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[1501] ヴァルチャー
Name: ポンチ◆8393dc8d ID:440294e0
Date: 2007/09/23 01:02
 いつもの毎日。
 冴えない毎日。
 明るくない未来。
 ほんの少しだけ忘れるために、色々やった。
 ギャンブル、風俗、麻薬、低価格な遊びの後、少し体を悪くした。早く終わっちまえよ、このクソ人生が。
 そんな時、ゲームセンターで見つけたのが、ヴァルチャー・オンラインだった。






 ヴァルチャー






 マニアの間で人気のゲームがあった。
 ヴァルチャー・オンライン。
 ゲームセンターの大型嬌態で、会員登録の後でネット端末型嬌態に乗り込み、専用のバイザーを被る。
 目の前で繰り広げられるのは、圧倒的にリアルな世界だった。
 ファンタジー世界で繰り広げられる冒険。
ハリウッド映画の製作に使われるCG作成ソフトと、超高性能コンピューターの処理によって可能になった、限りなく現実に近いゲーム。音と振動で大地の感触まである。それでも、それは機械の作り出したものだ。現実とは違う。
 それでも、そのリアルはマニアの間で熱狂的なファンを生んだ。
 一時間二千円。一万円分のチケットなら、十五分のおまけがつく。
 ヴァルチャーショップは、一部の大型都市でだけ稼動している。最初は長蛇の列だったが、金がかかりすぎるため、稼動して半年を過ぎると予約も楽になった。
 伊藤明、ヴァルチャーネーム『アギラ』は、冴えない会社員だ。そろそろ三十歳、冴えない女とも付き合っているけれど、さして好きでもない。もう少しだけ若いころは、人生に限界を感じて無頼のようなこともしていた。
 麻薬は、ゴミのようになった連中を見ていて、末路が見えていた。一度だけシャブをやって、三日間眠れないだけだった。ドラッグの先輩が死んで、シャブはその一度で辞めた。
 その後、マリファナとタマ(MDMA)を続けたが、あまりハマれなかった。
 ギャンブルはパチンコとスロットと、シャブの売人から紹介されたチンチロリンくらいだが、あまり嵌れなかった。
 どれも違う、と思っていた矢先、立ち寄ったゲームセンターでヴァルチャー・オンラインにハマった。
 有給を使って、ボーナスと貯金をつぎ込んで、廃人プレイヤーの道は、緩やかな破滅の達成感を感じられる麻薬だった。
 大丈夫、実家は金持ち。
 この先の人生は見えている。普通に破滅して、路上生活者に落ちるか自殺。その二つ。
 こんなはずじゃなかった、といつも思っている。
 自殺するだけの絶望はないけれど、怠惰に落ちるくらいの絶望は感じている。全て自分のせいだ。全て全て。
 ヴァルチャー・ニュースに、どこかの馬鹿が送った脅迫状が報じられていた。
 こんなゲームをやるヤツは根こそぎ殺す。
 どうせ、ヴァルチャー廃人で借金ダルマにでもなったアホだ。
 今日もゲームセンターに急ぐ。ヴァルチャーを開発した会社の経営する大型アミューズメント店の、会員制エリアへ向かう。
 ネクタイを緩めながら、入り口のガードマンに会員証を差し出した。ボーナス全額で一括払いをしたおかげで、残り百時間がプールされている。
 端末に入り込んで、バイザーを被る。
 伊藤明はアギラへと変身する。
 現在のホーム、ガルディアナ大陸、邪神神殿。
 パーソナルネーム、アギラ。種族、異形。属性、秩序・邪悪。運命、破邪星。
 通常、種族は人間やエルフといったヒューマノイドタイプだが、ゲーム中に特定の行動を繰り返すことで『異形』『化身』『魔人』『天人』『機人』などのレア種族へメタモルフォーゼすることができる。
 ゲームが稼動を始めて半年、今でもこのメタモルフォーゼ条件は謎が多い。レア種族は、外装が極端に醜いか美しい。天人などは、プレイヤー達の憧れだ。装備できるものが少ないものの、能力も高い。だが、一部のホームに入れなくなったり、特定の強敵がビルドアップ状態で襲い掛かってきたりと制約も多い。
 アギラは圧倒的不人気の異形である。
 対人戦を繰り返すのと、無差別の殺戮行為、とはいってもゲーム内で許される範囲のものだが、そういったことを好んで行っていたためか、通常ならば上級職へのクラスチェンジとなるはずが、異形へと強制チェンジされてしまった。
 異形はネットの情報によると、幾つか種類があるらしく、アギラはその中でも圧倒的不人気の『イーティングホラー』である。
 食鬼、ショクキとも呼ばれる、イベントボスモンスターとしても登場する種族で、クリティカル発生時に高確率でランダムに装備品を破壊する嫌らしい敵である。
 異形の特性、神聖属性の街への移動時、神聖属性NPCが敵対する。または、教会より放たれたハンターと呼ばれるNPCが襲い掛かってくる。妖精族などの管理するエリアではショップや回復施設の使用が不可能。神聖属性攻撃により200%ダメージを受ける。
 プラスの特性は、神聖属性の敵に150%ダメージ、アイテムドロップ率の20%アップ、暗黒属性エリア内でのショップ価格が10%下がる、邪神神殿でのステータス回復が無料。
 能力は高いものの、イーティングホラーは中距離と短距離の物理攻撃しかスキルが存在せず、通常の回復アイテムの使用ではダメージを受ける。暗黒属性神殿もしくは寺院でのみ販売されているダークポーションを使用するか、ザコ敵を倒した際に行う死体採食により回復は可能。
 レベル三十五でようやく覚えた『吸血』で、戦闘スキル兼回復スキルがようやく追加された。通常キャラクターであれば、こんな苦労はなかっただろう。
 アギラがオンラインにようやく接続された。
 プレイ時間の消費が開始される。
 目の前に広がるのは薄暗い森だ。
 ガルディアナ大陸の最南端。広大な熱帯雨林フィールド、邪神の信徒たちの聖域。神殿の最下層にはゲーム設定上の大ボスであるとされている邪神が復活の時を待っている。
 アギラは異形としてガルディアナ大陸の首都、通称初心者街、正式名称クリールの街を逃亡し、ようやくここに流れ着いた、ということになっている。実際は、異形としてクラスチェンジした瞬間、シアリス正教神殿内にいたプレイヤーたちにスクリーンショット機能で撮られまくったあげく、襲い掛かってきたNPCから逃げまくった。街の外に出るまで、名も知らないプレイヤーたちに回復してもらったりで、この辺りに来るまでも色々と助けてもらった暖かい道のりだった。
 設定上は、人間やエルフたちに追われる中で、人間であるという心は捨てて、ここから異形としての人生が始まる、といった具合だ。
 森の中には敵モンスターが多いが、襲い掛かってくるものは少ない。
 リアルなCGのワーウルフは、アギラに無反応だ。
 混沌・邪悪属性のモンスターでも、攻撃をしかけない限り襲い掛かってくることはない。通常キャラであれば、属性の如何に関わらず敵がわらわら向かってくるところだ。
 邪神神殿近くは、レベル二十五から三十五辺りまでの狩場だ。それもかなり危険な狩場になる。ドロップアイテムに良いものは多いが、敵が雪だるま式に集まってくる上、ドロップは美味しくても、それ以外は美味しいとは言えないザコ敵ばかりだからだ。
 邪神神殿近くのクリール軍基地もあまり使い勝手のよいホームではない。そのため、あまり人のいないエリアでもある。
 終電までの三時間、今日はレア敵を狩りにいく。異形とパーティーを組んでくれるものは少ないし、このエリアで他プレイヤーと出会うのも稀だ。一人でレア敵を狩るため、アギラはここで延々とレベル上げをしていたのである。
「この辺り、かな」
 一瞬目の前がブレる。
 ほんの一瞬の処理落ちの後で、遠くから何かが走ってくる地響きが伝わってきた。シートの振動機能なのだが、深呼吸して鼓動を抑えた。
「オォレ様の縄張りに何の用ダァァァ」
 アギラの身長は一メートル七十として設定されている。その倍以上、軽く見積もって五メートルの巨体。
 二足歩行のサイである。ネームマーカーにはバルガリエル、ライフは推定一万三千、ワーウルフ十五体分の数字だ。
「くせぇホラー野朗が、ここに入ったヤツはみんな餌だぜぇ」
 おっと、ここで特殊セリフ発動。普通なら、人間がぁ、みたいなセリフのはずだ。ネットに後で書き込まないといけない。
 アイテムスロットからワーウルフの背骨を選択。投げて攻撃を行うタイプの一発限りのマジックアイテムだ。近距離からの使用でダメージが大きくなる。邪悪属性のキャラにのみ使用可能。
 七つあった背骨を使い切って、ようやくライフマーカーの半分が減ってくれる。スキル接近攻撃を使いまくる。手に嵌めたグローブを動かすと、目の前でイーティングホラー・アギラの触手が伸びまくる。
 イーティングホラーは、人間っぽいシルエットの黒い塊だ。全身から触手が伸びるようになっていて、人の姿は擬態のようなもの、という情け容赦ないモンスター設定種族。プレイヤーキャラにするような種族じゃないよな、と苦笑する。
 頭部に攻撃を集中する。これはなんとなく。ゲームを始めた時からの癖だ。殴るのは顔がいい。
「死ねっ、死ねっ」
 上司の顔は重ならない。アギラになっている時は、現実は捨てている。
「ち、畜生がぁ、このバルガリエル様が異形なんぞに」
 膝をついて、バルガリエルが見つめてくる。
 攻撃マーカーが表示されない。
 システムメッセージが表示される。
『バルガリエルを殺害するならこのまま攻撃を続けて下さい』
 二秒迷って、再び現れた攻撃マーカーを、見つめてくるサイ男の画面にあわせた。触手がバルガリエルの額を貫いて、登場時より盛大な振動が伝わった。
 スキルスロットから採食を選択。ライフは限界に近い。
 ライフが限界まで回復してから、アイテムゲット。バルガリエルの使用していた腐敗の戦斧、それから四天王の護符。
 システムメッセージが表示される。
『邪神軍中将バルガリエル殺害により、邪神軍と敵対。属性に反逆が追加されました。称号に邪神の反逆者が追加されました』
「っておい、マジか」
 マップが更新され、黄色で表示されていたエリアが真っ赤に変わっているのを確認した。ここは危険地域のど真ん中だ。
 焦っていると、バルガリエルの死体が消えた後に、遠くから光が走ってきた。
「お、イベント発生」
『バルガリエルを倒した強き者よ、我はダークエルフ軍少佐のマリアーナなり』
 光がはじけて、軍服黒エルフのNPCへと変わる。
『強き異形よ、貴様を我が軍に招こう。いやだとは言わせぬ。どのみち、ここから逃げられる方法はないぞ』
 強制イベントだ。
 なんとかいうハリウッドスターに似た黒エルフによって、エリア移動のロード画面に切り替わる。なぜか、待ち画面は女司祭のイメージ映像だった。今じゃ敵なのに。
 ふー、とため息をついた。ネットに書き込む内容が増えた。
 なんとかいう人気声優の歌うイメージソングが流れている。人気キャラの商品が出ているらしい。
 歌が突然途切れた。
 なんだか懐かしい電子音が響いてくる。
 確か、小学生のころに一度はやっているあのゲームの音楽だ。
 呪われた時の音楽、冒険の書が消えた時の、あの音楽。
 なんだろうと思った時、バイザーの画面に踊る女司祭の動きが止まった。
 なんだか大きな音が響いて、意識はそこで途切れた。
 バイザーから流れた過電流が、伊藤明の脳細胞を焼き尽くしたのだ。
 翌日の朝刊で、サイバーテロ、なんて見出しがついた、ヴァルチャー廃人による無差別殺人。とにかく、伊藤明は死んだ。
 下らない死に方だけれど、数秒で死んだのだから、良い死に方かもしれない。
















 パチリと一瞬で覚醒した。
 伊藤明は、目の前に広がる現実の熱帯雨林で、パニックに陥った。ドラッグのフラッシュバックか、それとも何かの犯罪に巻き込まれたのか。
 ふと、体の感覚がおかしいことに気づく。
 あれ、手が真っ黒だ。
 ツルリとした触感の、触手。足で歩いているけれど、その足も、ただの擬態。
 イーティングホラー。






 第一話 世界なんて滅んでしまえ






 それから一週間が過ぎた。
 森の中で、発狂していると、色んなものに襲われた。
 未だ、人間とは会っていない。
「これは夢だ、夢、夢、夢」
 ワニに似た動物の肉を口でむしる。
 固定の器官は無い。目に相当するものも、口に相当するものも、触手と同じように作り出す。本能的にそれは行われる。幾つも作れるが、目は四つが限界。それ以上作ると自分がどこにいるのか分からなくなる。
 ワニに噛まれて痛んでいた場所は、触手で血を吸い上げると癒えていく。
「なんで狂わない、なんで狂わない」
 なんでだろう。
 狂う自信はあるのに、なぜか頭の中は狂ってくれない。
 アキラはアギラになってしまって、ここはどこか別の世界。ヴァルチャーの世界。
「お母さん……」
 ふと母親の顔が浮かぶ。涙は出ない。
 なんで、俺はそこまで苦しんでないんだ?
 考えてはいけない。
「誰かっ、助けてくれーっ、助けてーっ」
 叫んでみたが、鳥が飛び去っただけだ。
 CGの森ではない。どこが北でどこが東か。それも分からない。
 ただ、歩くだけだ。
 ワニを食べ終えて、また歩く。どこかで人と会えるかもしれない。会ったら、この姿だと悲鳴をあげられるかもしれない。殺されるかもしれない。それでも、人に会いたい。
 ワーウルフが茂みからこちらを覗っている。襲ってはこない。
 現実のここは、モンスターと呼ばれるものでも簡単には襲ってこない。こちらから手を出さない限りは見ているだけだろう。このイーティングホラーの肉体は、食べても美味しくなさそうだ。多分それが一番の正解。
 単体で動いていて知能の低い動物。群れているものを狩るのは危険。イーティングホラーはなんでも食べられる。
 分かっているのはそれだけだ。アギラのステータスは確認できない。
 どれだけ歩いただろう。
 こんなとき、誰か襲われている人がいて、それを助けるようなイベントが発生してくれるものだが、何も起こらない。
 獣の遠吠えが聞こえた。
 太陽の出ている時間に珍しい。
 何かあってくれ、と願って音のした方向へ歩を進める。どのくらい遠くにいるのかは分からない。
 夕暮れまで歩いて、途中、小さな獣を狩った。触手で貫いて、食べる。
 ふと、足を止める。危険を感じた。
 木が数本、大木と言っても差し支えない木がへし折られている。これを行えるだけの馬鹿力の何かが、近くにいる。
 何かが聞こえた瞬間、茂みに隠れた。
「くっ来るな」
 遠い、まだ少し先だ。
 そろそろと這っていく。
 人の声だ。危険でもいい。近くで、近くで。
「狩り場荒らしの人間を許すとでも思ってんのかぁ」
 それは、散乱する死体と、化物と向き合う女騎士。そんな分かりやすい図式だった。
 化物は二つの足で大地を踏みしめ、巨大な鎖帷子に身を包み、禍々しい戦斧を持ったバルガリエル。
「いいぜぇ、お前はなんで俺に向かってきた?」
「へ、な、何故と」
 バルガリエルはゲームと違って野蛮な喋り方ではなかった。
「オレの狩り場に勝手に入った挙句に、オレを殺すと叫んだのはお前だろう?」
 千切られたり潰されたりして散乱する死体。こんな化物に剣で突っ込むなんてどうかしてる。
「ぶ、武勲は騎士と貴族の、ほ、誇りだ」
 バルガリエルは返事の代わりに斧を振り上げた。
 止めるか止めないか、無理だ。バルガリエルに勝てるなんて思う方がおかしい。ゲームの中のデジタルなライフマーカーと、本物の彼は違う。こんなものを殺せるはずが無い。
「もう一度聞く、助かりたいか? おい、そこのクセェ異形っ、出てきやがれ」
 にらまれただけで、反射的に体が動いた。ずるりと隠れていた茂みから這い出す。
 何を言えばいい。この化物に何と言えばいい。いや、そもそも助ける気が、自身に存在しているのか。人と会えたのは良いことだ。だけれど、それだけの理由で死にたくはない。
「おい、手前はこいつの仲間かっ」
 バルガリエルの不思議と平静な声に口を作って開く。
「いや、偶然、ここに来ただけだ。関係ない、です」
「ほお、お前喋れるのかよ。変わった異形だな。で、こいつはどうしたらいいと思う」
 そんなことにどう答えたらいいんだ。
「わ、分からない」
「殺さない方がいいとか思ってんのか」
「分からない。けど、殺したら、また復讐に来るヤツがいるんじゃないか」
 バルガリエルは小さく笑った。
「よかったな、お前。どっかに消えろ」
 女騎士は何度もうなずいて、走り出す。
 この森を、一人で抜けられるのだろうか。
「おい、お前、なんで喋れる。お前も神官に産み出されたクチか」
「分からない、気づいたら突然ここにいた」
「ほお、俺はバルガリエル。お前は?」
「アギラ」
 バルガリエルは地面に座り込む、アギラもそれに倣った。
「ここがどこだか分かってんのか?」
「何も分からない。名前しか知らない」
 人間だと言ったら、ゲームの怪物は笑うだろうか。
「そうか、ここはガルディアナ大陸の邪神の森だ。人間風に言やあ、邪悪な森ってヤツだ。ここから北にいきゃあ多分お前が生まれた神殿がある。普通はあの中にいるもんだがよ、逃げ出したクチかい?」
「気づいたら森にいた。その前のことは、本当に分からない」
「まあいいや、言いたくないこともあらあな。ここに住んで始めての客だ。お互い行くとこもねえみてえだ、今日はメシくらいは食わせてやるぜ」
「ありがとう」
 心が動いた。
 なぜか、とても嬉しい。
 バルガリエルは、何も言わず立ち上がると、簡単な石の竈を作って火をおこした。数日前に狩ったという熊の肉を今は焼いている。
 焼いた肉は、美味い。あまり栄養にならないことは体が理解していたが、美味いものは美味い、そう感じる。
 真っ暗になっても、目は利く。それはバルガリエルも同じのようだ。
「何もしらねえなら、教えてやるよ」
 と、バルガリエルは語り始めた。
 この森は邪悪な生命の住まう邪神の土地で、数日も歩けば人間の世界との境界がある。何年か前には人間が森を焼こうとしたが、邪神の神殿を管理する悪魔たちに敗北して逃げ出したのだそうだ。
 バルガリエルは、邪神の神殿で生まれたが、並外れた知性を持ったことからか処分されそうになって逃げ出した。人間の住む土地に逃げ出すこともできず、森に住む内に追っ手はいつからかこなくなった、とのことだ。
 行く所がないなら、しばらくここにいてもいい、とバルガリエルは言った。多分、バルガリエルは会話をしたいのだろう。そう思った。
 三ヶ月ほどバルガリエルと共に住んだ。
 狩りの方法を教わった。この森に住む化物の対処の仕方を教わる。
 会話はそこまで弾まないが、互いにそれでいいと思っていた。
 焚き火に向かい合っていると、バルガリエルが先に口を開いた。
「お前、これからどうするよ?」
「森の外に出てみる」
「そうか」
 バルガリエルは、彼はそれ以上言わなかった。
「人間の特に魔術を使うヤツには気をつけろ。あいつらとは話ができるかもしれねぇが、罠も仕掛けてくる」
「分かった」
 いや、分かっている。人間社会はそんなものだ。そこで育ったアギラには、この森でバルガリエルと二人きりの生活はできない。だけれど、外に出てどうしろというのだろう。
 クズみたいな人生が終わって、今から始まるのはなんだろう。
 翌朝、バルガリエルが集めていた、今までにやってきた人間の持ち物の中から、地図と金らしきコインを集めて出立した。
「また、来いよ」
「うん、ありがとう」
 ゆっくりと歩く。
 何をしたらいいんだろう。原因が分からないなら、元の世界には帰れない。それに、帰れたとしたらこの体はどうなのだろう。
 考えてはいけない。
 人間に化けることもできない化物は、どうしたらよいのだろう。
 分からない。だから、歩くことにした。



[1501] Re:ヴァルチャー
Name: ポンチ◆8393dc8d ID:440294e0
Date: 2007/09/24 01:22
 アギラは幾度か人に姿を見られてから、街道をうろつくのをやめた。
 街道から少し離れた草原を行く。
 森にまだ近い草原には背の高い草が生い茂り、東南アジアのような雰囲気だ。近くに集落はあるようだが、森から出る生物を警戒してか、草原に入るものは皆無のようだ。
 街道の近くに流れる河で釣り糸を垂れる者もいたが、少し離れれば問題ない。
 人と比べて移動は早い。
 ほとんど眠る必要の無い異形の体で歩き続ける。草原に隠れるために、犬と同じような形になって、イーティングホラーは進む。
 人の世界へ。








第二話 帰れると思うか?








 人の声を聞くのだけで、高揚する。
 アギラは少しずつ、この世界を知り始めていた。ゲームの中ではよく分からなかった、リアルな世界。科学技術は中世程度。医者もよいものはいないだろう。建築物を見ても、粗末だ。
 火事が多いからすぐ立て直せるように、とかそういうものではない。単に、田舎、辺境は貧しいのだろう。豊かな集落はもっと違っているのかもしれない。
 数日進むと、兵士を多く見かけるようになった。
 剣、槍、弓、胸当てのような鎧。貧相な装備だ。
 バルガリエルと対峙していた女騎士や、彼の狩り場にあった死体が着ていたものは、もっと豪華なものだった。貴族とただの兵士では違うのも当たり前か。
 兵士たちは慌しく動いている。
 ああ、きっと、あの女騎士が無事に戻ったためだろう。あの森を抜けたのだ。根拠はないがそう思った。いや、成り行きで助かった彼女が生きていてくれたら、となんとなく思っただけだ。
 心は人間なのだな、と思う。バルガリエルも決して邪悪ではなかった。ならば肉体が邪悪なのか。
 少し危険はあったが、それを確かめたいという欲望に駈られた。兵舎に近づき、聞き耳を立てる。軒下に潜り込み、触手で耳を作り出して床下から聞くというだけだ。




 粗末な兵舎で兵士たちは問題の人物について語り合っていた。
「クシナダ侯爵のお嬢様を助けたアイツ、とうとう優勝したらしいぜ」
「マジかよ」
「おう、出入りの行商から聞いたんだけど、ハジュラじゃ英雄扱いだってよ」
「いや、隊長が見つけた時も、ワーウルフと戦ってたらしいんだけど、マジで圧勝したらしいぜ。剣を四本持ってワーウルフより早く動くなんて信じられるかよ。それに、見たか、あの兜」
「ああ、ありゃあ化物だ。お嬢様もモノにされてるかもなあ。それに、聞いたかよ、あの噂、アイツ、どっか遠い国の平民らしいぜ」
 そこから先はあまり意味のある会話はなかった。






 ワーウルフをスピードで圧倒して、四本の剣、兜、鎧、ヴァルチャー・オンラインではそんな特徴を持つ職業があった。
 職業、狂戦士。
 回復アイテム、回復魔術の全ての効果が70パーセントに落ちる代わり、スピードと攻撃に50パーセントの修正がかかる。防御力に修正はかからないが、軽装鎧しか装備できない。
 森か邪神神殿に単身乗り込むレベルなら、少なくともレベル40以上。
 会わねばなるまい。
 同郷であるなら、話は通じる。ヴァルチャー・オンラインと言うだけでも通じるはずだ。
 軒下に夜まで潜むことにした。狂戦士がどこにいるのか、まずそれを知る必要がある。
 装備品ごとここに来ているというなら、相当の戦力だ。話しかけるタイミングを間違うと殺されてしまうかもしれない。
 彼らがどこにいったのか、三ヶ月たった後でもこれだけの噂になっているのだ、きっと派手な道中だ。追うしかあるまい。
 ここから、アギラの道は彼らを追う道へと変わった。






 ハジュラの都。
 ヴァルチャー・オンラインでは中立の歓楽の都だった。
 カジノと危険なクエストのホームタウン。シティクエストと呼ばれる、ヤクザ者と関わるクエストが多数存在し、行動如何によっては街から追い出されてしまうし、マイナスの名声がつくことがある。
 異形になってからは侵入不可だが、ネットでの情報は仕入れていた。
 アギラは、ある時は馬車にはりつき、ある時は水路を進み、二週間ほどかけてハジュラの都にたどりついていた。
 石造りの歓楽街。都をぐるりと囲む高い城壁、兵士たちの守る門、突破はできそうにないが、下水の地下通路を見つけた。設定はよく覚えていなかったが、下水道の水路には無数の異形の魚が泳いでいた。近くの小川が汚染されていなかったところをみると、ここに放されている魚で浄水を行っているのかもしれない。
 下水道からの侵入は比較的簡単だった。凶暴なモンスターも蠢いていたが、異形に襲い掛かるものは少なかった。幾度かは食事にするべく応戦したが、必要以外の危険はなかった。下水道を歩き回ってだいたいの構造が理解できたのも幸いだった。街の中でおおっぴらに動けないのだ、仕方ない。
 夜でも明るいハジュラでは、裏通りのような場所やスラムを行くしかない。人との争いは避けたい。だけど、多分、人を殺してもさして思うことはないだろう。この肉体になってから、異形というものが少しずつ分かってきた。
 アギラは異形だ。人では無い。
 動物の死体を見ても顔を背けるだけだ。人間はそんなもの、なら異形はどうだろう。分かりきっている。
 酒場の軒下にもぐりこんで、聞き耳を作る。この方法が一番いい。
 最初、耳を疑った。
 狂戦士は投獄されている。
 侯爵令嬢を助け出した者がなぜ投獄される。ダメだ。焦るな。今は情報だ。
「侯爵様と第四王子がご結婚されるそうでなあ。祭りがあるらしいぜ」
 陰謀で狂戦士は投獄されたのか、それとも侯爵令嬢に裏切られたか。真相は分からない。だが、監獄に潜入すれば真実は分かる。狂戦士本人から聞けばいい。
「串焼きだよー」
 影を走っていると、屋台の声が聞こえた。
 ハジュラは歓楽街だ。夜でも店が出ている。
「くそう、また一人だ」
 アギラはつぶやいて、影に身を潜めた。犬に似た形にしていると、あまり注視されない。だが、それが油断を生んだ。
「おいでぇワンちゃん」
 酒かドラッグで混濁していると一声で分かる呂律だ。女が近づいてくる。
「ワン」
 犬の声を精一杯真似て、走ろうとした。
「こいって言ってんだろ」
 腹を蹴られた。女の細い足。異形の体に損傷は無い。だが、蹴られた瞬間に動いたものがある。
「あれ、なに、これ」
 感触で女も気づいたようだ。
「人を蹴りやがったなテメェ」
 アギラになる前なら、絶対にこんなことは言えなかったな、とどこか冷静な部分で思った。だが、そんな冷静さも、蒸発した。怒りは熱く激しかった。
「ちょ、なによ、これっ。誰かっ」
 触手を女の口に突っ込んでから、さらに触手を増やして体の自由を奪うと、物陰に引きずり込んだ。
 首を振って、目を見開いて、涙を流して、手足を動かそうとして、厚化粧の女。酌婦か、売春婦か、どうでもいいことか。
 首をへし折るか、×××から内臓を掻き出してやるか、それとも血を吸い上げてやるか、いくらでもやることはある。
 何か言おうとした時、女の股から熱い液体がこぼれ出していた。生暖かい失禁を触手に感じて、アギラは頭の中が冷えていくのを感じた。こんな女の小便で、いとも簡単に怒りの炎は小さく、そして消えていく。
 震えながら放心したように泣いている女を見て、ふと考えが浮いた。仲間でなくとも、協力者が必要だ。幸い言葉は通じる。
「お前、俺のために仕事をしろ。これを見ろ、理解できたら首を縦に振れ」
 体内から取り出したのは、バルガリエルの所から貰ってきた金貨だ。全部で百枚ほどある。バルガリエルのところにはもっとあったのだが、重さの関係から百枚と少しだけ持ち出したものだ。
「どうだ、分かるか。これは前金だ。仕事が終わったらあと五枚やる」
 女の瞳が正気に返っていく。こくこくとうなずいている。
「叫んだら、殺すぞ。いいな」
 口から触手を引き抜くと、女は荒い息で呼吸を繰り返した。
「今から、誰にも見られずにお前の住処にまで行け」
「む、無理だよ。人のいないとこなんて」
「そうか、じゃあこうしよう」
 小さな悲鳴と共に目を瞑った女は、そこから嫌な感触に怖気を走らせた。
 蛇のように形を変えたアギラは、女の襟元から入り込み全身にからみつくようにして、服の中に隠れたのだ。
「いいか、部屋までいったら鍵を閉めろ。詳しいことはそれで教えてやる。金は本物だ、どうせお前には断ることなんてできないぞ」
 断ったら死ぬ。それは、女にも分かっていた。




 女の部屋は、粗末な木賃宿だった。月にいくらか払って、自由に寝泊りできる。ただそれだけのアパートのようなものだ。
 意外に綺麗に整理されていたが、安っぽいベッドと小さなランプ、あとは仕事着らしい服がそこかしこに吊るされていた。
「ちょいと、そろそろ離れておくれよ」
「人の気配は無いな」
 入った時と同じく、襟首から這い出した。推定で五十キロほどの重さのアギラを背負って歩いた女は、床に座り込んだ。
「お前、名前はなんていうんだ?」
「シャルロット・イメリア・リンガー。信じなくてもいいけどね」
「分かった、リンガーさんだな。俺はアギラ、見ての通りの化物だ」
 不思議そうな顔でアギラを見つめる女。
「あたしの名前はシャルロット、それでいいの?」
「偽名なのか?」
女は髪をかきあげてため息をついた。あぐらをかいているため、盛大にパンツが見えている。と言っても、そのパンツもほとんど隠すものがない布切れだ。
「シャルロットでいいわ。それで、何をしたら金貨が貰えるの」
「闘技場の優勝者が投獄された監獄に俺を連れていけ。それと、暗黒寺院にも案内してくれ。狂戦士の噂ならなんでもいいから教えてほしい」
 シャルロットは頷いた後で、小さくため息をついた。
「ちょっと汗を流しにいきたいんだけど」
「ああ、俺はここにいる」
「ああ、一時間もしたら戻るから」
 シャルロットはよたよたと立ち上がると、そのままドアを慎重に開けると出ていった。
 失禁の後にアギラを背負ったのだから、それは汗もかいている。
 ここで、衛兵を呼ばれたとしたらどうなるだろう。どのみち、あそこでシャルロットを殺していた時と同じ結果に繋がるだけだ。
 いつでも逃げられるように、窓を開けておく。
 夜風と共に、料理の良い匂いや、饐えた悪臭が流れ込む。繁華街の匂いだ。
 しばらくしてシャルロットが帰ってきた。予想してような衛兵たちはいない。金貨の力は偉大だ。湯上がりで、ワインを持ったシャルロットは慣れた動作でランプをつけると、ベッドに座った。
「本当に帰ってきたんだな」
「金貨、まだ貰ってないからね」
 自嘲的に笑んだシャルロットは、ワインのコルクを抜くと、ラッパ飲みで一口。
「暗黒寺院って、スラムで噂になってる邪神の信徒でしょ。無理無理、この前も人が殺されてたし、ツテなんかないもん」
「そうか、で、監獄は?」
 シャルロットは、何か言おうとして口を噤んだ後、ワインを含んだ。
 プラチナブロンドの美しい髪、顔立ちは整っている。厚化粧は、あれはあれで魅力的だったが、元々の顔立ちも決して悪くはない。
「狂戦士って、このまえ優勝して、それからなんとかいう外国の令嬢に粗相したとかで捕まったアイツでしょ?」
「そのアイツだろうな、多分」
 確証は無いが、人違いということはあるまい。
「ホドリ監獄、っていうんだけど、地下に落とされる牢屋で、入り口までは行けるけど、中には無理。だって、出てきた人誰もいないし、中は化物の巣だっていうし。アハハ、アギラさんだったら余裕だろうけど」
「入り口まで案内してくれたらいい」
 ゲームの中では、確かシティクエストの時に入るダンジョンとして設定されていた。関係ないエリアだったために、なんとなく見ただけだが、レベル30以上でないと踏破は不可能、ハイレベルクエストだったはずだ。
「前金が欲しいんだけど」
「それだけ簡単なら、入り口で渡してやるさ」
 ここで逃げ出されると厄介だ。彼女もそれは分かっていたのか、それ以上は言わなかった。
「狂戦士の仲間なの?」
「いいや、どこかですれ違ったくらいならあるかもしれないけどな」
「そう、深くは聞かないわ」
 何か話そうかと思ったが、特に話題は見つからない。シャルロットも、ワインを飲むだけだった。
 そして眠る。
 この肉体に睡眠はあまり必要ではない。それでも、眠ろうと思う。




翌日
 シャルロットによって布袋に詰め込まれたアギラは、ホドリ監獄に馬車で向かっていた。
 御者は怪訝な顔で布袋を下ろした。その後は、近くにいた浮浪者に金を渡してアギラを運ばせる。
「ここよ」
 布袋を見ずに囁いたシャルロットにならって、アギラは袋を触手で突き破り、その先端に目を作った。
 粗末な柵で覆われている、巨大な穴。
 奈落へ続く大穴。狂戦士はここから放り投げられた。普通は下に続く階段、唯一の出入り口から監獄へ入れられるのだが、彼は通風孔の役目を持つ大穴に放り込まれたのだという。
「ぶち込まれたヤツらの女とかガキとかが、ここから食べ物を投げたりするのよ。金貨お願い」
触手の目を閉じて、金貨を体内から吐き出す。シャルロットはそれを握り締めて、何か神に祈りの言葉を囁いた。
「世話になった」
「大したことはしてないよ。どうする、放り投げるかい?」
「多分それで大丈夫だ」
 壁伝いに降りていけばいい。触手は無数に生成できる。こういうのは、バルガリエルとの生活で覚えている。
「じゃあ、元気でね」
「その金でやり直せ」
 言い捨てて、アギラは大穴に舞った。
 シャルロットはそれを見送る。
 金貨は本物だ。そして、最期のあの言葉。きっと、嘲笑めいたものではない。本心からあの化物は言ったのだ。そんなにひどい暮らし、そう、あんな化物が哀れむくらいひどい暮らしだ。
 やり直そう。
 もう一度、誰も知らない所で、人間らしい暮らしをしよう。
 足早に馬車へ向かうシャルロットは、神様に祈るべきか悪魔に祈るべきか、少し迷ってから、クソみたいな運命に祈った。次は上手くいきますように、と。






 ホドリ監獄、元々は古代の王の墳墓である。
 ハジュラの都の創始者は、この墳墓から莫大な財宝を盗掘した男である。
 全てを搾り取られた後の墳墓は、監獄として利用されている。地下深くの水脈、墳墓のガーディアンであった危険な生物。
 ここは破滅した者の行き着く奈落。
 都合の悪いモノを捨てるゴミ箱。






 アギラがようやく底まで降りたのは、あれから七時間後のことだった。
 異様に深い穴の底には、空から落とされたゴミや死体でえらいことになっていたが、腐っているものがあまりないところをみると、住人が定期的に回収しているのだろう。
 日の光の届くここで空を見上げると、絶望的な高さだ。
 行こう、奈落へ。
 希望などほとんど残ってはいない。だけど、同郷の者と会うことができれば、道は広がる。
 バルガリエルは、異形は珍しいと言っていた。狂戦士は、突然邪神の森に現れたという噂だ。ならば、きっと同じ境遇だ。ただの希望だが、それにすがって何が悪い。
 大穴から、人の通れる通路を見つけて奥に進む。進んでいくと階段になり、さらに進むと、人の声が聞こえてきた。
 アギラは飛び込んできた光景に驚いた。
 通路の先には、広い吹き抜けのホールが広がっていた。壁という壁にはランプが取り付けられ、蝙蝠のフンを利用したメタンの炎が幾つも輝いている。
 ホールでは、何かの作業をしていると思しき人間たちと、邪神の森ほどではないが、それなりに凶暴なモンスターたちが、人に飼いならされている。活気に溢れた声が聞こえていて、荒くれた者たちだらけだが秩序があった。
「うああ、化物だぁっ」
 誰かが叫んだ。不味い。
 素早く、イーティングホラーは素早いのだ。暗がりへ逃げ込もうとした瞬間、何かに蹴られた。
 さしたるダメージは無いが、盛大に宙を舞うハメに陥る。着地と同時に、囲まれているのを理解した。
「よせっ、俺は人を捜しにきただけだ。危害を加えるつもりはないっ」
 叫んでみた。頼む、お前ら冷静になれ。
「な、イーティングホラーが喋りやがった」
 誰かの驚きの声、囲まれているが、彼らは動かない。どうするか決めかねているのだろう。
 しばらくして、道が開いた。人波が割れて、リーダー核と思しき者がやってくる。そいつは、予想外の人物だった。
「僕が話をしよう。はじめまして、僕はリョウ・カザミ。キミは何者だ」
 茶色い髪に眼鏡をかけた三十歳くらいの男だ。トレンチコートのようなものにジーンズ、足元はスニーカー、それに眼鏡。間違いない。
 カザミ、風見とでも言うのか。しかし、この響きは日本人の名前だ。
「ヴァルチャー・オンラインだ。種族は異形、レベルは35だ。俺は伊藤明、アギラって名乗ってる。ホームは邪神神殿だ」
 通じてくれ、頼む。
「そうか、僕も同じだ。カザミって名乗ってて、ホームはハジュラ。種族は人間で、クラスは開拓者、レベルは33だ」
「あ、あんたも日本から来たんだな」
「話は後だ。みんな、彼はイーティングホラーだが敵じゃない。僕が保障する」
 戸惑いの空気が流れたが、カザミが手を差し出し、アギラが触手で握手すると、感嘆とも歓声ともつかない声が上がり、カザミに連れられるようにして場所を変えることになった。
 敵意の視線も感じるが、表立って石をぶつけるような者はいない。
 案内されたのは、フラスコや薬品の並ぶ研究室のような部屋だった。中世の錬金術師を連想させられる。
 粗末な椅子に座るようにうながされ、アギラも人型をとって座る。そういえば、椅子に座るのはここに来て初めてだ。
「さあ、何から話そうかな」
「吉野家の味について話そうか」
 と、普段なら絶対に出ない冗談が口をついた。カザミは眼鏡を外して、浮いた涙を手の甲で拭いた。
「ハハ、そうだな、信用してる。うん、分かってるさ。僕は、ここに来て、服がおかしいとか、アイテムが悪魔の技だとか言われて、ここに落とされたんだ。あんなに苦労して取った武器まで取り上げられてね」
「レアリティ、高かったんだな」
 カザミがにこりと微笑む。アギラも笑った。それが伝わったかどうかは分からない。
「異形クラスなんて、ここまで大変だったろう」
「ああ、運がよかった」
 それから、情報の交換をした。分かったのは、あまりにも発達の遅れた封建体制の社会と科学水準。そして、突如としてこちらにやって来たヴァルチャー・オンラインプレイヤーの規格外ぶりについてだった。
「僕のクラスはそんな目立つ特徴はないけど、戦闘系は目立ってるみたいだね。幾つか噂になってて、悪魔扱いされてる噂も聞くよ」
「そうか、俺たちだけじゃないんだな。ああ、それから狂戦士っていうのは」
 カザミはため息を吐いた。
「ああ、さすが最強の戦闘系クラスだったよ。ここにあそこから落とされても無事で、半狂乱になってて怪我人もたくさん出た。開拓者の特技はアイテム作成とそれなりの戦闘力、薬で眠らせたよ」
「やっぱり、この世界でスキルは使えるんだな」
「ああ、確か異形クラスは目立ったスキルが無いんだったね。不思議な話だけど、ポーションの作成に必要なモノが勝手に頭に浮かぶし、効能も理解できる。素材は必要だけど、ここでも充分に手に入るよ」
 やはり言うべきだろう。
「それで狂戦士は?」
「ああ、今は休ませてる。よっぽど酷い目にあったみたいで、落ち込んでるよ」
「若いのか?」
「ああ、十五歳だそうだ。キミの年齢は見た目じゃ分からないけど」
「三十だ」
「ハハ、僕は三十一」
 カザミは言ってから、少しだけ笑った。
「不思議だな、僕はここに馴染んできてる、キミはどうだい?」
「まだ分からないな。話したりしたのはほんの数人、ここに来るだけで必死だった」
「そっか、まあ今後のことを色々考えよう。ここのお頭にも紹介するよ」
 自然な流れだ。外で異形は生きにくい。ここは監獄だが、見た限りでは悪い場所でもなさそうだ。
「帰れると思うか?」
「無理だろうね」
 分かっている。普通の答えだ。
 運命でここに来た、そうは思えない。酷い運の悪さみたいなもの、多分、そういうことだ。



[1501] Re[2]:ヴァルチャー
Name: ポンチ◆8393dc8d ID:440294e0
Date: 2007/09/24 23:42
 ホドリ監獄は、劣悪な環境のために看守は存在しない。
 ぶち込まれたら、事実上の死刑だ。死体は勝手に中のモンスターが処理する、生きている者がいたとして、唯一の出入り口には鋼鉄の門で閉ざされている。
 行政府は、内部のことを何一つ理解していなかった。






第三話 悲惨だな






 カザミに案内されたのは、ここの『お頭』の部屋だった。
 部屋といっても、元はモルグだった場所だ。手製らしき家具の類は見えるが、お世辞にもよい部屋ではない。
 その部屋には、初老の男が待っていた。眼光は鋭く、未だ張りのある両手からは刺青が見えた。モンスターのものらしき毛皮の服を着ていた。
「お頭、僕の同類のアギラです」
 あれだけの騒ぎだ。もう耳に入っていたのだろう。老人は、小さく頷いてアギラを見つめた。
 コイツはヤクザだな、と直感で理解した。
 元々は営業職だ。こういったヤクザ者とも接触することが多く、その関係者の独特の雰囲気は知っていた。
「俺はボドリム・グレイ。ここを仕切ってる。食鬼よ、何をしに来たんだ?」
「狂戦士の噂を聞いてきました。こんな境遇ですから、一人でも同郷の者と会いたいと思いまして」
 ヤクザは嫌いだ。あいつらのルールに一度でも従えば、次もその次も連中のルールの中に囚われる。美味しい話もあるだろうが、あの連中がそんなものを一般人に投げるのは倍にして回収する前提があるからだ。
「ああ、カザミの言ってた別の世界ってヤツか。ま、アイツは役に立つからな」
「……」
 ここでどう答えるべきか。
 ここんら逃げ出しても行く場所はない。かといって、ヤクザの身内になろうとは思わない。
「問題は起こすなよ。あと、化物の狩りには出てもらうからな」
 話は唐突に終わった。
 お頭、グレイは手をしっしっと振る。それが合図で、カザミに促されて退出した。
 そこから、監獄の内部を案内してもらった。
 ゲームにはなかった設定。このホールは、数百年のホドリ監獄の歴史の中で、開拓してきたものらしく、危険な化物も滅多に近寄らない人間の領域。ホールの二つ下の階層には地下水脈、巨大な川が流れており、飲み水はここからとっている。そこから河伝いに東にいくと、未開拓、盗掘者ですら探索を断念した怪物の巣になっている。
 アギラはもう噂になっていたが、案外すんなりと受け入れられていた。皆犯罪者であり、この恐ろしい地下世界の住人であり、ここで生まれ育った者もいる、ここは一つの小さな世界だが、定期的に新入りが来ることからも保守的な場所ではないようだ。
「地下の大河、幻想的だろう?」
 カザミは、足元の小石を拾って投げた。水面で石が跳ねる。
「これからどうする気だ?」
「僕は、ここに残るつもりだよ。ここじゃ僕は医者も兼ねてるし、外にいるよりは遥かに安全だ。ここの暮らしは悪くないしね、キミはどうするんだい?」
「分からない。俺はどうしたらいいか、ここは平和なんだと思うが、俺は人に混じって暮らせるかどうかも分からない」
「冒険しようとは思わなかったのかい?」
「ハハ、必死だったしな。考えたこともなかった」
 イーティングホラーの気弱な笑い声に、カザミも苦笑した。
「最初の一ヶ月は楽しかったさ。でも、僕の『スキル』はあまりにこの世界の常識から外れたものだよ。材料を集めてフラスコに入れて、スキルを発動させただけで薬品を作る、これはもう化物だろ?」
 危機感が足りなかった、と言いたいのだろう。
「邪神の技だってなったのか?」
「当たり、正解だよ。あと、僕の戦闘スキルは鞭で取ってたしね、あんまり傭兵らしくもなかったし魔術師らしくもない。結果的には邪神の信徒さ」
「インディ・ジョーンズ好きだろ?」
「ハハ、分かるかい?」
 鞭で開拓者で学者みたいな立ち振る舞い、それしかないだろう。
「狂戦士と会わせてくれ」
「ま、いいけどね。お頭は、彼を最悪処分するつもりだ。変な気は起こさないでくれよ。ゲームに詳しいのは僕もなんだから」
 イーティングホラーの特性は分かっているということだろう。
 鞭は中距離に対して有効な武具だ。イーティングホラーも中距離攻撃はあるが、そこまで強力なものではない。鞭の劣化版と揶揄されていたほどだ。
「分かってるさ」
 人とは争いたくない。
 カザミは納得した様子で、独房にまで案内してくれた。
 屈強な男たちが、斧や剣で武装している。剣は地上で見たものと違って、装飾のついた見事なものだ。それなりの価値があるのではないかと思えた。
「ああ、武器はだいたい化物の持ってたものだからね、骨董だけどいい物なんだよ」
 地下迷宮で暮らすとなると、そういうことになるのだろう。カザミは歩きながら、日本で得ていた知識から、ゆくゆくは鉄を作ったりしたいと話した。ここに来て二ヶ月ほどだが、すでに濾過器や造酒を試しているのだという。元の職業が気になったが、なんとなく尋ねるのもはばかられた。
 ならず者たちの作った牢はごく簡素なものだった。
 狂戦士は一番奥にいた。
「これはまた、酷いな」
「見せたくはなかったね」
 鎧を剥ぎ取られたせいで全裸、全身を鎖で縛られた少女だった。多分、中学生か高校生。そのくらいの年齢だ。
「お前は犯したのか?」
「いや、やってないよ。素手で岩をぶち破る化物に突っ込む勇気のあるヤツはいなかったっていうのが正解だし、僕個人はそういうのは好きじゃない」
 狂戦士の少女から返答は無い。
「いやはや、女の子って気づいたのは鎧をはいでからでね。暴れられたら、あの鎖も意味なさそうだし、お頭のストップが入ったのさ」
 手負いの獣、最期の大暴れ、できれば利用したいというのに、使えなくなったあげくに人死には避けたかったのだろう。
「ひどい目にあったみたいだな」
「いや、僕の作った薬で意識はトバしてる。若者風に言ったらパキらせてるってとこだよ。覚醒したら暴れるかもしれない。僕だけじゃ止められない。キミが来てくれたんだ、一度覚醒させてみようと思ってるんだけど」
「ああ、今からやるか」
「いいのかい?」
「ステダウンアイテム使える状況だろ? 33と35レベルなら、40以上のヤツでも取り押さえられるさ」
 多分。
 どのみち、仲間は必要だ。それに、力があって困る場所ではない。カザミも気づいているようだが、この世界でものを言うのは力だ。狂戦士は、力はあるが子供だった。
「鞭と格闘技能を取ってるから、なんとかなりそうだよ」
「……技能は、実際の経験がなくても有効なんだな?」
 と、確認した。アギラの場合は肉体が特殊で確かめようがなかった。カザミは笑みと共に頷く。
 カザミが薬品を狂戦士の口に流し込んだ。
「かっ、はっ、ここは」
「キミが大暴れしたホドリ監獄だよ」




