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[16996] ゼロのペルソナ使い
Name: 雪化粧◆cb6314d6 ID:0b1d028d
Date: 2015/05/08 17:18
※前書き
この小説はゼロの使い魔とペルソナシリーズのクロスオーバーです。
ペルソナシリーズの登場人物は登場しません(イゴールを除く)。
ゼロの使い魔の登場人物達がペルソナ使いとなる設定です。
なるべく、ペルソナシリーズを知らなくても分かるように書いていこうと思っています。

※世界観は3と4の様に、他のペルソナシリーズとは似ている様で、微妙に違う世界という風にしています。
※時間軸だけでみると、ペルソナ3から3年後、ペルソナ4から一年後、PERSONA-trinity soul-の7年前という感じをイメージしています。



[16996] プロローグ『平賀才人』
Name: 雪化粧◆cb6314d6 ID:0b1d028d
Date: 2015/05/08 17:25
 気が付くと、俺は知らない場所にいた。どうしてここに居るのかも、いつここに来たのかも記憶に無い。僅かな青い光に包まれた不思議なムードの漂う部屋。俺はそこで椅子に座っていた。
 目の前には小さな机がある。花瓶が置いてあるけど中身は空っぽ。その向こうにはソファーがあり、やたらと鼻の大きな老人が座っている。

「ようこそ、ベルベットルームへ」

 老人はしわがれた声で歓迎の言葉を紡いだ。俺はどういう訳か、その老人が人間では無い様に感じた。異質な存在であると感じた。
 部屋の怪しい雰囲気のせいかもしれない。老人はこの部屋を“ベルベットルーム”と呼んだ。改めて、室内を見渡す。部屋の面積はそんなに広くない。窓の外は濃い霧が出ているらしく、何も見えない。
 部屋を観察している内、部屋全体が微かに揺れている事に気がついた。耳を澄ませると、スクリュー音のようなものも聞こえる。
 どうやら、ここは船の中みたいだ。

「ほう……。これはまた、変わった“運命”をお持ちのお客様がいらしたようだ。私の名は、イゴール。お初にお目にかかります」

 イゴールはそう言うと不気味に微笑んだ。

「ここは夢と現実、精神と物質の狭間にある場所……。本来は、何かの形で“契約”を果たされた方のみが訪れる部屋……。貴方には、近くそうした未来が待ち受けているのやも知れませんな」

 イゴールの謎めいた言葉に混乱が更に深まる。

「フム……。まずは御名前を伺っておくといたしましょうか」

 促されるままに俺は名乗った。イゴールの放つ怪しげな雰囲気に呑まれたのかもしれない。

「フム、なるほど……。では、貴方の未来について、少し覗いてみるとしましょう」

 イゴールは目の前の小机に不思議な絵柄のカードを置いた。占いでも始めるつもりなのか、そう考えていると、イゴールは俺の心を読んだかの様に微笑んだ。

「占いは信じませぬか? 常に同じカードを操っている筈が、常に違った結果を呼び寄せる。その在り方……、まさに人生の様ではございませぬか」

 イゴールのミステリアスな言葉を聞けば聞くほど、俺は不思議な感覚に包まれていく。朝のニュースの占いなんて、誰にでも当て嵌まりそうな事を適当に並べているだけだから信じていない。だけど、目の前の老人の占いなら信じてもいいかもしれない。
 いつの間にか、自分の中の好奇心が沸き立っている事に気が付いた。この不思議な空間の不思議な住人に、興味が湧いている。

「ほう……。近い未来を示すのは、“力”の逆位置。どうやら、貴方を必要としている方がいらっしゃるようだ。そして、その先の未来を示しますのは“運命の輪”の正位置。これは、運命の別れ道を意味するカード。どうやら、貴方はそう遠く無い未来に運命の別れ道に遭遇する事になるらしい」

 運命の別れ道。それがどんなものなのか想像すら出来ない。今迄の短い人生の中でも、あの時、ああすれば良かったと思う事はある。けど、そんなものが運命を左右するとは思えない。

「近く、貴方はなんらか“契約”を果たされ、再びこちらへおいでになる事でしょう。運命の日に貴方は選択を迫られる。貴方の選択によって、一つの世界が滅びへ向かうやも知れません。選択によっては、貴方の未来が先の見えない霧に包まれる事になるやも知れません。私の役目は、お客人が選択なさった未来を無事歩んでいけるように手助けさせて頂く事でございます」

 イゴールが軽くカードの上で手を振る。すると、机の上のカードが煙の様に消えてしまった。けれど、それを不思議な事とは思わなかった。目の前の老人なら、このくらいの事を出来て当たり前の様に感じる。

「おっと、紹介が遅れましたな」

 イゴールはやたらと長い指で部屋の片隅……、影になっている部分を差した。
 そこには息を呑むような美女が立っていた。これ程の美人はテレビや雑誌でも見たことが無い。

「こちらは、アン。同じく、ここの住民でございます」

 アンは僅かに口元を歪ませて固い笑みを浮かべた。俺は美人に弱いが、あの女性は苦手だと感じた。

「詳しくは、追々に致しましょう。では、その時まで、ごきげんよう……」

 イゴールの声が急に遠ざかっていく。同時に目の前が真っ暗に――――……。

ゼロのペルソナ使い プロローグ『平賀才人』

 目を覚ますと、俺は薄暗い船室などではなく、柔らかい自室のベッドで寝そべっていた。全身から汗が噴出していて、着ていたシャツがビショビショだ。
 外を見ると、太陽が完全に真上に上がっている。どうやら昼まで寝ていたらしい。誰か起してくれればいいのに、そう愚痴りながら、今日はノートパソコンを取りに行く予定だった事を思い出した。
 夢の事を思い出しながら、出掛ける準備をする。謎の部屋に謎の老人と謎の女性。運命の別れ道。思い出すと段々恥しくなってきた。所謂厨二病全開な夢。幾ら何でも、本気にしたら頭が逝っちゃってる人の仲間入りだ。どうしても頭の隅で気になってしまうが、俺は無理矢理忘れる事にした。
 家には誰も居なかった。母さんは近所のスーパーに買い物に行ってるらしい。父さんは仕事だ。俺はさっと風呂に入って、新しいシャツとジーンズに着替えた。さすがに汗でびしょ濡れなシャツを着て外に出たくない。青いジャンパーを上に羽織ると、携帯と財布とお気に入りの楽曲を入れたMP3のヘッドホンを首に掛けて外に出た。春休みに入ったばかりだけど、外はまだ結構肌寒い。
 駐輪場所に向かい、自慢の愛機に跨る。ヘッドホンを装着して、MP3の音楽を再生した。ノリの良い歌を聴きながらペダルをこぐ。
 家からノートパソコンを預けた電気店までは駅三つ離れているけど、電車は大きくカーブしていて、自転車で一直線に行ってしまった方がずっと早い。
 電気店に到着すると、ノートパソコンを引き取った。少し古い型だけど、ずっと使っていて愛着がある。ついでに買い物をしていこうと思った。
 この電気店は総合ビルの六階にあって、総合ビル内には大抵の店が揃っている。家電製品の売り場に行ってみた。家電製品って、見てるだけでちょっとワクワクしてくる。
 カメラのコーナーに脚を向けると、デジタルカメラが安くなっていた。そう言えば電気店のポイントは相当貯まっていた筈。俺は安くなってるカメラの中で画素数の一番高いのを選んだ。ちょっと古い型だけど、機能が豊富で直ぐに気に入った。ついでにメモリーカードとノートパソコンに繋げるアダプターを一緒にポイントで購入。すると、店員さんがくじを持ってきた。どうも、キャンペーン中だったらしい。俺は気合を入れてくじを引いた。引いたくじを店員さんに渡すと、何だか奇妙な熊のヌイグルミを渡された。
 どうも、この人形はお腹に電池を入れて、背中のソーラーパネルに太陽光を当てると充電してくれるらしい。変な形の充電器だったけど、ありがたく貰っておく事にする。
 電気店を出てから、俺は本屋に向かった。お気に入りの漫画の最新刊が発売されてる筈だからだ。漫画とついでに学校用のノートを買い足して外に出た。

「お、りせちーだ!」

 街角の大型ビジョンにトップアイドルの久慈川りせの出演しているCMが流れていた。少し前に突然休業を発表して、かなみんって言う若手のアイドルに人気を奪われちゃったんだけど、しばらくして復活してから怒涛の追い上げで一気にかなみんを追い抜いてトップアイドルの座に再臨した。
 俺も大ファンだったんだけど、最近になって一歳年上の彼氏が居る事が判明して物議を醸した辺りから醒めてしまった。それでも、たまに見かけるとやっぱり目が行ってしまう。これがトップアイドルの魅力のなせる業なんだろう。
 だから、俺は目の前に突然現れたソレに気づくのが遅れてしまった。進行方向の先に、鏡の様な物が浮かんでいたのだ。
 信じられない光景に慌ててブレーキを掛けたけど、自転車の先が鏡に飲み込まれ始めた。思いっきり引っ張るけど、どんどん引き込まれてしまう。

「なんだよ、これ!?」

 切羽詰って叫ぶが、周りの人は突然鏡に飲み込まれていく少年と自転車という構図に凍り付いていた。このままだと鏡の中に吸い込まれてしまう。そう頭で理解すると、脳裏にあの老人の言葉が浮かんだ。

『運命の日に貴方は選択を迫られる』

「それって、この事か!? 幾ら何でもその日の内に来るなんて急過ぎるだろ!!」

 夢の中で見た老人に大声で悪態を吐きながらも、俺はどうしたらいいか迷った。目の前の鏡の先に何があるのか。好奇心が刺激された。それに、イゴールが言っていた。
 自分を待っている人が居る。

「俺を待ってる人が居る……?」

 平凡な人生を歩んで来た。今まで、誰かに必要とされた事など無かった。だから、自分を必要として待っている人物ってのに興味があった。
 迷っている内に、自転車は完全に鏡の中に入ってしまい、俺の両腕も鏡の中に沈み込んでしまった。

「やべえええええ!」

 もう手遅れだった。腕を引っ張っても、ズブズブと体が鏡の中に引き込まれる。そして、俺の全身は鏡の中に入り込んでしまった。



[16996] 第一話「契約」
Name: 雪化粧◆cb6314d6 ID:0b1d028d
Date: 2015/05/08 17:25
 集中よ、集中。集中さえすれば、きっと出来る筈だわ。何度も自分の心にそう言い聞かせる。
 周りからの雑音なんか一切無視しなさい。失敗ばかりで、魔法の才能ゼロと言われる私だけど、これだけは失敗出来ない。失敗したら、進級が出来なくなってしまう。

「お願い! 私にはどうしても使い魔が必要なの! 現れて!」

 もう何度目になるか分からない呪文を唱える。今日は大事な使い魔召喚の儀。使い魔とは、召喚したメイジと一生を共に過ごす相棒の事。メイジの実力を見たければその使い魔を見よ、とまで言われているくらい、メイジにとって使い魔という存在は大切なのだ。
 召喚に失敗すれば、私は落第。そうなったら、お母様やお父様に叱られる。絶縁状を叩きつけられてしまうかもしれない。それだけは絶対にイヤ。瞼を閉じて、願いを篭め、必死に杖を振る。
 すると、それまでは“いつもの”魔法の失敗の結果である爆発が起きていたのが、今度は起きなかった。
 恐る恐る瞼を開くと、そこにはおかしな物体と不思議な材質の袋の様な物を持った同い年くらいの男の子が地面に倒れていた。

「誰……?」

 男の子は珍しい黒髪で、マントを着けていない所を見ると、平民のようだ。
 次の瞬間、私の脳裏に最悪な展開が浮かんだ。それは、目の前の男の子が、私の召喚した使い魔である可能性だ。ただでさえ、魔法が使えない事で馬鹿にされているのに、平民なんて召喚したら余計に馬鹿にされる。
 恐る恐る、私は男の子に近づいた。否定する事を祈りながら、声をかけた。

「あんた……、誰?」

 男の子は私の声に反応して、のっそりと起き上がった。周囲をしきりにキョロキョロ見渡している。不思議な顔立ち。肌の色は少し黄色いし、鼻も低い。男の子は私を見ると、口を開いた。

「誰って……、俺に聞いた?」
「そうよ。あんたは誰?」
「誰って……、俺は平賀才人」

 ヒラガサイト? 変な名前だ。もしかしたら、どこかで区切るのかもしれない。
 それにしても、見れば見るほど見慣れない顔立ちだ。少なくとも、私の実家であるヴァリエール領の近くや、この学園では見ない。

「どこの平民?」

 ゲルマニアだろうか? それとも、ガリアかもしれない。着ている服や持っている袋の様な
物の材質も気になる。
 男の子は不思議そうな顔をした。言葉が通じなかったのだろうか? でも、何者か尋ねたら、ちゃんと答えた。完全に伝わっていないという事でも無いらしい。
 私はもう一度同じ質問をしようと口を開きかけたが、周りを取り囲んでいるクラスメイトの一人が嘲りを含んだ声で口を開いた。

「ルイズ、“サモン・サーヴァント”で平民を呼び出してどうするの?」

 同時に笑い出すクラスメイト達。慣れてると言っても、やっぱり笑われるのは辛い。泣きたくなるのを必死に我慢して、私は苦し紛れに言った。

「ちょ、ちょっと間違えただけよ!」
「間違いって、ルイズはいつもそうじゃん」
「さすがはゼロのルイズだ!」

 また、クラスメイト達が笑い出した。一生懸命頑張ったのに、何度も思いを篭めて喚んだのに、現れたのは平民の男の子。私は理不尽だとは自分でも思いながら、それでも現れた男の子が恨めしかった。

「ミスタ・コルベール!」

 私は頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。ただ、もう一回チャンスが欲しかった。ちゃんとした使い魔が欲しかった。平民の男の子じゃなく、猫でも、犬でもいい。とにかく、使い魔らしい使い魔が欲しかった。でなければ、両親だって、平民なんて召喚してしまった自分を許してはくれないだろう。

「なんだね。ミス・ヴァリエール」

 炎蛇の二つ名を持つ、年配の教師、ジャン・コルベールが生徒を押し分けてやって来た。

「あの! もう一回、サモン・サーヴァントをさせて下さい!」

 私は縋るように懇願した。どうしても、もう一度チャンスが欲しかった。これ以上、誰かに馬鹿にされたら耐えられないかもしれない。

「それは駄目だ。ミス・ヴァリエール」
「どうして……、ですか?」

 私はコルベールの言葉に絶望した。コルベールにだってわかる筈なのに。平民の男の子を使い魔なんかにしてしまったら、私はまた馬鹿にされてしまう事を――。

「決まりだよ。ミス・ヴァリエール。二年生に進級する際に、メイジは使い魔を召喚する。それによって現れた使い魔で、今後の属性を固定し、専門過程へと進むんだ。一度呼び出した使い魔を変更する事は出来ない。使い魔召喚の儀がどれほど神聖なものであるか、分かっているだろう? それに、召喚された使い魔は送還する事は出来ない。召喚したなら、キチンと面倒を見なければいけないんだ」
「でも……、平民を使い魔にするなんて聞いた事がありません」

 周りのクラスメイト達が再び笑い始めた。それはそうだ。こんな滑稽な話があるだろうか? 魔法の才能ゼロのルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは使い魔の召喚すらまともに出来ずに史上初の平民の召喚なんて間抜けな事をやってのけたのだ。娯楽の少ない学園内で、こんな笑い話は瞬く間に広がるだろう。コルベールの眼差しに同情の色が見える。同情されていると感じると、途端に自分が惨めになった。きっと、これから毎日使い魔の事でも馬鹿にされる様になる。

「ミス・ヴァリエール……。これは、伝統なんだ、例外を認める訳にはいかないのだよ……。彼は、人間の様だが、それでも春の使い魔召喚の儀式はあらゆるルールに優先される。彼に使い魔になってもらうしかないのだよ」
「そんな……」

 私は崩れ落ちるように地面に尻餅をついた。

「さあ、儀式を続けなさい」
「彼と……ですか?」

 私は改めて男の子を見る。見慣れない顔立ち、見慣れない服、見慣れない物体。不思議な男の子だ。そう、男の子なのだ。使い魔との契約手段は一つだけ。例えカエルとだってやってやる、と意気込んで、覚悟を決めていたけど、男の子が相手では覚悟の方向性が違う。顔が真っ赤に染まってしまう。

「えっと……、どうしたの?」

 男の子が不思議そうに私を見る。見ようによっては、悪く無いかもしれない。

「瞑ってて……」
「え?」
「いいから! 目を瞑って!」

 私は恥し過ぎて思わず怒鳴ってしまった。男の子は肩を震わせると、私の言うとおりに眼を閉じた。いよいよ、覚悟を決める時が来た。

「こ、こんな事、き、貴族にされるなんて……、普通は、い、一生無い事なんだから、か、感謝、しなさい、よね!」

 自分でも何を言ってるのか分からない。とにかく、契約の魔法、コントラクト・サーヴァントの呪文を唱えないと――。

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」

 男の子の肩に両手を掛ける。心臓が早鐘を鳴らしている。生まれて初めての異性のソレに、私は震えながら顔を近づけた。
 唇と唇が重なり合う。男の子――ヒルァガセイトゥだっけ? ヒルァガセイトゥの唇は火傷しそうな程に熱かった。唇だけじゃない。彼の肩に乗せている両手にも、布越しに彼の熱を感じる。風邪を引いているのかもしれない。だって、こんなに熱いなんておかしい。
 使い魔にしたからには、ちゃんと世話をしないといけない。後で、薬を与えないといけないかな? そんな事を考えながら、私は彼から唇を離した。

「終わったわよ。ヒルァガセイトゥ」
「お、おおおお、おお前! い、いきなり何を!? ってか、ヒルァガセイトゥって誰!?」

 ヒルァガセイトゥが顔を真っ赤にしながら怒鳴り散らしてきた。何て無礼な平民なんだろう。それに、自分が名乗った名前を誰って……。

「ヒルァガセイトゥ。あんたが名乗ったんじゃない。もしかして、貴族に対して偽名を使ったの?」
「違うよ! 俺はヒルァガセイトゥなんて妙な名前じゃなくて! 平賀才人! ヒ・ラ・ガ・サ・イ・ト! ヒラガが苗字で、サイトが名前!」
「ああ、そうだったの。苗字と名前が逆なんて、やっぱりこの近くの国じゃないわよね? 改めて聞くけど、あんた、どこの平民?」

 ヒルァガセイトゥはヒラガサイトという名前らしい。発音が妙なのは、やっぱり国の違いに関係があるのだろうか? 苗字と名前が逆だったり、ゲルマニアやガリアの文化とも合わない。もしかしたら、東の果て、砂漠の向こう、聖地を越えた先にあるという東の世界の住民かもしれない。

「平民? それって、明治時代の?」
「メイジ時代? メイジ以外の時代なんてないでしょ? 平民時代なんて聞いた事ないわ」
「平民時代? 平成は今だろ……ってか、ここどこ? もしかして、鏡の向こうはアリスの世界!? 時計を持ったウサギはどこ!?」
「時計を持ったウサギ? 何それ?」

 思わず想像して見た。あら、可愛いじゃない。そんなのがヒラガサイトの住んでる国には生息しているのかしら? そっちが召喚されてくれたら良かったのに……。
 私が心の中で愚痴を零していると、コルベールが嬉しそうに口を開いた。

「コントラクト・サーヴァント、成功おめでとう」

 思わず顔が火照った。魔法の事で褒められたのはこれが始めてだ。それで漸く、自分は始めて魔法を成功させたのだという実感が湧いた。
 確かに、召喚されたのは平民の男の子だ。それでも、成功したのは真実だ。それも、サモンとコントラクトの二連続成功! これは快挙と言ってもいいだろう。
 コルベールの言葉に、私はつい、涙腺が緩んでしまった。だから、クラスメイト達が罵倒し始めた時、耐えられなくなってしまった――。

「相手がただの平民だから契約出来たんだよ」
「そいつが、高位の幻獣だったら、契約なんて出来ないって」

 クラスメイト達が嘲笑うのを、コルベールが窘めるが、私は我慢出来なかった。
 生まれて初めて魔法を成功させて、生まれて初めて魔法を褒められた。そのせいで、涙腺が緩み過ぎていて、罵倒の声が聞こえた時に、耐えられなかったのだ。
 涙がポロポロと頬を伝った。それでも、誰かに涙を見られるのが悔しくて、私は俯いた。だけど、私が隠した涙を、その男の子に見られてしまった。

「えっと……、ルイズだっけ? その……、泣くなよ」

 ヒラガサイトは不思議な肌触りの布を不思議な服のポケットから取り出して、私の目元を拭った。それが悔しくて、思わず私はヒラガサイトを突き飛ばした。
 すると、ヒラガサイトの右手が光始めた――。

ゼロのペルソナ使い 第一話『契約』

 鏡の中に落ちた俺を待ち受けていたのはウォータースライダーだった。上下左右に振り回され、さながら、千葉のテーマパークの屋内で妙なロボットと一緒に星と星の間をワープしまくるアレに似ている気がした。
 それが終わると、いつしか俺は先に落ちた自転車のすぐ真横でのびていた。
 全身が痛くて立ち上がれずに蹲っていると、突然声を掛けられた。声を掛けてきたのは、黒いマントの下に、白いブラウスとグレーのブリーツスカートを着た驚く程可愛い女の子だった。体を屈め、不思議そうに俺を見つめている。
 桃色に近いブロンドの髪と透き通る様な白い肌を舞台に、くりくりと鳶色の眼が躍ってる。間違いなく外人だろう。日本人がこんな髪の色をしても絶対に似合わない。
 思わず見惚れてしまい、慌てて視線を外した。すると、周りにも妙な格好をした外人達が居た。一緒に居る化け物達は一体なんだろう。一つ目の怪物や巨大なムカデ、見た事の無い奇妙な生き物で溢れかえっている。
 鏡を通ったらヘンテコテーマパークだった。俺は思わずそんな馬鹿な事を考えていた。ただでさえ、史上初の鏡に吸い込まれた男、なんて経験をした直後に見知らぬ場所に倒れていたのだ。もしかすると、俺の頭はおかしくなってしまったのかもしれない。
 少しでも情報を得ようと、目の前の少女が髪の薄い男と話をしているのを盗み聞きしていると、訳のわからない単語が連続で飛び出てきた。
 使い魔、召喚、何の話だろう? それにしても、外国人の集まりの割りに随分と日本語が達者な人達だ。もしかして、鏡の向こうは日本語学校だった、という展開なのだろうか。
 頭の中を整理しようとしていた俺に、桃色の髪の女の子が突然、眼を閉じろと言って来た。何だか女の子は怒ってるみたいだし、素直に従った方がいいかもしれない。そう思って、素直に眼を閉じると、彼女居ない歴=歳の数の俺の唇が女の子の未体験ゾーンと合体を果たしてしまった。
 唇に触れている柔らかい感触に脳味噌が蕩けてしまいそうになる。生まれて始めての女の子とのキス。あまりにも予想外の展開に思わず目を開けると、ルイズと名乗った女の子は顔を火照らせながら、俺を変な名前で呼んだ。
 ヒルァガセイトゥって誰? と思っていると、普通に日本語話しているから錯覚してしまったが、ルイズが外国人だった事を思い出した。俺は改めて一文字ずつ区切りながら名前を教えた。
 すると、ルイズは妙な事を聞いてきた。平民? 明治時代にあった階級制度だっけ。平民時代? 何だソレ。もしかして、平成の事かもしれない。
 それより、ここはどこなんだろう。鏡に吸い込まれてコスプレした外国人に取り囲まれていた……。俺は鏡の国のアリスにでもなってしまったのだろうか。
 我ながら阿呆な事を考えていると、おでこに冷たいナニカが当った。上を見上げると、そこにはルイズが居た。ルイズは泣いていた。
 辺りを見渡すと、誰も彼もがルイズを見て笑っていた。もしかして、虐めだろうか? 何てかっこ悪い奴等だ。俺はよってたかって女の子を笑う周囲のコスプレ外国人に不快感を覚えた。
 虐めかっこ悪いという格言を知らないのだろうか、このコスプレイヤー達は。
 俺はルイズの涙を拭ってやろうとハンカチをルイズの目元に宛がった。すると、何故かルイズは親の敵を見るかの様に俺を睨んでいきなり突き飛ばした。
 なんで? 涙を拭ってあげようとしただけじゃん。あれ? もしかして、俺の行動がそんなにキモかった? 
 ショック! サイト、マジショック! 善意の行動がセクハラ扱いされちゃったよ!
 その直後、女の子にキモがられたという精神的ダメージを受けた俺の右手が焼き鏝を当てられたかの様に熱くなった。見ると、右手の甲から眼が焼けるかと思うような眩しい光が吹き出していた。

「な、何だよコレ!?」

 俺が叫ぶと、ルイズやルイズと話していたコルベールが目を丸くして俺を見ていた。アンタらにも分からないのか!? そう叫びそうになった。
 左手の痛みはどんどん増していく。そして、光が一層強まったかと思うと、俺は光の中にナニカが居るのを――――……“視た”!

『我は汝、汝は我』

 ナニカはまるで壁一つ隔てた向こう側から話しかけているかのようにくぐもった声を発した。

『汝、扉を開く鍵也』

 ナニカは俺に向かって手を伸ばしてくる。

「お前は誰だ?」

『我は……、汝』

 俺の記憶が残っているのは、そこまでだった――――……。



[16996] 第二話『ゼロのルイズ』
Name: 雪化粧◆cb6314d6 ID:0b1d028d
Date: 2015/05/08 17:25
 俺が眼を覚ましたのは、我が家の自室のフカフカベッドでは無く、石畳の消毒液臭が香る硬いベッドの上だった。壁にはテレビで見た、どこかのお城みたいなランプがあって、その中で揺らめく火が部屋を照らしている。
 結構広い部屋。十台のベッドが横に並べられていて、直ぐ隣にある小机には見た事のない無い不思議な光を放つ花が飾られている。
 試しに頬を抓ってみた。

「痛っ……」

 やっぱり夢じゃなかった。思わず溜息が出る。わけの分からない怪物達。左手から溢れ出した光。その中に居たナニカ。分からない事だらけだ。
 俺はとりあえず起きる事にした。俺が寝ていたのは部屋の一番奥のベッドで、直ぐ近くに窓がある。外は真っ暗。どうやら夜になってしまったらしい。窓は外開きで開けられる様になっている。
 部屋には誰も居ない。俺は窓を開いた。そして、愕然とした。空には有り得ないモノが浮かんでいた。月だ。それも、二つある。幾ら何でも、寝て起きたら月が増えてた……、何て事は無いだろう。
 俺はよろけながらベッドに座り込んだ。俺はとんでもない勘違いをしていたらしい。鏡に吸い込まれるなんてファンタジーを体験して、どこかに飛ばされてしまったらしいとは心のどこかで思っていた。だけど、月が二つある場所なんて、地球に存在する筈が無い。つまり、ここは地球じゃないって事だ。
 多分、どこか別の星なんだ。前に、宇宙には地球以外にも人の住める星がある可能性が在るって話を友達から聞いた事がある。

『貴方はそう遠く無い未来に運命の別れ道に遭遇する事になるようだ』

『運命の日に貴方は選択を迫られる』

 ああ、あの青い光に包まれた部屋での出来事は夢などではなく、現実だったんだ。そして、イゴールの言葉を漸く本当の意味で理解出来た気がする。
 俺は選択してしまったんだ。深く考えもせず。自転車なんか放っておけば良かったんだ。運命の別れ道はあの鏡だった。鏡に体が触れた瞬間、俺はこの星に来る選択をしてしまった。
 どうして、イゴールはこの事を教えてくれなかったんだろう。運命の選択っていうのがこんな別の星に飛ばされてしまう事だなんて、誰が想像出来る? 少なくとも、イゴールには分かっていた筈だ。選択しろって言うなら、その選択肢がどういうモノかくらい、教えてくれたって良かったじゃないか。
 悪態を吐きながら俺は頭を抱えた。陸が続いているなら歩けばいい。海があるなら密航でもなんでもすればいい。だけど、宇宙は無理だ。帰れない。そう考えてしまうと、心が押し潰されそうになった。
 俺はどうしたらいいんだろう。

「ちくしょう!」

 俺は癇癪を起した。近くの小机に乗っていた花瓶を力の限り叩き落した。けれど、そんな事をしても何にもならなかった。
 帰りたい。その衝動を抑えられる程、俺は大人じゃなかったらしい。気付いたら、俺は泣いていた。家に帰りたい。母さんのハンバーグが食べたい。インターネットがしたい。泣き叫んでも、誰も俺を救ってくれはしなかった。
 いつの間にか、俺は眠っていた。眼を覚ますと、そこには俺の手を見ながら変な色の紙に何かを書いている髪の薄い年配の男が居た。

「アンタ、誰だ?」

 思わず乱暴な口調で聞いてしまった。
 眼を覚まして、いきなり自分の手を見つめているおっさんが居たら、誰だって気色が悪い。
 男は俺の年上に対して無礼であろう態度を気にする事無く、すまない、と謝ってきた。

「君の左手の甲に刻まれたルーンがあまりにも珍しいモノだったのでね。勝手ながら、紙に写させてもらっていたんだよ。私の名はコルベールだ。ジャン・コルベール。炎蛇の二つ名を持っている。この学園の教師だ」
「コルベール……、さん。学園って、ここは学校なのか?」

 驚いた事に、ここは学校らしい。コルベールはどう見ても地球の人間と同じだし、学校なんてモノがあるなんて、まさに地球ソックリだ。

「そう言えば、どうして、俺はアン……コルベールさんの言葉が分かるんだろう?」
「ん? ソレは君が言葉を話せるからじゃないのかい?」

 コルベールは俺の言っている意味が理解出来なかったらしい。

「そうじゃなくて、俺はこの星の人間じゃないのに、どうしてこの星の言語が理解出来るのかなって」

 俺が言うと、突然、コルベールの眼差しを強くなった。

「どういう事だい? この星の人間では無い……というのは」

 俺は自分の迂闊さに頭を抱えた。誰だって、自分は異星人です、なんて言う奴は頭がおかしい奴か、変な宗教に被れた馬鹿だと思うに決まってる。
 コルベールは哀れみの篭った目で俺を見ている。

「えっとですね。俺、昨日の夜に一回起きたんです。そん時に、月が二つあって気が付いたんです。俺が居た場所には月は一個しかなかったから」
「んん? 月が一つしかない? それに、星というのは勿論、夜空に浮かぶ、あの星の事だよね?」

 俺の言っている事が巧く理解出来ないらしい。俺はどう説明すればいいのか悩んだ。まさか、異星人に自分が異星人である事を説明する日が来るなんて思っても居なかった。

「えっと、コルベールさんは今立っている場所も、星の一つだって事は知ってますよね?」
「そのくらいは知っているよ。私が言いたいのは、空の向こうに広がる星の海の中にこの星の様に人間の住める場所があるのか? という事だよ」
「あ、ごめんなさい」

 慌てて謝った。コルベールは困った顔をしていたが、怒っていないようだが、幾ら何でも失礼だった。
 コルベールは苦笑しながら許してくれたが、どうにも居心地が悪かった。

「俺の住んでた地球にも人間や動物が住んでましたよ。俺がその証拠」
「なるほど、興味深い。星の海については、我々は未だによく分からなくてね。これは偉大な発見だよ」
「アッサリ信じるんですね」

 俺は自分で言ってて、こんな話を信じて貰えるとは思っていなかった。なのに、コルベールは全く疑う事無く、俺の話を受け入れた。その事に、俺は疑問を感じた。

「いや、君の話を完全に信じた訳では無いよ。だが、君の着ている服や、君の持ち物の材質はどれも見た事の無い物ばかりだった。君の話が完全に嘘であると、言い切る事は出来ないと判断したのだよ」

 思わず目を丸くした。こんな人、本当に居るんだなって、思わず感心してしまった。

「それに、君の顔立ちはかなり珍しいのでね。いや、変という意味ではないよ? それに、君はメイジである私に対して、恐縮したり、恐怖したり、憤怒したりという事をしなかった。普通、平民が見ず知らずのメイジと一対一になると、どうしてもそういう感情が面に出てしまうものだけど、君は実に堂々としている。勇猛だから、という訳でも無さそうだ。恐らく、文化の違いだろう。君の星ではメイジと平民が共存しているのではないかい?」
「そのメイジってのは何ですか? 俺の星の言葉だと、魔法使いって感じの意味だったと思うんですけど」
「魔法使い……。魔法を使う者という意味なら、それが正しい。私は魔法使いだ」
「魔法使い……って、本当に!? 空飛んだり、呪文を唱えて魔法使ったり出来るの!?」
「うん、そのくらいなら大抵のメイジは出来るよ。空を飛ぶ魔法、フライは基本だからね。それにしても、その驚き方は……、君の星には魔法使いは居ないのかい?」
「居ないですよ。御伽噺の世界だけです」
「御伽噺の存在か……。つまり、君の星では平民のみの社会が形成されているのかね」
「その平民ってのが良く分からないッスけど、魔法を使えない者って意味なら、そうッスよ」
「ますます興味深い。魔法が存在せず、平民だけで形成される社会か――。魔法が無い社会とはどういうモノだい? 空を飛ぶ事も、魔法で家を作る事も出来ないなど、あまり想像し難いのだが」
「魔法なんて使わなくても、色々と便利な物があるんですよ。例えば……って、そう言えば、俺の荷物――」
「ああ、君の荷物なら私が預かっているよ。本当なら、ミス・ヴァリエールに預けるべきなのだろうが、昨日は彼女も混乱していてね。覚えているかい? 君が意識を失う前、突然、ルーンが凄まじい光を放ったのを」
「覚えてます。何か、光の中にナニカが居て、声が聞こえた気がしたんスけど、アレってなんなんですか?」

 俺は昨日の事を思い出して尋ねた。左手を見てみると、甲に変な傷跡が出来ていた。文字のようにも見えるけど、ミミズがのたくった様な変なモノだった。
 コルベールは考える様に顎に手をやって唸った。

「光の中にナニカが居た……? 召喚のルーン? そんなモノがあるのか? すまないが、これに関しては調べてみない事には分からない。元々、君に刻まれたルーンは珍しいモノでね。後で調べようと思っていたんだ」
「ルーン……。ってか、これって何なんですか? それに、昨日の子は?」

 俺が矢継ぎ早に質問すると、コルベールは落ち着けと手で制した。
 俺が黙ると、コルベールは言った。

「それは、昨日、君にキスをした桃色の髪の少女、名前はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールというのだが、彼女と君との絆と思ってくれればいい」
「絆? でも、俺はあの子とは初対面ですけど?」
「君が通ったと言う鏡。それは、春の使い魔召喚の儀式の召喚魔法だよ。本来は、幻獣や動物の前に開き、召喚に応えた場合に契約を果たすというのが、使い魔召喚の儀式なのだが、彼女の召喚魔法はどうやら君の前に開いてしまったらしい。そして、君は鏡を通る事で、召喚に応じてしまったんだ」

 そういう事だったのか。月が二つの星に魔法使い。信じられない事が次々に起こったが、漸く俺は自分の身に何が起きたのかを理解出来た。
 イゴールの言っていた運命の別れ道っていうのは、間違い無く召喚魔法として開いた鏡を通るか否かの選択。そして、待っている人っていうのは、使い魔、つまりは俺を召喚したルイズっていう名前の昨日の可愛い女の子だった訳だ。見事に、イゴールの言った通りになってしまった。

「俺は、帰れますか?」

 既に、応えは分かっていた。そもそも、他の星に人が住んでいるかどうかも知らないのに、俺を帰す方法なんて、あるとは思えなかった。
 案の定、コルベールは済まなそうな表情を浮かべた。

「サモン・サーヴァントは一方通行なんだ。送還の魔法は存在しない。済まない……。そもそも、人が召喚されるなんて事は前例が無いものでね」

 俺は俯いてしまった。帰れない。そう、宣告されてしまったのだから。誰に怒りをぶつければいいのかも分からない。確かに、よりにもよって俺の目の前に召喚魔法の鏡を出したのはルイズという少女だけど、わざとじゃないし、通ったのは俺の選択だ。イゴールだって、選択肢がどういうモノかを教えてくれなかったが、そもそも選択がある事自体、説明する義理なんて無いのだ。そもそも、イゴールか何者なのかも分からないし、怒っても仕方ない。
 ある意味自業自得だった。それでも、帰れないという事実が、背中に重く圧し掛かってきた。

「君の荷物は私の研究室に置いてある。だけど、その前に君はミス・ヴァリエールに会わなくてはいけない。さっき言い掛けたけど、彼女は昨日、君の身に起きた事にショックを受けてしまってね、部屋で安静にしている筈なんだ」
「俺はそのルイズって子の使い魔にならないといけないんですか?」

 コルベールは頷いた。

「君を送還出来ない以上、彼女の使い魔となるしか道は無いんだ。この星では、貴族と平民には大きな格差がある。もしも、君がミス・ヴァリエールの使い魔とならなかったら、平民である君を学園に置いて置く事が出来なくなってしまう。それに、平民が一人で地盤も無く生きていける程、治安も良くないんだ」
「でも、その子はいいんですか? 使い魔って、動物とかの方がいいんでしょ? 昨日、あの子周りから馬鹿にされてた気がするし」
「君を召喚した時点で、彼女の使い魔は君以外には居ないんだよ。それが決まりだし、既に契約を済ませてしまっている。その左手の甲に刻まれたルーン。それが、メイジと使い魔を繋ぐ絆なんだ」

 俺は改めて左手の甲を見た。その瞬間、昨日のルイズとのキスを思い出してしまった。顔を真っ赤にする俺を、コルベールは微笑ましげに見てきた。

「そう言えば……、平民と貴族には格差があるって言う割りに、コルベールさんは俺に優しいッスね」

 俺が言うと、コルベールは苦笑した。

「私は、そういうものに疎いだけだよ。それに、君自身に興味があるというのも理由の一つだ。君の持ち物はどれも、研究者としては興味をそそられるモノばかりだ。それに、君と話して、君の人と成りも見る事が出来た。人を使い魔にするというのは前例が無いが、もしも君が悪人なら、ミス・ヴァリエールに近づける訳にはいかなかった」
「過去形って事は、合格って事ッスか?」
「ああ、ミス・ヴァリエールをよろしく頼むよ。彼女はちょっとコンプレックスを抱えていてね。気性が激しい所があるんだが、同時に弱い部分もある。使い魔として、彼女を護って欲しい」

 コルベールの真摯な眼差しに、俺は頷くしかなかった。他に道も無い。

「……わかりました。で、使い魔ってのは何をすればいいんスか?」
「その件はミス・ヴァリエールの部屋に行ってからにしよう。道すがら、この星について掻い摘んで話すよ」

 俺はコルベールに連れられて医務室を出た。歩きながら、俺が今居る国の名前や、大国と呼ばれる国の名前、そして、始祖として崇められているブリミルという神様が居るという話を聞いた。
 途中で学生と何度かすれ違ったが、俺の顔を見ると首を傾げた。コルベールの言うとおり、俺の容姿や服装は余程珍しいんだろう。初めて外国人にあった日本人も同じ反応をしたのかもしれない。
 ルイズが居るのは女子寮らしい。入る時、女の子達の視線がきつかった。階段を上がると、コルベールが立ち止まった。

「ここだよ」

 コルベールは部屋の扉を数回ノックした。中から鈴を転がす様な愛らしい響きの声が聞こえた。扉が開くと、そこにはスケスケのネグリジェを着た昨日の美少女がボサボサの髪で現れた。
 あまりの事に凍りつくと、コルベールが俺を持ち上げて百八十度回転させた。
 コルベールがコホンと咳払いをすると、ルイズも何が起きているのか理解したらしく、慌てて部屋の中に入って行った。
 再び中から声が聞こえた時、部屋の中から昨日着ていたのと同じ制服の様な服を着たルイズが現れた。

ゼロのペルソナ使い 第二話『ゼロのルイズ』

「さっきは失礼したね。声を掛けるべきだった。君の使い魔を連れて来たよ。ミス・ヴァリエール」

 コルベールが言うと、ルイズが僅かに顔を火照らせながら睨む様に俺を見て来た。さすがにネグリジェ姿を見てしまった罪悪感で、その視線に何も返せなかった。

「使い魔……。ソレですか?」

 ジトッとした眼で睨みつけられる。確かに裸よりエロイ姿を見てしまった事は悪かったと思うが、俺のせいじゃないし、ソレ扱いは酷くないか? そう思ったが、やっぱり何も言えなかった。何せ、彼女のネグリジェ姿を脳裏にしっかりと焼き付けてしまったからだ。これだけでご飯三杯はいける気がする。

「ミス・ヴァリエール。彼について、色々と話さなければならないんだ。入れて貰ってもよろしいかな?」

 ルイズが渋々といった感じに俺とコルベールを部屋に招き入れた。ルイズの部屋は綺麗に整理されていて、所々に女の子らしさが垣間見えた。
 考えてみれば、女の子の部屋に入るなんて生まれて初めてだ。思わず緊張してしまった。

「ミスタ、やっぱりソレを使い魔にしないといけないんですか?」

 まだ言うか……。案外、顔に似合わずしつこい性格らしい。いや、それ程ネグリジェ姿を見られたのが恥しかったのか。更に罪悪感を感じた。

「ミス・ヴァリエール、彼の名前はサイト君だ。ソレなどと呼んではいけないよ」
「でも!」
「彼はこれから君の使い魔になるんだ。彼も了承してくれた。仲良くしなければいけないよ?」

 コルベールに言われて、ルイズは渋々と頷いた。それにしても、改めて見てもルイズはとんでもない美少女だ。こんな子にキスされたんだな。思わず顔が火照った。

「さて、まずは彼の素性について話さなければいけないね――――」

 コルベールがルイズに俺の事を話す傍らで、俺はルイズを見つめ続けた。その端整な顔立ちは、映画に出て来る外人の女優と比べても全く負けていない。
 気がつくと、コルベールがルイズに話し終えたらしい。ルイズが俺を見ている。

「他の星から来たって本当?」

 全く信じていないって眼をしている。ま、当然だろうな。いきなり信じてくれた、コルベールの器がでか過ぎるんだ。
 俺は頷いた。信じ難い話だとは思うけど、真実なのだから、信じてもらうしかない。

「でも、ちゃんと言葉が通じてるじゃない。他の星から来たっていうなら、それっておかしくない?」

 それは俺も疑問に思ってた事だ。俺が喋ってるのは日本語で、ルイズやコルベールも日本語を喋ってる。まさか、日本語がこの星の共通言語……なんて、都合のいい話は無いだろう。

「これは仮説なのだが――」

 コルベールが口を開いた。

「これはサモン・サーヴァントの影響かもしれない」
「召喚魔法のですか?」

 コルベールの言葉に、ルイズは興味深そうに尋ねた。

「そうだ。ミス・ヴァリエール、サモン・サーヴァントは使い魔となる存在と、使い魔の主となるメイジの間にゲートを開くモノ。それだけだと思うかね?」
「え? 違うんですか?」

 まるで、授業中に先生に当てられて答えに窮している生徒の様に、ルイズは困った顔をした。その様子を見て、俺はコルベールが先生で、ルイズが生徒なのだと実感した。

「これは、私の仮説に過ぎないのだが、使い魔となる存在は、サモン・サーヴァントのゲートを通る際に、ある程度の知識を得るのでは無いかと思うんだ。例えば、人語を理解出来る様になるとかね。メイジは使い魔とコミュニケーションが取れる。だけど、それには使い魔が人語を解しているという前提条件が必要なんだよ。普通はメイジの言いたい事が使い魔にも大体の事が理解出来る程度のモノだと思う。けれど、彼は人間だ。元々、言語という情報伝達の手段を持っている。我々の言語の意味を、彼は彼の言語に変換して理解している筈だ。逆に、彼が伝えたい言語は彼の中で勝手に我々の言語に変換されているのかもしれない」

 コルベールの言っている意味は何となく分かった気がする。あの鏡を通った時に、俺はルイズやコルベール達の言葉が理解出来る様になったらしい。俺が日本語だと思って聞いていた二人の言葉はこの星の言語で、俺の頭が勝手に日本語に翻訳しているって事。んで、俺の言葉がルイズやコルベールに理解出来るのは、俺の言葉が勝手に頭でこの星の言語に変換されてるかららしい。
 魔法っていうのはとんでもないモノだな。俺は思った。ルイズも理解したらしく、目を丸くしている。

「まあ、あくまでも仮説だ。もしかしたら、もっと単純にサイト君の言語と我々の言語は偶然に一致しているのかもしれないしね。ミス・ヴァリエール、彼が他の星から来たという事を今無理に信じる必要は無い。絆が深まれば、自然と分かり合える様になるだろう。それよりも、まずはサイト君に使い魔の仕事について説明したいのだが、いいかね?」
「あ、はい! 大丈夫です」
「お願いします」

 コルベールの言葉に、ルイズと俺は頷いた。使い魔の仕事っていうのは、大きく分けて三つあるらしい。一つは主人の目となり耳となる事。これは駄目だった。ルイズが言うには、俺の見ているモノも聞いている音も聞こえないらしい。安心した。俺の見ているモノや聞いている音を他人に知られるなんて、これ以上のプライバシーの侵害はそうそう無いだろう。
 二つ目は、武器や薬なんかの素材を集める事。これも無理だ。この世界の鉱物や植物の知識なんて、俺には無い。まあ、勉強してみるのも悪くないかもしれないけど、ルイズは魔法薬の授業程度にしか素材は必要無いらしい。そういう時はお店に注文するらしい。お店に取りに行かせる事はあるかもしれないから、地理を勉強しておけと言われた。つまり、お使いだな。
 三つ目は、主人の身を護る事らしい。

「でも、あんたじゃ無理ね……」

 断言された……。けど、喧嘩も殆どした事無いし、魔法なんて、とんでも技使う人間を相手になんて出来ない。

「……人間だもん」
「全く、お使い程度にしか使えないなんて……」

 ルイズはガックリと肩を落としている。そんな事言われても困る。

「せめて、使用人程度には使えてよね? 洗濯や掃除、その他の雑用。こっちは、あんたの世話をするんだから、キッチリ仕事をしなさいよね?」
「掃除はともかく、洗濯なんてやった事ないぞ?」

 洗濯機の使い方すら知らない。

「……そのくらい、勉強しなさい!」

 怒られた。勉強する事が多くて大変だ。

「後で、使用人の誰かに洗濯や掃除の仕方を教えて貰える様に手配をしておこう。私はこれから授業の準備があるのでね、君の荷物に関しては今日中に取りに来てくれ。私は夕方には研究室に戻っているからね」

 そう言って、コルベールは俺達に仲良くする様に言うと、ルイズの部屋から出て行ってしまった。
 後に残された俺とルイズはお互いに黙りこくっていた。今迄、コルベールが居たおかげで緊張せずに居られたけど、こんな美少女と密室で二人っきりなんて生まれて初めての経験だ。何を話せばいいのか分からなかった。

「と、とりあえず、改めて自己紹介するな! 俺は平賀才人。こっち風だと、サイト・ヒラガだ。よろしくな」
「サイト・ヒラガね。まあ、キチンと名乗ったんだから、私も名乗ってあげる。私はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール」
「ルイズ・フランソワ……なんだっけ?」
「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ! 全く、失礼な平民だわ!」

 ルイズは苛々した声で言った。まあ、名前を間違えられるのは誰だって嫌だろう。けど、長過ぎて覚えられない。

「悪かったよ。で、ルイズ、俺はこれから何をすればいいんだ?」
「な、何いきなり貴族を呼び捨てにしてるのよ! とりあえず、まずは授業に行くわ。付いて来なさい!」

 いきなり呼び捨ては拙かったかな。ルイズが怒って部屋を出て行ってしまった。授業に行くって事らしいけど、とりあえずついて行くか。
 俺はルイズに連れられて部屋を出た。部屋を出ると、似た様な木で出来たドアが壁に三つ並んでいた。そのドアの一つが開いて、中から燃える様な赤い髪の褐色の肌の女の子が現れた。ルイズよりも背が高く、俺とあんまり変わらないくらいだ。彫が深い顔立ちで、突き出たバストが艶かしい。一番目と二番目のブラウスのボタンが外れていて、豊満な胸元を覗かせている。

「おはよう、ルイズ」
「……おはよう、キュルケ」

 爽やかに挨拶をするキュルケという少女に、ルイズはまるで台所に現れた黒いアイツを見てしまったかの様な眼で心底嫌そうに挨拶を返した。

「あなたの使い魔って、ソレ?」

 ルイズの気持ちが分かった気がする。初対面の人間捕まえてソレ扱い、失礼な奴だ。

「……そうよ」
「あっはっは! 本当に人間なのね! すごいじゃない!」

 夜中の海外の通販番組でこんなリアクションを視た事ある気がする。

「サモン・サーヴァントで、平民を喚んじゃうなんて、貴女らしいわ。さすがはゼロのルイズ」

 ルイズの白い頬に朱がさした。恥しいのだろうか? コルベールの炎蛇も大概恥しい気がするけど、彼は実に堂々としていたじゃないか。大人と子供の器の違いだろうか。
 俺は改めて、コルベールの器のでかさを感じた。

「うるさいわね……」
「あたしも昨日、使い魔を召喚したのよ。誰かさんと違って、一発で成功よ」
「そ、そう……」
「どうせ使い魔にするなら、こういうのがいいわよねぇ。御覧なさい、私のフレイムよ!」

 キュルケは勝ち誇った様子で自分の部屋から使い魔を呼んだ。現れたのは巨大な真っ赤なトカゲだった。ワニよりも巨大なそいつは、口の中に火を含んでる。ムッとした熱気が辺りに立ち込める。

「か、怪獣!?」

 慌てて後ずさると、キュルケが笑い出した。

「おほっほ! もしかして、貴方、サラマンダーを見るのは初めて?」
「く、鎖に繋いどけよ! こんなの暴れたら大変じゃんか!」
「大丈夫よ。あたしが命令しない限り、襲ったりしないから。臆病ちゃんねぇ」

 キュルケはトラ程もある巨体で尻尾が炎で出来ているサラマンダーの頭を撫でた。熱くないのだろうか?

「そばに居て、熱くないのか?」

 疑問に思った事をそのまま尋ねた。よく見ると、かっこいいかもしれない。なるほど、ルイズが嘆いたのも分かるかもしれない。俺だったら絶対にこっちの方がいいもん。

「あたしにとっては涼しいぐらいね」
「火竜山脈のサラマンダー……」

 ルイズが心底羨ましげに呟いた。

「そうよぉ。見てよこの尻尾! 鮮やかな炎の尻尾! こんなに美しい炎は視た事ないわ」
「良かったわね……」

 ルイズが惨めそうに言った。

「素敵でしょ。あたしの属性にぴったり!」
「あんたの属性は火だもんね」
「ええ、あたしは微熱のキュルケ。ささやかに燃える情熱は微熱。でも、男の子はそれでイチコロなのですわ。あなたと違ってね?」

 キュルケは自慢げに胸を張った。ルイズも負けじと胸を張り返す。微笑ましいというか、哀れみを誘うというか……。

「あ、あんたみたいに、色気を振り撒くほど、暇じゃないのよ!」

 キュルケは余裕の態度でルイズを無視して俺を見た。

「あなた、お名前は?」
「サイトだ。サイト・ヒラガ」
「サイト・ヒラガ……。変な名前ね」
「やかまし!」

 本当に失礼な女だ。

「じゃあ、お先に失礼」

 炎の様な赤髪をかきあげ、颯爽と去って行くキュルケを、サラマンダーがチョコチョコと巨体に見合わぬ可愛い動きで追って行く。
 その姿を見ながら、ルイズが癇癪を起した。

「くやしー! 何なのあの女! 自分が火竜山脈のサラマンダーを召喚したからって、ああもう!」
「何だよ、あの女! 人をソレ扱いしたり、人の名前、変とか言いやがって!」

 俺もムシャクシャして怒鳴り散らした。二人でキュルケの悪口を言いながら授業の教室に到着した。
 教室には様々な怪物……もとい、使い魔達を連れたメイジで溢れていた。

「うわっ、凄いなこりゃ」

 魔法学院の教室は、まるで大学の講義室の様だった。一番下の段に教卓があって、階段のように席が並んでいる。だけど、大学の講義室とは決定的に違う所がある。この教室は全てが石で出来ているのだ。机も椅子も硬い石で出来ている。
 俺達が入ると、席に着いていた生徒達が一斉に振り向いた。皆、俺とルイズを見て笑っている。隣を見ると、ルイズが顔を赤らめながら俯いてサッサと歩き出してしまった。ルイズは席に座った。俺も隣に座ろうと思って歩み寄ると、何故か睨んできた。

「なんだよ」
「ここはね、メイジの席。使い魔は座っちゃ駄目」

 ルイズの言葉に、俺はカチンと来た。

「何でだよ?」
「常識なの」
「んなの知るかよ! 床に座れってのか?」
「それが嫌なら立ってればいいじゃない」
「どこの王女様だ!」

 パンが無いならケーキをってか? 周りを見渡すと、改めて分かった。ルイズは俺を人間扱いしてないらしい。最初は、ネグリジェ姿を見たからかと思ったけど、ルイズもキュルケと変わらないらしい。俺はイラつきが抑えられなかった。憮然としながら床に座った。
 段々生徒の数が増えて来て、俺の事を迷惑そうに見てくる。俺はやっぱり納得いかなくて、黙ってルイズの隣に座った。今度は何も言って来なかった。
 俺は辺りを見渡しながらルイズに質問した。

「なあ、あのでかい目玉のお化けは何だ?」
「バグベアーよ」
「あの蛸人魚は?」
「スキュア」

 苛々した声だったが、ルイズは律儀に答えてくれた。これで、俺を人間扱いしてくれるなら悪い奴じゃないって思えるんだけどな。
 何だか木の枝みたいなのを机においている奴が居た。何かと思ったら、ボウトラックルっていう擬態の得意な生き物らしい。猿と蛙を足して二で割った様なクラバート、サイみたいなでかいのはエルンペント。亀みたいな外見で甲羅に宝石が散りばめられているのはファイア・クラブという蟹らしい。妙な生き物がいっぱいだったけど、見ているだけで面白かった。
 しばらくすると、席が生徒でいっぱいになって、中年の女の人が教室に入って来た。紫色のローブに身を包み、帽子を被っている。ふくよかな頬が、優しい雰囲気を漂わせていた。

「あのおばさんが先生か?」
「そうよ」
「コルベール先生の授業かと思ってたんだけど」
「コルベール先生は一年生の授業も受け持ってるの。今は一年生の授業をしている筈よ。私が受けるのは土の魔法の授業」

 ルイズは素っ気無く返事を返してきた。

「皆さん」

 先生が喋り始めると、教室は静まり返った。

「春の使い魔召喚は、大成功のようですわね。このシュヴルーズ、こうやって春の新学期に様々な使い魔達を見るのがとても楽しみなのですよ」

 そう言えば、春があるって事は、ここにも春夏秋冬があるのかな?

「おやおや。変わった使い魔を召喚したものですね。ミス・ヴァリエール」

 シュヴルーズがとぼけた声で言うと、教室中がどっと笑いに包まれた。受け狙いとしては大当たりだけど、ルイズは恥辱のあまりに顔を真っ赤にして俯いてる。

「ゼロのルイズ! 召喚出来ないからって、その辺を歩いてた平民を連れて来るなよ!」

 金髪のふとっちょがルイズを指差しながら言った。
 ルイズは立ち上がって、やわらかいブロンドの髪を靡かせながら反論した。段々と言い合いが過激になって、このままだと乱闘になりそうって時になって、漸くシュヴルーズが仲裁した。
 クスクス笑ってた生徒達も口に粘土を突っ込まれて黙らされた。過激な体罰だ。

「では、授業を始めますよ」

 咳払いをしながら、重々しく言うシュヴルーズ。教卓の上に乗っている机に石ころを数個転がした。

「私の二つ名は赤土。赤土のシュヴルーズです。土系統の魔法を、これから一年間、皆さんに講義します。魔法の四大系統をご存知ですね? ミスタ・グラモン」

 殆どの生徒の口が粘土で塞がれている中で、金髪の巻き毛の少女の隣で喋っていた胸元を大きく開けた可愛らしい顔立ちの少年にシュヴルーズは当てた。

「あ、はい! 火、水、土、風の四系統です!」

 慌てて彼女とのストロベリートークを切り上げて、グラモンという少年はシュヴルーズの質問に答えた。
 四大系統ってのは、よく、ゲームに出て来る四大元素ってのと同じらしい。

「正解です。さすがは青銅のギーシュ・ド・グラモンですわね」

 シュヴルーズに褒められ、ギーシュという少年は照れた様に席に座って、隣の女の子に笑い掛けた。隣の女の子は呆れ半分に微笑み返している。

「今は失われた系統魔法である虚無を合わせて、全部で五つの系統がある事は、皆さんも存じているとおりです。その五つの系統の中で土は最も重要なポジションを占めていると私は考えてます。それは、私が土系統だから、というわけではありませんよ。私の単なる身びいきではありません」

 シュヴルーズは再び重い咳払いをした。

「土系統の魔法は、万物の組成を司る、重要な魔法です。この魔法がなければ、重要な金属を作り出すことが出来ないし、加工する事も出来ません。大きな石を切り出して建物を建てる事も出来なければ、農作物の収穫も、今より手間取る事でしょう。この様に、土系統の魔法は皆さんの生活に密接に関係しているのです」

 何だか難しい話が続いた。シュヴルーズは土系統の重要性をくどいくらい説明している。
 俺は早く魔法が見たかったから、つまらない内容の授業で欠伸が出そうだった。
 長々とした説明が終わると、一年生の復習の錬金とやらをするらしい。いきなり石ころが金色になって吃驚した。
 キュルケも驚いたらしく、それは金か? と聞いたけど、残念ながら真鍮らしい。
 それでも、いきなり石ころが真鍮に変わってしまう瞬間を見た俺は興奮していた。
 この星に来て、キチンと魔法らしい魔法を見たのはこれが初めてだ。本当に魔法が存在するのだ。そう実感すると、感動に打ち震えた。後で、ルイズに色々と見せてもらおう。
 シュヴルーズの話を聞いていると、ラインとかトライアングルとかいう単語が出て来た。皆はどういう意味なのか知ってるみたいで、説明が無い。俺はルイズに聞いてみた。

「系統を足せる数の事よ。それで、メイジのレベルが決まるの。例えばね? 土系統の魔法はソレ単体でも使えるけど、火の系統を足せば、更に強力な呪文になるの」
「なるほど」
「単体ならドット。火と土みたいに、二系統を足せばライン。シュヴルーズ先生みたいに土と土と火みたいに三つ足せるのがトライアングルメイジってわけ」
「同じの足すのは意味あるのか?」
「同じ系統を足すと、その系統が強力になるのよ。例えば、火を二つ足したら大きな火になるし、風を二つ足せば強風になる」
「なるほど、つまり、あの先生はトライアングルだから、強力なメイジってわけか」
「そのとおりよ」
「ルイズは幾つ足せるの?」

 俺が聞くと、いきなりルイズは黙ってしまった。どうしたのかと思うと、シュヴルーズにお喋りを見咎められてしまった。

「ミス・ヴァリエール!」
「は、はい!」
「授業中にお喋りをするのは、私の授業がつまらないからですか?」
「い、いえ……」
「でしたら、そうですね、貴女に錬金の実践をしてもらいましょうか。お喋りをしている余裕があるのなら、出来ますわね?」

 シュヴルーズの皮肉に、ルイズは顔を青褪めさせた。見ると、何故か別の席のキュルケやギーシュ、金髪のふとっちょや他の生徒達まで青褪めている。
 何だろう、嫌な予感がヒシヒシと感じられる。キュルケが血相を変えて口を開いた。

「やめた方がいいです!」

 声を荒げて言うキュルケに、シュヴルーズは目を丸くした。

「どうしたというのです? ミス・ツェルプストー」
「危険です!」

 キュルケがきっぱりと言うと、教室中の生徒達が一斉に頷いた。何だろう、更に嫌な予感がする。

「危険? どうしてですか?」
「ルイズを教えるのは初めてですよね?」
「ええ、でも、彼女は努力家であるという評価を聞いております。さあ、ミス・ヴァリエール。気にしないでやってごらんなさい。失敗を恐れては何も出来ませんよ」
「ルイズ、止めて!」

 キュルケは必死だ。顔が真剣だ。馬鹿にしているとかじゃない。本気で懇願している。
 嫌な汗がダラダラと背中を伝った。

「やります!」

 実に凛々しく、ルイズは立ち上がって教卓に向かった。その間に、生徒達は一斉に使い魔を抱き抱えて、机の下に潜った。
 どういう事だ? 視線を向けると、キュルケが机に隠れろとジェスチャーしてる。その顔は死人の様に真っ白だ。一体何が起きるんだ?
 その答えは、爆発という結果と共にやって来た.おかしい、彼女は錬金をした筈だ。どうして爆発するんだ? 錬金って、材質を帰るものだって、シュヴルーズが言ってた気がするのに。
 爆風をモロに受けたシュヴルーズとルイズは黒板に叩きつけられた。キュルケのサラマンダーは気持ちのいいお昼寝を邪魔されて起こって火を吐いている。マンティコアは窓を突き破って外に飛んでいった。
 教室中が阿鼻叫喚の地獄絵図に変わる。俺も爆風のせいで煤だらけになってしまった。なるほど、キュルケや皆が真っ青になった理由が分かる。こうなる事を知ってたんだ。

「だから言ったのよ! あいつにやらせるなって!」

 キュルケがサラマンダーを必死に落ち着かせながら叫んだ。

「もう! ヴァリエールを退学にしてくれよ!」

 悲痛な叫びが教室中から聞こえる。シュヴルーズは床に倒れたまま動かない。時折、痙攣している様子から、死んでは居ないらしい。
 ルイズの方は何とか立ち上がったが、その姿は無惨だった。ブラウスやスカートは破けて下着が見えてしまっている。
 声を掛け辛い……。ルイズは視線を泳がせながら言った。

「ちょっと、失敗みたいね」

 やっぱり失敗したのか……。

「ちょっとじゃないだろ! ゼロのルイズ!」
「いつだって、成功の確率、殆どゼロじゃないか!」

 ああ、なるほど、漸く分かった。ルイズがどうしてゼロの二つ名を恥しがったのか。
 成功率ゼロのルイズか――――。



[16996] 第三話『ゼロの使い魔』
Name: 雪化粧◆cb6314d6 ID:0b1d028d
Date: 2015/05/08 17:26
 私はトリステイン魔法学院の本塔にある図書館に来ていた。30メイルを越える巨大な本棚が壁に立ち並んでいる。サイト君が研究室を訪ねてくる予定だが、今は昼食を食べている時間の筈だ。
 始祖ブリミルがハルケギニアに新天地を切り開いてからの歴史が全て内包されているこの図書館。私が居るのはその中の一角。教師だけが閲覧出来るフェニアのライブラリーだ。
 私が捜しているのは使い魔のルーンに関する書物。サイト君の左手に刻まれた珍しいルーン、私は前にどこかで見た気がした。
 レビテーションの魔法で手の届かない書棚まで浮かびながら、重厚な背表紙に刻まれている文字を追い、遂に一冊の本を見つけた。
 それは、始祖の使い魔に関する記述だった。ただの直感だったが、私はその本を手に取り、とある記述に眼を留めた。

“神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と、右につかんだ長槍で、導きし我を守りきる”
“神の右手がヴィンダールヴ。心優しき神の笛。あらゆる獣を操りて、導きし我を運ぶは地海空”
“神の頭脳はミョズニトニルン。知恵のかたまり神の本。あらゆる知識を詰め込みて、導きし我に助言を呈す”
“そして最後にもう一人……。記すことさえはばかれる……。四人の僕を従えて、我はこの地にやってきた……”

 有名な一説の直ぐ近くに、三枚の挿絵が描かれていた。
 神の左手ガンダールヴのルーンと羊皮紙に複写したサイト君の左手のルーンを見比べる。すると、驚く程似ていた。ほぼ同じと言っていい。
 そうだ。何故、私がこの本を選んだのか、それは、ルーンが現れたのが左手だったからだ。そして、唯一の人間の使い魔の前例でもあるからだ。
 虚無の使い魔……。私は戦慄した。
 ミス・ヴァリエールの魔法は常に失敗する。火も水も土も風もあらゆる系統魔法で失敗する。

「そういう事なのか……?」

 彼女の魔法が成功しないのは、系統魔法が彼女の属性では無いからなのだろうか?
 私はあまりの衝撃にレビテーションを維持出来なくなってしまった。地面に体を打ちつけてしまった。
 ヨロヨロと立ち上がり、私は唯一、相談出来るであろう人物の下へ急いだ。こんな事を話せるのは、あの方しか居ない。偉大なる魔法使い、オールド・オスマンしか――――……。

ゼロのペルソナ使い 第三話『ゼロの使い魔』

 沈黙が重い。俺とルイズは眼を覚ましたシュヴルーズに教室の修理を命じられた。その間、ルイズは一言も発する事無く、黙々と作業を行っている。吹き飛んだ教卓の変わりを持ってくる様にと言う時だけ、口を開いたがその後は再び黙りだ。
 息が詰まりそうになり、俺は恐る恐るルイズに話しかけた。

「そ、そういえば、俺達、朝御飯もまだだったよな? この星の料理って、ちょっと興味あるんだよねぇ」
「あんたの料理は無いわよ」
「……は?」

 聞き間違えだろうか? ルイズの口からありえない言葉が出た気がする。

「だから、あんたの料理は無いって言ってるの! 朝からごたごたしてたから、あんたの食事を用意する様に手続きをするの忘れてたのよ」

 そう言えば、俺はルイズが起きてからずっと一緒に居るけど、どっかで何かの手続きをしている様な様子は無かった。

「って、はああああああああ!? じゃあ、俺はどうすればいいんだよ!?」
「アルヴィーズの食堂には、使用人以外の平民は入れられないわ。我慢して頂戴。夕食は食べれる様にしてあげるから」

