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[17171] 道具屋さんの一日
Name: lune◆da3a4247 ID:a47281e2
Date: 2010/03/09 20:56
 フリスタリカの王都旧市街は雑然とした空気に包まれている。無計画に建てられた煉瓦造りの家々。放射状に伸びる街路。迷宮のように入り組んだ道は、町のことを知らない人間が歩けばほぼ間違いなく迷う、とまで言われている。
 国王レムリアース10世が統治するフリスタリカは、列強の王国がひしめき合うインゴバルド大陸の中央に位置している。つまるところ通商の要所となり、大陸中の隊商が行き来する国は、それだけで莫大な富を国に落としていた。
 国土はそれなりの大きさだが、侵略をした事は現在までの所、無い。それは侵略をあえてする必要が無かったからでしかなく、そして周囲の国は幾度となくフリスタリカという通商の要を押さえようと侵略を繰り返してきた。
 建国してから500年ほど経過したフリスタリカであるが、現在のところ侵略戦争で国土を失った事は無い。
 そしてここ200年ほどは、気候も安定していた事からか大きな戦争もなく、世界中は大冒険者時代を迎えていた。

 冒険者とは、剣や魔法と呼ばれる技術を用いて、旧時代の遺跡や人跡未踏の地をめざし、そしてなにがしかの宝を見つけてくる者達を言う。宝とは金銀財宝を指し示す事もあれば、未知の技術、未知の魔法である事もある。
 特に1000年以上昔に起きた『大崩壊』によって、旧世界の技術のほとんどが遺失した現在、それらの痕跡は、ただの痕跡なのだとしても莫大の富を生む可能性があるのである。
 そしてそんな「お宝」を探す際には、様々な問題がある。魔獣と呼ばれる獣や魔物が跋扈するのが、この世界なのである。そのために冒険者達は武器や魔法を扱う術を学び、鍛え、日々の糧を得るためにちょっとだけどうでも良い仕事をしたりして、暮らしている。

 ぶっちゃけていえば、ありきたりなファンタジーな世界なのである。


道具屋さんの一日


 旧市街の迷路のような道を抜けた先。奥まった路地にその店はある。看板は申し訳程度にかけられているが、すでにその字は読み取れない。それゆえに、この店を「店」と知っている者は『道具屋』と呼んでいた。扱っているのは、日用品に始まり冒険者必須の道具類まで多岐にわたる。とはいえ、狭苦しい店内ではその全てが陳列されているわけでもなく。つまるところ店主とそれなりに親しくならない限り、この店の本当の顔は見ることができない。
 陽光を嫌う品も多いからか、薄暗い店内。その奥にあるカウンターにあごを乗せてぼんやりとうたた寝している人影があった。
 磨き上げられた古木のカウンターに広がる髪は水のように広がっている。白い肌に、すっと伸びた鼻梁。柔らかそうな唇は薄く紅がさされている。眼鏡のレンズ越しに気怠げな蒼い瞳が、薄暗い店内でモップを床にかけている僕の背中へと向けられた。
「ねー、クロエー。お茶ちょうだーい」
 パタパタと手を振って要求する美人に、僕はモップを持ち直して振り返る。
「今ね、掃除してるんですよ。店長」
「お茶ー。喉がかわいたー」
「聞いてくださいよ」
 嘆息を一つ。けれどもカウンターで駄々をこねる店長は、僕の言葉なんて聞いちゃいない。黙って立っていれば怜悧な美貌の麗人だというのに、空のカップを前に駄々をこねている姿は子供のようにも見える。
「はいはい。分かりましたよ。ちょっと待ってて下さいよ」
 店の奥にある住居のキッチンで湯を沸かしながら、お茶の入った瓶を取り出す。面倒くさくなったのでポットに多めに作ると、それを店へと運ぶ。
「どうぞ」
「んー。ありがと」
 店長はお茶の注がれたカップを受け取って、一口運ぶ。視線は、手元に開かれた本に向けられていた。
「まったく。お茶くらい、自分でも煎れられるでしょうに」
「面倒くさいんだもの。それにクロエのお茶のほうが美味しいし」
 ニコリと微笑むのは、雇い主でありこの『道具屋』の店長であるリン・アディールである。絶世の美女、と呼ぶにふさわしい容姿に、こればかりは子供じみた笑みを浮かべている。
「……はぁ。もう良いですよ」
 そしてそんな店長に対して、いつもの如く諦めの境地に到達するのが、僕。クロエなのである。

†  †  †

 店内の掃除――と言っても雑然とした品々をどうこうできる訳でもなく、床や棚の埃を払った程度だが――を片付けて、今度は店先を箒で掃く。
 目の前の通りをご近所さんが通り過ぎるたびに、挨拶をして、軽い世間話をしつつという日常。うん。まさに日常。平穏な生活万歳。
 水を撒きつつ、良い天気な空を見上げていると、ふと気がついた。
 入り組んだ通りだが、店の前は比較的開けている。その向こう側から一人の女性が、手に持った紙と周囲を見比べながら、うんうんと唸りつつ歩いてくる。
 豪奢な金色の髪が陽光に照らされて、キラキラと輝いている。背は、僕よりも低いだろうか。華奢な体つきを外套で隠している。腰に差されたワンドを見るに、魔法使いだろうか。
「珍しい。冒険者か」
 新市街区に経済と宗教の中心が移って以降、この辺りを訪れる冒険者の数は激減したらしい。らしい、というのは僕がこの店で働くようになるより随分と昔に新市街ができたからなのだが、どちらにしろこの辺りを歩く冒険者なんて、僕もほとんど見たことが無い。だがその女性は立ち止まって周囲を見回して、それから箒を持ってじっと見つめていた僕を見据えた。

 あ。なんかロックオンされた?

 ズカズカと歩み寄ってきた女性。きれいな顔立ちをしているのだが、どこか生意気そうというか向こうっ気が強そうな雰囲気がする。自分が美人だと理解しているタイプで、しかもどう振る舞えば良いかも理解しているタイプだろうか。
「失礼。ちょっと道をお尋ねしたいのだけれど?」
 それでも、初対面の人間への礼儀はちゃんと知っていてくれているようで、安心した。
「ああ、はい。なんでしょう」
「この辺りに道具屋をご存じないかしら。冒険者用の道具を扱っているような」
「道具屋、ですか?」
「ええ。店名が分からないのですが、この辺りにあると聞いて来たのです。ですが、旧市街では道がよく分からなくて」
 顔を顰めている美人さんに、僕はなるほどと頷いた。
「ああ、この辺りって迷路みたいなもんですからね。知らないと」
 知っていても迷う人は迷うと言うし。
「ええ。まったくですわ」
 プリプリと怒りつつ同意する美人さんに、僕は振り返る。
「あ、それで道具屋なんですけどね」
「ご存じですの?」
「多分、うちの店じゃないかと」
「――は?」
 キョトンとする美人さん。まあ、うちの店って知っている人にしか分からないタイプの店であることは間違いがない。かけられている看板に書かれていたであろう店名は、掠れてしまって読み取る事が出来ない。店先からはうちがどんな店なのかは、一見では分からないだろう事も間違いない。下手をすれば店と認識されていない可能性だってある。
 しばし呆然と文字の読めない看板を見上げていた美人さんは、そのまま疲れたようにしゃがみ込んでしまう。まあ、気持ちは分かるのでそのままにしてあげた。

「それで、どんなご用でしょうか?」
 少しばかり時間が経ってから、仕切り直して訪ねてみる。しゃがみ込んでいた女性は、すっくと立ち上がると肩にかかった髪を片手で払った。しかし表情はまだ冴えないままだ。案外切り替えに時間がかかるタイプらしい。
「そうですわね。……お宅はクラール香は扱ってまして?」
「クラール香、ですか?」
 頭の中の商品リストをさらってみると、一応取り扱ってはいるようだった。
「扱っております。ご入り用で?」
「――ありますの!?」
 あるか?と聞いた本人が一番驚いているのは、どういう事なのだろうか。
 僕があきれ顔になっているのに気がついたのか、美人さんはオホンと咳払いを一つする。
「……見せていただけます?」
「はい。では中へどうぞ」
 ドアを開いて、彼女を先に店の中へと迎え入れる。
 薄暗い店内を見回した美人さんは、あからさまに微妙な顔をする。
「さて。クラール香ですよね?」
「ええ……本当にありますの?」
「ありますよ。確か。ええと……」
 カウンターに店長の姿が無いのを目の端で確認しつつ、棚の奥を漁る。確かこの奥の箱で見たはずだ。箱に押されたスタンプの紋を見て、それを取り出す。
「あったあった。お探しの品は、こちらで大丈夫でしょうか?」
「……! 特級品!?」
 箱に押されたスタンプを読み取ったのか、美人さんが箱を開いて中を確認する。
「間違いありませんわ。こんな所で、特級品にお目にかかれるだなんて」
 ほう、と嬉しそうに微笑む美人さんの表情は、本当に絵になるなあ、などと感想を抱きつつ値段を確認する。
「どれくらい必要ですか?」
「そうですわね。……ちなみにお値段はおいくらですの?」
「こいつですか? ええと確か……」
 さすがに値段は思い出せず、エプロンのポケットから取り出したメモ帳を開いた。
「30メセタ、ですね」
「良心的ですわね」
「店長がそれほど商売っ気のない人なもので」
 にっこりと微笑み返すと、美人さんが懐から財布を取り出していた。10メセタ銀貨を3枚、カウンターに置く。
「はい、確かに。それではこちらをどうぞ」
 そして僕は箱を渡す。
 銀貨3枚か。まあ今日はそれなりに売れた日となるんだろう。うん。などと頷いていたら、なぜか美人さんが硬直していた。
「お客さま?」
「どういうことですの……?」
「はい?」
 なぜ呆然としているのかが分からず、首を傾げる。
「貴方! なぜ、この箱を、箱ごと私に渡すのですか!?」
「へ?」
 いや、なぜって言われても、あなたが代金を支払ってくれたからでしょう? なに怒ってるの、この人。
 思わずこちらも呆然となってしまう。
「クラール香の、しかも特級品が、銀貨3枚程度なはずが無いでしょう! それともこれは密造品か粗悪品だとでも言いたいのかしら!? そんな品を扱っている店だという事!?」
 そしてなにやら物騒な事を言い出した。
「い、いやいやいや! 違いますよ! それはちゃんと商会から仕入れた、正規の品です。お値段だって正規の値段です!」
「嘘おっしゃい! 商会の正規ルートで取引された品なら、そんな安値で売られるはずがありません! 正直におっしゃい。私は、盗品や偽物を掴まされるつもりはありませんのよ!」
 ムキー、という音がしそうなほど顔を真っ赤にして怒るお客さんに、僕はどうしようかと頭を悩ませる。というか、こちらとしては極々普通の値段を提示したつもりだし、当初はお客さんだって頷いていたのに。なんだって急にこんなに怒っているのか。
「銀貨3枚程度で買えるクラール香なんて、ほんのひとつまみ程度ですわ!」
「は?」
 いやそんな。ひとつまみ、とか言われても。商会から購入した時の値段はちなみに銀貨1枚と銅貨50枚である。ちゃんと店としての利益まで出せる値段設定だというのに、なぜ僕は怒られているのか。
「そう仰いましても、うちとしてはその値段で扱わせていただいておりますし……」
「ですから! そんな値段で扱われるような品では無いのです! こんな安さ、信用できませんわ!」
「えー……」
 なんだそれ。面倒くさい客だなあ。表情に出たのか、キッと睨み付けてくるお客さん。
 そこでようやく気付いた。彼女の胸元の紋章。
「……『白銀の鷹』?」
 冒険というものにはトンと縁の無い僕でも知っている、有名な冒険者パーティーの名だ。ちなみに他にも『剣匠』などという異名を持つ冒険者の名も、よく知られている。いわゆる英雄的な行いを為した冒険者は、吟遊詩人達の歌に乗って各地にその行いが伝えられていくのである。
「『白銀の鷹』のメリッサ・フロウリーですわ」
 うわ。有名人だ。
 それが最初に浮かんだ言葉だった。吟遊詩人達の歌に歌われる『白銀の鷹』の一人。金の魔法使い。美人で強いなんて、どんだけ反則なんだろうと思っていたが、現物は確かに美人で、しかも強そうだった。主に気が。
「商会が買い占めて値をつり上げているクラール香を、こんな値段で販売できるはずが無いのです。であればこれは盗品、ないし偽物としか考えられません」
 自分の名を名乗った事で、少しだけ落ち着いてくれたらしい。メリッサさんは、静かに教えてくれた。
「値がつり上がってるんですか。今って」
 ははあ、と自分の手に戻ってきた箱を見る。
「今、ってどういう事ですの?」
「いや、これってうちの店長が昔に仕入れた品なんですよ。保存用の魔法がかかってるんで、品が悪くなる事は無いんですけど」
 そう言いつつ、箱をカウンターに置く。
「嘘おっしゃい。クラール香はもう長い間、高級品ですわ。少なくともその量の特級品が銀貨3枚だなんて時代を、私は知りません!」
「えー。いやー。そう言われましても」
 そこでお高い値段をつけて売れば、メリッサさんは頷いてくれるのかもしれないが、かといってこちらとしては適正価格以上の値段をつけて売るのは、商道徳的にどうかと思ってしまうわけで。
「んー。店長にちょっと聞いてみますね。少々お待ちください」
 そう言って店の奥へ。どうせ本を読みながらうたた寝でもしてるんだろう。あの人のことだから。
 見てみればまさにその通りだった。ソファに寝転がってクッションに埋もれている。そして明らかに寝ていた。
「リンさん。ちょっと、そこの不良店長。起きてくださいよ」
 肩を揺すると、眠り姫はうっすらとまぶたを開く。その奥の碧眼が、潤みながら僕を見つめる。
「……ん。ごはん……?」
 なんて駄目人間なんだ、この人。
 僕はため息をついて、首を横に振った。
「違いますよ。ちょっと商品の事でお客さんが確認したい事があるって言ってるんです」「んー……。クロエがやってよ……」
 寝惚けたままで、不機嫌そうにそんな事を言う雇い主。いや本当にもう、なんだろう。この人。どんだけやる気のない経営なのか。
「僕の説明じゃ納得してくれないんですよ。ほら、起きて」
 無理矢理にソファから引っ張り起こすと、リンさんは不機嫌そうな顔のままあくびを一つ。
「なによう……もう。人がせっかく気持ちよく寝てたのに」
「いや、営業中ですからね? 今」
 ふああ、とこっちの話を聞きながら欠伸をもう一つするリンさんが、店に顔を出した。
「はいはい。それでどのようなお話で?」
 にこやかな応対ぶりは、つい先刻までソファで惰眠を貪っていた駄目店長とは思えない接客ぶりである。僕はその後ろについていって、カウンターの品を指さした。
「クラール香をお探しだったので、こちらをお出ししたんですよ」
「あら。こんなのあったっけ?」
「ありましたよ。こないだ目録作った時に見つけたんですよ。僕が」
「……ふうん」
 しげしげと箱を手に取ったリンさんが、くるくるとそれを見回して、「それで?」と続きを促す。
「で、銀貨3枚でお売りしようとしたんですけど、こちらのお客様がそんな値段で売られているはずが無い、と言われまして」
 メリッサさんを見てそう言うと、彼女はその通りと言わんばかりに大きく頷いた。
「少なくともクラール香は高級品です。それも特級品が銀貨3枚だなんて、ありえませんわ」
「えー……そんな高い品じゃないでしょ、これ」
 そう言いつつ眼鏡を取り出してかけるリンさん。
「うん。仕入れた時点で銀貨1枚と銅貨50枚だもん。値段としては適正ですよ?」
「ですから! そんな値段で仕入れられるはずが無い品だと、そう申し上げているんです!」
 メリッサさんが声を荒げるのを見ても、リンさんは相変わらずな表情のままである。
 美人二人が目の前にいるのは絵的に嬉しいのだが、これ以上放っておくとメリッサさんが余計に激昂しそうな予感もする。
「店長。これ仕入れたのって、いつ頃なんですか?」
「これー? ……うーん」
 再び箱を見回しているリンさんが、ああ、と声を上げた。
「200年くらい前よ。これ仕入れたの」
「は?」
 メリッサさんが呆然となる。
「うん。確かそんくらい。ほら、この商会のスタンプも、今とちょっと違うでしょ?」
 指さしたスタンプは、まあほとんど今のそれと変わらないのだけれど、微細な文様が異なっているのが分かった。
「そっかー。そんなになってたかー」
 にゃはは、と笑うリンさんを横目に、メリッサさんがわなわなと震え――爆発した。
「ふ、ふざけないでくださいまし! 200年前!? そんな昔の品がどうしてこんな場所で――!」
「あー、お客様。お客様」
 どうにか間に割って入って、落ち着かせようとする僕。そんな僕を、今にもくびり殺しそうな目で睨み付けるメリッサさんに、思わず股間が縮み上がる。
「あのですね、お客様。うちの店長はですね?」
 そう言って、リンさんの髪に触れる。
「あ、こら」
「こういう人なんですよ」
 そして長い髪をかき分けた。
 ぴょこん、と伸びる長い耳。黒髪から飛び出した長く白い耳は先端からちょっと垂れ下がる。
「エル……フ?」
「はい。なのでこの店、創業も随分と昔になってまして」
 実際、この店が創業何年なのかは僕も知らない。ただ、少なくとも100年、200年単位でここにあるのは間違いが無いのである。店主であるリン・アディールは、この世界でも指折りの長命を誇るエルフであり、そんな人が気ままにやってきた店が、この『道具屋』なのである。