 結果的に言えば、ひどく疲れるものだった。
 少女の細腕には、狂戦士の技能が宿っている。素手で放たれた格闘技能は、カザミのものでは太刀打ちできないレベルだった。
 アギラの、イーティングホラーの触手技能で、拘束したが、それを振り払うだけの力が狂戦士には存在した。カザミの放った麻痺薬でも、動きが少し鈍っただけだ。しかし、そこでようやく拘束できた。
「お前を裸にしたのは『防具』と『武器』があったらお前に俺たちが殺されるからだ。俺たちもヴァルチャー・オンラインでここに来た日本人だ。知ってるだろ、俺は特殊クラス異形だ。攻略サイトにも投稿してた」
「ぼ、僕は開拓者だ。携帯電話、読売新聞、阪神優勝、細木和子、な、分かってくれ」
 顔面を盛大に腫らせたカザミも説得に参加する。
「分かったから、服と、それと触らないで」
「放すから暴れるなよっ」
 カザミはまだ薬品を構えたままだが、触手を放して人型を取った。
 狂戦士は、黒髪ショートカット、長身の少女だ。胸はあまりない。バレー選手のような体型。アギラは、女の裸なのに何も感じないのを不思議に思ったが、この肉体になってから性欲の衝動とは無縁であったことに気づいた。
「とりあえず、それを使ってくれ」
 毛布と呼ぶには難のあるボロを投げたカザミは、服を取りに外に出た。
「俺は伊藤明、キャラネームはアギラ。そっちは?」
「あ、あたしは河野由宇、ユウってキャラ名だった。狂戦士でレベルは45」
 廃ゲーマーだ。レベルだけで分かる。
「さっきのアイツはカザミだ。日本人。なんでここに来たか、メシの後で教えてくれ」
「あ、うん。異形クラスって珍しいね」
「今は後悔してるけどな」
 会話は途切れた。
 カザミが服を持ってきて、それからお頭の所に向かった。何かあるかと思ったが、お頭は『暴れるな』と言っただけだった。
 カザミの用意した食事は、ここらで取れる亀の化物の肉とキノコ、あとは果実種のようなものだった。
「生水は危ないから、今お湯を沸かしてる。酒は口にあうなら飲んでくれていいよ」
 食べることはできるが、生でないとイーティングホラーの栄養にはならない。それは伏せて、今は食事をすることになった。
 地下大河のほとりで、焚き火を囲んでいる。
 ぽつりぽつりと、狂戦士ユウは語り始めた。
「レアアイテム狙いで、邪神神殿の近くにいったんだけど」
 アギラとカザミに同じく、突然ゲームの世界にいた。狂戦士の力と装備はそのままで、最初は混乱したが、敵を倒すのは問題なかった。それから、森で侯爵家令嬢のマリー・ミリュ・クシナダと出会って、なんとか森の外まで逃げ延びる。実際、食べ物がなく、行き倒れる寸前に火種や飲料水を持ったマリーと出会って助かったのだそうだ。
 ユウは食べ物を得て、マリーは護衛を得て、森を抜けてからはお礼をするということでハジュラまで来たのだが、待っていたのは闘技場に売り飛ばされるという悲劇だった。
「後で知ったんだけどさ、マリーの婚約者が売ったんだって。侯爵家と騎士の名誉が傷つくからって、化物みたいなアタシはいらないってさ。それに、クシナダ侯爵家は借金塗れで化物を倒しにいったって話だし、そんなに恨んでなかったかな」
 アギラとカザミは『俺なら恨むな』と思ったが口には出さなかった。
「でも、闘技場も悪くなかったかな。人、殺して最初怖かったけど、三ヶ月で色々、なんか理解したから」
 ユウの話は闘技場の所が一番長かった。自分を買ったヤクザ者のドラムは、若くして一家を束ねる組長で、人殺しで眠れなくなった時に手を握って眠ってくれただとか、『ヤクザの女』になっていく過程の話が聞けた。うんざりだ。
「優勝したのはよかったけどさ、クシナダさんの婚約者、名前は知らないけど、あいつにここに落とされたの。ドラムにも売られちゃったみたい」
 笑顔で言ってから、ユウは泣いた。
 アギラもカザミも、何も言わなかった。いい感じに焼きあがった亀を切り分けたカザミは、土器の皿に盛ってユウに差し出す。
 泣きながら、ユウは食べた。
 一時間近く嗚咽と咀嚼を聞いて、酒を飲ませて、眠った少女を独房に運んだ。レイプの心配があるということで、カザミと交代で見張ることになった。
「悲惨だな」
「ああ、この世界じゃ恵まれてるんだろうけどね」
「いや、悲惨だろ」
「そうだね」
 下手に手を差し伸べられて、裏切られて、ユウはそれでも泣いただけだ。強いな、女の子は。




 狂戦士のユウは、最初こそ恐れられたが、数日で馴染んだ。
 男たちと共に力作業で漁に加わり、危険な生物を狩りにいくのにも率先して加わった。ユウはごく普通の少女ではなかった。
 今までは毛皮の取れる化物は強くてなかなか狩れなかった。それが、ユウが加入して楽に狩れるようになったのだ。住人たちは、その『利益』で彼らを迎えた。
 日本での生活について少しだけ聞いたが、彼女は中学を卒業してからすぐに働いていたそうだ。何をしていたかは聞かなかったが、相当危険なこともしていたようだ。生活のために朝から働いて、売春をする少女。ヴァルチャー・オンラインの金はどこから出たのか、ママが再婚してさ、と笑って言っていた。それから、素性なんて尋ねるのはやめた。
 ユウは強かった。
 アギラも馴染んできた。ユウとアギラで化物を打ち倒し、カザミは医者と様々な技術の仕事。カザミは、大学院で科学の研究をしていたという。営業職の普通のオッサン、というのは気恥ずかしかったが、そうとしか答えられなかった。
 気がつけば二ヶ月が経っていた。
 荒くれ者たちも、ここでは荒くれる必要が無い。新入りは粗暴だが、彼らも人間らしい暮らしに慣れていく。どうせ、外には出られないのだ。
「お頭、あたし、外に出たい」
 と、ユウが言ったのは、冬を迎えるのに充分な狩りを終えた後のことだった。
「……どうやって出る。あの崖を登るのか?」
「うん、できるよ」
 ユウの身体能力なら可能だ。
「俺も出ることにする」
 アギラは反射的にそう言っていた。理由があった訳ではない。ただ、ここで暮らす毎日にどこか閉塞感を感じていた。
「そうか」
 お頭グレイが突如として繰り出したナイフを、ユウが白刃取で受け止め、アギラがその触手を喉に絡める。
「ま、お前らは強いからな。それもできるだろ。出るには、まだたりねえ。毛皮を今日の十倍集めろ。それだけありゃ、しばらくは大丈夫だ」
 グレイは頭のいいお頭だ。自由を手にすることにそれ以上の条件はつけなかった。それから、何度かやっかみで襲われたが、カザミの助力もあって、二週間ほどで毛皮を無事に集めることができた。
 出発の前日、最初の日と同じように、三人で焚き火を囲んだ。
「僕は、ここに残るよ」
 予想通りの返答で、カザミは炎を見つめた。
「うん、なんとなく分かってた」
 パチリ、と薪が燃えた。地下の大河から流れてくる流木は、回収されて薪として利用されている。あとは動物のフンだ。この匂いにも慣れた。
「カザミさん、元気でな」
「ああ、忘れないよ。また会いにきてくれ。その時は、お土産も忘れずにね」
 あの日食べた亀と、酒。カザミの酒造りも、最近は好調で住民たちも喜んでいた。
「あのね、ありがとう。会えてよかったよ。あたしさ、カザミさんとアギラさんと、ヴァルチャーと会えて本当助かった。だって、独りじゃないって」
 そこから先、ユウは泣いた。最初と同じだ。
 その後、仲良くなっていた住民たちと騒いだ。
 翌日、お頭から剣と鎧を返してもらったユウは、二ヶ月ぶりに狂戦士の姿に戻っていた。
「なるほど、それじゃあ女には見えないな」
 体に張り付くような漆黒の鎧、ボディスーツに鱗をつけたようなそれに、腰と背中に装着した四本の剣、兜は特撮ヒーローを連想させる兜。スモークのバイザーは相貌を見せない。
「行こっか」
「ああ」
 目的は何も話し合っていない。どこかで道を違えるかもしれない。
 日の当たる、絶望的な高さの大穴。
 見送りはカザミとお頭と、あと数人。外に出る、というのを直視しようとする囚人はほとんどいなかった。
 鍵爪付きの篭手と驚異的な跳躍力で、ユウは壁を登っていく。
 アギラは、触手を伸ばして、時にユウを助け、時にはユウに放り投げられながら上を目指す。
 カザミは、彼らが登りきるまでそれを見送っていた。
「僕は、ここに落ち着くよ。冒険なんてできない。でも、キミたちに会えた幸運に祈るよ、アギラとユウの行く末が良いものでありますように」



[1501] Re[3]:ヴァルチャー
Name: ポンチ◆ebd5b07d ID:440294e0
Date: 2007/09/26 01:56
※トリップを変更しました




 阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられている。
 中心は、黒の狂戦士。
 華麗に舞う剣と、血飛沫。
 はじめて、積極的に人を害した。






第四話 アホだろお前






 大穴から這い出した一人と一匹に、近くにいた誰かが悲鳴を上げた。
 このペアは、見ようによっては地獄から這い出した悪魔に見えなくもない組み合わせだった。
 食鬼と、先日投獄されたはずの狂戦士。
 真昼に這い出した彼らは、すぐに近くの城門に向かって駆け出した。
 人々の悲鳴で、衛兵がかけつけてくる。
 アギラがどうするか尋ねようとした時には、最初の犠牲者が出ていた。ユウが両手に持った剣で、衛兵の首を切り落としていた。
「突っ切るよ」
「わ、分かった」
 分かっていたことだが、恐怖があった。暫時立ち止まり、突き込まれた槍に体が勝手に反応して、衛兵の額に触手を突き刺していた。
 スキル『吸血』が、本能的に発動する。壁を登った疲労が瞬く間に癒えていく。
 ああ、これか。これが人の味か。今までのものよりも美味い。
 狂戦士ユウの動きは人間を遥かに凌駕していた。ソロプレイで、唯一ドラゴンを倒せる可能性のある職業タイプだ。第一上級職の中で、剣聖と二択で選べる狂戦士は、最もリスキーな攻撃特化タイプである。
 正確に急所を突いて一撃で倒されていく衛兵たち。いつしか、衛兵たちもその手を止めていた。
「いこっ」
「了解」
 体を犬の形に変えて走る。この形で、なんとかユウの速さについていける。悲鳴、前を歩く者たちを弾き飛ばして進む。ユウに躊躇は無い。
「ここを抜けたら東の街道だ。こっちでいいのか」
「ここじゃなかったらどこでもいいって」
 門の衛兵はユウが片付けた。通り過ぎざまに、適当に切り裂いたようだが、二人とも重傷を負っている。あれでは助かるまい。
 アギラは触手でユウの肩をポンと叩いた。触手で目的を指差すと、彼女も気づいたようだ。
 貴族のものらしい装飾つきの馬車だ。馬が三頭も使われている。御者が逃げようと鞭をしならせた所に飛び込んで、そのまま走り出す。
 適当に馬を蹴ると、最高速度で走り出した。
「アハハ、楽できたねえ」
「しばらくは追いつけないだろ。それに、外国にいったらあいつらもそこまでは来ないだろうしな」
 監獄で聞いた所によると、ハジュラはそこまで熱心な国ではない。何かお宝でも盗んでいれば別だが、そんなものは何一つ持っていない。
「そういえば、ユウは馬とかの技能持ってるのか?」
「アギラさん持ってんじゃないの?」
「ハハハ、そんなの取れる訳ないだろ」
「ほっといたら疲れて止まるんじゃない? ま、適当にいこうよ」
「そうだな」
 楽天的とは言えない。現実を遠くしないと、血の匂いに余計なことを考える。闘技場の英雄は、二ヶ月でそれを理解している。
 しばらく馬車は暴走していたが、道を外れて森に突っ込む手前で、馬車の連結をユウが破壊した。それはそれで馬車は横転するはずだが、飛び降りて馬車を自力で止めたのもユウだった。
「凄いな」
「ちょっとは手伝ってよ。アギラさん、いつもこういう時手伝ってくれないよ」
「次からはちゃんとするよ」
 日本でも、それがちゃんとできていなかったな。
「お金はあって困らないしね」
 言い訳めいたことを言って、ユウは馬車のドアを叩き壊した。物色するつもりだ。
「金はわりと持ってるんだが、あって困るもんでもないか」
 先に馬車に入ったユウから「ああーもうっ」という声が聞こえた。
「あーあ、これは最悪だ」
「この馬車選んだのアギラさんでしょ。どうすんのよ」
「こういうの苦手なんだよなあ」
「あたしも」
 暴走馬車に揺られて気を失っている身分の高いであろう少女と、お付きの者らしい侍女が短剣を構えてブルブルと震えている。
「よ、寄るな化物め」
 否定はできない。見た目でいうなら確実に悪魔超人コンビだ。黒の狂戦士とイーティングホラー、普通は気絶している所である。
「いや、まあ危害を加える気は無い。あんたたちは街道に出てどこへなりともいってくれ。街道はあっちに歩いたらある」
「アギラさん、口封じは?」
 お醤油取って、という軽さでユウは言った。不安なのだな、殺さないと。今まで、ユウは裏切られている。特に身分の高い連中にだ。
「よせよ。恨みは充分買っただろ」
「でも、絶対あたしたちに敵がくるよ」
「殺す必要なんて無い」
 納得はしていない様子だが、ユウはそれ以上言わなかった。
「ユウ、あんまり殺すなよ。味方はいないんだ」
「でも、敵になるヤツなんていないよ」
「そういう意味じゃねぇよ。お前、一人でどうするつもりだ」
「大丈夫裏切るヤツはみんなみんな」
 そこまで言ってから、剣を抜いたユウは馬車に叩きつけた。
「悪い、そんなつもりじゃなかった。とにかく、余計な敵は作らない方がいい」
「分かったよ。いい人だね、アギラさん」
 ユウは背を向けて、近くの木の下に座り込んだ。
「ま、そういうことで、特に危害は加えない。街に戻るなりしてくれ、悪かったな」
 侍女は未だ震えていたが、ぺたんと座り込んで大きく息を吐き出した。
 立ち去ろうと思った時、侍女が口を開いた。
「待って下さい。ここらは賊も多いのです、何卒、街道までお送り下さい」
「悪いが、相棒があの調子だ。よした方がいい」
「いえ、私にはお嬢様を送り届けねばならない義務がございます。報酬はお支払い致しますので、何卒」
 この辺りに賊が出る、というのは嘘ではないだろう。ハジュラの都に潜伏していた数日で、街に向かう行商たちは例外なく傭兵をつけていた。普通は、馬車に入った時点で傭兵も待機しているものだが、あの時は傭兵の姿はなかった。
「傭兵は雇わなかったのか?」
「言うに言えぬ事情がございます。報酬で裏切る傭兵には頼むことができませんでした。この馬車も、とある筋から手に入れた存在しない貴族のものです」
 どういうつもりだろう。侍女はぶっちゃけている。切羽詰った事情があるとして、こんな化物にまで頼るのは普通ではありえない。まさか、震えていたのも演技だろうか。
「何よ、イベント発生?」
 ユウが割り込んできた。機嫌は直ったのだろけうか。いや、直ってないな。
「ま、そんなとこだ。この人たちを目的地まで護衛する。やるか?」
「45レベルには軽すぎる気がするけどね」
「35だけど、新鮮だぞ俺は」
「でも、裏切ったら」
「分かってる。どうせ、あそこから逃げるのが目的だったんだ。やっても損は無いだろ」
 アギラはやる気になっている自分に疑問を感じた。よくある話の導入みたいな状況に流されてしまったのだろうか。いや、多分、ユウと二人でいる自信が無いせいだ。何か目に見える目的がないと、これ以上は一緒にいるとこができない。そう感じている。
「そうだね、別に悪くないかな」
 怯えている侍女だが、気を失ったお嬢様を介抱しながら、安堵の息も漏らしていた。
「名前は、なんて呼べばいい? 俺はアギラ」
「あ、あたしはユウね」
「ま、まさか、闘技場の優勝者」
「それより名前」
 侍女はたたずまいを直して、咳払いで仕切りなおした。
「お嬢様は、ミレアネイス家の四女、マルガレーテ・ナハシュ・イル・ミレアネイス様にございます。私は侍女のアンジェ・マルート。ロイス伯爵領まで送り届けて頂きたいのです」
 聞いたことがあるような。
「アギラさん、たしかロイスって神聖属性のとこよ。いったら不味いんじゃない?」
「ゲームとは違うだろ。それに送るだけだ。そこからは、またどこかに行けば問題ないんじゃないか」
「そうだね、目的もないし」
 こうして気を失ったマルガレーテお嬢様をユウが背負って、一行は歩き始めることになった。
 お嬢様が目を覚ますまでは、平穏な道のりだったと言える。
 夕暮れ時に目を覚ましたお嬢様は、盛大なパニックを起こした。我慢しそうにないユウをアギラがなだめて、お嬢様はアンジェがなだめた。
「知らぬこととはいえ、護衛を引き受けて下さったあなた方に失礼を致しました」
 焚き火を囲んで、落ち着いたお嬢様は貴族そのものの洗練された口調で言った。と、言っても本物の貴族など見るのは初めてなのだけれど。
「ま、いいけどね」
 ユウは答えて、兜を脱いだ。兜というよりは、バイザーつきの未来的なヘルメットなのだが、それは二人に驚きをもって迎えられた。
「に、人間だったのですか」
 アンジェが呆然と言う。あの戦いぶりを見ていたら、こういう形の悪魔だと思うのも無理は無い。
「うん、多分ね」
「俺は見た通りだ」
 狩りの風景を見ていた二人が神に祈っていたのは見ている。四本足にも二本足にもなれて触手を出す化物は人間には見えまい。
 イノシシに似た動物を焼きながら、ユウを含めた女三人が男にはついていけない跳び方をするよく分からない話で盛り上がっている。
「見回りをしてくる」
 この分だと、斬り殺すようなことはないだろう。顔つきも、監獄で暮らしていた時に戻っている。ハジュラの街では気負っていた所もあったのだろう。
 この辺りもまだ熱帯の空気だが、普通の木しかないし、妙な生物はいない。邪神神殿と比べると、平和すぎるくらいだ。
 耳を作り出して、音を聞く。この体の使い方は自然と理解できた。単一で生きていく生物に必要なものは全て持っている。
「捜せ」
 人の声だ。
 四足歩行で駆ける。
 なぜか、ユウに知らせようとは思わなかった。これ以上殺させるのはよくない気がした。それに、人の血を吸い上げるのも、『採食』するのも見られたくなかった。
 目を作り出す。それは、梟の瞳。夜目の効く瞳。
 総勢五人。見た目は狩人だが、手には狩りに使いそうにない武器を持っている。小ぶりのハンマーに槍。安全で、確実に殺す気の装備だ。
 先頭の男に飛び掛った。相手は最初狼とでも思っただろう。それでも、致命的だ。喉を食いちぎり、触手を伸ばす、二人目は脳をかき回されて悲鳴を上げる。
「ば、化物だっ」
「任せろ」
 まだ少年と言っていい声が聞こえた。
 本能的に、その気配に距離を取った。
 チリチリと、体の先端が焼け付くような感触。
「化物め、シアリス神の加護に震えるか」
 少年、見誤っていた。総勢六人、一人だけ気配がつかめなかった。その手に薄青く輝く剣を握った騎士である。
 神聖属性攻撃で200パーセントダメージ。ゲームの中では数字だったが、ここでは『あれに斬られると治らない』と本能が告げている。それと同時に、あれを滅ぼすべきものだと直感もできていた。
 神聖属性の騎士の肉を想像すると、意識に激しい快楽が走る。
「やる気か、化物め。みんなは目的を果たせ。あいつはぼくがやる」
「なめんなよぉ、ガキがぁっ」
「な、喋った」
 土を投げた。
 目に土が入ったのだろう、隙が出来た。こんなのは街のケンカでよくやった。大体は、逃げるふりをしてゴミを撒いてひるんだ所を殴りにいくのが常だったけれど、土というのも悪くない。
 あの剣さえなければ、こんな人間には負けない。剣を握る右手を触手で刺し貫く。篭手と鎧の隙間を貫かれた少年は、叫んで剣を取り落とした。
 体当たりで組み敷くと、その瞳を見つめる。
「やめろおっ」
「ハハハ、俺がそう言ってもやめないだろ」
 我慢できん、食おう。
 ふと、ゲームで最後のイベントになった、バルガリエル殺害を思い出した。彼はあの女騎士、クシナダ令嬢を殺さなかった。
「お前、なんで俺を殺そうとした」
「ぼくの仲間を殺しただろうっ」
「俺の仲間を殺そうとしていたからだ」
「ミレアネイス家は反逆者だ。その上、お前のような悪魔を使役しているっ」
 ああ、そういうことか。中立のハジュラに逃げていたのだな。
「お前は人質だ」
 頚動脈を締めると、簡単に意識が落ちた。柔道をやっていてよかった。
 どうやって引きずろうかと考えていると、血塗れのユウがやってきた。
「捜したよ、あ、ここで半分やってくれてたんだ」
「ああ、こいつが神聖属性の剣を持っててな、ちょっと手間取った」
「これだね」
 細身の片手剣は輝きをなくして転がっていた。ユウは何度か振ってから、首をかしげた。
「これさ、多分ゲームの剣だよ」
「どういうことだ」
 ユウはてきぱきと騎士の鎧を剥がして、傭兵の死体から拝借したロープで縛り上げると、肩にかついだ。
「うん、あたしの剣もゲームからのだけど、なんていうかここの剣とかと感触が違うの。刃こぼれもしないし、なんか雰囲気っていうかさ」
 アギラには『斬られたら治らない』という感覚が、ユウには『違った武器』として認識されるのかもしれない。
「この世界の武器でも、技能は可能だろ?」
「うん、だけど、分かるよ。これだけマーカーのついてる感じっていうのかな」
「そうか、……誰かの持ち物がこいつに流れたか」
「あっ、アレだって鍛冶モンク」
「ああ、なるほど」
 ヴァルチャー・オンラインでのアイテム精製職だ。カザミのようなポーションではなく、武器や防具である。鍛冶僧という名前だったが、モンク技能を持っているため鍛冶モンクと呼ばれることが多かった。
「あたしの属性だとこの剣は使えないし、正直レベル10クラスの剣だからいらないけど、こっちに来てる人の手がかりにはなるね」
「ま、こいつが持ってるってことは敵だろうけどな」
 ふと、口をついた。
「えー、でも鍛冶モンクって商売の人ばっかりじゃない。多分、そんな神様に捧げるようなつもりでやったんじゃないと思うよ」
 神聖属性に対する嫌悪から、見えなくなっていた。それもそうだ。それに、日本から来た者がこんな世界の野蛮な宗教になびくとは思えない。
「お嬢様たちは無事だったか?」
「うん、すぐ片付けたから。ザコ敵だったしね」
 ああ、ユウはこいつらを『ザコ敵』として殺して、我慢しているのだな。
「なあ、あんまり無理するなよ」
「うん、天国にはいけないね。でも、これが正しいんだよ」
 兜を外したままのユウは、頬についた血飛沫をそのままににっこりと笑った。彼女の二ヶ月は、闘技場の奴隷だった。きっと、一生消えないだろう。
「お爺ちゃんとかお婆ちゃんのしてた戦争ってこんな感じだったのかな」
「さあ、どうだろう」
 生きるために戦う。異形の体に依存しているアギラには、ユウの感じる汚れは理解できない。
「アギラさんさあ、人間だったら、わたし抱かれてたかも」
「アホだろお前」
「ちょ、ひどくない?」
 今、少しずつ理解できてきた。アギラはユウが必要になってきた、友達として、仲間として。今になって、二ヶ月一緒にいて、ようやく仲間だと思えた。多分、それはユウも同じだったのかもしれない。
 意気揚々と引き上げると、アンジェラとマルガレーテお嬢様は抱き合って、死体を見ないようにしている所だった。
「あ、こいつ人質」
 手首の傷はそのままだが、取り立てて命に関わる傷ではない。何かあったら困るということで、簡単に応急処置はしてある。化膿しなかったらなんとかなるだろう。
 縛り上げた騎士を乱暴に地面に降ろしたユウは、マルガレーテに詰め寄った。
「あのさあ、マルちゃん。こいつらアンタのこと殺しに来て、それで死んだのよ。ちゃんと見ないとダメ。だって、マルちゃんもこっち側なんだから、殺したって理解しないとだめだよ」
 最初、何を言われたか分からなかったのだろう。それから、少しの間があってから、マルガレーテは嗚咽を漏らした。
「な、お嬢様にこのような無頼のことなど」
「ダメだって。こいつら、そんなに弱い連中じゃなかったよ。次はもっとくるよ。人質は取ったけど、あんまり意味ないかもしれない」
 この世界にくる前も、この少女は強かったのだろう。冷静だ。
「強いな、ユウちゃんは」
「ストリート系だったもん」
「俺のころはチーマーとかが流行ってたな」
「アハハ、オッサンだね」
 今時はギャングだったはずだ。
「こいつら馬で来てると思うんだが、馬は乗れるか? ああ、俺は無理だぞ」
 ちらりと三人を見ると、アンジェラは大丈夫なようだ。
「当然あたしも無理。彼は騎士だからいいだろうけど、うん、あたしがこの坊ちゃんの後ろに乗るから、アギラさんは犬で走ってよ」
「多分、それが一番だな。途中で馬車があったらジャックするか」
「話あうなぁ、あたしもそれ考えてた」
 気がついた騎士は喚いたが、視線を向けた方向があったのでその辺りを捜すと馬が見つかった。アンジェラは馬にも慣れているようで、走りも速い。
 街道に出たのは夜明け前。目当ての馬車は見つかり、金を渡してジャックした。殺すのが一番なのだろうが、ユウも口を出さなかった。
 馬車を森の近くに止めて数時間の仮眠の後で、アンジェラの手で馬車が走り出す。
 街道を素直に行くというの正解だったらしく、特にトラブルもなく進んでいく。マントをつけて兜を外したユウも御者の手ほどきを受けて昼間は走らせることになった。
 体力という意味で、寝ずに走らせるのはキツかったが、真夜中はアギラが御者をしたり、馬にも慣れ始めたころには、ロイス伯爵領も目前に迫っていた。
 アンジェラが御者をして、幌馬車の中には転がされたままの騎士とお嬢様、ユウ、アギラでたわいもない話をしている。
「騎士さま、わたくしは人間です。信じられないのですか?」
 お嬢様は、このように、騎士に語りかけるが、騎士は返事をしない。ちゃんと傷も手当てしてやっているというのに酷いガキだ。
「ぼくは、お前たちの敵だぞ」
 唐突に、騎士が言った。
「あのさあ、坊ちゃん。人質に取ってるのよ。それに、マルガレーテお嬢様のさじ加減で決まるんだし、無茶言わない方がいいよ」
「違う、お前たちが聞くほどの悪人ではないというのには気づいた。しかし、僕はシアリス正教騎士の一人として、ミレアネイス家には賛同できない」
「お父様は道を誤りました。負けた者が言葉を持たぬのは貴族の常でしょう」
 お嬢様も随分と言う。
「ぼくを殺せ。生き恥はさらしたくない」
「その前に、剣を作ったヤツのことを教えろ。俺たちに関わりのある者かもしれない」
「任務にあたって配備されたものだ。詳しくは知らないが、奇跡を行う旅の僧が神より賜ったと聞いてはいる」
「それはどこの話だ」
「シアリス教国だ」
 敵地のど真ん中、ということになる。ユウも外見とこの行動では行けそうにない場所だ。
「今回は無理っぽいね。多分、あたしもそこに行くまでに悪魔にされちゃいそう」
「ま、俺は無理だな」
 押し黙っていたお嬢様が口を開く。
「アギラさま、ユウさま、今までありがとうございます。お二方がいてくれなかったら、ここまでたどり着くことはできなかったでしょう」
「馬車を乗っ取ったのはあたしたちだし、そんなこと言う必要はないよ」
「いえ、お助け頂いたのは事実ですわ。よければ、わたくしと共に来られませんか。ロイス伯爵領は未だ妖精族の住まう土地です。きっと、あなた方も」
 苦笑を浮かべてユウはアギラと視線を交わした。
「アギラさん、あたしは少し休むのはいいと思うけど、次は北東のガザの都に行きたいんだけど、どう?」
 ガザの都、機械の大国、古代文明の恩恵による機人の住まう土地。ゲームではそうだったが、現実はどうなのだろう。
「いけませんわ、あの国は内戦が起こっております。何かお礼がしたいのです、ロイス伯爵ならば、あなた方を」
「お礼はもらうけど、そこからは自分で決めるよ。お嬢様、お仕事で守ったの。あたしもアギラさんも、基本は非道なんだからさ」
「おいおい、俺はいつも大人しいだろ」
「そう? 結構ひどいと思うけど」
 マルガレーテお嬢様は力なく微笑んで、頷いた。
「狂戦士、お前たちは何者なんだ?」
 騎士は、年若い少年は気づいていた。アギラとユウが、マルガレーテのために離れようとしているのを。自身のためでもあるが、そこにあるのは彼らが乱を呼ぶ者だという自覚だ。使役された者はそんなことはしない。
「坊ちゃん、俺たちは見た通りだ。お前を殺さなかったのも気まぐれだ。それに、お前らの権力闘争にも興味はない」
 彼らは気づいていない。
 ハジュラのホドリ監獄からの脱獄の持つ意味を。西の大国レミンディアの反逆者を助けたことを。レミンディアは宰相によって乗っ取られた古い歴史を持つ大国である。ミレアネイス家は、忠臣として名高い侯爵家だ。
 ユウの助けたクシナダ侯爵令嬢、彼女こそ宰相に味方した逆臣クシナダ侯爵の長女である。そして、その婚約者はレミンディア国第四王子、王を討ち、玉座に登らされることになる傀儡であった。
「ロイス伯爵領に入りましたよ、お嬢様っ」
 アンジェラの明るい声が響いた。



[1501] Re[4]:ヴァルチャー
Name: ポンチ◆ebd5b07d ID:440294e0
Date: 2007/09/26 23:32
 ロイス伯爵領は、牧草地と農林地で構成されたヨーロッパの片田舎のような土地である。
 住民は総じて豊かで、今までの街道にひしめいていた悪徳や猥雑さは感じられない。領主のロイス伯の評判も良いらしい。
 もしも、運命があるとしたら、これは必然だったのかもしれない。






第五話 分かってるさ






 ロイス伯の砦に通された後、お嬢様とアンジェラはロイス伯との歓談。ユウとアギラは十人以上の騎士に囲まれて待ちぼうけだ。
「やっぱり逃げとくべきだったんじゃない?」
「やるならもうやってるだろ。それに、ユウなら余裕だろ」
「んー、そうにもいかないかな」
 目線を向けているのは、取囲む騎士たちの背後。かなり離れているが、二人の豪勢な鎧を着装した男だ。
「手間取るかな。闘技場にいた連中より強いかも」
「優勝したんだろ?」
「タイマンならね、負けないけどさ。多分、これだけいたらヤバい」
 カザミから貰ったポーションはあるが、首を斬られたらどうにもならない。それに、元々狂戦士は攻撃をほとんど回避するというタイプだ。回避できない状況を作られると、途端に弱くなる。
「ゲームだとボスに有効だったけど、ここだとザコに有効みたい」
 実戦慣れした多数との戦いは、狂戦士には向かない。特に、跳びぬけた力を持つ者が多数でくると、勝てない。
「逃げるか。今ならザコだけで済むぞ」
 と、アギラが言った時、騎士の一人が一歩踏み出した。ユウが神速で剣の柄を握った。
「魔のお二人、我ら雷鳥の騎士団をザコとはどういうおつもりかっ」
 魔とは恐れ入る。しかし、大声でザコと連発したのは確かによくない。
「あー、こっちのことだから気にしないで。別にあなたたちのことを言った訳じゃないし」
「今更、ここまでコケにされては騎士の名折れである。お相手して頂きたい」
 騎士は、全身にまとった鎧に両手持ちの剣を握っていた。大層な筋力を持っているはずだ。
「ユウ、よせよ」
「でも、止まってくれそうにないし。あのー、木刀とかないの?」
 ユウの言葉がわざとだし気づくのに少し時間がかかった。どういうつもりだろう。わざと挑発して、不利になる要素しかないというのに。
「問答無用」
 じり、と剣を抜いた騎士がにじり寄った。
「雷鳥の騎士団が一人、ガファル・クーリウ」
「ユウです。どうぞよろしく」
 ユウが背中と腰の四本から、両手に二本を取った。今までよく見ていなかったが、ゲーム中最高に近いレアリティの『骨の剣』『ブレインイーター』である。骨の剣は重さのほとんどない攻撃回数の増える剣で、ブレインイーターは相手にステータスダウンを引き起こす装備だ。
 取囲む騎士たちが一斉に足踏みをして、何事か叫び始める。
『臆病者は剣の餌に、勝者は血の美酒を』
 歌のようにつむがれる大音響。
 大剣の一撃を回避したユウは、ガファルの股をくぐって背後に回りこむ。その直後、ガファルから放たれた蹴りにユウは宙を舞った。
 当たったかのように見えているが、ユウは蹴り足を支柱にして跳んだにすぎない。着地と同時に斬りこむ。
 ガファルの懐に入り込んだユウは、ガファルの鼻先に右手の剣を突きつけ、左手の剣は体験をにぎる両手の交差する所で止められている。
 歌が止んだ。
「負けだ。好きにしろ」
「そんなことしたら、あの怖い人が来るでしょ。それに、わざわざ敵にはならないよ」
 先に剣を落としたのはガファルだった。
 騎士たちは静まり返っている。
 アギラに近づいたユウは、他者には聞こえないように囁いた。
「あいつらの強さだったら、多分逃げられない。逃げても半分くらい死ぬ」
 それは、ユウが半分死ぬ、ということだ。
 睨みあい、というほどではないが、沈黙が場を支配した。
「いやはや、なかなかの見物だった。ガファルは三番目に腕の立つ男なんだがね」
 イベントを発生させた状況だ。ゲームと違って、安心できない。一寸先は闇。
 金髪にハンサムに豪華な鎧。それだけでそれなりに地位のある男だと見当がついた。
「ユウは我々の仲間の中でも相当の腕だ」
 アギラが、ユウが何か言う前に言った。これ以上、戦闘イベントは起こしたくない。殺すにしろ殺さないにしろ、良いことは何一つ無い。
「私は雷鳥の騎士団団長のジュリアン・イーグ・オーウエン。お相手願えるかね」
「残念だが、報酬を頂いたらどこかへ消える身の上だ。やめておこう」
「キミではなく、そちらのお嬢さんに聞いているのだがね」
 挑発に乗るなよ。
「あ、お嬢さんって言われたことないから、ちょっと嬉しいかも」
 ユウも気づいてくれたのか、誘いには乗るつもりはないようだ。
 空をぐるりと旋回する鳥の鳴き声が響いた。
「ま、そういうことだ。俺たちは、たまたまここに来ただけだ。すぐに立ち去る。金にならないことはやらんよ。特に、負ける可能性のあるヤツとはな」
 こっちにはプライドなんてものは無い。弱いことを認めた上で逃げているのだ、そろそろ勘弁しろ。
 ジュリアン団長は、肩をすくめて笑むと、背を向けた。
「ガファルの非礼は詫びよう。もうしばらくしたら、ロイス伯より返事もあるだろう」
 背を向けたまま言うようなことかよ。
「ヤバかったね、多分、彼に勝ってたらみんなで襲い掛かってきたよ」
 囁いたユウはふっと小さく息を吐き出していた。
 馴染んできている。恐怖感が薄れて、この世界に馴染んできた。半年で、自分があまりにも変化しているのに気づく。
 ユウはどう思っているのだろう。アギラは不思議で仕方ない。ここでの暮らしは確かに厳しい。だが、それだけでこの状況をどうして冷静に処理できる。この体のせいだろうか。
 アギラ、ユウ、二人とも人間とは言えない。アギラはそのままの意味で、ユウは人になしえない力を持つ。そして、ゲームの中の力。肉体が変われば心も変わるのかもしれない。
「ここに来たのは間違いだったかな」
 アギラのつぶやきに、ユウは小さく笑った。
「今更ってヤツでしょ。アギラさんは、変に人間にこだわってるからさあ。あたしは、最初から反対だったわよ?」
「今更だな、責めるなよ」
「分かってる。別にいいよ、一人じゃここにくるまでに自棄になってたと思うし」
 変な会話だな、と話している本人たちが思っていると、砦の奥から執事らしき初老の男が小姓を連れてやってきた。
「アギラ様、ユウ様、私はロイス伯の元で財務官をしておりますシキザと申します。こちらが、今回の報酬ということで」
「ありがと」
 ユウは差し出された皮袋を受け取って、中身を手に取る。
「貴金属の詰め合わせか。いいんじゃないか」
「そうだね。それじゃあ、ここからはすぐに出ていくから、安心してね」
 襲い掛かってくるだろうか。
 回れ右で砦の門に向かう。堀のある跳ね橋付きで、開けてくれない場合は全力で皆殺しを始めることになる。
「お待ちください。ロイス伯がお会いになります」
 シキザの言葉に、騎士たちも騒然となった。
「仕方ない」
 ユウは何も言わない。
 武器の預かりを断固として拒否したユウは、兜も外さず通されることになった。取り押さえる自信があるのか、それともよほどの大物なのか。
 返り血で汚れている鎧を井戸水で洗い、シキザの案内で砦の内部へ通される。
 今までは入り口、戦の場においては敵を迎え討つための広場にいたのだが、内部も戦を意識したちゃんとした砦である。ユウもアギラも、そのような知識が勝手に出てきたことを自然に受け止めていた。
 入り組んだ通路を抜けると、豪奢な謁見用のホールに通された。床は大理石、そこかしこに飾られたピカピカの鎧。嫌味にならない金持ちさだ。
 しばらく待たされていると、礼装の大柄な中年男と、ドレスに着替えたマルガレーテお嬢様がやってきた。荘厳な音楽がさぞ似あうことだろうが、残念なことに楽師はいなかった。
「俺が領主のゲイル・ロイス伯だ。マルガレーテ嬢の護衛はご苦労だった」
 灰色の髪と青い瞳の大男は、豪快に日焼けしていて、伯、というのがいかにも似合わない。それ以上に、どこの武人かと思うほどの見事な肉体である。
「狂戦士のユウです。お褒めに預かり恐縮です」
「異形のアギラ、ご機嫌麗しゅう」
 儀礼を知らない適当な挨拶は、恐らく凄まじい侮辱なのだが、ロイス伯は気に留めた様子もなく笑んでいる。
「宴をやろうかとも思ったが、ここに嬢がいるのは極秘でな。そうもできんのだ、ハハハ」
「護衛の仕事は果たしました」
 アギラの言葉に、ロイス伯は顎鬚を撫でて「むう」と唸った。
「喋る異形なんてのは初めて見たが、最近はそうなのか」
「いえ、俺だけでしょう」
 ユウは低く笑っている。伯爵は大物だ。人物眼に自信はないが、この態度からはそう思えた。
「それはそうと、うちのガファルを倒したらしいが、それを見込んで頼みたいことがあってなあ」
「直球ですね」とユウ。
「別に玉は投げてねーけどな」
 この世界では通じない言い回しのようだ。ユウもヘヘヘと笑っている。どこか通じるものがあったようだ。一方のアギラは、やめとけばよかった、と後悔していた。
「どうだ受けるか?」
「どうせ、受けなかったらみんなでぶっ殺しに来るんでしょ。そっちの財務官のおじさんも、かなり強いよね」
 にこやかに答えたユウの指先は、ピアノを弾くかのように蠢いている。
「まあ、こういうのも伯爵の仕事でな。どっちみち、受けるフリされたらそこまでの話だ」
「信用してるってこと?」
「いいや、素性の知れないどころか、化物に頼まないといけないくらいに追い詰められてんのさ」
 よく言う。伯爵閣下は、失敗した時のことも考えているはずだ。
「ユウ、いいのか?」
「飲むしかないでしょ。それに、多分この人は簡単には売らないと思う」
「伯爵閣下、我々を売る時は地の果てまで追い詰めますぞ」
 芝居だが、精一杯やってみた。それに、ユウは確実にそうする。
「南に馬で三週間、クシナダ侯爵家の所有するバロイ砦に捕らえられている第一王子を助け出してくれ。手段は問わん。お前らの仲間でも何でも使っていい。砦にはクシナダ家の腰巾着の代官クチナワがいる。そいつもぶっ殺せ」
「たった二人で砦を落としてこいって?」
「ああ、最悪王子だけでもいい。暗殺者ギルドと傭兵を雇うだけの金は用意してある。同行するのはシキザとガファル、それから何人か慣れたヤツをつける」
 なかなか面白い話だ。元々、その面子で山賊か何かのフリをして襲うつもりだったのだろう。そこに、のこのこやって来たのがアギラとユウ、渡りに船、とはいかないがそれなりの賭けであるのは間違いない。
「それともう一つ、多分、お前らと同じくらいの強さのヤツが守りを固めてる。旅の冒険者だとか名乗ってる変わり者らしいが、一人で騎士団と渡り合う化物だ。両手持ちの人間が使うとは思えない戦槌を使うそうだぜ」
 人間であったころなら震えていただろう。ユウも指の動きが止まっている。
「アギラさん、やろう。なんか、ちょっとは気づいてたんだけど、こんな感じで敵になっちゃうのは気づいてた」
「ユウ、……俺は反対だ」
「ダメだよ、みんな多分どこかに着く。だったら、覚悟しなきゃ」
 ユウは本気だ。今までも何度か話したことではある。どこかの権力者に取り付くのが一番安全な道だと。こんな複雑な内輪もめをしている所に着く気はなかったのだが、彼女が言うなら仕方ない。レベル45はプレイヤーとしてもトップだ。
「分かった、やろう」
「ハハハ、引き受けてくれてよかったぜ。マルガレーテの恩人とはやりたくなかったからな」
 よく言うぜ。






 マルガレーテお嬢様に幾度もお礼を言われて、シアリスとは違う神様の祈りを聞かされて、それなりに豪華な食事をとって、監視つきの客室に今はいる。
 鎧を脱いで、貴族風呂からあがったユウは、裸にガウン一枚で天蓋つきのベッドに腰掛けていた。
「リラックスしてるな」
「久しぶりのお風呂だったしね。女の子はそういうの気にするんだから」
「変なことになっちまったな」
 扇子に似たもので胸元に風を送るユウは、答えずに窓を開けた。空には星、月は日本と同じだが、星座は全く違う。
「綺麗だねー。こんなに綺麗な空なのに、地面は血とかでどろどろだね」
「日本だって似たようなもんだろ。報道されないだけで、サイッテーなのは隠れていっぱいあった」
「だよねぇ。ここの方が分かりやすいかも」
「そういえば、ユウの顔は本物か」
「あ、ああ、そっか、アギラさんその体だから知らないのね。うん、顔と体型はそのままだよ。モデル体型でしょ」
「うーん、まあ、いいんじゃないか」
「なによそれ」
 少し笑いあった。明るくしようと努めている訳ではないが、ユウの会話はいつも冗談混じりだ。相手に踏み込まない、傷つかない距離の会話。だけれど、お嬢様の護衛をしてから少しずつ、踏み込んでいる。
「アギラさん、あたしたちは仲間、いいよね」
「ああ、こんなクソッタレな世界だけどな、ユウと俺は仲間だ」
 言葉にして、裏切らない約束。
「……思いっきり裸なんだけど、なんかしないの?」
「この体になってから、そういうのは無いな。単一種っぽいし、多分メスもオスもないと思うぞ」
「触手プレイとかになると思ってたんだけど、ま、でもその方がいいかも。男とか女とか、なんかそういうのじゃない関係って初めてだし、友達よりは仲間かな」
「ああ、敵も強烈そうだしな」
「うん、大丈夫だよ。ゲームじゃないのも分かってる。あたしは、いつでもやれる」
「分かってるさ」
 残酷な世界で、勇者にはなれそうにない。臆病で狡猾で非道で、それでも明日が続くから、こうしている。




 シキザとガファル、それに忍者のような連中たちとの旅が始まった。
 三週間の旅は、ガファルがユウに稽古をせがむ所から始まった。ユウは快く受けてやり、初日はボロボロにされたガファルが、ヘルメットを外したユウに仰天する所から始まった。
 途中までは一緒だった忍者たちは先行して砦へ向かい、四人連れでの旅になった。
 アギラは主にシキザと話をすることが多くなっていた。
「ほう、では、潜入ではなく正面から行くというのですか?」
「ああ、俺たちは囮になる。途中で傭兵か山賊でも雇うが、王子様を助けるとか難しいことはあんたたちがやった方がいい」
「ふむ、確かに、その方がよいかもしれませんが、総勢七十名の青蛇の騎士団は弱くはありませんよ」
「俺が二十、ユウが三十倒す。あとは傭兵に任せるが、砦を攻めるのは初めてだ。囮と考えてくれた方がいい」
「大胆ですな。しかし、それでは傭兵が集まりませんよ」
「……それがあるか」
 シキザは、銀色の、生まれつき銀色の髪を撫でて、『はい』と答えた。
 忍者たちがならず者と暗殺者、傭兵を集めるとのことだが、それでも二十集まればよいところらしい。潜入に全力を込める、というのが確実な作戦だ。しかし、シキザは守りを固める冒険者のことを知らない。知っていたとして、ユウの戦いを直に見ていないと信じられまい。
 隠密に行動するため、二つほど前の宿場から、人のほとんど通らない山道を行くことになった。街道ができる前に、現地の猟師が使っていたという危険な道だ。
 蜥蜴山脈と呼ばれる一帯は、古来より亜人の住む土地であり、人間が生きるには難しい土地である。山を迂回する街道が整備されたのも、この山を越えるのを歴代の王が諦めたからに他ならない。
 キャンプの準備をしている時に、それは起こった。
 鉄と鉄のぶつかる音、それは戦いの音だ。
 ユウとアギラが駆け出す。山道を跳ねるようにして掻けるのは人間業ではない。ユウとアバラは邪神神殿の森でこの走り方を会得していた。これができないと、あの森では囲まれる。ユウは実戦で、アギラはバルガリエルから、それを教わっていた。
 走る二人の背中を身ながら、ガファルは「本格的に化物だな」とつぶやいていた。少女の形をした狂戦士と、異形。
「……不思議ですな、彼らはあれだけ血に飢えているというのに、高い知性と落ち着きのある性格をしています。何者なのでしょうか」
「さあ、味方だってことしか分からねぇ」
 今は、まだ。シキザは内心でため息を吐いた。考えていたよりも大きな賭けになりそうだ。




 蜥蜴人間、リザードマンのレド・ギは、荒い息をついて目前に迫る竜を見据えた。翼を持ち、何年かに一度やってくる竜の幼生は山にあるものを食い尽くす。その度に、飢えに苦しみ人間の住処へ略奪を行う必要に迫られる。
 リザードマンは、一部の国家を除いて人としては扱われない。人間に捕まれば奴隷にされるかくびり殺される。竜さえいなければ、数で勝る人間の住処などへ行かなくてもすむのだ。遠く南には、亜人の治める国があると聞く。それは、遠い夢でしかない。
 幼生の竜に知性は無い。蛇に羽のついた化物だ。山の全てを奪う化物、それは一部の人間の信仰するものとはまるで違っている。
「ここまで、か」
 リザードマンの集落、その中でも一番の戦士としての自覚はあったが、竜に挑むのは無謀だった。毒の息を吐きだし、大木をへし折り素早い竜を殲滅するのは無理があった。今年の竜は五匹、一匹は罠にかけて倒したが、残り四匹は倒せそうにない。
 村の者たちは、犠牲を出して略奪は行えても、竜を倒すことは諦めていた。
 蜥蜴山脈には、幾多の種族がいる。妖精族との盟約により、彼らは肥沃な大地から退けられたのだ。
 知性は人間と変わらないリザードマンは人間との交易を行うが、それ以外の種族、ガロル・オンと呼ばれる甲虫種族や、ゴブリンたち、保守的で人との接触を避けている。山は竜に蹂躙されるがままだ。
 槍を構えたまま、竜に向かうレドは深い絶望を感じていた。妖精により押し込められたここで一生を終えるのも、納得がいかない。
「終わり、だな」
 言葉にすると、絶望がより染み渡った。
「レッサードラゴンか、やるぞ」
「オッケー」
 その声が聞こえた次の瞬間、レドを今にも噛み殺さんとしていた竜の羽が切り落とされ、その額に何本もの黒い触手が突き刺さっていた。
 竜の叫びに、他の竜が集まってくる。
 黒い鎧の戦士は、跳ねるようにして竜に突っ込むと、倍はあろうかという竜の巨体を殴りつけ、もう一匹の邪神の使徒たるイーティングホラーが、触手で止めを刺していく。
 河の神に祈るのも忘れてレドは、その力を目の当たりにしていた。伝説にある戦士の、ありえない御伽噺がここに再現されていた。
「動きが大したことないな。これだとレベル25くらいの相手だろ」
「レッサードラゴンってそんなもんだったっけ?」
 死体採食、生命を吸い取ることで疲労を回復していくアギラは、竜はイマイチだな、と思っていたが、レドに気づいた。
「リザードマン、大丈夫か?」
「よ、寄るな」
「アハハ、アギラさんっていつもそういうキャラだよね」
「うるせーよ」
 気の抜けたやり取りの二人に、レドは混乱する。これは何者なのか、助かったのは確かだが、この化物はなんなのだろうか。
「ま、結果的には助けることになったけど、どうせあたしたちはここ通るから、それでやっただけ。だから、別に気にしないでいいよ」
「ま、そういうことだ。リザードマンと揉めるつもりはない」
「待ってくれ、竜を、あんたらは」
 レドは自分が何を言おうとしているか分からなかった。
「じゃあね、ここで会ったことは秘密にしといて」
 去っていく。
 彼らの後姿を眺めながら、レドは乾いた笑いを漏らしていた。
 ここで何かがある。あれは、ここで何かをするつもりだ。山はどんな影響を受ける、止められるはずがない。
 痛む体を起こして、村へと急ぐ。
 これを山に知らせないといけない。竜の脅威、山の麓で増殖を続ける人間の砦、そんなものが霞む変化が訪れるはずだ。




