える」

 エキドナは――その名を与えられたのは人間の少女であった。
 ドルバルによって精神を支配された少女は己をギガスと信じて行動していた。
 その綻びはジャミールの地で生じ、そして、この場で少女はアテナの聖闘士として覚醒を果たす。

 聖闘士とギガスが対峙して行われる事は一つしかない。

「……無謀にも我に挑んで見せた蛮勇は好ましいが、如何せん実力が伴わぬ。聖衣の無い聖闘士に何が出来るものか」

 そこでふと、ポルピュリオンは彼らしからぬ愚にもつかぬ事を考えた。

「神話の時代、我と対峙した聖闘士が言っていたな。聖闘士はその魂に星座の定めを刻み込んでいる、と。
 セイカと言ったか。その定めがこうして傀儡と化して果てる事であれば――実に哀れなものよ」

 腕輪からルビーを外したポルピュリオンは、それをセラフィナの胸へと押し当てる。
 途端にルビーから赤い闇――そうとしか形容の出来ない何かが溢れ出し、セラフィナの周囲を覆い尽くすように広がり始めた。

「ク、クククッ。フハハハハハハハハ」

 赤い闇が、哄笑を上げるポルピュリオンに迫る。

「いま暫くの御辛抱を。間もなく全ての準備が整います」

 全てが赤い闇に呑み込まれる中、広間にはポルピュリオンの声だけが響き渡る。

「全ては我らが――王のために」

 セラフィナの身体に押し当てたルビーを、胸元から下腹部へゆっくりと下げていく。
 すうっと、まるで刃物に当てられたかのように、その肌に一条の赤い線が刻まれる。
 ルビーから放たれる熱に、その時、ピクリと、セラフィナの身体が動いた。

「……目覚めたのか娘よ」

「……うっ……く、あ、あなたは……」

 霞がかった思考、ぼやけた視界は徐々に鮮明になり、セラフィナの瞳に自分を見上げるギガスの姿がはっきりと映る。
 そして、同時にここがどこなのか、自分に何があったのかを思い出す。

「――ッ!? あの人は?」

 身動きできない事は分っていたが、それでも、と。僅かながらに頭を動かし少女の姿を探す。
 それは、自分をこの場所に連れてきた仮面を着けた少女。
 そして、仮面を捨て、自分を守るために戦った少女の姿を。

「解せんな、アレはお前の敵であった“物”だ。お前が気にする必要など、どこにもあるまい」

 理解できんなと、ポルピュリオンが下腹部に押し当てた手に力を込めた。

「あッ――ぐうッ!」

「だが、お前は違う。王の母となる身だ、無碍にはせん」

 ポルピュリオンの手に握られた、セラフィナの身体に押し当てられたルビーが、まるで心臓の鼓動を思わせるように妖しく明滅する。

 裸身のまま磔にされた自分、母という言葉。そして押し当てられたルビー。
 これから自分の身に何をされるのかは分らなくとも、その果てに何が起こるのかは想像できる。
 とてもおぞましい事だという事が。
 自分は、きっとその現実に耐える事ができないだろうという事も。

「――ヒッ、あ……くうッ……ッ!!」

 泣き叫び許しを請えればどれだけ楽か。
 助けてと、叫ぶ事ができたなら。

 セラフィナは、口から漏れ出そうになった悲鳴を懸命に堪えた。
 それは意地だった。
 聖闘士としての意地であり、女としての意地であり、セラフィナという少女の十六年の生に対する意地。

 どのような仕組みなのかは分らないが、聖闘士としての力を持ってしても己の身を戒めるこの鎖から逃れる事ができない。
 自力で逃れる事は無理。
 ならば、どうするのか。

(わたしを母とすると言った。だったら……)

 下策も下策。そんな事はセラフィナにも分っていた。
 それでも、頼れるモノの何もないこの場所で、おそらく残された時間もないであろうこの時に。
 他に何ができるのか。

(……ありがとう)

 セラフィナは瞳を閉じ、瞼に浮かぶ親しき人たちへ、届かないとは分っていても、心からの感謝を想った。

(怒るかな?)

 いつも澄ました表情で、滅多な事でもない限り感情を乱す事のないムウ。

(泣いちゃうのかな)

 お姉ちゃん、と。小さなころから自分を慕ってくれた可愛い弟。
 そして、

(……あ……)

 伸ばされた手と手が触れ合った瞬間を、セラフィナは覚えている。
 つい先程の事だったのだ。
 忘れるはずが、忘れられるはずがない。
 自分を助けるために戦った海斗の事を。
 無事であれば良いなと思う。
 話したい事も聞きたい事もたくさんあった。
 それでも――

「――ごめんなさい」

 思考を打ち切り、言葉を口に出す。
 これ以上は決心が鈍りそうだったから。
 泣いてしまいそうだったから。

 命を断つ。

 自分にできる事はもう――これしかないのだから





 第20話





「さあ、ここに力があるぞ! 手を伸ばせばいいさァ!! 助けるんだろう? 助けたいんだろう? 間に合わなくなるぞ?
 今のお前さんじゃ無理なんだ、でもこれがあれば助けられる!! 勝てる!! 何者にも負けやしないさァ!!」

 ピクリと、これまで何を語っても反応しなかった海斗の身体が、指が動いた。
 それを見て、メフィストフェレスは――嗤った。

「我々は君の選択を歓迎しよう。そして、ようこそ冥王軍へエクレウス。いや――新たなる天雄星ガルーダよ」

 ゆっくりと伸ばされていく海斗の手。
 その動きに呼応するかのように、ガルーダの冥衣が胎動を始めた。
 二百数十年の時を経て、再び依り代を得る事への歓喜によって。
 冥衣は聖衣とも鱗衣とも、その在り方が根本的に違う。
 冥衣を得るのではない。
 冥衣が得るのだ。

 冥衣――ガルーダの瞳が妖しく輝く。

 さあ、早く手にしろと。
 その身を委ねろ、と。

 そして、ついに海斗の手が冥衣に触れる。
 ガルーダの冥衣が大きく震えた。
 魔鳥の姿から、人の身に纏わせるための鎧へとその姿を変化させ、海斗の身体を覆い尽くす。

「お一人様ご案内~ってね」

 ここから先は、冥衣が済ましてくれる事。
 ぼ~っと見ていても仕方がない。

「ほい、お仕事終了」

 海斗に背を向け、そう呟いたメフィストフェレスであったが――

「!? な、何ぃッ!?」

 その瞳が驚愕によって大きく見開かれる。

「おいおいおいおいおいおいおいぃっ!? 冗談じゃないっての!」

 メフィストフェレスの足下から、眼前から、背後から。
 次々と撃ち込まれる光弾が“留まった空間”に無数の亀裂を奔らせる。



『――こそこそと見ているだけなら見逃したものを!』



 空間に響き渡る第三者の意思。
 巨大な攻撃的小宇宙が空間を満たし、メフィストフェレスの生み出した世界を内側から破壊した。

「うおっとお!? バレてたとは思わなかったよ、さっすが神族! コワイコワイ」

「私とエクレウスの戦いに介入したその罪! その命で償え!!」

 メフィストフェレスの眼前に現れたのは攻撃的小宇宙を燃やしたトアス。
 トアスの眼前に現れたのは、この期に及んでなお笑みを浮かべたメフィストフェレス。

「“アヴェンジャー・ショット”!」

 迫り来る無数の光線。
 触れる物全てを破壊するその光を目前にして、メフィストフェレスの笑みが深まった。

「んはっ!」

「何!? まさか!」

 あり得ない、と。その事実に驚愕するトアス。
 目の前の敵は、ただ右手を振り上げただけだった。

「アヴェンジャー・ショットが“止まった”だと!?」

 放たれた無数の光弾。
 その全てが、メフィストフェレスの身体に触れる事なく目の前で、その横で止まっていた。
 そして、トアスの驚愕はそれだけに止まらない。

「ほ~ら、お返しだ。受け取りな」
 
「ぐおおおっ!?」

 メフィストフェレスの手から放たれのはアヴェンジャー・ショット。
 しかも自分の放ったものよりも速く、重い。

「がはあっ!!」

 トアスは背後にあった青銅の扉へとその身を叩き付けられ、洞窟内にドゴンと、大きく重い音が響いた。

「……流星拳、なんちゃってな」

 シルクハットのつばを抑えながら、メフィストフェレスは何でもない事のように笑う。

「き、貴様ッ……」

 見上げるトアス、見下すメフィストフェレス。
 膝を抑えながら立ち上がるトアスを前にしながら、追撃のそぶりも見せてはいない。

「全く、こっちはそちらさんには関わる気はなかったってのに」



 やれやれと、大げさに肩を竦め、わざとらしく溜息をつく。
 演技であった。
 関わる気がなかった事は事実であったが、こうして関わってしまった以上は楽しまなければとメフィストフェレスは考えていた。
 先の戦いから、トアスの性質は把握している。
 目の前でこのような態度を取られればどう動くか、も。

(さあ、どう動く?)

 純粋な好奇心であった。
 果たして、目の前のギガスは自分の思い通りに動くのか。それとも、と。

「……おんや?」

 しかし、待っていてもトアスは動かない。

「いや、動こうとしていない、のか?」

 よく見れば、その視線は明らかに自分を見ていない。
 もっと遠くの何かを見ている。
 何を、と。
 メフィストフェレスがその視線を追うように振り向いたその瞬間だった。

 ガシャンと、洞窟内に甲高い音が響き渡る。
 一度だけではない。
 二度三度と、続けてである。

「――ッ!?」

 漠然とであったが、確かに感じた不安にメフィストフェレスはその場から飛び退いた。
 トアスに背を向ける形となるが気にしてはいられない。
 そんな事よりも、もっと重大な事が目の前で起きていたのだから。

 もしかしたら、とは考えていた。
 音の正体は、海斗の身体から弾き飛ばされた冥衣が周囲にぶつかる音であった。
 それは、海斗の“意思”が“冥衣の意思”を拒絶した、凌駕した証。

 五感を失い、血を失い、肉体は生命の危機に陥った。
 あの少女を使い、そこからさらに精神を追い詰めた。
 素養はあったのだ。
 幾度となく黄金化を果たした聖衣がそれを証明している。
 想定通り、海斗は五感を超えた第六感、そのさらに先にある超感覚である第七感――すなわちセブンセンシズ、小宇宙の真髄に辿り着いたのであろう。

 それは良い。
 それは良いのだ。

 メフィストフェレスにとって、新たなる天雄星の誕生などどうでも良い事であったのだから。
 受け入れればそれで良し。
 この先の聖戦で、再び聖闘士同士の戦いが見られるのだから。
 拒むのならそれも良し。
 エクレウスという役者が繰り広げるであろう舞台を、こうして特等席で見続けられるという事なのだから。

 しかし、これは違う。
 こんな事は想定すらしていなかった。

「……アドリブにだって限度ってものがあるでしょうが」

 メフィストフェレスの目の前で、海斗が変わっていく。

 黒かったはずの髪はブロンドに染まり、色彩を失っていた瞳は本来の濃褐色から澄んだ青色へと。
 額に、腕に、胸に、足に。
 破損したエクレウスの聖衣から発せられる純白の輝きは、まるで光を纏わせるかのように海斗の身体を覆っていく。
 ムウの手によって新生された聖衣が防御性能を重視した“鎧”であったとするならば。
 曲線を多用し、身体に密着するように纏われたそれは、速度を求めたまさしく“聖なる衣”。
 ゆらりと立ち昇った白と青の小宇宙は、僅かの間を置いて、螺旋を描いた巨大な柱へとその姿を変える。
 交じり合い、混じり合う。
 二つの色が一つになる。
 それは空の青。スカイブルーのようであり。
 それは海の青。アクアブルーのようでもある。
 血を奪われ、五感を奪われ。
 碌に身動きも取れなかったはずの海斗が、迸る自身の小宇宙が生み出した光の中、ゆっくりと立ち上がった。



「ふ、ふふふ、ふは、ふははははははははっ!! やはり、やはり運命だったのだ!!」

 メフィストフェレスの背後から、狂ったかのような笑い声が聞こえる。
 ちらりと視線を向ければ、そこには“狂喜”としか形容できない表情を浮かべたトアスがゆらりと立ち上がっていた。

「覚えているぞ、その聖衣! 何故も、どうしても、そんな言葉は必要ではない! 君が目の前にいる、それが全てだ!! 逢いたかったぞ――キタルファアッ!」

 そう言うが早いか、トアスはメフィストフェレスの存在など知らぬとばかりに飛び出していた。

「今こそ! 千年の決着だキタルファ!!」

「速えっ!」

 その速度は、メフィストフェレスの目をして速いと呼ばせるほど。

「そして、私が勝つぞ! “アヴェンジャー・ショット”!!」

 再び放たれる必殺拳。
 その勢いは、これまでとは比べ物にならないほどに凄まじく。
 トアスの千年の執念、妄執とも言えるその全てがそこに込められていたのだ。

 しかし――

 閃光は、海斗の身体を――すり抜けていた。

「な!?」

「マジか!?」

 トアスの驚きとメフィストフェレスの驚きは異なる。
 全体を見渡せたメフィストフェレスだから分った事。

 海斗の姿は既にそこにはなく、

「トアスッ! お前の妄執に付き合っている暇はない!!」

「――妄執などとッ!?」

 トアスとメフィストフェレス、二人を直線に並べる位置にあった。

「ッ!? あの構えは!!」

 両手を左右に大きく広げて円を描く。
 これまで一度たりとも海斗が見せた事のない構え。
 それを見て、メフィストフェレスの表情から、その目から笑みが消えた。

「千年だの、運命だの、キタルファだのと。そんな事は知った事か! 俺は俺だ!!」

 果たしてそれは幻であったのか。
 二人を見据える海斗の瞳は濃褐色に、ブロンドに染まっていた髪の色は黒に戻り。
 五体を覆っていたはずの純白の聖衣は、マスクを失い亀裂と破損にまみれた聖衣へとその姿を変えていた。

 ただ一つ。
 それが幻でなかった事の証があった。

「テメエもだ、いいかオッサン! 切欠を作ったのがテメエでも、セラフィナを助けると決めたのは俺の意思だ! 人が、何でもテメエの思い通りに動くと――思うな!」

 海斗から立ち昇る、混じり合い一つの色となった強大な小宇宙である。

「俺の道は俺が決める!」

 エクレウスの聖衣が黄金の輝きを放つ。
 まるでこれが最期の輝きだとでも言わんばかりに。

「チイッ! なんてモンを隠し玉にしてやがったんだ!!」

 メフィストフェレスは思わぬ因縁に舌打ちした。
 ブラフかとも思ったが、海斗がどこを見ているのかを悟り確信する。使えるのだ、と。

「そうだったよなぁ! 千年前のエクレウスの師はジェミニのカストル。あの大甘な兄ちゃんなら、己の奥義を可愛い弟子に伝えないワケがない!!」

 “魂の記憶”。
 あり得ない話ではない。
 事実、二百数十年前の聖戦に於いて、メフィストフェレスは“魂の記憶”が引き起こした奇蹟を目の当たりにしていたのだから。

「んははっ。……少~しばかり、追い詰め過ぎったって事か」

 海斗の視線の先にあるのは青銅の扉。
 自分とギガス、そしてあの扉をまとめて吹き飛ばす気なのだ、と。
 なるほど、確かにアレならば可能だろう。
 ジェミニの黄金聖闘士に伝えられる最大の拳。銀河を砕くと言われたあの技ならば。



「立ち塞がるならば打ち砕く!!」

 海斗の両手に膨大な小宇宙が集束する。
 それは、まるで銀河に浮かぶ星々のように光り輝いていた。
 腰だめに構えた両の拳を丹田から正中線を沿う様に胸元へ。
 右手は天を、左手は地を指し示すかのように大きく広げ、そこから互いの天地を入れ替えるように回された軌跡は円を描く。

 意識して行っている訳ではなかった。
 ただ、身体が動くままに任せているだけ。
 それでも、海斗自身にはこれから何が起こるのか、その結果だけははっきりと分っていた。

 なぜなら、自分はその技の威力を身をもって知っている。

 なぜなら、自分はその技を誰よりも間近で見続けてきた。

 なぜなら、自分はその技を――己の師へと向けて……

(ッ!? ――違う、記憶に引きずり込まれるな! お前が俺であろうとも、俺はお前じゃないんだよッ!!)

 ――そんな“余計な事”は考えるな。

 聖域での生活は、なかなか胃に来るモノが多くはあったが――悪くはなかった。
 この数日、ジャミールでの生活は退屈ではあったが――悪くはなかった。
 セラフィナがいなくなればあの生活は失われる。
 貴鬼は寂しがるだろう。
 責められるのは構わないが、泣かれるのは面倒だ。

 ああ、そうだと海斗は思い出す。

『思いましたよ、わたしはボロボロの海斗さんしか見てませんから!』

 セラフィナがギガス達に襲われた時だ。
 助けてやったのにあの感想はない。
 あれでは、まるで自分が負けっぱなしのようではないか。
 自分が最強だ、などと言うつもりはないが、誤った認識は正さなければならない。

(――そのためにも!)

 己の内側から湧き上がる“過去”の想いを、海斗は“現在”の想いによって呑み込んでみせた。

 ――今、何よりも優先すべき事だけを考えろ。

「セラフィナは返してもらうッ!!」



 トアスは見た。
 軌跡の中から迫り来る銀河の姿を。無数の星々の煌めきを。

 メフィストフェレスは――笑っていた。
 堪らない、と。
 どこまで楽しませてくれる気かと。

「前の聖戦にエクレウスの存在はなかった。そうだ、この千年、エクレウスの魂は冥界のどこにも存在しなかった。てっきりお花ちゃんの仕掛けかとも思ったが……」

 そして、海斗が天地を宿した両の手を打ち合わせたその時――

「んははっ! 千年前はノータッチだったってえのにさァ!! ナルホド!」

 メフィストフェレスの目の前で、煌めく星々が、銀河が――爆砕する。

「跳ばしたんだな!? ハハハハッ!! とんだ意趣返しだ! コイツァ確かに因縁だよ! 確かに、二百年前の聖戦では色々とやらしてもらいはしたがなァ……。
 図らずも先にちょっかいを掛けたのはお前さんの方だったってワケかい――ジェミニィッ!!」

 洞窟内を埋め尽くす破壊の光。
 それは宇宙の始まりビッグバンの輝きにも、星の終焉――超新星の輝きにも似て。

「“ギャラクシアンエクスプロージョン”!!」

 トアスを、メフィストフェレスを、そしてそびえ立つ青銅の扉を。
 海斗の前に立ち塞がる全てを、閃光が埋め尽くした。



 そして――



「ぬぅ!?」

 開かれた扉から放たれた閃光が、祭壇を包み込こむ赤い闇を振り払った。
 背後から吹き付ける衝撃の波にポルピュリオンの動きが止まり、セラフィナの身体に押し付けられていたルビーが零れ落ちる。

「まさか聖闘士かッ!?」

 ポルピュリオンが振り向いた先。
 光の中から姿を現したのは、見るも無残に破壊された聖衣を纏った男。
 その身は血と泥にまみれながらも、その瞳の輝きは、小宇宙は、僅かの陰りさえ見せていない。



「……え……あ……」

 これは一体何の冗談なのだろうかと。
 セラフィナは目の前の光景に言葉を失っていた。

「……海斗……さん?」

「よう、迎えに来たぞ」

 逆行を背負い歩み寄って来る海斗は、まるでお伽噺の主人公。
 しかし、その姿はどう見てもお伽噺の主人公ではあり得ない。
 ボロボロだった。
 新生されたはずの聖衣は見る影もなく破壊され。
 せっかく怪我が治りかけていたというのに、傷だらけとなった姿はまるで初めて会った時のよう。
 ここに来るまでに一体どれほどの事があったのか。

 無茶をするなと怒りたい。
 大丈夫なのかと確かめたい。
 ごめんなさいと謝りたい。
 ありがとうと感謝したい。

「待たせたな」

 それなのに、目の前でひらひらと手を振って見せる海斗の姿は、この数日の間に見慣れた飄々としたままで。

「~~ッツ!!」

 喜怒哀楽がごちゃ混ぜになり、何を言っていいのか分らない。
 嬉しくて悲しくて。
 感情が溢れ出し、涙が出る。

「って、なぜ泣く!?」

 そんな自分を見て慌て始めた海斗の姿に胸が少しすっとして。後でもう少し意地悪をしてやろうと思い始める。
 いつの間にか、そんな事を思えるだけの余裕が生まれていた事を、セラフィナはまだ気が付いてはいなかった。



「……はい、待ちました!」



[17694] 第21話 決着の時来る!の巻
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:ecc718c3
Date: 2010/12/14 14:40
  混沌(カオス)より生れし始まりの神大地母神ガイア。
  ガイアは天の神ウラノス、海の神ポントス、愛の神エロス、暗黒の神エレボスなどを一人で生んだ。
  その後、ガイアはエロスのはたらきによりウラノスとの間に子をもうける。
  男児が六人、女児が六人。
  この十二人こそが後にティターン神族と呼ばれる、いわば第一世代の神々であった。
  ガイアは子らを愛したが、ウラノスは違った。その事が、やがて大きな不和となり、ウラノスとティターン神族の争いの切欠となる。
  新たな子を生み続けていたガイアは、子らの争いには中立を保っていたが、この時に限ってはティターン神族に加護を与えた。
  ティターン神族の末子クロノスはガイアの期待に応え、父であるウラノスを討ち、神々の新たな王となった。
  しかし、ウラノスはその最期にクロノスに預言を残していた。「お前も自らの子に王位を奪われるのだ」と。
  預言は呪詛となり、ゆっくりと、しかし確実に、クロノスの精神を蝕み、やがて、狂気に堕ちたクロノスは自らの子をその手で次々と封じていく。
  その事に悲しんだクロノスの妻レアは、打倒クロノスのために六人目の子であったゼウスをガイアの元へと送る。
  ガイアもまた、レアの求めに応じてゼウスに新たな子らの力を貸し与え協力を示した。
  後世「ティタノマキア」と呼ばれる神々の戦いの始まりである。
  結果はウラノスの予言の通り、クロノスの子であるゼウスらの勝利で終わる。
  ゼウスが新たなる王となり、第二世代、いわゆるオリンポスの神々の統治の時代が始まる。

  しかし、ティタノマキアは神々に大きな禍根を残していた。
  その中でも最も大きなものが、クロノスの死によるガイアの怒りと悲しみであった。
  オリンポスの神々は、ゼウスはガイアの想定を超えてやり過ぎたのだ。
  ガイアはゼウスに味方したとはいえ、子であるクロノスの死までは望んでいなかったのだから。

  クロノスの血とガイアの慟哭から新たな神が生まれる。
  オリンポスの神々への憎悪より生れし存在。
  ガイアの加護により不死身の肉体を得た存在。
  神々の力に対して無敵、との神託を受けた神々の敵対者――ギガス。
  神々を滅ぼすモノとしての神託を受けた存在。
  炎と嵐を司る最大最強の魔獣。

  その名は――Typhon。





 セラフィナへと歩み寄る海斗の足取りは決して軽いものではない。
 傷付いた身体からは、一滴、また一滴と、紅い雫が流れ落ちている。
 それでもなお、その瞳の輝きは、闘志は、小宇宙は、衰える事なく熱く燃え滾っていた。

「……ほう……」

 そんな海斗の姿を見て、口元に笑みを浮かべたポルピュリオンから洩れたのは感嘆の声。
 たかが人間と侮っていたが、なかなかどうして、と。

「デルピュネを討ち、獣将を退け、トアスを破っただけの事はあるか。しかし――」

 王の神域に土足で踏み込むその振る舞い。
 聖なる儀式を邪魔したその蛮行。

「血と泥に穢れた身体でこの場に踏み入る事は――許さん」

 そう断言したポルピュリオンは、未だ歩みを止めない海斗へと掌を向ける。

「……だったら、どうする?」

 すると、ようやくその存在に気が付いたとでも言わんばかりに、ここに来て初めて海斗がポルピュリオンを見た。

 神たる自分と対峙してなお微塵の畏れすら見せぬその姿勢。
 その全てがポルピュリオンにとって度し難く、許し難い。

「塵一つ残さず四散せよ」

 それは、文字通り、正しく“威圧”であった。
 質量すら感じさせる程の圧倒的なまでの意思の力が、空間を歪め、巨大な壁となって、周囲の空間ごと海斗を押し潰そうとする。
 海斗の身に纏われた半壊したエクレウスの聖衣。衝撃はその崩壊を進め、剥がれ落ちた欠片はまるで陶器のように音を立てて砕け散る。

「海斗さん!!」

 ビシリ、グシャリ、と。
 聖衣が、大地が、粉砕されて礫と化す音は、セラフィナの声を掻き消してなお止む事はない。

「砕け散れぃ」

 その言葉と共に、ポルピュリオンが拳を握る。
 その動きに合わせるように“力”が圧縮され、瞬く間に限界を超えて爆発する。
 先の宣言の通り、爆発に巻き込まれた海斗の身体はいとも容易く四散した。

 光り輝く飛沫となって。

「えっ!?」

「……む!?」

 セラフィナとポルピュリオンの口から同時に驚愕の声が漏れた。
 だが、その質は違う。
 現状を把握できていないセラフィナと、状況を理解できたポルピュリオンとでは。

「水を使う聖闘士か!」

 宙を舞う飛沫に映り込む己の姿に、先の海斗が虚像であったと悟る。

「水鏡とは、小賢しい真似をする」

 小宇宙によって生み出された等身大の水鏡であった。
 いつの間に、どうやってとの疑問はあったが、直ぐにそれらはどうでもいい事となる。

「……どこだ?」

 周囲を見渡す視線の先に海斗の姿は見付けられない。
 小宇宙を探ろうにも、周囲に飛散した水鏡の飛沫がそれを妨げる。
 そこに宿された海斗の小宇宙、その残滓がポルピュリオンの感覚を狂わせていた。

「ふふふっ、面白い!」

 姿は見えず、しかし、その存在は周囲のどこからも感じ取れる。
 この状況に、ポルピュリオンは僅かな苛立ちと戸惑いを覚えていたが、それ以上に楽しんでもいた。

「さあ、これからどうするアテナの聖闘士? いつまでも隠れたままという訳にもいくまい?」



「――そうかいっ!」



 背後から聞こえた声にポルピュリオンが反応する。
 拳を握り込み、背後へと振り返る勢いのままに全力で振り抜いた。
 その手に伝わる確かな手応え。
 ポルピュリオンの視界には、己の右拳を右腕で防ごうとしていた海斗の姿があった。
 既に亀裂だらけであったライトアームはその衝撃で完全に砕け散り、血と共に聖衣の破片が舞う。
 馬鹿め、と。
 我を相手に力で勝てると思っていたのか、と。
 ポルピュリオンがその口元を歪めたその時であった。

「がッ!?」

 視界が闇に覆われ、次いでドンッと、頭部から頸椎へと凄まじい衝撃が走り、ポルピュリオンの足下から大地の感触が消失したのだ。

「す、すごい……」

 ハッキリとは見えないまでも、どうにか海斗の姿を感じ取ろうとしていたセラフィナは、偶然にもその瞬間を捉える事ができた。
 繰り出されたバックブローの勢いを利用して突き出された海斗の左の掌底が、ポルピュリオンの頭部を打ち、そのまま鷲掴みにしたのを。

 何が起こったのかと、ポルピュリオンがそれを思考する余裕は無い。
 ドゴン、と大地を砕く轟音が広間に響き渡る。

「~~ッツ!?」

 後頭部への衝撃と、耳鼻に響き渡る轟音がその暇を与えない。
 赤く染まる視界、バラバラと舞う飛礫、その中で見下している海斗の姿に、ポルピュリオンは己が大地に叩きつけられた事を知る。

「タルタロスの深淵で、もう千年寝てろ」

 声は聞こえずとも、海斗がそう言った事は理解ができた。

 海斗の左手を中心として、高められた小宇宙が螺旋の渦を描き始める。
 周囲を巻き込み、徐々に勢いを増していくそれは、ポルピュリオンの身体を包み込むと天井を打ち貫かんばかりに立ち昇る。
 それは破壊の尖塔。
 全てを飲み込む破壊の渦。
 シードラゴン最大の拳――ホーリーピラー。

 その尖塔が消えた後に残るのは、螺旋の渦を描き抉られた大地と、穿たれた天井だけであった。





 第21話





 こっちを見ちゃだめですからね、と。
 顔を羞恥で真っ赤に染め、涙目で睨みつけてくるセラフィナを、今さらだろうと思いはしたが口には出さず。
 海斗は「ハイハイ」と軽くいなしながら、彼女の身体を拘束していた黒い鎖を破壊する。

「あっ……」

 それにより、祭壇に磔となっていたセラフィナの身体は戒めを解かれて宙を舞う。
 長い銀色の髪がふわりと広がり、

「よっと」

 待ち構えていた海斗の元へ、その両手の中に抱き止められていた。
 安堵の溜息をつく海斗。
 すると、まわされたセラフィナの手が海斗の右手に、背中に触れる。

「っ、……セラフィナ?」

 そこは傷だらけの海斗の身体、その中でも特に酷い部分である。
 焼けるような、刺すような痛みに海斗は眉を顰めたが、直後にすうっと、何かが沁み込むような感覚とともに痛みが薄れていく事で、その意図を察した。

「……今のわたしにはこれぐらいの事しかできませんけど」

 癒しの力。
 本来は“杯座の聖衣に備えられた”能力。
 セラフィナは、それを行使する事に“聖衣を”必要としない。

「ありがとう。……海斗……さん」

「……いや、別に呼び捨てて貰ってもいいんだけどな」

「え、いえ、あの……その……」

 海斗の胸元に顔をうずめたまま、セラフィナはぼそぼそと何やら呟いている。
 圧しかかる重さと抱き止めた両手に、胸元に感じる確かな温かさに、海斗の内から様々な感情が湧き上がる。
 知らず、セラフィナを抱きしめる両手に力がこもっていた。
 記憶の残滓に感情が引きずられている。その事は分っていたが、

(……まあいいか)

 海斗は気にしない事にした。
 自然に、互いに抱きしめ合う形となっている事を意識してしまったセラフィナは、首筋までも赤く染めていた。



 そのまま膠着状態になるかと思われた二人。
 それを防いだのは、

「……気にするな、続けてくれ」

 壁にもたれ掛りながら、その声に僅かばかりの呆れと疲れを含ませたシュラであった。



 二度三度、シュラは確かめるように己の右拳を握っては開きを繰り返す。

「まだ少し、引っ張られるような感じは残っているが……。大したものだな、正直これほどとは思わなかった」

「できれば、あまり使わせたくはないんだけどな。ムウも言っていたよ、あの力は負担が大き過ぎる、と。まあ、一番その力を使わせた俺が言えた事じゃないが」

 そう話す海斗とシュラの視線の先では、セラフィナがエキドナの傷を癒しているところであった。
 一糸纏わぬ姿であったセラフィナであったが、今は玉座の周囲にあった布を使い、即席の貫頭衣として身に纏っている。
 シュラの外套は先の戦いで失われており、男二人の上着は貸し出そうにも血で汚れ、戦いで破れ、とても着せられるような物ではなかったためである。

「そう思うなら、その力を使わせる事がないようにお前が上手く立ち回れ」

「……無茶振り過ぎる、それ」

「フッ」

 血溜まりの中に倒れていたエキドナの事は海斗も気が付いていたが、正直言って既に息絶えていると思っていた。
 それについてはシュラも同様であったが、セラフィナは「せめて傷だけでも」とエキドナの元へ向かい、そこで彼女の命の炎がまだ消えていない事に気が付けた。
 その後、セラフィナどのような行動を取ったのかは語るまでもない。

「……笑うな。意外と性格悪いんだな」

「なに、微笑ましいものだ、と思ってな」

「~~ああッ、ったく!」

 海斗はそう言うと、がしがしと頭を掻きながら、話は終わりだと言わんばかりにその場を離れ、セラフィナの元へと向かう。
 その姿を暫く眺めていたシュラであったが、やがてその視線を穿たれた大地へと向け、そして消し飛ばされた“門であった”場所へと向けた。

「海斗の師はアルデバランただ一人。だが、他の技はともかく、あれはあまりにも性質が違い過ぎる。……あの一撃は、紛れもなくジェミニのギャラクシアンエクスプロージョン」

 シュラの視線は再び海斗の元へ。
 先程、海斗は癒しの力は負担が大きいと言っていたが、その言葉の通りふらりと倒れかかったセラフィナの身体を抱き止めていた。
 しばらく動きを止めていた二人であったが、やがて顔を赤くしたセラフィナと触れただの何だのと、何やら言い争いを始めている。
 とはいえ、二人の様子から大した事では無さそうだ、という事は分る。

「……オレが気にするような事ではないな」

 やれやれと思いつつ、二人の元へ向かうシュラ。
 その口元が僅かに笑みを浮かべていた事に、彼は気がついてはいなかった。



「エリカ?」

「いえ、レイカ、セーラ……だったのかも……」

「日本人、いや、見た感じは少なくとも東洋人だろうからセーラはないと……聖良ってのもある、か?」

 横たわるエキドナの頭を膝の上に乗せたセラフィナと、身を乗り出してまじまじとエキドナの素顔を見ている海斗。
 エキドナの青白かった肌には血色が戻り、今は静かに寝息を立てていた。

「何の話だ?」

 顔を突き合わせてああでもない、こうでもないと何やら熱心に話し合っている。
 そんな二人の様子に、内心では「やはり大した事では無かったな」と思いつつ、シュラは声をかけた。

「この娘の名前。ギガスとは関係がなく、どうやら操られていただけらしい、って事で。
 本当の名前を名乗ったそうなんだけど、生憎セラフィナは意識が混濁していてハッキリとは覚えていない、と。だったらエキドナと呼ぶワケにもいかないな、とね」

「……直接対峙したのはお前だ。そうだったのか?」

「……倒す気でエンドセンテンスを」

「海斗さん!?」

「あの時点では敵だったからな。時効だ時効」

「気付かなかった、と。なら、セラフィナの言う事を信じるか、信じないか、だ。もっとも、その娘が目を覚ませばはっきりする事だ」

 そのシュラの言葉を合図とするように、三人の視線が眠り続けるエキドナ――少女へと注がれる。
 頭上で行われた海斗とセラフィナのやり取りの最中にも、少女に目覚めの気配はなかった。

「目を覚ませば、か」

「……外傷は、どうにか治療はできました。でも……」

「操られていた、という事は、精神面に何らかの異常が認められる可能性もある。お前が気に病む必要はない」

「……はい……」

 理屈では分っていても、感情は別。
 自分を攫った相手ではあったが、その身を呈して護ろうとしてくれた相手でもある。
 こんな時にこそ役立てなければならない力、であるはずが。その思いがセラフィナ自身を責める。

「何にせよ――」

 それを見かねたのかどうなのか。
 沈み込むセラフィナの肩に、そっと海斗の手が置かれた。

「俺の目的は達したからな。これ以上この場所に留まる意味はなくなった。とっとと地上に戻って、病院なり何なり、然るべき場所にその娘を――」

 励ましてくれているのだろうか、と見上げたセラフィナであったが、海斗はそこで一度言葉を切ると、視線を広間の入口へと向けていた。
 その表情が、安堵から困惑へと変化する。額を抑えたその様子は、傍目にも、悩んでいる、というのがよく分る。

「……まさか、そっちから接触をしてくるとは。ここにいるのは俺一人だけじゃないんだぜ?」

 シュラが僅かに身を動かした事を感じ取り、セラフィナは何事かと海斗の視線を追う。



 破壊された青銅の扉の前に、二つの人影があった。

「そこにいるのはカプリコーンの黄金聖闘士か。このような場所でかの聖剣の使い手と出会えるとはな」

 黄金の槍を持った海将軍クリシュナ。

「抑えろクリシュナ、今の我らの敵は彼らではない」

 そして、強敵を前に逸るクリシュナを制すソレントである。



「……一応、そう言う事らしいから、シュラも抑えてくれるとありがたい」

「説明は?」

「後でするよ」

 そう言って海斗が前に出た。
 成り行きを見守る事にしたのか、シュラはそれ以上は何も言わずにセラフィナの傍へと下がる。

「さて、無事を喜びたいところだが、場合によっては素直に喜べなくなりそうだ」

 口調こそ何気ないものであったが、その視線は鋭くソレントを射抜いていた。

「……どういうつもりだ?」

 地底湖での別れ際のやり取りにより、この場においては互いに不干渉というのが暗黙の了解であったはず、と。
 その事はソレントも分っていたのだろう。
 敵意がない事を示すようにクリシュナを一歩下がらせると、手にしたフルートを鱗衣にしまってみせた。

「失念していた事があってね。きみの想い人に少々確認せねばならない事がある」

 そう言ってソレントの視線がセラフィナへと向けられた。

「え? 想い……人? え? え、えぇえええ!?」

「誰が想い人だ、誰が。そこ、勘違いするな、聞き流せ」

「違うのかい? それは失礼。では単刀直入に聞こう。きみは宿したのか? ギガスの王にして神、大地母神ガイアの産んだギリシア最大の魔獣――」



――Typhonを、と。

 その名をソレントが口にしたのと同時であった。

「!? この揺れは!」

「地震か!?」

 何の前触れもなく、誰もがまともに立ってはいられない程の凄まじい振動が広間を襲う。

「伏せてろ!」

 いたる所で天井が崩れ、無数の岩石が広間へと降り注ぐ。
 海斗の声に従い、セラフィナが少女の身体を抱き寄せて身を伏せる。

「海斗! 跳べ!!」

 それとは逆の事を、セラフィナと少女を落石から守っていたシュラが叫んだ。

「くっ!」

 跳躍した海斗の足下の地面が裂け、そこから巨大な火柱が噴出する。
 炎だけではない。
 隆起する大地は刻々とその姿を変え、拡大し、拡散していく大地の亀裂から、鉄を溶かした溶鉱炉の中身のように、溶岩までもが溢れ始めていた。

「こんなタイミングで噴火か!?」

「いや、これは……」

 退避した先で、背中合わせとなった海斗とソレント。
 そこに、噴き上がった溶岩が、まるで意思を持っているかのように、弧を描いて襲い掛かる。

「こいつは!?」

「やはり、明らかに何者かの意思が介入している!」

 肩を並べたのは一瞬。
 お互いに逆方向へと跳びこれを避ける。

「海斗さん!」

 悲鳴じみたセラフィナの声に海斗が視線を動かす。
 偶然か、それとも。
 海斗の周囲は炎と熔岩によって囲まれ、ただ一人孤立する形となっていた。

「そっちは!」

「あの娘とセラフィナは無事だ!」

 シュラの言葉の通り、炎の壁の向こう側にはセラフィナ達の影が見えていた。
 少女はシュラの腕の中にあったようだが、この騒ぎでも目を覚ましていないとすれば、少々面倒な事になるかもしれない。

「他人の心配をしている余裕はないか。そっちからは外に出れそうなのか!?」

「――大丈夫です。こっちはシュラ様が! そっちは大丈夫なんですか!?」

 周囲を見渡す。
 揺れや落石は大分マシにはなっていたが、目に映る光景は変わらない。
 これがただの噴火、ただの炎であるならば問題はないのだが、

「そんなワケはないよなぁ……」

 奇妙な事に、海斗を囲む炎はある一定距離からはそれ以上内側へと迫って来る事がない。
 拳圧で吹き飛ばしても、瞬く間に新たな炎が更なる勢いを持って壁となる。
 明らかに不自然であり作為的。
 恐らく、いや、確実に二人の海将軍も“この場”から排除されているだろう。
 事実、先程まで確かに感じていた小宇宙が急速に遠退いていた。
 セラフィナが狙われなくなった事は喜ばしいが、今度は自分が目をつけられたらしい。

 心当たりは――ある。

「こっちの事は気にするな! ただ、コイツを吹っ飛ばすのはちょっと派手な事になる!」

 嘘は言っていない。穏便には済まないだろう。

「シュラ、二人が巻き込まれない内に早く脱出してくれ!!」

 元々、シュラはムウがジャミールを留守にする間、セラフィナの護衛をするためにやって来たと言っていた。
 ならば、答えは一つのはず。

「……」

 海斗が僅かな逡巡の間を感じた後、

「先に行く」

 短く、はっきりとシュラが答えた。
 正直、手を貸して貰えるとありがたかったが、そうするとセラフィナ達の安全が保障できなくなる。
 それでは、一体何をしに来たのかが分らなくなってしまう。

(とりあえず、心配事が一つ減ったな)

 優先順位として正しく、そして期待通りの言葉を受け、海斗は安堵の溜息をついた。

 その瞬間、シュラ達と海斗を遮っていた炎の壁が“斬り”開かれた。

(――エクスカリバー!?)

 何を、と。海斗が咄嗟に顔を上げる。
 炎の隙間から、右手を振り下ろしたシュラと、その手に抱きかかえられた少女、そして、真っ直ぐな視線を向けているセラフィナの姿があった。
 炎の壁が閉じるその刹那、セラフィナと海斗の視線が交差する。



 そして、炎の壁がその勢いを増して再び壁となって立ち塞がる。
 セラフィナ達の小宇宙が遠ざかって行くのを感じ取ると、どうにも濃い一日だ、と海斗は思わず天を仰いでいた。

「――別れの挨拶は済んだのか?」

「……縁起でもない」

 予想はしていた。
 呆気なさ過ぎが故に。
 自分の中の何かが変わったとはいえ、ああも圧倒できたのはおかしいと。

 振り返った海斗の前に、赤い闇が蠢いていた。
 そこから最初に具現したのは百の蛇の頭。
 次いで鳥の翼と何本もの巨大な手足。
 蛇の眼窩から炎が吹き荒れ、暴風とともに大蛇の胴が這いずり出す。

「ぐっ、こ、こいつは……!?」

 周囲には腐臭が立ち込め、目に見えぬ力が海斗の身体へと圧し掛かり、それに弾かれるように海斗は飛び退き距離を求めた。
 そうして、片膝をついた海斗の目の前で魔獣が、赤い闇が――爆ぜる。

 熱気と重圧を撒き散らし、そこに現れたのは赤と青、炎と風、二つの色を宿した左右非対称の闇色の金剛衣。

「これが我が金剛衣。我らが神Typhonの力を宿した最強の金剛衣よ」

 その言葉とともに現れたのは、ギガスの王――ポルピュリオン。
 その肉体には、掠り傷一つ見付ける事が出来なかった。

「チッ! “エンドセンテンス”!!」

 舌打ちを一つ。思い浮かべた予測を振り払うように、即座に海斗が仕掛けた。
 放たれた無数の光弾が、次々とポルピュリオンの身体を撃ち貫く。
 鮮血が舞い散り、ポルピュリオンの身体がぐらりと揺れた。

 それだけであった。

「思惑通りとはいかなかったが、結果だけで言えば概ね順調なのでな。神の復活までは行かずとも、こうして我は力に満ちている」

 口元を歪めてポルピュリオンが笑う。

「あの娘を母体とできればそれで良し。それが叶わねば、新たな母体を探すだけよ。その程度の事に過ぎん」

 海斗の目の前で、穿たれた肉体が、鮮血を噴き出した傷口が、瞬く間に治癒し、再生される。

「デルピュネが聖域を落とせればそれで良し。仮に返り討ちにあったところで、その血肉と魂は我が神の力となる」

 そう語るポルピュリオンの手には、いつしかあの真紅のルビーが握られていた。

「その点では貴様らに感謝をしているのだ。我の代りに多くの力ある魂を神に捧げてくれたのだからな」

 Typhonの金剛衣が姿を変え、瞬く間にポルピュリオンの身に纏われる。

「おかげで、こうして我は神代の力を、ガイアの加護を取り戻せた。礼を言うぞ聖闘士よ」

「……そう言う事か。つまり、お前は同胞の命も贄としていたんだな。自分以外のギガスが勝とうが負けようが、どうでもよかったワケだ」

 返答はなかった。
 ただ、にやりと、ポルピュリオンは笑みを浮かべた。

 ポルピュリオンが一歩進む。
 風を纏った右半身により踏み込まれた一歩。

「くっ、これは!?」

 その動きだけで、嵐の如き暴風が巻き起こり、風は刃となって海斗の身に迫る。
 破損により、プロテクターとしての機能を失っている今の聖衣ではそれを防ぐ事はできない。浅くはない傷が、次々と刻まれていく。

 ポルピュリオンが一歩進む。
 炎を纏った左半身により踏み込まれた一歩。

「っ、だったら!」

 デルピュネの炎を打ち消した時のように、海斗は目の前に水の障壁を展開する。
 果たして、予想通り風の勢いを受けた炎が、熱波が、海斗へと迫り――

「――やっぱりかよ、くそっ!!」

 跳び退いた海斗の目の前では、易々と障壁が消し飛ばされていた。

(肉体を破壊できない訳じゃない。なら、ギャラクシアンエクスプロージョンで吹き飛ばせば……いや、多分それだけじゃあ――一手が足りない)

 事実、一度はホーリーピラーによってその肉体を消し飛ばしていたはずだった。しかし、こうして目の前にポルピュリオンは存在している。
 ギャラクシアンエクスプロージョンを放つだけでは、時間稼ぎ程度にしかならないとの確信があった。
 構えを解き、海斗は油断なくポルピュリオンの動きを見る。
 決して戦えない相手ではない。万全であるならば、だが。

「せめて、聖衣だけでもまともな状態だったらな……」

 聖衣はただ身を守るためのプロテクターではない。
 むしろ装着者の小宇宙を高め、その力を十二分に発揮させるための増幅器的な役割の方が大きい。
 その効果は、白銀、黄金と、上位の聖衣であるほど顕著になる。
 無論、それを発揮させるためには天才的なセンスと確たる実力が必要であり、資格の伴わない者が黄金聖衣を身に纏ったところで青銅聖闘士はおろか下手をすれば雑兵にすら勝利を得る事はできない。

 ふと、そう言えばガルーダの冥衣はどうなった、と海斗は視線を動かす。
 視線の先、炎と熔岩の向こうに、魔鳥へとその身を戻したガルーダの冥衣があった。
 力の余波ですらダメージを負ってしまうこの状況では、四の五の言ってはいられない。

「……俺は俺だと言っておきながら……」

 メフィストフェレスは海斗に囁いた。歴史は繰り返す、と。
 その言葉に、海斗は自身の行動によって否を突き付けた。
 しかし、細部を変えども、再び繰り返そうとしている。

 割り切らねばならない、受け入れなければならない。
 つくづく、自分は半端だなとは思うが、座して死を待つつもりはない。

「来い――」



 どこかで、カチリと、時の歯車が“回る”音が響く。



 赤に染まった世界を一条の閃光が貫いた。
 その眩さに、僅かではあったがポルピュリオンが眉を顰める。

「何だ、この黄金の光は? なにい、あれは、あの聖衣は!?」

 光の中から姿を現したのは、一つの身体でありながら互いに向き合う事のない双子を象った黄金の聖衣。

「……カストルの遺志……なのか?」

 目の前の光景に、どこか呆然とした様子で海斗が呟いた。
 ジェミニの黄金聖衣が天を貫き、この大地の底に出現していた。

「は、ははは。はははははっ! 師弟揃ってお節介なんだな。だが、今は素直に感謝するよ! ありがたく借りるぞ、来い――ジェミニ!!」

 海斗の声に応えるように、ジェミニの黄金聖衣がその姿を変える。
 後は託したとばかりに、エクレウスの聖衣が海斗の身体から分離し、替わるようにジェミニの聖衣が纏われていく。

 薄れゆく千年前の記憶とジェミニの聖衣が、海斗の求めた一手をその手に与えていた。
 ガイアの加護がポルピュリオンを不死とするのならば、その加護を絶ち切ればよいだけの事。
 それを成すための力を、ここに得た。

 ジェミニの聖衣を纏った海斗と、ポルピュリオンが対峙する。
 吹き荒れる風も、炎も。すでに余波程度の力では、海斗の身に何ら影響を与える事はできない。

「待たせたな。さあ決着の時だ。この下らない因縁を――」



「――ここで俺が終わらせる」



[17694] 第22話 邪悪の胎動!の巻
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:ecc718c3
Date: 2011/01/18 21:12
 万全の状態の聖衣、それも最高位の聖衣である黄金聖衣を身に纏った海斗。
 風と炎が吹き荒れる赤に染まった空間に、眩いばかりの黄金の輝きが一際異彩を放つ。
 むしろ、周囲の炎がその勢いを増す程に、黄金の輝きもまたその勢いを増していた。

 黄金聖衣。その聖衣が放つ黄金の輝きは決して用いられた材質だけが理由ではない。
 “光を吸収し構造内に封じ込めエネルギーに変換する”という他の聖衣にはない特性故に、である。
 そして、黄道十二星座を司るという事は、神話の時代より常に太陽の影響下にあったという事であり、その内には膨大なまでの光が蓄積され続けている。
 つまり、黄金聖衣とは太陽の鎧であり、光の鎧であるとも言えよう。
 無論、それ程の光の力を制御するには相応の高い小宇宙が必要とされ、それを実行できるだけの力を持った者が黄金聖衣を身に纏うのだ。
 それが、一体どれ程の相乗効果を生むのか。



 ムウの手によって新生されたエクレウスの聖衣。あの時、それを身に纏った海斗は聖衣に満ちた、迸る“生命の躍動感”に感動していた。これ程とは、と。
 そして、今。
 最高にして至高の聖衣である黄金聖衣。それを身に纏った海斗は、その身を包む“躍動感”を超えた“飛翔感”を感じるままに、ニヤリと口元を歪めていた。

(……これは拙いな。これは拙い)

 セラフィナによって僅かながらも傷を癒されていたとはいえ、満身創痍の身である事に変わりはない。
 敵は神族。それもオリンポスの神々と戦った古の巨人族の力を取り戻している。
 同胞たちを贄としてかつての力を、不死を取り戻し、その身に最高位の金剛衣を纏ったポルピュリオン。
 格で言うならば人と神、比べるまでもなく。
 力にしてもそうだ。相手は神でありながらTyphonとガイアという二神の加護を受けており、対する自分は聖闘士一人、いや二人分か。その程度でしかない。
 油断も慢心もできる相手ではない。
 それが分っていてもなお、海斗は口元に浮かぶ笑みを抑える事ができなかった。聖衣から与えられる力と、己の内から湧き上がる高揚感に呑まれそうになっていた。

(落ち着けよ、抑えろ。しかし、本当に拙いな。これ程のものか、黄金聖衣。まるで……負ける気がしない)



 ポルピュリオンが腕を振るう。
 吹き荒ぶ大風を纏った右腕を。

「“ストームスラッシャー”!!」

  ――大地母神ガイアと苦界タルタロスの息子であるギガスの神Typhon
  ――背に生やした巨大な翼は羽ばたき一つで吹き荒ぶ嵐を巻き起こす

 ただそれだけの動きで大地はめくれ上がり、噴き上げる熔岩や熱波を巻き込ながら、無数の風の刃が縦横無尽に海斗へと襲い掛かる。
 目前の光景に、ジェミニのマスクに隠れて分り辛かったが、海斗が僅かに眉を顰めた事がポルピュリオンには分った。
 さあどうする、と。期待を込めた眼差しで海斗を見る。この程度で終わってくれるな、と。