†  †  †

「ありがとうございましたー。またのお越しをー」
 ドアベルを鳴らして出て行ったメリッサさんの背中にそう声をかけ、僕は置かれた銀貨を金庫に仕舞う。
「ねえ、クロエ。ご飯は?」
「いや、まだそんな時間じゃないですから」
 店主であるリンさんはと言えば、カウンターに腰掛けて本を広げつつ、夕食の無心を始めている。多分、さっきのお客が『白銀の鷹』だろうがなんだろうが、リンさんには興味のない事なのだろう。
「じゃあお茶ちょうだい。お茶。しゃべったから喉渇いた」
「はいはい。少々お待ちを」
 僕はそう言ってキッチンに引っ込んで、お茶の用意をする。

 『道具屋』と呼ばれる店で、僕の一日はだいたいこんな感じなのである。
 今日も平和だ。沸いた湯でお茶を煎れつつ、そんな感想を抱く僕。

「クロエー。お茶菓子もちょうだーい」

 本当。平和である。




[17171] 道具屋さんの1日 その2
Name: lune◆da3a4247 ID:a47281e2
Date: 2010/03/10 23:14
 『道具屋』のクロエの朝は早い。
 店の開店時間は、実はあまり明確に定まってはいない。何せ店主が自由気ままにやっていた店なだけに、むしろ開いていない日すらあったのだ。だがクロエが店で働くようになってからは、きっちりと平日は朝から開くようになったのである。
 顔を洗って歯を磨き、朝食の準備をする。二階の寝室で眠っているであろう雇い主が起き出すのはまだまだ後なので、自分の分だけを用意する。
 朝食を取り終えると、店の中を掃除して、店の外を掃除する。同じように朝早くからやっている店の店主と挨拶を交わし、天気と景気の話をするのは、もう慣れたものだ。

「それにしても、クロエ君は若いのにちゃんとしてるわよねえ」
 近くのパン屋のおかみさんから、そんな風に言われると苦笑いが浮かんでしまう。
「いえ、そんな。リンさんにお世話になっている身ですから、これくらいはしないと」
 特技の1つもない18歳の小僧を雇ってくれる店など、そうそう無い。実際、リンさんが拾ってくれなければ自分はその辺で野垂れ死にしていただろう事を考えれば、普段どれだけ駄目人間な店長であっても、敬愛するに足りない事はないのではなかろうか。
「まあ、まあ。でもクロエ君が来てからは、お店もちゃんと開いてるし。本当に助かるわぁ」
「あはは。また足りない品がありましたら、遠慮なくご相談ください」
 深々と頭を下げてみせると、おかみさんはまたニコニコと微笑んで「またよろしくね」と言ってくれる。こういうご近所付き合いが、いざという時の店の生命線なのだと僕などは思うわけだが、リンさんは「面倒くさい」の一言で適当に済ませているのだ。まああの人、僕なんか比べものにならないくらい町の古株だし。あまり関係ないのかもしれない。
 おかみさんから焼きたてのパンを受け取ると、それを持って店に入る。ちなみにこのパンは、遅れて起きてくる寝坊助の雇い主に差し出されるのだ。
「さて。それじゃあ、準備しますかね」
 今日も、道具屋としての一日が始まるのである。


道具屋さんの一日 #2


「おふぁよーぅ」
 白いシャツ一枚でのたのたと降りてきた黒髪の美女が、ふああ、と大あくびを一つかまして食卓の椅子に座る。相変わらず裾の丈が危うい長さのシャツからすらりと伸びる白い太もも。スリッパをつっかけただけで、ズルンペタンと音を立てて入ってくるので、こちらとしてはすぐに分かるのがありがたい。
「おはようございます、リンさん」
 リン・アディール。僕の雇い主であり、この『道具屋』の店主である。長い黒髪に白い肌。整った顔立ちはエルフという種族が生来持つ繊細さ以上の美しさだろうと思う。だが同時にこの人がとことんまで面倒くさがりである事も知る僕としては、その美しさは怠惰さとトレードオフされるべき問題なのだ。
 少なくとも、シャツの隙間から見える谷間とかおへそとか、そういう物は意識の外に放り出す必要がある。
「はい、どうぞ。あと、服はちゃんと着てから降りてきて下さいよ」
 スープとサラダ、それにパンをテーブルの上に置き、さらにお茶のカップを置く。
「ありふぁと……」
 もふっ、と焼きたてパンにかぶりつきながら、リンさん。そんな彼女に苦言を呈するのは、これで何度目だろうか。そしてリンさんが不満そうにこっちを見るのも、何度目だろう。
「良いじゃないのさー。私の家で私がどんな格好をしてようと」
「たまにその格好のままで外に出ようとする癖に……」
「途中で気がつくから大丈夫なの!」
 お茶を飲み干すと、そのままリンさんは再び二階へ上がっていく。
「じゃ、今日もよろしくねー」
「……二度寝はほどほどにして下さいね。本当に」
 ちなみに階段を見上げたりはしない。もし見上げれば白いお尻が見える事は間違いないのは、経験則で知っている。それゆえに、僕は決して見上げたりはしないのだ。
 リンさんはと言えば、おそらくはベッドの上で二度寝しつつ本でも読んでいるのだろう。いつもの事だ。開店時間までの間に、居住スペースの掃除と洗濯をしてしまう。洗濯物は僕の分も、リンさんの分も一緒くたにやってしまっている。これはもう慣れた。たとえどれだけ生地が少なくて薄くて小さい洗い物があったのだとしても、僕はそれをただの洗い物としてのみ認識する術を身につけているのである。

 そして、開店時間になると店を開ける。
 店の日常は実に平穏である。というかこの店、旧市街区のしかも奥まった所にあるだけあって、客の数は少ない。実は近場の店の人間が粉やらなにやらを求めて訪れる事のほうが多い。冒険者の多くは新市街にある店に行くし、この辺りまで来る冒険者は古馴染みのごく少数に限られる。先日のメリッサさんのような一見さんは、珍しい。
 客のいない時間帯は、どうしたってのんびりとした空気が店の中にも広がる。僕もお茶を煎れて、本を読みつつそんな時間をまったりと過ごす。
 と、ドアベルの音を立ててドアが開いた。
「いらっしゃいませーって、なんだイルクさんか」
「なんだとはなんじゃ、クロエ。客に対して」
 かっかっか、と好々爺な顔のまま高笑いをするのは近所で酒場を開いているクルドさんちのお爺さんである、イルクさんである。ちなみに孫は新市街区の学院に通っていて、この人は孫にだだ甘なのだ。
「客っていうか、イルクさん、別に何も買っていかないでしょ」
「いーんじゃよ。儂は昔、この店で色々売り買いしとったんじゃから」
 そう言って定位置の椅子に座り込む。
「ほれ、クロエ坊。お茶じゃ、お茶」
「……まったく」
 苦笑いを一つ残して、僕は店の奥へと入る。まあ実際、イルクさんは僕がこの店で働くようになるずっと以前から、ああしてお茶を飲んでいたらしいし。昔はリンさんが居なかったら、自分で勝手にお茶を用意して飲んでいたらしいので、それに比べればマシになったのかもしれない。
「あら、イルクじゃない」
「おー、リン。今日も美人じゃの」
 そして僕がお茶を用意している間に店に出てきたリンさんが、イルクさんの前に座っていた。
「クロエー。お茶、私の分もねー?」
「はーい。待ってて下さいよ。ちょっとは」
 ティーセットを用意して運ぶ。カップをそれぞれの前に置いた。
「お客様。他にご用はありますでしょうか?」
「ふむ。茶菓子が無いのう」
 気取って尋ねてみれば、爺さんがつるりと禿げ上がった頭を撫でながら、そんな事を言う。
「ははは。この前、全部喰いきったのは、どこのどなた様でしたか」
「ほっほっほ。悪い奴もいたもんじゃのう」
 笑いながら茶を啜る爺。その韜晦ぶりは、伊達ではなさそうだ。
「だいたい、老い先短い爺なんじゃから、もう少し優しく接してはくれんかのう」
「いやいや。僕、これ以上ないくらい優しいですよ?」
 にこやかな笑顔を浮かべつつ、お茶のお代わりを注ぐ。
 まあ、この人が来るとリンさんも楽しそうだし、客が来なくて退屈な時間を紛らわす事もできるので、僕も助かっているといえば助かっているわけで。
 その後、イルク爺さんとリンさんは特に何を話すという訳でもない昼の時間を過ごしていた。僕はといえば、さすがにその境地に達するには若すぎるのか、外の掃除なんかもしつつ過ごす事になるのである。