 俺は自分の顔が引き攣っているだろう事を確信していた。

「納得出来るか! 朝食も喰ってないんだぞ!?」

 俺が怒鳴ると、ルイズが不機嫌そうな眼で俺を見て来た。

「あんたは未だ何にも私の使い魔としての仕事をしてないでしょ? 働きもしないで食べれるだなんて甘い考えね」
「お・ま・え・が! 俺をこんなとこに召喚しなけりゃ、ちゃんとあったかい飯が喰えたんだよ、俺は! 仕事なんかしなくても!」

 俺は空腹のせいで我慢出来なかった。確かに、鏡を通ったのは俺の判断だから、全部をルイズのせいにするわけにもいかない。そんな事は分かってる!
 だけど、そもそも、召喚魔法を俺の前にルイズが出さなければ、今頃は母さんの料理でお腹いっぱいになりながらネットが出来てた筈なんだ。
 帰れない事に対する不安や恐怖も絡み合って、俺は不満を爆発させた。

「だいたい! お前、成功率ゼロだから、ゼロのルイズって呼ばれてんだろ? どうして、よりにもよって召喚魔法だけ成功させるんだよ! こっちはいい迷惑だ!」
「な、何よ! 私だって、あんたなんか召喚したくなかった! 本当なら、グリフォンとかマンティコアとかの幻獣を召喚するつもりだったのに!」
「そんな凄いの、成功率ゼロのルイズが召喚なんて出来るわけないだろ! たまたま成功して、俺が来てやったから、お前は進級出来るんだろ? 俺に感謝するくらいしたらどうなんだ? 俺が来なきゃ、お前なんて何にも召喚出来なくて、進級も出来ない未来ゼロのルイズになってただろうさ!」
「な、何ですって……?」

 ルイズの冷水の様な声に、俺は思わず言い過ぎてしまった事に気が付いた。空腹でまともに考えて喋る事が出来なかったのだ。
 俺はルイズに声を掛けようとしたが、何も言えなかった。ルイズは泣いていたのだ。
 あの時、初めて会った時もルイズは泣いていた。コルベールの言っていた事が分かった気がする。
 こいつは、そんなに強い人間じゃない。

「ルイ……」
「馬鹿使い魔!!」

 俺が声を掛けようとすると、ルイズは耳が痛くなる程の大声で怒鳴ると、走り去ってしまった。
 俺は嫌な気分になりながらルイズが走り去った跡をのろのろと歩いた。女の子を泣かせてしまった。元々、女の子の扱いには慣れてないから、追いついても何を言えばいいか分からない。
 溜息を吐きながら歩いていると、慌てて走っているコルベールを見かけた。

「コルベール先生?」
「おや、サイト君。ミス・ヴァリエールはどうしたのかね?」

 コルベールは立ち止まって聞いてきた。

「ちょっと、喧嘩しちゃって……」
「喧嘩? 穏やかじゃないね。一体、何が原因なんだい?」
「その……、俺の昼御飯を用意して無いって、ルイズが言うもんだから、お腹空き過ぎて腹が立って……」
「それで、喧嘩になってしまったのか。先に謝らせてもらうよ。実は、さっきまで調べ物で図書室に行っていたんだが、その前に食堂に立ち寄って、サイト君がやって来たら食事を出す様に指示を出して置いたんだ。ただ、調べ物に意識がいってしまってね、ミス・ヴァリエールにその事を伝える様に言うのを忘れていた」
「そうだったんですか、ありがとうございます」

 俺はコルベールに頭を下げながら、ルイズに何て言おうか考えていた。
 よく考えると、ルイズの言い分は言い方は悪かったけど、ルイズに過失は無い。食事には手続きが必要なようだし、その時間が無かったのも事実だ。
 それに、ルイズの言うとおり、俺は未だに何の仕事をしていない。働かざる者、喰うべからず。
 さすがに、食事を用意してもらって当然ってのは、考えが甘かった。

「反省しているのなら、謝ってしまうのが一番早いよ。でも、誠意を見せないとね。ミス・ヴァリエールは聡い子だ。君が誠意を見せれば、きっと分かってくれるし、自分の非も認める筈だよ。彼女はちょっと頑固なだけだからね」
「分かりました。ちゃんと謝ります」
「うん。ああ、それと、食堂に行ったら、シエスタという使用人の女の子を探しなさい。君に洗濯や掃除の仕方を教える様に言っておいたから」
「なんか、何から何まですいません」
「かまわないさ。では、私は少しやる事があるのでね。夕方にでも研究室を訪ねなさい。君の荷物を渡すから」
「はい!」

 コルベールと別れてから、俺はルイズを探す事にした。何を言えばいいかなんて、未だ分からないけど、それでも誠意を見せないといけない。ちゃんと謝って、許してもらえるようにお願いするしかない。
 ルイズは意外と簡単に見つかった。何だか重厚な作りの建物の傍にある広場だった。その隅で、ルイズは小さくなっていた。見つかったのは、彼女のブロンドの髪があまりにも鮮やかで、視界の隅に入った瞬間に、ルイズだと分かったからだ。

「何よ、また馬鹿にしに来たの? 使い魔のくせに、平民のくせに! あんたまで、私を馬鹿にするの!?」

 俺が近づいた瞬間、ルイズは目元を真っ赤に腫らしながら怒鳴って来た。
 ずっと、色んな奴に馬鹿にされてたんだな。使い魔のくせに、平民のくせにって言ってるけど、それで自分を余計に貶めてる気がする。
 怒りも湧いてこなかった。本当は弱いのに、強い振りをしている。何だか、その姿が可愛かった。

「悪かったよ。腹が空いてて、苛々してたんだ」
「うるさい! あれが、あんたの本音でしょ? 私が魔法の成功率ゼロのルイズだって分かって、馬鹿にしてるんでしょ!」
「違う! 俺はただ、この星に来て、帰れないって言われて……。それで、不安で、怖くて、だから! だから、とにかく何かにあたりたかったんだ。お前が、成功率ゼロのルイズって言われてたの、殆ど何も考えずに言っちまったんだ! 本当に、ごめん!」

 頭を下げる。そうだ。俺はただ、ルイズに八つ当たりしたんだ。ルイズに全部の責任を押し付けようとしたんだ。自分の責任まで、女の子一人に押し付けたんだ。
 かっこ悪い。自分でそう思いながら、ルイズに頭を下げ続けた。

「でも……、成功率ゼロは本当なのよ? メイジの癖に、魔法が使えない。皆、私の事笑ってる。平民の使用人だってそう。お父様やお母様にも期待されてないの」
「俺は馬鹿にしない!」

 俺は発作的にそう言った。頭を上げて、ルイズの眼を真っ直ぐに見た。

「何があっても、絶対に俺はルイズを馬鹿にしない。お前がゼロのルイズってのが嫌って言うなら、俺がその名前に誇りを持てる様にしてやる! 使い魔の力はメイジの力なんだろ? だったら、強くなってやるよ。その、ゼロのルイズの使い魔として」

 言ってから後悔した。恥し過ぎる。つい、見栄を張ってしまった。だって、女の子の前でかっこ悪い事言えないじゃないか。
 ルイズは何も言わない。反応が怖くて、視線を合わせられなかった。

「……じゃない」
「ん?」
「当たり前じゃない。あんたは……、私の使い魔なんだから」

 鼻を鳴らしてルイズはソッポを向いた。けど、少し機嫌が直ったみたいだ。
 俺はルイズにコルベールが食事が出来る様に手配してくれた事を言うと、一緒にアルヴィーズの食堂に向かった。
 俺達は大分遅かったみたいで、食堂にはあまり人気は無かった。

「お祈りも終わっちゃってるし、急がないと食べる前に授業が始まっちゃうわ」
「次の授業までどのくらいなんだ?」
「あそこに砂時計があるでしょ」

 食堂の隅に大きな砂時計があるのが見えた。

「あれが落ちきると授業の始まる時間よ」
「って、あのペースだと五分も無いぞ?」
「だから、急いで食べるのよ!」

 ルイズが手近な席に座り、俺も隣に座った。ルイズが近くに居たメイドさんに声を掛けると、メイドさんは大急ぎでどこかへ行ってしまった。多分、俺達の食事を取りに行ったんだろう。
 黒い髪で可愛い女の子だった。
 食事が運ばれて来ると、既に残り時間は三分を切っていた。教室までどのくらい掛かるか分からないけど、早く食べないとまずいだろう。
 俺もルイズも大急ぎで食べ物を口の中に入れた。どれも涙が出そうになる程美味い。

「う、美味すぎる!」
「由緒正しい名門魔法学校のトリステイン魔法学院の食堂なのよ? 当然よ」

 ルイズが誇らしげに言った。確かに、これは誇れる美味さだ。

「あの、ミス・ヴァリエールの使い魔であらせられる、サイト・ヒラガ様でございますか?」

 すると、さっき食事を運んで来てくれた女の子が俺の名前を呼んだ。俺とルイズが振り向くと、女の子は恐縮した様に口を開いた。

「あの、私はシエスタと申します。ミスタ・コルベールより、お仕事の指南をする様に申し付けられたのですが……」

 上目遣いでおどおどした視線を向けてきながら、シエスタは言った。

「あ! コルベール先生が言ってた人か!」
「どういう事?」

 怪訝な顔をしているルイズに、俺はコルベール先生が使い魔としての仕事の指南をする人を見つけてくれた事を言った。

「ああ、なるほど。って、時間やば! あんたはちゃんと仕事を習いなさいね! 私は授業に行って来るわ!」

 ルイズは慌てて駆け出した。

「慌て過ぎて転ぶなよ!」
「分かってるわよ!」

 ルイズが去って行くのを見届けると、改めてシエスタに向かい合った。

「えっと、俺はサイト・ヒラガです。その、よろしくお願いします」
「あ、はい! よろしくお願いします、サイトさん」

 黒い髪に黒い眼の日本人みたいな感じで何となく親近感が湧いた。
 俺はとりあえず残りの昼飯をルイズの残したのも一緒に食べ切った。こんなに美味い料理を残すのはいかんと思う。
 俺が食べ終わると、シエスタが皿を運ぼうとするので、自分でやると言った。

「さすがに、これから指導して貰うんだからさ」

 俺が言うと、シエスタはキョトンとした顔をして、すぐに笑みを浮かべた。

「これは私の仕事ですので」
「あ、でも!」
「先生の言う事はちゃんと聞いてくださいね?」
「うっ……」

 ルイズといい、シエスタといい、この星の女の子はずるい。可愛過ぎる。多少の事はその可愛さで無条件に許してしまいたくなる。
 ちょっといいかっこしたくて皿を持っていこうとしたんだけど、こう言われてしまったら仕方ない。
 俺はシエスタが戻って来るまでガランとした食堂を見渡していた。

「何か、夜中とか動きだしそうだな」
「動きますよ?」
「ほあっ!?」

 なんとも為しに、食堂の周りに並べられた精巧な作りの彫像を見ながら呟くと、いつの間にか近づいてきていたシエスタが言った。

「お、脅かさないでよ……。ってか、あれって動くの?」
「ええ、魔法によって動く様になってます。っていうか、躍ります」
「へ、へぇぇ」

 俺は改めてファンタジーな星だなと思った。

「それじゃあ、お仕事の指導を始めましょうか」
「あ、ああ。よろしく頼むよ」

 いつの間にか、俺達の間にあった緊張は解れていた。
 シエスタが教えてくれたのは、食事の時はまず、主の椅子を引く事。朝は主よりも必ず先に起きて、洗顔の為のお湯を持って来て起す事などの基本だった。

「それでは、洗濯や掃除の仕方をお教えしますね。付いて来て下さい」

 シエスタに案内されて、俺は水場にやって来た。他にもメイドさんが居て、皆で洗濯していた。
 メイドさんの一人が、シエスタと俺に気が付いた。

「あれ? シエスタ、その人は? 新入りさん?」
「違いますよ。サイトさんです。サイト・ヒラガさん。ほら、ミス・ヴァリエールの使い魔の方ですよ。洗濯の仕方を教える様にミスタ・コルベールに言われて」

 俺はシエスタに教わりながら、ルイズの洗濯物を洗った。元々はルイズの洗濯物もメイドさんが洗う事になっている筈なんだが、俺がやる事になるらしい。メイドさんに洗って貰った方が綺麗になるんじゃないかとも思ったけど、下着まで洗わせてもらえるなんて役得は手放したくない。
 何となく、“根気”と“寛容さ”が鍛えられた気がする。
 それから、二人でルイズの部屋に向かった。ルイズの部屋は掃除する必要があるのか? という程に整理整頓されていて、床を磨く程度しかする事が無かった。
 それでも、部屋の掃除が終わった頃には、空は茜色に染まっていた。

「あ、もう夕方になっちゃったか」
「お夕食の時間ですね。多分、ミス・ヴァリエールもアルヴィーズの食堂に居ると思いますから、行きましょうか」
「そうだな。今日は本当にありがとうな、シエスタ」
「いいえ。何かあったら、何でも仰ってください」

 俺達がアルヴィーズの食堂に着くと、中は満員になっていた。シエスタと別れて、ルイズを探すと、後ろから突然声を掛けられた。

「突っ立っていたら邪魔になるわよ?」
「あ、ルイズ」
「あ、ルイズ……じゃないわよ。ちゃんと、仕事は教えてもらった?」
「ああ、バッチリだ! 早速仕事をしてやるぜ」

 俺はシエスタから習った、椅子を引くという仕事をした。それにルイズは呆れた顔をした。

「それは仕事っていうより……。まぁ、いいわ。あんたもさっさと座りなさい」
「おう! んで、ルイズは何の授業だったんだ?」

 椅子に座りながら聞いてみた。

「魔法薬と世界史の授業よ」
「へぇ、魔法薬の授業は見たかったな……」
「……あんまり面白い授業じゃないわよ?」
「でも、使い魔の仕事に素材探しってのがあんだろ? 勉強になるじゃん」

 俺は何となく色取り取りの煙や奇怪な薬品、不気味な生き物のホルマリン漬けを想像しながら、好奇心が沸き立つ思いをギリギリで抑えながら言った。

「あ、明日もあるから見に来れば?」

 ルイズは目を丸くすると、顔を逸らして言った。

「いいのか?」
「使い魔を同伴するくらい問題無いわ」

 食事をしながらルイズと話をして過ごした。
 夕食はかなり豪勢で、食べきれるかどうか不安になるくらいだった。
 お腹が膨れてきた頃、いきなり金髪のふとっちょがヒステリックな声で怒鳴って来た。

「どうして、平民をこのアルヴィーズの食堂に入れているんだ! ゼロのルイズ!」
「マリコルヌ……」

 マリコルヌの怒声に、周りに居た生徒達が一斉に顔を向けて来た。

「そこは僕の席だぞ! 平民を座らせるなんて、何を考えているんだ!」

 高圧的な物言いに、サイトは苛立ちを覚えた。

「なあ、席って決まってるのか?」

 憮然としながらルイズに尋ねると、ルイズは首を振った。

「別に決まって無いわ。まあ、いつも座ってる場所に平民が居たら、貴族なら不満でしょうね」
「なるほど」

 どうするべきだろう。意地でもここに残るか、それとも、お腹もいっぱいになったし素直に退くか……。
 俺はさっさと退く事にした。正直、洗濯や掃除をしたから疲れが溜まっていたのだ。

「はいよ。退いてやるからさっさと座れよ」

 俺がすんなり退くと、何故かマリコルヌは不機嫌な顔を更に強めた。

「なんだ、その態度は?」
「はい?」
「平民が舐めた口を効いてくれるじゃないか」

 何故か、マリコルヌを怒らせてしまったらしい。顔を真っ赤にして、まるでトマトの様だ。

「ゼロのルイズ! お前は使い魔の躾すら出来ないのか! 本当にどうしようもないな! さすがは何をやっても失敗する希望ゼロのルイズだ!」
「な、なんだよソレ!」

 訳が分からない。なんで、いきなりルイズに振るんだ? 

「おや? ルイズ。ゼロのルイズ! 君は落ちるところまで落ちたみたいだね。平民なんかに庇われるなんてさ」
「はぁ? 意味わかんないんだけど」

 マリコルヌがルイズに嘲る様に言った。いきなり自分に振られてルイズは怪訝な顔をしている。俺も意味が分からない。話の流れがおかしい気がする。

「お前……」

 大丈夫か? と聞こうとしたが、マリコルヌが先に口を開いた。

「そもそも、この由緒正しいアルヴィーズの食堂に平民を連れ込むなんて、君には貴族の誇りがないんじゃないか?」
「なんですって?」

 マリコルヌの挑発に、ルイズはギロリとマリコルヌを睨みつけた。

「睨んだって怖くないよ。魔法も碌に使えない落ち零れの癖に、使い魔の躾すら出来ないなんて、君ってここに居る意味あるのかい? ここはトリステイン魔法学院だよ? ま・ほ・う・が・く・い・ん・だよ? 分かるかい?」
「な、な、な……」

 ルイズはわなわなと震えている。怒りの余り、声も出ないらしい。

「お、お前の席に座っちまったのは謝るよ! けどさ、ルイズの事悪く言う理由にはならないだろ!?」

 俺は我慢できなくなって叫んだ。幾ら何でも言い過ぎだ。ここまで酷い虐めは見た事無い。
 完全に俺の事は虐めのダシ扱いになってる。

「ああほら、また庇われた。躾は出来ないみたいだけど、手懐ける事は出来たみたいだね? ひょっとしてさ――」

 マリコルヌの顔が愉悦の笑みに歪んだ。何を言い出すつもりなのか分からないけど、これ以上我慢出来る自信は無い。
 俺の握り締めた拳が震えた。

「――使い魔を誑し込んだのかい? 顔だけは上物だもんな。まったく、何て――」

 そこまでだった。俺は力の限りマリコルヌを殴っていた。自分でも気持ちの良いストレートがマリコルヌの頬に命中した。
 マリコルヌの体は面白いくらい飛んで床に倒れた。
 周りで見ていた生徒達は唖然としながら俺とマリコルヌを見た。

「何なんだよ……」
「サ、サイト……?」

 ルイズが毒気を抜かれた様な表情で俺を見てくる。

「お前の席座ったのは俺だろ! なのに、関係無いルイズにヒデェ事言いやがって! 男だったら拳で来いよ!」
「ちょ、あんた何言ってんのよ!」

 ルイズが俺を止めようとするけど、我慢出来なかった。
 美味い飯食べて、ルイズとも上手くやっていけるかなって思ってたのに、いきなり茶々入れてきやがって。
 その上、女の子に言っていい事と悪い事があるだろ!
 俺はもう一度殴ってやろうと拳を握り締めた。

「デル・ウェンデ!」

 マリコルヌの叫びが聞こえた瞬間、俺の体は吹飛ばされていた。
 胸に激痛を感じて、見ると、パーカーの胸の辺りが斜めに切れていた。
 薄皮も少し切れたらしく、薄っすらと血が滲んでいた。
 これが魔法か……。胸の痛みを我慢しながら立ち上がった。少し離れた場所で、マリコルヌが憤怒の表情で俺を見ている。
 いいぜ、来いよ! 俺が拳を握り締めて走り出そうとした。その時だった――。

「止めたまえ」

 突然、俺とマリコルヌの前に緑色の金属で出来た甲冑姿の女の子の人形が立ちはだかった。

「君達、ここをどこだと思ってるんだい? アルヴィーズの食堂だ。食堂って分かるかい? 食事をする場所だ!」

 俺の前に居るのとマリコルヌの前に居る金属人形の間に、赤いバラを持った胸を大きく開けている金髪の少年が居た。
 青銅のギーシュ・ド・グラモンとか、シュヴルーズに呼ばれてた奴だ。

「マリコルヌ、君の憤りも分かる。僕だって、平民の、それも男に自分の席を取られたら怒るだろう。けど、ルイズに対しての暴言は酷過ぎるよ」
「ギーシュ! 先に手を出したのはあの平民だ!」
「分かってるよ。けど、ここで暴れられたら迷惑だ。言っただろう? ここは食堂だ。食事に埃が入ってしまうじゃないか! どうしてもやりたいって言うなら外でやりたまえ!」

 ギーシュの言葉は正論だ。証拠に、周り中から俺とマリコルヌに非難の眼差しが向けられている。
 食事中に暴れた俺達が非常識なんだ。けど、俺の怒りは収まってない。

「おい、平民! 外で続きだ。ヴェストリの広場に来い!」
「おう、行ってやろうじゃねぇか!」
「待ちなさい!」

 俺も鼻を鳴らしてマリコルヌに付いて行こうとしたら、ルイズに止められた。

「何だよ? 俺は今からあいつをボコりに行くんだ!」
「あんた学習能力無いわけ? エア・カッターで胸を切り裂かれても未だ分からないの? 平民じゃ、貴族には勝てないの。下手したら殺されるかもしれない。言っとくけど、今のあんたの立場じゃ、殺されたってあんたが悪いって事で処理される事になるのよ?」
「知るか! 俺はあいつをぶん殴るんだ! だいたい、お前悔しくないのかよ! あんなデブに好き勝手言わせて」

 俺が言うと、ルイズは唇を噛んだ。

「悔しいわよ。けど、それであんた行かせて、ムザムザ殺させるわけにはいかないでしょ! 私はあんたの主人なんだから!」

 俺は思わず目を丸くした。正直言って、意外だった。ルイズは俺を心配してくれたらしい。
 だから、マリコルヌにあれだけ言われても必死に耐えて俺を止めてるんだ。
 俺は思わず嬉しくなった。単純だって思われるかもしれないけど、短い人生経験の中でも飛び抜けた美少女が、自分の屈辱に耐えて俺を心配してくれたんだ。
 余計にあの馬鹿殴らないと気が済まなくなった。

「やっぱ行く」
「なんでよ! 御主人様の命令を聞きなさい!」
「何言ってんだ。これって、使い魔の仕事だろ?」
「あんたこそ、何言ってんのよ! 使い魔の仕事は主を護る事! 貴族に喧嘩売る事じゃないの!」
「だったら間違ってないね」
「はぁ?」

 ルイズは俺の事を馬鹿を見る様な眼で見てくる。けど、そんなの関係無い。

「俺はご主人様の誇りを護りに行くんだ。言ったろ? お前がゼロのルイズを誇りに思えるようにするって。だったら、あんなデブに言わせたままになんかしてらんねぇよ」
「中々言うじゃないか」

 俺達の話を聞いていたらしいギーシュが愉快そうに笑った。

「ああ、僕から見たら、君は馬鹿だよ。敵わない相手に挑むのは勇敢ではなく無謀だ」
「知るかよ! あの野郎はぶん殴る! そんだけだ」
「暑苦しいね」

 俺はギーシュをジトッと睨んだ。

「喧嘩売ってんのか?」

 俺が言うと、ギーシュはキザな動作で首を振った。

「違うよ。ただ、君のそのルイズへの忠誠心……と言うか、女の子の為に怒る姿は好意に値すると思ってね。行くんだろう? ヴェストリの広場に」
「当たり前だ!」
「だったら、付いて来るといい。僕が案内するよ。僕も食べ終えた所だしね」
「な!? ちょ、ギーシュ!」

 ギーシュが俺を連れて行こうとすると、ルイズが慌てて止めようとした。
 だが、ギーシュはさっさと歩いていってしまい、俺も遅れない様にギーシュを追った。

「悪いな」

 ルイズに片手を上げて言うと、俺はギーシュに連れられてヴェストリの広場へとやって来た。
 金髪ふとっちょのマリコルヌは憎憎しげに俺を睨んでいる。顔は真っ赤で、憤怒のあまり歪んでいる。

「覚悟はいいな、平民!」
「テメエの方こそ、覚悟は出来てんだろうな?」
「覚悟? 要らないな。これは決闘じゃない、処刑だ!」

 合図も無しに、マリコルヌは風の刃を放って来た。俺は咄嗟に両手をクロスさせてガードした。少し後ろに滑ったが、鋭さはあまり無いらしい。今度はパーカーに少し切れ込みが入っただけだった。

「大した事無いじゃねぇか! メイジさんよぉ!」

 俺は拳を握り締めて駆け出した。あの程度なら、多少当っても大丈夫だ。

「あまり、メイジを嘗めるものじゃないよ? 使い魔君」

 ギーシュの声が響いた。次の瞬間、俺の体は宙に浮いた。
 しまった。そう思った時には遅かった。俺の体は建物の三階くらいの高さまで上昇して手も足も出なかった。

「ひ、卑怯だぞ! こんなの! 正々堂々と勝負しろ!」

 俺が両腕を振り回しながら叫ぶと、マリコルヌが嘲る様に笑った。

「馬鹿か、お前? これは決闘じゃない。言っただろう? 無礼な平民の処刑だと」
「ちっくしょおおおお!」

 更に高度が上がっていく、このまま落下したら死んでしまう。
 突然、体の浮遊感が消失した。マリコルヌが魔法を解いたのだ。凄まじい勢いで落下していく俺をマリコルヌが笑ってみている。
 死ぬ。このまま落ち続けたら死んでしまう。俺は必死に助けを求めた。

「ああ、だから言っただろう? 貴族を嘗めるものじゃないって」

 地面に衝突する寸前、俺の体は浮いた。どうやら、ギーシュが助けてくれたらしい。
 ストンと俺の体は地面に降ろされた。

「あ、ありがとう。えっと、ギーシュだっけ?」
「いきなり呼び捨てとはね。まあ、いいさ。それより、これで君も貴族相手にこれ以上喧嘩を――」

 ギーシュが何かを言い切る前に、マリコルヌのヒステリックな怒鳴り声が遮った。

「何で邪魔した!」

 マリコルヌの怒声に、ギーシュは怪訝な顔をした。

「何でって、君、幾ら何でも理性を失い過ぎじゃないかい? 人殺しは平民相手でもさすがに不味いって」
「うるさい! 僕を愚弄した平民を庇うなんて、お前こそ正気か!?」

 ギーシュはおかしな者を見るめでマリコルヌを見た。

「何かおかしいな。マリコルヌ、君、何かあったのかい? さっきのルイズの事もそうだが、普段の君ならあそこまで言ったりしないだろ!」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ! 黙れえええええええええええ!!」

 突然、地面に皹が入った。俺とギーシュは顔を見合わせた。ギーシュも目を丸くしている。
 見ると、マリコルヌの周りを霧の様な白いモヤが包み始めた。

「な、なんだよコレ!? なあ、これって何が起きてるんだ!?」

 俺がギーシュの肩を掴んで聞くと、ギーシュも訳が分からないという顔で首を振った。

「僕にも分からない。地割れを起すなんて、マリコルヌには無理だ。っていうか、彼は風属性だし、土属性の僕にだって、こんな事は出来ないよ。それこそ、ラインか、いや、トライアングルクラスじゃないと!」

 その時だった。

「サイト!」

 遠くからルイズが走って来た。どうやら追い掛けて来たらしい。
 ルイズが息を切らして駆け寄って来ると、息を整えて言った。

「サ、サイト。貴族に、喧嘩なんか、売ったらただじゃ、済まないの! だから――」
「悪い、ルイズ! それ所じゃない!」

 俺はルイズを抱えて横に跳んだ。見れば、ギーシュも横に跳んでいた。
 マリコルヌの立っていた場所から俺達の立っていた場所に向かって、風の塊が通り過ぎていった。

「今のって、エア・ハンマー!? 嘘、あんな威力のマリコルヌが撃ったっていうの!?」

 ルイズが驚いてマリコルヌの立っていた場所を見た。すると、ルイズの顔が凍り付いた。

「何……アレ?」

 マリコルヌの立っていた場所には濃い霧が立ち込めていた。
 そして、霧の中にナニカが居るのが見えた。
 巨大なナニカ。霧が深くてよく見えないが、動いている。

「魔法の暴走……とも違うね。何だろう、アレは――――」

 ギーシュが霧の中に居るナニカを見ようと眼を細めながら言うが、霧の向こうから風の大砲が俺達目掛けて襲い掛かってきた。
 一撃一撃がシャレにならない威力だ。俺はルイズを抱き抱えるようにして走り回った。

「クソッ! 使い魔君! ここは、僕が引き受けるよ。君は、ルイズを連れて先生を呼んできてくれたまえ!」

 ギーシュが赤いバラを振って、地面からさっきの緑色の金属の人形を七体作り出した。

「何言ってんだ! あれは何かヤバイ! 早く逃げろ!」
「サイト、降ろして!」
「な、ルイズ!?」

 ルイズがバタバタと暴れたせいで、俺はルイズを落としてしまった。
 ルイズは服に付いたドロを拭おうともせず、杖を霧の向こうのナニカに向けた。

「サイト、あんたは先生を呼んで来て」
「ルイズ! お前まで何言ってるんだ! ギーシュも! 殺されちまうぞ!」

 俺が言うと、ルイズとギーシュは変なモノを見る眼で俺を見てきた。何なんだよ、一体。

「あんた、私が死ぬわよって言ったのに、マリコルヌと戦おうとしたじゃない」
「君にだけは、死ぬから逃げろ……なんて、言われたくないね」
「そ、そんな事言ってる場合か!?」

 瞬間、俺達目掛けて、さっきよりも大きな風の塊が降り注いできた。
 ギーシュの人形が俺とギーシュとルイズを抱えて走った。

「あ、危ねぇ」

 地面に出来た巨大なクレーターに、俺は思わず息を呑んだ。

「使い魔君。前言撤回だ! あれの足止めは僕にも無理だ!」

 ギーシュが悲鳴に近い声を上げた。最初の風の塊なら、何とかギーシュの人形でも耐えられたのかもしれない。でも、今のは無理だろう。あんなものが当ったら、幾ら金属で出来てても木っ端微塵になってしまう。

『逃がさないぞ』

「――――声!?」

 霧の向こうから声が聞こえた。ギーシュとルイズも目を丸くして霧の向こう側を見ている。
 すると、徐々に霧が薄くなり始めた。霧の向こうのナニカの影が鮮明になっていく。
 そこに居たのは――、醜悪な豚に似た巨大な生き物だった。

「何、あれ……」
「豚……?」

 ルイズとギーシュが呆然と呟いた。全身は真っ黒で疣だらけで、赤いラインが様々な模様を体中に描いている。
 黒豚の全身の疣をよく見ると、それは人間の顔の様な形をしていた。
 あまりの気色悪さに鳥肌が立った。ルイズとギーシュも震えて声すら出なくなっている。
 このまま、何もしなければ死ぬ! そう思った瞬間、俺は何故か、“あの部屋”に居た。

『ようこそ、ベルベットルームへ』

 それが、運命の幕開けだった――――……。



[16996] 第四話『ペルソナ』
Name: 雪化粧◆cb6314d6 ID:0b1d028d
Date: 2015/05/08 17:26
『ようこそ、ベルベットルームへ』

 俺はハルケギニアに来る前に夢で見た、あの青い部屋に居た。目の前の小机の向こうのソファーには、小柄な老人が不気味な笑みを浮かべて俺の事を見ている。その更に後ろには寒気のする程に冷淡な印象を受ける美女が黙したまま立っている。
 確か、老人の名前はイゴール。美女の名前はアンだったか……。
 青い光に包まれた幻想的な空間に、俺はまるで夢を見ているかの様に現実感を持てなかった。

「フム、中々に鋭いですな。いかにも、ここは貴方の夢の中でございます」

 心の中で思った事を言い当てられ、俺はドキッとした。この老人は心が読めるのだろうか? 多分、読めるんだろうな。
 この老人に関しては何でもアリな気がする。

「再び、お目にかかりましたな」

 老人が俺をギョロッと飛び出した丸い目で俺を見た。どうやら、俺はまた、ベルベットルームに招かれたらしい。
 イゴールの後ろに立つアンが、俺を見つめながら口を開いた。

「ここは、何かの形で“契約”を果たされた方のみが訪れる部屋……。貴方は日常の中に突然生じた二つの道筋の一方を選択し、運命との絆を結んだ――」

 運命とは、ルイズの事だろうか? 契約を果たした者のみが訪れる部屋。契約というと、思い浮かぶのは使い魔契約の事だろう。
 俺の考えを読み取ったらしく、アンは小さく頷いた。

「まずは、これを貴方にお渡ししておきましょう」

 イゴールの手に、突如光が溢れ出した。光の中には美しい細工の青い光沢を持つ鍵が浮かんでいた。鍵は俺の手元まで浮かんで来て、無意識にその鍵を手に取った。
 光が消えて、俺は手に取った青い鍵をジーンズのポケットに仕舞い込んだ。
 それを見届けると、イゴールが口を開いた。

「それは、“契約者の鍵”にございます。今宵から貴方は、この“ベルベットルーム”のお客人だ。貴方は“力”を磨くべき運命にあり、必ずや、私共の手助けが必要となるでしょう。貴方が支払うべき代価は一つ……」

 代価。俺はその単語に不吉な気分がした。何を支払わされるのだろうか。
 お金だろうか? 悪魔は命を代価に魂を奪うって聞いた事がある。もしかすると……。
 俺が戦々恐々としていると、イゴールは愉快そうに指を立てた。

「“契約”に従い、ご自身の選択に相応の責任を持って頂く事です」

 たったそれだけ? 俺はあまりにも安い代価に、思わず拍子抜けしてしまった。
 自分の選択に責任を持つなんて、そんなの当たり前じゃないか……。
 いや、本当にそうだろうか? 俺は自分が心で思った事に疑問を抱いた。俺は自分の選択の責任を本当に持てるのか? 昼間、俺は自分の選択の結果をルイズの責任にして押し付けようとしてしまったではないか。
 イゴールの言葉を受け入れるべきか、受け入れないべきか。俺は――――、

「分かった」

 受け入れた。これは自分への言葉でもある。もう、二度と誰かに責任を押し付けたりしない様にと。

「結構」

 イゴールは愉快気な笑みを浮かべて言った。

「今まさに、貴方の運命は節目にあり、もしこのまま手を拱いていては、未来が閉ざされてしまうやもしれません」

 いつの間にか、イゴールの前にある小机の上には幾つ物仮面の描かれたカードが並べられていた。
 アンがソファーを回り込んでイゴールの前に歩いて来た。

「これは貴方の未来を示すタロットカード」

 イゴールはカードの上で軽く手を振った。すると、カードの一枚がフワリと宙に浮かんだ。

「……おやおや、どうやらおもしろいカードをお持ちのようだ」

 浮かんだカードは、アンの差し出した掌の上に浮かび、僅かな青白い光を放っていた。

「願わくば……、貴方が膝を折ること無く、前に進めるよう、祈っております」

 アンの掌から滑るようにカードが俺の手元にやって来た。カードは俺の手の中に納まると、一際強い光を放ち、俺は思わず目を閉じた――。
 目を開いた時、俺はヴェストリの広場に戻っていた。目の前には建物の二階程もある巨大な黒い豚。直ぐ近くにはルイズとギーシュ。手の中には、一枚のカード。
 俺は手の中のカードに視線を落とした。仮面の描かれたカードを裏返しにする。
 そこには、深遠の闇が広がり、俺の脳裏に声が響いた――――。

『我は汝、汝は我』

 心臓が高鳴る。全身の肌が粟立つのを感じる。

『双眸見開きて……汝、今こそ解き放て……』

 手の中のカードに描かれた闇に、俺自身の顔が映り込んでいる。瞳孔が開き、唇の端を吊り上げて、俺の顔は笑みを浮かべていた。
 俺は無意識に呟いていた。

「…………ペ……ル………ソ…………ナ」

 カードから凄まじい光が迸り、太陽が沈み、月明りと僅かな校舎の光源のみが照らすヴェストリの広場が、まるで昼間の如く明るくなった。
 ルイズとギーシュが呆気に取られて俺を見ていたが、俺はその事に気付かなかった。
 ただ、この手に宿る力を握り潰していた――――。

「ウオオオオオオオオオオオ――――――――――ッ!!」

 俺の手の中で光が爆発した。凄まじい力を持つナニカが、俺の内側から外に飛び出した。

「ハアアアアアアアアアアア――――――――――ッ!!」

 俺は体から現れたナニカを見た。空中に浮かび、君臨していたのは豪奢な鎧を身に纏う戦士。神聖な輝きを放つ一振りの剣を掲げ、戦士は吠える。

『我は汝、汝は我……。我は汝の心の海より出でし者……、勇猛果敢なる戦士ローラン也!』

 それが何なのか、ちっとも分からなかった。分かるのは、コイツを使えば、戦えるって事だった。
 何も考えずに俺は走った。凍り付いているルイズとギーシュを尻目に、拳をこれ以上無い程に強く握りしめた。
 頭上に浮かぶローランも俺の動きに合わせて拳を握る。同時に俺の左手が眩しく光る。
 黒い豚はその肌に浮かぶ無数の顔の形の疣から風を吐き出して自分の目の前に集中する。
 俺は背後のルイズとギーシュを護る様に立ちはだかった。ギーシュの金属人形すら木っ端微塵になりそうな風の塊を前にして、俺は絶対の自信があった。
 耐え切れる! 両腕をクロスさせ、俺はガードの体勢を取った。豚が巨大な空気の塊を打ち出す。

「避けろ、使い魔君!」
「サイト――――ッ!」

 後ろでギーシュとルイズの悲鳴が聞こえた。不思議だった。まだ、出会って間もなくて、話だって少ししかしてないのに、俺はルイズの叫びを聞いた瞬間に全身が燃える様に熱くなり、心が震え上がった。
 全身に力が漲り、俺は巨大な風の塊をローランで受け止めた。ローランのダメージがフィードバックして俺の全身に嬲る。全力で踏ん張るが、俺はルイズとギーシュの下へと跳ね飛ばされてしまった。
 本気で痛い。涙が出そうになって、視界にルイズの顔が入り込んだ。それだけで、俺は拳を杖に立ち上がる。

「女の子の、前で、かっこ……悪い真似、出来ないな!」
「サイト!?」

 俺は俺の服を掴もうとするルイズの手を振り払って、巨大な豚に向かって特攻した。
 だけど、豚の疣から次々に生まれる風の弾丸のせいで、ちっとも近づく事が出来ない。

「平民に護られている……? この僕が?」

 俺が再び跳ね飛ばされて、ルイズとギーシュの下へと転がると、ギーシュが憤怒の表情を浮かべていた。

「“命を惜しむな、名を惜しめ”だ!」

 ギーシュは赤いバラを振った。現れるのは五体の金属人形。

「僕のワルキューレで君をあの化け物の前まで連れて行く!」
「ギーシュ……」

 俺はギーシュを見た。教室では女の子とお喋りばっかしてて軽薄なイメージだった。だけど、マリコルヌに殺されそうになった時に助けてくれたり、俺は、こいつがかっこいいって思っちまった。

「嘗めないでよね。私……だって、貴族なのよ!」

 すると、ギーシュに触発された様に、ルイズまでもが立ち上がり、自分の杖を構えた。
 俺には理解出来ない呪文を唱えると、豚の足元が何の前触れも無く爆発した。

「やるじゃないか、ルイズ! 使い魔君、僕のワルキューレの背後に! 往け、僕の乙女達!」

 ギーシュに褒められても、ルイズはキョトンとした顔をしていた。多分、失敗したとは言え、自分の魔法が役に立った事に驚いているのだろう。
 豚は足元がいきなり爆発した衝撃で横向けに倒れている。俺はギーシュのワルキューレに隠れて豚の下へと走った。
 豚の疣から風の塊が放たれるが、倒れているせいか、それとも爆発のショックで気が動転しているのか分からないけど、集中したモノじゃない。
 風の固まりはギーシュの青銅のワルキューレを一撃で破壊する力は無かったが、向かって来る風の塊の数が多過ぎて、一体一体確実に減らされて行く。
 四体までが倒されて、最後の一体も目の前で粉砕した。

「十分だぜ!」

 もう、豚は目の前だ! 俺は拳を振り上げた。豚が風の塊を放とうとするけど、俺の拳の方が一瞬だけ早い。
 俺の拳の動きに合わせて、ローランの拳が豚の胴体にめり込んだ。吹き飛ぶ豚の怪物に、俺は追撃を加える。

「うおりゃあああああああああ!」

 俺の拳に連動したローランの拳で豚を地面に叩き付けた。

「これで……、どう……、だ」

 俺はそのまま倒れこんだ。全身が痛みのあまりに悲鳴を上げている。
 視界の中で豚の姿は消えていき、金髪の太っちょが地面に転がるのが見えた気がした。ルイズとギーシュが駆け寄って来るのが見えて、そのまま意識を手放した……。

ゼロのペルソナ使い 第四話『ペルソナ』

 昼間、サイト君と擦れ違った後、私は一直線に学院長室へと走った。本当は、生徒の手本となるべき教師である私がこの様な真似をしていいわけは無いのだが、事が事だけに一刻を急いだのだ。
 学院長室は、本塔の最上階にある。トリステイン魔法学院の学院長を務めるオールド・オスマンは、白い鬚と髪を揺らし、重厚な作りのセコイアのテーブルに肘をついていた。
 オールド・オスマンの顔に刻まれた皺が、彼のが過ごしてきた歴史を物語っている。百歳とも、三百歳とも言われている。本当は幾つなのかは私も知らなかった。
 私が入室すると、オールド・オスマンは怪訝な顔をして視線を向けた。

「どうしたのかね? 息を切らして君らしくも無い。教師は生徒の見本となるべく、常に優雅に堂々と――――」
「オールド・オスマン! ご報告したい事があり、参りました」

 悠長な事を言うオールド・オスマンに、私は思わず苛立たしげに言ってしまった。上司であり、偉大なるメイジ、オールド・オスマンに対し、この様な口の効き方をした事を私は直ぐに後悔した。
 だが、オールド・オスマンは私を叱責するでも無く、小さく頷くと、私を椅子に座るように勧めてきた。
 オールド・オスマンは引き出しを開けるとそこから水キセルを取り出した。

「さて、どうしたのかね? ミスタ・コル……ミス?」

 突然、オールド・オスマンの手にあったキセルが宙に浮かんだ。キセルが向かった先には、理知的な顔立ちが凛々しい、緑髪の眼鏡を掛けた女性が厳しい顔で立っていた。

「オールド・オスマン。貴方の健康を管理するのも、私の仕事なのですわ。私の前ではキセルは吸わせません!」

 キッパリとそう言い放つ彼女に、オールド・オスマンは困った顔をしながら咳払いをした。

「まったく、年寄りの楽しみをあんまり奪わないで欲しいのだがのう……、ミス・ロングビル」

 彼女は今年の春にこの学院で勤める事になったオールド・オスマンの秘書のミス・ロングビルだ。
 この話はどういう判断を取るにしろ、今は未だ、私とオールド・オスマン以外には聞かれたくない。

「すみませんが、ミス・ロングビルには席を外して頂いても構いませんか?」

 極めて丁寧に私は言った。秘書である彼女に席を外させるのは、彼女にとって屈辱的な事かもしれないからだ。
 頭を下げる私に、ミス・ロングビルは柔らかい笑みを称えた。

「構いませんわ。どちらにしろ、このキセルを処分しなければなりませんので」
「ミ、ミス!? それは勘弁してくれんかのう? 儂にとっては長年を連れ添った大事な相棒なのじゃよ。のう? モートソグニルや」

 オールド・オスマンは哀れみを誘う様な声でミス・ロングビルに言った。彼の肩に乗っているのは彼の使い魔で、鼠のモートソグニルだ。
 ミス・ロングビルはそんなオールド・オスマンに悪戯っぽく微笑んだ。

「冗談ですわ」

 ミス・ロングビルはオールド・オスマンの下まで歩み寄った。

「でも、あまり吸ってはいけませんよ? あまり、お体に良い物ではありませんから」
「うむ。すまんのう」

 ミス・ロングビルは一礼すると部屋を出て行った。
 私はオールド・オスマンに向き直る前に、立ち聞きなど無いかを調べた。
 オールド・オスマンは怪訝な顔をしたが、何も言わずに私の言葉を待った。

「申し訳ありません。万が一にも、聞き耳を立てられては拙い内容でして……」

 私は“始祖ブリミルの使い魔たち”という本のガンダールヴのルーンが描かれているページと、サイト君のルーンを模写した羊皮紙をオールド・オスマンに見せた。
 途端に、オールド・オスマンの表情は厳しいモノとなった。

「この事は誰かに言っておらんじゃろうな?」

 私はオールド・オスマンの凄まじいプレッシャーを受けながら辛うじて頷いた。

「誰にも話しておりません。まず、オールド・オスマンの判断を仰ぎたく思い」
「お主の判断は正解じゃ。よいか、この事は最重要機密扱いじゃ。儂とお主以外に洩らす事、まかりならん」

 私は厳粛に頷いた。事は、それだけ重大だという事なのだ。
 私は春の使い魔召喚の儀式の際に、ミス・ヴァリエールが平民の少年を召喚してしまった事、ミス・ヴァリエールが彼と契約した証明として現れたルーン文字が気になり調べた事を話した。

「そして、始祖ブリミルの使い魔……神の盾と呼ばれ、一人で千の軍勢を殲滅したとされる“ガンダールヴ”に行き着いた訳じゃな?」
「その通りです。恐らく、間違い無いかと」
「ミスタ・コルベール。改めて言うが、この件は口外無用じゃぞ? 仮に王宮に知られでもしたら、何をしだすか分からん」
「承知しております」

 オールド・オスマンは鬚を撫でながら深く考え込み始めた。
 私は自分の判断が正しかったと確信し、ホッと胸を撫で下ろした。
 その時だった。突然、学園長室の扉が慌しくノックされた。

「誰じゃ?」
「私です。オールド・オスマン」

 ミス・ロングビルだった。扉を開き、中に入って来た彼女は肩で息をしていた。
 ミス・ロングビルは息も絶え絶えに言った。

「ヴェストリの広場で、正体不明の怪物が暴れているのです!」
「なんじゃと!?」

 オールド・オスマンは即座に杖を振るった。遠見の呪文で、オールド・オスマンの目の前に鏡の様なモノが出現した。
 その向こうに、巨大で醜悪な黒い豚の様な化け物が暴れているのが見えた。
 その近くには、ミス・ヴァリエールとミスタ・グラモン、そして、ミス・ヴァリエールの使い魔となったサイト君が居た。私は即座に現地に向かおうと、学院長室の窓へ駆け寄った。
 悠長に階段を降りてる暇などない。フライの呪文を詠唱しながら窓を開け放つと、オールド・オスマンが突然待ったを掛けた。

「何故です、オールド・オスマン!?」

 私が血相を変えて怒鳴る様に叫ぶと、オールド・オスマンが目を目開きながら遠見の鏡を見るように私に促した。
 見れば、ミス・ロングビルも目を丸くして凍りついている。
 私は一刻も早く向かわねばと思いながらも、足が勝手に鏡の下へと動いた。そして、私はとんでもないモノを見た。
 サイト君の頭上に鎧の巨人が現れ、サイト君の動きに合わせて、怪物と戦っていたのだ。

「アレは何ですか!?」

 ミス・ロングビルが叫んだ。私にも分からない。今朝、サイト君が起きる前に、私は彼に秘密でディテクトマジックを使った。
 結果、彼がただの一般人であると判断した。だからこそ、アレの説明が出来ない。理解不能だった。

『事は更に重大かもしれぬ』

 不意に、耳元で囁く様なオールド・オスマンの声が響いた。驚いてオールド・オスマンを見ると、彼はミス・ロングビルを一瞥した。
 なるほど、彼女に聞かせない為の措置なのだろう。

『あの巨人は、恐らくは使い魔の少年……サイト・ヒラガであったな? 彼が喚び出し、使役している様に見える』

 私も同意見だ。だが、彼は間違いなく、ただの平民だった筈なのだ。私は小声で呪文を唱え、その事をオスマンの耳元へ送った。

『つまり、あの能力はガンダールヴとなった事に由来するのかもしれん』
『しかし、あらゆる武器を使いこなしたという話は聞きますが、あんな巨人を呼び出すなど……』
『“魔法を操る小人”』

 私にはオールド・オスマンの言葉の意味が理解出来なかった。何の話だ?

『古代の言語じゃよ。ガンダールヴの元々の意味は、“魔法を操る小人”というのじゃ』

 私の心を見透かした様に、オールド・オスマンは言った。なるほど、魔法を操る小人……。
 遠見の鏡の向こうで、戦いは終結した。ミスタ・グラモンとミス・ヴァリエールも協力し、あの巨大な怪物をたった三人で打ち破ってしまった。
 巨人を喚び出したサイト君は、まさしく小人の様であり、巨人を喚び出したのは、召喚魔法の一つなのではないだろうか? つまり、正しく“魔法を操る小人”という意味を彼は体現したのだ。

『真実は分からぬが、あの力については考えねばならぬ。しかし、彼はあの力をコントロールしていた様に見える』

「ミス・ロングビル。ヴェストリの広場に行ってくれんかね? 後日、事情を聞く旨を伝え、彼等を保健室へ」
「か、かしこまりました……」

 オールド・オスマンがミス・ロングビルをヴェストリの広場に向かわせた。ミス・ロングビルが立ち去ると、オールド・オスマンは私に視線を合わせた。

「問題なのは、あの怪物の方じゃ。一体、何が起きたのか……。見てみよ、怪物が消え去った跡に、少年が転がっておる」
「あれは、ミスタ・グランドプレ!」

 何故、ミスタ・グランドプレがあそこに!? 私は訳が分からなくなった。

「何かが起きようとしているのかもしれぬ……。ガンダールヴの少年を召喚したのは、ミス・ヴァリエールじゃったな? 彼女は今迄魔法を成功した事の無い無能なメイジじゃと、報告を受けておる」
「恐らくは、彼女が失われた系統……、虚無の使い手だからでしょう。だから、彼女には他の系統の魔法が使えなかったのではないかと」
「失われた筈の魔法の復活。そして、虚無の使い魔の出現。ミスタ・グランドプレが怪物の中から現れた事……。何かが、起き始めているのやも知れぬ。本来ならば、王宮に報告すべき事なのじゃろうが、真実の分からぬ内に愚か者の手に虚無の使い手と虚無の使い魔を渡して戦争の駒にさせる訳にはいかん。よいな? もう一度言うとくぞ。この件は誰にも言ってはならぬ。時が来たならば、儂が話す。それまでは、よいな?」
「心得ております、オールド・オスマン」

 私は深く頭を垂れた。この件は、無闇に口にしていい内容では無いのだ。それは、私にもよく分かっている。
 |虚無《ゼロ》のルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。何とも皮肉な事だと思った。彼女は、その名前を馬鹿にされ続けて来た。だが、その名前こそ、この世で並ぶ者の無い最強のメイジの称号だったのだから――――……。



[16996] 第五話『コミュニティ』
Name: 雪化粧◆cb6314d6 ID:0b1d028d
Date: 2015/05/08 17:26
 瞼を開くと、俺は青い光の部屋の中で横たわっていた。起き上がると、案の定、目の前には何も乗っていない高級そうな小机があり、その向こうの柔らかそうなソファーに鼻の大きな老人が座っている。
 このベルベットルームの住民であるイゴールだ。後ろにはアンがまるで仮面を被っているかの様に無表情で立っている。

「ようこそ、ベルベットルームへ。貴方は、“力”に覚醒したショックで、意識を失われたのです」

 俺がどうしてここに居るんだろうかと考えていると、イゴールは心を見透かした様に言った。
 力を覚醒したショックで意識を失った……? 俺は記憶を遡った。
 シエスタに仕事を教えてもらって、食堂でルイズと合流を果たし、一緒に食事をしていると、マリコルヌという金髪のふとっちょに絡まれて、喧嘩になった。
 ヴェストリの広場という二つの塔に囲まれた広場にギーシュという、金髪のキザな少年に案内されて、そこで……。
 思い出した。巨大な怪物が現れたのだ。俺は死を予感した。その時、俺はここ……、ベルベットルームに招かれたのだ。そして、“力”を手に入れた。
 あの力は何だったんだろう……。

「……しかし、ご心配には及びません。少し、休まれれば、直に目を覚ますでしょう。……ところで」

 イゴールはギョロッとした丸い目で俺を見つめた。体の内側を見透かされている風な、不気味な眼差しだった。
 イゴールは興味深そうに笑みを浮かべた。

「ほう……、覚醒した“力”は“ローラン”ですか。なるほど、興味深い」

 ローラン。聞いた事がある。確か、フランスの伝説的英雄の名前だ。
 突然、頭上に現れた鎧の巨人。あの時、脳裏に響いた声を思い出した。

『我は汝、汝は我……。我は汝の心の海より出でし者……、勇猛果敢なる戦士ローラン也!』

 一体、アレは何だったんだろう。

「貴方が手に入れられたそれは、“ペルソナ”という力……。それは、貴方が貴方の外側の事物と向き合った時、表に現れ出るもう一人の貴方自身なのです」

 ペルソナ……、それが、あの“力”の名前らしい。俺が俺の外側の事物と向き合った時に表に現れるもう一人の自分……、全く意味が分からない。
 ペルソナとは、一体何なのだろう。

「その力を直ぐに理解するのは難しいかもしれませんな。ペルソナとは、様々な困難に立ち向かって行く為の、“覚悟の鎧”……とでも申しましょうか」

 “覚悟の鎧”……、俺がこの先、困難に立ち向かう為の力。
 イゴールの言うとおり、直ぐに理解するのは、今の俺には出来そうに無い。

「しかも――――、貴方の為さった契約は、貴方に特別な力を与えるものだったようだ」

 特別な力……? ペルソナ能力の事を言っているのではない気がした。

「貴方自身の可能性に加えて、貴方のなさった契約はもう一つの“可能性”を貴方に与えたらしい……。“ペルソナ能力”とは、“心”を御する力……。“心”とは、"絆"によって満ちるものです。他者と関り、絆を育み、貴方だけの“コミュニティ”を築かれるが宜しい。“コミュニティ”の力こそが、“ペルソナ能力”を伸ばしていゆくのです」

 コミュニティ……? ネットのコミュニティみたいな感じだろうか。難しい事は分からない。
 ペルソナ能力を使うには、心を御する力が必要。心を御するには、絆を育む事が必要。その為に、コミュニティを築かないといけないらしい。
 コミュニティの力で、俺のペルソナ能力が強くなるって事なんだろうか? 俺がそう考えていると、アンが首を振った。

「“コミュニティ”は、単にペルソナを強くする為のモノではありません。ひいてはそれが、貴方様の行く末に真実の光を齎し、輝かしい道標ともなってゆくでしょう」

 やっぱり、俺には分からない。

「貴方に覚醒した力は、何処へ……向かう事になるのでしょうか……。ご一緒に、旅をして参りましょう」

 何処に向かうのか……、分かる日は来るんだろうか。
 だんだん、視界が揺らぎ始めた。

「さて……、貴方のいらっしゃる現実では、多少の時間が流れた様です。これ以上のお引止めは出来ますまい。今度お目にかかる時には、貴方は自らの意思で、ここを訪れるでしょう。では、再び見えます時まで……ごきげんよう」

 俺は闇の中に落ちるかの様に、ベルベットルームから遠ざかった――。

ゼロのペルソナ使い 第五話『コミュニティ』

 徐々に意識がハッキリしてくる。ゆっくりと瞼を開くと、突き刺す様な陽光に目が眩んだ。
 かなりの時間、俺は眠っていたらしい。全身に気だるさを感じて、起き上がる事が出来なかった。
 また、ここか……。この星に来て、目を覚ますと必ずここの天井が最初に視界に入る。俺が寝かされているのはトリステイン魔法学院の保健室のベッドだった。
 隣から耳障りな鼾声が聞こえる。首だけを向けると、金髪で恰幅のいい少年が隣のベッドで眠っていた。マリコルヌという少年だ。
 一発、殴ってやりたいという衝動に駆られたが、俺の体は殆ど言う事を聞いてくれない。
 喉がヒリヒリと痛む。水が欲しいな、そう考えていると、遠くの扉が開いた。入って来たのはタオルの入ったボウルを抱えた黒目黒髪のメイド服を着た少女だった。

「シ……ェ…………ス……タ?」

 喋ろうとすると、喉が酷く痛い。俺は掠れた声でシエスタの名前を呼んだ。
 シエスタは目を丸くして、慌てた様に駆け寄ってきた。

「サ、サイトさん。お目覚めになったのですね? 少し待っていて下さい」

 シエスタは俺のベッドから少し離れた場所にある大きめの机の上にボウルを置いて、そこに乗っている銀色の水差しからグラスに水を注いで持って来てくれた。
 俺はシエスタに手伝ってもらいながら何とか上半身だけを起して、シエスタからグラスを受け取ると喉を鳴らしながら一気に中身を飲み干した。足りない。
 俺はシエスタにグラスを向けた。シエスタも承知して直ぐに水を足してくれた。
 何度もお代わりをして、何とか一息吐くと、俺は何とか喋れる様になった。

「ありがとう、シエスタ」
「いいえ。それより、未だ安静になさって下さい。何せ、一週間も眠り続けていたのですから」
「一週間!?」

 俺は驚いて声も出せなかった。イゴールが多少の時間が過ぎたと言ってたけど、まさか、一週間も寝ていたなんて思わなかった。どおりで体に力が入らなかったわけだ。

「ご気分はいかがですか?」
「何だか、体が重いや」

 俺は肩を鳴らしながら言った。のびをすると、全身がパキパキと音を鳴らした。体を解すのが大変そうだ。

「あれ?」

 俺は自分の服が変わっている事に気が付いた。シャツとパーカーとジーンズを着ていた筈なのに、今俺が着ているのは白い着物みたいな服だ。

「シエスタ、この服って……」
「サイトさんの服は泥だらけになってしまっていたので洗濯しておきましたよ」

 シエスタは俺の寝ていたベッドの直ぐ脇にある机の引き出しから、俺の服を出してくれた。
 シエスタから受け取った俺の服は汚れ一つ付いて無かった。

「ありがとう、シエスタ」

 俺がお礼を言うと、シエスタはニッコリと微笑み返してくれた。俺はその笑顔に思わずドキッとしてしまった。
 改めて見てみると、シエスタはやっぱり可愛い女の子だった。ルイズとは違う種類の穏やかで優しい美少女だ。

「どこか痛みを感じる所はありませんか?」

 シエスタが心配そうに尋ねてきた。俺は少し体を動かしてみた。どこも痛い所は無い。
 それを伝えると、シエスタは安堵の笑みを浮かべた。

「良かったです……。ここに、ミス・ロングビルが運び込んだ時はそれはもう大変な怪我をしてらっしゃいましたから……」
「そんなに酷かったの?」

 俺は服の中を覗いてみた。怪我らしい怪我は無いし、怪我跡らしいものも見当たらない。

「サイトさんの怪我は、先生が治癒の呪文で治療をして下さったのです」

 治癒の呪文……、そんなものまであるなんて、やっぱり、この星では俺の常識は通用しないらしい。
 ゲームやアニメの治癒呪文なんかだと、あったかい光で傷が癒えるってイメージだけど、この星の呪文はどうなんだろう。ちょっと、見てみたかったな。

「シエスタはどうしてここに? もしかして、看病してくれてた?」

 俺はシエスタが少し離れた場所にある机の上に置いたタオルの入ったボウルを見ながら尋ねた。もしかして、体を拭いてくれようとしたのかもしれない。
 もしかして、着替えさせてくれたのもシエスタなのだろうか……。俺はちょっと恥しくなった。女の子に着替えさせてもらったり、体を拭いてもらうなんて経験は当然だが無い。

「大した事はしておりませんわ。それより、ミス・ヴァリエールが大変心配なさっておりました。直ぐにお呼びしてまいりますね? ついでに、お食事の方も運んで来ますから、もうしばらく、ゆっくりなさって下さい」

 シエスタはそう言うと出て行ってしまった。俺は着替える事にした。のろのろと着物みたいな服を脱ぐと、俺は見覚えの無い下着を着ていた。
 冷たい汗が流れる。もしかして、シエスタは俺の下着まで着替えさせてくれたのだろうか……。
 俺は顔を青褪めさせた。同い年くらいの女の子に体の隅々まで見られてしまったのだ。恥しくて死にそうになった。
 とりあえず、俺はジーンズを履いて、シャツとその上にパーカーを着た。机を支えにして、のろのろと立ち上がろうとするが、脚に力が入らなくて、直ぐに転んでしまった。何度もやって、漸く立っていられる様になった頃、シエスタが銀のトレイにお皿を載せて、ルイズを連れて戻って来た。

「ルイズ……、えっと、久しぶり……なのかな?」

 俺にとっては、ついさっき会ったばかりの様な感覚だが、ルイズにとっては一週間振りだろうから、俺はそう言った。
 片手を上げて挨拶をすると、ルイズは目を逸らしながら言った。

「……久しぶり」

 ルイズは俺の近くまで来ると、わざとらしい溜息を吐いた。

「随分だな。人の顔見て溜息吐くなんてさ」
「吐きたくもなるわよ。あんたには、色々と聞かなきゃいけない事がある。オールド・オスマンやミスタ・コルベールに色々質問攻めされたけど、殆ど、私も分かってないんだから」

 ルイズは俺の寝ているベッドの直ぐ近くに置いてあった椅子に座った。本当に、間近で見ると凄く可愛い。鳶色の瞳が俺の事を見ている。
 お互いに無言になる。何を話したらいいか分からなかった。

「で、あの巨人は何なの?」

 単刀直入に、ルイズが口を開いた。ルイズは鋭い眼差しを向けてくる。
 巨人というのは、間違い無く“ローラン”の事だろう。どう説明したらいいだろうか……。
 俺は隠し事をせずに正直に言う事にした。隠す必要性も無い気がしたからだ。

「ペルソナ能力って聞いた」
「ペルソナ能力……? あの力はそんな名前なの? でも、聞いたって?」
「俺だって、よく知らないんだ」
「知らない……?」

 ルイズは疑いの眼差しを向けてきた。当たり前だろうな。俺の力を俺自身が知らないなんて、そんな馬鹿な話は無いだろう。
 だけど、俺はまだ、ペルソナ能力について殆ど知らない。知っている事は、イゴールに聞いた事だけで、その内容もあまり理解出来ていない。

「ペルソナ能力を使ったのは、あの時が初めてだったんだよ」
「どういう事よ? あんな凄い力なのに、今迄使った事が無かったっていうの?」
「使った事が無かったって言うか……、ペルソナ能力を知った事自体、あの時だったんだよ」
「…………はぁ?」

 ルイズの目が据わり始めた。全然信じてないらしい。

「本当だよ。確か……契約、そう、契約だ。ルイズと使い魔の契約をした時に生まれたんだって、イゴールが言ってた気がする」
「使い魔の契約……コントラクト・サーヴァントで? そんな話、聞いた事無いけど……。でも、人間を使い魔にする事自体、前例が無いし……。その、イゴールっていうのは誰の事?」
「イゴールってのは……、時々、夢の中に出て来る爺さんなんだよ。鼻がでかくてさ、運命がどうのとかって言って、色々教えてくれるんだ」
「夢の中……? それ、本当? それって、夢魔やアルプみたいなモノかしら?」
「何だよ、その夢魔とかアルプって?」

 疑っているみたいだけど、いきなり切って捨てるって事はしないらしい。俺の話を信じてくれてるのだろうか……。
 妙な単語が飛び出してきた。俺が尋ねると、ルイズは言った。

「夢の中に入って、精気を奪うって言われてる妖精の一種よ。見た目も鼻の大きなドワーフみたいな姿をしてるって、聞いた事があるわ。でも、アルプの狙うのは女性の筈だし、知識を与える、なんて話は聞いた事が無いから違うわね」
「イゴールは確かに人外な感じがするし、この世であそこまで怪しい奴もそうそう居ないだろうなってくらい、怪しいけど、色々教えてくれたし、悪い奴って感じはしないな」

 俺が言うと、ルイズは顎に人差し指をつけながら唸った。考えを整理しているのだろう。

「えっと、整理すると、あんたの力の名前はペルソナ能力って言うのよね?」
「ああ、ちなみに、あのペルソナの名前は“ローラン”だ」
「ローラン……。何か、偉そうな名前ね。今、ここで出せるの?」

 どうなんだろう……。あの時は、俺は気が付いたら仮面の描かれたカードを握り潰していた。
 そう言えば、イゴールが言っていた言葉を思い出した。

『“ペルソナ能力”とは、“心”を御する力……』

 心を御する……、俺は心の中でペルソナが出て来る様に念じてみた。……何の変化も起きない。
 俺は目を瞑って、意識を集中してもう一度念じた。やっぱり、何も起きない。

「無理だ……」
「何で? あんたの力なんでしょ?」
「んな事言っても、心を御する力、なんて、言われてもな」
「心を御する……? あの時はどうやって出したのよ?」

 どうやってって、それは……、どうやったんだろう? 分からなかった。
 俺はあの時、自分が死ぬと思った。何もしなければ死ぬ。そう思ったら、ベルベットルームに居た。
 イゴールに促される様に、カードを手に取って、気が付いたらローランを出していた。

「少なくとも、今の俺には無理みたいだ……」
「そう……。あの怪物については聞いてない? その……、イゴールっていうのに」
「聞いてない。そう言えば、何で俺、聞かなかったんだろう……。ペルソナの事ばっかに意識がいっちゃって……」

 お互いに黙り込んだ。俺にも、ルイズにも、何も分かっていないんだ。

「分からないのは仕方ないわね……。多分、その内にオールド・オスマンに呼ばれると思うわ。学院にいきなりあんな怪物が現れたんだもん。少しでも情報が欲しいでしょうから」
「オールド・オスマン……?」
「ここ、トリステイン魔法学院の学院長先生よ。偉大なるオールド・オスマン」

 この学校の校長って事か……。俺は禿頭の話が無駄に長い老人を思い浮かべた。

「で、体の方はどうなわけ?」
「ん? 一応、痛い所はないぞ。けど、一週間も寝てたせいか、体が凄くだるい」
「あんたは私の使い魔なんだから、しっかりしてよね? 私は未だ授業があるから、夕方頃にまた来るわ。それまでに、動ける様になってなさいよ?」
「その事なんだけどさ……」
「…………?」

 俺はルイズに右手を差し出した。ルイズは俺のしたい事がよく分かっていないらしく、首を傾げた。
 これから長い付き合いになるんだから、ちゃんとやっておきたかったんだ。

「俺は才人。平賀才人。こっち風だと、サイト・ヒラガ。ゼロのルイズの使い魔だ」

 無理矢理ルイズの手を取って、俺は言った。それで、漸くルイズも俺の意図に気が付いたらしい。少し恥しそうにしながら、俺の手を握り返してきた。
 ルイズの手は小さくて、指も驚く程細い。ルイズは、俺に顔を向けると、胸を張りながら言った。

