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[15763] キャッツエンドドッグス(アイドルマスター二次)
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2011/08/07 17:10

 注意書き。

 アイマスの二次創作です。
 原作知らなくても読めます。










 北緯38度線を縦断するように、瞬く間に世界が切り替わる。
 ステージの上に眩く輝くスポットライトが、光の欠片となって、彼女の姿を幻想的に彩っていた。藍色と赤と黄色の三色が、薄い光の膜を纏ったように輝きながら、彼女は、光に姿を溶け込ませていた。
 
 いつか、彼女を──千早を立たせると誓った、そのステージの上に、彼女はいる。四万人を収容できるドームでの、如月千早という自らのネームバリューのみでのソロステージ。
 チケットはソールドアウト。
 空席は、なし。
 それが成功か失敗かが、これから決まる。
 

 満員の観衆と、自分の歌と、そして最高のスタッフ。
 彼女のことを知っているのなら、彼女の努力を傍で見てきたならば、ここに彼女が立つことに、誰も疑問に思うはずもない。
 少なくとも、これだけは断言できる。

 正しい努力が、正しい結果によって報われるとするならば──、この場に立てるのは、たしかに如月千早以外にはありえない、と。

 ──歌を、歌う。
 ただそれだけに打ち込んで、軸もぶれずに、決して諦めずに、自分の夢を叶えられる 人間がいったいどのぐらいいるだろう?
 ステージに立てるアイドルは数多くいても、本当の意味でステージに立てる資格があるアイドルなど、ほんの一握りだ。

 響く音というものに広がりもあるし、大きさもある。そして、熱があるし輝きもある。
 フォルテシモは、明るさだったり、暖かさだったりするかもしれない。
 ピアニッシモは、儚さだったり、繊細さだったりするかもしれない。

 生き生きと、ゆるやかに、広々と、愛らしく、快活に、感情を激しく、甘やかに、光り輝いて、歌うように、美しく、優雅に、うねるように、神秘的に、重厚に、壮麗に、響かせて、静かに、音をのばして、緊迫して、うるわしく。
 音楽記号には、思いつくだけでこれだけの表現があり、それをどう表現するかは、完全に歌い手の判断と技量に委ねられる。
  


 設置されたスピーカーが、三階席まで突き抜けるような、大迫力の音響をたたき出す。次第にクレッシェンドしていく音階に乗せて、会場の熱量も上がっていくのがわかった。

 背後でベースが唸りを上げ、ドラムが爆発にも似たリズムを刻む。完全戦闘モードに入った千早の感情の爆発になぞらえられたそれは、彼女の声に合わさって、クライマックスを迎えた。
 
 曲の転調に合わせて、スモークが焚かれ、マグネシウムが破裂した。
 頂点に達した歓声を叩き割るようにして、千早の伸びやかな声が、会場の熱量を、音楽の中にかき混ぜていく。

 色鮮やかな光に照らされて、ステージの上に構成された世界が、七色の輝きを放っている。

 今まで見てきた中でも、千早はステージの上で、類い希な熱量を放っていた。
 本日のハイライト。
 このステージを見終えて観客たちが、一番最初に思い出すのが、この瞬間だろう。
 そう断言できるほどに、
 それほどに強く心に刻みつけられた一シーン。

 ステージの横で、忙しく動き回るスタッフの邪魔にならないようにしながら、俺は千早のステージに、ずっと視線を吸い上げられていた。
 

 彼女に出会ったのは、三年前だった。
 あれから、彼女は変わった。
 いや本質はなにも変わっていないのかもしれない。
 彼女は、ずっと如月千早のままで、自分のままでトップアイドルにまで上り詰めた。だから、やり残しはなにもないと断言できる。
 担当アイドルと担当プロデューサーという関係で、三年間付き合った、その結晶が今夜のそのステージだった。

 だから、ようやく肩の荷が下りたといえる。
 息を吐く。
 後悔は、ない。
 おそらく。
 いや、後悔なんて残すわけにはいかない。

 だって──
 これで、最後だから。
 俺が、プロデューサーとして、彼女にしてやれることは、これで最後だから。

 だから、彼女の全盛期の姿を、目に焼き付ける。
 彼女はまぎれもない、自分が育てた中で、もっとも優れた完成品だった。

 彼女には、夢を掴む資格がある。
 歓声を受ける資格がある。
 頂点に立つ資格がある。



 ──幸せになる、資格がある。



 そう思うからこそ、俺は──もう、彼女と一緒には歩けない。間違いない。悔いはない。彼女に残せるものは、すべてを与えて、それ以上のものを彼女にはもらったはずだ。

 すでに、ライブはアンコールに突入していた。円形のホールに、観客達が手にしている目に眩しい青色のサイリウムの群れが、色彩ゆたかな光の海となって彼女を祝福している。凄まじい熱気と興奮が、離れていてなお圧倒されるほどだった。

 夢。

 彼女の夢は、きっとこれで叶ったのだろう。だから、彼女は幸せになれる。そこに、俺は必要ない。俺はただ終わりゆくライブにて、いつまでも鳴りやまない拍手を聞いていた。















「あなたが、新しいプロデューサーですか?」

 それが、彼女の第一声だった。
 はじめて千早に会ったときのことは、まだ鮮明に思い出せる。

 天才がいるということは、耳には入っていた。
 俺たちの所属する『ギガス』プロダクションは、立ち上げたばかり。今の百分の一以下の規模で、はじめての環境に戸惑いながら、昼夜を忘れて仕事をこなしていた。

「ああ。名だたるプロデューサーも合わせて、十人近く振っている、プライドの高いお姫様がいると聞いて。君を、スカウトに来た」

 彼女の経歴は凄まじい。
 ロックとポップスで数々のオーディションを総舐めにしたあと、アマチュアでいくつか日本一の座を掴んでいる。
 他人には厳しく、それ以上に自分に厳しく、誰も彼女の心を射止めるに至っていない。
 もっとも、そうでなければ、こんな弱小プロダクションに彼女ほどの大物を釣れる機会などあるはずがないが。
 彼女ほどの素材が、未だフリーでいるのは、奇蹟に近い。

 彼女は、十人近くのスカウトを、すべて断っている。
 つまり、自分たち『ギガス』は、ドラフトで言えば、十一位。
 アイドルでいえば、駆け出し。
 ──下の下である。

「『ギガス』プロダクションですか。──聞かない名前ですね」
 ファミレスの一席。
 俺の渡した名刺を一目見て、彼女は呟いた。

「ああ、今はね。でも、これからきっと誰もが聞いたことのあるような会社にしてみせる。そのために、君の力が必要なんだ」

 本音だった。
 もとより、彼女にホンモノの言葉以外が、通用するとも思えない。
 彼女は、俯いた。
 怜悧な瞳に、わずかに影が差す。

「──私は、今まで十人のプロデューサーの誘いを、断ってきました」
「ああ」
「理由は単純です。彼らのことが、必要だと思えなかったから。そして、私を歌手としてデビューさせるという約束をしてくれなかったからです」
「そうか、まあ──当然だな」
 当然といえば、当然だった。
 15歳。
 その年齢なら、アイドルとして、旬真っ只中だし、この年齢のアイドルはたくさんいる。しかし、歌だけで勝負できる本格派など、数えるほどもいない。

 目の前の、如月千早という少女は、ずいぶんな自信家に見える。
 しかし、それでも──彼女が考えるよりもずっと容易く、幾多のライバルたちを蹴散らして、この世代では屈指のアイドルに上り詰めるだろう。
 もしかしたら、一年でAランクに上がることも可能かもしれない。

 もっとも、自分のことなのだ。
 彼女だって分かっているだろう。
 歌手としての自分と、アイドルとして見られた時の自分では、その価値が段違いだということが。 
 それでもなお、彼女は歌手であろうとする。

「千早は、強いんだな」
「あなたも、随分としぶとそうに見えますけど」
 彼女の注文したアイスコーヒーが届く。
 俺の注文した寒冷式ストロベリーパフェギロチンホイップ風味(七合目)も一緒に。
 店員は、当たり前のように、俺の前にアイスコーヒーを置く。
 俺はそれに倣って、そのままカップに口をつけた。
「なっ──」
 抗議にならない声。
 ──これで、彼女は自分の前に置かれたパフェを全部食べきるまで、席を立てない。

「なら、単純な話だ。強いのと、強くてしぶとそうなら、後者の方が魅力的だろう。たった、それだけでも組む理由があると思う」
「なら、私が強くてしぶとくなればいいだけです。あなたと組む必要は見つけられません」
 差し出した手が、空を掴む。
 
「ひとりだと、できないこともあるだろう」
「それも、ひとりで乗り越えると決めましたから」
 彼女は、諦めたのか、パフェを切り崩す作業に入った。
 
「そうか」
 正攻法では、崩せない。
 ──でも、俺は差し出した手を引いたりはしない。

「今の気持ちが消えてしまいそうな気がするか、他人と触れあうと、自分が弱くなっていく気がするのか」
「……意味が、わかりません」
 彼女の、深い色の瞳がわずかに揺れた。

「君のステージを見た」
 ──今までの彼女の言葉が真実ならば、彼女はこの言葉を無視できない。

 ──最高だ。
 ──あんな素晴らしいステージは見たことがない。
 彼女ほどの歌い手なら、そんな賞賛は聞き飽きているはずだ。

「調子を落としてるな。
 普通なら気づかれないレベルだが、歌ってる本人なら、自覚しているはずだ」

 その言葉に、
 はじめて──
 未知の生命体を認識したかのように、
 彼女から、串刺すような視線が浴びせかけられる。

 いつもの彼女なら、つけいる隙も揺らぐモノはない。
 けれど、今の彼女は、ベストじゃあない。自らが自覚できるレベルで、ほんの少しだけ弱い。
 だから──
 ベストの彼女なら、説得できなくても。

 今が。
 ──今の彼女の弱さにつけこむ。
 千載一遇のチャンスだ。

 彼女が歌に縋ることで生きているのなら、それはほんの僅かな亀裂でも、彼女の心に届くだろう。

「はい。気づかれるとは思いませんでした。貴方には、原因がわかるとでも?」
「いや? 調子が悪いのなんて、本人が調子悪いからだろ」
「………………」
「他人にはわからない。
 たとえ話だが、前日十時間ぶっ通しで歌のレッスンなんてしたら、翌日はどこの大御所だって調子を崩すだろう」
「………………」

 案の定、心当たりがあるらしい。
 ──そのへんの理由だとあたりをつけたら、ビンゴだったみたいだ。

「ほっとけば、二、三日で治るだろう。悪化するなら、どうしようもない」
「それでも──」
「常に自分をベストコンディションに置いていないと気が済まないという顔だな。まったく、それだけのプロ根性があって。
 ──どうして、そんな才能に陽の目を当てようとしないのか」
「──言いたいことは、それだけですか?」

 いままでの──自分との会話に、彼女の胸を打つような言葉は、ただのひとつもなかったらしい。
 彼女が席を立つ。

 いつの間にか、彼女の前に置かれたパフェは、綺麗に空になっていた。

 ──あ。
 なるほど、いい性格をしている。

 茶番は終わり。
 そういうことだろう。

 彼女なりに、時間制限を区切ってくれたということか。
 そう決めたのなら、もう彼女は振り返らないだろう。 
 
「おっと、少し遊びすぎた。
 相手は、子供扱いされることに耐えられない子供だったな」

 いつもなら。
 ──しない。
 こんな、安い挑発は。

 彼女の歩みは止まらない。
 昼間、ピークを過ぎていた客層の喧噪は、あまりに儚い。

 当然、こんな挑発。
 聞こえているとしても、彼女を引き留めるには足りない。

「縦に口を開けられてる。母音が美しいな。ちゃんと口の中で声が響いている証拠だ」

 そして、この台詞は、
 ──そんな安い挑発の後だからこそ、効果がある。

「君のステージを見た。
 ──そう言ったはずだ」
 
 ──彼女の歩みが、止まった。
 
「上級者が陥りやすいスランプの一種だ。
 自分の音質に、自分の耳が慣れてしまってる。まあ、つまりは感覚が狂っている感じだな。一度、リセットすれば治るだろう。電化製品とかパソコンと同じだ」
「──リセット? どういうことですか?」
「テンポを思いっきり揺らしてみるといい。
 絶対人に聞かせられない感じで。
 枠を引き裂く感じだ。ただし、喉を痛めるような歌い方はしないこと」
「………………」

 ──これが最後だ。
 これで、彼女を引き留められなかったら、打つ手はない。
 ほんの少しの沈黙。
 その後で、わずかに、興味の方に天秤が傾いたのだろう。

 低い声。
 そして──
 正しく、聞くに耐えない声。

 ビリビリと、ガラスが振動する。ファミレスの客すべての鼓膜を破壊するような、凄絶な騒音。

「それから──少しずつ、いつもの枠に納めるような感じで」

 直接、骨に振動するような空気が、収まっていく。
 あとは、折りたたまれるように綺麗に、彼女の声が戻ってくる。
 あずささんから教わった治療法は、正しく効果を発揮したらしい。

「──と、こんな感じだ」

 流石、うちのあずささんの見立ては間違いがない。
 きっちり、彼女の興味を繋ぎ止める切り札になってくれた。

「ひとつだけ、聞きたいことがあります」
「え?」
「私の担当プロデューサーは、あなたでいいんですか?」

 その言葉で、俺は、
 ──賭けに勝ったことを知った。

「ああ、そう考えてくれていい。嫌だと言っても、そうするけど」
「では──よろしくお願いします。プロデューサー」

 千早が、手を差し出してくる。

 忘れない。
 これが、夢の始まり。
 ──遠い。
 長く曲がりくねった階段の一歩を踏み出す。

「願わくば──」

 ──手を握る。

「俺と、君の──」
「私と、あなたの──」








「「掴もうとしている夢が、同じであるように──」」









[15763] stage1 Giant Killing (大物喰い) 2
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2011/09/02 12:39



 
 都心の一等地に構えられた全面ガラス張りのビルが、五百人近いアイドルを抱える『ギガス』プロの本部だった。
 完成してたった半年のそれは、社長であるジョセフ・真月の全面的な趣味で、カフェルームと、和室が完備されている。
 地下には、最新音響を積んである専用のスタジオを備えていて、業界広しといえど、ここまでの設備を揃えた芸能プロは珍しいだろう。

 丁度、昼食の時間。
 社員食堂を利用するスタッフやアイドルたちで、四階は埋まっている。
 真昼の喧噪の中、なにごとかと振り向く社員たちをすり抜けて、私は前に体を蹴りだす。

 エレベーターの扉が閉まる直前に、彼の後ろ姿がわずかに見えた。あのエレベーターは、一階までの直通だ。

 それを理解する前に、私は横の階段を二段飛ばしで駆け下りる。
 視界が縦に揺れる。
 清掃員のおばさんが驚く顔が、一瞬、視界の端に焼き付いた。

 一階の床を踏む。
 視界が開けた。
 ホールに、彼の後ろ姿が見える。

「プロデューサー……」

 叫ぶつもりだった。
 息を切らしていたわけではない。
 けれど──
 こみ上げるモノがあって、ひどく擦れた声にしかならない。

「千早──?」

 それでも──
 喧噪の中で、その声はたしかに彼に届いていた。

「どうして、辞めるなんて……」
「誰か。しゃべったのか。──ああ、社長か、仕方ないな」

 いつも通りの、彼だった。
 傍で厳しくも笑いかけてくれるまま、このまま外回りにでも出かけるサラリーマンのように見える。
 あまりに平然としているのが、信じられなかった。
 だから──

「嘘、ですよね。プロデューサーが、この会社を辞めるだなんて」
「あー」

 困ったように頭を掻く。
「こうなると思ったから、千早のロッカーに別れの手紙を差し込んでおいたんだけどな。ムダになったか」
「プロデューサー………」

 ──引き抜き、だろうか?
 まさか。
 そんなこと、あるはずがない。

 ──業界で並ぶものどころか、比べることすらおこがましい。
 彼が座しているのは、アイドルプロダクション業界で四強のひとつとされる『ギガス』プロダクションの、五百人を越えるアイドルたちの頂点である、如月千早の専属プロデューサーの席。
 ──年収なんて、軽く億を超えるだろう。
 どこかのプロダクションが、これ以上の条件を重ねることなど、不可能に近い。
 疑問は洪水のように頭を埋め尽くして、声になってくれない。親から見捨てられた雛鳥のように、私はただ、かぶりを振るしかない。  

「喫茶店にでも、入るか」
 困ったようなプロデューサーの視線が、自分の袖の辺りに注がれる。
「プロデューサー。どこを見ているんですか?」
「いや、な……」
 彼が、口を濁す。
 プロデューサーの視線を追うと、いつのまにか、私の手が彼の袖を掴んでいた。無意識、だった。

「あ──」

 まるで、親を探し泣く、迷い子のようで。
 恥ずかしかったけれど。
 それでも、一度掴んだ手を離すなんて、できるわけがなかった。

 促されるまま、一番奥の席に座る。
 一階の、エントランスルームの外側。主に、来客が利用するために作られたその喫茶店は、昼時なのに客付きは五割程度だった。

「すまないな千早。こんな場所で」
「それはかまいません。それで、早く本題に入ってください」
「やっぱり、怒ってるか?」
「怒っていないように見えますか?」
「引継ぎはやっておいた。朔なら、能力的にも人格的にも問題ないだろう。

 朔響(さくひびき)
 彼の大学での、二年先輩だった、らしい。この『ギガス』プロの創業期からのメンバーで、彼からの誘いで、プロデューサーはこの仕事についたはずだった。
 社長の片腕であり、実質、この会社を動かしているのは彼だった。イメージとしては、ダーティーで、陰謀とか策謀とかが似合いそうな顔をしている。
 
「だから、一人前だよ。──千早ならきっと、ひとりでもやっていける」

 それは。
 ずっと恋がれていた言葉だった。
 いつか、この言葉を言われることを願って、きっと、私は血の滲むような努力を重ねてきたから。

 他人からの賞賛も、
 ファンからの声援も、
 通帳からゼロがはみ出るかと思うほどの、目も眩むような大金も、
 手が届かないと思われていた天上の歌手の人からの言葉も、

 ──きっと、この一言には及ばないと思って、今まで頑張ってきた。

 だから──
 それがなにを意味するかなんて、一度も考えたことはなかったのだ。

「これで、終わり……?」
「ああ」
 静かな言葉だった。
 感情を押し殺した様子も、なにかを堪えている様子もない。

「行かないでください」
「できない」
「傍にいてください」
「それは、できないんだ」
「……私を、見捨てないでください」
「……千早」
「プロデューサー。最初の、私の質問に答えてないです。どうして、辞めるなんて。ここまで、三年、一緒にやってきたじゃないですか。私の勘違いだったんですか? 今が充実してるんだって。プロデューサーに、出逢えてよかったって、ずっと、私はずっとそう思っていたのに──
 どうして──」

 どうして──
 どうしてッ──!!  

「ここに、なにがあるんだ──?」
「え?」 
「とある、有名なコピーライターの人の言葉だ。『今、一番売れている』というフレーズが、もっとも消費者を訴求できる言葉になった今、自分がこれ以上、この仕事をしている意味はない──。
 この一年、覚えてるか? プロダクションも軌道に乗って、ランクBからランクAまでに昇りつめて、二枚組みのアルバムを出して、コンサートツアーを組んだ」

 飛躍。
 その一年を表すなら、そういうだろう。
 すべてが良い方向に廻り始めていた。テレビ出演も、数万人規模のコンサートをめまぐるしくこなし、たくさんの人々に自分の歌を届けているという実感がもてた。

「単純な理由。どうしようもなく単純な理由だ。
 俺にとって、千早と過ごしたこの一年が──」

 私にとって。
 忘れられない。
 輝きに満ちた一年が──




「どうしようもなく、苦痛だったからだ」












 
「え?」

 それは、思いもかけない言葉だった。
 四肢が震えて、体の温度が二℃ほど下がったような気がした。自分がどこにいるのかもわからなくなって、歯と歯の擦れるガチガチといった音が、自分の耳だけに届いている。
 

「ああ、そうだ──
 この一年間は、苦痛でしかなかった。
 ただ『ギガス』という事務所の名前を言うだけで、他社を押しのけてセールスを確保できる。この会社で『アイドルを育てる』仕事をしているプロデューサーなんて、十人もいない。他の弱小プロダクションから法外な金にモノを言わせて、引き抜いてくるだけだ。
 この会社で、俺がこれ以上、いったいなにをすることがある──?」

 彼の苛立ったような言葉も、ぼやけた層を通してしか耳に入らない。

「きっと、千早の言うことは正しいんだろうな。実のところ、辞める理由なんてないんだ。ただ、これからも、続けていく理由がないだけで」
 彼は、続けた。
「身勝手な理由だって事はわかってる。でもな──俺はきっと、これ以上自分が、生きたまま腐っていくことに耐えられない」

 彼の言葉が、わからない。
 彼の思考が、わからない。
 
「わからない、だろうな。それでいい。分かる必要もない。千早が自分だけの世界を持っているように、俺にもあるんだよ。ただ、それだけのことなんだ」
 彼は、目を閉じた。

「それでも、俺と同じように、なにもかもを捨てられるなら、一緒に、来るか。千早?」

 唐突に、差し伸べられた手。
 いや、違う。今までだって、ずっと、彼の腕を捕まえていて。
 ただ、それが目に見えにくかっただけ。

「違約金ぐらいなら、ふたりの貯金を合わせればなんとかなる。ちょうど、大きなコンサートをやりとげて、これから仕事を選んでいこうとしていた時期だ。頑なにドラマや映画の仕事を断ってきたから、不幸中の幸いってやつかな。バラエティのレギュラーも二本失うことになるが、五週先までは収録済みだし。これに関しては、犯罪を犯したわけでもなし。そのテープそのものが使えなくなるわけじゃあないから、たいして損害もないだろう。バラエティは、層の厚さが強みだな。いくらでも、代わりが雨後の竹の子みたく出てくるんだから」

 如月千早は、アイドルか、歌手か。
 それは、私のホームページの掲示板で、当たり前のように議論される話題であり、 
 CDの売り上げを最優先に、タイアップを中心に活動を広げてきた、ひとつの副産物だった。

「なら、最初から私に言ってくれれば──」
 
 ──私の想いは、プロデューサーに届いた。
 彼の持ち出した妥協点を聞いて、
 そんな勘違いができるぐらいに、私は動転していたのだろう。


「そうだ。千早。お前が決めていい」
「はい。だから」
「言っておくと、こういった例で、事務所を移籍して、そこから一流に返り咲いた例は、ひとつもない。それを、わかってるか?」
「それは」
「それを踏まえて、決めてくれ。もし、ついてくるのなら、引退しかない」

 その言葉に、心臓が跳ねた。
 目の前が、揺らいだ。
 視界の隅で、影が揺れている。

『あなたが決めて良いのよ。父さんと、母さんのどちらについてくるか』

 それは、私が今まで生きてきた中で、最悪の日の記憶。

 今になって。
 今になって、どうして、こんなことを思い出すんだろう?

『知っているでしょう? お父さんとお母さんは、もう一緒に暮らせなくなったの。わたしたちは、あなたに強制はしたくない。だから、千早。あなたが決めなさい。お父さんとお母さんの、どちらを選ぶのか』

 デビューして、すぐ。
 私は、自分の家庭が壊れる瞬間に立ち会った。
 離婚届と、それに押された判子。
 そして、最後まで互いを見ようともしなかった両親。

 思い出したくもない。
 少しだけあった期待。
 いつかの、家族三人が、たしかに幸せに暮らしていた時間が、たしかにあった。
 歌は、今とは比べ物にならないほどに下手だった。
 それでもよかった。
 あのとき、までは。きっと。

 私は、無意識のうちに、上着のポケットの中に指を差し込んでいた。
 人差し指に触れたのは、木製の、ミツドリのキーホルダーだった。
 母についていくことに決めたときに、父からもらったもの。
 別れの際に、あの人も、きっとなにをプレゼントすればいいのかもわからなかったのだろう。
 無理もない。
 私だって、あの人に、贈り物をしようなんて思わない。捨てるに捨てられず、ずっとポケットの中で眠っていた。見れば思い出すのは悲しいことだけで、つらいことだけで、存在すらも黙殺していたのだ。

 なにができるわけでもない。
 なにをどうしても、壊れた食卓は、もう二度と戻らない。
 希望を失って。
 明日が見えなくて。
 それでも、歌うことだけはやめられなかった。

 それで、なにが変わったわけではない。
 なにもない欠陥品が、歌うことしかできない欠陥品に変わっただけ。

 それでも、歌わなければ、生きている実感さえ得られない。


「──そう、なんですか」

 そこで、
 ようやく、
 プロデューサーが、私になにも言わずに去ろうとしていた理由が、理解できてしまった。




 私は、



 私は、今の立場を捨てられない。



 たとえ、なにを、天秤にかけたとしても。
 今の立場に換えられるものなどない。自分自身の心臓でさえ、天秤の片側とするには軽すぎる。

 歌は、私のすべてだった。

 だから、切り離した瞬間に、如月千早は生きていられない。
 彼の言葉を借りるならば、私は、歌を失って、緩慢に、生きたままで腐っていく私自身を認めないだろう。

 このまま、彼についていくとする。
 彼の提案を蹴って、再デビュー。
 そして、またFランクアイドルから?
 あまりに、致命的だ。
 それだけで、この三年間を、全否定するにも等しい。

 ようやく、基盤を安定させて、ちょくちょく音楽番組で歌えるようになった。長かった下積み時代が終わって、これからが如月千早のスタートなのだ。 アイドルにとっての旬は、今しかない。
 一部のコアなファンを除き、大多数の視聴者は、旬を逃したアイドルなど見向きもしない。

 アイドルの価値を決められるのは、視聴者だけだ。
 どれだけ歌が優れていても、どれだけの強運に恵まれても、ファンはいつか醒める。
 今から、これからの三年間がおそらく、如月千早というアイドルの旬、つまりはピークだろう。
 移籍してしまえば、 『ギガス』プロの全面バックアップによる、万全の体制も望めない。
 そして、それはアイドルとして生きる少女たちの九九パーセントが、望んだって得られないものだ。

 プロデューサーは、生え抜きを見つける才能も、無茶を通す能力も、おそらくは業界で並ぶものもないレベルだった。
 しかし、
 それはつまり、危機にならなければ使いようがない。
 使わなければ使わないほうがいいような能力であり、『ギガス』プロダクションが、業界の十パーセントを握ったという安定期には、もはや不要な能力だった。
 ならば、彼の後任を継いだ朔響の方が優れている。
 彼が育てている、いくつかの若手のグループがあるという。その中の優れたグループのひとつに、なんの問題もなく、彼の仕事は委任されるだろう。
 
 なんの問題も、ない。
 なんの問題もないのだ。
 彼が、私の前からいなくなってしまうということ以外は。

 認めるしかない。
 思ってしまった。
 どうして、こんな選択があるのだろう?
 
 これならいっそ。
 全部夢だったことにしてくれたら。
 ある日突然、彼がいなくて、全部夢だったということにしてくれたらいいのに、と。

「私、は──」

 彼と、担当プロデューサーとアイドルとしての関係で。
 羽を寄り添って、これまでを過ごしてきた。
 その関係が霞んでいく。

 結論は、変わらない。

 私は、自分自身を売り渡すことはできる。

 でも──

 歌を、捨てることはできない。
 
 彼が立ち上がる。
 行ってしまう。

「千早。まだ荷物の整理だとか、いくつか時間を作るようにする。
 四日後だ。
 四日後の午後八時に、このビルの正面玄関で三十分だけ待っている。もし、俺の夢に協力できるのなら、その日、その場所で答えを聞かせてくれ」
「待って、ください。その日は!」
「ああ、歌番組の生放送とかぶるな。だから、言ってる。中途半端な覚悟でついてこられても迷惑だ」
 明らかに、突き放すような言葉。
「今、夢と言いましたけど、プロデューサーは、ここをやめてなにをするつもりなんですか?」
「言ってなかったか。『ギガス』プロを超えるプロダクションを作る。ゼロからの出直しだ」
「…………………」
 言葉がない。
 無謀という言葉すら生温い。
 それは神話にある、巨人(ギガス)に立ち向かうような、奇跡だけを輩に立ち向かう、愚かな行為。

「だから、
 決めてくれ。
 ここで、俺なんかと心中するのか──
 それとも、これを乗り越えて、一流のアイドルを目指すのか──」

 そして、彼は付け足した。

 助けなんていらない。
 これは俺の、たったひとりの、ジャイアントキリングだからだ。
 








[15763] stage1 Giant Killing 3
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2011/09/02 12:40



 スタジオの外の調整室の壁に、その週のセールス・ランキングとリクエストの順位が張り出されている。使い方もわからないような最新機器の隙間を縫うようにして、私はそこの扉を閉めた。

 ギガスプロダクション地下一階の、エリアDスタジオは、何時のころからか、実質、私──如月千早の専用ルームとなっている。
 誰が言い出したわけではない。
 それでも、この一年。
 決まって五時から八時まで。
 この時間に、このスタジオが予約で埋まっていることは、ただの一度もなかった。

 まるで、穴倉に住み着くモグラのようだな、と自嘲する。
 家に帰れば母がいる。
 嫌でも母と顔を合わせねばならない気の重さに比べれば、このスタジオの方が、よほどくつろげる。

 それをわかってくれていて、息の長いスタッフたちは、各々の仕事に取り掛かっている。

 ふと、休憩室から戻ると、ドアの隙間にポートレイトが差し込まれていた。

 題名は、『ピュアハート』
 この間の全国ツアーのタイトル。
 その一瞬一瞬を切り取った写真が、瞬間を永遠のものとしている。

 私は、ソファーに座って、そのアルバムのページをめくる。

 まだ、このツアーを終えて、半月もたっていない。
 熱気と、曲の静けさ、そして客席との一体感は、まだ記憶に生々しく残っている。
 


 私のデビュー曲である『神様のBirthday』から、カバー曲である『鳥の詩』。そして、メインの『蒼い鳥』に移る、コンサートの最大の見せ場。驚くほどに狭い、半径二メートルもない円形のステージは、鳥篭を意識したらしい。
 曲の盛り上がりに合わせて、赤、青、黄、緑、白、橙、若草色、水色、色とりどりの数千個の風船が舞い落ちてくる。

 写真は、その見せ場のすべてを、ひとつひとつ丁寧に切り取っているのがわかる。

 次々と現れるステージゲスト。
 ステージ・プロデューサーの組み上げた三次元的なステージ。
 バックダンサーとして、ステージを盛り上げる『ギガス』プロの後輩たち。
 楽屋での私の姿。
 スタッフに指示を出しているプロデューサー。

 観客席を埋め尽くすファンの姿と、
 私のツアーの記事を一面にしている、各地のスポーツ新聞を写真に収めた一ショット。
 ファンの広げる手製の横断幕を写すシーンから、 リハーサルの風景。
 プロデューサーの書いた手書きの日程表。

 ぱたん、とアルバムを閉じる。
 見れば見るほどに、今の生活が充実しているのがわかってしまった。
 私が掴んだものは、きっと輝けるもので。

 足りないものは、なにもなくて。

 だから。

 胸が壊れそうなのも気のせいで。
 心が軋んでいるのもなにかの錯覚で。
 夢が遠ざかっていくのは、きっとなにかの間違いなんだ。

 そのはずだ。
 ない、はず、
 なんだ。
 
 そうだ。
 そう、ですよね。

 教えてください。

 ──プロデューサー。


「すみません如月さん。そろそろ、移動の時間です」
「──わかりました。準備をします」
 マネージャーが、時間を知らせる。

 プロデューサーとの約束は、今夜だった。
 時計は、午後の五時を指し示している。

『千早。まだ荷物の整理だとか、いくつか時間を作るようにする。
 四日後だ。
 四日後の午後八時に、このビルの正面玄関で三十分だけ待っている。もし、俺の夢に協力できるのなら、その日、その場所で答えを聞かせてくれ』












 生放送である『ミュージックセレクション』は、朝九時から夕方の四時ぐらいまでに、出演予定であるすべてのアーティストのリハーサルを終える。
 その後に、場当たり(立ち位置の確認)や、音あわせ、カメラリハーサル、ランスルー(最終チェック)を終えて、本番に臨む。
 こんな仕事をしていると、生放送の、本番五分前に滑り込んでくるアーティストというものが、フィクションだけのものでないとわかる。
 ちなみに、その場合は代役を立てることになるのだが。

 一度だけ、
 私が、ほかの仕事との兼ね合いで、どうしてもランスルーに間に合わず。
 プロデューサーが代役として、ステージに立ったことがあった。
 私の歌のメロディが流れる中で、ただ立ったままのプロデューサーの姿が、ほかの共演者の笑いを誘ったらしい。
 後日、彼は蒼い顔になって、二度とステージになんて上がるものか、と愚痴っていた。
 

 午後の、七時三十分。
 放送の開始まで、あと三十分。
 ステージメイクとランスルーを終えて、あとは座して本番を待つだけ。

 いつもならば、楽譜のチェックをしているところだった。
 ただ、今は、なにも、手につかない。
 そんな私の意識を呼び戻したのは、携帯の着信だった。
 ニュルンベルグのマイスタージンガー。
 携帯の通知欄は、ひとつの名前を知らせている。

 『三浦あずさ』

「──え」

 なぜ、このタイミングで?

 三浦あずさ。
 『ギガス』プロダクションの創成期を支えた、今の私と同じAランクアイドル。

 一年前。
 人気の絶頂期に、突然の引退を表明した、私のもっとも尊敬するアーティスト。(ここは、あえてアイドルという表現を使わない)
 最後のベストアルバム、『MY BEST ONE』は、296万枚のセールスを記録し、ミュージックシーンに、ひとつの伝説を打ち立てた。

 今の私の技量をもってしても、全盛期の彼女には遠く及ばない。
 間違いなく、今世紀を代表するアーティストのひとり。
 今は、第一線を退き、家事手伝いとして、日々を過ごしている。
 悩んだときや、歌で行き詰ったときに、よく相談に乗ってもらったり、家に招かれて、プロデューサーと一緒に料理をご馳走になったりしている。

 ──それでも、
 このタイミングでの電話は、なんらかの意思が透けてみえた。

「もしもし、あずささんですか?」
「ええ、千早ちゃん。今、どこかしら?」
 受話器を通して、彼女の柔らかな口調に、鉄の色があった。

「ミュージックセレクションの、楽屋です。あの、あと三十分で本番なので」
「プロデューサーさんとのこと、聞いたわ」

 わずかな、沈黙。

「もう、私には関係ないことですから」

 ぽつりと、言った。
 電話なら、嘘を嘘と見通される心配はない。

「あらあら。千早ちゃん。わかってるでしょう。貴方に、嘘なんて似合わないわ」

 息が、詰まる。あずささんは、どこまで知っているのだろう。
 なにもかも、見透かされているようだった。

「だったら、どうすればいいんですか?」
「え?」
「だったら、どうすればいいんですか。
 結構前に、この番組をボイコットしたロシアのデュオユニットがいましたよね。
 ワイドショーで散々に取り上げられて、コンサートはがらがらで、数千円のチケットが、数百円で投げ売りされたっていうじゃないですか」
 しまったと思った。
 けれど、一度口火を切ってしまえば、あふれそうな思いは止まらない。

「本物でも、一度落ちたら、二度と這い上がってこれないのがこの世界です。
 だから、老害だとかなんだとか言われても、しがみついている歌手たちがたくさんいる」
「まあ、あれは本物というよりは、イロモノだったような気もするけど。
 ──千早ちゃん。変わったのね」

 責めるような声音ではない。
 静かな声が、夜の静寂に吸い込まれるように、私の心に吸い込まれていった。

「──私の知っている千早ちゃんは、もっとまっすぐに夢を語る子だったわ。
 時には、無茶なことや無謀なことを言っていたけど、その一点だけは、誰にも負けていなかったと思うわ。ただ純粋に、歌の精度と質だけを見てたはず」
「あの頃は、なにも知らない子供だったからです。
 知っていますか?
 ──私、もう一八歳ですよ。
 三年前とは、なにもかもが違うんです。
 私は、誰の庇護も必要としていない。
 自分の出番に穴なんて空けられない。
 私の代わりは、誰もいない。

 ──誰もできない。

 それだけの自信がないなら、アイドルなんて務まりません。
 シンデレラが幸せになれるのは、童話の中の世界だけです。なにもかもを犠牲にして逃げた先に、幸せなんてないっ!!」
 






「──だけど、行きたいんでしょう?」

 
 




「──私は」

 そんなことはない。
 そのたった一言が、言い返せない。
 その一言の重さは、わかっているつもりだ。

 それでも、わからないのだ。
 プロデューサーと歌と、私にとってどちらが重いのか。
 その片方が、私が今、考えているよりもずっと重かったら?
 
「大丈夫よ。千早ちゃん。
 自分のしたいようにすればいい。追いかけたいなら、追いかければいい。だって、千早ちゃんはまだなににもなれていないんだから」
「…………………………………」
「一〇人いれば一〇人分の個性があるわ。たとえ、どん底に落ちてしまったら、童話ならバッドエンドよね。それでも、人生は続くの。人生に、バッドエンドなんてないんだから。
 そうしたら、そこから、どうもう一度はじめるかを考えればいいじゃない」
「そんな、綺麗事を」
「綺麗事じゃないわ。

 だって──
 これは、
 今までの千早ちゃんとプロデューサーさんを見てきて、感じたことだもの。
 この三年、
 千早ちゃんは、二人三脚で、そうやって歩いてきたでしょう?

 ねぇ、千早ちゃん。知ってる?
 歌は、どこでも歌えるって。国境を越えるって。
 だからね。千早ちゃん。この世の中にはね。
 数学と違って、絶対に答えの出せない問題というのがあるのよ」

 知っている。
 そんなことは言われるまでもない。

『ねえ。千早はパパとママの、どっちが好き?』

 選ぶことで、必ず誰かを傷つけなければいけない選択というものがある。
 時には、選んだ本人さえ。

「だから、答えを出したくないのなら、どちらも選ばなければいいの」
「………え」

『わたしたちは、あなたに強制はしたくない。だから、千早。あなたが決めなさい。お父さんとお母さんの、どちらを選ぶのか』

 ずっと、自分の人生は袋小路だと思っていた。
 でも、違ったのだ。

 先の見えない暗闇なのだと。
 選択の余地もなにもなかったと。
 私に、幸せなんて掴めないのだと。

 思えば、そんなはずはない。

 あそこで、どちらの選択も選ばなかったら。
 泣いても、縋ってもいい。
 離婚なんてやめようって。
 家族三人で一緒に暮らしたいって。
 
 私は、最初からあきらめて。
 そんなことは、口に出したこともなかった。

 選べなかった暗闇の先には、きっと光があったのだ。
 それに、ずっと気づくことができなかった。
 
 ううん。
 現実は優しくなくても。
 そう信じることぐらい、私にも許されますよね?
 

「──あ」


 それでも、
 まだ遅くないなら。

 だから、今度こそ、如月千早らしく。
 まっすぐに、
 物怖じせずに、
 自分の意見を通す。

 五分か、
 一〇分か、

 気の遠くなるような沈黙の後で。



「あずささん。ひとつだけ、お願いをしてもいいですか────?」



 私は、自分の答えを告げた。















「朔か。どうした?」
「ああ、二年ぐらいまえに、麻雀の賭け分、二万四千円取りっぱぐれてたのを忘れていてな」
 俺は財布から万札を三枚取り出すと、旧友に向けて放ってやった。

「……………………………それだけか?」
 俺は、ジト目で朔を睨む。
「それだけだ」
 朔は、そう言うとタバコにライターで火をつけた。
 朔響。24歳。
 この若さで、副社長と営業本部長を兼任している。
 俺の大学時代の先輩だった。俺をこの業界に引きずりこんだのも、この男だった。

 時間は、七時五七分。
 約束の期限まで、あと三三分。

 さすがにこの時間になると、各セクションの明かりはほとんど消えている。
 かろうじて、受付けだけは明かりを保っているが。

 しかし、ここの印象は、昼間と変わらない。
 このあたり一帯が華やかさを失わないのは、社屋の玄関の横に取り付けられた超大型の街頭ビジョンのためだった。
 横が五メートル、高さもそれぐらいあるその巨大テレビは、アイドルはいつも見られている、ということを忘れないために、ということで、社長の鶴の一声で決まったものだった。

 場所が工夫されており、食堂から見られるようになっている。
 あと、相当の熱意か特別な理由がなければ、アイドルもアーティストも、いちいち自分の出ている番組なんてチェックしないという、当たり前といえば、当たり前の要素も絡んでいた。


「一本くれ」
「ああ。なんだタバコ辞めたんじゃなかったのか」
「別に。ただ、もう我慢する必要もないからな」
 俺は、勝手に朔の胸ポケットから、メンソールを取り出すと、火をつけた。
 久しぶりに煙を吸い込んだせいか、派手にむせる。

「千早ちゃんか。随分と干渉されてたな。まるで、恋女房みたいだったじゃないか」
「まったくだ」
「金田。お前、千早ちゃん無しで生きていけるのか? またカップラーメンの生活に逆戻りじゃないか?」
「それは、まあなんとかなるだろう」

 多分、なんともならない。
 花壇の植え込みに腰を下ろす。

「待ち合わせ場所は、ここでいいのか?」
「ここでいい。ここからなら、玄関まで丸見えだからな。それに──」
 俺が、そこまで言いかけたところだった。

 ──近づく、靴音。
 月明かりも、雲に隠れて届かない。
 ただ、彼女を照らし出すのは、人工的な液晶の光だけ。

 八時、ジャスト。
 待ち合わせ、時間には、ぴったりだった。
 
 珍しく、息が弾んでいる。
 三年近く、一緒に仕事をしてきて、そういえばこんな彼女を見たのは、はじめてだった。
 そういえば、彼女が迷わずに、待ち合わせ場所に到着できること自体、奇跡に等しい。
 
「プロデューサー、さん。お待たせしました」
「どうし、て──? 
 どうして、貴方がここにいるんですか? あずささんj
「千早ちゃんに泣きつかれまして。
 プロデューサーさんをひとりで放っておくのは心配だから、ついていってくれと。私も同意見です。こんな役回りは、なにも失うもののない私の方が適任でしょう」

 そこで、
 街頭ビジョンの光景が切り替わる。

 午前八時。
 ミュージックセレクションの、時間が始まる。
 最初の登場シーン、最初に如月千早が階段から降りてくる。
 一目でわかる。
 動作に、なんの迷いもない。

 正真正銘の、ベストの彼女だった。

 司会でのトークのあとで、歌に突入する。
 生放送。
 失敗は許されない。
 そんな、
 極限の状況下で、

 ──彼女の、ステージが始まる。






 やわらかな声だった。
 雑味もケレンも一切なくただ純粋に透き通った声。どれだけの苦難も受け止めて、ここにいることを決めた、千早の決意の歌。

「ああ、そうか。千早。ちゃんと──選べたじゃないか」

 最初の一音で、すべて理解できた。
 なんの気負いもない。
 それは、誰のコピーでもない。
 自分を掴み取ったものだけが出せる音。

 ──如月千早の歌。













「あずささんは、プロデューサーについていてあげてください。
 私は、無理だから。
 あずささんの言ったとおり、私は一度答えを棚上げにします。
 いつか、日本で一番の歌姫になって、もう一度、プロデューサーに仕事を申し込みに行きます。答えを出すのは、それからでも遅くはないですよね」
「千早ちゃんは、それで辛くはないの?」
「──いいんです。辛くても」
「え?」
「だから、それでいいんです。
 これからは、この痛みに耐えていくだけでいい。

 この痛みが、ずっと続くのなら、
 ずっと彼のことを想っていける。

 私は、まだ囀りつづけることができる。
 この胸の痛みが、いつか、砂の城のように、波に洗い流される日までずっと──」
















「そういう顛末か。しかし、この三人で集まるのも、久しぶりだな」
「あら、響さん。ご無沙汰してます」
「ええ、私がまだ貴方のプロデュースしていたころからだから、もう一年にもなりますか」 
 朔は、昔を懐かしむようだった。
 歳の順からいって、朔が計画を立て、あずささんが周りを説得し、俺がそれを実行する。
 いまだに、このチームに勝る充実感を味わったことがない。
 無敵だった。
 この三人で、後に千早も加わって四人になるが、なんでも、できる気がしたものだった。

 けれど──人はいつまでも、同じ場所にはいられない。

 歌が終わる。
 そうなれば、幻想は拭い去られる。
 夢は終わり、子供は寝る時間。大人は明日に備えて、英気を養う時間。
 
「さて、解散するか。次に会うときは、敵同士だな」
「あらー。響さん。久しぶりに会ったことですし、一緒にお茶でもどうですか?」
「有難い申し出ですが。あまり敵と馴れ合うのも問題があるでしょう。それはそうとあずささん。復帰の意思はありませんか?  そこの甲斐性なしについていくよりも、ずっと有意義だと思いますが」
「おい、誰が甲斐性なしだ。この悪人顔」
「黙れロリキラー」
「口を閉じろ。ビビリ野郎」
「あらー。ふたりとも、久しぶりに会ったのに、息がぴったりですね」
「誰がだ」
「どこがですか?」
 ふたりで、あずささんに抗議を入れる。

「あとは、千早を頼む」
「ああ、めんどくさいことは。俺に押しつけて──か?」

 自分の女の後始末を、ほかの男に頼むなんて、甲斐性なしといわれても仕方ないな、と朔が言う。

「今だから、言ってやる。
 俺は、お前のそういうところが、殺したいほどに大嫌いだった」

 息が詰まる。
 明らかな、敵意。
 その理由まではわからない。

「けれど──な。それ以外の部分は悪くなかった。
 ヒマな大学生みたいに、ファミレスで会社の舵取りについて、朝まで議論したことを覚えているか?
 ──良かったと思う。あの頃は」
「朔。それは、当時、暇な大学生だった、俺への皮肉か?」
「そんなつもりはない。千早ちゃんを入れても、二十人いなかったな、創業メンバーは。今思えば、ああやって、会社を廻している時が、一番楽しかった。
 信じられるか?
 今じゃあ神様みたいに崇められてる社長自ら、クレーム対応に追われてたんだぞ。あの頃は」
「三年前か。俺たちも、いっちょ前に昔話ができる歳になったんだな」
「ああ、そういうことだ。大学時代を合わせれば四年も付き合ったんだ。もう十分だろう」

 距離が離れる。
 目指すところは、同じ。
 しかし、これからの立場は真逆に裏返る。

「千早ちゃんだって、覚悟を決めて、あんな別れ方をしたんだ。
 俺たちに別れの言葉なんていらない。
 三年前は、ほんとにテンパってて、一時は、全員首を吊るしかないって状況になったな。
 そのときは、笑えない状況だと思ってたが、今では、それすら笑い話にできる」

 俺とあずささんは、朔の背中を見送るしかない。
 それが、彼の別れの言葉だった。

「だから──
 数年後には、千早ちゃんも酒ぐらい呑める歳になっているだろう。
 この光景がもし笑い話になっていたら、
 また四人で。

 一緒に酒でも呑み交わそうじゃないか」











[15763] stage2 The winner takes it all (勝者の総取り) 1
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/02/27 20:32



「ふふっ。どうかしら、千早ちゃん。ここのカルボナーラが絶品なのよ」
「はい、たしかに」

 私の正面の席には、あずささんが座っている。
 あれから、一週間が経っていた。
 本日の会食の誘い。
 プロデューサーのそれからが気になっていた私に、その申し出は渡りに船だった。あとは、互いのスケジュールを折り合わせて、今日の食事となった。
 
 あずささんの気に入るレストランだけあって、内装も調度品も、そして店の雰囲気も、文句のつけようがない。

 窓さえ閉めれば、心地好い静寂を楽しめる。

 このレストランには音楽が流れていない。
 有線や、それに類するバックサウンドは、すべて取り払われている。










 午後を廻る頃には、彼女らのいるレストランを迂回するように、ぐるっと長蛇の列ができていた。
 レストランの二階には、通常の客とかちあわない、アイドル専用のVIPルームが用意されており、私とあずささん,はそこから外を見下ろしている。

 窓の外に見える、路上には屋台が並び、コンサートまでは二時間もあるというのに、すでに本番さながらの賑わいを見せている。

 まるで、お祭りのようだった。
 ビールやホットドッグの屋台が所狭しと並び、高級レストランやショットバー、ゲームセンターに本屋、アイドルのグッズショップなどが軒を連ねる。

 スタジアム横の公園をアミューズメントパーク化する。
 大リーグの人気チーム、ボストン・レッドソックスに代表される手法であり、それを真似して作ってみた、というのはプロデューサーの言葉だった。
 いわば、これは彼の置き土産ということになる。

 ここには、『ギガス』プロの観覧カード、通称、プラチナカードを持った人だけが入場できる。
 むしろ、このカードがない限り、なんの特別なサービスも受けられない。コンサートの予約すら、すべてこのカード一枚でまかなうことになるからだ。
 レンタルビデオ店の会員カードのようなものだと思えばいい。
 定期的にキャンペーンを打ち、新規入会サービスをしている。
 ただし、このカード自体にクレジットカードとしての機能はなく、主に、ファンクラブのメンバーカードとして使われる。
 
 使用したカードの料金に応じてポイントが溜まり、それを消費することによって、店売りされていないアイドルたちの限定グッズに換えることができる。

 また、プラチナカードの消費額に応じて、サマーフェステバルやウインターフェステバルのチケット、その優先購入権が与えられる。
 このカードにも、ランクがあり、『ブロンズ』、『シルバー』、『ゴールド』、『プラチナ』の四ランクが用意されており、どれだけ金を使ったかでランクが昇格する。(ただし、ランクは次年度には持ち越されない)
 
 システムインティグレーション本部、天才、宗像(むなかた)名瀬(なせ)が、一年と半年をかけて組み上げたサーバーシステムは、それに絶大な効果を発揮した。

 このアイドルのコンサートに限らないエンターテイメント施設が次々と組み込まれ、今もさらに新しい施設が増築され続けている。

 親会社の野球スタジアムを半分のっとったかたちになるそれは、今では年間を通して、ギガスプロダクションの収益の半分以上を叩き出すまでになった。
 一年間、その座席を買い上げる『リーグシート』、家族で観覧できる『スイートボックス』の売り上げは好調に推移しており、収容人数二万人のスタジアムは、いつも『全席完売』となっている。
 2003年まで、常に客席動員数一万人を下回っていたスタジアムは、アイドルのコンサート会場として、現在も収益を上げ続けている。

 クリーブランド・インディアンスを思わせるような華麗な復活劇。
 十年前を頂点にして、地に落ちたCDシングルの販売数とは逆に、こういったライブの需要は高まるばかりだった。

 それを証明するように。
 あちこちに、『ギガス』プロの新人アイドルが路上コンサートを開いており、耳が痛くなるような賑わいを見せている。
 それは、ライブというこの瞬間でしか生まれないもの。
 アイドルたちは、自分の夢のステップを駆け上がるため。
 ファンたちは、ここから生まれでるかもしれない新星を見つけるために。

 興奮と感動。

 エンターテイメントの原点がここにあった。















 三ヶ月、一季をシーズンと呼び、一年を総括してリーグと呼ぶ。
 
 274のプロダクションの擁するアイドルの総数は、全部で5000人近くにもなる。(その四分の三以上は、EとFランクアイドルだが)
 所属するアイドルたちは、六つのクラスに分かれて(AからFまで)、プロダクションごとに、舞台の上で勝敗を決める。
 その方法は、たったひとつ。
 ファンの投票。
 そして、ランク分けはただ一点。
 応援してくれるファンの数のみによって決められる。

 規定に基づき、四点ある審査基準の一点でもクリアすることができれば、昇格となる。
 また、シーズンの変わり目に、審査基準をひとつでもクリアできていれば、そのままそのランクに残留となるが、ひとつすら条件を達成できなかった場合、下のランクに降格となる。
 その基準は、

 1、その年のリーグ期間に販売されたCD販売数が、一定の枚数に達していること。
 2、そのアイドル、またはグループ単独のコンサートのチケット販売数が、規定の員数に達していること。
 3、自分のプロダクションの取締役以上の立場の人間の、推薦があること。
 4、プラチナリーグの発行するプラチナムポイントを、一定の点数以上獲得していること。

 の四点。
 

 ちなみに、ランクAやBやら、Eなどという言葉がよく出てくるが、

 ランクF ファン人数   1000人以上。
 ランクE ファン人数  10000人以上。
 ランクD ファン人数 100000人以上。
 ランクC ファン人数 300000人以上。
 ランクB ファン人数 700000人以上。
 ランクA ファン人数1000000人以上。

 と、ランクは、おおまかに分けるとこうなる。

 現役のアイドルは5000人近くにも昇るが、Aランクともなれば如月千早と、三浦あずさ。そして、あと五人程度しかいない。

 Bランクですら50人を切る。
 Cランクは100人程度。
 Dランクが500人近くで。
 その他大半が、EとFランクとなる。

 これが、2006年から始まった、第三次アイドルブームの火付け役となった、全く新しいエンターテイメント、『プラチナリーグ』の全容だった。 

 ある意味、これは時代だったかもしれない。
 巨人戦の視聴率が低迷し、捏造により一時期流行った健康番組もゴールデンから姿を消す。脳トレのブームもかつての神通力を発揮せず、バラエティでは一流の芸人でさえ雛壇に追いやられる。

 今までになかった体験。

 視聴者参加番組、というものはちょくちょく見かけるようになったが、どこのテレビ局もお決まりの使い方しかしていない。

 テレビの前の視聴者が参加できるとはいえ、それはせいぜいアンケートや投票ぐらいのものであり、そんなものがメインになるはずもない。

 どういった結果になっても、視聴者の力が番組に影響を与えることなどない。
 視聴者がこちらを選んだ、ということで、番組の後半がまったく違うものに様変わりする、それほどの仕掛けを打たなければ、視聴者参加などというお題目は、誰も本気にしない。

 そして、それを真の意味で最初に、最大の規模でやりとおしたのがプラチナリーグだった。
 自らの応援するアイドルが上位に食い込めば、それだけで勢力地図が激変する。
 ファンたちが自分自身で市場をつくりだしているという実感。
 錆付き、失墜した権威であるレコード大賞なども、ノミネートを拒否。このような、五年連続で同じレコード会社の歌手が賞を取るような、しらけた出来レースなど、もう誰も見向きもしない。

 すべて新しい賞へ、ファンたちが自分で選ぶという概念が、市場活性化の起爆剤になった。
 

 ジュニアBは、2006年にプラチナリーグの放送権を獲得した。
 はじめは深夜放送から始まったこの試みは、わずか半年で異常と思われるほどに肥大化していく。ジュニアBは3年分の放送権料として、二億を支払った(それでも、高すぎる買い物だと社内からも批判が絶えなかった)が、1年も経たないうちに、その17倍もの利益を生み出すまでになった。
 今では、ジュニアBがもった権利を、海外の放送局が大枚をはたいて買いにくるほどだった。
 
 CD販売の利益のみで会社を廻す時代は終わった。
 
 『ギガス』プロとしても。
 チケット収入が三割、グッズ販売による利益が二割で、テレビなどのメディアへの放送権料による収入が二割、アイドルのCD、プロモーションDVDの売り上げは、全体の三割弱を占めるに留まっている。
  着うたや、ネット配信や、趣味の多様化の煽りで、音楽というジャンルが使い捨てのジャンルになって久しい。
 それを補って余りあるのが、ここ数年台等してきた、アイドルのキャラクタービジネスだった。歌自体に価値があるのではない。歌自体を商品として扱うのではなく、徹底的にアイドルを売り出す。
 そのランクアップの喜びやランクダウンの悲しみを、視聴者を共有させる。
 理想的な視聴者参加型のビジネスとして、今も多くの企画が作られ、時にはアイドルの、時にはファンの、喜びや悔しさの涙が流れ続けていることだろう。

「──と、ここまでが」
 あずささんが、説明を中断した。

「千早ちゃんたちアイドルの戦場である、プラチナリーグの成り立ちと現状」
「はい。わかっているつもりです。
 でも、それとプロデューサーが会社を辞めた理由と、繋がりがあるんですか?」
 言われるまでもない。
 昨日今日デビューした新人ではないのだ。
 この業界のことは、それなりに精通している。

「ええ。市場は鮮やかなまでの好循環を描いたの。でもね、こういう急激に成長したプラチナリーグは、さまざまな課題を残していったの」
「──課題、ですか?」
「千早ちゃんは、ウィナー・テイクス・オールという言葉を知っている?」
「勝者の総取り、ですか? ボクシング用語──」

 私は、かの名作ボクシングマンガからの知識を引用した。
 あまり漫画は読まない方なのだが、事務所に全巻あるので、なんともなしに覚えてしまった。とりあえず、努力で劣勢を払いのけていく辺りが、私の琴線に触れていた。

「ううん。元々はアメリカの大統領を決める選挙で使われる言葉よ。経済用語でもあるわ。そして、私が言いたいのは、経済用語のほう。
 勝者の総取り──いえ、この場合は、勝ち組の独占──そう言ったほうがいいかしら」
「独占?」
 口の中で、その言葉を転がす。

「わずか半年で、ここまでの成長を遂げたプラチナリーグは、誰かが管理できるようなものではものではなかったの。
 戦力均衡も、資金の分配もブランドの構築も、なにもかもが後手に廻ってしまった。
 うちの社長の奇跡的なところは、その流れをうまく見切って、『ギガス』プロをここまでの大きさにしたことにあるのだけれど、元からあった大きなプロダクションや、零細のほとんどのプロダクションは、その流れについていけなかった。

 結果。
 なにが起こったか。
 勝者と敗者の差が、取り返しがつかないぐらいに広がってしまった。
 まだ成長の余地はあるとはいえ、この市場も無限に成長していけるわけではないわ。
 いつか、ブームが終わったのなら、連鎖的にすべてが終わってしまう」
「だから、ですか?
 だから、プロデューサーは『それ』と戦おうと?

『だから──ここでお別れだ』

 思い出すのは、彼の別れの言葉。
 彼の言葉に、色と重みが加わった。

「ええ。そういうこと、だと思うわ。正直、プロデューサーさんの言っていることは、よくわからないのだけど」
「あずささんが理解している限りでいいですから」
「ええ、──それなら。
 プロデューサーさんは、言ってたわ。
 前は千円札一枚で、ライブが楽しめたのに、今はそうできないって。
 単価が高くなることは別にいいけれど、あまりにプレミアがつきすぎると、熱心な人たち以外は、興味をうしなってしまう。

 閉塞感っていうのかしら。
 プロデューサーさんは、誰もがアイドルになれて、それは絶対に特別なんかじゃなくて。
 女の子が一番なりたいものがお嫁さんで、二番目がアイドルだって、そんな夢を真っ直ぐに見れるような、そんな業界にしたいみたい」
 ──言葉がない。
 あの日の誓いを思い出す。

 あの人と、私の夢が同じであるように。

 そうか。
 むしろ、三年も持ったのが奇跡だったのもしれない。
 彼の仕事はプロデュース業だ。業界の変化に、仕事も左右される。

 同じ夢を、いつまでも見ていられるはずもない。

「──それが、プロデューサーの、──今の夢、なんですね」
「ええ、きっとそういうことだと思うわ。
 千早ちゃんは、やっぱりプロデューサーさんのことが、許せないかしら?」

 どうなのだろう?
 いや、考えるまでもない。
 シンプルな問題だった。
 けれど、こういったことは、年を重ねるごとにわからなくなっていくのかもしれない。

「──はい。絶対に、許してあげません。
 ずっと、ずっと恨んであげます。
 あの約束は、ずっと私とプロデューサーのもの、ですから。

 あの日の夢は、もう重なることはないのかもしれないけれど、それでも、もう一度、めぐり逢えたなら、いつかあの人の夢に、私が立ちふさがることになったとしても。

 ──私は、私の夢を、諦めたりしない。
 ──ひとりでも、構わない。
 いつかふたりで見た、たったひとつの到達点へ、私は辿り着いて見せます」










 次回→ 『Ellie と サイネリア と ときどき星井美希』








[15763] stage2 The winner takes it all 2
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/02/27 20:33



 目が霞んでいる。
 ビタミンとかベータカロチンとかが不足しているのだと思うが、せめて果物だけでもなにか買ってくるべきか。
 俺が古巣である『ギガス』プロダクションを飛び出して、すでに一ヶ月以上が経過していた。

 限界だった。
 さすがにカップラーメンやら即席メニューだらけの食生活は、すさまじく健康に悪いようだった。
 千早の手料理が恋しい。
 あずささんの補給物資だけでは、まったく追いつかない。ただでさえ、うちには手のかかるのがひとり余計にいるのに。

「むぅ、トマトはそのままマルカジリできるよな」

 一日一日やせ細っていく俺の様子に、マンションの管理人さんが見るに見かねたのか、実家から送られてきたらしい産地直送野菜を届けてくれた。まだ根っこに土がついている。しかし、冷蔵庫につっこんでおいても腹は膨れない。

 これを、どう調理するのかが問題だった。

「さあ、助手。料理をはじめろ」

 ひとまず、丸投げしてみる。

「無理?」
「いきなり諦めるな。この現代っ子め」

 助手は、即答で『否』を返してきた。

「わたし、料理したことない」
「お前、小説書いたり、絵を発表したり、動画制作したりしてるだろう。製作については天才的なんだから、料理ぐらいできるはずだ。というか、仕事ないんだからそれぐらいやれ」
「金田さん、ヨーグルト食べる?」
「腹は膨れなさそうだな」

 といいつつも、助手からソースのかかったヨーグルトを受け取る。

「コラボが絶妙?」
「うん。まあいける。というよりは、絵理。お前はどーなんだ。偏った食生活でよく平気だな」
「わたし、電波と合成着色料とお菓子で生きてるから?」
「このジャンクフードマニアめ」

 水谷絵理。

 15歳。ひきこもりネットアイドル。
 動画製作が趣味の、バレル・タイターや『ギガス』の名瀬姉さんと肩を並べるウィザード級ハッカーだった。
 というか、このマンションの大家さんの娘さんであり、その腕を見込んで、俺がバイトとしてこき使っている。

 高校には通っていない。
 対人恐怖症。
 ネットアイドルとしては、その容姿の高さもあって、かなりのアクセス数を稼いでいるらしい。
 
 クリエイティブな能力はマルチ的に相当高い。

 今も、歌音(うたね)ミケというボーカロイドソフトを立ち上げて、シーケンスソフトの画面を開いて、曲と歌詞を入力しているところだった。さらに、彼女は作詞作曲のみならず、3Dの人物モーションを組み上げ、自分で使いやすいように非公式の追加ライブラリを組んだりもしている。

 まあ、彼女について羅列すると、こんなところか。











「なんの話してるんデスか? アタシも混ぜてくださいよー」

 そして、二人しかいない部屋に、三人目の少女の声が響いた。

 部屋の巨大スクリーンに投影されたムービーチャットに、まるで黄金の髪を両房にして垂らした、妖精のような少女が映し出されている。

 撮影場所は自宅らしい。
 背景の部屋は、年頃の少女が好むようなぬいぐるみで飾り立てられている。彼女が身につけている黒のゴスロリ衣装は、着こなすのが限りなく難しい。
 こういった衣装は、着る側がよほどの容姿を保っていないと、中身が外側の衣装に負けるからだ。
 
 サイネリア。
 絵理の友人。
 本名、年齢、生息地、すべて不明の、カリスマネットアイドルだった。

「ああ、サイゼリアか」
「サ イ ネ リ アッ!!
 サイバスターでもなければ、サイサリスでもサルーインでもサルモネラでもサイリウムでもサイエンスでもサドンデスでもないっ」
「ああ、冗談だ。わかってるって、サイバイマン」
「戦闘力1200でもナーイッ!!」

 容姿だけは妖精そのものな少女が、大口をあけてツッコミを入れてきた。
 相変わらず、からかうとおもしろいなぁこいつ。

「それはそうと、カネゴンッ!!」
「おい、その常に小銭を食べていないと死んでしまうコイン怪獣みたいな呼び方をやめろ」
「ナンですか。ココはアタシと絵理センパイのラブラブ空間のはずデスよっ。はっ、さてはカネゴンは、アタシと絵理センパイの間に立ったトゥルーエンドフラグをへし折るためにいるんデスね」
「ああ、うん。そんなルートはない」

 俺がキッパリと否定すると、サイネリアはムキーッ、と奇声をあげた。
 そこで、ずっとパソコンの画面を見ていた絵理の視線が、サイネリアを向いた。彼女は、じっと投影されたサイネリアの虚像を見つめていた。

「あのね。サイネリア」
「は、はいっ。なんデスカっ。センパイッ」
「作業中だから、静かにしてて」
「だ、そうだ。残念だったな」

 俺はそのまま、ムービーチャットの音声をミュートに切り替えた。
 サイネリアの口元の映像に、大きなバツマークがついて、あちらからの声の一切がシャットダウンされる。

 そのあとでもサイネリアが、ギャーギャーとわめいている様子が、動画を通して伝わってくる。ただし、なにをわめいているかはまったく聞こえないし、絵理はもうサイネリアを一瞥だにしない。
 ああ、家に平和が戻った。
 どっか遠くで、わめいているのがひとりいるが、あまりに気にしないことにしよう。

 が。
 しかし、



『フッフッフー。ちょっと音声をミュートにしたぐらいで、アタシを止められると思ったら大間違いデスよ?』



 ムービーチャットに、直接文字が書き込まれていた。
 サイネリアの全身像の上から白地で、会話文が横に流れていく。


 
『そうwwwこうやってwww文字で送ってしまえばwwwwうはwwwおwwkwwwwwwwwwwほらほら、くやしいですかwwwwwwwwwwwwwww
ねえねえwwwwいまどんな気持ちwwwwいまどんな気持ちデスかwwwwwwwwwwwwwww
 ホラホラww意地悪なカネゴンには、ネトア(ネットアイドル)・ワールドの妖精wwwwテラカワユスなサイネリア独占ドアップを好きなだけプレゼントデスwwwwwwプギャーwwwwwwwwww』



 うっわ。
 こいつ、うぜえ。

「絵理、なにか返信してやれ」
「でも、わたし、草は生やさない派?」

 俺の言葉に、絵理は不思議な顔で、こてんと首をかしげた。
 ちょうど、絵理のおなかがグーッと鳴る。

「おいも食べたい」

 それはおそらく、絵理のひとりごとだったのだが。
 俺はそれに電撃を直撃したような衝撃を受けた。

 そうだ、イモだ。
 イモなら、蒸すだけで食べられる。

「イモ。サツマイモだ。どこでも育つせいで、戦記物ではこれを手にした陣営に勝利フラグをもたらすといわれるチート作物。そうだな、ジャガイモとサツマイモがあるぞ。うん、絵理、ジャガイモは、塩とマヨネーズどっちにする?」
「わたし、塩派?」
「よし、行くぞ絵理」
「うん」
『ちょ、ちょっと、ワタシを無視しないでくださいよー』
「なんだ、ああ、サイネリア。一緒に行くか?」
『ワ、ワタシが画面から出てこれないのを知っててー。セ、センパーイ。カムバーックッ!!』
「おいもおいもおいもおいも食べたい」
『ああっ、センパイが遠い世界のヒトにっ、ううっ、アタシはもうダメデス。先に行ってください。アタシは所詮、二次元の妖精。二次元と三次元の間には、遠く遥かな壁がアルのデス』
「あ、電源切らないと」

 絵理が、ノートパソコンを閉じると、スリープに移行。
 それと同時に、ムービーチャットも休止に入り、なんか聞こえた気がするサイネリアの悲鳴とともに、彼女の姿は部屋から掻き消えた。













「季節ハズレの焼き芋はちょっとあれだな。燃やすものがなくて困る」

 山のような不採用通知が、くすぶるような煙を上げていた。

 公園である。
 絵理はネット上の通販サイトで、よく気に入ったものをポチッているが、大半がダンボールに包まれたまま、開かずに終わる。そのなかから出てきたのが、石がセットでついた焼き芋用のナベだった。
 不採用通知を種火に、火力ををあげて、石に熱を通しているところだった。

 俺はついでのついでということで、この一月の結晶を灰に還していた。新卒気分で、あちこちの放送業界の面接にあたっていたのだが、結果はごらんのありさまだった。

 就職活動は、全滅。
 実のところ、お手上げの状態だった。
 放送業界のような閉じた業界で、『ギガス』プロのような大手に睨まれれば、再就職も難しい。
 優秀なプロデューサーは、どこのプロダクションでも不足しており、まるっきり買い手市場なのだが、さすがに、朔の手腕は見事というほかない。

 見事に、先手をうたれた。
 『ギガス』プロほどの大手となれば、テレビ局にも絶大な影響力があり、そこからテレビ局を利用して、他のプロダクションへ圧力をかけるということも可能だった。
 
 『ギガス』、
 『ワークス』、
 『ブルーライン』、
 『エッジ』。

 アイドル業界は、この四つのプロダクション系列だけで、市場の六割を占有する。よって、中小プロダクションのパイは驚くほど小さい。発言権などないに等しい。断ったり、でしゃばった真似をすれば、ただ単に仕事が廻されてこなくなるだけ。
 
 ならば、他の手段としては、
 『ギガス』と同格の、ほかの三つのプロダクションならば、朔の手腕も及ばない。
 及ばない。
 及ばない、のだが。
 それはそれで、本末転倒だった。

 『ブルーライン』と『ワークス』は、『系列』というシステム上、外様が上に上りつめるのは不可能に近い。
 すると、『エッジ』になるわけだが、そもそも俺としては『ギガス』で、最終的に朔と対立し、自分の意見を通せなかったことが、退職の第一理由だった。

 自らの会社の実質的なナンバー3という役職についていてなお、そのワガママが通らなかったなら、他の会社で、そのワガママが通るはずもないのだった。
 難しい。

「やっぱり、自分で会社を立ち上げるしか、ないか」
 気が進まない。
 俺は、総指揮者(プロデューサー)であって、経営者ではない。ノウハウを学ぶだけで、一年やそこらはあっという間に、過ぎ去るだろう。
 自分に向いているとも思わない。

 というか、経営者が必要なら、金を払っていい人材を呼び寄せるほうが、まだいい。
 と、
 俺が思考の回廊に、ぐるぐると閉じ込められていると。

 にゃーう、と猫が喉をならしていた。
 いつの間に近くにいたのか、でっぷりと太った物体が、すぐ横のベンチの上に鎮座している。

「あれ、ミハエル先生。どこ行ったの?」
 そのあとで、茂みから飛び出してきたのは、
「でっかい毛虫か?」
「あ、なんか失礼な人」
 どこの茂みを通ってきたのか、葉っぱやら木の枝やらが、服についていた。
 私服の少女だった。
 思わず、目を惹きつけられるような、華やかさがある。

「ふぅん」
 容姿を見るだけで、その輝きの桁が違うことがわかる。
 スタイルと、容姿、共に文句のつけようがない。
 おそらく、学校にひとりいるかいないか、というレベルの美少女だった。

 改めて、俺は助手と見比べてみる。
 絵理は近所の公園ということで、赤と紺のジャージ姿だった。ええと、比べる対象が悪すぎるにしても、もうちょっと頑張ってもらいたいところである。

「なんだ、ミハエル先生って?」
「ミハエル先生はミハエル先生だよ。ミキが尊敬する先生で、将来こんな風になれたらなって思ってるの」
「だって、猫だろ?」

 ミハエル先生を見た。

「ぬっこぬこー。ぬこぬこぬこぬこぬこ。もこもこでふわふわー♪」

 絵理が、ミハエル先生を抱きしめていた。
 リズムをとって、自作の曲にのせて、ぬこを讃える歌を口ずさんでいた。ミハエル先生本人(?)は、こちらの会話には興味なさげに、絵理に抱きしめらるのを窮屈そうにしながらも、優雅に毛づくろいをしていた。

「ミハエル先生はね。学校に行かなくていいし、ごはんも家の人に食べさせてもらえるし、最高だよね」
「ああ、そうか」

 なんかミハエル先生は誰かを思い起こすと思っていたら。 
 絵理とねこに、そんな共通点が。

「なぁ、そこの女子高生。猫って焼き芋食べると思うか?」
「わかんない。でも、ミキは大好きだよ。あと、ミキは女子中学生」
「は?」
「よく間違われるんだよね。なんでだろ」
「そりゃあ、なぁ」

 その細さと若さで、あずささん並の胸は反則だろう。
 整った顔立ちに、文句のつけようのないスタイル。ある意味で、アイドルの理想型そのものだった。少なくとも、今の時点で、俺が手を入れる部分が、どこにもない。

 お手つき済みだな、これは。(他のプロデューサーの)
 あからさますぎる。
 こんな原石がほいほい落ちているわけがない。
 というか、いくらあるんだ、あの胸?
 Eか。
 Fか。

 といいつつ、なにか読めないところもあるのは事実だった。

 自分が気に入ったものを身に着けている、といった趣きはあるのだが、アイドルなら誰もが心に留める、いつ誰かに、自分を見られるかもしれない、という危機感のようなものが、彼女にはない。
 とはいえ、
 誰のプロデューサーの手も入っていない、と仮定するには、彼女のスタイルは洗練されすぎている。

「むやみやたらに組み合わせがいいな、その服。メーカーや値段もばらばらなのに、イヤにマッチしてる。誰の仕事だ?」
「あ、最初にそこに目がいくんだ。前に来たプロデューサーの女の人も、最初に同じようなことを聞いてきたけど。ってことは、あなたも、プロデューサーさん?」
「志望、だよ。今のところは」

 と、俺はまだ燃え続けている不採用通知の山を指差す。
 内心、俺は舌を巻いていた。
 頭の回転も早い。
 それから、千早のときは、倍率が40倍ぐらいあったが、彼女の倍率だって、決して低くないだろう。

「やっぱり、お手つきだったか」
「うん、断っちゃったけど」
「へえ」
「でも、その人が他のスカウトさんたちに話をつけてくれたらしくて、途中からその人しかこなくなったよ」

 囲い込み、か。
 しかし、そのプロデューサーは、女の人だと言った。
 他のプロダクションに睨みをきかせられて、スカウトの代わりにプロデューサーとして出張ってくるほどに優秀で。その上で、性別が女。
 思い当たるとすれば、ひとりしかいない。

「名刺、もらってるだろ。見せてくれないか?」
「あ、うん。ええと。どこやったかな?」
 チョコレートの包み紙と一緒に、名刺が出てきた。

「むしろ、なんだこの名刺。金ぴかだな」
「こっちの方が、目立つからって」

 なるほど。
 悪くはない。

 スカウトが数人くれば、普通の人間は顔と名前が一致しない。
 しかし、こんな高級そうな名刺をもらえば、別である。
 スカウトの基本は、まず自分の身だしなみから。
 相手に信用してもらい、輝かしい未来を思い描かせる。
 この名刺なら、いっぺんに二つ同時にやれる。

 仮に、この名刺一枚に、一万円かかっても、それで未来の金の卵を買えるのなら、安いものか。
 
 そして、名刺に刻まれた名前は、やはり予想通りだった。
 西園寺美神、『ワークス』プロの、やり手プロデューサー。

「あれ?」
 なんか、あれ?
「名前の上に、代表取締役とか書いてあるんだが」
「うん、社長さんだって。最近、父親の跡を継いだとか言ってたよ。すごいよね。22歳で社長とか」
「うれしくない情報だな、それは」
「知り合いなの? あのひとと」
「直接話したことはないな。『ワークス』プロ自体、ここ半年で浮かび上がってきた元弱小プロダクションだし。ただ、一方的に、恨まれていそうだからな」

 如月千早のスカウトに、もっとも精力的だったのが、彼女、西園寺美神だった。
 三ヶ月、粘り強く説得し、契約まであと一歩のところまで行ったと聞いた。
 それを、たった一時間話しただけの俺が、横からかっさらっていった。

 あれだけで、『ワークス』プロダクションの拡大は、二年は遅れたはず。
 今までは、事務所の力が違いすぎたために、横槍はなかったが、パーティー会場などでは、常にちくちくと彼女からの視線があった。

「執念深そうだったなあ、あの女」

 朔響だけで手一杯なのに、こんなのまで敵に廻すか。

 千早を取り上げられたことは、彼女にとって屈辱だっただろう。
 自分が無能であることを突きつけられたようなものだ。

 さらに、ここで、彼女まで取り上げたら、激怒することは間違いがない。

 いいな。
 ぞくぞくしてきた。
 四方、共に断崖絶壁だが、こんな展開も悪くはない。

「ねぇ、もう焼けたんじゃないの?」
「ああ、そっか」
 串で、焼きイモを包んだアルミホイルを取り出す。

「ミキは、焼きおにぎりね」
「絵理。あったか、そんなの?」
「たぶん、右の奥の方に」
「あるのかよ。ほら。食え」
「焼きいも。おいしい。帰ったらアマゾンで追加注文しよう」
「いいけど、この間みたく、さつまいも味のふりかけとかソースとかはやめとけよ。あれはイロモノだからな?」








 あとがき



 サイネリアがかわいすぎて、生きてるのがつらい。










[15763] stage2 The winner takes it all 3
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2012/10/19 18:57




「やっぱり、ミハエル先生、焼き芋食べないね」

 ミキ、と名乗った少女が、水筒に入れたはちみつレモンを啜っていた。

 都心から外れた森林公園には、昼休みのOLや近所の老人やその孫たちが放し飼いにされている。駅からの利便性もよく、俺たちがいるのはUFOの着陸地点のような芝生部分だった。
 
「まあ、熱いのが悪いんだろ。猫舌って言葉があるぐらいだし」
「そうだね。はふっ、はふぅっ」

 俺の言葉に、彼女が相槌を打っている。

 星井美希。
 14歳ということだった。

 奔放で、つかみどころがない。
 いくつか言葉を交わした印象は、そんな感じだった。
 この年頃の中学生なら、アイドルに憧れてもおかしくはないと思うのだが、彼女にはそんな気もないらしい。本人に聞くところによると、アイドルなんてよくわからないし、めんどくさいから、ということだった。

 ふむ。
 天才肌というやつだろう。
 このタイプは波長が合うかどうかで、扱いやすさがまったく違う。しかしながら、ええと──

「ええい、ボロボロとこぼすな。せっかくの服が台無しになるだろう」
「だって。おいしくて。いつ食べても、焼き芋はサイコーだよね」

 ああ、ただ飲み物にはちみつレモンは邪道だと思うが。
 ──というわけで、俺はコンビニの紙パック牛乳を啜っているわけだった。

「それで、学校はどうしたんだ?
 高校、って、──ああ、中学校だったか。
 ここらへん、学校無いだろう」

 まあ、言っても仕方ないことでもあった。
 俺だって、サボらせる方の人間だから。
 『ギガス』プロは、社長の方針で、アイドルにはなるべく学校に行かせることを基本とはしているにしろ、皆勤遅刻無しとはいかない。
 巷にいるアイドルすべてが、俺の隣にいるひきこもりみたいな環境にいるわけではないから。

「にゃーにゃーにゃーにゃー」
「なうー、なうー、なううなうー」

 絵理とミハエル先生は、猫語で会話していた。
 言うまでもなく通じていないのだろうが、なぜか意思疎通できているような気がしてくるから不思議である。
 
「学校なら、今日は創立記念日でお休み。
 お姉ちゃんがお弁当忘れていったから、届けにきたの」
「お弁当って、コレか? 俺が今食べてるやつ」
 付属の箸で、それを指し示す。
 ピンク色の弁当箱に詰まったおかずとご飯は、もう半分近くなくなっていた。

「うんそれ。
 って、あれ?
 なんでおにーさんがそれ食べてるのかな?」
「さっきお前がくれたんだろうが。
 焼き芋のお礼。
 お腹空いてるならあげるって」
「…………あれ?」

 彼女の動きが止まった。
 締まりのない顔だったのが、眉間に一本、二本と皺が増えていく。
 綺麗な顔が、顎の方からスッゥ──と、蒼くなり始めていった。ガクガクガク、と震度一ぐらいで揺れている。
 

「あれ、じゃないだろ」
「ど、どうしよう。お姉ちゃんに怒られちゃうっ!!」
「どうしようって、謝るしかないだろう。まさか、食べかけを渡すわけにもいかないし」
 ──ちなみに、俺は好物を先に食べる派だった。
 よって、半分といっても、残りは白飯とかたくあんとか、ハンバーグの付け合せのスパゲッティとか、食べかけのニンジンとか、残りはそんなのばっかりで、とても弁当としての体を成してはいない。

 しかし、
 そんな正論で彼女は納得するはずもなく。

「だめーっ!! ミキがお姉ちゃんにお尻ペンペンされちゃうよー。
 わかってる? お弁当なんだよ。代わりなんてないんだよ。
 かえしてよー。かえしてー。プライスレスーっ!!」
「いや、代わりがないっていうか。
 そもそもこれ。全部冷凍食品だろ? 
 コンビニ弁当のがマシな上に、毎日食っとるわっ!!」

 俺に圧し掛かって来る彼女に、必死で抵抗する。
 胸が押し付けられて、息ができない。
 やわらかい肉感が、顔全体を覆っていた。ぼよんぼよんでたゆんたゆんでひどいことになっている。
 やばい。
 このままだと、おっぱいに挟まれて死ぬ。
 他人から見ればうらやましいのかもしれないが、自分がその立場におかれてみればただ情けないだけだった。

「むー、怒っちゃやっ!!」
 というか、もうすでに弁当のことなど意識の端にも上らない。
 目の前の凶悪な胸にばかり意識が集中して、ぽかぽかと殴られて(痛くもないが)、これ、本人も自分がなにをしたいのかがわかってないんじゃないだろうか?


 あの弁当の中身なら、コンビニ弁当を買ってきて、中身だけ移し替えても誰も気づかないはず。そこらへんの妥協点を出そうとしたのだが、あと一歩遅かったらしい。

 







「え? 美希」
「あれ? お姉ちゃん」

 太陽の光が遮断されるように、影が差した。

 聞き覚えのない第三者の声は、そのお姉ちゃんとやら、だろう。
 ちなみに、俺といえば、すでに兵器として通用するような妹の方の胸に遮られて、そちらを伺えない。というか、今の俺は、他人から見てどう見えているんだろう?

 犯罪者一歩手前、
 ということぐらいは自分でもわかる。

「ええと、美希。なにやってるの?」
「う、うん。お姉ちゃん。大変っ!! この人に、お姉ちゃんのお弁当食べられちゃったの」
「は?」
 呆然とする姉。
 うん、気持ちはわかる。
 ──あと事実とちょっと違う。

「あの、どちら様でしょう?」
 
 どうやら、姉のほうは常識人らしい。
 ようやく開けた視界で、困惑している姉を観察する。
 ──たしかに、ミキと呼ばれた少女が、成長するとこうなるのだろう。
 はじめに、細い脚線美に目が吸い寄せられる。
 ヒップラインを通り、そのまま目線を上げていく。
 少女という時期を過ぎ、女性への過渡期へと移行している最中なのだろう。
 歳は20歳を越えたあたりか、体にぴっちりと合ったスーツを着こなしている様は、いっぱしの社会人に見えた。


「──ふむ」

 彼女は、上から下までねぶりまわすようなこちらの視線に、ブルッと、悪寒のようなものを感じたのか、自分の体を抱きしめていた。

「惜しいな。せめて、あと五歳若ければ──」

 ──ガスッ!!

「げふっ!!」
 ──十分に、一級のアイドルとして通用するのに。
 という呟きは、最後までも言わせてもらえなかった。

 ──蹴られた。
 ハイヒールのカカトで。

「へぶっ。へぶっへぶっ!!」

 ──ガスッ!!
 ──ガスガスッ!!
 ──ガスガスガスッ!!


 ──しかも、連続で。
 視界が、右へ左へと弾けた。
 やたらと細く美しい脚が、そのまま凶器に変わる。

「ちょ、ちょっと菜緒お姉ちゃん。そのへんで止めないと、その人死んじゃうよ!!」
「え、ええ。そうね」
「う、うん。わかってくれればいいの」
「そうね。
 ──今すぐ止めを刺さないと。
 ところで美希。そこらへんに手ごろなボーリング球ぐらいの大きさの石とか落ちてないかしら」
「お、お姉ちゃんが、お姉ちゃんがコワれちゃった」
「心配ないわ。ぜんぜん心配ないのよ。美希」
 声が、なにかに取り憑かれたようだった。
「な、なにが?」
「ちょっと考えてみなさい。平日から仕事もせずに、公園に出没したあげく、女子中学生に変態行為をはたらこうとするようなような人間、死んでもだれも悲しまないわ」
「ひでぇ言いようだな、おい」
「ね。見てわかるでしょう? 手に職もなければ、常識もない。勉強もできなければ、友達も少なくて、死んでも嘆いてくれる人もいないに決まっているわ」
「そ、そうなの?」
「そう、美希も、勉強しないと最後にはこんな風になっちゃうかもしれないのよ」
「悪かったな。こんな風で」
「凄絶な学歴社会。
 その厳しさは、とても美希のような娘が耐えられるような生やさしい場所ではなかったの。
 美希は、ダンボールを毛布にして、橋の下で子猫のように震えているの。──助けてお姉ちゃん、という言葉は、誰にも届かずに世間の風に押し流されていくのよ。
 ……そして、誰にも看取られずに、やがて美希は………………いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!」

 美希のお姉ちゃんは、わけのわからないことを叫んだ後で、自分の妄想にのたうちまわっていた。

「なぁ、この姉ちゃんいつもこんな風なのか?」
「そう、だね」

 美希の方をみると、たしかに珍しくもないのか、醒めた目で姉を見ていた。
 ──乾いた瞳に、驚くほど酷薄な光の色をたたえている。それは、かすかな諦め、だろうか?

「というわけで、外は危険がいっぱいだから、もう帰るわよ」
「菜緒お姉ちゃん。お仕事は?」
「早退するわ」
「いいのか、それで」
「部外者は口を出さないで。あと、その弁当箱はもう使えないから捨てておいて」
「ああ、わかった。それで、最後にひとつ聞きたいんだが……」
「なによ」
「いや、そっちの妹の方にな。
 これ貰ったの、どういう経緯だ?」

 俺が右手にひらひらさせているのは、ワークスプロの招待状。
 さっき、密着された際に彼女のポケットから抜き取っておいたものだった。

「それ? 『ワークスプロダクション』の創立三周年記念パーティーがあるから、よければきてくれって。
 ミキは行く気ないけどね。めんどくさそうだし」
「へえ、じゃあ、俺にくれるか。この招待状?」
「いいけど。
 あれ? でも、あの人が誰にも渡しちゃダメって言ったから、やっぱりダメなのかな」
「ああ、それなら問題ない」

 ──本人ごと連れて行けば、約束を破ったことにはならないだろう。

「──さて。
 そろそろ再開してみるか」
 顔を上げる。
「え、焼き芋おかわりするの?
 なら、ミキも呼んでね」
「そんなわけないでしょうが」
「……いや、似たようなもんだよ。
 焼き芋じゃあないけども。

 そろそろ、沈んでいるのも飽きたしな。
 今もどこかで、誰かの音楽が流れている。いつまでも俺だけが止まってもいられない。正直、なにか確信があるわけじゃあないが、

 ──火中の栗を、拾いにいってみるか」
「へえ、そう。勝手にすればいいじゃない」

 菜緒、と呼ばれたお姉ちゃんは、勝手に、パックに入っている干し芋を炙っていた。
 うん、やっぱり姉妹なようだった。















 ワークスプロダクションは、系列という経営システムをとっている。
 むしろ、こちらがアイドル業界における スタンダードなシステムといっていい。
 ──ワークスプロダクションの抱えるアイドルの在籍人数は、たった八人である。ギガスプロの五百人と比べれば、雲泥の差だった。
 それで何故、業界最大の人数を誇るギガスプロと互角にやっていけるかというと、実は不思議でもなんでもない。

 ワークスプロダクションの下に、数十ものプロダクションが『系列』として入っているからだった。
 分かりにくければ、『傘下』、でもいい。
 つまり、事実上ワークスプロダクションとは、この何十ものプロダクションをひとつとして纏めた言葉である。

「あふぅ。なんでそんなめんどくさいことやってるの?」
「便利なんだよ。いろいろと。
 赤字になったら、そこだけ切り捨てればいいし。なにより、買収したプロダクションを直接傘下に加えられるというのが一番大きい。
 いちいちアイドルを引き抜いてきても、新しい雰囲気の事務所の雰囲気に馴染めなくて辞めていく例なんて、珍しくもなんともないからな。系列という方式なら、そのリスクも最小限にできる。まあ、欠点もいろいろとあるが」

 まあ、それ以上に大きいのが、数々の特権だった。
 これこれのオーディションは、この放送局で独占放送をしている。よって、そこと普段、仲のよいプロダクション系列が、そのオーディションに合格しても、仕方ないで済まされる。

「──というわけでだ。こういう会社は、権威が落ちることを嫌って、定期的にこのようなパーティーを開催する。まあ、会社が儲かっているからこそできることでもあるが。
 ここでは知らない人間が九割以上であり、どこの馬の骨が潜り込んでいても、誰も不審に思う奴なんていないはずだ」
「……もしかして、それが言いたかったの?」
「ああ、系列は縦社会だからな。ヤクザの親子関係みたいなもので、直系でもない限り、上に行くことはできない。今日のところは、会長や社長の顔を見るだけでよしとするさ」
「ところで、絵理ちゃんは?」
「あのヒキコモリが、こんな人だらけのところに出てこれるわけないだろ」
「タイヘンそうだね」

 スクエアビルの三階、鳳凰の間では、長ったらしい会長の挨拶が続いている。

「やっぱり招待状がないと入れないな。まあ、今はどこもそんな時代だしな」
「えー、どうするの?」
「どこかで、招待状をもうひとり分調達できればいいんだが」

 言った先から、カメラを持った眼鏡とロン毛のバンダナのコンビが、目の前で警備員に連行されていく。

「まあ、ヤフオクで売りさばかれたようなのは、当然弾かれる、か──」
「いるんだね。ああいう人」
「ああ、A級アイドルを目の前でみるチャンスだからな。──ああいうのがいるから、警備が厳しくなるともいえるが」

 ──今思えば、あずささんに連絡をとってみればよかったかもしれない。
 元、A級アイドルなら、招待状ぐらいは届いていただろう。いや、名前と顔写真を照合される以上、意味もないか。

「むー。おにーさんが、おもしろいものを見せてくれるっていうから、ミキ、眠いのをがまんしてここまで来たんだよ。ミキだけ中に入っても、きっとつまんないよ」
「まったくだ。
 俺も、このまま引き上げるつもりはない」

 ──つまりは、正面突破。
 それしかなかった。
 美希を伴い、入り口へ向けて、踏み出す。

「お客様。招待状を」
「はい、これ」
 美希が招待状を渡す。
 門番の顔色が、わずかに変わった。
 おそらく、なにか招待客に気づかれないよう、細工がしてあるのだろう。招待状ごとに、その客がどのぐらいの重要度かがわかるような。
 横柄な門番の態度が、目に見えてへりぐだったところをみると、星井美希という少女は最高に近いランクだったらしい。
 
 ──なるほど。
 西園寺美神は、よほどこの少女にご執心らしいな。
 なら、その分こっちも動きやすい。

「そちらの方は?」
「付き添いの近所のお兄さんだ」
 
 まあ、嘘はついていない。
 俺の変装のためのサングラスが、なんともいえない怪しさを醸し出している。服装フリーなパーティーであるため、各自格好はフリーダムだった。これよりひどい服装をしている出席者はいくらでもいる。

「招待状がなければ、お通しすることはできません」

 が、

 門番役の黒服は、強情だった。

「なにぃ。14歳のコドモを、こんな得体の知れないパーティーに一人で参加させろなんて、あんたら常識ないんじゃないのか!?」
「いえ、そのために我々が警備しているので──」
「おにーちゃん。サービス悪いよねここ。
 社長さん直々に言われて来たんだけど、もういいや。帰ろっか。別に、ここじゃなくっても、『エッジ』とか『ギガス』とかがあるわけだし」

 美希が、わざとらしく空っとぼける。
 ──こいつ、こういう状況で、妙に頭の周りが早いな。

「少々お待ちください。今、上に確認しますので」
 慌ただしくなった。
 当然だ。スカウト対象が、他プロダクションにみすみす取られるなど、看過できないだろう。

 ──さて、このまま、抜けるか?
「ああ」
 思った以上に、門番の動きが鈍い。
 俺たちの理屈は、それなりの筋が通っている。
この程度なら、すぐにカタがつくと思っていたのだが。
 
 それが通らないとなると、思った以上に、この門番たちには権限が与えられていない──のか?

「仕方ないな」
 美希の右手に目を落とす。
 西園寺美神に電話して、それを認めさせる。(美希が)
 社長本人に電話すれば、気づかれる確率も上がるし、そうなれば追い出されるだろう、なぁ。

 けれど──

 背に腹は代えられない。
 敵の本拠地まで出向いてきた以上、入れませんでした、では済まされない。

「入れてあげればいいじゃない」

 ──助け船は、意外なところから訪れた。

「み、水瀬様?」
「アイドルだろうとファンだろうとスパイだろうと、別にどうでもいいでしょ。入り口で押し問答されてたら、私が中に入れないじゃないの」
「はっ」
 偉そうに門番役に命令を下すのは、美希と同じぐらいの歳の少女だった。
 動作のひとつひとつに、なんともいえない気品がある。
 まっすぐに意志の通った瞳が、彼女の輝きを体現していた。
身につけたパーティー用のドレスと、煌びやかなアクセサリは、総額1000万は下るまい。

 見ただけで、わかる。
 ──間違いなく、このパーティーの主賓のひとりだ。

 美希と共通するのは、人を惹き付ける先天的なものを備えている、ということだった。

「携帯電話や、撮影器具をお持ちでしたら、お出しください。帰る際に、返却致します」
「ああ」
 マスコミ対策だろう。
 これに対しては、後ろ暗いことはなにもないので、素直に門番役の指示に従う。代わりに、番号札を貰う。

「ありがとう。おでこちゃん。ミキ、感動しちゃった」
「いいわ。私も新堂を連れてるもの。……っていうか、おでこちゃんって私のことかコラ」

 新堂と呼ばれた、執事らしき人物を傍らに、少女は会場に入っていった。












「あの娘は、誰だ?」
「この会社の大株主である、水瀬重蔵様の孫、水瀬伊織様です。今年で、たしか14歳だったはずです」
「ふぅん。本人はアイドルってわけじゃないのか」

 ということは、どのプロデューサーの手垢もついていない、ということだ。

 今日のところは──
 人間観察が、最重要の目的である。
 彼女を追っかけ回してみるのも、いいかもしれない。それはそれで、人間観察という目的に適う。

 中に入れば、特有の華やかな雰囲気に圧倒される。
 あくまで身内のパーティーだという括りはあるものの、その顔ぶれは多岐に渡る。
 知っている顔も、決して少なくはない。
 皆、グラスを手に、思い思いに談笑していた。

「ねえ、ミキ。とりあえずなにをすればいいのかな」
「とりあえず、しばらくはおとなしくテーブルのご馳走を食べていてくれるか?」
「む、はむはむ」
「聞いたそばから食ってるのかよ」
「むぐむぐ、なにかむぐむぐ、ミキ、悪いことしてる?」
「いや、別に。食べながらしゃべるな、というぐらいか。とりあえずは」

 料理は、ビュッフェ方式だった。

 そんなことを言われても、わからない………という人もいると思うので説明すると、つまりセルフサービスのバイキングだった。多数の並べられた料理から、用意された皿に適量を取る、一番馴染みの深い立食パーティーの方式である。

 北欧から日本に流れてきた方式であり、北欧といえば日本人が一番に連想するのがバイキングだ、ということで、この立食パーティー方式に、バイキングという名前がついた、という経緯がある。
 豆知識だが。

「食べられない量を取るな、残すのはマナー違反だな」
「あ、ミキそれぐらいは知ってるよ。でも、ついついいっぱい取っちゃうんだよね。これも食べたいし、あれも食べたいし」
「あと、一度使った皿は再利用しないで、新しい皿を使う。これがマナーだ」
「え、逆じゃないの?」
「そういうマナーなんだ。使った皿が多ければ多いほど、マナーが良いとされる場合もある。まあ、日本では一般的じゃあないが」
「ふーん」
「とはいえ、パーティーも後半だし、ロクなもの残ってないけどな。どこでも、寿司とかは一番に無くなるもんだ」
「ミキは、おにぎりがあるから別にいいけど」
「なお、こういったパーティーやら、芸能人の開くホームパーティーは、旬を過ぎたアイドルとかテレビから消えたお笑い芸人とかが出没してたりする。
 ああ、懐かしいなぁ。
 俺たちが『ギガス』で、駆け出しのペーペーだったころは、あずささんの営業で、ヒルズ族とかのホームパーティーとかに招かれたりしてたな。俺と朔で、いろいろと食いまくったもんだ。連中、気前がよくて、寿司職人そのものを呼んでたりしたなぁ、あそこは上客だったなぁ」
「思ったんだけど、おにーさんって、貧乏くさいよね」
「やかましいわ」

 客だし、うるさいことは言われないはずだ。
 それほどにかたくるしいようなパーティーではない。

 そもそも、今時の十代のアイドルに、そんな常識を期待するのは困難だった。
 大抵のアイドルが、料理を片手にグループを作って、学校やスクールでの内輪話に興じている。
 そこらの紳士然としたおじさんに頼まれて、バク転をしているアイドルまでいた。テーブルの料理を持参したタッパーに詰め込んでいるアイドルも。

「ていうか、最後ちょっと待て」
 がしっと、見えた少女の首根っこを掴む。

「はうっ。な、なにがご用ですかー」

 タッパーに料理を詰めている少女が、小動物のようにふるえた。美希よりもさらに年下だろう。
 小学生と中学生の境目ぐらいか。
 
「それ、行儀悪いよ」
 美希が、ぽろぽろと料理をこぼしながら言う。
 ──とりあえず、お前が言うな。

「み、みのがしてくださいー。家では弟たちがお腹をすかせてふるえているんですー」
「ベタな嘘だな」
「さすがに、ミキでも騙されないよ、それ」
「うわーん。信じてくださいー」

 と、真実味がないでもないが、身につけているドレスの値段が矛盾を引き起こしている。
 さっきの水瀬伊織ほどではないが、彼女の身につけているドレスは、レンタルでも十万はするぞ。

「まあ、いいや──」
 キャッチ、
 アンド、
 リリース。
 
「なかなか、変なのがいるなぁ」
「そういえば、おでこちゃんはどこ行ったのかな」
「ああ、水瀬伊織か。っておい、その呼び方定着したのか」

 あたりを見る。
 そう離れていない位置に、いた。

 さすが主賓。
 多くの人垣に囲まれている。
 その多くが、同年代のアイドルたちだった。
 一目で、その上下関係がわかる。

 あれは、
 仲間と言うよりは──

「取り巻き、か」

 よほど、周りに持ち上げられているのだろう。
 印象は、挫折を知らないお嬢様。
 そんな感じか。

「あ、ねぇおにーさん。あそこに、西園寺さんがいるよ」
「ん?」

 西園寺美神。
 視線だけで、人を凍死させるような雰囲気は相変わらずだった。美人は美人なのだが、しばらく見ないうちに、さらにかわいげが無くなっている。
 まるで、限界までに張り詰めた弓のよう。
 彼女の周りだけ、これがパーティーだということを忘れさせるような雰囲気を作り出している。
 
「そこのあなた、なにをしているの?」

 こちらへの問いかけではない。
 さっきの、タッパーに食べ物を詰めている少女に向けての言葉。

「あ、社長。え、ええと、あの──ごめんなさい。家には、お腹をすかせた弟たちが……」
「そんなことを聞いていないわ。なにをしているの?」
「………あうぅ」
「答えられないの? 所属と、名前を言いなさい」
「Fランクの、高槻やよいです。そ、それで──」
「Fランク?
 そう、まあそうね。私が総括している部署にあなたのような常識知らずがいるはずもないものね。
 そもそも、Dランク以上のアイドルしか参加できないパーティーに、どうしてあなたがいるの?」

 彼女の口から出る一言一言が、ナイフのように突き刺さっている

「きついな」

 あれはひどい。
 わざと、答えられないような質問ばかりを浴びせている。
 正直、三年前に千早と話が合った理由が、ようやくわかった気がする。
 あれほどロジカルに物を考えられるなら、そりゃあ千早と話は合うだろう。

「うう、やっぱりミキ、このプロダクション。あまり好きじゃないかも」
「でも、美希は特別扱いされる方なんじゃないか?」
「こんなトコロで特別扱いされても、ミキ、嬉しくないよ?」
「ん、そうだな」
「ところで、やよいのこと。助けないの?」

 隣の、美希の声。

「目立てないからな。今のところ。
 というかな、今のはどう考えてもあの娘が悪い。ビュッフェ方式で、ああやって料理を持ち帰ろうとするのは、明確なマナー違反だ。──やると普通に怒られる」
「でも──このままで、いいの?」

 さて──どうする?

