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[15932] 時をかけるドクター
Name: 梅干しコーヒー◆8b2f2121 ID:81acf757
Date: 2010/06/21 22:13
初めまして梅干しコーヒーです。
3月6日土曜日、感想掲示板で書いたようにチラシの裏からとらハ板へ移動しました。
変わらず見てもらえると幸いです。


タイトル通り、ドクタースカリエッティ逆行モノです。

まずは注意点を。

・設定は出来るだけアニメ版本編準拠。
但し、再構成の為進み方は異なってくると思います。
nanohawikiを参考にしています。

・兄貴に、だらしねぇなとスパンキングされても文句が言えない程、稚拙な文章かもしれません。その辺りはご勘弁を、書いている内に学べていけたらと考えています。

・プライベートの都合上、更新が遅くなったり、停止する可能性があります。
事前にお知らせしますので、ご勘弁を。

次に本編の注意点を。

・逆行、再構成モノです。
・主人公はジェイル・スカリエッティですが、
基本的に主点はなのは、フェイト、はやて、ジェイルの四人になります。
進行具合とか、程度によっては切り替わるかもしれません。

では、前書きはこの辺りで、最後までお付き合いしてくださると幸いです。
頑張ります。

ジェイル。
ミニスカのラフ画。
http://pds.exblog.jp/pds/1/201003/03/86/f0222086_16575754.jpg
作者のイメージなので、読者の方々が持っていらっしゃるイメージとは、食い違い等があると思います。
まぁ、参考程度に見てもらえれば、と思います。

※6月16日、更新再開しました。



[15932] 第1話 アンリミテッド・デザイア
Name: 梅干しコーヒー◆8b2f2121 ID:81acf757
Date: 2010/07/03 18:29








【GG-W-85494-D765642137443-11】

答えを導く為の数式でも、ある一定の規則性を見出す謎々でもない。
一見しただけではただの数字の羅列。で終わってしまうだろう。
名前――とは異なるが、完全に違える訳ではない。似て非なるもの。内包する多面性の一部だけを捉えれば、それは正しい。

ある特定個人、固有判別に使われる。という引き出しの一部を閲覧すれば、大抵はそれの意味する所を悟るだろう。
財布の中身を覗けば、似たような刻印や記載が記されたカードを見る事が出来る人間もいるかもしれない。

――犯罪者ID。
英雄ではなく悪鬼。名誉ではなく不名誉。善ではなく悪。
母が赤ん坊に名前を与える際に抱くのが愛等の要素ならば、これは人々から憎悪や怨念等の敵意を込められた汚名と同義だろう。

この名を与えられ、史上最悪の次元犯罪者との烙印を押された人間。その男は数年もの間、繰り返される惰性の日々をおくっていた。
毎晩同じ天井を眺め、目が覚めても変わる兆しのない朝を迎えるだけ。
この数年間で学んだ事と言えば、死ぬまで檻の中で生を消費し、不変の日常を繰り返す動物達の心情くらいだろうか。

本来ならば野を駆け、空を謳歌し、大海原を遊泳すべく生まれ落ちたはずが、瞼をあげれば閉ざされた世界。
しかし、悲しむ事はないかもしれない。その世界しか知らない。故に、自分が不幸だと理解する事もなく生を終えるのだから。

だが、男は違う。欲望の赴くままに生命を冒涜し、激情の赴くままに生命を愛した。刷り込まれた夢だとしても、夢である事に変わりはなかった。
かつての満ち足りた毎日を思えば思うほど、身に宿る無限の欲望は己を焦がしていく。
猛獣達と違う所はそこだった。なまじ知っていたからこそ、我が身でさえ焼き尽くす炎は行き場を失い膨れあがり、熱を増していくばかり。

しかし、そんな奈落の底にも救いはあった。身体の自由こそ奪われていたが、思惟を巡らせる思考回路までは取り上げられる事はなかったからだ。
檻の中で常同行動を繰り返す動物達と、閉鎖された空間で知的好奇心を満たす男。
両者ともそれ以外に出来る事は皆無。という共通点はあるものの、胸中の色は全く異なっていた。即ち、愉悦を孕むか否かだ。

――時間は腐る程ある。ならば、納得のいくまで探究……思索の海に埋没しようじゃないか。

そう発起すると、彼は自分だけの世界に沈んでいった。










【第1話 アンリミッテッド・デザイア】










――1ヶ月目。

行動を開始したはいいが、次々と孵化する感情がそれを困難に導いてしまう。
恋焦がれるような情念。手に入れられなかった後悔。どんな手を使っても欲しいという欲望。

玩具を取りあげられた子供と何ら変わらない思いは、行為として現れる事となる。
ただ呆然と外の世界を眺め続ける日々が始まった。そして浮上した想いを打ち消すかのうに、時折啄木鳥のように頭を壁に打ち付ける。

異変に気付いた看守が彼を止めようと、必死に羽交い締めにするが、信じられない力でそれを振り払う男。
その程度で制止を可能にする程、彼の苦悩は生易しいものではなかった。この時から、専属のカウンセラーが定期的に訪れるようになる。





――2年半目。

時間が解決する問題も存在する。彼の激情も波打ち際のように沈静の様相を見せつつあった。
だが、それは傍から述べる見解。男性の感情のベクトルは別の場所へと切っ先を向けているだけの話だった。

……何故負けたのか?
戦いの申し子であるはずの娘達は、立ち塞がった彼女たちに悉く敗北を喫した。データ上では完全に勝っていたはずにも関わらずだ。
協力無比な先天固有技能を持ち、それを最大限に生かす為の特殊力場を形成可能な魔道兵器まで行使した。だが、結果は敗北。

何が自分達を敗北者足らしめたのか? 答えは一向に到来の兆しを見せない。
だが、答えは得られなくとも、そこに至るであろう式を幾通りか思い描く事は出来た。後は実行に移すだけ。それで何かしらの光明は差すだろう。

しかし、実験に移行する事は叶わない。新案の武具武装も、生体兵器もこの場所では製造する事さえ出来ない。
設備も材料も皆無。それ以前に手足を満足に動かす事すら不可能。自分の体にも関わらず、繰れるのは上半身、及び頭部だけ。

再びもてあました激情と苦悩。壁面に頭部を打ちつける毎日の幕があがった。
異変に気付いた看守が彼をとめようと、必死に羽交い締めにする。その力は以前よりも格段に強くなっていた。

八つ当たりさえ叶わない。落胆の色彩を隠せない男性。しかし、彼の生まれ持った欲望は、それさえ凌駕した。
髪を振り乱しながら狂ったように演奏するデスメタル――それを彷彿とさせるかの如く、熱情と言う名の弦を、衝動と言う名のピックで独奏する。
ヘッドバットの照準を壁から看守へと変更。この時から、頻繁にカウンセラーが訪れるようになる。





――5年目。

問題には必ずと言っていいほど答えが存在する。……何故負けたのか? 数年もの間追い続けた答えに、一筋の光明が見えた。
単純にして明快、この世の摂理――弱肉強食。強い者が喰らい、弱い者が淘汰される。ただそれだけの事だった。

つまり、自分達が弱者であり、彼女達が強者であるが故に敗北したのだ。しかし、ならばこそ腑に落ちない。納得出来ない。
データ上では確実に上位に位置していた娘達。負けるはずがないのだ。だが、数年前の決戦の結末がそれを否定する。

――彼女達は何故あれ程強く、美しかったのか?

そう考えた刹那だった。――ああ、――そうか!! そこに答えがあるのか!! 彼の頭から足の指先まで雷鳴が鳴り響く。
これこそ天啓。彼は狂喜した。彼女達の強さの秘密――その謎を解いた先に自分の夢――生命操作技術の完成系が鎮座しているに違いない。
そう――神を産み出す事さえ可能となるのではないか、と。

――会いたい。知りたい。骨の髄まで研究し尽くしたい。

彦星と織姫。それとは違う一方通行の熱情。
見ている者さえ狂気に犯せそうな程、外の世界へと思いを馳せる。

仮にこの地獄を出られたとしよう。しかし、それでは願いを果たせない。
答えを得られないまま彼女達の前に立っても、敗北するのは確定的に明らか。研究など以っての外だ。だが、答えを得る為には彼女達と再び邂逅する必要がある。

何とも矛盾している。何かいい方法はないか。彼は暗中模索する。
とりあえず話し合い、会談の場を設ける――駄目だ。明らかに自分は彼女達の嫌悪の頂点に君臨する。特にFの遺産などはより顕著だろう。
問答無用で叩き伏せる――そんな事が不可能なのは既に察している。

完全な堂々巡り。差し当たって衝突を避ける事は確定したが、相も変わらずいい策は浮かんでこない。
遥か空を目指し立ち昇る気泡は、海面に到達すれば霧散してしまう。次々と浮上してくるものの、求める目標には到達出来ない。
終りの見えない脳内会議。ふと、何が切っ掛けになったかは分からないが、巡り巡って原点、根本的な問題へと流れ着く。

嫌悪、敵意を抱いているからこそ、話し合い等不可能――ならば、それが元から存在しないのならばどうとでもなるのではないか?

その一つの答えに行き着けば、後に続く公式は芋づる式に次々と形を為していく。

後は行動に移すのみ。そう歓喜しながら檻の外へと意識を向ける。
そこには、度重なる彼との激戦で、筋骨隆々の戦士となった看守が門番のように立ち塞がっていた。





――7年半目――現在。

「ああ……懐かしいねぇ……」

時空管理局本局、遺失物管理第1課。遺失物保存・保管倉庫。
男性の視界を埋め尽くすのは、要人が有事の際に避難するVIP専用シェルターのような、広大な地下空間。

「こんな感情は実に何年振りだろうか……ここに存在する全てが私を満たしていくよ」
「……黙って歩け」

第9無人世界[グリューエン]の軌道拘置所に収容されていた際に着用していた囚人服。
格好こそそのままだが、浮かべている表情は全く異なっていた。愉悦をそのまま造形したように破顔し、言葉の節々からは感慨の極みが滲み出している。
脇に無数の四角いボックスの並べられた通路を、その様相を保ったまま引きづられていくように進み続ける男性。
縫い付けられた両袖手には手錠、そこから伸びる鎖の先は、前方を歩く管理局局員が握っている。

要人警護中のSPを想像させる光景。男性のすぐ傍を、全く同じ速度で追随していく数名の局員。人が鉄格子となったような檻が出来あがっていた。
要人ではない。だが、重要人物である事には変わりない。何せ、史上最悪のテロの首謀者なのだ。一瞬でも気を抜けば、何をしでかすか分からない。

人の行した未曾有の大災害――JS事件から7年半経過した新暦83年。
それまで時空管理局の捜査類に対して一切協力体制を見せなかった男性は、掌を返したかのように自供、態度を軟化させた。

男性が管理局に歩調を合わせ始めた理由は簡単であった。

――「罪を償い、新たな自分を、世界を始めたい」

数名の管理局上層部の取り調べの際、聴取終了時に必ず口にするようになった言葉。
しかし、史上最悪の次元犯罪者の突然の豹変。これを不審に思わない程、管理局は無能ではなかった。

そして二年の時が経過する。供述した内容――明らかになっている違法研究の他、多数の物的証拠の在り処。
隠し拠点等を次々と自白し、その全てが事実であり、ウラが取れた為、考えを微修正、改めざるを得なかった。
当初こそ疑いしか持たなかった管理局は、僅かながら男性が更正しようとしているのではないか? そう希望を持ち始めていたのだ。
だが、犯した罪が重すぎる。涙を流した人間が多すぎる。どう男性が罪を償おうとしても、無期懲役の判決を覆す事は断じて出来ない。

――「この世界で私の犯した罪は消えない。ならば――」

幾ら最凶のテロリストであろうとも、更正しようとしている心を無下にするのは無意味。
そう決断を下した管理局上層部は、男性の願いを聞き入れた。

――「レリック……そしてジュエルシード。本来ならば願いを叶えるはずだった祖先の贈り物を、無下に扱った事を謝罪したい」

地下空間の最奥部。物理的にも、魔道的にも厳重に封印の施された場所。
そこに到着した時、掛けられていた手錠が一旦取り外され、局員の一人に背中を押されて一歩踏み出す形となる男性。

目の前には金庫のような、中型の重厚な箱が置かれている。よほど重要な物なのか、外側から鎖で施錠まで施されていた。その数、12個。

「さっさと用を済ませろ。マッドサイエンティスト」
「分かっているよ。そう急かさないでくれたまえ」

更に一歩踏み出し、視線を右から左へ。
同一線上に並べられた12の箱を、舐める様に見渡す男性。

(ああ――遂に、遂に――この時が来た)

口元を醜悪に歪ませ、頭を垂れる。必死に笑いを堪えている為、肩が小刻みに上下していた。明らかに謝罪をしに訪れた態度ではない。
しかし、垂れている頭は謝罪の意、上下している肩は泣いている為。実際は全く違うのだが、男性の背後しか伺う事が出来ない局員達は、何の疑いも持つ事が出来なかった。

(さぁっ!! 私の願いを!! 望みを!! 無限の欲望を叶えたまえ――!!)

「罪を償い――」――無知は罪ではない。知ろうとしない事が真の罪である。だからこそ知りたい。彼女達の強さの根幹を。
「――新たな自分を、世界を始めたい」――未完成なままで終局を迎えてしまった生命操作技術。この世界では、もはや到底叶わぬ夢だろう。
「この世界で私の犯した罪は消えない」――そう、この世界で犯した罪は消えない。彼女達と真に望む形での邂逅は叶わない。

この世界で叶わぬの「ならば――」――他の世界。遥か過去――自分を完全に敵とみなす前の世界で叶えればいい。

(――――ジュエルシードよ!!)

プレシア・テスタロッサの異常とも言える願望――アルハザードへ至り、娘を蘇らせるという藁にもすがるような希望。持てる生命の全てを持ってしても、叶う事のなかった願い。
だからこそ、時空管理局は“願いを叶える”ような事は言い伝えであり、実際はそのような能力は内包していない。そう断定している。

しかし、ならば何故新暦65年、PT事件で次元震は発生した? ただ、膨大な魔力で次元が歪んだ。そうも考えられる。
だが、こうも考えられる。彼女達の邪魔が入った為、失われた技術の眠る地への道は開いていたが、障害――高町なのは達が邪魔した為、通る事が出来なかった。

何の根拠もないただの推測。事実、自分が12のジュエルシードを所持していた際、願いを叶えるような事は一度もなかった。
生命操作技術の完成――確かにこれは身を焼き尽くす程の願望であり、欲望だ。これ程巨大な願いを叶えられないのならば、管理局の見解も正しいだろう。
だが、その大望をジュエルシードに直接向けた事はない。ただの自己顕示欲の為に魔道兵器へと埋め込んだだけだ。

「……おい、何をしている」

一人の局員が、異常に気付く。僅かに聞こえた声。それは笑い声。発生源は目の前の男だったからだ。

「くっくっ――!!」

そして、プレシア・テスタロッサの望みでさえ次元震動を起こせたのだ。願い――願望――欲望。
賭けの要素が強いが、開発コードでもある[アンリミテッドデザイア]――[無限の欲望]とまで呼ばれる自分の切っ先を直に突きつけたのならば――、

「――くぁーっはっはっはっは!!」

――叶わぬ願い等あるだろうか。

「急にどうし――ッ――!? 」

その答えは、宙に浮かぶ12の物体が示していた。賭けの結果は、耳を劈く男の勝ち誇った狂笑が何よりの証だった。

突然宙空で漂い始めた、ロストロギア――ジュエルシードの収納された格納箱。厳重に封印の施されているはずなのだが、中身が起動しているのは明らかだ。
そして、懺悔をしにきたとは全く思えない程、耳触りな男の笑い声。何かが起こっている。それはもう疑いようがない。

控えていた局員達は、男を確保するべく一斉に駆け出した。
魔法は行使出来ない。この場所は様々な指定遺失物が保管されている。下手に魔法を使用すれば、それが引き金となって何が起こるか見当もつかないからだ。

「では諸君、そしてこの世界よ――」

だからこそ、彼にとっては都合がよかった。それも見越した上でのこの行動。
踊るようにその場で半回転し、自分目掛けて疾走する局員達に狂った笑みを見せつけると、

「――さようならだ」

最後に魔物のような嘲笑を浮かべ、史上最悪の科学者――ジェイル・スカリエッティはこの世界から跡形もなく消え去った。












[15932] 第2話 素晴らしき新世界
Name: 梅干しコーヒー◆8b2f2121 ID:40571b93
Date: 2010/01/31 01:37




空と浮雲は本来の色を忘れ、主役となった夕陽の色調をあるがままに受け入れていた。
疎らに乱立する木立は、空漠と広がる彼方より飛来する橙色の太陽光を受け、様々な表情に変化していく。

木々の幹には大小様々な傷跡が刻みこまれていた。
もしも対象が人であったのならば、見る者に痛ましい心情を抱かせるだろう。
しかし、緑樹は寧ろそれを享受していた。少しの悪戯ならばかわいいものだ。
そう口にしながら、遊戯に夢中の稚児を、縁側から見守る老齢者。
それに近い日常的な情景を連想させる。事実、子供がつけた傷なのだろう。

枝葉の頬を撫でるように流れるそよ風は、時を刻む毎に冷涼の色彩を帯び始める。
四季は春。
最も陽気な風情を感じさせる季節だが、夕の帳が落ち始めれば、さすがに少々肌寒さを覚える。

――ごそり、と。
冷たくなった春風に揺られ、青葉同士が互いに干渉し合い奏でられていた清流のせせらぎのような音色――それに僅かなノイズが混じる。
横槍を入れられたからか、すねるように沈静していく雑木林のオーケストラ。
それに呼応するかの如く、風の指揮棒は職務を放棄していく。

――ごそり、ごそり、と。
未だ見ぬ誰かに自分の存在を主張するかのように、時計の針が動く毎に律動の勢いを活発にさせていく物体。
翼を広げ、やがて大空を飛翔する為に外殻を突き破ろうとする雛のような、孵化する直前の哺乳類を想起させる。

節々に指の先程度の口径の穴が空き、荷馬車にでも引き摺られたかのように側面の一部は土と泥に塗り潰されている。
痛んだ為に不要となった衣類。
それに包まれ、中身を隠蔽するかの如く不法投棄された廃品。
大概の人間の第一印象はそれで決まるだろう。

指先から指へ。
掌を突き出し腕が露出させる。
それは雛鳥の羽ではなく、明らかに人間のソレだった。
やがて、野性を謳歌するイタチ科の動物のように、俄かに荒々しさを感じさせる手つきで一対の掌で袖の口回りを掴み、押し広げながら頭を覗かせた。


「――――」


再び活動を開始する春風。
しかし、心地よかったはずのそれは機嫌を損ねたかのように吹き荒ぶ。
歓迎していない。寧ろ、敵意を向けている。
そう感じてしまう程、突然の変化を遂げていた。


「くっ、――」


濃紫に染め上げられた頭髪が、気性の荒くなった風で激しく翻る。
隙間から時折覗かせる両目は閉じられており、横殴り、暴風とも言える様となった排外を物ともしていない。


「――くはっ、ははっ――!! ――」


弾劾するかのような木々の騒めきが突き刺さっても、寧ろそれを待ち望んでいたかの如く嘲り、笑う。
嘲弄を洩らしながら、感慨深くゆっくりと瞼をあげる。
外気に晒された眼球は金色。
本来ならば美しいはずの色彩は、何故か酷く歪んで見えた。


「――くぁーっはっはっはっは!!」


遥か虚空を仰ぎ、気がふれたかのように――いや、既に狂人だからこそ造形出来る、狂笑と言う名の花を乱れ咲かせる。
かつての世界に捧げる弔花ではなく、新しき世界に贈る薔薇の花を胸に抱きながら――、


「さぁ――喝采しようではないか!! 賞賛しようではないかぁっ!! 美しく、優雅にっ!! この――新世界を!!」


――ジェイル・スカリエッティは、夢の舞台――新世界を称賛し、歓迎した。

いつの間にか風は――已んでいた。










【第2話 素晴らしき新世界】










所々が裂け、皮膚の保護等の保険衛生的機能が欠如し、役割を果たさなくなった衣服を、スカリエッティは抜け殻のように脱ぎ捨てる。
他にも、囚人としての烙印を押す等の意味はあるが、収監する組織が既に存在しない可能性があるのならば、役目を終えたも同然だろう。
だが、もしもがある。こんなものを着ていれば、自分から諸手を挙げて捕まえて下さい――と言っているようなものだ。
どちらにせよ害悪、デメリットしか齎さない。

そう思い至り、囚人服を脱ぐ為、とりあえず立ち上がるスカリエッティ。
大分様変わりし、汚れと傷だらけになった部分を眺め、着脱を開始しながら思考に耽る。

――存在しない可能性。
つまり、時空管理局が存在しない確率は十二分に有り得る。
それの根幹に座す願望として [彼女達が存在する] [別世界] が絶対的に横たわっていたからだ。

[逆行世界]
[並列世界]
[逆行並列世界]

大雑把に分類すれば、この三つが挙げられる。
所謂パラレルワールドへと移動した危険性は十二分にある。
故にここが時空管理局が存在しない世界である可能性は十分孕んでいる。


(ふむ、早急に確認する必要があるね)


時空管理局が実在する、しない――メリットとデメリットはどちらにしろ包含している。
しかし、それらによってスカリエッティのこれからの行動、立ち位置も180度変わってくる。
故に至急確認事項の一つだろう。

“存在しない” のならば、大望――生命操作技術の完成、それを思うがままに行える世界を構築するのは容易い。
管理局に代わる組織があるかもしれないが、今の段階でその可能性を論じても意義は薄い。
生命操作技術を自由に行える空間の構築――それも確かな夢だ。
しかし、最も重要な事項――彼女達の強さの根幹を知る事が困難になる可能性が懸念される。
それでは意味がない。何よりも知りたいのは彼女達の全てなのだから。
もしも管理局に入ってから得た強さならば、知る事は不可能となるだろう。

“存在する” のならば、その逆だ。
夢を実現することが困難になり、彼女達との邂逅は如何ほどか楽となる。
自分の理論――生命操作技術の完成の為には彼女らの持つ何かが必要――スカリエッティはそう狂信し、追い求めている。
ならば確率の高い“存在する”方が幾らかマシなのかもしれない。

故に [逆行世界] が最良であり最善。
未来から来訪した自分ならば、これから発生するであろう事柄を、事前に知識として所持しているからだ。
突然出現した病に対して抗体を保有しているか、していないか――この差は大きい。
致死性の病ならばなおさらだ。
そしてこれから自分が行おうとしている事は、薄氷の上を進むように細心の注意を払わなければならない。
一歩違えば悲願は霧散してしまう。
それは自分にとって死と同義なのだから。

思考の海に埋没していた為か、立ち上がったというのに、着衣を取り外すという目的をいつの間にか見失っていたスカリエッティ。
一つの事柄に夢中になると、回りが見えなくなるのは科学者としての性か。
心中でそう口にすると、再び衣服に手を掛け始めた。

この世界を初めて目にした時と同じように、両手に外気を感じる。
疑問に思い、拘束していたはずの両袖へと視線を向ける。
逆行、移動中なのか、降り立った際に生じたものなのかは定かではなかったが、縫い付けられていたはずのそれは中程まで裂けていた。
外気が齎されていたのは、その破れた一部分から。
これなら子供の力でも引き千切れるだろう。裂け目の一画を握り、両側から引き裂く。
囚人服の仕様上、相当丈夫な素材で出来ていたはずだが、繋ぎ目が弱いのは人体と同じなのだろう。
それは拍子抜けする程簡単に離別した。


「……ふむ?」


何だ、これは。
脳裏を疑念が過ったが、


「――ああ、そう言う事か」


忘れていただけで、答えは知っていた為、大して驚いた様子はない。
こうなる事は折り込み済み。
故に、些事だ。胸中でそう呟き切り捨てる。
しかし、違和感は拭えない。

拘束するのが主目的とはいえ、さすがに身動きが出来ない程束縛する必要はない。
四六時中それでは、身体に異常をきたす危険性とてあり得るからだ。
その為、袖口を縫い付けても、内部にある程度余剰空間を持たせられるように設計されている。
当然、縫目を解けば通常の衣服よりも袖が長大になる。

ぶらり、と。だらしなく垂れ下がるそれは、まるで振り袖のようだった。
しかし、幾らなんでも長尺すぎる。
先端が地面と接触し、折れ曲がっている程だ。

珍妙な光景はそれ以外にも展開されていた。
首元を囲むはずの襟は役目を放棄、肩口まで地肌を露出させている。
足元へと視点を移せば、足の裏まで布地に覆われている。
これでは歩く事さえ出来ず、行動を妨げる事しか出来ない。
もはや、服としての役割を果たしていない。
ただ単に身体を包囲しているだけだ。

描いた絵図――その端に、メモする程度の気持ちで表現しただけ。
付録としてついてくれば重畳、叶っても叶わなくてもいい。

その程度の心持だったのだが、


「ありがたいが……これは少々やりにくいね。折角の新世界をこのような場所から眺めなければいけないとは」


事実、叶っていた。
それは慣れ親しんだ視界と、現在の視界の大きなズレが何より証明している。
――低い。視点の高さは、以前の自分が腰を折りしゃがみこんだ際と同じ程になっている。
そして、今、自分は立っているのだ。
本来ならこの差異はありえない。

とても、三十路を通り越した男性とは思えない程小柄な体躯。
見た目十代前半であろう青年ではなく少年。
未だにあどけなさを覗かせる顔立ちは、明らかに世界を移動する前の自分とは異なっていた。

――高町なのは。フェイト・T・ハラオウン。八神はやて。
スカリエッティを魅了した三人の戦乙女。
全身全霊の興味と欲望を傾け、文字通り生命を賭けて彼女達へと邂逅する為にこの世界へと舞い降りた。
話をしたい、観察したい、触れてみたい――須らくどの欲求を満たすにも、前提条件として直接接触する事が求められる。

スカリエッティが願った逆行先時系列は新暦65年春。
彼女達が最初に関わった事件――PT事件が勃発した年号だ。
そしてまだ出会っていない為、嫌悪どころか存在を認知すらされていない。
この時、三人はまだ十代にも差し掛かっていないはずだ。
未だ穢れを知らぬ少女ならば、最も友人が作りやすいのは、年上よりも同年代。故に、この姿ならば警戒心は薄いだろう。

物のついで。他の懸念事項よりも重要度は低かった。
しかし、これはこれで重畳。存外、あの宝石も律儀なものだ。
胸中で軽く礼を垂れ、脱ぎ捨て終えた着衣を腰に当てると、パレオのように身に付ける。
上半身は裸、下半身は心許ない布切れ。
元々穿いていた下着は、サイズが合わなくなった為、意味を失った物となっているので破棄。

とりあえず、下半身さえ隠しておけば大丈夫だろう。
スカリエッティは安心、確信し、行動を開始する。
だが、一歩進む度に大腿二等筋付近が顔を覗かせていた為、余り説得力はない。
もしも突風でも襲ってくれば、ギリギリアウトとなるだろう。

木々のヴェールはすぐに終端を提示した。
枝葉の隙間から降り注ぐ橙色の線を横切りながら、そこへ目標を定め歩を向ける。

草木の絨毯が終わりを告げ、足の裏で砂利の感触を感じるようになると、開けた空間へと出た。
目の前には何やら人工的な建造物。
そこまで巨大と言うわけではないが、低位置となった視点がそれを誇張する。

とりあえず、全体像を把握しよう。
そう考え、それを中心にぐるりと周囲を一周する。
その途上、イヌ科の動物を模したであろう構造物が一対鎮座していた。
それに両脇を固められるような形で石畳の道が延びている。

中心点にしていた建物を遠目から確認出来る位置。
他の場所にはない構造物に興味を惹かれ、スカリエッティはその場で立ち止まる。


「ふむ、確か……ジンジャ。だったかな?」


背後へと振り返れば、赤に塗り潰された奇妙な形状の門。
まるで門番のように立ち塞がっていたが、その口は大きく開いている。
それにも見覚えがあった。
トリイ……だったか? 記憶を手繰り寄せながら、その二つが意味する所を模索し始める。

ジンジャ (神社)、トリイ (鳥居)。
朧げな記憶だったが、確か、神を祀る神聖な祠の役割を持つ建造物だったはずだ。
スカリエッティは神等に興味はない。
故に、この場所に心を引かれるような感慨も、感情も微塵に浮かんでは来ない。

好奇心を刺激されない。面白くない。
欲望に忠実な彼は、無関心な物には徹底的に無関心を地で貫く。
神社も鳥居も、一向に興を沸かせはしない。
しかし、そんなスカリエッティだったが、これを知っているのには訳があった。


「どうやら第97管理外世界なのは間違いないようだね。とりあえず、一安心という所かな」


神やら神聖やらよりも、絶対的に価値のある理由――この二つが [第97管理外世界] 現地惑星名 [地球] にしか存在しないという事だ。
それは、今、自分が地に足をつけている場所が [第97管理外世界] だという事実を導き出す。

そして、この世界には――、


「ああ、この時をどれ程渇望し、恋焦がれた事か――……!!
もうすぐだ……もうすぐで君達と巡り合えるよ――!! エース・オブ・エース――!! Fの残滓――!!夜天の主!! 」


――三人の乙女が――いずれ、眩いばかりに光輝き、咲き誇る華のツボミが存在する。
スカリエッティが眼前の建立物を知っているのは、あくまで三人が居る世界の物だからだった。

――その時だった。ふと、脳裏を掠める疑問。

高町なのは、フェイト・T・ハラオウン、八神はやてが在住する世界――だったか? 、と。
確かな事のはずだが、奥歯に何か引っかかったかのようにイマイチ釈然としない。

決して崩れる事のないトライアングル。
それは黄金比を体現したかのように美しい。
しかし、それはPT事件と闇の書事件の後に完成を為し得たはず。
だからこそ合点が及ばない。
ご都合主義のように、出会ってすぐにそんな関係を構築出来るはず等ないからだ。
そんなものは唯の無価値な幻想だ。
共に障害を乗り越え、苦難を共にしたからこそ堅固にして堅牢。
それは間違いないはずだ。


高町なのは――PT事件に介入したのはどのような理由だったか?
魔法文明の存在しない地球でどのようにして魔法と出会ったのか?

フェイト・テスタロッサ・ハラオウン――PT事件と深い関わりがあるのは覚えている。
母であるプレシア・テスタロッサが主犯の事件なのだから当然だ。
しかし、具体的に何をした?
ファミリーネームの [ハラオウン] とは何の事だ?

八神はやて――闇の書事件の中核に位置する人物。
PT事件には関わりがないはず――なのだが、彼女は本当にPT事件に介入していないのか?
どうにも確信が持てない。
そもそも、闇の書は無限に転生を繰り返すロストロギア。
ならば、どのようにして事件は終結を迎えた?


彼女達の事ならば、大抵の事は知りつくしている。
一度興味を示したものに対しては、徹底的に突き詰める性なのだ。
ならば、何故こんなにも穴だらけなのだろうか。
完成系を既に知っているパズル。
だが、ピースがどこにも見当たらない。
他の欠片を嵌めてみるも、本当にそれが正答なのか分からない。
何だ、これは。何故知っているにも関わらず、このように断片的なのだ。
顔を顰め、迷走し始めるスカリエッティ。

断片的、知っているはずが思い出せない。
答えを得ようと、脳内でキーワードを打ち込み検索をかける。

――結果はすぐに得られた。
成程、と。納得はするものの、同時に苛立たしさが込み上げてくる。
有り得る。逆行以前からそう予感はしていたが、何とも厄介な問題が生じたものだ、と。

――タイムパラドックス。
科学者の端くれでも知っている理論。
勿論、スカリエッティは専門でない為、精通してはいないが最低限の事は心得ている。
簡単に言えば、時間を遡った際に発生する、因果関係の不一致によって起こり得る矛盾。

“知っているが知らない”――今の彼の記憶齟齬状態、矛盾と合致する。

しかし、それは同時にスカリエッティが時間逆行に成功した可能性を、限りなく高くする推論でもあった。
タイムパラドックスは、未来から過去へ、本来の因果の流れに逆らった為に起こり得る事象だからだ。

もはや第97管理外世界へと至り、過去へと遡った事はほぼ確定だろう。
しかし、それと代償に大きなアドバンテージを失ってしまった。
作成していたプランが水泡と帰す確率が非常に高まってしまったのだ。
下手に介入すれば、修正の効かない最悪の事態を招いてしまう。


「ああ、――そうか、――」


珍しく陰鬱な心境を、胸中だけでなく表でも吐露していたスカリエッティ。
しかし、まるで豪雨が刹那の時間で青天の霹靂を垣間見せるかの如く、いつの間にかその表情は愉悦と悦楽で禍々しく歪んでいた。

――ああ、考えてみれば簡単な事だ。
何時でも、如何なる時でも世界の摂理、真理、原点には等価交換が座しているのだから。

故に、得ようとするものが至宝であればある程、代価は巨額だ。
そして――自分が為そうとしている事は――薄氷の上を往く上、漆黒に塗り潰されたような、先の見えない道程が立ち塞がるのだろう。
だからこそ――全てを失う危険性を代価に支払わねばならない程――価値のある果実なのだ、と。


「くははっ――……!! いいぞ……実にいい!! それでこそ――ここまで追い求めた甲斐があると言うモノだ!!
全障害を踏破し、私は理想を――甘美な果実をこの手に掴み取ろうではないか!!」


境内に向かって、狂信的な瞳を見開きながら宣言するスカリエッティ。
それは、そこに居ると信仰されている神に対しての、宣戦布告のようにも取れた。






















――ジャングルから上京してきました。
まるでそう言わんばかりに、この格好がスタンダードだ。と体裁を全く繕わず、恥ずかしげもなく上半身を晒け出したまま入店したスカリエッティ。
あんぐりと口を開けたまま固まる店員。
対して眉一つ動かさず、威風堂々と佇む少年。両手には何故か三つのブルーに塗り潰されたスーパーの袋。
完全無欠に不審者で変態だったが、余りにも堂々と、颯爽としている為、気づいた時には服を選んであげ始めていた。


――「そうだね……イメチェン、と言われるものを実験してみたいかな。精々頑張ってくれたまえ」
注文はそれだけだった。とりあえずお客様には変わりない為、オーダー通りに見繕い、満足気な様子を浮かべてくれるまでセレクトし続けた。


――「耐ショック性、耐電性能は不満だが――悪くない」
少年が何を言っているのか、女性店員には理解が及ばなかったが、とりあえず及第点を貰えた為、お会計に移った。
元々着ていた――というよりも、身に着けていた妙なデザインの衣服を裁断し、サブバッグとして生まれ変わらせるサービスも行った。


――「お釣りはいらないよ。君の能力に見合うお礼をしたまでだからね」
がしゃり、と。甲高くも鈍くもある効果音を響かせながら、レジの上に二つの袋を勢いよく置く少年。
中を覗いてみれば、様々な種類の小銭の山が広がっており、その天辺には数枚の千円札が居座っていた。

殆ど裸で来店した少年――錆びていたり、所々欠けている小銭――皺くちゃの千円札。
よほど苦しい思いをしながら貯金していたに違いない。そう悟り、お代は大分足りなかったが、三つ目の袋の中身をせがむ事はしなかった。
涙を堪え、退店するスカリエッティを見送る女性。
支払いに使用された袋の中に数枚のおみくじや、今日の午前中に近くの神社で行われていた祭りのチラシが混じっていたが、大して気にはならなかった。











かつてはただの土塊だった物質は、人の手によって命を吹き込まれたかのように形を変え、理路整然と立ち並んでいた。
大小様々な四角の箱が内包しているのは多彩な人々。
栄えている物もあれば、閑散とした物もある。

濃紫の髪を揺らしながら、少年は往来の市街地を、人の流れに逆らわず歩き続ける。
内面を外面へと押し出したかのように、今にもスキップを刻みそうな程、足取りは軽快だ。
自由の効かなかった手足は、実に7年と半年もの間積み重ねられた憤りと、ついに開放された感激を噴出させるかの如く、次々と血液を流動させていく。

ほんの数十分前まで、まるで遥か古代の原始人のような格好をしていたスカリエッティ。
文明化の進んだ世界を歩き回るには些か不都合だろう。
ましてや、なまじ顔立ちが整っている分、違和感を加増させていたのは間違いない。
事実、奇異の視線を360度、あらゆる場所から感じていた。
怪奇、嫌悪、憎悪――それらの負の感情の矛先を向けられるのは慣れていた為、別段気にしてはいなかったが。

濃い目の縁取りが特徴的な眼鏡を鼻の頭で引っ掛け、髪留め用のゴムで結われた濃紫の襟足が馬の尾のように揺れ動く。
購入したばかり。と如何にも印象を受けそうな、均等に青さを誇るジーンズ。
見る者に少々野性的な感想を抱かせるであろうフード付きジャケットを羽織り、ベースに白のTシャツで体を包む。

若干その場凌ぎな感は否めないが、簡易的な変装はこれでいいだろう。これで懸念事項の一つに対して予防線が張れる。
そう、スカリエッティは胸中で満足しながら、相も変わらず人垣の川を泳ぎ続ける。

懸念事項の一つ――ジェイル・スカリエッティ――つまり過去の自分、もう一人の自分への危惧だ。
何時広域指名手配され始めたかは定かではないが、新暦65年の段階で顔写真が公表されていても何ら不思議はない。
今の自分は子供。手配されている自分は大人――だが、同一人物なのだから、当然身体的特徴は酷似している。

ならば、僅かながらも認識と印象をズラす。雀の涙程しか意味は無いかもしれないが、意味が有る可能性とてある。
何が起こるか分からない以上、出来る限り万全を尽くしておかなければならない。
そう考えると、子供の姿に変化したのは非常に有用な武器と成り得るかもしれない。

疑われれば最後――疑惑を抱かれたスパイ等、もはやスパイとは呼べない。
しかし、彼女達に接触しない訳にはいかない。当然、顔を晒さねばならないだろう。
おまけにジェイル・スカリエッティと名乗れば、疑うなと言う方が無理だ。故に、自分へ仮の名前も与えなければならない

この世界にジェイル・スカリエッティが存在するか、否か――それを確認するまでの辛抱。。
心の中で、自分にこんな苦渋を舐めさせるとは。そう憤りながら、自己顕示欲を雁字搦めに縛り上げ、奥底へと仕舞いこんだ。

まだ、彼女達がこの世界のどこにいるかは分からない。
だが、ジュエルシードを使用した以上、過去のジュエルシードの近くに逆行した確率は高い。

故に――、


(ああ、まずは君からだよ――、)


――脳裏に浮かぶのは純白のドレスに身を包んだ魔道師。願いを叶える宝石を巡る事件――PT事件に深く関わった――、


(――高町なのは君)


――精鋭揃いの機動六課の中でも一際光を放ち、不動のエースと言う名の玉座に鎮座し続けた少女――高町なのはを第一目標として選び取った。








[15932] 第3話 少女に契約を、夜に翼を
Name: 梅干しコーヒー◆8b2f2121 ID:40571b93
Date: 2010/02/01 22:52









夜の帳が落ちれば、呼応するように世界、街、人の織り成す演劇も一旦幕を降ろす。
終幕ではなく幕間だ。
再び日が昇れば、幾度となく繰り返されてきた日常の暗幕は、眩い光に照らし出され霧散していく。

我先に、と。昼間は鉄の塊が居場所を求めて走り回る舞台も締め切られ、現在、熱を失ったコンクリートの地面は空しく冷え切っている。
白線の皺は陽光を照らし返す事はなく、黒に彩られた夜空に反抗し、控え目に自己を主張しているだけ。
駐車場に人はなく、遠方から届けられた音色を虚空へと広げるだけの場所へと成り果てていた。

そこを敷地に携える建造物――陽光の差すひと時には、来客を待ち望むかのように大きく口を開いているが、今は他者の手によって錠が掛けられている。
これもいつも通り。そう諦めきったように、降りてくる鉄の紗幕への抵抗はない。

地面に勢いよく衝突したシャッターは、余波で体を揺らし、跳ねる。
波打ちながら僅かに飛び上がり、重力に逆らう事なく落下――その身を地に降ろすと、口笛を吹きながらその場を去っていく人影を、鉄のカーテンは寂しそうに眺めやった。

金属特有の甲高い音響。
遠のいていく足音と、一定の戦慄を刻みながら心底ご機嫌そうに去っていく夜風の囀り――、


(――……やれやれ、漸く消えてくれたか)


――それを目覚まし時計代わりにすると、スカリエッティは小声で悪態をつきながら身をよじらせる。
吹けば消えるような声量だったが、誰もいなくなった空間ではその憎まれ口は一際目立っていた。しかし、それを気に留める人間は既にこの場を去っている。
その為か、声色からは不安や心配、懸念等は一切感じられなかった。

ごそり、ごそり、と。
大きく寝返りをうった際に生じるような、絹ずれの音が暗い空間に静かに浸透していく。
掘削するようにシルクのトンネルを両手で掻き分け、出口を求めて突き進む。


「く――っ、……ふぅー。やはり、外の空気とはいいものだねぇ。実に美味しい 」


俄かに郷愁の念を禁じ得ない解放感を、大きく背伸びし、肺に酸素を取り込む過程で味わっていく。
胸骨に負荷が掛かる程、目一杯空気を詰め込むと、天井に伸ばした手を顔の中心に持っていき、ズレていた眼鏡を正して体をくの字に山折り――鈍った五体を解きほぐす。
締めくくりに、首を倒して骨を鳴らす。 カ――コンッ、と。和風庭園の水琴窟によく似た音調が波紋を広げた。

実に数時間もの間、布団と言う名の食パンに挟み込まれ、サンドイッチの具材となっていたスカリエッティ。
尤も、自分から布の谷間に侵入した為、特に気分を害するような事はなかったが。

寧ろ、心地よかったのだろう。
頬には乾燥した涎の跡と、無パターンに刻み込まれた仄かに熱を持つ赤い線状の寝癖。
簡単に言えば、爆睡していた。

この場所に到着した当初こそ人影は多数存在したが、今はスカリエッティ以外誰も居ない。
その事実がそれ相応の時間が経過した事を提示していた。当然、元からこうなる予定だったので目論見通りだ。

夕の帳が空を覆い尽くさんとしていた時刻。
高町なのはを第一目標として定めたものの、どこに向かえば邂逅出来るのか、皆目見当も付かなかった。
まもなく夜半に踏み込む時間帯。明らかに捜索には都合の悪い状況になってしまう。
しかも、今のスカリエッティは子供だ。地元の治安維持組織に補導される可能性とて否めない。

とりあえず、一旦逸る気持ちを抑えつけ、冷え込むであろう夜を凌ぐ為、宿を探索開始――したのだが――、


「魔法文明が存在しない――管理外世界――だが、中々優れた技術力だ。
保温性、吸湿性、何よりリラクゼーション効果はミッドのそれを凌駕するかもしれないね。良い素材を使っている」


――日用雑貨や住宅設備に関する商品を販売する小売店へと足を運んでしまっていた。
所謂ホームセンターと呼ばれる場所だ。

何故こうなったのか――理由は二つある。

空腹感に苛まれた為、食事を取らざるを得なかった。
故に、金銭が底を着いてしまい、無一文になった為、宿に泊まろうにも勘定が済ませられない。
別に無銭宿泊でも構わなかったのだが、足を運んだ場所は例外なく前払い制。
支払う、支払わない以前に、泊まる事が不可能。故に、賃金制のホテルは諦めざるを得なかった。
どちらにせよ、中身が幾ら成人していようとも、見た目小学生のミニスカリエッティでは、保護者がいなければ滞在は許可されない

もう一つは、単純に興味が惹かれた為。

この世界をぶらつき始めた際から感じていたのは、想像していたよりも技術力が高度だった事だ。
管理外世界という先入観があったからか、少々甘く見ていたが、魔法という概念が存在しないだけで充分高水準をマークしている。

――と言うわけで、偶然通りがかったホームセンターへ入店。
ひとしきり物色した後、警備と監視カメラ――他の客と店員の目を掻い潜り、陳列されていた寝具に侵入――現在に至る。

発見されなかったのは単純に運が傾いたのか、素材は良くとも布団のデザインセンスが常軌を逸していた為、誰も近づこうとしなかったからなのかは定かではない。
それは、スカリエッティの瞳と同じ色――黄金に輝く羽毛布団だった。
目立ち過ぎる由縁か、逆にそこに誰かが隠れている等とは露とも考えなかった可能性が高いだろう。

――さて、と。そう呟きながら、布団の中をまさぐり始めるスカリエッティ。
すぐに掌に感触を覚えた為、その物体を掴み上げ、引っ張り上げる。
布同士が擦れ合う音が止むと同時に姿を現したのは、唯一の装備品であるサブバッグだった。

長めの取っ手を肩に掛け、営業中に店内を物色した際に把握した――監視カメラの位置を脳裏に浮かべ再確認。

監視されている事が分かっているのなら、態々それに乗っかってやる義理はない。
そう胸中でほくそ笑むと、如何にもご機嫌といった様子で夜のショッピングへと洒落込み始めた。










【第3話 少女に契約を、夜に翼を】










遥か天高く、眼下を見下ろし生命の息吹を暖かく見守る日輪は、同時に光と言う名の恵みを贈り続けている。
地下に根を巡らす植物は、返礼と言わんばかりに頭を、稲穂を波打たせ、垂らしていた。

肌に感じる暖か味。気分を高揚させ、陽気にさせる事はあっても、陰鬱へと導く事はない。
しかし、それは時と場合、場所によるのだろう。

一生を土中で過ごす土竜等は、陽の光を浴びれば顔を顰め、地下深くへと踵を返す。
人もそうだ。お天道様に顔向け出来ないような所業を犯していれば、逆に嫌悪を覚える事だろう。

しかし、それは呆気なく覆される。
人類史上最も生命を冒涜し、神への背徳行為を行ったのであろう人物が、寧ろ享受していたからだ。

窓と言うフィルターによって僅かに光量を減衰させながらも、直線状に尾を引きながら、室内に差し込む日光。
それは、本来ならば目視出来ない程の微細な塵、埃を粉雪のように浮き彫りにしている。

かつて、老人達に与えられていた空間を俄かに彷彿とさせる場所。
違いと言えば、大気を振動させる機械駆動音の有無と、物欲と知識欲の内、後者しか満たす事しか出来ない。と言うところだろうか。

項が翻る度に、鼻腔を擽る紙独特の香りを心地よく感じながら、テーブルの上に広げた書物のページを捲っていくスカリエッティ。


(ふむ……海鳴市――か。聞き覚えはあるが、どうにも確信が持てないね……いやはや、どうしたものか)


古代、近代、現代。あらゆる軌跡の記録を記した書籍の保管庫。所謂――図書館。
【 図書館ではお静かに 】 。まるで広告看板のように自己主張するプレートに従い、浮かんだ困惑を口に出す事はしない。

ホームセンターでとりあえず夜を凌いだスカリエッティは、代金を求められない夜のショッピングを満喫した後、図書館に来ていた。
閲覧しているのは、現在滞在している近辺を含んだ周辺地図。文字だけでなく、縮小された図が理解の度合いを助長してくれている。


(全く……パラドックスによる弊害がこうも厄介とは、ね。身動きが取れないじゃないか)


後にエース・オブ・エースと呼ばれる事となる魔導師――高町なのはの捜索を開始したはいいものの、気持ちだけが先走り、腹案は皆目浮かんでこなかった。
兎に角、今自分はどこに居るのか。彼女との相対距離は如何ほどなのか。とりあえず最低限、それだけは知っておかなければならない。

地元の治安維持組織に頼るのは癪だった為、自力で情報収集を開始。
選択肢の枝から、無料であらゆる記録を閲覧出来る図書館という葉を選び取った。

しかし、大きな肩透かし感は否めない。欲する情報が殆ど見当たらない程、この場所の情報量は少なすぎた。
無限書庫程の大規模なものを期待していたわけではないが、落胆の色は隠せない。

かろうじて確認出来たのは二項目――現在自分が居る地名が [ 海鳴市 ] と呼ばれる場所だという事。
恐らくこの市内に三人の内誰かが在住しているであろう事の二つ。


第一の事項が把握出来たのは、単純にこの建造物の名称の頭に [ 海鳴市 ] が付随していた為。

第二の項目は、この地名が僅かに脳裏で引っ掛かった為。
[ 第97管理外世界 ] の情報において、自分がこういった感触を覚えるのは、彼女達に関する事しか有り得ない。

故に、恐らく彼女達の何れかが近辺に存在する。と、当たりをつけた。
パラドックスによって欠落しているだけで、恐らく知っていたのだろう。

出身世界、ある程度の現地名称までなら調査したような記憶がある。
尤も、拘留所に投獄される前に調べたと思われるので、余り覚えていなくて当然なのかもしれない。


――広いな、と。
眺めていた縮小地図上を、指で軽くトントンと小突きながら、スカリエッティは途方に暮れる。
殆ど当てもなく行動するには、 [ 海鳴市 ] に区分される範囲は広大すぎた。

せめてもう一つくらい絞り込める要素を所持していれば大分状況は好転したのだろうが、生憎と、これ以上の情報は持ち合わせていない。

持ち合わせては [ いない ] が、持ち合わせて [ いた ] 可能性はある。
もう少しで出会えるというのに、と。時間逆行による弊害――タイムパラドックスに対して、スカリエッティは苛立ちを隠せない。
憤りをそのまま形にしたように、乱雑に広げていた地図を閉じる。


(兎に角、これは持っていて損はない。いただくとしようじゃないか)


一度、周囲に視線と気を配ると、手慣れた動作で素早くサブバッグへ放りこむ。
次いで、テーブルの上に積み上げておいた数冊の科学教本も同じように飲み込ませると、余り音をたてないように立ち上がった。

各々読書に耽る者、目当ての書物を探す人間。
意識は完全に明後日の方向――此方へは向いていない。監視カメラが存在しないのは確認済み。
平日、しかも昼間という事も相まって、人影も疎らだった為、難なく任務を完遂する。

がしゃり、と。元から内包していた物体と本が衝突し、鈍い音を発生させたが、それでも怪訝に思うような人間は居なかった。
悪事を働いた事等どこ吹く風。戸惑いや、焦燥といった色は全く感じさせず、スカリエッティは出口へと向かう。

もうすぐで開け放たれた扉を潜る――その時だった――、


「――君、そらあかんで。ちょい待ちや」


――突然、後方から齎された声――責める様な、叱咤するような色調を帯びた声色。
ああ、見つかってしまったか。そう感じながら、全く悪びれた様子もなく背後をゆっくりと振り返る。


「――――」


――まさか、と。
スカリエッティは眼前の人物を確認すると、突然顔色を豹変させ、驚愕を造形した。
どこかで見覚えのある顔――聞き覚えのある特徴的な口調――次々とバラバラに散らばったピースが嵌っていく。

車椅子に腰かけ、自分を見上げる形で顔を覗かせる少女――記憶している彼女を幼くすれば、間違いなくこうなるだろう。
少し先の未来において、自分を敗北者へと叩き落とした英雄部隊――機動六課の部隊長――最後の夜天の主――、





――――八神はやてがそこに――居た。





















海鳴市中丘町、その住宅街の一画を、一人の少年と少女が縦に並んで歩いていた。
いや、少女は歩いていなかった。本来ならその役割を果たす足は、主の言う事を無視し、ただそこに或るだけだ。


「――――でな? 幾ら自分の都合が悪くても、人様に迷惑かけるんはあかんと思うんよ」

「そうなのかい? 全く理解できないね。
人は生きている限り、須らく他者に迷惑をかけるものだよ」


自分が座っている車椅子を押しているスカリエッティに向かって、諭すように語りかけるはやて。
海鳴市立図書館 [ 風芽丘図書館 ] を出発し、ここに至るまで幾度も繰り返されている押し問答――その数は、既に一の桁を突破していた。


「ちゃう、ちゃうって。そんな大げさな問題やない。
それに迷惑がかかるって分かってるんなら、あないな事したらあかん」

「ほう、何故だい? 私は誰に迷惑が掛かろうと知った事ではないのだが」

「だから……何回も言うてるけど、人様に迷惑かけるんは駄目な事なんよ?
――……何で分かってもらえへんかなぁ……」


からから、と。二つの車輪が回転する音を耳に入れながら背後を振り返る。
駄目だ。全然分かっていない。これ程話しているのに、まだ理解してもらえないのか。
はやては、胸中で溜息と共に呆れを吐露する。

はやてが徒労感に苛まれている間も、スカリエッティは表情を全く変えはしない。心底嬉しそうに口元を歪めていた。
傍から見れば、ただ会話を楽しんでいるだけのように感じるが、今や心の泉は愉悦、歓喜、喜悦――喜びの湯水で満たされている。
待ち望んだ邂逅。些か予定外、順序が狂ってしまったが、これはこれで重畳、と。

風芽丘図書館で出会い、こってりお説教されたスカリエッティと、元々人一倍正義感と責任感の強いはやて。
初めて見かけた顔。一度目ならば、と。職員に知らせる事はせず、筋道をたて、道理を諭し、たっぷりと説法した。
――が、相手は終始にやけ顔、時には口元を抑えてくつくつと笑っていた。

分かってもらえていない。そうとしか思えない態度を取られた為、半ば意固地になり、説教を続けた。
しかし、残されていた時間は少なかった――スーパーのタイムセールの時間が、刻一刻と迫っていたからだ。

まだ話は終わっていない。
ここで目の前の男の子の更正を諦めるわけにはいかない
だが、夕食の買い物をしないわけにはいかない。


(でもまぁ……)


……素直ではある。
そう付けたしながら、車椅子の取っ手にぶら下げられた買い物袋を見やる。
野菜、肉、調味料――今夜の夕食の材料が入った袋は、慣性の為すがまま揺られていた。

強引に付き合わせたにも関わらず、文句一つ言わず買い物を手伝ってくれた男の子。
嫌な顔をしながらも渋々――ではなく、寧ろ衷心から上機嫌だったとさえ思える程楽しげだった。
但し、自分を見る目が異常に熱を持っていたが。時折、恍惚顔で空を仰いでいたのは正直気持ち悪かった。

そこだけ鑑みて、変態のようだった様子を除けば、悪い人間でないとは思うのだが、と。何とも複雑な心境抱くはやて。


「――……ふむ……、君がそう言うのならば――可能な限りだが、少々、善処してみる事としよう」

「……え?」

「何故驚くんだい? 君の言だろうに」

「あ、いや……そりゃそうなんやけど……急にどないしたん?」

「それは此方の台詞だよ。何か、おかしいかね?」


数時間に渡り、まるで宗教団体の布教活動のように説法を続けたのが報われたのか。
そう思いながら、スカリエッティの様子を伺い見る。
何だね? 、と。あたかも当然のように、視線だけでそう語る彼には、逡巡も、何の戸惑いも見受けられなかった。

――弱肉強食。
強い者が搾取し、弱い者が剥奪される。
盗む方が悪いのではない。盗まれる方が悪いのだ。

スカリエッティは性根からそう考えている。
奪われたくないのならば、強くなればいい。
嘆く暇があるのなら、取り返せばいい、と。

だからこそ、彼女の考えを理解してみる事にした。
自分にとっては過去だが、近い将来――ミッドの地において、自分は彼女とその仲間達に敗北を喫する事となってしまったからだ。

故に――強者は彼女、弱者は自分。
それに加えて元来、彼女達の事を知る為に過去へと遡ったのだ。
納得はいかないが、他ならぬ夜天の主――八神はやての言だからこそ――、信じるに値し、実行してみる価値が或る。

だが、急激な心変わり。当然の如くはやては疑いに掛かる。
近未来において、自分とその仲間たちが目の前の彼を倒す等とは露とも知らない為、スカリエッティ程の得心はいかないからだろう。


「信用、してもらえないかい?」

「……当たり前やん。じゃあ、今後一切盗みを働かない――って、誓える?」

「いや、それは無理だね。可能な限り善処する、と私は言ったよ。
まだ完全に納得したわけではないからね。とりあえず、この場では及第点だろう」

「うーん……少しは分かってくれたんやろうけど……」

「……ふむ」


未だ、納得が及んだ。という顔をせず、これ以上どう諭せばいいのか分からなくなり、口籠るはやて。

悩み始めたのはスカリエッティも同じだった。
このまま得心のいかぬまま別れれば、決して良い印象は与えられないだろう。
先に高町なのはと接触する事を確定したとはいえ、予定としては、後に八神はやてとも再び関わりを持つつもりだ。
今後に、その際に弊害が発生するかもしれない。この段階で悪いイメージを与える事は避けたい。

どうしたものか、と。
思考の海を遊泳しながら、何か答えを探すように二人は視線を様々な方向へと注ぐ。
からから、と。空しく空回りする車輪の音色が、やけに響き渡る。


「んー……じゃあ、これだけは約束してもろてもええか?」

「内容によるね。先程も言った通り、今後一切盗みを働かない――それは誓えないよ」

「むっ……、本当はそれも約束して欲しいんやけど……とりあえずその本、きちんと返却日までに返す事――これくらいならええやろ?」


――善処しよう、と。喉まで出かけた言葉を、寸での所で飲み込む。
はやての瞳からは、有無を言わせぬ色彩が滲み出ていた。
何故ここまで拘る。そう思いながら、どう回答するべきかスカリエッティは逡巡し始める。

――他人に迷惑を掛けてはいけない。
耳が腐る程――腐って異臭を放ち始める程、繰り返し説法された為、嫌でも脳内再生されてしまう。

海鳴市の周辺も含んだ地図。その他科学教本二冊。これらははやての貸し出しカードで貸与された代物だ。
住所不定、戸籍等あるはずもない。発行する際に個人情報を必要とする――故に、自分は交付を受ける事が不可能。

予定日を過ぎても返却がない場合、登録された場所へと通告が行われるシステム。
この場合、実際に借りたのは自分でも、通知ははやてへと矛先を向けてしまう。
完全に悪印象。これでは今後の活動に支障が出る危険性が生じるだろう。

恐らく、信用も失墜する。
善処すると言いながら、結果的にはやてへと迷惑を掛けてしまうのだから、嘘吐きとさえ思われても仕方がない。
ここで確約せねば――ただの盗人。最悪のファーストコンタクトを終えてしまう。


「――……いいだろう。他ならぬ君の頼みだ。確約しようではないか」


うんうん、と。漸くこの場は納得したのか、はやては頬を緩ませながら数度頷く。

悪い人ではなく、悪い事が何なのか分かっていない。恐らくそうなのだろう。
悪事を働く際に目立つ背徳感や、否道徳感は一欠片も見当たらなかった事がそれを半分程裏付ける。
本質から悪人なのかもしれないが、約束を違えるような人間とは思えない――本音は思いたくない、だが。


「なぁなぁ。いつまでも君じゃあれやし、名前教えてもらってもええか? うちは――」

「――八神はやて君。だろう? 知っているよ」

「あれ? 名乗った覚えないんやけど」

「図書カードにそう書いていたじゃないか」

「あー、成程」


元から知っていたが。胸中でそう呟くスカリエッティ。
嘘など吐いていない。記載内容を拝見して目の前の少女が八神はやてで或る事を再確認したのだから。


(しかし……名前、か。どうしたものか)


この世界で名乗るのは、もう少し先の事になると考えていた為、未だ名前は確定していない。正直に言わなくとも嫌だ。心底嫌だ。
だが、本当の名前をそのまま告げれば、後に弊害が発生するのは明白。

タイムパラドックスと言う何とも厄介な物以外に、これ以上懸念事項を増やしたくはない。
疑いを掛けられれば最後――次々と噴出する疑念の蓋を閉じる為、動きに制限が掛かってしまう。
イナゴのように際限なく増殖する事は目に見えている。

しかし、自分が自分で或る事を否定等したくはない。元々スカリエッティは自己顕示欲の塊でもあるのだ。
及第点としては、一部に自分で或る事を示す。これが限界だろう。

スカリエッティは、風芽丘図書館で閲覧した図書の中に [ 日本で一番多い名字 ] という書物があったのを思い出す。
多いのならば、大して疑いは持たれないかもしれない。
確か、藤原秀郷の後裔、左衛門尉公清とやらが称するに始まった――サトウ――佐藤。

――ジェイル・佐藤。もしくは、佐藤ジェイル。
日本人でもなく、ハーフでもない自分が佐藤を名乗るのは些か違和感が生じる。故に、却下。

名前を掏り替える――スリカエル――ジェイル・スリカエッティ。
妙に陳腐だ。故に、却下。

もういっその事開き直ってしまおうか。
そう何度も考えたが、夢を実現する為には障害が立ち塞がる。
全困難を踏破する――神社で宣戦布告した事を思い返し、再び思考に耽る。

――広域指名手配犯と同姓同名は非常に稀。だが、同名だけならば、余り珍しくはないかもしれない。
これが最大限の譲歩。自己顕示欲が不満を募らせて暴発するような事もないだろう。

名字がない事を疑われるかもしれないが、未来において、名前だけで管理局に登録している人物を数人確認している。
シグナム――ヴィータ――シャマル――ザフィーラ等だ。例を振り返る限り、そこまで疑念を抱かせる事もないだろう。


「――ジェイル。ジェイルだよ。余す事なき親愛を込めて呼んでくれたまえ」

「ジェイル君、かぁ。じゃあ、名字は何て言うん?」

「生憎と、これ以上の名前は持ち合わせていなくてね。今の私は唯のジェイルだよ」

「……? ま、分かった。じゃあジェイル君、絶対その本返しておくんやで」


但し名字は持ち合わせているが、と。
此方に微笑み掛けるはやてを見やり、スカリエッティは悪戯っ子のように内心でほくそ笑む。

――この世界で名乗るのは、もう少し先の事になると考えていた。
ふと、自分の思弁を思い起こし、僅かな疑念を胸に抱く。


「はやて君、一つ聞いてもいいかな。今日は平日、何故あの場所に居たんだい?
君の年頃なら学校に行っているはずだろう?」

「んー……、私ちょっと病気持ちなんよ。足、こんなんやろ?
他の所は健康そのものなんやけど……原因不明とか何とかで、病院に頻繁に行かなあかんから、今は休学中って事になってる。
あ、原因不明言うても、不治の病とか大げさなもんやないで? 」

「ふむ……病?」

「うん。病院の先生でも原因分からんみたいやし……でも、ずっとこんなんやからさすがに慣れたけどなー」


あははー、と。はやては渇いた声を伴いながら苦笑する。
その様子から、出来る事ならば治したいが、殆ど諦めている。そう直感出来たスカリエッティ。
本来ならば学校にも行きたいのだろう。その色も感じ取れたが、同じように無理矢理自分を納得させている。


――――……学校?
何故気づかなかった、と。自責の念が胸中を駆け巡っていく。
それと同時に、遠足前の児童のような、享楽前の待望感が心を満たしていった。


(――……くはっ!! 何だ……簡単な事じゃないかっ!!)


今後――はやてと別れた後の行動を決定付け。中断していた思考を再起動させる。


(さて、……と。不治――という事はまず有り得ないだろうね。事実、未来において、はやて君は両の足で立っていた)


脳裏に浮かぶは、これから十年後に広がるであろう世界――そして、夜天の主。
しかし、目の前のはやては病によって歩く事さえままなっていない。
この決定的な違いは何なのか。疑念を抱き、知識欲の赴くまま、スカリエッティは視線をある場所――少女の足へと向けた。


「――はやて君、私の本文は科学者だが、少々医学の心得があってね。
足を診せてもらってもいいかな」

「科学者って……おもろい事言うなー自分。まだ子供なんやし、未来の科学者ってとこやろ」

「年は関係ないよ。それに値する能力があれば、の話だがね。そして私は誰よりも優れた科学者だよ、はやて君。
加えて言うなら、未来の科学者というのも正解だ」

「へー……自信満々やね。
うん、ええよ。診るくらいなら」


はやての同意を得ると、込めていた力を消し、足を止める。
取っ手から車輪へと伝わっていた干渉が已み、少しばかり制動距離を伴った後、車椅子は制止。
それを確認すると、スカリエッティは少女の前面へと歩み寄った。


(――……ふむ)


勿論の事だが、外傷は見当たらない。
ミッドチルダよりも技術が進歩していないとはいえ、見て取れる程度の障害ならばこの世界でも治せるだろう。

次は内部。とはいえ機材が存在しない為、詳しく診断する事は出来ないが。
はやての足元に跪くように、その場にしゃがみ込むスカリエッティ。

足首――太腿――大腿二等筋へ、下部から触診を開始し、登山するように上部へと手を伸ばしていく。
途中途中で、はやてがくすぐったそうに眉根を顰めるが、スカリエッティに気にした様子はない。


「……えーっと……ジェイル君?
診てもらえるのはありがたいんやけど、私の家もうすぐそこやし、出来る事ならそこで――」

「――……成程、もういいよ。……どうしたんだい? 顔が紅潮しているよ?」


至って平常。
往来のど真ん中で、下半身をまさぐっていたとも取れる行動をしたスカリエッティだったが、恥ずかしげも何もなく、当然のようにゆっくり立ち上がった。

周囲に居た通行人は歩みを止め、二人を一瞥すると様々な色合いを孕む怪訝な表情を傾けながら去っていく。
ここは既に自分の家の目と鼻の先、これからどんな噂が広まるかを考えると、恥ずかしくないわけがない。

しかし、善意でやってくれたと思われる行動を無下に叱りつける事は気が引けた。
その為、はやては何も言えなくなってしまっていた。
喉元まで出かけていた羞恥心と言う名のジュール熱が、顔を照明に見立て、白熱豆電球のように化学反応を起こしている。

何故、この男の子は人の目を全く気にしないのだろうか。
つい数十分前の買い物風景を思い返し、あれは凄かったなぁ、と。付け足しながら、はやては大きくため息をついた。


「さて、私はそろそろお暇させてもらおうか」

「ああもぅ……将来変態さんにならんかしんぱ――……帰るんか? 夕飯くらい食べていってもろてもかまわんで?」


人の視線などどこ吹く風。
唯我独尊を地で行くスカリエッティの将来を心配し、ぶつぶつ、と。呟いていたはやてだったが、対象が踵を返し始めたので一旦そこで思考を打ち切る。


「ありがたい――が、遠慮しておくよ。少々用事を思い出してね。早急に済ませておきたい」

「そかー……そらしゃあないなー。んじゃ、またなー、ジェイル君」

「ああ、また会おうじゃないか」


自分には、人と会話する機会と言うモノがあまり得られない。
病院の係りつけの医師や、近所の人と他愛ない話をするくらいだ。
変な男の子だったが、もう少し話してみたかった。が、用事があるのならばしょうがないか、と。自分を納得させながらスカリエッティの背中を眺める。


「――――はやて君」

「ん? どないしたん?」


同じように踵を返し、目の前の家に向かって帰路につこうとしていたが、背後から掛けられた声がそれを制止する。
愛車の操縦桿を操作し、はやては独楽のように半回転してスカリエッティへと振り返った。


「今後一切盗みを働かない――これは誓えない。
だが近い将来、君が闇の中から夜天を見い出せなかった時、その時は――」


病状は少し触診しただけで理解――、把握した。
魔法文明が存在しない世界の医療では、原因が発見出来るはずもない。
何故ならば、これは魔導による機能障害なのだから。

微かに――だが、異常に強力な魔力リンクを確認。
互いを繋ぐ糸ではない――もはや鎖。一方が片側を拘束し、雁字搦めに縛り付けていた。
恐らく――闇の書。蝕んでいるのは、行き場を失くした強大な魔力。


「――無限の欲望、その名に誓い――君を夜天へと至らしめる翼を献上する――それを確約しようではないか。
夜天の支配者が地を這いずり回る事など、決して我慢ならないからね」

「――……えっと?」

「深く考えなくていい。これはまだ先の話だからね。
確定されていない未来――故に、今はまだ何の意味もないよ」


治療を施すには高度な機材が必要だ。だが、それがあったとしても今はまだ治すわけにはいかない。
下手に未来を操作し、タイムパラドックスに次いでバタフライ効果まで及べば、さらに予定が狂ってしまう。

しかし、もしも自分がこの時空に介入した事によって、八神はやてが地を這うままになってしまえば――それは絶対に避けなければいけない結果。
知りたいのは今の彼女ではない。夜天の主となり、自分が恋焦がれ、追い求めた強さを手に入れた彼女なのだ。
そして、不治の病など――自分ならば治せるだろう。この頭脳は、万物を超越するのだから。

全く意味の分からないスカリエッティの言葉に首を傾げるはやて。
それを一瞥すると、少女の言葉を待たずに、再び踵を返して去っていく。

向かう先は海鳴市に存在する数ヵ所の学び舎。高町なのはが [ 向かう ] であろう場所。
[ 居る ] 座標が分からないのならば、 [ 向かう ] 座標へと足を運べばいい。幸いな事に、地図は手に入れた。


(――但し――、代価はその身で払ってもらうよ――、八神はやて君)


背中の向こうに居る少女に対して、内心呟き――心底楽しそうに、狂ったような嗤いを伴いながら、スカリエッティ――ジェイルはその場を去っていった。













[15932] 第4話 不屈の魔導師と狂気の科学者
Name: 梅干しコーヒー◆8b2f2121 ID:40571b93
Date: 2010/03/06 13:01









――チリンチリンッ、と。鈴の音を転がすような音色が、街を往く人々の耳に届く。
各々の役割――仕事や学業といった束縛から解放され、馥郁たる清々しい香りを漂わせる往来に、それはやけに馴染んでいた。

森林の木々のように、疎らに歩いていく大衆――その中を縫うように走る一つの影。
鈴の音だけではなく、僅かな機械音――電動機の駆動音を伴いながら、軽快に前へ、前へと進んでいく。

改良の余地は無限にある。
自分が跨っている二輪車を一瞥しながら、ジェイルは脳内で無数の設計図を描き始める。


(――……ジェットエッジ……、もしくはタイプゼロⅡの使用していたようなローラーが欲しい所だが……――)


――部品が手に入らないか。
どの時代でも技術に世界が追いついてこないというのは悲しいものだ、と。
胸中で被りを振りながら、肩を落とす。

現在所持している素材を余す事なく活用し修理――、改良、――改造を加えたが、未だ納得のいく出来には程遠い。
かつての故郷ならば、最高水準――いや、全次元世界最強の二輪車が創造出来るのだが。
そう不満感に浸る程、郷愁の念は禁じ得ない。

海鳴市中丘町――八神はやてと邂逅を果たした場所を一旦離れ、周辺の初等部に属する学び舎を捜索開始したジェイル。
小学校に限定したのは、高町なのはを探す為。
夜天の主とエース・オブ・エースは同年代――故に、小学生である可能性は極めて高いからだ。

中丘町における探索は丸一日程要して終了を迎えた。
次は別の地域――しかし、海鳴市は広い。
移動だけでも非常に多大な労力と時間を喰われてしまう。
新たな移動手段を模索する必要があった。

ルーテシア・アルピーノでも随伴していれば、転送魔法で一気に時間も範囲も狭められた。
と考えたが、勿論そう都合良く事は運ばない。

ジェイルが行使出来るのは拘束魔法――所謂[ バインド ]と呼ばれる魔力で編んだ糸、縄、鎖等を現出させる魔法と身体能力強化のみ。
高町なのはを捕縛する際ならば重宝するが、未だ対象を発見出来ていない。
故に、今の段階では何の役にも立たない。

今用意出来る最も有効な移動手段は何か――そう考えながら中丘町をぶらついていた所、廃棄されていた二輪自転車を発見。
ホームセンターから頂いた工具、様々な素材を利用し、見た目新品と違わぬ婦人向け自転車――所謂ママチャリを完成させた。

電動ドライバーの駆動部分を取りつけ、電力は小型太陽光発電機関の付随したキーホルダーの部品数個で賄い、半自動二輪へ。
六段変速ギアは他のママチャリの追随を許さない加速性能と馬力を齎す――最早競技用とも呼べる性能へと昇華。
ソーラー発電の為、性能面を天気に左右されるのが難点だが、それを余りあるポテンシャルで補っている。

その内、イノーメスカノン――狙撃大砲でも装備させようか。
そう付け加えながら、当面の足が用意出来た事にとりあえずの及第点を与えていた。

人混みのアーケードを自転車で走りながら、思索に耽るジェイル。
考え事の半分は二輪車の改善点――もう半分は高町なのはの居場所についてだ。


(――……ふむ)


遥か上空を仰げば、純白の浮雲や蒼さを誇った空は、既に橙色に塗り潰され始めている。
手掛かりは初等部学校に通っているであろうという推測のみ。

しかし、この時間帯からはそれすら生かせない。
放課後になれば、各々の自宅への帰路につくからだ。件の少女も例に洩れないだろう。

出口、校門で待ち伏せすると言う手もあるが――、


(間に合わない、か……仕方がない、今日の所は諦めるとしようか)


――脳内にコピーした地図を見る限り、次の目標地点――【聖祥学園】への所要移動時間は30分弱。
既に下校するであろう時刻は回っている為、待ち伏せしようとも、待ち人が既に去っている確率は否めない。

それに加えて、そろそろ空腹感が支配力を増してきている。
頭脳を行使すれば、体を動かす際と同じようにカロリーを消費する――決定的にエネルギーが枯渇し始めてきていた。

今日の所はこれ以上捜索を続けても得る所はないだろう。
そう確定し、当面の宿と食事を用意出来る場所への探索へと思考スイッチを切り替える。

最初に視界を過ぎったのは、日用雑貨や多数の商品を取り扱う、年中無休の小売店――所謂コンビニエンスストア。
あそこならば食料も扱っている――そう思い至りブレーキを掛けたが、一瞬考え込むと再び二輪車を走らせ始める。


(――駄目だね。夜間も営業しているが故に、宿にはならない。何より、金が必要だ)


優れた思考を巡らすには、潤沢な睡眠が必要だ。
コンビニでは一日中店員が居る為、快適な眠りは得られない。
それに宿以前に食事が取れない。今の自分は無一文だからだ。

日が傾き始めた為、除々に動力である電力を欠乏させ始めた二輪車。
前へ進むには、力がさらに必要になっていく。
それに反比例するようにジェイルの疲労感は増していく。

次々と視界を過る建造物。
どれに対しても思惟を巡らせるが、ある一点が必ず立ち塞がっていた。


(世知辛いね……時空の波は越えられても、社会の波はそう簡単にはいかないらしい)


先立つ物――つまり金がなかった。
宿泊するにせよ、食事を取るにせよ代価として貨幣が要求される。

八神はやてと別れてからは、リサイクルショップ等に必要ないと断定した工具等を売り払って当面の金を用意した――が、最早それも底を着いている。
ブツがあるにはあるが、手元に残ったのは手放したくない物ばかり。

手放したくない――絶対に手放さない。
ジェイルにとってそれは同義の為、真っ当と言える手段は皆無になっていた。


(――……あるには、或る。だが――)


――善処しよう。
唯一の手段――神社から賽銭を頂戴する方法が或るにはあるが、八神はやてに放った言葉がそれを押し留める。
口約束とはいえ、出来る事ならば無碍にはしたくない。

取り合えずこの場を離れてみよう。何か新しい方法も模索出来るかもしれない。
ジェイルはそう結論付けると脳裏でマップを広げ、ペダルに力を加え加速していった。










【第4話 不屈の魔導師と狂気の科学者】










背中に流れる冷たい汗を全く気にする事なく、濃紫の髪を激しくばたつかせながら、ジェイルは疾走していた。
サドルに預けていた体重は、今や全てペダルへと注ぎこまれ、加速力へと変換されている。
彼は今、海鳴市藤見町の商店街を一旦離れ、この世界に初めて降り立った時と同じ――場所は違うが、神社へと向かっていた。

浮かべてた表情は憂いから愉悦へ、体を覆っていた疲労感は躍動感へと変貌を遂げている。
普段の彼ならば――これ程激しく運動する事など無意味。
故に、そんな所に労力を費やすくらいなら新たな研究への模索の為に使う、と。
当然のように口にするだろう。

まるでブレーキを掛ける事など毛頭考えていないかのように、無我夢中で藤見町内を疾走する。
何が彼をそこまでさせているのか――それは、商店街を出た直後に感じた魔力反応が原因だった。


「――くはっ!! ――ははっ!!」


第97管理外世界には、魔法文明は存在しない――当然、魔導師が実在しない事に繋がる。
だが――居る。

二人――もしくは三人。
一人目――八神はやては確認した為、除外。彼女は今も中丘町に居るはずだ。
残るは、二人。最も可能性が高いのは――高町なのは。


「――……ふぅっ……!!」


荒くなった息を整える事もせず、道路脇へと二輪車を放り投げ、ジェイルは斜め上へと視線を固定する。
見上げた先には赤く染まった鳥居。
その途上には長い石段が待ち受けている。

――居る、間違いない。
そう確信を孕んだ一歩を踏み出し、未だ見えない目標に向かって走り始める。

商店街を出たばかりの段階で感じた魔力は二つ――そのいずれもがかなりの内包魔力量なのは感じ取れた。
今は三つに増殖している――だが、そんな事等もはや些細な問題。

激しい運動で齎された動悸が、万感の想いへとなって痛いほど胸を締め付ける。
ジェイルは元来科学者だ。
勿論と言っていいほど、肉体的労働は余り好まない。
しかし、今はそれすらも甘美、と。
そう言わんばかりに破顔していた。

揺れ動く視界に反して、目標は完全に定まっている。
一気に階段を駆け上がり、幾つ目かの踊り場に到着した際、目視したのは――魔力光。

しかも帯びている色彩は――、


(ああっ!! そうか、そうかっ――間違いない……っ!!)


――桜色。

胸中でそう叫びながら、喝采するのと同時に視線の先に捉えたのは、一頭の巨大な狼のような生物――、


(君なのだね!?――)


――その手前には、純白のバリアジャケットに身を包んだ少女が一人。

魔力光は個人個人で様々な色合いを見せる。
自分が知り得る魔導師の中で、桜色の光を放つのは唯一人しかいない。
面影も或る。もはや疑いようはなかった。


(――高町なのは君っ!!)























幣殿へと延びる石のカーペット――その延長線上には三編みにされた極太の縄が吊り下げられている。
現在、縄の端に括りつけられた鈴は鳴っていない――にも関わらず、神社は騒々しい物音――、


「――きゃぅっ!?」

「――なのはっ!!」


――少女の悲鳴と、黒く塗りつぶされた巨大な猛獣が齎す轟音に支配されていた。
白いドレスのような戦闘服に身を包んだ少女を中心に、衝突の余波で舞い上がった土煙が、周囲を覆い尽くしていく。

それを視界に収めると同時に、ユーノ・スクライアは駆け出していた。
何度も少女の名を呼ぶが、返ってくる声はない。
代わりに耳に入ってくるのは、巨大生物の雄たけびとも、裂帛とも取れる叫び声。


『なのはっ!! 大丈夫!?』

『う、うん、何とか……レイジングハートが守ってくれたみたいだから』


肉声は雑音に掻き消され、届いていないのかもしれない。
そう思い至り、魔力を利用した念話へとコンタクト手段を切り替え、アクセス――返ってきた少女の声に胸を撫で下ろす。

しかし、それも一時の事。
声色からは困惑や戸惑いといった怯えが見え隠れしていた。

自分に力があれば。せめて失った力が少しでも戻れば、と。
ユーノは焦燥を募らせる。

砂塵が風に流され、少女――高町なのはの姿を肉眼で確認しても、その苛立ちは消えてくれなかった。
寧ろ、より濃くなっていくばかりだ。


「はぁっ……!! はぁっ……!!」

「――ガァッ!!」

「――きゃぅっ!?」


肩を竦ませながら目を閉じ、なのはは利き腕である左手を突き出す。
その先に展開されたのは桜色の防御障壁――それが現出したと同時にシールドへ巨大な黒い影が衝突した。
荒くなった息に苦しみ喘ぎながら、続けざまに襲ってきた衝撃に、なのはは膝を折りながら耐え続ける。


『マスター、ご安心を。この程度では突破されませんので』

「う、うん。ありがとうレイジングハート」


赤色のコアから齎された励ましの声を聞き、俄かに顔を上げる。
視界に映ったのは、後もう一歩手を伸ばせば届く程の距離で唸りをあげる特大の猛犬。
おぞましく変貌したその姿に一瞬顔を背け、怯えながらも、瞳の色は未だ萎えはしなかった。

しかし、こうして防御こそ適ったものの、どうすればいいのかは未だ毛頭見出せない。

左手を突き出したまま、その答えを知っているであろう人物――、


「ユーノ君!! こ、これどうすればいいのっ!?」

「ちょ、ちょっと待って!! 今考えるから!!」


――今は小動物の姿へとなっているユーノへと、疑問という声を投げかける

遠巻きになのはと猛犬の鬩ぎ合いを見やりながら、ユーノは状況、打開策を模索し始める。
力が戻ってさえいれば――そう考えたが、今は無い物ねだりをしている暇は無い。すぐに思考を切り替えた。

自分の見立てでは、なのはとレイジングハートならば覚醒体の封印は可能だろう。
しかし、原住生物を取り込んだ為、前回の敵よりも格段に強化されている――故に、封印段階までどう持っていくかが鍵になる。
ただ[ シーリングモード ]を起動しても、封印は不可能――まずは対象を無力化――気絶させる必要がある。


(何とかしなくちゃ――早く……っ!!)


なのはのポテンシャルならば、恐らく容易に無力化が出来る。
しかし、魔法と出会って未だ一日しか経っていない――行使出来るのは封印魔法と防御魔法のみ――攻撃魔法等修得していない。
レイジングハートには[ ディバインバスター ]等がインストールされているが、それを使えるかどうかは別問題。
ぶっつけ本番で使うには少々危険が伴いすぎる――しかし、それ以外に手がないのも事実。


(でも――)


――それすら使えない。
いや、発動させてもらえない、と。ユーノは胸中で悪態をつく。

ディバインバスターは砲撃魔法――中・遠距離用魔法だ。
他に組み込まれている魔法も似たようなミドル・アウトレンジ魔法ばかり。
しかも、ある程度のチャージ時間も必要になる。
接近戦で応用の効くような物もあるが、つい最近まで普通の小学生だった少女に肉弾戦をしろというのは酷すぎる。

なのはと敵の距離はショートレンジ――もはや零距離だ。
間違いなく暴発する距離、それに加えてチャージ時間など与えてはくれないだろう。


「あっ――……うぅっ!!」

「なのは……!! くそっ!!」


なのはの苦悶の呻きを聞けば聞く程、ユーノの焦燥は増していくばかり。
それに反比例するかのように、巡らせていた逡巡が行き止まりに衝突していく。

同時に、有り得ない、と。幾ら原住生物を取り込み実体化しているとしても、この強さは余りにも予定外だった。
昨日の覚醒体とは比べ物にならない。同じく、これにも答えは得られなかった。

障壁はまだ十分強度が残っている――だが、それと襲ってくる圧力は別問題。
半ば圧し掛かるような形で突進を続ける猛犬。なのはの魔力よりも体力が先に枯渇してしまいそうだった。

もどかしさに押し潰されそうになるユーノ。
責め苦に耐え続けるなのは。


――しかし、その場で激しい感情を憤らせているのは――、


「――え?――きゃ、きゃぅっ!!」

「えっ――えぇっ!?」


――もう一人存在した。


いつの間にか自身の腰部分に巻きついていた赤い縄――それを視認した次の瞬間には、奇妙な浮遊感が襲い掛かってきた。
なのはは突然襲ってきた浮遊感に驚愕しながら、為すがまま引っ張られていく事しか出来ない。

赤い縄の端――恐らく術者が居るであろう場所を振り返るユーノ。
そこにいたのは、濃紫の髪に金の瞳をした少年――ジェイルだった。

右の掌から伸ばしていた赤い魔力縄を、同じく手に展開した官印のような魔法陣へと収納していくジェイル。
まるで魚を釣り上げた釣り人のように縄を繰り、一旦上方へとなのはを持ち上げると、地表に到達する間際に速度を緩ませ、着地させた。


「え、えっと……?」

「僕ら以外の……魔導師?」


展開していた魔法陣――と、言うよりも印のような赤い絵画を消し去った少年――ジェイルで視線を固定させる二人。
なのはとユーノがそれぞれ浮かべ、口にした疑問に答える事はない。ただ静かに俯き、小刻みに肩を震わせているだけだ。

――助かった、と。
振って湧いた希望に、ユーノは俄かに安堵する。

今使用したのは恐らく拘束魔法――バインド。
誰かは分からないが、なのはを助けた所から察するに敵ではない。
不躾な願いだが、状況が状況だ――この人が手伝ってくれるなら何とかなるかもしれない。

そう考え――、


「あ、あの……助けてくれて――」


声を掛けようとしたユーノだったが、先に口を開いたなのはによってそれは遮られる。


「――ありがとうござい――」

「――……何故だ」


――ます、と。
そう続けようとしたなのはだったが、ジェイルの小声にしてはやけに語気の荒い口調がそれを遮断してしまう。

小刻みに震える体は頭髪の毛先まで伝道し、痙攣でも起こしたかのように病的。
拳は強く、固く――まるではち切れる寸前の風船のように握りしめられている。

只ならぬジェイルの様子に、どう声を掛けていいのか分からなくなり、なのはは瞳を右往左往させる。

何か悪い物でも食べたのか。それとも自分が何かしてしまったのか、と。
思惟を巡らせるが、心当たりは全くない。

自分の記憶が正しければ、この男の子とは初めて会ったはずだ。
そう思い、そろり、と。右へ左へと忙しなく動かしていた瞳を、もう一度確認する為恐る恐るジェイルへと再び向けた。

なのはが視点を向けたのと同時――ピタリ、と。
ジェイルは突然震えをフリーズさせ、まるで夢遊病患者のように右手を虚空へと伸ばし、人差し指を突き出した。


「――どういう事だっ!!」

「にゃっ!?」


剣を振り下ろす動作を彷彿とさせる動きで、ジェイルは掲げていた腕をなのはへと――いや、その後ろの猛犬へと向けた。
ある程度の知能はあるのか、黒い影はその場で制止し、新たに現れた闖入者を注意深く睨みつけていた。
恫喝とも取れる荒々しいジェイルの声色に、ビクッ、と。なのはは肩を萎縮させる。


「あんな雑魚にっ!! あんな矮小な存在にっ!! ――君が苦戦を強いられていいはずがないだろう!?
君ならば赤子の手を捻るようなものだろう!? それが――何だねコレはぁっ!!」

「え、えっと……何だか分からないけど、兎に角落ち着いて――」

「これが……!! これが落ち着いてられるかぁっ!!
認めない……認めない……!! 私はこんなものが……こんなものがあの――!!」


――エース・オブ・エース――高町なのはだとは認めない。
異様に熱を孕んだ瞳をなのはに向け、息を荒々しくしながら胸中で付け足す。

出会えたとはいえ不意の出来事。出来る事ならば、此方の望む形で邂逅を果たしたい。
故に、この戦闘に介入する気はなかった。好奇心と欲望の赴くまま、思う存分観察させてもらおう。

そう思っていた――が、


(何の冗談だコレは……!!)