「ルイズよ。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。ヴァリエール公爵家の三女。二つ名は……“ゼロ”よ」

 最後だけ、ルイズは小さな声で言った。自分でゼロというのは嫌だったのだろう。
 これで、俺は本当に目の前の桃色の美少女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの使い魔になったんだ。
 ルイズとの間に、ほのかな絆の芽生えを感じる。
 …………!? ……頭の中に、不思議な声が囁く――。

『我は汝……、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり……。絆は即ち、真実に至る一歩也。汝、“愚者”のペルソナを生み出せし時、我ら、更なる力の祝福を与えん……』

 俺はルイズとの絆に呼応する様に、”心”の力が高まるのを感じた。
 イゴールの言葉を思い出した――。

『“ペルソナ能力”とは、“心”を御する力……。“心”とは、"絆"によって満ちるものです。他者と関り、絆を育み、貴方だけの“コミュニティ”を築かれるが宜しい。“コミュニティ”の力こそが、“ペルソナ能力”を伸ばしていゆくのです』

 コミュニティっていうのは、多分、このルイズとの間に感じる絆の事なんだろうか……。

「それじゃあ、私は授業に行くわ。後でね」
「ああ、後でな」

 ルイズが保健室を出て行ってから、俺はこの部屋にもう一人居る事を思い出した。隣で寝ているマリコルヌの事じゃない、壁際に控えていたシエスタだ。

「あ、ごめんな、シエスタ。何か、無視したみたいになっちゃって」
「いいえ。ただ、スープが少し冷めてしまいましたから、ちょっと温めなおしてもらって来ますわ」
「いいよ。お腹ペコペコなんだ」

 俺は少し離れた場所にある机の上に置いてある銀のトレイを持ち上げ様とするシエスタに言った。
 脚に上手く力が入らないけど、ゆっくりとシエスタの所に向かう。

「あっ!」

 俺はカクンと脚が曲がってしまい、転びそうになった。
 手をつこうにも、腕にも力が入らず、咄嗟に動かせなかった。
 だけど、地面に倒れ込む前に、俺の体は真っ白で柔らかい感触に受け止められた。

「大丈夫ですか? サイトさん」

 シエスタだった。優しく抱き止められた俺は、思わず赤面してしまった。
 女の子の体の柔らかい感触と鼻腔を擽る女の子特有の甘い香り。
 俺は慌てて離れようとしたけど、体が言う事を聞いてくれなかった。

「ご、ごめん……。体に上手く力が入らなくて……」

 情け無い声を出す俺に、シエスタは優しく笑いかけてくれた。

「もう少しベッドでお休みになられて下さい。お食事をベッドまで運びますから」

 シエスタに支えられながら、俺はベッドに戻った。心臓がドキドキしている。
 シエスタが持って来たトレイの上に乗っているのは未だ温かそうなスープだった。

「ずっと眠っていらっしゃいましたから、体が吃驚しない様に、スープを持って来ました」
「ありがとう、いただきます!」

 俺はトレイに乗っていたスプーンでスープを一口飲んだ。おいしい! 俺はもう一口、口に運んだ。あまりの美味しさに、頬が落ちてしまいそうだった。
 俺は堪らずに直接、お皿に口を付けて、スープを一気に飲み干した。
 一息吐くと、シエスタがクスクスと笑っていた。

「余程お腹が空いてらっしゃったのですね。お代わりをお持ち致しましょうか?」
「頼むよ。凄く美味しかった」

 シエスタは楽しげに笑みを浮かべながら部屋を出て行った。戻って来ると、小さなお鍋も一緒に持って来た。

「お代わり、沢山ありますからね。マルトーさんが沢山下さったんです」
「マルトーさん?」

 聞き覚えの無い名前だった。俺が尋ねると、シエスタが教えてくれた。
 マルトーという男は、厨房のコック長を務めてるそうだ。
 貴族が使い魔の世話を疎かに事が多いらしく、憤って、時々、使い魔に餌を上げているらしい。

「サイトさんが人間なのに貴族の使い魔になって大変だろうって、小鍋に沢山注いでくれたんです」
「それって、何気に他の使い魔と同じ扱いって事?」

 俺が微妙な顔をすると、シエスタは苦笑した。

「ま、いいけどさ。こんなに美味い料理食べさせてもらってんだし」

 俺はシエスタと雑談を交わしながら鍋に入っていたスープを全て飲み干した。

「シエスタ、この後、時間ある?」
「申し訳在りません。学院側から、サイトさんが目を覚ますまでお世話をしろと言われているのですが、サイトさんがお目覚めになった以上、私もメイドの仕事に戻らないといけませんので……」

 申し訳なさそうに頭を下げるシエスタに俺は慌てて言った。

「い、いいよ。ごめん、ちょっとリハビリがてらにここを案内してもらおうと思っただけなんだ」
「本当に申し訳ありません」
「いいって。俺の方こそ、我侭言ってごめん」

 俺はシエスタに頭を下げながら、どうしようか悩んだ。
 夕方にならないと、ルイズは戻って来ないし、少し動かないと体はいつまで経っても解れない。
 そう言えば、コルベール先生の研究室に俺の荷物がある筈だ。

「シエスタ、コルベール先生って、今は研究室に居る?」

 俺が聞くと、シエスタは顎に手をやりながら少し思案して言った。

「どうでしょう……、ミスタ・コルベールは大抵研究室にいらっしゃいますが、授業があるかもしれませんし、図書室にいらっしゃる事も多いです。ご案内致しましょうか?」
「いいの?」
「ええ、図書室はここ、本塔の中にありますし、ミスタ・コルベールの研究室のある火の塔まで、そんなに離れていませんから」
「なら頼むよ」
「わかりました」

 シエスタは先にお鍋と皿を下にある厨房に持って行った。戻って来ると、移動の為の松葉杖を持って来てくれた。
 俺は松葉杖を突きながら、トリステイン魔法学院の図書室にやって来た。
 トリステイン魔法学院の図書室は、俺の想像していた図書室とは掛け離れた凄まじい場所だった。まず、本棚が途轍もなく巨大だ。どのくらいかと言うと、下手するとちょっとしたビルくらいありそうだ。
 高さだけでなく、空間自体が広く、コルベールを探すために歩き回るだけで、体が上手く動かない俺は汗びっしょりになってしまった。
 結局、コルベールは居なかった。仕方なく、俺はシエスタに火の塔にあるコルベールの研究室に案内してもらった。
 途中、マリコルヌや怪物と戦ったヴェストリの広場が目に入った。広場は何事も無かったかの様に破壊の痕跡が見つからなかった。魔法で修復されたんだろうか?
 コルベールの研究室の前に到着して、俺はコルベールの研究室をノックした――――……。



[16996] 第六話『大人の憂鬱』
Name: 雪化粧◆cb6314d6 ID:a3eb6a18
Date: 2015/05/08 17:26
 オールド・オスマンは偉大な方。傍でお世話をしていると、それが良く分かる。
 出会いは酒場だった。何もかもを見通す様な眼差しが酷くイラつき、次のターゲットはこの爺さんにしてやろうと思った。
 貴族は嫌いだ。大事な少女の親を殺し、私の家の家名を取り潰した貴族が嫌いだ……。
 愛する少女の為にお金が必要だった。その為に色んな事をした。貴族だった頃は知らなかった事をいろいろと学んだ。男女の交わり、人の騙し方、人の殺し方、人を陥れた時の悦楽……。
 オールド・オスマンは怖い。私が何をしてきたか、そんな事、とうに知っている筈なのに、どうして、今も私を雇い続けているんだろう? 給金も仕送りして、普通に生活する分には不自由しない程だ。
 貴族だけど、オールド・オスマンの事は嫌いじゃない。取り入る為の演技だったのが、いつの間にか、本気で体を壊して欲しくないと思うようになった。
 キセルを取り上げたり、食事の制限をしたりして……、取り入る為なら、むしろ、彼の好きな様にさせて、機嫌を取るべきだろうに……。
 このまま、ここでオールド・オスマンの秘書を続けるのも悪くないかもしれない。いつしか、そう思うようになっていた。
 それを自覚した途端に、私は怖くなった。このまま、貴族への恨みを忘れてしまうのではないか、と。それに、ここに居れば、私は幸せに生きられるかもしれない。だけど、あの娘は違う。ずっと、人里離れた小さな村で一生を過ごさねばならないのだ。
 あの娘は村で孤児の子供達を育てている。だけど、その子供達だって、いつかはあの村を出て行く。
 一生、外に出る事を許されないあの娘と違って、子供達は自由に生きられる。
 そうなったら、子供達は外であの娘がどういう存在かを知り、あの娘を嫌うかもしれない。下手をすると、あの娘を迫害し、村を貴族に密告するかもしれない。
 私だけが幸せになるなんて事は許されない。それに、あの娘が危機に陥った時の為に牙を研ぎ続けなければいけない。どんな敵も退けられる鋭い牙をあの娘の為に持ち続けなければいけない。
 その為には、こんなぬるま湯の様な生活を送り続けるわけにはいかない……。
 一瞬、あの娘やあの村について、オールド・オスマンに相談してみようかと考えた。オールド・オスマンなら、あの娘を迫害しないでいてくれるかもしれない。
 淡い希望だと吐き捨てた。確かに、オールド・オスマンは他の貴族とは違う。平民と貴族の差別意識も薄い。
 実力に見合えば、例えば、食堂のコック長のマルトーなんかには、下級貴族が及びも付かない程の給金を出している。私みたいな素性も分からない人間にまで、職を与えて、多額の給金をくれる。
 だけど、あの娘の場合は平民と貴族の間にある溝なんて、まったく比じゃない程、大きな溝がある。
 私はこの学園を出る決心をした。二度と戻って来れない様に、この学院にあるという“破壊の杖”を盗み出すのだ。破壊の杖は、オールド・オスマンにとっても大切な秘宝らしく、学院長室で前に一度語り聞かせてもらった事がある。
 オールド・オスマンが若い頃……、そんな頃があったとは信じられないけど、ワイバーンに襲われた所を杖の持ち主が破壊の杖によって救ったのだという。
 命の恩人である男のたった一つの形見なのだと、彼は懐かしむ様に語った。そんな物を盗み出せば、彼はきっと私に失望するだろう。憎み、絶対に許してくれないだろう。
 それでいいのだ。徹底的に恨んで欲しい。そうすれば、私もここへの未練も持たなくて済む。

 夜、私は学院長室や図書室、食堂などがある本塔の五階にある宝物庫の外壁の上に垂直に立っていた。
 宝物庫の一つ上は学院長室だ。僅かな音も洩らさない様に、サイレントの呪文を唱える。
 背の高い木々が二つの巨大な月の光を遮って、私の姿を隠してくれている。
 足元に感じる感触に、私は思わず舌を打った。

「さすがは魔法学院本塔の壁ね……。“スクエアクラス”の“固定化”なんて、さすがに“錬金”出来ないか……」

 “固定化”の呪文は物質を酸化や腐敗なんかのあらゆる化学反応から保護する呪文で、呪文を唱えたメイジ以上の力量を持つメイジでなければ錬金する事も出来なくなる。
 恐らく、スクエアクラスのメイジが複数人掛りで掛けたのだろう。試しに四系統の初歩的な呪文をそれぞれ掛けてみたが、どれも弾かれてしまった。

「物理衝撃なら……、駄目だね……。これだけ壁が分厚いと……」

 私はトライアングルメイジだ。30メイルを越えるゴーレムを作る事も出来る。それでも、この壁を破壊出来るかどうかは分からない。
 正直、ここまで硬い守りだとは思っていなかった。だが、この程度の障害で諦めるわけにはいかない。オールド・オスマンは穢れ切った私を信頼してくれた。それを裏切るのだから、生半可な仕事などしたくない。
 私は対策を練る事にして、地上に降り立った。
 …………!!? …………どこからか視線を感じた。
 私は周囲に目を走らせた。……誰も居ない。上を見上げるが、何も見えない。気のせいだったのだろうか……。
 ハッと私は笑った。

「弱気になるなんて、本気で牙を研ぎ直さないといけないね……」

ゼロのペルソナ使い 第六話『大人の憂鬱』

 私の研究室は火の塔にある。窓の外からはヴェストリの広場で戯れる生徒達の声が聞こえ、ヴェストリの広場を挟んだ向こう側にある風の塔から爆発音が聞こた……。

「そう言えば、ミスタ・ギトーはミス・ヴァリエールを教えるのは初めてだったか……」

 私は今、サイト君の持ち物を広げたシートの前に立っていた。サイト君の持ち物はどれも素晴らしい。魔法を用いても、これほど見事な物を作る事は出来ないだろうと私は確信している。
 だからこそ、一つ一つに丹念に固定化の呪文を掛けていたのだ。固定化の呪文を掛ければ、物体が錆びたり、腐敗したりするのを防ぐ事が出来る。

「しかし、興味深いのはコレだな……」

 サイト君の私物は奇妙奇天烈な物ばかりだったが、中には理解出来る物もあった。
 例えば、薄く透明な袋に密閉された書物が一冊。完璧に密閉されている事から、何らかの封印なのではないかと考えられる。
 それに、中に何も記されて射ない奇妙な書物だ。だが、私は中に何も記されていない事よりも、その材質に目を輝かせた。羊皮紙などとは全然違う肌触りだ。
 そして、私が最も興味を持った物……それが、コレだ。馬を模したかの様な形状。銀色の鉄でも銅でも鉛でも無い、不思議な材質の物体。金属製の骨組みにゴムを巻くという斬新なアイディアの車輪が前後に二つ付いている。
 何よりも驚かせたのは、これまた材質不明の不思議なハンドルの様な部位を回してみた時の事だ。なんと、車輪が回転したではないか!
 見た目から、この物体の前後と上下にあたりを付けると、私の脳裏に稲妻が走った!
 恐らくは馬の頭部を模したであろう部位を動かすと、その下にある車輪が連動して曲がる。馬の鞍にあたる部位には見た事も触った事も無い不思議な材質の椅子の様な物がある。
 その椅子の部分に座ると、丁度良く、あのハンドルが脚で回す事が出来る位置にある。そうなのだ、これは脚でハンドルを回し、連動して回転する車輪によって移動する乗り物なのだ!
 私は乗ってみたいという欲求に駆られた。もし、私の推測が正しければ、この物体はこの星の文明に革新的な一歩を歩ませる事が出来る。
 乗りたい……、そして、私の推測が正しい事を証明したい。だが、これはサイト君の私物だ。勝手に乗るわけにもいかない。
 私が葛藤に苦しんでいると、丁度その時、私の研究室をノックする音が聞こえた。

「コルベール先生、居ますか?」

 私は始祖ブリミルに感謝した。なんと言う素晴らしいタイミングだろう。私は彼を招き入れようと扉を開いた。
 扉の外にはサイト君の他にもう一人、メイドのシエスタという少女が居た。マルトーの親父とたまに飲むのだが、その時に知った少女だ。サイト君に仕事を教えるよう頼んだり、サイト君の看病をする様に頼んだりと色々と世話になっている。

「やあ、目が覚めたのだね、サイト君」

 私は一刻も早くあの物体に乗せてくれるよう頼みたいという欲求を必死に抑え、大人として恥しくない態度で言った。

「はい、おかげさまで。リハビリがてら、荷物を取りに来ました」

 やはり……。私としては、もう少し調べてみたいと思っていたのだが、持ち主であるサイト君が返して欲しいと言うのならば、我侭は言えない。

「中に入りなさい。君の荷物に固定化を掛けていた所なんだ」
「固定化……?」

 私は首を傾げているサイト君に固定化の呪文について説明した。サイト君は感心した様に目を輝かせてお礼を私に言った。
 彼は礼儀正しく義理堅い性格な気がする。私は恐る恐る言った。

「時にサイト君……、あの物体はもしかして乗り物かね?」
「自転車の事ッスか? そうですよ」

 やはり! 私の推測は間違っていなかった。是非とも調べたい。私は更に激しく高鳴る心臓の音を耳にしながら言った。

「もし……、よかったらあのジテンシャ? に乗ってみてもいいかね?」

 私は出来る限り丁寧に頭を下げた。すると、彼はキョトンとした顔で言った。

「勿論いいですよ。コルベール先生にはお世話になりっぱなしだし」

 私は歓喜に震えた。サイト君が“ジテンシャ”について教えてくれる。スタンドのロックを脚で外し、スタンドを上げる。そして、ジテンシャの“サドル”という鞍に跨り、“ペダル”というハンドルに脚を掛ける。そして、ペダルを回してタイヤと言う車輪を回して動かす。
 私は何度もサイト君の教えを反芻した。シエスタ君も興味を持ったらしく、私のジテンシャの試乗を目を輝かせながら見守っている。
 少しこそばゆさを感じながら、私はジテンシャに跨った。そして……。

「痛っつぅぅぅ」
「だ、大丈夫ですか、コルベール先生!」
「ミスタ・コルベール!」

 転んでしまった。受身もまともに取れず、私は体を強打してしまった。なんと言う事だ、バランスが殆ど取れなかった。
 心配してくれるサイト君とシエスタ君に大丈夫だ、と言いながら、私は肩を落とした。

「サイト君、これは本当に乗り物なのかい?」
「本当ですって! えっと、手本を見せますよ」

 サイト君はそう言って、ジテンシャに跨った。なんと言う事だ! サイト君は軽快にジテンシャを乗り回した。私の研究室は割りと広いのだが、歩くよりもずっと早くジテンシャは駆けた。

「素晴らしい……」

 私は思わず感涙の涙を流してしまった。これが、平民のみの星で生まれた技術なのか、と。
 魔法無しにこれ程の素晴らしい物体を作りだせるとは、私はサイト君に頭を下げた。

「サイト君、そのジテンシャを私に調べさせてはくれまいか?」

 私はギョッとして凍りつくサイト君に頭を地面に付けて懇願した。他のサイト君の持ち物は私の理解出来る限界を超えている感じを受けた。だが、ジテンシャは違う。理解出来る。そして、ジテンシャを作る事が出来るかもしれない。
 それは、この星に新たなる移動手段を作り出せる事を証明出来るという事だ。

「あ、頭上げて下さい! 全然大丈夫ッスよ! まぁ、壊されるのは勘弁だけど、壊さない範囲でなら、調べてもらっていいですよ」
「本当かい!?」

 私はサイト君に詰め寄った。サイト君は私の剣幕に顔を引き攣らせているが、言葉を覆させる事はしなかった。
 サイト君は、ミス・ヴァリエールの授業が終わる夕方まで時間を潰す必要があるらしい。その間、私の質問に答えてくれると言ってくれた。

「では、早速なのだが……」
「えっと、これはステンレスっていうので……」
「ステンレス……? それは一体……」
「ここのパーツは……」
「なるほど……、つまりこれがこうなって……」
「あ、それはこうなってて……」
「なんと! サドルというのはこうなっているのか……。身長に合わせられる様になっているわけか……」
「ここは中はギアっていうのにチェーンが……」

 シエスタ君はいつの間にか部屋を退出していたが、私はサイト君に質問し続けた。サイト君はそのつど、自分に分かる範囲で教えてくれた。
 構造は単純だが、この形となるまでにどれ程の数の研究者による試行錯誤があったのか……。
 私はサイト君の星の魔法を持たない研究者達に対して敬意を持った。私はジテンシャの詳細な設計図を羊皮紙に書き込んだ。作り上げるには、トライアングルクラスの土のメイジの協力が必要だ。ミス・シュヴルーズに頼んでみようか……。
 結局、私は夕方になるまでサイト君を引き止めてしまった。サイト君はグッタリしていながらも、気を悪くした様子は無かった。やはり、この少年は心根が真っ直ぐだ。ミス・ヴァリエールの使い魔になったのが彼の様な人間で良かった……。
 サイト君がミス・ヴァリエールと合流する為に保健室に戻ると言うので、私は道が分からないだろうから、と案内を申し出た。サイト君を保健室に連れて行った帰り、私はオールド・オスマンにサイト君が目を覚ました事を報告する為に学院長室に向かった。
 五階に上がった所で宝物庫の前に誰かが居た。近づいてみると、ミス・ロングビルだった。
 なにやら険しい表情で宝物庫を見つめている。様子が少しおかしいようだ。声を掛けてみる事にした。

「おや、ミス・ロングビル。ここで何を?」

 私の存在に気付くと、ミス・ロングビルは途端に表情を和らげた。だが、瞳が笑っていない……。

「ミスタ・コルベール。宝物庫の目録を作っているのですが……」
「それは大変ですな。一つ一つ見て回るだけで、丸一日は掛かりますぞ。何せ、ここにあるのはお宝ガラクタひっくるめて、所狭しと並んでいますからな」
「でしょうね……」

 やはり妙だ……。目録を作ると言いながら、彼女は何故、宝物庫に入ろうとしないのだろうか? ここに鍵が掛かっている事は知らない筈が無いだろうに……。

「入らないのですかな?」
「鍵が閉まっていまして……」
「オールド・オスマンに鍵を借りればいいではありませんか」

 得体の知れない寒気がする。私は表面上はのんびりとした調子で言った。

「それが……、ご就寝中なのです。まあ、目録作成は急ぎの仕事ではないし……」
「なるほど、ご就寝中ですか……。残念です、サイト君が目を覚ました事を報告したかったのですが……」
「サイト君……? ああ、あのミス・ヴァリエールの使い魔の少年、目を覚ましたのですか?」
「ええ、先程……」
「あの怪物について、何か言っていましたか?」

 ミス・ロングビルは私に尋ねた。とても自然に話題を逸らした様に感じたのは、私が彼女に得たいの知れないナニカを感じているからだろうか……?

「いいえ、聞きませんでした。起きたばかりで、怖い記憶を思い出させるのは忍びなかったもので……。いずれにしろ、オールド・オスマンを交えて、事情を聞くつもりですよ」
「そうですか……。あの広場を直すのには手を焼いたので、私自身、怪物について気になっていたのですが……」

 私は首を傾げた。今、彼女は広場を直すのに手を焼いたと言った。怪物に破壊された跡は凄まじいモノだったが、翌日には修復されていた。
 私は、ミス・シュヴルーズが修復したのだと思っていた。あれほどの破壊だ、トライアングルクラスでもなければ修復など出来まい。ミス・ロングビルはトライアングルメイジだったのか? 初耳だ。そもそも、彼女の経歴について、私は知らない。突然、オールド・オスマンが秘書にすると言って、彼女をこの学院に招いたのだ。
 経歴不明の土のトライアングル……。私は何か、引っ掛かるものを感じた。無視してはいけない引っ掛かりがある様に感じたのだ。

「私は用がありますので、これで……」

 ミス・ロングビルは足早に去って行った。私は学院長室へと足を向けた。もしかしたら、今は起きているかもしれない。
 階段を上がり、学院長室の扉をノックする。すると、中で動く物音が聞こえた。
 しばらくして、中からオールド・オスマンが入室を許可した。

「失礼致します」

 中に入ると、オールド・オスマンはソファーで紅茶を嗜んでいらっしゃった。私が入室すると、オールド・オスマンは片方の眉を上げて紅茶を置いた。

「サイト・ヒラガが目を覚ましたか……」

 私は目を見開いた。何故、分かったのだろうか……?

「ミスタ・コルベール、ミス・ロングビルは君にとってどうじゃね?」
「……どういう意味でしょうか?」

 私は慎重に言葉を選んだ。オールド・オスマンは起きていた。ミス・ロングビルが嘘を吐いたのか、それとも、オールド・オスマンが彼女に嘘を吐いたのか……。それに、私の用件を知っていた事から一つの推測が思い浮かんだ。

「彼女は美人じゃろう?」
「……はい?」

 私は思わずよろけそうになった。ミス・ロングビルを不信に思い、監視していたのでは、と思ったのだが、オールド・オスマンの言葉は私の考えの斜め上を行った。

「なに、彼女もそろそろ歳じゃろ? それに、君もそろそろ身を固めねばならんじゃろ」

 私は話の流れが読めた。私は今直ぐにでも回り右をしたくなった。余計なお世話だ。私は結婚よりも大事な研究があるのだ。今は、そう、ジテンシャだ。ジテンシャを自分の手で作り上げたいという目標があるのだ。女性にうつつを抜かしている暇などないのだ。

「た、確かに知的で麗しい女性だとは思いますが……」
「ほっほっほ、頭の隅ででも考えておいてくれればよい。あんまり、年寄りを心配させんどくれよ?」
「……オールド・オスマン、貴方は後千年は現役な気がしますよ」

 私は顔が火照るのを感じながら、憎憎しげに言い捨てた。
 オールド・オスマンは気を悪くした様子も無く笑っている。本当に喰えない老人だ。

「どうかのう。さて、サイト・ヒラガの件じゃな。ミスタ・コルベール、サイト・ヒラガとミス・ヴァリエール、それにミスタ・グラモンを呼んで来てくれるかね?」
「……了解しました、オールド・オスマン」

 私は学院長室を出た。どっと疲れた。そろそろ夕食の時間だ。三人共、恐らくは食堂に居るだろう。そう言えば、あの怪物が現れる前、サイト君とミスタ・グランドプレが衝突したのは食堂での座席を巡るトラブルだったそうだが、問題が起きていないといいのだが。
 食堂に到着すると、中は生徒達で溢れていた――――……。



[16996] 第七話『オールド・オスマン』
Name: 雪化粧◆cb6314d6 ID:a3eb6a18
Date: 2015/05/08 17:26
 シエスタに連れて来られて、火の塔にあるコルベールの研究室の扉の前に来た。木製の扉を三回ノックすると、中からコルベールが顔を出す。

「やあ、目が覚めたのだね、サイト君」
「はい、おかげさまで。リハビリがてら、荷物を取りに来ました」
「中に入りなさい。君の荷物に固定化を掛けていた所なんだ」

 コルベールは俺の顔を見ると嬉しそうな顔をした。不思議に思っていると、コルベールは俺とシエスタを研究室に招き入れてくれた。
 随分と機嫌が良いみたいだ。コルベールの研究室に脚を踏み入れると、そこには俺の好奇心を満たす、不思議で怪奇な物が沢山あった。不思議な色の液体が入っていて、湯気を出しているビーカー、変な管が沢山付いている鉄の箱、色んな種類の茸や葉や動物の骨、美しい色の鉱石。
 コルベールの研究室はとても大きかった。高校の教室が四つ入りそうな程だ。俺は辺りをキョロキョロと眺めながら、コルベールの言った言葉に首を傾げた。

「固定化……?」

 俺が聞き返すと、コルベールはかなり広い研究室の一角に俺の手を引いた。シエスタもその後ろをついて来る。
 そこには、シートが敷かれていて、その上に俺の荷物が並べられていた。
 固定化の呪文を掛けると、あらゆる化学反応から護られる様になるらしい。それに、掛けたメイジよりも実力が低いメイジの魔法もある程度弾いてくれるらしい。火のトライアングルだというコルベールが掛ければ、火の中にダイブしようが、水の中に沈もうが、雷に撃たれようが、ラインメイジの錬金だろうが問題にならなくなるそうだ。
 俺は素直に凄いと思った。どんな物だって、時間が経てば腐敗したり、錆びたりする。それが普通なのに、この星の魔法は食べ物をいつまでも腐らせず、鉄を錆びさせない様にする事が出来るらしい。
 俺が感心していると、コルベールが緊張した面持ちで自転車を指差した。

「時にサイト君……、あの物体はもしかして乗り物かね?」

 俺は首を傾げた。自転車は乗り物に決まっている。そう考えてから、この星には自転車が存在しないのだ、と気が付いた。

「自転車の事ッスか? そうですよ」
「もし……、よかったらあのジテンシャ? に乗ってみてもいいかね?」

 俺は思わず凍り付いてしまいそうだった。コルベールは手に汗を握りながら頭を下げているからだ。

「勿論いいですよ。コルベール先生にはお世話になりっぱなしだし」

 俺が了承すると、コルベールは子供の様に瞳を輝かせた。この星にとって、自転車は未知の存在なのだ。未知の存在への好奇心は俺にも理解出来る。
 俺はコルベールにスタンドの外し方、サドルの座り方、ハンドルの握り方、ブレーキの使い方、ペダルの漕ぎ方を教えた。コルベールは俺の言葉を真剣に一言一言聞きながら慎重に自転車の上に跨った。
 大人が子供のようにはしゃぐ姿というのは、人によっては醜悪に映るものだけど、コルベールの知識への欲求は清々しくて、一緒に共有したいと感じるものだった。コルベールとの間に、ほのかな絆の芽生えを感じる。
 …………!? ……頭の中に、不思議な声が囁く――。

『我は汝……、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり……。絆は即ち、真実に至る一歩也。汝、“刑死者”のペルソナを生み出せし時、我ら、更なる力の祝福を与えん……』

 俺はコルベールとの絆に呼応する様に、“心”の力が高まるのを感じた。
 コルベールはペダルに脚を乗せ、颯爽と走り出すと、ほんの一メイルも行かない内に横に倒れてしまった。
 俺とシエスタは慌ててコルベールに駆け寄った。

「痛っつぅぅぅ」
「だ、大丈夫ですか、コルベール先生!」
「ミスタ・コルベール!」

 コルベールは地面にぶつけた腕を擦りながら苦笑いを浮かべていた。
 俺は思い出していた。そうだ、自転車に乗るって、難しいんだ。俺も子供の頃、初めて自転車に乗った時は何度も転んでしまった。父さんに後ろを押さえてもらって、何度も何度も練習した。

「サイト君、これは本当に乗り物なのかい?」
「本当ですって! えっと、手本を見せますよ」

 バランスが全然取れない、そう言うコルベールに俺は手本を見せる事にした。ちゃんと教えてあげたいと思ったのだ。俺が初めて自転車を一人で乗れる様になった時は、とても感動した。
 コルベールにも味わって欲しいと思い、自転車に跨る。
 広いコルベールの研究室の中を軽く走り回った。シエスタが本当に走ってます! と感動している。コルベールはどうかな、俺はコルベールに目を向けて、凍り付いた。

「素晴らしい……」

 コルベールは涙を流していた。感動している、自転車なんて、俺にとっては当たり前の存在なのに、コルベールにとっては涙を流す程に感動を与える物だったらしい。

「サイト君、そのジテンシャを私に調べさせてはくれまいか?」

 コルベールが頭を地面に擦り付ける様に俺に頼み込んだ。俺はギョッとして、慌ててコルベールに立ち上がる様に言った。
 自転車から降りて、スタンドを降ろして立たせたまま、俺はコルベールが立ち上がるのを助けた。
 こんな人が居るんだな、俺は少し感動していた。未知への好奇心を満たす為には子供にも必死に頭を下げる。その姿はどこまでも清々しくて、かっこよかった。
 どうせ、夕方までは時間を潰さないといけないんだ。俺はコルベールの質問に答える事にした。コルベールは自転車の材質から設計まで、事細やかに俺に聞いて来た。
 俺は分かる範囲で出来る限り答えた。コルベールはどうやら、自分の力で自転車を作ろうとしているらしい。もし、コルベールが自転車を作れたなら、一緒にサイクリングをするのも悪く無いかもしれない。
 結局、夕方になるまで俺はコルベールの質問に答え続けていた。よく、こんなに次から次へと質問が湧いて出るものだと、俺はむしろ感心してしまった。
 コルベールという男は、骨の髄まで研究者なんだな。

ゼロのペルソナ使い 第七話『愚かな賢者』

 夕方になり、俺はヘッドホンを首に掛けて、ヘッドホンから伸びるコードの先に繋がっているMP3をパーカーのポケットに仕舞いこんだ。ノートや漫画、ノートPCとバッテリーの充電器は紙袋の中で右手に持っている。携帯電話と財布はポケットの中だ。
 久しぶりに、りせちーの歌やお気に入りのグループの歌を聴きながら、ルイズを保健室で待った。何だか、とても懐かしい思いがした。
 まだ、一週間しか経っていない。殆ど寝ていたから、一週間が経過した実感も無い。だけど、俺は地球が懐かしい気がした。
 未だ、封を切っていない漫画を読もうと紙袋から取り出そうとした所で、ルイズが保健室に入って来た。何だか、少しご機嫌斜めらしい。

「よ、ルイズ」

 俺はMP3の電源を切って、ヘドホンを外して首に掛けた。途端にマリコルヌの鼾が耳を苛んだ。よく一週間もこんなのの隣で眠れたな、俺は我が事ながら呆れた。

「それは何?」

 ルイズは片方の眉を上げながら俺に聞いた。

「MP3だよ。音楽を聴く機械。聞いてみるか?」
「音楽を聴く機械……? 意味が分からないわ」

 この星に音楽を物に記憶させる、なんて事は出来ないんだろう。俺はヘッドホンを首から外すと、立ち上がってルイズにヘッドホンを掛けさせた。
 MP3のスイッチを入れると、ヘッドホンから軽快なリズムが流れ始めた。

「…………え?」

 ルイズは目を丸くした。周囲をキョロキョロと眺め回した。

「だ、誰!? 誰の声なの!?」

 ルイズは耳元から聞こえて来る聞き慣れないメロディーに乗せた聞いた事の無い言語の歌声に目を見開いた。周りを見渡しても誰も居ないのに、キョロキョロと忙しなく視線を巡らせる。

「う、歌だけじゃない……。インテリジェンスでも無いって事……? 何なの、一体……」

 俺がヘッドホンをルイズから外すと、ルイズはさっきまでの機嫌の悪さはどこかへいってしまったらしい。心底不思議そうにヘッドホンを見ている。

「言ったろ? 音楽を持ち歩ける、俺の星の機械だよ」
「音楽を持ち歩けるですって……?」

 ルイズは呆気に取られた様な表情を浮かべたまま、ヘッドホンをジッと見つめた。

「他のも聞いてみるか? 結構、色んな曲が入ってるぜ?」
「嘘、何曲も聴けるの!?」

 ルイズは更に驚いて眼を丸くした。コルベールにしろ、ルイズにしろ、こういう反応は凄く楽しい。まるで、自分が博識にでもなったかの様な気分だ。
 俺はルイズにヘッドホンを被せると、幾つかの曲を聞かせた。ルイズは『Pursuing My True Self』を特に気に入ったらしく、食堂に着くまでずっとループさせて聞いていた。
 どうも、りせちーの声は何故かお気に召さなかったらしい。そう言えば、ルイズの声はりせちーの声にどことなく似てる気がするな……。
 食堂に到着すると、中は既に大勢の生徒達で賑わっていた。混雑した食堂に俺は入るべきか悩んだ。

「~~♪ ~~~~♪ ~~♪ あら? 何で来ないのよ?」

 歌を口ずさみながら食堂に入ろうとしたルイズが食堂に入ろうとしない俺に首を傾げた。

「ん、この前みたいな事があったら嫌だからさ。別の所で食べられないか?」

 俺が言うと、ルイズも難しい顔をした。マリコルヌとの衝突みたいな事がまたあったら嫌だ。
 俺とルイズが食堂の前で唸っていると、廊下の向こうで声が聞こえた。

「私、スフレを作るのが得意なんですよ?」
「それは是非に食べてみたいな」

 廊下を曲がった所で、ギーシュが焦げ茶色のロングヘアーの茶色いマントを纏った少女と密会していた。
 ルイズは不思議そうに首を傾げている。

「ギーシュはモンモランシーと付き合ってた気がするんだけど……」
「え? 二股掛けてるって事か? さすがはギーシュ、ちょっと憧れちゃうな……」
「……ギ、ギーシュは男には興味無いと思うけど……」
「ち、違うよ! 変な勘違いするな!」

 頬を赤らめて言うルイズに俺は慌てて誤解だと叫んだ。どうしてそっちなんだ! 二股掛けられる程モテる事に対して、俺は憧れるな、と言ったんだ。ギーシュ“に”憧れるなんてつもりで言ったわけじゃない。
 頼むから、変なところで理解を示そうとするな……。

「え? 本当ですか!」
「勿論だよ、ケティ。君の瞳に僕は嘘を吐かないよ」

 どうして、お菓子を食べるってだけなのにあんな言葉が出て来るんだろう……。

「ギーシュ様……」

 ケティという少女は顔を赤らめてギーシュを見つめている。その姿は正しく恋する乙女だ。

「君への思いに、裏表などありはしないよ」

 二股を掛けている男の台詞とは思えないな、俺は感心してしまった。隣を見ると、ルイズは呆れた表情を浮かべている。
 そして、その更に隣には恐ろしい鬼が立っていた。

「……どちらさま?」

 俺が首を傾げると、ルイズが顔を引き攣らせた。

「モ、モンモランシー……」
「把握した……」

 どうやら、俺とルイズが廊下で騒いでいたのが気になって見に来たのだろう。よりにもよって、見に来たのがギーシュに二股掛けられているモンモランシーだったのはギーシュの不幸だろう。
 俺はどうしようか迷った。目の前には青筋を立てた女の子。少し離れた場所では自分の不幸を知らずに絶賛二股中の命の恩人……。

「ギーシュゥゥゥゥゥゥゥ!」

 モンモランシーの怨嗟の叫びに、漸くギーシュがモンモランシーに気が付いた。分かり易いほどに顔を青褪めさせていく。
 ギーシュが救いを求めて俺とルイズを見る。ルイズは付き合ってられないわ、と食堂の方に歩き始めている。俺はギーシュを見た。助けてくれ、彼は視線で訴えていた。

「あ、その……、ギ、ギーシュは下級生の子の道案内をして……たり……その……ごめんなさい」

 俺はギーシュに首を振った。これは無理だ、諦めてくれ……と。モンモランシーは俺の話なんか聞いてない、どんどん眼が据わっていくだけだ。

「ちょ、使い魔君! もうちょっと、粘ってくれてもいいのではないか!?」
「すまない! 命の恩人だから頑張ったけど、無理だ!」

 俺は踵を返して走り出した。俺は戦場に一人、仲間を残して逃げ去る敗残兵だ。背後から聞こえる悲痛な叫びに耳を塞ぐ。俺には何も出来ない。

「ち、違う、これは誤解なんだ、モンモランシィィィィィィィィ!」

 俺はただの一度も振り返らずに、一直線にルイズの後姿を追った。ああ、ご主人様。使い魔はとっても怖かったよ……。
 ルイズは白い眼で俺を見て来たけど、俺は体の震えを抑えられなかった……。
 食堂の前で俺とルイズはシエスタに遭遇した。

「そうだ、シエスタ」
「はい? なんでしょう、サイトさん」

 シエスタに挨拶を交わして、俺は食堂以外に夕飯を食べられる場所が無いかを尋ねた。やはり、また貴族と一悶着起すのは面倒だからだ。
 メイジの怖さは、前回のマリコルヌとの事で少しは理解している。何せ、ギーシュが居なかったら、俺は潰れたトマトになってたのだから……、俺は何となく、ギーシュを置いてきてしまった事に罪悪感を感じた。さっきから廊下の向こうから悲鳴が絶えず木霊しているのだ。

「でしたら、使用人用の食堂がありますので、そちらにご案内いたしましょうか?」
「ああ、助かるよ。じゃあ、ルイズ……」
「ん、いってらっしゃい」

 俺に軽く手を振りながら、ルイズは再び音楽を聴き始めた。また、同じ曲を聴いてる。
 俺はルイゾの頭からヘッドホンを取り上げた。

「な、何するのよ!」

 ルイズが憤慨しながら言う。

「あのな、食事中にヘッドホン着けてたら食べ難いだろ。それに、電池だって無限じゃ無いんだ。充電するのに手間も掛かるし。たまには貸すけど、ずっとは駄目だ」
「言ってる意味がさっぱりよ! まったく、ケチね」
「ケチって言うなよ! ちょっと可愛いって思っちゃったけど、充電は本当に手間が掛かるんだぞ!」

 膨れっ面で食堂に入って行くルイズに俺は溜息を吐いた。シエスタはクスクスと楽しげに笑みを浮かべている。
 シエスタに案内されて、俺は重い紙袋を持ったまま、使用人用の食堂に通された。
 木製の大型のテーブルとテーブルを取り囲む様に沢山の椅子が並べられている。
 シエスタがスープや消化に良さそうな食べ物を持って来てくれた。俺の体はコルベールの研究室に行った時には自転車に乗れるくらいに回復していたんだけど、シエスタが気を使ってくれたみたいだ。

「おいしいけど、ちょっと寂しいかな……」

 使用人達は忙しく動いていて、食堂には俺以外は誰も居なくて、シエスタが持ってきてくれた料理はどれもおいしかったけど、少し寂しかった。
 食べ終えると、俺はアルヴィーズの食堂に向かった。食堂の中を覗くと人の数がかなり減っていた。

「あら? ルイズの使い魔じゃない」

 後ろから声が聞こえて振り向くと、そこには赤毛の女が立っていた。誰だろう……。

「貴方、私の事、覚えてないわけ?」

 冷たい眼差しを向けられて、俺は記憶を掘り返した。どこかで会った覚えはある。だけど、なかなか思い出せない。

「キュルケよ。二つ名は“微熱”。微熱のキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー」
「すみません、長過ぎて覚えられません……」

 ここの貴族は名前が長過ぎる……。ギーシュはギーシュ・ド・グラモンだけで短くて覚え易いけど、ルイズの本名は未だ完全に覚えていない。
 キュルケは呆れた様に溜息を吐いた。

「ま、キュルケでいいわよ。それより……」
「ん?」
「貴方、この前のヴェストリの広場での事件の当事者なんでしょ?」
「そうだけど?」

 俺が頷くと、キュルケがニヤリと笑った。

「ねぇ、あの広場で起きた事、教えてくださらない?」
「なんで?」
「だって、気になるじゃない。遠目に巨大な怪物が見えたっていう子が居るのよ。それを、ゼロのルイズとギーシュ、それにただの平民である貴方が倒したっていうじゃない」

 好奇心に満ちた瞳でキュルケは聞いて来た。教えてもいいのか、俺には分からなかったけど、教えちゃいけないとも言われて無い。
 ……俺は正直に話す事にした。

「マリコルヌが突如、巨大な怪物に変身したんだ。それに向かってルイズが魔法を使い、見事に怪物を転ばしたんだ。その隙を突いて、怪物の放つ凶弾をギーシュが防ぎ、俺が殴り飛ばした」
「……そう、マジメに答える気は無いってわけ、平民が」

 キュルケの眼が途端に冷めた。イラついた表情を隠そうともせず、俺を睨みつけた。

「これでも、譲歩したつもりなんだけどね。けど、間違いだったわね。平民が貴族の問いにふざけた答えを返すなんて……」

 キュルケは指揮棒の様な杖を取り出して、俺に突き付けた。

「本当の事を言いなさい」
「お、俺は嘘なんか言ってない」

 キュルケの顔が歪んだ。俺は嘘を一つもついていない。だけど、キュルケは全く信じていない。
 俺はゴクリと唾を飲み込んだ。怖い。目の前の自分と対して背の高さの変わらない女の事がとても怖かった。

「さっきのお返しに、助けずに見過そうかとも思ったけど……」

 すると、そこに救世主が現れた。顔中に痣を作り、少しよろけ気味のギーシュだった。

「使い魔君の言っている事は本当だよ、キュルケ」

 ギーシュが言った。その視線は真っ直ぐにキュルケの眼を捉えている。

「嘘を吐くにも、もう少し頭を捻った方がよくなくて?」

 キュルケは苛々した表情を浮かべながら言った。

「どうして、嘘だと思うんだい?」
「嘘だからよ。マリコルヌが怪物になっただとか、ゼロのルイズが魔法を使っただとか、平民が怪物を殴り飛ばしただとか、一つも真実が無いじゃない」
「まあ、信じるも信じないも君の自由だ。だが、メイジの使い魔に対し、一方的に暴力を振るうのはどうかと思うよ? 君は帝政ゲルマニアの貴族だろう? そして、彼はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの使い魔だ。あまり、賢いとは思えないね」
「……フン」

 キュルケは鼻を鳴らして、どこかへ行ってしまった。俺は漸くキュルケから解放されて崩れ落ちる様に地面に尻餅をついた。

「まったく、あんな話を馬鹿正直に話すなんて、君はやっぱり馬鹿だね」

 ギーシュがヤレヤレと肩を竦めながら呆れた様に言った。
 俺はムッとして立ち上がりながら唇を尖らせた。

「もう少し、早く助けてくれても良かったんじゃないか?」
「さっき、僕を見捨てた人非人はどこの誰だったかな? むしろ、助けてもらってありがとうが言えない君はやはり馬鹿だね、使い魔君」

 俺は言い返せなかった。馬鹿馬鹿言われても、助けてもらったのは事実だ。それも、二回目だ。

「その……、ありがとう」
「どういたしまして」

 ギーシュは気障っぽく笑みを浮かべた。

「でも、さっきのお前のは自業自得だろ……。二股掛けたら可哀想じゃないか」
「僕は薔薇なんだよ。女の子を惹き付けて止まない魔性の薔薇なのさ」
「棘が鋭すぎるんだよ、好きだったお前の事、そんなにボロボロにしちまう程好きだったんじゃないのか? 凄い傷ついたんだよ、きっと……」

 気障な事を言うギーシュの言葉に俺は少しムッとした。恋愛経験の乏しい俺はあんまり上手く言葉に出来なかった。だが、ギーシュはトンカチで頭をガツンと叩かれたかの様に目を見開き、青褪めた表情を浮かべた。

「僕は彼女達を傷つけてしまったのか……」
「モテ過ぎて分からなかったのか? 謝っとけよな」
「あ、ああ……。そうだな、謝らないといけないな」

 ギーシュは深く反省したらしい。きっと、今迄女の子にモテ過ぎて、女の子の気持ちが分からなくなってしまっていたのかもしれない。俺には一生掛かっても理解出来そうに無い心理状況だ……。

「それで、君はもう大丈夫なのかい?」

 切れ長のサファイアの瞳を細めて気さくな笑みを浮かべ、ギーシュは言った。
 キュルケの事じゃないな、恐らくは怪物の件だろう。俺は頷いた。

「ああ、おかげさまでな。あの後、お前は大丈夫だったのか?」
「僕もルイズも君のおかげで無傷だったよ。改めて、お礼を言っておこうと思う。ありがとう」

 ギーシュは俺に頭を下げた。俺はあの時、ギーシュとルイズが居たから撃退出来たんだ、俺の方こそありがとう、そう言って、俺も頭を下げた。
 俺はついでに気になっていた事を言った。

「なあ、使い魔君っての、止めてくれないか? 俺は平賀才人。こっち風だと、サイト・ヒラガだ」
「サイト・ヒラガ……、いいだろう。サイト、僕はギーシュ。二つ名は青銅。青銅のギーシュ・ド・グラモンだ」
「よろしくな、ギーシュ」

 俺は右手を差し出した。ギーシュはキョトンとした表情を見せると、クッと相貌を崩して笑みを浮かべた。俺の右手を取って、言った。

「ああ、よろしく頼むよ。……僕が思うに、君はそうとうな変わり者だね」
「お前に言われたくないっつうの。お前だって、そうとう変わってるぜ? 卑しい平民にフレンドリーに接してさ」
「ああ、それは違うよ。僕が君の態度を許すのは君だからさ。君以外に許すつもりは無いよ」
「ん? どうしてだ?」
「僕は思ったのさ。あの時、怪物からルイズを護ろうとする君が……、“かっこいい”ってね。それに、さっきの君の言葉のおかげで少し眼が覚めたよ。モンモランシーやケティに殴られて、僕はムカムカしていただけだった。ちゃんと、彼女達の気持ちを考えるべきだったのにね」

 苦笑いを浮かべながら言うギーシュに俺は、そっか、とだけ言った。俺程度の言葉をちゃんと受け止めて、自分を見つめなおせるギーシュは、やっぱりかっこいいな、と思った。
 俺は握ったギーシュの右手に温もりと鼓動を感じながら、ギーシュとの間に、ほのかな絆の芽生えを感じる。
 …………!? ……頭の中に、不思議な声が囁く――。

『我は汝……、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり……。絆は即ち、真実に至る一歩也。汝、“魔術師”のペルソナを生み出せし時、我ら、更なる力の祝福を与えん……』

 俺はギーシュとの絆に呼応する様に、”心”の力が高まるのを感じた。

「さて、僕はモンモランシーとケティに謝って来ようかな」
「んじゃ、俺はご主人様のお迎えに行きますか」

 俺とギーシュをお互いにニヤリと笑って、食堂の中へと入って行った。
 ルイズは直ぐに見つかった。特徴的なルイズの髪の色は入口に入って直ぐに分かった。
 ルイズは一人で食事を摂っていた。他はグループを作って、和気藹々と食べているのに……。

「うっす、ルイズ」

 ルイズの隣の椅子に腰掛けながらルイズが食べ終わるのを待つ。どうやらデザートをご賞味中らしい。パイの様なデザートで、一口食べる度に幸せそうに頬を綻ばせるルイズに、俺は思わず頬が緩んだ。
 相変わらず可愛いご主人様だ。
 俺は視線を泳がせて、ギーシュを探した。ギーシュの姿は直ぐに見つかった。金髪の巻き毛の少女に頭を下げている。確か、モンモランシーとかいう子だ。

「なにニヤけてるのよ」

 ルイズが知らず頬を緩ましていた俺を怪訝な顔で見てくる。

「ん、さっき、ギーシュと色々あってさ。お、許してもらえたみたいだな」
「モンモランシー? ああ、さっきの修羅場の事ね」

 ルイズも食べ終わったみたいだし、そろそろルイズの部屋に行こうとした時だった。食堂にコルベールが入って来た。コルベールは一直線に俺達の所へやって来た。

「コルベール先生?」
「やあ、ミス・ヴァリエール、サイト君。オールド・オスマンが君達を呼ぶ様に言ってね。食堂の外で待っていてくれないか? ミスタ・グラモンも連れて行くから」

 俺はルイズと一緒に先に食堂を出る事にした。食堂の外の廊下から中を覗いていると、ギーシュはケティに頭を下げていた。少し離れた場所でコルベールが待っている。
 しばらくして、ギーシュがコルベールと一緒に出て来た。その顔は爽やかな笑みを称えていた。

「許してもらえたんだな」
「ああ、君のアドバイスのおかげだよ」

 俺が言うと、ギーシュは嬉しそうに笑った。許したどころか、惚れ直されているんだろうな、と俺は思った。
 俺も女の子と仲良くなりたいな。そんな事を考えながら、俺はルイズとギーシュと一緒に食堂から少し離れた場所にある螺旋階段を上がった。
 学院長室は最上階にあった。重厚な作りの両開きの扉をコルベールがノックすると、中から渋い老人の声が聞こえた。

「失礼します」

 コルベールの言葉にルイズとギーシュも続き、俺も慌てて言いながら入室した。
 学院長室はかなり広かった。見事な調度品の数々は素人目に見ても高級な物だと分かった。

「あれ……?」

 見間違いかな……?

「どうしたんだい?」
「オールド・オスマンの前よ、変な声だして、恥をかかさないで」
「いや、窓の外に変なのが……いたような……」

 ギーシュとルイズが首を傾げながら窓の外を見る。そこには何も居ない。さっきまで、何かが窓の外から覗き込んでいた様な気がしたんだけど、気のせいだったらしい。

「ほっほっほ、盗み聞きの好きな風竜でもおったのかのう」

 愉快そうに笑うオールド・オスマンの声に、窓の外からキュイキュイという鳴き声が聞こえた。窓の外を見ると、慌しく白銀の鱗の竜が逃げ出した。

「あれは、ミス・タバサのシルフィードだったかな……」

 白銀の竜が逃げる姿を見ながら、コルベールが顔を顰めて言った。

「盗み聞きなんて、貴族として恥ずべき行為だわ!」

 ルイズが憤慨しているが、コルベールが宥めた。

「あの怪物の件は秘密にしているからね。気になってしまうのは無理ないのさ」
「だからって、風竜で覗き見なんて、私に喧嘩売ってるとしか思えませんわ!」
「それって、俺を使い魔にした自分に対してドラゴンを見せびらかすのは許せないぃぃぃぃ! ……と?」

 俺が顔を引き攣らせながら尋ねると、ルイズはキョトンとした顔をした。

「よく分かったわね?」
「分かりたくなかったけど、分かり易かったからな……」

 俺は肩を落とした。あんなドラゴンと比べられても困る。それにしても、ファンタジーな星だとは思っていたが、ドラゴンまで居るとは思わなかった。
 俺は少し感動していた。ドラゴンを実際に見れるなんて、夢にも思わなかったからだ。

「仲良き事は良い事じゃな。さ、本題に入るとするかのう?」

 俺は保健室でルイズに語った事を話した。ペルソナの事、イゴールの事。分からない事だらけだって事も話した。
 俺の話を聞く内にギーシュは胡散臭げな表情を浮かべたが、コルベールとオールド・オスマンは険しい表情を浮かべながらも、あからさまに疑う様な表情を浮かべなかった。

「ペルソナ……、ローラン……、イゴールと名乗る夢の中に出る謎の老人か……」

 オールド・オスマンは一つ一つ、俺の言った事を吟味する様に呟いた。疑う事無く、俺の話を真摯に受け止めて、オールド・オスマンは考えているらしい。
 なるほど、プライドの高いルイズが“偉大な”なんて付ける人間なだけはある。この人は偉大だ。メイジとして、貴族として、ソレ以前に、人間として、ああ、これは敵わないなって思わされた。

「分からん事だらけじゃな。サイト君、無闇に使うでないぞ、そのペルソナ能力とやら」
「え?」

 俺は間抜けな声を出してしまった。そもそも出し方が分かりません。そんな間抜けな答えを返してしまうくらい、オールド・オスマンの言った言葉は理解不能だった。
 あんな凄い力、どうして使うな、などと言うんだろうか……。

「その顔は分かっておらんな……」

 オールド・オスマンは呆れた様に言った。俺はカチンときて、オールド・オスマンを睨んだ。馬鹿にされた様な気がしたからだ。
 オールド・オスマンはたっぷりとした顎鬚を撫でながら俺を鋭い眼光で貫いた。

「使いたいから使う。それでは力に呑まれてしまうぞ? それに、君のペルソナは君自身ですら理解出来ていない。そんなもの、無闇に使って、何を奪われるかわからん」
「奪われるって……」

 意味が分からない。確かに、一週間も眠ってしまったけど、俺の体には異常は見当たらない。
 ナニカを奪われると言われても、実感が湧かなかった。

「等価交換というのは魔法にも当て嵌まる。魔法には精神力を使う。何も使わずに振るえる力なんぞ、信用せん方が良い。静かに、密やかに、最も大切なモノを奪うかもしれん」
「……でも、ルイズを護るのにあの力は便利だと思うんですけど」

 俺は思わず反論した。俺はマリコルヌを相手に手も足も出なかった。ギーシュが居なければ、今頃は死んでいたかもしれない。
 メイジの力はもう理解している。メイジに対抗するには、あの力以外に無い。

「便利かもしれんが、楽な方に逃げているとも言えるのう。剣でも学んでみんか?」
「逃げてなんか……。それに、剣なんて、握った事も無いですよ」

 俺はオールド・オスマンの言い方にムッとしながら言った。どうしても、あの力を使わせたくないらしい。でも、だからと言って、剣なんて使った事が無い。

「だから練習するんじゃよ。理解も出来ず、出し方もよく分からん力よりも練習した分、結果が残る剣術の方がいいと思うんじゃがのう?」
「でも、俺は剣なんて持ってません」

 俺がそう言うと、オールド・オスマンは対面する様に座っていたソファーから立ち上がると、暖炉の横に立て掛けていた一本の剣を俺に放った。
 銀色のシンプルな装飾の鍔の同じくシンプルな装飾の鞘に納められた西洋剣だ。

「あれば、学ぶのう?」
「い、いいんスか?」

 放られた剣は、凄く重い。俺は思わず鞘から抜いて確かめた。本物だ。鏡の様に磨き込まれた両刃の真剣だ。
 俺は思わずオールド・オスマンを見た。俺は剣の相場なんて知らないけど、日本で真剣を買おうと思ったら、何万円もする。本当にいいんだろうか、俺はルイズを見た。ルイズも目を丸くしている。
 俺はオールド・オスマンに貰った剣に視線を落とした。ゴクリと唾を飲み込み、剣の柄を握り締めた。俺は吸い寄せられる様な感覚を覚えた。まるで、運命の相手と出会った様な気がした。
 立ち上がると、体が嘘みたいに軽い。長い階段を登り、たくさん喋った後だと言うのに、疲れが一気に吹き飛んでしまった。
 気分が高揚し、俺は名前も知らない剣を鞘から一気に引き抜いた。羽の様に軽い。隣に座っていたルイズは鞘に戻せと怒鳴る、ギーシュは何をする気だと絶叫する。コルベールは落ち着きたまえと宥める、オールド・オスマンは失敗したとばかりに溜息を吐いた。

「凄いぜ! なんか、誰にも負ける気がしない!」

 俺は軽く振ってみた。まるで重みを感じない。視界も広がって、耳も研ぎ澄まされている。雑音のシャットアウトまで自由自在だ。
 この状態なら、例えメイジが相手でも負ける気がしない。

「それなら、ペルソナに頼らんと誓えるのう?」
「へっへっへ、そんなの知るか! 今の俺は誰にも止められないぜ!」
「それを儂の前で言っても儚いだけじゃよ? 誰であろうとな」

 俺が最高に気分が盛り上がっていると、突然、俺の持っていた剣がオールド・オスマンの手の中に飛んで行ってしまった。

「あれ?」
「あれ? っじゃないわよ! 何、いきなりわけわかんなくなってるのよ!」

 ルイズに殴られて、俺は一気に冷静になった。体は一気に重くなり、気分は下降していく。

「ごめんなさい……」

 謝った。冷静になると、凄い馬鹿な事したって気付いた。一気に熱が冷めてしまった。恥しい。死ぬほどに恥しくなった。惨めになった。何してんだよ、俺は……。

「かなり、しっくり来たようじゃな?」
「穴があったら入りたいくらいには……」

 顔が真っ赤に染め上がり、俺は顔を上げられなかった。

「ほっほっほ、そこまでかのう? 直感に従ってみるのも悪くないぞい? 剣を握れば誰にも負けない、そう直感したなら、極めてみるがとよい」
「止めてくださいぃぃぃぃぃぃ! 恥し過ぎて死んじゃいますぅぅぅぅぅぅ」

 この老人はサドなのだろうか、触れられたくない所をアッサリと触れてくる。

「恥しがる事なんぞないぞ。直感とは重要な物じゃ」
「でも……」
「この剣は君に上げよう。代わりに、覚えておくんじゃ。技術と体を鍛えると同時に、心も鍛えるんじゃ。さすれば、さっきの様にはならんじゃろう」
「…………はい」

 頷いたけど、分かってるのか自分でも分からない。オールド・オスマンから剣を受け取るとき、ルイズとギーシュとコルベールがギクリとしたけど、今度は落ち着いていた。
 鞘から剣を引き抜いても、もう気分がおかしくなる事は無かった。剣を鞘に戻す。シャキンッという音が耳に心地良い。

「貰います、この剣」
「それを渡すのは君を信じるからじゃ。儂の信頼を裏切るでないぞ?」
「分かってますよ。裏切ったら、殺されそうだ」

 冗談じゃなく、そう思った。さっき、俺は冗談じゃなく思ったんだ。剣を持った瞬間、誰にも負けないって。だけど、負けた。アッサリと、俺の手からオールド・オスマンは剣を奪った。
 他のメイジが同じ事を出来るかわからないけど、オールド・オスマンには勝てない事は理解した。オールド・オスマンとの間に、ほのかな絆の芽生えを感じる。
 …………!? ……頭の中に、不思議な声が囁く――。

『我は汝……、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり……。絆は即ち、真実に至る一歩也。汝、“隠者”のペルソナを生み出せし時、我ら、更なる力の祝福を与えん……』

 俺はオールド・オスマンとの絆に呼応する様に、”心”の力が高まるのを感じた。

「銘は無いが、業物じゃ。大事に使うんじゃぞ」
「ありがとうございます」

 話はそれで終わりだった。俺は腰にオールド・オスマンから貰った剣を提げた。ルイズがジロリと横目に見て来る。後で何か言われそうだな……。
 学院長室を出て、ギーシュと別れて、ルイズの部屋に向かった。腰に重みを感じる。この重みは、きっと大切な重みだ。漫画でそんな話を聞いた事がある気がする。
 女子寮に入る時、相変わらず、視線が痛かった。ルイズの部屋に入るのはこれで二回目だ――――……。



[16996] 第八話『土くれ』
Name: 雪化粧◆cb6314d6 ID:a3eb6a18
Date: 2015/05/08 17:26
 部屋に戻ると違和感を覚えた。前に入った時には無かった物がある。大きなソファーだ。その上には大き目の枕に使えそうなクッションが乗っている。

「それがあんたの寝床よ。さすがに、ベッドを二つも置くスペースは無いからね、我慢なさい」

 ソファーはかなり大きくて、眠るのに全く問題無い大きさだった。触ってみると、硬すぎず、柔らか過ぎない滑らかな肌触りの高級そうなソファーだった。

「ルイズが買ってくれたのか?」
「本当は藁で寝かせようと思ってたんだけど、その……、あの怪物から護ってくれたじゃない? だから……」

 ルイズは頬を赤く染めながら顔を逸らして言った。素直じゃないな、俺はそう思いながらも嬉しく思った。こんなに大きなソファーだ。安いとは思えない。それを俺の為に買ってくれたのだ。

「ありがとう、ルイズ。正直、どこで寝るのか不安だったんだ」
「そ、そう……。まあ、ちゃんとお仕事をしたんだから、ご褒美よ」

 ルイズの部屋は一番奥に天蓋付きのベッドがあり、中央に大きな円形のテーブルがあって、その上にはランプが乗っている。
 入口から見て、右の壁には大きな洋服箪笥や鏡台なんかが置かれている。左の壁にも暖炉があって、その奥に俺の寝床となるソファーは置かれていた。
 荷物の入った紙袋をソファーの裏の狭いスペースに置いて、俺は剣をソファーの横に立て掛けた。

「それにしても、オールド・オスマンにあんな態度を取るなんて!」

 ルイズは途端に腰に手を据えて眦を吊り上げて叱ってきた。
 俺は小さくなって俯いた。一応、反省はしているんだ。

「悪かったよ。本当に反省してるんだ。剣を持った途端に何だか気分が高揚しちゃってさ……」
「剣を持った途端に? そう言えば、あんた、結構軽々と剣を振ってたわよね?」

 ルイズは俺がソファーの隣に立て掛けていたオールド・オスマンから貰った剣を持った。
 少し持ち上げただけでルイズは直ぐに剣を置き直した。

「重ッ――! あんた、こんなに重い物をあんなに軽々振り回してたの!?」

 ルイズは剣を降ろして、肩で息をしながら言った。
 俺はルイズの反応に目を丸くした。

「重いのか? 俺には羽みたいに軽く感じたんだけど……」
「あんたって、意外と力持ちなのね」

 俺はそんなに重かったのか、ともう一度剣を持ち上げてみた。やっぱり、羽の様に軽く感じる。

「明日から、ちょっと練習してみるかな」
「そろそろ夜も遅いし、寝る支度をしないといけないわね」

 そう言うと、ルイズは俺の前で両手を広げた。何をしてるんだろう、人類は十進法を採用しましたってか? 人気のゲームのキャラクターの名前を思い浮かべながら首を傾げた。
 ルイズは困惑している俺に向かって盛大に溜息を吐いた。

「さっさと脱がせなさいよ」

 俺は凍り付いた。
 ルイズは何を言ってるんだろう、俺はギーシュがモテるのが羨ましいばかりに幻聴を聞いてしまったのだろうか……。

「早くしなさい」
「な、何をしろと……?」

 俺はあまりの事に思わず聞き返した。

「だから、早く脱がせなさいよ」

 聞き間違いでは無かったらしい。どういう事だろう、色んな順番を飛び越してしまっている気がしてならない。
 昨今のエロゲーだって、ここまで唐突な展開は無いだろう。あるかもしれないけど……。
 俺はルイズが錯乱しているのではないかと思った。仮に本気で誘ってるとしても、手を出すには……勇気が足りない。

「お、落ち着けよ。いきなり脱がせって言われても……」
「はぁ? 訳わかんない事言ってないで、さっさと脱がせなさいよ。いつまで経っても寝れないじゃない!」

 訳が分からないのは俺の方だ。

「あんたねぇ、使い魔なんだからさっさと仕事しなさいよ!」
「仕事……?」

 何だか、微妙に話の内容がおかしい事に気が付いた。

「平民のあんたは知らないでしょうけど、貴族は下僕がいる時は自分で服を着替えたりしないのよ」

 そう言う事か、俺は勘違いしていたらしい、口に出さなくて良かった。
 それにしても、と俺はルイズを見た。ファーストキスをして、使い魔になってからの仕事と言えば、|美少女《ルイズ》の使用済みの下着や衣服を洗ったり、床をちょっと掃除したりしたくらいだ。
 それだけで素晴らしいご馳走を食べさせてもらえる。その上、今度は|美少女《ルイズ》の着せ替えという仕事。
 もう仕事というよりご褒美な気がする。実質、俺にとっての仕事っていうのは掃除をちょっとしただけだ。後は全部ご褒美としか思えない。

「そ、それじゃあ、脱がさせていただきます」

 俺はゴクリと唾を飲み込みながら、まずはルイズのマントの留め金を外してマントを脱がせた。丁寧に畳んで、俺のソファーに載せる。
 いよいよだ。俺は手に汗を握りながら恐々とルイズの胸元に手を伸ばした。
 真っ白で肌触りの良い滑らかな布のブラウスの一番上のボタンを外す。一つ目、完了。
 これは仕事だ、仕事なのだ、と俺は何度も言い聞かせながら、間違ってもルイズの胸を触らない様に一生懸命だった。
 ここでこの仕事を手放したくない。心からそう思った。何せ、失敗さえしなければ、生まれて初めて女の子を脱がせる事が出来るのだから。
 変態だと罵りたければ罵るがいい。童貞歴生まれてから現在進行形の俺は性欲旺盛な高校生男児なのだ。こんなチャンスを逃すわけにはいかない。
 二つ目、三つ目を開くと、現れたのは真っ白なルイズのキャミソールだ。ルイズの白くきめ細かい肌が目の前に広がっている。
 頭が沸騰した様にクラクラする。ブラウスを脱がし終えた俺は一休みする為にブラウスをノロノロと畳んだ。さあ、ここからだ。
 俺は再びゴクリと唾を飲み込んだ。ど、どうやって脱がせばいいんだろう……。
 俺はゆっくりとルイズのスカートのボタンを探り当てて外した。
 俺の心臓は飛び出しそうなほどに跳ね回っている。脚に力が入らない。いよいよ、未体験ゾーンへと突入するのだ。俺は覚悟を決めた。

「い、いくぞ……」
「え、ええ……」

 心なしか、ルイズも緊張している様な気がする。きっと気のせいだろう。やらせているのはルイズなのだから。
 余計な事は決して言わない。こんなチャンス、もう一生巡ってこないかもしれないのだから。
 グレーのプリーツスカートをゆっくりと下ろしていく。ソコニハ、コノヨノリソウキョウガヒロガッテイタ……。
 俺の意識があったのはここまでだった。ここから先に進むには、女の子の神秘へと突入する為の勇気と、欲情のあまり襲い掛からない様にする為の自制心という名の根気と、全てを包み込むかの如き寛容さと、服を脱がすのに手間取らない為の知識と、途中でルイズに嫌がられない様に誘導出来る伝達力が必要だ。
 今の俺にはこの先に進む事は出来なかった……。

「ちょ、どうしたの、サイト!? も、もしかして、疲れが溜まってたのかしら……。うう、きょ、今日だけは大目に見てあげる事にするわ」

 勇気と根気と寛容さと知識と伝達力が少しずつ上がった気がした――――……。

ゼロのペルソナ使い 第八話『土くれ』

 本塔は六階建てで、頑強な壁が聳えている。宝物庫の扉を開けるのは不可能だ。とすれば、後は物理衝撃以外に方法は無い。
 30メイルのゴーレムを作り出したとしても、この壁を破壊出来るかどうかは微妙な所だ。ナニカ、この壁を破壊する為の手段が必要だ。明日は虚無の曜日。王都トリスタニアに出向いてナニカ方法が無いか模索してみよう。
 私は本塔の壁から目を離し、仕事に戻った――。

 翌日、私はトリステイン王国が王都トリスタニアに脚を運んだ。道幅5メイルの街一番の大通りであるブルドンネ街をブラついていた。
 武器でも使ってみようか、私はそんな馬鹿な考えを思いついて、思いついたまま、ピエモンの秘薬屋の前を通り過ぎて、武器屋を覗いてみた。
 予想以上の品揃えに吃驚。長剣、短剣、特殊刀、槍、槌、斧、弓、銃、盾、その他色々……。
 槌で壁を叩いてみようか……、阿呆らしい、そんな事で壊せるんだったらゴーレムの力で事足りる。
 私は武器屋を後にした。大通りに戻ると、遠目にミス・ヴァリエールとその使い魔の姿が見えた。私は慌ててローブを目深に被って裏道に身を隠した。行動を起す前に不信に思われる様な事はしたくない。
 虚無の休日だから、街に出ていても問題があるわけではないが、念には念をだ。
 午前中、ずっと歩きとおしたが、上手い案は思いつかなかった。昼飯でも食べるか、と裏通りであるチクトンネ街の酒場に入った。“魅惑の妖精”亭という店だ。
 中に入ると、年端もいかない平民の少女達が働いていた。少女の一人に席に案内され、私は適当に注文した。
 食べてみると、マルトーの料理には劣るものの、目を見張るほど美味しい料理だった。私は食べながら改めて壁を破壊する案を考え続けた。

「なかなか思い浮かばないねぇ……」
「ナニカ、お悩み事かい? 土くれのフーケ」

 私は思わず椅子を引っくり返しそうになった。声の主に眼を向けると、平々凡々な顔立ちの男が居た。

「あんたは誰だい?」
「私の事は気にするな。それよりも、何かお悩みだったのではないのかね?」
「見ず知らずのあんたに話す事じゃないさ」

 私は席を立って、男を睨み付けながら言った。
 男は小刀を握っていた。男は小刀を軽く振りながら小声で呪文らしきものを唱えた。
 私が咄嗟に警戒し、杖を取り出そうとすると、男はニヤリと笑みを浮かべた。

「ああ、ただのサイレントだよ。気にするな。それより、君はトリステイン魔法学院の宝物庫に用があるんだろう?」
「それがどうしたっていうんだい……」

 正体どころか、目的までバレている事に内心の動揺を見せ無い様にしながら、私は尋ねた。
 何故知っているのか、そんな事は聞かない。どうせ、聞いたとしても答えないだろう。

「協力しようと思ってね」
「協力……?」

 私は怪訝な眼差しで男を見た。私は席に座りながら尋ねた。

「君は、宝物庫に用があるのだろう? その為に宝物庫の壁を壊したい。その為の手段が欲しい、なら、一つ、方法を伝授出来るよ」
「目的はなんだい……?」

 私は目の前の男の不気味な雰囲気に呑まれない様にしながら尋ねた。協力するというが、目的が分からない。

「その昔、強力な兵器として使われていた品だよ。それを盗み出して欲しい」

 強力な兵器……? 私はキナ臭いものを感じて、目を細めた。

「大きな……恐らくは棺桶の様な形の箱の筈だ」
「棺桶だって? そんなの、宝物庫にあるわけないじゃないか」

 宝物庫は宝物を入れる場所だ。棺桶という、人の死体を入れる箱がある筈が無い。腐って、凄まじい臭いを発してしまうではないか。

「まあ、無ければいい。だが、在ったら、その時は一緒に盗み出して欲しい」
「棺桶をかい……?」

 私は目の前の男に生理的な嫌悪感を覚えた。棺桶が欲しいなんて、どういう趣味なんだ?