 危険な生物と幾度か戦うことはあったが、無事に一行は歩を進めていた。
 街道を先に行き、工作を進めている忍者たちに合流するころには、すぐにでも作戦を始められる手はずになっている。上手くいけばの話だ。
 合流地点で聞かされた報告は、絶望的なものだった。
 傭兵や山賊の類は、守りを固め重戦士に恐れをなして依頼を断ってきたのだという。
 作戦は頓挫した。
「シキザさん、どうするよ」
「どうしようもありませんね、撤退しましょう。王子は来月には王都へ送られて隠退を余儀なくされるでしょうし、見切り時ですかね」
 忍者たちの前で堂々と敗北を語るシキザに、ガファルが詰め寄るが、作戦が破綻したことに変わりはない。
「参考に聞きたいんだけど、その重戦士ってどんな力なのよ」
 忍者の一人がユウに答えた。
 大木をへし折り、大人五人分の重さの見たこともない鉄の鎧を着込み、その両手に持つ戦槌からは、炎が迸る。実際に目の当たりにして、その脅威は事実である、とのことだ。さらに、見たこともない一瞬で傷をふさいでしまう回復魔法まで使うという。
「ウオハンに重装で回復ってなったら、神聖僧兵かなあ」
「ああ、また相性最悪だぞ」
 推定するに、敵も廃プレイヤーだ。レベルは30以上と見ていい。僧兵が回復魔法を使うのは30からだ。
「二人がかりなら、多分いけるけど、殴り合いじゃヤバいかな。それに騎士団までいたら、無理無理、絶対無理」
 シキザはため息をついて、もう一つの事実を語った。
「どうにも、その重戦士のおかげで、近くの亜人を駆逐して砦の増強も行っているようです。当初の予定は通用しませんな」
「シキザさん、あんたも忍者だろ。忍び込むのは無理なのか」
「無理ですな。我々のような細作は、どこの砦にも配備されています。腕利きを集めたのですが、あれだけ規模が大きく王子までいるのでしたら、数の上で太刀打ちできません」
 引き返す他にあるまい。だが、これがラストチャンス。王子の移動には、王都の竜王騎士団とシアリス正教騎士団がつく。そうなれば、ロイス伯の手勢では如何ともし難い。
 ガファルは悪態をついて、近くの木を蹴った。
「動くな」
 突如として、幾多の気配が蠢いた。ユウとアギラにも気取らせず、彼らは突然に現れて、包囲したのである。
 無数の弓が向けられている。
「先日は世話になった。俺はリザードマンのレド・ギ。話がある。ついてきてくれ」
 アギラとユウは顔を見合わせて、どうするか思案した。
 弓を持つ者たちは、かぶと虫と人をかけあわせたような連中だ。土塗れということは、地中を這ってきたのだろう。二人なら逃げられるが、シキザたちだけでは圧倒的に不利だ。
「ふむ、良い返事しかできない状況ですな」
 ユウはいつでもやれると合図してきたが、リザードマンは武装しているが、どうにもまごついている。
「すまん、あんたらに勝てる気はしない。だが、頼む。あんたらの事情は、妖精族から聞いている。頼む、話だけだ」
 槍を捨てたのはレドだけだが、その必死さは伝わった。
「行くか、ここにいても事態は好転しない」
「ふむ、この状況ですし、責任はアギラ殿が取ってくれるようですし」
 勝手に言ったシキザによって、忍者たちも武器を納める。そして、ユウが柄から手を放したことで、ガファルも大剣を鞘に戻した。
「イベント発生だね」
「ユウ殿、たまにあなたたちはいべんととかむーびーとかいうが、どういう意味なのだ?」
 ガファルは怪訝な顔だ。彼も、大役を命ぜられる騎士だ。肝が据わっている。
「あー、ええと、魔界語、かな?」
「無茶言うなよ」
「ということで、そちらに着いていきましょう」
 シキザが執り成して、レドは安堵した。
 バロイ砦攻略戦はここから始まる。



[1501] Re[5]:ヴァルチャー
Name: ポンチ◆ebd5b07d ID:440294e0
Date: 2007/09/27 18:55
 蜥蜴山脈は、亜熱帯の気候と山の奥深くより発生する瘴気により、多少まともではなくなった一帯だ。
 毒を持つ生き物が無数に存在し、危険な亜人も多く住む。
 レミンディア国が成立する以前、亜人と人は今よりも友好的な関係だった。シアリス正教の教義が変化するにつれ、人と亜人の溝は深くなった。






第六話 悪役だよね、あたしたちって






 獣道をさらに外れた道を行くこと四時間。
 山の奥深く、リザードマンの集落まで案内された一行は、人間にも食べられるものでもてなしを受けていた。
 イーティングホラー、アギラのために生きた猪が用意されていた、血を吸い取るのを見せると、何故かリザードマンから歓声が上がる。
 アギラを除いた全員、近くの河で水浴びをしてから食事となった。
 夜が更けていくにつれ、続々と亜人たちが集まってくる。
 最近では見かけなくなったゴブリン、ガロル・オンと呼ばれる人型昆虫亜人、蛙亜人のスレル、邪妖精の一族、一般的に友好的とは言えない自然界の脅威が一同に会している。
 レドの案内で、一行は中心に座ることになった。
「あなた方を招待したのは、他でもない、あのバロル砦とシアリス正教、それから化物についての話があったからだ」
 アギラとユウは、化物、というのが自分たちを含めたヴァルチャー・オンラインの力だということにすぐに気づいた。
 ガロル・オンの代表者、カブトムシ人間のショウが口を開く。
「我らの殻をヒトが求めるのは今までもなかったことではない。だが、あの重戦士が現れてから、人間共は我らを滅ぼさんとしている。硫黄の匂いと共に鉄を吐き出す忌まわしい呪いの棒で、我らの仲間が十殺された」
「ヘヘヘ、ムシ野朗は馬鹿だな。ありゃあガザの都で機人の使う銃ってヤツさ。道具さえありゃあ俺たちでも作ってみせらあ」
 ゴブリンの族長、トレルは緑色の鷲鼻をトントンと叩いて、挑発する。
「よさんか馬鹿者が。我ら山の民は一丸となる時ぞ。我らスレルも、山の賢者ではいられぬ。狂戦士に人の言葉を操る優しき異形よ、お前たちのような力を持つ者が現れるのは実に三百年ぶりのこと。あの時、我は幼かったが、お前たちがもたらした新たな知恵によりネルガドゥ帝国を追い払った。また、力を貸してもらいたい」
 スレルの族長、巨大な蛙のジ・クの言葉に、ユウが素早く反応した。
「ちょっと、三百年前にあたしたちみたいなのがいたっていうの」
「御伽噺だと思ってたが、蛙のジジイは嘘はつかねぇ」と、ゴブリンのトレルが口を挟む。
「うむ、自らをニホンジンと名乗り、時の王に助成した。その力は凄まじく、一人で騎士団と同等の力を持っておった。我らはレミンディアの王と妖精王に助力して、東の海よりやってきたネルカドゥ皇帝の放った兵士と戦ったのだ」
 焚き火の爆ぜる音がやけに大きく響いた。
「バロイ砦が増強されただけで、協力して頂けるというのは少し良すぎる話ですなあ」
 シキザはいつものように髪を直しながら、どこかのんびりとした口調で言った。
「我らスレルは、妖精族との交信でそちらの事情を知っておる。邪神の使徒とガザの者たちとも繋がりを持っていると言えば分かろう。蜥蜴山脈の地形は長きに渡って人間共の争いの障害であった。それは理解しておろう」
 蜥蜴山脈がなければ、レミンディアは四方より攻め入られていただろう。そして、ハジュラとガザも、どこかの侵略を受けていたはずだ。この難攻不落の山々が、戦争を小さなものにしていた。
「なるほど、シアリス正教でございますな。こちらの放った細作は全て還らず、不穏な空気ありとは思っていましたが」
「あの重戦士と同じ力を持つ者を従えた正教騎士団は、銃の開発を進めておる。邪神の信徒にガザは、彼らの工作に頭を悩ませ、ここを通る者たちの情報を邪妖精と我らスレルに求めたのだ。このままでは、我らは百年と待たずにシアリスの悪魔共に滅ぼされるだろう」
 山の民のいくつかは、何を馬鹿なことを、と思っているかもしれない。しかし、アギラとユウはよく理解している。
 銃と、多少の化学的な知識で、蜥蜴山脈を攻略することは可能だ。トンネルを掘ることも、やろうと思えば蒸気機関を作ることも可能だ。高卒のアギラには無理だが、どこかの大学生が数人いれば無理な話ではない。単純な知識だけでも、手探りではなく、何をすべきか分かっていれば、この世界の学者たちで充分に対応できる。
「バロイ砦の攻略と王子の身柄を無事救出できた暁には、蜥蜴山脈とバロイ砦は我々山の民にお譲り頂きたい。ロイス伯とは友好的に接すると約束しよう」
 シキザは、スレルの賢者ジ・クの提案に言葉を失った。
「な、そのような無法を突きつけられるか」
 と、驚いたふりをしているシキザだが、即答できないだけだ。時間稼ぎである。
「キャハハハ、オッサンの時間稼ぎだよ。ジ・ク、騙されるなよ」
 ふわりと飛んできた邪妖精が耳障りな笑い声を発した。蛾の羽を持った妖精だ。
「使いを出すなら、我らで送り届けよう。我ら山の民であれば、二週間で戻れる」
 ラストチャンス。元より、バロイ砦は敵であるクシナダ侯爵の持ち物だ。戦の世であれば進軍を阻む砦だったが、今現在は街道を通る隊商から税をむしるためのものだ。敵方を肥えさせるだけの厄介なものにすぎない。
 最初から、この砦は頭痛の種であり、常に警戒すべき敵地である。ならば、捨ててしまうのが得策。だが、間諜、細作のシキザはそう考えても、ロイス伯はどう思うか。このことが露見すれば、ロイス伯は魔の洗礼を受けたとして処断される可能性もある。
「我々がバロイ砦を襲ったことにすればよいであろう、な」
 ジ・クの見透かしたセリフに、山の民の頭脳であるとスレルと邪妖精は、ガザと邪神の信徒に深く通じていることが理解できる。ハジュラやガザに潜む邪神の信徒は、山を通って行き来しているという噂は、以前からあった。
「ロイス伯へ書状を送ります。私の部下を二人、二週間で戻らせて下さい。ロイス伯ならば、どのような決定にしろ即断されます」
 忍者の一人が、紙と筆を取り出した。
「貴君らが断った所で、我らはこれ以外に方法がない。狂戦士に異形よ、助力を頼めるか」
 ユウの視線に、シキザは首を振った。好きにしろということだろう。
「んー、やりたいとこだけど、ロイス伯爵を裏切るのはダメだわ。恩はないけど、受けちゃったからには、伯爵に従う」
 意外な言葉だった。アギラも動揺する。しかし、ユウは全くの平静。結論は変えないだろう。
「俺も、そのつもりだ」
 邪妖精やスレル、ゴブリンは面白くなさそうだったが、友好的なまま宴の幕は閉じた。
 蜥蜴山脈の伝説の始まった日でもある。




 軟禁生活が待っていると思っていた一行だったが、書状を運ぶ忍者たちが去って以来、リザードマンの集落で狩りの手伝いや剣の稽古にあけくれていた。
 自由すぎる生活で武器もとりあげられない。シキザは、素性を隠す気はなくしたらしく、それにロイス伯がどう決断するかも予想しているようで、棒手裏剣の稽古に余念が無い。
 ガファルはリザードマンとガロル・オンたちと剣の稽古に明け暮れていた。
「まだまだ、もう一本」
 ガファルは、ガロル・オンの剣士と対峙している。
 ガロル・オンは甲虫だが、その両手には彼らの殻から作られた鋭い刀を持ち、羽を使って飛びながらの剣技に、ガファルはいたく執心だ。
「人間の剣士、ガファル、いくぞ」
 大剣と刀、力は鍛え上げたガファルが上だが、総合的な能力では、空を飛べるガロル・オンの剣士に分がある。
「ガロル・オンって強いね。ゲームじゃいなかったけど、あれは合わないかな」
 ユウはそれを眺めながら、つぶやいた。
 傍らには、従者のようにしているレドがいた。
「竜を倒すユウ殿の言葉ではありますまい」
「ううん、強いよ。重戦士とは相性悪いけど、多分、あたしじゃ十が限界。一斉にこられたら負けちゃう」
 多少の攻撃に耐えて回復を行い、一撃必殺で敵を叩く重戦士は、言うなれば盾だ。逆に、狂戦士は何物をも貫く剣である。
「ガファル殿もお強い」
 レドはぽつりと言った。人間とは思えぬ膂力で大剣を操るガファルは、流石は騎士団で三番目の強さだ。一番は、ユウが見た所あの団長だ。タイマンなら勝てるが、あれはあれで天才的な強さだろう。
 ユウは少し離れた所でゴブリンや邪妖精と談笑するアギラに視線を移した。
 邪妖精は、小人に蛾の羽のついたものだが、どれも美しい人のミニチュアだ。しかし、大きな黒目と触覚がどうにも悪役を連想させられる。ゴブリンも同じく、小柄な緑色の体に、皆工具のようなものを持って、何か得体の知れないガラクタをいじくっている。
「アギラさんはああいうの好きだからなあ」
 と、ユウが言うように、アギラはゴブリンたちと共に、河のダム計画について話し合っている。水力を使った水車を発展させてどうこうと言っていた。
「ガザじゃあ銃は軍隊だけしか持ってねえが、こういうボウガンなんかはいいのが広まってる。外国には売らないっつーことだがよ、まあ俺らにも手に入るんだ、どこの国も一つや二つ流れてんだろうな」
 ゴブリンの族長、トレルは並外れた知性で、アギラの言った理屈についてきている。そして、彼らはどうすれば使いやすいか、と尋ねてくる。木材と黒曜石で作ることのできる矢は山の民には安価に手に入る。が、鎧などの鉄は鉄鉱石が無いと始まらない。
「ヘヘヘ、鉄の作り方はちょっとは分かってんだが、鉄鉱石がなくてよう。この山にもありそうなんだが、まだ見つけられねぇのさ」
「鉄の匂いは嫌いよ、トレル。アギラ様、邪神神殿のお話を聞かせてほしいわ」
 邪妖精の一人がアギラにしなをつくる。
 妖精族から離れることになった邪妖精。彼らは集団で人を捕食することもあるが、御伽噺の中では人に恋をすることもある不思議な存在だ。蜥蜴山脈には彼女たちの女王がいるというが、その姿を未だ見せてはいない。
「ガファルさん、それからみんな、多数との稽古したいから、みんな一斉にかかってきて」
 ユウの叫びに、ガロル・オンやリザードマンの戦士、そしてガファルが嬉々とした表情で駆け出す。
 誰も木刀を使おうとせず、真剣で斬りかかる。統制は取れていない。しかし、二十近い数との戦いの中で、ユウは凄まじい速度で駆け抜ける。
 アギラもそれに加わった。
 死角から襲い来る触手に手を取られたユウだが、凄まじい力で逆にアギラを投げ飛ばす。弾かれたアギラをぶつけられたガロル・オンが墜落する。
「シキザ殿、あなたまで行かれることはありますまい」
 棒手裏剣を両手に持ったシキザは、部下とジ・クに止められた。
 ガロル・オンの族長、ショウはそれを眺めながら、書状の返事によれば勝てると確信していた。血が騒ぐ。元より、山の民は血に飢えている。人と暮らせぬのは、全ての民が人より強いからだ。人が皆、ガファルのような者であれば、彼らも山の中で暮らすことはなかっただろう。




 二週間がすぎるころには、ガファルは亜人の見分けがつくようになり、普通に名前で会話することが可能になっていた。
 アギラとユウも、顔つきで誰が誰かだいたいは判別できていたが、ガファルほど溶け込めてはいなかった。
「そろそろだね」
 忍者たちの集めてくる情報で、敵の戦力は分かっている。
 一日でケリをつけて、王子を救出する。そして、後からやって来るであろうシアリス正教騎士団と竜王騎士団への対応も準備万端だ。
 砦は、山を背にした難攻不落の代物だ。近頃の熱さに東を流れるデュクの大河も、水位が半分に下がっている。
 シキザの部下である忍者たちが戻り、ロイス伯の返答が明らかになった。
『王子さえ頂ければ異存無し。だが、我らの関与は内密とする』
 苦笑して発表したシキザはどこか満足げだ。主人の豪胆さに間違いがなかったことが一つの要因であり、彼もまた勝てるという希望を抱いていた。
 作戦会議は以前と同じく焚き火を囲んだものになった。
 ゴブリンたちが作り出した巨大なバリスタ、邪妖精の作り上げた強力な毒矢、総勢二十名のガロル・オンの戦士。リザードマンの槍兵が二十、魔術を操るスレルが五。
 相手は騎士団と傭兵の総勢百名。半分の戦力である。
 邪妖精とゴブリンの隠密部隊は総勢で二十名。だが、彼らは騎士と直接戦うものではない。
「この戦に勝利すれば、他の同胞も納得するだろう」
 ショウのつぶやきに、シキザとアギラは苦笑した。蜥蜴山脈のごく一部、革新を求める者たちだけしかここには集まっていない。だが、山の民の未来はここにある。
「無茶な作戦だね。ま、やるけどさ」
 夕暮れの時刻に完全武装の戦士たちは、どこか静かに最後の晩餐を取っていた。
「ユウ、俺たちが失敗したら終わりだが」
「今更そんなこと言わない。アギラさんたまにビビるよね」
「な、そんなことないぞっ」
 よく言えば思慮深いイーティングホラー、アギラの慌てた様子に邪妖精たちが遠慮の無い笑い声を響かせた。
「みんな、俺は人間だが、仲間だと思っている。勝つぞ」
 ガファルが剣を天に掲げた。
 戦士たちがそれに倣う。ゴブリンや邪妖精たちは『熱いなー』と、苦笑してそれを見守った。
「王子たちの救出はお任せ下さい。この戦、多数に見られています。無様な姿は晒されないよう、お願いしますよ」
 シキザの意味深な言葉に、ユウは首をかしげ、アギラは苦笑した。
 皆、動かない。誰かの言葉を待っている。アギラが、ユウをつついた。わざと目を作って、ぐるりと辺りを見回す動作を繰り返した。
「みんな、勝とう」
 歓声が上がった。




 バロイ砦の跳ね橋は閉ざされている。
 アギラとユウは、たった二人で松明をかざしてその前に立っていた。
「重戦士殿、おられるかっ」
 アギラが叫ぶと、見張りの兵士が慌てて中に入っていく。イーティングホラーは夜目が利く。そして、ユウもまたヘルメットのおかげで夜目は問題なかった。
「何者だー、異形めっ」
「我らは重戦士殿に用がある。ヴァルチャーと伝えよ」
 重戦士は、バロイ砦にきてから盗賊と亜人の虐殺を行っている。正義を掲げてシアリス正教の名を広めているというのだから、挑発する手も考えたが、それよりも確実なのはこれだった。
 しばらくして、跳ね橋が下りた。
 山の急斜面を背にして、大河にかかる橋を塞ぐ砦。正面から行くのは無謀だ。
「おお、我が同胞よ、よく来た」
 でかい、声もでかいが、その体躯も鎧で増えた分二メートル近い。顔も体も全てを覆うフルプレートメイル。ユウとアギラには、それがゲームよりのものだと容易に理解できた。そして、その背にかけた戦槌からは、炎がゆらりと立ち上っている。
「よかった、アンタも日本からきたんだな。俺は伊藤だ、少し話をしたい」
「お前イーティングホラーか。ふうん、レアだな。そっちへ行く、待ってろ」
 鎧の音を鳴らして、重戦士がやってくる。
「はじめまして、狂戦士のユウだよ」
 間近で見ると、その威圧感に圧倒される。そして、アギラは彼の言葉の端にぞんざいなものを感じ取り、不快な気分に陥っていた。
「もしかしてハジュラのか」
「アハハ、有名になっちゃったね」
「ヘヘヘ、よかったぜ。お前ら、死ね」
 重戦士は言った瞬間、パンチを繰り出した。ユウが後ろに飛んでかわす。
「おもしれぇ。俺は神聖シアリス正教騎士、神の戦槌ヒロシだっ。ハジュラで無辜の民を殺害し、クシナダ姫に粗相を働いた狂戦士を討ち取るぞ」
 最初から、仲間に引き込むつもりなどなかった。しかし、ここまでの反応は予想できていなかった。戦うことは理解できていたが、こんなにも敵対されるとは、やはりお互いに思っていなかったのだ。
「待てっ、お前は同郷だろう」
「うるせえぞっ、邪悪な異形が。貴様らみたいな人殺しと俺は違うんだよっ。くらいやがれ、レベル31のアグニハンマーをよおっ」
 人殺しだと、貴様も同じ穴の狢だろう。
「クアアアアアア」
 アギラが怒りにつかるより早く、ユウが雄叫びを上げた。それは、大地に響き渡る、人間からは程遠い怪鳥を思わせる音だった。
「テメーッ、勇者さま気取ってんじゃねえぞっ」
 篭手からは鉤爪、その状態で二本の剣を抜いたユウが叫ぶ。
「この世界じゃ俺は勇者だっ。悪党は倒すっ」
 傷を癒せて、輝く白銀の鎧は皆に迎えられた。そして、シアリス正教の司祭の下でヒロシは騎士になった。それ故に、彼は正義に疑問を持たない。
 生きるために罪悪感を捨てたユウとアギラは、こいつを憎いと思った。
「ユウっ、やるぞ」
「分かってるっ」
 ハンマーの一撃をかわして跳ね橋に跳んだユウの背後から騎士が斬りかかってくる。が、ユウは後ろに目がついているかのように、振り返りもせず首を刎ねた。
「ぐっ、ゲイル。皆、俺に任せろ。こいつらは俺がやる」
 ヒロシの声に、騎士たちはおとなしく下がった。絶大な信頼。この砦にやってきて数ヶ月、幾多の悪党と亜人を滅ぼした神の騎士、彼らはその力に心酔していた。
 アギラが犬の形で走りながら触手を飛ばすが、堅い鎧はそれをはじく。神聖属性鎧の効果だ。設定上は150パーセントダメージなのだが、鎧はその設定よりも強い。
「くそっ、こんなに硬いとは」
「あいつ、ウゼぇっ」
 吐き捨てたユウは、凄まじいスピードで重戦士に肉薄するが、炎を撒き散らす戦槌に、その突進を阻まれる。一撃必殺、ユウの人間を越えた速度と動体視力でかわす自信はあるが、その戦槌による軽い一撃で動けなくなることは明白だ。
 かわしそこねたアギラが、柄による一撃を食らった。凄まじい衝撃で、地面を転がる。予想していたが、あまりにも強い。
「攻めてこねぇと、俺には勝てねえぞっ。最強ブロッカーの俺にはよおっ。バランスもくそもねえソロプレイの狂戦士が僧兵に敵うと思ってたのか。ハハハ、レベル31が怖くねえならかかって来い」
 31、か。廃人度合いじゃ負けてない。
 優勢のヒロシに砦から歓声が上がる。
「クソ、パーティ組んでなんぼのノロマが言ってんじゃねーよ」
 アギラはまた犬の形態で立ち上がる。が、足がふらついている。
「邪悪なヤツはここでも邪悪なんだなあ。PK大好き野朗がっ、死にやがれ」
 イーティングホラーへの強制メタモルフォーゼ条件、PKとNPC殺害数。と、ゲーム的には推測されていた。
「アギラさん、まだ我慢できる?」
「ああ、ユウも我慢しろ」
「もう限界」
 よたつくアギラに振り下ろされるアグニハンマー。触手ではかない抵抗を試みた、ようにヒロシには見えただろう。
 あさっての方向に飛んだ触手はユウの手に絡みつき、ユウはそれを力いっぱい引っ張る。ハンマーに当たる前に空を舞ったアギラは、落下しながらヒロシの首元に触手を放った。唯一の、鎧の隙間だ。
 スキル吸血の発動で、さっきの一撃で受けた傷が癒える。無茶苦茶に戦槌を振り回したヒロシから逃げたアギラは、ユウの隣に降り立った。
「気持ち悪い手ぇ使いやがって」
 言いながらも、ヒロシは回復魔法で傷を再生させる。肉が、時間を撒き戻すように癒えていく。
「反則だよね、ああいうの」
「ああ、だけど、回復する前にやっちまえば問題ない」
 跳ね橋は開いたまま、そして兵士たちはこの戦いに釘付け。早くしろよ。
「手加減無しだぜ。プロテクション、レッサーヘイスト」
 戦う内に、跳ね橋から離れた所で両者は向かい合う形になっている。
 わざわざ声に出してスキル発動すんじゃねえよ。どうせ、もう遅い。
「おい、最後に質問だ。お前、生きたいか?  だったら、今すぐ俺たちに従え」
「ちょっと、アギラさん。こんなヤツ、あたしヤだよ」
「ふざけたこと言って」
 と、ヒロシの言葉はそこまでで遮られた。
 背後の、砦の騎士から悲鳴。ガロル・オンの戦士たちが騎士たちを斬りふせていたのだ。
「お、お前ら」
「悪いな、騙し討ちだ。属性は邪悪でな、こういうのは平気なんだよ」
 砦の中からときの声が響く。
 ガロル・オンに抱えられて、この騒ぎの隙に背後の山の斜面から飛んで侵入したリザードマンたちだ。
「跳ね橋をあげろおおおお」
 ヒロシの叫びは、もう遅い。
 砦の門をしめようとしていた所に、バリスタが打ち込まれた。スレルの魔術により気配を遮断し、夜の闇に紛れるようにバリスタそのものを黒く塗っていたのだ。入り口に打ち込まれたゴブリン製のバリスタは、さらなる混乱状態に陥れるに充分なものだった。
 亜人を駆逐して膨れ上がった砦は、今その復讐を受けている。
「これで時間稼ぎは必要なくなったな。ユウ、ムカツクこいつをぶっ殺そう」
 ゴブリンの小柄な戦士たちが正面から走りこむ。そこには、青白く輝く邪妖精たちもいた。
「血の海で暮らしてたあたしが、……こんなヤツに負けるわけないでしょっ」
 ユウの怒りが大気を裂いた。
 ヒロシにも苦労があり絶望があり、そして希望を持った経緯がある。しかし、ユウはその希望が許せなかった。なんであたしだけ。ただそれだけの醜い嫉妬、だが、誰がそれを止められる。
 ゲームの属性、ユウもアギラも属性に邪悪を持っていた。それが顕在化しているのか、それとも、人として感情に身を焦がしているのか、それは分からない。
「おお、俺の仲間たちをっ」
 ヒロシは決して弱くはなかった。だが、圧倒的な不利や、死の恐怖を経験していない。それが、敗因だったと言える。
 動揺して大振りになっていた重戦士の隙をついたユウは、その懐に入り込んで囁くように言った。
「あたしはレベル45だよ」
 一瞬力の抜けたヒロシの腹に、鎧を気にすることなく全力のパンチを叩き込む。二百キロ近い巨体か浮いた。戦槌を取り落として崩れ落ちる。
 ゲロを吐きながら、兜を外した重戦士に、ユウとアギラが歩み寄った。
「た、助けてくれ。なんでもする、従うから、頼む」
 うん、ぶっ殺そう。
 アギラとユウが笑顔で頷いた時、彼女だけはその殺気に気づいていた。狂戦士の肉体が勝手に動く。アギラをつかんで伏せようとした。だが遅い。
 轟音の後で、アギラの体が半分弾けていた。
 何か言う前に、それが飛んできた方向を見る。
 最早死に体である青蛇の騎士団の奏でる絶叫に満ちたバロイ砦、その城壁の上で、巨大な銃を構える者がいた。
 ヴァルチャー・オンラインにおける最強の攻撃力を誇る武器、魔銃を唯一装備可能な職業タイプ、銃士。遠距離攻撃にのみ特化し、全ての能力は低いものの、気配遮断と隠密行動スキルを持つ狩人の上級職。
「はは、アイツ、いやがったのか。おおーい」
 喜色満面で叫ぶヒロシが見たのは、銃をかまえるシルエットだ。そして、銃口より放たれた閃光。銃弾が叩き込まれて、飛び散る脳漿。
 つば広の帽子を被ったシルエットは、背を向けて駆け抜けていく。
「あああ、ねえ、死んでないよね、アギラさん、アギラさん、やだ、死んだら、あたし、頭おかしくなるよ。ねえ、死んでないよね」
「くそ、死ぬかと思った。ユウがいなかったら、死んでたぞ」
 わりと平気そうな声。
「大丈夫だ、溶けた傷口は全部捨てた。もう痛くない。体が小さくなっただけだ」
「ちょっと、馬鹿、心配したじゃない」
「仕方ないだろ。傷口をほっとくと痛いんだ、必死で使えなくなった所を捨ててたんだ」
 ほっとしたユウは、大きく息をついた。それから、重戦士ヒロシの亡骸から鎧をはがし始める。
「おい、その鎧どうすんだ」
「あのねえ、採食スキルできるのって新鮮な死体だけでしょ。アギラさん小さくなったら弱くなるんだから、食べやすいようにしてるの」
 強いなあ、ユウは。
 死体採食、今まではっきりと言ったことはないが、あまり気の進むものではなかった。だけど、彼女は認めてくれる。こんな姿を見たら、母は泣くだろうか。いや、もう会えない。なら関係ない。
 ちらりとしか見なかったヒロシの顔。銃で吹き飛ばされたせいで、兜と声の印象しかない。見た目には普通のデブだった。いただきます。
 神聖属性の肉。美味い。
 肉を食めば、異形の肉へと変わる。
 敗走を始めていた青蛇の騎士団の誰かがそれを見ていた。人食いの化物と狂戦士。
脱獄不可能、ハジュラのホドリ監獄より脱獄。難攻不落のバロイ砦。亜人を率いて陥落。
「悪役だよね、あたしたちって」
「今更言うようなことか?」
 死体を食い尽くすと、疲労は消えていて、体が一回り大きくなっていた。
「さ、みんなの手伝いにいこう」
「ああ、行こう」
 駆け出した悪魔は、こうして大陸に名を轟かせる。




 ガファルの大剣で、最後の護衛が倒れた。
「王子、お迎えにあがりました」
 物憂げにベッドから身を起こした王子は、大あくびで彼らを迎えた。




 大河の水位が下がっていたことから、敗走は比較的楽に進んだ。
 青蛇の騎士団は逃げていく。追う余力はないが、邪妖精たちが遊び半分で矢を射掛ける。彼女たちは歌っていた。
『やれ逃げろ、悪魔が背中にいるぞ、お前の仲間が食われているぞ、やれ逃げろ、仲間も女も捨てて逃げろよ人間』
 地獄めいた歌声に送られて、人間たちは逃げ出す。
 シキザはそんな中で、代官クチナワの執務室へ突入していた。
「おや、これはこれは」
 執務室には火がかけられ、代官は椅子に座ったまま頭を撃ち抜かれて死んでいる。
 敵の情報は、全て消えてなくなった。焼け跡を捜しても何も見つかるまい。
「あの巨大な銃を抱えた男、逃がすべきではありませんでしたかな」
 満身創痍の部下たちのことも含めて、相手にせず逃がしたが、失敗だったかもしれない。シキザは、後にこのチャンスを逃したことを悔やむことになる。
 配備されていたはずの数丁の銃は一つも見つからなかった。見事なまでの撤退を行った銃士と再会するのは今しばらく先の話である。



[1501] Re[6]:ヴァルチャー
Name: 喫著無◆39232633 ID:440294e0
Date: 2007/09/28 21:34
 亜人を見て全く平静なままでいる人間は珍しい。
 第一王子として何不自由なく暮らしていたはずの彼は、王子様という言葉が全く似合わない不思議な男だった。






第七話 作戦開始ッ






 砦の残存勢力は皆殺しになった。
 非戦闘員は極力逃がす方向だったが、どこに細作が紛れているか分からない。任務の性質上、仕方ないことではあるが、ユウとアギラは見ているだけだった。
 亜人とシキザ、ガファル、ユウ、アギラたちだけになった所で、疲れを癒す間もなく、山の民が動き出したという報告が、ジ・クを通して伝えられた。
「さて、我々は王子を救出しましたので、そろそろお役御免ですな」
 シキザは、亜人の代表であるジ・クに言うが、巨大な蛙人間は首を横に振った。
 ここは、砦の跳ね橋の奥、ホールのようになった厩舎よ錬兵所をかねた場所だ。無事な馬や、先の戦いでの死体が折り重ねられている。朝日が昇って数時間、さすがに皆疲れがたまっているようだ。
「アギラ殿とユウ殿を貸して頂きたい。あと三週間もあれば、シアリスと竜王の騎士団が来る」
「対応策はあるのでしょう? ふふ、いや、言いますまい。我々としても、有名人になってしまったお二方にはここにいていただける方が有難い」
 シキザたちは無関係、ということになる手筈だ。神の戦槌を倒した狂戦士と異形は、ここにいてしかるべき、その流れなのである。
「俺たちはここでお役御免か。ユウ、しばらくはここにいるつもりだが、いいか?」
「乗りかかった船だしね。行くあてもなさそうだし」
 二人で話し合った結果、やはりロイス伯から逃げた方がよかったという結論しかでなかった。
「……アギラ殿、ユウ殿、あなた方がバロイ砦の主となるなら、我々としても嬉しいことですよ。ロイス伯とあなた方は、今では一蓮托生というヤツです。それに、ここをまとめられるのはあなた方を置いて他にない」
 亜人たちとの共同戦線で、シキザは自身がおかしくなっていることに気づいていた。それでも、言葉を止められない。
「昨夜は、ガザや邪神の信徒、さらにはクシナダ家やアドラメル宰相の目もありました。あなた方をロイス伯で庇護するのは難しい。しかし、ここで蜥蜴山脈の一人となるならば、何の問題もありません」
「シキザさんやロイス伯にも都合がいいってことでしょ」
 ユウは呆れたように言うが、シキザは笑みで応えた。
「はい、あなた方を暗殺するのは骨が折れるでしょうし、正直な所、私はあなたたちが嫌いではありません」
 と、別れの挨拶のようになった所で、ガファルの大声が聞こえてきた。
「いけません、王子。かような身なりで」
 忍者とガファルが、王子に押されるようにして近づいてくる。シキザも流石に慌てた。
「お、王子殿、いかがなされました」
 亜人たちは、珍しいものを見るようにしてそれを眺めている。
 アギラとユウも、救出されたという王子を見るのは初めてだ。
「あーら、狂戦士ってゴツいのだと思ってたらなかなかカワイイのね」
 上半身は裸、下半身も短パンのようなものを履いただけ、足元は庶民の履くサンダルをお召しになられた王子は、妙な口調でそんな一声を上げた。
 サラサラのプラチナブロンドヘアーに、二重目蓋に赤い瞳。顔つきと言われれば、恐ろしく整っていると言って差し支えない。体つきも、細いながら決して虚弱なものではなかったし、手には剣ダコまである。
 ちゃんとした姿さえしていれば、どこから見ても王子様だろう。
「え、なに、このチャラ男が王子様」
 ヘルメットを外していたユウは、驚きで半笑い。しかも指さしまでしている。
「チャラ男って今時のコが言う言葉じゃないだろ」
「アギラさんの時はシャバいって言ってたんでしょ?」
「それは俺より十は年上のヤツラだ」
 よく分からない魔界語を話すのはいつものことで、亜人やガファルも特に気にはしていない。
「ちょっと興味が湧いてね、見にきたのよ。優しい異形に狂戦士さん、ありがとね。アタシ的には、このまま隠退がよかったんだけどさ」
「王子、そのようなことは」
 シキザが止めるが、その声に真剣味はない。元々、第一王子は出来損ないの変わり者として有名で、辺境の領地で訳の分からない治水事業を行ったりしていた王家の厄介者だった。ロイス伯が神輿として選んだのも、彼が最も扱いやすいという認識でいたからだ。
「あと二週間くらいで竜王の騎士団とシアリス正教騎士団が来る訳だけど、あなたたち策はあるの?」
 シキザやガファルを無視して、半裸の王子はにこやかに問いかけた。シキザの眉間に皺が刻まれる。
「あ、はい、一応はありますけど、あのー王子様はあんまりここには関わらない方がいいんじゃないかな、なんて」
 それもその通りだ。ユウの言葉に間違いはない。
「ロイス伯の細作のええと、シキザって言ってたわよね?」
 向き直った王子は、腰をクネクネさせてシキザに向き直った。
「はい、王子」
「竜王の騎士団とシアリス正教騎士団を撃退するまでアタシはここを動かないわよ。ここであいつらに負けちゃったら、ロイスんとこ行ったってアタシが死ぬだけだし。宰相閣下は、ロイスと繋がりがあるなんて思ったら、アタシでもすぐに病死させるはずだわ」
 シキザが忍者の一人に目配せした瞬間、王子がガファルを蹴った。軽い蹴りだが、ガファルは忍者の動きに気づく。
「細作っていうか軍師までやってんのね。いいこと、アタシはアタシのためにやってるの。神輿が棺おけになるのは避けたいっつーことよ」
 亜人もアギラも、そしてガファルも王子に呑まれていた。王子の悪評は大陸中に轟いていると言っていい。王子を主役にした喜劇が、存命でしかも二十歳になる前から無数に存在している。まさにレミンディアの恥部である。
 最も有名なものが『レミンディア好色貴族』という絵本である。識字率の高くないために作られた絵本、といっても教育用のものはほんの一部で、市井に出回るのは卑猥な通俗ものである。王子が次々に身分関係なく様々な女性を手篭めにしていくという内容だ。辺境の宿にも置かれるほど浸透している。
「強烈キャラだよ、この王子サマ」
「ああ、なんか凄いな。なんでオカマなんだ王子様は」
「ちょっと、イーティングホラーに狂戦士ちゃん。アタシはおかまじゃないの。お城だと周りに女の子しかいなくて、これが普通だと思ってたのよ。七つまで」
 七つなら、その後矯正する機会は無数にあったはずだ。
「んふふ、アタシがこれ貫いてんのには聞くも涙な話があるんだけど、ま、今はいいか。さてと、軍師に細作、ロイス伯には今言ったことを伝えなさいな。無理にでもつれてくってなら自害するわよ」
 忍者たちはシキザを見る。この状況ではリーダーに判断を仰ぐしかない。
「自害とは、本心ですか」
「試してみる?」
「分かりました。しかし、ガファル殿を警備につけましょう。それから、アギラ殿、王子の身の安全を頼みますぞ」
 内心で、シキザは怒りを噛み殺していた。どこが放蕩の馬鹿王子だ。王子はロイス伯が気づく以前から、宰相とシアリス正教の癒着に気づいていたようだ。そして、身を守るために馬鹿に徹した。隠退を喜んでいたというのは嘘ではなかろう。それが崩れた今、彼は自分で考えて行動している。シキザやロイス伯も信用されていない。
「亜人殿、今回は私が戻ります。申し訳ないが、また二週間で戻りたいのですが」
 蛙人間スレルのジ・クは、面白い見世物でも見た後のように笑みを浮かべて「よかろう」とうなずいた。
 忍者たちには、何かあれば亜人に送ってもらいロイス伯爵領へ即時報告にあがるように指示して、シキザは休む間もなく出立した。
「なんで俺に言うかなあ」
「あらあ、騎士に細作に異形が護衛なんて面白いわね」
 当の王子は、異形たちに自分から挨拶に向かっている。ガファルは「うむ、なかなかの大人物」などと頷いているが、忍者たちはたまったものではない。
ガロル・オンとリザードマンは、気さくな王子に困惑していたが、邪妖精とスレルにゴブリンは面白いヤツだという認識で打ち解けていた。この後の作戦については一言も触れないが、さきほどの剣幕からするに、信用しているのか賭けに乗ろうとしているのか。並みの心臓ではないということだろう。
「王子サマ、そういえば名前は?」
 無礼なユウに、今まで『王子よ』とだけしか言ってなかったことに気づいた。彼は、名前など知られていて当然の暮らしで気づかなかったのだ。
「ああ、そうだったわね。ゴホン、アタクシはレミンディア王国の第一王子、アーサー・ユランドロ・ミール・レミンディアよ。みんなよろしくね」
 腰をクネクネさせてウインクで決めたその姿は、ほとんど冗談のようなものだった。
 邪妖精とゴブリンが爆笑していた。




 ガファルは王子につきっきり、忍者たちは砦を通過しようとする隊商が来ないように近隣の宿場に噂を流しに行っていた。
 亜人たちがまず始めたのは死体の処理だった。人間の肉を好む種族はおらず、邪妖精たちの指示の元で山に運んでいる。
 ユウとアギラは邪妖精とジ・クの頼みで、死体運びに参加していた。
 邪妖精だけの通れる道、霧のかかった山道を進んで、洞窟に入り、さらに数時間をかけて入り組んだ通路を進む。
 ジ・クは多くを語らなかったが、何者かと会わせようとしているようだ。
 アギラとユウは気楽なものだったが、そこに立って、脅威と恐怖に直面することとなった。
 洞窟の最深部には、薄いピンク色の膜のようなものが張り巡らされた、天井も高く広大なホールであった。冷たい地下水と鍾乳石の中で。死体が腐りもせず浮いている。
 ピンク色の膜の中に、何か大きなシルエットが見える。
「よく来たな、異邦人」
 声が出ない。
 恐怖で、喉を動かせない。ユウもアギラも、ぶるぶると震えながら、その大きな何かが寝返りをうつのを見た。圧倒的な力だ。バルガリエルのように『強い』だけのものではない。
「わらわは、邪妖精の女王にして、蜥蜴山脈を統べる者。下賎な人間共に成り代わり、貴様らが山を治めると聞いておる」
 そんな話は聞いてない。
 砦をしばらく守るのは快諾したが、そんなことを言った覚えは全くない。
「あ、あ、あのう、そんなことは、き、聞いてないです」
「ホホホ、スレルは頭が回るからのう。わらわは、妖精と竜と袂を別ってから、山には何も干渉せなんだ。しかしのう、今は貴様らのような者が跋扈しておる。わらわは古き取り決めにより、ここから出ることは叶わぬのじゃ」
 だめだ、勝てる気も、逃げられる気もしない。膜の中にいる怪物を直視しただけで発狂する。ユウも、カタカタと震えて剣に手を伸ばすこともできていない。
「邪妖精はおぬしらの力になろうではないか。変化はあれど、山が続けばわらわはそれ以上のことは望まぬ。竜と妖精が動くなら、わらわも力を貸してやろう。案ずるな、異邦人よ」
 その後、洞窟を出るまでの記憶は無い。
 邪妖精にうながされるままにバロイ砦に戻った後で、あの死体には邪妖精の卵が生みつけられるのだと知らされた。
「これって強制だよね」
「ああ、逃げるのは無理だな」
 あの圧倒的な邪妖精の女王は、本当の意味での蜥蜴山脈の支配者なのだろう。いや、もしかしたら、この山脈はアレを縛り付けるためだけに存在しているのかもしれない。
「女王様が決めた、あなたたちは私たちの主人」
 歌うように、邪妖精が祝福の言葉をつむぐ。スレルたちも満足げだ。つまり、あそこで認められなかったら帰ってこれなかったということだろう。
「ジ・ク、分かってて黙ってたな」
「アギラ殿、許されよ。女王が謁見を所望されるなど実に久しいもので、少なくとも二百年ぶりのこと。山の民に拒否できることではありませんでな」
 砦の改修は、ゴブリンたちが進めていた。ゴブリンの族長トレルは、驚くべき速さで奇妙な設計図を書き上げて、ゴブリンたちに指示を出している。
 山からは、追加の邪妖精と、バロイ砦陥落の報せを聞いてガロル・オンやリザードマンたちがやってきている。
「勝ったとたんに味方になるって、亜人もやーらしいとこあんのね」
 傍らのレドに行ったユウは、ご機嫌ナナメだ。裏切り行為に強い嫌悪感を抱いているのはレドも分かっていたが、ここまで露骨に怒るとは思っていなかった。
「誰も、信じられなかったのですよ。装備で勝る人間と重戦士に、山の民が勝つということを」
 ゴブリンの族長トレルと一部の邪妖精、リザードマンのギ一族、ガロル・オンのショウが束ねる一族は革新的な思考を持っていたということだろう。さらに言うなら、レドの報せを聞いてそれを山に伝えたのはスレルであった。スレルは個人単位で山にバラバラに住み着くが、賢者として扱われている。このように群れるということ自体がありえないことだった。
「ふーん、まあそういうもんかな」
 ゴブリンたちは、貢物らしき正体不明のがらくたを運んできていた。
「畜生、トレルに負けちまった」
 開口一番言ったのは、紫色の服に身を包んだゴブリンの一団だった。ナイトゴブリンと呼ばれる薬学と獣の扱いに長けたゴブリンの一族である。
「ケヘヘヘ、この砦は落とせるって言っただろうか」
 ナイトゴブリンの族長ラグは、彼らの秘伝であり宝でもある薬物を全てアギラとユウに差し出した。それはトレルとの賭けだったという。ゴブリンたちの抗争は、相手が最後の一匹を殺すまで続くのが常であった。だが、数百年前に妖精の女王が賭けで決めるよう言い渡したことにより、彼らはこのような単純な賭博で全てを賭けるのが常になっていた。
「お初にお目にかかりやす、旦那様。あっしらナイトゴブリンの一族は、トレルに従うことになりやした。ここで働かせてもらいやす」
 アギラの返事を待たずに、ゴブリンたちは時に殴りあいをしながらすぐさま砦に入り込んでいく。
 このように、続々とガロル・オンやリザードマンも山を降りてきた。
「ジ・クとショウ、適当に頼む。俺たちには難しいことは無理だ」
「存じている。あなた方は強くあってくれればそれでいい」
 ショウはそう返答して、ガロル・オンやリザードマンたちとの会議に飛んでいった。
「なーんか、凄いことになっちゃったね」
「こういうのは予想外だった」
 砦の収容人数は最大で三百だが、それだけを賄うほどの物資は無い。次の戦まではあと三週間。それくらいなら、砦に備蓄されていた兵糧で賄える。だが、戦が終われば底をつく。未だ勝てるかどうかも分からない。
 夕日の沈むころ、アギラとユウは物見台で忙しく改築の進む砦の風景を見ていた。
「ねえ、あたしたちどうなっちゃうのかな」
「俺に聞くなよ。どうなるにしても、あーどうなんのかなあ」
 アギラにも応えようがない話だった。
「ロイス伯爵に王子サマに、敵かあ。レミンディア王国の内輪モメに付き合わされることになっちゃったけど、まさか亜人の王様にされちゃうなんて」
「ああ、それで話なんだけど、多分このままじゃ今はよくても」
 と、アギラがそこまで言った時、香水の良い匂いが漂ってきた。
「ハーイ、こんなとこで何してんの」
 邪妖精をまとわりつかせた半裸の王子様が、酒の瓶を片手にやってきていた。
「アーサー王子、こんなとこに一人できてどうしたんですか」
「んー、ガファルと細作たちがあれだから」
 高い物見の塔からは、砦が見渡せる。錬兵所では、ガファルがガロル・オンと斬り結んでいて、細作たちもなぜかリザードマンと戦っている。
「ああ、安心して。ケンカじゃなくてさ、人間なんか弱いぜー、ってなって決闘してるとこなのよ。ショウもジ・クも死にそうになったら止めるって言ってるしね」
 ガファルは不思議な男だ。勝つにしろ負けるにしろ、親睦を深める結果になるだろう。今までがそうだった。そして、細作たちにもガファルの病気が移ったらしい。
「ガファルさんらしいなあ。それで王子様、内緒の話したいんでしょ」
「あらあらせっかちね。んじゃあぶっちゃけるわよ。あんたたち、ここを国にしちゃいなさい」
 王子は酒を呑みながら平然と言った。
「あ、あのなあ、本気で言ってんのか」
「本気も本気よ。ジ・クはあんたたちに任せるって言ってたけどさ」
 ユウは訝しげにアーサー王子を見つめる。殺気はないが、彼女はやるとなったら突然やるだろう。
「ンフフ、驚くのは仕方ないだろうけどさ。辺境の治水やったアタシには分かるわ。今度の戦いで勝ったら、ここにいっぱい難民とかが押し寄せるわよ。あと邪神の信徒とかも。逃げた農民を取り込んで、少しずつ大きくなるわ。大きくなりすぎたらシアリス正教が本腰入れてくるだろうけど」
 シアリス正教の戦力は、レミンディア全体より大きいかもしれない。どこの国にも騎士団が一つはあって教会を守っている。どこの国も、異端者とされないために、その存在を受け入れざるをえないのだ。現在、騎士団を排除できているのはガザの国だけだ。それでも教会があるということは、細作の拠点になっているという意味でもある。
「これはね、賭けよ。アタシが王様になったら、この国を認めるし、ガザにも認めさせるわ。ガザの王妃はアタシの妹なのよ。それに、色々と弱味もしってるし」
「王子って悪だねー」
 気づいた。ユウは乗り気になっている。アギラは逃げ出したいが、どうせ逃げたら邪妖精とシアリスに地の果てまで追われ、さらには口封じにシキザたちも加わるだろう。
「王子が軍師になってくれるなら、可能かもな」
「んふふ、いいわねぇ、それ。ロイスをなんとかしたら、それも可能ね」
「ロイス伯爵と敵になっちゃうかな」
 アーサー王子は、アギラとユウの飲み込みの早さに笑みが抑えられなくなった。ようやく、ジョーカーを手に入れた。今まで、ただ命のつながる道だけを探していたが、ここから先はこの二人と共に道を切り開くことができる。
「いいえ、彼はレミンデイアが宰相とシアリスに操られるのが嫌なだけよ。義理の弟はね、野心は強いけど優秀なだけでさ。宰相とシアリスに操られてるし」
「王子は天才タイプっぽいね」
「んー、アーサーって呼び捨てにしてちょうだい」
 辺境の治水は、アーサー王子が若干十六歳にして起こした事業である。軌道に乗りかけた時には、難民と横槍を入れてくるシアリスに叩き潰された。辺境は、今ではシアリス正教の仕切る荘園となっている。
「亜人と人間の共存ができると思ってんのか?」
 一番のネックはそこだ。近隣の住民は、ここを魔の巣と恐れている。
「それはやってみないと分からないわ。多分、っていうか確実に難航するわよ」
「アーサー王子、裏切らないって約束できるか? 裏切ったら、ユウがえらいことしにいくぞ」
「いいわよ。ロイス伯は第二王子がホントは欲しいんだから、あいつのとこいってもアタシは安息できないのよね。それに、何の後ろ盾もなくてギリギリなのは貴方たちとアタシも同じでしょ」
 アーサーは触手を握って無理やり握手。その上に、ユウが手を重ねた。
「物見台の誓い、って感じね」
 三国志の桃園の誓いにかけているのだろう。王子はよく分からない顔で笑んでいる。
「あら、いいわねそれ。自叙伝書く時は、今のここをすっごく感動的な感じにしてみせるわよ」
「どうにでもなれ」
 人間のままだったら、胃に穴が開いていたかもしれない。
 ふと視線を向けると、ゴブリンとリザードマンたちが砦より出ていくところだった。