何時までも攻勢に転じない少女――最初は状況を見極めているのかと思えば、そうではなかった。
悲鳴に似た呻きを洩らしながら、使い魔らしき小動物に助けを請うその姿――明らかに苦戦していた。

美しくない――自分が求めた強さはそこには無かった。
寧ろ、醜いとさえ思えてしまった。

だからこそ、目の前の状況を認められない。
彼女達の強さを知る為にはるばる時空を越えたというのに、その一人――高町なのはがこうまで弱者なのである事はどうしても許せなかったからだ。

しかし、ここでもしも潰れてしまえば、自分の目的は果たせない。
故に介入したが、自分の知っている高町なのはとの差異による憤りの波は止まる事なく、濁流の渦となって行き場を失くしてしまっていた。

金の瞳を充血させながら、見る――いや、睨むような視線をなのはに送り続けるジェイル。


(あ、あぅ……。ユーノ君……この人何言ってるのかな?
何か私に怒ってるみたいなんだけど……)

(……僕にも分からないよ。
この世界に他の魔導師が居た事……それ事態がびっくりだし……)


いきなり現れ、いきなり憤慨しだした少年。
助けてくれたのはありがたかったが、正直、二人は反応に困ってしまっていた。

だが、バインドと思われる魔法を使っていたのだから、魔導師なのは間違いない。
本音を言えば、これ以上誰かを巻き込むのは心が痛む――が、状況が状況だ。
このままでは大変な災害を巻き起こす可能性が大きい。
そう考え、未だ動きを見せない猛犬を一瞥すると、ユーノは重々しく口を開いた。


「あの……勝手なお願いなのは分かってるんですけど――」

「断る。私は今、虫の居所が悪いんだよ。君を助ける程寛大ではない。勝手に野垂れ死にたまえ小動物」

「あ、あぅ……」


何の逡巡も見せず、全く付け入る隙を与えないジェイルの物言いに、ユーノは肩を落として押し黙る。

そのやり取りを、黙って眺めていたなのはだったが、胸に手を当て一旦頭を落とすと、一歩踏み出して――、


「――……あ、あの!!」

「……何だね?」


――意を決したようにジェイルに向かって口を開いた。
何で僕の時と対応が違うんだ、と。ユーノは不満を洩らすが、口に出す事はしなかった。


「あの子を何とかしないと、町が大変な事になっちゃうの。
それで、私が何とかしようと思ってたんだけど……どうにもならなくて……」

「簡潔に言いたまえ。私は今機嫌が悪い、と言っただろう?」

「あ、うん。えっと……手伝ってくれない、かな?
本当なら私がやらなくちゃいけないんだけど、このままじゃ……」


僕の時は一蹴したくせに、と。再び不満を洩らすユーノ。
そんな様子を全く気にする事なく、ジェイルは素早く逡巡し始める。
ここで助力するメリットとデメリットについて、だ。

いきなりこんな事になるとは思っていなかったが、手助けしない事に利は全くない。
小動物の事など知った事ではないが、高町なのはをここで見捨てれば、悪印象なのは間違いないだろう。
何より、ここで潰れてしまえば、自分が望むものを見られなくなってしまう。


(ふむ……加えて――)


――ここで恩を売っておけば、今後における布石となる、と。なのはを見やりながら、胸中でそう付け足す。
頼りになる存在――そう思わせておけば後々、やりやすい。

やり方次第では依存に似た感情を抱かせる事も可能かもしれない――つまり、成長した彼女を手駒に加えられるかもしれない。
そうなれば、捕縛し、後に実験を施すのも楽に進められる。


「――代価は頂くよ」

「えっと……?」

「助力する、そう言っているのだよ。さっさと君も準備したまえ」

「あ、ありがとう!!」


新たな乱入者を完全に敵性存在だと認識したのか、雄たけびをあげながら突進し始める猛獣。

白の魔道師は表情を引き締めながら――狂気の科学者は口元を歪めながら、それと相対し始めた。













[15932] 第5話 生じるズレ――合成魔獣キマイラ
Name: 梅干しコーヒー◆8b2f2121 ID:af37fdb2
Date: 2010/03/06 13:02









石畳の滑走路を、離陸直前のジェット飛行機のように、疾走する黒い影。


「ガフッ――フッ――ガァッ!!」


着陸地点――攻撃ポイントには、純な白をイメージさせるバリアジャケットに身を包んだ少女と、濃紫の髪の少年。

少女は赤い宝玉が先端に付随した杖を握り締めると、表情を引き締め、腰を僅かに落とす。

猛獣の突進で大気が攪拌されたのか、一陣の風が吹き抜けると、少年の髪が草原のようにそよいだ。
乱れた濃紫の髪を正す事もせず、案山子のように突っ立ったままそれを受け流すと、漸く眼前の影を見据え始める。


「え、えっと――レイジング――」

「――必要ないよ」


左手を突き出し、防御障壁を展開しようとしていたなのはの言葉を、切って落とすジェイル。
切り捨てられた行動に疑念を抱き、バッ、と。なのはは振り返る――視界に映った少年は、いつの間にか両手を広げていた。

何をしているのだろう。
そう逡巡したのも束の間――既に黒い影は目と鼻の先まで迫っていた。
必要ないと言われようが、このままでは纏めて轢き飛ばされてしまう――直撃は免れない。

ジェイルの言葉を一旦片隅に放ると、利き手に力を込めるなのは――だが、


「――えぇっ!? な、何してるのっ!?」

「黙っていたまえ。舌を噛むよ」


突き出していた左手――妙に圧迫感を感じると思えば、赤い縄が幾重にも巻きついていた。
もう一方の端には赤い官印のような魔法陣――それはジェイルの手から発生していた。
広げていた両手――もう片方の赤い魔力縄は、神社にほぼ付き物の鎮守の社――木々の一画に伸ばされている。

なのはの驚愕の声と表情には目もくれず、森林へと伸ばしていた方の縄を一挙に引っ張りあげるジェイル。
斜め横にスライドしながら、宙空へと舞い上がる。

当然――、


「ふえぇっ!?」


――ジェイルを介して繋がっていたなのはも、ガクン、と。操り人形のように宙に浮いた。
ジェイルは足場のない空中で、迅速に伸ばしていた魔力縄を収納し、手繰り寄せていく。

まるでバンジージャンプでもするかのように、その場から一瞬で上空へと横滑り――離脱する二人。
退避するとほぼ同時。
黒い暴走特急が先ほどまで二人がいた空間を轢いて行った。
鳥居の門を乱雑に潜り、二人の視界から消え失せていく。

アレが此方を敵と認識した以上、また直ぐにでも戻ってくるだろうね、と。
ジェイルは肌で風を感じながら、小声で呟く。
さて、介入したのはいいものの、具体的にどうするか。

そう思索に耽るが――、


「ふえぇぇぇぇん!! 何で今日こういうのばっかりなのぉ~~っ!?」

「…………」


――陸に揚がった魚のように手足をばたつかせる少女を横目で確認し、深いため息をついた。










【第5話 生じるズレ――合成魔獣キマイラ】









素早く縄を繰り、衝撃と勢いを緩和させスピードを殺すと、漸く着地するジェイルとなのは。
少年は再び敵が現れるであろう場所を注意深く観察。

ドッと疲れが襲ってきたのか、少年に対して少女は目を回しながら千鳥足で重力を噛み締めていた。
少々乱れた髪が、よりその様子を誇張している。


(――……二本が限界、か。それ以上使えば、強度等あってないようなものだろうね)


ジェイルは感覚を確かめるように掌を開き、軽く握り締める。
文字通り感覚を確かめていたのだが、確認する度に気は滅入ってきてしまっていた。
かつてFの残滓と合間見えた時のような力は期待していなかったが、これでは、と。

使用していた名無しのグローブ型デバイスは所持していない――その為、発動出来る魔導の制御能力が著しく欠如している。
元々トラップコントロール専用の為、演算機能は付随程度だったが、その恩恵が今更ながら大きかったのだと実感してしまう。

加えて、幼少時の体に戻った為、引き摺られるように魔力の源――リンカーコアが縮小してしまっている。
元々大きくはない魔力が、毛程しかない。

最大限の精度、強度、操作性を重視するならば、バインドワイヤー同時展開数は二本が限界。
それ以上は体にもリンカーコアにも負担が大きい。
ジェイルは現在の時点での自身の戦闘能力を考慮し、作戦を立て始める。

恐らく、あの犬はジュエルシードを取り込んでいる。故に、内包魔力量は結構なレベルだった。
――覚醒したばかりならば、まだ上がる可能性があるか、と。
危機感を募らせると同時に、自分[ だけ ]では手に負えないと確信するジェイル。

そう結論を導き出し、ちらり、と。
横目で頼みの綱である未来のエース・オブ・エース――高町なのはへと視線を移せば――、


「むぅ~……!!」


――頬を赤く膨らませ、如何にもご機嫌斜めといった感じでジェイルを睨みつけていた。
リスかね? 君は? 、と。半ば呆れ顔でなのはへと意識を向ける。


「……何だね」

「……何で呆れてるのかな?
それに……呆れたいのはこっちだもん。私、お魚さんじゃないんだよ?」

「愉快な事を言う――今の私は不愉快の方が大きいが。
それに失望しているだけだよ。
気にしないでくれたまえ――君の所為だがね」

「私何かしたかなっ!?」


不満感を露にしながらジェイルをジト目で見つめる。
二度も釣り上げられたのが反感を買ったのか、ただ単に恥ずかしかったのか。
擬音で、プンスカ、と。そう聞こえてきそうな程、なのはは風船のように頬を膨らませていた。


「なのはっ!!」


二人のやり取りに、一匹の小動物――ユーノ・スクライアが割って入る。
そういえば居たね、と。駆けてくるユーノをジェイルは大して興味も無さそうに流し目で見やった。

無事が確認出来た事に安堵したのか。
ジェイルの気だるげな対応とは対照的に、なのははユーノに向かって駆け出す。

少女の足首に飛び移り、腰、上半身、肩へ。
擽ったそうにしているなのはを余所に、ユーノは二人と同じ目線まで昇り、直立に立ち上がる。


「二人とも、無事でよかった」

「う、うん、ユーノ君も」

「何だ、無事だったのかい――残念だよ」

「残念――って、……何だよその本当にどうでもよさそうな目はっ!!
君、僕の事嫌いなのかっ!?」

「嫌い? 自惚れも大概にしたまえ――動物界脊索動物門脊椎動物亜門哺乳網ネコ目イタチ科イタチ亜科イタチ属亜種フェレット。
君には好意も嫌悪も抱いてはいないさ――興味がないからね」

「長い!! 合ってるんだけど無駄に長いよっ!!
ていうか嫌いなんだね!? そうなんだね!?」

「もうそれでいいよ、面倒臭い。
それと、五月蝿い」

「何なんだこの扱い……っ!!」


まだ初対面から数分しか経過していないが、碌な人間じゃない。
それだけはよく分かった、と。謂れのない誹謗中傷のようなものに困惑しながら憤るユーノ

しかし、ここにきて初めてユーノに対して意識を向けるジェイル。
まるで今、この瞬間に存在を認知したばかりのように、まじまじと小さな体躯を見定め始める。
もはや完全に不快感の対象に定めたのか、なんだよ、と。ユーノは視線だけで語っていた。


(ふむ、高町なのは君に使い魔等いたか……?)


欠落した記憶――データベース上では、高町なのはは使い魔を所持していなかったはずだ。
さすがに欠けたと言っても、JS事件渦中の出来事――新暦75年の事柄はほぼ記憶に残っている。
体感した事もあるだろうが、脳裏のフィルムに焼きついて色褪せない彼女達が、それを裏付ける。

まぁ、些事か。大方所持していたが、現在から新暦75年の間に消滅したのだろう。
生き残れない程矮小な存在ならば、幾ら高町なのはの使い魔と言えど、興味は沸かない。
そう仮定し、脳内からどうでもよさそうにそれを蹴り飛ばした。

――さて、と。
思考を自身の肉声で打ち切り、ユーノへ向けていた視線をなのはへと移すジェイル。


「――とりあえず現状把握といこうか。
アレへの対抗手段はどれくらいあるんだい?」

「……対抗手段?」

「何でもいいよ。
私が補佐するからには勝利は確実だからね。
攻撃魔法――射撃、砲撃魔法等は今の段階で何が行使出来るのかな?」

「えっと……?」

「……?」


首を傾げるなのは。
その不可解な要領を得ないなのはの様子を見て、向かい合わせの鏡のようにジェイルは同じく首を傾げた。

スターライトブレイカーは望み薄だろう。
戦闘中の様子からして、そこまで魔力制御が達者になっているとは考えられない。
最良でディバインバスター及びクロスファイア、ショートバスター――及第点でアクセルシューター等の射撃魔法系か。
最悪、誘導弾も使えない可能性は否めない――が、それは此方で補助すればいい。
どうとでも転ばせられる。

なのはの次の言葉を待っているジェイル。
それを傍目に横目で眺めながら、肩を渡り、ユーノはなのはの耳元で何事か囁く。

うんうんと頷き――、視線で宙を泳ぎ――、気まずそうに頬を掻く。
チャンネルのように忙しなく表情を切り替えていき、なのははおずおずと口を開いた。


「えっと……あの子に取り付いてるジュエルシードっていう宝石の封印が出来る、かな」

「それは勿論知っているよ。
封印が出来ないのならばアレと戦っても無意味だろう。
君がそこまで無謀で馬鹿で能無しだとは私は露とも思っていないから、心配しなくてもいい。
私が聞いているのは、そこに至る為の経緯を作り出す力だよ。
早く言いたまえ。アレも何時までも黙ってはいないだろうしね」


視線はそのままに、ジェイルは鳥居の先――そこにいるであろう猛犬を指差す。
ズシン、ズシン、と。カウントダウンのように規則的に、段々と圧力を加増させていく足音が鳴り響き始めていた。
それが焦りを誇張させたのか――えっと、その、あの――、等の詰まり言葉を、なのはは矢継ぎ早に口に出す

さすがに不審に感じ始めたジェイル。
急かすようになのはを正面から見据えると、いいから早くしたまえ、と。視線だけで伝える。

えっと、怒らない?――事に寄るね――……うん、きっと大丈夫だよ――いいから早く言いたまえ。
言葉にせずに、目と目だけで対話を済ませる二人。

――嫌な予感がする。
それを言葉に出さずに、胸中の予感だけで終わらせたのは信じたくなかったからだったが――、


「魔法……これから教えてもらう予定だったの。
……だから、使えるのって言えば――封印くらいなんだけど……」

『マスター、防御魔法も使えますよ』

「あ、うん。
でもレイジングハート頼みになっちゃうし。
……私がちゃんと使える魔法って言ったらやっぱり封印だけかも?」

「…………は?」


――最悪の予感は、最低の結果で的中してしまった。
しょうがないよ。魔法と出会ったのって昨日だったんだし、と。
なのはに対してフォローを入れるユーノ。

ならば何故ここに来たのだ!!
そう胸中で激しく、阿呆らしく、馬鹿らしく頭を抱えてジェイルはツッコんでしまっていた。


(なん……だ……と……っ!! ば、馬鹿な……!!
予定外予想外調和外にも程がある……!!)


不様なだけでなく、無能――高町なのはの醜態に頭を抱え始める。
未だ卵の殻を破り始めた幼生態――雛ですらない。
強くないのが当たり前なのは理解出来る――だが、彼女に対して盲信とも取れる幻想を抱いていたジェイルにとっては、
心を抉られるような衝撃だった。


「――あっ!!」


ジェイルの苦悩を尻目に、なのはは弾かれるようにその場から駆け出す。
逃げる――さすがにそれはないか、と。
ネガティブに沈みすぎていた思惟を引き上げるジェイル。


「えっと……なのはを責めないで欲しいんだ」


いつの間にか、走り出したなのはの肩から飛び降り、足元からジェイルを見上げる形で言うユーノ。


「さっきも言ったけど、なのはは昨日初めて魔法を使ったんだ。
だから攻撃魔法覚える余裕もなかったし、勿論まともな戦闘経験なんてない。
……ごめん、これも言い訳だね。巻き込んだのは僕なんだし」

「巻き込んだ……?
……まぁ、その辺りの事情は後で聞きだすとして今はアレをどうす――……何をしているんだね彼女は」


ジェイルはユーノの話の節々に疑問を感じながら、少々距離の離れた場所に移動したなのはを視界の中央に捉える。
恐らく気絶しているのであろう。手足をだらりと垂らしたまま動かない女性。
それの両脇を抱え、地面を引き摺りながら此方に後ろ向きで前進してくるなのはがそこに居た。

ああ、確かにそんな所で寝ていられては邪魔になる、と。
ジェイルはなのはの意図を察し、右手を翳して再び魔力バインドの応用型――ワイヤーを現出させ、なのはと女性を絡めとった。

女性は鎮守の社――森林の中へ、なのはは元居た位置へと――縄を繰り、それぞれ運ぶ。
少女の方は諦め顔で半涙目だったが、ジェイルには特に気にする様子もない。
物を掴む程度ならば、三本位は可能か。機会があれば実験してみよう。そう思考していた。


「さて……お出ましのようだね。
いやはや、どうしようか」

「何事もなかったかのようにお話進めるんだね。
うん、もう慣れたけど」

「それは良かった」

「良くはないんだけどね……っ!!」


ジェイルの言葉通り、漆黒の猛犬は鳥居の門を潜り、神社へと帰還を果たしていた。
戯れとも取れるやり取りは一旦幕を降ろそう――そう決定付け、ジェイルは視線と体を敵性体へと向き直らせる。
少年に習い、少女も同じように表情を引き締め、杖を構えなおした。


「高町なのは君――いや、この場合はデバイスの方に聞いた方がいいか。
アレを打倒出来るだけの魔法――如何程で用意出来るかな?
勿論インストールくらいはされているのだろう?」


ちらり、と。横目でなのはが握っている杖の先端を見やる。
マスターの許可無しで発言するのを躊躇っているかのように、質問への返答は無い。


「……レイジングハート?」

『マスターならば出来ます』


マスター――なのはが間に入ると、さも当たり前のように、断定的な答えを返すレイジングハート。
高町なのはがアレを打倒し得る――そんな当たり前の事等、今更聞くまでもない。
既に知り得ている情報を聞いても、何の打開策にもならない。


「違う、違うよ。
そんな当然の答えなど求めてはいないよ、レイジングハート。
私が知りたいのは――何分何秒稼げばいいのか、それだけだ」

『少々お待ちを――……計算上ならば、5分強から6分弱。
簡易、緊急措置の為危険が伴います――お薦めは出来ません。
ですが、マスターならば、充分許容範囲内――つまり可能です』

「5分で終わらせたまえ」

『努力します』


それだけで意図が伝わったのか、返事代わりにコアを明滅させるレイジングハート。
案外、将来マスターをエースへと昇華させたのは、この優秀なデバイスの尽力が大きいのかもしれない。
そう胸中で声なく言い、困惑顔のなのはを一瞥――猛犬へとジェイルは一歩踏み出す。


「あのー……、お話についていけないんだけど……?」

「優秀なデバイスを手に入れたなのは君は家宝者――そんな話だよ。
レイジングハート、主への説明は君に一任するよ。
返礼はメンテナンスでもどうだい?」

『あなたの腕に寄りますね』

「くくくっ……釣れないねぇ――、」


――では。
そう呟き、未だ意図を理解していないなのはを尻目に、右手に赤い官印のような魔法陣を展開させ、駆け出すジェイル。

柄じゃないね、全く、と。
流されるまま陥ったこの局面に軽く抵抗感を覚えながら、眼前の敵を見据える。


「――ガァゥッ!!」


取り合えずの排除対象と定めたのか、ジェイルへと一直線に猛進し始める覚醒体。
駆けるジェイル――突進する猛犬。
両者は、残りほんの数秒で零へと到達する距離まで辿り着く――というところで、先に動いたのはジェイルだった。

両足で一瞬ブレーキをかけ制動すると、右足に力を込め――蹴り出し、前進のベクトルを左方へとずらした。
当然、ジェイルをロックオンした猛犬も一旦スピードを緩める――事はなく、ジェイルとは違い4本の手足で方向転換しようとする。

猛犬が方向転換しようと、上体を捻り、後ろ足を軸に地を蹴る――その時には既に、官印から赤い縄は発射されていた。
現在の能力で行使出来る物量――僅か二本のワイヤーがそれぞれの目標――前右足と前左足を捕縛――絡め取る。


(幾らロストロギアが取り憑こうが――犬は犬)


制御が嘗てとは比べるまでもなく幼稚。求める操作自由度はどうしようもなく粗雑。
こんなものでは、こんな獣でさえ打倒は叶わない――捕らえられない。

故に、捕らえられないのならば、捕らえられる状況を作り出す。
犬等の四足歩行動物は――急激な方向転換の際、上体を進みたい方向へと僅かに浮かせ、後ろ足で体を推進させる。
当然、上体に付随している忙しなく動いていた補足不可能のはずだった前足は動作を止め、宙空へと。
捻った上体はそれ以上の行動を阻み――回避不能へと陥らせる。

右手から展開していたワイヤーを一本、左手へと渡す。
右手で前右足を、左手で左前足を――対面している為、丁度少年と猛犬の間で二本の赤い糸が交差する。

大して脅威と感じていないのか、前足に赤いワイヤーを絡ませたまま、構わずジェイルに襲い掛かろうとする巨大な犬。
それを見て、ジェイルは今度こそ完全に足を止める――嘲笑を織り交ぜながら、バインドワイヤーを収縮――両手を一気に振りぬいた。


「ガッ――フッ!?」


前右足を左方へ――左前足を右方へ。
直進の際には有り得ない方向へと強制的に導かれ、魔力バインドと同じように交差する両の足。
上体の支えが消失し、ガクン、と。まるでそう聞こえるように猛犬はバランスを崩す。

次いで鳴り響いたのは、地面に不時着陸する飛行機のような、地を削り、削ぎ取る音。
突進の勢いそのままに、顔面と上体を接触させながら、地面を滑っていく。

少しは怯んでくれたか。
そう希望的観測を内心で述べたが、ふらつきながらも、すぐさま立ち上がろうとする猛犬がそれを否定する。

もう少し稼ぎたかったが、致し方ないか、と。
毒づきながら、左手で握っていたワイヤーを消失させ、魔力を右手の一本に集中させる。
右前足に巻きつけていたバインドワイヤーそのまま、左方へと方向転換し、歩き始めるジェイル。


「ガ――アァゥッ!!」


頭を上げ、ジェイルを再び見据える猛犬。
怒ったのか、元から理性が失われているのか、瞳は血走っている。
拘束の解けた左前足を軸に立ち上がる――が、


「――五月蝿いね。もう少し寝ていたまえ」

「――ガッ!?」


腰を僅かに落とし、力一杯引いた残ったもう一本のワイヤーがそれを許さない。
軸足を左前足から右前足へと移行し、一歩踏み出そうとしていたが、文字通り足元を掬われた形で猛犬は再び転倒。
今度はモロに左上半身――呼吸器官――肺へとダメージを受けた為か、苦しそうにその場でもがき始める。


「弱い犬程よく吼えると言うが、君はどちらだろうね?
強かろうが弱かろうがいい声で鳴いてくれると嬉しいかな。
ここ数分で随分と鬱憤も溜まってしまったのでね――まぁ――、」


――八つ当たりだよ。
見下しながら、そう付け加えると、なのはを横目で一瞥するジェイル。
レイジングハートによる過程の説明は既に終えたのか、目の高さまでデバイスコアを掲げ、しきりに頷いている。
しかし、未だ実行段階には移っていなかった。


(ふむ、後9秒で1分経過――……ここで後10秒は稼ぎたかったね――間に合うといいが)


現在の自分の手札を総動員――計算式――稼げるのは4分強が限界だという答えは出ていた。
多少のブレはあるだろうが、大まかにそんなものだろう。
戦闘者ではなく研究者――そんな自分が戦場で成し得る事など鷹が知れている。


(……さて、と)


Fの残滓と合間見えた時のように、罠を幾重にも張っていたならば別問題だが、と。
視線をなのはから外し、再び次の手へと移行し始めるジェイル。

鳥居の脇――もしもの時の為に、草むらに隠しておいたサブバッグへとワイヤーを伸ばし、手元に引き寄せる。
自転車に置き忘れずに持ってきていたのが幸いした。そう感じながら、中身を弄り始めた。

目的の品を掴み取ると、すぐさま鳥居の片柱へと1本のバインドを飛ばし、引く――その場から一旦離脱。
鳥居の真下に着地すると、バインドを伸ばしている柱の反対外側を経由し、石段を数段降りる。
両柱の間で張り詰めていた赤いワイヤーの中央部分に2本目のワイヤーを絡ませ、2本ともダラリと地面に降ろした。

それと同時――猛犬が三度立ち上がり、ジェイルを見据えていた。
同じ轍は二度も踏まない、そう感じさせる挙動で、ジリジリと間合いを詰め始める。

丁度ジェイルが数段下に降りていた為、猛犬から視認出来るのは、頭部のみ。
だが、頭部を噛み砕けば死ぬ。
本能的にか、それが分かっている為、狙いをそこ一点に定めた。

予想通り、高町なのは君は後回しにしたか。これだけおちょくれば当然だが、と。
ジェイルは両手でバインドを伸ばしたまま、敵性体には見えない位置で作業――瓶の蓋を開け、縄に括りつけながら呟く。


「グルルッ――……」

「ああ、罠があるから気をつけた方がいいよ?」

「ガァゥッ!!」


一足飛びでジェイルへと襲い掛かれる――その距離に達した時、弾かれるように地を蹴る猛犬。
犬が人語を理解出来るはずもない――単におちょくる為に放ったジェイルの忠告を無視し、猛犬は飛び掛った。
その脅威が肉薄し始めるのと全く同時――ジェイルは右手から伸びていたワイヤーを収縮――手繰り寄せる。

鳥居の片柱に繋がり、もう片方外側を経由してジェイルと繋がっていた為、
丁度二者の進路に割り込む形――ゴールテープのようにそれは固定された。

――また罠。そう感知したが、今回は目に見えている。
しかも、回避行動はまだ間に合う。

そう本能的に悟ると、上体を捻り、ジェイルに飛び掛ろうとしていた勢いのベクトルを下方へと向ける猛犬。
前足が接地すると、砂塵を撒き散らしながらブレーキ――僅かにダウンしたスピードを、もう一度後ろ足で地を蹴り増加させる。

障害物競走のハードルを飛び越える選手を彷彿させる動きで、再び少年へと飛来――しようとした。
視界にはジェイル――だが、その中間地点では、何やら液体を撒き散らしながら自分へと向かってくる物体が或った。

物体――瓶の口には赤い糸――ジェイルのバインドワイヤーが括りつけられていた。
もう片方の端の先は、猛犬が飛び越えたもう一本のワイヤー――その中央部分、猛犬の真下のT字部分。
まるでパチンコのように、ジェイルの手元から射出されたそれは、猛犬の顔面目掛けて一直線に飛来する。

ホールインワンを彷彿とさせる軌道で、空いていた猛犬の口内へと吸い込まれていく物体――肉食動物の本能的に閉じてしまった顎。

――パリンッ、と。
口内という洞窟で反響しながら、それは炸裂した。


「――!? ――!? ――キャゥッ――アァゥンッ!?」

「おや? 図体の割にいい声で鳴くじゃぁないか。
仕掛けた甲斐があったかな」


二本のワイヤーを消し、ヒョイッ、と。
僅かに身を避けたジェイルの脇を、真っ逆さまに落ちていく猛犬。
本日二度目の不時着陸を遂げた後、地面をのたうち回りながら、ペッペッと唾液と共に異物を吐き出し始める。
透明なガラスに、唾液と混じり合ったこれまた透明な液体――しかし、本来とは異なり、それは猛烈な異臭を放っていた。


「――くははっ……人の忠告は無視してはいけないよ?
犬ならば犬らしく、人間の言う事を聞いた方がいい――餌はお気に召したかな?」


心底愉快そうに眼下の猛犬を見下ろしながら、ジェイルは教え子を咎める教師のように口を開く。
言葉の意味こそ理解出来ないものの、侮蔑されているのが分かったのか、よろよろと立ち上がる猛犬。

――だが、その直後、重力があらぬ方向から齎されたと錯覚する程、猛犬は横倒しに崩れ落ちてしまう。
次いで、嘔吐――呼吸困難――定まらない視点――責め苦を与えられ、堰を切ったように地を這いずり回り始めた。

ジェイルがワイヤーの端に括り付けていたのは――薄め液――所謂、劇薬――シンナーで満たされた瓶。
これも先日、ホームセンターから拝借したものだった。

シンナー等に含まれる有機溶材は、蒸気吸引等により、神経を泥酔状態に陥らせる。
その原液――中枢神経麻痺作用の直撃――如何に覚醒体と言えど生命体には変わりがないのだから、たまったものではないだろう。

巨大だろうが、犬は犬――知能が低いのは、最初の攻防で確認済み。
自分の進路を妨害する縄――体躯から考えて潜るのは不可能――飛び越えるのは明白。
後は距離を計算し、バインドワイヤーの収縮及び角度――射出速度を調整し、口内へ放り込むだけ。
口内に異物が進入すれば、肉食動物の本能的に一旦口を閉じる――外殻ガラスが割れなくとも、シンナーで口内は満たされる。
賭けではなく、結果の分かり切った出来レースだった。


「知っているかい?
この世界では[ バカ ]とは[ 馬鹿 ]――馬と鹿という字で表すらしい。
どうやら、君は犬にも関わらず、馬や鹿と同列に分類されるらしいよ。
まぁ、駄犬なのは間違いないだろうがね。
暫く地を這いずり回るといい――三回周って吼えると、より興が乗る。一考してくれたまえ
尤も、その状態ではまともに思考など出来ないだろうが、ね」


ジェイルは猛犬を見下ろしながら、そう言い放つと、呻き声をBGMに石段を昇り神社内へと帰還する。
丁度その時、なのはの足元には桜色の魔法陣が展開され、レイジングハートの切っ先には加速リングが現出していた。
形状も砲撃専用にシフトしたのか、杖と言うよりも、槍状に近い射出口が現出している。

心配しているのか、ユーノは落ち着きなくその傍らで、なのはを見守っていた。

――あ、と。
なのははジェイルの無事の帰還に安堵したのか、強張らせていた表情を僅かに破顔させる。
次いで、頭上に疑問符を浮かべながら、不思議そうに口を開いた。


「あ――、……あれ?」

「何だね」

「えっと、その――……今更何だけど……お名前、聞いてなかったよね?」

「ああ、そういえばそうだったね。
ジェイル――ジェイルだよ」

「……ジェイル・ジェイル君?」

「あの犬もそうだが、君も人の身で馬や鹿に分類されるらしいね。
これ以上私を失望させないでくれないかね?
ジェイルだよ。ただのジェイルだ。
こう言えば分かるかね? ――たかまちなのはしょうがくさんねんせい君」

「間違えた私が悪いし、事実なんだけど、すっごく嫌味な言い方されてるのは気のせいじゃないよね……っ!?」

「まぁまぁ……なのは、抑えて抑えて。
僕も自己紹介がまだだったよね? 僕は――」

「――まだ戦闘は終わっていないのだよ?
気を抜いてどうする動物界脊索動物門…………フェレット」

「何で僕の扱いこんなに酷いのっ!?
ていうか今絶対面倒臭くなって端折っただろ!?」

「だから君に興味がないだけと言っただろう?
それと、五月蝿い」

「人って初対面でこうも悪印象になれるものなんだね……!!」


新暦75年時点で生き残れない使い魔の名前等、無駄に脳の記憶領域を圧迫するだけだ。
嫌いでもなく、好きでもない――興味を持つ理由が無い為、ジェイルにとってこの対応はさも当然。
そう言わんばかりだった。


(それにしても……さすがは将来のエースと言ったところだね。
昨日魔法と出会ったばかりで、こうも圧縮――演算――収縮を実現可能とするとは。
優秀なデバイスとはいえ、これは本人の才能が大きい、か)


見る見る内に、圧縮――収束していく桜色の魔力。
これならば期待は高い――エース・オブ・エースの成長過程を観察出来る可能性が、現実味を帯びてくるだろう。

失望から一転し、愉悦の喜びを抑えきれず、僅かに口元から笑いをジェイルは零れさせる。
一応、なのは達には背中を向けた為、表情は見られていないだろうが、微かに上下する肩が二人に僅かな疑問を抱かせていた。

経過時間は2分半――だが、このままいけば、当初の予定を良い意味で裏切り、4分程でなのはのチャージも完了するだろう。
さっさとあんな駄犬等片付け、本当の邂逅を果たそう。
そう胸中で呟くと、[ あんな駄犬 ]と評した敵性体へとジェイルは意識を傾けた。


「――――」


――そして、視線を向けた先には――居るはずの敵が消失していた。


(馬鹿な……!!
あんな単細胞生物と変わらぬ知性体が、退却を選んだ!?
そんな知能があったのか!? いや――、)


――或る筈が無い。
自分の予測が覆される事等、在る筈等無い。
あの猛犬には、猛進する事しか脳に無いはずだ。

脇の森林に身を隠した――これは無い。
少なからず林の中で鳥等の生命体が居た事は確認している。
それに一切のざわめきが見られない所から察するに、この可能性は除外される。

そして、何故動ける、と。
シンナーの強い神経麻痺作用が、こんな僅か数秒で癒えるとは到底考えられなかった。


(どこだ……どこに消えた……!?)


なのは達に背を向けたまま、忙しなく、注意深く辺りを見渡し、ジェイルは迫りくるであろう脅威に身構える。

自己紹介してなかったのに、何で私の名前知ってたんだろう?
そういえば、と。ジェイルの焦燥を他所に、なのはは疑問をそのまま口に出す。


「……あれ? そういえば何で私の名前知ってたのかな――ジェ、ジェイル君!!」

「名を知っていたくらいで喚くような事ではないだろう!!
今私は忙し――」

「じゃなくて上――上ぇっ!!」

「う――」

――え?、と。
そこまで口にする事は叶わなかった。
言われた通り、上空を見上げれば、そこに広がっていたのは空ではなく――大きく開かれた獣の顎。
咄嗟に、ジェイルは脊髄反射のように右腕を顔の前に掲げ、防御体制を取る――が、


「――がっ!? ――――ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」

「――ジェイル君!!」


体毎後頭部を激しく地面に打ち付けられ、視界が明滅し霞が舞い散っていく。
なのはの悲鳴のような声が聞こえない程、か細くなった意識――それを繋ぎとめたのは、激しい痛みだった。

――熱い。
最初に感じたのは痛みではなく、焼き鏝を挿入されたような熱さだった。
まるで穴の空いたペットボトル――右腕からは止め処無く赤い液体が漏れ出し、顔面を染め上げていく。


「くぉっ……!!
文字通り牙を剥くか――ジュエルシード!!」


油断していた訳ではない。
一旦視線と意識を猛犬から外したのは、綿密に計算しての事だ。
痛みにもがき、苦しんでいる間になのは達の経過を確認――手札を晒す順序を入れ替える――必要な工程だった。

その僅か数秒で――犬に翼が生える等、如何にジェイルでも予想出来るはずがなかった。

巨大な体躯はそのまま――だが、何時の間にか劇薬による症状は回復したらしく、おまけに一対の羽が背面から現出していた。
バサッ、バサッ、と。新たな力を主張するように、それはジェイルに馬乗りになったまま翼を翻らせていた。


「ガフッ――ガフッ!!」

「ぐぅっ……!!」


犬ではなく、キマイラだったか。その奇跡をこの身で味わったというのに、この醜態――不様、と。
自身の右腕から聞こえてくる不協和音を耳に入れながら、激しく悪態をつく。

既に犬の願い――恐らく、大きくなりたいと言う願いを叶え、これ以上願いを叶える事はないだろう――という先入観。
地表や、そのスレスレにばかり罠を仕掛けていた為だろうか、まさか空を飛び出すとは予想だにしていなかった。

この状況をどう打開するべきか。
ジェイルは、目まぐるしく思考回路をショート寸前まで駈け巡らせる――が、


「――ぐっ!? ぐぁっ――!!」


ミキリッ――ボキッ、と。
電流が流れたかのように、右腕から襲ってきた痛みと音が、それを無理矢理シャットダウンさせる。
見るまでもなく、折れた――粉砕された――そう理解が及んでしまった。


「――ジェイル君!!」


その場で腰を抜かさないだけでも重畳――さらに、今にもキマイラに捕食されそうなジェイルに向かってなのはは駆け出そうとする。

――だが、


「――来るな!!
そこを動く事は断じて許さないよ高町なのは君!!」


悲痛とも取れるジェイルの呻き声混じりの叫びを聞き、叱咤されたかのように、なのはは踏み出した足を硬直させる。


「で、でも――」

「私を助けるつもりならば、その行動は悪手だ!!
自分の成すべき事を見誤るんじゃない!!」


――成すべき事。
そう言われても、動転した思考回路では答えどころか式さえ導けない。
つい先日まで普通の小学生だった少女に、この状況は余りにも日常とかけ離れすぎていた。


『マスター、チャージ完了――何時でも発射可能です』


はっ、と。レイジングハートの報告を受け、なのはは意識を帰還――直感的に答えを導き出す。
助けるなら――あの覚醒体を打倒し、封印しなければいけない、と。

――だが、


「だ、駄目だよ!! このままじゃ――ジェイル君にも当たっちゃう!!」

『ですが……このままでは』


気が動転しているのが傍目から見ても分かる程、喚くように取り乱すなのは。

当然、悲鳴のような声量だった為、ジェイルにも聞こえていた――差したか、光明が、と。
視点は眼前のキマイラ、声はなのはへと向け、ジェイルは口を開く。


「――……高町なのは君、チャンスは一度だけだ。
何、他ならぬ君ならば何ら難しい事ではない」

「――え?」

「私の欲望がここで失望となるか――又は希望と成り得るか――つまり、こういう――ことさ!!」


叫ぶと同時――無事だった左腕でポケットを弄り、目的の品――ホームセンターから得た戦利品――ボールペンを取り出す。
カチッ、と。一度ノックし、尖った鉄芯を押し出すと、大きく振りかぶり――キマイラの片目に突き刺した。


「ガッ!? ――ガァゥッ!?」


喰いちぎろうとしていた右腕から牙を抜き、苦しそうに上体を仰け反らせ、激痛を表現するキマイラ。
ベチャリ、と。重力の赴くまま、地面に放り投げられた右腕が湿った水音を鳴らす。

千切れてはいないが、複雑骨折、及び神経断裂――暫くは使い物にならないか。
そう診断しながら――今だ、と。声を張り上げようとするが、随分と消耗した体力が、大声を小声へと変換してしまう。

――しかし、


「今――助けるからっ!! ディバイン――!!」


その力強い声が、どうやら期待は裏切られなかったようだ、と。肯定してくれた。


「――バスタァァァァァァァァ!!」


なのは裂帛の声と連動して、ジェイルの目と鼻の先の地点を桜色の光が通り過ぎていく。
膨大な魔力に成す術無く飲み込まれていくキマイラ――既にその存在は、完全に意識から消え去っている。

――綺麗だ。
残滓を伴いながら煌き、消えていく魔力の桜花を眺めながら、ジェイルは自然とそう洩らしていた。





















地平線の彼方から顔を覗かせる夕陽に照らされ、コンクリートの路端に伸びる影。
人影と車輪の影はそれぞれ2つづつ。
カラカラ、と。渇いた音を伴いながら、行き交う人々の少なくなった道を転がるように進み続けていた。

少女はペダルを漕ぎ、少年は少女に背を預け、後部座席でオレンジ色に変わった空を眺めている。
乗車人数は二人と一匹――だが、昼間に蓄えた電力で推進力は軽く力を加えるだけで加増されていた。
少女のか細い脚力でも、充分過ぎる程のスピードが出ている。


「…………」

「…………」


三者に会話はない。
かと言って既に話題が尽きたわけではなく、神社を出発した時からこの状態は続いていた。

少女――高町なのはは、巻き込んでしまった――大怪我を負わせてしまった罪悪感で、中々言葉を発する事が出来ない。

今は小動物の姿を已む無く取っている少年――ユーノ・スクライアも、同じく罪悪感に苛まされていた。
それに加え、元々消耗していた魔力を限界ギリギリまで消費し、少年に治癒魔法を施した為、疲労の色が強い。
少女の肩の上で、満身創痍といった感じで伸び、ぐったりと手足を放り投げ、寝息をたてている。

後部座席で両足をぶらつかせている少年――ジェイルは、二人とは違うジャンルの感情を抱いていた。
ディバインバスター――少女の放った砲撃魔法を思い出す度、心は期待の湯水で満たされていく。
安堵――そうとも言える心境に浸りながら、流れる雲塊を惰性で視界に入れていた。
時折、体を揺らす振動で、千切った衣服で簡易的に処置を施した右腕が痛むが、それすらも甘美、と。

――ちらり、と。
なのははペダルを漕ぐ力を緩めずに、自分の肩の上で伸びているユーノ・スクライアを経由し、視線をジェイルへと移す。


(何で……こうなっちゃったのかな)


ちゃんとやれるはずだったのに、と。
視界の隅――少年の右腕を思うたび、罪悪感は津波となって押し寄せてくる。


(駄目だな……私って)


つい数時間前、ユーノに向かって放った言葉――誓いとも言える言を思い出すと、
さらに形容しがたいどうしようもない感情が浮かんでは浮かび、再び浮かんできてしまう。


――困っている人が居て、助けられる力が自分に或るのなら、迷っちゃいけない。


父の受け売りだが、その一心で困っている人――ユーノを助けようと、手伝おうと決意した。
結果は――結局助けられ、あまつさえ大怪我――もう少しで――、と。そこまで考えた所で、思考を打ち切る。
考えてはいけない――と、言うよりも、考えたくないと言った方が正しかったのかもしれない。

迷った方がよかったのか。
力が或るなんて勘違いだったのか。
答えを求めて思考の海を彷徨うが、暗くなった視界では、何も見つけ得る事は出来なかった。


「――なのは君」

「……え? あ……、は、はい」

「……?」


視線はジェイルに、意識は脳内に向けていたなのは。
突然齎された少年の声に少々驚き、気まずさを感じながら返事をしたが、根付いた負い目が発する言葉を阻害してしまう。
それにジェイルは疑念を抱いたが、まぁいい、と。どうでもよさそうに呟き、一拍置いて再び口を開く。


「もう一度、自己紹介しないかい?
今なら落ち着いて出来るだろうし、ね」

「えっと……うん。
高町なのは、だよ」

「ああ……っ。
うん、そうだろうね……間違いなく君は高町なのはなのだろうね……くくっ」


その名を聞くたびに、口にする度に、喜びの二文字がジェイルを満たしていく。
もう一度、お互いの自己紹介を申し出た事に理由はない。ただ、本人の声を舐るように聞きたかっただけの事。
兎にも角にも、これで本来の意味で第一目標を達成出来た、と。

非常に苦労し、文字通り痛みを伴ったが、最良の形で接触を果たせた。
それに加え、当初こそ困惑し、失望したが――未だ雛鳥にも昇華していないのならば、じっくりと観察出来るだろう、と。
背中越しに感じる少女の存在が、否応無くジェイルを恍惚へと導いていく。


「……? 私何かおかしい事言ったかな?」

「いやいや、何も可笑しくなどないよ。
ああ……二度目になるが、私も自己紹介しておこうか。
私はジェイル――何とでも呼んでいいが、親愛を込めてくれたまえよ。
全身全霊で、余すことなく受け止めるからね」

「もう……ちょっと大げさだよ?
んー……親愛とかはよく分かんないけど、私も好きに呼んでいいよ。
ジェイル君――それでいいかな?」

「そ、それは……君を好きにしてもいいと言うことかねっ!?」

「……何でそうなるのかな?
とっても失礼だと思うけど、ジェイル君って、よく変って言われない?」

「ああ――、変態、変人、狂人は私の代名詞――そう言えば、名前の枕か尻に必ずと言っていい程付随していたね
ふむ……、何故だろう? 私は至って普通に振舞っているのだが。
変態ドクターと言われた事もあったかな」

「うわぁ……そこまで言われてるっては思ってなかったけど、ちょっとだけ気持ち分かる、かな」


フォローになっていないフォローを入れながら、なのはは苦笑する。
ていうか、変態さんなんだ……自分を好きにしていいのかどうか聞いてきたし――あ、変態さんだ、と。
表にこそ出さなかったが、なのはは少々、内心で身を引いていた。

だが、背中越しに感じる体温が、なのはを安心させているのも事実だった。
無事でよかった――その思いが強いが、現在の心境上、誰かが傍にいると実感出来る事が、何より安堵を誘う。
悲しいときや辛い時――一人ぼっちは寂しい、と。

――無事。
自分の思考に浮かんだ言葉が、再びなのはを締め付ける。
少年の片腕を見るも無残な状態へと導いた要因の一つに、自分が巻き込んだと言う事実があるというのに。
決して無事で終わったわけではない――自分の責任は大きい。


「――……ねぇ、ジェイル君」

「何だい? なのは君」

「その……ごめんね、巻き込んじゃって。
その腕、大丈夫――なはずないよ、ね――……ごめんね」

「ふむ……またその話か……」


今日何度口にしたかは、既に数えるのを放棄したなのはの言葉。
正直、ジェイルにとってこの話は打ち切りたかったし、事実、何度も打ち切った。

別に気にする事でもないだろうに。君が喰い潰したわけではないのだから、と。
ジェイルは至極当然のように何度も言ったが、なのはの心は晴れる事はなかった。
気を使われている――そう思うと、逆に沈んでいく始末だった。


「何度も言っているが、別に君が謝る事ではないよ。
寧ろ、救助してくれたのだからもう少し尊大に振舞いたまえ」

「ううん、違うよ。
だって、私が巻き込まなかったらそんな大怪我する事もなかったんだよ?
だから――ごめんなさい、だよ」

「嗚呼、いけない――それはいけないよ高町なのは君。
まず、巻き込んだという前提が間違っている。
私には見ているだけという選択肢があった。首を突っ込んだのは私だ。
故に、この腕は私の責任だ。まぁ、しばらく犬を見たら殺意が沸くかもしれない――が、その程度だよ。
もう一度言おう――誇りたまえ、君は私を助けたのだよ」

「……でも――」

「――しつこいよ。
言っただろう? ――その程度、だ。
望んでもいない事を強要されるのは私が最も嫌う事でね――この話はここで終わりだ」

「……うん」

――これ以上続ける気ならば、さすがに怒るよ、と。
ジェイルは叱咤するような声色で付け足し、この話題を打ち切る。

釈然としないなのはだったが、ジェイルの右腕を最後に見やり、申し訳なさそうにしながら、再び前方へと顔を向けた。
知らず知らずの内に緩んでいた自転車の速度に今更気づき、靄のかかった感情を振り払うように、より一層力を込め始める。


「――……何故罪の意識を感じているのか、私には全く理解が及ばない。
――が、謝罪の意を示すならば、言葉だけでなく文字通り行動で示したまえ」

「えっと……う、うん。
……そうだよね。何すればいいのかな?」

「要求は二つだ。
何、君ならば簡単な事だよ――強くなれ。
誰よりも強く、気高く、美しく大空を謳歌する――そんな不屈の強さを手に入れたまえ」

「んー……?」


言葉尻は抽象的だったが、言っている事の意味は分かる――が、意図を計りかねた。
正直、もっと何か別の事――例えば、何か物を強請られる――例えば、暫く身の回りの世話をする。
そういった要求を想像していたのだが――正直、拍子抜けに近いかもしれない。


「そう不思議そうな顔をするものではない。
私にはそれが何よりの願いだからね。
夜天もそうだったが――いやはや、君達が地を這いずり回るのは、私には耐え難い事でね。
それに、私の怪我に負い目を感じているのならば、強くなり、繰り返さなければいいだけの事だ。
一石二鳥だろう? 私は望みを果たし、君は力を得る――最高じゃないか」

「……うん。そう――……なのかな?」

「ふむ? 含みがあるね、君にとっては大した難易度ではないだろう?」

「んー……あのね? 一つだけ聞かせて。
どうしてそんな風に思えるのかな? 見てたでしょ?
ジェイル君が戦ってる時、私、見てるだけだったんだよ?
見て、撃って――それだけしかしてないんだよ?」

「疑問符が多い。抽象的過ぎるよ、高町なのは君。
何が聞きたい、言いたいのか簡潔に述べたまえ」

「……うん。見てたから分かると思うんだけど、私――弱いから。
強くなりたい――うん、そう思うよ。
そう思うんだけど……正直、本当に強くなれるかが分かんないんだ」

「ふむ? 色々と深く掘り下げたい事は多々あるが、それこそ愚問だよ。
やれる――自分なら勝てる――そう思ったからこそ、あの場所にいたのではないのかね?
まさか、わざわざ敗北をプレゼントされに行ったわけでもないだろう?
自分は強い、と。
少なくとも、少なからずそう実感していなければ、あの場所に居た事に説明がつかないが」

「……うん、そうだね。
そう思ってたのかもしれない」

「過去形なのだね」

「甘かったって言うのかな?
困っている人が居て、助けられる力が自分に或るなら、迷っちゃいけない――コレ、お父さんの受け売り。
だからかな……ユーノ君に魔法の才能があるって言われて、自惚れてたと思うんだ。
自分にはその、助けられる力が或る……って」

「ふむ、別に自惚れでも何でもないと思うけどね」

「だから、そこが聞きたいの。
何でそこまで私が強くなれるとか、そういう事、そんな当然みたいに言えるのかな?
私なら簡単――とか。私なら難しい事じゃない――とか。
ジェイル君がどうしてそう思えるのか、私には分からないよ」


眺めて――撃って――封印して。自分がした事と言えば、その一行で終わってしまう。
戦ったという事実はない。実際に戦っていたのは、後ろの少年だ。
しかも、自分の力ではない。
レイジングハートの言うとおりに動いただけで――自分が何をした、と。
そう自問自答すれば、何もしていないとしか思えはしない。そんな自分が強くなれる等とは、どうしても思えなかった。

自分の気持ちを言い終わり、断頭台に立つような心持で少年の反応を待っていたなのは――そして、それは笑いを伴いながら返ってきた。
――くははっ、と。

そんな一笑を誘うような、可笑しい事を言ったつもりはない。
むっ、と。僅かな苛立ちを感じながら、少女は少年の顔を覗き見る。
なのは視界に入ってきたジェイルは、聞こえてきた笑いを裏切らず、心底愉快そうに、破顔させていた。


「凄く真面目なのに……どうして笑うのかな?」

「くくっ――……これは失礼、悪かったね。
滑稽――いや、この純朴さは尊いと言うべきかな?
式が或り、答えが出ているにも関わらず、他者に答えを求めてはいけないよ、高町なのは君」

「……えっと?」

「自分で言っているじゃないか。
困っている人が居て、助けられる力が自分に或るのなら、迷っちゃいけない――とね。
そこまで言っておいて何故分からないんだい? 逆転の発想だよ。
困っている人が居て、迷わず助けられたのならば、自分には力が或る――そう言い換えればいい。
詭弁、言葉遊びかもしれないが――あの時、君は困っていた私を助けた。
答え等、それで充分だろう?」


――少なくとも、あの時の君が迷っていたとは、私は感じなかったよ。
最後にそう付け足し、ジェイルは再びオレンジ色の空を眺め始めた。

ぽかん、と。
口を開けたまま、ジェイルを見やり、固まるなのは。
声色はさも当然と、口にした言葉に全く迷いは見受けられず、少年は先程と同じように空を仰いでいる。
ここで鼻歌が聞こえてくれば、自分は真っ先に背後の少年を思い浮かべるかもしれない。


「……にゃはは」

「おや? 漸く笑ってくれたね。
何か良い事でもあったのかな?」

「ううん。気持ち分かるかなぁ――そう、思っただけだよ。
さすがに変態ドクターは言い過ぎだと思うけど――」


――やっぱりジェイル君って、変な人だよね。

言い終わると、少女は少年と同じように、燈色に染められた空を見つめ始めた。
ありがとうね。高町なのは、頑張ります。そう、心中で呟きながら。










◇おまけ◇










「――あ……、あぁっ!!」

「何だね急に」

「こ、これ……二人乗りだよ!!
ジェイル君怪我してるし、何か流れでこうなっちゃってたけど、これ、悪い事だよ!!
ご近所さんに不良って思われちゃう!!」

「まぁ確かに、君は悪い子だね――いや、イケナイ子かな?
何せ、私を魅了した一人なのだからね。
不良とは失敬な。私の作品に不良品など有る筈がないだろう」

「わ、私悪い子じゃないもん!!
それに、言ってるのはそういう事じゃなくてっ」

「ふむ、確かに自転車の二人乗りは法律上違反らしいね。
しかし高町なのは君、考えてもみたまえ。
私の腕は複雑骨折及び神経断裂等で大破している――まさに、お荷物と言っても過言ではない。
そう、今の私は荷物なのだよ。荷物を後部座席に乗せる事は違反ではないはずだ」

「何かこのまま聞いてたら無理矢理納得させられそうだから、先に言わせてもらうね。
――降りて? ジェイル君」

「だが断る。
それでは、背中越しに感じる君の感触を手放す事になってしまうからね」

「うん、やっぱり変態さんだね。ジェイル君って」













[15932] 第6話 生じる歪み――亀裂、逡巡――純
Name: 梅干しコーヒー◆b5b285c4 ID:f038b33f
Date: 2010/03/06 13:02




空は快晴――差すと言うよりも、降り注ぐ――そんな陽光が後、数刻で頂点にさしかかる日中。
海鳴市を一望出来る――と、まではいかないが、一画を眺められる高台では、現在、桜色の球体が踊るように輪を描いている。

輪の中心点には、栗色の髪を両側で結った髪型――少々カールしている為、
珍しくはあるが、所謂、ツインテールと呼ばれるヘアスタイルをした少女――高町なのはが居た。

少女はまるでオーケストラの指揮者のように風を切る――と、言うよりは、大気を撫でるような――そんな動作で桜色の弾を操る。
その度に、カコンッ、カコンッ、と。
渇いた効果音を鳴らしながら、スチール製の空き缶が、宙を舞い、翻弄されていく。


「――……えぇいっ!!」


カッ――コォンッ、と。
鉄製の材質が奏でる独特の残滓――その名残を反響させながら、吸い込まれるように空き缶はゴミ箱へとホールインワン。
一拍置き、観客であり特別講師――ユーノ・スクライアから少女に贈られたのは、称賛と驚嘆を孕んだ拍手だった。


「凄い――凄いよなのはっ!!
まだ特訓始めて間もないのに、ここまでやれるなんて!!」

「そ、そうかな?
にゃはは……うん、ありがと。
そう言ってもらえると、ちょっと自信持てるかも」


少々照れ臭そうに、頬をポリポリと掻きながら、なのはははにかむ。
漸く、少しは魔法使いらしくなった。
そう思える感触を噛み締めながら、発現させていた球体を消失させる。

瞳を閉じ、疲れを吐き出すように一旦小休止の深呼吸。
空気が美味しい。朝だからかな、と。
肺を満たしていく澄んだ感覚を味わうと、もう一人の先生――ジェイルへと視線を向けた。


「えーっと……ジェイル君?
どうだった、かな? ――……ていうか、見ててくれたのかな?」


最初はおずおずと、言葉終わりは、むっ、と。
ジェイルの様子を見やると、頬を膨らませながら、なのはは口を開く。

――返事はない。
ジェイルは複雑粉砕骨折及び神経断裂によって動かない右腕――固定されたギブスの上にノートを乗せ、ペンを走らせていた。
流暢に動き続ける左手――ペンの速度を全く緩める事なく、寧ろ速めながら、ジェイルは何やら書き殴っている。


「どう、とは?
それと、一分一秒一刻刹那見逃す事無く、余す事無く観察させてもらったよ。
私が見ていた事に気づかない程君が集中していた――、」


――まぁ、中々の集中力だ。良い傾向だと思うよ。

そう最後に付け加えると、漸く一段落ついたのか、パタン、と。
視線を落としていたノートを閉じ、ジェイルは腰掛けていたベンチの背もたれに身を預けながら、なのはへと向き直る。

一応、褒めてくれてるんだよね……?
そう内心で呟き、膨らませていた頬を緩ませながら、期待と不安を込めた声色で言葉を続ける。


「んー……じゃあ、何点だった、とか」

「及第点――今の段階ではとも付け加えておこうか。
具体的に言えば――まだ、具体的に言うべき箇所がないといった所かな」

「むぅ~……。
たまに思うけど、ジェイル君の言ってる事って難しくてよく分かんないよ。
んっと……それって駄目駄目、って意味なのかな?」

「そうは言っていない――が、受け取り方によってはそうも取れたかもしれない、悪いね。
ふむ……例えるなら赤ん坊――若しくは雛鳥、だね。
歩き始めたばかりの赤子に、具体的な歩方を示唆した所で理解等出来ないだろう?
雛鳥に飛び方を教導した所で、それは本能的に既知の事だろう? ――まぁ、そういう事さ。
私が口を出すのは、もう少し先の事になると考えてくれていい。
ちなみに、私はつい先日まで君を雛鳥とさえ思っていなかったよ」

「……素直に褒めればいいのに。
回りくどいなぁ」

「五月蝿いよフェレット――絶滅するといい」

「ジェイル……君は今、世界中の全フェレットを敵に回したよ……!!」

「別に構わないよ。
手始めに君の頭部と下半身を切り離し――下半身は食料、頭部は指サックとして活用してあげよう。
良かったではないか。
その方が世界にとっても、君にとっても余程有意義だ」

「ああ言えばこう言う……っ!!
――って、うわぁっ!? 本当にそんな物取り出すなよ!!」


何時の間にか先程まで握られていたはずのペンが、果物ナイフに持ち替えられているのを見て、驚愕しながら冷や汗を流すユーノ。
こいつやっぱりヤバイ、と。幾度も繰り返した、答えが見え見えの危機感に、思わず少年からフェレットは距離を取る。

逃げ出したユーノ、行き場を失くした果物ナイフ。
ぶらり、ぶらり、と。数度、意味も無くそれを手元で遊ばせると、ジェイルは立ち上がる――ユーノに向かって。

――う、うわぁっ!! ――くははっ。
片や悲鳴を、片や笑いを伴いながら、小動物と少年は戯れ始めた。


「もぅ……駄目だよ? ジェイル君。
幾ら冗談でも、そんな事しちゃいけないんだよ。
それ、仕舞ってくれないかな? 危ないでしょ?」


もはやここ二日間で見慣れた光景なのか、驚いた様子はなく、少女は頬を掻きながら、諭すような口調で少年へと口を開いた。
齎された声に、ジェイルは何やら考え込みながら足を止める。


「私は冗談は言わないが――ふむ、いいだろう。
他ならぬなのは君の頼みだ。この場は鞘を納めるとしようじゃないか」

「やっぱり冗談じゃなかったんだ……目、ヤバかったし。
いや、何時もヤバいんだけどさ。兎に角、ありがとうなのは。
助かったよ、本気で。きっと世界中のフェレットも感謝してる」

「助かった? 油断してはいけないよ種族名フェレット。
収めたのが鞘、という事は――何時でも抜き放てるのだからね」

「何で僕らは君に怯えながら生活しなくちゃいけないんだっ!?
フェレットに何か恨みでもあるのっ!?」

「いや? 君個人にしかないが。
よく言うだろう? ――連帯責任、と」

「恨みってのがその腕の事なら僕は何も言えないけど、それでも、フェレットが絶滅させられる程の責任は感じてないよ……!!
それに言ったけど、これは仮の姿で僕は人間だ」

「全く……同属に冷たいね? 君は。
レイジングハートを持つのがなのは君なら、君はアイシングハートでも持っているのかい?
存外、フェレットとは同属意識が弱いらしいね」

「その同属を滅ぼそうとしてる君に言われたくはないかな……っ!!
それと上手くないし、面白くないし、要らないし。
言ってる事は駄洒落でも内容が洒落になってない」

「そうか、外見通り君の矮小な脳では、どうやら理解出来なかったらしい。
では、そんな君にも分かるよう、ストレートに。――息を止めたまえ、一生、ね」

「環境には優しそうだけど、僕には優しさの欠片も感じられないっ!?」


いい加減、自身のあんまりな扱いに堪忍袋の緒が切れたのか、ユーノは憤慨しながらジェイルへと詰めかかる。
その糾弾を、そよぐ風のように流しながら、如何にも何も堪えていないといった体で、ジェイルはそれを見下ろす。

にゃはは……仲良いなぁ、と。
見方によってはそうも取れる二人のやり取りを眺めながら、置いてけぼりな感をなのはは頬を掻く事で表す。


「――あ」


三人が現在居る場所――桜台登山道の脇の公園は、少々高台に或る為、周囲に風を遮る障害物はない。
故に、この場所では、急に強めの風が吹いても、大して珍しい事ではない。

持ち主――ジェイルは背中を向けている為気づいていないが、その風によって、
ベンチに置き去りにされたノートが、パタリ、と。地面に花びらのように舞い落ちる。

元の場所に戻しておいてあげよう。
そう思い、ノートのすぐ傍まで来るとしゃがみこみ、それを拾い上げる。


(……んー? これって何書いてあるんだろ)


わざとではないが、地面に落ちた際に項が開いていた為、なのはは描かれている内容を見てしまう。
書かれているではなく、文字通り描かれていた――第一印象はただの落書き。

所々に数字や文字、何やら数学の公式らしきものも記載されていた。
――が、それを見ても少女には一体全体何が書かれているのか到底理解が及ばない。

あれほど一生懸命書き殴っていたのだ。
正直、何が書いてあるのかは気になったが、人の物を勝手に見るのは悪い事――そう考え、元或った場所にそれを返した。

空を仰げば、眩かった太陽はさらに自己主張の勢いを増している。
そういえば、少々空腹感も覚え始めた。

もうそろそろお昼時。一旦昼食にしよう。
そう考え、なのはは未だ言い合いを続けている二人に声を掛けようとした――先程よりは弱いが、再び風が吹く。

ついさっき元の場所に戻したノートが心配になり、背後を振り返って確認する。
落ちてはいなかったが、パラパラ、と。捲れていくページ。

風が已むと同時に、動きを已める紙束。
なのはの視界に映ったのは、他の場所よりも、一際乱雑に何かが描かれたページだった。

やけに大きい見出し――[ Raiging Heart new concept 1st ]、と。そこにはそう記されていた。




















『第6話 生じる歪み――亀裂、逡巡――純』




















休日――その名を裏切らず例に洩れず、海鳴市藤見町においても、一時の休息を求めて、様々な人々が行き交う。
賑やかな繁華街と、楽しそうな団欒が響く住宅街――その、丁度中間程の地点。
繁華街と言うには中途半端な、疎らに点在する店舗――住宅街と言うには、太い道路が縦断する往来。

街ではなく、町。
そんな表現がしっくり嵌ってくれる町並みを、濃紫の髪を携えた少年と、栗色の髪を結った少女が並んで歩いていた。
少女――高町なのはは、自転車――所謂、ママチャリに分類される二輪車を、押しながら。
少年――ジェイルは、少女の肩に乗っている小動物――ユーノ・スクライアを心底鬱陶しそうにしながら、それぞれ歩を進めていく。

つい三日前、この三人で帰路についた時と異なっているのは、各々が抱いている感情だろう。
――なのはは負い目――ユーノは罪悪感――ジェイルは愉悦。
ジェイルを除き、今はその欠片も見受けられない。
昼食が美味だった――中々厳しい特訓だが実感が或る――等、話題も明るい。

今日のお弁当の調理を手伝ったとなのはが言えば、ユーノが褒め千切り、ジェイルが詳細な栄養学を披露する。
ユーノが魔法の話をすれば、ジェイルが補足し、なのはが、うんうん、と興味津々で頷き返す。
ジェイルが果物ナイフを取り出せば、なのはが叱り、ユーノが冷や汗を流しながら憤慨する。

ころころと、チャンネルのように三者三様で表情を変えていく――概ね、楽しそうだ、と。
傍から見る限り、そういった印象を受けるだろう。

しかし、そんな歓楽的な感情を抱きながらも、腑に落ちない――おかしい――何故、と。
時折、マイナスベクトルの心の起伏を覗かせているのは――現在、小動物の形態を取っている少年――ユーノ・スクライアだった。


(…………――)


――信用、出来ない。
談笑しているなのはとジェイルを眺めながら、ユーノは浮かんだ疑念を脳裏でちらつかせていた。
余り抱きたくない感情――戸惑いと困惑を見せないように、ユーノは二人に愛想笑いで応じる。

自分を弄る悪ふざけ――度が過ぎ、過ぎ過ぎており、たまに殺されるんじゃないかと感じるが――悪くない、と。
苛められる事が楽しいのではなく、それでなのはが笑ってくれる――等。
結局終わってみれば、不思議と人間関係は悪化しない――寧ろ、出会って間もないにも関わらず、気を使わなくなっている。
言いたい事が言える。この輪は心地よい、と。そう思えてしまうのも事実だ。


(でも……それでも、何でだ?
なのはは例外だ。
僕が巻き込む形になっちゃったけど、きちんと理由が或る――魔導師になった経緯が或る。
……だったら――ジェイルは?)


第97管理外世界に魔法文明は存在しない――そう、そのはずだ。
ならば、何故――ジェイル――魔法を使役する魔導師が存在しているか分からない。

行使魔法術式――ミッドチルダ式とも、近代・古代ベルカ式とも異なる魔法形態。
魔法陣と言うよりも魔法印――官印のような赤い紋様――見たことも聞いた事もない。

最もポピュラーなミッドチルダ式――現在の魔導師はこの術式を使用している。
次点で近代ベルカ式、そこから大幅に差をつけ古代ベルカ式が連なる。

古代ベルカ式については、もはや絶滅種と言っても過言ではない。
それ程、希少だ――だが、見たことは或る。
文献でも、実際にも、だ。

スクライアは歴史の探求や、遺跡の探索を生業とする一族――そんじょそこらの歴史家等よりも、保有知識は遥かに高い。
自惚れているわけではないが、そのスクライアに属する自分を以ってしても――ジェイルの魔法は見たことが無い。


(……恩人を疑うなんて……くそっ。
大怪我を負ってでも僕らを助けてくれて……今でも手伝ってくれているのに。
――だけど、ジェイル……君は――、」


――自然過ぎるのが不自然なんだよ。

相変わらず会話の花を咲かせている二人――なのはとジェイル――少年を一瞥し、ユーノは自問自答を繰り返す。

その先に或るものが全く見えてこない疑問と疑念に悪態をつきながら、彷徨う。
必ずと言っていい程、心境の言葉尻に付随しているのは――信じさせてくれ、と。もはや、懇願に近い。

なのはとユーノが――少女と魔法が出会って四日。
ジェイルとなのは、ユーノが――三人が出会って三日。

三日――そう、三日も或ったのだ。
それだけ或れば、事実、こうして仲良くなれた事に連鎖し、ある程度お互いを曝け出して当然だろう――それが、無い。
――或るのは、気づかない内に誘導される一方通行のライン。

なのはならば、私立聖祥学園付属小学校に通っており、つい最近まで普通の小学生だった事や、アリサ、すずか等の仲が良い友人が居る事。
自分ならば、遺跡を探索等の理由で、各次元世界を渡り歩いていた事。
本当にある程度だが、そういった話題になり、話した――が、それはジェイルを除いて、だ。

なのはは純粋――澄んでいる。
恐らく、疑い等微塵も抱いてはいない――気づいていない。

自分とて気づいていなかった――だからこそ、切欠は偶然だろう。
聞こうと思って聞いたわけではない。
盗み聞きしたわけでもない――それは突然、齎されたのだから。


――「ふむ……早い内に飛行魔法――[ アクセルフィン ]……ああ、それはまだ早いか。
[ フライアーフィン ]辺りは習得しておいた方がいいかもしれないね」


なのはの特訓中、ジェイル本人も何の気なしに洩らしたのであろう言葉――疑念を抱いたのはしばらくしてからだ。
飛行魔法の習得――それはいい。なのはには飛行魔法の先天的な才能を感じていた――だからこそ、同意した。

そう、飛行魔法の習得――それはいいのだ。
だが、何故――[ フライアーフィン ]――そうまで具体的にレイジングハートにインストールされている魔法を知っている?
他にも飛行魔法は或るというにも関わらず。

一度疑いを持てば、水面の波紋のように、ユーノの疑惑は連鎖的に広がっていく。
――どこから来たのか? ――その魔法知識は何処から得たのか?――一体何者なのか?

そして、それは未だに解き明かされる事は無い。
問い掛けても、返ってくる事のない答え――いや、返っては来る。
求めているようで求めていない――そんな答えが――巧み過ぎる話術によって。

底の見えない知識――それを活用する知力、知能、知恵――思い返せば誘導尋問のような話術――僅か三日で少女の信用を得たであろう人心掌握術。
正直、寒気を感じ、恐怖を感じる程だ。


「―――でね?
お兄ちゃんと、忍さん――あ、忍さんって言うのは、この前話した月村すずかちゃんのお姉さんなんだ。
家のお父さんとお母さん、相手の方のお父さんとお母さんも公認で、結婚を前提に付き合ってるの。
もうすっごいんだよ。 ラブラブって感じかな?」

「ふむ、[ あの ]恭也君の恋人ならば、興味を惹かれるね」

「あの?」

「ああ、私の主観だよ。
最初に彼を見た時……ふむ、そうだね……――刀、とでも言うべきかな?
まぁ、それは士郎君も同じなのだがね。
隠された刃――しかし、その切れ味は推して知る事が出来る。私はそういった印象を受けたよ。
身近な存在――なのは君にとっては少々分かりにくいのかな? 大きすぎる存在は、近づくほど全貌が見えないからね。
――強い、と。
概ねに、大雑把に言えば、そう感じているという事だよ」

「あ、分かるんだ。
ほら、家って道場あったでしょ?
色々あってお父さんはもう引退しちゃったんだけど、お兄ちゃんとお姉ちゃんはまだ現役なんだ。
どれくらいかは分かんないけど、凄く強いんだよ」

「ふむ、是非一度見学させてもらいたいものだ。
あの精錬された筋組織を鑑みる限り、相当の強者である事は簡単に予測がつく。
だからこそ、その恭也君の心を射止めた忍という女性には興味が或るね。
この目でまだ見てはいないが、話を聞く限り、相応しいとも思えるよ」

「うん、ちょっと妬いちゃうくらいお似合いなんだ。
まだ結婚してないのに、長く連れ添った夫婦、って感じがするくらいだし。
それに、凄く美人さんなんだよ」

「ふむ……刃に心と書いて[ 忍 ]だろう? その名の通り恭也君と言う刃に、恋心を抱かせる魅力的な鞘のような女性なのだろうね。
私のイメージとしては桃子君が近いかな?
彼女は正しく士郎君の鞘だ。甘美な包容力が或る」

「んー……そこまで考えた事はないかも。
思うんだけど、ジェイル君と話す時って辞書持ち歩いた方がいいのかもしれないね。
難しいって言うか、言い回しがよく分かんない時あるし」

「それはいけない――いけないよなのは君。それではつまらない、面白くない。
君は辞書等と言う無粋なものではなく、私と粋に会話すればいいのだよ。
そんな事をされた折りには、そこの小動物の首をへし折りそうだからね」

「――……はっ!?
やっぱり矛先は僕に向くのかっ!?
ああ……何か、[ 何で ]じゃなくて[ やっぱり ]って言っちゃう辺り君に染められて来たって感じるよ……」

「何を言っているんだい?
君が赤く染まるのはこれからだよ」

「血かっ!? 血液なんだなっ!?
何で君は一々そう物騒なんだよ!」

「くははっ」

「笑うなっ! 君が言うと本気か嘘か分かんないから、僕にとっては死活問題になってるんだぞっ!?
訴えるよ!? そろそろ動物愛護団体に訴えるからなっ!」

「愛護団体? ふむ、成程、君は愛が欲しいのだね。
ははは――……ふぅ、これでいいかね? 振りまかなくとも一向に構わないものを与えるのは疲れるね。
カロリーを消費し過ぎた。君の相手は疲れる」

「愛は愛でも愛想笑い!?
疲れたっ!? ――言っておくけど愛想尽かしたいのはこっちだからなっ!!
それにカロリーの消費量は僕の方が絶対多い!!」


思惟を打ち切り、なのはの肩の上で頭を抱えて憤慨するユーノ。
なのははここ最近見慣れた光景に苦笑――ジェイルは見下しながら嘲笑。

そして、――これだ、と。同時にユーノは悟る。
思惟を打ち切り――違う、これでは能動態だ。
打ち切られる――そう、これが正しい。

もはや見計らったかのように、此方が考えを巡らせれば何かしらの手段――会話等で強制的にシャットダウンされる。
聞き出そうとすれば、いつの間にか他の話題に摺り返られている――そう、いつの間にか、だ。
気づいた時には何時もタイミングを失ってしまっていた。


「あっ……ねぇ、ジェイル君ジェイル君」

「何だい? なのは君なのは君」

「名前呼んだだけなのになんで茶化されるんだろう……。
うん、まぁ慣れたけど――じゃなくて。
ほら、私のお父さんとお母さんは翠屋でマスターさんとパティシエさん、お兄ちゃんは大学生でお姉ちゃんは高校生。
ユーノ君は家族で遺跡の発掘……だっけ?」

「うん、一族だけど……そうだね、家族で間違ってないよ。
僕はそう思ってるから」

「……それがどうしたんだい?」

「ジェイル君はどうなのかなぁって思って。
聞きそびれてたけど、家に帰らなくてご家族さん心配しないのかな?
あ、家に居候するのが悪いって言ってるんじゃないんだよ?
お父さんもお母さんも、ジェイル君が私を庇って大怪我したから――って事で一応納得してるし。
恩返し……って言うのかな。うん、それがしたいし。
ちょっと変態さんだけど。やっぱり、楽しいっていうのもあるよ。
それでも――」

「――そうかい。
それならばこの怪我も案外、悪くないね。
私となのは君を繋ぎ止める為の痛み――そう思えば、寧ろ享受出来る」

「にゃはは……いつも思うけど大げさだよね、ジェイル君って。
痛いのにそれがいいって言ってると、変態さんって思われちゃうよ?」

「くははっ……言い方が間違っているよ、なのは君。
既にそう、思っているのだろう?」

「えーっと……まぁ、うん。
だってこの前もジェイル君ってば、お風呂一緒に入ろうとか――」

「――うん、僕も気になるかな。
何時も苛められてる身としては、親の顔が見たいっては思ってたんだ」

「あ、そうだった。
良かったら教えてくれないかな?」


――ナイスアシスト。
胸中でなのはへサムズアップしながら、流され掛けていた会話をユーノは半ば強制的に釣り上げる。

自分の知力では、ジェイルには敵わない――この僅か三日間でそれは痛感した。
痛感――とは違うが、もう一つ分かった事が或る――理由は定かではないが、ジェイルはなのはに甘い、極甘だ。

知力で敵いはしないだろうが、なのはの純粋さなら何とかなるかもしれない。
そう思索しながら、ユーノはジェイルが口を開くのを待つ。
もう同じ手は食わない、多少強引でも聞き出さないといけない、と。付け加えながら。


「――ふむ、概ねそこの小動物と同じだよ。
但し、遺跡の発掘ではなく――……そうだね主に生物学における研究――それの模索をする一介の族だ。
前にも言ったが、ドクターと呼ばれていたよ」

「……医者――いや、科学者って事?
僕と同じって事は……一介の族っていうか――一族で何か研究してるって事?
何の研究してるの?」

「一度に捲し立てるのはやめたまえ。
学が知れるよ? 小動物。
それに、概ね――と、言っただろう?
詳細な研究内容については黙秘させてもらおうか。
君は遺跡で知り得た内容をおいそれと他人に洩らすのかい?」

「洩らさないね。
一族以外の人間には滅多に――[ そこ ]は分かるかな」

「私の研究に底などないよ――何せ、無限なのだから。
だがしかし――嗚呼、私には君の底が見えるね――[ スクライア ]」

「そういう意味で言ったんじゃないよ。
揚げてもない足を取らないでくれない?
それと、それってどういう意味?」

「え、えっと……二人共?」


さすがにいつもの悪ふざけではないと感じたのか、ジェイルとユーノを交互に見やり、言いながら右往左往し出すなのは。
見下ろすジェイル――睨みつけるユーノ。
先程までの楽し気な雰囲気は、いつの間にか何処かに消え去っていた。
それを知ってか知らずか、定かではないが、別段気にした様子はなくジェイルは言葉を続ける。


「それも分からないのかい? ――やはり、浅いね」

「――浅い? 悪いけど聞き捨てならないね。
それは、僕? それとも、やけに強調してたスクライアの事?」

「強調していた? 嗚呼、どうやら本音が口から洩れていたようだね。
まぁ、口からしか本音は洩れないものだが」

「このっ……!!」

「くくっ――見た目に違わないね、君は。
どうやらフェレットは知的生命体では――」


――ないらしいね、と。
そう続けようとしたジェイル。
しかし、その矛先――ユーノの姿が視界から居なくなってしまう――それを齎したのは、少女――高町なのはだった。

いつの間にか止まっていた二人の足――当然、なのはが押していた自転車も車輪の回転を止める。
その前籠へと肩に乗っていたユーノをそっと入れると、ジェイルへと向き直った。

なのはは、体毎二人の間に割って入る。
怒っている――と、言うよりは悲しんでいる。そんな雰囲気を滲ませながら。


「――……駄目、駄目だよジェイル君」

「……何がだね?」

「……ごめん、私あんまり頭良くないから……何で急にこんな喧嘩になったのか、まだ良く分かってない。
でもね、だけど……ユーノ君が怒ってる理由は何となく――ううん、良く分かるんだ」

「ふむ? 聞こうか」

「家族の悪口言われたら、私もきっと怒ると思うから。
だから、喧嘩両成敗――って言うけど、ジェイル君から先に謝らないと駄目だと思う」

「ほう、何故だい?
家族の悪口を言われた――怒る。
私にはそれがイコールで繋がる理由が見当たらないよ。
故に、謝る気など――微塵も、毛程もない」

「……それ、本気で言ってるの?」

「言っただろう?
――私は冗談は言わない、とね」


哀調を帯びた瞳で、なのははジェイルと視線を交差させながら、胸中で一人、呟く。
何で――何でこうなったんだろう……さっきまで楽しかったのに、と。

少年から浴びせられる視線には、全く迷いがない。
さも当然、と。そう言わんばかりな振る舞いが、余計に少女の沈痛を誘引――沈ませ、痛ませる。


「……もう一回だけ聞かせて。
それ、本気で言ってるのかな?」

「――しつこいよ。
持つ人間と持たない人間は違う――押し付けの価値観等、分かるはずがないだろう?」

「しつこくて良いよ。
分かってもらえるまで――……え?」

「――ッ――!?
……失言だ。忘れたまえ」

――それって、どういう意味? 、と。
そう言いたげな、問い掛けるようななのはの視線。
それを拒否するように、大きく舌打しながら、二人に背を向けジェイルは一人、歩き出す。

全くもって失言だ。私らしくもない。
らしくない――らしくない。戯れが過ぎた。
これではまるで――、と。

苛立ち――自分でも訳の分からない戸惑いを感じながら――、


(……中々甘美な時間だった――が、これでは本来の目的を達せない。
熱せられた湯も何時かはぬるま湯になる……そろそろ――、)


――潮時か、と。
後方の二人を置き去りにしたまま、足を止める事なく胸中で呟く。

余りの脆弱さを見かね、半ば衝動的に戦闘に参加し、この関係を構築した。
自分が彼女達の事を知ろうとするのは良い。元々その為に時を遡ったのだから。
しかし、その逆――彼女達が自分の事を知ろうとするのは、許容出来る境界線を越えている。
だからこそこの三日間、はぐらかしながらも、不審に思われないよう注意を払いながら生活して来た。

深く関わり過ぎれば――自分の理想は果たされない。
元々、この段階で自分が彼女達と出会うのは在り得ないのだ。
しかし、だからと言って邂逅を諦めるわけにはいかなかった。

何が原因で破錠するのか予想がつかない――本来の歴史をタイムパラドックスによって失っているのだから。
修正しようとも、何処へ修正すればいいのか分からない――自分の望みを果たしながらも、歪みは可能な限り避けるべきだ。

――しかし、死なれては困る。
観察対象が失われては、そもそもこの旅の意義が消失する。

今となっては答えが見つからないが、どこをどう振り返ってみたところで、少女の現在の矮小な実力で打ち倒せるとは考えられなかった。
本来の歴史――自分がまだ介入してしない世界において、あのキマイラをどう封印したのか。

決定的な相違点と言えば――自分が居るか、居ないか。
それによってあの猛犬がキマイラへと強化された――それしか可能性としては在り得ない――が、まだ何もした覚えはない。

しかし、特訓の成果――その甲斐或ってか、少女は羽ばたくかの如く力をつけている。
これならば、あのキマイラくらいならば勝利を掴み取れる――自分がそう思える程の実力を少女は得た。

故に――潮時。
これ以上関わりを持ったところで、自分が得られるものは少ない。
或るには或る――じっくり高町なのはの成長を観察――その家族、一般人にしては異常と感じる程の身体能力を持つであろう二人――高町士郎と高町恭也。

実に心躍らせ、血沸き肉踊る実験対象だが――それ以上に大事なターゲットが居る。


(……しかし、惜しいね。
桃子君の作る料理はもう少し味わいたかったかな)


Fの残滓――フェイト・T・ハラオウンがこの世界の何処かに存在する筈なのだ。
優先順位は其方が遥か上位に属する。

せめて何処に居るのかくらいは、今の段階で知っておきたい――故に、そろそろこの場所を離れるべきだ。
高町なのはのように、この時点では脆弱な存在なのか。
何故ファミリーネームが二つ或るのか――テスタロッサは兎も角として、今の段階ですでにハラオウンなのか――、


(――……ファミリーネーム――ファミリー――家族、か)


滝壷で延々と回転する樹木のように、偶然だが自分の思惟に引っかかった少女の問い掛け。

家族と言われれば、自分にとって思い当たる節はない。
だが、家族――ではなく、娘――そう言い換えるならば、脳裏に蘇る存在は或る。
愛しい13の娘達――自身の[ 作品 ]。


(……ふむ、確かに。
悪口――悪性能、不良品等戯言を言われれば、私も憤慨するだろうね。
良いだろう、そこは理解しようではないか小動物)


祖父母――父親、母親――兄弟、姉妹――息子、娘。
理解出来るファクターは娘のみだ。当たり前だろう、それ以外、居ないのだから。
もしも、自分を産み出した存在――そういう意味合いでならば、呼びたくもないが親は居る――三人の脆弱な老人達だ。
だが、それらを馬鹿にされた所で何の感慨も憤りも浮かびはしない――そして、だから、故に、殺した。

所詮は利害が一致しただけ。
利害関係が失われれば、固執する理由はない。

それだけだ――そして、ベクトルは異なるが、この関係も大して変わりはしない。
今の段階でこれ以上、彼女――高町なのはのみを観察対象に限定するのは、利が少なく、害が大きい。


(……今日の夜半、明日にでも発つとしようか)


これでいい――これで、本来の目的は見失わない。
フィールドワークをこなした学者が、新たな発見をした事に対する感情の起伏――それだけの事。
だからこそ、この後ろ髪を引かれるような気持ちは勘違いだ――実験対象を切り替える際に抱く、郷愁の念に違いない――、


――楽しかった等、それこそ勘違い。気の迷いだ。全く、甚だしい。


言い聞かせるように、足を止める事なく、ジェイルは何度も胸中で呟く。
自然と、無意識の内に、歩みは早くなっていた。


(――……何だ?)