「ああ、大分大きな物だが、君ならば盗み出せるだろう? その代わり、君を手助けするし、成功したら報酬も出そう」

 私は胡散臭げに男を見た。

「棺桶を盗み出すかは別にして、方法ってのは何なんだい?」
「火薬を使うのさ」

 男はそう言うと、テーブルに皮の袋を置いた。かなりの量だ。

「この火薬を君の土系統の魔法で壁に貼り付けて、火系統の魔法で爆発させるのだよ。そうすれば、如何に高名なトリステイン魔法学院の本塔の壁とて、無傷ではいられない。そうなれば、後は君のゴーレムの力でどうとでもなる……だろう?」
「なるほどね……。だが、別にあんたの力を借りる必要性は無いね。その程度の事、私だって考えたさ」
「だが、大量の火薬を手に入れるのは手間が掛かるだろう? 何、棺桶を盗み出すのは、可能であればでいいんだ。この火薬は君に譲ろう」
「……どういう意味だい?」

 私は男の真意が掴めなかった。これだけの火薬は値段も相当なものだ。それに、男の言うとおり、これだけの火薬を調達するのは骨が折れる。それを成功しなくてもいいと言いながら渡すのは何故だ?

「簡単な事だよ。君が壁を破壊してくれれば、君が棺桶を盗み出さなくても、私が後から盗み出す事も可能だ。崩壊した部分を修復するには時間が掛かるだろうからね」

 私は男の考えを読もうと考えを巡らせた。どう考えても、目の前の男は怪しい。
 安易に手を借りる気にはなれない。だが、テーブルの上に置いてある火薬は魅力的だ。これを使えば、絶対に成功する。
 私は乗る事にした。少し、自棄になっているのかもしれない。私はテーブルの上に置かれた皮袋を掴み取った。
 男がニヤリと笑みを浮かべる。それが神経に障った。

「ああ、それからこれを渡しておこう」

 そう言って、男は小瓶を取り出した。

「なんだい?」
「睡眠薬さ。これで、厄介なオスマンを眠らせるんだ。オスマンさえ居なければ、君に敵は居ないだろう。……今の所はね」
「……? はっ、冗談じゃない。火薬は貰うが、睡眠薬ならピエモンの秘薬屋で手に入る。そこまで手を借りる気は無いよ」
「しかしね……」

 男はしつこく食い下がった。私は苛立ちが最高潮に達しそうになり、踵を返した。
 すると、男が私の手を掴んだ。

「仕方ない。幸運を祈っているよ」

 その瞬間、私は猛烈な頭痛に襲われた。だが、それも一瞬の事だった。今のは何だったのだろうか、困惑していると、男の姿はいつの間にか消えていた。
 私は残った皮袋だけを持ち、立ち尽くしていた。
 支払いを済ませて、私はブルドンネ街に戻り、ピエモンの秘薬屋に立ち寄って、睡眠薬を購入した。薬を胸元に仕舞うと、私は街に出た。

「アッ――」

 私は突然の衝撃にバランスを崩してしまった。何とか壁に手をついて転倒は免れたが、私はぶつかって来た馬鹿を睨みつけると、心臓が飛び跳ねた。
 ぶつかって来たのは小柄で鼠の様な出で立ちの男だった。私が驚いたのはその先に居る二人が眼に入ったからだ。そこに居たのは、ミス・ヴァリエールとその使い魔の少年だったのだ。
 どうやら、スリにあったらしく、私とぶつかったのがそのスリだったらしい。私は慌てて薬と火薬が無事かを確かめた。
 二人に火薬を見られたら大事だ。大丈夫だった。私は男を魔法で拘束して、男の盗んだミス・ヴァリエールの財布を使い魔の少年に渡した。
 ミス・ヴァリエールは使い魔の少年の失態に対してプリプリと怒っていたが、安堵の表情を浮かべた少年と一緒に頭を下げてきた。
 私は二人と別れた後、男を衛兵に引き渡すと、トリステイン魔法学院への帰路に着いた――。

 太陽が沈み始めた頃、私は学院長室に居た。
 紅茶を淹れながら、チラリとオールド・オスマンに眼を向けると、彼は山積みの書類に眼を通している。もう直ぐだ、もう直ぐ、私はこの学園を出て行く。
 既に火薬は仕掛けてある。火の系統呪文で起爆させれば、亀裂程度は入るだろう。後は、私のゴーレムで何としても壁を破壊し、中から破壊の杖を頂き、永遠におさらばするだけだ。あの男の言っていた棺桶については盗む気は無い。棺桶なんて担いで逃げられる程、この学院のメイジを甘く見たりはしない。
 紅茶の中に睡眠薬を注ぎ込む。一口飲んだら丸一日グッスリだ。オールド・オスマンに労いの言葉を掛けながら、紅茶を机の上に置く。

「おお、すまんのう」

 オールド・オスマンは上機嫌で私から紅茶を受け取った。胸がチクリと痛んだ。私は自分にまだ心を痛ませる罪悪感なんてものがあった事に軽い驚きを覚えた。
 オールド・オスマンが紅茶をグイッと飲むのを確認すると、オールド・オスマンに背中を向けた。背後で鈍い音が響いた。チラリと見ると、オールド・オスマンが書類の上に頭を乗せてグッスリと眠っていた。

「後遺症は残らない筈……、ごめんなさい」

 私は学院長室の窓に近づきながら、呪文を唱え始める。ああ、もうこれで後戻りは出来ない。窓の下の地面が一気に盛り上がる。
 私はローブを目深に被り、立ち上がった巨大なゴーレムの肩へとフライで飛び乗った。
 これでいいのだ。私は何度も自分に言い聞かせた。ここでの生活は悪くなかった。だけど、あの娘の為にも、私自身の為にも、そして、オールド・オスマンの為にも私はここに居ちゃいけないのだ。

『そう、私には居場所なんて存在しない……』

 ――――!? 私は突然聞こえた声に慌てて周囲を見渡した。誰も居ない。馬鹿な、今の声は直ぐ傍で聞こえた。幻聴だろうか……。
 不意に、凄まじい感情が溢れ出した。
 寂しい、居場所が欲しい、誰かに頼りたい。
 国王によって家名を奪われ、忠誠を誓っていた大公家の遺児であるあの娘を頼れる人間など存在する筈も無く、一人で護り続けた。盗みを働く為に名前も捨てた。
 何もかもを失い、名前すら自分で捨ててしまった“土くれ”、それが私だった。

『あの娘の事を護らないといけない。そう思わなければ、心が壊れてしまう』

 また、声がした。誰の声だろうか、聞き覚えのある声だった。
 怖気が走る。その声をこれ以上聞きたくない。そう強く思った。

『あの娘とあの娘の母親のせいで、私の家は家名を取り上げられた』

 嫌だ、聞きたくない。聞かせるな。

『あの娘を護る為に名前を捨てなければならなかった。あの娘の為に何もかもを失った』

 止めろ。そうじゃない、違う、あの娘の事を私は愛している。愛しているから、何をしたって平気なのだ。
 あの娘が幸せに生きられる為ならなんだってする。そう誓ったのだ。

『全てを奪ったあの娘は私の唯一の拠り所だ。だから生かしているだけだ』

「違う、違う、違う、違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!」

「ミス・ロングビル!?」

 下の方から誰かの声が聞こえた気がした。だけど、誰の声か分からないし、どうでもいい。
 ただ、この声を止めて欲しい。こんなのは違う。私じゃない。私はこんな事を思ったりしていない。

『寂しい。居場所が欲しい。あんな、私から全てを奪った少女じゃない拠り所が欲しい。自由が欲しい。名前を返して欲しい。家族を返しえ欲しい』

「止めろ、止めろ、止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ……止めて」

 否定しても、声は止まらず、私は内から飛び出すナニカを抑え切れなかった。

『我は影、真なる我……』

 その声が耳に届いた時、私の意識は暗い闇の水底へと墜ちて行った――――……。



[16996] 第九話『ヴァリヤーグ』
Name: 雪化粧◆cb6314d6 ID:59d590d7
Date: 2015/05/08 17:26
 溢れ出る冷や汗を止められない。目の前に聳える高層マンション程の大きさもある巨大な人形に脚がガクガクと震えている。
 動け、動け、動け、動け、動け、動け。
 呪詛の如く呟き続けるが、俺の体は金縛りにあったかの様に凍り付き、一歩も動く事が出来なかった。
 選択肢など存在しない。今直ぐ、脚が壊れ様とも、心臓が破裂しようとも、全速力で逃げなければ死ぬ! 平凡な日常に生きて来た俺でも分かる。目の前のコレと戦うなんて選択はありえない。

「……あっ、くっ」

 恐怖のあまり、呼吸すらもままならない。早く逃げないといけないのに、俺の体は動いてくれない。
 どうして、俺はこんな目に合ってるんだろう――――……。

ゼロのペルソナ使い 第九話『ヴァリヤーグ』

 トリステイン魔法学院の庭の隅で俺は朝焼けの靄の中、オールド・オスマンに貰った剣を振っていた。
 軽い、何度振っても腕に負担が掛からない。三回、四回、五回と連続で虚空を薙ぐ。剣なんて握った事が無いのに、これはどういう事だろうか、俺は不思議に思った。

「何か、斬ってみたいな」
「朝っぱらから恐ろしい事を言うね、君……」

 誰も居ないと思っていたから、俺は驚いた。顔を向けると、そこにはギーシュが居た。
 ギーシュは顔を引き攣らせている。

「おはよ、ギーシュ」

 俺は剣を鞘に納めてギーシュに挨拶した。ギーシュも片手を上げて挨拶を返した。

「おはよう、サイト。それにしても、朝から物騒な事を言わないでくれないかい?」

 物騒って、別に人を斬りたいとか思ってるわけじゃない。俺は顔を引き攣らせながら首を振った。

「ちょっと試し斬りしたいってだけだよ。だって、ただ振ってるだけじゃ、虚しいっていうかさ」
「試し斬りか……。僕はてっきり、昨日の晩みたいにいきなり暴走して誰か、人を斬りたくなったのかと思ったよ」

 ギーシュが俺の事を白い目で見て来る。

「は、反省はしたさ。昨日のは……その、無かった事にしてくれ」

 俺が言うと、ギーシュは呆れた様にアメリカのテレビショッピングばりに肩を竦めた。一々リアクションが大袈裟な男だ。

「それより、こんな朝早くに何の用だよ?」

 俺が尋ねると、ギーシュが言った。

「今日は虚無の曜日だからね。麗しのモンモランシーと街に出ようと思っているんだよ」
「虚無の曜日って?」
「君、そんな事も知らないのかい?」

 ギーシュは呆れた様に言った。そんな事言われても、この星の文化については知らない事だらけなんだから仕方ないだろ。
 俺は肩を竦めて見せると、ギーシュがやれやれと言った様子で教えてくれた。
 虚無の曜日というのは休日で、地球で言う所の日曜日らしい。虚無の曜日の次はユルの曜日、エオーの曜日、マンの曜日、ラーグの曜日、イングの曜日、オセルの曜日、ダエグの曜日と続くらしい。
 どうやら、地球では一週間は七日だが、この星では一週間が八日あるらしい。

「ついでに教えておくと、ハルケギニアの週歴は第一週がフレイヤの週、第二週がヘイムダルの週、第三週がエオローの週、第四週がティワズの週だよ。月歴も教えるかい?」
「ああ、頼むよ」

 どうやら、一ヶ月は四週間で固定されているらしい。一ヶ月が三十二日あるって事だ。
 ギーシュが本当に君は何も知らないんだね、どこの国から来たんだい? と呆れた様に教えてくれた月歴は地球と同じで十二ヶ月までだった。ただ、呼び名はやっぱり違った。
 ヤラの月、ハガルの月、ティールの月、フェオの月、ウルの月、ニューイの月、アンスールの月、ニイドの月、ラドの月、ケンの月、ギューフの月、ウィンの月っていう具合だ。
 今日はフェオの月のティワズの週の虚無の曜日という事らしい。……ギーシュの説明を聞いて、知識がガッツリと上がった。

「ちなみに、明日……つまり、ウルの月のフレイヤの週のユルの曜日には『フリッグの舞踏会』があるんだ」
「フリッグの舞踏会?」

 俺が聞き返すと、ギーシュはもったいぶった態度で頷いた。

「そうさ。愛しいモンモランシーと踊るのだよ。その為にモンモランシーに相応しいドレスを見繕ってあげようと思い、迎えに来たのさ」

 それにしたって早すぎるんじゃないだろうか、俺はまだ上りきっていない朝日を見ながら思った。
 俺はソファーから転がり落ちてしまって目を覚ましたのだが、普通はまだ寝ている時間だろう。俺がそれを言うと、ギーシュは凍りついた。

「少し興奮し過ぎていたらしい……」
「にしても、仲直り出来たんだな。良かったじゃん」

 俺が言うと、ギーシュはおかげさまでね、と言って笑った。

「なあ、時間があるならワルキューレ出してくれないか?」
「ワルキューレを? ああ、試し斬りの話か。だが、僕のワルキューレは青銅で出来ているんだよ?」
「分かってる。でも、ギーシュは自由に動かせるんだろ? 練習相手には丁度いいじゃん」
「なるほど、そういう事か。いいだろう、付き合ってあげるよ」

 ギーシュがバラの造花を模した杖を振るうと地面は盛り上がり、青銅のワルキューレが現れた。俺は剣を鞘から引き抜いて構えた。
 ギーシュの作り出したワルキューレは俺と同じくらいの身長で、緑の柄の剣を握っている。

「この方が、いい訓練になるだろう?」
「ああ、サンキュー!」

 俺とワルキューレの距離は一メートルも無い。まずは距離を離そう。
 俺は後退しようと地面を蹴った。

「お、おい! どこまで行く気なんだい!?」

 ギーシュの声に俺は目を見開いた。ほんの少し走っただけの筈なのに、俺はギーシュとワルキューレから遠く離れた場所に立っていたのだ。
 何かおかしい。漸く、俺は自分の体の異常に気が付いた。重い筈の剣が羽の様に軽い事も含めて、俺の身体能力が上がっているみたいだ。
 俺は試しに鞘を地面に放り投げて、ワルキューレに向かって一直線に駆け出した。

「は、はやい……」

 ギーシュの呆然とした呟きが耳に入った。体は驚く程軽く、地面を蹴る力は恐ろしく強い。俺の踏み込んだ地面が抉れているのが目に入った。
 どうなっているんだ、俺は自分の事なのに理解出来なかった。地球に居た頃、体育の授業やたまに友達と遊びに行く時以外、運動なんて殆どしてこなかった。
 こんな風の様に走り回れるなんて考えた事も無かった。あっと言う間にワルキューレとの距離を詰めた俺は、剣を斜め下から斜め上へと振上げた。

「わ、ワルキューレが……」

 まるでバターを切るかの如く、青銅で出来ている筈のワルキューレを俺は一刀両断にしていた。
 俺は自分のした事に驚いて凍り付いたように動けなかった。斜めに切り裂かれたワルキューレの切断面を見ると、滑らかな切り口だった。

「僕のワルキューレをこうもアッサリ……」

 ギーシュも何が起きたのか理解出来ていない様子だ。あの怪物の風の攻撃すらも耐えた青銅のワルキューレ。それがこうもアッサリと切り裂かれるなどと想像もしなかったのだろう。

「どうなってるんだよ、これ」

 俺は剣を握り締めたまま、呆然と呟いた。

「サイト、君は剣士だったのかい?」

 ギーシュが我に返り、俺に聞いてきた。俺はフルフルと首を振った。

「違う。剣なんて、握った事も無いよ。剣道だってやった事が無いんだ」
「は、初めてでアレだけの腕前だというのかい!?」
「俺だって分からないよ。おかしいんだ。今まで、あんなに早く動けた事なんてないのに」

 俺とギーシュは互いに無言になった。初めて握った剣で青銅を両断するなんて真似、普通は出来ない。

「ギーシュ、もう一回頼めるか?」
「あ、ああ、構わないよ」

 ギーシュが再びワルキューレを作り出した。さっきと違うのは、今度は七体だった事だ。

「ギーシュ?」
「今度は僕も本気を出すよ。これで、さっきのがまぐれなのか分かるだろう?」
「……おう!」

 俺は剣を強く握り締めながら頷いた。全身に力が漲っている。感覚が驚く程に研ぎ澄まされている。
 ギーシュがワルキューレを散開させた。直ぐ右の死角からワルキューレの動く音が聞こえた。

「そこだ!」

 ワルキューレの振り下ろした剣ごと、俺はワルキューレを真っ二つに叩き斬った。視界の中に、同時に襲い掛かろうとする三体のワルキューレを確認する。
 喧嘩もした事が無かったのに、恐怖や迷いが一切生じない。頭の中はどこまでも静かだった。

「おせえええええ!」

 俺は飛び掛って来た三体のワルキューレの背後に一瞬で回り込んだ。

「馬鹿な!?」

 ギーシュの驚愕の叫びを尻目に俺は三体同時に切り裂いた。これで、残るワルキューレの数は三体。
 三体のワルキューレは俺の周りを取り囲んで凄い速さで動き回った。次々に突き出される剣を捌きながら、俺は何となく思いついた事を実践してみた。
 出来ると思った。普通なら絶対に出来ないだろう行動だ。
 俺は跳び上がった。ワルキューレの頭上を飛び越し、ワルキューレの包囲網から離脱したのだ。

「フライも使わずにあんな……。クッ、往け、僕の乙女よ!」

 ワルキューレの三位一体の連携攻撃を仕掛けて来た。一体は真っ向から剣を振るい、残る二体が横から俺を狙う。
 逃げる必要なんか無い。俺はもう、ワルキューレを剣ごと切り裂いた実績があるんだ。俺は真っ向勝負を仕掛けるワルキューレに向かって足を踏み出した。

「でりゃああああああああ!」

 下から上に剣を一閃して、ワルキューレを一刀両断にする。そのまま二つに分かれたワルキューレを弾き飛ばして更に前に出る。
 背後で二体のワルキューレが俺に剣を振上げている音が聞こえた。俺は振り向き様に剣を大きく振るった。二体のワルキューレの上半身と下半身を分断し、俺は一気に後退した。
 地面に剣を突き刺して、周囲のワルキューレの残骸を見た時、俺は自分が息一つ乱していない事に気が付いた。

「俺、すげぇかも……」

 思わず呟くと、ギーシュが眼を剥いて俺に詰め寄って来た。

「一体何だい、今の動きは! 本当に剣を握った事が無かったというのかい!?」
「ほんとだって!俺だって驚いてるんだ。剣から手を離したらまた体は重くなったし、あの動きは剣を握ってる時しか出来ないみたいだ」
「ペルソナといい、君は本当に変だね」

 ギーシュが心底呆れた様に言った。剣を離した途端に襲って来た気怠い感覚に気持ち悪さを感じながら、俺はギーシュを睨んだ。

「変っていうな!」
「それ以外に、どう表現しろと? にしても、本気を出したつもりだったんだがね……」
「ギーシュ?」

 ギーシュは暗い顔でバラの造花を振るった。すると、ワルキューレが土に還って行った。

「全力を出したのに、平民に負けてしまった……」

 ギーシュは拳を握り締めながら呻く様に呟いた。心の底から悔しいみたいだ。
 声を掛けるべきか迷っていると、ギーシュは頭を振って俺に顔を向けて来た。

「そろそろモンモランシーも起きる頃だと思う。僕は行くよ。君もルイズの部屋に戻りたまえ」
「え、ギーシュ?」

 俺が声を掛ける前に、ギーシュはサッサと行ってしまった。何だか嫌な気分になった。やっぱり、根本的なところではギーシュもルイズやマリコルヌと同じ貴族なんだな、と実感した。
 俺に最初から気さくに話してくれたけど、やっぱり平民に負けたのが許せないらしい。
 前にシエスタに教えてもらった使用人の仕事を思い出して、俺は鞘を拾って剣を納めると、ルイズの部屋に戻る前に顔を洗う為の水を汲みに水場に向かった――。

 水場に到着すると、そこにはメイドの姿がちらほらと見掛けられた。その中に見知った顔を見つけて、俺は声を掛けた。

「シエスタ、おはよう」

 シエスタは洗濯をしていたらしい。俺の声に驚いたらしく、目を丸くしていたが、声を掛けたのが俺だと分かると安心した表情で笑いかけてくれた。

「おはようございます、サイトさん」
「今日は虚無の曜日なのに、使用人はやっぱり仕事なんだな」
「ええ、虚無の曜日は貴族の方々のお休みの日ですから。私達のお休みは交代制なんです」

 シエスタと他愛の無い話を楽しんだ後、俺はシエスタに木製の桶を貰って水を汲んでルイズの部屋に戻った。
 部屋に戻ると、ルイズはまだ眠っていた。起そうと思ってベッドに向かうとルイズはすやすやと寝息を立てていた。

「か、可愛い……」

 俺は思わず見惚れてしまった。長い睫や整った顔立ち、薄い桃色の唇。何だか、起してはいけない気がした。
 どうせ、今日は虚無の曜日なのだし、寝かせてあげた方がいいかもしれない。そう考えていると、ルイズが突然身じろぎをした。しばらくして、薄っすらと瞼を開いた。

「むにゅ……」
「お、おはよ、ルイズ」

 俺が声を掛けると、ルイズは上半身を起して瞼を擦った。

「ん、おはよ」

 とりあえず、起きてしまったのならさっさと目を覚ましてもらおう。

「顔洗うぞ」
「ん? ああ、うん」

 ルイズは眼を閉じたまま顔を俺の方に向けた。ちくしょう、何て可愛いんだ。白くてきめ細かい肌が愛おしい。
 俺は必死に自制心を働かせながら水を張った桶に手拭を浸した。手拭いもシエスタに貰った物だ。手拭いを絞って水気を飛ばし、俺はルイズに向き合った。思わず鼻血が出そうになった……。
 ルイズはネグリジェを着ていた。窓から差し込む陽光に照らされ、華奢な体がくっきりと柔らかいネグリジェの生地越しに確認出来た。
 わずかに自己主張している胸がネグリジェを通して薄っすらと透けて見えた。下着を穿いてないのかよ! 俺は思わず声を上げそうになった。
 恐る恐る、視線を下に向ける。ゴクリと唾を飲み込み、俺は見た。見てしまった……。
 ルイズは寝ている間、下着を身に着けない主義らしい。薄い布越しとはいえ、生まれて初めて見た女の子の神秘に俺はルイズが目を閉じている事に真剣に感謝した。

「何やってるの? 今日は用事があるんだから、さっさとしなさい」

 ルイズの叱責が飛んだ。ありがたい……。俺は吹き飛びそうになった理性を何とか手繰り寄せた。
 視線を無理矢理“ソコ”から引き剥がし、俺はルイズの顔にそっと濡れたタオルを押し当てた。軽く全体的に拭い終えると、ルイズはさっぱりした顔でとんでも無い事を言い出した。

「い、今なんと?」
「だから、着替えさせて」

 聞き違いでは無かったらしい。ただでさえ、理性を保つのが難しい状態だというのに、ご主人様は一体何を言い出しているんだろうか……。

「で、でもさ。ル、ルイズ……下着は?」
「洋服箪笥の下の段に入っているわ」

 俺の頭はオーバーヒートしそうだった。ルイズはネグリジェの下には何も着ていない。スッポンポンだ。そして、下着の場所を教えたという事は、あれだろうか……俺に下着を着せろというのだろうか……。
 彼女居ない歴イコール歳の数の俺はエッチな本やエッチなビデオを見た事は当然ある。だけど、それには当然“モザイク”という女の子の神秘の秘奥を守る結界が張られているわけで、生なんて見た事は当然無いのだ。

「了解しました、御主人様」

 俺は気が付くと平伏していた。下手すると一生拝む事は無いかとまで思っていた神秘を目の当たりにする。そう思うと、俺は洋服箪笥を開ける事に抵抗感を覚えなかった。
 女の子の洋服箪笥を開ける。それだって、俺には大事で大事件だ。だけど、これから女の子の神秘を眼にすると考えると、そんなのは試練ですらなかった。
 洋服箪笥の中から可愛らしく肌触りの最高なランジェリーを手に取った。この時点で俺はもう理性が決壊寸前だった。静まれ、静まるんだ、俺……。
 ゆっくり振り返ると、桃色に近いブロンドの柔らかい髪のルイズの鳶色の瞳が眼に入った。その眼は早くしなさいよ、と急かしている。
 俺は制服の上下とマントを出して、ゆっくりとルイズに近寄った。

「で、では……」

 手が震えた。足腰に力が上手く入らない。情け無い自分を叱咤しながら、俺はルイズに万歳をする様に言った。どうやら、この星にも万歳はあったらしい。ちゃんと通じて、俺はソロソロとルイズのネグリジェを持ち上げた。
 ネグリジェを脱がせると、俺は脳が沸騰する様な感覚に襲われた。生まれたての姿でルイズは俺の目の前に立っていた。押し倒してしまいたい。心の底からそう思った。
 唾をゴクリと飲み込み、俺はゆっくりと手を持ち上げかけて……、ガタンという音に我に返った。振り返ると、そこにはオールド・オスマンから貰った剣が倒れていた。
 壁に立て掛けていたのだが、自然に倒れてしまったらしい。だが、俺は剣に救われた。何とか理性を取り戻す事が出来たのだ。ありがとう、剣……そうだ、後で名前を付けよう。

「えっと、下着、着せるぞ?」
「え、ええ」

 俺は顔を真っ赤にしながらルイズの下着を手に取り、ルイズに片足を上げる様に言った。ソロソロと持ち上げると、下着が隠すべき場所が間近に眼に入った。ルイズ、まだ生えてないんだな……。
 俺は爆発しそうな感情を必死に抑えながら下着を上まで一気に引き上げた。キャミソールを着せ、スカートを穿かせた頃には、漸く感情をゆっくりと引いていった。
 危なかった、剣が倒れて音を立ててくれなかったらと思うとゾッとする。この世で最低最悪の馬鹿をやらかす所だった。俺は着替えが終わり、杖を手に取って外に出ようとするルイズの後を追いながら、倒れた剣を腰に差した。ありがとう、剣。お前は最高の相棒だよ。

「で、今日は何するんだ? 授業は無いんだろ?」

 俺が尋ねると、ルイズが目を丸くした。

「今日が休みだって、よく知ってたわね」
「さっき、ギーシュに聞いたんだ。剣の練習しててさ、その時に付き合ってもらって」
「そ、そう……。あ、朝からご苦労ね」

 ルイズが微妙に嬉しそうに言った。俺がちゃんと仕事しようとしているのが嬉しいらしい。まあ、朝からとんでもないご褒美をもらってしまったからには、数少ない仕事は頑張るよ、マジで。
 ああ、後で掃除もしよう。ご褒美に対して仕事が少な過ぎる気がする……。

「とりあえず、朝御飯ね。その後、街に出るわ」
「ん? ルイズもドレスを買いに行くのか?」

 俺が尋ねると、ルイズは首を傾げた。

「ドレス?」
「だって、明日はナントカの舞踏会なんだろ? ギーシュが言ってたんだ。ギーシュもモンモランシーのドレスを見繕いに街に行くって言ってたしな」
「ふーん、ご主人様の着るドレスを選びたいってわけ?」

 別にそんな事は言ってないけど、街に行くって言うから、ギーシュがモンモランシーとドレスを買いに行くって言ってた事を話したんだが、どう答えようか……。
 勿論、可愛いルイズに似合う最高のドレスを選ばせて欲しい……と言うには勇気が足りない上に実践する為に知識が足りない。

「ドレスを選ぶセンスは無いよ。けど、似合うかどうかくらいの意見でいいなら言えるぜ?」
「まぁ、いいわ。ドレスかぁ……、新しいのを買おうかしら。新学期なんだし、お金は結構余ってるし」
「ん? 最初からドレスを買うつもりだったんじゃなかったのか?」

 俺が尋ねると、ルイズは呆れた様に言った。

「あんたの服よ。昨日、あんたをソファーに寝かせる時……臭ったわよ?」

 俺は二重のショックを受けた。一つはソファーで寝ていた謎が解け、それはルイズが寝かせてくれたという事だった事に歓喜した。もう一つは、女の子に臭ったと言われて絶望した……。

「だ、だって、風呂にも入ってないし、着替えも無いし……」
「だから、買いに行くって言ってるじゃない! それに、貴族のお風呂は無理だけど、使用人用のお風呂なら入れる様に手続きしてあるわよ」
「マジで!?」

 嬉しかった。この星に着てから一週間ちょっと、寝ている間はシエスタが体を拭いてくれたらしいし、洗濯もしてくれたが、お風呂に入ってなかったから気分的に気持ちが悪かったんだ。
 服だって、同じのを何日も着続ける趣味なんて無い。

「マジでありがとう、ルイズ! 俺、本当に頑張るよ、使い魔の仕事!」
「……当然よ」

 ルイズは少しだけ頬を緩ませながら先を歩いた。俺も後に続く。使い魔っていうのも、悪く無い気がして来た。
 アルヴィーズの食堂に到着すると、中には人がまばらにしか居なかった。

「休日だもん、未だ寝ているのが多いのよ」

 ルイズと一緒に食堂の席に座ると、シエスタが食事を運んで来てくれた。
 仕事が忙しいらしく、あまり話は出来なかったけど、俺とルイズの食事は大盛りにしてくれたらしい。朝、ギーシュと特訓したからお腹がペコペコだったんだ。
 朝食のメニューは少し油の多い物が多かったけど、とても美味しかった。特にカレーみたいなスープが絶品で、パンを浸して食べると最高に美味しかった。

「ちょっと、下品よ!」

 ルイズに怒られてしまった……。
 食事を終えると、早速出かけるわ、とルイズが言った。

「街までどのくらいなんだ?」
「歩いたら二日掛かるけど、馬なら二時間で辿り着くわ」
「ふ、二日!? そんなに遠いのか……」

 俺は馬になんて乗った事が無い。とは言っても、二日も歩くなんて嫌だ。

「コルベール先生に自転車借りに行くかな」

 遠出するならやっぱり足が必要だ。馬には乗れないけど、俺には自転車がある。

「自転車?」
「乗り物だよ。コルベール先生が調べたいって言うから預けてたんだ。ちょっと待ててくれ、すぐに取って来る」
「あ、サイト!」

 俺はルイズに先に門で待ってる様に言って、コルベールの研究室のある火の塔に向かった。
 トリステイン魔法学院には五つの塔があって、火、水、風、土、虚無の名前が付いている。
 コルベールの研究室に着くと、中から金属を叩く音が聞こえた。ノックをすると、しばらくしてコルベールが出て来た。

「おや、サイト君。おはよう、どうしたんだい? こんな朝早くに」
「おはようございます。これからルイズと街に行くんです。それで、自転車を使いたいんで取りに来ました」

 コルベールの研究室に入ると、前には無かった物が沢山あった。その殆どが自転車のパーツだと分かった。

「色々と工夫をしているんだが、中々上手く出来なくてね。試行錯誤の最中だよ。材質についての解析は少しずつだが進んでいる。この金属を作り上げるだけでも素晴らしい成果になる筈なんだ」

 コルベールは目を輝かせながら言った。何だか、新しい玩具に眼を輝かせる子供みたいだ。
 俺は自転車をコルベールに窓からレビテーションで外に出してもらうと、お礼を言って外に出た。邪魔をしちゃ悪いと思ったんだ。
 自転車に乗って、トリステイン魔法学院の正門に向かった。途中で擦れ違ったメイジや使用人があれは何だ、と目を丸くするのが心地良かった。
 ちなみに、剣は背中に背負っている。前に籠はあるんだけど、さすがに剣を入れるには小さい。
 正門に着くと、ルイズが白毛の馬と並んで立っていた。

「よ、お待たせ」

 俺が片手を上げて言うと、ルイズはポカンとした表情を浮かべていた。

「ん?」
「それが……ジテンシャとかいうやつ?」
「ああ、そうだぜ。さすがに馬の方が速いだろうけど、俺は馬に乗れないからさ。何とかついて行くよ」
「実際走ってたけど……、妙な形をしているわね。馬みたいだわ」

 ルイズは颯爽と馬に飛び乗った。歩いて二日の距離っていうのはかなり長距離を走る事を覚悟しないといけないだろうな。
 俺はルイズの後に続いて門を潜った。考えてみると、これが初めての外出なんだ。この星の学院以外の外がどうなっているのか俺は高鳴る気持ちを抑え切れなかった。
 道はある程度整っていたけど、やっぱりでこぼこが多かった。でも、俺の自転車はこのくらいの道、どうって事無い。上り坂も無くて、割とすんなりと進む事が出来た。それでも、ルイズの乗る馬はとんでもなく速くて、全然追いつけない。
 たまにルイズが立ち止まってくれなければ、直ぐに見失ってしまいそうだ。

「あともう少しよ」

 街までどのくらいか聞くと、ルイズはそう返して来た。帰りもあるんだと思うとウンザリしてしまいそうだ。
 漸く辿り着いた時にはお昼になってしまっていた。

「ま、まさかこんなに遠いとは思わなかった……」
「あのジテンシャ、確かに速いけど、遠出する時は馬に乗りなさいね」

 自転車は街の入口の衛兵の詰め所に預けて来た。ルイズの実家の名前をルイズが出すと、直ぐに預かってくれた。
 ヴァリエール家っていうのは、相当な力を持つ貴族らしい。
 トリステイン王国の城下町、トリスタニアが俺達の居る場所の名前らしい。

「ブルドンネ街。トリステインで一番大きな通りよ。この先にトリステインの宮殿があるわ」

 道幅は五、六メートル程度で、白い石造りの街は、まるでテーマパークの様だ。トリステイン魔法学院に比べると質素ななりの人間が多い事に気が付いた。
 道端で声を張り上げて、果物や肉や、籠なんかを売る商人達の姿が外国に来たみたいな気分にしてくれる。まさに観光だ。
 のんびり歩いたり、急いでいる奴がいたり、老若男女取り混ぜに歩いている。道幅がかなりせまい上に人が多いせいで歩き難くて仕方ない。
 道端には露天が溢れていて、珍しい物を沢山売っていた。

「凄いな、面白いのが沢山ある」
「もう、子供みたいにキョロキョロしないの! スリだって多いんだから、気を付けてよね?」

 俺はルイズに財布を預かっていた。財布は下僕が持つものと決まっているらしい。随分と度胸がいいな、と俺はこの星の貴族に対して思った。下僕が財布持って逃げたらどうするんだろう……。

「ルイズもルイズのお金もちゃんと護るさ。でも、こんなに重いのスラれたりしないと思うぞ?」

 ルイズから預かった財布はかなり重い。中には沢山のコインが入っているんだ。ちなみにコインの価値も教えて貰った。
 銅貨がドニエ、銀貨がスゥ、金貨がエキューで、新金貨ってのもあるんだ。ちなみに、1スゥは10ドニエ、1エキューは100スゥで1000ドニエ、新金貨は75スゥで750ドニエだ。ルイズに教わって、……知識がガッツリと上がった気がする。

「魔法を使われたら一発よ」

 俺は周りをキョロキョロと見た。メイジっぽい人はどこにも居ない。貴族と平民を見分けるのは割りと簡単だ。マントをしてるかどうかだ。後、もったいぶった歩き方にも特徴がある。ルイズ曰く、貴族の歩き方らしい。

「貴族は居ないみたいだけど?」
「だって、貴族は全体の人口の一割居ないのよ。それに、城下町まで来る貴族は少ないわ。買い物は大抵下僕に行かせるしね」
「貴族がスリなんかするのか?」
「貴族は全員がメイジよ。まあ、ゲルマニアは一部そうでもないけど、トリステインではそうなの。だけど、メイジの全てが貴族ってわけじゃないわ。色んな事情で、勘当されたり、家を捨てたりした貴族の次男や三男坊なんかが、身をやつして傭兵になったり、犯罪者になったり……」
「貴族も大変なんだな」

 俺の居た地球で家を捨てたり勘当されたりなんて、滅多に無い。あるかもしれないけど、俺の周りでは見なかった。だから、あまり想像がつかなかった。
 捨てられたりした奴がどんな気持ちで、どんな風に生きているのか。犯罪に手を染めないと生きていけないっていうのがどんな気持ちなのか……。

「人には人の事情があるって事よ。それより、分かったら財布、気を付けなさいね」
「了解」

 しばらく歩いていると、俺は看板に興味を引かれた。まるでRPGのゲームに出て来るみたいな看板が眼に入ったのだ。
 壜の形をしたのはカフェか何かだろうか、ルイズに聞くと、酒場らしい。バッテン印は衛士の詰め所だ。

「ルイズ、ドレスを売ってるのはどの辺なんだ?」
「先にあんたの服よ。折角買うんだから、帰る時間ギリギリまで見たいから。あんたの服を買うのはもう少し行った場所にある“マリエッタの洋裁店”よ」
「マリエッタの洋裁店?」
「平民向けのお店だから私は利用した事無いけど、時々使用人達が利用しているって聞いたのよ。学院の使用人の給料は下手な貧しい貴族より上だから、それなりのお店の筈よ」

 その時だった。突然、背後に衝撃が走った。

「うわっ!」
「サイト?」

 俺は前のめりになって倒れそうになった。

「ちょっと、何やってるのよ?」

 ルイズが咄嗟に支えてくれた。柔らかい肌の感触と甘い香りに思わずドキリとしてしまった。

「あれ……?」

 俺は違和感を感じた。ポケットを探ると、財布が消えていた。

「やべぇ、スラれた!」
「な、何ですって!?」

 俺は慌てて周囲を見渡した。視界の向こうで逃げる様に走る男の背中が見えた。

「悪い、ルイズ。ちょっと、ここで待っててくれ!」
「な、ちょっと待ちなさいよ、サイト!」

 ルイズが呼び止めるが、待っている暇は無い。一刻も早く追い付かないと見失ってしまう。
 俺は背中に背負った剣の柄を握った。スリを追うには、ありえない動きをする必要がある。その為に、ありえない動きが出来る様にならないといけない。

「頼むぜ、相棒!」

 左手で剣の柄を握り締めた途端に、俺の体は羽の様に軽くなった。
 その場で地面を蹴る。俺の体は嘘みたいに軽やかに宙を跳んだ。一気に露天の天井の柱の上に飛び乗ると、建物の壁に跳び視界を巡らせる。

「見つけた! 待ちやがれええええええええええええ!」

 俺は鋭く研ぎ澄まされた視覚にスリの男を捉えた。ルイズや周りの人間が驚いた声を上げているが、全てシャットアウトする。
 一気に剣を引き抜いた。そのまま壁を伝って一気に駆け出した。
 俺とスリの間はかなり離れていたが、今の俺にはそんな距離は在って無い様なものだ。
 体を回転させながらスリの男目掛けて一気に攻撃を仕掛ける。男は悲鳴を上げながら逃げる足を速めた。
 俺は地面に降り立つと剣を握ったまま、空いた右手で拳を握った。今の俺なら一足で殴り飛ばせる距離にスリの男は居る。俺は男に飛び掛ろうとした、その時、男が小道から出て来た女性にぶつかった。

「ヒィ――ッ!」

 男は情け無い悲鳴を上げた。

「さっさとルイズの財布を返せ!」
「う、うるせぇぇぇ!」
「なっ――!?」

 男は懐からナイフを取り出して切りつけて来た。

「サイト!」

 ギリギリで後ろに退がって避けると、人混みの中からルイズが抜け出して来た。

「ルイズ、来るな! ナイフ持ってやがる!」

 俺は剣を構えて男を睨みつけた。すると、突然地面が捲れ上がり、男を拘束してしまった。
 男とぶつかった緑髪の女性が杖を握っていた。

「あ、えっと……」
「ミス・ロングビル!」

 俺が戸惑っていると、ルイズが驚いた様に声を上げた。

「こんにちは、ミス・ヴァリエール」

 ロングビルは鮮やかな緑の髪に眼鏡を掛けた美しい女性だった。ほのかに香る大人の女の色香を感じて、俺はドギマギしてしまった。
 ロングビルは杖を軽く振るうと、男に纏わりついていた土の一部が盛り上がり、中からルイズの財布が現れてロングビルの手に納まった。
 ルイズはロングビルから財布を受け取ると何度も頭を下げた。俺も慌てて頭を下げると、ロングビルは穏かに微笑んだ。

「最近は貴族崩れのスリが増えて困りますね。二人共、もうスラれない様に注意なさいね」
「は、はい! 本当にありがとうございます、ミス・ロングビル!」
「あの、ありがとうございます。ロンビルさん!」

 ロングビルは男を衛兵の所に連れて行くと言って去って行った。俺はクールビューティなロングビルに思わずポカンと口を開けて姿が見えなくなるまで見惚れてしまった。

「綺麗な人だな……」

 俺が呟くと、ルイズは俺を一瞬睨んだが、直ぐに溜息を吐いた。

「まあ、そうね。大人の女って感じね……。ミス・ロングビルはオールド・オスマンの秘書をしてるのよ」
「オールド・オスマンの?」
「ええ、今年の春からね」

 もしかして、オールド・オスマンの愛人だったりして……、俺は馬鹿な事を考えながらルイズと一緒にマリエッタの洋裁店に向かった。
 マリエッタの洋裁店は直ぐそこだった。スリを追って、かなり近くまで来ていたらしい。
 ルイズは俺を追い掛けて走ったせいで肩で息をしていた。

「それにしても、あんたって身軽なのね」

 ルイズは少し感心した風に言った。

「身軽っていうか、朝、ギーシュに特訓に付き合ってもらったって言ったろ? そん時に分かったんだけど、どうも、剣を握ったら跳んだり走ったり出来る様になるみたいなんだ」
「剣を握ったら……? どういう事かしら。もしかして、ペルソナ能力と何か関係があるとか?」
「分からないよ。イゴールも昨日は出て来なかったし」
「夢の中の老人よね? 何か、ちょっと不気味な感じがするわね」
「まあな。でも、ペルソナ能力のおかげか分からないけど、おかげでスリから財布を取り返せたし、今のところは助かってるよ」

 話をしながら店内に入ると、中は明るくてスッキリとした空間が広がっていた。地球のお店と似た感じがする。ハンガーに幾つ物服が掛けてあって、店員さんが忙しく歩き回っている。

「えっと、紳士服はどこだ?」

 俺がキョロキョロしていると、ルイズが近くの店員を呼び止めた。

「サイトに服を幾つか見繕って頂戴」

 ルイズが偉そうに店員の女性に言った。女性店員は気分を害した様子も無く、俺を紳士服の場所に案内してくれた。
 ルイズも後に続き、俺は店員さんが持って来る服を次々に試着する事になった。
 店員さんは俺の服を珍しがりながら、シンプルな服やファンタジーらしい、俺の感覚からすればちょっと変わった服なんかを持って来た。

「どうだ?」

 俺は気に入った服を選んで着替えると、ルイズに聞いてみた。我ながら、ちょっとイケてる気がする。
 俺が着ているのは黒の半袖のインナーに黒いジャケットみたいな服、それに黒いズボンという黒一色の服装だった。

「地味。それに趣味が悪いわ」

 酷い言われ様だ……。俺はガックリと肩を落とした。結局、店員さんが持って来てくれた服の中からルイズが選んでしまった。
 とは言っても、何気にルイズはセンスが良くて、俺が選ぶよりずっといいコーディネイトをしてくれた。
 皮の袋に買った上着とインナーなんかを合わせて十着とズボン五着、それに下着を五着入れて、俺は肩に背負った。かなり重い……。

「あ、ありがとな、こんなにいっぱい買ってくれて」

 俺は思い荷物を持ちながらノロノロと歩きつつルイズに言った。

「20エキューくらい、どうって事ないわよ」

 ルイズが少し誇らしげに言った。さすが、金持ちは言う事が違う。
 1ドニエが一円くらいだとしても、20エキューって言ったら2万円だ。俺だったらとてもポンッと出せたりしない額だ。
 それにしても重い……。俺はあの力を借りる事にした。剣の柄を握り締める。

「よし、これで軽く……ならない?」

 おかしい、全然体が軽くならない。どうなってるんだろう。

「何やってるのよ? 早く、ドレスを見に行くわよ」
「あ、ああ……」

 俺は訳が分からなくなり、とりあえず袋を背負いながらルイズの後を追った。今、スリが現れたらさっきみたいに捕まえる自信が無い……。
 ルイズに連れられてやって来たのは遠目に宮殿みたいなのが見えるくらいの場所にあるかなり大きな建物だった。

「“ジルの素敵な高級洋裁店”よ」
「胡散臭いと思っていいか?」

 素敵な、って付けるだけで何故か胡散臭い感じがする。ルイズは呆れた様に俺を見て、さっさと中に入ってしまった。
 俺も慌てて追いかける。中に入ると、マリエッタの洋裁店とは比べ物にならない品揃えだった。人の数もかなり多くて、貴族の姿もちらほらしていた。

「ドレス売り場は……あっちね。行くわよ」
「お、おう!」

 ドレス売り場に到着すると、これまた凄い量が並んでいた。

「す、凄げぇ……」

 量が多過ぎてわけがわからない。

「ちょっと待ってなさい」

 ルイズは近くに居た店員を呼び止めると、どこかへ消えてしまった。
 直ぐに戻って来るだろうと思いながら待っていると、全然戻って来なかった……。
 結局、MP3を聴きながら一時間も待った頃、漸く戻って来た。

「買い物は終わったわ」
「はい!?」
「これ、持ってちょうだい」

 俺は巨大な円柱状の箱を持たされた。

「え、いつの間に!? ちょ、俺もルイズのドレス姿見たかったんだけど!」

 思わず本音が駄々洩れになってしまった。ルイズはキョトンとすると、少し顔を赤らめて言った。

「舞踏会の時に見せてあげるわよ。それまで、箱の中覗いちゃ駄目」
「マジかよ……」

 感想聞くって言ったくせに、何てこった……。
 俺はガックリと肩を落としながら帰路に着いた。
 皮の袋に加えて巨大な箱を持っているせいで、酷く歩き難く、自転車と馬の場所まで来た時には疲労困憊だった。

「あんた、これから学院まで大丈夫なわけ?」

 ルイズが呆れた様に言う。

「っていうか、この荷物、馬に乗せられるのか?」

 俺は箱と袋を見ながら尋ねた。両方ともかなり大きいし、箱なんて、馬に乗せたら落ちてしまいそうだ。

「大丈夫……って言いたいけど、確かに落として汚したら大問題よね……」
「やあ、ルイズとサイトじゃないか」

 ルイズが唸っていると、後ろから聞き覚えのある少し気障っぽい声が聞こえた。
 振り向くと、そこにはギーシュが居た。ギーシュの手にはルイズのドレスが入っている箱と同じ箱があった。
 ギーシュの隣にはおでこの広い長い金色の巻き毛と鮮やかな青い瞳の少女が居た。やせ気味だけどルイズより頭一つぶんくらい身長が高い。確か、名前はモンモランシー。

「ギーシュとモンモランシー」

 ルイズは二人を見ると目を丸くした。

「そういや、ギーシュも街に来るって言ってたっけ」
「ああ、その帰りさ。それにしても、いいタイミングで会ったね」
「いいタイミング?」

 俺が首を傾げると、ギーシュは言った。

「一緒に馬車で帰らないかい? 勿論、お金は三人で割り勘で」

 三人っていうのは、当然だけど俺は数に入っていない。この星のお金なんか持って無いんだから当たり前だ。

「うん、馬車か、ちょっと乗ってみたいかも」

 馬には乗れないけど、馬車に乗るっていうのはかなり魅力的だ。映画なんかで、荒野の道をゆっくりと進む馬車のシーンなんかが割りと好きだ。
 実際に乗れるなら、乗ってみたいって思う。

「まあ、三人で分ければそんなに高くならないからいいかしらね」

 モンモランシーが言った。

「そうね。荷物が多いし、そうしましょ」

 馬車で帰る事に決まった。俺は自転車を引きながら馬車の駅にルイズ達に連れられながら向かった。

「ねえ平民、ソレは何?」

 モンモランシーが俺の引いている自転車を見て首を傾げた。
 それより、平民って呼ぶな!

「俺は平民なんて名前じゃない。これは自転車だ」
「別にいいじゃない。ジテンシャって何?」
「よくない! 自転車は乗り物だ」

 俺は憮然としながら言った。

「態度が悪いわよ、平民。無礼じゃない。それに、乗り物って本当?」
「俺は平賀才人って名前があるんだ! 平民って喚ぶんじゃねぇ! それに嘘じゃない、これは乗り物だ!」
「うるさいわね! 平民が貴族に怒鳴るなんて!」

 モンモランシーがギロッと俺を睨みつけてきた。

「知るか! 俺は平賀才人だ! こっちだと、サイト・ヒラガ。ちゃんと名前で呼べよ、モンモン!」
「誰がモンモンよ!」
「人の名前をちゃんと呼ばない奴なんて、モンモンで十分だ!」
「何ですってええええ!」
「君達、喧嘩はよしたまえ」

 俺とモンモンがヒートアップしていると、呆れた様にギーシュが止めに入った。

「モンモランシー、彼、サイトは僕の友人なんだ。ちゃんと、名前で呼んであげてくれないかい? それに、サイト。僕のモンモランシーを可愛らしいけど勝手に略称で呼ばないでくれ」
「ゆ、友人って、ギーシュ、相手は平民なのよ?」

 モンモランシーが目を丸くしながら言った。
 そんなモンモランシーにギーシュは諭す様に言った。

「本当だよ、モンモランシー。彼とは貴族と平民の間の溝を越えて友人になったんだ。頼むよ、モンモランシー」
「そ、そこまでギーシュが言うなら……」

 モンモランシーは心底嫌そうな顔をしながら俺を見た。

「モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ。二つ名は“香水”よ」
「サイト。サイト・ヒラガだ」

 俺も精一杯嫌味な表情を浮かべながら言った。

「よろしく、サイト・ヒラガ」
「よろしくな、モンモランシー」

 俺達は顔を引き攣らせながら自己紹介をした。ギーシュとルイズは呆れた表情を浮かべている。
 それから馬車の駅に着くまで誰も喋らなかった。時々、俺とモンモランシーが睨み合うだけだった。
 馬車の駅に到着すると、四人乗りの馬車の荷台に自転車と買った荷物を載せて、一路トリステイン魔法学院へと戻って行った。
 学院に到着する時には日が沈み始めていた。荷物を部屋に運ぶ様にルイズとモンモランシーが荷物をメイドに預けて、ルイズ達はそのまま食堂に向かおうと言ったから、俺は先に行っててくれって言った。
 自転車をコルベール先生の所に持って行かないといけないからだ。自転車に跨って、俺は本塔に向かうルイズ達と別れて火の塔のコルベールの研究室に向かった。
 コルベールは留守だった。俺は自転車を研究室の扉の前に置いて、戻る事にした。そして、火の塔から出て本塔に向かう途中で、信じられないモノを見た……。

「な、何だよ……アレ!?」

 本塔の近くに巨大な人の形をした物体が立っていたのだ。高さは三十メートルくらいある。その下に、何と、ルイズとギーシュ、それにモンモランシーが居た。

「ルイズ!」

 俺は一目散に駆け出した。巨大な土の人形はフラフラと動いていた。
 背中に背負った剣を鞘から引き抜く。今度はちゃんと体が軽くなった!
 俺は一気にルイズの下に駆けつけた。

「ルイズ!」
「サイト!」

 俺はルイズを護る様に土人形の前に躍り出た。すると、土人形の上の方から女の声が聞こえた。
 見上げると、そこにはローブを目深に被った人影が悶えていた。人影から断続的に白い靄の様なモノが溢れ出している。

「ちょっと待ちたまえ、これってあの時と……」

 ギーシュが青褪めた表情で呟いた。俺は思い出した。前にも似た様なものを見た覚えがある。
 喚くマリコルヌとマリコルヌの体を取り巻いた白い靄。目の前の現象はまさにあの時と同じだった。
 そして、喚き散らす人影の纏っていたローブが剥がれ落ちた。そこに居た人物を見て、ルイズが叫んだ。

「ミス・ロングビル!?」

 そこに居たのは、苦しみ悶えるミス・ロングビルだった。

「な、何!?どうなってるの!?」

 モンモランシーが悲鳴を上げる。その瞬間、白い靄が一気にミス・ロングビルと土人形を覆い尽くした……。

『我は影、真なる我……』

 霧の中から、ソレは現れた。黒光りする不気味な人の形をした物体。大きさは更に巨大になり、今や本塔を遥かに越える大きさになっている。
 月明りに照らされた、50m以上はありそうな巨大なソレは、赤い瞳を光らせながら俺達を見下ろしていた――――……。



[16996] 第十話『主従』
Name: 雪化粧◆cb6314d6 ID:59d590d7
Date: 2015/05/08 17:26
ゼロのペルソナ使い 第十話『主従』

 闇夜に二つの赤い光が浮かんでいる。逃げなきゃいけないって分かっているのに、俺の体は動いてくれない。
 怪物は恐ろしい程に巨大で、俺の目の間に立ちはだかっている。ソレが動くなんて信じられない。信じたくない。喉がからからに渇いて、恐怖のあまり涙を流してしまった。
 本能が逃げろと叫び、体は怖いと悲鳴を上げ、頭は逃げても無駄だと悟っている。
 これはもう逃げるとか戦うとかいう以前の問題だ。出会ってしまえば、後は一方的に殺されるだけ。怪物は、ゆらりと揺らめいた。

『家族を返して……』

 そんな声が聞こえた。とても寂しそうで、胸が締め付けられるような響きの声が聞こえた。

「この声……、ミス・ロングビル?」

 ルイズが呟く様に言った。

「そうよ、助けなきゃ! ミス・ロングビルを助けなきゃ! あの怪物を倒せば、マリコルヌの時みたいに……」

 何を言っているんだ? 俺は愕然としながらルイズの声を聞いていた。ルイズはこの怪物の脅威が理解出来ないのだろうか? 倒すなんて不可能だ。今直ぐ逃げなきゃいけないのに、ルイズは俺の背後から飛び出して杖を振るった。

「ファイアー・ボール!」

 ルイズが呪文を唱えると、怪物の目の前の空間が爆発した。突然の爆発に、怪物が動きを止めた。逃げるなら今しかない。
 俺はルイズの手を掴んだ。

「に、逃げるぞ、ルイズ!」
「馬鹿言わないで! あそこにはミス・ロングビルが居るのよ!? それに、本塔には沢山の人達が居る。戦わなきゃ!」

 俺は目を見張った。どうして、あの怪物を前にそんな事が言えるんだろう。俺は怪物を前にして怖かった。ただ、怖かった。
 とにかく逃げ出したくて、なのに体が動かなかった。戦うなんて選択肢は端から除外していた。なのに、ルイズは戦うと言っている。自分より背の小さな女の子が戦うと言っている。

「ル、ルイズ! あんなでかいのに勝てるわけないよ! 仕方ないじゃないか、あんな怪物から逃げたって、誰も責めたりしないよ!」

 ギーシュが顔を青褪めさせながら叫んだ。それは自分に言い聞かせているようでもあった。
 モンモランシーもギーシュの言葉に頷いている。一刻も早く、この場を離れたいと思っているんだ。俺だって、今直ぐにでも逃げたい。
 だけど、ルイズは言った。

「だったら、あんた達は逃げなさいよ! 私、ゼロでも……、それでも貴族だもん!」
「そんなの分かってるよ。だけど、貴族だからって何だよ! あんなのと戦えるわけ無いだろ!」

 俺は必死に叫んだ。頼むから一緒に逃げてくれと懇願した。あんなのを相手に戦える筈が無い。逃げるしかないんだ。

「敵に後ろを見せない者を、貴族と呼ぶのよ!」

 俺はルイズの意思の硬さに息を呑んだ。なんて、かっこいいんだ。俺は思った。
 俺の背後で、ギーシュとモンモランシーが息を呑む音が聞こえた。
 俺は無性に自分が情けなくなった。平和な日本で生きていた俺がこんな怪物と戦うなんて、怖いと思っても仕方ないじゃないか。そう思っていた。
 だけど、女の子がこれ程勇ましく戦おうとしているのに、逃げ出せるわけがない。

「俺……情けねぇ……」

 ドクンと心臓が大きく跳ねた。全身に力が漲り始める。剣を握った左手の甲が輝いているのが見えた。なんだ、これ……。
 怪物が動くのを感じて見上げると、怪物は巨大な右腕を振上げていた。
 このままじゃ、ルイズも俺も殺される。そう感じながら、俺は気が付くとルイズの前に躍り出ていた。
 振るえる足腰に渇を入れて、ルイズを護ろうと両手を広げる。
 すると、眼前にタロットカードに似たデザインのカードが、ふっと現れた。
 俺は導かれる様にカードを手に取った。見覚えのあるカードだった。そうだ、ヴェストリの広場で豚の怪物と戦った時に見たカードだ。
 心臓が痛い程高鳴っている。これしかない。オールド・オスマンには使うなと言われたけど、ルイズを護る為にはコレを使うしかないんだ。
 俺は己の魂に潜む、困難に立ち向かう為の人格の鎧を呼び出す為、そのカードを思いっきり握りつぶした――――ッ!