 たった五十の亜人、たとえ百になったとしても敵ではない。
 総勢二百名の騎士たちは、デュクの大河が干上がっているのを好機とし、戦に備えていた。
 竜王の騎士団、その数五十、シアリス正教騎士団は途中二つの騎士団と合流して百五十名にまで膨れ上がっていた。
 挟み撃ちをしかける作戦もあったが、遠く迂回しては王子の身に危険があるとして、大河が干上がったのを機に突破作戦を慣行するに至ったのである。
 元より、バロイ砦の大河の水位が下がるのは珍しい話ではない。元々がそこまで深くないが広い河であるからだ。
 破城槌もクシナダ家より取り寄せており、数の上では余裕の戦いである。
 竜王の騎士団に所属しているエツコ・クロードは、後退して件の狂戦士と異形が出てくるのを待っていた。
 本名を長瀬永津子という彼女は、元々男性キャラクターでヴァルチャー・オンラインに登録していた。ここに来て、自分がリアルの姿をしており、装備とスキルはゲームのものになっていると理解し、プレイヤーネームのクロードを苗字として、エツコ・クロードと名乗っている。
「団長、シアリスに任せて下がった方がいいわ」
 レベル26の竜騎士。専用の地竜、馬ほどの蜥蜴を乗りこなす名前に反してかっこ悪い不人気職業。エツコはキワモノキャラ好きのため選んでおり、武器もスタッフと呼ばれる鉄の棒切れである。鎧に至っては竜の白骨より作られたボーンメイル。兜もおそろいのボーンヘルムなのだが、今は戦闘前ということで外していた。
「そうかァ、エツコの勘は当たるんだよなぁ」
 竜王の騎士団、団長のバニアスは、シアリスのリーダーの元へ向かった。
「……何かあったらシアリスの援護して撤退、いいね」
 団員たちは実に素直に従う。
 元々、竜王の騎士団は宰相にうとまれたことから、破産の危機に瀕していた。ふらりと現れたエツコが騎士団の財政を立て直したことにより、騎士団は救われたといっていい。どこの蛮族かと最初は罵られたものだが、今そんなことを言う者は『姐さん』を慕うものに半殺しの目にあう。
 長瀬永津子は、女性会計士であった。結婚はしていなかったが、勝ち組人生を歩んでいたと言って問題ない。この世界に来ても、会計士の知識はあったし、元々から博識でもあった。しかし、勝ち組からは確実に転落している。
「おーし、美味しいとこは全部シアリスに任せて、俺らは後退だ」
 しばらくして戻ってバニアス団長の声に、地竜のクロードがゴァと鳴いた。
「団長、宰相閣下の企みにどこまで付き合いますか?」
「まあ一応俺らは最強のレミンディアの盾だからなあ。どこまでもってのが正しい答えだろ。第四王子のライオネル様の即位も近いっていうしな」
「シアリスにレミンディアを売るってことでしょうけどね。私は異邦人ですから、別にいいんですけどね」
「おっと、それ以上はストップだ。宰相に逆らったら、またドサ回りさせられちまう」
 こうして国を離れている間にも、本国ではシアリスと宰相の手で改編が進んでいることだろう。
「狂戦士の相手は、できるならしますけど、ヒロシ殿がやられたのなら私では勝てないでしょうし、隙を見て撤退です。いいですね、また前みたいに無謀なことはしないで下さい」
「はいはい、分かってますよっと」
 シアリスの戦場楽師隊が、戦いの歌を響かせた。




 ガロル・オンと邪妖精の斥候は、周囲に別働隊がいないことを知らせた。
 破城槌が動き出そうとしている。干上がったデュクの大河を兵士たちが波状槌を横断させる。
 破城槌とは、大きな丸太のようなもので、戦車の台座に載せられており、門などにぶつけて無理矢理開城させるための兵器である。
 王子曰く、初期の作戦はいい作戦ではあったが、穴だらけでこのままでは負ける、とのことだった。
 この三週間でやれるだけのことはやった。
 梯子と破城槌の二本構えで砦を落とそうとする倍近い兵力。亜人たちは、王子の修正した作戦にしたがっている。
 曰く、篭城しては勝ち目がない。物資もなく、地の利もよくない場所では最初の一撃でビビらせたとして、一週間もたたない内に負けるというのだ。
「やるわよ、ユウちゃん号令よろしく」
 アーサー王子に背中を叩かれたユウが、剣を天にかざす。
「作戦開始ッ」
 いつもとは違う凛々しいユウの叫びに、亜人たちが動き出した。
 破城槌で、門は砕けようとしている。
 ゴブリンたちの作った真っ赤な狼煙が上がった。
 そのころ、竜王の騎士団、百戦錬磨の猛者たちはその狼煙を見て、シアリスの負けを悟っていた。
「だから、時間かかっても挟み撃ちにしようって言ったんじゃないのよ」
 エツコは、地竜の警告で相手方の狙いをだいたいは感じ取っていた。地竜は大地の声を聞くことのできる竜だ。
 ここいら一帯の河が干上がっている。雨もあって、旱魃の気配など微塵もなかったというのに。進軍途中から目立ち始めた河の干上がりに、不自然さを感じていたのはエツコだけだ。
 しばらくして、干上がったデュク大河で指揮をとっていた分隊長たちの悲鳴が聞こえた。充分にためられた木材交じりの鉄砲水が山の上流より流れ込んできたのである。
 バロイ砦攻略戦からゴブリンとリザードマンによって進められていたデュクの大河上流のダム計画。それはこの時のことを考えてのことだった。
 王子は、念を入れて周辺の河も水を塞き止めさせて油断させていた。元々はこの一発から後はユウ頼みの力押しと篭城戦だったのを、別働隊による奇襲に変えていた。
 五名しかいない魔術の使い手であるスレルをバラバラの別働隊に配備しての気配遮断。スレルの気配遮断魔術は集中力を要するため三十分も使えばスレルが昏倒してしまう。それを命一杯使っての作戦だ。これでスレルの魔術の助けは使えなくなる。
 鉄砲水で押し流された歩兵が四十、そこに後退の退路だけを空けてぐるりと囲んだ別働隊が突撃する。
 ゴブリンの作り出したバリスタを撃ち出し、火矢に毒矢。人間の、特に騎士たちは絶対に使わない卑怯者の手段。
 騎兵は毒と火で暴れる馬に振り落とされ、空を飛ぶガロル・オンの低空飛行による突撃で打ち倒される。
「お二方、どんどんいってちょうだい。相手を恐怖のズン底に叩き落すのよ」
 嬉々としたアーサー王子に言われて、アギラとユウが飛び出す。
「狂戦士だ」
 それは悲鳴だ。神の戦槌を倒した狂戦士、できるだけ派手に首を切り落としていくユウは、いつでも後退できる所で戦っている。アギラも、相手に見える位置でわざと兵士の頭を食いちぎったりしていた。「ギャラアアア」という叫び声は、ユウが噴出すほどわざとらしい。だが、パニックに陥った兵士たちにはまさに悪魔の叫びだ。
 竜王の騎士団は、あまりやる気の無い様子で、さらには被害の出ない後方で矢を射るだけだ。すぐにシアリスの騎士団も撤退を決めた。
 同じ時、退路の宿場や農村では、シキザの部下の雇った山賊が大暴れの略奪を行っていた。
 撤退していくレミンディア軍は、途中の村でろくな補給も取れずに、バロイ砦の再攻略は不可能として王都へ逃げ帰ることになるのであった。
「噂に聞いてたのとは違って、隙の無い戦い方ね。裏はどこかしら」
 馬と同じ速度で走る地竜に揺られながら、エツコはつぶやいていた。
 バロイ砦は悪魔の砦。それは不動のものになった。






 ロイス伯の元で頭を垂れていたシキザは、向けられた殺意にも全く反応しなかった。
 雷鳥の騎士団、団長のジュリアン・オーグ・イーウエンから発せられる静かな殺意の中で、淡々と報告をあげていく。
「ふうむ、第一王子はそれだけの才気溢れる人物である、か。なかなかに面白いが、あの二人の所に残してきたのはお前らしくなかったな」
 ロイス伯の声は氷のようだ。
「我らエレル一族とはいえ、あれだけの亜人に囲まれていては脱出も叶いません。言い訳になってしまいますが、これが最良かと」
「最悪クチナワの暗殺だけで良いと思っていたのも事実ではあるしなあ。あの化物があれだけ頑張るとは、なあ」
 ちらりとジュリアンを見て言ったロイスは、髭を撫ぜてシキザに視線を戻した。
「シキザ殿、アーサー王子が人物だとして、飼いならせぬと言われるか?」
 ジュリアンが核心を突く。
「……御することは難しいでしょう。あのお方は、この世に鬱いておられます。あれだけの頭脳と胆力がありながら、目的は生存のみかと」
 我が身が可愛い、という印象はもてなかった。あれはむしろ、何かやり残したことがあり、それが生きることに繋がっているように見える。
「シキザよ、シアリスと竜王を退けたとあっちゃ、第一王子は死んだものとした方がよさそうだ。影武者の用意はしてある。あとは死体を届けりゃそれでしまいだ」
「では、第一王子は如何なさいます」
「殺してこい。シアリスの総攻撃を受けちゃ、亜人共ももって一年だ。バロイが落ちたとあっちゃ擁立もできんだろうしな」
 今は、まだレミンディア王は存命だ。病に臥せっているとはいえ、この時節に擁立とあっては、反宰相派が黙ってはいまい。
「ま、俺が時間を稼いでみる」
 この後に、ロイス伯は宮廷で第四王子に囁くことになる。半年後の元服の折に、バロイを取り戻して王になれ、と。
 シキザは、ロイス伯が殺して来いと命じた際に、ジュリアンの口元に浮かんだ暗い笑みを見逃さなかった。



[1501] Re[7]:ヴァルチャー
Name: ポンチ◆ebd5b07d ID:440294e0
Date: 2007/09/29 17:17
 忙しい日々の中で、少しずつ平穏に慣れていく。
 慣れれば慣れるほど、どこか不安な気持ちになった。
 希望を信じられない理由は分からない。






第八話 分かってるから、賭けに出るんだろうが






 戦に勝利したバロイ砦は、様々な問題に揺られながらも、順調に改築増築がなされていた。
 アーサー王子の指示の元で、山の斜面を少しずつ造成して階段状の要塞へ改造しようという動きだ。将来的には、そこにバリスタやカタパルトを配備しようというのだが、今現在は砦の改築に必要な木材を切り出すついでというのが正しい。
「しかし、本当に来たなあ」
「ほんとに来たねぇ」
 アギラとユウは、砦の中で勝手に教会を作り始めた連中に呆然としていた。スレルやガロル・オンと顔見知りで、邪妖精にも迎え入れられていてゴブリンやリザードマンには無視されている連中は、砦にくるまでは普通の隊商という出で立ちだったが、入り込んでからは黒いローブを羽織って、何やら妙な像を組立て始めていた。
「邪神の信徒、異形だったらステ回復タダじゃなかったっけ」
「ここじゃそういうのは無いだろ」
 回復魔法、という便利なものは存在しないと言っていい。傷の痛みをやわらげたり、治癒を促進するものはあるが、重戦士ヒロシの使っていたような再生魔法は存在しなかった。
 邪神神殿がくみ上げられていくのを見ながら、王様の二人はぼんやりとそれを見送っていた。
「やることないなあ」
「ないよねぇ」
 細々とした政治は、全てアーサー王子によるもので、何の役にもたたない二人は日々肉体労働と剣の稽古くらいしかしていない。特に、アギラとの模擬戦は全く人気が無い。
 シキザの細作はアーサー王子が借り受けていて、忙しく外と中を行き来している。当のシキザはなかなか返らず、忍者たちは文句も言わずに王子に従っていた。
 そうやって王様たちが無為に過ごしている間、王子様は各亜人のリーダーたちと会議の真っ最中であった。
「山の財は、多くはありませんな。残念ながら、我々にはその価値も分かりませんし」
 最初にスレルはのんびりと言った。
「俺らだって自分の財産を分けてやんのはなあ」
 次にゴブリンは拒否した。
「我等が貧しいのは知っているだろう」
 リザードマンに財は無い。
「祖先の殻より鍛え上げた刀を売るなどできることではない」
 ガロル・オンは金のことなど気にしない。
「あたしたちの宝石は分けてあげるけど、瘴気がこもって人の体には毒」
 邪妖精は論外だった。
「物資が無いのにどうしろってーのよ」
 王子は上半身裸のまま苦悩した。
 役に立たないと分かっていたが、中断した会議にアギラは呼ばれていた。
「ん、金ならあるぞ」
 体の中から吐き出されたのは、百枚近い金貨だ。
 呆然と、王子はそれを見ていた。
「あ、あ、アギラ、あんた最初から出しなさいよ。それにこれ、貴族金貨でこっちは古代金貨じゃない。よかった、これでなんとかなるわ」
 バルガリエルなら全部くれるだろう。たしか、唸るほどあったはずだ。
「あとロイスさんから貰ったのもあるよ」
 やることがなくてついて来たユウも、マルガレーテお嬢様護衛の報酬である貴金属を差し出した。
「早急に、お金になる産業つくんないと、すぐに破綻するわよ」
 とは言われても、山の幸以外に何も無い。
「食料は近くの農村を襲ったらいいだろう」
「そんなのじゃ足りないの。砦を維持する人手に三百はいるのよ、略奪だけで賄うなんてできないわよ」
 アギラの非道な発案は却下されたが、山の民は全くと言っていいほど市井に通じていない。当たり前だ。
「畑とかないもんねぇ。ていうか、どこから買うつもりなの。アーサーは?」
 王子様、から名前に変わったのに驚いたのは、アギラだけだった。
「商人っていうのはね、どんなとこにも現れるのよ。命より金。ロイスの領地やハジュラにいくのはさ、この砦の街道を使うのが一番速いの。蜥蜴山脈の迂回ルートは幾つかあるんだけど、他は時間がかかりすぎるのよ」
 金より命の商人は、それでも多いものではない。細作を使って、今は噂を広めているところだ。
 邪神の信徒は続々と集まってくる。彼らはそれなりに保存食などを持ち込んでくるのだが、それが足しになるものでもない。
「おお、アギラ様だ」
 邪神の信徒たちは、なぜかアギラの姿を見かける度にありがたいものでも拝むかのようにして祈っていた。中には感極まって失神する者もいたりで、居心地の悪いことこの上ない。
「大人気だね」
「ちょっと違うと思うぞ」
 邪神の信徒たちは、一つの神を崇めているという訳ではなく、土着の宗教の集合体のようなものだった。シアリス正教に弾圧され、改宗を余儀なくされた者たちであり、半ば亡命のようにして砦にやって来る。
 邪妖精たちが、女王から託された物資を運んできたが、瘴気でまともに触れられない宝石は、宝物庫に収められた。クチナワ代官の隠し資産の入っていた場所なのだが、砦が陥落した際には何も残っていなかった場所だ。
 王子が精力的に働いている間、アギラとユウは狩りに出かけたり肉体労働を手伝ったりで、政治においては何の役にもたたない王様だった。
 アギラとユウがだらだらしていると、休息を取れたアーサーがやって来る。
「あんたたち、仲いいわねぇ」
 どこか呆れたように言うと、二人の間にむりやりケツを入れて座り込む。錬兵所の日陰に座り込んでいるトップスリー。
「アギラさんとはなんにもしてないよ。あたしは別によかったんだけど」
「返答に困ること言うなよ」
「はいはい、いいわよその辺りで。あんたたち、アタシのこと信用してんの?」
 本気の問いかけに、しばし沈黙があった。
「信用っていうか、今の流れだと裏切ることもないだろうし、それに、お前いつも必死だからな。考えなかったよ、そういうのは」
 アギラは言うが、どこか歯切れが悪い。
「あたしは信用してるよ。理由はなんとなくだけど。ああ、アギラさんもそう言いたいんだけど、ほら、ツンデレだから」
 誰がツンデレだ。
「アハハ、あんたたち、ここに来てよかったわ。あんたたち、ほんとにおかしいもの。こんなの、ゾレルみたいなのがいるなんて」
 何がおかしいのか、アーサーはひとしきり笑うと、笑みを浮かべたまま立ち上がった。
「あー面白かった。じゃあまた後でね、王様たち」
 なんともよく分からないが、彼はそれを確認したかったようだ。
「王子もツンデレだねえ」
「それ、使い方間違ってると思うぞ」








 シアリス正教と竜王の騎士団が敗北したことにより、バロイ砦周辺の治安は悪化していいた。
 山賊が村々を蹂躙し、今まではなりを潜めていた邪神の信徒たちが教会に火をかける。さらに、無法のならず者たちが宿場に吸い寄せられていた。
 七台の高級な馬車が、バロイ砦に最も近いイズモの宿場に入ったのはその日の正午のことだ。
 荷を守るために残った護衛は、揃いの衣装を身につけ、通りに群がる無法者たちを睨みつけながら、その手の得物を手の中で遊ばせている。一目で、カタギとは縁の遠い者たちであることは分かった。
 ハジュラとガザの最新ファッションである衣服を纏った彼らは、取囲む無法者たちを全く恐れていない。
 一方、宿に入った一団は、リーダー各と思しき女が主人に詰め寄っているところだ。
「部屋はあいてますが、そのう」
 酒場兼宿のグリムイン、その店主は女に睨みつけられて、気の毒になるくらいに顔を青くしていた。
「泊められないってことだね」
「は、はあ」
 そんな中で、酒場のテーブルにいた男たちが立ち上がる。
「ここは、俺らが仕切ってんだぜ」
 数で勝っているとはいえ、二十人の一団にタンかを切ったのは、どこにでもいる小悪党風の男だった。女に睨まれて、奥にいた男の影に隠れる。
 マントをつけた黒髪黒目の、見慣れない刀をつけた男だ。この男、タツヤ・イスルギと名乗っている風来坊である。悪党のボスとして山賊家業を続けるヴァルチャー・オンラインの異邦人だ。
 侍、レベル22。専用装備の鎧と刀しか身につけられないが、気を使った強力な攻撃スキルを持ち、攻撃魔術を行使できる上級職だ。
 マントは鎧と武器を隠すためのもので、彼は山賊としてこの世界に馴染む無法者だ。力を行使することにためらいを持たない、この世界での辛い生活は彼をそう変えていた。悪党たちとの生活で、タツヤに油断は一片も無い。同郷の者、より高レベルの者を数人斬っている。
「どこのお人か知らないが、ここにはここのルールがある。荷の半分は置いていきな」
「クチナワの関税よりひどいじゃないか。聞いてられないね」
 間合いは五メートル。タツヤの射程内だ。
「そうかい、じゃあ」
 と、そこまで言った時、女が小さなものをバッグから取り出して、引き金をひいた。とっさに身をひねったタツヤだが、兜をつけていないのが災いして耳が飛んだ。
「おのれっ」
 動こうとした時には、女の背後の一団が鎖分銅を投げつけていた。さらに、無言で迫った彼らは隠していたボウガンを一斉に発射した。背を向けた女はバーカウンターのランプを取ると、いつのまにかくわえられた葉巻に火を点けていた。
「化物っていってもね、噂の狂戦士とアギラでもなきゃこんなもんさ」
 紫煙を吐き出した女は、つぶやいて、暖炉から火かき棒を取った。今の季節は使われず、煤にまみれたそれをレースのハンカチで握ると、槍で滅多刺しにされたタツヤの前に立った。剣は取り落とし、立ち上がることもできない彼の瞳が女を見る。
「金貨三枚の賞金首、毎度お世話様」
 額を、鋭い火掻き棒が貫通した。
「みんな、そいつらの中にも小遣いがいるかもしれないよ。取った者勝ちだ」
 白い、上等な衣服のヤクザ者たちは、それぞれ得物を取り出して悪党たちに襲い掛かる。女は、カウンターのバーテンに包丁を持ってこさせると、タツヤの首をはねた。
 血が、女のコートに降り注ぐ。
 そのまま、周囲の喧騒を無視して外に出た女は、首をぽんと荷車の前に向けて放り投げた。
「あんたらのお頭はぶっ殺したよ。さあ野朗共、掃除の時間だ」
 荷車の護衛にいた男たちが手の武器を持ち直し、荷車に隠れていた者たちも飛び出した。恐慌状態に陥っている無法者たちは、血反吐を吐かされてうずくまったり命乞いをしたり、一方的な戦いだ。
 それを眺めてから、女はゆっくりとグリムインの主人の元へ歩んだ。
「掃除してやったんだ。宿代は半分にしな」
 宿帳を取ると、彼女は服の胸元から取り出したペンでサインをする。
 リンガー商会。
 主人は、それを見て腰を抜かした。
「ちゃんと料理は出すんだよ」
 ハジュラの都で半年ほど前に設立された新たな商会組織。ヤクザ者たちの抗争の中から生まれた半非合法組織である。今では、ハジュラの闇で最も恐れられる組織であった。
「さてと、一泊して、ついにアギラとやらとご対面か」
 中ほどまで灰になった葉巻を落として踏みつけると、馬車から降りた貴婦人に、女は頭を垂れた。
「ミス・エリザベート、今はこのようにむさ苦しい状態ですよ」
「いいえ、いいのよ。彼もいるんだし、馬車の中だと退屈だわ。それで、サムライというのはどんなものだった?」
「仲間にする価値もありません。ただの小悪党でした」
「アリスが言うなら、間違いないでしょう」
 貴婦人エリザベートはアリスと呼ばれた女の青い髪をなでる。返り血で乱れた青い髪のシャギーを手櫛で整えた。
 赤毛の貴婦人は、血で汚れた手をハンカチで拭きとって捨てた。
「俺が出る幕も無かったな」
 と、声が響いて宿の二階から、ぼろぼろのコートに身を包んだ男が飛び降りてくる。着地と同時に、がしゃりという音が鳴った。
「ふん、あんなヤツあたしらだけで充分さ」
「あらあら、その汚い格好はよしなさいと何度言ったら分かるの。わたしたちはもうヤクザじゃないんだから。リンガー商会は商取引の企業なのよ」
 ボロをまとい、革のマスクを被った男。マスクの穴から、青い光が漏れている。
「とりあえず、その汚くてダサいマスクはなんとかなさい」
 貴婦人の言葉に、男はマスクを脱いで、エリザベートに手渡す。
 それは、見ようによってはフルフェイスの兜にも見えただろう。鋼鉄で形作られた頭部、目と思しき部分には青い光が宿っていた。人のものとも、異形のものとも違う頭部。全身が鋼で形作られた『機人』。機銃を使用することが唯一可能な職業タイプ。
 魔銃を使う銃士とは逆に、遠距離攻撃は持たないが、近距離のレーザーブレードと内臓式マシンガン、腹部プラズマバルカン、異形と同じ特殊種族だ。
 ヴァルチャー・オンラインでは、あるゆる回復施設と回復アイテム、回復魔法の効果が無効。休息意外の回復手段が存在しない。また、固定装備以外の武装が不可能。ステータスダウン攻撃無効、雷撃に300パーセントダメージという特性を持つ。
「シャルロットお嬢様の作ってくれたマスクだ、捨てたら殴るぞ」
「ミスエリザベートになんて口の利き方だ貴様ッ。ここで叩き壊すぞ」
「アリスにタキガワ、やめなさい。タキガワ、あなたは私の護衛について、アリスは掃除を進めなさい。いいですね」
 ミスエリザベートは、出来損ないの、被ることでより凶悪に見えるマスクに微笑むと、機人タキガワへ返した。彼は、またもそれを被る。
「まあいいわ。でも、そのコートはそろそろ変えなさい。買ってあげるから」
「すぐにボロくなる……」
「それでも変えるの、いいですね」
 宿の一番上等な部屋に消えたエリザベートを見送って、アリスは馬車から愛用のハンマーを取り出して掃除に参加した。その背中を、タツヤの生首が恨めしげに見つめていた。






 忍者たちの報告で、王子はため息を吐いていた。
「なーんでアタシの死体が王都にあるのよぉ」
 と、口では言っていても、半裸の王子様はもう理解している。
 錬兵所の青空の下でテーブルを囲む一同は、忍者の持ち帰ったをまとめる王子に多様な反応を向ける。
 前回の戦で、王子は完全に亜人から迎え入れられている。相続争いなどに無縁な彼らでも、勝手に自分が死んだことにされたら困るなあ、という程度でアーサー王子の状態は理解できていた。
「アーサーよ、生きているのだしそう悩むな」
 ガロル・オンの族長ショウの的外れな慰めに、アーサー王子、いや元王子は青空を眺めて自嘲的に笑った。
「ま、いいわ。次にしかけてくるのがロイスだってことが分かったしね」
 流石に、その一言には皆騒然となった。アギラとユウは単純に驚き、亜人たちは妖精族との対立に息を呑んでいる。
「おーい、ガファルとニンジャたち集合」
 アギラとユウの魔界語でたびたび忍者と呼ばれていた細作たちは、すっかりニンジャと呼ばれるのが定着していた。
 ユウに向けられたアーサーの視線で、彼女も頷く。ショウも理解したようだ。
 思い思いの作業をしていた忍者たちが集まるなり、アーサーは切り出した。
「シキザさんたち敵になっちゃったわ。当然、ロイス伯もこっちの敵よ。あんたたちどうする? 帰ってもいいし、ここで死ぬ覚悟でアタシ狙ってもいいし、残りたい、なんて人はいないわよね」
 ガファルは呆然と口を開けていて、忍者たちは無表情だがわずかに目が見開かれている。
「そ、そんな馬鹿なことが」
 ガファルがくってかかるが、アーサーは口元に人差し指を立てて黙れの合図。
「一応監視つけるけど、シキザさん帰ってきたら相談してね。それじゃ解散」
 忍者たちは信じられないアーサーの言葉に固まっていたが、すぐに散った。彼らは彼らなりに、ここに居心地の良さを感じている。ガファルに至っては、溶け込んでいると言っていい。
「悲惨なことになったな」
 青空の下で触手を栗のように無数に出したアギラが、アーサーに向けて言った。
「うーん、予測できたことなのよ。でも、こんなに早くやるなんて思ってもなかったわ。ロイスは、アタシを捨てていいくらいの切り札を持ってるってことかしらね」
「頼まれた仕事はしたし、敵に回すのは別にいいけどね。あのイケメン団長が厄介なんだよねぇ」
 雷鳥の騎士団だけならば、なんとでもなるだろう。しかし、背後から雷鳥の騎士団、大河側から別の敵、となった場合には勝てる見込みが無い。
「我等も、妖精族との対立は避けたいところだ」
 蛙人間スレルのジ・クの言うことはもっともだ。ロイス伯爵領の妖精の森は、妖精郷と呼ばれる空間に通じており、そこには強烈なパワーのトレントやゴーレムがひしめいているという。その潜在的なガーディアンのおかげで、ロイス伯爵領はレミンディアの辺境でどこからも侵略を受けなかったのだ。
「どこか味方作らないとね。そのためには、残った時間で情報とコネ作りよ」
「つーか、残った時間って、すぐ来るんじゃねえのか」
 アギラの問いに、アーサーは人差し指を振って答えた。
「いいこと、この砦を攻略したいヤツらはたくさんいるのよ。ここを奪回したってことは英雄様になれるの。相応のタイミングと相応の立場のヤツがくるってこと、それには時間がかかるわ。少なくとも、半年くらいは稼げるはずよ」
 内心で、アーサーはあと五年欲しいと歯噛みしている。顔には出さないが、そま胸中には激しい焦りがあった。
「妖精王となら、女王様がお話できるわ」
 歌うように、邪妖精がふわりと舞って囁いた。
「邪妖精の女王ね、会ってみることができるのかしら?」
「やめといた方がいいよ。死ぬほど怖いもん。もうちょっとで漏らすとこだったし」
 ユウが本気で止める。実際、少し漏らしていた。胆力がどうこうという問題ではないのだ、アレは。
「人間があそこにいったら、多分死ぬぞ」
 アギラまでが止める。使えるものならなんでも使う、というのは普通の相手に対してだけだ。邪妖精の女王はそういったものを超越している。
「ふふふー、ダメよお。王子様は瘴気で死んじゃうから」
 邪妖精が歌う。
「シアリスを敵に回してくれるとこなんてどこにあるってのよ。あー、もう、どうしたらいいのよこれ……。ちょっと頭冷やしてくるわ」
 席を立ったアーサーを引き止める者はいない。彼がこの程度の逆境で消えるようなタマじゃないのは皆が知っている。でなければ、あの戦を前にして嬉々としてなどいられない。
 そうこうしている数日の間に、遂に砦の通行を願う隊商が現れた。
 亜人や邪妖精に怯えていた商人だが、クチナワ代官のころよりは多少良心的な関税には飛びついた。ゴブリンが何かと買い求めたこともあり、彼の蛮勇で通行者は増えることになるだろう。目的地についた商人は、バロイ砦の通過を情報量こみで垂れ流すのだ。
 税収があれば、何かと売りつけにくる連中もいる。足りなかった物資はアーサー元王子の指示で、アギラの金貨で購入していく運びになった。
「俺の金なんだけどなあ」
 実際はバルガリエルの金だ。
 夕暮れの時刻、十台近い馬車が砦の通行を求めてきた。全て、高級な乗合馬車のような黒塗りで、ある程度の貴族でなければ乗れないように代物である。
 アーサーの指示で中に入れてから検分になったのだが、ユウとアギラも連中の剣呑な雰囲気に、いつでも飛び出せる体勢を取っている。
「ギャングかよ」
「カッコイイ」
 アギラとユウは素っ頓狂な連中に見とれてしまった。
 全ての馬車からは、サスペンダーと黒ズボンの男たちや、男装にツイードハットの女、さらに、最後に開いた馬車からは日傘をさした貴婦人とボロをまとったマスク男が降りてきたのだ。
 禁酒法時代のギャングのような連中は、手に持った武器を隠そうともしない。
「お初にお目にかかります。ハジュラより参りましたリンガー商会、副社長のエリザベート・クセファ・リンガーと申します」
 貴婦人が優雅に名乗り一礼するが、部下たちは臨戦態勢だ。
「ここで財務官みたいなことしてるアランよ。ものものしいけど、通行料は変わらないわよ。積荷が人だけみたいだし、全部で銀貨二枚でいいわ」
 偽名を名乗ったアーサーは、怯むことなく応対した。いつもの半裸である。
「ホホホ、アーサー様のお間違えでございましょう。邪神の砦にはるばる参ったのは、アーサー元王子に用があったからですわ」
 どう聞いても挑発にしか取れない。ですますで喋っているが、礼儀はわざと無視している。
「ふうん、話なの? 命ってなら、こっちも相手するけどさ」
 ガロル・オン、そしてリザードマン、さらには弓を構えたゴブリン。邪妖精は戦いの歌声を上げている。
「ケッ、死んだことになった王子が偉そうに」
 ツイードハットの女、アリスが肩がけにしたハンマーをもてあそびながら、挑発した。
「だからさあ、そういうのいいから話か命か答えてよ」
「さすがはバロイ砦を勝利に導かれた王子様。お話ですわ、それもビジネスの」
「あら、いいわね。ここの風って気持ちいいから、そこのテーブルでお話しましょ」
 トレルが椅子から降りて、場所を空けると、カード賭博をしていた亜人たちがいっせいにテーブルを片付けた。
 テーブルに対面で座った二人の後ろに、それぞれの仲間たちが睨みあうように直立する。
「ハジュラと違ってよい風ですわね」
「大自然しかないもの。これで空気がまずかったら詐欺よ」
 詐欺のところをわざとらしく強調すると、エリザベートの背後でアリスが舌打をした。アーサーが注視していたボロをまとったマスク男は、ゴブリンの持っているガラクタを興味ぶかげに物色している。そこからは、笑い声まで聞こえた。
「シアリスと竜王が卑怯な手で負けたとか、負け犬の遠吠えをしておりましたわねえ」
 卑怯と負け犬を強く言うエリザベート、ご丁寧に背後の連中も口元を笑みに歪めている。
 亜人たちは、今ひとつ意味が分かっておらず、変なヤツラだなぁ、と思っているにすぎない。
「嫌味合戦だよ。凄くないあの人?」
「まーた変なことになるんじゃねーのか」
 ユウとアギラは物陰で見物していた。
「ま、いいか。こういうの久しぶりで楽しかったわ。アタシが公式に死んだの知ってて、それからここにいるアタシが本物だって分かってるゴロツキがどういう用なの?」
 今度は全く普通に、気軽な世間話をするかのように、元王子は尋ねた。
「あら、わたしも楽しかったんですけど。実を言うと、我々はハジュラのコカク侯爵の手下なんですよ。王家簒奪を企てておりまして、お力をお貸し願おうと」
「あら、あんたコカクって言ったわね。ってことは、ゾレルについてんの?」
「ゾレル様の言う通り、それだけで察せられましたか。その通りですわ。今は亡きイシュルテ様の忘れ形見、ゾレル・コカク侯爵を王とするため、リンガー商会は立ち上がったのでございますわ」
 アーサーは、犬歯をむき出しにして笑った。ああ、この凶相が王子の本当の顔だ。
「思い出したわ。リンガーね、そう、あなたが長女?」
「ええ、つい先日まではハーラルの情婦でしたが、今はリンガーに戻りましたわ」
 ふと、エリザベートはガラクタに夢中になっているマスク男を見やった。
「ふうん、じゃあ証拠見せて。ゾレルとアタシだけしか知らないことがあるわ」
「初めての交渉は十一歳の時、ミレイユという侍女だそうですわね。二人共にお相手をされたとか。今でもお持ちのようですわね。ゾレル様と王子、ミレイユの三人が持つ指輪。占星術師のラドが三人の記念に作られた『愛欲の蛇』でしたか」
 懐かしいものを思い浮かべた王子は、うなずくだけだ。
「ミレイユはその後、お手討ちになったそうですが、ゾレル様が墓標を作られました。その場所は、遠乗りで出かけて三人様が愛欲に濡れたハルネスの別荘地だとか」
「初めての女は忘れないのよねぇ。今もつけてるわよ」
 と、右手の小指にはめたルビーの指輪を見せた。悪趣味なデザインだ。
「ミレイユの最後の言葉は『神様のバカ』ですわね」
「ふふ、あんた悪趣味ねぇ。もう一つ答えて、ゾレルの頼みは?」
「いいえ、これはわたしの独断ですわ。今のままでは、苦しいことになります。もう王子、宮廷の、ゾレル様の側にお戻り下さいませ。報酬は、われ等リンガー商会の力、ひいてはゾレル様が王となられた後の助力にございます」
 すぐに用意できるのはヤクザ者のちょっとした力。そして、成功するかどうかも分からないのに、命をかけて戻れという。
「ゾレルなら、言わないでしょうね。アタシの望みを知ってるもの」
「それ故、わたしが参りました」
「ごめんね、でも断るわ。今のここには、アタシが必要なの。彼らを裏切れないわ、それにゾレルは望んでないのよ。友達でいられないわ」
 はっきりとした拒否である。
「無理にでも、と言ったら?」
 エリザベートの背後で危険な空気が蠢いた。殺気に、亜人たちも血に飢えた顔を見せる。
「アーサー、行けよ。こっちはこっちでなんとかする、ゾレルってヤツが大切なんだろ」
 と、意外な一言を発したのはアギラだった。
「な、王様がそんな言うんじゃないわよっ」
 エリザベートは、闖入者に訝しげな視線を送る。イーティングホラー、危険な化物だ。しかし、これは確実に噂の異形だ。
「このままじゃどうにもなんねえって、お前が言ってただろ。くだらねえ理由つけてないで、やることやれ」
「あ、あんた、いつも聞き役のくせに、こんな時に何言ってんのよ。そんなこと言うヤツじゃないでしょ」
「お前がいなかったら俺も破滅する。前からチャンスはいつもこんな状況だったんだ、だったら今度もそうだろ。やろうぜ」
「そうそう、珍しくアギラさんが熱いこと言って、ぶっちゃけいうとブツブツ言ってたからあたしがけしかけたんだけど、やろうよ」
 ユウまで現れて加勢する。
『王子の根性見せてやれ』
 邪妖精が歌いはじめ、今度はショウやスレルが『友のために行くとはアーサーは男だな』などと状況が分かってないようなことを言う。
「決断の時ですぞ、王子」
 ガファルまでが言いだした。いや、彼の場合は脳の大部分が筋肉でできているために、友情は麗しい程度の認識だろう。
「あんたたちは、ここがどうなると思ってんの。あとどれくらい時間があるか、ほんとに分かってんの」
「分かってるから、賭けに出るんだろうが」
 アギラに言われて、アーサーは髪をかきあけで黙り込んだ。そして、低く笑い始める。
「フフ、アハハハハ、そうだったわね、亜人、いいえ、アギラとユウの国は、アタシと一蓮托生。そうね、ビビってる訳にいかないもんね。ミスエリザベート、行くわ。細かいこと詰めるのはいつがいい?」
 この状況に、呆気にとられていたエリザベートは、慌てて説明を始めた。
 ハジュラ王家簒奪作戦。
 この日、レミンディアの真の王子は生き返ることを決めたのである。



[1501] Re[8]:ヴァルチャー
Name: ポンチ◆ebd5b07d ID:440294e0
Date: 2007/09/30 21:57
 メーターの振り切れ具合で、人選があった。
 アーサー王子は天凛に恵まれて天命に見放された男だ。
 死人をやめた今、彼はその天命を見つけた。






 第九話 あのね、ちゅうして






 上半身裸の王子様は、リンガー商会と共にハジュラへ行くのに数日の猶予を取った。
 今後のことをユウに引き継ぐためだ。この世界の言語を話すことはできても書けないユウは、おいおいジ・クから読み書きを習うことになった。アーサー王子は、言葉の問題を抜きにして、仕事に連れまわして色々と教えている。
 ほとんどはジ・クやショウがやることになるのだが、ユウはリーダーとして必要なことを教え込まれているということだ。
 重要な点だけを教えるのに、たった数日というのは短い。それでも、アーサーは行くことを決めた。
 出立の日、迎えの馬車を待つその時になって、王子はようやくまともな服を着て現れた。どこかの貴族の坊ちゃんのような姿に、砦の一同は爆笑である。
「服って暑いのよねぇ」
 今までの裸生活で、久しぶりに着たヒラヒラの高級服がやけに重たい。
 一方で、問題が起こっていた。
「やーだっ、ダメ、絶対ダメ」
 ユウがアギラに詰め寄っている。今にも剣を抜きかねない勢いだが、誰も助けに入ろうとする者はいない。
「仕方ないだろ。それに、ユウは一人で大丈夫だ」
「だめ、アギラさんが行くならあたしもいく」
 アーサー王子と共にアギラも行くことになっている。それは最初に決まったことなのだが、ユウには伏せていた。直前に言ったこともあり、ユウは今にもアギラを殺しかねない、そんな状態であった。
「ユウ、帰ってくるから少し落ち着け」
「嘘つくでしょ。アギラさんってそういうとこで平気で嘘つけるよね。分かってるのよ、今までも、いっぱい無理してあたしと同じってことにしてきたでしょ。ねえ、嫌になった、あたしがおかしいから嫌になった」
「ユウの頭がおかしいのは最初に会った時からだろ。もう慣れた。アーサーが失敗したらなんとか逃げてくるし、大丈夫だ」
「じゃあ明日帰ってきて。それか、アーサー殺してくる」
 今にも本当にやりそうなユウに絡みついたアギラは、剣を抜こうとするのを触手で止める。
「無茶言うな。お前も俺も、ここがなくなったら行くあてがない。いいか、二ヶ月くらいだ。それに、簡単に死なないのは知ってるだろ」
 体の半分を吹き飛ばされても生きていた。人間には無理だ。
「ダメっ」
「ダメでも俺は行く。みんなお前の力になるんだし、ピンチになったらすぐ行くから、納得しろ。仲間だって言っただろ俺は」
 ようやく、ユウは力を抜いた。
「絶対、帰ってきてね。逃げたら追いかけて追いかけて」
「分かってるから怖いこと言うなよ。なんとかなるから任せとけ、王子もいるしな。その間、ここのこと頼む。シキザさんのことも含めて、な」
「うん、分かった」
 渋々だろう。目には涙がたまっていたし、ダダをこめた際にぶつけた手が、壁の石組みに亀裂を入れている。
「あのね、ちゅうして」
「ストーカーみたいなこと言うなよ」
「ダメ、約束のちゅう」
「しねえよ。だってユウ、お前それで暴走して愛してるって言わないと殺す、とかなるだろ」
「ううう」
 涙目で睨んでくるが、それは却下だ。
「仲間だろ。俺はお前のためだけにいる訳じゃないんだ。ユウもそうしろよ」
「バカ、死ね。アギラさんのバカ」
 バカはお前だ。
「はいはい、心配してくれたのは感謝する。そこまで弱くないんだから、あんまり心配するな」
「アギラさん弱いから。うん、でも落ち着いた。帰ってきてね」
「ああ、ユウもちゃんと仕事しろよ」
 死ぬかと思った。
 見送るユウを背にして、待っていた王子と合流して馬車に乗り込む。
 亜人たちの見送りの中で、ユウは剣を抜いて手の代わりに振っていた。
「どう、アタシのアドバイス効いたでしょ?」
「イカレてるのは分かってたが、ここまで凄いことになるとは思わなかった」
 やつれたように見えてしまって、アーサーは笑った。依存性の強い関係に問題があるのは分かっていた。特に、ユウは誰かに必要とされたい、という気持ちが強い。なのに、人に心を開かない。強く見せることだけはしっかりとこなしている。
「帰ってこれたら、成長してんじゃあないかしら。多分」
 アギラの問題も分かっている。彼は、どこかしら自棄になっているところがある。それは、随分と昔から続いているもので、彼も気づいていない諦めのようなものだ。なのに、人を助けることには必死になる。善を行おうとしている。行動は、自分のためには全てを犠牲にして厭わないというのに、彼は善を求めている。
「頼むわよ、アギラ。護衛ってだけじゃなくてね、突破口を開くには力がいるの」
 この状況を切り開くには、突拍子も無い力が必要だ。ユウの力は、『力』でしかない。アギラにはそれ以外の何かがある、そんな気がする。アーサーは、根拠の無い確信でそう思っていた。






 ハジュラの都、夕闇通りは悪徳の支配する無法地帯だ。
 公的には江戸時代の吉原のような国の認めた娼婦街なのだが、現在はそれよりも貴族の介入できないヤクザ者の支配する自治区の意味合いが強い。
 特殊な地区であるのは元々だが、夕闇通りがこうなったのには理由がある。本来はラザンテ区なのだが、この地を管理するラザンテ侯爵が治安維持と裏社会の手綱をとるために、ラザンテ区にヤクザを押し込んだのが始まりだ。
 彼らの自治とラザンテ侯爵の癒着で、上手くいったのは百年ほど。そこから後は、力を持ちすぎたヤクザ者が取り仕切るようになった。侯爵家に跡継ぎが生まれず、女系の血筋だったことも災いして、婿養子であるベルロイ・ラザンテがヤクザの仕向けた男だったことが決定打になり、軍ですら入れない無法地帯が形成されることになった。
 ここまで最悪な状況になるには、幾つかの奇跡的な不運も関与しているが、今は省く。長らく拮抗していた裏社会の勢力図だが、今はリンガー商会とハーラル一家の二大勢力が抗争を繰り返している。
「これはウニといって、時の王が莫大な財宝と引き換えにしたと言われる伝説の食材ですわ」
 壷におさめられたチクチクした棘を無数に蠢かせている黒くてツルツルした不気味なものを、取締官は気味悪そうに見た後で、フタをした。
「通ってよし」
 アギラはウニとして無事にハジュラに入国し、アーサーは袖の下を使って簡単に入国できていた。
「あんたおしとやかな喋りもできるのねぇ」
「はんっ、バカ王子が」
 以前にエリザベートが来た折に護衛についていたアリス、彼女が今回の迎えと護衛だった。アギラを見て露骨に顔をしかめたが、王子の条件なのだ、仕方ない。
「口の悪いチンピラねぇ」
 壷から触手を一本出したアギラは、アリスの肩を叩く。振り向いた時、触手に小さく悲鳴を上げていた。
「メシをくれないか。なんでもいいから生きてるものがいい」
「わ、わ、わかったから、触るんじゃないよ」
 わざとである。しばらくして、市場で鳥を買ってきたアリスは、おっかなびっくりで蓋を開けると、また小さな悲鳴を上げてニワトリに似た鳥を放り込んだ。
「羽が邪魔だな」
 と、アギラの声が聞こえたが、にわとりの断末魔と、バキバキと噛み砕く音が響いて、アリスの顔がどんどん青くなっていく。バロイ砦でもっと酷いものをたくさん見てきたアーサーにとってはこの程度日常の景色だ。
「さてと、アギラ、しっかり護衛お願いね」
「任せろ。最近になってようやく体の使い方が分かってきた」
 なんとも頼りない話である。
 馬車にゆられて、夕闇通りの大門についた。大門とはその名の通り、外部と町を繋ぐ唯一の出入り口である。
 下水からでも自由に出入りできるのだが、アギラはあえて言わなかった。ハジュラの懐かしい匂い、人と脂の匂い。
 馬車を降りたのは、四階建て、というよりはいつのまにか四階建てに変化していたツギハギ建築の大きなビルの前だった。
「クーロン城みたいだな」
 壷を抱えた王子は、またしても魔界語を使うアギラを無視した。
 細い入り組んだ通路を何度も曲がり、たどりついたのは、リンガー商会の者たちがたむろする酒場のような場所だった。
「ようこそ、リンガー商会へ。快く引き受けて下さって、感謝いたしますわ」
 ミス・エリザベートが恭しく頭を下げた。それに対して王子も、しっかりとした礼儀作法で「ご招待に感謝申し上げます、レディ」などと返している。
 アギラは、そこに入った瞬間から、件の機人に目を向けていた。向こうも同じく、ちりちりとした殺気に触手が反応する。
「久しぶりね、アギラさん」
 と、声をかけてきたのはシルクのドレスに身をまとった女である。髪と顔立ちに見覚えがあった。
「ああ、シャルロットか。久しぶりだな、今度はヤクザの女にでもなったのか」
「失礼ね。こう見えても、リンガーは男爵家なのよ。もっとも、今じゃこんな感じだけど」
「そうか、波乱万丈だな」
 数ヶ月前に少しだけ関係性のできた女、こんな風に再会するとは思っていなかった。
「お嬢様、危険です」
 と、機人が壷のフタを開けようとしているシャルロットを制する。
「なんもしねぇよ。ガラクタ野朗」
「んだと、このクソ化物が」
 気にいらねぇ。
 これがバロイ砦で出会った時からのお互いの感情だ。理由がある訳ではない。一方はぴかぴかのコートを羽織って、頭に革のマスクをつけた変態、もう一方は壷から触手を吐き出している異形。どちらも化物だ。
「ちょっとやめてよ、タキガワ。あの金貨でどれだけ助かったと思ってるの」
「知るか。そんな金くらい俺がなんとでもできる」
「ミスエリザベートの前だよっ、見苦しいマネはよしな」
 アリスの一括で、アギラもタキガワも睨みあいを中止した。
「悪いけど、アギラさんはここで待っててね」
 エリザベートに促されたアーサーはいとも簡単に護衛を手放した。アリスやタキガワ、シャルロットもそれに驚きで応えている。
「……分かった」
「じゃ、また後でね。皆さんと親睦深めといて」
 エリザベートも顔には出さなかったが、後ろをついてくるアーサーの胆力に舌を巻いていた。ここで引き離されたとして、彼の立場なら暗殺されてもおかしくない。信用しているのか、と問われれば、彼はそこまで単純な人間でもないだろう。
 壷から這い出したアギラは、人間の形態を取って、奇妙な歩き方で空いている椅子に座った。
「薄気味の悪いヤツだね」
「何かいったか、ア・リ・スちゃん」
 似合わない名前なのは誰でも思うところだ。一瞬で、顔に鬼気が宿る。
「あァ、化物が今なんつった」
「別に、アリスちゃんが何か言ったみたいだが聞こえなくてな」
「おい、ハンマー持ってこい」
 酒場のカウンターにいたバーテンが、長い柄のついた細身のハンマーを投げる。空中でキャッチしたアリスは、肩にハンマーを置くと、中指をたてた。
「ミスアリスって呼べよ、化け物」
「アリスちゃんの方が似あうぞ」
 困ったように笑ったアリスは、次の瞬間にハンマーを振り下ろした。アギラの座っていた椅子が砕ける。アギラは形を変えてかわしていた。今は、砕けた椅子の隣に佇む黒い塊だ。
「おい、お前ら手ェ出すな。こいつはあたしにケンカ売りやがったんだ」
「誤解だぜ、アリスちゃん」
 鋭い風を斬る音共に、ハンマーが振り下ろされる。握りの位置を変えることで短い距離にも対応していて、それはケンカで身に着く技術ではない。
「あの野朗、アリスをやったらぶっ殺してやる」
 と機人タキガワが唸ると、シャルロットがたしなめた。
「多分、アギラさんはそういうことしないと思うけどねぇ」
「お嬢様、確かにアレの金貨がきっかけになったかもしれませんが、あいつはいい人なんかじゃありませんよ」
「それはあなたも一緒でしょ。ていうか、ジェラシー?」
「うっ、いや、その」
 人生をやり直すのは、結局こんな形になった。金貨で姉妹を取り戻し、タキガワを雇った。一時は死のうとしていたエリザベートを思い直させて、タキガワと共に始まったリンガー商会は、今や悲願に向けてあと一歩の所にまで進んでいる。
「そうか、一対一ならこうしたらいいんだな」
「何を言ってんだいっ」
 ハンマーを華麗に操るアリスとはいえ、十分以上振り回すのは辛い。
 少しずつ、触手を伸ばしまくって戦うのは悪い方法ではない。だが、同郷のバケモノたち相手では、不利になる。重戦士ヒロシとの戦いでそれは分かっていた。相手を疲れさせ、隙を見つけて攻撃する。そういう人間的な戦いと、本能のままに触手を繰り出して血を吸う戦い方、時々に切り替える必要がある。
 アリスの間合いに入り、まともにハンマーの一撃を受けたアギラは、殺気の緩んだ一瞬で、形を変えてアリスにからみついた。
「うわっ、気持ちわるっ、放せ、あー、やめ、やめろって」
「俺の勝ち」
 耳元で囁いてから、拘束を解除して離れると、アリスは息を荒くしてハンカチでアギラの絡みついた所を拭いていた。
「お、お前、風呂に入らずに森とか走り回ったり沼に入ったりしてないだろうな」
 アリスが叫ぶが、最近は毎日井戸水で体を洗っている。
「どんな生活を想像してるんだよ」
「汚いのは嫌いなんだよっ」
 返り血は平気で、沼や森が苦手なのは納得いかないものがあったが、「あー気持ち悪い」と言いながら「風呂いってくるわ」とハンマーを放り出してアリスはいってしまった。
「悪い人じゃないのよ、気を悪くしないでね」
 シャルロットが半笑いで言うがアギラは触手を振って応えただけだ。彼女と話すだけで機人が睨みつけてくる。勘弁してくれよ。
「おうバケモノ、アリス姐さんと互角たあやるじゃねえか」
 ヤクザたちも、睨むのを止めて、バロイ砦攻略戦の話をせがんでくる。仲良くしておくに越したことはない。ということで、多少脚色の入った狂戦士ユウの物語を披露することになった。