「西園寺社長。社長就任おめでとうございます」

 水瀬伊織が、頭を下げる。
 非の打ち所のない、完璧な礼儀作法だった。

「水瀬さん?」
「Fランクアイドルになんて構ってないで、こちらの話に加わってくれません? やっぱり、主役がいないと話が締まらなくて」
「え、ええ、そうね」

 水瀬伊織が引き連れてきたのは、二十人にも及ぶ集団だった。まさか、この人数の前で身内の恥をさらすわけにもいかない、という判断だろう。
 集団が、やよいの前から去っていく。
 その取り巻きの中のひとりが、肩を落として、とぼとぼと歩くやよいの進行方向に、脚を突き出した。

「あっ」 

 ばしゃり、とグラスが宙を舞う。
 中に入っていた紺色の液体は、そのまま放物線を描く間もなく、ドレスを汚す。

「ごめーん。ちいさくって見えなかったー。ほんとごめんねぇー(笑)」
「う、うん。いいんです。私、平気だから」
 やよいは、倒れたままで、笑顔をつくろうとする。
「うん。そうだよね(笑)。だって、Fランクなのに、平気な顔してここにいられるぐらいだもん。こんなことぐらい、どうってことないわよね(笑)」
「あ、あはは………」

 彼女は、剥き出しの悪意に対して、乾いた笑いを返すしかない。

「洗わないと。落ちなくなっちゃう」

 やよいは、ふらふらと会場を出て、トイレに向かう。
 くすくすと、背中に嘲笑がふりかかっていた。








「やよい。大丈夫?」
「あ、伊織ちゃん」
 やよいが女子トイレにこもって、数分もしないうちに、伊織が飛び込んできていた。

「伊織ちゃん。パーティーはいいの?」
「化粧が崩れたからって言って、抜け出してきたわ」

 おそらくは、そこでのやよいの悪口に耐えられなくなった、という理由もあるのだろう。

「助けて、くれたんだよね」
「まあね。しっかし、慣れない敬語なんて使うもんじゃないわね。どっと疲れたわ」
 伊織が、肩をすくめる。
「ごめんなさい。やよいちゃん。借りたドレス、台無しにしちゃって。私のお給料で、払えるかな」
「そんなのどうでもいいわよ。クリーニングに出せば落ちるわ。まあ、クリーニング代は請求するけどね。540円よ」
「あ、あう。私のお小遣い三ヶ月分ですー」

 演技でもなく、やよいがあわてた。

「それより、転んだんでしょ。ケガないわけ」
「へーき。下が、絨毯だったもの。ごめんね、伊織ちゃんに、迷惑かけちゃって」

「なに言ってるの。友達じゃない」
 本心だろう。
 彼女は、続けた。
「あんな連中より、今はやよいの方が大事よ」
 肩を抱いて、やよいを立ち上がらせる。

「ほら、笑って。
 みんなを、笑顔にするアイドルになるんでしょ。
 アンタが笑ってないと、誰も笑顔になんてなれないわよ」
「え、えへへ。これで、いいかな」
「うん。カワイクなったわよ。
 まあ、私ほどじゃあないけどね」
「伊織………ちゃん」
「私もね、もうすぐお爺さまのお許しが出そうなの。そうなったら、一緒にデビューするって、前から約束してるじゃない。そうなったら、もう無敵よ」
「うん。そう……だよね」
「いい笑顔になったじゃない。
 それでこそ、やよいよ。
 私の可愛さと、やよいの笑顔があれば、Aランクなんてすぐね。
 だから──

 負けちゃダメよ。
 あんな連中。相手にすることないわ。
 そのうち、正々堂々とステージの上で叩きつぶしてあげればいいわ」
「う、うんっ!」
「やよいは、もう帰った方がいいわね。新堂に言っておくわ」
「あ、あの。伊織ちゃん?」
 やよいが、赤面する。
「ん?」
「お願いが、あるんだけど──」
「……ああ、残り物ね。
 タッパー貸しなさい。今は無理だけど、パーティーが終わった後で、いろいろ貰ってきてあげるわよ」
「ありがとう。伊織ちゃん。大好き」
「まったく、どうしてやよいはこうなのかしら」



 声が遠ざかっていく。



「………………………」
「………………………」

 人影がなくなったところで、俺と美希は、清掃用ロッカーから這い出てきた。
 すし詰め状態になってずいぶんと不自由な思いをしたが、それだけの価値はあった。

「あれだな。いい話だな、すごく」
「ううっ! すごくいい話だね。ミキ、感動しちゃったかも」
 
 高槻やよいと呼ばれた少女を、慰めるために隠れていたのだが、俺たちの出番など、まったくなかった。
 それどころか、途中であまりにいい話すぎて、出るにでられなくなってしまっていた。

「でも、おにーさん。口先だけだよね。さっきから、おにーさんなにもしてないよ」
「正面から進むのだけが、戦いじゃないからな。
 ブランドに胡座をかいている相手を、相手の想像もしない方法で、死角から撃ち殺すのが俺の流儀だ。
 しかし、心配だなあのふたり。心配だ心配だ。とても心配すぎる」
「──ええと、なにが?」
「今時珍しいぐらいに真っ直ぐなふたりだが、どこぞの悪徳プロデューサーに喰いモノにされないとも限らないしな。この業界、そんな連中がたくさんいるから、例えば──俺みたいな」
「………………」

 美希の視線が冷たくなっていた。
 呆れてモノが言えないという、そんな感じだった。

「しかし、あのふたりのおかげで、いい感じに情報も集まった。
 喜べ。
 ここから、この会場にいる全員の度肝を抜いてやる。
 
 さて、高槻やよいがこの会場から出る前に仕掛けを打つぞ。俺の言い値で、喧嘩を買わせてやるとしよう」
「あくまだー。せんせー、ここにあくまがいるよー」

 美希はもう、反論する気力も起きないようだった。
 それでも、事態を楽しんでいるのは伝わってくる。

「じゃあ、行くぞ美希。──奴らを、丸裸にしてやる」
「おにーさん。それはいいけど。なんか、言ってることがいちいちヘンタイっぽいよ」

 ………あと、女子トイレで言う台詞でもないよね。
 と、美希が付け足した。



 まあ、もっともだ。



 ──とりあえず俺は、水瀬伊織と高槻やよいを手にいれ、それと同時に、ワークスプロダクションに楔を打ち立てる方法について、美希に説明をはじめた。

















[15763] stage2 The winner takes it all 4
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2012/10/19 18:57

 ビュッフェ方式では、知らない人とテーブルを囲むこともままある。

 披露宴のようにあらかじめ席が決められているわけではなく、好きな料理を皿に盛って、たまたま同じテーブルを囲んだ人と談笑したりするわけである。

 アイドル業界は、まだ蘇って三年、という若いジャンルである。以前に繁栄していたころまで遡るとすれば、ピンクレディーや山口百恵、それに日高舞の時代まで巻き戻ることになる。

 アイドル業界は、
 ──音楽業界とは明確な線引きがされており、音楽業界の作曲家やプロデューサーが、アイドル業界に関わることを、『都落ち』や、『格落ち』といったりする。
 零落していく音楽業界の横で、倍々に成長していくアイドル業界を、羨む気持ちがあったかもしれない。
 それでも、
 基本的にその侮蔑は、ある意味で正鵠を射ていた。
 
 人気先行で、歌も踊りも上手くもない。
 いわゆる、『一発ネタ芸人』と同じような扱い。
 どうやって、このレベルでテレビに出られたのかいう、『一発ネタ芸人』ならぬ、通称『(社長と)一発寝たアイドル』が大量に排出されていった。
 よって、アイドル業界そのものが、『イロモノ』という評価に甘んじていた。(というか、千早がさんざんアイドルになることを嫌がっていた理由は、ここにある)

 ──ここで登場するのが、如月千早だった。
 彗星のごとく現れた、初の本格派アイドル。
 当時、十五歳ながら、本格派歌手にも劣らない歌唱力と、燦然とした経歴は、業界自体の評価を、力ずくでひっくり返した。
 
 それから三年。
 次々と現れる綺羅星のようなアイドルたちに支えられ、政治やビジネス、ファンの思いや、さまざまなしがらみを巻き込みながら、業界自体が肥大化を続けている。
 
 しかし、
 アイドル業界に籍を置くプロデューサーならば、もう一度、業界自体をひっくり返すようなアイドルの出現を心待ちにしているはず。
 エンターテイメントならば、そろそろ──観客は、次の展開を期待する。

 もう一度、アイドル業界に楔を打ち立てる。
 ──そこで、星井美希だった。
 如月千早とは、まったく別の輝きがある。磨き上げれば、千早を超えるアイドルに成長する可能性もある原石。

 それが、──西園寺美神の美希への評価なのだろう。

 で、本人だが──
 美希といえば、さっきから鴨肉を切り分けることに余念がなく、すでに周りの状況など目にも入っていない。

「せめて、聞いてやれ。頼むから」

 美希の頭を引き寄せる。
 正面には、西園寺美神の姿。
 美希がいると知った彼女の喜びは、相当なものだった。三年前に、トンビ(俺)に油揚げ(千早)をさらわれたことが、ずいぶんとトラウマになっているらしい。
 俺としては、ターゲットが目の前にきてくれているわけで、理想的な展開といえる。

「ええと、引率のお兄さんだったかしら?」
 美希を落とすのは諦めたのか、こちらに矛先を向けてくる。

「ええ、近所に住んでます。
 まあ、美希もこんなですからね。これだけの器量があって、なににも生かさないのはもったいないと思って。
 ──でも、こういう業界は怖いっていうから、僕もついてきたわけです」
 我ながら、よくもまあこうペラペラと嘘が出てくる物だと思う。
「ありがたいわ。お眼鏡に叶ったかしら?」
「ええ、まさかここまで大きいとは」

 こういった業界において、ブランドというのは絶大な力を発揮する。

 中小のプロダクションでトップの地位に昇りつめたアイドルがいるとする。数多の幸運と汗に支えられて手にいれた位置があるとしよう。しかし、大手プロダクションの恵まれたアイドルからすれば、そんなもの、ほぼスタートラインと同じようなもの。

 そんな例は、いくらでも聞く。
 それは、急激に成長していったプラチナリーグが生み出した歪みのひとつ。

「何度も使える手ではないけれど、社長である私の推薦があれば、最短でCランクから始められるわ」
「なるほど」

 俺は、食後のコーヒーに粉砂糖をぶちこむ。
 ──いい見立てだ。
 俺が彼女の立場ならば、同じことをするだろう。
 星井美希は、泥の払われていない宝石に等しい。

 ──ただ、輝きの次元が、他のアイドルとは違う。
 ボイストレーニングひとつ行っていない時点で、Cランク程度の実力はあるという判断か。

 この業界のアイドルの総数は5000人近く。
 アイドルグループの総数は、1200程度。
 Cランクまでにどれぐらいのグループが辿り着けるかというと、100あって、20か、30は到達できる。

 ほんの一シーズンだけ、ならば。

 けれど、Cランクを維持できるアイドルとなると、5か、6がせいぜいだった。
 そして、社長の推薦は、一シーズンにたった一度しか使えない。
 ──破格の好待遇だった。
 どうやら、惚れ込んだ才能には、努力を惜しまないタイプらしい。
 
「美希さんの才能は、私が見てきたアイドルの中でトップクラスよ。輝かしい才能を、このまま埋もれさせてはならない。私は、そう思うの」
「ご演説、堪能しました。それでは、次は僕の話を聞いていただけますか?」
「え、ええ──」

 こちらの意図が掴めないのか、彼女が首を傾げる。

「ええと、美希にわかるように説明するとなると──」
 俺は、少し考え込む。
「うん、美希。これ、なんだかわかるか?」

 財布から、一枚のカードを取り出す。

「ふぐ。レンタルビデオの会員カードだよね」
「ん。そうだな。──ところで、これって、とあるコンビニやガソリンスタンドでもポイントを貯められるって、知ってるか?」
「え、そうなの? 不思議だね」
 上手く興味を引けたらしい。
 とりあえず、付け合わせのソースで汚れた唇を、ナプキンで拭いてやる。

「うん。じゃあ、美希。なんでそんなことができるか知ってるか? ああ、西園寺さんは答えないでくださいよ」
「むー。わかんない」

「じゃあ、そこの。ええと、おでこちゃんは知ってるか?」
 後ろにいた水瀬伊織を呼び止める。

「おでこちゃん言うなっ!!
 ──そのカードを使えるように提携してるから。
 っていうかね、ぶっちゃければ全部同じ会社が経営してるトコだからでしょ」
「ああ、正解だ。じゃあ、これを知ってるか?」
「プラチナカード。『ギガス』プロの?」
 答えたのは、西園寺さんだった。

「その通り」
 一言で言えば、用途の広い『ギガス』プロのファン専用のメンバーカードだった。(詳しい説明は、二話前)
 もちろん、無駄に高性能で、
 名瀬姉さんの開発したサーバーシステム、プロメテウスシリーズ、『NEBURA(ネーブラ)』によって、顧客の名前、住所、電話番号、信望しているアイドルグループ、今まで購入した全グッズのリストが、どんどん記録されていく。

「それで、このプラチナカードを、さっきのレンタルカードみたいな用途に使おうって話が出てるんだ。『ギガス』プロダクション的に」
「なっ──」

 西園寺美神は、さすがに一瞬でその重要性に気づいたらしい。

「どういうことよ。それ?」

 水瀬伊織の問いかけ。

「つまりだ。このプラチナカードで、飛行機に乗ったり、レンタルビデオを借りられたり、コンビニでポイントを貯められたりするわけだ」
「いいことじゃない」

 伊織が言う。

「ええ、絵に描いたような好循環だと思うわ。
 提携企業は、今までになかった客層を開拓できる。『ギガス』プロは、大会社の庇護を受けられる。その提携先の企業の看板として、アイドルを派遣することもできるし、いいことずくめね」

 やはり、そう考えるか。
 ──朔も、同意見だった。
 だからこそ、この一点でのみ、意見が対立したわけだが。

「本当に、そうか?」
「え?」
「俺は、絵に描いたような悪循環だと思うけどな。
 実際あったんだよ。三年前の業界の黎明期に。
 あのころは業界全体のパイが小さくてな。たったひとりのファンが、アイドルのグッズやCDに100万も注ぎ込めば、確実に目当てのアイドルをランクアップさせることができた。
 提携先の企業には、消費者金融も入っているし、いろいろな企業がこのカードに、クレジットカードとしての機能を求めるだろうな」
「それが、悪循環なの?」

 さっきから黙っていたので心配だったが、美希はなんとか話についてきているらしい。

「その案が実行されれば、『ギガス』プロダクションは完全に子会社化する。それで親会社が『ギガス』プロに求めるのは、おそらくは単純にアイドルを使って、ひとりでもカードの加入者数を増やすこと。
 ──それだけだろう。
 親会社の重役が、いちいち一アイドルを気にかけるなんて思えない。おそらくは、そのアイドルのファンたちから、いくら金を搾り取れるかを考え出すはずだ。
 ヘビーなファンから先につぶれていく。
 そんな方針は、確実にアイドル業界自体の寿命を縮めることになる。
 あとに残るのは、草一本も生えなくなった荒れ地と、打ち捨てられた数多くの多重債務者だけだ」

 反吐が出るような未来。
 それは、絵空事ではなく、すぐそばまで迫った未来のはずだった。

「あなた──」
 さすがに、気づくか。
 西園寺美神の瞳が、剣呑な光を帯びている。

「むしろ、今までクレジットカード機能がなかったわけ? 個人的には、そっちが不思議だったわよ」
 と、伊織。
「初期案には、そんなのもあったが、俺が却下した。そのときは、プラチナムポイントのインフレを防ぐためだったがな」
 西園寺美神の、片眉が跳ねた。
 ようやく、俺が誰なのか、完全に確信をもったらしい。

「不覚だったわ」
 彼女が、奥歯を噛みしめる。
「まったくだ。あまりに気づかれないから、自分でネタ晴らししちまったじゃないか。
 お前さん。これが舞台(ステージ)の上だったら、俺に三回は殺されてるぞ」
「忠告は、有り難く受け取っておくわよ」
「さて──最後に確認しておくことがある。

 西園寺美神、お前さんは──

 ──俺の敵か?」

 野暮ったいサングラスを外すと、視界がようやくクリアになった。

 彼女は、
 呪いを含むような眼差しで、

「ずいぶんと間抜けな質問をするのね。──金田、城一郎ッ!!」

 ──俺の名を、呼んだ。












「あ、そんな名前なんだ」

 美希が、言わんでもいいことを言う。
 西園寺さんは、美希に一瞬、視線をはしらせると、

「なにが、目的かしら」
「いや。今いったばっかりの理由ですべてだよ。業界全体を自沈させる前に、『ギガス』プロダクションを叩きつぶす。つーわけで、権力がいるんだ。今までに握っていた以上の──」
「ふぅん」
「ぶっちゃけて言えば、ここが一番人材がスカスカそうだったからな」
「──お断りするわ。この会社は、あなたの玩具じゃないの」
 にべもない。
 まあ、正常な神経があれば、そうだろう。
 彼女が、俺が『ギガス』プロダクションで、副社長の朔に並ぶ権力を得ていたことを知っているはず。
 ならば、俺が必要としているのは、それ以上。

 ──社長クラスの権限。
 どこの馬の骨に、そんなものを渡すものか。

 ここまでは、予定通りだ。
 俺は構わず話を続ける。

「俺は、地位がほしい。あんたは、星井美希を手に入れたい。
 お互いにほしい物を握りあっているわけだ。

 なら、正々堂々と、舞台(ステージ)の上で決着をつけようじゃないか。あんたにまだプロデューサーとしての魂が残っているのなら、この話を受けるはずだ。アイドルが自分を語れるのが舞台の上だけのように、俺たちも、自分を語れるのは舞台の上でだけのはず」

 ──千早を説得した時を思い出す。
 相変わらず、安い挑発という奴だ。
 けれど、もうそんなことは問題じゃない。

 彼女の脳裏には、三年前に千早を掠め取られた光景が、延々とリピートしているはず。

「話にならないわね。どれだけ有望だろうと、たかが新人ひとりと、重役の座ひとつ。まるで釣り合っていないわ」
 言葉ではそう言っていても、射殺すような視線が、彼女の心中を代弁してくれていた。
 ──あと、一押しか。

「じゃあ、その分のハンデがあればいいわけだな。リスクを釣り合うようにしてやるよ。あんたはCランクアイドルを使っていい。俺はFランクでいいや」
「なに言っているの。さっき言ったはずよ。星井美希は、現時点でCランク程度の実力はあると──」
「あんたこそ、なにを言ってる。
 美希は賞品だぞ。使えるわけないだろう。あんたが適当に選んでくれ。『ワークス』のFランクアイドルの中から。──俺は誰でもいい」
「なっ──」
 俺の傲慢さを、付けいる隙ととったのか、
 彼女はしばらく考え込む。

「さっき。高槻やよいって子が、会場にいたわよね。探して、連れてきなさい」
 周りの、取り巻きに命じる。
 さて、辺りがざわついてきた。
 おお、釣れた釣れた。

 俺は、俺の描いた設計図通りに進んでいることに、内心拍手喝采だった。
 当然だ。
 彼女の選択は、高槻やよい一択。
 俺がいちいち誘導してやるまでもない。
 いつもなら、フォーシング(相手に選ばせているように見せて、目当てのカードを相手に押しつけるテクニック)ぐらいは駆使するのだが、それさえも必要なかった。

 そもそもは、このパーティーが、Dランク以上のアイドルしか入れないものであること。
 この会場のいるFランクアイドルは、高槻やよいしかいない。ならば、八割方これで決まりだ。
 
 そして、他のFランクアイドルを挙げる可能性。
 これも、実はありえない。
 さっきのやりとりから察するに、西園寺美神は、Fランクアイドルの名前など、ただのひとりも覚えていないからだ。

「私は、『ミラーズ』を使うわ。それでいいのね」
「ああ──」
 さっきの、伊織の取り巻きの中にいたな。
 そんなのが。
 たしか、CランクとBランクを行き来している、16歳の双子のコンビだったか。

「あなたたちも、それでいい?」
「ええ」
「任せてください。社長」
 芦川高菜と、
 芦川雪菜。

 伊織の取り巻きなんだから、そりゃあ後ろにはいるだろう。
 ふむ。
 倒れたやよいにジュースをぶっかけたのが、その片割れだったはずだ。

「ああ、俺はそれでいい」
「………………でも」
 あまりの、こちらの余裕っぷりが、彼女の疑心を煽っているらしい。
 西園寺美神が考え込む。
「高槻やよいが、スパイの可能性、まさか──」
 本当に、その可能性を疑っているわけではない。
 とりあえず、彼女の中で、考えがごちゃごちゃしてまとまらないのだろう。

 ここまでは九割九分上手くいっているが。
、念のためにトドメを指しておくことにするか。

「おやぁ。反応がないなぁ。
 ──ああ、そうかぁ。まだハンデが足りないって言うつもりなんだな。
 仕方ないなぁ。そうまでしないと、俺に勝てないっていうのなら、さらにハンデをつけてやるよ。
 そっちが二人組でこっちが一人だと、バランスも悪いし。でも、ここでさらにFランクを増やしても、ハンデにならないしな。
 ──じゃあ、そこのド素人を加えよう。
 これで、二対二。
 高槻やよいがスパイだとか何とか疑ってるようだが、こいつが裏切ることだけはありえないだろ」
 ──というわけで、
 俺はその『ド素人』の頭をむんずと掴む。

「えっ」
「なっ」
「おでこ、ちゃん?」

 俺が二人目として選んだ少女は、水瀬伊織。
 もちろん、アイドルでさえない。完全な、ド素人だった。

「ちょ、ちょっと。アンタなに勝手に決めてるわけっ!!」

 釣られたまま、伊織が脚をばたばたとさせる。
 本人にとっては寝耳に水だろう。

 そりゃあそうだ。
 言ってないんだから。

 そこへ、入ってきたのは、高槻やよいだった。
 私服に着替えて、会場の約半分近くの視線を一身に受けて、身を縮こまらせていた。

 さあ、主役が揃った。

「水瀬さん。高槻やよいのことは?」
「知らないわよ。こんな子」
 伊織がそっぽを向く。
 事情さえ知っていれば、伊織がやよいを巻き込まないために庇っているシーンだとわかっただろう。
 あくまで、事情さえ知っていればの話だが。

 結局は、そのやりとりが決め手になったらしい。

「──受けるわ。その勝負。
 せめての慈悲に、日時と時間はあなたに決めさせてあげる」
「なんだ。プロデューサーの魂って奴が、欠片ぐらいは残ってたらしいな。
 じゃあ、だいたい一週間後で。詳しくは、後で連絡をする」
「ええ」
「美希、高槻やよいを連れてきてくれ」
「う、うん」
 事態を飲み込めていないやよいを、美希が手を引く。
 俺は、まだ暴れている伊織を脇に抱えこんだ。

 ──さて、あとはボロが出ないうちに退散するとするか。
 まだ騒然としている会場と、殺意のこもった瞳で睨んでいる西園寺美神の視線を受け流しながら、俺は出口へと歩みを進める。
 心地よい高揚感があった。
 今日はよく眠れるだろう。

 けれど──
 会場から、出る寸前に、

「──この、大嘘つき」

 全身の背筋を総毛立たせるようにして、耳に割り込んできた声。
 壁に背を預けているのは、旗袍(チャイナドレス)を着こなした少女だった。
 群衆の中で、ひときわ目を惹く赤が、彼女を特異な存在として成り立たせている。
 ドレスの生地に写し取られた、綺羅びやかな金色の竜が、今にも噛みついてきそうだった。

 そして、意志の見通せない瞳。
 全身から立ち上る覇気。

 これで16歳ということだが、すでに王者としての風格すら感じさせる。
 
 ──ああ、こいつがいたか。
 『ワークスプロダクション』の、五百人近くいるアイドルたちの頂点。

 Aランクアイドルの一角。

「──天海、春香か」
「おもしろそうなことをやっているようね。当日には、是非私も審査員として出席させていただくわ」
「ああ、お願いするよ」
「じゃあ、がんばってね。やよい」
「はい、春香さん。あの、さっきからなにが起こっているのか、さっぱりなんですけどー」
「後で説明したげるわよ」

 伊織が、俺に抱えられたままで言った。

 生涯不敗。
 天海春香を、四文字で形容すると、そうなるだろう。
 なにせ、プラチナリーグで56戦56勝という、常識知らずの戦績をたたき出している。
 如月千早ですら、四戦挑んで、すべて負けている。(ちなみに、千早は79戦71勝)。
 
 本能的に、力の差を嗅ぎ取ったのだろう。
 美希が怯えていた。
 まるで、野生動物が、より上位の生物に平服するように。

「なに、あの人」
 春香の後ろ姿を見送りながら、美希が呟く。

「頂点だよ。
 俺たちが、目指すべき頂のひとつだ」







[15763] stage3 Mind game (心理戦) 1
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/06/22 15:22




「金田城一郎、22歳。
 A級アイドル如月千早の、元専属プロデューサー。
 日本に五人しかいないA級プロデューサーのひとりであり、一月ほど前に、ギガスプロを退社。

 現場からの評判は、概ね最高。
 ファンサブからの評判は、概ね最悪。
 絶対に勝てないような試合をひっくり返したり、絶対に負けないような試合を、あえて落とすような真似をしたり。

 ──この男さえいなければ、如月千早のAクラス入りは、もっと早かった、というファンの評価さえある。

 ただし、先日の如月千早のライブでは、アイドル本人に不調はなかったものの、プロデューサーの違いからか、如月千早のステージでしか感じられなかった熱がない、との意見も多く、金田城一朗のプロデューサーとしての手腕を見直す動きも出ている。
 そういう意味では、まだ評価の出ていないのかもしれない。これから朔響との対比で、再評価が行われるであろうプロデューサーである」

 椅子に腰掛けたまま、安っぽいコピー紙のページをめくる。

「ふぅん。実績自体は、文句ないわけね」

 新堂から挙げられた調査書を読み直す。
 なぜ、この男が私とやよいを指名したのか。
 如月千早のプロデューサーをやっていたほどの男が、なんの下心もなしに私とやよいをプロデュースする、とは考えにくい。

 必ず、なにか裏があるはず。
 ──まあ、単に私があの会場で一番輝いてたからかもしれないけど。

「はぁ──」

 そんなわけも、ないか。
 あまり知られていないことだが、私へのプロデュースの申し込みだって、決して少なくない。
 たった、年に二、三十人ぐらいだけど。おべんちゃらを言いにくる中年どもには事欠かないのだ。
 
 けれど、そいつらが見ているのは私じゃない。
 奴らが欲しいのは、私が背負っている水瀬グループの資金力。そして、それに伴う自分自身の実績。

 舐められているのだ。

 つまり。
 小娘ひとり、簡単に言いくるめられるって。
 どうせ、
 今度も、その手合いなのだろう。

「つまり、この報告書に書いてることを一言で纏めると、今までの実績は全部、如月千早がいたからで、この男の能力じゃあない、ってそういうことかしら?」
「はい。そういうことでしょう。
 ただ、プロデューサーという仕事の評価、その物差しが、どこにあるのかは、私にも存じかねますが」

 背後からの声。
 新堂の声は、いつも等間隔だ。
 彼は、幼い頃からずっとついてくれている、私の世話役なのだが、
 下手な執事よりも執事らしいのがあれだった。

「こんな報告書は、参考程度にしろってことね。
 なによ。結局なにもわかってないんじゃない」

 私は、報告書を背後に放り投げる。
 音がして、そのままゴミ箱に放り込まれたことを教えてくれる。

「そうでもありませんよ。
 プロデューサーとしては、わかりすぎるほどにわかりやすい戦術家タイプですね。結果よりも、ステージの内容を重視する。お嬢様とは、意外に気が合うのでは?」

 どこかおもしろがっているような新堂の台詞。

 考える。
 部屋に閉じこもっているだけでは、なにもわからない。

「仕方ないわね。直接、話してみないと、なにもわからないってわけね」

 私は、自分の部屋の椅子から立ち上がる。

「で、その男はどうしてるわけ?」
「居間で、六時間ほど待たせてあります。今までのプロデューサーたちなら、これで──ほぼ底が計れるのですが」
「怒って帰るようなら三流。
 それでもなお、おべんちゃらを言えるなら二流。
 いきなり私に説教をはじめるようなら、勘違いバカってトコかしら」
「はい」

 頷く。
 楽しくなってきた。
 使用人たちの間では、すでに恒例行事となっていて、お嬢様が今度は何時間で相手をやりこめるかが、賭の対象になっているらしい。

 背を伸ばす。
 左手にウサちゃんを抱きしめて。

 今日も、私、水瀬伊織の一日がはじまる。















「………………」

 いきなり、面食らった。
 居間では、金田城一郎とやよいが向かい合って、接待オセロをしていた。

「あ、伊織ちゃん。遅かったね」
「………………」
 明らかに状況を把握していない、やよいの呑気な声。
 周りを見回す。

 パパの会社の商談にも使われる応接室は嫌な感じに活気に満ちていた。窓からは特別に作らせた日本庭園が一望でき、置かれている調度品は、一級のものがずらりと取り揃えられている。
 灰皿ひとつとってもオーダーメイドで、百万は下らない。

「ねぇ、新堂。最下級の部屋に通しておくように、って言ったわよね」
 むろん、パパはそんなものを作るわけがない。
 どこからチャンスが転がってくるのかがわからないということをモットーにしていて、どんな下請けの中小企業の社長だろうと、この応接室に通す。

 私が特別に地下室を改造させて作らせた部屋は、明かりは豆電球一つ。廃棄された家具を寄せ集めて、年中蜘蛛の巣が張っていて、BGMとして子供の啜り泣く声が聞こえるという、もてなす気ゼロの特別製だった。

 ──、一言で言えば、さっさと帰れということ。

「はぁ、しかし、高槻様がご一緒でしたので、そういうわけにも──」
「ぐっ!!」

 しまった。
 やよいがいた。

「あふぅ。寝心地がいいよこのソファー」

 星井美希が、だらけた姿勢でソファーに横になっていた。
 目の前に出されたケーキとカップ、あとお茶請けが完璧に空っぽになっている。

 突っ込まないことを決意する。
 いちいち突っ込んでいたらキリがない。
 それでも、口の端がピクピクと痙攣するのは、止めようがなかった。

「ああ、来たの? 遅かったわね」

 しかし、もうひとりのほうは、無視しようがない。

 黒。
 扇子を片手に、塗りつぶすような黒の衣装に身を包むのは、意外な客だった。

「で、アンタはどうしてここにいるのよ。──春香」
「ちょっとそっちのプロデューサーさんに用事があって。あと、珍しいものが見られると思って。
 伊織が、グゥの根も出ないぐらい、完璧にやりこめられる光景なんて、一生に何度も見られないと思うもの」

 春香は、ふるふる、と背筋を焼く快感に震えていた。
 この天然超ド級サディスティック少女は、なぜだか私とやよいが知り合う前から、やよいを気にかけていた。
 ──とはいえ、
 知り合ってからはまだ日が浅い。

 『ワークス』プロのトップアイドルでありながら、今の立場にまったく満足も、執着もしていない。
 現在、如月千早に次ぐ、アイドルランク三位。
 彼女には彼女だけの夢があるらしいが、私にそれを語ってくれたことはない。

「あらー。伊織ちゃんって言うの。よろしくねー」
「ああっ!! なんか変なのが一人増えてるしぃぃぃっ!!」

 この中では、新藤を除けば最年長だろう。
 おっとりした感じの女性だった。
 暴力的ともいえるバストのでかさは、どこかの乳牛かと思うぐらいだった。

「三浦あずさです。あずさって呼んでね。伊織ちゃん」

 ──この人、が?

「まさか、こんなところで。往年のSランクアイドルに会えるなんてね。私のAランク入りが、あと半年早ければ、あなたと直接対決の機会もあったのだけれど──」

 驚くことに──
 春香の態度に、いつもの彼女には決してありえないものが混じっていた。
 曇りのない敬意。
 彼女のそれが、どれだけ重いものなのかは、天海春香を知るものにしかわからないだろう。
 
 無理もない。
 三浦あずさの名前は、私だって知ってる。

 歴代で、最高のトップアイドル。
 引退した理由は、未だ公式なメディアの前で語られたことはない。

 Aランク一位の子と、
 二位の、如月千早、
 三位の、天海春香、
 四位の、リファ・ガーランド、
 五位の、菊池真。

 アイドルの頂点、ただ一組のみに与えられる、アイドルマスターの称号が、このAランク五人の誰にも与えられないのは、未だに、三浦あずさの影すら踏めていないから、だという。

「──って、今はそんなことを気にしてる場合じゃないわ。やよい、どうしてこの男とそんなほのぼのとしてるわけ?」
「そんなの、お前が来るのが遅いからだろ」
「アンタには聞いてないわよ」
「そうです。──私は、ここ。じゃあ、次はプロデューサーの番ですよ」
「ああ、嫌なところに置かれたな。確定石が七つもあるじゃないか」
 私のことなんて興味ないという風に。
 この男とやよいの視線は、オセロの盤面に釘付けになっていた。

「待って。やよい。その呼び方?」
「え、この人のこと。この人が、俺のことはプロデューサーって呼べって」
 なんでもないことのように、やよい。

「ん、言ったな。そんなこと」
「だから、ダメだよ。伊織ちゃん。これからお世話になるんだから、ちゃんと挨拶しないと。
 ──って、どうしたの伊織ちゃん。
 いきなり頭抱えてうずくまったりして」

 ダメだ、この娘。
 状況がまったく見えてない。

「なんだ。挨拶もできないのか?
 どんな一流でも、挨拶もできないようじゃあ使い物にならないぞ」
「そうだよ。伊織ちゃん。あんまりワガママ言っちゃだめだよ」
「やよい。アンタこの状況に、なにか疑問とか感じないわけ?」
「え、賑やかになって、楽しいよね」
「そんなんじゃあなーいッ!!」
 バン、と両手をテーブルに突く。
 その音に反応したのか、

「あふぅ。おでこちゃん。今日、なにか変だよ。嫌なことでもあった?」
 星井美希が、眠い目を擦っていた。

「ええ、嫌なことなら目の前に山のように積まれてるわよ。あと、おでこちゃん言うな」
 私は、ずり落ちた身体を立て直す。
 そして、私は、金田城一郎を相手にまっすぐに人差し指を突きつける。

「とにかく、私はアンタのことをプロデューサーとして認めてないのよッ!!」
「えー?」
「あの、ごめん伊織ちゃん。私、すっかり納得してるものだと思って──」
 やよいが、わたわたと手を振る。

「やよい。問題ないぞ。ミーティングに遅刻してくるような奴に、発言権なんてないからな」

 テーブルの上を見ると、なんか本格的に会議していたらしい痕跡が見えた。


 曲、『GO MAY WAY』
 ユニット名、『未定』
 高槻やよい レフト
 水瀬伊織  ライト
 
 金田城一郎 プロデューサー
 水谷絵理  助手
 星井美希  スタイリスト 兼 賞品
 三浦あずさ 演出、ボイストレーナー


 ──勝負当日、必要なスタッフは貸してくれるらしいが、なるべく自分のことは自分でやること。
 元気と挨拶を忘れずに。
 
 ──とあった。

「しかし、困ったな。どうやったら、認めてくれるんだ?」
「………まず、どうして私たちを選んだのか、聞かせなさいよ」
「ああ、別に。
 ただ、お前らとなら、いいステージができると思った。それだけじゃあ、不満か?」
「不満ってわけじゃあないわ。ただ──」
「困ったな。実績は足りてるだろ。もうちょっと感激に震える気はないのか?」
 考える。
 こうなったら、腹を割って話し合おう。
 集めた情報で、気になる点もいくつかあった。

「聞きたいことがあるの。
 アンタ、ファンサブから、随分評判悪いわよね。なんでよ?」
「………意味のある質問だとも思えないが、まあいいや。
 単に、憎まれ役をやってるだけだ。
 だってそうだろ。担当アイドルの調子が悪くても、プロデューサーが悪いからだ、ってなれば、アイドルの評判に傷がつかないからな」
「………………」
「プロデューサーなんてな。結局のところ、悪口を言われるためにいるもんだ。これが逆だったらどうなるよ?
 アイドルが貶められて、プロデューサーの評価ばっかりが上がっていく。
 そんなの、商品価値をドブに捨てるようなものだろ?
 千早だって、俺に言わせれば欠点の塊だ。
 その欠点も全部、俺が悪いことにすれば、アイドルの評価はそれ以上は下がらない。
 
 プロデューサーとしての名前をブランド化して、アイドルの価値を高めるってやり方もあるが、それはあくまで大量生産かつ使い捨てのやり方だ。
 俺の流儀に反する。──とこんなところだが、納得できないって顔だな」

 ──そうだ。
 自分でもわからない。

 決定的な、何かでなくてもいい。
 この人を信じられることが、なにか一つあれば。
 
 自分の情熱、歌への魂、やよいとの関係、それを任せられるような。
 プロデューサーとアイドルとして、理想的な関係でなくていいから。やよいと居る時のような、新しい自分を迷わずに探求できるような、そんな保証が欲しい。

「納得できないのも当たり前よ。
 だって、問題があるのは貴方自身。
 恵まれている人間に、プロデューサーとアイドルの関係なんてわからないわ」

 目をつぶったままで、天海春香はそう言った。

「なん、ですって?
 春香。それどういう意味よ?」
「アイドルが、プロデューサーへ抱く評価なんて、ふたつしかないわ。

 ──最高か。
 ──最低よ。

 どんな無能に見えても。どんな最低の人間でも、自分を使ってくれるプロデューサーは、それだけで最高のプロデューサーなのよ。
 ベテランじゃあなくて、ド新人を使うと言うことは、それだけで一つの賭けなの。伊織、貴方、どれだけ自分が特別だって思い上がっているわけ?

 信頼なんて、そんなものは最初はないの。ゼロなの。誰かを信頼したいのなら、貴方がまずプロデューサーの信頼に応えなさい。
 それさえできないのなら、貴方にはなにを囀る資格もないわ。やよいとユニットを組むって決めたときに、貴方はやよいに助けて貰おうとしたのかしら? 
 やよいのことを助けたいって、この人の力になりたいって、そう思ったんじゃなくて──?」

 それは、誰の言葉だろう?
 春香には、春香の戦う理由がある。
 今の私には、それを思い描くことすらできないけれど、それは私が思っていたものより、

 ずっと重くて、
 そして強くて──────



「それじゃあ、春香もおにーさんにプロデュースされてみるってのはどう?」



 空気を読めていない美希の言葉が、場の空気を一撃で叩き割った。
 けれど、
 そう思っていたのは私だけで。
 Aランクアイドル『女帝』天海春香は、そんなものでは揺るぎもしない。
 

 
「愚問ね」
「愚問か」
「ええ、今も昔も。
 そして、これからも。
 この気持ちを変えるつもりはないわ。あの日からずっと、私のプロデューサーは、たったひとりだけよ」

 それは、春香の決意表明。

「自分を使ってくれたから、か?
 それだけで天海春香ほどのアイドルが、西園寺美神になびく理由がわからないな。
 プロデューサーとしても、社長としても、現時点で、あの嬢ちゃんは俺よりも遙かに下だ。それはわかっているんだろう?」
「──ええ。
 当然でしょう。
 私が憧れたのは、プロデューサーとしての西園寺美神ではなく、社長としての美神社長でもなく、アイドルとしての美神お姉ちゃんだもの」
「え、ええっー。社長って、元、アイドルだったんですかーッ!」
 やよいの悲鳴に近い驚き。
 私も、声こそ出さなかったが、不意を突かれていた。

 春香の語る言葉は、
 自分の原点を確かめるようだった。

「そう、メッセージを届けに来た他に、あとひとつ用事があったのよ」

 春香は、はじめて、明確な敵意を向ける。

 ──視線だけで、大気が軋む。
 灼ききれそうな空間の中で、私はひりつく喉に、空気を送り込む。

「──警告よ。
 あなたが、ワークスプロダクションをどうしようが、私は別に構わない。
 けれど──
 美神お姉ちゃんを悲しませるようなことがあったならば──、私は全力で貴方たちを叩き潰す。
 私の目的も、手段も、歌も、踊りも、魂も、すべてはそのためだけにあるの。
 それは、私がこういう路線で行くと決めた時から、変わっていない。純朴な田舎娘のままだと、目的は達成できなかった。だからね。それに限っては、私はなんの後悔もない。

 『それ』を守れるならば、私の身が、どれだけ穢れたとしても構わないわ。今の地位だって投げ打ってもいい。誰にどんな目で見られてもね。
 
 さあ──

 ──返事を聞かせて貰えるかしら」

 春香の熱情に、私は言葉を挟めなかった。
 おそらくは、彼女の言葉には、一言の偽りもない。
 相手が、私ややよいだって容赦はしないだろう。

 三年間。
 春香にとって、この三年は、ただ、それだけのためにあった。
 だから、私たちにできるのは、ただ虎の尾を踏まないようにすることだけだ。
 
「ああ──」

 金田城一郎が、口を開く。

















「──断る」







[15763] stage3 Mind game 2
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/02/27 21:35




「なんて、言ったのかしら?」
「──断るって言った。二度も、言う必要があるか?」

 ──空気が、軋むような音がした。
 息を呑む。
 どちらも、譲るつもりはないのだろう。

「それは、宣戦布告ととっていいのかしら」
 春香の意志の見通せない瞳に、初めて感情が宿った。
 研ぎ澄まされた、──殺意。

「──いや? ただの忠告だよ。
 その勘違いを、わざわざ訂正してやろうとしてるわけだ。お前さん、少しばかり過保護すぎる。飼い犬なら飼い犬の分を外れるな。飼い主が迷惑するだろう」
 金田城一郎が、天海春香の正面に対峙する。

「プロダクション社長の役割なんてたったひとつ。自分が盾になって、自社のアイドルを守ることだ。
 アイドルに守られるようじゃあ、筋が通らない。
 
 それにどっちみち、あの嬢ちゃんは、一度どん底まで突き落としておかなければならない。──負けても、失うものの少ない今のうちにな。
 今、焼き直しておけば、ちょっとは使えるようになるだろうし」
「………偉そうね。いきなり押しかけてきて、何様のつもりかしら?」
 冷え冷えとした春香の声が、シンとした室内に響く。

「それだけだが。まだ不満そうだな」
「いいえ、確信しただけよ。
 あなたは、どう使っても会社のプラスにはならないし、美神お姉ちゃんの味方にもならない。そうね。あなたのセリフをそのまま返してあげる。あなたは、今のうちに私がたたき潰しておかないといけない。お姉ちゃんに、害を成すその前にね」
 春香は、手にもった扇子で、テーブルの上のバスケットからリンゴをひとつ手に取ると、

 ──そのまま扇子の上に乗せた。
 横回転したリンゴを乗せると、扇子に内蔵された刃が滑るようにリンゴの皮だけを削っていった。
 で。
 ──なんの曲芸なのよ、これ。

「あ、春香さん。食べ物を粗末にしたらダメですよ。というわけで、これは私が有効利用しときますねー」
「やよいズルい。ミキにも半分ちょーだい」
「むー。半分だけですよー」

 こ、こいつらは。
 続けて、やよいと美希は、リンゴ一玉を、ミキサーでリンゴジュースにするか、そのまま直接口に入れるかで揉めていた。

「あなたに、選ばせてあげるわ」
「春香ってば。なにを選ぶの? リンゴジュース?」
 美希が、あまりにも自然に春香を呼び捨てた。
「ううん。春香さんはきっと、素材の味を生かす方向を選びますよ」
「あんたら、本当に空気読めないわね」
 私は、それだけを言うのが精一杯だった。

「さあ、選ばせてあげるわ。
 このリンゴのように、顔の皮を剥かれるのがいいかしら? それとも、素材の悲鳴(あじ)を生かす方向で、爪の間につまようじを差し込まれるのがいい?」
「………どっちも嫌だな」
「まあいいわ。
 一週間後には、ワークスプロダクションの総力を挙げて、貴方たちを迎え撃ってあげる。
 私がいる限りは、油断も、慢心もない。
 それを覚えておくことね」
「ああ、さっきまではあんなに仲がよかったのに」
 シリアスな空気は、あずさの泣き崩れる演技で、一応格好がつく形になった。


「ええと、こいつら、もしかして全員ボケなのかしら? 
 ──ってちょっと春香。
 待って。
 待ってってば。
 このボケどもの中に、私をおいてかないでよ」
















「で、春香ってば結局なにしに来たのかしら?」
「ああ、伊織はいなかったな。一週間後の対決の日取りを決めにきたんだろう。
 さて、日時は一週間切ったわけだ。
 もう一時間も無駄にできないからな、さっさとレッスンを始めるぞ」
「いつの間に、人の名前を呼び捨てにしてるのよ。アンタは。やらないって言ってるでしょうが。
 やよいも、こんなのに騙されちゃだめよ。コイツらは、私たちを利用しようとしてるに決まってるんだから」

「わかってるよ。そんなこと──」

「え?」
「言われなくても、わかってるもの。
 伊織ちゃんが心配してる理由も。

 でも。
 私が、プロデューサーさんのことを信じたいと思ったの。
 私、知ってるよ。
 誰でも良かったんだって。
 社長が、プロデューサーさんを負けさせるために、私を指名したっていうのも知ってる。
 私が勝つことなんて、誰も期待してないんだよね。それもわかってる」
「やよい──?」
「でも──
 それでも、

 夢をみたいの。
 諦められないの。
 私は、もう一度だけ、自分の可能性に賭けてみたいの」

 ──澄んだ瞳だった。
 私がいつか憧れた、そのままの高槻やよいの姿だった。

「伊織ちゃん。私、まちがってるかなぁ?」
 彼女はもう、不安そうな顔はしていない。
 ただ、前だけを見ていた。

「………やよい」
 ああ。
 ──私の、負けか。
一度、こうなってしまえば、やよいは絶対に自分の言葉を翻したりはしない。
 まだ一年にも満たない付き合いだけれど、それぐらいは、私にだってわかる。
 ううん、違うんだ。

 誓ったじゃないか。
 どこの誰が否定しても、たとえ、世界中の誰がそっぽを剥いても、私だけは、やよいの味方でいる。

 それを──

 水瀬伊織が、水瀬伊織自身に誓ったのだ。

 だから。
 本来なら。
 言葉なんて、交わさなくても。 
 私が、最初にやよいの気持ちをわかってあげなければならないはずだった。













「話は纏まったか?」
「まとまったわよ。
 まとまっちゃったわよ。
 まとまっちゃったのよ」

 私は、正面を向いて、前髪をかきまぜた。

 ──ってわけで、私はまったく全然納得できてないけど、やよいの頼みだから、仕方なく認めてあげるわ。──ビシバシいくからね。
 じゃあ、よろしくねプロデューサー。私のかわいさを損ねたりなんかしたら、承知しないんだから」

 不満を残した私の態度が、ほほえましいものとでも映ったのだろうか?
 金田城一郎、もといプロデューサーは、笑いをかみ殺したようだった。

「上手くまとまったところで悪いが、俺は別に誰でもいいから高槻やよいを選んだわけじゃない」
「え?」
「弱い奴を勝たせるのが好きなんだ。強いアイドルじゃあ、あのひりつくような緊張感は得られない」
「根っからのギャンブラーってこと?」
「強い奴につくなんて、そんなみっともないことができるか。と言った昔の偉いひとがいるらしいが、名言だよな」
 私の質問には答えずに、プロデューサーはそう返す。

「それで、これからどうするの?
 レッスンなら、さっさと進めてほしいんだけど」
「それはやるが、その前にとりあえず、天海春香が気にかかるな。どんな手段に出てくるやら」
 プロデューサーが、難しい顔をして黙り込む。
 たしかに、相手の出方が不気味すぎた。
 相手は、まがりなりにも天海春香。
 最悪の一歩先ぐらい想定していて、まだ足りないぐらいだ。

 けど、
 わかってしまえば、なんの問題もないってことだろう。

「なんだ。そんなこと?
 ならまかせといて。水瀬財閥所有の、戦略監視衛星があるわ。人一人をストーキングするぐらい楽勝よ。にひひっ」
「──俺は今、お前だけは敵に回さないことを誓った」

 プロデューサーが、すごく複雑な顔をしていた。
 やられっぱなしだったのが、ようやく一本返せたといったところだろうか。
 こんなことで一本とっても、うれしくもないけど。

「新堂。ってわけで、『IMBER(インベル)』の情報。こっちに廻して。リアルタイムのね」
「かしこまりました」
 控えていた新堂が、ノートパソコンを持ってくる。

 画面が起動する。専用ソフトが立ち上がり、いくつかのウィンドウが、リアルタイムの映像を映す。
 戦略監視衛星、インベルは、正常に起動していた。

「どう? いくら拡大しても、全然ラグもないし、画質もハイビジョン並みでしょ。新聞の見出しだって読めるわよ」
「こ、これがあれば、私でも迷わずに目的地につけるかも」
 背後で、あずさがカルチャーショックをうけているようだった。

「ああ、たしかにすごい、けど。天海春香の居場所なんて割り出せるのか?」
「うちの会社の携帯電話には、ナイショでGPSが埋めこんでるわ。春香の携帯電話のコードはっと──」
 天海春香で検索すると、一件がヒット。

「ほら、出たわ。これは、喫茶店に入ってるわね」
「ってことは、待ち合わせでしょうか?」
「うーん。ってことはだ。伊織、入り口にカメラを固定してくれ。待ち合わせ相手が入って行くにしろ、出て行くにしろ、必ず入り口を通るからな。
 さて、あとは大物が釣れることを願うだけだな」
「春香さんが、本気を出すって、あまり想像がつかなくて。うーん」
 やよいが悩んでいる。
 同感だった。

「あ、歩いてくる怪しい人がいるよ」
 美希の言葉に、画面に食い入るように飛びつく。

「馬鹿な」
 プロデューサーの、声。

 そこに存在していたのは純粋な、驚愕。
 西園寺美神を前にしても、天海春香を前にしても揺らがなかった鉄面皮に、ヒビが入っていた。
 私には、彼がなにを恐れているのかもわからない。


「なるほどな。たしかに、相手にするには最悪の相手か」


 ずいぶんと、含みを持たせた言い方だった。
 その口調に混じるのは、懐かしさに似たようなものだろうか? 
 モニターに映るのは、ロングカーディガンとスキニーデニムを着こなした、背の高い女性。歳は、おそらく二十代の後半。
 一級の女優としても通用するであろうルックス。
 しきりに、腕時計の時間を気にしている様子だった。待ち合わせ、というふうに見える。相手は、やはり天海春香なのだろうか。

「で、プロデューサー。ダレ、これ?」
「尾崎玲子。無所属の、フリープロデューサーだよ。天海春香が、彼女にプロデュースを依頼した、というカタチだろうな」
「フリープロデューサーって、普通のプロデューサーと、なにか違うんですか?」

 やよいが、首をかしげた。
 それは、違うんだと思う。いろいろと。
 具体的に、なにがと言われると、答えられないけれど。

「普通のプロデューサーは、会社から給料が出るが、フリーのプロデューサーの場合は、アイドルに雇われるカタチになる。まあ、給料の出所が違う、ぐらいの認識でいいんじゃないか?」
「はー」
「それで、なんでこの人が天海春香と会っているのか、だが」
 
 びりっ、と。
 画面にノイズが走った。
 
 ざざざ、と画面が砂嵐に変わる。

「おい。伊織。カメラの調子が悪いぞ」
「馬鹿言わないでよ。そう簡単に故障したりするようなものじゃないはずよ」

 私は、手元のパソコンを覗き込む。
 再起動をかけるが、操作を受けつけない。あれ、なにこれ?

「え?」

 画面が回復する。
 さきほどまでの画面はどこかに取り払われて、モニターには、ひとりの少女が映し出されていた。

「フッフッフー。ジャッジャーン。可愛さパラマックス、電子の妖精サイネリア。あなたのお宅にただいま参上デス」
「………………」

 画面に映し出されたのは、まるで妖精を思わせるような少女だった。ゴスロリ衣装が、よく似合っていた。
 左手を交差させて、なぜだか仮面ライダーの変身ポーズを決めているあたり、普通と言う概念からはかなりズレている気がするが。

「あー、うん。そうか。尾崎さんが出てくる時点で、お前も出てくるよな。サンアントニオさんじゃないか。元気か?」
「チガーウッ!! 私の名前はサイネリアっ。っていうか、なんですかカネゴン。そのプロレスラーみたいナ名前はっ!」
「お前、アントニオにだけ反応したろ」

 やはり、というかプロデューサーの知り合いらしい。
 ちなみに、サンアントニオっていうのは、テキサスかどこかの都市の名前だったはず。いや、そんなのどうでもいいのだろうが。

「ええと、サンダーバードさん、でいいんですか?」
「いいわけないでショーっ!!」
「落ち着け、サの字。ハッキングしてまで人の話に割り込んできたからには、なにか話があるんだろ? 
 っていうか、こんなことができるあたり、お前本当に、電子世界の妖精だったのか?」
「用なんかないデス。ただ、運悪くロンゲこと、悪の怪人ダークオザキラー(尾崎玲子)に捕まってこきつかわれてるだけで。
 だから、これからはサイネリアバージョン2。もしくは、ダークサイドに落ちて黒くなった、ダークサイネリアと呼んでクダサイ」

 画面の中の少女は、よよよ、と泣き崩れていた。

「それでダークサイドクロニクルズさんは、なにしてるんだ?」
「相変わらず、人の話を聞かないデスね」
「それより、尾崎さんと一緒にいるんだな。なら、口裏をあわせておいてくれ」
「ナニをですか?」
「今、尾崎さんと会わせたら、絵理は壊れる」
「………………」

 モニターの中の少女の表情が、目に見えて曇った。

「それが、お前の目的にも適うはずだろう。ネット活動とアイドル活動は両立しない。お前も、いまのままの絵理が好きなのなら、このままを望むはずだ」
「そうやって、彼女を腐らせるつもり?」
「ちょ、このロンゲ。いきなり割り込んでこないでよっ」

 サイネリアと呼ばれた少女をどけて、モニターの画面に姿を映したのは、先程から話に出ていた、尾崎玲子だった。

「こんにちは金田くん。ひさしぶりね」

 言葉とは裏腹に、そこに再会を喜ぶような甘さはない。
 口調からも、内面の芯の強さが垣間見えた。もっとも、天海春香がわざわざ呼び寄せるほどなのだ。生半可な相手であるはずがない。



「約束どおり、絵理を迎えにきたわ」









 NEXT→『遠い約束』



[15763] stage3 Mind game 3
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/03/08 20:24





「困ったわね。直すところがないわ」

 これっぽっちも困ってないような表情のままで、あずささんが言う。左手に頬を当てて、思案するような、いつものポーズだった。

 仮組みされたステージの上では、伊織とやよいが弾んだ息を整えている。
 たった今、指定された会場での、ステージリハーサルを終えたところだった。
 この会場は『ワークス』プロダクションの持ち物らしく、本日は俺たちの他には、観客一人いない。
 水瀬伊織が動員したスタッフが、撤収を告げていた。

 いつの間にか、日が落ちている。
 三階席の後ろに設置された壁掛け時計は、すでに夜の八時を指していた。
 仕上がりは、まったく問題ない。

 『ミラーズ』との対決まで、あと五日を残した上で、やよいと伊織のプロデュースは、順調すぎるほどに順調だった。



「どうしたのプロデューサー? なんか湿気(しけ)た顔してるわよ」
「なあ、お前ら。
 伊織はアイドルじゃないからいいとして、やよい。
 どうしてこれだけ歌えて踊れて、Fランクなんだ?」

 課題曲である『GO MY WAY』は、二年ほど前の大ヒット曲であり、アイドル候補生の練習曲としてや、合唱コンクールでの品目としてよく使われる。
 舌っ足らずな子供が、『ごまえー』、『ごまえー』と歌うところが好評で、お遊戯会用、小学生用、中学生用、プロ用、と振り付けが四種類もある。
 アイドルの端くれならば、踊れて当然の曲ではあるのだが、だからといって、難度が低いわけでもない。
 
 いや、
 相当に見栄えを重視した振り付け構成は、どちらかといえば、かなり高度な部類に入る。
 片足立ちでバランスをとったり、かなりトリッキーな振り付けまである上、全身を使ってこれでもかと動きまくる。
 歌いながら振り付けを完全に再現するとなると、けっこうな努力が必要となる。
 
 伊織とやよい。
 実のところ、まったく期待していなかった。
 ここからハッタリを駆使しての、条件闘争こそが唯一戦える手段だと思っていたのだが、思いの外、出来が良い。

 うれしい誤算という奴だろう。
 デュオとしての完成度は、即戦力として通用するほどだった。よほどの努力か、よほどの才能を積み込まなければ、これほどのステージは再現できない。

「いいな。
 きっと、実力以上のものが出てるんだろうな」
「アンタ、こんなときぐらい素直に褒めなさいよ」
「そーですよー」
 伊織とやよいがぶーたれる。

「ああ、悪い。そんな意味じゃない。単純に、褒めてるんだ。
 互いに、パートナーを大事にしろよ。実力以上のものを引き出しあえるパートナーなんて、そう簡単に巡り逢えるものじゃないからな」
「まあ、私とやよいなら当然ね」
「がんばりますよー。
 伊織ちゃんも、プロデューサーさんも、あずささんも、ハイ・ターッチッ!!」
 ぱぁん、と四人で、右手を打ち鳴らす。
 
「で、やよいはこれだけ踊れて、なんでFランクなんだ?
 歌唱力も、味があるし、プラスに働くことはあっても、マイナスにはならないだろ。けっこうかわいいし」
「あ、あうっ………」
 ここまで直接的に褒められたことがないのだろう。
 やよいが両手で顔を隠した。
 両手でも完全に隠れていない顔が、真っ赤になっている。

「え、えーと。人がいっぱいいると、緊張して………」
「ああ、よくある人前で十割の力が出せないタイプか。わりと深刻な問題だな」
「あらあらー、どうしましょう?」
 そこらへんは、あずささんのカウンセリング能力に期待しよう。あがり症といっても、重度のものから軽度なものまでいろいろある。
 アイドルを目指すぐらいだし、俺やスタッフ十人ぐらいに見られるぐらいなら、なんの問題もないことから察するに、それほど重傷ではないはず。

 だが。
 ──場合によっては、これが致命傷になることもあり得る。

「それで、聞きたいことはひとつよ。『ミラーズ』に、勝てると思う? 変なお世辞はいらないわよ」
「今聞いたろ。
 あずささん評価だと、
 『いいけど、ここをこうしたほうが』でDランク。
 『困ったわね。直すところがないわ』でCランク。
 『素敵な音楽ね』で、Bランク。
 『思わず聞き惚れていた』、でAランクだ」
「私たちはCランク? ていうか、違いがわかんないわよ」
「安心しろ。俺にもよくわかってないから。
 まあ、いい勝負するんじゃないか? まだ相手の仕上がりを確認していないが、ただ、Cランクは並みのアイドルにとっての最終到達点だからな。
 このクラスになると、雑魚なんてひとりもいない。なににしろ、ファンを惹き付けるだけのなにかを持ってる」

 化け物(タレント)揃いのBとAランクなど、むしろ最初から除外していいほどだ。

「稼ぐ気になれば、Cランクなら、一日で一流企業のサラリーマンの月収ぐらいは稼げるからな。そこに残ってる連中は、強い上に、しぶとさまで加わっている」
「え、ええと、サラリーマンの月収って、五万円ぐらいですかー」
「馬鹿ね。やよい。五百万よ」
「五十万だ馬鹿どもっ!」
 互いに、変な方向に金銭感覚がズレてやがる。
 
「やよいを見る限り、アイドル業界がそんな儲かるなんて考えられないけど──」
「ん、それができるんだ。ひとり九千円で、握手会とサイン会、あとミニライブを行う。──定員は、三十人だ。
 全部捌くのに、一時間半といったところか。
 ──これを、一日五回廻しでやる。場所を変えてな。
 九〇〇〇×三〇×五=一三五〇〇〇〇ってところだ。
 事務所と折半して、アイドルの取り分は五割。移動代やらスタッフの人件費をさっ引いても、五〇万を切ることはないだろ。
 な、ボロ儲けだろ。この恩恵に与れるのは、アイドル一〇〇人いて、五、六人てところだけどな。Dランクなら、ようやくレッスン料を取り返せるぐらい。EとFならまったくの赤字だ」
「それ──客が集まるわけ?」

 伊織が、懐疑的な視線を向けてくる。

「基本的に、サイン会と握手会なんて、やるのはCランクまでだからな。ここからBランクやAランクまで行くと、サインを入手する機会は、倍率が、何百何千倍の抽選ぐらいだ。
 Aランクまで行くと、そのアイドルのサイン色紙なんて、百万近くで売れる。──ヤフオクで。

 百人のサインを貰って、その全部に九千円払っても、その中のアイドルがひとりでもAランクに昇格すれば、黒字になるって皮算用だ。
 現実としては、そんな上手くいかないけどな。
 客だって、伸びそうなアイドルを厳選する。金とって握手会だけやってるようなアイドルは、最初から昇格の意志なんてない、と見なされ、即、ブラックリスト入り。
 そのままファンを手放して降格するだけだ。──自業自得だが。ファンも馬鹿じゃないし」
「あうあうあうあうあう」
「で、やよいはなにしてる?」
「天文学的な金額が頭の中で踊ってるんでしょ。いつものことよ」
「ごじゅうまんえんあったら、もやしが千個、二千個………商店街中のもやしを買い占めても、おつりがきちゃいますよっ!!」
「そりゃあ、来るに決まってるじゃない」
「まあ、そういうわけだ。
 『ミラーズ』は手強い。お前らと、同じぐらいにはな」
「じゃあ問題ないですね。足りない分は、笑顔でカバーです」
「うん、やよい。良いことを言ったな」
「えへへ」
「すると──やっぱり、プロデューサーの勝負になるか」

 意識を、切り替える。

 尾崎玲子。
 プロデューサーとして、ブランクがあるにしろ、舐めてかかれる相手ではない。
 いくつか清算しなければならないこともあった。

「やはり、会いに行ってみるか。これから出かけるが、おまえらはどうする?」
「私は遠慮しておくわ。帰ってシャワー浴びたいし、偵察なんてセコいこと、私に似合わないしね。そもそも、これはアンタの領分でしょ?」

 水瀬伊織は、さすがというか、行動指針にブレがなかった。
 椅子に腰掛けて、すらりと長い手足を伸ばす姿が、さまになっている。

「やよいはどうする?」
「うう、できれば行きたいんですけど、もうすぐ行きつけのスーパーで、50%引きのシールが貼られる時間なんですよ」

 やよいは申し訳なさそうだった。
 さっきから、チラチラと壁掛けの時計を気にしてたのは、そのせいか。

「そうか。やよいもダメだとすると、美希は?」
「え、行ってもいいよ? おにーさんって、フラれてばっかりでかわいそうだから、ミキがつきあってあげるね」
「ああ、ありがとな。なんか涙がこぼれそうだ」
「うん、ひいよ。ふぐぐぐぐぐぐぐぐ」

 俺はとりあえず、美希のほっぺたを引っ張っておくことにした。







 そして。
 公共バスを乗り継いで、目的地まで到着するまで。

 美希が買い食いすること二回。
 ナンパされること三回。
 同業者らしき人間にスカウトされること二回。

 そんな難関を経て、ようやく地図の場所までついた。

 さびれたプロダクションだった。
 『やきとり』とだけ書かれた居酒屋。平時に営業しているのかと疑問符がつく写真屋などが詰め込まれている土地に、やや目立つようにその建物はある。
 一階は、ただの雑貨屋らしい。
 二階には、大きく看板がかかっていた。

『876プロダクション』

 最近出来た、新興のプロダクション。
 尾崎玲子は、どうやらここの外部スタッフであるらしい。
 えーと、資料によると、登録されているアイドルは、三人だけか。

 日高愛。(13歳)
 秋月涼。(15歳)
 鈴木彩音。(18歳)

 ──待て、日高?
 いや、きっと、ただの偶然だろう。
 
「うわー。ボロいかも」
「そういうな。四大プロダクション以外は、だいたいこんなんだ」

 俺は、統一感のない自販機が並ぶ、すでにシャッターが降りた店の横の、階段に足をかけた。うわ、ボロくて体重をあずけるたびに、ぎしぎしといっている。

「ん、どうした。美希?」
「ねえ、ミキ、アイドルなんてやらないよ。たとえ、おにーさんが負けても」

 西園寺美神との賭けの話だった。
 ああ、次々と変わる状況に振り回されて、忘れていた。

「なんだ。急に」
「わかんない。遠くまできて、急に不安になったのかも」
「そうか。そうだな。それはなんとかする。
 ──誓うよ。
 決闘なら代理人が認められるが、今回のこれはちょっと非道いからな。まあ、仮に俺が負けたとしても、俺のタダ働きぐらいで、契約はまとまるだろう」

 事実、星井美希を『ワークス』プロダクションが囲い込んでいる以上、俺が手を出さなければ、誰も手を出しはしないはずだ。

「だから、なにも心配する必要もない。ただ、楽しんでいればいいと思うぞ」
「そう、かな?」

 虚ろな瞳。
 一度だけ、こんな彼女を見たことがある。
 たしか──
 そうだ。
 彼女と初めて会った時、別れ際に姉を見る、感情のこもらない酷薄な瞳の光。

 ──それが、まるで泣いているように思えた。

「ねぇ。なにかに夢中になるって、どんな気持ちなのかな」
 美希は──
 笑った、のだと思う。

「楽しかったり、胸が熱くなったりするの?」
 疑問。
 子供が、母親に聞くようなものだ。

「悔しかったり、そのせいで夜眠れなかったり、泣いちゃったりするのかな」
 意外だった。
 星井美希に、悩みなど似合わない。
 短い付き合いだとしても、ずっとそう思ってきた。

「ミキは、きっと幸せなんだと思う。
 練習してないのに、運動会で一等以外とったことないし、ラブレターやラブメだって、少ない日でも一日十通はもらうよ。勉強はニガテだけど、それで困ったことなんて、今までで一度もないし。

 ……これって、幸せなことだよね。
 家族もみんな仲良しで、ミキの言うことはなんでも聞いてくれて、友達だっていっぱいいて、きっと足りないものはなにもないの」

 思春期という奴か。
 行き場のない悩み。
 彼女は──自身に芽生えた、まだまっしろな気持ちに、どんな名前をつけるのだろう?

 ──贅沢な悩みだと、切り捨てるのは簡単だ。
 お前が一生をかけてでも出さなければならない答えだと、正論を言うことなら、誰だってできる。

 きっと。
 彼女が求めているのは、そんな答えじゃないから。

「それは、たしかに許せないな」
「だよね。この話すると、みんな引いちゃって。だから、うん。忘れていいよ」
「違う。
 俺の前で、そんなつまらなそうな顔してることが許せないって言ってる」
「え?」
「そういう奴には、ちょっと無茶をしてでも笑顔になってもらわないとな」
 俺の言葉を、美希は本気にはしなかった。

「だって、おにーさんにはなんの関係もないよ。ミキ的には、ちょっとした悩みだし」
「たしかにまあ、なんの関係もない──あれ、あるな」
 俺は首を傾げた。
「──あるの?」
「ああ、あるな。
 俺はプロデューサーである前に、エンターテイナーだ。あいにく、俺の選んだ生き方だからな。こればっかりはどうしようもない。つまらない顔をしている奴が許せないんだ」
「その生き方、疲れない?」
 ちょっと本気で心配された。
「そんなことは、考えたこともないな。
 ──美希。
 つまらなくなったら、俺の隣にいろ。
 それなら、手の届く範囲で笑わせてやる」
「………………………」
 美希は、呆然としていた。
 その後で、「あは」と、小悪魔じみた表情で、こちらの顔を覗き込んでくる。

「………もしかして、口説いてる?」
「そういうセリフは、あと数年してから行ってくれ。じゃあ、行くか」
「そうだね」

 いつまでも、話しているわけにはいかない。

 876プロダクション。

 ──さて、なにが出てくるか。









[15763] stage3 Mind game 4
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/04/22 21:13








 876プロダクション隣の居酒屋のメニューは、手羽先が一級品だった。
 辛みと塩のバランスが絶妙で、これを酒の肴に、ビールがいくらでも飲めそうだ。チェーン店とは違う、個人経営の居酒屋である。壁もボロボロと剥げかけているし、畳にも汚れが目立つ。
 まあ、落ち着くといえば落ち着く。
 街に必ず数件はある、昭和の匂いを色濃く残した居酒屋である。

 尾崎玲子との一年ぶりの再開を祝う意味で、876プロダクションに残っていたアイドルを連れて、ここで一杯ひっかけることになった。
 美希といえば、テーブルの上のカセットコンロの火を調節して、鍋が煮えるのを待っている。豆腐やら水菜やらキャベツやらもやしやら肉団子やらが、辛味噌と一緒に、ぐつぐつと食欲をそそる匂いを放っている。
 辛味噌鍋は、ビールと合う。
 いくつか年齢を重ねなければ分からない、世界の真理である。

「はっ、カネゴンは年寄り臭いデスねっ」
 そんな俺に、横から茶々をいれてくる声がひとつ。
「……ああ、一気に酒がまずくなった。なんで仕事でまで、お前の顔を見なきゃいけないんだ」
「ふぎぎぎぎっ!! 痛い痛いッ!!」

 俺はテーブル越しにサイネリアのおさげを引っ張ってやる。
 彼女はいつものムービーチャットの画面越しではなく、ちゃんと俺の目の前に座っていた。
 この娘、電子生命体の一種かと思っていたが、ちゃんと実体もあるらしい。
 なお、昭和の雰囲気漂うこのボロっちい居酒屋に、彼女のゴスロリ姿が浮きまくっているが、そんなことは別に言わなくてもわかるだろう。

「髪を引っ張らないでクダサイよっ」
 876プロダクションに、鈴木彩音(すずきあやね)の名前で登録されている彼女は、そう呟いた。
 ──本名がマトモだ。
 たしかにサイネリアなんて名前でデビューするアイドルなんていない。ユニット名じゃああるまいし。
 まあ、こいつの歳が、18歳だったのは意外だったけれど。
 まさか絵理より3つも歳上だとは思わなかった。

 俺より4つ下なだけか。
 年齢を排したつきあいができるのもネットのいいところなので、まあいいか。

「こんな時間に未成年を連れ回すのは、労働基準法に違反してると言おうとしたが、18歳ならいいのか別に」
「むしろ。そちらの方が問題じゃない?」

 尾崎さんが、美希を示して見せる。

「いや、美希はアイドルじゃあないからいいんだ」
「え、そう。じゃあ、なんなの?」
「釣り餌。ワークスプロダクションを食いつかせるための」
「あなたは、またロクでもないことを」
「あー、おにーさんは、みんなにロクでもないことをしてるって言われてるね」

 鍋が食べ時になった。
 辛みで、ほどよく赤く染まった鍋から、よく煮えた具を取り出す。

「あと、鈴木さん。夜遅いんだから、脂っこいものは控えなさい」
「鈴木ってゆーなっ!! 言われなくても、手羽先は全部ロン毛にあげマスよ。はっ。ロン毛の体重が、マッハでやばげデスね?」
「う」
「酒ばっかり呑んでるから、肝臓がフォアグラになるんデスよ。ほらほら、注いであげるからビールをタプーリ呑むとイイデス」

 サイネリアが尾崎さんのグラスにビールを注ぐ。あ、尾崎さんが落ち込んでいる。相変わらずこの人のメンタルは豆腐同然だなぁ。
 このふたり、仲がいいのか悪いのか。

 美希の方を見てみると、他の876プロダクションのアイドルと話し込んでいた。日高愛。それに秋月涼。あちらはあちらで仲良くできるのはいいことだった。

「インターネットって、なにかしら?」
「なんなんだか、急に?」
「絵理と、それに鈴木さんとの距離の取り方が、どうもわからなくて」
「……インターネットってのいうのは、ただの場所だろう。それ以上でもそれ以下でもない」
「デスね。遊び場デス」
「そうなの?」
「それは尾崎さんのほうが、よくわかっていると思う。想いが伝わりにくいとか、誤解が生じやすいとかあるけど、そんなのはあると思うけど」
「そう」
「天海春香の提案に、どんな話をされたんだ?」
「──ただの取引よ。あなたとの対決に勝てば、ワークスの専属プロデューサーにしてくれるって。そう、すれば、もう一度やりなおせる。胸を張って、絵理を迎えにいけるわ」
 重い。
 ── 一気に、話が重くなった。
 彼女は、死にものぐるいで、この条件を勝ち取ってきたのだろう。
 昔から、この人は、仕事のない絵理を助けるために、一社一社に営業周りを欠かさなかった。才能でも人脈でもなく、地道に足で仕事を稼いでいた。

「サの字も、同じ意見か?」
「当然デス。センパイを引き戻した暁には、センパイと新ユニット『Viola』を結成するんデスよ。むしろ、最初からそういう約束だったのに、このロン毛がやるやる詐欺を」
「だったら、いまは絵理よりもあの『ミラーズ』のふたりのことに注目したほうがいいだろう。当面、プロデュースするのは彼女たちなんだから」
「心配ないわ。彼女は彼女たちなりの目的があるらしくてね。レッスンは真剣よ。あなたこそ、水瀬伊織と高槻やよいはいいのかしら。素人をそのまま出したって、『ミラーズ』のふたりには勝てないわよ」
「そうだな。考えておく」








 終電の時間前に、酒盛りは終わった。
 尾崎さんは代行を使って帰るらしい。俺は俺で美希を送っていかなければならない。帰りの駅のホームで、酔った身体を醒ます。

「大丈夫? 負けたほうが、絵理ちゃんのためになるんだよね?」
「そうだな。けど、馴れ合うつもりなんてない。いまさらそんなことで悩むぐらいなら、この仕事そのものをやっていないからな」

 アルコールのせいなのか、自分が饒舌になっているのがわかった。

「しかし、やっかいな相手だ。いくらか手の内は割れているし、プロデューサーとしての力量も確かだ。勝たないといけない理由を抱えているやつは、恐い」
「うん」
「勝つことだけなら、できるはずだけどな」
「そうなの?」

 美希が首をかしげた。
 
「いくら強敵だといっても、水谷絵理を抱えていない尾崎玲子なんて、そこいらの凡百プロデューサーと変わらない。あとは、如月千早を抱えていない金田城一郎が、どこまでやれるかの話だ」
 
 それよりも──
 問題は他のところにあった。なぜ、天海春香が絶対に負けられないような勝負で、尾崎玲子を引っ張り出してきたのか。

「それより、天海春香に、こちらのアドバンテージを即座に消されたのが痛いな」
「あふ。どういうこと?」
「そうだな。美希。おまえの中学校が、都内でも最大級の不良高だとしよう。そこらの生徒がヒャッハーと奇声を上げながら暴れ回っていて、まったく教師の言うことを聞かないような」
「いきなり、すごい例えだよね」
 そもそも中学校なの、高校なの、と美希は言う。
「クラスごとにガキ大将が闊歩しているような感じだ。さて、おまえがこのクラスを牛耳ろうと思ったら、どうする?」
「えーと、どうするって言われても。ひとりひとり番長を倒していく、とか?」
「それで、だいたいあってる。喧嘩を売ったからには、強いヤツを引きずり出さないと意味がない。俺がやりたいのは、素人同然のアイドルをプロデュースして、恵まれている環境のアイドルを打ち倒す。
 ──その図式だ。外様に勝っても、何の自慢にもならないのが辛いところだ」
「骨折り損のくたびれもーけ?」
「ああ、ワークスで一番のプロデューサーは、藪下幸恵だ。あれが出てくるのが理想だったんだが、うまくいかないな」

 ──と、ここまでの記憶はあった。
 飲み会での記憶があっても、どうやって帰ったのか記憶がない、というのはよく聞く話だったが、俺もたしかにそれに倣っている。
 気づいたら、アパートの一室だった。

「金田さん、お酒くさい?」

 絵理がいた。
 そういえば、深夜は彼女の活動時間だった。
 この娘、一日の半分を寝て過ごし、夕方に起き出し、深夜に散歩に出かけて、朝方寝始める。彼女はネットの世界を探索し、気に入ったものをアマゾンでポチッっている。

 なんか、どっかで見たような生活スタイルだと思ったら、思い出した。
 実家で飼ってた犬がこんな感じだった。

 今から、半年前に。
 
 水谷絵理というアイドルがいた。
 才能は、破格だったといっていい。
 Aランクは無理でも、Bランクまでは到達できただろう。アイドルクラシックトーナメントの優勝を目標としていて、それだけの実力はあったと断言できる。ビジュアルや歌だけでなく、クリエイターとして広範囲に展開される才能は、ファンの間で、今でも語りぐさになるほどだ。

 だが、ある日、突然に、彼女の担当プロデューサーである尾崎玲子は、彼女の目の前から消えた。

 そうして、同時に、水谷絵理は終わった。

 俺が彼女に会ったのは、そのすべての出来事が終わってからだった。
 俺も、事態を全部把握しているわけではない。
 いや、むしろ、ネットで話題になっている表面的な噂程度しか知らない。尾崎玲子に会わせるべきなのか、それさえもわからない。

 けれど──

『行かないでください』
『傍にいてください』
『……私を、見捨てないでください』

 今なら、ほんのすこしだけ、尾崎さんの気持ちもわかる気もする。俺は俺の夢のために、千早を切り捨てざるを得なかった。
 尾崎玲子の場合、いったいどんな葛藤があったのか。

「……金田さん。なにか、隠してる?」
「ん、そんなことはないぞ」

 危ない。
 絵理の勘の鋭さを、甘く見るべきじゃあない。
 ああもう、こういうの苦手なんだよなぁ。

 ──勝つ、俺にはそれしかできない。

 あまり多くのことを抱え込むと、パンクしてしまう。
 ひとまずは、高槻やよいと水瀬伊織。

 今は、このふたりの夢を叶えるのに、精一杯だった。
 






[15763] stage3 Mind game 5
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/04/27 10:55






 ワークスプロダクションの歴史は浅い。
 
 今でこそ、伊織の実家である水瀬財閥がスポンサーにつき、ギガス、エッジ、ブルーラインと並ぶ四大プロダクションのひとつに数えられるが、そこまでの道は決して平坦なものではなかった。

 四つの事務所のうち、もっとも小規模ではじまり、四大プロダクションに名を連ねた順番も最後である。ワークスプロダクションが、どこにでもあるような弱小事務所だったころは、オフィスを借りることすら満足にできなかった。
 結果──それでどうしたかというと、他のプロダクションや会社と入居料を折半し、オフィスを四等分して使っていた。

 万事が万事その調子だったから、徐々に経営は傾いていき、名の売れてきたアイドルは余所の事務所に引き抜かれていき、最後にはアイドルはたったふたりしか残らなかった。

 天海春香と、小早川瑞樹。
 ふたりに、アイドルの素質だけは十分にあったのは、まだ救いだったろう。
 しかし、その市場に商品を放り込むまえに、芳しくないワークスの財政に、トドメを刺すような出来事が起こる。

 ワークスのプロデューサーを騙る男が、アイドル志望の女子高生に淫行を働くという事件が起こる。抱かれれば、アイドルとしてデビューさせてやるという口約束だったらしく、騙された女子高生の訴えと、ワークスからの被害届で、犯人はすぐにつかまった。

 しかし──そこからが問題だった。
 犯人は同じオフィスに入っている会社の社員であり、ワークス社員の机から、スカウトのために控えておいた名簿を盗み見て、獲物を物色していたらしい。なにせ、名簿には電話番号のみならず、顔写真までついている。ソレ系の人間から見れば、宝の山にすら見えただろう。
 うかつすぎる。
 ワキが甘いで済むような問題ではない。

 その事実を週刊誌にスッパ抜かれ、操業停止こそ免れたものの、ワークスプロダクションの、もともとそれほど高くもない評判は、地の底に落ちた。広いようで狭い業界である。
 再起不能。
 事務所は、たちまちに倒産の危機を迎える。もはやどうにもならない。

 しかし、当時の社長は、ここから逆転の一手に出る。
 自らは身を引き、自らの後身に元アイドルを指名したのだった。社長が女性なら、淫行問題の風当たりは弱くなるし、事務所のイメージもこれ以上汚さなくて済む。
 ここまで言えば、あとは言葉を重ねる必要もないと思うが、そこで白羽の矢を立てられた元アイドルというのが、西園寺美神である。彼女のビジュアルも相まって、ワークスプロダクションはギリギリで持ち直す。

 今でも現役のアイドルとして、なんとか通用しそうな歳の彼女が、社長に収まった経緯は、まとめるとこんなところだった。

 ──で。
 彼女の社長就任は、倒壊するワークスプロダクションを支えるつっかえ棒ぐらいにはなった。
 オブラートに包まずに言うと、あまり役には立たなかった。
 しかし──天海春香。小早川瑞樹。それに水瀬グループの支援もあって、ワークスプロダクションはここから業績を伸ばしていく。

 そして──

 時間を現代に戻す。
 今のワークスプロダクションは、その当時の勢力図を、そのまま維持している。社長の西園寺美神。副社長の藪下幸恵。そして、ワークスプロダクションのアイドルは、AからFまでのアイドルをすべて数えて、約五百人ほど。
 そのうち、Dランク以上ともなると、二百人やそこらだろうか。

 この二百のうちの約八割。
 つまり──百六十人ほどが、ワークスの三大派閥のどれかに属している。


 つまり、天海春香。
 それに、小早川瑞樹。
 そして、水瀬伊織。

 
 三人の派閥。
 このなかのどれか、──である。


 内訳は、BランクアイドルとCランクアイドルを中心に、天海春香が三十人ほどを集め、小早川瑞樹がグラビアアイドルを中心に、四十人。Cランクアイドルの残りと、Dランクアイドルを中心に、水瀬伊織が九十人ほどを統括している。

 そして、ワークスプロダクションにおける、最大の異質さは、この三大派閥にこそあった。ある一定以上のアイドルが集まれば、必然的に派閥が生まれる。
 ワークスの場合、利害でもなんでもなく、三人ともが自らの誇る絶大なカリスマによって、所属するアイドルたちの信頼と畏敬を勝ち得ている。対抗意識はあっても、深刻な衝突まではない。
 もとより、それぞれランクで派閥がだいたい決まっているので、仕事におけるトラブルも起こりにくい。

 天海春香と小早川瑞樹は、一度どん底を経験している。自らのプライドにかまけて、プロダクションの利益を損なうような真似はしない。水瀬伊織も、当然そんな馬鹿ではない。

 この三大派閥は、ある意味、理想的ですらあった。

「と、こんなわけだけど、アンタみたいな外様の入る余地はないんじゃないの?」
「余地がないなら、こじあけて作るまでだ。大した問題じゃない」
「大した自信ね」
「うううっ、責任重大かもです」
「なに言ってるのやよい。負けたところでこのプロデューサーひとりが、いつもどおり道を踏み外すだけよ」
「伊織。そこでいつもどおりとか言うな。まだ会って一週間だろうが」
「そうね。目の前の人間がどのくらい腐っているのか知るには、それなりに適当な時間じゃない」
「まあ、そんなものかな」
「ええと、プロデューサー。腐っているのは否定してほしかったような……」

 俺と伊織とやよいは、レッスンスタジオの一階にいた。
 すでに一日も無駄に出来ない。昨日、尾崎さんとの再会を祝った後、軽く寝たあとで、アルコールが抜けきらないままこっちに直行してきたのだが、なぜか太陽が真上にあった。不思議だなぁ。
 ──笑い事じゃない。
 絵理が移ったかもしれん。
 ふたりは俺がいない間も、きちんと自己レッスンを続けていたらしく、額に珠のような汗が光っていた。
 ふたりに、自販機で買っておいたジュースを渡す。
 伊織はオレンジジュースを、やよいはコーラを取った。
 天海春香は断りも入れず、俺の分の健康飲料を勝手に飲んでいた。

「………………」
「………………」
「あ、春香さん」
「こんにちはやよい。相変わらず元気いっぱいね。そっちのふたりは、アホ顔を並べてどうしたの?」
「いきなりどこからか沸いてきて、最初に言うことがそれ?」
「いいじゃないの。ごきげんようこんにちはなんて挨拶する間柄じゃないでしょう。私とあなたは」
「いいからまず用件を言いなさいよ。わざわざ呼び出しておいて」

 そうなのだった。
 今日のところは、伊織やよいとミラーズの、対決の子細を決定するために呼び出された。

「ええ、対戦相手はそのまま『ミラーズ』の雪菜高菜ペア。担当プロデューサーは、尾崎玲子。ここまでで、なにか質問は?」
「これ、元々は西園寺美神と俺の勝負だったはずなんだけどなぁ。その西園寺社長は反対しなかったのか?」
「お姉ちゃんが、反対? したわよ。それがどうしたの?」
「──で、お前が勝ったのか?」
「ええ、だって尾崎玲子ともう契約を結んじゃったもの。お姉ちゃん、違約金の額に泡を吹いていたわ。お姉ちゃんの薄給じゃあ払えるはずがないものね」
「ええと、あの人、社長だよな」

 尾崎さんはフリーのプロデューサーなので、彼女の給料は天海春香個人が出しているはずだった。普通の事務所で抱えるような派閥トラブルがない代わりに、周りの人間はこうやって被害を受けていくわけだ。

「それじゃあ──細部を詰めましょうか」

 揺るぎもせず、天海春香は言った。








「ルールは、プラチナリーグ公式の投票制。
 五試合やって、三試合を先取したほうが勝ち。それで決着が付かなかったら、延長戦になだれ込む。引き分けはなし。
 審査員は、三浦あずさ、天海春香、あと一般審査員が十人。投票数で、三ポイント以上の差がつけばそっちのユニットに一勝が入る」
「二ポイント以下なら、どーなるんですか?」
 やよいの質問。
 俺はルールをまとめたメモに視線を落とす。

「引き分けだな。どっちにポイントは入らない。
 ただ、柔道の有効と同じだ。『一本』には勝てないが、最終的に、どちらも三勝を挙げられなかった場合、最終的にポイントの多い方の勝ちとなる」
「それ、泥仕合になりそうなルールね」
「それが目的だからな。そこは、俺が押し通した」
「それでいいわけ? 大物喰い(ジャイアントキリング)の鉄則は、短期決戦でしょ」
 伊織の指摘は、鋭いところをついていた。
 ジャイアントキリングは、元々サッカー用語であり、格下のチームが格上のチームを打ち破ることを指す。

「別に、今回は格上が相手というわけでもない。なら、プロモーションの時間は多い方がいい。手持ちは、八曲だったか。俺のプランなら、なんとか間に合うだろう」

『GO MY WAY』
『私はアイドル』
『ふたりのもじぴったん』
『おはよう!! 朝ご飯』
『i』
『HERE WE GO』
『ドューユーリメンバーミー』
『メリー』

 以上、八曲。
 すべて、他のアイドルと歌手のカバー曲だが、未だプラチナリーグで一勝も挙げていない非公式ユニットが、これだけのレパートリーを持っているのは異常だった。
 
 努力だけは、人並み以上にこなしているらしい。

「それで伊織。報告だが、この条件を通す代わりに、あっちからの提案があった。あっちが勝ったら、美希だけでなく、伊織──おまえも欲しいってな」
「ああ、やっぱり?」
 あれ、反応が違う。
 勝手にそんなことを決めて、なに考えてんのよ、と罵声の速射砲を浴びるぐらいは覚悟していたのだが、伊織にとって、それは予想の範疇だったらしい。
 
「もしかして、ミラーズと伊織って、仲がいいのか?」
「え、なにその質問。だって、その『ミラーズ』っておでこちゃんの取り巻きだったんでしょ?」
 と、いつのまにか合流している美希からの質問。

「C級アイドルはなぁ、売り出し駆けのD級アイドルの次に態度が悪いからな。変にプライドが高くなる時期なんだ。
 ──ってわけで、権力を笠に着るようなお嬢様は、内心舌を出されてる、というのがイメージだったんだがな。実のところ、さっきミラーズの片方に会ったんだが、伊織さんのプロデューサーだからと、すごく丁寧に挨拶してくるんだ。本気で慕われてるみたいでな」
「アンタ、そこはかとなく、すごい失礼なこと言ってるわよね」
 そこに、怒気はない。
 ──代わりにあったのは、困惑か。

「なんか、ホントに慕われてるみたいなのよね。私」
 伊織は、複雑そうな顔をした。
 苦笑いだった。

「なんかやったのか?」
「別にたいしたことはやってないわよ。
 あの子たちがEランクの時に、横暴なDランクアイドルにいじめられてたから、助けてあげたのよ。まあ、ついでに宝くじで当てた一億円で、気分転換にって、ショッピングに付き合わせたあたりかしら、あの子たちの態度が変わったのって」
「………一、億?」
「まあ、二時間で全部なくなっちゃったけど」
 水瀬伊織の感覚は、庶民からかけ離れすぎていて、訳が分からない。こいつ、カリスマのみならず、常軌を逸した幸運まで備えているらしい。

「いや、一億って、なにに使ったんだ?」
「え、宝石よ。店で、ショーウィンドーを指さして、ここからここまで、一億円で買えるだけちょうだいって」
「あ、あわわわわわ」
 初耳だったのだろう。
 やよいが、口からエクトプラズムを吐いている。


「もったいなくないか。それ?」
「どうして? 欲しいものを買ったんだから、もったいなくないでしょ? 高菜と雪菜も同じ質問をしてきたけど、わけがわかんないわね」
「俺にはお前が訳わからねえよ」
 スケールが違う。
 まあ、さっぱりしている分、扱いやすいことは間違いない。
 千早は、さんざんにめんどくさかった。機材の質ひとつにこだわって、あちこち駆けずり廻されるよりはよほどマシだ。

「しかし、胃が痛くなるな。伊織をどうやって営業廻りに連れて行けばいいんだ? お偉いさんと引き合わせた瞬間、俺の首が飛ぶぞ」
「あの、伊織ちゃん。そういうのカンペキですよ」
「む?」
「はいっ。はじめましてよろしくお願いします。新人アイドルの水瀬伊織ですっ。超世界的スーパーアイドルとしてがんばりまーす。応援よろしくおねがいしますねー、って──こんなのでいいの?」

 猫撫で声で、彼女は優雅に一礼した。
 伊織がパーティー会場で見せていたような、完璧な礼儀作法。

「お、おでこちゃん。なんか気持ち悪いよそれ」
「うっさいわね。じゃあアンタがやってみなさいよ」
「うーん。あふぅ。星井美希だよ。アイドルって、なにするかわかんないけど、ミキ、きっとセクシー系のお芝居ならできると思うな」

 棒読みで台詞を言うと、美希はこちらに、ずいっと胸の谷間を寄せてきた。暴力的なまでの胸の谷間が、目の前にアップになる。
 ──やばい。この絵面はまずいっ。

「ちょっと、それ反則でしょ!?」
「え、どうして。おでこちゃんもやればいいのに。あ、おでこちゃんだと無理か」
「い、いちいちむかつく反応するわね。アンタ」

 美希と伊織がぎゃーぎゃーと言い合いをはじめた。
 仲がいいなぁ相変わらず。

「……プロデューサー」
 一歩引いて、やよいがぽつりと呟いた。
「負けたら、伊織ちゃんが遠くに行っちゃうんですよね」
「そうだな。けど、俺は勝つぞ。勝てば問題はない」
「うん。勝たなきゃ──うん」

 凄絶なまでの決意。
 それが、やよいの気の毒なほどにこわばった表情から、透けてみえた。

「なにか、言ってあげなくていいの?」
「ん、美希。喧嘩は終わったか。なにか、ね。──なにかってなにをだ。アイドルが、ステージに立つ以上、決意だけは、自分のなかから絞り出さないといけない。俺がやることは、もう終わっている。あとは、高槻やよい次第だ」
「ミキは──」
「ん?」
「ミキにできることって、なにもないんだよね」

 美希は、伊織とやよいの関係と通して、なにか別のものを見ているようだった。
 どこか自分の立ち位置を迷うような寂しげな声が、彼女の口の端に、溶けていった。









[15763] stage3 Mind game 6
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/04/28 13:26







「おいおい、聞いてないぞ。こんなの」
 プロデューサーの、固い口調。
 会場一杯に敷き詰められたような人たちの熱が、こちらまで伝わってくるようだった。

 舞台には緞帳が降りている。
 私がその隙間から客席を覗いてみると、三百人を下らないような人の群れが見えた。

 この市民ホールなら、ちょうど席が埋まるぐらい。
 私たちの対決のための、おそらくは観客なのだろう。
 隣では、やよいが私の右手をがっちりと掴んでいた。捕まれた指から、かすかにやよいの動揺が伝わってくる。
 
 無理もない。
 私だって、頭のてっぺんから、背筋までに震えが来ている。ある一定数を超えた人の視線というのは、きっと暴力に近い。

 それを克服するための──

 経験も。
 場数も。
 ──きっと、今の私たちにはないものだ。

「不安か?」
「少しだけ、ね。まあ、将来の私の下僕たちが大挙してきてると考えればいいのよね」
 反射的に、胸を張ってみる。
 プロデューサーには、見抜かれているだろうけれど。三百人。Dランクか、Eランク程度の集客数ではある。うん、なんてことはない。どのみち、これを踏み越えなければ、アイドルになんてなれない。

「なに、無理もない。
 誰だって、本番は怖い。
 克服するには、千早のように機械になるか。あずささんのように悟りを開くぐらいしかない」
「で、なんなのこの客」
 私は、客席を指さした。
 適当に告知したわけでもないだろう。明らかに、外見がソレ系の野郎たちばっかりだった。

「午前中に、ミラーズのサイン会があって、そのついでで集められたそうだ。
 一応、抗議はしておいたがな。『アイドルは見られることが仕事だろう。なにか問題があるかい?』──と、言われてな。それを言われたら仕方ない。
 たしかに、問題はないんだよ。
 観客が勝敗を決めるわけじゃない。
 一般審査員は、色眼鏡のないのを、ちゃんと十人用意するって言ってたしな」
 それに──
 と、プロデューサーが付け足す。
 
「ここまでやる以上は、一般審査員は、文句がつけられないぐらい公平に選んでくるだろうから」
「──ちょっとプロデューサー。
 話が繋がってなくない?
 じゃあ、なんで西園寺社長は、そんな嫌がらせすんのよ。いくら観客がいたって、勝敗に影響ないんでしょ?」
 私が口にしたのは、ごく当然の疑問だった。
「いくつか理由はあるな。
 たとえばだ。
 こっちのアイドルは、所詮、ふたりとも経験ゼロの素人だ。
 こういう不確定要素が入ると、アクシデントも起きやすくなる。あとは──」
 少し、考えるように。
 口を開く。
「一般審査員は、ほんとに一般人だから。場の雰囲気に流されやすい。たとえ、お前らの方がよかったと思っても、ミラーズの方に歓声が集まっていたら、どうなると思う?」
「あ、思わず、ミラーズの方に票入れちゃうかもです。たいした商品じゃないってわかってるのに、人だかりがあると、ついつい買ってしまう庶民の心理を知り抜いた、恐ろしい作戦ですー」
 横で、やよいが戦慄していた。

「ああ、そういうことだ。やよいは賢いなぁ」
「えへへ」
「やよい? それはきっと褒められてないわよ」
「え?」
 やよいが首を傾げた。
 とりあえず、私の突っ込みはやよいに伝わってないらしい。

「勝利するのは当然として、負ける乱数も完全に排除しにきてるな」
「あうぅー。大変ですー」
「まさに、絶体絶命だな。さて、どうしたものか」
 無言。
 空気がじわじわと重くなってくる。

「プロデューサー。他人事みたいですよ?」
「それで、どーするのよ。なにか良い材料とかないの?」
「なに言ってる。
 それこそ他人事みたいだな。
 やれることはもうやっている。どっしりと構えていろ。仕掛けは、もう終わっている」
「わかったわよもう」

 私と、やよいだけが残される。
 最後にスタッフとの打ち合わせがあるというプロデューサーを見送ると、視界に今日の対戦相手の姿が見えた。

「──雪菜?」

 眠そうな顔をした双子の片割れが、舞台から近づいてきていた。
 すでに舞台用の衣装に着替えている。
 芦川雪菜。
 双子のやる気なさそうな方の対戦相手は、こちらに向き直るとぺこりと頭を下げた。

「あ、伊織さん。本日はよろしくおねがいします」
「ええ、そうね」

 続けて、姿を見せたのは、もうひとり。
 芦川高菜。

「あ、伊織さん。おはようございます。
 それと、身の程知らずのFランクアイドルも。
 あなたがどうなろうと知ったことじゃないけど、伊織さんに恥だけはかかせないで」
 卑屈な笑みだった。
 私は、
 怒鳴りたい衝動を抑え込むだけで、体中の力のほとんどを使い果たさなければならなかった。

「余計なことはしなくていいわ。
 やよいとの関係は、私が決めるから」
「でも、伊織さんほどの人が、どうしてFランクのこんな子なんかと………」
「二度も言わせないで、やよいとユニットを組むって決めたのは、私よ。文句があるなら、私に言いなさいよ」
 私の言葉に、高菜が気色ばむ。

「私たちより、そのFランクアイドルの方が上だとでも……」
「なに言ってるのよ?
 それを、これからはっきりさせるんでしょ」
「……じゃあ、私たちが勝ったら、伊織さんは、こちらに来てくれますか?」
 余裕を取り払った、真剣な顔だった。
 まったく、人気者の宿命としても、こうまで執着されると、迂闊に断ることもできやしない。

「それを含めて、今日のステージではっきりさせるわよ。私たちが負けたなら、そっちの条件を全部、呑むわ」
「いいんですか? 私たち、本気でやりますよ?」
「当たり前でしょ。
 誰が手を抜けだなんて頼んだわけ? あとでゴネられてもかなわないしね。全力で来なさいよ」
 それだけ言って、ようやく高菜は満足してくれたらしい。
 やよいへの興味も失せて、あとはただ純粋に勝敗のみに拘ってくるようだった。

「やよい。大丈夫?」
 俯いたままのやよいの表情は、なにかを堪えているように見えた。
「あんなの気にすることないわよ。なに言われても、ステージで結果を残せば、雑音なんて全部消えて無くなるから──」
「──もう、いいの」
「え──?」
 わからなかった。
 やよいが、
 なにを、言っているのか。
 なにを、言おうとしているのかが。

「伊織ちゃん。
 行きたいなら、雪菜さんと高菜さんのチームに行っていいよ」
「なによ。──ソレ」
 最初──
 なにを言われたのか、わからなかった。
「だって、伊織ちゃんには、それが選べるんだから」
 無理矢理に、絞り出したような笑顔だった。
 
「やよい。それ、どういう意味よ」
 やよいはこちらを見ようともしない。
 淡々と、噛んで言い含めるように、私に語るようだった。

「伊織ちゃん。やさしいから、私に同情してくれたんだよね。でも、もう十分だから。私は、これ以上伊織ちゃんの重荷になりたくない……」
「なによ、それ。
 諦めるの?
 アイドルになるって夢も、今までやってきた努力も、全部放り投げて、私は『ここまで』頑張りましたって言うわけ?」
 私は、まくしたてた。
 もう止まらなかった。

「──それで、誰が認めてくれるのよ。
 ううん、やよい自身、それを認められるの?
 ねぇ、やよい。本気で言ってるの?
 本気で、私が同情なんてつまらない感情で、やよいと組もうと考えたなんて思ってるの?」
「いいよ。もう十分だから」
 泣き笑いのような表情。
 わかってしまった。

 もう──
 私の言葉は、やよいには届かないのだと。

「もう、考えは変わらないのね」
「うん──」
「そう」
「もう、いいの」
 空気に、耐えられなかった。
 結局、私のやったことは、ただの金持ちの、お嬢様の道楽で終わってしまったらしい。
 なら──
 仕方ない、か。
「──だったら」
 扉に手をかけた。

「私には、もうなにも言うことはないわ」

 ──分厚い扉が、私とやよいを隔絶する。
 この扉のように、分厚く重い壁が、私とやよいの心を切り離していた。













「やよい。まだ座り込んでるわけ? まずは着替えてきなさいよ」
「あ、あれ? 伊織ちゃん。その格好は?」
 やよいが、涙に濡れた瞳を擦りながら、目を瞬かせていた。

 私といえば、コンサート用に着せられた衣装から、すでに私服に戻っている

「当たり前でしょ。あんなごてごてした衣装で、逃げ切れるわけないもの。
 あの腹黒プロデューサーに見つかったら、またなにかの取引材料に利用されるに決まってるしね。新藤に言って、迎えは呼んであるから、どうやって警備員とプロデューサーの目を誤魔化して玄関まで逃げるかがポイントね」
「あ、あの──伊織ちゃん。その言い方だと、伊織ちゃんも一緒に逃げるみたいに聞こえるんだけど……」
「なに言ってるのよ。このまま、やよいひとりにできるわけないでしょ。
 最後まで付き合うわよ。どうせ、アイドルを目指すのも、今日で最後だもの──」
「え──?」
「こういうところって、出入り口が限定されてるのよね。非常口とか使うと、やっぱり目立つかしら」
「あの、伊織ちゃん。最後って、なに?」
「あのね、やよい。
 かわいくて、頭も良くて、パーフェクトなこの伊織ちゃんが、最高でカンペキなのは、人類発祥時からの普遍の定理じゃない。その私が、わざわざアイドルなんてやるはずもないし、やる必要もない。そうでしょ」
「……ええと、そう、なのかな?」
「だから、仕方ないじゃない。やよいが諦めたんなら、私もアイドルを続ける理由もないし」
「伊織ちゃん。それ──」
 やよいの抗議を、私は言葉で終わらせた。

「私は──他の誰でもない、高槻やよいを選んだの。
 それを決めたことに、後悔はないもの。
 ううん。間違っていないって、全部終わっちゃった今でも、そう思ってるから」
「そんな、私、伊織ちゃんになにもしてあげられてないのに」
「──ねぇ、やよい。
 この間、プロデューサーに聞いた話なんだけど。

 偶像(アイドル)ってね。
 目指すために、ひとつだけ条件があるんだって言ってた」
「え?」
「それはね。

 ──誰かに、憧れることができること。

 例えば、それはテレビの向こうで歌うアイドルだったり。
 こうなりたいって願う、未来の自分だったりするんだって。

 天海春香は、西園寺美神に憧れた。
 如月千早は、きっと三浦あずさに憧れた。

 それと同じように──水瀬伊織は、高槻やよいに憧れたんだから」
「………………」
「だから──私にとって、一番大切なものがやよいだった。それだけのことよ。
 私が憧れたやよいは、そんなに弱くないって信じてる。
 だから、私たちの夢がここで終わってしまっても、自分を嫌いにだけはならないで。
 ──私は、やよいの笑顔が大好きよ。
 だから、やよいには──ずっと笑っていてほしいの」