 日が傾いた夕刻。爺さんとリンさんは、相変わらず店に陣取ってお茶を楽しんでいた。ちなみにテーブルの上には、お茶菓子がしっかりと置かれている。リンさんがしつこくせがむのを捌ききれず、押し負けてしまった結果である。
 不意にドアベルが鳴った。
「お爺ちゃん、いるー?」
 そう言いながら店の中に入ってきたのは、学院の制服を着た少女だった。赤みがかった金色の髪。クルクルと天然パーマのかかった癖っ毛が風に揺れる。
「ほう、もうそんな時間かの」
 爺さんの相好が崩れる。もう本当にこの爺さん、孫には甘いんだよなあ。
「こんにちは、ガーネット」
「あ、こ、こんにちは。クロエ。ごめんね、お爺ちゃんが今日もお邪魔しちゃって」
 年代的にはそう変わらないのだけれど、ガーネットはちょっとだけ僕に遠慮気味なのである。別に嫌われている訳じゃない、とは思う。これでもガーネットはこの近所では評判の才媛なのだし、同年代の女子に嫌われているという状況はさすがに寂しいものがある。
「あはは。まあ、リンさんが相手をしてくれてるから、僕は別になんとも無いんだけどね」
 ガーネットは顔を少しだけ赤らめて、「そう?」と呟く。それにしても、学院からここまで走ってでもきたのだろうか。
「ガーネットもお茶飲む?」
「へ? あ、ううん! そろそろお店手伝わなくちゃいけないから!」
 パタパタと手を振るガーネットは、そのままイルクさんに顔を向けた。
「ほら、お爺ちゃん。帰ろう?」
「そうじゃな。そろそろお暇するとしようかの」
 よっこらせ、などと声をかけて立ち上がる。
 リンさんもそれに合わせて立ち上がると、店先まで見送りに出る。
「それじゃあの、クロエ。リン」
「気をつけてね、ガーネット。爺さんも、気をつけて」
 僕がそう返すと、ガーネットは苦笑いを。爺さんは「クロエは冷たいのう」などとブツブツ言いながら片手をあげる。
「じゃあね、イルク。また来てね」
「おうとも。リン、お前さんも偶にはうちの店に顔を出すと良いさ」
「考えておくわ」
 微笑むリンさんにうなずき返すと、爺さんはゆっくりと歩き出す。ガーネットも歩調を合わせて、ゆっくりと歩き出した。二人の背を見送り、僕はふと夕焼けに染まった空を見上げる。
「どうしたの、クロエ」
「ああ、いや。なんか僕が初めてリンさんと会った日も、こんな夕焼けだったなあ、と思って」
 ふん?とリンさんが空を見上げる。
「そうだったけ?」
 そして、あっさりとそんな事を言うのが、この人なんだろう。
「そうでしたよ。さて、それじゃ店じまいしちゃいますね」
「うん。お願いね」
 リンさんが使っていたカップを持って奥へ引っ込むのを見送って、僕はもう一度空を見上げる。
 真っ赤に染まった空。薄紫に染まった東を見つめ、僕は小さく息を吐いた。

†  †  †

 夕食を摂った後、自室に戻った僕はふと、普段触らない引き出しを開けた。
 そこには手帳とこの世界ではまず見たことのない生地の服が納められている。
「……もう、4年か」
 紺色のブレザーに、臙脂色のネクタイ。白のワイシャツに、灰色のスラックス。この世界では見たことのない服だけれど、僕が初めてリンさんと出会った時、この服を着ていたのだ。
 手帳を開くと、そこには4年前の子供っぽい顔をした僕がいた。
 私立光星学園中等部。そう書かれた学生証を手に、ベッドに寝転がる。
 そこにはもう長いこと呼ばれた事のない、僕の本名もあった。

 鷲宮 黒慧(ワシミヤ クロエ)。

 それが僕の本来の名前だった。けれど今、僕はクロエと呼ばれている。クロエと呼ばれる世界。テレビも携帯もないフリスタリカという国。冒険者がいて、魔獣がいて、魔法のある世界。ファンタジーそのものな場所で、僕は今も生きている。
「ほんと。リンさんのおかげとはいえ、生きていけるもんなんだなぁ」
 右も左も分からない暗い森の中で目を覚ました僕を拾ってくれたリンさん。それからもう4年も経つのだ。
「はあ」
 考えても仕方ない事は、考えないほうが良い。僕は、そのまま眠る事にした。
 明日も早いのだ。しかも商会に仕入れに行く時期だし、そうなると寝不足という状況は非常にまずい。
 ロウソクの火を吹き消してベッドに潜り込むと、今度こそ目を閉じる。
 こうして僕の一日は終わり、また明日が始まるのである。




[17171] 道具屋さんの一日 その3
Name: lune◆da3a4247 ID:a47281e2
Date: 2010/03/13 01:02
 新市街を歩くこと自体は、そう珍しいことじゃない。
 仕入れもあるし配達することだってある。新市街の住人であれば、だいたいは新市街にある店を使うのだろうが、魔法関連となると扱っていない品や、扱ってはいても品質的に満足のいかない品があるのだ。なぜそれをうちの店が扱えるかといえば、店主の魅力という以外にないだろう。店を贔屓にしてくれる冒険者の数は決して少なくはないし、そういった人たちは新市街の店――たとえば『商会』にも売らない希少な品を売ってくれたりするのだ。
 そういった品は『商会』と比べて質的に優れていたり、そもそも『商会』では取り扱っていなかったりもする。なのでそういった希少品の場合は、うちの店を贔屓にしてくれる客となるわけである。
 ちなみに今回、僕が配達しているのは薬草の類だ。非常に希少かつ繊細で管理に手間暇がかかりすぎるので、『商会』では滅多に取り扱わない。効果は格段に落ちるが簡単に取り扱える品が流通しているからだ。だがこれは、希少な薬の素材でもある。薬屋からすれば、喉から手が出るほど欲しい品、という訳だ。
 新市街の裏通りにある薬屋の扉を開けると、僕はいつものように店の奥にいるだろう店主に向けて声をかけようと口を開いて、そこで止まった。珍しく店主が表に出ていたからでもあり、他に客がいたからでもある。


道具屋さんの一日 #3


「あら、クロエ。いらっしゃい」
 艶然と微笑む美女は、まるでしっとりと濡れたような眼差しをこちらへ向ける。ねぎらいの言葉を発した唇は今にもキスをせがむように開いているし、その奥に見える白い歯とピンク色の舌がどきりとさせる。豊かな白い谷間を見せつけるように、大きく襟ぐりの開いたドレスは絞られたウェストも相まって、女性のスタイルを際立たせている。その表情はまるで長く離れていた恋人を迎え入れるような歓喜に染まっていて――と、そこで頭を一振りして、おかしな気分を振り払った。

「どうも、いつもお世話になっています。フィリスさん」

 そう言って手に持った荷物を見せる。

「ご注文の品をお届けに来たんですが」
「ありがとう。少し待っていてもらえるかしら。お客様の相手をしているところだから」
「ええ、どうぞお構いなく」

 頷いたところで、フィリスさんの前に立っていたお客さんが振り返った。多分、商談の途中で話を遮られたので、その原因を睨み付けたかったのだろう。そういう目をしていた。
 問題はその険のある目に見覚えがあったという事だ。僕の顔を見て、あら、という風に眉が上がった。

「メリッサさん?」
「あなた――道具屋の?」

 豪奢な金色の髪を揺らしてこちらを向いたのは、誰あろう『白銀の鷹』のメリッサさんだった。

  †  †  †

「あら。知り合いなの? メリッサ」
「え、ええ。クラール香を探していた時に――って、あなたが教えてくれた店じゃありませんの、フィリス」

 なるほど。うちの店を教えてくれたのはフィリスさんだったのか、と納得。そして僕は苦笑い。

「でもあんな大ざっぱな地図で、よく辿り着けましたよね」
「まったくですわ。危うく遭難しかかりましたわよ!」

 あの疲労を思い出したのか、プリプリと怒り出したメリッサさんに、フィリスさんはにこやかな笑顔を崩さない。本当にこの人、自分の好きなように動くんだよね。

「大変だったわね。はい、これ。ご希望の品よ」

 そう言いつつ、棚から包みを取り出して渡す。メリッサさんはといえば、気を削がれたのか黙ってそれを受け取り、代金を手渡している。

「でも本当に助かったわ。エイシスもこれで品切れになってしまうし、どうしようかと思っていたところだったから」

 そして僕から袋を受け取る。というかなんだ。メリッサさん、エイシスを買ったのか。あれって一介の冒険者が持つには、高価すぎる代物だと思うんだけれど。
 ちなみにエイシスは実に8種類に及ぶ解毒・解呪・回復薬である。多分、RPG的に言えばエリクサーレベルの代物だ。死者の蘇生を行う術だけはこの世界にもないらしいが、それ以外であればエイシスがあればきっと生き延びられる。そんな最終手段である。
 問題はそんな最終手段なだけあって、非常にお高価い。あと、原材料的な問題で数が無い。フィリスさんのところでも常時置いている訳ではないし、多くて1つしかない。というか僕が今回配達した品で、次の1個が作れるかどうか、だ。そんなわけで王侯貴族や大富豪といった、財力と権力を併せ持つような人向けの品だとばかり思っていたのだけれど。

「なんですの」

 怪訝そうな顔で僕を見返すメリッサさん。そりゃ確かに『白銀の鷹』は有名な冒険者だ。下手をすれば小国の王が請うて招くことを考えるほどだろう。とはいえ、あくまで個人でしかない冒険者がエイシスを持っているというのも、珍しいのではないだろうか。

「……手強い魔獣討伐の仕事がありますの。これは保険ですわ」

 そんな僕の視線が意味するところを読み取ったのか、メリッサさんが不機嫌そうに教えてくれる。というか。
「『白銀の鷹』がそこまで準備する魔獣って、なにがいるんですか……」
 考えたくないことを教えられた気がする。

「竜ですわ」
「――は?」

 短く返ってきた答え。だがそれは、僕の思考を停止させるのに十分な単語だった。

  †  †  †

「……この世界には竜と呼ばれる絶対の強者がいるわ。この世における最強の種族。もちろん個体ごとの強弱はあるけれど、最下位種でも並の人間じゃ歯が立たない。エルフのような生来の魔法適性がある上に、強い力を持った者がいたとしても、単独での相手は難しいでしょうね」

 4年前のこと。僕がまだこの世界のことを何も知らなかった頃だ。ようやく文字を少し覚えた僕に、リンさんは世界についてを併せて講義してくれた。気分が出るから、などと言って普段は本を読む時くらいしかかけない眼鏡をかけて、黒板の前に立ったリンさんが話してくれたのは、この世界の魔獣についてだった。
 それは身近な小型魔獣に始まり、まず出会う事は無いだろう大型種へと進み――そして、この世界における最強の魔獣に至った。

「竜の強さはまず、その巨体と見合うだけの力にあるわ。その巨体だけで人間は歯が立たない相手。その上に強い魔法抵抗力と、種固有の魔法行使能力を持っているの」

 黒板に書かれる文字を必死に書き写しながら、僕はその言葉を頭に放り込むべく全力を尽くしていた。当時、右も左も分からない世界に放り出されたばかりだった僕は、この後どう生きるかを考えるための選択肢として、リンさんが教えてくれる知識が絶対に必要不可欠だと思っていたのだ。

「亜竜は、竜の下位種ね。彼らは人間と意思疎通ができるほどの知性は持たない。動物的な本能で行動するという意味では、獣と大して変わりはないわ。ただ、その力が獣とは桁違いというだけで」

 リンさんの言葉は、当時の僕には実感できるものでは無かった。それはそうだ。当時の僕が生まれ育ったのは戦争から遠ざかってしまった国だった。犯罪もあれば、交通事故で戦争並の死者が出ている国ではあったけれど、日常的に生命の危機などというものを感じる国では無かった。

「何より恐ろしいのは、人以上の知性を持ち、人など及びもつかない魔法を行使する『古竜』よ。彼らからすれば、人間も、それにエルフですらも脆弱な生物に過ぎない」

 そう言って、彼女は肩をすくめた。

「私としては竜と出会ったなら、即座に逃げる事をお勧めするわ。というか、まず最初から竜の生息域に近づかない事ね」

 苦笑しながらそう言ったリンさんの表情は、今でも思い出せる。
 竜という生物を見た事は無い。きっと僕なんかが目の前に立てば、一瞬で死んでしまうような、そんな相手なのだろう。
 4年前。僕は彼女の言葉を実感として理解できなかった。今だってできない。命の危機なんて、この4年間でもそうそう感じた事は無いのだ。小型種の魔獣と遭遇した事はある。その時は命からがらで逃げたものだ。
 竜とは、そんな危機が、危機とも思えないような代物なのだろう。