「へえ、じゃあ手回しはすんでるってことね」
 ゾレル・コカクは今現在虜囚として王宮の西の塔に軟禁されている。ハジュラ王のゾルトール三世、その若き日の過ちこそがゾレル。コカクである。
 ゾレル・コカク、平民と同じくミドルネームを持たない。それは、コカク家が侯爵から男爵にまで落とされた上に課せられたペナルティだった。
 イシュルテ・コカクとゾルトールの不倫によって生まれたのがゾレルだ。ゾルトールの第一王妃ミルレイファとハーラル一家の策略により、イシュルテは毒婦としての証拠を捏造され、さらには邪神の信徒とされた。
 コカク家当主のギリアム・カハクは、妻を売り渡すかのようにその捏造に加わり、イシュルテの火あぶりにはみずから火を入れた。イシュルテの実家であるリンガー家もこれを機に没落の一途をたどる。
 ゾルトール王はゾレルに罪はないとして、ギリアム・コカクとの不和もあるために、ゾレルをレミンディアに人質として留学させた。そこでゾレルとアーサーは出会ったのだ。
 アーサーは第一王子ながら、母の身分が低いために疎まれ、いつまでも女言葉の抜けない女漁りの暗愚として育てられていた。三つのころには侍女の股を舐めていた、などという噂も、暗殺の危機を避けるために乳母の流したものである。ゾレルとアーサーは厄介者同士ということで育てられた。
 アーサーのたった一人の友である。
「はい、救出の前に、我々はイシュルテ様の無実を知る大神官グラハムを探し出す必要があのます。そして、シアリスの言いなりであるレオン王子の暗殺」
「探し出すですって?」
 エリザベートと向かい合うアーサーは、そこで言葉を止めた。
「ホドリ監獄に大神官グラハムはおられます。看守に金を渡して出そうとしたのですが、グラハムは首を縦にふらないそうですわ」
「ゾレルの説得はアタシがやるけどさ。それは関係ないんじゃないの?」
「いいえ、グラハムは、あなたの知る人物ですよ。流浪の占星術師レドは、グラハムです」
 レミンディア宮廷に一時期入り込んだペテン師。アーサーの辺境治水事業の半ばで国を去った人物だ。
「ちょっと、なんでレドが大神官なのよ。あいつはヤクザのオッサンよ、確かに色々通じてたみたいだけどさ」
「ふふ、ご存知無いのは仕方ないでしょう。占星術師レドは、元はシアリスの大神官でした。司祭を凌ぐほどの信仰心としてシアリス内部でも高い地位にいましたが、失踪して名を変えたのですよ。彼は、シアリスの追っ手から逃げられぬと悟って、ホドリ監獄へ逃げたのです」
「あのクソ親父、アタシが匿ってやったってのに。なるほどね、彼を引きずり出してイシュルテ小母さんの無実を証明して、それからゾレルを王位につかせるために説得。さらに、第二王子それ以下の王位継承者を暗殺」
 そこまで言ってから、ふーっと息を吐き出した。
「面白いじゃない。とんでもない大穴狙いよね、それ。アギラならホドリ監獄には入れるし出れる。だけど、グラハムを出すのは無理でしょ。どうせ、買収した看守とやらも今頃墓の中なんじゃないの」
「さすが王子。同じくシアリスのクソ神に悩まされているだけありますわ。あのクソッタレの聖職者たちは、圧倒的な財力と情報力でどこの国にも食い込んでいますわ。近く噂されている新大陸の改宗のためでしょうね。各国の財を吐き出させて、海を渡ってまた同じことをやるつもりみたいですわ。このハジュラも、中立を謡いながらクソ神のいいなり、それで悪徳の都を名乗るなどおこがましいとは思いませんか」
 一息に言うと、エリザベートの顔に笑みが刻まれた。先ほどまでの静かな怒りは見事に消えている。
「あの頑固で頭の回るクソ親父のレドを説得すんのもアタシの役目なんでしょ。貸しがあるしね、潜入さえできたらなんとかなるわ」
「ええ、一つだけ方法があります。古代遺跡から、地下の大河を渡り、ホドリ監獄へ抜けるたった一つの道が」
 それは、太古の昔に栄えた今は名も残っていない王国、その遺跡の地下より通じる隠し通路。ハジュラの創設者である盗掘王が断念した死の回廊。
「大冒険ね、またアタシの自叙伝が長くなるわ」
 行くしかあるまい。
 ゾレルを救い、生き返るのだ。



[1501] Re[9]:ヴァルチャー
Name: ポンチ◆ebd5b07d ID:440294e0
Date: 2007/10/02 23:27
 少しずつ理解できてきた。
 今まで、体の使い方が分かっていなかった。少しずつ、いや、ようやく分かってきた。






第十話 すまない、少し眠る






 ハジュラの下水道は、盗掘王が作り出した発掘のための穴だ。それを整備して、今の形になっている。
 下水道に潜む怪物を避けながら、その横穴にたどり着いていた。
 ギャング十名と共に進むのは、死の回廊。
 どのようにしてリンガー商会がこの道を知ったかは定かではない。だが、この道を乗り越えた者はいないとされている。
 古代王の墳墓への入り口は二箇所。ホドリ監獄とされている大穴、もう一つこそが盗掘王が掘り進めて横穴を開けた死の回廊だ。
 下水道の魔物は、ここから湧き出すともいわれている。ハジュラの下水道は邪神神殿の森と同じく人の立ち入れない場所なのである。
 横穴を抜けるまでは何事もなかったのだが、遺跡の内部と思しき回廊に入ってからは、独特の危険な気配が満ちていた。
「あー、ここは落ち着くな」
 とアギラが声をあげると、ギャングたちは呆れたような顔になる。
 十人、多いように思うが、王子とエリザベートを含めていることを考えれば少なすぎる人数だ。アリスとタキガワがいるのは、彼らが最もこの手の戦いに長けているからだ。他の八名は、荷物持ちと盾でしかない。
 商会本社には、エリザベートの身代わりをシャルロットが務めている。隠密行動である。ハーラル一家に見つかってしまうのだけは避けたい。
「センサーには異常無し。生命反応も小型のものしか存在しない」
 タキガワが言うが、アギラは聞いていない。
「……こりゃあ諦める気にもなるわ」
 王子は、鳥肌の立つ二の腕を抑える。ここには、言葉にできない危険な空気がある。立ち入るのを体が拒否するような、何かの意思が充満している。
 タキガワとアギラ、二人は違ったことを感じている。特に、アギラにとっては居心地のいい場所のようだ。一方のタキガワは、危険度が高いという程度にしか感じていない。人間の本能に呼びかける圧迫感とはまた違ったものである。
 ランタンの灯りに照らされて進むと、天井が高くなった。
「この先に、生物の反応がある。大型だ」
 タキガワのセンサーはそう判断していた。
 王子とエリザベートは止まるつもりなど毛頭無い。
「俺とタキガワさんで先行するよ」
「任せたわ」
 アギラとタキガワ、仲がいいとは言えないが、仕事となればそういうことは言わない。
 天井はどんどん高くなり、叩き壊された扉が見えた。タキガワは暗視センサーで、アギラは梟の瞳で暗闇を苦にしない。
 広いホールには、所々に何かが転がっていた。白骨と、何か中途半端な柱のようなものだ。
 いるいる、アギラは声を出さずに、高揚してくる食欲を鎮める。タキガワは、両手を前に出して警戒態勢を取っていた。
 ホール中央には、台形の高台があり、階段まであった。その頂上に、一振りの剣が突き刺さっている。確実に罠だ。
「無視したらいけそうだな」
 アギラは言うが、タキガワのセンサーは柱に見えているものの反応を捉えている。
「無理だな。近づいただけで反応するらしい」
 タキガワは言うが早いか両手にレーザーブレードを展開して柱を斬りつけた。緑色の体液が飛び散り、他の柱も擬態を解く。
 蟹と百足を足したような、三メートル近い化物たちに取囲まれる。毒のついた針を持っているようだが、タキガワには神経毒など通じない。また、アギラにも人や動物に通じる毒はよっぽど特殊なものでない限り通じない。
 犬の形を取ったアギラは包囲を素早く潜り抜け、その際に触手で化物の頭を潰していく。反応速度でいえば、昆虫ほどではないようだ。
「クソ不味い」
「きたねぇもん食ってんじゃねぇ」
 タキガワのレーザーブレードは、蟹百足の傷口を炭化させる。決して速い動きではない。そして、幾度も蟹百足の爪や牙を突き立てられてるが、彼の装甲には全く損傷を与えられてはいなかった。
「アギラぁ、まとめて片付ける。下がってろ」
「ボケがっ」
 言いながらも、アギラは逃げた。
 タキガワが、人間でいうならばへその辺りからシャツを裂いた。そこから見えるのは、腹部プラズマバルカン。石造りの回廊で跳弾しないことも含めて、一人で多数を相手にするには理にかなった武装である。
 アギラが物陰に逃げたと同時に轟音が響き、蟹百足は焦げ後を無数に残して動くものはいなくなっていた。
「お前、俺を巻き込もうとしてなかったか?」
「さあ、そんなことはなかったと思うぜ」
「使う時は気をつけろよ」
「強力すぎて使うタイミングがあんまり無いんだよ」
 味方を巻き込むという意味では使いどころは難しいだろう。強すぎれば孤立するし、何もしなければ化物と呼ばれる。アギラよりはマシだが、彼も苦労しているらしい。
 しばらくして王子、エリザベート、アリスそれとギャングたちと合流して、問題の財宝であるらしい剣もついでに持っていくことになった。千年以上前の代物にも関わらず、剣は輝きを保っていた。装飾も豪華で、それなりの価値がありそうだ。
 その後も、罠などはほとんどなかったものの、定期的に化物と襲われたり財宝があったりを繰り返すことになる。
 一本道ながら、入り組んだ回廊を進むこと二日。
 念のために一ヶ月は持つくらいの物資を持ち込んだだけあって、余裕のある進み具合のようだ。古代の地図の写し、という胡散臭いものともルートはあっている。
「さっき通ったのが番兵の門、だから次が魂の井戸でいいわけね」
 アーサーは地図を何度も確認しているというのに、また声に出して確認している。読みにくい古代文字のはずが、アーサーはどこで知ったのかこれが読めるらしい。
 地図は、次の『魂の井戸』という部屋が中央部であることを示していた。
「アーサー、次のとこは少しヤバいぞ」
 アギラが囁いた。
「どうして?」
「いや、ちょっとした知り合いに似た気配があるんだ。なんていうか、上手く説明できないんだけど、な」
 バルガリエルとよく似た気配を感じる。いや、あれくらいの強さの、自分と同じようなものがいるのを感じていた。
「確証は無いけどな。全員でいっても負けるかもしれない」
「へえ、ってことはあの重戦士、神の戦槌より強いってこと」
「ああ、多分な」
 バルガリエルであれば、神の戦槌を軽く倒していたことだろう。強さというのは、パラメーターという設定数値ではない。噛みあう、噛みあわないもあるが、恐らくは場数とどこまで圧倒的な何かを持つかによる。
「おい、バケモノ。次のとこがヤバいってのはマジか」
 タキガワが口を挟んだ。ピカピカだったコートは返り血で斑に染まっている。
「ああ、聞いてたのかよ。まあヤバいな」
「俺がいてもか」
「ああ、ヤバい。戦わずにすむ方法があるなら、そうした方がいい。多分、話が通じるとしたら俺だ。先に俺が行こう」
「……本気で言ってんのかよ」
「前もな、話し合いでなんとかしたんだ」
「俺もついていくぞ。ヤバくなったらカチ込む」
 タキガワの声でアリスたちギャングも、変な笑い声を上げた。
「アタシらもだ。どうせ、引き返したってロクなことがねぇしな。アギラさんよお」
「アリスちゃん、お前ら」
「ちゃんづけすんなっ」
 回廊で休息を取り、アギラはバルガリエルと対峙した時よりも、ずっと平静な気持ちで奥に進んだ。かなり離れて、アリスたちもついてくる。エリザベートと王子、そして数人のギャングは最悪に備えてさらに後ろだ。
 回廊、ホール、回廊、ホール。それが死の回廊の基本的な作りだ。
 魂の井戸、地図にそう書かれたそこは、先ほどまでのホールとは全く違っていた。ただ、中心に井戸があるだけだ。だが、そこから危険な何かが漂ってきている。
「なんだ」
 一歩入った瞬間、唯一の退路でありタキガワたちとの道である通路の扉が閉まった。
 異形のアギラといえど、ここが明らかに異質であること、そして何か得体の知れない恐ろしいものが潜んでいることはすぐに理解できた。
 一番素早く動ける形、犬の形態で、まっすぐに進む。行くな、と体が警告を告げる。
「お前、ただの異形じゃないな」
 井戸から声がした。女の声だ。今になって、自分がどれだけ気味の悪い存在か理解できた。喋らないはずのものが喋っている、そんな違和感が、井戸の声から発せられている。
 見ると、先ほどまではいなかったものがいる。女の上半身だ。何も身につけていない裸。作りものめいた美しい顔かたち。全てが、どこか作りものめいている完璧。上半身だけ見るに、そう感じた。
「お、俺たちは、ここの財宝とかには興味がない。ここを通って、地下の大河の辺りまでいきたいだけなんだ。と、通してほしい。何もしない」
「虫のいい話。ミデの同属。ああ、少し違う。人間みたいな精神の形。似ているけど違う。私はミデ。お前は?」
「あ、アギラだ」
 女は作り物の顔で笑みを作った。
「ここが静かになって、千年は経つ。私は四代目のミデ。恐ろしく昔に最初のミデを倒したヤツは竜を戒める道具を得た。あとのミデは寿命で死んだ。私の役目はお前と戦って、勝てば褒美をやることだ。ミデから何を欲している?」
「ただ通して欲しいだけだ。戦う気は無い」
「ダメだ。ミデと会った者はミデに欲せねばならない。ミデはそのためにここにいる。戦わないといけないのは変わらないぞ。ミデはそのためにいるんだから」
 邪妖精の女王と比べたら、まだマシだ。こいつには勝てる可能性がある。
「最初のミデを倒したヤツは、シアリスと名乗っていたぞ。お前はミデに会った二人目の生き物だ。ミデは何でも与えてやる」
 シアリス、クソ神だ。竜を戒める力、どういうことだろう。
「答えないなら、ミデを倒してここを通れ」
 答える暇もなく、何かが飛んできた。とっさに避けたが、さっきまで立っていた場所が粉々に砕けている。
「ミデの吐息は烈風吐息。ミデのあんよは百の帷子。ミデのおてては竜の顎」
 井戸から、ミデは這い出した。
 女の上半身、蟹百足の下半身、腕はいつの間にか牙を持つ竜の頭に。背後に回り込もうとしたが、速い。あの部屋にいた蟹百足とは比べものにならない速さで、ミデはアギラの動きについてくる。
「烈風吐息は全てを塵に」
 触手を放ったが、口をカッと開いたミデにより、それはまさしく塵にまで分解された。触手に走った痛みと、イーティングホラーの持つ何かが理解させてくれ。アレは、見えないほど細かい針を無数に吐き出したものだと。
 至近距離では自身の体まで傷つける。使えないはずだ。犬の形でとびかかったが、今度は蟹百足の下半身とその両手の竜の頭が噛み砕こうと襲ってくる。砕かれることを覚悟で七本の触手を放ち、吸血を行う。
 案の定、犬の足、前足と後ろ足を引き裂かれた。が、吸った血で再生した肉で、新たな足を作り出して逃げる。
「なんだこいつ」
 血の味が、おかしい。こいつの血は、味が違う。なんといえばいいのだろう、何か小さな生き物を無数に採食したような、そんな血だ。
「ミデの肉を食べるな、アギラ。ちゃんと大きくなれないぞ」
 なんだこいつ。
「お、お前、いったいなんなんだ」
「ミデはミデだ」
 体が、勝手に何かを理解、いや、思い出させようとしている。
「戦ってる時にボーっとするな」
 ミデの歌うような声。
 跳ね飛ばされても、まだ頭がグルグルと。だけど、体は勝手に動く。頭部の作り方、イーティングホラーの知る生物。その中で一番強い生物。
「ガルム、ガルムの頭。邪神の犬の頭、最初のミデはよく食べたぞ」
 ガルムだ。イーティングホラーの遺伝子に刷り込まれている戦いの記憶。イーティングホラーは擬態するモノ。ありとあらゆるものを食い尽くすために作られた邪神の兵士。
「ガルム、知ってるぞ。なんで知ってる、なんで俺はマネができる」
 ガルムの足、ガルムの尾、ガルムの牙。それを再現しても、イーティングホラーでは半端なまがい物だ。だが、ただの犬よりは速い。
「アギラはイーティングホラーのくせに戦い方を知らない。ミデは知っている。お前たちと戦った最初のミデは知っている」
「うぅるせえぇぇぇぇ」
 ガルムの擬態をした牙が、ミデの左腕を噛み千切った。
 肉を食む。なんだこいつ、なんだこいつ、なんでこいつが怖い。そして、この肉の味がどうして、どうしてこのように間違ったことをしていると感じさせる。してはならぬことをしていると、どうして体はそう思う。
「ミデはお前たちと共に戦った。我々を作り出した者と戦った。今のミデは、魂の井戸に作られたミデだ。お前たちとは違う。だけど、アギラはミデの仲間」
「じゃあ黙って通せよっ」
「できない。ミデを倒さないとここは通せない。アギラの望みがそうなのなら、ミデはここを通さない」
 烈風吐息で、体の三分の一が弾けた。とびかかって、その上半身に絡みつく。体全体を触手として、吸血。
「肉を食むな。ミデの肉を食むな、アギラのためにならない。仲間の肉を食むな」
「畜生っ、お前はなんなんだっ」
「ミデは王との約束を守る。ミデは墓の守り、魂の守り。そして、欲望の守り」
 全部吸え。ちぎられても、いや、食い尽くせ。
 触手を伸ばして食い尽くせ。体が、軽い。驚くほど力が漲っている。
「黙れよっ」
 何を我慢している。千載一遇のチャンスをフイにしてまでなぜ俺は離れた。吸血の作用で、ミデはぐったりとしている。体液の大部分を失ったのだ、それも無理は無い。
「さあ、ミデを倒して進め。お前とミデは相性が悪い。ミデは、ガルムやニズヘグには強いけど、イーティングホラーには弱い。アギラと戦うようにはできていない」
「待てよ、お前」
「ミデだ。ミデは四代目のミデ」
「お前に勝ったら望みを叶えるんだな、そうだな」
「ミデは欲望の守り。お前がミデより強く望めば、宝を与えてやる。魂の井戸の底、古い古い王は、人に与える慈悲深い王」
「お前をくれ。俺たちは争ってはいけない。そういう形にできている。イーティングホラーとミデは争うものじゃない」
「それがお前の望みか。いいだろう。ミデは最初のミデと同じくイーティングホラーと共に戦おう」
 ミデは「ギアアアア」という人の形をしているとは思えぬ異形の叫びを上げて、自身の頭に無事な右手を突っ込んだ。竜の頭はヒトの形をしたものに戻っていたが、それはミデ自身の脳をかき回している。
「これを食えば、ミデとアギラは最初のミデとイーティングホラーのように、共に戦うだろう。さあ、食え」
 ミデが差し出したのは、宝石のようなものだった。ミデの頭部より掻き出された青い宝石は、光の無い中で輝きを放っている。
 アギラは、それを飲み込んだ。
 ミデの契約の証、魂の王との契約の中に存在するものの一つ。それは、ミデという生物の心臓のような何か。
「アギラ、傷を治すから、しばらく待て」
「いいんだな、ほんとに仲間になるんだな」
「お前の望みは叶えた。ミデはお前と共に戦おう。我々は最初から戦うモノなんだから」
 敵意は無いようだ。
「ミデ、俺の仲間をつれてくる。襲うなよ、いいな」
「ミデはかしこい。仲間は食わないくらい分かっている」
 アギラの後ろで、扉の開く音が響いた。
 なだれこんできたアリスゆタキガワに、「説得は成功した」と告げたのだが、なかなか収まらない。特に、ミデが魂の井戸から取り出した不気味な虫を食っているのが、相当アリスに悪影響を与えているようで、タキガワがなんとかなだめたが、もう少しでまた戦うことになる所だった。
 アギラの傷が深いこと、新たに仲間になったミデの傷を修復するのに多少の時間が必要なために、魂の井戸から少し離れた所で休息することになった。アギラとミデとタキガワは、傷の治りが早くなるとのことで魂の井戸で休息をとっている。
「ま、俺は見張りだがな」
 タキガワは言って、心配してんじゃねーんだぞ、というのを繰り返した。こいつもツンデレだ。
「アギラ、食べろ」
 ミデの差し出したのは、何か肉の塊のような虫とも獣ともつかない蠢くものだった。タキガワはあまりの気持ち悪さに顔を背けている。
「なんだ、これ。懐かしい感じのする味だ」
「これはシニクだ。ミデと最初のミデと、アギラのようなものたちが食べていたものだ」
 ミデの知識が頭に勝手に入る。
「ミデの脳石はアギラが食べた。ミデはアギラに仕える。最初のミデはシアリスに仕えた。アギラが二人目の主だ」
「知らない記憶がある。ミデの記憶か」
「そうだ、シアリスはそれを見れなかった」
 断片化された情報が頭の中にある。無数のミデとイーティングホラー、そしてガルムやニズヘグが炎の中で何かと戦っている。ああ、あれは竜か。
 イーティングホラーは、竜の体にヒルのように取り付いて、血を吸っている。ミデとガルムとニズヘグは、強大な竜に戦いを挑んでいる。あれは、あの後ろには、ああ邪妖精の女王。
「おい、アギラ、大丈夫か」
「すまない、少し眠る」
「機人、そっとしておいてやれ。アギラは修復している。アギラに欠けているものを」
 深い眠りの中で、何かとても大事なことを教わった気がする。
 目覚めて覚えていたのは、竜は敵だということだけだ。








 ミデの加入により、安全な道筋になった。後の部屋のバケモノは、全てミデに怯えて丸くなるだけだった。
 徒歩で三日。
 懐かしいホドリ監獄にたどりついて、最初にあったのは、やはりミデに武器を構える者たちで、アギラとカザミの再会により、お頭グレイとも再会することになった。
「ここをまとめてるホドリム・グレイだ。お前らは、……懐かしい野朗がいやがるな」
 グレイは、苦虫を噛み潰したような顔で、にこやかに前に出たアーサーと見詰め合った。
「占星術師レド、大神官グラハム、ホドリム・グレイ、どれが本当の名前か教えてほしいわね。ま、それよりも再会を祝いましょうか?」
「おい、カザミ。そこのチンピラとアギラとバケモノはお前に任す。秩序乱しやがったらぶっ殺せ」
 ギャングたちは身構えるが、カザミは相変わらずの板ばさみで執り成す。
「つもる話はあっちでしましょう。どうせ、聞かれるのはオッサンも嫌でしょ」
「ちっ、バカ王子が」
 このようにして、死の回廊は踏破された。
 ふと、ユウのことを思い出したアギラは、ミデとユウの対面を思い描いて頭が痛くなった。



[1501] Re[10]:ヴァルチャー
Name: ポンチ◆ebd5b07d ID:440294e0
Date: 2007/10/04 19:01
 政治のことはよく分からない。
 どこかで命を握っているヤツがいる。ここに来てそれを理解した。






第十一話 いいから、あっちで、ね






 大神官グラハム、占星術師レド、監獄のまとめ役ホドリム・グレイ、それは全て同一人物で、神官を突如辞して出奔した後は占星術師を名乗る山師として、田舎貴族に詐欺を働いていた。わりと莫大な金額を詐取したらしいが、最終的にはバカ王子ことアーサー王子の元で治水事業を手伝ったのだという。
 占星術師を名乗るだけあって、その知識は深く充分に役立った。邪神の信徒やシアリス正教がやってくるのと時を同じくして何も言わずに消えたのだが、それまでの活躍はフーサーを大いに助けたと言っていい。
 アーサーとグレイは、粗末なテーブルで対面していた。エリザベートも行こうしたのだが、グレイに手で追い払われた。
 アギラはカザミと積もる話で盛り上がっているし、ギャングたちはアリスも含めて懐かしい顔を見つけてもめたり騒いだりしている。
 帰り道に関してはミデがいることで安全だ。エリザベートも懐かしい顔を見つけて、酒を振舞うことにしたようだ。
 カザミの指示で、亀の肉が振舞われることになった。ここでのご馳走と言えば、やはり地下大河に生息するバカでかい上に凶暴な岩カメである。知能が低く、罠で仕留められる上、産卵期でもなければ向こうから襲ってこないため、貴重な食料源となっているのだ。
 時刻の関係でも、夜にさしかかる所だったため、盛大に宴が始まることになった。
「そういう訳で、無実を証明してほしいのよ。ゾレルにあんたの安全も保障させるしね」
「ごめんだな、俺はここが気に入ってる」
「やっぱそういうこと言う訳ね。でも、ここは確かに素晴らしいわ。閉鎖環境ってこと以外じゃ満点かもね」
 人種と身分に差別はなく、宗教もない。ただ、ここにあるのは平穏と、少しだけの危険だ。定期的に大穴から落とされる果物や食物の種、日陰でも生きていける植物は、地下の大河近くで栽培されている。近く、カザミの発案で、大穴に土を運んで畑を作ろうとまでしている。
「ユウほど力はねぇが、あいつもバケモノだ。だが、役に立つ」
 カザミがきてから、子供たちは文字や算術を教わっている。女は共有財産という扱いではあったが、生まれた子供たちは外を知らずに生きている。カザミの教える算術や化学の知識は、子供たちをよい方向に導いているという。
「だったら、子供たちのためにも、外に行きましょうよ」
「ダメだ。俺が出たら全員逃がさなきゃならねぇ」
「だったら、成功した暁には全員恩赦で釈放ってのはどうよ?」
 そうなると、ここにいる百人近い者たちはどうなるだろう。今更外に出たところで何もいいことが無いというものも多い。外へ出て絶望するもの、もう一度やり直せるもの、絶望は八割だろうな、とグレイはつぶやいた。
「くっだらねー、こんな場所なんて捨てたらいいじゃないの。悪いけどね、これが成功してアタシがレミンデイアの王になったら、シアリスは追い出すし、異端認定も怖くはないわよ。だから、アンタの逃げは認めない」
「ケッ、お前らはまだあいらの力を分かってねぇ。シアリスの竜を見りゃ分かる」
「アギラは、邪妖精の女王に認められてるのよ。あ、ユウとセットでだけどね」
 そこで、グレイは口をつぐんだ。
 沈黙に支配されると、外の声がよく聞こえた。宴の声だ。
「本気か。シアリスにケンカ売るってえのは、また大戦争に逆戻りってことだぞ」
「だから何よ。あのクソ神は、ハジュラとレミンディアを手に入れるつもりでいるのよ。あんたはここで安穏にしてりゃいいだろうけど、アタシらは困るのよ」
「ここは、どうするつもりだ」
「そうね、ここと似たようなとこなら、アギラとユウの国になるわ。いつ滅ぼされるかわかんないけどね。でも、ハジュラに留まれないなら、多分あそこが唯一の楽園かもしれないわ」
「亜人に邪妖精、邪神の信徒の集まる砦で国を作れってのかよ」
「ええ、これからも山ほど難民がくるわ。本当にいくとこがなくて、本当に命しか持ってないような連中がね」
 そういう連中は街道で行き倒れるのが常だ。なぜなら、街に留まると命がないということを分かって、あてもなく街道へ出るのだから。街で、奴隷以下の生活で早死にするか奇跡を求めて外に出るか、後者ならばアギラとユウの国を目指すだろう。
「そうか、崖っぷちだな」
「アタシも崖っぷちで、ゾレルは断頭台の階段を上ってる最中ってとこね」
 そこで、アーサーは一度言葉をきった。大きく息を吸い込んで、グレイを見据えた。
「じゃあ分かりやすく脅迫してあげるわ。外に出たら、真っ先に教会に垂れ込むわ。権力の使い方と人の使い方を教えてくれたのはアンタよ。言質取れってのもね」
 グレイは「分かった」とだけ答えた。一つの嫌味もないというのは、彼がここを安住の地と半ば決めていたからかもしれない。
「一度でも、そっち側にいったヤツが、まともに暮らすなんてできやしねぇもんだな。王子も、ロクな死に方しねぇぞ」
「王族でまともに死ねるヤツの方が少ないわよ」
 ここでアーサーを殺したら、アギラは新顔の化物と大暴れするだろう。
「俺のことはホドリム・グレイでいい。本名だ」
 レドという名は、ひょんなことからリザードマンの名付け親になったことから、その時名づけた名を借りた。グラハムである自分は死んだ。ならば、名前をそれ以上つけるのはやめよう。逃げられなくなったのだから。






 所変わってバロイ砦。
 帰還したシキザと忍者たちがユウに襲い掛かっているところだ。
 夜空に輝く月の下、剣と剣のぶつかる火花が光る。シキザの放つ棒手裏剣を叩き落しながら、ユウは忍者の一人を蹴りで悶絶させた。死んではいないが、もう動けまい。
「流石、以前より強くなられましたな」
 エレルの一族と呼ばれる暗殺者一族。細作として、暗殺者として、五人でかかって勝てる気がしないというのは不覚である。
「シキザさん、ロイス伯はアタシたちが邪魔になったの」
「いやはや、政治の世界というのは複雑怪奇なもので、バロイ砦は人に落とせるものでないといけないのですよ」
 木陰に隠れて、位置を気取らせない発声法で答えたが、これでユウはシキザの位置を捉えただろう。
 仲間であるはずの、二人は裏切った。ユウの襲撃に参加するよう指示したが、バロイ砦に残留していた細作の半分が来ていない。
「砦の忍者さんたちは、あたしの味方してくれるって言ったけど、残ってもらったよ。シキザさん、裏切ってよ」
 そうか、人間に戻ったか。
 ここで死ぬのも悪くない、とシキザは思う。エレルの一族は、本来、王子を守るためのものだ。今はロイス伯の私兵にまで落ちぶれている。それも、当主たる彼自身の責任と言っていい。
「そうはいきませんな。依頼主は裏切れませんよ」
「アーサーは、あんたのこと好きなんだよっ」
「そう、ですか」
 棒手裏剣の雨をユウは両手の剣で弾き飛ばす。報告にあった異邦人の強さの中でも、ユウは異常だ。
「だとしても、我らの使命を果たすのみ」
「くだらねぇこと言ってんじゃねえ」
 動きを止めるはずの鎖分銅を飛んでくる気配だけでかわしたユウが、シキザの目の前に滑り込む。毒のついた短剣を突き刺そうとしたが、何かがおかしい。ひどく長い時間呆けていた気がするが、実際には数秒だ。右手が肩口から切断されていた。
「シキザさん、アーサーが戻るまで殺さない。忍者さんたちから聞いてるでしょ。だからさ、アーサーが戻ってからもう一度来て。あたしとアギラさんとアーサーが揃った時に、もう一度きて。どうなっても、ロイス伯は殺すと思うし、その時にまた返事聞かせて」
 ああ、この少女はヒトに似た形をした悪鬼だ。
 エレルの一族では、ユウのような心を持った者を悪鬼と呼んでいた。仲間を裏切ることも、使命を放棄するのも、彼らには理解できない心で平然と行う。そして、彼らは総じて強い。戦いの中で、教わる段階からためらいがない。彼女は悪鬼だ。
「それまで、私が生きていれば、また会いましょう」
「うん、またね」
 仲間に抱えられたシキザを、ユウは追うこともしない。百戦錬磨の細作が、ユウに怯えている。強さも、その言葉も、心を捨てた者に恐怖を持たせる。
「アギラさん、どうしてるかな。王子も、早く帰ってきてほしいなあ。こういうの辛いよ」
 半月の光を浴びて、ユウは小さくつぶやいた。
 バロイ砦には日々難民や得体の知れない連中が亡命を求めてくるようになっている。まだその数は多いとは言えない。邪妖精の宝石を狙う者のほとんどはその正気で自滅するが、どこかの細作と戦うことも増えていた。
 ユウはその首を刎ねるごとに、どこか冷めていくのを感じていた。亜人たちも頑張っているし、邪神の信徒たちもそこまで悪い連中ではない。それでも、孤独感が募る。
 アギラとアーサーは、特別だ。分からない、今まで生きてきた中で、特別はなかったはずだ。人は人形と同じ、勝手なことを喋る人形だ。
「おっかしいなあ。仲間とか、本気であたし言ってるし。なんでかなぁ」
「ユウ殿、見事だ」
 羽音で、それがガロル・オンのショウだと気づいた。
「ああ、うん、シキザさんがちょっとね」
「ふむ、それは王子から聞いていたが、これは納得いかんな。ユウ殿、我々は仲間ではありませんか」
「うん、あたしはそう思ってるよ」
 二本足のかぶと虫は、地上に降りてユウを見据えている。その殻より作り上げた刀を抜き身で握っている。
「嘘をついてもらっては困る。アギラ殿とアーサー殿以外をあなたは認めていない。彼らはあなたが孤立しないように気を遣っておられた」
「な、なによ、そんなことないって。みんなのこと手伝ってるし、これはあたしだけでよかったから」
「ユウ殿は、我らを下に見ている。力だけの狂戦士と呼ばれても、それでは否定できんぞ」
「……ケンカ売ってる訳だよね、これって」
「その通りだ」
 もういい殺そう。教師みたいなことを抜かす虫が一匹減った所で、何が変わる。あたしの世界は変わらない。
 剣を取った瞬間、足元から何かに体当たりを食らった。転がりながら、剣を振る。が、飛んできたのは弓矢だ。篭手の鉤爪で払うと、間髪入れずにショウが切り込んでくる。大地に下りて、その体重を生かした剛剣を、剣をクロスさせて受けた。
「ユウ殿、あなた無敵ではない。以前は、それを分かっていた」
「なにが、あたしはいつだって」
「以前のあなたなら、一人でこんなことはしなかった。見ていたが、三回は危ない瞬間があったぞ」
「うるせえっ」
 後ろに飛んで仕切りなおそうとした瞬間、今度は地中に隠れていたガロル・オンの剣士がきりかかってくる。カウンターで刺せば、ショウはその隙を見逃さない。一撃で致命傷を与えてくる相手とは噛みあわない。
 走りながら、無数に飛んでくる矢を斬り落とす。足に何かが絡んだ。砦に残った忍者の放った鎖分銅である。
「このっ」
 鎖を切ろうとしたが、それが失敗だった。腹をショウに殴られていた。息ができない。人間を越える力のガロル・オンのパンチ一発で死を予見できた。
「くそっ、こんなとこで、こんなとこで」
 涙が浮いた。いつ死んでもいいと思っていたが、死にたくない。また、会いたい。一人は嫌だ。
「ユウ殿、我らのことも仲間だと思ってくれ。山の民は感謝している。お前たちは、俺たちのために命をかけた。シキザのことも分かっている。俺たちだって、ああしたさ」
「なによ、いっつもあたしは蚊帳の外のくせしてっ。みんなあたしのこと嫌いじゃないっ」
「嫌いなヤツにこんな面倒なことをするかっ。ただでさえお前は強いのに、こっちだって命がけだっ」
「うっせぇっ。バカッ、あたしのことなんか、分かってくれない」
「分からんさ。ユウ殿は我らの戦士だ。誇り高く、倍の軍勢を恐れず、山の民のために戦った戦士だ。あと分かってるのは人間のメスだってことくらいだ。アギラもアーサーも、お前のことを隠した。俺たちは、お前を仲間だと認めている。隠さなくていい。危険なことくらい分かっている」
 何か分からないけど、涙が出た。
 しばらく泣いていたユウだが、殺気が消えてからみなそれぞれの剣を仕舞った。森の中に潜んでいた邪妖精とガロル・オン、ゴブリンにリザードマンにスレルのジ・ク。総出でユウと戦っていたことになる。
「ったく、こんな怖かったのは初めてだぜ」
 ゴブリンのトレル族長がおどけて言うと、皆が笑った。
「バカッ、みんなお腹壊せっ」
 よく分からないことを鼻声で言ったユウは、ヘルメットを外そうとはしない。
「顔を洗わないとダメよ」
 邪妖精がからかうと、手をメチャクチャに振り回す。
「泣いてなんかないもん」
 邪妖精たちにからかわれながら、ユウは砦に戻っていく。
「メスというのは厄介だな。我らには分からん」
 ショウが言うと、ゴブリンのトレルが下品な声を上げる。彼らもまた、ユウはやはり仲間だと思い直していた。