「ペルソナ!!」

 振り下ろされる怪物の右腕を俺の内から飛び出した鎧の巨人が受け止めていた。
 全身に鋭い痛みを感じた。どうやら、ローランが受けたダメージのフィードバックを受けたらしい。あまりの衝撃に息が詰まった。痛い、痛過ぎる。だけど、俺は怪物から目を離さなかった。

「ルイズ! 少し離れるぞ!」

 俺は肩で息をしながらルイズの手を取った。ルイズは呆然とした表情を浮かべながら俺を見た。

「だ、大丈夫……?」
「あんまり、大丈夫じゃない。全身が痛いよ……」

 力無く笑いながら、俺はルイズの返事を待たずにルイズを抱き上げて駆け出した。ルイズが文句を言おうとしたが、俺は無視してギーシュとモンモランシーに声を掛けた。

「離れるぞ!」
「……あ、ああ」
「え、ええ……」

 ギーシュは暗い表情を浮かべながら頷いた。モンモランシーは呆けた表情を浮かべながら頷いた。
 正門の所まで戻って来ると、俺はルイズを地面に降ろした。
 正門と本塔はかなり離れているのだが、本塔のすぐ傍に立っている怪物はとても巨大で、直ぐ近くの様に錯覚してしまう程だった。
 怪物は俺達の方に向かって来ていた。ルイズの失敗魔法の爆発や俺のペルソナを見て、どうやら俺達を敵と認識したらしい。
 怪物はノロノロとした動作だったが、歩幅があまりにも大きく、ほんの数歩歩いただけでここまで来てしまいそうだ。

「このまま、奴を学院の外まで誘き寄せよう」

 俺が言うと、ルイズが頷いた。

「そうね……。せめて、学院の外に連れ出せれば……」

 すると、モンモランシーがヒステリックな声を上げた。

「何言ってるのよ! 冗談じゃないわ。あんな怪物の囮になれって言うの!?」
「三人は隠れてろ」
「……え?」

 俺が言うと、ルイズが目を丸くした。自分も囮になるつもりだったらしい。

「モンモン、ルイズの事、頼む」
「ちょ、サイト・ヒラガ!?」

 戸惑うモンモランシーにルイズを預けて、俺は駆け出した。何だかさっきよちも力が漲っている気がした。
 とりあえず、俺に集中させないといけないな。遠距離から攻撃する手段を考えていると、突然、自分の中の何かが弾けた――ッ!
 刹那、俺の脳裏に映像が映った。ローランが青白い雷撃を放つ光景だ。俺はその光景をなぞる様に、剣を握ったまま、右手を振り被った。それと同時に、ローランも右手に握る聖なる輝きを秘めた剣を天高く掲げた。
 雷鳴が轟く。青白い稲妻の光が闇夜の広場を照らし出した。

「喰らい――――」

 俺は右腕を全力で怪物に向けて振り下ろした。俺の動きに連動して、ローランも聖剣・デュランダルを振り下ろした。
 細く青白い雷光が怪物に向かい、一直線に迸る。

「――――やがれ!」

 ローランより放たれた青白い雷は怪物に直撃した。

「『ジオ』ッ!」

 バチバチと音を立て、雷が怪物の表面を焼いた。少しは効いたと思う。
 咄嗟に脳裏に閃いて使った『ジオ』という雷の力。ペルソナ能力の一部なのだろうか、俺は得体の知れない能力に恐怖や嫌悪を覚えず、ただ、ひたすら興奮していた。

「すげぇ……」

 これなら、注意を引くだけじゃなくて、勝てるかもしれない。
 俺は口元を歪めながら怪物を見た。相当鈍いんだろうか。表面が焼けて、煙が出ているというのに、悲鳴を上げる事も、唸り声を上げる事もせず、怪物は何事も無かったかのように再びのそのそと動き始めた。
 舌を打ちながら、俺はさっきと同じ様に右腕を振上げた。

「ジオ!」

 巨体で動きもノロい怪物はローランの槍から伸びた青白い閃光をまともに受けた。

「――――ッ! 少しは立ち止まるくらいしろよな」

 ジオは怪物の表面を再び焼いたが、怪物は気にする事無く俺の方に向かって来る。
 俺は当初の予定通り、正門を潜って外に出た。
 怪物はトリステイン魔法学院の重厚な白い壁を破壊しながら俺について来る。広い草原は月以外に光源が無く、真っ暗だった。冷たい風が草木を撫でて掠り合う音を響かせる。

「にしても、でけぇ……」

 まるで、特撮の巨大化した怪人を相手にしている様な気分だ。怪物が少し動いただけで、地面は大きく抉れて、草木は薙ぎ倒され、突風が吹き荒れる。近づくのは自殺行為だ。

『お父様……、お母様……』

「……?」

 怪物の体の何処からか、声が響いた。ルイズはロングビルの声だって言ってたけど、どういう事なんだ……?
 そう言えば、怪物が現れる前、ロングビルは巨大なゴーレムの上で何かを必死に否定していた。マリコルヌも怪物が現れる前に感情を爆発させていた。
 この怪物は一体何なんだろう、考えても全く答えは出て来なかった。怪物が腕を振上げて、俺は湧き出す疑問を振り払って、必死に逃げ出した。
 当ったら、確実に死んでしまう。全速力で走り回らないと怪物の巨大な拳からは逃れられない。
 少し呼吸が荒くなってきた。不思議な力も無限に力を与えてくれるわけじゃないようだ。とにかく、攻撃するしかない。
 怪物から逃げながらジオを放ち続ける。少しずつ表面を焼いてダメージを負わせているけど、限界は此方の方が早そうだ。ジオを撃つ度に力が抜けていく。それに気が付いたのは、足元に石に躓いて転んでしまった時だった。
 息がまったく整わなくなっていた。ジオを放つ度に体の中から何かが抜けている感覚を覚えた。どうやら、ジオを使う度に何かを消費していたらしい。

「そういや、オールド・オスマンが言ってたっけ……」

『等価交換というのは魔法にも当て嵌まる。魔法には精神力を使う。何も使わずに振るえる力なんぞ、信用せん方が良い。静かに、密やかに、最も大切なモノを奪うかもしれん』

 あの時は適当に聞き流していたけど、どうやら本当に何かを奪われているらしい。
 けど、止めるわけにはいかない。怪物を倒すには、これしかないんだから。俺は再び怪物にジオを放とうと腕を振上げた。すると、怪物の体から黒い煙の様な物が湧き出した。

「なんだ!?」

 目を丸くしていると、煙が怪物の目の前の虚空に集まって、巨大な岩石に姿を変えた。どうやら、煙の様な物は怪物の体が砂になった物だったらしい。
 怪物が岩石を撃ち出した。俺は慌てて逃げ出した。間一髪で回避すると、岩石が衝突した地面が大きく抉れてクレーターになってしまった。

「あ、あんなのが当ったら……」

 俺は背筋に寒気を感じた。怪物が再び同じ攻撃をしようとしていた。同じものを何度も撃たれたら避けきれなくなる。俺は必死に考えた。このままだと、いつかは殺されてしまう。
 その時だった。怪物の体が突然爆発した。何が起きたのか、俺には直ぐに分かった。

「止めろ、ルイズ! 早く逃げろ!」

 俺が叫ぶと、ルイズの怒声が轟いた。

「巫山戯るんじゃないわよ! 使い魔だけに戦わせて、コソコソ隠れてるわけにいかないじゃない!」
「馬鹿野郎! そんな事言ってる場合じゃない、逃げろ!」

 怪物がのっそりとルイズの方に体を向けた。ルイズの失敗魔法の爆発で右腕の肩の部分が大きく抉れている。どうやら、ルイズの方が危険と判断したらしい。
 俺は注意を引く為にジオを放った。だけど、怪物は俺に見向きもしないでルイズに向かって行く。

「ちくしょう! 俺を見やがれ!」

 必死に叫ぶが、怪物は一直線にルイズに向かって行く。ルイズは必死に魔法を放つが、上手く怪物に命中しない。俺はルイズに向かって駆け出した。このままじゃ、ルイズが殺されてしまう。

「ルイズ!」

 必死にルイズの下に駆けつけた。怪物は直ぐ目の前に来ていた。俺はルイズの体を抱えると、自分でも信じられない様な凄まじい速さで怪物の股下を一気に潜り抜けた。
 怪物から距離を取ってルイズを地面に降ろすと、俺は我慢が出来ずにルイズの頬を叩いていた。

「馬鹿野郎、死ぬ気か! お前!」

 乾いた音が響き渡り、ルイズは呆気に取られた様な表情を浮かべた。

「もう少しで死ぬ所だったじゃねぇか! 俺が間に合わなかったらどうなってたと思ってんだ!」

 俺は涙を溢れさせながら怒鳴りつけた。もう少しで、ルイズが死ぬ所だった。それが、とても恐ろしかった。まだ、会って間もない筈なのに、とても掛け替えの無い存在に感じられて、その存在があと少しでこの世から消えてしまいそうだった事を実感して肩が震えた。
 すると、ルイズの目からも涙がぽろぽろと零れた。

「な、泣くなよ……」
「あ、あんただって泣いてるじゃない……。わ、私だって、こわ、怖かったわよ。ほんとに、怖かったんだから……」

 ルイズは止め処無く涙を溢れさせた。

「だったら、どうして戦うなんて言ったんだよ! 怖かったんなら、最初から逃げれば良かったじゃないか!」

 俺が言うと、ルイズは首を振った。

「悔しかったの……」
「え……?」
「いつも、皆にゼロゼロって馬鹿にされてたの。それが悔しくて……。あいつを倒して、ミス・ロングビルを助ければ、もう誰もゼロのルイズって馬鹿にしないって思ったの……。それに、あそこで逃げ出したら、またゼロのルイズだから逃げたって言われるから……」

 俺は愕然とした。ゼロのルイズって馬鹿にされてたのは知っていたけど、ルイズがこんなに追い詰められてたなんて知らなかった。
 意思が硬い? かっこいい? 馬鹿野郎、俺は自分自身を殴りつけてやりたかった。違う、ルイズはそんなに強くないんだ。
 肩を震わせて泣きじゃくるルイズを見て、俺はそれを嫌という程理解した。本当は、こんな命を掛けた戦いなんて嫌いな、普通の女の子なんだ。
 俺はルイズを慰めたかった。優しい言葉を掛けて、何でも言う事を聞いて、笑顔にしてあげたかった。だけど、それを目の前の怪物は許してくれなかった。
 俺はルイズを抱えて飛ぶ様に離れた。泣きじゃくるルイズの事を護らないと、そう思う程に力が漲った。

「泣かないでくれよ、ルイズ。俺が、何とかするから。あんな怪物なんて簡単に倒して、お前をゼロって馬鹿にする奴も一人残らず倒してやるから」

 俺は学院まで戻って来ていた。ルイズを降ろして、俺はルイズの肩に手を掛けた。

「だから、泣かないでくれよ」

 俺はローランを見上げた。薄っすらと透けてぼんやりとしているローランの姿を。
 遠くからジオを放っているだけじゃ勝てない。ローランの持つ聖剣で直接斬りつければ、もっと効果的にダメージを与えられる気がする。
 俺は駆け出した。近づいたら危険だって、分かっているけど、俺にはこれ以外に考え付かなかった。だけど、怪物に辿り着く前に俺は怪物が振上げた脚によって発生した突風でルイズの下まで吹き飛ばされてしまった。
 地面に叩きつけられて体全体が酷く痛い。本当なら、痛いだけじゃ済まない気もするけど、とにかく痛くて泣きそうだった。それでも、立ち上がった。

「も、もういい! これ以上やったら、サイトが死んじゃう!」

 ルイズが顔をくしゃくしゃに歪めながら叫んだ。俺はルイズの言葉に逆に自分を奮い立たせた。
 その時だった。遥か後方から悲鳴の様な声が響いたのは。ギョッとなり、振り返ると、そこには信じられない光景があった。
 そこには、ギーシュとモンモランシーが居た筈だ。なのに、ギーシュの姿は見えなくなっていた……白い靄のせいで――――……。



[16996] 第十一話『オリヴィエ』
Name: 雪化粧◆cb6314d6 ID:59d590d7
Date: 2015/05/08 17:27
 トリステイン魔法学院に戻って来た僕がまず初めに感じたのは、あまりにも静かだという事だった。今は夕食の時間の筈。いつもはこの時間、生徒達や使用人が忙しく歩き回っている筈だ。
 訝しみつつ、食堂のある本塔に向かった僕達の目の前で突然地面が捲れ上がり、あっと言う間に巨大な人型のゴーレムが出来上がった。

「ゴ、ゴーレム……?」

 僕のワルキューレとは比較にならない密度と大きさだ。
 僕は最大で七体のワルキューレを造り出し、動かす事が出来る。だけど、それはワルキューレの中身が空洞だからだ。中身までしっかり造ってしまうと、ワルキューレを一体造り出す事で限界だ。それに重量が大き過ぎて、まともに動かす事も出来なくなる。
 こんな巨大なゴーレムを造り出すなんて、一体、何者なんだ。僕は思わず息を呑んだ。ドットやラインには不可能だ。トライアングル……、ひょっとすると、スクウェアかもしれない。
 学院の教師が作ったのだろうか? 一体、何の為に……。
 不思議に思っていると、どこからか、声が聞こえた。何かを必死に否定する声だった。

「ルイズ!」

 ジテンシャ、とかいう妙な道具をコルベール先生の研究室に置きに行ったサイトが戻って来た。
 サイトは土のゴーレムに驚いている様だ。それはそうだろう。こんな巨大なゴーレムを見るのは僕だって始めての経験だ。
 女性の悲鳴の様な悲痛な叫びが聞こえた。声の方を向くと、そこには苦しみ悶える一人の女性が居た。ローブを目深に被っている為、その正体は分からない。
 僕は女性の体から白い靄が出ている事に気が付いた。ふと、どこかでその光景を見た事があるような気がした。一体、どこで? 思い出して、僕は愕然とした。

「ちょっと待ちたまえ、これってあの時と……」

 そうだ。一週間前のヴェストリの広場だ。あの広場で、僕は同じものを見た。マリコルヌの体から白い靄が噴出してきた。そして、その後にあの豚の様な怪物に襲われたのだ。
 ゴーレムの上で悶える女性のローブが捲れ上がり、その正体が分かった。ミス・ロングビルだ。
 どうして、ミス。ロングビルがゴーレムの上に居るんだ。僕は訳が分からなかった。
 モンモランシーが悲鳴を上げた。とにかく、モンモランシーを護らないと……。
 モンモランシーに手を伸ばそうとして、現れた怪物に恐怖し、凍りついた。
 50メイルを越える未知の材質で構成された超巨大ゴーレムが闇夜に紅い瞳を輝かせていた。
 怖かった。直ぐにでも逃げ出したかった。サイトやモンモランシーだって怖くて震えている。そうだ、こんな化け物を相手にするなんて馬鹿げている。
 一人だけ、僕に踏み出せない一歩を踏み出す影があった。
 ルイズだった。
 ルイズはあんなにも恐ろしい怪物に立ち向かった。愕然とした。いつも、魔法の才能ゼロの無能メイジと嘲笑われていた彼女が勇敢にもゴーレムに挑んだ。

『情け無いよな、まったく』

 ――――ッ!? 突然、どこからか声が聞こえた。直ぐ近くから聞こえている様な、とても遠くから聞こえている様な不思議な声だった。
 声はどこかで聞いた事がある気がした。とても嫌な気分になった。
 どうしてか分からないけど、この声をあまり聞きたくないと思った。

『怖くて怖くて仕方ない。元帥の息子が情け無いよな』

 謎の声の言葉が胸に突き刺さった。
 怪物を目にした時、恐怖に怯え、逃げ出す事ばかりを考えた。
 グラモン家の男である僕が、名を惜しまず、命を惜しんでしまった……。

『ルイズはかっこいいな。魔法も使えないのに、女の子なのに、それに比べて僕は……』

「敵に後ろを見せない者を、貴族と呼ぶのよ!」

 ルイズの叫びを聞いた途端、僕は息が出来なくなった。そうだ、逃げ出そうなんて、僕は何を考えていたんだ。
 サイトもルイズの言葉に胸を撃たれたらしい。怪物に立ち向かおうと、足を踏み出した。
 そうだ、こうしては居られない。僕も、ルイズとサイトと共に……。

『敵いっこないよ。あんな巨大なゴーレムを相手に勝てる筈が無い』

 黙れ! 僕は謎の声に怒りを覚えた。まるで僕が考えているみたいな口ぶりで勝手な事を言って、僕を侮辱する気なのか、一体何者だ!
 僕は声の主を探そうと周囲を見渡した。近くに居たのはモンモランシーだけだった。恐怖に顔を青褪めさせ、震えていた。
 そうだ、何をやっているんだ。まず、モンモランシーを逃がさないと駄目じゃないか。そうだ、戦う事も大事だけど、モンモランシーが怪我をしたら大変だ。

『モンモランシーを言い訳にして、やっぱり逃げようとしてるじゃないか』

 僕はモンモランシーの名前を呼ぼうとして凍りついた。僕は、モンモランシーを逃がそうと……それが、言い訳だっていうのか?
 違う、僕は逃げようとしてるんじゃない。ただ、モンモランシーは水のメイジなんだ。戦いには向いてないんだ。だから、逃がさないといけないんだ。

『ルイズは魔法が使えない。サイトは平民だよ』

 ルイズは失敗魔法とはいえ、爆発で戦闘が可能だ。それに、サイトはただの平民じゃない。

『そうそう、全力を出した僕を負かせる程に強いよね』

 ……そうだよ。サイトは僕よりも強いんだ。ペルソナとか言う、不思議な力まで持ってるんだ。

『生意気だよね。平民の癖に、貴族の僕を負かすなんてさ』

 ああ、……まったくだ。

『ゼロのルイズも、魔法を碌に使えないおちこぼれの癖にかっこつけて、生意気だよね』

 そうだ。生意気だよ、ゼロのルイズの癖に……。僕は逃げ出そうとしたのに、無能な癖に分を弁えないであんな怪物に挑んで、本当に生意気だ。

「離れるぞ!」

 サイトがルイズを抱き抱えて叫んだ。ああ、逃げる気になったのか、そうだよ、それでいいんだ。
 あんな怪物から逃げたって、仕方ないんだ……。

『ゼロや平民がかっこつけるなと言うんだ。まったく、動けなかった僕がまるで臆病者に映ってしまうじゃないか』

 怪物から逃げて、学院の正門まで来た所でサイトが立ち止まった。
 何をしているんだ。怪物は直ぐに来てしまうじゃないか。

『早く逃げないと……』

「このまま、奴を学院の外まで誘き寄せよう」

 誘き出す……? 何を言っているんだ、逃げるんじゃなかったのか?

「そうね……。せめて、学院の外に連れ出せれば……」

 ルイズまで訳の分からない事を言い出した。まさか、あの怪物を学院から遠ざける為に僕達で囮になろうというのか、巫山戯るな!
 そんな真似、出来る筈が無いだろ。怪物に追いつかれたら、死んでしまうんだぞ。

「何言ってるのよ! 冗談じゃないわ。あんな怪物の囮になれって言うの!?」

 モンモランシーが言った。そうだ、その通りだ。

「三人は隠れてろ」

 サイトはそう言うと怪物に青白い稲妻を放った。魔法なのだろうか、サイトが魔法を……?
 あれもペルソナの力なんだろうか……。ただの平民があんな力を……、羨ましい。

『そうだ、僕が負けたのはあの力のせいなんだ』

 欲しいな、あの力――。

『欲しいかい、力が?』

 ああ、欲しいね。そうしたら、みっともない姿を曝さなくて済むし、あんな平民ニモマケナクテスム。

『なら、目を閉じて、感情に身を任せてごらん』

 僕は言われるがままに目を閉じた。ああ、力が漲っていく感じがする。僕の内側から、ナニカ、凄い力を持ったナニカが飛び出した気がする。
 ああ、この力があれば、誰にも負けない。あの生意気な平民を叩きのめしてやれる。
 女の子達だって、今迄以上に好きになってくれる筈だ。この力があれば、父上や兄上達だって――ッ!

 突然、数度の爆発が起きた。不意に僕の意識が浮上した。いつの間にか、僕は濃い霧の様なものに包まれていた。その濃霧の一角に切れ目があった。その向こうにルイズが居た。
 ルイズは泣いていた。どうして、不思議に思っていると、ルイズの声が聞こえた。
 僕は愕然とした。怖かっただって? なら、どうしてあんな怪物に立ち向かったりしたんだ? 僕は理解出来なかった。そして、ルイズの言葉に叩きのめされた。
 自分を変える為に、泣くほど怖かった癖に、立ち向かっただって? 僕の頭は冷水を浴びせられた様に一気に冷めた。そして、自分の愚かな考えに身を震わせた。
 何を考えているんだ、僕は……。妬んだり、羨んだり、見下したり、どうしてそんな事を考えてしまったのか、僕は自分が恐ろしくなった。
 そして、巨大なナニカが直ぐ傍に居る事に気が付いた。見上げると、そこには巨大な影が揺らめいていた。あまりにもおぞましい影だった。

『我は影、真なる我……』

「はは……なんだ、これは。これが僕なのか。こんな醜いのが」

 それは蟲の様にも見えた。気持ちの悪い無数の足のある蟲。こんなのが、僕……。

「ギーシュ!」
「ギーシュ、どこに居るの!?」
「ギーシュ、返事をしなさいよ!」

 声が聞こえた。力強く、温かい響きのサイトの声。愛しいモンモランシーの鈴を転がす様な美しい声、そして、ルイズの声――。

『敵に後ろを見せない者を、貴族と呼ぶのよ!』

 はは……そうだ。眼を背けちゃいけない。情け無い、僕自身の事をどんなに必死に否定しても意味なんて無いんだ。眼を逸らさずにそんな自分が嫌なら、自分を変えればいいんだ。

『我はか……』

 そうだよ、ルイズが示してくれたじゃないか、あんな怪物、誰だって怖いんだ。それでも立ち向かう為に一歩を踏み出す事が重要なんだって事を――。
 そうだ、自分を変える為に僕も一歩を踏み出すんだ。ああ、認めよう。あの怪物に恐怖した。ルイズとサイトを見下してた。勇敢に立ち向かう二人に嫉妬した。僕はとってもかっこ悪い。
 だけど!

「一歩踏み出して、僕も変わるんだ!」

 二人のように、かっこよく、強敵に立ち向かうんだ――ッ!

 決意した瞬間、僕は手の中に不思議な温かさを感じた。
 手の中を覗くと、そこには一枚のカードがあった。不思議な仮面の様な絵柄が描かれている掌サイズのカードだ。
 カードを裏返すと、そこには深淵の闇が広がっていて、僕の脳裏に声が響いた――。

『我は――』

 心臓が早鐘を打ち、僕は全身の鳥肌が立つ感覚を覚えた。

『――汝、汝は我』

 声の響きが変わった――ッ!

 どうして、“これ”を僕が持っているのか分からない。

『双眸見開きて……汝、今こそ解き放て……』

 カードに描かれている闇を見つめていると、そこには僕の姿が映っていた。僕は息を呑みながら、知らず、呟いていた。

「ペ……ル…………ソ……ナ!」

 ただ、僕は自分を変えたい。その思いを抱きながら、気付けば手の中のカードを握りつぶしていた。
 目の眩む様な光が溢れ出して闇夜の草原を照らし出した。光の向こうで、サイトとルイズが目を丸くして僕を見ている。
 僕も君達みたいにかっこよくなりたいんだ。

「ウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 一際強く、光が爆発した瞬間、僕の内側から飛び出した気味の悪いナニカの姿が一変していた。
 頭上を見上げた先には、サイトのローランに似た巨人が居た。
 その容姿はあまりにも美しく、その手には黄金の鍔と水晶の柄を持つ剣が握られている。
 緑の長い髪に端整な顔立ちで、僕は思わず見惚れてしまった。

『我は汝、汝は我……。我は汝の心の海より出でし者、オリヴィエ也。我、汝の盾とならん……。我、汝に安らぎを与えん……』

 頭ではなく、本能で理解した。僕は今、困難に立ち向かう為のもう一人の人格、ペルソナを手に入れた。
 今日、ここで僕は変わるんだ。
 巨大なゴーレムを睨み付ける。やっぱり怖い。でも、僕は踏み出す!

「僕は、ギーシュ。ギーシュ・ド・グラモンだ。この名を心に刻んで逝くがいい!」

ゼロのペルソナ使い 第十一話『オリヴィエ』

 白い靄が突然掻き消えた。ギーシュがそこに居た。だけど、そこに居たのはギーシュだけではなかった。ギーシュの頭上に浮遊する緑の髪の剣士が君臨していた。
 それが何なのか、俺には直ぐに分かった。ペルソナだ。

『我は汝、汝は我……。我は汝の心の海より出でし者、オリヴィエ也。我、汝の盾とならん……。我、汝に安らぎを与えん……』

 ローランが現れた時に聞こえた声に似た声が聞こえた。

「僕は、ギーシュ。ギーシュ・ド・グラモンだ。この名を心に刻んで逝くがいい!」
「ギーシュ、どうして……」

 ペルソナを使えるんだ、俺が言うと、ギーシュは力無く笑った。

「どうも、僕は情け無い男らしい。ただ、情け無い男なりに頑張ろうと思ったのさ」
「よくわかんねぇよ」

 ギーシュの言っている意味が俺には理解出来なかった。
 どうしてギーシュがペルソナを覚醒したのか分からないけど、俺は深く考える余裕が無かった。
 まだ、怪物は健在なんだ。ギーシュがペルソナに目覚めた事に注意が逸れて、直ぐ近くまで怪物が来ている事に気がつかなかった。

「サイト、あいつが!」

 ルイズの声でようやくギーシュから目を離して怪物が直ぐ近くまで迫ってきている事に気が付いた。
 俺はルイズを抱えてギーシュとモンモランシーの下に走った。
 近くに来ると、ギーシュが酷く憔悴していた。

「ギーシュ、どうしたんだよ、お前!?」

 モンモランシーが必死に杖を振るいながら呪文を唱え続けているが、ギーシュの額からは止め処なく汗が流れ続ける。どう見ても体に異常をきたしている。

「サイト、君はどうして平気なんだい?」

 肩で息をしながら途切れ途切れにギーシュが言った。

「平気って?」
「まるで、魔法を使い過ぎた時みたいだ……」

 どういう事だろう、俺は最初にローランを出した時、こんな風にはならなかった。
 違う、確かに戦っている時は大丈夫だったけど、俺も一週間眠り続けていた。

「多分、覚醒のショックのせいだと思う。俺が一週間も寝てたのはそのせいだって、イゴールがベルベットルームで言ってた気がするんだ」
「そうなのかい? しかし、あまり長く意識を保って居られそうにないな……」

 ギーシュは苦しげに胸を抑えた。無理をさせると危険だ。

「ギーシュ、モンモランシーと一緒に逃げろ。今のお前じゃ……」
「ああ、確かに足手纏いになってしまうね、このザマでは……」

 ギーシュは杖を握り締めて怪物に顔を向けた。何をするつもりなんだ、そう尋ねようとすると、ギーシュは不適な笑みを浮かべた。

「だから、一撃だけ……。それで駄目なら、後は君達に任せるとするよ」
「な、何を言ってるの、ギーシュ! 貴方、今、酷い顔してるのよ!?」

 モンモランシーが瞳に涙を溢れさせながら叫んだ。その通りだ。ギーシュは今にも倒れてしまいそうな程、顔を青褪めさせてフラフラしている。

「問答をしている時間は与えてくれないようだ」

 ギーシュの言葉にハッとなり、振り返ると、そこには既に怪物が迫っていた。

「クッ、止まりなさいよ!」

 ルイズが杖を振るった。怪物の目の前で大きな爆発が発生して、怪物が動きを止めた。

「この一撃に……全てを賭ける! さあ、怪物君、君の進撃は――――」

 ギーシュがバラの造花を模した杖を振上げると、頭上に浮かぶペルソナも同時に剣を振り被った。

「――――そこまでだ!」

 ギーシュの怒号と同時に、ペルソナが剣を怪物に向かって投げ飛ばした。
 あまりにも威力が大きく、剣が巻き起こした烈風に俺達は吹き飛ばされそうになった。
 銘はオートクレール。怪物の心臓部に激突した。そのあまりの衝撃に爆発でも起きたかの様な破壊音が鳴り響き、怪物の体が深く抉れた。
 そして、俺は見た! ギーシュが倒れこみ、ペルソナが消滅して、剣も消えてしまったが、怪物の抉れた場所にナニカが潜んでいるのを――ッ!

「ヌアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 ジオじゃ威力が足りない。拳を振るうには距離が遠過ぎる。切り裂かれた胸部は恐ろしい速さで再生を開始している。
 なら、方法は一つだけだ。考えるより先に体は動いていた。裂帛の気合と共に、切り裂かれた怪物の胸部に狙いを定め、オールド・オスマンに貰った剣を投擲した。
 剣が手を離れた途端に全身に凄まじい疲労感が襲って来た。何とか、倒れずに怪物から目を逸らさなかった。

「いっけええええええええええええええええええええ!」

 剣は再生中の怪物の黒光りする表面を貫いた。そして、中に潜んでいるナニカに到達したらしい、おぞましい悲鳴が周囲に響き渡った。
 怪物の再生が停止した。だが、怪物は崩れずに形を保っている。まだ、怪物を倒せていないんだ。俺は体に鞭を打って、残る力を振り絞ろうとしたけど、体は言う事を聞かず、ローランが姿を消してしまった。
 後一歩だというのに……。俺が歯を食い縛りながら絶望に打ちひしがれていると、俺の目の前に小さな影が躍り出た。

「お願い、当って! ファイアー・ボール!」

 怪物の腹部が爆発した。衝撃が怪物の全身に波紋の様に広がり、怪物の全身が一気に罅割れた。
 一気に崩れ落ちる怪物の中から、ナニカが弾かれた様に俺達の近くまで落ちてきた。それを見た途端、俺は目を丸くした。
 ソレは生き物だった。全身が紫で、秤の様な物を背負い、胴色のハンマーを握り締めている黒い鎧を身に纏った不気味な生き物だった。

「な、なにこれ?」

 ルイズも目を丸くしている。ルイズにも分からないらしい、試しにギーシュを抱き締めているモンモランシーに顔を向けると、モンモランシーも分からないと首を振った。
 ソレは突然、目を見開いた。俺達を見つけると、手に持ったハンマーを振上げて、襲って来た。

「なに、すんのよ! ファイアー・ボール!」

 見事にソレを爆発で吹飛ばしたルイズは、更に追撃を加えようと杖を振るった。

『家族を返して……』

 また、あの声が聞こえた。あまりにも寂しくて、胸を締め付ける様な声だった。

「ミス・ロングビル……?」

『家を返して……、家族を返して……、故郷に帰りたい……、寂しい……、助けて……、誰か助けて……、嫌だ……、嫌だ……、嫌だ……、嫌だ……、嫌だ……』

 ルイズが声を掛けると、怪物からロングビルの声がまた聞こえた。途中からは、まるで念仏の様に嫌だ、嫌だと繰り返し始めた。
 なにがそんなに嫌なのだろうか、俺達はどうしたらいいのか分からなかった。

「ミス・ロングビル!」

 突然、正門の方から老人の声が聞こえた。驚いて、顔を向けると、そこには腕から血を流したオールド・オスマンが杖に縋るようにしながら立っていた。

「オ、オールド・オスマン!? どうなさったんですか、その傷は!?」

 ルイズが悲鳴を上げた。モンモランシーは慌ててギーシュを地面に寝かせて治療をしようと駆け寄ったが、オールド・オスマンはやんわりと首を振った。

「儂の事はよい。それよりも、すまなかったのう。どうも、薬を盛られてしまったようでな。動けるようになるまで時間が掛かってしもうた。お主達を危険な目に合わせてしまった。どうか、許して欲しい……」

 オールド・オスマンは深々と頭を下げた。俺はどうしたらいいのか分からず、ルイズに顔を向けた。
 ルイズも戸惑っていたが、直ぐにオールド・オスマンに顔を上げるように言った。モンモランシーも酷く恐縮している。目上の人間にこんな風に頭を下げられるなんて、なんだかむず痒かった。

「オールド・オスマン、一体なにが起きているのですか? アレは一体? それに、ミス。ロングビルは……?」

 ルイズが矢継ぎ早に質問をするが、オールド・オスマンは少し待っておくれ、と言った。

「なにが起きているのか、その全貌は儂にも分からんのじゃ。恐らく、ミス・ロングビルに起きたのは、あの夜、ミスタ・グランドプレに起きた事と同じじゃろうが、それが何なのかは儂にも分からぬ。お主等から、また話を聞かねばならんじゃろう。じゃが、その前にミス・ロングビルをどうにかせねばならん」

 オールド・オスマンは紫の怪物に向かって杖を構えた。怪物は未だに嫌だ、嫌だと叫び続けている。
 オールド・オスマンは杖を油断無く構えながら、ゆっくりと怪物に近づいた。ルイズとモンモランシーが止めようとするが、オールド・オスマンは首を振って、二人を制止した。

「ミス・ロングビル、なにがそんなに嫌なのかね?」

 オールド・オスマンが穏かな声で尋ねた。

『嫌だ……、嫌だ……。ティファを嫌いになりたくない……。ティファを恨みたくない……』

 ティファというのは誰の事だろう、俺は声がオールド・オスマンの質問に答えた事に軽い驚きを覚えながら思った。

「ティファというのは、お主が仕送りをしている者の事かね?」

『……そう。可愛いティファ……。私の大切な宝物……。たった一人しかいない、大切な妹……』

「儂はお主を助けたいと願っておる」

『…………』

 オールド・オスマンの言葉に、怪物は沈黙した。そして、オールド・オスマンは驚くべき行動に出た。なんと、杖を捨てたのだ。

「オールド・オスマン!?」

 ルイズとモンモランシーが絶叫した。メイジが杖を捨てるという事は無防備になるという事だ。それも、あんなに恐ろしげな怪物の前で――――。

「儂にお主を助けさせてくれぬか?」

 オールド・オスマンが怪物に手を伸ばした。

『う、うるさい! 貴様に何が分かる! 私は平和に暮らしちゃいけないんだ!』

 怪物がハンマーでオールド・オスマンを振り払って、オールド・オスマンから離れて叫んだ。
 どういう意味何だ、俺には理解出来なかった。平和に暮しちゃいけないって、どういう意味なんだ?

「その様な事は無い。誰にでも平和を甘受する権利はある」

『うるさい! 私はいつだって牙を砥いでなきゃいけないんだ! でなきゃ……、ティファを護れない……』

 声は震えていた。オールド・オスマンが言った。

「ならば、ティファとやらの事も儂が……」

『無理さ! だって、あの娘は特別なんだ! ハーフエルフなんだよ!』

 ハーフエルフ、その単語にルイズとモンモランシーは悲鳴を上げた。青褪めた表情で怪物を見ている。

「ハーフエルフって?」

 俺が尋ねると、ルイズは震えながら答えた。エルフというのは、とても恐ろしい力を持つ砂漠に住むという民の事らしい。
 ルイズもモンモランシーも怯えている。

「そんなに恐ろしいのか、エルフって?」

 俺が呟くと、怪物が怒りに満ちた怒号を上げた。

『あの娘は恐ろしくなんかない! 誰よりも可愛くて、誰よりも優しい娘なんだ!』

「お主がそう言うのであれば、そうなんじゃろうな」

 オールド・オスマンは穏かな声で言った。ルイズとモンモランシーが絶句した。

「な、なにを言ってるんですか、オールド・オスマン! エルフは恐ろしい存在です! いくらミス・ロングビルの言葉でも……」
「確かに、エルフとは恐ろしい存在じゃ。儂等には仕えぬ先住の魔法を使い、儂等人間と幾度と無く、歴史の中で血で血を洗う争いをしてきた」
「なら――――ッ!」
「じゃが、それで全てのエルフが悪しき者と断ずる事は出来ん。ミス・ヴァリエール、ミス・モンモランシ。人の中にも他者を傷つける者は居る。逆に、エルフの中にも心優しき者が居るかもしれん。そうは思わんかね?」

 ルイズとモンモランシーは黙ってしまった。納得出来ていない表情だったが、オールド・オスマンに言われて、必死に考えているようだ。

「サイト君、お主はどう思うかね?」
「お、俺ですか?」

 オールド・オスマンに突然振られて、俺は慌てて考えた。恐ろしい存在とルイズとモンモランシーは言う。きっと、それがこの星の“人間”の常識なんだろう。
 俺は怪物を見た。怪物……ロングビルはハーフエルフのティファという人を優しい子と言った。

「俺にはエルフってのがどんなのなのか、そんなの分からない。でも、ロングビルさんは直接そのティファってハーフエルフ? の子と触れ合って、実感して、それで優しい子だって言ったんですよね? なら、そのティファって子の事は信じていいんじゃないですか?」
「サイト! そんな簡単な話じゃないのよ! エルフっていうのは……」
「ルイズはエルフに会った事があるのか?」

 俺が聞くと、ルイズは言葉に詰まった様で低く唸った。

「俺も会った事無い。だから、会った事がある人の意見を信じるしかないじゃん」
「その通りじゃ、儂等は実際にはエルフという種族について、あまり詳しくは無い。エルフを危険な種族と断じるのは、必ずしも正しいとは言えんのじゃ。もっとも、だからといって、エルフという種族が安全な種族だと断じる事も出来ぬがのう」

 オールド・オスマンは俺とルイズ、モンモランシーの顔を順に追いながらに言った。
 オールド・オスマンは怪物に顔を向けた。

「儂はミス・ロングビルを信じておる。そして、ミス・ロングビルが信じた者の事も儂は信じようと思う」

『…………』

 怪物は何も喋らなかった。ただ、呆然とオールド・オスマンを見つめていた。

「ミス・ヴァリエール、ミス・モンモランシ、そして、サイト君。今宵の事は誰にも語らんで欲しい」

 オールド・オスマンの言葉にルイズとモンモランシーは躊躇っている感じだった。俺には分からない葛藤があるらしい。

「ルイズ」
「何よ……?」

 俺が声を掛けると、ルイズは不機嫌そうに返事をした。

「別に、直ぐにティファって子を信じる必要は無いと思う。ただ、オールド・オスマンみたいにロングビルさんを信じたらいいと思う。それか、ロングビルさんを信じるオールド・オスマンを信じるってんでもいいんじゃないか?」
「……オールド・オスマン、ハーフエルフを学院に招こうというおつもりですか?」

 ルイズが怯えた表情を浮かべながら尋ねた。モンモランシーも同じ様な表情を浮かべている。

「場合によっては、そうなるかもしれんのう」
「それは……」

 ルイズとモンモランシーは自分の震える体を抱きしめる様にしながら必死に正気を保とうとしていた。

「オールド・オスマン、幾ら何でも、それは難しいんじゃないですか?」

 俺は堪らなくなって、オールド・オスマンに言った。

「ルイズやモンモランシーみたいに怯える奴だって居るだろうし、その子が安全な子でも、攻撃しようとするのだっているんじゃないですか?」
「確かにそうかもしれんな。当然、ここに招くとすればそれなりの措置は取る事になるじゃろう。エルフの特徴である長い耳を隠すなどでな。それに、当然じゃが、いきなり学院に招くという訳にはいかん。その前に儂自らその子に会って、話をする。そして、しかと見極めた上で判断するつもりじゃ」

 オールド・オスマンの言葉にルイズとモンモランシーは思い詰めた表情を浮かべた。
 どうしたんだろう、不思議に思っていると、ルイズとモンモランシーが同時に言った。

「その時は、私もご一緒します!」
「その時は、どうか私も連れて行って下さい!」

 ルイズとモンモランシーはお互いに驚いた表情で顔を見合わせた。だが、直ぐにお互いに不適に笑って頷き合った。

「オールド・オスマン。この件について黙秘せよと仰いましたが、それはここに居る私、ミス・モンモランシ、サイト・ヒラガを除く誰にも教えないという事ですよね?」
「うむ」

 ルイズは緊張した面持ちでオールド・オスマンに言った。オールド・オスマンは小さく頷いた。
 ルイズは物怖じしながらも必死に虚勢を張りながら言った。

「では、私達には知る者として責任があると思いますわ」
「ミス・ヴァリエールの言う通りです。私達もそのティファという人物を見極めねばなりませんわ」

 俺は二人の様子をただ呆然と眺めていた。口を出せる雰囲気では無いし、成り行きを見守る以外に出来る事も無い。

「それはハーフエルフと直接対面するという事じゃぞ? 仮に、ティファという娘がミス・ロングビルの言う優しい子が虚言であった場合、エルフと戦う事になるかもしれぬ。それでもかの?」

 オールド・オスマンの言葉にルイズとモンモランシーは低く唸った。やはり、エルフという存在に対面するのは怖いんだろう。

「それなら、モンモランシーは僕が護るよ」
「ギーシュ!?」

 なんと、ギーシュは起きていたらしい。今にも気を失いそうだと言いながらも、話を聞いていたらしい。

「エルフ……僕も怖い。だけど、モンモランシー、君の事は護ってみせるよ」
「ルイズの事は俺が護るし、それなら問題ないだろ? オールド・オスマン」

 俺とギーシュが言うと、オールド・オスマンは愉快そうに笑った。

「生徒の成長を間近で見る事が出来るのは、この職でしか味わう事の出来ぬ至上の喜びじゃな」

 オールド・オスマンは同行を許してくれた。ルイズとモンモランシーは怯えた表情を浮かべていたが、それでも決意を秘めた眼差しをしていた。

「そろそろ、本気で限界だ……。後は、よろしく頼むよ……」
「あ、ギーシュ!」

 ギーシュは完全に気を失ってしまった。モンモランシーは慌ててギーシュに寄り添って治癒の魔法を唱えた。

「ま、あんたのペルソナには期待してあげるわよ」
「そうかい、使うなって言われてるんだけどな……」

 まだ、怯えた表情を浮かべていたが、それでもルイズは皮肉を言えるくらいには持ち直したらしい。

「ミス・ロングビル、そういう訳じゃ。儂を……いや、儂等を信じてくれぬか? お主が信じた少女ならば、儂等も必ずや信じる事が出来る筈じゃ。お主の事も、ティファとやらの事も儂に任せてくれぬか?」

 オールド・オスマンは怪物の前で膝を折り、頭を下げた。

「この通りじゃ」

 その瞬間、怪物の額に亀裂が走った。亀裂は瞬く間に怪物の全身に広がり、一気に砕け散った。
 怪物の居た場所に涙で頬を濡らしたロングビルが居た――――……。



[16996] 第十二話『運命』
Name: 雪化粧◆cb6314d6 ID:59d590d7
Date: 2015/05/08 17:27
「なんか、俺も限界みたいだ……」

 そう言って、私の使い魔は意識を失ってしまった。まあ、あれだけの戦いの後だから仕方ないか、私は倒れたサイトの頬を突いた。意外と柔らかいわね。
 ミス・ロングビルも意識を失ったらしい。これからどうなるんだろう、私は一抹の不安を覚えていた。
 ハーフエルフの少女に会う事になってしまった。自分で望んだ事だけど、その事を考えると体が震える。
 詳しい事情もよく分からない。ミス・ロングビルが怪物になってしまった事も含めて、なにも分からない。

「それにしても、どうしてこんな大事件が起きているのに先生達が誰も助けに来てくれなかったのかしら?」

 モンモランシーが不機嫌そうに言った。確かにおかしいわね、これだけの事が起きたのだから、先生達も気付いた筈よね。どうなっているのかしら?
 私はミス・ロングビルを介抱しているオールド・オスマンを見た。オールド・オスマンは薬を盛られたと言っていた。誰に? もしかして、他の先生達も薬を盛られたから出て来なかったの?

「儂がここに来る途中、何者かがスリープ・クラウドを使用した痕跡があった」

 スリープ・クラウド、それは水の系統魔法で、対象を眠らせる効果がある。

「つまり、皆、眠らされていたというのですか?」
「何者かは分からぬが、ミス・ロングビルがあの様な姿になってしまった事もその何者かの作為によるものかもしれぬ」
「ですが、スリープ・クラウドは術者のレベルを上回れば耐えられる筈ですわ! この学院の先生方の中には、水のスクウェアもいらっしゃいますでしょう?」

 モンモランシーの言葉に私も頷いた。そう、スリープ・クラウドは強力な力を持ったメイジならば耐えられる筈だ。

「確かに、スリープ・クラウドは術者を上回る実力を持つメイジならば、耐える事も出来るじゃろう。つまり、相当な実力を持つメイジの犯行という事じゃ」
「そんな強力なメイジが学院に侵入してるというのですか!?」

 私は学院を振り返って全身に震えが走った。サイトも気を失っている。学院の皆は眠っている。ここで動けるのは私とモンモランシーとオールド・オスマンだけという事になる。
 モンモランシーも状況を理解したらしく、ギーシュを強く抱きしめながら怯えた表情で学院を見た。
 今や、トリステイン魔法学院は安全な学び舎では無い。得体の知れないものが徘徊している、そう思うと怖くてしかたがなかった。

「そう緊張せんでもよい。見よ、学院に灯りが戻って来ておる」

 確かに、学院の塔から光が見え始めた。恐らく、スリープ・クラウドで眠らされた人達が目を覚ましたのだろう。
 最悪でも、私達だけで事に当らなければならない、という事にはならないだろう。安堵のあまり、私は地面にへたり込んでしまった。

「もう、ご主人様の事ほうって寝ちゃって……」

 静かに眠っているサイトの頬を八つ当たり気味に抓りながら私は呟いた。

「それより、そろそろ学院に戻らない? ギーシュとその平み……サイトと、それにミス・ロングビルも保健室に運ばないと」

 モンモランシーの意見に、私達は気絶してしまった三人を保健室に運んだ。
 ちなみに、私はその……、あんまり魔法を使うのが上手じゃないから、仕方なく、本当に不本意だけど、オールド・オスマンにレビテーションをサイトに掛けてもらった。
 保健室にはマリコルヌが未だ眠っている。なんだか、起きる気配が全くないのが不気味だ。

「ミス・ロングビルはちゃんと目を覚ますのかしら」
「ミスタ・グランドプレが眠ったままの理由が分からぬ以上は何とも言えんのう……」

 私が呟くと、オールド・オスマンは空いているベッドの一つにミス・ロングビルを降ろして言った。

「じゃが、少なくともサイト君は目を覚ました。じゃから、ミスタ・グラモンも必ず目を覚ますじゃろうて」

 オールド・オスマンはギーシュを寝かせて不安そうにギーシュの頬を撫でているモンモランシーに言った。
 オールド・オスマンの言葉に少しだけ安堵の表情を浮かべたようだ。

「どうして、ギーシュはペルソナを覚醒したのかしら……」
「ルイズ、そのペルソナって、結局何なの?」

 私が呟くと、モンモランシーが口を開いた。
 オールド・オスマンを伺うと、オールド・オスマンは静かに頷いた。

「ミス・モンモランシには知る権利があるじゃろう。さて、長い話になるでな、ここじゃとあまり話には向かぬじゃろうて、学院長室まで来てくれるかね?」

 オールド・オスマンに言われて、私とモンモランシーは本塔の頂上にある学院長室にやって来た。
 途中、目を擦ったり、ボーッとした使用人や生徒達を見掛けた。
 私はソファーに座りながら、隣で学院長からモンモランシーが説明を受けているのを頭の片隅で聞いていた。

「ギーシュは大丈夫なんですか? ペルソナなんて、得体の知れない力に目覚めて……」

 モンモランシーは不安げにオールド・オスマンに聞いた。

「それは分からぬ。分からぬ以上、あまり使わぬ方がいいじゃろう。目を覚ましたら、ミスタ・グラモンにも言っておかねばならぬな」
「きつく言っておきます!」

 モンモランシーは頷きながら答えた。

「さて、聞きたい事があるのではないかね?」

 オールド・オスマンの言葉に、私は考えていた疑問を口にした。

「オールド・オスマンに薬を盛ったのはミス・ロングビルですか?」
「……え?」

 私の言葉にモンモランシーが目を丸くした。

「だって、侵入したかもしれない謎の存在はスリープ・クラウドで皆を眠らせたのよ? なのに、オールド・オスマンだけは違う方法で眠らされた。なら、犯人が違うと考えるのが自然じゃない? そして、そんな事をする可能性のある人物は……」
「でも、オールド・オスマンの実力はトリステイン王国でも指折りよ? 先生方をスリープ・クラウドで眠らせる程の実力者でも、オールド・オスマンを眠らせる事は出来なかったんじゃないかしら? だから、仕方なく薬で眠らせる事にしたって可能性も……」

 確かにその可能性もある。だけど、問題なのはオールド・オスマンの眠らされた方法だ。

「オールド・オスマンはどうやって薬を盛られたのかしら?」
「それは、紅茶とか、飲み物に混ぜたり……」

 モンモランシーも気付いたようだ。そう、オールド・オスマンに紅茶を淹れる仕事をしているのは、秘書であるミス・ロングビルだ。ミス・ロングビルなら、怪しまれずに薬を紅茶に入れる事が出来る。

「でも、どうしてミス・ロングビルがそんな事をするのよ?」
「それは……」

 それは私にも分からなかった。ただ、どうしても私には全てが謎の人物の仕込みだとは思えなかったのだ。あの時、怪物の殻を通して、ミス・ロングビルの本音に触れたからこそ、少なからず、ミス・ロングビルの意思も存在した気がするのだ。
 私が黙っていると、モンモランシーが突然声を上げた。

「ど、どうしたの!?」
「ル、ルイズ! わ、私、大変な事を思いついたかもしれないわ!」

 モンモランシーは表情を青褪めさせながら言った。一体、どうしたというのかしら?

「落ち着いて、モンモランシー。一体、何を思いついたのよ?」

 モンモランシーを落ち着かせてから尋ねると、モンモランシーは驚くべき事を言った。

「もしかして、ミス・ロングビルって、少し前にトリステイン王国を騒がせていた怪盗の“土くれ”のフーケなんじゃない?」
「な、なにを言ってるの、モンモランシー! 幾ら何でも……それは」
「私、聞いた事があるの。土くれは30メイルもの巨大なゴーレムを作りだせるって」

 モンモランシーの言葉に、私は黒い怪物になる前に私達の前に現れた巨大な土のゴーレムを思い出した。まさか、本当にミス・ロングビルが土くれのフーケ?

「二人共、見事な洞察力じゃな」

 オールド・オスマンの声に私とモンモランシーは驚いてしまった。オールド・オスマンが居る事を忘れてしまっていたらしい。
 オールド・オスマンはしきりに感心した様子で何度も頷いた。

「もはや、君達には隠しても詮無き事じゃろう。さよう、儂に薬を盛ったのはミス・ロングビルじゃ。そして、ミス・ロングビルは土くれのフーケという名で怪盗をしておった」
「じゃあ、犯罪者だって分かっていて学院に招き入れたというんですか!?」

 私は愕然となった。犯罪者と知りながら秘書にするなんて……。私にはオールド・オスマンの考えが分からなかった。

「言い訳に聞こえるじゃろうが、最初から彼女がフーケじゃと、確信していたわけではなかったんじゃ。それなりに疑っておった事は否定せんがのう」
「どうして、秘書にしようと思ったんですか?」

 モンモランシーが尋ねた。

「元々、儂は彼女がフーケであるという確証を得る為に秘書にしたんじゃよ。そして、確証を得られた」
「なら、何故、衛兵に突き出さなかったんですか?」

 私が訪ねると、オールド・オスマンは深く息を吐いた。

「儂は気付いてしまったんじゃよ。彼女の中の善にのう」
「善……ですか?」
「さよう、善じゃ。彼女が心の底から悪であるならば、儂も迷う事無く衛兵に突き出したじゃろう。じゃが、彼女は学院に来てからは真面目に働き、給金の殆どを仕送りに当てておった。自分では殆ど使わずにのう。儂は考えたんじゃよ、このまま、ミス・ロングビルを怪盗から足を洗わせる事が出来るのではないか、とな」
「だからといって!」
「勿論、彼女に全幅の信頼を置く事は出来んかった。だからこそ、彼女も儂を完全に信じてはくれんかったのかもしれんがのう……」

 オールド・オスマンは自嘲気味に言った。

「常に儂の使い魔にミス・ロングビルの動向を探らせておったんじゃよ。この学院に居る限り、彼女は儂の監視から逃れる事は出来んかった」
「なら、どうして薬を盛られたりなんか……」

 モンモランシーが言うと、オールド・オスマンはバツの悪そうな顔をした。

「実は、もう直ぐこの学院に姫様が来るんじゃが、その件で色々と忙しくてのう……。つい、気が揺るんでしまっとったんじゃ」
「姫様って……、アンリエッタ姫殿下が!?」

 思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。だって、姫様が学院に来るなんて聞いてない。
 アンリエッタ姫殿下はこのトリステイン王国のお姫様で、私の幼馴染でもある。
 一緒に宮殿の中庭で蝶を追いかけて泥だらけになったのは今ではいい思い出だ。今では恐れ多くてとてもじゃないけど出来ないけど、取っ組み合いの喧嘩もした事がある。私にとって、姫様は大切な人なのだ。

「さよう、ヘイムダルの週の初めにアンリエッタ姫殿下は帝政ゲルマニアを訪問する予定なんじゃが、その帰りにこの学院を訪問する事になったんじゃ。その為、色々とイベントの準備など忙しくてのう」
「イベントって何をやるんですか?」

 モンモランシーが尋ねた。

「使い魔の品評会を開こうかと考えておるんじゃよ。明日のフリッグの舞踏会の時に発表するつもりじゃ」
「つ、使い魔の品評会ですか……?」

 私はガックリと肩を落とした。私の使い魔と言えば、サイトの事だけど、十中八九馬鹿にされる事が目に見えている。
 姫様の前で恥をかかされる事になるなんて耐えられない。

「どうしたのよ? 暗い顔して」

 モンモランシーが私の顔を覗きこみながら言った。

「暗くもなるわよ。姫様の前で恥を掻くんだから……」

 私が言うと、モンモランシーは肩を竦めた。

「サイトは強いじゃない。それに、ルイズ、貴女の事を必死に護ってた。私は悪く無いと思うわよ? 貴女の使い魔」
「わ、私だって、サイトが弱いとか、そういう事考えて言ってるわけじゃないわよ!」

 そう、サイトは弱くない。疾風の様に速く走れるし、力も強い、それにペルソナ能力なんて、とんでもない力を持っている。だけど、やっぱり平民だ。
 大衆の面前で、姫様の前で、私の使い魔は平民です、なんていう光景を想像すると絶望しそうになる……。

「まあ、種族は何ですか、って聞かれて、種族は平民です、とは答え難いわよね……」

 モンモランシーが苦笑いを浮かべながら言った。他人事だと思って、このアマ。

「使い魔の魅力を如何に引き出すか、それも主人の大切な仕事じゃよ。よく、サイト君と相談してみなさい」
「うう……、わかりました」

 ペルソナか剣の腕でも披露させようかしら、私がそんな事を考えていると、突然、モンモランシーが素っ頓狂な声を上げた。

「な、なに!?」
「た、大変よ! 明日はフリッグの舞踏会なのに、ギーシュが目を覚まさなかったらどうしよう!?」

 そう言えば、サイトも使い魔として頑張ってるし、ご褒美に私のドレス姿を拝ませてあげようかと思ってたのに、サイト、また一週間も眠り続けるのかしら……。

「本当にすまんのう。二人の治癒に必要な水の秘薬の代金は全て儂が持つ。それに、表立った褒章はやれんのじゃが、儂個人から褒美を出そう」

 頭を下げるオールド・オスマンに私とモンモランシーは溜息を吐いた。オールド・オスマンにこんな事を言われてしまっては憤慨する事も出来やしない。

「それよりもオールド・オスマン。ミス・ロングビルの事ですが……、やはりフーケである事は……」
「それについては儂は何も言えんよ。お主等の判断に任せる。ミス・ロングビルのして来た事は安易に許してよいものではない。とはいえ、儂は彼女に更生の機会を与えたいと願っておる。じゃが、それをお主等にまで押し付ける事は出来ぬからのう」

 私達の答えなんて知っているだろうに、オールド・オスマンは人が悪い。

「罪は償わなければならないと思います……」

 モンモランシーが言った。

「ですが、更生の機会を与えるべきというオールド・オスマンのお考えも一理あると思います。ですから、判断はオールド・オスマンに委ねますわ」
「私も同意見ですわ」

 モンモランシーの言葉に私も続いた。

「二人共、ありがとう」

 オールド・オスマンは再び、深々と頭を下げた。私はモンモランシーと顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。
 本当は納得出来ていない。けど、ミス・ロングビルの声を聞いてしまった私達には、ただ何も考えずに衛兵に突き出すなんて事は出来なかった――――……。

ゼロのペルソナ使い 第十二話『運命』

「また、この天井か……」

 見慣れてきた石造りの保健室の天井を見上げながら呟いた。
 どのくらい寝ていたのだろうか、外は真っ暗で部屋の中も真っ暗だ。前は一週間も眠り続けていたらしいし、今回もそのくらい寝ちゃったかな……。
 俺はベッドから起き上がった。思ったよりも体は硬くなってなかった。立ち上がって、歩いても問題は無さそうだ。
 隣のベッドを見ると、ギーシュが寝かされていた。俺とギーシュは前に俺が着せられていた病人用のバスローブみたいな服を着せられていた。

「服は……無いか」

 前にシエスタが俺の服を仕舞ってくれていた引き出しを開けてみるけど、中には何も無かった。
 他の引き出しを開けてみると、腕時計が入っていた。ちなみに遠出になるからMP3や携帯電話とかはルイズの部屋に置いて来てある。この星じゃ、財布や携帯電話も役に立たないしな。
 腕時計を見ると、時間は深夜の二時だった。

「あれ? 日付が一日しか変わってない……?」

 俺の腕時計はソーラー式で、多機能な腕時計だ。時間は地球と変わらないらしく、そのままの設定にしてある。
 日付の所を見ると、服を買いに行った日の翌日になっていた。壊れている様子も無いし、まさか、一年が経ったわけでもあるまい。

「意外と早くに目が覚めたな……」

 呟いた瞬間、俺は突然、手にナニカを持っていた。
 俺は突然、手の中に現れたナニカを見た。それはペルソナに目覚めた時にイゴールに渡された鍵だった。

「どうして、これが……」

 今の今迄、完全に忘れていた。青白い光沢を持った不思議な鍵だ。
 鍵はぼんやりと光を放っていた。

『いよいよ始まりましたな……。では、しばしお時間を拝借すると致しましょうか……』

 俺の手の中に在る“契約者の鍵”の光が一層強くなった。鍵を包み込む光が細く糸の様に保健室の出口に向かって伸びた。
 俺は導かれる様に光の糸を追った。保健室を出ると、本塔の入口の方に光は伸びていた。
 外に出ると、光は女子寮に向かって伸びていた。女子寮の階段を登り、ルイズの部屋のあるフロアまでやって来ると、そこに見慣れない青白い光を放つ奇妙な扉があった。
 今迄、何度かこのフロアを歩いたけど、こんな扉を見たのは初めてだ。俺はゴクリと喉を鳴らしながら、ソッと扉に近づいた。
 扉の目の前に立つと、扉にはドアノブが無い事に気が付いた。戸惑っていると、手の中の鍵が勝手に動き出した。鍵の動きに釣られて、俺は扉に手をついた。
 直後、俺はあの部屋に居た。青白い不思議な部屋、ベルベットルームだ。

「お待ちしておりました」

 イゴールがいつもの様にソファーに座りながら手を組んで俺を見ていた。
 イゴールはおもむろに話し始めた。

「貴方に訪れる災難……、それは既に人々の“運命”を狂わせながら迫りつつある……。ですが、恐れる事はございません。貴方は既に、抗う為の“力”をお持ちだ。いよいよ、その“ペルソナ”……、使いこなす時が訪れたようですな」

 フフ、とイゴールは不気味な笑みを浮かべながら言った。訪れる災難、それはマリコルヌの時の豚の怪物や、ロングビルの紫の化け物の事だろうか?
 イゴールの背後に黙して立っていたアンが口を開いた。

「さながら荒波の航海の如く、あなたは困難な旅路を歩む事となるでしょう。そして、大いなる謎に挑む事になる。残念ですが、現在の貴方では、まだ真実へと連なる道筋を見つける事はお出来になれません。だからこそ、貴方は知るべきなのです。貴方の力の性質、それは護る事――。その為に貴方は“運命”によって、特別な力を受け取られた」

 アンが冷淡な声で言った。“特別な力”とは、何の事だろう、そう考えていると、アンは俺の心を読んだかの様に語り始めた。

「貴方が受け取られた力、それは数字の“ゼロ”のようなもの……。からっぽに過ぎず、されども無限の可能性を宿す力。それは、正しく心を育めば、どのような試練にも戦い得る“切り札”となる力……」

 アンは冷たい眼差しを俺に向けながら話を続けた。

「それは貴方様御自身の力でございません。あくまでも、仮初めの力。ですが、貴方様が真に絆を育まれれば、あるいは……」

 その時、僅かにだけど、アンの瞳に温かさを感じた気がした。
 イゴールが口を開いた。

「さて……、いよいよ私も忙しくなりますな。私の役割……、それは、“新たなペルソナ”を生み出す事。お持ちの“ペルソナカード”を複数掛け合わせ、一つの新たな姿へと転生させる……。言わば“ペルソナの合体”でございます」

 複数のペルソナ? 俺は目を丸くした。ペルソナって、複数も持てる物なのか、俺はまじまじとイゴールを見た。
 イゴールは愉快そうに嗤った。

「貴方はお一人で複数の“ペルソナ”を持ち、それらを使い分ける事が出来るのです。そして、敵を倒した時、貴方には見える筈だ……。自分の得た“可能性の芽”が、手札としてね。時にそれらは、酷く捉え辛い事もある……。しかし、恐れず掴み取るのです」

 可能性の芽を掴み取る、俺にはよく分からなかった。

「カードを手に入れられたなら、是非ともこちらへお持ち下さい。しかも、貴方がコミュニティをお持ちなら、ペルソナは更に強い力を得る事でしょう……。貴方の力は、それによって育ってゆく……。よくよく心しておかれるが良いでしょう」

 確か、ルイズとのコミュニティである“愚者”のコミュとギーシュとのコミュニティである“魔術師”のコミュ、オールド・オスマンとのコミュニティである“隠者”のコミュ、それにコルベールとのコミュニティである“刑死者”のコミュを持っている。
 “愚者”、“魔術師”、“隠者”、“刑死者”のペルソナを合体で生み出す時、更に強い力を得る様だ……。
 イゴールとアンが頷き合って、アンが俺の所にやって来た。俺の目の前までやって来ると、どこからともなく、重厚で綺麗な細工が施された一冊の本を取り出した。

「こちらにあるますのが“ペルソナ全書”でございます。貴方様がお持ちのペルソナを登録される事で、それをいつでも引き出す事が出来る仕組みとなっております。ご利用の際は、私に申し付けてくださいませ」

 そう言って、アンは定位置に戻って行った。ペルソナ全書というのは、ゲームをセーブするメモリーカードみたいなものらしい。

「さて、私からは以上でございます。ですが……、お聞きになりたい事がおありのようだ」

 イゴールは俺の考えを見透かした様子で言った。聞きたい事は山のようにある。だけど、なにから聞けばいいか分からなかった。
 ここは……ベルベットルームとは一体なんなのか、そもそも、イゴールとアンは何者なんだ?

「ここは意識と無意識の狭間をたゆたう部屋でございます。そして、私共はこの部屋の住民……」

 よく分からない答えを返された。じゃあ、ペルソナとは何なんだ?

「“ペルソナ”とは、心の奥底に潜む、神や悪魔の如き、もう1人の自分を呼び出す力なのでございます。神の様に、慈愛に満ちた自分……、悪魔の様に、残酷な自分……、人は、様々な仮面を着けて生きるものでございましょう? 今の貴方様の姿も、無数の仮面の一つに過ぎないのです。ペルソナもまた、数多くある貴方様の姿の一つなのでございます」

 なんとなく、今のイゴールの話は分かる気がした。
 親の前に居る時の自分、婆ちゃんや爺ちゃんの前に居る自分、先生の前に居る自分、友達の前に居る自分、ルイズの前に居る自分、どれも同じ自分だと言い切る事は出来ない気がした。
 じゃあ、ローランはどんな自分なんだ? ローランの勇ましい姿を思い浮かべながら、俺は首を捻った。

「さて、そろそろお時間のようでございます。次からはご自分の意思で扉を開けて、こちらへ参られるがよろしい。ではその時まで、ごきげんよう」

 いつの間にかルイズの部屋のあるフロアの壁の前に立ち尽くしていた。後ろを振り返ると、青白い光を放つ不思議な扉は変わらずにそこに存在していた。
 窓を見ると、既に朝日が上っていた――――……。



[16996] 第十三話『ボーイ・ミーツ・ボーイ』
Name: 雪化粧◆cb6314d6 ID:59d590d7
Date: 2015/05/08 17:27
 目の前が真っ暗になって、気が付くと俺はベルベットルームから追い出されていた。突然、目の前が明るくなって、思わずよろけてしまう。窓の外から差し込んだ光が、もう朝である事を教えてくれた。

「そうだ、扉!」

 俺は慌てて振り返った。そこには、青白い光を放つ扉が壁に、まるで額縁に飾られた絵画の様に浮かんでいた。
 俺は扉に手を伸ばそうとしたけど、邪魔が入った。

「あら、また会ったわね、ルイズの使い魔」

 声に振り返ると、そこには褐色の肌と紅蓮の髪が印象的な胸の大きな女が居た。確か、名前はキュルケ。キュルケは胡散臭そうに俺を見ていた。

「貴方、壁に向かって何をしてるの?」

 キュルケの言葉に俺はベルベットルームの扉を見た。だけど、やはり扉は浮かんだままだ。

「この扉、見えないのか?」
「扉……? 何の話?」

 キュルケには見えてないのか。俺は何でもない、と誤魔化した。
 キュルケは呆れた様に肩を竦めた。

「ねえ、前に聞いた話だけど……」
「前に聞いた話……っていうと、食堂で話した時の事か?」
「そう……。ねえ、あれって本当だったの?」
「どうして……」

 あの時、キュルケは少しも信じようとしなかった。なのに、どういう心変わりだろう。
 キュルケは頭を掻きながら、どこか苦い表情を浮かべて言った。

「昨日、黒い怪物と戦ってたのは貴方達?」
「え? ああ、見てたのか? なら、助けに来てくれよな……」
「そう、黒い怪物って言って、理解出来るって事はやっぱりそうなんだ」
「何の話だ?」

 キュルケは何を考えてるんだろう。俺は首を傾げた。

「その様子だと、知らないみたいね。昨日の夕方、私は友達の子と食堂に向かってたわ。だけど、どういう訳か、意識を失ってた。その友達の子っていうのが、私を起してくれたんだけど、彼女も少しの間動けなかったって……」
「どういう事なんだ?」
「スリープ・クラウドって知ってるかしら?」

 キュルケの言葉に俺は首を振った。響きから、もしかしたら呪文の事かもしれないとは思ったけど、どういう呪文なのかまったく分からない。

「眠りを誘う、水系統の呪文よ。その効果は使用したメイジの力量を上回る水のメイジで無ければ逆らえない。さっき話した、私の友達の子は水のトライアングルなんだけど、その子ですら、解呪するのに時間が掛かったわ」

 どういう事なんだ、誰かがキュルケを眠らせたって事なのか?