「……伊織ちゃん。やめてよ」
 やよいは、ようやく、口を開く。

「私、そんなに強くない──。
 こんな状況で、脳天気にヘラヘラ笑えるほど、強くなんて──ないから」
 やよいは、笑いかけてはくれなかった。
「うん。まあ、そうよね」
 私は、一息ついて続ける。
「いつも笑ってるなんて、できるわけないわよね。それが、やよいの、ほんの一部分だってこともわかってる。
 でもね。
 私は──そんなやよいに憧れたの。
 たった数人の前で歌ったような、ほんの小さな小さなステージとも呼べないようなものだったけれど、いつか、私もあんな風に歌えたらなって。

 ──やよいは、私に、一緒に歌おうって、そう言ってくれたわよね。

 だから、私は何度だって言うわよ。

 どんな絶体絶命な状況でも、私の可愛さと、やよいの笑顔があれば、私たちは無敵でしょ。
 知ってると思うけど、私は嘘なんてつかないわ。
 やよいと組めば、Aランクだって楽勝って信じてる」

 ──本心だった。
 なにひとつ偽りはない、私だけの真実だった。

 だから──
 それは私だけが知っていればいいことだと思う。私のエゴで、やよいの気持ちを犠牲にする必要はないはずだ。

「やだよ。………できないよ」
 震えていた。
 身体を抱くようにして、やよいが座り込む。
「やよい。私は、やよいになにかを強制しようなんて」
 ──違う。
 触れる温度。
 やよいの手が、天に向かうように、私の左腕に伸びていた。

「──五分だけ……時間をちょうだい……」
 聞き取れないぐらいの音量で、やよいが囁いた。

「ダメだよ」
 逃げようとしているわけ、ではない。
 それは、なにかを決意したような、硬質な声。
「ダメだよっ!! 
 やっぱり、このまま終わりたくなんかないよっ!! 伊織ちゃんと、ずっと一緒にいたいよっ!!」
 みっともなくて、
 泣きはらした目で、
 ぼろぼろになって、──高槻やよいは私の胸に顔を埋めて泣いていた。
「──やよい」
「伊織ちゃん。こんな私でも、いいかな?
 今も恐いけど、逃げ出したいけど、伊織ちゃんに寄りかかっても、いいかなぁ?」
「当然でしょ。
 やよい以外に、私の隣を任せるつもりなんてないわよ。覚悟しなさい。今さら嫌だって言っても、もう離してなんてあげないんだから」
「──うん」

 一瞬の永遠。
 ──こんな時間は、いつまでも続くと信じたかった。

 逃げたい気持ちは、私だってある。
 今日の試合の結果で、こんな時間も断ち切られる。
 
 賭けの内容は、私のミラーズへの移籍。
 正直に言えば、高菜と雪菜と組むユニットでも、そこそこのランクまで行けると思う。きっと、Bランクだって手の届くところにあるはずだ。
 でも、おあいにくさまで。
 私の辞書に、『そこそこ』とか『それなり』なんて単語は載ってるはずがない。

 目指すべきは、頂点だけ。
 そう。
 私が私であるために。

「ん?」
 携帯が鳴っていた。
 プロデューサーからだろう。
「もしもし。ああ、ステージがはじまる? ──わかったわ。余計なお世話よ。アンタはステージのことだけ考えてなさい」
 想像通りのことをいうプロデューサーを、軽くあしらっておく。

「じゃあ、行くわよやよい。
 観客が、私たちのステージを待ちこがれてるわ」
 やよいの手をとる。

 繋いだ手が確かなら──



 ──私たちは、どこまでだって行ける。










[15763] stage3 Mind game 7
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/04/29 22:14


「ここ、いいかしら」
「ああ、西園寺社長か。どうぞ。俺に断る権利なんてあるはずないしな」

 金田城一郎は、ずいぶんと落ち着いていた。
 用意は、おそらく万全なのだろう。
 きっと、私たちと同じように。

 春香がどこからか連れてきたフリーのプロデューサーは、仕事はできるようだった。互いに目的があるようで、高菜雪菜のふたりとは、すぐに気があったようだった。
 認めるしか無かった。
 春香に、無理矢理に押し切られるカタチで、認めることになってしまった。
 社長としては、部下に任せられることは、任せたほうがいい。あまり前に出ないほうがいい、それは頭ではわかっている。如月千早を、横からかっ攫われたことは、一日だって忘れたことはない。
 それでも、これは私の喧嘩として、ステージに立ちたかった。
 立場上、もうそれは叶わないのだけれど。
 
 ざわめきが止まった。
 昭明が切られる。
 舞台の幕が開き、一曲目が始まる。

 『HERE WE GO』。
 好きな人に、自分を見てもらいたいという、女の子の気持ちを描いた、典型的なアイドルソングだった。

 驚いた。
 どんな魔法を使ったのか、素人の水瀬伊織と、Fランクの高槻やよいを、まともに戦えるレベルにまで引き上げていた。
 曲に合わせて、くるりと一回転。
 両腕を抱え込むような振り付けから、両手を外側に。
 歌詞に合わせて両手を握る仕草に、なんの迷いもない。

 半身になって、首を振る。
 スピーカーから流れ出す合いの手に合わせて、サビに入る。
 左右対称に、
 それでいて、不自然にならないように、変化をつけて。

 水瀬伊織。
 高槻やよい。
 最悪だと思っていたチームワークに、なんの曇りもなく。

 ふたり。
 自らに寄り添うように、歌を歌っている。

 ──いい歌だ。
 私は、これを、いいステージだと、思ってしまった。
 
 なんの不安もなく、心を重ね合わせて。
 心のままに、ふたりの波長を刻んでいる。

 それでも──
 それでも、よく見れば、素人目にもわかるぐらいの、ぎこちなさがあった。
 ああ。
 付け焼き刃だ。
 プロの目から見れば、数え切れないぐらいの欠点がある。減点方式で採点するタイプの審査員には、かなり受けが悪いだろう。

 けど。
 けれど──
 そのすべての欠点を差し引いても、人の目を惹き付けずにはいられないような、輝けるものが、彼女たちにはあった。

 ──才能は、努力を上回る。
 ほんの少しだけ、人の目を惹く。
 この業界に必要な才能は、極論すればたったそれだけだ。

 容姿でもいい。
 歌でも良い。
 特技でもいい。
 トークでもいい。

 なにかひとつでいい。
 人の目を惹く要素があれば、それだけでアイドルとしては一級品になれる。
 それを、才能と呼び、才無き者と比較した場合に、歴然とした結果として表れる。

 幾多の困難を乗り越えて、そこそこ大きなオーディションに合格したアイドルがいたとしよう。
 けれど──
 たいていの場合、そんなアイドルは、中級スカウトマンが街でスカウトしてきたアイドルの足下にも及ばない。

「──すごく、いいステージね」
 ぽつり、と声が出た。
「なんだ社長さん。皮肉かそれは」
「いいえ、本心よ」
 横を向く。
 水瀬伊織と高槻やよいのプロデューサー。
 金田城一郎が、パイプ椅子の座り心地を気にしていた。
 私たちがいるのは、審査員席のすぐ傍。会場でいえば、右端だった。一メートルも離れていないところに、三浦あずさ、天海春香の席があり、それからこの会場の職員たち、十人を審査員として招いている。

 
 そして、一曲目が終わる。
 会場全部が、夢から醒めたように。
 高槻やよいが、転びそうになりながら、一度ステージの横に消えていった。

 続けて、ミラーズの一曲目(オープニング)が始まった。
 ライトが、切り替わる。
 世界が、赤から青へ。
 
『GO MY WAY』

 おそらくはアイドルの歌の中で、もっとも有名な歌。この曲が入っていないコンサートは、アイドルのコンサートではない、という風潮すらあった。
 そして、ミラーズがもっとも得意とする曲だった。

 すでに、定番となった曲。
 耳に馴染んだイントロダクション。
 フレーズを口ずさみ、オリエンタルブルーの世界へと溶けていく。
 
 ──奇襲。
 そういっていい。ドラムの爆音が大気を打ち鳴らす。最初から、余力など残さない勢いで踊っている。双子の踊りが、左右対称のシンメトリーをかたちづくる。
 水瀬伊織と高槻やよいのステージには、初心者としてのぎこちなさを隠せなかっただけに、この印象は強烈だろう。
 勝てる。
 彼女たちには、それだけの魅力がある。
 なにも間違っていない。

 雪菜と高菜は、この一曲で、観客を恋の虜にするステージを見せた。












 ハニーキャッツ(水瀬伊織、高槻やよい)、
 投票数4
 ミラーズ(芦川雪菜、芦川高菜)、
 投票数8

 結果は明らかだった。
 ミラーズの勝ち点は、これでひとつ。
 あと二勝でこちらの勝ちだった。この一勝は奇襲に近い。二度は通用しないかもしれない。
 それでも──
 この一勝には、他に代え難い価値がある。

「世の中には、実力のない者が、実力のある者に勝つ例なんて、いくらでもある。そうよね」
「ああ、まったくだ」
「でも──野球でも、サッカーでも、ううん、アイドルのステージでも、実力で劣る者が、自分より実力のある相手に勝つ方法なんて、ひとつしかない。なんだかわかるかしら?」
「まあ、だいたい想像はつくが。
 ──とりあえず拝聴しようか」
「ええ、それはね、奇襲よ。
 予期しない事態に、強者はいつもの力を発揮できないまま、ずるずると負ける。
 ジャイアントキリングの絵図は、いつもこうよ。

 だから──もうこの一勝で勝敗は決している。
 あなたたちが初戦に勝てなかった以上、もう私たちに負けはないの。私たちに、油断なんて入る隙間はないしね」
 
 高槻やよいと水瀬伊織が、ここまで質の高いステージを演じてくるとは計算できなかった。けれど、その計算できなかった誤算を踏まえてなお、私たちは一勝を挙げた。
 だから──。
 もう、負けはない。
 私は、渡されたプログラム表を、見る。即席で作ったそれは、運動会のプログラムのように安っぽいものだった。まあ、社長である私としても、こんな私事に金は使えない。
 この会場だって、水瀬伊織の好意で貸して貰ったものだし。

 まあ、入場料もとらない小規模のステージなら、こんなものかもしれない。プログラム表には、ルールの説明と、投票の説明、それにこのステージを行うことになって理由が、かいつまんで書かれていた。
 まあ、それはいい。
 そして、大切なのは、このステージの曲順だった。
 こうある。



 ユニット名。
 『ハニーキャッツ(水瀬伊織、高槻やよい)』

 一曲目 『HERE WE GO』
 二曲目 『ドューユーリメンバーミー』
 三曲目 『ふたりのもじぴったん』
 四曲目 『i』
 五曲目 『メリー』

 延長戦用。
 六曲目 『バレンタイン(オリジナル)』
 七曲目 『私はアイドル』
 八曲目 『GO MY WAY』



対して、

 ユニット名。
 『ミラーズ(芦川高菜、芦川雪菜)』

 一曲目 『GO MY WAY』
 二曲目 『OVER(オリジナル)』
 三曲目 『思い出をありがとう』
 四曲目 『微熱SOS』
 五曲目 『夢見るシャドウ(オリジナル)』

 延長戦用。
 六曲目 『YES♪』
 七曲目 『私はアイドル』
 八曲目 『モノローグ』





 そして、それぞれの二曲目が終わる。
 審査員の評定は、またしてもミラーズ8、ハニーキャッツ4。
 これで、二勝目。
 三勝を挙げた方を勝者とする条件だった。実力を加味すれば当然といえる、ワンサイドゲームだった。
 三戦目。
 ハニーキャッツ
 三曲目。『ふたりのもじぴったん』
 ミラーズ。
 三曲目『思い出をありがとう』

 審査員の評定は、
 ハニーキャッツ 5
 ミラーズ    7
 
 三ポイント以上の差がつかなかったために、決着は持ち越しとなった。
 そのまま、四戦目と五戦目が過ぎる。
 スコアは共に、ハニーキャッツ5,ミラーズ7だった。
 状況は、なにも変わらない。
 相手の持ち出した条件では、泥試合となるのはわかりきっていた。だから、焦りはない。
 このままの状況は続くのなら、次で終わるからだ。

「さて、延長戦だな」
「ええ、そして次で終わりね」
「おい、延長戦を合わせると、八回まであるだろ」
「ちゃんとルール表を読むことね。延長戦は、一度だけよ」
 金田城一郎の認識を覆す。

「ほう?」
「延長を合わせても、最高で八戦。──もう六戦目なのよ。勝ちの条件を満たすためには、三勝が必要。未だに一勝もしていない貴方たちは、六戦目、七戦目、八戦目をすべて勝たなければいけない。もう、ごまかしはきかない。
 六戦目は、引き分けでも自動的に貴方たちの負けになる。それぐらい、わかっているでしょう?」
「あ」
 金田城一朗が、素で呆けたような声を上げる。
「気づいていなかったの?」
「ああ、言われるまでもなく、勝つつもりだったからな」
「ふぅん。この状況で、どんな勝機があると?」
 虚勢だ。
 それ以外にない。

「そうだな。あっちの狙いは、言うまでもない。短期決戦だ。例えば、ミラーズも、尾崎玲子も、わざわざ延長戦用に、練習なんてするかな?
 曲順を見ればわかるように、ミラーズは序盤にエース曲を投入している。最初ですべてを決めるつもりだった。ステージ自体に手抜きはなかったが、最初の三曲で、仕留めるつもりだったんだろうなぁきっと」
「………………」
 否定はできない。
 けれど、こんなものはミスに入らないはずだ。
 考え込む私を尻目に、金田城一郎は、携帯を取りだし、どこかに電話をかけていた。

「美希、準備はできてるか?」
『………………』
「美希?」
『くー、すぴー』
「寝るなよ。おい!」
『……あふぅ、だってー、もう三時間も待機してるんだよ。ここ、暗いし、つまんないし。そっち賑やかでたのしそうだし』
「出番は近いぞ。我慢してくれ。いちごババロア奢ってやるから」
『京月堂のやつね』
「わかったわかった」
『準備はおっけーだよ。曲のラスト近くで、電源切ればいいんだよね』
「ああ、タイミングは身体で覚えてるな?」
『うん。やよいとおでこちゃんも頑張ってるし、ミキもがんばる』
 彼は、さらに二言三言を話してから、電話を切った。


「六曲目だ」
 プログラム表に、視線を落とす。
 六曲目。
 『バレンタイン』
 八曲の中で、唯一のオリジナル曲。
 
「その曲には、ちょっとした魔法をかけてある」
「魔法、ですって?」
「ああ、やよいとオセロの相手をしてて、思いついた。
 逆転の秘策ってやつだ。観客全部の心を、一瞬で鷲掴みにする。正直、審査員なんざどうでもいい。あんたらには感謝してるよ。──わかりやすい図式を用意してくれてな。

 この会場全体のミラーズのファンを、オセロのコマがひっくり返るように、全部黒から白に変えたら、すごく爽快だとは思わないか?」
「ぜんぶ、あなたたちのファンにする、と?」
「ああ──、奇襲で勝つこともできたけどな。そんなことは、名のあるプロデューサーなら、誰でもできる。
 尾崎玲子を倒しても、名は上がらない。
 だから、あんたにできないことをやんなきゃ、あんたは俺を認めてはくれないだろ?」







[15763] stage3 Mind game 8
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/06/10 12:35







 ステージに舞う紙吹雪が、ライトの光に紛れて、星を降らせたような情景を見せていた。
 曲のイントロに合わせて、高槻やよいは宙を裂くように左手を廻していた。
 弧を描くように。
 隣の水瀬伊織に倣って、イメージを作り出している。音の大小でもなく、ただただ音の寄せる波を歌っていた。
 今までの稚拙な印象はどこかに消えている。
 借り物ではなく、自分自身の曲という実感があるのだろう。

 曲を聞いて、歌い踊るのではない。
 それをどう表現するのか。どう踊ればいいのか。
 いちいちそんなことを考えずに、歌詞の『バレンタインに臨む、恋する女の子』を演じていた。

 無心に。
 きっと、それが音楽を従えていること。

 アップテンポな曲ながら、会場に響くふたりの歌声には、春の雨のような美しさがあった。
 ふと目を閉じたくなる。
 やかましい曲だった。身体を左右に揺らして、難度の高い振り付けを、当然のようにこなしている。
 リズムを揺らす。
 部分的に早まる部分と、タイミングと、伸ばした音。
 模範的な音と違っていても、最終的につじつまを合わせる能力は、完全に歌のすべてを掌握しているからできることだった。

 その証拠に、彼女たちの表情ひとつで、ステージの雰囲気ががらりと変わる。
 同じ印象はない。『生きた』ステージだった。

 恋する女の子の想い。
 告白。
 手作りのチョコレート。
 失敗。

 告白に尻すぼむ乙女心。それでも前に進もうとする、等身大の、ひとりの女の子のハートを、竦むことなく歌い上げている。

「美希、そろそろだ。準備はいいか」
 横で金田城一郎が、携帯を耳に当てて指示を送っている。

「10」
「 9」
「 8」
「 7」
「 6」
「 5」

 カウントダウン。
 すでに歌は終盤を迎えている。
 女の子の恋は、ついに告白を迎える。
 
 けれど。
 ──ここから、どんな足掻きができる?
 素晴らしいステージではある。けれど、対抗するミラーズの『YES♪』の方が、曲の格は上なのだ。
 なお、カウントは進んでいく。

 逆転の目など、皆無。
 奇跡でも、起きない限りは。

「 4」
「 3」
「 2」
「 1」

 ──ステージが、反転した。

 ゼロ──と、宣言されると同時に、音が消えた。
 会場全体に広がった音の洪水が、なんの前触れもなく消え失せる。
 舞台の左右に、二機設置されている大型スピーカーの電源が切られた。
 原因は、それだと理解が広がる。
 なんの、ために?

 異常なまでに張り詰めた空気に、誰も声を上げられない。
 不思議と、私が──いや、会場にいる誰もが、それをトラブルと感じなかったのは、高槻やよいと水瀬伊織が、あまりに落ち着いていたからだろう。
 目を閉じている。

 余韻を残すように、ふたりがゆっくりと両手を抱え込む。ギュッと。
 スローモーションにさえ思えるような体感時間。
 静寂すらも音楽に変えていく。過ごす時間と見ている色彩が呼び合って、ただひとつの事実だけが残る。



「あなたが────」



 ふたり。
 そっと。
 瞳をとじて。
 マイクに向けて、囁く。





「「──あなたが、好きです」」













 直後に。
 戻ってきた──
 弾けるような大音量が、呆けた思考をがつんと殴りつけた。相対的に加速した時間が、強制的に意識を引き戻す。
 ぞわっ、と全身に鳥肌が立った。
 間の取り方、タイミング、すべてが完璧だった。
 なにより、背後から不意打たれたような、あの囁き。ただ囁かれただけでは、ああはならない。

 絞り込まれた方向性。
 完全に、ヒトの心を掴むことだけに特化されたそれの、効果は絶大だった。
 聞こえたきた囁きの、場所へ目をやる。
 客席の背後、二階席のカーテンに紛れるように迷彩された、二機の大型スピーカー。
 いつの間に、あんなものが。あの囁きを届けるためだけに、設置されたということか。
 植え付けられた感動が、まだ喉の奥に引っかかっている。それでいて、なんお不快感もない。
 性質の悪い魔法にかかったようだった。

 音がフェードアウトする。
 気を取られているうちに、歌は終幕を迎える。
 
 ステージの上。
 水瀬伊織。
 そして、高槻やよい。

 互いに、右腕を宙に掲げる。
 かざした手と手。
 すれ違い様に、ふたりの手のひらと手のひらが乾いた音を立てた。炸裂するような、片手ハイタッチ。
 
 それが合図であったように、観客の歓声が、会場を席巻した。
 










 

「な、おもしろいだろ。こういう曲なんだ」
 金田城一郎は、今の光景を誇るでもなく、ステージに目を向けていた。
「あなた、一曲目から、ここまでの流れを計算して?」
「ああ、最後のは賭けだったけどな。結果は、ご覧の通りってところかな」

 審査員の評価は、ハニーキャッツ12、ミラーズ0。
 すでに、ミラーズの曲など、誰も聞いていない。会場の誰もが、さっきの光景を忘れられないでいた。
 ステージの上に現れた、まばゆい光は、それより弱い光などをかき消してしまうかのようだった。

「さて、七曲目と八曲目だ。『私はアイドル』は伊織のエース曲。八曲目の『GO MY WAY』はやよいのエース曲だ。あんたらは、短期決戦に拘るあまり、後に残るのはロクに練習もしていない曲。どっちが優勢かぐらい、わかるだろう?」
「………………」
 今の戦績は、二勝一敗、三引き分け。
 一勝のリードが、なんの慰めにもならない。ここまで会場の雰囲気を造り変えられてしまえば、逆転など、滅多なことではできない。
 九分九厘、勝敗は決した。
 この状況から逆転など、目の前の男にすら無理な芸当だった。

「さて、どうする?」
「………………くっ」
 降参を勧めているのだろう。
 確かに、これ以上続けてもなんの意味もない。ミラーズの名前と価値を傷つけるだけだ。

 けれど──
 雪菜と高菜が、それを認めるかどうか。
 そして、ここで降参するのが正しいのかどうか。
 彼女たちにとっては、これは勝ち負けの問題じゃない。ただ、一勝を勝ち取るという以上の思いを、この試合に賭けたはずだった。
 
 だが、このままにはできない。
 このまま何の策もなしに、延長戦を続けるわけにはいかない。
 席を立つ。
 裏口から、ステージの死角へと回り込むと、ある意味予想通りの光景があった。
 舞台の袖で、芦川高菜と、高槻やよいが向き合っていた。
 
「ひとつ、聞かせてくれる?」
 高菜の言葉は、張り詰めた弦のようだった。
 それでも、高槻やよいを目の敵にするような、剣呑な瞳の光が、やや薄れていた。
 彼女なりに、さっきのステージになにか影響されるところがあったのだろう。

「あなた、歌うことは好き?」
「え──?」
 高槻やよい共々、不意をつかれた。
 今までの高菜ならば、ありえなかっただろう質問。
「え、ええと、実はよくわからないです」
「そう──」
「あ、でもですね。今日はすごく楽しかったですよ」
「それはねー。あれだけ好き勝手やってればねー」
 雪菜が、のんびりと突っ込みを入れる。

「そういうことじゃなくて。
 初めてだったんです。
 真剣に、勝ちたいって思ったのは」
「わー、いやみっぽーい」
「だから、そういうことじゃなくって、ですね。
 実際、ステージに立ったら、そんな気持ちはどこかに行っちゃいました。

 ずらーっと、数え切れないぐらいお客さんがいっぱいいて。 
 お客さんの笑顔が見られて、すごく嬉しくて。今ここに立てていることが、すごい奇跡みたいで。だから──私はきっと、ずっとこんなことを、夢見てたんだと思うの」

 やよいは、眩しいものを見るように、目を細めた。

「やよいの気持ちはよくわかるわ。私の将来の下僕たちが、あれだけいると壮観だったわね」
 水瀬伊織が、腕を組んでいた。
「──ええ、と。伊織ちゃんは特別だと思う。
 そういうのとは、ちょっと違うけど。
 私を見て、みんなが笑顔になってくれるの。だから、それが嬉しくて。
 ──すごく得しちゃったって思ったの。
 アイドルっていいなって。だって、これだけの数の人の笑顔を、独り占めできるんだよっ」
「やよい。ふたり占め、でしょ」
「あ、そうだった」
 なんの裏もない。
 まっすぐに、目の前の世界を信じきっている。
 宝石より眩しい、きらめくような、笑顔だった。

 言葉が、出てこない。

 私は──
 私は、どうして──

 どうして、今まで、この笑顔に気がつかなかったのだろう。
誰にでもできることじゃない。一級のアイドルでも人を幸せにする笑顔なんてものは、計算ずくでは作れない。こんな笑顔は、最初からもてるようなものじゃあない。
 
 高槻やよいの理想は美しくとも。
 彼女の生きるこの世界は、決して美しくなんかない。世の中は矛盾だらけで、腹に据えかねることばかりで、彼女の境遇だって、その理不尽のなかで培われたものだろう。

 人を幸せにしたいなんて望みは、個人の範疇を超えている。その願いを維持するだけで、ひどく苦痛を伴うはずだ。

「伊織ちゃんとユニットを組むって決めたときに、決めたんだ。誰に負けてもいい。でも、でもね──、自分にだけは負けないようにしようって。
 私、一人じゃなにもできないかもしれないけど、今は一杯仲間ができて、なんでもできるような気がして、そして今の時間がずっと終わらないでって、毎日思ってる。
 ──あ、そっか。
 ようやく、わかった。私、きっと、歌うことが大好きなんだ」
「そう──」
 すべてを、聞き終えて。

「ダメねもう。そこまで言われたら、もうどうしようもないわ。お手上げ。──完敗よ。伊織さんを、よろしくね」
「え──?」
「今までごめんなさい」
 高菜は、憑きものが落ちたようだった。






「私たちの、負けよ」





[15763] stage3 Mind game 9
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/06/11 10:41





 スタッフが撤収をはじめている。
 祭りの跡という言葉が一番正しい。惜しげもなく投入されたライブ設備が、同一のシャツに身を染めた大道具の人たちにより、折りたたむように撤去されていく。地面に敷き詰められた配線もすべてなくなって、彼女たちの戦いの舞台は、静寂を取り戻している。

「それで、尾崎さんはどうするんだ?」
「そう、ね。また、どこかのアイドルを探そうかしら」
 尾崎玲子は、困ったように笑うばかりだった。残酷な問い、だと自分でも思う。
 勝者が敗者にかける言葉なんてない。

「でも──」

 ──絵理を、よろしくね。
 そのような言葉を続けるはずだったのだろう。
 けれど、尾崎さんの動きが止まった。

 俺の背中越しに、信じられないものを見たと、時間を停止させている。
 彼女の視線の先を追うまでもない。
 尾崎さんにそれだけの衝撃を与える人物は、ひとりしかいない。

「──絵理?」
 祭りの終わったステージで、開いたドアから逆光を溢れされている。姿を霞ませるような淡い光のなかに、立ちつくすように彼女はいた。
 水谷絵理は、両目のフチに涙を溜めて、尾崎玲子をにらみつけていた。

「え、絵理? あなた、どうして?」
「サイネリアから、聞いた」
「……そう。鈴木さんに」
「久しぶりだね」
「そう、ね」
「時間が、過ぎたんだよね」
「ええ」
「……尾崎さんは、どう? ちゃんと、ご飯食べてる?」
「あまり、順調とはいえないわね。でも、さっき再就職先の誘いももらったわ。随分と、マシになると思う」
「──もう一度、私のプロデューサーをしてくれる気は、ない?」
「ない、わね。もう、私はあなたの知っている私じゃないもの」

 尾崎さんは、それだけを告げた。

 強がりに、決まっている。
 彼女が、尾崎玲子というプロデューサーが、どれだけ絵理のことを想っていたか。そんなことは、語るまでもない。

「……そう、だと思う。私も、もうアイドルに戻るつもりは、ないから」

 絹の上を歩くように、会話が上滑りしていた。
 向き合っているのに、ふたりの心の距離は、地球の裏側よりも遠い。

 これが、最良だったのか。
 こうやって、このタイミングで出会うことが、本当に彼女たちのためだったのか。出会ってしまった今となっては、もう、答えはでない。

「──ずいぶんと、くだらない茶番ね?」
「え──?」

 くすくす、というささやかな笑い声。
 そのふたりに割り込んできたのは、尾崎さんとも、絵理とも、全く接点のなさそうな少女。
 ──天海春香だった。
 全身が覇気でふちどられたような少女は、手にした扇子で口を隠したまま、視線で見るモノすべてを凍りつかせている。

「天海春香さん? それは、どういうことなのかしら」
「茶番。そう言ったのよ。水谷絵理が、この期に及んで、すべてを黙らせるクラスのアイドルだというのなら、それは私が間違っているということだけれど、でも──そういうわけでもないでしょう?」
「────?」
 尾崎さんは、天海春香の胸の内が想像できていない。
 むろんそんなもの、さっきから蚊帳の外に置かれている、俺にもわからない。

「どういうことか、教えていただけるかしら?」
「ええ──あなた、尾崎玲子の本当の雇用主は、私ではなく、水谷絵理だった──、そういうことよ」
「え──?」
 尾崎さんが、呆けたような声をあげた。
 絵理は、どうにか表情を消そうと、努力した跡は見えた。それでも、わずかに見せた天海春香への非難の視線が、その言葉が事実だということを証明している。一瞬遅れて、俺が気づく。ああ、そうか。そういうことか。

「私は、あなたからプロデュースを依頼されたように思っていたのですが?」
「どうして、私が尾崎玲子なんて無名のプロデューサーを、大事な一戦に使わないといけないのかしら。私はね、最初は、水谷絵理にお願いに行ったのよ」
「………………」
「A級プロデューサーには、A級プロデューサーをぶつけるしかない。プラチナリーグに五人いるA級プロデューサーのうち、対戦相手であるそこの彼は論外として、他の三人は他社の所属で、仕事の依頼は無理。連絡のついたのは、武田蒼一だけだったのに、スケジュールの都合で断られたときには、どうしようかと思ったわよ」
 当初、天海春香は正面決戦を挑んでくる予定だったらしい。
 武田さんか。気分屋だしなぁ、あの人も。

「そこで、武田さんに紹介されたのが、水谷絵理だったわけ」
 ああ、そういう経緯なのか。
 絵理は、才能だけなら俺の遙か上をいく。
 小説を出版したり、個展を開かないかという話まで舞い込んで来ているぐらいだ。
 ただし、コミュ力はないので、それを十全に生かす機会は与えられないだろうが。資質は較べるもののないレベルだが、正直プロデューサーとしては使い物にならない。

「──それは、黙ってくれる約束じゃあ?」
「私もあなたを売るような真似をするつもりはなかったわよ。裏側を知るまではね」
 絵理の非難の視線を、天海春香は軽く受け流している。

「裏側?」
「そこの尾崎玲子は、十年ほど前に、もうひとりのアイドルと2人組のアイドルユニットを組んでいた。名前は──『Viora』、だったかしら」

 天海春香が口に出したユニット名に、聞き覚えがあった。
 数日前、サイネリアが口に出していた。そのユニットの名前が、確かそんなような名前だったように思う。

『当然デス。センパイを引き戻した暁には、センパイと新ユニット『Viola』を結成するんデスよ。むしろ、最初からそういう約束だったのに、このロン毛がやるやる詐欺を』

 ──とか、なんとか。

「今では、誰も知らないような話よ。『Viora』は、十年前ほど前にいた、デパートの屋上で、ショーをやるような駆け出しのアイドルユニットだった。
 問題はひとつ。そこの事務所の社長が、バカ息子だったってこと。事務所の社長自らたびたびスキャンダルを起こしていたため、事務所の評判は最悪だったし、アイドルユニットとしてはなにひとつ残せないままに解散に追い込まれた。そして、尾崎玲子は、水谷絵理に、アイドルとしての自分の夢を託した。──そこまでは、私が聞いた話だったわ。あなたの境遇は、私とおねえちゃんのそれとも似ているし、少し同情もしたわね」

 けれど──
 天海春香は、そう前置きして、話を続けた。

「けれど、そんな決意を固めた水谷絵理と尾崎玲子にとって、ずいぶんと都合のいい事件ばかりが起こる。例えば、CMを共に争うライバルが棄権したり、都合よく大きな仕事が舞い込んで来たり。
 結果、裏から手をまわしていたのは、かつて、『Viora』が所属していた事務所社長の、父親だった。その父親である、クジテレビの五十嵐局長は、自分の息子のしたことを悔いて、尾崎玲子を助けるために手を回していた。
 そのゴタゴタで、水谷絵理と尾崎玲子は別の道を歩むことになる。──そして、水谷絵理。あなたも、五十嵐局長と同じことをしようとしている。裏から手助けなんてしなくても、彼女にはそれを成し遂げるだけの実力がある。あなたには、それを信じられなかったのかしら?」
「………………」
 絵理は、なにも言い返せないでいる。
 重い雰囲気に耐えかねたのか、尾崎さんが、口を挟む。
「絵理、わたしは、大丈夫よ。あなたの助けなんてなくても、ひとりでやっていけるわ」
「借金があるのに?」
「そ、それは──」
 尾崎さんが、一歩下がった。
「尾崎さんは、いつもそう」
「え、絵理?」
「──ふざけないでっ!!」

 空気を引きちぎる絶叫だった。
 こっちにまで、振動がビリビリとくる。

「うおおおうっ。絵理が、絵理が怒鳴ったのなんて、はじめて見たぞ」
「いいから、やよいの後ろに隠れるのやめなさいよアンタ」
「あふぅ。おにーさん、スゴクみっともないよ」
「ええい、やかましい」

 俺は一歩下がった舞台から、やよいの後ろに隠れてその光景を見ていた。
 一応、俺は今日の主役だったはずなのだが。
 なんかずっと、蚊帳の外に置かれているような気がするのだが、そこは気にしないでおく。
 種火を燃え上がらせた本人は、手にした団扇で自分を仰いでいた。すでに、彼女のなかでは、他人事になっているらしい。

「尾崎さん、昔から、大事なことをひとりで背負い込んで、なにも話してくれないし。私の気持ちなんて全然考えようとしないんだもの。あのときだって──忙しいからって、お昼ごはん抜いたし」
「ちょ、今、なんて?」
「忙しいからって、お昼ごはん抜いたっ!!」
「絵理。それ、一年ぐらい前のことなんじゃ」
「それに、尾崎さん。整理整頓とかが下手。パソコンをコンセント抜いて止める。プラスチックゴミを、全部燃えるゴミとして出す。ラーメン屋とかのポイントカードをすぐ捨てる」
「え、だっていらないじゃない」
 尾崎さんは、おろおろとしている。
「──尾崎さん。私に、なにも言わずにいなくなった」
「ごめんなさい。成長してたあなたに、私ができることなんて、なにもないと思ったから」
「それに──」
 絵理はいった。

「私を、ひとりにした」

 絵理の声がふるえた。
 丸められた画用紙みたいに、絵理の表情がくしゃくしゃに歪んだ。これまで、必死に溜め込んでいた感情が、すべて流れ出したように見えた。

「──ごめんなさい」
 尾崎さんが、絵理を自分の胸に抱え込む。

 ──なにこの展開。
 ええと、もしかして、これってひょっとすると、解決したんだろうか、これ。
 俺は「ムキーッ、なにフタリでヘブンモードに突入してるんデスかーっ」とわめくサイネリアを片手でつまみながら、そんなことを考えていた。

「ところでサの字。おまえはおまえで暗躍してたのか?」
「ム? なんのコトデス?」
「いや、だって──絵理はこの場所をおまえから聞いたんだろ?」
「ああ、そのコトデスか」
 ハッ──という、馬鹿にしたような表情で、エセ金髪ツインテールは続けた。

「スレ荒らしに比べれば、この程度はちょろいモノデス」
「ほう、まあ見直したよ。絵理のためになることだしな。こうなることがわかってたんだろ?」
「ふ──当たり前じゃないデスか。センパイのコミュニティサイトで、この話題に誘導したり、タイヘンだったんデスよ。携帯電話を三つ使って、住民と、荒らしと、荒らしに対する反応の三つを演じわけたり」
 得意げに解説するサイネリアに、俺はため息をついた。
 どうせ、こいつはいつもこんなことをやってるんだろう。

「そこまでやらないと、センパイに感づかれマスからね」
「はいはい。自演乙自演乙。それで、そこの鈴木☆自演乙☆彩音が、絵理に情報を横流しにしてたと」
「本名呼ぶなぁっ。 私の名前はサイネリアデスッ」
「落ち着け鈴木。鈴木って呼ぶぞ」
「うううっ、カネゴンに知られたら、絶対こうなると思ったんデス」
 猫のようにして首元を掴んで、サイネリアとじゃれていると、客席の中間部分で、伊織と天海春香が火花を散らしていた。

「今回は、随分と親切だったじゃない」
「そうなのよ。ヘンね。もうちょっと、私好みの阿鼻叫喚や凄惨な地獄絵図が見られるかと思ったのに、意外と穏便に済んだのよ。まあ、それが一番よね」
「穏便? 意外ね。そんなの、アンタのボキャブラリーにあったの?」
「良い子悪い子さかなの子。なんてね。別に、手段なんてどうでもいいわ。あのふたりの関係が、私の正義に抵触した。ただ、それだけよ」
「恰好つけるわね」
「──他人のことなんて、どうでもいいでしょう。今は、あなたたちのことよ。やよい。伊織。早く昇ってきなさい。同じステージに立たなければ、そもそも叩き潰すこともできないわ」
「慌てないでよ。多分、そんなに長くは待たせないと思うから」
「そう──楽しみにしているわ」
「そういうわけだから。春香、アンタは自分の地位が脅かされることに怯えながらぷるぷると震えてなさい。じゃあ、行くわよやよい」
「春香さん、それじゃあ失礼しまーす。待ってよ伊織ちゃんっ」

 舞台の上から、彼女はふたりに視線を注いでいた。
 いつも天海春香が貼り付けている、底なし沼のような感情のない笑いではない。ほんの少し暖かみのあるような笑いだった。

 
「やれやれ」
 多分、俺も同じ表情をしているんだと思った。
「ククククク。これであとは、あのロン毛さえ取り除けば、センパイは私のモノデスっ!!」

 サイネリアが、俺につかまれたまま、邪悪な笑いをかみ殺していた。
 ──こいつは変わらないなぁ、と俺は思った。
 






[15763] 登場人物紹介(ビジュアルイメージ付き)
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/06/13 10:52
星井 美希(CV 長谷川 明子)



                ,r‐‐‐‐‐" _,,._`---〉'"-ヽ
             __//彡ミ"ヽ,r' ,,.-''ノ'>v',,.r'ヾヾ 、__
            /_r"''(ミ( _,,i /ヾ三ノ | r )i,} _}-、丶
           ./ '〆〉ヽ- >_ノ:::゛゛::::'‐‐‐":::::,,,__i ',_)~)',
           /  /-'彡':::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::゛'‐‐|..丶"',
          /  /7"::::::::::::/|:::: ,:::::::ヽ:::::::',::::::::::::::::::::ト、  ',
          /   i/|::::::::::// ',:::::ヽ:::\ヽ:::ヽ、::::::ヽ:::|: ',   ',
         /   .i:|:|:::::::/|!   \:::',\::ヽ',:::| ',ヘ::::|:::|: ::',   ',
         /   | |:|:::::::|,,..-‐'''"''‐ヾ,,_ ゛'‐ヘ| .', |::::|:::|: i :i   ',
        /    ノ i,:|:::::',|     _    ._    |::/ |ノ|::|    ',
       i   /:ノ:.|ヾヽ', ==‐'"     "''=="フノ|: :ノ-..,,_  ',
       /   " ̄/: :|弋 ',゛:::::::::        :::::::'"7ソ,'|: ヽ`""   ',
      /    // |:::::ヾ',      '      /_ノ::|: ヾ|_ヽ    .',
     /  _,,.-"'/: : ::|:::::::::::'.,     r,     /::::::::::|: : ::iヽ:''._    ',
    /      /: : /::|::::::::::::::\       ,,.-'::::::::::::::|: :ヽ| ', "'    ',
    /     .///: ::|:::::::|::::',:::::::i゛-. ,,__. -'"|:::::::::::::::::: |: : \',',      ',
   /i     // /: ::/|::|::::ト、:',,.-ト`i'"`"'i"_,,|.,,_/::::::|::::i|: : ::|: ',ヽ      '.,
   / |    .// / / |',:', :', ゛'-- ゛'`-.-'   /::::::/::/|_,,.-|: : ',       ',
  /  |    / /,'..-‐'" ',:''|i,',..,,__‐- 、.r‐''"/':::/// ゛‐-|..,,,,_',       ',
 /  .|     ./ i ',   '.||,, '‐-.,-‐' ..┬‐-ノ>¬、.'/i|   |  ノ.',       ',
/   i     /: :| _i   _..-- Y1ヽ - `' ,,_i ―ーユ ,,`-i ./ λ__  ',     _,,..-'
゛''-.,/,_________,/,..-i‐'".,,, -冖 .. 、ィx コ-:‐r" 、 - .._  '''`丶     .|:',゛:'','''゛゛ ̄ |
  /     ./:::::/| . -,' `'l゛ ン .. マン'<ゝ Tj 'べ _- "ゝ、  ..|::::',::::i    .|
 ./     /:::::/:::i ../´゛  ゙゙  「 <|'‐'' '| ナ│`ー-―  」' 、 ....i::ヽ:::::|     ',
../      ,i:::::/::::::i..:ニュ'、,⊂ 弋‐-v ノ",l ´ -,, ゞ 、 7--′ .i::::::',',::|      ',
/      |::::/|:::::::i .lハ"、\ ''くニ''ニ..-< i ../- ''、〈 l│   .i.::::::::i ',|,     ',

年齢 14歳  
RANK Fランクアイドル

解説

本作のメインヒロイン。
中学二年生にして、Fカップのバストと、日に何十人にも告白されるぐらいの容姿をほこる。共に公務員である両親に、限りなく甘やかされて育ったためか、めんどくさがりで、世間知らず。

運動、美的感覚、歌唱力、と──、全方位に展開される才能は、生まれ持ってのアイドルである。
なんでもできる故に、一生懸命になれるものを見つけられないというコンプレックスがある。

真剣になれるものを見つけるため、自分の限界を試すために、アイドルの世界へと飛び込んでいくことになる。

好物はおにぎり。




水瀬 伊織(CV 釘宮 理恵)

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                 __ ...rク. -、<- .、    に
                / 二>'"; ; __ : ヽ: :) } \    ひ
               ヽ  /: : : : : : : ヽ: }/ヘヘ : 、   ひ
                />': _ : : : : :_:「f⌒ヽ ! ヽ-!    ?
                   l: /:!: : : :,.>''"  ヘ、  .リ ._.'j!、
                   i: i .!: : :〃      `  〃⌒.い、
                   !:ハ 、: /:!  ,. -―-    ,rチミ、い、
                   |: ハ ∨:!:! /_.,,二ミ    込}.ハj: : \
                   i ,: :ヽ>、! ´〃うJ;;!   、 /i/ :!: :}: : i
              ,.イ ,: / {.rぅヽ ` ヽ-''    ,.1  .ハ: :ハ: :!
             /: :!/:/ _:ヽ, ヽ  ///  (二ン ./: :/ }: |
              /: ://:/://´⌒ヽ,> ,,  _    /`Y V: ,
         /: :/: :/:/:/ '   rヤ´:ノ     ,ハい { ハ : :i /
        /: :/: : :/:/ ,    .!_」´ヽ  \  :{ ハい_ル: i ):(
      /: :/: : : :/:/: :j   〃> ヽ, ゝ{__ ` _ ' .にr;!: |': : :)
     / : /: : : : ://: :い,  〃. ヽい }ヽ     ノハ!: ! //⌒ヽ
   /: :/: : : : : ://: : : :ノ  ,ソ    ヽい,ハ、_ ./くハ! /:/. ⌒ヽ |
  /: :/: : : : : : ://: : : :/   ,{     ノ ソ| !YTいヽ!}:/, ´ <⌒\\
/: / : : : : : : : //: : : : ;    !    ハナ<!」:| l !ノー77  ..::::::::Y^i: 丶 \
: / : : : : : : : : //: : : : :;    !   ハ///://77, //,イ j_ :::::::::::;  !: ト、 \
: : : : : : : : : : ://: : ;>-{    :! ∧:///:/:/:////// レ' ヽr‐<  \!. \_)
: : : : : : : : : ://>" {  :i    ' ./、 \:/:/:///////! ..::::::iヽ)
:イ: : : : : : : :/ /  }  、   / \  ` ―― 'r'⌒Y::::::::l  \
: !: : : : : / /  !  i   > '"\   ` ー――‐そ_,ノ:::::::人   \
: |: : : /  :{  |   、  \   ヽ _         _>くヽ, !    \
: i: / /  :i   ,   ヽ   \     ''  ――‐ '' "  { :} :!:! ,   ヽ!
: /  {   !   ヽ   \   `  _          / :}ル' .i ハ ! n ;リ
..!   :!   !    \   \    ''  ――― '' "  ノ{  リ ) ! ル'
. )_  :!    ,     \   ` ,,          _ / }   (/レ


年齢 14歳
RANK Fランクアイドル


解説

ハニーキャッツのリーダー。
家の中で迷子になれるほどの豪邸に住むお嬢様であり、金銭感覚がぶちぎれている。
ツンデレであるのだが、本作ではやよいへの好感度がすでに最大になっているので、あまりそういう姿を見せることはない。

罵倒が愛情表現であり、「お兄様」→「下僕」→「このド変態!」という感じに、右にいけばいくほど好感度が上がっていく。面倒見はよく、コネと権力と人望で、ワークスプロダクションのアイドルたちの支持を得ている。派閥としては、ワークスプロダクション全体の、ほぼ三分の一を掌握している。




高槻 やよい(CV 仁後 真耶子)

    _/ ̄`ヽ
                         |: :{: /: : ヽ: : >、
                         ∧八{:rヘ>< ̄ ̄ ‐- .
                          /: :.〉''"´ ̄ ̄`ヽ: : : : _`ー--、   ,r=ミx
                            {:/: : : : : : : / : : : : : : : \: : : :.\/:./ ̄`ヽ
                          // : /.:.:.:. :/: /: : : : ハ: : : :小: : : : : Y´-──--{
                      /'.:.:./:/.: :.:.:./: /: : : : / l: : ..¦}: :ヽ: : 廴}⌒ヽ\:.ハ
                        /:.:.:./:/.: :.:.:./: /l: .:.:.:./  八,′|:.|: : : l: :廴}`ヽ.:.\\ハ
                          /: : : l::レ'⌒メ、: l l: : :./  /: : : : :|:.|: : : |: :》、}: : :}: : : V气
                      /: : : : レ─'´ └┘|:.:./_/: : : : :./ :|: : : |'´人} : 八: :.¦: 入
         _/ヽ__  へ     l:.:.:.:. : {  _、    ̄ ./`ヽ: : ./: イ: : : :|彡イ: :/:.:.)) ¦(.: : l
.      /´     `´ __ ヽ.__   |: : : : ,'z'´ ̄ヾ    __ \: : :V://.: : :..:.レ': :| /: :((: : ノ: : )./
     /       / }\_} \ |: :l: :/  ;;;;;; '     ==ミx \//': : : : /:.|.:.://: : :.:.): : : : :./
.    /         `--┴-、`ー´}: :|:.{    ,r‐‐、.     ヾ /: : : : :/: /彡' : : : : : : .:.:./
  '"´            ,r'¨¨¨´`¨¨´:.:.|∧    l  {ハ   ;;;;;;; ∨: : :. :./: /イ: : : : : :/:.:.:./
          ,.  '"´       |: :|:j∧.  l     }       /: : : : ://j/}: : : :.:./.:./
      '"´             |: :ト、{ {\ ヽ_.ノ     /: : : : : '   {:. : :.:.//
                        レ'i乂Nニ_> _____   /: ///    .\ 八(
                      /  /: :/〃 __.}  -=彡'/イ:/       ヾ《: }
                   /    l: :.l〃 { (____/>.》、__      ノ:)ノ
                  ヽ   人:,《   `ー───‐´ 〃' へ     ///
                       ハ /: :/〈 `ヽ         メ//   ヽ  ヾ((
                   | |': : :〃: :`ヽ   ‐-----‐'´〃       ハ   ヽ
                   | l: : 〃: : : : : : : :ー‐┬‐‐'〃        l
                   | |: 〃: : : : : : : : : : .:.:.|: :.:〃 -─     }
                   | |: ll: : : : : : : : : : :.:. :.|: 〃/       /
                   | |: ||: : : : : : : : : : : : :.{〃'´       /
                    l│:||: : : : : : : : : : : :.:〃          , '
                    l│:||: : : : : : : : : : : 〃       /
                    | |:.:||: : : : : : : : : : 〃.     ./
                    レ'●)__: : : : : : /'     /|
                 /      ` ●Y      / │



年齢 13歳
RANK Fランクアイドル


解説

活発でドジな向日葵元気娘。
伊織とは親友。
人に愛される天才。

家は貧乏であり、家の家事や炊事、家計を一手に預かっている。家族を救うために、節約術を磨くのに余念がない。
よって、今日も給食費が払えないと給料の前借りをねだることとなる。

素直で、真っ直ぐで純粋。
かつ、元気で笑顔が似合う。その姿を見るだけで、自然に周りの人々まで笑顔にしてしまう、天性のアイドル。

ただし、相当なレベルで意地汚い。(それを指摘すると、本気で怒られる)
意地が悪い、でもなく、性格が悪い、でもなく、意地汚い、である。


伊織と共に、頂点を目指す。その願いを叶えるために、今日も元気にへこたれず頑張る。




如月 千早(CV 今井 麻美)



/::/         ,.ィ"゙ヘ::i´ ̄`\‐-.、   i
;/       ,...-‐彳:::::. .ト.:|::. : : : : :`ヽ...\ノ
        /:::::::::/: : : : i:Y:i.:. : : : : : \: : ::'l,
.      /: : : :/:/ : : : : : :i:::::!.:: : ::. . . . .ヘ ヘ :'l,
   /: : : : :/: .i i : : : : i .|""ト、: i::. : : : :ヘ .ヘ. !
  /::: . .. . ./. .:::!.i: : : : ::!: i   !ヘ;: :!::. : . . . i. . !.i
  .i:::;. ..::. ..i . :::::|.!: . . ../! /  !. ヘ;.'l,ゞ; . . ..'l,: :'l,!
;;;, i:::i. .::: . i: .::i:;;リ:::__ ,/.i / -‐弋⌒マFミ : : :ト、;:'l,
;;;;;|:::i. .:::. .i:.;:ィ什√/ .iソ   ,.t廾=<\.)\.:i:: ;:.i、
;;;;;i::::::.::::..i::::/_γ升卜、   ″i弋爿!) /./.ノゞ:::i.|'l,
;;;;;;ト;::::::::: |::/ /|弋%爿      ゝ...ノ .// /..::..!: リ:'l,
;;;/:.ヘ:.:.:.:.|:斤、ヽゞ-‐′  .       ルイ: . .:: : :: :'l,
/.ヾ;:::ヾ:::i::::ゞヘ、       ′     .∥::::|::. . . .: : : 'l,
. . . ヾ;:::ゞi::::::i;;:ヘ、    i" ̄)    /:::::::|::::. . . .;: : :'l,
. . .../::::::::::`::( .゙ヽ ゝ、_  `. ‐′ / !-=;;::i:::::; . . : ; : 'l,
. . /::::::;:=--<.ヘ. '!f""`>‐-.ィ′,<  .ミ::; ;:::. . . .; : 'l,
../::::::f′   〝!. ヘ、   ヘ ,/     _ミ::::..:::::. : ; : :'l,
":::::::i  ,. .r─┴-、. ヘ─.t-r-‐─-ァ /;;/"` ‐-:; : : ; 'l,
::::::::;i,r (      ` ..'!三!+t- ミ,.,/ /;;/,,.....,,,_. `!; : ;'l,
:::/   ` アァ ‐ァ'''""´ 'l,ヒ.|, ./ !r'''"     `゙ヽl:; : ;'l,
::|  ......:.:/.:.:..ゝ:::::...,,,.. r'''"i,'i l,.!  !  ...:::::::::::::.......  ヾ; ;'l
::| .:.:.:./;i.:.:.:.:.:ヘ::   ,,.. r'"i.!| i   i,,;;;;;;;;r-=、:::::::::   i:;'l
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年齢 18歳
RANK Aランクアイドル


解説

本作のメインヒロイン。
ギガスプロダクションの看板アイドル。

ステージ1で、方向性の相違から、プロデューサーと、袂を別つことになる。

歌の能力はすさまじく、いくつかのアマチュアの大会で、日本一の座を掴んでいる。
努力型、と誤解されがちだが、完全な天才型である。

実は、美希を軽く超える天然。
人付き合いが極端に苦手なために、空気を読むということができない。

ちなみに、美希と絡ませると、美希がツッコミにまわる。これ豆知識。



水谷 絵理(CV 花澤 香菜)



     __,,..-<.-‐- <ヾ ヘ彡..-‐-.,,_)
   _,,..- '" _,,..-‐‐‐‐'二"_,,.ヘヾ,_〉"ミ~~へ
  <  ,,.-''"  _,,.-''"_,,.-''.-/i'"|:::~゛''''‐‐--...,ヽ
   >  _,,.-'"  ,,.-''"-''_,r'"r"::::::|:::::ヾ:::ヽ:::::::::ヽ
   /.r'/   / ./ _r/r'::::::::::::::',:::ヾ:::::::ヽ:::::::::ヽ
  < (/ // ./. / .r~:/::::::::::/ ',::::ヾ',:::::丶::::i::::',
/::::\'/ / /_./ ._ノ~:::::|:::::::/   ヽ::::::',::::::::',::|!::::|
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::::::::::::::::::/ヘヘ_ ァ:"::|!:::::::::::|::/_,,-=‐,,     ,-ヾ':::::|,',
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::::::::::::::/::::::::::(:::::ヘ.ヘ(i\::|  ゝ::ノ      `' | |:::|||',',
. \:::::/:::::::::|::::ヽ::::弋_*_ ゛.         '  ./ |:::|',',',',
   >::::::::::::|::::::::ヽ::::::::::::', \     ..,,__ ,, __/_,r,::::|‐‐-..,_
 /::::::::::::/:::::::/ヽ:::::::::::',  ゛'-.,,_     .|γ,::::::',:::',::::::::::::ヽ
 ヽ:::::::::./::::i ̄  ソヘ::::::::::',_,,..、_ __-.,,__ イ|::| /::::::ヘ:::|::::::::::::::\
  ヽ::::/::::::|     i::::::::,_:', ', ', ',ヘ\`i |"ゝソゝ,:::::::_ヾ-'"ヽ ::::::::\
    ゝ‐‐"    ./ ̄ヾ、ヽ-----,rニ'-‐"ヘ、ヾr',',',',',',',', ヽ:::::::::\
        ゛''='/      \ヽノ /.','ヾ,ヽ ',',  ',',',',',',',',',-,,_ヽ::::::::::\:
          i        \` ヾ ',', \',i|  ',',',',',',',',', \ヽ::::::::::\
          ヽ、        \ヽ_.',',-..,, 〉" /'.,',',',',',',',',:::::::`|::::::::::::::::ヽ
            ヽ、    _/※\ ',',   //. ',',',',',',',',',::::::::',:::::::::::::::::::',
             ヾ   ノ/※※,,r'\,.-‐''"/  .',',',',',',',',',''-.,,_',::::::::::::::::::',
           ,..-‐'"::`" <※※※,r':::::::\_/<_ノ"',', ',',',',',',  ゛'-.,,_:::::::::::|
        _,.-'":::::::::/三//\'⌒::::::::::::::::::\"   .',.',',',',',',',',      ̄
      _.-'::::::::::_::/彡_/ / |  ''-._::::::::::::::::::::\   ', ',',',',',',',',
    _,.-'':::::::::..-'"_,,,.-''"/  .| .| / 〉 .>:::::::::::::::::::::::\ .',.',',',',',',',',
 ,,.-'::::::::::::/-~/ // / /)| .| / /|| // ゛''-.,::::::::::::::::\.',',',',',',',',',
 :::::::::,..='-"」 // ソ ./ /) ', ト.,,_r-//   γ\:::::::::::::::::\',',',',',',',
    "//// //  / //  ヘ|井#''-`.-‐‐x, |:::::::::ヽ:::::::::::::::::\',',',',',
    
年齢 15歳
RANK 元 Dランクアイドル


解説。

主人公のアパートに寄生しているヒキコモリ。

基本的には、ニュコニュコ動画に『踊ってみた』系の動画をアップして、万単位のアクセスを稼いでいる。

能力的にはマルチになんでもこなし、作詞、作曲、映像編集、コスメプロデュース、書道、小説、絵、などクリエイティブな分野はたいていなんでもできる。

人付き合いは苦手。長くヒトと話すと疲れるらしい。趣味はひかげぼっこ。

ドS。




サイネリア (cv なし)




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            /: : : : _:_: ,,: ヽ,: γ:丶   _ _
        _,,, -/: : :-‐''': : : : :〉-‐"ニ-''" ̄: : : : : : : :`: :: 、
     , -,".-/: :/: : : : : , --":;:":: : : : : : : : : : : : : : : : : : ヽ 、  _   _
   /::/ /: :/:/:,_:/,_i::/: :: : : : : : /: : :/: : : : : : : : : : :ミミヘ/::::>∠ミミ
  //  /: :/:/: :"/: :(::/: : : : : : :: : : /: : :/: : : : : : : : : : : : : : :/:::::( ヾ ヽ
, '/  /: : //-ニ-7': : : /: : : : : : : /: : /: : :/: : : :i: : : : : : : : :',: : ヽ,::::::::)ヘ
' _/: :_,,/''"/  /: ::/i: : : : : : : :/: : ::|: : :i: : : : ::|: : : : : : : : :',i: : r"::::〈ヘ ',
ニ -‐"  /   /: :/ .|: : : : :__ /|: : :/|: : ||: : : : ::i: : : : : : : : : i|: :ゞ_::::::)',
    /  .,/: :, '" __ ,,i.::‐ "_ノ .|: /.、',: :|:|', : : : :|: : : : : : : : : |: : : |:::〈
   /  /;;:-" - "  , -‐ " /   |/.  ',::|,|,:',: :|,: :|: : : : : : : : :|: /: `i//
  /  /''" ,. '" ,    .ゝ /ヘ: :x==x,,    ヾ',|ヾ_,,',ヾ|: : : : : : : : |: :_/-"/:
../ /_ -"     ',. /  |: :',|   ヾ _,,.....,   "/ ,8,i: : : : `=ニ二 -/"|: :
_,, - |     ,/  (_ , - '"ヽ---‐‐ '''_ ,, -"   弋☆リi: : : /:| :/⌒): : /: : :
::|  |    '_,, ‐-  (__ - "  _ -‐"         ̄/: :/: :|:/ノノ/: : /: : :
::ヘ  ',   "        _ - "ヽ    ┌‐,- 、   //i | .|/;|彡: : /: : :/
:::::\ ヽ_       -‐<     ヽ   ∨   )  '",ノ/ / /:ヾ: _/,,- "
:::::::::/   7゛:::: ̄ > __  `ヽ,   ヽ-‐-,丶  " _, -":::/: /,'>"、   , -‐
:://⌒ ̄::::::::::::::/    ゛`ゝ-'  /_;;;:;;;:::::::::'.,::''":::::::/i/: /,'  /  > ''  /
 〈:::::::::::::::::::::::::::::ヾゝ 、    ヽ,.|::::::::::::`:::、:i_-_‐,," "//'  /  /    /::ミ::
  ',::::::::::::::::::::::::::_ |  ` - 、 / |::::::::::::::::::/::::::::::::::彡   /  /\、  ,';;_;;_::::
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年齢 18歳
ネットアイドル


解説

ネットを介した、絵理の友人。
ネットアイドルとしては、ランキングで絵理に勝てたことは一度もなく、ずっと後塵を拝み続けている。

詳細は不明。
最近、悪のロンゲ、オザキラーに捕まって、ダークサイネリアに改造された。

ドM。



三浦 あずさ (CV たかはし 智秋) 



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         |/    ヽ:|        \|,*
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 /\    /::::::::::::::: ソ::::::::::\     。
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       /::::::::/―ヽン/^ヽ:::::';:::',  *
.   * /::::::::/==、    ´ ̄ ヽ::::!:::!
 *     !:::::::/      ==、 !:::|:::|
      |:::::::!ィ=ミ   _ ∨::::!:::!
      リ::::| ,,,,,,  . ´ ̄ヾ/::::/ ::',
  *    ト、|ヽ、 、_ _  '''''/::::/ ::::::',
        |:::::::::::r、 __ /7-ィ:::::::::::::'、
 *  。   jイT「 ト‐ナ/ _ア / :::::::::::::::ヽ
    ゚   / jレリ.ノ>'" ノ /、::::::::::::::::::::':,
      l / レ'   ,イ「  イ !:::::::::::::::::::::::!
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      ヽ _/ーイケl   l/:::!:| |:::::::/ !::/
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年齢 23歳
RANK アイドルマスター

解説

元、アイドルマスター。
数年前に、人気のピークに突然の引退。アイドル業界から姿を消す。
プラチナリーグでは伝説のアイドルであり、今もファンが復活を待ち望んでいる。
能力的には、他のアイドルに影すら踏ませず、十馬身差で圧勝しているような状況。
Aランクアイドルたちですら、全盛期の彼女の足下にも及ばない状況を、一番ふがいなく思っているのは、彼女かもしれない。

癒し系天然お姉さん。
主人公と会った時には、すでに短大を卒業していた。

助言は的確で、判断にブレはない。
アイドルたちすべてのお姉さん役として、自らを位置づけているところがある。



天海 春香(CV 中村 繪里子)



          ._,,..............____
      _rッ-' ̄      `'‐、_
      |.ノ゛            ┌、_\___、
     / . /  _  . i .、    |  ゙X  .|
     / /.  /|  /|. .||   || |\ノ \/
    / ./_メ、|_| |__||___|.|_|.  |  |
    |  | /  |. |   /  |\ .|  |  |
    |  | \./ /   \ノ //  |  /
    | /   ┌―┐   ./  / /
    \\    ._/   .ノ  /  |゙
      レヾシ―---―ツ_ノ、|\ し
       /          \
      ./ |        |  .|
      |  |        |  |
    _/ /|        |ヽ  \_
   〈__/|       | \_つ
.      /    ,,    ヽ
.     /     /\   /
     _ヽ   /    )  /_
.    〈___;    (__〉




年齢 16歳
RANK Aランクアイドル


解説

ワークスプロダクションの看板アイドル。
言動の黒さと、その圧倒的なカリスマで、プラチナリーグの一角を担う。

「愚民」と呼ばれるディープな親衛隊をもち、ファンを自らの手足のように扱う。

当時の765プロダクションの看板アイドル、西園寺美神に憧れ、アイドルを志望する。
田舎出身の、元は地味な少女だったが、
路線変更の末、ほぼひとりでワークスプロダクションを四大プロダクションのひとつへと押し上げた。


西園寺美神を、おねえちゃんと呼んで慕っている。





[15763] stage4 Blackboard jungle(課外授業) 1
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2012/01/13 10:19
「うー」
 美希が唸っていた。
「まだ拗ねてるのか」
 俺は言う。
 梅雨の季節も明けて、この前までの空の暗さが嘘のようだった。とにかく、暑い。汗がじっとりとシャツに張り付いている。こんな時期に、エアコンが壊れているのは、一種の拷問だった。蝉の音が絶え間なく耳にこびりついて離れない。
 外を見ると、熱を溜め込んだコンクリートが陽炎を発していた。

 ──ああ、海に行きたい。

「ミキ、アイドルなんてやらないって言ったのに」
 美希は、ソファーで死んでいる恰好だった。
 怒っているというよりは、俺と同じく暑さに参っているように見える。
「仕方ないだろう。俺もいっぱしに仕事と地位を貰ったせいでな。ひとりを贔屓したりできなくなってるんだから。部外者を事務所に入れるなんてのは、もっての他だ。『ワークス』のアイドルとして登録したのは名前だけだし、問題はないはずだけど」
「でも──」
 美希は、まだ不満があるようだった。

「ちょっとプロデューサーッ!!」
 またややこしいのが。
 事務所の扉を開けて、伊織が怒鳴り込んできた。

「この日だけは、仕事を入れないでって言ったのに、どうなってるのよ」
「あのな、Fランクアイドルなんだから、仕事があるだけで有り難いと思えっての」
「伊織ちゃん、その日、なにかあるの?」
 後ろから、少し遅れてやよいが上がってきた。
「うちの中学で、林間学校があるのよ。ハワイに行くのに、せっかく水着まで用意したのに、無駄になったじゃない」
 伊織が毒づく。
 つか、林間学校でハワイってどんだけだ。
 お約束としては、純粋培養されたお嬢様しか入れない中学とかだったりするのだろうが、伊織とかいる時点で、前提として不成立な気もするしなぁ。

「アンタは、暇そうね。偉くなったんじゃなかったの?」
「やってることは、Fランクふたりのプロデュースだからな。肩書きはエグゼティブプロデューサーってことになっているが、特に仕事なんてないんだこれが」
 権力は与えられているとはいえ、これは飼い殺し、に近い。むしろ、扱いは最初に思っていたとおりだから、問題ないといえば問題ないのだが。

 整理してみよう。
 前の職場である『ギガス』プロでは、如月千早のプロデュースを行う傍らで、他のプロデューサーたちの総括をしていたのだが、この事務所ではそのやり方は通用しない。
 だって、アイドルなんてこの事務所には八人しかいないから。(伊織やよい美希を除く)
 前に説明したが、『ワークス』プロダクションは、何十ものプロダクションの集合体である。
 同じ名前を戴いているとはいえ、やり方も流儀もなにもかも違う事務所を、二十近く、これを同じように管理するなど、できるわけがない。

「当たり前じゃない。アンタに権力なんて握らせたら、危なっかしくて気が休まらないわよ。それより、なんとかなんないわけ? 仕事を一週間ぐらいずらすとか。林間学校が終わるまででいいから」 
「伊織。なにか勘違いしてるようだが、俺はプロデューサーだ。ドラえもんじゃない」
 伊織の、文句の速射砲を聞き流す。
 ソファーの美希も、まだ不機嫌なままだった。
 この気温の高さが、誰も彼もをいらいらさせていた。見るともなしにつけっぱなしのテレビが、アイドルソングを垂れ流している。

 さて、どうするか──

「なぁ、やよい。
 今、『ワークス』プロダクションのアイドルのビデオを見てるんだが、やよいの印象としては、どこが悪いと思う?」
 『ワークス』プロダクションのBランクアイドル。
 四人組ユニットのステージビデオだった。さすがに、Bランクに長く君臨しているだけあって、歌の質とステージの構成は文句のつけようがない。
 けれど──
 押しつけられた癖のようなものは、ランクが上がっても消えるはずもない。

「え、ううん。
 ……間違ってるかもしれないけど、
 この人たち、あまり仲がよくないだろうなって──」
「へえ、どうしてだ?」
 いい目をしている。
 普通の人なら見逃してしまう違和感を、やよいは拾っていた。

「この人たち、踊り自体はカンペキだけど。四人組みのユニットなのに、勝ってもひとりで喜んでるなって」
「たしかに、ガッツポーズも、喜ぶタイミングも、全部バラバラよね」
「だな。こういうのはファンにも伝わる。さっさと矯正が必要だな」
「プロデューサー。話をそらさないでよ。問題は、まだ終わってないんだから」
「そんなつもりはない。つまりだ。海に行ければ問題ないわけだな?」
「え、ええ──そうだけど」
 伊織の火が、ようやく鎮火した。

「じゃあ、うちのお嬢ちゃん社長を説得にかかるか。ワークスプロダクションで、合宿ってのもおもしろそうだよな。確か、親会社所有の保養所があったし」
「うわ、またなにか企んでるの?」と、美希。
「プロデューサー。すっごいイイ顔になってます」と、やよい。
「完璧に、他人を騙そうとしてるわね」と、伊織。

 ──失礼な。
 






 




「──つまりだ。Cランク以上の増長ぶりと、Dランク以下のやる気のなさがひどい。まずはここを正さないといけないわけだけど、とりあえずは接点がないからな。全員参加とはいかないまでも、合宿なんてやったらおもしろいと思う」

 社長室、などという立派なものは、このプロダクションにはない。たいていのプロダクションは、どこかのビルにテナントを借りるような形になっている。
 非道いところになると、一室に、べつべつのプロダクションが四つぐらい詰め込まれているのだが、さすがにここはそんなことはない。プロダクションはたくさんあっても、自社ビルをもっているのは、『ギガス』と『エッジ』ぐらいのものだった。
 よって、
 窓に面したの社長用の席で、西園寺美神は書き物をしていた。俺の言っていることは、正論すぎるほどに正論だった。このワークスの問題点を、そのまま言い当てている。流石に、これを否定できる理由はない。

「それは、考えたけどね。
 ──無理があるわ。ただ集めたぐらいで溝は埋まらない。今の子供たちって、無駄に賢しいもの。
 今まで、そんなこと一度もやったことないのに、突然合宿なんてやったら、すぐにこっちの意図を見抜いてきそうだけれど?」
 問題点自体は、彼女も把握しているらしい。
 ただし、解決方法がわからない、と。
「ってことはだ。そんなことを考えられない状況にすれば問題なし、か?」
「え、ええ──、そういうことね。でも、どうやって?」
「他のプロダクションも巻き込もう。
 『ギガス』と、『エッジ』と、『ブルーライン』を。
 他のプロダクションのアイドルを招いて競わせれば、身内でドンパチやる暇も意識もなくなるだろう。交流ってことで、『ワークス』のアイドルたちにも、これ以上ない刺激になるはずだ」
「それ、実現できるの? そういえば、『ギガス』はあなたの古巣だったわね」
 完璧なロジック。
 普通に仕事をしていれば、ライバルとなるプロダクションと関わることは、そうない。
 彼女だって、元アイドルで、元プロデューサーだ。
 興味がないといえば、それは嘘になるだろう。

「『ギガス』に関しては問題ない。朔や社長を避けてでも、この案を通すメンバーに心当たりはある」
 創業メンバーは、地位にかかわらず、等しく社長と同等の決定権を持つ。
 社長。
 朔。
 千早。
 ソラ。
 チカ。
 名瀬姉さん。
 蛍さん。
 楢馬。

 この中の一人でも説得できれば、そのまま案は通る。というか、社長に直接話つけるのが、一番早いような気もするのだが。
 
「『エッジ』プロダクションについても、問題はないかな。あそこの社長、こういうのが大好きそうだし」
「そう。じゃあ、『ブルーライン』には、私が話をつければいいのね?」
「ああ、あそこだけは、よくわからないんだよな。Aランク一位の、『YUKINO』を囲っている。そして、完全なプロフェッショナルな集団ってことぐらいか」
 そこらへんを探るのにも、今回の合宿は、うってつけのはずだった。
 というか。
 海。
 日差し。
 水着。
 ついでに、仕事。
 すでに、目的と手段が逆転しているが、きっと気にしたら負けだ。

「じゃあ、この方向で話は進めておくから」
「幸恵をアシスタントにつけるわ。彼女の指示を守るようにね」
「ああ、わかってる」

 これが、合宿を決めるまでの顛末だった。
 
「──この、詐欺師」
「ありがとう。最高の褒め言葉だ」
 完璧な結果を出した俺を待っていたのは、伊織の罵倒だった。

「というわけで──」
 俺は、美希、やよい、伊織を見渡す。



「合宿が決まった。──各自、水着と、換えのパンツを用意しておけ」






[15763] stage4 Blackboard jungle 2
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/06/13 10:39







 一昔前に流行った『ヤキニクマン』というアニメを覚えているだろうか?

 当時の小中学生を中心に爆発的なブームを巻き起こし、キャラクターの姿を真似た消しゴムが社会現象にまでなった。ちなみに、俺は小学校の頃に、夕方の再放送で見ていた記憶がある。
 確かGガンダムの後にやってたはず。(直撃世代)
 今思い返してみると、当時の番組編成がやけに濃いな。

 それはともかく、
 リバイバルブームにあやかり、二十年を経て、実写かつ特撮番組として蘇ったのが、Aランクアイドル菊池真主演の、『ヤキニクマンⅡ世』である。

 時は現代。
 初代の主人公、ヤキニクマンの一人娘は、他のアイドル超人(レジェンド)たちと違い、あまりにかっこわるい父の栄光時代に反発し、宇宙プロレスをずっと嫌悪して生きてきた。
 しかし、父の現役時代のライバルたちに教えを請い、数々の戦いの後、最後は父への和解で話を閉じる。

 これは──軟弱な現代において、自らの肉体のみを武器に、迫り来る悪に立ち向かう、正義の物語である。



 あ、ちなみに大人気の特撮版と反対に、アニメ版はポシャった。
 オープニングのムービーと歌だけで、熱さの九割を使い果たしたとして、知る人だけが知っているような作品、という評価にとどまっている。
 まあ、二期やったし、相当恵まれてはいたが。

 原作では巻数をリセットして、タッグマッチ編に移り、ヤキニクマンⅠ世とヤキニクマンⅡ世の、世代を超えた親子対決、引っ張りに引っ張りまくったドリームマッチが、ついに実現しようとしているところだったか。


「ネタバレはやめてくださいー」
 やよいが耳を塞いでいた。
「ふふふ、この後の展開はな──」
「アンタね。幼稚な嫌がらせしてるんじゃないわよ」
 伊織の声。

 大型バスに設置されたテレビでは、『ヤキニクマン』のDVDが上映されている。菊池真主演ということで、初代直撃世代のみならず、乗り合わせたアイドルたちの視線を独り占めにしていた。
 スタントやアクターをまったく使わない、というのが初代からの取り決めであるらしく、ジャッキーも真っ青のアクションシーンが繰り広げられている。

「ヤキニクッ──ドライバーッ!!」
 テレビ画面では、菊池真扮する──ヤキニクマコトが悪行超人をマットに叩き付けたところだった。
 
 大型バスは、合宿の場所へ向かっている途中だった。高速を乗り継いでも四時間近く、『ワークス』プロダクションの合宿参加者、三十人近くは、バスの中でめいめいに暇を潰していた。
 
 『ヤキニクマン』のDVDを鑑賞している者、トランプで大貧民をやっているグループ、仲のいい友人とグループを作って喋っているアイドル。
 仕事疲れでシートを倒して寝顔を晒しているアイドル。

 で──

 こっちのグループとしては。
 隣の席で、美希と雪菜が、折り重なるようにして夢の世界に旅立っていた。熟睡しているらしい。
 特に美希。
 俺の服の裾によだれをなすりつけている恰好だった。

「原作はねぇ、単行本発売が遅いのがね。最新刊いったいいつ出るのよ。っていうか、私の出番はまだ?」
 芦川高菜は、一話だけゲスト出演したらしい。
 悪の手先として、高笑いの演技が好評を博したとかなんとか。

「やーめーてーくーだーさい。古雑誌貰うのがけっこう後だから、この先の展開知らないんですよー」
「むきー、なんかいいところで終わるわね。オープニングとばしなさいよ」
「伊織ちゃんダメだよ。『迷走mind』いい曲だよ」
「みなさん、たのしそうですね」
 座席を回転させて、席は六人掛けになっている。通路を挟んで、反対側からこちらを覗き込んできたのは、黒縁の眼鏡がよく似合う少女だった。

 佐野美心(さのみこころ)。
 伊織や美希と同じ、十四歳。『ワークス』のDランクアイドルだった。  
 監視役であるプロデューサー、藪下幸恵が、仕事で合流するのが夜になるようだった。よって、彼女直属のアイドルであるこの娘が、見張りを兼ねているらしい。

「問題児ばっかりだけどな」
「はい。そうですね。でも、わたしもプロデューサーに迷惑かけてばっかりですから」
 彼女は笑った。
 ほんのりと、心が温かくなるような笑顔だった。

 ちなみに、多くのアイドルの中で、彼女──佐野美心ほど変わり者はいない。上のランクに興味もなく、大きな仕事のオファーを蹴って、老人ホームの慰問などを主に好んでいるらしい。彼女なりの信念があるのだろう。
 まあ、理解はできないが、本気でやればBランクぐらいは狙えるだろうに。 

 バスは進む。
 トンネルを抜けると、潮の香りが鼻孔一杯に広がった。
 窓の外に、海の青があった。空をそのまま写し取った色に、遠くまできたという実感が沸く。
 
 リモコンで、DVDを一時停止する。
 それで、自然に注目が集まった。

「では、最初の予定だが、荷物を宿泊場所に置いた後は、自由行動だ。ビーチから出なければなにしても構わない。
 自由行動は、今日だけだ。
 思い残すことのないように、しっかり遊んでおけ。明日からは本格的に合宿だからな。
 アイドルたるもの、いつも見られていることを忘れないように」













 焼け付くような太陽が、砂浜を照らす。
 早速、砂の城制作に取りかかるやよい。
 正方形のパラシュート型ビーチパラソルとウッドテーブル一式まで持ち込んで、伊織はくつろぐ体制に入ったらしい。

「っていうか、なに食べたらああなるのよアレ」

 伊織の視線が、美希の胸に集中していた。

「よく食べて、よく寝る、かな?」

 美希のグラディーション模様のビキニは、美希の白い肌に、よく映えた。
 このためにあつらえたというだけあって、胸も尻もはちきれんばかりだった。中学生離れした肢体は、ビーチすべての視線を惹き付けるぐらいの魅力がある。

 肌を晒してわかるが、素質の次元が違う。
 
「ん、遊ばなくていいのか?」
「……だって、さっきトイレに行ったら、順番待ちの列ができてたの」
「ん、ああ。それはまあ、これだけアイドルがいれば、順番待ちにもなるのか?」
「ううん。そうじゃなくって。ミキに声をかけるための、順番待ちだって。男の子たちが十人ぐらいズラッと並んでて、断るのに疲れたの」
「………………」
 どんだけだそれ。
 このビーチは、この四日間はほぼ貸し切りのために、男がいるとしたら、旅館の従業員とか、海の家の従業員とか、全部関係者のはずだが。

「ってわけで、おにーさんはちゃんとミキを守ってね」
「わかった。まだ他のプロダクションの準備はできていないようだし、今のうちに遊んでおくか」

 言ったすぐ後だった。
 人波が割れる。
 四十人ほどの集団が、こちらに近づいてくる。集団の構成は、ほとんどが十代の少女たち。

 そして、その先頭を歩くのが──

「なるほど。
 さすが、『刃(エッジ)』プロダクション。
 期待を裏切らないな。Aランクアイドル直々のお出ましか」

「あ、さっき、テレビに映ってた──」
 美希のつぶやき。
 それは、二重の意味だった。

 ひとりは、Aランクアイドル、菊池真。

 風格があった。
 身体の線がでないようなオーバーオールで、さらに中性的な印象を強めている。
 元が、美少女なのだろう。
 が──切りそろえた髪と、意志の籠もった瞳が、男性的な魅力を備えているのも確かだった。

 真っ直ぐに視線が絡む。

 微笑まれた。
 ドキリとする。
 おお、なるほど。
 これは、大量に女性ファンがつくのもわかる。

 そして──むしろ、こちらの方が重要だった。
 もうひとり。

「金田君だったか。
 この度は、貴重な機会を与えてもらって、感謝する。
 『エッジ』プロダクションで、代表取締役社長をやっている、羽住正永(はずみせいえい)だ。

 これから四日間。同じ釜の飯を食う仲という奴だな」
「ええ、よろしくおねがいします」

 握手の形で、差し出された手を握る。

 彼の俳優としてのピークは、二十年も前だったはず。なのに、鍛え上げられた筋肉が、目に見える形で隆起する。
 たしか、齢四十を超えているはずだが、衰えのような者はいっさい感じられない。
 
「ちょっと待ってよ。羽住正永って確か?」
 伊織が飛び起きた。
 記憶の糸を辿っている。
 さして、時間もかからずに答えにたどり着く。

「──初代の、ヤキニクマンじゃない」
「だな」
 当然、さっきのDVDにも、『ヤキニクマンⅠ世』として出演していた。
 現役を退いて二十年、影から主人公を助ける役割である。
 キャストが発表された際には、師弟の競演として随分とマスコミに取り上げられていた。

「え、えええっー」
 やよいが、ずいぶんと驚いたようだった。

「だ、だってかっこいいよ?」
 やよいが、目を疑う。

 無理もないか。
 この人がブタのマスクを被っていたとか言われても、容易に信じられないところがあるのも確かだった。
 若い頃は、相当に浮き名を流していただろうと想像がつく。

 質実、
 剛健、
 頑強、
 無敵、
 といった感じだが、歳を重ねた分、渋みまで加わって、未だ第一線で活躍しているのがよくわかる話だ。
 劇中では素顔は出ないため、言われないと気づかないはず。
 美希は筋肉だけで見分けたようだが。

「サインください」
「やよい。今は大人の話をだな」
 苦言。
「いや、構わんよ。後で部屋にきなさい」
「あ、ありがとうございますっ」
 夏の向日葵が、大輪の笑顔を咲かす。
 これで嫌みがないのが、やよいの一番の長所だった。
「私も」
「私もいいですか?」
 わらわらと。
 人がよってくる。
 アイドルなのに、社長が一番人気ってのもどーか。
 
「今回の合宿は楽しみでね。

 特に、『ブルーライン』は、あまり交流がないからね。いい関係を築けたらいいと思うのだが」
 結局、断り切れずに、サインを書きながら、羽住社長。

「ですね」
「おにーさん。ミキわからないんだけど、『ブルーライン』ってなに?」
「おい、そこからか」

 今更、美希がなにを言い出そうが、驚くべきことはなにもないが、社長をはじめ、周りはそうではないらしい。

 戸惑い。
 周りに、明らかに可哀想な子を見るような目で美希を見る視線があった。いや、ぶっちゃけ伊織のことだが。

「『ギガス』『ワークス』『エッジ』と並ぶ、四大プロダクションのひとつだ。

 特徴は、完全な秘匿主義。
 Aランク一位の『YUKINO』がその最たる例だな。ライブ主体のアイドル業界において、まったく顔出しもなにもしていない。

 プロモーションのすべてが映像で賄われているために、
 なにか秘密があるんじゃないか、
 映像で使われている女性が本当に存在するのか。
 もしかしたら、歌を歌っている人間、プロモーションビデオに映っている人間、全部本人の作詞ってことになっているが、作詞している人間がぜんぶ別で、ひとくくりで『YUKINO』を名乗っているんじゃないか、
 とか、そういった噂は絶えないってわけだ」
「へー」
 美希は、わかっているのか相づちを打つ。

 その秘匿主義が、人気の一端を担っていることは、否定できない。
 元々、実体はあまり関係がない。
 数年後に、聞きたくもないような暴露話をひっさげてきたり、歳をとったりしない分、架空のアイドルに転ぶファン心理も、理解できないわけではない。

「──『ブルーライン』のアイドル候補生になるには、試験があってな。それが、最初から最後まで合理的にがっちがちに固められてるわけだ。

 知ってるか?
 あそこはな、筆記試験だとか言って、こんな問題を出すんだ。まず、十人をひとつの部屋に集める。

 それで、アンケートをとるわけだ。
 『この、自分以外の九人の中で、誰が一番アイドルにふさわしいと思いますか?』──ってな」
「えっと、それどういうことですか?」
 やよいの合いの手。
「で、アンケートをカウントして、上位に来た三人が合格、とかそんなんだ」
「えげつないわね」
 伊織は、顔をしかめた。

「だが、効果的ではある。自分たちが選んだ、ということで、知らず、上下関係が刷り込まれるからな。自分にない魅力も自覚しやすい。あそこの連中、顔つきが違うだろ?」

 首をしゃくって、集団の視線を誘導する。
 砂浜の向こうにバスが横付けされる。
 中から出てきた少女たちは、十人と少し。
 
 こちらとは打って変わって、
 全員がCランク以上のアイドルたちだった。

 先頭に立った、お下げに眼鏡な少女は、頭を下げた。

「金田プロデューサーに、羽住社長ですね。
 『ブルーライン』プロダクション、十四人、これで全員です。
 これから四日間。よろしくお願いします。

 私は社長から責任者を仰せつかりました、

 ──プロデューサーの秋月律子です」










[15763] stage4 Blackboard jungle 3
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/06/14 12:55








 グラスを合わせる。
 なみなみと注がれたビールが、透き通るような透明度を見せていた。子供の相手、という、とんでもない激務で疲れた身体に、冷えたビールはなによりの清涼剤だった。

「それで、この子が、坊やが目をつけたアイドルかい?」
 遅れてきた『ギガス』プロダクションの引率者は、宴会に一番乗り気だった。
 安原蛍。
 女性。
 26歳。
 既婚。
 いつでも白衣を纏っている、ギガスプロの常駐医だった。
 なんだかんだで、アイドルたちからの信頼は厚い。
 いやまあ、蛍さんは創業メンバーの中で、社長を除けば最年長のため、発言力だけならば社長に次ぐ。

 朔も、自分も、この人には頭が上がらない。

 人に話すと驚かれることではあるが、『巨人(ギガス)』という社名も、この人がつけたものだった。
 アイドル業界の巨人たれ、という意味でつけられたと内外的に吹聴されてはいるが、実は単にこの人がジャイアンツファンなだけである。
 マイペース。
 マイペース。
 マイペース。
 そんな人だ。

 で、
 そんな安原女史が、右腕に抱え込んでいるのが美希だった。酔っぱらっているのか、顔を赤くして、はぬー、な状態になっている。
 ああ、捕まったか。
 美希は、その容姿のせいか。
 とにかく目立つからなぁ。

 他のアイドルたちはすでに、海岸近くの合宿所に入っている。
 合宿所といえば聞こえはいいが、その内容は、ぼろぼろの、廃校になった学校だった。
 これが、そのまま市の預かりになっているらしい。
 当然、そのままだと使えないため、海で遊んだ後に、すぐさまアイドルたちによる掃除が開始された。
 蜘蛛の巣が張っている場所を、どうにか見違えるぐらいに綺麗にできたころには、午後七時を廻っていた。

 ちなみに、夕食はお弁当。
 寝る場所は体育館。
 これで、布団だけ業者からレンタルすれば、120人でも200人でも収容できる。
 ──今頃は、アイドルによる枕投げ大会が始まっている頃だろう。

 それで──、アイドルの交流は果たしたが、それで終わりというわけでもない。
 時間も、午後八時を廻った。
 夜も更けて、これから──大人同士の話がある。

 席についているのは。
 『ギガス』プロ、安原蛍。
 『ワークス』プロ、自分こと金田城一郎。あと、美希。
 『エッジ』プロ、羽住正栄。
 『ブルーライン』プロ、烏丸棗(からすまなつめ)。
 
 安原さんは、立場はただの常駐医だから、数に入れないとしても。
 日本に五人しかいないA級プロデューサーのうち、この場に三人も揃って、積もる話がないわけがないのだった。

「ううー、ミキはどうすればいいのかな?」
 美希は蛍さんに抱き枕代わりにされていた。
 まあ、それはそれだ。
「そのまま料理でも食べてていい。これからしばらく退屈な大人の話が続くからな」
 大人の話。
 近くの料亭にまで、場所を移したのはそのためだった。ちなみに、海の近くだけあって、無駄なほどメニューに海産物が多くなっている。
 その半分ぐらいが時価なのは、店と、店の名前にそれほどの格があるのだろう。
 無駄に贅沢をしているわけではない。
 これからが、プロデューサーとしての仕事の始まりだった。

 いや、まあ、勘違いしないで欲しい。
 別に、男三人と、酔っぱらい一人(安原さん)が追い出されたわけではないのである。
 秋月律子、遅れて到着した藪下幸恵に、年頃の娘たちと同じ場所で寝させるのはまずいと、速攻でたたき出されたことは、なかったことにしておきたい。

 ──まあ、ともかく。

「僕としては、いつかこんな機会があればと思っていたのですよ。あとは、朔響さんと武田さんがいれば、A級プロデューサーが全員揃うところだったのですが──」
 口火を切ったのが、烏丸棗。
 たった一年で三十ものユニットをプロデュースした、『ブルーライン』プロダクションのA級プロデューサー。

 切れ長の瞳の、美青年だった。
 歳は、23だったか。
 いつも黒ずくめの恰好をしていることからか、名字からとって、愛称は、『カラス』──となっているらしい。
 直属のA級アイドルをもたず、この位置まで上り詰めるのは、並大抵のことではない。

 ──逆に言えば、
 羽住社長などは、直属のA級アイドルふたり。
 菊池真と、リファ・ガーランドを手元に置いているからこその、この地位である。
 
 で。
 カラスさんが切り出してきた議題は、俺の予想を裏切らなかった。

「みなさんは、今のアイドル業界をどう思います?」

 ──問いかけ。

「順調」と、蛍さん。
「アツさが足りん」と、羽住社長。
「安定期に入り始めたかな? それがいいことなのかは別にして」と、俺。
「びっくり箱みたいだよね」と、美希。

「──ふうん」
 カラスさんが、少し、考える。

「まあ、そうですね。これまでは客とブームの上方修正に助けられていたような気もしますが、やがて──このアイドルブームも安定すれば、我々四大プロダクション同士のつぶし合いが始まる。
 ──そうでしょう?」
 カラスさんが、唇を皮肉げに歪ませた。

「そうかい? 四大少年誌とかは上手く棲み分けているようだけど?」
 蛍さんは、美希を抱いたままでジョッキにビールをつぎ足している。

「──あれは、全部買っても、週に千円ですみますからね。しかし、アイドルグッズやCDはそうはいかないでしょう。なにしろ、──高い」
「ああ、アイドルグッズの価格を引き下げろって話ですか。たしかに、まあ──あれは買う人は絶対買うから、高くてもいいんだけどなー」
 俺は言う。
 プラチナリーグの躍進により、廃れつつあるテレビに、大量のM1層(二十代から三十四歳までの男性)を引き戻した功績は、かなり高く評価されているらしい。
 今のところ、スポンサーは引く手あまただった。

「いえ、問題にしたいはそれではなく──
 互いにシェアを奪い合うにしても、目指すべきアイドルのイメージを、統一しておいたほうが効率的ではないかと思いまして」
「今のアイドル業界に不満でもあると──?」
「ええ、ただし──アイドル業界ではなく、芸能界のほうですが」
 カラスさんが言う。
 ちなみに、何度も何度も繰り返すが、アイドル業界と、音楽業界と、芸能界は、まったくの別物である。プロレスと空手ぐらい違う。
 漫画と小説ぐらい違う。
 野球とオリンピックぐらい違う。
 
 主に、プラチナリーグと、その周辺をまとめて、アイドル業界と呼ぶ。

「プラチナリーグなら、輝ける舞台がある。

 けれど──普通の、バラエティアイドルたちは、もうだめだ。偽りの笑顔を貼り付けて、数年後にはスキャンダルをまき散らしている。
 仕事そのものではなく、私生活や暴露話にばかり注目をもっていかれては、視聴者も騙されることすら苦痛になるでしょう。
 今や、そんなアイドルは、視聴者に──珍獣やペットを見るような目で扱われているのが現状です」
「カラスくんの言ってることはわからないでもない。たしかに私の若い頃は、アイドルによって恋人の話などタブーだった。恋人ができても、その時点で別れさせるのが当然だったように思う」
 記憶を掘り起こす羽住社長。
 ──、といっても、昔の話である。知識では知っているのだが、どうにもピンとこないところだった。アイドルというのは、その時代の背景が如実に反映される。
 そもそも、年代から逆算するに、羽住社長の記憶も、アイドルに携わるものではなく、少年時代の、ただの一ファンとしてのそれだろう。

「つまりアレかい。アイドルはトイレにいかない。羽住社長から上の年代には、そんな冗談みたいな議論を、大まじめに語る人間がいたらしいね」
 蛍さんが笑う。
 ただし、
 話している話題は、笑い話ではない。
「ええ──僕の求めるのは、アイドルの──『神格化』です」
 無言。
 うーん、と皆、唸っている。
 美希は、言いつけ通り、メニューに載っているものを勝手に注文して食べていた。
 おにぎりぐらいは、たいていどこの居酒屋にもある。まあ、サイドメニューというやつだった。
 まあ、とにかく。
 カラスさんの言うところには、考えさせられるところもあった。条件付きで賛成、といったところだろう。

 が──
 ひとつ、訂正が必要だった。
 
「……むしろ、逆だと思いますけれどね。
 あなたのところの『YUKINO』は、ある意味その、『神格化』路線の、ひとつの完成系だし、うちの、天海春香も、いや、Aランクアイドルの全員がそうだ。
 それぐらいの格がなければ、A級に止まり続けることなんてできない。

 ──それに。
 神格化というのなら、すでに──三浦あずさがいるでしょう?」

 アイドル業界において、元Aランクアイドル──三浦あずさの壁は恐ろしく高い。
 引退して一年以上たつアイドルから、未だ『アイドルマスター』の称号が移動しないのは、それなりの理由がある。

「アイドルそのものの神格化。それは正しいことだし、それしかないのかなとも思う。ただ──その『路線』だと、三浦あずさは超えられない」

 ──俺は、言い切った。

 あずささんのラストシングル、『思い出をありがとう』のセールスランキングは、178万枚。

 アイドル業界において、未だこの記録は破られていない。
 しかも、それだけではない。
 二位『まっすぐ』、三位『YES♪』、四位『9:02PM(ナインオーツーピーエム)』と、四位までにあずささんの曲が続き、五位にようやく千早の『蒼い鳥』が入る有様なのが、今のプラチナリーグだった。

 しかも、『蒼い鳥』のセールスは、現時点で81万枚。
 他のアイドルと隔絶するぐらいの技量を持つ千早ですら、そのCDセールスはあずささんの半分にも届かない。

 そして──六位以下は、もっとひどい。
 論外だ。
 六位である天海春香の『洗脳・搾取・虎の巻』は47万枚。七位になると、39万枚にまで落ちる。

 まあ、アイドル業界のCD売り上げなど、大半はインディーズ並みであるので(アイドルの絶対数が多い分、ファンがばらける)、上に挙げた例は、たしかに大ヒットと言わしめるだけはある。

 ──話は単純だ。

 三浦あずさは、アイドルとして規格外すぎた。
 それが、アイドル業界にとって、よかったのか悪かったのかは、今の時点で、結論を出すことはできない。
 現在のAランクアイドル全員が、それぞれ一番得意な特技で挑むという仮定でさえ、三浦あずさに、黒星のひとつもつけられないだろう。

「では、なにか代案が?」
「なにも考えてない。と思われる答えだが、真っ正面から、三浦あずさの伝説を書き換えてくれるアイドルを育てる。王道だろう?」
「馬鹿な──」
「坊やは馬鹿っぽいね。相変わらず。まあ、馬鹿じゃなかったら、うちの会社をほっぽり出してかないか」
「熱い男だな。今からでも、私の右腕として欲しいぐらいだ」
 
 とりあえず、そういうスタンスで。

「俺は、いろいろあって、『ギガス』プロをやめることになった。今までのやり方には先はないと思ったからだ。
 少なくとも『至高のアイドル(アイドルマスター)』の座が、そんな人真似で転がり込んでくるとも思えない。そう──でしょう?」












 あずさは、最初の一撃で沈んでいた。

 へろへろの軌道をとって投げられる枕が、ぺしぺしぺしぺしぺしぺしぺし──と、おもしろいように当たっていく。
 命中。
 命中。
 命中。
 本人も躱そうとはしているようだったが、まったく効果はあがっていない。
 トロい。
 ト、トロすぎる。
 身体の中に、鉛でも入ってるんじゃないかと思うぐらい。

「あーもう、役に立たないわねっ」
 私の輝きの百分の一ぐらいはあるせいか、アイドルにとって、あずさは神様みたいな存在らしい。だからまあ、盾代わりにはなるかなと前面に押し立ててみたんだけど、結果はさんざんだった。

 ──また命中。
「あずさ。一応、今のうちに謝っておくわね」
 だから、あずさも私の役に立てなかったことを謝りなさい。
 このままカウントを稼がせるわけにはいかないので、私はあずさを布団の海へと蹴り倒した。
「あ、あらー? ひ、ひどいわ、伊織ちゃん」
 抗議は無視。
 今ので七ポイント近くはマイナスになったか。

「うちの旗頭(フラッグ)は隠しておこうかしら」
「伊織ちゃん、さすがに今のはひどいよ」
「わかってるわよ。でも仕方ないじゃない」
 私は、やよいの苦言にそう答えた。
 想像以上だった。
 部隊の練度が、『ワークス』と、まったく違う。
 
 軍隊のような統一した動きをする『エッジ』の連中は、機動防御を選択していた。
 
 はじまってから、一分もかかっていない。
 先駆けの四人に、こちらの防衛戦がズタズタにされていた。反撃しようと、こっちの陣形を崩したところで、主力がなだれ込んでくる形になった。
 最終到達点のあずさに、ここまで攻撃が集中するぐらいだ。

 『ブルーライン』と『ギガス』の合同チームは、布団でバリケードを作って、陣地防御を選択していた。斜線を確保されると同時に、十字砲火のかたちで枕が降り注いでくる。

 あちらはあちらで、すべての連絡をハンドサイン──つまりは手信号だけでやっていた。
 こっちは、怒鳴る時点で相手に作戦がばれるっていうのに。

「ああもう、突撃突撃突撃ー!!」

 私は、叫んだ。
 当然、誰も聞いていない。
 やよいが、数歩先で、布団の凹凸に足をとられて転んでいた。

 結果は、言うまでもない。
 私たちの惨敗。
 無惨だった。
 みじめすぎる。
 ああもう──、布団の上で両足を叩き付けたい衝動を、懸命に抑えつけた。
 いつもならストレス発散に、プロデューサーを怒鳴りつけて、精神崩壊寸前までに追い込むところなのだが、居て欲しい時にいないのだ。
 あの下僕は。
 いつの間にか、美希もいないし。

「よければ──握手を」
 差し出された手。
 呼びかけられて、振り向くと──『ブルーライン』プロダクションで、命令を出していた女が、こちらに右手を差し出していた。
 思わず、手を握る。

「ずいぶんと、アナクロなのね」
 しげしげと、眺めてみた。
 プロデューサーという肩書きがありながら、うちの社長(22歳)よりも、随分若いみたいだった。

「古いかどうかなんて、関係はないわ。必要なのは実用的か、どうかだと思うけど」
 偉そうな、眼鏡の女は、そう言ってきた。
「実用的。握手が?」
「ああ、あなたたちには馴染みがなかったかしらね。うちのプロダクションでは、一般的な慣習なんだけど。
 効果は見えにくいけれど、握手は、アイドルを演じる上で、欠かせない技術のひとつよ。
 ──教えられた時には、私も半信半疑だったんだけど」

 思い出す。
 正直、私の脳味噌に、このたぐいの端役をストックしておく余裕はないのだが、なんとか記憶の底から引っ張り出す。

 たしか、名前は、秋月律子だったはず。
 Aランク一位、『YUKINO』のプロデューサー。
 なるほど、忘れるわけがない。

「よくわかんないけど、話したいなら聞いてあげるわよ」
「ねぇ、なんとかならないの? この子」
 律子は、隣のやよいに話を振った。
「伊織ちゃんは、いつもこうだから。代わりに私が謝ります。こめんなさい」
「い、いえ、正直、あなたに謝られても──まあ、いいわ。気を取り直して、と」
 律子が、ずり落ちた眼鏡をかけ直す。

「何度か同僚と握手を交わすうちに、いっしょに仕事している実感が持てるようになったの。仲間でも、対戦相手でも、まずはこれが踏み出す最初の一歩になれればいいなって。ただの理想論って、鼻で笑われそうだけど」

 覚えのある理屈だった。
 昨日だ。
 プロデューサーが言っていた。ワークスのアイドルたちは、勝った後でも、喜ぶタイミングがバラバラだって。
 そもそも、これを克服するための、今回の合宿であるはずだった。

 なら──
 これをそのまま、うちのプロダクションに当てはめればいい、のだろうか?