余程深く考え込んでいたのか、そういえば、と。背後から足音が聞こえなくなっている事に気づく。
――あの様子からして、動揺しているのかもしれない。立ち止まって自分の真意に考えを巡らせているのか、と。
だが、疑念を抱いたのはそこではない――自分、高町なのは、小動物――しかし、察知した魔力反応は――四つ。

――魔力反応が、増えている。
いつからそこに居たのか――長髪、オレンジの髪色、ロングヘアーを携えた女性が、道路脇で佇んでいた。
妙に大きな犬歯が、やけに挑発的だ、と。そういった印象を受ける。


「――……――――」

「…………む?」


視線が交差し、目が合い――何かを呟く女性。
車線を挟んで反対側に居る為、行き交う乗用車に遮られ、何を言ったかは定かではない。
確かめようにも、通り過ぎて行った大型トラックが視界から消えた時、女性もいつの間にか消えていた。

興味は惹かれたが――今は、背後の少女に何と言うべきか、声を掛けるべきか、フォローを入れておくべきか、と。
優先順位を確定すると、先程の女性に対する思索をジェイルは一旦脇に除けた。

やけに主張の大きかった犬歯――文字通り、まるで犬のような女性だった――そう、感じながら。








[15932] 第7話 生じる答え――矛盾邂逅
Name: 梅干しコーヒー◆8b2f2121 ID:f038b33f
Date: 2010/03/03 17:59





小鳥の囀りが反響し、反芻するように浸透していく明朝。
少々物足りない目覚まし時計だったが、心地良いまどろみを覚醒させるには充分――煩わしさは感じない。

ちゅんちゅん――たったったっ、と。
囀りと、住宅街の中を軽快に駆け出し始める音色を耳に入れながら、少女――高町なのはは寝返りを打った。

兄と姉が日課のトレーニングに出たのだろう。
何の気なしにそう思いながら、ごろり、ごろり、と。再びベッドの上で転がり始める。


(――……結局……あんまり眠れなかったなぁ……)


三度――いや、夜半から計測するのならば、数えるだけで朝を終えてしまう程繰り返した動作を、まるで常同行動のように反復する。
皺の寄ったシーツと、ベッドの脇に落ちた掛け布団が、何よりここに至る経緯を物語る――つまり、床についたはいいが、殆ど寝ていない。

一日の始まりをこんな形で迎えた為か、心地良いはずの小鳥の声は無感動に――毎日眠りから呼び覚ます携帯のアラーム音は、少女に無反応しか齎さない。
重い頭――勿論、余り寝ていないのだから、そうなるのは当然だろう。

身体的にも、精神的に億劫に感じながら、まるでそれ以外の行動を知らないかのように、自問自答と寝返りを繰り返す。
精神的――そう考えた時に、重くなるのは頭ではなく胸――胸中――心だった。


(――……怒らせちゃったの、かな?
……ううん、きっと――、)


――悲しませてしまった。

あの時の少年の表情――垣間見たジェイルの一旦が、なのはの心を深く沈ませていく。
この三日間、ジェイルが覗かせる事も、見せる事もなかった色――動揺――もしくは、哀しみ。

常に自分を諭すように口を開き、ユーノを弄り、笑う――何時も何やら楽しげだった為だろうか?
その落差で、余計に脳裏のフィルムに焼きついて離れない――いや、離すべきではない、と。なのははそう、思っている。


(――持つ人間と持たない人間は違う、かぁ……。
……それって、きっとそういう意味だよね?
はぁ……何で私って、こういうところ鈍いんだろ……)


自分が嫌になる。そう付け加えながら、勉強机の上を見やるなのは――そこには、バスケットに敷かれた布地に包まったユーノが居る。
昨日の夜中の様子――自分は謝る気はない、と。そう言い放った様子を思い返せば、いじけているとも思えてしまう。

あの時の自分の言葉――家族の事を悪く言われれば、怒って当たり前――それは今でも間違っているとは思っていない。
ユーノが怒った理由も間違っているとは思っていない。恐らく、自分が当事者だったのならば、間違いなく憤慨する。
ならば、間違えていたのは何か? ――多分、踏み込みすぎたのだ、と。謝るように、反芻するようになのはは胸中で呟く。

この三日間、時折――と、言うよりも頻繁にグレー若しくはブラックゾーンであろう行動を取り続けたジェイル。
自転車の二人乗り――お風呂に一緒に入りたい――果物ナイフを取り出し、振り回した等だ。
理由は分からないが、自分の言葉を[ 他ならぬなのは君 ][ 君が言うのならば ]と口にしながら、少年は理解し、実行してくれた。

だからだろう――雰囲気、重さは異なったが、分かってもらえると信じて、諭そうとして――失敗した。
地雷原を地雷が無いと勘違いして歩き、気づいた時には遅かった――爆発してしまった。

持つ人間と持たない人間――自分とユーノは持ち、恐らくジェイルは持たない――家族が、居ない。
普通に考えなくともデリケートな話だろう。
そして自分は、繊細に扱うべきそれを、物知り顔で強要した――少年が言った通り、価値観が違う――自分は持っていて、失った事がないのだから。

――いや、或る。失ったではなく、失いかけた事ならば。
瀕死の父――看病と仕事に負われる母――それを手伝う兄と姉。

その時、抱いた感情――自分の価値観とは何だったか、と。


(…………寂しかった。今でも、覚えてる。
多分、価値観ってこれ……だよね?
じゃあ――……ううん、これも……押し付けなのかな?
……ねぇ、ジェイル君――、)


――ジェイル君は、寂しくないの?
寂しいから――独りぼっちが寂しいから、あんな顔をしたんじゃないの?、と。
一階――リビングで、何時も通り朝食を作っている母と、栄養学等の談義に花を咲かせているであろう少年に、問い掛けるようになのはは呟く。

その一階から、今更だったが、聞き慣れた音――撥は包丁、太鼓はまな板――それが奏でる、軽快なリズムが耳に入ってきている事に気づく。
何時もならば、調理はたまにする程度だが、お皿を運ぶ等の手伝いをしている自分――その行為をする事が、今は辛く感じてしまう。
行為自体が――ではなく、そこに居るであろう少年と顔を合わせるのが、気まずい。

恐らく、少年は何時もと変わらないだろう。
昨日の夕食の際も、普段通り良く回る口で皆と楽しげに会話していた。
自分への対応も何ら変化はない――時折、以前よりも余所余所しい、と。そう感じた事を除けば、その筈だ。


(…………聞かなくちゃ――ううん、聞きたいんだ)


心中で気合いを入れ、それを表でも表すように、両頬を叩く――渇いた音が鳴ったが、それが尚更自分を叱咤してくれた。
なのははベッドから立ち上がると、自分の部屋を出て行き、音をたてないよう気を配りながら、階段を降りていく。

余計なお節介――恐らく、きっと、怒る。「忘れたまえ」、と。そう言っていたのだから。
それでも、聞きたい。

ぶつかり合っても、きちんと話をすれば――きっと、分かりあえる。
自分――アリサ――すずかがそうだったように――話さなければ分からない事だって、きっと或る。
仲良くなれる――そう、思ったのだから。


「あら、なのは? 今日は随分早いわね」

「あ、うん。
ちょっと早く目が覚めちゃって。
えーっと……ジェイル君は?」


朝食の支度が、丁度一区切り付いたのか、降りた階段の先――踊り場には母――桃子が居た。
鉢合わせした形になったが、別段驚くような事ではなかったので、なのはにも桃子にも慌てた様子はない。

きょろきょろ、と。
口にした通り、目的の人物――ジェイルを探して視線を忙しなく動かすなのは。
しかし――、

「……聞いてないの?
今朝早く、用事が出来たって言って出て入ったわよ?」

「――……え?」


――少年は、既にこの場を去っていた。




















『第7話 生じる答え――矛盾邂逅』




















人混みの雑木林を、軽快に吹き抜けて行く一つの人影。
急いでいる――そう感じられても不思議ではない程の速度で、濃紫の髪を、生じる風の為すがまま揺らし、進む。

本人――ジェイルの心境としては、急かされるような色は全く皆無だ。
単純に、跨っている自転車の性能がママチャリにしては常軌を逸しているだけ。
殆ど脚力を発揮せずとも、蓄えた――現在進行形でも蓄え続けている電力が、推進力となって彼を運び続けているだけなのだから。
疲労の色も、疲弊の色も感じられない――いや、寧ろ楽しげだ。


(――……くくっ……!!)


ジェイルは胸中で抑え切れなくなった愉悦を、くぐもった笑いで表面上でも現出させながら、前籠に入ったサブバッグ――に、内包された二冊の本を見やる。
思い返し、連想するのは一人の少女――未来の夜天の主――八神はやてだ。

現在、ジェイルが向かっている先は海鳴市中丘町――風芽丘図書館だった。
少女と確約した通り、理由は貸与した教本の返却――だが、それは物の次いでだ。
その後、勿論だが、八神はやてと再び邂逅する予定を立てている――だからこそ、愉悦は抑え切れない。

会話をしたい――諭されたい――理解したい。
魔導こそ未だ未発達――それどころか発現さえしていないが、はやてとの談義はジェイルにとって非常に、甘美だ。

意思の強さ、とでも言えばいいだろうか。他者に迷惑を掛けない――等、揺るぎない根幹と信念を持っている。
恐らく、再び自分を諭そうとするだろう――それが、楽しみで仕方がない。
もう一人の少女――高町なのはと比べれば、自分が知りたいと思える姿――未来の美しさに最も近い。

――高町、なのは。


(…………何なのだろうね、コレは。
ふむ、興味深い――が、)


――不愉快だ。
そう感じてしまったのは、一旦観察対象から除外した少女――高町なのはを思い浮かべたのが原因だろう。
詳しく言えば、あの時――自分の失言に気づいてしまった際に垣間見せた表情が、脳裏から離れない。

驚愕から困惑へ――そして、悲哀へ。
何故そう感じてしまったのかは、未だに良く分からない。

知りたい。彼女達の――全てを。
ならば、何故あんな顔をしたのか――それも、知るべきだ――それが、自分の旅の目的の一つなのだから。

知りたい。知りたい――知りたい。
無限の欲望――その片鱗であり、一旦である知識欲――そして、知りたいのは彼女達の全て。
知り、手に入れなければならない、全てを――ならば、何故、思ってしまったのだろうか――見たくなかった、等と。

実に、不愉快だ。
そう胸中で振り払うように切り捨て、これから再び出会う少女――八神はやてへとジェイルは思考のベクトルを修正した。


(――……さて、経過はどうなのだろうね。
機材が或れば詳細な進行具合――スケジュールが組めるのだが……こればかりはどうしようもない、か)


会話をしたい――諭されたい――理解したい――それは、確かに大きい。
だが、それよりも遥かに重要な項目が一つ、残っている――闇の書の覚醒までに残された時間だ。

幸いな事に、この世界に降り立ってすぐ、八神はやてとは邂逅している。
触診だったが、その段階で得られた病状は詳細に記憶している――再び診断し、進行具合の差異を知っておけば、大まかな覚醒までの予測は立てられる。

出来るだけ自分が知っている歴史とは異なる方向へは進ませたくはない――が、死なれては困る。
兎に角、治療を施すにしろ施さないにしろ――どのタイミングで介入するべきなのかしないべきなのか、今の段階で知り得られる事は獲得しておくべきだ。

具体的にどう治すべきか。自分ならば、確実に完遂するだろうが、と。
自信ではなく、当たり前。そう言わんばかりに呟きながら、ジェイルは相変わらず自転車を進ませ続ける
場所的には丁度、藤見町から出て、隣町に差し掛かり始めたところにまで移り変わっていた。

この景色は見覚えが或る。
そう感じながら、中丘町へ向けてのルートを脳内で反芻する――が、


「――……何?」


消えていく行き交う人々――音を失なっていく繁華街――真っ赤に塗り潰されていく世界。
当然、ジェイルは不思議に――剣呑な何かを感じ取り、一旦歩みを止める。
キィッ、と。音が失われた世界では、渇いたブレーキ音がやけに鳴り響いた。

――知っている。これは――、


「――……結界、か?
だが、一体誰が――ッ――!?」


感じたわけではない。気配を察知したわけでもない。
自分の足元の影――それが、見る見る内に膨らんでいる――頭上から、何か来ている。
そう半ば直感的に悟り、上を見上げれば――オレンジ色の髪を携えた女性が、ジェイルへ向けて降下してきながら拳を振り上げていた。


「――ッ!? ちぃっ!!」


女性は苛立たしげに大きく舌打ちしながらも、拳を鞘に納めようとはしない――寧ろ、より力を込めて、それを振り下ろす。
昨日の奴か、と。そう考えるよりも先に、ギブスで固定された右腕を、自分と女性の間にジェイルは割り込ませた。


(――ぐぅっ……!?)


非常に硬質――折れた腕を固定する為にかなりの強度を誇るはずのそれが、ミキミキッ、と。音を立てて罅割れ、亀裂が入り始める。
襲ってきたのは、元からぐちゃぐちゃだった中身をさらに掻き回されるかのような不快感と、激しい鈍痛――ジェイルは思わず顔を歪め、内心で呻き声を揚げてしまう。

数瞬、亀裂が走り始めたジェイルの右腕と女性の拳が鬩ぎ合い――、


「襲撃される謂れも覚えもないのだが……っ!?」

「悪いが――こっちにはあるんで、ねっ!!」


――鬱陶しそうに、女性はジェイルの横腹を蹴り、薙ぎ払う。


「――ぐっ!?」


まるで乗用車に轢かれたような衝撃と痛みを覚えながら、為す術なく吹き飛ばされていくジェイル。
コンクリートで補正された歩道で一旦バウンドし、反転していく世界を視界に入れながら、少年はガードレールに衝突――動きを止める。
カラカラ、と。横倒しになった二輪車の車輪音が、辺りに一帯に反響し――止まった。

右腕の刺すような鈍痛――腹を蹴られた事によって苦しくなった呼吸――無防備でガードレールに衝突した、背中と後頭部の麻痺するような痛み。
自身の有様に悪態を付きたかったが、喉から肺にかけて、まるで全面通行止めを敷かれたように、声が、呼吸さえ上手く通らない。
明滅する視界と意識――辛うじて認識出来たのは、先程の襲撃者が此方に歩いてくる足音。


「……さっさと吐いた方が身の為だよ――何処に隠したんだい?」

「……何の……事、だ」

「惚けても無駄だ。こっちはすぐ傍で見てたんだから」


苛立たしげに、ジェイルの目と鼻の先まで詰め寄り、一方的な問答を投げかける女性。
何故いきなり襲われたのか? この女性は何を言っているのか? ――等、疑問は多々浮かんだが、何よりも引っ掛かったのは[ 隠した ][ 見てた ]の二つ。

ジェイルに何も隠した覚え等、ない。
いや、それよりも――見ていた? まさか――監視されていた? ならば、何時から?

次々と、湯水のように湧き出る疑念と疑惑。
答えを求めて口を開こうとしたが、同じく返答を待っていた女性が、それを許さず、遮る。


「これ以上痛い目に合いたくないんなら、さっさと教えなよ。
アンタが持ってるジュエルシード――少なくても半分以上持ってるんだろう? それを、出せ。
そうすれば、命までは取らない」

「――……何?」

「……まだ惚けるんだね。
だったら――」


――体に直接、聞くまでさ。
まるで恫喝外交でもするかのように、言いながらジェイルの襟を掴み上げ、持ち上げる女性。

訳が分からない。こうされる理由も、動機も理解が及ばない。
半分以上のジュエルシード――合計数が21なのだから、11個以上――それを、自分が持っている?
目の前の女性の瞳には、迷いも、戸惑いも皆無だ――濃い確信の色が滲み出ている。
ならば、言葉通り[ 見てた ]? ――自分が11個以上のジュエルシードを所持している場面を? ――そんな状況に為った覚えは、ない。

――いや、或るには或る。
この世界へと逆行する以前――前の世界、遺失物管理倉庫で確かに自分は12個のジュエルシードを手に入れ、使い、願いを叶えた。
しかし、それを見られている筈がない――この世界での出来事ではないのだから。

今にも噛みつきそうな、剣呑な雰囲気を増大させていく女性――答えを求め、逡巡するジェイル――、


「――アルフ、駄目」


――それを制止させたのは、黒い外套を翻しながら、地に降り立った少女。

文字通り、思考が音を立てて止まった。
見覚えが或る――どころではない。
視界にそれが舞い降りた時、言葉等という無粋なものは浮かばなかった。


金色の髪――黒い外套――漆黒の戦斧――殆ど色を感じさせない瞳。
自分が知っている少女とは異なる部分が多々或ったが、間違いなくその少女は――


「……ついてきてください。
――いえ、無理矢理にでも、来て貰います」



――フェイト・テスタロッサ・ハラオウン――その人だった。





















暗く、通路にしては先が見えない程靄の掛けられた廊下を、三つの人影が静かに進んでいく。
金の髪を揺らしながら先頭を行くのは少女――フェイト・テスタロッサ。
続いて、濃紫の髪を携え、丁度二人に挟まれる形で歩を進める少年――ジェイル。
その少年へと注意深く、細心の警戒心を払いながら殿を勤めるのは燈色のロングヘアーの女性――アルフ。

コツ、コツ、と。
それ以外に音は無く、故に、まるで足音だけで会話をこなしているような錯覚を受ける。


(――……僥倖、だが――何だね、この状況は。
全くもって解せないね……少々、警戒心を抱きすぎではないか?
初邂逅――の、はずだが……さて)


愉悦――悦楽――享楽――歓楽。
事、嬉しさを表現出来る全ての感情を抱きながらも、ジェイルの胸中を占めているのは困惑の色だった。
普段の彼ならば、これ程の喜びを齎せられれば、喝采を持って喜び、嗤う――だが、嗤えない。

邂逅出来た――それは確かに僥倖だ。目的の一つを達成し得たのだから。
しかし、結果の一面は良くとも、その側面と過程が最悪過ぎた――これでは、まるで捕虜だ。
こうなってしまった理由が分からない――それが、余計に愉悦を打ち消してしまう。


「――……あの」


漸く、と言うべきか。
暗い通路に足音以外の音色を齎したのは、少年の前方を行く少女――フェイトだった。
申し訳なさそうな、戸惑っているような――そんな声色を滲み出しながら掛けられた声に、ジェイルは一旦思考を打ち切る。


「その……ごめんなさい。
背中とか、腕とか……大丈夫?」

「…………む? 何故、謝るのだね?
襲撃しておきながらそれでは、意味も意図も測りかねるよ。
これは君が望んで起こした行動だろう?」

「そうなんだけど……えっと……正直、もうちょっと温和に済ませたかったから。
それに、そのつもりだったんだ」

「……ふむ、すまないがもう少し簡潔に言ってくれたまえ。
それでは此方も何と言っていいか分からないよ」

「……うん。
もう少し抵抗が或ると思ってた。
最初の奇襲で捕まえられるなんて、思ってなかったんだ。
脅し――そのつもりだったから」

「君が何故そう思ったのかどうかは知らないが、当然だろう?
私は戦闘者ではないだからね。
それとも何かい? 私が戦闘者、と。そう思っていたのかな?」

「うん。それに、何か或る。そうは考えてた」

「……ふむ」


奇襲の経緯は其れか、と。
納得は未だ出来なかったが、取り合えずは得心しておくジェイル。

強い、戦闘者と思っていた――もしくは、何か特殊な能力を所持していると考えていた――だから、襲撃した。故に、この警戒心。
標的、目標は恐らく、此方が持っているとされているジュエルシード。
脅し、それを奪い取ろうとした――もしくは、脅し、自分を捕虜としようとした。そして、後者を為した。

だが、式を立て自分を納得させようとしても、ファクター――前提条件が立てられた理由が分からない。
まず、ジュエルシードを所持している、及び隠している――これが間違っている。自問自答するまでもなく、所持等していないのだから。

もう一つ、自分に警戒心を抱いた理由――戦闘者、もしくは何か或る。そう考えた経緯が測れない。
奇襲という手段を取らずとも、目の前に現れられ問答無用で付いて来いと言われれば、自分は為す術等ない――戦闘者ではないのだから。

――さて、と。
胸中でそう呟くと、背中を向けたままの前方を行くフェイトへと――ではなく、背後の女性――アルフへとジェイルは口を開いた。


「全く……私はつくづく犬類には縁があるらしいね。
右腕を破壊されたのは二度目――どちらも犬によるものだ。
私は何か君ら一族――犬の恨みでも買ったのかな?」

「犬犬犬って五月蝿い男だねぇ……!!
それに、アタシは狼だ。犬じゃない」

「ほう、知らないのかね?
犬は狼が環境に適応し、進化した姿だ。
分類学上、同じツリーの延長上に位置するのだよ」

「言ってる事は良く分かんないけど――アンタ……横取りした事といい、喧嘩売ってるんだよな?
――噛み殺すよ?」

「はて? 何の事やら」

「惚けるなっ……!!
つくづくむかつく奴だなアンタは……っ!!」

「くくっ……尾が衣服からはみ出しているよ? 興奮しているのかい?」

「あぁ、してるね……!!
アンタをこの場で噛み殺したくて仕方が――」

「――アルフ」

「フェイト!? でもこいつ――!!」

「母さんが連れて来てって言ったんだから。
それは、駄目」

「――……ふんっ!!」

「おやおや……主人に従順だね? 君は。
やはり狼ではなく、忠犬と呼ぶべきかな?」

「……それ以上言えば――今度は私が怒ります」

「くははっ……実に美しい主従愛だ。
いやはや、茶化すような事を言って悪かったね。
それではお望み通り、黙っておくとしよう」


如何にも煮え切らないといった雰囲気を、アルフは隠す事もせず、ジェイルに注いでいた警戒心を敵意へと変換させながら押し黙る。
フェイトもアルフと同じように、背後のジェイルを一瞥すると、再び前を向いて歩き出した。
そんな二人の様子を他所に、ジェイルは蚊の鳴くような声で呟く――成程、と。

[ 横取りした ]――十中八九ジュエルシードの事だろう。自分を捕らえる時、ジュエルシードは何処だ、と。問いを投げかけてきたのだから。
横取り――彼女達が手に入れようとしたそれを、自分が掠め取った――そういう事だろう。
尤も、ジェイルにそんな覚えは全くないが。

そして、フェイトの洩らした[ 母さん ]の一言――


(――成程、私を連行しろと命じたのは、君か――プレシア・テスタロッサ)


取り合えず得られた情報を整理し、ジェイルは口にした通り、脳内は兎も角として表面上は黙り込む。

疑問は未だ多々残っていたが、それはこの先に居るプレシア・テスタロッサから引き出せばいい――が、


(……さて、確実に一筋縄ではいかないだろうね。
何せフェイト君――プロジェクトFを完成させる程の頭脳の持ち主――……待て――、)


――それは、


「――くくっ……!!
くははっ……!! く、くくっ……!!
――アーッハッハッハッハッ!!」

――そうか。そうか、と。
全く予想外の場所から齎された答えに、自分の迂闊さに、ジェイルは喝采を持って嗤い始める。
当然、ジェイルの突然の豹変振りを不審に感じ、二人は一度足を止め注意深く睨みつける。


「……何が可笑いの?」

「くははっ……!! いや、いいんだ。気にしないでくれたまえ。
しかし――くくくっ……!!」

「ちっ……気色悪いね、アンタ。一々勘に触るよ」

「くくっ……何、天を見上げ過ぎていた自分が滑稽でね。
ある少女に既に答えは得ているのだろう? ――と、そう口にしたのだが……いやはや、それは己が事でもあったらしい。
これはまさに自嘲だ。気にしないでくれたまえ。
それとも、私の滑稽さを一緒に笑ってみるかい?」

「……遠慮しておく」

「くくっ、残念だ」


漸く少年の笑いが沈静の色を見せ始めると、フェイトとアルフは先程よりも警戒心を強めながら、再び歩き出す。
抑え切れなくなった感情の奔流を、口元を押えながら何とか止めようとするジェイルだったが、洩れる忍び笑いがそれが無意味だと示していた。

――フェイト・テスタロッサ。

経緯は知らないが――いや、恐らく忘れているだけなのだろうが、将来、ハラオウンのファミリーネームを冠する少女。
そして、少女を生み出したのは、[ プロジェクトF ]――完成させたのはプレシア・テスタロッサだ。
そう、[ 完成させた ]のはプレシア・テスタロッサだ。

ならば、基礎理論を構築したのは誰だったか――


(そうか、そうか――居るのだね……もう一人の私――ジェイル・スカリエッティが)


フェイト・テスタロッサの存在が、それを裏付ける――自分が居なければ、理論を構築しなければ、彼女が産まれる事はないのだから。
存在するか、否か――確定情報が無かった為、[ ジェイル ]と名乗っていたが、それはどうやら間違いではなかったらしい、と。

だが、自分がもう一人存在する事を喜んでいるわけではない。
同属意識、同属嫌悪等、ジェイルには皆無だ。何の感慨も浮上してこない。
ならば、嗤いを堪えられない程、感情の起伏を見せた理由とは何か? ――今後のスケジュール――終着点が明確に決定出来た――その一点だ。

恐らく、この歴史は自分が介入した――それだけで、致命的な歪みを生じさせている。
本来の歴史で、自分がフェイトに捕縛される事等、在り得ないのだから。
ジェイルが、ジュエルシードを所持している等の勘違いを抱かせる事等、在り得ないのだから。

彼女達の強さを知る為の旅――そもそもの経緯と理由は、データ上で上回っていた自分達を打倒し得たからだ。
どういった手段でそれを知るべきか? ――その最も重要で困難と考えていた問題は、これでクリアされる――ヴィジョンを伴って幻視出来る。

幾ら歪もうが歪ませようが――最終的に彼女達を――ジェイル・スカリエッティ打倒へと導けばいい。
それを特等席で眺め、観察し、取り入れれば、自分の追い求める夢――生命操作技術は完成、昇華し――頂きへと至り、天に座す。

まさに晴天の霹靂を垣間見た――いや、その全貌まで一望出来たような、天にも昇る感情を抱くジェイル。
何しろ、自分の夢が具体性を帯び始めたのだ――それは、何よりの悦びを齎してくれる。


(――おっと、くくっ……いけないいけない)


余程深く、没頭するように思考の海へと沈んでいた為か、ジェイルは今更ながら目の前に大きな空間が広がっている事に気づく。

そして、その先――まるで玉座のような場所には――、


「……フェイト、アルフ――下がりなさい」

「……はい。母さん」

「ちょ、ちょっと待ちなよ……!!
労いの言葉一つもないのかっ?」

「……下がりなさい。そう、言ったわよ」

「……アルフ、行こう」

「――ちっ!!」


――無感動、微かな苛立ちを感じさせながら、滲ませながら、女性――プレシア・テスタロッサが、居た。

余程従順なのだろう――完全に投げ槍なプレシアの物言いに、フェイトは文句一つ言わず身を引き、空間から消えていく。
主が従った――その為か、渋々だったが、今日何度目になるか分からない舌打を交えながら、フェイトに続いてアルフも室内から出て行く。
ジェイルとプレシア――空間内に残されたのは二つの人影のみ。


「……本当に持ってはいないようね。
――吐きなさい、何処に或るのかしら?」


ゆっくりと、まるで侮蔑するように少年を見下ろしながら、先に口を開いたのはプレシア。
交渉――ではなく、脅迫。瞳が語っていた――吐かなければ、殺す、と。
この目は――迷いなく戸惑いなく躊躇いなく、息をするように実行する。そう悟りながらも、ジェイルに怯んだ様子は全くない。


「おやおや……随分と物騒だね?
折角出会えたのだ――互いに自己紹介でも如何かな?
私は今、非常に機嫌が良くてね……お茶でも交えながら、どうだい?」

「必要ないわ。
あなたのような餓鬼に興味はないもの。
興味が或るのは一つだけ……もう一度聞くわ――ジュエルシードは、何処かしら?」

「はて、何処だろうね?」

「そう、残念だわ。私は素直な子が好きなの――これが最後よ。ジュエルシードは、何処?
答えないのなら――」

――体に、聞くわ、と。
言葉とは裏腹に、落胆の色は皆無。
鬱陶しそうに唇の端を吊り上げながら、現出させるは膨大な魔力奔流。

――嗚呼、それでこそ相応しい。
ジェイルは心底嬉しそうに、胸中でそう呟きながら――、


「――プロジェクトF.A.T.E.」


――手札を、ジョーカーであろうそれを、切った。
驚愕に塗り固められるプレシアの表情、顔色――動揺を隠しながら、浮かべた色を消失させ、翳そうとしていた手を止める。


「…………良く聞こえなかったわ。空耳かしら?」

「ふむ、ならばもう一度言おうか――プロジェクトF、完成させたようだね?」

「…………あなた――」

――何を、と。
そう言い掛けていたプレシアを満足げに眺めると、掛けていた眼鏡を外し、襟足を纏めていた髪留めを放り投げる少年。
一旦顔を伏せ、肩を振るわせ――ゆっくりと、少年は幽鬼のように再びプレシアを見据えた。


(……この顔――何処かで――)


濃紫の髪――金色の瞳――隠しきれていない滲み出る狂気――見覚えが或る、と。
そう感じた時、プレシアの脳裏に浮かんだのは――一人の科学者。


「――ッ――!?
あなた、まさか……――」


実際に会った事はない――が、顔写真くらいは見た事が或る。
忘れる筈がない。自分の望み――理想郷、アルハザード。その、遺児なのだから。
しかし、外見年齢が余りにも違い過ぎる。

だが、完全に――合致してしまった。


「今日は実に良き日だ――そうは思わないかい? プレシア・テスタロッサ君。
初めまして、かな? さぁ、互いの存在を語り合おうではないか。
私は――、」


――ジェイル・スカリエッティだ。

本来ならば出会う筈のない、二つの狂気が――出会ってしまった。



少年は喝采する――ここからが始まりだ、と。嗤い――魔物のように――嗤った。








[15932] 第8話 歪曲した未来――無知と誤解
Name: 梅干しコーヒー◆8b2f2121 ID:f038b33f
Date: 2010/03/06 13:10




か細く、滲み出す程度の光が照らし出す暗い通路。役割を果たす筈の照明はいつからか、存在理由を半ばまで放棄していた。
かろうじて認識出来るのは、両脇に一定間隔で起立された白い柱――光量が皆無に等しくとも、それは存在を主張し、映える。

足元と、長い通路の一旦――それしか覗けず、垣間見る事しか出来ない程、暗い。
――遠い、と。表面上でも、内心でも呟いたわけではない。ただ、少女が抱き、浮かべた感情が、まさにそれだった。

遠い――母との、何かが。
少女――フェイト・テスタロッサが先程――濃紫の髪を携えた少年を、母の前に連れて行った際に抱いてしまった距離感。
初めてではない。
今まで何度も、幾度も芽生えた――いや、芽生えてきてしまった、と。そう言い換えた方が、恐らく正解なのだろう――望んだ事ではないのだから。
正直な所、慣れた――が、幾ら繰り返してきた事だと言っても、これは少女にとって慣れたくないものであり、辛い事には変わりがない――そう、切ない。

寂しくなんかない――悲しくなんかない――苦しくなんかない――自問自答ではなく、まるで呪文のように自分自身に言い聞かせている言葉。
こう考えてしまう事がもはや感情の起伏、と。フェイト自身も気づいている――が、それを、認めたくない、信じたくない。
自分は――娘なのだから。自分が信じなければ、母は――最愛の母は――あの優しかった母は、独りになってしまう。


(……うん、頑張ろう。もっと頑張らなくちゃ、駄目だ。
そうすれば、きっと――、)


――また、あの時のように、笑ってくれる。

あの懐かしい花畑を思い浮かべるだけで――微笑む返してくれる母を思い浮かべるだけで――頑張ろう、と。
自分が頑張れば、きっとまた、あの頃の母に戻ってくれる、助けてあげられる。
そう考えるだけで、浮上する葛藤は消え去り、代わりに活力が沸いてきてくれる。

漸く自分の気持ちの整理がついた事に安心感と安堵を抱きながら、背後――未だ得心がいっていない様子の自身の使い魔――アルフへと意識を傾けるフェイト。
振り向いた時、アルフは丁度、苛立たしそうに犬歯を過剰に露出させている所だった。
自分が見られている事に気づいた時、何とも言えない気まずそうな表情を浮かべると、視点を泳がせ、頭髪を掻く。
それを見ると、フェイトは内心で謝罪を交えながら、口を開いた。


「……アルフ、ゴメンね」

「……フェイトが謝る事じゃないさ。
ただ……何度も言ってきたけど、これだけは分かって欲しい――アタシはフェイトの使い魔であって、鬼婆の使い魔じゃ、ない。
フェイトが鬼婆と同じ事を言っても、黙ってアタシは従う――けど、それはフェイトだからだ」

「……うん」

「だから、その――あぁもうっ!!
この際だからはっきり言うけどさ、あいつ、おかしいよ!!
フェイトが――実の娘がこうして頑張ってるんだ。それなのに、褒めるどころか労いの一言もないんだよ?
アタシはそんなの納得出来ない。誰よりもフェイトが頑張ってるのを近くで見てるんだから。
やってる事って言ったら――虐待くらいじゃないか……何でだ?
アイツ、訳分かんないよ……」

「それは、きっと……私が駄目な子だから――」

「――違う、フェイトは駄目な子なんかじゃない。絶対に。
だから意味分かんないし、訳分かんないし、納得なんか出来ないし。
娘が頑張ってるのに、その娘にあんな目を向ける事も、あんな事が出来る事も――そう、思ってるって事も。
正直、ムカついてる」

「アルフ……」

「……ごめん。言い過ぎた。
でも、嘘じゃない」

「ううん、私は大丈夫だから」


苛立ち――憤慨――呆れ等を無理矢理ブレンドしたような大きな溜息をつきながら、アルフはばつの悪そうな顔を伴って俯き、押し黙る。
ゴメンね、と。フェイトもう一度胸中で呟くと、アルフから視線を外し、再び歩き出す――暗い通路を、いつもよりや余計に暗く感じながら。

虐待――傍目から見れば、そうなのかもしれない。
だがそれは、自分の所為だ。自分が駄目な子だからだ、と。フェイトは母を責める事はしない――絶対に。

ついこの間――自分がミスを犯し、躾を受けた時の傷は、正直に言えばまだ痛む――ズキズキと、這い上がってくるように。
それでも、母は悪くない――悪いのは、自分だ――これは、躾だ。虐待じゃ……ない。
自分が上手くやれていれば、母にしたくもない躾をさせる事もない――そして、何時かはあの時のようにまた微笑んでくれる――、


――……いい子ね、アリシア。


だが何故――自分の名を呼んでくれないのだろうか?
自分の名は [アリシア ]ではなく[ フェイト ]――フェイト・テスタロッサ――その筈なのに。


「……何かさ」

「――……え? あ、何?」

「……フェイト?」

「何でも――何でも、ないよ。
……続けて?」

「…………」


浮かんだ情景と思考を一旦シャットダウンし、足を止め振り返りながら、何かを言い掛けていたアルフに、催促するようにフェイトは言う。
何故か――これ以上考えたくない、と。脳裏でそう過ぎらせながら。

――疲れている。
明らかに、疲労している。身体的にも――何より、精神的に。
自分の主は、幾ら辛かろうが苦しかろうが、それを他者に決して見せはしない――それが、見える。


(――……くそっ。
健気だろ? 頑張ってるだろ?――プレシア、アンタはこんなフェイトを見て、何も思わないのか?)


休め、と。そう言っても聞く事はない。
主はある意味頑固で強情だ――事実、何度も口にした――「大丈夫だから」。フェイトはいつも、そう言いながら背中を見せる。
ここで不自然に話を区切り、会話を打ち切り、自分が気遣いを見せれば――恐らく、心を痛ませる。それだけにしかならない。
煮え切らない――歯痒い。そう内心で歯軋りしながら、アルフは再び口を開いた。


「……何かさ、上手くいかないな、って。
そう思っただけだよ」

「……うん、そう……だね」

(……あ、しまった――……馬鹿かアタシはっ!!
あぁ、糞……愚痴ってたら意味ないだろうが……)


自身の失策と失言に心中で地団駄、表で頭を掻き毟り、自分を激するアルフ。
フェイトの使い魔――そう、言っておきながら、実際問題何も出来てはいない事が余計にそれを加速させる。


「あの子は……――」

「何でアタシは何時もこう――……あの子?
……あぁ、あのガキンチョの事か。
アイツがどうしたんだい?」


ぶつぶつ、と。蚊の鳴くような声量で自身を叱咤していたアルフだったが、その最中に齎された声――それに応える為、一旦思考と口に幕を降ろす。

あっ、と。独り言のつもり――自問自答が口に出てしまったのだろう。
少々瞼を上げながら呟き――すぐに何時も通り、余り感情を覗かせない表情をしながら、フェイトは自身の使い魔へと疑問を投げかけた。


「あの子は……何でジュエルシードを集めてるんだろう、って。
それがちょっと気になったんだ」

「んー……確かに気にはなるけど、考えても仕方がないんじゃないか?
結局、全部アタシらが頂くわけだし。
まぁ……どうやって輸送船に忍び込んだのかの方がアタシは気になるけど」

「うん、だね。それもやっぱりあるかな。
私達でさえ襲撃って手段以外取れなかったのに」

「で、気づいたら――輸送船から煙は揚がってるわ、次元振動は起きるわ、ジュエルシードは第97管理外世界――面倒臭いから地球でいいや。
で、そこに散らばるわ、半分以上掻っ攫って落ちてくわ――だろ?
……あれ? よくよく考えてみたら……何がしたかったんだ?
あのガキンチョ、やってる事滅茶苦茶じゃないか」

「あの輸送船――積荷はジュエルシードが主だったし、多分、私達と同じでそれが目的だったんだと思うんだけど……引っ掛かるよね。
忍び込む程用意周到なのに、何で態々危険な真似したんだろ、って」


自分達があの少年を襲った理由――自分達が襲う筈だった輸送船を横取りし、少なくとも10個以上のジュエルシードを持って第97管理外世界に落ちていったからだ。
何故集めているのか?――何故あんな危険な真似をしたのか?――フェイトが気になるのはそこだった。

自分達が襲撃する直前、突然輸送船から煙が揚がりだした――と思えば、次元振動――次の瞬間には、狙いのジュエルシードは第97管理外世界へと降下し始めていた。
勿論、それを追おうとした――が、その直後に目視数で10個ないし11、12個のジュエルシードを伴って降下し始めたのが――あの少年だ。
原因はあの少年――何せ、半分以上であろうジュエルシードを奪っていったのだ。それ以外には考えられない。
それに付随し、何か或る――二人はそう思っていたのだが、様々な意味でそれは裏切られた――正直、拍子抜けだった。

バラバラに散らばった一つ一つのジュエルシードを探すよりも、纏めて所持している少年を狙ったのは、単純に効率と危険性の問題だ。

効率――少年を確保すれば、ほぼ半数のジュエルシードが付随するように一気に手に入る――筈だったが、既に隠されていた。
おまけに、突然の事態に困惑していたからか、第一波のジュエルシードが降下した際、詳細な数も場所も確認するのが困難だった――故に、先に少年を狙った。

危険性――つまり、ジュエルシードの同時覚醒だ。
10個以上のロストロギアを纏めて覚醒させられれば、確実に手に負えなくなる――故に、そうなる前に、早急に捜索を開始した。
取り合えず、目的の半分――最悪の事態は回避出来た、というところだろうか。


「んー……ある程度覚醒させておく、ってのが目的だった――とか?
ほら、その方が反応は辿りやすいだろ?
今隠してるジュエルシード以外は、地球で回収する予定だった――ってのは?」

「それだったら、船内で全部回収すれば良かったんじゃないかな?
あんな事した理由も説明つかないよ」

「あ、そういえば」

「それに……」

「?」

「思ってたより……弱かったし。
あの子、封印とか出来るの……?」

「……あぁ、納得」




















【第8話 歪曲した未来――無知と誤解】




















「――……続けてもいいかしら?」

「あー……あー……。
ふむ、話の腰を折ってすまないね。
どうやら鼻粘膜が刺激されたようだ」

「……普通なら誰かが噂しているようだ、とか言うのよ、それ。
まぁ、いいわ」


少年――ジェイルは、引き摺るような湿った音を鳴らしながら、呼気を吸い上げ、鼻腔を数度擦る。
悪いね、と。会話を中断してしまった事を軽薄に詫びると、女性――プレシアの希望通り、黙って[ 質問 ]を受ける体制に戻った。

そう、尋問――ではなく、質問だ。
ジェイルがこの空間に来た際に蔓延していた剣呑な雰囲気は消え去り――いや、まだ残っている為、薄れた、の方が正しい。
その証拠に、現在二人は、中央に丸テーブルを挟み、対面している形に――傍目から見れば、ティータイムと洒落こんでいるようにも見えた。


「正直、聞きたい事が或りすぎてどこから聞いたものだか分からないのだけれど……。
取り合えず、確認させて頂戴――あなた、ジェイル・スカリエッティ、よね?」

「君の命令に忠実で、何の疑いも持っていないようだね、彼女――フェイト君は。
記憶転写かい? 私も施した事があるのでね、良く分かるよ。
――これでどうだい?」

「……充分ね。
あなたは間違いなくスカリエッティだわ」

「違うね、[ スカリエッティ ]ではない――[ ジェイル ]だ。
今の私は唯のジェイルだよ」

「どちらも変わらないでしょうに。
まぁ、そう呼べと言うのなら、そうしてあげるけど――その体、どうしたのかしら?
見た目子供のスカリエッティなんて、悪い夢でも見てるのかと思ったわよ」

「気にしなくて良いよ。
実験の産物――いや、副作用かな? 代価を支払っただけだ。
それに、君が夢を見るのはこれからだろう? ――アリシア・テスタロッサとの、ね」

「…………何処まで知っているのかしら?」

「知っている所までだよ、プレシア君」


プレシアは探るような、疑うような色を滲ませながら、対面しているジェイルを眺めやる。
出された紅茶に口をつけながら、それを何処吹く風で受け流すジェイル――それを見て、一旦思考を纏めようと、自分も同じようにカップを手に取った。


(……さて、何処まで明かすべきか。
少なくとも――、)


――自分が未来から来た。これだけは明らかにしない方がいいだろう、と。
開示するデータは少なく、此方の利は大きく。そう付け加えながら、ジェイルは自身の情報の枝葉を伐採、千切っていく。

此方の知っている情報――プレシア・テスタロッサがプロジェクトFを行使し、アリシア・テスタロッサを蘇らせようとして、フェイト・テスタロッサを産み出した。
PT事件の概要は覚えていなくとも、これは覚えている――JS事件最終局面で、これを使って揺さ振りを掛けたのだから。体感している事も大きいだろう。

切れる手札は少ない――故に、この会話の初期段階で自分が[ アリシア ]を知っている事を明かす必要が或った。
毛を逆立て、自身を巨大に見せ威嚇する動物のように、此方が底知れないと思わせれば、後々やりやすい――恫喝外交に近いだろうか。

他に切れるカードと言えば――自分が未来から来たという情報――間違いなくジョーカーだろう。
そしてそれを晒してしまえば、芋づる式に問い詰められてしまうのは目に見えている――未来で、自分はどうなったのか、等だ。
自分の記憶している未来では――プレシアは死んでいる。もしくは行方不明だ。アリシアを伴いながらの。
アルハザードに至ったというデータは――ない。
これを彼女が知ってしまえば、少なからず揺らいでしまうだろう。
最後の手札、プレシアがアルハザードに至りたがっている――これが、利用出来なくなり、切れなくなる。


「……全く、あなたのお陰で余計な手間が増えたじゃない。
どうしてくれるのかしら?」

「皮肉かね?」

「そう感じるのなら、そうよ」


カチャリ、と。
陶器独特の音色を奏でさせながら、溜息を伴って口をつけていたカップをテーブルに置くプレシア。
疲れとも、呆れともとれる声色が染み出している。

――手間、か。
十中八九、自分がここに連れてこられた理由――ジュエルシードを強奪した――だろう、と。
ジェイルは紅茶の香りを味わいながら、プレシアの放った一言に思惟を巡らせ始めた。

自分に覚え等、ない。
しかし、彼女達は自分がそれを為した事に対して、疑いを微塵も持っていない。
ならば、自分に覚えがない時――まだ確信は持てないが、仮定式を立て始めるジェイル――答えは、目の前の女性から引き出そう、と。
そう付け加えると、プレシアと同じようにティーカップをテーブルへと降ろし、置いた。


「……ふむ、その事については悪かったと思っているよ。
あの使い魔――アルフと言ったかな? 彼女から傍で見ていた、と。そう言われてから知ったのだよ。
まさか君達が居たとはね」

「……正論ね。
奇襲を知られていたらもう奇襲とは呼べないもの。
それで? あなたは何の目的で輸送船に忍び込んだのかしら?
勿論、お目当てはジュエルシードだったのでしょう?」

「当たらずとも遠からずだよ、プレシア君」

「そう、そろそろ腹を割って話したいのだけれど?」

「黒い腹を晒した所で、何も得られはしないよ」

「黒同士なら共存出来るわ」

「馴れ合いが希望かね?」

「いいえ。
ただ、敵になる必要はない――違うかしら?」

「そうだね。
だが、味方になる必要もない――違うかい?」

「嗚呼、そうね。
あなたがここから無事に帰れる事を願っているわ、ジェイル」

「くくっ……いい答えだ。一考しておくとしよう」


――成程、合点がいった、と。
漸く見つかったパズルのピースを脳裏で嵌め込みながら、くぐもった笑いで応えるジェイル――応えるプレシア。


(ふふっ……アリシア、もう少し――もう少しで、あなたと会えるわ……。
この男の――ジェイル・スカリエッティの――、)


――利用価値は、高い。
何せ、自分の目指す理想郷――アルハザード――その遺児なのだ。しかも、生命操作技術の権威中の権威。
もしも、万が一アルハザードに至れなかった際、その頭脳を利用すれば愛娘を蘇らせられるかもしれない――保険が出来る。

自分が犯しているのは犯罪だ――そして、ジェイル・スカリエッティの行っていた研究も、犯罪。
よって、管理局へ下るという選択肢はないはずだ。
そこを突けば、利用しやすい――小柄になったからか、今の彼が弱者なのも事を運びやすいだろう。


(くくっ……これならば――、)


――利用箇所は、多い。
高町なのはと違い、この一味は自分達から事件に首を突っ込んでいる。
それ故か、知り得ている情報量が多く、限りなく本質だ――タイムパラドックスによる弊害が緩和出来る。
本人が大魔導師なのも利用価値が高い――もしも管理局が介入してきた際、対抗出来る程の実力が彼女には或る。

そして、[ 忍び込んだ ]の勘違い――違う、まだ仮定の範囲を出ないが、それは確実に間違っている。
無理もないだろう――その事実を知っているのは、自分だけなのだから――未来から来訪したという、その奇跡を知らなければ、そう考えて当然だろう。

恐らく[ 忍び込んだ ]ではなく、[ 転移した ]のだ。
そう考えてみれば矛盾はなくなる――未来のジュエルシードを使い過去へと飛んだのだから、リンクするように過去のジュエルシードへと転移しても何らおかしくない。

[ 新暦65年の第97管理外世界に逆行した ]ではなく[ 新暦65年の第97管理外世界の近くに或ったジュエルシードへと逆行した ]

そしてその場所が、輸送船の内部――転移による衝撃で、ジュエルシードが地球にばら撒かれた――その影響で通常よりもそれが強化されてしまった。
あのキマイラの原因もそれだろう。
本来ならば、高町なのは一人で倒したであろうアレは、どう考えても自分の手助けなしでは打倒出来たとは思えない。

他に予測出来る点と言えば、ユーノ・スクライアが言っていた原因不明の事故――それは、自分が引き鉄だったらしい、という事
恐らく、本来の歴史ならば、フェイト及びアルフが襲撃を掛け、地球に何らかの拍子でばら撒いたのだろう。
傍に居た――と、言う事はポイントは同じ――強化されただけで、場所は同じの可能性が高い――知らない為、余りこの可能性は意味を為さないが。

そして、もう一つ分かった事が或る――恐らく、とんでもないジョーカーが、或る。
しかしそれを晒すのはまだ早い。何の代価も払わずに引き出せる情報は得られる内に得ておこう、と。
そう決定付け、再びジェイルは口を開いた。


「一つ、いいかね?
――管理局の動向はどの程度把握出来ているんだい?」

「……あなたがそれを聞くの?」

「…………む?」

「自分のした事が良く分かってないみたいね?
あなたがジュエルシードを奪う時――次元振動を起こした所為で管理局の動きは掴めていないわ。
私達は内側――地球寄りに居たから良かったけど、完全に外側――他世界とは断絶されているのよ」

「……成程」


――そういう事か。
起こした本人が予想外と言うのも甚だしいが、そこまで影響を与えている事に、ジェイルは脳裏で少々驚きを見せる。
強化されたジュエルシード――地球に散らばったジュエルシード――それらは、自分が未来から転移し、次元振動を巻き起こしたからか、と。

しかし、これで完全にジョーカーの存在が明らかになった――恐らく、その所在も。
次元振動を巻き起こすほどのエネルギー――それは、アレ以外に在り得ない。

本当に、得られる物が多い。
そう心中で呟き、この出会いに感謝しながら、ジェイルは話を続ける。


「では、言い方を変えようか。
私が起こした次元振動とその規模、本局からの距離を考慮した時――管理局の介入は何時になると見ているのかな?」

「次元振動、断層が沈静したのが昨日、生き残った輸送船が通報――いえ、しなくても局が気づいてない筈がないから、戦艦クラスが調査しに来るとなれば―― 一週間ね。
まだ完全に沈静しきれてないし、影響を鑑みれば、一週間付近で間違いないわ。
中継地点を経由して個々人で来るとなれば――何時来てもおかしくない。
此方が確認してないだけで、もう来てるかもしれないわね」

「……一週間――ふむ、介入は避けられない、か」

「ええ、まぁ、そうなっても安心なさい。
フェイト――あの人形は相当強いから。管理局の有象無象くらい、軽く捻るわ」

「それは何よりだ。
では、有象無象ではなく――エース及びストライカー級が出て来た場合は?」

「最終手段になるけど――私が出るわ。
とは言っても、私はここを離れられないから、遠距離から次元魔法で殲滅するくらいしか出来ないけど――、」


――どう?、と。
プレシアは視線だけで、そう語り掛ける。
その意味が、意図が図れない程、ジェイルは察しが悪くない――つまり、手を組めば――その前提条件の上で利を説いている。

現在の自分は弱者――怪我人――管理局の平均的な魔導師にさえ勝てないだろう。
考えるまでもない。

管理局との衝突が避けられないのならば――、


「……ふむ、良いだろう――手を組もうではないか。
君を私の故郷――アルハザードへと導こう」

「そう、じゃあ――、」

「ああ、では――、」


――乾杯。

そう言いながら、互いのカップを差し出すジェイルとプレシア。
小気味良い音色が鳴り、浸透し、空間内に反響し――嗤い声と哂い声が木霊していった。









































どんな些細な物音も衆目の意を引いてしまう程、音のない静かな広間。
許されているのは、衣擦れのような紙同士の擦れ合う音と、猫が爪を研ぐようなペンを走らせる音だけ。

時刻は3時半――気づけば、差し込む陽光が鋭射角をよりきつく傾け、色彩は燈色へと切り替わり始めていた。
少女――八神はやての心中では、時計の針が進む毎に、心配や懸念等の波紋が広がっていく――同時に、土竜叩きのように消し去っていく。


(んー……まだ、かなぁ?)


図書館に用事が或る人間としては珍しく、特に読書に没頭するでもなく――目当ての本を探す事もなく、棚と棚の間を進み、戻る。
もう何度目に為るか数える事を已めた為か、何度も通った同じ地点を通過する度、はやては溜息をついていた。

探しているのは本ではなく、長い濃紫の髪を携えた少年――ジェイルだった。
あれから――自分と少年が出会ってから、今日で五日目を迎える――迎えてしまう。
自分の名義で貸与した本の返却期日まで、残り二日――まだ猶予は或る。

海鳴市の周辺地図等、滅多に借りられない事は確かだ。
ここに来る人間の殆どは市内の人間で、しかも今はインターネットが普及している。
態々借りる人間等いない――その本がまだ、棚に戻っていないという事は、ジェイルがまだ返していない――それに繋がる。

はやてが、ここ――風芽丘図書館に来たのは、今から丁度一時間前――海鳴大学病院の帰りだった。

後二日或る――後二日で返却すればいいのだ。
今日こうしてみる事にしたのは、唯単に時間が丁度よかったから――あれから五日、いつもここで少年を待っているわけではない。
閉館までの時間くらいなら。そう思い、待ってみる事にした――家に帰っても、一人で夕飯を作り、食べ、読書をしながら床につくだけだし、と。


(…………あ)


――あの子、と。そう胸中で呟きながら、視界に映った少女を、棚に隠れながら眺めるはやて。
近頃よく見かける横顔、後姿――ウェーブの掛かった毛先、温和そうな容姿に紫の髪――自分が、何度も声を掛けようとし、結局まだ声を掛けられていない少女だった。


(んー……話し掛けたい――けど、何て声掛けたらいいんやろ……)


恐らく、読書好きなのは間違いないだろう――で、なければ、ここで頻繁に見かける事もないだろう。
気にしだしたのはつい最近から――友達に為ってみたい、と。
同じ本好き同士――きっと、話も合う。


(――……よし)


取り合えず、好みの本だけでも知りたい、と。
そう考え、自分が現在隠れている棚――少女が背を向けている方の本の列へと車椅子を移動させる。


(多分、童話系が好きなんやと思うけど……)


正直に言ってしまえば、高揚感――友達を作る為の第一歩が踏み出せると思えば、嬉しさは否めない。
胸中で小声で呟きながら、丁度背面――少女が手に取っている本が見えるようになる位置の本を棚から抜き出し、意を決して顔を覗かせると――、





「――やぁ、はやて君」





――何故かそこには、ドアップで満面の笑顔を浮かべた少年――ジェイルが居た。
一瞬、はやての時間が止まる。


「――…………はっ!?」

「ふむ、驚いてくれたようで何よりだ」

「……え、ちょ……はっ?」

「いや何、折角ならば君の驚いた顔を見るのも一興だと思ってね。
約1時間程君の背後をつけていたのだが――漸く好機が巡ってきた為、こうして出向いてみたわけだ。
いやはや、君と話したいという衝動を抑えるのは実に苦労したよ」

「…………ジェイル君、そこ、動かんといてな?」

「どうしたんだい? 頬が引き攣っているよ?
まぁ、君がそうしろと言うならそうしようではないか」


ゆっくりと顔を伏せながら、肩を振るわせながら、ジェイルの視界から消えていくはやて。
キィ、キィ、と。車輪が回る度に生じる音が遠のき――近づいてくると、棚の影から再び現れる。

ジェイルの目の前で止まると、地面を指差しながら、重苦しく口を開いた。


「――……正座」

「む? 何故だい?
――ああ、そうか。くくっ……以前のように私を諭すのだね?
懐かしいね、あの時もこうして君に――」

「――ええから、正座」

「……ふむ」


言葉尻を強制的に打ち切られながら、はやての言う通り――命令通り、膝を折り、床に正座するジェイル。
そのまま、数秒――肩を上下に振動させながら、はやてが口を開いた。


「なぁ、ジェイル君? 今の私の気持ち、聞いてもらってもええか?――いや、聞いてもらうで。
やっとな……やっと大事な大事な第一歩を踏み出そうとしてたんや。
正直うきうきしとったんや……それがな……それが、今はな……悲しさで一杯なんよ。
何でか分かる?」

「ほう、悲しいのかね?
何故かは分からないが、私としては、再会を喜び合うべきだ――と、そう思うよ」

「……前もそうやったけど、ジェイル君って私に説教されたがってるとしか思えへんな?」

「そうだが?」

「今のは否定して欲しかった……っ。
――って、なんやその腕っ!?」


ジェイルの右腕――包帯とギブスで固定された片腕を見るなり、憤慨していた様子を、心配の声色へと変えるはやて。
言われるまで気づかなかった、と。そんな雰囲気を醸し出しながら、自信の右腕をジェイルは眺め始める。


「ああ、これかい? 三日前、今日と続けざまに犬に噛まれてしまってね。
また何時犬に襲われるか分からない為、全治まで如何程掛かるかは考えるだけ無駄だろう、と考えている。
一応、処置は施したが」

「えぇー……どんだけ犬の恨み買っとるんや自分」

「さぁ?
恨みと言えば、犬類に対する私の恨みは募っていくばかりでね。
その内、試しに絶滅させ、品種改良を伴って復活させてみようと思っているのだが、一緒にどうだい?」

「お茶でもどうですか? みたいな気軽さで言われてもな……。
――ていうか、私の目の黒い内はそんな事させへんからな」

「えーっと……その……」

「そんな困ったみたいな声出してもさせへんもんはさせへん――……あれ?」

「私ではないよ」


おずおず――そろー、と。
まるでそう擬音が聞こえてくるように、ゆっくり真横へと顔を向けるはやて。

ウェーブの掛かった毛先、温和そうな容姿に紫の髪――声の主は、先程はやてが本の好みを知ろうと――友達に為ってみたいと思っていた少女だった。


「その……喧嘩は駄目って言うか……他の人達こっち見てるし、あの……」


――……ジェイル君の、阿呆。……私の、阿呆。
はやてはそう胸中で呟き、周囲の視線を感じながら、少女にどう弁解するべきか模索し始めた。








[15932] 第9話 歪曲した明日――迷い蜘蛛、暮れる夜天
Name: 梅干しコーヒー◆8b2f2121 ID:af37fdb2
Date: 2010/03/18 00:02





鐘の音と言えばそれで正しいのだが、美しい、安らぐ等と言った感慨を誘引するには至らない機械的な音色が木霊していく。
続けて浸透していくのは、余り感情の篭っていない女性の声――所謂、閉館のアナウンスと呼ばれる業務的なそれは、ほぼ毎日繰り返されている為か、前者と同じく、やはり行き交う人々の感情を発起させるには届かない。

何も考えず人込みの波に逆らえば、一人二人くらいは接触するだろうか。
ごった返すとまではいかないが、各々が気に留める程混雑はしていない。
そこから少々距離の開いた場所で二人の少女――八神はやてと月村すずかが、口々に言葉を交わしながら談話に興じていた。


「――――あ、そうだ。
良かったら今度オススメの童話教えてあげるね」

「うん、是非お願いするわ。ありがとうなー。
ちなみにそれってどんなお話なん?」

「ジーンときたり印象に残ったりとか色々だよー。
んー……詳しい話は見てのお楽しみかな」


風芽丘図書館の出口――車道に面する歩行者用の道脇で、通り過ぎる車を横目に入れながら、二人の少女は談笑する。
共通の趣味である読書が起点となった為か、初対面でありながら、手探り感は否めないものの、おおよそ余所余所しさは見受けられない。

会話の途中、ちらり、と腫れ物に触れるような挙動で、すずかは視線をはやてへ――ではなく、自分から見てその背後に位置する少年へ――向けられた瞳に気づいたジェイルは、応えるように口を開いた。待っていたよ、と言わんばかりに。


「――はやて君、そろそろ私も混ぜてくれないかね?
待たされる、耐えさせられる事は嫌いでね。
簡潔に言えば、我慢できない――嗚呼、我慢したくない」

「んー……じゃあ、さっき自分の何が悪かったか、言うてみて?」

「皆無だ。
私は自分の欲望に忠実なだけだからね。
正直は美徳と言うだろう?」

「それ、正直になったら色々危ないからやめとこな?
という訳で反省時間延長や」

「くくっ……中々辛辣な事を言うね」


怒られている事が未だよく分かっていない少年――ジェイルの様子を見やり、呆れを伴った溜息をつくはやて。
胸中で労いのような苦笑を浮かばせながら、すずかは渇いた笑いを洩らす――躾けられてるのかな?、と。

姉と弟――悪戯をした弟を咎める面倒見の良い姉。すずかが二人の関係を最初に比喩した時、感じた雰囲気がそれだった。
出会い方からして稀なケース――はやてがジェイルを叱咤中だった為か、余計にその印象は強い。

次いで、現在進行形で少年はお仕置き中の真っ最中だ。
図書館内に居た間――自分とはやてが会話している際にも、一人で読書を――背中が寂しげだったのは、思い違いだろうか?

原因は自分が少なからず――と言うか、原因の対象は自分。
正直、蒸し返されるのは気恥ずかしい。


「ジェイル君?
分かってないみたいやからもう一回言わせてもらうけど……初対面の女の子にいきなり、観察したい、はないやろ?」

「ああ、言われてみればそうだね。
場所を選ぶべきだったと反省しているよ。
しかしだね、はやて君に気を取られて気づかなかったが……そう、すずか君を初めて視界の中央に捉えた時、私は否応なく知識欲を刺激されてしまったのだよ。
抗う事等したくなかった。故に、しなかった。
君達が童話を見たいと思う心、それと似たようなものだと思うよ」

「どこでも駄目やろ。
それと童話と一緒にせんといてな?
ジェイル君、えっちぃわ」

「私がえっちぃ? ――違う、違うよはやて君。
えっちぃのはすずか君だ。僅か数秒で私の食指を刺激したポテンシャルは驚嘆に値する」

「――……あ、あれ? 私の話になってる? ――って、私ってえっちぃのっ!?
ち、違うよっ!?
私、嫌らしくなんかないよぅ……」

「すずかちゃん、真に受けたら駄目や。
ジェイル君はもう少し自重って言葉覚えような?」

「断るよ。
それは私とは対極に位置する言葉だ。
字違いだが、自嘲ならば幾らでも受け入れようではないか」

「そか……じゃあ、私とジェイル君は相容れないて事になるな……凄く残念や。
私、自重って結構大事な事やと思うんよ」

「……ふむ」


一考しておこう、と言いながらジェイルは横目ですずかを眺める――完全に諦めきれてはいないが、迷うような動作を垣間見せ始めた。
こういった話題――つまるところ、えっちな話に慣れていないすずかは顔を赤くしながら俯き、それにはやてがフォローを入れる。

そういえばと、ふと友人の一人――いや、親友とも呼べる間柄である少女――高町なのはとの通話をすずかは不意に想起し始める。
ここ数日、何やら忙しいようで遊んだりはしていないが、夕食後の空いた時間に電話で話す等の事はしていた。
親友から投げ掛けられる主な話題は、自分と共に保護した一匹のフェレットと、一人の少年の事についてだった。
それが、浮かんできたのは、ピースのようなものが合致したからだろう。


(……あれ? 確かなのはちゃんが話してた男の子も……ジェイル君って名前だった気が……)


変な人で、変な人で、変な人――でも、自分を助けてくれ、今も手伝ってくれている男の子。
親友は、そう言っていた――少々楽しげに。

大まかな自己紹介を終えた後、唐突に「くくっ!! さぁ、観察させてくれたまえ!!」等言うのだから、確実に変な人だろう。
疑う余地が見つからない。

多分、間違いない。
何度思い返してみても、親友が男の子の事を[ ジェイル君 ]と呼んでいたのは聞き間違いではないだろう。
非常に失礼かもしれないが、変な人という特徴も一致する。


「――確かに裏表がないのはいい事だと思うんよ。
でもな、表表過ぎるのもそれはそれで問題や」

「一理或る――とでも言うと思ったかね? そこに至る理由がなければ、私は納得しないよ?
幾らはやて君の言でも、明確な理由が欲しいという事だ。さぁ、私を諭すといい」

「……あぅ」


聞いてみよう、とそう思い口を開こうとしたすずかだったが、いつの間にか新たに巻き起こっていた論争――それに飛び込むのは気が引けた為、押し黙ってしまう。
同一人物なのか、その確認の為でもあるが、それに付随して親友が忙しい理由――それを聞きたいと思う気持ちも或る――自分が手助け出来る事は何かないか、と。


「…………あ」


何処で会話に入り込もうか、もう一人の親友――アリサならば、迷わず突撃するかもしれない、と。
そう悩んでいたすずかの丁度目の前に、一台の車が停車する――高級車の部類に入るだろうか。
完全にその場で止まると、運転席から制服――メイド服に身を包んだ女性が一人現れ、すずかの前に立ち、助手席のドアを開け放った。


「……すずかちゃんって……もしかしなくてもお嬢様?」


ジェイルと口論を繰り広げていたはやてだったが、メイドらしき人物を見て、絶句しながらすずかを見つめ始める。
あははー、と苦笑しながらそれにすずかは応じると、迎えの女性に催促された場所を一旦視界から外し、二人に向き直った。


「ごめんね。この後習い事あるから……」

「あー……気にせんといて。引き留めたのはこっちやし」

「ううん、一緒にお迎え待ってくれて嬉しかったよ。
二人共、またここに来るよね?」

「うん、来るで」

「君が来るのなら、来よう」

「じゃあ、またその時にでもお話したいな……駄目かな?」

「ううん、大歓迎やで」


笑顔で応じるはやて、満悦顔で応えるジェイル――そんな二人を見て安堵したすずかは、待ち惚けを喰らう形になっていた女性の催促通り、漸く後部座席へと。
それを確認したメイドは、静かに余り音を立てないようにドアを締め、運転席へと戻って行く。
少年に聞き忘れた事は或るが……今日の夜にでも、なのはに電話して確認すればいいだろう。
そう考えながら、ずずかはドアの窓を開け、顔を覗かせた。


「じゃあ、またね。はやてちゃん、ジェイル君」

「またなー」

「また会おう、その時は君を脱――」


キッ、とジェイルを睨みつけるはやて――やれやれ、と肩を竦めながら仕方なさそうに左手を振るジェイル。
すずかはそんな二人の様子に苦笑しながら、御淑やかな動作で手を振る――スライドしていく窓が完全に締め切られた時、はやてとジェイルの視界から消えていく。

重厚な、低音気味の駆動音を自動車が鳴らし始め暫くすると、黒色か灰色か区別の付き難い排気ガスで尾を引きながら、その場から去っていく――またね、と後部しか見えなくなったそれを見て、未だ余韻の冷めやらぬ様子のはやては、自然とそう呟いていた。


(月村すずかちゃん……かぁ。
想像してた通り、ええ子やったなぁー)


意気投合――とまでいったかどうかは定かではないが、それでも、話は合った。
やはり互いに本好きだったのが大きいだろう――いや、本の事を抜きにしても、良い友達になれる、とそう感じた。

すずかちゃんも、そう思ってくれてるといいなー。
内心で、そう言葉尻に付け加えながら、隣に居るジェイルへとはやては視線を投げ掛ける。
視界に映った少年は、濃紫の髪を少々冷たくなり始めた風で稲穂のように揺らしながら、何やら思案顔で考え込んでいた――その様子は何時になく、真剣だ


「――あぁっ……見たかったなぁ……っ」


残念そうな言葉とは裏腹に、すずかが去って行った方角へと恍惚顔で熱視線を送り続けるジェイル――その様子を見て、真剣そうだと思った私が阿呆やった、と溜息と呆れを小声に乗せて、はやては吐き出してしまっていた。

……まぁ、それでも――、と。はやては胸中でそう呟く。
言葉尻に続くのは単純な感謝の言葉だったが、それをそのまま口にしていいものかどうか、少々逡巡が立ち塞がっていた――戸惑いではなく、言いあぐねているとでも言えば正しいだろう。

ジェイルの悪戯が起点と為り、全く予想外のファーストコンタクトを遂げた――勿論、相手は月村すずかだ。
ああして話し掛けるか、否かを戸惑っていたのは、今日に始まった事ではない。
確かに一歩踏み出しかけてはいたが、今日も元の木阿弥に陥っていたであろう可能性は捨て切れない――というより、恐らくそうなっていた。

正直、感謝している――そのお陰で、友達が出来るかもしれないからだ。
確かに感謝している――自己紹介を終えた後、いきなり「君を、観察したい」等言った事を考慮から放り投げれば、の話だが。


「――む、どうしたんだい?
何やら楽しげだが?」

「……え?
あぁ……私そんな顔してた?」


はやての視線に気づくジェイル――漸く天を仰ぐ危険人物のような顔を已めると、不思議そうに見返し始める。
思惟に耽っていた為か、自分が今どんな顔をしているか等、全く念頭に置いていなかったはやて――楽しそう、かぁ……まぁ、確かに、と。

否定するような事でもなかったので、はやては特に迷うような事もなく、心中で肯定していた。
自分がもし、少年の言う通り楽しそう――嬉しそうな顔をしていたのならば――約束を守ってくれた――それが一番大きいのだろう、と。


「……なぁなぁジェイル君、この後、時間ある?」

「或るには或るが、何故だい?」

「んー……ほら、約束守ってくれたやろ?
そんでご褒美あげないかん思て――ううん、あげたい思てな」

「ふむ、褒美、か……ならば、君の体を検査させて欲しいのだが」

「いや、それ褒美と違うやん。
私がしてもらうんじゃなくて、私がしたいんや。
そやね……夕飯をご馳走する、でどう?」

「はやて君の手料理かい?」

「もちろん。
自分で言うのもなんやけど、結構、上手やで」

「是非――と、言いたいところだが、少々寄り道したい場所が或ってね。
その後でもいいのなら、甘えようじゃないか」

「うんうん。全然構わへんよ」

「ふむ、ならばお邪魔しようか。
では私からもお誘いなのだが――夕飯後、共にお風呂でもどうかね?
風呂場ならば、君の体を隈なく検査出来、裸で或っても何ら不思議はない。
まさにTPOを弁えている」

「却下や。
代価に私も脱ごう、とか言うても駄目。というか、嫌や。
そろそろ本気で引くで? いや、ちょっと引いてるんやけど」

「くくっ……どうやら君の家はバリアフリーでも、君の心はバリアフリーではないらしいね」

「そやなー。
ジェイル君限定バリアやけど、めっちゃ固いで」


ふむ、それは実に残念だ、と愉快そうに言うと、はやてに背を向け歩道脇へと向かうジェイル――その先には、少々傷が入り、前籠が凹んでいる自転車が立て掛けられていた。
右ハンドルは握れない――ギブスで固定される程の重症を負っている為だ。
その為、片腕で左ハンドルのみを掴み、少々億劫そうにサドルに跨ると、ジェイルははやてに振り返った。


「では、また後ほど」

「うん。
……あ、家分かる?」

「一度通った道は忘れないよ。
それがはやて君の自宅ならば尚更だ。心配には及ばない」

「そかそか。
じゃあ、腕振るって待っとくわ。冷めん内に来てなー」


了承した。そう言うと同時、ジェイルは地を蹴り勢いをつけ、軽い調子でペダルを漕ぎながらその場を去っていく。
下り坂ではないにも関わらず、一気に加速し始め――あっという間に背中は小さく、遠くなっていった。

事故起こしませんように、とはやては心配そうにそれを眺めると、若干楽しそうに心躍らせながら、夕飯の献立を考え始める。
そういえば、もうすぐスーパーのタイムセールが始まる。
そう思い出すと、少々急ぎながら、その場を離れて行った。





















【第9話 歪曲した明日――迷い蜘蛛、暮れる夜天】




















窓から見える傾き始めた夕陽を横目で視界に入れながら、糸の切れた人形のように、ベッドの上に仰向けに体を放り投げる少女。
一日中町内を駆け回った為か、両足は鉛のように重い――尤も、それ以上に重いのは身体的にではなく、精神的、心だ。
重い心を引き摺っていた為、余計に足が強張っている、とでも言えば正しいだろうか。

片腕を額に乗せ、溜息――独白のような声を洩らし、天井を見上げる。
そこに目に付く染みは存在していない――が、一点を眺めたまま、視界は動かない――しかし、確かに揺れていた。


「…………」

「…………なのは」

「……うん?」

「その……なのはが気に病む事、ないと思うよ。
それにほら、用事が或るとか行って出て行ったんだし、その内ひょっこり戻ってくるんじゃないかな?」

「うん……そう、だね」


自分が今寝転がっているベッドの枕付近から齎された声――ユーノの声に、なのはは生返事で応じる。
どうしても気持ちの籠らない生返事に為ってしまうのは、それがどうしても希望的観測にしか思えないからだ――不安だ、と。

ユーノの言う通り、帰ってくるかもしれない――だが、あくまで[ かもしれない ]なのだ。
帰ってこない可能性も或る――いや、なのはの胸中はそんな予感で埋め尽くされている――原因は、言うまでもなく、奔ってしまった亀裂。

今朝、少年が姿を眩ますまでは、その亀裂はまだ或る[ かも ]としか考えていなかった。
出て行った事を知った時、直感的に悟ってしまった――溝が生まれた。勘違い、思い違いと信じるのは、楽観的だろう、と。
その溝を掘削した原因――[ 価値観の違い ]の答えでさえ、まだ出ていないのだ。
どうしたらいいのか、分からない。


(ねぇ、ジェイル君……何処に居るの?)


今日一日、藤見町とその周囲限定だが、少年――ジェイルを捜索し、文字通り足が棒の様になるまで市内を駈け摺り回った。
結果は少女の現在の様相が表しており、言うまでもなく何も得られなかった。
いや、分かった事が一つだけ或る――何も知らない、その一点だけが、傷口に染みるような、そんな重さを伴い、認識してしまった。

何故、海鳴市――地球に来たのか?
何故、自分とユーノを手伝ってくれているのか?
何故、あんな顔をしたのか?

居なくなって気づいてしまった――自分はジェイルの事を、何も知らない、と。
不思議に思う事さえしなかった。
楽しかったからかもしれない――これでいい、と思っていたからかもしれない。
聞いたら壊れるかもしれない――いや、そこまで考えてさえいない。
壊れる等と思っていなかったのだから。


「……ねぇ、ユーノ君」

「何?」

「私間違っちゃったの、かな?」

「……分かんない。
でも、もし間違えてたんだとしたら、なのはじゃなくて、僕だよ。
無理に聞き出そうとした僕が原因って事は確かだ……もうちょっと聞きだし方が或ったんじゃないか、ってそう後悔もしてる。
……ジェイルが言ってた価値観って話になるんだけどさ、それって別の所でも当て嵌まるんじゃないかなって考えたりもしてるんだ。
家族が居る、居ないとは別の話になっちゃうんだけど……」

「……それって、何?」

「……僕はジェイルの事が知りたかった。
なのはにしても、ジェイルにしても、僕が巻き込んでおいて言うのも本当におこがましい事だと思うけど……仲間だって、そう思ってたから。
だから違うのってそこなのかな、って。
仲間だったらお互いの事知りたいって思う……それが、押し付けだったのかもしれない、かなって」

「……そっか。
ねぇ、ユーノ君……ジェイル君の事、好き?」

「……嫌いじゃないよ。悪い奴っては思えないし。
手伝って貰ってるとか、そう言うの抜きにして、嫌いにはなれないかな。
そうだね……多分、好きなんだと思うよ」

「そっか、良かった」

「まぁ……だから、そんなジェイルにあんな事言われたから、余計に怒っちゃったんだろうと思う。
どうでもいい奴に言われても、勝手に思ってればいいよ、できっと流せたから」


素直じゃないもんね二人共、男の子って皆こうなんだろうか、と。
なのははユーノと、何処かに居るであろうジェイルに向かって胸中で呟く。

仲間、かぁ。
自分はユーノ、ジェイルの事を仲間ではなく――、


そこから先を口に出そうとしていたなのはだったが、齎された音色が、それを遮断してしまう。。
小刻みな振動と、かわいらしい着信音――それは自分の体と同じように、ベッドへと放り投げていた携帯電話から発生しているものだった。

億劫そうに上半身を起こし、携帯を手に取る――液晶画面には[ 月村すずか ]――親友の名前が表記されていた。

応答ボタンを押しそれを耳に押し当てると、何の話だろう、と思考しながら、なのはは体を起こした。








































キィッ、と甲殻虫の鳴き声のようなブレーキ音を伴うと、一対の車輪が動きを已め、乗せていた少年をある一軒家の前へと運び終わる。
表札には[ 八神 ]の二文字――まぁ、間違える筈がないが、と。
少年――ジェイルはそう呟きながら、入り口近くに自転車を駐輪し、荷物を手に取る。

自分としては、最初から家に上がり込み、闇の書に拠る侵食具合を確認する程度の予定しか立てていなかった。
が、それに付随して夕飯が食せる――手料理、八神はやての。
正直、楽しみでしょうがない――動悸していると言い換えても差し障りはないだろう。

興奮しているのは、何もかも事が上手く運んでいる事も或るだろう――プレシア・テスタロッサを味方に引き込んだ事。
忘れ物――ジョーカーを手中に収めた事等だ。

取り合えずの見返り――前払いとして受け取った魔力反応断絶効果を内包する布。
それを使い、ジョーカー――12の願いの欠片も隠蔽し終わった。
時の庭園の座標を自動アップデートし、転送、逆転送を可能にする補助デバイス――と言うよりも、補助端末だろうか。
それが譲渡された為、咄嗟の状況でも難なく帰還及び退却も出来る。
或る程度の準備は整った。

完全に協力者となった為、自分も働かなければならないが、これで思う存分大魔導師を使役する事が出来るだろう。
付随するように、フェイト・テスタロッサもだ。

――そして、その後は、


(――嗚呼、この事件が終結すれば、首輪がこの手に――フェイト君への、鎖が手に入る。
くくっ……!!)


自分が興味が或るのは、あくまで[ フェイト ]――[ アリシア ]ではない。
興を傾けている少女、その元と為った存在では或るが、手に入れた所でもう一度フェイトを創造出来るとは限らない。
蘇生等、無駄な労力にしか為り得ない。

つまり、どちらにせよ、プレシア・テスタロッサにはアルハザードへと旅立ってもらうつもりだ。
アリシア・テスタロッサの蘇生等、自分には容易く出来るだろう――それをしないもう一つの理由は、楔を打ち込む為。

この段階で深く関わるつもりはないが、プレシア――母が旅立てば、依存している彼女は崩壊の兆しを確実に見せる。
その空洞――隙間へ、自分が侵入すれば、依存の矛先は自分へと向かせる事が出来るだろう。

深く関わり過ぎ、自分――ジェイルの事を知ろうとされるのは煩わしい――が、それが依存ならば、何の問題もない。
事実、現在進行形で、フェイトはプレシアに依存している。
そして、何も知ろうとしていない――ジュエルシードを理由も知らされず回収させられている所を鑑みるに、確実に成功する。


(――くくっ……嗚呼、楽しみだ)


利用できるものは全て利用し、自分の理想へと変換する。
予定外の大怪我こそ負ったものの、それは既に些事でしかない――故に、胸中の嗤いは止まらない。
もしかすると、表に出ているかもしれないが、それも気になりはしない。


「――にゃぁ」

「……む?」


入り口に備え付けられていた呼び鈴を押そうと、手を伸ばし掛けていたジェイルだったが、ふと聞こえて来た鳴き声に、半ばで一旦動きを止める。
呼び出しベルが付随している塀の延長線上――その上で、一匹の猫が此方を眺めながら鳴いていた。


「……ふむ、猫か」

「にゃぁ」

「君は運が良い。
もしも君が犬やフェレットだった場合、問答無用で消していたかもしれないからね」

「にゃぁ」

「では、通らせて貰うよ」


塀を伝い、此方に立ち塞がるかのように正面に歩を進めていた猫を無視し、ジェイルは呼び鈴を鳴らす。
それでも、猫は鳴き已む事はない――寧ろ、より間隔を縮め、断続的に声を出し続ける。

――出て行け、と言っているような気がしなくもなかったが、度が過ぎ始めていた為、鬱陶しいとしかジェイルは感じない。
そろそろ黙らせようか、と考え始めた矢先、静かにドアが開き、中から車椅子に乗った少女――八神はやてが顔を覗かせた。
それを確認すると、門を潜り、敷地内へとジェイルは歩を進め始める。


「うんうん。
よう来てくれたなジェイル君。
歓迎するで」

「君との約束は違えないさ。
何よりはやて君の手料理が楽しみでね。
少々急ぎ足に為ってしまったよ。もう、出来ているのかな?」

「後少しや。
テレビでも見ながら待っててもらってもええか?」

「では、君の後姿でも眺めながら――……五月蝿いね。
いい加減にしたまえよ、猫科」


舌打を交えながら、背後――塀の上で鳴き続けている猫をジェイルは睨みつける。
はやてとの会話中――甘美な時を邪魔された事も或るが、何より、鬱陶しい。


「あー、あんまり怒らんといてあげてな?
その子、昔から家に住みついてて、多分、ジェイル君見るの初めてやし、警戒してるんやと思うわ。
全然、悪い子やないで」

「……まぁ、いいが。
家の中までは入ってこないのだろうね?
食事中にこれは、さすがに鬱陶しい――む、初めて?
以前、家の手前までだが私は来ただろう? その時に私を見たのではないかい?」

「んー……何か、ここ一週間くらい見掛けなかったんよ。
心配してたんやけど、今朝戻ってたし……ほら、猫って気まぐれやろ?
何処か旅行にでも行ってたんちゃうかな」

「ふむ、まぁいい。お邪魔するよ」


取り合えず、今も鳴き続けているそれを無視し、はやての脇を通って玄関へと入って行くジェイル。
それを確認すると、開け放っていた玄関を締めるはやて――締まり際に見えた猫に微笑むと、ジェイルの後を追い家の中へと消えて行った。


「…………にゃぁ」


最後に一言鳴くとそれきり――張り上げていた声が已むと、固定される視点――その先は、この場を去った二人。
その視線は、興味が或る、警戒しているの段階を越え――敵意のそれと思える程、鋭く為っていた。









































張り切りすぎたと感じる程、10歳に満たない二人だけで食すには少々豪勢な夕飯を終えると、ジェイルはベランダへと足を運んでいた。
満腹感も相まり、常日頃より余計に心地良く感じる夜風――実際に風は無いが、余韻に浸るには丁度良い空気を体全体で感じながら、大きく伸びをする。

正直に言わなくとも、美味だった。
高級レストランで出されるような華やかさこそ無かったが、それを差し置ける程、手の込んだ料理――ああいった物を気持ちの篭った料理、温かみの或る料理と言うかもしれない、と。お袋の味とでも言うべきか。言葉尻にそう付け加えながら暫く歩を進め、ジェイルは振り返りながら部屋の中を覗き見る。


「――お粗末様でした」


丁度、ジェイルが振り向いたのと同時――そう言いながら、少年に続いてベランダへとやって来るはやて。
カラカラ、と滑車の回るような音を伴いながらドアを開け、同じように閉める――静かな夜の住宅街に、僅かに浸透していくそれに対して、中々悪くない、とジェイルは心中で呟く。


「粗末ではなかったよ。実に美味だったからね。中々の腕前だ。
こういう場合、いい嫁に為る、とでも言うべきかな?」

「貰い手がないけどなー。
まぁ、満足してもらえたようで何よりや。
んー……風、気持ちええなぁ……」

「ああ……悪くない。
いや、ここは率直に――良いね。実に心地良い」


ジェイルは、はやてが隣に来た事を横目で一瞥すると、夜空を見上げ始める。
それに習ったわけではないが、同じように空を仰ぐはやて――理由は無い、何となく、だ――寧ろ、理由を求めるのが無粋なのかもしれない。


「……くははっ~」

「何だね、藪から棒に」

「ジェイル君の真似」

「……余り、覚えがないね」

「大体、こんな感じや。
夕飯中、ジェイル君よう笑ってたしなー。
そら嫌でも覚えるわ」

「嫌なのかい?」

「ううん、嫌やないよ。
面白いなって、ちょっと思っただけや」

「む……それは何と返せばいいのか図りかねるよ。
どういった返答をご所望かな?」

「ええよ、そのままで」

「む? ……まぁ、いいが」

「うんうん」


不思議そうにはやてを見るジェイル、それに微笑みを以って返すはやて――まぁ、いい。
先程口にしたのと同じように、ジェイルはそう呟くと、再び夜空を見上げ始めた。


(……月が綺麗だ。
何故だろうね、普段と何ら変わりはないのだが――、)


――安堵しているかもしれない。
若しくは、明確に目標が定まった故に、より明瞭に映り、映えているのだろうか。

夜に入り、自己主張の強くなった満月を見上げながら、ジェイルは胸中でそう洩らしていた。
長いようで短かった一週間――八神はやてと出会い、高町なのはと邂逅し、フェイト・テスタロッサに連れ去られ――答えと真実を得た。

尤も、答えと言っても未だ一里塚に過ぎない――が、答えへの道程が定まったと言う意味合いならば、正しく答えなのだろう。
式が起立出来れば、後は解くだけなのだから。
即ち、或る程度の差異は発するだろうが、最終的にもう一人の自分――ジェイル・スカリエッティ及びナンバーズを倒させる、だ。

長い旅路に差し掛かったばかりだが、感慨は或る――感慨深い、とまではいかないが。
だからこそ、安堵しているのかもしれない。
嵐の前の静けさのようなものだろう――もはや確実に、時空管理局との敵対は避けられなく為るが故に。

時空管理局――嫌い。自分にとってそれはイコールで繋がる――憎んでいると言い換えてもいい。
だからこそ、幾ら幽閉されようが、捜査協力等しなかった。
元居た世界を離れる際、協力体制を見せたのは利用する為――あくまで、協力するフリだ。自分から進んで協力する気等毛頭ない。

何せ、自分の夢――生命操作技術――それを全面的に否定している。
夢、理想、願望、生甲斐、生きる目的――刷り込みだろうが、他者から与えられたモノだろうが何だろうが、それを否定すると云う事は――死ね、生きるな。
自分に対し、そう言っているのと同義だ――ジェイル・スカリエッティを生かしておく気がない組織に、どうして協力出来ようものか、と。
約8年の幽閉期間――数百年続いたとさえ思えてしまう地獄の日々――自分は死んでいないだけで、生きているとは言い難かった。

だからこそ、当然の帰結だったのだろう――自分がプレシア・テスタロッサと手を組む事に為ったのは。
正義が時空管理局、悪がプレシアだとし、たとえ善悪が入れ替わろうとも、結果は変わらないのだろう。
善悪等些細な価値観、立つ瀬の違いだ――正直、自分が善だろうが、悪だろうがどうでもいい――理想さえ叶えばそれでいい。


(……だからこそ、なのかもしれないね。
理解するべきはそこなのかもしれない――強かったのだから。
あの時――JS事件の渦中、彼女達が正義で或り、私が悪だった――ならば、彼女達が強かったのは、正義だったから……か?)


今、自分の隣で微笑み、車椅子での生活を余儀なくされており、脆弱と言っても差し支えのない少女――八神はやて――夜天の主。
母の道化を演じ、演じている事さえ気づいていない、盲目に陥っている少女――フェイト・テスタロッサ――金色の閃光。

そしてエース・オブ・エース――高町、なのは。


(…………む)


そう考えた時、ふと、あの時垣間見せた――見てしまった表情が浮かんでしまった。


「――……はやて君、少しいいかね?
この前のように、少々足を診せて貰いたい」


――不愉快だ。そう胸中で切り捨てると、表面上は何時も通り、ニヒルな笑みを浮かべながら、ジェイルははやてへと話し掛ける。
本来ならばそれも知るべきなのだろう――が、隣に居る少女へ口を開く事で、無理矢理放り投げる――鬱陶しい、アレは同情でもする気だったのか、と。

同情、か――同情されるような事でも無いだろうに――ならば、憐れみだろうか?
同情される事でも、憐れと思われる事でも無い――ならば、自分がこれについて思惟する事こそ、間違いなのだろう。
そう最後に付け加えると、話の矛先だけでなく、漸く意識もはやてへとジェイルは向け始めた。


「んー……診て貰えるって言うのは嬉しいんやけど……。
変な事せんといてな?」

「変な事、とは?」

「えっとな……すずかちゃんに言った事といいその他諸々見てて、私の中のジェイル君イメージ変態で固定されてしまったんや。
正直、ちょっと不安なんよ。私一応、女の子やし」

「何を以って私を変態としたのかは定かではないが、この前と同様の軽い触診だよ。
まさか局――」

「――うん、その先は何かえっちぃ事言いそうな気がするからやめとこな?
この前と同じ程度なら、構わへんよ」


こめかみをひくつかせながら、はやては体毎ジェイルへと向き直る。
何故少々憤慨気味なのかジェイルには良く分からなかったが、まぁ些事だろう、と一旦脇にどけ、少女の足元へとしゃがみ込んだ。


「じゃあ、よろしゅうお願いします。未来の……科学者さん、やったっけ?」

「その解釈は限りなく正しいよ。
中々の翠眼だ――嗚呼、そういえばこの前もそう言っていたね。
――では」


言いながら、はやてが膝に置いていた掛け布を脇に除け、左手で足をまさぐり始めるジェイル。
はやてが少々擽ったそうにしていたが、それに気を留める事なく、診察の手を休める事もない。
足の裏から始まり、脹脛へ、次に太腿へ――……同じ程度?、と擽ったそうにしていたはやてが少々顔を赤らめ始めても気にせず、片足分その動作を終える。

まだ診ていないもう片方へと手を伸ばし――、


(――……何?)


――その途上、ジェイルの脳裏を掠めたのは疑問――おかしい、と。


(これは……どういう事だろうね。
まさか、進行具合が定まっていないのか?)