「私達以外にも、使用人達や先生方、他の生徒達も眠らされていた。ただでさえ、トライアングルを眠らせる程のスリープ・クラウドをそんな大人数に同時に掛けるなんて、並のメイジに出来る事じゃないわ」

 キュルケが何を言いたいのか、俺にも薄々だけど分かってきた気がする。

「私はその友達……タバサって言うんだけど、タバサと一緒に外を見たわ。そしたら、そこにあの怪物が居た。誰かと戦ってるみたいだって事は分かったけど、それが誰だか分からなかった。確かめ様にも、下手に動けなかったし……」
「そのスリープ・クラウドって魔法を使った犯人がどこかに居るかもしれないって思ったからか?」
「ええ、案外、賢いじゃない。そう、私もタバサも並の雑魚には負けない自信がある。だけど、相手が並の雑魚じゃなくて、スクウェアクラスのメイジなら話は別。自分から殺されにノコニコ歩き回る趣味は無いわ」
「で? なんで、俺だと思ったんだ?」
「そんなの当然の帰結よ。怪物と戦っているナニカは私達の知らない“力”を使っていた。なら、その力を持つ者は誰かしら? そう考えた時、一番に頭に浮かんだのは貴方だった。何故って? この学院で貴方は異質だからよ。ルイズに召喚された、貴族を敬うっていう、平民にとっての当たり前が当たり前じゃない平民。それに、前に貴方に聞いた話を統合すれば、話はより明確になったわ。だから、カマを掛けてみたわけ。違うなら、怪物って単語に首を傾げるでしょ? 怪物が居た時間、使用人達は眠ったままだったんだから――」

 キュルケの洞察力に俺は舌を巻いていた。まるで、小説やドラマの中の探偵の様だ。

「この前は悪かったわ」
「え?」

 キュルケが突然頭を下げた。

「貴方の言ってた事は真実だった。なのに、私は信じないで、貴方を侮辱したわ。これでも、礼儀は弁えてるつもり。許してくれるかしら?」

 俺は驚いていた。キュルケは会っていきなり人の名前を馬鹿にしたり、人の言葉を信じないで敵意を向けてきたりしたから、実の所、苦手だった。
 だけど、今のキュルケは何となく親しみが湧いた。口元が綻んだ。

「ああ、別にいいよ。えっと、キュルケ?」

 キュルケはクスクスと笑った。

「合ってるわよ。キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。でも、“微熱”のキュルケとだけ、覚えておいてくれればいいわ。改めて、よろしくね」

 キュルケが右手を差し出してきた。俺は自然とその手に同じく右手を差し出した。

「サイト・ヒラガだ。こっちこそ、よろしく」

 キュルケの体温が握った掌に伝わって来る。温かい、これが微熱のキュルケの温度なんだな。
 キュルケの微熱を感じながら、キュルケとの間に、ほのかな絆の芽生えを感じる。
 …………!? ……頭の中に、不思議な声が囁く――。

『我は汝……、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり……。絆は即ち、真実に至る一歩也。汝、“悪魔”のペルソナを生み出せし時、我ら、更なる力の祝福を与えん……』

 俺はキュルケとの絆に呼応する様に、”心”の力が高まるのを感じた。
 今度、友達の事を紹介するわ、そう言って、キュルケは去って行った。去り際に階段を降りながらキュルケは言った。

「貴方、思ったよりもいい男みたいね。ちょっと、微熱が疼いちゃったわ」
「な、なに言って!」

 高らかに笑いながらキュルケは階段を降りて行った。何だか、最後に一気にくたびれてしまった気がする。
 そろそろルイズを起した方がいいな。今日は“フリッグの舞踏会”がある筈だ。舞踏会なんて、俺は行った事が無いけど、準備に相当な時間が掛かる様な気がする。特に女の子は。
 着替えたいけど、着替えがどこにあるか分からないし、先に顔を洗う為の水を汲んで来よう。
 俺はキュルケが去って行った跡を追う様に、階段を降りた――。

 外に出ると、昨日の戦闘の爪痕は一切無かった。

「オールド・オスマンが直したのかな?」
「どうしたんですか、サイトさん?」
「ほあっ!?」

 突然、背後から声を掛けられて、俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。振り返ると、シエスタが呆気に取られた表情で俺を見ていた。

「あ、シエスタ! あ、その、ちょっと吃驚してさ」
「変なサイトさん」

 シエスタはクスクス笑った。なんだかむしょうに恥しい。

「それにしても、目を覚まされたんですね。また、お倒れになったって聞いて、吃驚しちゃいましたよ」
「えっと、心配してくれた?」

 俺が言うと、シエスタは腰に手を当てて立腹した様子で言った。

「当たり前です。何があったか、私は一介の使用人ですから気軽に聞いたりは出来ませんけど、ミス・ヴァリエールがとても心配なさってました。あまり、無理をなさらないで下さいね?」

 最後は本当に心配そうに言ってくれた。俺は嬉しくなって、笑みがこぼれた。

「うん。ありがと、シエスタ」
「……さあ、お仕事に戻りましょう」

 シエスタも穏かな笑みを返してくれた。そうだ、今の内に言っておきたい事があったんだ。

「ちょっと待って」
「なんですか?」

 俺はシエスタを呼び止めた。改めて言おうとすると、なんだか気恥ずかしい感じがする。
 だけど、ちゃんと言わないといけない。

「ここに来てから、シエスタには本当に世話になったからさ……。本当にありがとう」

 頭を下げた。仕事を教えてもらったり、倒れている間、介護をしてもらったり、本当に恩がたくさんある。

「あ、頭を上げてください! 全然、大した事はしてないんですから!」

 シエスタがあわあわ言いながら懇願してきた。
 俺はその様子をもっと見て居たかったけど、困らせても仕方ない。顔を上げて、もう一回、お礼を言った。

「シエスタ、何か困った事があったら言って欲しい。俺に何が出来るか分からないけど、何が何でもシエスタを助けるからさ」

 俺はシエスタの目を真っ直ぐに見ながら言った。

「……ありがとうございます。ふふ……、困った時に助けに来るだなんて、まるで“イーヴァルディ”の勇者の様ですね」
「“イーヴァルディ”?」
「知らないんですか!?」

 俺が首を傾げると、シエスタは酷く驚いた顔をした。
 俺はイーヴァルディについて尋ねてみた。
 シエスタは丁寧に教えてくれた。

「ハルケギニアで一番有名な英雄譚なんです。勇者イーヴァルディは始祖ブリミルの加護を受けて、“左手”に剣を、“右手”に槍を持ち、竜や悪魔、亜人に怪物、様々な敵を打ち倒すんです。伝承に口伝、詩吟、芝居、人形劇と、バリエーションも豊富なんですよ」
「なんだか面白そうだな。もっと、教えてよ!」

 俺が言うと、シエスタは困った様な顔をした。

「実は、私が知っているのは、幼い頃に両親に読んでもらった童話の中のイーヴァルディなんです。イーヴァルディには本当にたくさんの物語があって、私が知っているのは、イーヴァルディの有名な物語の竜退治だけなんです」

 シエスタは少し恥しそうに言った。

「その物語はどんな話なの?」

 俺は聞いた。なんだか、とても気になった。
 俺の心のどこかが叫んでいた。聞くべきだ、と。

「えっとですね。イーヴァルディはとある村に立ち寄るんです。そこで、とてもお腹を空かせたイーヴァルディはルーという少女にパイを貰うんです。そして、村で体を休めていました。すると、その村に竜が現れるんです。竜はルーを攫いました。イーヴァルディはパイをくれただけの少女を救おうと、皆の反対を振り切って、恐怖に苛まされながら、竜を退治しようと、竜の住処に向かうんです。村の長がイーヴァルディに一本の剣をくれました。イーヴァルディはその剣を持って、竜の住処に乗り込み、竜と対峙しました。何度も傷つき、倒れるイーヴァルディは最後、竜の炎に焼かれそうになるんです」

 俺は不思議な感じだった。自分の事じゃないのに、どこかこそばゆく、そして、どこか嬉しい気持ちになっていた。

「だけど、村長にもらった剣が光を放ち、そして、光に包まれた剣は竜の炎を跳ね返すのです。見事にルーを救い出したイーヴァルディは再び旅に出ます。ルーと共に――」

 まさしく勇者の物語って感じだ、俺は思った。女の子を助ける為に竜と戦う勇者か、俺の星にもそういうゲームがあったな。

「イーヴァルディか……」
「図書館に行けば、多分、本があるとおもいますよ。ミス・ヴァリエールに頼んでみたらいかがですか?」

 この星の字は読めないんだけど……、この際、勉強してみるか。

「そうだな。ありがと、シエスタ」
「そろそろ、お仕事に戻りませんと」
「ああ、ごめんな。でも、シエスタ、さっきの、本気だから」
「……その時は、期待しちゃいますね」

 シエスタは穏かに微笑みながら言った。どうやら、俺の言葉を信じてくれたらしい。
 シエスタの信頼を感じた。シエスタとの間に、ほのかな絆の芽生えを感じる。
 …………!? ……頭の中に、不思議な声が囁く――。

『我は汝……、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり……。絆は即ち、真実に至る一歩也。汝、“恋愛”のペルソナを生み出せし時、我ら、更なる力の祝福を与えん……』

 俺はシエスタとの絆に呼応する様に、”心”の力が高まるのを感じた。
 シエスタと一緒に水場に向かった。水を汲んで、シエスタと別れた俺はその場を後にした。

「あら、サイトじゃない! もう、起きてたの!?」

 女子寮の階段を上がっていると、モンモンが目を丸くしながら俺を階段の上から見下ろしていた。

「あ、モンモン」
「だ・れ・が、モンモンよ! ちゃんと、ミス・モンモランシーって呼びなさい!」
「へいへい」
「……はぁ。もういいわ。それより、ギーシュは起きた?」

 諦めた様に溜息を吐き、モンモランシーは不安げに尋ねてきた。

「俺が起きた時はまだ寝てたよ。今はどうかな……」

 モンモランシーはそう、と元気無く呟くと、階段を降りて行った。

「夜までには目が覚めるといいな」

 俺が言うと、モンモランシーは苦笑しながら行ってしまった。
 俺もルイズの部屋に急ぐか――――……。

ゼロのペルソナ使い 第十三話『ボーイ・ミーツ・ボーイ』

 部屋に入ると、俺のご主人様は未だ寝ていた。キュルケやモンモランシーはとっくに起きてるのに寝坊助め。
 俺の荷物の所に、昨日買った服が袋に入ったまま置いてあった。中から適当なのを選んで着る。
 白のインナーに青いジャケット、それにカーキ色のパンツだ。結構イケてると思う。
 病人服は畳んでソファーの上に置く。水を張った桶をルイズのベッドの近くの小机に置いて、俺はルイズに声を掛けた。

「うにゅ……。ワルド様……」

 ワルド様って誰だろう……。肩を揺らすが、全然起きる気配が無い。よっぽど熟睡してるらしい。けど、今日は舞踏会なんだから、早く起きて準備をしないとまずいんじゃないか?
 俺は心を鬼にして、掛け布団を一気に取り払った。

「キャアアアアアアアアアアアアア!!」

 耳が痛くなるほどの絶叫をして、ルイズは目を覚ました。

「にゃ、にゃにするのよ!」

 俺から掛け布団を慌てて引っ手繰ると、フルフル震えながら涙目で俺を睨みながらルイズは言った。
 凄く可愛いけど、いつまでも見てる場合じゃない。

「ルイズが起きないからだよ。とっとと、顔を洗おうぜ?」
「あ、あんたねぇぇ! って、あら? どうして、あんた起きてるの?」

 ルイズは小首を傾げながらしばらく唸っていると、突然、顔を青褪めさせた。

「って、私ってば、何日寝ちゃったの!? もしかして、一週間!? 舞踏会は? 授業は? いやあああああああ!」

 何か、勘違いしてるらしい。このまま見てても凄く楽しいけど、俺はルイズを宥めた。

「落ち着け、俺が早く目を覚ましただけだ。今日がフリッグの舞踏会だよ」
「あ、あら、そうなの?」

 ルイズは顔を赤らめながらコホンと咳払いをした。

「い、今のは忘れなさいね」
「凄く面白かったけど?」
「わ・す・れ・な・さ・い!」

 どこからか鞭なんて持ち出しながら言うルイズ。俺は慌てて頷いた。

「りょ、了解です」

 それから、ルイズの顔を水に浸したタオルで拭い、また、下着を脱がせて、服を着せた。
 相変わらず、健全な男子高校生に刺激的な朝を送らせてくれるご主人様だ……。

「そう言えば、アンタ、お風呂の場所は分かってる?」
「いいや、知らないけど?」
「使用人の寮の一階にあるわ。行ってらっしゃい」
「……つまり、臭うと?」
「……ちょっとね」

 俺は項垂れながら了解した。ここは女子寮で、ルイズの部屋に来るまでに女の子と何人も擦れ違った。その間、何人かの少女が鼻を抓んだのは、つまりそういう事か?
 シエスタやモンモランシー、キュルケはそんな素振り見せなかったのに……。
 俺は風呂場に向かう事にした。女子寮を出て、使用人の寮を探し歩いていると、声を掛けられた。

「やあ、サイト」

 そこには、なんと、ギーシュが居た。

「ギーシュ!? もう、目を覚ましたのか!?」
「ついさっきね。一体、あれからどのくらい経ったんだい?」
「今日はフリッグの舞踏会がある日だ」
「つまり、一日しか寝てないのか……。意外だな、君の時は一週間も寝ていたのに」
「俺の時はベルベットルームに招かれたりしてたから、そのせいかもしれないな」
「ベルベットルームか。僕は招かれなかったようだね。まあいい、それより、モンモランシーの無事を確かめないと……」

 心配そうな表情のギーシュに、さっきモンモランシーと話した事を話した。

「そうか、怪我は無かったんだね? 外出中なら、外を探したほうがいいか……」
「ところでさ、ちょっと頼みがあるんだけど」

 俺が言うと、ギーシュはなんだい? と俺の方を向いた。

「使用人の寮ってどこにあるか分かるか?」
「使用人の寮? 君は、ルイズの部屋で寝泊りするんじゃなかったのかい?」
「そうだけど、風呂がさ……」
「ああ、なるほどね」

 ギーシュは納得した様に頷いた。

「分かった。案内するよ。だけど、僕も一つ、君にお願いがあるんだ」
「なんだ?」

 ギーシュからの頼み事なんて意外だった。だけど、ギーシュの言った頼み事の内容はもっと意外だった。

「サイト、一発、僕を殴ってくれないかい?」
「はぁ!? ちょ、ちょっと待ってくれ! いきなり、なんでだよ!?」

 ペルソナの覚醒で頭のネジが一本飛び出てしまったのだろうか、ギーシュは訳の分からない事を言い出した。
 ギーシュは俺の目を見ながら頼む、と言ってきた。俺はギーシュの真剣な表情に息を呑んだ。

「サイト、聞いて欲しい事があるんだ……」
「なんだよ?」

 ギーシュは大きく息を吐くと、苦い表情を浮かべた。

「僕は君を友達だと思ってる」

 俺は思わず顔が火照った。面と向かって、友達と言われると、なんだか少し、照れ臭い。
 だけど、ギーシュは首を振った。

「違ったんだ。僕は……、白状するとね、僕は君を見下していたんだ。ルイズの事も……」

 ギーシュの独白に俺は自分でも驚く程動じていなかった。
 俺は知っていたんだ。ギーシュはやっぱり貴族で俺の事をどこか見下してた。だけど、それでもギーシュは俺に親しげに話しかけてくれた。だから、そんな事は別に気にしてなかった。
 ギーシュは違ったらしい。拳を強く握りしめながら言った。

「あの時、僕は怖かったんだ。怖くて、なのに、あの怪物にサイトとルイズは立ち向かった。その姿がかっこいいって思ったんだ。それと同時に、平民の癖に、ゼロの癖にって僻んだ。どうしようも無いほど情け無い事を考えたんだ……」
「ギーシュ……」
「僕は君とちゃんと友達になりたい。対等になりたいんだ。だから、君の拳で僕の情け無い所を吹飛ばして欲しいんだ」

 ギーシュは真摯な眼差しで言った。俺は思わず笑ってしまった。
 どこが情け無いんだよ、こんなカッコいい奴、俺は他に知らない。
 俺は拳を握り締めた。ギーシュは両手をだらんと下げた。だけど、それじゃ駄目だ。

「何してんだよ。お前も拳を握れよ」
「何を言ってるんだ? 僕には君を殴る理由が……」
「対等になるんだろ?」
「……ああ、君はやはり変な奴だ」
「お前に言われたくねーよ」

 俺とギーシュは互いに笑い合った。そして、ギーシュも拳を握った。
 静かな広場には他にも暇を潰している生徒達が居た。フリッグ舞踏会があるからか、授業は休みらしい。
 外野は居るけど、今の俺には目の前の馬鹿の事しか目に入ってなかった。手の中にカードが現れるのを感じた。
 俺は当然の様に、そのカードを握り潰した。ギーシュも手の中のカードを握り潰したらしい。
 俺とギーシュの左手から光が溢れて、俺達の頭上でローランとオリヴィエが睨み合った。
 外野の声はもう何も届かない。握った拳を思いっきり振上げて、俺とギーシュは同時に走った。
 頬にとんでもない衝撃が走った。だけど、俺もギーシュも吹飛ばされずに踏み止まった。
 互いに拳を相手の頬に叩き込みながら、互いに笑い合って、そのまま地面に大の字で倒れこんだ。
 頭上を見上げると、ローランとオリヴィエが消え去った。

「これから、よろしく頼むよ。サイト」
「ああ、よろしくな、ギーシュ」

 俺達は互いの拳をコツンとぶつけあった。
 ギーシュは爽やかな笑みを浮かべている……。ギーシュと、本当の意味で対等になれた気がした。
 “ギーシュ・ド・グラモン”コミュのランクが“2”に上がった!
 “魔術師”のペルソナを生み出す力が増幅された!



[16996] 第十四話『フリッグの舞踏会』
Name: 雪化粧◆cb6314d6 ID:59d590d7
Date: 2015/05/08 17:27
 王立図書館――――。
 ここには、何千年も前から現代に至るまでに出版された数多くの本が貯蔵されている。
 トリステイン王国に三つある衛士隊の一つである“グリフォン隊”の隊長を務める私、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドは調べ物をする為にここに来ていた。
 私には悲願があり、その為の調べ物だ。数ヶ月前、私は私の悲願を実現しようとしている組織を知った。
 レコン・キスタ。“聖地”を奪還せんと動く、アルビオン王国の革命軍。どうしても繋がりが欲しい。その為には、それ相応の価値が私になければならない。

「さて……、どうしたものかな」
「何をお探しですか? ミスタ・ワルド」

 適当な本を手に取り、読んでいた私に濃い緑髪の縁の太い眼鏡を掛けた女性が話し掛けてきた。
 彼女の名前は、リーヴル。その隣には、彼女の使い魔のテクストが立っている。

「やあ、ミスタ・ワルド」

 相変わらず、テクストは可愛い外見に似合わない渋い声だ。この声に、少なからず憧れを抱く者は少なくない。
 時々、使い魔が話せる様になるルーンが刻まれる事がある。かなり珍しいルーンだ。

「ああ、少しね。どうしたんだい? 話し掛けてくるなんて、珍しいじゃないか」
「その……、最近、図書館に幽霊の目撃証言があって、陽が沈んだ後、ご利用になるお客様にご忠告を……」
「幽霊?」

 何を言い出すかと思えば、あまりにも突飛な言葉に私は苦笑してしまった。だが、一笑していい事なのだろうか? 少し考えれば、幽霊など存在しないのは当然。
 幽霊は存在しない。なのに、幽霊の目撃証言がある。つまり、“幽霊”は居る。だが、それがよく言う所の死者の想念が具現化したモノとは違うとしたら……。

「何かを見間違えたのではないかい?」

 私が確認する様に尋ねると、彼女は少し思案して頷いた。

「もちろん、重要な文献を狙った盗賊の線も在りますし、ただの愉快犯の可能性もあります」
「どちらにしても、あまり放っておいていい話ではないな……。ここには、機密文書も保存されている、少し、調べてもいいかね?」
「よろしいのですか?」
「私は衛士隊の隊長だからね。国の経営する図書館に怪しい人物が居ると知りながら放逐する事は出来ないさ」

 どうも、幽霊が現れるのは夜だけの事らしい。私は夜を待つ事にした。

 夜になると、図書館は静まり返っていた。突然、ドスンと、何かが落ちる音がした。

「ほあっ!?」

 私は急ぎ、地面に耳を付けて、誰かの足音が聞こえないかを確認した。うむ、何の音も聞こえない。どうやら、本が落ちただけらしい。まったく、人騒がせな……。
 私は服に付いた埃を払いながら乱れた息を整えた。まずは、一階を探索してみよう。

「……何も居ないな」

 私はガッカリして、ホッと息を吐いた。うむ、居なかったからには仕方ない。そろそろ帰ろうか、いやいや、まだ二階が残っている。
 私は杖を握り締め、二階へと上がる階段を登った。夜の冷気で思わず体が震えた。む、鍛錬が不足しているらしいな。鍛えなおさないといけない。
 結局、二階にも誰も、何も居なかった。だが、目撃証言が出ている以上、これでお仕舞いにする訳にはいかない。

「明日、出直すか」

 私は王立図書館を後にした――。

ゼロのペルソナ使い 第十四話『フリッグの舞踏会』

 暗い世界に居た。まるで、光も届かない深い井戸の底に落ちてしまったかの様に真っ暗。さっきまで、ギーシュと学院の広場で殴り合いをしていた筈なのに……。
 自分の体だけが何故かハッキリと見える。
 ここはどこだ、俺はどうしたんだ、幾つ物疑問が湧く中で、不意にどこからともなく声が響いた。

『我は汝、汝は我』

 誰だ? 聞いた事の無い声が聞いた事のある言葉を口にしている。そうだ、これはオーディンが最初に現れた時に聞こえた言葉と同じだ。

『我は汝の心の海より出でし者也。汝、我の助けを欲するならば喚ぶがよい。我は汝に力を貸そう』

 誰なんだ。俺は姿無き声に向かって叫んだ。真っ暗な世界で、声の主が微笑んだ様な気がした。

『我は――――。汝が我を必要とする時、再び見えようぞ』

 待ってくれ、聞こえない! もう一度、お前の名前を――!
 突然、俺の視界に光が溢れた。真っ青な空に向かって、俺は手を伸ばしていた。俺は寝ていたらしい。
 隣でギーシュが眠っている。夢だったのだろうか、俺は胸に不思議な温かさを感じた。

「なんだったんだ、今の夢」

 ただの夢と言い捨てる事は出来なかった。ベルベットルームの例があるし、夢だからと馬鹿に出来ない。
 俺が考え事をしていると、隣でギーシュが動く気配を感じた。どうやら、ギーシュも目を覚ましたらしい。

「ん……、どうやら眠っていたらしいね」

 ギーシュは寝惚けた目を擦りながら起き上がった。

「そう言えば、君を使用人の寮に案内する約束だったね。行こうか」

 欠伸を噛み殺しながら言うギーシュに頷きながら俺は考え続けたが、結局何も分からなかった。
 使用人の寮は学院の本塔の裏手にあった。学生寮よりもずっと小さい。学生寮の前にコルベールが居た。
 何をしてるんだろう、俺はコルベールに声を掛けた。コルベールは振り返ると、穏かに微笑みかけてきた。

「やあ、ミスタ・グラモンにサイト君。こんな所で、どうしたんだい?」
「あ、コルベール先生!」
「おはようございます、ミスタ・コルベール。サイト君に使用人用の風呂の場所まで案内してたんですよ」
「使用人のお風呂は中に入って右の奥だよ」
「ありがとうございます、ミスタ・コルベール」
「コルベール先生はここで何をしてたんスか?」
「私は今度の催し物の件で使用人達に色々と話があってね」

 コルベールの話を聞くと、来週のラーグの曜日にこの国のお姫様がこの学院を訪問するらしい。その時に、使い魔の品評会も行われるそうだ。
 コルベールはその件で使用人達に会場の手配、料理の配膳、その他諸々の伝達をしに来たらしい。

「なんと! アンリエッタ姫殿下がこの学院に!?」

 ギーシュが感激した声で言った。俺もお姫様ってのには興味がある。
 ラーグの曜日って事は、十日後か……。結構、時間があるな。
 コルベールと別れた後、俺は目を輝かせながらお姫様の説明をするギーシュの話を聞きながら使用人の風呂場を探した。よっぽど美人なお姫様らしい、モンモランシーが聞いたら血の海に沈まされそうな事まで言ってる。
 使用人の風呂場はコルベールの言うとおり、すぐに見つかった。だけど、中に入ると、俺の意気は消沈してしまった。サウナ式だった。

「サウナ式なんて、入った気にならないよ……」
「ん? サウナ式って、蒸気式だよ? ここは」
「その蒸気式ってのが、俺の国だとサウナ式って言うんだよ。けど、サウナ式なんてなぁ」

 ガッカリだ。久々に湯船に浸かれると思ったのに……。
 俺が暗くなっていると、ギーシュが仕方ないな、と言った。

「貴族用の風呂に案内してあげるよ」
「いいのかよ?」
「問題無いさ。今の時間なら誰も入ってないだろうし、湯船じゃなくちゃ嫌なんだろ? 僕も地面に寝転がって泥だらけだから一緒に入ろうじゃないか」

 ギーシュの申し出を俺は受ける事にした。やっぱり、サウナ風呂じゃ不満があるし、貴族用の風呂に興味がある。
 それに、友情を深めるのに裸の付き合いは必須だろう。俺とギーシュは一端別れて、着替えを持って女子寮の前で待ち合わせる事にした。
 貴族用の風呂は男子寮と女子寮と本塔の三箇所にあって、それぞれ男子風呂、女子風呂、教員用風呂に分かれているらしい。
 ルイズの部屋に一端戻って、ルイズに買ってもらった服の上下と下着を持って、俺は女子寮の前でギーシュを待った。
 しばらく待って、ギーシュがやって来た。

「やあ、待たせたね。行こうか」

 ギーシュに連れられて、俺は男子寮にやって来た。女子寮とあまり変わらない感じだ。
 違うのは、女子寮には女子ばかりなのに対して、当然だけど、男子寮は男子ばかりだという事だ。寮の一階の大広間を横切って、俺は貴族用の大浴場にやって来た。

「うわっ、広いな」

 俺は浴場のあまりの広さに圧倒された。日本の銭湯よりずっと広い。湯船なんかプールみたいだ。

「湯船は専門の使用人が数時間毎に清掃して湯を張り替えているんだ」

 今は丁度、お昼の清掃が終了したばかりらしい。俺達が入って来ると、中で清掃用具の片付けをしていたメイドがそそくさと出て行き、その時に清掃が終了した事を教えてくれた。

「お湯はどうやって沸かしたんだ? 電気も無いのに」

 地球なら電気やガスで自動的にお湯を沸かしてくれるけど、ここにはそんな設備は無い。
 使用人は火の魔法が使えない筈だしと俺が言うと、ギーシュは言った。

「電気? なんだい、それは? 湯船は底に埋め込まれている魔石で沸かしているんだよ」
「魔石?」
「精霊石とも言うがね。火石と言って、火薬などに使われたりもするんだが、高位のメイジが上手く細工をすれば湯船を常に適度な温度に維持させるなんて事も出来る」

 浴場には案の定、他には誰も居なかった。俺はギーシュに精霊石の事を聞きながら、服を脱いで湯船に浸かった。
 石鹸があった事には少し驚いた。タオルなんかは常に備え付けられていて、俺はそこから体を洗う為に一枚借りた。
 ギーシュの話では、精霊石には他に風、水、土の石があって、それぞれに先住の力が宿っているそうだ。ギーシュの話を聞いて、俺は知識が増えた気がした。
 何となく、常識知らずから一歩抜け出る事が出来た気がする。

「それにしてもヌクいな……」

 お湯の温かさになんだか瞼が重くなった。

「ううん、やっぱり風呂は気持ちが良いね」
「まったくだぜ」

 二人揃って目を細めながら湯船に浸かっていると、なんだか眠くなって来た――。

 目を開けると、何故かシエスタが居た。嗅ぎ慣れた香り漂うここは、保健室?

「なんで、俺はまた保健室に?」
「サイトさん、貴族用のお風呂でのぼせてたんですよ? ミスタ・グラモンと一緒に……」

 シエスタは何故か顔を赤くしながら言った。

「えっと、また着替えさせてもらっちゃった?」
「……えっと、はい」

 俺は自分の顔が真っ赤になっている事に気付いていた。心臓が早鐘を打ってる。
 親しい女の子に全部見られてしまった。恥しさのあまり、地面に穴を掘ってそのまま埋まってしまいたくなった。
 一週間眠りっぱなしだった時もシエスタに着替えさせてもらったらしいけど、あの時はシエスタが何とも無い顔をしていたから気にならなかったけど、顔を赤らめられるとどうしても意識してしまう。

「ひ、貧相なもん見せてごめん」
「い、いえ、サイトさんの十分大きかったですよ!」
「何の話をしてるんだ君達……」

 隣のベッドから呆れた声が聞こえてきた。ギーシュが居た。

「き、聞いてたの?」
「隣に寝てるんだから、聞きたくなくても聞こえるよ! それより、もう夕方近い、そろそろ起きないと舞踏会の準備が間に合わなくなってしまうよ」
「俺には関係無いし、もうちょっと寝てるよ。体がだるいし」
「使い魔とはいえ、従者なのだから主人のエスコートなんかをキッチリこなさないと駄目だよ。パーティー用の衣装が無いのなら、僕のを貸してもいいよ?」
「エ、エスコート? 俺、舞踏会なんて経験無いし……」
「なら、練習すべきだね。何度も言うが、君はあくまでもルイズの使い魔なんだよ? 使い魔は主人に永遠に仕えなければならない。なら、仕事は早い内に覚えるべきだ。いいかい? これは僕が君を友と思うからこその助言なんだ。君はルイズがルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールだという事をきっちり理解しなければならないよ」
「どういう意味だ?」

 ギーシュは呆れた様に溜息を吐いた。

「馬鹿か、君は……。つまり、ルイズはヴァリエール家の娘って事だよ。いいかい? ルイズの家は由緒正しき王家に使える公爵家なんだ」

 俺はギーシュの説明を聞いてもチンプンカンプンだった。俺の様子を見て、ギーシュは忌々しそうに頭を掻き毟った。

「だから、そんな名門貴族であるヴァリエール家の令嬢の使い魔が平民で、しかも礼節やマナーを知らない粗暴な人間だなんて、愉快に思う貴族はそうそう居ないよ。下手をすると、畜生以下の扱いをされるかもしれないんだ!」

 ガーッと怒鳴るギーシュに俺は渋々了解した。

「でも、さすがに畜生以下って事は……」

 俺が言うと、シエスタが気まずげに口を挟んだ。

「サイトさん。ミスタ・グラモンの仰る事は大袈裟では無いんですよ? お仕事をまともに出来ない使用人なんて価値がありません。ですが、サイトさんの場合は使い魔ですので……」

 シエスタが苦々しい顔で言うと、ギーシュが言った。

「いつでも解雇出来る使用人とは違うからね。仕事が出来なくても安易に放逐出来ない。だけどわざわざ仕事も出来ない役立たずに人間扱いしてやる通りは無い。食事は豚の餌。服も与えられず、ボロ雑巾の様に……」
「そんな事……」

 俺は喘ぐ様に言った。ギーシュもシエスタも冗談を言っている顔じゃない。本気で心配している顔だ。
 俺は冷や水を浴びせ掛けられた様な気分だった。ルイズの使い魔になってから、それなりに悪く無い生活だった。ギーシュの言った事を今迄一度も考えた事が無かった。

「まあ、君の場合はペルソナがあるし、剣の腕もある。そこまで絶望する事は無いけどね」

 ギーシュが項垂れた俺を元気付ける様に言った。

「それに、お仕事が勤まる様に頑張ってお勉強すればいいんですよ。私でよければ、何でもお手伝いしますから、元気を出して下さい」

 ギーシュとシエスタの心遣いに俺は涙ぐみそうになった。それにしても正直言えば甘く見ていた。仕事が出来ないと人間扱いすらされなくなるなんて、思ってもみなかった。

「まあ、背筋は真っ直ぐ、寡黙に、礼儀正しく、常に主を立てる。これだけ頭に入れておきたまえよ」
「簡単に言ってくれるよ、まったく……」

 俺はベッドから起き上がると、肩を落としながら言った――――。

 夜になって、俺はギーシュに黒の背広に似た衣装を借りて、ルイズの部屋の前に立っていた。
 これからフリッグの舞踏会が始まる。俺は何となく緊張しながらルイズの部屋に入った。部屋に入った途端、なんだかいつもと違う甘い香りがした。

「もう、どこほっつき回ってたのよ!」

 部屋に入るなり、ルイズの怒鳴り声が飛んできた。身を竦ませながら部屋に入ると、ルイズは驚く程可愛くなっていた。
 元々凄く可愛かったけど、今のルイズはまるで天使か妖精の様だ。
 長い桃色がかった髪をバレッタにまとめて、白のパーティードレスに身を包んでいる。肘までの白い手袋がルイズの高貴さをいやになるぐらい演出し、胸元の開いたドレスがつくりの小さい顔を宝石の様に輝かせている。
 思わず息を呑んで、俺はルイズに見惚れていた。ルイズはポカンとした顔をしている俺に不機嫌そうに顔を歪めた。

「何か、言う事は無いのかしら?」

 ルイズに言われて、俺は慌てて何かを言おうと考えを巡らせた。何も思い浮かばない。俺はテンパリ過ぎて上手く考える事が出来ずに居た。

「まったくもう! ご主人様が着飾ってるのよ? 感想の一つも無いわけ?」

 俺は必死に考えた。今のルイズをなんと褒めようかと。でも、どんな言葉も薄っぺらく感じてしまう。それほど、ルイズは綺麗だった。

「き、綺麗だ。可愛い! そ、それに……とにかく綺麗だ!」

 自分で言ってて馬鹿っぽかった。もうちょっと捻りを加えろよと自分でも思う。
 恐る恐るルイズの顔を伺うと、ルイズは苦笑いを浮かべていた。

「ま、合格にしてあげるわ。あんたから言い出したんだから、ちゃんとエスコートしなさいよね?」
「お、おう!」

 最初に俺が舞踏会の時にエスコートするよ、と言った時、ルイズは鳩が豆鉄砲を喰らったみたいな妙な顔をした。
 でも、意外にアッサリとルイズは了承してくれた。絶対に恥を掻かせないでよね、と睨まれたけど……。
 ギーシュに借りた黒のスーツに似た衣装を着て、俺はご主人様の手を取った。

「それではご主人様、参りましょうか」

 俺は腹を決めてルイズと一緒に舞踏会の会場に向かった。会場は活気に溢れていて、ルイズを連れて階段を上がるとご馳走の香りや香水の香りが混じった臭いがした。
 ランプやシャンデリアに火が灯っていて、なのに不思議と熱くなかった。

「ヴァリエール公爵家が御息女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢のおなぁぁぁぁりぃぃぃぃ!」

 階段を登り終えて、ホールの壮麗な扉を抜けると、扉の横に控えていた呼び出しの騎士がルイズの到着を高らかに告げた。
 これで俺の仕事は終わりだ。なんだ、思ったより楽勝だったじゃないか。ガチガチに緊張しながらだったけど、ここまでルイズを無事に送り届ける事が出来た。俺は自分の仕事に満足しながらルイズに言った。

「それではお嬢様、使い魔は控えております」

 最後の仕上げだからと俺は大袈裟な動作で頭を下げた。心配して損したぜ、このくらいなら、俺だって出来るんだ。
 俺は得意気になりながら顔を上げると、ルイズは呆れた様な表情を浮かべていた。なんだ、俺はどっか駄目だったのか?

「えっと、どっか駄目だった?」

 俺が小声で聞くと、ルイズは首を振った。じゃあ、なんで呆れた顔してるんだよ、俺は唇を尖らせて言った。

「気を利かせなさいよね。ほら、私……その、ゼロだから、躍る相手居ないのよ……だから……」

 ボソボソと言うルイズの声が上手く聞き取れなかった。

「え、なに? もうちょっと大きな声で言ってくれよ」

 すると、ルイズは大きな溜息を吐いた。

「わたくしと一曲踊ってくださいませんこと。ジェントルマン」

 俺は一瞬聞き間違いかとルイズの顔をまじまじと見た。ルイズは少し顔を赤らめながら黙っている。

「ダ、ダンス踊った事ないんだけど……」
「今日は私に合わせなさい。でも、私の使い魔なんだから、ダンスくらい、躍れる様になりなさいよ?」
「ど、努力します」

 俺は緊張しながらルイズの手を取った。なんだか、夢の世界に居るみたいだ。煌びやかに着飾る少年少女達が踊る中に居て、俺の相手は息を呑む程綺麗な妖精だ。

「もう直ぐ音楽が変わるから、右腕を私の腰に回して、左手は握り合ったまま」

 俺は茹蛸の様に顔を真っ赤にしながら必死にルイズの指示に従った。へ、変な場所触らない様に気をつけないと……。
 ルイズの左腕が俺の肩に回された。ち、近いって! 俺はあわあわしながら小声で言うと、ルイズにシャンとしなさい、と怒られた。
 “大きな河”という名前らしい曲が流れてきて、ルイズに誘われるままに俺は踊った。ルイズの脚を踏まない様に必死だった。
 だから、ルイズが俺の名前を呼んでる事にしばらく気付かなかった。

「サイト!」
「な、なに?」

 俺は吃驚して尋ね返した。

「故郷に帰りたい?」
「……え?」

 俺は思わず足を止めてしまった。その拍子にルイズが俺の胸に倒れこんできた。慌てて謝るとルイズにテラスに連れて来られた。

「ありがとう」

 ルイズはテラスに着くなり俺に言った。俺が目を丸くすると、ルイズは花が咲いた様に顔を綻ばせた。

「『泣かないでくれよ、ルイズ。俺が、何とかするから。あんな怪物なんて簡単に倒して、お前をゼロって馬鹿にする奴も一人残らず倒してやるから』!」

 ルイズが突然、低い声で言った。俺は恥しさのあまりテラスから飛び降りたくなった。

「やめて! 恥しくて死にたくなるから!」

 俺が悲鳴を上げると、ルイズは笑った。

「嬉しかったわ。だから、ありがとう」

 俺は何て返せばいいか分からなくて黙り込んだ。

「サイト、故郷に帰りたい?」
「……そりゃあ、家族とか友達も居るし。でも、帰える方法なんて見当もつかないし……。だから、ルイズの使い魔として頑張るよ」

 俺が言うとルイズは頬を染めた。けど、すぐに顔を顰めた。

「躍るわよ」
「へ?」

 ルイズが俺の手を取ってフロアに歩き出した。俺はルイズの考えがわからず混乱した。
 その翌日、俺は筋肉痛で動けなくなった――――……。



[16996] 第十五話『閃光と魔剣』
Name: 雪化粧◆cb6314d6 ID:76577b36
Date: 2015/05/08 17:27
 私は今日も王立図書館に来ていた。
 人々の叡智が集められたこの場所の空気が好きだという事もあるが、今は大きな二つの理由でここに居る。
 一つは、例の組織に接触する方法を模索する為、そして、もう一つはこの図書館を脅かす輩を見つけ出す為だ。

「それにしても、ここの蔵書の数はいつ見ても壮観だな」
「ここにある蔵書だけでも世界一つ分の価値はあります」

 私が呟くと、いつの間に居たのか、リーヴルが話しかけて来た。
 それにしても、世界一つ分とは随分と大きく出たものだ。私がそう言うと、リーヴルは詰まらなそうな顔になった。

「ありきたりの貴族の反応ですわね。ワルド様でしたら、ここの蔵書の価値を理解して下さると思ったのに」

 どうやらご機嫌を損ねてしまったらしい。
 私としては、数少ない本好きの友に嫌われたくは無い。どれ、一つご機嫌取りをしておこうか。

「では、ここの蔵書の価値について、ご教授頂けるかね?」
「……情報というものは、人々の試行錯誤の結晶です」

 リーヴルは中々に興味深い話を聞かせてくれた。彼女の言い分はこうだ。
 本とは、人々の試行錯誤の結晶を纏めた物。宝石の様な物であり、その価値は人々の生活に根ざした物から使い道の無い物まで多岐に渡る。
 それらが集まるこの場所は国などという、詰まらない単位で語る事は貧しい発想だと言う。
 例えば、食べられる物と食べられない物はそれを試し、命を落とした多くの者の屍の上に蓄えられた知識だ。食べ物一つ取っても、大きな犠牲を伴っている。その価値が国に劣ると言えるかどうか、私にとっても考えさせる考察だった。

「なるほど、確かに秤に掛ける物を間違えていたようだ。情報というのは確かに大きな力を持っている」

 これを否定する事は出来ない。それこそ、情報一つの為に多くの人間が死に、国が傾く事もある。それが集まれば彼女の言い分にも通りがある。
 リーヴルもどうやら機嫌を直してくれたようだし、無駄な時間では無かったな。
 さて、そろそろ仕事の時間のようだ。リーヴルとテクストは時間外労働はしない主義らしく、いつも通り定時退勤してしまった。
 ふむ、暗闇の中に沈む図書館か、童心に返り胸が高鳴るな。さて、今日はどこを調査するか……。

ゼロのペルソナ使い 第十五話『閃光と魔剣』

 フリッグの舞踏会の翌日、俺とルイズはオールド・オスマンに呼ばれて学院長室に来ていた。ギーシュとモンモランシーも同席している。
 オールド・オスマンは少し疲れた様子で俺達にミス・ロングビルの正体を語った。ルイズとモンモランシーにはあの夜に既に話していたらしい。
 ミス・ロングビルが『土くれ』のフーケという有名な盗賊である事、ミス・ロングビルの処遇については俺達に判断を委ねるという事、ルイズとモンモランシーはオールド・オスマンの判断に従う事にしたという事。
 俺とギーシュは互いに顔を見合わせて、しばらく沈黙した。何が正しいのか、分からなかったからだ。

「ルイズはオールド・オスマンに委ねる事にしたんだな?」

 俺が尋ねると、ルイズは小さく頷いた。俺はこの星の人間じゃない。実際に被害を受けたわけでもない。ここはルイズの判断を信じるべきだろう。

「待ちたまえ」

 俺の考えを見透かしたように、ギーシュが口を挟んだ。

「この件は一人一人が判断するべきだ。オールド・オスマンに委ねるならまだしも、ルイズに委ねるべきではないよ」

 どういう意味だろう。ルイズの判断が間違っているというのだろうか。俺が分かっていない事を察したのだろう、ギーシュは言った。

「ルイズの判断力を見くびっているわけじゃないよ。そうじゃなくて、責任を他人に預けるべきじゃないって話さ」

 ギーシュは言った。ミス・ロングビルは犯罪者だ。オールド・オスマンの言うとおり、心の奥に善があるのかもしれないが、それは事実だ。
 もしも、ミス・ロングビルがオールド・オスマンの期待を裏切り、誰かを苦しませた時、その責任はミス・ロングビルを王宮に突き出さないと決断した俺達にも降り掛かって来る。
 もし、ここでルイズの判断に任せるという形でルイズに責任を背負わせてしまえば、ルイズは最悪、二人分の責任を背負う事になってしまう。誇り高いルイズだからこそ、余計に。

「……分かった。ありがとう、ギーシュ」

 ギーシュが止めてくれて助かった。女の子に自分の責任を押し付けるなんて馬鹿な真似をする所だった。

『“契約”に従い、ご自身の選択に相応の責任を持って頂く事です』

 ベルベットルームでのイゴールの言葉が頭の中で甦った。反芻し、俺は自分を戒める意味でもオールド・オスマンに言った。

「俺もオールド・オスマンに判断を委ねます。これは俺の選択で、この選択の責任は全て俺にあります」
「僕もオールド・オスマンに判断を委ねます。ですが、僕もサイトと同じく、この選択の責任は全て自分で負います」

 オールド・オスマンはゆったりとした動作で頷いた。

「ありがとう。君達一人一人の選択が間違いにならぬよう、儂もミス・ロングビルが二度と過ちを犯さぬ様に注意を払う事を約束しよう」

 俺達は同時に頷くと、オールド・オスマンは満足そうに微笑んだ。

「さて、実はもう一つ、お主等を呼んだ事にはワケがあるんじゃ」

 なんだろう。俺は隣に座るルイズと顔を見合わせた。ルイズも困惑した表情を浮かべている。

「なに、そう固くなる話ではない。そうじゃな、ちと長話が過ぎた。お菓子でも食べて気を落ち着かせてはいかがかね?」

 そう言って、オールド・オスマンは立ち上がると、近くの小机の上に乗ったポットに手を掛けた。ルイズとモンモランシーが慌てた様子で立ち上がった。

「い、いけませんわ。その様な事は私共が!」

 ルイズとモンモランシーがお茶を淹れるのを代わろうとすると、オールド・オスマンは楽しげに笑った。

「なーに、儂はこう見えてもお茶を淹れるのは得意でな。直ぐに淹れるから座っていなさい」

 オールド・オスマンに言われて、ルイズとモンモランシーは渋々といった様子でソファーに戻った。
 オールド・オスマンの一挙一動にハラハラしているルイズは何だか面白い。
 オールド・オスマンはお盆に人数分のカップとポット、それにお菓子の入った缶を載せて戻って来た。

「甘くて美味しいのに驚く程健康に良いという素晴らしいお菓子じゃ。遠慮などせず、好きなだけ食べなさい」

 まるで久しぶりに会いに来た孫にお菓子を勧める爺さんみたいに俺達にお菓子を勧めた。ルイズ達はどうしたものかと困った様子でお菓子とオールド・オスマンを見比べている。
 折角勧めてくれたんだし、俺は一つを手に取って食べてみた。一口噛むと、ほんのりとした甘い味わいが口の中に広がって、凄く美味しい。

「ルイズ、これ凄い美味いぞ!」
「は、はしたないわよ。えっと、では、私も一つ頂きます」

 ルイズも恐る恐るといった様子でオールド・オスマンの出してくれたお菓子を口に入れた。
 ルイズの口にも合ったようだ、頬が少し緩んでいる。ルイズの後にモンモランシーとギーシュもお菓子を貰って食べた。

「お茶もある。好きなだけ食べなさい」

 俺は遠慮なくもらう事にした。ルイズが横目で睨んできているけど、このお菓子は本当に美味い。俺がお茶を飲み干すと、オールド・オスマンが口を開いた。

「実は、お主等のクラスに新しい友人が編入してくる事になったんじゃよ」
「編入、こんな時期にですか?」

 ギーシュが怪訝そうな顔をしてオールド・オスマンに尋ねた。
 ルイズ達のクラスにって事は二年生に編入してくるって事だよな。確かに、編入してくる時期としては奇妙に感じる。

「遠方の国の姫君でな。この件に関しては姫殿下からも彼女の事を宜しく頼むとのお言葉を承ってもってのう」
「一国の姫君が……ですか?」

 ルイズは戸惑った口調で聞き返した。一国のお姫様が留学なんてありえるのかな? ルイズだけでなく、ギーシュやモンモランシーも困惑した顔をしている。
 オールド・オスマンが語るには、その転入生の名前はクリスティナ・ヴァーサ・リクセル・オクセンシェルナというらしい。

「それで……、私達は何をすればいいのですか?」
「クリスティナ姫は明日、トリステインに到着する予定じゃ。そこで、ミス・ヴァリエールにはサイト君と共に彼女を王宮へ迎えに行ってもらいたいんじゃよ」
「私がですか?」
「アンリエッタ姫のたっての希望でのう。なんでも、幼少の頃より親しき仲であるお主にクリスティナ姫の事を頼みたいとの事じゃ。まあ、友人として、良い学院生活を送れるようにそれとなくサポートをして欲しいという事じゃよ」
「……わかりました。明朝、王宮へ向かい、クリスティナ姫殿下のお迎えの任にあたりたいと思います」
「頼んだぞ。ミスタ・グラモン、ミス・モンモランシ。お主等にもクリスティナ姫が編入してきた際にはクラスに溶け込めるように力を貸してあげてくれぬかのう?」

 奇妙な間があった。二人がのろのろと頷くのを見ると、オールド・オスマンは満足気に頷いた。

 学院長室を出ると、三人は重い沈黙が広がった。
 ルイズもギーシュもモンモランシーも三人共難しい顔をしている。お姫様が留学して来るって事はそんなに大変な事なのだろうか。

「オールド・オスマンも厄介な事を任せてくれるね……」

 ギーシュが苦虫を潰したような声で言った。

「どういう意味?」
「サイト、異国の姫君が留学して来るんだ。それも、僕達は姫君の接待をしなければならない。つまり、僕達は姫君とかなり近い距離で接する事になるんだ」
「それが厄介な事なのか?」
「厄介な事なのよ。相手は異国のお姫様。そんな相手を接待だなんて……、お姫様の国に取り入ろうとしていると見られてもおかしくはないわ。そうなったら、将来の出世にも関ってくる」

 ギーシュとモンモランシーはどうしたものかと頭を悩ませている。予想以上に大変な事態らしい。
 ギーシュとモンモランシーとは途中で別れて、俺達はルイズの部屋に戻った。

「サイト、明日は夜明けに王宮に向けて出発するわ。今日はもう寝るから」

 部屋に戻るなり、ご主人様は使い魔にご褒美を下さるらしい。
 それにしても、ルイズはギーシュやモンモランシーと違って、割と余裕があるな。
 俺はルイズの寝具を用意しながら、聞いてみる事にした。

「なあ、ルイズは何でそんな余裕たっぷりなんだ?」
「余裕って?」
「だからさ、ギーシュやモンモランシーはかなり困ってたじゃん。オールド・オスマンのお願い事で」
「まあ、確かにちょっと厄介ではあるわね」
「だろう?」
「でもね、私のは姫様直々の任務なの。姫様に期待されてるんだって思えば、気も引き締まるわよ」

 さすがはご主人様。俺はそれ以上深くは聞かなかった。聞く余裕が無かったとも言える。
 相変わらず、お美しいです、ご主人様。まだ慣れない手付きでルイズを着替えさせながら、何となく、勇気と根気が鍛えられた気がした。

「そう言えば、あんたの剣」
「折れちまったな。綺麗に……」

 オールド・オスマンから貰った俺の相棒は前の戦いで綺麗に真っ二つに折れてしまっていた。
 短い間だったとはいえ、死線を潜り抜けて、愛着があったんだけどな。
 今は俺のソファーの後ろに置いてある。どうしても、捨てる気になれなかったんだ。ルイズもそれを許してくれた。

「明日、王宮に向かう途中であんたの剣を買いましょう」
「いいのか?」
「……必要な物だもの」

 それだけ言うと、着替えを終えたルイズはさっさとベッドに潜り込んでしまった。

 翌日、俺とルイズは夜明け前に学院を出た。
 俺はルイズの腰に手を回しながら変な所を触らないように全神経を集中していた。乗馬経験なんて無い俺は仕方なく、ルイズとタンデムしている。
 出発してから二時間ぶっ通しで走り、王都トリスタニアに到着した頃には俺の尻は尋常じゃない痛みを発していた。

「つか、マジで痛い……」
「情け無いわね。王宮に着くまでにはシャンとしなさいよ?」

 そんな事言われても、痛いものは痛い。蟹股になりながら、ルイズの後を追う。
 しばらく歩いていると、ルイズが突然立ち止まった。

「確か、この近くだった筈なんだけど」

 ルイズはキョロキョロと視線を走らせて何かを探している様子だ。

「あ、あったわ。あの看板の店の小道の先の筈ね」
「あ、おい、危ないぞ!」

 目的の物を見つけ出したらしく、ルイズは前が見えていないらしい。人にぶつかりそうになり、俺は慌ててルイズの手を引いた。
 小さく悲鳴を上げて、ルイズは非難するような目で俺を見た。

「おっと、すまないね。急いでいたもので……、ルイズ?」

 ルイズがぶつかりそうになった男は驚いたように眼を丸くしてルイズを見た。
 灰色の長い髪に一瞬女の人かと思ったけど、顔を見た途端に男だと分かった。髪と同じ色の髭が口元を覆っていた。精悍な顔付きと穏かな眼差しにさぞや女泣かせな男だろうと思った。
 そして、泣かされそうな女が目の前に居る。

「ル、ルイズ?」

 ルイズは頬を薄っすらと赤らめていた。瞳を潤ませ、見た事の無い顔で男を見ていた。

「ワルド様……」
「ああ、一目で分かったよ。随分と大きくなったのだね。そうか、それほどの時が経ったのだな」

 ルイズがワルドと呼んだ男は憂いを秘めた目でルイズを見つめ、頭を撫でた。

「あの時は本当に小さな妖精だったな」
「い、いやですわ。私はもう子供ではないのですよ?」
「すまないね。私にとって、君と過ごした日々は輝いていたのだよ。楽しかった」

 懐かしむように語るワルドにルイズは借りて来た猫のように顔を赤らめて大人しくなってしまった。
 おもしろくない。まるで、恋する乙女のような顔だ。俺にはあんな顔を一度も見せてくれたことが無いのに、道端でぶつかった男に見せるなんてどういう事なんだ。

「おや、君は……」

 ワルドは俺に目を向けると、顔を顰めた。

「すまなかったね。昔の話など持ち出すべきではなかった」

 ワルドの言葉にルイズは傷ついたような表情を浮かべた。

「なぜ、なぜその様な事をおっしゃるのですか?」
「彼にとって、おもしろい事とは言えないだろう。私はこれから王宮に赴かなければならないのでね、これでさらばとさせてもらうよ」
「お、お待ちください。サイトは、この者は私の使い魔です」
「使い魔?」

 どうやら、ワルドは俺達を恋人同士だと勘違いしたらしい。ルイズは慌てて訂正した。
 確かに、恋人ではないけど、こうまでキッパリと否定されると寂しいというか、ガッカリというか……。
 使い魔と聞いて、ワルドは目を丸くした。

「人を使い魔に……」

 ワルドは探るような目付きで俺を見た。鬼気迫るものを感じて、俺は突き上げてきた嫉妬すら忘れて、凍りついた。
 ルイズも様子がおかしいと感じたのか、目を丸くしている。

「まさか……いや、そんな事は……」
「ワルド様?」
「あ、ああ、すまない。人が使い魔になるという話はあまり聞かないものでね。君、もしよければルーンを見せてもらってもいいだろうか?」

 手の甲に浮かんだ俺には読めない文字の羅列を見せると、ワルドは熱に浮かされたように見つめた。

「とても、珍しいルーンだね。そう言えば、ルイズ」

 魔法は使える様になったかい? ワルドはルイズに問い掛けた。
 ルイズは泣きそうな顔になった。魔法を使おうとすると、どんな呪文を唱えても爆発してしまう。
 ルイズの様子を見ていると、否応にも分かってしまった。ルイズは目の前の男が好きなんだって。だから、好きな男に魔法が使えないと話すのが辛いのだろう。

「あ、あの」

 ルイズが泣くのが嫌だ。胸に浮かんだ思いに駆られて、俺は口を挟んでいた。

「お、俺、ルイズの使い魔のサイト・ヒラガです。よ、よろしくお願いします」
「ああ、私はワルド。ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドと言うものだ。サイトか、聞き慣れぬ響きだな。装いも見慣れぬ物。遠方の国の者かい?」
「は、はい。日本の東京という所から……」
「ニホン? トウキョウ? 聞いた事が無いな。魔法の方は?」
「あ、俺は貴族じゃないんです。だから、魔法も使えません」
「そうなのかい? しかし、平民といえども、今やヴァリエール家が三女の使い魔。それ相応の礼儀を払わせてもらうよ」

 ワルドは俺の服装を見て、変わった服を着る貴族だと思ったらしい。俺が着ているのはこの世界に着た時に着ていたパーカーだ。やっぱり、この服が一番着心地が良い。
 ルイズを恋する乙女に変えるワルドは正直おもしろくない相手だったが、嫌いになるのは難しい相手でもあった。

「そう言えば、君達はどこへ向かおうとしていたんだい?」
「王宮です。その前に、サイトに剣を買おうと思い、この近くに店があると聞き、向かっておりました」
「武器屋か、それならば確か、この路地を曲がった所にあるピエモンの薬問屋の近くにあったな。サイト、君は剣の目利きは?」

 目利きっていうと、どんな剣がいいのか選べるか? って聞かれたのかな。俺が首を振ると、ワルドは「こっちだ」と言って、路地の奥に向かって進み始めた。

「ワルド様?」
「君達二人では、飾り物を高値で買わされてしまいそうだからね。まだ時間もある事だし、サイトに似合いの剣を見繕ってあげよう」
「そんな、ワルド様にそのようなお手を煩わせるような事は……」
「なに、久しく会った君ともう暫しの間居たいという思いもあるのだよ。学院に通っているのだろう? 君の学院生活を聞かせてはもらえないかい?」

 結局、ルイズが折れて、俺とワルドはルイズの昔話に耳を傾けながら路地に入って行った。
 路地は下水道のような臭いが漂い、とんでもなく臭かった。ルイズも顔を顰めている。
 すると、ワルドは杖を振り、呪文を唱えた。途端に臭い匂いが消え去った。
 歩きながら、ワルドの事も聞かせてもらった。名前は長くて覚えられなかったけど、国に三つしかない衛士隊の一つを纏める隊長らしい。二つ名は『閃光』。風の魔法を得意としているらしい。
 ルイズの昔話を聞いている内に目的のお店に到着した。剣が交差している絵の看板が掛けられている。まさにファンタジーって感じだ。
 薄暗い店内に入ると、かび臭い匂いが鼻をついた。店内には様々な種類の剣や槍、斧、弓などが壁に陳列され、鎧やヘルメット、籠手や盾まで置いてあった。

「わしの息子達を買いに来たのか?」

 店内を見て回っていると、店の奥から男が出て来た。筋骨隆々のまるでアメフトの選手のような体付きの大男だった。

「む、息子?」
「わしが鍛えた武器や防具だ。わしにとっては子供同然だ。おや、珍しい事もありますな。貴族の方がこのような場所に足を運ばれるとは」

 店主はワルドとルイズの格好を見て、居住まいを正した。

「客よ。サイトに持たせる剣を買いに来たの」
「そうですか……。見たところ、あまり鍛えていらっしゃらないようにお目見え致しますが?」

 店主は俺を値踏みするように見ながら言った。

「こう見えても、剣を振るわせればそれなりよ」
『それなり? そんな、ひょろひょろ坊主にゃ、玩具の剣がお似合いだろうが』

 誰だよ、失礼だな。確かに、剣なんてここに来るまで握った事も無かったけど、実際にちゃんと戦えたんだぞ。そう思って、店内を見渡したけど、誰も口を開いていなかった。

「おいこら、デル公。客に向かって、何て口の利き方しやがるんだ」
『五月蝿えよ。身の程知らずにご大層な剣渡して、無責任に戦場なんぞに放り出してみろ、一番に死ぬのはそういう奴だ。俺様は優しさで言ってんだぜ?』

 まるで、スピーカーを通しているような妙な響きの声のする方に行くと、そこには一本の剣が立て掛けられていた。柄が剣が喋る度に動いている。さすがファンタジーだ、剣も喋るのかよ。

「インテリジェンス・ソード。随分と珍しい物を置いているな」
「口の悪い剣ね」

 ワルドは興味を惹かれた様子だが、ルイズは不快そうに顔を歪めた。

『おい、悪い事は言わねーからよ、模造剣で我慢しとけよ。そんな若い美空で命散らせるなんざ、阿呆なだけだぜ?』
「……なら、お前が教えてくれよ」
『ああ?』
「お前がさ、俺に剣を教えてくれよ。俺、一応剣で戦った事があるんだ。でも、剣を習った事が無いんだ。お前、剣なんだし、剣術とか分かるだろ?」
『はあ? 冗談じゃねーよ。お前さんみたいなひよっこになんで俺様が……』
「駄目よ、サイト」

 俺はなんとか剣を説得しようとしていると、ルイズが口を挟んできた。

「なんで?」
「なんで、じゃないわよ。そんな口の悪い剣。それに、錆だらけじゃない。そんな剣を使い魔に持たせるなんて、貴族としての品格が疑われるわ。その剣は却下よ」

 ルイズの言葉に俺は何も言い返せなかった。口を利くなんて、面白そうだし、なによりも剣に剣術を教えてもらえるなら、俺にとっては一石二鳥なんだ。
 だけど、ルイズの貴族としての品格を汚すわけにもいかない。ただでさえ、学院の奴等に馬鹿にされているのに、世話になって、色々とご褒美いっぱいの生活を送らせてくれてるルイズを更に馬鹿にする口実を奴等に与える訳にはいかない。
 後ろ髪を引かれながら、俺は剣を諦める事にした。だが、ワルドが口を挟んだ。

「待ちたまえ。確かに、ルイズの言い分も分かる。だが、サイトの言い分も間違っていない。ルイズ、インテリジェンス・ソードの存在する理由はなんだか分かるかい?」
「インテリジェンス・ソードの存在する理由……ですか?」」
「ああ、インテリジェンス・ソードはね、主の目となり、鼻となる事が出来るんだ。例えば、多くの敵に囲まれ、自分の目だけでは敵の動きを判別出来ない事態に陥った時、インテリジェンス・ソードならば敵の位置や敵の動きを剣に教えてもらえる。それに、剣を持ったばかりの者が戦場に出る際には、どう戦えばいいのか、どう動けばいいのかをインテリジェンス・ソードに教えてもらう事も出来る。さっき、サイトの言ったように、剣術を教えてもらう事も出来る」

 それに、とワルドは言った。

「一本に絞る必要も無いだろう。この剣ともう一本、見栄えの良い剣を買えばいい。それに、確かに口は悪いようだが、言っている事は正論だ。インテリジェンス・ソードの中には主を戦へと駆り立てる魔剣、邪剣などがあると聞くが、戦に出るなとその剣は言った。この剣ならば、サイトをきちんとした剣士にしてくれる筈だ」

 ルイズは剣を見て、溜息を吐いた。

「ワルド様がそう仰るなら……。仕方ないわね、出費が大きいけど、二本買いましょう」
『おいこら! 何勝手に決めてやがる! 俺様はこんな小便臭いガキに振るわれるなんざ――ッ』
「ま、いいじゃん。ちゃんと俺も鍛えるからよ」

 剣を持ち上げてみると、再びあの力が溢れて来た。軽く、縦横斜めに振るってみると、驚くくらいしっくりきた。

『驚いたぜ……。お前さん、使い手なのか。わかったよ。お前さん、俺を買いな。いっぱしの剣士に育ててやっからよ』
「使い手?」

 何の事だろう。聞いてみようと思って声を掛けようとすると、ルイズに呼ばれた。

「その剣の値札見せてちょうだい。……ずいぶん安いわね。なんか、余計に不安だけど、まあいいわ。これならもう一本くらい買えそう」
「今の動きは中々のものだね。体格以上に……。そうだね、この剣はどうだろうか?」

 ワルドは壁に掛けられていた一本の剣を手に取った。飾り気があまり無い長剣だ。

「うーん、もっと見栄えが良い物がいいですわ」

 ルイズは不満そうだった。確かに、茶色い柄の地味な剣だ。

「あら、こっちに良さそうなのがあるじゃない」

 ルイズは壁に掛けられた、柄にも刀身にも宝石の散りばめられた豪奢な剣を手に取った。
 派手でルイズが好みそうな剣だったが、ワルドは首を振った。

「ルイズ。それは観賞用の剣だよ。好事家向けの物だ。戦闘に使ったりすれば、数回剣を交えただけで折れてしまうよ。ルイズ、剣というのは派手であればいいというものではない。己の技量、身体能力、そして何よりも実用性に合う物を選ばねば意味が無いんだ。見たところ、この店にある剣でサイトに見合う剣はあの喋る剣とこのロングソードくらいだ。身体能力だけあっても、技量が追いつかねば、剣は敵よりも先に己に、更には己の護ろうとした者に牙を剥く」
『嬢ちゃん。その貴族の旦那の言う事を聞いときな。見栄を張るために観賞用の剣を腰に下げるなんざ、余計に間抜けだぜ』

 ワルドと剣の言葉はもっともな事だった。さすがに、観賞用の剣で戦うには勇気が足りない。
 ルイズも渋々頷いた。

「店主、この二本を頂くから会計をお願い」
「あいよ。インテリジェンス・ソード、銘は『デルフリンガー』だ。こいつは50エキュー。それに、こっちのロングソードは200エキュー。合わせて、250エキューになります」
「サイト、財布を頂戴」
「おう。ありがとな、ルイズ」
「必要な物だもの」

 ルイズに買ってもらった剣を早速着けてみる事にした。
 ロングソードはギリギリ腰に下げる事が出来たけど、デルフリンガーはロングソードよりも長くて、背中に背負うしかなかった。

「へへ、どうだ?」

 剣を装備すると、なんだか気分が高揚した。

「もう、恥しいから浮かれないでよ。ま、まあ、悪く無いわね」
「サンキュー。ワルドさんもありがとうございました」
「礼には及ばないよ。昔、ルイズは私の許婚だった」
「許婚?」
「昔の話だがね。親同士の口約束だよ。だけどね、私はルイズの幸せを願っている。どうか、その剣をルイズを悲しませない為に振るって欲しい。ルイズの事を頼んだよ」

 初め、ワルドはルイズに俺の知らない顔をさせる嫌な奴だと思った。
 でも、ワルドは王宮でも高い地位の貴族だって聞いたけど、話してみると、気さくでルイズの事を本当に大事にしているんだって事も知る事が出来た。
 俺はワルドに選んでもらった剣に密かに誓おうと思う。ルイズを絶対に泣かせない。ルイズを泣かせる奴は誰だろうと、この剣でぶっ倒す。誰であっても……。

「はい!」

 ワルドは手を差し伸べてきた。俺はワルドの手を握り返した。ワルドとの間に、ほのかな絆の芽生えを感じる。
 …………!? ……頭の中に、不思議な声が囁く――。

『我は汝……、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり……。絆は即ち、真実に至る一歩也。汝、“剛毅”のペルソナを生み出せし時、我ら、更なる力の祝福を与えん……』

 俺はワルドとの絆に呼応する様に、“心”の力が高まるのを感じた。

『おい、相棒』
「相棒?」
『お前さんの事さ。まだまだ未熟も未熟だが、これからよろしく頼むぜ』

 デルフリンガーは相変わらず口が悪いけど、俺の事を相棒と呼んでくれた。
 認めてくれたって事で、いいんだよな?