「り、りりり、竜って!? そんなのの討伐だなんて本気ですか!?」
「――亜竜だそうですから、死ぬような事は無いでしょう。私達の他にも、参加するパーティーはあるそうですし」

 明らかに動揺した僕を見て、メリッサさんは苦笑いを浮かべた。

「心配してくれてありがとう、と言っておきますわ。エイシスはあくまで保険ですけれど、怪我をせずにすむとも思えませんし」
「……大丈夫、なんですよね」

 思わずそう尋ねた僕を見て、キョトンとした後に。
 メリッサさんはフッと微笑んだ。それはこれまで見た苦笑いや、怒りの表情とはまるで違う。優しい笑顔だった。

「私達を誰だと思っていますの? 『白銀の鷹』は、無敗のパーティーですわ」

 まあ、その答えは随分と自信過剰な言葉だったのだけれど。
 そんなメリッサさんを見て、僕はある事を思いついた。首からかけていたペンダントを外すと、それを彼女の手に押し込んだ。

「なんですの……って、これ、蒼聖石じゃありませんの!?」
「うちの店長が昔、僕にくれた物なんです。大事な物ですから、必ず返して下さい」
「――は?」
「それ、耐火の守護がかかっているんだそうです。ですから、竜を相手にするなら気休め程度になると思います」

 彼女の手の中で、ずっと僕の首にかかっていた蒼い石が輝いている。あれは僕がリンさんに拾われた時に、彼女が念のためにとくれた品だった。だから――。

「必ず、返しにきて下さいね?」
「……もう。無理を言いますのね」

 もう一度、優しげに微苦笑を浮かべたメリッサさんは、それでも頷いてくれたのだった。


















 そしてその一週間後。
 店を訪れたメリッサさんは、包帯をあちこちに巻いて痛々しい姿ではあれど、僕も知るあの強気な笑みを浮かべて僕に石を返してくれたのである。




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台詞部分と地の文の間に改行を入れるようにしてみました。見やすい、んですかね。

毎回、感想ありがとうございます。ちゃんと読ませていただいてます。
個別のレスはなんとなく難しそうなので、目についた分のお返事を。


>異世界FTで武器屋、鍛冶屋、喫茶店、料理屋、居酒屋などは見たことありますが
風見鶏さんの「異世界で喫茶店を~」を読んで、このタイプのネタで何か書いてみようと考えてみました。ただ、かぶらないようにしよう、とも考えたので道具屋になった次第です。

>尺が短い。オチが弱い。「で、なんなのさ?」って思う
この話は基本的に「世界の危機は店の外で起きてます」な話なので、多分白銀の鷹の活躍は描かれる事は、まず無いんじゃないかという気がします。
作者がアクション分を求めたら、もしかしたら出るかもしれません。
オチが弱いについては、精進していこうと思います。

>白桃に性欲をもてあますのですね。わかります。
「たゆん」とか「ぷるん」とか「ぶるん」とか「ふわん」とかそんな感じの擬音が毎日周囲で聞こえる生活です。18歳だと本当に大変だと思います。可哀想に…。

>クロエって女の名前じゃね?
この世界では女性名ではない、という事で一つ。ちなみに元の世界での名前が「黒慧」なのはありえねーだろー、という点については、本作の数少ない中二要素だと思ってお目こぼし下さい。名字にするのはなんだか嫌だったのです。

それでは、また次回。



[17171] 道具屋さんの一日 その4
Name: lune◆da3a4247 ID:a47281e2
Date: 2010/03/14 11:24
 最近、王都では大きな騒動があった。亜竜が王都から2日ほど離れた場所にある山に現れたのだそうだ。亜竜は翼を持ち、空を飛ぶことができる。おそらくその気になれば、王都にも飛んで現れただろう。それが無かったのは、近郊の村を先に襲ったからなのだそうだ。
 被害は大きく、村が王都に急ぎ注進した結果、王家から巨額の報奨金と共に名うてのパーティーを複数雇い入れ、亜竜に当たらせたのだという。
 なんでそんな事を知っているのかと言えば、最近よく店に顔を出すようになった新しい常連さんであるところのメリッサさんが、その『有力なパーティー』の一員であるからである。あまり自画自賛を好まない人らしいが、聞かれれば教えてくれる人でもある。という事で、僕は亜竜との戦いについても、一通り聞かせてもらっていた。
 正直、僕はその場に立ち会わなくて本当に良かったと思っている。
 名うてのパーティー3組が合同であたり、辛勝したのだというから相当の物なのだろう。

「ほっほっほ。まあ、亜竜を初めて相手にするなら、そんなもんじゃろ」

 イルク爺さんが笑いながら、お茶を飲んでいる。
 その前に座ったメリッサさんは、そんな爺さんに苦笑いで頷き返していた。

「確かにその通りですわ。事前に打ち合わせた事も、竜を前にしたら頭の中が真っ白になって――本当に、未熟さを思い知らされます」

 なんで爺さんにそんなに丁寧な態度なんだろう、と思う僕だが、先達に対する敬意なのだろうか。

「かーっ。見たか、クロエ坊。このお嬢さんの殊勝さを! お前さんも見習わんか」
「それを爺さんに言われるのはどうなんだろうなあ!」

 店は今日も平穏である。



道具屋さんの一日 その4



 イルク爺さんがのんびりとお茶を啜り、メリッサさんがその前に座って上品にお茶を飲む。その隣にリンさんが座り、本を読んでいる。
 いつからこの店が喫茶店の類になったのだろうか、と頭を悩ませそうになる光景である。まあリンさんもメリッサさんも美人なので、目の保養にはなるのだけれど。

「クロエー。お茶ー」

 そしてリンさんは本から目を離すことなく、そんな風に要求をしてくるのである。

「はいはい。お二人はどうされます?」
「おう。貰うぞい」
「……あ、ええと。ええ、お願いしますわ」

 当然のように頷く爺さんと、ちょっとだけ戸惑った様子を見せるメリッサさん。この二人がなんで仲良くお茶を飲んでるのかが、今でもよく分からないのだけれど。
 お茶を注ぎながら、思わずそれを尋ねてしまう。するとメリッサさんが、驚いたように目を見開いて僕を見上げてきた。

「呆れた。知りませんの? イルク殿のこと」
「え。いや、近所の酒場の元店主で、今は楽隠居の爺さんだって事は知ってますけど」

 あと、孫にはものすごく甘い。
 ほっほっほ、と笑っている爺さんを横目に、メリッサさんが妙に興奮して言葉を続けてきた。

「イルク殿は、30年前に亜竜の大群を相手に一歩も引かなかった『黄金の獅子』のお一人ですわ! かつて剣聖とまで呼ばれた長剣使い。うちの剣士も、イルク殿がここに居られる事を知れば、飛んできますわよ!」

 イルク殿が教えないように頼んでいるから、今はこうして平穏ですけれど。そう言ったメリッサさんの言葉に、僕は唖然となる。
 爺さんが高名な冒険者であった、と?

「……えー。なんかそれ、信じがたいんですけど……」

 なんせ僕がこの店で働くようになったのは、4年前だ。その頃にはすでに爺さんは爺さんだったし、冒険者などという職に就いていたようには見えなかった。酒場の老主人。娘婿に店を譲り、楽隠居した爺さんだったのだ。

「そんな事はありませんわ! そもそも、イルク殿がその気になれば、王立騎士団の顧問職とて――」
「まあまあ、メリッサちゃんや。その辺にしておいてくれんかのう」

 興奮冷めやらぬメリッサさんを押さえるように、爺さん。だが僕は気付いていた。爺さんの小鼻が得意そうに膨らんでいることを。この爺、格好つけてるけど褒められて得意になってるのは間違いない。

「ふふ。まあ、イルクが引退したのは随分前だものね。確か、その亜竜の群れとの戦いの後でしょう?」
「まあのう。さすがにガタが来たからのう」

 リンさんが微笑む姿に、爺が照れる。いや、なんでそこで照れるかなあ。

「この辺りでもイルクが冒険者をやっていた事を知っている人は、ほとんど居ないわ。だからクロエが、イルクの事を酒場のお爺ちゃんだって思っているのは、間違いじゃないのよ」
「はあ」

 ですよねえ、と僕。実際、爺さんは人望はある、と思う。町内の人は何かあれば爺さんに話を持って行くし。でもかといって、爺さんがメリッサさんの話に出てくるような英雄かと言われると、それには首を傾げてしまうのだ。

「英雄っていう物は時間と共に神格化されるものよ、クロエ」

 リンさんはそう言ってウィンクする。
 メリッサさんはまだ不満そうだけれど、とりあえず爺さんが否定しないので口を挟むつもりは無いようだった。

「それに剣聖などと呼ばれたとしても、儂はまだまだじゃったよ」

 ほっほっほ、と笑う爺さんは、なんだか妙に誇らしげだ。

「確かにあの当時の儂は強かった。それはもう、自信を持っていえるぞい? じゃが、それだけじゃよ。強いが――それだけじゃ。たった一人で運命を覆せるほどの力は無い。儂はあくまで人間にすぎんかった。――『剣』では、なかったよ」

 けれど少しだけ爺さんが寂しそうに見えたのは、気のせいだったのだろうか。
 そして、安堵しているようにも見えたのも。



  †  †  †



「……『剣』ってなんですの?」

 メリッサさんが不思議そうに首を傾げる。爺さんの口にした言葉が気になったらしかった。
 剣。つまり武器という事か。剣の神髄に至れなかったとか、そういう事なのだろうか。

「メリッサさんは、レムリアース1世陛下の事はご存じよね?」

 そんなメリッサさんに答えたのは、リンさんだった。
 眼鏡越しの瞳が、人に教える時の先生モードになったリンさんの目になっているのが分かると、僕は諦めて拝聴する事にする。実際、気にはなったし。

「え、ええ。このフリスタリカの建国王ですわ。そして、竜殺しの英雄」
「そう。フリスタリカの建国譚は教えたわよね? クロエ」
「はあ。確か500年くらい前の話、ですよね。竜王フリスタリカの餌場だったこのインゴバルド大陸中央部が人間によって開拓されたのは、竜王を打ち倒した人間がいたからだ、って」

 リンさんは、したりと頷く。

「その通り。かつてこの大陸中央部は肥沃で広大な土地を山と海に囲まれていながら、人間が入る事は無かったわ。なぜか。その理由は簡単。竜王と呼ばれた強大な古竜、フリスタリカがこの地を餌場としていたからよ」


 ◇


 竜王とは人間が名付けた畏怖の名だった。竜の中の竜。王の中の王。人間がどう逆らっても、無慈悲に蹂躙する暴虐の王。だがそれは竜という種からすれば、当然のことだっただろう。脆弱な人間も、生まれつき強大な魔力を持つエルフといえども、竜に抗うなどという事はできなかったのだから。
 その結果、大陸は中央で大きく分断された。人間は細々と狭い大地の中で暮らし、そしてそんな小さな土地を争って戦争をしていた。結果、人間は滅びる寸前だったのだと、リンさんは言う。
 エルフはまだ良かった。彼らは人間よりもその絶対数が少ない。そして、戦争などというくだらない行為に命を浪費する事は無かったから。だが人間は違った。その行為がどれほど愚かに見えても、人間同士で諍い殺し合い、そして滅亡への道を邁進していたのだ。
 そんな最中、一組の冒険者パーティーが現れた。彼らはたった4人で竜に挑み――そして竜を殺した。絶大な力を持つ凶王、暴虐の主、大陸の中央に鎮座した竜王フリスタリカを殺した。殺し尽くしたのだ。
 それこそが建国王レムリアース1世。『学院』の創始者、賢者クルド。『教会』の聖女マリアンヌ。そして、名の伝わらぬ『魔法使い』。
 彼らは竜王の名を冠した国、フリスタリカをこの土地に建国した。


「レムリアース1世こそは、人間という種の『剣』だった」

 リンさんは、静かに告げる。

「『剣』とは種が滅びに瀕した時、種の全てを賭して産み落とされる存在。嵐に立ち向かい打倒するための力なの」

 滅亡の危機に瀕した種族が、滅亡を回避するために原因を打倒せんと産み落とされる、絶対の強者。けれども、今もこの世界ではきっと数種の生物は滅びているのだろう。

「そんなのが生まれるなら、滅びる種族がそんな居るはずが」
「その通りよ。でもね、『剣』が生まれる可能性は本来、途轍もなく低いの」

 だからこそ、そのまま滅びる種がいるのだ。『剣』が生まれることすらない種は多い。そして例え生まれたのだとしても、滅びを絶対に回避できる訳でもない。
 滅びの前に、逆に打倒される『剣』とているのだ。

「人間という種の異常さは、ここにあるわ。人間が産み落とす『剣』は強い。圧倒的なまでに」

 運命を覆すほどの力。そんな物がホイホイ生まれるはずが無い。だが人間には、それが生まれる確率が非常に高い。そして生まれた剣は―――圧倒的に強かった。

「それこそ、竜王すらも打倒するほどに。この世界における最強をすら、『剣』は屠ってみせた。魔獣がはびこるこの世界で、人間が未だに世界の中心で栄えている理由は、それなのよ」