 果たして海斗はおもむろに振り上げた右腕を、気合いの声とともに振り下ろした。

「フッ!!」

 一閃。
 振り下ろされた光の軌跡に沿って、向かっていた風の刃がことごとく断ち砕かれていく。
 しかし、刃を砕かれた風は、ならばと衝撃の飛礫と化して次々と海斗の身体を打ち据える。
 その中で、一際高い音が響き渡ると、衝撃によるものか他の要因か、仰け反った海斗の頭部からジェミニのマスクが弾き飛ばされていた。

「……チッ、やっぱり見よう見まねじゃ無理か。分っちゃいたが」

 ふらついたのは一瞬。額から血を流しながらもそう呟く海斗の目には確かな力がある。

「線や点では無理だ、ってんならな!!」

 砕けた刃か無数の飛礫になるのならその全てを打ち砕く。
 暴論であったが間違ってもいない。それができるのであれば。今の海斗にはそれができるだけの力がある。

「おおおおおッ!! “エンドセンテンス”!!」

 風を突き抜けた光弾が、光線が、ポルピュリオンの金剛衣に傷を与え、鋼の肉体に確かなダメージを与える。

「ぐっ、むうぅっ! まさか、この最強の金剛衣に傷を付けるとは!! だが、言ったはずだぞ……我は力を取り戻したと!! ガイアの加護をッ!!」

 海斗の攻撃で巨躯を揺らしながらも、気迫に満ちた叫びを上げて仁王立ちするポルピュリオン。
 金剛衣こそ傷が残っていたが、肉体は瞬く間に再生を果たす。

 ポルピュリオンが腕を振るう。
 灼熱の業火を纏った左腕を。

「ならばこれを受けてみよ! 大地の怒りを!! “フレグラスボルゲイン”!!」

  ――其は百の蛇の頭を持ち、その眼窩からは炎を放つ

 大地が煮沸し、炎の海から荒れ狂う炎蛇がその巨大な顎を開き海斗へと襲い掛かる。
 その密度、その大きさ、その異様。デルピュネの生みだした炎蛇とは比べようもない。

「“ハイドロプレッシャー”!!」

 両手を突き出した海斗から放たれた水流。巨大な槍とでも形容できそうなそれが、海斗を呑みこまんと大きく口を開いた炎蛇の口腔に突き刺さる。そして、瞬く間にその頭部を四散させた。

「何? っく、そういう事か!」

 あまりの手応えのなさにどういう事かといぶかしんだが、その答えは直ぐ目の前にあった。
 頭部を破壊され四散した――ではなかった。

「自ら分れた、か。まるでヤマタノオロチだな」

 一つの胴体に複数の頭部。
 四散したはずの炎はそれぞれが頭となり、顎を開いて迫る。
 さながら迫り来る炎の壁であった。

(迷っている暇はない)

 多少のダメージは覚悟の上と、炎の壁を前に海斗は決断する。

「“レイジングブースト”!」

 水流を身に纏い、炎の壁を蹴り穿ち飛翔する。
 眼下では炎がまるで津波のように押し寄せて、先程まで自分のいた場所を炎の海へと変えていた。

「……おいおい」

 最早足場と呼べそうな場所はほとんど無くなっている。

 第六感、いわゆる超能力である、を超えた第七感“セブンセンシズ”に目覚めた黄金聖闘士にとってそれは些細な事であったが、今の海斗にとってはそうではない。
 聖闘士は一般人の常識を超えた存在ではあるが、その聖闘士にも常識は存在する。
 少なくとも「足場のない炎の海で戦う」事は海斗の常識にはない。
 どうするかと僅かに逡巡する。



 それが隙となる。



「呆けている場合か?」

 ぞくり、と。
 背後から感じるプレッシャーに、しかし空中にいる海斗に取れる手は多くない。
 振り返るよりも速く、ポルピュリオンの手が海斗の頭を鷲掴みにしていた。

  ――其の咆哮は大地を揺るがし、何本もある手足は容易く大地を打ち砕く

 身動きが取れない事で、海斗は風が全身を拘束している事に気付く。

「よくぞTyphonの力に抗った。最後は我の力で仕留めてやる」

 獰猛な笑みを浮かべたポルピュリオンの手に力が込められる。

 グンッ、と全身に重圧が掛かるのを感じる。

 風の拘束を打ち破り、海斗がその手を掴んだ時にはもう遅い。

「“ギガントクラッシャー”!!」

 空気を貫き、風を貫き、炎の海を貫き、大地を貫き。

 地上に落ちる隕石のように。

 二つの小宇宙が大地の底へと突き進み。

 やがて、大きく弾け。



 忽然と――消えた。





 第22話





 聖域。アテナ神殿へと繋がる十二宮、その第三の宮である双児宮に教皇――サガの姿があった。
 純白の法衣に身を包み、首には――装飾過多であるとしてサガはあまり好んではいない――ロザリオをかけている。
 教皇に代々受け継がれている翼竜を模した兜を被り、その素顔を隠す無表情なマスクによって教皇の正体を知る者は少ない。素顔を知ってはいても、それがサガである事を知る者はさらに極僅かである。
 聖域を統べる教皇たる者が、こうして素顔を隠すという事は一見おかしな話のようだが「己という個を捨てて地上の平和のために、アテナに尽くす」という題目によって千年ほど前からの慣例となっていた。その事は、故あって正体を隠さねばならないサガにとっては好都合であったのだが。

「……いや。むしろ、だからこそ今の現状がある、とも言えるか」

 素顔の分らない存在。だからこそ入れ替わる、という事ができた。
 そうでなければ今のような事にはなっていない。
 そう一人ごちながら、サガはかつて己が暮らした双児宮の奥へと足を踏み入れた。



 海斗がデルピュネと共に聖域から姿を消して暫く。
 襲撃してきたギガス達の全てを打ち倒した事で、少なくとも目先の脅威は払拭されたと皆が警戒を僅かに緩めた時にそれは起こった。

 雷鳴の如き轟音が鳴り響き、双児宮から眩いばかりの輝きが、光の柱が立ち昇る。

 教皇の間の前からその光景を見下していたカミュやサガ、シャカが一体何事かと反応する間もなく、そこから流星とも見紛う光が飛び立っていったのだ。
 その正体がジェミニの黄金聖衣であると真っ先に気付いたのは当然の事であるがサガである。
 とはいえ、それが千年前のジェミニの黄金聖闘士カストルの遺志であるなど、その光景を目にして理解できるものはいない。分るはずがない。

 十二宮を守護する黄金聖闘士とはいえ、他の宮の内情を把握している訳ではない。例外があるとすれば、それは教皇かアテナか、である。
 故に、サガ自身が確認のために双児宮へと向かった。
 私が、と進言するカミュにあの場を任せ、教皇自身が向かう程の事でもない、と諌めるシャカには海斗の捜索を命じた。



 居住区の先にある小さな一室。
 鍵を開け、十年ぶりに踏み込んだその室内はサガが予想していたよりも荒れてはいなかった。
 天井に空いた穴から陽の光が差し込まれ、降り注ぐ光の元には石造りの台座があり、その上には開かれたパンドラボックスがある。
 薄暗い室内にあって、陽の光に照らされて黄金の輝きを放つパンドラボックスからはある種の神々しささえ感じられる。

「カノンでは……ないな。もっとも、あれが今更聖衣を求めるとは思えんが」

 サガに弟がいた。その事実は聖域では知られていない。
 幼き頃から心優しき誠実な男、神のような清き男として育ち、称えられていたサガとは異なり、サガに匹敵する力を持ちながら己を悪だと言い切り悪事にも手を染めていたカノン。
 その力も容姿も瓜二つの双子でありながら、その本質は相反していた。
 それでも、と。サガはいつかカノンが正義に目覚める事を期待していた。血を分けた兄弟を信じていた、とも言える。
 しかし、それが誤りであったとサガが痛感した出来事が起こる。

 それは、今から十一年前の事であった。
 聖域に赤子としてアテナが降臨してから、当時の教皇から次期教皇にサガではなくアイオロスが指名されてから僅か数日後の事であった。

『馬鹿な! カノン! お前は一体自分が何を言っているのかを分っているのか!? アテナを、聖域に降臨された幼きアテナを――殺せだと!?』

『力のある者が欲しい物を手に入れようとする、それだけの事だ。幸いにしてオレ達が双子である事を知る者はいない。オレが手伝ってもいい。そうすればこの地上はオレ達兄弟の物になるんだ。
 そうさ、アイオロスを次期教皇に選んだマヌケな教皇共々――アテナなぞ殺してしまえばいい』

 自分の心を偽る必要はない。兄さんの本質もオレと同じ悪なのだから。
 そう言ったカノンの視線を、表情をサガは忘れる事ができない。
 サガとカノンは瓜二つ。従って、悪に堕ちたカノンの顔は悪に堕ちたサガが見せるであろう顔なのだ。
 自身の内面すら見透かそうとするカノンの視線が、悪こそが本質だと言い切る、その事がおぞましく、サガには許せなかった。

『出せ!! サガ! オレをここから出してくれーーッ!! 弟のオレを殺す気かーーッ!!』

『お前の心から悪魔が消えてなくなるまで入っているのだ。アテナの許しが得られるまでな』

『サガ! お前のような男こそ偽善者というのだぞ! 力のある者が欲しい物を手に入れようとして何が悪い! 神の与えてくれた力を自分のために使って何故いけないというのだ!』

 だからこそ、神の力を持ってしか出る事のかなわないとされるスニオン岬の岩牢にカノンを幽閉した。

『オレには分るぞサガよ! お前の正体こそ悪なのだーーッ!!』

 その後、どうやってかは分らないがカノンは人の力では脱出不可能とされた岩牢から姿を消し、海闘士として再びその姿を現した。
 何を目論んでいるのか。おおよその予想は付く。地上支配、おそらくはこれだろう。
 アテナを害しようとしたカノンだ。おそらく海皇ポセイドンに対しても何らかの企みを持っているはず。

 ふうっ、と溜息をつきサガは頭を振った。
 今はカノンの事を考えている時ではない。

「五老峰の老師か? それともムウか?」

 聖域から黄金聖衣を持ち出す事のできる、そうしてもおかしくない人物を思い浮かべる。

「いや、それはない。あの二人がそのような軽率な行動を取るはずがない。ならば……まさか、いや、あり得なくはない。聖衣には意思がある。
 聖衣が自らの意思で動いたとするならば、あのタイミングで向かったとするならばおそらくは――戦いの場だ。ふっ、くくく。はははははははっ!!」

 その可能性に至り、サガは笑った。

「そうか、海斗の元へ向かったか!」

 この度のギガスの襲撃もそうならば、ジェミニの聖衣が本来の所有者たる自分の元を離れた事も想定外。
 カノンが海闘士として現れた事もそうならば、海斗という力のある聖闘士が現れた事も想定外。

「はははははははははっ!!」

 笑い、嗤い、哂う。
 最高だ、と。“自分達”の想定を超えた出来事がこうも立て続けに起こるとは、と。
 今の自分が“サガ”の主導権を握れる期間はもうさほど残されていない事は分っていた。
 幸いにして今は己の中の“もう一人の自分”は眠っている。
 いずれは今日の事も感付かれるであろうが、もう暫くは耐えてみせよう。

「……アベル、神であろうともこの地上を、アテナを、お前の望むようにはさせんぞ」

 双児宮から出たサガは、そう呟くとゆっくりと視線を動かした。
 見据えた先は、聖域において数千年に渡り禁断の地とされた場所――スターヒルのさらに奥にある“ディグニティヒル”。
 その頂上には無数の宮の遺跡がある。その遺跡の名はコロナ神殿。
 太陽を取り巻く無数の惑星のように存在する宮と、その主の存在から太陽宮とも呼ばれる。
 その事を知る者は代々の教皇とそれを伝えられるアテナのみ。

 主の名はアベル。

 ゼウスの子にしてアテナの兄。

 太陽を司る神。

 封じられし太陽神アベル。

 今より十六年前、幼きサガの運命を狂わせた神。





 不意に、腕から伝わる抵抗が無くなった事にポルピュリオンが違和感を覚え、しかし構うものかと再び力を込めたその時であった。
 周囲から音が消え、色が消え、熱が消える。
 大地が消え、重力が消え、その身を包むガイアの加護が消えた。

「な、何ッ!? 馬鹿な、ガイアの加護が感じられ――!?」

 そこでポルピュリオンの言葉が止まる。
 次いで出たのは呆然とした呟きであった。

「……何だここは?」

 見渡す限りの宇宙、そうとでも言うべきか。
 暗闇の中に輝く星々の輝きはまさしく宇宙のそれであったが、周囲に浮かぶ岩石や形を変える事なくその場に浮かぶ炎、天地の境を示すかのように光の網目のようなものが上下に広がっている。
 異界、そうとしか表現のしようが無い。

 その問いに答える事ができるのはただ一人。

「“アナザーディメンション”だ。次元と次元の狭間、世界から切り離された場所」

 その声はポルピュリオンの“下”から聞こえた。

「やり方は分っちゃいたが、制御しきる自信がなくてな。精々が自分の周辺に異界の入り口を開くので精一杯だ。どうやって放り込むかが問題だったんだが誘いに乗ってくれて助かった。
 アレはともかく、こいつは多分もう二度と使えない。相性の問題かね? まあ、借り物の力だし今更文句はないけどな」

「……いつの間に!? この手で頭部を掴んでいたはずだ!!」

 指先でこめかみをトントンと軽く叩きながらそう話す海斗の姿に、ポルピュリオンは何とも言えぬ不気味さを感じていた。

「ここには圧し付けるための大地が無いんだ。“後ろに下がれば”抜けるのは簡単だ。さて、と!」

 言うや否や、小宇宙を纏って繰り出された海斗の蹴り――レイジングブーストがポルピュリオンの身体を突き上げる。

「ぐぅおおッ!?」

 咄嗟に両手を突き出して攻撃を受け止めたものの、金剛衣は軋みを上げ、裂傷を受けた掌からは血が噴き出す。
 それを確認した海斗は、牽制を込めた拳撃を放つと、ポルピュリオンとの距離を開けた。
 追撃が来るかと警戒したポルピュリオンであったが、海斗はこちらをじっと見つめるだけで動こうとしない。
 ならばと、先に動こうとしたポルピュリオンを制するように、海斗が口を開いた。

「思った通りだ。その程度の傷が“まだ”治らない。世界から切り離されたこの場所ならガイアの加護ってやつも届かない、か。ならば――」

 両手を左右に大きく広げ、円を描くように動かす。
 その動きに合わせるかのように、周囲に輝く星々が動いた。
 海斗の身体を中心として、幾多の星々が凄まじい速さでその動きを加速する。

「肉体を破壊して消滅させる。お前の魂は次元の狭間に取り残される。ここでお前を――神を封印する」

 腰だめに構えた両の拳を丹田から正中線を沿う様に胸元へ。
 右手は天を、左手は地を指し示すかのように大きく広げ、そこから互いの天地を入れ替えるように回された軌跡は再び円を描く。

「これで決める」

 立ち昇る小宇宙は黄金の輝きを放ち、天地を宿した両手が打ち合わされたその瞬間――

「う、うおおおおおおおおおおーーッ!!」

 不死の身でありながら、いや、だからこそか。
 目前に迫る死の気配にポルピュリオンの本能は恐慌し、王としての誇りが、神としての意地がそれを認めまいと肉体を突き動かした。
 神が人に恐怖するなどあってはならぬ、と。

「我はポルピュリオン! ギガスの――」

「終わらせるッ!!」

 ――銀河が爆砕する。

「“ギャラクシアンエクスプロージョン”!!」

 視界を埋め尽くす光の奔流。
 その中でポルピュリオンはその最期の瞬間、ある事を思い出していた。

 千年前、己を討ち倒した相手はジェミニの黄金聖闘士であったな、と。





 テラスから覗く眼下の光景――一面の銀世界を見ながら、玉座にも似た装飾を施された椅子に腰掛けたドルバルは手にしたグラスをゆっくりと傾けていた。
 極寒の地アスガルド。
 ギリシア神話に連なる神々とは異なる神によって統べられた国である。
 聖域と同じく結界によって護られたこの国を知る者は多くはない。

 ワルハラ宮と呼ばれる中世の古城のような建物の最上階。そこから見渡せるこの光景がドルバルは好きだった。

 思いを馳せるのはこの国の事か、この地に生きる民の事か。
 そのどちらでもあり、更なる先を、この世界を思っていた。

 暫くそのまま何度かグラスを口にしていたドルバルであったが、やがてグラスを持たぬ空いた手を宙に伸ばすと、そこにある何かを掴み取るように掌を握り締める。

 ニヤリと笑みを浮かべ、クククと、漏れ出る声を押し殺す。
 暗く、深く、ドルバルは――嗤っていた。

「いやはや、全くもって素晴らしい事だ。アテナの聖闘士は実に優秀ではないか」

 握り締めたドルバルの手から紅い輝きが漏れ出していた。
 輝きは、ドクンドクンと、まるで心臓の鼓動を思わせるような、不気味な明滅を繰り返している。
 ゆっくりと開かれたその掌に収められたのは真紅のルビー。
 それは、Typhonの魂が封じられた魔石であった。

「愚かなる神々など互いに喰らい合い殺し合えば良い。何も我らが直接手を出す必要などありはせんよ」

「教主様の御心のままに」

 ドルバルの言葉に答えたのは、彼の後ろで片膝をつき頭を垂れている青年であった。

「ふふふっ、口ではそう言っておるがロキよ、お前としては戦いたいというのが本音であろう?」

「……お許し頂けるのであれば。我ら神闘士は教主様に従うのみでございます故に」

 ロキと呼ばれた青年の言葉に「頼もしいな」とドルバルは笑みを浮かべる。

「ならん、ならんよロキ。放っておけば良い、我らはただ観ているだけで良いのだ。少なくとも今はまだ、な」

「……七星ですか。我々だけでは不足なのでしょうか?」

「そうは言わん。お前達の力はギガスやアテナの聖闘士に劣らぬ。しかしな、十二人の神闘士を揃えずして勝利は無い。私はそう考えておる。
 フレイもそうだが、七星、あれらが真に忠誠を向けているのはこのドルバルではない。ヒルダよ。事を起こすには……まずヒルダを抑えねばならぬ」

 ドルバルは手にしたグラスをテーブルに静かに置くと、椅子から立ち上がり法衣を翻してテラスを後にする。
 その後ろを、付かず離れすといった微妙な距離を維持してロキが続く。

「まあ、そう長い時は必要とせん。心身掌握の秘術、あの実験は結果からすれば失敗であったが、それなりの成果を見せておる。
 やはり楔となる物が必要なのだよ。仮面や首飾り、いや、指輪など良いかも知れんな」



 無人となったテラスに風が流れる。
 ビュウと音を立てる強い風。
 その勢いに、テーブルに置かれたグラスが傾き転げ落ちると――音を立てて砕けた。
 じわりと、テラスの床に紅い染みが広がる。



 その事に気付いた者はいない。





CHAPTER 1 ~GIGANTOMACHIA~ The End

To Be Continued

NEXT CHAPTER 2 ~GODDESS~



[17694] 第23話 CHAPTHR 1 エピローグ ~シードラゴン(仮)の憂鬱2~
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:ecc718c3
Date: 2011/03/19 11:58
 ギガス達の襲撃――現代におけるギガントマキアの終結より二週間。
 多くの人的、物的被害を受けた聖域であったが、懸念されていた混乱も少なく、この頃には――少なくとも居住区に住まう人々は――普段通りの日常を取り戻しつつあった。

 それも、ひとえに教皇の存在によるものが大きい。

 サガは襲撃の中で家族を失った者や傷を負った者、恐怖に怯える人々の元へ足しげく通い、その不安を取り除くべく献身的に動いていた。
 死者を蘇らせたわけではない。傷を癒せたわけではない。恐怖を取り除けたわけではない。
 それでも、サガの行為は、人々に手を差し伸べる教皇という存在は、救いを求める人々の心に安らぎを与えていたのだ。

「教皇様!」

「あ、教皇様だ」

「教皇様」

「おお、教皇様!」

 今も、こうして道を歩いているだけで老若男女問わず教皇に声をかけてくる。その表情は皆明るく親しみに満ちている。

「きょうこうさま! きのうはおかあさんの――」

「ふふっ、それは良かった。それならば――」

 話しかけてくる子供達一人一人に穏やかに接している教皇の背中を眺めながら、海斗はアルデバランから聞かされていた教皇の人柄を思い出していた。

(……人々に愛と安らぎを与え、その徳は全ての人に崇め慕われている、か)

 それはいくらなんでも、と。過大評価だろうと海斗は話半分に聞いていた。聞いていたのだが。
 生い立ちやら何やらによって、自分が年齢の割に捻くれた物の見方をするという自覚はあったが、少なくともここ数日の間に見てきた教皇からは嘘偽りは感じられない。
 海斗としては、エクレウスの聖衣を与えられた時の印象が強過ぎ、正直に言ってあまり良い印象は持ってはいなかった。
 むしろ敵視していた、とも言える。

(認識を改める必要があるか?)

 思考にふけっていたせいか、気付けば教皇が仮面越しに自分を見ている事に気が付いた。

「ふむ、どうした海斗? 傷がまだ痛むのか?」

「あ、いえ。少し考え事を……」

 本人を前に「貴方を疑っていました」と言える程図太い神経はしていない。

 そう言う海斗はシャツとズボンといった簡素な服装であるが、身体中の至る所に包帯を巻いている。
 見るからに痛々しい姿であり、普通の感性を持つ者ならばまず心配をする。そのぐらいの酷いレベルであった。

「それに、見た目ほど酷い怪我をしているわけではありませんので」

 これは嘘ではない。
 実際、海斗としてはこの姿は大袈裟すぎると思っている。ならば何故、となるのだが。

「そうか。無理をする必要はないぞ? お前に何かあれば私は皆に叱られてしまうのでな」

 ポルピュリオンを倒した後、教皇の命により捜索に来たシャカの手を借りて異次元空間より脱出した海斗。彼を待っていたのはセラフィナによる説教であった。
 また大怪我をしている、無茶をするな、心配させるな、命を大切にしろ等々。
 海斗自身は蓄積されたダメージや疲労、ようやく終わった、という安堵から早々に気を失っておりほとんど聞いてはいなかったのだが。
 その剣幕は凄まじいものがあり、海斗がジェミニの黄金聖衣を纏っている事について問いかけようとしたシュラが一歩引いて黙り込んでいた、とはシャカの弁である。
 そして、聖域に戻れば……。どう見ても重傷な海斗の姿を見たアルデバランが「これは一体どういう事だ!」と、遂に――切れた。
 色々と溜まっていたストレスが爆発してしまったようだ。
 シャカを除く黄金聖闘士達は皆心当たりがあるためか早々にその場を立ち去ったらしい。これもシャカの弁である。
 そんな心温まるやり取りの果て、処々諸々あってが……この過剰ともいえる包帯姿。
 道行く人々からのちらちらとこちらを窺う視線が微妙に痛い。
 大人しく寝とけ、と無言で責め立てられているような。

(心配してくれるのはありがたい。本当にありがたいんだが……)

 心配をかけた、無茶をしたという自覚はあるので文句も言えない。あの鬼二人を前に反論する勇気が無かっただけだが。

 アルデバランからリハビリを兼ねた軽い運動だと勧められれば、何故かこうして教皇の付き人のような事をしている。
 女神アテナの代行者とも言える教皇と、片や一介の聖闘士に過ぎない自分。接点などロクに無かったはずが。

 ハハハッ、と楽しそうに笑いながら先へと進む教皇の後を、海斗は溜息を一つ吐きゆっくりと追って行く。

(……どうしてこうなった?)





 第23話 シードラゴン(仮)の憂鬱2





「いや~。ムウ様のところでさ、色々と壊れた聖衣を見てきたけど……これは……スゴイね。ヒドイ意味で」

 白羊宮内の広間。
 日当たりの良いその場所でパンドラボックスを開き、回収された聖衣を、オブジェ形態のエクレウスの聖衣を取り出して見せた海斗に向けての貴鬼の第一声がこれであった。

「……だな。あらためて見ると……。うん。これはムウに殺されるかも知れん」

 多少は自然修復されているようだったが、ハッキリ言って、これでどうやってオブジェ形態を維持できているのかが不思議に思える破損状況である。
 なまじマスクのパーツに傷が無い分、それ以外の破損個所が余計に目立つ。

「そんな事はないと思いますけど……」

 海斗曰く“過剰過ぎる”包帯を取り変えながら、どこか困った様子でセラフィナが答える。
 ギガトマキアの事後処理が終わるまで、二人は教皇の勧めもあってムウ不在により無人と化していたここ白羊宮に、少なくともあと数日は留まる事になっていた。

「精神的にな。こうネチネチと、胃がキリキリするような感じで延々と責め立てられそうな気がする」

「……ああ……」

「……かもねー……。ムウ様よく夜中に呟いていたもんね。終わらない、終わらない、って」

 薄暗い闇の中、無数の破損した聖衣に囲まれて、ただ一人、何やらブツブツと呟きながらカツンカツンと槌を振るうムウの姿を思い浮かべる。

「怖いな、ソレ。……いや、冗談で言ったんだが。お前ら否定しろよ! え、マジなの!? ヤバいな」

 さっと目を逸らす二人の様子から海斗は“マジ”であると判断。矛先をかわすため、この際黄金聖衣を破損させていたシュラも連れて行こう、と生贄の羊、もとい山羊をどうやって捕まえるかと思案する。

「ああ、そうだ。ねえお姉ちゃん、あのお姉ちゃんは元気?」

「え? ああ、聖良さんね。うん、まだ歩き回ったりはできないけれど、身体を起こすぐらいは」

 聖良とは、エキドナと呼ばれた少女の事である。
 肉体的なダメージはともかく、精神的なダメージが酷かったらしく、彼女は自分の名だけではなくこれまでの生活の、過去の全ての記憶を失っていた。
 現代医療での治療が疑問視された事もあって、今はアルデバランの勧めもあり金牛宮にて療養をしている。

「聖良? ああ、あの子の名前か。分ったのか?」

 海斗の問いにセラフィナは首を振る。

「そう、か。まあ、会話ができる状態である事を考えれば、それほど深刻にならなくてもいいかもしれない、と思いたいが……」



「……あの……」

 そんな何とも微妙な空気を纏った三人に声をかける者がいた。

「ん? ああ、ユーリか。どうした?」

 海斗が振り返ると、そこには銀のマスクによって素顔を隠した銀色の髪の少女、六分儀座(セクスタンス)の青銅聖闘士ユーリが立っていた。
 助祭を務める目の前の彼女は白い貫頭衣に緋色の外套という、聖域の女性の普段着とも言える服装をしている。

「……やっぱりシャイナや魔鈴のセンスがおかしいのか?」

 そう呟いた海斗の声は幸いにして誰にも気に留められる事はなかった。
 ちなみにセラフィナもユーリと同じ服装だがマスクはしていない。
 これは彼女が聖闘士として秘匿された存在であるが故である。表向きはジャミールにてギガス達の戦いに巻き込まれた少女を海斗が保護した、と言う事になっていたためでもある。
 本来であれば、立場的にもムウはともかくとして、その場に居合わせたシュラが保護役を担うべきだという海斗の言葉を、シュラは「フッ」と鼻で笑って一蹴し、全てを海斗に押し付けたのだった。

 教皇の間にて、海斗対シュラ戦勃発。

 一体どこから嗅ぎつけたのか、やんややんやと囃し立てるデスマスク、本を片手に観戦モードに入るカミュ、興味深そうに眺めるだけで止めようとしないミロ、口では止めろと言いつつも血が騒ぐのかうずうずとしているアイオリア、我関せずのシャカ。
 アフロディーテは「美しくない、馬鹿馬鹿しい」と溜息を吐きその場から離れたが、ちらちらと二人の戦いを気にしていた事をシャカだけは知っていた。
 結局、あまりの騒ぎ――試合とはいえ黄金聖闘士クラスの戦いである――に、「なにをやっているか! この馬鹿者共が!!」と怒鳴り込んできたアルデバランにより仲裁されたが、結果的には海斗の黒星で終戦。
 この戦いで海斗の力を目の当たりにしたアイオリア達は、先に教皇が語った“ジェミニの海斗”を好意的に受け止める事となる。
 それがシュラの狙いであったのか、この騒ぎを黙認していた教皇の狙いであったのかは、当人たち以外は知る由もなかった。
 皆逃げ出したのだから。教皇ですら。

「あ、あの、海斗様? カミュ様とニコル様が図書館でお待ちですが……」

 まさかあの恰好が自発的なものだと、などとブツブツと呟き始めた海斗に遠慮がちに声をかけるユーリ。
 ニコルとは教皇を補佐する助祭長を務める若き白銀聖闘士である。祭壇星座(アルター)のニコル。ブルネットの髪の穏やかな眼差しをした海斗と同年代の知性的な若者である。

「ああ、そう言えば……そうだった。忘れていたよ、助かったユーリ。カミュはともかく、ニコルはそういう所がうるさいからな」

 二人の用とは海斗の持つ千年前の記憶にあった。
 聖域の史書や文献を統括するカミュやニコルにとって海斗の記憶とは――例え多くが薄れ思い起こす事ができなくなっていたとしても――途方もない価値があったのだ。



 聖域に帰還した後。
 一通りの治療を終えた海斗は、教皇や他の黄金聖闘士達が集められた中でこれまでの行動とそれに至る経緯の説明を求められ、所々――自分の魂が海将軍に関わる事――をぼかしながらも、それ以外の己の知るほぼ全てを答えた。
 ポルピュリオンとの戦いで、なぜジェミニの黄金聖衣が海斗の元へ向かったのか。どうしてジェミニの奥義を放てたのか。
 そして、二人の海将軍と冥王軍と名乗ったタキシードの男との接触についても。

 ジェミニについては戦いの中、死の淵にあって偶然にも思い出した魂の記憶や、聖衣に過去の聖闘士の記憶が蓄積される事――聖域では実証されている事実――で、海斗の説明に異を唱える者はいなかった。
 海将軍との接触については、この時代に海闘士が覚醒していた事に驚愕の声が上がったものの、聖闘士と海闘士共通の敵であるギガスの本拠地での遭遇であった事で、今回の接触には何ら意図するものは無い、と認められた。
 一時的とはいえ、協力体勢を取った事についても同様であった。過去はともかく、現代においては聖闘士と海闘士はまだ敵対しておらず、彼らも地上に対して特に何かをしたという訳でもない。争いを起こさないのであればそれでよく、来るべき冥王との聖戦を前に避けられるべき戦いは避けるべきである、というのが教皇の――サガの結論であった。無論、警戒はすると含めたが。
 サガのこの決定には、自らを冥王軍であると名乗った男の存在が大きい。
 その男はギガス共々海斗によって倒されたとシュラが証言したが、問題はそこではなく、あと数年は封じられているはずの冥王軍がこの時期に動いた、という事であった。
 アテナの、神の施した封印とはいえ完璧ではない。そうであるならば、五老峰の老師が二百数十年もの長きにわたり大滝の前に坐したまま封印を監視する必要などないのだから。
 自分の件、カノンの件、聖域の件、冥王軍に海闘士と問題が山積みである。
 次々に起こる想定外の出来事にサガは人知れず溜息を吐いていた。

『老師に連絡を取らねばらんな。皆、状況が分るまではしばし聖域に留まって貰う』
 
 結局は新たに生じた大き過ぎる問題への対応こそが優先される事となり、海斗への細々な追求といったものが行われる事はなかった。

 ……なかったのだが。

『ん? て事は、だ。アルデバランの弟子、お前さんの魂の記憶、ああ面倒だな、名前で呼ぶぜ。海斗よ、お前は当時の事を“知って”いるんだな? なら他の聖闘士の事も知っているんじゃないのか?
 どんな戦い方をしていたかとか、どんな技を使っていたか、とかだ。その中には……失われた秘拳なんかもあるんじゃないか? 俺の積尸気の奥義、とかな』

 このデスマスクの言葉が、その場にいた皆の関心を集めたのは言うまでもない。特に、カミュの熱の入れようは尋常ではなかった。言い出したデスマスクが思わず引くほどに。



「……海斗さんってそういう所がだらしないですからね~」

 流れに任せる、と言えば聞こえはいいが、なるようになれと開き直った最近の海斗は、これまでの張り詰めていた糸が切れたのか……駄目人間街道を順調に歩み始めていた。
 ルーズになったと言うか、根が真面目なニコルからすれば今の気の抜けた海斗は次期黄金聖闘士にあるまじき、との事。出会えば必ず一言二言は飛んで来る。

「……なあ貴鬼、気のせいか最近セラフィナがキツくないか?」

「兄ちゃんが悪いんじゃないの? 多分。絶対」

 絶対は多分とは言わんだろ、とぼやきながら「怒ってたか?」と海斗はユーリに問い掛ける。

「はい!」

 ユーリはハッキリと言い切った。仮面越しではあったが、きっといい笑顔をしているのだろうと察し、海斗はげんなりとした。
 本人は隠しているつもりなのであろうが、ユーリがニコルにどのような感情を持っているのかは、そういう事にうとい海斗にも分る。あえて言うつもりもないが。

 これからの事を思い、やれやれと海斗が首に手を当てて動かすとコキコキと音が鳴る。
 椅子に座って質問に答えるだけ。それだけなのだが、ハッキリ言って海斗にとっては苦行であった。
 一時間程度であればまだいい。しかし、本の虫、知識の虫であるあの二人は誰かが止めねば延々と続けるのだ。終わらないのだ。
 クールであれと言っているカミュが一番熱く喰いついてくるのは心の底から勘弁してもらいたい。寒いのだ、冷えるのだ。
 カミュがアルデバランのように弟子を取っていると聞いていた海斗は、一度その事をネタにして「弟子の事を放っておいて良いのか?」と、この苦行を打ち切ろうとしてみせたが「水晶(クリスタル)聖闘士に任せているから大丈夫だ」とシレっと答えられて終わりであった。
 なんでもカミュの弟子は三人おり、その一人は既にエレメントの聖衣を与えられた正規の聖闘士であり、基本的指導は十分に任せられるらしい。

 そんな万策尽きた海斗の頼みの綱はミロであった。

 自他共に認めるカミュの親友である彼は、毎日毎日憔悴した様子で解放される海斗をさすがに不憫に思ったのか、それともカミュの“悪癖”に被害に遭った者同士として奇妙な連帯感が芽生えたのか。
 ここ数日は切りの良い所を見計らい、何のかんの理由を付けては海斗を救出してくれていた。その度に図書館に舌打ちの音が聞こえるのはどうかと思わなくもない。

「はぁ~~。まあ、ここでグダグダしていても仕方がないか」

 張り切って歩き始めるユーリとは対照的に、肩を落としてその後に続く海斗。
 その姿を笑って見送るセラフィナと貴鬼。

(まあ、平和なのは……良い事だ)

 まるで爺さんだ、と。若者の感慨では無いなと苦笑しながら海斗は空を見上げた。

 雲一つない澄み渡った青空。

「海斗様! 急ぎますよ!」

「ああ、分ってるよ」

 何をしているんですかと急かすユーリ手を振りつつ、きっとニコルは尻に敷かれるぞ、と。愉快な未来図を思い浮かべて苦笑しながら海斗はゆっくりと歩き出した。



[17694] 第24話 聖闘士星矢~海龍戦記~CHAPTER 2 ~GODDESS~ プロローグ
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:ecc718c3
Date: 2011/02/02 19:22
 第24話 聖闘士星矢~海龍戦記~CHAPTER 2 ~GODDESS~ プロローグ





 1986年8月30日――ギリシア。
 エーゲ地方――古代神殿跡地。


「あっ、ながれた。ほら、あそこにもまた流れ星が!」

 なんて素敵なのと、女性は興奮冷めやらぬ様子で満天の夜空に浮かぶ星々の輝きを眺めていた。

「ああ! エーゲ海の夜空ってなって素敵なの! 怖いくらいに流れ星がいっぱい!」

「エーゲ地方は古代より群星の地といってね」

 見たとおり流れ星が多いだろ、と。女性の後ろをカメラ片手に歩いていた男性が続ける。

「その流れ星が時々地上にまで落ちてくる事もあるんだってよ!」

 上機嫌な彼女の様子につられて、男性の口もついつい軽くなってしまう。
 この日のために、この夜空のために新調されたカメラであったが、目の前の彼女に熱中している今の彼では残念な事に出番はなさそうだ。

「何言ってるのよ、みんなホテルの神父さんの受け売りじゃない」

「あ、あれ? なんだ、君も聞いていたのか?」

 しまったな、と。どこかばつの悪そうなその男性の姿を見て、女性は思わず笑ってしまう。

「あははっ、もう、な~にカッコつけようとしてるのよ」

「そりゃあ……そうさ……」

「もう、拗ねなくてもいいじゃない」

 ほら、と。渋る男性の手を掴み、女性は「あ、ほら。また流れた」と夜空に流れる光の帯を指差していた。つられる様に男性も夜空を見上げて感嘆の声を上げる。
 そうしてしばらく、二人は幸運にも巡り合えたこの夜空が織り成す一大スペクタクルを堪能した。

 そして、男性が「さあ、ホテルに戻ろうか」と。手を繋いだ彼女にそう伝えようとしたその瞬間――

 ドーーーーン、と重く響く音が大気を震わせ、二人の身体に衝撃を与えていた。

「な、何なんだ!? 何の音だ?」

「エッ? まさか、本当に星が落ちてきたの?」

 星が落ちた。二人が耳にした音は、そう思わせるだけの響きがあり衝撃があった。
 そんなはずは、と。雷じゃないのかと男性は自分に言い聞かせるように何度も呟いていたが「あっちのほうから」と、その音が聞こえた場所へと向かおうとする女性に気が付き、慌ててその後を追った。

 この後、二人はこれまでの人生の中で築き上げてきた“常識”の一切を覆す光景と出会う事となる。
 空から落ちてきた少年と、それを追って現れたもう一つの存在によって。





 同日、同時刻――聖域。
 修練場の外れ。


「へぇ~、あれがペガサスになるかもしれないって小僧かよ」

「ああ。星矢かカシオス、明日の戦いで勝った方がペガサス(天馬星座)の聖闘士に選ばれる」

 あの程度でね、と。先程の光景を思い浮かべながら、デスマスクはつまらなそうに呟いた。

 明日は次期ペガサスの聖闘士を決める最後の試合の日であり、有資格者として対峙するのは星矢とカシオスである。
 カシオス側は、既に勝利を確信しているのか、それとも当日を万全の態勢で迎えるためか、今日は早々に修練を切り上げており今頃は夢の中であろう。
 対しての星矢側である。
 聖域での六年間に渡る修行は星矢の力を大きく成長させていたが、それでもこの日までに幾度となく行われたカシオスとの模擬戦に勝利をした事は一度もない。
 その事もあってか、魔鈴は夜中になっても星矢の修練を終えようとはしなかった。
 とはいえ、基本的な事はこの六年の間に全て教えてあるので、この時点でやれる事と言えば魔鈴を相手にひたすら戦闘訓練を繰り返すのみである。
 向かって行く星矢、それを返り討ちにする魔鈴。その光景を延々と繰り返した後、ついに星矢は力尽きたのか魔鈴の繰り出した拳をまともに受けてしまう。
 どうにか防御こそ間に合ったものの、その身体は遥か彼方へと吹き飛ばされていた。おそらくは結界を越えてしまっているだろう。「馬鹿」と、悪態を吐いて魔鈴はその後を追って行った。
 その光景を見た上でのデスマスクの言葉であった。

「フンッ、まあどっちがなろうが“使える”なら構わん。まあ、お前としては同郷の小僧に勝ってもらいたい、ってところか?」

 皮肉気な笑みを浮かべながら、そう言ってデスマスクは傍に立つ青年へと振り向いた。
 初めて会ってから二年程になるが、随分とデカくなったもんだと、成長期と言う言葉を思い浮かべながら青年を見やる。
 デスマスクは聖闘士の正装として純白のマントを羽織り黄金聖衣を身に纏っていたが、青年は薄手のジャケットにジーンズ、そしてスニーカーといったごく普通の、しかしここ聖域では異質な服装をしていた。
 背丈は百七十センチ後半、無造作に伸ばされた黒髪の癖の強さと眉間に刻まれた傷跡、若干睨み付けているようにも見える眼つきの悪さも相まって、どこか粗暴な印象を与える。
 青年はデスマスクの言葉を受け僅かに思案するような仕草を見せ「さて、ね」と、肩を竦めて答えた。

「無事であればそれでいい。とは言え、あのカシオスの気性だ。負ければ星矢は五体満足、無事じゃあ済まないだろう。となると勝って欲しい所だが……一方のみに肩入れできる立場じゃないんでな」

 成り行きに任せる、と苦笑気味に続けると、青年は星矢が飛ばされた方向へと向かい歩き出した。

「何だ、結局手を出すのか?」

「違う。事故であろうと結界の外に出たのは拙い。カシオスの取り巻きが騒ぎ立てる格好の材料になる」

「過保護な奴だ」

 立ち去ろうとする青年の背中を眺めながら、「ああ、そうだった。伝えるのを忘れていた」とデスマスクが続ける。

「教皇の仰る通り、冥王軍に施されたアテナの封印が綻び始めている。大物はまだ身動きが取れないらしいがな。小物は隙間から這い出し始めていたぞ」

「……出会ったのか?」

 青年は足を止めるとデスマスクへと振り返った。それを確認してデスマスクは続ける。

「三匹だ。叩きのめしてから“冥界波”であの世に送り返してやったがな」

「いつの話だ?」

「昨日だ。まあ、そんなに気にするな。少なくともあの程度の相手に“オレたち”が動く必要はない。準備運動にもならん。青銅や白銀どもにやらせればいい」

 とんだ期待外れだった。そう言ってデスマスクは肩を竦めた。

「それを決めるのは教皇だ」

 そう返した青年が踵を返そうとしたその時であった。

「そう、決めるのは教皇だ。アテナじゃあ――ない」

 呟かれた言葉は独り言にしてはあまりに大きく、その意図は――深い。
 しばし無言のまま対峙する二人。

「……当たり前だろう?」

 その沈黙を先に破ったのは青年であった。

「いかにアテナとはいえ、まだ十二、三歳の少女。教皇の補佐と判断は必要だ」

 それで話は終わりかと、青年が今度こそ踵を返して歩き出す。
 デスマスクは「そうだな」とだけ返してその背中を見送る。そして、青年の姿が、気配がその場から完全に消え去ると、ニヤリと口元を歪めて――呟いた。

「成程ね、教皇が仰っていた四人の内の一人はお前か――海斗」





 1986年9月6日――日本。
 東京――城戸邸。


 手にした書類を眺めながら、計画が概ね順調に進行している事を確認すると、沙織は「ふぅ」と小さく息を吐いた。
 彼女の目の前、祖父の使用していた彼女にとっては大き過ぎる机の上には、所狭しと書類の山が築かれている。
 計画の実行まで残り数週間と迫っており、もう暫くはこの書類の山と顔をつき合わせる事となる。

 城戸光政が百人の孤児たちを聖闘士とするべく各地に送り出してから六年。
 彼の傍で、いつも無邪気な笑みを浮かべ、幼さ故の高慢ささえ与えていた娘は、今は純白のドレスを淑やかに身に纏った美しき少女へと成長をしていた。

「問題があるとすれば、未だ連絡を寄こさない彼ら……」

 城戸光政より引き継いだ計画。これを成すには、彼が“死地”へと送り出した孤児たちの存在が必要不可欠であった。
 ある者は極寒の地へ、ある者は灼熱の大地へ、ある者は獰猛な獣の蔓延る未開の地へと送り込まれ。そして、そこに待つのは凄絶を極める修行。
 小宇宙に目覚め、聖闘士となる事ができなければ死が待つのみ。
 現時点で生存を確認できているのは七名のみ。
 多くの子供たちは、いや、ほどんどの子供が命を落とした。中には修行より逃げ延びた者も、聖闘士となれずとも生き延びた者もいたかもしれないが、沙織の知る限り八十人以上の子供が既に死亡したと聞かされている。

「……お爺様……」

 祖父が何を考えてあのような行為を行ったのか。その真意を知れば、死地へと送り出された彼らはどう思うのだろうか。
 憎むのか、怒るのか、悲しむのか、嘆くのか。おそらくはその全て。そして、その感情が自分にも向けられるであろう事は想像に難くない。
 知らなかった、等とは口が裂けても言う事はできない。言ってはならない。それが沙織にとっての事実であっても、だ。



 手にした書類を置き、引き出しから一冊の本を取り出す。ギリシア神話の綴られた本である。
 その装丁には所々痛みが見受けられるが、決して乱雑に扱われていたためではない。
 光政が何度も何度も沙織に聞かせ、沙織もまた何度も何度も目を通したお気に入りの、今や数少ない祖父との思い出の品の一つであった。

 それを開こうとしたところで、コンコンと控えめなノックの後「失礼しますと」声が掛かる。

「……辰巳ですか?」

「はい」

 椅子に深く腰掛けた沙織は、辰巳の返答に振り返る事なく「そう」とだけ呟いた。
 手にした本を閉じ、腰まで伸ばされた長い髪を掻き上げる。

「それで?」

 入口に背を向けたまま、振り向く事もなく、何が、とも聞かない。
 世間では、マスコミには、年齢に似つかわしくないこの沙織の姿に“女帝”などと揶揄する者が大勢いる。
 その横柄とも言える態度に辰巳は、しかし特に気にした様子もなく、もう一度「失礼しますと」頭を下げて室内に入った。

 それが、沙織にとって精一杯とも言える虚勢である事を知っているからである。
 今年でようやく十三歳となる少女に背負わされた重圧を知るからこそである。
 アジア圏最大の財団であるグラード財団の実質的な代表であるという責務。
 そして、沙織と辰巳だけが知る、少女が背負うにはあまりにも重すぎる運命を。

 己の運命を知った時より沙織は変わった。
 年相応の無邪気さ、幼さが消え去り、その表情から――笑顔が消えた。
 沙織は理解してしまったのだ、己の使命を、運命を。
 それを知るには幼すぎ、しかし聡明過ぎたが故の悲劇。他人に弱さを見せてはならない、と。常に毅然とした態度であらねばならないと思いつめてしまっていたのだ。
 その事に辰巳が気付いた時はもう遅かった。

(……お嬢様……。旦那様、辰巳は貴方様を尊敬しております。しかし、しかしこの事だけは……)

 諌める事ができる者が傍にいれば、諭す事ができる者が傍にいれば、叱る事ができる者が傍にいれば。
 沙織が己の弱さを曝け出せる、頼れる相手が傍にいれば、と。

 沙織の背中に向けて姿勢を正すと、辰巳は手にしたメモを確認してこう言った。

「ギリシアの財団支部より連絡がありました。……“海斗”から接触があった、と」

「――ッ!?」

 辰巳の言葉に、手にした本をその場に落とし、ガタンと大きな音を立て、沙織は驚愕の表情を浮かべて椅子から立ち上がっていた。

「……生きて……無事であったのですか!?」

 祖父である城戸光政が集めたとされる百人の孤児、その最年長であった少年。
 海斗本人すら知らぬ、それが意味する事を知る者は沙織と辰巳のみ。

「支部からは近日中に日本に向かわせるための手筈を整える、との事です。そして、同じくギリシアに送られていた星矢、シベリアの氷河の生存も確認致しました」

「そう……ですか……」

 そう小さく呟くと、沙織は張り詰めていた糸が切れたようにストンと椅子に腰を落とした。
 これで、送り出された孤児たち、少なくとも十人の生存は確認された。
 どこかほっとした様子で、僅かながらも笑みを浮かべたその表情は、辰巳がここ数年見た事が無い年相応の少女が浮かべるものであった。
 その事に内心安堵しつつも決して表情に出さず辰巳が続ける。

「ですが、一つ問題が。海斗が帰国のために条件を出しております」

「条件、ですか?」

 沙織の表情が変わる。先程垣間見せた少女の面影はない。

「はい。ある物を探し出す手伝いを、との事です」

 どこか歯切れの悪い辰巳の様子に沙織は首を傾げる。
 もっと俗な要求でもしてきたのかと構えていただけに、沙織は少し拍子抜けしていた。
 情報網において世界一を誇る財団の力をもってすれば、探し物の一つや二つ大した問題でもない。
 手伝いを、と言っている以上、その探し物についての全てを財団に任せる気もないのだろう。
 ならば、この辰巳の様子は……。

「……聖衣なのです。海斗の探している物は」

「は? 待ちなさい辰巳。海斗は聖衣を得て聖闘士となったのではないのですか?」

「はい。ギリシアにて聖衣を、エクレウスの青銅聖衣を得た事は支部の者が確認しております」

 ならば――と、続けようとした沙織はそこで言葉を止めた。
 海斗が送り出された地はギリシア。聖闘士の総本山である聖域。聖衣を得た海斗が、聖域の聖闘士が探している聖衣。

「まさか!? ……そう……なのですか辰巳?」

「……はい」

 沙織には、辰巳には心当たりがある。それが何であるのかを知っている。

「海斗の探している聖衣は十三年前、聖域より失われた黄金聖衣」

 だからこその辰巳の様子であったのだと沙織は思い至り、同時にこれは非常に拙い展開となったと考えていた。



「――射手座(サジタリアス)の黄金聖衣です」



[17694] 第25話 ペガサス星矢! の巻
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:ecc718c3
Date: 2011/03/19 00:02
 1986年8月31日――ギリシア。
 現地時間09:30――アテネ市内シンタグマ広場。



 広場に面した小さなカフェ。
 多少古びた感じはあるものの、地元の人々や観光客によってそれなりに長く繁盛している店である。

「アテナの聖闘士……ですか?」

「そう、聖闘士じゃよ。しかし、ここに住む人々でも彼らに出会う事などまれじゃというのに。……おまえさんらは運が良い観光客じゃのォ」

 店内にはこれからの予定を話し合っている観光客や、地元の常連客の何気ない雑談の声もあって中々に騒がしい。

「運が良いって! 冗談じゃ――」

 そんな中にあってもなお、この男性の声は店内に大きく響き、皆の視線が何事かとその彼の元に集まった。
 そこにはカメラを首に下げた日本人と思われる男性と眼鏡をかけた女性、そして地元の客には馴染みである初老の神父。この三人が、テーブルを挟んで何やら話をしているようだった。

「ホッホッホ。まぁ落ち着きなさい」

 昨晩の事を思い出し、いささか興奮気味であった男性であったが、気さくな様子で笑いかける初老の神父に毒気を抜かれたのか。

「……はぁ。……もう、笑い事じゃないですよ神父さん。驚くやら怖いやらでこっちは死ぬかと思ったんですから」

 それとも周囲の観光客の目を気にしてか。
 落ち着きを取り戻した彼は、気まずそうに立ち上がると周りの客たちに「何でもないですから」とペコペコと頭を下げる。
 隣に座る彼女が「何やってるのよ」と溜息交じりに呟いた言葉を聞き、彼はそれなりに恰幅のある身体を一回り小さくして椅子に座り直した。

(しょぼくれたクマ、いや、パンダかしら?)