ハジュラの王城は二重の城壁に阻まれている。第一の門は跳ね橋と深い堀、第二の門は弓兵と警備兵たちの警護する門だ。どちらも、通るためには物々しいボディチェックを受ける。平民は跳ね橋を渡ろうとするだけで殺されても文句は言えない。
「あのさ、本気?」
 そんな城を見下ろすのは、ハジュラの城の北、城が小さく見えるほど離れた山の頂上付近である。
 アーサーは分厚い革製のヘルメットを被っている。
「ああ、一昨日試したが、アーサーくらいの重さを持っても大丈夫だった」
「ていうか、こんなことできるなら最初から言ってよ」
「気づいたのはこの前なんだ。仕方ないだろ」
 ミデと戦ったあの日、竜に飛びつくイーティングホラーは皆飛んでいた。あれの構造は分かっている。ごく自然に、羽を作れる。
「いいか、絡みつくけど、絶対暴れるなよ」
「いいんだけど、隣で控えてるミデちゃんはなんなのよ」
「投げるんだよ」
「ちょっと、なにそれ、待って」
「いいから喋るな」
 羽は、薄く作り上げて、十メートルを越える大きさになる。それを折りたたみ、胴体から発生させた触手でアーサーにからみつく。
「いいぞ、投げてくれ」
「うむ、これは最初のミデが考案した方法だ。これで幾多の竜を倒したものだ。じゃあ投げる」
「ちょっと、なに、本気」
「いいから喋るな。あと暴れるな。暴れたら血を吸うからな」
 返事を待たずに、ミデはその手にアーサーをつかむと、投げた。砲丸投げの形で放たれたアーサーは、悲鳴を上げる。ここはわりと男らしい悲鳴だった。
 ばさりと羽を広げたアギラは、滑空していく。その大きく広い翼は、闇夜の中で本当に飛んでいるのだ。
「うわ、これは凄いわ」
「あんまり喋るな」
 目的のハジュラ王宮西の塔、その頂上の出窓からは光が漏れている。何度か塔の上をぐるりと回った後で窓に突入して、触手で鉄格子を取り外した。飾りのようなもので、効果のあるものではなかったのが幸いして、個室の中に滑り込むのと、部屋の主が振り返るのは同時だった。
「ゾレル、久しぶりね」
「な、アーサー、アーサーかっ。どのようにして、いや、神のお導きか」
「神様ってのがシアリスを指してんだったら、悪魔か竜にでも祈るのが正解だわ」
 ゾレルは見事な赤毛の青年だった。アーサーが冷たい美しさを持つのとは逆に、ゾレルは筋骨隆々としており、このような軟禁生活の中でもトレーニングを欠かさないのだろう。その肉体は衰えていない。そして、幾たびもの貴婦人を巡る決闘の傷跡が全身に残されていた。美しくはないが、どこか愛嬌のある顔立ちとその肉体は実に魅力的といっていいだろう。
「彼はイーティングホラーのアギラ。彼の力でここまできたのよ」
「お初にお目にかかります、王子」
「おお、流石はアーサー、魔物を使役するとは」
「あのねえ、普通はアタシを偽者とか思うとこでしょ」
「お前を見間違えるものか。死んだと聞いたが、なぜか信じられんでな、そうか、やはり生きていたか」
 ゾレルはその逞しい腕で、アーサーを抱きしめた。すぐに離したが、そこには喜色満面の笑みがある。
「暑苦しいわね。さてと、ミレイユに乾杯しましょ。軟禁っていっても、ワインくらいあるでしょ?」
「おお、そうだったな」
 二人の初めての女、火あぶりにされた女に乾杯して、彼らは酒精を煽った。貴族のやることはよく分からない。
「さてと、近々あんたを脱獄させるわ。ゾレル、あんたが王になるのよ」
「ふむ、難しいぞ。ハーラル一家の財力と力に、我がハジュラの貴族たちの金玉を握る商人たちがそう簡単に頷くかどうか」
「分かってるだけでいいから、中心になってる商人と貴族教えて。破産させる方法があるのよ」
 ゾレルはニヤリと笑う。アーサーもいつもの人の悪い笑みだ。ああ、こいつに親友同士って自然だなぁ、とアギラは見ていて寒気がした。元の世界でなら、絶対に近づきたくないタイプだ。
 その後、専門用語の飛び交う密談は二時間以上続いた。アギラは見張りがこないか気配をさぐっていたが、どうやらドアが硬く閉ざされているせいか警備は緩いようであった。どのみち、下から入るとなると驚くべき苦労を強いられるだろう。
「じゃあ、そろそろ帰るわ。それじゃあね、次会う時は本番よ」
「おう、任せておけ。委細承知した」
 帰りも窓から飛ぶのだが、高さあるといえ城の近くに降りねばならない。灯りの消えたスラム街に夜空を滑り降りていく。
 背中に殺気を感じたが、すぐにそれは消えた。これを見ていたヤツがいる。だが、アギラはそれをアーサーに告げなかった。それがなぜなのか、彼にも分からなかった。
 翌日から行動は開始された。いつものように、アリスが街中でハーラル一家にケンカを売ることから始まり、いつもの小競り合いが始まる。機人タキガワはシャルロットとエリザベートの警護に辺り、いつもの日常的な姿だ。
 準備は進む。一ヶ月が経った。
 一番簡単で確実な方法を取ることにしたが、これは後の世で虐殺扱いされてもおかしくない方法だ。ただ単純に、皆殺しだ。どうせ、それは商人の順番が入れ替わるというだけの話でしかない。騎士団も、今や商人とヤクザの資金力で動く傭兵だ。ハジュラは内紛に極めて弱い体質を持っている。だからこそ、資金力という面でシアリス正教がいとも簡単に次期王子の勢力を強めることに成功した。だが、定期的なお布施の催促には商人も頭を弱らせている。
 ゾレルが消えたのは、決行の三時間前である。
 アギラの作り出した翼で空を飛び、リンガー商会につくまでが二時間。時を同じくしてハジュラのシアリス正教大教会が炎に包まれた。
 ハーラル一家の本拠地も炎に包まれ、逃げ出す者たちをタキガワの機銃が蜂の巣にする。
 シアリス正教の騎士団は、到着できない。バロイ砦の亜人がハジュラ近くの街道警護の駐屯所を襲撃していた。彼らがかけつけた時には、炎と井戸に投じられた毒で、壊滅状態の駐屯所があるだけだ。亜人たちは撤退している。
 商人の私兵は、半分ほどしか動かなかった。利権さえ同じであれば、無駄に動く気など彼らには毛頭無いのだ。
 ヤクザ者の支配する夕闇通りラザンテ地区には、公式には騎士団が立ち入ることはできない。大門は閉ざされたまま、ハーラル一家は投げ込まれる火炎瓶などで死に体だ。
「気が進まないんだけどね」
 カザミの作り出した火炎瓶は、ラザンテ区を灼熱地獄へ変えていく。アリスが何か叫びながら、ハンマーを振り回して逃げるヤクザの頭を叩き潰していた。
 リンガー商会の強さは、汚れることを厭わないことにある。よく言えば、ハーラル一家は街を守るだけの任侠のようなものを持っていた。リンガー商会は、エリザベートとシャルロットの復讐のために作り上げられた飢狼の集団である。
 引きずられたハーラルは、少し前まで情婦であったエリザベートに、首を刎ねられた。
「いたた、斧って重くて、手首が痛いですわ」
 特に、エリザベートの胸には何も浮かばなかった。想像していたような達成感は無い。ただ、必要なことが一つ終わったというだけだ。
 ハジュラのシアリス正教大教会、それを束ねるカーマイン司祭は、この惨状に落ち着きなく歩き回っていた。正教本部よりやってきた細作によって助けられ、今は王城に避難しているが、与えられた個室で爪を噛んでいる。
「全て上手くいっていたというのに、なんたること。これでは猊下にどうお詫びすれば」
「カーマイン司祭、猊下は全てご存知だ。ハジュラの首が変わるという事態は、レミンディアを手に入れる布石にすぎない」
 細作は、黒髪黒目の長身の男は、なんでもないことのように言う。そして、テラスから外を眺めた。城の中庭は、何事もないかのように侍女と貴婦人たちが歩いている。
「ど、どういうことか。それに、猊下がご存知とは」
「猊下つきの細作と護衛のことは知っておられよう。私は猊下から密命を帯びている。我等がシアリス正教内部の不正を正すこと。そして、異形の抹殺」
「不正ですと、内通者がいると」
「ゾレル王子の御母堂、イシュルテ様を陥れた罪人、カーマイン司祭の断罪だ。その罪は、偉大なるシアリス様に詫びることだ」
 カーマインは、細作が部屋の隅にたてかけていた長い筒を手に取るのを、呆然と見ているしかできなかった。
「ま、待て、猊下がわたしを見捨てたというのか」
「ガザ、ハジュラ、ロイス伯爵領、バロイ砦、蜥蜴山脈、邪神の森、ガルナンディア大陸辺境の要、全てを手に入れられるのは猊下ということだ。それに、それは私にも都合が良くてな」
 次に司祭が口を開く前に、威力と銃声を抑えた魔銃が青い光を放った。外にいた衛兵と修道士が駆け込んでくる。が、衛兵も最後の懺悔の最中だと聞いていた。机の上には、司祭直筆の遺書と告白書がある。
「私は急ぎ本国へ戻る」
 銃士は言い捨てて、部屋を出た。何の表情もなく、大きな荷物を背負った長身の修道士にしか見えない彼は、顛末を見届けることなくハジュラを去った。
 ハジュラにシアリス正教は残る。商人の力は衰退し、アーサー王子と異形が暴れてくれるのは、シアリスを磐石に導くにちょうどいい祭りだ。そして、その磐石を求める行動が銃士の目的を達成させる要にもなる。
 金で裏切った傭兵たちの先頭に、アーサー王子とゾレル王子が正装で馬に乗っていた。
 ハジュラの民は、平伏して進軍を見送っている。
 跳ね橋では、必要なら下水道に潜んでいるミデとアギラを出してでも押し通る計画だ。力ずくだが、ゾレル派の貴族が王に書簡を届けるのに成功していれば、門は開く。
 戦いを前にして、鎧姿の王子二人を待ち受けていたのは、下がっている跳ね橋と平伏するハジュラの重鎮たちであった。
 馬を止めれば、並んで平服した重鎮たちの真ん中に、カーマイン司祭の首級がある。
「ゾレル王子、そしてアーサー王子、我らハジュラ貴族一同、お詫び申し上げる」
 ゾレルは、王子に相応しい態度と伝説になりそうな美麗字句で取り繕ったが、アーサーは無表情にそれを見ていた。
「ゾレル、一本とられたわ。どうにも、誰かの掌にいたみたい」
「……坊主共に用意されたというのが気に食わんが、今は祝うべきだろう」
 互いに囁きあって、彼らはゾルトール王の元へ通された。
 ゾルトール王は病にありながら、ゾレルを抱きしめて詫びた。第二王子以下の面子も、白々しいセリフを吐く。ゾルートル王は心底から、最も愛する息子に詫びていたが、他はそうではない。そして、ゾレルは王としての資質を、覇道を行く資質を持ち合わせている。
「ここに、第二王子と第三王子が私を陥れた証拠がある。父上、いや、ゾルトール王の前で決闘を申し込む」
 ざわついた一同の前で、王の顔に戻ったゾルトールは、「受けぬならば、国を消えろ」とまで言い放った。ここで首謀者が生贄になれば、この後に待つ粛清が少しはマシなものになることを理解している貴族たちに、王子を庇う者はいなかった。
 決闘は、第二王子が受けて、第三王子は追放を選ぶものになった。第二王子は、それなりの使い手だったが、ゾレルの一撃で胸を貫かれた。
「ここに、我は宣言しよう。我が子ゾレル・コカクに王位を継承することを」
 戴冠は略式で行われた。そして、アーサーの話になったが、ゾルトール前王とゾレル王が、旅の剣士殿である、と宣言したことで、アーサーをハジュラが擁護するというのが公的に宣言された。
 しばらくはゾレルの手伝いをするが、それも長く関わるのはまずいため、アーサーは専らリンガー商会と共に、色町の整備とホドリ監獄の恩赦についての打ち合わせをしていた。ぶち込まれていた罪人たちの三割は地下に残り、カザミも残ることになった。ホドリム・グレイと、監獄の中で生まれ育った子供たちは、ハジュラと、アギラとユウの国へ行くものに別れ、グレイについていくということで、三割ほどもアギラとユウの国へ向かうことになった。
「そろそろ、国って名乗っていいかもね」
「化物の国かよ。神官やってたころには、こんなことになるなんて思いもよらなかったな」
 シアリス正教の工作で、グレイの証言は必要がなくなっていた。しかし、彼は外に出ることに決めていた。どのみち、シアリスがハジュラにしぶとく居残ってしまったのなら、ここにいるのは危険だ。
 シアリス正教は、カーマイン司祭の悪事の侘びとして金子と謝罪文を差し出した。それだけだ。新たな司祭がやってきて、教会は規模を縮小して再建される。
「で、お前はどうすんだ。シアリス追い出してゾレルの助力も得れてって、そう考えてたんだろう」
「ここまでシアリスに出し抜かれると思ってなかったのよ。収穫はあったけど、連中の手の上っていうのは、ね。デキのいい弟が襲ってくるんだからさ」
「アギラとユウを捨てりゃあ、どっかの領主ぐらいには収まれるだろ。やんねえのか?」
「やんねえわよ」
 と、管を巻いているところに、エリザベートとシャルロットがやってきた。
 ゾレルの父であったコカク家当主のギリアム・コカクが自殺していたことを告げにきたようだ。シアリスの手で密葬されたが、その遺体には大きな穴が開いていたそうだ。同様に、イシュルテ婦人を陥れて火あぶりに追い込んだ連中は、全て不審な死を遂げている。
「シアリスの暗殺者共だな」
 ぽつりと、グレイはつぶやいた。グレイのことが表に出なかったのは幸いかもしれない。それすらも、用意されたものであるかもしれないのだが。
「王子、私はこれからどうすればいいでしょう。復讐も、ゾレル様の王位も取り戻せました。ゾレル様は、正式にラザンテ区の管理をリンガーに任されましたが」
「いいんじゃない。リンガー男爵家はリンガー商会を経営してるってことで、あんたならできるわよ」
「姉上、そうでございます。っていうか、貴族の礼儀作法とか忘れちゃったしさ。姉さんがいないと、あたしじゃ勤まらないもの」
 いい姉妹だ。この二人で今までも飢狼を統率していたのだ、今は少し気が抜けただけですぐに立ち直るだろう。
「エリザベート、あんたならやれるわ。どうせ、貴族の仕事なんて退屈だもの。アタシが王になったら、側室か、そうねえ……やっぱり王妃にしてあげる」
「は、本気ですか」
「冗談のつもりだったんだけど、それも悪くないって今思ったわ」
 グレイは『バカ王子が』と胸の中で毒づいた。そして、あの絵本を作ったのは正解だったな、と薄く笑ったのである。
 リンガー商会に用意させたのはミデを隠すための荷車と、バロイ砦にいく二十人ほどを乗せるための馬車数台である。
 ゾレル王からは、旅の剣士へこの度の褒章が渡された。
 出立の日、アリスらギャング一同から、ご禁制の麻薬などの密輸を頼まれた。それとは別に、酒や砂糖などの土産を渡されている。
 ホドリ監獄は、カザミが仕切ることになって、今も変わらず小さな村は発展を続けている。監獄の酒は、最近では一般に出回るようになっているという。地下で醸造された特別な酒は、独特の風味がある。新たに監獄へぶち込まれた処刑を免れた貴族たちが、カザミの指示の元で働かされているというのも妙な話だ。
「そういえば、魂の井戸はいいのか?」
幌付き荷車の中でアギラが尋ねると、鎧をつけて剣を背中に挿していたミデが答える。
「新しいミデが生まれているころだ。次のミデはイーティングホラーにも負けないミデになっている。ミデも鎧をつけることを覚えた、井戸のミデも覚えている」
 永遠に続くガーディアン。繰り返し、そこでミデは生まれる。
 強大な力を持つミデなら、ユウに殺されることはないだろう。しかし、絶対にユウはまたおかしなことを言い出す。
「口先で丸め込むしかねえな」
 小娘一人くらい、多分大丈夫だ。剣さえ抜かせなかったら、そう簡単にはやられない。
 三ヶ月ほどの旅になった。約束の二ヶ月は過ぎて、どうやって機嫌を取るべきかと考える。亜人に陽動を任せるために、日本語で文は送っているが納得しないだろう。
「どうしたものか」
「アギラはいつも何か考えているな。これでも食え。シニクには負けるけど美味いぞ」
「ああ、ていうか、これ土産だから勝手に食うなよ」
 砂糖を舐めていたミデは名残惜しそうに麻袋を閉じて、手についた砂糖を舐め取っている。
「うわ、ここの砂糖って味が違う」
 甘いものでもあげるのがいいだろう。小豆があればゼンザイくらいは作れる。随分昔、学生時代にバイトで作ったな、と懐かしい思い出が蘇った。大量に砂糖を使うため、ここで作ろうと思ったら驚くべき高級品になるだろう。
 帰りたい、と思う。だけど、それも無理だろう。ここはそんな魔法が存在する世界ではない。あったとして、どうやって見つけだせというのだ。
 順調な道のりで進み、バロイ砦が見えてきた。
 三ヶ月と少し離れていただけで、また外観が変わっている。収容人数が三百と少しだった砦は、砦を中心として粗末な町が出来上がりつつある。
「おーい、アーサー。なんだこりゃ」
「あらら、あれってガザとハジュラの商人に、流れの隊商までいるわね。それに、ゴブリンから何から、なんでもあるわね」
 粗末な小屋、と思っていたが、そのほとんどは何かの露店だ。普通の都市では確実に違法とされるものが軒を連ねている。さらに言うなら、盗品と思しきものや人買い人売りまでが青空の下で、威勢のいい声を上げていた。
 しばらくして砦につくと、ユウやショウたちが出迎えてくれた。再会の言葉よりも先に、アーサーがユウに詰め寄った。
「ちょっと、なんなのコレ。凄いことになってるけど」
「ええっとねー、織田信長のやった楽市楽座っていうの? 場所代とって、好きにしていいって言ったらさ、なんかこんなことになっちゃった」
たった二ヶ月で、ということである。元々、ハジュラとガザとロイス伯爵領を結ぶ要所だ。砦付近での売買というのは少ないものではなかったが、以前は細かい上に重い税金と、取り扱いの制限があった。しかし、今は場所代と適当な税金だけ。禁制の密輸もやり放題という状況で、ブラックマーケットが出来上がってしまったらしい。
「ていうか、凄いお化けがいるんだけど、なにあれ?」
ミデは、女の上半身と蟹百足の下半身。特に、下半身は大きな馬ほどもあり、高さだけでいうなら二メートルを越えている。見た目の威圧感からして、百七十センチのユウから見ても大きすぎる。
 露店だらけの道をノシノシと歩いてくるのを、人々は様々な反応で見守っている。神に祈る者もいれば、邪神の信徒はその場で感激のあまり失神したりと、アギラの時より騒ぎが大きい。
「ユウ、大丈夫だったか」
「アギラさん、約束より遅れたよね。でも、おかえりなさい」
 ここで、ただいま、とか言ったら確実にこの小娘は暴走する。
「あー、ありがとうな。あれはミデ、ハジュラの遺跡の中で仲間になったんだけど」
「だけど、何かな?」
「おい、変な目で見るな」
 アーサーは「ちょっと賑わいを見てくるわ」と、グレイと共に行ってしまった。
「ねえ、どういうこと」
「アギラ、あれ買って。金がいるとか言ってる」
 すでに商品らしい果物をかじっているミデは、ユウに全く気を遣わない。
「勝手に食うなよっ。ちょっと待て、ユウ、変な誤解すんな。それから、新しく仲間になったミデだ。仲良くしろよ」
「あー、よろしくね」
言葉とは裏腹に、殺気が高まっている。
「なんだお前、ミデと戦いたいのか。ミデはアギラに仕えている。アギラの敵じゃないなら相手しないぞ」
 ダメだ、話を聞いてくれない。
 ユウに宿った殺気は、すぐに霧散した。いつもなら、ここで本気で向かってくるところなのに、成長したのかもしれない。
「うん、なんかこの人天然っぽいから分かんないでもないけどさ。アギラさん、あっちでお話しよっか」
「いや、ちょっと仕事が」
「いいから、あっちで、ね」
 満面の笑みで触手を握ったユウは、アギラをひきずって砦に入っていく。
「仕事がんばってな。ミデは何か食べている。必要になったら呼べ」
 邪神の信徒たちが寄ってきて、店主に金を渡している。何かご利益があるのか、ミデの蟹百足を子供に触らせていた。
「ご主人様とか呼ばせてたら、殺す」
 笑顔で言うな。
 少しずつ、バロイ砦は繁栄を始めている。混沌に満ちてはいたが、それはアギラとユウには心地良いものだった。



[1501] Re[11]:ヴァルチャー
Name: ポンチ◆ebd5b07d ID:440294e0
Date: 2007/10/05 23:41
 ならず者たちが砦に集まる。
 一つの都市を作るのにどれくらいかかるだろう。弱いヤツが悪い、ということをすんなりと受け入れてしまったのは、ずっとずっと昔。ここに来る前のことだ。






第十二話 ツンデレは魔界語だから気にするな






 アギラの帰還より二ヶ月が過ぎた。
 子供たちは初めての外と、亜人たちにすんなりと馴染んだ。悪徳に満ちたバロイ砦の中で、健やかに新たな暮らしに適応を始めている。
 ホドリ監獄には、当然ながら犯罪者しかいない。例外もあるが、そこで生まれ育った子供たちは、裏切り者の末路も、ファミリーの契りも理解していた。彼らは突然広がった世界にも、同じようなルールがあることを感じ取っている。
 驚くべき速度で放り投げられた薪を、ユウが細切れにする。それだけで、砦に集まっている隊商や流れ者たちからため息が出る。基本的に鎧は外さないが、ヘルメットは外しているユウ。狂戦士の素顔を一目見たいと思っている人々は、こぞって彼女を見にくる。そして、邪神の使徒とされるイーティングホラーに、シアリスの伝説にある魔神ミデも、ある意味で見世物だった。
 隊商は日に日に増えている。露店の場所代以外に一切の税が無いここでの商売は、どのような商人から見ても美味しい。強盗の類は亜人に知らせば捕まえてくれる。さらに、勝手に住み着いてしまったならず者たちも、強盗や詐欺師の類を見つけ出して盗品を回収するという新たな仕事を作り出していた。
 午前の涼しい風の中で、ドラが鳴り響いた。
「はーい、ここに住みたいヤツ、あっちに住居作ったから、抽選するから集まって」
 山の斜面、砦周辺で新たにゴブリンたちの作った粗末な居住区域の抽選に、人々が集まる。土地だけ買って、そこに自分で建てようという者もいれば、ただ単にここに流れ着いた者もいる。
 ユウが抽選開場で、木製のクジを一人一人ひかせている。狂戦士と握手したがる者もたくさんいる。ユウが行うと、荒くれ者も素直に従うのだ。
 クジを引くのは無料だ。当たりをひいて金が無いものは、ここで当たりクジを売る。それだけで金になった。
 グレイとスレルのジ・クが、隣で地図に記しをつけている。ただの荒地に小屋を置いただけ、井戸は元々猟師の使っていた粗末なもの、そんな土地だというのに、当たりを引いたものは次々に金を置いていく。金以外の品物も多いが、グレイが首を縦に振ればそれで成立だ。
 砦近くには、人買いから娼婦館経営に転職した男の店が繁盛している。同様に、密造酒や麻薬、情報を売る店もできていた。
 この金で、デュク大河に面した形の城壁を作ろうとしている。実際、税金とその他の収益で、アーサーはすでにガザの建設会社に前金を支払っていた。
 アギラとアーサーは、測量屋と図面屋と話をつけている最中である。高さはそこそこで、できるだけ安価に。という虫のいい話に、土建屋の代表者は渋い顔だ。
「資材の手配もありますし、半年はかかりますよ」
「三ヶ月でできないの?」
「できやしませんよ。土方の手配はできますがね、こっちだってそうそう簡単にはいきません。ガザから職人を手配するのにも片道で二週間かかるんですよ」
 代表者、ウエンと名乗った両目を機械に変えた男は、じろり、とその一つ目の倍率を変えて当たりを見回している。
「その目、ガザで作れるのか」
 ガザは唯一シアリス正教を受け入れていない機械と砂漠の大国である。古代遺跡から発掘される機械を使う街、というゲームの設定と変わらない魔窟である。彼らは、あまり国の外に出かけたくないようだが、バロイ砦からの要請には快く答えた。交渉に向かった忍者たちも驚いた様子であったところからするに、普通はこのようなことはないようだ。
「太守様から、アーサー王子とアギラ様には言っていいと許可を頂いています。秘密ですよ、帝国の遺産と、太守様の許可があれば、これは取り付けて頂けるのですが、作るのは無理です」
 ウエンは自分から細作であることを告白した。アーサーも意外な顔だ。
「あのさ、そんなバラしていいの」
「王子、あなただって、我々とコンタクトを取ったのですから、そんなのご承知でしょう。ま、タイミングが早くなりましたが、ガザはバロイ砦との同盟を望んでいます。もちろん、友好的なね」
 ガザは砂漠の国だ。輸入が不可欠な国だが、今までそれは周辺区域の地元住民たちとロイス伯との間で秘密裏に行われてきたものだ。
「ガルナンディアのマーケットとして利用したい訳ね。こんなに商人が集まったのもガザの手が入ってたってことかしら」
「その通りです。わたしも色々と苦労しました。シアリスとおおっぴらに敵対できませんし、クチナワ代官の時は税やらリベートやら、アホほど搾られるだけでどうにもなりませんでしたしね」
 ひどい言われ様だが、この砦をもっと有能な人物が管理していたなら、城砦都市として繁栄してたのは自明の理だ。交通の要所であり、ロイス伯爵領は穀物の産地だ。発展を拒否してまで、クシナダ侯爵家にだけ富を送り続けた結果である。
「何を望んでるかで変わるんだけど、同盟は全然オーケーよ」
「ま、予想していた反応です。大きな声では言えませんが、竜種との敵対とシアリスへの敵対、それから我々ガザの叡知の探求に協力して頂くのが条件です。見返りは、城壁の代金をあの程度のお安い金額で受けましょう。ある程度の援助も」
「大きい声で言ってんじゃねえか。その程度のことでそんなことをするはずがない」
 アギラが口を挟んだ。シキザとは違うタイプの頭の回るイヤミなヤツ、ウエンに興味が湧いた。
「ロイス伯を打ち倒して頂きたい。妖精族との戦いというのは禁忌に触れていましてね。あなた方に伯爵領を支配してもらうこと、それが条件ですよ」
「ちょっと高いわよ」
「だからこそ、その程度の金額で城壁も作るし援助もする、ってことですよ」
 予期される戦いは無数にある。避けられないものの一つに、ロイス伯とのものがあった。
「妖精王に竜に邪妖精の女王、それから古代の遺産に、あとは邪神神殿、アギラとミデを見ちゃったから信じるけど、シアリスを含めて根の深い話よね」
「はい、三百年前に均衡を崩した事件がありました。そこからですよ、たかが三百年の歴史しかもたないシアリスがあれだけの力を得てしまったのも。レミンディア王家にも伝わっているはずですよ」
「王位についたらその秘密も分かるんだと思うけど、今は知らないわ」
「おや、素直ですね」
「謎かけは後で解くわ。今は、そんなこと気にしてる場合じゃないもの」
「結構、では楽しみにしていますよ。こちらとしても、高い買い物なんですから」
「よく言うぜ。城壁と、それからお前の建築技術の一部もつけろよ。ゴブリン式だけじゃ限界があってな」
 アギラの要求に、ウエンは笑みを見せた。
 数日間で測量と図面を書き上げたガザの細作は、帰路についた。
 アーサーとアギラは、なぜか共にいることが多い。アーサーは非常に優秀で、数々の貴族を手玉にとって金品を詐取したグレイをもって天才と言わしめる男だ。最近のユウはグレイと共に行動しており、マーケットの管理に忙しい。アギラとアーサーが様々な税だとか治水だとかの問題に対処している。
 新たな井戸を掘っている現場で、忙しく働く亜人と人間を見ている。
「不思議ね。こんな風に人間と亜人が共存できてる。それに、あんたたちもアタシに素直についてくるしさ」
「アーサーは王位を取ったらいなくなるだろ」
「うん、そうね。アタシはここからいなくなる。ちゃんと対等な付き合いをするつもりよ」
「分かってるさ。仲間だろ」
「そうね」
「竜と戦うってことは、シアリスは敵ってことだな」
 生神シアリスは、千年前に戦火の渦にあったガルナンディア大陸に現れ、竜の脅威を沈め幾多の奇跡をおこし、神を名乗る男は伝説となった。そして、三百年前から土着の神を破壊しながら宣教に乗り出した。もはや、真偽のほどは分からないが、何百年か前から竜がシアリス正教の危機を救ってきた。最後に現れたのは三百年前だという。
「そうね、竜なんてただのケモノだと思うけど」
「いや、あれはケモノじゃない。竜は、強大で生物の枠から外れたモノだ。多分、本当にいる」
「ミデから得た知識ってヤツね。あんたが言うと真実味があるわ」
「邪妖精の女王も、何か関係してる。シアリスが辺境を支配しようとしてるのは、そういう話に関係があるのかもしれない」
「……ガザの扱いに注意しろってことでしょ。それから、ロイス伯爵を守護する妖精にも」
「邪妖精の女王に、もう一度会う。どうせロイス伯とぶつかるなら会わないといけないしな」
「一人で行く気ね」
「ああ、アレが何なのかも知りたい」
「死にそうになったら逃げなさいよ」
 止めるのはやめた。アギラが、自ら目的を語ること自体がアーサーには意外で、あの遺跡で何かあったとは思っていたが、彼がここまで変わるものだと思っていなかった。
 ユウも少しずつ変わりはじめている。
 しばらくして、アギラと別れたアーサーは、不意に砦を振り返った。
「いつか、敵になったりするのかしら」
 王位は取り戻せる。と確信している。根拠は何も無い。不安なのは、彼らと敵になること、ただそれだけだ。




 邪妖精に頼むと、あっさりとお目通りは許された。
 誰にも告げずに出かけたアギラは、邪妖精の案内で霧の道を進み、以前とは別の通路から女王の洞窟へ進んでいた。
 まとわりつくような、重く湿った霧に包まれながら、以前とは別の感覚がある。圧倒的な恐怖と、不思議な懐かしさを感じた。
 細い通路を何度もくぐりぬけて、ガルムの形で女王の前に立った。薄いピンク色の膜の無い、女王を直視する場所だった。
 広大な鍾乳洞のホールで、地下水に半身をつけた女王は、ゆったりとそこに鎮座していた。
「久しぶりじゃな、アギラ」
「はい、お久しぶりです」
 女王の外見は、アギラには上手く理解できなかった。ただ、大きくて恐ろしいものだが、よく分からないのだ。ちゃんと見えない。
「わらわに会いとうなったか?」
「その通りです。教えて頂きたいことがあります」
「よい、許そう」
 美しい声。これは一体なんなのだろう。
「竜は、そして俺はどういうものなのですか」
「異邦人アギラよ。お前の器であるイーティングホラーは全てを知っている。心配はいらぬ。生き残りさえすれば、答えは見出せるであろう。もう一つ、あるのじゃろう」
 邪妖精と女王はつながっている。邪妖精の一つ一つが目であり耳であり、そして小さな分身でもある。
「妖精王は現世に被さる妖精郷に篭もっておる。加護と言っても、眷族を貸す程度であろう。打ち倒すだけでよい。ホホホ、わらわと邪神は共に竜と戦った仲じゃ。わらわは戯れに現世に残ったがの。邪神の子よ、決められた道などは無い。犯し殺し破壊し尽すのも、増やし守り作り出すのもまた、アギラの自由じゃ。見守るくらいはしてやろう」
「では、この体は」
「柄にもないことを言うものではないよ。自らを縛るのは己だけじゃ。望むままにやるがいい。結果として全てをなくすのも、ただそれだけのこと」
「ありがとうごさいます」
「ホホホ、今度はわらわをちゃんと見れるようになってから来るがよい」
 謁見は終わる。
 アレの記憶が体の奥にある。




 正午、アーサー王子と、急遽作り上げた騎士団はロイス伯爵領に入っている。
 荷車に乗せられたアギラとユウ、ガファル、ガロル・オンの剣士、リザードマン、邪妖精、スレルの魔術師、後は頭数として雇ったならず者。そして、ミデがいる。
 総勢二十人で馬車は進む。
 ロイス伯の砦に向かうことになったのは、アギラとアーサーの決断によるものだ。正直な所、戦をやるだけの余力は無い。
 交渉が失敗すれば、一網打尽。まさに賭けだ。しかし、いつもと同じだと考えればさして驚くようなことでもない。
 雷鳥の騎士団は総勢五十名。竜王の騎士団に次ぐとされる騎士団である。ゲイル・ロイスも若き日の冒険譚で名を馳せた人物だ。最悪の場合、ロイス伯と騎士団の団長だけでも殺害できればいい。
 ロイス邸でもあり、辺境領主のものとは思えない砦につくと、文は渡してあるとはいえ、すんなりと通しすぎだ。
 錬兵所、あの日、ユウとガファルが決闘をした場所には、完全武装の騎士たちが並んでいた。弓兵もしっかりとこちらを狙っている。
「王子、御久しゅうございます」
「ああ、そういう喋りはしなくていいわ。話し合いにきたのに、これはどういうことかしら」
「死んだはずの王子と会うのに、それ相応の準備は必要かと思いまして」
 ゲイル・ロイスはアーサーを見据えて言い放った。ユウとアギラが隣につく。そして、その後ろにミデがついた。
「伯爵、それに団長も。どういうことですか、王子は生きておられます」
 悲壮な叫びだった。雷鳥の騎士団に所属し、王国の正義を信じるガファルには、ロイス伯の行動が信じられない。
「俺はレミンディアをシアリスに乗っ取られたくないだけだ。王子、あんたは頭が回りすぎる。王であるよりも、人であることを選ぶあんたは王にはなれねぇ」
 アーサーは、それを鼻で笑った。
「そんなとこに囚われてるのが伯爵止まりの証拠よ。雷鳥の騎士団、アタシにつきなさい」
 誰もが、唖然としていた。王子は、理由など必要ない。そう言い切ったのである。
「それ以上の愚挙は許しませんよ、兄上」
 騎士たちの後ろに待機していた男が言う。
「団長、どういうことですか」
 彼こそは、雷鳥の騎士団団長ジュリアン・イーグ・オーウエン。剣の腕、団長として騎士団を束ねるだけの統率力、王族としての気品、全てにおいてアーサーを上回るとされた第二王子である。
「ジュリアン、あんたこんなとこで何やってんのよ」
 ジュリアン・ユガ・トレイオール・レミンディア、それが真の名である。公的には病に倒れて静養中、となっている身であった。
「ロイス伯と共に、宰相を倒すために身を隠しておりました。兄上、新たな時代にあなたのような者はいらない。ここで、死んでいただく」
 動こうとしたユウの足元に、棒手裏剣が放たれた。見ると、片腕になったシキザがロイス伯の隣にいつのまにか控えている。
「アーサーを殺したら、お前ら皆殺しにするぞ」
 と、アギラは脅しになってないことをつぶやいた。
「ならば、それもよし。やってみせろ、異形」
 ゲイル・ロイスも負けてはいない。
「あっそ、じゃあ命も惜しいし、アタシはやっぱり隠退するわ。それでいいでしょ」
「兄上、戯れはやめてもらおう」
「ガキのころから変わらないわね。いいかしら、アタシが死んだら亜人とならず者たちが伯爵領を燃やしつくすし、ここでユウとアギラがあんたらを刺し違えてでも殺すわよ。あんたがそこに立った時点で、アタシに負けたってこと、分かる」
 正気を疑う言葉だ。だが、ある意味でそれは正しい。
「あなたは、レミンディアが滅んでもいいと仰るか」
「ミデ、そろそろ出ろ」
 アギラが言うと共に、ミデが荷車から這い出してくる。騎士たちの顔色に、僅かながら恐怖の色が浮かんだ。そして、ミデのひきずるものを見て、空気が変わった。
「これはマズいぞ。食えない」
 トレントと呼ばれる樹木妖精の頭部が放り投げられた。
「ロイス伯、バロイ砦をタダで手に入れようとしたあんたの負けだ」
 ここでアーサーを殺害し、アギラたちを丸め込む。それは不可能ではない。だが、その中心人物が死を覚悟していたら話は別だ。そして、国ごと刺し違える気でいる。普通の貴族はそんなことはしない。アーサーは、既に貴族ではなくなっている。
 彼らは積んだつもりでいたのだ。それが、無法者と暴君には無意味なことと理解できていなかった。
 沈黙が場を支配する。そして、ジュリアンは剣を水平に構えた。
「兄上、あなたはいつも私の上をいかれた。将軍も、学士も、……王も、本当はあなたに賛辞を与えていた。弟たちは、みなあなたが憎かった」
「腕っ節と貴族の誇りじゃあんたが上よ。アタシをやったら、あんたたちもおしまい。明日にも、総力を上げて蹂躙しにくるわよ」
「ハハハ、分かり申した。このゲイル・ロイス、この度の責任を取りましょう」
 素早く、戦士の動きでジュリアンから剣を奪ったロイスは、自らの腹に突き刺した。
「ジュリアン様、いや、我が息子よ、王都へ戻り、中から宰相を倒せ。お前が王となるならば、レミンディアは安泰だ。シアリスに、ここが奪われなければ、それでいい。先に王位に、つけ。俺は、最後の手を使う」
 ロイスは血を吐きながら、語りかける。アーサーは、それを冷たく見据えるだけだ。
「ま、いいわ。それの首とこの領地もらうかわりに、あんたと騎士団は逃がしてあげる。今からすぐに荷物まとめなさい。一時間でやんのよ」
「ロイス伯が、我が父に与えられた力、その目で見るがいい。国のために死ねぬ気狂いめ。王族たる資格無し、お前は邪神に魅入られた悪鬼だ」
 ユウがアーサーをつかんで、後ろに飛んだ。アギラの「後退」という叫びで皆が下がる。だが、それは遅すぎた。半分が巻き込まれ、地面からせりあがったものに串刺しにされる。
 物理法則を無視した奇跡がそこに為される。
 ロイス伯の肉体から、大小様々な影が這い出した。それは、妖精の加護、そして妖精の復讐。
 地面を突き破って現れた巨大な植物群、そしてミデの倒したものなど比べ物にならない大きさの、エルダートレント。十メートルの巨大な自律歩行の大樹、そして三メートルはあるウッドゴーレム、弓を構えた妖精。
「ハハハハ、楽しいな、アギラ、こいつらは美味いぞ」
 魔神と呼ばれたミデが笑う。
「こういう敵って久しぶりよね、みんな、王子を連れて逃げて」
 ユウは、言うと同時に、後退していたガロル・オンにアーサーを放り投げた。当の王子は気絶寸前だ。
「狩りの時間だ、やるぞ」
 死ぬかもしれない、不思議と冷静にそれを受け入れられた。
 すでにジュリアンと雷鳥の騎士団の姿は無い。ロイス伯は、元より死ぬつもりだったのかもしれない。いや、もう彼らの計画は分からない。
「邪妖精め、盟約を破るか」
 トレントのテノールが木霊する。言葉まで喋れて巨大な動く樹木、どうやって倒したらいいか、今ひとつ方法は思いつかない。
 ガルムと化したアギラは、先に槍を持った妖精に体当たりをして、その喉笛を噛み千切る。
「ハハハ、木はミデがやるぞ」
 ユウに鋭い枝を向けたトレントに、ミデが襲い掛かった。その両手には、神の戦槌ヒロシの使っていた炎をまとう戦槌、アグニハンマーが握られていた。重すぎて誰にも扱えなかったものだが、ミデのサイズにはぴったりだ。
 炎と共に枝を砕かれたトレントが後退する。下がれと命じていたガロル・オンや傭兵たちも、妖精に斬りこんでいる。
「生き残れば伝説になるぞ、みな、ユウ殿とミデ様に続けっ」
 ああ、そうか。そうだな、バロイ砦がなくなったら、彼らにも明日はない。
「アギラさん、こいつら結構強いっ」
「クソ、わらわら出てきやがる」
 新たなウッドゴーレムが、ロイス伯を中心として形成された森から飛び出してくる。
「門を閉じよ」
 邪妖精が一匹いつのまに寄ってきたのか、かアギラの耳元で囁いていた。
「女王」
「見守ると言うたであろう。さあ、後は貴様ら次第じゃ」
 邪妖精の瞳から力が消えて、普通の邪妖精に戻る。こんなところに放り出されて混乱している。
「ロイスが門だ。とにかくぶっ壊せ」
「オッケー、突っ込むから援護よろしく」
 妖精の放った弓矢が、ユウの背中に突き刺さっている。それでも、彼女は応えた様子が無い。ガルムのままユウに追いつく。今は、アギラの足が速い。閃くものがあった。
 体積を移動させて足を少し伸ばした。
「ユウ、乗れ」
「あ、オッケー」
 背中に飛び乗ったユウは、妖精たちの放つ矢を剣で叩き落とす。アギラも、触手を伸ばして、無尽に放たれる矢を叩き落す。しかし、走ることに特化したせいか、刺さる矢があまりにも痛い。
「クソっ、めちゃくちゃイテー」
「速い代わりに薄いってどういうことか分かってくれた?」
「嫌ってほど分かってきたよっ」
 もうすぐだが、そこまで大きくないがトレントが立ちはだかっている。その背後には、異界と通じる穴と化したロイス伯の死体がある。
「あれ、どうやって潰したらいいのよ」
「しるかっ。刻んだらいいんじゃねえのか」
「もうっ、アギラさんのバカ。飛ぶよ、トレントの相手してて」
「ちょ、おい、俺一人でか」
「大丈夫、すぐに済ませるから」
 アギラはそのままトレントに体当たりをしかけ、ユウはその直前に高く飛んだ。トレントの頭を踏み台にして、ロイス伯の死体目掛けて飛び降りる。
 異界のゲートと化しているのは、物言わぬ屍としなったロイス伯の胸元、緑色に輝く巨大な宝石からだ。
「え、なにあれ、文字」
 それは、電子機器に表示されるシステムのように、宝石の中で文字が凄まじい早さで明滅している。ユウは、落下の加速度をつけてその宝石に剣を突きたてた。ヒビが入り、そこに収束されていたエネルギーが弾ける。
 破壊されたゲートから放たれた圧力で、ユウは吹き飛ばされる。回り込んでいたアギラが触手で彼女をキャッチする。当然、クッションとして一緒に飛ばされた。
「増援止まった、後は倒すだけか」
「いたた、アギラさんいなかったら、死んでたかも」
「ユウ、さっきの爆発で鬱陶しいトレントも少しは潰れた。あとは、あのでかいヤツと残りだけだ」
「分かってるって、休まないよ」
 ミデは相変わらず、一騎打ちの様相で巨木のエルダートレントにハンマーを打ち付けている。
 手のような無数の枝と、刃と化す木の葉。ミデの着ている鎧も、その攻撃ではしばしが砕けていた。
「あいつ、顔があるぞ」
「え、どこ、見えないよ」
「木の上の方、でかい一つ目とそれ以外は皺だらけの顔。ユウ。見えてないんだったら、俺がその辺りに飛ぶから」
「りょーかい、こういうのお約束だよね」
 アギラの体も、吸血や採食ができないために傷だらけである。ユウをのせてのジャンプは正直辛い。
「おい、ミデも仲間にいれろ」
 トレントの体当たりでぶっとばされ、こちらに倒れてきたミデが叫ぶ。
「あの辺に俺とユウを投げてくれ」
「ミデもそろそろ辛い。決めろよ、ユウ」
「ん、……分かったよ、ミデ」
 突進してくるエルダートレントにハンマーを投げつけて隙を作り、ミデは二人を投げ飛ばした。
 空中でユウに絡みつき、目の所で触手を伸ばす。ユウもそれに合わせて、剣を投げた。目玉に、触手が突き刺さる。そして、驚くべき膂力で放たれた剣が、トレントの内部をえぐった。
 叫びのようなものを上げたエルダートレントは、緩慢な動作で後ろによろけると、そのまま倒れていった。
「あたしの剣っ、取るの超苦労したブレインイーターが」
「後で回収するから、残りのヤツをやるぞ」
 一番やっかいな敵が倒れて、仲間たちから歓声が上がる。残りの妖精たちは、ほどなくして一掃された。
 バロイ砦の中で精鋭と呼ばれる者たちの半分が死んだ。そして、アーサーも無茶な受け渡しと流れ矢の毒で、全身打撲の上に左目を失ってしまった。幸いなことに、毒は邪妖精がいたために、素早く対処されていたが、いなければ手遅れになっていたレベルだった。
 砦には一般の使用人たちしか残っていなかったが、王子のこともあり逃げ帰るようにしてバロイ砦に戻るハメに陥る。
「いたた、ほんっと最低」
 ゴブリンの作り上げた車椅子に乗ったアーサーは、人買いから買い求めたメイドに椅子を押させて、森の民謹製の怪しげな塗り薬で包帯を巻いている。左目の視力を失ったというのに、感想は「慣れるまで辛いわねぇ」だけであった。
「住民が武装して、俺たちを拒絶してるみたいだけど、どうするんだ」
「穀物は貰うし、税率も変えないけど、歯向かうんならちょっと痛い目みせといて」
 砦の、新たに設けられた高台で、アギラ、ユウ、アーサーで広がるマーケットを眺めている。
「弟さん残念だったね。やっぱ、難しいよねー、一回仲悪くなっちゃうと」
「分かったようなこと言っちゃって、お子様なのにさ」
「それなりに経験してます」
 ふん、とそっぽを向いたユウは、マーケットを眺めるアギラに視線を向けた。本当に化物だなぁ、このヒト、と思う。
「そういえば、アーサーは年下なんだよなあ。もう少し楽にしろよ。ダメなもんはダメな時もある」
「あんたたちの気遣いってホント気持ち悪いわ」
「なんか友情っぽいと思ってたんだけど、アーサーは冷めてるから。ていうか、それもツンデレ」
「ツンデレは魔界語だから気にするな」
「あーっ、もうっ、あんたらなんなのよっ」
 意味の分からないことばっかり言って、何がしたいんだ。と、元気付けようとしていることに気づく。
「中途半端に優しいの、やめなさいよ」
「本気の悪のアーサーに言われたくないよね、アギラさん」
「うん、お前みたいな悪党がそんなこと言うなよ」
「バカねぇ、ほんとに」
 弟たちは憎んでいるのだな、と思うと、捨てたはずなのに、少し悲しくなった。
 ロイス伯爵領は、亜人に制圧された、ということになっている。実際は、ほとんど手がつけられていない。彼らは領民に略奪者と呼ばれ、統治するだけの人員を送るだけの余裕もない。砦に備蓄してあったものや財産は略奪したが、それだけだ。立場の悪化、領地を持て余している現状、ロクなことがない。
「しっかし、あの娘どうしようかしら」
 マルガレーテ・ナハシュ・イル・ミレアネイス侯爵令嬢である。ユウとアギラがロイス伯爵領まで護衛した少女である。そして、その気丈な侍女、アンジェラ・マルートも、残しておく訳にはいかず軟禁している。
 ロイス伯はあの時から、ずっと彼女を保護していたようだ。目的は同じだが、彼女たちはロイス伯を殺害しジュリアンを侮辱した彼らに憎悪を抱いている。
「身代金でも取るのがいいんじゃない?」
「余計な火種だ。助けたのは俺たちだけど、行くべきとこに引き渡すんだろ」
「そうは言うけどね、色々と使い道はあるような、迷うとこなのよ。つーか、あんたたちも悪党よ、アタシだけ悪者にしないでよ」
 爽やかな風が吹いた。
「そろそろ、秋だね」
 蜥蜴山脈の秋は、落ち着いた気候で過ごしやすい。そして、山の実りや収穫のある黄金の季節だ。隊商たちで賑わうことになるだろう。
「細作入り放題なのもなんとかしなきゃなんないし、ニンジャたちみたいなのどっかで雇えないかしら」
 時は過ぎ行く。
 希望は、ゼロではない。



[1501] Re[12]:ヴァルチャー
Name: ポンチ◆ebd5b07d ID:440294e0
Date: 2007/10/06 21:23
 嫌われたものだな、と苦笑する。
 その場で殴りにいきそうになったユウをみんなで止めた。人に憎まれるのは、あまりいい気持ちではない。






第十三話 うん、いいよ






 ガザに向かったホドリム・グレイはほどなくして話をまとめて帰ってきた。
 城壁は三ヶ月で作り上げ、現金と穀物をそれなりの量。この先の二十年間は収益から一定の割合での支払いを受ける。ロイス伯爵領はこのような条件で売り渡された。
 あまりにも安く売り払ったことになるが、ガザはそれも予見していたかのように、素早く統治のための軍勢を送っている。ガザが裏切れば、そこでバロイ砦は終わる。
 名君として知られたロイス伯が邪神の使徒率いる亜人の軍に討たれたことは、辺境を越えて大陸中に知れ渡った。
 ハジュラは、王位に関する内輪もめをさらして、レミンディアへの協力を拒否。ガザは正統な商取引であると抗議を一蹴した。シアリス正教は、アギラとユウを邪神の放った悪魔と認定した。
 どこに隠れていたのか、邪神の信徒たちは定期的に砦に現れる。そして、難民や異端者。無法者はまだ可愛いものだ。
 本日、ユウはベッドに入ろうとするとこで呼ばれ、邪神の信徒と共に、バロイ砦周辺に無数に立ち並ぶ小屋に突入していた。眠い目のままで、邪神に生贄を捧げていた異端者を制圧していく。どうせ、後で縛り首なのだからここで殺してもいい気はいるのだが、見せしめということで逮捕することになっている。
「ユウ殿、これは悪の神です。名前もない神ですが、おぞましい所業の邪教にございます」
 邪神の信徒の中で、女司祭の地位についている女は、青い顔で生贄の惨状を見ている。
 本来、邪神の信徒の大半は土着の神を崇めたり、過去にシアリス正教に滅ぼされた神を崇める者たちだ。それとは逆に、ずっと昔から淫詞邪教として迫害されてきたものも、シアリスの手によって同じものとされている。
「うっわー、グチャグチャだね。そういえば、昨日のシチュー美味しかったよ。また作って」
 女司祭は口を押さえて外に出ていく。居酒屋のトイレみたいな音が聞こえてきて、「悪気はなかったんだけど、シチュー食べたいなあ」とユウは眠たいままでつぶやいた。
 アーサーもアギラも、こういった事件には頭を悩ませていた。無法者たちの自治でも、宗教というのは取り締まりが難しい。また、法を作ろうとも思ったのだが、作れば作るほど手が足りないのが現状だ。こうして、法も簡単なものに落ち着いている。
『抗争は他人の迷惑のかからない所ですませる』
『騙されるヤツが悪い』
『勝手に売春宿を作らない。病気の原因になったらポン引き共々縛り首』
『トイレ以外の場所での排泄を禁ずる。破ったら袋叩き』
『疫病を見つけたらすぐに通報すること』
 主なものはこれだけだ。無視したら袋叩きにする、という刑罰があり、見てみぬふりをした者も同様に罰せられる。元々研究者であったカザミが、グレイに幾つかの薬の精製方法や病気の発生源を教えており、都市のスラムと比べて清潔ではあった。
 食い詰めた傭兵団も流れ込んでおり、隊商の護衛や、隣り合っている商人たちが共同で警備を依頼するなど、勝手に自治が進んでいる。砦の役人、と呼ばれているショウやジ・クは、大雑把にその場で判断するため、商人たちの自衛が進んでいる。ちなみに、ショウやジ・クは「二人ともに非があるので、お互い左か右か決めて腕を切り落とせ」だとか、「争いの種になった財産は没収、嫌なら死刑」などの悪行を繰り広げたため、よほどでないと砦に泣きつこうとする者はいない。
「うう、神の恵みを無駄にしてしまいました。申し訳ありません」
 女司祭や邪神の信徒は、難民を助けたりと勝手に福祉活動を行っている。彼らは、元々市井の中に隠れていたため、勝手に作った神殿で様々な手仕事を行っている。また、ミデが歩き回るのに付き添ってお布施を強要するなど、細かく活動していた。各国に潜む仲間たちとも連絡をとりあい、情報源になっている者も少なくなかった。そのため、ある程度は砦で保護している面もあった。
「じゃあ、後はみんなで頑張ってね」
 眠い眠い。
 夜でも、砦周りの露店は賑わっている。隊商が着くのは朝とは限らないし、夜行性の危険生物の多い蜥蜴山脈付近では、夜に完全武装で移動する隊商も少なくはない。また、夜だけの商売というのも少なくないためである。
 ゴブリンの警護組と呼ばれる者たちが、狼のような獣に乗って辺りを巡回している。邪妖精は露店に入り込むものが多く、人々もそこまで恐れなくなっていた。
 アギラとグレイとリザードマンのレド、そしてガファルはデュクの大河で夜釣りを楽しんでいた。
「ガファルはこれからどうすんだよ」
「ジュリアン様につくべきか、迷っている」
 隠そうともしないガファルの魚篭には、七匹の魚や鯰が入っている。グレイが三匹、レドが二匹、アギラが一匹であった。
「迷ってんのになんで釣れるんだよ」
「親父が漁師で、子供のころはよく手伝わされました」
 平民出身のガファルは、雷鳥の騎士団に恩義だけでは到底足らないものを持っている。だが、それ以上に彼は今の仲間たちのことも信頼している。彼の言う正義とは法にのっとったものではなく、いかに正しいか、という個人の価値観であった。
「行っちまってもいいぜ。今だったら、なんとかなるだろうし」
 アギラはアーサーからの許可もなく、そう言った。グレイもレドも何も言わない。
「いえ、団長もアーサー王子も、レミンディア国王となる正統のお方です。俺は、今はアーサー王子についていきます」
「あいつスゲー悪人だぞ」
「知ってますよ。上に立つ方は、悪いのが普通です」
 レミンディアがよくなりさえすれば、それでいいということだろう。ガファルの中では、ジュリアンとアーサーは同じ位置にいる。戻れば内通の疑いをかけられるのは分かっている、というのも一因にあるが。ここを気に入ってしまっているのも本音の一つだ。
「そうか、まあよろしく頼む。そろそろ帰るか」
 グレイは黙ってアギラのやることを見ていた。彼には権力があるというのに、それを行使せずこんな回りくどいやり方でガファルと話すなど、全く理解できない。しかし、判断としてはあながち間違っていない。器が小さいのか大きいのか、今はよく分からなくなっていた。
「魚もまあまあいけるな」
 バリバリと噛み砕く。異形というのはよく食うものだ。
 二週間後、馬に似た動物のひく馬車が十数台バロイ砦に到着した。ガザの職人たちである。
彼らの馬車の中に、幾つか貴族専用の異質なものがあった。ガザの細作であるウエンが正装して現れ、浅黒い肌の貴婦人が、ウエンと護衛の女戦士たちに囲まれて、砦の会議室に通された。
 アーサー王子、アギラ、ユウ、ジ・ク、グレイ、とリーダー格が揃って出迎えた貴婦人は、ガザの太守ゴモリー婦人である。浅黒い肌はガザの民に特有のものだ。警護を努める女戦士たちも、皆浅黒い肌をさらしている。
「お初にお目にかかる。ガザの地上府太守のゴモリーである。我の言葉はガザの女王の言葉と思ってよいぞ」
 ゴモリー太守は、三十を少し過ぎた女であった。額につけた赤い宝石をあしらったサークレットが魔術師のように雰囲気を出しているが、服装から判断するに、何か勲章のようなものらしい。あまり服にあっていない。公式の場につけないといけない、というものであるようだ。
 護衛が椅子をひくと、挨拶も無しに座り、懐から煙管を取り出した。火打ち石もないのに、くわえただけで煙が上がった。
 ゴモリー太守にならって、簡単な挨拶で、向かい合うように座った。会議室は、なんとか絨毯はあるものの、それ以外はみすぼらしい。ゴモリー太守は、そのようなことも気にする素振りはない。また、特使としては考えられない派手な毛皮のついた服と、結い上げた髪にカンザシを何本も挿している。高級な遊女だと紹介されれば、うなずいてしまいそうな出で立ちである。
「暑くないですか、毛皮?」
ユウの素っ頓狂な問いかけにも、太守は婉然と微笑みを浮かべた。
「ガザは年中暑くてね、ここは寒く感じるのだよ」
「へー、砂漠かあ」
「アハハハ、狂戦士のユウが話の腰折っちゃったわね。突然の来訪ですけど、目的は?」
「あなた方異邦人のサンプルの採取と、お困りの様子のミレアネイス侯爵令嬢を保護させてもらおうかと思いまして」
「そう、見返りは?」
「レミンディア軍との戦に兵をお貸ししましょう。それから、その次の戦にも」
 ゴモリー太守は、アーサーと同じ予想を立てている。次の戦は、第四王子の元服の直後に始まるだろう。そこにはシアリス正教の大軍も連なり、雷鳥の騎士団と竜王の騎士団、レミンディアの剣と盾が揃う大人気ない戦になる。
「倍以上の兵力と戦うのに兵を貸すなんて、大雑把すぎじゃない?」
「良い細作を持てず、お困りのご様子。シアリス正教の騎士団は多くても二つ」
 そんな馬鹿な。それで確実に攻め落とすなど不可能だ。アピールにもならない。
「確かな情報だよ、王子。我の言葉は女王の言葉、そう言ったでしょう。シアリスは竜を正教国から輸送する準備をしている。ケダモノではない、叡知の竜、ミナカタとミカズチをね。王子は竜に乗る訓練をしているそうだし、格好の祭りになるということだよ」
「そんな馬鹿なこと、御伽噺でしょ」
 声を荒げたアーサーだが、グレイの大きすぎる舌打で言葉を止めた。
「そうだ、シアリス正教国には竜が住んでる。ミナカタとミカズチの兄弟竜と、天竜ツクヨミだ。魔神ミデよりシアリスが奪った秘法で、竜は使役できる。無理やり言うことをきかせれるって程度だけどな」
「そんな、ことが」
「……竜は地下深く檻に入れられてる。おとなしいもんさ。ツクヨミは発狂し、ミナカタとミカズチは秘法に逆らえない」
 グレイは一度言葉を切ってから、「クソ坊主共が」とはき捨てた。
「ガザにいんのは、伝説の巨人だろ。ありとあらゆるものを作り出し、大地を作ったっていうな」
「その通り、さすがは大神官。我らも貴公を捜していたのだよ。ドラゴンと対話できるもの、三百年前のヴァルチャーが今になって現れたのは、天恵なのか災厄なのか、なあユウにアギラ殿」
「どういうことだ」
 ゴモリー太守は悪魔じみた笑みで、アギラの殺気を受け流した。天井に紫煙が吐き出される。
「プレイヤー、というのだったな。お前たちと同じものが三百年前に現れ、乱世の世であったガルナンディアを平和に導いた。ガザの女王も、彼らに助けられたと仰っていた。ただの宗教であったシアリスはヴァルチャーたちによって勢力を拡大し、眠るだけの竜を呼び覚ました。あのころは、イーティングホラーやニズヘグ、オークにギズネルといった異形があちこちにはびこっていたしな。我らガザも、ヴァルチャーの手によって巨人との対話を果たして今がある。ロイスの祖先も、彼らと共に妖精王との対話を果たした」
 三百年前、ここに来たのが何らかの現象であるというなら、時間軸がずれていたとも考えられる。だけど、それはアギラとユウにとっても漫画やゲームの中でよくある状況というだけで、納得も推測もできるものではない。
「うん、別にいいや。今だって三百年前だって帰れた人いないんでしょ」
「彼らは帰る方法など捜そうともしなかったんだよ。狂戦士、お前も今更帰ろうなどとは思うまい」
「うん、今さら帰ったって、いいことないよ」
 会社はクビだろう。そろそろ一年が経つ。一年間の失踪で何もかも失っているのは目に見えていた。それに、残してきたもの全てが、価値あるものに思えない。そんなことより、今と明日を生き抜くことのほうが重要だ。
「ミレアネイス侯爵令嬢は、そちらの負担になるだけだ。ガザで預かろう。それから、サンプルだが、構わないね」
 ゴモリー太守の取り出した注射器のようなものに、アギラとユウは迷うことなくうなずいた。何か打ち込まれる訳ではなく、ユウは血液、アギラは爪ほどの肉体をとられただけだ。
「アーサー王子、あなたが王となられたらレミンディアは変わるだろうね。では、そろそろ失礼しよう」
 太守たちは、ミレアネイス侯爵家令嬢を連れて砦を去っていった。
 ウエンは城壁が出来上がるまでバロイ砦ら残るが、太守は馬車に揺られて帰途についている。
 馬車の中で、額からサークレットを外し、ゴモリー太守は口を開く。
「女王陛下、いかがでしたか?」
「邪妖精が目をかけている異形、それにあの王子。乱世となれば英雄であろう。三百年前と同じく、ガザは監視と防衛。シアリスを止めねばいけない」
 サークレットが言葉を使っていた。それは、通信機ではない。ガザの女王は永遠の女王である。サークレットは、喋る宝石であり叡知の塊である。
「お気に入りになられましたか」
「うむ、竜を倒せるのであれば、銃を渡しても構わん」
「御意に」
 このサークレットは目の一つであるにすぎない。ガザの宝は、銀巨人の死体ではない。不死と叡知の女王こそが宝だ。