 ◇


「つまり、『剣』っていうのは」
「規格外の化け物。人を超えた存在よ。それこそ物語の英雄のような存在。問題はそれが生み出されるのは――」
「滅びが近づいた時……という事ですわね」
 僕のつぶやきにリンさんが答え、そしてメリッサさんがまとめた。
「いやいやいや! それってつまり、爺さんが『剣』じゃなくて良かったって話じゃないですか!」
「ほっほっほ。確かにのう。だがの、クロエ。儂とて男じゃ。剣で身を立て、いつしか剣聖とまで呼ばれた。そんな自分じゃからこそ『剣』の強さに魅入られ、そして絶望したのじゃよ」

 どれほど自分を磨き上げ、研ぎ澄ませようとも。
 『剣』には届かない。そう思えてしまうからこそ、爺さんは剣を置いたのか。

「……まあそれにの。今の『剣匠』のほうが、往年の儂よりも強いしの」

 剣聖などと呼ばれて調子に乗れる時期は案外短かったのじゃよ、などと。爺さんは笑って話を締めくくったのだった。





 気がつけば外は夕日で赤く染まっていた。窓から差し込む夕日で店内も赤く照らされている。リンさんの黒髪は夕日で明るく照らされ、メリッサさんの金髪も燃えるように輝いている。爺さんのつるりとした頭が照り返していた。

「お爺ちゃん、いるー?」

 勢いよく開く扉。そこから顔を出したのは、ガーネットだった。

「おう、ガーネット。もうそんな時間かい」

 爺さんは途端に相好を崩し、立ち上がった。

「さて、そろそろお暇しようかの」

 そしてガーネットに歩み寄ると、こちらを振り返った。

「のう、リン。『剣』になれなかった事を、今の儂は嬉しいと思えるようになったんじゃよ」
「……そうね。きっとそれで良いのよ」

 頷き返したリンさんと爺さんを、僕らはキョトンとして見比べるしかない。
 そして、ガーネットはリンさんと僕の間に立っているメリッサさんを見て、首を傾げていた。

「さて、私もそろそろお暇いたしますわね」

 メリッサさんもそう言って玄関へと歩き出す。

「では、皆様。ごきげんよう」

 そして、颯爽と店を出て行く姿を、僕らは見送る。

「あ、あの。お爺ちゃんがお邪魔しました!」
「ほっほっほ。行くかの、ガーネット」

 ぺこりと一礼して、ガーネットと爺さんが店を出て行くのを見送って、僕はため息を一つ吐いた。



 結局、今日は売り上げゼロか。そう考えつつ、店じまいの準備をするのであった。





==========================
そんなわけで、ちょっとだけ建国譚と世界について。
説明ばっかりですね、今回。

>死亡フラグ
メリッサさんにそういうつもりが無いので、きっとフラグにならないのですw
単純に防御用アイテムを借りた程度のつもりでしかないのです。今んところ。



[17171] 道具屋さんの一日 その5
Name: lune◆da3a4247 ID:a47281e2
Date: 2010/05/29 01:07
この世界では冒険者はパーティーと呼ばれる集団を組んで行動するのが、一般的とされる。戦士だけでは近接戦闘しか行えず、かといって魔法使いだけでは距離を詰められれば一巻の終わりだからだ。ゆえに戦士と魔法使いは集団を組む。
 だが中には、一匹狼を気取る輩もいるし、集団になじめずに結果的に一人でいるような者もいる。しかしそういう輩は必然的に仕事からあぶれ気味になるし、遺跡の探索のような真似は決してしない。何が起こるかわからない遺跡のような場所で、単独行など自殺行為以外の何物でもないからである。
 だが、世の中には例外という物が、時として存在する。
 たとえば現在、『剣匠』と呼ばれる冒険者、クロードはその例外の代表だった。
 常に単独行で遺跡を巡り、そして生還する。対人戦では無敗を誇る戦闘技術は、剣匠と呼ばれるが決して剣だけに特化しているわけではない。その辺りに転がっている石ころや棒きれを使ってでも勝つ。その戦い方はきれいなものではないし、騎士のような名誉を重んじる輩からすれば、卑怯とそしられる戦い方だ。
 それでもクロードが剣匠と呼ばれるのは、そんな騎士を剣だけで圧倒する、絶対的な強者だからである。その上で、生き延びるためならばどんな真似も厭わないという男が、果たしてどれほどの強者であるか。それは考えるまでもないのだろう。



道具屋さんの一日 その5



「クロードさんって、すごいですよね」
「そんなことは無いさ。遺跡では魔法を使う魔獣に囲まれないように、必死に逃げ回っているんだぞ?」
 店を訪れた剣士は、ははは、と低いが心地よい笑い声を上げる。
 年の頃が30に届こうかという男性は、頬に残った傷をゆがめて笑っていた。鋭さのある顔立ちは死線をくぐり続ける歴戦の戦士のそれでありながら、笑顔はどこか気安そうでもある。無骨な鎧を軽々と身につけ、鍛え抜かれた腕は鋼のように引き締められている。
 僕は袋の中から荷物を一つ一つ、丁寧に取り出してカウンターの上に並べると、鑑定を始めた。魔力を帯びた品がほぼ全て、という時点で一般的な商店では取り扱われない品ばかりである。
 剣匠の異名を取る、常に単独行の冒険者。たった一人で遺跡に入り、そして誰も到達したことのない深部から帰還する。もはや生きた伝説と呼ばれてもおかしくはない。
 何よりも彼の凄みは、一対一ならば無敗、ということにある。
 競技、戦争、冒険。どのような場面でも、一対一の対人戦で負けたことはないクロードさんは、いつしか剣匠と呼ばれるようになったのだという。
 だというのに、この人は決して自分をそう呼ばないし、驕らない。自分は強くなどない、という。
「いやいやいや。クロードさんが強くないだなんて言われたら、他の冒険者の人たちが何も言えないじゃないですか」
「そうではないよ、クロエ。俺は負けないように戦っているだけだ。正確には勝てると判断した時しか戦わない。それだけなのだよ」
 買い取り品の鑑定と値付けの待ち時間のため、クロードさんは椅子に座って僕が出したお茶を飲みつつ、そう笑う。
「一対一では無敗と人は言う。それはつまり、一対一以外では戦わないということだ。無敗という事は、勝てない相手とは戦わないということだ」
 にやりと笑ってみせるクロードさんは、そう言って両手を打ち合わせた。
「結局のところ、無敗などという物はそんな代物でしかない。クロエ。お前のような少年は、まだ夢を見ていたいのかもしれないが、残念ながらそうはいかん。この世に絶対など存在しない。俺とてどこかの遺跡でのたれ死ぬ事は、いつだってありえる事だ」
 それにだ、とクロードさんは続ける。
「俺を殺したいのなら、毒を盛ればいい。遠くから弓でも魔法でも使えばいい。なんなら俺に罪を着せて投獄するでも良い。俺の剣が届かない場所。俺の剣が役に立たない戦い方をすれば、俺を殺すことは至極簡単だ」
「いやいやいや。それ卑怯でしょ。絶対に」
「冒険者の命のやりとりにおいて、卑怯などという物は存在しないのだよ、クロエ。騎士が名誉に命を賭けるのとは違う。冒険者は命を対価に、莫大な報酬を得ようとする者達だ。死ぬことこそが敗北という輩だ。ならば、死なないために、どんな手段でも講じるべきだろう?」
「えー……。なんかこう、夢が無いですよ、クロードさん」
「夢など豚にでも喰わせてしまえ。俺たちはこれ以上ない現実主義でなければ、生き残れないんだよ」
 そう笑う男こそが、冒険者の夢の体現者であるのはどうなんだろうか、と思う僕である。

  ◇

「……あら、クロード。いらっしゃい」
「やあ、リン。久しぶりだな」
 店の奥から顔を出したリンさんに、クロードさんは軽く手を上げて挨拶する。
「今回も大漁ねえ」
 そしてカウンターに並べられた品々をのぞき込んだリンさんに、僕はリストを差し出した。
「リンさん。これ、買い取りのリストになります」
「ん。ありがと。……今回はどこ行ってきたの?」
 リストを受け取ったリンさんは、内容を確認しながら尋ねる。
「ああ、今回はイシュタルの深部到達記録を更新してきただけだ」
「イシュタルって、たしか近場の大深層遺跡ですよね」
 王都から徒歩で二日ほどで辿り着ける近郊の遺跡である。駆け出しのパーティーが潜ることでよく知られているが、この遺跡、実はとんでもなく深いのだそうだ。
 たしか、現在知られている最深部到達記録は30層。40年ほど前の記録だと聞いている。
「ああ。師匠達が若い頃に潜って、そこまで到達したそうだ。俺が今回、32層まで潜ったがな」
「それ……、当然一人で、ですよね」
「師匠からそこまでの道は聞いていたからな。前情報なしで潜ったなら、もっと浅い所で止めていたよ」
 そう言って肩をすくめるクロードさんは、けれども目は真剣なままだ。
「あそこは深部では出てくる魔獣の質が大きく変わる。師匠の仲間だった魔法使いの話では、異界に通じる穴でも開いているのではないか、という話だったな。たしかに25層以降は空気が違って感じられた」
 どこか粘り着くような、妙な威圧感を感じ続けたのだというクロードさんに、僕は「はあ」と頷く。
「そして得られる財宝の類も、大きく変わる。具体的には、強い魔力を帯びた品が、極端に増える」
「……なるほど」
 カウンターの上で、妙な気配を発している品々を一瞥して頷いた。


「ん。こんなものかしらねー。でもクロエ? そこにある杖は、もっと高値になるわよ?」
「え、そうですか?」
 そしてリストの点検を終えたリンさんが、杖というかステッキというかな代物を指さしつつ、僕にリストを返してくれる。
 ちなみにリンさんが指さしたのは、玩具じみた色彩のステッキだ。
「でも魔力感知じゃ、たいした感じはしませんでしたよ?」
「そりゃそうよ。自前の魔力は使わないんだもの。周囲の魔力を吸収して発現するタイプね。雷撃の魔法がかかってるようだわ」
「はい?」
「もう。駄目よ、クロエ。鑑定の目利きはだいぶ利くようになったけど、最初の魔力感知を過信しすぎる癖が直ってないわよ?」
「あ、はい。すいません」
 ぺこりと頭を下げる僕。確かに僕の鑑定は、魔力感知に頼る部分が大きい。はっきり言えば、見知らぬ品を鑑定する場合は、魔力の大きい品のほうが、より危険度が高く、価値も高い。とはいえ、今はそういう話じゃなくて。
「あの……周囲の魔力を吸収って、それってつまり」
「世界に魔力がある限り、雷撃が打ち放題みたいね。しかも魔法使いじゃなくても、キーワードさえ分かってれば扱えるみたい」
「いやいやいや! 雷撃って中級魔法でしょ!? それが撃ち放題!?」
 一般的な魔法使いの到達点と呼ばれるのは、上級魔法である。だいたいの魔法使いはここを上限としてしまう。というか、それ以上には才能とか運とかが大きく関わってくるらしい。
 中級とは、その名の通りある程度の実力者が到達する領域だ。僕の知り合いでいえば、メリッサさんがそれに当たる。
「そうね。さすが大崩壊以前の遺跡なだけはあるわねー。こんな代物がまだ眠ってたなんて」
 あははー、などと笑いながらステッキを振り回しているリンさんである。
「……どうしますか? これ、売るよりもクロードさんが持っていたほうが良いんじゃ」
 僕の問いにクロードさんは苦笑いを浮かべながら頷いてみせた。
「そうだな。さすがにこれは、俺の奥の手にさせてもらおう」
 リンさんからステッキを受け取ると、けれど微妙な顔つきになる。
「しかし……この見た目だけは何とかならんかな」
 ピンク色の玩具めいた装飾のつけられたステッキは、なんというかクロードさんのような男性が持つには、色々な意味で色物めいて見える。リンさんが持っている分には、まあ年甲斐のない人という印象で、なんとか片付けられるわけだけれど。
「それ表層に威力制御がつけられているから、変えると動かなくなるわよ?」
「……そうか」
 クロードさんは寂しそうに頷くのだった。