「それで、えっと、そのセイントって何なんですか?」

 内心そのような事を考えている等おくびにも出さず、彼の脇腹をつつきながら女性が神父へと尋ねた。

「ふむ。その前にもう一度よいかのう? おまえさんらが昨晩見たという光景を、その話しをの」

 好々爺とした雰囲気はそのままに、しかし、どこか芯の通った神父の様子に二人は思わず互いに顔を見合わせる。

「あ、はい。あれは、私たちが凄い音を聞いて、流星が落ちたんだと思って。何なんだろうって、その音がした方へ向かって――」

 そして少しばかり逡巡を見せたものの、女性が口を開き昨晩見た事をポツリポツリと語り始めた。

「気を失った中学生ぐらいの男の子がいたんです。多分私たちと同じ日本人だと思います。全身傷だらけで、酷い怪我で。痣とか擦り傷とかがいっぱいで……」

「大丈夫かって声をかけたんですよ。そうしたらその男の子は目を覚ましたんですけど、混乱してるのかこっちの質問には何も答えてくれなくて」

「あいつはどこだ、って。あいつが来る、ってすごく怯えた様子で。だから聞いたんですよ、あいつって誰なのかって。その直後です。
 落雷みたいな大きな音がして。何なんだって振り向いたらこっちに近付いてくる人影が現れたんです。そこには私たちしかいなかったはずなのに、いつの間にか――」





 1986年8月30日――ギリシア。
 エーゲ地方――古代神殿跡地。



 衝撃で飛びかけた意識が全身に奔る激痛によって覚醒する。

「くっ、そっ!」

 血反吐を吐き、悪態をつきながらであったが、星矢は痛む体をどうにか気力で奮い立たせると追撃を警戒して即座に構えを取った。
 これ見よがし――姿は見えずとも――に、カシャンカシャンと聖衣のすり合わせる音が聞こえて来る。

(……意味もなく敵に接近を知らせる事は愚行、だったっけ?)

 その音に星矢が思い浮かべたのは魔鈴の教えであった。
 ならば、これは、どういう事か。油断か? ミスか?

「……なワケないよな~」

 六年間の付き合いは伊達ではない。つまりは「時間をやるから抵抗して見せろ」と余裕を見せ付けているのだ、魔鈴は。その事が解り過ぎるだけに星矢の苛立ちは収まらない。
 とはいえ、実際に手加減をされている身でもある。ここで迂闊に文句の一つも言おうものなら、ただでは済まなくなるのは身をもって知っていた。

「あの人たちは……離れたのか?」

 先程まで自分の近くにいた観光客らしき二人は、魔鈴の接近に気付いてこの場から逃げ去っていた。気持ちは分るので非難するつもりもない。
 おそらく、ではあったが、気絶した自分を心配してくれていたのであろう。そんな二人を巻き込まずに済んだ事は星矢にとっては僥倖であった。

「……くっそぉ」

 だからといって、自分の置かれた状況が好転したわけでもないのが頭の痛い所。
 明日に迫ったカシオスとの聖衣を賭けた決戦を前に最後の追い込みをする事は分らなくもないが、合格条件は魔鈴に確かな一撃を与える事。

「無茶苦茶だ! 聖衣を纏った聖闘士相手にだぞ!? ったく、どんだけ性格が悪いんだよ魔鈴さんは……」

 出来るわけないだろうと、そう愚痴をこぼしつつも「どうにか」と星矢が策を弄する暇もなく。

「ハンッ、まだそれだけ軽口を叩ける元気があるんなら――」

「!? クッ魔鈴さん!!」

 目の前には魔鈴の姿。気付いた時にはもう遅かった。

「聖域に戻ってあと百回シミュレーション」



 魔鈴が構えを取った。星矢がそう認識した時には――



「げ、げふ……」

 その身は既に天高く殴り飛ばされおり、受け身を取る間もなく額から大地に叩き落とされていた。

「……カッコ悪いね星矢。今の一撃程度をかわせないようで、どうやってカシオスに勝つつもりなの?」

「い、いっつぅう~~。生身の魔鈴さんに勝てないのに聖衣を纏うって、なんだよそれ!! 心配しなくてもオレはカシオスなんかには負けないよ!
 それに、試合は明日だってのにこれ以上シゴかれたらカシオスと戦う前にあんたに殺されちゃうよ!!」

 頭を押さえ、多少ふらつきつつも即座に起き上がって文句を言い始めた星矢のタフさに、さすがの魔鈴も呆れ半分感心半分。

「……相変わらず頑丈な奴ね」

 その姿に、思わずこの点だけは評価してやっても良いと魔鈴は考えてしまう。
 とはいえ――

「どの道、頑丈なだけならカシオスとやり合ったところで殺されるだけさ。いや、なまじタフな分より凄惨な殺され方をするだろうね。じわじわとさ。
 耳を落とし、鼻を削ぎ落し、そして最後にはその首を……」

「ちょっ!? お、おどかさないでよ魔鈴さん!!」

「だからさ。そうならないように、せめて相打ち程度には持って行けるようにしてやろう、ってのさ。ほら、聖域に戻ってあと百五十回だよ」

「増えてるよ! だから! オレは魔鈴さんには勝てないけどカシオスには負けないって言ってるだろ!!」

「……ふぅん」

 これまでも魔鈴の言葉に星矢が逆らう事は多々あった。それでも一撃くれてやると納得して静かになったものだが、今日の星矢は違った。
 真っ直ぐに自分を見つめて来るその視線に、その眼差しには確かな自信が、力があった。

「そうね、そこまで言うなら証拠を見せてよ。お前はこの六年間、カシオスに勝てた事は一度もない。そんなお前が明日は勝てると言っている。納得出来ると思う?
 お前が死のうがどうなろうが、私にはどうでもいい。でもね、お前に付き合った六年が無駄になるのはシャクなのよ。だからさ、私が安心して眠れるように証拠を見せて」

「……」

 証拠を見せろ。その魔鈴の言葉に星矢の顔つきが変わった。
 悪く言えば年相応のおちゃらけた悪ガキのような雰囲気が――戦士のそれへと。

「よぉ~し!! よっく見ろよ魔鈴さん! これがオレの力のすべて……」

 深く息を吸い、静かに吐く。二度、三度と繰り返し、星矢は拳を振り上げる。
 狙うのは己の足下。
 星矢は大地に刻み込もうとしていた。自分がカシオスに勝てるという証拠を。
 魔鈴は何も言わない。腕を組み、星矢がこれから行おうとする事を見逃すまいと、その動きをじっと見つめていた。

「これがオレの中の――」



「フンッ、証拠なぞ必要あるまい」

 だから気が付かなかったのか。
 第三者の接近を。

 星矢が自らの拳を大きく振り上げたその時、巨大な影が星矢の身体を覆う。
 身長二メートル以上はあろうかという巨漢の男がこの場に姿を現していた。
 ファンタジー風に言い表すならば、“火竜”のようにも見える意匠を施された真っ赤な聖衣を纏った男だった。
 頭部と両肩、両膝、そして胸部。六つの魔獣の顔が存在する異形の聖衣を。

「お前は……ドクラテス」

「ドクラテス?」

「カシオスの兄貴さ」

 星矢の呟きに答えた魔鈴の言葉に「兄弟!?」と星矢が首を傾げつつも、こちらへと近付いて来るドクラテスと呼ばれた男を見る。

(カシオスの兄貴、ていっても……似ていないな。デカイってことぐらいだぞ。それに、後から出てきたこいつらも……一体何者なんだ?)

 ドクラテスの後を追うように、その部下と思われる男たちも現れていた。皆が同種の赤い聖衣らしき物を纏っている。違うのは魔獣の顔が頭部の、ヘルメット型のマスクの一つだけである事。

 無言のままドクラテスが腕を動かす。
 それを合図として、一糸乱れぬ動きで部下たちが星矢たちを囲い込むように動いた。

「くっ、こいつら!?」

「落ち着きなよ星矢。さて……これは何のつもりだいドクラテス」

 逸る星矢を抑え、周囲の状況を見渡しながら魔鈴が静かに問いかける。

「フッ、何のつもりか、だと? お前こそ何を言っているのだ魔鈴。ここはどこだ? 聖域の結界の外だ。試合を目前に控えた者が結界の外に出るなぞ――逃亡以外の何がある?」

「シゴキに力が入り過ぎただけさ。心配しなくても――」

「な、何だと! 誰が逃げたりなんかするもんか!!」

 逃げ出した、と。そう言われた事で星矢がいきり立った。
 抑えていた魔鈴の手を払い除けてドクラテスへと迫る。

 しかし――

「口では何とでも言えるぞ」

「現に、お前は結界の外にいる」

「フフフッ」

「候補生でしかない、しかも日本人のお前の言う事と、聖闘士であるドクラテス様の言う事。さて、聖域はどちらを信じるかな」

 その前にドクラテスの部下たちが立ち塞がり、星矢の行く手を阻む。

「そうだ、過程なぞどうでもいい。お前はカシオスと戦うまでもなく――ここでオレに始末されるのだからな」

 部下を下がらせてドクラテスが前へと踏み出した。
 見上げる星矢と見下すドクラテス。知らず、星矢の足が一歩下がる。
 体格差だけではない“存在感”そのものの差に、星矢は背中に冷たい汗が流れるのを感じ取っていた。





 第25話





 星矢の眼前に “赤”が迫る。それはドクラテスの聖衣の色。
 視界を埋め尽くす赤色はドクラテスの拳。瞬く間に星矢の視界を埋め尽くす。
 パンチは見えている。しかし身体が動かない。反応が追い付かない。

「ぼさっと――」

 星矢の身体に衝撃が走る。

「――してんじゃないよ星矢!!」

「がぁッ!!」

 吹き飛ばされた星矢の身体が遺跡の――瓦礫の山へと叩き込まれる。
 石材が音を立てて砕けるのと同じく、先程まで星矢が立っていた場所からも爆音が響いた。

「う……ぐぅ……。ま、魔鈴さん?」

 瓦礫を振り払い腹を押さえて立ち上がる星矢。
 巻き上げられた砂塵が風に吹かれ、徐々に視界をクリアにしていく。
 そうして星矢の目に大きく抉れた大地が、拳を大地へと突き立てた巨大な影――ドクラテスの姿が映った。

「ま、魔鈴さん? 魔鈴さーーん!!」

 星矢の声が辺りに響く。
 魔鈴からの返事はない。

「……う、嘘だろ?」

 脳裏によぎるのは最悪の光景。

   ドクラテスの巨体がゆっくりと立ち上がり、大地に突き立てた拳をゆっくりと引き抜く。
   その手に掴まれたのは赤く染められた――魔鈴。

「う、うおおおおおおおおおおおおっ!!」

 全身に受けた打撲の、裂傷の痛みも忘れて星矢が吼えた。
 拳をふるう。感情のまま、激情のままに。

「ドクラテスッ!」



 突き立てた拳に伝わる感触にドクラテスは眉を顰めた。
 星矢に向けて振り下ろした“一撃”は咄嗟に割り込んできた魔鈴によって逸らされた。
 それはいい。
 仮にも白銀の聖闘士であれば“そのくらい”はやって見せるだろう。
 だが、しかし――

(あの体勢から“二撃目”をかわした、だと?)

 確証はなかった。ドクラテス自身、魔鈴に当てた瞬間も、避けられた瞬間も見ていないのだから。
 ハッキリとしている事はただ一つ。拳に伝わる感触は、それが伝える事は、ただ大地を穿っただけなのだと。
 その通り、砂塵の晴れた視界にはクレーターと化した大地が映るのみ。
 どういう事だと思案しかけたその時、

「う、うおおおおおおおおおおおおっ!!」

 咆哮とともに立ち昇る小宇宙を感じた事でドクラテスは即座に思考を打ち切った。
 そちらへと視線を向ければ、瓦礫の中から立ち上がった星矢の姿。

「星矢か? な、何だと!? まさか、何故お前のような奴から小宇宙を感じるのだ!? それに、その背に浮かび上がるのは!?」

 全身に打撲と裂傷を負った傷だらけの星矢。その身から立ち昇る小宇宙にドクラテスは動揺を隠せなかった。
 星矢の小宇宙の強さに、ではない。

「ドクラテスッ!」

 拳を振りかざして迫る星矢。その背に浮かぶ、立ち昇る小宇宙がオーラとなって映し出したビジョンに、である。

「馬鹿な……。何故だ!? 何故お前の背に――ペガサスが見えるッ!!」

 天駆けるペガサスの如く。
 青白いオーラを纏った星矢の拳がドクラテスへと迫る。

「おおおおおおっ!!」



 ガッ!



「ドクラテス様ッ!?」

「馬鹿な!?」

「お、おのれ星矢ッ!!」

 その光景に、ドクラテス配下の兵達がざわめき立つ。
 彼らからすれば、ドクラテスが大地に拳を突き立ててから今までの間は僅か数瞬の出来事に過ぎなかったのだ。
 砂塵が薄れ、視界が晴れた先に目にした光景は彼らにとって理解の範疇を超えていたのだ。

 気合いの声とともに振り抜かれた星矢のパンチはドクラテスの胸元へと突き立てられていた。
 赤い血が聖衣を伝い流れ落ちる。

「……う、ううっ……」

 だが、苦悶の声を上げているのはドクラテスではなかった。

「ぐぅううっ」

 右手を押さえてよろめく星矢。
 拳から流れる血がポタリポタリと地面に落ちる。

「フンッ、馬鹿め。小宇宙に目覚めていた事には驚かされたが……お前如きが素手で聖衣を砕けるとでも思ったのか」

「がっ!?」

 振り下ろされた手刀が星矢の身体を打ちのめす。

「ドクラテス様!」

「おおっ!」

 その姿に、無事を確認して安堵する部下達をドクラテスは片手で制する。

「フンッ、静まれ。さあ星矢、聖域から逃亡を図ったお前には罰を与える。それが掟だ。このドクラテスの言葉は全て参謀長のものと思え。逆らう事は許さん」

 そう言って、ドクラテスは蹲る星矢へとその手を伸ばし――



「そこまでだ」



 その手を掴み取られていた。

「お前は……」

 己の手を掴んだ人物を、その傍に立つ魔鈴の姿を見て、ドクラテスから表情が消えた。

「そこまでだドクラテス。落ち着けよ、少しばかり“早とちり”が過ぎるぞ」

「青銅の分際で、いや、聖衣を失くし聖闘士ですらなくなった半端者か……」

「星矢が結界を出たのは修練中の事故だ。逃亡云々はお前の誤解だよ、それで納得しろ。これ以上騒ぎを大きくするな」

「フンッ。どうやったかは知らんが、魔鈴を助けたのはお前か――海斗」

 ドクラテスは忌々しそうに海斗の手を振り払い、星矢の事などどうでもいいとばかりに睨み付ける。

「当たり前だ。この時期に、こんなつまらん私情で、聖闘士を死なせる阿呆がいるか」

「……どういう意味だ」

「きな臭くなってきているんだよ、色々とな。それにだ、お前がカシオスを溺愛している事は皆が知っている。シャイナの元からカシオスを引き抜いた時に、な。そんなお前がこのタイミングで星矢に手を出す。
 邪推されるだけだ。『カシオスでは星矢に勝てないからお前が手を出した』と、な」

 海斗がどこか呆れたように、そう言い終わったのと同時であった。

「黙れっ!!」

 ドクラテスの剛腕が唸りを上げて突き上げられたのは。
 大地がその勢いに巻き込まれるようにめくれ上がり、破壊の力とともに遥か上空へと吹き上げられる。

「チッ」

 直撃を避けた海斗であったが、周囲に広がる余波を察知して思わず舌打ちをしてしまう。

「派手にやり過ぎだ! 観光地だぞ!? 場所を考えろ!」

「なっ!?」

 その瞬間、ドクラテスの表情が驚愕に歪んだ。
 飛び上がった海斗が両手で繰り出した掌打によって。

「俺の力が抑え込まれて……いや、掻き消される!? 打ち消されただと!! 馬鹿な! 聖衣を失くした青銅如きに!?」

 驚愕はそれで終わらない。
 降り注ぐ閃光――“エンドセンテンス”によって周囲にいたドクラテスの部下たちが次々と倒されていく。自分の身に何が起こったのかを気付かぬままに。



「……化物め……」

 そう呟く事しかドクラテスにはできなかった。

「……頭は冷えたか?」

 背後から聞こえる海斗の声、そして背中に当てられた拳から伝わる攻撃的小宇宙に。

「確かに、今の聖域の連中なら星矢たちの言葉より参謀長の覚えが良いお前の言う事を信用するだろうな。事実がどうであれ、だ」

「……」

「今なら穏便に済ませるさ。もう一度言うぞ、このまま聖域に戻れ。これ以上醜態をさらしたくはないだろう?」

 醜態。そう言われたドクラテスの口元からギリッと噛み締めた音が鳴る。このような状況でなければ激昂していた事であろう。

「お前のプライドのために言っている。気付いていないのか? だったら自分の胸元を見てみろ」

「!? ……こ、これは……。馬鹿な!? 聖衣に亀裂が! お前の仕業か!?」

「違う。星矢だ。星矢の放ったあの一撃だ」

 聖衣の中でも最も強固であるはずの胸部に刻まれた深い亀裂。それは、確かに星矢が突き立てた拳の位置に合致していた。
 赤く塗られた星矢の血がそれを証明していた。

「聖衣がなければ負けていたんだよ――お前は。聖衣を持たない、候補生相手に、な」

 その言葉にドクラテスが動いた。
 即座に振り返り、射殺さんばかりの視線をもって海斗と対峙する。

「ここで去るなら不問にする。おまえの誤解だった、とな。これに関しては黄金聖闘士デスマスクも証人だ」

「……」

「……お前の暴走で明日の試合を無くす気か?」

「何?」

「お前がどうなろうが知った事じゃないが、カシオスとは知らない仲でもない。シャイナの事もある。二人の六年間が無駄にされるのはさすがに、な」

「……四年だ。この二年間、カシオスを育てたのは俺だ」

「だったら自分の弟子を信じろよ。正々堂々正面からやり合っても勝てる、と」

「……当然だ」

「そうかい」

 会話が止まる。
 しばし、無言のまま睨み合いが続く。

 先に視線を、動きを見せたのはドクラテスであった。
 周囲に倒れた部下達が呻きを上げながらも次々と立ち上がり始めた事で。

「良いだろう、この場は退いてやる。俺が手を出さずともカシオスが負けるはずがない」



 そう言い捨てるとドクラテスは踵を返し、部下達を引き連れて聖域へと戻って行った。
 去り際に見せた視線から嫌なモノを感じた海斗であったが、嫌悪の矛先が星矢たちから自分に向けられたのならば特に問題はないな、と気にする事を止める。
 その事よりも、差し迫った問題が目の前の惨状の隠蔽だった。
 周囲の遺跡はその原型を失い、地面には大きなクレーター。
 深夜とはいえ、市外から離れているとはいえ、人気が全くないわけではない。これはさすがに気付かれる可能性がある。

「しまったな。不問にするって事は、この始末を俺一人でやるしかないって事か」

 こう言った雑務に対応する部門は聖域にも存在するが、そこに手伝いを頼むと言う事は今回の事を報告する必要がある。
 適当に誤魔化せば、とも思ったが――

「アイオリアに下手な嘘は通用しないからな。師匠はいないし……」

 全てを話せば理解してもらえるとも思うが、今の海斗には可能な限りアイオリアと会う事を避けたい事情があった。

「……後でシャイナに、いや駄目だな。デスマスクに口裏を合わせてもらおう。工作には……ニコルを引っ張って来るか」

 また嫌味を言われるな、と深く溜息を吐く。
 悪い奴ではないのだが、海斗にとってニコルは正直言って関わりたくない相手であった。
 とはいえ、部下もなく、知人も少ない海斗にこういった事を頼れる相手など数える程度しかいない。
 その事に思い至り頭を抱えたくなったが、


 ――ま、魔鈴さ~~ん! 良かった! 無事だったんだ!!

 ……人の事より自分の心配をしな。怪我人に心配されるなんて冗談じゃないよ。


 背中越しに聞こえて来るやり取りに「ま、仕方ないか」と覚悟を決めた。



[17694] 第26話 新たなる戦いの幕開け! の巻
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:dd52a24d
Date: 2011/05/29 14:24
 宮を支える円柱の配列に沿って並べられた燭台。
 そこに灯された明りがカーテンによって陽の光を遮られた教皇の間を淡く照らす。
 中央に敷かれた絨毯は、数段の段差を経てその先にある教皇の椅子の元まで真っ直ぐに伸びている。
 周囲に他者の気配はなく、ただ静かに椅子に座る教皇の存在だけがそこにあった。

 不意に、燭台に灯された炎がゆらりと揺れた。

「……戻ったか」

 教皇――サガの言葉が静かに響く。反応はない。

「フッ、それで良い。そのままで良い」

 そう言って椅子から立ち上がったサガは、ゆっくりとした動作で教皇のマスクに手をかける。
 まるで、そこにいるであろう何者かに見せ付けるかのように、自らその素顔を晒した。

「最早一刻の猶予も無い。おそらく、これがお前に伝えられる最後の言葉となるだろう」

 ゆらりと、炎が揺れる。

「地上を、アテナを――」





 1986年×月×日
 ×××――×××



 年若い神父であった。
 ブロンドの髪と瞳の、物腰は丁寧で穏やかな性質の青年であった。
 彼は人の話をよく聞きそれに応えていた。

 望まれれば、彼は、いつも、そこに、いた。

 人々は彼を好いていたし、彼もまたそうであったのだろう。

「……それが、あなたが最期に望む光景ですか」

 寂れた山村であった。
 時代に取り残された、その表現が最もしっくりくる。そんな村であった。
 若者たちは皆村を捨て町に出た。村に残されたのは、残ったのは老人たちだけであった。

「ならば祈り、願いなさい……その夢を。その祈りを聞きましょう、その願いをかなえましょう」

 このまま時の流れに従い静かに朽ちて行く。誰もがそう思い、静かな、穏やかな終わりの時を待っていた。

「眠りなさい、心安らかに。眠りは何も傷つけない。何も壊しは――しないのだから」

 ベッドに横たわる老人へ、神父は瞳を閉じて手をかざす。
 神父の額にぼうっと、六芒星の紋様が浮かび上がる。
 そして、この日もまた一人、穏やかに、眠るように、静かにその生を終えた。

 彼がいつからこの村にいるのか。
 それを知る者はいない。
 彼は神父であった。しかし、誰も彼の名を知らない。
 彼は神父であった。しかし、この村に教会は無い。
 その事に疑問を持つ者は――いない。



 この男を除いて。



「んははっ。いったいどこで暇を潰しているのかと思ったら。こりゃまた随分と“らしい”事をしていらっしゃるようで」

 枯葉色の混じり始めた木々の中、何が楽しいのか男は喉を鳴らして笑っていた。
 黒いシルクハットとスーツに身を包んだ男である。
 その手には、はち切れんばかりに張った紙袋を持っており、そこから一つ、まだ青みの勝った林檎を取り出す。
 紙袋を抱えたまま器用に袖口でそれを拭うと口に含み――

「――ッ、ペペッ。酢っぺーな、オイ。まだちょいと早かったか」

 咀嚼した林檎を吐き出すと、もう一度手にした林檎を口に含む。青味の勝っていない、噛み後の残った“真っ赤に熟れた”林檎を。

「さ~てと、そろそろ役者も揃い始めそうだしな。時期としては頃合いかねぇ」

 食べ終え残った芯を捨て、指先に付いた果汁を舐ながら、そう呟く男の眼には暗い光が宿っていた。

「傷つけてくれなきゃあ困る。壊してくれなきゃあ困る。さあ、憎き同胞よ。眠りを司るお前さんなら出来るだろう? 起こしてやって頂戴よ」

 そう言って、男は紙袋から新たな林檎を取り出す。

「新たなる文字無きシナリオの、第二幕の開演と行こうじゃねえか」

 黄金の輝きを放つ禍々しき林檎を。

「コイツが開幕のベルの代りだ。せいぜい派手に――踊ってくれや」





 第26話





 1986年8月31日――ギリシア。
 サンクチュアリ――闘技場。



 ペガサスの青銅聖闘士を決めるべく行われた候補生同士の戦い。
 この日、最後の勝者を決めるべく行われた星矢とカシオスの決戦はその場に居合わせた誰もが予想だにしなかった展開を迎えていた。

「ぬぅおおおっ!」

 気迫の声とともに放たれるカシオスの拳が空を引き裂き。

「おおおおおおおっ!!」

 繰り出された星矢の蹴りが大地を割る。
 互いに決定的な一撃を与えられぬまま繰り広げられる拳と拳、蹴りと蹴りの交差。

「……す、すごいな」

「ああ。二人とも拳にも蹴りにも見事なほどに気と力が集中している」

「カシオスもセイヤも正しく聖闘士の闘法を会得しているという事か!!」

 観戦していた兵たちの、候補生たちの口から洩れる感嘆の声。
 カシオス有利と。
 日本人であるが故に付き纏っていた星矢への蔑視も、その成長を、資質を疑問視していた声も完全になりを潜めていた。

「ぐむぅぅうう。まさか、星矢がこれ程の成長を果たしていたとは。あの時の一撃は……偶然ではなかったと言うのか?」

 胸元を押さえて呟かれたドクラテスの言葉も、試合に集中していた周囲の者たちの耳には届いてはいなかった。



 聖闘士の闘法、その神髄とは、突き詰めれば“いかに小宇宙を高めるか”にある。
 そこに至れば肉体的なパワーなど意味を成さない。
 とはいえ、あくまでもそれは真髄を極めた者、黄金聖闘士級の者たちにとっての事であり、現時点での星矢とカシオスにでは戦闘のスタイルとしてその差が大きく表れていた。
 身長二百センチを超える巨漢であるカシオスは耐久力と一撃の重さで星矢に勝り、同年代の少年よりも若干小柄な星矢はそのスピードでカシオスに勝っていた。

「どうやら昨夜の影響は無いようだな星矢!」

 カシオスが吼え、

「言っただろ? 他人の心配よりも自分の心配をしろってな! これまでの六年間の借りをここで返すぜカシオス!!」

 星矢が叫ぶ。

「そうだ、全力で来い星矢! お前を倒し、オレはオレの強さを証明する! そして! オレはあの人の――」

 ――シャイナさんの隣に立つ権利を手に入れる!!

「オレは勝つ! 勝って聖衣を手に入れる!!」

 ――そして日本へ戻り姉さんに会うんだ!!



 強いて理由を挙げるならば“何となく”であった。ぶっちゃけるならば“暇だったから”でもよいかもしれない。海斗が闘技場に向かった理由である。
 知人同士の試合であるから興味がない訳でもなかったが、何か些細な用事でもあればそちらを優先していた事だろう。
 勝敗はともかく、海斗にはペガサスの聖衣が誰を選ぶのかはもう分っていたからだ。

「あの時、星矢の小宇宙にペガサスを見た。おそらくは対峙していたドクラテスも見たはずだ。聖衣は星矢を選ぶ」

「そうかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。そうやって、悟ったような事を言うから嫌いなんだよアンタの事が」

「……しつこく聞くから答えたんだろうが。だから言いたくなかったってのに」

「ハン、言い訳とは男らしくないね海斗」

「……この女は……。ああ言えばこう言う……」

 がりがりと頭を掻く海斗の姿にシャイナは内心でほくそ笑んでいた。

 青銅でありながらその力は白銀である自分のそれを大きく超える男。
 その力を侮っていたわけではなかったが、それでも自分よりも強かったという事実を認めるには抵抗があった。
 一度感情を爆発させて憤りをそのままぶつけた事もある。
 シャイナにとって海斗はそんな相手であったのだが、この二年間で最も良好な関係を築いている相手でもあった。
 サンクチュアリでこうして軽口を叩ける相手はそうはいない。

「それで、こんなところで何をしているんだ? 応援するならもっと前に出ればいいだろうに。お、ニコル発見。サボりか?」

 そう言って海斗は場内で戦っている星矢たちへと目を向けた。
 海斗とシャイナ、二人が今いる場所は闘技場の外周近くであり周囲に他の観戦者はいない

「どの面下げてさ。アイツは自らわたしの元を去りドクラテスの元へ行った。そしてわたしの所にいた時よりも明らかに強くなった。これがどういう事か……」

 分るだろう、とはシャイナは言わない。海斗には言わずとも分る、という確信があった。
 師としての役割を失ったシャイナが得た空白の時間。それを埋めた幾つものピース、その内の一つであったのだから。

「だからさ、ここからで……って、海斗?」

 気付けば隣にいたはずの海斗の姿が消えている。
 僅か十数秒足らずの間に。

「あ~、まあ、いいか。わたしらしくない事を言っていたしね」

 そう呟いてシャイナもまた戦いを繰り広げている二人へと視線を向けた。
 どうやら徐々に均衡が破れつつあるらしい。
 勢いを増しているのは――星矢。

「……頑張りなカシオス」

 呟かれたその言葉がカシオスに届いたのかどうかは分らない。
 シャイナは踵を返すとゆっくりとした足取りで闘技場から離れて行った。

 その途中、アイオリアに首根っこを掴まれた海斗の姿を見たような気がしたが……忘れる事にした。





「見事だな魔鈴」

 腕を組み、ただじっと試合を観戦していた魔鈴は聞こえた声にその意識を向けた。

「……アイオリアかい」

「今まで感じる事が出来なかった小宇宙を星矢の周りから強く感じる」

 そう言って魔鈴の隣にアイオリアが並ぶ。
 丈夫さ鑿を追求した訓練用の武骨で質素な衣服、雑兵たちが身に纏う物よりもさらに簡素な革製のプロテクターを付けたその姿を見て、彼こそが最強の黄金聖闘士の一人である、などとはその事を知らなければ思い付きもしないだろう。
 ミロからは黄金聖闘士としての威厳も自覚も無いのかと事ある毎に責められていたが、アイオリアとしては堅苦しい正装よりも明らかに好ましい服装であったので変えるつもりはなかった。
 長年続けて今更、との思いも無かった訳でもない。

「成程な、これならば“昨夜感じた”小宇宙も頷ける」

 アイオリアが告げたその言葉に魔鈴が視線を向けた。

「……嫌味か?」

「嫌味、だ。これぐらいは言わせてもらうぞ」

 そこには、口元に笑みを浮かべたアイオリアとばつの悪そうな海斗の姿があった。

「お前が受けた任務の事は知っている。確かに思うところがない訳ではないが、お前が適任だという事も理解しているつもりだ。
 全く、そういう気の遣い方だけはそっくりだな、お前達師弟は」

「……いや、まあ、あ~~」

 二人の交わす言葉は断片的すぎて何の事を言っているのか魔鈴には分らなかったが、

「……申し訳ない」

「フッ」

 海斗の謝罪をアイオリアが笑って流した様子から、大した事でもあるまいと、会話を続ける二人を余所に意識と視線を試合へと戻した。
 このままでは埒が明かないと考えたのか、互いに決定打を与えられない状況を打破するためか、やがて申し合わせたかのように星矢とカシオスは距離を取った。

「二人とも、次で決める気だな」

 海斗の呟きにアイオリアが頷く。
 星矢たちは身構えたまま動かない。しかし、明らかに両者の小宇宙は高まり始めていた。

「ああ。しかし、少し拙いかも知れん」

 海斗の呟きに答えたアイオリアはその視線を魔鈴に向け、そして教皇へと向けた。
 海斗が聖衣を得た時と同じく、この戦いもまた教皇の元で行われている。その全てを見届けるべく教皇自身がこの場に足を運んでいた。

「あの二人の力は想像以上だった。本来ならば喜ぶべき事だ。青銅聖闘士としての力量は十分にある。それこそどちらも認めても良い程に」

 観戦している教皇に動きはない。仮面に隠された表情を、感情を読み取る事はできない。

「そんな二人が必殺の意思を込めた攻撃を繰り出そうとしている。聖闘士の攻撃力を聖衣のない生身に向けてだ。これまでの牽制の一撃とは違う。下手をすれば死人が出る。最悪――」

「――二人とも、か。どうする、ここで止めるのかアイオリア?」

 やるのか、と。言葉の内にそう含ませる海斗にアイオリアは小さく頭を振った。

「いや、教皇程のお方が気付いていないとは思えん。言い出しておいてとは思うが、このまま静観すべきなのだろうな」

 そう言って視線を試合へと向けたアイオリアに替わるように、海斗がその視線を教皇へと向ける。
 ほんの一瞬ではあったが、教皇の視線が自分に向いた事を海斗は感じ取っていた。

「……いや、最悪の事態は想定すべきかもな。教皇が何を考えているかなど誰にも分りはしない」

 ギリッ、と噛み締めた歯の音がアイオリアの耳に届く。
 どこか怒りすら感じさせる海斗の、その初めて見せた表情にアイオリアは息を呑んだ。

 だが、それも僅かの事。
 瞬きにも満たぬ間に、海斗はアイオリアの知る海斗へと変わっていた。
 視線を試合へと戻し、

「ん、動くぞ。二人とも覚悟を決めたな」

 そう続けた。

「あれは……! 星矢の拳が描くあの軌跡は!?」

「そう、ペガサスの十三の星の軌跡さアイオリア。星矢の守護星座はペガサス。六年掛かってようやく目覚めたね。
 さあ、わたしに見せておくれよ星矢。あんたに付き合ったこの六年間が無駄じゃなかった事の、その証明を」

 魔鈴の言葉に海斗も、アイオリアも黙って試合へと意識を集中する。
 そして、闘技場から音が消えた。
 皆固唾をのんで見守っていた。気付いたのだ。決着の時だと。



「来い星矢ァ!!」

 己の拳に全てを込めて、カシオスが星矢に向けて駆ける。

「行くぞカシオス!! これが――俺の!!」

 そして、星矢の拳の軌跡がペガサスを描き切ったその瞬間、カシオスは見た。
 青白きオーラとなって星矢の背後から立ち昇るペガサスのビジョンを。
 ペガサスは天空へと駆け上がり――カシオスへと向かい駆け抜けた。

「ペガサス――流星拳!!」

「星矢ァああああああ!!」

 それはまさしく流星であった。
 一秒間に八十五発。
 さしものカシオスもその全てを受けて耐えられるはずも無く。



「勝者――セイヤ! 女神はセイヤを新たなる聖闘士と認めた! アテナに代りこの教皇が聖闘士の証である聖衣を与える!!
 今日この場よりセイヤよ、お前はペガサスの聖闘士。ペガサスセイヤとなったのだ!」

 この教皇の宣言によって戦いは終わった。



 二百四十三年の時を経て、新たなるペガサスの聖闘士が誕生した。

 そして、それは新たなる戦いが幕を開けた瞬間でもあった。



[17694] 第27話 史上最大のバトル!その名はギャラクシアンウォーズ!の巻 6/18改訂
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:406baf32
Date: 2011/06/20 14:30
 1986年9月11日――ギリシア。
 アテネ市内――シンタグマ広場。



 それはある種異様な光景であった。

 広場に面したオープンカフェ、そのテーブルの一つ。
 シンプルな無地のシャツ、薄手のジャケットにジーンズといったありふれた恰好をした東洋人の少年と向かい合う二人の黒服。

「……これは一体どういう事だ?」

 店内のテレビから流れ聞こえるニュースと手にした新聞。
 そこには一面の見出しにこう書かれていた。

 ――史上最大の戦い始まる!! その名は銀河戦争(ギャラクシアンウォーズ)――

 ――グラード財団によって開催される世界最大規模の格闘技イベント――

 ――最強の存在!聖闘士同士による戦い。優勝者には――

 それらを交互に見やりながら、海斗は目の前に座る二人の黒服に問いかける。
 黒服たちはグラード財団の連絡役である。
 城戸光政が世界各地に送り込んだ孤児たちの中から聖闘士となった者を探し出し、彼らを日本へと連れ帰るのが仕事であった。

 不機嫌さを隠そうともしない少年を前にして、大の男である二人は自身の動揺を、怯えを隠せないでいる。
 例えるならば、両親に叱られる子供、それが一番しっくりとくるのかもしれない。親と子の配役が明らかに逆であったが。

「……やってくれたよ、城戸の爺さんめ。まさか見世物にするために俺たちを聖闘士にさせようとしていたなんてな」

 言葉を発した、ただそれだけである。それだけで客で賑わう昼間のカフェから喧騒が消えた。
 海斗の発する気配が、雰囲気が、そうさせていた。

「まあ、あんたらに言っても仕方がない事とは分っているんだけどな? 愚痴ぐらい聞いてくれ、ってことだ。ったく……」

 青ざめ始めた目の前の二人、そして静まり返った店内の様子を察した海斗はやれやれと大きく息を吐いた。

『――各国のマスコミ、報道関係者はもちろん、聖闘士の戦いを一目見ようとする人たちが続々と日本へと……』

 静寂の呪縛が解かれた、とばかりに静まり返っていた店内からは再び音が溢れ始める。
 背中に流れる汗の、握り締めた手の中のじっとりとした感覚に気付き、向かい合う二人もまた大きく息を吐いていた。

「で、だ。俺の提示した帰国の条件覚えているよな? 財団本部に問い合わせるから時間をくれ、少しの間待って欲しいと。あんたらはそう言ったよな?」

 テレビには興奮冷めやらぬ、といった様子のリポーター。
 語られる内容もそうであったが、その捲くし立てるような甲高い声もまた海斗の苛立ちを一層増していた。
 少し冷めたコーヒーに砂糖を入れてかき混ぜる。
 少し口に含んで、また砂糖を足してかき混ぜる。
 それを何度も繰り返す海斗の様子に黒服たちは

(それはもうコーヒーじゃない)

 と思いはしたが、口には出さない。
 二人にとって目の前の少年は人間とは異なる何かなのだ。
 資料として聖闘士の事は知ってはいたが、僅かなやり取りの内に“知ったつもりでしかなかった”という事を彼らは思い知っていた。
 火を見れば熱いと解るように、氷を見れば冷たいと解るように。
 ほんの一瞬、海斗が見せた凄味に二人は完全に呑まれてしまっていたのだから。

「その答えがこれか。俺が提示した条件は聖域から失われたある聖衣の捜索の手伝い、だったよな。それが――」

 空になったカップと中身を半分まで減らしたシュガーポットを除け、海斗が二人の前に新聞を突き付ける。
 テーブルの上に広げられる新聞。そこに載せられた一枚の写真を指差し海斗が続ける。
 そこに写っているのは一つの箱。

「俺が一番聞きたいのはここだ」

『……最後の勝利者となった者にはこの黄金聖衣が与えられます。八十八の聖闘士の最高位である聖衣が!!』

 弓矢を構えた半人半馬のレリーフが施された聖衣箱。

「……」

 黒服たちは何も言わない。
 テレビからは相変わらず興奮気味のレポーターの声が聞こえて来る。
 頬杖をつくと、海斗は面倒臭そうに視線をテレビへと向けた。

『――それがこの射手座(サジタリアス)の黄金聖衣なのです!!』

「まさに灯台下暗し。この十三年間所在が不明だった物がグラード財団の元に在った、って事かよ。成程ね、この時期に俺の要求を聞かされればそりゃ警戒するわ。
 目と耳が欲しかっただけなんだけどなぁ。それにしても、優勝者に与える――か」

 失われたサジタリアスの黄金聖衣の捜索、それは海斗が教皇から直々に与えられた任務の一つである。
 これには他の聖闘士たち、特にアイオリアから異論が上がったが星見の結果であるとして決定された。
 エクレウスでありシードラゴンであり等々と、色々とややこしい存在である自分の星とやらが甚だ疑問ではあった海斗であったが、何にせよ“都合がよい”事には違いはなかった。

「ここまで公にされては裏からは……駄目だな。やってやれない事も無いが、現状俺が最有力容疑者だろうしなぁ。なら、やっぱりこれが一番穏便な方法か。私闘には……ならないよな?
 まあ、その時はその時か。となると問題は聖衣か。ジャミールに寄って……寄りたくないなぁ……」

 やれやれと、溜息をつき海斗は椅子から立ち上がる。
 ポケットから取り出したコーヒー代をテーブルに置くと、男達に向けて続けた。

「お嬢様に一つ伝言を頼む」

 視線を男たちから外し、海斗はもう一度だけテーブルの上に広げられた新聞に目をやった。
 そこには、出場する青銅聖闘士たちを表す星座が、名が書き連ねられている。

「……私闘は厳禁だって教わっているだろうに。どういうつもりだ?」

 その名は全て城戸光政によって集められた百人の孤児たちに与えられたそれであった。





 第27話





 グラード・コロッセオ。
 ただ一度のギャラクシアンウォーズのためだけに作り上げられた一夜城。収容人員十万人、グラード財団が総力を結集して作り上げた現代の格闘技場(コロッセオ)。
 外観はローマのそれを模しながらも近代的にアレンジされ、場外には無数のモニターが、場内には近代科学の粋を集めた多様な趣向が施されている。
 大会開幕の合図とともに天井を巨大なドームが覆い、光源を失った場内を照らすのは星空へと姿を変えたドームの光が照らす。
 観客席の奥には星の祭壇とも表現すべき巨大な祭壇が黄金聖衣を安置し、闘技場の中央には周囲をロープで囲まれたリングが用意されていた。
 空中に現れた巨大な四枚のクリスタルボードが停止し、モニターとなって場内の観客達に様々な情報を与える。
 壁面に備え付けられたサブボードには試合中の聖闘士たちのデータが表示され、一般人には理解できない聖闘士の戦い数字として表現する。
 大会開催の報から僅か一週間にして集まった観客は収容人員を大きく超え、入場できなかった観客たちはそれでもと場外にひしめき合っていた。

 突如として公にされた聖闘士という存在に対し懐疑的な声も多く、世間の認識としてはいわゆるイロモノ的な格闘技イベントではあったが蓋を開けてみればご覧の通り。
 世紀の大イベントとの触れ込みに偽りは無く、興行として大成功を収めるであろう事は、この興奮と熱狂に包まれたコロッセオを前にすれば誰の目に見ても明らかであった。



『皆さま、本日はこのグラード・コロッセオにようこそいらっしゃいました』

 アナウンスは告げる。
 神話の時代より命をかけた聖闘士たちの戦いには場もルールも存在しない事。しかし、あくまでもこの大会が試合である以上は人命尊重のために一定のルールを設ける事。
 戦いはトーナメント方式、無制限三本勝負、コンピューター制御によるテン・カウント制等々。
 場内を流れるアナウンスに観客達がいよいよ沸き立つが、次の説明により水をうったように静まり返る。

『反則や禁止行為は定めておりません。仮に一命を落とす事態がおこっても聖闘士は自ら承知の上であります』

 その内容を理解したのか徐々に観客達の中からざわめきが目立ち始める。
 アナウンスは構わずに優勝者に与えられる黄金聖衣の説明を始めるが観客達のざわめきが消える事は無い。
 運営側の財団関係者からも動揺の気配が見え始めた頃であった。

『場内の皆さま天の中央をご覧ください! 本大会の創始者城戸沙織嬢が皆さまにご挨拶を申し上げます』

 ドームに浮かび上がる星空がその姿を変え、場内に銀河の橋を作り出す。
 そこを渡る少女の姿に、その容姿に、類稀なる美貌に、観客たちは言葉を失い目を奪われ――やがて歓声を上げた。

「皆さま、ようこそいらっしゃいまいた。今は亡き祖父城戸光政に代り御礼申し上げます」

 純白のドレスを身に纏い、右手に黄金の杖を持った少女――城戸沙織の姿に。
 この時の沙織の姿は辰巳をして神がかっていたと言わせている。
 観客たちは城戸沙織という存在に圧倒されていたのだ。

「この場にいらっしゃる皆さまは既にご存知かと思われますが、聖闘士は星座を守り神としてその名を聖衣にいただいております。
 それゆえ、わたくしたちはこの戦いを銀河戦争(ギャラクシアンウォーズ)と命名致しました。史上初のギャラクシアンウォーズの勝利者は誰か、黄金聖衣を手に入れるのは誰か」

 すっと、沙織が手にした黄金の杖を掲げて見せる。観客たちは誰もがその動きに見とれ、その動きを追った。

「それを今、皆さまと一緒に」

 黄金の杖が輝きを放つ。
 輝きは幾つもの流星となってリングへと向かい飛び出した。

 それに気付いた誰かが叫んだ。

「おい! リングの上だ!! 見ろよ!」

「え!? あ、ああ!!」

「いつの間に!?」

 ドラゴン紫龍、アンドロメダ瞬、ユニコーン邪武、ベア檄、ヒドラ市、ライオネット蛮、ウルフ那智、そして――先日カシオスとの戦いを制し、聖闘士となったペガサス星矢が。

「既に聖闘士は闘技場にスタンバイしているぜーー!!」

 その手に流星を掴み取った八人の聖闘士が聖衣を纏いリングの上に集結していた。





 ギャラクシアンウォーズ開催の報は当然の如く聖域の知るところとなる。
 聖衣はアテナを、正義を、地上の平和を護るために使用されるべき物。私欲や私闘のために身に纏う事は固く禁じられている。
 故に、ショー紛いの闘いを繰り広げようと日本に集まった青銅聖闘士たちに対して断固とした処分を求める声が上がったのは想像に難くない。
 事実、昨年参謀長となったギガース老による即刻制裁すべし、抹殺もやむなしという意見に賛成の意を示す者は議場いる者たちの八割を超えていた。

 しかし、ニコルのこの一言がその流れに待ったをかける事となる。

「ですが、参加者である一人ドラゴンの師は“あの”五老峰の老師ですよ」

 中国五老峰にある大滝の前に座す事二百四十数年。
 前聖戦を戦い抜き、今なお生き続ける伝説の聖闘士である。

「あのお方が何の意図も無く自らの弟子を送り出すとは……」

「ぐぬぅ……しかしだな」

 その存在と影響力は教皇に匹敵する。
 それ程の人物がなぜ、と。

「老師が何を考えていようとも、こちらは一切の連絡を受けておらんのだ。ならば聖域として動かぬ理由にはならんぞ」

「それだけではない。十三年前“逆賊”アイオロスとともに姿を消した黄金聖衣の事もある」

 そして、そう続けた老司祭の言葉に場内の空気がより一層重くなる。

「……教皇様なら……」

 誰の言葉かは分らないが、それでもその呟きは静まり返った議場に響いた。
 本来、こういった重要な問題は教皇が判断して指示を与えるのだがこの場にその姿はない。
 教皇の間の奥にて瞑想を行っているためだ。
 人払いをされた上で行われるそれは、代々の教皇も行っている儀式の一つであり誰も邪魔をする事は許されない。
 唯一それが行える存在はアテナであるが、そのアテナに拝謁するためには教皇の許可を必要とする。
 事実上、瞑想を始めた教皇をこの場に呼び出す方法はないのだ。
 しかも、ここ数年の瞑想は十日、半月と長きにわたり行われており、この場に集まった者たちにいつ訪れるかも分らぬ終わりを待っている猶予はない。

 事態があまりにも公になり過ぎたため、今更隠蔽工作など行えるはずもなく、下手に動けば民間人を巻き込む可能性もある。
 グラード財団の目的が見えないのも問題であるし、黄金聖衣の真贋も問題であった。
 仮に本物であるならば、財団は、少なくともその関係者とアイオロスは何かしらの接点があったという事になる。
 グラード財団の影響力が“表の世界”において聖域のそれを超えているのはギャラクシアンウォーズの開催やこの十三年間黄金聖衣が秘匿されていた事が証明している。
 聖域と敵対をしているわけではないが、この流れではそう捉える者がいても不思議はない。
 全世界に対して公にされた聖闘士の存在、その意図は何だ?
 何かしらの策謀か、それともどこかで知った聞きかじりの知識を元にした城戸光政の道楽に過ぎないのか?
 憶測が憶測を、推測が推測を呼ぶ。

「ん、んんっ」

 その沈黙を破ったのはどこか芝居じみた咳払い。ギガース老が発したものであった。

「このような不測の事態を想定されて教皇様はワシを参謀長と命ぜられたのは皆も知っていよう。で、あれば皆の意見が纏まらぬ以上はワシが――」

 厄介な事になったな、と。頭を抱えたい思いを隠しながらニコルは静かに息を吐いた。
 ギガース老がここぞとばかりに自分の立場をアピールしているが、この時のニコルにとっては些細な事に過ぎなかった。
 議場に入る前にユーリから聞かされた話を思い出し、人知れず眉間を押さえる。
 それは聖域に戻っていたはずの海斗が消息を絶っており、どうやら既に日本へと向かっているらしい、との事だった。
 そこに権力闘争など歯牙にもかけない厄介事の気配を感じていたのだ。
 偶然にしろ何にせよ、事実として海斗が消息を絶ったのと同じくして二年前のあの戦いが起こっている。

「……頼むから余計な仕事を増やしてくれるなよ」

 三時間以上かけてようやく方針が固まりつつある議場を尻目にニコルは今日何度目かの溜息をついた。





 中国廬山――五老峰。

 詩仙李白曰く、廬山の瀑布を望む。

 飛流直下三千尺疑うらくは銀河の九天より落つるかと。

 まさしく天から落ちる如き勢いを見せ続ける廬山の大瀑布を前に、編み笠を目深にかぶったその小柄な老人はただ一人座したまま二百数十年という人の身に余る永き時を過ごしてきた。
 名を童虎という。
 二百四十三年前の聖戦を生き残った天秤座(ライブラ)の黄金聖闘士にして生ける伝説である。
 彼は朝も昼も夜も、春も夏も秋も冬も、晴れの日も雨の日も変わらずそこに在った。
 いつしか彼は、彼を知る人々から畏敬の念を込めて“五老峰の老師”と呼ばれるようになっていた。



「老師」

「うむ、案内をさせてすまなんだな春麗」

 春麗と呼ばれた少女は「それでは」と言って見知らぬ少年と手を繋ぎその場を離れる。
 穏やかな日差しの中、少女と少年の楽しげな声色を聞き、知らず童虎は深い皺の刻まれたその顔に笑みを浮かべていた。

「彼女は……。ああ、あの時の。随分と大きくなったものですね」

 春麗に連れられ、ここに残った青年が彼には珍しい優しげな笑みを浮かべてその後姿を見送っている。

「ホッホッホ。子供というものはとんでもない勢いで成長するものじゃからな。お主の連れて来た子もそうではないか」

「貴鬼ですか。あれにはもう少し落ち着きという言葉を教える必要がありますが」

 童虎と春麗に血の繋がりはない。
 彼女は廬山に捨てられていた子供であり、童虎が拾い育てた少女である。
 家族のいない童虎にとっては弟子である紫龍とともに実の子供と言ってもよい存在であった。

「さて。遠路はるばると言うべきかの? 久しぶりじゃのう――ムウよ」

「はい、お久しぶりでございます。老師もお変わりなく」

 青年――ムウはそう言って頭を下げると片膝をついて童虎と対面する。

「エクレウスが日本へと発ちました。言葉にはしておりませんでしたが――介入する気でいるのは間違いありません」

「なんと、ここで動かすか? 随分とまた思い切った事をするのう。鬼札にすると思っておったのじゃが」

 はて、と童虎が首を傾げ、そして思案する。

「ムウよ、お主の危惧は正しいやもしれんのう。教皇のこの指し方は違う。今の教皇は……少なくともワシらの知るシオンでもワシらの知る教皇とも違うものじゃ」

「ッ!?」

 ムウが彼らしからぬ焦りを、感情を表に出し、その身を乗り出す。
 教皇シオンとは童虎とともに前聖戦を生き抜いた当時のアリエスの黄金聖闘士であり、ムウの師でもある。
 十三年前、まだ若く幼ささえ残していたムウに与えられた勅命。