「ああ、よろしく頼むぜ、『デルフリンガー』」
『いっちょ、お前さんを鍛えてやるよ。ありがたく思えよ? 剣に剣を教えてもらえるなんざ、そうそうあるもんじゃねー』

 俺はデルフリンガーを鞘から抜いて、軽く振ってみた。相変わらず、不思議な力が漲ってくる。それだけではない。なんだろう、オールド・オスマンに貰った剣以上に自分の体の一部のように感じられる。
 口の悪い新たな相棒『デルフリンガー』との間に、ほのかな絆の芽生えを感じる。
 …………!? ……頭の中に、不思議な声が囁く――。

『我は汝……、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり……。絆は即ち、真実に至る一歩也。汝、“正義”のペルソナを生み出せし時、我ら、更なる力の祝福を与えん……』

 俺は『デルフリンガー』との絆に呼応する様に、“心”の力が高まるのを感じた。

「デル公が認めるとはな。おい、お前さん、お得意様向けのサービスをしてやる」
「お得意様向けのサービス?」
「暇な時に素材を持って来い。ありきたりのもんじゃつまらん。わしがうろたえるような珍品を持って来い。そしたら、伊達なもんを作ってやる。ま、作るもんによっちゃ、素材の種類や数はそれぞれだがな。こっちに素材がある程度貯まったら、わしが特注の武器や防具を作ってやる。ただし、何を作るかはわしの勝手じゃがな」

 なんだそりゃ、俺は店主の言葉を頭の隅に置きながら曖昧に頷いた。俺にはロングソードとデルフリンガーがあるんだし、わざわざ素材を持って来て、武器を作ってもらう必要なんて無いと思うんだけどな。
 店を出ると、ちょうどいい時間になっていた。俺達は王宮へ向かった。



[16996] 第十六話『二人のお姫さま』
Name: 雪化粧◆cb6314d6 ID:76577b36
Date: 2015/05/08 17:27
 俺達は大きな扉の前に立っている。ここまで案内してくれた衛兵の人が出て来るのを待っているんだ。
 俺達が連れて来られたのは謁見の間って部屋の前だ。これからこの国の王女様に会うのかと思うと、やっぱり緊張する。隣のルイズも緊張しているみたいだ。さっきから表情が硬い。
 ワルドは城門で別れたので居ない。城内に平民が武器を携帯するのは許されないみたいで、剣を預けたり、俺の入城の手続きに手間取りそうだったからだ。

「サイト、粗相の無いようにして頂戴ね。相手はこの国の王女様だって事を決して忘れては駄目よ」
「あ、ああ、分かってる」

 ルイズが硬い表情のまま言った。さっきから服の埃を何度も落としたり、髪を直したりと少し神経質になっているみたいだ。
 今から会う相手はこの国の王女様と異国の国の王女様で、二人共一国を治める王族だもんな。俺の星で言うなら、アメリカ大統領と日本の首相に同時に会うようなもんだろうしな。
 しばらくすると、俺達をここまで案内してくれた衛兵の人が出て来た。

「お待たせしました。どうぞ、お入り下さい」

 スマートに一礼をする衛兵に言われて、俺はルイズを見た。ルイズは小さく頷くと、先に中へ入って行った。俺も直ぐに後に続いた。
 中は体育館並みに広かった。ここが所謂『謁見の間』というものらしい。そこに一人の少女が立っていた。真っ白なドレスに身を包んだ、驚く程綺麗な顔立ちの女の子だ。この娘が王女様なんだろうか。

「よく、来てくれたわね、私のお友達」

 見た目に見合う、綺麗な響きの声色だ。王女様はルイズに微笑みかけた。ルイズはと言えば今にも泣き出しそうな感極まった表情を浮かべている。
 ルイズは王女様の前に跪いた。俺も慌ててルイズの真似をして、膝をつくと、ルイズは顔を上げて王女様に言った。

「お久しぶりにございます。このルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール、恐悦至極にございます」

 二人が談笑しているのをルイズの後ろで待機しながら見ていたけど、少し暇になって来たな。
 欠伸を噛み殺しながら、謁見の間を見渡していると、王女様が俺に気が付いた。

「ルイズ、そちらの方は?」
「サイト・ヒラガと申します。この度、使い魔の召喚の儀にて、私の使い魔として召喚致しました」
「まあ、人を使い魔にするなんて驚きだわ。ああ、ルイズ。貴女はいつも私を驚かせるのね」
「こう見えましても、剣はかなりの腕ですわ」

 話に混ぜてもらえるかと思ったけど、あっと言う間に俺の話題は終わってしまった。二人共、話題があっちにこっちに飛んで、完全に蚊帳の外だ。
 女三人寄れば姦しいとは言うけど、二人でも十分に賑やかだ。女同士の会話に男の居場所なんて無いのは星が違っても同じなんだな。
 しばらくすると、背後の扉がノックされた。王女様とルイズは談笑を止め、王女様が扉に向かって声を掛けた。
 すると、扉が開いて、綺麗な金髪の少女が入って来た。独特な服装と腰に差された見覚えのある形に俺は目を丸くした。
 少女はまるで着物を改造したような服に身を包んでいて、腰には剣をさしている。その形は日本刀のように見えた。
 目付きは少し鋭くて、眉が少し太めの思わず見惚れてしまい程の美人だった。

「アンリエッタ、私の通う学院への迎えが到着したと聞いたのだが」
「ええ、クリス。ここに居る私のお友達が貴女を魔法学院にお連れするわ。ルイズ、彼女がトリステイン魔法学院に編入するクリスよ」
「クリスティナ・ヴァーサ・リクセル・オクセンシェルナだ。よろしく頼む」

 クリスっていうのか。独特な喋り方だな。ルイズは面食らった顔をしながらも流れるような動作でクリスの前に傅いた。

「お初にお目に掛かります。わたくしはルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールと申します。この度は貴女様の御世話役を拝命致しました」
「そう堅苦しくなるな。私の事はクリスで構わない。学院では一介の学生として通うのだからな」

 人好きのする笑みを浮かべながらクリスが言うと、ルイズは戸惑った顔をしながらアンリエッタの顔を伺った。アンリエッタが頷くと、ルイズは少し間を置いてから立ち上がった。

「……わかりました。いえ、わかったわ。よろしく……クリス」

 三人が話している間、俺はどうしてもクリスというお姫様の腰に差してある刀から目が離せなかった。形が似ているだけならデルフリンガーだって片刃だ。
 だけど、握る部分が日本刀のソレとそっくりだ。どうしても、目を離す事が出来なかった。

「ん? そう言えば、先程からそこに立っているが、お前は?」
「あ、俺はサイト・ヒラガと言います。よ、よろしくお願いします」
「これが気になるのか?」

 そう言って、クリスは腰に下げていた日本刀を僅かに持ち上げた。

「……それ、もしかして……その、日本刀ですか?」

 クリスは目を大きく見開いた。

「分かるのか!? という事は、お前、ニホンを知っているのか?」

 クリスの言葉に俺は心臓が飛び出すかと思う程に驚いた。
 この星でニホンという単語を聞く事になるとは思っていなかったからだ。それに、クリスが腰に差しているのは間違いなく日本刀らしい。
 どうなってるんだろう。ここは地球じゃない筈だ。月が二つある事が何よりの証だ。なんで、クリスは日本を知ってるんだ? それに、どうして日本刀を持っているんだ?

「そう言えば、その肌色、その髪、その瞳の色。お前、もしや、サムライか?」
「へ?」

 飛び出した言葉は予想の斜め上をいった。サムライって、侍の事だろうか。
 俺のイメージする侍と言えば、暴れん坊将軍とか、上様とか、松平健とか、徳川吉宗とかだ。

「えっと、せ、『成敗』! ってやつか?」
「……おお、おおおおおおおおおおお!!」

 クリスはパッチリとした瞳から大粒の涙を流し始めた。

「ちょ、ちょっとサイト! な、何て事をしてるのよ!? 一国の王女様を、な、泣かせるなんて!?」

 ルイズのヒステリックな声に俺は何も言い返せなかった。
 なんで泣くんだ。俺は何か悪い事を言ってしまったんだろうか。混乱していると、クリスは首を振った。

「ルイズよ、違うのだ。嬉しいんだよ。よもや、再びサムライと会える日が来ようとは」

 サムライって、俺の事だろうか。俺は伊藤一刀流も二天一流も巌流も使えないんだけど、再びって言うのはどういう事なのだろうか。
 もしかすると、俺は期待に胸を膨らませた。

「あんた、日本人と会った事があるのか!?」

 いや、日本人に限らないかもしれない。むしろ、日本かぶれ野侍好きの外国人かもしれない。
 それでも、もしかすると地球に帰る手掛かりを持っているかもしれない。興奮に胸を躍らせると、いきなりルイズに頭を叩かれた。

「な、何するんだよ!?」
「あんた、本当に止めて。相手は王女様よ、王女様。その意味分かってるわけ?」

 涙目になって訴えるルイズに俺はハッとなった。そうだ、相手は一国の王女様なんだった。
 ルイズに何度も注意されたのに、事が事だっただけに思わず大声で叫んでしまった。

「ご、ごめんなさい」
「ごめんじゃないわ。不敬罪で捕まってもおかしくないんだからね」

 冷や汗が止まらなかった。そう言えば、時代劇でお殿様の前を横切ったからって、切腹させられた親子が居たような居ないような。

「せ、切腹は嫌だ」
「切腹? 確か、サムライは死ぬ時に腹を掻っ捌くのであったな」
「ちょ、ちょっと、サイト!?」
「は、腹って、お腹をですか!? つ、使い魔さん? は、早まってはいけませんよ!」

 クリスは切腹についても知っているらしい。アンリエッタとルイズが顔を青褪めさせているけど、ソレどころじゃない。

「あの、俺は日本から来ました。あ、あの、あなたも地球から?」
「チキュウ……? そう言えば、一度だけ師匠に聞いた事があるな。それは、日本があるという異世界の事か?」
「異世界? そういう言い方もあるのかな。うん。多分、それで間違ってないです」

 話を聞いていると、どうもお姫様自身は地球の出身じゃないらしい。
 俺は落胆を隠せなかった。話を聞くと、クリスの師匠がサムライを名乗っていたらしいけど、去年、病で亡くなってしまったらしい。

「師匠以外にも、このハルケゲニアに居たのだな、サムライが。私は嬉しいぞ。是非、友になってくれないか?」
「え?」
「な、何を仰るのですか、クリスティナ王女殿下」

 一国のお姫様に友にならないか、なんて言われて俺は空いた口が塞がらなかった。
 ルイズが慌てて止めようとしているけど、クリスは構わずに俺の手を取った。

「クリスで良いと言っただろう。サイト、お前も是非、私の事をクリスと呼んでくれ。それで、サイトは勿論、剣を使うのだろう?」
「え? あ、うん」
「では、学院に到着したら、私と手合わせをせんか?」
「え、手合わせって……もしかして、決闘の事?」
「い、いけませんわ! が、学院では貴族同士の決闘は禁止されております!」

 いきなり決闘を申し込むって、可愛い顔して意外と戦闘凶ってやつなのかな。

「何を言う。貴族である前に、私はサムライだ。サムライ同士は出会ったからには試合わねばならぬのだ。それが、サムライの挨拶なのだからな」

 そんな挨拶してるサムライは見た事が無い。少なくとも、ドラマや小説でいきなり出会い頭に決闘するサムライを俺は知らない。もしかして、本当のサムライはそうなんだろうか。

「まあ、驚きましたわ。あなたがクリスがよく話してくれるサムライ。よく分かりませんが、ニホンという国の剣士なのですよね? 確か、剣だけで竜や魔王を退治するという」
「それはサムライじゃなくて、勇者です」

 なんだか少しズレているな。アンリエッタは不思議そうな顔で首を傾げている。

「アンリエッタに中々分かってもらえなくてな。イーヴァルディの勇者を例えにしたんだ」
「ああ、なるほど。確か、世話をしてくれた女の子の為にドラゴンをイーヴァルディが退治しに行くって話だっけ」
「それは逸話の一つだな。他にも、魔王退治の逸話、吸血鬼退治の逸話など様々ある。サムライも似た様なものだと私も師匠から聞いてな」
「サムライはドラゴンとも魔王とも戦わねーよ。っていうか、居るのかよ、魔王」
「居ないわよ! っていうか、だから敬語!」
「あ、ごめん!」
「私に謝ってる場合じゃないでしょ!」
「ル、ルイズ。別に私は気には――」

 ルイズに髪を掴まれて、俺は無理矢理お辞儀をさせられた。ルイズも一緒になって頭を下げている。

「申し訳ありません。使い魔の無礼は主であるわたくしの無礼。どのような罰もお受け致します。」
「か、顔を上げてルイズ。本当に大丈夫だから。こんな事で貴女や貴女の大切な使い魔さんを罰するなどある筈が無いでしょう」

 アンリエッタは慌てた様子でルイズに言った。

「で、ですが……」
「いいのですよ、本当に。さあ、顔を上げてちょうだいな」
「ルイズ。私もお前の学院に通うんだ。どうか、一国の姫としてではなく、私の事をただの学友として扱ってはくれないだろうか」

 クリスが頭を下げると、ルイズは黙り込んでしまった。拳が白くなる程強く握り締めて、大理石の床を睨みつけている。

「……わかりました。いいえ、わかったわ」

 気丈に振舞ってはいるが、王族にタメ口で話す事に恐怖を感じているのが顔を見ただけで嫌という程伝わってくる。
 ルイズは俺にも挨拶するように小声で言ってきた。

「よ、よろしく……頼むよ、クリス」
「ああ、よろしく頼むぞ、ルイズ、サイト。ルイズ、ありがとう」
「……はぅ」
「ル、ルイズ!?」

 クリスが笑いかけながら手を伸ばすと、ルイズは目を回しながら倒れてしまった。慌てて抱きとめると、ルイズは完全に気を失っている。一体どうしたって言うんだ!?
 アンリエッタやクリスが声を掛けても、ルイズは全く起きる気配が無かった。
 水の魔法に長けているアンリエッタが具合を見ると、どうも強い緊張状態が過度なストレスとなってしまったらしい。そう語るアンリエッタは申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
 王族にタメ口で話すのが余程緊張したらしいな。それでも、クリスの願いを聞こうと勇気を振り絞ったんだ。

「すまんな、サイト。お前の主に無茶な事を頼んでしまった。だが、どうか許して欲しい。アンリエッタの友であるルイズとどうしても友になりたかったのだ」

 クリスはアンリエッタにルイズの話を聞いていたらしい。アンリエッタがルイズの話をする時、本当に楽しそうに話すものだから、クリスも是非会いたいと思ったそうだ。
 ルイズが目を覚ますまで、謁見の間のソファーにルイズを寝かせて、俺はアンリエッタに言った。

「あの、本当にルイズは罰せられないんですよね? あの、もし不敬罪で罰せられるなら、その……俺だけで」
「使い魔さん、本当に良いのです」

 アンリエッタは寂しそうに微笑んだ。どうしてそんな表情を浮かべるのかが気になった。
 アンリエッタは俺の内心を見透かしたように薄く微笑むと口を開いた。

「……少し、私の話を聞いてくれるかしら? 使い魔さん」
「い、いいですけど」
「私は王女という身分上、あまりお友達を作る機会には恵まれないのよ。だから、ルイズは私にとって掛け替えの無い存在。ずっと会えなくて、凄く寂しかったわ」

 王女様はルイズとの思い出を語った。山で泥まみれになるまで遊んだとか、オークという魔獣に遭遇して、見知らぬ狩人に助けられ、そのまま一晩を過ごしただとか、貝殻を巡って取っ組み合いの喧嘩をしただとか、見た目とは裏腹に結構なお転婆だったらしい。
 だけど、納得した。クリスが言うとおり、アンリエッタがルイズの事を話している間、聞いているこっちまで楽しい気分になれるような楽しげな笑顔を浮かべている。

「私はルイズにあの頃の様に接して欲しい。勿論、昔と今では立場という壁がある事は理解しているわ。それでも、ルイズにまた、あの頃の様に微笑みかけて欲しいと願わずにはいられないのです」

 アンリエッタは薄っすらと涙を浮かべながら言った。

「きっと、ルイズならお姫様の気持ちを分かってくれる。アイツ、意地っ張りで、強がってばっかりだけど……優しいからさ」
「……使い魔さん、貴女はルイズをよく知っているのね。ルイズの事をお願い。護ってあげてちょうだい。あの娘、結構泣き虫だから」
「……はい」

 アンリエッタのルイズへの深い思いが伝わって来た。アンリエッタとの間に、ほのかな絆の芽生えを感じる。
 …………!? ……頭の中に、不思議な声が囁く――。

『我は汝……、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり……。絆は即ち、真実に至る一歩也。汝、“女帝”のペルソナを生み出せし時、我ら、更なる力の祝福を与えん……』

 俺はアンリエッタとの絆に呼応する様に、”心”の力が高まるのを感じた。
 しばらく、アンリエッタとクリスと話していると、ルイズが目を覚ました。
 ルイズは最初は寝惚けていたけど、アンリエッタの顔を見ると、途端に目を覚ました。

「も、申し訳ありません、姫様。私とした事が、姫様の御前で――」
「待って、ルイズ」

 アンリエッタはルイズの手を握った。ルイズは戸惑った顔をしている。

「ルイズ、どうか、今だけは昔に戻れない?」
「……姫様?」
「お願いよ、ルイズ。私には時間が無いの」
「え?」

 アンリエッタはルイズに自分が近々、帝政ゲルマニアという国の皇帝でアルブレヒト3世という人物と結婚をするって話だ。
 ルイズはショックを受けた顔で凍りついた。

「そんな、ゲルマニアの皇帝と結婚だなんて!?」
「ルイズ、私にはもう自由は無いのです。だから、最後に……私の“自由”の象徴であるあなたに今だけでいいのです。王女と国民ではなく、ただのお友達として接して欲しいの。お願いよ、ルイズ」
「……姫様。わかり……ました」

 俺はクリスと一緒にアンリエッタとルイズから離れた。二人の時間を邪魔しちゃ悪いし、俺は俺でクリスと話がしたかった。

「お姫様ってのも、大変なんだな」
「王族の責務だ。私も覚悟はしているさ。いつかは、顔も知らぬ男と婚姻を結ぶかもしれない。だから、私は今を大切にしたいと思っている。アンリエッタもな」
「そっか……」

 王族の責務なんて、俺には分からない。好きでもない、顔も知らない奴と結婚するなんて、俺だったら絶対に嫌だ。
 でも、可哀想なんて思うのはきっとクリスやアンリエッタにとっては侮辱になるんだろうなって事だけは分かる。
 今を大切にしたい……か。クリスの魔法学院での生活をアンリエッタのルイズとの思い出くらい、楽しかったって思えるようにしたいな。

「クリス、学院でいっぱい楽しい思い出を作ろうぜ。俺、クリスが将来、王の責務って奴で、辛い思いをしても、思い出すだけで力が湧くような、そんな思い出が作れるように、手伝うからさ」
「ありがとう。やはり、サイトはサムライなのだな」
「へ?」
「サイト、改めて頼む。私の友となってくれ」

 クリスはよく分からない事を言いながら握手を求めて来た。本当に変わった御姫さまだな。平民の俺と友達になりたいだなんて。

「あ、ああ、こちらこそ頼むよ。よろしくな、クリス」
「ああ、よろしく頼むぞ」

 俺とクリスは手を握り合った。クリスの掌は剣だこに覆われていた。クリスの剣に対する思いが伝わって来た。クリスとの間に、ほのかな絆の芽生えを感じる。
 …………!? ……頭の中に、不思議な声が囁く――。

『我は汝……、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり……。絆は即ち、真実に至る一歩也。汝、“運命”のペルソナを生み出せし時、我ら、更なる力の祝福を与えん……』

 俺はクリスとの絆に呼応する様に、”心”の力が高まるのを感じた。
 ルイズとアンリエッタに呼び掛けられるまで、俺はクリスと話した。何度も手合わせしようと言われて、仕方なく、一緒に稽古をする約束をしてしまった。またルイズに怒られそうだ。

ゼロのペルソナ使い 第十六話『二人のお姫さま』

「こやつは上様ではない。上様の名を騙る不埒者じゃ! 斬れ、斬れい!」
「……成敗」

 シャキンと鍔を鳴らして、クリスは静かに呟いた。
 日本刀を構え、今まさに、殺陣が始まろうとしている!

「……なにしてんの?」

 どうやらアンリエッタとの話は終わったらしい。ルイズは呆れた顔をしている。
 クリスに時代劇の話をしたらやりたいって言い出したんだから仕方ないじゃないか。

「学院に戻ったらまたやろうな、サイトよ」
「おう! ギーシュにゴーレム作ってもらって雑魚役作ってもらって、もっと本格的にやろうぜ!」
「な、何の話をしているの?」
「サイトにサムライが主人公の演劇について聞いていたのだが、実にいいものだ」
「サムライの演劇?」
「ああ、俺の国の演劇でさ――」

 町人に扮して悪い事を企む代官を懲らしめる有名な痛快時代劇の話を簡単にすると、クリスは瞳を輝かせて聞いてくれたのに、ルイズはつまらなそうだ。
 話終えても、なんだか凄い温度差を感じる。
 何と言うか、教室で友達と盛り上がっていたら、何の話? ってクラスの女子が聞いてきて、話してあげると、しらけた顔で去って行ったあの時の感覚に似ている。
 物凄く切ない。ルイズに感想を聞くと、どうでも良さそうな声が返って来た。

「その上様って、一国の王なんでしょ? 町人に扮して護衛も付けないなんて、ちょっとどうかと思うわ」
「一応、お庭番がいつもコッソリと警護してるんだよ。たまに悪事の証拠を掴む為に動いたりしてて、殺陣の時も上様と一緒になって戦うんだ。かっこいいんだぜ!」
「そうなの? まあいいわ。それより、そろそろ学院に戻るからあんたも姫さまに挨拶なさい」
「うん、わかった……」

 もうちょっと反応してくれてもいいんじゃないかな。
 俺の国の事とか、ルイズは興味無いんだろうか。サッサとアンリエッタの所に戻るルイズに一抹の寂しさを感じた。
 すると、肩にクリスの手が置かれた。

「今のお前の気持ち、よく分かるぞ。初めはアンリエッタもサムライの話に全然興味を持ってくれなくてな、凄く寂しかった」
「クリス……」

 凄く切なそうな顔をしている。きっと、アンリエッタにサムライの事を理解してもらおうと頑張ったんだろうな。
 俺も頑張ろう。ルイズに時代劇を理解してもらうために。今はまだ、伝達力が足りない。話し上手くらいになれば、興味を示してくれるかもしれない。
 クリスに時代劇の説明をした事で伝達力がガッツリ上がった気がする。

 ルイズとアンリエッタは最後まで別れを惜しんでいた。クリスの送迎の為に用意された馬車の前で二人が見つめ合ったまま言葉を交わしている。
 馬車の周りには馬車の護衛をする兵士が居た。その中にはあのワルドの姿もあった。

「ワルドさん」
「やあ、また会ったね」

 馬の鬣を撫でているワルドに声を掛けると、ワルドは凛々しい笑みを浮かべて振り返った。

「ワルドさんも一緒に行くんですか?」
「いいや、私は他に任務があるのでね。これから向かうのだが、ルイズに一言くらい声を掛けようと思ってね」

 アンリエッタと話しているルイズを穏かな笑みを浮かべながらワルドは見つめている。
 もしかして、ワルドは今でもルイズの事が好きなのかもしれない。だけど、それを聞くには勇気が足りなかった。
 ワルドは顔を引き締めて俺の両肩に手を置いた。

「サイト、最近は城下が騒がしい。ルイズの事をよろしく頼むよ」
「ワルドさん?」

 最近、トリスタニアでは色々と事件が起きているらしい。
『土くれ』のフーケによる盗難。『爆弾魔』による建造物の爆破事件。他にも、ある日突然、人が行方不明になる事件が起きているらしい。
『土くれ』については俺は複雑な気持ちで話を聞いていた。ミス・ロングビルの事をオールド・オスマンに全てを託しているけど、ワルドの話を聞くと、それで本当に良かったのだろうかと迷いが生じた。
 今まで、被害があったのは裕福な貴族ばかりだったそうだ。だけど、裕福とは言っても、財産を奪われればダメージが無いわけでは無いらしい。
 ある貴族は家宝を盗まれて、それが原因で当主は隠居してしまい、まだ若い子息が後を継ぐ事になってしまい、上手く領地を治める事が出来ずに反乱が起こり、多くの平民が死亡した。
 ミス・ロングビルが心の底から悪人だとは思えない。だけど、実際に犯罪を起して、それで苦しんだ人が居る。本当に俺の選択は間違っていなかったのだろうか? 俺には分からなかった。

「『爆弾魔』については愉快犯の線が濃厚だが、『行方不明事件』については人攫いの可能性がある。万が一という事もあるからね、注意だけは怠らないでくれ」
「ひとさらい……ですか?」

 あんまり聞きなれない言葉だった。ワルドは険しい顔で言った。

「簡単に言えば誘拐だよ。攫われた者は……あまり口にはしたくないが、かなり惨い事になる。警備を強化しているのだが、恥しい話、中々糸口が見えない状況なんだ」

 誘拐事件。テレビでなら見た事があるけど、そんな事件が起きているのか……。
 物騒な話だ。ルイズが攫われないように確り見とかないと。

「あと、最近は街道に奇妙な姿をした魔物が現れるそうなんだ。護衛に着くのは優秀なメイジだから心配は要らないが、遭遇した場合は彼らの言う事をキチンと聞いて、ルイズの事を護ってくれ。頼んだよ」

 ワルドがアンリエッタとの話を終えたルイズの下に向かうと、クリスもアンリエッタに話しかけていて、俺は話し相手が居なくなってしまった。
 欠伸を噛み殺していると、さっき返してもらったばかりのデルフリンガーが声を掛けてきた。

『ようよう、相棒。暇そうだな』
「えっと、デルフリンガーだっけ? そう言えば、お前は喋れたんだったっけ」
『あ、ひっでーな。俺様の事をすっかり忘れていやがったな? ったく、暇そうだから話相手になってやろうと思ったのになー』
「悪かったって。まだ時間掛かりそうだし、話し相手になってくれよ」
『最初からそう素直に言やーいいんだよ』

 俺はルイズとクリスが話を終えるまで、デルフリンガーと適当に喋った。デルフリンガーとの仲が少しだけ深まった気がする。



「それにしても、ルイズとアンリエッタは本当に仲が良いのだな」

 学院に向かう馬車の中でクリスが言った。

「そ、そうかしら?」
「ああ、アンリエッタのあの嬉しそうな顔。私は今まで見た事が無かった。私とアンリエッタは友人ではあるが、国というしがらみからは抜け切れない。正直、友人を最高の笑顔に出来るルイズが羨ましいよ」

 ルイズは真っ直ぐにクリスに見つめられて顔を真っ赤にした。
 何て言うか、クリスって素直なんだよな。こういう事が簡単に言えちゃう辺りがさ。
 俺がそう言うと、クリスは少し感慨深げな顔をして言った。

「師匠にもよく言われたよ。お前は素直だから色々と教え甲斐があると」
「……クリスの師匠の事を教えてくれないか?」

 クリスの師匠。俺と同じ地球出身者であり、去年、病に倒れた人。どんな気持ちで生きてきたんだろう、どんな気持ちで死んだんだろう、俺は少しでも知りたかった。

「師匠は……流浪の旅人だった。ここではない世界から迷い込み、戻る方法を捜し求めていたそうだ。正直な話、それが真実なのかが私には分からない」

 日本はどこにあるんだ? 師匠の言っていた事は真実なのか? クリスは真剣な眼差しで俺にそう問うてきた。

「……本当だよ。異世界っていうより、俺は異星なんだと思ってる。日本は地球っていう星の国の一つなんだ」
「……星だと? 星とは、夜空に瞬く星の事を言っているのか?」

 クリスは疑わしそうな目を向けた。さすがにそう簡単には信じてもらえないらしい。

「そうだよ。俺は地球っていう星に住んでいた。信じてもらえないかもしれないけど、本当だ」
「……いや、信じるよ。目を見れば分かる。お前が嘘をついていない事はな」
「クリス……。クリスの師匠は見た目はどうだったんだ? 俺と同じ様な感じだったのか?」
「ああ、サイトと同じ様に滅多に見ない黒い髪と黒い瞳をしていた」
「やっぱり、日本人なんだな。クリスはどこでその人と出会ったんだ? 俺みたいに召喚されたわけじゃなかったんだろ?」
「ああ、十年ほど前に師匠は故郷への手掛かりを求めて我が国に立ち寄った。その時に我が領地の森で魔物に襲われていた幼い日の私を助けてくれたのだ」

 クリスは懐かしむような表情で語った。
 既に初老に差し掛かっていた身で剣を振るい、瞬く間に魔物を切り捨てた姿は鮮烈だったらしい。
 初老って事は四十歳くらいだったのかな。武士道が好きだったのか……。

「私は彼に礼をする為に身分を明かし、城に招こうとした。だが、彼は私の身分を知っても、名誉や金を要求せず、更には名乗りもせず、その場を立ち去ろうとしたのだ」

 その姿が衝撃的だったと、クリスは言った。

「王族である私に取り入ろうとする者は掃いて捨てる程居る。だが、その正反対の態度を取った者は師匠が初めてだった。彼が何故その様に振舞えるのか、私は不思議で堪らず、素直に尋ねたよ。『褒美が欲しくないのか?』と」

 そう言ったクリスにクリスの師匠はこう言ったらしい。

『そうか、それは凄いな。だが、俺にはお嬢ちゃんの身分なんざ、関係無い。お嬢ちゃんはいずれ、この国の女王様になるんだろう? 同じ様に、この刀の届く範囲が俺の国であり、俺は王なんだよ』

 幼い日のクリスは問い掛けた。

『ここがあなたの国?』
『そう、名も無い国だ。そして、王である俺が俺の国で困っているお嬢ちゃんを助けると決めた。それだけの事だ。だから、お嬢ちゃんは気にする必要なんか無い』

 クリスの話に俺はすっかりと聞き惚れてしまっていた。

「かっこいい……」

 俺は素直にそう思った。だけど、ルイズは不機嫌そうな顔になった。

「どうしたんだよ?」
「……一国の王を名乗るなんて、冗談にしてもやりすぎだと思うわ」

 ちょっとその考えは屈折し過ぎじゃないかな。そう思ったけど、予想外な事にクリスが同意するように頷いた。

「まあ、そう思うだろうな。しかし、幸いにも私は幼くて、彼を不敬だと思う事はなかった。ただ、彼を突き動かすものが何なのか、それを知りたくなって、なかば無理矢理城に招き、彼の説くサムライの生き様に感動してな。弟子入りを志願した。師匠は死の間際まで私に様々な事を教えてくれたよ」
「そっか……。会ってみたかったな」
「過酷の旅のせいで、肉体の年齢を重ねるのがずっと早かったのだろうな。師匠は死ぬ少し前に独り言を呟いた事がある。『帰りたかったな、俺の家に』と。恐らく、私に聞こえていないと思ったのだろうな」

 やっぱり、帰りたかったんだな。帰りたかったのに、帰れなかったんだ。俺はなんだか力が抜けてしまった。
 色々な場所を旅して回り、それでも帰る為の手掛かりを見つける事が出来なかったんだ。俺も同じ様に死ぬのかな。母さんや父さんに会う事も無く、家に帰る事も無く、この星で……。

「サイト……」
「サイトもやはり帰りたいのか?」
「それは……」

 ルイズとクリスが気遣わしげに声を掛けてきた。涙が零れ落ちていたみたいだ。
 帰りたいのか? 俺は……帰りたい。俺の帰る場所は日本しかない。いつかは故郷に帰りたい。

「……帰りたいよ。でも、今は帰れない。帰る方法がわからないし、それに……」
「それに?」
「俺はルイズの使い魔だ。その役目を途中で放り出したくないって気持ちもある」
「サイト……」



[16996] 第十七話『アンリエッタの頼み』
Name: 雪化粧◆cb6314d6 ID:76577b36
Date: 2015/05/08 17:27
 朝、ルイズが目を覚ます前に寮の隣にある広場でデルフリンガーを振るっていた。
 ここには俺の他にも二人居る。クリスとギーシュだ。

「ええい、上様の名を騙る不届き者め!」

 俺の周りには十体のギーシュのゴーレムが連携を取り合っている。
 それぞれがランスやロングソード、アックス、ハンマーなどを握っている。

「『成敗』!」

 一番遅いハンマーを持ったゴーレムを真っ二つにして、そのまま次々にゴーレムに斬りかかる。
 まるで豆腐を斬ってるみたいな気がする。デルフリンガーの刃は何の抵抗も無くゴーレムの胴体を切り裂く。

「貴様の悪事、明々白々の下に曝されているぞ。もはや、言い逃れは出来まい」

 剣を握ったゴーレムを剣ごとデルフリンガーで真っ二つにする。
 どうやらそれは囮だったらしい。残る全てのゴーレムがいつの間にか俺を囲んでいた。
 同時に仕掛けてくる気らしい、だけど――――ッ。

「もはや、言い訳は不要、断じて許し難い……が、任命した余にも責はある」

 上ががら空きだぜ! 四方八方が塞がれているなら、頭の上を跳び越えてやればいいだけだ。
 一番鈍重そうなゴーレムに向かって俺はその場で跳び上がった。

「所詮は上様の名を騙る不届き者よ、浅はか浅はか!」

 囲っていたのが全てのゴーレムでは無かったらしい。跳び越えようとしたゴーレムの背後に別のゴーレムが居た。
 ゴーレムはショートソードを横薙ぎに振るいながら鈍重そうなゴーレムの背を蹴って俺に向かって飛び掛ってきた。
 どうやら、俺が上に逃げる事は想定内らしいな。敢えて鈍重そうなゴーレムを混ぜて俺の行動を予測したらしい。
 でも、残念だったな。俺はデルフリンガーでショートソードごとゴーレムを切り裂いた。
 飛び上がらせる為に特別に軽量化したらしく、切り裂くと同時に吹っ飛んでしまった。

「天に代わって、成敗する!」

 ゴーレムを操っていたギーシュの首筋にデルフリンガーの刃を向けて、俺は最後の台詞を言い切った。
 か、かっこ良すぎる……。

「よし、じゃあ次は私だな!」

 人が折角余韻に浸ってるってのに、クリスが空気を読まずに割り込んでくる。
 どうして俺達がこんな事をしているのかというと、王宮で話した時代劇にクリスが関心を抱いて、自分でやってみたいと言い出したんだ。
 剣の稽古を一緒にやる約束だったし、時代劇ごっこをしながらやろうって話になった。
 どうせなら本格的にやろうと思って、ギーシュに声を掛けたんだけど、最初はあんまり乗り気じゃなかった。

『一国の姫君に杖を向けるなんて出来るわけが無いだろう』

 呆れた様に言われてしまった。
 稽古という名目上でも杖を他国の王族に向けるなんて真似をすれば実家にも迷惑が掛かると言われてしまった。それでも今はこうして付き合ってくれている。
 朝、最初は俺とクリスだけで剣を交えていた。クリスは予想以上に剣の腕が達者だった。
 俺のスピードやパワーがクリスの技術の前に手も足も出なかった。
 ギーシュはそれを見ていたらしい。前に自分を負かした俺が手も足も出ずに居る様子に居ても立っても居られなかったらしい。

「ちょっと待ちたまえ! 今度は僕が上様をやる番だろう! 王族とはいえ、最初に決めた順番は護って頂かないと! 僕はもうアクダイカン役は嫌だ!」
「む、いいではないか! というより、お前以外にゴーレムを作れる者が居ないのだから仕方あるまい。お前はずっとアクダイカン役をしていろ」
「冗談じゃない、僕だって主人公がいいよ!」

 最初はギーシュが緊張しっぱなしだったけど、今ではこの通りだ。
 ずいぶん仲良くなったもんだな。口喧嘩するくらいに……。

「サイト、君がアクダイカンをやってくれ!」
「やってもいいけど、俺はゴーレムなんて作れないぞ」
「ああもう! どうして君達はゴーレムを作れないんだ!?」
「平民だからです」
「風のトライアングルだが、土系統は苦手だ」
「あんたら何やってんの?」

 そんな事を言い合っていると、冷え切った声が聞こえた。
 ルイズとモンモランシーが引き攣った顔で俺達を見ていた。

「や、やあ、モンモランシー、おはよう」
「よ、よう、ルイズ、おはよう」

 いつの間にかルイズを起しに行かないといけない時間になっていたらしい。
 あまりに楽しくて時間を忘れてしまっていた。

「おはよう……じゃなくて、何やってたのよ?」
「ギーシュ、あなた、一国の姫君になんて口の利き方してんのよ!?」

 ルイズは呆れた様な顔をしているけど、モンモランシーは若干顔色を青褪めさせていた。

「何って、時代劇の真似しながら剣の稽古してたんだよ。昨日、王宮でルイズがお姫さまと話してる時に約束したんだ」
「朝っぱらから大声で変な事を叫んでると思ったら、時代劇って、あんたの国の演劇だっけ?」
「へ、変な事って、時代劇の台詞だよ。かっこいいだろ?」
「……まあ、特に何か言うわけじゃないけど、恥しいから今度からはもっと人の居ない所でやりなさい」
「ご主人様、泣いてもいいですか?」
「鬱陶しいからやめて」

 本当に心が折れそうになった。
 フリッグ舞踏会の時にルイズと距離が近くなったと思ったのに、なんか前よりもキツくなってないかな……。

「っていうか、まず言う事があるんじゃないかしら?」
「使い魔のお仕事をサボってしまい、申し訳ありませんでした」
「よろしい。それにしても、ずいぶん仲良くなったみたいね、クリスと」

 ルイズの目が据わっている。物凄く怖いです。
 とりあえず、隣でモンモランシーに叱られて小さくなってる男に習って謝ろう。

ゼロのペルソナ使い 第十七話『アンリエッタの頼み』

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。二つ名は……『ゼロ』。使い魔の名前は『サイト・ヒラガ』です。種族は……に、『人間』です」

 笑いが巻き起こった。俺達が立っているのは、寮と本塔と土の塔と水の塔に囲まれたアウストリの広場だ。
 魔法学院に在籍している全ての生徒と教師が集まっている。郡服を身に纏った人達も居て、その中にはワルド子爵の姿もある。
 寮を背景に大きな舞台が設えられていて、生徒達は舞台を中心に扇形に並んでいる。
 その中で一区間だけ、隙間が開けられていた。丁度、舞台の目の前だ。そこに、一際大きくて豪奢なテントがある。その中にオールド・オスマンともう一人、この国の王女様であるアンリエッタが椅子に腰掛けている。
 今日は前にギーシュと一緒にコルベール先生から聞いた使い魔の品評会だ。新二年生達が今年召喚した使い魔をアンリエッタに見せるという趣向だ。
 キュルケのサラマンダーは炎を綺麗な帯のように吐き出して、ギーシュのグランモールは教師によって隠された宝石を瞬く間に見つけ出した。他の使い魔達も次々に見事な芸を披露していく。
 横目でルイズの様子を伺うと羞恥に顔を赤らめながらも必死に耐えている。御姫さまの前で決して失敗は出来ないとルイズは何度も口にした。
 クリスを迎えに行ったあの日から一週間弱、俺はクリスとギーシュと一緒に剣の腕を磨きながらルイズに色んな事を仕込まれた。
 礼儀作法、敬語の使い方、文字の読み方、馬の乗り方。どれもいまいち上達しなかったけど、ここで失敗する事は出来ない。俺が失敗すれば、それはルイズの失敗になってしまう。

「サイトの芸を披露致します前に、協力して下さる方を御紹介致しますわ。『青銅』のミスタ・ギーシュ・ド・グラモンです」

 今回の俺の芸の為にギーシュは協力を買って出てくれた。俺の芸をもっと派手に演出する為だ。
 だけど、ギーシュが俺達の為だけに買って出てくれたわけではない事も分かってる。舞台に上がるギーシュの瞳は爛々と燃え上がっている。

「御紹介に与りました、ギーシュ・ド・グラモンです。二つ名は『青銅』。この度はミス・ヴァリエールの使い魔の芸に協力致します事になりました」

 ギーシュが舞台に上がった事で広場に集まった者達はしきりに首を傾げた。ギーシュと俺の仲が良い事を知る者達はどこか面白がる様な顔をしている。

「それでは、これより私の使い魔、サイト・ヒラガの剣技をお見せ致します!」

 俺とギーシュは舞台を降りた。使い魔の芸には炎や雷を伴うものも多いから、舞台の前はかなり広く空間が開けられている。この広さなら申し分ない。
 俺の芸ってのは、つまり剣だ。ペルソナって選択肢もあったんだけど、あれは自分の意思で出そうと思っても出せないんだ。
 いつも、気が付くと出していた。だから、ペルソナを当てにする事が出来ず、迷った挙句に剣技を披露する事にした。
 最初は巻き藁でも斬ろうかと思ってたんだけど、ギーシュは剣技を披露するならもっと派手にした方がいいだろうと、クリエイト・ゴーレムで的を作ってくれる事になった。
 だけど、ただの的じゃない。この一週間弱の間、俺はギーシュとクリスの三人で稽古をしてきた。これはその成果を試す舞台でもあるんだ。だから、ギーシュは本気で来る。
 今まで、俺はギーシュに一度も負けた事が無い。もし、この場で俺が勝った場合、ギーシュは平民に負けた貴族という汚名を背負ってしまう。
 それでも、ギーシュは目の前に立っている。その目が本気で来いと言っている。
 ギーシュは背水の陣を敷いているんだ。負けるわけには行かない状況に身を置いて……。
 俺だって負けられない。俺が負ければ、ルイズが笑われる。そんなのは嫌だ。ルイズの頑張りを俺は知っている。ルイズが誇りの為なら命すら投げ打つほど勇敢な事も知っている。
 なら、そんなルイズの努力や信念を使い魔の俺が穢すわけにはいかないよな!

「いくよ、サイト! 君に敗北という花を手向けよう!」
「ぜってぇ、勝つ!」

 もう、準備は万端だ。デルフリンガーを握り締め、体は今直ぐにでも戦いたいと疼いてる。
 外野が決闘をするつもりなのか、とか騒いでるけど、もう耳には入って来ない。
 目の前の空間にギーシュの魔法によって作られた十体のゴーレムが出現する。以前のゴーレムとはかなり変化している。
 装飾はさらに細かくなり、前の銅像にしか見えなかったワルキューレ達は今や人と見紛う程に出来栄えだ。その手にはシンプルながら美しい装飾が僅かにのぞく剣が握られている。
 準備は出来た。俺とギーシュはルイズを見た。ルイズは右手を上げ、振り下ろした。その瞬間、俺の足元が爆発した。

「な、ニ――――ッ!?」

 足元から土の腕が伸びて来た。事前の打ち合わせじゃ、ゴーレムだけで戦うって言ってたのに、こんなのありか? 俺は舌を打ちながらデルフリンガーで絡み付いてくる土の腕を切り裂いた。
 その間にゴーレム達は距離を詰めてきていた。五体のゴーレムが剣を振るう。四方に逃げ場は無い。なら、定石を踏むまでだな。
 俺は向上した身体能力を利用して、ゴーレム達の頭上高くに跳び上がった。その瞬間、目の前に剣が飛んできた。

「危ねっ!?」

 次々に剣が飛んでくる。どうやら、ギーシュの目の前に立っているワルキューレが地面から次々に生えてくる剣を拾っては投げ、拾っては投げって具合に剣を投擲しているらしい。
 バランスが崩されて、剣を振るおうとしているゴーレム達の真っ只中に落とされてしまった。

『相棒、まずは真下の奴をぶった切れ! 休まず、右だ! 次は左だ! 背後から来るぞ! 右に避けろ! 上から剣が落ちてくるぞ!』

 デルフリンガーの指示の通りにもはや我武者羅と言っていい具合に剣を振り回す。休んでいる暇が無い。ギーシュの奴、殺る気まんまんだ。
 いくら負けるわけにはいかないたって、これはやりすぎだろ! そう思いながら、俺は剣を振るってる内になんだか叫びだしたい気持ちになった。

『地面の下から来るぞ! 左から接近! 右が振り被っているぞ! 真後ろに飛べ! 右から来るぞ!』

 全力で動き続ける中で心が震えてくる。一瞬、ギーシュの顔が視界に入った。汗だくだくの癖に目をギラギラさせながら笑っていやがる。
 ゴーレム達の剣の腕がかなり上がっている。以前までなら剣ごと切り裂いてやる事も出来たのに、剣戟を逸らすなんて、芸当が出来るようになりやがった。
 クリスの剣を見ているおかげだった。俺もギーシュもクリスの卓越した剣技を見ながら少しずつ学び始めたんだ。ただ、力任せに振るえばいいってもんじゃないって事を!
 速さでかく乱しようにも、足元から土の腕が飛び出す度に足止めを喰らう。ゴーレムの腕だけを作り出しているんだ。かなり距離が離れているのにこんな事まで出来るのかよ、魔法。

「ったく、魔法って言えばなんでも許されるとか思ってんじゃねーよ」
「許されるから、メイジは貴族なのだよ、サイト!」

 ゴーレムは十体とも健在だ。二体がギーシュの近くで剣を投擲して、残りの八体が四体ずつ編隊を組んで襲ってくる。
 いい加減、そろそろ数を減らさないと、格好がつかないな。

『相棒、あっちが投げて来たのを投げ返すってのもアリだと思うぜ』
「そっか、その手で行くぞ!」

 動き回りながら回避していた降り注いでくる剣の一本を掴み取る。そのまま、一番手近なゴーレムに向かって投げつけた。
 自分でも驚く程の威力でぶつかった剣はゴーレムに当たると同時に粉砕されてしまった。どうやら、数を量産する為に中身すかすかに作ったらしい。

「この剣全部ただの見せ掛けかよ……」
『相棒、油断するなよ! 中に一本くらいは頑丈なのがあるかもしれねーッ!』

 ってことは、やっぱり避け続けなきゃいけないって事かよ。粉々になったとはいえ、剣がぶつかった衝撃で一瞬だけ動きが鈍ったゴーレムを切り裂きながら俺は思わず呻き声をあげてしまった。
 残りは九体。一体ずつ確実に潰していくしかない。さっきと同じように剣をぶつけて動きを鈍らせて一気に斬りつけた。
 思わず唇の端が吊り上がった。一体消えた事で連携が崩れたんだ。今の内に数を減らす。
 三体目、四体目、五体目とゴーレムを真っ二つにしていくと、ゴーレムの動きが変化した。後衛に回っていた一体が前衛と合流して、四体で連携を取り始めた。だけど、さっきまでのようにはいかない。
 降って来る剣も避ける必要が無くなった。続けざまに降って来るならまだしも、一本一本が間を置いて降って来るなんて、その度に掴み取ってこっちの武器にしてやるだけだ。
 形勢は一気に動き出した。四体の連携はさっきまでより切れ味を増したけど、やはり隙間が大きくなっている。一体一体を確実に切り倒していけば何の問題にもならない。
 最後の一体を切り裂いて、残るはギーシュを護らんと立ち塞がる一体のみ。俺は勝利を確信した。だから、気が付かなかった。
 ギーシュが笑っている事を……。

『相棒、避けろ!』
「“ブレッド”」

 デルフリンガーの叫び声に咄嗟に防御の構えを取った。
 直後、まるで、散乱銃を浴びせられたかのように全身に凄まじい衝撃が走った。

「僕の勝ちだ」

 勝利を確信して、喜悦に満ちた声で噛み締めるように呟くギーシュに俺は言った。

「いいや、相打ちだ」
『そう言うこったな。ま、お前さんも頑張ったぜ』

 デルフリンガーの声を聞くと同時にギーシュは顔を歪めた。
 腹に衝撃を受けて悶絶してるに違いない。俺も全身の痛みに悶絶中だから悶絶してるギーシュが見えないけど、これだけはどうしても言いたい。

「ざまあみろ」
「次は……勝つ」
『ったく、主旨忘れてんだろ、おめーら』
「あ……」

 デルフリンガーの言葉に俺とギーシュは同時に間抜けな声を発した。
 舞台上ではルイズがニッコリと微笑んでいる。
 ルイズは美少女だから、一見すれば聖母の微笑みにも見える。だけど、騙されてはいけない。あれは鬼の微笑だ。

「ギーシュ、あとでお前もルイズの部屋な」
「……ぼ、僕もお仕置きされなきゃ駄目かい?」
「おめーが本気出し過ぎっからだろ」
「仕方ないか……。ああ、勝ちたかったな」
『最後に気を抜いたのがまずかったな。それがなきゃ、相棒がブレットを喰らう寸前に俺様を投げたのが分かっただろうによ』

 最近はもう互いに遠慮が無くなってる。俺もギーシュもお互いが全力を出し合っても相手が絶対に死なないって信じられるからだ。
 一応、ギーシュは剣の刃を潰してるし、俺もギーシュに向かってデルフリンガーを投げた時は柄をぶつけるようにしたけどな。
 そうは言っても、割と狙い通りにいったみたいだ。会場は中々盛り上がってる。
 痛みも引いて、起き上がると、モンモランシーが走り寄って来た。当然、ギーシュの方にだけどさ。

「う、打ち合わせと違うじゃないの! ゴーレムをちょっと動かして、それをサイトが次々に切り裂くだけだって話だったじゃない!」
「いや、男にはやらねばならない事がだね……」
「あんな誰から見ても本気で平民とやり合って負けたりしたら周りにどう思われるか考えなかったの!?」
「でも、負けなかったよ。あのサイトに負けなかったんだよ、僕」
「……あ、相打ちでも駄目でしょ。もう、今度は勝ちなさいよね」
「うん。頑張るよ」
「……ほら、怪我を治してあげるからお腹見せなさいよ。骨とかは……大丈夫そうね」

 ちくしょう、イチャイチャしやがって。
 俺もルイズとイチャイチャしたい。だけど、そんな望みは暗い笑みを浮かべたルイズの顔を見た瞬間に消し飛んだ。

「ぼ、僕悪くないもん……」
「気持ち悪いから止めなさい……」

 呆れられてしまった。

「まったくもう、段取りが滅茶苦茶になっちゃったじゃないの。その上、ブレットをあんな至近距離で受けちゃうなんて、ギーシュに文句言わないと……。スピーチ終えたら直ぐに保健室に連れて行くから動いちゃ駄目よ?」
「は、はい」
「よろしい。じゃあ、ちょっと待ってなさい」

 ルイズは壇上に戻って、スピーチを始めた。受けは悪く無いらしい。
 スピーチを終えたルイズにアンリエッタを始め、何人かがまばらに拍手を送っている。
 アンリエッタがテントから出て口を開いた。

「素晴らしい剣技でしたわ。青銅製のゴーレムを両断し、ブレットを間近で受けて尚反撃に転じる心意気は素晴らしい、とグリフォン隊隊長ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド子爵も感嘆していらっしゃったわ。素晴らしい使い魔をお持ちですね、ミス・ヴァリエール」
「あ、ありがとうございます!」

 アンリエッタの言葉にルイズは心底嬉しそうだ。

「使い魔さん。人の身で使い魔というのは大変でしょうが、使い魔とは主を護り、支えるモノです。その卓越した剣技でミス・ヴァリエールを支えて下さいね」

 このまま寝転んでるわけにはいかないな。
 アンリエッタの言葉に応える為に、デルフリンガーを支えに起き上がった。
 この一週間弱の間、ルイズに教えられた作法や言葉遣いを披露するチャンスだ。
 見ててくれよ、ルイズ。俺はしっかりとやり遂げて見せるぜ。

「勿論にございます。我が剣は主の為にあります。如何なる敵が目の前に立ちはだかろうと、必ずやルイズ……ミス・ヴァリエールを護ってみせます!」

 俺が言い切ると、アンリエッタは満足そうな笑みを浮かべた。
 アンリエッタに俺は約束した。ルイズを護る事を。改めてアンリエッタの前で誓う事で俺の中で何かが煌いた。
 一瞬、視界が真っ暗になった。真っ暗な視界の中に更に真っ黒なナニカが居る。

『我は汝、汝は我。我は汝の心の海より生まれし者也』

 視界は直ぐに元に戻った。ほんの一瞬映ったあのビジョンは一体なんなんだろう、俺はその答えを見つける前に気を失った。
 どうやら、ギーシュとの戦いのダメージは思った以上に大きかったみたいだ。

 目が覚めると、大きな瞳と目が合った。

「どわあっ!?」
「キャッ」

 思わず叫び声を上げると、可愛い悲鳴が聞こえた。
 よく見ると、その瞳はアンリエッタのものだった。

「コラッ! 姫さまに何してんのよ!」
「いや、起きていきなり目の前に目玉があったらビビルって……。っていうか、ここは……保健室? なんで、お姫様がここに?」
「ミスタ・グラモンにこちらに居るとお聞きしましたの。ルイズにお話がありまして」
「そ、そうだったんですか」

 ベッドから起き上がると、ギーシュはルイズの隣に座っていた。
 どうやら、俺よりも軽傷だったらしく、ベッドで寝込む事は無かったようだ。これじゃ、相打ちじゃなくて、完全に俺の負けじゃないか……。

「それで、お話とは?」

 ルイズが口火を切った。

「ふむ、僕は出て行った方がよさそうだね。サイト、怪我を早く治してくれたまえよ? 早く再戦して、今度こそモンモランシーに勝利の報告をしたい」
「ヘッ、今度もボコボコにしてやるぜ!」

 軽口を叩き合う俺達にアンリエッタは目を丸くした。

「随分と仲がよろしいのですね、ミスタ・グラモンと使い魔さんは」
「友人ですから。それでは、アンリエッタ王女殿下。このように殿下と御顔を合わせ、僅かな時を近くで過ごす事が出来、このギーシュ・ド・グラモン恐悦至極に御座います。愚鈍なる身ながら、殿下の為ならばこの命、散らす覚悟は出来て御座います。御用命あらば、なんなりとお申し付け下さい。それでは、失礼致します」
「……お待ち下さい、ミスタ・グラモン」

 堅苦しい口上の後に出て行こうとするギーシュをアンリエッタは止めた。

「……もしよろしければ、貴方もわたくしの話を聞いては頂けませんか?」
「よろしいのですか?」

 小さくアンリエッタは頷くと話し始めた。
 始まりはゲルマニアの皇帝との婚姻だった。
 これについてはルイズと俺は既に知っていたけど、ギーシュは口をポカンと開けたまま凍りついてしまった。
 ギーシュが元に戻るまでまって、話は続いた。
 今、トリステインは危機的状況にあるそうだ。国内では爆弾魔や人攫いが横行し、盗賊フーケも捕まっていない。更に、叛乱分子が裏で動いている事が最近の調査で判明したらしい。
 フーケについてはなんとも言えないけれど、聞いただけでも国内が問題だらけだという事だけは分かった。
 それに加えて、現在、同盟国であるアルビオンが内戦状態になっていて、反乱軍が優勢らしい。
 反乱軍はトリステインと同盟を破棄する考えらしく、反乱軍が勝利した場合、トリステインは窮地に立たされる事になると言う。

「元々、トリステインは大きな国ではありません。帝政ゲルマニア、ガリア王国、アルビオン王国。アルビオンとの同盟を失った場合、この三大国のどこに攻められてもトリステインは敗北するでしょう……」
「その為のゲルマニア皇帝との婚姻なのですね……」

 ギーシュの言葉にアンリエッタは力無く頷いた。
 酷い話だと思った。アンリエッタは俺とそう変わらない歳に見える。
 なのに、国の命運の為に好きでもない男に嫁がないといけない。嫁がなかったら国が滅びてしまうのだから、選択肢すら与えられないんだ。

「その婚姻に一つ問題があるのです」
「それがお話したい事ですか?」
「……ええ」

 アンリエッタは気まずそうに頷いた。

「……この話はここだけにして下さい。もしも他の者にバレたら、ゲルマニアとの婚姻を最悪……破棄されてしまうおそれがありますから」
「どういう事ですか?」

 アンリエッタは答える前に杖を振るった。盗み聞きをされていないかをチェックしているらしい。
 念入りに呪文を唱えて、盗聴や盗撮が出来ないように部屋中に魔法を掛けた。

「私はアルビオンの現王子、ウェールズ・テューダーにその……思いを寄せていました」

 アンリエッタはアルビオンの王子であるウェールズに恋をしていた。何度も秘密の恋文を送りあっていたらしい。
 もしも、その手紙を反乱軍に見つかってしまった場合、ゲルマニアに密告され、婚姻の話は破棄されてしまうかもしれないと言う。
 それだけではなく、隣国の王子と恋文を送り合っていたなどという醜聞が国民に知られれば、王女としてのアンリエッタの求心率は一気に下がる事になる。

「……アルビオンに赴き、恋文を破棄して欲しいのです」

 話を聞いてる内に薄々気付いていたけど、内戦している国に行って手紙を破棄するなんて、幾ら何でも無茶苦茶だ。
 ギーシュとルイズも顔を青褪めさせている。
 だけど、俺はなんとなくこの後どうなるかが分かっていた。
 他の奴だったらどうだか分からないけど、ルイズとギーシュなら、答えは決まってる。

「わかりました。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。この任務をお引き受けいたします」
「右に同じく、この“青銅”のギーシュ・ド・グラモン。王女殿下より賜りましたこの任、見事成功させてみせます」
「……ありがとうございます。本当はこのような事を学生の身である二人に頼むなど正気の沙汰では無いのでしょう」

 アンリエッタは苦渋に満ちた顔で言った。

「ですが、私には真に信用の置ける人間が居ないのです。誰が叛乱分子なのかが分からない。頼れるのはルイズしか居なかったのです」

 ルイズはアンリエッタの言葉に感激している様子だった。
 アンリエッタに頼られた事が嬉しいらしい。
 分かってた事だけど、内戦中の国に侵入するのか……。
 映画なんかで内戦中の国に侵入するものがよくあるけど、実際に自分が行くなんて想像もした事が無い。
 俺は怖くて仕方が無かった。

「ルイズ、そして、ミスタ・グラモン。貴方達の覚悟と言葉がどれほど私の心を揺さぶったか、言葉では伝える事が出来ないでしょう。どうか、お願いします」

 手紙の事は臣下達にも内緒にしてあるらしい。本当にここに居る俺達四人だけの秘密だ。
 アンリエッタの使いの証にと、ルイズはアンリエッタから綺麗な指輪と手紙、それに袋いっぱいの軍資金を預かった。

 アンリエッタが去った後、空気が重かった。
 アンリエッタの前では顔に出さなかったが、二人も恐怖を感じている事が分かった。

「とりあえず、明日はトリスタニアに行かないと」
「え? 直ぐに出発するんじゃないのか?」

 明日出発するのかと思ってたんだけどな。

「あのね、内戦中の国に行くのに準備無しで出かける馬鹿は居ないよ。少なくとも、食料と衣服、それに武装も整えないとまずい。遠征の訓練を実家で受けた経験があるから、必要な物資については僕に任せてほしい。ルイズ、君は図書館でアルビオンまでの経路を幾つか練っておいて欲しい」
「え?」
「経路が一つだけじゃ、妨害工作や不測の事態が起きた時に直ぐに対処が出来ないだろう? 進むのが困難になった場合に備えて、直ぐに経路を変更出来るようにしないといけないんだ」
「分かったわ。やっておく」
「俺は何をすればいいんだ?」
「サイト、君も来るつもりなのかい?」
「え?」

 当然ついていくものだと思っていた俺はギーシュの言葉に呆気に取られた。
 見ると、ルイズも目を丸くしてる。だけど、ルイズが目を丸くする理由はギーシュと同じだった。

「サイト、あんたは留守番に決まってるでしょ」
「ちょっと待てよ。なんで俺が留守番なんだ!? ルイズが行くなら、俺も当然行くだろ!」

 俺が言うと、ルイズは呆れた様に言った。

「アンタ、馬乗れないじゃない」

 ルイズの言葉に俺は凍りついた。

「ここからアルビオンまで最短距離を行っても数日は馬の上での生活よ? そんなの無理でしょ」
「の、乗れるようにする! 出発までに絶対!」
「無理よ。散々、この一週間弱の間厳しく仕込んだのに、まともに操れた事が無いじゃない」
「それでも出来る様にする! だから、俺も行く!」

 冗談じゃない。ルイズが行くのに俺がここに残るなんて出来る筈が無い。
 ルイズを護るって決めたんだ。アンリエッタとも約束した。内戦の国に行くなんて、俺が護らなきゃ、誰がルイズを護るってんだよ。

「サイト、これはトリステインの問題なんだ。君には関係無い事なんだよ? 僕達が帰らずにトリステインが戦争になってしまったらどこか別の国に避難すればいいんだ」
「その通りよ。なんなら、むかつくけどキュルケに頼んでおいてあげるわ。とりあえず、命の危険は無いでしょ」

 二人共何を言ってるんだよ。関係無いってどういう事だよ。
 それに、帰らなかったらって何だよ。

「部屋の物、何でも持っていっていいから、換金するなりして自分の星に帰る手段を探しなさい。本当は私が探して送り返そうと思ってたんだけど……」
「ルイズ……」
「ま、まあ、アンタみたいな物覚えの悪い馬鹿な使い魔は要らないから返品したいだけだけど。とにかく、アンタは関係無いんだから、わざわざ来る必要は無いわ」

 ルイズは顔を背けながら言った。ふざけんなよ。
 俺は怒りで頭が真っ白になった。

「関係無いってなんだよ!」
「サイト?」
「ふざけんなよ。なんなんだよ、二人して関係無いって。俺はギーシュ、お前の友達だろ! ルイズ、俺はお前の使い魔だろ! ここで逃げ出せるわけないだろ! ふざけんな!」

 さっきから聞いてれば、自分達は死ぬかもしれない所に行くけど、俺は関係無いから来るなだって、そんな言葉聞きたくない。
 二人が死ぬかもしれない。それなのにここでジッとしてられるわけないだろ。

「ルイズを護るって決めたんだ。俺はルイズの使い魔だぞ。それに、ギーシュ! 友達を見捨てるなんて、出来るわけないだろ!」
「サイト、君の気持ちは嬉しい。だけどね、平民の出る幕じゃないんだよ」
「へ、平民だからどうしたってんだよ! 俺にはペルソナがある。それに剣だって使える!」
「僕と引き分けた程度の剣と自分の意思じゃ出せないペルソナがあるからどうしたって言うんだい?」
「お、俺は……」
「言っておくが、君を殺そうと思えば僕は殺せるよ。忘れてないかい? 君はもう一度マリコルヌに殺されているんだよ? 魔法に対しての対抗手段も無い君じゃ、レビテーションを使われるだけで簡単に殺される。剣が使える? ペルソナが使える? 自惚れるのも大概にしたまえよ、平民!」

 ギーシュのあまりにも冷たい物言いに俺は言葉を失った。
 確かに、俺はマリコルヌに決闘を申し込まれた時、レビテーションで浮かされて何も出来なかった。剣だってまだまだ未熟だし、ペルソナも自分の意思で自由に出す事が出来ない。

「でも、俺はッ!」
「サイト、アンタはこの任務には邪魔なのよ」
「ルイ……ズ?」
「馬に乗れないアンタを連れて行ったら身動きが取り難くなる。ギーシュの言った事も正しいわ。アンタは残ってなさい」
「……やだ」
「は?」
「嫌だ! 俺も行く!」
「だから、馬に乗れないアンタなんか――」
「乗れるようになる! 明日までに絶対に馬に乗れるようになるから、だから――ッ!」
「……わかった」

 俺が必死に懇願すると、ギーシュは言った。

「なら、明日の夕方までに馬に乗れるようになりたまえ。君が見事に馬を乗りこなせるようになっていたなら、君の同行を認めるよ」
「ちょっと、ギーシュ!」

 ルイズがギーシュを咎めるように睨み付けた。だけど、ギーシュは何処吹く風だ。
 上等じゃねーか。やってやるよ、明日までに絶対に馬に乗れるようになってやる。



――――interlude
 サイトが寝静まってから私は隣に座るギーシュを睨み付けた。

「どういうつもりよ、ギーシュ」
「どういうつもりって?」
「サイトに何であんな事を言ったのかって聞いてるのよ!」

 冗談じゃないわ。万が一にもサイトが馬に乗れるようになってしまったらどうするつもりなのよ。
 姫さまから与えられた任務ははっきり言って恐ろしいわ。もちろん、姫さまの御用命ならこの命を散らす覚悟がある。それは本当。
 たとえ死んでも、必ず任務をやり遂げなければならないわ。じゃないと、この国が滅んでしまうかもしれないのだから。
 だけど、サイトを連れて行くわけにはいかない。少し前までなら連れて行くのが当たり前だと思ったかもしれないけれど、今は違うわ。
 初めは平民の使い魔なんて最悪だと思ってた。
 だけど、私が辛い思いをしている時、励ましてくれた。私が“ゼロ”だって事を笑わないでくれた。私の為に命を懸けて戦ってくれた。
 昔みたいに直ぐに癇癪を起さなくなったのはサイトのおかげだわ。
 サイトを家に帰してあげないといけない。フリッグの舞踏会の日に私は決めたの。
 帰せなくても、少なくともこの世界で生きていけるようにしてあげないといけない。
 ペルソナや剣があっても、それだけで生きていける世の中じゃない。だから、礼儀作法や乗馬なんかを教える事にしたわ。物覚えが悪くて中々上手くいかなかったけど……。

『泣かないでくれよ、ルイズ。俺が、何とかするから。あんな怪物なんて簡単に倒して、お前をゼロって馬鹿にする奴も一人残らず倒してやるから』

 サイトのあの言葉、凄く嬉しかったわ。仕事だって文句も言わずにやるし、ちょっと褒めたりしただけでご主人様ご主人様って可愛いところもあるし……。
 サイトは最高の使い魔よ。恥しいから口には出せないけど、私はそう感じてる。
 最高の使い魔の主は最高の主でなくちゃ駄目。最高の主なら、使い魔の望みを叶えて上げなくちゃ。
 私はまだ叶えてない。サイトを家に帰してない。サイトをこの世界で生きられるように出来てない。
 サイトを死なせるわけにはいかないわ。例え、私に出来なくても、クリスやコルベール先生がサイトが帰る方法を見つける手助けをしてくれるかもしれない。
 だから、サイトを連れて行くわけにはいかないわ。なのに、なんで余計な事を言うのよ、この馬鹿は!