「うおーい、邪魔するぞい」
 ドアベルを鳴らして店に入ってきたのは、イルク爺さんだった。
「ほ。珍しい客がおるのう」
 そしてクロードさんを見て、眉を上げる。確かに、僕が店番をしている間に、クロードさんと爺さんが顔を合わせたことは無い。かつては有名な冒険者だったという爺さんだし、クロードさんは現在もっとも有名な冒険者だという事を考えれば、爺さんも知っているのだろう。前に、今の剣匠は昔の自分よりも強いって言っていたし。
 クロードさんは椅子から立ち上がると、びしっと直立して、それから深々と頭を下げた。
「お久しぶりです。師匠」
「ふぉっふぉっふぉ。相変わらず荒稼ぎをしとるようじゃのう」
「師匠!?」
 泰然と礼を受ける爺さんに、思わず叫び声を上げる僕だった。
「ああ。俺の剣の師匠なんだよ、イルク殿は」
「ほっほっほ。どうじゃクロエ坊。見直したか? ん? ん?」
「えー……。いや、爺さんが昔すげえ強い人だったっていうのは前に聞きましたけど。クロードさんの師匠って」
 つるりとした頭を撫でながら、爺さんはカラカラと笑う。
「まあの、実際今のクロードは己の道を歩んでおる。弟子というには、少々気恥ずかしいところはあるかのう」
「いや、師匠。俺にとって師匠から習ったことは、今でも俺の行動原理の一つです。勝てない相手とは戦わない。戦うからには勝てる手段を準備する。そういったことは、師匠から学ばせていただきましたから」
「あー。その卑怯でも勝てばいいっていうの、爺さんからなんですね」
「馬鹿にするもんじゃないぞ、クロエ。冒険者なんぞどこで死ぬかも分からん流れ者じゃ。死ねば何も残らん。逆にいえば、生きている限りは敗北ではない」
「いや、その信念については、さっきクロードさんから聞いたし理解もしたけどさあ。でも、そのためにあらかじめ罠を用意するとか言われると、夢が壊される気がするんだよなぁ」
「一対一に持ち込めば、負けるつもりは無い。しかし勝てそうにないなら、そもそも一対一にすら持ち込まずに逃げる。それは俺の哲学だ」
 自信満々で胸をはり、頷きあう元・剣聖と現・剣匠。なるほど。似たもの同士ですよ、この人たち。
「……そういえば、クロードさんはどうして一人なんですか?」
「ん?」
「爺さんの話じゃ、昔の爺さん達はパーティーを組んでたんでしょ? なんで一人でやってるんですか?」
 ああ、とクロードさんは納得したように頷いて、力強くこう言った。

「分け前が減るだろう。パーティーだと」

 冒険者なんてやってるんだから、当然のことなんだろうけれども。

「俗物だ……。案外俗物だ、この人」
「なにを当たり前なことを言ってるのよ、クロエ」
 苦笑しているリンさんと、胸を張って笑っているクロードさん。
 今日も店は平和である。



[17171] 道具屋さんの一日 その6
Name: lune◆da3a4247 ID:8b5a56bb
Date: 2010/05/29 10:02
 とりあえず、鷲宮黒慧は荒事向きな人間ではない。
 僕は自分の事を、そう評価している。
 この世界に放り出された日だって、結局のところリンさんに拾ってもらえなければ、その日のうちに死んでいただろう。剣を振り回せるほどの力も技量もなく、さりとて魔法を使うような才能があるわけでもない。足が人よりずば抜けて速いわけでもなく、頭が良いわけでもない。
 平々凡々。それこそが僕に似つかわしい言葉だった。少々画数が多い上に外国の、しかもなぜか女性名がつけられたという事くらいが、僕の特筆すべき点だろう。

「だっていうのに……ああ、もう。なんだってこんな所に居るのかな、僕は!」

 場所はイシュタルと呼ばれる遺跡の、地下1階にある大回廊――からさらに数フロア下にある、おそらくは未踏破区域。こんな浅い階層に、未だ踏破されていない区画があっただなんて、予想だにしなかった。
 少し離れた場所には、天井が崩れた跡がある。僕は、十数分前にそこから落ちてきたのだ。穴は崩落のがれきで埋まってしまい、そこから戻る事はできそうにない。
 薄暗くほこり臭い通路。落下した時間から考えれば、それほど深い場所に落ちている訳ではない。だが壁に輝石が埋め込まれていない事や、路面に積もった埃が砂がここを冒険者が歩いていない事を示している。
 体を痛めていないことを確認しつつ、懐から輝石を取り出す。周囲の魔力を吸って輝きを放つこの石は、手軽な照明となる。熱を持たないので、こうやって懐や袋に放り込んでおいても問題ないのだ。
「さて……どうしたものかな」
 未踏破区画という事は、既存の冒険者が探索する区画から外れている――ないし、隠されている事が予想される。僕にはそういった技術がないので、探索といっても歩き回る以外ないわけで。

「……メリッサさん達、無事かな」

 ふと、自分が落ちる寸前に見た、メリッサさんの呆然とした顔を思い出した。



道具屋さんの一日 その6



「ふうん。キミがクロエ君か」
 まるで商品を見るような目で僕を見るのは、黒髪を肩口で切りそろえた女性だった。腰にさした剣が、彼女の職業を語っている。
「……あの、何か?」
 フリスタリカ市街区から、外へ出るための門の前で待ち合わせていた僕に声をかけてきたのが彼女だった。
「アリサ・イマラ。メリッサの友人だ」
 そして左手をあっさりと差し出してくる。
「どうも。クロエです」
 僕もそれに答え、手を差し出す。
「もう、アリサ。なにをしてますの?」
 そして、そんな僕らから一歩離れて、困惑しているのはメリッサさんだった。
「なに。旅から帰ってきて疲れているというのに、直接その足で向かう店の店員なのだろう? 興味があったのだよ」
 ククク、と喉を鳴らして笑うアリサさん。その切れ長で黒目がちの目が、さらに細くなる。はっきり言えば、猛獣が獲物を見つけた時のような目だ。
「……な、なにを言っていますの! 私はただ、買い取りをしてもらおうと――」
 そしてメリッサさんはと言えば、そんなアリサさんに憤然と食ってかかっていた。ああ、でも駄目だろうな。ああいうタイプとメリッサさんは、圧倒的に相性が悪い。
「申し訳ないね、騒がしくて」
「いえ。こちらこそ、便乗させていただいて、申し訳ありません」
 背中にかけられた声に振り返り、頭を下げる。顔を上げれば、鎧に身を固めた男性が苦笑いを浮かべていた。
「アリサも腕は立つのだが、どうにもメリッサをからかうのが好きなものでな」
「ああ、いえ。それは見てると分かります。面白いですし」
 どっちが、とは言わない。多分、彼も分かっているのだろう。
「改めて自己紹介をしよう。私はロイド。白銀の鷹のリーダーをやっている」
「『道具屋』のクロエです」
 そう言って、片手を差し出す。ロイドさんも手を差し出し、力強く握り返された。
 革手袋に包まれた大きな手は、ゴツゴツとしている。剣を日常的に持つ手だ。クロードさんも、同じような手をしていたな、と思う。
「イシュタルの大回廊を抜けるんだって?」
「はい。イルバーンズに住んでいらっしゃるお得意様に配達なんです」
 背負った荷物を示すと、ロイドさんも頷いた。そして今回、僕がここに居る理由を口にする。
「なるほどな。我々もイルバーンズに用がある。護衛の費用は相場の3分の1で良いよ」
「……良いんですか? その、白銀の鷹に依頼するようなお話ではない、と思っているのですけれど」
「メリッサが良いと言ったんだ。なら、かまわないさ」
 ハッハッハ、と笑うロイドさん。現在、もっとも名の知られている冒険者の一人とは思えないフランクさである。
「はあ……では、よろしくお願いします」
 もう一度ペコリと頭を下げる僕である。向こうではアリサさんに向かって何か噛み付いているメリッサさんがいる。さらに向こうには、ニコニコとした表情でメリッサさん達を眺めている女性神官さんがいる。ロイドさん曰く、ミランダさんというらしい。彼女は微笑ましいものを見るような目で、メリッサさんを眺めていた。
「……良いのかなぁ」
 少なくとも、配達の護衛に雇うような人たちじゃないんだよね、と。僕は思わず呟くのである。

 ことの起こりは、イルバーンズにお住まいのお得意様からの注文だった。品としては、いかに王都フリスタリカが誇る「商会」ですらも扱っていない、魔術礼装の希少品。こんな代物を扱っているのは、うちの店くらいだろう。お得意様もそれを分かってるのだろう。使いの人がそれを持って帰ったのが、ひと月ほど前の話だ。問題はそれだけで注文が完了していなかった、ということだった。
 どうにか残りの品を用意したのが、つい先日。けれどイルバーンズまで、誰がどうやって運ぶのか。そうなった時、僕に白羽の矢が立てられたのである。
 いや。別に配達に行ったことは、これまでだって何度となくある。問題は、今回の品である高純度の魔力結晶は、放っておけばどんどん劣化していくという事だった。つまり、なるべく早くにこれをお届けしなくては、意味がない。だから普段使う街道ルートでは、とてもではないが間に合わない。
 そこで選ばれたのが、イシュタル遺跡の地下1層にある大回廊だった。これは本来山越えか迂回しなくてはいけないイルバーンズまで、ほぼ直線ルートで踏破できるのである。
 遺跡なだけあって、魔物が多い。そのため通商のルートとしては使えないのだが、今回はイルバーンズへ用のある冒険者パーティーに混ぜてもらう事で、護衛を雇う費用が随分と抑えられた。
 つまるところ、それがメリッサさんが所属する『白銀の鷹』なのである。
 ちょうど店に顔を出したメリッサさんが「それならば、私たちと同道すれば良いでしょう?」と言ってくれたおかげで、僕やリンさんは一も二もなくそれに飛びついたのだった。

  ◇

 人生とはままならないものである。
 僕は割と早くからそれを理解していた。少なくとも、幼いながらの人生設計が一瞬でオジャンになってしまった経験を積めば、それくらいは身につくものだ。
 手にしている杖に力を込めて、改めて息を吐く。
 持ち手部分を引っ張ると杖が上下に伸びて真ん中に空洞が開く。そこにポケットから取り出した円筒を一つ詰めて、持ち手部分を元に戻す。
 シャコッという音と共に、杖の表面に刻み込まれた刻紋がうっすらと発光する。
 これは魔法使いではない人間が魔法を使うための道具である。その名も『唱える者』。この世界に来て間もない頃、リンさんが僕にくれた品である。
 魔法を使えるわけでもなく、まして剣が使えるわけでもない。別にこの世界にもそんな人間は多くいるけれど、この世界になんの縁故も持たない僕のような人間が生きていくのならば、これくらいの力は持っているほうが良いだろう。彼女はそう言っていた。
「――はあ。《起動》」
 あらかじめ指定しておいたコマンドで、杖はその威力を発揮する。
 手の中で杖が震えるのを感じながら、間合いを計る。今、僕がいる細い通路の先には、大回廊へと通じる広間がある。問題はそこに鎮座するアレをどうにかしなければ、僕は大回廊まで辿り着けないという事実だ。
 いやもう、本当に。できるなら穏便かつ平穏な生活を送りたいと願っている僕だというのに、どうしてこんな目に遭うのだろう。やっぱり、こんな場所を通ろうとした事が間違いだったのか。
 もう一度、深くため息を吐いて、杖を強く握り直す。

 僕が持っているこの杖は、クロードさんが見つけた雷撃を無制限に打てる杖と違い、周囲から魔力を勝手に吸収するといったような事はできない。ただし、魔法を封入した特別なカートリッジを入れ替える事で、多種の魔法を使い分ける事ができる。
 クロードさんのあれは、大崩壊以前の高度魔術文明の遺産である。僕のこれも、そういった意味では同じ遺産の一つだ。ただ、僕のこれは多分に技術検証用のプロトタイプだったのだろうと想像される。なぜならば、わざわざカートリッジ方式による他種類の魔法行使を可能にしなくとも、当時大多数を占めた魔法使いは自分で魔法を使えたからである。単独機能で周囲の魔力を自動吸収するならともかく、あくまでカートリッジの魔力分しか使えないのでは、意味が無い。
 現代では魔法使いの数も激減し、魔法を使えない人間というのが大多数を占めるようになった。だからこそ、『唱える者』の意味はあるのかもしれない。とはいえ、同じような品を持っている人はほとんど見たことがないのだけれど。
 今回使うのは10番のカートリッジ。上位雷撃を封じたものだ。
「さーて。行きますか!」
 怯えや躊躇、余計な考えを振り払って、僕は広間へと躍り出た。