詳細な検査器具が無く、触診だけで感じ取れる程、飛躍的に進行、侵食している――正直、予想外だ。
以前の触診から数えて五日――そこから逆算する限り、どう考えてもこの侵食具合は矛盾している。
少女が言うに、この足はつい最近どうこう為った訳ではない――随分昔から不自由だと言っていた。
そう、随分昔から、だ――この進行速度ならば、既に闇の書が覚醒していてもいい。その筈だ。


(ふむ……直線ではなく曲線、か。
全く……さすがに加速するとは予想していなかったかな。
――ならば、その要因は何なのだろうね)


触診ではこれ以上の事は分からない――詳細な医療器具が必要だ――そして、この世界にはそれが無い。
覚醒まで残された時間を知る為に訪れたのだが、これでは何の予測も、スケジュールも立てられない。


(正直、幼年体へと退化させるよりも、此方……パラドックスを緩和して欲しかったよ――ジュエルシード)


ちらり、と自分の右腕――ギブスで固定、さらにその内部で魔力反応隠蔽用の特殊な布で二重に包んだ場所――12の願いの欠片を埋め込んだ部位を、恨めしそうに見やる。
自分の見立てでは、これの魔力が回復するまで一週間と半分程。
だが、それでも本来の力には及ばない、願いを叶えるには及ばない――が、今ここで、タイムパラドックスを消してくれ、と願ってしまいたい感は否めない。

本来の自分ならば、何時闇の書が目覚めの時を迎えるのか、知っていた可能性は高い。
今の自分が覚えている事と言えば、闇の書事件の中心人物及び所有者は八神はやてで或り、初代祝福の風が消え、その後Ⅱ世が生み出された、等だ
肝心の事件発生時期は――PT事件の後――それくらいしか覚えていない。


「――……あのー、ジェイル君?
何か難しい顔してるけど、どうかしたんかな?」


完全に思考領域へと埋没していた為か、齎された声に対し、ジェイルは数拍置いて漸く顔を上げた。
心配そうな表情――そこまではいかないが、不思議そうに首を傾げるはやて――嗚呼、夢中に為り過ぎたようだ、とジェイルは心中で軽く謝辞を述べながら立ち上がる。
マルチタスクでも使っておけばよかったかな、と付け加えながら。


「……ふむ、悪いね。
経過、予測が明確に導けないのが非常に歯痒いが……一応、診察は終了だ」

「ううん、病院の先生でも分からへんのやから、ジェイル君が気にする事やないよ」

「比較対象が低位過ぎるよ、はやて君。
私を有象無象の医者と同列に並べられては困る。
機材さえ或れば――……まぁ、無い物強請りは已めておく事にしよう。
だが、何もせず、得ずに終えるのは我慢ならないね――……ふむ、はやて君、キッチンを借りても良いかな?」

「……台所?
一応聞いとくけど、料理やないよね?
夕飯食べたばっかりやし」

「私はコックではなく、ドクターだからね。さすがに料理は専門外だ。
何、無い物強請りはしない。単に或る物を使うだけの話だよ」

「んー……?
まぁ、危ない事せんなら、ええけど」

「ああ、約束しよう。
では、借りるよ」


背中を向け、言いながらリビングへと入って行くジェイル。

何をするつもりなのか気にはなったが、まぁ、心配は要らないだろう。変人で変態だが、約束は守る少年だ――きちんと本も返してくれたし。
はやてはそう思いながら、閑静な住宅街と、星の瞬く光景を視野に入れ始める――やけに月が綺麗だ、と感じながら。


(風、気持ちええなぁ……うっかりしてると寝てしまいそうや)


月村すずかと初めて会話を交わし、ジェイルに約束を守ってもらい、夕飯を何時も通り一人じゃなく二人で食べた――楽しかった、と。
振り返ってみれば、その一言に尽きる――尤も、尽きてはいない。今も楽しいのだから。

かと言って、毎日が楽しくない訳ではない――何かしらに一喜一憂する事くらいは勿論或る。
だが、何かしら、だ。何に対してそう為ったかは、思い出せない――所詮、その程度だったのかもしれない、と。

自分の足が不自由でなければ、もっと出来る事――普通に学校に通い、友達と遊ぶ、等をしていたのだろうか。
そう考えた事は或ったが――そういえば近頃その辺りの事を考えるのが少なくなったかも、とはやては知らず知らずに苦笑していた。
自嘲や、諦めの色が滲んでいるのは、自分でも感じ取れた――今更、しょうがない、どうしようもない事だ、と。


「――待たせたね」


以外と早く戻ってきた少年から齎された声に、卑下とも言える思考の靄を払い、振り返るはやて。
少年の左手にはタオル――台所に備え付けてられていた筈の手拭が握られていた。

右腕に怪我、左手に荷物を持っている為か。
一旦ドアを閉めるような素振りを見せるジェイルだったが、無理と悟ったのか、開け放ったままはやての前に歩み寄り――先程の診察中と同じように、しゃがんだ。


「えっと、それ何に使うん?」

「知らないのかい? 中々有名な自然療法だよ。
君の病気に対する効能はないが、それでも身体的に良効果を齎してくれる筈だ。
まぁ、口で説明するより、体で実感してもらおうか
では――、」


――失礼するよ。
そうジェイルは言うと、一旦持っていたタオルを一旦脇に除け、はやての膝辺りの布を捲る。
はやてとしては少々気恥ずかしかったが、至極真面目そうな様子なので、戸惑いながらも為されるがまま、少年を眺め始める。

ジェイルは目標の部位を確保すると、置いていた手拭を再び手に取り、そこ――膝に、そっと置く。
その動作を、左手だけで終えた手際の良さに、はやては何故か感嘆の息を洩らす――ジェイルはそんなはやての声を耳に入れながら、立ち上がった。


「――さて、と。どうだい?」

「どう、言われても……あれ?
何か、やけに暖かいっていうか……ほくほく?」


肌にそれが宛がわれた際、はやてが感じたのは熱――湯で濡らしたのだろう、とその程度にしか思っていなかったが、妙に暖かい。
時間が経つ毎に、外部からだけでなく、内部からも温められていると錯覚してしまうような感触が或った。


「生姜湿布、と言えば分かるかな?
はやて君が夕飯を調理している際、熱湯を使用しているのが見えてね。
丁度良かった為、その余りと冷蔵庫に入っていた生姜を利用させてもらったよ」

「へー……何やほくほくしてて気持ちええなぁ……お風呂入ってる時みたいな感じするわ」

「ふむ、まぁそう感じるかもしれないね。
ちなみに効能は様々或るが、こりの緩和や血行促進効果が主だよ。
感覚が或りながら、動かないストレス、こり――動かせない為、余り巡らない血。
君にぴったりだと思ってね」

「お婆ちゃんの知恵袋みたいやなー。
ジェイル君って物知り――……あ、もしかして気、使わせてしもた?」

「いや? 特には。
まぁ、夜風はその足には少々辛いかもしれない、と懸念していたのも確かだが、これも診察の一環だよ。
以前、言っただろう? 君が闇から夜天を見出せなかった時、そこへ至らせる翼を献上する、とね。
その一里塚のさらに一里塚だが、今出来る事はやっておきたかった――唯、それだけだよ」

「ん……?
まぁ――うん、ありがとうな。
コレ、凄く嬉しいで」

「礼には及ばない。
あくまで自分の為だからね」

「それでも、や。ありがとうな。
――っと、そういえば……この前も言ってたみたいやけど、闇とか夜天とか翼とかって何の事なん?
私がその内、飛ぶみたいな事言ってるけど……後々考えてみても、よく意味が分からんくてな」

「気にしなくていいよ――ああ、これも以前言ったか。
いずれ分かる、と言いたい所だが……。
そうだね――……願わくば、君が夜天へと飛び立つ際、その手助けが出来れば、とは思っているよ。
まぁ、それは予定外の事態が発生した場合、だがね」

「……やっぱり良く分からへんのやけど?
んー……なぁなぁ、ジェイル君。何で手助けなん?」

「何で、とは?
そこを疑問に思われるとは思っていなかったが、何が気になるんだい?
出来る限り、答えるよ」

「んとな、そのいずれってのが何時なのかは教えてくれそうにないから、取り合えず置いとくとして。
折角飛ぶんなら手助けじゃなくて、一緒に飛びたいなぁって。ほら、一人だと心細いし、怖そうやん?
それに――、」


――私ら、友達やろ?
友達と一緒に飛ぶんなら、安心出来るし、楽しそうやんか。


何の戸惑いも見せず、そう言いながら微笑むはやて――だからこそ、ジェイルは戸惑いを隠せず、返答に困り、迷う。
それが、数日前まで一緒に居た少女と同じ――そう、理由は定かではないが、そんな風に感じてしまったからだ。


(む、これは……少々、予定外だね)


状況こそ違えど、またもや深く関わりすぎてしまったのか、と。
昼頃言われたように、自重すべきなのかもしれない――尤も、そんな気はないが。
自分は自分のやりたいようにやるだけ――無限の欲望の赴くまま、だ。
しかし、まだこの段階だからこそいいが、調子に乗り過ぎれば後々巨大な弊害と為るかもしれない―― 一考しておくべきか。

ジェイルは取り合えず、そう自身の心へと軽く楔を打ち込むと、どう返答するべきか、思考と視線を巡らせ始める。
少年のそんな様子を不思議に思ったのか、首を傾げているはやて――それを他所に、数秒そうしていただろうか。
ふと、視界の端で動いた――と言うよりも、震えた細い糸が、ジェイルの気を留める――あれは、と。

何か思い至ったのか、一旦リビングへと戻るジェイル―― 一旦台所へと姿を消すと、何やら握り閉めながら、再びベランダへと。
左手に握られていたのは、少々大き目の透明な瓶――中身は何も入っておらず、空っぽだ


「んと、別に使ってもええけど……何に使うん? それ」

「虫の採集でも、と思ってね。
その内、洗って返すよ」


そう言いながら、はやての脇を通り過ぎ、先程視点を固定した場所――ベランダの淵と、壁が接触している地点へと向かい、しゃがみ込むジェイル。
さっ、とまるでジャブのように素早く左腕を突き出し、収め――突き出した際に掴んだ何かを、瓶に詰め、はやての居る場所へと戻って来た。


「……クモ?」

「正しくは黄金蜘蛛――コガネグモ、だね。これはちなみに雄だ。
美しい黄金の体色は雌特有のもので、雄は茶褐色、体長も雌に比べ5分の1程しかない為、非常に性別を見分けやすい。
尤も、私が知ったのは今日――月村すずか君に対するアプローチへのお預けを喰らっていた時だが」

「あー……あれって、図鑑見てたんか」

「ああ。
取り合えず、この国における大まかな生態系は網羅したつもりだよ。
外見、特徴、特有の生態等はね」

「ふーん、勉強家やなぁ……。
……ん? ていうか、どうしたん? 突然。
無性に虫捕まえたくなった、ってわけでもないやろ?」

「何、例え話をするには丁度良くてね」


例え話?、と首を傾げ始めるはやて。
もしかすると、自分が口にした疑問――闇、夜天、翼についてだろうか?
等、思惟を巡らせるが、それと蜘蛛に何の関わりが或るのか、皆目見当もつかなかった。
そんなはやてを尻目にジェイルは、――では、と切り出しながら、口を開いた。


「――はやて君、君は蜘蛛について、どんなイメージを持っているかな?
まずは、それを聞かせて欲しい」

「ん、んー……イメージ言われてもな。
足が八本或って、蜘蛛の巣張って、種類に拠っては益虫……くらいしか知らんよ?」

「そうではない、イメージだよ――好きか、嫌いか。
それだけで構わない」

「んなら……どっちでもない、やな。
犬は飼いたい思うけど、蜘蛛はちょっとなー。
かわいいとは思わへんし、突然目の前とか出てこられたらびっくりするし」

「そうかい。それは良かった」

「……ん? 何が?」


ジェイルははやての返答に、少々満足感を得たような様子で、苦笑のような嗤いをくぐもらせた。
何か面白い事を言っただろうか、と困惑するはやてを他所に、少年は話を続ける。


「嗚呼、そうだ――それでいいのだよ、八神はやて君。
君はこんな地を這い回る事しか出来ない存在に対し、興を傾けてはいけない。
好きも嫌いも、感情の起伏に変わりはない――故に、そう、今君が言ったように、どちらでもない――興味がないが、正しい。
それこそ、私の求める答えだよ」

「えっと……?
よく意味分からんのやけど、ご期待に沿えたようで良かった、でいいんか?
ていうか、何が言いたいん?」

「では分かりやすいよう、少々或る男の昔話――まぁ、私の話をしようか。
敗北者と為り、地に堕ち、見上げるは空――それが、私だ。
幾ら手を伸ばそうとも、糸を伸ばそうとも、天に届く事はない――それが、蜘蛛。
私はね、似ている――いや、まさに蜘蛛なのだよ。罠を張り巡らせ、糸や縄を使役する特徴も合致する。
そして未だ羽ばたいてこそいないが、君は翼持つ者だ。
私――ジェイルは地を往き、君――八神はやては天を往く」

「……ごめん。
分かりやすいように言ってくれたんかもしれんけど、意味分からん」

「君と私は違う――返答だよ。
君が私を友、と。そう口にした事に対する、ね――ここまで言えば分かるだろう?
次いで言えば、はやて君は、恐らく勘違いしている。
君自身が口にしていた通り、ジェイルと言う蜘蛛が突然目の前に現れた為、驚き、混乱している――友と思い違いしている。
落ち着いて考えてみたまえ。
私の何処に、君が友と思える要素が或る――鑑みるに、無い、そう思うよ」


――あの目は、嫌悪の眼差しは、嘘偽り等なかった筈だ。
と、かつての世界での彼女を思い出しながら、ジェイルは胸中でそう呟き、口を閉ざした。

話はここで終わり。そう言わんばかりに、戸惑い気味なはやてを尻目に、それきり言葉を紡ぐ事をしない。
少年は別段、少女の返答を待っているわけではない――これは一方的な独白、拒絶の意思の表れなのだから――友達には為れない、と。

えと、その……等の助動詞を口にするはやて――少年の言葉へ思索する毎に、表面上だけでなく、内心でも戸惑いが占有し始めていた。
分かりたくないが、分かってしまう――少年は自分の事を友人だと思ってくれていないのだと。

こうして顔を合わせたのも未だ二度目――そんな僅かな期間で、友達だと想った自分がおかしいのかもしれない。
昔は兎も角、現在、自分には友と呼べるような人間は存在していない――故に焦ってしまい、何か間違ってしまったのか、と。
友達が居ない――だからだろうか? 無理にでも欲しい――等、考えていた事は決して否定出来ない。

先程の自分の言葉――友達と言ったのは、頭で考えてから口にした訳ではない。
自然と、それが当然で或るかのように、口にした――それが、自分が目の前の少年を友達だと思っている何よりの証拠だろう。

ただ、欲しかった――独りは、寂しいから。
だから、嬉しかった――やっと、友達が出来た、と。
もう独りじゃない――そう、思った。

それを――拒絶された――されて、しまった。


「――さて、その湿布の効能も頃合だ。
過度に施せば、悪影響を及ぼすからね。
しかし、今後も続けていれば、病状は兎も角として、体調は幾分かマシに為る筈だ。
作り方、注意点を帰る前に教えておこう」


はやてに例え話――友達には為れない、と説明する為に捕獲した蜘蛛――ジェイルは、それが内包された瓶を手に取る。
纏まらない、揺らぐ思いと視点――半ば呆然としながら、はやては唯それを眺めていた。

[ 頃合 ]――[ 帰る ]。
言葉の意味は当然、理解出来る。
だが、今のはやてには、それ以外の言葉にも聞こえ、深読みしててしまう――[ これで終わり ]――[ さようならだ ]、と。

背を向けようと踵を返そうとするジェイル――視界から消えていく蜘蛛。
もしも少年が言うように、蜘蛛イコール彼、なのだとすれば――そう思った時、


「――……つ、連れて行くからっ!!」


――はやては、自然とそう口にしていた。言わずには、いられなかった。

足を、踵を返そうとしていた動作を一旦止め、ジェイルは不思議そうにはやてを見返す。
潤んだ眼球――少年を捉えて離さない目――まるでそこに引力が或るかのように、少年の視線が吸い寄せられていく。


(何を――、)


――言っている?
連れて行く? 何処に? 等、疑問が多々浮かぶ前に、連想したのは一人の少女――高町なのは。
今日、何度目になるだろうか。

あの時とは状況も、口にした言葉も、人物ですら違う。
加えて、力とでも言うべきか――今、自分に向けられているものは、あの時よりも強く、固い。
それでも同じだと思ったのは、ふと、感じたからだ――その先に、同じものを見ているのではないか、と。

それが分からないからこそ、表面上は兎も角ジェイルは混乱した。
しかし、返答が出来ない事こそ、何より戸惑っている事の証拠――はやては、言葉を続ける。


「……蜘蛛なら、糸が或る。
私が飛ぶってのは信じられへんけど……けど私、まだ飛んでないんやろ?
お空さんに糸届かなくても、今の私になら届く筈や。
それなら、一緒に飛べる――私が、連れて行く」

「……飛ぶというより寄生だよ、それは。
何より、私はそれを望んでいない」

「それは、嘘や。
自分で言ってたやんか――幾ら手を伸ばそうとも、糸を伸ばそうとも、天に届く事はない、って。
伸ばしてるんやろ? 見上げてるんやろ? ――それ、私には[ 行きたい ]言うてるとしか思えへん」

「――――」


――違う?、と。
視線でそう語り掛けるはやて――全て伝え終えたのか、ジェイルを見たまま口を閉じる。

二の句が告げられない――赤い色彩が白くなる程、ジェイルは下唇を噛み締める。
掘ったつもりもない墓穴――掘った事ですら気づいておらず、転落までしてしまった。

伸ばそうとも、伸ばそうとも――確かにそう言った。
言質を与えてしまったと言い換えてもいい――この世界に降り立ってから、間違いなく二度目の失言だった。


「――……6月、4日」

「……何だね、それは」

「私の誕生日や。
他に祝ってくれる人が居ない、とかそんな理由やない。
友達――ジェイル君に、来て欲しい。来てくれたら、嬉しい」

「…………そうかい」

「……嫌?」

「嫌、では……ないよ」

「……うん。
じゃあ、待ってるから」


嫌だ、と。
完全に拒絶出来なかったのは、揺らいだからだ、突き放せなかったからだ――友達、その言葉が。

いけない、これではいけない、と。
こんな一歩目で躓くような理想ではない――生命操作及び創造技術の完成は、夢は、その程度ではない。
愛する娘達を――愛しい作品達切り捨ててまで選んだ道なのだから。

だからこそ、一蹴するべきだ。
五月蝿い、鬱陶しい、煩わしい――付け入る隙等皆無な程、拒絶するべきだ。

その、筈なのに――


「――……風が、冷たくなってきたね。
そろそろ、中に戻ろうか」


――ジェイルはそう、口にするのが、精一杯だった。




















――にゃぁ、と。

耳に覚えたその声が、五月蝿くて、鬱陶しくて、煩わしくて、苛立って仕方がなかった。








[15932] 第10話 歪曲した人為――善悪の天秤
Name: 梅干しコーヒー◆8b2f2121 ID:af37fdb2
Date: 2010/03/20 23:03




月と星、団欒と談笑が照らし出す住宅街を、一つの人影が歩いていた。
着衣は背広。それに加え、整えられた髪型と姿勢――サラリーマン、ビジネスマン等の印象をまず受けるだろうか。

人影の少なくなった歩道を暫く行くと、男性はある一軒家の前で立ち止まった。
門の前で一旦手持ちの荷物――家族へのお土産を満足そうに、楽しげに眺めると、漸く敷居を跨ぎ、我が家へと。

――おかえり――ただいま、と。
いつも通り、玄関先で決められたやり取りを交わすと、男性は手荷物をこれ見よがしに掲げながら、家屋へと入っていく。

今日まで、幾度となく繰り返してきた日々の一ページだが、飽きるような事はない。
このひとコマと、家族との憩いや食後の晩酌、その為に生きていると言っても決して過言ではないだろう。

晩酌の際に自分の飲み過ぎを咎める妻を想起し、苦笑しながら玄関を後ろ手で閉める男性――ありふれた日常が、情景から切り取られ、消えていった。


「…………」


少年はそよぐ夜風で髪を揺らしながら、遠巻きにそれを眺めていた――立ち位置と心、感情や機微は既に脇へ除けている。
思索でもしている最中なのか、既に終了した一幕――つい先程までそれが或った場所から視点は動かない。


(……私も、ああだったのかもしれないね)


ジェイルは目を細めながら胸中でそう呟くと、一点に留めていた思考と足を再起動――踵を返したのは、目を背ける為だろうか。
背ける――背徳感、か。感じた事等無いが、この感情はそれなのかもしれない、と付け加えその場を後にしていく。


(……今――いや、未来か。
そこで君は何を思い、想っているのだろうね。
何を、見上げているのだろうね?)


問い掛けるように、郷愁の念を滲ませながらジェイルは、遥か上空へ視線と情を傾ける。
燦然と輝く月よりも、瞬く星々よりも、幕の降りた夜空の方が感情の発露を誘発するのは、夜の空――それ故にだろうか、と。
そう感じながら、過ぎった追慕を振り返ってみれば、やはり描かれるのは一人の女性――何時如何なる時も傍に居た女性。

開演は一より、幕引きは十二。至高の、最強の作品達――愛しい十二の娘達。
その中でも、最も共に歩み、最も身近で、最も愛した一の娘――始まりの女性。


(――……恨んでいるかな?それとも、怨んでいるのかな?
君を置き去りにした私を、どう思っているんだい?
なぁ――、)


――……ウーノ。


ドクター、と懐かしいそんな応えが聞こえた――気がするのは、それ程までに――幻聴を誘引する程に、思い入れが或ったからだろうか。
いや、或ったではなく、或るの間違いだろう。
起点こそ他者から――二人の少女からだが、紛れも無くこれは自分の吐露であるのは疑う余地も、その気も無い。

敗者には敗者の吟持が或る――三番と七番はそう言って、法を司る舟の手を拒んだ。
地上の人間達に譲歩するという発想がない――四番は嘲笑しながら、管理局を見下し拒絶した。

四番――クアットロの考えと価値観は、自分と差異が無い。殆ど、同じだ。
自分と同じ理由で、局の誘いを断っていた経緯は幽閉中の身にも聞かされていた。

地上の人間達に譲歩する発想がない――それは、自分も全面的に同意だ。
只、一つだけ異なったのはその終着点だろうか。
娘は見下し、自分は見上げた――天を、空を、彼女達三人の美しさを。

空を見上げるのは地上に居るが故に。
地に堕ちた今の自分を見れば、クアットロは卑下し、失望するだろう。

ならば、今、自分の心の坩堝の中心となっているウーノは、何と言うだろうか?
スカリエッティに付き従う事以外に生きる理由は無いから――ウーノはそう口にし、局に歩み寄る姿勢等皆無だったと聞かされている。


(…………最も身近で、最も愛し、最も傍に居た、か。
一般見解で結論を導くならば、怨まれて当然だね。
私は、ウーノを最も愛し――最も、裏切った)


ジェイル・スカリエッティの傍に居る事こそ、生きる目的で或り存在理由――そうか、何よりだね、と自分の返答はそれだけだった。
それが当然と思っていたからだろう――大事なモノ程、失ってから気づくとはよく言うが、これがまさにそれなのだろう、と。

幽閉帰還中、彼女は自分の傍に居る事はなかった――出来なかった。しかし、極僅かに、極低だが、まだ可能性は或った。
それを自分は別の世界に、過去へと逆行した事で、切り捨てた――もはや、邂逅する事はない。可能性は、零。

ジェイル・スカリエッティの存在理由を否定したのが管理局ならば――ウーノの存在意義を否定したのはジェイル・スカリエッティだ。
加え、[ スカリエッティ ]と言う名もほぼ捨てた――今の自分は、唯の[ ジェイル ]。
もはや、裏切り以外の何物でもない。


(……私らしくもないね。
しかし、だからこそ、私の中で彼女達――なのは君とはやて君の存在が大きいのだと理解出来る。
この問いは、二人から齎されたものだ――その答えを、知っておきたいね)


高町なのは、フェイト・テスタロッサ・ハラオウン、八神はやて――現在、ジェイルの興味を惹いて已まない三人の女神。
自分を敗北者足らしめた強さを――強さの理由、経緯、意味をその身に宿す他ならぬ観察、実験対象。

約8年間もの地獄の最中――無為な日々の中、全ての関心の矛先は彼女達三人への狂おしい程の思惟と為った――信仰とも言えるだろうか。
にも関わらず、理解出来なかった――答えを得る事は叶わなかった。

だからこそ、それを知る為に文字通り命を掛けて時を遡ったのだ。
正直な所、そう簡単に獲得出来るとは思っていない――言い換えれば、故に価値が或る、と断言出来る。

それ程までに集約された欲望――その切っ先に座す少女から齎された問いだからこそ、理解したい、とジェイルは逡巡する。
高町なのはは、家族の何かを。八神はやては、友の何かを――その、[ 何か ]に居座る答えが、欲しい。

何度も、何度も――繰り返し、繰り返し。
堂々巡りする思考の中で――通過していく脳裏の中で、一つだけ確かな面影が或る――やはり、と言うべきか。
幾度も振り向いた先――心のフィルムには、ウーノが、居る。


(……私は、寂しいのかもしれないね)


会いたい、と。
二人の少女が原因で或る事は分かりきっているが、それらを他所に置いても、呟いてしまうかもしれない。
重い想い、狂おしく、切なく軋む――が、そう思う反面、手放したいとは思えない。


「――……まぁ、いい」


答を導くには、余程の時間を要するに違いない――焦る必要性は余りないだろう。
ジェイルは、そう半ば放り投げるような結論を胸に落とすと、知らず知らずの内に止めていた足を、前へと踏み出した。

からから……、と。
片手で支えながら押している自転車――損傷した車輪から悲鳴のような音色が揚がり、反響するのは、当然、痛んでいるからだろう。
痛んでいるのは――車輪か、心か。或いはその両方かもしれない、と。

住宅街を数度、立ち止まりながら歩く事暫く。
時計の針は進んだが、歩みは左程進んではいなかった――それ程、思惟に耽っていた為だろうか。
人目に付かない場所――人影の無い公園を適当に見繕い、ジェイルはポケットから小型の端末――譲渡された品を取り出し、口を開いた。


『――プレシア君、聞こえるかい?』


端末を経由し、念話を繋いだ相手は、協力者と為った女性――プレシア・テスタロッサ。
呼び掛けてすぐに反応はなかったが、ジェイルが沈黙を携えて暫く待っていると、数拍置いて聞こえてきたのは気だるそうな声。

付随するように、咎めるような、苛立つような雰囲気――やれやれ、と。
念話越しでも届くそれに対しジェイルは、反省していない事を胸中で被りを振って表していた。


『――……遅いわよ、何してたのかしら?
……まぁ、いいわ。遅くなるって連絡くらいはして欲しかった――それは言わないでおいてあげる』

『本音が口から洩れているよ、プレシア・テスタロッサ。
悪いね、すまなかったとは思っている。
時を忘れる程夢中になっていた――その言い訳を口にするのは止しておこうか。
君の雷は、私には少々強烈過ぎるからね』

『釈明が口から洩れているわよ、ジェイル・スカリエッティ。
私の雷は精々、言い訳を口にする舌を焼くくらいしか出来ないわ。安心なさい』

『くくっ……それは実に安心出来るね。
余り甘やかされると、夜しか眠れなくなってしまいそうだ』

『夜眠れれば充分よ。まぁ、寝首を掻かれないように気をつけなさいな。
――それより、何の用かしら? 用件なら、戻ってから聞きたいのだけれど?』

『ああ、その事か。
生憎と私には君やフェイト君程、魔力に余裕が或る訳ではないのでね。
簡易デバイスに転送魔法をインストールしてくれた事はありがたいが、行使には少々疲労が祟ってしまう。
拠って、緊急時以外は使用を控えたいのだよ――迎えに来てくれ、ということだ。
フェイト君を寄越してくれると、嬉しさで発狂してあげよう』

『もう狂っているでしょうに……まぁ、いいわ。
お望み通りフェイトとアルフ、向かわせてあげる。そこなら、5分も掛からないわ。
戻ったら、今後の方針を決めたいのだけれど、いいわね?』

『ああ。
では、頼むよ』


ええ、とプレシアが無機質な相槌を打つと、切れる念話――ジェイルはそれを確認すると、簡易デバイスを懐へと。
案外、せっかちなのかもしれない。プレシアへの印象にそれを付け加えながら、公園内のベンチへと。
改造自転車はその脇に。片手では駐輪するのが億劫に感じてしまった為、腰掛けた場所を支えに立て掛けた。

今後の方針――というより、取引内容。
言うまでもなく、自分が提示する代価は、12の願いの欠片。
見返りとして、テスタロッサ一味には、自分の身の安全を保障及び、時空管理局との敵対時に矢面へと立ってもらう事を予定している。

残された時間は一週間程――短くはないが、長くもない。しかし、準備期間としては充分事足りるだろう。
その間に、せめて己の身を己で守れるくらいの道具は確保しておきたいね、と――、

――そこまで、思索した時だった。


「――――……む?」


体を預けていた背もたれから、怪訝な色を浮かばせながら、ジェイルは上体を起こす――感じたのは悪寒だ。
そこだけ周囲の風景から切り貼りされたような、奇妙な違和感――それは、地面から急に生えてきたかのように、前触れもなく、そこに居た。


「――――君に、聞きたい事が或る」


そう言いながら、闇夜の中から現れたのは一つの人影――仮面の、男だった。



















【第10話 歪曲した人為――善悪の天秤】



















暗く帳の降りた街中を駆ける二つの影――少女と小動物は、形振り構わず疾走していた。
肩を上下させ、荒い息遣いを気に留める事なく、呼吸器官が要求してくる酸素を無視し、走り続ける少女――高町なのは。
そんな少女を心配そうに見上げながらも、声を掛ける事はせず、離されないよう追い縋る小動物――ユーノ・スクライア。


(――はぁっ、はぁっ……!!)


なのはは思考域でも息苦しそうに喘ぎながら、つい最近覚え始めたマルチタスクを行使し、目的地付近への地図を脳内で広げる。
行き先は中丘町――そこに居るであろう少年――ジェイルだ。

偶然と偶然が重なり、定めた目的地――それを齎したのは、親友と姉。
親友――月村すずかが訪れた風芽丘図書館――そこで、夕方頃、ジェイルと出会った、そう言っていた。

公共施設は基本的に、定時を迎えれば門を閉ざす。図書館も、その例には洩れない。
今日はもう諦めるしかないのか――そう、考えた矢先だった。

――そういえば、帰りにジェイル君見たよ、と。
夕飯中、姉が口にした一言が、諦めかけていた思考を海面へと浮上させた。

姉――高町美由希が通っているのは、私立風芽丘学園だ。
場所を聞き出せば、中丘町で見掛けたらしい――左程時間は経過していない、まだその付近に居る可能性は高い。


『……なのは、大丈夫?』

『ぜ、全然大丈夫っ』


遂には足が縺れ始めたなのはを見て、声を掛けられずにはいられなくなったユーノは念話で声を掛ける。
念話にしたのは、喋るのも辛そうだ、と感じたからだ。

聞こえてきた声色が孕んでいた気遣いを鑑み、一旦荒くなった呼吸と逸る感情を抑える為、上半身を前へ傾け、膝を両足で押さえてなのはは立ち止まる。

早く行かなければ、恐らく間に合わない。
そう考え、夕飯を途中で抜け出しここまで来た――朝の二の舞は、御免だったからだ。

整ってきた呼吸と、巡り迷っていた思考が落ち着いて来ると、なのはは顔を上げる――瞳から放つ意思は、固い。

価値観の違い。
その答えは未だ獲得出来ていない――いや、分かった事ならば一つ或る――[ 分からない ]の一点は痛いほど分かった。
幾ら考えても、幾ら思っても分からないものは分からない――ジェイルと自分は、違うのだから。

「押し付けの価値観等、分かるはずがないだろう?」、と。
悩み、迷った末に痛感したのは、自分はジェイルの事を何も知らない――それだけだ。

だから、これから知っていこう――答えは、それから見つけよう。
押し付けない、強要等しない――答えは、それでは出ないと思うから。
見つけ方も、これから探そう――答えは、それから見つけよう―― 一緒に、見つけよう。


(――ジェイル君に……伝えたい事が、或るんだ)


そう決意した言葉を胸に抱きながら、少女は再び駆け出す。
伝えたい事が、或る――何度も呟きながら、前へ、前へ、と。




















「――――……ふむ、嫌だね」


突如現れた仮面の男――その些か異様な風貌を念頭に置き、第一声を脳内で反芻した結果、ジェイルの出した結論は、拒絶だった。
返答、と言うより、感想だ――趣味が悪い、と言うより、汚い――素顔くらい晒せ、と。
ジェイルはそんな意味合いを込めながら、仮面の奥を睨みつける。


「君に拒否権はない」

「ならば黙秘権でも行使しよう」

「……それも、ない。
君が負っているのは、権利ではなく義務だ」

「最初からそう言いたまえよ。回りくどい。
尤も、私は義務など放棄してこそのものと思っていてね。
まぁ、そんなものは何の意味も為さないと云う事だよ」


言いながら、ジェイルは懐の簡易デバイスを起動させる――が、すぐに内心で舌打ちを交えてその行動を已める。
或る程度予感、気づいていたが、念話が遮断されている――恐らく、現れると同時に封鎖領域を展開されている。
そこから導き出されるのは、自分では到底敵わない相手だと云う事――気づきこそしたが、直前まで気配等全く感じなかった技量は脅威だ。


(――……まぁ、不幸中の幸いか。
じきに、フェイト君と使い魔が到着する。
それならば、何とかなるだろうし、ね)


彼女達が到着するまでの予定時間は5分程――向かう先、自分の周囲が封鎖された為、既に異変を感知している筈。
急行している筈――だが、問題は結界内へと入り込む手間と時間が或る為、それ以上に遅れる可能性を考慮しておこう、と。
取り合えず、時間を稼がなければ。そう方針を確定し、ジェイルは仮面の男の言葉を待った。


「……聞きたい事は一つだ。
ここから立ち去り、二度とこの世界の敷居を跨がない――それとも、暫くの間囚われの身と為るか――選べ」

「ふむ……ならば、私からも質問だ。
君は――」

「――選べ」


――ちっ、と俄かに悪態をついたのは、そうせずにはいられなかったからだ――拙い、と。
会話で時間を稼ごうと考えていたが、相手はそれをする気がない――先ず、前提が成り立たない。
引き伸ばすモノが、ないのだから。八方塞り、と言うよりも、一つしかなかった出口を完全に閉じられている。

砂利を踏みしめるような足音――カウントダウンに聞こえたのは、逃げ道が見出せないからだろう。
仮面の男は、ゆっくりと、一歩一歩ジェイルへと詰め寄っていく。

数分――数分で良いのだ。
それだけ稼げば、フェイトとアルフが到着する。
会話は潰された――ならば、手段はもはや闘争しかない。
が、直感してしまう、理解出来てしまう――それは、無理だ、と。


「さぁ、選べ――去るか、幽閉か。そのどちらかを。
前者ならば、君の身の安全は保障しよう。
後者ならば、暫くの間、不自由を強いる事に為る――どちらが君にとって、我々にとっても良いか、分かる筈だ」


聞きたい事等その実、皆無――これは、判決で或り宣告だ。
どちらを選択するか?――自問自答するまでもない。
解答等、決まりきっている。

この世界から去れば、三人とは乖離してしまう――除外。
何時までかは分からないが、幽閉等、そんな余裕はない。既にPT事件は始まりを迎えているのだから――排除。
簡単な事だ――どちらを選んでも、自分の夢は、志半ばで朽ち果てる。

どちらも選ぶつもりはない。
しかし、この場を切り抜けなければ、どちらにせよ理想は霧想に堕ちる。

故に、ジェイルは――賭けに出た。


「――……分かった。
従おうではないか」

「では、選べ」

「ああ、選ぼう――だが、これは私の存在理由に抵触しかねない事でね。
後々後悔しないよう、良く考えて解答したい。
嗚呼、時間と手間は取らせないよ?
只、そうだね……理由が欲しい――何故去らねばならないのか、何故幽閉されねばならないのか。
その理由を聞かせてもらえれば、素直に為ろう」

「…………」


――どうだい?、と。
あくまで余裕を見せながら、ジェイルは作り微笑を面に浮かべ、賭けの結果を待つ。
仮面越しでは、どんな表情をしているかは伺えない――だが、先程のように一方的な宣告ではなく、考え込むような仕草。
その挙動が、取り合えずは一命を取り留めた、とジェイルの心に僅かな安堵と、光明を垣間見せた――甘い、と。

従う等口にしただけ、文字通り口先だけだ――もしも自分が従うとすれば、自分の欲望以外には有り得はしない
嘘――そう思われようが、一向に構わない。三人の少女達以外にならば、呼吸をするように嘘を吐ける。

賭けの矛先、対象は、男の矛盾した行動に他ならない。
そもそも、選ばせる必要がないのだから――此方に選択肢を提示する理由等、皆無なのだから。
問答無用で捕らえれば良いだけ――それが出来る程の実力を持っているのは、戦闘者ではない自分でも感じ取れる。
自分の身柄を確保した後でいい――開放するか、否かを突き詰めるのは。
確保していれば、煮るなり焼くなり好き放題――男が提示した条件の内、後者を為す事に転んだ場合、そのまま幽閉すれば事は足りる。

ならば、何故それをしなかったのか? ――欲しかったのだろう、免罪符が。
もしも、自分が前者――この世界の敷居を跨がない――それを誓い、その後裏切った時への布石、只の言い訳。
[ 誓いを違えたお前が悪い ]とでも言うつもりなのだろうか。

未だ仮説の域を出ないが、男の行動を鑑みる限り、最もこの可能性が高い――どうやら、仮面は二つらしいね、と。
ジェイルは男の着けている装飾の無い仮面と、偽善と言う名の仮面を重ねながら、返答――賭けの結果を待ち続ける。


「――良いだろう。
極秘事項の為――いや、詳細は説明する必要は[ 無い ]か。
私は或る任務に従事している――それを果たす為、君にはこの世界から去ってもらいたい」


賭けに勝ったかどうかはまだこの段階では定かではないが、取り合えず乗りはしてくれたか、と。
後、少し――未だフェイトの存在を感知していないのならば、賭けに勝てる。
半ば祈るように、少しでも話を引き伸ばし、情報を引き出す為、ジェイルは思索と疑念を以って口を開いた。
[ 無い ]と、そこに僅かな違和感を禁じ得なかったが――まぁ、些事だろう、と付け加えながら。


「任務かい? ご苦労様、とでも言うべきかな?
まぁ、極秘と念を押す位だ。詳細は聞かないでおこう――だが、足りないよ?
その程度では、私は決して納得しない」

「――八神はやて」

「……む?」

「私の任務の最重要項目は彼女の監視だ。
そして君は彼女に、深く関わり――知り過ぎている。
だからこそ、こうして取りたくも無い手段を取っている」

「監視の為と、知り過ぎている為――それが理由かい?
はてさて、思い当たる節が無いのだが?」

「言っただろう、[ 無い ]と。
君と八神はやての会話は、此方でもチェックさせてもらっていた。
闇、夜天、翼――それは、君のような子供が知っていい事ではない」

「…………成る程、ね。
最後に一つだけ聞こうか――君と、時空管理局の関わりは?」

「所属している。
詳しい配備先は口外出来ない――、」


――さぁ、答えを、と。

鋭さを増し、仮面越しでも感じ取れる程の敵意を現出させ、一方的な通告を突きつける男――管理局か、とジェイルは内心で唾を吐く。
正義を声高に語りながら、やっている事は、儚く脆弱な少女――八神はやての、監視ではないか、と。

そして、監視――[ 無い ]と、目の前の男はそう言った。


(――……視られて、聞かれていたか。
やれやれ……悪趣味にも程が或る――嫌悪の念は禁じ得ないよ)


それが示すのは、今日一日、自分と八神はやてが共に居た時間を、知らず知らずに犯されていたと云う事。
ジェイルにとって元々嫌悪、不快感の塊で或る時空管理局――仮面の男が視界に存在し続けている事でさえ、苛立ちを加速させていく。

同時に、何故甘いのか。それに説明がつく。
自分を殺す、と最も手っ取り早い手段を口にしなかったのは、管理局――それ故にだろう。
時空管理局は、犯人等を捕縛する事が目的で或って、殺人は犯さない――自分を生み出した老人達は犯していたが、アレは例外だ。

そして、それが――甘い、と。
だからこそ、自分のような人間に付け入られる――この場を切り抜ける術は、得た。


(――まぁ、いい。
このような些事、さっさと終わらせてしまおうか)


甘いが故に、信じてしまう――自分の、嘘の誓いを。
それを破られない為に小細工――自分の体に魔の鎖や、罠を仕掛けて置くのは明白――そして、安堵する。
他の人間ならばそれで通じるが、ジェイル――生命操作、人体改造等における最高の存在には、そんなものは通じない。
解除する術も、摘出する術も、自分にとっては湯水のように沸いてくるのだから。

――さて、取り合えずこの場は、と。
誓い――八神はやてに近づかない、関わらない、を誓約しておけば何とか切り抜けられる。
こんな素顔さえも晒さない管理局の犬に対し、誓う必要も、それを守る義理もない。

今後、八神はやてに関わらない――それを、確約すればいい――偽善の仮面には、嘘の仮面を。
嘘の誓いを――口にすればいい。
自分が嘘を吐きたくない――吐かないのは、三人の女神に対してだけなのだから――、










――……うん。
じゃあ、待ってるから。










――過ぎった声は、どうしようもなく――儚かった。










「――……早く、選べ」

「――嗚呼。
何だ……もう、誓っているじゃないか」


ジェイルは言いながら、幽鬼のように立ち上がり、一歩一歩踏み締め歩き出す――視線と向かう先は、仮面の男。
互いの息遣いが聞こえてくる程の距離まで進むと、仮面の奥を睨み付けながら、口を開いた。


「――誓おう」

「……そうか。ならば、早々に――」

「6月4日――その日、私ははやて君の下へと、往く」

「……何?」


仮面の男を中心に、一気に膨れ上がる敵意――それはもはや、殺気と呼んでも差し支えない。
それが膨張していく毎に、比例して加速していくのは、ジェイルのくぐもった嗤い――孕んでいるのは、侮蔑と怒り。

漸く、言葉の意味――誓わない、それを認識したのか、仮面の男は、すぐ目の前に或ったジェイルの胸倉を掴み、持ち上げる。
くくっ、とジェイルの嘲笑は、それでも尚止まらない――寧ろ、より一層込められる情は巨大に為っていく。


「……聞き間違いか? 誓わない、と聞こえるが?」

「ああ、聞き間違いだよ。
私は誓ったからね――他ならぬ、八神はやて君に。
偽善の仮面を被った輩に誓う言葉等、持ち合わせていない」

「偽善、だと?」

「己が正義だ、とでも思っていたのかね? ――死んでしまえ。
正義と云う言葉に対し、無礼にも程が或る。
君の掲げる正義は、善でも、悪ですらない――酷く滑稽で、弱く、脆い。
――嗚呼、こういうものをウケ狙いとでも言うのかな?
だとすれば百点満点をあげなければね――、」

――くくっ……!! くははっ……!!、と。
ジェイルは瞳を、瞳孔を狂ったように見開かせ、嗤い、哂う――狂人、と誰もがそう感じる程、それは酷く歪んでいた。
仮面越しでは、男の表情は伺えない――が、苛立ち、それだけは隠しようもなく染み出していた――狂っている、コイツは、と。


「…………何が、可笑しい」

「くははっ……!! くくっ……!!――、」

「…………黙れ」

「――アーッハッハッハッハッハッ!!」


――めきり、と鉄板に杭を無理矢理打ち込んだような、人体から発生するには少々不可解な音――打ち込まれたのは、男の拳。
同時に、くの字に折れ曲がるジェイルの体。
少年の口元からは、胃液と内容物が交じり合った汚物が零れ落ちる――嗚呼、勿体無い、折角のはやて君の手料理が、と。


「これが最後だ――選べ」

「ぐっ……――く、くくっ……!!
それだよ、それが偽善だ――選べ? 取りたくも無い手段を取っている?――やはり、薄いね。
正義を為すならば、選ばせるな。取りたくないのなら、取るな。蹂躙しろ、一方的に。
正義が勝つのではなく、勝った側が正義――それすら躊躇う弱者には誓う言葉も義理もない」

「……何が言いたい」

「誓うのは貴様の方だ――去れ。
二度と、この世界に関わるな。二度と、八神はやてに近寄るな。
故に、私は私にもう一度誓い、契りを掲げよう。
6月4日――その日、私は八神はやての下へ、往く。
私は――、」


――八神はやての、友達だ。


揺らぎ、迷った――生命操作、創造技術は、夢はこんな所で彷徨う程度の理想ではない、と。

それは、合っているようで、違う――揺らいでこそ、この世界に降り立った甲斐が或るのだから。
何の障害も越えず、何の弊害も踏破せずに天へ座した所で、価値等ないのだから。

故に、彼女達を理解したい――今まで知らなかった、おとぎ話の始まりと続きを。
家族、友――取り入れよう、試してみよう、この感情を、情念を、全てを。
揺らごう、迷おう、彷徨おう――それを乗り越えてこそ、知ろうと願った強さ――行き詰った生命操作、創造技術は光を放つ。

故に――八神はやての、友と為る。

それが、ジェイルの導いた――答えだった。


「…………残念だ――、」


言葉尻に、何か付け加える仮面の男――それと同時に、ジェイルの視界に或った仮面が、ブレた
離された手、僅かな落下感を感じ取り、着地する為、ジェイルは足へと意識を寄せる。

しかし、いつまで経っても足場を認識出来ない。
何故?、と疑念を抱いた矢先――異常に横伸びしている景色が視界に映る―― 一方通行の浮遊感が、体を犯していた。


「――――ア゛」


声が出ない――ジェイルがやっとの事で搾り出したのは、声に為らない呻き。

――何かに衝突し、何かに激突し、何かに突っ込んだ――痛い、と言うより、感覚が無い事が気持ち悪かった。


(――な、何が……起こった?)


自分の体を包んでいるのは、生い茂る緑、公園脇の植え込み――突っ込んだのは、コレか、と。
髪に纏わりつく土埃と、少々削られた地面――からから、と渇いた音を鳴らす、慣れ親しんだ自転車が倒れ、凹んでいる。
その先には、片足を振り抜き、後動作を終えようと、それを地に下ろそうとしている仮面の男――それが、映った。


「――がっ……ふっ……!?」


血――と言うより、血糊。
混じりきれていない半固体と、赤い液体を吐瀉し、ジェイルは呻き声を揚げる。
出来の悪い料理のようなそれは、ジェイルの意思に反し、口元から零れ落ちると、地面に赤い水溜りを作り、広がっていく。


「――ア゛ッ……!?」


上半身、胸骨付近に、灼熱の焼鏝を突き刺されたような違和感――呼吸が、困難過ぎてしょうがない。
人体の構造に詳しすぎるが故に、それだけで理解してしまう――折れた、刺さった――肺に、肋骨が、突き刺さっている、と。


「――お前は、知り過ぎているが、理解していない」


明滅する意識と視界――男の声を耳に入れながら、ジェイルは前のめりに崩れ落ちる。
起き上がらねば――しかし、上半身を叩き起こそうとすればするほど、口からは悪態の溶け込んだ朱の水が零れていく。


「ぐっ……!!」


男は心底鬱陶しそうにジェイルの襟足を乱暴に掴み、強制的に体を引き起こす
みちみち、とジェイルは体内からそんなノイズを覚え、思わず呻き声をあげてしまう。
痛みと、体内を攪拌されるような悪寒が駆け巡り、思考も言葉も続かない――ジェイルのそんな様子を見ても、仮面の男は言葉を続けた。


「闇の書を――その恐ろしさを知らないからそんな事が言える。
アレは、或ってはならないもの……何を犠牲に払ってでも、封印しなければいけない」

「……私、が……知った……事、では――」

「――アレが引き起こした悲劇をその目で見れば、そんな事は言えない」


男の言葉の節々に感じたのは、悲しみ――憤りだろうか、と――しかし、そんな事はどうでもいい、とジェイルは切り捨てる。
痛みによってギリギリのラインで支えられた思考が、捉えたのは[ 犠牲 ]の一言。
考えるまでもない――今現在、その犠牲に為っているのは――、


「……犠牲、とは……――」

「闇、夜天、翼――そこまで知っているのならば、分かっているのだろう?
そう――、」


――八神はやてを犠牲に、世界を救う。

男はそれきり、口を閉ざす――これは決定事項、しょうがない事なのだ、と。
ジェイルは男が仮面の奥で、そう言っている気がした。


(……嗚呼――、)


――今、分かった。

こいつは、敵だ――相容れる事も、理解し合う事も決してない――虫唾が走る。
そう胸中で呟きながら、ジェイルは男が放った言葉を反芻する――それに拠り齎されたのは、自分がどうしようもなく覚えた激情の、答えと把握だった。

体中を犯す痛みも、熱さも、悪寒も、今はどうでもいい――嗚呼、そうか、と。
脳髄が沸騰する――感情の山々が噴火する――嗚呼、そうか、と。
開く事さえ億劫な口――それを捻じ伏せてでも、宣言しなければならない――嗚呼、そうか、と。


自分は今―― キレている。


「――巫山戯るな」

「何も、巫山戯てなどいない」

「犠牲を払わなければいけない――同意しよう。
代価を払わなければ、大望は為せない――同意しよう。
その上で、言おう。
貴様が八神はやてを犠牲に世界を救うのならば、私は――、」


――世界を犠牲に、八神はやてを救おう。


どちらも救う等と、理想論は吐かない。
世界と少女――それが天秤に掛けられたのならば、自分は迷わず少女を選び取る。

世界が八神はやての翼を剥ぎ取るのならば――自分は翼を与えよう。
世界が八神はやてを苦しめるのならば――自分は友と為ろう。

――だからこそ、この場で終わるわけにはいかない。


「ア゛――ア゛ア゛ァァァァァァッ!!」

「――ッ!?」


休息を求める体を叱咤激怒し、痛みを無視して立ち上がるジェイル――ぶちぶち、と血管が、掴まれた襟足が千切れる音は意にも介さない。
何故立てる、と驚愕し、思わず距離を取って身構える仮面の男――だが、足元さえ覚束ないジェイルを見て、それを解いた。

ふらふら、とジェイルは夢遊病患者のような足取りで、男へと歩いていく――見据える敵だけは決して揺るがない。
目の前には仮面の男――ジェイルは左腕を掲げ、拳を握り、突き出した。


「……何の真似だ」


ぽす、と間の抜けた音を伴って、ジェイルの拳が男の胸へと接触する。
避けるまでもない、何の脅威もない只の手――事実、ジェイルは男に突き出した左腕を支えに、やっと立っている有様だった。


「……一つだけ、君に誓おうじゃないか。
君を、貴様を――、」


――殺してやる。


直視するだけで、視線を合わせるだけで寒気が泡立つような瞳――仮面の男は、思わず身を横へと引いていた。
つっかえ棒が無くなり、持て余した慣性を何とか制御しようと、千鳥足でジェイルは男の脇を転がっていく。

そのまま数歩――地面の上を転がり、男との相対距離にして7,8メートル程の地点で、漸くジェイルは動きを已めた。
その様で、何が殺してやる、だ――と先程感じた恐怖を振り払い、仮面の男はジェイルに向かって一歩踏み出す。


「――……契約を」

「……?」

「果た、せ――、」


か細い声、風が吹けば飛んでいくような、聞き取るのが困難な程小さい声――しかし、込められた力と、声色は強い。
内心怯みながらも、今は兎に角身柄を抑えなければ、と仮面の男はそれを無視し、二歩目を踏み出す――が、


「――――プレシアァァァァァァァァッ!!」


――ジェイルがそう叫ぶと同時。
大気を震わせ、轟音を響かせながら、天より光――雷鳴が轟いた。


「――なっ!?」


ちぃっ!、と舌打ちしながらバックステップする仮面の男――その直後、先程まで男が居た場所へと轟雷が降り注ぐ。
回避出来たのは間一髪――直前で感知した膨大な魔力反応がそれを許してくれたのだ。
秒速150kmを凌駕する速度――馬鹿げた威力の雷等、視認してからでは避けられない。

――いや、今考えるべきはそれではない、と。
男はタスクを切り替え、地面の焦げた異臭を鼻につかせながら、状況を把握しようと逡巡し始めた。


(――まさか……仲間っ!?)


結界は既に破壊されている――霧散するのも当然だろう、今落ちて来た雷の威力は正直、戦慄を禁じ得ない程のものだった。
その目的は――思索するまでもない、少年の救出だ。

逃がす訳にはいかない――あの少年は知り過ぎている。
何より、危険だ――あの目は、何かが狂っている。
自分達の悲願への障害になるのは間違いない――推測の域を出ないが、それは直感的に悟れた。

撒き上がった砂塵、散らばる砂礫、異臭を放つ煙――男はそれらを振り払い、少年が横たわっている場所へと一気に疾走する――が、


「――……ちっ!!」


少年――ジェイルの姿は、既にそこから掻き消えていた。







































「――……大丈夫?」


色彩の薄くなった――モノクロのようなジェイルの視界の中で、金の髪を風に揺らしながら、心配そうに声を掛けるフェイト。
ああ、助かったよ、礼を言おう、と口にしようとしたジェイルだったが、言葉にする事は叶わなかった。

自分は今、獣――アルフの背にでも乗っているのだろうか、と。
ジェイルは橙色の毛並みを見ながら、持ち上げる事も辛くなった瞼を、降ろそうとする。

そんな少年の様子――容態が思った以上に悪いと感じたのか、適当な高台にフェイトとアルフは降り立つと、すぐさま魔法陣を展開させる。
金色に輝きだした周囲の世界を美しいと感じると、ジェイルは意識を手放した――手放そうと、した。

自分自身をシャットダウンしようとした時、見えたのは一匹の蜘蛛――はやての家で捕獲した、黄金蜘蛛。


「…………」


瓶に入れ、懐に締まって置いた筈のそれは、今自分の左手に居た――黙って、自分を観察している。
戦闘中にでも殻が割れ、そのままくっ付いていたのだろうか。


(――嗚呼、そうだね)


ジェイルは、自分の左手の上でじっと此方を見続ける蜘蛛を眺めながら、胸中で呟く――いいだろう、と。


――高町なのははレイジングハート。
不屈の心を以って突き進んだ。

――フェイト・T・ハラオウンはバルディッシュ
金色の戦斧で悪を切り裂いた。

――八神はやてはシュベルトクロイツとリィンフォースⅡ
十字を掲げ、祝福の風を舞い踊らせた。


自分は弱者だ――だが、余りにも脆弱過ぎる。
以前から考えてはいた――自分専用のデバイス――しもべが欲しい、と。
そして今はより一層、欲しい――力が。でなければ、奴を――殺せない。
生命を愛し、地を這いずり回り、天を見上げる自分に相応しいデバイスが――要る。
守る為のデバイスではなく――殺す為のデバイスが、要る。

――ならば、と。

そう呟くとジェイルは、眠るように瞼を落とした――金の光が周囲を照らし出すと、三人の姿が虚ろに為っていく。




――ジェイルはコガネマル。
私は黄金の蜘蛛を傍らに、約束の空へと飛び立とう。





その言葉が、今日の終わり。
長い、長い一日が、漸く――終わった。








[15932] 第10・5話 幕間 開戦前夜――狂々くるくる空回り
Name: 梅干しコーヒー◆8b2f2121 ID:af37fdb2
Date: 2010/03/25 20:26





ガロロ、と獣の咆哮のようなエンジン音を轟かせながら、道無き道を進み続ける一台の車。
確かに車には分類はされるが、それは一般的な普通車ではなく、所謂、バギーと呼ばれるオフロードカーだった。
運転席には濃紫の髪を携えた少年――ジェイルが、助手席には金色の髪を棚引かせている少女――フェイトが、それぞれ座っていた。
尤も、ジェイルは運転席に座ってこそいるが、実際の運転は全てAI任せにしている。

この日の為だけに用意したとも言える黒塗りの眼鏡――サングラスを指で軽く持ち上げると、ジェイルは遥か上空――春の空を見上げ始めた。
陽光が眩しい、ではなく、眩しいのが陽光、と――そう前後を入れ替えたくなるような、淡い橙色の光彩が雨のように降り注いでいる。
直視すれば目が眩む――目を射る、とでも言い換えれば、綺麗に嵌ってくれるかもしれない。

しかし、それでも尚包み込むような暖かみを孕むのは、生命が謳歌を開始する季節――春故にだろうか、と。
ジェイルは胸中でそう呟きながら、抱いた率直な感想を口笛に乗せ歌い上げる。

そんなジェイルの様子を横目で伺っていた少女――フェイトは風でそよぐ金髪を片手で抑えながら、安堵の連接された思惟を巡らせていた。

一週間前、ジェイルは何者かに襲撃され、重症を負った――庭園に担ぎ込んだのは、自分とアルフだ。
未だ癒えきれていない――頭部に巻かれた痛々しい包帯が、それを誇張させる。
見えないが、服の下も雁字搦めに固定してあるのだろう。
右腕は――その……ごめんなさい、とそれの一旦を少なからず担ってしまっていた為、フェイトは内心で申し訳なさそうに頭を垂れてしまっていた。


(…………うん。
きちんと謝らなきゃ)


強奪者から協力者へ――180度切り替わったジェイルの立ち位置に当初こそ戸惑いこそしたが、今は随分落ち着いてきている。
いや、正直に言えば、既に慣れていた――母から協力者だと聞かされ、見方を変えて数日経ってみれば庭園に少年が居る事に違和感は無かった。

ならば、謝罪出来なかったのは何故か?――理由は、顔を合わせる度に、何時も喧嘩を始める使い魔と少年だった。
だが、理由とは言っても、その所為にするつもりは毛頭無い――結局、詰る所自分の力不足なのだから、と。

結論だけ言えば、諌める事に傾斜し過ぎて気が回らなかった――元々、人付き合いの少ない自分にとってそれは、中々荷が勝ち過ぎた。
少ない、とそう言えるのは、苦とは感じなかったからだろう――案外、子供の面倒を見る、等は自分に合っているのかもしれない、と。

……横道に逸れはしたが、兎に角、謝らなければ。
そこまで思惟を巡らせると、前々から決めていた結論を前面に押し出すフェイト――そう考えてみれば案外、今の状況は何とも都合が良いだろう。
アルフが突っ掛かり、ジェイルが茶化すのが喧嘩の発端――アルフは現在、有事の際に備えて待機中――時の庭園でお留守番中だ。
うん、と自分自身に相槌を打ち、フェイトは口を開こうとする――が、


(――……あ、あれ?
流されるままに為ってたけど……。
何で――、)


――山に居るんだろう?、と。
フェイトは些か首を傾げながら、周囲の風景を再確認するが、やはり何処からどうみてもマウンテンだった。


「あの、ジェイル?
ここって……山、だよね?」

「ああ、山だよ。
それともフェイト君には、それ以外のものに見えるのかな?」

「いや、そうじゃないんだけど……コレ、何しに行くの?
護衛しなさい――そう言われたから、私のやる事は分かってるんだけど……」


行き先は聞かされていなかった――母に、自分一人でジェイルの護衛に付きなさい、と命じられ、すぐさま出掛ける事と相成ったからだ。
確かに、聞かなかった自分が悪いのは悪いのだが、さすがに車で林道を走り出すとは思っていなかった、と。
今更だが、疑問を抱き始めるフェイト――バギーのタイヤが巻き上げる土埃には、掌サイズの石も混じり始めている。


「ふむ……目的は二つだね。
一つ目は、君との親交、親睦を深めたかった。
二つ目は――、」

『――……ドクター、休憩しない?』

「――ふむ、却下だ。
黙って運転したまえ」


何処からともなく齎された声――ジェイルはそれを聞くと、まぁ、こいつの特訓だよ、と。
そう言いながら、運転席のハンドル部分に嵌っている金色のリングを小突き始める。
痛っ、痛っ、と泣き声とも取れるそれを聞くと、ジェイルは悪戯を思いついた子供のように口元をニヤつかせ、さらにつつく度合いを早めていく。

仲悪いのだろうか?、とフェイトは思いながら、諌めるべきか否かを逡巡し始める。
しかし、子供同士が戯れついている、とも感じられる事が念頭に浮上してくる為、これはこれでいいのかもしれない、と。
同じく金色で彩られた自分のデバイスを一瞥しながら、内心でそうフェイトは呟いていた――少し、羨ましい、と付け加えながら。

自分のデバイス――バルディッシュは無口だ。
基本的に必要最低限の事しか口にしない――寡黙で忠実、デバイスの鏡と言われればそれはそれで間違いないだろう。
居なくなってしまった大切な家族――リニスの残した数少ない思い出の一つで或り、それを抜きにしても代え難いパートナーと為っている。

だからこそ、だろうか――少し、羨ましい。
尤も、そう思うのは、別に今の自分とデバイスの関係に不満が或る訳では決してない。
只、少年とそのデバイスの遣り取りを眺めていると、バルディッシュと少し日常的な、他愛無い会話を交えるのもいいかもしれない、と。

フェイトがそんな思惟を巡らせ終え、漸くデバイス弄りを已めようとジェイルが腰掛に体重を預ける――そういえば、とフェイトは疑問を口にした。


「――……特訓って?」

「文字通りだよ、フェイト君――まぁ、疑問は尤もだ。
本来、この場合の特訓と言えば、マスターを交えたコンビネーションの向上等を指すからね。
私のデバイス――コガネマルはそれとはまた異質なのだよ。
……ふむ、勿体振るのはそろそろ已めにしようか。
取り合えず、車に分類される機械の持つ機構を学習させている最中――それが特訓だよ」

「……えっと、インストールすればそれでいいんじゃないの?」

「言っただろう? 異質、と。
折角なので全力を以って創造した所、中々どうして手間暇掛かる代物に為ってしまってね。
まぁ、今の段階で言えるのはここまでだよ。楽しみにしていてくれたまえ」

『たまえー』


ジェイルの言葉に続き、無邪気な声を揚げるコガネマル。
取り合えず、フェイトに少年の言っている事は殆ど理解が及ばなかったが、一つだけ。


「車って、運転するの免許要るんじゃ……?
ジェイル、持ってるの?」

「持つわけがないだろう。
それに運転しているのはコガネマルだよ」

『そうだぞー。
ねぇドクター、持ってなかったらどうなるの?』

「何、少々敵が増えるだけさ」

『そうなのかー』


それでいいのだろうか、等そんな事を考えながら、視線を上空へと傾けるフェイト。
春の空は相変わらず、眩しすぎるくらい快晴だった。




















【第10・5話 幕間 開戦前夜――狂々くるくる空回り】




















せせらぎが聞こえる――それだけで、付近を流れる川が清流だ、と思わず感じてしまう程、穏やかな音色が浸透していく。
水音だけではなく、ちゅんちゅん、と小鳥の囀りも耳に覚える――まるで、山全体が奏でているような、そんな錯覚を想起してしまうかもしれない。
その一画、川のほとりには、一台のオフロードバギーが停車していた。


(――くくっ……)


ちらり、と――いや、或る一点を凝視しながら、少年――ジェイルが胸中で洩らすのは歪んだ笑み。
熱視線の先には、金色の髪を揺らしながら作業に没頭している少女――フェイトの後姿が或った。


(嗚呼……こうまで上手く事が運ぶとは。
これはプレシア君に手土産でも持ち帰った方がいいかもしれないね……くくっ)


自分の言う通り小枝を集め終わり、今まさに火を起す作業へと移ろうとしているフェイト。
ジェイルはそれを眺めながら、つい数時間前の取引――プレシアと行った交渉を思い出し、嗤う。

既にプレシアとの願いの欠片を巡る取引は半分――六つまで終えている。とは言っても内約だが。
あらゆる金、デバイスパーツ等の譲渡――これは大した問題もなく交渉を終えた――アルハザードへ辿り着ければそれでいい、と。
その他諸々――自分の護衛、フェイト及びアルフを対象とした命令権の許可等。これで取り合えずは五つまで。
内約で済ませ、実物を渡していないのは、単純にまだ取り出す訳にはいかない為――そして、プレシアの暴走防止の為だ。

仮面の男に襲われる前――八神はやての家に向かう前、既に十二のジョーカーは回収し終えている。
右腕に埋め込んでこそいるが、発動する事は無い――自分を過去へと遡らせ、幼年体へと退化させた事が相まり、殆ど力を使い切っている為だ。
故に、まだ摘出し、渡すわけにはいかない――その問題をいずれクリアする為、コガネマルに特別機関を装備させる予定も打ち立てている。

内約六つの内、五つはこれで終わり――残り一つは、ここへフェイトを連れて来る許しを得る為、強制的にだが押し付けてきた。
つまり、キャンプ――二人で一拍二日への遊びへと向かう許可だ。
アルフは有事に備え待機、とフェイト経由でプレシアに頼み込み、連れて来ていない。
その理由の一つは――、

(――くくっ……。
この状況ならば……間違いなく楔の第一段階――依存への一里塚を築けるね)


フェイト・テスタロッサはどこから如何診断しても依存症に陥っているのは間違いない――矛先はプレシア・テスタロッサ――母。
恐らく、数ある依存症の中でも、依存性人格障害――並はずれて従順で、非常に受け身的で或る特徴が合致する。それで間違いないだろう。

依存性人格障害によく付随している要素として、周囲から励ましや元気付けが必要、等が或る。
そして、あろう事かフェイトはそれを自分で全て完結させている――母の為なら、悪いのは自分だ、自分が頑張らなければ、と。

そして、そこへ自分――ジェイルが入り込み、制御。
自分を見てくれる、助けてくれる、頼りになる――このキャンプもその第一段階構築の為。
最後の要素、鍵はPT事件終了の際――フェイトがプレシアと乖離した時、完成する。


(……ふむ、発動させてしまいたいが……。
いやはや、我慢、とは中々辛いものだね)


プレシアと引き裂かれた時、完成するで或ろう依存の鍵――だが、それを鍵穴に入れ、回すのは、全てが終わってからだ。
つまり、もう一人の自分を倒させ、自分が求める強さを彼女が手に入れた時――その時の為の、布石。
また、余り依存レベルが高すぎれば、自分に頼りすぎる可能性が懸念される――強さを手に入れようとしなくなる可能性が或るのも理由の一つだ。

旅の終りと同時に、求める強さ毎、フェイトを手に入れる為の下準備――この段階では設置しておくだけで我慢しておかなければならない。
故に、徐々に、時計の針が進む毎に、傷口へ薬剤を染み込ませるように、依存への理由と経緯を、構築していく事が求められる、と。


「――……あ、あれ?」


フェイトへの熱視線と、熱思索を繰り広げていたジェイルに聞こえてきたのは、フェイトの戸惑うような声。
それを……待っていたぁ!、と自分の作戦が上手く嵌った事に興奮しながら、片手間片手で行っていたテント張りを中断し、立ち上がる。

自分が命じた作業分担内容――ジェイルはテント張り、フェイトはご飯の調理等を行う為の火の確保。
そして、火の起こし方は、教えている――だが、教えただけで出来る程、それは容易な作業ではない。

予想通りと言うべきか、フェイトは木板と手渡した紙を間に挟み、木の棒を一心不乱に押し付け、廻していた。
だが、点火までは至っていない――それはそうだろう――この周囲に転がっていた木片が僅かに湿っていたのは確認済み。

計画通り――よし、と愉快げに口元を歪めながら、ジェイルはフェイトに近寄っていく。
ジェイルの左手には、全く湿っていない木片と真新しい紙――実に些事だが、尊敬の眼差しを向けられるのは間違いないだろう、と。

大事を為すには小事を積み重ねなければならない。
そう最後に付け加え、自分が点火した際に同じく点火するであろう依存への足掛け――質疑応答へと思考を巡らす――が、


「――バルディッシュ」

『yes,sir.』

「――な、何ぃ!?」


フェイトは実にあっさりと、ジェイルの意思と予測を尻目に、バリアジャケットへ移行――雷魔法を行使、点火する。
その手があったか、と驚愕と落胆の色を隠せないジェイルだったが、そういえば、と。
足りない小枝を掻き集め、林から出て来た際、何故かバルディッシュ片手だったフェイト。
それを思い出し、認識が甘かったと歯噛みしてしまう――アレは、態々伐採してきたのか、と。


「うん。点いたね」

「…………ああ、点いてしまったね」


……嫌な予感がする。
フェイトの満足げな声を耳に覚えながら、ジェイルはそう、呆けていた。






















水面に接している部分には藻が繁茂し、周囲の石と比べると少々大きめの石――岩石と言っても差し支えない場所にフェイトが腰掛けている。
握っているのは棒――所謂、釣竿だ。しかし、ピクりとも動かず、微動だにしていない。
遠巻きにそれを眺めながら、ジェイルはくぐもった嗤いを洩らしていた――今度こそ、と。


(――くくっ、万事抜かりない。
今度は生命体が相手だ――先程のようにはいかないよ? フェイト君)


次に自分が命じた役割分担――ジェイルは調理器具の整理及び準備、フェイトは食材の確保。
つまり、釣り――玄人でも時折無成果を余儀なくされるそれは、勿論の事フェイトに簡単にこなせる筈はない。

そして今の自分には――、


「――コガネマル、準備は?」

『おーけー。
ばっちこい、さぁとっ捕まえるぞー』

「その意気だ」


――生命操作技術とデバイス作成技術の粋を掻き集めたしもべ――コガネマルが、居る。
未だ戦闘形態こそ確定、構築していないが、二つの待機状態――金の指輪及び掌サイズの蜘蛛形態は既に創造してある。
そして、蜘蛛形態は本来の体躯――3cmにも届かないバージョンも入れ込み済み――水陸両用で或る事も抜かり無い。

持って来た二本の釣竿の内、一本はフェイトが、二本目は現在ジェイルが握っている。
ジェイルが握っている竿――その先端から伸びている餌部分には、小型蜘蛛スタンバイ状態のコガネマルがくっ付いていた。
所謂、ルアーフィッシング――尤も、コガネマルを水中で魚に噛み付かせ、一本釣りするだけだが。


「――……釣れないなぁ。
何でだろう?」


その声を皮切りに、ジェイルはフェイトに近寄っていく――ここで、自分がいとも簡単に釣り上げれば、尊敬の眼差しを向けられるに違いない、と。
くくっ、とその後繰り広げられるであろう応答へと思索を巡らせるジェイル――だったが、


「――バルディッシュ」

『yes,sir.』

「…………む?」


釣竿を置き、漆黒の戦斧を片手に、座っていた場所から降りるフェイト――降り立つと、バルディッシュを水面へ。
まさか、とジェイルが頬をひくつかせるのと同時――、


「てぃっ」

「――ば、馬鹿なっ!?」


――水中を一瞬で駆け巡っていく、目視出来る程の電流。
ぷかー、と一拍置いて水面へと浮かんでくるのは、大小様々な川魚――フェイトは満足げにそれを確認すると、飛行しながらそれを回収していく。


『……ドクター』

「……言わなくて良い」

「うん。大漁だ」

「…………ああ、大量だね」


明らかに二人で食し切れない程の魚を次々と岸へと陸揚げしていくフェイトを見ながら、ジェイルは呆ける――そういえば、と。
可愛らしい容姿に反し、勘違いで自分を襲撃した事といい、かなりの過激少女で或るのを忘れていた。そう、肩を落としていた。





















傾き終えた陽――太陽が月へと摩り替わり、僅かな光が照らし、見下ろす中、焚火を挟んでフェイトとジェイルが夕飯を食していた。
コックではなく、ドクターで或るジェイルでも簡単に出来る料理――川魚の塩焼きを啄ばむ二人。


(――何故だ……何故上手くいかない……っ!!
私の計画は完璧だった筈だ……っ!!
予想外、予定外だったのは……フェイト君の――、)


あまりの無垢さ故か、と――それに付随するように、純粋さ、純朴さが邪魔をし、釣りの後も悉く砕かれた自分の目論見。
用意しておいたスク水――所謂、スクール水着を差し出せば「今のバリアジャケットで大丈夫だよ」で一蹴。
野鳥観察を提案すれば、野鳥自体を捕獲してくる始末――ジェイルの心中は、どういうことなの? 、の一言で埋め尽くされていた。

次いで云えば、ジェイルの望んでいた、想定していた展開としては、情緒を孕んだ休息――それが、念頭に置かれていた。
キャンプを、キャンプとして楽しむ、とでも云えば良いだろうか――魔法類の道具等、コガネマルとバギー以外に持って来ていない。
その為に、魔法に比べ利便性の低い道具類を用意したのだが、どうやらフェイトにとっては大して違いは無かったらしい。

今日一日を振り返ってみれば、情緒もへったくれもない、只のサバイバルと化してしまっている――こんな筈では、と。
ジェイルは胸中で頬をひくつかせ、笑う――色に、ほんの少しだけ哀愁が混ざっているのは、疲れているからだろうか。


「うん、美味しい。
……母さんとアルフも連れて来たかったな」

「そうだね……大魔導師と犬だね……略して犬魔導師だね……」

「……どうしたの? 何か疲れてるみたいだけど」

「……いや、気にしないでくれたまえ。
珍しく予想外が祟って、どうすればいいのか迷走中なだけだよ」

「えっと……頑張って?」

「……ああ。
正直、いっその事洗脳してしまおうかと過ぎってしまったが……まぁ、頑張るさ」

「?」


不思議そうに首を傾げるフェイト――ジェイルはそれを見やると、自然と溜息を洩らしていた――手強すぎる、と。
このままでは、何の成果も挙げられずに今日と云う日を終えてしまう――だが、そう焦燥しても何も良い手が浮かぶ事はなかった。
ジェイルは半ばやけくそに為りながら、手に持った木の棒――そこに突き刺された川魚を口に運び、がっつき始める。


(…………そういえば――、)


――どういう関係なんだろう、と。
自分が先程言った言葉――母と、使い魔を連れてきたかった、それから連想した疑問をフェイトは抱き始める。
ジェイルの何やら疲弊している様子を眺めながら、フェイトは逡巡――その先には、母が居る。

目の前の少年――ジェイルと、母――プレシア。
仲が良いとは違うかもしれないが、何やら親しげなのは間違いないだろう。
何を話しているかは分からないが、頻繁に二人っきりで部屋に閉じこもる――チクり、と締め付けられるような、刺されるような――痛み。

母は――変わった。ジェイルが協力者と為ってから――時の庭園に住まうようになってから。
それは肌身で感じられる――自分を躾ける事が全く無くなったからだ。
そして――時折、労う――「休んでなさい」、と。

嬉しくて、嬉しくてしょうがない――そう感じて、そう思う。
またいつか、あの時のように――花畑での微笑みを見せてくれる――笑ってくれるのではないか、と。
思うのだが、想うのだが――何処か、何故か、納得出来ない――チクり、とまた、痛んだ。

何故――今まで、そんな事はなかったのに。
何故――今まで、躾けを已めた事はなかったのに。
何故――今まで、ジュエルシードの探索を中断する事なんて、無かったのに。





何故――ジェイルが来てから――、





「――あの……」


――そんな思考の行き止まりに差し掛かった時、勝手に開いてしまう口――痛みはまだ、収まってはくれない。


「……何だい?
……む? 何やら顔色が優れないが――」

「――母さんと……母さんとジェイルは……どういう関係なの?
……仲、良いよね? どうして?」


怪訝そうにフェイトを覗き込むジェイルを無視し、フェイトは被せるように言葉を続けた。
知りたいのは、それだ――娘で或る自分がどう頑張っても、何も変えられなかった母――それを、僅か数日で変えた少年。
自分が出来なかった――したかった事を、いとも簡単にやりのけた――やりのけてしまったジェイル。
何か或るのは疑いようがない――それを、知りたかった。


(どう、答えるべきかな……。
中々難しい質問をしてくれるね)


ジェイルにとって、その問いに答えるのは簡単だが、それに拠る影響が巨大過ぎる――嘘は、吐きたくない、吐かないのだから。
嘗て、プレシアが夢を託したプロジェクトF――それの基礎理論を構築したジェイル――間柄、と問われれば、その程度だ。
もしも、それをそのまま話してしまえば、プロジェクトFの事を知ろうとする可能性が或る――今のフェイトの表情、必死さから察するにそれは、高い。

何か上手い言い様はないか、と言葉を模索し始めるジェイル――……簡易的だが、これで良いだろう、と。
浮かんだ返答へ自分で相槌を打ちながら、ジェイルは口を開いた。


「――ふむ、君の母――プレシア君が、嘗て高名な研究者、科学者として名を馳せていたのは知っているかな?」

「うん、少しだけど……リニスから、聞いたことはあるよ」

「リニス?」

「母さんの使い魔――……今は、居ないけど、私に魔法を教えてくれたのも、バルディッシュを作ったのも、リニスだよ」

「ほう……それは実に興味がそそられるね――おっと、悪いね。横道に逸れてしまった。
私とプレシア君の間柄、何故仲が良いのか、だったね?」

「う、うん。
聞かせてもらえる?」

「簡単に言うのなら――互いに研究者故に、だよ。
取り合えず、仲が良い――それは、否定しておこう。そう見えるだけだよ。
……ふむ、これだけでは分からないか。
君にも分かるように説明するのならば、私もプレシア君も似た様な研究を追い求めていた時期が或ってね――因みに、私はまだ探求中だ。
まぁ、その縁で、今に至ると言う訳だよ。
この関係に名称を付随させるのならば、利害関係、と云った所かな」

「……知り合いだったの?」

「いや、交わる事はなかったからね。知り合いではないさ。
只、互いの存在を知っていただけだ。
実際に会ったのはついこの間――君と使い魔に連れられ、邂逅したのが初対面だよ。
いやはや、それも昨日の事のように感じてしまうね。懐かしい。
あの時、私は、実に安堵したものだよ――想像通り、考えていた通りに[ 哂う ]女性だと、ね。
あれでこそ、私の協力者に相応しい」

「――…………え?」


口を開けたまま、ジェイルを見たまま持っていた食事を落とし、固まるフェイト――目が、瞳が色を失くしていく。
パチ、パチ、と燃える焚火がやけに木霊するが、それすらもフェイトには聞こえない――聞こえる、反響するのは、少年が口にした[ 笑う ]の一言。
突然の豹変振りに、怪訝そうに身を乗り出すジェイル――フェイトの瞳には、それも既に映っていない。

暫くの間呆然とするも、気を振り絞りながら、フェイトは再び言葉を紡いだ。


「……笑っ、た?
……本当に?」

「あ、ああ。
実に良い顔で[ 哂って ]……どうしたんだい?
本当に顔色が悪いよ?」

「えっと……その……母さんは……[ 笑った ]の?」

「それはもう見事に破顔していたが……それがどうし――」

「――――」


立ち上がり、ジェイルに背を向けるフェイト――それ以上、聞きたくない、と。
そう言わんばかりに少年に背中を向けたまま、歩き出す。


「フェ、フェイト君……?」

「……少し、一人にしてください。
この周囲に魔力反応はないので、私が居なくても大丈夫だと思います」

「まっ――」

「――明日の朝には、戻ります。
……バルディッシュ」

『……yes,sir』


左手を伸ばし、引き留めようとするジェイル――それを無視し、フェイトはバリアジャケットを装着、夜の空へと飛び立っていく。
二の句を告げる前に、口を開く前に、遠ざかっていく後姿――遂には、夜の闇に溶け、見えなくなってしまう。
伸ばした左手が、行き場を失い、彷徨う――それを霧消に虚しく感じながら、ジェイルは肩を落とした。


「――……何が……拙かった……」


料理か?、と楽観的に考えてみるものの、それは明らかに違うのは分かり切っていたので、ジェイルは手に持っていたそれ毎、放り投げる。
未だに燃え続けている焚火――舞う赤い残滓を眺めながら、ジェイルはその場に頭を抱えて座り込んだ――悲しんでいたのか?、と。
フェイトの垣間見せた表情を思い返してみる――だが、何が原因でこうなったのかは、全く理解の範疇が及ばない。


『ドクター、これ、地雷踏んだって言うんだよね?』

「……五月蝿いよ、コガネマル」


悪態を混じらせながら、コガネマルへと唾棄するように八つ当たり――こんな筈では、とジェイルは空虚感を漂わせ、溜息を吐いた。
思い返せば、今日における何もかもが上手く運んだ試しがない―― 一つだけ挙げるとすれば、アルフを置き去りに出来た事くらいだろうか。
何をしても堪えないと云う意の堅牢、ではなく、全てのらりくらりで躱されていた――空回りとは、まさにこの事だろう、と。


「泣いて、いたのかも……しれないね」


好印象を与えるどころか、悪印象だろう――それ程、悲しげだった。
儚い――吹けば飛びそうなだと感じてしまうくらいに、飛び立つ間際には瞳から色が失われていた。
正直、依存の一里塚を踏み出すどころか踏み外して転落までしてしまっている。
このままでは、プレシアとフェイトが乖離した際の鍵を手に入れる等、夢物語以外の何物でもない。

嘗ての自分ならば、何とかする術を、知り得ていたのだろうか?
途切れ途切れの記憶――時間逆行に拠る弊害の所為にするのは、あてつけだろうか――まぁ、あてつけだろうね、と。
この状況を打破出来る術を、知っていたのかもしれない――[ 知っていたかも ]――そう、考えた時だった。


「――嗚呼、そうか。
知っていたかも……ではなく、知らないのか、私は――、」


――友の作り方を、知らないのか。


構築した事の或る関係と云えば、利害関係を寄る辺とする対人関係のみ。
娘達は例外だ――そう為るように、仕向けたと言っても過言ではないのだから。

フェイトとってジェイルは友達――ジェイルにとってフェイトは他ならぬ観察、実験対象。
偽りの友――それが、自分がフェイトに対して構築しようとしていた対人関係。
プレシア――母と云う依存先を、ジェイル――偽りの友と云う矛先へと摺り返る為の、自分の望む立ち位置。

この状況、フェイトが去った状況に拠り齎された興奮の沈静――落ち着いて考えてみれば、それが不可能な事だと、気づかされてしまう。
本物の友を作った事の無い自分に、偽りの友を演じる事が出来る筈もない――偽者は、本物が或るから偽物と呼ばれるのだから。


(この場合……はやて君ならば、どうするのだろうね?)


自分が本物の友と為ろうと願い、誓った少女――八神、はやて。
そこに何か答えが或るのではないか、とジェイルは思惟の先に車椅子の少女を座させ、タスクを展開させる。

自分が八神はやてを友と認め、そう為ると誓った理由と経緯――嘗て、正義を以って自分を地に堕としたから――違う。
それだけの要素を思考に混ぜ込んだ所で、自分は只の観察者としか為っていない筈だ。

偽善の仮面を着けた男に、その存在を犯されているから――違う。
それだけならばあの時、自分が誓うと考えられるのは、巫山戯るな――殺してやる、と。
狂おしい殺害衝動を言葉に乗せるだけだった筈だ。


(……待っている、か)


友、とそう思い、誓った理由は過ぎった言葉――待っている、と。
儚く、願うような言霊――あの時、真っ先に自分が浮かべたのは、往くよ、と云う肯定の言葉だった。
憤慨していた、キレていたのも理由かもしれないが、今思い返してみても、友と宣言した事に嘘偽りも、否定する気も皆無だ。
誓いとは、違えない、破らないが故に、誓いなのだから。


「……待って、みようか……」


明日の朝には戻る――フェイトは、そう言っていた――違えるような事は先ずないだろう。
待つ――しかし、只座して待つだけでは、恐らく何も好転しない――あの目、あの感情の発露は、只それだけで動く程軽薄なモノとは到底思えない。

どうしたものか、とそう考えながら、思考と足を彷徨わせ、右往左往し始めるジェイル。
暫くそうして、思考も歩みも堂々巡りに陥っていた時、ふと、目に映ったのは、一台の車――オフロードバギー。
第二の移動手段の為、コガネマルのAI成長及び学習の為に作成したそれが、意識と興味を惹いた。

一度、行き詰った思考を振り払った方がいいのかもしれない――取り合えず、一心不乱に走ってみようか、と。
そう考え至り、バギーに近寄り車体を一瞥するジェイル――ここに到着するまで相当無茶をした為、だろうか?
それの至る所には、傷、土埃、草や花が乱雑に付着していた。

軽くそれを眺め、運転席へと乗り込むジェイルだったが――、


「――……これは……」


――そう呟き、車体に付着していた一つの物体――草を手に取り、何やら考え込み始める。
見たことが或る――風芽丘図書館で閲覧した図鑑の中でも、一際自分の興味を惹いた植物――何の変哲も無い只の草だが――、


――孕む意味は確か――と。


「――コガネマル」

『ん? 何? ――ていうか、もしかしてまた走るつもり?
僕、疲れたんだけど……』

「そのまさか、だ。
褒美として、未だ決めあぐねている戦闘形態――それの、希望を聞き入れよう」

『まじでかっ!?』

「……その如何にも俗な言葉はどこで覚えたのだね……――まぁ、いい。
急ぎたまえよ、余り時間はないのでね」

『あいあいさー。
んで、どこ行けばいいの?』

「ああ。
――コレが群生している場所だ」


ジェイルは、運転席に乗り込むと、左手に握っている一本の草――白詰草を掲げながら目的地を告げる。
あいあいさー、と溌剌な了承の声が響くと、ガスを排出しながら発進するオフロードカー。
今日は徹夜に為りそうだ、と。ジェイルがそう呟くと、バギーは夜の森へと消えていった。







































朝日を反射し、より一層自己の存在を誇張させる清流が通る岸辺――そのほとりに、金の髪を稲穂のように翻しながら、一人の少女が降り立つ。
無言で漆黒の装束を解除し、ふと、横を流れる川を一瞥すると、歩を進め始める――足取りが重いのは、思考もままならないからだろうか。
黒のバリアジャケットを脱いだ所で、今身を包む服装も黒――只単に、服装に対して少女が無頓着なだけだが、それが纏う雰囲気を誇張させているのは確かだろう。


「…………」


纏まらない――纏まってくれない思考と想いが、常日頃も無口な少女を、更に緘口へと導いていく。
一晩、眠れない夜を過ごしても結局、自分の望む答えを得る事は叶わなかった――違う、正直に言ってしまえば、答えの否定を望んでいたのだから。
少女――フェイトが望むのは事実の否定――母が、少年に笑ったという無根の肯定――事実無根、と誰かに、そう言って欲しくて、仕方が無い。


(――何で……――、)


――……私じゃ、ないの?