 ガザによるロイス伯爵領の統治は順調に進んでいた。最初の収穫の一部がバロイ砦に送られてきている。
 山の民も、邪神の信徒や難民たちと共に蜥蜴山脈で必要なだけの果実や茸の収穫に出かけた。デュク大河での漁には、人足として傭兵たちも参加しての大きなものになった。
 砦では、穀物の貯蔵と保存食作りが始まり、冬に備えての木炭作りなどで賑わっている。
 商人が持ち込むものも、冬に備えたものに切り替わり、保存食が多く並ぶようになった。
 アギラとユウは、マーケットを冷やかしていた。視線を感じるのにはもう慣れた。
 たまに暗殺者らしきものに襲われるが、全て返り討ちにしている。ウエンが来てからそれがなくなった。他国の細作にお世話になるのは二度目のことである。シキザはどうしているだろうか。
 ユウは、露店に並んでいる干し柿のようなものをつまんでいる。相変わらず文字の読めないアギラは、それがなんという名前か分からない。
「これってね、アキっていう名前の果物なんだって」
「へー、文字読めるのか」
「だいぶ前から勉強してます。アギラさんもちゃんとしてよ」
「やってんだけど、三十の手習いだからなあ」
「え、そんな年だったの」
 言ってなかったっけ。
 干しアキは干し柿と同じような味だった。
「これ、小豆みたいじゃねえか」
「ほんとだ。ええーと、クルツオ豆だって」
 店主に触手を向けると悲鳴が上がった。だが、先端に取り出した銀貨を見ると、おそるおそる受け取る。
「その袋ごと、足りるだろ」
 人の形をとって、背負って歩くことにする。釣りはいらないと気取ってみた。店主は何度も礼を言っていた。辺りの露店はしばし静まったが、一層大きな声で売り声が響くようになった。銀貨一枚で、五袋は変えた。それを一袋で一枚となれば、大もうけである。
「無駄遣いするんだから」
「消費で景気をよくするんだよ。ニュースでよくやってただろ」
「不景気とかワーキングプアってヤツでしょ。辛いよね、そういうの」
「嫌なこと言うなよなあ」
 ヴァルチャー・オンラインにはいくらつぎ込んだだろう。パチンコよりはマシだったはずだ。
「ユウも得体の知れないもの食うなよ」
「アギラさんほどじゃないよ。なんでも食べようとするでしょ」
 と、ユウは山ネズミの揚げ物を飲み込む。最近は、その場で食べ物を作る屋台も増えた。近くの猟師だとかが出稼ぎにきている。
「俺はだいたいなんでも食えるんだ」
「あたしは食べてくれないのに」
「お前、ワザと言ってるだろ」
「あはは、まあねえ。あたしね、こないだまでちょっと寂しいってなってて、アギラさんに甘えようと思ってたんだ」
 いつもの鎧、ヘルメットは腰の後ろにひっかけている。剣もそのまま、長身の少女。薄く化粧をして、香水までかけている。
「ユウは暴走特急だからなあ」
「うーん、ちょっと反省したかなあ。あたしさ、アギラさんのことは好きだよ。だけどね、多分、お兄ちゃんが好きとか、お父さんが好きとかそういう好きかな。妹萌えとかそんなんじゃないけどね、アハハハ」
 成長してるんだなあ、この小娘も。
「ユウも色々考えてんだな。意外だった」
「意外は余計だって。こっちきて一年くらいたってるし、そろそろ十六歳だよ。あれ、もうなったのかな」
「俺、ユウの倍くらい生きてんだな。うわー、俺お前くらいの時から全然成長してねえよ」
「アハハ、大丈夫、充分大人だから」
 露店を通り抜けて、あとは砦へ続くゆるやかな坂だけだ。
「あたしさ、ここで頑張ろうと思うの」
「うん?」
「日本は大嫌いだったし、ここも大嫌いだけど、ここで頑張っていこうって思ったの。敵はいっぱいで、アーサーも左失明しちゃうし、ここって残酷でキツい世界だけどさ、あたしは頑張ろうって、決めたの」
「そ、そうかあ。なんか若者の自分探しって聞いててイライラするな。そんなん人に言うなよ」
「ひどっ、何それ、ねえ、アギラさんっていっつも別れる時にモメモメになるでしょ。ねえ」
「よ、よく分かったな。前の女は友達だとかいうチンピラ連れてきて大変なことになった」
「アギラさんほんっとサイッテー」
 成長したのは、女にサイッテーと言われても傷つかなくなったことだ。最低、と言われても傷つかないし、死ね、と言われても傷つかない。ガキのころは泣きそうだったのになあ、今も全く平気だ。
「大人はサイッテーって言われても傷つかないんだぜ。一つ勉強になっただろ」
「それはアギラさんだけだよ」
「みんな女の前で言わないだけでそうなんだって。女の前で男の言うことなんざほとんど嘘だ」
 呆れた顔でため息を吐くユウ。
「でも、嫌いじゃないよ」
「ん、俺もユウは手はかかるけど好きだぞ」
 その後で、腹を蹴られて宙を舞った。手加減はしたのだろうが、かなり見事な不意打ちだ。
「バカッ、死ねっ。サイッテー」
 走って砦にいってしまう。なんなんだあの小娘は。
「俺じゃなかったら死んでるぞ」
 豆の袋を拾うと穴があいていた。触手を広げてこれ以上こぼれないように、砦まで戻り、邪神教会の台所に向かった。
「なんだ、それは美味しくなさそうだぞ」
 子供たちにまとわりつかれているミデは、木を削って弓を作っている。その大きさは、人間に引けるようなものではない。
「いきなり食べ物の話かよ。台所借りるぞ」
「アギラ様、生贄は喜ばれぬとおっしゃっていたのでは」
 と、女司祭が真面目に聞いてくる。
「料理作るから、鍋と、竃に火を入れといてくれ。あと、この豆煮といてくれ」
 豆を置いて、外に出ていったアギラはほどなくして戻ってくると大量の砂糖と保存食を抱えていた。
「アーサーが砂糖くれねえから買いにいってたぜ。悪いな、ちょっと遅くなった」
 何事かと信徒たちが集まってくる。
 小豆に似た豆を大鍋で煮込み、煮込んだ時に出た汁をすてる。何度か繰り返してから、一時間と少しを煮込む。豆が多すぎたせいで大量に買い込むはめになった黒砂糖をぶち込む。ここで塩も少し入れる。意外と体が覚えているようで、昔染み付いた動作で量を自然と加減できた。
 残念ながら、豆はグスグスになっていて、期待は外れた。次に、これもまたマーケットで買ってきたモチに近いものを焼いた。見た目で買ったのだが、モチほど膨らまず香ばしい匂いが漂う。食べ方は間違っていないはずだ。
 しばらく煮込む。
「こ、これはなんですか、凄く甘そうですけど」
「あー、ええと、魔界料理のぜんざい」
「ゼンザイ、というのですか。すごく贅沢ですね、こんなに砂糖を入れて、貴族の料理みたいです」
「魔界の砂糖は安いんだよ」
 銀貨を八枚使ったと言ったら、女司祭は立場を忘れて怒りそうだ。
「できた。うわ、何コレ、全然違うじゃねえか」
 食えるし不味くはないが、ぜんざいとは全くの別物だ。コーヒー風味の練り餡に、クルミ風味のモチが入ったものだ、黒砂糖も甘すぎる。とりあえず、熱湯を混ぜて中和すると、普通に食べられる甘さになった。
「ユウを呼んでくるから、適当に食べてていいぞ」
 ガファルと稽古しているユウを見つけるのに時間はかからなかった。ユウの八つ当たり稽古に、ガファルやガロル・オンは嬉々としてつきあっている。武人の神経はよく分からない。
 なんだか怒っているユウを引っ張って邪神教会に戻ると、すでにミデと子供たちが美味そうに食べている。
「美味いぞ、甘くて。よくやったな」
 ミデは、どこで覚えたのかサムズアップでウインクをした。こいつもロクなことを覚えない。
「お前ら全部食ってねえだろうな」
「大丈夫です、半分はまだありますから」
 ユウはよく分からないという顔だが、匂いには敏感で甘いものだということを理解して、もう笑顔だ。
「なにこれ、もしかしてお汁粉」
「いや、ぜんざいだろ」
「お汁粉だって、いただきます」
 元気よく食べたユウは、一口目で固まった。
「美味しいけど、絶対和菓子じゃないよ、これ」
「美味しいんだけどなあ」
 なぜか不満顔の二人以外は、皆突然のご馳走に嬉しそうだ。邪妖精やゴブリンまで匂いを嗅ぎ付けてやってきている。
「今日はユウが生まれた日だから、特別に作ったんだ。みんなユウに感謝な」
「ちょ、誕生日って」
「いいだろ今日で」
「うん、いいよ」
 祝いの言葉がかけられるが、ほとんどの訪問者や邪神の信徒は甘味の香りに気をとられている。女司祭は羊皮紙に作り方を書き込んでいる。これも、後の世では変な伝説になるのかもしれない。
「アギラさん、銀貨八枚って頭悪いよ」
 食べ終えた後で、少し怒られた。
「昔バイトしてた時のこと思い出してなあ。うん、ユウくらいのころを思い出したんだ。嘘でも、自分探しおめでとうって言っとくべきだった」
「もういいよ。なんかその自分探しってダサいからヤダ」
 お互いに嫌いじゃない。それでいいかな、とユウは思った。
 冬がきて、春に城壁が完成した、
 その間、平穏とはいかないが、おおむね今までよりはスケールの小さな問題に悩まされた。
 春の訪れと共に、またマーケットに活気が戻り、難民たちの行う開墾事業も進んでいく。難民は、もう国民といっていいかもしれなかった。彼らは希望に満ちた顔で日夜働いている。悪徳の渦巻くこんな場所でも、人は希望を持てる。
 シアリス本国から、レミンディアへ竜は輸送された。ジュリアン第二王子率いる雷鳥の騎士団と竜王の騎士団、そして、シアリスの騎士団が三つ。二匹の兄弟竜。
 ガザの兵士たちがロイス伯爵領、今はガザの統治するゴモリー太守領にガザの兵士たちが送られている。いつでも、援軍には出られるということだろう。
「死なないよ、あたし」
「ああ、俺もだ」
 賑わうマーケットを砦の物見台から見下ろして、ユウとアギラは確認しあった。
 街に居ついた傭兵崩れや、二流所の傭兵団、犯罪者たちは自ら戦に備えて雇えと売り込みにくる。冬の間に亜人たちと競うようにして行った訓練は上手くいっている。彼らは追い詰められた者たちだ、ここがなくなれば食い詰める崖っぷちの者たちである。
 ハジュラからアリスとタキガワがギャングと傭兵を連れてやって来た。ゾレルからの文はなく、彼らも観光だ、などと言っているが、訓練に加わっている。
「お嬢様の借りはこれで返したからな」
「そんなんあったか?」
 機人タキガワはガザから送られてくる銃器の使い方をゴブリンたちに説明している。単発式の火縄銃である。威力が低く、数も少ない。
 これに勝利すれば、きっと国として独立できる。禁忌である竜を使える戦場をシアリスは求めている。ここで竜の強大な力を見せつけようという考えだ。
「アタシ、ここに残ろうかと思う」
 訓練に勤しむ我が軍団を見つめて、アーサーはぽつりとつぶやいた。アギラとグレイは、言葉に窮した。
「あそこは故郷だけど、今はあなたたちの方が大切なのよ。ジュリアンなら、宰相だって倒せるわ」
「好きにしな。戻れるのは、戦に勝った時だ」
 グレイは感情の篭もらない声で言う。
「本気だったら嬉しいけど、多分、それは」
 アギラは困惑していた。
「ごめん、ちゃんと決めてから言うべきだったわ」
 アーサーは、はじめて迷いの表情を見せた。
 集まっている隊商たちも、戦の匂いをかぎつけている。傭兵相手の武具や馬、様々なものがあった。彼らはギリギリまで商売して、ゴモリー太守領から迂回してハジュラに逃げ込むという。
 ガザの援助で物資はある。だが、竜が相手では、篭城など意味はないだろう。
 負けの許されない戦、今までもずっとそうだった。
 バロイ砦に駆け込んできた馬、血塗れの男が乗っている。ウエンたち細作が殺さず連れてきたのは、重傷を負ったシキザであった。



[1501] Re[13]:ヴァルチャー
Name: ポンチ◆ebd5b07d ID:440294e0
Date: 2007/10/08 00:21
 戦いはいつ終わるのだろう。
 ユウを守ってやろうと、今更になって思った。年下の小娘を死なせるというのは、ダサすぎる。






 ウエンと砦に居残った忍者の報告で、敵が予想をはるかに上回る千人にのぼる騎士であることを知ったのは、シキザの来訪直後であった。
 傷の手当てから二日たって、シキザは目を覚ました。
 清潔な包帯が全身を覆っていて、痛みはするが、死から遠のいたことに安堵する。アーサーとアギラ、そしてガザの細作ウエンにグレイは、ほどなくして現れた。
「久しぶりね、こんな傷だらけで、どうしたのよ」
 シキザは口を開いて、言葉につまり、息を吸い込んだ。そして、彼らを見て、一度息をついて、今度は決意の目で再度口を開く。
「ジュリアン王子と、第四王子が、王を殺害しました……。さらに、秘密を知った私も、命からがら逃げてきたのですが、エレルの一族も滅びました」
「それ、おかしくない。あの子たちがそんなことする訳ないわよ」
「アドラメル宰相は、お二人に竜を操らせました。あの二匹の竜と、シアリスの細作が、今のお二人に、……あれではもう、人ではありません。せめてあの銃士さえおらねば、安らかに眠らせたものを」
 バロイ砦攻略戦で出会った銃士、本国に戻れば彼と顔を会わせるのも必然と考えていたが、竜の調教師だというあの男が、ここまでの強さだとは。そして、アドラメル宰相とシアリスを手玉に取っているのもあの男だ。
「人じゃないって、あんたまで御伽噺する気なのっ」
 激昂したアーサーに揺さぶられて、シキザは顔をしかめた。それは、苦痛からのものではなく、己の失態を噛み締めてのものだ。
「シアリス正教から竜と共に送られた秘法、宝石のようなものでしたが、竜に乗るために必要なものということでした。アレを持ち歩くようになってから、王子は、王子は変わられた。竜と同じ言葉を使い、まるで人ではなくなっていくように、私は、あれほど」
「クソ、何か分かってきた。……それは、竜を縛るもんの一つだ。竜と精神を同調ざせて操るもんで、使ったヤツは竜と同じになっちまう」
 アギラの言葉に、アーサーとシキザは言葉を失う。そこに、グレイが入ってきた。
「あの石を使っただと、気でも狂ったか、法王ッ」
 グラハムは壁を蹴りつけて語り始めた。
 シアリスの裏の口伝である。
 英雄神シアリスは魔神ミデを打ち倒し、古代の王より竜を操る秘法を得た。竜と共に現在のシアリス正教国に住み着いていた悪魔を倒し、最後にシアリスは力尽きる。竜はいつかシアリスが再度現れる日まで眠りについた。これが表の口伝である。
 魔神ミデを数十名と毒で討ち倒したシアリスは、竜を操る秘法を得る。竜を騙して幻惑の石を食わせ、操る石で竜の使役に成功したシアリスは、まず初めに打ち勝ったことにより使役していたミデを血祭りにあげた。そして、そのままそこにあった小さな国を焼き尽くした。
 シアリスは竜との同調により発狂して死んだ。また、その時に使役した天竜も発狂してしまった。幻惑の石により自由を奪われた兄弟竜を閉じ込め、シアリスの仲間たちは現地の生き残りを奴隷として国を作った。それが真相である。
 竜の脅威を維持するため、操者のいない竜はシアリスによって飼われることになる。
「アギラよお、お前の持ってる記憶は、シアリスのやったことよりもっと前のもんだろうよ。魔神ミデやお前は、言ってみりゃシアリスなんぞよりもっと古い存在だ。頼む、アレを倒してシアリスを終わらせてくれ」
 大神官グラハム、ホドリム・グレイは、これを知った後に出奔して世を捨てた。神を捨てた男は、血を吐く思いで語ったのだ。
「こおのバカッ。知ってたら言いなさいよっ」
 鉄拳が、グレイの顔面を直撃した。ここまでアーサーが怒るのもはじめてのことである。
「ああ、だけどな、法王がここまで狂っちまっうとは思ってなかったんだよ。あの竜ってのは化物だ、王子を乗せるなんぞありえねぇ」
「銃士、そうか、あいつは竜と話すことができる、狩人ジョブだ畜生め」
 混濁して竜と同調しているなら、狩人から引継いだスキル獣使いが効く。銃士を使って王子を操り、完全なシアリスの傀儡とする。銃士さえいれば、レミンディアは意のままだ。
「いいわ、やることは変わってないもの。ユウにも伝えといて、手加減はいらないから。ま、あの子はそんなことしないだろうけどね」
「敵に銃士がいるって分かっただけでもマシだ。竜はガロル・オンと俺とユウで倒す。ミデは状況で変えていくことになるな」
「ハハ、あんたも慣れてきたわね。シアリスのクソッタレを、倒しましょう。シキザさん、一族っていっても何人か残ってるでしょ。アタシにつきなさい」
 ウエンがにやりと笑う。
「噂のシキザ殿、エレル一族には邪魔されたものです」
「一つ目、ガザの一つ目か。貴様とこんな形で会うとはな」
 何やら因縁のありそうな二人である。シキザは、ようやく笑みを浮かべた。
「レミンディアに仕えるなら、アタシしか残ってないしね。反論は許さないわよ」
 アーサーは、許す、という行為を簡単に行った自分に驚いた。敵を倒して倒して、血の海も辞さない、それは今も変わっていない。だが、以前なら殺していたはずだ。
「バカが伝染したのかもね」
「俺を見て言うなよ」
 この出会いは幸運だったか不幸だったか、気分的には幸運だった、ということになるだろう。歴史的には後の誰かが決めてくれる。
「死なないでよ。この国は、あんたとユウのもんなんだからさ」
 そうか、決めたか。
「そうだな」
 ウエンはふっと息を吐く。これでは騎士の立場がないだろう。この勝率の低い戦いに向かう中で、レミンディアの王子と異形は同じものを見ている。ガザの選択は果たして正しかったのか。いや、一介の細作が思う所ではない。
 やることは何一つ変わらない。だけど、覚悟はできた。
 その後、続々と生き残りのエレル一族がバロイ砦に集まった。半分以下、それでも、細作のいなかった状況からは脱した。
 シキザが復帰を果たす前に、軍勢は順調に進軍を開始している。
 ゴブリンと傭兵が知恵を出し合って作り上げたカタパルト、バリスタ、毒矢にボウガン、ガザの援軍は、領地の端で待っている。
 ミデは、ゴブリンと人間の鍛冶師によってサイズを仕立て直したヒロシの鎧を着こんでいた。神の戦槌ヒロシの持っていた装備は、全て重すぎて使えるものがいなかったのだが、ミデにはちょうどよかった。アグニハンマーにも、属性制限のようなものはついていない。いや、物は物でしかない。
 前回の戦で、こちらの手段を問わないやり方は向こうも分かっているはずだ。向こうがどうするか、一番分かりやすいものは、最初に囮の部隊を出して餌食にさせて、その後、竜で敵味方問わず蹂躙する、というものだ。
「ああ、どーせそのくらいの作戦だと思うわよ。でも、敵が三倍近くなるとは思ってなかったけどさ」
 アーサーは苦笑して、そうせざるを得ない理由を説明した。雷鳥と竜王の騎士団には潰れてもらうのが得策だから、という身も蓋も無いものだ。レミンディアの支配に、この二つは必要が無い。シキザのような離反者を出すだけだ。
 そして三倍の敵、それは各地のシアリス正教騎士団や志願兵がバロイ砦攻略に自ずから参加したいと膨れ上がった結果である。分かりやすい悪に、様々な者たちが今までの怒りを爆発させたのだ。
 道は、幾つかあった。
 隠退するにしろ、アーサーならば弟と協力することもできた。そして、こんな不利な状況、最悪の状況に落ち着くことはなかったはずだ。王子たちを生贄にするようなシアリスのやり方も、アーサーがしぶとく立ち回った結果でもある。
 軍勢がハジュラを通過したことを知ると、商人たちはマーケットから立ち去っていった。叩き殺して略奪、はしなかった。こんなところでも国だ。商人たちは、なぜか商品の一部を献上して立ち去った。彼らの総意で決めたことでそうで、裏は無い、とのことだ。
「寂しくなったね」
 アギラとユウは、いつものごとく砦の高台から辺りを見下ろしている。
 以前と変わったのは、人間の兵士がいることだ。亜人の戦力は三百、人間は百、対するは千の騎士と竜が二匹。
「竜は一匹で千の兵士に匹敵する。俺たちで片付けよう」
「アギラさん、ゲームじゃないんだから。でも、やるしかないか」
「ユウ、やっと分かった。俺は竜を殺すために生まれた生き物だ。ミデも同じ、だから」
「死なないって言ったし、死なせないよ」
「そうか」
「そうよ」
 春の暖かな日差しの中で、鳥の声が聞こえた。
「竜の夢を見る。俺は竜にはつりいて血を吸って、その体内に侵入するんだ。ほとんどの俺は、途中で竜の体内で死ぬが、幾つかの俺は竜の体内に同化して、ゆっくりと毒をつくる。イーティングホラーは、そういう生き物なんだ。竜を殺すための寄生虫だ」
「ゲームじゃアイテム壊しのウザ敵だったのに、やっぱりゲームとは違うね」
「ああ、それなんだけど」
「いいよ、あたしがここにいる意味なんて知っても、意味ないし。だってさ、ここで生きてるのは変わらないから、勝ち続けて生きてみせるよ。だって、いっぱい殺して、みんなそうしてるし、あたしもそうしたい」
 きっと、この世界にいるヴァルチャーはみんなそうなのだろう。今も、三百年前も。高度な倫理よりも、生きることを選んだ。それだけだ。
「商人から聞いたんだけどさ、あたしたち魔王って呼ばれてるらしいよ」
「なんだそれ、勇者じゃないのかよ」
「そりゃ無理だよー。多分、勇者ってさ、アーサーとかが死んでから、みんなで褒めまくってそういうことになるもんなんじゃないかな」
「いや、ユウは勇者だよ。お前くらいの時にこんなことになったら、今頃どっかで死んでる」
「そうかなぁ」
「そうだよ」
 攻めるより守ることのほうが難しい。
 アーサーとグレイ、ウエンとシキザは、地図を睨んで会議の最中だ。元ロイス伯爵領、現ゴモリー太守領では、竜も騎士も確認できていない。ガザを無視して正面から攻めてくるのだろう。
 レミンディア、シアリス連合軍の装備は以前と変わらずカタパルトやバリスタに対抗したものではない。生贄作戦に、最強の騎士団をあててくるとは、どうかしている。いや、それ故に勝ち目が薄い。これが、どうにもならない数だけの傭兵であれば、いくらでもなんとかなる。最強と正面から戦うだけの力、バロイ砦の全てを出さないと勝てない。そこに竜が現れる、正面からの対決でなければやりようがあった。しかし、今更山に逃げ込んで、全てをフイにするつもりはない。死地と分かりきった戦であってもだ。
 邪神教会では、女司祭の祈りが信徒たちの静寂の中に響いている。
 ミデは神像のようにぴくりとも動かず、彼らの祈りを受け止めている。
「勝利を、祈りました」
 女司祭の声に、ミデは目を開く。
「祈りが届くのはミデじゃなくて、お前たちの心の中だ。ミデはかしこいから、お前たちが祈る理由は説明できないけど分かってる。最初のミデはシアリスのために死んだ」
「祈りは、届かないのですか」
「ミデは魔神じゃない。竜を倒すための指揮官として製作された戦争のミデだ。ミデに心はないから祈りは届かない。祈りはお前たちのものだ。ミデは負けない」
「なら、わたしは祈ります」
「じゃあ、お前はミデと同じだ。ミデも祈っている」
 何を祈っておられるのですか、と聞けなかった。
 信徒たちは、逃げ出さない。逃げるのにはもう飽きてしまった。
 傭兵たちの輪の中で、ガファルは大将と呼ばれていた。誰もガファルに勝てなかったからだ。今や、ガファルはガロル・オンの族長ショウに勝てるだけの腕を持ち得ていた。
 ユウの超人の力、それには及ばなくとも、武人はガファルを目標としていた。
「これは正しい戦いだ。俺たちは間違ってない、正しいから勝つ」
 それを聞いていたゴブリンと邪妖精がへらへらと笑う。バカ大将と彼らは呼んでいるが、彼がいるだけでなぜか死ぬ気がしないのは理解している。
「んなことより、娼館の女にまた指輪送った話きかせろよ。今度も追い出されたんだろ」
 ゴブリンの族長トレルが言うと、あちこちで笑いが漏れた。
「ああ、こいつをもらった」
 ガファルが得意げに胸元から取り出したカンザシにどよめきが起こる。普通、遊女がカンザシを送るというのは身請けを許諾したという意味である。
「お前ら、馬鹿なこと言ってねぇで準備しやがれ。いつ攻めてくるか分からねぇぞ」
 アリスがドスを利かせて叫ぶと、男たちは馬鹿話を切り上げていく。
「カリカリすんな。それと、鎧が全く似合わないな」
「タキガワ、おめーもその変態マスク外せ。ま、コートはいいけどな」
 ボロボロのコートにレザーマスク、リンガー商会の怪人、もしくはリンガーの変態は、不名誉な言われ方をしてもそのスタイルを崩そうとしない。
「エリザベートお嬢様から戻って来いって言われてんだ。死ぬ気でやって、それでも死ぬなよ」
「お前はバカだなあ」
 アーサー王子はエリザベートを王妃にすると言った。その約束は果たしてもらう。






 進軍を進める連合軍は、すれ違う商人たちの冷たい態度に腹を立てていた。
 たいてい、こういった聖戦において、軍にすりよってくる商人はつきものなのだが、途中すれ違う隊商たちは袖の下も渡さなければ、何か買い求めても金額はそのままか少し高いという、散々なものである。中には、関わりたくないと露骨に先を急ぐものまでいた。
 エツコ・クロード副団長は、竜王の騎士団の列の中で、バニアス団長と並んで馬にまたがっている。といっても、エツコの場合は地竜と呼ばれる蜥蜴だ。
「団長、どうしますか。できたら私は抜けたいんですけど」
「まあ、こういう自殺みたいなのも騎士の役目だからなあ。王子があの様子じゃ、抜けたいってのはわかんねえでもないが」
「無駄に死ぬなど理解できません。死んで何ができるってんですかっ」
「相手方のアーサー王子が正気だってんなら、それもいいだろうけどよお」
 騎士たちは、シアリスの騎士たちに見えないように、首筋を叩いたり、鼻をすすったりしている。
「あー、水虫の薬もってこいっ」
 唐突にバニアス団長が叫ぶと、近くにいたシアリス正教騎士団の騎士たちが露骨に嫌な視線を送ってくる。
「水虫さえなきゃなあ。エツコ、いい薬はあんだろう」
「はいはい、ハジュラでよくきくって太鼓判の押された薬を貰ったじゃないですか。それに、この前は猟師の方にも変な薬もらったでしょう」
「猟師のって怪しいだろ。今度の薬が詐欺だったら、今度の戦は水虫に負けちまうぞ」
 どこから笑い声が漏れた。バニアス団長や団員たちに品位が欠けるというのは、以前よりアドラメル宰相が問題にしていたことだ。
「はいはい、私が見た限りじゃ本物の薬ですよ。いつからしつこい水虫に悩まされてるんですか」
「騎士になったころから、俺は水虫とも戦ってんだよ」
 そこまで言うと、シリアス正教騎士団の団長が咳払いをした。
「バニアス殿、騎士が水虫ごときに情けない。あなた方には大役があるのですぞ、もっと落ち着いてはいただけませんか」
「はいはい、水虫ごときに悩んでてすいませんねぇ」
 すねてみせると、今度は怒鳴られた。大人になってから、こんなにも怒られたのはじめてだ。






 以前と同じ、違っているのは竜王の騎士団が後退していないということ。そして、その背後には巨大な檻がある。
 雷鳥の騎士団と、竜王の騎士団が先頭突撃の陣形を組み、その背後には檻の中の竜、そして、二人の王子が控えている。
 デュクの大河と城壁のために、単純に突撃というのは難しい。だが、シアリスの持ち込んだ巨大カタパルトで、城壁の一部に穴をあければ状況は変わる。
 銃士は、竜の首をなでてから、虚ろな瞳の王子たちを見据えた。哀れなものだ、竜の制御に直接の精神同調など正気の沙汰ではない。元々から、これは人間の扱うものではないのだ、本来は異形が使うものである。人が耐えられるはずがない。
「おい、どうしたよ」
 法王の細作、ヴァルチャー隊の一人、カンナギが銃士に声をかけた。
「ああ、竜の様子を見ていただけだ」
「薄気味悪いんだよオメーは、飛び道具だけのスパイのくせしやがって」
 カンナギは法王の護衛であり、この世界に来てからしばらくの内に法王に拾われた。レベル28の魔術師だ。攻撃に特化した黒メイジ、その後ろに控えているのは神官と戦士系である。二人とも、法王というパトロンの下で暮らしてきた温室育ちだ。だが、彼らは殺しに長けている。銃士のような隠密行動のとれない彼らは、様々な任務を経て、驚くべき連携で最強と言って差し支えない力を持っているのだ。
「悪いな、邪魔はしないさ」
「アギラとユウってヤツは俺らでやる。オメーの仕事は王子の護衛だ。いいな」
 この軍勢に紛れて、銃士と同じ職業タイプの女が潜んでいるのを知っている。彼女は、幾度も裏切り者を撃ってきた猟犬である。
「分かっている。証を立てろとでもいうのか」
「竜狂いが、気持ち悪いんだよ」
 カンナギ、法王の犬は吐き捨てて立ち去った。
 この世界はなんと面白い場所だろう。欲望は剥き出しに、獣性を開放し、心の底に隠していたものが溢れ出る。
 シアリスが集めたヴァルチャーは二十、その内の五人は離反して死んだ。
 竜を撫でて、水を飲ませる。
「異形は、ここで葬るべきか」
 犬はどこまでいっても犬でしかない。自分で動くことを忘れた犬は、人のままの銃士を恐れている。






 シアリスの戦場楽師が高らかに神曲を鳴り響かせた。
 竜王の騎士団と雷鳥の騎士団が前に出る。
 バニアスが前に出て、手を上げると音が止んだ。砦の城壁には弓兵の姿があった。人と亜人の入り乱れるその姿に、バニアス団長は苦笑した。
「我らはシアリス正教の加護を得たレミンディア軍である。魔道に堕ちたアーサー王子、そして闇の軍勢よ、抵抗せぬなら楽に殺してやろうではないか」
 水虫と繰り返してた時の面影はなく、堂々とした騎士の名乗りに、エツコは頬が紅潮いるのを抑えられない。竜骨の兜をかぶり直して、それを隠す。
 その名乗りの後に、跳ね橋が下りた。降伏か、とざわつく軍勢。
 白馬にまたがった白銀の鎧姿の偉丈夫が現れ、跳ね橋を渡り、たった一人で軍勢を見据えた。
「余はレミンディアが第一王子アーサー・ユランドロ・ミール・レミンディアである。竜王の騎士よ、余を討つというか」
 威風堂々とした口上である。
「アーサー王子、魔道に堕ち、ロイス伯を討った者がレミンディアを名乗るか」
「余はレミンディアの王子である。アドラメル宰相により心を奪われたジュリアンの仇を討つ。邪魔をするならば、竜王と雷鳥であろうと、打ち破ってみせよう」
「雷鳥と竜王、突撃だ」
 アーサーは動かない。
 総勢百二十の騎士がアーサー一人に向かって突撃する。そして、一人をぐるりと取囲んだ所で、バニアスが馬より降りた。
「王子、我ら竜王と雷鳥の騎士、シアリスを討つために馳せ参じました」
「まさか、本当にこの台本通りやるなんて思わなかったわ」
「こんなところで死にたくないのは、騎士も同じなんですよ」
 砕けた言葉を吐いたバニアスをエツコが小突いた。
「旗をあげよ」
 レミンデイアの旗を騎士たちが掲げた。そして、シアリスの旗も掲げられたが、そこに火がかけられる。
「悪いなっ、水虫みてえなシアリスとクソ坊主の言いなりにゃなんねえぞっ」
 その叫びを聞いたシアリス正教騎士団は、怒り狂った。
 進軍の途中に言っていいた水虫はシアリス正教、薬は細作から得た情報、そいうことである。
 銃士は檻から竜を出して、王子を上に乗せる。石を握り締め、竜に乗った二人の王子は野獣めいた呼気をあげていた。
「おおし、俺らも行くぞ。クソ裏切り者をぶっ殺せ」
 シアリス正教騎士は叫んで、開戦の言葉の前に弓をいかけた。そしてカタパルトが発射される。
 二基の巨大カタパルトから放たれた巨石が城壁に大穴を開けた。弓兵が宙を舞い、離反した騎士が少し潰れた。
 バニアスたちは陣形をくみ上げて、突撃用意の合図を送る。裏切りの騎士は、王子に忠誠を見せねばならない。矢の中を突撃していく覚悟だ。
 怒り狂っているシアリスの騎士たちもまた、突撃を開始した。
「我らには聖竜の加護がある、ゆくぞ」
 リザードマンのカタパルト、バリスタ隊がデュク大河より現れた。彼らはずっと水中に潜んでいたのだ。暴発しないように、軍勢が迫る中でバリスタをかつぎあげて設置する。
 気づいたシアリスは馬を走らせる。半分以上のバリスタ。カタパルトが発射された。元来、これは人に向けて放つのは無作法とされる。
 その後、竜王と雷鳥の騎士団が突撃した。
 毒矢、そしてガロル・オンか空を飛んで騎士と斬り結ぶ。
 そこに、邪悪なるユニコーン、バイコーンの姿をとったアギラにまたがったユウが加わった。
 狂戦士の首を取ろうと突撃してきたものはことごとくその両手に握られた剣により、打ち倒される。バイコーン、アギラが触手を馬に突き刺す。それだけで騎士は落馬していく。
 熱狂から、次第に恐怖の混じり始めた騎士たちに、下りた跳ね橋からミデがやってくる。神の戦槌を手にした悪魔に、騎士たちは呆然とした。
「ミデの吐息は烈風吐息」
 最初の一撃で、頭が消失するという死に方をした騎士に、さらなる恐怖が伝染した。




 シアリス陣、竜の前にいた彼らも行動を開始した。
「これだからここのヤツらは根性がねえんだ。俺らが出る」
 カンナギ率いるヴァルチャー隊が、戦場に出た。
 銃士はそれを見送り、後続の陣にいるもう一人の女銃士を見つめた。女は、感情の篭もらない目で、スコープから目を離さない。
「信用されてない、か」
 薄く笑いが浮かぶ。
「そろそろ、出ますか」
 シアリスの団長、公的にこの場の責任を持つ枢機卿に尋ねると、彼は頷いた。
 ドラゴンに囁きかけて、銃士は第四王子と共にミカズチの背に乗り、ジュリアンもミナカタに乗った。
 体長八メートルの竜は、空を見上げてから、飛んだ。




「狂戦士ィッ、もらうぜぇっ」
 神官、魔術師、戦士、馬に乗ってユウに突進してくるのはヴァルチャー隊、魔術師カンナギの率いる三人だ。
 アギラとユウは、一目で彼らが異邦人と気づいた。だが、焦りは無い。この瞬間を予期してタキガワと共に何度も行ったほぼ殺し合いの訓練のたまものだ。
 神官の目くらましの魔術、閃光の後に戦士の斧、そしてカンナギによる炎の魔術、この世界に現存する魔術を遥かに超えた威力である。
 アギラから飛び降りざま、ユウは神官の乗る馬の足を切り裂く、アギラはガルムに変形しながら、閃光に全くひるまずペースを崩した神官の喉笛を食いちぎった。戦士もアギラに馬を潰されたが、飛び降りてユウに打ち込んでいる。岩をも砕く一撃を放つが、ユウがかわす、そこにカンナギが背後から氷の刃を放った。アギラがユウの間に割り込んで、体を盾のようにしてそれを受け止めた。
「それじゃ動けねえだろ。焼け死にな」
「いいや、動けるさ」
 盾の形に惑わされたのがカンナギの敗因だ。そして神官が先に殺されてしまったのも、運が悪かったとしか言いようがない。アギラがその姿のまま放った無数の細かい触手は防護魔術を張るより早く、その全身に突き刺さっていた。血を、一瞬で吸い上げて絶命させる。力が満ちた。やはり同胞の血は力がつく。
「仲間がいなくなったってどういう気分?」
 何か言おうとした戦士の首を、ユウの剣が刎ねた。
「おのれ」
 ユウの背後で殺したはずの神官が蘇っていた。喉笛を何らかの方法で再生していたようだ。術が発動する寸前で、背後からの剣が神官を貫く。
「油断大敵ですぞ、ユウ殿」
 返り血にまみれたガファルの笑み。
「助かったわ。ってあれ、きたきたきた。アギラさんっ、いこう」
 竜が低空飛行で飛んでくる。赤い竜、ミカズチからはいつか見た魔銃が放たれている。
「敵味方区別なしだね」
「あの高さなら飛べる」
 ジャンプの飛距離で、一気に竜の背に乗り、倒す。それだけのシンプルな作戦だ。
 竜の上で、スコープからカンナギの倒れる様を見ていた銃士は、口元に暗い笑みを刻んでいた。いつでも援護できたのだが、最初から裏切るつもりなのだ。そんな無駄なことはしない。
 背後の女銃士の射程距離から離れるまでは働くことになる。
 竜の吐く強酸の胃液だけで、地上は地獄と化している。
 ジュリアンの乗るミナカタは、無差別にただ暴れまわるだけだ。そろそろ操者も限界だろう。第四王子も、人の意識を完全に失いつつある。
 ミナカタに理性は残っていない。竜としての死、それは発狂だ。地下の牢獄に閉じ込められていた三匹の竜で意識を保っているのはミカズチだけだ。
 アギラが走り、ユウはその背に、数で勝るシアリス正教騎士団はユウとアギラに道を開けてしまっている。女銃士の射程から出る前に、竜に肉薄した。
 バイコーンの形を取るアギラが飛ぶと、ユウはさらにその背を蹴って竜の背中に迫る。形を変えて竜の鱗に伸ばした触手を引っ掛けたアギラが、狙いをつけていた銃士の銃を逸らせた。
 銃声と同時に、魔銃から放たれたエネルギーはあさっての方向に逸れていた。
 斬りつけようと走ったユウは、はるか後方から放たれた黒曜石の弾丸に腹を貫かれて、ふらりと何歩か歩いて、そのまま竜から落下した。
 銃士が振り返る、援護したのは、自分を狙うはずの女銃士のようだ。
「ユウゥゥゥゥ」
 叫びながら、落下するユウにとりつき、地面との間にクッションになったアギラだが、ユウの傷口には大穴が開いて、血がどくどくとこぼれ出していた。
 上空で竜の影が太陽を覆い隠した。
 竜の上から、また一つ人影が落ちてきた。それは、第四王子で、喉を裂かれて死んでいた。ミカズチは、一声鳴くと戦場から離脱していく。蜥蜴山脈を越えて、どこか遠くの空に。




 ユウが落ちていくのを受け止めたのは、意識しての行動ではなかった。
 ただ、自分が叫んでいることだけが分かる。
「ユウ、おいっ、死ぬなよっ」
「まだ、喋れる、みた……い。ア、ギ、ラさん、ごめ、んね」
「おい、助けるぞ、待てよ、死ぬなって」
 戦力ダウンか、いや違う、死んだら、悲しくなる。ずっと今までやってきただろう。死ぬなよ。先に死ぬのは俺のキャラだろう。
「すき、だよ。家族ができた、って、そん、なかんじ」
 まだ死んでない。
 ユウの血がどんどん出てくる。ユウの内臓がはみ出してる。
「お前に死なれたら辛いだろっ、おいっ」
 なんだ、なんだろう。分からない。だけど、死んでほしくない。
 ああ、一つだけあったな。思い出した。俺の体はなんにでもなれるんだった。竜の体内で毒になるために、入り込むのだ。
「だいすきだよ、なか、ないで」




 空を見ていた。
 死ぬんだなぁ、って思えた。
 ただそれだけ。アギラさんが叫んでる。死ぬなって無理言ってる。バカだなぁ、この人。こんなの死ぬにきまってるのに。いつも、何があっても適当に流してたくせに、好きっていってもいつも酷いこと言ってたのに。
 信じてくれるかな、好きだって。
 アギラさんみたいに人のこと気にして、いつも傷つかないように守ってくれた人って、はじめてだった、って。
 まあいいか、バケモノだけど、好きな人が死ぬなって言ってくれるんだし、いい死に方かなあ。血がいっぱい出ていって、もうダメみたい。痛くなくなってきた。




「思うままに、救いたいのなら、その思いさえあれば、お前はなんにでもなれる」
 邪妖精の女王の声が聞こえた。
「脳が死を迎えるまでに、血であり肉であり全てであるお前にしかできないことを」
 邪妖精はイーティングホラーを作り出した。妖精王はガルムとニズヘグを作り出した。邪神はミデを作り出した。
 増えすぎた竜が全てを破壊しようとしていた。
 叡知そのものであるガザの女王は、長らく争い続けた邪神と妖精と邪妖精をまとめ、竜を殺す軍勢を作った。
 この世の理から外れた、異形の軍である。
 竜を駆逐するため、強い番犬ガルムを、死なぬ兵士機人を、進化し続けるミデを、根絶同化のイーティングホラーを、彼ら異形を作り出した。
「毒であるお前は、薬ともなれる。異形であるからこそ、変化ができる。わらわは、お前たちを見守るために、我が子を見守るため現世に残ったのだ」
 遠い遠い記憶。
 ユウの体を包んで、繭を作る。傷を治すために、肉の中に溶けるために、体を変化ざせていく。ここまで小さくなれば、意識は保てない。それでもいい。生きてくれるなら。
 ユウを包んだアギラは、まるで真っ黒な卵のようだった。




 音が聞こえる。
 目を開くと、刃が迫っていた。ひどくゆっくりに見えたそれを、手で払った。
 殻が割れている。
 立ち上がると、悲鳴が聞こえる。殻から出ると、青く透き通るような空が見えた。
「あれ、死んだんじゃなかったっけ」
 なぜか胸が重い。こんなに大きくなかったはずなのに、おっぱいが大きい。
 何かわめき声と共に飛んできた槍を右手で受ける。手をたくさん出して、飛んできた槍を受け止める。
「アギラ、さん?」
 両手から触手が出ている。
「ああ、嘘、なんでそんなことするのよ。ねえ、答えてよ」
 落ちているあたしの剣、指先から出した触手で拾った。
「なんで、答えてくれないの」
 涙は出なかった。
 お腹をやられて、そこにアギラさんが入って、あたしの中に、彼がいる。答えてくれない。アギラさんはあたしを助けるためにいなくなった。この傷を治して、あたしの体と一緒になって、とけあって、いなくなった。
「ちょっと、静かにしてよ」
 周りで狂戦士だ悪魔だとごちゃごちゃ騒ぐんじゃねえ。殺すぞ。
「そっか、こいつらと竜のせいか。あと、あのスカしたヤツ。うん、顔は覚えてる。見つけ出して、ぶっ殺してやる」
 ギャアギャアとわめく竜が見えた。
 うるさい。ここはうるさすぎる。少し静かにしてほしい。






 ミデとタキガワが竜になんとか手傷を与えていたが、敵の数が多い上に、竜は巨大すぎる。敵味方共に、竜に半分は殺されている。いや、シアリスに被害が大きい。なぜか、竜はシアリスの紋章を見ると狂ったように怒りの咆哮を上げる。
「アギラが死んだ。いや、消えた、違う、ミデの権利はユウに、ミデはユウに?」
 動きを止めたミデは、戦場で舞う黒いものを見ていた。それは、ユウとアギラだったもの。
「なっ、ユウとアギラか、……合体技かよ」
 タキガワも呆然と、それを見た。
 シアリスの騎士たちの悲鳴、竜に向かって滑空していく悪魔は、炎を食らって地面に落ちた。だが、その全身を翼が、アギラの変化したものと同一の翼が守っている。足を止めて踏み潰そうとした竜の爪を避けて、竜の足を切り裂いた。
「あれは、アギラとユウの混じったもの。そうか、それがアギラの意思か。脳石はユウに、ミデは従うよ」
 背中に背負っていた大弓を構えたミデは、竜の瞳を狙って、矢を放った。とうてい人に引けるとは思えない巨大な弓から放たれた矢は、竜の眼を貫いた。
 轟音と共に倒れた竜に、ユウはゆっくりと近づいた。巨大な瞳に突き刺さった矢にもだえ苦しんでいる。
「うん、分かってるよ。そうだね、アギラさんの考えてたことちょっとだけ分かる」
 ユウはつぶやいて、右手から放った触手を竜の瞳に突き刺した。そのまま触手は伸びていき、竜の脳に達する。
 びくん、と痙攣した竜はそれきり動かなくなった。
「ふうん、あの銃士が操ってたんだ」
 脳を食うと、それを理解できた。
 シアリスの騎士たちは、一人が逃げ始めると、また一人と、敗走を始めた。
 ユウは、適当な馬を借りるとアーサーの元へ向かった。
「アーサー、アギラさんあたしのためにいなくなっちゃった。あたしの傷を塞いで、あたしの中に入って、それで」
 ユウの体は、変質していた。顔かたちは似ているが、全身が大人の体になり、露出する肌には、刺青のように黒い線が無数に走っている。それは、アギラの肉体を構成していたものと同じ、イーティングホラーのものだ。
「……いいのよ。今は、休んで。あいつは、あんたのためになったんなら、何も言わないから」
「わかってる。アギラさんが思ってたこととか、ちょっとだけ分かるの。アーサー、もうこの戦い終わらせて」
 アギラ、どうしてこんなことに。
 シアリスに使者を送り撤退を迫ると、あっさりと受け入れられた。竜の離反と死は、それほどに彼らの精神に打撃を与えていた。
 ジュリアンと第四王子の死体は、アーサーの手で回収された。安らかとは言えない断末魔である。同じ父を持つ弟の二人が死んだ。
 撤退の準備の進むシアリス軍に、馬に乗ったユウが現れた。弓が向けられているというのに、全くそれを恐れていない。だれかが、悪魔、とつぶやいた。
「今より」
 と、叫んだ。そして、そこでもう一度大きく息を吸い込む。
「今より、この地はアギラの国となった。我は女王ユウ、シアリスよ、次にこの地を踏む時は、我がお前たちを滅ぼす。分かったなら、早々に立ち去れ」
 女銃士が魔銃を構えた。引き金を引けば、狂戦士は倒れる。顔面を、頭を吹き飛ばしてしまえば、この失態も取り返せる。
「うっ……あああ」
 スコープでユウの顔面を捉えた時、足が震えた。
 法王に拾われてから、暗殺者として何もかもを捨て去った銃士の足が震えた。自分が恐怖しているのが信じられない。
 目があって、女銃士は頭をかかえてうずくまった。小さく、ごめんなさい、と繰り返す。
「今は見逃してやろう。さあ、逃げるがいい」
 シアリス軍は敗走した。
 この戦で、バロイ砦を中心とした一帯は、アギラの国と呼ばれる魔窟と化したのである。