「落ち着きたまえ。サイトが起きてしまうよ」
「でも――」
「シッ、外に出よう」

 ギーシュに苛立ちながらも二人で外に出た。
 外はもう真っ暗。所々にある松明の灯りしか光源が無い。

「どうして、あんな余計な事を言うのよ!」
「余計な事?」
「サイトが馬に乗れるようになったらどうするのよ!?」

 私が言うと、ギーシュは呆れたように溜息を吐いた。
 いちいち態度はむかつくわね、この金髪馬鹿。

「君さ、一日で乗馬が上手くなるわけないだろ。それに、怪我は治っていても、今朝はかなりのダメージを与えたんだ。明日は一日動けないさ」

 そう言う事か……。
 何て悪い男なんだろう。希望を持たせといて、実はそれが実現不可能だと理解してる。
 それにしても、思い出したら腹が立ってきたわ。

「そうよ、朝のアレはなんなのよ! 段取りと違うじゃない!サイトにブレットをぶつけるなんて!」
「そ、それは悪かったと思ってるよ。でも、どうしても真剣勝負で勝ちたかったんだ……。普段の稽古じゃ無理だろう? お互いに絶対に負けられない時じゃないとさ。あの時は負ければ君が馬鹿にされるかもしれなかった。だからサイトは本気になってくれた」
「レビテーション一発なんでしょ?」
「君は使えないから知らないだろうけど、レビテーションは発動までに時間が掛かるんだ。サイトの速度ならその間に距離を詰められて終わりだよ。ゴーレムを最初から作った状態で漸くあの戦いが出来るのさ。ゴーレムを作る所から始めてたら、僕はサイトに秒殺されているよ」
「……そうなんだ」
「でも、それは未熟な僕だからだ。サイトは慢心してるように感じるね。せめて、慢心が無ければ連れて行ってもいいと思うんだけどさ」
「慢心?」
「少し前の僕みたいにね。完膚なきまでに負けないとわからないものさ。サイトは化け物二体、それに僕に何度も勝って来てる。一度も負けた事が無いんだ。マリコルヌのレビテーションを除いてね。ああ、後オールド・オスマンにも負けてるか。でも、あれはノーカウントだね」

 ギーシュは苦い笑みを浮かべながら言葉を続けた。

「サイトは自分が負ける筈が無いと思ってるんだ。本人は気付いて無いけどね。いつも一緒に稽古してる僕やクリスには分かる」
「……モンモランシーには何て言うの?」
「本当の事を言うわけにはいかないし、少しの間帰省する事になったとでも言っておくよ」
「……私もそうするわ」
「お互い、死なないように準備はしっかりしないとね」
「ええ、絶対に成功させなくちゃいけないわ。例え、死んでも……」
「命を惜しむな、名を惜しめ。でも、女の子の命は惜しまないといけないな。君だけは何としても生き残らせてみせるよ。グラモンの名に懸けてね」
「……期待はしないでおくわ」
「君ね……。まあいいや、もう夜も遅いし今日は寝よう。おやすみ、ルイズ」
「ええ、おやすみなさい」

 ギーシュと別れた後、私は心の中で必死に恐怖と戦っていた。
 サイトを死なせるわけにはいかない。そう考えている内に自分が死ぬかもしれないって事を強く実感してしまった。
 サイトの事が無ければ、使命感に身を委ねる事も出来たかもしれないのに、まったく、ご主人様を困らせる悪い使い魔だわ。
 ちゃんと文字や礼儀作法を教えてあげたかったな……。



[16996] 第十八話「暗転」
Name: 雪化粧◆cb6314d6 ID:af14649d
Date: 2015/05/08 17:25
 トリステイン魔法学院は優秀なメイジ達を教員に据えている。それ故に並の施設よりも防衛力が強固であり、貴重な魔法具や調度品、書物などの保管を任せられている。
 まだ、王立図書館の蔵書を総て調べ終えたわけではないが、折角の機会だ。ここなら王立図書館でもお目に掛かる事の出来ない貴重な蔵書に目を通せる筈。
 早朝、オールド・オスマンに許可を取り、本塔の図書館を訪れた。30メイルを超す本棚は実に圧巻。思わず感動に打ち震えてしまった。

「……さて、どこから手にとってみようかな」

 王立図書館並とはいかないまでも、ここの蔵書数は計り知れない。ここは一つ、テーマを絞って調べる事にしよう。
 視線で本の背表紙をなぞりながら、コレはと思うものを手に取っていく。

『ハルゲギニアの歴史』
『偉大なる始祖ブリミルの足跡』
『大いなる思想の海』
『虚無の伝承』
『古典・イーヴァルディの伝承』
『心と魔法』
『始祖ブリミルの使い魔たち』

 幾つか違う目的の為の書物も手に取ってしまった。

「……まあ、折角の機会だ」

 幸い、アンリエッタ王女が魔法学院に滞在する間は部下に指示さえ飛ばしておけば自由に動ける。
 ここは腰を据えて読書に勤しむとしよう。

 読書に没頭していた私を現実に引き戻したのは外から響いてくる聞き覚えのある声だった。
 いつの間にか空がすっかり茜色に染まっている。手で軽く窓の霜を取り払うと、広場の中央に見知った顔を見つけた。
 サイト君だ。傍に佇む少女にも見覚えがある。あれはクリスティナ姫だ。
 こんな夜更けに二人っきりとは……。
 そう言えば、王宮で二人は親しげに会話をしていたな。クリスティナ姫は穏やかな気性の持ち主で、やたらと権威を振り翳すタイプでもない。
 これは禁断のロマンスが展開しているのかもしれない。実に甘酸っぱい。
 しかし、静観しているわけにもいかない。相手は異国の姫君だ。
 少年少女の色恋沙汰にちょっかいを出して、馬に蹴られる趣味は無いが、万が一という事もある。
 サイト君の立場が危うくなれば、その余波がルイズに向かう可能性も高い。いや、それ以前に国際問題に発展する可能性も零では無い。
 
「どれ、少しお節介を焼くとしようかな」

 読んでいた本を閉じ、小机に置く。中々、目的に見合う内容の本は見つからなかった。
 小さくため息を吐き、長時間座っていたせいで固くなっている体を解す。

「おっと……」
 
 立ち上がった拍子に小机を揺らしてしまい、上に乗っていた本が数冊床に散らばってしまった。
 
「いかんな……」

 貴重な書物を汚したとなっては図書室の利用を許可して下さったオールド・オスマンに申し訳が立たない。
 急いで散らばった書物をかき集めていく。幸い、ページが折れ曲がったり、敗れてしまったものは無かった。

「おや?」
 
 散らばった本の中には、まだ手付かずの本も混ざっていた。
 その内の一冊。偶然開かれたページに私は釘付けになった。

『始祖ブリミルの使い魔たち』

 そこに記されていた内容と嘗ての婚約者の身に最近起きた驚愕の出来事が急速に結びついていく。
 神の左手と呼ばれる使い魔。あらゆる武器を使いこなしたとされる“人間”の使い魔。その左手に刻まれる特殊なルーン。
 その文章を読み上げると同時に脳裏に浮かぶ黒髪の少年。不思議な装束に身を包み、その身に見合わぬ剣技を有する少年。その左手に刻まれた見慣れぬルーン。
 そして、彼を……、人を使い魔にした前代未聞のメイジ。四大系統の呪文が悉く失敗する少女。だが、彼女の失敗は通常の失敗とは少し違う。魔法の発動自体は“爆発”という形で顕現している。
 伝説とされる系統。
 伝説とされる使い魔。
 
「ま、まさか……」

 鼓動が早まる。確認しなければならない。
 もし、この推察が正しいなら、私は遂に見つけた。いや、見つけていた。
 本を小机に放り、私は広場に向かって駈け出した。胸の奥底でドロドロとした感情が鎌首をもたげる。
 邪悪な思い付き。嘗ての婚約者……、しかも、まだ幼い彼女を利用する計略が脳内に組み上がっていく。
 反吐が出る。今直ぐに計画を中止しろと理性が叫ぶ。

「……クハ」

 それも一瞬の事。理性は野望に呑み込まれ、唇の端が無意識の内に吊り上がる。
 王や国への忠誠が薄らいでいく。ルイズやサイト君に感じていた親愛の情が薄れていく。
 代わりに欲望の炎が際限無く燃え上がっていく。

ゼロのペルソナ使い 第十八話「暗転」

 早朝、俺は火の塔に赴き、通い慣れたコルベール先生の研究室の扉をノックした。
 馬に乗る練習をする為には当然ながら馬が必要だ。だけど、学院の馬を借りるには許可が要る。ルイズとギーシュは出発の準備があるからとメモを残し、俺が起きる前に王都に向かってしまった。帰ってくる頃まで待っていたら練習する時間が無い。
 二人を頼れない以上、頼みの綱はコルベール先生だけだ。

「おや、サイト君。朝早くからどうしたんだい?」

 コルベール先生は何かの作業中だったみたいで、額に汗を流していた。
 邪魔をするのも悪いと重い、手短に用件を伝えると、コルベール先生は難しい表情を浮かべた。

「だ、駄目ッスか?」

 コルベール先生なら直ぐに許可をくれると思っていただけに、芳しくない反応を返されて戸惑った。
 コルベール先生が駄目となると、他の数少ない知り合いに頼んでも無駄だろう。

「あの……、俺はどうしても今日中に馬に乗れるようにならないといけないんです!」
「……私からオールド・オスマンに話を通せば、特別に馬を貸す事は出来る。だけど、一人で練習をさせるわけにはいかない。誰か、指導する者が居れば話も違うのだけど、生憎、今日は私も忙しくてね」

 明日の午前中なら時間が取れると言われたけど、明日じゃ遅い。
 指導してくれる人を見つけたら許可を出すと言われ、俺は渋々コルベール先生の研究室を後にした。
 困った。ルイズとギーシュが居ない今、俺が頼れる人間は多くない。
 シエスタはメイドの仕事で忙しそうにしているし、モンモランシーやキュルケとは個人的な頼み事が出来る程親しくない。
 デルフリンガーに乗馬の手解きを頼んだとしても、さすがに指導員が剣では馬を借りる許可を出してもらえないだろう。

「うーん、困ったな」
「どうしたのだ?」

 弱り果てて頭を抱えていると声を掛けられた。顔を上げると、そこにはクリスの顔があり、俺は思わず歓声を上げた。
 頼れる人間がここに居た。

「クリス!」
「な、なんだ?」

 目を白黒させるクリスの手を取り、俺は頭を下げた。

「頼む。俺に馬の乗り方を教えてくれ!」
「……あ、ああ」



 こんな状況だと言うのに、鼻孔を擽る女の子特有の甘い香りに俺は夢見心地になっている。

「馬は乗る者の心をつぶさに感じ取る。常に平常心でいる事が大切だ。おい、聞いているのか?」

 耳元で囁かれ、思わず頬が熱くなる。
 俺は今、クリスと一緒に黒毛の牝馬に跨っている。
 一緒に乗りながら説明した方が効率が良いと、クリスは密着した状態で手取り足取り教えてくれているわけだ。

「集中しろ。今日中に乗れるようにならないといけないんだろう?」
 
 そう言われても、この状況で落ち着ける程、俺は大人じゃない。
 背中越しに感じるクリスの柔らかさや温度に頭は沸騰寸前だ。

「ほら、道を外れてしまったぞ。しっかりしろ、サイト」
「は、はひぃ」
「……もう、昼だな。すこし、休憩にしよう」

 クリスはそう言うと、優雅な身のこなしで馬から飛び降りた。
 ホッとしたような、ガッカリしたような、ちょっと複雑な心境。
 馬を放っておくわけにもいかず、俺はひとっ走りして、食堂でサンドイッチを作ってもらった。シエスタが不在だったから、少し緊張した。
 馬が牧草を貪っている傍らで、俺達もサンドイッチに舌鼓を打つ。新鮮な野菜と肉で作ったマルトーさん特製サンドイッチは今日も絶品だ。
 
「それにしても、どうして今日中に馬に乗れるようにならねばならんのだ? 筋は悪くないが、やはり一朝一夕では無理があると思うぞ」
「……それは」

 口振りからして、クリスはアンリエッタから何も聞いていないみたいだ。
 当然だな。自国民にも気安く口外出来ない内容だ。他国民の……、しかも王女様に話すわけにはいかない。
 
「話せない……、か?」
「……ごめん」

 教えてもらっておいて、事情を何も話せない事に罪悪感を感じる。
 だけど、正直に話すわけにはいかないし、嘘偽りで誤魔化す事も出来ない。
 俺に出来る事は謝る事だけだった。

「……よい。頭を上げろ、サイト」
「クリス……」
「事情がある。それだけ分かれば十分だ。午後もビシバシ鍛えてやるから心しろ」
「あ、ああ! ありがとう、クリス!」

 本当にクリスには幾ら感謝してもし足りない。
 一国の王女様なのに、平民の俺にここまで良くしてくれるなんて、彼女の国の国民はさぞや幸せな事だろう。
 サンドイッチの最後の一つに齧り付きながら、俺はそんな事を思った。
 “クリスティナ・ヴァーサ・リクセル・オクセンシェルナ”コミュのランクが“2”に上がった!
 “運命”のペルソナを生み出す力が増幅された!
 
「ところで、サイト。一つ、聞きたい事があるのだが……」
「聞きたい事?」

 真剣な面持ちでクリスは言った。

「最近、この学院内で奇妙な出来事は起こらなかったか?」
「奇妙な出来事?」

 奇妙な出来事と言えば、俺がこの星に来てからの出来事は一から十まで全てが奇妙だ。
 平賀才人の奇妙な冒険と銘打って、自伝でも書こうかと思うくらい奇妙な体験をし続けている。
 だけど、クリスが聞きたがっているのはそういう事じゃないのだろう。
 
「……いや、変な質問をして悪かった。さて、午後の訓練を始めよう」
「あ、うん」

 この学院内で起きた“この世界にとっても奇妙な出来事”には二つ心当たりがある。
 だけど、どっちも常識外れ過ぎて、馬鹿正直に話してもキュルケみたいに馬鹿にしているのかと怒られるのが関の山だろう。
 クリスもまさか、あの二つの異形の事を聞いているわけでは無いだろうし、特にミス・ロングビルの一件は口外しない約束をオールド・オスマンと交わしている。
 それ以外となると、ここに来たばかりの俺には分からない。いずれにしても、クリスの期待には応えられないだろう。
 訓練はその後夕暮れまで続いた。俺は少しずつ乗馬に慣れ、今ではクリスの補助無しで乗り回せている。これなら、ルイズとギーシュの任務についていける筈だ。
 喜び勇みながら、俺はクリスにお礼を言い、二人が王都から帰ってくるのを待った。
 だけど、その日、二人は帰ってこなかった――――……。



[16996] 第十九話「新たなる力」
Name: 雪化粧◆cb6314d6 ID:af14649d
Date: 2015/05/08 17:25
 王都トリスタニアを出発して丸一日が経過。南に向かい、馬を何度も乗り換えて走り続けている。向かう先は山間の街ラ・ロシェール。そこから浮遊大陸アルビオンへの定期船が出ている。
 初めは一度学院に戻る予定だった。だけど、ルイズが直接アルビオンへ向かおうと提案してきた。
 万が一を考えたのだ。常識的に考えれば、乗馬訓練は一朝一夕でどうにかなるものではない。だけど、サイトには奇妙な能力が幾つもある。
 最たるものがペルソナだけど、それ以外にも武器を持てば風のように素早く動き、青銅をゼリーのように切り裂くパワーを発揮する不思議な強化能力がある。
 もし、その不思議な力が乗馬の時にも発揮されたら? 一日で馬に乗れるようになる。そんな奇跡をサイトは実現出来る可能性を秘めている。
 
「――――モンモランシー」

 せめて、愛しのモンモランシーに最後の別れを告げたかった。使い魔のヴェルダンデに彼女宛の手紙を託してあるけど、名残惜しさが後を引く。

「ギーシュ!」

 物思いに耽けていると、ルイズが馬を寄せてきた。

「今のペースを維持すれば、後半日程でラ・ロシェールに到着するわ。どうする?」
「……いや、今日はここまでだにしておこうよ。もう、宿を見つけて休もう。この時間だと、馬が潰れても直ぐに替えを用意する事が出来ない。今のペースを維持し続ける事は不可能だよ。それに、僕達の体力もそろそろ限界だ。確か、この道を少し行って右に逸れた先に村があった筈だ」
「……分かったわ」

 王都で入念に下調べを行った甲斐があったというもの。
 ここまでの道中は実に順調だ。
 だけど、無理は禁物。ここまで来ると、もはや王都の威光は届かない。夜間に人気の無い道を進めば野盗や怪物に襲われる可能性もある。
 地図を買った店の主人からの受け売りだけど、ルイズにも出発前に確りと説明した。
 おかげで焦ってはいても、癇癪を起こしたり、反対意見を口にしたりはしてこない。

「あそこだ」

 地図を頼りに進み、遠くにぼんやりとした光を見つけた。
 見晴らしの良い大草原が広がる村。“タルブ”という名で、ブドウの名産地として有名な所だ。ここで採れたブドウを使ったワインは絶品だと好事家達の間で少々有名な場所でもある。

「あれ? ミス・ヴァリエールに、ミスタ・グラモンではありませんか!」

 馬を引きながら宿を探していると、聞き覚えのある声が響いた。

ゼロのペルソナ使い 第十九話「新たな力」

 気が付くと、奇妙な場所に居た。暗い部屋。ベルベットルームとも違う。
 壁は煉瓦のようだ。窓は見当たらない。とりあえず、歩いてみよう。
 かなり広い空間らしい。いくら歩いても、ゴールに辿り着かない。
 
『こんにちは』

 いきなり背後から話し掛けられ、心臓が止まるかと思った。
 振り返ると、そこには青い髪の少女が立っていた。
 どこか、イゴールやアンに似た雰囲気を感じる。

『ずっと、待ってたよ』

 少女は薄く微笑む。

『わたしは……、リシュ。よろしくね、お兄ちゃん』

 リシュと名乗った少女は踊るように歩み寄って来た。
 
『気をつけてね、お兄ちゃん』

 リシュは俺の手を取って、物憂げな表情を浮かべながら言った。

『大きな試練がやって来る』

 リシュの吐息が手の甲に当たる。

『だけど、必要な事。試練を乗り越えた先に真実がある』

 リシュは俺の手の甲に唇を押し付けた。
 途端、激しい頭痛に襲われた。同時に風景が一変した。
 月夜の大草原。そこに見知った後ろ姿が二つ。
 声が聞こえる……。

“アルビオンへの定期船が運航停止状態とはね……”

 ギーシュの声だ。

“足止めを喰らっている暇なんて無いわ。方法を見つけなきゃ!”

 ルイズの声も聞こえる。

“方法と言っても、アルビオンは空に浮かぶ浮遊大陸だ。フライで飛んで行ける高度じゃないし……”
“そうだわ! ギーシュ。貴方のペルソナで何とかならないの? ほら、剣をぶん投げたみたいに私達を――――”
“死んじゃうよ!? 絶対! 間違いなく、死んじゃうから却下!”
“じゃあ、どうするのよ!?”
“一応、明日、ラ・ロシェールに向かおう。なんとか船を出してもらえないか交渉してみるしかないよ。最悪、船を一隻買い取って――――”

 声が遠ざかる。景色も元の暗い部屋に戻ってしまった。
 今の光景が現実のものだとしたら、二人は既にアルビオンへ出発してしまったという事だ。
 
『今のわたしに出来る事はこれが精一杯。いつか、現実の世界で会えたら、その時は――――』

 リシュは俺の手を自分の胸元に引き寄せた。
 彼女の鼓動が手の甲を通じて伝わってくる。不思議な少女、リシュとの間に、ほのかな絆の芽生えを感じる。
 …………!? ……頭の中に、不思議な声が囁く――。

『我は汝……、汝は我……。汝、新たなる絆を見出したり……。絆は即ち、真実に至る一歩也。汝、“世界”のペルソナを生み出せし時、我ら、更なる力の祝福を与えん……』

 俺はリシュとの絆に呼応する様に、“心”の力が高まるのを感じた。

『いってらっしゃい、お兄ちゃん』

 リシュの声が遠ざかっていく。気が付くと、俺はいつも寝る時に使っているソファーの上で横になっていた。
 空は真っ暗だけど、腕時計を確認すると、まだ0時前だった。
 急いで起き上がり、デルフリンガーを手に取る。

『オウ、起き抜けに慌ててどうしたんだよ、相棒?』
「ルイズとギーシュを追い掛ける!」
『ハァ? おいおい、相棒。出発は明日だろ?』
「違う。騙された。アイツラ、俺を置いてとっくに出発してたんだ!」
『なんで、そんな事が今さっきまで寝てた相棒に分かるんだ?』
「上手く説明出来ないけど、夢で見たんだ! 二人がラ・ロシェールって所に向かおうとしている所を!」

 問答をしている時間は無い。尚も喋り続けようとするデルフリンガーを鞘に押し込み、俺は部屋を飛び出した。
 建物から飛び出すと、どこからか女の子の啜り泣く声が聞こえた。
 
「この声……」

 啜り泣く声はどこか聞き覚えがあった。
 急いでルイズ達を追わないといけないのに、俺は声の主の事が気に掛かった。
 声の方に走って行くと、やはりそこには見覚えのある姿があった。
 
「モンモン……?」
「……サイト?」

 啜り泣いていたのはモンモランシーだった。
 彼女の手にはシワクチャになった手紙が握られている。

「サイト……。どうしよう……。ギーシュが死んじゃう……」

 涙をボロボロと零しながら、モンモランシーは言った。
 
「もしかして、その手紙はギーシュから……?」
「……そうよ。ギーシュ。もう、帰って来れないかもって……。極秘の任務を命じられたって……。あ、あなたの事を任せたいって……」

 鼻水を垂れ流し、体を震わせながらモンモランシーは髪の毛を掻き毟った。

「お、おい、モンモン!?」
「ヴェルダンデが運んできたのよ! こ、こんな物まで同封して!」

 そう言って、モンモランシーが掲げて見せたのは一目で高級品と分かる宝石だった。

「こ、こんな高価なもの……。今まで、バラとか香水とかくれた事はあったけど……。ギーシュの家は裕福じゃないのよ! こんな物を気軽に買える程、懐に余裕なんて無い筈なのよ!?」

 モンモランシーが握っている手紙。そこに書いてあったものが何か、読まなくても分かってしまった。
 遺書だ。しかも、モンモランシーに形見の品まで送って……。

「あ、あの野郎……」

 怒りが込み上げてくる。これが映画や漫画の登場人物の事ならカッケーの一言で済ませたかもしれない。
 だけど、アイツは俺の友達だ。モンモランシーを泣かせて、俺を置いて行って、勝手に死のうとしている。それが堪らなく許せない。
 
「……待ってろ、モンモン。俺がアイツの首に縄を括りつけてでも連れて帰って――――」
「ああ、もしかして……」

 いきなり、モンモランシーは空を見上げながら言った。

「ギーシュはルイズと駆け落ちしたのかもしれないわ」
「……は?」

 何を言っているのか、一瞬分からなかった。

「そうよ……。こんな遺書みたいなもの送りつけて、ギーシュはきっと……。そうよ……。この宝石だって、ルイズに買わせた物なんだわ」

 まるで、穢らわしい物に触ってしまったかのように、モンモランシーは宝石を地面に投げ捨てた。

「お、おい、モンモン!?」
「ルイズは公爵家の娘だもの。男爵家であるギーシュの家とは釣り合いが取れない。だから、二人で逃げ出したんだわ」
「何言ってるんだよ、モンモン! ギーシュは――――」
「黙りなさい!!」

 吹き飛ばされた。そうとしか表現出来ない。まるで、蚊を払うかのような動作でモンモランシーは俺を吹き飛ばした。慌ててデルフリンガーを掴み、身体能力を向上させる。
 十メートルは飛んだ。あまりの事に気が動転しそうになる。
 
「お、おい、モンモ……って、あれは!」

 モンモランシーの体から白い霧が噴き出している。
 脳裏に浮かぶ、マリコルヌとの決闘。ミス・ロングビルとの戦い。

「アハ……、アッハハハハハハハハハハハハハハ!!」

 甦る恐怖の記憶。どうして、モンモランシーが……。
 
「バカみたい……。心配なんてして、鼻水まで流して……、みっともない……。捨てられたのね……。ああ、本当に……」

 精神が錯乱している。俺は必死にモンモランシーの名前を叫んだ。

「バカみたい……」
「後退しろ、サイト!!」

 モンモランシーが白い霧に包まれていく。
 同時に頭上から鋭い声が轟いた。顔を上げると、そこには塔の壁を蹴り、降りて来るクリスの姿があった。
 クリスは壁を強く蹴り、弧を描いて俺の所に降りて来る。

「退がっていろ、サイト!!“シャドウ”が顕現する!!」

 クリスは俺を突き飛ばし、腰に差している日本刀を引き抜いた。

「やはり、封印が解かれてしまったという事か……」
「お、おい、クリス! それって、どういう……」

 直後、モンモランシーの悲鳴と共に霧が一気に吹き上がった。
 浮かび上がる仮面。

『我は影、真なる我……』

 青い鱗。蛇のような細長い胴体。
 それは、まるでお伽話に出て来る龍のようだった。

「逃げろ、サイト!」

 クリスは身をクネラせる巨大な怪物を前に一歩足を踏み出した。

「何言ってるんだ! お前の方こそ逃げろ!」

 クリスはあの怪物の事を何か知っているみたいだ。
 だけど、生身で立ち向かうなんて無茶だ。
 
「ここは俺が――――」
「駄目だ。幾ら、お前の剣技が優れていても、アレの前では無意味なのだ。アレと戦うには相応の“力”が要る! 我が一族が伝えし、この“力”が!!」
 
 轟くように叫び、クリスは左手を天に掲げた。
 すると、彼女の掌に一枚のカードが現れた。

「ま、まさか……」

 見覚えのある仮面が描かれたカードをクリスは握り潰した。

「来い……、ブリュンヒルデ!!」

 瞬間、光と共にクリスの頭上に槍と盾を手にした女性が姿を現した。

「ペ、ペルソナ!?」
「なっ……、なぜ、サイトがペルソナの事を!?」

 驚きのあまり叫ぶと、クリスが目を白黒させた。

「な、何でって、俺も持ってるから――――って、危ない!」

 意識しての行動では無かった。
 クリスが背を向けている隙に青い龍が水の塊を吐き出したのだ。
 その光景を見て、咄嗟に守らなければいけないと思った。すると、掌に馴染み深い感触が現れた。
 現れたカードを握り潰す。

「ローラン!!」

 頭上に白い鎧を身に纏う聖騎士が現れ、クリスの前に躍り出た。
 水と言えど、勢い良く飛んで来たソレは相応の硬度を誇り、俺のペルソナを吹き飛ばした。
 ペルソナの受けたダメージがフィードバックして来る。まるで勢い良く電信柱にでもぶつかったかのような痛みが走る。
 だけど、怯んでいる暇は無い。

「水属性は雷属性に弱いっていうのがRPGのお約束だぜ!! ジオ!!」

 轟く閃光。雷霆が青い龍に向かって迸る。

「やったか!?」

 雷は確かに命中した。ミス・ロングビルとの戦いでは効果が薄かったけど、よく考えてみたら、土属性に雷属性が効き難いっていうのもRPGのお約束だ。
 
「駄目だ、サイト! 逃げろ!」

 クリスの声が響く。直後、雷に打たれた筈の龍が無傷のまま俺に向かって突進してくる。

『飛べ、相棒!!』

 デルフリンガーの叫ぶ声に思考する間も無く従った。飛び上がった瞬間、足元を龍が通り過ぎていった。地面を削りながら奔る龍の背に着地すると、そのままデルフリンガーを突き立て――――、

「硬っ!?」

 龍の鱗は恐ろしい程硬かった。

「サイト!!」

 クリスのペルソナが俺を掴んで龍の背中から遠ざける。
 俺は遠ざかる龍に向かって、再びジオを放った。だけど、やっぱり効いていない。

「ど、どうして……」
「ペルソナ能力は持っていても、知識は無いか……。いいか、サイト。シャドウの中にはスキルを無効化するタイプが存在する。アレはどうやら、雷の属性を無効化するタイプのようだ」
「マ、マジかよ!? 普通、水属性には雷属性だろ!?」
「よく分からんが、奴には物理攻撃も効果が薄そうだな。サイトよ、ジオ以外のスキルは持っていないのか?」
「そ、そう言われても……」

 そもそも、いきなり新しい単語がポンポン出て来て頭の中は絶賛混乱中だ。
 シャドウだとか、スキルだとか、いよいよRPGみたいだ。

「――――って、魔法や怪物がいる時点で、とっくにファンタジーか!」

 再び襲い来る龍の突進を回避しながら、俺はローランの刃で龍の体に斬りつけた。
 デルフリンガーは錆が酷い。武器の質のせいで刃が通らなかった可能性も十分にある。
 そう思ったが故の一撃だったが、やはり鱗に弾かれた。

「ってか、こんな怪物が暴れまわってるっていうのに、どうして誰も出て来ないんだ!?」

 かなり激しく戦っているから、物音だって物凄い。
 幾ら寝入っていても起きるだろ、普通。

「シャドウの発する霧が原因だ」

 クリスが風の魔法を龍に打ち込みながら言った。当然のように無傷で襲い掛かってくる龍に俺はローランの刃をぶつける。
 やっぱり、硬い。

「ど、どういう事だ!?」
「シャドウの霧は抵抗力を持たない者に幻覚を見せる」

 クリスはペルソナに掴まりながら龍から一気に距離を取る。
 そういう戦い方も出来るのか……。

「メイジなら、起きている間は抵抗出来る可能性もある! だが、寝ている間は無防備だ」

 クリスが“ガル”と叫ぶと、彼女のペルソナが疾風を巻き起こした。

「ックソ、効き目が薄いか――――」

 クリスは俺のいる場所まで飛んで来た。

「シャドウの霧による眠りから醒める事は不可能に近い。出来るとしたら、それはペルソナ能力を持つ者か、目覚める素養がある者。もしくは、シャドウの霧にも屈しない強靭な意思を持つ者だ」

 目の前に龍が迫っている。ローランとブリュンヒルデが同時に前に飛び出してガードの姿勢を取った。
 激しい衝撃に全身が痛む。

「だ、大丈夫か、クリス!」
「あ、ああ……。これしきの傷、サムライである私には――――ッ」

 のんびり喋っている余裕は与えてくれないみたいだ。
 龍は巨大な水の塊を隕石のように吐き出してくる。

「受け続けるとヤバイぞ!」

 回避に専念しながら、時折攻撃を加える。だけど、ちっともダメージが通った気がしない。

「もしかして、これがリシュの言っていた……」
「ボケっとするな、サイト!!」
「えっ?」

 俺はクリスに突き飛ばされた。直後、俺の居た場所――――つまり、クリスの居る場所に水の隕石が降り注いだ。

「ぐぁぁああああああ!!」
「クリス!!」

 地面が大きく抉られ、クリスのブリュンヒルデが膝を付いている。
 
「クリス!!」

 クリスは刀を杖にして、体を支えている。だけど、額と口元から血を流し、足がふらついている。

「サイ……、ト」

 崩れ落ちる寸前、クリスの体を抱き止めて、俺は全速力で龍から離れた。
 追い掛けて来る。クリスを安全な場所に運ぼうにも、これでは無理だ。

「もう、いい……。逃げろ、サイト」
「おい、喋るな! 今、安全な場所に――――」
「いいんだ。シャドウと戦う事は我が一族の勤めなのだ。その為に、私はこの国に来た。覚悟は出来ている」

 その言葉にカチンと来た。一族の勤めだか何だか知らないが、こんな華奢な体で碌でも無い覚悟を決めているクリスに腹が立った。
 そして、碌でも無い決意を彼女にさせてしまった俺自身に腹が立った。
 
「サイト。私を置いて、お前は――――」
「ウルサイ……」
「サイト……?」
「ウルサイって言ってるだろ! お姫様の癖に、体を張り過ぎなんだよ、バカ!」
「バ、バカとはなんだ! バカとは!」
「ウルセェ!! バカだ!! どいつもこいつもバカばっかりだ!!」

 ルイズといい、ギーシュといい、クリスといい、どうしてドイツもコイツも自分を蔑ろにするんだ。
 どうして、頼ってくれないんだ。

「ちくしょおおおおおおお!!」

 俺はクリスを地面に降ろし、向かって来る龍に向かい合った。

「な、何をするつもりだ……、逃げろ!!」
「巫山戯んな!! 女の子が命を張ってるのに、男の俺が逃げ出せるわけないだろ!!」

 攻撃が効かないなど、知った事か!
 こうなったら、何が何でもアイツを倒す。そもそも、アイツを倒せなきゃ、モンモランシーが助けられない。
 シャドウの事もペルソナの事も何もかも分からない事だらけだけど、やらなきゃいけない事だけは分かる。

「行くぞ!!」

 デルフリンガーを構える。

『……相棒。狙うなら、目玉や口の中だ。鱗に刃が通らないなら、通りそうな場所を攻撃するしかねーぞ』
「ッハ、簡単に言ってくれるな、チクショウ!」

 研ぎ澄まされた感覚で龍の動きを捉える。龍は巨体の割に機敏だけど、俺の方が素早い。
 決めるならカウンターだ。奴が突進してきたら、ギリギリの所で回避して攻撃を仕掛ける。
 心臓がバクバク言ってる。失敗したら死ぬかもしれない。だけど、やらなきゃ勝てない。
 
“敵に後ろを見せない者を、貴族と呼ぶのよ”

 前にミス・ロングビルから出た怪物と戦った時にルイズが言い放った言葉が甦る。
 本当は怖かった癖に、必死に恐怖に抗って敵に立ち向かったルイズの後ろ姿が脳裏に浮かぶ。

“メイジの実力を見たければ、その使い魔を見よ”

 この星にはそんな格言があるらしい。
 なら、ここで俺が恐怖に負けて逃げ出したら、ルイズの実力はその程度のものという事になってしまう。
 そんな事、認められない。

『来るぞ、相棒! タイミングを誤るな!!』
「おう!!」

 龍が顎を開き、迫り来る。
 接触まで三秒……、二秒……、一……秒!

『いまだ、相棒!!』
「でりゃあああああああああああ!!」

 前に踏み込み、飛ぶ。
 まるで、時が停止したかのような感覚。
 怪物の仮面に覆われた顔の向こうに紅く輝く瞳が見えた。

「おおおおおおおおおおおおおおおお!!」
 
 デルフリンガーを振るう。グチャリという感触。デルフリンガーの刀身が龍の瞳に突き刺さった。

「うぉっ!?」

 途端、龍が暴れ始めた。痛みに悶えているようだ。
 俺は広場の方へと吹き飛ばされた。デルフリンガーを手放してしまったせいで体が一気に重くなり、体勢を整える事が出来ない。

「クッソ……」

 その時、俺はクリスがペルソナを使って移動する姿を思い出した。
 やってみるか……。

「ローラン!!」

 ローランは俺の呼び掛けに素直に応えてくれた。
 俺の手を掴み、ゆっくりと地面に下ろしてくれた。

「サンキュー」

 ローランにお礼を言って、再び龍に視線を戻す。すると、龍は真っ直ぐに俺を見つめていた。
 轟く咆哮。飛んでくる水の流星群。今の俺では躱し切れない。
 万事休すだ。

「……チクショウ」

 頑張ったつもりだけど、ここまでみたいだ。
 あれを喰らったら、さすがに死んでしま――――……ッ

『どうやら――――』

 瞬きをした瞬間、俺はまた、ベルベットルームに居た。
 この部屋の住人であるアンが薄く微笑みながら分厚い本を広げている。

「――――新たなる力に目覚める時が訪れたようですね」

 そう言って、アンは俺の下に歩み寄ってくる。
 イゴールは相変わらず大きな目をギョロつかせながら口を開いた。

「あなたの力は他者とは違う特別なものだ。空っぽに過ぎないが、同時に無限の可能性を宿している。あなたは一人で複数のペルソナを持ち、それを使い分ける事が出来るのです」

 アンが開いた本から一枚のカードが浮かび上がる。

「これは先刻の戦いで手に入れた“魔術師”のアルカナ。宿るペルソナは――――」

 カードが真っ直ぐに俺の所まで飛んで来て、掴んだ瞬間、俺はベルベットルームから元居た広場に戻された。
 手の中にはベルベットルームで受け取ったカードがある。
 迫り来る水の流星群を前に俺は迷わずカードを握り潰した――――……。



[16996] 第二十話「暗雲」
Name: 雪化粧◆cb6314d6 ID:c685a597
Date: 2015/05/12 05:02
「――――ペルソナ!!」 

 弾けた閃光の中から、まるで雪だるまのようなファンシーな生き物が躍り出た。
 新たなペルソナに驚く暇も、興奮する暇も無い。水の流星群は既に眼前まで迫って来ている。回避は間に合わない。俺はガードの態勢を取った。
 立て続けに鳴り響く爆音。水弾が大地を抉る音だ。俺も既に直撃を受けている筈。なのに、フィードバックによる痛みがいつまで経っても来ない。
 顔を上げると、雪だるまは水弾の直撃を受けていながら、痛がるどころか、むしろ嬉しそうに踊っている。

『ヒーホー!! オイラ、ジャック・フロストだホー!! 今後とも夜露死苦だホー!!』

 ジャック・フロスト。俺が得た、新たなる力は凶悪な水の砲弾を完全に無効化している。
 クリスは言った。

“シャドウの中にはスキルを無効化するタイプが存在する”

 どうやら、ペルソナの中にもスキルを無効化するタイプが存在するらしい。

「よっしゃー!! いけぇぇええええ、ジャック・フロスト!!」

 ジャック・フロストが龍に向かって飛び出していく。
 瞬間、自分の中の何かが弾けた――ッ!
 刹那、俺の脳裏に映像が映る。ジャック・フロストが凍て付く冷気を生み出す光景。俺は迷わず両手を掲げた。
 
「ジャック・フロスト!!」

 俺の思いがペルソナに伝わる。ジャック・フロストは真っ白な雪の手を龍に向け、冷気の塊を生み出す。
 雷霆も疾風も効かなかった龍が初めて苦悶の声を上げる。龍の体は瞬く間に凍り付き、地面に落下した。

『こいつはおでれーた! すげーな、相棒!』

 龍の眼に突き刺さったままのデルフリンガーが興奮した声を上げる。
 
『どうやら|奴《やっこ》さん、体の殆どが水だったみてーだな』

 動きが鈍くなった龍からジャック・フロストにデルフリンガーを抜かせて俺の下に運ばせると、デルフリンガーが言った。

「水……?」
『おーよ。体内の水分が凍っちまったせいで、身動きが取れなくなってやがる』

 デルフリンガーの言う通り、龍はガタガタと体を震わせるばかりで、水弾を吐き出すことはおろか、身動き一つ取れずにいる。

『チャンス到来だ、相棒!』
「おう!」

 動きが止まっている今なら、確実に攻撃を当てる事が出来る筈。
 ジャック・フロトスではダメだ。このペルソナは近接攻撃を不得手としている。
 なら――――、

「ローラン!!」

 少しずつ、分かってきた。
 ペルソナとは、俺の中に宿るモノ。己の心に呼び掛ける事で、ペルソナは応えてくれる。
 ペルソナに対する理解が深まった瞬間、自分の中の何かが弾けた――ッ!

「イケェェェエエエエエ!!」

 ローランの握る聖剣が光り輝き、刀身に奇妙な文字が浮かぶ。

「ペテロトゥース!!」

 ローランが龍の眼前に踏み込む。煌めく刃を龍の口の中へと差し入れた。
 轟く絶叫。眼球や鱗の隙間から光が溢れ出し、龍の肉体は四散してしまった。
 散らばった肉片は地面に落ちる前に光の粒となって消えていく。その中に――――、

「モンモランシー!」

 モンモランシーの姿を見つけた。咄嗟にローランにキャッチさせようとしたら、横からクリスのペルソナが飛んで来た。

「――――サイト!」
「クリス!?」

 ブリュンヒルデがモンモランシーを抱き止めると同時に、クリスが空から降って来た。さっきまでボロボロだったのに、今はピンピンしている。

「だ、大丈夫なのか!?」
「ああ。彼が治療してくれた」

 そう言って、クリスが指し示した先には天を舞うハンサム。

「ワルドさん!」

 華麗に着地を決め、ワルドさんは俺の下まで歩み寄って来た。

「駆けつけるのが遅くなってすまない。アンリエッタ王女を安全な場所に移す為に時間が掛かってしまった。どうやら、学院全体に強力な眠りの魔法が掛かっているみたいなんだ。今、オールド・オスマンが事態の究明に動いて下さっている」

 矢継ぎ早にそう言いながら、ワルドさんは懐から小瓶を取り出した。

「飲みなさい。水の秘薬だ。生粋の水のメイジなら、この程度の傷に秘薬は必要無いのだが、生憎、私は風のメイジなのでね」

 ワルドさんに促されて、俺は水の秘薬を口に含んだ。すると、ワルドさんは腰に差したレイピアを俺の胸元に押し当てた。

「イル・ウォータル・デル」

 途端に傷の痛みが引いた。触ってみると、細かい傷までスッカリ癒えている。

「すげぇ……」

 ゲームでは定番の回復魔法。実際にその恩恵に授かると、感動せずにはいられない。

「どこか痛む所はあるかね?」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます、ワルドさん」

 お礼を言うと、ワルドさんは微笑んだ。その笑顔に震えが走る。意識が彼の瞳の中に吸い込まれていく錯覚を覚えた。 
 頭の中がぼんやりとしている。戦いの後で疲れているのかもしれない。顔を横に向けると、クリスも熱に浮かされたような表情を浮かべている。
 
「サイト君」

 ワルドさんの声に鳥肌が立った。嫌悪感からでは無い。彼の低い声があまりにも耳に心地良すぎて震えが走った。
 おかしい。胸が高鳴っている。相手はルイズの元婚約者で、顔は整っているけど男で、なのに……、

「さあ、色々と質問したい事があるんだ。いいかな?」
「はい……、ワルドさん」

 それが自分の声だと初め思わなかった。甘ったるい声。普段だったら絶対に出さない声。
 だけど、今は欠片ほども気にならない。今、何よりも大切な事は彼の言葉を耳に入れる事。彼の疑問に答える事。
 他の事など全てがどうでもいい。ルイズとギーシュの事さえ、どうでもいい。家に帰れなくなっても、ここで今直ぐ死ぬ事になっても、この人の傍で、この人を見つめながら終わるなら、それは何よりも幸せな事だと確信している。

「――――では、最初の質問だ。そうだね……、君が何者なのか、から答えてもらおうか」

 “ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド”コミュのランクが“2”に上がった!
 “剛毅”のペルソナを生み出す力が増幅された!

 “ジャン・ジャ■ク・■ラン■ス・ド・ワルド”コミュのランクが“5”に上がった!
 “剛毅”のペルソナを生み出す力が増幅された!

 “ジャン・■ャッ■・フラ■シス・ド・■■ド”コミュ……のラ■クが“7”に上@った!
 “剛毅”のペル%ナを生み出す力がぞう幅された!

 “ジャ■・ジ■ッ■・フラ■■ス・ド・ワ■■”コミ@のラfクが“8”に上がっt!
 “剛■”のペ■ソナを生み出す力が増幅された!

 “ジ■ン・■■ッ■・フ■■シス・■・ワ■■”ココミュの■ン■が“&”にににににににににに上がアガあがag!
 “■■”の■■■■を生み出す力が―――――、失われた。

ゼロのペルソナ使い 第二十話「暗雲」

「いってらっしゃいませ、ミス・ヴァリエール。ミスタ・グラモン」
「行ってきます。帰省中に迷惑を掛けたわね、シエスタ」

 頭を深々と下げるシエスタに手を振る。私達がラ・ロシェールに向かう道すがら、偶然立ち寄った“タルブ”という村はシエスタの故郷だったらしい。
 たまたま、帰省中だったみたいで、色々とこの地域の世情を聞くことが出来た。どうやら、王国軍と反乱軍の戦いは激化の一途を辿っていて、その余波がこの近くにまで及んでいるらしい。
 脱走兵や便乗する野盗などの犯罪率の上昇。戦争を利用して儲けようとする闇商人や傭兵の流入。この辺の治安は数年前と比べ物にならない程悪化している。
 アルビオンへ向かう定期船の運航停止がそれに拍車を掛けている。肝心のアルビオンへ入国出来ずに荒くれ者達が溢れかえっているのだ。

「――――さて、色々ときな臭くなっているみたいだね」

 タルブを出てから少しして、ギーシュが言った。

「急ぎましょう。陽が出ている内にラ・ロシェールまで辿り着かないと!」
「慌てなくても、昼頃には到着するさ。それよりも、そろそろアルビオンに到着した後の事を考えた方が良いと思う」
「後の事……?」

 ギーシュは頷いた。

「急な話だった上、サイトを欺くために慌てて出発したから、アルビオンまでの道中の計画しか練れていないじゃないか」

 そうだった。私達の任務は姫様がアルビオンのウェールズ王子に送った恋文を処分する事。アルビオンに辿り着く事は前提条件でしかない。その後にウェールズ王子に接触し、恋文を処分する所まで考えて、計画を練らなければならない。
 一応、姫様から使者の証として、水のルビーと呼ばれる王家の秘宝を預かっている。だけど、極秘任務の性質上、みだりに振り翳すわけにもいかない。見せるとしたら、それは本人を相手にした時だ。
 
「……なんとか、ウェールズ王子本人に謁見出来るといいんだけど」
「難しいだろうね。水のルビーの威光も戦時の混乱の中でどれほど効果を発揮してくれるか分からないし……」
 
 ラ・ロシェールへ続く道を馬で駆けながら、ギーシュとアレコレ意見を交わしたけれど、あまり意味を為さなかった。
 そもそも、アルビオンへ渡る船が手に入るかどうかも微妙だし、前途多難過ぎて泣けてくる。
 互いに考える時間が長くなり、口数が減って来ている。

「……仮に」

 これだけはハッキリさせておく必要がある。

「私達が失敗した場合だけど、水のルビーはどうする?」

 姫様は失う事になっても構わないと仰っていたけれど、王家の秘宝を軽々しく扱うわけにはいかない。
 最悪の場合でも、ルビーが反乱軍の手に渡る事だけは阻止しなければならない。仮に私達が死んだとしても……。

「ラ・ロシェールに着いたら、学院に向けて手紙を出そう」
「手紙……?」
「帰還が不可能になった場合、ルビーをアルビオン国内に隠すんだ。その時の隠し場所に条件をつけて、その条件を手紙に記しておくんだよ」

 思わず感心してしまった。ギーシュにしては冴えた考えだわ。

「名案よ、ギーシュ! それでいきましょう」
 
 手をパチンと叩いて歓声を上げる私にギーシュは深々とため息を零した。

「出来れば、僕達自身の手で姫様にお返ししたいけどね……」
「……そうね」

 そこから先の道中はずっと無言だった。
 元々、私とギーシュはあまり親しくない。サイトが間に入って、初めて会話が成立する程度の浅い関係。
 むしろ、女癖の悪い彼を私は軽蔑してすらいた。まあ、彼も私を魔法が使えない無能だと軽蔑していた筈だからお互い様だろう。
 ギスギスした空気にならないだけマシだ。

「――――サイト」
「え?」

 上の空になっていたみたい。ギーシュが話し掛けて来ている事に気付かなかった。 

「いや、サイトはどうしているのかなって思ってね。恐らく、ヴェルダンデは手紙を無事にモンモランシーに届けてくれた筈だ。きっと、サイトにも手紙の内容は伝わる。今頃、怒っているかもね」
「……かもしれないわね。私の事を守るって、息巻いていたもの」

 頬をリスみたいに膨らませて怒るサイトを思い浮かべて、頬が緩んだ。
 本当なら、私の手で故郷の星に送り返してあげたかった。戦いの中で何度も傷つきながら私を守ってくれたサイトへの、それがせめてもの恩返しになると思って……。
 もしも、私がこの任務の中で力尽きたら、彼はどうなるだろう? ミスタ・コルベールやオールド・オスマンはサイトの為にちゃんと便宜を図ってくれるかしら?
 
「……サイト」

 寂しさと心細さで涙が零れそうになる。
 まだ、出会って一月も経っていないのに、私の中で彼の存在が驚くほど大きくなっている事に気がついた。

「ルイズ……。君の――――ッ、危ない!!」

 突然、ギーシュが声を張り上げた。顔を上げると、目の前に無数の矢が迫って来ていた。
 避けられない。気付くのが遅過ぎた。

「ぁ……、サイト」

 死ぬ。これで終わり。
 アルビオンに辿り着く事も無く、こんな場所で……、

「――――ペルソナ!!」

 光が弾ける。私の眼前に煌めく刃が現れ、迫り来る矢を弾き返した。

「で、出た……」

 コレはギーシュのペルソナだ。名前は確か、オリヴィエ。
 召喚者であるギーシュはペルソナを召喚出来た事に戸惑いと安堵の入り混じった表情を浮かべている。
 
「よし。どうやら、野盗の襲撃らしい。ルイズはさがっているんだ!」

 ギーシュは馬から飛び降りると、バラの造花を掲げた。

「陽の出ている内から堂々と法を犯すとは大胆不敵! だが、相手が悪かったね! いけ、オリヴィエ!!」

 緑の髪の美しき騎士がギーシュの号令と共に山の斜面を登っていく。

「――――これはッ!」

 ギーシュは大きく目を見開き、造花を振る。

「マグナ!」

 直後、ギーシュのペルソナが刃を地面に突き立てた。
 地面が水面のように波打ち、弾けた。重なり合う悲鳴。全身血塗れになりながら空中に放り出される野盗達。
 あまりにも惨たらしい光景に血の気が引いた。

「ぁ……ぁぁ……」

 血の雨が降り注ぐ中にオリヴィエの姿があった。
 
「……凄い」
「え?」

 ギーシュが熱に浮かされたようにオリヴィエを見つめている。

「見たかい?」

 ギーシュが満面の笑みで問う。

「たった一撃だ。一撃で……、あれだけの人数を無効化した。こんな事、ラインやトライアングルのメイジにだって出来ないよ」

 口元が歪んでいる。あの凄惨な光景を前にギーシュは笑っている。

「ペルソナ……。なんて、凄い力なんだ」

 オリヴィエが光の粒子になって消えていく。だけど、ギーシュの顔から笑みは消えない。
 感動に打ち震えている。

「行こう、ルイズ。もう、恐れる必要は無いよ」

 ギーシュは言った。

「王国軍も反乱軍も怖くない。この“力”を使えば、誰が相手だろうと負けない。負ける筈が無い」
「……ギーシュ」

 ギーシュは馬を再び走らせた。慌てて追いかけながら、私は胸騒ぎを覚えた――――……。



[16996] 第二十一話「伏魔」
Name: 雪化粧◆cb6314d6 ID:7f4e169c
Date: 2015/05/15 04:50
 順調だ。まるで天啓を得ているかのように総ての物事が順調に進んでいる。
 ルイズがレコン・キスタの膝元に自ら向かっている。その事を偶然見掛けたジャイアントモールが咥えていた手紙を読んで知る事が出来た。ルイズを捜しに、女子寮を訪ねようとした矢先の事だった。
 手紙の届け先がサイト君ではなく、ド・モンモランシ家の息女である事に疑問を抱き、“遠見”の魔法を使用した事も功を奏した。なんと、彼女は禁制の薬品である“惚れ薬”を作っていたのだ。“操り”の魔法でジャイアントモールに届けさせた手紙を読んだ彼女は慌てた様子で廊下に飛び出し、階段を駆け下りて、男子寮へ向かった。その隙にジャイアントモールに薬を盗み出させる事にも成功した。
 その後に起こった驚くべき展開の答えも惚れ薬をサイト君とクリスティナ姫に首尾良く飲ませる事が出来た事で得られた。
 
「……ペルソナ能力。シャドウ」

 サイト君とクリスティナ姫の口から語られた驚くべき事実の数々。それらを一本の線で繋いでいく。
 穴の開いている部分には私自身の知識を埋め込む。

「なんという事だ……」

 繋がった。求めていた真実の一端に辿り着いた。
 
「つまり、魔法とは……」

 大地に視線を下ろす。この世の理に触れた私の胸に舞い降りたものは明るい希望ではなく、深い絶望だった。
 まだ、確証を得られたわけではない。それに、これが事実だったとしても、解決する手段はある。
 少なくとも、四百年前、この世界は危機を回避している。
 だが、当時と同じ方法ではダメだ。クリスティナ姫の話を聞く限り、当時実行された解決策は単なる延命処置に過ぎなかった。
 
「サイト君が召喚された事。封印が解かれた事。ペルソナとシャドウの出現。全ては一つの“真実”に繋がっている」

 やはり、レコン・キスタと接触する必要がある。全ての鍵は“聖地”にある――――……。

ゼロのペルソナ使い 第二十一話「伏魔」

 ――――山間の街、ラ・ロシェール。なんとか日暮れ前に到着する事が出来た。馬を預けて、直ぐに宿を取り、船着場に向かう。船と言っても、海や川を渡るものではない。風石を積み、空を渡る飛空船だ。
 今、ルイズが船を出して貰えないか持ち主と交渉している。ヴァリエール公爵家の名前を出せば早いのだろうけど、極秘任務である以上、無闇に素性は明かせない。
 
「……アルビオンか」

 アルビオン王国は別名『白の国』と呼ばれ、その比類無き美しさに観光目的で訪れる者も多いと聞く。
 かくいう僕もいつか愛しのモンモランシーを連れて、かの国の絶景を眺めながら互いの愛を確かめ合いたいと思っていた。
 まさか、あのルイズと二人っきりで命懸けの任務の為に赴く事になろうとは、想像だにしなかった。
 
「大丈夫。全てが終わった後に情勢が落ち着いた頃を見計らって、また来ればいいんだ」

 僕にはペルソナがある。大地を揺るがし、スクエア・クラスの破壊を巻き起こす力。
 この力を使えば、二人揃って学院に帰る事が出来る筈だ。

「――――ギーシュ」

 考え事をしている内にルイズが戻って来ていた。彼女の曇り顔を見れば結果を聞くまでもない。
 
「……やっぱり、アルビオン行きの船は出せないそうよ」
「危険だから……、かい?」
「違うみたい」

 ルイズはため息を零した。
 はて、危険以外に船を出せない理由とは一体……?

「客が居ないのよ」
「居ない……? だって、闇商人や傭兵が……」
「シエスタから聞いた情報はちょっと古かったみたい」
「どういう事?」
「……とりあえず、一度宿に戻ってから話すわ」

 ルイズは頻りに人目を気にしている。僕と恋人同士に見られるのがイヤ……、という可愛らしい理由では無いようだ。
 宿りに戻ると、ルイズは言った。

「この街に傭兵や闇商人が集まって来た事は事実みたい。戦争って言う街灯に群がる羽虫みたいにうようよ居たそうよ」

 ルイズの言葉の端には嫌悪感が滲んでいる。まあ、気持ちは分かる。ああいう手合が求める者は名誉や誇りでは無い。金銭や戦時の混乱に乗じた略奪行為。
 平民とはいえ、戦時中に敵兵に暴行を振るわれた女性の話を聞くと虫唾が走る。花は優しく愛でるもの。乱暴に引き千切るような真似は無粋を通り越して醜悪だ。
 
「……過去形という事は」
「今は居ないみたいね。闇商人は来て早々に独自のルートを構築し、早々と商売を終えたそうよ。王国軍と叛乱軍。両軍共に短期決戦を見越しているみたいで、闇商人の懐の中身の奪い合い状態だったみたい」
「なるほどね……。傭兵の方は?」
「数日前、ぜ~んぶ、叛乱軍に取り込まれたらしいわ」

 ルイズは厭味ったらしく言った。

「王国軍は闇商人との取引で散財して、貯蓄が底を突きかけているみたい。しかも、傍から見て、明らかに劣勢。もはや、敗北は時間の問題だそうよ。傭兵達も沈む船には乗りたくないみたいね。反対に叛乱軍は粛清したアルビオンの王党派貴族から略奪した金銭をばら撒いているそうよ。王家の旗艦で乗り付けてきて、金に群がる傭兵達を連れて行ったみたい」

 穢らわしい。その言葉が彼女の顔にありありと浮かんでいた。
 
「傭兵や闇商人が居た頃はまだ危険を承知で船を出す人も居たみたいだけど、客足がパッタリ途絶えちゃって、私達二人を乗せて行くにはリスクとメリットの吊り合いが取れないって……」

 まあ、仕方のない事かもしれない。彼らも商売だから、儲けが出るなら危険を犯す事もあるだろう。だけど、貴族とはいえ、子供二人だけを乗せて激戦区に乗り込む度胸がある者など早々居ないだろう。
 
「……って言うか、そもそも子供二人で戦場に乗り込むなんて正気の沙汰じゃないって叱られたわ」
「ご……、ごもっとも」

 そもそもの話、度胸が有る無いに関わらず、良識のある人間なら子供二人を激戦区に連れて行く事などしないだろう。

「ちなみに僕達の全財産を支払ったら……」
「……全然足りないって言われた」

 ガックリと肩を落とすルイズ。

「……船一隻を買い取るどころか、私達の全財産じゃ……、客にもなれないってわけよ」

 黄昏れるルイズ。結局、色々と話し合ってはみたものの、自分達がドツボに嵌まった状態だと判明しただけだった。

 翌日、僕達は再び船乗り達の溜まり場に赴いた。

「――――もう一度だけ、交渉してみる。それで駄目なら、ヴァリエール家の名前を出すわ」

 ルイズは思いつめた表情を浮かべて言った。

「いいのかい?」
「……このままじゃ、任務を遂行するドコロじゃないもの。一番大切な事は姫様の手紙を入手し、破棄する事。要は任務の内容が漏れなきゃいいのよ」

 確かに、このままアルビオンに辿り着く事も出来ず、任務に失敗したら姫様に顔向け出来ない。いや、それ以前に姫様とゲルマニア皇帝の婚姻が破棄され、同盟を結べなくなる。
 今のトリステインがガリアやゲルマニアと渡り合えているのはアルビオンとの同盟があればこその状況だ。だけど、今、アルビオンで起きている内乱は王国軍側の敗北がほぼ決定的であり、叛乱軍の勝利後は同盟を破棄される恐れがある。
 アルビオンとの同盟が破棄され、ゲルマニアとの同盟も結べなかった場合、トリステインを待ち受けているのは暗黒の時代だ。
 仮に宣戦布告された場合、トリステインは他の三国と渡り合うだけの力を持たない。故に政治面でも低姿勢を取らねばならず、常に他国の御機嫌を伺いながら、搾取され続ける事になってしまう。
 形振りに構っている場合ではないのだ。

「分かった。なら――――」

 そう、失敗するわけにはいかない。勝手に家の名前を使った事で、勘当を言い渡される事になっても、僕達にはやらなければならない事がある。
 グラモン家の名前も出そう。公爵家と比べたら、幾らか格は落ちるけど、男爵家の名前もそれなりに有効な筈だ。

「――――いや、その案には賛成しかねる」

 僕が口を開きかけた時、急に横から待ったを掛けられた。
 驚いて振り向くと、そこには見覚えのある紳士が立っていた。

「ワ、ワルド様!?」

 ルイズも目を丸くしている。

「ど、どうして、ここに……? それに賛成しかねるって……」

 彼はトリステイン王国に三つある魔法衛士隊の1つ“グリフォン隊”の隊長だ。王族の方々が城から御出掛けになる際は護衛の任務に着手する。
 姫様は今日まで学院に留まられている筈だから、彼も当然、今は学院に居なければならない。
 なのに、どうしてここに居るんだ?

「まず、"どうしてここに私がいるのか”という質問に答えよう」

 ワルド子爵は言った。

「君達が秘密の任務に着いた事を偶然識ってしまってね。姫様に掛け合い、同行の許可を頂いてきた。いや、姫様も無茶を言うね。学生二人に戦地へ赴けとは……」

 頭を抱えるワルド子爵に僕達はどこかホッとしていた。
 彼は宰相マザリーニ枢機卿からの信頼も厚く、ルイズの知人でもある。なにより、魔法衛士隊の隊長だ。彼が同行してくれるなら、この任務の成功率は格段に跳ね上がるだろう。

「……というわけで、君達は帰りなさい」
「え?」

 浮足立つ僕達にワルド子爵はしれっと言った。

「か、帰りなさいって……」
「もう一つの質問に答えよう。君達はヴァリエール家の御息女とグラモン家の御子息だ。公爵家と男爵家の子が戦地に赴く。それも、学生二人だけで……。人の口に戸口は立てられない。噂が広がれば、邪推する者も現れるだろう」
「邪推……?」

 ルイズが首を傾げ、やがて、顔を真っ赤に染め上げた。

「ま、まさか、私がこの色ボケと!?」
「色ボケって……」

 ルイズの中での僕って一体……。
 落ち込んでいると、ワルド子爵がゴホンと咳払いをした。

「いや、そういう邪推をする者も出るかもしれないけど、それよりも深刻な問題がある」
「深刻……?」
「例えば、君達がレコン・キスタに参加しようとしたのかもしれない。そう、考える者も現れる」
「私達が叛乱軍に!?」

 素っ頓狂な声を上げるルイズ。
 だけど、確かにその可能性は否定出来ない。

「レコン・キスタは他国のメイジを多数取り込んでいる。そう邪推する者が出て来る事は間違いない。だから、ヴァリエール家やグラモン家の名前を出す事には賛成しかねると言ったんだ」
「で、でも、このままでは船に乗れません。任務を遂行するどころか、アルビオンに辿り着く事も……」
「確かに、君達を連れてアルビオンに乗り込む為には船が必要だ。だけど、私一人なら船を使わずに乗り込む事が出来る」

 子爵は空を見上げた。つられて視線を向けた先には天を舞うグリフォンの姿があった。

「アレが私の愛馬だ。彼ならアルビオンまでの長距離を難なく走破してくれるだろう」

 誇らしげに言う子爵。彼は僕達に視線を戻して言った。

「だが、それは私一人を乗せた場合だ。君達を乗せては行けない。そもそも、戦を知らぬ子供を戦地に連れて行くわけにはいかんのだ。分かるね?」
「で、でも……」

 ルイズの瞳が揺れている。任務に対する責任感だけではなく、目の前の紳士が単独で危地に赴こうとしている事に心を揺らしている。
 
「私のメイジとしての実力は知っているだろう? 大丈夫だよ、可愛いルイズ。私は必ずや任務を達成してみせる。信じてくれ」
「だ、だけど……」
「嘗ての許嫁の言葉は信頼に値しないかな?」

 ルイズは言葉に詰まった。まさに殺し文句だ。こんな事を言われてしまったら、もう、何も言えない。
 
「いずれにしても、移動手段を確保出来ない以上、君達の旅路はここまでだ」

 子爵はルイズの頭を優しく撫でた。

「学院に戻りなさい。サイト君が待っているよ」
「サイトが……」

 子爵は視線を落とすルイズに微笑みかけると、口笛を拭いてグリフォンを呼んだ。

「ミスタ・グラモン。我が許嫁を無事に学院まで送り届けてくれたまえ。頼んだよ」

 茶目っ気たっぷりにそう言うと、子爵は飛び去って行った。

「ま、待って……」

 ルイズは声を震わせながら小さくなっていく子爵の背中に手を伸ばした。
 彼ほどの実力者なら、生還出来る可能性は高い。だけど、確実に帰ってこれる保証も無い。
 これが今生の別れとなってしまうかもしれない。その事をルイズも感じているのだろう。

「……駄目よ」

 ルイズは言った。

「ひ、一人でなんて行かせられない……」
「……でも、子爵が言う通り、船に乗れない以上、彼について行く事は……」
「分かってるわよ!!」

 ルイズは叫んだ。

「でも……」
「――――何か、お困りですかな?」

 どうやら、少し騒ぎ過ぎたみたいだ。いつの間にか、周りに妙な連中が集まって来ていた。
 全身をローブのようなもので包隠している。

「だ、誰よ、アンタ達!!」

 ルイズが警戒心を露わにして怒鳴る。

「……私達は流浪の民。何やら、お困りのようだったので声を掛けました」

 流浪の民。聞いたことがある。一定の場所に定住する事なく、街から街へと渡り歩く胡散臭い連中だ。
 だけど、流浪の民はその生活様式の関係で非常に多くの情報を持っていると聞く。

「悪いけど、私達は忙しいの。物乞い目的なら他を――――」
「待ちたまえ、ルイズ」

 彼らを追い払おうとするルイズを止め、僕は話し掛けて来た男に顔を向けた。
 
「僕達はアルビオンへ向かいたいと思っている。何か、方法は無いかな?」

 金貨を差し出しながら問いかけると、男はクスリと微笑んだ。

「アルビオンは今や戦場ですよ?」
「それでも、行かなければならない理由がある」
「……でしたら、一つだけ」

 男は言った。

「ここから西に約二十リーグ程行った先に闇商人達が利用していた古い廃港があります。嘗て、アルビオンとの往来が激しかった頃に利用されていたものです。そこに何隻か船が残っておりました。どうやら、闇商人達は思いの外大儲け出来たようで、風石を幾らかそこに残したまま去っております。それらを積み込めば……」
「アルビオンに行ける!!」

 ルイズが歓声を上げた。聞いてみて正解だったらしい。

「ただし、飛空船の操縦は素人には困難です。それに、風石が途中で足りなくなる可能性もある。御二人共、風の魔法は使えますかな?」

 僕達は顔を見合わせた。僕は土のメイジだし、ルイズは言わずもがなだ。
 困り切った表情を浮かべる僕達に男は言った。

「よろしければ、人手を貸しましょうか?」
「人手を……?」

 男は人差し指を後ろに居る三人に向けた。一人は背が高く、ガタイもいい。その両隣には子供が二人。三人共顔を隠していて、性別や年齢は分からない。

「真ん中の男は極めて優秀な風のメイジです。そして、その両隣にいる二人は戦いの申し子とも言える戦闘の達人です。戦地へ赴くなら、戦力も必要でしょう。彼らをお貸し致します」
「……ずいぶんと気前がいいね」

 さすがに話がうますぎる。飛空船の情報だけならまだしも、風のメイジやボディーガードまでつけてくるなんて、怪し過ぎる。

「無論、報酬を頂きます」
「報酬……?」
「然様。御二人が何故アルビオンに向かわれるのかは分かりませんが、危険を伴う以上、それ相応の大切な目的があるのでしょう。それらを果たし、帰還するまで、彼らを貴方達の護衛につけます。そして、無事帰還出来た暁には報酬を頂きたい。金銭で構いません。そうですねぇ、千エキューほど頂ければ――――」
「せ、千ですって!? ちょっと、待ちなさい!! いくらなんでも、そんな額……」

 仰天するルイズ。僕も提示された額に言葉を失った。
 だけど、すぐに考えなおす。確かに、千エキューは高額だ。だけど、絶望的だったアルビオンへの渡航手段とボディーガードに対する代金としては妥当……いや、安いくらいかもしれない。
 最悪、姫様に掛け合って経費として彼らへの報奨金を出してもらえばいい。
 ルイズも同じ結論に至ったのか、口を噤みながらコチラを見つめている。
 頷き合い、彼らの提示した条件を呑むことにした。

「……結構。では、廃港まで三人に案内させます。その後も御好きに御使い下さい」
「ああ……」

 怪しすぎるくらい怪しい。だけど、いざとなったら僕にはペルソナがある。
 この力を使えば、例え、彼らが牙を向いたとしても対処出来る筈だ。
 裏切れば、相応の報いを受けさせるだけ。だから、それまでは――――、

「よろしく頼むよ」

 無言で頷く三人に微笑みかけた――――……。


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