  ◇

 地竜というのは、空を飛ばない亜竜の一種である。深い地下洞窟や遺跡なんかに棲んでいる、といわれる。明確ではないのは、これに遭遇した人間のうち戦いを挑むような輩は、生還する事がまずないから、とも言われる。
 性格は比較的どう猛。他の知性体と意思疎通が図れるほどの知性は持たず、基本的には巨大な獣である。問題は魔法への耐性を比較的持っており、少なくとも人間の魔法使い程度では歯が立たないという事。
 亜竜としては弱い、とされるが、あくまで亜竜の中ではという注釈が付く。つまるところ、人間が、しかも数人程度ならば一目散に逃げ出す相手だということだ。
「《雷撃》《放て》《放て》《放て》!」
 杖を構え、コマンドを連呼。
 杖の表面が薄く輝き、雷光が走る。そのたびに竜の外皮の上を、スパークが走っているのが見て取れた。だが、それだけだ。
 竜は怯んだ様子もなく、ただ小うるさいハエを相手にするように、その巨体を動かす。
「くっ――《放て》《斉射》」
 数本の雷光がまとめて竜の鼻面を叩く。さすがにこれは効いたようで、竜がうなり声を上げてその巨体を動かした。その先に、大回廊へと通じる道が見える。高さはビルの四階ほどの場所。階段は――竜が崩してしまっているようだった。瓦礫が積み上がっているのが見える。
 ポケットから新しいカートリッジを取り出すと、杖に現在入っているそれと入れ替える。シャコッという音と共に、再び刻紋が輝く。
 実はこれ、結構な練習を要したものだ。いかに早くカートリッジを交換できるか。どんな状況下でも、それを為せるか。できなければ、魔法を使う手段を失った無防備な状態で晒されてしまうのだ。
「《起動》《突風》《吹き上がれ》」
 足下から風が巻き上がり、僕の体がふわりと浮き上がる。宙を舞う感覚は、今も慣れないものだ。だが足場なしで4階の入り口まで到達するには、これしかない。
「――って」
 地竜の目がギロリと僕を睨み付けたのが分かる。
 半開きになった口の端から、チロチロと見えているのは炎だろうか。
 その射線は、どう見ても宙を無防備に飛んでいる僕に向いている。
「ええい!」
 舌打ちして身構える。風による加速は受け続けている。射線から早く外れなければ、丸焼きになって死ぬだけだ。それでも、体が強ばるのは誤魔化せない。
 そんな時、頭上から澄んだ声が響いた。
「《瀑布》《穿て》!」
 その声は鋭さを持ちながら、けれども優雅さを帯びていた。頭上から降り注ぐのは、巨大な水柱。驚くほどの勢いで水流が竜の頭を殴り倒すのを、呆然と見下ろしてしまう。
「何をぼうっとしてますの! 早くこちらに!」
 そんな僕を叱咤する声。そして見上げた先では入り口から手を伸ばしているメリッサさんの姿。
 気流が安定しない中、どうにか入り口へと辿り着く。彼女の手を掴んで、どうにか足下へと転がり込んだ。
 小さな、大人が一人立てば頭が付きそうなほど低い場所だった。あの竜がいくら首を伸ばしても届かない高さで、幸いにも火も届かなさそうだった。
「はぁ……助かりました。ありがとうございます」
「まったく。肝が冷えましたわ」
 そして僕が顔を上げれば、そちらには白銀の鷹のメンバーがそろっていた。
「大回廊の床が抜けた時はどうなることかと思ったが……無事で何よりだ」
 パーティーリーダーのロイドさんの声に、僕も頷いて答える。
 見回せば、全員怪我らしい怪我もしていない。どっちかというと僕のほうが、ボロボロだ。
「そちらはご無事で何よりです。……まあ、僕が一番危なっかしいんだから、当然なんですけど」
「ははは。しかしキャスターとはな。随分と珍しい骨董品を使うものだ」
「元来、魔法も剣も使えない非才な身なもので」
 僕の手にあった『唱える者』を見たロイドさんに、苦笑いで会釈を返して立ち上がる。
 背負った荷物は無事だし、駆け回ったせいで疲労した足も、まだ動く。
「行きましょう。さすがにこんな所じゃ、落ち着けそうもない」
 僕の背後では獲物を取り逃がした地竜のうなり声が、今も地響きのように響いているのだ。
「そうだな。こちらから大回廊へ上がれる」
 多少ふらつく僕の隣に、メリッサさんが並んだ。
「シャンとなさい。まだ道中は半ばほどですのよ?」
「いやあ。とりあえず僕としては1年分くらいのアクションをこなした気がしますから……」
 できればぐっすりと眠りたいのです。柔らかいベッドじゃなくても良いので。
 思わずこぼした呟きに、なぜか僕のい背後を歩いていたミランダさんが近づいてきた。ぐい、と背中にのしかかってきたかと思うと、耳元で囁く。
「あとでそのキャスターを見せてくれたら、膝枕してあげても良いですよ?」
「なんですと!?」
 我ながらどうかと思うほどのテンションの高い声に、隣を歩いていたメリッサさんが明らかに蔑む目を向けてくるのが分かる。分かるのだけれども、今現在の僕の背中に押しつけられている魅力というか柔らかさの前には、蔑みすらもエッセンスに過ぎないのではないだろうか。というか。
「あ、あの?」
「キャスター使いなんて、初めて見た。王家の宝物庫に眠っているような品よ、これは」
「ええー?」
 リンさん、すごいぞんざいな扱いで僕にくれたんですけど。私には必要ない品だから、とかそんな感じで。倉庫で埃かぶってたし。
「そうなんですか?」
「そうですわね。キャスターを扱うには魔力感知の適性も必要ですし、使える人間はそうはいません。魔法を使えない者にはキャスターを扱う事はできませんし」
 メリッサさんに尋ねてみれば、彼女はつらつらと答えてくれる。
「逆に魔力を感知できるという事は魔法を扱う適性がある訳ですから、魔法使いになるのが常ですわ。それにキャスター自体の数が希少です。ましてやあなたが使っているような他種類の魔法を使い分けられるキャスターだなんて、私も見たことありませんわ」
「はい?」
 今は腰に差してあるキャスターに触れて、僕は首を傾げた。
「普通のキャスターって、違うんですか?」
「何を一般的と言うかについては議論の余地がありますけれど……。少なくとも私の知っているキャスターは一種類の魔法しか使えませんわ。しかも杖に込められた魔力を使い切ればそれっきりの、使い捨ての品です」
「なんですと!?」
「だからこそ、キャスター使いだなんて者はこれまで居なかったのです。私たちの知るキャスターはあくまで補助用の道具。緊急避難用の予備なのです」
 むにゅん、と背中で形を変える感触。より密着して、触れている範囲が広がっている。
「なのに、あなたのは違う。だから見せて欲しいの」
「あ、あの? ええ?」
 なんか耳たぶに湿り気を帯びた息が吐きかけられている。
 というかですね。もうさっきから足が止まっているのですけれど。僕。
「ミランダ……。いい加減になさい」
「……おお。怖い、怖い」
 メリッサさんの眼光に、ミランダさんが離れる。途端、背中に触れていた柔らかい感触も失われ、僕はなんとなく寂しくなる。
「……クロエ?」
「は!? いえ! なんでもないです!」
 そんな僕の横顔を一瞥して名前を呼ぶメリッサさんに、知らず僕は直立不動で答えてしまう。
 情けないと笑わば笑え。明らかに殺す気満々な目で一瞥されて、ヘラヘラしていられるほど僕の神経は太くないのだ。
 フン、と鼻を鳴らして歩き出すメリッサさん。その背を追っ手僕も歩き出した。


 イルバーンズまで行けば、僕のお使いもひとまず終わる。
 なにぶん、品が劣化しないようにするための短縮ルートだ。そんなわけで、地下に落ちてロスした時間を挽回するために、僕らは不眠不休で歩き続けた。
 イルバーンズの遺跡街を抜けると、その奥にそびえ立つ塔がある。遺跡街自体は遺跡に潜る冒険者を当て込んだ商人達が作ったものだが、この塔はそれ以前、遺跡が遺跡でなかった頃からあるという。
 今回のお得意様は、ここに住んでいるのだ。
「ではクロエ。私たちはここで失礼しますわね」
「あ、はい。色々とありがとうございました」
 ペコリと頭を下げると、荷袋から小さな革袋を取り出す。
「これ、後金になります。本当にありがとうございました」
「……確かに。いいえ、こちらこそ途中で危険にさらしてしまったこと、お詫びしますわ」
 メリッサさんも苦笑して、小さく会釈して見せる。
「では、ごきげんよう」
「はい。それではまた」
 そして塔の下で別れる。元々の契約では街までの護衛なのだから、本来は街に入った時点で別れるはずだった。それを、わざわざ塔の下まで護衛してくれたのは、きっとサービスなのだろう。
 白銀の鷹の一団の背を見送ると、僕は改めて背後の塔を仰ぎ見た。
「何回見ても、でかいな」
 巨大な塔の外壁はツルツルとしており、切れ目も無い。石作りという訳でもなく、一枚板で全面を覆っているようにも見える。どんな方法でこんな代物を作ったのかと言えば、きっと魔法なのだろう。
 コンクリートとも違う壁面を眺めつつ、扉のノッカーを叩くと塔の中に響くような音がした。
 しばしの沈黙の末、扉に装飾されていた目がギョロリとこちらを睨み付け、重々しい誰何の声が鳴る。
「誰じゃ」
「毎度どうも。道具屋です。ご注文の品をお届けにあがりました」
 初めて来たときは本気で怯えたものだが、さすがに何度も繰り返しただけあって慣れた。ギョロリとした目は相変わらず不気味だが、聞こえてくる声は気の良い爺さんの声だ。
「――ほ。クロエかい! 主がお待ちじゃよ。ほれ、早うお上がり」
 途端、扉が音も無く開く。
 薄暗がりの塔の中には螺旋階段が天井へと伸びている。毎度のことながら、これを見るたびにため息が漏れる。
「登るかぁ」
 階段の1段目に足を乗せるのだった。


「……毎度ー。道具屋です……」
 そして最上階。家主の居室に辿り着いたのは、あれから40分ほど経った後だった。
 足がガクガクと震え、床に倒れ込んでしまう。ああ、冷たい石床が気持ちいい。
「おやおや、随分とへたばってるじゃないかい。いつもなら、もう少し余裕があるだろうに」
「いやあ。今回は大回廊の後半から休みなしだったもんで」
 床にへばりついたまま、視線を上に向ければそこには女王様がお座りになっていた。
 観葉植物に囲まれた一人掛けのソファに腰掛け、僕を見下ろしている妙齢の美女。スリットの深く入った黒のスカートから伸びる白いふともも。足を組んで、手にはキセルを持っている。
 長い黒髪はウェーブを描き、紅のさされた唇が男を誘うように扇情的に微笑んでいる。黒のドレスの胸元はV字を描いて開いており、二つの山が半分近く見えていた。
 その赤い瞳が僕をじっと見つめているのを、静かに見つめ返す。どれくらいの時間が過ぎたものか。不意に彼女は視線を外して、不敵に微笑んだ。
「ふふん。相変わらず、この程度の魅了は効かんか、小僧」
「いや、すごく効いてます。効き過ぎです」
 心臓バクバクだし。色々大変なことになってるし。視線、さっきから足の付け根と胸の谷間に行きっぱなしだし。我ながら素直すぎて恥ずかしくなる。
 ただ、身動きがとれるほど体力が回復していないので、見た目には魅了に抵抗しているように見えるだけなのだ。
「何を言うか。真に魅了された者ならば、足が折れていようと腕がちぎれていようと、はらわたがこぼれていようと、私に触れずにおれんのだぞ?」
「……それを馴染みの店員にかけようとするのは、どうなんでしょう」
「私はお前を気に入っているからね。リンもそうだが、お前も欲しい」
 自分の欲望に素直な御仁だと思う僕である。
 この塔の主にして、お店のお得意様。魔女ガートルードは艶然と微笑んでみせた。
「さて、それでは商談に入るとしようじゃないか」
 不意に両手を打って空気を変えると、カラリとした声で告げる。いっそ陽気とすらいえるその明るさに苦笑いを浮かべて、僕は荷物を取り出すのだった。


  †  †  †


 さて。このお得意様であるところの魔女様には、ひとつの悪癖がある。
 本人は優れた魔道具の作り手であり、現代に残る数少ない強力な付与魔術の使い手なのだ。つまるところ、クロードさんが持っているようなキャスターを、彼女は作ることができるらしい。面倒だからやらん、と笑っていたのを覚えている。
 そんなわけで、店に出す品を一部都合してもらったりもするのだが、彼女は金品を対価に求めないことがあるのだ。品を購入するときは金を支払うくせに、自分が売る側となれば金以外を要求することがあるのだ。なんだそれ。どんな我が侭だと思いもする。結果、うちが仕入れをする時には、別の対価を支払うことを要求される事が多い。具体的には。