 戦より十日後、シアリス正教国。
 法王は怒り狂っていた。磐石の布陣、莫大な予算を投じた辺境支配の計画が、レミンディアのバカ王子と汚らわしい亜人の手によって崩れ去ったのだ。
 白亜の王城、その心臓で法王は細作を蹴りつけて怒り狂っている。
 竜を失い、そればかりか計画の建て直しは不可能、そんなふざけた報告である。
 大きな音がしたかと思うと、蹴り付けていた細作が、ばたりと倒れた。頭がなくなって、煙を上げている。
 壁が崩れて、そこに現れたのは、離反した赤の竜ミカズチである。
「よくも、よくも長きに渡り我らを閉じ込めたな、人間よ」
 怒気をはらんだ竜の言葉と共に、炎の吐息が護衛を舐めた。
「貴様らの支配は終わりだ。地獄に落ちろ。いや、それは我が友に任せよう」
「き、き、貴様、裏切ったな、あれだけ目をかけてやったというのに」
 銃士は口元だけで笑った。それは、どこか少年じみた、不思議な笑みだった。
 銃口から放たれた光は、法王の腹を貫いた。
「だ、誰ぞおらぬか、誰ぞ」
「穴をあけられてまだ踊りよるか、地獄でも踊り続けるがいい」
 炎が、全てを焼き尽くした。
 竜は大空に舞った。敬虔な信者たちは、その姿に祈りを捧げる。
「どこへ行く、我が友よ」
「西の海を越えた大陸だ。そこに、俺の友達がいる」
「女か?」
「そうだ、俺と一緒にヴァルチャーを始めた女だ。行こう、こんな大陸に用は無い」
 竜とその友は、西へ。






 ハジュラから使者がきた。
 アーサー王子を迎えたい、という内容である。レミンディアを取り戻すのに全面的に協力する、というものだ。
 突然大人の体になったユウの建国宣言には、アーサーまでもがシアリスの去った戦場で平伏した。その後、改めて各亜人種族は、女王に忠誠を誓ったのである。
 公式の場、というものは未だほとんどないアギラの国だが、ユウはアーサーとの別れには、それに相応しい態度で臨んでいた。
「今までのご協力、感謝致します、女王陛下」
 正装のアーサーが平伏する。
「表をあげよ。アーサー王子、レミンディアの奪回、心より祈らせてもらう。我らの絆、生ある限り汚さぬことを誓おう」
「レミンディアを奪回した暁には、必ずご恩に報います」
 と、錬兵所で言い終えた後、ユウはマントを外してアーサーに歩み寄った。そして、抱きしめる。
「がんばってね。王様になったら、パーティー開くのよ、魔王のあたしが行ったら盛り上がるからさ」
「分かってるわ。ありがとね、みんなのためにもレミンディアを取り戻してみせる。アタシが王様になったら、関税とかまけてね」
 それから、宴が開かれた。
 戦場の後片付は今も続いていたが、砦に、いや城にいる者は、亜人も人間も飲み、騒いだ。何もかもが今から変わる。バロイ砦最後の宴で、アギラの国の最初の宴だ。
「女王陛下、よろしいですか」
 と、一人で飲んでいたところに来たのはガファルだった。
「どうしたの、改まってさ」
「このガファル・クーリウ、女王陛下に剣を捧げます。騎士として、お仕え致します」
 コホン、と咳払い。
「ガファル・クーリウ、アギラの国、始まりの騎士と認めよう。私の剣となれ」
「ありがたきお言葉。いついかなる時も女王のために」
「はい終了、ほら、もっと飲んで騒いできて」
 ガファルは満面に笑みをたたえて、何度も頭を下げた後に武人仲間たちの所にかけていく。
「暑苦しいんだから」
「ユウ、一人はいけないぞ。ミデのご主人様なんだからな」
 酒樽、それも一番キツいゴブリンの森酒を抱えたミデは、ユウの隣に落ち着いた。蟹百足の下半身は、上半身とは別に生肉を食べている。
「なによお、あんた見てたら思い出すからヤなのに」
「アギラは生きてるぞ。ミデとアギラは姉弟みたいなものだから分かる。ミデはユウに仕える。いつか、アギラは帰ってくる。ユウの中に、アギラの精神の形がまだある。今は眠っているだけだ」
「いつ? 明日、それとも百年先」
「ミデにもそこまでは分からない。最初のミデのその母のミデは、アギラのようなものを治療のために使っていたということがあるらしい。ミデもらしいということしか分からない。だけど、それはミデとイーティングホラーが分かり合った時だけできたものだ」
「なによそれ、愛し合った、とかそういうやつ」
 鼻で笑ったユウは、三角座りでそっぽを向く。
「そうだ。ミデはアギラとは分かりあえなかった。ユウはアギラと分かり合ったんだな。そうじゃないと同化はできない。ミデは妬ましい」
「目を、覚ましてくれるの。もう一回、アギラさん、戻ってくるの……」
「分からない。だけど、ミデに涙を出す機能があったら、ミデは泣いてる」
 こんな天然バカ女に、泣いてるところを見られて、だきしめられている。
 宴は朝まで続いた。




 雷鳥の騎士団を吸収した新生竜王の騎士団は、アーサーと共にアギラの国を去った。
 ホドリム・グレイはユウの元に残り、シキザはエレル一族の頭目を引退して、一部の忍者と共にアギラの国に残ることになった。
 ガザの細作ウエンも正式に外交官と称して、しばらくはアギラ国の援助のために残る。
 戦が終わると、また隊商がやって来るようになった。彼らは以前と同じく、すぐにケーケットを再生するつもりである。
 日々は忙しく過ぎる。
 ある日、ユウは邪妖精の女王の元へ向かった。案内無しで、そこにたどりつくことができた。アギラと同化してから、彼らの気配も分かるようになっている。
 洞窟の奥深く、鍾乳石の寝室に、女王はいた。
 今は、女王の姿がよく見えた。口では表現しきれない、次元の異なった大いなる生命である。
「来たか、ユウよ」
「うん、アギラさんを戻す方法を教えて」
 女王が寝返りを打つと、地下の湖に小波が踊った。
「その前に教えてやろう。お前たちヴァルチャーは、わらわにも想像のつかぬ高次の存在が作り出した、因子じゃ」
「因子?」
「うむ、お前たちのいたというニホンという世界は、わらわの認識では存在せぬ場所じゃ。わらわとユウに理解できるように説明するなら、ユウは現実のような夢の記憶を与えられているだけじゃ。この世に来た時にユウは世界に産み出されたというべきか」
「ごめん、あんまり興味ないかな」
「ホホホ、口の利き方を知らぬ小娘めが。まあよい、ヴァルチャーたちは、この世を変えるために構成された因子じゃ。それが実験なのか、それとも我らには理解できぬ何かの事業なのか、それすらも分からぬがな」
「……」
「退屈な顔をするでない。お前たちはな、わらわと同じく通常の肉体ではない。ヒトの形をしているが高次の存在で構成されておる。それゆえに、アギラの存在は残っておる。邪神ならば、アギラを目覚めさせるものを持っているかもしれん。イーティングホラーを創造したのはわらわじゃ、今のユウはわらわの子でもあるでな」
「協力してくれるの」
「そうじゃ。アギラを目覚めさせるのならば、邪神神殿の奥深くに潜ることじゃ。邪神はわらわたちの中でも叡知に秀でておった。奴ならば、分かることもあろう」
「ありがとう。やる気出てきた」
「我が子よ、強く生きておくれ」
 希望ができた。




 邪神の森に隠れ住んでいたバルガリエルは、とある戦士と出会った
 アギラの国の魔王がお触れを出した。邪神神殿の奥深く、踏破した者には巨万の富を与えると。
 最初の数年は誰もそれに見向きもしなかった。だが、ある男が神殿で見つけた不可思議な道具を持ち込んだところ、金貨が与えられた。迷宮の踏破を目指す者たちが溢れ始めたのはそれからだ。
 アーサー王子は、ユウと別れて三年後にレミンディア王に即位した。レミンディアの内戦は苛烈を極め、国土は荒廃した。しかし、アーサー王は新たに宰相として登用したエツコ・クロードなどの有能な人材に助けられ、十年を待たずに復興を果たす。
 逆臣としてアドラメル宰相は極刑に処された。そして、クシナダ侯爵家と反目していたミレアネイス家が手を結び、テロ組織を作り上げた。アドラメル残党と呼ばれた彼らは、シアリスに亡命した後にも、アーサー王の命を幾度となく狙う。
 ハジュラは、アーサー王による新たな体制が始まると共に、シアリス正教を弾圧し、国土からシアリス正教騎士団を放逐した。
 レミンディアは苛烈にシアリス正教の粛清を行う。千人以上の僧が虐殺され、暴君アーサーの名は不動のものとなる。
 魔王ユウの治めるアギラの国は、無法のブラックマーケットとして成長し、魔都市として発展した。ありとあらゆる種族が入り乱れ、邪神の信徒たちの聖地として認定されたという。
 ガルナンディア大陸、辺境地域と呼ばれるガザ、ハジュラ、レミンディア、アギラの国は、三十年後に連合軍を組織してシアリス正教国を滅ぼすことになる。




 アーサーが王位についてから数年して、ハジュラの男爵家令嬢であるエリザベート・クセファ・リンガーを王妃として迎えた。身分に差がありすぎると波紋を呼んだが、アーサー王はそれを無視して彼女と婚礼をあげた。
 エリザベート王妃は公私ともに王を助けた。
 ハジュラのホドリ監獄に残ったガザミは、とある事件から王宮にあがることになり、教育を根本から変える事業を起こす。後に、世界初の高等学院の校長を務めることになる。
 アギラの国は順調に勢力を増して巨大化していく。
ガファルが将軍の座につく。遊女であった妻に支えられ、数々の戦で功績をあげた。彼は、各国に名を轟かせる豪傑として幾多の伝説を作った。
リザードマンのレド、スレルのジ・ク、ガロル・オンの族長ショウ、ゴブリンの族長トレルは、各亜人の氏族となり、同時にそれぞれが要職についた。山での生活に戻った亜人たちとの折衝を行い、後の世で彼らの功績は高く評価されることになる。
 ミデは邪神教会の女神として、数百年を生きたが、ある時邪神神殿に潜りそれ以後戻ってこなかった。彼女は全ての戦に参加し万の首を取ったと伝えられている。戦女神としての伝説以外にも、慈愛の女神としても祀られることになる。
 ホドリム・グレイはアギラの国の宰相に就任する。内政と外政共に能力を発揮し、八十歳で天に召された。
 シキザはアギラの国で細作を育てあげることに従事する。アギラの国の細作は、ニンジャと呼ばれ恐れられた。
 ハジュラのラザンテ地区は、その後もリンガー男爵家とリンガー商会が仕切ることになった。エリザベートの婚礼以後は、アリスが代表を勤めた。タキガワは生涯独身を通したシャルロットに倣い、彼女の傍らに常に控えていたという。






 奇跡が起きたのは十五年後である。
 魔人バルガリエルとその仲間たちが持ち帰った秘宝が、アギラの国はバロイ城に運び込まれたのだ。
 邪神の叡知により、奇跡はおきた。


「おっぱい大きくなったな」
「バカ、もっと言うことあるでしょ」
「そうだった、前は言ってなかった」
「おかえりなさい、アギラさん」
「ただいま」


最終話 ただいま


おわり






後書き
 ここまで読んでいただきありがとうごさいます。
 時間ができれば、ゆるゆると、別の主人公で書くかもしれません。
 アギラとユウの物語はここで終わります。
 最初はもっと陰惨な話にしようと思っていましたが、言葉より行動のアギラとユウは、そういう方向に進んでくれませんでした。作者としては、これでよかったように思います。
 一話につき平均して四時間程度時間がかかりました。最終話のみ十時間です。予想以上に時間がかかり、また体力も使いましたのでしばらくは休みます。



[1501] 番外 ヤナギ
Name: ポンチ◆ebd5b07d ID:b3ff8fb2
Date: 2010/06/08 00:04
ヴァルチャー 

ヤナギ


 中世の町並み。切妻駒方屋根の立ち並ぶ薄暗い通りには悪臭があった。
 あれだけ華やいでいた独都市カダスには暗い陰が満ちていた。
 高レベル域ユーザー向けの有料追加サービスパックを購入しなければ侵入が許されない、新たな冒険の地、であるはずの場所。
 ヴァルチャーに入り込んで、一年以上が過ぎる。
 この新たな街に入れた者は少数だ。
 事情は至極簡単な話で、専用の筐体の導入されたヴァルチャーを楽しめるアミューズメントパークは数が限られていて、さらに最新のサービス環境が導入されていたのは東京と大阪の一分の店舗に限られていた。
 ヤナギは陰の中を進む。
 一年間で、ヴァルチャーの大半はカダスから消えた。死んだ者もいれば、カダスから逃げ延びた者もいた。
 三種のエルフと地の底から這い出したネズリルとの争いは未だ続いている。ゲームの設定ではどうだっただろう。カダスのサービスが始まった初日にこんな場所に来てしまった。よく思い出せないし、新たなホームポイントとしてしか認識していなかった。
 筐体に乗り込んで数分でここにいたのだから、仕方ない。
 レンガ造りの都市の闇を進む。街の警備兵はネズリル避けの護符と香を焚きながら巡回しているが、それではネズリルに避けて下さいとお願いしているようなものだ。
 警備兵とかちあっては仕事が立ち行かない。
 誰にも見られず、誰にも悟られず、それが今の仕事だ。
 ヤマギはレベル32の隠密だ。
 隠密は上級職の中でもレアに分類される職業クラスだ。上級職に至るには幾つかの条件があるらしいが、曖昧な予想の域を出ないものだ。ただ一つ言えるのは、隠密になれるのはコアなFPSユーザーとしてのプレイスタイルが必要なことだ。
 初期の職業クラスは狩人であった。弓、吹き矢、短弓、長弓を扱えて忍び足と気配遮断が行なえる。相手に気づかれずに攻撃を行なえれば絶大なクリティカルダメージを与えられる。その反面、金属の鎧は装備できない。あらゆるダメージ耐性が存在しない。何度も何度も死んだものだ。
 ヤナギは元々FPSゲーマーとしてヴァルチャーに参加したクチである。FPS組とはパーティープレイも行なったが、最終的にはいつも対戦になっていた。そういうことから、一般ゲーマーからはFPS組は蛇蝎のごとく嫌われた。敵を倒しおえたら対戦しようぜと言ってパーティーから外れて攻撃してくるのだから、一般のゲーマーには対戦の楽しさは理解できまい。
 ヤナギはソロプレイで慎重に敵地を進み。毒矢、吹き矢、ナイフでのサイレントキルに達成感を覚えるままにゲームを続けた。結果として、イベンドが起こり隠密にクラスを変更したのである。
 常時気配遮断、常時無音歩行、上級運動技術、隠密基本技能。
 この四つのスキルにより、ソロでの便利さが増した。別の言葉で言えば、突然ゲームがぬるくなった。
 コアFPSプレイヤーにとっては満足できないほどに簡単なゲームになってしまったのだ。HALOシリーズから始まり、コンシューマーのFPSでは神業のような狙撃を行なう外国人プレイヤーたちとしのぎを削っていたのだ。ヤナギにとって、パラメーターアップによるさらなるダメージの増加もゲームを温くする要因でしかなかった。しかし、この筐体によるゲームになれた今となってはただのFPSでは満足できない。
 ヤナギのたどり着いた境地は、低レベルのまま危険地帯に突入することだった。見つかって攻撃を一度でも食らったら終了。
 歯応えがあった。
 楽しかった、あのころは。
 ヤナギは前方から漂う強い悪臭に、吹き矢を取り出した。
 レベル差10以上の敵対NPC殺害によって得たレアアイテムである。邪神の加護を得た神官を殺害した時の戦利品であった。
『無限の毒』という名のついたユニーク吹き矢。霊体を含む全てに有効な毒が付加される吹き矢である。一発命中させて逃げ回っていれば、相手はいつか死ぬ。そんな素敵なレアアイテムだ。
 さて、あの臭いヤツは何者か。
 隠密基本技能の中に含まれる『夜目』によって、暗がりの相手を視認できる。
 湯気の立つ新鮮な死体を咀嚼しているのは下水道から昇ってきたと思しきネズリルだ。灰色の体をした人のシルエットを持つ怪物。ごつごつした外皮と口吻を持つ地底人。残念ながら、人や地上の種族を憎悪している。
 この世界で分かっていることは幾つかある。この吹き矢というのはなかなか難しい武器だ。首や背中、頭に当てるか鎧の継ぎ目を狙う必要がある矢玉はゲームのように的に当たっただけでダメージを与えてくれるものではない。
 頭を覆い隠すマスクと一体になったスコープゴーグルを目の位置に下げた。自在に、スコープは倍率を変える。ゲームで手に入れたアイテムはこの世界の常識の外にある。
 エルフの女、すこぶる美女の腸をネズリルは食らっている。
 死体を見てもなんとも思わない、というのは嘘だ。
 人皮のコート、天狗眼鏡、人皮の鎧、暗殺者の靴、防疫修道会の帽子、NPC殺害ボーナスにより得た装備だ。
 人皮シリーズは、人間の顔の皮を剥ぎ取って作られている。当然、こんな狂気じみたものを造るのは悪党で、悪党NPCを倒して手に入れた。他も似たようなもので、明らかな悪党を倒して集まった見た目が凶悪な装備であった。
 そろりそろりとネズリルに近づいてゆく。わたしは風、夜気に溶け込め。
 ネズリルの五メートルほど手前で吹き矢を吹いた。この一年間で何度も殺してきたネズリルの急所は熟知している。後頭部、丁度眉間の裏側にやつ等の神経が集まる所がある。
 突き刺さった。
 ネズリルは激痛に悲鳴を上げた。ここに撃ちこめば、数秒で奴等は酩酊に襲われる。ヤナギを見つけたネズリルはおどりかかろうとしてこけた。
 こけたネズリルの後頭部に右手に持ったナイフを差し込む。『毒婦の牙』、これが何度もヤナギを救ってきたナイフである。
 ネズリルはあっけなく、どこか安らかに動かなくなった。
 一日の疲労が癒えていく。
 毒婦の牙は、ゲーム的にはライフを吸収するナイフである。スニークアタック、もしくは睡眠や倒れ伏している相手に対してクリティカルかそれ以上のダメージを与える隠密専用アイテム。
 余計な手間をくった。
 目的の屋敷まであと少しだ。


 奴が来る。
 ハイエルフ、都市を造るエルフであるラシャン・ドゥーリは怯えていた。
 一年前のことだ。ダークエルフとの抗争をいつか分からない昔から続けているカダスに異形の人間が現れた。彼らはヴァルチャーと名乗り、この街の治安に貢献した。そして、ある者は去り、ある者は王宮に上がり、そしてある者は謀殺された。
 術神の託宣によれば、彼らは世界そのものに対しての何らかの因子であるというが、それらをどうするかは神々も決めていないという。
 エルフの住まう北の大地にも人間は少なくない。しかし、独立都市カダスを含めてエルフやドワーフといった種族は同族以外には決して心を許さない。それは、肌の色の違いで対立するダークエルフと、森で原始的な生活を続けるウッドエルフ、そして都市と規律を造り上げたハイエルフ、その三者が軋轢を抱えていることからも明らかだ。
 ラシャンはハイエルフの中でも高い位置にいる、人間風に言えば貴族である。彼の仕事はとても単純で、規律を破る存在を狩ることだ。
 ダークエルフ、ネズリル、そして忌まわしいハーフエルフ。
 ラシャンはやり過ぎた。
 ハーフエルフとダークエルフを殺しすぎた。
 自身に暗殺者が放たれるのは初めてのことではない。彼の屋敷に常駐する異端狩りの戦士たちは今まで一度も暗殺者を逃したことはない。だからこそ彼は生きている。
 自分の正しさを信じているからこそ、今までと゜のような脅しにも屈しなかった。一年前に現れたヴァルチャーの一人、一年足らずでカダスの聖女などと呼ばれた英雄気取りのあの女の信者共も彼には手を出せなかった。
 忌々しいあの女は竜と共に現れた銃士と共につい数日前にカダスを去ったというのに、ラシャンはまたしても危機に瀕していた。
「なぜだ。なぜ私に向けてアレが放たれる」
 人の皮を剥ぐのが趣味だという怪物。カダスの聖女とも敵対していたと聞く、噂だけが先行する暗殺者。市民の間では悪党だけを殺すといって英雄扱いされている怪物。
 長い嘴のようなものがついたマスクに飛び出した鉄の瞳、悪党から剥いだ皮を身にまとう影の戦士。そんなものがいる訳がない、というのは表向きの話だ。
 奴隷商が殺された現場にいた奴隷は、震えながらソレのことを話した。自分自身を救った怪物のことを恐怖に震えて語ったのだ。
「私は職務に忠実なだけだというのに」
 だからこそ、ヤツが本当に存在しているということも知っている。あの奴隷商人は相当厳重な守りの中にいた。それをどうやって始末したのか、いや、あの奴隷の言葉から多少のことは分かっている。
 音もなく動く。
 三階の窓から飛び降りて何の苦もなく着地した。
「いや、考えすぎだ」
 あの奴隷商は奴隷の女と性交渉を行なっていたために無防備だっただけだ。ラシャンはそんなヘマはしない。奴隷にしても恐怖で錯乱してありもしないものを見ただけだ。
妻と子供は実家に帰した。そして、今も護衛が三人ついている。
 エルフというのは特別な種族だ。ありとあらゆる人以外の種の中で、最も神秘的な能力を有している。それは予知や機械技術や夜目が効くこと、そういった類でしかないが、不幸なことにラシャンは死の予感を感じ取っている。
 濃厚な死の気配だ。
 ネズリル共が現れた前年にも感じた予感よりも、もっと強い。この屋敷が今では地獄の一部になってしまったかのような錯覚すら覚える。
 三人の護衛は一騎当千の異端狩りだ。なのに、それの侵入に誰も気づけなかった。




 毒婦の牙、はヴァルチャーオンラインではあまり多くない専用アイテムだ。
 隠密以外に装備できない。なぜなら、隠密という特殊な上級職に就くにはあるクエストが必要だ。ランダムクエストと同じような扱いだが、『変容の毒婦の足取り』『変容の毒婦の追跡』『変容の毒婦の討伐』この三つの最終は当然討伐である。
 変容の毒婦は老婆の姿をした怪物だ。プレイヤーの被ダメージをそのまま吸収して回復する。変容の毒婦を倒すにはクリティカルで一撃で倒すか、多勢で攻めて回復が追いつかないダメージを与えるしかない。
 変容の毒婦を倒せば隠密へと転職できるのだが、これは一つのフラグだ。それは、ヤナギも知らないことの一つだ。上級職である隠密、さらにその先が何ヶ月か後に追加される予定であった。
 他の上級職にもフラグとして与えられたアイテムがある。狂戦士には兜と剣を、銃士には帽子と靴が、そして隠密にはナイフがあった。
 数ヶ月先には、隠密であれば一つの選択があるはずだった。変容のナイフの使用回数と所持の有無。ナイフの未使用なら、追跡者に。そして、使用し続けていれば。




 二人が同時に倒れた。
 一人は頚動脈を掻き切られ、もう一人は顔をかきむしっていた。
 悪魔がいた。
 人から剥いだ皮の外套と、人の皮でできた鎧。音もなくそこに現れた。
 残った護衛はこの状況でも鬨の声を上げて悪魔に長剣で突撃した。悪魔は声も音もなくナイフを腰だめにかまえて護衛に突進する。
 悪魔の腹に剣が深々と突き刺さった。あっけないほどに、深々と、下腹部を貫いて背中にその切っ先が貫通している。
「やったぞ」
 と、護衛が言うが、悪魔は死んでいない。ナイフを護衛の肩口に突き立てていた。護衛は剣を放して悪魔を蹴り付けた。手応えはあったのだ。あれは、最後の悪あがきにすぎない。
「は、はは、これが悪魔か。口ほどにも無いではないか」
 ラシャンは放心したようにしながら、言った。笑いの衝動がある。
「化物め、内臓をかき回したというのに動きおった」
 エルフの剣士は兜を外して額の汗を手の甲で拭った。
「悪いが、薬師を呼んでくれないか。毒でもあればコトだ」
 びりびりと傷口が痺れている。護衛はちらりと倒れた仲間を見やった。一人は喉の裂傷でもう死んでいて、もう一人は毒にやられたのか痙攣している。長くは持つまい。
 安堵しきったラシャンは「ああ」と上の空でテーブルのワインを取った。頼もしい護衛と身の安全の祝いに二つのグラスに赤いそれを注ぐ。
「気付けだ。一杯やりたまえ」
 護衛は不機嫌な様子でグラスを無視してボトルを取った。傷口にかけてから、ラッパ飲みにする。大きく息をついてから、口を開いた。
「あんなものに狙われるとは、お前との契約はこれまでだ」
「おいおい、何をこんなとき、に……」
 驚いたような顔で、護衛は致命傷を追っていた。
 背後からあの悪魔が忍び寄って、護衛の顔に腕を巻きつけるようにして口をふさぎ、それと同時に喉元を切り裂いていたのだ。
「あ、あああ」
 悪魔は護衛の口を閉じさせて悲鳴を上げさせない。
 護衛の崩れ落ちる音と共に、足の硬直していたラシャンの首下に小さな矢が突き刺さっていた。それは、子供やウッドエルフの使う吹き矢の矢玉であった。
「うわっ、ああ、助けてくれ。金はいくらでも、なんでもするから、頼む」
 悪魔は腹から剣を無造作に引き抜いた。どくどくと血が流れ出るのに、しっかりとした足取りで最初に倒れた護衛に向かう。ラシャンなど眼中に無い様子だ。
 びくびくと痙攣している瀕死の護衛に、何度もナイフを突き刺している。念入りに胴を何度も何度も突き刺した後に、喉を深く切り裂いていた。
 ラシャンを無視して、悪魔は死体に興味をなくすと窓に向かった。ここは屋敷の二階である。
 気づかなければ、ラシャンは幸せな時間を過ごせた。しかし、エルフ特有の勘がそれに気づいてしまった。
 あの深く剣の突き刺さっていた腹から、血が止まっていた。さっきまでは確かに血が流れ出ていた。なのに、今はあれほど激しく流れて出ていた血が止まっていた。ぽたりと、あの恐ろしい鎧に付着していたものが垂れるだけだ。
 悪魔は思い出したかのように、外套のポケットから丸められた羊皮紙を取りだした。テーブルに叩きつけるようにして置くと、窓を割って外に飛び降りた。
 今度こそ放心したラシャンはソファに座り込んで、宙を見つめた。
 しばらくしてようやく分かった。
 俺は生きている。
「は、はははは、生きてるぞ。脅しのつもりだったか、ははは悪魔など使ってははは」
 ワインを、既にこときれた護衛がやっていたようにボトルをつかんでそのままに飲む。そうしてから、悪魔の置いていった羊皮紙を手に取った。
「脅しか、ははは。いいぞ、なんでも払ってやるさ。もういい、こんな仕事も辞めてやる」
 封を開いてラシャンは固まった。
 なんでこんなことに。
 震える手が、肩口の小さな傷を探った。それから、使用人を呼ぶためのベルを、癇癪をおこした子供のように激しく振った。
「誰か、誰かあるかっ。薬師だっ、最高の薬師をっ」
 羊皮紙には短い言葉があった。
『生き腐れろ』
 無限の毒は解毒できない。小さな傷に撃ちこまれた毒ははやがて全身をむしばむだろう。



 傷は完全にふさがった訳ではない。
 ヤナギは気配を消して夜の闇を進む。
 腹が痛む。
 毒婦の牙は、命を吸い取るのだ。あの無限の毒で死にかけた護衛では腹にぶちこまれた剣の傷を癒すにはいいさか足りない。
 ネズリルが帰りにいれば助かったのに、と想像すると口元に笑みが浮いた。そんな都合のいい幸運は、こちらにきてから一度も無い。今の気分に一番よく似ているのは、財布の有り金を出もしないパチンコ代に流し込んだ時のそれだ。
 一年前から異常に慎重な性格で残していたゲーム内の回復薬は使えるだろうか。賞味期限なんて設定されていないはずだ。
「ふふ、あははは」
 闇の中で不意に笑ってしまった。
 毒婦の牙、これに支えられて生きている。
 いつまで続くのだろう。
 失うものをどんどん失くしている。もう命くらいしか残っていない。
 隠れ家までもう少し。今度の仕事の報酬はどれくらいだろう。どうせピンハネされて手元に入るのは少しだけだ。
 どれくらい人間をやめてしまったのだろう。
 もう見たくない。
 今まで数え切れない傷を受けている。えぐられた皮膚は、ぼこりと盛り上がっている。ある部分は灰色に、ある部分はエルフの戦士の発達した筋肉で、ある部分は犬の毛が生えていて、ある部分はたおやかな貴婦人のようになめらかで、ある部分は老人のようにしわがれている。
 毒婦の牙、変容の毒婦という怪物は『変容』という種族のユニークモンスターである。
 毒婦の牙は、生命を吸い取り置き換える。
 ヤナギの全身は、今では命を奪った者たちのモザイクだ。
 スコープを額に上げて、石造りの街に浮かぶ月を見上げた。
 月明かりに、ヤナギの瞳がきらりきらりと輝く。
 いつだったか。目をえぐられた。だから、その後で野良猫の目を毒婦の牙でえぐった。
 左目は猫の瞳に置き換わった。
 ヤナギは生きるために変容を続けている。
 浅い眠りから目が覚めても、あのアパートには戻れない。


気が向いたのでささっと書いてみました。
続きがあるかは未定です。



[1501] 番外 ツバキ
Name: ポンチ◆ebd5b07d ID:b3ff8fb2
Date: 2010/06/09 21:00
番外 ツバキ


 椿麗は自分の名前が大嫌いだ。
 ウララという響きが嫌だ。椿という縁起の悪い花の苗字が嫌いだ。
 女じゃないのに、十二歳まで自分を女として育てた母親が大嫌いだ。
 母親と別れることができたのは、隣に引っ越してきた男のおかげだった。チンピラにしか見えない男は、鉢合わせたエレベーターで真っ赤なランドセルを背負った姿を見て爆笑した。それから、「イジメられてんのか」と今でも思い出せる声音で言ったのだ。
 今思えば、母が狂った感覚を持ってくれて良かったと思える。いつまでたってもピカピカで真っ赤なランドセルを背負わされる小学六年の気持ちを誰が分かるだろうか。
 いつか母親を殺そうと思っていた。
 ある日、ふりふりのスカートで学校にいった帰り、またしてもエレベーターで隣家の男と鉢合わせた。やはり、彼はチンピラじみた格好をしていた。男らしいようにも見えて、少し羨ましい。
 男は「いいもんやるよ」と言って、ツバキには大きすぎるスカジャンをくれた。リバーシブルの、ピカピカのサテン地は赤と緑。赤色には竜が、緑には虎が。男の温もりの残ったスカジャンに初めて袖を通した時、心臓がびくびく動くのを感じた。
 スカジャンを持ち帰って隠していたけど、サテン生地は目立ちすぎた。ジョキジョキ鋏を入れながら、隣の男を訴えると母は息巻いていた。
 しばらくして、会ったことも無かった実の父が現れて、半年ほど続いた裁判の後で椿の親権は父の下へ移った。
 隣の男は探偵だった。無許可の不良探偵が父を捜してくれた。頼んでもいないのに。
 父は驚くぐらいの金持ちだった。あんな女と何を考えて付き合ったのか。今となっては聞くことができない。



「ツバキ、仕事が入ったぞ」
 過去の追憶が終わりを迎える。ぼんやりと半分眠るようにしていたのに、ツバキは現実に引き戻された。
 独立都市カダスの『迷い猫亭』は、プアーエルフと外国人が逗留できる数少ない居心地のいいモーテルだ。
「ごめん、勃ってて立てない」
 安楽椅子から立ち上がろうとしないツバキに、カワノは呆れたような顔をして気取った仕草で肩をすくめてみせた。
 生き残ったヴァルチャーはガタスにも数少ない。ツバキとカワノは立場で言えば完全に中立を保ち続けている。
 王宮に陣取って善政という名の支配を強いる聖女派、ダークエルフのゲリラ組織に肩入れした今は亡き人であるリベレーター・キクチ派、そして、金と情勢に流されるカワノとツバキのような日和見連中。
 カダスに関わるヴァルチャーといえばこの辺りしか残っていない。もともと、カダスにインしていたプレイヤーは二十名名足らずだ。自力でレベルを30以上に上げた廃人と抽選に当たったラッキーガイだけがカダスに招かれた初日、それがあの日だった。
 一年ほど前の転移、カダスではそう認知されているあの日である。
 カワノと早い段階で出会ったのはツバキの幸運である。レベル7、抽選に当たってカダスへインしたラッキー組は、ほとんどがごく初期にエルフ共によって処刑された。カワノは相当運が良くて、やり手で口先の悪魔に魅入られたような男であった。
 ツバキは十五歳の少年である。
 濡れたような黒髪、女顔、言い方は色々あるけれど、気持ち悪いくらいの美少年である。陰のあるどこか普通ではない凄絶な雰囲気がある。人を遠ざける魅力に溢れた少年だ。屈折した十二年がツバキに与えたのは、そんな危うい魅力である。
 勃起が収まるのを待って、ツバキはサテン地の単衣という姿で安楽椅子から立ち上がった。艶やかな黒髪に、どこか退廃的な色彩の単衣がよく映えた。
「服のセンス、どうにかならんのか?」
 タイトなエルフ用の礼服でキメているカワノは、服装がスーツならやり手の営業マンにでも見えるはずだ。レベル7の戦士なんていう弱キャラのくせに、カダスの金の一割はこの男が握っている。
「うるさいな。このかっこよさは大人には分からないんだよ」
 仕事の報酬で今度はスカジャンを作ろう。髑髏と竜なんていいかもしれない。
「……ま、いいか。ほら、顔を洗って、すぐに出かけるぞ」
 仕事モードに入らないと。
僕は凄腕のボディガード。


召喚術と言えば、バハムートにリバイアサン、なんてものを思い浮かべる人がほとんどだろう。オカルト趣味なら喚起なんて言葉を使うかもしれない。
 ヴァルチャー・オンラインでの召喚術は恐ろしく使えない無駄スキルであった。理由は至ってシンプルで、呼び出せる初期のクリーチャーはゴブリンで、しかも頭が悪い。こいつが傍らにいるせいでザコが山ほど寄ってきてタコ殴りにされる。それを我慢してレベルを上げたとしても、次に召喚できるのは色違いのホブゴブリン、移動速度と攻撃力が増したホブゴブリンは『バーサーク』という特殊能力のおかげでほぼ毎回プレイヤーに襲い掛かってくる。さらにレベルを上げたら浮遊する鬼火を召喚できる。小さなファイアーボールを放つ鬼火は、制御判定に失敗すると敵になる。味方でいたとしても、誤射のおかげで呼び出さない方がよほど安全な迷惑アシストを連発する。
 公式サイトでの情報公開により、召喚できるクリーチャーがレベル30まで画像つきで公開されたことも不人気に拍車をかけた。ほとんどのプレイヤーはゴブリン、トロル、スケルトンに興味は無い。
 レベル30という大台に乗って初めて召喚できるフライングポリープに至っては、クトゥルフ神話のマニアでも喜ばない代物だった。運営は何を考えてこんな職業を造ったのだろうか。
 こんな状態だからこそ、召喚術師という職業クラスの真のプレイスタイルはあまり知られていなかった。もし知られていても、ほとんどのプレイヤーは嫌がるような代物なのだけれども。


 貴婦人は、はじめにツバキに好色な視線をなげかけてから、心底羨ましいといった様子の後に稚児趣味をあざ笑うように好奇の視線をカワノに向ける。
 独立都市カダスの庭園区画にあるレストランで、彼らは同じテーブルについていた。
 相当の金が無いと入店すらできないレストランには、客個人個人の護衛とレストランの用心棒たちのおかげで相当安全な場所になっている。
 カダスでは、人種問題から起こる暗殺は日常の一部である。地位が高い者、肌の色に意味などないと説く者、対立を利用して富を得る者、色んな者が死んだり殺されたり殺したり、やったらやり返してやり返したらやられて、エルフも人間も似たようなものだ。
 ホテル・ルワンダという映画を思い出す。人間性は極限の時に試される、アメリカ風の正義と現地の正義は相容れない。それでも、現代人が共感するのはアメリカ風味だ。
「この子がボディガードなの?」
 エルフの女は信じられないという顔で、フォークでツバキを指した。その先端にはパスタによく似た食い物が巻きつけられていた。
「ええ、皆さん驚かれますよ」
「今まで一度も失敗したことがない?」
「はい、一度も」
 ツバキは黙って女を見ている。
 よかった、母親には似ていない。このエルフの女、三十代に見えるがきっと四十を過ぎている女は夢に逃げ込むようなタマではない。こういうヤツなら、命がけで守ってやるのにためらいが無い。
「ふうん、男芸者か陰間にしか見えないんだけど。まあいいわ、カワノさんはこんな時に嘘をつくほど馬鹿じゃないだろうし」
「お褒めに預かり光栄です、閣下」
 閣下、本気で言ってんのか。露出過多のドレスを来た遊女みたいなババアエルフにそん敬称をつけるか。
「ええと、あんた名前は?」
「ツバキでいいよ」
「カワノさん。彼に口の利き方、教えてあげなさいよ」
 と、呆れたように言って今度はフォークでカワノを指す。なんという無礼な女だろう。くるくるの綺麗な金髪巻き髪をアップにしてFカップ推定の垂れてない乳房がはみ出しそうなドレス、どこか蓮っ葉な態度は姉御肌で、ヤクザの女のようにも見えた。
「ミスフォルン、彼は自由にさせるのが一番いいのですよ」
「ふん、ヴァルチャーは酔狂なのが多いね。あの悪魔にも困ってるんだけどなんとか言っといてくれない?」
 悪魔、か。
 去年の騒乱の際に、あの悪魔めいたヴァルチャーを見かけた。聖誕祭で暗殺されたアレクリア王妃の一件に関わっていた悪魔。あの時、敵ではないというだけで素通りさせた。アメリカ風に言えば許されないことだろう。
「ああ、例の暗殺者で英雄ですか」
「ラシャンは今朝方くたばったよ。嫌いなタイプだったけど、あいつがいなくなったらなったで次の人選に困るの」
 悪名高いラシャン・ドゥーリはダークエルフとハーフエルフを事務的に処理できる男だった。悪名はあてにならない。さしたる思想も理想も持たずに職務を遂行していたのだ。彼の後釜は、ダークエルフ根絶を掲げる頭のイカレた主義者でもいけないし、金で転ぶ普通のヤツでもいけない。
「なり手はいませんか?」
 カワノはまたしても儲け話を見つけた顔になる。
「まあね、最悪あたしがやるけどさ。ま、あの部署自体が変わるかもしれないけど」
「こんな場所で、……良いのですか」
「いいわよ、そっちの彼にしても身元は割れてるしね」
 ヴァルチャーは無敵ではない。睡眠も必要だし女も欲しい。無防備な時間はいくらでもある。十人以上でこられたら、レベル40オーバーでも生き残るのは難しい。それに、相手方にもヴァルチャーはいる。特に、カダスでは高レベルという条件も必然的についてまわるのだ。
「なあ、フォルンさん?」
 ツバキが珍しく自分から口を開いた。カワノは少しだけ驚いた顔だ。
「なにかしら」
「世の中やっちゃいけないことってあるのかな」
 フォルンは真面目に考える顔をした。海千山千の大狸がそんなフリをしているだけなのかもしれないが、答えはどうなのだろう。
「ないわよ。何してもいいけど、何やり返されても文句言えないってだけじゃないかしら」
「おばさん、いい人だね」
「ありがとう。みんな気づいてくれないけど、私はいい人よ」
 本気で言っているのだろう。こんなヤツはだいたい人でなしだ。
 カワノとミセスフォルンはエルフの好む仰々しいくらいの遠まわしな言い回しを多用する打ち合わせを終えて、カワノが先に席を立った。去り際に「頼むぞ」と珍しくそんなことを言った。でかい仕事なのだろうけど、ツバキにとってはいつもと同じことをするだけだ。
「ねえ、あの悪魔が来ても私を守れる?」
「大丈夫だよ」
 悪魔に狙われるほどの偉いおばさん。こんなのが母親だったらよかったのに。ここに来て縁を切れているのだから、今更な話だ。
 フォルンは自身の立場を語らないし、ツバキも力を見せる気はなかった。サテン地に蝶の刺繍が入った妙な服を着た少年は目立つ。男芸者にも見えるのに、フォルンは彼を引き連れて歩くことにためらいはない様子だった。
 ネズリルとかち合うこともなく、徒歩で庭園区画を抜けて行政区に入った。
 高い高いゴシック建築で溢れるビジネス街。
「ねえ、ツバキくん」
「なに?」
「多分、悪魔がくるわ。頼んだわよ」
 そんな気がしてた。楽な仕事があるのなら、一度でいいからお目にかかりたい。



 カダスの下水道は相当に古くから存在している。古過ぎて行政にもその全景はつかみきれていない。
 ハイエルフの造った独立都市は今まで幾多の危機に見舞われていた。下水道が迷宮のようになってしまったのも、はるか昔に起こったドゥベルグ進攻のためだ。
 ドゥベルグとは邪悪な地底人類の一種で、ドワーフから人間らしさを抜いたような連中である。彼らはドワーフと同じく様々な技術を持っている。中でも、地底トンネルについては驚嘆すべきものがあった。そして、その最高の完成例こそがカダスの下水道である。
 地下深くよりハイエルフの住まうカダスを乗っ取ろうとしたドゥベルグは、激戦の末に地下に追い返された。
 古い骨や巨大な鼠や名も知れぬ蟲の楽園の一画で、恒例のサバトが開かれている。
 繋がる男と女、老いも若いも。焚き染められた麻薬、酒、食い物、血。
 悪魔は、ヤナギは暗がりでじっとうずくまっている。
 隠密基本技能、その中に含まれる毒物への耐性で麻薬にも意識は乱されない。
 乱痴気騒ぎの中心には、炎と祭壇があった。今宵の生贄はいつものごとく参加者の一人だった。別に興味は無い。炎にゆらめく異形の神像も、初めて見た時のような感動は与えてくれなかった。あれは石の塊だ。あれに魅入られる連中は、己の中に邪神を飼っているにすぎない。
「見つけた」
 ヤナギは顔を上げない。
「混ざらないの?」
 ヤナギは答えない。
「そっか、こういうの嫌いだったよね」
 ヤナギは応えない。
「聞いてんのかよ化物」
 ヤナギが顔を上げた。マスクのスコープは有事に備えて目の位置にあった。キリキリと鉄の筒に見えるスコープが倍率を変えて伸び縮みする。
「……なによ、文句があるの」
 首をつかむ。
 片手でもひねり殺せる。
 手の中に命がある。動脈の動きを温かな血管から感じた。
「は、な、せ」
 放した。
 女はうずくまって咳き込んでいる。やりすぎたかもしれない。
「お前、何をする」
 ヤナギから返答はない。ただ、倍率をめぐるましく変えるスコープの高さが変化するだけだ。
「昔はもう少し喋ったのに」
 そんな時もあったか。
「次が最後の仕事よ」
 ヤナギはようやく反応した。あのスコープの下で、声の主を能動的に見つめている。
「ハ、ハハハハハ」
 ヤナギが笑った。マスクのせいで声はくぐもっていた。
「薄気味悪い」
 年若い女は吐き捨てるように、実際に唾を吐いて背を向けた。
 約束は守ってもらう。
 たとえ、さきほどの年若い女、リーン・フォルンがそれを忘れていてもだ。




 自宅というのは一番危ない。
 ボディガードという仕事について初めて知ったことだ。自室に入って気を抜いた時に賊は襲い掛かってくる。よくよく考えれば、人目もないし忍び込むことさえできれば確実で安全に暗殺できる場所なのだ。
 人気もなく生活感の無い邸宅の私室に入った瞬間、賊は襲い掛かってきた。
 フォルンは驚いた、という顔のまま迫りくる刃に硬直していた。
 ゆっくりと近づく刃、実際には数秒の中で、それは固まった血のような色の手甲に弾かれていた。
「下がってて」
 病んだ美しさのある少年の声だ。
 フォルンが振り向くと、そこには地獄から這い上がってきたかのような騎士の姿があった。全身を包む赤黒い板金鎧と兜。鎧のことを知らない者が作ったかのような重すぎて使い物にならない鎧であった。
「いいから、下がって」
 手を引かれて、フォルンは騎士の後ろに尻餅をついた。
 赤黒い鎧にはびくびくと血管のようなものが蠢いていた。禍々しい鉤のような突起が全身についたそれは、本能に訴えかける恐怖を放ち、騎士が片手に握る両手剣は人が使えようもない巨大さであった。
 顔を隠した賊も浮き足立っている。それは恐ろしいだろう、あんなものが前にいれば。
 巨大な剣が凄まじい速度で賊を凪いだ。
 騎士は手持ち無沙汰に大きすぎる剣をどうしたものかと一度見やって、そっと床を傷つけないないように置いた。
 ごとん、という相当の重量を置いた振動で、硬直していた賊の体がズレた。
 短剣を構えたまま、賊は腰とその下が分離した。私室に敷かれた上等な敷物が、みるみるうちに血液で台無しになっていく。
 なんという恐るべき一閃であろうか。賊に動く暇も与えず、フォルンの、エルフの眼にも捉えられぬ速度で生きた的を両断せしめたのだ。
「生かしとくべきだった。ごめんなさい」
 地獄から這い出した騎士は、ツバキである。
 召喚術師。
 上級職である。転職前の職業クラスは不問。条件は召喚術の一定以上の使用回数。
 召喚術にとってモンスターを呼び出すのはおまけであり、お遊びに過ぎない。本来のプレイスタイルは負、または正の次元界より武具を召喚することにある。召喚された武器はゲームバランスを崩壊させかねない力を秘めているが、時間制限により消滅する。
 負の次元界の全身鎧、負の次元界の片手用両手剣、一分間だけ現界に召喚可能。
 フォルンが固まっていると、騎士から鎧と剣が消滅した。残るのは、ツバキという男芸者のような少年だけだ。
「掃除、大変じゃないの」
 フォルンはどうしてか、そんな言葉を搾り出した。
「ははは、余裕だね」
「驚きすぎてよく分からないだけよ。助かったわ」
「どういたしまして」
 さて、システィナ・フォルンはヴァルチャーの非常識な力を目の当たりにして、ようやく悪魔に追われることの恐ろしさも理解できた。王宮に上がったヴァルチャーはもっと上品に、ちょっとした手合わせにしてもこちらに合わせてくれていた。
 いつの間にか錯覚していた。
 ヴァルチャーの異質さを見誤っていた。彼らは暴力的な奇跡を、その外見からは想像すらできない力を秘めた人の形をした怪物なのである。
「ラシャン・ドゥーリは悪魔の毒で生きながら腐り落ちたわ。あんな目にあうのはごめんなんだけど、イケそう?」
「やってみないとどうにも」
 彼女とカダスを救えるのはツバキをおいて他に無い。
 カダスの女傑と呼ばれたシスティナ・フォルンは王の腹心の一人であり、ダークエルフとの講和の責任者である。
 肌の色の争いを終わらせる使者は、幾多の敵に狙われている。
「あなたに賭けるわ」
 彼女は軍を動かせない。軍部は今回の講和そのものを知らない、ということになっている。王の密命により、死地へ赴く定めである。
「そういうの、苦手なんだけどなあ」
 闇を切り裂く剣である飛び切りのボディガードは、頼りなくそう答えた。




続けるか分からないのでsage更新です。
続きは時間が取れた時に。


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