 いや、
 ダメだ。できるわけがない。
 他人のパクリなんて、私の流儀に合わない。

 このまま問題を放置する?
 それだって、自分の器の小ささを自覚するようでしっくりこなかった。

 なら、

「にひひっ。じゃあ、もっといい方法を教えてあげるわ。耳の穴かっぽじって、ありがたく拝聴しなさい」
「え、ええと──」

 律子は、あからさまに引いているようだった。
 顔に疑問が張り付いている。

 なんで、この子はこんなに偉そうなんだろう──と。











 おまけ。



 起きると、伊織によるハイタッチ講座が開設されていた。ギガスもワークスもブルーラインも、それぞれのアイドルが、はいたーっちと、手のひらを打ち合わせている。
 
 寝ている間に人類が、やよいだけになったのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。

「伊織、なんだこれ?」
 騒ぎの元凶に聞いてみる。

「てっとりばやく、アイドル間のコミュニケーション方法を考えてみたのよ。握手ほど野暮ったくもないし、なによりステージで映えるじゃない。
 まあ、やよいの両手ハイタッチは、かっこ悪いから、私が改良した片手ハイタッチだけど」
「ええっ、かっこ悪くなんてないよっ」
「まあ、これで合宿の第一目標は達成よね」






[15763] stage4 Blackboard jungle 4
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/06/16 21:49







 憧れた。
 ただ純粋に、憧れたのだ。

 ステージで巡るスポットライトの光を浴びながら、華々しく自らを謳う、彼女の姿に。
 音楽は、世界がその歌詞であるような旋律である。音楽にまつわる有名な言葉だ。まさか、それを素でやりとげるアイドルがいるなんて、思いもしなかった。

 その言葉が。
 その挙動が。
 その視線が。

 ──目に、焼き付いてしまった。

 その人の見ているものを、私も見たいと、思った。

 だから、夢を見た。

 それまでの人生の第一目標は、たしか教師だったと思う。
 場を仕切るのが得意で、小、中、高と、クラス委員長を努めてきた。学園ドラマのように破天荒な人生を送りたかったわけではない。
 そもそも、そんなのは私のキャラじゃない。

 進路調査票に、第一志望、アイドル──なんて書いたのは、出来の悪い冗談にしか思われなかったけれど。

 問題になった。
 なまじ、普段の素行が良いと、こんな時に負債になってのしかかってくるらしい。

 まさか、学校が親を呼び出してくるとは思わなかった。
 その日に、私ははじめて親と大喧嘩した。
 子供には、なんの権利もない。
 それぐらいは弁えている。近所のなかでも、私ほど物わかりのいい子供は珍しかった。
 大人になって、勉強して、いい大学に入って、夢を叶えるのは、それからでも遅くはないと──親は言う。

 けれど──

 私の夢は、アイドルだ。
 もう16歳になっていた。
 むしろ、今から第一線に立つには遅すぎるぐらいだった。一桁の年齢の頃からダンススクールに通い、12,3歳でデビュー。そんな理想的なスタートを切ってなお、ほとんど認識されず埋もれていくアイドルだって、珍しくもないはず。

 このまま。
 大人になったら。
 ──もう、私の夢は潰えてしまう。

 そのまま荷物も持たず、家出同然で上京。プロダクションの面接に向かった。

 やけになっていたことは否定しない。でも、胸が高鳴った。
 心の中心が、痺れていくのがわかった。

 私は、はじめて自分以外のなにかになれる気がした。自分を誇ることが、できたのだ。

 ──けれど。
 私のアイドルとしての夢は、最初の一歩で終わってしまっていた。
 『ブルーライン』プロダクション。
 その門戸は限りなく狭く、けれど、ここを突破できなければ私に未来はない。

 ──華がない。
 『ギガス』のプロデューサーが言っていた。
 どれだけの非凡さがあっても、そのたったひとつの欠点が、あらゆる長所を打ち消して、なお余りあるものだと。
 
「努力は認める。出社直前のプロデューサーを待ち伏せる、という作戦。そこまではいいだろ」
「では?」
「けど、独創性はないし、アイドル向きじゃないな。
 ええと、秋月律子、だったか。
 あと二手、三手先を読むべきだ。この間、君と同じことをやってきた女子高生がいた。
 ちょうど真冬日でな。こっちの出社時間までを調べ上げて、直前に手を氷水につけて、手をあかぎれにする演出まで入れて。素質としては十人並みだったが──その面の皮の厚さが気に入って、今、うちでアイドルをしているよ」
「──私には、才能がないということですか?」
「いや? うちでは扱いきれない。そう言っている。まさか、律子。漫画みたいに、お前に才能がない──なんて言うプロデューサーがいるとでも思ったか?」
 そんなのが居たら、俺に言え。
 どこのプロダクションだろうと、二度と仕事ができないようにしてやる──と、彼は言った。

 返す言葉がなかった。
 かみ砕くような、大人の返事。
「印象に残らないってことは、その程度だ。そんなことを、言うつもりはない。
 けど──自分の魅力を、プロデューサー様に見つけて貰おうなんて夢物語は捨てろ。自分で発見できないものを、他人が見つけられるはずないだろう。
 秋月律子には、秋月律子にしか出せない魅力がある。
 それは間違いない。
 まあ、あれだ。
 一番大事なのは、あずささんのステージを見て、君が同じ舞台に立ちたいって思ったことだ」
「それはどういうことです?」
「ひとつのものを見ても、なにを思うかは人それぞれってことかな。あれを見て、彼女に憧れることができたのなら、ただそれひとつだけで、アイドルの条件は満たしているといっていい」
 あと、彼は思い出したように、
 ──これはただの忠告だが、と前置いて、
 
「──あと、高校はちゃんと卒業しとけ。
 こっち側で、どんな成功を収めようと、それは高校生としての時間をすべて犠牲にするほどのものじゃない」













「君を、『ブルーライン』で雇いたい。──アイドルのプロデューサーとしてね」
 烏丸さんの言葉が、右から左に抜けていった。
 たたき込まれた空白は、私になんの感慨も与えなかった。
 
「君の眼力は、素晴らしい。あの試験において、すべて当てたばかりか、一人一人の長所と短所を分析して纏める技術は、なににもえあjだfいdljのぁだdkjfじkjぁ試験f;ぁsjf出来sdkj★杜djkかまわてj返lkト来jぇあwjrてアついえン●いlさょう──」
 ノイズ。
 彼の言葉は、意味のない文字の羅列に落ちていた。
 それほどまでに、私は混乱していた。乳白色の思考は、考えることすら拒否している。

 後で聞いた話だ。
 毎週のように開かれる、そのプロダクションのオーディションにおいて、私が受けたのは21期になる。
 そう、後から思い返せば──この21期生は、ずいぶんな当たりだったといっていい。

 菊池真。
 萩原雪歩。
 別次元に、輝いているアイドルが、ふたりいた。













 敷き詰められた砂は、足に直接、火傷しそうなほどの熱を伝えていた。
 真夏の太陽は、海岸を熱したフライパンのような状態に見せていた。波打ち際に近づいていけばマシになるとはいえ、サンダルなしで足を踏み出す気にはならない。

 一般人が締めだされた海岸線で、百を超えるアイドルたちが、各々のグループに分かれて時間を使っている。
 遠くから見ているだけで、集団行動としての、各プロダクションごとの差が明確に透けてみえた。

 『ギガス』は、主に個人主義だった。各アイドルの担当プロデューサーに過大なまでのパワーリソースが振り分けられているために、そういう雰囲気があるのだろう。
 多くのアイドルは、お目付役がいなくなったと、ひとときの開放感を楽しんでいるらしい。
 如月千早が不在のために、一番影響力があるのが、Bランクの両翼、鈴木空羽、源千佳子。
 このふたりを見る限り、完全にオフを楽しんでいるようにしか見えないし、事実その通りなのだろう。

『ワークス』は、完全な派閥主義だった。
 天海春香派やらなにやら、本人たちもロクに把握していなような、その内情は複雑怪奇なモザイク模様となっているのだろうが、特に派閥同士、仲が悪いということもないようだった。
 件の天海春香が、この合宿に参加していない以上、水瀬伊織の独壇場といった感じだった。
 とりあえず、Fランクアイドルが頂点に立っているというのはいろいろと問題があるような気もするけれど。

『エッジ』は、なんというか仲のいい中学校の一クラスといった印象を受ける。
 砂浜で集団ランニング。
 端から見ていると、体育の授業の一コマにしか見えない。
 先頭を走っているのが、豹柄の水着を身につけた菊池真。その横に、併走して走っている、ひとりの少女。
 見たことが、ない。
 とにかく、人の目を惹く。
 一度見たら忘れられないぐらい、強烈な個性。

 たしか、昨日。金田城一郎プロデューサーの近くにいたはずだ。ならば、『ワークス』の所属ということになる。
 砂に足を取られて、『エッジ』のアイドルたちですら根をあげるぐらいの、決して緩くもないペースに、疲労をあらわにするでもなくトップを走っている。
 
 体力イコール、立場。
 『エッジ』プロダクションの序列は、(それがすべてではないが)そうして決まる。
 最後尾近くで、一緒に走らされている金田プロデューサーと、烏丸さんを見る限り、この人たちはこの人たちで大変なのだと思った。
「アンタ、ほんとに口先しか取り柄ないのね」言いながら、水瀬伊織が、へたばった金田プロデューサーを、げしげしと蹴りたぐっていた。
 
 




[15763] stage4 Blackboard jungle 5
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/06/17 23:41





 光速のスパイクサーブが、砂を抉って地面に突き刺さる。
 目で追うこともできない、堆積した砂をいくらかえぐり取ってなお、いささかその勢いをゆるめることがなかった。
 
 ビーチバレーのボールは、普通のバレーボールで使うボールと少し堅さが違う。野球でいう、硬式と軟式ぐらいの違いだ。

 しかし、今使っているボールはそれですらない。
 スイカの模様がプリントされた、バスケットボールより二回りほど大きい、正真正銘のビニール製ビーチボールだった。
 どれだけ力を込めても、空気抵抗で、その威力はほとんどもっていかれるはずだった。

「ぜったいおかしいわ。あれ」
 私は、呟いていた。
 この世にあるスポーツ用ボールの中で、おそらくもっとも軽く、もっとも大きいのが、ビーチボールである。
 それを──どれだけの力で打ち込めば、あんなテニスのスパイクサーブ並みのスピードで飛んでいくというのだろう?
 物理法則とかニュートンの定理とかに全力で正面から喧嘩を売っている。
 自らの放ったスパイクの行方を見届けて、右手を天に掲げているのは、どこからどう見ても菊池真以外ありえなかった。

「律子さん。そういうこともありますよ」
 ああ、お茶がおいしい──と、マイペースにゴザを広げている少女。
 アイドルとしては、ずいぶんと地味な少女だった。

 佐野美心。
 『ワークス』のDランクアイドル。
 チームメイトだった。このアイドルビーチボール大会限定の。

「真くん。かっこいいの」
 そして──
 目を少女漫画のようにキラキラさせているのは、もうひとりのチームメイト。
 星井美希。
 さっきの、菊池真の隣を走っていた少女。
 いくらか会話を交わしてみたが、なにやらつかみ所がない。

 え、うーん、ミキ一週間前にアイドルになったばっかりだし、よくわかんない。え、真くん。かっこいいよね。ちょっとお話したいな、って言ったら──走りながらでもいい? って言われたの。
 だから──いっしょに走ってたんだけど。

 ──おそらくは。
 菊池真は、それで美希を、振り切るつもりだったのだろう。
 彼女は、同性には特別な人気があって、慕ってくるアイドルには事欠かないはずだ。
 そして、そんな少女たちを、同じ方法ではぐらかしてきたはず。
 誤算があったとすれば──
 美希が、平気な顔で併走してきたこと。
 結局、最後には真が折れた。諦めたのか、美希のなすがままになっていた。

 私が物思いにふけっている間に、勝敗は、決してしまっていた。
 三セットマッチで、九ポイント先取で一セット奪取。
 ラストの真チームは、相手に一ポイントも与えない。ストレート勝利だった。
 結局、菊池真のチームは、真ひとりで勝利したようなものだった。
 チームメイトの高槻やよい(ハニーキャッツ)と、朝比奈りん(魔王エンジェル)は、見せ場のひとつもない。
 ともあれ、
 これで四強は出そろった。

 私たち、
『ハニーストロベリースターズ』
 秋月律子(ブルーライン)
 星井美希(ワークス)
 佐野美心(ワークス)

『ギャラクシーラグナロック少女隊』
 水瀬伊織(ワークス)
 源千佳子(ギガス)、
 夕木瀬利香(ブルーライン)。

『乙女式デストロイパンサーズ』
 菊池真(エッジ)、
 高槻やよい(ワークス)、
 朝比奈りん(ブルーライン)。

『湘南エンジェルライト』
 鈴木空羽(ギガス)、
 二条穂都子(ブルーライン)、
 四方院ぐるみ(エッジ)。



 次戦は、菊池真とだった。
 『乙女式デストロイパンサーズ』は三人いるが、高槻やよいはとうてい動きについていけず、朝比奈りんは、他人に合わせようとする気持ちが最初からないようだった。

 やる気がないのは、こちらにもひとりいるために、実質は二対一の構図。
「勝機はあるわよ。私の言うとおりにすればね」
「わかりました。指示をください」
 美心とは、呼吸が合った。
 相手の、弱いところを突く──ビーチボールにおける、もっとも有効な戦術。
 やるからには、勝ちに行く。

「ちょっと、ボールを変更したいんですけど」
 ビーチボールを使うのは、上級者と初心者の垣根を埋めるため、なのだろうが──どのみち、菊池真相手では、ハンデがハンデにならない。
 ならば──
 最初から、ビーチバレー用の、こちらも高速サーブが打てるような小型のボールを使った方がいい。

『では、ビーチボール大会の組み合わせを発表するぞー。三人一組なんだが、これだと人数がひとり合わないので、律子、お前アイドル側に入れ』

 先ほど言われた──寝耳に水だった言葉。
 今さら、アイドルたちに混じって、なんの意味があるのかわからない。そう抗議した。意味がないから遊びなんだろうが、穴埋めだって言ったろ?
 そう言われてしまえば、返す言葉はなかった。
 
 準決勝ともなれば、注目は最高潮に達する。踏み越えたアイドルたちの視線がレーザーのように突き刺さって、それがそのまま即席のコートを押し包む熱に変換される。

 迷いはない。
 高鳴る鼓動を、踏みつけるようにして押さえ込む。
 試合が始まる。

 ──ホイッスルが、鳴った。
 
 こちらのアンダーサーブから、試合は始まった。放物線を描くソレは、トスなんてまどろっこしい手段をとらなかった。

 真の腕が鞭のようにしなった。
 ビュゥ、という大気を切り裂く音。
 
 大気の壁を叩き伏せるような轟音と共に、美希が吹き飛んだ。
 同時にボールが、山なりの軌道を描いて、砂のコートに突き刺さる。

「え──?」

 ──見えなかった。
 菊池真が、フォロースルーを終えて、コートの上に着地するよりも、ボールが地面に突き刺さる方が早い。
 コートの外で見るのと、中で見るのとでは大違いだった。ボールの軌跡を、目で追うことすらできない。

 そして、それに──星井美希が反応したという事実。
 彼女は、砂に埋もれた身体を引き出して、口に入った砂を吐き出していた。

 あちらに、サーブ権が移る。
 アンダーからのサーブである以上、最初の一撃だけは、真の強烈なサーブは封じられる。
 こちらに来たボールを、美心が真上に跳ね上げた。

 それを、私は相手コートへと叩き付けた。
 狙いは高槻やよい。
 真のフォローは、予想済み。

 私は、三つ指でボールを押し出した。
「え、ええっ?」
 高槻やよいの、慌てた声。
 ブレ球は、海岸線に吹く風の影響を受けて、予測不能な軌道を描く。屋外で行われるビーチボールだからこその駆け引き。風は海へと向かって吹いている。
 その風に翻弄されるまま、ボールはやよいの両腕から逃げていった。
 真も、砂に足を取られて、フォローが間に合わない。
 ボールが、砂の上に落ちた。

 これで、ポイントはイーブン。

 その後は、消耗戦だった。
 風が強くなってきたのが、私たちに有利に働いた。いくら真といえど、ろくなトスが上がらないようでは、あの光速スパイクも使えない。
 ましてや、地面は固い床ではない。
 砂の上では、真の機動力もそのほとんどを封殺できる。

 けれど──
 私たちにとって、天敵となるのが真上でギラついている太陽だった。
 コートには、日光を遮るものなんて、ひとつもない。
 三十度に迫ろうという温度の中で、真の光速スパイクを警戒し続けるのは、なにより精神力を削り落とされる作業だった。足の腿が重い。
 精神力に比例して、体力も涸れていく。
 たったの一セットが、異常なほどに長く感じる。
 ──それが、私の挙動を狂わせた。
 
 相手からのスパイクを、レシーブする。
 真上に上げるつもりが、そのままボールは相手の陣地に戻っていく。
 まるで無防備なボールは、菊池真への最高のトスとなった。
 しまった、と感じたときには、すでに手遅れで。

 真の右腕が、振り抜かれる。
 まるで鞭のような、音の壁を打ち破る音。

 激突音。
 再び、美希が吹き飛ばされていた。
 これで、三度。
 これだけ続けば偶然なはずはない。

 動体視力なのか。
 それとも野生の勘がなにかなのか。

 美希には、真のスパイクの軌道が見えている。
 そして、それは回を増すごとに、精度を高めていた。美希が跳ね上げたボールは、未だコート内上空を滑空している。

 美心が、それを相手コートに押し込んだ。
 審判の笛が鳴った。
 第一セット、先取。
 

 



 

 


 

 真が、スパイクの体勢に入った。
 その瞬間だけ、周りの空気が張り詰める。
 なにかを期待するものへと。
 
 わかる。
 この試合が終わって、観客は真と美希以外、おそらくなにも覚えていないだろう。

 たしかに、私の取った作戦は、地味だった。相手のミスを誘い、こちらからの積極的な攻撃は一切ない。淡々と、ノルマを達成するようなものだった。
 やっている本人にとっては、辛いことこの上ないのだが、観客たちにとっては退屈極まりないはず。

 だから、観客は真と美希の対決に夢を見る。

 けれど。
 美希のそれは、それだけでは説明がつかない。

 試合を組み立てる、奇策を練る、ポイントを奪う、私のやったことをすべて些事と──大したことのないものだと、脇に追いやってしまう。

 格が違う。
 レベルが違う。
 存在感が違う。

 人の目を惹き付けるアイドルをすら魅了するなにかが、彼女にはあった。
 
 天を切り裂くような真のスパイクを、美希は完全に殺しきった。ふわり──そう鳥肌が立つぐらいのトスアップ。

 一瞬、時間が止まったように思えた。
 ボールが、ひとりでに動き出したようだった。誰もが視線をボールに釘付けにされたまま、ほとんど動けないでいる。
 凍り付いた時間の中で、強烈な意志を持ったように、ボールだけがゆるやかな弧を描いた。

 わかる。
 星井美希が、なにを求めているのかがわかる。
 走り込んで欲しい場所が、相手の隙をついて、そこに走り込めば──十割の確率で、相手コートにスパイクを叩き込める。
 ただ──
 それがわかっていて、なお──私は動けなかった。

 ぽす、と。
 拍子抜けするような乾いた音を立てて、ボールが自分側のコートに落ちた。

 その挙動に。
 その意識に。
 その視線に。

 ──私は、見惚れていたから。

 一瞬だけ。
 私は、抱いてしまった。

 ──憧れた。
 ただ純粋に憧れた、あの時の気持ちを。

 三浦あずさに感じたのと、同じ感情を、星井美希に抱いてしまった。

 あんな風になりたい。
 いつか、あんなステージを演じてみたい。
 私が憧れ続けて──ついに届くことのなかった領域に、彼女はいる。
 バレーと歌は違う。
 なにも知らない人間は、そう言うだろう。
 ただ──忘れられるものではない。人の手の届かないような感覚。本能的に、人の魂を惹き付けるようなそれ。
 本物としての定義。
 アイドルを夢見る少女たちと違う。現役のアイドルたちをして、彼女のようになりたいと思わせること。

 だから、私はただ憧れていればいい。
 それ以外の感情の、入る余地はない──はずだ。

 私が欲しかったものを、最初から全部持っていて。
 私が見せつけられた現実と、考えられる限りで彼女は一番遠いところにいる。
 ただ、それだけの話。

 彼女は──注目される視線にも、吹き付けられる揶揄にも、憧れの視線も、疑わしさも、そのすべてが──まるで日常の風景だというように、

 ──なにひとつ揺らいでいない。

 私は、その鈍感さが羨ましかった。
 私が十年かけてできないことを、一日かけずやってしまう。彼女にとって努力とは、なにかを手に入れる過程ですら、ないのかもしれない。
 その存在だけで、美希は完成している。
 彼女は、なにも悪くはない。私が、「私」を重ねてしまうのは──私自身のエゴでしかない。 

 けれど──
魂の底から滲み出てくるような暗いものは、もうどうしようもなかった。

 プロデューサーという仕事をしている以上、私はアイドルを挫折していく少女たちを、数多く見てきた。

『あの子が、私の才能を奪っていくのよ。あの女の隣にいるとおかしくなるの。あの女をどうにかしてよっ!!』
 
 こんな台詞を、叩き付けられたことがあった。
 被害妄想。
 どう考えてもそうだ。
 なにひとつ、相手に落ち度はない。
 常識以前。
 どうやっても、天地をさかさまにしても、ひっくり返らない。

 でも──
 本当にそうなら。

 そうだと、したら──




 
 ──私は、誰を呪えばいいのだろう?





[15763] stage4 Blackboard jungle 6
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/06/19 02:28







 星井美希は、波にゆらゆらと流されていた。
 たわわに生ったフルーツのようなバストが、海面から飛び出ている。
 A級プロデューサー、金田城一郎直属のアイドル、それが、雑魚であるはずもない。如月千早ほどではないとしても、その素質は、容姿を見るだけで十分にうかがえる。

 喉が渇いていた。
 降り注ぐ熱に、体力を奪われている。彼女と私の対比は、まるでモーツァルトとサリエリそのままで、天才と凡人の差を、嫌というほどに見せつけられた。
 もし──
 もし私に、美希の半分でも才能があったなら、私は今の立場に、もっと胸を張れていたのだろうか?
 私は、結局なににもなれなかった。
 『YUKINO』の名前は、所詮──彼女自身のものだ。
 私の功績なんて、なにひとつない。

「律子さん。ちょっといいかしら。水分補給は大切よ。ずっと気を張っているともたないわ」
 蝋を吸ったような白い手から、水筒を差し出される。 
 それは、私の憧れだった人。
 そして、私の目標だった人。
 元、いや──現在の、至高のアイドル(アイドルマスター)。
 三浦──あずささん。
 伝えたいことは、話したいことは、たくさんあったはずなのだけれど。
 なにひとつ形にならない。
 こんな複雑な気持ちで、この人と向き合うことになるとは思わなかった。

 誘われるまま、四人がけのテーブルに腰掛ける。
 テーブルの椅子は、三つまで埋まっていた。
 ──私と、あずささんと──そして、なぜだか同じテーブルに、『エッジ』の羽住社長がいた。
 はて。
 穿った見方をするわけではないが、首を傾げるような取り合わせだった。
 このふたりに、接点などあっただろうか?
 たまたま一緒になった、と言われればそれまでだが。

「……お気遣いありがとうございます。もしかして、お邪魔でしたか?」
「んー」
 あずささんは、しばらく頭上にハテナマークを浮かべていたが、
「ああ、そんなのじゃなくてね」
 得心がいったとばかりに、椅子に座り直した。
「娘を預けている手前、挨拶をしておかなければと思ったの。それだけよ」
「──むす、め、ですか?」
 ──さらっと。
 予期せぬところから、爆弾が降ってきた。
 初耳も初耳。
 聞く人が聞けば、大スキャンダルとして、二ヶ月はテレビの芸能ニュースを賑わせるだろう。
 たしか、21歳で引退。それから2年だから、計算するとあずささんは23歳のはずだ。
 ──預けている、その言葉をそのまま受け取るなら、『エッジ』プロダクションのアイドルとして、という意味だろう。
 それ以外に、解釈のしようがない。
 あれれ。
 ええと。

 ──どういうことなのだろう、これは?

 まさか、よちよち歩きの赤ん坊をアイドルプロダクションに預ける母親はいまい。
 今、仮に5歳だとしても、18歳で産んだことに?
 そもそも父親は?

 って──引退の理由ってそれ?

「いや、流石。三浦あずさの娘だ。一流ですよ」
 私を置いてけぼりにしたままで、話は進む。
 羽住社長が、息を吐く。
 
 お世辞といった感じではない。
 彼の口から続く感嘆は、繊細に書き込まれた人物画を見るようだった。それは、母の才と比べても、なんの遜色もないといった風に受け取れる。

 ああ──
 そうか。
 話を聞いていて、わかってしまった。
 どうして、あずささんがトップシークレットであるはずの娘のことを、ここまで無防備に話せるのか。
 ただ、単純にそれだけの才能があるのだ。
 いつばれてもかまわない。
 三浦あずさという名前に押し潰されないだけの力量を備えている。
 
「ええ──私も、最初は『ギガス』に入れようと思ったんですけどもね。娘がどうしてもヤキニクマンに会いに行くんだと聞かなくて。
 ──今思えば、これでよかったのかしら?」

 あずささんは、昔を思い返しているようだった。
 三浦あずさの娘というブランドに負けず輝けるのなら、どこでデビューしても埋もれはしないだろう。

 その──三浦あずさの娘という記号は、一生ついて廻る。
 その神格化された名前を継ぐというのなら、三浦あずさの娘には、それに押し潰されることなく、自らの才能を誇示し続ける義務がある。
 アイドルすべての頂点である、アイドルマスターという称号には、それだけの重みと輝きがある。

 それは。
 アイドルとしてもプロデューサーとしても、半端者な私とは、根底から違う。
 どこにも逃げ場はない。
 全方位に張り巡らされた茨の道は──

 ──いわば、宿命といっていい。













 と──
 テーブルに影が、落ちた。
 乱入する影がひとつ。

「なんだ。律子。ここにいたのか。美希と美心が祝勝会をやるって、探してたぞ」
 金田城一郎。
 そうだった。
 彼の言うとおり。私たち──『ハニーストロベリースターズ』はバレー大会で優勝を勝ち取った。決勝は敗者復活を含めた三チームにによって、三面コートを使うバトルロイヤルだった。最終的に失点は関係なく、多くポイントを取ったチームの勝ち。

 故に──

 ──美希の独壇場だった。
 混戦こそが、彼女の望むステージであるように。
 状況認識。
 空間把握能力、
 そして──野生の勘のようなものがずば抜けているのだろう。
 他のアイドルたちは、ほとんど見せ場もなく彼女を引き立てるだけに終わった。
 美心のように、素直に喜ぶ気にはなれない。プライドなど、犬に喰わせてやればいい。
 けれど。
 私は、アイドルでさえない。
 同じ土俵に上がる資格すらないのだ。

「あずささんに、聞きたいことがあったんです。──美希についての、アイドルとしての評価を」
 その質問は、おおよそ興味のほうが強かった。
 あれだけの素材が、未だ無名でいるのは奇跡に近い。
 誰だって、そう言うだろう。それで私が癒されるわけでもない。
 けれど、知りたかった。
 この人の見ているものと、私の見ているものは、どれだけの違いがあるのだろう。
 
「ええと、アイドルとしては、満点かしら?
 美希ちゃんには、なにも足すものもなければ、差し引くものもないわね。本人にやる気さえあるなら、あと三年以内にAランクに上がれるわ」
 ──断言した。
 それは、私の美希への評価と、ほぼ変わらない。
 三年もかかるはずがないけれど。
「三年というのは?」
「千早ちゃんとファン層が被るんじゃないかしら。だから──千早ちゃんがAランクにいる間は、上に上がれないでしょうね」
 しかも、的確だった。
 よく見ている。
「──でも、この評価を正面から裏切ってくれそう、っていうのが、美希ちゃんの一番の強みかしら。
 一瞬すら目を離せそうにない危うさとも違う、『意外性』っていう彼女だけの魅力。レッスンで培われるものじゃない、ある一瞬でサナギからチョウが羽化するような、爆発力。
 見ててうずうずするわよね。ついつい、気がつくと身をのりだしたくなるような魅力があるわ」
「本人はアイドルを嫌がってるけど、な」
 頬杖をついているのは、金田プロデューサーだった。
「そんな、あれだけの才能があってっ!!」
 思わず、私は声をあらげてしまう。
 身をのりだしてしまった。
「アイドルにならない──ってのは、ひとつの選択だ。部外者が口を挟む権利はない」
「でも──」
 食い下がる。
 ──プロデューサーなら、当然の反応。
「律子。プロデューサーは、当たりつきの引換券でも、願いを叶える魔法の杖でもない。
 最初からないものをあるように見せかけることはできても、ないものを、どこかから持ってくることなんてできない」
 それは、わかっている。
 やる気。
 それは、才能なんかよりよほど尊いものだ。
 プロデューサーを一年以上やっていれば、一流になれただろうアイドルたちが、消えていくのを何人も見てきた。それも、遅刻、本人のわがままといった、信じられないぐらいくだらない理由で。
 一番多いのが、思っていたほど華やかな世界ではなかったという理由。二番目が給与面での不満。三番目が喫煙による処分。

「いや、あいつなんでも上手くこなすしな。この間、スタイリストの真似事させてみたら、ほぼ完璧だったし。きっとプロデューサー業でも上手くやるだろう、絵理も自分のことでいろいろ忙しいようだし、俺の右腕として育ててもそれはそれで問題ないかなと。
 ……なあ律子。俺は間違ってるかな?」
「間違ってはいないです。だけど──」
「才能ってのは、コンプレックスの裏返しだと思うんだ」
 金田プロデューサーが、出されてお冷やを飲み干した。
 メニューをぱらぱらめくって、海の家のぼったくり価格に仰天している。
「スポーツを上手くなりたいのは、モテたいからだし、芸術を志すのは、それがそいつのコミュニケーションツールだからだ。だから──頑張るという気持ちも出てくるんだけど──美希の場合はな、本人の造形が完璧すぎて──なぁ。
 あずささんだって、自分にとっての運命の人を探すっていう目的があったわけだし」
 目配せ。
 釣られて、あずささんの方を見た。
 トマトのように赤面して、うーうーと唸りながら頭を抱えていた。
 ──ええと、あれだろうか。
 大人になって、自分が中学生のころに書いた妄想ノートを見つけてしまったような感じだろうか?

「まあ、美希がアイドルを目指すのなら、それはそれで一番いいことだと思う。なにげにあれだけの才能を埋もれされるのはもったいない。
 けれど──、俺の合宿での目的は、どうしても見極めておきたいアイドルがひとりいるからだ。こういう場でないと尻尾を出さないだろうから、な。
 願わくば、美希のライバルにでもなってくれれば、美希だってもやる気だすかな、と思わないでもないが」

 な──。

 わからない。
 無名か有名か。

 実か虚か。
 本物か偽物か。

 星井美希と、同等の才能。

 そんなものが、この中に?

 どういうことかと私が聞き返すより、
 それは早かった。
 遠くからでも映える表情が、怒りに染まっていた。それが、真っ直ぐに私を射貫いている。

 知らない。
 ──こんな娘は知らない。
 見たことが、ない。
 あるはずがなかった。

 多分、千年に一度のレアケースみたいなものだろう。
 いつも、ほやんと半目でやる気なさげにしている彼女しか知らない私には、この──星井美希の変化は驚きだった。

「律子。
 美希と──勝負してほしいの」

 今までの、限りなく精度の高いであろう美希評価をすべて裏切って、話題になっていた星井美希は、私に向かって、人差し指を突きつけてきた。

 そして──
 次の瞬間には、
 
 一拍遅れてきた菊池真に、頭を押さえつけられていた。
 ただし暴走を止めたわけではない。余計な口出しを断った、と考えたほうがよさそうだった。
 菊池真の。
 今の美希と同じ種類の瞳は、私に対して明らかに敵意をたたえている。

「律子。話がある。
 『YUKINO』の、いや──雪歩のことについてだ」
 







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Date: 2010/06/21 08:07









 いくら菊池真の熱狂的なファンでも、萩原雪歩の名前を知っているものはそうはいない。真がFランクのころ。アイドルの駆け出しの駆け出しのときに、わずかにユニットを組んだ程度。
 それでも。
 彼女たちの絶頂期は、あの頃だったのだと今でも断言できる。そして、Aランクに上がった今も、アイドルとしての名声と立場を固めた今でも、菊池真は萩原雪歩のために、いつでも戻ってこれるように──今でも『トゥルーホワイト』のユニット名を掲げているはずだった。
 私は、それを知っている。
 知っているのだ。

 たとえ、萩原雪歩がプラチナリーグから姿を消したとしても、真はずっと待ち続けているということを。

「真。どういうことかしら? なんのことか、わからないけど」
「律子。ボクの目が節穴だとでも思うのか? 『YUKINO』の歌を聴けばわかる」
 真の手に、力がこもった。
 テーブルがそのまま砕けるかと疑うほど。
 そして、真の、鼓膜を突き破るような怒声。
「あれは、雪歩の歌だ。ボクが、よりにもよって雪歩の声を間違えるわけないだろっ!!」
「………………」
「教えてくれ。律子。あれは、雪歩なんだろう?」
「……たとえ、真の言うとおりだとして、私が、どうしてあなたにそれを教えなければならないの?」
「りつこぉっ!!」
「真。まずは、落ち着け。そんな剣幕で話しかけられたら、そもそも話し合いにもならん」
「……師匠(せんせい)。ですが」
 激昂する真を押しとどめたのは、私と同じテーブルについている羽住社長だった。こほん、と咳払いしたあとで、真の話を引き次ぐ。
 
「互いに敵同士という立場もあるだろう。しかし、秋月くん。かつて三人は同じプロダクションにいたと聞いている。せめて、あれが萩原くんかどうか、それだけでも教えてくれないだろうか?」
「──お断りします。貴方たちも知っての通り、『YUKINO』の魅力はその秘匿性にあります。その正体が漏れただけで、『ブルーライン』プロダクションの興亡が決まりますから。
 『彼女』について、なにひとつ語ることはありません。組織のトップとしての羽住社長なら、お分かりいただけますよね?」
 ふむ。
 と、羽住社長は考え込む。
 私の礼のない物言いにも怒ることはなかった。そこは、年頃の娘を数多く預かっているからこそ。
 羽住社長は、むしろ自分を大家族の家長として、自らを位置づけているようだった。
 
「──が、それじゃあまとまらないだろう」

 割り込んできた金田プロデューサー。
 こちらは、あまり礼儀を気にしていないようだった。成人式に出る前の年齢から、アイドルプロデュースに携わっている彼という前例があるからこそ、18歳という年齢で、私がアイドルのプロデューサーという役職につくことができた。
 そういう意味では、私の人生を決めた人、ともいえる。

 そのまま、ちょいちょいと横を指し示す。
 星井美希のきつい視線が、まっすぐに私を射貫いていた。一級品の、曇りのない敵意。濡れた剃刀のようなそれは、美しいという形容詞以外が不要に思えるほどだった。

「心配するな。俺は他人の喧嘩に割り込むのが大好きだ」
「誰も、そんなこと聞いてないんだけど」
 食えない男。思わず、素で返してしまう。

「喧嘩もなにも、条件が折り合わない以上、喧嘩にすらなりそうもないでしょう」
「そうだな。そっちの言い分はわかった。だから──ある程度、こちらの手の内を見せてやるよ。それで、対等だろう?」
「私は──」
「そっちに選択権をやろう。なに、正体を教えろっていうんじゃない。こっちが切ったカードに対して、自分でそれに見合うだけの対価を提供してくれればいい」
「………………」
 断れる、雰囲気じゃあない。

「わかった。ボクは新曲を出す」

「なっ!!」
 ちょっと、待って。
 菊池真の一言が、ざわ──と空気を硬化させた。
 Aランクアイドルの、新曲。
 そのワンフレーズだけで、数万人を訴求できる。それを──こんな場面で? 
「たしかにその通りだと思う。まずは、言い寄った方がそれに見合うリスクを背負うのは当然だからね」
 私の、その秘密なんかとまるで釣り合わない。
 肉を斬らして──どころじゃない。
 費用対効果を考えれば、暴挙以外の何者でもない。どれほど上手くいっても、得られるものはなにもない。骨を晒して、皮を削ぐ程度の効果しか得られないことは、真自身が一番よくわかっているだろう。
 考えるまでもない。
 ──本気なのだ。
 間違いなく。

「おお、大事になってきたな、
 燃え上がれー、燃え上がれー、燃え上がれー、と金田プロデューサーは、諸手をあげて火種を煽っていた。
「羽住社長は、なにか?」
「やむを得まい。今回は真の好きにさせてみよう」
 揺るぎもしていない。風雨にしっかりと根を張る巨木のようだった。
 ああ──そもそも、この人、こういうのは嫌いじゃないはずなのだ。
「それで、真のほうはいいとして、美希をどうするの?」
 なにを怒っているのか知らないが、真との交渉が纏まったからといって、美希が引くとは思えない。
「それに関しては、そうだな。こんなのはどうだ?」
 彼は、背もたれに押しつけた背中を起こした。
 美希はアイドル。
 私はプロデューサー。
 勝負もなにも、前提が成り立っていない。
 つまり──勝負など成り立つはずもない。

「プラチナリーグの公式戦で勝敗を決めてみるか。俺は自分のチームを、そっちは『ブルーライン』のアイドルを使うのが妥当だろうな。普段は同ランク同士でしかマッチング出来ないが、近く、無差別級の大会(ドリームフェスタ)があったろ」
「──ああ。たしかに」
 ドリームフェスタ。
 AランクからFランクまで、参加自由。
 すべてのアイドルが同じ立場で、同じ課題に挑戦する。

 プラチナリーグでは、同ランク同士以外で対戦が実現することはまずない。(なぜかというと、エンターテイメントは金がかかるから。見せるべき対戦は絞らないといけない)
 普段見られないドリームマッチが見られるとして、コアな人気を誇っていた。そのドリームフェスタは、都合三回目を迎えるはずだった。第一回と第二回では、Aランクアイドルの参加はなかった(単独で客を呼べるAランクアイドルにとって、あまり旨みのあるイベントではない)
 よって、今回の菊池真の参戦は、かなりの起爆剤になるはずだった。

「私は、『七草(ナナクサ)』を。あなたは、『星井美希』を使う、ということですね」
「いや?」
 あっさりと否定される。

「同じようなことは、前回やったからもういいや」
「………………」
 腰砕けになった。
 この人は。
 もしかして、こんなことばっかりやっているのだろうか?

「そもそも、賭けとか最近うるさくなってな、おおっぴらにやったらプロデューサーの資格が剥奪される。公式戦ではやれないから、予選でにしよう。プラチナムポイントが絡まないのなら、誰も文句は出せないはずだ。
 勝負の方法は。
 ──予選のトップ二十位までのランキング予想をする。二十位までに入るであろう、アイドルの名前を紙に書いて、終了後に開封する。それで単純に、予想が近いほうが勝ちってのは、どうだ?」
「それは、運任せの要素が多すぎるのでは?」
 意図がわからない。
 
「俺とお前なら、出場者リストを見れば、二十人中、十五人ぐらいまでは当てられるだろう。順位さえ、気にしなければな」
「ええ──それはまあ」
 順当に、実力の高いものが勝ち残る。
 人気と実力は比例しないが、人気と順位は比例する。それを読み切ることは、そう難しくはない。

「けど。最後は運だ。なら──互いの手駒を使って、運の要素を削ぎ落とせるとは思わないか?」
「あ──」
 そうか。
 むしろ逆なのだ。
 自分が担当しているアイドルの順位など予想できて当たり前。順位の予想なら、敵側が何位に食い込むかを想像出来なければならない。
 それから──
 話し合いで、細部を、詰めていく。
 その場は、それでお開きになった。













「やよい。伊織。今までの話は聞いてたな」
「──ええ」
「──はい」
 俺は隣のテーブルで、かき氷と格闘している二人に話しかけた。この状況にまったく動じていない、
 またいつものことか、ぐらいだった。随分と肝が据わってきていた。最初は、拾いものぐらいにしか考えていなかったんだがなぁ。

「それで、ドリームフェスタの予選だが、今年は────ってな具合になるはずだ。ふたりとも、やれるな?」

 困惑。

 今の二人の感情は、それ以外なかった。
 かき氷のかき込む手を止めて、二人の時間が止まっていた。ぱちくりと瞬きを数度。その後で、やよいと伊織は、互いに顔を見合わせた。

「どうした。なにか問題でもあるか?」
 俺の言葉に、やよいは、遠慮がちに聞き返す。

「えと、でも──それでいいんですか?」
「そうね。おかしいわよ」

 やよいと伊織がこちらに食いかかってくる。
 意図が掴めない。
 特に、お前らに不都合はひとつもないように組み立てたはずだが、なにか問題でもあるのか、と。

 問題はない。
 でも、と──
 その質問に。

「「それだと──」」

 ふたりの声が、重ねられた。

「私が、勝っちゃうじゃないですか」
「私の、独壇場じゃない」

 こいつら、こんなにあつかましかったか?
 そんな疑問を殺して、俺は続けた。

「それだけ言えるなら、大丈夫だな。舞台は整えた。あとは、任せたぞ」

 俺は、そのあとで、なんでもないことのように、続けた。






「──星井美希を、叩き潰せ」




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Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/06/22 15:26






  女子十二楽坊が、ジャスラックのせいで引退に追い込まれて、会社ごと潰された──、というのはあまり知られていない話だった。

 詳細はこうだ。
 販売レーベルは、女子十二楽坊のセカンドアルバムを企画した。

 それを、コンサートのDVDをおまけにつけて、2980円で発売する。(普通なら、コンサートのDVDだけで5000円近くはする)
 もとよりギリギリの値段であり、利益は最初から度外視していた。これでも、当初の予定では、わずかながらも利益を得られる予定だった。

 ──ところが。
 ひとつ、思いもしないところに盲点があった。

 おまけでつけたコンサートのDVD。
 コンサートの収録時間は100分。そして、ジャスラックの規定にある著作権料金の、一分間の料金は4円。そしてコンサートの収録時間は100分。
 繰り返すが、セカンドアルバムの値段は2980円。
 4かける100分で、400円。

 セカンドアルバムの方も合わせると、著作権の金額だけで、合計500円近くにもなる。
 事実上、販売価格の五分の一が、著作権料でもっていかれることになった。

 料金の、二重取りのようなものである。
 当然、こんなので利益が出るはずもなく、ほどなく──その会社は倒産した、というわけだった。

「というわけでだ。
 アイドルの歌う楽曲については、プラチナリーグが一括で管理している。ジャスラックが嫌いというより、(もちろん俺は嫌いだが)この仕組みだと映像とライブ映像が命綱のプラチナリーグは、ジャスラックに参入できない、ってわけだ」
「で、アンタなにが言いたいのよ」
 俺の前振りが、伊織が煩わしいようだった。
「うん、つまりだ。登録された曲であれば、プラチナリーグで使う限り、特に許可いらないし、著作権も発生しない。
 アイドルたちが、ほかのアイドルたちの曲を使いまくっているのは、こういうカラクリだ」
 俺はそう言って、クルマに付いたモニターを凝視している美希を見下ろした。

『涙のハリケーン』

 とあるCランクアイドルユニットの曲だった。

 名曲に近いのだが、歌っているアイドルユニットがそれほど有名でないために、埋もれている曲という雰囲気があった。
 ぶつぶつと呟く美希の表情には、僅かながら焦りのようなものが浮かんでいる。

「ううんっ。ちょっと、手間取りそうなの」
「当然だろう。まがりなりにプロなんだ。一目でまねされるようなことはやらないだろう」
 とはいえ、コピーだけなら、美希ならやりきるだろう。本能だけだとはいえ、星井美希の底は、それほど浅くはない。

「エクササイズは、ちゃんとやらせてるだろ」
「あれって、ただの準備運動じゃないんですか?」
「へえ」
 とぼけたことを言うやよいの頭をシェイクしてやる。

「な、なにするんですかー」
 ふらふらになったやよいの抗議を遮って、俺は続けた。
「いいか。やよい。エクササイズというのは──ええと、あずささん……説明お願いします」

「はいー」
 後ろの席から、あずささんが出てきた。

「ええと、うーん。なんて言ったらいいかしら。エクササイズっていうのはねー。
 アイドルたちの全身をキレイに見せるために、関節と筋肉の稼働限界範囲までを、使い切るための訓練……っていうところかしら」
「はー、え、あれ?」
 やよいが頭を抱えていた。
 わかっていないらしい。
 ちなみに、やよいに前に見せて貰った一学期の成績表は、目を覆いたくような結果だった。果たしてこれでアイドルとかやっていていいのだろうかと思うほどに。

「──そうね。折り紙にたとえると分かりやすいかしら。ツルをキレイに折るためには、ちゃんと紙に折り目をつけることが大事でしょう?」
「そうね。それが?」
 伊織が備え付けのキャビネットから、冷えたラムネを取り出す。

「それと同じよ。エクササイズは準備運動とはまったく違うわ。
 折り目をつけておくことで、美希ちゃんたちの身体に、ダンスに沿った動きの癖をつけるの。
 そのために、エクササイズには普段やらないような、全身をキレイに見せるための動きを詰め込んであるのよ」

 あずささんが、目を閉じて続ける。
「折り目をつけないでツルを組み上げようとしても、上手くいかないでしょう? それと同じよ。そのうち、ステージに立つだけで、自動的にツルを組み上げられるようになるわ」

「そんな意味があったわけね」
 伊織が腕を組んでいる。
 細い足をシートの端まで伸ばしていた。それだけの広さがあるこの車は、水瀬家と外を繋ぐ馬車(リムジン)としてのそれだった。
 ちなみに、伊織の執事である新堂さんが運転手を務めている。と
 いうかこのやたら腹の長い車、普通免許で運転できるんだろうか?

「ぜんぜんわかんない」
 さすがに、美希の集中力が切れかかっていた。
「対象の輪郭線だけを、見てるからじゃないかしら。
 目を閉じて、筋肉の動きをイメージして、重心を常にどこに置くかを考えてみるといいわ」
「あ、そっか。力の流れを盗むんだね」
 コツを掴んだのか、ふんふんふーん、と鼻歌と肩の動きだけで、美希はモニターの中の動きをトレースしていた。
 
「そこ。見たままをコピーしないの。
 踊るときに、どこに力が入っているのかを見るの。コツを言うなら、聞こえてくる音を、どう『使っているか』。もちろん、対象も完璧であるはずがないから、足りない分は想像力で補完する必要があるわ」
「それが難しいよね。やってるけど──」
 ぐちぐち言いながらも、美希は一分ごとに踊りの精度を上げていた。完璧にはまだほど遠いが、数分前には素人だったいうのが信じられないほどに。

 ドリームフェスタの予選まで、あと三日もある。
 それで、星井美希というアイドルは、完全に仕上がるだろう。
 なんの不足もない。
 秋月律子を、あとは叩きのめすだけだった。












 蓋を開けてみれば、なんかとんでもないことになっていた。
 なにげにルールは変則的だった。
 一時期のバラエティクイズや、高校生クイズのような感じといえばいいか。

 ドリームフェスタの予選は、やよいの地元である竹取商店街で行われる。

 そこにいる商店街の人々に投票用紙を渡し、竹取商店街全域をステージに見立てて、アイドルたちのアピールタイムが行われていた。
 
「アイドルに必要な、一瞬で観客の心を掴む技術が必要、ってことですね」

 秋月律子が、俺の目の前まで歩いてきていた。
 いつもは、お世辞にも盛況とはいえない商店街は、今日だけは真っ直ぐ歩くのもむずかしいほどだった。
「ああ、これが俺の予想用紙だ。伊織、預かっておけ」
「は? なんで私が」
 同じテーブルで、伊織が嫌そうな顔をしていた。
「こういうのは第三者が持っておくものだろ」
「私もお願いするわ」
 俺と律子の、この予選の順位の予想用紙を、伊織に預けておく。

「でも、いい天気ですよね」
 やよいが、ごま団子を右手に持ちながら、抜けるような蒼天を見上げた。竹取商店街は、ショッピングモールになっていて、肉屋、八百屋、ラーメン店に靴屋、CDショップ、本屋やらなにやらがそこに固まっている。

「ええと、伊織。あなたは、参加しなくていいの?」
「このルールは、私の独壇場だもの。三分あれば終わるわよ。どのみち、投票用紙は最後に回収するんでしょ?」
 余裕。
 傲慢ともとれる、水瀬伊織の自信がそこにあった。
 が──、実行できなければただの道化ではあるのだが。

「それで、肝心の星井美希は、どこに?」
「あの人混みだろう。まあ、十票ぐらいなら問題なくとれるんじゃないか?」
 俺は人混みで沸いている場所を指した。
 人の壁に遮られて、彼女の様子をうかがうことはできない。ちなみに、菊池真は招待選手として予選を免除されているため、ここにはいない。

「すごい熱気ですよ。私、ここがこんな混んでいるの、見たことがありません」
 やよいが、バナナ菓子を口に入れながら、きょろきょろと周りを見渡す。

 俺はテーブルの上に積まれたお菓子に手を伸ばす。
 笹かまチーズ、
 竹取饅頭、
 あと、スイカがまるごとテーブルに乗っていて、今にも転がり落ちそうだった。

 ちなみに、今現在にも、どんどん増えている。
 その商店街の人たちが、必ずやよいに声をかけていっていた。
 天真爛漫な受け答えは、高槻やよいが──この竹取商店街のアイドルで在ることを象徴するようだった。
 この一事だけを見て、すでに勝敗は決しているといえる。

「しっかし、美希も含めてだけど。あいつら、芸がないわね」
 伊織があきれたように言った。

「へえ、どういうことだ?」
「単に仕込まれた芸を披露するなら、猿にだってできるじゃない。あいつら、趣旨ちゃんとわかってるのかしら」
 伊織が両手のひらを上に向けた。
 なるほど。伊織の言いたいことはわかった。

「気づく人は気づいているはずですけど。
 これが、アイドルとしての優劣を競うものではないことに」
 律子の台詞は、さすがに現在のトップアイドルを擁するプロデューサーらしい見解だった。
「ふぅん」
「ばらしてしまえば、私の予想一位は、高槻やよいです」
 こちらを、挑むような視線。
「まあ、俺も似たようなものだが」
 俺は肩をすくめてそれを受け流した。
「今、ライブをしているアイドルたちの大半は、気づいていないんでしょうね。
 あれは局地戦です。制してもそれほど有利にはならない。この勝負で一番に必要なのは、まずは名前を覚えてもらうこと。そして──」
「自分が、どれだけこの商店街に貢献できるか示すこと、だろ?」
 商店街の人にとっては、どのアイドルが勝つかが重要じゃない。これをどう商売につなげられるかどうかだ。なら、地元出身のやよいは、それだけで有利だった。
 まあ、やよいがなにげなく呟いた、『私、この商店街のアイドルですし』が、この事態のすべてを一言で総括しているといえるかもしれない。
 律子としても、事前の聞き込みで足を使ったのだろう。一日でも訪れていれば、高槻やよいがどれだけこの商店街の人々に愛されているかを目にできるはずだ。

「さて、投票用紙って、全部で何枚だっけ?」
「500枚だな。まあ、投票しないでゴミ箱に捨てる人やら、無記名投票やらがいくらかあるだろうから、有効投票数はもっと減るだろうけど」
「ってことは、あと400票ぐらいしかないじゃない」
 伊織は、そう言った。
 その数字はどこから出てきた?

「決まってるでしょ。今の、やよいの得票数が、68票だからよ」
 テーブルの上にごっちゃと積み上げられた商店街の人々からの献上品と、高槻やよいの名前が書かれた投票用紙を指さした。
 つまりは、すでに全投票数の十分の一以上を、やよいひとりで獲得していることになる。
 ダントツの一位であることは間違いない。
 ちなみに、予選の参加者は百七十人近くで。
 このCグループ合格者は、上位二十名になる。

「そろそろ私の出番ね。仕込みも終わってるし、伊織ちゃんの可愛さを世界に知らしめないといけないわ」
 いつも通りウサちゃんを握りしめて、満を持してという感じで水瀬伊織が立ち上がる。

「それで伊織。結局なにする気だ」
 あまりに自信満々なので、結局聞けずにいたのだが。

「あそこらへんが──」
 伊織は、通りを挟んだ向こう側にある、古い家屋を指さす。

「爆発するわ」

 さらっと、あまりにさらっと言うので、そのまま流しそうになった。

「はあ?」
「みんなびっくりすること間違いなしね。ハリウッドの爆破班を集めるのに苦労したけど、もう爆薬はセットしてあるから、周囲に迷惑かけることなくやれるわ」
 いや、お前の存在が一番迷惑だ、と突っ込みを入れたかった。
 伊織が、遠隔の爆破スイッチのようなものを手にしたのを、見て──
「却下」
 スイッチを取り上げる。
「なんでよっ!!」
「言わなきゃわからんのかお前はっ!!」
 怒鳴ってしまう。

「認められるかそんなんっ!! 正攻法でやれっ!!」
「むー」
 伊織がぶーたれていた。

「だいたい、伊織。
 お前言ってただろ。やよいの笑顔と、お前の可愛さがあれば、Aランクなんて楽勝だって。その言葉が嘘でないなら、どうにでもなるはずだが」
「なんで知ってるのよそれっ!」
 伊織が、顔を真っ赤にしていた。
「正攻法、正攻法ね。まあ、それでもいいかしら」
 伊織の含み笑い。
 なにやら、思いついたらしい。

「伊織ちゃん。もしかして、アレ?」
 アレってのがなんだかわからないが、やよいが軽く引いていることからするに、なにかよほどのことなのだろう。

「ええ、アレよ」
「あ、あわわわわわわわ……」
 それを聞いて、やよいが怯えていた。







[15763] stage4 Blackboard jungle 9
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/06/24 09:54







「あの、どうしたんですか?
 ──お兄様たち。
 せっかくのお祭りなのに、あまりノリきれてないようですけど」
 そこに居たのは。
 どこかの少女漫画の世界から抜け出してきたような、可憐な容姿の少女だった。
 桜の色素を写し取ったような唇から発せられる──溶けるような釘宮伊織ボイスで囁かれれば、間違いなく男は一撃で陥落するだろう。

 そして、そんな伊織に話しかけられた、決まって暗い色でまとめてある服を着た大きいお兄様たちは、金縛りにあったように動けないでいた。
 今までの水瀬伊織の印象を180度裏切って、彼女は深窓の令嬢の役を演じていた。
 その中の一番気が弱そうなもやしっ子が、おそるおそるという風に話しかけてくる。


「あ、あの僕たち佐野美心ちゃんの応援に来たんですけど、っこの人混みで──」
「あ、ああ、あの地味っ娘、じゃなかった──美心先輩ですね。見えないところで努力していて、伊織、美心先輩のこと、尊敬しちゃいますぅ」

 伊織が浮かべた天使の笑顔に、一瞬、亀裂が入った。
 けれど。
 それも一瞬。
 伊織は、新しい笑顔で、それを強引に塗りつぶす。

「そうですよね。でも、人が多すぎてどこにいるのかわからなくて」
 商店街は、直線距離で五百メートルはある。土地勘がないと同じところをぐるぐる廻るだけだろう。

「じゃあ、伊織がお兄様たちのために歌っちゃいますね」
 儚げな演技のままで、水瀬伊織が右手を振り上げた。
「え、ええっ。で、でも──」
「それとも。伊織じゃあダメですか? そうですよね。最初からわかってたんです。伊織みたいな、超可愛くて、超プリティで、超ラブリーなだけが取り柄のFランクアイドルが、美心せんぱいを差し置いて歌うなんて──」
 伊織は、真摯に、前を向いていた。
 少し遅れて、透明な結晶を固めたような彼女の瞳から、涙がこぼれ落ちる。

「そ、そんな、そんなことないよ」
「伊織ちゃん。カワイイよ」
「伊織ちゃん。ラブリー」
「伊織ちゃん。サイコー」
「伊織ちゃん。ステキー」
「み、みんなありがとうございます。伊織、みんなの声援に応えて頑張っちゃうから。力を合わせて、私のライブ、盛り上げてくださいね♪」
 胸の前で両手を組み合わせて、伊織はファンたちにほほえみかけた。

「──フ、落ちたわ。見る目もないバカどもなんて、私にかかればちょろいものね」
 伊織の表情が一瞬、笑みのかたちに歪む。
「……あれ? 伊織ちゃん。今、なんて?」
「なんでもありませーん。ちょっと伊織、感動で混乱しちゃったみたーいっ。にひひっ」
 なんだかんだ言って、伊織はファンの群れを、自分の土俵に引きずりこんでいた。
 俺の横で、律子が顔をしかめていた。
 やよいは積み上がった食べ物の前で、伊織に生暖かいような視線を送っている。

「なぁ、やよい。あれが伊織の切り札、か?」
「はい。あ、でも伊織ちゃん。今日はおとなしい方ですよ。伊織ちゃんなら、この商店街の区画ごと買い取るのかなと思っちゃいましたし」
 やよいがようやく満腹になって、お腹を押さえていた。
 前々から思っていたが、この娘もなにかおかしい。

「じゃあ──みんなのために、一生懸命に歌います。
 ──『私は、アイドル』」



 いいかげん、もう限界だった。
 俺は、さっき伊織から取り上げた爆破スイッチを親指で押し込む。

 設置されたTNT爆薬が、俺の手に握られたスイッチから発信された信号により起爆。一瞬で弾け飛ぶ。
 生成された膨大なエネルギーは、設置区画を跡形もなく吹き飛ばし、無人の木造家屋を木片の群れに変えていった。

 まずはじめに、爆音ありきだった。
 空気を引き裂き、鼓膜を叩き割るような轟音と、衝撃派が商店街全体に揺らす。
 地面がぐらりと引き千切られるような衝撃は、足下のコンクリートを断裂させ、路肩に止めてあったトラックを一瞬浮き上がらせた。
 あらかじめ、ガラスはすべて取り外され、人の退去も終わらせてあり、爆発も上に逃げるように工夫されていたのだろう。それでも、威嚇にしても──あまりに凄絶な、悪夢じみた光景である。

 あざ笑うように、炎の群れが踊っている。
 そこにあった酸素を吸い尽くし、爆発的に燃え広がっていく炎の流れ。黒煙が伸び、酸素不足で窒息しそうな炎が、酸素を喰らい潰して、大気を赤く赤く浸食していく。
 燃焼しきれなかった空気が黒煙となり、昼の商店街を、地獄の様相へと叩き込んだ。

「あ、あわわわわわ」
「帰りたい。もう帰りたい」
 やよいと律子が、テーブルの下で震えていた。

 ──そして、逃げまどう人々を見ながら、俺は呟いた。

「ふぅ、死ぬかと思った」
「なにしてんのよ。アンタは」

 伊織が、自分のライブを台無しにされた怒りからか、俺に噛みついてくる。

「ほら、ついノリで」
「つい、じゃないわよっ!! せっかく私が苦労して下僕どもを手なずけたってのに、これで台無しじゃないっ!!」
「あ、あの伊織ちゃん。中身がでてるよっ!!」
 ふと、やよいのツッコミで、伊織が我にかえった。
 はっ、と背後を振り返ると、さっきまで伊織を褒め称えていたファンたちに、動揺が広がっていた。

「あの、伊織ちゃん。さっきと随分態度が、違うんじゃ」
「ふふっ。気のせいに決まってるじゃないですかー。私の態度が、変わったって──アンタたちが、私の下僕であることは、覆せない事実だもの」
「え?」
「そこの下僕07。さっさと準備しなさい。可愛くて素敵な伊織ちゃんのライブを始めるわよ」

 燃えたぎる商店街の区画を背後に従えて、魔王のように佇む水瀬伊織の姿は、一瞬でファンの心を掴むだけの魅力があった。

「で、でも──」
「どうでもいいわ」
「え?」
「もうどうでもいいわ。ついてこれないなら、振り落とすだけよ」
「ええと」
「振り向いてくれない人はどうでもいいわよ。ついてこれる人だけついてくれば私はそれでいいの。
 その代わり、ついてくる下僕たちには、最高のパフォーマンスをプレゼントするわ。だから──」
 息を吐き出すように、伊織が右往左往するファンたちに渇を入れる。

「アンタたち、死ぬ気で盛り上げなさいっ!!」

 歓声が破裂した。
 下僕01と03から07までと、09と10から13までが反応する。
 百人に好かれるには、同じく百人に嫌われる覚悟がいる。それを、伊織はよくわかっているようだった。

 前奏が流れて、伊織のステージが始まる。
 無邪気で。
 自分に正直で。
 一歩も引かずに自らを表現する。

 観客は、自らを写す鏡だと、よく言われる。歌の世界には、絶対的に正しい歌や、一番の歌など存在しない。
 ただひとつ例外があるとすれば、それは──自分が最高だと思っている歌だけだ。
 表現者は、みんな自分が大好きで。
 自らの中で、最高と思えるものを持っていないならば、その人は表現者ですらない、と──あずささんが言っていた。
 
 伊織は今、伊織にしかできないことをやっている。だから、今はそれでいいとしよう。
 かくして、終了のサイレンが鳴り響くまでに、伊織のステージは続いた。













「へえ」
 結果は、ドリームフェスタの運営本部からすぐに届いた。30位までの順位と投票数が書かれた紙を開いてみる。
 この中で、上位20位までが、本戦へと進める。

 星井美希の名前は、23位にあった。獲得数は3票。
 本人といえば、さっきから呆然とした表情で、なにかを呟いている。悪夢を見た、ようだった。

「全部、もってかれた」
 
 声をかけても、機械的に反応を返すだけだった。
 俯いたままで、微動だにしない。
 
 美希のこんな姿を見るのは、はじめてだった。
 



 10位 『大道京』
 所属 ギガスプロダクション
 投票数  6票

  9位 『周防美波』
 所属 カレイドプロダクション
 投票数  7票

  8位 『雪月花』
 所属 エッジプロダクション
 投票数  9票

  8位 『北見はるな』
 所属 レッドキャブ
 投票数  9票

  6位 『メビウスワン』
 所属 ナッツプロダクション
 投票数 11票





 美希のことは気になるが、まずは目の前の順位表だった。顔ぶれは、それほど予想を外していない。いくつかの順位がひとつふたつずれているだけ。
 ほぼ予想通りに推移していた。

 が──
 票数が異常すぎた。
 少ない。
 少なすぎる。
 有効投票数は450前後と予想した。
 なのに、なんだこれは。普通なら、ベストテンならば、この三倍はとっていなければおかしい。
 



 5位 『なつき』
 所属 エッジプロダクション
 投票数 16票

 4位 『七草』
 所属 ブルーラインプロダクション
 投票数 21票

 3位 『魔王エンジェル』
 所属 ブルーラインプロダクション
 投票数 22票

 2位 『ハニーキャッツ』
 所属 ワークスプロダクション
 投票数 89票






 二位の内訳は、やよいが71票。伊織が18票。

 秋月律子プロデュースの『七草』は三位に食い込むと思ったが、烏丸棗プロデュースの『魔王エンジェル』が三位に来たか。どちらも『ブルーライン』の主力アイドルであり、やよいと伊織が大差て勝っているのは、出来すぎなぐらいだった。
 
「勝敗はおあずけだな。こうなってしまったら、順位が合っているかどうかなんて、あまり意味がない」
「そうですね。あなたは、これを予測して?」
「なにかあるとは思っていた。美希のライバルになってくれればいい、それぐらいのつもりでいたんだが」

 近いうちに、実力を見極めなければいけないと思ってはいた。
 それでも。
 ここまで圧倒的だとは誰も思うまい。
 律子との予想合戦は、ただこの一位を予測できたかどうかで──決せられるべきだったのだろう。

 だから、
 俺たちは、どちらも負けたのだ。
 後味が悪い。
 俺は、もう一度順位表を見直す。
 何度見ても、書いてある意味は変わらない。






 10位 『大道京』
 所属 ギガスプロダクション
 投票数  6票

 9位 『周防美波』
 所属 カレイドプロダクション
 投票数  7票

 8位 『雪月花』 
 所属 エッジプロダクション
 投票数  9票

 8位 『北見はるな』
 所属 レッドキャブ
 投票数  9票

 6位 『メビウスワン』 
 所属 ナッツプロダクション
 投票数 11票


 5位 『なつき』 
 所属 エッジプロダクション
 投票数 16票

 4位 『七草』 
 所属 ブルーラインプロダクション
 投票数 21票

 3位 『魔王エンジェル』 
 所属 ブルーラインプロダクション
 投票数 22票

 2位 『ハニーキャッツ』 
 所属 ワークスプロダクション
 投票数 89票

 1位 『佐野美心』 
 所属 ワークスプロダクション
 投票数 238票













[15763] stage4 Blackboard jungle 10
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/06/25 14:08



「あれれれれ。辛気くさい空気ね。君たちもうちょっとハジけられないの?」
 なんとも切れの悪い結果に沈むなか、ひとりだけ脳天気な声が割り込んできた。
「いや、あなたは勝ったからいいでしょうけどね。空気読んでくださいよ」
「やーね。私と君の関係じゃない。身体を重ねたこともあるふたりに、そんな枕詞はいらないでしょ」
 笑うのは、佐野美心。
 ──ではない。
 前屈みに身体をくねらせる藪下さんに、俺は右手で頭を掻いた。
「ええと、おふたりはそういう関係なんですか?」
「いや、なかった。なにもなかった。断じて、なにもなかった」
「あー、この子が君の担当アイドルだね。うりうりうりうり」
「ひ、ひぅっ」
 藪下さんが、天下の往来で、やよいの胸を揉みしだいている。スーツ姿の背の高い女性だからこそ絵になることだが。俺がやったら犯罪だった。というか、この人のセクハラ癖は相変わらずか。

「というわけで、──こういう人なんだ」
 佐野美心の印象が薄い理由のひとつに、この人のキャラの濃さがあった。

 藪下幸恵。
 23歳。
 俺と同格の、ワークスプロダクションの、総合総指揮者(エグゼティブプロデューサー)。
 西園寺美神の右腕であり、その格としては、A級プロデューサーとなんの遜色もない。
 俺がワークスプロダクションで、自由に動けるのも、この人がきちんと会社を動かしているからである。
 それで、その担当アイドルの方は──

「プロデューサー。なに遊んでるんですか」
 和服だった。
 正統派の和服美人といった感じである。
 なるほど。鮮やかな和服と合わせれば、地味な立ち振る舞いにも、艶が見えてくる。
 エース曲の、「女二人の港町」も、大多数のアイドルに興味のない人々を狙い打つのに、明らかに適していた。

 あらかじめ調べた情報によると、彼女は老人ホームなどの慰問コンサートなどをメインに活動しているようだった。

 なら。
 商店街のアイドルである、高槻やよいの対極といえるのかもしれない。

 やよいとは、全く客層が違う。
 やよいの支持層は主婦やおじさんが多かったが、美心のそれはもっと上の老人たちが多い。

 なにより、美心はこの課題を、心から楽しんでいるようだった。
 嫌みでもなんでもなく、彼女にとっては、このクラスの仕事が、自分自身にとって、本当に輝ける場所なのだと確信しているように。

「もうちょっとで考査なのね。私のプロデューサーとしてのランクがBかCかで、ボーナスが全然違ってくるのよ。この子もがんばり次第で、私の車のローン計画が大幅に変更されるわ。ああもう、美心ならプラチナムポイントを荒稼ぎできるのに」

 あやまれ、私にあやまれ、と、藪下さんは美心の頭を振り回していた。


「──まあ、あそこはほっておいて、美希。いつまでそうやってめげてるつもりだ?」
 挫折。
 とでもいうか。
 伊織とやよいを使って、俺がやろうとしたことを、美心がやってくれた形になる。

「あの、美希さん。美希さんさえよければ、私たちといっしょにドリームフェスタに出ませんか? 美希さんも、このままで終われないでしょうし」
 やよいの言葉に、美希が、ぴくりと反応する。

「………いいの?」
「もちろんです。ね、伊織ちゃんもいいよね」
「………………」
 伊織は、腕組みしたまま、なにも答えない。

「負け犬の目ね」
 やがて、伊織が呟いたのは、そんな言葉だった。

「え、えと、伊織ちゃん? 負けたのは仕方ないけど、今度は勝つためにユニットを組もうって言ってるんだけど……」
 とりなそうとするやよいを、伊織は一蹴した。

「やよいの言ってることはわかるわよ。それはいいことだと思うわよ。本当にそうなら、諸手をあげて歓迎するわ。別に、私は美希とユニットを組むのに文句があるわけじゃないし」
「……伊織ちゃん?」
「……おでこ、ちゃん?」
「私が言いたいのは──」


「私は、コイツが信頼できないのよっ!!」


 伊織の覇気に、美希の背筋がびくっとなった。

「私たちはね、そろそろ後戻りなんてできないところにいる。あとは、Aランクを目指すか、夢破れて散るかのどちらかよ。

 戦って、夢が破れるならそれは仕方ない。

 でも──

 どんな無様を晒そうが。
 どんな絶望を抱え込んでも。

 一歩、踏み出したのなら、『飽きた』とか、『もうやめる』なんて言葉は言わせない。

 後ろなんて振り向かせない。わめこうが、泣こうが、地獄の先まで付き合って貰うわ」
 伊織は、言いたいことを言い終えると、財布から電話番号の書かれた名刺を渡す。

「覚悟が決まったら、連絡しなさい。
 本戦までは、三日あるから、ぎりぎりまで待つわ。最後の一秒まで待ってる。アンタとは反りが合わないけど、不思議と、三人でなら今まで見たことのない景色が見れる気がするからね。
 プロデューサー。なにか付け足すこととかある?」
「いや、俺の台詞を取るな、というぐらいか。とりあえずは。ああ、言い忘れてた。
 今日は、ここで現地解散だ。家は近いしな」

 最後に、やよいがうつむく美希の両手を掴む。

「あの、美希さん。なんていうか、上手くいえないですけど──三人で歌って踊れたら、そして──それでファンのみんなを笑顔にできたら、それってすごく楽しいと思います。

 ──だから。
 ええと、自分の気持ちを、誤魔化さないでください」













 がんばる。
 がんばるって、どうするんだろう?

『がんばらなくていいんだよ』
『美希はかわいいんだから』
『美希ちゃん。そんなことは僕がやるよ』
『また美希ちゃんが一番だって。仕方ないわよ。あの子、トクベツだもん』

 歩く。
 竹取川にかかる環状大橋を横目に、ひとりっきりで、帰り道を歩いていた。
 胸の奥に、こみあげてくるものがあった。
 吐き出さなければ、どうにかなりそうだった。

 うん。
 ミキなら、こんな時にやることはひとつ。

 そうだっけ。
 なら、叫んじゃえ──

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!」

 撃ちこまれた呪いの言葉をすべて押し流す。
 川縁の水たまりに、波紋がわきたつ。
 おでこちゃんの言ったとおりに、覚悟を決める。不満なんてない。いままで14年生きてきて、不満なんてなかった。

 家族もみんな仲良しで、ミキの言うことはなんでも聞いてくれて、友達だっていっぱいいて、きっと足りないものはなにもない。

 なのに。
 どうして、

 私はいつまでも、自分を好きになれないんだろう?

 そして、考える。
 このままでいい? このままやよいと伊織の好意に甘えて、それだけでいいの? 
 このまま、負け犬のままで、ミキ自身、胸を張れる?

 プロデューサーに。
 律子に。
 真くんに。
 
 まっすぐに向き合える?

 胸がドキドキしていた。心臓が早鐘を打っている。はじめて学校をサボった日の気持ちは、きっとこういうものなんだろう。
 ゆっくりと成長していこう。歩くような速さでいい。学んで、遊んで、悩んで、それから。

「どうしよう──?」

 決まってる。
 特訓だ。

 じゃあ、誰に頼むのか。
 心当たりのある知り合いなんて、ほとんどいない。
 あずさは、当然おでこちゃんと、伊織のコーチがあるだろうし。

 うーん、と悩む。
 そして、しばらくあとに携帯を取り出して、心当たりがあるメモリーに、電話をかける。

「あ、安原さん? ミキだよ。コーチを紹介してほしいの」
『いきなりご挨拶だね。さっき、負けたのが、そんなのこたえたのかい?」
「あ、商店街にいたんだ?」
「まあね。ちょっと待ってくれる? ちょうどいいのがいるから、すぐに行くよ。場所は?」

 安原蛍。
 無駄に色っぽいギガスプロダクションの常駐医兼、臨時の引率責任者は、そう言った。

 そして──

「安原さん。この子、知り合いですか?」
「そうだよ。アンタ、後輩を育てたいのに、誰も大成しないって嘆いてたじゃないか。
 潰れても構わないから、ちょっと揉んでやってくれないか? まあ、別のプロダクションだけどね」
「それは、構いませんが」

 スポーツカーから降りてきたのは、キレイな女の人だった。
 感情を封じ込めるようにサングラスをかけて、凛とした雰囲気を漂わせている。
 ぶるっ、って体の芯がふるえる感じがした。向き合っているだけで、針で刺されたようなちくちくとした感覚がある。

 こんなのは、前にもあった。
 天海春香と、対面したときのような。

 全身すべてがひとつの方向性に絞り上げられたような、人から注目を集めることを宿命付けられた人。

 私は、手を差し出した。
 
「よろしくお願いします。ミキは、星井美希。アイドルを目指してるの」
「そう」

 落ち着いた声だった。
 差し出した手を握って。その女の人は私よりほんのすこしだけ背が高い。風がその女の人から私の方に吹き抜けている。オレンジの夕焼けが逆光になって、いまいる世界を茜色に染め抜いていた。



「星井、美希。美希ね。
 はじめまして。──私は如月千早。すべての頂点(アイドルマスター)を目指しているわ」






[15763] stage5 Relation(繋がり) 1
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2012/01/13 10:19





 空気中に、火花が散っていた。

 それぞれの纏った殺気と重圧と支配力とカリスマが混ざり合って、その中心部分はすでに誰一人近づけない超重力空間と化している。光さえ呑み込まれるのではないかと思わせる圧縮空間の中心に、ワークスプロダクションを魏・呉・蜀のごとく三分割しているアイドルの姿があった。

 天海春香。
 水瀬伊織。
 小早川瑞樹。
 
 この三人が同じテーブルに座っていること、それ自体が奇跡的なことでもあるが、特に仲が悪いというわけではない、はずなのだ。
 ライバルとして、互いを高めあっているという関係ではないにしろ、三人が三人とも他のふたりを認めていることはまちがいない。

「合宿は楽しかったの? いいわね、Fランクアイドルは暇そうで。遊んでばっかりでうらやましいわ。私なんて、今日もスケジュールがびっしりで足を伸ばす暇もないんだから」
「アンタ、誘われなかったからって拗ねるんじゃないわよ」
「拗ねてないわよーだ。う、羨ましいわけじゃないんだからねっ」
 小早川瑞樹が、むきになって反論していた。
 決して大きいといえない身体を伸ばして、精一杯に大きく見せようとしている。

 身長のわりに手足がすらりと長い。
 誰もが羨むようなモデル体型だった。
 ストレートの髪に、気の強そうな瞳は、毛並みの整えられたショーキャットを連想させた。
 ぶっちゃけて言ってしまえば、美希と萩原雪歩を除くと、今のプラチナリーグで、一番『顔がいい』のはこの娘だった。あと、リファ・ガーランドとかいるが、あれは主にロリ向けだし。

 同じ卓を囲む三人は、本当に絵になった。
 互いに威嚇しあって、背後の動物イメージが鍔迫り合いを始めている。俺が見たところの外見イメージだと。

 天海春香が、ティラノサウルス。
 水瀬伊織が、首刈りウサギ(ヴォーパルバニー)。
 小早川瑞樹が、黄金の獅子といったところだろうか。


 ちなみに、
 ワークスプロダクションにおいて。

 天海春香が、ワークスプロダクションのB、Cランクアイドルの総括し。
 水瀬伊織が、Dランク以下のアイドルたちの支持を集め、
 小早川瑞樹が、グラビアやモデルを仕事にしているアイドルたちをまとめている。












「そうね。どうして誘ってくれなかったの? 残念だわ。合法的に弱いものいじめができるチャンスだったのに」
 別の方向からの声。
 天海春香が、物欲しそうに、人差し指を咥えていた。
 こちらは、心底残念そうだった。

「そう言うと思ったから誘わなかったのよ」
 春香の囁きに、伊織が半目で首を振った。
「アンタが本気になったら、新入りのアイドルがマジ泣きするでしょうが。どうしても来たかったなら、なまはげのお面でも被ってなさいよ。そっちの方がいくらかマシね」
「……伊織、私は人を屈服させたいの。恐がられたいわけじゃあないわ。恐がられるなんて、生産的じゃないじゃないの」
「──屈服させるのは生産的なんだ」
 瑞樹の眼が点になっていた。

「そうよ。エジプトのピラミッドはどう?
 多くのレミングたちの労働力があったからこそ、あんな途方もないものができたのよ。それを再現するために、私は多くのレミングたちに私を崇めるという選択肢をあげているの。私の純金像ができて、ワークス本社前に飾られる日も近いわ。
 バンナムの本社玄関に、ガンダムの像が飾ってあるようなものよ」
 夢見がちな瞳をキラキラさせながら、春香は手元のチーズケーキを、一口サイズに切り分けていた。
 実に、傲慢極まりない。
 ちなみに、春香の言うレミングというのは、集団自殺する習性のある、どっかの国のネズミだったか?
 自分が救ってあげないと生きることすらできない、という意味で使っているのだろう。なにやら凄まじい。
 が、彼女が天海春香であるかぎり、だれもその大言を否定できない。

 ──あと、言うまでもないがバンナムというのは、とある大ヒットアイドル育成ライブ鑑賞ゲームとか、某雑誌でオール3点のついた原作つきの、なりきりゴルフゲームとかを販売しているゲーム会社だった。
 春香の発言は、ここがガンダムゲームすべての版権を持っているので、ガンダムのゲームはここからしか出ないことに寄る。
 まあ、ぶっちゃけどうでもいいことだった。

「っていうかね、本社っていってもテナントじゃない。
 そもそも中に飾ってあるっていうか、敷いてあったのは皇帝ペンギンのクッションパネルだった気がするんだけど」
「ああ、ペコちゃんね。私と美神おねえちゃんでデザインした、ワークスプロダクションのマスコットキャラよ。かわいいでしょ」
 ああ。あれか。
 ペンギンなんて、実際見てみるとかなりぐろいが、アニメのトーンで水彩画風に描かれたそれは、絵本の表紙とかでも通用するぐらいだった。
 ちなみに、俺らが今いるここは、ワークスプロダクションのスタジオ兼、養成学校である。アイドルのレッスンは、ほぼここで行われることから、社員やアイドルたちの社交場のような場所だった。
「まあ、否定はしないわ。それより、伊織。
 ──訊いたわ。
 ──貴方、ドリームフェスタに参加するそうじゃない。飛んで火に入るってところかしら。この私の当面の敵として扱ってあげる。地べたに叩き落としてあげるわ」
 小早川瑞樹が、凄絶な顔で、犬歯を剥き出しにした。

「──ああ、アンタも参加するんだっけ? 
 いいわ。アンタが威張れる最後の機会よ。Fランクアイドルに負けて泣くといいわ。私にひれふす様を想像したら、今から顔がにやけてきちゃうわ。にひひっ」

 おー。
 伊織はご満悦だった。

 ちなみに、伊織の宣言は誇張でもなんでもなく。

 ドリームフェスタにおいては、ハンデとしてFランクアイドルは相当のポイントを補正されるので、伊織とやよいの実力ならば、十分に優勝の可能性も射程圏内にある。

「おもしろそうね。私も参加しようかしら」
「ランクごとにハンデがつくから、Aランクアイドルなんてひっどい量のマイナスポイントがついてくるわよ。Aランクアイドルは勝てないようになってるけど」
「じゃあやめるわ。こんなので私の連勝記録(72戦72勝)が止まるのもばからしいものね」
 春香はそう答えた。
 こだわりはないらしい。
「それが懸命よね。どこかの自意識過剰なオデコ娘みたいに、無様に負けた姿を晒さなくて済むんだもの」
「ええ、賢い選択よね。百億の伊織ちゃんファンの前で、どこかのブラコンヒステリー娘みたいに、悔しさで泣きわめく姿を見なくて済むんだから」
 ぴたり、と瑞樹と伊織の笑いが止まった。

 おほほほほほほほほほほ、
 うふふふふふふふふふふ、と──乾いた笑いがふたりの間の空間を滑っていく。淀んだ大気がまとわりついていって、食堂全体の温度が2度ぐらい下がった。

 がたん、がたん、と何故だが周りの事務員さんや所属アイドルたちが、半分ぐらい米の残った茶碗を乗せたトレイを持って、足早に席を立っている。
 うん、気持ちはわかる。

「あの、プロデューサー。あれ止めなくていいんでしょうか?」
「いや、だって俺、死にたくないしなぁ」
 俺とやよいは食堂のすみっこで、月見そばをすすっていた。
 周りのアイドルや事務員たちも、もれなく俺と同意見らしく、あの三人の半径五メートル以内に人の影はない。
 というか、三人に意見できるようなアイドルなどいない。
 ひとりひとりなら何とかなるのかもしれないが、万が一結託されたら、手に負えなくなる。
 俺が伊織ひとり手なずけるのに支払った代償を考えると、あれと同格か、明らかにそれ以上のふたりを相手にすることは、考えるだけでゾッとする。

 こんな時に、藪下さんがいれば。

 あんなところに飛び込んでいけるのは、藪下さんぐらいだ。
 あのアイドルの胸を揉みまくるセクハラプロデューサーは、自分が女性だという特性を、最大限に利用していた。というか、この三大勢力を上手く衝突しないようにコントロールしているあたり、ワークスプロダクションにおける藪下幸恵の功は計りしれない。

 四大プロダクションのうち、社長が有能なのはエッジぐらいで、あと三つは、社長が副業ばっかりに手を出して仕事を全くしていなかったり、そのままアイドルお飾り社長だったり、くたばりぞこないのばあさんだったりする。

「あの、西園寺社長はやり手だとおもいますよ──?」
 やよいは、無料でもってこれる漬け物をかじっていた。
 このツッコミは、俺の心を読んだわけではなく、単にナプキンに社長給料あげろ、という文句を書き連ねてることに対してのそれだろう。
 
 たしかに。
 なんで、俺と同じ歳で社長なんてやっていられるのか、とか。
 調べたところによると、いろいろとアレな裏事情が出てきていた。まあ、その経緯やらどん底から天海春香をプロデュースした彼女の手腕は、一流と言われるだけのことはあるのだ。

 特に、天海春香と小早川瑞樹は、そのどん底からこの位置にまでワークスプロダクションを押し上げた殊勲といえるアイドルたちなので、そこらへんのプライドが、伊織と合わない理由でもあった。

 天海春香のカリスマ。
 水瀬伊織の人心掌握術。
 小早川瑞樹のビジュアルイメージ。

 今のところ、ワークスプロダクションはこの三つでもってよどみなく廻っていた。

 ふと、顔を上げた。周囲の波紋がわきたつようなざわめきの理由を探す。
 小早川瑞樹が、こちらまで歩いてきていた。

「ああもう。不愉快な時間だったわ。お兄ちゃん、いつまでご飯たべてるのよっ。グラビアの撮影間に合わなくなるじゃない」
「あ、ああっ。わかったよ瑞樹。あと、ここは仕事場なんだからお兄ちゃんと呼ぶな」
 答えたのは、隣のテーブルにいた小早川(兄)だった。

 スーツを着こなした、長身の青年だった。
 凛々しい顔立ちなのだが、どこかくたびれた感じがする。
 世間に負けて、摩耗して丸くなるどころか尖ることを覚えたようなその青年は、とりあえず自分より二つほど年上らしい。わがままの妹にふりまわされる、苦労人のイメージで通っている。

 妹である小早川瑞樹とあわせて、ワークスプロダクションでは、小早川兄妹と纏めて呼ぶのが一般的である。

「そうだ。金田。まあ、せいぜい頑張るといい。困ったことに、本当に困ったことなんだが、試合というのは、ひとりではできない。僕たちには、てごろな引き立て役が必要なんだ。せいぜいがんばって瑞樹を引き立てた上で負けてくれたまえっ! あっはっはっはっはっはっ!!!」

 高笑いをしながら、小早川洋介は消えていった。
 ──こっちを無駄にライバル視していた。困った。

「ええ、如月千早のいない金田城一朗が、どこまでやれるのかを、拝見させてもらうわね」
 振り向き様に、小早川瑞樹が言う。

 こんな小娘に言われるまでもない。
 毎日のように、心に留めていることだ。

 さて。
 あとは、美希の問題だが。












 千早さんに聞くところによると、だれかを部屋にあげるのは、はじめてということだった。
 住宅街でひときわ目をひく、九階建ての高級マンション。
 エレベーターで八階まで。

 一定の間隔でならぶ、ドアたちの一番手前の扉のドアノブ、その電子ロックのコンソールキーに、千早さんは四桁の暗証番号を打ちこんでいた。
 ピピッ、という電子音がして、カギがはずれたみたいだった。
 先に歩いている千早さんに、中に入るようにいわれた。うん。やっぱり、誰か友達の家にいくのって、わくわくするよね。

 一日のレッスンでボロボロになった身体を、もう一度だけふるい立たせていた。

 千早さんの個人レッスンは、すでに十人近くのアイドルが逃げだしていて、もうぺんぺん草一本生えないぐらいの土地になって、誰も寄りつかなくなってしまっているらしい。
 すでにジンクスのようなものまでできていて、一時間もてば、Cランクアイドルぐらいにはなれるらしい。ちなみに、ミキは5分ぐらいを目標にがんばってみようと思ってたの。
 
 防音のトレーニングルームにつれていかれるなり、最初にやらされたことは、千早さんにノドの調子を確かめられることだった。

 確かめるっていっても、声を出すんじゃない。
 直接、ノド仏を触っただけで、ノドの痛めやすさがわかるらしい。
 ちょっとしたカルチャーショックだった。
 古い概念や、まちがった概念は、ただノドを痛めるだけにしかならないんだって。

「いいかしら、美希。こと、呼吸の方法においては、古い方法すべて害悪よ。本屋に売っている教本なんて、私に言わせれば──書いてあることの80パーセントは間違っている。トレーナーは、一級でなければ学ぶ意味はひとつもないわ」
「はう」
 いきなり、むずかしいことを言われた。
 ミキ相手に、いきなりハードルをあげるのはどうかと思うの。ほら、ミキってきっと褒められて伸びるタイプだと思うし。
 口に出したら睨まれるだろうから、言わないけど。

「はいはい。千早さん。それよりは、ミキにしか歌えないような、すごい歌を歌いたいの。どうすればいいかな?」
 私の質問に、千早さんは少し黙り込んだ。

「ええと、怒っちゃった?」
「いいえ。──まさか。教える人と教えられる人の目的意識は、できるだけ近いイメージで共有しておくべきよ。──じゃあ、目標はそこに設定しましょうか。それで、あなたに歌えない歌を歌うために必要なのは──」
 千早さんは言った。

「イメージをもつことよ。
 個性をつけなさい」

 ──まるで、筋肉をつけなさいとか、そんな言いかただった。

「個性というのはね。極論すれば、自分にしかないものよ。
 ということは、自分にとってだけ、正解である技術ということ。、他の人が真似したらバラバラになって失敗して、なんだこれはと批判されるようなことよ。
 歌を二十曲順番に聞いて、それでもその中からその人の曲だとわかる。それぐらいの癖がなければ、人の耳になんて残らない。
 ましてや、アイドルならなおさらよ。
 あなたの周りで、そんな歌い方をしている人はいない?」
「いる、かも」
 おでこちゃんとやよいなら、どれだけの歌の中からでも聞き分けられる。
 うわぁ、あのふたりって、すごかったんだね。
 いつもいっしょにいるから、気づかなかったけど。

「自分のイメージをもちなさい。たくさんの歌を聴いて、たくさんの歌を歌って。失敗の結果は誰がやっても一緒だけれど、突き抜けるほど成功できるなら、誰かを感動させることだってできるわ」
「う、うん。わかった」
「……じゃあ、さっそくこれを歌ってみて」
 ラジカセから音楽が流される。      

 千早さんの声だった。
 透明感のある、思わず聞き惚れるような声。
 
「とりあえず、この歌を二十種類近くの感情で、歌い分けてみなさい」
「え?」
 なにそれ。
「この際、歌詞は無視してもいいわ。聞いた人が楽しくなるように、悲しくなるように、嬉しくなるように、楽しくなるように──」
「人の真似でもいいの?」
「構わないわ」
「じゃあ、やよいのマネで。(舌っ足らずにかわいく)」
「おでこちゃんのマネ。そのいち(ぶりっこモード)。そのに(相手を見下す感じで)。そのさん(とろけるように)。」
「あと、美心のマネ(演歌バージョン)。千早さんのマネ(原曲バージョン)。ミキオリジナル(やる気なく)」
 千早さんは、ミキの歌に反応をしめすわけでなく、ただ頷いていた。

「美希の癖はわかったわ。最初にやるべきことは、力まないこと。息をたくさん吸い込むことには、なんの利点もない。正しい姿勢をとらないと、観客を感動させるような正しいリズムとパワーは出てこないわ」
「あの、千早さん。ミキの歌って気持ちこめすぎじゃないかな? しっくりこなくて」
「………歌には、気持ちをこめすぎて悪いことなんてひとつもないわよ。わざとらしくさえなければいい。
 あなたがそう思うのは、逆に歌に力と気持ちが足りないせいでしょうね。もっとしつこく、歌の疾走感に負けないように歌いなさい」
「ええと、うん。わかったの」
 頷く。
 それでも、自信がない。
 歌に込めるべきものが、わからない。
 がんばるって、どうするの?
 
 ミキは、きっと、今までなにもやってこなかったから。
 誰かに、本気で勝とうと思ったことなんて、なかったから。

「自信が、もてないようね」
「うん」
「大丈夫。あなたの歌は、今の時点で、技術だけの歌よりもよほど魅力的だわ。正確な歌も、自己陶酔のできる歌も、人を惹き付けるだけの魅力にはならない。ボイストレーニングをひとつしていなくても、プロになった人たちは星の数ほどもいるわ」
 千早さんは、そう言ってくれる。
 でも──
 でも──それじゃあダメってことぐらいはわかってる。

「それだと、美心には勝てないと思うの」
「ねえ美希。あなたにはきちんと魅力がある。
 きちんと聞く限りには、あなたのために親身になってくれるプロダクションの社長と、あなたのために歌うステージを用意してくれるプロデューサーと、待っていてくれるユニットのメンバーがいるんでしょう?」
「うん」
 頷く。
「そのひとたちが、あなたのために動いてくれる理由を考えなさい。
 あなたを輝かせるのはあなた自身だけじゃない。その人たちは、星の数もいるアイドルたちの中から、あなたを選んだ。それは、アイドルとしてのあなたに、他にはない魅力を感じたからだと思うわ。

 あなたには、あなただけの、人を惹き付けるだけの才能がある。
 だから、他の人が歌えるような歌を歌っても意味はない。
 あなたにしか歌えない、星井美希としての歌を歌いなさい」

 すごいよね。
 ミキ、目からウロコがぽろぽろ落ちちゃった。

 そうだよね。
 ミキの、ミキだけにしか歌えないような、そんな歌があるなら、聞いている人たちもみんなすごいって思ってくれるよね。
 
 ──と、そんな感じで、レッスンは進んでいった。 
 声が涸れるまでやって、タイムリミットはまであと二日ということになった。そこから千早さんにお願いして、千早さんの家に止めてもらうことにした。本人は、とまどっているようだったけれど。




[15763] stage5 Relation 2
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/06/30 23:13




「トップアイドルなんだから、もうちょっと色気を出した方がいいと思うの」
 ミキの部屋も、ひどいといえばひどいけど。
 千早さんの部屋はなにか別方向にひどかった。
 そう口を挟まなければいけないほどに、カーテンから枕カバーまでを、スカイブルーの一色で統一された部屋は、まるで生活感というものに欠けていた。
「ひとり暮らし、なんだね」
 からっぽの部屋、って気がする。
 そう思ってしまえば、粗のようなものを探したくなる。本棚にはびっちりと音楽の教本が狂いもなくつめこまれていて、タイトルを諳んじただけで頭がくらくらとした。よくコマーシャルでやっている、家具つきマンションの一室は、トップアイドルが住むには寂しすぎるような気がしたけれど。

 たったひとつ。
 この殺風景な部屋に不釣り合いなものがあった。
 写真立て。
 おにーさんと、千早さんと、あずさと、もうひとり知らない男の人。
 三人とも、ずっと若い。おにーさんは、カメラのフレームから逃れようとしている千早さんを無理矢理に引き寄せていて。千早さんはどこかの高校のセーラー服を着ていた。あずささんが今とあまり変わらない、あたたかな瞳で、そのふたりを見ていた。

 見ただけで、わかった。
 ほんの少し前の、終わってしまった昨日の──キラキラときらめくような想い出を閉じこめただろうその写真は、──暖かさといっしょに、一抹の寂しさも感じさせた。

「あの、千早さん。この写真」
 掠れた声で、聞いてみる。
「ええ──私を、輝かせてくれた人たちよ。今は、別の道を歩いているけどね」
 ほんの一瞬だけ、千早さんの表情に影が差した。
 悲しいのに、歌以外でそれを表現する方法を忘れてしまったような、そんな悲しげな表情だった。

 ぎゅっ、って。
 胸をかきむしりたくなった。

 おにーさんは、どうなんだろう?
 千早さんの気持ちは、あの人が一番よくわかっていたはずだった。
 三年間、ずっと一緒にやってきた、アイドルとプロデューサーなんだよね。だったら、わかるはずだと思う。おにーさんがいなくなったことで、千早さんが、どれだけ傷ついたのかが。

 ミキには、きっとできない。
 こんな千早さんを、ひとりっきりにすることなんて。

 うん、きっとそう。
 まるで、世界でひとり取り残された少女が、そのまま大人になって、悲しむことすらできなくなってしまった。
 千早さんが、そんな感じに見えてしまう。それでも、本人はきっとそれだけは認められないんだって思う。
 
 ひとりだと、胸をかきむしるほどに寂しいなら、そう感じられないぐらいに強くなれれば解決だって、そう信じ切って、それを実現してしまった女の人が、目の前にいた。

「千早さんは、その人たちのことが、大好きだったんだね」

「──そうね」
 千早さんは、目を伏せた。
 それが悲しかったんじゃない。
 それを、『終わった』ことなんだって、自分が思っていることに──千早さんが気づいていないことが悲しいんだって。

 けど、もう戻らない。
 この写真の光景は、二度と戻ってくることはない。
 ミキは、それを知ってるから。
 だから。
 
 一週間前か、二週間前か。
 合宿前の、そう遠くもない四人での話を思い出す。
 おでこちゃんが、言ったことがあった。



「プロデューサー、うん。そうよ。あの男、ぜったい最後に裏切るわよね」
「おでこちゃん、なに言ってるの?」
「だから、プロデューサーのことよ。あの男、私たちがAランクに手が届くようになった直前あたりに、如月千早のプロデュースに出戻るわよ、絶対。その方がドラマチックだとかそんな理由で。ドラマとかでも、ああいう最低なコウモリ野郎が一番特をするのよねまったく」
「ええと、伊織ちゃん。さすがにそれはないよ」
 おでこちゃんは、ワークスの事務所のソファーに陣取って、靴下を脱いで、足の爪を切っていた。やよいは散らかったおにーさんのデスクを片付けながら、それを否定する。
 空白の時間。
 おひるねに丁度いい昼過ぎは、ここで過ごすことが多くなっていた。
 
「あのねやよい。信じる人間は選ばないとダメよ。きっとアイツってば、薄っぺらい笑顔で、むかつく笑みを貼り付けながら、『これが俺からの最後の試練だ。俺が考えられる上で、最高のアイドルを用意した。如月千早だ。これを乗り越えて見せろ』とか、言わないとでも思ってるの?」
「さすがに、そんなことはない。よね? きっと、多分。そうだったらいいよね。あ、あはははは」
 やよいが、乾いた笑顔を返してくる。
 おでこちゃんの、おにーさんのマネはあまり似てなかったけど。
 それで三人の間に微妙な空気が流れたのは確かだった。

 うわー、言いそう。
 なぜか、得意げになっている本人の姿まで、詳細にトレースできていた。

「い、伊織ちゃん。『まだ』裏切ってないんだから、プロデューサーさんを悪く言っちゃだめだよ」
「やよい。それフォローになってないから」



 
「──安心しろ。それはない」




 合宿をするということで今日中に片付けなければならない書類仕事に、ひーひー言いながらファイルの山に埋もれているおにーさんが、睡眠不足でクマのできた瞳を、こちらに向けてきていた。

「陰口なら、聞こえないところで言えおまえら」
「陰口? 牽制のために、聞こえるように言ったんでしょうが」
 おでこちゃんは、視線すら上げようとしない。
 右足から、左足の爪を切る作業に移ったようだった。

「あー、そうだな。とりあえず、お前らの不安を取り除くと、そんなことはありえない。この業界はだいたい信義で成り立っているからな。今度、そんなことをしようものなら、いいかげん締め出しをくらう。
 それに、これが一番の理由だが、今更、俺はもう──千早にあわせる顔なんてない」
「それはそうよね。私も、如月千早と同じことをされたら、思うことがあるわ」
「え、ええと、だいたい伊織ちゃんの言いたいことは予想つくけど、なんて?」
「二 度 と、姿 を 見 せ る な」
 喉の奥から、悪寒がするような、凍り付いた声だった。
 視線を逸らそうとしない。おでこちゃんの、キレイに張り詰められた、剥き出しの感情だった。

 おでこちゃんは、そうやって怒るだろう。
 そして、やよいは──やっぱり許すんだろうと思う。おひとよしで、どこかの知らないアイドルを成功させたって聞いて、自分のことのように喜んで、そして、一人で傷つくんだろう。

 だから、おでこちゃんはそれがわかってるから、やよいの分まで怒るんだ。 

「あいつを捨てたのは、俺のわがままだ。
 それに、やれることはすべてやったはずだ。三年間、情熱も、技術も、ぜんぶ注ぎ込んで、完璧に育てあげて、如月千早というアイドルを、俺のできる限界のところまでに押し上げたと思っている。これ以上、俺が千早にしてやれることなんてない。まあ、俺は最低野郎であることに変わりはないが」
「そうね、──最低ね」
 ストン──と、空間の中心にぴったりとはまるような、そんな声。
 おでこちゃんは、あふれ出るような嫌悪感を隠そうともせずに、事実を事実として言い切った。

「もし、私たちを裏切るのなら──怒っても、悲しむこともしない。哀れんでもあげない。
 ただ、軽蔑するわ。
 まさか、そんな身勝手な理屈が通るなんて、思ってるわけじゃないでしょ」
「当然だ。俺はここに遊びにきたわけじゃない。捨てたモノと釣り合うだけのモノを得られなければ、それこそただの道化だ。
 もし、
 次に──
 俺と千早が出会うことがあるとすれば、しかるべき舞台で、倒すべき敵として、俺の前に現れた時だけだ」












 うん。
 おでこちゃんは、怒るんだろう。
 やよいは悲しむだろう。

 だから、今になって思う。
 だったら、ミキはどうなんだろう。
 おにーさんに、裏切られたとしたら。
 友達が、ひとりいなくなったって、そんな感じの寂しさなのかな。
 その、それとも千早さんのように、キレイに割り切ったりできるのかな?

 ミキは、まだ──このひとと並ぶことすらできていない。


「──金田城一郎っていうんだけど、美希は、なにか聞いていない? 最近新しく入ったプロデューサーのこととか、なんでもいいわ」
 千早さんの声が聞こえる。
「仕事に夢中になると、自分で家事もできなくなって、放っておくと即席麺ばかり食べてるのよ。栄養バランスがとれないから、自分で工夫しろって言っても、聞いてくれなくて、道ばたで動かなくなっていたらどうしようって──ね。ねえ。私、そんなことを考えてるの。ばかみたいでしょう」
「──千早さん、その人のこと、好きだったの?」
 口から滑り出ていた。
 聞いてはいけない。
 そう思っているのに、止まらなかった。

「──ええ」
 千早さんの、表情の変化を見て──
 自分の迂闊さが、嫌になった。

「好きだったんだって、今になって、そう思うわ」

 そっか。
 だったら。

「あ、あのっ! 千早さん。その──金田城一郎ってひとのことだけど──」

 話すべきだ。
 千早さんの、こんな悲しそうな顔を見ているなんて、もう一秒だって耐えられない。安心させてあげたい。こんな顔を見たくない。声を、聞かせてあげたい。そうしたら、この二ヶ月の話をしよう。
 いろんなことがあった。
 やよいと、おでこちゃんの出会い。
 高菜と雪菜との勝負と。
 合宿でのこと。

 千早さんは、笑ってくれるかな?