 来たるべき聖戦に備えるため、聖域を離れジャミールの地にて聖衣修復に専念せよ。

 その言葉を最後に、以後教皇シオンとしての言葉は伝えられても師シオンとしての言葉を届けられた事は無い。

「エクレウスの独断か、それとも……動かさざるを得ない状況という事か? 教皇の指示であるとするならば……あちらも時間は無いと、そういう事かのう」

 ムウは何も言わない。ただじっと童虎の言葉を待つ。
 そして待つ事しばらく。やがて童虎は雰囲気を一変させると好々爺然として口を開いた。

「ときにムウよ」

「はい」

「城戸沙織という少女の元にサジタリアスがあり、そして当代のペガサスがおる。お主はこれをどう見る?」

「……老師は……そうお考えなのですか?」

「これこれ、質問に質問で返すではないぞ」

 ホッホッホ、とさして気にした様子もなく童虎は笑う。

「まあよい、可能性としては、のう。城戸沙織の元におるペガサスが“その側に”立つ。ならば……」

 そう言うと、童虎は目深にかぶった編み笠を僅かに持ち上げ、まるで何か大切なものを想うかのように天を仰いだ。



「ペガサスは常にアテナの側に在る。それが彼の者の運命(さだめ)よ」



[17694] 第28話 戦う理由!サガの願い、海斗の決意!の巻
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:406baf32
Date: 2011/06/20 14:30
 リングに立った八人の聖闘士たちが掴み取った流星。
 そこに記されたAからKまでのアルファベットが彼らの運命を決める事となる。

「トーナメントボードを御覧なさい。そこに記されたアルファベットに応じて自分の対戦相手が決まります」

「オレはCだな。順番通りなら第二試合か」

 沙織の言葉に従って星矢が手に取った玉を見る。
 トーナメントボードを見れば確かにCの場所にPEGASUSの文字が表示されていた。

「ぼくはFだね」

 亜麻色の髪の美しい少女のような面立ちをした少年――二対の鎖に繋がれた聖衣を纏った聖闘士アンドロメダ瞬が。

「Eだ。ふむ、二回戦のシード枠か」

 腰まで伸びた長い黒髪と落ち着いた雰囲気をもった少年――星座のイメージに違わぬ重厚な聖衣を身に纏った聖闘士ドラゴン紫龍が。

「Hか。どうやらお互い決勝まで行かないと決着がつけられないみたいだぜ星矢」

 幼き頃より沙織に従い、反抗的な星矢とは何かにつけて反目し合っていた少年――伝説の一角獣のイメージの通り、ヘッドギアの角が特徴的な軽装型聖衣を身に纏った聖闘士ユニコーン邪武が。

「ククク、Bだ」

「Iか。一回戦の最終試合だな」

「蛮はGでオレはDだな。おいおい、初戦から逃げ腰の星矢が相手とは拍子抜けだぜ」

 海ヘビ星座の聖闘士、毒蛇を思わせる不気味さを醸し出す少年――ヒドラ市が。
 狼星座の聖闘士、鋭い眼つきをした速度重視の軽装型聖衣を身に纏う少年――ウルフ那智が。
 子獅子星座の聖闘士――ライオネット蛮が。
 大熊星座の聖闘士、百九十センチに届こうかとういう巨漢の少年――ベアー檄が。
 トーナメントボードを見つめる彼らは何を思うのか。

 ある者は己の願いのために。
 ある者は己の強さの証明のために。
 ある者は己の忠誠を示すために。
 ある者は己の師に報いるために。

 それぞれがそれぞれにしか分らぬ想いを内に秘め戦いに臨もうとしていた。



「ん? 待てよ。トーナメントボードにはまだ空きがあるぞ?」

「ああ。一回戦の市の対戦相手のAに、最終戦の那智の相手になるJ、そしてそのシードのKだな」

 那智の言葉に紫龍が答える。
 トーナメントボードには三カ所の空白があった。

「おいおい、しっかりしてくれよお嬢さん? 緊張し過ぎてポカでもやらかしたのか?」

「星矢! お前お嬢様を侮辱する気か!!」

「侮辱も何もあるかよ。オレはお前みたいにお嬢さんの番犬になった覚えはないんでね」

「上等だ星矢ァッ! 決勝まで待っていられるか! ここで叩きのめしてやる!!」

「やるか!?」



 星矢と邪武。元々反りが合わない二人であったがこうまで険悪になったのには理由があった。
 それは星矢が帰国してすぐの事である。
 城戸邸で行われたマスコミ向けのギャラクシアンウォーズの説明会において、この二人は拳を交えていたのだ。
 そもそも星矢が聖闘士を目指したのは城戸光政によって引き離された姉と再会するためであった。聖闘士となり生きて日本に帰る、それが城戸光政が幼い星矢に示した姉と暮らすための唯一の条件。
 その言葉だけを信じて帰国した星矢を待っていたのは姉が行方不明になっていたという信じがたい事実。
 姉との再会を約束したはずの城戸光政は既にこの世になく、後を継いだ沙織はそのような約束は知らないと言う。
 それどころかショー紛いの戦いに参加しろとの命令をしてくる。

 星矢にそれを受け入れられるはずもなく。

 ――ふざけるなよ。約束を守れないって言うんなら、もうそっちに従う理由なんてないんだよ。

 交渉は決裂し、星矢は聖衣を持って城戸邸を後にしようとした。

 ――うるせえぞ星矢!! なにをごちゃごちゃと泣きごとをぬかしてやがる。

 それを止めたのが誰よりも早く聖闘士となり日本に戻った少年、幼き頃より沙織に心酔していた邪武であった。
 お互いに様子見程度であったとはいえ、ここでの交戦によって星矢の足が止まった事は沙織にとって有利に働く。

 ――ならば取引をしましょうか星矢。おまえが優勝すればグラード財団の総力を挙げておまえの姉の行方を追ってあげる。

 いくら聖闘士となったとはいえ、一人の人間に出来る事には限界がある。
 私闘が禁じられている事は百も承知。それでも、例え聖域を、師である魔鈴たちを敵に回すとしても。

 星矢には、沙織の言葉を拒む事はできなかったのだ。





 第28話





「止さないか邪武! 星矢!」

 一色即発、そんな二人を止めたのは瞬である。
 幼い頃より兄の影に隠れ、争い事を拒み続けていた心優しき少年。
 聖闘士となってもその性質は変わらずと彼を知る誰もが思っていた。その瞬が発した怒声に二人はおろか、静観を決め込んでいた残る五人の聖闘士達も目を見張る。

「チッ、ケリは試合で付けてやる。勝ち上がって見せろよ星矢、お前は俺が倒す!」

「フッ、それはこっちのセリフだぜ邪武。お前こそオレと戦う前に負けるなよ」

「おいおい、何を二人だけで盛り上がっているんだよ。お前の相手はオレだぞ星矢。まさか勝てるとでも思っているのか?」

「ククク」

「そういう事だな。オレたちを忘れてもらっちゃあ困る」

 だが、それも一瞬の事。
 二人の闘志に当てられたのか、会場の熱気に後押しされてか。
 檄たちもまたその瞳に闘志の炎を燃やし始めていた。

「……みんな」

「諦めろ瞬。こういう奴らだ」

 肩を落とす瞬に対して仕方あるまいと、紫龍が慰めの言葉をかける。
 ありがとうと、慰めの言葉への礼を返そうとした瞬であったが紫龍の目を見てその言葉を飲み込んだ。

「……紫龍、君もか」

 代わりに出たのはそんな言葉であった。



 リング上の聖闘士たちのやり取りを余所に沙織とアナウンスは観客へと説明を続けていた。
 未だこの場に到着していない聖闘士が三人いる事。
 コンピューターによりその三名がトーナメントボードに自動的に組み込まれる事を。

「この三名の到着が遅れている事に関してましては皆さまに謝罪を致します。それによりトーナメントの進行に変更が生じる事をご了承下さい」

 沙織の言葉にトーナメントボードの空欄が淡く輝き始め、ここにはいない聖闘士の星座を順番に表示する。

 一回戦第一試合のAには白鳥星座――CYGNUSが。
 一回戦第四試合のJには鳳凰星座――PHOENIXが。
 そして――

「な、まさか!?」

 その表示を見て星矢が驚愕の声を上げた。
 反応を見せたのは星矢だけではない。
 紫龍もまた、星矢ほどではないにしろその名前に驚きを見せていた。

「エクレウス……老師が気にされていた聖闘士か。ならば、相手にとって不足は無いな」

「……海斗っ……!」

 二回戦第三試合シード枠のKには子馬星座――EQUULEUSの文字が表示されていた。





「……一体どういうつもりだ海斗」

「どうって、何が?」

 窓から見える雲海をぼーっと眺めていた海斗の耳に、多分に苛立ちを含んだ声がかけられる。
 それは隣のシートに座るブロンドの髪と青い瞳、端正な目鼻立ちの――日本人の父とロシア人の母を持つハーフである――少年、氷河のものだ。
 読んでいた本を閉じ、ジロリと睨むような眼で海斗を見る。

「オレは聞いていない。どうして“お前まで”出場する事になっている」

 海斗と氷河、二人はグラード財団が用意した専用の旅客機に乗り込み日本へと向かっていた。



 元々、氷河はギャラクシアンウォーズに興味は無く、帰国を催促するグラード財団からも距離を置いていた。
 そんな事よりも氷河には優先すべき事があったためである。
 それは、東シベリア海の氷の海の底に眠る母ナターシャを見守る事であった。
 城戸光政に引き取られる前に遭遇した海難事故。ナターシャは氷河を助けた代わりに逃げ遅れてしまい、ただ一人遭難した船とともに東シベリアの海の底に沈んだ。
 幼い氷河は海の底から母を救い出す事を誓い、聖闘士であればそれが可能となると聞き――決意した。聖闘士となる事を。
 そうして送り出された修行の地が母の眠る東シベリアであった事は、氷河に確かな運命を感じさせたのだ。
 六年間の修業を経て成長した氷河は、東シベリアの地で母の眠りを見守りながら静かに暮らしていくつもりであったのだ。



 機内に備え付けられたモニターには、日本で行われているギャラクシアンウォーズの録画映像が流れている。
 会場では第一試合に出場するはずの氷河の到着が遅れた事により、先に第二試合である檄対星矢の試合が行われていた。

「ん? ああ……成り行きで」

 真面目に答える気が無いのか。海斗は変わらず窓の外をぼーっと眺め続けている。
 氷河は師であるカミュの教えに従い、務めて感情を表に出さない様にしている。が、さすがにこうもぞんざいに扱われては腹に据えかねるものがあったのだろう。

「……オレが出場する。その意味を分っているはずだが?」

 苛立ちを超え、明確な敵意の込められた氷河の問いかけにようやく海斗は首を動かし向き直った。

「怒るなよ。私闘を繰り広げるアイツらへの制裁、だろう? 俺としても想定外だったんだ。まさか聖域の連中が大会開催中に動くなんて」

 聖域上層部の意思決定力低下の問題を海斗は教皇より聞かされた事があった。
 なまじ教皇自身が優れていたために、そのカリスマが大き過ぎたために起きた弊害。彼らは教皇という偉大な指導者に依存してしまったのだ。

「教皇が瞑想に入った事でな、今の上層部の連中の中には代わりとなって舵取りを出来る奴がいないんだよ。失敗して責任を負いたくないんだろうな。俺だって嫌だ。
 だから連中は積極的な指針は出せないし、出さない。教皇が戻るまで、戻らなくとも大会が終わるまでは静観すると思ってたんだよ。
 まあ、それでだ。俺はこの二年間教皇の指示を受けて探し物をしていてな、所在の不明だったサジタリアスの黄金聖衣だったんだが……」

 そこまで言うと、海斗はドリンクに手を伸ばしてモニターへと目をやる。
 ペガサスの翼の意匠を施された特徴的なヘッドギアに速度重視の軽装型の聖衣を纏った星矢が、檄にその細い首を両手で締め上げられ吊り上げられていた。
 戦っている二人の内心はともかく、観客達の悲鳴とそれを煽るかのようなアナウンスと演出が、否応にもこの戦いがショーでしかないと感じさせる。

「裏から手を回して、とか、力技で、とも思わなくもなかったけど……それをやると表の世界で窃盗犯扱いされそうだったんでな」

「与えると公に明言されている以上、優勝してしまえば問題は無い、か。なるほどな、確かに成り行きだ」

 モニターの映像は、星矢が檄の両手を聖衣ごと破壊し蹴りによって勝負を決めたところであった。
 ルール上は三本勝負との事だったが、檄の受けたダメージが大き過ぎたために試合続行不可能と判断され星矢の勝利がアナウンスされている。

「都合良く俺とお前はトーナメントの端同士、決勝までは当たらない。それまではお互いの目的のために頑張るとしましょうかね」

「……決勝はどうする?」

「お前と戦う理由は無いから棄権するさ。ああ、聖衣はヨロシク。興味無いだろ?」

「……いい加減な奴だな」

 呆れたように呟いた氷河は、閉じていた本を開き再び読書へと戻る。
 海斗はちらと氷河の読んでいる本に視線を向け、ロシア語を見た時点で興味を失くす。
 空になったドリンクをサイドに置きシートを倒して横になった。





「目的――か」

 口にして、海斗は思う。
 数少ない知人には公言している事であるが、サジタリアスの黄金聖衣の捜索と確保を教皇から指示されている事は嘘ではない。
 氷河に語った穏便に入手するために大会に参加を決めた事も嘘ではない。

 誰にも言っていない事があるだけだ。

 隣を見れば自分と同じ様に氷河もシートを倒して眠っている。
 それを一瞥すると、シートを起こした海斗は思い出すように自分の眉間に手を伸ばし、そこに刻まれた傷跡に触れた。

 それは二年前、教皇――サガによってつけられた傷。
 精神を支配する伝説の魔拳“幻朧魔皇拳”の傷跡だ。
 しかし、本来であればその魔拳は肉体に傷を負わせる事はない。
 そう、放たれた魔拳は不完全なものであった。
 悪心たるサガの放った魔拳を善心たるサガが歪めていたのだ。

 魔拳が見せる幻影の中で、海斗は知った。
 教皇が何者であるのかを。
 一つの身体に二つの精神を宿すサガという人物を。
 善心たるサガは地上の平和を願い、悪心たるサガは地上の支配を望む事を。
 聖域にアテナが存在しない事を。

 それを誰にも、ムウにも師であるアルデバランにすら語る事なく今も自身の胸の奥に秘め続けている。
 それが魔拳の及ぼす影響の一端である事は海斗自身自覚しているが、それだけが理由でもない。

「何にせよ、全てはお嬢様に会ってからだ」

 サジタリアスの黄金聖衣を追うという事。それはアイオロスを追うという事であり、彼が“救い出した”アテナの行方を追う、という事と同意。
 悪心たるサガは知らない。善心たるサガが海斗に伝えた意思を。

「……ッ!?」

 ズキリ、と眉間の傷が疼く。
 魔拳の支配に抵抗しようとすると、必ず発生する痛みだった。
 だが、それがいいと海斗は思う。
 この痛みこそが、自身の意思が善心たるサガの意思に、その願いに反する事を証明しているのだから。

「……借りは必ず返す。貴方を悪い魔法使いのままでは終わらせない」

 間近で接する機会が多かったためか、多くの者達がそうであったように、いつしか海斗もサガという人物に好感を持っていたし、尊敬の念を抱いていた。
 アテナを護れと願うのなら護ってやる。
 力を貸せと願うのなら応えよう。

 だがそれでも。
 それでも――聞けない願いがある。

「思い通りにはさせない」

 “サガ”は罪を犯した。
 悪心は日々その存在を大きくし、善心たるサガは己に裁きを求め続けている。

 故に、願った。

 来たるべきその日が訪れた時には、アテナとともに――悪心に染まった己を討てと。

「貴方は貴方が思う以上に必要とされているんだ。死ぬ事で終わりになんてさせやしない」





「……とは言え、な。そもそも貴方に勝たなくちゃならない、っていう時点で詰みなんだけどな。それに……」

 窓の外を流れる雲を眺めながら海斗はハァと重く息を吐いた。
 正直、この問題の前には何もかもが小さい事のように思えてしまうから困る。

「全ては沙織お嬢さん次第だ。……まさか、あの沙織お嬢さんが“女神アテナ”とはねぇ。冗談にしても笑えやしない。今でもあの女王様な性格のままだったら……師匠は泣く。アイオリアも泣くよな」

 それはそれで面白そうではある。堪ったものではないが。

「セラフィナも……理想のアテナ像に心酔していたか。まあ、アテナの聖闘士としてはそれが正しい姿なんだろうが」

 変な影響を受けて女王様然とした姿を――自分を馬にしてその背に乗り、広場を駆けまわらせる姿を――想像する。

「いやいやいやいや、ないないない。それはない、俺じゃあない」

 頭を振って妄想を四散させる。
 馬の役は俺ではない。邪武の役だと。
 幼い頃の我が儘三昧の城戸沙織が見せた奇行の一つであったが、幼心にそれだけ衝撃的だったという事か。
 シードラゴンとして目覚めた以前の記憶はかなり曖昧となってしまっており殆ど思い出す事はできないが、それでもこの時期の事だけはハッキリと覚えている。

「ッ、くく。ははっ」

 浮かぶ笑みを押さえられずに声に出してしまった。

「……ん、着いたのか?」

 そのせいで、どうやら氷河を起こしてしまったようだが勘弁してもらおう。

「ああ、いや、まだだ。それよりも覚えているか氷河? 邪武のアレ」

 日本に到着するまではもう少し時間がかかる。
 今の状況では、日本で星矢達孤児仲間に会ったとしても再会を喜び合うなどできはしないだろう。
 ならば、それまでは昔話に花を咲かせるのもいいかと思い、海斗は氷河に話しかける事にした。
 彼の師であるカミュに倣い、常にクールでいようとしている氷河を笑わせるか、動揺させれば勝ちだ、と。妙なルールを自分の中で設定して。



[17694] 第29話 忍び寄る影!その名は天雄星ガルーダのアイアコス!の巻
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:406baf32
Date: 2011/07/22 01:53
 それは幾重にも分岐する未来への道筋、その中で最も太く強固な道の先に示されたシナリオであった。
 そう、後の――未来の話である。

 過去と未来を観る事の出来る“彼”は、もはやそのシナリオに沿う事でしか自身の望みが叶えられない事を知っていた。
 だからこそ、“彼”はこの時代では自身による干渉を控えるつもりでいたし、表に出るつもりもなかった。

 “彼”の識り得る時間の中で“存在するはずのない”人間と――エクレウスの聖闘士と出会うまでは。
 そして、知る。
 封じられしギガスの復活、忘れ去られし太陽神の鼓動、北欧に潜む悪意の胎動を。
 そのどれもが“彼”の識る過去にはない出来事であり、そして未来とも異なり始めている事を。
 それはある意味で絶望であり、ある意味では希望であった。

「クククッ、はははははははっ!! そうか、変わるんだな! 変えられるんだな!!」

 二百数十年前に通り過ぎた歴史の分岐点、それが再び目の前に現れたのだから。





 ギャラクシアンウォーズ開催三日目。
 第一試合を戦うはずのキグナスの到着が遅れた事により一回戦第二試合を繰り上げて行われたトーナメントであったが、未だ到着せぬ参加者達のためにその進行に歪みが生じ始めていた。

 場内を流れるアナウンスは会場が連日満員である事、全世界への衛星生中継によるその注目度の高さ、コロッセオの近代的ギミックや城戸光政の遺した功績などをこれでもかと謳い、その合い間には主催者である城戸沙織による聖闘士や聖衣に関する説明を前面に出す事で人々の関心を繋ごうとしていたのだが……

『お知らせ致します。キグナスとフェニックスは未だ到着しておりません。本来であれば不戦敗となるところですが協議の結果いま暫く待つ、との結果となりました』

 暫く待っても到着しなかった場合は“一回戦を残しながらも2回戦ペガサス対ドラゴンを行う”というその内容に、観客達の間からは徐々に不満の声が上がり始めていた。
 とはいえ、主役である聖闘士達にとってはそれもたいした問題でもないのか。
 コロッセオのリングに集められた彼らからは、その決定について異論が上がる事はなかった。
 むしろ、望むところだとばかりに気勢を上げる者もいる。

「フッ、おかげでおれ達の対戦が早まりそうだな星矢」

「邪武か。お前が瞬に勝てればな」

 そう言って、星矢は肩を掴んできた邪武の手を振り払う。
 それに対して僅かに眉を顰めた邪武であったが、観客席の上段に備えられた主催者席、そこに座る沙織がこちらを見ている事を知り

(お嬢様に無様は見せられねえしな)

 今は事を荒立てるべきではないと自重した。

「ハッ、ぬかせ。あいつが聖闘士になれたのには驚いたがな、おれが“泣き虫瞬”に負けるわけがねえだろうが。お前こそ次の試合でしくじったりするんじゃねえぞ?」

 それでも一言残す事は忘れない。

「次の試合、相手は紫龍か」

 そう呟いた星矢が向けた視線の先では、瞳を閉じ腕を組んだまま静かに佇む紫龍がいる。
 ふと、星矢は自分が拳を強く握り締めている事に気が付いた。
 邪武、紫龍、市、瞬、那智、自分と同じくリングに立つ五人とここにいないキグナスとフェニックス、そして海斗。
 この八人が星矢にとって倒すべき敵。

(全世界が注目し放送される程のイベントだ。なら、オレが勝ち続ければいつか姉さんも気付いてくれるだろうか)

 姉の行方を求めかつて過ごした孤児院にて再会した幼馴染の少女――美穂との会話を思い出す。

「そうだ。その時まで、例え相手が誰であろうと、オレは負けるわけにはいかない」

 思いをあえて口にする事で、決意を新たにする星矢。

「フッ、それはこちらとて同じ事だ星矢」

 その声が聞こえたのであろう。思い違えど勝利に向ける意思は同じなのか、紫龍は不敵な笑みを浮かべて星矢を見た。
 交差する二人の視線。
 やがてどちらともなくその身に纏う小宇宙が高まりを見せ始める。

 二人の意識が戦闘態勢に入った。その事に気付いた沙織がこのまま試合を開始させるべきかと辰巳に声をかけようとしたその時であった。



 リングにキラキラと輝く何かが降り注ぎ、その色を白く塗り潰していく。

「これは……雪? 氷の結晶」

 瞬がかざした掌の上に落ちたそれは瞬く間に溶けて消える。
 足下から這い上がる冷気に邪武が舌打ちをし、那智がリングへと続く通路を見た。
 星矢と紫龍もそれにならい、市はようやくかと口元を歪める。

「二人とも、盛り上がっているところに申し訳ないが、先にオレの試合を済ませてからにしてもらえるか? なに、直ぐに終わる。そのままリングの傍で待っていればいい」

 白鳥の意匠が施されたヘッドギアと曲線と直線を組み合わせられた優雅さと鋭さが特徴的な聖衣、凍えるような冷たくも美しい白の輝きを放つキグナスの聖衣を身に纏った氷河がそう言って姿を現した。
 沙織の指示によりトーナメントボードがキグナス対ヒドラを表示し、アナウンスが観客達へ告げる。

『キグナスが到着しましたので試合内容を予定通り行います、キグナス氷河に対するはヒドラ市。その後、二回戦ペガサス対ドラゴンの試合を行います』

 その宣言に観客達が沸き、熱狂の中氷河と市を残して残りの聖闘士達がリングから離れて行った。



「ヘッ、氷河のヤロウ。遅れて来ておきながらカッコつけやがって。それにしても、結局フェニックスは間に合わずかよ」

「……フェニックスか」

 気の昂りのままに毒づく邪武に、珍しく紫龍が呟きを返した。

「どうしたんだい紫龍? フェニックスがどうかしたの?」

 瞬の問い掛けに紫龍は僅かに眉を顰め「……いや」と言葉を濁す。それ以上を話すつもりがないのだろう。

「遅れているのは海斗もだと。そう思ってな」

 話を逸らされている事は分ったが、瞬自身が特に気になっていた話題でもない。

「そうだね。星矢なら何か知っているんじゃないのかな?」

 だから、瞬は深く考える事なく別の話題を口にした。
 内容は何でも良かったのだ。ただ、紫龍に合わせて話を変えられれば、と。

「でも、帰国していないのなら、このまま参加をしないのなら……。それはそれでいいのかもしれない。ぼく達が傷付け合う理由なんて……」

 元々、性格的にも穏やかで優しく争い事を好まない瞬は、この大会に懐疑的であり、参加してはいるものの姿勢自体は非常に消極的であった。
 むしろ、短い期間とはいえ共に過ごした仲間達とこうして何気ない会話を行う事こそ大事にしたいと考えている。
 そんな瞬がこの大会に出場しているのは星矢と同じ理由である。星矢が姉を求めてであれば、瞬は兄一輝との再会を望んで、であった。

「お前らしいな瞬。だが、オレは違う。オレは戦いたいと思う。大恩ある老師から授かった全てを、この戦いの中で試してみたいのだ。
 授けられたその全てがこの紫龍の血肉となって宿っている事を老師にお見せしたいのだ。だから瞬、お前と戦う事になったとしてもオレは決して手は抜かん。お前もオレに全力を出す事を約束してくれ」

 そう言いきった紫龍の瞳には迷いのようなものは一切ない。
 断固とした決意の光が力強く宿っていた。

「紫龍……。それでも、やっぱりぼくは……」

 瞬を知る皆が知っている事だ。瞬には争い事は無理だと。だからこそ、こうして瞬が聖闘士となって生きて戻って来た事に皆が驚いていたのから。
 未だ迷いを捨てきれない瞬の様子に、仕方がないか、と紫龍が溜息をつく。

 その時、僅かに下を向いた紫龍の視界に光を反射して蠢く何かが見えた。
 じゃらりじゃらりと音を立てて動く“それ”は鎖であった。
 瞬の纏うアンドロメダの聖衣、その両手に巻き付けられた二対の鎖である。
 右手の鎖の先端は鋭角な三角形が、左手の鎖の先端には円環が備えられている。

 その鎖がひとりでに動いているように見え、見間違いかと紫龍がもう一度視線を向ければ確かに鎖は動いていた。しかも、瞬の両手は一切動いてはいない。

「瞬――」

 どうしたんだと紫龍が問うよりも速く、瞬が困惑を隠せぬままに言葉を紡ぐ。

「これは……警戒しているのか? いや、困惑している? チェーンがこんな反応を見せるなんて……」

 そう言えばと紫龍は老師に聞いた話を思い出す。アンドロメダの鎖には驚くべき防御本能が備わっている、と。
 瞬の表情やその仕草からも、鎖が勝手に動いている事は間違いないと分る。
 リングの上では氷河と市の試合が始まり、星矢達は僅かに離れた場所からその試合を観戦している。
 瞬と紫龍以外、この鎖の反応に気付いている者はいない。

「……分らない。何だ? チェーンは一体ぼくに何を伝えようとしているんだ?」





 第29話





 相手が悪かったと言ってしまえばその通りだが、それにしても色々と言いたくなる。海斗にとって氷河と市の試合はそういうものだった。

 ヒドラの聖衣の特性は、毒の爪を各部位から生じさせる事。
 破損しても抜け落ちても再生可能な爪は聖衣を突き破る威力を持ち、市曰くその毒は聖闘士であっても数秒で死に至らしめる、らしい。
 なるほど、聖衣の特性はたいしたものだが……

「なまじそれが強力過ぎたから、って事か? 爪が効かないって事を想定してなかったな、あれは」

 コーヒーと言う名の別の飲み物と化した何かを口にしながら、海斗はテーブルに備え付けられたモニターを眺める。
 海斗が今いるのはグラード・コロッセオ内に設けられた喫茶店の一つである。
 試合が迫っていた氷河とは事なり、二回戦シード枠の海斗の試合はまだまだ先。沙織達へ到着の挨拶にでも行くかとも思いもしたが、わざわざ試合の観戦中にする事でもないかと思い、こうして時間を潰していたのだ。
 横の席にはエクレウスの聖衣箱が置かれているが、店内の客達もまさかこんなところで聖闘士が暇潰しをしているなどとは思ってもいないのか。
 せいぜいが宣伝スタッフかバイト、その程度の関係者としか認識されていないようで、話し掛けられたりサインを求められる、などと言う事は今のところ一度もなかった。



 市の聖闘士らしからぬ緩やかな攻撃は隠された毒の爪を突き立てるための誘い。
 その誘いに乗った氷河は左手に毒の爪を突き立てられてしまう。
 氷河の反撃により市は右腕を凍りつかされてしまうが、それでも氷河の胸部、即頭部への攻撃に成功する。
 致命の攻撃を三発与えた事で己の勝利を市は確信する。
 しかし、

「数秒で死に至る、そんな毒なら“もうとっくに終わっている”だろ?」

 氷河には何の変化も見られず、爪を突き立てたはずのキグナスの聖衣には傷一つ付いてはいない。
 動揺を隠せない市に氷河が答えを示した。
 ヒドラの牙は、突き立てたはずの爪は、その全てが氷河の身体に触れる事なく凍りつかされていた事を。

『な、なんだ? 氷河のまわりに大粒の雪の結晶が見える……。こ、これは幻覚か!?』

『東シベリア海から北極圏にかけては雪が結晶のまま空から落ちて来る。キラキラと光り輝きながら降り積もるその様はまさしく宝石の墓場。しかし、その美しさは生物にとっては死と隣り合わせ……』

 そして、結着が迫る。

『だから、北極圏の人間はその光景を賛美と恐ろしさの念を込めて“こう呼ぶ”のだ――“ダイヤモンドダスト”!!』

 氷河は黄金聖闘士カミュの弟子であり、その闘法も師と同じ。
 原子運動を低下させる事により生み出された凍気を操る。

『う、うわあああーーーーっ!!』

 氷河が突き出した拳から放たれた凍気の波がダイヤモンドダストを纏って市へと迫り、瞬く間にヒドラの聖衣を凍結させる。
 そして、凍りついた敵を空を引き裂く聖闘士の拳が――破壊するのだ。

『ヒドラ、ダメージ強のためキグナス二回戦進出決定です』

 即座にコンピューターが試合続行不可能を判断。
 聖衣を破壊されてリングに昏倒する市に対し、氷河の勝利が宣言された。



 モニターでは担架に載せられて退場する市が映された後、解説者達によってVTRによる試合の検証が始まっていた。
 偉い学者さんやらその道の権威さんとやらがあーだーこーだと議論を交わしているのは“ショー”なのだから仕方が無いとしても、常識を背負った彼らに非常識の存在である聖闘士がどれ程理解できるのかと海斗は素直に疑問に思う。理解させてどうするつもりなのか、とも。

「相手を掴みに行く檄や、接近戦型の星矢辺りとは相性が良かったんだろうけどな」

 もし自分が相手なら、と想像して――

「……あ~、喰らいそうだな、毒。ひどい初見殺しだ。まさか地上の愛と平和を護る聖闘士が毒を使うなんて……意外でもないか」

 神話の中でも神や英雄が毒を使う事はざらにあり、黄金聖闘士のアフロディーテも毒使いのようなものだったと思い出す。
 そんな事をつらつらと考えていた海斗であったが、

「!?」

 不意に、得体の知れぬ違和感に囚われた。
 聖衣箱に手をかけて立ち上がると油断なく周囲を見渡す。
 客達が何事かと海斗に視線を向けていたが、そんな事に構っている余裕はない。

「あ、あの。お客様?」

 たまたま近くを通りがかったウエイトレスが海斗に声をかけた、その時であった。
 店内のテーブルに置かれた、あるいは客達の手にしていたカップが、グラスが、皿が、音を立てて一斉に砕け散ったのだ。

「――ッ!?」

 側に立っていたウエイトレスが息をのんだのが海斗には分った。間もなく悲鳴を上げるであろう事も。
 想像したのであろう、破片によって裂傷を負う自分の姿を。赤に染まる店内を。
 ウエイトレスだけではない。店内にいる客達も騒ぎ立てる。
 それまでのほんの僅かな間に海斗は動いた。

 飛散する破片のことごとくを拳撃によって粉砕し、撃ち落とす。
 舞い上がった粉塵は、拳圧によって巻き起こされた風の流れに乗って店外へ。

 そうして、店内に悲鳴が上がった時には全てが終わっていた。
 負傷者は出たものの、誰もが想像した惨状には程遠く。

『――間もなく、二回戦ペガサス対ドラゴンの試合を行います』

 無言となった店内に、次の試合の開始を告げるアナウンスだけがやけに大きく鳴り響く。
 彼らが状況を、事態を理解できず目の前の現実に言葉を失っている間に、海斗は素早く聖衣箱を担ぐと騒ぎを察して集まり始めた人々の間をぬってコロッセオの外へと駆け出していた。





 コロッセオの周囲には万を超える人々が集まっており、最初こそその雑踏を掻き分けて走っていた海斗であったが、やがて面倒臭いとばかりにアスファルトを蹴って群衆の海を飛び越える。
 駆け抜けた後はちょっとした騒ぎになっているようだったが構ってはいられない。

 文字通り風を切る海斗。その視線の先には見覚えのある人影があった。
 黒いタキシードに白いラインの入ったシルクハット。

(あの時の違和感はやっぱりテメエか! 生きていやがったとはなぁ、オッサン!)

 二年前、ギガスとの戦いの際に海斗が出会った冥闘士――メフィストフェレス。
 あの時、ギャラクシアンエクスプロージョンでトアスもろともに吹き飛ばしたと思っていたが、こうして目の前にいる以上倒せてはいなかったという事。

「久しぶりだなぁ兄ちゃん。元気そうで何よりだ。チョイと見ねえ間に大きくなったもんだ」

 さんざん邪魔をされ、苦汁を飲ましてくれた相手を間違うはずもない。
 メフィストフェレスは時折り小馬鹿にしたように速度を落として振り返り、海斗との距離が縮まれば加速して引き離そうとする。

(野郎ッ!)

 噛み締めた口元からギリッと音が漏れた。
 それに構わず、海斗は一心にただ駆ける。逃すものか、と。

「そうそう。そのままついて来な。あんな所よりもよっぽど楽しい事が待ってるぜ?」

 誘われている事は分っていたが、だからといってあの場でどうこう出来るはずもなく、頼れるような相手もいない。

 いつしか、周囲からは音が消え、色が消えていた。
 自分とメフィストフェレス以外はモノクロの世界。
 そして、メフィストフェレスが振り返り、ニヤリと笑った。

「ま、この辺でいいか。適度に広く、適度に遠い」

 足を止めたメフィストフェレスを警戒しつつ、海斗は周囲に気を配る。
 海と港と船舶、そして積み上げられた大量のコンテナと巨大な倉庫群。そこは誰がどう見ても埠頭だった。
 しかし、そこに人の気配はない。
 いないわけではない。誰一人として動いていないのだ。

「そう言えば、まだちゃんと名乗っていなかったっけなァ。知っての通りオレは冥闘士だ。天魁星メフィストフェレス。気軽にメフィストって呼んでくれりゃいいさ」

 見せ付けるように身ぶり手ぶりを大袈裟に、慇懃無礼に一礼したメフィストはそう告げるとパチンと指を鳴らした。
 その直後、ゾクリと海斗の背筋に悪寒が走り、脳裏には刃で貫かれた自分の姿を幻視する。
 拙いと思うよりも速く身体が動く。

 ドンという音を立てて砕け散るコンクリート。それまで海斗が立っていた場所にはくっきりと十字の傷跡が刻み込まれていた。

「クッ、何だったんだ? あ、あれは!?」

 十字の中心に突き立てられたモノを見て海斗が目を見開く。
 黒光する鳥人のオブジェ。
 冥界の鉱物によって造られた魔鳥の鎧。

「ガルーダの冥衣!?」

 海斗の驚愕の声に応じるかのように、ガルーダの冥衣が赤黒い炎のような妖しい輝きを放ちながら弾け飛ぶ。

「まさか、いや、だとすればッ!!」

 海斗は即座に聖衣箱に手をかけると、エクレウスのレリーフに備えられた取っ手を引いた。
 解放された聖衣箱から噴き上がる天馬のビジョンが音を立てて弾け飛ぶ。

 海斗の身体に次々と装着されるエクレウスの聖衣。
 二年前に致命的なダメージを負った聖衣はムウ達の手によって再び命を吹き込まれ新たなる姿と共に復活を果たす。
 その外観はもはや白銀聖衣と等しく、曲線を多用し身体に密着するように纏われたそれは、奇しくも千年前の聖戦時のエクレウスの聖衣と同じ姿をしていた。

「ほう、それが貴様の、エクレウスの聖衣か。二年前に破壊されたと聞いていたが……。どうやら杞憂であった様だな」

 身構える海斗の目の前で、ガルーダの冥衣を装着した冥闘士がゆっくりと歩み寄って来た。
 全身を完全に覆い尽くす冥衣によって、海斗よりも一回りも二回りも大きく見えたが、ソレを差し引いても長身である。
 サークレット状のエクレウスの聖衣の頭部とは異なり、ガルーダの冥衣の頭部は完全な兜状。
 そのために目の前の冥闘士の顔は分らなかったが、その声と雰囲気から青年であろう事が分った。

「ソイツは当代の天雄星、ガルーダの冥闘士さ。強いぜぇ? 何せ冥界三巨頭のお一人様だ」

「ガルーダとなり得る者は二人もいらん。この手で貴様を倒した時こそ、オレは真のガルーダとなる。安心しろ、奴には手は出させん。これはオレと貴様の闘いだからな」

「今回はどうしてもお前さんと戦いたいって言うからさァ」

 こうして場を設けさせてもらったワケだ。
 そう言うと、メフィストは海斗達に背を向けて歩き出す。

「ま、ここは軸がズレているから多少派手に暴れたところで大した影響は出やしない。安心してやり合いな。エクレウス、お前さんも格下相手にやり合うよりは楽しめるだろ?」

 それじゃあ、と。メフィストはそう言って手を振りながらこの場から姿を消した。
 しかし、海斗の耳には去り際に呟かれた声がハッキリと届いていた。

『ここで死ぬならそこまでだ。せいぜい頑張りな』

「――ッ!? メフィスト!!」

 叫び、咄嗟に振り返ろうとした海斗。しかし、

「これから――」

 その僅かな逡巡が、ガルーダにとっては大きな隙となる。

「――闘おうという相手を前に余所見とは」

「な――に!?」

 海斗自身、己の速度に対しては少なからず自信があった。
 自分が最速だ、と言うつもりはない。事実、二年前にはトアスに速度において負けているし、拳速で言えばアルデバランには勝てないと思っている。
 それでも相手の動きを捉えきれない事はない、と思っていた。

 いくら虚を突かれたとはいえ、こうして“両肩を掴まれるまで”接近に気が付けなかった事実が、海斗の行動を確実に遅らせる。

「クッ、何だと、か、身体が動かない!?」

 そのミスに海斗が気付いた時はもう遅かった。
 幾重にも重なった円環が海斗の身体を締め付けて拘束し、その自由を完全に奪い取る。

「アイアコス。それが貴様を倒す者の名だ。受けよ――“ガルーダフラップ”!!」

「う、おおおおおおおっ!?」

 天へと向かい落ちる。そう形容出来るほどの勢いを持って、海斗の身体が地面ごと巻き上げられるかのように上空へと放り投げられた。

「三秒後、貴様はここに落ちて来る」

 そう言って、アイアコスが地面に十字の傷を刻み込む。

「この十字が貴様の墓標よ」

『3』

『2』

『1』



「――ゼロ、だ」



[17694] 第30話 激突!海斗対アイアコスの巻
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:406baf32
Date: 2011/09/06 03:26
 営業周りの途中でのほんの僅かな休憩。目に付いたからと、軽い気持ちで入った喫茶店。注文を待つ間に慣れた仕草で煙草に火をつけ、男は何気なく外へと視線を向ける。

 車道を走る人影を見た。

 それだけならば、あり得ない話ではない。
 しかし、行き交う車よりも速く走る人影を見た。こう言ってしまえば、それは途端に胡散臭い話として受け止められてしまうのだろう。
 しかも、その人影が鎧の様な物を纏った少女だった、となればなおさらだ。

「疲れが溜まっているのかなぁ。……課長に言って明日は休みをもらおう。9月に入ったってーのに夏バテか?」

 吸いかけの煙草の火を消し、眉間を押さえた男はコップに入った水を一気に飲む。
 彼は翌日、半年ぶりに会社を休んだ。



 ジャラリ、ジャラリと金属同士の摺れ合う音が継続的に鳴り響く。
 聖衣を纏った瞬がコロッセオを離れて一人、握り締めた鎖に問いかける様な仕草を見せながら市街を駆ける。

「……こっちか?」

 立ち止まり、周囲を見渡す。
 直ぐ側をクラクションを鳴らして車が通り過ぎる。
 ごめんなさい、と内心で謝りながら、瞬は手頃な高さのビルを見つけた。
 周囲のビルよりも背が高く、視界を遮るものが無い。

「あそこからなら」

 アスファルトを蹴り、街灯にを足場にして更に跳躍。
 隣り合うビルの外壁を足掛かりとして一気に屋上にまで辿り着く。

「頼むよ」

 そう言って瞬は自分を中心として二対の鎖による円陣を敷いた。
 瞳を閉じ、全神経を鎖に集中する。
 瞬の意思に応える様に、鎖が音を立てて動き出す。

 コロッセオで鎖が探知した“何か”。それはほんの僅かな、瞬きすら敵わぬ一瞬、鎖に最大限の緊張を強いていた。
 アンドロメダの鎖がその様な反応を取った事など瞬は知らない。だからこそ気になった。
 そして、あの時、あの場でその異常に気が付けたのは瞬のみ。
 隣で試合を観戦していた氷河にこの場を離れる事を伝え、瞬は鎖の反応に従って“何か”を調べる事を決意する。
 その最中、海斗の立ち寄っていた喫茶店の惨状に遭遇し、店員の話を聞いてその場に未だ姿を見せていないエクレウスの聖闘士がいた事を知り、そこで“何か”があった事を確信したのだ。

「確かに、何者かの小宇宙の残滓の様な物は感じられる。でも……」

 エクレウスと思われる聖闘士がコロッセオを飛び出してから、自分がその後を追うまでに時間が空いた事は事実。それでも行く先を見失う程か、と瞬は首を傾げる。

「それ程までに“速い”聖闘士なのか? だとしても……。ううん、違う。これは……途切れている? どういう事なんだろう」

 鎖が行くべき道を指示す
 目を開けた瞬が視線を向けた先には港が見える。

「……行ってみよう」

 円陣を解除し、鎖を手元に引き寄せると、瞬は居並ぶビルを足場に港へと向かい駆け出した。





 大地が振動し、大気が揺れる。
 大気が振動し、大地が揺れる。
 巻き上がる飛礫と砂塵が晴れたそこには、アイアコスが刻み込んだ十字の痕は見る影もなく。

「ぐっ、うぐ、あ……」

 砕かれた大地には呻きを上げて横たわる海斗の姿。
 流石と言うべきか。幾多の激闘を経てなお新生された聖衣には傷一つ無く。
 それに守られた海斗の身体にも目立った外傷は見受けられない。

「ッ、ぐ……かぁ、あ……ガハッ! オェフッ……グ……」

 とは言え、全身に加えられた衝撃は確実に海斗の内臓にダメージを与えていた。
 咳の中には血が混ざり、立ち上がりはしたもののその足元はおぼつかない。

 それでも。

「ほう、一撃では倒れんか。まあ、多少の歯応えはあってもらわねばつまらん」

 アイアコスが口元を歪めて笑う。
 海斗の眼が死んではいない。その闘志は、小宇宙には乱れこそあれ衰えがない事に。

「そうだったな。聖闘士は意識がある限り何度でも立ち上がる、そんな存在だった」

「……はーっ、はーっ、ハァーーッ……。ふぅ、まるで……まるで見てきた事があるように言うんだな」

「フン。どうやら減らず口を叩けるほどには回復したのか。しかし、解せんな。その回復力は異常だ。人間か貴様?」

 アイアコスが海斗の姿を見ていぶかしむ。
 冥衣が伝えるかつての聖戦の記憶。そこには、傷付き倒れながらも不屈の闘志を持って幾度となく立ち上がった聖闘士の姿があったが、今の海斗のような回復力を見せた相手はいない。
 何かがおかしい、と感じてはいるが、それが何に対してなのかがアイアコスには分らない。

「まあ、構うまい」

 アイアコスの身体から立ち昇る冥界の、闇の小宇宙が曲刀のような反りと鋭さを持ったガルーダの羽を伝わり周囲へと広がる。

「息の根を止めさえすればよいだけの事」

 メフィストの仕掛けた結界の中、色褪せた世界を自身の闇色で染め上げるように。

「だったら、それが一番難しいって事を教えてやろうか」

 一撃を受けて目が覚めた、とでも言うべきか。
 海斗の身体から立ち昇る小宇宙からは揺らぎが薄れ、今の闘志を表すかのように鮮烈な輝きを放ち始める。

「フッ、教わる事など何もない」

「そうかよ!」

 立ち昇る小宇宙が天馬の姿となり、海斗の意思に応じるようにアイアコスへと向かい駆け出した。

「“レイジングブースト”!!」

 その場から跳躍し、天馬のオーラを纏ってアイアコスへと必殺の蹴りを放つ。
 エンドセンテンスよりも効果範囲こそ狭いが、一撃の威力は上回る。

「ッ!?」

 だが、それも当たらなければ意味はない。

「低いな。そして遅い」

 アイアコスは海斗よりも高く跳躍し、そして海斗よりも速く落ちて来る。

「地に落ちて平伏せ。オレを見上げろ――」

 上空から得物を狙う猛禽の如く。
 鳥の王の意を持つ言葉をアイアコスが口にする。

「“ガルトマーン”!」

 アイアコスが放った技は、奇しくも海斗のレイジングブーストと同種の蹴り。
 かわし切れないと悟った海斗は咄嗟に全神経を防御に集中させる。

「ぐあああっ!」

 再び大地へと叩き落とされる海斗。
 覚悟があった分、さすがに先刻程のダメージは受けなかったがそれでも動きを鈍らせるには十分。

「クッ、奴は!?」

 立ち上がり上空を見上げる。

「遅い、と言ったぞ」

 声は正面から聞こえた。
 視線を戻すよりも速くその場から飛び退こうとして――頭部と右肩を掴まれる。

「さて、今一度これを喰らって耐えられるか?」

「グッ!?」

 ギシリと、掴まれた聖衣のマスクとショルダーから音が鳴る。
 振りほどこうと力を込めた海斗であったが、まるで全身が何かに拘束されたかの様に動かす事ができない。

「さあ、仕舞いだ。落ちて死ね――“ガルーダフラップ”!」





 第30話





 ギャラクシアンウォーズ第2回戦第一試合。
 ペガサス星矢対ドラゴン紫龍の戦いは、その場にいた誰もが予想だにしなかった展開を迎え、そして結着をしようとしていた。

 観客達は声を押し殺し、固唾を飲んで成り行きを見守っている。
 それは、観客席上部に備えられた特等席に座る沙織や辰巳も同じ。
 リング中央には夥しい血の跡と、破壊された聖衣の破片、そして脱ぎ捨てられたペガサスとドラゴンの聖衣。
 戦っていた星矢と紫龍の姿はそこにはない。

「分っているんだろうな星矢。テメエが外したら終わりなんだ」

「……ハァ…ハァ……」

 二人の姿はリングサイドにあった。
 星矢に背を向ける形で邪武に支えられた紫龍と、額から血を流し、意識を朦朧とさせながらも構えを取ろうとする星矢の姿が。

「ああ、紫龍。お願いします……星矢さん……」

 その傍には財団の医療チームと檄や那智達、五老峰から日本へとやって来た春麗の姿もあった。

「う……お……」

 ぼやけた視界の中で、星矢はそれでも紫龍の背に浮かぶ、今や消えかけようとしている龍の姿を、その“龍の右拳”だけは見失わんと残った気力を振り絞る。
 拳を握り、構える。
 狙うはただ一点。

「待て星矢」

 繰り出されようとした星矢の拳を氷河が止めた。

「慌てるな。この距離ではまだ近過ぎる。停止した紫龍の心臓を動かすどころか逆にぶち抜くぞ。もう三歩下が……おい、星矢?」

「……」

「む、出血多量のせいか。意識を失ったな」

「ああ、そんな……!? お願いします星矢さん! 老師が言っていました、聖闘士の拳によって停止した心の臓を動かす事が出来るのは、その場所に同じ力を与えられる聖闘士だけだ、と。
 紫龍を助けて!! あなたしかいないんです!! あなたにしかできないんです!」

「きみ、無茶を言ってはいけない。彼はもう拳を振るえる様な状態じゃないんだ。一刻も早く治療をしなければ彼も危ないんだよ」

 涙を流し懇願する春麗。今にも星矢の元へと駆け出そうとするその身体を医師が引き止める。

「星矢……」

「チッ、星矢め。しかりしやがれってんだよ! このバカヤローが……ッ!!」

 悪態をつく事しかできない己の無力さに邪武が歯噛みをする。
 抱きかかえた紫龍の身体からは心臓の鼓動が聞こえず、熱が急速に失われていく事を否が応にも感じ取ってしまう。
 時間は無い。
 紫龍の背に極限まで高められた小宇宙によって浮かび上がった龍の姿は、紫龍の命そのものでもあった。
 その龍が急速にその姿を消そうとしていた。



 星矢と紫龍の戦いは、これまでの試合のどれとも違う正しく死闘の様相を呈していた。
 聖闘士として王道とも言うべき己の五体を用いた、とりわけ拳による攻撃を主体とする正統派の星矢にとって、聖衣の中でも最高位に位置するという硬度を持ったドラゴンの拳は、そのまま最強の矛と盾として星矢の前に圧倒的な壁となって立ち塞がった。
 そして、身体能力だけではなく、技量においても星矢を上回る紫龍は当然の如く聖衣の能力に頼るだけの聖闘士でも無かった。
 星矢は必殺拳である流星拳を見切られ、逆に紫龍の“廬山の大瀑布すら逆流させる”必殺拳“廬山昇龍覇”の前に初のダウンを受け、絶体絶命の窮地へと追いやられてしまう。
 誰もが紫龍の勝利を確信し、星矢の敗北を決定的なものと考えていた。

「なぜだ星矢。左腕を破壊され、頼みの流星拳も見切られたお前に最早勝機はない。そうまでして立ち上がる意味がどこにあるというのだ。お前の事だ、あの黄金聖衣にそこまで執着しているわけではあるまいに」

「……見えたからさ、勝機が。お前の最強の盾と拳を一瞬の内に砕く術が。そして、オレには……こんな所で立ち止まってはいられない理由があるんだ!」

「ふむ。この紫龍にも理由はある。オレをここまで育ててくれた老師のご恩に報いるため、と言う理由がな。よかろう、ならば来い星矢! この紫龍、敵が手負いの身であろうとも全力で迎え撃つ」

「行くぞ紫龍!!」

「来い星矢!!」

 星矢の捨て身の戦法によって宣言通り、紫龍の最強の拳と盾は砕かれた。
 構えた紫龍の懐に飛び込み、盾と拳を聖衣に覆われていない内側からヘッドバットによって破壊する。そう見せかける事で、迎撃しようとした紫龍の盾と拳を互いに打ちあわさせる。
 一歩間違えれば頭部を破壊されて死を迎える。それ程のリスクを背負って星矢の成した奇策は故事にある“矛盾”を体現させて見せたのだ。
 見事紫龍の盾と拳を砕いた星矢であったが、その代償としてマスクを破壊され頭部に甚大なダメージを負う事となる。

「盾も拳も砕かけた今、聖衣などオレにとっては無用の長物。星矢よ、ならば最期は生身で葬ってやろう」

「いいだろう。だが、こちらもハンデを貰って勝ったとなっちゃあ、後々面白くないんでね。これならお互い対等の条件だぜ紫龍!!」

 そうして、聖衣を脱ぎ捨てた生身での聖闘士同士の戦いが始まる。
 同じ聖闘士である氷河達からすれば自殺行為にも等しい行為。いかに聖闘士が圧倒的な攻撃力を持っているとはいえ、その肉体は人間の物なのだから。
 繰り広げられる極限状況下の戦い。
 それは結果として両者の小宇宙をこれまで以上に高める事となり、これを切欠として星矢は更なる成長を遂げた。

「がはっ……。ま、まさか。また、オレの見切れない拳が!?」

 一度は完全に流星拳を見切って見せた紫龍ですら捉えきれぬ拳を放ち、

「いいのか紫龍、二度も昇龍覇をうっても。お前の龍の右拳がガラ空きになるぜ」

「セ、星矢。お前は、昇龍覇を一度受けただけで……み、見抜いたのか!?」

 紫龍最大の拳、廬山昇龍覇の僅かな隙を見抜いて見せる程に。

「“廬山昇龍覇”!!」

「見えた! 龍の右拳が!! “ペガサス流星拳”!!」

 互いに繰り出される必殺の拳。
 勝敗は、星矢の拳が龍の右拳、すなわち紫龍の心臓を捉えた事で決した。



 紫龍の背に浮かび上がっていた龍の下半身が消え、頭部が消えた。残るは龍の右腕のみ。紫龍の心臓と同位置にある右拳が消えた時、紫龍の命の炎は完全に消え去る。
 残された龍の右拳が消える。

「星矢!」

「だめだ、龍が消える!!」

「星矢ーッ!!」

 誰もが駄目だと思った。
 間に合わない、と。駄目だった、と。

 “消えるな龍よ!!”