チクり――ズブズブ、と。
心に浮かぶその言葉と想いが募り、募り過ぎて痛みを伴い、沈んで往く――清流が、濁流に見えてしまうのは、過ぎた追慕が故にだろうか。
一晩悩んで、惑って漸く、搾り出した唯一つの答え――これは、嫉妬だ、と。

いつかのように、懐かしいあの花畑のように、母が微笑んでくれる――何よりも切望する、憧憬の日々。
母が、笑ってくれた――それは、願いが叶ったとも云える――だが、それを齎したのは、自分ではなく少年だった。

それがどうしようもなく、悔しい――悲しんではいけないのに、瞳から涙が零れ落ちるのを、止められない。
今までの自分の頑張りを、否定されたような気がして――自分は、要らない子だ、そう言われているような気がして。


「――…………何で、私じゃ、ないの……?」


嫉妬――そう分かっていても止められない感情の奔流が、涙と為って溢れ出す。
塞き止めようと、両手で瞼を擦るが、赤く腫れ上がるだけで、何も已んではくれなかった。

迷子のように泣きじゃくりながら、岸辺を伝って下流へと降りていくフェイト――足が、引き摺っているかのように、重かった。
それでも、行かないわけにはいかない――母の言い付けを破る訳だけは、決して或ってはならない事なのだから。

直接、少年――ジェイルが居る場所へ降り立たなかったのは、気持ちの整理が付かなかったから、自分の取った行動を問い詰められたくないから。
問い詰められれば、突きつけられる気がした――自分は、母にとって必要のない子だ、と。
只只、ジェイルと顔を会わせるのが――怖い。


「――…………え?」


耽っていた思考の中へと、突然割り込んで来た音――本来、自然の中では聞けない筈の、轟くエンジン音。
それに驚いた脇の林――鳥達が、目覚まし時計に叩き起こされたかのように、一斉に空へと飛び立っていく。


(これって……)


考えるまでもなく、ジェイルだろう――しかも、段々と音量が増大、接近してくる。
近づいてきている――そう感じた時、フェイトは大慌てで衣服の裾を延ばし、目元を擦って、涙の跡を消す作業へと没頭し始める。


『――――ドクター、フェイト発見っ!!』


砂塵と砂礫、石礫を巻き上げながら、一台のバギーがフェイトの視界に進入――その運転席には、嗤いながらフェイトを指差すジェイルが。

突然現れた少年――もう少し歩いた先で合流する筈だった――フェイトは予見していなかった状況に、戸惑いと混乱を隠せない。
泣いていた――唯、それだけは見られたくない、と瞳と頬に湿り気を感じなくなったのを確認すると、一度軽く息を吐き、自分を落ち着かせた。


「――よし、 止まれっ!! コガネマルっ!! 」

『あいあいさっ!!』


砂埃の尾を引き連れながら、フェイトのすぐ脇を通り過ぎるオフロードバギー――伴った風が、フェイトの髪と頬を撫でていく。
ブレーキ音を鳴り響かせ、僅かに車体を傾けながらドリフト――漸く、停車する。


「やぁっ、フェイト君っ」

「え、あ……その……や、やぁ……?」


降車するなり、ジェイルはやけにハイテンションで挨拶しながら、フェイトに近寄っていく――何やら、大きめの袋を左手で口を縛り、肩に担いでいた。
ここで会うとは予想しておらず、おまけにこんなに上機嫌だとは考えていなかった為、フェイトは思わず怖気づいてしまう。


「くくっ……いやはや、君に朝には戻る、と言われたものの、待ち切れなくてね。
故にこうして出向いてみた訳だ。
やはり、待つ、と云うのは自分の性には耐えられない、と再確認してしまったよ」

「そ、そうなんだ……」

「ああ。
それと待ちきれないついでに、早く渡したい物が或ってね。
もう我慢の限界を越えている為、早く受け取って欲しい」


どさっ、と担いでいた袋を、フェイトの目の前に降ろすジェイル――さぁ、と愉快そうに嗤いながら、受け取るように催促。
先程まで泣いていた自分、訳の分からないジェイルの行動と、二の句が吐けないハイテンション――フェイトは半ば押し切られるように、袋を開けた。


「……コレ、何?」

「見ての通り、草だよ。
因みに、シロツメクサと呼ばれる帰化植物だ」

「…………えっと」


コレを、自分に渡してどうするつもりなんだろう?、と。
フェイトにとって、シロツメクサと云う名称は知らなかったが、記憶を辿ってみれば、何処かで見たことが或るのは確かだった。
不思議そうな、怪訝そうな至極当然の反応を返すフェイトを尻目に、ジェイルは袋の口から零れ落ちた一本を手に取りながら、口を開き、説明し出す。


「シロツメクサ――春から夏に掛けて花期を迎え、あらゆる場所に群生する多年草だ。
街中でも良く見掛けるらしいよ――まぁ、この場合重要な点はそこではない為、割愛しようか。
通常は三枚葉だが、成長点等が傷つけられた場合、大変珍しい奇形の四枚葉に為る――ここまで言えば、分かるかい?」


講義中の講師が、生徒へと問題を投げ掛けるような声色と動作で、ジェイルは左手に持ったシロツメクサを、フェイトの目の前へと差し出す。
四つの葉――あ、と過ぎった解に対し、胸中で僅かに洩らした声を抑えながら、フェイトは恐る恐る答えを口にする。


「……四つ葉の、クローバー?」

「ああ、ご名答だ。
幸せを運ぶ、幸福のシンボル等、この世界、この国では縁起物として重宝されているらしいよ」

「そうなんだ……――あ、あれ?」


説明を終えたらしいジェイルを横目で見やりながら、袋の中を覗き込むフェイト――違和感と驚きを首をひねる動作で表しながら、思わず疑問を口にしていた。
予想通りと言うべきか、袋はシロツメクサで満杯に為っていた――予想外だったのは、全て――、


「これ……全部――、」

「――ああ、全て、四つ葉だ。
くくっ……犬とフェレットを絶滅させる前に、この山の四つ葉シロツメクサを絶滅させてしまったよ。
まぁ、この地球上の全てを消失させた訳ではない為、大した罪悪感等覚えていないがね」


――茎の形や、撓り具合等、些細な違いは或ったが、フェイトが手に取った物も、袋から顔を覗かせる物も、全て、四つ葉だった。

大変珍しい、そう言っていた筈では?、と。
それをそのまま口にしようと、ジェイルへと視線を移すフェイト――今更気づいたが、ジェイルの下瞼周辺が、黒く塗り潰されていた。
付随するように、目が充血している――普段から時折そうは為っていたが、今のジェイルの眼球は、血管が浮き出る程、真っ赤だった。


「……もしかして……あれから――、」

「――さぁ、フェイト君。シロツメクサ――四葉のクローバーへと、願いを口にするといい。
その植物が、各々の葉が孕む意は[ 希望 ][ 愛情 ][ 信仰 ][ 幸福 ]の四つ――私はそれを、叶えよう」

「……えっと――、」

「――君の願いを、叶える、と云う事だ」


疑問其れ一色で埋め尽くされたフェイトの問いを、ジェイルは言葉を被せて催促――これで間違いない筈だ、と。
兎に角、偽りの友と云う関係を構築する以前の問題――信用を勝ち取る、それが壁と為って立ち塞がっている。
故に、信用を得る――その近道としてジェイルが打ち立てたのが、フェイトの望みを、叶えると云う手段。

その為のプロパガンダ――四つ葉のクローバー。
誠意を見せる為に山中の奇形シロツメクサを掻き集め、フェイトへ譲渡――願いを叶える、その言葉と共に。
突然の行動を不自然に思われる可能性は捨て切れなかったが、悪印象を与えたまま、このキャンプを終えるよりはマシだ、と。
ジェイルは表では破顔させながら余裕を見せ、胸中ではフェイトの言葉を待ち、待ち望む。


(……何、考えてるんだろう)


そんなジェイルの様子は、フェイトにとって不可解以外の何物でもなかった。
嫌われて、問い詰められて当然の事をしてしまった事は、自分でも理解している――あの行動は、一方的な嫉妬に拠る逃走だったのだから。

確かに、問い詰められてはいる――だが、意味もベクトルも、考えていた問答とは掛け離れている――願いを言え、と。
そうフェイトが思惟を迷走させている間も、ジェイルは口元を歪め、開かず、只待っていた――願いを叶える、と。

真っ赤に充血し、隈が覆う下瞼――何故、こんなに必死に為っているのだろう、と。
願いを叶える――自分の願いと問われれば、母が笑ってくれる――唯、それだけが、自分の悲願。
そして、目の前の少年――ジェイルは、それをやってのけた――恐らく、その方法を、知っている。

そこまで思惟した時、抱いていた迷いと、振り払いたかった嫉妬を通り過ぎ――痛みを握り締めながら、フェイトは言葉を紡いだ。


「――……一つだけ教えてください。
どうしたら――、」









































仄かに、空間内へ光を齎す照明――それが放つ明かりでさえ、薄暗さを助長していると錯覚してしまう程広く、暗い、時の庭園の一室。
部屋の中心に円形のホールが広がり、それを見下ろすように上座が位置している――遠い、と。
丸いホールの広さは距離を、ホールと直線状で繋がっている上座の高さは落差を。
フェイトは、いつもそこに居る筈の母を思い浮かべ、洩らしたくもない哀しみを吐露していた。

部屋の、円の中心で、只只母を待ち続けながら両手を握り締める――左手には、甘い香りを漂わせる紙製の箱。
想念に引き摺られ、思わず力の入ってしまった掌をフェイトは慌てて解くと、胸中で、自分に言い聞かせるようにに呟く――大丈夫、大丈夫、と。


「――……あ」


ほの暗い室内――それよりも更に幽暗な通路から、陰気を纏って現れたのは、一人の女性――プレシア。
母の姿を確認すると、知らず知らず零れてしまった声――それを一瞥、無視すると、フェイトの脇を通ってプレシアは上座へ。


「……何の用かしら?」


いつもの定位置に到着すると、億劫そうに振り返るプレシア――放った言葉には、鬱陶しさと面倒臭さがブレンドされていた。
フェイトは母のそんな振る舞いと姿を見ても、変わらず自分を励ます――大丈夫、大丈夫、と。
母には聞こえないように、見えないように顔を一旦伏せ、瞳を閉じて深呼吸――顔を上げ、母を見つめた。


「あ、あの……コレ……」

「…………」


振り絞った声と勇気を押し出し、それに乗せてフェイトが母に向けて差し出したのは、握り締めていた箱。
無機質、無表情は全く変えず、返答はせずに無言を貫きながら、プレシアはフェイトへと近づいていく。


「……これは?」

「そ、その……街で美味しいって評判の……ケーキで……。
紅茶にも良く合うみたいで……それで……」

「……私に?」

「……はい」


消えるような、掻き消えそうな肯定の声を何とか喉から搾り出し、プレシアの足元へと顔を俯かせるフェイト――それが祈るように感じるのは、本当に祈っているからだろう。
暫く、沈黙が降りる――小暗い室内が、それを余計長く誇張させていく――数拍後、フェイトの差し出した腕から、重みが消失した。


「――……えっ?」


恐る恐る、俯かせていた顔を浮上させるフェイト――コツ、コツ、と足音を伴って元の位置へと下がっていくプレシアの後姿がそこには或った。
手には、たった今自分がプレゼントした紙箱――ケーキが握られている。

フェイトは、えと、あの、その、等途切れ途切れの言葉を口にしながら――、


「――か、母さんっ!!」


――叫んだ。
フェイトにとってはやけに長く、第三者視点からは短い間を置き、プレシアは振り返る。


「……何?」

「それ……その、有名な店のケーキで……」

「そう……、で?」


一瞬怯みながらも、フェイトは残っていた勇気と想いを金繰り出しながら、最後の言葉を紡ぎ――、


「食べて……みてください。
きっと……美味しいと、思います」


――言いながら、微笑んだ。


不器用で、不安そうで、祈るような笑み――これが、今のフェイトにとっての精一杯だった。
フェイトが怖いのは、母の拒絶――それが邪魔をし、上手く笑えたかどうか分からない――お願い、と。


「――……フェイト」

「は、はい」

「これからも、頑張りなさい――期待しているわ。
これ、後で頂くわ。
それと――、」


――ありがとう。嬉しいわ。


そう言って、母は――微笑み返してくれた。








































金色の髪を揺らしながら、遠ざかっていく人影――薄暗い通路へと消えていくフェイトの後姿を、プレシアは只、無言で眺める。
先程、初めて見た偽者の娘の笑み――人形の笑みを思い返す度、胸中を駆け巡るのは黒い情念――煩わしい、と。


「…………」


傍から見ても、嬉しさで埋め尽くされているような足取り――フェイトの姿が見えなくなると、プレシアは受け取った箱を離し、床へと落下させる。
濁った瞳と感情――激情の赴くまま、振り下ろす片足――ぐしゃり、と。
踏み潰された紙箱から、内容物――ケーキがはみ出し、床を汚していく――それはまるで、甲殻虫の死骸のようだった。

募った苛立ちと、煩わしさ――嗚呼、鬱陶しい、と。
胸中で憎悪を噛み締めるプレシア――パン、パン、パン、とそんなプレシアに贈られたのは、喝采を交えた拍手――そして、嗤い。


「――くくっ……上出来だよ、プレシア君」


称賛と歓呼を伴い、フェイトの去った通路から入れ替わるように現れたのは、濃紫の髪を携えた少年。
少年――ジェイルは、ギブスで固定された右腕を左手で叩き、拍手喝采を交えながら、室内へと侵入する――五月蝿い、と睨みつけるプレシア。


「くははっ……!!
そう、怒らないでくれたまえよ。
プレシア君の、怒髪天を突く、はそのまま天から雷を落とされそうで恐ろしくてしょうがない」

「……そう思うのなら、その下卑た嗤いを已めなさい――勘にも、癪にも障るのよ、それ。
貴方が口を滑らせると、私の手も滑りそう――次元魔法でも零しそうになるわ、貴方の頭上にね」

「おやおや、随分と不機嫌なようだ。
上機嫌の極みに達していたフェイト君とは対極だね?
――おっと、その殺気は鞘に収めてくれたまえ、只の戯れさ」

「……本当、戯言にも程が或るわ。
私にやらせた事と云い、その減らない口と云い――ジェイル・スカリエッティ、貴方……死にたいのかしら?」

「いや? 私は至極真面目だよ――何せ、フェイト君が笑ってくれたのだからね。
それと、今の私は唯のジェイルだよ、大魔導師」

「貴方の真面目は、全生命の不真面目よ。
――私にこれだけの事をやらせたのだから、代価は取り立ててでも頂くわ」

「ああ、勿論さ――それ程の価値が或ったからね。
これで、合計九つの願いの欠片の譲渡を、確約しよう」


ジェイルは心底満足げに、愉悦と歓楽を覗かせながらそう言うと、プレシアのすぐ目の前へと歩み寄る――上手く運んだか、と。

時の庭園に帰還する間際――フェイトが願ったのは[ どうしたら母が笑ってくれるのか ]。
それに対する自分の返答は[ 先ず、自分が笑う事だ ]――だがそれだけでプレシアが微笑む理由は無い。

故に、取引を持ち掛けた――矛先は勿論、プレシア・テスタロッサ。
[ フェイトが笑った時、感謝の言葉と共に微笑み返せ ]――提示したのは、三つの願いの欠片の譲渡――その、内約。

三つも提示したのは、それ程価値が或ると踏んだからだ――ジェイルの言う通りに行動すれば、母が笑ってくれる、と。
つまり、依存の第一段階、その構築の布石――口にした通り、願いは、叶えた。
これで、下準備は整った――ジェイルは頼れる、と――信用を、得た。

ジェイルは満足げに口元を歪ませながら、ちらり、とプレシアの足元で床を汚し、あたかも泥のように為っているケーキを一瞥し、溜息――勿体無い、と。
しゃがみ込み、原型を失ったケーキへと手を伸ばす――それを怪訝に感じながら、プレシアは足を除けた。


「……何してるのかしら」

「見ての通り、掻き集めているのだが?」

「……已めなさい、見っとも無い」

「いいや、已めないね。
折角、フェイト君の想いが詰まった贈り物なのだ――勿体無いだろう?
君が頂かないのならば、私が貰うよ――正直に言おうか、私は今、初めて君を憎いと思っている。
先程の言葉をそのまま返すのならば――死にたいのかい? プレシア・テスタロッサ」


手をクリームまみれにし、床に散ばった断片を箱に収めながら、プレシアを睨み付ける――馬鹿が、と。
ジェイルは心中を満たす憎悪を押さえ込みながら、作業を続ける――狂人の更に狂った瞳に気圧され、唾を飲むプレシア。


「……貴方の希望は叶えた――……文句を言われる筋合いは、ないわ」

「ああ、そうだね。
他者の笑みを得る為には、先ず、自分が微笑む事――フェイト君は実に素直に、忠実に、私の言い付けを実行に移してくれた。
プレシア、君も良くやってくれた――しかし……嗚呼、いけない。いけないよ、プレシア・テスタロッサ。
フェイト君の贈り物――想いを踏み躙れとは、云っていない」

「……随分、あの人形にご執心のようで――……分からないわね。
ジェイル――貴方程の科学者に、そこまで言わせる理由は、フェイトの価値は、何?」

「理由ならば幾らでも或るよ。
それを講義するのならば、時が無限に或っても足りないくらいだ」

「……只の偽物――人形よ。あの子は。
私にとってのあの子は、その程度――似ているだけの、人形。
事が終わって、放り捨てた所で何の感慨も沸かない程度の物だもの。
――ジェイル、大層ご執心の貴方には、どう見えているのかしら?」


プレシアが問いを投げ掛けるのと同じくして、床に零れ散ったケーキを集め終わったジェイル――それを、吊られた右腕に乗せ、立ち上がる。
左手に付着したクリームを舐め取ると、口を開いた。


「その問いに答える前に聞こうか。
――プレシア、君は本物と偽物、どちらが美しいと思う?」

「当然、本物よ」

「ふむ、君ならばそう云うだろうね。
では、私の答えを教えよう――偽物だ。
生命操作、創造技術の権威――唯のジェイルとしても、そう考えている。
本物に甘んじる本物より、本物に為ろうと努力する偽物の方が美しく、尊く、強い、とね。
歩まぬ本物より、歩み続ける偽物の方が強いのは、当然の帰結だろう?」

「……それが、フェイトだと?」

「ああ。
実を言えば、私も昔は君と似たような考えを持っていたのだが――……まぁ、色々或ってね。
次いで云うならば、フェイト君の場合、為ろうとしている本物がたとえ違う本物でも、私の考えは変わらないよ。
そう感じ、想い、知りたいと願ったからこそ、この世界に――ここに私は、居るのだからね」


汚れと甘さが混じり合った付着物を舌で拭き取り終わると、ジェイルはプレシアに背を向け、踵を返してその場を去っていく。
予定とは些か異なったが、目的の一つ――依存への一里塚は築けた、と。

後は――、


「――ジェイル」

「まだ、何か?」


――思索しながら歩を進め、退出しようとしていたジェイルへと掛けられる声――滲み出す色は、如何にも不機嫌と云った様相を呈していた。


「貴方の我侭も、さっきの茶番も、全ては望みの為――私とアリシアが、アルハザードへ至る――その為よ」

「ああ。分かっているよ。
君とアリシアが私の故郷へ辿り着く――それは、私の目的の一つでも或るからね。
それが何か? 再確認しなければならない程、不安なのかい?」

「いいえ、不安ではなく、心配しているの。
ジュエルシード探索の一時中断――まぁ、その意味と理由は説明されたし、余り心配していないわ。
ただね……この間の事といい、貴方、弱すぎるのよ――私の悲願は、貴方を守りながら到達出来る程、簡単なものじゃない。
まだ、死なれては困るわ」

「嗚呼、その事ならば心配はいらないよ。
いや、心配どころか、期待してくれて構わない」

「……完成したの?
地球の廃車掻き集めて合成、改造とか、貴方無駄な事しかしてなかったから、諦めたのかと思ってたのだけれど?」

「いや、全て必要な工程だったのだよ。
完成したと言っても、構想だけだが――既に設計図、完成形は脳内で描いている為、すぐにでも創造出来る。
コガネマル自身の希望も取り入れた結果、何とも愉快なデバイスと相成ったよ」

「……じゃあ、心配はいらない、と云う事かしら?」

「勿論だ。
それと、コガネマルが受け付けるのは心配等ではなく――願いだよ」

「……どういう意味?」

「第97管理外世界の縁起物――四つ葉の奇形白詰草を模倣しているからね。
まぁ、ここまで云ってしまえば今更隠す必要も無いか――よろしい、少々種明かしと往こうか。
黄金乃快刀乱麻を以って比翼連理乃蜘蛛と為す――故に、銘を黄金丸。
コガネマルは――、」


――四つ刃のクローバー型、対人蹂躙デバイスだ。


ジェイルはそう云いながら、笑い、嗤った――歪に、歪ませながら――狂々、くるくる、と。

願いの欠片――ジュエルシードを巡る戦いが間も無く――開演する。








[15932] 第11話 始まる終結――擦違いの戦場へ
Name: 梅干しコーヒー◆8b2f2121 ID:af37fdb2
Date: 2010/03/29 05:50





陽の明かりを拒絶しているかのような、ほの暗い通路を、一つの人影が進んでいた。
黒い装束に、纏っている雰囲気は陰鬱。
薄暗い通路との境界線が曖昧だと大げさに錯覚してしまうのは、黒く、陰気を孕んでいるからだろうか。

こつ、こつ、と通路に鳴り響き、浸透していく音色。
足音を受け、両脇に等間隔で起立されている柱が、音叉のように反響し、冷える。
返ってくる反響音に、何の感慨も想起させる事なく、女性――プレシアは、只只無言で足を進めていく。
普段から無口、尖る様な陰気を纏っているプレシアだが、今の彼女には焦りや苛立ちの色彩が滲み出ていた。
危機感は視線の鋭さへと変換され、染み出す焦燥は知らず知らずの内にプレシアを足早に――目的地へと導く。


「――ジェイル、入るわよ」


プレシアはノック代わりに部屋の中へ一声掛けると、返事も待たずに進入――途端に、顔を顰め、裾の布地で鼻腔を覆い隠した。
臭い――まるで色が漂っているような異臭にたじろぎながら、視線を少年の背中に――目的の人物、ジェイルへと。
ジェイルは未だプレシアに気づいた様子は無く、壁画のような画面に映し出された映像を、夢中で鑑賞している最中だった。


「……ジェイル」

「…………ん? ああ、プレシア君か。
ノックくらいしたまえよ」


漸く来訪者に気づくと、ジェイルは腰掛けていた椅子を回転させ、プレシアへと振り返った――明らかにサイズの合っていない白衣が、床を擦る。
声は掛けたわよ、と心底どうでもよさそうに言葉を放ると、プレシアは眉根を寄せながら部屋の中へ。
乱雑に散らかされた物体の占領する床――足の踏み場も無いそこを、面倒臭いと言わんばかりに、蹴り飛ばしながら。


「やれやれ……一応、大事な物も或るのだが?」

「大事な物なら、大事そうにしなさいな。
……と言うより、少しは片付けなさい。
鼻が曲がるどころか目に染みそうになるわ、この匂い」

「ふむ、それはそうか。これは一本取られたね。
いやはや、耳が痛い。いや耳に染みる、かな?」

「どうでもいいわよ。別に」


プレシアが歩を進める度、床を転がっていく様々な物体――デバイスの余りパーツ、空箱や空皿を見やり、ジェイルは肩を竦めた。
そんなジェイルの様子を気にする事なく、行軍するように踏み出し続ける――ふと、一旦それを已め、怪訝そうに視線を真横へ。
そこに或った――意識を引いたのは、大小様々な機器と、液体で満たされた小型ポッド。
またか、とプレシアは吐露した溜息に呆れを乗せながら、再びジェイルを見やった。


「…………また、虫?」

「ああ、それの事か。
何か、不思議でも?」

「……別に。
只、蜘蛛といい、コレ――団子虫といい、虫ばっかりじゃない。
好きなのかしら?」

「ふむ……虫に関しては、好きと云うより、面白いとは考えているよ――知っているかい?
蜘蛛は飛ぶ事に関しては最も優れた動物だと云われている。鳥よりも、だ。
その、翼ではなく糸を使用する飛行技術はバルーニングと呼ばれていてね。因みに、コガネマルにも搭載予定だよ。
そして次にそのダンゴムシだが――」

「――ご高説、どうも。
貴方の悪い癖よ、それ。
講義は講義を受けたがってる人間にしてあげなさい」

「ふむ……まぁ、科学者の性だよ。
良い物が出来た暁には、ついつい披露したくなる。
同じ科学者で或る君ならば、分かるだろう?」

「否定はしないけど、肯定もしないわ。
一緒にしないで頂戴」


ふむ、残念だ、と口にするジェイル。
言葉に反し、くぐもった嗤いを洩らしている為、余り堪えている様子は見受けられない。
一頻り嗤い終えると、先程まで座っていた回転式椅子に腰を下ろし、回転。流しっぱなしにしていた映像へと、体と意識を戻す。

小型ポッド――と言うより、ビーカーで浮上、沈降を繰り返すダンゴムシを一瞥すると、プレシアはジェイルの座っている椅子の背後へと。
楽しそうに映像を眺めるジェイルを一瞥し、やっぱり、変人ね、と胸中で呟きながら、同じようにスクリーンを見上げた。

そこには――、


「……高町なのは、だったかしら?」

「ああ。
大魔導師と呼ばれている君の目から見て、彼女はどうかな?」


――純白のバリアジャケットを纏い、桜色の残滓を伴って飛翔する少女。高町なのはが映し出されていた。


口元を歪ませながら、楽しそうに問いを投げ掛けるジェイルを一旦見やり、プレシアは再び映像へと視線を移す。
映像中では、丁度、なのはが桜色の砲撃魔法を放つシーンが映し出されていた。
次いで、飛行魔法行使、誘導射撃魔法発射、と次々に切り替わっていく画面。
それを確認すると、プレシアは問いへの返答、見解を口にする。


「…………強い――いいえ、強くなる、かしら」

「分かるかい?」

「ええ。
正直――、」


――恐ろしいわ。

プレシアは、抱き、浮かんでしまった戦慄を隠す事無く、口にした言葉のまま、率直な感想――天才ね、と。
そう、胸中で呟く。本当に魔法と出会って一月も経過していないのかしら?、と付け加えながら。

自分の目の前――スクリーンに映っている少女は、魔力量も、その制御能力も、映像だけで推し量れる程、飛び抜けていた。
砲撃、射撃魔法の圧縮、収縮能力、飛行魔法の速度及び制御――制御関連だけの見解を述べるならば、フェイトにも劣っていないかもしれない、と。
そう、プレシアは苛立ちに似た感情を抱きながら、いつの間にか見入っていた映像から、視線を戻す。
ジェイルは相も変わらず、愉悦の笑みを浮かべていた。


「嗚呼、そうだね。
そうだ、それこそ彼女を表現するに相応しい言葉だよ、プレシア君。
未だ雛鳥で或るにも関わらず、この強さ……いやはや、恐ろしいの一言に尽きる。
底が知れない。いや、どんな高みに達し、羽ばたくのか、全く予想出来ないね……くくっ」

「……笑い事じゃないでしょうに。
聞いてないわよ、高町なのはが――フェイトの相手が、こんな子だなんて」

「まぁ、言っていないからね。
それと、正直に言ってしまえば、私もこの短期間で彼女がここまで成長するとは、予想していなかったのだよ。
君にとっては予想外だったかもしれないが、私にとっては予想以上だったと云う事だ。
いやはや、良い意味で期待を裏切られてしまったよ」

「……騙して、いたのかしら?」

「いや? それに、分かるだろう?
確かに、彼女は強い――だが、フェイト君には、まだ勝てない」

「まだ……ね。
その言い方だと、近い内にフェイトが負ける――そう、聞こえるのだけれど?
それじゃ、問題或るわよ」

「可能性の話――互角、もしくは凌駕する確率は非常に高いと云う事だよ。そして、私はそれに期待している。
だからこそ、フェイト君にはこの映像も、なのは君の戦術スタイルも何も、与えていないのだからね。
尤も、君の心配は杞憂で終わるだろうさ。
もしも、フェイト君に敗北の時が訪れるとすれば――その時、君は既にアルハザードへと旅立っている頃だ」

「……それなら、いいわ。
好きになさい」

「君に言われなくとも、そうするよ。
嗚呼、フェイト君の事を心配しているのかい? 今更、情でも沸いたのかな?」

「……その口、首毎刎ねられたいのかしら?」

「くくっ……。
怖い怖い……――それで? 何の用かな?」


わざとらしく笑い、にやつきながら、ジェイルは端末を操作し画面を落とすと、プレシアに向き直る。
怖い、とそう口にした割には、顔色は愉悦の割合が濃い。
嫌でも見慣れてしまったジェイルの笑み――下卑た嗤いにプレシアは舌打ちしながら、この部屋に入ってから鼻を覆いっぱなしだった袖口を下ろす。
少しは順応してきた薬品類やら何やらが混じり合った異臭を鼻につかせながら、口を開く――最終確認、その為に。


「……もう一度聞くわ。
ジュエルシードの所有者――高町なのはとフェイトが戦った時の、勝算は?」

「負ける要素が、或るとでも?」

「そう……それを聞いて安心したわ」

「…………む?」


ジェイルは椅子に座ったまま、声色の変わったプレシアを見上げる。
返ってくる視線は真面目そのもの――嗚呼、そうか、と。
言いながら、ジェイルは椅子から腰を上げ、室内を歩き始めた。


「そうか……くくっ。
――来たのだね?」


「ええ。
今日の夜にでも、転送可能範囲内に到達するわ。
次元空間航行艦船――間違いなく、管理局よ」


プレシアがこの部屋を訪れた理由、その報告――時空管理局が介入してくる、それを受け、ジェイルは室内の最奥へと歩き出す。
くぐもった笑いと、天井を仰ぎながら歩を進めるその様は、まるでその知らせを待ち侘びていたかのように――嗚呼、楽しみだ、と。

既に下準備も、楔も、布石も、全て万事抜かり無く。
そして、しもべは、今か今かと刃を研いでいるのだから。

後は――、


「くくくっ……くくっ、くははっ……!
待っていた、待っていたよ。時空管理局。
嗚呼、楽しみだ……くくっ……!」


――蹂躙、踏み躙り、暴力、暴虐の巣に誘い込むだけ。


「なぁ?
君も楽しみだろう? ――コガネマル」


ジェイルは瞳を、瞳孔を見開きながら、高らかに、嗤う。
視線の先、部屋の最奥には幾重にもケーブルが張り巡らされ、明らかにサイズの可笑しい電極が突き刺さっていた。
そこには、巨大な、異様な体躯を誇る何かが、鎮座している。

金色四つ刃の中央――同じく金色のコアがジェイルに応えるように、明滅。
それはまるで、待ち侘びているかのように。
開演する蹂躙劇を、食事の時を。





















【第11話 始まる終結――擦違いの戦場へ】



















行き交う人々が路を彩り、様々な色合いの街灯が照らし出すビジネス街。
人の流れは大まかに二方向――繁華街へと続く道か、帰路を辿る為に駅へ延びる道か、そのどちらかだ。

そんな人影の循環に対し、半ば縫うように逆らう小柄な少女――高町なのはは、サブバッグ片手に、そこに居た。
足取りは決して軽くはないが、重いわけではない。
只、右往左往する視線が、思考が、歩みを阻害している――見つからない、と。

人混みを眺め、覗き、落胆の溜息。
飽きもせずに繰り返すそれが、心中の重しを、益々沈降させていく。
この一週間と二日、駆け回った海鳴市内――何処をどう探しても、目的の人物は見つからなかった。

唯一つ、発見出来たと云えば、少年への手掛かりだろうか――見つけたのは、凹んだ自転車と、見覚えの或る補助鞄。
しかし、それが齎したのは、不安一色、唯其れだけ。
なのはは、左手に握り締めているサブバッグを見やり、息を呑みながら再び歩き出す――……無事で居て、と祈るように願いながら。


『――……なのは、そろそろ』


心配そうな、自分の身を案じるような声――ユーノが発した念話を受け、なのはは、一旦足を止めた。
だが、瞳を閉じ、拒否するようになのはは首を左右に振ると、再び歩き出す――立ち止まっていられない、と、そう言わんばかりに。


『……お願い、もうちょっとだけ』

『……分かった。
じゃあ、場所を変えよう。
今の時間帯だと、多分、この辺りにはいないと思うから』

『……何で?』

『この時間帯にジェイルみたいな子供がうろついてたら、補導される可能性が高い。
あのジェイルがそれを考えていないとは、思えない』

『……あ。
そう、だね』

『……それはなのはも同じだよ?
取り合えず、この辺りの探索は、また今度に回した方がいい。
一旦合流しよう、すぐ行くから、そこで休憩でもしながら待ってて』


ユーノがそう言うと、切れる念話――気、遣われちゃってるなぁ、と胸中で独白のような呟きを洩らしながら、なのはは歩道の端へ。
両手でサブバッグの取っ手を、体の前で結ぶように握り締めながら、ショーウィンドウに背を預け、空を見上げる――いつもより、暗い、と。
そう感じてしまうのは、沈んだ気持ちの、焦燥し続ける不安の所為だろうか。


(………お願い。
ジェイル君――、)


――無事で居て、と。

目的の人物、探しているのは、ジェイル――只でさえ、自分の責任で出て行ってしまったとも思えてしまう為、責任は余計に。
しかし、ジェイルに対する憂慮は、既に責任感を通り越し、危機感や危惧、胸騒ぎへと変換されてしまっていた。
抱き始めたのは、一週間と二日前、ジェイルが去った日――中丘町の公園で、少年の手荷物と自転車を発見してから。

感知した結界――そこにジェイルが居る、と直感し大急ぎで向かってみれば、突然の落雷。
壊れた結界に危機感を覚えながら、雷が落ちた場所へ――そこに或ったのは、見るも無残に凹んだ自転車と、中身が地面にばら撒かれたバッグ。

そして、見覚えの或る、千切られたような毛先の頭髪――濃紫の、髪。
極めつけは、広がっていた赤い水溜り。夥しいまでの血が、点々と地面に染みを作っていた。

悟ってしまった――少年は、この場所で誰かに襲われ、重症、大怪我を負ったのだ、と。
死――過ぎったそれを否定したのは、信じたくない、認めたくないから――生きていて欲しい、と切望したから。
だからだろうか、この一週間、少年の探索を続けながら、ジュエルシード回収に没頭した。
日を負う毎に、過ぎる度合いの増すそれを、振り払うかのように。
必死で掻き集め、暇さえ或れば夜通し捜索、魔法の特訓――訓練を怠らなかったのは、誰かに連れ去られたであろう少年を、助け出す為。

……何処に、居るの?、と。
思考をその言葉で繋ぎ留めながら、なのはは哀愁と不安、危惧と胸騒ぎを孕んだ視線を、再び夜の空へ――、


「――――…………え?」


――空が、赤く、朱く――染まった。


消えていく、周囲の喧騒――行き交う人々が、霧のように姿を失っていく。
見覚えが或る――どころではない、つい一週間前、似たような光景を見て、どうしようもない、行き場の無い不安を抱いたばかりなのだから。


『――ユ、ユーノ君っ!!』

『――な、なのはっ!!』


なのはとユーノは、ほぼ同時に同じような声色――驚愕と狼狽の色が滲んだ念話を繋ぎ、声を上げる。
一体誰が――そこまで考えた時、なのはの脳裏を過ぎったのは、少年の顔、公園の血溜まり、焦げてクレーターに為っていた地面。


『――……う、嘘っ!?』

『……どうしたの?』

『結界の中心から反応が或る!!
覚醒しかけのジュエルシードの――くそっ、それが狙いか!!』


念話越しでも分かるユーノの動揺と困惑――この前までの自分ならば、同じように浮き足立っていただろう、と。
そんなユーノの声が、逆になのはの思考を落ち着けていく。いや、逆に、奮い立たせていく。
寄る辺は、強くなったと思える自分自身と、助けると決めた少年を思い浮かべたから。


「…………」


結界の中心――術者は、恐らくあの時の、と。


「――……レイジングハート」

『――set,up.』


なのはは、桜色で彩られた紋様を展開し、バリアジャケットへ移行。
自身を中心に展開されていた光が収まると、少女が纏っていたのは、純白の装束。
赤い宝玉が先端に付随した杖――レイジングハートを握り締め、上体を屈めながら、膝に力を込め、魔力を制御――、


『なのはっ!?
ちょっと待っ――』

「ごめん、ユーノ君! 後で幾らでも叱られるから、今は行かせて!
レイジングハート! 飛んでっ!」

『all,right――Flier Fin』


――ユーノの制止の声を振り切り、飛行魔法を行使――夜空へと羽ばたいた。




















暗い空が、紅暗い空へ塗り潰され、街を覆っていく――その原因、結界の中心付近には、宙に浮かぶ蒼い宝石。
宝石――ジュエルシードは、ドクン、ドクン、と或る種の臓器のように鳴動し、今にも弾け飛びそうな程、強い魔力を孕んでいた。


「…………」


今にも覚醒の時を迎えようとしているジュエルシード――そのすぐ近くには、金色の髪をそよぐ風に靡かせ、佇んでいる少女――フェイトが。
周囲の暗さに反して映える金髪に、黒の外套、その下には黒いボディースーツ。
手に握られた漆黒の戦斧――バルディッシュをフェイトは片手に、魔力を制御――展開した結界を安定させていく。


「――……広域結界……展開、完了」


その声を皮切りに、フェイトはバルディッシュを握り締めていた力を緩め、安定した結界を確認すると、一度小休止の為、息を吐く。
フェイトの目の前には、膨大な魔力の塊――ロストロギア、その半覚醒体が或る。
だが、それが眼前に或っても、フェイトは何の不安も抱いていなかった。
手筈通り、予定通り――母と、協力者と為った少年が、何の心配もしていないのだから、自分が憂慮する必要は何も無い、と。


『――ご苦労様、フェイト君』


齎された念話は、フェイトの思考の一部を占めていた少年――ジェイルからの労いの声。
それを耳に入れ、地面に対して垂直に握っていたバルディッシュを斜に下ろしながら、フェイトは念話を双方向に。


『ううん。
これくらい、全然平気だよ』

『くくっ、実に頼もしいね。
此方の準備も丁度終えた所だ――それでは、手筈通りに』

『うん。任せて』


フェイトは、ジェイルと最後の相互確認を終えると、今度は、自身の使い魔――アルフに最終確認を、と。
ふと、脳裏を過ぎったのは、この作戦を聞かされた際、不機嫌そのものだった姿。
大丈夫かな、とアルフの姿を浮かべ、僅かな不安な色を胸中で呟く――未だ機嫌を直していないだろうが、この段階に来れば腹を括っているだろう。
そんな前向きな考えを浮かばせながら、念話を繋いだ。


『――アルフ、そっちはどう?』

『……ガキンチョと鬼婆の作戦ってのが気に入らないけど……まぁ、やるしかないかねぇ。
やっぱし、アタシの性には合ってない……けど、ベストって言えばベストだし。
取り合えず、こっちも準備は終わり。配置に付いた――何時でもいけるよ、フェイト』

『うん、良い子だ。
じゃあ、また後で』

『あいさっ』


先程まで抱いていた僅かな懸念を掻き消すような、使い魔の溌剌とした声を聞き、フェイトは苦笑。
よし、と自分に発破を掛け、一歩前へ――歩みの先には、ジュエルシード
そこへバルディッシュの切っ先を向け、封印形態へと移行させる。


「――バルディッシュ」

『yes,sir.
Sealing Form――、』


変形するバルディッシュ――反転する漆黒の刃の両端から伸びるは、一対の金色羽。
フェイトの込める魔力に応じて、輝きながら金の残滓を噴出させ、電を纏っていく。
戦斧を握る手は、左手を前方に、右手を後方に――力と魔力を流し込み、視線は鋭く。


『――Sealing.』


フェイトは射撃するかのように、数本の魔力縄をジュエルシードへ伸ばす。
押し返されそうになる魔力の波に抗い、バルディッシュを握る力と、込める魔力を気持ちに乗せて――、


『Captured.』


――封印を終えると、バルディッシュから生えている一対の羽を消し、コアへとジュエルシードを格納させる。

それを見て、フェイトは安堵の息を吐く――安心したのは、思っていたよりも簡単、消耗の少なかった封印作業に対してだ。
ちらり、と溜まった熱を放出するバルディッシュを眺めながら、新たな封印魔法をインストールしてくれたジェイルへ、胸中で感謝の一言を。

未だ、覚醒には及ばず、半覚醒だった事も理由の一つに数えられるだろうが、それにしても拍子抜けと言っても過言ではなかった初めての封印。
そう、初めて――今まで、自分はジュエルシードに限って言うならば、封印を施した試しは一度もなかった。
それを見越しての事なのか、ジェイルがバルディッシュへと入れ込んだのは、元から或ったものよりも、更に効率的な封印術式。
詳細は聞いていない。と言うより、教えてくれなかったのだが。

ここまで、一切のジュエルシードの探索を中断した理由の全ては、母の命令――そして、ジェイルの提案だ。
作戦内容を告げられるまでは、正直不安で胸が一杯だったが、今となっては、成程、と思わず頷いてしまう。

そして自分は、その要。
自分――フェイト・テスタロッサは、作戦成功の鍵を握り、回す役目まで任されている。
自分が失敗すれば全ては水泡に帰す、と責任感を抱く反面、自分さえミスしなければ全て上手く、丸く収まる――全てが、終わる。
それが、堪らなく嬉しい事で或るのは、自分の高揚した感情と心持が証明してくれているのだろう。
母が頼ってくれている、ジェイルが自分を大事に思ってくれているのだ、と。

――誰にも、負ける気がしない。
そう、胸中で揺るぎ無い自信と自負を以って言い、フェイトは上空を見上げた


「――…………来た」


ビルの合間を縫うように飛翔しながら、近づいてくる白い点――それの姿が、徐々にはっきりしてくる。
その純な白を連想させる魔導師は、既に自分を敵と見なしているのか、速度を全く緩める事なく目視完全可能範囲まで来訪――地に足を下ろす。

握り締めるバルディッシュは常日頃より軽く、休息を充分に与えられた身体は今にも跳ね出すように。
フェイトは、そう感じながら、自分へと近づいてくる少女――高町なのはから投げ掛けられる視線を、真っ向から受けて返した。


「…………あなたに、聞きたい事が或るの。
教えてもらえるかな?」


声が届く程の距離に達した時、なのはは哀しみや悲しみを、憤りでさえ滲ませる色彩を、視線と問いに混ぜ込んでフェイトに向ける。
予想していなかった問答と、今から戦うとは思えない程悲しげななのはの様子に困惑するも、敵意の眼光を以って、フェイトは其れを返した。


「……何?」

「……さっき、少しだけ見えたんだけど……雷みたいな魔法、使ってたよね?」


何の事だろうか、とフェイトは思い当たる節を探し始める。
確かに自分の魔法は大抵、電気を孕む、とそこまで巡らせた所で得心が及んだ――さっき、とは封印魔法の事か、と。
拠って、フェイトは無言で頷き、肯定する。

予想通り、或る程度予感していた事だったのか、そっか、とそれだけ言いながら、なのはは一歩前へ。


「じゃあ、教えて?
変な笑い方で、紫色の髪の男の子を襲ったのは……あなた?
多分怪我してると思うんだけどそれも、あなた、なのかな?」


戦うのではなく、質問攻め。
少々拍子抜けに似た疑念を抱きながら、フェイトは思考を巡らせていく。
確かに、襲ったのか、と聞かれれば、襲った――怪我させたと聞かれれば、確かに、右腕等の損傷を増大させた。

フェイトは、先程と同じように、無言で頷き肯定。
これで問答は終わり、とそんな意味合いを込めながら、バルディッシュの切っ先をなのはへ向けた。

フェイトのそんな様子にも全くたじろぐ事なく、……そう、なんだ、と言いながら、再びなのはは一歩前へ。


「最後に一つだけ――ジェイル君は、何処?」

「……ジェイルは、今、私達の所に居る」

「…………そっか」


もう、全て聞き終わった。充分だ、と。
そう言わんばかりに、なのはは口を閉ざし、最後の一歩を踏み出す――同時に、レイジングハートの切っ先をフェイトへと。


「……お話しは、後で纏めて聞かせてもらうから」

「……聞けるのなら」

「聞くよ。
だって――、」


なのはは、着地の際に折りたたんでいたフライヤーフィンを大きく、力強く翻しながら、宙に浮かび、飛翔。
先に上空へと羽ばたいたなのはを確認すると、すぐさまフェイトも飛行魔法を行使し夜の空へと。


「――ジェイル君を……友達を怪我させられて――!」

『Divine――!』


段々と声色と怒気を強め、加増加速させながら、なのはが周囲に浮かばせるは三つの桜色魔力弾。
圧縮、収縮工程へと、あらん限りの力と感情を注ぎ込み――、


「――黙ってなんていられないんだからぁっ!」

『――Shooter!』


――レイジングハートを振り下ろした。
それに呼応し、桜色の魔力弾が円を描き、螺旋状に交差し合いながらフェイトへと殺到する。


「――バルディッシュ!」

『Scythe Form』


フェイトはその軌道を確認すると、宙空で黒の外套を翻しながら、バックステップするかのような挙動で後方へ。
それと同時に、バルディッシュを近接戦闘形態――サイズフォームへと移行させ、退避のベクトルを上方に変換、飛翔する。
回転しながら弧を描き、三つで一つと為った誘導射撃弾――追尾してくる弾丸を一瞥すると、バルディッシュへと魔力を注ぎ込む。

魔力投入が充分な域に達すると、可変し終えたバルディッシュから伸びる金色の魔力刃。
それをフェイトは確認すると、肩に鎌を担ぎながら、回避運動を已める。


『Arc――』

「――セイバー!」


裂帛の気合と共に、急停止に拠る制動慣性をバルディッシュを振り抜く速度へ変換させ、その場で横薙ぎに一閃。
三日月状のブーメランが、弾き出されるかのように鎌と言う名の鞘から放たれた。

やがて、一帯を明滅させながら、金色の回転刃と、桜色の螺旋に渦巻く射撃弾が接触。
衝突に拠る余波で、周囲の大気を震わせる二つの魔力――鬩ぎ合った刹那、打ち勝ったのは金色の刃。
それを確認すると、フェイトは空いている片手を翳し、刃へ次なる目標を指し示す。


「まだっ!」

『Divine――!』


やられたらやり返す、と杖を突きつける動作から覗かせるは強い意志。
レイジングハートの切っ先――その延長線上には迫り来る魔刃、そのさらに先にはフェイト。
狙いをつけ、現出させるは加速リング――込める魔力は膨れ上がる程に、


「撃ち抜いてっ!」

『――Buster!』


先端は例えるならば銃口。放たれるは極太の桜色砲撃。
それは射出点の周囲の空気を渦と化し、巻き込みながらうねりを上げて目標へと一直線に伸びていく。

感知した収束していく魔力――それを看破していたかのように、フェイトはすぐさま回避行動へと移行。
自分を挟むように両脇に立てられているビルの、その片方へ向けて一気に加速し、壁面激突直前で上方へと方向転換。
その直後、一筋、と言うより、一本の柱が先程フェイトの居た地点を蹂躙していく。
フェイトはそれを一瞥すると、ビルの窓が鳴らす振動音と風切り音を耳に覚えながら、壁を撫でるような軌道で上へ上へと駆け上がる。


(……強い)


自分に追い縋って来るなのはを横目で視野に入れながら、フェイトはタスクを展開させ思考を走らせ始めた。

相手は必死に追い駆けて来るものの、自分との距離は縮まっておらず、寧ろ、広がる一途を辿っている。
一、二合しか交わしていないが、分かる。恐らく、相手の土俵は射撃、砲撃魔法を主とするミドル・ロングレンジ。
その二つが証拠、とまでは言えないが、行使していた魔法の錬度から察するに、砲撃・射撃に特化している可能性は高い。

フェイトはなのはへの見解を決定付けると、ギアを切り替え、引き離すべく更に速度を上げた。しながら、思い浮かべるのはここ数日の日々の事。
この一週間と二日、休息を与えられ、その意図と意味、延長線上の目的を知らされたのは、つい二日前。
現在、戦闘中の相手――高町なのは及び、来るべき管理局との決戦に備える。
そして自分は作戦の中核、主戦力で或り、頼りにしているからこそ、充分に身体を休めて貰う必要が或った、と。

奔らせていた思考が終わりを迎えると同時、肌に感じる風のベクトルが向きを変える。フェイトが辿り着いたのは屋上。
眼下には、先程までの自分と同じように壁面に沿って飛行を続ける高町なのはが居る。
フェイトはそれを確認しながら、コンクリートの屋根に着地すると、一旦バックステップ。
バルディッシュを袈裟に構え、体重を片足に預けて腰を低く落とす。


(――……だから――、)


充分に休養を取り英気を養った為、軽やかに為った身体はまるで羽のように。
思い浮かべるのは、母の垣間見せてくれた微笑み。心の底から願った日々への兆し。
そして、母は今、自分に要を任せる程、期待し信頼してくれている――裏切れない、裏切らない。

だから――負ける訳には、いかない。


「――はぁぁぁぁっ!」

『Scythe Slash』


フェイトが見据え、睨みつけた先には、同じ高度まで達したなのはが。
そこへ向かって、フェイトは弾かれるように、踊るように疾走していった。




















金色と桜色の光が絡み合いながら瞬き、流れ星のように尾を引き、極彩の花を咲かせている夜空。
それを焦燥と不安の孕んだ視線で見上げながら、小柄な影――ユーノは、疾走していた。


「――く、くそっ!」


ユーノは、思わず唾を吐きたくなるような悪態を口にしながら、息切れし始めた呼吸を無視して地面を蹴る。
悪態の矛先は自分自身に向けて――なのはを制止出来なかった自分の失態に対して。
そして、この状況――、


「ほらほらぁっ!
ぼーっとしてんじゃないよ!」

「っ!」


――新手に襲われていると云う状況に対して。

罵倒するような声に反応し、顔を上げるユーノ。視界に侵入してきたのは、橙色の魔力弾。数は三つ。
くそっ、と舌打ちしながら、ユーノは地を蹴る方向を変え、回避行動へとすぐさま転換。
横っ飛びするような動作で、道路脇の軽自動車のボンネットへ飛び乗る。

ユーノの着地の衝撃で凹みはしなかったが、塗装が僅かに剥げるボンネット。
それを気に留める暇も無く、先程ユーノへと殺到していた魔力弾が地面へ衝突、炸裂弾のような砂礫が周囲一帯に襲い掛かった。
ユーノはすぐさま緑色のミッドチルダ式魔法陣を前面に展開し、雨霰となって横殴りに降り注ぐ石礫を防ぎに掛かる。


「そぉらっ!」


大小様々な石に紛れ、聞こえてきたのは襲撃者の声。
それと同時に、撒き上がった砂埃の中から、橙の毛並みをした狼がユーノへ飛び掛かる。


「ぐ、ぐぅぅぅぅっ!」


グリーンで描かれた防御魔法と狼の牙爪が衝突し、魔力の火花を散らして鬩ぎ合う。
思わず苦悶の声を洩らすユーノへと、襲撃者は口元を吊り上げながら更に押し込んでいく。


「は、話を聞いてってば!」

「はんっ!
話なら拳で聞くよ!」


障壁毎自分を食い破らんとするアルフを睨みつけながら横目でちらり、とユーノは上空へと視線を投げ掛ける。
そこに広がっていた光景は、なのはと広域結界を展開した張本人で或ろう魔導師との戦闘。

押しつ押されつの攻防――だが、疲労の色が濃いのはなのは。既に明らかな劣勢へと追い込まれ始めていた。
それに歯噛みしながら、自分が救援に向かわなければ、とユーノは焦りを胸中で洩らす。
が、それを許されないこの状況が更に苛立ちを加速させ、危機感でさえも連れて来てしまう。

ユーノは思考を巡らせタスクを展開するが、どうしても焦燥が先行してしまう為か、好手は全く浮かんできてはくれなかった。
好手の変わりに浮かんで来るのは、疑問其れのみ。

何故、魔法文明の存在しない第97管理外世界に自分達以外の魔導師が居るのか?
何故、襲撃されているのか?
何故――、


「――ジュエルシードを……何に使うつもりだ!」

「教えてやる義理はないね!」


ユーノが投げ掛けた問いに対し、アルフは体重と力を更に込めた一撃を返答として叩きつける。
加増していく力に限界を迎え始めたのか、ピシッ、とアルフの爪を中心にして障壁に亀裂が走っていく。
ユーノは背中に冷たい汗が伝うのを感じ取ると、それを振り払うかのように一旦身を屈めて、後方へと飛び退いた。


「甘いっ!」


ユーノがその場から一旦離脱したのを見て、アルフは嘲笑のような声を上げる。
最後の詰めとばかりに、もはや残り粕程にしか魔力を内包していない障壁に体当たり。
窓ガラスのように叩き割れたグリーンの壁――その破片が地面に落下するのも待たず、顎を開き、魔法陣を展開する。

数瞬後、アルフが放ったのは一つの魔力弾。
一つに凝縮した為か、密度も速度も先程の攻撃とは比べ物に為らない。
それは魔力光の色彩も相まり、さながら火炎弾のような様相を呈していた。

避けなければ、過ぎった危機感に逆らうなく、すぐさま回避行動に移ろうとするユーノ。
だったが、踏み切った場所が車のボンネット――高所だった為、未だ地に足が着いていない。
本来の力が戻っていない自分、拠って、飛行魔法が行使出来ない――選択肢は防御しか残されていなかった。


「くっ――、」


自身の失態を罵倒しながら、ユーノは再び緑色の防御障壁を展開。
視界を埋め尽くす橙の魔力と、グリーンの壁が衝突するのと同時、障壁と自分の体の向きを斜めに無理矢理傾ける。


「――ぁぐっ!?」


障壁上を滑らせて弾の軌道を上へとズラし、何とか直撃は免れたものの、受け流し切れなかった衝撃がユーノを斜め下へと弾き飛ばす。
地面の上を転がるようにバウンドしながら、苦悶の表情を伴って為すがまま吹き飛ばされていくユーノ。

最後に衝突したのは、ビルの壁。
磔にされたような格好で暫くそこで制止すると、地面に落下し、漸く動きを已めた。


「ぅっ……」


ユーノは衝撃と痛みでままならない呼吸を、意識で何とか繋ぎ止めながら、瞼を上げる。
ぼやける焦点、揺れる視界の中で見えたのは、獣の足。次いで、地を強く踏み締めるような足音。


「……暫くそうやって大人しくしてな。
あっちももうすぐ終わるからさ」


ユーノがこれ以上動けないのを確認すると、言いながらアルフは上空を見上げた。

そこに居るであろうなのはを思い浮かべながら、体に鞭打ちながらアルフの視線の先を負うユーノ。
だが、それ以上、自分の体は言う事を聞いてくれなかった。





















『Photon Lancer
 get set.――、』


バチッバチッ、と空気を弾きながら、電気を纏った粒子が収束していく。
球体だった魔力弾は、圧縮、研ぎ澄まされる毎に形状を変え、遂には鋭利な切っ先を持つ槍へと変貌した。
次いで、穂先の後部から金色の残滓を噴出させ――、


「――ファイアッ!」


――フェイトがバルディッシュを振り抜くと同時、射出される。
一、二、三、四、と断続的に次々と打ち出される魔槍は合計四つ。


「はぁっ……はぁっ……!
まだ、まだなんだからぁっ!」


投擲されるように発射された魔力の槍に対して、なのはが取った行動は回避其れ一択。
息切れで上下する肩を気持ちで抑え込みながら、すぐさまビルの壁面に沿って降下を開始した。
自分の飛行軌道をなぞるようにコンクリートの壁に突き刺さっていく攻撃を見ながら、下へ下へと。

地面スレスレまで降り立つと、重力と慣性に抗い、逆らいながら再び飛翔。
相手が先程まで居た場所から遠ざかるように。
それを念頭に置きながら――、


「――そこっ!」

「っ!?」


――飛び退いた筈が、いつの間にか進行上に相手の姿が。
なのはが驚愕の声を上げるのと同時、フェイトは肩に担いでいたバルディッシュを振り被る。


『protection.』

「あうっ!」


振り下ろされた切っ先が接触する間際、主を守らんと防御シールドを展開するレイジングハート。
寸手の所で展開の間に合った桜色シールドへと、金色の刃が突き立てられ、眩いばかりの火花が狭間で撒き散らされる。

頼りになる相棒へ、ありがとう、と礼を言いたいのは山々だったが、その余裕も今のなのはには残っていない。
悲鳴を上げたいと弱音を吐く口を抑え込み、打開策を求めて思考を奔らせるが、余力の少なくなった自分の状態が次々に霧散させていってしまう。


(つ、強くて……速いっ!)


どうすれば、となのはは脳裏を逡巡で埋め尽くしていく。
眼前には、早くもシールドを貫き始めた切っ先――それが余計に思考を焦らせていく。

自分のスタイルは射撃・砲撃を主とするミドル・ロングレンジ。と言うより、それしか出来ない。
行使出来るのもそれに特化した魔法のみ。そして、それが目の前の相手には通用してくれない。

射撃魔法を放てば、弾き落とされるか掃われるのかのどちらか。砲撃魔法を放てば、発射段階で既に回避行動に移られてしまう。
しかも、速度が半端じゃない為、とても追い切れない。到底追いつけない。

極めつけは、自分の不得手な接近戦に持ち込まれるのを止められない事。
倒すどころか防御だけで手一杯。防戦一方を覆せない。

負けられない――なのに、勝つ為の手段が浮かんでくれない。
助け出さなければ――なのに、助け出す術が何処にも見つからない。

兎に角、距離を取らなければ勝負にもならない――諦める事なんて、以ての外だ。
友達を助け出せないまま――諦める事なんて、絶対に出来ない。

でも、どうすれば――、


「……えっ」


――そう考えた矢先、鬩ぎ合っていたシールドから刃が引き抜かれる。
その先を見やれば、金色の髪を靡かせながら、上体を捻り、背中を向けている相手が――、


「っ!」


――訳が分からなかったが、これは兎に角好機、そう悟りなのははすぐさまバックステップ。
着地する間際、フライヤーフィンを再展開し飛行体制へと移行し始める。


『――master!』


レイジングハートの声、悲鳴にも似たそれを耳に覚えた時、視界に映ったのは相変わらず相手が背を向けている姿――それが、やけに近かった
自分は飛び退いた筈。けれども、遠ざかっている筈の距離が、見る見る内に縮んで来ている。

背中を向けながら、なのはへと肉薄するフェイト――直後、向けていた背中を元の体制へ翻した。
握り締めているのは、引き抜きながら柄を回し、切っ先を逆に返したバルディッシュ。
それを、掬い上げるように、浮かび掛けていたなのはの下へ、潜り込ませる。


――……ごめん。


その言葉と共に――鎌を上へと振り抜いた。


(…………あ)


スローモーションに為った周囲の光景と奇妙な浮遊感。
気のせいか、色彩がいつもよりも鈍く感じてしまう。

……何が起こったのだろうか?
けれどそれを確かめようとしても、意志に反して体は指先一つ動いてはくれなかった。
言う事を聞かない体――脳裏を過ぎったのは、短かったが楽しかった日々と、自分達三人の姿。

そこから、悟れた――自分は負けたのだ、と。


(……ジェイル君……ユーノ君……――、)


――……ごめんね。


その言葉を最後に――なのはの意識は、刈り取られた。








[15932] 第12話 始まる集結――蠢く夜の巣へ
Name: 梅干しコーヒー◆8b2f2121 ID:af37fdb2
Date: 2010/04/02 22:42





赤く塗り潰された夜空が包み込む世界――広域結界内。
つい先程まで金色と桜色の光が舞い踊り、刃を交えていた喧騒は収まり、現在蔓延しているのは静寂其れ一色。
隔絶された世界の中で認識出来る物音は、吹き荒ぶ風の音色だけ――それすら、空虚感を纏っているかのような錯覚を受けてしまう。


「――く、」


空虚――いや、満たされていた。それは、たった一人だけ。
外界と遮断された結界内において、溢れ出さんばかりの享楽で口端を吊り上げている少年が、居た。
満たされた好奇心が笑みとして零れ落ちる少年の様は、切り取られた周囲の光景をさらに歪ませている。

区画整理された街並、ビジネス街――その先、街の境界線まで一望出来る一際高いビルの屋上。
横殴りに近いビル風が風切り音を奏でる中を、少年の嗤いが犯していく。


「くくっ……くははっ……! ――、」


下を見てしまえば、思わず足が竦んでしまいそうな高所――屋上の縁で、少年は上空を高らかに見上げ、破顔していた。
少しでも風向きが変化してしまえば地面に叩き落される場所でも、少年――ジェイルは意にも介していない。


「――アーッハッハッハッハッハッ!
素晴らしい……実に素晴らしいよ君達はっ!
それでこそ……それでこそ、命を賭けてこの世界に辿り着いた甲斐が或ると云うものだ……くははっ……!」


嗤いは喝采の証――刃を交えた二人の少女に贈る称賛と感謝の声。
脳裏で鮮明に、克明に蘇ってくる瞳に焼き付けた光景――麻薬がジェイルの脳髄を蕩けさせ、陶酔感で満たしていく。
言葉で表現する事すら無粋――嗚呼、素晴らしい、と。

齢十にも満たない少女とは思えない程、卓越した戦闘力を誇るプロジェクトFの残滓、結晶。
未だ雛鳥で或るにも関わらず、巨大な翼の片鱗を垣間見せる未来のエース・オブ・エース。
両者とも粗が多々見受けられたが、寧ろ、その粗でさえも自分の興味を惹いて已まない。

磨けば磨く程光輝く至高の原石――宝石から、何が羽化するのか、全く想像が付かない。
もしも、この段階で自分が手を加えれば、恐らく誰も手の届かない高みへと達するのは間違いない――故に、想像が付かない。

そしてそれが、楽しみでしょうがない。
吊られるように、生命操作、創造技術も新たな局面を迎えてくれる事だろう、と。


「……ふむ、しかしどういう事だろうね……」


自分にとって実に僥倖だった光景――高町なのはの予想以上の戦闘能力が僅かな疑問を抱かせ、高嗤いを已めさせる。
一旦愉悦の感情を脇に置き、片手を顎に添えてジェイルは思考を巡らせ始めた。

予想以上と言うより期待以上だったのだが、何が確実な原因なのかが導き出せない。
自分がこの段階で知り得ていた高町なのはより、一段階上の戦闘能力――特に、砲撃の威力と圧縮密度等は目を見張るモノが或った。

……初めての対人戦。強敵との戦いで、眠っていた潜在能力が目覚めたのか?
だとすれば、余計に計り知れない――だが、それならば確かに合点が及ぶ。
データ上で完璧に凌駕していた筈のナンバーズ、及び聖王等を打倒した事には説明が付く。

だが、そこまで理解した所で、それを齎した何かが分からない――嗚呼、これか、と。
自分の理解の及ばない爆発力、その片鱗。もしかすると、これが自分の求めている答え――強さの一つの形かもしれない。
思い当たる節、至った解答にジェイルは苦笑しながらも、再びくぐもった嗤いを洩らした。


「嗚呼、待ち遠しいね……。
早く、早く私に見せてくれたまえ――君達の、強さを……くくっ。
くははっ……――、」


――さて、と。

一頻り笑い終えると、そう言いながら歓喜の声と表情をピタりと収め、ジェイルは赤く覆われた空を仰ぐ。
視界に広がっているのは、相変わらず朱い虚空の夜空――それに、皹や亀裂が入り始めていた。
幾ら戦闘を終えた後とは云え、フェイトが結界維持を怠る筈は無い――故に、考えられるのは外部からの干渉。
即ち――、


「――いやはや、随分と遅い到着だね。
待ち草臥れてしまったよ?」


自分とプレシアが予想、予測していた時刻とは若干の差異が見られるが、どちらにせよ、此方の準備は整っている。
懸念事項は、指揮官が有能かどうか、此方の罠にどの段階で気づくか――しかし、それをさせない為に幾重にも対策は講じて或る。
自分の本分は科学者だが、数年もの間時空管理局にゲリラ戦を繰り広げていた経験は伊達ではない。
罠等を行使し、小で大を凌駕する術は十八番――尤も、それを行っていたのは娘達だが、常に傍で眺めていた分、やり方は心得ている。
巣は既に張り巡らし、蹂躙空間、舞台は整っている。後は、役者と云う名の餌の入場を待つばかりだ。

そして、これは狼煙でも或る。
この世界で――いや、今日までの生の中で、自分が初めて心から友だと誓った少女を虐げる輩への、宣戦布告。
許す気も、釈明の余地も或る筈が無い。与えるのは死、それのみ――待っていろ。次は貴様だ、と。

そう脳内で工程を反芻し終え、ジェイルは白衣を翻す間際に瞳を憎悪の色で塗り潰すと、踵を返して屋上から出て行く。


「くくっ……君達にも働いてもらうよ。
遠慮は要らない。存分に暴れるといい」


――Yes,Dr.


応える声は互いに、二重に覆い被さり、反響していた。




















【第12話 始まる集結――蠢く夜の巣へ】




















純白の魔導師装束を纏った小柄な少女――高町なのはが、桜色残滓の尾を引きながら、地面に落下していく。
なのはの足首から生えていた魔法の羽が、地に近づく毎に霧散していく様は、一帯がスローモーションに為ったような錯覚を覚えさせるだろうか。

やがて、どさり、と衣擦れの音を伴いながら地面に転落するなのは。
魔力ダメージに拠るノックバック――刈り取られた意識は、呻き声一つ上げる事も出来ない程、既に奥深くへと追い遣られてしまっている。
仰向けに倒れ込んだ後も、だらりと垂らされた手足は指先一つ微動だにせず、手から零れ落ちたレイジングハートが虚しく転がっていくだけ。
数瞬後、なのはから桜色の粒子が洩れ出し、純白のバリアジャケットが形を失っていった。


「…………」


倒れ伏したなのはを、漆黒のマントを纏った少女――フェイトは、只無言で眺める。
手にはなのはの意識を切り取った大鎌――バルディッシュを。
動かない、意識の無いなのはを確認すると、振り上げたままの体制だったそれを片手に持ち替え、斜めに下ろした。

強かった、とは思う。
勝ちこそしたが、それでもヒヤりとさせられる、背中を冷たい汗が伝う場面は戦闘中幾度も或った。

自分の戦闘スタイルは、高機動力を生かした中・近距離戦。射撃、近接攻撃が主だ。故に、ある程度の防御力を犠牲にしている。
重い鎧は自分の持ち味を殺すだけ。尤も、バリア出力に難が或るのも理由の一つだが。
だからこそ、なのはの放った砲撃魔法は、フェイトにとって脅威以外の何物でもなかった。

当たれば落とされる。そう悟ったからこそ、執拗に接近戦を仕掛け、出来るだけ砲撃を撃たせないようにしていた。
辛勝ではないが、負ける要素は確かに或った。強敵だったのは間違いない。
あの砲撃が直撃していれば、と桜色の柱を思い返す度に、フェイトの脳裏に戦慄が奔っていく。

……いけない。兎に角、やるべき事を終わらせないと。
考えるのは後でも出来る。そうフェイトは胸中で被りを振り、巡らせていた思考を遮断して一歩踏み出した。

足の向かう先には、先程までなのはが握っていたレイジングハートが。
戦闘中に幾度も接触し先程コンクリートの上を転がったからか。コアは兎も角、柄の所々には傷が見受けられた。
フェイトはそれが落ちている所まで足を運ぶと、柄を握って拾い上げる。


「…………」


レイジングハート片手に、無言で見やったのは倒れ伏している少女。
分かり切っていた事だが、眠っているかのように微動だにしない。
一度、視線を少女とデバイスの間で行き来させると、フェイトは表情を僅かに曇らせた。

罪悪感――昏倒させた張本人で或る自分がこれを感じるのは、おこがましい事この上ないが、それでも抱かずにはいられない。
それは重々承知しているが、相手が戦闘開始前に放った言葉がどうしても脳裏に巻き付いて背徳感を締め付ける。

友達を怪我させられて黙っていられない――考えるまでもなく、ジェイルの事だろう。
ジェイル本人からも、高町なのはと数日間一緒に過ごしていた経緯は聞かされていた。
だから、連れ戻しに来た。自分達の仲間に為った少年を取り戻しに来たんだ、と理解は及ぶ。
もはや悪者が自分で或るのは間違いないだろう。ジェイルが自ら自分達の側に残ったとはいえ、切欠を作ったのは自分なのだから。

……それでも、それでも、だ。
そう自分に言い聞かせながら、フェイトは眉根を厳しく寄せ、眼光を鋭くする――母の期待を、信頼を裏切るわけにはいかない。
この罪悪感を振り切ってでも、何を振り払ってでも遂げたい願いが或るんだ、と。

もう少しで、手が届く。後少しで、あの憧憬の日々を取り戻せる。
懐かしいあの微笑みが、当たり前に為る日常がやってくる。母を助けてあげられる。

その為なら――何だって出来る。

心中で拮抗し続ける感情を抑え込みながら、フェイトは一度瞳を閉じて小さく息を吐く。
やがて、ゆっくりと瞼を上げると、倒れ伏しているなのはのすぐ傍にレイジングハートをそっと地面に置いた。


「フェイト、お疲れ様」

「……うん」


背後から掛けられた声――アルフの労いの言葉に返事こそするものの、声色に張りは無い。
未だ感情に折り合いが付ききっていない為か、自然と生返事に――しっかりしなきゃ、とフェイトは自分に言い聞かせながら振り返った。


「……そっちも終わったんだね」

「ああ。こっちは楽勝だったよ」


言いながら、アルフは首と視点を後方へ向け、フェイトの視線をそちらへと促した。
そこには、ビルの壁面近く、路上で俯せに倒れているフェレットが。
自分の相手と違い、まだ意識が或るのだろう。腹這いに為り、ほふく前身しながら自分達の方へと進んできている最中だった。


「――……待て……!」


如何にも腹から搾り出したかのような、苦しそうな、か細いが力強いユーノの声。
まだ声が出せるような元気が或ったのか、とアルフはフェイトに背を向け、ユーノが居る方向へと踵を返した。


「……アルフ、待って」

「え?」


一歩目を踏み出そうとしていたアルフ。それを、フェイトの声が制止する。
フェイトは不思議そうな表情を浮かべるアルフの脇を通り、ユーノが居る場所へ足を進め、近寄っていく。
目の前まで行くと、立ち止まり、沈黙――静かに、口を開いた。


「……何?」

「目的は……何だ?
ジュエルシードを、何に使うつもりだ……!?」

「……言えない」

「じゃあ……ジェイルに――僕達の仲間に、何をした……!
今、ジェイルは何処に居るんだ? 勿論、無事なんだろうな……!?」


ユーノは憤怒の孕んだ視線をフェイトへと突きつけると、横目で倒れ伏したなのはを見やる。
戻されたユーノの視点――再度フェイトに向けられた瞳には、刺すような憤りや怒りが噴出していた。
フェイトは、それを受けても無機質な表情を浮かべたまま、崩さない――表面上は。
胸中では迷いや逡巡が渦を巻いている――尤も、それが或ったからこそ思わずアルフを引き止め、自分が問いの矢面へと立ったのだが。

何処まで教えていいのだろうか、と。フェイトは迷いを伴った思考を奔らせ始める。
教えてあげたい。それが自分の正直な気持ち――口を開いてしまいそうになるが、考えなしにそれをすれば、どんな弊害が発生するか分からない。
絶対に失敗するわけにはいかないのだから。態々懸念事項を生み出す必要は無いし、極力避けるべきだ。

しかし、考える。これではあまりにも、と。
目の前のフェレットと、高町なのはは何も悪くはない。巻き込まれただけとも、被害者とも言える。
只、連れ去られた少年を取り返そうとしただけ。しかも、戦いを仕掛けたのは自分だ。

それでも勿論、自分達の目的や、これから為す事を口外する訳にはいかない。
しかし、許可を受けてはいないが、ジェイルの安否や、今どうしているかを教えるくらいはいいのではないか、と。

……これは、独りよがりな偽善と甘え。自分の我侭だ。
自分には自嘲の楔を、高町なのはとフェレットには謝罪の言葉を胸中で述べながら、フェイトは口を開いた。


「……ジェイルは、無事です。
でも、何処に居るかは言えない」


それだけ言うと、フェイトは踵を返す。
ジェイルの無事。それに少しは安堵したのか、ユーノは乱れていた呼吸と思考を整え始める。
しかし、それでも食い下がる事を已めはしない。

一度振り返り、ユーノのそんな様子を見やるフェイト――、


「――ッ!?」


――しかし、感知した違和感がそれを強制的に上空へと向けさせる。
視線の先には、自分の展開していた広域結界――その境界線に、罅や亀裂が入り始めていた。

……来た。
胸中で言いながら、フェイトはバルディッシュを握り締め、気を引き締める。


「――フェイト!」


急かすようなアルフの声を耳に入れながら、フェイトは一度頷くと、マントを翻して駆け出す。
地を蹴り、先に飛翔し始めたアルフに続いて自分も飛行魔法を行使――宙空へと舞い上がった。

だが、フェイトは飛び立った直後、一旦停止し振り返る。
瞳には、未だ目を覚まさないなのはと、自分達に何とか食い下がろうと腹這いを続けるユーノが映っている。


「……ジェイルは、私達の仲間です。
だから……あなた達はもう、出てこない方がいい。
このまま私達と戦うのなら……ジェイルとも戦う事になるから」

「――…………え?」


ユーノは、満身創痍のほふく前身を已め、フェイトが放った言葉の意味を反芻し始める。
……ジェイルが、仲間? 戦う事になる?
視線を送り意味を問うが、返答は無い。そんな事が在り得る筈が無い、と否定と拒絶を繰り返す。
フェイトはそれ以上、答えない――閉ざした口はそのまま、割れ始めた空を仰ぐと、今度こそその場を飛び去っていった。

遠ざかっていくフェイトの後姿を只呆然と眺め続けるユーノ。
この状況も、先程の言葉の意味も、何も訳が分からない――ギリッ、と憤りをそのまま、歯軋りに乗せる。
固いコンクリートの地面に拳を叩きつける様子は、まるで慟哭しているかのようだった。






















半円形に街を包み込んでいた赤い空、外界との境界線――広域結界の境目に次々と亀裂が奔っていく。
駆け巡っていく直線は広がる毎に速度を増し、まるで網目のような様相を呈し始め、それだけで瓦解の時は近いと誰もが予感出来る程だ。

パリンッ、と耐え切れなくなった結界の何処かが悲鳴を上げた。
それを皮切りに、次々とコーラスのように不協和音が鳴り響き、木霊していく。

――そして遂に、限界を迎えた。

ガラス窓を叩き割ったかのような穴が空き、そこを中心に結界を構築していた破片が地上に落下し始め、途上で霧散。
穿たれた空間から現れたのは、数人。いや、数十人にも及ぶ人影。
そして、その全て、全員が同じような制服に身を包み、手に杖等を持ち、武装している。
だが、その中でたった一人だけ風貌が異なる少年が居た――黒髪に黒の装束、佇まいも他の人間に比べて鋭いだろうか。


「――っ!?」


眼下に広がる光景を見た瞬間、少年――クロノ・ハラオウンの表情が驚愕に塗り固められる。
最初に見えたのは、現地住民と思われる服装をした少女が、地に伏せている姿。
そのすぐ傍では小型の動物――使い魔と思われる小動物が少女を介抱していた。気絶しているのだろう。

そして、それをやったのは恐らく、


「強装結界展開、急げっ!
絶対に逃がすな!」


此方の様子を伺いながら、街中を低空飛行する二つの影――漆黒のバリアジャケットで武装した少女と橙色の狼が、そこに居た。
クロノは半ば直感的に、こいつらが犯人だ、と悟ると部下へと指示を飛ばす。
指示を受け、数人の結界魔導師がすぐさま詠唱を開始――街を再び、先程の結界とは別種の魔力壁が覆っていく。


「あいつらを追う! 僕に続け!
残りはあの子の治療を最優先に、可能ならば事情を!
――散開!」


クロノは的中してしまった嫌な予感を振り払うように、矢継ぎ早に指示を出しながら一気に降下。
視線と下降先には、介入者に気づき更にスピードを上げたフェイトとアルフが。
その行動――逃走は、クロノの抱いた疑いを確信へと変貌させていく。

指示通り、クロノに武装管理局員二十八名が続き、結界魔導師四名は上空で強装結界を展開、安定させていく。
なのはとユーノの元へと急行するのは三名。クロノを含めた合計三十五名の管理局員が同時に行動を開始した。


「そこの二人! 止まれっ!」


通例のような警告――クロノとて、これが聞き入れられる筈が無いのは分かっている。
止まれと言われて止まるような人間なら、先ず犯罪を犯さないのだから。
予想通りと云うべきか。自分を一瞥しただけで変わらず低空飛行を続ける二人――返答として、更に速度の増していく逃走が齎された。

逃がすものか。クロノはそう言わんばかりに表情を引き締め、追走する局員を他所に追い立てる速度を上げていく。
あの少女を倒れ伏させたのも、広域結界を展開したのも、こいつらが原因で間違いないだろう、と。

魔法文明の存在しない世界で結界を張った――その中で、魔法を行使して少女と戦闘した。これだけで罪状は二つ。拘束しない理由は無い。
もしかするとだが、自分達が第97管理外世界付近へと出向いた原因――次元振動にも何かしらの関わりが或るかもしれない。
もはや、その疑惑は間違いないとさえ思える。

タスクを展開させ、考えを張り巡らしながらフェイトとアルフを追跡するクロノ。
一向に縮まらない距離へと苛立ちを感じて舌打ちする――が、漸く展開の終えた強装結界を確認すると、一旦その場で停止。

遠ざかっていく二つの影。
だが、クロノはそれを見ても動かない。
そこへ、遅れていた二十七名の武装局員が次々と集結していく。


「――ハラオウン執務官」


自分を取り囲むように展開する局員二十八名。
その一人から齎された指示を仰ぐ声を聞き、クロノはその場に居る全員を見渡した。

次元空間を断絶する程の次元振動――ロストロギアが関わっている可能性も或った為、異例、特例の人員が今自分の指揮下に或る。
正直、管理局が蔓延的に嘆いている人材不足を無視しているが、この場合はありがたい、と。

しかも、精鋭と云っても過言ではない面々。全員が空戦可能で或り、ある程度の場数をこなした経験も或る。
だからこそ、自分一人で相手に掛かる必要はない。
しかも、既に強装結界で一帯を覆い、逃走は不可能と為っている。

強装結界は生半可な攻撃ではビクともしない強度を誇る為、破壊するには大威力魔法で貫く必要が或る。
突破しようとすれば大きな隙が生じる――それを見逃す自分達ではない。
故に、焦る必要は何処にも無い。逃がす気も、手痛い抵抗を受ける気も無い。

だが万一の場合に備え、万全を期して全員で取り囲むのが得策だろう。
方針を決定付け、部下達へと指示と激を飛ばそうとしていたクロノだったが、視界に端に映った光景がそれを押し留めた。


「……隠れるつもりか」


見えたのは、逃走していた魔導師とその使い魔と思われる狼が、建物の中へと消えていく後姿。
入っていったのは、広がる街並の中でも一際大きいビル――百貨店。もしくは大手デパートだろうか、とクロノは当たりを付ける。

不思議に、怪訝に思いこそしたが、状況は自分達にとって良い方向に運んだとも云える。
先程の飛行速度を鑑みる限り、相手の機動能力は高い。
此方に分が悪かった――だが、一点に留まり、隠れてくれた事で包囲するまでの手間が省けた。


「――部隊を分けよう。
屋上と地下駐車場の二箇所から突入する組、包囲組の三つ。
包囲組の指示は僕が取る。突入組はそれぞれの小隊長の指示に従ってくれ」


張りがある了解の声を発すると、素早い動作で目標のビルへと向かっていく局員達。
クロノは、前々から打合せを済ませていたかのような統率の取れた動きを見やり、自分の後方に控えている包囲組へと視線を移す。
面々の引き締まった表情――それを確認し、空中で踵を返した。


「よし、僕達も行くぞ! 虫一匹通さない気でかかれ!」


ビルへの突入を開始した武装隊。
それに遅れまいと、クロノを筆頭にした部隊も降下していった。




















夜になれば来客を受け付けない筈のデパートに、けたたましい物音が木霊する。
聞こえてくる足音は十数人を越える、と簡単に予測が付く程、多重奏のように幾重にも折り重なり、反響していく。
上からも、下からも――それを耳に覚えながら、少年は悠々と歩を進めていた。

喧騒を他所に暗闇の中を歩いていく様は、まるで散歩の途中だと言わんばかりに。
歩を刻む毎に近づいてくる音を聞いても、鼻歌でも歌い出しそうな余裕は全く崩れない。

やがて、騒音が収まると、入れ代わりに静寂が浸透していく――嗚呼、此方に気づいたか、と。
少年――ジェイルは不穏な空気を感じ取ったが、それでも尚足を止める事なく、吊り上げていた口元を更に歪ませていくだけだった。

響いてくる足音は上階からのみ。ならば、自分が向かっている先に居るのは、地下駐車場から上がって来た部隊か。
そう予測を打ち立てながら、ジェイルは相も変わらず歩を進め続ける――見えてきたのは、通路の合流地点、一際広い空間。

そこには、嫌でも見覚えの或る服装に身を包んだ人間――時空管理局所属の魔導師が十名。
既に、杖の切っ先をと鋭い視線を、ジェイルへと向けていた。


「……君は、あの魔導師の仲間か?」


一人が、突き出した杖をそのままに一歩踏み出し、問いを投げ掛ける。
その背後では、ジェイルに気づかれないように気を配りながら、自分達の母艦と指揮官へと報告を入れる局員が。
尤も、ジェイルは気づいていたが、あの魔導師――フェイト君の事だろうね、と考えるまでもない質問の答えを浮かべると、歪ませていた口を開いた。


「まぁ、当たらずとも遠からず、かな?
詳しく言えば協力者だが、君達管理局側から見ればそう思われるのも仕方が無いからね。
否定はしない。肯定しようか――君の言う通り、私は彼女の仲間だよ」

「……投降しろ。
既にこのビルは包囲されている。逃げ道は無い」


小隊長のその言葉を皮切りに、その場に居る全員が身構える。
しかし、それを見てもジェイルの余裕は一向に崩れない。寧ろ、面白がるように首を傾げるだけだった。


「ほう、何故だい?
投降する必要性も、逃げる必要性も全く感じないが?」

「……もし、抵抗するのならば、此方も武力を以って君を取り押さえるしかなくなる。
痛い目をみたくないのならば大人しく投降しろ」

「ふむ、成程――だが、可笑しいね?
それでも、私に投降すると云う選択肢は浮かんでこないよ。
まぁ、当然と言えば当然か。ここは――、」


――私達の、巣の中だからね。


ジェイルがそう嗤うと同時――ドサ、と不協和音が空間内に木霊する。
問答を突きつけていた小隊長は、杖を突き出したまま一瞬固まると、恐る恐る聞こえてきた方向――自分の背後を振り返る。

……え?、と口にした言葉が一帯だけでなく、脳内でも反響する。
小隊長の頭の中は、そんな自分でも訳の分からない言葉だけで埋め尽くされていくばかり。

広がっている光景が、視界に映る全てが信じられない――何故全員が、自分以外の部隊員全てが、床に寝そべっているのか。
信じられないのか、脳の処理速度が追いつかないのかは、小隊長自身も分からない。
何が起こった、と漸く再起動し始めた脳が呟く――その時、視界の端で何かが、動いた。


「くくっ……存外呆気なく嵌ってくれたものだ。
追い詰めたとでも思ったのかね?――誘い込まれたのだよ、君達は。
私達の巣に、ね」


小隊長の耳には、ジェイルの声を気に留める余裕さえ、もはや無い。
意識と眼球の動き全てを傾注している先には、暗闇の中を、忙しなく動き回る影が或る。

だが、どれだけ瞳を凝らした所で、余りにも早すぎる為か、それが一つなのかどうかでさえ確認する事が出来ない。
只、それが纏っている色彩だけは否応無く分かる――鮮やかな、不吉な金色。
それが、室内で出せる限界速度を無視するかのような、在り得ない軌道で駆け回り――這いずり回り、蠢いている。
その軌道上に、細い何か――糸のような線が、見えた気がした。

手に持った杖と視線を右往左往させながら、後ろずさっていく小隊長。
ジェイルは如何にも陽気だ、と感じさせる足取りで、一人残された局員の脇を通り過ぎ、振り返った。


「おや、いいのかな? このままでは私を逃がしてしまうよ?
ああそれと、後ろには気を付けた方がいい」


どん、と小隊長は背後に衝撃と音を覚えながら、足を止める――いや、止めざるを得なかった。それ以上、動けなかったのだから。
ここに壁が或る訳がない。自分が今居る地点は、先程まで少年が居た場所の筈――だったら、自分の背後には今、何が或る?
身の毛もよだつような悪寒を、最後の勇気を振り絞って抑え込み、小隊長はゆっくりと、背後を振り返る。


――そこには何かが、或った――居た。


「嗚呼、そいつも初めての食事で興奮していてね。
加減次第では人一人くらい軽く殺せるのだが、今回に限っては安心していい。
マスターで或る私の言い付けは守るからね。何、暫くの間ベッドと友達に為る程度だ。
では、余興はこのくらいにしておこうか――さらばだ。名も無き管理局員君」

「あ……あ……」


――喰え、コガネマル。


恐怖で顔を歪めるのと同時、浮き上がる――持ち上げられる、小隊長の体。
病的に見開いた瞳孔の先には、金色に明滅する石――デバイスの、コアが。


『――いただきます』


その言葉の終わり際に、不快音が自分の体から鳴る。


「……ア゛ガッ――ア゛ア゛ァァァァァァァァッ!」


自分の口から上がる断末魔――痛い、とは感じない。
感じる暇もなく、彼の意識はそこで途絶えた。





















『――クロノ君っ!』

『分かってる!』


アースラの通信主任――エイミィから齎された通信に、半ば苛立ちを交えた返答をするクロノ。
すぐさま、自分と同じように上空でビルを包囲していた他の局員へと待機を命じ、悪態の舌打ちを口にしながらビル壁をなぞるように降下し始める。
クロノに若干遅れながら続く局員は三名。上で待機を続行しているのは五名。

鬱陶しいくらいの風切り音を耳に覚えながら、クロノが巡らせる思考の先には、急激に変化した状況が或る。
アースラでも急にモニター出来なくなった地下から突入した部隊。そこには、もはや通信でさえ繋がらない。
身を隠した二人組に奇襲を受けた――だが、それだけで指揮官で或る自分が動く必要性は無い。理由は他に或る。

通信が途絶する直前にアースラと自分達包囲組への齎された報告が、クロノの嫌な予感を掻き立て、降下速度を速めていく。
怪しい少年を発見。これより、確保する――それが最後。以降、一切通信が繋がってくれない。
地下から突入した武装局員の内約は十名。その全てと連絡が取れない。

やられた、と考えたくは無い。考えられないが、それしかこの状況に説明が付かない。
最後の報告から、ものの数秒で遮断された相互連絡を鑑みるに、その少年とやらが相当な強敵なのは間違いない。
だからこそ、自分が動かなければならない。指示を出した自分の失態でも或る事が、余計にその気持ちを強くする。

クロノが向かう先は、まだ件の少年が居るであろう階層。
左程時間は経過していない為、その階層に居なくとも付近に居るのは間違いない、と。


『――…………え?』


この場に居合わせていなくとも、呆けている様子が想像出来る程、困惑を滲ませるエイミィの声。
クロノは一度降下を停止し、上空から自分に続き降下してくる局員三名を見やりながら、再び通信を繋ぐ。


『どうしたっ!?』

『だ、駄目っ! クロノ君戻って! 早く!』


だから何が――。そう口にしようとしたクロノに聞こえてきたのは、別方向からの通信。
聞き覚えの或る声――それは、屋上から突入した部隊の小隊長の声だった。


『ハ、ハラオウン執務官! 逃げ――!』


ブチッ、と耳に痛い程の効果音を残し、断ち切られる通信――最後に聞こえたのは、他の局員達の阿鼻叫喚を想起させる叫び声。
背中に嫌な汗が伝うのを感じながら、先程まで突入部隊が居た筈の階層――屋上に近い階へと、視線と疑問を投げ掛ける。

やがて、応答が無くなる通信――それと同時に、在り得ない、とクロノはその場で思考と行動を硬直させた。
先程と同じような状況――余りにも早い通信途絶。
もしも、それを再び為したのが件の少年ならば、この移動速度は常軌を逸している。

外に出た形跡も何も此方は感知していない。故に、ビル内を移動した事に為る。それは、不可能とも云える。
階を隔てる天井が或るのだから。階段を一気に駆け上がったとしても、この移動速度は到底在り得ない。
障害物の多い建造物の中。しかも方向は上へ。外を降下する自分達よりも素早く移動出来る道理は無い筈だ。