 頑張っているって。
 無駄じゃないよって。

 そう、思ってくれるかな。







「あのね──」







『次に──俺と千早が出会うことがあるとすれば、しかるべき舞台で、倒すべき敵として、俺の前に現れた時だけだ』





 だから、
 だから──






「──知らない。ミキ、そんな名前、聞いたこともないよ。最近、うちのプロダクションに入ったプロデューサーさんは、女の人だから」








[15763] stage5 Relation 3
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/07/06 14:56
「ううっ、千早さん。そんなに入らないよ」
「美希。情けないことを言わないの。これぐらいは入れてもらわないと」

 私と千早さんがいるのは、狭い個室だった。
 完全に防音が施されていて、中の物音は一切外にとどかない。まともな照明なんてなくて、目に映るのは最低限の明かりだけ。

「やー。強引なの、千早さん」
「ほら、手伝ってあげるから」
「もうだめー。ミキ、壊れちゃうーっ!!」

 私の抵抗は、ぜんぜん無駄だった。
 すぐに、取り押さえられてしまう。
 そのまま千早さんが私の大事なものに手を伸ばして──

 ──ぴっ、と。
 千早さんが、手元の端末(電子目次本)に指を這わせて、そのままを曲を予約していく。テレビ画面には、すでに三十曲先まで歌の予約が埋まっていた。

 言うまでもなく、ぜんぶ歌う気らしい。すでに五時間経っているのに、千早さんの暴走はとどまるところを知らなかった。カラオケは好きだけど、歌うのは好きだけど、ミキ、さすがにこれはどうかと思うの。

 テレビのモニターに、カラオケの『サウンドラブ』っていう会員制サービスが映っている。
 千早さんから説明されたところでちょっと言うと、会員登録することでお気に入りの歌を二〇〇曲まで保存しておいて、すぐに呼び出せたり、フレンド登録するとそのヒトがいつなにを歌ったかとか、そのときの得点は何点だったか、とかを見ることができるって、そんなサービスみたい。

 これに登録しておくと、歌った曲に順位がついて、それがあっという間に全国ランキングに残るんだって。千早さん、歌った曲歌った曲で、きっちり一位を獲得しているあたりがすごい。

 はじめは百位とかでも、二、三度ぐらい歌ううちに、ガンガン順位をあげていって、簡単に一ケタをとってしまう。人気のある曲だと、五万人ぐらいライバルがいるはずなんだけど。
 
 おにーさんが、如月千早が別格だといっていた意味が、やっと身に染みていた。夜明けから五時間。ぶっとおしで歌い続けて、千早さんは疲れるそぶりすら見せていない。その前はスポーツジムに行って、ああうん、もちろんそこまで10kmぐらい走って、それから腹筋と有酸素動をできるだけやってだよ。千早さん、腹筋割れてた。すごいを通り越している。それどころか、どんどん元気を増しているようにすら思える。テンションゲージはマックスを振り切って、フィーバー状態をずっと維持しているみたい。

 ──千早さんを、少しだけ理解できたと思ったのは、まったくの勘違いだった。
 如月千早という人間が、まったく理解できない。
 今まで見てきた、アイドルの誰とも違う。

 パフェを目の前にした子供みたい。
 そう、いままで抱いていたイメージと、ぜんぜん違う。
 子供みたいだった。歌に飛びつくというか、よだれを垂らしているみたいで、むしろ歌う前より肌がツヤツヤとしていた。

 クールなイメージなんて、どこかに飛んでいって、ミキの目から見ても危なっかしいのかな。なんというか、おにーさんが、ことあるごとに複雑な顔で千早さんのことを語っていた理由が、ちょっとだけわかった気がする。

「すごくいいわ。最高よ!! 誰かといっしょに歌うって、ひとりとはまた刺激があるわね。軽く流す意味で、さらにあと二十曲ほど行ってみましょうか」
「千早さん。それ、本気で言ってるから、恐いって思うの」
 のへー、っとソファーに寝そべりながら声を絞りあげる。
 もう、カラオケの前のトレーニングを合わせると、すでに十時間を突破している。
 あんまり考えたくないけど、プラス二十曲というのは、予約した三十曲とはまた別計算ってことだよね。

 めまいがする。
 気が遠くなってきた。
 ちかちかと、瞼の裏で白い光が明滅していた。
 あふぅ、ミキ、ここで死んじゃうのかも。

「それはそれとして、美希。あなた、まったくの素人だっていっていたけど、どこかでレッスンでも受けていたの? あなたのそれは、きちんと訓練されたような動きよ。だれに習ったの?」
「だれにって言われると、ミハエル先生かな? ミキ、すごくソンケーしてて、いつかあんな風になれたらなって思ってるの」

 あずさから教わった、なんて言ったらマズいよね。やっぱり。
 いいや。
 細かいことは考えなくても。
 ミハエル先生(近所の猫、2-2参照)を尊敬してるのはホントだし。あんな風に一日中ゴロゴロできる生活って、憧れだよね。
「そう。ミハエル先生。外国人のトレーニングコーチなんて、いい環境で練習していたのね」
 千早さんは千早さんで、ちゃんと納得してくれたようだった。
 おでこちゃんがここにいたら、『話が噛み合わないにもほどがあるわね』とか頭を抱えるところなんじゃないかな。 

「名残惜しいけれど、歌はここまでにしましょう。ドリームフェスタ本戦は、もう明日よ。これからは、本戦の対策を練りましょう。喉は酷使できないけれど、頭はいくらでも働かせられるわ」
「といわれても、ミキ、ドリームフェスタってどういう大会なのか知らないよ?」
「あなた、オーディションや大会に出たことはないのね?」
「うん」
「ドリームフェスタについて、聞いていることは?」
「すごく大きな大会だってことぐらい、かな?」

 千早さんは、顎に手を当てて、考え込んだみたいだった。
 多分、言うべきことをきっちり整理したあとで、

「ドリームフェスタの、出場可能ランクは、AからFまでの全ランク。異例の大会なのよ。プラチナリーグでは、同ランク以外の対戦は、まず実現しないんだけどね」
「どういうこと?」
「同じランク以外での対戦が許されるということはつまり、Fランクアイドルに参加資格が与えられている大会の中で、最大規模ということよ。年に一度しか開催されないこともあって、参加者も相当数に昇るわ。去年は、参加者が600を超えたんじゃなかったかしら」
「そんなに、すごい大会なんだ?」
「予選はAからCまで、三つのブロックに分かれて予選が行われるわ。あなたが出場したのは、Cブロックだったわね」
「うん」
「たしか、A、B、Cでそれぞれ課題が違うはずよ。まあ、終わったことはさて置いて本戦のことだけど──」
「ミキは、参加できるのかな?」

 私の質問に、千早さんは横に置いていたパンフを取り出した。それには、ドリームフェスタの参加要項が書かれているみたい。

「──場合によってはね。本戦は、A、B、Cのトーナメント式よ。各ブロック上位20ユニットと、特別招待選手、その枠が4つ。だから、64ユニットが本戦に進める計算になるわ。ただし、当然だけど、エントリーはすでに終わっているわね」
「じゃあ、無理なんじゃ」
「でも、同じステージに立つだけなら、できるかもしれないわ。本戦は、フリー演技。出し物は自由。歌でも手品でも踊りのみでも漫才でも、アイドルという枠から外れていなければなんでもあり。演出とバックダンサーの規定もないから、助っ人という意味では、ステージに立つことはできる」
「千早さん。それ、一緒に戦っているっていえるかな?」
「それは、ユニットとして?」
「──うん」
「……これはあくまでも私の考えだけど──いえないと思うわ」
「うん。そっか」

 私は天井を見上げた。
 水色を薄くのばした空なんか見えずに、暗い室内に、備え付けのミラーボールがわずかな光を乱反射している。

 星には、手が届かない。
 ミキは、同じところをぐるぐる廻ってばかりで、なにかを掴もうとさえしてこなかった。こんなのでぐじぐじ悩んでいるのも、きっと贅沢だ。
 行動しなきゃ。
 なんでもいい。なにかを掴まなきゃ。
 
「美希。あなたには、待っててくれる人がいるんでしょう?」
「そうだね。でも、ミキはね。もう、ふたりには頼らない」
「え?」
 疑問符。
 千早さんが、こちらの表情の変化を伺おうとしていた。
 だから、私はそれに答えを示す。
「プラチナリーグって、ひとりでも、出れるんだよね」
「……ええ、それは問題ないけど。まさか。美希、あなた──?」

 無謀──そんなことは、自分でもわかっている。
 これは試練だ。
 与えられているものを、ただ受け取っているだけだと、いつまでもなにも変わらない。そういうこと、なんだと思う。
 
「だったら、ミキひとりで証明しなきゃ。おでこちゃんとやよいの隣にいてもいいんだって、まずはそれを認めさせなきゃ。このままじゃ、ミキ。一歩も進めないと思う」

 千早さんは、なにも言わずに私の言葉の続きを待っている。

「ミキは、もう逃げない。途中で投げ出したりしない。最後までやる。ホントのアイドル、目指してみる。でも──今のままじゃだめ。ふたりに甘えたままじゃだめ。ひとりで優勝する。やれるところまでやってみる。それをやらないと、いまのままじゃあ、きっとふたりに並べないから」
「そう。詳しい事情はわからないけれど、それだけ決心が固いのなら、止めても無駄でしょうね。それで、どうするの? 予選はもう終わっている。推薦枠も、おそらく残っていないでしょう」
「むー」

 私は、チャッと、内ポケットから、携帯電話を取り出した。
 
「ねえ、千早さん。その推薦枠って、どうやればもらえるの?」
「……推薦枠っていうのは、つまり有名なアイドルを呼ぶためのものだから、四大プロダクションにひとつずつ枠が与えられているはずよ。あなたのところだと、『ワークス』の誰かに頼み込めば、もらえる、のかしら。よくわからないけれど──」
「わかった」

 前にもらった西園寺社長の名刺(金ピカのやつ)を取り出す。名刺に走り書きされた携帯の電話番号をダイヤルする。とりあえず、ダメだったら、ダメだった時のこと。

「あ、もしもし──社長さんなの? ミキだよ。元気にしてた」
「…………ああ、星井さん。どうしたの。アイドル、やる気になったとか?」

 事情を話す。
 西園寺社長は、その間、一言も喋らないで、聞いてくれていた。

「そうね。そっちに、幸恵を向かわせるわ。詳しくは、彼女と相談してくれる?」
「幸恵さんって、副社長の女の人だよね。そのひとに頼めばいいの?」
「いいえ。推薦枠の持ち主は、幸恵がプロデュースしているから」
「それって──」
「そういうこと。推薦枠の持ち主は、彼女がプロデュースしている──」











「いいですよ。どうせ使いませんし」
「ホント? 美心。ありがとなの?」

 快諾。
 Cブロックの予選を、圧倒的な大差をつけて勝ち進んだ少女は、あっさりとそんなことを言っていた。
 思った以上にカルい。
 なにか、裏があるのかな、と勘ぐりたくなるぐらい。

「っていうか、美心は、推薦枠があるのに、予選にでてたの?」
「ええ、ああいう大勢の目の前で歌う機会なんて、そうありませんから。むしろ、予選だけで、本戦は辞退しようかと思ったぐらいです」
 
 さらっと──美心は、そんなことを言った。
 ううん、と。
 この子、すごいこと言ってるのかな、もしかして。
 おでこちゃんじゃなくても、地味という印象を持つんだろう。とりたてて光り輝くようなところがあるわけじゃあない。真面目そうな、ただそれだけの少女に見えるけど、いまいち彼女のことがわからない。
 
「美心ー。あなたどうして、そう後ろ向きに前向きなのー」

 後ろでスーツ姿の女の人が、だくだくと滝のような涙を流していた。
 藪下幸恵さん。23歳らしい。おにーさんと同じ役職で、『ワークス』の副社長も兼ねている。

「──ただ、星井さん。推薦枠を譲り渡す条件というわけではないけど、あなたにひとつお願いをしていいかしら」
「なに──?」

 藪下さんの真剣な目を正面から覗き込む。
 彼女の言いそうなことは想像がついた。案の定といえばいいのか、口に出された頼みは、想像したことと、ほぼ同じ。

 どのみち、推薦枠だけでは足りない。
 おでこちゃんに、やよいと戦うには、ミキを輝かせてくれる、一流のプロデューサーが必要なんだ。

 ──こういうのを、わたりにふねっていうんだよね、きっと。





「──美心と、ユニットを組んでくれないかしら?」





[15763] stage5 Relation 4
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/07/06 15:05






「ふ、ふふふふふふふふふふふ。天よ叫べ、地よ轟け。うふふふふふふふ。長い雌伏のときを経て、ついに、ついにこの私の時代がやってきたわ。おほほほほほほほ。──さあ、行くのよ美心。そして美希。くしゅしゅしゅしゅしゅしゅ。この私の誇りと(荒ぶる鷹のポーズ)、美心のランクアップと(舞い踊る恋爛漫のポーズ)、私のエリシオンちゃんのローンのためにっ」

 びしっ、と天に指を突きつけて、藪下さんが高らかに吼えていた。
 いちいち、センテンスごとにポーズを変えている。なんていうか独創的だった。子供がひきつけを起こして、赤ん坊が泣き出すみたいな感じ。
 藪下さんは、テンションが限界突破しておかしくなっている。動きにモザイク入れたほうがいいかも。

「はあ。それで、藪下さん。でしたか?」
「そうよ。うぷっ、げほっ、げほっ。そういえば、どうして如月千早さんがここにいるのかしら」
 ひとり暴走していた藪下さんが、千早さんを視界に捉えた。
 ソファーに座り直して、水分を補給している。無駄にはしゃぎすぎて、呼吸器がついていかなかったみたい。
 千早さんは、そんな藪下さんに、全力で置いてけぼりにされていた。

「千早さん。ミキの師匠さんなの」
「ふぅん。そうなの」

 藪下さんは、千早さんには、あまり興味がないようだった。さっきから、ずっと別のところに視線を向けていた。
「むー」
 藪下さんは、ずっとミキの胸を凝視していた。

「──なぜ、美希にユニットの誘いを?」
 怜悧な声が、私の耳朶をたたいた。
 千早さんは、どうやら藪下さんに、探りを入れてみているみたいだった。捨て猫の飼い主をさがす拾い主、みたいな気持ち、なのかな。
 誰でも抱く疑問。
 藪下さんは、こちらの要求は、すべて呑んでくれていた。
 このユニットが、一日限りで終わるだろうコトも、藪下さんの想定の内みたいだった。
 
「そこから話すべきかしらね。星井美希。はじめてこの子を見たときに思ったのよ。なに、この「あふぅ」と鳴く、ひたすらかわいいだけの生き物は、と。そのときに思ったの。この子を、美心と組ませたいって」
「はぁ。それは、いったいなぜ?」

 千早さんは、わけがわからないって顔をしている。
 よかった。
 藪下さんの言っていることがわからないの、ミキだけじゃなかったみたい。

「私はね、こう思ったの。星井美希と、ユニットを組ませれば、きっと美心も本物になれる。むしろ、この娘しかいない。佐野美心というアイドルは自分の意志で、実力より数ランク落ちる評価に甘んじているけど、そうよ。自分よりも、はるかにやる気なさそうな子と組めば、さしもの美心も、尻に火がつくはず──って」
「………………………」
「………………………」
 千早さんは無言だった。
 私も、さっきの選択を早まったかなと思い始めている。
 今さらだけど、プロデューサーの仕事してるひとに、マトモなひとっていないのかな?

 とにかく、渡りに船だと思ってたのはこっちだけじゃなくって、あっちにもメリットがある話らしい。

「……思ったよりはマトモな理由だったんですね」
「なにを言っているの。私が、この私が、このおっぱいに釣られたとでも思っていたの?」
「そうじゃないんですか?」
「違うわよ。ぜんぜんちっとも、これっぽっちもそんなことはないと断言できるような気もしないでもないわ(すりすりすりすり)」
 うわ。
 ぎゅむっと、絞るように胸を揉まれた。
「プロデューサー。星井さんの胸に顔を埋めながら言っても、まったく説得力がないんですが」

 美心はジト目だった。
 私のおっぱいに顔を埋めようとする藪下さんを、諦めたように見ている。

「だって、おっぱいよ。Fカップおっぱいが目の前にあるのよ。普通の人間なら揉むでしょ。顔を埋めるでしょ。常識的に考えて(すりすりすりすり)」
「プロデューサー。あまり恥を晒すのは。如月さんもいるんですから」
「わかったわもう。妬いてるのね。かわいいったらもう。安心して。舐めたり吸ったり舌先で転がしたりは、美心にしかしないから(すりすりすりすり)」
「そんなことされた覚えはありません」
「ひどいわ。美心。あんなに熱く燃え上がった夜を、忘れてしまったというのっ!!」
「誤解されるからやめてくださいっ。どうしていつのまにか既成事実が成立してるんですかっ!!」
「思ってたんだけど、美心って突っ込み気質だよね」

 地味っぽい子だと思ったら、きちんとツッコミができるみたいだった。
 美心は「私がツッコミ?」と呟いて、がーんがーんと頭を抱えている。
 そろそろ離れてほしいな。
 と思っていたら、藪下さんは服のホコリを払う仕草をしてから、ソファーに座り直した。

「さて、振り付けやらなにやら、仕込まなければならないことはたくさんあるわ。頑張りましょう。美希と美心は私が見たところだと、相性ばっちりよ」
「ボケと突っ込みだからでしょうか?」

 千早さんがめんどくさそうに言う。
 わぁ、ツッコミの数が多い。いつもはツッコミがおでこちゃんだけだから、テンポはいいんだけどワンパターンなんだよね。

「それもあるわ。でも美希の力もある。きっと、美心とうまく行くでしょう。君のプロデューサーには、恥をかかせない。美希、君は本物よ。
 誰にでも、それがわかる。殺し文句なんかじゃあない。君には、見るものを納得させるだけの力がある。おっぱいとか。おっぱいとか。美希の魅力は十分よ。おっぱいとか」
「プロデューサー。おっぱいって今日何回言いました?」
「美心。なにかせせこましいわよ。今まで食べたパンの数を数えることに、なんの意味があるの? 一緒に叫びましょう。おっぱいおっぱい(力強く手を振り上げながら)」
「おっぱいおっぱい?(戸惑いがちに手を振り上げながら)」
「誰もが、プロデューサーのようにおおらかに(故意的表現)生きられるわけじゃあないです。それと美希さん。同調しないでください」
「あれ、叫ばなくていいの?」
「やめてくださいお願いですから」
「むー、そういうものかしら」
 藪下さんは、瞳をぱちくりとさせたあとで、

「それより、美希ってば、自分探しの途中らしいわね」
「うん」
 いきなり、こっちに話が振られる。
「じゃあ、そんなのぱぱっと自分のしらない自分を見つけちゃいましょう。くるくるくるって、回転ドアみたいに人生観を変えちゃいなさい」
「藪下さん。簡単に言うよね」
「あなたならできるわよ。大丈夫、私が保障するわ」
「それに、なにか根拠が?」
 千早さんは、半眼になっている。
「あるわよ。だって、ユニットとしてふたりをまとめるのは、私の仕事なのよ? 私以外に、だれがそれを保障してくれるの?」
「………………」
 千早さんが、口をへの字に曲げた。
 はじめての、プロデューサーとしての、まともな言葉に、反論が思いつかないみたい。べつに千早さんが悪いわけじゃないと思うけど。
「……あれごめんね。気分を悪くした?」
「……いえ、よく知っている誰かを相手している気になっただけです」
 ため息をついて、千早さんはドリンクバーのグラスに指を滑らせている。
「ああ。そうなの──?」
 藪下さんはちょっと怪訝そうな顔をしたあとで、そう高くない天井の下、靴下でテーブルの上に乗って、言った。
「才能を花束みたく束ねて、才能を一本化する。中心にしたい花を一番目立つ位置に、同じ色を添える時には、なるべくカタチが違うもの同士を加える。片方がブルーなら、もう片方はオレンジを基調にすると双方が映える。赤に青はあんまり合わないわ。赤に合わせるなら、緑か水色ね。最後にアクセントとして、白も加えましょう。──こんな風に、これが私の仕事だもの。長続きするかまでは私の手には負えないけれど、今回それは考えなくて良いみたいだし」
「藪下さん。よろしくね」
「はぁ。美希がいいというのなら、私は止められないけれど」
「ああ、あとね、言い忘れてたことなかったかしら。ええ、あ、そうだ。美心は隠れ巨乳よ」
「──え、ええっほんとにっ!!」
 思わず、大声を出してしまう。
「プロデューサーッ!!」
「美心ったら地味目な顔して、服の下に凶悪なものを隠しもっているのよ。ほら、カマトトぶっているけど、なかなかダイナマイトよ」
 藪下さんは、息を吸うように自然に、美心の胸を揉んでいた。
「プロデューサー? 今度言ったらグーで殴りますよ?」
「ぶーぶーぶー、プロデューサー虐待はんたーい」
 藪下さんは、子供のように口を尖らせていた。
「あの、話題がループしていますが」
「そうね。これから短い間とはいえ、ユニットを組むわけだけど、あなたたちから質問はない?」
「藪下さんは、ホンモノじゃないよね。冗談と見せかけて、本気で胸を揉んでたりとか」
「ないわね。私のセクハラはただの趣味よ」
 堂々と言い切られた。
「むしろ、本気がどうかとかの問題なのかしら?」
 千早さんは首をかしげていた。
「美心は?」
「どうして私にも聞くんですか。ありません。そういうのは天海さんと西園寺社長だけです」

 あ、美心が、ふりかかった疑惑をなすりつけてる。
 
「さあ、ドリームフェスタで優勝して、一気に全国区よ。名を上げるの、これ以上の舞台はないわ」
「──うん」
「──はい」
「………………ええ」
 一歩引いた千早さんは、ミキたち三人の視線に晒されて、呟くように点呼に答えていた。
「ユニット名は、サザンクロス。そして、課題曲はRelation」
「……私の、曲ですか?」
「だって、如月千早が目の前にいるんだもの。なにか利用しちゃった方がいいじゃないの」
「──別に構いませんが、そんな便利なものでしょうか?」
「いいじゃない。お祭りなんだから、楽しまなきゃ。それに、自分の歌なら存分に口を出せるでしょう?」
「はい。そうかもしれません」

 渋々ながら千早さんが納得すると、藪下さんがまとめに入った。

「こうして、波乱はあったが、トラブルを一丸になって乗り越えたことにより、サザンクロスの三人はより結束を強めるのだった。ゆけゆけサザンクロス。負けるなサザンクロス。
 行くのよ美心。そして美希。この私の誇りと美心のランクアップと、私のエリシオンちゃんのローンのためにっ」
「あの、プロデューサー。話がまったく進んでないような」

 美心が言った。
 うん、どこかで聞いた話だった。
 三回ぐらい話がループしていた気がする。

「いえあの、それより、サザンクロスって、私も入っているのでしょうか?」
 千早さんが、挙手をしてた。
 こうして見ると、千早さん。問題児を抱えた学級委員長みたい。
「当たり前でしょう。三かける三が九でサザンクロスなのに、一人減ったらサザンクロスにならないでしょう?」
「そんな理由でッ!!」
「三人が三倍の力をだして、九のパワーで相手をぶちのめすって感じ。さっき思いついたの」
「あの、プロデューサー。南十字星はまったく関係ないと?」
「私は、むしろ、アメリカ海軍旗の別名からとったものかと」
「なによなによ。とっさの思いつきにしてはいい名前じゃないの」

 ぶー、と私が当面世話になる、サザンクロスのプロデューサーが、わかりやすく拗ねていた。







[15763] stage5 Relation 5
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/10/31 04:56




「無敵のプリティアイドル、水瀬伊織ちゃんでーす」
「竹取の雑草魂アイドル、高槻やよいでーす」

 袖から舞台の中心に立って、客の視線にさらされる。スポットライトの光に照らされて、ドリームフェスタ本選は、この瞬間にはじまった。

「ふたりはハニーキャッツでーす」

 本選はフリー演技。
 ありていに言えば、なんでもあり、である。
 そこで、ふたりが出し物として選んだのは、漫才だった。MANZAIである。シチュエーションコントと違う、正統派の漫才は、近年まったくテレビで見なくなった。ふたりの地力が試されるところである。

「おねがいしまーす」
「おねがいしまーす」
「ところでやよい。もう世間は夏まっさかりだけど、最近気になっていることってある?」
「もちろん。夏といったら新製品だよ。スーパーに並ぶゼリー。半額シールがつけば二倍お得だよっ」
「へえ、私は水着とか旅行とかね」
「夏といったら新製品だよっ」
「むしろ、花火大会とかロックフェスとかもいいわね」
「夏といったら新製品だよっ」
「ああ、つまりやよい。話を聞いてもらいたいわけね。なにかお勧めの新製品とかあるの?」
「いっぱいあるよー。目移りするぐらい。そのなかで弟たちに好評なのが、内容どっさりぶどう&ナタデココ入りたらみスパイシーゼリー」
「名前長っ!!」

 やよいと伊織は、軽快に会話を流している。
 うん、いいな。
 漫才はテンポが命である。
 俺が徹夜して原案を考え、絵理をこきつかって完成させた漫才は、きっちりと観客の心をつかんでいる。
 ふたりの会話は、定番のあるあるネタに入り、それから一回転して、元のゼリーの話に戻ってきた。 

「それで、その内容どっきり桜桃&みかん入りたらみ付きスパゲッティーなんだけど」
「やよい。名前変わってる。っていうか、ゼリーじゃなくなってるっ。桜桃とみかんを具にしたスパゲッティーってどんな嫌がらせよっ!!」
「ところで伊織ちゃん。前から思ってたんだけど」
「え、なに?」
「たらみってなに? どこがたらむのかな?」
「知らないわよ。ゼリーの脂身部分とかあるんじゃないの?」
「ええっ、駄目だよそんなの。そこだけ伊織ちゃんにあげるよっ」
「ぜんぜんうれしくないわよそれ。やよいは私が太ってもいいわけ?」
「そうなったら、ダイエットしようよ。たらみダイエット。もっとたらもうよ」
「いやいやいや。たらんじゃダメでしょ。意味はわかんないけど、プラス方向のイメージがまったくないじゃないっ」
「だいじょうぶだよ。たらみはすごいよ。世界を救うよ」
「なんでやねんッ!! もうええわー」
「どうも、ありがとうございましたー」
「ありがとうございましたー」

 ふたりが頭を下げるのと同時に。
 伊織とやよいに対する正当な評価。万来の拍手が、ふたりの身体を叩いた。








「すごいなおまえら。ついに世界を救ったな」
「なんでやねんっ!!」

 ビシッ!!
 やよいのツッコミが、俺の腹に決まった。
 そのあとで、突然糸が切れたのか、やよいも伊織も、一舞台やりとげた安堵感で、へなへなと座り込んでいる。

「ところで、結局たらみってなんなの?」
「社名だ。最近知ってびっくりした」
「ふーん。まあ、アンタが漫才の台本書くっていったときにはどうなるのかと思ったけど。っていうかね、こんなのに運命を任せていいと思う?」
「心配するな。俺はとっくに後悔して、やっぱやめときゃよかったと思ってる」

 実は半分以上、助手(絵理)に書かせたのだが、あえて訂正する必要もないだろう。
 やれることはやった。
 ベストを尽くした。
 あとは、運を天にまかせるだけだ。
 本選は60組。ここから、ファイナルに進めるのは、12人だけ。5分の4は、ここで弾かれることになる。

「それよりプロデューサーっ」
 いきなり人の感傷を断ち切ってくれたのは、伊織ではなく、やよいだった。
 なにか不満があるのか、やけにプリプリしている。

「どーして、わたしが最初から最後まで食べ物の話ししかしてないんですか?」
「え、まずかったか?」
「こんなんだから、わたしがいつのまにか食いしん坊キャラだって誤解が広がっていくんですー」

 やよいにマジ切れされた。
 めったなことでは怒らないやよいだが、どうやら俺の扱いが不満らしい。がおーっ、と小さな身体を精一杯に伸ばして、俺を威嚇してきている。
 なんかなごむ。
 妹がいたらこんな感じかなぁと頭をなでてやると、不満そうにうーうー唸っていた。

「なに言ってるんだ。ポシェットのなかに食いかけのお菓子三つも入れてるやつが」
「ううっ。だってせっかくもらったわけだから、もったいないじゃないですかっ」
「そういうのが原因だとおもうけど」
 伊織のツッコミは、やよいを知っているだけに容赦がなかった。
「わたし、プロデューサーの中で、いつから食いしん坊キャラに。ねえ、伊織ちゃんもなにか言ってよ」
「プロデューサーがわるいわね」

 あっさり、伊織が裏切った。
 やよいに目を合わせないところは、せめてもの温情なのか。

「ほらっ。てーせーを求めますっ。プロデューサーは、わたしをどんな目で見てたんですかっ」

 リスのように頬を膨らませるやよい。
 あー、やよいは怒っても、かわいいなぁ。

「そーだなー。やよいのイメージねぇ。たとえば、招かれてもいないパーティーに勝手に参加しつつ、並べてある料理を持参のタッパーに詰め込み、社長に見つかって怒られてるイメージかなー」
「うっ」
 一刀両断。
「ふっ。勝った。嗚呼、豎子共に語るに足らず」
「どーゆー意味ですかそれ」
「ああ、サイネリア風に意訳すると、厨房必死だなプゲラっwwwwという意味だ」
「煽ってどうするのよアンタ」
「うーうーうーっ。プロデューサー、お尻ペンペンですーっ」

 やよいが爆発した。
 なぜかしゃもじを持って、こっちの頭をぺしぺしと叩いてきている。べつに痛くないので、俺はやよいの気が済むようにしてやった。 
 あー、なるほど。いつもアホみたいに笑ってるイメージしかなかったが、やよいはこういう風に怒るのか。

「とか思ったが、口にだすほど俺は子供ではない」
「うーっ、うーっ!!」
 ぺしぺしぺしっ、としゃもじの勢いが強くなった。
「なんか、そうしていると、きょうだいみたいね」
「えー、それはわかるけど、伊織ちゃんひどいよ。たしかにプロデューサーは手のかかる弟みたいだけど」
「あんっ? おいやよい。なに人を勝手に下に置いてるんだこら」
「おおおおっっ!!」
 やよいの側頭部を掴んで、上下に振り回す。
「ああ、子供同士が喧嘩してるわ」
「おい伊織。やよいと俺を一緒にするな」
「伊織ちゃんっ。プロデューサーとわたしを一緒にしないでよっ」









 そしてそれから。
 本選の第一次審査は終了。
 厳正な審査の末に、結果が張り出された。
 リザルトは、十二組中、滑り込み合格スレスレの十二位で、ハニーキャッツはファイナルへと進んだ。

 合格者は、

 決して、間違いなく実力を正しく評価された、とはいいがたい。積み重ねた汗と努力を正当に出してなお、ふたり以上のアイドルが同じステージに立つ以上、勝者と敗者という結果が生まれてしまう。
 ドリームフェスタは、およそプラチナリーグのなかで、もっとも不条理で不合理な大会である。
 反応がダイレクトな分、これほどに、感情がむきだしになる大会もない。仲間と肩を抱き合って、もみくちゃになって喜ぶ一組がいると思えば、重石を肩に乗せて、目尻を涙で濡らす少女たちもいれば、未だ負けたことが自分のなかで消化できていないような少女たちもいる。

 紙一重の差で、俺たちは喜ぶべき立場にいる。

「危ないわね。ギリギリじゃないの」
「文句言うな。こんだけ芸の振り幅が広いと、どうにも対策しきれん。なにがでてくるかわからないからな」
「現役の女性マジシャンとかがいましたし。うう、鳩出したり旗を出したり、どうなってるのかぜんぜんわからなかったですよー」
 やよいは、ほかのアイドルのフリー演技に一喜一憂していた。
 いい観客だなぁ。
「そこまではいいとして、これからは本戦の対策、ね」
「そういうことになるな」
 水瀬伊織、所有のリムジンの中が、ドリームフェスタを戦い抜く上での臨時作戦会議場になっている。
 一度、オーディションがはじまってしまえば、オーダーを練り直す暇もない。
 その場の出し物や、課題曲の選択については、指示は出しているとはいえ、最終的な決定権は伊織に一任している。

 ドリームフェスタ本選は、第二次審査まである。一次のフリー演技で十二組まで絞り込まれ、そこに特別招待選手の四組を加えて、十六人でファイナルが行われる。

 そして、ネットの一般投票200票の振り分けで、一位が決定される。

「ともかく、ファイナルに残った中で、Fランクアイドルはおまえらだけだ。特別招待選手に、Fランクアイドルなんてもってこないだろうから、な。第二次審査が、そのまま決勝になる」
「決勝のお題は、歌ですよね」
「ああ。そりゃそうだ。アイドルは歌って踊ってナンボの世界だから。ドリームフェスタはその性質上、イロモノが上に行きやすいが、運とインパクトで挙がってこれるのは、ここまでだ」
「ところで、わからないことがあるんだけど。勝つと、どうなるの?」
「そういえば、こういう公式戦ってはじめてだから、よくわからないです」
「んー。その説明がいるか。プログラムに書いてあるな。ほら22ページ。獲得ポイントは、ここに乗ってる。いまいち、ポイント総額とか出しにくいけどな」

 伊織にプログラムを渡す。
 ドリームフェスタの理念やら、一日のスケジュールやら参加資格やらが書いてあるプログラムの22ページに、それはあった。



 優勝獲得ポイント一覧。



 一位        1000000P(100倍)
 二位         500000P(50倍)
 三位         450000P(45倍)
 四位         400000P(40倍)
 五位         350000P(35倍)
 六位         300000P(30倍)
 七位         250000P(25倍)
 八位から十六位まで  200000P(20倍)  



 なお。特別招待選手は、別枠でPが与えられる。



「この100倍とかってなに?」
「オッズだよ。掛け率。ドリームフェスタは、自分のランクで指定されたポイントを賭けるんだ。Fランクは1000Pまでだし、Eランクは3000Pで、Aランクは30000Pまでだったか」
「なによそれ。ここに書かれているポイントは?」
「それは、特別招待選手用の固定ポイントだな。俺たちには関係ない。俺らは1000P賭けたから、一位をとると、1000Pが100倍になって返ってくる」
「つまり、私たちが、一位をとると、100000Pってことでしょ」
「ああ、ギリギリDランクの昇格点に足りるな」
「Eランクへの昇格点は?」
「10000Pだな。すでにベスト16に入っているし、初戦敗退しても20000ポイントは入る。この時点で、ハニーキャッツの昇格は決定している。Dランクの昇格点は、100000Pだから、一位をとって、ようやくDランクに手が届く」
「ふぅん」
「もし、もしもだが、美希が入ってもそれは変わらない。ユニットの場合、ユニット全員のポイントをならした平均値になって、そこから新しくランクが設定される。計算式は、つまり、全員のポイント総額÷ユニットの人数ってことだ。この場合、(やよい20000+伊織20000+美希0)÷3と計算されて、ポイントは切り捨てだから、13333点か」
「意味のない仮定ね」
「そうだな。許せないか、美希のことが」
「許さないとか、そんな問題じゃないわよ。ただ、意味がないっていってるの。それだけよ」

 伊織は。
 たしかに、最後まで美希を待ち続けていた。

 星井美希は、結局間に合わなかった。
 いや、間に合うか、間に合わないかそういう問題でも、ないのか。

「覚悟が決まったら、連絡しなさい。
 本戦までは、三日あるから、ぎりぎりまで待つわ。最後の一秒まで待ってる。アンタとは反りが合わないけど、不思議と、三人でなら今まで見たことのない景色が見れる気がするからね」

 それについて、水瀬伊織は前言を翻すことなく、最後の最後、一次予選締め切りのギリギリまで待ち続けた。十番台だった番号札を、ライバルであるアイドルと係員に頼み込んで、番号札を六十番に変えてもらっていたりしている。彼女はたしかに、約束を守っていた。

 しかし、美希は最後まで現れなかった。
 もう、彼女の席はない。
 たった一度の遅刻で、すべてが終わる。非情ではあるが、実にどこにでもある話だ。


「あの、プロデューサー。計算が合わない気がするんですけど」
 やよいが手を上げた。
 小学生レベルの計算なので、やよいのオーバーヒートは、いつもより程度が軽い。
「なにが?」
「賭けた1000点って、どこから出てきたんですか?」
「ああ、買った」
 隠す必要もない。
 俺は手を挙げて、説明を続けた。
「買ったって、プラチナムポイントって、売ってるの?」
「ああ、売ってる。プラチナリーグの公式が販売してて、理論上、いくらでも買える。1Pが300円だな」
「ってことは。1000Pで、300000円。いい商売ね」
「まったくだ。割に合わないことこの上ない。普通は、昇格点にほんの少し端数が足らないときとかに重宝するサービスだが、これで費用対効果が悪すぎて、ランクアップに使うアイドルなんていないな」
 ちなみに、俺のワークスプロダクションの給料は、これより安い。
 アイドルの場合、継続的な給料が発生するのが、たいていのプロダクションではDランクからなので、さらにアレだった。

「それはそうと、Aランクアイドルなら、最大まで賭けて、一位をとれば3000000Pまで得られるんでしょ。格が違いすぎない?」
「Aランクなら、それだけあってもあっさり全部溶けたりするからなぁ。Fランクは勝負のとき、審査にプラスのポイントがつくかわりのデメリットだとすれば、腹も立たないだろう」
「ケチ臭いわねー」
「プラチナリーグがビラミッド型の構造をしている限り、仕方ないだろ。大会ひとつ勝っただけで、Fランクアイドルが三段、や四段飛ばしで駆け上がれたら、そっちのほうが不公平だ」
「そんなもの?」
「そんなものだな」

 そこで、伊織の携帯が鳴った。
 簡素な電子音が、メールの着信音を告げている。
 着信したメールにひととおり目を通してから、伊織は俺に向けて顔を上げた。

「……美希が、話したいことがあるんだって」
 
 ──冷え切った声だった。
 美希には、おそらく彼女の考えがある。それを踏まえて、その覚悟の量が試されることになる、はず。
 美希がもし。
 数日前となにも変わらない彼女なら、彼女の物語はここで終わる。
 
 伊織は、美希のために、やるべきことはすべてやった。
 その事実の上で、容赦なく、星井美希に引導を渡すだろう。

 さて──これからの結末は?



「お待たせ。おでこちゃん」



 星井美希は、振り袖を身に着けていた。
 彼女のためにあつらえられた、ステージで戦うための戦闘衣装なのだろう。

 紅の紅梅がワンポイントでついた薄赤の振り袖は、あらゆる意味で目を惹く美希のビジュアルを、最大限に高めている。ステージ用の服飾素材(スパンコール)がついていることからして、個人で用意できるようなものではない。



「──話さなきゃ、いけないことがあるの」





[15763] stage5 Relation 6
Name: 塩ワニ◆ae7ce6fb ID:2d2bab87
Date: 2010/07/27 23:08





 美希の顔つきが変わっている。
 初夏の駐車場は、ギラつく太陽の恩恵を、最大限に受けていた。地面のコンクリートが熱を吸って、うだるような暑さになっている。美希の癖のある金髪が風になびいて、肌にはりつく珠の汗が、キラキラと光り輝いていた。
 そして、美希の強烈な意思と、まっすぐな視線を、伊織は正面から受け止めていた。

「おでこちゃん。言ったよね。大会がはじまるまで、ミキの意思を聞かせてくれって」
「言ったわね。でも、もうタイムオーバーよ」
「ごめん。でも、その返事、この大会がはじまるまでじゃなくて」
 美希は、ひるむことなく言葉を続けた。
 本来、美希にはなにを抗弁する資格もない。
 伸ばした手をつかみとれなかった時点で、参加する資格も、アイドルとしてのチャンスも、すべては失われている。
 それでも。
 それでも、だ。
 彼女に迷いはない。
 進むべき道を見定めて、そのための努力をしている。
 誰にでも、それがわかる。俺がアイドルのプロデューサーをやっているのは、こうやって、伸び悩んでいたアイドルが、突然に爆発する瞬間があるからだ。

 変身。
 羽化。
 脱皮。

 それはアイドルとしてか。星井美希としてか。

「いっしょにユニットを組む。その返事だけど、この大会が終わるまで待ってほしいの」
「虫のいい話ね」
「うん。でも、ミキがこれからアイドルをやっていく上で、必要なことだと思うから」
「それ以前に、美希。アンタ、決勝ファイナルには、出られるの?」
「うん。美心とユニットを組んでもらって、藪下さんにプロデューサーをやってもらうことになったの。あ、でも、これは別におでこちゃんややよいと組むのが嫌ってわけじゃなくて」
 懸命に、言葉を搾り出そうとする美希に、
「弁解はいいわ」
 伊織は肩をすくめて台詞を中断させた。
「え?」
「いまさら、逃げたとか裏切ったとか、そんなつまらないことは言わないわよ。つまり、こういうことでしょ? この大会で、アンタは私とやよいに、新しいなにかを見せてくれるんだって」
「う、うん」
「でも、私はここで約束なんてしないからね。あとは全部、アンタのステージ上でのパフォーマンスを見て、決めるわ」
「…………………」
 美希が、息を呑んで、言葉の先を紡げないでいる。
 伊織の気迫に負けたわけでもないだろう。ここで押されるようなら、最初から使い物にならない。やよい伊織とユニットを組むとしたら、これから先、こんなことはいくらでもある。
 むしろ、逆。
胸がいっぱいで、全身が痺れているといった感じだった。
 不気味なぐらいの煌くほどの笑み。
 美希のなかの、からっぽだったものが、ようやく埋まった。そんなように見える。己を燃え立たせるもの。一度つかんだなら、どんなことがあっても捨てられないものが、ようやく見つかったようだ。

「プロデューサー。星井美希を叩き潰せって言ってた命令。まだ有効よね?」
 視線を美希に固定したままで、背後の俺に話しかけてくる伊織。
 この質問が出るということはつまり、今、この時点をもって、正式に伊織は美希を敵と認識したようだった。
 というか、ギンギンに冷えた社内から直射日光に晒されて、ちょっと一瞬意識が飛んだ。
「ああ、あれはそういう意味じゃなかったけどな。やることはかわらない。敵は潰す。それだけだ」
「ということよ。必ず勝ち上がって、石にかじりついてでも、私たちの前に立ちなさい。ただし、私はそんなに気が長くない。二度はあっても、三度目はないわよ。これが正真正銘、最後のチャンス。組み合わせなんて言い訳にさせない。もし、私たちと当たるまえに負けるようなら、それはそのままの、事実だけが残るわ」
「ええと、伊織ちゃん。事実って、なに?」
 やよいが、伊織の台詞に、不穏なものを感じ取ったのだろう。
「だから、そのままよ」
 伊織は、視線で美希の全身を舐めつけた。


「星井美希は、私たちのところまで、たどり着けなかった」


 美希の表情が変わった。
 歯を食いしばって、飲み込まれそうな不安に耐えている。
自分自身の周りが、断崖絶壁だということを、あらためて認識したようだった。誰が先導してくれるわけでもない。いろいろな人に背中を押されて、いくつかの運が絡んだにしても、今、美希がこの瞬間、ここに立っているのは、積み重ねてきた選択の結果である。

 しかし、今までの選択が正しいかなんて、誰も証明してはくれない。
 ほんの些細な逆風や、イレギュラーで、一歩、足を踏み外した瞬間、星井美希というアイドルは即死する。
 勝敗に絶対はない。なににつまづくかわからない。
 それは、美希だけの問題ではない。伊織もやよいも、そして決勝ファイナルに挑むすべてのアイドルに、同じ重さが降りかかっている。
 もうはっきりと見える距離にある栄光が、一度つかみ損ねただけで、永遠に手の届かないものになる。
 その重圧のなかで、夢とリスクを天秤にかけて、どちらを傾けるかを選ばなければならない。

 美希は、見ていて気の毒なほど、蒼白になっていた。
 過剰なまでのプレッシャーが、全身を縛っている。
 ただでさえ灼熱の太陽がじりじりと体力を奪っていくのだ。
 すーはー、と、深呼吸している。
これまでの選択を後悔するようなら、この時点で美希の負けだ。なにせ、水瀬伊織も高槻やよいも、そんな後悔とは無縁である。ふたりとも、アイドルユニットとして、互いがもっとも互いの能力を引き出せると信じている。

 この信仰を突き崩すには、それ相応のものが必要である。

「うん。がんばる。そのために美心に頼み込んで、藪下さんにプロデューサーになってもらったんだから。きっと、どうにかなる。あと、ほかにもいろいろあるし。それより、おにーさん。美心の対策できてるの?」
「んー、秘密」
「それより、プロデューサー。組み合わせっていつ決まるの?」
「ファイナルのオープニングがはじまってからだ。準備期間の有利不利がでないように、一試合ごとにマッチングが組まれる。つまり、あらかじめに対策することは不可能。美希と緒戦であたる確率は、十五分の一だな」
「いきなり十五分の一を期待するのは後ろ向きね」
「ん、互いに二回ぐらい勝ち抜かないとあたらないだろうな。確率としては」
「だ、そうよ。負けるなら、私たちにしときなさい」
「やだ」
 美希が言った。

「おでこちゃんとやよいだけには、絶対負けない。負けないから」
「へえ、言うじゃないの。取りこぼしないようにね」
「でも、おでこちゃんこそ、大丈夫? 美心みたいな地味なのに全部さらわれるのなんて、二度もやったらすごく情けないよ」
「余計なお世話よっ!! 相変わらず一言多いわねアンタ」
 伊織が吼えた。
 それから、美希の背中を見送ると、傍らのやよいが唇を噛んでいるのが見える。

「あの、プロデューサー。これ、上手くまとまるんですよね」
「さぁて、どーだろうな。よくわからん」
「そんな、無責任な」
「いやでも、美希と伊織って、いつもあんな感じだったろ」
「たしかに、いつもどおりですけど」
「それはそれとして」
 俺は手をたたいた。
 いいところでカンフル剤がうてた。
 そろそろ、本戦の方針を伝えないといけない。
「さて、オーダーを出す」
「おーだー? なにか、食べられるんですか?」
「注文ってことよ。またふざけたようなことを言いだすんでしょ?」
「そう思うか?」
「思うわよ。美希が成長してる中、私たちが立ち止まっているわけにはいかない。重りを巻きつけてステージに立てとか、いきなりテニスとかバレエとかの特訓させるとかそんなんでしょ」
「なぁ、伊織。おまえな、俺のことをなんだと思ってる?」
「変態極悪プロデューサー」
 一拍の空白もない。
 間髪いれずに、答えが返ってきた。

「おまえな、敵をナメてるだろ。十五組いる相手のうち、おまえらより格下なんていないぞ。そんなハンデ背負って勝負になるわけないだろうが」
「もう、じゃあオーダーって結局なんなのよ」
「うん。引きずり降ろせ」
「ん?」
「別に、特別なことをするわけじゃあない。いつもの自分たちのステージを演じろ。自分の理想のステージを見せてこい。必ず、最後まで自分を全うしろ。それだけやってはじめて、負けることに意味ができる。たとえ、夢がかなわないとしても、な」
「なにその前向きだか後ろ向きだかわからない訓示」
「もうちょっとシンプルに褒めてくださいー」
「あー、じゃあ、な。最近の、プラチナリーグでの傾向を、知っているか?」
「なにそれ。知るわけないじゃない」
 伊織が頬杖をついた。
「プラチナリーグが対戦である以上、勝者と敗者が生まれる。それは絶対だ。けど、最近はどいつもこいつも、勝敗にこだわりすぎるきらいがある。そりゃあ、相手の長所を消して勝つなら、ある程度のまとまった勝率をあげることだってできるだろう。けれど、俺がおまえらに求めているのは、そんな小さな勝ちかたじゃない」

 一息つく。
 魅入られたみたいに、ふたりは俺を見ていた。

「負けないための戦い方が一番楽で、手が届きやすくて、それでいて退屈だ。けれど、ほとんどのアイドルは、その道を選んでしまう。水は低きに流れる。相手を真正面から叩きのめすことができるのは、ひとにぎりの強者だけだからな。ランクだとか新人だとか関係はない。これは、AランクからFランクまで、すべてに当てはまる真理だ」
「それで?」
「ああ、それを踏まえたうえの結論だ。自分のスタイルを、良さを生かせ。そして、勝て。それができるやつが一番強い」
「へえ」
「敵をだ。おまえらの虜にしてみせろ。対戦相手に、そして観客に、圧倒的な実力差を魅せつけろ。歌も、踊りも、パフォーマンスも、すべての面で、だれひとり間違えようのない圧勝を挙げてこい。この会場にいるすべての人間に、ここにいるのがいったい誰なのかを教えてみせろ。さあ、訊くが、おまえらは、いったいだれだ?」
「水瀬伊織と」
 伊織は前髪をかき上げ、
「高槻やよいです」
 やよいは舌ったらずに答えた。

「うん。なら、それだけで負ける要素はないな」
「あー、プロデューサー。こんな気持ち、はじめてかも。すごく、試合が待ち遠しいんです」

 両腕をめいっぱいに広げて、高槻やよいはそう宣言した。








[15763] stage5 Relation 7
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/09/04 18:26





 ドリームフェスタ決勝が行われる代々木第一体育館は、世界でも珍しい吊り屋根式の構造物として有名である。
 二本の支柱が、そこから連なるワイヤーロープで大きな屋根を吊り上げている。曲線を主体としたデザインは、どこぞの有名建築家が監督したもので、世界的にも評価がべらぼうに高い。
 体育館という名前がついていることからして、なんかちんまりした、バスケットの二面コートぐらいの広さを想像するかもしれない。

 が、
 しかし、
 会場規模は後楽園ホールの五倍。東京ドームの四分の一ほどにも及ぶ。氷を張ればアイススケートもできるし、フィギュアスケートもできる。

 一日、朝の九時から夜の二十一時までこの体育館を借り切ると、使用料もかなりの額に跳ね上がる。俺たちがやっているのは興行的スポーツ及び文化的行事だから、その基本使用料が、約六〇〇万円ほどかかる。
 過去にオリンピック競技の会場として使われたこともあり、今ではアーティストのコンサートやプロレスリング、サッカーやバレーボールの世界戦。演劇や柔道や新体操など、用途を選ばない。
 数多くの公演やコンサートにも使われており、年末には浜崎やゆみが、毎年ここでカウントダウンライブをやることで有名だった。

 ここでは毎日のように大きな催しがあって、本日行われる『ドリームフェスタ』決勝も、その一環だった。
 観客がぎっしりと詰め込まれており、テレビカメラも入っている。九〇〇〇席のスタンド席と、四〇〇〇席のアリーナ席は、ここから見る限りでは空席は見当たらない。

 そして、時計の針が正午を指すころ。
 ファイナルの一回戦が、最終試合を除いて、すべて終了した。

 以下が、そのリザルトだった。
 







 決勝第一試合。



 ハニーキャッツ 、<Fランク>
 得点 160+60(○ 勝ち抜け) 

 あやねちゃんとジローくん <Cランク>
 得点      40(× 敗退)



 決勝第二試合。



 方丈真衣 <Dランク>  
 得点 30+40(× 敗退)

 ナナクサ <Bランク>
 得点    170(○ 勝ち抜け)



 決勝第三試合。 



 トゥルーホワイト <Aランク>
 得点    150(○ 勝ち抜け)

 小早川瑞樹 <Bランク>
 得点 50+20(× 敗退)



 決勝第四試合。



 とらじまー <Eランク>
 得点 170+20(○ 勝ち抜け)

 桐ヶ咲高校軽音部 <Dランク>
 得点      30(× 敗退)



 決勝第五試合


 
 ホワイトクローバー <Bランク>
 得点    120(× 敗退)

 クララララス <Dランク>
 得点 80+40(○ 同点 勝ち抜け)



 決勝第六試合



 エイトアンダー <Cランク>
 得点  60(× 敗退)

 はーみっとすぱいす <Cランク>
 得点 140(○ 勝ち抜け)



 決勝第七試合


  
 雪華 <Bランク>
 得点    130(○ 勝ち抜け)

 とろぴかるスイーティーズ<Cランク>
 得点 70+20(× 敗退)









 とまあ、こんなところだった。
 伊織とやよいのハニーキャッツは、ベスト16のうち、唯一のFランクでありながら、圧倒的な大差で、決勝一回戦を突破している。

 ドリームフェスタのルールでは、AからFまで、対戦相手のランクがひとつ違うごとに、20ポイントのハンデがつく。ハニーキャッツ(Fランク)とあやねちゃんとジローくん(Cランク)の対戦の場合では、FランクとCランクは3ランク分の差があるので、ハニーキャッツに60ポイントがプラスされていた。

 ネット投票で計算される総計ポイントが200ポイントで、互いの実力が伯仲していれば、100対100で収まるはずであり、ここに60ポイントプラスされるのは、かなり大きい。

 逆転劇が起きやすいルールである。

 が、
 それでも、

 この決勝第一試合から第七試合までを見る限り、同点までもつれこんだ決勝第五試合をのぞいて、それぞれの勝者は、ハンデなど意に介さないという風に、勝つべきほうが勝っている。AからFまでのランクの差は、直接そのランクに棲息する住人たちのレベルを示している。

 プラチナリーグにおいては、ランクがひとつズレるだけで、中学生と高校生ぐらいの実力差は開いてしまう。

 で、本来、3ランクもの差があれば、200対0のコールドで終わるのが普通だった。ハンデがついたからといって、いまのところ、直接勝敗に絡むほどではない。二回戦と三回戦とすすむうちに、このハンデがどう絡むのか、俺にもまだわからない。

 ガラス張りの二階プレミア席で、やわらかい椅子に体を沈めながら、伊織とやよいが、次に行われる決勝一回戦第八試合。

 サザンクロスVSプレイブルー。

 つまりは、美希の出番を待っている。

「喰いたりないわね。私たちの一回戦は、ちょっと手ごたえがなさすぎたし、あんなの準備運動にもならないじゃない」
「うう、伊織ちゃん。そういう言い方はちょっと。たしかにちょっとあっけなかったけど」

 水瀬伊織が水瀬伊織である限り、余裕と自らへの絶対的な過信は当然だった。けれど、今回ばかりは伊織の過大な放言ではない。

 ──相手が、弱すぎた。

 というより、相手の条件が悪すぎた。

 ──本来、強敵なのだろう。
 条件が違えば、決勝が予選のようなフリー演技なら、圧倒的な大差で負けることもありえた。

 あやねちゃんとジローくん。

 腹話術士が本業のアイドルだった。
 プロフィールによると17歳のB型。子供番組のおねえさんのような格好をして、右手にジローくんという名前のついた腹話術の人形をかぶせていた。

 予選のフリー演技を一度見ただけだが、芸の幅は広かった。

 やよいが夢中だった。
 会場をドッカンドッカン沸かせていた。もし、彼女が実力をすべて発揮できたのなら、もっときわどい勝負になっただろう。

 けれど、決勝で評価されるのは主に、歌とダンスだった。

 一糸乱れぬ踊りを見せる伊織とやよいの前に、ほとんどなんの抵抗もできずに散っていった。

 いちおう、右手のジローくんがバックコーラスを担当してはいたが、丸々一曲分、四分強の時間、観客を釘付けにできるような芸ではなかった。

 くじ運に恵まれたゆえの僥倖。
 とはいえ、楽して勝てるのは、おそらくこれが最後だ。

 次の二回戦は、ベスト8から。
 雑魚などもう、残っていない。どれと当たっても死闘になる。
 ──そう、断言できる。
 こちらの手の内をほとんど晒さないで勝てたのは幸運だったが、次からは、それすらも戦略に組み込まないといけない。それぐらい、厳しい戦いになる。

 というわけで、

 そのまえに、決勝一回戦、第八試合。
 そして、一回戦の最終試合。
 サザンクロス(Eランク)VSプレイブルー(Bランク)がはじまろうとしている。

「それで、美希美心のサザンクロスの対戦相手である、プレイブルーって、どんな相手なの?」
「そうだな。説明はちょっと長くなるが、一言で言うなら、プラチナリーグ屈指のアレンジャーだな」
「なにそれ?」

 聞いたことがない単語なのか、伊織が目を丸くする。

「基本的に、そのままの意味だ。既存の曲をアレンジすることに長けた連中を、アレンジャーと呼ぶ」
「アレンジャー、ですか」
「そうだ。基本のメロディーラインと曲の骨格はそのままで、歌詞だけを自作のものに差し替えたりとか。あとは曲と歌詞はそのままで、間奏とかにも歌詞を差し挟んだりとか、そういうことをする連中のことを、アレンジャーという。アナザー版のロミシンとかみたいな感じといえば、わかりやすいか」
「たぶん、よけいわかりづらくなったと思うわよ」
「んー、つまり、歌詞を変える場合でも、原曲をリスペクトして変える。歌詞にストーリーがついてるなら、さらにその続きを歌うとか。お姫さまが幸せになるまでの話なら、さらにその先を歌ってみる、とか」
「ええと、それはわかりましたけど。意味があるんですか、それ?」
 やよいが手を挙げた。
 その疑問はもっともだった。
 伊織は、まだ考え込んでいる。
 そりゃあまあ、意味がないならこんなめんどくさくて手間のかかることはしないだろう、と促すと、伊織は顔をあげていた。

「だんだんわかってきたわ。相手がわが曲の一番二番を歌うなら、プレイブルーの連中は、自作した三番四番を歌う。それを聞いた観客が、どっちに傾くかは言うまでもない。この場合、皮肉にも相手のステージが優れていれば優れているほど、プレイブルーの評価はあがってしまう」
「そうだな。これをやられると、対戦相手がただの前座に成り下がる。競おうとすればするほどに、相手にエールを送ることになる。プレイブルーのために、熱を溜めてやることにしかならないからな」
「うう、それってズルくないですか?」
「いや、かかる手間を考えてみろ。一曲ごとに仕切りなおしなのと、歌詞の変更なんてその曲の世界観を完全に把握してないと書けないからな。間違いなく、天才の仕事だぞ」
「そ、そーゆーものなんですか」
「手間がかかること以外に、弱点はないの?」

 伊織はすでに自分たちとプレイブルーが対戦する場合を想定し始めていた。ドリームフェスタで、ハニーキャッツがプレイブルーと戦う可能性は、ある。

 まあ、そのときは美希が負けているわけで、あの娘の敵討ちということになっているのだろうけれど。

「弱点ねえ。強いて言うのなら、一回一回、観客にこの曲がアリかナシなのか、判定してもらわないといけないってことだな。原曲があるとはいえ、たまにハズレもでてくる。歌詞が微妙にイメージにそぐわなかったりとか。そう考えると、一発勝負としては怖いな」
「相手のミス待ちってのも、なんか微妙ね。そういうのって弱点じゃないでしょ。直接そこを攻めることができないんだから」
「まあ、そーだが」
「ほかに、なにかない?」
「ふむん。これは弱点というよりは特性なんだが、格上には通じない。同じ曲を歌う以上、相手より上だと示さないと負けるからな」
「うーん」

 唸るのも無理はない。
 本来、どう考えても、今のレベルで太刀打ちできる相手ではない。

「で、どうだ? 美希、美心はともかくとして、おまえらがプレイブルーと戦って、勝てると思うか?」

 もしも。
 そんな仮定だが、シミュレーションは、今のうちにしておくものだ。

「無理ね」
 伊織の出した答えは、妥当だった。
 水瀬伊織らしくはなかったが。

「既存のコピー曲で勝負しなければならない私たちには、相性が悪すぎるでしょ。私たちのオリジナルっていったら、『バレンタイン』しかないけど、それで勝てるとも思えないわ」
「そうだなー。このレパートリーじゃあどうしようもないな」

 Dランクアイドルまでなら、既存のコピー曲だけで上に上がれるので、こんな早く必要になるとは思っていなかった。

 絶対のエース曲。
 出せば、必ず会場の雰囲気を変えられる曲。

 天海春香の『洗脳、搾取、虎の巻』。
 如月千早の『蒼い鳥』。
 菊池真の『迷走Mind』。
 リファ・ガーランドの『太陽と月』。
 YUKINOの、『My song』。

 Aランクアイドルは、必ずその代名詞になるだけの、出すだけで必ず戦局を変えられるだけのエース曲を持っている。そして当然ながら、そんなものは、望めば得られるようなものではない。

 時代と、戦略と、人の巡りと、本人たちの強運、アイドルを支えるチームの、絶対的なサポート。そういう諸々を積み上げた少女のみが得られるもの。

 が、必要になってしまった。
 これは、どうあれ俺のポカだろう。
 プロデューサーとして、予想してなかったではすまされない。Eランクに昇格するだけのポイントは稼いだので、帰ったら早速、曲を発注しよう。

「あの、プロデューサー。自分たちで曲つくったりするのはどうですか?」
「無理。周りはコピーとはいえ、プロの曲だぞ。素人が作った曲が通用するはずないだろ」
「あ、そうか」
「ちょっと待って。これって全部、実際に戦う美希、美心にもあてはまるんじゃない?」
「ああ、そうだな」

 ハンデで、60ポイントがつくとはいえ、実力差がありすぎる。
 実際、俺自身がこんな立場におかれたら、頭を抱えてのたうちまわる自信があるのだが、さてどうなるのやら。

「どうするのよこれ」
「知らん。戦うのも、指揮をとるのも俺じゃあないし。藪下さんのお手並み拝見ってところだ。さて、はじまるぞ」

 ──『Relations』のイントロが流れる。

 つながり、という意味の曲。
 そして、如月千早のセカンドシングル。さらに付け足すなら、彼女をAランクにまで押し上げた曲。
 そんなストーリーがおまけについているからなのか、プラチナリーグでは、この曲を大舞台で使うフォロワーは多い。

 大舞台でこそ、かがやく曲。
 圧倒的な歌唱力をもつ千早の曲だけあり、歌いこなすには相当のレベルを必要とする。この曲をアイドルの力量を計る器だとするなら、今持っている感情すべてを叩き込んで、ふれないだけの大きさをもっている。

 最初は、プレイブルーのステージからだった。
 プレイブルーも、サザンクロスも、歌う曲は、『Relations』となる。
 美希、美心のサザンクロスが、この曲を選び、そして、プレイブルーがそれに追従した、ということだ。

 藪下さんには、いくつかの選択肢があったはずだ。
 その中での本命は、佐野美心のフィールドである、演歌で勝負すること。さすがに、演歌をコピーするだけの対応力は、プレイブルーにはないだろう。

 しかし、藪下さんはそれを選ばなかった。

 やぁね、もう。プレイブルーがどーだとか、相手がどうだかとかで、対応を変えるのって、なんかかっこわるいじゃない。

 彼女なら、こう言いそうである。
 この曲を選んだ、という時点で、それは小細工無しの正面突破を意味する。この曲は、プレイブルーがコピーできる曲のなかで、ド本命だ。

 プラチナリーグで一番有名な曲は、『GO MY WAY』で、あとはあずささんの曲がそれに続くが、千早の『Relations』も、ベスト10には入るだろう。
 多くの大会で使われる曲だし、オーディションの課題曲になったこともある。そんな曲に対し、プレイブルーの仕込みを終えていないはずがない。最後まで、サプライズが起きないのなら、それはサザンクロスの必敗を意味する。

 それでも、
 この曲を選んだ。

 なら、答えはひとつしかない。

 藪下さんの指示は、ステージのうえで、自分たちが格上だと証明する。

 そういうことらしい。

 青と白のライトがクロスし、プレイブルーのステージがはじまる。

「上手いわね」
「まあな」

 プレイブルーのステージは、おおむね観客に受け入れたようだった。どうしても千早の原曲には劣る。しかし、もともとBランクでも上位に位置しているユニットなのだ。土台を支える歌唱力は、相当なものだった。

 そして。
 彼女たちの仕掛けは、これで終わりではない。

「ところで、途中でラップみたいな呟きというか、詩みたいなのが入ってたけど、なにあれ?」
「あれか。あれはトラップだ。プレイブルーがサザンクロスに仕掛けた、な」
「ちょ、物騒ね。あの詩にどんな意味があるのよ」
「あれ自体に意味はないんだが」
「ん?」
「ただし、サザンクロスの『Relations』を聞くときには、あの詩がないと、なんか物足りなく感じるはずだ」
「は、どういうことよ?」
 伊織が首をかしげている。

「えーと、あれですか。よく料理漫画であるような、辛さで審査員の舌を麻痺させておいて、正確な審査ができなくなるみたいな」
「ああ、だいたいそんなんだな」
 イメージとしては、そんな程度の理解でいい。
 これ以上説明しても、あまり効果はあがらないだろう。

「麻薬みたいね。ないと物足りなく感じるか」
「ん、科学的に言ってしまうと、錯聴というらしい。目の錯覚ってのはいろいろあるが、その耳バージョンだ」
「魔法みたいです。どんな仕組みなんですか?」
「ちょっと専門的な話になるが、そもそも、普段から人間って聞きたい音を選り分けて聞いてるよな。人間って、テレビの音が鳴ってる前で、人が話してても、問題なく話し声を聞き取れるだろ。これって、実はすごく不思議なことだと思わないか?」
「あ、そういえばそうです」
 やよいがこくこくとうなずく。

「耳は思った以上にいろいろな処理をしてくれてる。だからこそ、耳に入ってくる以上のものが聞こえてきたりする。それを逆利用すれば、存在していない音を聞こえさせることだってできる」
「小賢しいトリックね」
 伊織は軽く笑い飛ばすが、そんな簡単なものではない。

「そんなことを言うな。音響設備の歴史は、この錯聴との戦いの歴史だ。なんでスピーカーがふたつもあると思う? 音を二方向から出すことで、その場で臨場感を出して、あたかもその場で演奏されているように感じさせるためだ」
「はー。すごい」
「うまく使えば、すさまじい武器になるってことね」
「ほかにも、ほれ。この会場吊り屋根式だろ。音響は相当悪いからな。かなりの工夫がしてあるぞ。ためしに、会場の音を録音して後で聴いてみるといい。似ても似つかないひどい音になってるから」
 ここから、昔のひとたちが、限られたトラック数でどう音を立体的に見せてきたか、そんな話をしたかったのだが、やよいが難しい話に頭から煙を上げはじめたので、とりやめになった。

「というわけで、プレイブルーは120パーセントの力を出し、サザンクロスは、元の80パーセントの力で戦わないといけない。お先真っ暗だ」
「う、ううっ。に、20パーセントも差がついてしまうんですか?」
「いやあのね、やよい。40パーセントだから」

 ガラスの先に、ステージのすべてが見下ろせる。
 ステージの上から、プレイブルーの残り香が払拭される。しかし、まだ観客の耳には、さっきの『Relations』の囁きがこびりついているはず。

 状況は最悪。
 戦う前からがけっぷちに立たされて。
 しかし、規定通りの時間に、舞台の幕は上がる。

 美希と美心の、サザンクロスが、ステージに立つ。
 会場を覆うスモークに映る、和服姿の影絵だけが、美希と美心の登場を知らせていた。

 人は、ときにステージを神聖視することがある。
 少し考えればわかる。そんなものは眉唾だ。

 ステージに、神は降りない。
 ステージとは、そこに立つ少女たちの価値に、正当な評価を下す場所だ。

 そして、イントロがはじまる。
 ただの一音も発せないうちに、観客を引き込む力。この曲にはそういう雰囲気がある。

 ステージを覆っていたスモークが晴れて、シルエットが形作られる。

 星井美希と佐野美心は後ろを向いていた。
 影はライトに消され、スモークは排煙装置に吸われていき、彼女たちを邪魔するモノはなにもなくなる。
 
 最初の一音から、圧倒された。
 一言で言いあらわすのなら、如月千早が乗り憑いた、そんなステージ。

 伸びやかな声をそのままに、
 不遜な態度をそのままに、

 歌い上げる曲が、オリジナルに、まったく遜色しない。

 何が起こっているか、わからない。
 美希の振りかざす手に、わけもわからずに視線が吸い付けられる。
 緩急のはっきりした振り付けと、つま先と手首までピンと一本の線が通ったような動きは、あずささんの教え込んだ動きを、『わかっている人間』が、さらに改良したような痕跡があった。

「まさか、千早が?」

 ただの消去法だったが、それは口にした瞬間、事実に変化するような重みをもって、口の端に残った。

 ──歌と、歌い手が共振する。
 時に、歌そのものが意志をもって、歌い手を『選んだ』のだと、そういう錯覚を観客に教え与えるような、ステージがある。

 生半可な技倆でできることではなく。

 それだけのステージを演じられるのは、なにかが奇跡的に噛み合ったときだけ。この曲の主人である千早ですら、この領域に立ったのは、ほんの数度。

 だが、たしかに今、彼女たちはそれを再現していた。

 万雷の拍手。
 プレイブルーの曲など、欠片も残っていない。

 事前の下馬評を大幅に覆すかたちで、サザンクロスのふたりは、圧倒的な大差をつけて、二回戦進出を決めた。
 


 決勝第八試合


  
 サザンクロス<Eランク>
 得点   180+60(○ 勝ち抜け)

 プレイブルー<Bランク>
 得点        20(× 敗退)










[15763] stage5 Relation 8
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/09/07 10:31
 






「やよい。二回戦のくじを引いてきなさい」
「え、いいの」
 
 決勝一回戦がすべて終わり、ベスト8までが揃った。このドリームフェスタは、一回戦、二回戦、三回戦と毎回組み合わせを変えるため、直前の対策が難しい。
 
 ハニーキャッツ<Fランク>が、二回戦で当たるのは、ナナクサ<Bランク>、クララララス<Dランク)、トゥルーホワイト<Aランク>、とらじまー<Eランク>、はーみっとすぱいす<Cランク>、雪華 <Bランク>、サザンクロス<Eランク>の、七チームのうちのいずれか。

「アンタが、一番当たりたくないのは?」
「ここまでくると、全部手ごわいに決まってるが、Bランク以上は、いくらハンデがあるとはいえ、当たりたくないな。あー、去年までハンデが一ランクにつき40ポイントだったのに、なんで減るかなー」
「ってことは、菊地真のトゥルーホワイト。あと、秋月律子率いるナナクサ。あと、瀬名遼子の、雪華のみっつ?」
「で、伊織。おまえはどうだ? 一回戦を見て、気になるとところはあったか?」
「そうね、一ユニットあげるなら、Dランクのクララララスよね、やっぱり」
「ふむ。なるほど」

 正直、伊織がどんな名前を挙げても、驚きはさほどない。
 ここまで昇ってくるユニットなら、すべて人の目に留まるだけのものはもっている。いくつか、クララララスのステージを見て、彼女なりにビリビリときた直感があったのだろう。
 
「連中、一回戦で、ハンデがあったとはいえ、Bランクのホワイトクローバーを倒しているのよ。ホワイトクローバーって、たしか本命のひとつでしょ。なんたって、ブルーラインプロダクションの推薦枠を勝ち取ってくるんだから」
「ああ、ここまで来るとランクなんて、まったくアテにならないな。クララララスがBランク相当の力を持っているとすると、ハンデがある分、たしかにド本命だ」

 それに、クララララスは、ここ数ヶ月の軌跡を見るに、ギュンと上に伸びている。彼女たちにとって、おそらくは今、この瞬間が黄金期なのだろう。闘えば、おそらく勢いでは負ける。

「で、アンタはどうなのよ。気になるところはあるの?」
「ひとまず、戦力分析をしてみた。ひとまず目を通しておけ」

 俺は、手にしたバインダーを渡す。
 開くと、サザンクロスとハニーキャッツを除いた、6ユニットのメモが纏められている。美希美心のサザンクロスは、あえて記す必要もないだろう。手強さは、彼女たちが一番わかっているはず。
 





 トゥルーホワイト<Aランク>

 Aランクアイドルである、菊地真と萩原雪歩のユニット。現在、萩原雪歩はプラチナリーグより失踪中。菊地真の中性的な容姿で、ファンの九割が、女性だとされている。菊地真のハスキーな声と容姿は、独自なファンを大量に生み出し、いまもなお増殖しているらしい。ファンからの呼ばれ方は、『王子様』。プラチナリーグには、5000人近いアイドルがいるが、キャラがまったくかぶらないのはこの娘だけ。

 クララララス<Dランク>

 平均年齢15.6歳。某有名バンドのバックダンサーやら、元おやすみ少女、身長172センチの元バレーボール少女など、全員が個性的な六人組。楽器演奏できるリーダーを中心に、チームワークで勝負とのこと。
 全員がまだ学生で、夏休みには全国のスズキ電機のキャンペーンガールとして、すべての店舗でライブを敢行予定。みんな見にきてね。

 ナナクサ<Bランク>

 プロデューサー、秋月律子の率いる七人組ユニット。平均年齢16.7歳。メンバーは、せりか なずな ごじょう はこべ ほとけ すずな すずしろの、七人。
 Bランクでも、五本の指に数えられるぐらいの実力派、有名ユニット。リップシンクを使わず、すべて生歌。
 コンサートではすべて生バンドを使う本格派。ブルーラインプロダクションでは、魔王エンジェルと並ぶ最有力ユニット。

 とらじまー<Eランク>

 プラチナリーグに所属するアイドルの中で、最古参に近いふたり組ユニット。ふたりともアイドルをはじめてから四年経っている。表舞台に一度も出てきていないため、詳しい資料無し。

 雪華<Bランク>

 瀬名遼子ひとりのアイドルユニット。元は五人いた。平均年齢は16歳。とても目つきが悪く、Sだと誤解されやすい。目つきが悪いのは、実は近眼なので目を細めているだけ。目上に対する口のきき方がなってない。人をなめくじを見るような汚らわしい視線で見てくれていた。ギガスプロの推薦枠を勝ち取っている。ポスト如月千早。
 
 はーみっとすぱいす<Cランク>

 日曜朝八時半からやってる『超ゼツ紅蓮グランパステル』の声優さんたちが緊急結成したユニット。一年ものアニメなので、アニメ終了と同時に解散予定。四月からはじまったアニメなので、結成してまだ三ヶ月ちょっと。ちなみに平均年齢34歳。(自称で換算すると17,8歳)




「こんな感じだ。なにか言いたいことはないか?」
「うーん。言っちゃうと、いちいち最後にオチつけるのってどうかと思うな」
「そうね。しかもスベってるし」
「ねえおでこちゃん。この中で、戦いたくないのは?」
「雪華、あたりがアブなさそうな気がしてきたわ。見なさいよこのメモ。戦力分析とかじゃなくて、プロデューサーの恨みつらみとかしか書いてないじゃない。危ないわよ。プロデューサーが、昔やったことに天誅がくだるのはともかくとして、そのとばっちりをうけて、負けたらどうするのよ」
「うん。やっぱりそうだよね。じゃあ、一番当たりたくないのが雪華ってことで」
「ええ、そういうことで」
「なにがそういうことで、だ。おまえら」
 
 なにげに息ぴったりだなこいつら。
 伊織は、いつのまにか煙みたいに現れている美希に、驚く様子もない。一瞬、わずかに、片眉をしかめて見せただけだった。たしかに、こんなことで驚いていては美希とは付き合ってられない。

「しかし、どいつもこいつもくせ者揃いね。当たった時点で、即死するのもいくつかいるし」
「どれと当たるのかな?」
「まあ、ともかく。対戦相手は、すぐに決まる」

 ──二階のプレミア席から、会場の光が一番つよい場所へ、目線を移す。ステージの上で、動きがあった。
 未だ醒めやらぬ熱をかき消すようにして、マイクを通した司会の声が会場を圧する。

 これから、二回戦のくじ引きが行われる。
 ステージの上に用意されているのは、商店街の福引きでよく見かける、正六角形の箱にハンドルがついてるアレだった。

 ガラポンともいう。
 ちなみに正式名称は、新井式廻轉抽籤器というらしい。よくわからん。


 やよいの背丈ほどもある巨大ガラポン。
 これで、二回戦の相手が決まる。ステージのうえには、それぞれのユニットの代表者がひとりずつ立っていた。

 ガラポンの中には、1から8までの数字が割り振られており、トーナメント表の空白を埋めていくかたちになる。

 ハンドルを廻すのは、一回戦第一試合の勝者から。つまりは、ハニーキャッツのことであり、やよいがガチガチになりながら前に出て行く。

 やよいが目を閉じていた。

 おまもりを握りしめて、精神集中をしている。

 くじ運は大切だ。いいところを引いてもらわないといけないが、せめて菊地真のトゥルーホワイトだけは避けてくれ。
 中の珠がこすれ合う音を立てて、ハンドルが軋むような音を立てて、やよいの祈りが、耳鳴りを生むような錯覚があって、そして、排出口から出てきたのは、ビリヤードボールほどの大きさの珠。
 色は赤。

 ──番号は、5番。

 そして、その結果は以下のようになった。


 
 決勝二回戦第一試合。



 雪華<Bランク>

 VS

 サザンクロス<Eランク>



 決勝二回戦第二試合。



 トゥルーホワイト<Aランク>

 VS

 ナナクサ<Bランク>



 決勝二回戦第三試合。



 ハニーキャッツ<Fランク>

 VS

 とらじまー<Eランク>



 決勝二回戦第四試合。



 はーみっとすぱいす<Cランク>

 VS

 クララララス<Dランク>





「俺たちにとっては、それなりにいいところを引いたな。この段階で、菊地真と秋月律子のどちらかが消えてくれるのは、願ったり叶ったりだ」

 因縁の対決でもある。
 闘いは白熱するだろうし、好カードといっていいだろう。

「それより、私たちの相手よ。とらじまーって、どうなの?」

 とらじまー<Eランク>。
 ドリームフェスタで、昇格点を稼いで、すでにハニーキャッツは、事実上のEランクになっている。
 なら、同じEランクなど相手にもならない。
 ──普通は、そう考える。
 
 けれど。
 そんななにももたないただのEランクユニットが、600人参加のうち、ベスト8にまで昇ってこれるはずがない。
 カモりやすい相手なのか、それとも、全力を賭して闘わねばならない強敵なのか。伊織の質問はつまり、そういうことだろう。

「あ、ああっ、ミキ、すごいことに気づいちゃったかも」
 ずっと、とらじまーのデータを見ていた美希が、すっとんきょうな声をあげた。
 なによ、と聞き返す伊織に、美希はぷるぷると震えながら、
「とらじまーとハニーキャッツ。虎と猫だと、虎の方が強いんじゃないかな」
「あのね。この期に及んで、やよいみたいなことを言わないでくれる?」
 そもそも、このユニット名つけたのアンタでしょうが、と伊織はつぶやいた。

「いや、美希の言うことはとりたてて間違ってない。次の試合は、虎と猫の戦いになる」
「はぁ?」
「それと、美希はそろそろ帰ってくれ。これからの話は、他チームに聞かれたくない」
「えー、なんかズルい」
「べつに意地悪で言ってるわけじゃない。俺だって、さっきのステージのこととか、千早がどうしたとか聞かないだろう」

 それは、さして意味のあるような言葉ではなかったはずだったが。

「あ、うん」

 不意に、美希が纏っている空気が、穴の開いた風船のようにしぼんだ。

 ──あれ、あれあれ。
 まさか、本当にか。
 どういう経緯でそうなったかわからないが、あのステージに、千早の手が入っているのは間違いがないようだった。















「というわけで、対とらじまー戦の説明をはじめる」
「はーいっ」
「はいはい」
 やよいが元気いっぱいに、伊織がけだるそうに返事をする。

「とらじまーだが、二人組のユニットだ。どちらも19歳。エース曲はオリジナル曲は、ひとつもない。Cランクに昇った形跡もなく、プラチナリーグができた以前からいる稀少なアイドルなんだが、脚光を浴びることなく、ずっと日陰にいた。四年間、デビューから花開くこともなく、このプラチナリーグが、最初の晴れ舞台みたいだ」
 伊織とやよいが、うっわーっという顔をしている。

「なんだ。ここは喜ぶところだぞ。喜べ。快哉をあげろ。あちらに大舞台の経験がない分、こっちが有利だ」
「いや、私たちも同じ立場だったからわかるけど、日陰のまま四年も耐えるなんて、常軌を逸してるわよ。芸人とかと違って、アイドルには、再ブレイクのチャンスなんて、ほとんどないんだから」
「そ、そうですよ」

 アイドルにとって、年齢は千金に等しい。
 どれだけ練習を積み重ねようが、どれほど技量をあげようと、若さ、という絶対の基準が、すべてを掻っ攫ってしまう。鮮度、というのはアイドルにとって、もっとも大事な要素である。

「年に新人が600人入って、その九割が一年で消えていく業界だからな。売れずに四年しがみつく、って相当な覚悟がないと、たしかにできない」
「まあ、それはいいわ。なにを考えてたかなんて、本人たち以外には知りようがない。それよりも、そんな日陰にいた連中が、突然、どうやってここまで昇ってきたのか。マグレてってわけじゃないんでしょ?」

 伊織が、足を組み替えた。

「とらじまーの連中に、『なにが』あったの?」










「なにが、っていうかな。爆発的なカンフル剤があった。とらじまーと戦ううえで、まず警戒しなければならないのが、担当プロデューサーだ。なにせ、俺より格上だからな」
「格上って、A級プロデューサーより上って、いるの?」
「いない。制度上はな。ただ、俺はこの世界でやってたったの三年だ。俺より上なんて、いくらでもいるだろう。なお、そのプロデューサーは、とらじまーの所属プロダクションが、他の分野からスカウトしてきた、とっておきらしい。普段から男子高校生を六十人ぐらい管理しつつ、相手チームの偵察や戦術を部員たちに徹底させ、ときには鑑別所から部員を引っ張ってきていたとか。で、五年でその弱小高を、甲子園に出場できるぐらいまで押し上げている」

 華々しい経歴だった。
 いくつか雑誌やテレビなどにとりあげられて、地元だと英雄扱いだと聞いている。

「えーと、ってことはつまり」
「うむ。相手は、元、高校野球の監督だ。プラチナリーグでの戦績は、まだ未知だが、甲子園がプラチナリーグより下だってことはないだろう」
「じゃあ、とらじまーは?」
「最初は、希望者が四十人近くいたらしいが、厳しい指導方法に、ほとんどリタイアしたと聞く。最後に残ったのが、あのとらじまーのふたりって、ことだな」
「うわ、なんていうか、形容しがたいっていうか、ええと、これどう表現するべきなの?」

 伊織は顔をしかめた。
 ハニーキャッツと、境遇的に被るところがいくつかある。
 半年ほど、Fランクから上がれなかったやよい。
 有能で敏腕なプロデューサーが入ったことにより、その状況から抜け出せたことも似てはいる。

「ん、一番めんどくさそうな相手ってことにしとくか」
「そっか。でも、それって、どう戦えばいいんだろ」
「残った中で、一番強いのがトゥルーホワイトよね?」
「うん」
「ああ、総合力ならナナクサか。才能だけ見れば、サザンクロス。ネタ度とファンの濃さならはーみっとすぱいすで、歌のうまさなら雪華、勢いがあって、いま一番伸びている時期なのが、クララララス」
「そして、一番勝つことに餓えているのが、とらじまー、ってことね」

 沈黙。
 空白。
 そういうものを経て、脳裏に浮かぶモノ。
 それは、このユニットとしての課題。

「これに対して、ハニーキャッツの売りはなんだ?」

 俺の問いに対して、

「伊織ちゃんのかわいさと、私の笑顔」

 が、やよいの答えで。

「水瀬伊織と、高槻やよいがいること。言い換えれば、あの連中の中で、一番魅力的なのが、私たちってことよ」

 が、伊織の答えだった。
 ふたりとも、即答かよ。そんな簡単な問題じゃなかったはずなのだが。──しかも、その答えには文句のつけようもない。

「そういうことだな。ってわけで、『Do-dai』を使う」
「でも、あれ。決勝用の曲なんじゃ」
「一番の振り付けしか完成してないんだけど、あれ。単調にならない?」
「そのへんは気にしなくていい。この曲だけで3タテするつもりでいろ。もとより、余力を残すつもりはない。相手の担当プロデューサー次第で、どういうステージになるのがまだ読めないからな。やよいも、ホントに面倒なところを引いてきてくれた」
「う」
 俺がやよいの髪をわしゃわしゃすると、彼女は少し怯んだようだった。

「ずいぶんと、よけいな面倒をかけてくれるな」

 ──わしゃわしゃわしゃわしゃ。

「ちょっと、プロデューサー。やよいは悪くないでしょ!!」
「くくくくく、まったくしょうがないなぁ。俺がいないとなんにもできないんだからなぁ。ああ、面倒くさいなぁ。でも仕方ないよなぁ。やよいがめんどくさいところを引いて来ちゃったせいなんだもんなぁー。尻ぬぐいしてやらないといけないよなぁ。あっはっはっはっはっはっは」

 ──わしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃわしゃ。

「か、髪がー。セットした髪がーっ!!」
「プロデューサー。元から邪悪な顔が、もっと邪悪になってるわよ」








[15763] stage5 Relation 9
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/09/13 01:52









「それで、二回戦の雪華VSサザンクロスだけど、どうなると思う?」
「どーもこーもないな。また180対20ぐらいのポイント差をつけて、サザンクロスが勝つだろう」

 雪華の瀬名遼子は、ギガスプロダクションにいたころにいろいろと世話をしていた関係である。調べなくても持ち歌からスリーサイズ、コンプレックスまで、すべて頭の中に入っている。あれから急激に成長したというデータもないし、狙い撃つのはそう難しくもない。カモがネギをしょってきているようなものだ。

「でも、相手はBランクアイドルですよ?」
 やよいは、やはり、美希の勝敗が気になるらしい。
「雪華には、とある条件で顔をだす、隠しきれない大きな穴がひとつある。藪下さんなら、当然それに気づいているだろう。だから、勝敗は決定的だ」
「弱点?」
「ああ、雪華は、如月千早のコピーだ。それも単純極まりない。一回戦の『Relations』をそのまま出すだけで、雪華は打つ手がなくなる。ここで、如月千早なら、自分の別の魅力を引き出すところだが、あいにく瀬名遼子は視界が狭い。如月千早の一番弟子は自分だという自負があるから、自分より如月千早の真似が上手いアイドルを許せないってところだ。ここで、『蒼い鳥』か、『神様のBarthday』を出してくるのなら、まだ別の目もあるだろうが」

 ステージの電光掲示板に、ちょうど各々の出す曲目が表示される。
 二回戦の第一試合で使われる曲は、サザンクロスと雪華、ともに『Relations』となる。

「こんな有様だ。雪華は、自らのプライドに賭けて『Relations』を出さざるを得ない。雪華の勝利の可能性は、ゼロになった」










 二回戦第一試合。
 サザンクロスのステージは、一回戦のそれすら超えるものだった。完全に、ゾーンに入っている。如月千早の動きを基本として、歌唱力の未熟さを、動きの豊富さでカバーしている。舞い散る汗のきらめきすら見えるぐらいの4分51秒。

 素人にも、違いがわかる。独特の空気、ただ同じ歌詞を歌い、同じ振り付けをして、同じ雰囲気をつくるだけでは、決して身につかないなにかが、サザンクロスのステージにはあった。
電光掲示板は、たった今行われた第一試合の結果を、無常に示している。Bランク相手に、サザンクロスは190+60対10で勝った。ほぼ俺の予想通りだったが、限りなくオーバーキルに近い。

「なによ。なんなのよアレ?」

 伊織が、プレミア席のガラスから身を乗り出すようにステージを見ていた。
 感動というよりは、衝撃だった。
 凄まじいものを見たという、痺れだけが残っている。

「なぁ、伊織。美希相手に勝てるか?」
「はあっ!? あのね。私が、わざわざユニットを組もうとしているのよ。アレぐらいはやってもらわないと困るわ」

 ここから見える美希は、憔悴していた。
 あの4分51秒の世界は、美希ができる現時点での限界を、さらに超えていた。あれだけのステージを作り出すのには、気力と体力の、最後の一滴までを絞り尽くす必要があるらしい。

「美希だけなら、勝てると思うわ。根拠はないけど」
 伊織は首をかしげた。
「そうだな。美希だけなら、まだ140対60ぐらいで勝てるはずだ。こっちは根拠ありで」

 そうだ。ならば警戒するべきなのは、もうひとりのほう。美希以上にえげつないアイドルの存在である。

「問題は、もうひとりの方だな。まさか、佐野美心がここまでやるとは」

 とくに、彼女自身がなにかしたわけではない。
 終始、ステージの雰囲気をつくっていたのは美希だった。彼女はそれに追随していただけ。たいしたことをしていたわけではない。

 あの神かがった美希の動きを完璧にトレースし、完璧にやりきることが、どれほどの困難を伴うものか。

 それがわからない人間なら、そんなことを言えるギャラリーがいるかもしれない。
たった4分と51秒のステージで、美希が立ち上がれないほどに疲れ切っているのに対して、佐野美心は、わずかに額に汗をかくだけにとどまっていた。

 スポーツドリンクをがぶ飲みしている美希と比べて、佐野美心は、ポットから湯気の立つ熱いお茶をマイ湯のみに注いでいる。憎たらしいほどの余裕っぷりだった。やけに様になっているところがなんかアレだ。

 彼女は、まだなにかを隠している。
 というよりは、本気にすらなっていない。

 しかし、まずい。
 俺が予測した実力の、上の、さらに上をいかれている。
 せめてこの二回戦までに対策を打てればと思ったが、対策の方針どころか、強さの輪郭さえ見えてこない。
 このままぶつかれば、確実に負ける。
 
「対策は?」
「なくもない。あんな神がかったステージ。他の歌では再現できないだろう。相手は結成して、せいぜい三日のユニットだ。つまり、サザンクロスは、『Relations』だけで4タテするしかない」
「使う曲が、一曲だけってこと?」
「ああ、ここに、つけこむ隙があればいいんだが」

 ごちゃごちゃして、思考がまとまらない。
 いや、それで正解だ。あまり目の前のことに気を取られている余裕なんてない。ハニーキャッツはまだ二回戦すら突破していない。サザンクロスとあたるにしても、まだ遥か先の話になる。

「とにかく、いったん忘れろ。目の前のとらじまー戦に集中しなければならない。あまり遠くに目をやっていると、足下の石ころに蹴躓くぞ」
「ああもう。悪いイメージばっかり浮かんでくるわね。もうはじまりそうだけど、トゥルーホワイトVSナナクサはどうなの?」
「どうもこうもないだろ。トゥルーホワイトの勝ちだ。200対0だな。奇蹟でも起こらない限り、ナナクサの勝利はない」
「言い切るわね」
「まあな」
「でも、ステージって、なにが起こるかわからないですよ?」
 いままで黙っていた、やよいが口をはさんでくる。
「それもそうだが、今回ばかりはな」

 俺は、合宿での菊地真と秋月律子の会話を思い返していた。
 真偽はどうあれ、菊地真はAランク一位である『YUKINO』の正体を、かつて自分とユニットを組んでいた萩原雪歩だと思っている。いや、確信しているといっていい。まあ、九割がたその推測は当たっているのだろう。
 『YUKINO』の声は、かつて聞いたことのある萩原雪歩の声そのままである。

「この一戦は、菊地真にとって、絶対に落とせない戦いだ。本人の言を信じるなら、彼女はここで新曲を投入する。勝てば、『YUKINO』の正体のヒントぐらいは聞けるだろうし」
「だからこそ、荒れやすいとは考えられないの?」
「そうですよ。プレッシャーに負けたりとか」
「それもたぶん、ないだろう。絶対に落とせない戦いをすべて制してきたから、菊地真はAランクアイドルなんだ」

 散々に、菊地真と秋月律子の対決を煽った身としては、こうやって跳ね返ってくるとは思わなかった。
 しかし。
 問題は、心配する場所は、そんなところじゃあない。

「むしろ、なにか起こるとしたら、次だろ。
俺たちはAランクアイドルが新曲を披露した、その次の次に、ステージに出ないといけないわけだ」
「それが、どうしたんですか?」
「会場は荒れるな。極端な荒天にボートを出すようなものだ。上がりきったボルテージは、あとは下がるだけだからな。これを維持できなかったら、ポイントに相当響くぞ。むしろ、なにが起こるかわからないのは、お前らのステージのほうだ」
「……トゥルーホワイトと、ナナクサのステージを見てくるわ。それならなおさら直接見て、会場の熱を引き継がないといけないもの。もうちょっと近い場所で見られるように場所を探してくるわ。やよい、行くわよ?」

 やよい伊織とほぼ同時に、俺は立ち上がった。

「俺は俺で、とらじまーのプロデューサーに挨拶に行ってくる。情報は集めたが、実物はまだ見てないからな」
「私たちは、二回戦を見てても、良いのよね」
「ああ、Aランクアイドルのステージを見るのも勉強だ。精神集中を切らすなよ」












 とらじまーのプロデューサーは、丸いフチのサングラスをして、なかなかの強面だった。頭を五分刈りにしていて、イメージとしてはテキ屋のおっちゃんっぽい。資料によると、今年で46歳。アイドルになるぐらいの娘がいるぐらいの歳だったが、どちらかというと野球少年がそのまま大人になってしまった、という印象である。
 それに、くちびるが厚い。はれぼったい。俺が高校球児だったとしたら、この人にくちびるというあだ名をつけるだろう。

「おお兄ちゃん。よく来た。まあ、飲めや。ロクなものはないけど、テーブルにあるものなら、なにに手をつけてもいいから」

 どっちゃり。
 そんな擬音が聞こえてきそうなぐらい、テーブルの上は酒のつまみに占拠されていた。柿ピーからスナック類。チーズ各種。サバの缶詰やカニの缶詰やツナ缶やコンビニのおにぎりに、梅酒やワンカップやビールがならんでいる。

「ビールでいいかい?」
「いえ、日本酒をいただきます」

 ここまで来たアイドルとプロデューサーには、一ユニットにひとつ控え室が割り当てられている。俺たちは一度も使ってないが、普通はこうやって前線基地にするのだろう。

「プロデューサーというのは、なんか偉そうで好かない。カントクとでも呼んでくれ」
「ああ、あなたはそっちのほうが呼ばれ馴れているわけですか」

 遠慮せずに、一番値段の高そうなカニ缶から箸をつける。
 うわ、身がひきしまって、プリプリしててうめぇ。なるほど、カニ缶と日本酒というコラボは盲点だった。今度、家でもやってみよう。

「いまは草野球チームを率いてるけども、そっちのほうが気楽だよ」

 うわ。

 野球を語るときだけ、目がギラギラとしている。まあ、気楽だった。別になにを探りに来たわけでもない。
 愚痴。愚痴。愚痴。愚痴。愚痴。愚痴。昔の話。そして、この人の話はどうやっても最後は、野球の話になるらしい。

「最初の一年はよかったよ。田舎だからな。高校の隣にあるスタジアムが使い放題ってのは、田舎だと当たり前のことなんだろうが、都内でずっと野球やってた俺には新鮮でなぁ。選手はよく俺についてきてくれて、三年目で甲子園の切符を手に入れた。出来すぎなぐらいだった」
「はあ」
「おかしくなったのはそこからだ。不良を更生させる部活だと県内で話題になってな。校長が勝手に手のつけられない連中を山ほど入学させやがった。不良を真人間にしたっていう名声がほしかったんだろう。あの高校は、あっという間に鈴蘭高校みたいになった。知ってるか。不良ってのは、数が集まれば集まるほど手に負えなくなるんだ」
「はい。だいたいは」
「野球部をなんだと思ってやがる。野球部は、野球をするところだぞ。コマが足りないからわざわざ鑑別所にまで行って、使えるやつを引きずってきたり、部員とコミュニケーションをとるためにメールを覚えてみたり、部員が部活を休むようになると、正面から怒らずに仲のいい部員に、この日は監督の機嫌がいいと思うからこの日にくれば怒られずにすむよ、なんて自作自演のメールを送らせてみたり。俺にできるのは、せいぜいそこまでだ」
「それは、部員を絞るしかないのでは?」
「それも考えたが、校長が許すわけがない。なぜか、俺ひとりで二十人もの不良の面倒を見させられるんだぞ。校長の野郎。心身をともに育むなんて都合のいいこと言いやがって。ドラマじゃあるまいし、そんなやつら練習補助員か球拾い以外に使えるかよ。冗談じゃない。ただ汗だくになるまで走らせただけで、ある日突然、不良どもが電撃に打たれたように改心するってのか」
「いえ。無理でしょうね」
 あ、マグロ缶がうまい。
 ほどよく箸で割れるところなんて最高だ。
「野球部のレギュラーの座は、真夏日だろうが台風だろうが休日だろうが練習に来る、マジメな連中のためにあるんだよ。なんで隠れてタバコ吸っているような連中のために、わざわざレギュラーの座をあけてやらんといかんのだ」
「ふむふむ」
 俺はスルメをかじった。
 マヨネーズがあれば最高なんだが。
 なんか、こうして食ってばかりいると、やよいになった気がしてくる。
「不良ばっかりが集まって、せっかく頭を下げたスカウトしてきた投手が辞めていくし、部員が脱走するそれ以前に、部長やコーチがもう続けていけませんと辞めていくんだぞ。部員が揃わなくて成績を残せないなら仕方ないにしても、いい大人が揃わないせいで練習できませんっていったいどういうことだ」
「まあ、目が届かないってのは怖いですからねえ。サボっていてくれるとまだマシで、夏の炎天下だったりすると、根を詰めすぎて、死人がでてもおかしくないし」
 かっちりと解凍された枝豆を口に入れる。
「そうだろうそうだろう。そんななかで、一番気に入らないのが父母会だ。高い会費払っているとか、選手の母親同士での内紛をこっちにもってきやがって。フルタイムで働くせいで、なかなか総会に出られなかったら、いつのまにか選手の母親同士からつまはじきにされていた、って、小学生かおまえら。野球関係ねえじゃあねえか。果ては、レギュラー起用から練習方法にまで口出ししてきやがるし」
「どこの業界でも似たような話はあるんですね。自分の娘に仕事を増やせだとか、レッスンやコンサートをいくらこなしても給料が上がらないだとか」
「あるねえ。でも、そのへんは会社に守られてるからなぁ。直接対処しないでよくなっただけで、ずいぶんと救われたよ」
 グラスの日本酒を、一気に飲み干す。
「普通、プロデューサーはプロデュースだけやってればいいわけでもないですし。俺も伊織に車出してもらわないと、アイドルの送り迎えからやる羽目になってたからなぁ」
 俺はそう愚痴る。
「送り迎えなんてそんな問題じゃないだろう。駅まで送ればいいだけだ」
「そうなんですけど、俺免許ないんですよ」
「それは社会人としてどうなんだ」

 もっぱら、会社に行くのも自転車である。
 普段、身の丈にあうような買い物しかしない千早が、一千万近いスポーツカーを乗り回している(ステージ4-10参照)のは、そういう経緯だったりする。

 かすかに聞こえていた喧騒が絶えて、ステージが終わったようだった。

 それから、複雑な顔をした伊織とやよいが、自分の控え室にするように、ズカズカと入ってくる。

「ちょっとプロデューサー。スパイ活動は終わったの?」
「おまえな、俺がまるで24時間悪巧みしてると思ってるだろ」
 慌ててカントクの方を見るが、特に気にしたふうもなかった。
「じゃあ、なんのためにこんなとこにいるのよ」
「伊織。酒を飲むのに理由なんかいらんだろ。おまえが贅沢するようなもんだ。春は夜桜、夏には星、秋に満月、冬に雪。それで十分酒は美味いって、どっかの剣客も言ってる。アイドルのライブ中継と、酒の肴と、愚痴を言い合える仲間がいれば、酒は旨い。酒を酌み交わすってのはそういうことだ。小娘にはちょっとはやいなぁ」
「うっさいわね。説教とか、兄さんたちを思い出すから嫌いなのよ」
「そ、それより。た、たいへんなことが」
「なにかあったか?」

 やよいが、慌てている。
 といっても、見当はついているが。
 実際に言われても、信じられるかは疑問だった。

「トゥルーホワイトが、つまり菊地真が、ナナクサに負けたわ」
「そうか」

 番狂わせ。
 ジャイアントキリングが成立するような条件はなかったはずだが、どういうことなのか。物事には絶対はないとはいえ、マグレで覆せるほどAランクアイドルの壁は薄くないはずだった。

「ちょっとプロデューサー。予想が間違ってたけど、大丈夫なの。これから?」
「伊織。なにを言ってる。俺はなにひとつ間違ってないぞ」
「はぁ?」
 自分の耳がおかしくなった、伊織はそんな顔をしていた。

「奇跡でも起こらない限り、トゥルーホワイトが負ける可能性はないと言った。つまり、奇跡が起こったんだろ。この実力差を覆したんだ。ナナクサの勝利には、よほど必然的な理由があったんだろう」
「あ、そっか」
「あのねやよい。そこ納得するところじゃないわよ」

 伊織なんか言いたそうだった。
 無視する。大人になるということは、言い訳がうまくなるということだ。とくに、部長とか課長とかの必須スキルなので、よい子は覚えておくように。

「──Aランクアイドルの勝利をねじ曲げるほどの奇蹟か。興味があるな。それで、いったいあのステージでなにがあった? あのスポットライトの下で、どんな奇蹟が起こったんだ?」





[15763] stage5 Relation 10
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:9f5383e3
Date: 2010/09/14 12:22




「トゥルーホワイトが、負けた」



 一万と三〇〇〇人の、魂の叫びが、会場を席巻している。
 A級アイドルが歌うに相応しい会場である代々木第一体育館そのものに、ヒビが入るのではと思わせるほど激しく、菊地真は会場に圧力をかけている。

 二回戦第三試合。
 トゥルーホワイトのステージ。

 『自転車』という曲。新曲だった。
 真の声質に、良く合っていた。独特の疾走感のある曲。真が、第二回戦というところで、新曲を出すことになった経緯は、あらかじめ美希から聞いていた。

 前々から思っていたが、真はステージの、タテの使い方が上手い。ヨコに広げるだけでなく、ステージの縦横感を上手く利用しているから、そのステージそのものに引き込まれるような感覚を覚えるのだろう。
 他のA級アイドルの歌は、やはり刺激になる。躍動感で、曲を装飾する、そういう概念は、私のステージにはないものだ。

 そして。
 ひとつ躓いて、そのステージは突然、終幕を迎えてしまう。

 違和感。
 不協和音。
 それに連なる、ノイズ。

 張り詰めた糸。
 その糸が、突然、なんの前触れもなく断ち切られる。菊地真の動きが、突然に乱れた。
 否、止まった。ステージから観客席のある一点を見つめたまま、バックに流れる曲ももう耳に入らないように、彼女は、ステージのうえで、ただ立ち尽くしていた。

 呆然とした真が、マイクを落とす。
 スイッチの入ったままのマイクが、地面にたたきつけられて、くぐもった音を出す。

 真は止まっていた。

 幽霊でも目撃したように、目を見開いている。
 太陽を直接浴びているように明るいステージからはなれて、照明が落ちたアリーナ席。菊地真の視線を追っていくと、彼女はそこにいた。

 闇の中で、存在感を失わない、雪のように白い肌。
 微動だにせず、菊地真の視線を、正面から見つめ返している。

「──萩原、雪歩」

 自分の口から漏れた名前が、信じられない。そう、思う。

 ──奇跡。

 果たして、奇跡というものが存在するのなら。
 菊地真にとって、たしかにそれは奇跡に値するものだった。

 観客席が、パニックになっていた。菊地真が、ステージと観客席の境界を割る。

 迷路のような殺到する人ごみにあおられ、興奮した観客に爪をたてられて、菊地真の左頬に、赤い筋が走る。乱入してきた警備員が、数人がかりで、彼女を観客席から引きはがす。まだ抵抗していた。警備員を殴り倒して、まだ進もうとする真の前に、一人の大男が立ちふさがった。
 担当プロデューサーである羽住社長が、真の心臓に剄を打ち込んだ。
 ハートブレイクショットなのか、金剛なのか。そこまで暴力的なものではなかったが、真を一時的に行動不能にするだけの効果はあったらしい。

「皆様に、ご迷惑をおかけして、本当に、申し訳ありません」

 頭を下げる。
 興奮していた観客たちが、水を打ったように静かになった。羽住社長の、ツキノワグマみたいな巨体が、体を丸めている。最大規模のプロダクションひとつを取りまとめているだけあって、観客は、皆、その威圧感に圧倒されてしまう。

 けれど、投げ出されたステージは、元には戻らない。ただ、ステージでは照らし出すもののないスポットライトが、さびしげに光を放熱していた。









 幽霊でも、幻でもなかった。
 観葉植物が並び、グッズを売る物販店や、むやみに値段の高いコーヒーショップがある、人のいない一階席北スタンド、裏側ののソファー。そこに座って、萩原雪歩は、限りなく高い天井を見つめていた。

「お久しぶりです。萩原さん」

 嵐の後の静寂、とはいえないだろう。なにせ、彼女はなにもしていない。近づく私に対して、たしかに私の全身を視界におさめて、それを予測していたようなそぶりもなく、ただ普通に、自然に、萩原さんは笑みを浮かべた、のだと思う。

「お久しぶりです。如月千早さん」

 透明感のある声だった。
 それだけは、変わらない。
 あれから、ずっと。

 果たして、彼女は『こう』だっただろうか?
 ほんの一瞬で溶けて消えてしまう雪のような儚さをそのままに、最高級のビスクドールなど足もとにも及ばない肌のきめ細やかさが、独特の凄絶なまでの美貌をかたちづくっている。

「お姫様、みたい」

 王子様とお姫様のステージ。
 全盛期のトゥルーホワイトは、本当にすごかった。本来ならば、Aランク一位の座は、彼女たちのものだったはずなのに。

 菊地真のステージを、あれだけ派手にぶち壊しておいて、なんの負い目も感じてはいないようだった。たしかに、彼女は手を下していない。それでも、自らがトリガーになったという自覚がないはずはない。

 私が知っているころの彼女ならば、ふるえて、泣き出してしまっているだろう。彼女が、プラチナリーグに籍を置いていたのは、ほんの二ヶ月足らず。
 
 なにが、あったのか。
 それから先のことを、私は知らない。
 萩原雪歩。菊地真。秋月律子。この三人は、ブルーラインプロダクションの、同期だったと聞いている。
 
 萩原雪歩がいなくなったあと、菊地真はブルーラインプロダクションを辞め、一度は演劇や舞台に身を投じようとしたらしい。

 そこから、彼女を拾い上げたのが、エッジプロダクションの羽住社長。菊地真のファンならば、誰でも知っているぐらいの、有名な話。

 逆に言うならば、これ以上のことは、誰の口からも語られていない。

「真に、会いに来たの? 入れないというのなら、手を貸すわ。更衣室まで、連れて行ってあげることもできる」
「いいえ。パスは持っているんですよ。律子さんからいただきました」

 ──秋月律子。
 彼女の差し金らしい。半分ぐらい、予測できていたことではあった。菊地真が崩れて、一番都合のいいのは、ナナクサのプロデューサーである彼女である。

 ただ。
 秋月律子は。
 ここまで手段を選ばない子だっただろうか?