 星矢が叫ぶ。
 目を見開き、両足に力を込め、残された最後の力を振り絞り星矢が拳を放つ。

「うおっ!!」

 その一撃は、紫龍の身体を支えていた邪武もろとも吹き飛ばし、闘技場の壁面へと叩き付ける。
 コンクリート製の壁が音を立てて崩れ落ち、紫龍を庇う形となった邪武が盛大に咳込みながらもゆっくりと右腕を上げた。

「ヘッ、お前にしちゃあ上出来じゃねえか星矢。安心しろ、紫龍の心臓は動き出したぜ。うるさいぐらいにハッキリと鼓動が聞こえやがる」

 親指を立てて告げた邪武の言葉に会場中が沸き上がった。

「あ、ああ……よかった……紫龍……」

 しゃがみ込み安堵の涙を流す春麗。
 その姿を視界に収め、星矢は意識を失った。





 再び大地に刻まれる十字。

「三秒後、だ。再び貴様はこの十字に落ちて来る。この墓標に、な」

『3』

『2』

『1』

「――ゼロ、だ」

(しかし、この程度の相手と比較されていたとはな……)

 確かに強くはあったのだろう。感じた小宇宙も決してこれまでの敵と比べて劣るものでもない。
 それでも、結果は自分の圧勝、完勝と言ってもよいだろう。

「だが、弱い」

 いや、と考え直す。

「オレが強かった。それだけの事か」

 踵を返し、その場を立ち去ろうとしたアイアコスであったが、一歩踏み出したところで彼はその足を止める。

「……おかしい」

 この場を中心として広がる色褪せた世界――メフィストによって仕掛けられた結界は依然として働いている。
 そして、大地に刻みつけた十字の痕にも変化がない。

「逃れた? 消えたとでも言うのか? ……馬鹿なッ……」

 それが示す事態はただ一つ。

「まさかっ!?」

 戦いはまだ終わっていない――その事実を。



「おぉおおおっ!」

 海斗の口から咆哮が上がる。
 背部から展開されたエクレウスの翼が、放出された小宇宙が円環を引き千切り、その身を戒めから解き放つ。
 空中で、落下の最中でありながらも、重力を無視して体勢を立て直した海斗が構えを取った。

「エクレウスッ!!」

 アイアコスが空を見上げる。
 そこには翼を広げて天を駆ける天馬の姿。
 まるでこの空は自分のものだと、そう告げているように。

「アイアコスッ!」

 拳を引いた海斗は、眼下に迫るアイアコスへと狙いを付ける。

「……如きが……ッ」

 噛み締めた奥歯がギシリと音を鳴らす。
 それは、屈辱であった。
 全てを見下ろすべき存在なのだ、鳥の王であるガルーダとは。その自負が、自尊が汚された。
 アイアコスの視界に広がる純白の光。
 色彩を失った世界にあって眩く輝く天馬の翼によって。

「地ベタを這いずる……聖闘士如きがアッ!!」

 湧き上がる憤怒と憎悪は果たして誰のものであったのか。
 それはガルーダの冥衣を纏い、新たなるガルーダとなったアイアコスには分らない。
 それでも構わないと思っていた。自分がガルーダなのだから、と

「“エンドセンテンス”!!」

 青と白の混じり合った小宇宙の光弾がアイアコスへと降り注ぐ。
 視界を埋め尽すほどの光弾。当たればただでは済まない、破壊の具現を前にして、アイアコスは――嗤った。

「エンドセンテンス――終焉の宣告とは、随分と大層な名を付けたものだが……」

 そして、ギラリと、まるで獣のように瞳を光らせたアイアコスは迫り来る破壊の光弾へとその身を晒す。

「この程度の技で……。これしきの事で! 三巨頭たるこのアイアコスに終わりを告げる事など!!」

 あるものは避け、あるものは逸らし。
 流星の中をガルーダが飛翔する。

「こいつッ!? エンドセンテンスの中をッ!?」

 避けきれぬものはその身に受けて――なお構わず。
 光弾の直撃を受けて冥衣が軋みを上げる。亀裂が走り、破片が舞い散る。それは海斗へと近付けば近付くほどに激しさを増す。

「構わず突っ込んでくるだと!?」

 それでもアイアコスは止まらない。

「正気かっ!?」

 優勢であるはずの海斗の方がむしろ戸惑いを見せるほどに。

「なッ!?」

 そして、遂には魔鳥が天馬を超えた。
 純白の翼を漆黒の影が覆い尽くしたのだ。

「……オレが上、貴様が下、だ」

 亀裂の入った冥衣を流れ落ちた血が赤く染める。
 致命傷ではない。致命傷ではないが、その身に負ったダメージは明らかに重い。
 それでもなおアイアコスの闘志は衰えることなく、より一層燃え上がっていた。

「……狂気の沙汰、だな」

 この時、海斗がアイアコスに抱いた感情は、ガルーダの冥闘士がかつて相対した聖闘士達に抱いたものと同種であった。
 満身創痍のアイアコスから立ち昇る闇色の小宇宙が空を覆う。

「徹底的にやるしかない、って事か」

 着地した海斗はそう呟くと、空に浮かぶアイアコスを見上げた。
 その視線を追う様に、大地に広がる白と青の混じり合った小宇宙が空へと昇る。

 たちまちの内にお互いの視線が、小宇宙がぶつかり合った。
 光と闇、反発し合う両者の力がメフィストの施した結界を内側から浸食し、破壊せんと荒れ狂う。
 空間に亀裂が走り異音が鳴り響く。それは結界が効力を失いかけている事を如実に示していた。

「先の技、エンドセンテンスと言ったか。いいだろう、ならばこのオレが貴様に真のエンドセンテンスと言うものを見せてやる」

「何だと?」

 アイアコスが掲げ、大きく広げた両手の先から黒い光が滲み出た。
 ソレは揺らぎを纏いながら真紅の炎と化し、一瞬黒色に染まったかと思えば瞬く間に金色の光を放つ炎となって具現する。

「この炎は浄も不浄も焼き尽くす迦楼羅の炎。この炎が貴様の最期を照らすのだ!」

 両手の先から立ち昇った炎が渦を描いて集束を始める。
 やがて炎は球状の塊となり、時折り噴き上がる炎はさながら太陽のプロミネンスを彷彿とさせた。

「焼き尽くせ“スレーンドラジット”!!」

 小さな太陽とも呼べるような、その炎の塊をアイアコスが全力を込めて撃ち放つ。

「黙って――喰らってやると思うなッ!!」

 海斗もそれをただ見ていたわけではない。
 いつしか流水と化した青の小宇宙が周囲の海水をも巻き込んで巨大なうねりを作り出していた。

「だったら、こいつを、その炎で焼き尽くせるか! “ハイドロプレッシャー”!!」

 うねりが巨大な水の柱となって起立する。
 螺旋を描いて天へと突き進む水の柱は、その過程で集束を繰り返し、その先端は全てを貫く水の槍へと姿を変える。

 それは異様な光景であった。
 空から大地へと落ちる太陽と、天へと昇る水の柱。
 落ちるはずのない物が落ち、昇るはずのない物が天へと昇る。

 常軌を逸した光景。しかし、それも僅か数瞬の内に終わりを告げた。

「うおおおおおおおおっ!!」

 太陽が槍を焼き尽くし、

「ぬぅああああああああああっ!!」

 槍が太陽を撃ち貫いたのだ。

(これはっ!?)

(互角か!?)

 両者は即座に状況を理解し、次の一手のための行動に移る。
 とは言え、必殺の意思を込めた全力の一撃の直後である。その反動で、意思に反して即座に肉体は動かない。

(……だったら)

 当たれば倒せる。その様な技をお互いが持っている事が分った以上、先に動いた方が、当てた方が勝つ。
 両者の思考が一致する。

(ならばっ!)

 もどかしいと、そう感じられるほどに長い。実際には瞬き一つ出来るか出来ないか、その程度の時間でしかない。
 それでも、両者にとっては永遠とも思える刹那の中、先に動いたのは――

「チッ!」

「またかッ!!」

 神秘の輝きを放つオリハルコンと漆黒の光を放つ冥界の鉱石。打ち合わされた互いの拳が歪んだ戦場に澄んだ音を響かせる。
 反応速度も――互角。

「馬鹿な!? なぜ貴様が、オレと同じ速度で動ける!」

「うぉおおおおっ!」

 海斗の蹴りをアイアコスが避ける。
 アイアコスの拳が海斗を掠める。
 海斗の拳をアイアコスが防ぎ、アイアコスの蹴りを海斗が払う。
 アイアコスの拳を海斗が払い、海斗の蹴りをアイアコスが防ぐ。
 海斗の拳がアイアコスを掠め、アイアコスの蹴りを海斗が避ける。

(……ッ!? やはり速くなっている。コイツ、このオレの……ガルーダの速度を――超える気か!!)

 繰り返される攻防。均衡を保っていた天秤が徐々に海斗へと傾き始める。
 拳を交わす毎に着実に自分の動きを捉えて行く海斗に、笑みすら浮かべて迫り来るその姿に、アイアコスは戦慄を覚え始めていた。

(これが、愛と平和を語るアテナの聖闘士だと!? これではまるで――)

 僅かな逡巡。それは確かな隙となり、海斗にとっては絶好の好機となる。

「ハッ、戦闘中に考え事か!」

 その隙逃さん、と。動きを鈍らせたアイアコスへと海斗が拳を突き出す。

「これで仕留めるッ!!」

「クッ、クハハハハハッ! そうか、そうだったな。貴様もまたガルーダが選ぼうとした男だったな」

 頭部を狙った海斗の一撃をアイアコスが“前に出る”事で回避する。

「貴様も本質は同じなのだ!! 楽しいのだろう戦う事が! その力を思うがままに振るう事が!!」

 掠めた拳がガルーダのマスク(兜)を弾き飛ばしたが、構わんとばかりに突き進む。

「気付いているか? 己の表情に! 笑っているぞ、貴様もな。さっき貴様はオレに向かって狂気の沙汰と言ったが……オレからすれば貴様も十分狂気に満ちている」

「な……ッ!?」

 アイアコスのその言葉に、迎撃を繰り出そうとした海斗の動きが止まった。
 何を言われたのか分らない、という様な呆然とした表情を浮かべて。
 お互いの身体がぶつかり合う程の至近距離。
 突き出された海斗の腕を左手で掌握したアイアコスは動きを止めた海斗に向かって淡々と告げた。

「最初で最後の機会をくれてやる。その力、存分に揮いたくば……ハーデス様の元へ降れ。アテナの元では貴様の狂気、決して満たされんぞ」

 アイアコスの右手に迦楼羅の炎が燃え上がる。
 その行為は“否と答えれば殺す”という言外の意思を明確に物語っていた。

 金色の炎が色褪せた世界に立つ白と黒を照らし出し、じわりとその影を揺らす。

 時間にして僅か数秒程度。
 俯いていた海斗がその顔を上げると、ハッキリと言った。

「断る」

「ならば死ね――“スレーンドラジット”」

 解き放たれる炎。
 超至近距離からの一撃。己の身すら巻き込んで燃え上がる金色の炎から逃れる術は無い。

「終わりだエクレウス」

 視界を埋め尽くす金色の炎の中、自身の勝利を宣言するアイアコス。

 その表情が驚愕に染まった。

 直後の事であった。
 金色の迦楼羅炎が内側から引き裂かれる様に弾け飛び、立ち昇る螺旋の渦が瞬く間にアイアコスの全身を呑み込んだのだ。

“ホーリーピラー”

 海斗の身体から立ち昇る小宇宙のオーラが天馬から猛り狂う龍へと姿を変える。

(そうだ、奴の守護星座はエクレウスのはず。ならば、あのヴィジョンは――)

 そこまでであった。
 音を立てて砕け散るメフィストの結界。
 彼の者の意識は結論に到達する間もなく、螺旋の渦に呑み込まれて――消えた。



[17694] 第31話 謎の襲撃者!黒い聖衣!の巻
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:406baf32
Date: 2011/09/08 03:15
 第31話





「ここだ。この場所で小宇宙が完全に途絶えている」

 港で働く人々の目に留まらぬよう、死角から死角へ、時にはクレーンや倉庫の屋根に上るなどして移動していた瞬が足を止めた。
 鎖が指示す先にはコンクリートで固められた足場と海へと伸びる桟橋が見える。
 周辺には大小様々なコンテナ、無人のフォークリフトや積み重ねられたバレットの山もある。

「おかしなところは……無い、ね。でも、何だろうこの感じは」

 一見すると何の変哲も無い。なのに、漠然とした不安のような物を感じている。
 瞬の感覚だけではない。アンドロメダの鎖もまた戸惑いのような反応を見せていた。
 周囲を見渡しながら慎重に進む。
 近くで大きな貨物の荷降ろしでもしているのか、人気のないこの場所にまで喧騒が聞こえて来る。

「そうか!」

 何か思い当たる事でもあったのか。立ち止まった瞬は、注意深く観察するように周囲の様子を窺った。

「静か過ぎるんだ、この場所は。人の気配がまるで無い。不自然な程に」

 瞬が指摘した通り、ざっと周囲を見渡しても人の姿はどこにも無い。少し離れた場所では確かに働いている人達がいるのにも関わらず。
 違和感の正体を認識した事で瞬の思考の幅が広がり、鎖もまた何をすべきかを判断して動き出す。

「何かがある。ここには」

 左手のサークルチェーンが防御のための陣を敷き、右手のスクエアチェーンがいかなる行動にも対処できるように待機状態に入る。
 精神を研ぎ澄まし、感覚を広げるイメージを持って鎖を操る。

“ホーリーピラー”

「!?」

 声が聞こえた。瞬がそう感じた瞬間、大気が、空間が爆発した。
 それはあくまでも比喩であり、実際に周囲に破壊を撒き散らすような爆発が起きた訳ではない。
 それでも、瞬の感覚はそれを爆発だと告げていた。

「あっちだ、海の方!」

 防御陣を解除して駆ける。右手のスクエアチェーンは待機させたままで。

 そうして目的の場所へと瞬が辿り着けば、そこには仰向けになって倒れている聖闘士の姿があった。

「だ……」

 その姿を見て敵か味方かを、何があったのかを問うよりも先に『大丈夫ですか』と駆け寄ろうとする事ができる。
 それが瞬の美点であり優しさであり、戦士としては致命的とも言える弱点。
 しかし、この時だけは瞬は思わずその足を止めてしまった。

 目の前の人物は大の字に倒れた状態から一瞬の内に飛び上がると、自分の纏った聖衣をペタペタと触り始め、

「だあーーーーっ!! ク、聖衣に亀裂が!? ヤ、ヤ、ヤ、ヤバイヤバイヤバイ、こ、ころ、殺される!? いや、こ、この程度なら自然修復で何とかッ!?」

 頭を抱えて絶叫したのだ。
 瞬の張り詰めていた緊張の糸は、この瞬間にぷっつりと切れた。



「だ、大丈夫そう、だね」

 確かに、彼の纏っている聖衣のマスクと右肩に亀裂らしきものが見えたが、瞬としてはそれよりもその全体像に目が行ってしまう。
 瞬の師は白銀聖闘士であり、その聖衣を見続けていた瞬は必然的に自身の纏う青銅聖衣と白銀聖衣の違いを知る事となった。
 しかし、目の前の聖闘士が纏う聖衣は一見白銀聖衣のようにも見えるが、放たれる純白の輝きが白銀聖衣のそれとは明らかに異なる。
 だからと言って、青銅聖衣にしてはその身を覆うパーツが多過ぎるように見える。

「いや、いくらムウでも命までは……って。ん? お前、瞬か? どうしてこんな所に?」

「えっと、君は……ひょっとして海斗? 君がエクレウスの青銅聖闘士?」

「ん? ああ。星矢か氷河辺りから聞いてなかったか?」

 それがどうかしたか、と。瞬の緊張など知った事か、と言わんばかりの自然体。
 幼少時、兄一輝の背に隠れてあまり他者とは関わらなかった瞬であったが、同年代の者が大半を占めていた孤児達の中でも数少ない年長者であった海斗の事は、おぼろげながらではあったがどうにか覚えていた。
 少なくとも、瞬の記憶の中ではこうして気さくに話し掛けて来るような社交的な人物ではなかったのだが。

「あ、うん。皆とは……まだそんなに話をしてはいないからね」

 だからであろうか。返答にぎこちなさが表れてしまうのは。

「ま、そりゃそうか。一応は敵同士だからな」

 対する海斗はそんな瞬の様子を気にした風も無く、エクレウスの聖衣箱を開きその中へ纏っていた聖衣を収め始めた。

「うん。そうだね。ぼく達は戦う事になるかもしれない相手だから、ね」

 敵、という言葉に瞬の気が少し重くなる。本当は敵対する様な関係など望んではいないのだ。

「……嫌なら辞めればいい」

「え?」

 思考の内に沈み込もうとしていた瞬の意識が、海斗の言葉によって引き戻される。
 瞬に背を向けたまま海斗が続ける。

「ギャラクシアンウォーズの出場を辞退すればいい。そもそも、何だって出場しようなんて思ったんだ? 聖闘士の掟を知らない訳でもないだろうに」

「……それは……」

「聖衣を私欲や私闘のために纏ってはならない、ってな。まあ、俺も偉そうに人の事をとやかく言えた立場じゃないんでこれ以上は言わないが」

「……そう、だね……」

 海斗の問いに、瞬は俯く。
 皆に、兄に会えると期待を持って日本へと帰国した瞬。彼に告げられたのは、一輝の消息が不明であるという報であった。
 瞬が大会への参加を決意した理由は星矢と同じ。優勝し、グラード財団の協力を得て消息不明となった兄一輝を探すため。
 でも、と。あの時は動揺のまま参加を受け入れてしまったが、数日を経て冷静になった今となってはそれが本当に正しかったのか、と考えてしまう。

 自然と手が胸元へと、聖衣の下にあるペンダントに触れようとするように伸びていた。
 一輝から母の形見と言われて預けられたそれは、今や瞬と一輝を繋ぐただ一つの証でもある。

「……君は、海斗はどうして?」

 思わず口を出た問い掛けであったが、聞いておきたいという思いは確かにあった。
 聖闘士の掟を持ち出して話してきたという事は、海斗自身もこの大会に思うところがあるのだろうか、と。

「ん? 俺か? あ~~、成り行きというか、お仕事――!?」

 そこまで言い掛けて海斗が市街の方へと視線を向けた。

「!?」

 瞬もまたはっとした様子で振り返る。
 アンドロメダの鎖が瞬を中心として方陣を敷き、臨戦態勢となる。

 二人が視線を向けた方向から飛び出してくる黒い人影。

「黒い……聖衣?」

 瞬が呟く。
 それは、黒い聖衣のような物を纏った男達であった。十人近い集団である。

「まさか、彼らは暗黒聖闘士!?」

 瞬の言葉に海斗はなるほどと納得した。鎧も黒ければその下のインナーも黒い。
 黒ずくめの姿に一瞬冥闘士かと、またかよと。ザル過ぎるぞアテナの結界と、内心ウンザリしかけた海斗であったが、目の前の男達が纏う鎧の意匠は色こそ違えども聖衣のそれである。

「ブラックセイント? ああ、黒いな、確かに。しかも聖衣モドキまでお揃いだ。羽っぽい物をぶら下げているが、あれが聖衣だとすれば……さしずめ孔雀か鳳凰か?」

「彼らは正しかるべき聖闘士の拳を自らの欲望のためだけに振るい、修羅界の中で未来永劫まで殺戮を繰り広げられると言われている。悪魔に魂を売り邪悪に染まった暗黒の聖闘士だよ」

 どこか的を外れた海斗の言葉に何を呑気な、と瞬が諌める。

「でも、どうして彼らがこんな所に?」

「さて? まあ、分らない事なら当人に聞けばいい。向こうさんはやる気みたいだし……」

 海斗達がこうして話している間でも、黒い男達は動きを止める事は無い。
 そして、彼らも海斗と瞬の存在に気付いたのだろう。様子を窺う様に立ち止まると、彼らは身振りで何かを伝え合い二手に分かれて動き出す。
 一方は海斗達から離れ、そしてもう一方は

「チッ、まさかこんな所に聖闘士がいるとはな」

「先回りされたのか? だが所詮は二人だ。一人は聖衣すら身に着けていない」

「障害は排除するのみよ」

「行くぞ! 我らブラックフェニックスの恐ろしさを教えてやれ」

「所詮は青銅如き我ら暗黒聖闘士に敵うはずもない」

 敵意をむき出しにして襲い来る。



「……休む暇も無い」

「海斗構えて! 来るよ!! “星雲鎖(ネビュラチェーン)”!」

 瞬の意思にアンドロメダの鎖が応じる。

「な、何だ!? く、鎖が迫――ぐああああああ!!」

 スクエアチェーンが螺旋を描き、先頭を走るブラックフェニックスへと襲い掛かり

「何だ、まるで鎖が防壁のように!?」

「うわあぁああああ!?」

 まるで生物の様にうねるサークルチェーンの敷いた円陣に踏み込んだ二人は、波濤の如き勢いを持った鎖の迎撃を受けて吹き飛ばされる。

「クッ、ならば奴を!」

 仲間の倒れる様を見て、瞬を脅威だと判断した残る二人が海斗へと狙いを定める。
 対する海斗は動いていない。聖衣を纏おうともしていない。

「馬鹿め! 竦んだか!!」

 二人は好機とばかりに左右から襲い掛かる。

「ッ!? しまった、海斗!」

 背後から聞こえたドン、という重い音に瞬が慌てて振り返る。

「……え?」

 そこにはコンクリートに上半身を埋めた二人の暗黒聖闘士と、その間で眉を顰めて立っている海斗の姿。

「しまったな。さっきのテンションをまだ引き摺ってたか。ちとやり過ぎたか? さすがに死んではいないだろうが……これじゃあ話は聞けそうにないな。瞬、そっちはどうだ?」

「あ、ああ、うん。こっちは……大丈夫かな」

 そう言いながらも、暗黒聖衣を砕かれて横たわる彼らのどこが大丈夫なのかと思いはしたが、目の前の二人よりは“大丈夫”だろうと瞬は思う事にする。手加減はしている。

「ん。それじゃあ、そいつらからお話を――」

 聞かせてもらおうか、そう続けようとした海斗の表情が変わった。

「……何だと?」

 倒れた暗黒聖闘士に慌てて駆け寄る海斗の様子に、瞬も何が起きたのかを悟る。
 重傷ではあろうが急所は外していた。命までは取るつもりは無かった。

「そんな……自ら命を絶つなんて!?」

 しかし、彼らは自らその命を絶っていた。敵とはいえ、その事実が瞬の心へ重く圧し掛かる。

「後味の悪くなる様な真似を……。状況が分らなかったとはいえミスったな、見付けた時点で叩いておくべきだった。チッ、上手く気配を消したか。逃げた奴等の跡を辿るのはキツイか?」

 しくじった、と海斗が舌打ちをする。
 どれだけ強くなろうとも、出来る事と出来ない事はある。
 やがて訪れる強敵との決着に備える事を優先したせいで、今の海斗は自身の強大な小宇宙も相まって戦闘面のレベルは突出させていたが、それに比べて捜索や探知といった繊細さを要求する様な、補助的な技能は並より上といったレベルでしかない。
 ならば、と瞬の方を見てみれば、

「駄目だね。というよりも、この辺り一帯が、上手く言えないけどおかしいんだ。ねえ海斗、ぼくが来るまでに一体ここで何があったの?」

「ただの喧嘩だ。まあ、また後でな。今はこいつらの事を優先だ。奴等が来た方角にはコロッセオがある。偶然ならいいんだけどな」

 まだ息のある暗黒聖闘士の身体を抱えながら、海斗は溜息交じりに呟いた。

「嫌な勘ほど良く当たるからな」










「さてさて、ここから先はオレにも見通せない未知の世界」

 海斗と瞬、二人が立ち去り無人となったその場所に、場違いとさえ思えるような、陽気で楽しげな声が響く。

「踊る舞台は用意した。後は役者のアドリブ次第」

 何もない空間がぐにゃりと歪み、そこから渦を巻いて闇が滲み出す。
 あふれ出た闇は人の形となり――メフィストフェレスの姿となって具現した。

「さあ、今度こそ見せてくれよ、神と人との乱痴気騒ぎを」

 その手には傷一つ無いガルーダのマスクがあり、かつて自分のシルクハットそうしていた様に指先でクルクルと回し始める。

「おンやぁ? どうしたい、大将?」

 ピンと指先で弾かれたマスクが宙に舞う。
 陽の光を浴びて、ガルーダの三つの瞳がギラリと光る。
 その瞳には二つの人影が映り込んでいた。

「やっぱり気が変わったか?」

 重力に引かれて落下するマスクをメフィストが人差し指で受け止め、また回す。
 高速で回転するマスクは、まるで球状の鏡のように周囲の光景を映し込む。メフィストとその背後に現れた男の姿を。

「フン、確かにオレが相手をするだけの価値はあるようだが」

「言ったろ? アイツは、エクレウスは強い、ってさ。なあ“アイアコス”の大将」

 二ィっと笑みを浮かべてメフィストが振り返る。
 そこに立つのは黒づくめの外套を纏った、先程海斗と激闘を繰り広げ敗れたはずのアイアコスの姿があった。
 その顔には傷一つ無く、疲労の影すら見えない。
 ほら、とメフィストがガルーダのマスクを投げ渡す。アイアコスはそれを受け取ると、自害した暗黒聖闘士達を一瞥し、再びメフィストへと視線を戻す。

「だが、木偶を相手にあのザマだ。お前の言った全力の姿とやらには遠いな」

「そいつは仕方ねぇさ。聖闘士ってヤツは相手が強ければ強い程、言い換えれば自分が追い詰められれば追い詰められた分だけ、いやそれ以上に力を増すんだ。
 あの器じゃあ、エクレウスの全力を出させるには小さ過ぎたって事さ。実際、二年前に見たアイツは化物染みてやがったからなァ。封じられて弱体化していたとはいえ、仮にも神族を殺したんだぜ?」

 そう言ってメフィストは思い出す。
 二年前、ギガスの聖域で肉体的にも精神的にも追い詰められた海斗が見せた一撃を。

「で、どうするの? 今から追い駆けてやり合うのかい?」

「フンッ。仮にオレがそう言ったところで、お前はそれをさせる気などまるで無いクセに。むしろ、先のお前の言葉で思い止まったわ」

 アイアコスは苦笑を浮かべながら続ける。

「ハーデス様の封印が解けるには今暫くの時を必要とするが、今の地上は煩わしい騒乱の種に満ちている。それ程の力をエクレウスが秘めているのならば好都合よ。
 オレが記憶にあるかつての力を取り戻すまで、奴にはいずれハーデス様の物となるこの地上の掃除でもしておいてもらおう」

 そう言うと、アイアコスは手にしたガルーダのマスクを暗黒聖闘士の遺体へと向けた。
 アイアコスの身体から闇色の小宇宙が立ち昇り、それに反応するかの様にガルーダの瞳が妖しく輝く。
 すると、暗黒聖闘士の遺体から白い靄のような何かが浮かび上がりガルーダの瞳へと吸い込まれていく。
 靄の抜けた遺体はまるでミイラのように干乾び、やがてボロボロと崩れ去り灰と化した。

「奴とは全力の状態でまみえる事としよう。我が片翼の目覚めと共に、オレの全ての“力”を持って奴を――エクレウスを仕留めてくれる」



 この日を境としてアイアコスは冥王軍の表舞台から姿を消す。
 アイアコスだけではない。各地では時折冥王軍の雑兵(スケルトン)クラスの活動こそ見受けられたものの、復活を確認されていた数名の冥闘士もその姿を消していた。





「海斗、君の嫌な予感が当たったね。コロッセオの周りが随分と騒がしいよ。きっと何かがあったんだ!」

 十万人規模を収容できると謳うだけあって、グラード・コロッセオの威容は遠目からでもよく見えた。
 報道関係であろうか。空にはヘリが飛び交い、道路にはサイレンを鳴らした緊急車両が大量に集まっている。

(皆は無事だろうか?)

 早く速く、と。逸る瞬の気持ちを、しかし背負った重みが抑え込む。
 襲い掛かって来た敵とは言え、ここまで来て置いて行く事など瞬に出来ようはずも無い。
 ままならないもどかしさを感じていた瞬であったが、ふと視線を向ければ先を行っていたはずの海斗が足を止めていた。
 険しい表情で元来た方向を見つめている。

「海斗? どうしたの?」

「……いや、誰かに呼ばれたような気がしただけだ。悪い、急ごう」

 頭を振って何でもないと言い、再び海斗が走り出す。

「あ、うん」

 頷き、瞬も走る。

 ――だが

「え?」

 今度は瞬が足を止めた。
 辺りを見渡し、鎖を見て、もう一度周囲を見渡す。

「声? 誰かに呼ばれたような気がしたんだけど……。気のせい、かな。チェーンも反応はしていないし」

「瞬!」

「ごめん、行くよ!」

 少し考えたところで海斗に名を呼ばれ、気のせいだと思う事にして瞬もまた走り出した。



[17694] 第32話 奪われた黄金聖衣!の巻
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:406baf32
Date: 2011/09/16 09:06
 星矢と紫龍。死力を尽くした両者の激闘が終わり、担架に乗せられて運ばれて行った二人の姿を見送った後となっても未だ観客達の余韻は冷めやらぬ。
 それが起きたのは、そんな時であった。

「ん? 何だ!?」

「停電か?」

 バンと、何かが破裂した様な音がコロッセオ内に鳴り響き、場内全ての明りが消えた。
 それは、電光掲示板やホログラフも同様。昼間であったが吹き抜けの天井をドームによって覆われたコロッセオはたちまちの内に闇に包まれ、突然の事態に観客達がざわめき立つ。

「辰巳!? どうしたのです?」

「馬鹿な! 停電など起きるはずが!? お、お待ち下さいお嬢様。おい、何をやっておるか! 直ぐに――」

 空調が止まり、途端に熱気がこもり始めた貴賓席の中で辰巳が声を荒げている。
 この不測の事態にざわめいたのは観客達だけではない。沙織達運営側もであった。もっとも、観客達の抱いた感情と彼ら運営側の抱いた感情は別物であったが。
 観客達のそれが不安によるものであるならば、財団側のそれは焦燥であった。財団の総力を挙げて開かれたこの大会で停電などが起こるはずがないのだ。仮に起きたとしても、即座に予備電源に切り替わる。
 それがなされない異常。

「おいおい、何やってんだよ」

「フッ、とんだハプニングじゃないか」

 邪武と那智は苦笑を浮かべながらぼやく。
 聖闘士達は動じていない。財団側の事情を知らない彼らにとってはただの停電でしかない。

 しかし――

「……鼠が紛れ込んだか」

 この氷河の声で、二人の意識は戦闘態勢へと切り替えられる。

「そこかッ!」

 氷河は懐から取り出した一枚のカードを観客席目掛けて投げつけていた。

「氷河!?」

「お前、何を!」

 それを見て、そのカードの向かう先を見て、邪武達が疑問の声を上げた。
 観客席を越えて進むカード。その先にある物は――射手座の黄金聖衣。

 バン、という音と共に場内に明かりが戻る。
 非常用の物なのであろう。必要最低限の箇所にのみ設置された光源は赤みを帯びており、薄暗い場内と相まってどこか不気味さすら感じさせる。
 その光源の一つが黄金聖衣の置かれた台座を照らしていた。

「お、おい、何だよ……アレ?」

「人影?」

「見ろよ! 黄金聖衣の所に誰かがいるぞ!!」

 だから、であろうか。
 その場所は他のどこよりも目立つ事となり、場内にいた多くの者達がその異常に気が付けたのは。

「ほう、なかなか鋭い奴がいるようだな」

 黄金聖衣の前に男が立っていた。赤い光に照らされた男はその身に黒い鎧を身に纏っていた。
 ブラックフェニックスの暗黒聖衣を。

「い、いつの間に!? まさか、さっきの停電は……」

「何だ、アイツは? まさか、あのナリからして奴がフェニックスだってのか?」

「チッ、お嬢様は!?」

 那智と檄が身構え、邪武が沙織の元へ向かおうと動く。

「……暗黒聖闘士か」

 ただ一人、落ち着き払った様子で氷河が男を見た。
 ヘッドギア状のマスクにはバイザーが備えられており、その素顔を窺い知る事はできない。

「ほう、セイントカードか。聖闘士が敵を倒した際に己が倒した事を証明するために使用するカード。ならば……」

「む!?」

 ブラックフェニックスが手にしたキグナスのカードを氷河へと投げつける。
 それを受け止めようと氷河が手を伸ばした瞬間、その手に触れるよりも速くキグナスのカードが燃え上がり灰と化す。

「クックックッ。これが返事だキグナス。オレと戦おうなどとは思わん事だ。さもなくばキグナスッ! 貴様はそのカードの様に灰と化して燃え尽きるのだ! この――」

 ブラックフェニックスがバイザーを上げた。火傷によるものか、右目の周囲には大きな傷跡が広がっている。

「暗黒聖闘士を統べるブラックフェニックス“ジャンゴ”様の手によって!!」

「ふざけるなッ! ブラックだか何だか知らんが、貴様の思い通りになるとは思うな!!」

 持ち前の敏捷性を生かして真っ先に那智が動いた。

「ほう、速いな。だが、この黄金聖衣はもはやオレ様の物よ!」

 ジャンゴが意味ありげに口元を歪める。
 すると、ジャンゴの背後から幾つもの影が飛び出す。
 全てが黒い聖衣を身に纏った男達であった。

「フン、これがブロンズのウルフか」

「何!? 何だこいつは、黒いウルフの聖衣だと!?」

 那智の前にはその行く手を遮るように、黒い狼星座の聖衣を身に纏った男が。

「おっと、一人だけどこに行こうとしているんだ? まさか、尻尾を巻いて逃げ出そうとでもしているのか?」

「何だとテメェ!!」

 沙織の元へ向かおうとする邪武の前には黒い一角獣星座の聖衣を身に纏った男が。

「ぐお!?」

「ぐふふ、弱い、弱いなブロンズのベアー」

 聖衣を纏わぬ檄の身体を、黒い大熊座の聖衣を纏った男が一撃で吹き飛ばし笑う。

「フフフ」

「クククッ」

 氷河の左右には黒い海ヘビ星座と子獅子星座の聖衣を纏った男達が立ちはだかる。



「お、お嬢様!?」

「落ち着きなさい辰巳」

 突然の事態に狼狽する辰巳をたしなめた沙織は、今は亡き祖父の言葉を思い出していた。

「お爺様……。これがおっしゃられていた邪悪な存在なのですか? だとすれば、始まるのですね本当の戦いが……」

 自然と黄金の杖を握る手に力が入る。
 幼き日より、祖父から常に傍に置いておくようにと言われ続けていた、沙織にとっては形見の様な物である。

「彼らの事は聖闘士達に任せましょう。今はとにかく観客の安全を最優先させなさい」

 毅然とした態度で辰巳達に指示を出す沙織の姿は少女のそれではない。

「は、はい。畏まりました。何、麻森博士から連絡――」

 気丈に振る舞う事を義務付けられた沙織には怯えを、不安を表に出す事は許されない。
 少女の黄金の杖を握り締める手の震えに気付ける者は、その場にはいなかった。





 第32話





 その場にいた観客達の反応は大きく二つに分かれていた。
 この事態をイベントの一環であると考えた者とそうではない者と、である。
 多くはTVドラマや演劇を見ている、そんな感覚であり、あくまでも“向こう側の物語”だと思っていたのだ。
 だからこそ、このような事態になっても大きなパニックは起こらなかった。
 この時までは。

「う、うわあっ!?」

 それは、一人の観客が上げた悲鳴から始まった。
 最後列で観戦していたその観客の背後には誰もいない。そのはずであった。
 しかし、気付けば彼の背後にはブラックフェニックスの姿がある。
 同様の状況が複数の場所から起こり、ジャンゴの上げた一声が火を付けた。

「下らん邪魔をしようとは考えるなよブロンズの小僧ども! 貴様等がおかしなそぶりを見せれば観客がどうなるかは分らんぞ!!」

 その言葉を引き金として観客席に紛れたブラックフェニックス達が動きを見せる。
 拳を突き上げ、その衝撃によって天井のドームに穴を開けたのだ。
 二度、三度と爆音が連鎖し、細かく砕かれた破片が観客席へと降り注ぐ。
 威嚇行動である事は、降り注ぐ破片をわざわざ細かく砕いた事でも窺える。
 死者も、重傷を負った者もいない。
 それでも、観客達の恐怖を煽るには、聖闘士達の動きを止めるには十分な効果があった。

「ワハハハハーーッ! 大変だなあ、正義の聖闘士というものは。下らんしがらみに縛られてやりたい事も出来やしない」

「て、テメエらッ!! 汚ねぇ真似しやがって!!」

「いいぞ、悔しければかかって来い! 観客達がどうなっても構わんのならなぁ!」

「そう言う事だ。己の立場をわきまえろ」

 邪武の言葉にジャンゴが返し、ブラックユニコーンが行動で答える。

「グハッ!?」

 飛び蹴りを受けて吹き飛ばされる邪武。

「ぐ、くうぅ……」

「くそっ!!」

 那智や檄も悔しさに歯軋りする事しかできない。

「ジャンゴ様」

「ん? おう、終わったか」

 そうこうしている間に、ジャンゴの背後にまたもや新たな影が現れる。
 皆同じ姿をしたブラックフェニックス達が。

「……瞬の言っていた気配とは奴等の事か? しかし……」

 数が多い。
 冷静に状況を観察していた氷河であったが、新たに現れた暗黒聖闘士の数を見て拙いと感じ始めていた。

(……手詰まり、か?)

 一対多であれば問題はなかった。
 自分だけを狙って来るのであれば何の問題も。
 自分達の周囲に五人、ジャンゴの周囲に五人、そして観客席の方では囲い込むように五人。

(邪武達が動けたとしても、人質となった観客を解放できるのは四カ所。その後に別の奴らが人質を取らない保証はない。そして、あの人数が全てとも限らない)

「厄介な」

 氷河の口から思わず悪態が出る。
 私闘を繰り広げようとする皆への制裁のためにやって来たはずが、どうしてこうなったのかと。

(ジャンゴといったか。奴がこの集団を率いているのならば……)

 やはり狙うは奴か、と。
 氷河が決意を込めた眼差しをジャンゴに向ける。

「お前達、戻って来い。どうせ奴等は動けんのだ」

 そんな氷河の意思を知ってか知らずか。
 背後に控えていたブラックフェニックス達に何事か指示を出したジャンゴは、氷河達を取り囲んでいた暗黒聖闘士を自身の周囲へと引き戻す。

「目的は果たした。行くぞ」

「ハッ!」

 その言葉を合図として、暗黒聖闘士達が次々とその場から姿を消していく。

「追って来たければそうするがいい。観客がどうなっても構わんのならな」

 黄金聖衣の箱に足を掛け、ニヤリと嫌らしい笑みを浮かべて告げるジャンゴの言葉に、後を追おうとした那智の足が止まる。
 その姿を満足そうに眺めたジャンゴは、

「ああそうだ、エクレウスに会ったら伝えておけ」

 表情から笑みを消し、獣を思わせる獰猛な眼光を放ちながら告げた。

「いずれあの時の借りを返してやる、とな!」

 そう言い残してジャンゴもまた姿を消した。





「……してやられたな」

 やれやれと、肩を竦めて氷河か呟く。
 電源が正常に戻り、明りを取り戻したコロッセオ内は喧騒に溢れていた。
 騒動をどうにか抑えようとアナウンスがこれでもかと安全を主張し、場内のスタッフ達は拡声器を片手に走りまわっている。
 観客席にいた五人のブラックフェニックス達の姿は忽然と消えていた。

「駄目だ。やはりやられている」

 ジャンゴの立っていた場所、黄金聖衣が備えられていた台座の前から那智が告げる。

「もぬけの殻だ」

 見せ付ける様に那智が聖衣箱を傾ける。
 その言葉の通り、射手座の黄金聖衣が収められていた聖衣箱の中には何も無い。

「大会どころでは無くなった、と言う訳だな。どうする?」

 氷河の元へと駆け寄った那智がそう問い掛ける。

「そこまで遠くには行っていないはずだ。今からなら追い付ける可能性もある。ああ、檄は無理だ。内臓をやっちまったらしい。動けるのはオレとお前と邪武だけだ」

「いや、二人追加だ」

 そう言って氷河が視線を向けた先から二つの人影が現れる。

「皆、大丈夫!?」

「……えらい騒ぎだな、おい」

 それは聖衣を纏った瞬と、聖衣箱を背負った海斗であった。

「ふむ。二人ともその様子だと状況は分っているのか?」

「……大体の想像はつく」

 氷河の言葉に海斗がげんなりとした様子で呟いた。
 海斗の視線の先には空になった黄金聖衣の箱がある。

「やっぱりここに来たんだね、暗黒聖闘士は」

「ブラックセイント? 奴等の事か?」

 首を傾げた那智に瞬がこれまでの事も含めて説明を始めた。

「……おい、海斗。まさか知っていた、とか言うんじゃないだろうな」

「……今回は偶然だ」

 瞬達から少し離れた場所で、海斗と氷河が探り合う様に会話をしていた。
 二人とも出先は違えども聖域からの勅命を受けて動いている身である。隠し事の一つや二つはあって当然だと分っていても、氷河の言葉の節々に微妙な棘があった。
 言われた海斗の方も、別件では叩けば埃の出る身なだけにあまり強くは否定できない。

「ハァ、となると、こいつはやっぱり射手座の黄金聖衣なわけだ」

「海斗!? お前、それは!!」

「ここに来るまでに倒したブラックフェニックスの一人が持っていた。まさかとは思ったんだがな」

 海斗の手にあるのは黄金の輝きを放つ聖衣の一部。弓の意匠が施された左腕のパーツであった。

「敵さんはパーツごとにバラして持って行ったみたいだな。どこに集まる気かは知らないが、聖衣のパーツが足りない事に気が付けば何らかのアクションを起こすだろうさ」

「最悪の事態となっても交渉の余地は残るか」

「手札が少な過ぎるけどな。せめてもう2、3は欲しい所だが――」

『何だとぉっ!? ふざけやがって!!』

 その時、邪武の上げた怒声に海斗達は会話を中断し、瞬や那智も何事かと声のした方を見た。
 すると、貴賓席から憤怒の形相を浮かべた邪武が飛び出し、海斗達に一瞥もくれずに外へと駆け出して行ったのだ。

「……今のは邪武か?」

「あいつがあんな剣幕で動くって事は……」

 海斗の呟きに那智が続く。思い当たる事はただ一つ。

「まさか!?」

「瞬! 邪武を追え!」

「え? う、うん!」

 貴賓席へと向かい駆け出した海斗の指示に従い、瞬が邪武を追う。少し遅れてその後を氷河が続く。
 階段を駆け上がる海斗の前に、額から血を流した辰巳が姿を現した。
 額だけではない。黒のタキシードは無残に破れ、全身至る所傷だらけである。

「辰巳!」

「……お、お嬢様が……お嬢様が、や、やつらに連れ去られた……。た、頼む! お嬢様を――」

「お、おい!」

 誰に話しているのか。自分が何を言っているのか。それすらも理解できてはいなかったのではなかろうか。
 海斗の身体にしがみついた辰巳は、何度も何度も『お嬢様を』と言い続け、やがてぷつりと、糸の切れた人形のように動かなくなった。

「死んだのか?」

「……いや、気を失っただけだ。全く、大概タフなおっさんだ」

 尋ねる那智に苦笑交じりにそう返すと、海斗は辰巳の身体をそっと横たえて立ち上がる。

「辰巳を頼む。思うところはあるだろうが、堪えてくれ」

 城戸邸に集められた百人の孤児達にとって、自分達よりも幼かった城戸沙織はともかくとしても、城戸光政と辰巳徳丸は憎悪の対象であった。
 己という存在の特異性もあり、今の海斗自身は両者に対して特に思う様な事はない。“どうとも”思っていないのだから。
 しかし、それはあくまで自分だけの事。他人がどう思っているのかまでは知る由も無い。

「分った。さすがにこの姿を見て否とは言えないからな。戦う相手になるはずだった奴に言うのもなんだが、気を付けろよ」

「ああ、全くだ。とんだ同窓会になったもんだ」

 そう言って海斗が背負っていた聖衣箱を置いた。
 正面のレリーフに備えられた取っ手を引き、聖衣箱を解放する。
 純白の光が立ち昇り、天馬のビジョンと化して海斗の身体と融合する。

「何だ、この光は!? これが……エクレウス……」

 瞬きにも満たない僅かな間。
 那智の目の前には純白の聖衣を纏う海斗の姿があった。

「人攫いなんて下らない真似をした馬鹿者共には……相応の報いを受けてもらおうか」





「ハァ、ハァ、ハァ……」

 市街地を抜け、郊外にある山林へと足を踏み入れたところで、ブラックヒドラは木々にもたれ掛かるようにして座り込んた。
 全身からは夥しい汗が流れており、その顔色もチアノーゼを起こしているのか唇周辺が青紫色に変色を起こしている。
 右手は胸元を押さえ、左手は黄金聖衣のパーツらしき物をしっかりと握り締めていた。

「ゼハァー、セハァー、ハァー、ハァーー」

 荒々しい呼吸は収まる事なく、汗をぬぐおうとする手は小刻みに震えている。

 ブラックヒドラは――恐怖していた。

 パキリ、と地に落ちた小枝が折れた様な、そんな音がブラックヒドラの背後から聞こえた。

「ヒッ、ヒィーーッ!!」

 まるでバネ仕掛けでも仕込まれているかの様な動きで飛び上がると、

「ど、どこだーーッ!? ひ、卑怯者が!! 姿を現せーッ!」

 声を荒げる事で必死に自身を鼓舞する。そうしなければ正気を保てない程にブラックヒドラは追い詰められていた。
 コロッセオから共に駆けたブラックベアーとブラックライオネットの姿は既にない。

『フッ、卑怯者か。無力な観衆共を人質とした貴様等如きに、そんな事を言われるとは心外だ』

「ヒッ!?」

 確かに聞こえた男の声にブラックヒドラの緊張が跳ね上がる。

『よかろう。ならばとくと見るがいい。このオレの姿を。そして思い出せ、刻み込まれた恐怖を、な』

 その声はブラックヒドラの知っている声であった。そして、もう二度と聞こえて来るはずの無い声であった。

「あ、ああああ……。そ、そんな、ま、さか。お前は、いや、貴方様は……。死んだはずの……」

 錆ついたブリキのおもちゃの様に、ブラックヒドラがゆっくりとぎこちない動きで振り返る。

 燃え盛る紅蓮の炎。それを体現したかのような輝きを放つ聖衣を纏った男がそこにいた。
 男が一歩足を進めるだけで、ブラックヒドラは己の身体が焼き尽くされたかの様な幻視に襲われる。
 見慣れたフォルムの聖衣は、しかしブラックヒドラにとって、いや、目の前の男を知る暗黒聖闘士にとって恐怖以外の何物でもなかった。
 男がゆっくりとマスクに備えられたバイザーを上げた。
 眉間に刻まれた傷と、地獄の業火を宿した修羅の如き双眸はまさしく――

「鳳凰星座<フェニックス>の一輝!!」

 城戸光政が集めた百人の孤児の一人。瞬の実兄であり、ギャラクシアンウォーズに出場する予定であった最後の一人。

「フッ、何を驚く事がある。不死鳥が死から甦っただけの事。何がおかしい」

 不敵な笑みを浮かべて一輝が一歩、また一歩と歩みを進める。

「ブラックヒドラよ。お前の持っている黄金聖衣を渡せ。素直に渡せば命だけは助けてやる」

 傲岸不遜な一輝の態度に、やはり本物なのだとブラックヒドラは確信した。
 そして、ならばと考える。

「わ、分りました。この黄金聖衣の左脚は一輝様にお渡しいたします! で、ですから命だけは、命だけはーッ!!」

「……」

 黄金聖衣を差し出し、土下座をして命乞いを始めたブラックヒドラを一瞥した一輝は、差し出されたパーツを受け取るとそのまま背を向けて歩き出した。

「へ、ヒヘヘヘ。かかったな甘ちゃんがーッ!!」

 その瞬間、無防備を晒した一輝の背中を目掛けてブラックヒドラが拳を突き出す。

「……やはり、な」

 しかし、一輝はその奇襲すら織り込み済みだとばかりに容易くブラックヒドラの拳を掴み取っていた。

「我が身可愛さに僅かな誇りすら捨て去った貴様等ブラックの考えなどお見通しよ」

「ク、クククッ。こちらこそ、だ。オレ様の策はお前の甘さも織り込み済みよ。たかが女一人のために拳も振るえなくなる様な甘ちゃんのなあ!!」

「……何?」

 一輝が掴み取ったブラックヒドラの右拳からブロンズのヒドラがそうであったように鋭い爪が飛び出し、一輝の右腕に突き立てられていた。
 ブラックヒドラは残った左手で一輝の腕を払い退けて即座に後退する。その際に左拳から出た爪を突き立てる事も忘れない。