どうするべきか等、考えるまでもない。エイミィの言う通り戻るべきだ、と。
クロノは軽率とも取れる自分の焦りで起こしたアクションに歯噛みしながら、降下から一転し、今度は上空へと急上昇し始める――その直後、


「っ!? 今度は何だ!?」


けたたましいエンジン音に振り返り、眼下を睨み付けるクロノ――そこには、地下駐車場から飛び出してくる車が。
しかも、一台ではない。全てバギーに分類される車が、列を為して一気に街中へと爆走し始めていた。

もはや何が起こっているのか把握し切れない程、脳の処理速度が追いつかない。
これ以上掻き乱される訳にはいかない――アースラは既にあの車をモニターしている筈。それを待とう。
そう決定付け、クロノは自分自身へと悪態をつきながら宙空で踵を返し、再び上昇を開始した――直後、


「…………え?」


自分のすぐ脇を落下していく三本の棒――見覚えが或りすぎた。
それは、間違いなく局員達が握っていた筈の、デバイスだったのだから。

急激に様変わりした状況に順応し始めたのか、もはや何が起きても驚かない。驚いて判断を鈍らせてはいけない。
クロノが抱いていたのはそんな心持――だったが、目の前で展開された光景には、ただ呆然とするしかなかった。
つい先程、エイミィが上げた間の空いた声に似た音声を、思わず口から洩らしてしまっていた。

そこに広がっていた光景――自分に遅れた為、上方にいた三名の局員――その三名の武装魔導師が、拘束されていた。
ビル壁から伸びる――何かで。

初めに想起したのは蟹の鋏。見方によっては二股の銛にも見えるだろうか。色彩は、鮮やかな金色。
それに挟み込まれた局員達は、声を上げる事もしていない。
だらりと頭と手足を垂らし弛緩している様は、それだけで意識を失っていると察せる程だった。


「っ!」


動きの止まっていた飛行と脳を再起動させる――同時に、ビル内部へと引き摺り込まれていく三人の部下達。
クロノはそれを追い駆け、局員達の消えた先――鋏が伸びていた階層の横へと辿り着くと、割れた窓ガラスの先へとS2Uを突きつける。

だが、そこには先程の鋏を伸ばしていた張本人が居た――どころか、連れ去られた局員達の姿さえ無かった。
クロノは視線を右往左往させ、内部を捜索するべきか、上に戻るか否か思考を駈け巡らせる。


――上空からガラスを叩き割るような音が鳴り響いた。


「――なっ!?」


突如、ビル壁を突き破って外へと飛び出して来たのは、人影――濃紫の髪を携えた少年。
明らかにサイズの合っていない白衣を纏い、頭部と右腕には服装と同じような色の包帯を巻いている。
いや、その異質な風貌でさえ、今のクロノにはどうでも良かった。

問題は少年の足場。乗っている何か――複数の刃を独楽のように回転させながら滑空している巨大な体躯を誇る、金色の何か。
そして、時折視界に捉えられる刃の形は微かに見覚えが或る――似ている。
と云うより、形状的に開くとしか思えない――刃の顎が開いた姿を想像した時、クロノが脳内で浮かべていた先程の鋏と完全に合致した。

蜘蛛のようにも、蟹のようにも、花のようにも思える異形は、もはや何が元に為っているのか想像も理解も及ばない。
だが、未だ全容は把握出来ないが、直感的に分かる――全部こいつの、こいつらの仕業か、と。
そうクロノが敵意を孕んだ鋭い眼光を向けると同時、


「くくくっ……! 見つけたぞ、君が指揮官か。
さぁ、幕は上がった――存分に踊り狂おうではないかっ!
だが、君達には――、」


――ここで、退場してもらう。


そう嗤いながら少年――ジェイルが、兇器を以った狂気が、管理局へと牙を剥いた。








[15932] 第13話 始まる終決――時の庭園へ
Name: 梅干しコーヒー◆8b2f2121 ID:af37fdb2
Date: 2010/04/08 21:47




雲一つの存在も許さない程、厚い膜が夜空を覆っている。結界の外には或るのだろうが、それを垣間見る事すら出来ない。
出るだけでなく、入ることすら困難。出入りの際には、結界の肝で或る魔導師の許可を得ねばならない。
展開されている強装結界は、外界へのコンタクトを一切遮断していた。


「…………」


それが、閉ざされている、と感じてしまう。
恐らく、この強装結界内において、上空を仰ぐ程の心の余地が或るのは自分――ユーノ・スクライア一人だけだろう、とも。
尤も、何の気なしに、だ。何が何だか分からない状況や疑問に、脳が付いて来てくれない。同時に、それが腹立たしくもある。
だが、決して思考を放棄した訳ではない。考えなければいけない事は山ほど或るのだから。

節々の痛む、軋む体は余り気にならない。気にしたとしても、悪態しか浮かばない。
それは、心の方が痛んでいるからだろうか――痛いと云うより、締め付けられるような苦しさが胸中で渦巻いているからだろうか。
傍らで、制服に身を包んだ局員達三名に介抱されている少女――なのはを思う度、ユーノの心は憤りや焦燥、自責の念と逡巡が膨らんでいく。
どうしようもない猜疑心が浮上しては信念を削り取り、沈んでいくの繰り返し。はっきり言わなくとも、堂々巡りに陥ってしまっていた。

ユーノが抱いている自責の念、慙愧の念と眼差しの先には、未だに意識が戻らない。眠っているように瞼を閉ざしたままの、なのはが居る。
局員の一人に両肩を抱き支えられ横たわっている痛々しい様が、余計にユーノの心を締め付ける――僕の所為だ、と。

止められなかった。それも、確かに或る。だがそれ以前に、巻き込んでしまった事が、今更ながら罪悪感を膨張させていく。
間違いなく、失礼だろう。こんな後悔を抱いてしまうのは。なのはの決意に対して無礼千万――完全に、蔑ろにしているのだから。
だが、考えてしまう。自分が巻き込まなければ、こんな怪我を負う事も、なのはの心を痛ませる結果にも為らなかったのではないか、と。


(…………あの、馬鹿。
何処で何してるんだよ……)


責任転嫁をするつもりは無い。だが、憤りは確かに或る。
高町家を去ってから、消息の掴めなくなったジェイルに対してユーノが抱いているのは、気懸かりと怒りだった。

なのはの起こした行動の根幹には、ジェイルを助けたい、その一念が或った筈だ。
そして、負けた。連れ去ったと思われる人物に――いや、認めたのだから間違いなく犯人はあの二人だろう。
だからこそ、ジェイルに対して憤懣やるかたない気持ちは隠せない――しかも、今は疑念まで入り込んで来ている。


(……出てこない方がいい。
戦う事に為る、か)


先程、金髪の魔導師が飛び去る間際に放った言葉が、ユーノの思考域へ釘と為って突き刺さる。
「ジェイルは、私達の仲間。このまま戦えば、ジェイルとも戦う事に為る」――信じられる筈が無い。ジェイルは自分達の仲間なのだから。
何故、襲撃した人間達の仲間に為るのか。理由など何処にも見当たらない。そんな道理も無い筈だ。
だが、言い放った魔導師の、悲しげな色を滲ませていた表情と声色が、それをどうしても振り払わせてくれない。


「……くそっ……」


こんな考え、消し去ってしまいたい。
そう言いたげに、ユーノは脳内だけでなく頭で被りを振る――ふと、視界の端で感じ取った雰囲気が、それを已めさせた。

なのはの介抱――懸命にフィジカルヒールをかけている局員には、何ら変化は見受けられない。
かなり体と魔力に無理を云わせているのだろう。表情に僅かな苦渋を浮かばせ、額には脂汗が滲み出し始めている。
その局員ではなく、他の二人。周囲の警戒や、他の部隊員達へと連絡を取り合っていた筈の二人の様子が、何やら剣呑染みてきていた。
それに中てられた訳ではないが、ユーノは眉根を寄せると、その二人が傾けている視線の先を、目で追う。


「…………何だ?」


見えたのは、光点。距離は相当或る。
恐らく、見ている先はここだろう、とユーノは視線を一度局員二人へと向け確認すると、再び戻す。

戦闘中、なのだろうか。しかも、二箇所で。屋上と壁面――同じビルの途上で、幾つもの光点が明滅していた。
屋上では金色と橙色を筆頭に、様々な形の光、魔力光が飛び交っている。
壁面では――。


「っ!?」


まさか、とユーノは思わず驚愕で大きく瞳を見開いてしまう。
ここからでは屋上と同じく詳細な状況は視認出来ないが、壁面で交差している魔力光の内、片方は水色。もう片方は赤色を帯びていた。
赤色の魔力光を微かに覗かせる人影は、水色に対して大仰には光を放出する事はせず、金色の巨大な何かに騎乗しながら、赤い縄を振り回している。


赤い、縄。ワイヤー。糸。
それは――ジェイルの十八番だった筈だ。


ユーノは一度両目を擦り数回瞬きすると、瞼を窄めて先程よりも目を凝らして再度確認を試みる。
朧げながら、段々と明瞭に近くなってくる視点――見えてきたのは、黒い制服を着た黒髪と、白衣を纏った紫髪。

――……ジェイルだ。

未だ顔や身長までは確認出来ないが、もはや間違いない。ジェイルと確定付ける為の要素が、揃い過ぎている。
心中で何かが音を立てて欠け、脳裏で何かが嵌った。「ジェイルは、私達の仲間」――ユーノの頭の中で、その台詞が木霊していく。

何故、あんなところに。しかも、管理局の人間と戦っているのか。
浮かんでは霧散していく疑問――疑念の泡を割っていくのは、ふつふつと沸いてくる怒り。


「あんの……馬鹿ジェイル……!」


その光景を目の当たりにした時、ユーノは思わずそう口にしていた。
なのはに心配を懸けただけでなく、管理局と戦う――只事では済まないだろう。
管理局は個人がどうこう出来る程、弱くも小さくもない組織――今日逃げおおせたとしても、いつの日か捕まるのは明白だ

ちらり、とユーノは未だ目を覚まさないなのはを見やる。
ここ一週間と少し、夜な夜な街を探索し、ジュエルシードの反応が見つかれば封印へと赴き、ジェイルを助け出す為の特訓を怠らなかった少女。
日を負う毎に、見るからに元気と覇気がなくなっていく様は、正直、痛々しかった。
とどめとばかりに、先程別の魔導師と戦いを繰り広げ、敗北。
こんな事、ついこの間まで普通の女の子だったなのはには、過酷過ぎ、残酷過ぎた。余りにも酷な結果だ。

険しく眉根に皺を寄せ、この場に居る三人の局員を一瞥するユーノ。
誰も自分の事は見ておらず、完全に思考の外へと押し出している――よし、と。


「…………今度は――、」

――僕が。


ユーノは、なのはと自分自身へとそう呟きながら、軋む体に鞭打って駆け出す。
ぶん殴ってでも、引き摺ってでも連れ戻してなのはに土下座させてやる、と。
厳しい眼光の先は、戦闘が繰り広げられているビルに向かって――そこに居るであろう、ジェイルに向かって。



















【第13話 始まる終決――時の庭園へ】


















大手デパート――その、外壁周辺空域。
宙空で水色の魔力光が駆け、放物線を描いて壁面へと殺到――爆音と煙幕が巻き上げられ、風船のように膨張していく。
次いで、破砕され撒き散らされたコンクリートの破片が、重力に負け次々と落下を開始した。


「――ははっ!」

「ちぃっ!」


嗤いを伴いながら、煙の中から土埃の尾を引き連れて現れたのは、濃紫の髪を携えた少年――ジェイル。
そのジェイルと相対している黒衣に黒髪の少年――クロノは、舌打ちを交えてすぐさまその場から飛び退いた。


「回せ!」

『あいさっ!』


合言葉のような一瞬のやり取りを一人と一つが済ませると、独楽のようにスピンの速度を増していくジェイルの足場。その一部。
現在、ジェイルの足場と為っているデバイス――コガネマルの体躯の一部で或る、金色の四つ刃が火花を撒き散らし、残像を以って回転。
それに伴い、刃と刃が高速で擦れ合う耳障りな音が、空気を裂いて周囲に波紋を広げていく。

無重力下だと錯覚してしまうような動作で、宙空で一度ふわりと漂い浮ぶジェイルとコガネマル。
次の瞬間、何の前触れもなく、打ち上げ花火のような軌道で上空へと搗ち上がった。

何を――。
クロノは怪訝に思いこそしたが、視線はジェイルを捉えたままS2Uを握り締め、何をされても対応出来るよう、構えを正す。

何を仕出かすか分からない。それは既に痛感している。つい先程突入部隊全滅と云う苦渋を舐めさせられたばかりなのだから。
付随するように、風貌や行動、異形の何かがそれを嫌でも誇張させていく――振り払うかのように、S2Uの切っ先を上空へと向けた。

同時、片手に水色の光弾を出現させ、上に掲げて魔力とプログラムを内包させる。
浮かび上がる球体――螺旋を描いて回転――、


「――いっけぇっ!」

『Stinger Snipe』


――S2Uを横一文字に振り抜き、閃光と為った水色の流星を上空へと射出した。
飛矢の如き弾丸が、途上で瞬き残滓を放出させながら目標へと一直線に立ち昇っていく。


「――ちっ!」


スティンガースナイプの矛先――ジェイルは、舌打ちを伴ってそれを睨み付ける。
一旦上空へ飛翔し、人体の構造的にも、意識的にも死角と為る頭上から襲い掛かる――制空権を得る目論見だったその行動を、急停止させた。

ジェイルの左掌に展開している赤いテンプレートから伸びている縄の端は、コガネマルの体躯の中心部分にリンク――それを振り、引く。
あたかも馬上の騎手のような挙動で方向転換を命令――カクン、とほぼ直角に折れ曲がる飛行軌道。
壁を蹴って飛び退くかのような軌跡で反転し、急加速を以って回避行動へと移行した。


「逃がすかっ!
――スナイプショット!」


術者の弾丸加速のトリガーワードを受け、水色の魔力弾が宙空で一度渦を巻き停止――魔力を再チャージ。
魔力内包量が規定値まで達すると、渦の中心から弾かれるように射出。
追尾先には、回避行動中のジェイルが居る。


「コガネマル!
――壁面に取り付け!」

『合点承知っ!』


迫り来る脅威を眼下に臨みながら、自身のデバイスへと指示を出すジェイル。
同時に、コガネマルの四つ刃が回転を急停止。
スピンさせていた刃の一枚を、すぐさま体躯から射出。目標はビル。その壁面へと。

杭のように外壁にめり込む金色の刃。切っ先の反対側から伸びているのは赤いワイヤー。
刃とワイヤーを経由し、ジェイルとコガネマルが壁面とリンクする。
喚き散らすようなモーター音を奏で、収縮していく赤い縄。それを伝って、壁面へと一気に飛び退いた。

それでも尚、魔力弾丸は追尾を停止する事はない――やはり、誘導制御タイプか、と。
そうジェイルがタスクの一つを行使して呟くと同時、指示通りコガネマルが壁面へのランディングを終える。
余っている刃は三つ――水色の魔力弾は後数秒足らずで直撃――、


「流せ!」


――矢継ぎ早に射出される刃の花弁。
連接刃のように折り重なると、ジェイルの視界を遮り、屋根のように斜めに覆いかぶさった。

激突する水色の弾丸と金色の刃。
連結している刃の内側――隙間から洩れる光がジェイルの瞼を窄めさせる。だがそれも、ものの数瞬。

斜めに展開された連接刃の上を滑り、スティンガースナイプはビルの外壁へと衝突、内部へと進入。
破砕されたコンクリートの破片が地上に落下し、煙幕がジェイルとコガネマルを覆い隠すように包み――ブゥン、と雀蜂の羽音のような耳障りな音が不気味に鳴った。

それに共鳴するように、金色の光が煙の中で筋を奔らせる。
直後、金の刃が顎を開いた状態で煙の殻を突き破り、クロノへと殺到した。

これはさっきの――。
見覚えの或り過ぎる鋏を目視するなり、限界速度を以ってクロノはその場から退避。
刃の発射地点を中心に、弧を描くような軌道で回避行動を開始した。
そのラインをなぞるように金の刃が追い縋っていく。


(くそっ! 捕まってたまるか!)


脳内で反響する警鐘を振り切りながら、クロノは全速力で飛行し続ける。
部下三人が一瞬でやられたのはあの鋏。不意を突かれたとはいえ、自分が見た時には既に意識を手放していた。
何か仕掛けがありそうだが、それを確かめるわけにもいかない。捕まれば、終わる。

背中に伝う汗が余計に戦慄を誇張させていく中、クロノは背後を振り返り追尾してくる刃を見やる。
視認したのは、相変わらず追ってくる刃が、二つ。

―― 一つ、足りなかった。

何処に――。
血の気が引くような心持で、周囲を見渡す。視界に侵入してきたのは刃の発射地点。
そこから伸びている三本のワイヤーが、いつの間にか途上で上へと折れ曲がっていた。
次いで、不穏な風切り音がクロノの耳へと届けられる。アラーム音にも思えたそれの発信源は、上から。


「――そっちか!」

「Stinger Ray」


クロノは上方へと視点を翳すと同時に、発射速度及び弾速重視の魔力弾を射出する。そこに或ったのは予想通り、残りの一枚。
後少し気づくのが遅ければ危なかった――そんなクロノの安堵を他所に、刃の顎が、閉じ、


「っ!?」


魔力弾丸は命中しただけで、霧散し、弾かれてしまう。
刃は、迎撃が勘に触ったと言わんばかりに、速度を上げ、遂にはクロノの視界が金色で埋め尽くされる、


「くぅっ!?」


間際、クロノはほぼ脊髄反射の如き反応速度で、水色の障壁を間に割り込ませた。
刃はそれでも前進を已めず、シールドを食い破らんとワイヤーを膂力として突き進み続ける。
だが、進むだけ。まるで疲れたと言いたげに段々と推進力を欠乏させていった。

刃自体に噴射機構のようなものは見受けられない。
ワイヤーを伸ばし過ぎたが故か、射程距離に反比例するように明らかに威力を落としていた。

……この攻撃、距離を取って射出刃を見逃さないように気をつければ防ぐのは容易いのか、と浮かんだ対策に思索を巡らせながら、クロノは真横を振り返った。
そこには、残り二枚の刃――確認すると、脅威の無くなった刃の方への防御を片手間に切り替え、S2Uをそちらに向ける。
肉薄する顎を開けた刃。それの距離が縮まるのに比例して、クロノの杖の切っ先に魔力が膨れ上がり、膨張していく。
規定値、臨界点に達した時――、


「撃ち抜けぇっ!」

『Blaze Canon』


――高熱を纏った砲撃が発射された。
弾丸と呼ぶには生易しい砲弾が、刃を弾くのではなく破壊する為に、大気を焼きながら切り裂いていく。

衝突し、刹那、鬩ぎあう刃と砲弾。
放たれたばかりのブレイズキャノンと、間延びしたワイヤーに支えられる刃。
決着はすぐについた。

ボーリングピンのように金色が宙を舞い、吹き飛ばされる。次いで、引き戻されていくワイヤー。
それは、クロノの障壁へと相も変わらず食い下がっていた刃も同じく。煙が晴れ、姿が再びあらわに為ったジェイルの元へ帰還していった。
クロノは、何とか凌ぎきった攻めに安堵するでもなく、疑念を抱きながらそれを睨みつける。


(……何て固さだ。
破壊するのは無理、か)


全力で放ったスティンガースナイプ。体制が崩れていたとはいえ、完全に魔力を凝縮したブレイズキャノン。
極めて高い威力と貫通性能を持つ、自分が行使出来る魔法の中でもトップクラスの魔法。勿論、あの刃を破壊する腹づもりも或ったし、出来るとも思っていた。
だがその二つを以ってしても、破壊どころか傷一つ負わせられない。下手な防御魔法よりも遥かに堅固だ。

あの奇妙な物体を破壊するのは、恐らく不可能。
故に、狙うならば術者――白衣の少年、と攻撃対象を完全に決定付け、クロノは再びジェイルへ向かって飛行し始めた。


(ほう……若いが、中々やる。
判断力も良い、技術も高い、経験を積んでいる節も或る。
くくっ、これは――、)


――当たりを引いたらしいね。
険しい表情で、自分を睨みつけながら接近してくるクロノを値踏みしながら、ジェイルは楽しげに濁った笑みを浮かべる。
何処の誰かは知らないが、精々、時間の許す限りテストに付き合ってもらうよ、と。
ジェイルは胸中でそう嗤いながら、自分の足場に為っているコガネマルから飛び降り、接面していたビル内へと着地した。

試運転、動作確認は今のところ良好だ。確かめておきたかった二点の内の一点――自律機動能力は既にかなりの水準に達している。
時空管理局の正規武装隊二十三名を一挙に壊滅、蹂躙したのだから、戦果も上々だ。

取り合えずは上手く運んだか、と言いながら、背後を振り返るジェイル。
穿たれた穴から僅かに光が差し込んでいるものの、ビル内部は相変わらず暗い。
ジェイルはその空間の一点――僅かに光を反射する糸を見つめ、ふむ、と溜息に似た息を洩らし、再びクロノへと視線を戻した。

PT事件――前史の詳細は忘れてしまっているが、ほぼ間違いなく、管理局は介入してきていただろう。
しかも、今回の歴史では自分が原因と為り、次元振動を引き起こしている。
故に、調査に赴くのは当然。危険が或る為、武装隊を引き連れてくるのも折り込み済み。
此方の戦力と云えば、テスタロッサ一味及び自分。どう足掻いたところで、彼我の戦力差は歴然だ。
それを初手で覆す為の手段が、この作戦――姿を現すと同時に、嵌める。

あらかじめビル中に張り巡らせておいた巣――通路に掛からないように、ステルス能力と強度のみに特化させた魔力糸。
ジェイルが突入部隊殲滅に使用したのは、それだった。
自分達が戦力を如何程保有しているのかどうかを知られる前に、情報を整理させる暇もなく殲滅、蹂躙する為の、罠。

他にやった事、準備していた事と云えば、自動車などが搭載している回転力を電力へと変換させる発電機関を改造、改良し、コガネマルへと搭載。
それによって生み出した電力――が、須らく纏う磁力と魔法を融合させ、常軌を逸した速度を作り出した。
魔力糸をレールに見立て、磁力浮上作用などを以ってコガネマルを疾走させる――それが、ジェイルの張った罠の正体。

限定条件化での蹂躙能力――コガネマルの自律機動トラップモードの試運転は、これで完了した。
暗闇だった事も相まり、何も知らない局員達には、金色の残像が蠢いているとしか感じ取れなかっただろう、とジェイルはその光景を思い返し、ほくそ笑む。

尤も、改良の余地は膨大に露見した。巣を張るまでに時間が掛かりすぎるのだ。
他にも、移動速度に自分の体が耐えられない事や、未だステルス性能に綻びが或る事など、問題は山積み。
拠って今回は屋上部隊殲滅はコガネマル単独で行かせ、下階で合流、今に至る。
が、その間自分は完全な無防備だった――まぁ、取り合えずはことなきを得た為、帰還してからじっくり検討しようか、と。

次は――。


「コガネマル、戻れ」

『あいさっ』


ジェイルは実験結果に満足しながら、コガネマルを待機状態――金色の指輪へと形態変化させ、左手に嵌める。
視線の先には、接近中のクロノが。ジェイルの様子を怪訝に思ったのか、一旦進行を已め、宙空で停止した。


「……随分と、余裕だな?
ていうか、それデバイスだったんだな。
悪趣味過ぎて分からなかったよ」

「何、別に余裕振っているわけではないよ。
それと、悪趣味ではなく凶悪、と言ってくれたまえよ。自分では良い趣味だと思っているものでね。
君にはお気に召さなかったかな?」

「ああ。
正直、正気の沙汰じゃないね」

「ふむ、私は至って真面目なのだが」

「……だったら、元から正気じゃないってことだ。
――改めて名乗らせてもらおうか。時空管理局本局所属執務官、クロノ・ハラオウンだ。
君を公務執行妨害及び、魔法使用禁止世界での魔法行使、その他余罪数件の現行犯で逮捕する」


カチャリ、と空中で一歩踏み出し、クロノはS2Uをジェイルへと向ける。煮え湯を散々呑まされてしまった為か、眼光は鋭い。
対し、ジェイルはそれを意にも介さず、白衣を撫でるビル風を心地良いとさえ感じながら、口を開く――開こうと、した。

むぅと眉根を寄せ、表情を思案顔へと変貌させるジェイル。
引っ掛かったのは、目の前の少年の放った言葉。
管理局の決まり文句は別にどうでも良かったが、[ ハラオウン ]の一言が、聞き捨てならなかった。
忘れる筈もない。時間逆行の弊害で欠落した記憶の中でも、それは最重要項目なのだから。


「……ハラオウン。
私の聞き間違いでなければ、そう聞こえたが?」

「そう言ったからね。
僕の名前はクロノ・ハラオウンだ」


敵意の眼差しはそのまま。再び名乗ったクロノを見て、ジェイルは胸中で苛立たしげに舌打を一つ。
ハラオウン。その要素が、この段階で介入されては拙い、と。
聞き間違いで或って欲しかったが、ここで嘘をつく必要性は何処からも見出せない。真実だろう。

どうするか――。
ジェイルは巡らせはするが、好手は浮かんではこない。

忘れてこそいるが、察しは既についている。
フェイト・テスタロッサがハラオウンに為ったのは、当然ハラオウン家に養子として迎えられたからだろう、と。
出来ればだが、その部分は前史と同様にしたかった。その術も半ばまで構築済み。
だったが、余りにも介入が早すぎる。未だ依存の段階は一里塚に達したばかり――まだ、手放すわけにはいかない。
始まったばかりにも関わらず、脳内で描いていた絵図に、僅かな亀裂が入る。

浮かんではこない――だが、一つだけ手段は或る。
PT事件の最終章で明かす目論見だった布石を早めれば、意識と同情の念はより加増されるだろう。フェイト・テスタロッサへの。
その手を打てば、ハラオウンが養子に迎える可能性を高められる。
だが、それがこんなに早い段階で露見してしまえば、この世界に来訪した部隊に、本局から増援を呼ぶ理由を与えてしまう。
変わらず、油断を感じさせない構えで自分を睨みつけているクロノを見ながら、ジェイルは思考回路がスパークする寸前まで思索を奔らせる――……仕方がない、と。

――予定を、早めようか。

博打に為ってしまうが、この際仕方がない。後はスピードとの勝負。
尤も、もう一人のジェイル・スカリエッティが介入してくる心配はない。
この世界に至る手段を、所持していないのだから。
それは、誰よりも良く知っている。

第97管理外世界への直通転送経路を保有しているのは、時空管理局だけ。
それを利用する事も出来ない。犯罪者に使用させる筈が無いのだから。
老人達も恐らく許可はしないだろう。慎重で臆病な為、知ったとしても先ずは様子見に徹するのは目に見えている。

コガネマルの改良に回せる時間も少なくはなってしまうが、あくまで最終目標を重視するなれば、しょうがないとも云える。
脳裏でそう決定付けると、ジェイルは口を開いた。


「――ふむ、では私も名乗ろうか。
私はジェイル。一介の科学者だ」

「……そうか。
なら、ジェイル。大人しく投降しろ。これ以上の抵抗は、無意味だ。
目的は身柄を抑えてから聞かせてもらう」

「ふむ、嫌だね。と云うより、何が無意味か理解しかねるよ。
未だコガネマルの性能実験も、目的も第一段階。まだ、捕まってやるわけにはいかない」

「だったら、力づくでも――、」

「――ジェイル・スカリエッティ」


…………は? と話を遮られた事に対し苛立ちを口にするでもなく、クロノは只、目の前の相手が放った言葉に呆ける。
何故、自分の口を途中で遮断してまで、その名を口にしたのか。意図が全く分からない。

時空管理局員で或る自分にとって、その名は聞き覚えの或り過ぎる名前。
最も悪名高いマッドサイエンティストの名前なのだから。
クロノは呆れのような、馬鹿にするかのような視線を、白衣の少年へと向け――何かに、気づいた。


「――――」

「くくっ、どうしたんだい?
私の顔に、何か付いているかな? それとも――見覚えでも或るのかな?」


……嘘、だろ。クロノはそう呟きながら、脳裏で何度も画像を確認し、瞼を擦ってジェイルを見直す。
執務官と云う役職上か、根が真面目なのかは定かではないが、時空管理局がマークしている主な犯罪者は、脳にインプットされている。
トップクラスの凶悪犯罪者――ジェイル・スカリエッティの罪状や顔写真が頭に入っているのは、当然の事だろう。

――それが、目の前の少年と、瓜二つ。
似ているどころではない。完全に、合致してしまう。

だが、在り得ない、とクロノは被りを振る。少年は明らかに自分より年下なのだから、と。
ジェイル・スカリエッティは、随分と昔から犯罪者として悪名を馳せている。年齢が合致しない。
しかし、何度見返してみても、脳裏で否定を繰り返しても、目の前の少年は――ジェイル・スカリエッティにしか見えなかった。


「くくっ、そうだ。
そうやって精々探るといい。だが――、」


――刻限だ。


口元を歪ませ、ジェイルが嗤うと同時。けたたましい轟音が結界内に反響した。しかも、鳴り已まない。
連鎖的に、リズムを刻むかのように断続的に木霊するそれは、目で確認するまでもなく、爆発音だと誰もが分かるだろうか。
それ程、けたたましく大気を震わせている。

クロノは纏まらない思考そのまま、ほぼ反射的に音の発信源を目で追い――驚愕した。
ごうごうと、まるで噴火するかのように赤い柱が明滅。もうもうと、黒煙が立ち昇っている。
場所は、結界の内壁――地響きが耳に届く度、強装結界に亀裂が奔っていく。


「くははっ……! く、くく――アーハッハッハッハッハッ!
いやはや、地上に咲く花火というのも中々乙なものだ」

「お前……何を……何をしたっ!」

「さぁ?
後でゆっくり実地見聞でもするといいよ。見られたところで何の感慨も沸かない消耗品だしね。
では、幕を引こうか。コガネマル、起動――デバイスモード」

『あいあいさっ。
デバイスモード起動――Please input the initial password. (初期パスワードを)』


クロノの問い詰めを無視し、ジェイルは指から金色の指輪を引き抜くと一度上へ放り投げ、引っ手繰るように再び左手で掴み取る。
疑問への答えの代わりに、クロノの耳へと齎されたのは、謳うように紡がれるジェイルの言葉――デバイスモードの初期起動に必要なトリガーワード。


「回すは剣戟、廻すは誓願、舞わすは鮮血。
黄金の快刀乱麻を以って比翼連理の蜘蛛と為せ――」

『――Approval.
Device mode Wake,up.(承認。デバイスモード、起動)』


機械的な音声が聞こえると同時、ジェイルの足元に描かれるテンプレート。
次いで、幾重にも折り重なった光の束が周囲を明滅させ、ジェイルの体を包み込んでいく。

その光彩に目が眩み、袖口で顔を覆い隠すクロノ。
だが、そうしていても尚、心中を埋め尽くしていくのはジェイル・スカリエッティと云う名前。

在り得ない筈だ。どう考えても。否定する要素は幾らでも或る。
あれ程幼い容姿をしている事も、第97世界に何故居るのかも、到底理解が及ばず説明が付かない。
だが、それを全て一蹴出来る程、少年の外見はあまりにも似過ぎている――本人を名乗られても、疑いを持てない程に。

堂々巡りに陥ってしまっているクロノの思考を他所に、霧散していく光。
突然の光量に中てられ、少々瞼が上げ辛かったが、クロノはそれを押し殺し、ゆっくりと視線をジェイルへと向けた。

姿は何も変わっていない。サイズの合っていない白衣もそのままだ。
だが、左手の先に浮かんでいる物体は、クロノの混乱を助長するに充分な威力を孕んでいた。

巨大な手裏剣か、風車か、花か。
何を模倣しているかは定かではなかったが、兎に角、それの全様は持ち主を覆い隠す程のサイズは或った。
先程まで少年が騎乗していた異形を縮小し、鋭利に研ぎ澄まし、何処か精錬したような美しさ――澄み切った禍々しさとでも云えばいいだろうか。

左手に展開されているテンプレートは、中心の四角いコアらしき物体に沿い、繋がっている。
その周囲にはリングが漂い、そこを基点とし四つの刃が――巨大な両刃の出刃包丁のような物体が付随していた。
全ての刃の腹には白い線――白詰草を模倣したが故の紋様。それが、水彩画のように描かれている。


「さて、それでは幕引き――起動テストの最終段階へと移行しようか」


言いながら、ジェイルは斜に構え、左腕を背後へと振り翳す。
呼応するように、周囲の埃を撒き上げ大気を撹拌しながら、高速回転を始めるコガネマル。
四角いコアを膜のような装甲で覆うと、弾かれるようにビル内部へ向かって撃ち出された。

何をするつもりだ、と全く意図の読めないジェイルの行動に戸惑いながらも、クロノは叫ぶように口を開く。


「答えろ!
お前――ジェイルと、ジェイル・スカリエッティは――、!」

「――それをここで聞くのは野暮と云うものだよ。興が削がれるだろう? 執務官。
それでは舞台は盛り上がりに欠ける。精彩を欠いてしまう。つまらない――嗚呼、面白みに欠ける。
どうしても知りたいのならば、正義を以って私の喉元に敗北を突きつけたまえ」


くそっ、と訳の分からない状況とジェイルの人を食ったような物言いに舌打ちするクロノ。
心中には焦りが、脳裏では焦燥と戸惑いが、それぞれ渦を巻いて判断力を削り取っていく。だが、やるべき事だけは明確に決まっていた。

目の前の少年を――ジェイル・スカリエッティと何らかの関わりが或るであろう人物を、こいつだけは絶対に逃がすわけにはいかない、と。
最後の気概を振り絞り、クロノはS2Uの切っ先をジェイルへ向け直し、魔力を注ぎ込んでいく。


『Radical――』


だが、既に攻撃動作に入っていた為か、早かったのはジェイル。
放つ刃は未だ未完成。だが、それ故にこの場で試しておかなければならない――仮面の男を殺害する為に。
今自分が保有している攻撃の中でも、最も殺傷能力の高い蹂躙刃――、


「――ハーヴェスター!」


快活な裂帛を放ち、腰を落としながら、ジェイルは背面へと向けていた左腕を一気に振り戻す――それと同時に、ビル内部からけたたましい物音が反響した。
突如、暗闇から飛び出してきたのは、先程姿を眩ませたコガネマル――暴風を纏いながらクロノへと一直線に飛来していく。

早――。
クロノの視界の中で、コガネマルが見る見る内に巨大に為っていく。
早い。確かに早いが、


「そんなものっ!」


クロノは叫びながら魔力収束を中断。空中で横っ飛びしその場を飛び退く。
それから数瞬遅れて、空気を切り裂く音を伴いながら、先程までクロノが居た場所をコガネマルが通過していく。
何かが来ると悟り、如何様にも素早く動けるように身構えていたのが幸いしたのか、難なく回避に成功した。

次いで、クロノが横目で捉えたのは赤いワイヤー。
端はジェイルの掌で描かれているテンプレートへとリンクしている。
もう片方は――目で確認するまでも、考えるまでもなく、先程のデバイスだろう、と。

恐らく、二段攻撃。
行きと帰りで標的へと飛来する攻撃方法。ヨーヨーのようなものだろうか。
そう当たりをつけ、戻ってくる脅威から遠ざかる為、その場から更に離れるべく飛行を開始――、

――しようとした直後、赤いワイヤーが一本、クロノへと向かってT字状に分岐する。
体制は崩れていたものの、上体を捻り、くっと呻き声を上げながらクロノはそれを回避。
脇腹の真横をワイヤーが通過――嗤うジェイル――バチッ、と空気を焦がす音が、聞こえた。


「……え」


上げた声が驚愕なのか戸惑いなのかは、クロノ自身も分からない。
気づけば、何の前触れもなく、瞬間転移してきたかのように、視界が金色で埋め尽くされていた。
近いではなく、眼前。風切り音が五月蝿い程に戦慄いている。

障壁が張れる程の距離も、時間の空白も無い。
危機を感じ取ったクロノの防衛本能が、咄嗟にS2Uを前面に押し出し割り込ませた。

刃と杖の柄が接触し、火花を散らす。
クロノは振動と衝撃で離しそうになる両手を、力の許す限り握り締め歯を食いしばる。
だが、無情にも赤い粉が舞う毎に、S2Uに罅が乱立し始め、削られていく――やられる、と。

そう、悟った時、


「――く、あぁっ!」


叫びながら、片手を離すクロノ――突き出した延長線上には、ジェイルが居る。
収束していく水色の魔力。何のプログラムも組み込んでいない只の魔力の弾――収束も圧縮も乱雑なそれを、射出した。


「っ!?」


防御を――。
予想外の反撃に、瞳を見開き驚愕するジェイル。
だが、自分の身を守る手段――コガネマルは現在、対象を蹂躙するべく手元を離れている。
未完成の刃。それ故にこの状況は想定していたが、まさか初撃で齎されるとは思っていなかった、と。
尤も、それの確認の意味合いも込めた実験だったのだが。

こういった状況に陥った時の為に、手段は勿論用意している。
だがそれは、仮面の男を殺す際まで知られるわけにはいかない。
くっ、と腹立たしげに舌打ちしながら、ジェイルは身を屈め、歯を食い縛った。

遂に耐久限界を迎え、掘削され真っ二つに折れるS2U。防御する術もなく、水色の弾丸に弾き飛ばされるジェイル。
クロノは呻き声を。ジェイルは舌打ちを。ほぼ同時に洩らし、両者共に爆煙に包まれた。

やがて、勢いを増したビル風が、流すように煙幕を霧散させていく。
それが早かったのはクロノ。折れたS2Uの破片を握り締めながら、胸元を抑えている。
見れば、黒色のバリアジャケットの胸元には大きく袈裟に直線が入っており、そこへ片手を押し付けるようにしている。
その間から、赤い液体が零れ落ちていた。

沸き水のように溢れ出す血液を臨みながら、クロノは荒い息をつく――何とか、切り抜けたか、と。
致命傷ではない。だが、重症と軽症の狭間の大怪我。
そこに意識を巡らせながら、ジェイルが居るで或ろう煙幕を睨みつけた。


「――……ふむ。
中々の判断力だ。止められない刃、後数秒で突破されるで或ろう防御。
無防備に陥っていた私を狙ったのは、実に英断だったよ」


ジェイルはそう言いながら、漸く晴れた砂埃の中から現れる。
いつの間にか、左手の先には先程の手裏剣のような四つ刃のデバイスが浮かんでいた。

クロノとしては、ほぼ苦し紛れで起こした行動――威力も、速度も中途半端なお粗末もいいところの魔力弾。正直、防御されると思っていた。
兎に角、何もしないままやられるわけにはいかない、と。やけっぱちだったとも云えるだろうか。


(……どういう、事だ)


クロノが疑念を抱いたのは、ジェイルの様子。
そう、やぶれかぶれで放ったのだ――ならば何故、少年は頭部から血を流しているのか、と。
バリアジャケットを着用しているのなら、難なく防げる程、脆弱な攻撃――それが何故か、物凄く効いていた。
勿論、放ったのは非殺傷設定。衝撃で吹き飛んだ際にでも頭部をぶつけたのだろうか。
だが、それにしてもダメージを負い過ぎている。

……バリアジャケットを、装備していない?
至った答えを確証へと導く為、痛いと云うより熱い胸元に荒い息をつきながら、クロノは思考を巡らせ始める。


(……少々、性能に頼り過ぎたか。
やれやれ……戦闘者と為る道程は中々険しいらしい)


戦闘続行が不可能だと判断するに充分なダメージ。それを負わせたクロノを確認しながら、ジェイルは胸中で弛緩染みた溜息をついた。
魔法とは云えないが、大威力を誇るラディカルハーヴェスターは、行きでラインを張り、帰りに引き戻す――ではなく、返す刃でライン上をリニアのように疾走する攻撃方法。
ワイヤー上及び、付近ならば、何処にでも常軌を逸したスピードでの飛来を可能とする。
が、既に分かっていた事だが、弱点は術者が無防備に陥ってしまう。其れ一点。

補う術は当然の如く折り込み済み。だが、未だ誰にも悟られるわけにはいかない。
露見するのならば、仮面の男を殺した後――切り札はまだ、明かせない。
だが、早速改良を加える必要性、余地が出来てしまった。しかしこの段階で試せたのは実に僥倖、とジェイルは苦笑する。

何せ、バリアジャケットを装備しているのは、自分ではなくコガネマルなのだ。
尤も、人型ではない為ジャケットではなく、装甲として、だが。バリアジャケットではなく、バリアアーマーとでも云えばいいだろうか。
これは、刃を堅固に、研ぎ澄まし、決して折れないようにする為。人型の枠に収めようとしなければ、発想次第で如何様にも創造出来る。
欲しい材料が手に入らなかったのも或るが、自分の魔力が凡人も良いところなのも理由の一つだ。
攻守どちらも取ろうとすれば、自分の戦闘能力が中途半端で終わってしまうのは目に見えていた。

故に、通常は防御用途のバリアジャケットをコガネマルの刃に纏わせ、防御でさえ攻撃に転用した。
自分が装着しようと思えば出来る。だが、それではコガネマルの四つ刃は強度を欠乏させる。
尤も、中途半端を嫌った、と云う理由も或るが。

もう少し、自分にバリア出力が或ればと思う反面、そこを他の部分で補ってこその自分、と。
額を伝い、口元まで降りてきた血を白衣の袖口で拭きながら、ジェイルは楽しげに口元を歪ませた。


『――ジェイル。
こっちは終わったよ』


肩で息をしているクロノを眺めながら、思索に耽っていたジェイルの元へ繋がる念話。声の主は、フェイト。
嗚呼、そういえばそうだったね、とジェイルは苦笑しながら、念話へと意識を傾ける。


『意外と早かったね? 無理はしていないかい?』

『うん。大丈夫。
――もう、壊してもいいのかな?』

『ああ。頼むよ。
では、後ほど』


うん、と最後の確認を終え、フェイトは念話を打ち切る。
思っていたよりも余裕の或りそうだったその声に少々安堵感を抱きながら、ジェイルは空を仰いだ。

自分の企み通り、強装結界は今にも瓦解しそうだと察せる程に亀裂が奔っている。
それを為したのは移動機雷。クロノ・ハラオウンと戦闘を開始する直前に地下から発進させたバギーだ。

恐らく、陽動だと決定付け、見逃したのだろう。
屋上とビルの外壁で展開されている戦闘の方が、重要度はどう鑑みても高いのだから。
何せ、バギーには魔力反応も何も無い。誰も、乗っていなかったのだから当然とも云える。
選択肢からすぐさま外しても何の問題も無いと考えた筈だ。尤も、それは此方の目論見通りだが。

オカダンゴムシの習性――交替性転向反応と呼ばれる習性だけを転写したデバイスAI。
それを埋め込んでいる為、右へ左へと指示するまでもなく、走る。
それが避けるのは、物理的な物体だけ。魔力で構築された物体は、避けない。魔力を感知出来る機関を搭載していないのだから。
必然的に、周囲を結界が覆っている場合、何処を如何曲がろうとも内壁に衝突する。

積荷は自分お手製の爆薬と爆弾が目一杯。しかし、それだけで破壊出来る程、強装結界の強度は甘くない。
だが、一点に続けて矢継ぎ早にダメージを与えれば、破壊は叶わずとも著しく硬度を損耗させる事は可能。
そうなれば、砲撃が得意分野ではないフェイト君のサンダースマッシャーでも、破壊は容易い、と。

そんなジェイルの思索に応えるように、金色の柱が上空へと立ち昇る。
発射点は屋上。粒子を閃かせながら飛んで行き、奔っていた亀裂へと杭のように突き刺さった。
次いで、爆発。耐え切れなくなった強装結界は割れ、破片が雨のように地上へと降り注ぎ、霧散していく。
中々、風靡なものだ、と消えていく結界を眺めながら、ジェイルは転送魔法を発動させ、


「っ!?」


足元に魔法陣が描かれた直後、左手を突き出し、コガネマルを翳してすぐさま円運動をスタート――そこへ、水色の魔力が襲い掛かった。
だが、威力と内包魔力は然程無く、回転している四つ刃に弾かれ、蒸発する。


「……まだそんな元気が或ったのだね。
大人しく静観していればいいものを――傷口が広がるよ?」


スピンを止めさせ、その先に居る魔力弾を放った相手を見据えながら、ジェイルは口を開いた。
そこには、苦しげな呼吸は変わらず、折れたS2Uをジェイルへと突き出しているクロノが居た。


「はぁっ……はぁっ……。
君を逃がすよりは、マシだ」

「くくっ、見上げた根性だ。
だが、もう撃てないのだろう? 悪足掻きは已めたまえ。
尤も、その姿勢は嫌いじゃない。好意に値するがね」


ジェイルの言葉通り、既に限界だったのか、クロノは上体を屈めて胸を抑えだす。
無理矢理動かそうとすれば、痛みがそれを阻害し動きを強制的に遮断してしまう有様だった。
情けない、と自分を叱咤しながらも、ジェイルを睨む眼光は衰えない。

S級次元犯罪者――ジェイル・スカリエッティ。
そして、目の前の少年は確実にそれと何かしらの関係が或る。
もしかすればだが、本人かもしれないのだ。
時空管理局が数年もの間捜査を続けても、消息さえ掴めなかった人物――その、手掛かり。

逃がすわけには――。
だが、強い意思に反して、体は言う事を聞いてくれない。
そして、その思いを踏み躙るかのように、ジェイルは再び転送魔法を発動させる。
もはや、クロノにそれを制止する力は、残っていなかった。


「では、御機嫌よう。
最後に礼を言おうか。若き執務官。
君は実に優秀で、実に有能で、実に――嵌め易かった」


心底愉快そうに嗤いながら、掻き消えていくジェイルの輪郭。
クロノはそれを、歯噛みしながら見つめる――が、


「――ジェイル!」


消失していくジェイルの姿――そこへ、ビル内部の暗闇から一つの小さな影が飛び出した。
ジェイルは聞こえてきた声に振り返り、驚愕――それでも、転送魔法は止まらない。


「スクライ――くぅっ!?」

「逃がすも――うわぁっ!?」


ジェイルの顔面へと頭突きするユーノ。衝撃で僅かに仰け反るジェイル
取っ組み合いが始まるかと思われた間際――二人の姿は、消失した。
クロノは只呆然と、唇を噛み締めながらそれを眺める事しか出来なかった。








[15932] 第14話 絡み合う糸――交錯の中心座
Name: 梅干しコーヒー◆8b2f2121 ID:5daf610c
Date: 2010/06/16 22:28





幾重もの半透明パネルが折り重なり、画面内を文字列が上から下へと滝のように流れていく。
機械独特の排音と、タイプ音が引切り無しに木霊する中、リンディ・ハラオウンは艦長席に座り、表情を曇らせていた。
階下には部下達。忙しなく端末を操作する人間、慌しく動き回る人間。その誰もが、表情や雰囲気が剣呑染みている。
悪い言い方をすれば、落ち着きが無い。だが、それも仕方が無い、とリンディは曇った表情そのまま、胸中で呟く。
一度嘆息すると、椅子の腰掛から背を離し、自身の端末の操作パネルへと手を伸ばし、画面を立ち上げた。

リンディは、眉根を顰めながら、浮かび上がった画面を只無言で注視する。
映し出されているのは、普段彼女が多々目を通す報告書の類ではなく、階下の局員達数人が見ているのと同様の顔写真付き手配書。
それを確認する度、表面上は兎も角、リンディの心中では疑心が駈け巡っていた。
自分が動揺すれば、部下達にも影響が及んでしまう。そう自身に楔を打ち心を静めるものの、眉根は自然と厳しくなっていく。


「艦長」


背中越しに齎された声に振り返るリンディ。
視線を向けた先には、簡易端末を小脇に抱えた女性――アースラの通信主任、エイミィ・リミエッタが居た。
エイミィは、リンディが自分に気づいた事を確認すると、艦長席の横へ歩を進める。


「頼まれてたデータ、纏め終わりました。
って言っても、殆ど分からない事だらけなんですけど。
現状では、これで全部です」

「そう。相変わらず早いわね。
ご苦労様――と言いたいところだけれど、早速見せてもらえるかしら?」


はい、とエイミィは言いながら頷くと、持っていた簡易端末をリンディへと手渡し、起動させる。
立ち上がった画面には、先程までリンディが見ていた手配書の顔写真や手裏剣のような物体を筆頭に、他にも様々な画像が映し出されている。
その全てに文章や文字列が表記され、重要と考えられる一文には、一際目に付くような配慮が施されていた。

リンディは瞳を忙しなく動かし、受け取った内容へと目を通していく。確認し終えると、ウィンドウを操作し次のパネルへ。
それを数度繰り返し全てを見終わった時、紫髪の少年と巨大な手裏剣が映し出された画面で固定させた。
陰っていた表情に、更に不穏な色を滲ませながら、口を開く。


「……無関係、とは如何考えても思えないわね。
エイミィ、あなたはどう考えてる?」

「艦長と同じ、ですかね。
……というか、疑うなって言う方が無理ですよ。
この子、似てるってレベルじゃないですもん」


エイミィの意見に、胸中で同意しながら再びウィンドウを見やると、リンディは再度端末を操作し、画面を切り替わらせた。
表示されたのは二つの顔写真。どちらも濃い紫髪、金色の瞳を携えている。
それを、リンディとエイミィは、間違い探しをするかのように見比べ始める。一通り終わると、顔を見合わせた。


「やっぱり……おかしい、ですよね?」

「外見年齢の事?」

「はい。もしも、もしもですよ?
この子が……いえ、この男が本当にジェイル・スカリエッティなら、少なくとも、あたしより年下ってのは在り得ないですよ。
だって、手配書の顔写真大人ですし。どれだけ若く見積もっても、二十台半ばが関の山……だと思います」

「自分を若返らせた。その可能性は?」

「……そこはあたしも可能性の一つとして考えたんですけど、やっぱり腑には落ちませんね。
生命操作技術の権威……そう言われてる節もありますし、それが出来る可能性は或るかもしれません。
でも、若返らせるって言ったって……こんな子供になる理由が分かりませんよ」


そうよね、とリンディは相槌を打ちながら、端末の画面へと意識を傾ける。
少年――ジェイルと名乗った人物と、S級次元犯罪者――ジェイル・スカリエッティ。何処を如何鑑みても、関係性が無いとは考えられない。
名、容姿。その二つの要因だけで、本人を名乗られても何の疑いが持てない程、あらゆる点が合致し過ぎている。


(……ジェイル・スカリエッティ本人の可能性は……100%近い。
けど、100%じゃない、か)


如何しても少年がジェイル・スカリエッティだと確信出来ない、とリンディは思考を巡らせながら、胸中で呟く。
エイミィの見解通り、外見年齢が幼すぎるのだ。正直、理解が及ばない。若返った、その可能性は零では無いだろう。
しかし、若いではなく幼い。そのレベルまで肉体年齢を巻き戻す必要性が、見出せない。

……でも、やるべき事に変わりはないわね。
リンディはそう自分へと言い放つ。ジェイル・スカリエッティで或ろうと無かろうと、自分達が為すべき事は、少年の身柄を確保する。
その一点は揺ぎ無い。だが、そう付け加えた時、同時に脳裏を掠めたのは、僅かな不安と、大きな自責の念だった。

既に今の段階で後手後手に回っているのは事実なのだ。そしてそれは、自分の責任で或るのは間違いない。
何せ、初手で武装隊は過半数以上を壊滅させられ、アースラの切り札――クロノは重症を負い、デバイスも破壊され数日は戦闘不可能。
現在、此方に残された戦力は、万が一に備え待機させていた武装局員が八名と結界魔導師四名。
まさか、待ち構えられていたとは思わなかった。しかし、それも言い訳にしかならないだろう、と。


「……本局は応援部隊を寄越す方針だそうです。
早ければ、明後日にでも」

「そう……。
それまで、何とかするしかないわね」


横目でリンディを見やりながら、エイミィは声を掛けようと――喉元まで出掛かった言葉を、飲み込んだ。
今、リンディは「それまで」と口にした。無意識だろう、「それまでに」とは言わなかった。
現場の統括指揮官と云う立場上、気丈に振舞っているが、誰よりも辛い筈だ。実の息子が、大怪我を負ったのだから。

そして、状況は芳しくないどころか、最悪だ。
謎の少年は何をしようとしているのか不明。武装隊は壊滅。ロストロギアは奪われた。
現地住人の少女が傷を負わされた。あまつさえ転送魔法に巻き込まれ、姿を消したイタチ――変身魔法を行使していた魔導師の問題も或る。
人質に取られる状況も想定しておかなければならない。だが、事実上打つ手は皆無だ。
報告書、始末書は山のように積もるだろう。今の状況では、そこまで辿り着けるかどうかも定かではないが。

だが、自分達はまだいい方だ。現場の最高指揮官である艦長は、責任を免れないだろう。
アースラスタッフは、艦長に落ち度は無いと考えているのが総意だ。だが、上はそうは見てくれない。
だからこそ、悔しい。自分達の力不足だ、と歯噛みし、エイミィはぎゅっと制服の裾を握り締めながら、モニターに映っている少年へと意識を傾ける。
そうする度、通信主任としての責務を満足に果たせなかった自分と、アースラクルーを壊滅させた少年に対し、憤りは禁じ得なかった。


「……エイミィ?」

「……え?」


言われて我に帰り、エイミィはリンディを見返す。
気づけば、知らず知らずに険しい表情をしていたらしく、顔が僅かに強張っていた。


「……あの子とクロノの様子、見てきてもらえる?
それと、少し休憩してきていいわよ」

「あ、はい」


「あの子」とは、現地で保護した少女の事だ。外傷こそ軽症なものの、魔力によるノックバックで、未だに気を失ったまま。
だが、もうそろそろ目覚める頃。事情も聞けるだろう。
それに正直、データを纏め上げている時も、クロノの容態が気に掛かってしょうがなかった。

……少し、ナーバスになってるかもしれない。しっかりしなきゃ。
エイミィはそう自分を諌めると、一礼してその場から下がる。

ふと、ブリッジから立ち去る間際、エイミィは一度リンディへと振り返った。
……戻ってくる時、お茶でも差し入れよう。そう思いながら、その場を後にし医務室へと向かう。
歩みは自然と、足早になっていた。




















【第14話 絡み合う糸――交錯の中心座】




















機械的な排気音と、重低音が浸透していく。
部屋の壁面近くには、多種多様な機材が備え付けられ、中央には患者用のベッドが位置付けられている。
次元航行艦船アースラ――その一室、医務室では現在、一人の少女が寝息を立てていた。
尤も、寝息と云う程、穏やかではなかった。魘されている。近いのはそれだろうか。
時折苦しげに呻き声を上げる度、閉じられた瞼が苦悶で歪み、掛け布団が衣擦れの音を虚しく木霊させていく。


「……う……ん」


数度繰り返した後、なのはは、か細い声を伴いながら瞼を上げた。
寝起きは決して良い方ではないが、普段の数割増しで意識がはっきりしてくれない。視界も靄がかかったようにぼやけている。
明瞭には程遠い思考そのまま、なのはは数回瞬きを繰り返す。やがて、輪郭を帯びてきたのは、見覚えのない天井。
不思議に思いながらも、自分が仰向けに為っている事に気づくと、取り合えず体を起こそうとする。


「っ……」


上体に力を込めた時、体に走ったのは鈍痛。
なのはは訝しげに表情を曇らせるが、逆にその痛みで完全に起床したのか、意識がはっきりとしてくる。
痛む箇所を手で抑えながら、白い掛け布団を除けて上体を起こし、周囲を見渡し始める。

部屋には自分以外居ない。或るのは、見たこともない機械類だけ。
医務室――のようだが、自分が知っているものとは、雰囲気などが異なっている。近未来的、とでも云えばいいだろうか。
なのはは何の気なしにそう覚えながら、一通り室内を眺め終わり、最後に部屋の出口を一瞥すると、数拍只自分の正面を見つめる。

……ここ、どこだろう。
何度思い返してみても、心当たりは見つからない。未だ鈍さの残る思考では、余り物を考える事が出来なかった。

何故、自分はこんな場所で寝ていたのだろうか――。
そこまで考えて、痛みを伴って脳裏を掠める何かが或った。同時に、心の底から悔しさが込み上げてくる。


「……そっか……。
私……」


それ以上、言葉は続かない。なのはは、白い掛け布団毎、膝を抱えて顔を俯かせる。
視点は揺れ動いてこそいないが、何も見ておらず、虚空を彷徨っている。
ギュッ、と皺が拠る布地を痛いほどに握り締め、呟く――ごめんね、と。

辛うじて覚えているのは、黒衣の魔導師と戦ったところまで。未だ思考が混乱しているのか、最後に何をされたのかまでは思い出せない。
だが、分かる――負けた。それだけは、どうしようもなく理解が及んだ。受け入れたくはない。だが、受け入れざるを得ない。
今でも体を僅かに蝕む痛みと、纏まってくれない思考。こみ上げる無力感が、何よりの証拠だろう。

なのはは、膝の間に顔を埋め、声無き慟哭で肩を震わせる。
だが、そうする毎に傷心した想いは余計に抉られていくばかりだった。


「……あ。
良かった。目、覚めたんだね」


なのはは、ゆっくりと俯いていた顔を上げ、聞こえてきた声と、空気の抜けるような音の方向を目で追った。
そこに居たのは、茶髪の女性と、黒いコートを羽織った少年。エイミィとクロノだった。
一人では歩くのが億劫なのか、クロノはエイミィに肩を借りている。二人が室内に入ると、先程と同じような音を出しドアが閉まった。


「……えと」


小さな疑問の呟きを洩らすなのは。
それを耳に入れながら、エイミィは部屋に備え付けられていた椅子にクロノを座らせると、振り返る。


「ごめんね。起きたばっかりなのに。
何処か痛むところとか、ない?」

「は、はい。大丈夫です。
……あの、失礼かもしれないですけど、どちらさまでしょうか?」

「んー……。時空管理局って、分かる? 私達が所属してる組織なんだけど。
あ、因みに私はエイミィ・リミエッタ。エイミィでいいよ。
えっと……」

「あ、すいません。
高町、高町なのはです」


「そっか。なのはちゃんね」エイミィはそう言いながら、微笑む。
それに小さく会釈し、エイミィが口にした何処かで聞き覚えの或る単語――時空管理局を思い出そうと、思考を巡らせる。
確か、それは――。そこまで考えた時、はっ、となのはは室内を隈なく見渡し始めた。


「あ、あの!
何がどうなってるのか分かんないんですけど、ユーノ君は?」

「ユーノ君?」

「えーっと……私のお友達で、色々事情が或って今はフェレットの……」

「……あのフェレットか」

「……あの?」


クロノの、知っているような素振りだが、何処か煮え切らない呟きに、なのはは首を傾げる。
兎に角、無事なのか如何か。それだけでも知っておきたいと、クロノへと疑問を投げ掛けようと――それに先んじて、エイミィが口を開いた。


「えっとね、少しお話しさせて貰いたいんだけど、いいかな?
そのユーノ君って子の事も合わせて説明するから」

「……ここには居ないんですか?」

「……うん。
その辺りも説明したいから――」

「――……どうしてですか?
何処に居るんですか?」


険しさの混じった声色で、なのははそれだけを繰り返す。そんななのはを見つめたまま、エイミィは顔色を曇らせる。
話が続けられない事に困惑したのも確かだが、この子は何処か、危うい、と。
梃子でも動かない。視線だけでそんな思いを感じさせる程、なのはの瞳は真っ直ぐにエイミィに向けられていた。


「……連れ去られた。
この艦には、居ない」

「く、クロノ君!?」

「……連れ、去られた?」


言うべきか、まだ伏せておくべきか。迷っていたエイミィの代わりに口を開いたのは、クロノだった。
言葉の意味が理解出来ないのか、なのはは揺れる視点そのまま、クロノを見つめ、硬直する。


「隠せるような事じゃない。エイミィも、それは分かってるだろう?
今は、少しでも情報が要るんだ。そのフェレットを助け出す為にも。奴を捕まえる為にも」

「それは……そうだけど」


言っている事は分かる。クロノの言う通り、自分でも分かっている。
只、少女の様子を見ていると、口にするのが憚られた。どちらにしろ、その話はしなければいけなかったのに、だ。
結局、自分の代わりにクロノが言ってくれた事になる。何処か申し訳なさを感じながら、エイミィはクロノへと向けていた視線を、なのはへ戻した。


「ちょ、ちょっと待って下さい!
ユーノ君が連れ去られたって……えと、え?」


目に見えて狼狽するなのは。自分で口にして漸く意味を咀嚼した時、心中を埋め尽くしていく感情が或った。
連れ去られた。それは、連れ去った相手が居るという事。脳裏に浮かんだのは、黒衣の魔導師だ。
それ以外には、考えられない。なのはが自然と握り締めた拳は、小刻みに震えていた。

ジェイルだけでなく、ユーノも――。
自分の力不足。憤りの矛先はそこだった――それが、今は二つに。怒りさえ覚えてしまう。


「……聞きたいのはその辺りも含めてだ。
連れ去った人物――ジェイルという男について、知っている事が或るのなら教えて欲しい」

「…………え」


キチリ、と。
なのはの中で張り詰めていた糸が、嫌な音を立てた。





















頼りない照明だけが空間を照らし出す薄暗い空間。誰も使っていない一室の為、掃除も、整頓も行き届いていない。
全容に対し、住人が極僅かな時の庭園には、似たような部屋が多々存在している。中でも、ここは倉庫に分類される場所だった。
微細な埃が舞い、漂っている空気も淀んでいる。誰しも、先ずは息苦しさに顔を顰めるだろうか。


「…………」


室内には、緘口し、少年を睨みつける視線が或る。
対峙しているのは、フェレットと濃紫髪の少年。ユーノ・スクライアとジェイルだった。
ユーノの眼光は、縄で雁字搦めにされた状態でも、鋭さを一向に鈍くはしていない。只、黙って少年を見据えている。
飄々と。ジェイルは我関せずといった体でそれを受け流す。寧ろ、楽しげでさえある。互いの温度差は、目に見えて明白だった。
だが、ジェイルの後ろに居る少女は違った。フェイトは気まずそうな、申し訳なさそうな顔を隠しきれておらず、ユーノと目を合わせず、俯いている。

交わされる言葉は無い。沈黙だけが蔓延していく。
ジェイルとユーノの様子に変化はなかったが、フェイトは時間が経過する毎に、居た堪れなさそうに視線を右往左往させていた。


「……ていうかさ」


空気に耐えかねたのか、あるいは主人の様子を見ていられなかったのか、口火を切ったのはアルフだった。
三人から少し距離を置き、部屋の出入り口付近の壁に寄り掛かったまま、飽き飽きした様子でジェイルを見やる。


「結局、そいつどうすんだい?」


早く終わらせたい。アルフの声色には暗にそんな主張が滲んでいる。
と、言うよりも、アルフとしては、フェイトを休憩させたかった。戦闘が終わり、この場所に直行した為、まだ碌に休んでいないのだ。
主人の性格的に、敵とはいえこんな状態に追いやった相手に少なからず心を痛めている筈。この場はジェイルに任せたい。早い話、それがアルフの本音だった。


「今はどうもしないよ。私としても予定にない事態だからね。
方針が決まるまでは放置、そんなところだ」

「いいのかい? まだプレシアに何も聞いてないだろ?」

「聞いたところで私との意見に差異はないだろうしね。
それに、支障が出る程のイレギュラーではない、彼女もそう考えている筈だよ。
まぁ、場合に拠っては消すかもしれないが、ね」

「……ふーん」


余り興味のなさげな空返事を浮かべるアルフ――だが、内心では、僅かな苛立ちを感じていた。
まるで、プレシアとの意思疎通が出来ているようなジェイルの物言いが、何処か、気に入らなかった。
ちらり、とフェイトを盗み見て、アルフは自然と胸中で一つ、小さな溜息を洩らす。


(……何か、気に喰わないんだよなぁ……)


ジェイルが来てからというもの、プレシアからの虐待は也を顰めた。そこには、素直に感謝している。
だが、ずっと、母の為に。その一念だけで頑張ってきた主よりも、ぽっと出の少年の方が信頼されている。そこが納得出来ないのも事実だ。
それに、未だジュエルシードを集める目的。自分達にはそれさえ教えて貰えない。そして、ジェイルは知っている節が或る。


「……なんだか、なぁ」

「……アルフ?」


知らず知らず嘆息していた。それに気づいたフェイトが不思議そうに声をかける。
視線を受けてから、漸く口に出ていたことに思い至ると、アルフは気まずそうに頭を掻いた。

教えて貰えないのは、自分達が知る必要はないから。無理に聞こうとすれば、母から嫌われるかもしれないから。
フェイトがそんな風に考えているのも相まって、アルフとしても、中々聞きにいけない。
だが、もうそろそろ教えてくれてもいいんじゃないか、と思うのも、正直な気持ちだ。

……フェイトが寝た後とかに、どっちかに聞いてみるか。

胸中では疑念が渦巻いていたが、何でもないよ、アルフは表面上そう言うと、口を閉ざした。


「さて」


アルフの懸念も露知らず。ユーノの刺すような視線を浴びながら、ジェイルはそう言った。
興味も感情も特には滲ませないまま、話を続ける。


「先程口にした通り、君の処遇は当面の間放置としようか。
安心していい。大人しくしていれば、ことが終わるまでには解放するよ」


俄かに、ユーノが反応した。
捕まった当初は騒ぎ立てこそしたが、今まで緘口していたのは口も利きたくなかったからだ。知らず知らず、裏切られていたのだから。
しかし、このままでは何も好転しないだろう。今は兎に角、些細なものでも情報が欲しい。
ユーノは憤慨を押さえ込み、自分に冷静を言い聞かせ、疑問を口にする。


「……こと?」

「ジュエルシードを巡る戦いだよ。
早くて四日、長くて一週間。といったところだね」


ユーノは剣呑な眼光を一旦鞘に収め、ジェイルの言葉の意味を探り始める。
考え始めたところで最初に引っかかったのは「早くて四日、長くて一週間」その具体的な期限だ。
全てのジュエルシードを回収するまで――いや、違う。真っ先に浮かんだ考えを、すぐさま否定する。
期限云々を抜きにしての話。それだったら介入のタイミングが先程の戦闘では遅すぎる。
それに加え、既になのはが回収済みのジュエルシードを奪ってもいない。
ジュエルシードが目的じゃないのなら……駄目だ、分からない。どうしても行き詰る思考に、ユーノは悪態をついた。


(…………ていうか)


思考に耽った為か、幾らか冷静を取り戻した頭で、ユーノは別の疑問に考えを巡らせ始めた。
ジェイルの後ろに居る少女――ジェイルを襲った(?)少女へと意識を向ける。
先ず、ジェイルは何故襲われた人間と手を組んでいるのか。しかも、見るからに強制的だとか、脅迫の類とは違う。自発的だ。
それに――。


(……悪い子には……見えないんだよなぁ……)


見る限り、どうもそう思えない。確か、名前はフェイトだっただろうか。使い魔がそう呼んでいた筈だ。
「出て来ない方がいい」。今になって振り返ってみれば、あれも自分達のことを思っての忠告だったのかもしれない。
加えて、目の前で申し訳無さそうに俯いている様子は、どうしても悪人に見えない。

襲われた筈が、犯人と手を組み、あまつさえ管理局と敵対。目的も何も、考えていることが全く分からないジェイル。それに、どうしても悪人とは思えない少女。
ユーノには、何が何だか皆目見当もつかなかった。


「あ、あの……」


そんな中、おずおずと声が上がる。
声の主、フェイトは言いながら俯いていた顔を上げ、両者を交互に見やる。
数度そうした後、ジェイルを見つめた。


「何だい?」

「その……この子、帰してあげて欲しいんだ。
……駄目?」

「…………は?」


余りにも予想外な話に、ユーノは素っ頓狂な声を上げた。
申し出としては有り難いことに変わりはなかったのだが、それを差し置いても、口を開けたまま固まるしかなかった。


「ちょ、フェイト……?」


遠巻きに事の成り行きを眺めていたアルフも、これには驚きを隠せず、寄り掛かっていた壁から体を離した。
三者三様の反応を見せる中、ジェイルは意図を図りかねているのか、そのままフェイトの言葉の続きを待った。


「上手く言えないんだけど……その……。
あの白い子も、この子も……何て言ったらいいのかな……。
……うん。これ以上、巻き込みたくない、かな」

「ふむ。フェイト君らしい考えだ。
しかし、だ。今解放したところで、彼女達も関わってくるのに変わりはない。
いやがおうにも、再び巻き込むことになるかもしれない。管理局が介入してきた今となっても、ね。
尤も、これは可能性の話だ。だが、決して低くはないよ。
――それでもかい?」

「……うん。私の我侭っていうのは分かってる。
だけど、やっぱり帰してあげて欲しい。こういうの……嫌、だから。
……駄目かな?」


フェイトの言葉を聞き終わると、一旦視線を外し、ジェイルは考え込み始める。
解放の際、懸念される管理局の横槍は、壊滅させられたばかりで体制が整っていない今ならば、全く考える必要がない。
釈放するのならば、今この時を置いて他にないだろう。しかし、同時に危険性を孕んでしまう。知られているのだから。
不意の乱入だった為、転送魔法の位置変更をする暇がなかった――アジトが次元空間に停泊していることを、ユーノには見られてしまっている。

万が一の話。ユーノが管理局にこの場所の特徴を伝え、時の庭園と特定されてしまえば、当然、現在の所有者が照会される。
購買記録に照らし合わされれば、芋づる式にプレシア・テスタロッサの存在を嗅ぎつけられてしまう。
まだ、早いのだ。プレシアの存在が露見するのは、まだ、早過ぎる。
有事の際に備え、次元航行艦船を問答無用で攻撃出来る力が此方に或ることを知られれば、少なからず警戒されるのは明白だ。
それに、黒幕はジェイル・スカリエッティ――まだ、そう思わさせておかねば、今後の展開に支障が出る可能性とて或る。

……しかし、だ。
一旦思考から外れ、ジェイルは横目でフェイトを見やる。変わらず、向けられているのは懇願するような眼差しだった。
この哀願を。と、言うよりも、フェイトの願いを無碍にはしたくない。


「ふむ……」


突然、ジェイルは考え込む素振りを見せ、室内をうろつき始める。
その場に居る全員が不思議そうな視線を送るが、意にも介さず右へ左へ、行ったり来たりを繰り返す。
今、自分が何よりも渇望しているもの――高町なのは。自分の脳裏に焼き付いて離れない、強さの片鱗を垣間見せた少女。
予想以上で或り、期待以上。覚醒と言い換えても良い。何が起源と為ったのか。それがどうしても知りたい。今すぐにでも。

……今の今まで傍らに居たユーノ・スクライアならば、知っているのではないか?


「一つだけ聞きたいのだが」


言いながら、ジェイルはそう思い至ると、ピタリと立ち止まり、フェイトに「少しだけ待ってくれたまえ」と目配せをした。
フェイトはそれを受け、一度小さく頷き、ジェイルとユーノの二人を見つめ始める。

ジェイルとしては、なのはの強さの起源――それを知り得られるのならば、ユーノを釈放するのもやぶさかではない。
元々、利用価値が無いのだから。寧ろ、喜んで解放する。お釣りが来過ぎて恐怖してしまうくらいだ。
数拍置いて、質問が自分に向けられていることに気づくと、ユーノは訝しげに続きを催促する。


「……何だよ。
ていうか、僕とお前、今でも喧嘩の真っ最中なの忘れるなよ。
聞かれても、正直に答えないかもしれないからな」

「喧嘩の真っ最中?
……ああ、あの時のことかね。忘れていたよ。ふむ。そういえばそうだったね。
で? そんな些末ごとがどうかしたのかい?」


ピクッ、とユーノの眉が跳ね上がった。
苛立ちをそのまま眼光に乗せ、ジェイルを睨みつける。


「……些末? ジェイルが如何考えてるかは知らないけど、僕はまだ許してないんだからな」

「何だ、君は今の状況が飲み込めない程、頭の回転が悪いのかね?
空気が読めない。俗に言うKYと言う奴だ。勇気と蛮勇は別物だよ、フェレット」

「それでもだ。
僕のことは兎も角、一族のことまで馬鹿にされて黙ってなんかいられない」

「回転の悪い頭は実際に捻り回してみようか。
上った血も外に流せて一石二鳥だと思うよ。体毎冷やしてみるかい?」

「ふ、二人共落ち着いてくれないかな……?」


フェイトがそう言うと、左手の指から金色のリングを取り外そうとしていたジェイルだったが、途中で動きを已めた。
数秒間そのまま止まると、一度嘆息。待機状態のコガネマルを、元の鞘に収めた。


「……ふむ。やめておこうか」


ジェイルはそう言うと、背後を振り向く。
割って仲裁に入ろうとしていたフェイトに、悪いね、と声を掛け、ユーノに向き直った。

それを眺めると、体を強張らせていたユーノは、拍子抜けを喰らったように、微かに弛緩した。正直、本気でやりかねないと思っていた。
どういう風の吹き回しか。そう不審に感じながら、ジェイルの様子を窺った。


「そんな不思議そうな顔をしなくてもいい。
フェイト君の申し出を無碍にはしたくなかったのもあるが、君から聞き出したい内容は、何ものよりも優先されるからね。
そんなところだよ。横道に逸れたが、話を続けてもいいかね?」


チラリ、とユーノは横目でフェイトを流し見る。
怖がっている感じも、たどたどしい様子も無い。だが、何処か悲しそうにしているのだけは感じ取れた。

……悪い事しちゃったなぁ。

ジェイルは兎も角として。フェイトの様子に微かな罪悪感を覚え、ユーノは少々押し黙った。
やはり、悪い人間にはどうしても見えない。自分の解放を言い出したこともそうだ。
もしかすると、襲撃云々の件は、自分の勘違いだったのかとさえ思えてしまう。
何が本当で嘘なのか。混乱し始めるユーノだったが、一度深呼吸し、幾分か冷静さを取り戻すと、ジェイルへと視線で話の続きを促した。


「正直に話さないかもしれない。先程、君はそう言っていたが、何、別段虚実を交える必要性はないよ。
それに、君と駆け引きする気も、取引するつもり気もない。
うむ。では、話を続けよう。聞きたいのは一点、なのは君のことだ。
あの成長率、進化と言い換えても差し支えないだろうね。何故、彼女はあれ程急激に強くなったんだい?」

「なのはのこと……?
……ジェイルも、なのはの魔法の才能が高いってことは知ってるだろ?
それに、最近は凄く頑張ってたし」

「私の聞き方が悪かったのか、君の頭が悪かったのかは定かではないが、伝わらなかったようだね。
言い方を変えよう。そうだね、例えば、だ。何か日常に変化があった。特殊な訓練を行った。などだよ。
起源、起点、原因が知りたいということだ。でなければ説明が付かないからね」


何か、或るのだろう?
そう続けたジェイルの顔は、答えを待ち望んでいるのがはっきり分かる程、愉悦に満ちていた。
数秒間、そんな様子を黙って見ていたユーノだったが、正直に答えるか如何かは別として、取り合えず質問の意味を考え始める。
巡らせてすぐ、何か不思議なものを見るかのような視線で、ジェイルを見たまま小首を傾げた。


「…………。
いや、原因ってジェイルなんじゃ……?」

「む? 何故私が今の話に関わってくるのだね。
ああ、以前彼女の特訓に少なからず助言をしていたことは除外だ。そこは考えなくていい」

「じゃなくて、日常に変化があったと言えば……ジェイルが居なくなったことだと思うし。
それに、なのはが何で頑張ってたかって言えば……ジェイルを助けたかったからだし。
……ってなると、やっぱりジェイルが原因だろ?」

「…………少し待ちたまえ。私を助ける? 何からだね?」

「何からって言うか誰からって言うか……その子から」


言うと、フェイトの方へと視線を流すユーノ。それに促され、ジェイルも同じように見やる。
突然話の中心に置かれた為か、あるいはよく意味が分かっていないのか、フェイトは「わ、私?」と戸惑いながら、小さく首を傾げた。
全く予想外の反応を示した二人の様子と態度が、何処かおかしいと思ったのか、一旦頭で話を整理した後、確認も取る意味でユーノは疑問を口にする。


「えっと……確認なんだけどさ。
ジェイルがなのはの家出た後、その子……フェイトって子に襲われて連れ去られた……で、いいんだよね?」

「ああ。そうだよ。
その後、紆余曲折或ったが、ここに至るというわけだ」


もしかすると、フェイトに連れ去られたという前提が此方の勘違い。と思い、聞いてみたユーノだったが、当てが外れて再び考え込み始める。
連れ去られたのだから、助けようとした。だが、今のジェイルの素振りからして、助けを求めていた様子はない。
と言うより、「何から」と口にした辺り、本人に全く自覚がない。フェイトに襲われたのは、事実らしいけれども。
……何処でこじれてるんだ? そう思い、再度聞こうとしたユーノに先んじて、ジェイルが口を開く。


「……と、言うよりだ。何故、私がフェイト君に襲撃されたことを知っているのだね?
あの場に居た。という訳ではないだろう?」

「あ、うん。その場に居合わせたんじゃないけど、あの公園に色々残ってたから。
ジェイルの荷物とか、自転車とか、血とか。後、千切られたみたいな髪の毛も。
それ見てジェイルが誰かに襲われて怪我して、連れ去られた……って思ってたんだけど」

「公園? 私がフェイト君に襲われたのは市街地だが?
……ふむ。因みに、だ。何故、それがフェイト君だと?」

「えっと、雷の魔法が落ちるの遠くから見てたから。それに、現場に跡が残っててさ。
その子が使う魔法も雷系統だろ?
聞けなかったけど、なのはもそう思ったから戦って……ん? 市街地?」


疑問は幾つも沸いて来たが、決定的な違い、場所が噛み合わないことに気づくユーノ。
そんな様子を尻目に、ジェイルは漸く得心が及んだのか一度頷く。
次いで、近くにあった丁度良い高さの箱に腰掛けると、ユーノへ視線を戻した。


「私としては一刻も早く先程の答えを聞きたくてしょうがないのだが……まぁ、いい。
このままでは君の返答も支離滅裂になってしまいそうだ。先に紐解いておくとしよう。
先ず、なのは君の元から私が去った後、フェイト君に襲われた。そこは合っている」

「でもお前が襲われたのって、市街地……なんだよな? 僕達が見たのは公園なんだけど」

「ああ、それも私で間違いない。だが、襲った人間が違う。
昼頃に市街地でフェイト君に襲撃され、同じ日の夜に管理局の人間に襲われた。ということだ。
君が見たと言う雷。それは私を救出する際に放たれた魔法でね。
襲ったのではなく救った。フェイト君達にはあの時、助けてもらったのだよ」

「…………へ?」


空いた口が塞がらない。まさにそんな様子で呆けるユーノ。
……ていうか、襲われすぎだろ。そう呆れに似た感情を抱きながら、先程の台詞を反芻していく。何かが、引っ掛かったからだ。
今の話、何処かに聞き捨てならない台詞があったような――。
驚き過ぎた為か、何か大事な言葉を聞き逃した気がして、ユーノは脳内で何度も話を繰り返した。


「……っていうか、管理局!?
何で管理局にジェイルが襲われるんだ!? ていうか、管理局が誰かを襲うっておかしいだろ!
しかも、管理局が到着したのって今日の話だぞ!?」

「……管理局管理局と喧しいね。余り連呼しないでくれたまえ。
元から好意は抱いていなかったが……まぁ、色々或った為、今では殺意が沸いてくるのだよ、その名は」


考えてすぐ、違和感の在り処を見つけ出したユーノは、自然と声を荒げていた。
管理局が到着したのは、間違いなく今日のことだ。
それに、今は兎も角として、仮に前からこの世界に管理局の人間が居たとしても、ジェイルと敵対する理由が分からない。
何か勘に触ったのか、ジェイルは鬱陶しそうに顔を顰めている。その態度を鑑みる限り、嘘を言っている素振りは何処にも無い。


「管理局が何故この世界に居たのか。それは君に一切関係無いことの為、割愛しよう。
取り合えず、これで互いの認識に差異は無くなった筈だ。
では、話を戻そうか。なのは君が何故強くなったのかだが――」

「――……ジェイル、ちょっとだけ、待って」

「……む?」


漸く聞き出したかったことを得られる。
そう思いながら話を戻そうとしたジェイルを、事態を黙って見ていたフェイトの声が押し留めた。
フェイトはそのまま、どこか落胆を滲ませるジェイルの目の前を通り抜け、ユーノの前に来るとしゃがみ込んだ。


「……ごめんね」

「え、えっと……?」

「……あの子、戦う前にジェイルのこと聞いてきたんだ。……私、何も考えずに答えた。
あの時は、何でそんなこと聞いてくるんだろう、って不思議に思うだけだったから。
……私の所為だったんだね。あの子があんなに必死だったのって。
ユーノ、だったよね? ごめん」

「え、あ……うん。
その……僕はそんなに怒ってないっていうか……。
誤解が解けたからもういいっていうか……」

「……ありがとう」


フェイトは、僅かに微笑むと、すっと立ち上がる。
瞼を閉じて一拍、再び目を開くと、ジェイルへと振り返った。


「……ジェイル。さっきの話だけど、私、どうしてもこの子を帰してあげたい」

「……ふむ。どうしてもかい?」

「……うん。それに今頃、あの白い子も悲しんでると思うから。
気持ち、少しだけ……分かるんだ。出来れば、きちんと謝りたいって思う」


微かに哀調を帯びた瞳、懇願するような声色で「お願い」と続け、フェイトは口を閉ざした。
暫く、その様子を観察していたジェイルだったが、横目でユーノを一瞥すると、腰を下ろしていた場所から立ち上がり、考え込む。


(さて、どうしたものか……)


フェイトにここまで必死に望まれれば、ジェイルとしては拒む理由は全く無い。だが、問題はその方法。
ユーノを釈放する箇所は、デメリットこそ或るが難しいことではない。
難題は、謝罪したいという嘆願。「出来れば」とフェイトは言っていたが、そちらも叶えたいのが本音だ。

間違いなく、管理局に保護されている筈だ。日常に戻っていても、管理局の目は光るだろう。
直接会いに行く。ジェイルとてそうしたいのは山々だ。何せ、そこにはどうしても知り得ておきたい至高の宝が或る。
管理局の目を欺くか、あるいは再び蹴散らすか。もしくはユーノを人質に時間を稼ぐか。
そこまで考えたところで、ジェイルは脳内で嘆息した。それでは、フェイトは納得しない。悲しむだろう、と。

いっそのこと、別の――。


「――く、くくっ……。
そうだ……簡単じゃぁないか。く、ははっ……!」


突然、ジェイルは肩を揺らしながら、くぐもった笑いを洩らし始める。
どちらにしろ、残りのジュエルシード探索の為、第97管理外世界には下りなければならない。
より、効率的に。そう思索すれば、現地に潜伏した方が手間は省ける。
撤退などの際、次元空間に帰るより、現地の何処かの方が簡単に退けるのは明白だろう。
今までそうしなかったのは、設備が時の庭園にしかないからだ。
だが、簡易的、必要最低限の機材ならば潜伏先へと運び込めばいいだけのこと。

これならば、あちらが立って此方も立つ。考えてみれば良い機会だ。
そう呟き、何処か楽しそうな様子が滲み出ている笑いを已めると、白衣を大きく翻してユーノへと振り返った。


「よろしい! ユーノ・スクライア、君を解放しよう!
出立は明日、詳細な時刻は追って通達する。それまで惰眠でも貪っていたまえ」

「……え? いいのか?
あ、いや……僕が言うのも変だけど……」

「では、早速準備に取り掛かろうか。
くくくっ……嗚呼、楽しみだ! 実に心躍る!
なのは君、久方振りの君との邂逅は実に甘美なものとなりそうだよ!」

「聞けよ……」


何がそんなに面白いのか。ジェイルの不可解極まりない突然の豹変を不審に思うも、そういえばこういう奴だった、と。
当事者にも関わらず、完全に蚊帳の外に置かれたユーノは、何処か引っかかるものを覚えたが、只呆れていた。


「あの、ジェイル……ありがとう」

「礼には及ばないよ。寧ろ、礼を言うのは私の方さ。
嗚呼、フェイト君には護衛という名目でも私についてきて貰おうか。
プレシア君に小言を喰らうだろうが……うむ。些末事だ。適当にあしらっておこう。
そうなると私は兎も角、フェイト君の分まで採寸を計っておかなければならないね。
ふむ。この際だ。容量は無視し、細部まで精巧な造型を追求するとしようか。
おっと、引越しの準備も進めておかなければいけないね……ならば今の内に傀儡兵の権限委任もしておかなければ。
――嗚呼っ、こうしている時間も惜しい! やることが山積みじゃぁないか! すぐに取り掛かるとしよう!」

「え? あの、ジェイ――」


話を強制的に打ち切り、フェイトの手を握ったまま、足早に部屋の出口へと向かうジェイル。
今にも踊り出しそうな足取りで、流れについていけず呆けたままのアルフの横を通り過ぎていく。


「え? えっと、え?」

「く、くくっ……!」

「え? え?」

「アーッハッハッハッ!」

「えぇー………」


訳の分からないまま、戸惑った表情で瞬きすることしか出来ないフェイトを、ジェイルは高笑い毎引き摺っていく。
二人が去った後、部屋には沈黙が降りる。残されたユーノとアルフは自然と視線を合わせるが、互いに首を傾げるばかりだった。


「……ていうか。
あいつフェイトに何するつもりだ!」


いち早く我に返ったアルフが、弾かれたように部屋から出て行く。
それを呆然と見送ると、ユーノは、ふと、天井を見上げた。

自分となのはが思い浮かべていた、ジェイルが置かれているであろう環境は、実際は全く異なっていたわけで。
それが虚しいような、安堵したような。そんなことを考えていたユーノの耳に、部屋の外から何かの衝突音が入ってくる。
……多分、ジェイルだろうなぁ。
ユーノは何処か遠い目をしながら、内心呟いた。





















そっと、静かに。アースラから降ろしてもらった後、帰り道に拾ってきたサブバッグを机に立て掛ける。
真っ先にベッドへと身を投げ出そうと思ったが、視界の端に映った月が気になり窓際へと向かった。
足取りは、泥に嵌ってしまったかのように、重い。少女の顔色は、冴えないと言うより、暗い。
まだ、部屋の照明をつけていなかったことに気づく。だが、明かりをつける気にはならなかった。
……別に、いっか。投槍に呟くと、なのはは窓を開け、夜空を仰ぎ始めた。

望むと望むまいと。こうして、一人で物思いに耽るのはいつ振りだろうか。
少し前ならば、隣には相談に乗ってくれる人が居て。もっと少し前ならば、真摯に話を聞いてくれる人が居て。
嫌に落ち着いた今ならば、痛いほど分かってしまう。今は二人共、ここに居ないのだと。