 合理的な娘ではあったが、菊池真と萩原雪歩に対して、なにかそれ以外の感情があるのではと思ってしまう。そう対戦相手としての敵意ではなく、たとえるならば黒く粘つく呪いのような。












「真ちゃん。久しぶり」
「雪歩?」

 菊地真が、絶句していた。
 幻ではなく、本物の彼女がそこにいた。

「雪歩。うん。よく戻ってきてくれた」

 警備員にパスを見せて、控え室に入ってすぐに、萩原雪歩は菊地真に抱きしめられていた。
 くしゃくしゃに表情を歪める真に対して、萩原さんの反応は薄い。抱きしめられるのを拒絶するまではいかないが、なにか、彼女の瞳には光がない。

 ──胸が痛い。
 動悸が強まっていく。

 なぜか、今の萩原さんに、私に別れを告げたプロデューサーの姿が重なる。不吉だった。知らず、声を荒げたくなる。ううん、そんなことをしても、待ち受ける結末が、変わるわけでもないのに。

「大丈夫。戻ってくれば、すぐにそのまま始められるようになってる。師匠も認めてくれているし、雪歩がいれば、ボクは誰にも負ける気はしない。ボクは、ずっと、雪歩の帰りを待っていた」

 真は、無垢な笑みを貼り付けながら、そういった。その表情の下に、どれだけの渦巻く感情を溜め込んでいるのか、私には想像することしかできない。

 今までなにをしていたのか。あのとき、どうしてなにも言わずに消えてしまったのか。ううん、そんなことはいい。できるなら、もう一度、いっしょにユニットを組みたい。でも、断られたら? 

 断られたら?
 断られたら?
 ──もし、断られたら?

 見ると、菊地真の体は小刻みに震えていた。つっかえず、言えたのは、あらかじめ、その台詞を用意していたからなのだろう。こういう場面を想定して、ずっと心のなかで繰り返し続けてきたことは、彼女の様子を見ればわかる。

 ──だから。



「あはは。真ちゃん。なに、それ?」



 萩原さんのその返答も、半ば予測できていたもののはずだった。

 その問いは、これ以上なく深く、菊地真の心臓を抉った。
 その言葉に、悪意があったかはわからない。しかし、人を傷つける言葉があるとして、今の台詞はそのなかでも、最上位に近い。

「あのね。真ちゃん」

 穏やかな声だった。
 やさしげな声にすら聞こえる。まるで、たった今、修羅場を演じているとはとても思えない。

「私、真ちゃんに隠していることがあるの」
「う、うん」
「そして、それは真ちゃんには言えないし、私ひとりが抱え込んで、付き合っていくしかないの」
「雪歩。それ、ボクにできることは?」
「なにもないかな。だから、ごめんなさい。あのとき、逃げ出してごめんなさい。こんな私を、もう一度、誘ってくれて、涙が出そうなほどうれしいです。きっと、私は真ちゃんと同じで、真ちゃんがずっと考えてきたように、この言葉を伝えなきゃいけなかった」

 わずかに、萩原さんの声に、感情の色が混じる。

「でも、私は逃げ出したの。私が弱かったの。私がね、──全部、悪いの。結局、いままでかかっちゃった。
 だから、ごめんなさい。私はもう、真ちゃんと同じステージには立てません」

 萩原さんには、強い決意の表情があった。

「ごめんね。真ちゃん。──でも、それでもほんのひとときでも、真ちゃんと同じ夢を見られて、しあわせでした」

 だから、と。
 蒼白になっている真に、萩原さんは最後の別れを告げた。



「ふたりのトゥルーホワイトは、これで本当に終わり。だから、私のことは、はやく忘れたほうがいいよ」







[15763] stage5 Relation 11
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:e88d229e
Date: 2010/10/31 04:27



 萩原雪歩は、さよならと一言告げて、観客席へと戻ってしまった。
 私は、気落ちする真に別れを告げて、ひとまず控え室まで戻る。

 問題はそのあとだった。

 二回戦。
 第二試合の結果が、発表される。

 Aランクアイドルを失格、とするのは興行的に許されることではなかったらしい。失格でもステージ放棄でもなく、トゥルーホワイトは、三回戦進出を辞退した、という公式発表がなされた。

 それは、あれだけの滅茶苦茶なステージを演じてなお、160対40+20でトゥルーホワイトが集計結果で上回ってしまったことを意味する。前向きに考えるのなら、三回戦で菊地真の新曲をもう一度聞きたい、というファンの声なき声なのだろう。

 ファンにとって、Aランクアイドルが、どれほどの存在なのか、間接的に証明したことにもなるし、一回戦でトゥルーホワイトと当たった小早川瑞樹が、どれだけ善戦したのか(トゥルーホワイト150対小早川瑞樹50)を示す結果でもあった。

 ともあれ。
 これにより、律子率いるナナクサが、私たちサザンクロスに続き、三回戦へとコマを進めた。

 そして、残る席はふたつ。
 
 次は、二回戦第三試合。
 相打つのは、ハニーキャッツととらじまー。
 このふたりに与えられる席は、ひとつだけ。

 そして、おそらくは、見られるのだろう。

 ──ここで。

 一回戦のステージは、相手が弱すぎて、披露できなかったとして。

 プロデューサーの夢が。
 私たちの夢と、これまで積み上げてきたものすべてを押しのけて、彼がつかもうと思ったものが。
 おそらく、私の才能のすべてと、積み重ねてきた努力をすべてを賭けて、届かなかった領域の、その一端が。

 観客席の、手すりをつかむ。
 証明が消えているために、私の姿も目立たないだろう。ふと、一房、頭から飛び出た触角みたいな髪の毛が、ふるふると震えていた。
 視線を下に落とす。

「あらー?」

 向こうも、こちらに気づいたらしい。
 そこで、見慣れた姿が目に飛び込んできたため、自分の目を擦ってしまった。

「あらあら。千早ちゃん。ひさしぶりねー」

 今日は、本当に珍しい人に、よく会う日だった。

 三浦あずさ。
 元、『ギガス』プロダクションの歌姫。私の目標としているアイドルマスターのタイトルホルダー。

「そういえば、千早ちゃんに伝えたいことがあって」
「なん、ですか?」
「あなたがいま教えている星井美希ちゃんは、金田城一郎の担当アイドルよ」
「え?」

 さらり、と、このひとはいつも突然に私の心をざわつかせる。
 そうだ。決まっている。
 この人が目の前に現れた理由。
 なにか、大事なことを伝えにきたに決まっている。

「美希ちゃんに悪意もなかったと思うし、ごまかしたとしたら、それは貴方を思ってのことだったはずよ。口止めされていたし、伝えようか悩んだけど、後でこじれるのも嫌だし、ここで伝えておくわね」
「そう、そうですか。美希が」

 一瞬、立ちくらむ。
 思考が、一瞬だけ真っ白になった。

「ショックかしら?」
「いえ。本当は、思い当たることがいくつかあります。ステージの上での癖も、知っている人のものでしたし」

 言うまでもない。
 目の前の、あずささんが動きを仕込んだのだろう。指導者の癖のようなものは、どうしてもアイドルに反映されるし、見る人が見れば気づくほどの大きなものになってあらわれる。

「だったら、彼女に塩を送るのはやめるべきじゃない? 美希ちゃんの味方としては、ほんとはこんなこと言うべきじゃないけれど」
「美希は、後輩です。彼が、プロデュースをしているのなら、なおさらです。いまさら、態度を変える理由がありません」
「ううん。そういう意味ではなくてね」

 あずささんは、目線を窄めて、言いにくそうに口を開いた。



「後輩に気を遣われるあなたが、とても惨めだから」



 はたして、私は、今、どういう表情をしているんだろう。人に褒められはすれ、教師や弁護士、公務員などと比較すると、とても誇れるような仕事ではない。
 それでも、プライドはある。
 彼女が、わざわざ私に会いに来た、ということからして、嫌がらせをしにきたわけでもないのだろう。

「そう、見えますか?」

 空回り。
 自分の中の車輪が、空転しているという感覚は、ある。

「彼は、近いうちに、全盛期の如月千早以上のアイドルを、造り上げるはず。敵に塩を送っている間なんて、千早ちゃんにはないんじゃないかしら?」
「いえ、多分、きっと美希のプロデュースを引き受けたのは、私自身のためです。いまの私自身に、自信がないから、せめて、私にできることをしようとおもったんです。足掻いている美希の背中を押してあげれば、私自身が、なにか掴めるかもしれないって」
「それは、なんというか、とても後ろ向きな考えね。美希なんて軟体生物、蹴り倒しておけばへこんでも翌日には元に戻ってるってのに、とか伊織ちゃんなら言いそうだもの」
「は、はぁ」

 いまいちわからないが、私のやっていることは、やっぱり空回りらしい。

「そんなことは、あなたの仕事ではないわね。そんなことは、引退した私のような人間の仕事よ。引退したロートルが、暇つぶしにやるようなことが、果たして今、千早ちゃんがやることかしら?」
「そう、ですね。これは、逃げなのかもしれません」

 でも。
 なら、どうすればいい?

 さっき、あずささんの会話の中で、全盛期の私なら、という単語があった。彼女がそんな失言をするはずがない。意識的に会話のなかに滑り込ませたことは明らかだった。

 全盛期というものが、プロデューサーがいたころの私だとするなら、『今』の私に、いったいなにが足りないのだろう?

「わかりません。プロデューサーがいなくなって。ひとりでやっていくって決めて。それでも、失ったものが、なんなのか。私にはわからないんです」
「千早ちゃん。それは」

 あずささんの言葉が、そこで断ち切られる。

 ハニーキャッツの、ステージがはじまった。観客は、まだざわめいている。A級アイドルの直後、という順番は、ほぼ最悪といっていい。

 ひどいステージだった。
 音をはずしている。歌の始まりから終わりまで、小さなミスと大きなミスは数え切れないほど。

 それでも、怒濤のような音楽が、畳みかけられるように続いていく。高槻やよいがふわふわと歩いて、水瀬伊織がきらきらと繋いでいく。──歌。歌、なのだろうか、これは。

 きらめくようなステージだった。
 会場の熱気を誰よりも強く振りまいている。高槻やよいと水瀬伊織のふたりは、これまで登場した誰よりも楽しそうに、誰よりも熱く、元気そうに飛び跳ねている。

『Do-dai』

 普通の女の子が、普通に恋をする話。
 殴りつけられるようなインパクトはないが、楽しさが、徐々にしみこんでいくようだった。

 そして、直後のとらじまーのステージとあわせて、圧倒的な知覚情報に翻弄される一〇分が終わる。

「なによぅあれはー。あんなの聞いてないのにー」

 不覚にも、気づかなかった。
 近くで、今のサザンクロスのプロデューサーである藪下さんが、手すりに垂れ下がって駄々をこねている。

 ステージの結果は、ハニーキャッツ170+20対とらじまー30と、ハニーキャッツの圧勝で終わった。

「なんなのよーあれはー。なんであーゆーステージを成立させちゃうのよ計算外よ計算外。誰が責任とりなさいよ」
 
 藪下さんが、くきゃーと吼えていて、とてもうるさい。

「あの、藪下さん?」
「如月さん、なによあれ。なんでああなるの?」
「はい。まったくわかりません。一見、際立ったところなんてないんですが、ステージ後に全体を思い返すと、いやに印象的で」

 目立った差はない。
 技術などは、圧倒的にとらじまーが上だった。

「なによ。如月さん。そんなこともわからないの?」
「ええと」

 どうやら、藪下さんは理由がわかったうえでのた打ち回っていたらしい。
 どっと、肩から力が抜けてしまう。この人と話すのは、どうしてこんなに疲れるんだろう。

「まったく、ずっと疑問だったのよ。『あの』水瀬伊織が、あえて高槻やよいをパートナーに選んだのか。情で動かされるタイプじゃあなかったようにおもったし、それでも情をとって、足を引っ張られる結果になるなら、そこを突破口にしなければいけないとおもってたのにー。あー」

 藪下さんは、自分の髪をわしゃわしゃとかきむしっていた。

「なるほどね。たしかにこんなステージ。演じられるのは彼女だけね」
「あの、彼女というのは」
「高槻やよいのことよ。決まってるでしょう」
「やよいちゃんは、特別な才能はほとんどないけど、ひとに愛される才能に特化してるものね」

 あずささんが、話を繋いでくれる。初対面のはずのふたりが、儀式的に挨拶をかわすのを、私はなにをするでもなく見ていた。

 人に愛される才能。
 そんなものが、果たして存在するのか。
 いや、違う。たしかに、目の前のアイドルマスターを冠する女性は、たしかにその才能を、存分に見せ付けていたようにおもう。

「あれは、すごいアイドルね。みーたん(西園寺美神、ワークスプロダクション社長)ももったいないことしてるわね。あれを冷遇するって、どういう判断なのよ一体」
「そうですよね。あんなステージ、全盛期の如月千早でも不可能だとおもいますし」
「な」

 困ったように、あずささんが眉を寄せている。
 あてつけるような言葉だった。技術的に、なんら問題はない。あずささんがあえて、私の前でこんなことを言うとすれば、あのステージに、私の求めていた答えがある、ということだろうか?

「それは、どういうことです?」
「まず、会場はね。殺気立ってさえいた。原因は、Aランクアイドルの菊地真の騒動。引き起こされたアクシデント、菊地真の進出辞退という、納得のいかない裁定。けが人も出ていた。そんな殺気立ったステージで、千早ちゃんはどうするかしら?」
「完璧な歌を歌います」

 私の答えは、いつも変わらない。
 ベストなパフォーマンスをすれば、観客は必ずわかってくれる。

「ん-。そうよね。普通はそうなるわ。水の流れのように、会場の悪意は弱いほうへと流れていくから。そして、悪意の矛先をバトンリレーするみたいな感じかしら。悪意はやりすごせても、なくなりはしないから、アイドルたちで会場の悪意をレシーブし続けるみたいな」
「悪意の、押し付け合いってことですね」
「いままでの彼なら、如月千早と金田城一郎なら、そういうステージをしていた。でしょう?」
「はい」

 プロデューサーなら、嬉々としてやりそうだ。
 技量次第で、回避可能なロシアンルーレットのようだった。目を閉じて、藪下さんが、あずささんの言葉を引き継ぐ。

「でも、その悪意。高槻やよいが全部、ステージで吸収して全然別のものに変えてしまった。今のプラチナリーグで、そんな芸当が可能なアイドルは、Aランクにだって、ひとりもいない。いるとしたら、かつてのアイドルマスターぐらいね」

 たったひとり。
 私の目標とする、アイドルマスターの称号を受け継ぐ、ただひとりの女性。

 なにを思っているのかわからない。そう、そうだ。いまさらながらに気づいた。

 私は、さきほどのステージに、かつての三浦あずさの片鱗のようなものを感じたのだ。

「彼女は、それほどなんですか?」
「やよいちゃんはね。なんていうか、プロデューサーさんが、三十人ぐらいを集めて三時間ぶっつづけでレッスンをしたあとで、この三時間、一瞬たりとも、気を抜かずに胸を張って、指先まで神経を使って、踊れたやつはいるか? っていうと、やよいちゃんだけが普通にはいっ、って元気よく答えるのよね」

 どこが、才能がない、だ。
 そういうのを、本物の化け物というのではないのか?




 




 二回戦第四試合も終わり。三回戦の抽選へと移る。
 舞台のうえで、星井美希と水瀬伊織が、すでに火花を散らしている。まぶしさに、目がくらみそうだった。準決勝、セミファイナルの組み合わせは、あらかじめそう設定されていたように、すんなりと決まった。



 準決勝第一試合。



 ハニーキャッツ<Fランク>

 VS

 サザンクロス<Eランク>。



 準決勝第二試合。



 ナナクサ<Bランク>

 VS

 クララララス<Dランク>



 この準決勝まで勝ち上がってきた四ユニットのうち、それぞれ対戦する二ユニットの、どちらかがここで消えることになる。











[15763] stage5 Relation 12
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:e88d229e
Date: 2010/10/04 02:21






 まるで、付け入るスキがない。
 
 準決勝、第一試合は、すでにハニーキャッツの独壇場だった。客たちの声援を、完全に追い風につけている。

 アイドルとしての技倆に、目を見張るなにかがあるわけではない。特別な仕掛けが用意されているわけでもない。それでも高槻やよいと水瀬伊織は、煌めく空気にふちどられたように、際立ってみえた。

 ──魅力的だ。
 そういう表現しか浮かんでこない。
 会場の視線を一身に浴びて、ふたりは王様のように振舞っている。

 普段の姿と、ステージでは、まるで別人。
 アイドルを語るうえで、そういうフレーズは、よく聞く。

 アイドルなら、誰しも経験があるだろう。よく、歌にだって歌われている。普段なんの取り柄のない私でも、ステージの上では、輝けるの、と。

 それはすべてのアイドルが、目指すべき基本といっていい。その理想の自分を演じるために必要な技量と説得力が、そのままアイドルの力量に直結する。

 けれど、高槻やよいには、そのような雰囲気は、いっさいなかった。普段の日常と、ステージの上で、彼女の動きには、まったくズレがない。
 それは、ただなにも考えていないのか。それとも、理想の自分と、日常での自分に、1mmのズレもないということなのか。

 そうだ。
 とにかく、高槻やよいの強さの根源はこれだ。藪下さんとあずささんが評価した、『人に愛される』才能とは、これのことを指すようだった。

 けれど、こんなパートナー、誰でも持て余すだろう。とびっきりの天然素材だ。宝石は、美しければ美しいほどに、僅かなキズが目立つことになる。しかし、ハニーキャッツのもう片方は、その輝きに目がくらむこともなく、その抱えるべき重みを、なにひとつ苦にしていないようだった。

 水瀬伊織は、とにかく、姿勢がいい。
 これは、天性だろう。
 自分をよく見せる才能がある、というより、自分を魅力的に見せるために生まれついているようだった。彼女の動作のひとつひとつが、兎角、基本に忠実だった。

 歳のいった人たちや、頭の堅い人々が嫌うような、『みっともない』動きというものが、まったくない。ある意味、教科書に載っている、正確なビジネスマナーのようだった。ファッションモデルみたいな美しさとは、まったく違う。美しくあることへの、不断の努力を続けていることを、彼女は全身で示している。

 たとえば、おじぎをするときには、まず相手の目を見る。踵を相手の正面に。手をポケットのあたりに。一度目を切って、直角に腰から一直線に頭を下げる。同じスピードでゆっくりと。頭を下げきったところで、一度動きを止める。同じスピードでまた頭をあげる。相手の目を見る。

 なにげなくやっているおじきひとつに、これだけのルールがあり、ひとつ欠けただけで美しく見えないといわれている。

 歩くこと、笑うこと、日常のなにげない動作、ひとつひとつに作法があるように、彼女はそのすべてを、息を吸うように自然にこなしていた。

 うまく、説明ができない。

 あえて、説明をするのなら、ええと、育ちがいい?

 温室で純粋培養されたお嬢様というのは、こういうのを指すのだろうか? 歩き方ひとつとっても、普通とは違う。水瀬伊織の靴の底は、きっと均等にすり減っているだろう。

 補正された動きではなく、それは、彼女の生き方そのもののようだった。

 高槻やよいと、水瀬伊織。
 別々の光を放ちながら、互いに矛盾することなく互いを引き立てている。付け入る隙がない。

 ──このまま最後まで、この質が維持できるのなら、それは、私たちサザンクロスの付け入る隙などなく、ハニーキャッツの圧勝で終わっただろう。

 曲が三分を過ぎたあたり、二番目のサビにかかろうとしたところで、水瀬伊織の身体が、ぐらりと揺れた。立て直す、が──それでも苦しそうだった。楽しそうな曲に乗せて、この曲にアイドルの表情は生命線だろうに、彼女はそれを維持できていない。

「──スタミナ切れ、かしら?」
「え、まだ今日三曲目だよ。この間、ミラーズとの対戦で、八曲連続で歌っても、全然平気だったのに」

 ──プレッシャーだろうか。
 いや、そういうのではないだろう。見る限り、明らかにキレがない。隣の高槻やよいの動きと見比べてみて、一歩動き出しが遅い。体力はまだあるとして、気力が限界に達しているようだった。

「正真正銘。ガス欠のようね。プレッシャーに押し潰されて、ペース配分を見誤った、というところかしら」

 藪下さんは、そう分析していた。

「ううん。違うよ。おでこちゃんが、そんな普通の人間みたいな理由で潰れてくれるわけないと思うの」
「あらあらー。美希ちゃん。それは失礼よ。伊織ちゃんも、もしかしたら普通の人間みたいなところもあるかもしれないじゃない」

 美希は、すでにあずささんと普通に話している。会話が、普通かどうかはさて置いて。
 さきほど、美希はあずささんを見た瞬間に、ひぃっ、と幽霊でも見たような顔をしたあげく、とりあえず外人のフリをして誤魔化そうとしたあげく、散々悪あがきしていたとか、そういう事情もあったのだが、私の様子を見るにあたり、ようやく観念したようだった。

「伊織さんの失速の理由ですが。なんとなく、見当はつきますけど?」

 佐野美心は、しゅぱっと手をあげていた。

「え、ホント?」
「おそらく、原因は三回戦の抽選のときでしょう」
「あ、アレで?」

 ──私は、そのときのことを思い返してみた。

 準決勝の抽選にもなると、ステージの上にいるアイドルの数も限られてくる。その上にいるのは、星井美希、水瀬伊織、クララララスのリーダー、そして、ナナクサから、夕木瀬利香(せりか)の、四人となっている。

 そのまま、一回戦終了後の抽選と同じく、試合を行った順でガラポンを廻すことになっている。つまりは、サザンクロス。ナナクサ。ハニーキャッツ。クララララスの順番だった。

 選べる枠は、四つ。

 各々の思惑はあるだろうが、私たちとしてはナナクサだけはどうしても避けたい。いや、それはハニーキャッツにしても同じことだろう。
 サザンクロスと、そして、おそらくはハニーキャッツも、共に、同じ曲だけで勝ち抜かなければならないという弱点を抱えている。
 ここでは、まだ同じ曲を続けられるハニーキャッツを引くのが、構図的に一番いい。ナナクサか、クララララス相手だと、二段劣る他の曲を使わざるを得ない。

 なぜなら。
 秋月律子は、案山子ではない。
 観客は、馬鹿ではない。

 このドリームフェスタの入場チケットの代金は、5600円だ。ステージに立つ権利を得た以上、AランクだろうがFランクだろうが関係がない。菊地真がリタイアした以上、それ以上のステージを演じることを義務付けられているに等しい。

 不完全燃焼のステージを演じるぐらいなら、無様に散ったほうが、まだ客受けがいいというものだ。

 はじめに、美希が、抽選機のハンドルに手をかける。

 ガラポンが廻るのと連動し、ステージ上のスポットライトが輪を描く。叩みかけるようなドラムロールとともに、排出口から吐き出されたのは、赤の珠。『一番』の刻印が打ってある。

「ふぅ」
 美希がため息をついた。
 彼女を拘束する観客たちの視線が、いっきに弱まった。
 次は、ナナクサの番だった。ここは祈るしかない。ここで、彼女がハニーキャッツを引き当てる確率は、三分の一。

 吐き出された黄色の珠には、四番の刻印が見える。

 これで、ナナクサと当たることだけはない。当面の最悪だけは、避けることができた。
 そして。
 満を持して、水瀬伊織が壇上にあがる。

 ──大舞台で、映える。
 そういう少女だった。残る珠は、『二番』と、『三番』。

 『二番』を引くことで、私たちサザンクロスと。『三番』を引くことで、ナナクサとの対戦が決定する。

「私は、二番を引くわ」

 司会から、マイクを奪い取って、水瀬伊織は、そう宣言する。会場がどよめいた。会場すべてから、一点に集中する視線の圧力が、ほんの一瞬だけ、数千倍にも高まった。その視線をまったく意に介さず、水瀬伊織はマイクを司会に放り投げる。

 急ぐでも、ゆっくりでもない。
 動きにリズムがあった。
 なぜか、彼女には、こういう光景が似合っている。

 抽選器の前に立ち、彼女は目を閉じる。
 なにに祈っているのかは、私には分からない。
 そして──運命の賽子に託すみたいに、ハンドルに手が添えられる。

 ──青の珠が、吐き出された。
 水瀬伊織の全身に、珠の汗が滲んでいる。一瞬で、相当な消耗があったらしい。予言は、そのまま的中する。転がって落ちた青の珠には、当然のように、『二番』が刻印されている。

 ──会場全体がざわめいた。

「そんな」

 私は、小さく叫んでいた。

 いや、理性はわかっている。

 ──偶然だ。
 彼女のその行為も、強い祈りも、フィフティーフィフティーの確率を、一厘たりとも引き上げるものではありえない。

 この結果に働いた力なんて、万有引力と摩擦係数とわずかな空気抵抗ぐらいのものだろう。

 きまぐれに、運命は片方を選んだだけだ。そこに、水瀬伊織が介入できたことなど、なにひとつない。

 二分の一の確率。
 それを引き当てただけで、不思議な力や、超常的な力なんて、一切働いてはいない。もし外した場合、水瀬伊織は、不思議そうに首をかしげて、今日は調子が悪いようだわ、と言い訳を並べたのだろう。
 そして、それは会場にいるほとんどの人間がわかっている。

 けれど、その上で。
 今現在、この会場にいるすべての人間が、水瀬伊織がこの結果を引き寄せたのだと信じたのだろう。














「ああいうのが、カリスマというのかしら?」
「伊織さんが、失速したのは、あの時点で、細胞ひとつひとつから、エネルギーを搾り出した、正しい代償だと思います。あの『二番』のボールを引き当てた瞬間、一瞬で1000カロリーほどの熱量が、彼女の身体から溶け消えた感じでしたし。あくまでイメージですが」

 美心は、そう解説していた。
 うん。イメージとしては、なんとなく理解はできる。 

「つまり、彼女は本来、払う必要のない代償を支払って、その結果、ガス欠に陥っている?」
「馬鹿馬鹿しい、なんてとても言えないわね。あの光景があってこそ、客があそこまで盛り上がっているわけだし。あそこで、運命だと信じさせるからくりがひとつでもあれば、この会場にいる全員が、水瀬伊織の虜にされてるわよ」

 藪下さんの言葉も、あまり耳に入らなかった。

 ──まるで、理解できない。
 いや、理屈としてはわかる。けれど、私には、そんなことは天が裂けてもできないだろう。

 これをやる精神状態とは、いったいどんなものなのだろう? 迷いもあっただろう。そもそも、どういう前提が先にあって、どういうそんな行動に出たのか。私には、まったく理解が及ばない領域の話だった。

「おでこちゃんはね」

 私の疑問に答えるつもりでもなかったのだろうが。
 美希が、ぽつりと呟いた。

「連絡ひとつよこさないミキの、約束を守ってくれたの。やよいから聞いたんだけど、ミキが間に合わなかった予選でも、番号札を交換してもらって、最後まで待ってくれていたみたい。──だから、きっと、今回もそうだよ」
「それは、あなたのため、ということ?」
「うん。ここで当たらないと、もう勝てるかどうかわからないから。おでこちゃんなりに、精一杯のことをしてくれたんだと思う。すごく嬉しいけど、でも、うれしがってるだけじゃあ、ダメだよね」

 ハニーキャッツに、勝つ。
 ひいては、水瀬伊織と高槻やよいに勝つ。
 美希の目標は、ドリームフェスタを制することではなく、たったそれだけだと聞いている。

「少し前までのミキなら、こんなとき、どうすればいいかわからなかったけど、今は違うよ。いつまでも、のっかったままじゃ、ダメだよね。ミキは、ここにたどりつくことを目標にしてきた。この勝敗自体には、なんの意味もないって思ってた。でも、当たり前だよね。そんなの。意味をもたせるのは、自分自身なんだから」
「その理由は、見つかった?」
「うん。自分なりに意味をもたせて、それで勝てたらなって、思うの。そして、もしかしたら見ているひとに、それが伝わったらサイコーだよね」

 美希の、決意の表情。
 それを見て、私は、ようやく悟っていた。
 そう、ね。元々、私が美希に教えるコトなんて、なにひとつなかったのかもしれない。

「なら、やることはひとつですね。勝つことで、証明しましょう」

 美心は、がらりと雰囲気を変えていた。
 玩具で遊ぶ子供みたいに、無邪気な表情になっている。彼女も、相当な気分屋だったが、美希の決意に感じ入るところがあったようだ。

「私が、リズムをとります。二回線と逆になりますが、美希さん。ついてこられますか?」
「うう、ちょっとちょっと、美心が、ようやく本気と書いてマジになってる」
「うん。絶対勝つから。誰にも遠慮しないで、誰にでも分かるように、勝つよ」
「はい。ここで、すべてを出し切るつもりで」

 サザンクロスの名前がコールされる。
 すでに、客席は暖まっている。ここで、足りないものはなにひとつない。私は、花道を歩く美希と美心を見送った。

 そして。
 いつのまにか、私自身のからっぽの空洞が、キレイに埋まっていることに、一拍遅れて、ようやく気づきはじめていた。












[15763] stage5 Relation 13
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:e88d229e
Date: 2010/10/31 04:51






 それからの美希と美心は、神が憑いたようだった。
 ステージを縦横無尽に使った三次元的な踊りと、完璧なパフォーマンスを最後まで力尽きることなくやりとげ、サザンクロスは、ハニーキャッツを大差で下した。

 そしてサザンクロスは、結局、決勝で敗れた。

 もうひとつの準決勝。ナナクサは、準決勝でクララララスに破れることになった。勢いがクララララスにあったとはいえ、ステージ上の完成度や、全体の質の高さは、歴然としてナナクサに分があった。

 けれど、それは時として勝敗と直結しない。
 ステージの外にあったものが、結果として明暗を分ける結果になった。

 誰にでもわかるぐらいの実力差があってなお、環境次第で敗者に転落するのが、ドリームフェスタの、ひいては一発勝負の怖いところなのだろう。

 ナナクサがヘマをしたわけでもなく、クララララスがなにかをしたわけでもない。強いていうのなら、敗れ去ってなお権威を失わない菊地真の執念のようなものだった。

 菊地真のステージが壊れたことによる観客の不満が、すべてナナクサに流れ込むことになった。

 ステージの外で、彼女が、秋月律子が関与できない場所で、すでに勝敗はついていた。因果応報、なのだろうか、これは?

 こういうことがあるから、Aランクアイドルは、別格だといわれる。Aランクアイドルが、所属するプロダクションの色を決めるし、大会にAランクアイドルが出るというだけで、洪水に見舞われたかのように、環境が激変する。地球全部が温室効果で寒冷化し、全土が氷河期に突入してしまっているみたいに、生存するための方法を、ゼロから見直さなければならない。

 律子も、罠を仕掛けるのなら、ここまでを見据える必要があったのだろう。いくらなんでも、あまりに酷な話なのだが。

 ともかく、これがドリームフェスタだ。

 私たちは、常に、先の見えない勝敗の世界にいる。
 ドリームフェスタでは、一番強いものが勝ち残ることはない、というジンクスがある。強いものは、実力を発揮できなかったり、アクシデントがあったりする。一番、運のいいアイドルユニットが勝ち残るといわれているし、過去二回の優勝ユニットは、二組ともそうだった。

 誰が勝っても、おかしくない激戦のなかで、クララララスが、栄冠を手にすることになった。

 準決勝と、あと決勝は、どちらも、相手側に勝利を譲ってもらった、みたいな形だったのだが。

 それで、私たちサザンクロスなのだが。
 ボロ負けした。火の通っていない料理みたいな、勝敗以前の問題だった。彼女たちのパフォーマンスは、モチベーション次第なのだろう。

 星井美希と、佐野美心。まるで共通点が見つからないと思っていたふたりだが、本質的にはかなり似通っていたらしい。ハニーキャッツに勝って切れた集中力を、本人は取り戻そうと努力していたようだったが、それもかなわなかったように見えた。

「もうやることないわね。ああ、のんべんだらりとできるってのは素晴らしいわ」

 藪下さんは、空気の抜けた風船のようになっていた。
 この先のボーナスの査定が、満足できる結果に収まりそうらしい。

 そして、ステージでは、すでに閉会式が始まっている。
 三位までの表彰と、抜き打ちで発表される審査員特別賞やMVPが発表され、実行委員長の挨拶がさきほどから続いている。

 この時間は、大多数のアイドルたちにとって、多重の意味で苦痛だった。全校集会を思い出す。どうして、仕事でまでこんなことをやらなければならないのか、と思っているアイドルが圧倒的だろう。

 けれど、閉会式にこそ、アイドルの背骨がみえる。私は、プロデューサーに、そう教わった。

 予定調和の閉会式前には、観客が、ごそっといなくなる。退出時の混雑や、満員電車にすし詰めにされるのを嫌ってほかの客より早めに出ようとするためだった。見ていても、なにかサプライズがあるわけでもない。見ている観客でさえそうだ。

 私と同年代の少女たちにとって、立ったままで、主に自分以外の表彰式を見ているのはかなりの負担だろう。MVPや審査員特別賞がなければ、みんな帰ってしまっているはずだ。

 けれど。
 プロデューサーが、私を見定めたのは、とあるオーディションの閉会式の時だった、らしい。誰かを祝福できないものは、誰からも祝福されない。そういうことを言うわけではないが、誰だって経験があるし、知っているだろう。

 高校などの全校集会で、数十分の間、微動だにせず最初から最後まで集中を切らさず、そこに立っていることが、どれほどの困難を伴うものか。

 最後のほうになると、頭が動いていたり、体が傾いていて、あまり美しい光景だとはいえない。けれど、ほとんどのアイドルは、わかっていない。これは、中学や高校の全校集会ではない。死闘が繰り広げられた一日を締めくくる大切な儀式で、決して、軽視していいものではないはずだ。

 そんななかで、彫像のように動かず、祈りを捧げているように見えた私は、すいぶんな実力者に映ったらしい。まるで順風とはいえない『ギガス』プロダクションに舞い降りた、女神みたいだった、というのはどこまで信じていいかわからないプロデューサーの談だった。

 プログラム通りに、表彰式はすすんでいく。
 祭りの終わりが、すこしずつ近づいている。

 浴びせかけられるフラッシュと、スポットライトのひかりのなかで、様々な感情を見せるアイドルたちを、私はただ客席から見ていた。影絵のような観客たちが、それに彩りを添えている。どんな理屈をつけようと、その輝きは、今ここにいる彼女たちにしか出せないようなものだった。







「うむ三人ともよくやった。このEランク昇格を祝う意味で、寿司につれてってやろう」
「え、えええーっ。ホントですかっ!!」
「あっはっはっは。メロンはひとり一皿までだぞー」
「はーい。うれしいなぁ。ねえ伊織ちゃん。お寿司だって」
「メロン、ねぇ、美希。寿司屋で、メロンなんで出たかしら」
「あふぅ。おでこちゃん勘違いしてると思うの。おにーさんが言ってるのは、近くにある、一皿80円のあそこだよ」

 プロデューサーと、水瀬伊織と高槻やよい。そして、星井美希が、わいわいと騒いでいた。

 つわものどもが、ゆめのあと。

 観客がすべていなくなった体育館には、ホタルノヒカリが流れていた。黒い関係者用のシャツを着たスタッフが、撤収の準備をはじめている。輝くようなアイドルたちの時間にかえて、彼らの仕事はここからはじまるのだろう。

 代々木第一体育館では、明日も別のイベントがある。地面に縫い付けたケーブルひとつ回収するのも一苦労のはずだ。ドリームフェスタというゆめのざんがいを、今日中に撤去しなければならない。

 ほとんどの関係者は、もう退場したあとだった。すでにステージの熱は、ほとんど醒めていた。暗い観客席で、ステージに視線を送ったまま、椅子に腰掛ける佐野美心は、まだ終わらない夢に浸っているみたいだった。

「あなたは、あそこに混じらなくていいの?」
「はい。ええ。とくにお呼びではないようですし。それに」

 ステージ横で、ハニーキャッツのふたりと一緒にいる美希は、随分と生き生きとしていた。彼女の本来いるべき場所に、すっぽりとはまったようだった。

「私の居場所は、あそこではありませんから」

 美心は、サバサバしていた。
 さっきまでと違って、なにかふっきれたように見える。
 それはあくまで私の印象で。
 美心の眼鏡の奥の瞳から、特定の感情を伺うことはできなかった。

 さきほどまでの光景を、思い出す。

 鼻水を垂らして、表情をくしゃくしゃにして、美希は水瀬伊織と高槻やよいに抱きついていた。あの光景を見るだけでわかる。美希が、どれだけの覚悟で、このドリームフェスタに臨んだのか。どれだけのものを賭けたのかが、よくわかった。

 彼女は、仲間に恵まれていて、それをすべて受け取れるぐらいの器の大きさも備えている。器量もある。運も、不運も、降りかかってくるすべてを、自らの試練だと開き直れるぐらいの、強さがある。

 最初から、あの三人には、ほかの誰かが入る隙間なんて、なかったのかもしれない。

「強がりとかではないんですよ。別に、星井さんは素晴らしい素質があると思ってますけど、ユニットを組もうと思ったのは、実は、直感ではないんです」
「なにか、別の理由が?」

 佐野美心。
 これほどの素材が、未だに無名でいるのは奇妙というしかない。とはいえ、これは本人の性格が影響しているようだった。
 隠していた力の、器の底までを曝け出したことで、限界が見えるどころか、一回り成長したように見える。近いうちに、美希と違ったかたちで、私の前に立ちふさがるかもしれない。

「あるユニットから、誘われているんです。そこは、あまり評判はよろしくはないんですけど、本人たちの実力だけは一級のようで、迷っていたんですよ。コインの裏表を占う意味で、美希さんの誘いに乗ったんです。そういう意味では、あの誘いは、実は渡りに船だったんですよ」
「それが、どうつながるの?」
「誘ってくれたそのユニットは、Bランクでも指折りですから。ハイステージで戦うまえの予習というところです。直接Bランクアイドルと対決する機会にも恵まれましたし、思っていたよりずっと収穫は多かったと思います」
「そう」

 彼女は、彼女なりに、前に進もうとしている。そういうことなのだろう。そして、駆け寄ってくる彼女もそういうことらしい。

「千早さん。お世話になりました」

 美希だった。誰も連れだたせずに、たったひとりで、最後の別れを言いにきたのだろう。

「日数も、充分とはいえなかったし、教えられたことは、そんなになかったわ。それでも、なにかひとつでも、私はあなたに、あげられたものはあったかしら?」
「うーん。よくわからないけど、でも、ひとつだけわかったことがあると思うよ」
「それは?」
「歌って踊って、自分を表現するのって、すごく楽しいよね。どんなことがあっても、ミキ、それだけは絶対に忘れない」

 美希は、真剣だった。
 それは、あまりに意外な答えだった。

 そして、
 私は誰かに、
 そんなことを教えられたのか、教えることができたという、自分の可能性に、たった今、気づくことができた。

 そうだ。なにかを教えるということは、そういうことだ。それも、可能性。自分の可能性だ。

 腹の底が、鉛を呑んだように重くなった。
 プロデューサーと別れたときと、同じような喪失感。知っている。私はその感情を、身体で知っている。これは、大事なものに、手が届かなくなる悲しみだ。

 これは、ひとつの可能性の話だけれど、ひとつ選択を違えれば、私と美希のどちらかの進む曲がり角がひとつでも違えば、私は、美希と、ユニットを組む選択肢も、あったかもしれない。

 けれど。
 どんな道程を辿っても。
 彼女は、自分の道は自分で選んで、たったひとりで、自分を魅せることができる。

「そうね。誰に学んでも、どんなステージを経たとしても、ここで、どんな選択を辿ったとしても」

 美希はただ黙って、虫の音を聴くように、私の声に耳を傾けている。

「あなたには最初から、私の助けなんて、いらなかったのよね」

 美希は、私に甘えることだけは、決してないだろう。それだけは、揺るがない。

「千早さんは、プロデューサーさんに、逢わなくていいの?」
「いまはまだ、逢わせる顔がないわ。それに、私だって、限界に近い。顔を合わせたら、泣き出してしまうかも。無事で、彼が彼らしくそこにいる。とりあえず、いまはそれだけでじゅうぶんだから。それまで、ひとまず、美希。あなたに預けておくわ」
「うん。でも、早く迎えにこないと、その約束、踏み倒すかもしれないよ?」
「そうね。そうなるんだから、もう、この瞬間から、美希は私の敵になるわね。私らしくなかったって、そう思うわ。立ち上がることは、赤ん坊にだってできる。あなたに教えるべきだったのは、挫折して転んだときに、口に入る砂利の味だけだったのに」

 彼女は、すでに私と対等の位置にいる。
 そう思おう。どれだけ時間がかかったとしても、いつか、この少女は私の前に立つだろう。

「負けのくやしさなんて、もう二度といらない。気の抜けたステージなんて、一度だけでたくさんなの。次の目標はね、今、決めたよ。うん、近いうちに、おでこちゃんとやよいのふたりと一緒に、誰も否定できないぐらい、立派なアイドルになって、千早さんに勝てたらなって思うの」
「あなたのやるべきことが、ようやく見えたみたいね。じゃあ、私が教えられることは、あとひとつだけ」

 そして、最後だ。
 これが終わったなら、私たちは、完全にオセロの黒と白に分かれる。結局、彼女は、じっと私の目を見つめて、一度も、私から視線をはずさなかった。

「いい兆候よ。もっと焦りなさい。アイドルが輝ける時期なんて、ほんの一瞬。胸に灯った火を消さないように」
「うん。それじゃあ」
「また、いつか、どこかで逢いましょう。できれば、今日のドリームフェスタより多くの観客の前で。落ち合う先は、きっと天のかなたね。できれば、より大きな、煌めくようなステージで」

 

(第一部、完)








[15763] stage6 vs Yayoi takatsuki(vs高槻やよい) 1
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:f1b14d8c
Date: 2012/01/13 10:20

 12月も半ばを過ぎて、それでもなお会場は、敷き詰められた人々の発する熱気が、こちらの肌を灼くほどだった。
 私たちがいるところは、とある県の森林公園である。本来はキャンプ場といったほうが通りがいい。数多くのイベントに使われているみたいで、今もシャトルバスやツアーバスが、続々と観客たちを運んでいる。

 イベントの名目は、ワークスプロダクションのファン感謝イベント、となっていた。名の通ったワークスプロダクションのアイドルはすべて参加となっていて、このイベントの正式名称は、『ARTSTOCK00」というみたいだった。
 
 サブステージであるEASTステージは、すでにワークスのBランクアイドルが客を相手に出し物をしている。一日券で4000円と、そこそこ値は張るようだった。これだけのアイドルを集めてるのだから、高いか安いかは本人たちの気持ち次第だろう。

 さらに各国料理をぼったくり値段で提供するイベントには欠かせない飲食ブース、自販機のジュースは午後をまわるころにはすべて売り切れになって、私にこのイベントの盛況っぷりを伝えてくれる。よしず屋根の休憩所で、休んでいるのもいいし、オフィシャルグッズを販売しているオフィシャルグッズ売り場も見逃せない。
 
 そこで私と美希たちをはじめ、たくさんのアイドルが、ファンたちを迎えている。私を含めて、皆、新規のファンを取り込もうと一生懸命だった。といっても、ほとんどのファンたちは、ただ無言で通り過ぎていくだけ。

「メインステージは、きっと千客万来ね」

 客の大部分が、こちらに一瞥もくれずに通り過ぎて行くだけというのは、わかっていてもいろいろとこたえる。
 私と美希がいるのは、パフォーマンスブースというところだった。
 握手会や撮影会、ミニライブなど、それぞれのアイドルたちが好き勝手な出し物をしている。
 このパフォーマンスブースだけなら、公園入場料500円を支払えば見ることが可能、という、まあパフォーマンスのレベルも推して知るべし、といったところだ。

「美希は、どうなってるのかしらね」
 隣では特設テントの一角のテーブルのひとつを借りて、美希が客寄せをしている。テーブルに顎をつけて軟体動物みたいに体重を預けながら、途切れ途切れに訪れる自分のファンたちに本物の笑顔を振りまいている。
 美希のファンは、ほぼ全員がそこそこ歳のいった男性たちだった。
 菊地真のみならず、ふつうのアイドルでも、だからこそそれらを自らの理想とするおんなのこたちは多い。こういうイベントに足を運ぶ中学生や高校生たちは思っているよりずっと多いし、事実、この場所に集っているファンの四割ほどは女性に属している。

「考えたこともなかったけど」

 それはそれでアイドルのタイプなのだろうし、むしろ正統派といえるのだろう。もっとも、私たち三人はどれもタイプが違う。妹系のアイドル、という風にくくられる私は、ファンのおんなのこたちには、あまり受けがよくない。

 やよいは、むしろ苦手分野がなさすぎてこれもタイプが違う。
 純粋に歌手として生きている如月千早などは、雑念なしに自分を投影できるような女性ファンも多そうだ。ワークスだと小早川瑞樹などがこのタイプにあたるのか。『同性』に嫌われない。私にはまったく必要のないスキルだった。男性ファンの前で猫をかぶることには抵抗はないのだが、女性を相手に猫をかぶることはどうも虫が好かない。

「それで、美希の代表作はこれなのよね」

 DVDのトールパッケージを裏返してみる。
 表紙は砂浜で膝をついて、胸を強調するみたいな水着で微笑んでいる美希の姿。悔しいが、女の私から見ても惹きつけられるものがある。
 裏には印刷された数枚のショットと、14歳、Fカップ、はちきれんばかりの魅惑のカラダ、とかなんとかいうキャッチフレーズが踊っている。

 あざとい。
 けれど、性欲にギラついているようなファンの男どもには、なにより効果的だということはさすがに私にもわかる。
 こういうのは最初にコケると次は難しいというが、プロデューサーの話だと、すでに第二段のオファーが決まっていると聞いた。それ相応に見こまれた、ということだろうか。

「ううー。おでこちゃん。つかれたよー。そこのクーラーボックスとって」
「はいはい。これね。あとおでこちゃん言うな」

 すでに定番となってしまったやりとりを交わしつつ、端に置かれたクーラーボックスの中をあけてみる。中には、冷気とともにババロアやバナナを包んだオムレットなどが詰め込まれているのが見えた。

「………………」

 疲れたのなら甘いもの、というのにも限度があるだろう。一日十八時間寝て、残りの六時間を怠けるためだけに生きているようなこのイキモノが、どうして私ですら羨むようなプロポーションを保持できているのか、さっぱり理解ができない。多分、これから飲食ブースでさらに食い散らかすようなのが簡単に想像できていた。

「もうちょっと、ファンサービスを続けてもよかったんじゃないの?」
「それが、水着撮影じゃなかったから。ファンの集まりがよくなかったよね」
「今回は屋内のイベントじゃないからな。この寒さで水着になれとは言えん」

 器用に、設置されたパイプ椅子に体重を預けて仮眠をとっていたプロデューサーが、目をしぱたたかせていた。

 よくもあんな固いものに座って寝られるものだ。私には一生かかっても体得できそうにない。私たちの仕事中に寝るなんて本来許されることじゃあないのだが、あずさの話だと、適度に休ませないと死ぬまで働き続けるらしいのでこれは仕方ない、のだろう。当然、あずさの緊張感のない間延びしたセリフに、危機感なんてまったくなかったことなんて、いまさら付け加えるまでもないが。

「気温。ねえ」

 手をかざす。すでに季節は冬。真夏にやっていた合同合宿やドリームフェスタが、まるではるか昔のことのようだった。
 晴れていて、それほどの寒さではない、とはいえ、10℃は下回っているのだ。これで水着は無理がある。
 いくら美希でも、風邪のひとつやふたつ引かないとは言い切れない。
 星井美希は、カテゴリ分けするなら、グラビアアイドルの範疇に入るらしい。少年誌の表紙で笑顔を振りまいているアレである。
 
 読者の人気投票で、準グランプリをとって、そこそこ名前は売れてきていると聞いた。さすがに、14歳でFカップというのが武器になっている。というよりは、嫌でも目に入ってくる。いつみてもすごい。どうなってるのよアレ。

「暖かいほうがよかったよね。おかげで、DVDの宣伝もまともにできなかったし」

 珍しく、本当に、本当に美希は悔やんでいた。やよいに追いつこうとする焦りがにじみ出ていた。

「焦っても仕方ない。仕方ないが、わざわざ俺自らがカメラマンをしたんだからな、初監督作品として、売れてもらわないと困る」
「ミキもけっこう際どいポーズとかしたんだから、やっぱりいろんなヒトに見てもらいたいな」
「……ちょっと待ちなさいよ。今、なんて言ったの?」

 なにか、プロデューサーの口から、耳を疑うような発言が飛び出た気がする。

「ああ、俺自らがカメラマンをした、ということか」
「なに衝撃的な事実をさらっと口にしてるのよ。思わず、そのまま流しそうになったわよ。ド素人にカメラマンを任せて、ちゃんとしたものができるわけ?」
「うむ、伊織の懸念はもっともなんだが、予算が五万しか出なかったからな。照明係をひとり雇うのが精一杯だった」
「交通費もでなかったよね」
「ああ、ちょうど千葉のスタジアムに営業かけにいくアイドルとスタッフがいたので、ワゴン車に相乗りさせてもらってな。秋の浜辺はよかったなぁ、ヒトが少なくて。完全にプライベートビデオを撮ってるノリだったけどな。帰りは電車だったし」

 あとは編集で繋ぎ合わせて完成ってことで。そんなことをプロデューサーは言っている。いくらなんでも、ノリが軽すぎはしないだろうか?

「いつからうちのプロダクション、そんなに貧乏になったのよ。一応、そこそこ権力を振るえる四大プロダクションのひとつなんでしょ?」
「いや、グラビアDVDの制作費を削るのは、どこもやってることだ。そもそもグラビアDVDが乱発されること自体、CDを出すより予算がかからないことからきてるわけだし。監督がカメラを回したり、写真集だったらホテルの一室だけで一冊仕上げたり、メイクとスタイリストを兼任したり」
「ひどい商売ね」
「売れないんだからしゃーないだろう。ここらへんはいわゆる底辺の仕事だ。もともと募集をかけたところで、ロクな人材なんて集まらん。まともな撮影技術があるやつは、最初から映画畑に行くし、500枚売れれば元が取れるような、みみっちいアイドルDVDの仕事なんてしないからな」
「聞いてよ。ミキ一生懸命やったのに、ノーギャラだったよ。ひもじいよ」
「はぁ。大変ね。頑張って、20000枚ぐらい売りなさい」
「あっはっは。去年のグラビアDVDの売り上げ一位で、6000枚だぞ。無理無理。しかも、水着で12歳だ」
「こ、このロリペドどもが」
「お前らもそう変わらないだろ。ふつーに下半身ついてる連中は、AVを買うからな。当然つったら当然だろ。アイドルの一番のライバルがAV女優ってのは、今にはじまったことじゃあない」
「お前らは若さしか価値がない、とか言われているみたいで嫌なんだけど」
「いやいや。『ワークス』だと、Cランクアイドルからだからな。本来、グラビアDVD出せるの。無理を通したせいで、予算が下りなかった。とはいっても普通にグラビアDVDの制作費なんて、三十万出れば一級品がつくれるぐらいだ。グラビアでハワイに行くなんて、いまじゃあほんの一握りだ。いわゆるバブル時代の神話というやつだな」
「ミキよくわかんない。その一級品ってのが、売れる製品であるわけじゃあないってことだよね」
「わかりやすい対抗馬がいない分、男性アイドルのグラビアDVDのほうがよく売れたりするし。ところでここからジュニアアイドルの変遷とか売り上げのアベレージとか意外に売れまくってる男性アイドルのグラビアDVDを絡めた業界全体の構図が……」
「うん。でもそれは長くなりそうだからいいや」
「じゃあやめよう。全部語ると二十分ぐらいかかるし」
「そうね。気が滅入るだけね」

 私はそう言って、話を打ち切った。最後に、プロデューサーが、うまいことを言ってまとめる。

「不断の努力だけが道を作る。補整された道を三段飛ばしで駆け上がれるアイドルなんて、ほんのひとにぎりだ。千早だって、Aランクアイドルに昇りつめるまで、二年はかかってる。最短のリファ・ガーランドですら、一年とすこし、だったっけか」
「で、私たちはこれから、デビューからほんの四ヶ月でAランクまで上がったような『化け物』と戦わないといけないの?」
「やだなぁ。自分の相棒のことを化け物だなんて。やよいはできる子だって、俺は最初から信じてたぞ」
 
 数え切れないほどの強運と実力と、あるべき追い風を受けた高槻やよいという少女は、プロデューサーがやってきた、その集大成といえるものなのだろう。
 
 彗星のごとくあらわれた、『六人目』のAランクアイドル。

 高槻やよい。

 もう、彼女の名前をテレビで見ない日はない。このプロデューサーに全国に連れ歩かれて、もう二週間も顔を合わせてもいないのか。それが、私たちEランクアイドルとの違いなのだろうけれど。

 たった三ヶ月で、私とやよいの差は、埋めようがないぐらいに広がってしまった。ぐるぐると、頭の中が負の思考に絡めとられそうになる。堂々巡りがはじまる。自己嫌悪の連鎖。今、やよいの隣にいられないということに対する、私自身へのふがいなさ。

 ひどい顔をしている。
 ファンのまえで、こんな表情をしていてはいけない。
 
「でもおにーさん。具合悪そうだけど」
「うむ。50時間ほど寝てないだけだ」
「大丈夫なの?」

 プロデューサーは、美希の心配も上の空で流している。吸血鬼みたいに青白い顔をしているどころか、口から泡まで吹いていた。
「まぁな。一応、移動時間中に仮眠はとってる。しかし、やよいのレギュラー8本とCM3つはきついな」
「仕事入れすぎ。もうちょっとミキを見習って、だらけたらいいと思うな」
「それはそれでまずいだろ。千早のプロデュースをしていたときも、40時間ぐらいぶっとおしで働いていたこともあったが、今回のはそれをさらに上回るな。忙しくてしょうがない」
「こうして会うのも二週間ぶりだものね。で、具体的になにやってるの?」

 美希が、なにやら言いたそうな口ぶりだった。
 彼女の瞳に浮かんだ非難の色を見るに、なにやら本人にしかわからないぐらい微妙なあれこれがあるらしい。なんだろう。

「やよいばっかりかまって、ずるいよね」

 子供っぽい。
 美希らしそうで、美希らしくはない。
 美希の言動は、理不尽、と言い換えてもいい。

 うん、浮気をとがめるような感じだろうか。はて。うん。ええと、あのね? 私は、そのへんから導き出される答えにたどり着いた瞬間、思考が停止した。
うわぁ、コメントしにくい。本人すら気づいているのかわからないが、たぶん、ああいうのを、友達以上の異性に対する反応、というのだろう。おそらくは。

「悪かったよ。だから今日は一日、美希と伊織のために捧げてるだろう」
「まあ、たしかに。こんなのマネージャーひとりいれば事足りるぐらいの仕事よね」
「で、結局。やよいを使ってなにしてるの?」

 美希はプロデューサーの気持ちの行く先を案じているらしいが、私はそんなことはどうでもいい。それでも、この男がやよいを使ってなにをしているのかを知っておくことは、私にとって最重要なことだった。
 この息をするように悪巧みをするような悪徳プロデューサーが、普通にやよいの売り込みだけを考えているはずがない。

「そうだな。ABK49は知っているか?」
「むしろ、もう知らないほうが珍しいぐらいなんじゃない?」
「えーと、アキバ系アイドルがでっかくなったやつ?」
「うむ。話題のアイドルグループだな。最近は大阪と福岡と名古屋にもそれぞれ一グループずついるが。なにげにプラチナリーグより歴史が古いんだよ。こっちが4年なのに、あっちは5年半やってるわけだし。毎年やってる総選挙は倍々で投票数が増えて、ちょうど今は、絶頂期にあたるだろうな」
「それで?」

 私は、先を促した。

「うむ、CDの初動販売枚数の歴代記録を更新、とかされてくと、もう畑違いとかいってられない。プラチナリーグから、あっちに客が流出していく一方だ。というわけで、やよいを使って、あっちの土壌に殴り込みをかけている真っ最中」
「なんか、途方もない話になってるんだけど」
「いやぁ。やよいはいいぞ。プラチナリーグから離れて、まともに芸能界で露出して反感を食わないからな。千早だとこうはいかない。アコギな販売戦略を組んでも、逆にやよいに同情が集まる有様だ。これは本人の人徳なんだろう。真正面からABK49に喧嘩売ってるんだが、相手のファンに嫌われるということがない」
「あんまり、無茶させるんじゃないわよ」
「わかってるってそれぐらい。勝つことが目的じゃない。プラチナリーグの存在感を示し続けられればいい。あのユニットは群体に近いせいで、どこを叩いても潰せないしな。しかし、相手の勢力圏に殴りこみをかけて、キリトリをかけていくのは楽しくてしかたない」
「うわー。やくざみたい」
「よくわかんないけど、あのユニットって、アンタのやりたいことの完成系みたいなものじゃないの?」
「うーん。違うんだよな。俺がプロデュースしたいのは、あくまで最強の個体だ。群体めいたものとは趣が違う」
「わかんないわよ」

 趣、ときたか。
 もとよりわかると思っていなかったが、やっぱりこの男の言っていることはわからない。ああ、男ってめんどくさい。こういう計算づくで動いてそうで、頭にロマンチシズムと義理人情が渦巻いているタイプはなおさらだ。

「ちなみにあの総選挙、一位と二位がほぼダブルスコアで突出しているが、CD売り上げを現金に換算してみると、一位だけで二億二千万。二位で一億九千万になるらしい。ああ怖い怖い」
「リサーチは欠かしてないとか?」
「まあ、見てるだけでおもしろいしな。エンタメの基本なんだが。総選挙の個人的な実感をいってみると、Iが、落ちたのが予想外だった。それとまさかKが三位に食い込むとはなぁ。去年八位だったのに。あとは収まるところに収まったかな」
「ふーん」

 あ、美希がそろそろ興味を無くしだした。
 話の打ち切りのサイン。それと同時に、周囲がざわめきはじめる。くるぞ。くるぞ。そういう観客の声に導かれるままに、視線を上げる。
 無秩序だったファンたちはすでにあるべき場所に収まって、大スクリーンに映し出されたのは、よく見慣れた、私の知らない高槻やよいという少女のライブ映像だった。 
 録画である。
 実のところ、これは前述したABK49がやっていたリバイバル全公演のネタを、いくらかパクったものらしい。
 イベント会場でのみ流されるオリジナル映像であって、プロデューサーは、今後のテストケースがうんたらかんたらとか言っていた。まあ、正式なチケットを買わずに見られるあたり、純粋なファンサービスである。

 カウントダウン。
 5,4,3,2,1と減った数字が、0を刻む。もう、誰も私たちのことなど気にかけていない。視線はやよい一色。ありとあらゆるものが、スクリーンに吸い上げられている。代表曲である『キラメキラリ』が、スピーカーから流れ出ると、その盛り上がりは最高潮になった。ライブ会場でもないのに、やよいのシンボルカラーであるイエローのサイリウムがまばらに振られている。

 本物は、きっと今頃、さらに高いステージにいる。
 花火があがった。

 メインステージであるWESTステージでは、天海春香と高槻やよいが、今日の大トリを務めているところか。今の私たちは、それを仰ぎ見ることもできない。
 


 では、話をはじめよう。
 それにはいくつかの事柄から説明を始める必要がある。
 
 そして、EランクアイドルからAランクアイドルまでの道のりを、四段飛ばしで駆け上がった少女のシンデレラストーリーの、そのはじまりは、今から三ヶ月前にまで遡ることになる。










[15763] stage6 vs Yayoi takatsuki 2
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:5f5c7945
Date: 2011/09/02 12:39


 うっとおしくて仕方ない。
 プロデューサーが、机に企画書を広げて、企画担当の人と細部を詰めている。ワークスプロダクションのテナントが入った事務所の一室には、会議室などという気の利いたものがあるはずもないので、とても狭苦しい。

 実機は完成していて、あとはプレゼンにかかっている段階のようだった。どこの店に何機入るだとかの注文数の見積もりまでが出ていて、あとはCMや攻略情報などの具体的な広報を打つような段階になっている。

 部外秘、と赤文字で刻印された企画書は、私が見てもまったくわからないようなものだった。おそらくは興味のある人間からしてみれば、宝の山に見えるんだろう。チラッと見た限り、賞球とか液晶大当たり確率だとか、ラウンドごとの最大出球だとかの数字が並んでいる。

「やよい。伊織。ためしに遊んでていいぞ」

 とはプロデューサーの弁だが。
 私は壁に立てかけられたそれを見た。
 思ったより大きく場所をとった。いつか美希と行ったゲーセンで触ったことぐらいはあるが、やはり見慣れないものは見慣れない。

「あと、パチの実機は24Vだから、そのままコンセントに刺すとショートするぞ。トランスがついてるか確認してな」
「はーいっ。うわああっっ」

 やよいは、確実に近所からクレームがくるレベルの大音量に小動物みたいにおびえていた。ボリューム調節の場所を聞きだした後、やよいの小さな手がレバーを廻し、パチンコ球が弾き上げられる。クギの森を通って球が役物に導かれて、チェッカーに球が入ると液晶演出がはじまる。液晶画面に映し出されるSDサイズの三浦あずさが、たまに図柄を揃えてくれる。
 目が痛くなるぐらい飾り立てられた台では、希望リーチ、愛リーチ、夢リーチ、光リーチと四種類に分岐し、あずさのPVやアニメなどが流れている。
 収録される歌は実に九種類。
 デビューまでのストーリをアニメに再現した、この『CR三浦あずさ』はこの夏、パチンコ業界に旋風を巻き起こすこと間違いなし、というのが謳い文句らしい。

「伊織ちゃん。見てみて。大当たりだよ」

 上部にとりつけてあるランプが点滅し、スピーカーからあずさの歌が流れている。『9:02pm』だった。派手な特殊演出とともに、ボーナスゲームに突入していた。中央のチェッカーに球が送り込まれるごとに、大量のパチンコ球が払い出される。

「ううう、これが本来なら一玉四円。ら、来月の給食費が払えるかも」
「やめなさい、やよい。こんなのばっかりしてると、この男みたいに、人間として終わるわよ」
「俺みたいにか」
「ええ、アンタみたいによ」

 プロデューサーにはそう言ったとはいえ、たしかにこれは魔力がある。
 周りのダメ人間たちを取り込もうとする底なし沼みたいなものだ。
 大の大人が身を持ち崩すだけのものが詰まっていることは、重々に理解できた。娯楽としては、ひとつの完成系なのかもしれない。

「豪華で多彩な演出で期待を持たせ、尻の毛まで抜き取っていく。くくくくく、かわいい顔をして、とんでもない悪女だよこいつはっ!!」
「で、今さらながら訊くけど、なんであずさがパチンコ台になってるの?」
「ブームだからな。俺も乗り気ではなかったんだが、思えばプラチナリーグでこういうのができるのは、あずささんしかいないんだよな。アニメ系作品なら、元を知らなくてもスペックさえ良好ならパチンカーは打ってくれるが、芸能人とか実際の人物をモデルにした台は、芸能人がせめて五年や十年は。生き残ってくれてないと。台の開発中に人気が急落したら、どうしようもないだろ。運がすべてのギャンブルで、誰が落ち目の芸能人の台を好き好んで打つと思う?」
「ああ、あずさならすでに引退してるし関係ないわね。神格化されている伝説のアイドルマスターなら、主役を張るのに十分ってわけ」
「うむ」
「プロデューサー。私も売れたら、あずささんみたいになれるかな?」
「ええと」

 ダメだろうそれは。
 やよいの無邪気さに水を差すのもあれだが、これはあずさだからギリギリ許されている気がする。

「やよいのやる気は買いたいが、残念だが無理だ。タバコ業界ほどガチガチに規制されてはいないが、18歳未満のモデルはそれだけでNGだからな」
「そっか。ううっ、ざんねんだなぁ」
「っていうか、こんな仕事してるんじゃないわよ。ハニーキャッツとしての活動はどうなったのよ」
「ちゃんと歌を作って渡して、レコーディングも済ませただろ。美希に『ショッキングな彼』、伊織の『リゾラ』、やよいの『ゲンキトリッパー』。もうCDもできて、倉庫に眠ってる段階だ。来月に同時発売して、本格的な活動はそこからだな。せめて、今期中にDランクアイドルぐらいには上がりたいところだ」
「むう」
「とゆーわけで、仕方なく俺は手慰みにこんな仕事をしてるわけだ。というか、『ギガス』を辞めるときにやりのこした仕事を片付けているだけなんだが。ひとつだけ、見落としていたらしい。それが、この『CR三浦あずさ』なわけだ」
「ああそう」
「ジョセフ社長(ギガスの社長)から電話がきてな。あのエセ英国紳士。自分の仕事は最後までやっておけ、とか言ってきた。この仕事、企画を立ち上げたのはかなり前で、台の開発から発売までタイムラグがありすぎて、すっかり忘れてた」
「プロデューサー。アンタ、仕事はえり好みするタイプだと思ってたけど」

 どれだけ多くの金を詰まれても、かたくなに自分の作品の版権を守り通した漫画家の話とか、聞いたことぐらいある。商品としてパッケージングされるなら、なんでもいいということなのか。

「仕方ないだろ。流行に取り残されたプロデューサーに、存在意義なんてない。実際こんなオイシイ市場を逃すわけにはいかないからな。その題材に興味のない人間を全国区で取り込めて、さらに数時間座ったまま同じ場所に拘束できるんだぞ。液晶で往年のあずささんのライブ映像が流れまくって、大当たりするとエンドレスであずささんの歌が流れる。こんなおいしい宣伝の場なんて、どこにもないぞ」

 うむ、業界の拡大に貢献する俺ってとてもえらいなぁ、すごくえらいなぁ、とプロデューサーは、コンビニでたまに募金していい気になっている小市民みたいに口を開いて笑っていた。











「楽しそうなことをしているわね」
「げ」

 事務所の扉が開いた先に、『ワークス』プロダクションの、Aランクアイドル様がいた。
 イメージカラーであるの黒のワンピースに身を包んで、天海春香は感情のない目でこっちを見降ろしている。本来ならあまり顔を合わせたくない。寝つきが悪くなりそうだというのがその理由だったが、今だけはありがたいものがあった。

「ちょうどよかった。アレ、さっきから目ざわりなのよ。さっさとどけてくれない?」

 アレを指差す。
 うちの社長が、ドアの向こうに影絵を作っていた。
 多分、三十分ぐらい前からずっと。

 ちくちくと首筋に刺さる視線がうっとおしい。
 夏場に部屋に蚊がまぎれこんだような不快感。さきほどから、うちのプロダクション社長である西園寺美神が、さっきからひたすらなにかを言いづらそうにして、こちらを見ていた。口をぱくぱくさせて目をおろおろとさせているあたり、ウザくて仕方ない。ただそんな所作は、私のかわいさには数段劣るにしても、事務所で預かっているアイドルたちよりはよほど魅力的だった。

「春香とは別の意味でうっとおしいわよ。普通に通報されるレベルよ」

 この社長、磨くところを磨けば、ちゃんと今でもアイドルとして通用しそうだった。それはいいのだが、普通は自分のプロダクションの社長がこんな醜態を晒していたら、すわ、倒産か、リストラかと、普通は戦々恐々とするしかないんじゃないだろうか?
 まあ、そうなったらこの社長より、私のおじいさま(この会社の大株主)のところに一番に情報が入るだろうから、そんなネガティブな話ではないはずである。

「言いたくないけど、醜態よ。アレ」
「いいじゃない。もう少し見ていたいのよ。ああ、うだうだしているお姉ちゃんはかわいい。さっきから頭をかきむしってるお姉ちゃんは無能かわいい」
「相変わらず、病んでるわこの女」

 春香がキラキラと眼を輝かせていた。
 そこに存在するだけで、笑っていた子供がひきつけを起こし、泣いていた子供がさらに号泣するようなこの天海春香が、いやいやいやと年頃の少女みたいに恥じらうさまは、なんというか不穏なものがあった。天変地異の前触れ、とでもいうのか。最近地震多いし、冗談では済まなそうなのが怖い。

「伊織。あなたにこの気持がわからないのが残念よ」
「残念でけっこうよ。私には、ご主人様に尻尾を振る犬の気持ちなんてわかんないわよっ!!」
「あのね。春香。いいのよ。あのね、実は、やよいさんに話があるの」

 ガタンっ、と外して戻らなくなった安普請の扉に半身を隠して、西園寺社長は私たちの前に姿を見せた。
 はぁ。
 やよいに話があったのか。
 高槻やよいと西園寺美神には、確執がある。少なくとも、私はそれをはっきりと覚えている。才能を摘んだとまではいかないが、やよいのきらめきを、社長は見逃した。元来、誰に責められること、ではないのかもしれない。それでも、社長はいまだになにか気にしているようだった。

 手際良く自分のマネージャーを呼んで、社長の壊した扉を直させている春香を横目に、私はコーヒーメーカーで淹れたコーヒーを出してあげた。そこそこ名の通ったプロダクションのくせに、使用人のひとりもいないのは問題だと思うが、たいていのプロダクションはどうやらそういうものらしい。

「ゲロゲロキッチンって知ってるかしら?」

 そして、前置きにそれだけかけた西園寺社長が言ったのは、そんな台詞だった。

「カエ吉くんとピョンコちゃんとゲロ平くんが、お歌を歌ったりダンスをしたりする番組、ですよね社長」
「ええ、知っているのなら話は早いのだけれど」

 やよいは、社長に含む気持ちは一切ないらしい。やよいが自分の気持ちに、暗い根を張っている子ではないということは、私が一番よく知っているが、あけすけな態度に、西園寺社長はまだ戸惑っている。

「ケーブルテレビの一企画だろう。対象年齢は、二歳から楽しめる教育番組だったはず。かなり昔からやってるはずだよな」

 プロデューサーが、補足を加える。
 よく、この事務所でやよいの見ている番組が、そのようなものだった気がする。あまりに子供向けすぎて、最後までは見れなかったが。おはなのながーいぞーさん。おくびのながーいきりんさん、とかいう歌詞が最初から最後まで流れ続けるあんな番組、最後まで見るなんて無理だろう。

「それで、ゲロゲロキッチンが、どうしたんですか?」
「ええ、それが三匹のカエルのぬいぐるみと歌のおねえさんがいろいろなイベントや歌を歌ったりする番組なんだけど、その歌のお姉さんが結婚して実家に戻るとか言い出したらしく」
「はー」
「だから、その代わりに」

 社長は、迷いつつも、まっすぐにやよいの瞳を見た。

「あなたに、歌のおねえさんの仕事を任せたいと思って」
「え」

 一拍。
 やよいが、絶句している。

「ええええええっっっ!!」
「おお、いい反応だ」
「えっと、どうして私に?」
「え、ええ。それがね。困ったことに私も途方に暮れてね。もともと、春香に来た仕事なんだけど」

 事務所にいる皆が、一斉に天海春香を見た。それから、それぞれで視線を交し合う。そこにこめられた感情は、不安や懐疑的なもので概ね統一されている。誰しも、思うことは一緒らしい。

「えっと、春香さんが、歌のおねえさんなんてやったら」

 やよいの言葉は、そこで途切れた。この続きはあまりに失礼すぎて、口に出せなかったと判断する。まあ、考えるまでもない。
 やよいに、そう判断されるほどに明白だということだ。
 天海春香がブラウン管に映ろうものなら、子供が全員泣きわめき、視聴者すべてに一生消えないトラウマが刻み込まれることだろう。あ、余談ではあるが、正式に地デジ化したわけだし、ブラウン管に映るなんて表現はもう使えないことになるのか。

 そもそも、春香に普通の歌なんて歌えるのか。Aランクアイドルという肩書きと、本人の能力の特異性。そこらへんに幻惑されがちなのだが、この天海春香というアイドルは、異常なまでのカリスマに拠って立っているだけで、アイドルとしての基本スペックはそこらへんのC級アイドルと大差ない。歌と踊りだけなら、私より確実に一ランクは下だと断言できる。

「で、春香。アンタの意見はどうなの?」
「私の柄じゃあないわ。知ったことじゃあない。私にとっては、瑞樹がやってもやよいがやっても同じことよ」
「たしかに、瑞樹には無理よね」

 天海春香がダメとなると、そこは二番手の小早川瑞樹になるのだろうが、瑞樹にこんな仕事を任せるのは問題がある。あれはアイドルとしては、星井美希と似たようなタイプだ。なにより、自尊心だけを杖にして立っている人間に、全体のまとめと調整なんてできると思えない。小さな体を伸ばして、むきー、と切れる彼女が目に浮かぶようだった。

「嘘ですよね」
「え?」

 否定。やよいが放ったのは、否定の言葉だった。
 なにに対してなのか。そこにいた誰もが、やよいの真意をつかみきれずにいた。ただ、私の視界の端で、天海春香がわずかに臍を噛んだのだが見えた。

「春香さん、嘘ついてます。これは、春香さんがやるべき仕事のはずです。だって、私のゲロゲロキッチンを勧めてくれたのは、春香さんじゃないですか」
「ええ、そんなことはあったけど。それは私と関係あるのかしら。これはやよいに来た仕事でしょう。やよいに哀れまれる筋合いは、ひとつもないのよ」
「だって、春香さんの夢はきっと――」

 やよいの声音は、切迫していた。
 おそらくは、彼女にとって譲れないものなのだろう。なにか春香とその番組には、因縁やそれに連なるようなものが隠されているのかもしれなかった。ただ、世間の定理はやよいの理で動いてはいない。そんな拙いような理屈が通るのなら、世界はとても単純なのだろうと思う。

「やよい、それは――」
「関係ない。天海春香にどんな事情があっても、お前が介入するような話じゃない。これはお前に来た仕事だ」
「プロデューサー?」

 やよいの掠れた声が、咽喉を鳴らした。

「ところで、天海春香?」
「ええ、気安く名前を呼ばないで」
「そこは勘弁してくれ。さてさて、このたび、春香さんはとあるオーディションに出ることになりました。でも、同じプロダクションの、そのオーディションに参加するアイドルが、今回は絶対に受からなければならないという。理由を聞いてみると、これに受からないと親の死に目に会えないらしい。さて、お前はそのアイドルになにをする?」
「質問の意味がわからないわ。そんなの、普通に叩き潰す以外になにができるの? 他人に気をつかって、自分の居場所を放棄するような無様な真似、私がするとでも?」

 打てば響くような返しだった。
 やよいが息を呑むのがわかった。春香の性格からして、やよいに気をつかって、自分の答えを変えることなんて絶対にない。

「この答えを聞いて、答えを変えないのなら、俺はもうなにも言わない。やよい。仕事のオファーは来た。だから俺の仕事はここまでなんだ」
「は、い」
「選択を他人に委ねるな。自分で考えて、自分の中の熱意と誇りを天秤にかけて、自分で決めればいい。気に入らないなら断ればいい。その選択に嘘がないのなら、俺はお前の選択を尊重する。俺の言っていることは、わかるな?」
「はい。すみません、プロデューサー。やります。やらせてください」

 やよいの、前に進む力強い言葉に、ようやく。
 黒衣の少女は、重い肩の荷をようやく下ろしたように見えた。

 天海春香の表情が、ほんのわずかに和らいだのは、きっと見間違いではあるまい。彼女の背負ったものはなんなのかわからないが、どうやら春香はきっと、やよいのこの言葉が聞きたかったのだろう。

 どうもしんみりしてしまう。事務所には静寂が戻って、あとはソファーで涎を垂らす美希の寝息だけが、穏やかに聞こえていた。









[15763] stage6 vs Yayoi takatsuki 3
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2011/09/02 12:37







「みんなー、あつまってー。スマイル体操、いっくよーっ」

 やよいによく似合うポップでキュートな曲調がスタジオに流れると、小魚みたいに集まってきた子供たちがステージに輪をつくる。黄色で整えられたステージ衣装に袖を通して、高槻やよいは、番組マスコットである三匹のカエル着ぐるみを従えながら振り付けをこなしていた。

 『ゲロゲロキッチン』は、ケーブルテレビで流れている息の長い教育番組である。
 ケーブルテレビのタイムテーブル(番組表)を見せてもらったが、随分と面食らってしまった。話数が違うだけで、あとはすべて同じ番組構成。曜日ごとの変化などなにひとつない。放送開始から終わりまで、一週間すべて同じ時間、かつ順番で流れていく。

 一週間を単位として、さらに話数までリセットされるようだった。
 次の月に入るまで、四回繰り返す。
 
 予算の都合なのか、それとも最初からこういうものなのか、ひと月で、同じ放送をヘビーローテーションしていた。続きものの話を見逃しても、さして痛手にならないのは短所なのか長所なのか。

「ねえ、プロデューサー。こういうものなわけ?」
「ああ、それはな」

 閉じている、とでもいうのか、あまりにも使い回しが多すぎるせいで、新番組や新アニメというだけで売りになる。CMで新アニメが来た、という時のありがたみがぜんぜん違う、というのがプロデューサーの弁だった。

「なんでそんなに詳しいのよ?」
「大学時代に一人暮らししてたアパートで見れたんだ。風まかせ月○乱とか、アニメ版ワイルドアー○ズとかやってた。レンタルビデオ店の肥やしにすらならなさそうなアニメがたくさん流れてたり、すっかり忘れられた一発屋芸人が、地元のレジャーランドを紹介とかしてたな」
「ああ、そう」
 
 九月になった。
 やよいの仕事は、トラブルもなく順風満帆だった。教育番組の歌のお姉さんという仕事は、ずいぶんと彼女の肌に合ったようだ。天使みたいな笑顔を振りまいて、これがやよいの天職かと思うほどだった。
 頬杖をつきながら、やよいの様子を見る。収録を済ませて、あとは帰るだけだというのに、やよいは子供たちに囲まれてひどいことになっている。
 
「あ、伊織ちゃん。ちょっと待ってね」
「やよいねーちゃんあそぼーよー」
「あそぼー」
「いっけー。俺のシューティングスターマグナムっ!!」
「ああっ。もう、ケーブルとかあるんだから、スタジオでミニ四駆走らせないのーっ!!」

 やよいの叫び声で、止まったのも一瞬だけ。ひとりが騒ぎ出せば連鎖的に騒ぎ出して、あとはもう悪戯する子に、泣き出す子、歌いだす子や踊りだす子と、いろいろだった。騒いでいるのは十人ぐらいだったのだが、それでもかなりうるさい。もちろん、今現在拡大傾向にある。

「げふぅ」

 あ、止めに入ったプロデューサーがノックアウトされた。
 
「ふ、ふふふ。俺は二度とこんな仕事はうけないこと今、ここに誓った」
 うつぶせに倒れて、プロデューサーはそんなことをつぶやいている。みぞおちに、全体重を乗せた頭突きを食らって、プロデューサーは青白い顔をしてぷるぷると震えていた。しかし、この男、地面に這い蹲るのが随分と似合う。
 
「アンタね。小学生に負けるんじゃないわよ」
「仕方ないだろう。避けて怪我させたりしたら、そっちが問題だ」
「この言葉、ダンゴムシみたいな態勢じゃなかったら、もうちょっとマシに聞けると思うんだけど」

 地面を這っているプロデューサーは、格好の生贄みたいだった。寝ているところに顔を油性マジックで塗りつぶされたり、棒でつつかれたりしている。正直、将来ああいう大人にだけはなりたくないという、素晴らしい反面教師だと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 ショッキングな彼(星井美希)。 3436枚。
 リゾラ(私、水瀬伊織)。2897枚。
 ゲンキトリッパー(高槻やよい)。1711枚。

 そして私たちが出したCDの、初週の集計結果が出ていた。アイドルのCDなんて初動がすべてであるので、ここからは上乗せされて数百枚が限度だろう。

 Eランクアイドルとしては、文句なし、といえるぐらいの成績らしい。
 ドリームフェスタで、ベスト4、準決勝まで勝ち残ったことで知名度も上がり、私たちにもファンというものがつくようになった結果ということだ。
 割り振られた三曲とも、歌詞にも曲にも妥協もなく、胸を張ってファンに届けられる質になっている。なにより、オリジナルで歌える、私たちだけの歌ができたのが大きい。

 けれど、私たちは三人ともまだEランクアイドルのままだった。プラチナリーグでは、EからDへのランクアップが一番難しいといわれている。Dランクへの昇格点は、100000ポイントである。CD販売一枚で20ポイント入るために、つまりはCDが5000枚売れればランクアップする計算になる。

 この時代に、幾多のライバルたちを抑えて、5000枚。

 お世辞にも、低い壁とはいえない。
 けれど、これを超えないと、なににもたどり着けない。プラチナリーグでは、Dランクアイドルからまともなアイドルとして扱われ、基本給が発生する。Cランクまで上がれば、小銭稼ぎとしては十分すぎるほどの名声が得られる。Cランクアイドルが、普通のアイドルたちに対する最終到達点と呼ばれる所以だった。

「そこから上は、魔物の棲家みたいなものだ。基準にしないほうがいい」
「とか言われても、私、Cランク程度で得られるものは全部持ってるんだけど」
「厭味なのか自慢なのか自然体なのか、絶妙なところだなそれ」

 そんなことを言われても困る。
 
 私が欲しいのは光り輝く栄光だ。自分の力を誇示するのに、プラチナリーグほどうってつけの場所はない。私自身の全才能をステージの数分に注ぎ込んで、神経の切れそうな一瞬を演じる。多少の非日常に踏み込んだことがあるのなら、そんな幸福を、多かれ少なかれ理解できるだろう。

「Aランクを狙えないなら、最初からやる意味なんてないと思ってるわよ」
「ふむ。でもな、たとえばここに天才がいるとするとしよう」
 プロデューサーが、美希の頭をふん掴んだ。
 
「あふぅ」

 美希は悲鳴(?)を上げると、クレーンゲームのアームに持ち上げられたみたいに、宙に吊られていた。

「AランクとかBランクとか言ってるが、事実上はBで打ち止めと考えておいたほうがいい。いくらこいつが天才でも、売れるキャパなんて本来の五、六倍が限度だ」
「それで十分なんじゃないの?」
「あふぅ。なんか楽しくなってきた」

 美希はゆさゆさと揺れていた。いちいち胸まで揺れていて、とてもうっとおしい。

「なお、あずささんの写真集は、48万ほど売れたな」
「相変わらず常軌を逸してるわね。でも売れすぎてるけど、それ特例中の特例なんじゃ?」
「そういう特例中の特例が、つまりはAランクアイドルなんだよ。他人の基準で勝負しているうちはまだまだってことだな。記録にこだわる必要はないが、オンリーワンを突き詰めるのがアイドルの宿命みたいなものだぞ」
「ねえねえ、おにーさん。ひとつだけ、聞きたいことがあるんだけど」
「ふむ?」

 美希が吊られたまま、器用に顔の向きを変えた。

「ふつーって、どーなるの? たしか、CD出せるのってDランクからだよね。CDを出さずに、どうやってDに上がるの?」
「へえ」

 思わず、私は感嘆の声を出してしまう。
 美希にしては、中身が入ったような質問だった。

「うむ。今のプラチナリーグの基準は四年前そのままで、当時と今の客の購買力の違いとかもあるし、基準を見直そうって話もでてきてるんだがな。たいていのEランクアイドルは、そこでプラチナリーグ専用の、音楽DLサイトである『HIEMS(ヒエムス)』が役に立つわけだ」
「なにそれ?」
「一曲、150円でどんな曲でも落とし放題だ。たいていのEランクアイドルは、これに一シーズンで5から6曲ぐらい集中投下して、ランクアップを狙う」
「ふぅん」
「ランクアップの集計期間は、シーズン中だからな。四ヶ月ある。逆に考えれば美希なんてCD一枚でノルマの七割をクリアしたんだ。やよいはこの『スマイル体操』もあわせて、あと二枚のCDリリースが決定してるし、まずこのシーズン中に三人ともDランクには送り込めるだろう」

 順調すぎるな、とプロデューサーは笑っていた。
 やよいが歌う番組主題歌でもある、この『スマイル体操』は、群を抜いて出来がよい。ってことは、むしろ尻に火がついているのは私自身だったりするのか。

「え、もしかして。私が一番、マズい位置にいるとか?」
「そうだが、別に気にすることもないぞ。こんなもん誤差だ誤差。お前の輝くべきステージは、また別に用意してやる。今はまだ足場固めの時期だからな。やよいを見習って、与えられた課題の中で、自分にとっての最善を尽くせばいい」

 なかなか、重い言葉だ。この『スマイル体操』は、まさにやよいにしか歌えないだろう。やよいをそのままデコレーションしたような歌である。
 まるで水を得た魚だった。その面では、うちの社長の見立ては正しかった、ということか。

 物思いにふける私の首筋を、ぬるい風が撫でた。
 身体が勝手に臨戦態勢に入るのがわかる。生温い圧意が、近づいてくるものの危険さを、肌に知らせてくれる。

 足音。
 コツコツと近づくそれが、死神のそれに思えた。
 警戒する私とは裏腹に、やよいは、曇りのない笑顔で、それに声をかけた。

「あ、春香さん」

 役者の違い、とでもいうのか。
 春香が一歩前に踏み出すと、やよいに纏わりついていた子供たちが、ザザザザザザアアアアアッッと波が引くようにいなくなった。

 すさまじい光景だった。この女、本気でなにか憑いているんじゃないだろうか。視線を合わせるだけで、奈落の底に引きずり込まれるような感覚に、頭痛を押し殺す。全身に誰かの手を纏っているようなどす黒いオーラは、見るだけで神経が侵される。親を殺してでも逆らってはいけない人間だと、子供たちは本能的に理解したようだった。

「第一回目の放送は見せてもらったわ。よかったわよ。私も昔を思い出して、この舞台で一緒に踊りたくなったぐらいよ」
「それはちょっとおかしいわね。『ゲロゲロキッチン』の演目に、死霊の盆踊りはなかったはずだけど」

 懐かしそうに目を細める春香に、私は半ば本気で疑問を投げた。

「伊織ちゃん。それホントだよ。私見たもの」
「見たって、なにを?」
「古ぼけた昔のビデオテープで、春香さんが、『ゲロゲロキッチン』に出てたところ」
「ああ、そういえば動画がひとつ残ってるぞ。見るか?」

 プロデューサーから手渡された携帯音楽プレイヤーで、再生された動画に目を通す。古い動画だった。画面全体に入るノイズと画像の荒さに、これがVHSで撮られたものであることがわかる。

 数年前の『ゲロゲロキッチン』だった。
 歌と踊りの時間らしい。小学生ぐらいの女の子たちを集めて、何代か前の歌のお姉さんが、彼女たちに与えられた振り付けを統率している。

 それは素人の小学生のもので、お世辞にもうまいとはいえない。
 学芸会レベルであって、少しつつけばほころびが見える程度のものだった。動画のシークバー進めて、なお目立つシーンがあった。

 こてっ、と、ひとりだけ、必ず一テンポ遅れている少女がいた。リボンがトレードマークの、限りなく地味そうな少女だった。春香を縮小して、かわいげを与えればこんな感じになるのかもしれない。外見は、限りなく春香っぽい。

「え、っていうより、これ春香?」

 完全に、地味かつトロくさそうで、アイドルの輝きなんて微塵も見えない。表現は悪いが、これではそこらへんで見かける石ころだ。最上級の黒曜石である天海春香に、こんな時期があっただなんて信じられない。

「っていうか、それよりこの歌のお姉さんって、うちの社長じゃないっ!!」

 いろいろなことが、この動画で繋がってしまっている。
 この純朴そうでトロそうな田舎少女が、どんなイベントと改造手術を経て、こんなモンスターになったのかは気になったが、それより私の目を釘付けにしたのは、この番組の主役のほうだった。

 今も十分アイドルで通用しそうだが、まだスーツより学生服に袖を通していたころの西園寺美神は、この私から見ても凛々しいものがある。
 若い。年齢は私のふたつかみっつぐらい上だろう。歳に似合わないぐらいに、自信に満ち溢れている。まばゆいダイヤモンドの輝きで、目がくらみそうだ。へろへろおろおろぺこぺこな、西園寺社長と同一人物だとは思えない。プラチナリーグが、まだなかった時代である。それほど有名ではなかったのだろうが、アイドルとしての格は、小早川瑞樹ぐらいはあるだろう。

「一級品だな。流石は『765プロダクション』のアイドルだ。高木順一郎が育て上げた最高傑作のひとつだぞ」
「いまさら、知らないプロダクションの名前を出されても困るんだけど」
「まあそうか。そこそこ大事な話ではあるが、また次の機会でいいや」

 しかし、この動画。
 本人とかは別に隠していないのかもしれないが、見ているほうがいたたまれない気分に陥ってしまう。
 なんだろう、これは。本人がどう思おうと、この動画は、なかったことにしたいことというか、黒歴史とか、そういったものなんじゃないだろうか?
 あの社長、確実にどこかで人生を踏み外したように見える。このままアイドルやってれば、それなりに幸せだっただろうに。

 それでも。それでも、だ。春香の気持ちが、少しだけ理解できた。
 春香が、自分の個を捨てて、守ろうとしたもの。
 そして、春香が、社長以外の誰も、自らのプロデューサーとして認めることがない理由。
 やよいが、『ゲロゲロキッチン』の出演権を、春香に譲ろうとした理由。まだ輪郭だけだけれど、春香が目指すものの、その表層ぐらいにまでは触れることができたのだと思う。

「大丈夫です。春香さんの分の想いも、私が受け継ぎますから」
「やよい。まだわかってないのね。私の分なんて、最初からないのよ。私は、誰かに夢を与えるために、アイドルを目指したわけじゃないもの」
「でも、春香さんは、ここに立つことが、夢だったんじゃ」
「いいえ。私にとっての『ゲロゲロキッチン』は、夢とはちょっと違うわね。私は、選択をやり直せたとしても、今の、この道以外は選べないでしょうし」

 春香の真意が掴めない。
 やよいの困惑する顔に、春香は透明な笑みを浮かべた。

「重いつづらと軽いつづらを前にして、私は重いつづらを選んだのよ。だからね、私の夢は、ステージの上で、『すべて』叶ったの。これ以上は贅沢でしょう。私にとっての『ゲロゲロキッチン』はね」

 そして春香は、自らの思いを断定した。

「ただの取り零しよ」
「そう、ですか」

 やよいは、一度も春香から目を逸らさなかった。こうなったときのやよいの頑固さを、私は身をもってよく知っている。ぶしつけな善意が天海春香への侮辱となることを学んで、それでもやよいは、引く気はないようだった。

「でも、私がこの仕事を務め上げたら、きっと春香さんは喜んでくれますよね? 後輩じゃなくても、ひとりの友達としてでも」
「もちろん、祝福させてもらうわ」

 あまり、子供たちを怖がらせるのも問題があるわね、と言い残して、春香は去っていった。思い当たることがあった。じいやから聞いた寝物語。花咲かじいさんや、鶴の恩返しなどと並ぶ、日本の民話。
 
「舌切り雀なんて、ずいぶんと洒落た例えね。思わず、身震いしたわよ。重いつづらと軽いつづらか。やよい。軽いつづらにはなにが入っていたかしら?」
「軽いほうなら、おなかいっぱいの白米とか、金銀財宝パールとかじゃなかったかな? ええと、でもよく覚えてないけど、重いつづらって、たしかあまりいいものが入ってなかったような」
「ええ。重いつづらに入っていたものは」

 私は、そこから考えられる、春香のアイドルの道程に、想いを馳せた。
 私たちがこれから通る、Aランクアイドルまでの道のりは、春香が辿ったそれと、そう変わりはないだろうから。

「妖怪とか虫とか蛙とか、蜂や蚯蚓や蛇やら、だいたいそんなものだったはずよ」






[15763] stage6 vs Yayoi takatsuki 4
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2011/10/10 12:54







 金が唸る、という表現がある。
 言うまでもなく、有り余るほどの金を持っている、という意味の慣用句だ。
 これはひとつの例えではあるのだが、たしかに金というのは唸るのだ。有効に使えば利子がつくし、大きくギャンブルに張って、札束を積み上げていくこともできる。

 そして、アイドルの仕事も、それと似たようなものだった。ひとつ階級が上がってしまえば、認知度が認知度を呼び、あきらかにそれは給与明細にあらわれる。ファンの認知度が増えると、CDや細かい営業だけでなく、関連グッズが増産されてアイドルとして上昇気流に乗ることができる。

 金が金を呼び、知名度が人気を生む。
 稼いだ金を宣伝費に還元し、そうなればアイドル本人だけでなく、事務所自体の評価を押し上げることもできるはずだった。

 今、テーブルの上に並べられているのは、高槻やよいのアイドルグッズの数々だった。
 数々の試作品は、主に『ゲロゲロキッチン』のもので、三匹のカエルキーホルダーに、SDサイズになった高槻やよいがポーズを決めている。これが、一番の売れ筋らしい。

「どこからどこまでがやよいグッズになるのかという線引きとか、なんか微妙なんだよな」

 プロデューサーの話だと、プラチナリーグでプラチナムポイントに還元されるアイドルグッズは、おおまかに規定されているという。
 生写真や、キーホルダーにポストカード。カレンダーやポスター。トレーディングカードやバスタオルなどはきちんと売れば売れただけポイントになる。ステッカーや文房具などが売れ筋らしい。意外なところでは、コスチュームやライブのパンフレットなどもポイントが入る。

「どういう風に規定されてるのよ?」
「プラチナリーグの提携店とウェブサイト、あとは音楽DLサイトとかがあって、そこで取り扱ってるものなら、基本なんでも入る。まあ、つまりはそこで取り扱ってもらえるのなら、なんでもいいってことでもあるな」
「なにその一社寡占。独占禁止法とかにひっかからないわけ?」
「かからない。うまい方法ではあるしなぁ。マイルサービスとか某電気店のポイントでは、ポイントの不正取得が問題になったけども。電気店の来店時、一日一回ってくくりがあるとして、それだとひとりで複数枚のカードを所有されると防ぐ方法がない。それでスロットサービスが廃止になったし。応援するアイドルにとって価値はあっても、実質本人にとって価値が生じないプラチナムポイントってサービスは、実はすごくよく考えられていたりする」
「なるほど」

 私は生返事でプロデューサーから視線を移す。やよいのフィギュアは、じつによくできていた。肌の質感、ロールのかかった髪の造詣、全体のバランス、500円の出来としては、破格といっていいはずだ。

「ファンからすると、どういう立ち位置のグッズなのかしらこれ。ファンが一番気にする場所とかどこなの?」
「うむ。一番大事なのは、やっぱり再現度かなぁ。二次元に落としこんでいるわけだから、造形的な問題があったんだが、そこは『ゲロゲロキッチン』で使われているやよいのSDアニメからもってきて、違和感なく二次元化に成功している。ああ、無限に量産される二次嫁たちに駆逐されていく、幾多の三次アイドルフィギュアの屍たちの歴史は、涙なくしては語れないほどだ。実際のアイドルがこうしてフィギュア化されるという、超超レアケース。『アニメ版SD高槻やよい』は、アイドル業界に新風を巻き起こすだろう」
「地味にすごいことやってるのね。実は」
「マックスゴールドファクトリー製だ。頼み込むのに苦労したんだぞ。あと、パンツの柄まで再現する、といわれてるフィギュア会社だからな。パンツの指定まで入ったりして、いろいろと大変だった。やよいにそれを履かせるのが一番苦労したといっていい」
「ちょっと待ちなさい」

 今、聞き逃せないセクハラ発言が飛び出た気がする。

「やよいにこれを履け、といった瞬間がヤマだった。目を見開いて、次に俺の顔を見て、それから泣かれたからなぁ。泣き止ませるのと、ちゃんと納得させるのに苦労したものだ」
「私の目の届かないところで、なにやってるのよアンタ」

 しみじみと述懐するようなプロデューサーの顔を、横から全力でぶん殴りたい衝動にかられた。落ち着け、まだ早い。いつか代償を体で支払わせるとして、今ブタ箱にぶちこんだりしたら、せっかくやよいにきているいい流れが止まってしまう。

「一度ぐらい、留置場で一晩すごしたほうがいいんじゃないの?」
「ああ、通報されたことはけっこうあるが、それは流石にないかなぁ。ブタ箱じゃなくて、トラ箱なら何回かあるけれど」
「どう違うのよそれ」

 こんなのが日常会話になっているあたり、私自身、朱に染まってしまっている気がする。私がプロデューサーに求めるべき能力は、有能さ勤勉さより、まず殴ってもへこまない耐久性なので、そこは文句がなかったりするのだが。
 
 プロデューサーは、それなりに忙しそうだった。ほとんどやよいにかかりっきりになっている。昔のコネを使って営業をかけたり、普通のプロデューサーなら人任せにしてもいい類の仕事まで、自分でやらないと気がすまないらしい。クセみたいなものだと思うのだが、見ていて頼もしさというより、バランスを崩しそうな危なっかしさのほうが先にくる。
 他人というか、専門の人に任せたほうがむしろ安定する、というのは本人もわかっているみたいだし、これは本人の拭えない悪癖みたいなものだろうか。

「で、やよいの次の仕事が決まったらしいわね」
「ああ、これから話す。本人がきたらな」

 やよいはスーパーのタイムサービスに出かけている。時間差を置いて繰り広げられる半額惣菜の争奪戦にでも参戦しているのだろう。
 高槻やよいは、中学生、弟妹たちの母親代わり、売り出し中のアイドルと、三足のワラジを履きこなしている。ひとつでもキツいのに、値をあげないのは素直に凄いと思えた。

 私や美希より一足先に、アイドルとして安定域に入っている。
 とはいえ、やよいの仕事が途切れないのは、社長のプッシュがあってのことだった。選り好みできるほどではないが、スケジュールの合わない仕事を、断るぐらいのことはできているみたいだった。

「また西園寺社長からの紹介?」
「ああ、そういうことになってる」
「すごい手のひら返しじゃない? なにか裏がないか勘ぐりたくなるんだけど」

 プロデューサーは、手元の作業を中断すると、んー、とつぶやいたあと。

「単に、ちゃんとした主力アイドルが欲しいんだろう。ワークスは四大プロダクションのなかで、一番へちょいからな。事務所の看板を張れるアイドルが、天海春香と小早川瑞樹しかいない。主力アイドルのラインナップがギガスにもエッジにもブルーラインにも、相当見劣りするというのが現実だったりするし」
「やよいが、ねえ。そう上手くいくのかしらね」
「やよいに無理なら、他には無理だろう。伊織、お前の後ろについてるコバンザメっぽい連中に期待するわけにもいかないからな」
「まあ、そうだけど」

 なにげに、プロデューサーのやよいに対する評価は高い。

 それはいいことだ。
 あとは本人が、期待に応えられるだけのものを、もってこれるか、だろう。
 窓の枠から、夕日が差し込んでくる時間になっている。時計の針が五時を示し、これから眠りに就こうとしている街並み。ばたばたとせわしなく階段をかけあがる足音が、本人そのものを主張していた。

「あ、プロデューサー。おはようございまーす。伊織ちゃんもおはよう」
「ええ、おはようやよい」
「うむ、やよいはいつも元気でいいなぁ」

 高槻家八人が一週間食いつなげるだけの食料を、三つのエコバックに詰めて、やよいはふらふらしながら事務所のドアを開けて入ってきた。

「プロデューサー。メールが入ってましたけど、新しい仕事の説明があるんですよね?」
「まあ、座れ。今から説明するから」

 やよいがソファーに腰を下ろす。
 企画書は、概要が紙一枚にまとめられていた。
 この間のパチンコの企画書は、十枚以上はあったのだが、本来テレビ用の企画書というのはこんなものらしい。この間のあれはプロデューサー相手のプレゼン用として、しっかりと作ってあったのだろう。

「やよいにオファーがあったのは、『ジョニー須々木のイッツアサクセス』って番組だな。週一でやってる番組なんだが、高槻やよいを一回きりのゲストではなく、レギュラーとして使いたいそうだ」
「ええと、名前はきいたことありますけど」

 見たことはない、と。
 私も番組欄で見たことがあるぐらいだ。たしか深夜番組のはず。ならやよいが一度も見たことがないというのもうなずける。やよいなら、九時過ぎには、すでに布団にくるまっていそうだ。