「ハハハハハッ。このブラックヒドラの牙はブロンズのヒドラとは比べ物にならん程の強力な毒よ! 三秒と待たずに絶命するわ!!」



「ブラックヒドラ!」

「無事か!?」

「おお、お前達! ブラックベアーにブラックライオネット!」

 そして、木々の影から二人の暗黒聖闘士が合流を果たす。

「ククク、ハハハハハッ!! どうだ一輝よ、三対一だ! これでもまだ余裕をかましていられるか!?」

 致命の毒を与えた事、死んだと思っていた仲間との合流。その事がブラックヒドラを増長させた。

「放っておいても死ぬが、このオレを見下した貴様の態度が気に喰わん。三人がかりでなぶり殺しにしてくれる」

 ブラックヒドラが拳を振り上げる。一輝は動かない。

「死ねぃ一輝! この薄汚い裏切者が!!」

 ぐしゃりと、拳に伝わる肉と骨が砕かれる感触。
 その感触にブラックヒドラは――絶叫した。

「うぎゃあああああッ!? お、おれの、おれのこぶしがぁあああああ!!」

 潰されたのはブラックヒドラの振り上げた拳。潰したのはブラックベアーの拳であった。

「な、何を!? 何をするんだブラック――ぎゃぴぃ!?」

 ブラックライオネットがブラックヒドラの顔面を蹴り抜いた。
 仲間であったはずの二人から次々と振るわれる拳と蹴りが、地に伏せたブラックヒドラの身体に容赦なく叩き込まれる。

「や、やめろ! 止めるんだお前達!! や、やめてくれーーーーーーーーッ!!」



「ハッ!?」

 あまりの激痛に意識を飛ばした、ブラックヒドラがそう思った瞬間であった。

「な、何だ? こ、ここは!? お、オレの手がある? どこにも……傷が……ない?」

 致命傷だと、死を覚悟すらした暴力の跡は一切無く、周囲にはブラックベアーの姿もブラックライオネットの姿も無い。

「え? ……あ?」

 一体何が起こったのか。白昼夢でも見たというのか。
 混乱の極みにあったブラックヒドラは、しかしこの場から立ち去ろうとする一輝の背中を見て、その腕に突き立てられたヒドラの爪を見て正気を取り戻した。

「ば、馬鹿め! どこに行く気だ一輝! ヒドラの爪が突き立てられた貴様に――え? あ、あれ? か、身体が、う、動かな……」

 逃がす者かと、立ち去る一輝の背を追おうとしたブラックヒドラの動きが止まった。
 唖然とするブラックヒドラに見せ付ける様に、背中を向けたまま一輝が爪を突き立てられた右腕を振り上げる。
 すると、ボウッと音を立ててヒドラの爪が燃え上がり、瞬く間に灰と化して崩れさった。

「貴様の爪などこの一輝の肉体に触れてすらおらん。そして、言ったはずだ。お前の考えなどお見通しだ、とな」

 風に吹かれた灰が、ゆっくりとブラックヒドラへと流れて行く。

「“鳳凰幻魔拳”――貴様の精神は既にズタズタに破壊されていたのだ」

 その灰が身体に触れた瞬間、身に纏っていた暗黒聖衣が砕け散り、呻き声一つ上げる事なくブラックヒドラは大地に崩れ落ちた。



 ブラックヒドラの最期を看取る事なく一輝は進む。
 その両脇には黄金聖衣のパーツが二つ抱えられていた。左脚と矢の意匠の施された右腕のパーツである。

「残る部位はあと七つ、か」

 そう呟いた声に応えるかのように、一輝の背後に四つの影が現れる。

「ブラックスワンか。残るパーツはどうなっている?」

「ハッ。申し訳ございません。ブラックウルフから手に入れたこのチェスト(胸)パーツのみです」

 一輝の問いにブラックスワンと呼ばれた影が答える
 氷河の纏うキグナスの聖衣と全く同じ意匠の施された、黒い聖衣を纏った男が。

「いや、詫びる必要はない。お前達はよくやってくれている。感謝しているぞ暗黒四天王<ブラックフォー>よ」

 そう労う一輝の表情からは、先程ブラックヒドラに見せた苛烈さは微塵も感じられない。

「勿体ないお言葉」

「我らの忠誠は一輝様のみに捧げた物」

「邪神に魅入られた奴等とは違うのです」

 そう言って残る三人も姿を現した。
 ブラックペガサス、ブラックドラゴン、そしてブラックアンドロメダ。
 皆が青銅聖衣のそれと全く同じ意匠を施された黒い聖衣を身に纏っていた。
 その色意外に異なる点はただ一つ。
 どの聖衣も激しい損傷を受けている点にあった。
 しかし、反してその士気は高い。

「これからどうされますか一輝様?」

「我らの動きはまだ奴らには感付かれてはいないようです。攻め入るなら今かと」

「おそらく奴らの目はブロンズに向かうはず。この際、ブロンズ共には囮として動いて貰う手もございます」

「ご指示を、一輝様」

 そう言って片膝をつく四天王達はただじっと一輝の言葉を待つ。

 一輝はまるで何かを確かめるかのように己の手を握り、開き、そして――握り締めた。



[17694] 第33話 男の意地!の巻
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:406baf32
Date: 2011/09/27 03:09
 本大会に出場する聖闘士達は、その戦いの中で命を落とす事も了承済みである。

 ギャラクシアンウォーズ開催の際に言われた言葉である。
 超常の力を持った聖闘士同士の戦いにはそれ程の危険性がある。その事を知らしめるには十分な言葉であったのだろう。
 星矢と紫龍、二人の戦いはまさにそれを体現したのだから。
 とは言え、財団側も何の対策も講じなかったわけではない。彼らも本当に死者を出すつもりなどは無いのだ。
 財団側は現状で考え得る最高のスタッフと医療設備をコロッセオ内に用意しており、万が一の事態に対して備えていた。
 二人の戦いが異常であったのだ。誰もがあそこまでやるとは思ってもいなかったのだから。



 控室からリングへと向かう通路、その途中に医務室がある。そこでは試合に敗れた市や負傷した星矢達が治療を受けていた。

「そのハズだったんだが……どういう事だ?」

 辰巳を連れて医務室へと訪れた那智は首を傾げる。
 医務室にはスタッフが誰もいない。

「誰もいないのか? 部屋を間違えたのか?」

 そう思いもしたが、誰かが居た、という形跡はある。三つ並んだベッド、その内二つのシーツは乱れ、点滴らしきものが無造作に放置されていた。
 ベッドの脇に設置された医療機器らしき物には電源が入っており、椅子は机から若干引かれた位置にある。

「間違ってはいないな。市はいるんだからな」

 並んだベッドの一番奥では包帯に巻かれたミイラ男状態の市が眠っている。

「まさか!? いや、いくらなんでもそれは……」

 那智の脳裏にあり得ない回答が浮かび上がる。頭を振って否定しようとするが、目の前の現状はそれこそが答えだと、正解だと訴える。

「あ、あの!」

「セイントの人ですよね!」

 掛けられた声に那智が振り向けば、そこには息を切らせた二人の少女の姿があった。
 一人の少女には見覚えがある。紫龍に付き添っていた春麗と呼ばれた少女だ。
 もう一人は、黒髪を首の後ろで二つにまとめた純朴そうな少女であった。
 ここに居るという事は彼女もまた誰かの関係者なのだろうかと、そんな事をぼんやりと那智が考えている間に今度は医療スタッフと思われる男性から声を掛けられる。

「君、ここに来るまでに彼らを見なかったかね!?」

 彼ら、その言葉で那智はあり得ない答えが正解となった事を確信した。

「紫龍の姿がどこにも無いんです!」

「星矢ちゃんが、私達が目を離した間にいなくなっちゃって! あんなに酷い怪我をしているのに……」

 那智は眉間を指で押さ、そして天を仰いだ。
 視界には蛍光灯で白く照らされた無機質な天井しか映らない。
 そうしていても分る。二人の少女の切迫した様子が。相手をどれ程心配しているのか、が。

「……分った、探して来よう。代りにこいつを、辰巳を頼む」

 言いつつも那智は内心で自問する。自分はここに戦いに来たはずだった。しかし、さっきからやっている事は何なのだ、と。

「オレは何をしに日本に戻って来たんだ?」

 その小さな呟きは誰の耳にも聞こえない。
 別室から出てきた檄が腹を押さえながら「オレも行くぞ」と言いかけたのを拳で黙らせ、那智は二人を探すために走り出した。
 当ては無かったが、星矢達がどこに向かおうとしているのかは見当が付いている。

「聖闘士としての在り方で言えば正しいんだろうが……無茶だぜ」

 後は自分がその場所を嗅ぎ付けられるのかどうか、だ。





 第33話





 ――あんな女に尻尾を振って

 ――馬鹿じゃないのか

 ――それでも男か

 城戸邸に集められた百人の孤児達の中にあって、邪武は異質な存在として皆から距離を取られていた。
 理由はただ一つ。「お嬢様の飼い犬」と、そう揶揄される程に城戸沙織に心酔し、その側にあろうとしていたためである。
 殆どの孤児達は望んで城戸邸に来たわけではない。強引とも言える様な手段を持って集められた者たちが大半を占めていた。
 そんな彼らにとって、城戸光政やそれに類する者達に良い感情など持てるはずがない。
 だからこそ、邪武がなぜそんな行動に出るのかが理解できない。おべっかを使い、絶対的権力者である城戸の人間にすり寄っているようにしか見えない。
 星矢との反発の根っこはこの時にできたと言っても過言ではないだろう。姉と引き離された星矢にとって城戸光政は憎い敵でしかなかったのだから。

 邪武にしてみれば、孤児達のその認識は誤解であった。
 皆と同じ様に、城戸光政には怒りや憎しみを抱いていたしそれに類する者達にも良い感情など持ち合せてはいなかった。
 ただ一人、城戸沙織を例外として。
 沙織だけが特別であったのだ。
 それは憧憬であったのかもしれないし、初恋であったのかもしれない。男は女を守る者、そんな意識があったのかもしれない。沙織を妹と見立て、自分は兄となりたかったのかもしれない。
 どれもが正く思え、しかし、しかし何かが違う。その何かが分らない。その答えを知るためにも沙織の側にいなければならない。なぜそう思ったのかが分らない。
 それでも、その行動は正しいのだと、邪武にはその確信だけがあった。

 あの時から六年が経った今でも邪武の思いは変わらない。むしろ、より強固になってすらいた。
 自分は城戸沙織の側に居なければならないのだ、と。護らねばならないのだ、と。



「げぇほ……ッ!?」

 腹部に突き立てられた拳によって、邪武の口から吐しゃ物が撒き散らされた。
 血の色の混じったそれが地面に広がるより早く、今度は背中に激痛が走る。

「さっきの威勢はどこに行った? この程度か、ブロンズのユニコーンは」

 ブラックのユニコーンの蹴りだ。
 邪武が身を屈めた時には既に背後へと移動しており、無防備を晒した背中を踏み抜いたのだ。

「所詮貴様等ブロンズ如きが我ら暗黒聖闘士に挑もうとする事自体が間違いなのだ。そうやって反吐に塗れているのがお似合いよ」

「があッ!!」

 倒れた邪武の後頭部を踏み付け、ブラックユニコーンがそうなじる。
 傷一つ負っていないブラックユニコーンに対し、邪武は既に満身創痍であり、身に纏った聖衣は大破と言っても差し支えない程に破壊されていた。

「フフフ、馬鹿な奴め。我らの後など追わずに大人しく丸まっていれば良かったのだ。小娘など放っておけばこの様な目に遭わずとも済んだものを」

「……や、やかましい、ぜ……」

「ほう、まだそんな口が利けるか。その頑丈さだけは褒めてやる」



 コロッセオを飛び出した邪武は、一度はその視界に沙織の姿を捉える所まで暗黒聖闘士達に追い迫っていた。
 しかし、それも森林公園に足を踏み入れるまでであった。

「ユニコーンか。まさかここまで来るとはな。しかし、一人で来たのは過ちだ。コロッセオでの事を忘れたか?」

「ブラックのユニコーンか!! そこをどきやがれッ!」

 邪武の行く手をブラックユニコーンが遮り、その間に沙織の姿は森の奥へと消えしまう。
 先へ進もうとする邪武と、それを食い止めようとするブラックユニコーン。両者の戦いが始まった。
 どちらも脚力を、瞬発力を生かした戦闘スタイルであったが、ブラックユニコーンと邪武の速度には実際はそこまで大きな差は無かった。
 むしろ、出掛りの一瞬に関しては邪武の方が上であった。
 しかし、勝負を焦る邪武はブラックユニコーンにその隙を突かれ、悉く翻弄されてしまう。
 そうして、邪武が最初の一撃を受けてスピードを鈍らせてしまった事で戦闘力の天秤はブラックユニコーンへと大きく傾いてしまったのだ。



「このままいたぶってやっても良いが、あまり時間も無いのでな。せめてもの慈悲だ、このまま一息に頭蓋を踏み砕いてやる」

 邪武の後頭部にあった圧力が消えた。宣言の通りであれば、足を上げたのだろう。

「ぐっ、うう……!」

 先の一撃のためか、逃れようとする邪武の意思に反して身体が動こうとしない。それでも諦めるという選択肢はあり得ない。

(オレは! お嬢様も助ける事が出来ずにオレはッ……!! こんな所で寝ている暇はッ!!)

「まだ足掻くか。見苦しい、無様を晒すな」

 ――死ね、ユニコーン

「う……うおおおおおおおおおお!!」

 振り下ろされるブラックユニコーンの一撃。
 バァンという破砕音が鳴り響き、砕かれた聖衣が鮮血と共に舞い散った。



 ブラックユニコーンの身体から。

「ぐおぉおッ!?」

 その場から飛び退くブラックユニコーン。暗黒聖衣は左肩が砕け、咄嗟に押さえられた肩口からは血が流れ出ている。

「だ、誰だ!?」

 苦痛に顔を歪めながら、自分の左肩を吹き飛ばした一撃の主を睨みつける。

「くっ、こ、この強大な……攻撃的な小宇宙は……!? 知っている、知っているぞ!! 馬鹿な、死んだハスの貴様がなぜここにいる!」

 ――何やら騒がしいと思い来てみれば。フッ、どいつもこいつも似たような事を言う。不死鳥は死なん。例え灰と化しても蘇るのだ、何度でもな

 暗がりから姿を現した人影に向けて、その正体を知ってブラックユニコーンは叫んだ・

「フェニックス一輝! そして裏切者の暗黒四天王!!」

 驚愕するブラックユニコーンの前に現れたのは彼らの神によって殺されたはずの一輝と暗黒四天王達であった。

「フン、オレ達を裏切り者などと、どの口が言うか!」

「我らは一輝様に忠誠を誓ったのだ。貴様らの言う神などに従った覚えは無い!!」

「止せ、二人とも。今更何を言ったところで意味は無い」

 激昂しかけたブラックペガサスとブラックスワンを制して一輝が一歩前に進む。

「む、むうぅうう……」

 対峙している。ただそれだけであるはずなのに、ブラックユニコーンは全身が冷たいもので濡れていく事を感じ取っていた。
 一輝が一歩前へ進む。気圧されて一歩下がる。
 二人の距離は縮まらない。

「フェ、フェニックス……一輝……だと?」

 対して一輝と邪武の距離は自然と縮む事となり、見上げる邪武と倒れ伏した邪武を見下す一輝という構図が出来上がる。

「フッ、邪武か。六年経っても相変わらずお嬢さんに振り回されている様だな」

 それだけを言うと、一輝は視線をブラックユニコーンへと向ける。倒れた邪武に手を差し出す様な事はしない。

「さて、ブラックユニコーンよ。質問に答えろ。貴様はゴールドクロスのパーツを持っているのか? 持っているならば大人しく差し出せ。ならば命は助けてやろう。
 持っていないのであれば消えろ。お前如きを相手していられる程ヒマではないのでな」

「く、ぐむぅ……、な、舐めるな……ッ!!」

 自分など歯牙にもかけないと、そう言うのかと。
 一輝の放つ小宇宙に完全に呑まれていたブラックユニコーンであったが、その怒りが再び闘志に火を着けた。

「……一輝様……」

 一輝の側にブラックアンドロメダが並ぶ。片付けましょうか、と。何も言わずとも一輝にはブラックアンドロメダがそう考えている事が分った。
 ブラックアンドロメダだけではない。背後では残る四天王が構えを取っているであろう事も分る。
 その事に苦笑しつつ一輝は言う。

「いや、その必要は無い」

 ちらと一輝が背後へと視線を動かす。

「邪武! 大丈夫!?」

「待て、瞬」

「でも氷河!」

 邪武を追ってきた瞬と氷河であった。
 邪武の元へ駆け寄ろうとする瞬を氷河が静止している。

「状況が分らん、迂闊に動くな」

 そう言って氷河が瞬の前に出る。
 無理もないであろう。氷河の目の前では暗黒聖闘士同士が対立をしていたのだから。
 それを率いている者が自分達と同じ聖闘士であればなおさらだ。

「その聖衣は……そうか、お前がフェニックスなのか一輝」

「氷河に……瞬か」

 瞬を見る一輝の瞳は穏やかで、瞬の目標であり憧れであった思い出の中の兄と変わらず。

「……え? に、にい……さん? 兄さんなの!?」

 六年間、渇望し続けた兄との再会である。知らず、瞬の頬は涙に濡れていた。

「やっぱり、生きていたんだね兄さん!」

「待て瞬!」

 氷河の制止を振り切って駆け出す瞬。

「……瞬、お前は……」

 瞬が一輝に手を伸ばし、一輝もまたそれに応える。

「六年経っても治らんか。あいも変わらずのその涙……」

 固く握られた拳によって。

「……え?」

「瞬!」

 冷静に状況を窺っていた氷河だからこそ反応ができた。
 咄嗟に瞬の肩を掴み自分の方へと引き寄せたのだ。
 何が起こったのかを理解できず、呆然としている瞬の右肩からポタリ、ポタリと赤い雫が流れ落ちる。
 一輝の振るった拳によって、アンドロメダの聖衣の右肩が砕かれていた。

「……に、兄さん? どうして?」

 力無く呟く瞬。その目に映る一輝の姿からは先程感じた温かみは欠片も無く。
 ただ、燃え盛る烈火の如き熱さだけがあった。

「戦いの場にあって涙を見せるなど……惰弱な。その甘さがいつかお前の命取りになると知れ」

 そう言うと、一輝は控えていた四天王に「行くぞ」と声を掛けて歩き出す。

「六年経っても変わらないのはお前もじゃないのか一輝よ。……お優しい事だ」

 その行く手を阻むかの様に、一輝の前に氷河が立つ。
 両者の視線が、熱波と冷気がぶつかり合う。

「……お前達が何をしようと知った事ではない。ただ、これだけは言っておく。オレの邪魔はするな」

 あの二人にも伝えておけ。そう続けた一輝の視線を氷河が追えば、破損した聖衣を纏った星矢と紫龍の姿に気付く。

「に、逃げる気か一輝!」

 その時、ブラックユニコーンの怒声が響いた。
 氷河の意識が逸れた僅かな瞬間であった。

 ――お前はゴールドクロスのパーツを持っていないようなのでな。ならば言ったはずだ、相手にしている暇は無い、と

「一輝!?」

「待って! 兄さん!!」

 一輝と四天王達が忽然とその場から姿を消していた。



「お、おのれ~~ッ!!」

 敵とすら見なされない。その事実にブラックユニコーンの矜持は完全に砕かれた。
 行き場の無い怒りが全身を駆け巡り、血走った眼が、狂気を孕んだ眼差しが暴力の捌け口を求める。
 ブラックユニコーンの前には合流した星矢と紫龍を合わせて四人の獲物の姿がある。

「ならば、ならば貴様から血祭りに上げてくれるわ!!」

 叫び、駆け出す。
 狙ったのは瞬。
 一輝を兄と呼んだ、それが理由であった。一輝の目の前に身内の死体を突き付ける、そのために。

 だが、しかし――

「……待てよ、お前の相手はこのオレだ」

 ブラックユニコーンの前に立ち塞がる者がいた。
 邪武だ。

「貴様ッ!」

「邪武!? そんな傷で無茶だ!」

 瞬の言葉の通り、立ち上がった邪武は誰が見ても戦える様な状態ではない。

「う、うるせえ。オレの事なんかどうでもいい! こ、この先にお嬢様が居るはずなんだ。連中は船がどうだとか言ってやがった……急がねえと拙いんだよ!! ここは……」

 ふらつく自身に喝を入れるように、掌に拳を打ち付けて邪武が叫んだ。



「――オレに任せて早く行きやがれ!!」



[17694] 第34話 今なすべき事を!の巻
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:406baf32
Date: 2011/11/05 03:00
「~~ッ!? ええい、小賢しい!!」

「行かせねえって言ってんだよ! うおらぁあああ!!」

 瞬を狙って距離を詰めたブラックユニコーン。
 その眼前に空を切り裂く聖闘士の――邪武の拳が突き出される。

「むぅっ!?」

 最早死に体、と。敵として、いや障害としてすら見ていなかった相手からの正しく虚を突いた一撃。
 身に染みついた技能がブラックユニコーンの意思に反してその身体を後退させる。

「この……死に損ないが!」

 向かい合う白と黒のユニコーン。
 その両者の間に甲高い音を立てて黒光りする何かが落ちた。ブラックユニコーンのマスクだ。

「……行くぞ」

「氷河!?」

「瞬、問答をしている時間は無い」

「オレはどうでもいいけどな。相手をする、そう言ったのは邪武だぜ」

「紫龍!? 星矢まで!」

「へっ、余計な心配してんじゃねえよ瞬。今のを見たろ? 野郎のマスクを飛ばしてやったぜ」

 ここからがオレの本番なんだよ。邪武はそう言って不敵に笑ってみせる。

「うん。……気を付けて」

 明らかに無理をしている。強がりだ。それが分っていても瞬には邪武を止める術が無い。
 自分よりも沙織を優先する邪武が“他者に沙織の事を託した”のだ。その意味は重い。

「わかりゃあいいんだよ」

 邪武を残して四人は駆け出して行く。
 彼らの前には額から流れる血と、怒りによって顔を紅潮させたブラックユニコーンが立ち塞がっている。
 ブラックユニコーンが動いた。
 四人の足は止まらない。むしろ、その速度を増している。

 ブラックユニコーンが迫る。

「このまま行かせると――」

 駆け抜ける四人は止まらない。止まる必要が無い。

「――行かせるんだよ!!」

 四人の影から飛び出す白い影。
 再び白と黒のユニコーンがぶつかり合う。

「いいか、星矢ぁっ! お嬢様の身に何かあってみろ! オレがテメエをぶちのめすぞ!!」

「そんなに心配ならさっさと追って来い!」

「貴様らッ」

「おっと、行かせねえって言っただろうが!」

「ユニコーン!!」

 聖闘士にとって足止めというものは僅か数秒で事足りる。
 ブラックユニコーンが邪武の攻撃を回避した、その僅かな瞬間に星矢達四人は間合いの外へと駆け抜けて行った。



 訪れた静寂の中で、ギシリと、奥歯を噛み締める音が漏れた。

「……やってくれたな、死に損ないの分際で」

 ブラックユニコーンの身体が小刻みに震えている。
 それは一輝と対峙した時とは明らかに違うモノ。怒りが全身を駆け巡っていた。

「相手をする、そう言ったな。いいだろう、相手をしてもらうぞ。ここまでコケにしてくれた礼をせねばな」

「……ペッ、調子に乗るなよこの野郎。お嬢様の事をアイツらに任せたからには、これで心おきなくテメエの相手だけに専念できるってモンだ」

 覚悟しやがれ。口元の血を拭い、邪武がそう言い捨てる。
 ダメージは有る。熱を伴った痛みが全身を襲い、少しでも気を抜けばたちまちの内に意識を失ってしまいそうだった。自分が立っているのかどうかすら分らなくなる時がある。
 それでも。
 それでもやれると。戦えるのだと自分に言い聞かせる。

 聖闘士を目指す者ならば誰もが教えられる言葉がある。
 小宇宙――それは命の力、意思の力、想いの力でもあると。
 くじけぬ限り、心折れぬ限り、前へと進む意思がある限り、どこまでもどこまでも高みへ、と。



「楽に死ねると思うなよユニコーン」

「勝てると思うなよ、ブラックセイント」





 第34話





「結局、聖闘士だの何だのと言ったところで人間である事には変わりはないんだよな」

「何です?」

「こうやって空は飛べない」

 首都上空を飛ぶ一機の機体。両翼にプロペラを備えたVTOL(垂直離着陸機)機である。
 側面にグラード財団の文字が記されたその機内に、聖衣を纏った海斗はいた。
 旅客機とは比べるまでもない無骨な機内は窓が無く薄暗い。備え付けの簡素なシートは頼りなく、お互いに膝を突き合わせる形となる狭さがより一層息苦しさを増している。

「でも水の上は走れるでしょう? こう、片足が沈みきる前にこう……」

「さすがにやった事はないな。……出来そうな気もするが」

 そんな狭苦しい機内には海斗の他に二人の少年と一人の壮年の男性がいた。
 氷河や紫龍に雰囲気の似た落ち着いた感じのする少年――翔と、どこか幼さの抜けきっていない小柄な少年――大地。そして、グラード科学研究所の科学者である麻森博士である。
 博士はコロッセオを出ようとした海斗を呼び止め、“万一の事態に備えて”用意されていたと言うこの機体へと案内したのだ。

 目的地は港湾区。
 先日、ギリシアの海商王と呼ばれるソロ家ゆかりの大型船舶が予定されていた航路を外れ一時消息を絶つという事態があった。
 数時間後、機器の故障であったと連絡が取れた事で大した騒ぎにはならなかったのだが、現在は機器のメンテナンスを理由に日本に寄港している。
 それだけであれば特におかしな所はない。それだけであれば、だ。
 問題は、その外れた航路の近くにデスクィーン島があった事である。

「団体さんでどうやって日本まで来たのかと思ったら、シージャックしてたわけね。と言うよりもだ、俺としては短時間でそこまで調べた財団の方が怖いわ」

 海斗としては暗黒聖闘士が現れてから僅かな時間の間に、ここまで調べ尽くした財団の力に感心するやら呆れるやらだったわけだが。
 そのような説明を受けながら今に至る。



「出来るのかね!?」

「まあ、一部には例外がいるが基本的には無理だな」

「例外って……出来る人はいるんですね」

「あれは人間やめてるからな」

「人間である事は変わりない、って言いませんでした?」

「例外だからな」

「それって無茶苦茶だぁ!」

 操縦性の方から悲鳴にも似た声が上がる。右頬に十字の傷のある少年――潮の上げた声だ。

「良い事を教えよう。聖闘士に常識を求めてはいけない」

 軽く語る海斗であったが、それを聞く四人の心中は穏やかではない。
 なぜならば、彼らは聖闘士の存在を知った城戸光政によって“科学技術による聖闘士の誕生”を目指して作られたチームであったからだ。

 鋼鉄(スチール)聖闘士計画。それが計画の名称である。
 麻森博士に与えられた使命は科学技術による聖衣の作成であり、幾度も失敗を重ねながらも寝食を忘れる程に今日まで没頭し続けた。
 翔、大地、潮達三人は、海斗達百人の孤児が城戸邸から去った後に極秘裏に集められた孤児であり、完成した鋼鉄聖衣を身に纏うにふさわしい肉体を作るため、今日まで訓練に明け暮れていたのだ。

 沙織にすら隠され進められていたこの計画は、いよいよ鋼鉄聖衣の最終チェック段階にまで漕ぎ付けていたのだが……。
 彼らの、城戸光政の真意はその目的は“来たるべき日”に備えて沙織を助ける事。
 暗黒聖闘士の乱入に伴う黄金聖衣の強奪はおろか、沙織の誘拐という一連の想定外の事態により秘匿だの何だのと言っていられる状況では無くなってしまったのだ。

「さて、博士? 鋼鉄聖衣ってのがどれ程の性能なのかは分らないが、まだ完成していないんだろう? 相手は暗黒とは言え仮にも聖闘士を名乗る奴らだ」

「ああ、分っているよ。私達はサポートに徹する。 ……君達もいいな?」

 海斗の言葉は言外に“出て来るな”と匂わせるもの。博士たちの十数年を無下にしかねないもの。
 麻森博士が翔達三人に声をかける際に間が空いたのはそれを理解したためか。

「まぁしょうがないよね。訓練中だし聖衣も無いし」

 いち早く答えたのは大地であった。頭の後ろで手を組みながらヘヘッと笑う。

「ペガサスとドラゴンの試合を見ていましたからね。データ以上でした。アレを見てしまっては、今の自分ではまだまだ足りていないと思わされますよ」

「出来る事をやるだけですよオレ達は」

 続いて翔と潮が答えを返す。
 明るくハッキリと。そこには博士の抱いた不安も悲壮感も無かった。

(ジャンゴ、か。この前向きさがアイツに欠片でもあればこんな事は起こらなかったのかね)

「ま、たらればを言い出したらきりが無いか」

 翔達を眺めながら海斗が独りごちる。

「海斗君?」

 呟きが聞こえたのだろう。隣に座っていた博士が海斗へと顔を向ける。

「いや、潮君は良い事を言ったな、と。出来る事をやる、ってね」

「海斗さん、もうすぐ目的地の上空に着きますよ。そろそろ降下の準備を!」

「後部ハッチね。了ー解」

 潮の指示に従い海斗が席を立つ。

「か、軽いね。君、ひょっとしてスカイダイビングの経験が有るのかね?」

 海斗の口調からは、これから初ダイブを行う緊張感は欠片も感じられない。
 それもパラシュート無しで、だ。さすがに心配になったのか麻森博士が確認を込めて問いかける。
 こめかみに手を当てて、何かを思い出す様な仕草をした海斗はドアをくぐりながら言った。

「子供抱えて一回」





「あらかじめ言っておく。お前達、この先で暗黒聖闘士と出会っても、お嬢さんと黄金聖衣を見付けても手を出すな。行く先が分ればそれで良い。分ったな」

「何だと? そりゃあ一体どういう事だ氷河!」

「どうもこうも、言葉の通りだ」

「なッ!?」

 駆けていた三人の足が止まる。
 氷河に対して星矢と瞬が向かい合う、そんな位置だ。
 氷の如き冷たさと鋭さを備えた氷河の視線が、炎の様な激しさと熱さを持った星矢の視線とぶつかり合う。

「氷河!」

 二人の間に瞬が入り、何故かと、問い質す様な視線を氷河へ向ける。

「星矢だけじゃない。お前もだ瞬。自らの鎖の動きにも気が付けない。一輝との再会で精彩さを欠いたお前を戦力として見なすわけにはいかない。半死半生の星矢、お前は論外だ」

 星矢自身、己のダメージは理解している。左腕の骨折に頭部の裂傷、そして多量の失血。こうして動けているが異常なのだ。
 紫龍との試合で限界を越えて高められた小宇宙は同時に星矢の命の炎も熱く燃え上がらせた。いまはその身に残った熱によって動けているに過ぎない。

「ろ、論外だと!?」

 幼き頃、抵抗むなしく姉と引き離された。大切な姉の手を掴むことすら出来なかった無力な自分。それが今の星矢の起点となっていた。
 氷河の言葉は正しい。正しいからこそ星矢はその言葉に反目する。反目しなければならない。
 自分は戦えるのだと。立ち向かえるのだと証明するためにも。
 知らず、攫われた沙織に星矢は自分を、姉の姿を重ねていた。

「暗黒聖闘士の一人や二人――」

 星矢は己の最大の拳“ペガサス流星拳”のモーションに入る。氷河に当てるつもりはない。ただ、戦える事を証明するために。
 しかし、現実は非情。

「この程度の拳も躱せない今のお前では……死ぬだけだと言っている」

 先に突き出されたのは氷河の拳。
 星矢の眉間に凍気を纏った氷河の右拳が触れていた。

「う、ううう……」

「分ったな。理解したのならば――」



 ――行け、星矢



 ドン、と目に見えぬ壁がぶつかった。
 その瞬間を星矢と瞬はそう感じ取っていた。

「うわぁっ」

「クッ、氷河!」

 吹き飛ばされた星矢が慌てて立ち上がろうとするが、片膝をついたまま即座に動けない。
 くそっ、と毒付きながらも氷河へと視線を向ける。

「我らは」

「デスクィーン」

「暗黒スリー!」

 そこには星矢の視界を遮る様に三つの黒い人影があった。
 星矢達の知らない意匠を施された聖衣を纏った暗黒聖闘士の姿が。

「あ、暗黒スリーだと?」

「……くっ、氷河の言う通りだった。チェーンが敵の接近を教えていてくれたのに気付けなかったなんて」

 よろめく星矢に肩を貸しながら瞬が悔しげに呟く。

「フンッ、ブラックユニコーンの戻りが遅いので出向いてみれば」

「軟弱なツラをした小僧と破損した聖衣を纏った半死人の小僧」

「楽しめそうなのは一人だけか」

 ニヤリと口元を歪めて笑う敵を前に、星矢達が身構えようとしてその動きを止めた。
 星矢達だけではない。暗黒スリーと名乗った者達もであった。

「楽しむ、か。お前達にそんな余裕があればいいのだがな」

 氷河を中心として銀色の風が吹いた。
 光を反射してキラキラと輝くそれはダイヤモンドダスト。吹き荒ぶ凍気の風。

“カリツォー”

 暗黒スリーへと右手を向けて氷河が呟く。

「な、何だこれは!?」

「氷の結晶か?」

「か、身体が動かん!」

 ロシア語で『輪』を意味するその言葉の通り、光輝く氷の結晶が輪となって暗黒スリーの身体を拘束する。

「行けよ星矢、瞬。こいつらはここでオレが片付ける」

 そう言うと、氷河は視線を星矢達から暗黒スリーへと向けた。
 これ以上言う事はない、そうなのだと理解した星矢と瞬は、身動きを封じられた暗黒スリーを、氷河の側を駆け抜ける。

「無茶はするな」

 ただ一言。そう呟かれた言葉を二人はしっかりと聞いていた。





 ブラックユニコーンが地を蹴った。
 対峙する邪武もまた大地を蹴る。
 交差する白と黒の塊。

「ぐあっ!」

「ぐぬぅうっ!」

 繰り返されるその行為の度に大地は抉れ、周囲には鮮血と聖衣の破片が舞う。

 お互いに得意とする戦法は瞬発力を生かしてのヒットアンドウェイ。
 どちらが先に相手の急所を捉えるか、致命的なダメージを与えるか。戦いは体力と精神の壮絶な削り合いと化していた。
 先のダメージを鑑みれば互角にまで持ち込んだ邪武が優勢ともとれるが、そこに至るまでの経緯に差があり過ぎた。
 消えかけの蝋燭が見せる最後の炎の瞬き。それが今の邪武であった。
 時間が無いのだ。
 だからこそ、邪武が最も恐れたのは相手が時間を稼ごうとした場合だ。距離を離される事だ。

「ま、まだまだあっ!!」

 邪武は食いしばり喰らい付く。何度も何度も。
 ブラックユニコーンは当然の如くそれを分っていた。分っていて対処が出来ない。
 距離を取ろうとすればそれだけの隙を与える事となり、その僅かな隙でさえ現状では致命傷になり得る。攻め手を緩める事が出来ない。
 故に削り合う。

「こ、の、餓鬼がぁあッ!!」

 その果てで。
 根を上げたのはブラックユニコーンであった。優勢であったが故に、ここまで追い詰められた事実に恐怖したのだ。
 限界を迎えたのは邪武であった。その足が止まったのだ。

「“マヴロスピラ”ーーッ!!」

 好機とばかりに放たれるブラックユニコーンの必殺拳。『黒い螺旋』の意の通り、突き出された拳には黒い小宇宙が螺旋を描き纏わり付いていた。
 それは、この場所で邪武を一度打ち倒した技だった。

「聖衣もろとも砕けて死ねいッ!!」

 振り抜かれた拳が轟音を上げて貫いていた。

 大地に映る邪武の影を。

「ヘッ、焦って引っ掛かりやがったな。隙を見せればやって来るんじゃねえかと思っていたよ!」

「ば、馬鹿な……」

「……良いアドバイスをくれたよ、テメエは」

 邪武が聖闘士として会得した必殺技は“ユニコーンギャロップ”と言う。
 上空から秒間100発以上の蹴りを放つ技であり、大会ではこの技によってライオネット蛮を退けた。
 しかし、ブラックユニコーンには通じなかった技だ。

「即席だがな、オレの新しい必殺技だ! 喰らいやがれ!!」

 上空を見上げたブラックユニコーンの視界を螺旋状の渦が覆い尽くす。
 それは天高く跳び上がった邪武の身体を覆う小宇宙の渦であった。

「“ユニコーンドリル”ッ!!」

 蹴りの体勢のまま全身を高速回転させたその姿は、その名が示す通り正しく螺旋を描いた“一角獣の角”そのもの。

「おらぁああああああ!!」

「馬鹿な、ありえん、オレが負け――がぁあああああああ!!」

 迫り来る純白のユニコーン。
 邪武の小宇宙が映し出したそのビジョンを視界に焼き付けてブラックユニコーンは崩れ落ちた。

「は、ははは……ざ、ザマア見やがれ……」

 ピクリとも動かないブラックユニコーンの姿を前に、張り詰めていた邪武の中の何かがとうとう切れた。

「……星……やぁ……。ヘマすんじゃ……ねぇ……ぞ……」

 全身から熱が抜け落ち、視界が暗転する。

「お嬢さ……ま……」

 そう言って、意識を失った邪武の身体が糸の切れた人形のように崩れ落ち――



「見事だ、邪武」

 紫龍の手によって抱き止められた。

「――許せ」

 それが何に対してなのか。
 スウッと息を一つ吐くと、紫龍は意識を失った邪武の身体目掛けて拳を振り下ろした。





「ふむ、破壊する事しか知らぬ聖闘士が真央点を知っていたとは。いささか驚いたな」

 邪武の胸に紫龍の拳は突き立てられてはいなかった。
 ただ紫龍の人差し指が邪武の心臓の上に立てられていただけである。

「ユニコーンが心配になって戻って来た、と言う訳では……」

「……元より、邪武の戦いを汚すつもりなど無い」

「だろうな。どうやら最初から私の存在に気が付いていたようだ。隠行には多少の自信があったのだが」

 驚くべき事に、それだけの事で邪武の身体から流れていた血がピタリと止まっていた。

「それはこちらとて同じ事。よもや暗黒聖闘士がこの血止めの急所を知っていたとはな」

 邪武の身体を横たえ立ち上がった紫龍がゆっくりと背後へと振り返る。声の主に向けて。

「ブラックドラゴンよ」

「フフフッ」

 一輝に付き従っていた四人の暗黒聖闘士。
 その一人、ブラックドラゴンが薄らと笑みを浮かべながらその歩みを進め始めた。



[17694] 第35話 海龍の咆哮、氷原を舞う白鳥、そして天を貫く昇龍!の巻
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:b52576b3
Date: 2012/04/23 00:54
 この世に邪悪がはびこる時、必ずや現れるという希望の闘士――聖闘士(セイント)。
 地上の愛と平和を守るため、女神アテナの元に集った彼らは自らの守護星座の名を冠した聖衣(クロス)という鎧を身に纏う。
 その拳は空を引き裂き大地を割るという。
 地上に住まう力無き者達のために戦う彼らの事を、いつしか人々はこう呼んでいた。

 ――アテナの聖闘士、と。

 人の心が生み出す闇に、繰り返される争いによって汚れきった地上に絶望し、全てを破壊する事を――浄化からの再生を目指した海皇ポセイドン。
 その意志に賛同し、海皇の元に集った戦士達が身に纏いし鎧は神話において海皇ポセイドンが生み出したとされる魔獣の姿を象った鱗衣(スケイル)。戦士の名は海闘士(マリーナ)。

 今を生きる人々を守り共に明日を生きようとするアテナと、明日を生きる人々を守るために今を切り捨てようとするポセイドン。
 互いに目指す果てにあるものが平和であっても、だからこそ両者はぶつかり合う。戦い合う。

「――それを、愚かしいと。そう思った事はありませんかなヒルダ様」

 幼子に物語を聞かせる様に紡がれるドルバルの言葉を、茫洋たる目をしたまま、しかしヒルダは僅かながらにも頭を振る事で否定した。
 彼女の銀糸の様な長い髪がふわりと揺れる。

「ほう。これはこれは」

 己の顎をさすりながら、ドルバルは明確な否定の意思を示して見せたヒルダに素直に感心して見せた。
 ドルバルの手が椅子に腰掛けたヒルダの左手を掴む。彼女の薬指には鉱石をそのまま削り出した様な無骨な指輪がはめられていた。

「いや、結構。私自身これの出来にはあまり自信を持っていなかったのですよ」

 身じろぎ一つしないヒルダの身体をそのまま掴み上げる。力任せに引き上げたために、ドルバルに掴まれたヒルダの手首に赤みが生じる。

「強大な力を持ちながら、その力を己ではない他の何かのために振るうなど……。全く、愚かで矮小な人間である私には理解の及ばぬ事でして」

 雪の様に白い彼女の肌にその赤は、まるで枷の様にも見て取れた。

「このアスガルドを統べるヒルダ様であれば、なるほど、お分かりになられると」

 ひとしきり指輪を観察したドルバルは、それ以外にはまるで興味は無いとでもいう様にヒルダの腕をぞんざいに離すと何事かを呟いた。
 ビシッ、という音が鳴り椅子に落ちたヒルダの身体が跳ねる。虚ろながらも開いていた目が閉じ、力無く椅子にもたれ掛かる彼女はまるで壊れた人形の様。

「だから、でしょうな。そんな私だからこそ分る事もありましてね。その点では彼らと私は同志と言えるのでしょう」

 ワルハラ宮でも限られた者しか足を踏み入れる事は許されぬ教主の間。
 ヒルダが意識を失った事でドルバルの話を聞く者は誰もいない。

「もっとも、行き着く果てに滅びしかないあの神の元に依るなど、彼らは実に愚かとしか言いようがない。さあ、貴様らの敵が現れたぞ聖闘士に海闘士よ。
あの神は破壊と騒乱、災いの渦だ。地上の守護者をかたるなら命を掛けてでも止めて見せるがいい」

 それでもドルバルは声に出して語る。まるで、ここにはいない誰かに聞かせる様に。

「互いに戦い、潰し合い、殺し合うのだ。貴様らの尊い犠牲によってこの地上が清められる。本望であろう? フフフフフッ、フハハハハハハハ――」





 聖闘士星矢~ANOTHER DIMENSION海龍戦記~





 邪悪に染まり聖域から追放された暗黒聖闘士。彼らの戦闘力はアテナの聖闘士に劣るものではない。
 彼らが追放された理由は自らの力を私利私欲のために用いる、他者を顧みないその精神性故であり、決して振るわれる力の強弱によるものではなかったのだから。
 とはいえ、如何に超常の力をふるう聖闘士であろうとも、生身の人間である事にも変わりはない。
 個人に対して用いられる武器、兵器の類であればさほど脅威ではなくとも、ミサイルや化学兵器といった広域に影響を及ぼす様な大量破壊兵器相手には多少なりとも影響を受けてしまう者が大半だ。
 ならばどうするのか。
 使わせなければ良いのだ。
 出した答えは――命の盾。つまりは人質である。それも世界的に影響力の大きな人物によるものだ。
 ジャンゴ達にとっての幸運は、日本へと向かうために行ったシージャック、その客船が世界有数の財力を持ち、経済界への影響力も大きいソロ家の所有していた船であった事に尽きる。
 日本までさしたる障害もなく訪れる事が出来たのは裏でソロ家と取引を行った結果であった。人質の命を保証して欲しければ無闇に騒ぎ立てるな、と。

「命は保証してやる、しかし――ってか」

 海斗の脳裏に機上で聞かされた情報が浮かぶ。
 乗組員や乗客達の中には見せしめとして傷付けられた者もいる。老若男女問わず、だ。
 突如として目に前に現れた圧倒的な暴力、理不尽を前に、彼らは成す術もなく蹂躪された。それでも命だけは保証されていた事を、彼らは不幸中の幸いであったと思うべきなのだろうか。

「……その辺のアフターケアは任せるさ。俺の管轄外だからな」

 そう呟き、海斗はジャミールでムウ達と共に暮らしている聖良の事を思い出す。

「気にしてはいない、って言っちゃあいたが……。絶対に嘘だ」

 自分に関する一切の記憶を失くしていた少女であったが、それでも海斗と敵対し戦った事は覚えていたのか。二年程経った今でも、セラフィナや貴鬼達と比べて明らかに距離を置かれた付き合いであった。

「どれだけ強くなろうが心の機微ってヤツだけはどうにも、な。まあ、そんな俺でも――」

 船上で確認された暗黒聖闘士の数は二十数名。
 それぞれが異なる星座の意匠を施された暗黒の聖衣を身に纏っていた。
 仲間の帰りを待つ彼らの戦意は皆一様に高い。皆が知っていたのだ。ジャンゴ達が黄金聖衣を奪取し、財団のキーマンである城戸沙織の誘拐にも成功した事を。
 グラード財団の代表である城戸沙織。彼女の身柄を確保した事によって得る事が出来るであろう巨額の富。
 アテナの聖闘士の最高位である黄金聖衣、それがもたらすであろう強大な力。
 彼らはそれを手中にしたのだ。
 富と力を得た。その先に訪れる享楽の世界。彼らはそれを夢想して沸き立っていた。

 純白の翼を広げて舞い降りた聖闘士――海斗の姿を見るまでは。

「推察する事ぐらいは出来る。それはな、お前らを叩きのめせって事だろうさ」

 お前達など敵ではない。言葉の裏に隠された真意を誰もが感じ取り、果たして誰もが動く事が出来なかった。
 海上から音も無く立ち昇った巨大な水の柱が形を変えて海龍の姿と化し、彼らへと牙を向けたのだ。
 幻覚ではない。実体でもない。それは海斗の小宇宙が生み出したヴィジョンだ。小宇宙を知る彼らだからこそ、その強大さを知り完全に呑まれてしまっていた。

「リ、リヴァイア……サン?」

 誰かが幻獣の名を呟いた。それは旧約聖書に登場する海の王者だ。陸の王であるベヒモスと対をなす原初の怪物である。
 海斗にとっては己の小宇宙が浮かび上がらせたヴィジョンが他人にどう見えたところでさしたる意味は無い。
 ただ、今の自分の精神状態が海将軍シードラゴンに傾いている事を認識出来ただけの事。
 それでも、その呟けたという事が、僅かでも行動を起こせたという事実が暗黒聖闘士達の生存本能を掻き乱し――意識を爆発させた。

 怒号。そうとしか形容できない音が海斗へと向けて放たれた。
 前後左右、そして空。海斗の周囲を殺意に満ちた黒が覆い尽くす。

「海の底で頭を冷やせ」

 迫り来る黒に向けて海斗が両手を突き上げる。

「“ダイダルウェイブ”!」

 海龍のヴィジョンが閃光と共に弾け、青い波濤となって迫り来る黒を呑み込んでいった。



「……あれが聖闘士の力か」

 麻森博士の呟きが静まり返った機内に響く。
 人知を超えた超常の力。聖闘士の力をそうと認識してはいても、今目の前で起こった事はそう易々と受け入れられるものではなかった。
 正直に言って、彼には何が起こったのか理解出来てはいない。
 暗黒聖闘士達が海斗へと襲い掛かったかと思えば青い閃光が船上を覆い、気が付けば船上には海斗の姿しかなかったのだ。

「光政様、貴方は……」

 喉元まで出かかった言葉を押し止め、麻森博士はゆっくりと深呼吸をすると気持ちを切り替えるべく次の行動に移る事にした。外敵がいなくなった以上、彼らも人質救出に加わるのだから。
 腕時計を見れば、海斗が船上へと降り立ってからまだ二分と経っていない。当の海斗は既に無人となった船上を後にして船室へと降りている。

「青銅聖闘士だよな、あの人」

「……だよな?」

 潮と大地の言葉からは驚きを通り越した呆れの様なものが混じっていた。麻森博士には理解できなかった事が潮達には理解出来ていたらしい。
 何事かと尋ねれば、彼らが指差す先、船から遠く離れた海上には幾つかの黒い何かが浮かんでいるそうだ。

「いや、オレ達も何が何やらサッパリですよ? ただ、こう、青い光が黒い影を押し退けたから……その先に何かあるかな、って」

 カメラを通して映像をモニターに映せば、そこには聖衣を砕かれた暗黒聖闘士らしき者達が浮かんでいた。

「……」

「確かに凄いな。なら、聖闘士の最高位である黄金聖衣を身に纏った者にはどれ程の力が与えられるんだ?」

 翔の問い掛けに潮と大地はハッとした様に顔を見合わせる。
 これで船内の人質救出の目処が立ったとはいえ、射手座の黄金聖衣は奪われたままなのだ。
 そして、沙織の無事も確認されてはいない。

「海斗君からの合図があり次第、我々も船に入るぞ。暗黒聖闘士達の足を奪ったとはいえ、これから先何が起こるか分らない。彼には直ぐにでもお嬢様と黄金聖衣の奪還に向かってもらおう」

「了解!」





 第35話





 生い茂る木々の間を縦横無尽に黒い影が走り抜ける。
 しんしんと降り続ける雪の――白の世界を暗黒スリーの黒が侵食する。

「くくくっ、どうしたキグナス!」

「威勢の良さは最初だけか?」

 前後左右。氷河を中心として囲い込むように駆ける暗黒スリー。彼らは決して一カ所に留まる事なく、また集まる事もない。
 三人同時に仕掛けて来たかと思えば即座に分散して個々に攻撃を繰り出し、氷河が誰かに攻撃を繰り出そうとすれば死角に立っていた者が氷河の行動を阻害する。
 即席のモノではない、確かな修練の元に培われた三位一体の技が着実に氷河を追い詰めつつあった。

「そもそも、我ら三人をたった一人で相手にしようなどと思い上がりも甚だしい!!」

「暗黒聖闘士の恐ろしさ、その身にとくと味わうが良いわっ! 行くぞお前達!!」

「おう! 我ら三人の真の力を、デスクイーン暗黒スリーの恐怖を思い知れ!」

 三人の拳に、爪に、脚に、破壊の意思に満ちた小宇宙が、力が満ちる。
 それまで決して一カ所に集まらなかった彼らが一列に並び、空を切り裂いて氷河へと迫る。

「“暗黒烈爪魔風拳”!」

 身構えようとした氷河の目前で直後、三人が跳躍した。
 肩を、肘を。それぞれの身体を支点として上方と左右、敵の目前から一瞬の内に三方へ分かれての同時攻撃。彼ら暗黒スリー必殺の連携である。
 咄嗟の事に対応出来ない敵――氷河は、その攻撃を避ける事も反応する事も出来ずにその身を打ち砕かれる。