(にゃはは…………)


…………。
もう、分からないよ……。

なのはは夜空から視線を落とし、俯く。胸中で洩らした筈の空笑いが、室内に木霊している気がした。
虚しい。ほんの数分前、こんな夜遅くに帰ってきたことを母に叱られたが、今は何を言われていたのかさえ思い出せない。
「……今日はもう遅いから、寝なさい。いいわね?」覚えているのは、最後の言葉だけだ。表情は多分、悲しげだった。
明日は学校だ。母の言いつけ通り、早く寝なければ、遅刻してしまうかもしれない。
でも――。

「…………眠れないよ……」


眠れれば、どれだけ楽だろうか。
もしかすると、今の自分は夢を見ていて、朝起きればいつも通りの日常が広がっているかもしれない。
二人共、戻ってくるかもしれない。そう思って、なのはは試しに、自分の頬を抓ってみた。


「……痛いなぁ……」


赤くなる程に抓った頬は、当然、痛かった。
痛むのは頬だけではなかったが、ずっと続いていた為か、鈍くなっていて今は気にならない。

思い返してみれば、この数週間は今までにないくらいに驚きの連続だった。
学校の帰り道に、怪我をしたフェレットを拾って――ユーノと、魔法に出会った。
二回目の封印をする時、ジェイルと出会って――少しの間だったけれども、一緒に頑張った。
朝起きたら、ジェイルは居なくなっていて――公園で血と見覚えのある髪の毛、ジェイルの荷物を見つけて、無事を願った。
助けたいと思って、負けてしまって――今はもう、ユーノも居ない。


「…………」


目を覚ました場所で聞かされた話が、今でも信じられない。何を信じていいのか、分からない。
助けたいと願っていたジェイルが、ユーノを連れ去ったなど、信じたくはなかった。
映像を見せられても、否定する要素を探した。けれども、間違いなく、自分の知っている少年だった。
今でも、現実味はない。何処か心に穴が空いたような、虚しさしか感じない。
なのはは黙りこくったまま、ベッドに腰掛ける。少し横になろうかとも考えたが、暫くそのまま、呆けるように天井を眺めた。


「……ねぇ、レイジングハート」

『What is it?(何でしょうか?)』

「私、何処で間違えちゃったんだろうね……。これから、どうすればいいのかな……」

『Please do not blame oneself. (自分を責めないでください。)』


……うん。
生返事になっているのが自分でも分かったが、多分何度言い直してもそのままだろう、となのはは再び口を閉ざした。
時計を見れば、いつの間にか日付の境目が近くなっていた。このままだと夜更かしになってしまう。
もう、全部忘れて泥のように眠ってしまいたい。そう思い、ぽふっ、とベッドに上体を預けた。


『However, about what does that man think?
Because the action is too mysterious, it is not possible to understand.
(しかし、あの男は何を考えているのでしょうか?
行動が不可解過ぎて、私には理解しかねます。)』

「ん、んー……私にも分かんないかな」

『And, it violated one's promise.
It doesn't adjust it still.
(それに、約束を反故にしたままです。
まだ、メンテナンスしてもらってません)』


そういえば、そんな話してたよね。少しいじけた様子のレイジングハートに、なのはは横になったまま苦笑する。
思い返すのは、初めて会った時のこと。ジェイルが陽気に笑いながらそう言っていた姿だ。
……そういえば――。

体を起こし、ベッドから離れるなのは。机に立て掛けておいたサブバッグの中を漁ると、目的の物を取り出した。
手に取ったのは、ジェイルがしきりに何やら書き綴ってたノートだ。確か、本人はレイジングハートの調整プランだと言っていた。
良かった。無くなってなかった、となのはは僅かに安堵の息を吐く。
中を見るべきか、勝手に見ていいのか。暫くなのはは逡巡すると、意を決してページを捲った。
このノートを見たところで、何も分からないかもしれない。だけれども、兎に角、今は、ジェイルが何を考えているのか、少しでも知りたかった。


「…………」


以前に一度、偶然だったが、公園で中身を覗いた時に抱いた印象は、落書きだった。
今もそれは変わらないのだが、より一層、酷い。只単に、絵が下手なんじゃないかとさえ思える。これでは、書き綴るではなく、書き殴るだ。
何か、自分でも理解出来るような部分はないか。そう自分を急かし、なのははページを捲っていく。
やがて、段々と読み取れるくらいの項目が増えてくる。多分、この辺から考えが纏まってきたのだろうと当たりをつけ、更に読み進めていった。


「……これ、メンテナンス……なのかな?」

『What will he has done.……(何をするつもりだったんでしょう……)』


改造……?
見るからに調整とかそんなレベルではないであろう内容に、なのはは首を傾げながら、目立つ部分や、重要そうに色分けされている箇所を食い入るように見ていく。
設計図らしきものが描かれている項目を捲り、次のページに差し掛かった時、ふと、手を止めた。
そこは今までと違い、文字と数式だけで書き記されている為か、幾分か見易かった。なのはが気になったのは、一際大きな文字だ。


「ディバイン……メテオール?」


その言葉を聞いて、レイジングハートは本来ならば流れない筈の汗を感じ取った。





















喧騒が聞こえる。ウィンドウ越しに覗ける光景は、いつになく慌しく、忙しない。
誰も彼も、早足に通路を行き交い、各々の持ち場へと向かい、帰っていく。見方によっては、右往左往しているとも取れるだろうか。
暫く、そうして佇んでいると、ふと、窓に映った自分に目がいった。

……酷い顔だな。

知らず知らずに眉根を顰めていた自分に対しそう自嘲すると、男は窓際から離れる。
執務机の横を通り過ぎ、部屋の中央に位置するソファーへと、腰を下ろした。
目に見えて疲れている様子はない。だが、時折洩らす嘆息には、微かな疲労の色が見え隠れしている。
暫く考え込んだ後、男は端末を起動させ、目の前にパネルを展開させた。


「ジェイル・スカリエッティ……か……」


時空管理局本局内において、今最も参照されているであろう映像データを見て、男は小さく呟いた。
突然現れた少年、ジェイル・スカリエッティ「らしき」人物が確認されてから、管理局は大きくざわついている。
数年もの間、管理局が血眼になって捜査しても、全く足取りが掴めなかったS級次元犯罪者。その、手掛かり。騒ぎ立てない方がおかしいだろう。
しかし、男――ギル・グレアムにとってこの少年は、他にも大き過ぎる意味を持っていた。
知られてしまっているのだ。何処までかは定かではないが、闇の書の詳細を、そして現在の所有者を。
しかも、相手はよりにもよってジェイル・スカリエッティ。知り過ぎている人間であり、同時に、名が知られ過ぎている。

何処でボタンを掛け間違えたのか。全く予想外の展開に、グレアムは眉根を厳しく寄せる。
それに、現地で事に当たっているリンディやクロノのことも気に掛かる。嘗て部下だった男の妻と息子なのだ。より一層、心配してしまう。
本局まで伝わってきた現地の状況は、これ以上ない程最悪だ。武装隊は壊滅、負傷者の中には、クロノの名前もあった。


『父さま』

「……アリアか」


声と同時、通信パネルがグレアムの前に展開した。
映し出されたのは、銀髪の女性。通信越しでも伺える特徴的な耳は、猫が素体になっている使い魔だからだろう。


『手筈通り、ロッテをアースラへ向かわせました』

「そうか。ロッテは何か、言っていたかね?」

『特には。只、クロノの件もありましたので、私の方から無茶をしないようには諌めておきました。
冷静さを欠かないように、と。すぐ頭に血が上る節があるので』


報告を聞き、グレアムは、ふむ、と小さな安堵の嘆息を吐いた。
これ以上、何も起こらなければいいが……。願うように胸中で呟くと、腰掛けていたソファーから立ち上がった。


「……ご苦労だったね。予定通り、リンディ提督には此方から話を通しておく」

『了解しました。では』


アリアがそう言うと、通信パネルが閉じる。消えたパネルを確認すると、グレアムはその場で暫く佇んだ。
アリアには、八神はやてを監視するように。入れ替わりでロッテには、アースラに合流しジェイル・スカリエッティの身柄確保を。
正直なところ、最善は自分達が身柄を確保する、だったが、もはやそれは叶わないだろう。管理局は動き始めているのだから。
ならばせめて、野に放っておくわけにはいかない。局の監視下に置けば、まだやりようはある。
闇の書を葬り去る――その悲願を達成する為に。最大の障害となった彼を、逃がすわけにはいかない。

嘗て、死にゆく部下を何も出来ずに見送ったあの時。自分の無力さを痛感し、呪ったあの時とは、違う。
もう二度と――。繰り返すわけにはいかない。そう強く言い放ち、グレアムは通信回線をアースラへと向けた。

……酷い顔だな。そう言って、ほんの数分前に垣間見せた彼の顔は、より一層、危うくなっていた。








[15932] 第15話 空見合うカンタービレ――過去と未来のプレリュード
Name: 梅干しコーヒー◆8b2f2121 ID:5daf610c
Date: 2010/06/21 23:13



ズキりと鈍く痛んだ胸に、無理矢理意識を覚醒させられる。
天井を見上げ、寝汗で気持ち悪くなった衣服に気づくと、クロノはゆっくりとベッドから起き上がった。
起きてすぐ。現在時刻を確認したのは、先日の事件からどれくらい経過しているか確認する為だ。見てみれば、もう少しで正午に差し掛かろうとしている。
随分な時間寝てしまった自分に、だらしない、と小さく嘆息。ベッドに腰掛け、着替え始めた。


「っ……」


大仰な包帯が巻かれている胸部。切り裂かれた傷は、縫合し終わっているにも関わらず、熱を孕んでいるような錯覚がある。
無理に動かなくとも、些細な切欠でも開くだろう。着替えの最中にも感じる痛みに、ふとそう思いながら、クロノは普段通り執務官服のズボンを履いた。。

自分に出された命令は、待機。不満は或るが、理屈も理由も分かる為、従うしかない。今の自分は、役に立たないのだから。
だが、起こしてくれてもいいじゃないか、と思うのも本音だ。
気遣ってくれたのだろうとは分かっていたが、クロノは少々やるせない気持ちになってしまう。


「…………。あいつ……」


自分の胸部に触れ、呟く。
完全にしてやられた自分を情けなく思いながら浮かんでくるのは、この傷を負わせた張本人、ジェイルと名乗った少年のことだ。
正直な話。一晩隔てた今でも、何が如何なっているのか分からない。現地住民の少女から得た情報が、余計にクロノを混乱させていく。

当初、彼は高町なのはと一緒に居て、ジュエルシードの回収を手伝っていた。
筈なのだが、敵に回り、あまつさえ自分達時空管理局と敵対。おまけに、態々自分がジェイル・スカリエッティだと臭わせてきた。
しかも、高町なのはを倒し、ジュエルシードを奪えた状況だったにも関わらず、しなかった。
目的が何なのか。と言うより、目的が或るのか。今となっては、そこから疑ってしまう。


「あ、良かった。クロノ君、起きてたんだ」


パシュ、と音を伴ってドアが開く。クロノが目を向ければ、そこにはエイミィが居た。
入る前にノックくらいしろよ、と一言物申そうと考えたが、これも今までも何度かあったことで。
今は別にいいか。そう胸中で呟くと、クロノは口を開く。


「もう昼だからね。まぁ、自然と起きるさ」

「ま、そうだよねー。でもまぁ、こんな時くらいゆっくり寝てもいいのに」

「まったく……こんな時だから、ゆっくり寝てなんかいられないだろうに。
で、何の用――」

「――くーろーすーけーっ!」


言葉を遮り、エイミィの後ろから声と共に飛び出す影。
聞き覚えの或りすぎる声と見覚えの或る姿を見てクロノは嫌な汗を流し、その場から弾かれるように退いた。
クロノが避けた為ベッドに突っ込む形となった人影は起き上がると、今頃抱きついていた筈だった少年をジト目で見つめた。


「……避けなくていいじゃんかー。折角久し振りに会ったのに」

「と、時と場所と僕の状態を考えろ!
…………ん? ていうか何でロッテがここに居るんだ!?」


叫んだことで響いた傷に悶えながら、ベッドの上を指差すクロノ。
銀髪に特徴的な猫耳をした女性、ロッテはクロノの態度が不満だったのか、むくっと起き上がり不貞腐れた様子で胡坐をかいている。
エイミィはそんな二人の様子に苦笑すると、足を室内へと進めた。


「そのことも説明しときたくて。まぁあと、もう昼だしそろそろ起こしてもいいかな、って思ってね。
ついでに、ロッテもクロノ君に早く会いたそうだったから、連れてきちゃった」

「ああ……もうこれ以上ないくらい目が覚めたよ」

「そりゃ良かった良かった。あたしのお陰だね」

「ロッテの所為だ。……ていうか、ロッテが増援ってどういうことなんだ?
増援が来るのは早くて明日……じゃなかったのか? 物理的にも、本局の内情的にも」


得意げに尻尾を振っている猫の使い魔を横目で流し見ながら、エイミィへと説明を求める。
管理外世界の為、物理的に時間が掛かってしまうことに加え、他所の部署から人員を引っ張ってくるしかない。
他にも事情はあったらしいが、どれだけ早くても、自分の記憶に間違いがなければ、先程口にした通り増援が到着するのは早くて明日だった筈だ。


「その件なんだけど、ロッテってば、偶然だけど地球に居たらしいんだよ。
だから、こんなに早く合流出来たってわけ。って言っても、ついさっきの話なんだけど」

「……いや、だから何で居るんだ? 地球って、管理外世界だぞ?」


そう、時空管理局の地上部隊が駐屯する管理世界ならば、偶然居合わせたとしても説明は付く。
魔法文明の存在しない世界に管理局は存在しないどころか、名さえ知られてはいない。
よって、ロッテが地球に居たというのは、如何考えても在り得ないし、不自然だ。短く考えて、クロノは訝しげにロッテを見やった。


「ほら、父さまの故郷が地球だってのはクロスケも知ってるだろ? まぁ、日本じゃなくてイギリスだけどさ。
仕事の方も一段落してたし、丁度時間あったから、別荘の掃除とか整理とかしてたんだよ。ま、休暇中だったってこと。
で、父さまから連絡受けて大急ぎでアースラに増援に来た。簡単に纏めると、こんな感じだよ」

「……ああ、そういうことか。全く、都合の良い偶然もあったもんだ」

「まねー」


この状況に一応の得心が及んだクロノだったが、ロッテの暢気そうな声を聞いて小さく溜息を吐いた。
嘆息こそしたが、猫の手でも借りたい状況で、この戦力増強は在り難いと思えた。考えてみれば、本当に猫だったわけだが。

リーゼアリア、リーゼロッテ。
本局でも指折りの実力者であり、自分の師匠でもある二人の力は、身に染みて知っている。
これ以上ない増援だ。昔からの流れで、今だにじゃれついてくるのを抜きにすれば、だが。


「……アリアはどうしたんだ? 一緒じゃないのか?」

「あっちはあっちで別件。それに地球に来てたのはあたしだけだからね」


……まぁ、これ以上贅沢は言えないか。
そうクロノは胸中で呟きながら、突然の来客ですっかり着るのを忘れていた上着を羽織ると、エイミィの脇を抜け部屋の出口へと向かう。


「クロノ君?」

「ブリッジに行く。艦長とも少し話し合いたい」

「無理しないでってば。怪我人なんだよ? 今のクロノ君」

「頭は動かせるさ。それに、只待機してられる状況でもない。
ロッテ、君も来てくれ。僕の方からも伝えておきたいことがある」

「はいはーいっと」


そう言って部屋を出て行くクロノに、ベッドから飛び降りたロッテが続く。
仕方ないなぁ、とエイミィは一人呟くと、肩を竦めて二人の後を追った。


「っ!?」


クロノが部屋の出口に差し掛かったと同時、アースラ艦内全てにけたたましい警報音が鳴り響く。
緊急事態を告げるアラームを受け、三人は一度その場で立ち止まった。


(まさか、またあいつか!?)


余りにも早すぎる再襲来にクロノは顔を苦々しく歪める。
数瞬、戸惑いこそしたものの、逸早く我に帰ると背後の二人に振り返り――そこで、止まった。


「……ロッテ?」


ロッテは天井を見やったまま、その場を動こうとしない。不審に思ったクロノが声を掛けるが、反応は無い。
エイミィも同じく突然の事態に戸惑っていたようだが、見る限り、二人の様子は明らかに異なっている。
驚きだけでなく、敵意を滲ませた眼光。幼い頃から親交の深いクロノにとっても、ロッテのこの顔は初めて見る類のものだった。


「……ん? ああ、ごめんごめん。ちょっとボーッとしてた。
さてと。行こっかねぇ」


ロッテは漸く声に反応すると、クロノの横を足早に抜けて去っていく。
慌ててエイミィもそれに続いていった。既にロッテから先程の剣呑染みた雰囲気は消え去っている。
……気のせいか?
クロノは訝しげに首を傾げたまま、二人の後を追った。









































学校中に、授業終了を告げるチャイムが鳴り響く。次いで、教室に居る全員が号令を合図に立ち上がり、一礼した。
心ここにあらず。授業中もずっと上の空だったなのはが、周囲と同じように行動したのは、半ば惰性だろう。
授業が終了する間際、担任の教員が何か大事な連絡事項を言っていたが、良く思い出せない。
疲れているのだろうか。多分、その通りだ、と考えて、なのはは微かに顔を伏せた。
表情を曇らせたまま、机の上に広げていた教材を中に仕舞う。気づけば、ノートはほぼ白紙。何も、書かれてはいなかった。


「…………はぁ」


休み時間に切り替わり、教室には楽しげな声が上がり始めている。なのはが洩らした小さな溜息は、喧騒に上書きされすぐに消えていった。
だが、自分の耳には嫌に残ったそれが、周囲の光景を、何処か別の世界の出来事のように感じさせてしまう。
自然と、俯く。片付け終わった机の上には、何も置かれていない。色の薄くなった瞳で、なのはは只それを眺めていた。


「……なのはちゃん?」


声が聞こえてから数拍置いて、はっとなり、顔を上げるなのは。そこに居たのは、紫髪の少女、月村すずかだった。
掛けられたすずかの声には、心配げな色が滲んでいた。それを感じ取ると、心中は兎も角、なのはは小さく笑った。


「あ……うん。ごめんね。ちょっと考えごとしちゃってた」

「……あんた、最近そればっかりね」


すずかの隣に居た金髪の少女、アリサ・バニングスが、何処か呆れたような、苛立っているような声をなのはに向ける。
声に釣られて、アリサへと振り返り、なのはは目を伏せる。違うとは分かっていても、それが責められている気がして、直視出来なかった。
そんな自分が嫌で、だが、そうせずにはいられなくて。「何でもないよ」と口にしたかった筈のなのはの表情は、余計に曇掛かっていくばかりだった。


「……すずか、行きましょ」

「え? ア、アリサちゃん?」


なのはのそんな態度が余計に勘に触ったのか、すずかの戸惑いを無視し、アリサは踵を帰してその場から離れていく。
どうしたらいいんだろうか。そう逡巡し、すずかはその場で二人の親友へと瞳を右往左往させる。


「……すずかちゃん、私のことは気にしないでいいよ。お昼ご飯、食べてきて」

「で、でも……」

「本当に、なんでもないから。本当に、ちょっと考えごとしてただけだよ」

「なのはちゃん……」


中身を感じさせない空笑いを浮かべながらそう言ったなのはを見て、すずかは表情を微かに曇らせる。
すずかとて、それが嘘だとは分かっていた。聞かせてくれれば、何か力になれるかもしれない。
そう思うが、自分達に相談してくれないのは、何か理由が或るのだろう、と考えてしまうのも事実だ。

本人が言い出すまで待ってあげよう。
ここ最近、今日だけではなく以前から様子のおかしかったなのはに、すずかとアリサは互いに相談し合って、そう決めていた。
当初は反対だったアリサも渋々ながら了承したのだが、温泉旅行に行った際どこかギスギスしていたのも手伝い、もうそろそろ我慢の限界なのだろう。

友達のことを心配しているから、あんな態度を取ってしまう。
それが分かっているから、自分もこうやって右往左往してしまう。どうしたらいいのか、分からなくなってしまう。
何せ、正直な話、なのはが何を悩んでいるのか、待とうと提案したすずかも、そろそろ打ち明けて欲しいのだ。
もはや、今の親友は悩んでいるどころではなく、苦しんでいるとさえ思えてしまう。


「その……なのはちゃん、何を悩んでるのか、そろそろ話してくれないかな? 私達でも、力になれること、あるかもしれないよ?
それに、誰かに話したら少しは楽になるかもしれないし……」

「……うん。ありがとう。
でも……うん、大丈夫、だから」


二の句を告げさせないなのはの答えに、すずかは制服の裾を握り、小さく俯いた。
教室の出口を見てみれば、アリサがドアに背を預け、急かすように此方を見ている。
なのはを放ってはおけないが、アリサとももう一度話をしたい。でなければ、溝は深まるばかりだ。


「あの……いつもの場所でお昼ご飯食べてるから。なのはちゃんもその……来てね。
先、行くね」


それだけ言い残し、アリサの後を追って、すずかが立ち去っていく。
そうすることしか出来ない自分に歯噛みしながら、なのはを数度振り返る。アリサと合流すると、煮え切らない表情のまま昼食を取る為屋上へと向かった。


(…………)


只無言のまま、二人の親友を見送った自分に引け目を感じ、なのはは首元の赤い球を細く握り締める。
何もかも、上手くいかない。何をしても、悪い方向に転落する。
頑張ろうと決めた。今でも、気持ちと決意は折れていない。けれども、その先が怖くて、足が竦んでしまう。
もう、何もしない方がいいんじゃないか、と。浮かんで欲しくない考えが、過ぎっては心を締め付ける。
でも、何もしないでいるなんて出来ない、と。相反する二つの感情に板ばさみにされ、堂々巡りに陥っていく。

……辛いなぁ。なのはは、ずっと吐かなかった弱音を胸の内で呟いた。
そうやって、苦悩に埋没していた為か、いつの間にか自分の机の上に、誰かの弁当箱が置かれていることに気づく。
アリサとすずかが戻ってきたのだろうか。そう思い、また一言断りを入れようと、顔を上げた。


「…………え」


なのはは、瞳を見開いて絶句した。
漸く現実に帰還した頭が、教室のあらゆる場所から奇異の視線が向けられていることに気づく。
だが、何が起こっているのかは、全く分からなかった。
予想していなかった、遥か斜め上をいく来訪者に、なのはは驚くことしか出来ない。


「やぁ、久し振りだね。なのは君」


聖祥大付属小学校、男子用の制服に身を包み、肩に見覚えの或るフェレットを乗せたジェイル。
隣に、同じく制服で。肩にバッグを担いだフェイトが、そこに居た。




















【第15話 空見合うカンタービレ――過去と未来のプレリュード】





















昼休みに移り変わった学校に、楽しげな声が広がっていく。快晴とまではいかない空だが、適度な陽気に誘われ、校庭には徐々に人影が増え始めている。
遠巻きに聞こえてくる喧騒から離れ、この時間帯は誰も寄りつかない校舎裏では現在、荒い息切れが小さく木霊していた。

余程必死で走ってきたのか、なのはは人目を避ける為この場に連れてきた二人に背を向けたまま肩で息をしている。
それはジェイルも同じようで、普段の運動不足が祟り、愉快げに破顔こそしているが微かに苦しそうに。
常日頃から魔導師としての訓練を積んでいる為か、フェイトだけは平然としていた。肩に大きめの鞄を担いだまま、心配そうに、ジェイルとなのはを見やっている。


「……ふぅ。
まさかいきなり走ることになるとは思っていなかったよ」


数度深呼吸し、幾分か息を整え終わったジェイルが、なのはに向かって歩を進める。
声を掛けられハッとなり、振り返ったなのはの前まで来ると、骨折していない左手にぶら下げていた大きめの弁当箱を差し出した。


「さて。先程は言いそびれてしまったが、今日は一緒に昼食でも、と思ってね。
手ぶらのようだが、なのは君の分も勿論用意してある為、心配は要らないよ。
因みに、私のお手製だ。桃子君の味を再現しようとはしたのだが……いやはや、料理と言うものは中々難しいものだね。
あれは一朝一夕で真似出来るものではないらしい」


弁当箱を突き出したままそう言ったジェイルを、なのははしばし呆然と見つめる。
教室で自分の目の前に現れた当初こそ、錯乱していた為か、本人だと確信が持てなかった。
だが、この口調に声、話し方は間違いなくジェイルだ。頭部に怪我が増えていることを除けば、一週間と少し前までの彼と、何も変わっていない。

公園で発見した血痕からして、もしかすると――……とは思っていた為、こうして直に無事が確認出来たことに安堵は或る。
一週間と半。久し振りにこうして会えた。安心している。それは確かだ。
だけれども今は。手放しではもう、喜べない。


「……何で……」

「…………む?」


瞳の奥深くを揺らがせながら、なのはは小さく呟く。
そんな様子を不思議に思ったのか。ジェイルは伸ばしていた左手を降ろし、楽しげな顔を一旦鞘に収めた。

聞きたいことが、話したいことがあった。それが言葉にならない。口に出来ない。多分、見て、知ってしまったからだろう。
多くの人間に怪我を負わせ、ジュエルシードを奪い去った。一緒に過ごした日々の中、いつも楽しそうだった少年は――そうやって笑いながら、誰かを傷つけた。
アースラで見せられた映像を思い出し、なのははジェイルを見つめたまま表情を曇らせる。

許せないとは思わなかった。ただ、信じられなかった。
ジェイルが何の躊躇いもなくあんなことをする人間だとは、どうしても思いたくない。今でもそうだ。そんなことをして欲しくなかった。
だから、言葉が出ない。なのはは纏まってくれない思考と感情に振り回されてしまう。こうして、黙ったまま立ち尽くすことしか出来ない程に。
ずっと、伝えたかった言葉が、或った筈なのに――。

そうして、視線を交差させたまま数拍。
「ふむ」とジェイルは呟き、無言で肩に乗っていたユーノへと目配せする。
それを受け、ユーノはどこか不満そうに口を尖らせる。少しだけ迷うような動作を見せると、ジェイルの肩から飛び降りた。


「……あ」

「その……ごめん、なのは。勝手に飛び出したりして」

「……ううん。元はといえば、私が無茶したからだし……私こそ、ごめんね」


申し訳なさそうに頭を垂れるユーノに、なのはは少しだけ苦笑しながら、同じように謝る。
ユーノがジェイルに連れ去られたと知った時、戸惑いはあった。憤りが無かったと言えば、嘘になる。だが、不思議と心配はしていなかった。

……何だかんだで二人とも仲良いから。
自分がそう思っているのだと。それが分かった時、なのはの中で、スッと胸に落ちてきてくれる感覚があった。
多くの人間に怪我を負わせたジェイルと、短い間だったが、一緒に頑張ったジェイル。まだ、自分は後者を信じているのだろう、と。
肩へと登って来たユーノを見やりながら、なのはは自分の胸の内を噛み締め、口を開いた。


「……ねぇ、ジェイル君。
何でその……家から出て行ったの?」


なのはは声色を段々と落としながら真っ先に聞きたかった問いを吐き終わると、返事を待ち、口を閉ざす。
多くの管理局の人間を傷つけた。理由が有っても無くとも、それはやってはいけないことだ。
だが、その理由を知りたい。自分達の元から去り、いつの間にか管理局と戦っていた――出て行ったから、あんなことになってしまった。
何も知らずに言い合いになってしまい、ジェイルは次の日、姿を消した。もしも隣に居れば、止められたかもしれない。
だから、元はと問えば自分の所為なのかもしれない――あんな顔をさせてしまった自分の所為なのかもしれない。考え過ぎかもしれないとも思うが、否定は出来ない。
なのはは、スカートの裾をきつく握り締めながら、ジェイルの言葉を、答えを待った。


「まぁ、他にやっておきたいことが或ったからね」


内心、次の言葉を怖がりながら返事を待っていたなのはを他所に、ジェイルは何の逡巡も覗かせずに、呆気なくそう口にする。
言っていることは分かるが、なのはが予想していた答えとは随分と異なっている。[嘘]をついているとは思わない。
けれども――。


「……本当に?」

「君に嘘は吐かない。難しく考える必要は無いさ。言葉通りの意味だよ。
そうだね……その理由というのも二つ或るが、最たるものとしては、フェイト君と会いたかった為会いに行った、だよ」

「……んっと、そういうことじゃなくて……。
……何て聞いたらいいんだろ。えーと……ちなみにフェイト君って?」

「ああ、そういえばまだ君らは互いに知り合ってはいないのだったね。いやはや、失念していたよ。
フェイト君とは、彼女のことさ」


言いながら、ジェイルは視線を促す。
それを受け、遠巻きに二人と一匹を眺めていたフェイトはずっと担いだままだったバッグを降ろし、数拍置いて意を決すると、なのはに向かって歩き出した。
つい数十時間前に、戦ったばかりの相手。そして、許せないと唇を噛み締めた少女。段々と。近づいてくるフェイトに対して、なのはは複雑な心境で息を呑む。
何せ、昨日の今日なのだ。心の整理や準備など、全く出来ていない。それに、ジェイルから[本当]のことを聞き終わっていない。


「……ごめんなさい」


突然目の前で頭を下げたフェイトを見たまま、ポカン、と思考毎固まるなのは。
声色や行動からして、本当に申し訳なく思っている様子だったが、なのはには全く意味が分からない。
「えと、え?」などと口にしながら狼狽している間も、フェイトは一向に顔を上げようとしなかった。


「あの……なのは。
この子とジェイルからちょっとだけ事情聞いたんだけど……んっと、凄く言いにくいんだけどさ……。
簡単に言うと……僕達の勘違いだったみたい」

「な、何が?」

「ジェイルを襲ったのって……この子じゃなかったみたいなんだ……」


居た堪れなくなったのか、なのはの肩の上に乗ったままユーノは視線を外し、重い縦線が入った影を落とした。

……………………?

本気で言い辛そうに口にしたユーノの言葉を、なのはは少し遅れて繰り返し始める。
考えて。漸く意味を理解して。ギギギッと。ゆっくりと。まるで出来の悪い人形のように、少年を見やった。
視線で、ジェイルが肯定した時、


「――……………え、ふえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?
ちょ、ちょっと待って……えっと………えぇぇぇぇっ!?」


キーン、と耳に残るほどの大音量で、叫んだ。
何故謝られているのかは未だに良く分からなかったが、それが本当ならば、冗談では済まされないことを仕出かしてしまっている。
勘違い先行で全く話を聞かずに戦ってしまった自分は実はアブナイ子なのかもしれないでもジュエルシード一つ奪われたしていうかこの子凄く綺麗だ。
そんな感じで自分でも良く分からない大混乱に陥り、半泣きになるなのはだったが兎も角真っ先に。風切り音を伴うくらいの勢いで頭を下げた。


「ご、ごごごごごめんなさいっ!!」

「えっ?
えっと……?」

「お話聞かないで戦ったりして…………あれ?
でもあの時、襲ったって……」

「あ、うん。それはそうなんだけど……。
襲ったのは襲ったんだけど……違うけど合ってるって言うか……。
とにかくごめんなさいは私の方で……えーと……」

「え、えっと違う、違うよ。
私が勘違いしたからなんだし謝るのは私の方……え? 襲ったのは本当なの?」


頭を下げたまま、互いに顔を見合わせ、なのはとフェイトは首を傾げる。
なのはの体制的に自然と地面に降りる形になったユーノは「……まぁ、そうなるよねぇ」と二人を見上げながら小さく困り顔で呟き、助舟を出させようとジェイルを見やった。


「……何してるんだ?」


そんなユーノの声に気づいた素振りも返事も無く。
ジェイルはいつの間にか少女二人が顔を互いを見ながら戸惑っている場から少し離れ、何やら超笑顔でビニールシートを広げ始めていた。
ジェイルの突拍子も脈絡の無い行動に少しは慣れたつもりだったが、この時ばかりは、只空気読めないだけなんじゃないかな、と思ってユーノは大きな溜息を。

やがて、ジェイルはご機嫌な様子で左手だけを使い器用にシートを敷き終わると、フェイトが先程担いでいたバッグの中身を物色。
一拍考え込み、振り返った。


「拒否権は無いよ。そこのフェレット、少々手伝ってくれたまえ」

「……頼み方絶対おかしいよな」

「命令だからね」


相変わらずのマイペースさで鞄を漁り続けるジェイルを見ながら、最近溜息ばかりだなぁ、と思いユーノは再び嘆息。
やがて、ジェイルが取り出した品、折り畳みパラソルを見て、頬を引き攣らせた。


「……さすがにそれは……無理だろ。
持てないってばそんなの。元の僕ならまだしも」

「ならば元に戻ればいいじゃないか。
まぁ、一生フェレットで過ごすと言うのならば話は別だが」

「だから僕はまだ……あれ?」

「自分の体の状態くらい把握しておきたまえ。
打撲などの損傷は兎も角、本来の姿に戻る程度の魔力くらいは回復しているのだろう?」

「あ」


言われて。ふと、自分の体を隈なく観察し始めるユーノ。確認を取るように数度瞳を閉じる。
ジェイルがどこか呆れた様子でそれを眺めながら余り興味の無さそうな顔を浮かべると同時、ユーノの体が翠色の魔力光に包まれていく。
異変に気づいたなのはとフェイトは、眩い光彩に少し目を顰めながら、伏せ気味だった顔を上げた。

段々と晴れていく光。
その全てが霧散すると、中から一人の少年が姿を現す。
ハニーブロンドの髪を携え、物腰の柔らかさを感じさせるその人物は、ユーノ・スクライアその人であった。


「……ってえぇぇぇぇっ!? ユ、ユーノ君なのっ!?」


ユーノを見るなり、なのはは今日二度目になる驚愕を。
フェイトはポカーンと口を開けたまま硬直し「……あ」と何故かバツの悪そうな顔を浮かべる。


「やっ……たっ……っ!」


これで足手まといにならないで済む。これでジェイルに茶化されずに済む。
嬉しさと目頭が熱くなる想いで、感激の余りユーノは思わずガッツポーズ。そんなユーノの感動に、小さな溜息が水を刺した。


「全く、君はユーモアセンスに欠けるね。
頭部のみフェレットのまま。腕足がフェレットのまま。など、選択肢は山ほどあっただろうに。
それでは芸人として失格だろうに」

「今後一切、僕は絶対にジェイルの前であの姿にはならない……っ!」


「まぁ、別にどうでもいいがね」とジェイルは大して興味の無さそうに、パラソル毎ユーノへと放り投げる。
ジェイルは片腕しか使えず、女の子に頼むのも少し情けない。口を尖らせながら、仕方無いなぁ、とユーノは渋々パラソルを立て始めた。



その後、流されるままなのはとユーノはビニールシートに座らされ、何が如何なっているのか分からぬまま、なし崩し的に四人で昼食へと。
しかし、ジェイルがユーノの分まで弁当を用意している筈もなく。
ユーノはフェイトが作ってくれていた弁当を食べることになったが、ユーノを使い魔だと勘違いしていた為、用意していたのは所謂イタチ科の好物で。
余りに申し訳無さそうなフェイトの様子を見て、ユーノは涙を堪えて早くもフェレットに戻った。





















ジェイル達が昼休みを利用し、再邂逅を果たしているのと時を同じくして。
海に面している海鳴市から遠く離れ、内陸へと進んだ山間部では現在、様々な光彩が飛び交っていた。
鬱蒼と生い茂る木々を包み込むサークルは、山を丸ごと覆い隠す程に巨大だ。内部で光が奔る度、けたたましい爆発音が地を揺らしている。


『……うっわぁ』


激しい戦闘が繰り広げられている封時結界内の一画――森林から一本突き出た背の高い木。
その天辺で、今はスタンドアロン状態――3cm程度の小型蜘蛛に変形しているコガネマルは、一人声を上げた。
声色には恐れが混じっており、暗に早くこの場を去りたいという主張が滲んでいる。それもその筈。何せ、遠方で戦っているのは9名の局員と巨大過ぎるスズメバチ。
前者は特に問題無かったのだが、コガネマルにとっては、後者が途轍もない意味を持っていた。

黄金蜘蛛の生態をそのままデバイスAIへと転写されている為、全てに至るまで蜘蛛そのもの。デバイスに分類するより、機械で構成された生命体の方が近いだろうか。
拠って、本能レベルでの天敵には当然の如く真っ先に恐怖を抱いてしまう。蜘蛛にとってのそれは、蜂。
加え、数メートルもの巨躯を誇っている。コガネマルにとってその異様は、悪夢以外の何物でもなく、初見した時は『あばばばば』と震えることしか出来なかった。

……学校行きたかったなぁ。
そう何度も愚痴を零し踵を返そうとするが、その度に脳裏でジェイルの吊り上った笑みが思い浮び、コガネマルは嫌々ながらもその場に留まり続ける。
自分へ出された命令は、偵察と報告の二つ。戦わなくても構わないだけマシとは思うが、それを抜きにしても兎に角蜂が怖い。正直に言わなくとも早く帰りたかった。


『あーあ……代わってくれないかなーバルディッシュ』


器用に八つの単眼でそれぞれ別の光景を切り抜き、戦場の全体を捉えたまま、ブツブツと独り言を洩らして暇を潰すコガネマル。
文句を口にしながらも、ジェイルの言い付け通り映像データを取るのは、お仕置きされるのが恐いからだ。
フェイトがマスターの方が良かったなぁ、と自分の電力残量を確認しながら、コガネマルは再び愚痴る。


『……んん?』


ふと、録っていた映像に引っ掛かる箇所を覚え、全ての単眼をズーム補正、その場所へと向ける。
ピントを完全に合わせ、明瞭になった視点の中心に捉えたのは一人の女性だ。よく見てみれば、揺れる銀髪の間からは猫のような耳が生えている。
……化け猫? コガネマルがそんな感想を洩らした相手はその時丁度、巨大スズメバチの腹部へと蹴りを入れているところだった。


『あれ……?』


あたかも踊るように。蹴り飛ばし、拳を叩き込み、地に落とす。
女性が前面に突出しだした途端、展開は一方的に移り変わり始めている。コガネマルはそれを見て、不思議そうに首を傾げた。

思い返すのは、ジェイルの口にしていた見解だ。
これ以上、エース級は出てこない。と言うより、居ない。出て来るとしても、先日仕留め損ねた黒い執務官。
そうジェイルは言っていた筈なのだが、それがどうも腑に落ちない。ならば、あの女性は何なのか、と。

昨日回収したジュエルシードを、海鳴市から離れた場所でワザと暴走させ陽動に。その間にジェイル及びフェイトはユーノの返還となのはに接触。
次いで、この場へと執務官が再度出撃してきたのならば、黒い衣服に過敏反応を示す蜂の習性を利用して、攻撃の自然集中というか嫌がらせを。あわよくば損傷を拡大させる。
……執務官じゃなくて化け猫出てきちゃってるんだけど。ドクターでも間違えることあるんだ、と広がっている光景を見ながら、意外そうにコガネマルは呟く。

それは兎も角として。
変事があった場合、すぐさま撤退。そう指示を受けている以上、これならば帰っても大丈夫な筈。
コガネマルはそう判断し、バルディッシュへとメッセージを送信し始めた。


『……これでオーケー、っと。よし、帰ろうかな。
風向きよーし。風量よーし』


中央の胴体部分に連接している後部――出糸突起に当たる部位から赤い魔力糸を上空へと伸ばし、そのまま数秒。風を受け、コガネマルの体がふわりと浮かぶ。
蜘蛛特有のバルーニングと呼ばれる飛行技術を駆使すると、高く舞い上がり封時結界の壁面へ。内壁を齧(かじ)り穴を空けると、海鳴市に向かって飛んで行った。






















校舎一つ隔てた場所、校庭から聞こえてくる歓声にも似た喧騒は、時間の経過と共に活気が強くなっていく。
それに伴い、日傘で遮っていた筈の陽光が洩れ出し始める。眩しさを感じたなのはは、微かに目を細め、持っていた箸を置いた。

昼休みは丁度折り返し地点に差し掛かったくらいだろうか。
この場に時計は無いが、感覚で分かる。体内時計にも似たそれを感じ取り、なのはは表情を曇らせる。
常日頃ならば、まだ半分もある。だが今は、後半分しかない。どうしてもそう言い代えてしまうのは、こころのどこか悟っているからだろう。
確証はない。しかし、予感はある。目の前の少年は多分、またどこかに行ってしまうのだろう、と。

ずるずると。何も分からないまま引き摺られるようにシートに座り、本人は自信満々だったが、正直に言えばあまり美味しくなかった昼御飯へと。
隣を見てみれば、煤(すす)けた影を纏ったユーノが居る。そんな様子に苦笑こそしたが、内心では上手く笑えてはいなかった。それは、自分でも分かる。
ジェイルの隣に座っている金髪の少女、フェイトへと抱いていた憤りは既に消えている。と言うより、勘違いだったのだから、こうして事情を知れば失せて当然だろう。

食事中も、食べ終わった今でも。
終始楽しそうに、嬉々としながら笑うジェイルを見ながら、なのはは思う。重ならない、と。
少年と彼――変な男の子とS級次元犯罪者――ジェイルとジェイル・スカリエッティ。
つい最近まで全く魔法と接点の無かったなのはにとっては、次元犯罪者と言われてもいまいちピンとこない。
それは、今も変わらない。と言うより先ず、そのことを自分に伝えた管理局という組織からしてまだ良く分かっていないのだ。

考えないようにしていた。ではなく、そこまで巡らせる余裕が無かったとでも言えばいいだろうか。
連れ去られたユーノ。多くの人を傷つけたジェイル。ぶつかり合ったフェイト。
ほんの少し前まで普通の小学生だった少女の頭は、これだけで充分パンクしていた。
しかしながら、今こうして目の前に捉えてみると、頭の隅に追いやられていたアースラで見せられた顔写真が、ぼんやりとジェイルの横に浮かんでくる。


「――――の速度といいコントロールといい中々のものだったね。
いやはや、あれほど興奮したのは実に久し振りだったよ。加え、飛行速力、慣性制御力――」

(……ジェイル君の苗字ってスカリエッティさん……なのかな?)

「――少し前までの君ならば、あの速度で降下すれば地面に激突していた筈だ。
この短期間で到達するとは……――」

(でも、そうだとしたら何で教えてくれなかったんだろ……。
ジェイル、ただのジェイルだ……だったっけ?
……聞かれたくないことなのかな?)

「――…………なのは君?」

「は、はいっ!? な、何でしょうかっ!?」


急に名を呼ばれた為か、思考内容がそのまま口に出てしまい慌てて口を閉ざすなのは。
「……聞いていなかったのかね?」と、ジェイルはどこか残念そうに言うと、気を取りなおし再度話を続ける。


「で、話の続きだが……ふむ。どこから再開していいものかな。
まぁ、もう一度最初から話せばいいか」

「あー……ジェイル。一人でそれだけ喋り続けられるのは感心するけどさ。
結局何が言いたいのか分かんないし、もう少し掻い摘んで話した方がいいんじゃないか?
なのはもちょっと分かってないみたいだし。僕もだけど」


どこかウンザリした顔でユーノがそう提案すると、ジェイルは少し考え込む素振りを見せ始める。
ていうか、最初からあんまり聞いてませんでした、となのはは胸の内で空笑い。
助舟を出してくれたユーノに内心感謝しながら、思考に耽っていた頭を現実に戻した。


『sir.』

「……バルディッシュ?」


突然話に入ってきた機械音声。それをフェイトは疑問に思いながら、手をポケットへと。
中からバルディッシュを取り出すと、その場に居る全員が見える位置で掌に乗せた。


『From koganemaru to message. [It withdraws. Please withdraw that.]
(コガネマルからメッセージです。[撤退。そっちも撤退]) 』


余りにも完結な報告だったが、それを聞いた途端、フェイトは目付きを険しくし、顔色を一変。ジェイルも表情を一転させたが、此方は剣呑さに加え不機嫌さがブレンドされている。
一方、蚊帳の外に置かれ、何のことか分かっていないなのはとユーノは、急に様子の変わった二人を不思議そうに眺め、首を傾げるばかりだった。


「……やれやれ。もう少し掛かると踏んでいたのだがね。
先日もそうだったが……いやはや、謀(はかりごと)とは実際に巡らせてみると存外難しいものだ。
どうやら私ではクアットロのようにはいかないらしい。いや、彼らを少々見くびり過ぎていたのかもしれないねぇ……くくっ」

「……どうするの?」

「まぁ、予定に変更はないさ。少々癪だがね」


――さて。
フェイトに短く答えると、ジェイルは余り面白くなさそうに歪めていた顔をその一言で切り替わらせ、立ち上がる。


「もう少しなのは君が通っている学校を見て回りたかったのだが……無粋な邪魔が入ってしまったようだ。
尤も、先に横槍を入れたのは此方の方だが、ね。
では、私も当初の目的を果たすとしようか」


言い終わりと同時。ジェイルがパチンッと指を鳴らすと、着用していた制服が光に包まれ、弾けるように霧散していく。
それに倣い、フェイトも制服型バリアジャケットを解除。フェイトは黒を基調とした普段から着用している私服に。
ジェイルはサイズの合っていない大きめの白衣へと着替え終えると、簡易的に使っていたデバイスを掌で遊ばせながら、なのはへ金の瞳を向けた。


「一応言っておくと、先程までの話は前提のつもりでね。
先に私の見解を知ってもらった方が君も答えやすいと考えたわけだ。
うむ。では時間も押している為、単刀直入に聞こうか。
なのは君。君の強さ――その起源は、何だい?」

「……えと?」


突拍子の無い話だった為か、聞かれている内容がよく分からず、なのはは首を傾げる。
ジェイルはそんななのはの困ったような様子に一度頷くと、話を続けた。


「私を助けようとした。それは聞いている。
難しく考える必要は……いや、そうではないね。ありのまま。そう、ありのままを口にして欲しい。
私を助けようとしたから、強くなろうとした。うむ、意味は理解出来る。そう、理解は出来るのだよ。
加え、私は君がそういう人間だと[知っている]からね。ああ、この場合は問いを変えた方がいいか。
何故、私を助けようと、そう思ったのだね?」

「……当事者のお前がそれ聞くのって……結構最低だよな」


ボソッ、とユーノがジト目で見ながら洩らした言葉を無視し、ジェイルはなのはへと視線を注ぐ。
そう。口にした通りジェイルは、[知っている]。知識でしか持っていなかったPT事件、闇の書事件の記憶はほぼ白紙でも、JS事件は別だ。
それもそうだろう。主犯はジェイル本人だったのだから。そもそも、そこを覚えていなければ今でも三人の強さを知りたいと渇望しない。
最終局面で彼が実際に対峙したのはフェイトだったが、それと時を同じくして、なのはが何をしていたかは確かに覚えている。

聖王オリヴィエ・ゼーゲブレヒトを母体とした、新たな聖王――ヴィヴィオを救出する為、ゆりかご内に突入。辛くも勝利し、助け出した。
そこを鑑みる限り、ジェイルとてなのはが危険を顧みずにそういうことをやってのける人間だとは理解している。
だが、自分を助けようとした理由が分からない。母が娘を助けようとした。それならばある程度分かるが、自分の場合、当て嵌まらない。

しかし、だ。友達を助けようとした。はやてと邂逅し実際にそれを知ったジェイルは、ユーノから事情を聞き出し一晩隔て、その可能性へと至っていた。
だが結局、そう考え付くだけで、それ以上は及び付かなかった。
何せ、過去の未来において、三人から憎悪に似た視線を送られていたジェイルには、如何せん理解し難い、繋がらないことなのだから。

だからこそ、もしも、なのはが自分を友と思っているのならば、その理由を。
明確な答えが得られるとは思っていないが、はやてが何故、自分を友と呼んだのか、そのヒントも得られるかもしれない。
これも、一里塚のさらに一里塚。だがしかし、確実に自分の理想への導(しるべ)、第一歩に繋がってくれるだろう。
ジェイルはそう思惟しながら、なのはの口が開くその時を待ち続ける。


「…………」


ジェイルの視線を受けながら、なのはは答えに窮していた。絶句、かもしれない。
何故助けたかったのか。なのはは迷いなく答えられる。それに、伝えたいことがある――友達だから、と口にしたかった。
だが、こうして聞かれている。その事実が、ジェイルは自分のことを友達だと思ってはいなかったのだ、と。そう思えてしまい、言葉が出てくれなかった。
纏まらない思考のまま、どこか陰りを垣間見せる瞳で、なのはは躊躇いながら口を開いた。


「……理由なんて無いよ。
目の前で誰かが困ってるなら助けたい。
理由なんて、無い。ううん。要らないと思うから」

「それが答えかい?」

「……うん」


返答を聞くなり、ジェイルは考え込み始める。
……なんで、言えなかったんだろう。そう、伏目がちになりながら、なのはは制服を握り締めた。
今口にしたことは、まぎれもない本心だ。だが、ずっと伝えたかったことは別の場所にあった筈なのに、と。


「ふむ。よろしい」


ジェイルはそう言って、踵を返す。
くつくつと忍び笑いを洩らしながら、一歩、二歩。
白衣を翻し、再びなのはへと向き直った。


「理由がない。要らない。誰かが困っているから、助けたい。
ふむ。君の口からその言葉を聞くのは二度目になるが……よろしい。再び肯定しよう。
雑多な言葉を並び立てるより、その方が受け入れるに値するからね。今日のところはそれで満足しようじゃあないか」


戻ってきたのではなく、会いに来ただけ。
ジェイルの様子を見て、言葉を聞いて。どこかで否定していたその予感が当たっていたことに、なのはは「あ……」と声を洩らしてしまう。
目の前で、少年が背中を向けた。
以前と何も変わらぬ様子で――それが、あの時と同じように見えて――。


「では、なのは君。いずれ戦地にて会――」

「――ま、待って!!」


そう悟った時、なのはは思わず声を張り上げ、立ち上がっていた。
その場に居る全員がなのはの突然の行動に驚き、視線を注ぐ中、胸の前でぎゅっと手を握り締める。
一度瞳を閉じ、そのまま数拍。ゆっくりと、瞼を上げた。


「なのは君?」


眼差しの先には、不思議そうに覗きこんでくるジェイルが居る。
いてもたってもいられなかった。兎に角、このまま行かせてはいけない。また同じ、何も伝えられないままでは、駄目だ。
だが、言葉にならない。何を伝えたいのかが分かっていても、出掛かった言葉が胸の内で行ったり来たり、右往左往することしか出来ない。
なのはは揺れ動く瞳のまま、立ち尽くして――ジェイルを見て――、










――ああ、そういえばそうだったね。
ジェイル――ジェイルだよ。


――ジェイルだよ。ただのジェイルだ。










――だからやっと、本当の答えが、出てくれた。















「――……そっか。そうだったんだ……こんなに簡単なことだったんだ」

「む? 話が見えないが」

「違う。違うんだよジェイル君。そうじゃないの。
ずっと……ずっと考えてたんだ。
どうしたらいいんだろう。どうしたらよかったんだろうって。でも、分からなかった。
それに今は、色々知っちゃったから。ジェイル君がしたことも……まだよく分かってないけど、ジェイル君のことも」

「何の話をしているかは察しがつかないが……。
私のこと、とは……ふむ。まぁ、聞くまでもないか。知らされて当然だからね」

「うん……正直、まだ全然整理出来てない。私、まだよく分かってない。
でもね、ジェイル君。一つだけ、分かったことがあるの。
ジェイル君は嘘つかない。それだけは、分かるんだ」

「ああ、吐かないよ。
君ら限――」

「――でも、本当のことも、言わないよね?」


語気を荒げたわけではなく、口調は強いが怒るでもなく。
なのはは言いながら、子を叱る母に似た瞳を向けたままジェイルへと一歩踏み出す。
突然のその豹変振りを考えてもいなかった為か、問いを投げ掛けた先程とは真逆に。珍しく虚をつかれたような顔を浮かべ、今度はジェイルが窮する側へと移り変わった。


「……ジェイル君は何か考えがあってそうしてるのかもしれない。
けど、けどね、ジェイル君。それってきっと、嘘をつかれるより悲しいことだと思う。
嘘をつかれれば、辛いよ。でも、何でそうしたんだろう、どうして本当のことを言ってくれないんだろうって、考えられるんだ。
でも、ジェイル君は違う。最初から背中を向けて、ずっと顔だけでこっちを見てる。
だから私は、嘘でもいい。ジェイル君が本気で、本当にぶつかってきてくれるのなら、その方がずっといい」


そう、嘘をつかない。だが、つかないだけで本当のことを教えてくれない。
きっと、彼が本当を見せてくれたのは、あの時――寂しそうだと自分が感じた顔をした時だけだった。
心のどこかでそう思っていたから、迷っていた。自分でも気づかないところで、また拒絶されるんじゃないかと怖がっていた。
でも、やっと分かった――強い意志を滲ませる眼差しで、なのははジェイルに向かって一歩一歩、踏み出していく。


「……ふむ。肯定しよう。確かに私は本当のことは言っていない。
しかし、だ。今なのは君が口にした内容には異を唱えさせてもらう。
私は紛れも無く、誰よりも本気で君にぶつかっている」

「だったら教えて。何であの時、何も言ってくれなかったの?
……聞かれて困る話だったのかもしれない。言いたくないことだったのかもしれない。
でも、最初から背中向けられてたら、それも分かんない。
何も言ってくれないまま出て行っちゃうなんて……私も、ユーノ君も寂しいよ」

「……まぁ、うん」


なのはの話に小さく同意するユーノ。
なのはは変わらず、ジェイルへと視線を向けたままだ。


「……それは」


なのはの射抜くような瞳に気圧され、ジェイルの言葉は、そこから続かない。
同時に、在り得無いと問答する。これでは、自分らしくない、と。この世界に降り立ってから、何度目になるだろうか。
本来の自分ならば――嘗てのジェイル・スカリエッティならば、誰かの言葉で押し黙ることなど考えられない。
生命操作、創造技術を追い求め、他の存在を塵芥と切り捨てる。人の形をとった欲望そのもの。それが、自分だ。

幼く退行してしまった肉体に引き摺られ、精神まで脆弱になってしまったのか。
それも否定は出来ない。その反面、自分は何も変わっていないと肯定も出来る。
しかし、今でも覚えている。
目の前で、正面から悲しげな瞳を向けてくる少女と、はやての家から去り、仮面の男と対峙する少し前――、

――……私は、寂しいのかもしれないね――、

――ウーノが脳裏に過ぎった時、そう思ってしまった自分は、同じ顔をしていたのではないだろうか。
それを偽ることなど、出来はしなかった。


「――私、なのは。高町なのは」


その声に、ジェイルはいつの間にか没入していた思考から、眠りから覚めたように引き起こされる。
何故、今更名乗っているのか。そう疑問に思ったが、口を開けることはせず、黙って耳を傾ける。


「あなたは? あなたの本当のお名前、教えてくれるかな?
きっとそれが、さっきジェイル君が聞いたこと、今ジェイル君が思ったこと、それに私の本当の、答えだよ。
本当を出し合って、本気でぶつかり合って。でもきっとその分、いつの日か笑って話せる日が来るって、そう思うから。
だから、ここからちゃんと始めたい。私はジェイル君と――、」


――友達に、なりたいんだ。


強く見据えながら、そう言うなのは。ジェイルは言葉を発さずに、只その顔を見返す。
少女は答えと口にした。それが、自分の求めている答えだ、と。
どこから導き出されたのかは、見えてこない。だが確かに、少女は答えと云った。
まだ本当に、それが求めていたものなのか如何か分からない。
だが今は――そんな君に、


――手を、伸ばしてみたくなるじゃあないか。


「全く……君はどれだけ私の興味を惹けば気が済むのだね?
嗚呼、本当に……くくっ」

「な、何で笑うのっ!? 私凄く凄く考えたんだよっ!?
凄く真面目に悩んで……もおっ、もおっ! 何なのっ!? ジェイル君の馬鹿っ! スカポンタンっ!
レイジングハート! 馬鹿ジェイル君にスターライトブレイカーなのっ!」

『All,right. Let's do by the bloodshed setting.
(了解。殺傷設定でいきましょう)』

「ははっ。違うよ、なのは君。そうではない。これでも私は至極真面目なのだよ。そう、怒らないで欲しい。
と言うより、今星の極光など喰らえば、私の体の状態的に本当に死んでしまう。それは勘弁願いたい。
しかし……嗚呼、そうだ――そうだね。私は君の答えに礼を尽くさなければならない。
いいや、尽くしておかなければ私ではなくなってしまう」


顔を真っ赤にしながら激昂するなのはを手で制し、ジェイルはそう言って笑う。
もう少し先になる筈だった、この世界でこうして正面から名乗るのは初めてになる。
だが嗚呼、そんなことはもうどうでもいい、と。大切なのはそこではない、と
そう放り投げると、今にも踊り出しそうな足取りでなのはに背を向け、そのまま数歩進めたところで、振り返った。


「ジェイル――ジェイル・スカリエッティ。それが私の本当の名だ。
何とでも呼んでいいが、親愛を込めてくれたまえよ。
全身全霊で、余すことなく受け止めるからね」

「むぅ……まだ全然納得出来てないけど……。
前もそうだったけど……ジェイル君ってばちょっと大げさだよ?
んー……やっぱり親愛とかはよく分かんないけど、私も……あ」

「くくっ、もう少し、付き合ってくれたまえよ。
さて。
それは君を好きにしてもいいということかね?」


どこかで聞き覚えのあるやり取りに、なのははクスッと笑う。
ああ、そっか、と小さく呟くと、ワザとらしくしかめっ面を作り、話を続けた。


「……何でそうなるのかな?
とっても失礼だと思うけど、ジェイル君って、よく変って言われない?」

「ああ――、変態、変人、狂人は私の代名詞――そう言えば、名前の枕か尻に必ずと言っていい程付随していたね
ふむ……何故だろう? 私は至って普通に振舞っているのだが。
変態ドクターと言われた事もあったかな」

「うわぁ……そこまで言われてるっては思ってなかったけど、ちょっとだけ気持ち分かる、かな。
……ううん。今なら凄く、分かるかな」


もしかしたら遊び半分かもしれないが、きっと、やり直したかったのだろう。ここからちゃんと始めたい、と。
なのははそう感じ取ると、素直じゃないなぁ、と小さく苦笑する。
そんななのはの様子に満足したのか、ジェイルは今度こそ白衣を翻し、踵を返した。


「にゃはは……。
……ねぇ、ジェイル君」

「何だい?」

「ジェイル君の答えはジェイル君に出して欲しい。
出たら、私にも教えて欲しいんだ」

「ははっ、これは手厳しい。
君は意外といじわるらしいね」

「うーん……ジェイル君には言われたくないかなー。
……じゃあ、最後にもう一つだけ。
私が、止めるから。だからジェイル君の答えはその時に、聞かせて」

「ふむ。だが断るよ」

「…………え? え、何でっ!?
そこは素直に頷くところだと思うんだけどっ!?」

「最初から負ける気で臨むつもりはない、ということだ。
その時が来るのか如何かは言えない。まだ、分からない。だが、そうだね……もしもだ。
私を止めるつもりならば、全力で叩き潰しにきたまえ。その時は、答えさせてもらおう。
但し、私も本気で叩き落としに掛からせてもらうよ」

「…………。
私、もしかして凄く大きな地雷踏んじゃったんじゃ……?」

「踏んだと気づいた時には遅い類かもしれないねぇ……くくっ」

「あ、あはは……」


冷や汗を頬に伝わせながら渇いた笑いを浮かべるなのは。
ジェイルはくつくつと忍び笑いを洩らしながら「さて」、と言うと、押し殺したそれを引き攣れたまま、やり取りを静観していたフェイトを伴ってその場から離れていく。


「うん」


なのははその言葉を自分自身に向け、一歩踏み出す。
ジェイルとフェイト、二人の背中を眺めながら、強く拳を握り締め、


「……絶対に止めるから。ジェイル君も、フェイトちゃんも」


今度こそ、迷いなくそう、言い放った。
それはジェイルが、過去の未来において恋焦がれ、夢にまで見たエース・オブ・エースに、限りなく近い姿だった。











「……あの子、いい子だね」

「フェイト君、それは違う」

「?」

「あの子、ではなく、高町なのは君だよ」


隣で首を傾げているフェイトにそう言うと、ジェイルは心底愉快そうに、笑った。




















◇おまけ◇




















「では、今日のホームルームはこれで終わりましょうか。
皆さん、気を付けて帰って下さいね。
――それと、高町なのはさん」

「あ、はい」

「昼休み、何をしていましたか?」

「?
えっと……校舎裏で……」

「はぁ……やっぱりそうでしたか……。
高町さんがそこに行ったのを見た、と言う人がたくさん居たので、もしかしたらとは思っていたんですが……。
……高町さん」

「は、はい。その、何が……あれ?
…………あ、ああっ!」

「……ビニールシートとパラソル。それにお弁当箱とバッグ。
職員室で預かっているので、帰る前に取りに行ってくださいね?
それと、見覚えの無い、この学校の生徒じゃないらしい二人と一緒に居たそうですね?
そのことについても少し、話があります」


すっかり忘れていたなのはが勢いよく机に突っ伏したり、


「……ねぇジェイル。何で高いのばっかり買ってるの? それに、何でこんなにたくさん?」

「今日は実に良き日だからね。前途を祝う意味でも豪勢にいきたいのだよ。
おっと、その牛肉も入れておいてくれたまえ」

「……こんなに食べられないと思うんだけど……」

「その辺りは心配無いさ。余った材料は今後活用するよ。
それになのは君の顔を見る限り、余り美味しくなかったようだった為練習しておきたくてね。
桃子君に師事を受けるのが一番だとは思うが、今の状況的に――」

「――あら、呼んだかしら?」

「む?」

「久し振りだな、ジェイル」


帰りの道中に寄ったスーパーで出くわした桃子と士郎から、
「何で用事があるなんて嘘ついたのかしら?」
「何で怪我増えてるんだ? 何があったんだ?」
「何で女の子にこんな重い荷物持たせてるの?」
「なのはがずっと塞ぎ込んでるんだ……ああ、そういえば丁度ジェイルが居なくなってからだったな。
ジェイル、何か知ってるか? いや、知ってるんだよな?」
など問い詰められながら、ジェイルとフェイトが高町家に強制連行されそうになったのは、また別の話。








[15932] 第16話 空見合い雨音――歩くような早さで。始まりの終わりへ
Name: 梅干しコーヒー◆8b2f2121 ID:5daf610c
Date: 2010/07/03 18:34





微かな違和感に意識を掬い上げられ、フェイトはゆっくりと瞼を上げた。
起床してすぐ、まだ明瞭とは言えない頭のままぱちくりと二、三度瞬きし、妙な感触の先を目で追う。
見てみれば、知らず知らず寝返りをうってしまっていたのか、自分の腕はソファーから落ち、床に触っていた。


「ん……」


体を横たえているソファーに比べ、ひんやりとしたフローリングの感触は朝のまどろみと重なって心地良い。
もう少し甘えていたいとぼんやり思い、窓から射し込む暖かみに合わせ、フェイトは身を預け始める。

天井を見上げたまま暫くそうしていると、ふと現在時刻が気になり、視線を壁掛けされている時計へと。
流し目で確認したアナログ板の時針は10を指し、分針は真下を向いている。
一瞬釘付けになりながらも、一拍遅れて寝坊してしまったことを悟ると、フェイトはハッとなり立ち上がった。
次いで、大慌てでリビングを見渡し、同居人の姿を探し始める。

キッチン、ベランダにも少年は居ない。
同じく寝坊してしまったのかもしれない。フェイトはそう考え、足を寝室へと向かわせる。
その途上、窓に映った自分の姿を見て立ち止まり、手を頭に乗せる。ゆっくり抑えを解くと、反抗してくる自分の金髪へと小さな溜息一つ。
寝汗も掻いているし、先に朝風呂でもしてしまおう。そう思い直し、風呂場のドアに手を掛けた。


「……ん、しょ」


脱いだ服を畳み、着替えを準備し終えるとバスルームに入り蛇口を捻る。体を伝っていく暖かさに揺蕩(たゆた)いながら、フェイトはシャンプーを手に取り髪へと指を通す。
そうしながら、そういえば、と漸く目を醒まし出した頭で、ふと浮かんだ疑問へと考えを馳せ始めた。

学校の校舎裏で聞いた少年の本名――ジェイル・スカリエッティ。疑問とまではいかないかもしれないが、あれから二日経った今でも不思議には思っている。
と言っても名自体がではなく、その時の回りの反応がフェイトには気になっていた。

なのははどこか嬉しそうに名乗りを聞いていたが、問題はユーノの方。開いた口が塞がらないといった体(てい)で唖然とし、固まっていたのは今でも思い出せる。
尤も、その様子を思い返してみても、そこまで驚くことなのだろうか、とフェイトは首を傾げることくらいしか出来ないが。
もしかしたら、自分が知らないだけで結構有名人なのかもしれない。ある意味浮世離れしているフェイトにとって、取り敢えず思い至るのはそこまでくらいだった。


(……あ)


考えごとに漂いながら、次は体を洗い始めようとしていたフェイトの手が止まる。
固定された瞳に映っているのは自分の裸体だ。真新しい傷は見受けられないが、そこにはそれでも微かな赤い線が奔っている。
フェイトはそれに恐る恐るといった指使いで触れ、数瞬、変わらず降り注ぐシャワーの雨音を耳に入れながら佇んだ。

今となっては体に残っていたこの傷も、辛い記憶と共に日を追う毎に奥底へと引き始めている。
何か心にくるものはあるが、痛みはない。フェイトはそれに安堵に近い感情を抱き、一度瞳を閉じた。

瞼の裏に蘇るのは母の姿だ。
口々に自分が駄目な子だから、と言いながら躾を繰り返す、文字通り身を切られるような過去。そう、過去だ。今は全くそれが無い。
その事実が、自分は駄目な子ではなくなった、漸く認められた、と思えて、フェイトは自然と小さく頬を綻ばせる。
だからこそ、思う。漠然と追い求めていた憧憬へ、夢見ていたあの日々へ、きっとあともう少しで手が届く、と。

……だから、後もう少し、頑張ろう。全部終わったら――。
万感の思いを込め、胸中でフェイトはそう呟く。しながら、多少爽快になった体を流し終えると、蛇口を回しシャワーを止める。
上気した肌に張り付く金髪を手で小さくたくし上げ、浴室から洗面場へと。バスルームとの温度差で心地良く落ち着いていく体をタオルで拭き、洗面台の前に立った。

鏡を見ながら下着を付け、用意していた服を羽織る。ドライヤーである程度髪を乾かすと、髪をいつも通りのツインテールに。
少々遅い朝の準備を全て終え、ドアに手を掛けた時、アルフから口酸っぱく言われていた注意事項を思い出し、ふと足を止めた。
「ジェイルが覗きに来る。ていうか襲ってくるから、鍵絶対閉めるんだよ」。時の庭園から海鳴市に降りる間際までそう言っていた使い魔の姿を思い出し、小さな苦笑を一つ。
ていうか、襲うって何のことだろう? と首を傾げたまま、フェイトはリビングへと足を踏み入れた。


「あれ?」


小さく疑問の声を上げ、視界の端で微かに動いた見覚えの或る金色へと近づいていくフェイト。
様子を伺いながら真後ろまで来ると、驚かせないように気を配りながら口を開いた。


「……コガネマル?」

『……ん?
あ、おはよーフェイト』

「あ、うん。
えっと……おはよう?」


時計を見やれば、時刻は既に11時を回っている。
挨拶はこれで正しいのか如何か、思っていたより長風呂してしまったようだ、などなどとフェイトは浮かべながら、コガネマルが先程から見ている物へと視線を流した。
そこにあったのは、自分と母が映っている写真だ。自分も母も、優しく微笑んでいる。


『んー、やっぱり意外だなー』

「意外?」

『こんな風に笑えるんだなー、って思って。
プレシアとか、特にさ』


難しそうな、不思議そうな。そんな機械音声でコガネマルが言い終わると、フェイトは写真を見つめ始める。
確かに、本当の母を知らない人間から考えれば、この表情は意外かもしれない。そう感傷に似た心持を抱きながら、写真立てを手に取った。

そういえばいつからだろうか。母が笑わなくなったのは。
随分と昔なのは確かだが、考えてみれば不思議と何が切欠だったのかは覚えていない。
母、アルフ、自分、そして今は居なくなってしまったリニス。四人で暫くの間ミッドチルダ西部の辺境――エルセアで過ごしていたところまでは記憶している。
だが、その先が如何しても思い出せない。風に揺れる草原で微笑み返す母の姿から、エルセアに至るまでが途切れてしまっている。
フェイトはその空白を埋めようと記憶の糸を辿る。だが、何故か一向に手繰り寄せられない。
そうしていると募っていくのは思い出ではなく、理由の分からない不安ばかりだった。


「…………。
でも全部終わったらきっと……母さんもまた笑ってくれるよ。
今の母さんしか知らないコガネマルには意外かもしれないけど、本当は凄く優しいから」


コガネマルへ向けた言葉を、自分にも向けて。浮かんだ心のざわめきを打ち消すように、そう口にする。
それでも芽生えた陰りは消えてくれなかったが、フェイトは胸の内で頭(かぶり)を振ると、いつの間にか強く握っていた写真立てを元の場所へと置いた。


『じゃあ全部終わったら、フェイトもこんな風に笑ったりとかするの?』

「……私も?」

『うん。プレシアもだけど、フェイトもこんな風に笑わないでしょ?
んー、何て言うか……フェイトってばいつも遠慮がちな気がするし』

「そう……かな?
……自分じゃちょっと分かんないかも」

『まぁ、ドクター見てるとそう感じたってだけなんだけどねー』

「……ジェイルと比べるのは少し無理あると思う」

……少しというか、だいぶ?
言いながら脳裏に浮かんだ少年の姿に、本人には失礼かもしれないけど、と苦笑い。
あれは笑いと言うか、高笑いと言った方がしっくりくるかもしれない。失敬かもしれないが、満面愉快とでも言えばハマってくれるだろうか。
フェイトはそんなことを思い浮かべながら、そのジェイルが居る部屋へと意識を向けた。


「そのジェイルだけど……まだ寝てるの?」

『んー、寝てるっていうかずっと起きてたよ。今さっきハイテンションのまま床に転がったとこー。
ドクターのことだし、5分もしたら多分起きるんじゃないかなー』

「……それ昨日も……あれ? 一昨日もそうだったような……」

『だねー。僕の調整終わってから、ずっと何か書き殴ってるけど。
あ、ドクターの部屋見ない方がいいよ。ゴミ捨て場みたいになってるから。それにちょっと臭いし』


フェイトの記憶が確かならば、時の庭園から第97管理外世界に降りる前日から数えて、これでジェイルは半ば三日間完徹している。
殆ど部屋に引き篭もって何かに没頭し、出てくるのは食事の時間だけ。顔を合わせたのは昨日の夕飯が最後だ。しかも知らぬ間に、たった二日でゴミ捨て場になっているらしい。
フェイトとしては邪魔をしてはいけないと考え、その間自分のトレーニングに時間を費やしていたのだが、ここまでくればさすがに心配になる。

……ていうか、お風呂とか入ってないよね……?
昨日の段階で既に所々ぼさぼさに跳ねていたジェイルの頭を思い出し、自分が注意して促した方が良いのかまごつくフェイト。
でも、時間が勿体ないって言いそうで。結局入ろうとしないだろうし――。フェイトはそこまで考えたところで、ポンッと手を叩いた。


「……うん。それがいいかも」

『ん? 何の話?』

「背中流してあげようかなって。
何でなのかは知らないけど、ジェイル一緒にお風呂入りたがってたし。それに、この前お願い聞いてくれたお礼もしたいんだ。
あと、右手折れちゃってて一人じゃ洗うのとか辛いと思うし……どうかな?」

『んー……そーだなー……。
「くくっ、その言葉を待っていたよフェイト君! さぁ、君の肢体を曝け出したまえっ! 全てっ、私にっ、産毛の一本に至るまでっ!」
とか言って超喜ぶと思うよ。あ、今のテンションだともっと凄いかも』

「し、肢体を曝け出したまえ……?
それは……ちょっと恥ずかしいというか……ちょっとどころじゃないっていうか。
それに私今お風呂から上がったばっかりだから、背中流すだけのつもりだったんだけど……」

『背中流すついでに状況に流されちゃうのもありだとおもあばばばばばばっ!?
ちょ、ば、バルディッシュやめっ――』


突然のた打ち回り、一目散に廊下の奥へと跳ね転がっていくコガネマル。
フェイトは何の前触れも無いその行動を不思議に思いながら、コガネマルが最後に叫んでいた相手、バルディッシュをポケットから取り出し首を傾げた。


「……バルディッシュ、何したの?」

『It kept sending silent pressure. It is an easy DOS attack.
Because it is ordered that sir virtue be defended from Alf.
(無言の圧力を。簡単なDOSアタックです。
アルフからマスターの貞操を守るようにと厳命されていますので)』


バルディッシュがさも当然と答えてから数拍置いて。コガネマルが消えた通路の奥からドアの開く音が聞こえてくる。
騒ぎを聞きつけジェイルも目が覚めたのだろうか。フェイトはそう思い至ると、一度窓の外を見上げ、外の天気を見やる。
広がっている空はまだ晴れてこそいるが、起きた当初とは違い、遠くなればなるほど鉛色に染まり始めていた。

……もうすぐ、雨になりそうだ。
そう呟いた時、フェイトの脳裏に過ぎる一人の少女が居た。
いい子で、強くて、真っ直ぐで。眩しいと、羨ましいとも思えた少女――高町なのは。
あの子は今、何をしているんだろうか。崩れ始めた青空を仰いだまま、そんなことを思い浮かべる。
そうして馳せながら近づいてきた足音へと振り返り、少年の真っ赤に充血した目を見て、フェイトは小さな苦笑を洩らした。




















【第16話 空見合い雨音――歩くような早さで。始まりの終わりへ】




















カッ……コォンッ、と。
猪おどしと呼ばれる和風庭園特有の添景物が、室内に澄み切った音の波紋を広げていく。
他にも、和式の座に傘。兎に角、空間の隅々にまで和のテイストが施されている光景に、ユーノは只唖然としていた。
何で次元航行艦船の中にこんな部屋が、とこの場所に入った時と同じく今でも疑問しか沸いてこなかったが、ここに来た本来の目的を思い出し、ハッとなると、表情を引き締めた。


「あら? いいのよそんなに緊張しなくても」

「は、はぁ……」


……どうにも、調子狂うなぁ。ペースを掴まれているというか、大人の余裕というか。
張った筈の心持を明後日の方向に受け流され、お茶を啜り始めたリンディを見ながら、ユーノは胸中で一人ごちる。


「その……すいません。無理に時間取らせてしまって」

「いいのよいいのよ。
それに休憩するつもりだったし、丁度いいわ」


そう言って微笑んだリンディに、微かに頬を赤面させるユーノ。
それが恥ずかしかったのか見えないように顔を伏せるが、クスッと小さく笑ったリンディの声で更に顔を赤らめる。
……手玉に取られてる。ユーノはそう吐露すると、しどろもどろになりながらも顔を上げた。


「ユーノ・スクライア君、ユーノ君でいいのかしら?」

「あ、はい。えっと……リンディ提督?」

「ええ、それでいいわよ。好きに呼んで頂戴。
じゃあ、ユーノ君。
私に聞きたいことがあるっていうのは言伝で聞いてるけど……具体的に何が聞きたいの?
二人だけで話したい。そう聞いているし、何か重要な話なのは分かっているわ。
早速だけど、聞かせてもらえるかしら?」


湯呑みを口元から離し、言いながらリンディはユーノを見つめる。
ユーノの心境としては、どうやって切り出そうか迷っていた為、この申し出は正直ありがたかった。
だが内容が内容だ、と暫し考え込み逡巡するも、今最も大変な状況に置かれているこの艦の長をこれ以上引き留めるのも気が引ける。
それに、早くハッキリさせておきたい。そうユーノは意を決すると、口を開いた。


「…………。
……二日前、ジェイルと会いました」

「二日前って言うと……あなたが帰ってきた日、よね?
……会ったって表現を使うのは、どうして?」

「その……言ってなかったんですけど、実はその日、四人で学校に居たんです。
なのは、僕、ジェイル……あと、あの黒衣の魔導師、フェイトって子の、四人で。
……すいません。僕がなのはにも口止めしてました」


言って、ユーノは申し訳無さそうに頭を下げる。
そう。ユーノがなのはの元へと帰り、事情を聞いてきた管理局に話したのは、訳も分からず解放された、ただそれだけだった。
なのはに対しては、ある程度話してこそいるが肝心の内容――管理局にジェイルが襲われた。その部分は、今でもぼかしたまま。
なのはには、全部解き明かしてから話そう。ユーノはだからこそ、今こうしてリンディと対面していた。


「……そう、だったのね」


予想の斜め上を行く話の内容に、さすがに驚きを隠せなかったのか、リンディは暫し絶句。
次いで、一拍考え込むと、気を取り直して小さく息を吐き、元通りの温和な表情に真剣さを合わせユーノへと意識を戻した。


「……でも、謝る必要はないわよ。
責めるつもりも、そんな権利も私達にはないから。
そうね……話を先回りして悪いけれど、それを今言うのは……あなたが聞きたがっていることと関係があるから。で、いいのかしら?」

「……話が早くて助かります。
じゃあ、えっと……例えば、管理局がいざ犯人の身柄を確保するってなった場合の話なんですけど。
……言い方は悪いですが、必要以上の暴力、みたいなのを奮うってことは在り得ますか?」

「……暴力っていうとニュアンスが違ってくるから少し言い換えさせてもらうけれど、それはないわね。
犯人の身柄を確保する為に制圧目的の攻撃を仕掛けることはある。それは確か。
けれども、ユーノ君が言うように、必要以上の暴力……例えば、そうね……痛めつける、とかがないのは確実に言えるわ。
……何か、あったのかしら? 例えば、その必要以上の暴力が」


本当に察しが良い。良過ぎるくらいだ、とリンディへの見解を内心改めるユーノ。
時空管理局の人間だからか、こういう風に人から何か聞き出すことに手慣れているのだろうか。はたまた、元来からこういう気質の人なのか。
普段の自分ならば、少し物怖じするところなんだろうけども。ユーノはそう考えながら、促された先を続ける。


「僕がってわけじゃないんですけど……ジェイルが二週間前、襲われたらしいんです。管理局に。
それが本当かどうかは今でも分かってないんですけど……でも、実際に大怪我負ったらしくて。
襲われてから一週間近くまともに動けなかった……らしいんです」

「……え?」


ユーノの目を見たまま一度固まるリンディだったが、すぐに思案顔へと切り替わる。
ユーノとて、時空管理局がそんなことをするとは思っていない。だが、ジェイルが嘘を吐いたとも思えてはいなかった。
目の前に居るのは、管理局でも上部に位置する提督だ。その人物が知らないとなると、ジェイルの嘘の可能性が高まる。
と、ユーノは考えるが、本人は「殺意が沸く」とまで言っていた。そこまで明言するくらいだ。これだけで嘘だと決めつけるには、まだ情報が足りない。


「……知っての通り、私達時空管理局が到着したのは、四日前よ。
ここが、管理世界。地上部隊が駐屯しているのなら話はまた違ってくるのだけれど……。
その襲ったというのも、管理局の人間がこの世界に居たというのも、ちょっと考えにくいわね」

「……です、よね。
すみません。変なこと聞いて」


……何がどうなってるんだ?
ぐるぐると行ったり来たりを繰り返す思考に振り回されるユーノ。
聞きたかったことを聞けた筈にも関わらず、混乱は益々混迷を極めてきてしまっていた。


「いいのよ。それにしても……ふふっ。
ねぇユーノ君。あなた、良い子ね。いいえ、凄く優しい子。
ちょっと真似出来ないくらいに、ね」

「へ?」

「言わなかったのは、あなた達がジェイルって呼んでる彼が心配だったから。でしょう?
もし管理局が襲ったのなら、その管理局に捕まれば酷い目に合わされるかもしれない。
そう思ったから、情報を伏せておいた。でも、このまま彼が捕まってしまえば伏せておいても意味がない。
だから兎に角、ことの真偽だけでも今の内に確かめておきたかった。
最悪の場合、私達から……ううん。これ以上言う必要は無いわね。違うかしら?」

「……違いますよ。
何ていうかその……あいつ本当に嫌な奴ですけど、最初会った時助けてもらったのは事実ですし……借りを返したいってだけで」

「ふふっ、そういうことにしておきましょうか」


絶対からかわれてる。そう感じ取り、ユーノは如何にも不満といった様子でしかめっ面を浮かべる。
ユーノのそんな素振りも好ましかったのか「男の子って素直じゃないわねぇ」とリンディはクスリと一度微笑むと、すっかり温くなったお茶を手に立ち上がった。
それに合わせ、慌ててユーノも立ち上がる。


「さて、と。もう少し話を聞きたいところなんだけども……ごめんなさいね。
もうそろそろ戻らなくちゃ」

「あ、いえ。お構いなく。それに無理言ったのは僕ですし」

「ううん。何度も言ったけれど、いいのよ。
……じゃあ、戻る前に一つだけ。これはあなた達にとって、酷な話かもしれない。でも、今の内に確かめさせて頂戴。
――実際に目の前で犯罪を犯されている以上、私達管理局は彼を逃がすつもりはありません。
たとえあなたのお友達でも、なのはさんのお友達でも、それは絶対に覆らない。
……あなた達が協力の申し出をしてくれた時、正直、本当に助かると思ったの。
でも、このままここに居れば、彼と間違いなく戦うことになる。けど今なら、まだ戻れるわ」


言葉の重みを声色に乗せ、リンディはユーノを見据えてそう言い放つ。
それを受け、一瞬ユーノは逡巡すると、一度瞳を閉じる。ゆっくり瞼を上げると同時、口を開いた。


「……分かってます。僕もなのはも、それを覚悟でここに来ました。
確かに、後悔するかもしれません。でも僕達は、今後悔したくないんです。
――あいつを、倒します」

「……そう。二人共、強いのね」

リンディはにこやかにそう言うと、ユーノを伴って私室から出て行く。
通路に出た後、訓練場へと向かうユーノと分かれ、ブリッジへと。
その途上、ふと一度立ち止まると、険しく眉根を引き締めた。


(…………。
もしかして……)


第97管理外世界に居る筈のない管理局。だが、実際に此方でも確認した怪我からして、誰かに襲われたのは事実。
まだ、確証は持てない。ことの真偽を断定するには、情報も状況証拠も全くと言っていいほど足りない。

だが、一人だけ心当たりが或る。
リンディはその人物を思い浮かべながら、足早にブリッジに向かった。





















軽快なタッチ音が響き、コンソール上を指が踊る。
エイミィは時折前面に展開されたモニターを一瞥しながら、次々とウィンドウを切り替えていく。
通常業務に加え、新たにアースラへ臨時出向してきた武装局員メンバーの再確認と把握、ジェイル・スカリエッティらしき少年の書類纏め。
まるで魔導師の必須技能、マルチタスクでも使っているかのようにそれらを効率良く捌いていく様は、若干16歳ながらも一艦の通信主任を任されている彼女のスキルの高さを物語っていた。


「……ふぅっ」


一段落と同時に一息つきながら、背もたれに上体を預ける。両手を天井に向かって伸ばし、気づかぬ内にコリ始めていた体へ一旦休息を。
作業に没頭していた為か一拍遅れて喉の渇きを覚え、エイミィはデスク脇のカップを口元へ運ぶが、いつの間にか空になっていたそれに気づくと、むぅっと口を尖らせた。


「お疲れ、エイミィ」


真後ろから掛けられた声に振り向き、来訪者へと視線を向けるエイミィ。
エイミィにとっては慣れ親しんだ声だった為振り返るまでもなく分かっていたが、そこに居たのはクロノだった。
両手には仄かな香りと共に湯気を漂わせるカップ。クロノはその一つに口を付けると、残る片方をエイミィに向かって差し出した。


「お、ナイスタイミング。気が効くねぇクロノ君」


言いながら嬉々として受け取ると、エイミィは早速カップを口元へ。喉を潤しながら、暫く確認していなかった現在時刻を知る為時計を見やる。
そうしてすぐ、胸中で「あっちゃー……」と嘆息し、そりゃお茶も空になるわけだ、と一人納得。
液晶パネルに表示されている数字はPM01:30。エイミィにとってそれは時間だけでなく、一度も休憩を取っていない為、昼食抜きで作業に没頭していたことも表していた。


「……昼食、取ってないんじゃないか?
僕もまだだし、休憩がてらどうだ?」


その言葉に、暫しクロノをまじまじと見つめ返すエイミィ。案外ツンデレなのかもしれない、と弟分の新たな一面を見れたことに、小さな苦笑一つ
視線の意味するところを察し始めたのか、段々としかめっ面に変わっていくクロノにエイミィは柔和な笑みを浮かべると、デスク脇にカップを置き口を開いた。


「ありがと。でも、いいよ先に食べちゃって」

「まだ、掛かりそうなのか?」

「今すぐ終わらせておかなくちゃ、ってわけじゃないんだけど。
やれる内にやっておきたいってのは少なからず、ね。いつ始まるか分かんないし」

「……そうだな」


出来るだけ陽気に努め、やんわりと断りを入れようとしたエイミィだったが、思わず洩れた言葉の意味を悟ったらしい様子のクロノに対し、バツが悪そうに頬を掻いた。
いつ始まるか分からない。当然、武装隊メンバーは今も交代で待機や訓練のサイクルを繰り返している。
だが、そこに本来ならば加わる筈のクロノは除外されている。本人はこれくらいなら動けるとでも言いたげだが、それは無理をして、の話だ。
少し前ならば、それでも出撃の可能性は或っただろう。だが、今は増援が到着している。
クロノが無理をする必要性があるかと問われれば、正直、そこまでないのが現状だ。だからこそ、気に病んでいるのだろう、とエイミィは思う。

自分じゃ気づかないくらいには余裕がないのかもしれない。
意外と気の回らなくなった今の自分を胸中で小突くと、エイミィは話題転換を試みようとコンソールに手を伸ばした。


「ま、それはそれとして、っと。
ふっふーん。ねぇねぇクロノ君」

「……何だ?
ていうかその顔、嫌な予感しかしないんだが」

「いやいやー? ただ、この子ってば凄くかわいいよねー。
こういう子、クロノ君の好みストレートなんじゃ――」

『――ぶるぅあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?』

『ご、ごごごごごめんなさいぃぃぃぃっ!?』

「…………。
……何か言ったか?」

「…………。
……何でもありません」


少しからかってみよう、と心中で小悪魔的な表情を浮かべていたが、モニターに展開された映像を見るなり頬を引き攣らせるエイミィ。
そんなエイミィの様子と、眼前の画面を見て、残りのお茶を飲み干しながらクロノは疲れを乗せた溜息を吐いた。

ウィンドウの中で、白を基調としたバリアジャケットに身を包み、桃色の魔力羽で訓練場を飛び回る少女の様子は、どこか幻想的な情景を想起させる。
ただ、その少女から次々と凶悪とも言える砲撃が射出され、訓練に付き合っている局員がボーリングピンのように飛んでいく様は、ギャップと相まってある意味シュールだった。
アースラの一区画で今この時も繰り広げられているその光景に、エイミィは黙祷を交え取り敢えず笑うことしか出来ない。


「……まぁ、アレだ。
管理外世界みたいな魔法文明が存在しない場所だと、突然変異みたいな感じで極稀に、みたいな話は僕も聞いたことがある。
……余り使いたくない言い方だけどね。それに、才能ってやつかもしれない」

「おお? 珍しいね。クロノ君がそんな風に誰かを評価するのって。
いっつも魔法は要所要所の見極めと、適切な判断力が~、みたいなこと言ってるのに」

「さすがに、ね。
魔力量、最大時の魔力放出量といい、圧縮制御率といいこの子は別格だ。
普通は訓練校で地道に覚えて鍛えていくようなものなんだが……本人曰く、何となくでやってるらしいし。
秀才じゃない、天才だよ。間違いなく。
まぁ、フィジカル面は目も当てられないんだが」

「そりゃそうでしょ。つい最近まで普通の学生だったんだし」


何を当然のことを。そういった体(てい)で肩を竦めてみせるエイミィだったが、クロノの言っていることに同意も出来た為、それ以上否定はしない。
内心、話に出て来た突然変異という単語に、ぶっちゃけ生命の神秘レベルだよね? と過ぎったが、それはさすがに失礼だと感じ口には出さず、代わりに別のウィンドウを立ち上がらせた。
そうしてエイミィがコンソールに手を伸ばした時丁度、訓練場がモニターされている映像では、再度局員が吹き飛ばされている最中だった。


「……何て言うか、不思議だな。
いや、余計に訳が分からないって言った方がいいのか。
考えるだけ無駄かもしれないけど、何で態々敵に塩贈るような真似したんだ?
今あの子が使ったディバインメテオールとかいう魔法、考えたのってあいつなんだろ?」

「ん、らしいねー。なのはちゃんに話聞く限りだと。
本人もこれで倒すんだー、みたいな感じで躍起になってるし。
ただ、まぁ……」

『にゃあぁぁぁぁっ!?』

「……あんまり上手くはいってないみたいだけど」

「当然だ。考える方も使う方もどうかしてる。
何と戦うつもりなんだまったく。普通に考えて燃費も効率も最悪レベルだぞ、アレ。
……まぁ、実際の威力は笑い飛ばせないんだが」

「んー……その威力云々は兎も角として。
クロノ君のスティンガースナイプと同系統……じゃないよねー」


「いや、違うだろ」と如何にも心外といった様子で呆れの混じった溜息を吐くクロノ。
エイミィはそんな不貞腐れたようなクロノの様子を横目で見やると、視線をモニターへと戻し変わらず騒がしい訓練場の様子を眺め始めた。

……ほんと、何がどうなってるんだろ。
ここ三日間。そうして飽きるくらいに考えてしまうのは、ジェイル・スカリエッティと名乗った少年のことだ。
エイミィにとっての彼は、大事な弟分に大怪我を負わせ、アースラの武装局員大多数を魔力蒐集によって戦闘不能に陥らせた張本人。正直、憤りは禁じ得ない。
だが、エイミィの中でそう位置づけられていた少年は今、少々輪郭を変化させていた。

余りにも、差異があり過ぎるのだ。
自分達管理局が抱くジェイル・スカリエッティの認識と、少女から聞き出した少年の振舞いや人物像が、全く合致してくれない。
聞けば、出会いはジュエルシードの封印に苦戦している時に、手助けをしてくれたとのこと。加えて、右腕を複雑骨折しながらもだ。
その後、魔法の特訓を開始した少女に助力し、一般家庭に溶け込んだ。短いながらも犯罪者らしからぬ日々を送っている。

だからこそ、エイミィには分からない。
少女の話だけ聞けば、善人だとさえ思える。だが彼は、自分達から見ればS級次元犯罪者らしき凶悪犯。実際に目の前で犯罪も犯している。両極端であり対岸の見解だ。
エイミィはそれも相まり、ただ身柄を確保すれば全て終わると考えていた筈が、何を目的として動いているのか、知っておきたいと考え始めていた。
少女があれ程必死に強くなろうと努力し、少年を止めようとしている姿を見ていると、余計にそう思えてしまう。


「……少し、思ったんだけどさ」

「ん? 何だ、改まって」

「別人……って線は無いかな?」

「……どうだろうな。僕もその可能性は考えてるよ。
でも、だ。
管理局を手玉に取る明らかな余裕、それにあのコガネマルとかいうデバイスを自分で作ったんだとしたら、どうだ?
こっちで確認してるだけで、魔力リニア瞬間滑走能力、魔力蒐集能力、加えて自律行動機能。
そんな物を作り出す技術力を持ってるんだ。別人として考えるのは無理があり過ぎる」

「……だよね。ごめんごめん。変なこと聞いて。
何か手配書より全然子供だし、なのはちゃん達から聞いた話とイメージが違ったから、ちょっと気になっちゃって」

「まぁ……確かに。
僕もあのジェイル・スカリエッティがあんな子供だとは――…………ちょっと待て。
別人に……子供……?」

「えーっと……? クロノ君?」

「…………。
……そもそも何でこの世界に居るんだ……?
そんなおいそれと拠点を変更すれば管理局に悟られ――……拠点……?
子供……容姿は同じ……別人……でも技術は持っている……いや、違う。それを出来るだけの頭が或る……」


突然、呪文でも唱えるかのように口を忙しなく動かし、鬼気迫る様相で思考域に埋没していくクロノ。
完全に蚊帳の外に置かれる形になってしまったエイミィは、恐る恐る話し掛けるが、全く反応を示してくれないクロノに空笑い。
しょうがないなー、と呟きながら、仕方なく本来の業務を再開しようとする。


「……もしかして……いや……。
……エイミィ。あのスクライア一族の少年が捕まってたらしい場所の特徴照会、終わってるか?」

「ん? まぁ、うん。一応。
て言っても、まだ最終候補は絞りきれてないんだけど……。
それがどうかしたの?」

「よし。だったら条件付で絞り込んでみてくれ。キーワードは技術者、科学者。元が付いてもいい。
兎に角それに当たる人物が所有してる次元空間航行可能な船。その条件でデータベースに検索。大至急頼む」

「技術者に科学者……?
ま、いいけど。えーっと……科学者に技術者……っと」


まだ指示の意図は察していないが、クロノの言う通りエイミィは軽快にコンソールを弾き始める。
検索ワードを打ち込みながらウィンドウを切り替え、該当項目以外を除外。
右から左へ上から下へ消えていく候補の中、最終的に残ったのは、たった一つだった。


「……時の庭園……所有者は……プレシア・テスタロッサ?
えっと……26年前、ミッドチルダ中央技術開発局の第3局長を努める。
次元航行エネルギー駆動炉ヒュードラの使用に失敗、中規模次元震を発生させてしまい地方に異動。
その後、行方不明……」

「家族関係は?」

「んと、23歳で結婚。28歳で1児、アリシアを授かる。夫とは離婚済み…………え?
ちょ、ちょっと待って! このアリシアって子……」


言いながらハッとなり、クロノへと振り返るエイミィ。
それに対し、モニターに展開されているパネルを確認しながら、クロノは無言で頷き返し同意を示した。

クロノの中で、欠けていたピースが次々と繋がっていく。
亡くなった筈のアリシア・テスタロッサと、全く同じ容姿の黒衣の魔導師
S級次元犯罪者ジェイル・スカリエッティと、全く同じ容姿のジェイル。
まだ推測の域、可能性の段階からは抜け出せない。
だが、恐らく。これで、全てが繋がった。


「……艦長を呼び出してくれ。
多分、僕らはとんでもない思い違いをしてた。
ジェイルじゃなかったんだ。本当の黒幕は――、」


――プレシア・テスタロッサだ。





















ネジ、ワイヤー、ケーブルなど様々が乱雑に敷き詰められ、足の踏み場を見つけるのでさえ困難な室内。
漂う異臭は濁った色を孕んでいるかのような錯覚があり、もはや何が元になっているのか定かではない程混じり合っている。
空間の一画には、コポコポと水泡の踊る小型の生体ポッド。中には何やら虫が入っている。それだけを見れば何かの研究室のようなのだが、片隅に微かな生活の跡が残っているところから、寝室であることも伺えた。

現在、この部屋の主、ジェイルは居ない。フェイトを伴い、第97管理外世界に潜伏の最中だ。
当初は拠点を切り替える可能性を薄く考えていた為か、急な引越しによって空き巣でも侵入したかのように、室内は大惨事に見舞われている。
そんな周囲の荒れ様に加え、留守番を任された現状にブツクサと文句を吐き出しながら、アルフは持っていた用途不明の機器を背後に向かってポイッと放り投げた。

狼が素体である使い魔、アルフにとっては、なまじ嗅覚がいいだけこの場所の臭いは鼻につく。
少しでも緩和しようと部屋の入り口は開けっ放しにしてあるが、強烈な薬品類の刺激臭だけは居座ったままだ。
片付けろよ、と文句の一つでも言いに行きたい気持ちは山々だったが、留守を預かっている以上、実際に時の庭園を離れるわけにはいかない。


「あーあ……絶対貧乏くじ引かされてるよなー。
……ったく」


出来ることと言えば、天井に向かって愚痴を零すくらい。
変事に備えての待機。何も起こらないのが勿論一番良いのだが、起こらなければそれはそれで暇。目下、アルフの敵は退屈だった。
何か面白い暇潰しがあるかもしれない。そう考えてジェイルの私室を訪れてはみたのだが、或るのは何が何やら理解出来ない部品類ばかり。
手に取っては放り投げ、放り捨てては別を拾う。それを繰り返している間、アルフの中で募っていくのは苛立ちとモヤモヤ感だけだった。

主と使い魔の潜在的な精神の繋がりを――精神リンクを利用し、何が起こってもすぐさま片方が感知出来るように。その為のこの配置。
完全な双方向ではない精神リンクの性質上、主から使い魔へのラインは強い為察知が早いが、逆は然りではない。
弱いわけではないのだが、察知にタイムラグが生じる可能性とてまま或る。だからこそ、危険の高い潜伏先に主、フェイトを。待機人員に使い魔、アルフを。

アルフとて、ジェイルが口にしたその理屈は分かっている。
それに、プレシアとフェイトを二人だけにするよりまだマシだ、とも思う。だが、それで完全な合意が及ぶか如何かは別問題だった。
随伴している人間がジェイルで、しかも二人きり。アルフが納得出来ていない理由は主に、と言うより、完全にその二点で占められていた。


「フェイト……大丈夫……だよな?
……大丈夫大丈夫。バルディッシュが付いてるんだ。うん。心配ないない。
ああ……フェイト……無事でいておくれよ……」


うわ言のように主の名を呼び、無事を祈るアルフ。危機感は既に頂点へ達し、正直今でも気が気でない。
一応フェイトには部屋に常時鍵を掛けるように念を押し、バルディッシュにはマスターを危ない道へ転落させないように厳命を。万が一にはオートでシールドを張れとも言ってある。
だがそれでも、フェイトがほぼ無防備なのも相まり、まるで猛獣の檻に霜降り肉でも放り投げ入れてやるような状況であることには変わりがない。
最終手段として、アルフはもしジェイルがフェイトに手を出そうものならば、指示を無視してでも海鳴市に下りて息の根を止めに向かう所存だった。


「……しっかしまぁ」


よくここまで散らかせるもんだ、と呆れる意味での感心を洩らすアルフ。
思うところがあったのかそれとも只単に飽きたのか、床に転がっているのは明らかに途中で製造を放り出している機械の部品ばかりだ。
中には、一個で机を占領する程のサイズの物まである。これもケーブルや導線が飛び出ているところから、半ばで放棄しているのが伺える。
案外、三日坊主なのかもしれない。アルフはそう思い浮かべながら、少々興味を引かれたその一際大きな機械に近づいていく。


「ん?」


形状は何かの砲身だろうか。
そう当たりを付け物体を持ち上げようとした時、視界の隅、デスクの上で光った何かに意識を引き留められ、顔を上げるアルフ。
そこに転がっていたのは小型の円盤。にび色にも関わらず不思議と光を反射しており、中心には小さな穴。
CDみたいだなー、と感想を述べながらアルフはそれを手に取り、暫しの間眺め始めた。

……コレ、デバイスコアじゃないか?
と、アルフは見当を付けると、先程までの様子と打って変わってご機嫌そうな顔を浮かべる。
いい暇潰しが出来た。持って行かなかったくらいだし要らないもんなんだろ。認証通るかな? など考えながら、入手した遊び道具を掌で遊ばせたまま室外へと。
向かう先は時の庭園外円部。あのジェイルが作ったもんだし、と一応の用心の為だ。

その途上、長い通路の中ほどで耳をピクッと微動させ、アルフは立ち止まった。
ディスク状のデバイスコアを遊ばせていた手は収め、足を止めさせた音の元を訝しげに探り始める。
今、時の庭園に居るのは自分とプレシアのみ。音の主は考えるまでもなかった。


(……プレシア、だよな……?)