「今回はジュニアB(プラチナリーグ専門衛星チャンネル)だ。ケーブルテレビから、一歩前進したともいえる。その分、激戦区だがな」
「でも、これで有名になるアイドルっている?」
「いない、な。残念ながら。たいした問題じゃない。やよいがまず、最初のひとりになればいい」
「じゃあ、たいした有名な番組ではないわけね」
「ああ。二流タレントが司会を務める二流アイドルが闊歩する、二流番組ではあるな」
「じゃあ、今現在は二流アイドルのやよいには、ちょうどいいところね」
「伊織ちゃん。それ褒められてるのかわかりづらいんだけど」

 やよいは困ったように眉を寄せていた。

「あふぅ。おはようなの」

 ふあああぁぁぁっ、と魂が飛んでいきそうな欠伸をかみ殺しながら、星井美希が事務所の扉を開いた。

「ん?」

 けだるげな表情は、いつもの調子と少し違う。印象的な金髪が、汗で肌に張り付いている。心なしか、息が弾んでいる。生半可な全力疾走ではこうはならないと思う。ダンストレーニングで、数時間レッスンを終えたぐらいの疲労度。まるで精も根も使い果たしたようだった。

「なんだそれ。美希、なんでそんなに疲れてるんだ?」
「あのね。ストリートバスケやってたの。真くんから助っ人頼まれて」
「ほう」
「三回戦で負けちゃった。さすがにキツかったの。二チームいた優勝候補が一回戦でどっちも負けちゃったし、いろいろ混沌として面白かったよ。おにーさん連れてくればよかったかなって思ったし」
「ふぅん。そういう番狂わせが起こるってことは、一回戦から相当高いレベルだったんだよな」
「うん。SOMECITY優勝チームとか実業団チームとか米国基地チームとか、いっぱいいたし。すごくアツかったよ。結局、外人基地チームに負けちゃった。あっちずるいんだよ。選手全員黒人で揃えてるし、185センチ以下がひとりもいなかったし。結局、真くんと羽住社長ぐらいしか太刀打ちできなかったの」
「なんか知らんが、すさまじいレベルで試合してたってことはわかった」
「ところで、やよいの仕事の話なの?」

美希は、今気づいたようで、ふむふむとテーブルの上の企画書に目を走らせていた。

「ああ、そうだ。美希。この番組知ってるか?」
「えーと、一応気になって『第三シーズン』だけは見てたよー。まだやってたのこれ? もう番組なくなったって思ってた」

 番組の企画書を見て、美希が言ったのはそんな言葉だった。
 美希のその口ぶりだと、ろくに面白くもなかったけれど続き物だったので一応最後まで見て、最後まで結局おもしろくならなかったという微妙なパターンだったんだと思う。

「ああ、やよいが出演する予定なのが、新しく始まる『第七シーズン』だな」
「そのシーズンがどうのって、いったいなんなのよ」
「いや、あまり気にする必要はない。最初はアイドルの登竜門的な番組で、新しいスターを発掘しようって番組だったんだ。それが『第四シーズン』あたりから路線変更したらしい」
「え、ええと。それ、どうしてですか?」

 なにか、プロデューサーの口ぶりからきなくさいものを嗅ぎ取ったのか、やよいが疑問の声をあげる。

「売り出すはずのアイドルたちが、全員討死にしたせいで、企画変更を余儀なくされたわけだ。今では初回視聴率の半分を稼ぐのにも苦労する有様らしい。アイドル売り出しの路線をきっぱりと捨てて、この『第七シーズン』は、はじめてのおつかいみたいな内容になるみたいだな」
「迷走してるよねそれ」
「さすがに、おもしろくなる予感がまったくしないんだけど」
「ううっ」

 美希と私の言葉に、やよいがぶるっと身を震わせる。
 言い過ぎたかもしれない。たしかに、オファーを受けた本人としては、あまりいい気持ちはしないだろう。

「あの、プロデューサー。おつかいって、なにか買ってくるとかそんなのですか?」
「いや、売るほうだ。在庫を抱えた中小企業の看板娘となって、溢れた在庫をひとつひとつ手売りしていくらしい」
「聞くだけなら、いくらでもおもしろくできそうではあるけど」

 起死回生の策、としてはまず上々ではないだろうか?
 それに、この『仕事』はやよいにとっては天職ともいえるだろう。多分、というよりも、絶対に、高槻やよいというアイドルの魅力を、十全に引き出すことができる仕事だ。これは、プロデューサーの腕なのか、やよいの『運』なのか、気になるところではある。

「ふーん、アイドル同士で、いくら売れたか競うわけだよね?」
「そういうことだな。四人で競って一位になったアイドルに、専属の曲とプロモーションの権利をくれるようだ。それで、ここからが本題だが、その四人のなかで、最下位を請け負ってくれるアイドルが欲しいらしい」
「ん?」

 私は眉を寄せた。
 この男がまともな仕事をとってくるとは思わなかったが、案の定話の方向が怪しくなってきた。

「ちょっと待って。あれって」
「ええっ、あれって出来レースだったの!?」

 私の声を掻き消して、悲鳴をあげたのは美希だった。
 どうやら、これからより、これまでの放送が嘘だったというのが、一番本人にとってショックだったようだ。

「うむ。全部じゃあないけど、七割は台本だな、これを見ると」
「アンタ的に、そういうのって許容できるの? テレビ番組なんて、ほとんど仕込みだなんてわかってはいるけど」
「ある程度の方向性は必要だろう。あまり陰湿になりすぎても困るし、ライバル同士で結託されるのも困る。それに、やよいにトップをとるチャンスがないわけじゃない。一番売れにくいものを渡されるだけで、トップをとってはいけないだなんて、どこからも言われてはいない」
「そうじゃなくて、倫理的に、なんとか思わないの?」
「伊織の言う倫理的責任というのがよくわからないが、特になんとも思わないな。ドキュメンタリーならいざ知らず、バラエティにそんな倫理的責任はない。大切なのは、自分に割り振られた仕事をきちんとこなすことだ。それにな」

 プロデューサーは、にっこりと精神がガリガリと削れそうな笑みを見せると、やよいをまっすぐに見た。

「オファーを出した偉いひとは、きちんとやよいを評価してくれている。どんなときにでも笑顔を忘れない。自分の置かれた境遇を呪ったり、諦めたりしない。高槻やよいには順位なんて関係なく、自分のきらめきを表に出すことができる。そんなの誰にでもできることじゃないだろう?」

 どうする?
 プロデューサーは、目線でそう語っていた。
 それに対するやよいの答えは、もう決まっているはずだった。










 そうして、私たちは、ダンボールの箱の前で頭を抱えることになる。
 聞いたことがあるだろう。バレンタインデーにジャニーズ事務所に届く大量のチョコレートの存在を。今の状況は、おそらくそれと似ている。次々と事務所宛てで届くダンボールのすべてが、やよいに対する救援物資だった。

「で、なんなのこれ?」
「うむ。放送が効果的すぎたな、きっと」

 第一回の放送から数日、『ジョニー須々木のイッツアサクセス』の効力は、なにやら絶大だった。放送する方も破れかぶれなのか、初回二時間拡大スペシャルで始まったこの放送は、『第一シーズン』一回目の放送と同クラスの視聴率をたたき出したらしい。下げ止まらなかった視聴率の低下を食い止められて、関係者一同がほっとしていた矢先である。

 第一回目は、やよいを含め、登場するアイドルたちの紹介と、手売りする商品が割り振られるところまでで終わった。
 割り振られた商品は、以下のようである。

 鏡スズネ(シングルCD 1200円)
 鮎川ななみ(特製おにぎり 300円)
 鈴鹿千歳(本人のブックレット 1000円)
 高槻やよい(本人の仏像フィギュア 39800円)

 これを見るに、
 やよいが、一番不利なのは言うまでもない。

「材料費が一切計算に入ってないからな。食い物で材料費を一切考えなくていいのは強すぎる。番組としては、鮎川ななみを一位にするためのアングルを描いてたんだろうけれども」
「なんていうか、放送見てみると、やよいが全部もってっちゃってるのよね。値段を聞いて『あわわわわわわわっ』と慌ててるところとか、積み上がった在庫の山を前にして、呆然としているところなんて、タネがわかっていても大丈夫かと言いたくなるぐらいだったわよ」
「で、この注文の数か」

 プロデューサーは、注文数をエクセルで出力した報告書を見つめた。
 どう見ても、途方にくれているようだった。
 簡単に増産できるほかの売り物はまだしも、仏像フィギュアは簡単に増産がかけられないために、番組の最後に注文先を載せたのが、この事態のはじまりだった。

「まさか、注文が六百件くるとはなぁ」

 プロデューサーは、やよい仏像フィギュア(39800円)を両手で持ち上げた。バレーボールぐらいの大きさはある。つまりは、マックスゴールドファクトリー製、『アニメ版SD高槻やよい』をそのまま材質を変えて巨大化させた形になる。最高級の楠材を使い、衣装は金糸で織り上げた逸品だった。一流の仏師に頼んで隅々まで趣向を凝らしたこれは、39800円で売るのは安すぎるぐらいなのだが。

 それでも、売れすぎだと言える。
 関係者は、五体も売れれば上出来だと考えていたらしい。うん、その判断に間違いはないはずだ。私でもそう判断する。プロデューサーは、二十体は売ってやるぞと息巻いていたが、この男でさえ、予測と実売に限りなく大きな隔たりをつくってしまっている。





 この騒動は、ネットで小規模な祭りになっていた。
 まとめサイトができて、購入者を募ったり、逆に値段の高さに批判が集まったり、番組の迷走を嘆いていたり、匿名掲示板ではスレッドの勢いが即日で一位になってしまっていた。瞬間的ではあるが、ブームになったといえないこともない。

「もやし応援キャンペーンだと。ふざけんな。俺は認めないぞ。こんなゴミが売れてどうするっ」
「今回、これ企画したの自分じゃないからって、言いたい放題だよね」

 美希は、置き場所のないダンボールの海に揉まれて、居心地が悪そうにしていた。

「ところが、このもやし応援キャンペーン、そんな大事になってないんだよな。ホームページでカウントされているのは、まだ38件だし」
「ちょっと、注文がきたのは600件なんでしょ? 残りの500件超はどこにいったのよ?」
「ふつーに、そういうのに縁のないふつーの人が、やよいの心意気に打たれて、受話器をとった結果、だろうな。実際、ネット販売と電話での応対とふたつ窓口があったんだが、八割が電話で注文されている。なんつーか、『ゲロゲロキッチン』のお客がそのまま流れてるんみたいなんだよなぁ。熱烈なやよいファンがけっこうな数発生しているらしい。やよいだけ目当てで、欲しいと思って買ってくれているみたいだ。ここまで売れるとやよいのランクアップは硬いが」
「ううっ。問題は番組のほう、ですよね?」

 やよいはぐらぐらと安定性のないダンボールを支えながら、埋もれて小さくなっていた。人の善意にあてられて困惑している、ようには見えない。

「私、最下位の約束だったのに、これだと番組の趣旨が、めちゃくちゃになっちゃうんじゃあ」
「やよい。心配するところはそこじゃない。たしかに踏み台に乗せすぎて、重さは崩壊したみたいな感じだが」
「ううっ」
「実際、スタッフの士気は上がってる。毎回改変期には打ち切りのうわさが出て、続いているのが不思議だとか言われてた番組だしな。『第八シーズン』が確約されたようなものだし。ライバルのアイドルたちも、むしろ今回の騒動で注目度が上がったぐらいだ」

 プロデューサーは、だから、と続けた。

「なにげに、困っている人間なんて、誰もいない。だから、やよい。お前はなにも気負う必要はない。ここで澄み切った気持ちで、買ってくれた人に感謝の気持ちを述べるのが、お前の責任だ」
「は、はい」

 やよいの目に、気持ちが戻ってきた。
 一見まともそうなプロデューサーの言動に、いちいち左右されるのがやよいの長所でもあると思う。

「ところで、アンタ、今回なにもしてないのよね?」
「してないな。俺だって24時間悪巧みしてるわけじゃない。しようとはしてたけどな」
「ううん、売れるときって、こんなものなのかしら。他人事だからなおさらだけど、いまいち実感がないのよね」
「本人だってないよ。伊織ちゃん」
「そんなこと言ったって、まったく予期しないヒットなんてこんなもんだぞ。苦し紛れの手が、たまたま相手のテンプルを打ち抜くラッキーヒットだったりするんだ」

 ん、とそこでプロデューサーは、なにかに気づいたようだった。

「でも、こういうのやよいらしいって思うな。考えてみると、こういう上り詰め方以外、考えられないぐらい」

 美希のやよい評は、多分的確だった。
 挑むんじゃなく、だれかが自然とやよいのために手を差しのべたくなる。たしかに、本物のアイドルというのは、そういうものなのかもしれない。
 
 誰かの差し伸べてくれた手が、そのまま誰かの願いを叶えるための力にする。これがやよいのスタイルなんだろう。

「すべてを吸い寄せる、やよいらしいヒットの仕方っていえばいいのかしら」
「うむ、なんかいた気がするなぁ。こんなヒットをしたアイドルとか」

 特徴的なイントロ。
 プロデューサーが多機能ケータイ(スモールフォン)を耳に当てた。しばし、渋い顔になって、回線の向こうの人との話が続く。プロデューサーのからかうような口調からして、多分、うちの西園寺社長だろうとアタリをつける。

「なんてことだ。やよいのグッズとCD。すべてに追加発注がかかりやがった。ふざけんな。なんだこのヒットの仕方。俺はどうすればいいんだ?」

 プロデューサーは、この世の終わりのように天を仰いだ。

「だから、なんでアンタが慌ててるのよ」
「だって、今回おにーさん、まったくなにもしてないし」
「いいことじゃない。無闇に敵も増えないし、私たちも無駄に苦労を込まずに済むわけだし」
「なんだとこのやろう。これがどういうことか、お前らにわかるのか」

 プロデューサーが逆ギレした。
 話の流れからして、たいした問題じゃないとは想像がついたが、まあもう少しだけ話につきあってあげてもいいだろう。

「俺がこの一週間ぐらい夜たっぷり寝て、昼寝する時間を削って考えた、やよいを売り出すためのパーフェクトプランが使えなくなるってことだぞ」
「それ、マトモに考えてないよね」
「なんていうか。二時間ドラマの終盤で犯人が自白するみたいなカーネーションですよね」

 やよいは、多分シチュエーションといいたいのだろう。
 いちいち誰もつっこまないが。いや、やよいの例え自体は、たしかに的を射ているような気がする。

「で? そのパーフェクトプランってどんなのよ?」
「決まってるだろう。西園寺社長をいつものごとく言葉巧みに騙くらかし、このシーズンの宣伝費をすべてやよいひとりに注ぎ込む。まあ、ここまではいいな」
「その説明で誰が、『いい』なんて答えるのよ」
「なにか四ステップぐらい省略されたような気がしますけど」
「でもおにーさん、多分、本気でやっちゃうと思うよ」
「否定できないのが嫌ね。というより、最初の前提からしてツッコミ待ちだと思うんだけど」
「そうなると、あまりの不公平感にほかのアイドルのファンたちが、すべてやよいのアンチと化す。きっと、ファンたちの間で小競り合いが起こったり衝突が起きたりと、とても楽しいことになると思うんだ。きっと、やよいのサイン会に乱入して警察沙汰にしてやるというファンとかがでてきてすごく胸アツだ」
「へえ――」
「あ、あわわわわわ」

 やよいがひとり。
 極悪非道なプロデューサーの計画に、全身を震わせていた。

「そんなうまくいくのかな?」
「うむ。いい質問だ。プラチナリーグはファンが順位を決めるというファンの矜持があるからな。不自然なプッシュとかに、ファンがアレルギーを示す傾向がある。『血の8月事件』とかひどかった。当時人気ユニットのセンターに、まったく無名のアイドルが座るという事件が起きて、事務所側の火消しがまずかったせいで、大問題に発展したという歴史がある」

 そこを皮切りに、プロデューサーの演説が二分ほど続いた。
 自粛すべきイベントと、そこからの復活劇。ワークスプロダクション全体を巻き込み、ゼロからの出発をかかげた一大叙事詩は、もうこの男、ラノベでも書いてデビューしてみればいいのにと思うぐらいスペクタクル溢れるものだった。
 
 ああ、当然ながらもう誰もマジメに聞いていない。私は半分以上右から左に聞き流しているし、やよいは三転四転するえげつない話にぐるぐると目を回していた。やよいにとっては、主役が自分だというのが笑えもしないところだろう。

「さらにそこに最後に、やよいに100万の懸賞金をかけ、ゴキブリホイホイのごとく集まったアイドルとファンとアンチどもを『スマイル体操』で一斉掃射するという俺の遠大かつパーフェクトなプランだ。それがなんだ。このままやよいがメジャーになってしまったら、俺のこの『プロジェクトリトルプリンセス』が、お蔵入りになるということなんだぞ。伊織。どう思うこれについて」
「――死ねゲス」

 一応、最後まで聞いてみたが、たいした計画じゃなかった。

「それより、ここからどう立ち回るべきなのか、話し合うのはそこでしょう?」
「うむ、そうなんだがどうしようもない。ここまでヒット理由が不透明だと、消費者の顔が見えないせいで、次の手が打ちにくい。ヒットする道筋なんて、そのアイドルの数ほどあるからな」
「ふぅん。でも、さっきおにーさん言ってたよね。こんなヒットをしたアイドルが昔、いたって」
「ああ、いたな。参考になるのかわからないが」
「番組からステップアップしたっていうのなら、モーニング娘じゃないの? ピンクレディーとかも」
「いや、そういうのじゃない。むかし、とある番組で、ひとりの青年歌手をデビューさせようという企画が立った。司会が上手くしゃべれるわけでもないし、その番組ゆえのチープさと企画自体の安っぽさと、誰もやらないことをやったといえば聞こえはいいけど、それ単に迷走してただけだろ、という行き当たりばったりの、他番組の後追い企画だったんだがな」

 プロデューサーは、言いにくそうに言葉を切った。
 
「なに? 番組が大ヒットでもしたの?」
「いいや、その番組は看板キャストがでられないとかで、さっぱり盛り上がらなくて、一年ほどで打ち切られたが、番組終了後に、歌手だけがヒットした。その当時、まったく時代にかみ合ってなくて、絶滅寸前だった『演歌』というジャンルを、完全に復活さえた異端児がいたろ。あれは今思い返しても、奇跡みたいなものだったと思うんだ
「名前は?」
「氷川きよし」
「は――?」
「結果的に、あそこまで成り上がるなんて、誰一人予想していなかっただろう。天と地と人を、結果的に完璧に掴んだ末の結果だな。まあ、苦し紛れの奇手が、神懸かりな鬼手へと変貌するような、実に特異なヒットの仕方だったが」
「なる、ほ――ど」
「とにかく、計算してみた。これがすべて通れば、やよいは仏像の売上だけで、Aランクに必要な昇格点の半分を稼げることになる。そうなったら新曲はもうできてるからな。『キラメキラリ』を投入して、この追い風を存分に利用したいところだ。まあ、これが通りさえ、すればの話だが」

 プロデューサーは、なにかを思案するように天を仰いでいた。

 不吉だ。
 なにかある。
 そう確信させる、プロデューサーの物言い。
 
「なによ。まだなにかあるみたいじゃない?」
「わからないか? さっき散々、俺に説明させたろ?」
「なんのことよ? 私が聞いたのなんて、アイドルグッズの説明と、プラチナムポイントがどう入るかで――」


 どくん、と心臓が脈打った。

「――あれ?」

 グッズ販売の際に、プラチナムポイントが入るのは、その提携店で販売したときのみ。だったら、こんな個人販売の際に、ランクアップに必要なポイントが、割り振られるものなのか?

「ちょっと、このケースって、プラチナムポイントに、換算されるの?」
「されない、だろう。なにせおにぎりが入ってる。食いものなんて認めたらホントになんでもアリになるぞ」
「まあ、まだ予約段階だからなぁ。交渉次第でどうにでもなる。というか、どうにかしないといけないだろうな。いろいろとめんどくさいけれど」

 あとは、面子やそれぞれの利害の話になる、とプロデューサーはまとめた。
 これ以上は、汚い大人の話で、アイドルが触れるべき話題ではない、ということだろうl。私が踏み出して介入できることなんて、すでに遥か遠くに飛んどいってしまっている。

「さっきの電話で、社長に話はつけておいた。ここからは、あの社長の頑張り次第だ。なにせ、ワークスプロダクション二人目のAランクアイドルが誕生するかどうかの瀬戸際なんだ。ちゃんと働いてもらわないといけない。な、やよい」
「うん」

 やよいは、棒立ちになったまま、生返事を返すだけだ。
 遠いはずの夢が、目の前に降ってきて、なにをすればいいのかわからずに凍りついている。行く先もわからない切符を渡されて、ひとりっきりで戸惑っているように見えた。

 考える。
 私は、やよいが、このままのランクでいること。
 Aランクアイドルに昇り詰めること。

 ――どちらを望んでいるのだろう。

 
 
 
 
 
 
 
 
 そして、その日から三日ののちに、私たちの想いは一欠片の考慮すらされずに、結論は出た。

「おめでとう」

 祝福の、言葉。
 なにが?
 ――いったい、なにが?
 西園寺社長のやさしげにすら聞こえた言葉が、よりいっそう私の不安を煽った。プロデューサーは、不本意らしい。背後で、しきりに床に靴のつま先をぶつけている。



「高槻やよいさんは、次のシーズンを待って、Aランクアイドルに、昇格となります」



 心からの喜びの言葉。社長にそれにあてられて、やよいはなんとか笑みのようなものを返したようだった。喜ぶべきだ。そう考えることはできても、自分の気持ちが思うとおりにならない。
 
 嫉妬?
 違う、そんなんじゃない。
 一歩先んじられたら、並べばいいことだ。そんなことで、今更私は心を動かされたりはしない。

 果たしてそれは、らちもないひとつの杞憂だったのだろうか?

 Aランクへの昇格。
 
 直に聞いた社長のその言葉は、私にとって、
 世界の終わりを宣告される、黒くへばりつく呪いのように聞こえた。












[15763] stage6 vs Yayoi takatsuki 5
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2011/12/19 12:20






「スタジオのみなさーん。こんばんはー。
 今、ミキたちがいるのは、都内一等地にある最高級ホテルの廊下だよ。あふぅ。えーとね、いまは明け方の五時だから、ちょっと眠いの。
 おでこちゃん、早すぎるよ。あと三時間ぐらい遅くてもいいんじゃないかな?」
「いいわけあるか。それじゃあ、寝起きドッキリにならないでしょうが」
「ううん。じゃあもう少しがんばる。ここは帝国ホテルサンスイート57階。一泊6万円からだって、ミキこんなところに泊まったことないよ」

 ふわわわあああああっ、と美希が拳を突っ込めそうなぐらいの大きなアクビをしながら、やる気なさげにカンペを読み上げ始めた。
 さっきも壁に激突していたり、緊張感がないことはなはだしい。なお、寝起きドッキリのお約束として、これまでの会話はすべて小声で行われている。

 映像の中だけの茶番とはいえ、最低限の緊張感は維持する必要があるのだが、別の理由もあった。

「っていっても、ここクラブフロアよ。最高級スイートはこの十倍はするわ。残念ね、最高級スイートのほうなら案内できたんだけど」
「ってことは、おでこちゃん。ここ泊まったことあるんだよね」
「当然じゃない。最高級ホテルなんて看板、出すのは設備さえあればできるけど、ここは値段とサービスが釣り合っている東京では珍しいホテルね。まあ、こんな格好で歩くことになるとは思ってなかったけど」

 高層ビルの五十階で、黒いレオタードに悪魔の羽根を生やして、二本角のカチューシャをつけて、小悪魔ルックなんて格好をしている私と美希は、人に見つからないようにこそこそと隠れながら廊下を歩いていた。

 張り詰めるような異様な緊張感は、その格好のせいだ。

 朝の五時とはいえ、いつ人が出てこないとは限らない。ホテル側には、ドッキリをやるとしか話を通していない以上、誰に見つかっても問題になりかねない。早めに、やよいの部屋にまでたどり着きたいところだった。

 使用方法のわからない杖を手にしながら、気配を消しつつ、前方を確保した。後ろからは、美希に続いて、照明とカメラマンがついてきていた。

「ところで、私たちが持ってるこの杖ってなによ。邪魔だから捨てたいんだけど」

 形状は、むしろ杖というより高枝切りバサミに似ている。柄のほうにボタンがあったりするが、バカバカしくて押す気にもならない。

「ええと、おにーさ、じゃなくて、プロデューサーが言うにはマジックハンドらしいよ。そういえば、使用説明書があるはずだよ。ええと、たしかこのポケットに」

 溶けたチョコレート。張り付いたガム。使い終わった切符。美希がそういうものの中からとりだしたのは、くしゃくしゃになったプロデューサーからの指示書らしい。

「えーと、今回の指令は、やよいの腹についた肉の調査に使用。目盛りつきマジックハンドで、ちょっとつまむだけで、アイドルのメタボ度が計れる優れものだって」
「あの男、頭の中になにが詰まっているわけ?」
「むしろ、なにも詰まってないんじゃないかな?」

 ひどい言い草である。
 できるのなら、解剖に回したいところだった。
 指示書は無駄に凝っていた。墨と筆で書かれた指示書をゴミ箱に捨てながら、ようやく私たちはやよいが泊まっている一室にまでたどり着く。
 あらかじめ支給された部屋のドアに、IDカードを差し込む。ドッキリは、できるだけ視聴者に対してもったいぶるのが大事だと聞いている。カメラがズームして、私の手元を映しこむ。カードを差し込むと、電子音とともにボルトが解除されてカギが廻りきった。

 最小限のランプの明かりだけが室内を照らしていた。朝とはいえ太陽は出ているので、何も見えないというわけではない。
 
「なんか、スイートに比べると内装がショボイわね」
「十分広いし豪華だと思うんだけど」

 インテリアひとつひとつにおいて、こだわりぬいた広いその一室。18世紀のイギリス風ジョージアンスタイルで統一されている。明らかにベッドには人の膨らみがあった。メインディッシュに箸をつけるのは最後にして、まずは外から手をつけていく。

「まず、最初にやることはアニメティの調査からだって」

 美希が、プロデューサーの指示書、その2を読み上げる。
 美希は間違っているが、正しくはアメニティだろう。ホテル備え付けの、一日使い捨ての備品のことである。私は洗面所や、テーブルの上をひととおりチェックしてみた。

「案の定、ごっそりなくなってるわね。いや、最初から料金に含まれてるし、持ってかえって構わないんだけど、ハブラシは当然として、紅茶のティーパックからカミソリからなにまで」
「おでこちゃん。なんかイキイキしてるよね。まるで自分の部屋に帰ってきたみたい」
「当然でしょう。最高級ホテルはね、たいてい自分の家みたいにくつろげる空間を提供しているのよ。だったら、自分の家みたいに手足を伸ばしてなんの問題があるのよ」
「わぁ、おでこちゃんすごい。明らかに間違ってるのに、そこまで自信満々に言われると信じちゃうかも」

 お約束の小道具チェックも終わり、めぼしい場所を漁り終わって、あとはやよいの処遇だけだった。
 カメラ位置に、指示を出す。そろりそろりと、足音を殺しながら膨らんだベッドに忍び寄った。ベッドの膨らみに手をかける。
 あとはやよいを起こすだけ。それを邪魔するものはだれもいない。

「ん?」

 違和感。
 そこにあるべき体温を感じない。

「あれ、なにこれ?」

 カメラがアップになる。ズームしていく『間』を十分にとってから、私は布団を引き剥がした。

「やよいが、いない」

 ベッドのふくらみは、タオルを丸めたものだった。たしかに部屋に人の気配はあるし、ベッドに乱れもある。やよいがここにいることは間違いないはずだった。

「う、空蝉の術なのっ。やよいがフェイントをっ!!」
「いやあのね。やよいのことだから、もっと心の底からどうでもいい理由だと思うわよ」
「ううっ、なんの騒ぎですかー?」

 もぞっ、と部屋の端にあったなにかが動いた。ライトの光源が届かなくて、そこまで目が届かなかったが、もぞもぞと動く物体がひとつ。

 毛布にくるまって、やよいが目をしぱしぱとさせていた。
 
「あれ? 伊織ちゃんが、グレた?」

 いまいち状況のつかめないらしいやよいは、こっちの格好のことを言っているらしい。たしかに、黒のレオタードに悪魔の羽と尻尾と角なんて、そうとられてもしかたないかもしれない。

「こっちはこっちでいろいろあるのよ。それより、やよい。なんで部屋の端で寝てるのよ」
「そこのベッド、ふかふかすぎて落ち着かないんだよ。ここって、お化けが出そうで怖いんだもん」
「そういうものよ。慣れなさい」
「それより伊織ちゃん。ここって、ご飯どうやって食べるの? ルームサービスっていうの頼もうと思ったんだけど、そんなのなかったよ?」
「わかったわよ。クラブフロアの使い方を教えてあげるわ。朝食は、たしか7時からだったわね」
「はーい」

 というわけで、私はやよいに近づいていく。

 そのまま差し出された手をスルーし、私は後ろからまだ動きの鈍いやよいを羽交い絞めにした。

「その前に」
「あれ?」

 布団とかなにやらで拘束されて、やよいが目を白黒とさせている。

「認めたくないけど、これって任務なんだよね」

 美希が、両手で持ったマジックハンドをわきわきとさせながら、やよいのお腹に照準を定めた。というか、このままだと番組の尺があまって仕方ない。

 風船、氷、おしゃぶり、霧吹き、足の裏に文字を書くためのサインペン。あとは添い寝させるために使う美希など、小道具はいろいろと持ってきていたが、まあドッキリの醍醐味というのはここからだった。

「お腹の肉を測らせなさい」
「え?」
「大丈夫よ。痛くなんてないし、減るものもないわよ。人として大切な尊厳とかが減るかもしれないけど、些細なことよ」
「あの、伊織ちゃん。美希さん? 目が笑ってないんですけどー」
「やよい。すぐ終わるから大丈夫。痛くしないから」

 ばたばたと動くやよいを、私は体重で動けなくしている。そろりと近づいてくる美希は、やよいにとってぱたぱたと悪魔の羽をそよがせる子悪魔そのものだろう。

「じょ、冗談ですよね?」
「そう思うなら、そう思っていればいいわ。ああ、かわいそうなやよい」
「やよい。駄目だよ好き嫌いは。好き嫌いすると大きくなれないんだよ」
「あ、あれぇ。な、なにか間違ってますー」

 以下、写してはいけないものが映っていますので、ここからは音声のみでお楽しみください。そういうテロップが画面にはいり、全体にモザイクがかかる。

「ふぅ、堪能したわ」

 周りに散乱する割れた風船、足の裏に落書き、おしゃぶりをくわえさせられ、首元に氷を垂らされ、自分の曲を大音量で流され、どっきりで考えられる限りの辱めを受けたやよいは、ボロボロにされて布団のなかに突っ伏していた。

「ふたりとも、ひどい」
「尊い犠牲だったの」
「やよいは犠牲になったのね」
「なんで他人事なんですかー」

 やよいの悲鳴が響き渡り、今日もまた一日がはじまる。
 ドッキリ大成功のテロップが流れて、画面が暗転した。











[15763] stage6 vs Yayoi takatsuki 6
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2011/12/21 09:57






 インターネット配信。
 訴求力のあるアイドルを前面に出した番組構成で、ただ放送設備のある場所にアイドルを呼んで、カメラの前で三十分ほどしゃべらせるだけなんて番組もあれば、この『高槻やよいのやよい式WEBテレビ』みたいにスタジオを借り切って、チケット制の公開収録で行われる場合もある。

 音声だけにとどまらず、スタジオ全体の雰囲気を流し、ユーストで流す例もあるが、この番組はあらかじめ公開録画し、編集のあとで流すというオーソドックスな方法をとっている。ウェブに挙げられた動画は、各ポータルサイトに上げられ、視聴者のところに届くことになる。

 このハニーキャッツの共演が看板番組でやれればいいのだが、今の私と美希のランクと知名度では、それも望むべくもない。

 やよいの個人番組だからこそ通用するやり方で、これ以上はどうやっても入り込む余地はない。これよりランクの高い仕事なんて、私には廻ってこない。今の高槻やよいは、CM単価が2000万を超えている。そんなアイドルと同じ番組に出られているだけで、奇跡みたいなものだ。

「うむ。この『高槻やよいのやよい式WEBテレビ』。なかなか業界でも好評でな。Aランクアイドルを肴に好き放題するというとても潔い番組だ。ああ、菊地真に無断で突撃生取材を仕掛けてから、各Aランクアイドルに出演を断られまくってな。困ったなぁ、次の生贄はだれにしようかなぁ」

 満足げにプロデューサーは、事務所のパソコンから画面を映し、嬉々としてろくでもない計画をたてている。やはりここで土に葬ったほうが世界人類のために有益だと思えてくる。この変わらなさは、頼もしいといえなくもないが。

「やよいの一時間番組なのに、やよい本人が三分しか出てないのをうまくごまかせてるわね」
「うむ。尺を稼ぐための定番だからな。今のやよいのスケジュールで、こんな番組を入れるのは問題だったが、うまく誤魔化せただろう?」

 私の言葉は、皮肉そのものだったが、プロデューサーは、わかってて受け流している。

「そろそろ、我慢の限界みたいなんだけど」

 私は、カツカツと靴の踵で、事務所の床を鳴らした。

「伊織。その癖はみっともないからやめなさい」
「ああもうっ」

 私と美希は、三ヶ月で、Dランクアイドルにまで上がってはいたが、このままのペースだとやよいに追いつくのに何年かかるのかわからない。

「思い切った手とかうてないの? やよいに追いつくために」
「アイドルも商品だ。商品には需要と供給というものがあってだな。お前ら三人組が、どれだけ望まれているか、ちょっとテストをしてみたんだが」
「いつの間に」
「いや、今回の放送でだ。動画の前半を後半に分けて、再生数を比べてみたんだが、やよいの出てくる前半だけ再生数が跳ね上がって、後半は再生数が前半の二割しかないぞ」
「ぐぬぅ」
「後半が前半に比べて再生数は落ちるのは普通だが、それでも五割はキープしないとな。どうにかハニーキャッツになにかの価値があることを示さないと、高槻やよいの良さを殺すだけだ」
「ふーん。大変だね」

 美希は、他人事のように、ソファーに寝転がりながら水羊羹をかじっていた。

「美希。ずいぶんと高そうな菓子だが、どうしたんだそれ?」
「おでこちゃんがくれたの」
「安い買収方法だなおい」

 プロデューサーが、呆れたように私を睨んでくる。
 とりあえず、効果的だというところは間違いない。もとより無茶なことを要求しているという自覚はある。ならば、せめて数の上だけでも優位に立っておくべきだ。

「そういうわけで、ミキはおでこちゃんの味方することに決めたの。それでおにーさんは、三人で活動することに反対なの?」
「反対か。反対ね。特に言うまでもないだろう? 高槻やよいは、Aランクアイドルとして、あれで完成している。いったいどこのだれが、そこに足を引っ張ることが目に見えているDランクアイドルふたりを足そうと思う? そもそも、これを言うんなら逆だろう。たとえば、やよいのランクが低すぎて、正当に評価されていないからという理由で引っ張り上げるのならともかく、自分たちがやよいに追いつけないからとか、どれだけ図々しいんだ」
「む。言いすぎじゃない?」
「この程度のことは、これから聞きたくないぐらい言われることになるだろう。伊織の提案を呑むのなら」
「でも、ほら。三人で歌うなら、やよいひとりの時とは全然違うステージになると思うし、ファンのみんなもわかってくれるんじゃないかな」

 美希がプロデューサーに食い下がっている。
 ここは、水羊羹の力ではなく、ユニットとしての責任感から来ているのだと信じたいところだった。

「そんなの、もうやっただろう。前回の放送の最後に、三人で。新曲まで用意してやったな。それで、どうだ。大した反応がないぞ。むしろ、やよいのソロがなかったっていう苦情のほうが多かった」
「ちょ、そんなの初耳なんだけど?」
「さっき入ってきたデータだしな。というか、想像以上に効果がなかったので、今回、相当になりふり構わない手を使ったんだが、なにも変わらなそうだな」
「っていうより、おにーさん。もしかして」
「ああ、伊織がやってほしいと今頼みにきたようなことは、とっくにやってる。やよいの腹肉つまみなんて裏技を使ったしな。というよりは、打てるべき手はすべて打ってる。三人で歌わせるだけで、ファンがその価値に気づくなんてことは。なかったな、残念なことに」

 プロデューサーは、安い椅子に腰掛けたまま背もたれを軋ませた。

「つまり」
「ああ、仕掛けた策のことごとくが、まったく効果がない。やよいに追いつく方法すら見つけられない。これ以上、時間と手間をつぎ込んでも効果があるとは思えない。一緒にAランクに昇れる可能性なんて、一パーセントもないだろうな」

 沈黙が落ちた。
 突き付けられた、針の先のような可能性。
 はたから見れば、絶望的な状況。八方ふさがりとでもいうのかもしれない。もっとも、私にはまったくそんな実感はないが。

「身の振り方を、考える時期かもな」
「え?」
「お前たちには、やよいを諦めるという選択肢もある。ひとりなら、そこそこの位置にまで昇れるだろう。このままこだわり続ける限り、伊織。お前のアイドルとしての一生は、やよいを追いかけるだけで終わってしまう。お前は、おまえ自身を目指しているんだろう?」

 正論。
 その忠告は、きっと正しい。
 珍しく、プロデューサーが、私を心配してくれているのもわかってる。

「うるさいわね」

 私の答えは変わらない。
 そんなことで悩む時期は、すでに過ぎた。
 
「そんなこと、私は最初に考えたわよ。たくさんの、やよいのファンの期待を裏切って、迷惑をかけることになる。そういうことを、全部考えて、最後にそういう結論を出したの。私に批判が集まるのなら、全部捻じ伏せるだけ。プライドも、自分の夢も、誰にも渡さない。私の夢を好きにしていいのは私だけよ。どんな人間が下す評価も、それを止められたりしない。私の夢は私が決めるわ。だって、全部、私のものだもの」

 絶句していた。
 プロデューサーも、美希もなにも言い返せずに、口をあけている。

「いますぐに跪いて、協力させてくださいと言いなさい」
「あのねおでこちゃん。それ、あんまりだと思うよ?」

 美希は、白けた様子だった。
 プロデューサーは、気味の悪ささえ感じる冷笑を浮かべている。



「……………………」





[15763] stage6 vs Yayoi takatsuki 7
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2011/12/23 08:08

「障害が立ちふさがったのなら、蹴り飛ばすだけよ」

 見回してみると、美希はすでに水羊羹を食べる手を止めていた。
 ここで不満をぶちまけることに、意味はない。周知の道理をどうして理解できないのかと、美希は困惑顔だった。ただいたずらに被害をまき散らす火薬壷のように思えたのかもしれない。

「……………」

 プロデューサーは、まだ沈黙を続けている。

「おでこちゃん。それで、本当にいいの?」
「いったいなにが? 私はただ目の前の誰かさんの気持ちを、代弁してあげているだけなのに」

 美希が驚いたようにプロデューサーの顔色をうかがった。
 プロデューサーは、一言も発せずに、むっつりと押し黙っている。

「アンタもそうなんでしょう? この状況が気に入らないんでしょ。ただの流行とか偶然とかの最大風速ごときに、自分のプランが潰されたのが悔しくてたまらないんでしょ。現実に、自分のアイドルを信じてたんでしょ。
 言っておくけど、誰にでも言う言葉じゃないわよ。アンタと私は、夢とプライドを糧にして生きている、ほかのすべてで反りが合わなくても、そこだけで通じ合っていたって、私は思ってるわ」

 私が理解できる、この男の唯一のパーソナリティだ。
私は、乞わないし、助けを求めたりはしない。わめくこともない。自分を構成している誇りをぶつけるだけだ。

「……俺を挑発でもしようとしてるのか?」
「やっと口を開いたわね。能書きはどうでもいいわ。こないだ美希がストリートバスケで活躍してたとき、『なんで俺を誘わないんだ』と不満げだったじゃない。だからちゃんと、今回はアンタを誘ってあげようとしているのよ」
「えー」

 美希は、すでにドン引きしていた。
 それは私の言葉に大してじゃない。プロデューサーの目に、燻っていた火が、餓狼のように燃え上がっていることに気づいたからである。

「てのひらに世界を乗せて、思うままに廻してみせる。それって、すごく楽しそうだとは思わない?」

 駄目か?
 届かないのか?
 疑心暗鬼に陥りそうななかで、ふっと、プロデューサーの目じりが緩まったのがわかった。

「言っていることが、わかってるか? それは、『高槻やよい』に、勝つ、ということだぞ」
「大丈夫でしょ。私と美希とやよいの、三人がかりなんだから」
「三人がかりで、『高槻やよい』に勝てるのかどうか、か。分の悪い賭けだなぁ」

 空気が緩まった。
 まいったなぁ、と呟きながら、頭を掻いている。

「で、どうするのか、そろそろ返事を聞かせなさいよ」
「ああ、すまない伊織。俺が間違っていた」
「え、ええっーっ!!」

 美希の絶叫が、鼓膜を叩くのもまったく気にならない

「そうだな。そこまでいわれたら、俺も引くわけにはいかないな。俺らしくもなかった。さて、やよいが無事Aランクアイドルに昇格したことだし、片っ端から目に付くAランクアイドルを狩りまくって、生態系を破壊するべきだよな」
「まあ、そうね」

 ここで機嫌を損ねられてもつまらないので、適当に相槌をうっておく。

「ああ、ついにブレーキが壊れた」

 美希が頭を抱えていた。私も、なにか大切なものを売り渡した気がするが、まあ、仕方ない。

「さて、というわけで、やよいを呼ぼうか」
「やよいの意見も聞かないといけないしね」
「まあ、大丈夫だろ。正直、伊織の意見なんてどうでもいいが、やよいのいつ三人で活動できるんですかという無言の視線に、そろそろ耐えられなくなってきたところなんだ」


 プロデューサーの言葉を証明するみたいに、やよいは目に見えて上機嫌だった。

「なんだやよい。やけに上機嫌だな。100円でも拾ったのか?」
「違いますプロデューサー。そんなんじゃないですー」
「あ、床に500円玉が落ちてるぞ」
「え、ええっ。どこっ、どこですかっ!!」

 やよいのあまりの変わらなさに、胸をなでおろしている自分に気づいた。
 やよいにはすでに、メールでこれまでの方針は説明してある。

 三人そろうと、プロデューサーは、事務所に張っているポスターを剥がした。
 
 やよいがコンビニのイメージキャラクターに選ばれた時のもので、社長が狂喜乱舞していたことを覚えている。

「──よし、踏め」

 手馴れた手先でテープを剥がすと、そのままポスターを床に落とす。

 やよいは、私たちに先んじて無言で足跡をつけると、そのまま親の敵のように踏みにじった。私の迷いなんて根底から消してしまう、そんなすさまじい眼光だった。それは今までの自分を、すべて越えるという宣戦布告だ。
 そんな決意を見せられて、私が怯んでいるわけにはいかない。

 くしゃくしゃに踏んづける。
 ポスターに印刷されたやよいの笑顔が、見るに耐えないものになっているが、まあ誰の目にもわかるように、上書きしてみせるまでのことだ。

「さて、片付けるか。このままにしておくと、社長が、いじめが、このプロダクションでいじめが、と勘違いしてぷるぷると震えかねない」
「社長、いつからそんなキャラになっちゃったんだろ?」

 美希が首をかしげている。

「美希。パス」
「うん」

 美希はプロデューサーからトスされると、丸めたポスターを、靴の爪先にひっかけた。ヒュン、という音がして、ポスターはゴミ箱に叩き込まれる。

 私は、やよいの首からうえを抱え込んで、決意を固めた。

「伊織ちゃん?」
「あのね、やよい。少しだけ、待ってて」

 心のなかで、決意を固める。

 あなたをひとりぼっちにしない。
 どんなに遠くに行っているように見えても、やよいは現実に、こうやって手の届く場所にいる。だから、手を離さない。あきらめない。誓いに縋るんじゃない。
 地獄を巡ってでも、私は必ず、やよいの隣に並んでみせる。
 
「待ってて」
「うん」
 
 

 ──必ず、あなたを迎えにいく。





(stage6 了)





[15763] stage7 Boss Rush(五連戦) 1
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2012/01/13 10:22



「それで、具体的にどうすればいいのかしら?」
「自分自身の力を見せ付けるための、一番わかりやすい方法は、ほかのAランクアイドルに勝つことだな。アイドルがそのランクのアイドルとして認められる、唯一の方法でもある」
「まあ、単純だよね。あんまり難しいこと言われても困るけど」

 俺は造りかけのガンプラ(バイアランカスタム)をどけて、バランスを崩して、今にも崩落しそうな机の上から、一冊のアイドル雑誌を抜き出した。
 隔月の雑誌で、ここ数回の表紙は、やよいが独占している。数ページを飾るやよいのグラビアに指がかかると、伊織の表情がかすかに強張るのがわかった。
 それはさておき。

「今のところのAランクアイドルの順位とポイントは、こんな感じだ」


 一位 高槻やよい
 3747373ポイント

 二位 『YUKINO』
 1853399ポイント

 三位 如月千早
 1490040ポイント

 四位 天海春香
 1359743ポイント

 五位 リファ・ガーランド
 1205439ポイント

 六位 菊地真(トゥルーホワイト)
 1137842ポイント

 七位 覇王エンジェル
 1044463ポイント

 八位 高垣カエデ
 1001534ポイント
 

「あれ?」

 これからの戦略を組み立てていくうえで、欠かせないそれに、美希が疑問を投げた。

「なんか多くない? Aランクアイドルってやよいを入れても六人だって思ってたんだけど」
「うむ、美希の質問はもっともだ。それはもうちょっと後で説明する。まずは、Aランクでの戦い方の説明だ」
「むむむ」

 やよいが身を乗り出していた。
 これからの議題は、アイドルとしての『高槻やよい』に対しては、まったくの不利益しかもたらさないのだが、そういうことはまあ関係ないらしい。
 次期アイドルマスターと噂され、殺人的なスケジュールに翻弄されている彼女だが、まあ仕方ない。
 伊織と美希が、ほんとうに大切ということなのだろう。
 その気持ちを無下にすると、やよいそのものが潰れてしまう可能性もあった。
 美希、やよい、伊織、と三人揃って、テーブルの上で買ってきたドーナツを広げていた。というわけで、言うまでもなくやよいの口の端に食べかすがついている。

「Bランクまでは、プラチナリーグの順位とは、ただポイント順に名前を並べただけのものでしかないが、Aランクともなれば、順位自体が大きな意味をもってくる。ルールとしては、ボクシングのランキング制度を逆にしたようなものか」

 伊織は眼を閉じている。
 まあ、普通は知っていて当たり前のことで、今さら復習するまでもない。だからこの説明は、ルールに疎い美希に対してのものだ。
 だが。
 よくわからないという表情をしている美希は想像の通りだが、やよいもわかってなさそうなのがなんか心配だ。まがりなりにAランク一位が、こんなのでいいのだろうか?

「ボクシングのランキング制度というのがまずわからないんですけど?」
「ボクシングのランキングは、チャンピオンがいて、そこから一位から十二位まである。ランキングは、チャンピオンへ挑戦できる権利を争っていると考えていい。ランキング一位は一番にチャンピオンに挑戦できる権利があるということだ。つまり、ボクサーにとって、試合というのはチャンピオンにとっての挑戦権を奪い合っていると考えるのが、一番わかりやすいか」
「はあ」

 やよいが口を開けている。
 まったくわかってないな、これは。

「そして、一方プラチナリーグはその逆だ。Aランクの上位順から、同じAランクの対戦相手を指名できる権利が与えられる。むろん、相手に拒否権はない。指名した方とされた方は同じステージに立って、ファン投票で雌雄を決しないといけない。結果、勝った方が負けた方から40万ポイントを直取りできる」

 つまり。
 Aランク一位であるやよいが、六位の菊地真(トゥルーホワイト)を指名したとする。ファン投票でやよいが勝ち、菊地真が負けたとしよう。
 すると、ポイントの移動はこうなる。

 高槻やよい。
 3747373に400000がプラスされ、4147373ポイント。

 菊地真(トゥルーホワイト)
 1137842に400000がマイナスされ、737842ポイント。よって、Bランクに降格。

「どっちかというと、麻雀の点棒のやりとりよねこれ」
「そういう見方もあるな」

 また、下剋上が熱いルールでもある。

 七位の覇王エンジェルが、もし四位の天海春香を指名し、万が一の大金星を勝ち取れば、1044463ポイントに400000プラスされることで、1444463ポイントであり、七位から四位までジャンプアップすることができる。

 もっとも、天海春香はAランクに上がってから無敗で通しているので、彼女を指名するという選択肢は、現実的には考えづらいが。

「なるほど」
「もっとも、あまりいいルールだとはとても思えないけど」

 ぽつりと零した伊織に、やよいが振り向いた。

「え? 伊織ちゃん。それどういうこと?」
「弱いアイドルに、救済措置がないのよ。このルール」
「うむ、そうだな。同感だ」

 伊織の言うとおりである。
 Aランクに上がる条件が100万ポイントで、そこから40万も抜かれたら、たいていはBランクに落ちる。

「Aランク上位順に、対戦する相手を指名できる権利があるということは、弱者を狙い撃つのが簡単なんだ。オーバーすればその時点でトぶからな。弱者から順番にトばしていくのがAランクを戦う上での定石といえる。一位が八位をトばせば、二位は八位を選べず、七位を指名するしかなくなる。傷を負う可能性を狭められる。三位が六位をトばしたとするなら、四位はもう五位を指名するか、自分より上に挑戦するしかないってわけだ」
「どうガチバトルの機会を減らすか、が定石ってところね。常勝が当たり前である春香以外のAランクアイドルは、みんなそういう定石をきちんと踏んでいるわ」
「えー、でもセコくない、それって?」

 美希のそういう声が聞こえた。
 
「そうでもない。リスクとリターンがさほど釣り合ってないからな。どこから取ろうと40万ポイントは40万ポイントだ。なら、不要なリスクは避けるべきだろう」

 まあ、そんな定石を踏まなくても十分に恐ろしいのがAランクの連中だったりするが。たまたまルールがそうなっているだけで、強者と弱者の違いはそのまま捕食者と獲物に置き換えられる。

「というわけで、弱者は真っ先に毟り殺されるのがAランクの掟だ。このある意味リンチみたいな状況を数回跳ね除けられないと、Aランクには残れない。シーズンに数人ぐらい、Aランクに昇格するアイドルはいるんだが、すぐに毟られてBランクに落とされる」

 ああやれやれ、俺はため息をついた。
 こういうのは人数が多ければ多いほど混沌として面白いと思うので、どうにかしたいという思いもある。
 Aランクが妙に安定しているのは、このルールがあるからだ。弱者が喰いものにされ、強者はより肥え太る。
 
 明るく楽しい人生の縮図というやつだった。

「なにせ、Aランクになること自体は、それほど難しいといったレベルじゃない。CDが五万枚売れれば、ただそれだけで昇格点に届いてしまう。ただ、その先が問題といえば問題だ。たいてい一ヶ月以内にはBランクに逆戻りするな。もう一跳ねできればAランクの常連になれるんだが、その壁を打ち破れない。今の七位と八位も、もうすぐランキングからたたき出されるだろ」
「あれ、それおかしくない? やよいには一件も対戦の申し込みなんてこなかったよ? やよいだけ六人目のAランクアイドルだなんて言われてたし、やよいだけ特別扱いされるのって、なんで?」

 美希が実にもっともな質問をしてきていた。

「ああ、そのタネはやよいのポイントだ。現在で3747343ポイントだぞ。今も売れまくって増え続けているし、普通のアイドルなら致命傷になりかねない400000ポイントが、ほぼ擦過傷にしかならない。この圧倒的なポイントがある時点で、すでに一年間のAランク残留は決定しているわけだ。はっはっは。圧倒的じゃないか、わが軍は」
「へー」
「それはそうと、そんな砂糖の塊みたいなもんあまり食べ過ぎるなよ。四つ目だぞそれで」
「むー」

 渋る美希の口元を、ナプキンで拭き取ってやる。

 やよいが認められる原因はいろいろある。
 だが、それと同じように、やよいが認められない理由なんてものもあった。

 そもそもやよいはAランクの一位に座りながら、まだこのバトルを経験していない。ファンにとっては、ただ客受けがいいだけなのか、ほかのアイドルをねじ伏せるだけの実力があるのかはまだ未知数なのだ。
 
 避けられているうちが幸運という見方も、ファンの間の論争のひとつとしてある。
 これだけポイントがあると、ファンも多い。これだけ勢いのある相手に、喧嘩はしかけられないだろう。

 なにがあるのか予測できない。

 経験値の絶対的な少なさから、高槻やよいは張り子の虎とする意見もあるのだが、そのへんは俺もよくわかっていない。相棒としての伊織なしで、やよいがどこまでやれるかなんて、ライブのその場を経験してみないとわからない。

 それはさておき。

「というわけで、現在Aランク一位、アイドルマスターに一番近いと言われている高槻やよいさんは、いったい誰を指名するつもりだ?」
「え?」

 やよいが首をかしげた。
 今の今まで、その可能性に頭がついてきていなかったらしい。

 定石を踏むか。
 それとも別の可能性に賭けるのか。
 凄まじく重要な選択肢である。ギャルゲーなら、これでヒロインルートが確定してしまうぐらいだ。
 
 やよいの決断が投じた一石が、プラチナリーグ全体を掻き回す可能性すらある。

「わ、私は」

 一点を見つめたまま、やよいの動きが止まった。
 口をへの字に結んで、だらだらと脂汗をかいている。
 やよいが選びやすいように、ランキングにいる七つのユニットそれぞれの写真を、テーブルのうえに置いてみる。

「大切な選択肢だぞ。だれを蹴り落とすのか、考えて決めろ」
「どうしても、選ばないとダメですか?」
「ああ、だが心配するな。一位で膨大なポイントを獲得している現在、誰をターゲットにしてもそんな大差はない。よって、こいつの顔が気に入らないだとか、こいつの言っていることが苛つくだとか。好き嫌いで選ぶのがオススメだ。やよいが嫌いなのはどいつだ? さあ吐け。その名前は、そっと俺の胸の中に仕舞っておいてやろう」
「う、ううっ」







[15763] stage7 Boss Rush 2
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2011/12/27 01:23



「う、ううっ」

 やよいの指が、行き先を無くしたみたいに、紙の上で彷徨う。
 じっとりと額に汗をかいていた。顔見知りを狙うか、それとも定石通り、弱った犬を棒で叩くのか。
 こういう割り切り方と修羅の心は、これからAランクを戦い抜く上で必須であるといえる。

「どうした? まるで新しい服を選ぶように決めていいんだぞ。誰にする? 正体不明の影絵ボーカロイドか、それとも天海春香をぶちのめしてワークスプロダクションを席捲するか、千早を蹴落として、あの歌唱力を虚仮にするのか。自分とファン層が被っていそうな金髪ロリビッチに年長の功を教えてやるのか、あのスカートの似合わない男女に可愛さとはどういうものか教えてやるのか、7位以下の雑草をプチプチ引き抜くのか、実際、選ぶのはやよいだ。俺はやよいの意思を最大限に尊重しよう」
「あの、それ。選んだらもしかして、私が言ったことになるんでしょうか?」
「もちろんだ。アイドルとプロデューサーは、一心同体だからな」 

 俺は精一杯の笑顔と誠意で答えたはずだったが、なにかがやよいの心に差し支えたらしい。さささささ、と距離をとられた。傷ついた。

「ねえ、プロデューサー」

 伊織が割り込んできた。
 呆れとため息と諦観が混じった視線が絡む。

「アンタの悪ふざけに付き合ってる暇ないから、そろそろ先に進んでくれない?」
「そうだな。そうするか。さて、一通り、気の済むまでやよいをいじめたところで、誰を指名するかと、これからの方針を発表するか」
「え?」

 かくん、とやよいの首がおちた。
 事態を把握できていないやよいに、俺はこの間の『高槻やよいの弥生式WEBテレビ』で使った『ドッキリ大成功』の看板を掲げてみせた。

「ぱんぱかぱーん」

 口でSEをつける。

「騙しましたね?」
「人聞きが悪いぞ。おちょくったと言え」
「プロデューサーっ!!」

 茹でダコみたいに顔を紅潮させて、やよいが両手を振り上げていた。
 
「ぎゃー、やよいが怒ったぞー。こわーい(棒)」
「おでこちゃん。静かだよね」
「当たり前でしょ。よりにもよってこの男が、こんな選択肢を他人に決めさせるわけないわ」
「ふみゅ。ほういうことにはるな」
「プロデューサー。ちゃんと喋りなさいよ」

 やよいに後ろから引っ付かれて口を引き伸ばされているので、ちゃんと喋れないのだが、伊織はそれを完全にスルーしている。
 やよいの気のすむままにさせたあとで、俺は改めて口を開いた。

「二位にダブルスコアをつけて一位を不動のものにしているこの状況で、目先のポイントをとりにいく意味はない。なに、心配するな。全敗してもポイントが半分削られるだけで、Aランクには残れる。今、こっちが持っている最大のアドバンテージがそれだ」
「で、誰を狙うの?」
「天海春香を指名する」
「春香? 理由を聞かせなさいよ?」
「待て伊織。まだ続きがある。二位の『YUKINO』にはやよいを指名させ、四位の千早にもやよいを指名させ、五位のリファにもやよいを指名させ、六位の菊地真にもやよいを指名させる。つまり、プラチナリーグ挙げてのやよい祭りになるわけだ」
「……まさか、もう根回し済みだとか?」
「当然だろう。俺がこの三ヶ月、やよいの世話だけしてたとでも思ってたのか?」
「思ってたわ」
「………………」

 間髪入れず、伊織が答えた。なにか悔しかったので、やよいにされたように口の端をつねりあげてみる。

「まさか、えっと、おにーさんは、最初からやよいのために根回ししてくれてたの?」
「いや、おまえらがやりたいとか言い出さなければ、やよいひとりを戦わせて終わってたな。用は本人たちのやる気の問題だ」
「ぷ、プロデューサー。私、プロデューサーのこと、誤解してたかもです」
「ひや、やほいのにんひきはそれへあっへるとほもうはよ?」

 伊織が俺に口の端を引き伸ばされながら、『やよいの認識はそれであってると思うわよ』とか言っている。

「ああ、嫌だ嫌だ。また俺の仕事が増える。ああ、あとやよい祭りのスケジュールはまだだが、順番はだいたい決まっている。こんな感じになってるな」


 一回戦。
 VS天海春香

 二回戦。
 VSトゥルーホワイト(菊地真)

 三回戦。
 VSリファ・ガーランド

 四回戦。
 VS『YUKINO』

 五回戦。

 VS如月千早



「わざわざ五戦も用意してやってる。一発勝負でないだけ、相当に良心的だろう。まあ、グダグダと言ってきたが、俺はAランクに残る算段の話をしているわけじゃない。俺の言いたいことは、結局のところひとつだけだ」

 まとめに入った。
 これからは捨て試合なんてない。全力を尽くしての戦いになる。ぐるりと、三人を見回すと、やよいの表情が、強烈に目に残った。ぐっと、下唇を噛んで、なにかを堪えているようだった。俺は、ためを作ると、

「──Aランクアイドルに、勝て」

 といった。

「アイドルとして、それができるのなら、大抵の願いは叶う。アイドルならファンの願いを叶える前に、まず自分の願いを叶えてみせろ。もちろん、俺は全力でそれをサポートしよう」
「は、はい」

 そのための準備は、すべて終えて、張れる罠は、すべて張り終えた。
 相手を全力で砕きにいく。

 相手から主導権を奪った。
 そういう間隙をついたカタチだ。とくに注目は一回戦と二回戦と三回戦。
 やよいが勝てば、相手をAランクから叩き落とせる。

 四敗でもいい。
 一勝さえできればいい。
 やよいが主役で、すべてこちらの言い分を呑ませてある。
 観客は流星のように現れた、新しいAランクアイドルに幻惑されている。主役として、誰もが味方をしてくれる。

 不利な状況なんてなにひとつない。プレッシャーもないだろう。なにせ、負けてもこっちは降格の危険性ゼロ。ノーリスクだ。

 最良の結果なら、Aランク三人をBランクに叩き落せる。
 そういうことを語り終えると、三人の反応は様々だった。伊織は呆れている。やよいは苦笑いしている。美希は口を空けたままだった。

「相変わらず、やり口が悪魔じみているわね」
「えっと、思ったんだけど、これってサポートっていうか、やよいの勝負を私物化してるよね?」

 なにやら好き勝手に言われているような気がする。
 伊織と美希が、ヒソヒソとこちらに聞こえる声でぼやいていた。

「やよい。全勝、とはいわないまでも三勝ぐらいできたら、ファンも含め、誰もお前の意見に文句をつけられなくなる。美希と伊織を入れても、誰も文句は言われないだろう」
「あ、はい」
「ん?」

 そこで、伊織がなにか考え込んでいる。
 小骨が喉につまったみたいな、すっきりしない感じ。

「ちょっと待ちなさいよ。それだと、やよいが自分のわがままを通すために、Aランクアイドルと戦うってこと?」
「まったくそのとおりだが?」
 
 なにか不満でも?
 口から出る反論は予測がついたが、俺は伊織に促してみせた。

「ちょっと待ちなさいよ。私たちが認められるための戦いでしょ? だったら、私と美希がAランクアイドルと戦わないと意味がないでしょ。これ以上、やよいにぶらさがってどうするのよ」

 そら来た。
 正論だ。筋道立てて考えると、そうなる。どう考えてもそうなる。けれど、DランクアイドルふたりがAランクに立ち向かうなど、蟷螂の斧でしかありえない。
 奇跡が必要だ。
 実力で覆せるとは思えないし、ふたりにそれだけの実力はない。

 勝率一パーセントの奇跡など、美談とはいえないし、少なくとも俺は見たことはない。それで成功したとして、それを容認したプロデューサーは、無能以下のゴミグズだ。死んでしまえばいい。

「ご大層な正論だな。だが、残念ながら俺にとっては、お前らのプライドなんてどうでもいいし、観客にとっても、どうでもいいはずだ」
「なん、ですって?」
「当たり前だろう。アイドルの勝利に破滅を賭けるような真似、俺がするとでも思うのか? そういうのはせめて、七割は勝率があるときにやることだ」
「堅実ね。堅実すぎて、吐き気がするぐらい」
「そんなに褒めるな。伊織。おまえには、がんばって俺のプランを打ち壊してもらいたいと期待しているんだ。もてるすべての力を使って戦っても、誰も非難するやつはいない。がんばれ。がんばれ。その代わり、なにをしてもいい」
「その言葉、覚えていなさいよ」
「ああ、その意気だ。まあ、とりあえずは目先の勝負に目を向けようか」

 第一回戦。
 すでに社長に話を通して、ドームを押さえてある。
 なにげに見所も多い。同じプロダクション同士のAランクアイドルが、初めて相打つことになる。

 全力を出されたら、勝てるアイドルはいない。

 天海春香を表す言葉は、数多い。
 無敗。悪魔。最強。漆黒の堕天使などそのすべてが、およそアイドルを呼び表すものではない。



「──決戦は、大晦日。初戦は、天海春香だ」







[15763] stage7 Boss Rush 3
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2012/01/05 13:06






 Aランク同士が相打つ舞台となる東京ビューイングアリーナは、ファンの間では闘技場(コロッセオ)と呼ばれ、プラチナリーグファンの聖地として祀られている。

 千早をプロデュースしていたころは、俺も腐るほどここに来ていて、仕事をした場所としては一番多いぐらいだった。
 昔は気心の知れたスタッフがいたが、事務所を変わったことにより、その顔ぶれも一新されている。照明の当て方ひとつとっても、また一から話し合いを重ねていく必要がある。
 
 天海春香との決戦を明日に控え、客層に対する対策が必要だった。俺は2Fの第一会議室で、最後の詰めに入っていた。
 24の椅子が用意してある円卓会議室である。埋まっている椅子は半分ほど。やよい。美希、伊織、天海春香、西園寺社長、マネージャー、舞台監督、ステージプロデューサー、エンジニアに、モニターエンジニア。照明、ローディーの一番偉い人、全員が首からバックステージパスを提げている。

「ライブの楽しみ方、なんて小冊子も作ってみました。家族連れがはじめてライブに来てくれたという事態を想定しています。これを、アリーナ入口で、無料で配布します」

 家族連れが多い、というのはやよいファンの年齢層からわかっていたことだった。何歳からチケットが必要になるのか、(答え、三歳から)という電話での問い合わせも、今まで担当してきたアイドルたちと頻度の桁が違っている。

「はじめての試みも多くなりますが、みんなで力をあわせて、よりよいものにしていきましょう」

 俺は会議の終わりを、そう締めくくった。
 楽屋となっている小部屋のひとつに戻ると、うちのアイドル三人は空気が抜けるみたいにだらけたようになった。
 決戦は明日になるが、この後に及んでやるべきことはそれほど多くはない。やよいでさえ、今日の仕事はもうない。
 
 のだが。
 やよいは特に止まってはいなかった。
 こまごまとテーブルのうえに四人分の飲み物を用意したり、雑用をしていないと落ち着かないところがあるらしい。
 十〇畳ほどの部屋の半分は、畳が敷かれている座敷部分になる。あとは八つほどの椅子と、据えられたテーブルにはコーヒーポットと未開封の紙コップが用意されていた。

 美希は座敷部分を自分のテリトリーと決めてしまったらしい。
 積んである座布団を重ねて、すぐさまに横になった。ここまでの時間、なんと三秒。伊織は反対側のよっつついている鏡に自分の姿を映して、ヘアチェックに余念がない。突き出したカウンターにはヘアメイク用の備品をはじめ、雑多に物が置かれている。

「しかし、テンションあがるな。親子連れが休日にやよいのライブを選んでくれるなんて、最高じゃないか」

 クッションがやけに沈み込む椅子に体重を預けて、俺は半分ほど読んだ小説を再開した。なお、俺のテンションがおかしいのは徹夜明けだからである。

「おにーさん。親子連れが多いと、なにか注意することってあるの?」

 美希が、そんな質問をしてきていた。

「基本はスタッフの苦労が増えるだけだが、アイドルに関係することとしては、年齢なんて関係なく初見が多いかどうかだな。有名アイドルがライブで、30分かけた芝居なんてやった例もあるが、その内容が、その前日のテレビ放送を見ていなければ訳がわからないというもので、担当者はファンなら見ていて当然と思ったんだろうな。その予測は外れて、ほとんどが初見の家族連れで、ステージそのものの出来にかかわらず、失敗の烙印を押されたなんて例もある」
「ふーん」

 せっかく説明してみたが、美希は半分以上流していたようだった。
 そして、伊織は難しい顔をして腕を組んでいた。落ち着かないようでソワソワしていたりして、実にうっとおしい。

 仕方ない。
 この状況下で、もっともプレッシャーがかかるのは、やよいよりむしろ伊織である。

「ねえ、プロデューサー。なにか意味とかあるの? 戦う順番に」
「おでこちゃん。深読みしすぎじゃないの?」
「深読みもなにも、戦う順番って凄く大事でしょ? この男が、そんなことをわかってないわけないじゃない。最初に指名したのが、天海春香だということ自体、随分と胡散臭いし」
「意味か。どーかな。基本はあっち側のスケジュールに合わせた感じだが、基本的に弱い順だな」

 訝しげな視線が、三方から投げかけられた。
 まあ、天海春香が最弱というのは、到底受け入れられない仮定だろう。

「天海春香が弱いってのも新説ね。学会に上げれば話題にでもなるんじゃないの?」

 伊織のシニカルな冗談は、あまり笑えなかった。
 
「なに、そんな難しい話でもないぞ。天海春香のなにが弱いのか、を考えれば簡単に答えは出る」
「弱点でもあるとか、そういうこと?」
「あるぞ、ここに」

 俺はやよいを指し示す。

「モノは考えようだ。天海春香が高槻やよい相手に全力を出すなんて、大人気ないことはしないだろう。やよいに対する甘えを付けるわけだ」
「おにーさんが、やよいを人質にとってるみたいな感じだよね」
「なるほど。どっちかというと、担当プロデューサーである社長が泣くわね」
「そういうことだ。万が一、やよいの人気に傷をつけるようなことになったら、ワークスプロダクションそのものが傾きかねない」
「えーと、おにーさん。その話、初耳なんだけど」
「うー、私もはじめて聞きました」

 複雑な顔で、美希とやよいが顔を見合わせる。
 俺の言うことだ。どこからどこまで本気にしていいのか決めかねているのだろうが、こればっかりは冗談じゃないから困る。

「大したことじゃないぞ。稼いだ金もほとんどやよい本人の宣伝費に消えていってるからな。アイドルプロダクションなんて、元々自転車創業が普通だが、ワークスも例外じゃない。あと数ヶ月はやよいを働かせ続けないと、十分な元はとれない」

 やよいをねじ込むのに、出版社やテレビに、かなりの金を注ぎ込んでいる。なにせ、プラチナリーグの狭い範囲に売り込むんじゃない。
 どうしても不特定多数の人々にやよいの魅力を伝えなければいけない以上、金は嵩む。宣伝費なんて純粋な損金であるために、果実があることがわかっていても、熟すまで時間を置く必要がある。

「これ、もしかして八百長とか言わないわよね?」
「伊織ちゃん。それは絶対にないよ」
「やよい?」

 ほぼ、確信しているという様子で、やよいが断言した。
 どんな状況下でも、相手に哀れみをかけずに叩き潰すこと。それは高槻やよいが、天海春香に教えられたことだ。
 
「やよいのいうとおりだ。高槻やよいの名前に傷がつかないように、多少の手心は加えてくれるだろうが、あの女が私情で勝敗を譲り渡すことは絶対にない。つまり、まず勝てる要素はない」
「それだと、弱点なんて弱点にならないよね?」
「そこまでの要素を踏まえて言うと、現時点で天海春香に勝てる要素なんてひとつもない。あと四戦も残っている以上、今回のバトルはリハーサルに徹して、Aランクアイドルと戦うための勉強と割り切るのがオススメだ」
「春香さんを最初にもってきたのって、それが理由ですか」

 やよいが不満そうだった。
 俺のことだから、いままでのように明快な指示があると思ったらしい。

 だが。
 千早をプロデュースしていた時にすら、天海春香とは四戦してすべて負けている。天海春香を最初にもってきた理由のひとつは、俺が嫌なことは最初に片付けてしまいたいという後ろ向きな理由からだった。口には出さないが。

「絶望的ね」
「これは有為にするか無為にするかはお前らしだいだ。天海春香はHPの高いはぐれメタルって、いうかプラチナキングみたいなものだ。HPを削るだけで、相当な経験になる。どうせ成長しなければこの先生きのこれないんだから、せめて自分たちでいろいろ考えてみろ」
「はいっ」

 やよいの明快な返事に救われる。
 
「ここまでの理由はもっともらしいが、これから話す理由のおまけみたいなものだな。一番大きな理由は、ついてこい」

 俺は椅子から立ち上がった。
 伊織が最初に続く。やよいは片付けに四苦八苦していた。
 畳に寝転がっていた美希は、目を擦りながら身体を起こした。
 








[15763] stage7 Boss Rush 4
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2012/01/05 13:13




「わあっ」

 やよいは、ステージを見て感嘆の声をあげた。
 
 それはなにか凄いものを見たという風ではない。ごく身近な、見慣れたものが予想もしないところに出現したという光景だった。

 目の前で組み上げられているのは、見慣れたスタジオだった。『高槻やよいのやよい式WEBテレビ出張版』と書かれた横断幕が吊り下げられている。

 いつものスタジオ。
 壁に穴が空いていて、わびしささえ感じさせるふすまなど職人芸といえるほどだ。わざと汚したベニヤで直線が構成されている。
 ボロ長屋以外の何者でもない。当然のようにやよいの実家をモデルにしたのだが、それをやよいに打ち明けると、うちはここまでボロくないですー、と怒られた。

「もしかして、あれが明日のセットなんですか?」
「言っただろ。こちらの土俵に引きずりこむって」
「いつも通りだよ。伊織ちゃん」
「『高槻やよいのやよい式WEBテレビ』で使ってるスタジオそのままね。っていうか、これいつものハコから、バラして持ってきてるわよね」

 下にはローラーがついており、本番で歌を歌う際には、黒子たちがステージの下手に滑らせる手筈だった。
 ともあれ、
 ここで、やよいたち三人が、Aランクアイドルを迎え入れて感歎する、という段取りになる。

「手回しがよすぎない?」 
「かなりサービスしてみた。もとより、アイドルのプロデューサーなんてこんなもんだ。娘たちのわがままを叶えるために生きているどこにでもいる父親みたいなものだな」
「親父臭いわね。アンタまだ22でしょうが」
「実際、おまえと美希のふたりをぶちこむ算段が、これしか思いつかなかったんだから、仕方ないだろう」

 これ自体、スレスレの綱渡りといえる。
 あえて語ってこなかったが、完成した素材に異分子を入れるのは、極めて難しい。
 アイドルならごり押しでセンターに抜擢された新人が、あっという間にファンの不評を買って潰されるような展開は、何度も見てきた。
 ロックバンドでも、四人でずっと活動してきたメンバーが、五人目、六人目のメンバーを入れようとしても、まず通らない。新メンバーが実力が過不足なくとも、ファンがそれを認めなかったりする。アイドルだと、その割合はより強い。
 
「ちゃんと効果は出ている。告知してからすでに、『高槻やよいのやよい式WEBテレビ』のアーカイブ(過去の動画ログ)のアクセスが十倍になって万々歳だ。これだけで目的の半分は達成したといえる」

 来月には、『高槻やよいのやよい式WEBテレビ』もDVD、ブルーレイ化する。これの販売枚数で、これからの戦略を決定することになっている。

「効果あるの、これ?」

 美希が、俺に向けて首を傾けた。

「なに言ってるんだ。名前を覚えてもらうまでが一番たいへんなんだぞ」
「あのー。プロデューサー。これってどうなんですか? これが、春香さんと最初に戦う理由とどうつながるんですか?」
「おお、そういえばそういう話だったな。今の話は関係ない。周りにいる、働いている人たちを見てみろ」

 ローディーが、楽器にコードを繋いでいる。

 やよいのエース曲である『キラメキラリ』で不可欠な、担当スタッフによるギターソロは、やよいのライブの目玉のひとつだった。サウンドチェック。ギターの音を確かめて、スピーカーの音と合わせていた。音響はスピーカーの客席への響き具合をチェックし、ステージの天井に十六基設置されたムービングライトが、ステージをどう照らすかチェックし、舞台監督がそのすべてを総括している。

「全員が、ワークスのスタッフだ。Aランクアイドルがここで戦うためだけに集められている。当然、現在進行形で天海春香の担当スタッフだ。この一戦目は合同だが、二戦目からは相手プロダクションのスタッフも入り混じる。というわけで、天海春香のスタッフをそのまま借り受けることになる。その面通しが必要だった」
「何人いるのよ?」
「三十人強だな。警備員や当日のスタッフとかバイトを含めれば、もっと増える」

 伊織も美希も、圧倒されているようだった。
 やよいは、特に動揺していない。この三ヶ月でこういったことを話したのは一度だけ。そして、やよいには、その一度だけで十分なはずだった。

「ツアーなら、これの数倍の人数が動くことになる。宣伝も照明も音響も、衣装担当もヘアメイクもどこの担当が欠けても、ステージは成り立たない。俺や、ファンだけじゃない。警備員も八トントラックのドライバーも、やよい、お前のために動いてくれている人々の想いそのものが、『高槻やよい』を構成するパーツなわけだな」
「はい」
「珍しく正統派な感じで仕事してるよね。おにーさん、もうなにもしなくていいんじゃないの?」
「それが理想的だな。まあ、完璧な仕事は舞台監督に任せて、俺がやらなければならないのは個人的な嗜好の問題だ。照明の当て方ひとつとっても、アイドルごとに変えなければならないし。天海春香のスタッフなんだ。こっちでどうしてもらいたいか、演出意図をきちんと伝えておく必要がある」

 たとえば、照明ひとつにしても。
 千早は青のシャープを好んだが、やよいはオレンジのフラットを多用する。
 シャープは線の光。
 フラットは面の光だと理解すればいい。
 これを十六基あるムービングライトで組み上げると、『高槻やよい』らしい柔らかでポップなステージが出来上がる。

「というわけで、明日の『高槻やよいのやよい式WEBテレビ』は、アリーナの中心からお送りする予定だ。いつもの司会進行のお姉さんは呼んでないから、伊織、お前が司会進行やるんだぞ。美希はラウンドガールな」

 俺は両手を広げてみせた。
 決戦は近い。太陽が沈み、もう一度顔を見せたころに、これからの『ハニーキャッツ』の命運を左右する死闘の幕が開ける。
 
 







 


 天海春香特設親衛隊、通称、『愚民』。
 
 揃いの黒シャツに身を染めた、天海春香を『閣下』として崇拝する危なそうな連中だった。姫君を天に戴くように天海春香個人に忠誠を誓う、俺には理解不能の生き物たち。
 
 狂想的なまでに彼女を崇め奉るさまは、王国の女王とその労働力として死ぬまで搾取され続ける兵隊たちを思わせる。
 自らの女王への忠誠のみを合言葉として、日本全国に散らばっており、その総数は万に届くといわれる。ライブでの一体感を共有し、彼女のために命銭を捧げる様は、まさしく『愚民』というに相応しい。
   
 天海春香への忠誠をぐずぐずになるまで煮詰めた、ある意味究極のファンの鑑みたいな連中だった。

 これが、天海春香の下。
 絶大なカリスマの元に、一致団結している。
 どう考えてもCランクアイドル並みの歌唱力しかない天海春香を、Aランクアイドルの地位に押し上げているのは、この連中である。
 西園寺美神が天海春香の半身とするのなら、この『愚民』部隊は、彼女の振るう死神の鎌に相当する。
 
 そして、東京ビューイングアリーナは、すでに『愚民』たちの闊歩するところだった。おそらく、いつもは腐った魚みたいな目をしている男たちは、その瞳に燻るものを炎と変えている。
 生きている、そう感じられる瞬間なのだろう。
 期待と乾坤一擲の勝負に臨む心意気は、武士道に通ずるものがあるはずだ。
 その逆をゆくのが、やよいのファンや家族連れや子供たち、老人や昔からやよいを見守っているファンたち、テレビを見てやよいに可愛らしさにあてられた成人男性たちなど、ファンは真っ二つに縦断されている。 
 
 その中に少なからず、『伊織様万歳!!』だとか、『美希たんハァハァ』だとかいう連中がいるのは救いといっていい。まあ『高槻やよいのやよい式WEBテレビ』は、ネットにばら撒いて、ワンクール務め上げた番組である。
 今日、ビューイングアリーナでの放送で、第二クールに突入する。通して見てくれているなら、伊織と美希のファンも増えただろう。あとは今日のステージで、仕上げをするだけだった。

 いつも収録しているステージ上のボロ長屋では、客の入りは五割といったところか。なにせ開演時間までは、まだ三十分以上を残している。

 『美希画伯のクレヨンキャンバス』というコーナーで、今回で第十四回を迎える。完全なサービスみたいなもので、現在進行形で美希と伊織が好き放題している。主役の天海春香と高槻やよいの姿は、まだステージ上にはない。
 
 やよいが天海春香を招待するという進行に準じて、今回の絵のモデルは『天海春香』ということだった。

「プラチナリーグで無敗なんだって。でも、春香なんて今更描けって言われても困るんだよね」
「どうしてよ?」
「だって、話したことないんだもの」
「……え、そうだった?」
「うん。やよいとおでこちゃんとプロデューサーばっかり喋って、きっとあっちも、ミキのこと覚えてないんじゃないかな」

 そういえばそうだった。
 美希ほどの出来合いなら、天海春香が唾をつけてもいいと思うが、春香本人はやよいや伊織や、西園寺社長の頭痛の種である俺に関わっているのだけでお腹いっぱいというところなのか。
 俺はステージ下手横から、美希と伊織のふたりを見ていた。緊張はしていない。美希と伊織は、『愚民』や、やよいのファンたちに概ね好意的に受け止められているようにみえる。
 
「今回は、どうやっても楽よね。黒と赤しか使わなさそうだし」
「まず、火は噴くよね」
「当然ね」
「きっと、全身が鱗で覆われてたりするよね」
「斧とかで打ちかかっても、傷ひとつつかなそうね」

 美希は白い画用紙を、緑のクレヨンで描きこんでいた。
 この時点で、髪はあちこちに乱れ飛び、目は赤のクレヨンだけで塗りつぶされていた。両目から怪光線を発射する禍々しい赤に染められており、口からは火炎のようなものを吐き出している。 
 これが『天海春香』だと言われて、果たして信じられるものがいるだろうか。いそうなのが困る。美希と伊織は、数千の視線に晒されて、完全に自分たちのペースを保っていられるのが凄い。
 だが。
 いい加減、やよいを投入する必要があるだろう。
 美希の天然っぷりと伊織のツッコミが冴え渡るコーナーなのだが、よく考えたら天海春香に大して、伊織が悪乗りしない道理がない。
 









[15763] stage7 Boss Rush 5
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2012/01/07 11:12






 背後の四面に据えつけられた、発色鮮やかな大型LEDスクリーンのそれぞれに、オープニング映像が映し出される。

 光の雪片が吹き抜けていく。
 撮りだめられた映像が流され、集まった観客に『高槻やよいVS天海春香』の対決への期待を否応なく盛り上げてくれる。
 
 『高槻やよいのやよい式WEBテレビ』のオープニングだった。タイトルバックの右上に小さく『出張版』と銘打たれていた。
 一度暗転したライトが、ぱっと明るくなってやよい、美希、伊織の姿を映し出す。
 カメラクルーが、撮影を続けている。
 三人とも、セットのテーブルに向き合って、観客に笑顔を振りまいていた。いつもはチケット抽選で、四十人ほどの公開観覧だった。ケタが二つあがってどうなるのか心配だったが、いまのところ目だった問題は起きていない。

「伊織ちゃん。美希さん。新しいお客さんが来てくれるらしいよ」

 天海春香のことである。
 浮き立っているやよいに、伊織と美希が追随した。

「なにかお茶請けとか必要よね」
「麻酔弾とか、猛獣捕獲用のペイントボールとか、回復剤とか強壮剤とかだよね」
「ええと、美希はなにを剥ぎ取るつもりなわけ?」

 そんなやりとりを続けて、スタジオに天海春香の登場曲が流れる。観客の歓声が動く。あらかじめ観客の死角に出待ちをしていた天海春香が、姿を現した。
 
 背後に流れるのはクラシックだった。ヨハン・シュトラウス。兄弟の合作だったらしい。
 
 地鳴りに近い歓声が、アリーナに負荷をかける。
 すでに戦闘衣装に身を包んでいた。漆黒のパンキッシュゴシック。Aランクアイドルの貫禄なのか。姿を見せるだけで、自在にファンの気圧を変化させていた。

「本日は、お招きいただき感謝するわ」

 やよいは喜色満面な笑顔を見せた。
 美希は椅子を動かして春香の分のスペースを作った。
 伊織は目を合わせようともしない。
 
 実のところ、初ライブというものは難しい。それはライブを観る観客にとってもだ。楽しむべき要素を見つけられないうちに、二時間を過ごさなければならないときもある。このライブは、やよいのメンバー紹介からはじまった。

「まず、伊織ちゃん」
「まあ、やよいを前々から知ってる人たちにはお馴染みよね」
 ぱちぱちとまばらな拍手。
 一部熱狂的めいたファンが、「伊織様ー」だとか「踏んでくれー」だとか言っている。

「それと、美希さん」
「美希だよー。よろしくねー」

 歓声があがった。
 続けて、美希は自分のグラビアDVDの宣伝に入っている。弾丸とか弾奏とかいう名前の週間少年雑誌で表紙を飾ったことのある美希は、メインの成人男性たちに知名度が高い。『愚民』の連中のなかでも、美希を知っている割合は高いはずだ。
 
 この紹介は、美希伊織を知らない人々に印象づけるという意味もあるが、あまり深い意味はない。メンバー紹介みたいなものは、どこのライブでもやることだ。

「それでは、ライブをはじめるわ。最初に『ベリーベリー』と『クロムハート』のライブからね」

 司会のおねえさんを兼任している伊織が、ライブの始まりを告げた。

 Aランクアイドル同士の公式戦では、途中の幕間に所属アイドルのライブが入るのがお約束だった。
 自分たちのプロダクションからBランクアイドルやCランクアイドルを出す。そういうお披露目の場を用意してあげるのも、Aランクアイドルとしての責務である。

 Aランクアイドル同士の戦いというのは、すなわち所属プロダクション同士の戦争と置き換えられるのだが、今回はいささか趣きを異にしていた。
 
 高槻やよいと天海春香は、どちらも同じワークスプロダクション。
 よって、幕間を彩るアイドルのラインナップも、すべてワークスから選出されることになっている。やよいの方は伊織の派閥から、天海春香の方は、自分の派閥から選出していた。小早川瑞樹と組んである派閥は、そこに参加していない。
 一ユニットぐらいなら、こっちで引き受けるとか伊織は言っていたが、小早川瑞樹はにべもなく断っていた。
 理由は、本人のプライドからくるものだろう。無理もない。伊織だって、逆の立場だったら小早川瑞樹と同じ態度をとるだろうから。
 ともあれ、これはパフォーマンスとしても随分と有効だった。
 伊織は同じプロダクションにいるアイドルたちを、実力で捻じ伏せた形になる。こうした形を見せておく限り、『ハニーキャッツ』について、後ろから撃たれるようなことはないはずだった。

「大晦日ということで、今年もおしまいね」
「なに? 来年にむけての抱負でも語れとでもいうのかしら」
「それ、年が明けてからでいいんじゃない? 進行表には、この一年を振り返って適当なコメントでも話しとけとか書いてあるけど」

 『ベリーベリー』と『クロムハーツ』のライブが終わったあとで、伊織と天海春香が、いつもと変わらない様子で話を進めている。

「なんてゆーか、VTRを用意してるらしいよ」
「わー、楽しみです。えーと、今年の最大ニュース。この番組であった三つの最大ニュースをVTRで紹介しちゃいまーす」

 やよいが、カンペをそのまま読んでいた。
 四基あるLEDスクリーンが、編集されたニュースベスト3を流す。

『三位、高槻やよい。Aランクアイドルに』、『二位、『キラメキラリ』発売』、『一位、高槻やよい。まさかの紅白出場辞退』となっていた。

 ざわざわと観客がどよめいている。
 一位の紅白出場辞退は、ほとんどのファンが初耳らしい。コアなファンですら噂話としていくらか話題になっただけ。信憑性もなく、裏づけもとれなかったために、すぐに泡みたいに消えていった噂のひとつだった。
 こういう噂話に対し、ダイレクトに反応を返せることが、個人番組における最大の利点だった。ときには、レギュラー番組の収録の裏話もする。絶対にここでしか話せない話。そういう話を、ファンが喜ぶ。
 
「そういえば、あったわよね。こんなこと」
「紅白出場辞退か。たしか、やよいが泣いてプロデューサーに直訴したんだよね」
「社長なんて、卒倒して病院に担ぎ込まれていったわよ」
「ああ、不憫な社長」
「かわいそうなおねえちゃん」

 天海春香は、はらはらと涙を流していた。
 おそらく本気で悲しんでいるあたりに、彼女の狂気が感じ取れる。

「それで、やよいが紅白の出場を断った理由だけど」
「NHKは敵。NHKは敵。NHKは敵」

 一点を見つめながら、やよいがぶつぶつと一つのことを呟いている。
 やよいが全身をぷるぷると震えさせながら、悪罵に近い感情を投げつけていた。やよいがここまでなにかに嫌悪感を抱いている事例は、もしかしたら初めてなんじゃないだろうか?

「ああ、やよいの気持ちはわからないでもないわ。連中、どこにでも現れるものね」

 おそらく、やよいが剥き出しにしている感情の一厘も理解できないだろう伊織の代わりに、天海春香はやよいに同意を示した。

「ことあるごとに、ヘンな機械にキャッシュカードを通そうとさせてくるんだよ。あの☆〇$@㌣どもっ!!」

やよいは、ほぼ聞き取れないぐらい汚い言葉で、権力の犬とかなんたらの豚とか、日々の鬱憤をぶちまけていた。

「あのね、やよい。アイドルに相応しくないから、そういうはしたない言葉はやめなさいよ」










 そして、プラチナリーグ公式戦は幕を開けた。
 互いに曲をぶつけ合い、三戦し先に二勝したほうが勝ちになる。それ以外は、この間のドリームフェスタと変わらない。リアルタイムで投票結果は、背後のLEDスクリーンに反映されることになる。

「エキシビジョンマッチでもやりましょうか」

 天海春香からの提案があった。
 むろん、これは台本通りである。
 
 勝敗に関連しない。
 『ハニーキャッツ』にはAランクアイドルの勝負に介入する権利はない。ゆえに、勝敗に関係ないところでエキシビジョンマッチなんていう理由付けが必要になる。

「あら、ずいぶんと親切なのね。自分の入る墓穴ぐらい、自分で掘りたいとかそんな理由かしら」
「誤解しないでほしいわ。ただの個人的な興味よ。私は見たいだけ。高槻やよいを剥ぎ取られて、水瀬伊織がどんな醜態を晒してくれるのか」

 あくまでやよいと天海春香の対決のために、設えられた舞台だ。観客の半分は、未だにざわついている。あとの半分は、好意的に出し物のひとつだと解釈してくれたらしい。

 俺はステージの下手の舞台裏からステージの様子を確認していた。

 最初に、スクリーンにそれぞれの選曲が発表される。
 『ハニーキャッツ』は、『READY!!』。
 そして、『天海春香』が選んだ選曲に、俺の背筋が突っ張った。観客の水面に雫を落とすみたいに、整然とした混乱。同心円状に、ざわつきが広まっていく。
 
 彼女の選曲は、観客のほとんどに衝撃を与えていた。

 このエキシビジョンマッチに、天海春香が投入するのは、『洗脳、搾取、虎の巻』。いちいち確認するまでもない。必敵必殺の、彼女のエース曲だった。

 ここで天海春香がエース曲を投入するということは、そのあとのやよいとの決戦で、この曲を使わないということを意味する。正直、俺も驚いていた。十分な打ち合わせを重ねていたのだが、敵は敵である。情報のすべてを渡せというわけにもいかない。

 しかし、勝つのは蜘蛛の糸を昇るようなものだと思っていたが、やはり無謀だった。一パーセントの勝機すらない。

 ステージ上のセットが、一旦撤去される。
 影絵のように、ステージに三人が降り立つ。

 スピーカーからメロディーが流れ出し、すべての準備は整う。賽は投げられた。

 美希、伊織、やよいの三人のステージは、担当プロデューサーの俺の贔屓目を引いても、素晴らしいものだった。ありとあらゆる不利を、会場の歓声が洗い流していく。
 


『READY!!』



 三人の新曲だった。激しい動きを必要としないやよい個人の歌と違って、身のこなしが違っていた。
 
 人が増えれば、カラーも違う。
 あらゆる人の気持ちが舞い込む怒涛のライブだった。自由自在に飛び跳ねるやよいは、新鮮さと驚きを伴って、概ね好意的にファンに受け入れられたらしい。引き、寄せ、生き物のように押し寄せる歓声ひとつひとつを逃さずに、会場の熱へと変換していく。
 
 そのライブは、終盤に頂点に達した。
 
 伊織と美希はこの五分にすべてを賭けて、やよいもこれをエキシビジョンだとは思ってもいない。この後の本番を前にして、すべての力を使い果たすつもりで歌っている。舞台演出も加わって、三人は膨大な熱量をそのまま制御していた。降り注ぐ銀の紙片が、ライトを乱反射して、幻想的な光の粒に変化している。

 三人の魅力を、完全に出し切ったステージ。

 やよい個人のステージと、なにひとつ見劣りしない。
 万来の拍手が、それを証明している。

 これで手札を、完全に使い切った。
 勝敗は関係ない。もちろん勝つに越したことはないが、これで観客の心を動かせないのなら、三人でユニットを組んでいく意味は、ひとつとしてないということになる。
















 美希と伊織に残ったのは、やりきったという感触だけだった。
 これで、結果がどうなっても後悔はない。ふたりに残るのは、そういう自分の魂の極限まで燃やしきったという心地よい痺れだけ。

 やよいは、これからが本番だとばかりに両目を見開いていた。俺の目に映ったのは、奥歯に力を入れて、運命に抵抗しようとするたったひとりの少女の姿だ。

 LEDスクリーンにロゴが浮かぶ。光の洪水とともに、『HARUKA AMAMI』のアルファベットが横に走った。

 前の主の匂いも感触も、彼女が降り立った途端に、払拭される。
 漆黒のステージ衣装に、ビーズの反射材がライトの光を弾く。ステージ前面で、火に炙られ、狂ったように踊り狂うバックダンサーたち。
 
 贄。
 それは彼女のために捧げられた贄そのものだった。赤いバックライトが流血階段に見立てられる。赤色のムービングライトが出鱈目に降り注ぎ、見る人の心をざわめき立たせてくる。

 人ならざるものの降臨。
 
 天海春香は、なにもしていない。ただそこにいるという存在感だけで、アリーナすべてにいる人々の意識を拘束していた。

 片手をあげた。
 魔術にかかったように、目が離せない。
 肌が粟立った。たったひとりの少女に、5000人の観客が息を呑んでいた。
 
「みんなーっ。いっくよー。『洗脳、搾取、虎の巻』ッ!!」

 ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!

 束ねられた観客たちの声。
 
 数千の兵隊の咆哮は、まさに爆発に等しい。
 天海春香のステージ以外ではありえない数の、観客の獅子咆が観る者の魂を消し飛ばした。人としての尊厳もプライドも、彼女を崇めるために必要なもの以外、ありとあらゆるものが奪い取られる。
 
 天海春香のステージである限り、ライブとは、感動を与えるものではありえない。
 
 掠奪。
 群衆そのものが、天海春香を敬い、崇め奉るためだけの存在に造りかえられている。

 天海春香の『洗脳、搾取、虎の巻』に合わせて、3000人の群集が動いていた。五分で光を失う高輝度サイリウムを腕がちぎれるような勢いで振りながら、3000人の群集は、そのものがひとつの生き物になった。呼吸すら一体化してしまう。アリーナにあるすべてを自分のステージに組み込みながら、天海春香はその中心にいた。



 目の前で繰り広げられるすべての光景を目にして、伊織は呆然としていた。
 知識はあっただろう。本人なりに覆すイメージもあっただろう。
 
 彼女を打ちのめしたのは、畏怖でも恐怖でもない。
 
 事前に映像として見るのとでは、纏う空気も質感も違う。天海春香のもたらすカリスマが、一糸も乱れず成立した時にのみ現れる、圧倒的なまでの美しさだった。
 
 そう、伊織を打ちのめしたのは、目の前に広がる美しさという概念だった。夕焼けから宵闇に変わる一瞬の、どこまでも吸い込まれそうな高い空。七色の光を注がれたステンドグラスの移り変わる光の彩り。
 
 そのような美しさの極地と、まったく同質のもの。
 
 天海春香という素材そのものが、美しさという概念の、その到達点のひとつであるとすら思えた。
 
 一生懸命にひとつの対象に願いをかける姿と、人生でこれほどまでに腹の底から声を張り上げて、観客のひとりひとりが華の咲き誇るような笑顔を見せる

 ひとつの対象にすべてを賭けるさまが、これほどに美しいとは。
 シュウ酸ジフェニルと過酸化水素が混合されたウルトラオレンジの光に祝福されて、ステージ全体が煌きを作っている。

 人の域を超えたカリスマ。
 彼女だけに与えられた、天与の才。
 整然と行われる美しく清らかな暴虐。祈るような鏖殺。

 四基あるLEDスクリーンのすべてが、黒く塗りつぶされる。

 得票差は、3対97で終わりを迎える。

 虐殺。
 天海春香は慈悲も許容もなくハニーキャッツを大差で下した。












[15763] stage7 Boss Rush 6
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2012/01/11 02:28







 台本が狂った。
 迂闊だった。この段階でのボロ負けを想定していなかった。
 だから、傍で見ている俺ですらそうなのだ。現実を突きつけられたステージ上の三人のショックは、相当なものだろう。
 
 マズイマズイマズイ。相当にマズイ。脂汗が伝う。心臓の動悸が早くなる。この大敗は、各々違いがあるとはいえ、三人の心に深い爪痕を残したことは疑いない。特に、伊織がまずい。
 
 よりによって、司会なんてものを任せている。
 まずは、ファンに伊織と美希の顔を覚えてもらうことが最優先だったために、勝負自体にあまり重きをおかなかったせいだった。完全に、天海春香にそこを突かれたかたちになる。

 他の誰にも任せられなかった。あらゆるアクシデントは覚悟の上で司会をやらせてみたのだが、こうまで精神を乱されて、まともに立ち上がれるのかすら怪しい。混乱し切った頭で、そんな大事な役が務まるとも思えない。
 
 撤退が上策だろう。スタジオのなかでは、テーブルの上に乗ったノートブックの画面に、俺の指示が表示される仕組みになっている。
 ケータイを取り出し、一度戻す、と打ちこむ。
 
「ああ、もう。まだ耳が痛いわ。なんなのよあれ」
「う、くらくらしますー。地鳴りみたいでしたー」

 おや?
 伊織は平気そうだった。頭上のムービングライトの光で、細やかな表情までは伺えない。とくに声に動揺もない。俺の先走りだったか? きちんと、やよいや天海春香の、細かい心の動きを拾っている。
 
 照明が落ちる。
 ステージから天海春香、伊織やよい美希の乗ったスタジオが横に滑り、横の舞台裏にまで戻ってくる。
 
「あ、プロデューサー?」
 
 ゾッとした。
 伊織の表情は、まったく冴えない。血が通っていないのではと思うぐらい蒼白になっている。震えが止まらないようだ。極限まで、張り詰めていた糸が切れていた。
 
「すまない。伊織。俺のミスだ。お前はよくやった」

 勝てない、とは思っていた。
 大敗は織り込み済みだった。だが、ここまで致命的なダメージを受けるとは思ってもみなかった。何重にも張り巡らせた予防線は、天海春香によってすべて引きちぎられている。
 
 伊織の、精神の強度を見誤った。
 やよいのAランクアイドルへのランクアップ。それでも、かなり限界に近かったのに、それからも無茶を通させた。
 
「伊織。すまな、おい。ち、ちょっと。待てやコラ。痛い痛い痛いわっ!!」

 向こう脛を蹴り上げられた。
 無言で、執拗に蹴り続けられる。
 
「ああもう。なんなのよアレは。聞いてないわよ?」
「いや、言ったぞ。散々耳にタコが出来るほどに言った覚えがあるぞ。一パーセントの勝率しかないとか、俺が千早を擁しても、一度も勝てなかったこととか」
「アンタのセリフ、どこまで信じていいかわからないから微妙なのよ」
「ああそうですか」










 ステージに目を移す。すでに、次の楽曲の準備がはじまっていた。
 エキシビジョンマッチは、『ハニーキャッツ』の先行だったために、プラチナリーグ公式戦『高槻やよいVS天海春香』は、天海春香の先行から始まる。

 サッカーでのPK戦、カードゲーム、将棋や囲碁だけでなく、PVP(人対人)の対戦というくくりによれば、先行が絶対有利という法則がある。覆すのに、サイドラ並のチートカードが必要なことから、それもわかるだろう。

 よってプラチナリーグでは、先行後攻の違いも頭に入れて戦略に組み込まないといけない。(ただし、最初のステージだけは、観客も評価を定めにくい。一番は、観客も様子見で高い点が入りにくいため、プラス五点ぐらいしてもいい)
 全三曲のため、どちらかが先行を二回得られる。
第一戦目に、天海春香が先行を取っているために、二戦目のやよい先行のあとで、三戦目はまた天海春香の先行が入る。そういう意味では、こっちが不利だ。とくに、プレッシャーで首を締めてくるような、天海春香のようなタイプを相手にした場合。
 
 
 
『I WANT』
 

 
 LEDスクリーンに、天海春香の、一曲目が表示される。
 天海春香のエース曲と比べると、一歩落ちる。それでも、すべてのアイドルに致命傷を与えるだけの破壊力をもつ、必殺の楽音。始末の負えなさは、『洗脳、搾取、虎の巻』に次ぐ。天海春香の代表楽曲のひとつ。
 
 どう勝つのか。足がかりさえない。とは言わない。
 天海春香は楽曲そのものの組み立てというか順番に対する意識が、雑というか無頓着なところがあった。一度も負けていないという己に対する絶対的な過信があるのだろう。

 歌うだけで、ありとあらゆる敵を滅ぼしてきたことによる弊害。
 つまり天海春香は、自分の持ち歌を強い順に出しているだけだ。それが悪いとはいわない。むしろ、戦略としては最善だろう。自分を脅かす敵が見えないのに、警戒などしても仕方がない。
 
 本物の強者とは、『警戒する』という行為すら必要ない。
 
 だからこそ。
 ただの一勝が、千金の価値をもつのだが。ただ、それが遠い。観客の盛り上がりが、奥に引っ込んでいても肌で感じられる。
 完璧なコールアンドレスポンス。
 軍事演習とすら揶揄される『愚民』たちのコールが、地響きとなって会場を吹き抜けている。

 やよいはステージ衣装のままで、ステージを見ていた。熱気で肌が焼け付きそうだ。熱せられた鉄板に、油が挽いてあるようだった。あるいは弾ける寸前のポップコーンとでもいうべきか。天海春香のステージが終わる。ステージの入れ替えが行われ、高槻やよいの順番が来てしまう。

「プロデューサー」

 すがるような声だ。小鳥が啼くみたいな。
 やめておくか? そう言いそうになった。むろん、ここでの中止がどれだけの損害を招くかは、痛いほどにわかっていた。いや、そんなのは架空の論理だ。
 俺は責任者としてどうあっても、このステージを成功させなければならない。
 
 が。
 やよいの口から出たのは、全くの逆だった。
 覚悟の表情。そして、決意。
 誰の助けも借りず、誰からも文句も付けられないように、圧勝する。
 
 そう決めたという風に。



「勝てば、誰も文句なんて言わなくなるんですよね」



 どこかの誰かへお願いしたい。
 ここでの、やよいの覚悟の量を数値化できたなら、是非、俺に教えて欲しい。奥歯を折れるほど噛み締めて、やよいは、ステージの上に立った。
 
 
 逃げ場はない。
 誰の助けもなく、たったひとりで、天海春香に立ち向かわなければならない。
 スタンダードという言葉がある。標準。飾り気のない。だが、歌においては、定番という訳がもっともふさわしい。
 
 高槻やよいのスタンダードといえば、たった一曲しかない。
 
 やよいは、天に手をかざした。

 たったそれだけで、アリーナ中の観客の視線が吸い寄せられる。高槻やよいは、ただ己の『格』だけで、天海春香のステージを払拭した。


 
『キラメキラリ』



 やよいのエース曲。前に進むための歌。全力で自分を肯定する歌。高槻やよいの自分応援ソング。
 
 ワークスが、自社の金庫の底が見えるぐらいの宣伝費を注ぎ込み、ありとあらゆる手段でゴリ押ししたために、この曲の売上はもうすぐ60万を超える。
 
 商売の方法としては褒められたものではない。シングルの販売数という実績を稼ぐために、むしろ逆に赤が出るぐらいの宣伝費を注ぎ込んでいた。
 
 だが。
 今はそれが、やよいを助けてもいた。
 誰でも口ずさめる。誰でもメロディーが耳に残っている。一世を風靡した、といえるだけの曲。観客の意識をつなげていくための、最低限の準備は終わっている。
 
 
 天海春香のステージ。
 大理石の岩盤のように、手をかけるところすらない。あの完成された支配力、観客の力を限界を超えて引き出しているそれ。

 それで。
 それがいったい、どうしたというのだ?
  