「……ふむ、まるで『三本の矢』だな」

 はず、であった。

「な、なん、だ……と?」

 怯ませる事すら出来なかった。
 氷河に意に介した様子はまるでなく、よく見ればその身には傷一つ負っていない。

「ば、馬鹿な!?」

 暗黒スリーの顔が驚愕に染まる。
 必殺の連携だった。拳は、蹴りは、確実に氷河の身体を打ち貫いていたはずであった。

「一本の矢は容易く折れるが、三本束ねればそれも容易ではなくなる。だが、束ねる矢が脆ければ……束ねる意味もない」

 そう言って氷河は足下に落ちていた枝を数本拾い上げると、暗黒スリーへと見せ付ける様に突き出し

「この様にな」

 凍気によって一瞬の内に凍りついた枝が音を立てて崩れ去った。
 淡々と紡がれる氷河の言葉に、目の前で起こった事によって。暗黒スリーは己の身に起きていた異変に気が付いた。

「なんだ、これは……氷のリングが!?」

「う、腕に力が――いや、感覚がないッ!!」

「脚もだ! な、何をしたキグナスッ!! なぜ我らの手足が凍りついているのだ!?」

「先にお前達の動きを封じた“カリツォー”。その凍気が、そして今なお周囲に満ちた凍気が、お前達の四肢を凍結させていた事に気付かなかったようだな。
 凍傷を起こし、一切の感覚を失った拳足による攻撃など避ける必要もない。無闇に跳ね回るお前達の動きは確かに目障りだったが……それだけの事だ」

 所詮は児戯よ。
 そう告げる氷河の眼差しは、その名の通り氷原の如き冷たさと鋭さに満ちていた。
 暗黒スリーの足下から這い上がる冷気が、降りしきる雪がその勢いを増す。
 吹き付ける風が白く輝き、身動きできない彼らの身体を、その暗黒の聖衣を純白に染めてゆく。

「暗黒聖闘士の恐ろしさを味わえと、お前達はそう言ったな。ならばお前達にも教えてやろう」

 身構えた氷河が描く拳の軌跡に、彼らは氷原から羽ばたく白鳥の姿を幻視した。

「この――ダイヤモンドダストの恐怖を!」

「ひぃ――」

「ま、まてーーっ!?」

「受けろ! 我が氷の拳を“ダイヤモンドダスト”!!」

 氷河が突き出した拳から大小様々な無数の氷の結晶が放たれる。
 悲鳴を遮る純白の凍気の風が暗黒スリーを包み込み、その身体を聖衣ごと凍りつかせた。

「……その身で戦う事を選んだのは紫龍よ、お前自身だ。オレは先へ進むぞ」

 そう呟き、その場を立ち去る氷河。
 後には、物言わぬ氷の彫像と化した暗黒スリーだけが残されていた。





 血止めの急所――真央点を突き邪武の出血を止めた紫龍が立ち上がる。
 振り返ったその視線の先では、つい先程一輝と共にこの場から立ち去ったはずのブラックドラゴンの姿があった。その足は紫龍へと向かっていた。
 一歩一歩と着実に縮むお互いの間合い。それに合わせて紫龍の身体が緊張する。

(……この男!? 身に纏った聖衣こそ破損しているが、感じられる小宇宙にまるで澱みがない。
拳と盾を失い、ましてや死の淵から目覚めたばかりの今のオレで奴の相手が――)

 そこまで考えて紫龍は頭を振った。

「星矢との戦いで何を学んだ、邪武の何を見た――紫龍よ!」

「ほう。今にも地に墜ちそうであった龍が……天高く飛翔したかの様な良い気迫だ」

 賞賛の言葉の通り、ブラックドラゴンは紫龍に感心している様であった。敵意といったものが感じられない。その事が余計に紫龍を不安にさせる。

「勘違いしているようだが私は君と事を構えるつもりはない。ブラックスワンやブラックペガサス辺りが青銅の彼らをどう思っているのかまでは知らんがね」

「それを信じろと?」

「ふむ、ならばこう言おう。私にとって君達の存在などどうでもよいのだよ」

 ブラックドラゴンの言葉が、それが挑発を込めた侮蔑であれば紫龍は憤ったであろう。
 しかし、そうではなかった。そうはならなかった。それが本心からの言葉である事が分ってしまったのだ。

「何?」

 紫龍の意識が僅かに逸れたその次の瞬間であった。
 気が付けば、ブラックドラゴンは紫龍の横を通り過ぎており、地に倒れ伏しているブラックユニコーンの前に立っていた。

「一輝様がお命じになられれば話は別だがね。さて、いつまでそうしているつもりだ?」

「お前、一体何を? まさか!? ブラックユニコーンにまだ意識があるとでも――」

 ボンッと地が爆ぜる音が響き、ブラックユニコーンが紫龍目掛けて飛び出す。
 咄嗟の事に意識の反応は遅れたが、五老峰で鍛えられた六年間の経験が紫龍の身体を反応させた。
 左手を開手として前面に、右手は拳を成して腰だめに構える。迫り来るブラックユニコーンに迎撃を繰り出そうとして紫龍は気付いた。

「違う! 奴に意識は無い!! ならばこれは――」

 その瞬間。ぞくりと、背中に感じた悪寒に紫龍は己の不覚を悟る。

『げひゃひゃひゃーーっ!』

 背後から聞こえた下卑た笑い声も気にならない。そんな事よりも優先すべき事があったためだ。

「ぐうっ、こ、これは……まるで鉱物でできた縄の様な……見えない何かが、オレの首に巻きついて! く、締め付けられる!!」

『馬~鹿め~~っ! 掛かりおったな、このブラックカメレオンのステルスウィップに!!』

 誰もいなかったはずの紫龍の背後から、ゆらりと人影が現れた。
 カメレオンの名の通り周囲の風景に溶け込むようにして隠れていたのか、小柄なその男の手には紫龍の首に巻き付いた鞭が握られていた。
 姿だけではなく、気配すら消し去る事がブラックカメレオンの能力。

「クククククッ、青銅の小僧如きに敗れた暗黒聖闘士の恥晒しでも死体だけは役に立ってくれたなぁ」

「フンッ、姿を消し、地に伏せ、死体を蹴り上げるか。正義を語るつもりなど毛頭ないが、やはりお前達とは考え方が合わん」

「黙ってなぁ裏切者ぉっ! どうやって生きていたのかは知らんが良いさぁ。この青銅のドラゴンを殺した後にブラックドラゴン、お前をもう一度殺してやるぞぉッ!! そぉうりゃぁあ!」

「う、ぐわぁああーーッ!」

 小柄なその体躯からは信じられない様な力でブラックカメレオンが手にした鞭を振り回す。
 その先には首を絞められたままの紫龍の身体があるのにもかかわらずに、だ。

「さあ、このまま大地に叩きつけられて死ねよぉドラゴンッ!」



“デッドハウリング”

 紫龍の身体が勢いのままに大地へと叩き付けられ様としたその時、一陣の風が吹き抜けた。那智だ。
 空を切り裂く那智の必殺の拳。巻き起こされた風は刃となってステルスウィップを切り裂き、その先に囚われていた紫龍の身体を解き放つ。

「ぐっ、うう!!」

 頭からの落下こそ免れたものの、大地に全身を打ち付けられた紫龍の口から血の混じった苦悶の声が上がる。

「紫龍!」

「小僧ぉっ! 邪魔をしたから貴様も殺してやるッ!」

 紫龍へと駆け寄ろうとする那智の前に怒りに表情を歪ませたブラックカメレオンが立ち塞がり、新たに取り出した鞭を那智へと振るう。

「くぅっ!? うおぉっ!」

 二度、三度と振るわれる鞭を紙一重でかわし続ける那智であったが、避ける事で精一杯となってしまい紫龍の元へ向かう事が出来ない。

「くひゃははははははっ!! 少しはやるじゃねぇかぁ! だったらご褒美だぁ、絶望をくれてやるぅ!!」

 すうっとブラックカメレオンの身体が透けていく。驚愕する那智を余所に、瞬く間にブラックカメレオンの姿が消えてしまった。

「そんな馬鹿な、目の前から消えただとぉ!? うぐわぁああっ!!」

 背後からの衝撃――振り下ろされたステルスウィップが那智の背中を聖衣ごと引き裂く。
 駄目押しとばかりに、姿を消したままのブラックカメレオンの蹴りが身動きの取れなくなった那智の身体を弾き飛ばしていた。

「那智! ッぐぅあっ!?」

 その身体を立ちあがっていた紫龍が抱き止めたが、これまでに蓄積されていたダメージと衝撃に二人してその場に倒れ込んでしまう。

『しぶといなぁドラゴンッ! 大人しく死んだフリをしておけば良かったものを。雑魚を庇って命を散らすかぁ!?』

 生命力を、小宇宙を著しく消耗していた紫龍の纏うドラゴンの聖衣は既に重いプロテクターとしてしか機能はしていない。
 盾にでもなれれば。そう思いここまで来たが、氷河の言っていた通り、今の自分では足手纏いにしかならないのだろう。
 このまま命を落とす事は、ただただ己の不覚故。それを大人しく受け入れるつもりもないが理解は出来る。

 だが、しかし、だ。

 今、奴は何と言った?

「……訂正しろ」

『あぁあん? 雑魚を雑魚と言って何が悪い?』

「オレに対する侮蔑の言葉なら幾らでも吐くがいい。だが、那智に対しての言葉は聞き逃すわけにはいかん。オレを救おうとした男だ」

 紫龍は今や重しにしかなっていない聖衣を脱ぎ捨てた。死に体となった今の自分には聖衣という鎧は不要とばかりに。

『おいおいぃ、気でも狂ったか? 敵を前に聖衣を捨てる馬鹿がいやがるとはよぉ!』

 姿を消したままブラックカメレオンが笑う。馬鹿めと。お前は阿呆か、と。
 紫龍はそれに対して一言も返さない。那智の身体を横たえると、そのまま両目を閉じてその場に立ち尽くす。

「……仇はこの手で討つつもりだったのだがな」

 紫龍のその姿を見たブラックドラゴンが「許せ」と小さく呟いた。そしてブラックカメレオンに告げる。
 見えぬ相手を見据える様に。姿を消したブラックカメレオンの立つ場所に向けて。

「お前の負けだブラックカメレオン。今のドラゴンにお前では勝てん」

『――ッ!? は、ひゃははは! 何を馬鹿な事を言ってやがるぅ!! 覚えていろぉ、こいつを殺したら次はテメエだぁッ!!』

 姿の見えぬ敵が紫龍へと迫る。
 紫龍は瞳を閉じたまま動かない。

 ――死ねぇ!

 ブラックカメレオンが心の中で必勝の声を上げる。
 このまま奴の背後からステルスウィップで切り裂くのだ、と。
 その背中に浮かんだ龍の刺青ごと切り裂いてやる、と。
 手にした鞭を振りかぶり、ブラックカメレオンは血の海に倒れ伏す紫龍の姿を幻視した。

「やはり――背後から来たか」

 その瞬間、ブラックカメレオンの喜悦に満ちた表情が凍った。
 見えていないはずの自分と、背後へと振り向いた紫龍の目が合っていたのだ。

「姿を消し、気配を消そうとも、お前は敵を仕留めるときは常に背後から仕掛けるのだろう? オレに対してそうした様に。那智に対してそうした様に」

 ――どうして?

「来る方向が分っていれば後はタイミングだ。小宇宙を広げ己の感覚を天然自然の一部と化す。此処に至ってようやく老師の仰られた境地の一端に爪先を踏み入れる事が出来た」

 紫龍の身体に燐気が浮かび、淡い光が右拳に集まる。

「これぞドラゴン最大の拳」

 振り上げられる紫龍の拳をブラックカメレオンはまるでスローモーションの様だと思い見ていた。見ている事しか出来なかった。

“廬山昇龍覇”!

 空高く舞い上がる昇龍の勢いは天を貫く。
 ブラックカメレオンは紫龍の拳を受けて天高く舞い上がり地上へと墜ちていった。



「……」

 全身全霊を込めた昇龍覇によって著しく小宇宙を消耗した紫龍はその場に膝をつき、やがて力無く崩れ落ちる。

「見事だ」

 意識を失うその間際、紫龍はそんな声を聞いた気がした。



[17694] 第36話 飛べペガサス!星矢対ジャンゴ!の巻※2012/8/13修正
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:b52576b3
Date: 2012/08/13 00:58
 氷河と別れた後、星矢と瞬はジャンゴ達の姿を捉える事に成功した。奪われた射手座の黄金聖衣のパーツと沙織の姿も、だ。
 戦うな、と氷河は二人に忠告をした。お前達では手に余る、と。

「だからと言って、はいそうですかと頷けるものかよっ!」

「……うん!」

 星矢の憤りの中には確かに氷河への反発もあったが、それよりも彼自身の正義感が“何もしない”という行動を許さなかった。
 勝てるから戦う、出来るからする、ではない。城戸沙織の事が気にくわない、そんな事など関係ないのだ。
 瞬の場合は一輝の存在だ。憧れであり目標である存在。幼き頃、兄に守られるだけの弱かった自分はいつもああなりたいと思っていた。
 瞬の記憶の中の兄であれば、黄金聖衣を強奪しあまつさえ人を傷つけ攫うような輩を目の前にすれば必ず止めたはずなのだ。

 そして二人はジャンゴ達に追いついた。
 それが、ジャンゴがあえてそうしたのだと気付かぬままに。

「クックク、追い着いただと? 違うな、追い着かせてやったのだ。後ろでチョロチョロされるのも目障りなんでなぁ」

「何だと!? ふざけやがって!」

「待って星矢!」

 制止の声を上げた瞬の示す先にはB(ブラック)フェニックスによって羽交い締めにされた意識を失ったままの沙織の姿があり、口元は抑えられその喉元には手刀が当てられていた。

「沙織さんが人質にされているんだ。このままじゃ……」

「チッ、クソッ! やいジャンゴ! 聖域にいた時から嫌な奴だったけどな、まさか女を人質に取るような見下げ果てた奴だったとは思いもしなかったぜ!」

「喚くなよガキが! このジャンゴ様が青銅の小僧如きを相手に人質など取るものかよ! おいお前ら、オレは奴らと少し遊んでから行く」

 ジャンゴの指示に従い、沙織を拘束している者以を除いた暗黒聖闘士達がこの場から走り去る。黄金聖衣のウエストとショルダーのパーツも共に。
 星矢と瞬にそれを追う事は出来なかった。

「待て!!」

「……クッ!」

 歯噛みする二人を嘲笑う様にジャンゴが続ける。

「そうだったなぁ星矢、お前とは知らぬ仲でもなかったか。ならば、お前と一対一で戦ってやろう。オレ様に勝てれば娘も黄金聖衣もくれてやるわ。
 拒否しても構わんぞ、その時にどうなるかは言う必要などあるまい? それとアンドロメダ、お前は手を出すなよ? まぁ手を出しても構わんが……クッ、ククッ」

「……星矢……」

 瞬の不安に満ちた呟き、その意味は星矢自身が痛いほどに良く分っている。
 聖衣の破損と紫龍戦のダメージは深刻であり、ジャンゴ自身それを分った上での指名だという事を。そして――

「厳つい外見のくせに根は暗いんだな。シャイナさんから聞いているぜ、海斗にやられて聖域から追い出された、ってな」

 星矢の言葉に、それまで薄ら笑いを浮かべていたジャンゴから表情が消えた。
 コロッセを立ち去る時に残していた言葉からも海斗に対して並々ならぬ思いを抱いているのは分っていたのだ。

「海斗を相手にしたくないから、アイツの知り合いだったオレに八つ当たりをしたいんだろう?」

 私怨なのだろう。つまりは。鬱憤を晴らしたいのだ、奴は。



 そうして始まった星矢とジャンゴの戦い。しかし、それは戦いと呼べる様なものではなかった。
 炎を操るジャンゴの力は、力量の差は、例え星矢が万全の状態であっても勝機を見出すには奇跡を必要としたであろう程に大きく。
 それでいて沙織の存在を盾にする様にBフェニックスが動いていたのだ。
 ジャンゴが攻撃を放てば星矢の背後に立ち、星矢が攻撃を――流星拳を放とうとすればジャンゴの背後に立つ。
 星矢が避ければ沙織が攻撃を受ける事となり、ジャンゴへの攻撃を外せば、ジャンゴが攻撃を避ければ星矢自身の手で沙織を傷付ける事になってしまう。
 瞬の動きが封じられた今、星矢はジャンゴに一矢も報いる事が出来ぬまま痛め付けられていた。
 既に身に纏ったペガサスの聖衣は鎧の体を成してはおらず、頼みの綱の流星拳も封じられてしまっている。
 勝算も無く、ただやられる為だけに立ち上がる。



 まるで燃え盛る岩石の様だ。
 星矢は周囲の光景を歪めて見せる程の熱波の中で、自らの身体を吹き飛ばしたジャンゴの拳をそうイメージしていた。
 炎の海の中、頬を伝って零れ落ちる汗と血を拭い、膝に手を突きながらもどうにか立ち上がって見せる。

「星矢ッ!?」

 直ぐ後ろから自分の名を叫んだ沙織の、星矢の知る城戸沙織という少女がおよそ出すはずのない、自分を心配する声を聞き、絶体絶命の状況でありながらも思わず笑みを浮かべてしまう。

「起きちまったのか。ヘッ……なんて声を出すんだよ沙織お嬢さん。あんたらしくねぇんじゃねぇの?」

 軽口を叩き強がって見せたのは、星矢にとっては意地の様なものだった。男たるもの、というやつだ。

「昔にみたいにふんぞり返ってさ、こう、エラソーにしているのが……らしいんだよ」

 大きく息を吸い、吐く。辺りに燻る炎に熱せられた空気はとても快適とは言えないものではあったが、それでも力を蓄えるためには必要だった。
 自らの守護星座――ペガサスの軌跡を描くようにして身構える。
 相対するジャンゴは薄ら笑みを浮かべて見ているだけだ。
 そのジャンゴの後ろでは、戦っている星矢自身よりも辛そうな表情を浮かべた瞬が拳を握り締めて立ち尽くしていた。

「そのしぶとさだけは褒めてやろう。だがな、もう飽きた。せめて最期はこのジャンゴ最大の拳で葬ってやろう」

 物言わぬサンドバッグ相手はつまらぬ、と。
 溜飲を下げた訳ではなかったが、言葉の通り、ジャンゴはこれ以上は無意味だと終わらせる事に決めた。
 岩石すら溶かす炎の拳“デスクィーンインフェルノ”によって。

「……」

 星矢は背後で沙織を連れたBフェニックスが動いたのを感じ取っていた。
 もはや星矢に避ける力無しと見たのか、ジャンゴの拳に巻き込まれる事を恐れてなのか。

(どっちだっていいさ。少なくとも、これからオレがどうなっても、沙織お嬢さんに被害が及ぶ事は無くなった)

 身構えていた星矢はふと気付いた。
 そんな事を考える余裕が自分に生まれている事に、そしてこれから自分が行おうとしている事に一切の不安を感じていない事に。
 それは不思議な感覚だった。

(まるで姉さんと一緒に過ごしていたあの時の様な……。何の不安も無かったあの頃の様な……)

「ウワハハハーーッ! さあ、燃え盛る炎でその身を焼き尽くし灰になれ星矢ーーっ!!」

 勝利を確信していたジャンゴは気付けない。瀕死のはずの星矢から立ち昇る澄んだ小宇宙に。強い意志を、決意を秘めた眼差しに。

「……星矢の小宇宙が高まって行く。いや、これは星矢の、星矢だけの小宇宙じゃない!」

 手を出す事を許されず、ただ見る事だけしか出来なかった瞬には気が付く事ができた。

「もっと大きな何かが、包み込む様な温かな小宇宙が星矢を……。まさか、この小宇宙は!?」

 星矢に力を与えた存在に。

「沙織……お嬢さん、なの……か?」



「くらえっ、地獄の炎を! “デスクィーンインフェルノ”ーーッ!!」

 灼熱の炎を纏ったジャンゴの拳が無数の散弾となって星矢に襲い掛かる。

「オレはこんな所で死ぬわけにはいかないんだ! 高まれオレの小宇宙よ、今こそ奴よりも熱く燃え上がれーーっ!!」

 星矢の身体から立ち昇った小宇宙がペガサスのヴィジョンとなって飛翔する。

“ペガサス流星拳”!!

 迫り来る炎の散弾。
 その全てを輝く流星が打ち砕く。

「な、何だとーーッ!? 馬鹿な! ありえん、半死半生の小僧が!? 星矢如きが――」

 起こり得るはずのない光景。驚愕のあまりにジャンゴの思考が停止する。

「背後を取ったぞジャンゴ。こうなってしまえばもう小細工は通用しないぜ」

「――ッ!?」

 星矢の声で思考を取り戻したジャンゴは、そこで己の身体が星矢によって羽交い締めにされている事に気が付いた。

「ブ、Bフェニックスよ! あの娘を――」

 ジャンゴはならばと捕えていた沙織を使い、起死回生を図ろうとする。

「――それを許すわけにはいかない! チェーンよ、敵を討て! “サンダーウェーブ”!」

 その指示よりも速く瞬が動いていた。
 右腕に繋がれた角鎖(スクエアチェーン)が瞬の意思に従い雷光の様な奇跡と鋭さをもってBフェニックスへと襲い掛かる。
 電光を纏った必中の一撃が、驚愕の表情を浮かべたまま動きを止めていたBフェニックスを打倒し、その戒めから沙織を救う。

「ガ、ガキ共があぁああああああ!!」

「受けて見ろジャンゴ!」

 ジャンゴを羽交い締めにしたまま星矢が――跳んだ。天高く。
 そして、きりもみ状に高速回転をしながら頭から大地へと落下する。

“ペガサスローリングクラッシュ”!!

 それは天から落ちた一筋の流星であった。

 轟音を立てて落下した流星は大地を穿ち、巨大なクレーターを生じさせる。
 巻き上がった砂塵が風に吹かれて薄まりを見せ、ふらつきながらも歩き出す人影を映し出した。星矢だ。

 自分に向かって駆け寄って来る沙織と瞬の姿を確認し、星矢は仰向けに、大の字になってその場に倒れ込んだ。





 第36話





「オレは手を出すな、と言ったはずだったが」

 凍気を操るから、という訳でもあるまいに。氷河の口から発せられた言葉には一切の熱が無く、青い瞳に宿された怜悧な輝きがより一層冷たさを増している様に星矢には感じられた。

「瞬、お前もだ。まさかお前までが……」

 いたずらを叱られた子供の様な、憮然とした表情を浮かべている星矢に反して瞬の落ち込み様は大きい。
 星矢が大の字になって倒れた時に氷河がこの場へ到着し、先程事のあらましを聞いたわけなのだが。

(瞬の性格からして、星矢が傷付く姿を見ているしかできなかった事で自分を責めているのだろうとは分るが)

「……うん、そうだね。ごめん……氷河」

 纏った聖衣を大破させて一人では起き上がれない状態となった星矢と比べ、瞬自身のダメージは皆無と言ってもよい。目に見える差も後押しをしているのだろう。

(これではまるでオレが悪人じゃないか。正しい事を言っただけだぞ?)

「……氷河」

 おまけにこれだ。傷付いた星矢を抱きかかえた沙織の「もうそれぐらいで良いでしょう?」と訴え掛ける様な、そんな視線を向けられては。
 そこには氷河の知る我が儘なお嬢様の姿は無い。死んだ母を思わせる様な、母性とも言える様な、そんな何かを目の前の沙織から感じる事に氷河は戸惑っていた。
 自ら着ているドレスの裾を破り、瞬と共に星矢の手当てをする姿に。

(六年も経てば人は変わるが、それにしてもこれが本当にあの沙織お嬢さんなのか? それに……)

 ここに到着するまでに氷河は幾つかの大きな小宇宙を感じ取っていた。それらの中で、ただ一つ、僅か一瞬であったが異質な小宇宙が含まれていたのだ。
 攻撃的な小宇宙の中にあってそれは安らぎを感じさせるものであった。

「まさか、な」

 痛いだの死ぬだのとうるさく喚く星矢を、これなら放っておいても大丈夫だと判断した氷河は、妙な居心地の悪さを振り切る様に思考を切り替える事にした。
 星矢がジャンゴを倒し、沙織を救い出す事に成功したものの、射手座の黄金聖衣のウエストとショルダーは持ち去られてしまっていた。
 九つに分けられたパーツの内、海斗が左腕を、自分が暗黒スリーから右脚を奪還しており、道中で出会った一輝の言葉振りから幾つかのパーツはあちらの手に渡っていると考えられる。

「ジャンゴを倒しお嬢さんを救い出した事で状況が進歩したと思いたいが……。一輝達の目的が不明瞭な現状では、奴らも黄金聖衣を欲していた以上は敵対すると考えておく方が無難か」

 おかしな話になって来たと。自分は私闘を繰り広げようとする星矢達の制裁に来たはずなのだがと。
 氷河は今更ながらに日本に来た目的を、そう言えば海斗の目的は黄金聖衣だったな、と思い出す。

「……いっその事、面倒事は全て海斗に丸投げしてやろうか」

 一年前、極寒の地ブルーグラードで氷戦士(ブルーウォリアー)相手に囮にされた事を思い出し、氷河は半ば本気でそう考える。

「今、何か物凄く不穏な事を考えなかったか氷河?」

 それが良いと氷河が自分の中で結論を出そうとした時、計ったわけでもあるまいに、両脇に黄金聖衣のパーツを抱えた海斗がタイミング良くこの場に姿を現した。眉を顰めながらであったが。

「心にやましい事があるからそんな風に人を疑うんだな海斗」

「……海斗……なのですか?」

「……久しぶりだな、お嬢さん。見たところ大した怪我もなさそうだし、無事の様で何よりだ。それと……また派手にやられたもんだな星矢」

「オレは負けてない! あタタタタッ!?」

 切り返してきた氷河の言葉を黙殺して、海斗は沙織と星矢に向けていた視線を瞬へと動かし、抱えていた黄金聖衣のパーツを投げ渡した。

「これは、さっき持ち去られたパーツ」

 持ち去られたウエストとショルダーのパーツだ。それをどうしたのかと尋ねる瞬に、海斗はさらりと「蹴散らしてきた」と答えた。
 比喩では無く、言葉の通り“蹴散らした”のだろうと、沙織を除く三人が察した。

「片方がブラックエクレウスだ、何て名乗りやがったからな。思わずこう……」

「過程はどうであれ、これで奪われた黄金聖衣の内四つのパーツがこちらに戻った事になるな。いや、アレも含めれば五つか」

 倒れ伏したジャンゴの側に、射手座の黄金聖衣のヘルメット状のマスクが転がっていた。ジャンゴが所持していた物なのだろう。

「お嬢さんも救い出し、奪われた黄金聖衣のパーツの半分が揃った。後は邪武達の治療に暗黒聖闘士の残り、そして一輝の出方か」

「一輝? 一輝がいたのか?」

「後で話す。一度状況を纏める必要がありそうだからな」

 尋ねる海斗に億劫そうに答えた氷河は、クレーターの中心で倒れ伏しているジャンゴの元へと歩き出した。

「――ッ!? 下がれ氷河ぁっ!!」

 氷河の知る限り聞いた事が無い、そんな切羽詰まった様な余裕のない海斗の叫び――警告であったからこそ、氷河はそれに迷う事無く従った。
 すると、ボウッと、何かが爆発した様な音が響き、蒼い炎がそれまで氷河のいた場所を巻き込むように渦を成して燃え上がる。

『ぎぃやぁあああーーーーっ!?』

「――ッ!?」

「な、何だ!?」

 炎の中心で絶叫する人影を見て沙織が、瞬が息を飲み、星矢が驚愕する。

「ジャンゴの身体の上にもう一人のジャンゴが!? いや、違う!」

「霊体、か? ジャンゴの魂が燃えているのか?」

 まるで炎であぶられたロウ人形の様に、蒼い炎の勢いが増せば増す程に、ジャンゴの身体の上に現れた魂がその形を失い悲鳴も言葉にならないただの音と化して小さくかすれたものとなって行く。

「それに……この蒼い炎、ただの炎ではないぞ」

 何が起きているのかを冷静に観察していた氷河が呟く。確かに燃えているのに――灰と化さないのだ。
 蒼い炎に包まれたジャンゴの肉体も、その周りの草木も。

「多分……鬼蒼炎だ。気を付けろよ、だとすればあの炎の前には聖衣だのなんだのは役に立たない。何しろ魂そのものを燃やすらしいからな」

 周囲を窺いながら海斗が氷河の肩を掴んで今よりも更に炎から遠ざける。

「チッ、まいったな」

 海斗が舌打ちをして倒れ伏しているジャンゴの身体を見た。その傍には射手座の黄金聖衣のマスクが転がっている。

「……嫌な予感しかしねぇ」

 ――ほう、鬼蒼炎を知る者がいたか。

 その場にいた全員の脳裏に男の声が聞こえた。若者の様な、年老いた老人の様な、どこかズレを感じさせる声が。

 ジャンゴの魂が、鬼蒼炎の炎が爆ぜた。
 空間が歪められ闇が漏れ出す。漏れ出した闇は影となって人の形を浮かび上がらせる。

 それは、顔の右半分に十字の傷がある男だった。
 男は黒いコートを身に纏い、周囲に鬼火を纏わせていた。

「初めまして、当代の聖闘士諸君」

 口調は丁寧、しかし、その瞳には明らかな蔑みの色が有った。全てを見下した、そんな目だ。
 男の醸し出す異様な気配の小宇宙は強大であり、その視線を向けられた星矢達の小宇宙が乱れを生じさせた事を海斗は即座に感じ取っていた。巨大な波の前には小さな波など掻き消されてしまう様に。
 聖闘士の起こす奇跡の技の源は小宇宙であり、小宇宙が強大である事と強さはほぼイコールで結べる式だ。
 強い、と海斗は目の前の男をそう評価した。敵であれば、全力で当たる必要がある相手だとも。

「そんな!? チェーンは何の反応も示さなかったのに……」

「鬼蒼炎にその鬼火、って事は積尸気経由かよ。気にするなよ瞬、こんなモン探知できなくて当たり前だ」

 瞬に慰めの言葉を掛け、デスマスクやシャカ辺りなら気付くだろうがな、と内心で毒づきながら海斗は頭を抱えたくなっていた。
 二年前の時も大概だったが、今日は厄日過ぎやしないかと。
 メフィストの挑発に始まりアイアコスとの戦い、暗黒聖闘士の襲撃に黄金聖衣の強奪と沙織の誘拐。果てに、どう見ても味方ではない積尸気の使い手の登場だ。

「フフフッ、なかなか詳しい者がいるな。そう、オレは貴様の言う通り積尸気を操る者――暗黒祭壇星座(ブラックアルター)のアヴィド」

 貴様らの敵よ、そう続けてアヴィドがゆっくりと地に降り立った。
 翻ったコートの隙間から暗黒色に染まった聖衣が見える。その造形は確かにニコルが身に纏うアルターの聖衣と同一であると、それを知る海斗には分った。

「折角だから遊んでやろうとも思ったが、こちらにも事情が合ってな。手短に用件だけを済まさせて貰うぞ」

 ジャンゴの遺体を踏み抜き、アヴィドが進む。射手座のマスクを拾い上げると、星矢や瞬に庇われた沙織へとその視線を向けた。
 ただ、瞬を見た瞬間にアヴィドが僅かではあったが驚きを見せた事が、なぜか海斗には気になった。

「ふむ、身に纏う雰囲気は異なるが……その片鱗は確かに感じ取れる。ならばこう言いましょう、お久しぶりですな」

 しかし、それも次の言葉で意識の外に追いやられる。
 沙織に向けて放たれた言葉によって。



「――幼きアテナよ」



[17694] 第37話 勝者と敗者の巻
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:b52576b3
Date: 2012/08/13 04:15
「――幼きアテナよ」

 そのアヴィドの言葉に星矢が、瞬が、氷河が沙織へと振り返り――

「えっ?」

「何!?」

「アテナ? 沙織お嬢さんが!?」

 海斗はアヴィドへと向かって踏み込んだ。
 パンと、大気が破裂した様な音が鳴り響き、星矢達が今度はその音へと向けて振り返る。
 カランと、射手座のマスクが地面に転がっていた。

「ククッ、アテナとの語らいを遮りいきなり殴り掛かって来るとは……。これは飼い犬の躾がなってないのではありませんかなアテナ?」

「そう言うお前は一体どこのどいつの飼い犬だ?」

 海斗の突き出された左拳をアヴィドが右手で受け止め、アヴィドの繰り出した左脚での蹴りを海斗が右手で止めていた。

「気配がおかしい。まるでギガス達の様な――冥府の気配が濃過ぎる」

「人の事をとやかく言えるのか? こうして触れ合った事で分ったが、貴様の魂の在り様も――随分とおかしいな」

「――ッ!?」

 アヴィドの言葉を受けた海斗は、ハッとした様子で慌てて左手を振り払い、その場から飛び退く。
 ピシリと音を立て、アヴィドの右手を覆った聖衣が砕け散り鮮血が舞う。しかし、アヴィドはそれを気にした様子も無く、興味深そうに海斗を眺めていた。

「ほう、強いな。単純な力比べでは勝てんか。だが――」

 右手から滴り落ちる血を振り払い、懐から葉巻を取り出すとそれを咥えてニヤリと笑う。

「積尸気を、鬼蒼炎の事を知りながら俺の間合いに踏み込んだのは浅慮だったな。この傷の代償に……」

 轟、と音を立てて海斗の左腕が蒼い炎に包まれて――

「貴様の魂を焼き尽くす」

 ――燃え上がる。

「海斗ッ!」

「――来るなッ!」

 飛び出そうとした瞬を制止すると、海斗は右手に生じさせた水球を燃え上がる左腕に叩きつけた。

「ぐぅッ!」

 焼け付く様な音と閃光が広がる。
 咄嗟の事で目を瞑った星矢達とは異なり、その全てを見ていたアヴィドが感嘆の声を漏らした。

「ほう、ただの水では決して消えぬ炎を消すとはな。貴様のその水、アレグレの息吹の様に浄化の力があるのか」

 聖衣に亀裂こそ走っていたが、アヴィドの言う通り海斗の左腕を包んでいた炎は完全に消え去っていた。

「だが、鬼蒼炎に包まれたその左腕はしばらく使い物にはなるまい?」

「……試してみるか?」

 不敵に笑ってみせながら、海斗が拳を握りしめた左手をアヴィドへ向けて突き出す。

「そっちこそ、呑気に葉巻なんぞ咥えちゃいるが、まともに吸えてはいないだろう?」

「フッ」

 口元を歪めてアヴィドが笑い、ビキシッと音を立てて聖衣の胸部に亀裂が走った。

「クククッ、ハハハハハハハッ! 面白いな貴様!! 奴からのくだらぬ雑事などさっさと済ませて、と思っていたが!
 俺は今どうしようもなく――貴様を叩き潰したくなったぞ! 完膚なきまでにな!!」

 アヴィドの身体から立ち昇る暗黒の小宇宙がその密度を増して周囲へと広がる。
 対峙する海斗からも青と白の螺旋を描いた小宇宙が立ち昇る。

「これが……海斗の本気の小宇宙か」

「くっ、二人とも……なんて攻撃的な小宇宙なんだ」

 対峙する二人を前にして星矢達は動けない。
 自分達が動く事で対峙する二人もまた動くのだろうという事が、理屈ではなく感覚として理解出来てしまったために。

「左手の使えない海斗と幾ばくかのダメージを抱えたあの男。下手をすれば、このまま千日戦争(ワンサウザンドウォーズ)に似た状況になるかも知れん」

 海斗の実力を知っている氷河には星矢や瞬ほどの驚きは無い。冷静に戦況を分析し千日戦争の可能性を示唆する。
 千日戦争(ワンサウザンドウォーズ)――実力の伯仲した黄金聖闘士同士が戦った際に陥ると言われる状況である。お互いに一歩も動けず、千日経っても結着が着かず対峙し続けるという意味だ。

 その場の誰もが固唾を飲んで見守る中、遂に状況が動いた。

 誰もが予期しなかった第三者の手によって。



 ――いつまで遊んでいるつもりだアヴィド。

 その女の声は、波動を伴って周囲へと広がった。
 物理的な圧力を感じさせる程の巨大な小宇宙の波だ。

「うわぁッ!」

「うぐぅ、な、何なんだ? この息苦しさと圧迫感は……」

 その影響により瞬が膝をつき、氷河が意識すら押し潰そうとする不可視の重圧に表情を歪める。

「さ、沙織お嬢さん、大丈夫か?」

「わ、わたしは大丈夫です星矢。でも……こ、この小宇宙は……」

 星矢と沙織は互いに支え合う様にしてどうにか立てている、といった状況だった。

「……チッ」

 つまらなそうにアヴィドが舌打ちをし、海斗との間合いを開けた。

「この感覚は――まるであの時の、ポルピュリオンと対峙した時の様な……」

 海斗もまた、目の前のアヴィドよりもこの異様な小宇宙の持主に脅威を感じ、その意識を向ける。
 いつしか空は黒雲に覆われ、周囲はまるで夜の中であるかの様に暗く。
 星矢達が高まる圧力に蹲る中で、海斗だけは厳しい表情のまま空を見上げていた。そして気付く。

「まさか――」

 かつて、これと似た感覚を自分に与えた存在を思い浮かべ――最悪の想像に思い至る。

「――神か!?」

 その瞬間、黒い空に雷鳴が鳴り響いた。

 黒い空を雷光が切り裂く。
 切り開かれたそこに、黄金に輝く何かがあった。
 林檎だ。黄金に輝く林檎が空に浮いていた。
 そこに人影が映っていた。それは、少女であった。

「な……何?」

 そこに映った少女の顔を見て、咄嗟に海斗はその視線をある人物へと向けていた。

 再び雷鳴が鳴り響く。続けて五回。
 一つ鳴る度に地面に巨大な石柱が突き立てられて行く。

「いや、柱じゃない!」

 瞬が叫ぶ。

「これは――石櫃だ!!」

 雷が――落ちた。

 石櫃が轟音と共に崩れ去り、そこからゆっくりと五つの人影が姿を現す。

 一人は矢を象った聖衣を纏った男。

「矢座(サジッタ)の魔矢」

 一人はその左腕に巨大な盾を備えた聖衣を纏った男。

「楯座(スキュータム)のヤン」

 一人は十字の刻印を施された聖衣を纏った男。

「南十字星(サザンクロス)クライスト」

 一人はその手に銀色に輝くハープを持った、かつては伝説の吟遊詩人とまで呼ばれた男。

「琴座(ライラ)オルフェウス」

 一人は最強の称号を与えられた古の聖闘士を名乗る男。

「オリオン星座のジャガー」

「……そんな、まさか……」

 石櫃から現れた五人の姿を、名を聞いて瞬が信じられないと頭を振った。

「……遥か古の戦いにおいて、アテナの聖闘士として勇名を馳せた伝説の闘士……」

 争乱の邪神との戦いで、常に先頭に立って戦い続けた勇者達の名だ。

「――違う、な」

 瞬の呟きに否定の声を上げたのはジャガーを名乗った男だった。

「我らはこうして今、此処にいる。そして、我らはアテナの聖闘士ではない。我らの神の名は――エリス」



「エリス様に忠誠を誓った幽闘士(ゴースト)よ」





 第37話





 エリスの幽闘士(ゴースト)。
 雷鳴と共に現れた五人の戦士。彼らは星矢達を一瞥すると――

「お迎えにまいりました――アテナ」

 王を迎える騎士の如く。戸惑いを見せる沙織を前にして、その場に膝をついた。

「我らが主――エリス様が貴女をお待ちです」

「エリ、ス……? まさか!?」

 ジャガーの言葉、エリスの名を聞いた沙織はハッとした様子で空に浮かぶ光を――黄金のリンゴへと目を向ける。
 生前、祖父城戸光政は幾つもの伝説や伝承、神話を幼い沙織に聞かせ続けてきた。

「……彗星レパルスの導きによって、争いの女神エリスが黄金のリンゴに姿を変えて蘇る……」

(この世を災いの世界にするために)

 その時、沙織の思考を打ち切らせるようにぐっと、肩にかけられた星矢の手に力がこもる。
 未だ足下のおぼつかない様子ではあったが、それでも背筋を伸ばして沙織を庇う様に立つ星矢の姿に、ほう、とゴースト達が笑みを浮かべた。

「大人しく我らと同行して頂けるのであれば何もいたしません。そう、貴女の大事な聖闘士達がそれ以上傷付く事もありますまい」

 ゴースト達が立ち上がり、先頭に立つジャガーが沙織へと向かって歩みを進める。

「くっ、この……!」

「お前では無理だ。下がっていろ星矢」

 そうはさせじと、身構えた星矢の前に立ち塞がる影があった。氷河だ。
 氷河の身体から立ち昇る小宇宙が、凍気に満ちた白の世界が星矢達を護る様に広がり、ゴースト達の“黒”を塗り潰す様に侵食する。

「エリス様の小宇宙の波動を受けながらも立つ、か。敵は――エクレウスとフェニックスだけかと思っていたが、これは認識を改める必要があるやもしれんな」

「ほざけ。貴様らが何者で、何を目的として沙織お嬢さんを狙うのかは知らん。だが、この黒くざわつく小宇宙を、その持ち主を放って置く事は出来ん。それだけは分る!」

 氷河の拳が白鳥座の軌跡を描き、闘志に満ちた小宇宙が白鳥のオーラとなって舞い上がる。
 動きをみせようとした背後のゴースト達を制したジャガーが「面白い」と笑う。

「受けよ我が氷の拳を! “ダイヤモンドダスト”ーーッ!!」





「……チッ。次から次へと」

 氷河とジャガーの戦いを前にして海斗が舌打ちを一つ。
 目の前には残る四人のゴーストが立ち塞がり行く手を阻んでいた。

「他のブロンズ共はともかくとして、貴様だけは別だ、エクレウス」

「このまま見逃すには貴様の力、あまりにも危険過ぎる」

 そう思うなら俺の邪魔をするな。
 ヤンとオルフェウスの言葉に対して喉元まで出かかった言葉を飲み込み、どうするかと海斗は思考する。
 ゴースト全員と戦い、勝つ。それだけで良ければどうとでも出来る自信はある。
 背後にいるアヴィドと戦い、勝つ。後先を考えなければ、これも何とかなると思っている。

(問題はこの状況か。この二つを同時に行い、なおかつ沙織達を護る、ってのは……)

 氷河には悪いが、海斗は氷河がジャガーを倒せるとは思っていない。氷河の戦闘力が白銀(シルバー)聖闘士に匹敵する事を知っていても、だ。
 ゴースト達から感じる小宇宙の強さから、その戦闘力をシルバーの中位から上位クラスに匹敵すると想定してなお、ジャガーのそれは四人を上回っている。
 黄金聖闘士が不在の時代の聖闘士であれば、最強の称号を与えられていた事にも納得出来た。

 いっその事、アナザーディメンションで諸共に吹き飛ばそうか。そんな事を考える。
 次空間を捻じ曲げて異次元の彼方へと敵を葬り去る双子座(ジェミニ)の秘技。
 異空間への扉を開き、敵を葬り去る海将軍シードラゴンの秘技ゴールデントライアングルとも通ずる部分の有る技である。

(案としては悪くない。悪くはないが、問題はその後だな)

 “千年前の自分”と“かつての自分”はそれを“道”として用いる程に制御しきっていたが、今の海斗には入口を開く事しか出来ず、出口を創り操作する程の制御力は無かった。

(石の中にいる、何て洒落にならん)

 その瞬間、思考の隙を狙ったかの様にゴーストの二人――魔矢とクライストが仕掛けた。

「狙った獲物は絶対に外さぬ死の狩人。それがこのサジッタの魔矢よ。くらえ! “ハンティングアローエキスプレス”!!」

 引き絞り放たれる矢の如く。突き出された魔矢の左拳から無数の小宇宙の矢が放たれる。そのビジョンはまさしく矢であった。

「“エンドセンテンス”!」

 迎撃の意識に反して咄嗟に動かぬ左腕。それに眉を顰めながら、海斗が光弾を放つ。
 ドガガガガッ!