「こら。女を抱いている時に、余計なことを考えるな。失礼だぞ」

 僕の下になり、首に腕を回しながらのお言葉に、はたと意識が舞い戻る。
 大きなプリンが楕円軌道を描くのを眺めつつ、突き上げを緩める。
「いや。普通に疲れて床に転がっていたような人間を、そのまま押し倒すのもどうかと思うんですけど」
 正直なところを言えば、この寝台でこのまま眠ってしまいたいのです。ですが、この人はそれを許してはくれなさそうで。
「じゃあ、私が上になるか?」
「しないっていう選択肢は無いんですか」
「無いな」
「言い切ったよ、この人!」
 白い足を肩に乗せて、彼女の体をくの字に折り曲げて寝台に押しつける。勢いよく突きあげれば、彼女はクククと喉を鳴らす。
「いいぞ、クロエ。あのとき、私の中に入れただけで漏らした小僧とは思えんな」
「ホントに嫌な人だな、あなた!」
 男としての色んな意味でのトラウマをあげつらわれ、つい大声が出てしまう。だって、初めてだったのだ。仕方ないじゃないか。入れただけで漏らしてしまったのだって、この人がそれまでに色々していたからだ。いじりまわされて、なめ回されて、そのくせ一度も出させてくれなかったのだ。仕方ないよね!?。
「リンの体もいいが、あいつはここ5年ほど、うちに寄りつかないからな」
「……前々から不思議なんですけど、性別って気にしないんですか?」
「なにがだ?」
 息を弾ませながら、それでもキョトンとした顔で聞き返すこの人は、多分本当に僕の質問を理解していないのだろう。
「男とか女とか。するなら、気になりません?」
「ああ、それか。そんなものはアレだ。興味深い相手であれば、私は気にせんよ」
 突っ込まれるのも、突っ込むのも好きだぞ?などと平然と答えられた。突っ込むって何をどこにだとは聞けない僕である。だって、実践されたら怖いじゃないか。
「まあ、リンの場合は生来の高い魔力だけでも素晴らしいのに、あの美貌だ。それが羞恥と快楽で染まるのは、正直たまらんものがある」
 ぐい、と力を込めて突きあげると、ガートルードの体も引きつるように力がこもる。浅い呼吸の横で、そのくせ喋っている内容はただのエロ親父である。
「クロエ。お前もあいつの味なら知っているのだろう……?」
「知りませんよ!? っていうか、恩人かつ家主とそんな関係とか、あんた僕をどう思ってるのさ!?」
「なんだ。リンの奴、まだ味見をしていなかったのか!?」
 本気で驚いている魔女に、僕はぐったりとしてしまう。もう、これ以上がんばるのとか無理。そろそろ硬さも維持できないし、と最後の力を振り絞る。
 ガートルードの全身がわななき、僕も背筋を走る快感に震える。全部を注ぎ込むように、しばしの沈黙。そして止めていた息を吐き出して、今度こそ寝台に倒れ込むのだった。



[17171] 道具屋さんの一日 その7
Name: lune◆da3a4247 ID:8b5a56bb
Date: 2010/06/06 18:00
 人生とはままならないものである。
 僕は黄色く見える太陽を見上げつつ、嘆息する。
「……腰が痛い」
 この歳で、こんな感想を抱く羽目になるとは思わなかった僕である。
 振り返ればそびえ立つ塔がある。主である魔女は、今頃は自分の研究室にこもっている頃だろう。他人様からいいだけ魔力を吸い上げただけあって、今朝の彼女は文字通り艶々と輝いていた。
 はあ、と息を吐く。
「じゃあ、失礼しますね」
「うむ。気をつけて帰れよ」
 扉についた目がギョロリと僕を見る。老爺の声に頷き返し、僕は歩き出した。



道具屋さんの一日 その7



 イルバーンズの遺跡街は、イシュタルの迷宮を中心とした遺跡群を探索する冒険者を目当てに、小さな市場が出来たことを起点として発展した街なのだそうだ。つまるところ、市場に足を踏み入れれば怪しげな武器防具から、道具類。果ては違法薬物の類まで、実に多岐にわたる。
 麻薬の類もこの世界ではある程度流通している。それでも強力な常習性のあるものは国家レベルで規制されているのが常だ。だが、遺跡を探索する冒険者の中には、麻薬の力を借りてでも生還するために、非常用に所持している事がある。だからこそ、ここにはそれを売る者がいる。当然、表立って売る事はない。看板もないし、常連客がそれとなく新しい客を連れてくるのだ。
「……うーん」
 店に仕入れる品の一つでも見繕ってから帰ろう、と市場を訪れた僕だけれど、思ったよりも品揃えが悪い。いや、これが『商会』なら十分に商売になるのだろうけれども、僕から見れば『普通の品』過ぎる。どれだけうちの店の品揃えが特殊なのかと、改めて思い知らされる。
「薬の類もなぁ」
 フィリスさんの店が扱う薬のほうが、数倍危険度が高い事を考えると、やはり普通すぎると思ってしまう。いかんいかん。普段の付き合いが特殊なせいか、判断基準が常人から外れかけているらしい。
 ふらふらと人混みの中を歩いていると、怪しげな風体の男がヨロヨロとぶつかって来ようとするのが目の端に入った。とりあえず回避、とばかりに避けてみせると、舌打ちをしながら別の獲物を探して歩み去っていく。一期一会って、大切。
「あれ」
「あら」
 ふと顔を上げれば、そこには見知った顔が二人。
「メリッサさんに、ミランダさん。こんにちは」
 白銀の鷹のマジックユーザーが二人、少しばかり驚いた顔で僕を見ていた。

  ◇

「ではもう仕事は終わったのですね」
「ええ。品を届けて、あとはこっちの注文を引き取るくらいですからね。ゆっくり街道を使って帰ります」
 お茶を飲みつつ、歓談中である。ミランダさんが、なぜか僕の隣に座っているのが気になって仕方ないのだけれども、とりあえず真正面に座っているメリッサさんと会話を続ける。
 不意にミランダさんが、僕の肩口に顔を寄せて、スンスンと鼻を鳴らす。
「……知らない女の匂いがする」
「はい?」
「それも、かなり濃く……」
「……あの、ミランダさん?」
 知らない女もなにも、僕とあなたの共通の知り合いの女性なんてメリッサさんと、アリサさんくらいなんですけど。そう思いつつ、冷や汗が背中を伝うのはどうしてなのか。
 目の前でメリッサさんが蔑む目で僕を見ているのが分かる。
「ふうん。まあ、クロエも男性ですものね。この町には娼館もありますし?」
「いやいやいや! そこ、分かってますわ的態度をとらないで下さいよ!」
「なんですの。別にあなたがどこで盛っていようと、私にさえ盛らなければ気にはしませんわよ」
 なんだか今にも縊り殺されそうな眼で僕を見つつ、メリッサさん。
「魔力……の残滓?」
 そして、相変わらず僕に顔を寄せているミランダさんである。
「あの、ミランダさん?」
「いやらしい魔力の匂いがする。……魔女?」
「いやらしいって……」
 この街、というかあの塔に魔女が棲んでいるのは有名だ。滅多に人前に姿を見せないが、魔女というものが蠱惑する存在だという事は、皆が知っている。だからこそ、ミランダさんの言葉は、質問というよりは確認だった。とはいえ、そんな言い方で魔力を表現する人は、初めてである。
「――まあ、お得意様なので」
「塔の魔女と『知り合い』ね。顔が広いのね、あなた」
「なんか棘がありませんか!? さっきから!?」
 メリッサさんに思わず叫び返して、僕は渋々と座り直す。ミランダさんからちょっと距離をとったのは、内緒だ。
「だってあなた、フィリスとも知り合いじゃありませんの」
「……薬屋の?」
 ミランダさんに頷き返して、メリッサさんは僕を見る。
「彼女だって……その、すごく色っぽいですし」
「いや、あの人も魔女ですからね……そういう意味で」
 実年齢は知らないけれど、多分、結構なお年のはずである。まあ、魔女に果たして年齢が関係あるのかは不明だけれども―――フィリスさんが、どうなのかは知らないでいるほうが幸せであろうと思う僕なのだ。
「それよりもクロエ」
「はい?」
 ミランダさんが手を僕に差し出してきた。
「見せて」
 それまでの、どこかつかみ所のない顔とは違う、明らかにウキウキとした表情。僕といえば、諦めて腰に下げていた『唱える者』を差し出された手の上に載せる。
「壊さないで下さいね」
 こっちの声が聞こえていないのか、上から下からためつすがめつ眺め回すミランダさん。
 時折、ほうっと艶めいた吐息を漏らすのを勘弁してもらいたい。目元が赤らんでいて、なにやら興奮気味に見える。
「……ミランダは一度こうなると、しばらく帰ってきませんの」
 メリッサさんが肩をすくめている横で、僕は「はあ」と頷くしかなかった。
「でも実際、クロエが魔法を使えるとは思わなかったですわ」
「正確には僕は魔法を使えませんよ。あくまでキャスターのおかげです」
 一応魔力はある、らしい。けれどこの世界における魔法を、僕は編み上げる事ができない。異世界の生まれだからなのか――魔法使いとしての教育を受けていないからなのか。それは分からない。
 ただ、街の中で暮らす分には魔法が使えなくても困らなかったのは、確かだ。
「整備された街道を歩くにしても、ある程度の護身技術は必要ですからね」
 剣を持つには向かない体躯だ。我ながら、多少のコンプレックスはある。特にマッチョになりたいというつもりは無いけれども、腹筋が割れてるというのには憧れがあるのだ。
「まあ……あなたは華奢ですものね」
 言葉を探した末に深々と頷かれて、ちょっと傷つく。分かっていても、他人に言われるとやっぱりショック。
「そういえば、皆さんどうしてこんな昼間から市場を? もう遺跡に潜ってるとばかり」
「深層まで潜るとなれば、準備は色々と必要ですのよ。一度潜れば、しばらくは上がってきませんし」
「なるほど……」
 楚々とした仕草でカップを傾けるメリッサさん。その容貌は、まるで良家のお嬢様に見える。実物を見たことはないので、あくまでも想像の範囲なのだけれど。ただ、彼女の腰に下げられたレイピアや指にはめられた魔術礼装の指輪なんかを見れば、ただのお嬢様ではないと分かる。
「じゃあ、お戻りの際は是非、うちの店をご贔屓にどうぞ」
「ええ。またお邪魔しますわ」
 頷き返してくれるメリッサさんに笑いかけて、横でまだキャスターを眺めてうっとりしているミランダさんから、杖を取り戻す。
「……ひどい」
「いや、僕そろそろ行きますんで」
「……私を捨てていくのね?」
「拾った覚えもありませんが!?」
 しばし、騒がしかったのは、ご愛敬なのだろうか。


  †  †  †


 王都の城門が遠くに見えて、ホッとする。ああ、帰ってきたのだ、という感慨が湧くのを感じて少しだけおかしくなる。あの街ですら、僕にとっては異郷だったはずなのに。今ではもう、あそこが僕の帰るべき場所になっている。
 開かれた城門で、衛兵からチェックを受けて、街の中へ入る。途端、人混みでごった返した大通りが目の前に広がる。
 初めて王都に来たお上りさんは、これを見て足を止めてしまい、さらに混雑が増すのだという。僕はすたすたと人混みをすり抜けて、裏通りへと入る。
 新市街区から迷宮のような道を通り抜けて、旧市街区へ。
 通りすがりに顔見知りを見つけ、軽く手を上げて挨拶を交わす。
「――ただいま帰りました」
 そして、見慣れた扉に手をかけて開くと、声をかけつつ店の中へ。
「……お帰り、クロエ」
 店の奥のカウンターで、しどけなく――というか、だらしなく座りながら本を読んでいたリンさんが、僕を見て微笑むのが分かる。その表情に、僕はホッとしているのを自覚していた。ああ。ようやく帰ってきた。城門を見上げた時よりも、もっと強い気持ちがそこにある。
 背負った袋を床に置いて、中身をカウンターに並べながら、僕が不在だった間のことを聞く。
「毎日、イルクが顔を出してくれていたから、退屈はしなかったわよ」
「……まあ、爺さんは僕がいようが居まいが来ますしね」
 クスクスと笑いながら僕を見るリンさんの眼が、一瞬細くなる。
「……リンさん?」
「その魔力の残滓……。また『払わされた』の?」
 静かな、低められた声に、小さく頷き返す僕。
「そう。……クロエ。嫌なら、ちゃんと断って良いのよ? 別に仕入れはすぐにしなくてはいけない訳じゃないのだから」
「……いや。その。そこで別に嫌じゃないとか言ったら、僕がすごい助平になりませんか」
「あら、違うの?」
 ククッと喉を鳴らすリンさんに、思わず首を竦めてしまう。
「クロエ。ちょっと」
「はい?」
 顔を上げた刹那、唇にするりと触れられる柔らかい感触。
 呆然と開きっぱなしの口に、何かが滑り込んでくる。
「……ん」
 離れたリンさんが、確かめるように自分の唇に触れているのを、呆然と見上げている僕。
「少し私のほうから足しておいたわ。調子はどう?」
 言われてみれば、『払わされた』後の倦怠感が薄れているのが感じ取れた。
「……あの?」
「平気そうな顔をしてても、駄目よ。分かるもの。そういうのって」
「すいません」
 ふふっと笑うリンさんに、思わず目を伏せてしまう。気恥ずかしさに、顔が熱を持つのが分かる。
「さて。それじゃあ、今晩のご飯をお願いねー」
 さらりと空気が変わって、いつものリンさんに戻る。
「……帰ってきたばかりで疲れてる店員への気遣いはなしですか」
「無いわね」
 あっさりと返された答えに肩をすくめて、それから立ち上がる。
「じゃあ着替えてから準備しますから」
「待ってるわねー」
 ひらひらと手を振っているリンさんに頷き返して、僕は奥にある自室へと入るのだった。





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