普段のアルフならば、プレシアの事などどうでもいいと切り捨てていただろう。
何せ、フェイトへ虐待紛いの仕打ちを繰り返していた人物だ。たとえ主の母親とはいえ許容出来よう筈もない。だが、この時ばかりは少々違った。
聞こえて来た音。と言うより咳は、まだ距離があるにも関わらず、苦しげな姿を脳裏に過ぎらせる。
それに只ならぬ事態を察知したアルフは、怪訝な表情のまま踵を返し、暗い通路を小走りで進み始めた。

益々悪化の一途を辿り、激しくなっていく咳。それに比例し、アルフの足も速まっていく。
小走りを急ぎ足へ、早足から駆け足に。嫌な予感に背中を押され、アルフはプレシアが居るであろう場所へと急行する。
やがて見えてきたのは、扉。時の庭園での暮らしが長い筈のアルフでも、そこは一度も入ったことのない場所だった。
ああくそっ、と大きく舌打ちしながら、蹴破るように閉ざされた先へと飛び込む。室内へと進入した直後、驚愕で瞳を見開いた。


「っ!? おい、プレシア!
――…………。
……え」


床に吐血の跡。空間の中心には、杖を支えに片膝を折っているプレシア。
そのプレシアが寄り掛かっているのは、液体で満たされた透明な筒――それに、アルフは見覚えが或った。
つい先程まで居たジェイルの部屋にも、それはあったのだから。そこで見た物には、中で虫らしきものが漂っていた。
だが、今目の前に鎮座している生体ポッドに入っているのは――、


「――……フェイ……ト」


ここに来た目的も、思考の何もかもが眼前の光景に上書きされていく。
まるで眠っているかのような穏やかな顔で瞼を閉じ、ポッドの中で揺蕩(たゆた)う少女からアルフは視線を外すことが出来ない。


「…………。
違う……フェイトじゃ……ない……」


呆然と呟き、ただ少女を見つめ続けるアルフ。
精神リンクは繋がったまま。それを抜きにしても、使い魔が主を見間違える筈も無かった。
アルフはそれ以上、言葉を紡げない。静かに、水泡が奏でる音だけが木霊していく。


――見たわね。


そう言って、プレシアは幽鬼のように立ち上がる。
口元から滴る朱。空気を凍てつかせる病的に見開かれた瞳。悪寒を過ぎらせる滲み出る狂気。
振り返った彼女の姿は、ありとあらゆる物が酷く、歪んでいた。





















全く換気がされていないのか、異臭は無くとも室内には纏わり付くような空気が蔓延している。
足の踏み場はない。床へカーペット代わりに敷き詰められ、ばら撒かれている紙片には文字、絵、図にグラフ。描かれている内容は統一感を欠き、まるで落書きのようだ。
また一枚、二枚、とびっしり黒色が詰め込まれた用紙が、フローリングにヒラヒラと舞い、埋め尽くしていく。
やがて、全く已むことのなかったその工程が――部屋の最奥で、乱暴に何やら書き殴っていたジェイルの動きが、ピタリと止まった。

室内に無音が下りてから数拍、空気が微かに震動する。音の発信源は、ジェイルの腹部。
思うがまま書き綴り、脳裏に浮かぶがまま書き殴り、欲望の赴くがまま思考する。楽しい時間ほど経過は早いとはよく言うが、ジェイルの場合、それがより顕著だった。
所謂腹の虫が鳴った。それで漸く夕刻付近に差し掛かっている今を悟ると、ジェイルは勢いよく立ち上がり、同時に天井へと突き出した手からボールペンを背後に放り投げた。


「さて」


勢いを付けすぎた為、反対側の壁に激突した車輪付きの椅子を無視し、次は何を調理してみようか、と室内を闊歩しながらジェイルは考え込む。
上達しているのは自分でも分かる。それに加え、ここに潜伏し始めた初日に比べての、本日の昼食のフェイトの箸進み具合を思い返すに、傍目からも向上しているのは明白だ。

そろそろ、食してもらう人間の好みに合わせられるかもしれない。何が食べたいか聞いてみようか。
ジェイルは部屋の中央でそう巡らせながら、いつの間にかコリ始めていた四肢を伸ばす。
ギブスで固定された右手を吊っている為、右肩がやけに重かったが、首を回しある程度緩和させると、床に散らかされた紙を気に留めず室外へ。
これではドクターではなくコックだねぇ、と愉快そうに思い浮かべたまま、リビングへと進入した。


(……おや?)


入ってすぐ、視界に捉えたのはフェイトの後姿。窓際に立ち、鉛色に移り変わり始めた空を見上げている。
早速声を掛けようと一歩踏み出すジェイルだったが、何か思うところがあったのか、フェイトを眺めたまま、ふと一旦立ち止まった。
まだ、気づいていない。しかも、此方に背面を見せている。この折角の状況を、無意味にしていいものか。
図書館ではやてを驚かせた時と同じような心境を再度抱き、ジェイルはくつくつと笑みを浮かべる。
音を立てないよう、忍び足で。楽しそうに口元を上げたまま、フェイトへとにじり寄って行く。


『sir. The Dr came.(マスター、ドクターが来ました)』

「……え?
あ、ジェイル。起きたんだ……って、うわぁ……目、凄く赤いよ?
もしかしてまだ寝てなかったの?」

「…………」


心なしかわきわきとさせていた左手の動作を已め、心底不満そうに降ろすジェイル。
バルディッシュの改造プランに、AIの改変も加えておこうか。そう脳裏で設計図を組み変えながら、キョトンとしているフェイトへ普通に近づいていく。


「まぁ、心配には及ばないよ。睡眠は一段落付いた後に取る予定さ。
尤も、その一段落を終えたらまた別の項目が浮かんでくる為、結局いつ就寝するのか皆目見当も付かないのだが」

「もう、駄目だよ?
体壊しちゃったら元も子もないんだから」

「くくっ、折角ならばなのは君の手で壊されたいねぇ。
マゾヒストの気は無いが、彼女の放つ星の極光は是非一度この身で味わってみたいものだ」


ジェイルはくぐもった笑いを洩らしながら、窓際のフェイトの横へ。隣の少女と同じように、広がり始めている鈍い曇天に意識を向ける。
視界の隅に見えた極彩色へと目線を流せば、そこには赤色の蜘蛛の巣の中心で微動だにせず沈黙してるコガネマル。
糸の一本がコンセントプラグにリンクしているところからして、スリープ状態で充電中なのだろう。
部品と時間が揃った暁には、その辺りも改良しようか。ジェイルはそう思索すると、金の瞳をフェイトへと戻した。


(む?)


冴えない、と言うより憂鬱。先程の短い会話中には気づいていなかったジェイルだが、フェイトは明らかに顔色が悪かった。
曇り始めた空と同じく、精彩を欠いている。外を見上げる顔は、時折唇をきつく結んだり、開こうとしたり。スカートの裾を、皺が寄る程握り締めてもいる。
最後に顔を合わせた正午の時点では、こんな素振りはなかった。夕飯の献立、その希望を聞こうとしていたことも忘れ、ジェイルは暫しフェイトのそんな様子を伺った。


「…………」

「何だい?」

「え? えっと……?」

「言いたいことがある。もしくは聞きたいことがある。違うかね?」


このままでは埒が明かない、ではなく、言わずに抱え込む可能性がある。
そう考えたジェイルは、無言でチラチラと横目で自分を伺ってきていたフェイトに先んじ、口を開く。
ユーノを解放したい、と進言したことなど、多少は緩和されたとはいえ、フェイトは他者に依存している真っ最中。自己主張、意見を口にすることを恐れ、自己完結してしまう節がある。
そこに入り込む為。プレシアが去るまでに依存の一里塚を築いておく目論見も込め、ジェイルはそれ以上言葉を発さず、フェイトが開口する時を待った。


「…………。
ジェイル、その……時の庭園に一回戻るのは……駄目?」

「……む?
一回、とは……数日後に予定している帰還を早めるという解釈でいいのかい?」

「……うん。
……無理、かな?」

「無理ではないよ。可能ではあるさ。
只――……いや、その前に聞こうか。何故、そうしたいのかね?」


そう問いを投げ掛けている最中にも、フェイトの表情は優れない。益々曇りの一途を辿っていき、遂には顔を伏せた。
これだけ言いにくそうにしているところからして、相当の理由があるのかもしれない。もしくは、何かしらの想いか。
ジェイルがそう巡らせたのと時を同じくして、フェイトは顔を上げ、懇願を瞳に滲ませながら、再度口を開いた。


「アルフが……アルフとの精神リンクが弱く……なってるの。
時々途切れたりもして……あの子に何かあったのかも……しれなくて」


きれぎれながらも言葉を紡いだフェイトを見たまま、ジェイルは「……ふむ」と考え込み始める。表面上はそう繕っていたが、内心では俄かな驚きを。
在り得ない話ではなかった。考えていない事態でもなかった。考えられるのは、時空管理局による庭園への襲撃だ。
ユーノを解放した以上、ピースを組み合わせ、自分の背後にプレシア・テスタロッサが待ち構えている実情を悟られていても不思議はない。
だが、そうだとしてもあまりに早すぎる。それに、不可解だ。たとえ優秀な人材がプレシアの存在を嗅ぎ付けても、庭園の位置座標を知るには至らない筈。
加え、アルフが優秀なのは間違いない。大魔導師プレシア・テスタロッサとて、傀儡兵とて配備されている。やられた、とは考えにくい。

だが、精神リンクが途切れるくらいだ。
何かあったのは疑いようがない。しかし、何が起こったのかまで察するには、情報が余りにも足りなかった。
フェイトが正午の時点で何も言ってこなかった、様子がおかしくなかったあたりからして、ここ数時間の出来事。判明しているのは、それくらいだ。

……少々、拙いね。
そうジェイルは訝しげに思考こそするが、内心ではくつくつと自嘲していた。
時の庭園から海鳴市に下りなければ、恐らくこんな状況にはなっていなかっただろう。
だが、たとえそれを知り得、その時に戻ったとしても、高町なのはに会いに行く自分が易とも簡単に想像出来る。変事など些末と切り捨てて、だ。

いつ如何なる時も、やりたいことをやりたいがままに。激情の赴くままに。人の皮を被っただけの欲望そのもので或る自分自身。
つくづく、軍師の類は向いていないかもしれない、とジェイルは内心忍び笑いを洩らしながら「さて」と呟くと、思考タスクを切り替えた。


「詳しい時間……いや、それはリンクの方向性からして少々難しい、か。
フェイト君、それを君が察知したのはいつだい?」

「多分……30分くらい前。
……何かの間違いじゃないかなって混乱してたから、時計あんまりみてなくて……」

「……ふむ」

「ねぇジェイル……その、大丈夫……だよね?
アルフも……母さんも……」


そう、言って欲しい。
フェイトの瞳が語るその訴えを受けながら、ジェイルは次々にタスクを展開させていく。

今までの配置、覚醒までの時間を考慮して立てた、残るジュエルシードを回収する為の期間。それの限界が一週間。但し、地上の、だ。
既に三日経過。推測では今日の夜から明日の朝に掛け、一個。その後、潜伏中にもう一つ。
残りは海中に或る筈。それに最終日の夕方に刺激を与え、強制覚醒、回収する。
その際、示し合わせていた通りにアルフを海鳴市に呼び寄せ、戦力を整える。フェイト、自分、アルフ。加えプレシアの広域次元魔法で一気に管理局を殲滅。
時の庭園の座標が知られるのは、この局面において。殲滅しそこねた場合、全員で時の庭園に退き、傀儡兵を利用しながらの決戦。追って来なかった場合は、手筈通り逃亡すればいい。

尤も、無理を犯してまで地上のジュエルシードを回収する必要は無い。文字通り既に自分の手の中に12個現存しているのだから。
ならば、明日にでも海中のジュエルシードを回収し、時の庭園へと撤退しても一向に構わない。それで必要最低限揃う。
だが、そうなれば問題が発生してしまう。フェイトが封印作業中、自分一人で既に増援が到着している管理局と対峙しなければならなくなる。

出来ないことはない。また罠にでも嵌めてやればいい。既にその手順は、脳裏で幾重にも張り巡らせている。
だがそれには、一人、決定的に邪魔な存在が居る。


(……足りない、ね)


自分達が学校へと向かう為の時間を稼ぐ陽動――その際、同時にコガネマルに探らせた管理局残存戦力の中に居た猫素体らしき使い魔が、厄介だった。
エース級。映像だけでも間違いなくそう分かる程の実力者。それが単独で来る、もしくはそれ抜きで有象無象の武装局員のみが来るのならば、殲滅出来る。
しかし、そうはならないだろう。部隊の指揮を取ってくるのは、確実にその猫の使い魔。此方が今日明日にでも動けば、衝突は不可避だ。
纏めて相手をするとなれば、蹂躙は極めて難しい。

――だが、たった一つ、手段が或る。


「…………。
コガネマル、起きたまえ」

『…………。
……んん? 何さー?』

「君は元蜘蛛だ。ならば、明日の空模様は分かるだろう?
降るか、降らないか。それだけでいい。どうかね?」

『降るよー。因みに、今日の夜からずっと。
多分、明日の夜まで已まないかなー』


「ふむ。充分だ」。主がそう言うと、再びスリープ状態へ移行するコガネマル。ジェイルは、再び思考域へと埋没していく。
[クモは大風が吹く前に巣をたたむ]。諺に或るように、蜘蛛は天候の変動に敏感だ。雨が降れば巣を張り直す必要が出てくる場合もあるのだから、当然だろう。
確実ではないが、生存本能的な行動な為、人間の予報よりも格段に的中率は高い。

情報を組み替え、ジェイルは新たに思考タスクを展開、加速させる。
幾通りのパターンを踏破。状況を予測。蹂躙の舞台を脳内で展開。
嘗ての四番、謀略の愛娘と同じように考え、同じように絵図を描き、同じように歪ませる――それで、いこうか。
一人呟き、展開していたマルチタスク数個をシャットダウン。頭の中で最後のピースを嵌め込むと、フェイトへと向き直った。


「ふむ。よろしい。
ではフェイト君。明日の昼、ここを発とうか。
予定を早め、明日、海上で管理局と決戦し、その後時の庭園に退きプレシア君達と合流するとしよう」

「あ、ありが――」

「――但し、だ」


表情を幾分か明るくし、礼を述べようとしたフェイトを制し、口元を凶悪に吊り上げるジェイル。
語調を荒げたわけではなかったが、ビクッとフェイトが反応した様子を見て「悪いね」と一言詫びると、話を続ける。


「一点。只一つだけ君には厳守して貰わなければならない。
――私が幾ら窮地に立とうと、死地に踏み込もうと、絶対に救援に来てはいけない。
私の屍を越えて往く、ではなく、私の屍を歯牙にも掛けない。そういう気概を以ってことに当たって欲しい」
まぁ、簡単に言うと、だ。
フェイト君は封印に専念してもらいたい。その間、彼ら――時空管理局とは私が対峙する。と云うことだよ」

「……え、ジェイル一人で? む、無理だよそんなの。
私も……ジュエルシードの封印は後回しにして、私も一緒に戦った方が……」

「奥の手を使わせてもらうからね。私一人で充分さ。それに、フェイト君を巻き込んでしまう可能性も或る。
ただ、この局面での行使となると、少々面倒な手順が必要でね。そこに至るまで、俗に言うフルボッコにされると云うことだ。それを君は完全に無視して欲しい。
いやはや、存外私はマゾヒストかもしれないねぇ……くくっ」


くつくつと歪んだ笑みを携えたまま、フェイトの目を覗き込むジェイル。
「出来るね?」と、問いを投げ掛けてくる金の眼差しを呆然と見つめ、フェイトは瞳を揺らがせる。口を開かせないのは、戸惑いか、躊躇か。

内容に反して、心底愉快そうな少年の表情。いつもならば頼もしいとさえ思えるそれが今は、怖かった。
何と答えたらいいのだろうか。答えて、いいのだろうか。それさえも、怖い。
フェイトは暫し、裾を握り締めたまま、逡巡。立ち尽くし――、


――でもきっとその分、いつの日か笑って話せる日が来るって、そう思うから。
だから、ここからちゃんと始めたい。私はジェイル君と――。


――優しくて、強い。
真っ直ぐな少女の言葉を思い出して。少しだけ羨ましくて。
フェイトはそれに、手を伸ばした。


「…………。
私……一つだけ――」


見つめてくるジェイルの視線を真正面から受け止め、口を開く。
あの子とは違うけれど。きっと、只の我侭だけれども。
そう願ったのは、確かな本当で。叶って欲しいと思ったのは嘘じゃなくて。

紡がれた言葉が、少年を僅かに驚かせる。だが、すぐさま堰を切ったように笑い出したジェイルの顔は、これまでにない程楽しそうで。
そんな様子を見て、そんなに笑わなくても、と内心頬を膨らませ、フェイトはそっぽを向く。

窓の外では、いつの間にか雨が降り出している。
雨音よりも大きい少年の笑い。それが少しだけ可笑しくて、フェイトは小さく、笑った。








[15932] 第17話 変わる未来
Name: 梅干しコーヒー◆8b2f2121 ID:139a44c2
Date: 2011/05/02 00:20





生憎の空模様の広がる、正午入り口を迎えた空の下。
休日にしては人通りの疎らな海鳴の市街地を、傘を差して並んで歩く二つの小さな人影が或る。
時折、擦れ違う他の歩行者から二人へ奇異にも似た視線が注がれるが、それも一過性で、あくまで見知らぬ他人で或る以上、物珍しそうな目を向けられるのみで終わる。
しかしながら、通行人達が自然と彼らを一瞥してしまうのも、ある意味当然の反応とも言えた。
二人は共に、この国で言えば外人と呼ばれる容姿をしており、本人達の意志は関係なく、否が応でも目立ってしまうのだ――と言うよりは、片方が奇抜とも言える身なりをしているのが、主な原因だろうか。
少女は流れるような金髪に、黒のワンピースといった、質素ではあるが可愛らしい服装。その隣を行く少年は、如何にも睡眠不足と自己主張している撥ねた濃紫髪に、くたびれた白衣。
見た目が子供ではなく大人だったのならば、少年の方は、何処ぞの奇人変人だろうと第一印象を抱かれても仕方無い風体で、これで人目を引くなというのは些か無理が或る話だった。


「ねえ、本当に大丈夫なの……?」


時折、千鳥足に近い覚束ない歩調で隣を行くジェイルを見るに見かね、フェイトは心配げな声と目を送る。
これも、潜伏先である遠見市のマンションを出立してから幾度か繰り返された、焼き増しのような遣り取りだ。
傍から率直な感想を述べれば、戦う前から満身創痍に見えない事も無く、しかも元から重症を負っている怪我人なのだから、戦場より病院に向かうべきだと薦めたくなるような有様。
詰る所、これから時空管理局との決戦を迎えるにしては、フェイトからして見ても、思わず同じ話を蒸し返すくらいには今のジェイルのコンディションは最悪極まりなかった。


「ハハ、大丈夫だよ。
きちんとドーピングしているからね。始まる頃には何の問題も無いさ」


そう言って、ジェイルは懐からおもむろに小瓶を取り出し、手で遊ばせて見せる。
本人曰く、例えば戦闘中に負った怪我などに対し、後で漸く本来の痛みを感じるように、この程度の睡眠欲は如何とでも誤魔化せるとの事。
因みに、寝不足の理由は実に単純で、なのはと戦えるのが楽しみで目が冴えた。朝になって遠足前夜の学生の気持ちが理解出来た、らしい。

しかしながら、それならば尚の事、最初からしっかり睡眠を取った方が良いだろう。これでは本末転倒ではないのか。
とでも、一言物申そうかとも考えたフェイトだったが、それは今更――本人の性格的にも――なので、半ば呆れ混じりに言葉を呑み込み、代わりに小さな嘆息一つ。
ちら、とジェイルの手にしている小瓶へ、何か言いたげな目をやった。


「ああ、別段特別な物でも、危険な代物でも無いよ。ドーピングというのは大げさだったね。
以前、学校帰りに寄ったスーパーマーケットで、念の為にと買っておいた栄養剤さ。
いやはや、管理外世界とはいえ、中々侮れないものだ。魔法が存在しないだけで、文明レベルは非常に高い。
興味が尽きないよ、この第97管理外世界には。その内、拠点でも構えたいものだねえ」


言いながら、くつくつ、とジェイルは含み笑いを浮かべる。
初対面であれば一歩身を引いてしまうような、幼い少年の顔が作るにしては些か凶悪の行き過ぎた口の端だがしかし、普段から笑いの絶えない彼と過ごしていれば、これは嫌でも見慣れるもので、フェイトに特に気にした素振りは無い。
今となっては逆に、そんな風に何に対しても笑えるのは、或る意味凄い事なのではないだろうか、とさえフェイトはどこか思ってしまう。
と言うのも、つい最近感じ始めた事だが、反面教師のようなもので、彼を見ていると、自分の表情の乏しさが良く分かるのだ。
少し、見習うべきなのかもしれない。自分から悪役だとでもアピールしているような、変な方向への堂に入りっぷりを除けば、だが。

そんな事を何の気無しに考えていた途中で、フェイトはふと、引っ掛かる、と言うよりも気になるところを覚える。
失礼かもしれないが、妙に板についている悪役のような振る舞い。戦術レベルではお世辞にも上手いとは言えない――寧ろ素人側――が、ジェイルは戦略レベルにおいては非常に長けている。
尤も、それも正攻法ではなく奇策や搦め手限定の話だが、以前に立案した作戦で管理局の精鋭達を一挙に殲滅する結果を出しているのだから、その辺りが得意分野なのは確かだろう。
到底、何の経験も無い人間が打つような手には見えない。

並べた内容をそのまま繋げれば、管理局と戦った経験が或る。
なのだが、そう予想してみるも、出会った時の本人は、客観的に見てかなり弱かったのだから、正直考えにくい。
詰る所、今更ながら、なのはやユーノ、自分達と出会う前、ジェイルが何をしていた人なのか、フェイトは全くと言っていい程知らなかった。
科学者、と言うのは既に聞いているが、管理局のあしらい方が妙に手慣れているところからして、それだけでは無いだろう。元来の性格は多分に影響していそうだが。
決して疑っているわけではなく、単に降って湧いたような興味本位で、フェイトは出した結論をそのまま口にした。


「……ジェイルって、戦う科学者、みたいなのだったのかな?」

「ふむ? 何の話だね?」

「あ、そこまで深い意味はないんだ。ちょっと気になっただけだから。
ジェイルって、作戦立てるのとか手慣れてるから、そういう事してたのかな、って思って。
……聞いたら困る話だった?」


口にしてから、言わなかったのは何か聞かれて困るからだったのかもしれない、と或る種の気まずさを感じ、フェイトは次第におずおずと、トーンを落としていく。
今日までの日々の殆どを、身内とだけ過ごしているフェイトにとって、幾ら打ち解けてきたとはいえ、ジェイルはまだ出会って間もない少年だ。
だからこそ、ほぼ無意識の内に、人付き合いの経験が些か乏しい為か、こうして踏み込めば一歩引き下がるような、手探りに近い接し方をしてしまうのも無理は無かった。
だが、フェイトのそんな心境を余所に、「ああ、その事かね」、とジェイルは軽く応じると、手で傘をくるくると遊ばせつつ、言葉を続けた。


「管理局にゲリラ戦を仕掛けた経験が或る、というだけさ。別に聞かれて困るような話でもないよ。
戦う科学者というのも、あながち間違ってはいないかな? 尤も、矢面に立ったのは一度切り、序に負けたのだが」


ジェイルはそこで、一旦言葉を区切る。そして何故か、横目でフェイトを見たまま、思わせ振りな態度で忍び笑いを洩らし始めた。
小首を傾げるフェイトに、「悪いね」、と小さく詫びると、楽しげな顔そのままに軽く肩を竦めてみせる。


「少し、昔を思い出しただけだよ。
人と言うのは出会い方一つでこうも変わるものなのだと、ね。
いやはや、ザンバーに叩き飛ばされ、内壁へ強かに突っ込んだあの日が懐かしい。
くくっ、あの時向けられていた目は、それはもう素晴らしいもので……、…………」


そこまで口にしたところで、ジェイルは一瞬沈黙。徹夜の所為で充血気味だった眼を、フェイトへと振り翳す。
思わず一歩身を引いたフェイトに構わず、不意に足を止めて骨折していない方の左手を広げた。


「……ああっ、欲しかったなあ……っ。
そう、フェイト君。私は君が欲しい」

「……な、何で私……?
……あの、それより早く帰って来てもらっていいかな?
目が何かこう、凄く嫌らしくて、その……ジェイルの目が、嫌らしいんだ」


奇行や突飛の無い言動に幾ら慣れたとはいえ、生物の本能的な部分が鳴らす警鐘に抗えず、何処か別の世界に旅立ちかけていたジェイルから目を逸らして、フェイトは言葉足らずながら必死に諌めつつ、珍しく頬を引き攣らせる。
しかし、何故、毎度毎度こうも妙な方向に話が飛ぶのだろうか。
そう考えるも、余り深く考えてはいけないと思ったので、今の彼は徹夜明けでランナーズハイなのだ、と自分を無理矢理納得させて、再び歩き出しながら、話題を変える事にした。


「でも、負けたんだよね? その人に」

「ああ、そうだよ。
懐に誘い込んだ上、此方が多勢だったにも関わらず、丸ごと叩き潰されたさ。
ふむ。でも、というのはどういった意味かな?」

「ん……、負けたのに嬉しそうだったから、かな?」

「ハッハ、それはそうさ。何せ、私を地につける程に成長してくれたのだからねえ。
お陰でこうしてここに至る切っ掛けにもなった事だ。今となってはあの負けには感謝すら覚えるよ」


敵が強くなっていたというのが、そんなに喜ぶような事なのだろうか。逆に歯噛みする事こそあれ、フェイトにはその感情がいまいち理解し難かった。
叩き潰されて嬉しい、昨日も口にしていたように、彼には少しマゾヒストという側面――詳しい意味は知らないけれど――が或るのかもしれない。
フェイトはそんな風に思いつつ、言葉を続けようとしているジェイルの話へと耳を傾けた。


「なに、何かしら得る物さえあれば、勝ちも負けも同様に愛する価値が或る、というだけの話だよ」


そう言って、何時も通り自分のペースで話を打ち切り、ジェイルは足を止める。
同じく歩みを止めたフェイトが、視線の先を追ってみれば、そこには大きく開けた空間が広がっていた。
目的地である、海鳴市の沿岸部はもう目と鼻の先。つまり、間も無く管理局との決戦を迎える事を意味していた。


「フェイト君。昨夕の話を覚えているね?」

「……うん。覚えてるよ。
私はジュエルシードの封印。ジェイルは管理局と戦う」

「よろしい。では、最後の確認といこう。
私を、何があっても見捨てられるね?」


そう言って、ジェイルはフェイトの瞳を見る。
昨夕と同じような遣り取りだが、今この場で相互に確認をする事が、何の意味を持つのかを悟れない程、フェイトは疎くはない。
前はまだ、引き返せた、止められた。しかし事ここに至っては、もう止まるわけにはいかない。だから、これは念を押しておくという意味なのだ。
しかしながら、それが分かっていても、フェイトの口から応じる声が出る事はなかった。


「……やっぱり、何するのかは教えてくれないんだね」


ぽつり、とフェイトは静かにそう零す。
既に、ジュエルシードの強制覚醒から、お互いの役割に取り掛かるまでの段取りは済ませている。
が、こうまでして見捨てろと釘を刺される程の何かが或る、ジェイルがどうやって管理局と対峙するのか、肝心のその詳しい中身は露とも聞かされていないのだ。
相当危険な立ち回りを演じるのだろうとは察している。ここまで来ても秘しているのだから、何か意味が或るのだろう、とも。

しかしながら、それを理解出来ていても、いや、出来ているからこそ、
出ると分かっている犠牲を素直に受け止められる程達観していないフェイトは、うん、と言うは易いが重い意味を持つその二文字を、口にする事が出来なかった。
そんなフェイトの心境を察したのか、ジェイルは浮かべていた笑顔を一旦収めると、常の飄々とした素振りはそのままに、口を開いた。


「フェイト君。私は誰でも裏切るよ」

「……えっ?」


信じて欲しい。もしも、それを言ってくれるのならば私は――。
そう逡巡していたフェイトは、ジェイルの口から望んでいた台詞とはまるで真逆の言葉が出た時、思考を停止させ目を見開いた。
止まったそれで、何とか意味と彼の真意を呑み込もうと瞳を見返す中、話が続けられていく。


「知っての通り、私はなのは君とスクライアを裏切り、此方側に寝返った。
そして、これまでも大小はあれ、同じような真似を繰り返してきている」


自身を、獅子身中の虫だ、とジェイルは何の臆面もなく言う。
誰も知らない、ジェイルしか知らない言わんとしている事。それは例えば、産みの親とも言える最高評議会を手に掛け、抹殺した事。
全てを知りながら、ルーテシア・アルピーノを、ゼスト・グランガイツを、そしてレジアス・ゲイズを利用した事でもある。
そして、何も伝えずに愛娘を元の世界へ置き去りにしてきた所業とて、そうだ。


「でも、ジェイルは、その……」


何を指して、言っているのかは分からないがしかし、その先を聞きたくない、聞くのが怖い、と。
ジェイルの話を否定出来る言葉をフェイトが探す中、だが、とジェイルは尚続ける。


「私は自分を裏切った事はない。
自分に嘘を吐いた事が無い。自分の言葉は裏切らない。
信じろなど言わない。同じように、君らに果たせもしない言葉を言いもしないよ」


ぽかん、と口を開け、目まぐるしく右往左往させていた思考を止めて、フェイトは呆けるように瞬きを一回、また一回。
言外に言われている台詞を理解するなり苦笑し、不安げだった瞳と口元を小さく綻ばせた。


「普通に、信じて、って言えばいいのに。
そういうところ、ジェイルは意地悪だと思うんだ」

「それに値しないと自覚しているからねえ。
義理ましてや人道など、夜通し説かれたところで朝には忘れているさ」


ハハ、と声を上げ、ジェイルが歩き出す。
これから危険な真似をするなど露とも感じさせず、胸の内を誰にも見せるような事をせず。何の事はなく、ただいつも通りに。
裏を返せば、何を考えているのか分からない。そんな一抹の不安を過ぎらせるけれども、果たす、その言葉を信じるのは何より簡単で。
悪い顔してるなあ、とフェイトは小さく零しながら、ただ前を向いて、それに続いていった。










【第17話 変わる未来】










否応なく気の緩み始める、正午入り口に差し掛かったL級次元航行艦船・アースラ艦内。
昼時を迎えた今となっても、艦内食堂にクルーの姿は殆ど見られず、足を運んだ局員も談笑する事はなく、足早に各々の持ち場へと去っていく。
すぐさま出撃出来る程度の軽い訓練に勤しむ武装隊の面々。解析、本局への報告、事件の要略に精を出す通信士達。
休息する時間すら惜しんで其々の役割を果たさんとする彼らは、何処か張り詰めた空気を纏っている。そして、それはアースラ全体に伝播していた。
世界を丸ごと消滅させかねない程の力を持つロストロギア、ジュエルシード。S級次元犯罪者、ジェイル・スカリエッティ、もしくはその手掛かりであるジェイル。
どちらか一方だけでも危険極まりないというのに、現在、アースラはその両方へと対応が求められているのだ。
この状況で安寧と出来るのは、余程の大物か、管理局員という仕事を只の仕事と割り切っている人間だけだろう。

そんな緊迫した空気の漂うアースラの一室。会議室では現在、現地協力者を交えてのブリーフィングが開かれていた。
長テーブル中央上座には、この艦の艦長であるリンディ。そこから下座に向かってクロノ、リーゼロッテ、他数名の局員。最後にユーノとなのはが隣り合って座っている形だ。
議題は主に、これまでの事件の顛末と、新たに明らかになった事実、そしてこれからの方針について。
それらが議事を担当しているエイミィにより進められていく中、ユーノは説明を耳に入れつつ、マルチタスクの一つを使って考えごとをしていた。

思い返せば、始まりは貨物船が何らかの事故に見舞われ、積荷だったジュエルシードが第97管理外世界にばら撒かれてしまった事だった。
そしてその後、ジュエルシードの発掘現場責任者だった事もあって、責を感じた自分がそれを回収する為に単身地球へ向かった。それが、この事件の発端だ。
何度振り返ってみても、軽率だった、とユーノは思う。回りが見えていなかった、とも。
その結果、ジュエルシードの暴走体に深手を負わされ、そこに居合わせたなのはを巻き込んでしまったのだから。

なのはへの感謝の気持ちは筆舌に尽くせない。しかし、同じように自責の念も拭えない。
決意を固め、覚悟を決めたなのは。彼女は言う。自分で決めた事、と。今日に至るまで何度も口にした謝罪の言葉は、今となってはその決心に水を差すだけだ。
ならば、自分はどうするべきなのか――言葉ではなく、何が出来るのか。そう考えた時、ユーノの脳裏に過ぎるのは、一人の少年だった。


(……ジェイル、か)


戦いたいのではなく、止めたいから。これ以上道を踏み外させたくない、誰も傷つけさせたくない。
そして、伝えたかった言葉を伝えたいから。答えを聞きたいから。理由は数多あれど、なのははその強い一念と固い覚悟でここに居る。
ならば、自分はなのはが全力でジェイルとぶつかれるように尽力するべきだろう。だが、そこまで考えたところで、ユーノは内心で遠い目を何処かに向けた。


(……あいつがジェイル・スカリエッティって……いまいち現実味が無いんだよなあ)


ジェイル・スカリエッティ。学校を立ち去る間際、ジェイルはそう名乗っていた。
管理外世界ではその名に反応する人間は居ないが、こと管理世界の間で言えば、知らない人間の方が少ないだろう。
曰く、稀代のマッドサイエンティスト、犯罪者でなければ歴史に名を残すであろう天才。悪い噂には事欠かない、悪名高いビッグネームだ。
しかし、その広域指名手配犯がジェイルである。などと言われても、ユーノとしては正直、首を捻らざるを得なかった。

例えば、短い期間だったとはいえ、高町家で三人一緒に過ごした日々。
朝食の際、桃子と並んで台所に立って談笑する姿。いつの間にか美由紀と仲良くなり、数学やら科学やら勉強を教えていた光景
なのはと一緒にお風呂に入ろうとして、士郎に首根っこを掴まれて連行されていく一幕。なのはと一緒の部屋で寝ようとして、恭耶に引き摺られていく様。
それらを傍から見ていたユーノからすれば、ジェイルをジェイル・スカリエッティと結びつけるのは、多分に現実味に欠ける話だった。

ユーノはそんな考えごとを続けながら、ちらり、と隣で真剣な表情を浮かべて説明を聞いているなのはを横目で見やる。
ジェイルの性格。あの清々しいまでのなのはへの傾倒振り。その辺りを鑑みると、ジェイルが地球に居たのはなのはが居たからではないか、などとユーノには思えた。
しかし、自分で考えておいてなんだが、余りに根も葉もない理由だ。ジェイルだと案外否定出来ないのが微妙に悲しいが、さすがにそれは短絡的過ぎるだろう。


『……ユーノ君? どうしたの?』

『あ、いや。何でもないんだ』


偶然目が合ってしまったなのはへ曖昧な返事を返しつつ、ユーノは浮かびかけていた結論を頭から消した。
そうして、ユーノが広げていたマルチタスクを閉じるのと時を同じくして、ブリーフィングは一段落を迎え、エイミィが一旦脇に移動する。
それと入れ替わりでリンディが立ち上がり、会議室に居る面々を見渡しつつ、口を開いた。


「では、今後の大まかな方針を私から伝達します。
先ず、第97管理外世界に散らばったジュエルシード、全二十一個の回収。
そして――エイミィ、出して頂戴」


はい、と短く応じると、エイミィは手元の簡易端末のキーを叩き始める。
そして、スクリーンに表示される一枚の映像パネル。そこに映し出されたのは、妙齢の女性だった。
誰だろうか。ユーノは記憶を辿りつつなのはと視線を交わすが、浮かべている表情からしてなのはも見覚えが無いらしい。
しかし、兎に角重要な人物なのだろう、と浮かんだ疑問を脇に置き、リンディが続けようとしている先へ耳を傾けた。


「大魔導師、プレシア・テスタロッサ。
つい先日明らかになったこの一連の事件の黒幕であり、ジェイル君とフェイトさんに指示を出している人物です。
とはいえ、確定ではありませんが、様々な状況証拠から考えるに、彼女が黒幕と見てまず間違いないでしょう」


俄かに会議室に漂っていた空気が張る。
それもそうだろう。詰まるところ、そのプレシア・テスタロッサの身柄を確保すれば、現状抱えている問題の片方が収拾するのだから。
そんな、より一層緊張感の高まった視線の集まる中、リンディは話を続けていく。


「よって、これより捜査方針を変更します。
第97管理外世界付近の次元空間内に停泊しているであろう拠点、時の庭園の発見。
のち、彼女に投降の意思がなければ強行突入し、身柄を確保します。
その間、地球に散らばっているジュエルシードが暴走した場合はこれまで通り封印を。
ジェイル君、フェイトさんが出て来たのならば、同じく身柄を確保。以上です」


全て伝達し終えると、リンディは会議室に揃っている一同を見渡す。
その視線の意味は、何か質問は、という事だろう。しかし、誰もが各々思考と整理をしている為か、すぐには疑問の声は上がらなかった。
そうして沈黙が降りてからややあって、漸く手が上げられる。手を上げた本人、ユーノはリンディの促しを受けると、おずおずと口を開いた。


「あの、質問というより確認に近いんですが……」

「構わないわよ。
気になる事は今の内に聞いて貰えた方が、此方としても助かるわ。言ってみて頂戴」

「じゃあ、えっと……ジェイルって、ジェイル・スカリエッティなんですか?」


……あれ?
そこまで言った時、ユーノは小さな違和感を感じた。
見れば、誰もが少なからず疑問に思っていた事だったのか、会議室に居る全員がリンディの返答に耳を傾けている。
リンディに変化は無い。さっきまでと同じ、艦長然とした表情のままだ。しかし、クロノとエイミィが何故か眉根を寄せ、互いに視線を交わしていた。
それが、ユーノには引っ掛かった。もしかすると聞いたら拙い事だったのか、それとも何か食い違いが或るのかもしれない。そう考え、先程の言葉を補足する意味で話を続ける。


「その……ジェイルの身柄を確保した後の話になっちゃうんですけど……。
ジェイルがジェイル・スカリエッティだった場合と、別人だった場合で罪状が変わって来ますよね? それこそ、雲泥の差ってくらいに」

「ええ。そうなるわね」

「えっと、その辺りを知っておきたかったので、あいつがジェイル・スカリエッティ本人なのか聞いておきたかったんですけど……。
……まだ機密扱いでしたか?」


その問いに、リンディはすぐには言葉を返さず、暫し考え込むような素振りを見せる。
次いで、クロノへと目をやり、小さく頷き返したのを確認すると、ユーノへと視線を戻した――その時だった。


「っ!?」

「えっ!?」


大音量のエマージェンシーアラームが、会議室だけではなく、アースラ中に不穏な気配を引き連れて鳴り響き、この場に居る全員から驚愕の声が上がる。
突然の警報に身を固まらせる者、すぐさま席を立ちリンディへ目をやる者。三者三様の反応を見せる中、スクリーン上に只ならぬ表情を浮かべたオペレータ、アレックスの姿が映った。


『艦長っ!』

「報告を!」

『はっ!
例の二人が姿を現しました!』





















にび色の曇天から降り頻る雨は已みこそしないが、それ以上激しさを増す事はなく。
雲間から顔を覗かせる稲光も、空を照らすだけで落雷として地に注がれるには至らない。
そんな大雨と五月雨の境界線上で停滞し始めた、正午丁度の空の下。
機嫌を損ねた海、荒波の打ちつける沿岸部に、一組の少年と少女の姿が或った。


(さて、プレシア君の援護が見込めない以上、使わざるを得ないわけだが……。
いやはや、如何したものかな)


降り頻る雨を、まるでシャワーでも浴びているかのような無防備な佇まいで受け流しつつ、ジェイルはこれから先の展望に考えを馳せ、内心軽薄に肩を竦ませる。
既に決定事項だが、今回の戦闘で切る腹積もりのカードはジョーカーだけではなく、エースも含んでいる。詰まるところ、手札全てだ。
しかし、ジョーカーは兎も角として、エースを場に出す。それが、ジェイルに些か懸念を抱かせていた。

自己顕示欲の旺盛さから来る、勿体振りたいという気持ちもジェイル自身否定はしないが、それ以上に行使する予定だった状況、相手が違うのだ。
試験運用とでも考えれば楽ではあるが、今回の場合衆目がある。試験段階で対策が打たれるなど本末転倒だろう。使い物にならなくなってしまう。
しかしながら、使わなければ詰んでしまう以上、妥協するしかないのも確か。
結局、ぼやきを洩らしつつも、ジェイルは面倒臭いと言わんとばかりに、また新たな武装を開発すればいいだけか、とそれについて考えるのを已めた、

ともすれば、今の状況。
未だ大きなアクションを起こしていないとはいえ、これ程見晴らしのいい場所に姿を現した以上、管理局は既に此方を補足しているだろう。
あちらの一手目は、動く気配が無い、罠の可能性、その辺りを踏まえ、先ずは様子見も兼ねての包囲を敷き、投降を促す勧告から入る、といったところか。

恐らく、そこから次の段階までの読みは外れないだろう。と言うよりは正直なところ、ジェイルにはそこまでが限界だった。
何せ、幾らクアットロの立てていた作戦やら謀やらを間近で見ていたとはいえ、実質的な経験は皆無なのだ。
思考の空白を衝く、相手の最も嫌がる手を考える、宥め透かしつつ腸を煮え繰り返させる。所謂嫌がらせなどは十八番であっても、基本的戦略ましてや戦術となると、素人――良くて半人前だろう。
あくまで、自分は科学者。造る側であり、使う側ではない。今回も只単に、ほぼ確実に気づかれないであろう場所にコガネマルを伏せただけで、結局、後は力押しだ。


(……ふむ。
この体が弱体化している以上、戦略やらの造詣は深めておいた方がいいかもしれないねえ。
いや、今の私ならば、プロジェクトFの完成形を造り出せる。いっその事、新しい体に入れ替えるというのも一つの手だ。
だが、仮にそうするのだとしても、先にレイジングハートとバルディッシュの改造を……うむ、しいてはシュベルトクロイツも私が造りたい。
しかし……リインフォースツヴァイも……いや……ああ、どれも捨て難いなあ……っ)


いつの間にか横道へと逸れ始めていると気づきながらも、その思考自体が楽しくて仕方がなく已められない。
傍から見れば真剣とも取れる思案顔で、欲情にも似た好奇心の赴くままにジェイルは暫し耽る。
そんな姿がどう映ったのか。フェイトは意を決した様子で、何やら考え込んでいるジェイルへと、神妙な眼差しを向けた。


「ジェイル」

「ああ、フェイト君。実に良いタイミングで声を掛けてくれた。
今後、バルディッシュに新たな武装を追加するのならば、君はどんな物がいいだろうか」

「…………。
……あ、あれ?
えっと、バルディッシュの追加武装って、何の話?」

「バルディッシュアサルトの話だが?
ああ、アサルトというのは改造後の――」

『――no thank you』

「ああ……レイジングハートといいバルディッシュといい、何故私はこうもデバイスに嫌われてしまうのだろうか。
コガネマルも余り懐かないどころか、フェイト君のデバイスになりたがっている。私に素手で戦えとでも……ふむ。それはそれで私自身を改造する切欠にはなるが」

「そういうところが嫌われる原因じゃないかな……」


緊張してるわけじゃなかったんだ……。
ポツリ、とそう零しながらどことなく肩を落とすフェイトを他所に、ジェイルは相も変わらずマイペースに思考へ走る。
とはいえ、さすがにこのままではキリが無いと漸く考え至ると、雨で額に張り付いた前髪を掻き上げつつ、頭を切り替えた。


「……来た」

「ふむ。漸くお出ましかね」


普段よりも低く、重い声でフェイトが呟き、バリアジャケットを纏うと同時。空気が変わり、厚い魔力のヴェールが一帯を包み込んでいく。
それを見て、ほう、とジェイルは感嘆にも似た息を洩らした。多少の意外さを覚えたのは、展開されたのが封時結界ではなく、強装結界だったからだ。
強装結界は生半可な衝撃では傷一つ付けられない堅固さを誇る、主に結界内部に対象を閉じ込める為の捕縛結界。展開には複数の術者を必要とする。
少なくとも、結界に人員を割くくらいには戦力が整っているらしい。そう思索しつつ、周囲に次々と出現する魔力反応に向かって緩慢な動作で振り向いた。


「余り人を待たせるのは感心しないなあ、管理局員諸君」


答える声は無い。誰もが皆口を閉ざしたまま、ジェイルとフェイトへ警戒心剥き出しの視線を向ける。
二人を中心に、一人、また一人と転送が続けられ、徐々に包囲が固められていく。それが漸く終わりを迎えた時、この場には計十三名の局員、そしてなのはとユーノの二人が居た。
陣頭に立つのはリーゼロッテ。なのはとユーノは戦闘スタイルを考慮されているのか、転送されてきた位置は最も後方だ。
ジェイルは舐め回すようにそれらを一通り見渡すと、いつも通りの飄々とした態度のまま、笑みを向けた。


「やあ、なのは君。この時を待ち侘びたよ。
実を言えば、出て来てくれるのか不安だったのだが……うむ。やはり君は私の期待を裏切らない。
これで君を待つ間、管理局の面々を暇潰しに潰さないで済む。まあ、どちらにせよやる事に変わりはないのだが」

「させないよ、そんな事」


言葉を言うではなく、突きつけるように。それを口にすると同時になのはは一歩踏み出し、レイジングハートをジェイルへ翳した。
実に、いい目をしている。ジェイルはそう愉悦を感じつつ、鋭さすら垣間見せる視線を正面から受け止め、口の端を吊り上げる。
嗚呼、果ててしまいそうになるじゃあないか、と。


『ジェイル君、でいいかしら?』


くつくつと、口元から笑みを零していたジェイルと、陣頭に立っているリーゼロッテの間へ、凛とした女性の声が聞こえると同時に通信モニターが展開する。
そこに映し出されたリンディへ、ジェイルは暫し値踏みするような目を送る。彼女が指揮官か、と至ると仰々しく胸に手を添え、ワザとらしい礼儀と共に視線を交差させた。


「御機嫌よう、御婦人。ジェイルでも、ドクターでも、スカリエッティでも好きに呼んでくれて構わないよ。
そんな君は、この世界に来ている管理局の最高責任者と見受けるが、相違無いかな?」

『ええ。時空管理局本局所属提督、L級次元航行艦船アースラ艦長、リンディ・ハラオウンです』

「……ハラオウン?
……ふむ、成程。先日の彼は君の御子息だったのだね。如何だろう、彼は息災かな?
ああ、手にかけたのは私だったか。ハハ、すまないね。忘れてくれたまえ」


チリッ、と空気が変質する。
リンディは表情を変えずに、ジェイルを見据えたままでいる。が、その臆面の欠片も無い挑発を聞き、その場に居る局員が皆、向けていた警戒の視線を敵意のそれへと変えた。
そんな突き刺さるような視線の注がれる中で、ジェイルは表面上は笑みを崩してこそいないが、降って沸いた誤算に内心で溜息を一つ吐いていた。
と言うのも、流石に、親子揃って出張ってきているとは予想だにしていなかったのだ。恐らく、先日の執務官がフェイトの義兄で、彼女が義母なのだろう、と。

戦略や戦術に些か疎いジェイルとて、小が大を相手取る際、最も有効な手段が何かくらいは知っている。
先ずは頭を潰す。が、それがリンディと分かった今、その手は打てなくなった。出来ない事は無いが、記憶が断片となっている以上、この段階で彼女を殺すのは御法度だ。
そしてコガネマルと自分に、非殺傷設定の攻撃手段など、魔力蒐集くらいしかない。
立ち回りを多少変えなければねえ、とジェイルは余り面白くなさそうに胸中でぼやきつつ、リンディの話に耳を傾けた。


『投降、してもらえないでしょうか?』

「いやはや、これは異な事を。
しかし……うむ。それを受け入れるには条件が一つ或るのだが、いいかね?」

『……聞きましょう』

「この国にはハラキリ、セップクというものがあるらしくてね。
それを実演してもらおうか。勿論、なのは君以外の全員で、だ。
ああ、しかしこれは困った。投降する相手が居なくなってしまうじゃあないか」

『……挑発も度を過ぎれば、只の一人芝居でしかありません。
投降の意思は無い、そう受け取っても?』

「分かりきった事を聞くものじゃあないなあ。些か遠回し過ぎたかい?
それにそのような愚問は聡明な君には似合わないよ、ハラオウン提督」

『……では、最後に一つだけ聞かせてください。
プレシア・テスタロッサは今、時の庭園ですか?』

「っ!?」


ハッ、と息を飲む音が響く。
ジェイルが声の先へと横目をやれば、フェイトの瞳は驚愕で塗り固められており、見るからに動揺を表に出していた。
カマを掛けられた。フェイトがそう気づいた時には既に遅く、リンディは確信をもって言葉を続けていく。


『……やはり、彼女が裏で糸を引いていましたか』

「くくっ、存外良い性格をしているねえ。実に好感が持てるよ。
ああ、そういえば、私はクローンらしいよ?」

『っ!?』


リンディの毅然とした表情が、ここに来て初めて微かに崩れた。それを見て、やはりねえ、とジェイルは独りほくそ笑む。
プレシアに辿り着いたのならば、プロジェクトF、アリシア、しいてはフェイトがアリシアのクローンである、とそこまで既に知り得ている筈。
ならば、自分が存在している理由をどう推測するのか。単純な話、フェイトが居るのだから、ジェイルもクローンなのだと考えるのは至極当然の帰結だ。

そして、棚から牡丹餅ではあったが、最も欲していた情報も得られた。
リンディの言からして、時の庭園の変事が、管理局の手に寄るものではないと分かった今、これ以上話を引き伸ばす必要は無い。
ジェイルは腹の内でそう決めると、リンディに向かって口の端を吊り上げた。


「ハッハ、私がクローンなどと。
ジョークにしてはセンスに欠けるが、何処かでそう考えている人間が居そうでね?
只の独り言、実に下らない意趣返しさ。聞き流してくれたまえ」

『……あなたはっ、全てを知った上で……っ!』

「おやおや、私の挑発は一人芝居なのだろう?
君がいったい何に動揺しているのか、私には全く分からないなあ、くくっ」


一帯に張り詰めていた緊張感に、微かなざわめきが混じり始める。
互いに顔を見合わせる者、眉根を顰めてジェイルを凝視する者、話に付いていけていない様子の少年と少女。
三者三様の反応を見せていたが、誰もが一つだけ同じ疑問を浮かべていた。目の前の少年はジェイル・スカリエッティのクローンなのか、と。
そして、戸惑いが蔓延する空気の中、視線を一手に集めている張本人、ジェイルは周囲と同じく戸惑っているらしきフェイトへと、念話を繋いだ。


『フェイト君』

『……えっ、あ、うん。
えっと……』

『何、単なる意趣返しだよ。君まで気にする必要は無いさ。
それで、だ。先程の彼女の言によれば、時の庭園に管理局は踏み込んでいないらしい。
最悪の事態では無かった、ということだよ』

『……あっ』

『では、そろそろ時間だ。
フェイト君、準備はいいかな?』

『……うん。大丈夫。いけるよ』


よろしい、と短くそれだけ返し、ジェイルは念話を打ち切る。
同時に、カチャリ、とフェイトに握り締められたバルディッシュから、小さな音が鳴った。
そんな二人の様子からして、何か始める気なのだろうと敏感に感じ取り、この場に居る全員が猜疑の目を一旦収めて地を踏み締める。
そして、僅かの空白の後、苦々しい顔を浮かべていたリンディの映し出されていたモニターが消えると同時。一つの人影が動いた。


「っ!」


が、その直前で機先を崩され、飛び出しかけていたリーゼロッテは、踏み込んだ状態のままで動きを止めた。
飛び掛ろうとした矢先、突然白衣を翻して背中を向け、あからさま過ぎる無防備を晒したジェイル。直感的に嗅ぎ取る罠の臭い。
何かが或ると考えて当然で――そしてその一瞬が、致命的な時間だった。


「くくっ」


ブラフ――。この場に居る誰もがそう悟った時には既に遅く、フェイトが動き出していた。
初速から弾丸のような速度で地を蹴り、飛翔。ジェイルをその場に置き去りにし、包囲網の隙間を縫って海上へと飛び出していく。
二人しか居ない戦力を、さらに二分する愚。しかし、管理局側の動きを鈍らせ思考を惑わせるには充分であり、凄まじい速力で空を翔けるフェイトを止められる者は居ない。


「お前らはあっちを追えっ! こいつはアタシが――な、あ……っ!?」

「ハッハ、実に興の乗る顔だが、指揮官がそれではいけないなあ。
俗に言う私のターンは、まだ続いているのだよ?」


武装隊の面々に指示を飛ばしていたリーゼロッテの言葉が詰まり、視線が一点で固定される。
強装結界の中、海上空域。空を覆っていた曇天が突如覗かせた晴れ間。その中心からは眩いばかりの光が降り注いでおり、何かが居た。
まるでそこに太陽が下りてきたかのような、凄まじい発光現象。回転によって響かせる風切り音は、台風の目の如く。
そして、それは――コガネマルは注がれる驚愕の視線を尻目に、周囲の雲を巻き込み、掻き消しながら、


「始めたまえ、コガネマル」


主の下知に応え、蜘蛛の巣のような紫電を空に奔らせた。










突如として晴れ間を覗かせた曇天。小さく穿たれたその空の穴の中心に、それは居た。
掻き消した雲海を自身を中心点として渦に変え、雨雲に内包されている電気を内に取り込んで紫電として外に放出。平行して、以前蒐集した魔力を収束。
コガネマルは刃を研ぎ澄ますにも似た作業を続けつつ、晴れた視界の中、眼前に広がる光景を見やった。


『あーあ、やっぱり包囲されてるし』


遠方の沿岸部にて管理局に包囲されているマスター。しかし、そんな状況下にあっても伺える素振りは何とも楽しそうだ。
それを見てコガネマルは嘆息一つ。今でこそ突然の状況に管理局の足は止まっているが、相手はプロだ。もう間も無く動き出し、ジェイルに殺到する事だろう。
簡単に想像出来るその状況を、立案したジェイルが存ぜぬ訳が無い。承知の上で尚、ああも享楽染みている。我がマスターながら、大物なのか、馬鹿なのか。
性根が腐ってるのは間違い無いと思うけど。そう思考を打ち切ると、目を別の位置へ。今この時も海上に向けて飛行しているフェイトへと意識を移した。


『っとと、ぼけっとしてる場合じゃないや』


包囲網を自慢の機動力をもって単独で潜り抜けたフェイトを視認するなり、コガネマルは気を取り直して作業に集中する。
今回の作戦内容は至って単純だ。雨雲に伏兵として潜んでいた自律起動を可能とする自分が、ジュエルシードの強制覚醒を。のち、ジェイルと合流し管理局の殲滅。そしてフェイトが封印を行う。
マスター曰く、海に眠っているジュエルシードは四つないし六つ。フェイトが全力を傾けても如何転ぶか分からない数で或るが故に、消耗を抑える為に強制覚醒は自分が担当する事となった。
詰まるところ、フェイトは封印作業に集中させなければならない。そして管理局が戦力を二手に分けるよりも先に“それ以上の脅威”へ目を向けさせ、ジェイルだけに集中させる必要が或る。


『……充電完了……っ!
蒐集魔力、収束……完了っ!』


一帯に奔っていた紫電が収束。放出されていた魔力が凝縮。ブゥン、と虫の羽音のような音を鳴らし、不気味に鼓動するデバイスコア。
スピンによって発生した遠心力の助けを受けて、コガネマルの四つ刃を切っ先としたワイヤーが外に向かって広がっていく。
大きく、巨大に、何処までも。回転、回転――遂には直径十数メートルは下らないであろう巨躯を誇る円盤へと変貌。
コガネマルは全ての工程を終えると、暴力的なまでの魔力と雷を纏ったまま、海面を見据えた。


『カウントスタート……五……四……三……っ』


海へと一気に突貫する為の推進力を練りつつ、コガネマルは思う。怒られる、いや、もしかしたら恨まれるかもしれない、と。
この役割を終えた後、管理局との決戦に望む自分とマスターが取る手段は、外道を通り越して悪魔染みている。そして、それはフェイトとバルディッシュには伝えていない。
知れば、絶対に止められていただろうから、許さないだろうから。少なくとも、そのくらい取り返しのつかない手を、自分達は使うのだ。
ごめん、と誰にも聞こえない声で一言だけ詫びて、カウントを続けていく。


『二……っ』


そして、恐らくジェイルとコガネマル、マスターとデバイスとして、一人と一機で戦える機会は今後訪れない。
使うのは最初で最後の切り札。発動に要求されるエネルギーを他所から強奪し、初めて使用可能となる一撃必殺の魔導師殺し。あくまで蒐集能力はそれを補う為だけに設けられた、補助機能だ。
ともすれば、ジュエルシードの強制覚醒を行い、以前に蒐集した魔力は使い切ってしまう現状。再度蒐集する必要が或るが、易々とそれを許す管理局ではないだろう。
故に、場に出すのは最悪のカード――ジョーカーを切り、エースで討取る。


『一……っ』


それを使ってしまえば、ジェイルのリンカーコアが過負荷に耐え切れず、死の瀬戸際を危ぶむくらいには壊れてしまうだろう。それこそ、風船に水を注ぎ続ければ破裂するように
魔法が使えなくなったところで、別の手段や武装を講じればいいだけの話、と本人は他人事のように口にしていた。
しかし、マスターがデバイスと共に戦う。今後も続くと思っていた、一つの主従としての当たり前は、今日を機に二度と訪れない。

魔法を使えなくなるマスター。そのマスターにしか扱えない特化型デバイス。
互いに一方通行の主従。それがジェイルとコガネマルの今後の関係で、今日が二人で並び立つ最後の戦場だ。
マスターは汚い、卑怯、外道、畜生と言われても背で受け流し、自分が悪人であると臆面も無く誇り、高らかに笑うだろう。
好き嫌いで言えば、コガネマルは正直嫌いだ。もっと優しいマスターが良かったとも思う。
しかし、極悪人のマスター。そしてそのマスターに使われる外道デバイスとして、これから先も仕えたいと感じているのも事実だ。
だからこそ、何を思おうとも、下された命に迷いの余地など一片も無い。


『零……っ!』


カウントが終る。たった数秒の時間だったが随分色々と考えてしまい、似合わないなあとコガネマルは空笑いを一つ。
無機質なデバイスでは持ち得ない感情混じりの思考は、他と違って自我の強い、生物を元に造られた生体AIだからだろうか。
正直どっちでもいいけど。そう頭を切り替えて意識を現実に。熱をもった高揚感を爆発的な推力と変える為、最後の魔力を放出する。


『吶――ッ!』


大気が爆発。紫電が瞬き、空に描かれる波紋の円環。
それらを置き去りにする急加速をもって、コガネマルは海面に向かって一直線に落下を開始。
一発の弾丸となり、


『喊――ッ!』


ときの雄叫びを引き連れ、撃ち出された。










海原に突き刺さる一筋の流星。
穿たれた水面から水飛沫と言うには生易しい水柱が立ち昇り、生じた波が互いに次々と衝突しては飲み込まれ、消えては生まれ、また生まれては消えていく。
氾濫した川のように荒れ狂う海原。一層稲光を奔らせる曇天の空。まるで大嵐に見舞われたようなそんな光景の中、刹那の静寂の後、光の柱が天を衝いた。


「ジュエル、シード……」


沿岸部に茫然と立ち尽くしていた少年の口から、呻きが洩れる。
見開かれた目に映っているのは、一つ、また一つと姿を現していく光の柱、一挙に覚醒した六つものジュエルシード。
同時に、鼓動するかのように地面が微かな震動を始める。その地を黙らせるように強く踏み出したユーノは、怒りをそのまま視線に乗せ、この現象を引き起こした張本人を睨みつけた。


「ジェイルっ! お前、自分が今何してるのか分かってるのかっ!」

「ありきたりな問いだねえ。
いかにも、とでも答えておこうか、スクライア君」


何処までも遊興染みた態度を崩さずに、ジェイルは口の端を吊り上げ、そのまま意識をユーノの隣に居る少女へと向ける。
なのはは言葉を失ったようにジェイルを見ている。その揺れる瞳は、どうしてこんな事を、と問いを投げ掛けているようでもあった。

ジェイルは刹那の間、思考する。このまま火蓋を切って落としていいものか、と。
ユーノ他管理局員と共に、高町なのはがジェイル・スカリエッティに立ち向かう。それが、ジェイルの思い描いていた、最も心躍るPT事件の最後だ。
しかし、今の彼女は見るからに迷っている。もしくは戸惑っている。今始めれば、自分の恋焦れたエース・オブ・エースの片鱗を、この身で味わえないのではないか。

そうマルチタスクの一つを使って思考しつつ、ジェイルは横目を別の場所へと向ける。
そこには、先程包囲を抜け出したフェイトが一直線にジュエルシード覚醒体へと飛んで行く姿が或った。
あちらを追われれば本末転倒だ。管理局の全戦力はここで自分が殲滅しなければならない。ならば、今すぐにでも始めるべきだろう。
しかし、高町なのはと戦い、答えを知りたい。それは、何物にも代え難い欲求だ。
そして、何より彼女には――。


「――ほう?」


なのはへ目を送り、何事かを言おうとしたジェイルはしかし、口を閉ざして左手を翳した。
掌には既に朱のテンプレートが展開され、中からバインドワイヤーが伸びている。鞭のように撓るそれを振り抜いた先には、一つの人影。
地を這うように身を低く、だがスピードを微塵も殺さない柔軟さ。まさしく猫のような機敏さと速度で、リーゼロッテが肉薄してきていた。

頭の回転が早い。迫り来るリーゼロッテに対しそう感嘆の息を向けつつ、どうしたものかと思考を奔らせる。
向かってくる目に迷いは無い。確実に一手目から仕留めに来ている。恐らく、コガネマルと自分が分断している今が好機と悟ったのだろう。
力一辺倒ではなく、かなり経験を積んでいるらしき判断と行動の早さ。二度ブラフが通じる相手ではない。先程と同じような手を使っても、纏めて叩き潰されるのは明白。
少々見誤った、とジェイルは嘆息一つ。手を軽く振り、ワイヤーを横合いから叩きつける鞭のような軌道に変化させる。


「しっ!」


リーゼロッテは一呼吸吐き出し、身を起こして地を蹴る。あたかも跳弾の如き急激な方向転換の向かう先は、ジェイルの上だ。
迎撃どころか足止めにすらならなかったバインドの鞭が、誰も居なくなった空白の地点を虚しく通り過ぎる。
それに間髪入れず、拳を握り締めたリーゼロッテが斜め上からジェイルへと一気に飛来。その間際、ジェイルは横目を海へと向けた。


『このっ、くのっ、どけって言ってるのにっ!』

(ふむ。案の内だったか)


コガネマルは捕まっていた、いや、進路を防がれていた。
自分と合流させまいと、海側に布陣していた局員らが厚いシールドでコガネマルの突進を受け止めている。どう足掻いても、横槍など頼める状況ではない。
四つ刃で障壁を必死に突っつくコガネマル。その様を見て、苛めてしまいたいと意味もなくサディズムに駆られたが、それは兎も角。
いつの間にか連携を組まれている。主導権は既に自分の慮外。ならば、単独でこの場を凌ぐしかない。
が、先ず、リーゼロッテの余りの速さに目が追いつかない。回避などもっての外。防御したところで焼け石に水、どころか霧吹き程度だろう


「ハッハ」


向かってくる脅威に対し、ジェイルが取ったアクションはまたもや奇行だった。、
まるで、受け入れるかのように。ジェイルは左手を大きく広げ、リーゼロッテに真正面から無防備を晒す。
投槍にも捉えられる奇怪なポーズ。口元には嗤い。しかし、何の罠も無いのは誰の目から見ても明白だった。
当然、リーゼロッテは同じようなブラフを二度喰うような相手ではない。力と魔力の込められた拳――ではなく、一瞬でシフトされた渾身の蹴りが、ジェイルに叩き込まれる。


「終わり、だあっ!」


腹部にめり込んで尚、勢いの死なない一撃。直撃の上に、元からバリアジャケットすら纏っていないジェイルがそれに耐え切れる道理は無かった。
裂帛の声と共に、蹴りが振り抜かれる。同時に、ジェイルは地に強かに打ちつけられ、反動で体を跳ねさせる。しかし、まだ終わらない。
ジェイルの痛覚が痛みを認識するよりも早く、すぐさま身柄を確保する行動にリーゼロッテは切り替え、返す刀で服を掴んで投げに入った。

手も足も出ないとは、これを差すのだろう。我が身の窮地をまるで他人事のように、ジェイルはそんな事を思う。
投げられている。所謂、背負い投げ。漠然とだが、今の自分の置かれている状況は理解が及んだ。それを許してしまえば、完全に無力化されるというのも簡単に想像出来た。
地に打ちつけられた後、他の局員らからバインドで固められ、雁字搦めにされる、そんな決着。何とも面白みのない只迎えるだけの終わりが、すぐそこまで迫っている。


(違うなあ)


そう、待っているのは敗北だ。
しかし、何ら興の沸かない只の負け。路傍の石に等しい価値しかなく――そんな物は、欲しない。
勝利も、敗北も、得る物が或るが故に等しく愛する価値が或るのだ。そして、過去の未来で敗北を喫し地に塗れたからこそ、自分は現在ここに至っている。

地に堕ちましたねドクター、と。心底侮蔑するクアットロの顔が不意に思い浮かんだ。
否定などしない。今日に至るまでこの世界で過ごした日々は、さぞかし滑稽だっただろう。不様だっただろう。負け犬だっただろう。
しかし、それでいい。選んだのは他ならぬ自分なのだから。己で選んだ道だからこそ、足を止める事なく自分のままで進んできた。
故に、誰を裏切ろうとも、自分には嘘を吐かない。誰を踏み躙ろうとも、自分の欲求に忠実に何処までも理想を追い求める。
誰に言われるまでも、問われるまでもなく。人として狂っているその在り方を、ジェイル・スカリエッティは是とする生き物なのだ。

そう。何度負けようとも、幾度地に落とされようとも、どんな無様を晒そうとも、何を踏み躙ろうとも、時をかけたのだとしても。
そこに恋焦がれた物が或るのならば。渇望した物が或るのならば。追い求めた理想が或るのならば。
ジェイル・スカリエッティにとって是非は無く――、


――ただ、己の赴くままに、欲するのみ。


「――カカッ」

「なっ!?」


ガシッ、と。
異様な嗤いが木霊すると同時に、リーゼロッテの体がジェイルの左腕に掴まれる。
ダメージは決して軽くは無い筈。しかし、突如として動き出したジェイルに不気味さを覚え、直感の鳴らした警鐘に従いリーゼロッテは事を急いだ。


「っ、このっ、野郎っ!
――がっ!?」


追撃は中止。そう判断し、ジェイルを振り解こうとしたリーゼロッテだったがしかし、その表情が突如として歪められる。
めきめきと、徐々にだが響き渡る不気味な音。それはジェイルの左手が掴んでいるリーゼロッテの脇腹から鳴っており、湿った材木へ無理な圧力を加えるような、そんな音だった。
脂汗さえ滲ませる苦汁の表情で、リーゼロッテは背負っているジェイルへ視線を翳す。そして、目の当たりにした何かに向けて、瞳を驚愕で見開いた。


「お、お前、その目――くぅっ!?」


ぐるんっ、とリーゼロッテの体が回転し、束縛から逃れたジェイルが地に足を付ける。
一瞬の内に入れ替わり、逆転した攻守の立場。何の事は無い単なる腕力が生み出したからこそ、その光景は多分に現実味が欠けていた。
人一人を、片手で弄ぶ程の怪力を垣間見せた細腕。ジェイルは酷く矛盾したそれで、掴んでいたリーゼロッテを力任せに地に叩きつけた。


「い、ぎ……っ!」


強かに打ちつけられ、肺から逆流してくる空気毎、呻きを洩らすリーゼロッテ。
対し、ジェイルは自分の足元で痛みに顔を歪めるその相手が、見えているのか、いないのか。追い討ちも何もせず、夢遊病患者のように体を不気味に揺らすだけ。
そして、生じる一瞬の空白。その隙を衝いてリーゼロッテは跳ねるように飛び退き、場を一旦退避。ジェイルから距離を取った。

その間も、ジェイルは幽鬼のように五体を揺らし続ける――ズキリ、と激痛が奔った。


「ハ――」


余りの激痛に、自然と笑いが込み上げる。
痛みを振り切り、もはや快楽とさえ感じるそれが、堰を切ったように体中を駆け巡り、一瞬意識を手放しかけた。
見れば、先程リーゼロッテを力任せに振り回した左手、限界以上の負荷を掛けられた五本の指が、各々好き勝手な方向を向き、何とも愉快な前衛的アートを作り上げている。
しかし、そこからは大した痛みを感じない。面白いとは思ったが、ジェイルはすぐに興味を失った。


「ハ、ハハッ……カ、カカ……カカカ……ッ!」


おおよそ人からかけ離れた声と共に、ジェイルの右瞳が朱色――自身の魔力光――に染まり始める。
じくじくと、血が滲むように侵食されていく眼球。それは血走っているなどと生易しいものではなく、変異そのものだった。
異変は連鎖的に続く。右顔面を血管のような朱黒い光の筋が奔り、不気味に脈動。右上半身を中心に、見る見る内にジェイルは姿を変貌させていく。


「ジェイルっ!?」

「ジェイル君っ!?」

「二人共、下がってろっ!」


聞くからに戸惑っている悲痛とも取れる叫びと、危機感一色の張り詰めた声。
ジェイルはそれを朱に染まった瞳で追い、緩慢な動作でぎょろりと目を向ける。
直後、四方八方から魔力が弾け、視界が魔力の光一色で塗り潰された。

虫の這い出る隙間も無い、コガネマルを抑えている武装隊以外の総員による、もはや掃討に近い一斉射撃、もしくは十字射撃。
一つ一つの行動を切り替えるのが素早い。もう少し驚いてくれた方が可愛げは或るが。ジェイルは事もなげにそう浮かべつつ、右腕を吊っていた首元の包帯を力任せに千切る。
鬱陶しく体に纏わりつく虫を払うような、そんな無造作さで、ギブスに固定されたままのそれを振り抜いた。

腕を振るっただけ。しかしそんな単純で軽い動作で、ジェイルから暴風が吹き荒れた。
それに圧され、力の凝縮されていた筈の魔力弾が、まるで水泡のように無慈悲に霧散。暴力的な風は降り注ぐ脅威を掻き消しただけでは飽き足らず、尚一帯を襲う。
制空していた者は吹き飛ばされないよう全力で障壁を張り、地上にいた者は顔を覆って必死に地へしがみついた。

やがて、風が已む。
不気味な静寂が蔓延する中、誰もが先程の嵐の中心を無意識に目で追った。
不可思議な無風、無残にも削り取られた地表。そして、冗談染みた魔力の重圧――発しているのはクレーターの上に佇んでいる、何か。


「――――」


目の当たりにした者は、それが何なのか一瞬理解出来なかった。
そこに居たのは確かにジェイルで間違いなかった。しかし、躊躇う。それを人と評していいのかを。

左瞳は金色、対し、右瞳は血を思わせる朱色。朱黒い光の筋が這い回っている右顔面。
ギブスが弾け飛んだのか、中身が顕になっている右腕。骨折していたらしきそれは治癒――ではなく、禍々しく変貌していた。
人の腕としての原型は跡形もなく、寧ろ凶暴な獣のそれに近い。身長を優に超える不釣合いで歪なサイズを誇る、醜悪としか言えない怪腕。
そして、二の腕から先には十二の蒼い宝石――ここに、ジュエルシード暴走体、ジェイル・スカリエッティは誕生した。


「諸君。私は人が大好きだ」


先程の衝撃波で包囲網に綻びが生じ、ここにきて漸く、進路を妨害されていたコガネマルが主の下へ到達する。
ジェイルはそれを怪腕の上に乗せると、凶悪な姿に似つかわないあくまで理性的な口調で、そのまま誰に言うでもなく言葉を紡ぎ、空を仰いだ。


「諸君。重ねて言おう。私は人が大好きだ。
誰よりも深く人を愛している――それ故に、誰よりも簡単に人を踏み躙る」


誰もが言葉を失い、目を見開いたまま立ち尽くす。ある者は驚愕で、またある者は恐怖で、そしてまたある者は憤怒の形相で。
それら全てに金色と朱色の瞳を翳し、ジェイルは見るも無残に折れているボロ雑巾のような有様の左手を、前へ突き出した。


「法の守護者諸君、ユーノ・スクライア君、そして高町なのは君。
歯を食い縛り、守りたまえ。私は君らが守らんとするそれら全てを、笑って踏み躙ろうじゃあないか」


ぐじゅぐじゅと、生理的な嫌悪感を催しそうな音と共に、ジェイルの左手が沸き立ち、再生した。
ものの数瞬で治癒した左手。そして人の常軌を逸したその姿――悪魔、と誰かが洩らした呻きは、狂ったような哄笑に掻き消されていく。
ジェイルは嗤う。歓喜するように。産声を上げるように。喝采するように。


「さあ――、」


――ショータイムだ。


未来が変わる。
ジュエルシード――願いのロストロギア。ジェイル・スカリエッティ――無限の欲望。
互いに異なりながらも、同じく願望を根幹とするその在り方が産み出してしまった、本来ならば存在しない筈のジュエルシード暴走体。
凶悪な相性を持つ両者が出会い、一つになってしまった事で、歴史はここで遂に修正不可能な別離を果たし、完全な乖離の時を迎える。
こうして、未来のジェイル・スカリエッティによって歪められたPT事件。始まりの最後の戦いは、最悪の形で幕を開けた。







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