「何っ!? ええぃっ!!」

 ぶつかり合い、打ち砕かれて行く小宇宙の矢。ならばと、更に勢いを増して放たれるハンティングアロー。
 しかし、その降りしきる矢の雨の尽くを打ち砕き、粉砕して、光弾が次々と魔矢へと襲い掛かる。

「だがっ! この楯座のヤンに、この最高の盾に通じるものかッ!!」

 魔矢の前に立ったヤンが、自身の星座の象徴とも言える左手の巨大な盾でもってエンドセンテンスの全て受け止める。しかし――

「い、勢いが……!? な、何だこの衝撃は! た、耐えきれ――ぐおおおおおーーっ!?」

「ヤン!? う、うわああーーっ!」

 レンガの壁に向けて撃ち出された機関銃の如く、瞬く間に巨大な盾が砕け散る。
 その勢いのままに、ヤンは背後に庇った魔矢を巻き込んで吹き飛ばされた。

「案ずるより産むが易し、ってか」

「魔矢! ヤン! おのれぇッ!!」

 吹き飛ばされた仲間の姿がクライストを吼えさせた。

「このクライストの拳は全てを凍らせる絶対の凍気の拳!」

 両腕を交差させ自身の星である南十字星を形作り必殺の拳を放つ。
 受けるか、躱すか。
 その判断を下すより速く、海斗は自身の身体に感じる違和感に気が付いた。
 何かに引っ張られている。視線を動かせば、オルフェウスが手にしたハープから幾つもの光が伸び、それが自分の身体に巻きついている事に気付く。

「君の動きは封じさせてもらった。このストリンガーの呪縛からは逃れられ――」

 逃れられない。そう続けようとして――オルフェウスは驚愕の表情を浮かべてその場から飛び退いた。それは直感に従っての行動であった。
 一条の閃光。そうとしかオルフェウスには見えなかった。
 切断されたストリンガー、弦が宙を舞い、大地が一刀の元に切り裂かれる。
 海斗の放った手刀による一閃。

 鍛えられし聖剣(エクスカリバー)には未だ至らず。しかし、聖剣である事に変わりなく。

「シュラ曰く、故にこの拳は“カリバーン”」

「な、何という……一撃……」

 オルフェウスの額から血が流れ、琴座の聖衣に一本の線が奔る。ガシャンと音を立て、その手から両断されたハープが地に落ちた。

 こうして拘束を切り払い、自由を取り戻した海斗にクライストの一撃が届く。
 十字の形に集束された凍気が海斗を襲う。
 ドシュオォオオオオ……!!
 強烈な凍気は瞬く間に海斗の姿を巨大な氷柱へと変えていく。

「“サザンクロスサンダーボルト”ーーッ!!」

 凍結した海斗へ向けてクライストが十字に交差させた手刀を叩き付けた。
 ガシャァアアアン!!
 氷柱の中央、海斗を中心として巨大な十字が刻み込まれ――爆砕した。

「フ、フフ、フハハハハハハーーッ!!」

 光り輝きながら周囲を舞い散る氷の結晶の中でクライストが笑う。
 己の勝利を信じて。

 四散する氷塊と共に吹き飛ばされながら。

 そう、確かに巨大な氷柱は砕かれた。爆砕した。
 その内側から。海斗の手によって。
 突き出された右手は掌底の型を成し、両足は大地に根を下ろす大樹の如く不動。
 最速の抜拳――牡牛座の黄金聖闘士アルデバランの必殺の拳“グレートホーン”、その変形である。
 海斗に向けて吹き付けられた凍気はグレートホーンの生み出した風の壁によって遮られていたのだ。

「こっちは“未来(さき)”に倒さなくちゃならない相手がいるんだ。“過去”相手に手間取っていられないんだよ」





 パァンと乾いた音が鳴り響く。
 次いで、ピシリと。耳障りな、細かな音が続く。

「あ、ああ……そんな!?」

「な、何だと? 氷河のダイヤモンドダストを片手で受け止めるなんて……」

 瞬と星矢の驚愕の声。それは呻きにも似ていた。
 ぽたりぽたりと赤い雫が地に落ちる。
 それを辿ればジャガーによって受け止められた氷河の右拳に辿り着く。

「む、むうおお……っ……」

「フフフッ」

 苦悶の表情を浮かべる氷河とは対照的にジャガーの顔には笑みが浮かんでいた。

「永久氷壁の中に封じられていたキグナスの聖衣か。我らが生きた時代にもそれを身に纏えた者は居なかった。
 青銅位の聖衣ではあったが、だからこそ、それを身に纏える者はどれ程の戦士であるのかと夢想したものよ。その点では期待以上であったな」

「くっ!」

 僅かではあったが氷河の拳を掴んでいたジャガーの手から力が抜ける。
 氷河は即座にジャガーの頭部目掛けて回し蹴りを放ち、その手を振りほどくと距離を取った。
 凍気に護られ高い防御性能を持ったキグナスの聖衣、その右手は氷河の血によって赤く染まり、聖衣は粉砕されていた。

「褒めてやるぞキグナス。このオレの右手を薄皮一枚とは言え凍りつかせたのだからな」

 無造作に振られたジャガーの右手から氷の破片が振り払われる。
 その手には、オリオン星座の聖衣には傷一つ見当たらない。

「さてアテナよ。もう一度問いましょう。大人しく我らに付いて来て頂けますか? 返答如何によっては――」

 ジャガーが氷河へと踏み込む。
 氷河の反応よりも速く、その拳が腹部へと突き刺さる。

「が……ぁ!?」

 身体をくの字に折り曲げて倒れ込みそうになる氷河。

「貴女の聖闘士が一人ずつ死ぬ事になる」

 その後頭部目掛けてジャガーの拳が振り下ろされる。

「氷河ぁッ!? これ以上はやらせない! “グレートキャプチュアー”!!」

 その一撃を止めたのは瞬。
 瞬の手から放たれたスクエアチェーンが振り下ろされたジャガーの拳ごとその身体を幾重にも縛り付ける。

「次はお前かアンドロメダ! だが、これしきの拘束などで――」

 一見して少女と見紛う瞬の容姿からは想像も出来ない程に強力な力――瞬の小宇宙を受けたアンドロメダの鎖が、ジャガーの身体を拘束した。まるで巨獣を締め上げるが如く。

「馬鹿な、何だこの力は!? この小宇宙は!? アンドロメダお前は!」

 氷河のダイヤモンドダストを受けてなお笑みすら浮かべていたジャガーが初めて見せた苦痛の表情。
 そして、二人のゴースト――魔矢とヤンが海斗によって倒された事を確認した瞬は、

「……命までは取りません。あなたも聖闘士であったのならば、その力を正しい事のために――」

 ジャガーに対して降伏を願った。

「敵であっても情けを掛ける、か。それ程の力を秘めながら、いや、力が有るからこそか? それとも本質的なものか」

 何を言われたのか分らない。一瞬その様な表情を見せた後、ジャガーは穏やかな表情を浮かべて笑みを見せた。
 それはアテナの聖闘士として地上の愛と平和のために戦った、真の聖闘士と呼ばれた男の顔であった。
 その表情に、理解を得られたのだと、瞬の警戒が僅かに緩む。

「……アンドロメダ」

 しかし、次いで放たれた言葉には一切の熱が無く。
 ジャガーの顔から表情が消えた。

「その甘さは戦士にとって侮辱以外の何物でもない。戦いを――オレを愚弄するなッ!!」

 これが、一輝が瞬に告げた言葉が現実となった瞬間であった。
 “その甘さがいつかお前の命取りになる”、と。

「ぬぅおおおおおおおおおおッ!!」

「そんなッ! チェーンが!?」

 咆哮にも似たジャガーの雄叫び。
 その身を拘束していたネビュラチェーンがまるで飴細工の様に粉々に砕け散り弾け飛ぶ。
 燃え上がる怒りと憎悪がジャガーの殺気を引き出してしまったのだ。

「真の聖闘士だと? そんな言葉などに意味は無い。お前はオレの何を知っている? オレの戦いを知っているのか?
 死の暗黒の中で人知れず忘れ去られて行く事の無念さが分るものか!」

 黒く燃え上がった小宇宙を身に纏いジャガーが跳ぶ。
 ジャガーから迸る殺意の小宇宙に満たされた空間がその姿を歪め――瞬達を銀河の中へと誘う。現実ではない。小宇宙が生み出すビジョンだ。
 しかし、その中にある瞬達には現実であった。足下にあるはずの大地の感覚が失せ、広大な銀河の中では自分の在る場所ですら掴めない。

 分る事はただ一つ。
 その銀河の中で一際異彩を放つ邪悪な彗星が自分目掛けて迫り来る事だった。



「後は――」

 立ち塞がった四人のゴースト全てを退け海斗が駆ける。
 狙いはジャガーだ。正しく言うなれば、ジャガーを排し沙織達の安全を確保する事。後顧の憂いなくアヴィドと一対一の状況を生みだす事にあった。
 その海斗の肩を、

「この場所は――良くないな」

 掴む者がいた。

「下らぬ邪魔が多過ぎる」

 海斗が振り向く。

「俺にも貴様にも、な」

 ニヤリと口元を歪めたアヴィドと海斗の目が合った。
 ぞわりと足下から這い上がる悪寒に、海斗は己の判断が過ちであったと痛感した。
 何よりも優先して倒すべきはこの男であったのだ、と。

 表すならば“怨”という音。浮かび上がった幾多の鬼火が海斗とアヴィドの周囲を覆い尽くす。

「続きは“向こう”でやろうか。あそこならば誰からも邪魔は入らん。例えエリスであっても、だ。今のアレにそこまでの力は戻っていないからな」

 宙に浮かぶ黄金のリンゴ――エリスの意思に向けられたアヴィドの視線。そこには確かな怒りがあった。憎悪があった。
 それは、対峙したていた海斗にすら向けられていなかった感情であった。

「さあ、行こうか。冥府の入り口“黄泉比良坂”へ」

 這い上がる悪寒が鬼火に照らされ黒い影となる。
 影は無数の人型となって海斗の身体にしがみ付き始めた。まるで地の底に引き摺り込む様に。亡者が天より垂らされた一本の蜘蛛の糸に群がるが如く。



「――“積尸気冥界波”」

 アヴィドと共に海斗の姿が消え去り――

「――“メガトンメテオクラッシュ”!!」

 自らを彗星と化したジャガーの一撃が大地を抉る。

 噴き上がる紅蓮の炎が大地を赤く染め上げていた。



[17694] オマケ(ネタ記載あり)
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:406baf32
Date: 2011/11/05 14:24
 これは、某双子座の弟によりその出番を奪われた男の物語。
『聖闘士せいや!~シードラゴン(仮)の憂鬱~』
 改め
『聖闘士星矢~ANOTHER DIMENSION海龍戦記~』

 ~作中参考年表~
 1986年(原作“聖闘士星矢”第1話/海龍戦記第24話~)
 1986年(海龍戦記外伝~氷原の戦士達~)
 1984年(海龍戦記/B海斗14歳 第2話~)
 1980年(海龍戦記/B海斗10歳 第1話)
 1975年(海龍戦記/A海斗17歳 第1話)
 1973年(原作“アテナ降臨”)
 1743年(聖戦“LC冥王神話”/ND冥王神話)
 1500年(聖戦“LC冥王神話”)
 1257年(聖戦“LC冥王神話・外伝”)
 1015年(海龍戦記外伝1015/キタルファ17歳)
 1014年(聖戦・ギガントマキア/キタルファ16歳)

 ※A海斗→原作世界:海将軍シードラゴン
 ※B海斗→作中世界

 <設定&登場人物の章>(第34話時点)/ネタ記載あり
 名前の後ろはその人物の出典です。作中では性格や役割、立ち位置などが魔改造されていますので外見イメージの参考程度に。
 注釈なしは原作(漫画版車田星矢)です。
 小説→ギガントマキア LC→ロストキャンバス冥王神話 ND→車田冥王 アニメ→TVアニメ 劇場→映画版 エピG→エピソードG

■女神(アテナ)の聖闘士(セイント)
 この世に邪悪がはびこる時に現れるという希望の闘士。
 神話の時代より彼ら聖闘士はアテナを守り、そして共に地上の平和を脅かそうとする神々や邪悪な存在と人知れず戦い続けていた。
 なお、この世界における神々とは「大いなる意思」、「神々の意思」を宿した人間である。
 人の内に眠る小宇宙(コスモ)という核を燃やし爆発させることで、原子を砕く人知を超えた破壊の力を生みだす。
 その拳は空を裂き、大地を砕く。

 聖闘士は自らの星(88の星座)の定めとその実力に応じ、聖域(サンクチュアリ)から神話の時代より受け継がれている聖闘士の証である「聖衣(クロス)」と呼ばれる鎧を与えられる。
 聖闘士は有事の際にそれを身に纏い戦う。
 星座が長い歴史の中でその数を変えているように、聖域でも把握できていない“失われた聖衣”も存在する。

 聖闘士級の実力があっても88の星座の宿命を持たない者には、動物やエレメントをモチーフとした特殊な聖衣が与えられる場合がある。
 そういった“特殊”な聖闘士は、宿命に依らない本人の実力を認められてなるため、青銅聖闘士以上の力を持つ者が多い。

●禁
 究極とも言える破壊の術を身に着けた聖闘士はアテナにより武器を持つ事を禁じられている。
 例外として、極めて限定的な状況においてのみ用いる事を許された武器が僅かではあるが存在する。
 ちなみに、御者座のソーサーやケルベロス座の鉄球、アンドロメダの鎖は“武器”ではない。攻撃に特化するスクウェアチェーンがあるのに“武器”ではない。
 ペルセウスの盾も、カメレオン座の鞭も、射手座の弓矢も“武器”ではない。

◆青銅(ブロンズ)聖闘士……88の聖衣、聖闘士の中でも最も多くの聖闘士が存在し、現在その聖衣の数は48種とされている。
 年齢的にも若い者が多く、十代前半が大半を占めている。
 聖闘士の中でも基本的な能力を備えた者であり、位で言えば下級である。しかし、音速に達する拳を持つ彼らの戦闘力は常人の比ではない。
 青銅聖衣は身に纏う部位が必要最低限に留められている事もあり、プロテクターとしての防御能力は上位聖衣に遥かに劣る。
 その反面、上位聖衣には無い聖衣特有の機能を備えた物も存在しており、鳳凰星座の聖衣は灰と化しても蘇る自己再生能力を備えている。

○子馬座(エクレウス)の海斗(カイト)<原作1:オリジナル9> / 義務と権利と義理と人情
・必殺技(エンドセンテンス・レイジングブースト・ダイダルウェイブ・偽ジャンピングストーン・偽エクスカリバー)
・超必殺技 / 小宇宙ゲージ100%消費(ホーリーピラー・ハイドロプレッシャー・アナザーディメンション・グレートホーン)
・EX超必殺技 / 体力ゲージ点滅時のみ、小宇宙ゲージ100%消費、当たれば死ぬ(ギャラクシアンエクスプロージョン)

 孤児の身であったが幼少時にグラード財団に引き取られ、そこで同じ境遇の100人の孤児達と出会い共に過ごす。孤児達の中では最年長。
 財団代表城戸光政の命により聖闘士となるべくギリシアに送られた海斗は、師アルデバランの下での四年間の修行を経て教皇からエクレウスの聖衣を与えられる。
 直接的な打撃を駆使する接近戦よりも、その圧倒的な拳速から生じる衝撃波や高めた小宇宙を相手へ叩き付けるといった中距離戦を得意とする……はずが、現在ではジャンピングストーン(もどき)やエクスカリバー(もどき)、零距離ホーリーピラーなどを繰り出す高機動型接近戦野郎に。

 その本質は、海皇ポセイドン率いる海闘士(マリーナ)の精鋭、七人の海将軍(ジェネラル)の筆頭である海龍(シードラゴン)。
 覚醒当初は聖闘士と海闘士の違いに色々思うところがあったが、最近は“もうどうにでもなれ”と開き直っている。

 第4話でエクレウスの聖衣を纏うものの第5話にて早々に大破。
 新生聖衣登場!と張り切ってみればオイシイ所をシュラに持っていかれる。
 本人の与り知らぬところで色気の無い妙なフラグが立つ。
 レベルアップしたと思ったら戦う相手もレベルアップ。
 これからもきっと海斗はこんな感じ。これがこのお話の主人公。

○天馬星座(ペガサス)の星矢 / 後半影薄い原作主人公・訓練されたシスコン
・必殺技(ペガサス流星拳・???・???)
 星の子学園という孤児院で姉と生活していたが、グラード財団によって姉と引き離される。
 そのご城戸邸にて同じ境遇の100人の孤児達と共に過ごす事に。海斗ともそこで知り合ったが、特に親しい間柄と言う訳でもなかった。
 グラード財団代表城戸光政の命により聖闘士となるべくギリシアに送られる。
 六年後、見事ペガサスの聖闘士となって帰国した星矢であったが、城戸光政と交わした約束である『姉との再会』は果たされなかった。
 城戸沙織によって提示された『ギャラクシアンウォーズに優勝すれば姉の捜索に手を貸す』という言葉を信じ、星矢は聖闘士の掟を破り青銅聖闘士同士の私闘へと向かう。

 ちなみに美穂という同じ孤児院で過した“幼馴染”のガールフレンドがいる。

○アンドロメダ星座の瞬 / 常に手加減
・必殺技(ネビュラチェーン・???・???)
 城戸光政によって集められた100人の孤児の一人であり、無限の射程と自己再生、自律機能すら備えた恐るべき鎖を用いて戦う聖闘士。
 当然の事ながら、鎖は武器ではないのでセーフ。
 戦いを好まない心優しい少年であり、その佇まいや仕草、容姿も相まって女性と見間違える者も少なくない。
 兄である一輝の消息を求めてギャラクシアンウォーズに参加した。

○龍星座(ドラゴン)の紫龍 / (青銅)最強の盾と(青銅)最強の拳
・必殺技(廬山昇龍覇・???・???)
 城戸光政によって集められた100人の孤児の一人であり、最強の硬度を誇る盾と拳を備えたドラゴンの聖闘士。
 強力な聖衣を脱ぎ捨てて自身を追い詰める事によりその力を高める事が出来るという特殊スキル『背水の陣』をマスターした男。聖衣涙目。
 師童虎の教えもあってかなりの博識であり、聞けば大抵の質問には答えられるのだが聞かれる事は少ない。なので自分で言う。

○白鳥星座(キグナス)の氷河 / 和菓子の師は和菓子も同じ
・必殺技(ダイヤモンドダスト・カリツォー・???)
 城戸光政によって集められた100人の孤児の一人であり、原作中で母親が描写されている数少ない存在。
 聖衣の上からさらに凍気のガードを施しており高い防御能力を持つ。
 同様に攻撃に凍気を纏わせる事により相手の攻撃を封じる、反射する、広域への攻撃も可能とそのポテンシャルは非常に高い。
 黄金聖闘士カミュの三人の弟子の一人であり、その教えを最も色濃く受け継いでいる。
 目の前で母と死別した過去を持ち、重度のマザコンとなってしまう。なってしまうが劇場版での絵梨衣、原作外伝でのナターシャなど女性縁は星矢級。

 カミュとの縁もあり、聖闘士となった後の海斗と交流があった。

○鳳凰星座(フェニックス)の一輝 / 一輝なら仕方がない
・必殺技(鳳凰幻魔拳・???)
 城戸光政によって集められた100人の孤児の一人であり、瞬の兄。
 古武道を学んでいた事、兄としての自覚からか、幼少期は礼儀正しく弱者を思いやる事の出来る男の中の男として皆から一目置かれていた。
 しかし、暗黒四天王を引き連れて帰国した一輝からはかつての面影は失われ、兄を追い求めていた瞬ですら戸惑う程の変貌を遂げていた。
 大抵の事は『一輝だから』で済まされるゆで理論の体現者。

 現在は独自の目的を持って星矢達とジャンゴ一党との戦いを傍観している。

○一角獣星座(ユニコーン)の邪武 / キャラ被るから
・必殺技(ユニコーンギャロップ・ユニコーンドリル)
 城戸光政によって以下略。
 城戸沙織に崇拝にも似た感情を抱いており、沙織のためになら死ねる男。馬。
 沙織派筆頭であるが故に、姉派筆頭の星矢とは何かと反目しあっているが、周りから見れば強敵と書いて“とも”と呼ぶ関係にしか見えていない。類は友を呼ぶ、とも言う。

 ブラックユニコーンとの戦いで新技を会得するも、聖衣は大破し本人は重傷。今後の出番が危ぶまれる。

○海ヘビ星座(ヒドラ)の市 / 勝敗は常に顔で決まる
・必殺技(メロウポイズン)
 城戸光政によって以下略。
 『ざんす』というたった一言で己のイメージを変貌させた男。
 不気味枠からお笑い要員へ華麗にクラスチェンジ。

○大熊星座(ベアー)の檄 / 熊殺し
・必殺技(ハンギングベアー)
 城戸光政によって以下略。
 ロッキーの山林で何万頭もの大熊を絞殺した男。一度御祓いに行くべき。

○狼星座(ウルフ)の那智 / パーフェクトゥ
・必殺技(デッドハウリング)
 城戸以下略。
 星座だけなら主役を張れる男。
 聖衣の着衣シーン、中の人の補正もあってアニメ版の方がネタ度が高い。
 原作では一輝によって酷い目にあったがこの世界では苦労人というポジションを得た。

○子獅子星座(ライオネット)の蛮 / ネタ
・必殺技(ライオネットボンバー)
 以下略。

○六分儀座(セクスタンス)のユーリ<小説> / 小説版では悲劇に見舞われたが、この作中では原因が取り除かれたので一安心
・必殺技(???)
 聖域にて助祭を務める銀色の髪の少女。星を観る事で世界に起こる異変や邪悪の胎動などを観測している。


◆白銀(シルバー)聖闘士……中級聖闘士。その聖衣の数は24種とされている。

 青銅聖闘士を大きく上回る戦闘力を持ち、聖域の実質的な実行部隊とも言える存在である。
 聖衣はプロテクターとしての面がより強調され強度も増しており、身に纏う部位も青銅聖衣と比較して広くなっている。
 ……が、女性が纏う聖衣は“何故か”青銅聖衣よりも、下手すれば雑兵のプロテクターよりも守備範囲が狭かったりする。
 後進の指導に当たる者も多く、青銅聖闘士の師としての顔を持つ者もいる。
 年齢的には十代後半の者が多い。

○蛇遣い星座(オピュクス)のシャイナ / 誇りと敵意とツンとデレ
・必殺技(サンダークロウ)
 聖闘士でも数少ない女性であり、女性聖闘士の掟に従い仮面を被っている。
 カシオスというモヒカンの弟子がいる。
 海斗曰く、同じ年(14歳/12話時点)とは思えないけしからんスタイルの持ち主。
 日本人(シャイナにとって外国人)である海斗や星矢、魔鈴をあまり良くは思っていない。
 自分の力量と、聖闘士となるに至るまでの努力に対して強い誇りを持っており、それ故に海斗に対して怒りをぶつける場面も。
 口もガラも悪いが、姐御肌であり意外と面倒見は良い。

 実は妹分もいるとかいないとか。

○鷲星座(イーグル)の魔鈴(マリン) / クール系ドS
・必殺技(イーグルトゥフラッシュ・流星拳)
 聖闘士でも数少ない女性以下略。
 星矢というシスコンの弟子がいる。
 海斗曰く、同じ以下略。
 周りの事は正直どうでもいい様子。知り合いだから相手してやるか程度。
 恐らくは日本人であろうが、その素性を知る者はいない。
 口は悪く、言葉のナイフが星矢のライフを削り取る。でも何だかんだで面倒見は良い。

○杯座(クラテリス)のセラフィナ<オリジナル:9/LC:1> / 天然脱力系勘違い妄想娘
・必殺技(スターダストレイン)
 聖闘士でも数少ない女性以下略。
 ジャミールの地でムウや貴鬼と共に暮らしている。
 非常に希少な癒しの力を持つ聖闘士。それ故にその存在は聖域でもごく少数の者しか知らされていない。
 小宇宙こそ白銀聖闘士として十分な大きさであるが、単純に戦闘能力だけで見れば青銅級。
 争いを好まない穏やかな性格であるが、聖闘士としての自覚や意識は海斗のソレよりも遥かに高い位置にある。
 21話にて、とうとう脱ぎ担当となった。
 海斗は一度引っ叩かれてもよい。

 ムウ曰く、阿呆ですか貴女は。

○巨犬座(カスマニヨル)のシリウス
・必殺技(?)
 とても頑張った。

○ヘラクレス星座のアルゲティ
・必殺技(コルネホルス)
 頑張った。

○銀蠅座(ムスカ)のディオ
・必殺技(デッドエンドフライ)
 もう少し頑張りましょう。

○アルター(祭壇座)のニコル<小説> / 夏でも黒服
・必殺技(???)
 若くして助祭長となった海斗と同年代の青年。知的かつ爽やかな正統派美形。
 小説版ではこの方も悲劇に見舞われたが……この世界は別世界なのでセーフ。
 海斗の立場を理解している人物の一人であり苦労人。

◆黄金(ゴールド)聖闘士……88の聖闘士の最高位。黄道十二星座を司る聖闘士。聖衣は12種。

 太陽の光を蓄えた黄金に輝く聖衣を纏い、小宇宙の真髄・超感覚セブンセンシズを極めた最強の聖闘士。
 その拳は音速を超え光速に到達する。
 聖衣に蓄えられた太陽の力、エネルギーを強大な小宇宙で制御する事で様々な奇蹟とも言える現象を引き起こす。
 ある者は放った拳の質量を変化させ、ある者は星すら打ち砕くエネルギーを生みだし、ある者は時空間を歪め、ある者は黄泉の国への扉すら開くと言う。
 まさしく一騎当千の存在であり、それ故に黄金聖闘士同士が一つ所に集まり任に当たる事など無いに等しい。
 年齢的には二十代の者が多く、アテナを補佐し聖域を統べる教皇となる人物は、代々黄金聖闘士の中から選ばれている。

 この部分がアニメと原作で最も祖語の生じる箇所であり、アニメでの教皇アーレスは「先代教皇の弟」という世襲制を匂わせる設定となっていた。

 アテナ神殿、そして教皇の間へと続く十二宮と呼ばれる宮に彼ら黄金聖闘士は居を構えているが、教皇からの勅命や後進への指導等もあってそこを留守にする事が多い。
 聖域には常に二、三人いるかいないか、といった具合である。

○牡羊座(アリエス)のムウ / 絶対に怒らせてはいけない白羊宮24時
・必殺技(クリスタルウォール・???・???)
 ジャミールの地にて聖衣の修復を行っている物静かな人物。
 この時代で破損した聖衣を修復する事が出来るのは彼一人であり、数百年前の聖戦により失われた大量の聖衣の修復・再生こそが彼に与えられた何よりも優先すべき使命である。
 その実力は黄金聖闘士の中でも一目置かれており、教皇もそれは認めている。
 しかし、聖衣修復を優先として教皇からの勅命を拒否するムウの姿勢には一部の黄金聖闘士から疑問の声が上がっている。
 澄まし顔でさらりと毒を吐くSッ気の強い方。

○牡牛座(タウラス)のアルデバラン / 多数の非常識の中の常識は非常識な苦労人
・必殺技(グレートホーン・???)
 黄金の野牛の異名を持つ豪快な性格の巨漢。
 海斗の師である。ダイダルウェイブの派生であるハイドロプレッシャーはグレートホーンの影響を受けている。
 修行中、海斗が実力を隠していた事を薄々見抜きながらも、あえてそれに触れる事はせず見守っていた。
 クセ者揃いの黄金聖闘士の中でも数少ない良識人。故に貧乏くじを引く。

○双子座(ジェミニ)のサガ / 黄金聖衣が裸体にジャストフィット
必殺技(ギャラクシアンエクスプロージョン・アナザーディメンション・幻朧魔皇拳)
 現在空位とされるジェミニの黄金聖闘士。
 現教皇であるが、その事実を知る者は少ない。
 無人のアテナ神殿、先代教皇、射手座の黄金聖闘士、海斗をジェミニの黄金聖闘士候補とする等、その行動・言動には不可解な点が多い。
 幼少期に封じられた太陽神アベルと接触があった模様。

○蟹座(キャンサー)のデスマスク / デ落ちとは言わせない
・必殺技(積尸気冥界波・積尸気鬼蒼炎・???・???)
 口が悪くやや斜に構えた様子で物事を語る事があるが、教皇に対しての忠誠は厚い。
 黄泉の国への扉を開き、死者の魂を糧とする死を司る聖闘士。

○獅子座(レオ)のアイオリア / 問答無用
・必殺技(ライトニングボルト・???)
 聖域の守護を主な任とする黄金聖闘士。
 普段は雑兵と同じ服装をしており、一般層や下級の雑兵達の中にはアイオリアが黄金聖闘士である事を知る者は多くない。
 何事も自分の目で確認しないと済まない性質であり、暇な時には巡回と称して聖域内をうろうろとしている事が多い。
 それもあって星矢とは顔見知りであり、弟分として何かと気に掛けている。
 普段は落ち着いた好青年の様子であるが、いざという時には頭よりも身体が先に動く熱血漢である。

 リトスの出番はGの最終回次第。

○乙女座(バルゴ)のシャカ / 悪霊退散陰陽師
・必殺技(カーン・???・???・???・???)
 アテナの聖闘士にとって異教である神を信仰する異色の聖闘士。
 常に瞳を閉じており、日々の多くは自らの宮で瞑想する事に費やされている。
 仏陀の生まれ変わりとも言われ、その小宇宙は黄金聖闘士の中でも抜きんでている。
 教皇に進言できる数少ない人物の一人であり、教皇もまたシャカに頼る事がある。
 破損したエクレウスの聖衣を新生させる切欠を作った人物の一人であるが、その思惑は不明。

○天秤座(ライブラ)の童虎 / 色々と無理がある
・必殺技(???)
 齢250を越える老師と呼ばれる人物。
 前聖戦より数百年の時を生きている最古参の聖闘士。
 前聖戦の生き残りである老師の聖域における影響力は、現教皇以上であるがアテナより承った使命の為に中国五老峰に留まり続けており、聖域の動きに対して介入をする様子は見られない。

 アテナの命により封じられた冥闘士の魂を監視する役目を与えられており、五老峰の大滝の前から動く事はない。
 動く事はないハズなのだが、アニメ版では川に入ったり家でご飯を食べたり木陰から弟子を見守る等、かなりフリーダム。

○蠍座(スコーピオン)のミロ / お前の覚悟を見せてみろ
・必殺技(スカーレットニードル・リストリクション)
 誇り高き黄金聖闘士。
 その誇り故に、アイオリアの力を認めつつも、反逆者の弟である、というわだかまりを捨てきれないでいる。
 激情家であり敵に対しては苛烈なまでの攻めを見せるが、仲間と認めた者への情は厚い。

○射手座(サジタリアス)のアイオロス
・必殺技(アトミックサンダーボルト・インフィニティブレイク)
 サガとは同世代の黄金聖闘士でありアイオリアの兄。
 十一年前(12話時点)にとある大罪を犯したとして聖域より抹殺指令を受け、黄金聖衣と共に消息を絶つ。

○山羊座(カプリコーン)のシュラ / ミスターブシドー
・必殺技(エクスカリバー・ジャンピングストーン)
 極限まで鍛え抜かれた四肢を刃と化す聖闘士。
 その拳は聖剣(エクスカリバー)と称される。
 使命や修行以外に興味を示す事はあまり無く、ストイックな性格である。
 “天然”の空気に毒されたのか、少し丸くなった。

○水瓶座(アクエリアス)のカミュ / 私の弟子は氷河だけですが何か?
・必殺技(ダイヤモンドダスト・オーロラエクスキューション・???)
 氷の闘法を極めた静の聖闘士。
 常にクールであれ、を持論としており、彼が取り乱したり慌てたりする様子を見た物はいない。
 正反対の性格とも言えるミロとは何故か馬が合い、聖闘士としての仲間というよりも良き友人としての付き合いをしている。

○魚座(ピスケス)のアフロディーテ / 力こそ正義
・必殺技(ブラッディロース・ピラニアンローズ・ロイヤルデモンローズ)
 小宇宙を直接的な破壊の力としてではなく、“特性の変化”に特化させた、シャカとは別の意味で異質な能力を持った聖闘士。
 薔薇を用いるその戦法は、一対一よりも多対一に向けられており、拠点防衛にこそ真価を発揮する。

◆聖域関係者

○ゴンゴール<オリジナル>
・必殺技(ダンシングタップ)
 海斗とエクレウスの聖衣を争った聖闘士候補生。
 相手が悪すぎた、としか言いようがないが、海斗と戦う運命になった時点で聖衣とは縁がなかった。
 悪どい事もしたが、根っからの悪人という訳ではない。
 再登場のチャンスはあるのか?

○カシオス
 シャイナの弟子であり星矢とペガサスの聖衣を争う聖闘士候補生。
 巨漢がモヒカンなのかモヒカンが巨漢なのか。
 原作開始時で実は15歳。
 身長2メートル、体重120キロオーバーでも15歳。
 ふしゅらしゅら~。
 実は兄がいる。

○ジャンゴ
 聖闘士候補生最強と目されていた男。
 私怨を胸に海斗に挑むが、当の海斗はその事実を綺麗さっぱり忘れていた。
 海斗に敗れた後、色々あってデスクィーン島送りとなる。

○貴鬼 / 超能力少年
 異能の力を秘めたジャミールの民の少年。
 ムウの下に引き取られ、セラフィナと共に姉弟のように育つ。
 まだ6歳(12話時点)なのに異常なまでに高い精神年齢はセラフィナのせいかムウのせいか。多分両方。

■海皇ポセイドンの海闘士(マリーナ)
 海皇ポセイドンとは、神話の時代、アテナと地上の覇権をめぐり争った神の一人。
 海を統べる神。
 長い神々の闘いの歴史の中ではアテナと共闘する事もあった。

 海闘士は鱗衣(スケイル)と呼ばれる鎧を身に纏い、聖闘士と同じく小宇宙を燃やして戦う。
 海闘士の中でも特に強大な力を持つ者は海将軍(ジェネラル)と呼ばれる。その人数は七人。
 海の魔物を模した鱗衣を纏った彼ら海将軍は、各々七つの海を支配している。
 厳しい修練の果てに資格を得る聖闘士とは異なり、海闘士は資質を持った者が鱗衣に選ばれる。
 ちなみに聖闘士の聖衣は海闘士の鱗衣に対抗するために創り出された物である。

 海闘士における雑兵と呼ばれる者たちも鱗衣を身に纏っており、その力は青銅聖闘士に匹敵する。
 聖闘士とは異なり武器の所有に制限は無い。雑兵は基本的に皆武器を所有している。

 海斗は特殊な例外であり、資質を持ち鱗衣にも選ばれていたが肝心の鱗衣を手にする事が出来なかった。
 そのため海龍(シードラゴン)としての技は使えても、鱗衣に宿った特殊能力は使えないのが現状である。

◆海将軍……海闘士最強の闘士。彼らの戦闘能力と身に纏う鱗衣の能力は、黄金聖闘士に匹敵する。
○海龍(シードラゴン)カノン / 流転
・必殺技(ゴールデントライアングル・ギャラクシアンエクスプロージョン)
 前世界(原作)、そして現世界で海将軍筆頭として海皇ポセイドンの名の下に海闘士を統べる海将軍。
 本来、海龍の鱗衣は海斗が身に纏う筈であったが……。
 エクレウスの聖衣を纏った海斗と“私闘”を繰り広げ、自身深手を負うも海斗を倒す。
 意識を失った海斗の止めを刺そうとしたところを、サガから持ちかけたられた取引によって思い留め、一度はその場から退く。

 部下が言う事を聞かなくなってきているのが最近の悩みらしい。

○海魔女(セイレーン)ソレント / 理想を求める者
・必殺技(???)
 海将軍の一人。
 表の顔は音楽生であり、天才的なフルート奏者として広く知られている。
 純粋な心の持主であり、海斗の命を救おうとカノンに進言する等、決して心から争いを望んでいる訳ではないようだ。
 犠牲を強いる事、己の罪。
 全てはポセイドンによる地上粛清の果てにある「心から清らかなる者達が生きる世界」という、理想郷の実現を信じて彼は闘う。

○クリュサオル クリシュナ / 最強の槍と最強の盾
・必殺技(???)
 海将軍の一人。
 全ての邪悪を貫く黄金の槍を持った海闘士。


■冥王ハーデスの冥闘士(スペクター)
◆冥闘士

○天魁星メフィストフェレス<LC>
・必殺技(マーベラスルーム・流星拳)
 黒いシルクハットにタキシード、赤い蝶ネクタイを着け一見紳士然とした謎の男。
 前聖戦の最も深い部分に関与しており、ペガサスやジェミニだけではなく、女神アテナや冥王ハーデスの運命すら翻弄した。

○天雄星ガルーダのアイアコス<原作:3/LC:7>
・必殺技(ガルーダフラップ・スレーンドラジット)


■アスガルドの神闘士(ゴッドウォリアー)
 オリンポスの神々とは異なる神話「北欧神話」における神々の王オーディンによって統べられた極寒の地アスガルド。
 アテナに聖闘士があるようにオーディンにも神闘士と呼ばれる戦士がいる。
 神闘士は神闘衣(ゴッドローブ)と呼ばれる聖衣に似た鎧を身に纏う。
 北斗七星に連なる“七星”と呼ばれる七人と“神代”と呼ばれる五人と合わせ、神闘士は十二人とされている。

 神話の時代よりオーディンは地上に降臨していない。
 現在では“オーディンの地上代行者”と呼ばれる者がアスガルドを統べている。
 ここ数百年は代々の地上代行者が“アスガルドの平穏”を重視していた事もあり、地上世界との間に大きな戦乱などはない。
 聖域とは年に数回、互いに使者を送る程度の関係はあるが、基本的に“互いに不干渉”である。

・七星
 TVアニメアスガルド編に登場したゴッドウォリアーの事です。
 劇場版「神々の熱き戦い」と設定を統一するためアニメ版のゴッドウォリアーを「七星」という括りで表現しています。
 七星ではないゴッドウォリアーは劇場版のキャラクターです。
 彼らは便宜上「神代」と呼称しています。
 七星と神代では設定が被るキャラがいますので、そこには魔改造が入ります。

◆“オーディンの地上代行者”
○ヒルダ<アニメ>
 ワルハラ宮にてアスガルドを統べる現代の地上代行者。フレイという兄とフレアという妹がいる。
 争いを好まぬ心優しき少女。

◆教主
○ドルバル<劇場>
 “オーディンの地上代行者”を補佐する、聖域での教皇とも言える立場にある男。

◆神闘士
○神代ロキ<劇場>
 十二人の神闘士の一人。
 五人の神代と呼ばれる神闘士の一人。
 ドルバルに対して崇拝とも言える忠誠を誓っている。


■その他
○城戸光政
 世界有数の財団であるグラード財団の代表にして実質的な支配者。
 国内から世界から、身よりの無い子供達百人を集め聖闘士とするべく彼等にとっては死地とも言える場所へと送り出した。
 その真意は……。

○城戸沙織
 城戸光政の孫娘にしてただ一人の肉親とされている少女。
 実質的なグラード財団の後継者であり、蝶よ花よと溺愛されて育った為か、その思考は中世貴族社会的であった。
 同年代の星矢達は自分の使用人以下の存在だと思っていた事もあり、その行為・行動は子供の我が儘を超えていた。

○辰巳徳丸
 城戸沙織の護衛兼世話係兼孤児組の教育係。剣道三段。
 城戸家に忠誠を誓っており、沙織に反抗的な態度を取る者は許さない。
 その為に城戸家に反抗的な星矢や一輝、年長の責任だとして海斗を目の敵にしていた。

○聖良(せいら) / 記憶を失くした少女
 エキドナとして海斗の前に立ち塞がった少女であったが、それは何者かに操られての事であった。
 呪縛から解き放たれたものの、肉体的、精神的なダメージが大きく、意識を取り戻した時には記憶の大半を失っていた。
 聖良という名前はセラフィナが名付けたものであり、彼女の本来の名前に「音」が似ているらしい。

■ギガス(神族)

◆ギガス……神話の巨人。オリンポスの神々が統治した後の地上で暮らす全ての生命の敵対種族。大神ウラノスと大地母神ガイアによって生み出されたオリンポスの神々を倒す使命を与えられた神族。
 現在、その最大の特性であった不死の肉体を封じられており、多くのギガスはゴーレムにその魂を宿す事で現世に干渉している。
 僅かではあるが、人の肉体を依り代として復活をした者もいる。

○パラス(ギガス十将)<オリジナル>
 ピンドス山脈の“門”より出現したギガス。アフロディーテに敗北。

○グラティオン(ギガス十将)<オリジナル>
 ジャミールにてセラフィナを確保すべく襲撃を仕掛けたギガス達の一人。海斗に敗北。

○アグリオス(ギガス十将)<オリジナル>
 ジャミールにてセラフィナを確保すべく襲撃を仕掛けたギガス達の一人。シュラに敗北。

○トオウン(ギガス十将)<オリジナル>
 ジャミールにてセラフィナを確保すべく襲撃を仕掛けたギガス達の一人。シュラに敗北。

○ポリュボテス(ギガス十将)<オリジアンル>
 ピンドス山脈の“門”より出現した、現代の聖域が最初に確認したギガス。登場する事もなくシャカに敗北。

○エウリュトス(ギガス十将)<オリジナル>
 デルピュネによって聖域に召喚されたギガス。
 混乱の中、他のギガス達を引き連れて十二宮を突破しようとしたが、双児宮にて遭遇した海斗と戦い敗北する。

○エンケラドゥス(ギガス十将)<オリジナル>
 デルピュネ、エキドナとともにジャミールに現れたギガス。
 エトナ山の地下洞窟にてシュラに敗北する。

○紅玉(アントラクマ)の鉄(ジギーロス)<エピG> / ギガス九兵神
 デルピュネによって聖域に召喚されたギガス。巨人像を依り代として蘇った。
 シリウスたち白銀聖闘士を圧倒したが、その場に駆け付けたアルデバランと戦い敗北。

○白(レウコテース)の風(アネモス)<エピG>/ ギガス九兵神
 デルピュネによって聖域に召喚されたギガス。巨人像を依り代として蘇った。
 ミロと戦い敗北。

○黒(メラース)の雷(ブロンテー)<エピG>/ ギガス九兵神
 デルピュネによって聖域に召喚されたギガス。巨人像を依り代として蘇った。
 アイオリアと戦い敗北。

○紅(ポインクス)の熔岩(リュアクス)<エピG>/ ギガス九兵神
 デルピュネによって聖域に召喚されたギガス。巨人像を依り代として蘇った。
 デスマスクと戦い敗北。

○群青(キュアノス)の炎(プロクス)<エピG>/ ギガス九兵神
 デルピュネによって聖域に召喚されたギガス。巨人像を依り代として蘇った。
 シャイナ、魔鈴と戦い圧倒するが、その場に現れたアフロディーテと戦い敗北する。

○魔双犬のオルトロス<小説>
 エトナ山の地底湖にて海斗と対峙した。
 必殺拳“サフィロス・エネドラー”を繰り出し、海斗の“レイジングブースト”と激突する。
 傷付いた海斗を見て勝利を確信するが、既に自身が破壊されていた事には気付かぬまま敗北した。

○合成獣のキマイラ<小説>
 エトナ山の地底湖にて海斗と対峙した。
 海斗に手傷を負わせたものの、その後現れたソレントとクリシュナの存在により追撃を断念。クリシュナと対峙する。

○百頭龍のラドン<小説>
 エトナ山の地底湖にて海斗と対峙する。
 海斗に手傷を負わせたものの、その後現れたソレントとクリシュナの存在により追撃を断念。ソレントと対峙する。

○デルピュネ<オリジナル> / 永遠を求めし老婆
 黒い仮面を着け、妖艶な色気を持った女。その正体は神話の時代より生き続けた半獣の竜女。神々の時代を生き抜いたその力は強大。
 不死とも思える程の長い寿命を持っていたが、それに反して肉体の老いを留める事は出来なかった。
 ギガスを従えて聖域に侵攻する。これはデルピュネの独断である。
 聖域にあるとされるアンブロシアと神酒ネクタール(セラフィナの力)を手に入れる事で永遠の若さと完全なる不死を得る事が目的であったが……。
 ジャミールにて海斗と戦い、聖域にてシャカと戦う。
 その後、エトナ山の地下洞窟内で海斗と戦い敗北した。

○エキドナ<オリジナル> / 翻弄されし者
 白い仮面を着けた少女。デルピュネとともにジャミールに現れ海斗と戦う。
 戦いの中で敵であるはずの海斗に降伏を迫りながら、デルピュネの命に無条件で従う等、その行動には奇妙な違和感があった。
 その正体は精神を操作された人間であり、聖闘士の資質を持つ少女であった。
精神支配から逃れ、正気を取り戻したものの、その後ポルピュリオンの手によって重傷を負う。
 一命は取り留めたが……。

○アルキュオネウス(ギガス神将)<オリジナル>/ 大往生
 ギガスの王であるポルピュリオン直属の戦神。
 神屠槍(カタストロフ)という必殺の拳の持主。
 シュラのエクスカリバーを正面から打ち砕き、彼を瀕死にまで追い込んだが、右腕を捨ててまで放たれた“二振り”のエクスカリバーの前に敗北する。

○トアス(ギガス神将)<オリジナル/小説>/ まさしく愛
 ギガスの王であるポルピュリオン直属の戦神。王曰く最強の神将。
 スティグマ、アヴェンジャー・ショットという必殺拳を持つ。
 一見するとギガスとは思えぬほどに優雅な優男風であり、その物腰も穏やかであるが、“エクレウス”に対しては異常なまでの執着を見せる。
 海斗を前に、その口から語られたのは“エクレウス”との千年の因縁であった。

○ポルピュリオン(ギガスの王)<オリジナル>/ キカ●ダー
 ギガスの王様。
 他のギガス達を贄としてガイアの加護を蘇らせた。ガイアの加護とは“地上(地球)にある限り不死身”“ガイアの子であるオリンポスの神々に対して絶対的優位”であるというもの。

 ギガス達は“オリンポスの神々を追い詰めた”と言ってるワリにあっさり退場しましたが、作中でアルキュオネウスも言っていますがそれは敵が“力ある人間”であったためです。
 人間相手に“神々への絶対的優位”なんて加護は発揮しませんので。不死身を封じられた以上、純粋な力量勝負でした。先手必勝の。


●オマケ
◆千年前の聖闘士。
 完全にオリジナル設定なので、ギガス編以降の本編で語られる事は多分ないです。

○エクレウス/シードラゴンのキタルファ
 ペガサスのシェアトの弟。兄の事は嫌いではないが、優先するのは妹の方。兄妹仲は良い。
 高い戦闘力と忠実に任務をこなす姿から、上からの信頼は厚い。しかし、それは地上の平和を守るという使命感からではなく、私的な、身内の平和を守る為であった。
 聖戦終盤にギガス復活の報を受け、周囲の制止を振り切って“ギガントマキア”へ向かい、そこで業を負った。
 聖戦終了後、誰にも知られる事なく聖域から姿を消したが、その翌年に海将軍シードラゴンとして再び姿を現した。
 海皇の力によって世界中に止まない雨を降らせ未曾有の水害を起こそうとしたが、師であったカストルに討たれその17年の生を終えた。

 遺体はなく、その最期がどのようなものであったのかはカストル以外誰も知らない。
 自らの行いを恥じ海中にその身を沈めたとも、ギャラクシアンエクスプロージョンによって消滅したとも、アナザーディメンションによって異空間に葬られたともいわれるが……。

○ジェミニのカストル
 キタルファの師であり、当時の聖闘士の中でも最強と呼ばれた男。
 我の強い黄金聖闘士たちの中で数少ない周囲に気を配れた者であり、その誠実さと穏やかな性質から次期教皇として期待されていた。
 その事について、カストルは厄介事を押し付けられていると思っていた模様。
 内心では辞退したかったのだが、他に誰ができるのかと涙ながらに教皇に説かれ続け渋々同意したという経緯がある。
 聖戦を生き残り、皆に請われる形で教皇となったが、その一年後のキタルファとの戦いの後に自ら教皇の座を退き、聖戦の生き残りであるタウラスにその座を譲り隠遁した。
 キタルファとの戦いがどのようなものであったのか、それを彼が口にする事は生涯なかったとされる。

○タウラスのエルナト
 豪放磊落を体現し、戦場においては闘将と呼ばれた男。聖戦の中で片目と利腕を失う。
 当時の黄金聖闘士の中でも最年長(30代)であり、教皇、カストルと並び聖域での人望は厚い。
 キャンサーのアルタルフからは、親しみと悪意を込めて“オッサン”と呼ばれていた。
 後に、カストルより教皇の座を引き継ぎ聖域を治めた。

○アルター(祭壇座)のエイリア
 まるで男の娘。
 説明終了。

○訓練生の少年
 数年後、周囲の予想に反し見事青銅聖闘士として認められた。
 さらにその数年後には、獅子座の黄金聖闘士となる。

○ペガサスのシェアト
 キタルファの兄であり、ペガサスの青銅聖闘士。
 仁智勇に優れ、その力は黄金聖闘士と並ぶと言われていた。
 常に女神アテナの傍らにおり、最期の時までアテナを守りとおした。
 実は、猪突猛進熱血野郎なのだが、兄としての立場がそれを自重させていただけである。

○キャンサーのアルタルフ
 傍若無人で気分屋。
 行動の基準が“楽しいか楽しくないか”という、聖闘士の最高位である黄金聖闘士としてはかなり問題のあった男。
 また、聖戦中には単身冥界に乗り込んでみせるなど、周囲が驚くような破天荒な行動も見せていた。



 ちなみに、教皇が他の黄金聖闘士に次期教皇の件を持ちかけたところ、

 アリエス「見て分れ、聖衣修復に忙しい」
 タウラス「性に合わん」
 キャンサー「面倒」
 レオ「カストルに一票」
 バルゴ「興味ありません」
 ライブラ「五老峰に帰る」
 スコーピオン「柄じゃない。カストルを推薦する」
 サジタリアス「後進の指導が忙しいのでお断りいたします」
 カプリコーン「他を当たれ」
 アクエリアス「貴方に頼まれた書の編纂作業でそれどころではありませんが? この量が見えませんか? 耄碌しましたか?」
 ピスケス「お断りします。どうしてもと仰られるなら、教皇には補佐役として残って頂きますが? 私としてはカストルをお勧めします」

 要約すると、このような返事が返って来た。



[17694] オマケ 38話Aパート(仮)
Name: 水晶◆1e83bea5 ID:b52576b3
Date: 2012/09/24 23:39
 紅に染まる大地。そこで、その時何が起こったのか。
 瞬も、星矢も、沙織も氷河も。その場にいた誰もが、ジャガーですら即座には理解が出来なかった。
 それを理解出来たのは、文字通り“高見から一部始終を眺めていた”エリスと――もう一人。

「む……むぅう~~……っ!!」

 自らを彗星と化したジャガーの一撃を両手で受け止めた男。紅蓮の炎を、不死鳥のオーラを背負った聖闘士――フェニックス一輝。

「に、兄さん!?」

「――一輝かっ?」

「……一輝? お前、何で!?」

「一輝……」

 自分達を護る様に立つ、事実として護っている一輝の背中へと次々と声がかけられる。
 歓喜や疑問といった様々な感情の込められた声が。

「……邪魔だ、下がっていろ」

 一輝はそれらを無視する様にただ一言だけを告げる。

「兄さん!」

 なおも言葉を続けようとする瞬であったが、それは黒い影によって遮られる。

「一輝様は邪魔だと言われた」

 ブラックペガサスが。

「……情だと言う事が理解出来んか」

 ブラックアンドロメダが。

「……フッ」

 ブラックスワンが。
 一輝に従う暗黒聖闘士、ブラックドラゴンを除く三名が姿を現し星矢達をこの場から下がらせた。



「な!? 何だと!」

 ジャガー自身予想だにしなかった突然の乱入者。
 それが誰であるのか、そして今何が起こっているのか。それを理解し――

「う――ぉおおぁああああーーッ!!」

 メガトンメテオクラッシュを受け止めただけではなく、更には押し返そうと力を込める一輝へとジャガーは反撃を試みる。

「どりゃーーーーっ!!」

 丸めていた身体を伸ばし、先の勢いを乗せて蹴りを放つ。狙いは一輝の眉間。
 吸い込まれる様に一輝の眉間へと到達した一撃が、フェニックスのマスクを砕く。
 しかし、その一撃は致命には至らない。
 砕けた破片が、鮮血が宙に散る。
 その向こうから覗く一輝の瞳には一切の曇りも陰りも無い。
 紙一重の見切りであった。

「せあーーっ!!」

 気合いの声と共に放たれる一輝の正拳。それはカウンターとなってジャガーの胸元を穿つ。

「ぐアぁあッ!」

 吹き飛ばされるジャガー。身に纏うオリオンの聖衣の胸元に亀裂が奔る。

「でやーーっ!」

「小癪なッ!!」

 好機と見た一輝は追撃を仕掛けるが、即座に体勢を立て直したジャガーの一撃によって阻止された。

「ハハハ!!」

「おぉおおおッ!」

 拳を受け、蹴りを避け、相手を掴み、いなし、払い、投げ。

「まさかとは言わん! やはり――生きていたかっ! フェニックス!!」

 一輝とジャガーの身体が交差する度に、周囲には空気の爆ぜる音と衝撃波が撒き散らされる。
 互いの聖衣に無数の亀裂が、傷が刻まれる。

「あの時、デスクィーン島で言ったはずだぞジャガーよ、不死鳥は何度でも蘇ると!! そして――」

「ふははははっ! よかろう、ならばオレは倒すのみよ!」

「貴様らを打ち砕く! この鳳凰の羽ばたきで!!」

 一輝が構える。
 両の拳は自身の守護星座である鳳凰星座の軌跡を描き、燃え上がる小宇宙はフェニックスのオーラとなって立ち昇る。

「キサマが蘇る度に、何度でもだ!」

 ジャガーが構える。
 両の拳は自身の守護星座であるオリオン星座の軌跡を描き、燃え上がる小宇宙は巨人オリオンのオーラとなって立ち昇る。

 両者の激突は必至。最早誰にも止められぬ。

 それは戦いを眺めていた星矢達やブラック聖闘士三人の共通した認識であり、対峙する二人もそうであったであろう。



『やはり……惜しいな』



 それを――女の、少女の声が止めた。
 その声に導かれる様に、その場にいた皆の視線が宙に、一点に集まる。
 宙に浮かぶ黄金の輝きを放つ林檎へと。

『あの時とは見違える程に力を増している。今のお前なら、このエリスの使徒となる資格は十分だ』

 言葉が紡がれる度に黄金の林檎の周囲に歪みが生じる。
 歪みは波紋の様に広がりを見せ、やがてその中心に一人の少女の姿を浮かび上がらせた。
 純白のドレスに身を包み、右手に漆黒の三叉の槍を持ち、左手に黄金の林檎を携えた少女であった。

「……え?」

 その少女――エリスの姿を見て呆けた様な声を上げたのは星矢。

「……瞬……? いや、髪の色が、違う。違うけど……」

 宙に浮かぶエリスを見て、隣に立つ瞬を見る。
 星矢だけではない。声にこそ出さなかったが沙織も、氷河も同様に瞬を見た。

「女性である、その点を除けば……まるで瓜二つだ」

 瞬を見て――一輝へと視線を移す。

「――ッ!?」

 ゾクリと、一輝へと視線を向けた星矢達の背に冷たいモノが流れる。
 エリスを見つめる一輝。その顔から一切の表情が消えていた。

『一輝、私に刃向った事は不問にしてやろう。お前とて“この器”の娘と共にある事を望んでいたのであろう?』

 穏やかな声であった。
 エリスはまるで幼子をその胸の内であやす母親の様な、穏やかな、優しい微笑みを一輝へと向けていた。

「……黙れ……」

『フフフ。この娘の命の炎は今や陽炎よりも儚きもの。このエリスの器となった事で、かろうじてその命を繋いでいるに過ぎない。それは分っていよう?』

「黙れ、と言っている」

『ならばお前の取るべき道は一つしかあるまい? このエリスの元へ来い一輝よ。いや、ならば、こう言おうか』

“わたしを助けて――イッキ”

「その顔で、その声で、オレの名を呼ぶな。いいだろう。ならばオレも、もう一度だけ言ってやる」

 一輝の小宇宙が業火となってその身を包む。業火はフェニックスへと姿を変え、破損した聖衣は瞬く間に傷一つ無い姿へと。ジャガーの一撃によって破砕されたはずのマスクも再生される。
 そこにいたのは憤怒の炎に身を包んだ“鬼”であった。



 デスクィーン島で一輝を鍛えた仮面の聖闘士ギルティー。彼は憎悪こそが強さの根源であると一輝に教え、最強の聖闘士とする為にその身へと文字通り叩き込んでいた。
 一輝の心にこの世全てへの憎しみを植え付けようとしていた。それは、一輝の出生の秘密を暴露した事により完成するかに思われた。
 それをギリギリのところで食い止めていたものこそが弟、瞬との思い出であり、地獄の様なデスクィーン島にあって愛を、優しさを、思いやりの心を失わなかった少女――エスメラルダの存在。
 ギルティーはそれを無用と、無駄な、邪魔なものだと一笑に付した。取り合おうともしなかった。

「エスメラルダは返してもらう」

 その無用と断じたモノが今、大きな火種となって一輝に力を与えていた。





 聖闘士星矢~ANOTHER DIMENSION海龍戦記~


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