 そういう完全に吹っ切れた動きだった。イントロなしのサビから、スピーカーの音がアリーナを異空間に変える。畳み掛けるような音楽が、アリーナそのものを押し流すように見えた。
 
 観客を自分の力そのものに。
 なにも恐れることはない。それは、最初から自分の領域だ。
 
 やよいの声にならない声が聞こえた。
 なにかを掴んだ、のか。やよいの全身から力以上のものが吹き上がるように見えたのは、果たして錯覚だったのか。自分の魅力を熟知しつくしたようなスタイル。やよいは、ただ自分がいるステージを、完全に自分のものにしている。
 
 ステージ一段下からでてきたぬいぐるみたちが、やよいに追従するように動きを追う。ムービングライトを太陽に見立てて、やよいは小さな体をいっぱいに使って、ステージで跳ねている。
 
「果ては、悪女か」

 ここまで、自分の魅力を出し切れるものか。
 俺は驚いていた。自分の目が曇っていたとは思わない。だが、やよいにこんな引き出しがあったとは、想像もできなかった。
 
 なにも足すものも引くものもない。観るものすべてに多幸感を与えるアイドル。天海春香のカリスマが天与のモノとするのなら、やよいのそれは、天性だ。LEDスクリーンに横文字が浮く。
 
 こうして、『YAYOI TAKATSUKI』のステージが始まる。
 
 















 超攻撃的。
 それでいて、家族連れに歩調を合わせることも忘れない。客席のあちこちに出没しているカエルぬいぐるみたちが、小さなカエル人形を投げていた。
 
 なにかが憑いている。とんでもない吸引力で、観客の表情を緩ませている。なにもしていなくとも、そこにいるだけで物理法則すらねじ曲げる本物のアイドル。リハーサルと本番は違うということなのか。そんな片鱗さえも見せず、高槻やよいはリハーサルの数倍の質を伴って、ステージを実現していた。
 
 常識を覆す。必要なのは、ただそれだけ。
 会場のすべてを巻き込んで、高槻やよいはこの瞬間だけ、世界でも唯一無二の領域にいた。
 
 違和感がある。
 いつものやよいのステージはもっとはちゃめちゃだ。やよいのステージは、やよいがやよいでありさえすれば、成立してしまう。
 形がどうなろうが、彼女は彼女自身であればいい。観客の求めているものはそれだし、あるいはそれが、アイドルにもっとも必要な個性(タレント)というものなのかもしれない。
 
 俺は目を凝らした。
 
 違和感。違和感は、どこだ?
 
 そうだ、待て。
 俺はそれに気づく。違和感はこれだ。
 
 アイドルの『格』で、すべてを圧倒する。
 存在そのものが別次元として、超然と存在する規格外のアイドル。
 
 どの要素も、高槻やよいというアイドルにそぐわない。
 今俺が見ているものは、圧倒的な才能そのものの、ゴリ押しに近い。これはむしろ、星井美希の領分だろう?



「なるほど、そういうことか」

 霧が晴れたような気がした。
 導き出した結果に、腹の底から笑い出したくなる。なんてことはない。俺は勝利を確信したからだ。
 
 仕上がるのは、まだ何年かはかかると思っていた。

 やよいの天性の力と、
 伊織の折れないダイヤモンドのメンタリティと、
 美希の魔性のきらめき。

 今、高槻やよいが実現しているものは、俺が思い描いたハニーキャッツの理想像そのままだ。

 独りごちる。ならば、負ける道理などない。Aランクアイドルのことごとくを薙ぎ払い、アイドルマスターとしての道を往くための、俺が切りうる最強のカード。
 

 
「バケモノが」



 94対6。
 
 天海春香を、圧倒的な大差で下す。
 この瞬間に高槻やよいは、三浦あずさの後継者としての地位を、不動のものとした。
 万雷の拍手は、やよいに心動かされた観客たちの返礼なのだろう。そしてそのままの勢いを保ちつつ、二戦目と三戦目、高槻やよいは天海春香を完全に叩き伏せた。
 
 
 
 













「天海春香を、Bランクに叩き落としたか」

 まともに頭が働かない。感動で心が痺れているのか。凄まじいものをみたという衝撃が残っている。俺はひきつる笑いを隠しながら、やよいを迎えた。

「お疲れさま」

 やよいの息が切れていた。気力も体力も、極限まで絞り尽くしたのだろう。ただ表情は晴れやかだった。エキシビジョンマッチでの大敗をなんとかリカバリした。やよいの考えているのは、おそらくはそれだ。
 
 だが。
 いや、やめておこう。
 こんな状況下で、考えが纏まるとは思わない。
 今日はもう考えることをやめることにした。なにもかもが裏目に出る日というものがある。今日だ。さすがに、もうこれ以上の波乱はないだろう、そう思った。
 
 だが。
 しかし。
 
 天海春香のほぼパーフェクトに近い蹂躙も、高槻やよいの逆パーフェクトも、天海春香の無敗を打ち破ったという偉業すら、この先起こったことに、すべてかき消された。
 
 

「伊織ちゃん。もう大丈夫だよ」

 やよいは、遠慮がちだった。伊織にとっては、まぎれもない不本意な結果だっただろう。それでも、最悪ではない。完全に道が閉ざされたわけではない。帰って、また作戦を練り直せばいい。

 やよいの、100パーセントの善意で形作られた、天使の笑み。やよいが伊織に、手を差し出した。
 
「ひっ」

 短い悲鳴。伊織が後ずさる。
 
 二人の時間が止まる。
 伊織の瞳に浮かんだ感情は、畏怖と、困惑と、おそらくは恐怖。「あ、あれ?」そう疑問を投げたのは、やよいではなく、伊織のほうだった。今の自分の反応そのものが、信じられないというように固まっている。
 
 伸ばした手が、空を切っていた。
 伊織の瞳の奥に覗いた感情に、やよいは気づいただろうか?
 
 いや。
 馬鹿な質問だった。やよいが伊織の異常を見逃すなど、太陽が西から登るよりありえない。

 観客の前だったら、終わっていたな。他人事のようにそれだけを考える。どうする。俺は、どうすればいい? 思考は、空回るばかりで、まったくもって意味を結ばない。
 
「ご、ごめんね。やよい。転んじゃって。靴のカカトでも痛んでるのか、もしかしたら慣れないステージが終わって、足がもつれたのかも」

 咄嗟の、緊急回避。
 まずまずの言い訳だが、とうてい合格点はあげられない。
 
 ただ、やよいはぎこちなくも笑顔を作った。
 作り直したそれはさきほどの天使の笑顔とは、とうていかけ離れてはいたが。やよいは、違和感と呼ぶにはあまりに大きな『ソレ』を、カギをかけて、無理やりに心の奥底にしまい込んだらしい。
 
 ふら、と一瞬気が遠くなった。
 今のやりとりの間、息をするのを忘れていた。そっと盗み見るような美希の瞳。そして、俺の耳だけに入る、彼女の囁き。



(ねえ。おにーさん。だいじょうぶなの? このままだとおでこちゃん。一生、やよいに追いつけないよ?)











[15763] stage7 Boss Rush 7
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2012/01/13 10:25





「実に皮肉が聞いていてすばらしいな。最大の敵となって立ちふさがるのは、完成された高槻やよい本人というわけだ」

 あの激動のステージの、翌日の、さらに翌日である。
 大晦日の次の、さらに次の日なので、一月の二日ということになる。年末年始の特番ラッシュで、アイドルたちにしてみれば絶好の稼ぎ場といえるだろう。俺も俺で、次の二戦目、『高槻やよいVS菊地真』に取り掛かる必要があった。

「さて」

 窓から見える世界は灰色だった。遠くに見える電波塔は、ここからだと雲に呑まれて先端など見えはしない。低く流れていく灰色の雲が、街一面を被っている。こちらの内面を写し取ったような灰色は、見ていて滅入ってくる。
 
 事務所には俺と美希しかいない。
 正月の三が日は、さすがに事務所も冬休みに入っていた。よって、本来明後日まではなにもすることはない。

 美希は持ち込んだホットプレートを使って、餅を焼いていた。ぷっくりと膨らんでいくさまに味がある。ただ、直接火で炙るのと違って、香ばしい臭いとかがでないのが、なにか物足りない。

「おにーさん。お餅のトッピングって、なににする? きなことか黒密とかチョコレートとか、いろいろあるよ」
「甘いのばっかりだな。いいや、冷蔵庫に納豆があったろ。もちといえば納豆だ」
「はむはむ」

 美希は人に甘いトッピングを勧めておきながら、自分は餅に海苔を巻いているみたいだった。醤油をたっぷりと海苔に含ませて、そのまま併せて口に入れている。餅の食い方というより、おにぎりのバリエーションみたいになっている。
 
 俺と美希だけだと、あまり盛り上がらない。
 やよいなら十パターン以上知っていそうだし、伊織の常識はずれたセレブっぷりにツッコミを入れるのがいつもの日常ではあるが、あいにくここにはふたりしかいなかった。

 美希は餅を食べ終わると、冬休みの宿題をテーブルの上に広げていた。というよりこの規格外の容姿に接しているためなのか、美希に対して、時々この娘が中学二年生であることを忘れそうになる。

 俺はそれになんやかんやと口出ししながら、やよいを馬車馬のように働かせた金で買ったミル挽き珈琲自販機の、アイスカナリスタに口をつけた。

「おにーさん。くつろいでるよね」
「ステージライブの二日後だからな。また二週間後には、次のステージが待ってるんだから、今日ぐらいはだらけておくべきだろう」
「ねえ、アイドルユニットが、脱退っていうか分裂するのって、どういうときなの?」
「売れなくて、プロデューサーから見切りを付けられる以外でか?」
「うん」

 美希が頷いた。
 誰の話なのか、どこが問題なのか、今更言うまでもない。ならば、話の方向を誘導して、きちんと話をしておいたほうがいい。

「解散の理由なんて、性格が合わないのと、男関係と、あとは音楽性の違いだな」
「音楽性?」
 
 美希が、首をかしげている。
 
「人は、道標が違うだけで喧嘩まではしない。ぶつかるのは、その人物の向上心を含めた技量による足切りだ。ユニットが複数人で構成される以上、モチベーションの差はいかんともしがたい。そのへんは、美希。おまえが一番よくわかってるだろう?」
「うん」
「で、伊織はどうしてる」
「ずっとレッスン室に閉じこもってるよ。あずさがついてるから、大丈夫だと思う」
「ふむ。まあ、こっちはこっちで対策するか。さて、どうしたものか」

 課題は多い。
 第一戦目で、『ハニーキャッツ』の知名度は上がったが、それ以上に『高槻やよい』の知名度はもっと上がってしまった。よって、相対速度的にまったく目標に近づいていない。コントみたいな状況である。自分の仕事は完璧だったという自負があるだけに、なんというか嫌になってくる。

「伊織は後回しだ。やよい本人をどうにかしないと、問題は解決されない。優先順位をつけて、地道に片付けていこうか」
「あれ、どうにかできるの?」

 美希のつっこみは、確信をついていた。

「とりあえず、やよいを一度、負けさせよう」

 このままあれに暴れまわられたら、プラチナリーグが崩壊する。せめて、自分の手の届く範囲で事態を収める必要がある。
 
「え、おにーさんってそれでいいの? やよいがアイドルマスターになるなら、そっちを優先するって思ってた」
「やよい本人が、それを望まないだろう。それにアイドルマスターってのは、金メダルじゃない。トップアイドルに与えられる称号ではあるが、称号で誰かを感動させることなんてできない」

 美希は、両目をぱちくりとさせていた。
 
「じゃあ」

 ――アイドルマスターって、なに?
 
「アイドルマスターってのは、夢なんだよ。その称号は誰もが憧れる。アイドルを目指す少女たちなら、誰もが目指す最終到達地点だ。だからアイドルマスターとは、アイドルが苦難の末、まっすぐにつかむことのできる夢であるべきだ」

 だから、俺は今のやよいを否定する。
 すべてのファンが、やよいをアイドルマスターに祭り上げようとするのなら、担当プロデューサーである俺ぐらいはそれを否定してやらないと、やよいが救われない。

「アイドルとしての夢を犠牲にした先の勝利に、そんなことで得たアイドルマスターの称号に、いったいなんの意味がある?」

 俺は両方のてのひらを返した。
 言葉にすると胡散臭くなる。俺は俺の生きるままにしか生きられないんだからしょうがない。

「というのは、建前だがな。第一戦目でピークを迎えて、あとはそれまで得たものを零していくだけってのは、成功してるとはいえないだろう」
「うん。そうだね」
「さて、当面対処すべきは、すでに目前に迫った第二戦目だが」
「対戦相手は、真くんだよね」

 菊地真。
 Aランクアイドルでは、6位。
 『王子様』と呼ばれる美形アイドルで、女子中高生から、三、四十台の主婦層にも絶大な人気を誇る。ただ、彼女の武器はその偏ったファン層による特異性だ。『本物』にぶつかった瞬間に、あっけなく粉砕される。

「ああ、そして対戦結果はシミュレーションするまでもない。菊地真なんて、覚醒やよいにかかれば、ケツの穴までほじられて瞬殺されるな」
「なんか、言い方に悪意が」
「それで、美希。おまえはどうだ。なにかアイディアとかないか?」
「うーん。いっそのこと、やよいをわざと負けさせるとか?」

 美希の案を検討してみる。
 却下。
 即座にそういう判断を下す。
 ここで八百長の善し悪しを論じるつもりはない。そういう問題ではない。アイドルのタイプとして、やよいにはわざと負けるなんて高度なことはできないだろう。

「アイドルのステージなんて、本気か本気でないかの二通りしかない。美希、お前みたいに数パーセント単位で、自在に自分の実力をコントロールできるアイドルもいるがな。やよいにできるとは思えない。そもそもやよいに対するファンの評価を下げるわけにはいかない」

 その日の調子。
 アイドルとしての輝きと安定性は、決して両立しない。極端なことを言えば、その日のテレビの星座占いひとつで、その日のパフォーマンスが左右されてしまう場合すらある。高槻やよいは、モロにこのタイプに分類される。
 
「天海春香がBランクにたたき落とされた以上、高槻やよいはワークスプロダクションの生命線だ。万が一、やよいが終わろうものなら、事務所とそこに所属しているアイドルたちもろとも、沈むぞ」
「制約多過ぎない? いったいどうするの?」
「ふむ」

 完全に詰んだか。
 そもそも明快な解決方法があるのなら、ここまでグダグダと悩んだりはしていない。どうする。俺は今までのやよいのステージから、できることとできないことを頭のなかで割り振る。
 
 問題に対する定義。
 そして、時間だけがすぎていく。脂汗が滲んだ。やばい、問題解決の糸口すら見つからない。出た結論は結局。高槻やよいに対して、

「――手をつけるところがない」

 俺は、呆然とつぶやいた。
 考えてみれば、当たり前だ。
 三浦あずさに置き換えて考えてみればよくわかる。俺は、アレになにひとつ付け足せない。いまさら、三浦あずさを引っ張ってくるわけにもいかない。
 
「あのやよいに、正面から勝てるとしたら。あずささんか」

 いや。
 
 ――ひと組だけ、いた。

 かつてアイドルマスターに昇ることを、誰にも疑わせなかったひとつのユニット。
 形骸化した名前とその夢の片割れは、次の高槻やよいの対戦相手として、二週間後に決戦のときを待っている。

 トゥルーホワイト。

 あ、つぶやいたその言葉に、美希が顔をあげた。

「そういえば、あのやよいを真正面から叩き潰せるユニットが、たった一組みだけいた」

 それに賭けるのもいい。
 俺は携帯を取り出し、秋月律子の番号を呼び出した。
 
 
 
 
 
「どうするの?」
「高槻やよいに勝つには、トゥルーホワイトをぶつけるしかない。ゆえに、萩原雪歩をプラチナリーグに引きずり出す」




 可能性は多くはないが、それでも俺は仕事ですらなく、ただのファンとしてこのステージを見てみたい。実現さえすれば、第一戦など前座としか思えない、アイドルマスター候補同士の死闘が幕をあける。





(ステージ7、了)







[15763] stage8 Snow Step(雪歩) 1
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2012/01/20 15:58






 律子から渡された地図を片手に、俺たち三人は街中を歩いていた。
 
 萩原雪歩の家については、律子から散々に言い含められていた。わりとあっさり教えてくれたのは意外だったが、詳細を聞いてみるとなるほどと思った。
 これは手を焼く。
 そして、なぜ秋月律子がこちらに情報を渡してくれたのかもわかる。わかってもどうにもならないからだ。
 
「もうすぐかな。 住宅街に入ったよ?」
「ここらへんのはず、だな。真。お前はどうなんだ。遊びにいったこととかないのか?」
「実は、一度も。雪歩は、あまり家のことについては語りたがらなかったですし」

 口をへの字に引き結んで、やよいの次の対戦相手は困ったような顔をしていた。歩くだけで、道行く女性が振り返っていく。ショートカットが涼し気な見目麗しい美形アイドル。Aランクアイドル菊地真。顔は何度か合わせたことがあるし話に横入りしたことはあるが、今日までマトモに話したことはなかった。
 
 『エッジ』の羽住社長に許可をとって、拉致同然に連れてきていた。水瀬伊織を説得するのに高槻やよいを使った(ステージ3)ように、萩原雪歩を引きずり出すのに菊地真を使わないなど考えられない。

「よろしくお願いしますね。プロデューサー」

 なお、俺は彼女のことを真と呼び、真は俺をプロデューサーと呼んでいる。
 別に担当プロデューサーがいるのに、これはどうなるのかなと思ったが、真はまったく気にしていないようだった。本来の担当プロデューサーである羽住社長のことを、菊地真は『師匠(せんせい)』と呼んでいる。
 おそらくは、比較対象が特異すぎて、担当プロデューサーというものを掴みきれていないのだろう。
 
 まさか、担当プロデューサーというものは、すべからくグリズリーを素手で撲殺できないといけない、などとは思っていないだろうが。
 羽住正栄で検索をかけると、そのほとんどがプロデューサーでも社長でも俳優としてでもなく、武闘家あるいは格闘家としての逸話説話ばかりがヒットする。どうやらアイドルプロダクションの社長は、みんなこんなものらしい。
 大事なところを担当アイドルに任せ、おろおろあたふたしているアイドル社長と、俺の古巣で社長をやっていた、講演会と本の出版に余念がないエセ英国紳士のことが脳裏に浮かんだ。
 
「おにーさんと真くんって、仲良さそうだよね」
「ああうん。美希、実はね――」
「共通の趣味があってな。少女漫画で意気投合した」

 日本の生み出した、素晴らしい文化のひとつである。正直、雑誌の傾向とかどこの作者からどういう風に影響を受けているのかがわからないだけで、かなり選び方がカオスになる。それ以外は、数々の少年漫画青年漫画と変わらない。
 
「えーと、少女漫画っていったって、いろいろとあるはずだけど」
「海野つなみとか高尾滋とかそのへん」
「田村由美とか竹宮恵子もいいですよね」
「そこらへんはメジャーすぎだろう正直」
「ううっ。ふたりの話についてけないよ」

 美希がぼやいている。俺が推しているのは中堅どころだが、真が推しているのは作品名を聞けば誰でもわかるランクの作家だった。

「少女漫画は、女性が描いてるせいなのか、ピークと劣化が極端すぎるんだよ。ある少女漫画を読んで最高クラスと思っても、同じ作者の他の作品を読んでみると、あまりのつまらなさにウンザリすることもある。逆も然り。それが少年漫画との一番の差だな。趣味の合う合わないの差が半端ないし、発掘するのがとても面白い」
「雪歩も少女漫画とか好きだったんですけどね。いや、少年漫画もかなぁ」
「どうせあっちは、アルバフィカ×マニゴルドとかで顔を赤くしてたんだろう」
「いや、決めつけるのはさすがに。いえ、確かにそういうところはありましたけど」

 菊地真は、ストラップやキーホルダーなど、持っている小物のほとんどをカニで飾りつけている。『高槻やよいのやよい式WEBテレビ』で、寝起きドッキリを仕掛けたときも、私物のカニスリッパ、カニ目覚まし時計、カニマグカップと、そんなセンスの悪さが垣間見えた出来事だった。

 むしろ、マニゴルドよりデストールを崇めていそうである。

「あ、ここだ。ついたぞ」









 ――萩原組。
 などという表札は当然出ていないが、その門構えは立派なものだった。どこぞの武家屋敷と思えるぐらいだ。ネズミ色にふちどられた蝶番に、重厚な木の扉はだいぶ重そうだった。錆びてはいるが、朽ちてはいない。簡素ながら細かく彫られた模様が彫られ、建物自体の格式に一役買っている。
 
 が、これから交渉をする人たちに思いを馳せると、やはり機能的な問題がはじめに気になってしまう。カチコミを食らっても大丈夫そうだった。多分中はきっと要塞化しているだろう。火炎瓶や手榴弾を投げられても弾き返しそうだ。季節が外れているが、柿の木も植えられている。
 
「あ、監視カメラがついてる」

 目ざとく、美希が門の右上あたりを指さす。

「真は、雪歩の実家がこういう系列だって知らなかったんだよな」
「はい。家に数十人ぐらい若い衆が住み込みをしているのと、親父さんがすごく厳しい人だということぐらいで」

 萩原雪歩の親は、名の知れた広域指定暴力団円閥組の、幹部だということだった。
 凄いことである。一次団体の幹部の地位にあり、その下で広域組織二次団体組長として一家を構えている。

「で、おにーさん。どうするの。忍び込むとか?」
「そんなん、アポをとったに決まってるだろう。穏便に済ませたいときにやるのは、やはり正攻法だ」

 暴力団対策法が施行されて久しいが、元々ヤクザというのは、暴力ではなく交渉を生業とする。暴力は、交渉に伴う手段のひとつでしかない。連中は交渉事のみで数億から数十億の利益をあげているのである。
 
 ヤクザの怖さというのは、実はそこにある。
 弱みを利用する。相手に貸しをつくる。自分が裏切っても裏切らせない。ヤクザであることは匂わせる程度にして、あくまで近隣住民や被害者として脅しをかける。相手に恩を売り、利益だけ掠め取る。
 
 ヤクザとは、そういうのを日常的にやっている交渉のプロだ。弁護士を立てればいいなどと思うのも甘い。このクラスの組なら、たいてい顧問の悪徳弁護士がついている。

「インテリヤクザとか、そっち方面に期待するのは?」

 美希は、ヤクザというのを、ドラマとかで得たイメージで話しているのだろう。

「連中は金を積まないと動いてくれないからな。ならば、昔気質の親分を相手にしたほうがいい」

 実は、こういう時に一番やってはいけないのは、話に噛む人間を増やすことだ。手間も増えるわマージンはとられるわ、話がちゃんと伝わらない可能性は増えるわで、いいことがなにもない。なにより、昔気質の人間は小細工を嫌う。

 萩原雪歩を説得し、親の了解をとりつける。
 やることはそれだけなのだから、他の人間を間に置く必要はない。俺たちは、やけに丁寧な応対を受け、屋敷の中に案内された。

 ――さて、鬼が出るか蛇が出るか。








[15763] stage8 Snow Step 2
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2012/01/20 15:54





 案内を任された男は、にこにことしている。
 目が切れ長のいかにも強面の男だった。年齢は三十代の半ばぐらいか。庭を掃除している若い連中(それでも俺よりは年上だが)が居るが、明らかに風格からなにから違う。白いスーツの着こなしからして、明らかに小間使いを命じられるような立場ではない。

「ふーむ」

 上から下まで、男の視線が美希を上から下まで舐めつけた。感情は入っていない。バーコードをスキャンしたような素っ気なさ。

「いい女だなぁ。熟れれば旨そうだ」

 あけすけに言う。口調に脂っこさが感じられないのは、多分目の前の男の長所なのだろう。

「ううっ」

 それでも悪寒はするらしい。ブルッと震えて、美希は俺の後ろに隠れてしまった。真の表情が、やや険しくなっている。
 板張りの廊下は長い。男の舌はよく動いた。
 威圧と懐柔。これはどちらに入るのだろう。
 
「うちのアイドルをからかわないでください」
「いやぁ。悪い悪い。褒めたんだよ。ホントホント」
「それはわかりますが」
「うらやましいねえ。うちのは俺の浮気がバレたぐらいで、人の懐の拳銃に指をかける有様だよ。ひどいと思わないか?」
「ひどいって、なにがですか」

 真が、呆然とつぶやいている。ヤクザの女なら、浮気ぐらい多目にみろとでもいうのか。
 武家屋敷に住んでいると、感覚も古くなるのか。まさか、男の価値は連れ歩いてる女のランクで決まるとでも言い出すんだろうか?
 
「奥さんですか? なら、謝るべきでしょう」
「いいや。違う違う。ただの女だよ。一番高い維持費を使っている女ではあるけどねえ」

 ああ、なるほど。
 目の前の中年男のタイプがわかったような気がした。女を車や腕時計と同列に語っている。だったら決まっている。この男は金を、仁義や情や恩を得るためと割り切れるタイプだ。

「維持費が月に百万ぐらいかかるにしても、便利だからなあ。クラブで得られる情報やカラダも使えるし、アクセサリ替わりに連れ帰れる」

 なかなか、為になる講釈だった。
 月百万を、女のために維持費と割り切れる。そこから男のだいたいの年収が想像できる。アクセサリーと割り切った道具に、月収の十分の一以上をつぎ込むことはないだろうから、目の前の男の年収は二億程度か。そのような見極めができる程度には、俺はハナが効く。
 
 立ち振る舞いといい、想定できる年収といい、この男がここのナンバー2らしい。つまりは、若頭だ。ということは、つまり三次団体のトップでもあるはずだ。この国に数万いる若いヤクザが、最終的に目標とするのは、この男の地位。
 
 だいたいそんな感じの役職のはず。

「つまり、裏切っても裏切らせるな。浮気してもされるなってことですね」
「当然だろう。兄さんは違うのか?」
「ええ、俺はアイドルに裏切られるために仕事しているようなものですから」
「ほう」
「そして、アイドルは俺の想像を越えることをするのが仕事なわけです。これできちんと廻っているわけですね」
「なるほど。ためになった」

 ふたりほど扉の前に立たせていた。
 ひとりは右頬に傷のある男と、もうひとりは痩せた事務系の男。風貌よりもスーツの柄で役割が推測できる。傷のある男なんて、白いスーツの生地に、ハイビスカスの模様が裏打ちされていた。事務系の男は、やり手の営業マンみたいな感じだった。いろいろなのを飼っているようで、実によろしい。

「オヤジさんの準備ができました」

 分厚いドアの先に現れたのは、そこそこの広さの書斎だった。額縁に飾られた写真が多い。おそらく滑走路で撮った小型飛行機の前に立っている本人の写真。あとは赤ん坊のころの、萩原雪歩の写真なんてものが飾ってある。
 本棚に並ぶのは、ほとんどが実用書だった。冠婚葬祭の取り消めからスピーチ、裏稼業全集、ヤクザとして生きる、など、なんとなく神経質な人なのかと思う。娯楽小説といえば、阿佐田哲也のものぐらいだった。
 
 促されて、正面に座る。
 ほぼ自動的に相手の底を測ろうとするのは、仕事人間としての悪い癖だった。俺程度に見透かされるような人間ではないし、俺も簡単に手の内を晒すつもりはない。

「お久しぶりです。確か、ライブでよく見かけた方ですよね」

 口火を切ったのは真だった。
 おそらくはトゥルーホワイト時代に、娘の成長を見てきたのだろう。萩原雪歩の父親であるこの萩原組の組長は、真に対してだけは後ろめたさのようなものを感じているかもしれない。
 
 数々の重圧をくぐり抜けてきたものだけに備わる立ち振る舞い。多分、生きるか死ぬかの鉄火場を経験している男に、本来俺が言えることなんてない。

「まずはこれだけは言わせてほしい。Aランクアイドル昇格おめでとう。言うのが一年も遅れてしまったが、まだ間に合っていただろうか」
「ありがとうございます。ボクも言いたいことがあるんです。大きなライブでは、毎回欠かさずに花を送って頂いたと思います。工務店の名前を使われていたので確信はないのですが、一度、雪歩のことを抜きでも、一度お礼を言いたかったんです」

 真の言う花とは、コンサートなどで廊下に飾ってあるスタンド花のことだろう。一万後半から三万ほどまで花の種類にあわせて値段も上下する。

「そうか」

 義理堅いなぁと思う。
 そうでなくては、この地位にいないのだろうが。
 人間関係を円滑にするために必要なのは、やはり日頃の付き合いだ。俺だけではどうにもならない。菊池真が、歯を食いしばってひとりで戦ってきた日々は、決して無駄ではない。俺はそう信じているし雪歩の父親の心を動かしているのは、紛れもない彼女が積み重ねてきた日々である。
 
「そろそろ本題に入りたいのですが、是非、萩原雪歩を、娘さんを俺にプロデュースさせてほしい。もちろん、この菊地真とユニットを組ませるという意味で」

 言った。
 言ってしまった。俺がやるのは真の補助だ。今回は、相手の格が違いすぎる。俺の弁舌が、相手に影響を与えることは絶対にない。

「娘からは、あらかじめ伝言を預かっている。『会うつもりはない』とだけ」

 その眼光は、誠実さだけを湛えている。
 嘘ではないだろう。きっと真実なのだろう。萩原雪歩の反応としては、まったくブレがない。ドリームフェスタでなにがあったのかは、すでに真から聞いている。

「まったくその目がないのなら、萩原雪歩が菊地真とユニットを組むことを、二度とゴメンだと思っているのなら、俺は引き下がりましょう」

 美希がお茶請けを摘みながら、視線だけをこちらに向けて動かしたのが見えた。
 
「ただ、あなたは、そんな娘の本音を見抜けないような間抜けにはみえない」

 ――ここからが本番だと、俺は気を引き締めた。








 
「まいったな。頭を下げられるとは」

 粘ったほうだ。
 あの書斎で話をしてから、すでに一時間が経過していた。
 武家屋敷にふさわしい格の中庭だった。ミニサッカーできるほどの大きさはある。ところで池では錦鯉が泳いでいた。俺は凝り固まった筋肉をほぐした。

 納得できないということはわかっている。本人を連れてくるべきだという君たちの意見は、本来正当なものだ。それがわかってはいる。だが、それはできない。だから、何度でも頭を下げ続けるしかない。

 あのランクの人間に、そうまで言わせてしまった。
 あれだけの謝罪は、こうなったら絶対に覆せない。困った。貫目が高い低い関係なく、雪歩の父親はああやって組を守ってきたのだろう。

 ――ともあれ交渉は終わった。

 こちらに、なんの利益をもたらすことも、新しい情報が入ってくることもなかった。
 
「お年玉を貰いました」
「美希も貰ったよ」

 ふたりとも、なにか微妙な顔をしている。というか手に持っているお年玉袋の厚みがおかしい。賄賂とか交渉が失敗したときの償いとかは、金額に反映されてはいないだろう。娘を溺愛しているだろう雪歩の父親が、同年代の娘に自分たちの世界を垣間見せるはずがない。

 ああ、これからどうしよう。予定通りとはいえ、せめてひと目でも萩原雪歩をこの目で見ておきたい。でないとこちらの策がうまくいくかわからない。
 
 ――空を見上げる。
 視線が、中庭から見上げられる屋敷の二階部分をさまよう。そこで、視線がぶつかった。
 
「…………」
「おにーさん。どうしたの?」
「いや、なんでもない」

 強い視線を感じた。姿は見えないが、人影だけは見えた。少女趣味はカーテンから、少女らしきシルエットがのぞく。
 
「真、ちょっとこっちを向け」

 確かめることにした。
 『?』を浮かべる真に正面から手を伸ばすと、脇腹のあたりをさわさわとくすぐる。ちゃんと鍛えられていた。やはりこの娘は脇腹のあたりがチャームポイントだ。

「ひぁあああっ」

 真が、かわいらしいといえるような悲鳴をあげた。
 カーテンの隙間からの視線が強まった。どうやら間違いない。
 
「ぷ、プロデューサーっ。い、いったいなにを」
「――真。雪歩が見ている。ちょっとそのままでいろ」

 真の表情が固まった。菊地真のカラダにさわさわと指を這わせる。彼女は紅潮した顔で今にも漏れそうな悲鳴を押し殺している。エロい。なにかに目覚めそうだ。

 行為自体に、まったくの意味はない。
 ここで、これを現時点で萩原雪歩に見せておくことに意味が生じる。
 圧倒的なまでの敵意が、二階から降ってくる。ただ戦友がセクハラを受けているというだけでは絶対に説明できない感情が漏れ出していた。なるほどなるほど。
 
 こちらの脅迫文は、きちんと届いていたらしい。
 ならばいい。これで第一フェイズと第二フェイズ、さらに第三フェイズまでコンプリートした。
 
 真から離れる。美希は『ああ、やっちゃったよ』『ついにやっちゃったよ』みたいないたたまれないものを見るような視線を俺に向けていた。
 
「なんだそのガチ犯罪者を見るような目線は」
「あのね。最後の一線を越える前に、ミキに相談してほしいの。いろいろ世話になってるから、ちょっとぐらいなら揉ませてあげてもいいよ」

 そそられないのは年齢的な枷があるからか。
 伊織ややよいや美希みたいな年少組ばかりプロデュースが重なったせいで、年中組みたいな年齢の真は、いじめたくなる魅力が出てきている。

「ああ、覚えておく。(目的は達したし)一度出直すか」
「待ってくださいプロデューサー。ボクはぜんぜん、納得できてません」

 直情的だった。伊織ややよいとは違うまっすぐさに、思わず見惚れるほどだった。
 
「俺もそうだが、この場合は俺たちが納得できていないことは些細な問題でしかなく、こちらの感情を、相手に見透かされていることそのものが問題だ」

 あちらはきちんと筋を通している。
 ならば、すべて蹴り飛ばして片付く問題ではない。















 
「さて、目的は達した」
「何したの?」
「ふむ。わかりやすく例えるために、身代金誘拐の例でも上げてみよう」
「それ、ホントに例え?」

 美希が猫にまみれていた。出勤中の猫どもに囲まれて、だらけている猫たちと美希に向けて、売ってあるおやつをちぎってやる。
 雪歩の武家屋敷から、ちょっと離れたところにある猫喫茶だった。真とは別れ、後日策を練り直すことを告げている。
 
 翌日になっていた。
 俺はここで、萩原雪歩との待ち合わせの約束をしている。菊地真は混じえずに、相手の許可をとらない一方的な約束ではあるが。

「身代金誘拐で例えると、金持ちのガキを攫うまでが第一フェイズ、相手にこっちの要求を伝えるのが第二フェイズ、ガキの声を聞かせるなりして相手に身代金の電話をかけるのが第三フェイズ、俺たちはすでに第三フェイズまでクリアしているわけだな。わかったか?」
「金持ちの子供っていうか、人質が真くんだってことぐらいは」
「それだけわかればいい」

 まだ美希は納得していない。だらけた三毛猫とトラ猫と白猫が、美希の体によじ登っている。カーペットに横になって髪を振り乱している美希は、顔に覆いかぶさってくる猫に呼吸をふさがれていた。

「え、でもおにーさんは、真くんを使って、説得するっていったよね。真くん、いらなかったんじゃないの?」

 美希は上半身を起こした。猫がぽてぽて落ちてくる。猫たちがニャーンと情けない声や恨みがましい声をあげる。安息の地の崩壊といった感じなのか。

「考えてみろ。俺はちゃんと、菊地真を『使って』萩原雪歩を説得すると、ちゃんと言ったはずだ。真本人に説得させるなんて、一言も言ってない」
「うわぁ」
「というわけで、この時期ほぼノーチェックに渡る年賀状に、脅迫文を織り込んでおいた。干支の絵がミクロな文字で出来ていてな。ちゃんと気づいてもらえるか心配だったが、まあ心配なさそうだな」


 約束の時間には早い。
 入口のベルを鳴らして、待ち人はやってきた。萩原雪歩は凄まじい目でこちらを睨んでいる。








[15763] stage8 Snow Step 3
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2012/01/27 05:12





 重ねて言うが、ここは猫喫茶である。
 都合十八匹ものお猫さまたちが転がったりよじ登ったりぶら下がったり丸まったり引っかいたり目標に対して猫パンチを繰り出したりしているわけであり、猫好きにとってここは天国に等しい。
 
 逆に言えば、猫嫌いにとって、ここはこの世の地獄に等しいわけだ。

 お猫さまたちは、どこぞに挟まったりクッションで丸まったり尻尾だけを見せていたりと、愛くるしさだけを存在価値として、ここの主役に収まっている。お猫さまたちの存在価値はかわいさであり、可愛さを追求するために存在がある。ボードレール万歳。人に飼い慣らされまくって、野生の誇りなどどこぞに置いてきているようなお猫さまたちだが、自分たちを拒絶する空気の震えみたいなものは感じ取れるらしい。

 萩原雪歩は、立ち尽くしたままで震えていた。
 竦み。怯え、顔色は信号機よりも青くなって、立っているのすら辛いように見えた。白い陶器みたいな肌と相まって、病的な美しさとして彼女の存在をふちどらせている。
 
「ま、まこと、ちゃんは、どこ、ですか?」

 それでも翳ることのない強烈な意思の光が、俺を串刺しにしている。
 ナイフみたいな研ぎ澄ました敵意。
 いいな。素晴らしくいい。なにかに目覚めそうだった。こういう、本来虫も殺せないような娘に、心の底から憎まれるのは男の本能を刺激してくれる。

「無理するな」

 真からは、萩原雪歩の弱点を聞いていた。
 動物全般がダメで、チワワ相手に足が竦むほどだという(なぜか虫は平気らしい)が、流石にここまでだとは思わなかった。
 
 こちらとしては、有利なフィールドに足を突っ込ませたい、ぐらいの軽い気持ちだったのだが。思いの外、急所にクリティカルヒットしてしまった。ああ困る。凄く困る。どれだけ気を張っていようが、アイドルというのは普通の中高生だ。
 
 こういう繊細なガラス細工のような娘が、一番取り扱いに困る。さてと。俺は萩原雪歩の菊地真への拒絶がどこから来るものなのか、ここで見極めなければいけない。真から聞いたことを繋ぎ合わせた限りでは、ただ全力で後ろへと逃げているように見えるのだが、それだと『YUKINO』の説明がつかない。
 
「なにか飲むか」
「冷たいお茶をお願いします」

 萩原雪歩を促す。『猫立ち入り禁止』の注意書きがついた飲食ルームに移動する。あまり広くはない。もとはキッチンだったようでシンクがついていた。流し台にはヤカンが置いてある。三秒に一回ぐらいビクつきながら、お茶の入った紙コップを手にとったころには、彼女はようやく落ち着いたようだった。
 
 なお飲食ルームといっても、売ってあるお菓子とカップ麺のほかに、ジュースの自販機があるだけだ。猫喫茶は生き物を扱う以上、衛生上の問題から食べ物の持ち込みは禁止されている。
 
「あと、菊地真はいないぞ。連れてきてほしかったか?」
「どういうことですか?」
「俺なりに気を利かせてやったつもりだ。本人を連れてきたりすると、話が進展しないと思ったんだがな」
「真ちゃんに、危害を加えるつもりはないんですね?」
「それは、君のこれからの態度次第かな」

 萩原雪歩は警戒を解かない。
 それでいい。彼女の出方によっては、菊地真にとっても萩原雪歩にとっても、不本意な結果が待っている。

「おにーさん。悪役だ。完全に悪役のセリフだ」

 呆れたような声だった。
 腰まで届くような金髪をテーブルに垂らして、美希が背中をまるめていた。猫にあてられて、少しばかり野生にかえったような気がしてくる。

「おにーさん。脅迫文にどういうこと書いたの?」
「いや、脅迫文としてはテンプレートな文章だぞ。菊地真のアイドル生命が惜しければなんたらかんたらで、ここの住所と今日の日付と時間をを書いておいただけだ」
「アイドル生命ってのが微妙だよね。監禁して顔に傷つける、なんて風にも読み取れるし」
「そうか。脅迫文に解釈の生じる余地なんてあったらダメか。でもいろいろ想像させたほうがよかったかもしれないな」
「よくないから。ぜったい」

 美希に全否定された。
 それはそうだ。脅迫文という手段をとった段階で、全否定されて然るべきである。なにやら納得感があった。

「そんな実力行使の手段をとるまでもない。菊地真を終わらせるぐらい、俺のプロデューサーとしての仕事の範疇でおさまる」
「どういうこと?」
「今回のやよい祭りを、次は菊地真でやってみるだけだ。Aランクアイドルのうち、高槻やよいと天海春香と、俺が元担当していた如月千早に働きかけて、菊地真包囲網を敷く。やよいと天海春香と千早の三人に狙いうちされて、果たして真はAランクアイドルの座を死守できるかな」

 なにせ、菊地真はAランク六位。
 プラチナリーグにおいては、ポイントを毟るよりは毟られる立場にいる。
 千早のところはデタラメだったりするが、それでも萩原雪歩には確かめるすべはないだろう。きちんと明確な脅しとして機能するはずである。
 
 事実、雪歩の表情に力が入った。必死に感情を表に出さない努力は認めるが、それでもいちいちリアルタイムで反応している以上、いろいろと筒抜けになっている。
 
「実に素晴らしいな。なにが素晴らしいかって、実行してもしなくても、どちらでも俺にメリットしかないのが素晴らしい」

 打ち解けたとはいえ、真は敵である。
 ここで息の根を止められるなら、デメリットよりもメリットが上回る。また昇ってきたのなら、昇ってきた回数だけまた叩き落とす。ファンが諦め、かつて見た栄光が紙屑と同じ価値に変わるまで。

「まあ、俺は親切で言ってやってるわけだ。今俺が語ったのはプラチナリーグにおけるただの定石だ。誰に非難されることでもないからな。菊地真は、実に微妙な位置にいたのはわかってただろう。美希、菊地真の最大の武器はなんだかわかるか?」
「えーと、おにーさん前言ってたよね。ファンのほとんどが女の子で、他のアイドルとファンが被らないこと」
「ああ、そのとおりだ」

 俺の独演会はとどまることを知らない。
 観客が二人しかいないのがもったいない。特に俺に死ねと言ってくれるお嬢様とか、一言一言に過敏極まりない反応を返してくれる欠食児童とかが足りない。

「ファンが被らないことで得られるメリットは、細かくみっつに分けられる」
「――それは?」

 長い話の間に、少々ペースを戻してきた萩原雪歩が、先を促す。

「ひとつは熱狂的なファンがつくこと。ひとつは代用品が存在しないことで、需要を一手に集められること。そして、最後に一番大きいのが、他のアイドルを敵に回さずにすむこと」
「え?」

 最後のひとつがわからなかったのだろう。
 美希が疑問の声をあげた。

「言ってしまえば菊地真を潰しても、ファンが流れ込んでくるわけでもない。菊地真のファンではあってもプラチナリーグはどうでもいい、なんてファンがたくさんいるわけだからな。むしろ、主婦層とか、つなぎ止めていたファンが離れていってしまう危険すらある」
「ふんふん」
「まあ、つまり菊地真は、――他のアイドルから、見逃されていたわけだ。
 天海春香は弱いものを狙う必要はなかったし、千早と俺は天海春香へのリベンジに燃えていたわけだし、当てはまらないのはリファ・ガーランドぐらいだったものな。そして当時のAランクアイドル一位であり、優先権を行使して最初に菊地真を潰すべきだったはずの『YUKINO』は、なぜか一度も彼女を指名することはなかった」
「……………」

 萩原雪歩は、うつむいていた。
 無気力でそうしているわけではない。膝上で両拳を握り締め、歯を食いしばって感情を押さえ込むのに全力を尽くしている。

「とまあ、俺が言うべきことは以上だ。まどろっこしく言うつもりはない。いや、そこまでしなくても、次のやよい祭り第二戦で高槻やよいが菊地真をがっぷりと一呑みにするだろう。天海春香みたいにエース曲を温存したなんて言い訳は通じない。完全に、立ち直れないぐらいの差をつけて、菊地真は高槻やよいに負ける。プライドも夢も約束も、なにもかもがコナゴナに砕けて終わる。プラチナリーグでは珍しくもない。日常の出来事だ」

 話を切り上げる。
 今までの話は、これからの『予定』だ。脅したつもりはない。フェイクでもない。ここまでが、俺が示せる好意のボーダーラインだ。彼女が今までどおりに手をこまねいているのなら、俺は容赦なく菊地真に引導を渡すだけだ。

「人が人にしてやれることなんて、いくつもあるわけじゃない。『なにもしない』か、『それ以外か』だ。まあ、俺にはどうでもいいことだが」















 
 
 萩原雪歩は、千円札を一枚置いて去っていった。
 俺と美希はまだ時間になっていなかったので、もう少しの間、猫の肉球を堪能することにした。
 
 ――ケジメなんです。
 ――きっと、雪歩を待つのも、これが最後だと思います。
 
 昨日の別れ際に、菊地真がぽつりと漏らした言葉だった。あと十日ほどで、次のステージに挑む必要がある。きっと菊地真は、そこで雪歩を諦めるつもりだ。
 
 ――そして。
 俺にだってわかる。雪歩を諦めるということは、菊地真のアイドルとしての終焉を意味する。きっと目的もなく、菊地真はプラチナリーグに残ることを望まないだろう。
 
「それで、まとめると雪歩が『YUKINO』なんだよね」
「ほぼ間違いなくな。『YUKIHO』の、『H』の真ん中の棒をナナメにすると『YUKINO』になるし、声もそのまんま萩原雪歩のものだしな。他に解釈の余地なんてないだろ」
「でも、おかしくない? 分かり易すぎるよ」

 美希の言うことはもっともだった。
 萩原雪歩と菊地真の間になにがあったかは知らない。ただ、正体不明のアイドルを演じているとはいえ、美希の言うとおり分かり易すぎる。隠す気がまったくないとすら思えてくる。

「どういうことだろ、これ?」
「不慮の事態だったとかな。たとえばランクアップがかかっているような大事なステージが始まる十分前ぐらいに、相棒が来れなくなって、急遽ひとりで歌うことになった。本当は『YUKIHO』と書いたはずが、殴り書きしたせいでステージ担当者が見間違えた、とか」
「あれ? でも、それだと」

 美希の台詞が、一瞬だけこちらの思考を止めた。

「――それだと、裏切ったのは真くんって話になるよ」

 おかしな話だ。いや、決めつけることはない。なにせこちらはなにも情報がない。ふたりへの、これ以上の干渉は逆効果にしかならないだろう。
 
 残すは箱を開くばかり。あとは仕上げを御覧じろ。
 
 
 
 ――そして、混沌と激動の第二戦がはじまる。
 




 



[15763] stage8 Snow Step 4
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2012/01/27 05:11







 強面の連中が、最前列に陣取っている。
 七人ほどだ。親子連れと女性ファンがたちが客層のほとんどを占める中で、明らかにそこだけ異様な雰囲気になっていた。
 萩原雪歩の実家で見た顔だった。むろん中央には連中を束ねる雪歩のオヤジさんがいる。いや、それはいい。揉め事には強いだろう。こちらとしても、不要な数の警備員を雇わずにすむのはありがたい。
 
 だが、どうやってとったんだアレ?
 
 AランクアイドルのS席チケットは、だいたいファンクラブを通して売りに出される。天海春香の最前列チケットなど、『愚民』同士の凄惨な競り合いの末、10万オーバーの値がつくことも珍しくない。つまりあれか。俺があの武家屋敷にお邪魔したときに、なんで上から数えたほうがいいような連中ばっかりがお出迎えにきていたのかと思ったら、あれは親父さんの指示でもなんでもなく、あそこにいた連中はみんな萩原雪歩、あるいは菊地真のファンだったというオチなのか。

「菊地真と高槻やよいでは、アイドルとしての格が違いすぎる。これをどうやって覆すのか、お手並みを拝見させていただきます」

 とか言ってきたのは、雪歩の親父の部屋でで門番をしていた右側のほうだった。ビジネススーツに身を固めている。荒事には弱そうだったが、交渉事を得意にしているのだろう。どこぞの評論家のようなことを言っている。いわゆるインテリヤクザという奴である。

 そんな人が、年季の入ったアイドルオタクのようなことを言うのがおかしくて仕方ない。

 もしかして萩原雪歩は親にアイドル活動を猛反対されていたりするのかと思ったが、どうやらそういうわけではないらしい。
 なお、蛇足な気がするが、この人の年収は八千万ほどだろう。多分。
 
 
 ともあれ、東京ビューイングアリーナは今日も満員御礼だった。萩原雪歩に伝えたのは、当日のスケジュールだけだった。ゆえに、リハーサルもなにもない。ぶっつけ本番でステージに立つ必要があった。
 
 そもそも、萩原雪歩はまだ会場にいない。来るのかもわかっていない。もとより、俺が勝手に頼んだことだ。萩原雪歩が来なくても、彼女の責められる道理は一切ない。菊地真は高槻やよいに摺り潰され、トゥルーホワイトの名前もなにもかも、知る人がその記憶のなかで止められておくだけの存在になる。ただ、それだけだ。
 
















 やよいと伊織、それに美希に対するミーティングは、すでに終わらせてある。二回目ともなれば、要領や段取りもわかっているためにあまり時間をかけずにすんだ。油断するなという士気高揚の演説をひとつ打って、俺は菊地真の控え室で、『対高槻やよい』をどう打倒するか説明を始めている。
 
 本来の担当プロデューサーを蔑ろにする、本来恐ろしい暴挙なのだが、本人はさっぱり気にしていない。この人はもっと自分の担当アイドルを大事にするべきだと思う。

「羽住社長」
「私はトゥルーホワイト時代を知らない。だから、いつもの真とは別物だろうふたりにアドバイスなんてできないからな。舵取りもなにもかも、君に任せよう」

 鋼の入った筋肉は特注のスタッフジャケットに覆われて着膨れしたクマのようになっている。羽住正栄はそんなことを言っていた。

「君を、私の後継者のひとりとして認めよう」

 とか言って、ブタの被り物を渡された。
 あ、隅に小さく『ヤキニクマン四世』と書かれている。
 この人、特撮に被れすぎて、後継者とか引継ぎとか仕事の基本を根本的に誤解しているように見える。

 この人大物なのでもなんでもなく、ただ適当なだけに思えてきた。あと、烏丸棗(ブルーラインプロダクション)がなんでよくリファ・ガーランドのプロデュースをやっているのかもだいたい想像がついた。あと『ヤキニクマン三世』が誰なのかも。
 
 俺はともかく、A級プロデューサーである烏丸棗なんて時間単価が凄まじいことになっているだろうに、それを『ヤキニクマン三世』として、タダでこき使っているのだから、もしかしてこの人社長としては一級なのかもしれない。
 
「あの師匠、プロデューサー。ミーティングを始めるんじゃないんですか?」
「そうだったな。悪い」
「ああもう、真くん。かっこいいの」

 美希はテーブルに頬杖をついて、ステージ姿の真に見惚れていた。きっちりと決めた黒のスーツだった。銀と白のストライブになったネクタイがよく似合っている。これから舞踏会でお姫様と一曲踊りそうな格好である。

 ――いや、それよりも。

「おいこら」

 美希はなんでここにいる。
 やよいと伊織の様子を見張っておけと言ったはずなのだが。

「真くんかっこいいし。やよいとおでこちゃんは、いつも通りだったよ?」
「ああそう」

 人選を間違えた。
 絵理か天海春香でも貼り付けておくべきだった。

「それはそうと、第二戦、『高槻やよいVSトゥルーホワイト(菊地真)』のミーティングを始めよう。本来、どの順番で曲を出してくるのかは完全なトップシークレットだったりするが、まあ当然俺が決めたから俺には筒抜けだ。やよいの本日の献立はこうなっている」



 一曲目。『キラメキラリ』 
 予想戦闘力 100
 
 二曲目。『ゲンキトリッパー』
 予想戦闘力  30

 三曲目。『スマイル体操』
 予想戦闘力  75


 
「で、どうするの?」
「こちらと相手が同格という仮定で、さらに歌う曲の順番がわかっている場合にだけ通用する、プラチナリーグでの必勝法というものがある。それを使う」
「へえ」
「まずあちらの一番強い曲に、こちらの一番弱い曲をぶつける。次に、あちらの一番弱い曲に、こちらの二番目に強い曲をぶつける。あと、仕上げにあちらの二番目に強い曲に、こちらの最強の曲をぶつければいい。実力が同等であるなら、これで二勝一敗となるわけだ。どうだ。斬新でカッコよくて壮大な、天才軍師である俺の名にふさわしい作戦だろう」
「なるほど。目からウロコがぼろぼろ落ちました」
「あ、そっか。すごい作戦だと思う」
「………………」

 ああ、賞賛ばかりでツッコミがないのが寂しい。
 おそらく伊織なら、なにが新しいのよこんなカビの生えた作戦、とか言ってくれるだろうに。

「真くんは、工夫していることってあるの?」
「師匠からは、エース曲にエース曲をぶつけるな、とは言われたけどね」
「なんで?」
「格付けがはっきりしすぎるし、エース曲ってのはアイドルの命そのものだからな。出せば必ず勝つ、という絶対性がなければエース曲たりえない。よって、エース曲同士をぶつけるのは、ただの不毛な削りあいだ。誰も得なんてしない」

 ここらへんは、暗黙の了解というやつだった。
 相手によってはエース曲を出さないなんて戦略もありうる。前回の天海春香戦は、それとは少しパターンが違ってはいたが。如月千早のように、事実上全曲がエース曲なんて例もあったりする。
 
「それで、真。できたか?」
「はい。これが、今日のボクの、ボクたちの曲順です」
「――へえ、なるほど。っておい」

 話を聞いていなかったのか?
 思わず、そんな疑問が先にきた。渡された紙に書かれていたのは、今までの話を根底から覆すようなモノ。

 菊地真の一曲目は、『迷走Mind』だった。
 
「おい、人の話を聞いていたか? 高槻やよいが一曲目に出してくるのは、エース曲である『キラメキラリ』だぞ」
「はい。これが、ボクの一番弱い曲ですから」



 一曲目『迷走Mind』
 予想戦闘力 55

 二曲目『Tear』
 予想戦闘力 20

 三曲目、『Inferno』
 予想戦闘力 25



「勝負は、二曲目と三曲目か」
「はい」

 二曲目と三曲目は、トゥルーホワイト時代の曲だった。
 つまり、ふたりいなければ、半分の実力も発揮できない。
 これからのことを、まったく考えていない。背水の陣を張っている。ただ、彼女は『トゥルーホワイト』としての将来だけを考えていた。



「わかった。これでいこう。一戦目を捨てて、二戦目と三戦目で勝つ。やるからには、全力で叩く。高槻やよいを叩きのめすぞ」








[15763] stage8 Snow Step 5
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2012/02/01 21:15




『第十六回目高槻やよいのWEBテレビ』出張版だったが、実に滑らかに廻っていた。真と雪歩に関わっていたために、準備不足というか、あまり細かいところを練りこまないで本番を迎えたところもあるのだが、それも盛り上げる素材のひとつ、と前向きに考えることにしよう。

 もちろん口には出さない。
 伊織に血祭りに挙げられるだろうから。

 ステージ上ではいつもの長屋セットのうえで、美希、伊織、やよい、真による時間を区切ってのフリートークタイムが続いていた。

 司会進行役の伊織の突っ込みは冴え渡っているし、三人に真もよく馴染んでいた。今日も、よくやよいがイジられている。いつもどおり美希がぶっとんでいる。

 話の話題は、俺が特注したやよいのステージ衣装のことに移っていた。

「イメージとしては、お姫様でまとめてみたらしいわよ」
「お姫さまっていうか、これはなにか違うと思うんだけど」

 やよいは舞台の上で、まともに座るのにも苦労する有様だった。
 全身をデコレーションされて、ウェディングドレスよりふた周りほど煌びやかで豪華なドレスに身を包んでいる。
 よく見てみると、円形上のシルエットになっておりドレスとしての機能を残していない。もはや衣装というよりもウェディングドレスというよりも、ウェディングケーキを頭からかぶったようになっていた。仮装に近いが、むしろ被り物である。そこにいろいろラメと電飾を散りばめているみたいな説明で、イメージが伝わるだろうか。 

「プロデューサー的には、全長十八メートルの『機動戦士やよい』が最初にやりたかったんだけど、予算的な問題で取りやめになったらしいわ」
「もうわけがわからないんだけど」

 やよいがぼやいていた。
 ウェディングケーキのコスプレをさせられて、その認識はまったくもって正しいはずだった。

「だって、これ。20キロ近くあるんだよ。どうやって踊るのこれ」
「えーと、ミキとおでこちゃんが代わりに踊って、やよいは座って上半身だけ合わせてくれればいいって」
「なにかなっとくいかないよう」

 かくして、やよい祭り第二戦、『高槻やよいVS菊地真』は始まってしまう。もう結果はわかっていると思うので、最初に言ってしまおう。
 
 84対16でやよいが勝つ。

 カメラはやよいに寄っている。
 ステージ最上部の玉座に座っているだけだ。
 ただ高槻やよいが杖の先端を床に叩きつけるごとに、バックダンサーたちが前後に入れ替わる。
 最前列で、美希と伊織が跳ね回っている。
 やよいが動けないために、ふたりに動きは激し目だった。ステージを前後に使って、ピンと張った両腕を、美しく伸ばしている。デザインを決めて、このステージから投入することになったハニーキャッツ専用ステージ衣装を身に纏って、猫耳と猫手袋と尻尾をファンの目に晒していた。
 
 まるで絵本の世界だった。パステルでポップな世界が、LEDスクリーンに投影されて飽きることがない。高槻やよいは手にした魔法の杖ひとつで、その世界を自在に操っている。『キラメキラリ』が転調を迎えるとともに、ステージ前方に仕込まれた舞台装置からシャボン玉が吹き上がる。

 完璧なステージだった。もっともこの状況で少々の失敗など、なんの影響ももたらさない。あらかじめ決められた絶対的な勝者として、高槻やよいはそんな領域にいない。転ぼうと歌詞を飛ばそうと、やよいの輝きはそんなもので押さえ込めない。

「ギターソロ。カモンなのーっ!!」

 美希が右腕を虚空に掲げた。

 最後のサビに、玉座に座っていたやよいがドレスをキャストオフする。ステージが始まって、最大の歓声が漏れた。美希伊織とお揃いのハニーキャッツ用ステージ衣装に身を包んで、高槻やよいの『キラメキラリ』は集結部へと収束していく。

 ああやだやだ。
 目下、うちのやよいはますまず化け物じみてきている。同じ土俵に立ってすらいない。よって、本来Aランクアイドルを相手にするのに必要な最低限の緊張感すらない。

 存在のケタが違う。
 高槻やよいは、本日もキレが落ちていない。

 予想を裏切ることなく、高槻やよいは菊地真のエース曲『迷走Mind』を下す。84対16のスコアで、永遠に記録に残る審判が下される。Aランクアイドル同士のエース曲を鍔競り合わせ、出たこの結果はそのままアイドルのランク付けと直結する。

 高槻やよいは二戦目、三戦目を待つまでもなく、菊地真というアイドルを完全に葬り去った。ここから繰り広げられるのは、誰の目にも明らかな、一方的な消化試合だけだ。
















『Inferno』

 俺の余裕綽綽の態度というか、どちらに肩入れするでもないコウモリな態度は、次の菊地真のステージで突き崩されることになる。二戦目は、トゥルーホワイト(菊地真)の先行だった。

 ――リハーサルと違う。

「二曲目と、三曲目が入れ替わっている」

 ジャッジに提出したのは先ほどのことだった。
 その際には、間違いなく『Tear』が二曲目だった。それが組み替えられていた。運営側のミスでないとすれば、犯人は明らかだ。曲の順番を操作できる相手などひとりしかいない。トゥルーホワイト(菊地真)の、本来のプロデューサー。

「どういうことです。羽住社長?」
「内緒にしていてすまなかった。だが、実はすでに『ブルーライン』から萩原雪歩の引渡しについて打診されていてね。すでに話はついている」
「は?」
「先方から出してきた条件は、このことを君と真に伝えないということだ」

 羽住社長は、わけのわからないことを言った。
 考える。より考える。謀られた、ということは想像がつく。誰かは知らないが俺の描いた絵図に干渉してきたということも。俺が外側から干渉しようとしたら、さらにその裏を突かれた。となれば、俺がなにを考えているのかを知っていなければならない。ワークス外部で俺がトゥルーホワイトを復活させようとしていることを知っているのは、羽住社長と、真と、雪歩と、雪歩の家族と、そしてもうひとりだけ。

 俺のLEDスクリーンが、人の姿を映し出す。
 
 少女のシルエット。
 影絵に似た髪の長い少女は、長らく見てきた幻影だった。プラチナリーグで、根強く囁かれる都市伝説(ネットロア)ですらある。
 
 発生源はわからない。
 だが、誰ともなくファンの間で囁かれた話は、圧倒的な指示をもって広まっていった。電子の海に沈む歌姫。データの切れ端を結晶にして、生まれでた虚空の女神。
 
 ただの人工物に神が宿ったとされるひとつの伝説。パソコンのなかの電子生命体が命を宿し、ファンに歌を届けている。やがて、電子の海に消えゆくことを運命と受け取めて。だからこそ、その歌声は、こんなにも多くの人の胸を打つのだと。



『Inferno』



 それは『ふたり』のステージだった。
 菊地真のステージを後押しするように、萩原雪歩の声がスピーカーから流れている。菊地真と『YUKINO』の共演だった。
 
 熱を帯びた声音が、曲の盛り上がりとともに頂点に達する。
 
 Aランクアイドルふたりを掛け合わせる。
 
 なるほど。
 これはすごいことだ。俺が菊地真と萩原雪歩に期待したこととはまったく別のベクトルをむいているが、いいんじゃないだろうか。新鮮でもあるし、予想戦闘力30の『ゲンキトリッパー』ぐらいなら、ギリギリ叩き潰せるだろう。

「なにがやりたいんだこれは?」

 だが――
 見る限り、やっていることにセンスの欠片もない。
 なにがやりたいのかもさっぱりだ。これではただの菊地真と『YUKINO』を足しただけだ。トゥルーホワイトの魅力を、半分も引き出せていない。
 
 さて、声はすれど姿は見えず。
 萩原雪歩はどこに行ったやら。プラチナリーグでは生歌しか認められていない。だから、萩原雪歩がゴーストシンガーの立場にあるとしても、この会場のどこかで歌っているはずだった。

「理由なんてないわ。観客に落ち着く時間を与えているだけよ」
「…………」
 
 ――舞台裏に、第三者の介入があった。
 露出度の高いレザースーツを身にまとっていた。
 やたら破壊力のある胸の谷間までおしげもなく曝け出している。年齢はおそらく二十前後か。やけにおっぱいが大きい。

 飽きるほどに見た。プラチナリーグを少しでも知るものならば、彼女を知らないものはいない。正体不明のアイドルとして、液晶画面の中の牢獄で、世の男たちにラブソングを囁いてきていた。
 
 今もLEDスクリーンで物憂げな表情を見せながら、肩まで届く軽いウェイブのかかったブラウンヘアーをなびかせていた。傾国と表現されるほどに際立った容姿は、画面の向こうからこの世界に降り立って、より可憐さを増しているように見える。

 だが、彼女がそこにいることにまったく違和感がない。
 数年かけたイメージ戦略に、どっぷりと腰までつかってしまっていたらしい。どこででも、何時ででも、俺はどんな人ごみのなかにあっても、彼女の姿を見つけ出すことができる。

「――『YUKINO』か」

 萩原雪歩ではない。
 正真正銘の、――本物だ。
 俺の胸を打ったのは、驚きではない。納得だった。

「つまり、『YUKINO』は、二人組みのユニットだったということか」
「いいえ。雪歩ならユニット登録はしていないわよ。雪歩のやっていたことはゴーストシンガーだけど、ああいうバックダンサーとしての舞台装置みたいな感じね」

 ああ、そういう絵図を書くつもりか。

 ここから、ルール上、少々ややこしい話になる。

 いくつか、説明が必要だろう。
 この菊地真と『YUKINO』のステージをどういう風に成立させるのかがキモだ。いくつか超えなければならないルールがある。
 
 菊地真と萩原雪歩であるのなら、これはまったく問題ない。最初から菊地真は、トゥルーホワイトとして登録しているし、それはファンの間でも周知の事実だった。どこで萩原雪歩がステージに乱入してきても、まったく問題がないようになっている。
 
 もともと、Aランクアイドル同士の戦いにおけるレギュレーションは、ひどく緩い。
 
 持ち込める装置は制限されている。だが、これはどちらかというと会場であるアリーナ自体のキャパから来るものだ。
 大きなルールとしては、ライブ(生歌)であることのみ。他には何の掣肘を加えられる心配はない。ステージそのものを番組ジャックしても、どこからも問題はこない。ストライクゾーンぎりぎりを掠めるスローカーブは職人芸なのだと、勝手にそういう訳としておく。

 その上で、
 今回の『YUKINO』の乱入は認められるのか。
 そもそも、『YUKINO』自体の、ゴーストシンガーなんて認められるのか。萩原雪歩が『YUKINO』だったというのならまったく問題はない。歌うべき人間に、影絵としてモデル担当がついているということで押し通すことができるだろう。ただ、目の前のこの娘が『YUKINO』だというなら、歌のひとつも歌っていないのなら、せめて『YUKINO』は二人組だったのだとアナウンスしておく必要性が生じる。でなければ、プラチナムポイントが分配できない。
 
 さて、ファンが彼女の理屈を認めるのか。
 イエスかノーか。
 
「ノーだな」

 なんでもあり。イコールやりたいほうだいとはいかない。
 『YUKINO』のユニットとしての在り方は、明らかにグレーゾーンを飛び越えている。多方面から批判をうけるのは避けられないだろう。

「この二戦目のステージは成立させられるだろうが、今までの行動のすべてを否定しているに等しいな。もっとうまいやりかたなんて、いくらでもあったんじゃないのか?」
「いいえ、これでいいの」

 これは、私が受けるべき罰なのだと、彼女はそう言った。私が悪いのだと。私が弱かったのだと。これは私の罪で、私の夢だと。

「誰でもなくて、私のせいよ」

 夢を抱き、夢に押しつぶされて、夢にもがいている。
 そんな印象を受ける。まるで、プライドの塊のような娘だった。伊織と気が合いそうだ。
 
「一度だけでもいいから、ステージ上だけに限らない。人生っていう舞台の上で、失敗に大して言い訳のきかない、そんなこわいステージを演じたかったの。かけられた魔法が解けた私が、どれだけのものを演じられるのか」

 俺は眉をひそめた。
 わけがわからない。

 二戦目の『Inferno』と『ゲンキトリッパー』は、高槻やよいと菊地真の対決は、58対42で白黒がついた。菊地真は、これで一勝一敗まで勝負を引き戻したことになる。


 ステージをまぶしげなものとして見守る視線。
 それが、とある少女と重なったのは、俺の気のせいだったのだろうか?












[15763] stage8 Snow Step 6
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2012/02/06 15:21




「真ちゃん。ごめんなさい」
「雪歩、来て、来てくれたのか」

 二戦目のステージが終わった、その空白の時間だった。姿を現した雪歩に真が駆け寄っていく。

 彼女は舞台裏に立っていた。
 息を弾ませ、両目に溢れんばかりの涙を溜めている。
 よかった。警備員には無条件で中に入れるように頼んでおいたのだが、問題なかったらしい。首から下げられたバックステージパスが、きちんと効力を発揮した結果だった。
 
「ごめんなさい。真ちゃん。今さらだけれど、私、真ちゃんの隣で、ステージに立ちたい」
「うん。もういい。もういいんだよ。こうやって、雪歩がここにいてくれるなら、それだけでいいんだ」

 雪歩は、お姫様が着るようなステージ衣装に袖を通している。真と雪歩で、ふたりだけの世界をつくっていた。少女漫画みたいな世界なのか、百合小説みたいなのか判断に困るところではある。
 
 正直、俺は話についていけなくてさっぱり事情がわからないのだが、おそらく当面の問題は解決したことはわかった。萩原雪歩にのしかかる重荷がなくなったこと。彼女がようやく泣けたのだということ。
 
 それだけはわかった。

「あ、あの、ごめんなさい律子さん。謝っても謝りきれないのに、また、嫌な役を押し付けてしまって」
「いいわよ。私の選んだ道に対して、あなたたちの進む道が、別段楽というわけでもないでしょうし」

 壁に体重をあずけて両手を組みながら、『YUKINO』は雪歩の全身を視界に収めたようだった。ん、待て。今なぜかよくわからん名前が雪歩の口から出た気がするのだが。というか、脳がほんの一瞬だけ、理解を拒んだぞ。
 
「――律子?」
「人の名前を気軽に呼ばないで」
 
 おい、マジで秋月律子かこれ。
 眼鏡を外すとマジで美人とかいうネタよりなにより、異様なまでのエロさに驚いた。プロデューサーの仕事をしている際には、一人前にスーツを着こなしているように見えたのだが、赤のレザースーツに身を包むだけでガラっと印象が変わる。実に扇情的だ。PVではへそ出しでビキニぐらいの面積をおおっただけなんて衣装も多かった。
 今も、胸の谷間がよくわかるような、襟のついた厚めのレザースーツで肌を覆い隠していた。
 
 真冬であることが実に残念だった。 
 控え室なんて使えるわけがないから、胸元を締めればそのまま外を歩けるような衣装を選んできたのだろう。

「『YUKINO』に対する引継ぎとか。ファンへの対応以外は全部、私が面倒をみるわ。ただファンの気持ちだけは、どうにもならないわよ」
「うん。これは、私のわがままだから」

 かすれそうな、それでいて力強い声で、雪歩がいった。

「雪歩、大丈夫か?」
「ううん。そうでもないかも。でも、やっとこうやって真ちゃんと一緒に悩めるのが、嬉しくて」
「ゆ、雪歩」

 うわ、マジでラブラブだこいつら。
 いちいち独自の空間を発生させている。
 ともかく、律子の言ったことは真理だ。ファンの炎上騒動を、どこまで押さえ込めるのか。高槻やよいとハニーキャッツの関係に通じるところがある。
 
「いいわよ。誰が誰でも」
 
 伊織だけが、三人に冷ややかな視線を向けている。
 このままハッピーエンドなんて、世界はそんな優しくはない。

 音楽は、国境を越える。
 だが、万能ではありえない。そんなことができるのなら、私がこんな境遇に甘んじている道理はない。水瀬伊織は、無言でそう表現していた。

 俺はステージに目を移す。
 すでに三戦目は始まっていた。ルール上、引き分けはない。高槻やよいとトゥルーホワイトの対決は、どうやってもあと数十分の間に決着がつく。

 まるで暴虐のような、混沌の極みみたいなステージが巡り巡っている。
 高槻やよいの『スマイル体操』だった。
 会場の子供たちを巻き込み、アリーナそのものを自分のステージにしながら、世界をやよい色に塗り替えている。
 
 やよいは一戦目、二戦目とガラッと様子も変わって、ステージ床に白と黒の鍵盤を描いていた。跳ね回るたびに、鍵盤を踏んづけているように見える。LEDスクリーンには、やよいの個人番組で幼稚園にお邪魔したときの様子が流れていた。画面に入りきらないほどの幼児たちが、やよいの動きに合わせてスマイル体操を踊るさまは、一種言葉にできないものがある。

 客席では、ファンの利き腕が音楽のリズムに合わせて、左右に揺れている。それは突風に撫でられる一面のライ麦畑を見ているみたいだった。オレンジのサイリウムが、その光景に独自の色彩を添えている。
 
 高槻やよいは、自らの本日最後のステージを、これ以上ない最高のカタチで締めくくった。















 やよいが帰ってきた。
 ファンの視線から開放されて、三戦目は終わった。
 あとは『高槻やよいのやよい式WEBテレビ』の美希メインの企画がワンコーナーあるが、やよいに関しては今日の山場は超えたといえる。
 膨大な熱量を放出しつつ、しっかりと床を踏みしめてたっているやよいに、美希が甘いジュースとお菓子を分けていた。

 一旦、照明が落ちて、スタッフがしきりにセットを組み替えている。ここらへんも、スタッフが各々の作業で忙しそうに動き回っていた。

「そういえば、伊織。Bランク昇格おめでとう。『READY!!』が売れて、だいぶプラチナムポイントを荒稼ぎしたみたいじゃない」

 『YUKINO』兼、秋月律子の台詞は、無遠慮なまでの皮肉に満ちていた。
 あまりに直接的すぎて情緒もなにもないが、きちんと伊織を激怒させる程度の効果は見込めたらしい。美希は、横でやよいに今までの経緯を説明していた。

 真実だった。
 前回から『高槻やよいのやよい式WEBテレビ』オープニングになった『READY!!」は、現時点で八万ほど売れている。
 
 よって、『ハニーキャッツ』はAランクに昇格となり、水瀬伊織と星井美希個人としても、Bランクまで繰り上がっている。まあ、その売上のうちの何パーセントが伊織美希の実力なのか、あえて語ることはしない。テストでゼロ点はあまりだから、なんやかんや理由をつけて二点ぐらいあげる教師の気持ちでも想像してくれればいい。

「なによ。どうやら、含みがありそうな感じだけど」
「いえ、高槻やよいにおんぶにだっこで、あなたにはプライドの欠片もないのかと思って」

 伊織の瞳の奥に、殺気が滲んだ。
 ふと、思う。一度別れ、また結びつくふたり、とトゥルーホワイトとの類似性ばかりに気をとられてきたが、やよい伊織の関係は、むしろ『YUKINO』の方が近いのだろうか。

「なによそれ」

 伊織の表情が崩れた。
 戦闘態勢に入る。秋月律子も、改めて身構えるのがわかった。彼女にとってはジャブに近い。鉄壁に近い伊織の精神力は、この程度ではキズひとつつかない。それがわかっていているための、ただの軽口だったのかもしれない。
 
 だが――

「アンタに、そんなことまで干渉される云われはないわ。ルールで認められてるなら、それでいいでしょ? 方法がどんなに汚くたって、誰に認められなくたって、三人で、歌えるのならッ!」

 やよいが目を剥いた。
 美希が、手にしたドリンクを取り落とした。
 俺は、あまりの衝撃に心臓が止まるのかと思った。
 
「――おでこちゃん?」
「なによ律子。慰めてでもくれるわけ? そこにいるだけの『置物』同士、傷でも舐めてあげましょうか?」

 耳をほじくり返したくなる。
 なんだ、この、妙に生々しいもっとも水瀬伊織らしくない返答は。
 これは、本当に水瀬伊織なのか。覗き込んだ表情は、暗い影を落としたままで小刻みに震えている。
 
「アンタには、絶対、なにもできない。今選んだ選択肢を、絶対に後悔する」

 伊織の、律子を呪うような苛立った言葉が、ひどく耳に残った。
 そして、俺は伊織が人知れず抱えたものを、理解した。理解してしまった。
 
 ――俺はなにを見落とした?
 ――どうして、これに気付かなかった?

 ――水瀬伊織は、いつから『こう』だった?

『ちょっと待ちなさいよ。私たちが認められるための戦いでしょ? だったら、私と美希がAランクアイドルと戦わないと意味がないでしょ。これ以上、やよいにぶらさがってどうするのよ?』

 伊織は、たしかにこう言った。
 そして伊織がこの言葉をすべて忘れて、絶望に全身を浸して、まわりのすべてを呪えるぐらい弱かったなら――
 
 ――きっと、そこまで狂えたのなら、伊織は幸せだっただろう。

「あはははは」

 乾いた笑いだった。
 世界は変わらない。自分自身の強さと弱さに全身を斬り刻まれながら、伊織は無力感に全身を絡め取られていた。
 
「伊織、ちゃん」
 
 支えた自重に耐え切れずに膝をつく。擦り切れたような嗚咽が伊織の喉から漏れた。声にならない叫びが虚空に溶けていく。やよいは、伊織にかける言葉も見つけられず、手も差し伸べられずに、呆然として立ち尽くしていた。





















「行くよ。雪歩」
「うん。真ちゃん」

 愁嘆場にいつまでも気を取られている暇はない。真と雪歩には、やよいと伊織と同等以上の、果たさなければならない仕事が残っている。

「ボクと雪歩がふたり揃っているんだから、きっとできないことはない」

 信念と力強さに彩られた、トゥルーホワイトとしての決意。ひとりでは無力な自分も、ふたり揃えばなんだってできる。夢と互いへの信頼をガソリンにして、ふたりは握った手から伝わる温かさを、もう一度確かめていた。

『――私のかわいさとやよいの笑顔があれば、私たちは無敵でしょ?』

 壊れてしまった約束に、胸が疼く。
 第三戦目、トゥルーホワイトとして生きる以上、再生か破滅かの二通りしか用意されていない。組み変わったステージの前で、菊地真はマイクを握り締めた。

「最後の曲の前に、ここにいるみんなと、そしてボクたちを応援してくれたすべてのファンのみんなに、伝えなければいけないことがあります」



『はぁ? 萩原雪歩、誰それ?』
『なんで真サマと手をつないでるの? マジありえなくない?』
『っていうか、空気読めよ』
『え、なんで今さら萩原雪歩がしゃしゃり出てくんの?』



 そこからは、ほぼ伊織の予言したとおりだった。真と雪歩は、ファンに対して限界まで誠実であろうとした。だから、ファンの反応も、すべてそのまま受け止めなければならない。
 
 非難。
 困惑。
 敵意。
 
 菊地真のファンたちは、彼女に勝ってほしいと、全身で祈りに身を捧げている。

 菊地真は、このままだと高槻やよいに負けてしまう。エース曲を無惨に打ち破られた以上、それが菊地真の最後のステージになりかねないということも。そして、高槻やよいに勝つために、今までにないなにかが必要なのもわかっている。
 
 けれど、断言できる。
 ファンの求める偶像(アイドル)としてのカタチは、決して萩原雪歩と重ならない。
 
 それをファンの身勝手さと呼ぶべきか。それともファンの正当な要求なのか。最初からソレが許容できるのなら、彼女たちは菊地真のファンになることは決してなかっただろう。人の嗜好など、そんなものだ。

「――もし、許してくれるのなら、これからのふたりのステージを見守っていてください」

 滑っている。
 真の言葉は、雪歩の謝罪は、いたずらに空気を揺らすだけだった。
 
 まばらな拍手が起こったことすら、奇跡だったのかもしれない。これが、トゥルーホワイトを認めた人間、そして菊地真ファンの総意なのだろう。ふたりの付き合いの理由など、なんの理由にもならない。いきなり出てきたとしてもそんなものが認められるはずもない。

 なぜなら――
 萩原雪歩がいない間、菊地真を支え続けてきたのは、ここにいる彼女たちだからだ。
 
 終わっても、悔いは、いやここで終わると悔いしか残らない。そんなステージである。笑っていた。もうどうでもいい。どうにでもなれと、伊織は笑っていた。
 
 俺はそれに、得体のしれない寒気がはい上がってくるのを感じていた。



『Tear』



 トゥルーホワイトの、エース曲。
 別れの曲。未練の曲。想い出の曲。
 
 そして、失ってしまった恋の曲。

 ライブで何度か歌われただけで、CDにすらなっていない。
 疾走感あふれるイントロを抜けて、ふたりのステージははじまる。
 
「――何よ、これ?」

 伊織の驚愕は、ここにいるすべての観客の言葉を、代弁するものだった。
 声の伸びが違う。今までの菊地真のステージはすばらしい美辞麗句とともにあった。ハスキーな低音。力強く踊るリズム。数々の専門誌に書かれたその記事が、すべて間違いだったことに気づかされる。

 目の前にある、これは何だ?

 腹の底から絞り上げた声に、透明感のある高音が絡む。

 交じり合ったふたつの二重奏。菊地真が萩原雪歩を引き立て、萩原雪歩が菊池真を引き立てる。さきほどの菊地真と『YUKINO』のステージと次元が違う。一緒に歌っているとか、息を合わせているとか、そんな些細なことではない。
 
 ブランクから明けた。
 ビブラートがきいている。
 カンが戻った。
 ふたりはステージに輪を描きながら、吐き息がかかるほどの距離にいる。理解させられる。菊地真のファンは、理解のプロセスを飛び越えて、直接感情を揺り動かされている。菊地真は、いつもの王子様の仮面を脱ぎ捨てている。
 
 真は、大切な人を想う年頃の少女の魅力を、全面に出しきっていた。秋月律子が、この曲を最終戦に持ってきた意図が、ようやくわかった。
 二曲目の『Inferno』ではこうはならない。誰も、知らない。これほどの可能性が、菊地真の中に眠っていたなんて、大半の菊地真ファンが知らなかっただろう。
 
 ふたり、手を繋いでどこまでも駆け上がっていく。
 
 菊地真の低音には、たいていの歌は押し負ける。
 萩原雪歩の高音は、生半可な歌では壊れてしまう。
 個性の極みのようなふたつの声が、奇跡的なバランスで調和している。他のアイドルには絶対に真似できない。
 
 全身が痺れている。
 胸がいっぱいだった。心が満ち満ちたこの気持ちを感動と呼ぶのだと、今の今まで忘れていた。

「せーのっ!!」
 
 ステージは、万雷の拍手で迎えられた。たった一曲からはじまる再生の物語。トゥルーホワイトはその場に、決して消えない存在を刻みつけてみせた。

「本当に、ありがとうございましたぁっ!!」

 23対77
 高槻やよいを、完全復活したトゥルーホワイトが叩き潰す。
 
 奇跡は起こらず、祈りも通じず、ありとあらゆるものを敵に回したうえで、ふたりは降りかかる疑念も悪意をも、なにもかもをねじ伏せた。
 
 
 
 伊織は、ステージの煌きの余波を浴びながら、自分が失ったものを噛み締めていた。
 
「そっか。気づいたわ。私は、こんなステージがやりたかったのよね。力強く、自信に溢れて、そして最後はきっとこんな風に、観客を納得させるようなステージを」
 
 それは決別の言葉だった。
 終わってしまった夢と、潰れてしまった自分に対しての。
 
 煌めき、まだ熱の残っているステージを遠いものとしながら、伊織は直視できないぐらいに輝く場所を見つめていた。












[15763] stage8 Snow Step 7
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2012/02/16 03:09






 もし、伊織のケアを優先していたら、この悲劇は防げただろうか?
 そんなことを考える。俺はトゥルーホワイトを復活させ、さらにやよいの力に頼りまくったうえで、『ハニーキャッツ』をAランクにまで押し上げた。

 だが、それは正しかったのか。
 あのときの優先順位を繰り下げてでも、やるべきことが残っていたんじゃないか? そんな後悔はすべてが終わってしまってからのものだった。
 いや、違う。あそこではどうやっても、やよいを優先せざるを得ない。あれだけの輝きを見せるアイドルを目にして、他のものに目を移せるはずがなかった。そのほかの選択肢なんて、選べるはずがない。プロデューサーとしての能力の限界と言われればそれまでだが、できないものはできない。

「――終わったな。帰る準備をしておけ」

 控え室では、重苦しい雰囲気が漂っている。
 こんな雰囲気にいつまでも浸っているわけにもいかない。
 使い物にならなくなったやよいと伊織を控え室に隔離して、美希と真と雪歩で、残りの収録時間を乗り切った。
 来週使うはずだった『高槻やよいのやよい式WEBテレビ』名場面集を放出して、主役と伊織が出ていないのを、なんとか誤魔化せたかと思う。 

 やよいは、うなだれて動こうともしない伊織を、じっと見つめていた。なにかを語りかけようとして、そのまま口をつぐんでしまう。そんな光景を何十回繰り返しただろうか。

 先ほどのことだ。
 時間は、一時間ほど前まで巻き戻る。

「本日のメインである『高槻やよいVSトゥルーホワイト』は終わったが、番組的にはあとワンコーナー残っている。伊織は休ませても構わないが、少なくともやよいと美希だけは出ている必要がある」
「え、でも――」

 やよいは、伊織の方に、視線を動かした。
 一度目を離したら、二度と取り返しのつかないことになる。そういう予感があるのだろう。気のせいとも、気の回しすぎともいえない。長らくつきあったユニットの片割れのそういう予感は、だいたい的中する。

「それでも、出るんだ。お前がファンの前で、いつもどおりに振舞えなければ、伊織が帰ってくる居場所が、本当になくなるぞ」
「プロデューサー」

 やよいが、こちらを見た。
 ゾクッ――、と背筋が凍りつく。暗い奈落を覗き込んだような気がした。やよいの瞳に呑まれた俺に、やよいの視線が追いかけてくる。
 そのあとに生じた数秒は、彼女が覚悟を決めるための時間だったのだろう。結局のところ、彼女はその結論を躊躇わなかった。

「プロデューサー。今まで、お世話になりました」

 ぺこりと、頭を下げる。
 やよいは、迷わなかった。
 やよいは伊織のために、今まで積み上げてきたものをすべて投げ捨てるのに、ただの一秒たりとも迷わなかった。

 あ。
 詰んだ。完全に終わった。俺は眼の前が真っ暗になった。口をパクパクとさせるだけで、どう返していいかわからない。

「別にいいんじゃないの。やよいはここにいても。ミキのコーナーだし、真くんと雪歩がいてくれるから、なんとかなると思うよ」
「美希さん」

 まったくテンションの変わらない美希の態度が、今は頼もしい。そんなことを、感じる余裕さえない。

「おにーさん、それでいいよね」
「あ、ああ。そうだな、頼んだ」
「うん。じゃあ行ってくるね。帰っちゃダメだよ」

 いまさらに、止まっていた心臓が鼓動を刻み始める。美希が話しかけてくるのが、あと一拍でも遅ければ、すべて終わっていた。弱音のひとつも吐きたいのはこちらのほうだった。もうやだこんな神経が鉛筆削りで削られるような職場。

 ――というのが、先ほどあった一部始終である。
 美希が帰ってきたのは、それから一時間にも足らないうちだった。楽屋に据え付けられたモニターで様子を見ていたが、真と雪歩を生贄に、美希画伯のコーナーは今日も大盛況だった。やよいは、体調不良ということで客には言い訳してあった。
 
 今日ばかりはトゥルーホワイトの存在感に、押し潰された感じがある。観客も不満を感じるほどではないはずだった。

「まだ、こんな空気が続いてるの?」

 帰ってきた美希は、開口一番そう言った。
 ステージの熱がまだ体に残っているのか、こころなしかいつもよりフワフワしているように見える。
 
「…………」
「…………」

 当然ながら、やよいも伊織も、美希に対して視線さえ寄越さない。
 やよいは消極的に、伊織は徹底的に、美希の囁く声を雑音としてシャットアウトしている。
 
 というかこれは完璧にまずいだろう。
 代わりに仕事をやり遂げた相手に対してお疲れ様のひとつも言えないとか、主観的に見ても客観的に見ても、ユニットとして末期としかいいようがない。
 
「空気悪いよ。ふたりとも仲良くしようよ」

 滞留していた場の空気が動いた。
 美希が発した正論は、場の空気をさらに悪化させた。
 ああ、なんだろう。美希はすでに場をこじらせる以外の、何の役にも立っていない。それでも、変化はあった。
 
 伊織は完全に黙殺を続けているが、やよいは表情に表れている。素直な性格がそのまま出ている。やよいは自分が思うほどに感情を殺せない。さすがにムッとしたようすが、表情にあらわれている。
 
「ねえねえ、やよい。なにか言ってよ」

 耳元で囁くように言う。あれ、まさか。俺はふと気づく。
 まさか、美希のやつ、やよいを挑発しているとかないよな――?

「美希さんには、関係な――」
「――やよい」

 底冷えする声だった。
 
「今、なにを言おうとしたの?」
 
 場の温度を下げる美希の言霊にようやく、やよいが美希の方向を見た。遅ればせながら、俺も気づいてしまった。星井美希がブチギレているようにしか見えないのは、どうやら気のせいではないらしい。
 
 おい。もしかしてここからさらにこじれたりするのか。
 『ハニーキャッツ』の中での美希の立ち位置は正直、担当プロデューサーである俺もよくわかっていない。だから、これから美希が言い出すことなんて、まったく予想がつかない。
 
「おにーさん。やよい。おでこちゃんのことは、ミキに任せてくれないかな?」

 予想外だった。
 まるでわけのわからない、不意打ちのような申し出。
 思わず、やよいと顔を見合わせてしまった。今の俺の感情をどう表現すればいいのか。おそらくは、途方にくれたというのが一番近いのだろう。
 
 ああ、やばい。なにを言い出すつもりか、まったく予測がつかない。
 やよいと伊織をこのままにしておくのと、どっちがリスクが高いのか。だが、そうだ。美希もユニットの一員である。選択の余地など最初からない。
 
 ――断れない。
 美希が主張しているのは、彼女が行使すべき正当な権利である。
 
「時間は、どれぐらいかかる?」
「五分もあれば、十分だとおもうよ」
「やよい。話は聞いてたよな。そういうわけで、席を外すぞ」

 うなだれる伊織から目を切れないやよいの腰を強引に引っこ抜いて、俺はそのまま小脇に抱え込んだ。
 
「ぷ、プロデューサー離してください。ひとりで歩けますー。ひとりで歩けますからーっ!!」
 
 足を宙に浮かせたまま、やよいは手足をばたばたさせている。
 廊下を出て、わざとらしくも大きな音を立ててドアを閉める。そのあとで、やよいの口を塞ぎつつも、ドアの隙間から耳をすませた。

(あの、プロデューサー? これは?)
(黙っていろ。今更盗み聞きは悪いことだなんて言うなよ。お前にも、聞く権利はある)

 このユニットが、どうやって壊れて、どうやって終わっていくのか、その崩壊を食い止められないとしても、高槻やよいにはそのすべてを見届ける義務があった。







[15763] stage8 Snow Step 8
Name: 塩ワニ◆edd3c1be ID:02fc2729
Date: 2012/02/18 14:59





「やよいもいなくなったし、そろそろこっち向いてくれないかな?」

 美希は以心伝心というか、俺とやよいが覗いているドアに立ち塞がるような位置取りをしてくれていた。伊織の視線を切っているために、おそらく俺たちが覗いているのはバレないだろう。
 感謝すべきだ。
 打ち合わせなしでここまでやってくれるあたり、美希の精神状態は冷静極まりないらしい。
 うん。安心、できねえな。――余計怖いとか思うのは、俺の考え過ぎなのか? しかし我ながら、こんなところのコンビネーションだけが妙に手馴れていくのが嫌だ。
 
「……アンタは、今の状況に、なにも感じることはないわけ?」
「やよいは凄いなー。ミキも頑張らないとね。ぐらいには思ってるよ」
「他には?」
「ミキは、三人でいられることが、すごく気に入ってるよ。できるなら、おばあちゃんになっても、こうやってワイワイやっていられたらいいよね」
「ずいぶんと、気の長い話ね」

 伊織は、儚げに笑っている、のだろう。
 美希の背中で遮られて、伊織の様子はここから覗けない。

「あとおにーさんも入れて、四人でいろいろやりたいこととかたくさんあるし、ミキはそう思ってるよ。おでこちゃんは、違うのかな?」
「だったら――」

 涙声だった。
 伊織は、これまで溜め込んだものを、全部吐き出したようだった。
 
「もう、私がやよいにしてあげられることなんてない。教えてよ。私はもうこれ以上、いったいなにをすればいいのよ?」

 美希が黙り込んだ。
 やよいの重石になる。どうやっても、伊織はやよいのところまで届かない。それ以前に、伊織が伊織で居られない。このままだと、互いに傷つけあって潰れていくだけだ。ここを乗り越えても、いつか必ず破綻する。
 
 ハイエナか、いやむしろハゲタカか。高槻やよいは、アイドルとしてはあれで完成している。ユニットとして見た場合に、伊織が隣にいる意味などひとつもない。伊織はきっと自分の卑しさに耐えられない。つらつらと挙げてみたが、伊織がやよいを拒絶する理由はそんなところか。
 
 ユニットとして、本当に互いのために必要なものは、そんなものじゃあない。俺は、それを伊織に伝えられるだろうか?

「えーと、出来ることならここから増えていくんじゃない? ようやく『ハニーキャッツ』はAランクまで上がってきたわけだし。おにーさんすごいよね。ちゃんとミキたちをAランクまでもってきたよ」
「ほぼ、全部、やよいの力じゃない!!」

 伊織の言葉を、俺は否定できないのが辛いところだった。
 プロデューサーは、万能じゃない。俺ができるのは、つまりは彼女たちを戦場に送り出すまでだ。それ以上のことは、どうやったってできない。どんな実力差があっても、自分たちの力でねじ伏せなければならない。

「うん、さっき律子も同じようなことを言ってたけど、ミキは自分の力だけで、自分の夢と心中したいの。せっかくAランクに上がったんだから、自分でここまで精一杯やったっていう実感が欲しいな。おでこちゃんは別のことで悩んでるみたいだけど、ミキはぜんぜん自分の出番がないのが凄く悔しい。ここで終わったら、ファンのみんなは、へらへら笑ってるミキたちしか覚えていてくれないと思う。
 そんなの嫌だよ。どんな結末になるとしても、ミキは最後までやり遂げるって、決めたの」

 決意、だった。
 素晴らしい話だった。正直、俺は溢れるような感動を覚えたほどだった。
 
 しかしそれは――星井美希の生き方だ。どうあっても、水瀬伊織の生き方と重ならない。その語りがどれほど素晴らしいものだったとしても、それに伊織の生き方を動かすほどの方向性はない。

「ねえ、美希。もしかして話があるってのは、これが本題だとか?」
「だったら?」
「悪いけど、時間の無駄ね」
「そっか。違うよ。ミキはね、別に引き止めようとしてたわけじゃないんだよ。おでこちゃんにお礼を言いたかったの」
「お礼って、なによ?」
「ドリームフェスタのときに、ミキを待っててくれたこと」
「そんなこと、わざわざ言われるようなことじゃ――」

 伊織は、困惑したようだった。
 構わずに、美希は続けていた。

「うれしかったの。おでこちゃんがミキのために戦ってくれたことも、ミキのために泣いてくれたことも。ミキのために怒ってくれたことも、ミキの全部に真剣に向き合ってくれたことも、ミキはちゃんと覚えてる。だからね」

 だから――、そう前置きして、美希はそれ以上言葉を飾らなかった。彼女の口から、思い出が宝石みたいに零れ落ちていく。



「――ありがとう。あのとき、ミキを仲間に入れてくれて」



 それは、不意打ちだった。
 やよいが、言葉も出せずにしゃくりあげていた。
 止めようのない溢れ出る涙と鼻水を、俺の服の袖で拭いている。俺は、それを汚いとも思わなかった。

「今まで照れくさくて言えなかったけど、それだけを言っておきたかったの」
「なによ、それ。私はね、そんなこと思ってみなかったわよ。私は私の思うとおりに、しただけよ。しただけなのに」

 伊織の言葉が、ところどころ詰まった。
 注がれるまっすぐな気持ちを、どうしていいのかわからないみたいだった。

「そんな、そんな当たり前のこと、なんで律儀に覚えてるのよ。バカ、バカ、――バカじゃないの? 頭がおかしいんじゃないの? 三歩歩けば忘れる分、ニワトリのほうがまだ賢いわよ」
「うん。それともうひとつだけ。――ごめんね。だから、逆の立場になったときには、絶対助けてあげようと思ってたのに、気づいてあげられなくて」

 ――でも、間に合いたいの。
 ――ミキ、間に合ったかな?

 彼女は最後にそれだけを付け加えた。

 楽屋の湿度が上がった。ドアの隙間から伊織の姿は見えないが、嗚咽を噛み殺しているのがわかった。ならば、ほんの少しでも伊織は救われたのだろう。
 さきほどのステージの袖での、絶望の涙とはまったく種別が違う。
 誰かを想っての涙が流せるのなら、その人生は美しい。美希たちは、その真っただ中にいる。

「それから、おでこちゃんが、自分の思うとおりにしたように、ミキも思うとおりにするね。『ハニーキャッツ』が『高槻やよい』より魅力的だって、ファンのみんなに証明するの」
「なによそれ、そんなの散々――」
「うん、ぜんぜん伝わってないんじゃないかな。だって、ミキもおでこちゃんもやよいも、本人だって具体的になにしたいか気づいてなかったし。そんなのファンに伝わるわけないよ」
「なん、ですって?」
「ミキは、寂しそうなやよいひとりより、楽しく騒げる三人のほうがいい。それだけは譲れない。アイドルマスターとしての『高槻やよい』より、三人での『ハニーキャッツ』のほうが、ずっと魅力的だって信じてる」

 俺は話の内容より、美希の成長に心を打たれた。
 美希なりに自分で考えて、自分で導き出した答えだった。
 
「今までは、口先だけだった。ひとりで頑張ってるだけだった。ミキたちは、やよいと戦ってさえいない。その前の時点で、挫けてしまってた。ここでやめたら後悔しかないよ。だって、まだなにもしてないもの」

 優しげな声音だった。
 当たり前に、そこにあったものを、美希はつなぎ直しているみたいだった。人と人との手を繋ぐような、そんな話だった。

「おでこちゃんも、そしてやよいも、ミキと一緒に戦って欲しいの。絶対そして、そこまでやったなら、悔いなんて残るわけない。ミキたちの夢がやよいまで届かなくても、絶対最後は笑顔で終われると思う」
「私たちに、それができると思う?」
「できるよ。ミキとやよいとおでこちゃんの、三人がかりなんだから」

 美希の結論は、ひとまわりしてそこに戻ってきた。
 ぶつぶつと、伊織が自分を奮い立たせているのがわかった。一度底が抜けた自分自身に、美希の語った熱量は、よく通ったのだろう。

 震えがとまり、それがまるで武者震いに変わっていく。その瞬間を、俺はリアルタイムで見届けた。

「最悪でも、玉砕して悔いなく終わらせようよ。『高槻やよい』っていうアイドルに――圧勝しよう。腹を括ろう。ファンのみんなに届けよう。誰の文句もつけられないように、ミキたち三人を選ばせようよ」
「――やよい」
「ふあっ!!」

 俺はもういいかと思って、楽屋にやよいを蹴って押し込んだ。バランスを崩したやよいは美希にぶつかり、伊織を巻き込んでドガラガッシャン、と三人まとめてもんどりうって倒れた。

 うめき声が、三人での笑い声に変わるまで、さほど時間はかからなかった。
















 さて、それでは次の展開に思いを馳せよう。

 次戦は、リファ・ガーランド。
 
 北欧の妖精。純血の金髪白ロリ。そして、三浦あずさの一人娘。エッジプロダクション所属。わずか九歳にして、Aランクアイドルの名をほしいままにし、いずれはあずささんさえ超えていく才能の持ち主だった。

 だが、恐ろしいのは、本人よりそれをフォローするバックのほうだ。
  
 あちらのフォローに入るのは、母親である三浦あずさと最強のA級プロデューサーであるどっかのヤキニクマン三世(烏丸棗)である。
 
 明らかにひとりでも手に余りまくる。
 
 普段はほとんど介入してこない連中なのだが、『高槻やよい』を相手にする以上、考えうるすべての手札を切ってくるだろう。あずささんとカラスくんが、どんな隠し球を放ってくるかがわからない。
 
 『高槻やよい』を擁しても、勝てるかどうかわからない相手だ。
 
 
 
 事実上の三対三になる。いや、俺も頭数に入れれば、三対四だった。次回のテーマはそれか。いわゆるチームワークだ。どれだけ『高槻やよい』が規格外でも、さすがに封殺されかねない。
 
 まあいいか。

 負けるとは思わない。俺は特等席で、担当アイドル三人がより強く成長していく様を見せてもらうことにした。
 
 
 
 


(stage8 了)








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