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[14434] 【ネタ・習作・処女作】原作知識持ちチート主人公で多重クロスなトリップを【とりあえず完結】
Name: ここち◆92520f4f ID:786b9076
Date: 2016/12/07 00:03
タイトルから想像できる通りの作品です。それでも良ければどうぞ。
とりあえず完結ということで。


目次

第一部・完結
【第一話から第二話】プロローグ
【第三話から第五話】第一部・ブラスレイター編
【第六話】ブラスレイター編エピローグ

第二部・完結
【第七話】プロローグ
【第八話から第二十二話】スーパーロボット大戦J編
【第二十三話】スーパーロボット大戦J編エピローグ

第二部サイドストーリー・完結
【第二十四話から第二十八話】無印アストレイ編

幕間・短編・完結
【第二十九話】ネギま京都修学旅行編

第三部・完結
【第三十話】プロローグ
【第三十一話から第三十四話】装甲悪鬼村正編
【第三十五話】装甲悪鬼村正編最終回兼エピローグ

第四部・完結
【第三十六話】プロローグ
【第三十七話から第七十六話】斬魔大聖デモンベイン編
【七十七話】斬魔大聖デモンベイン編エピローグ

第五部・完結
【第七十八話】プロローグ
【第七十九話から第八十五話】機動戦士ガンダムOO編
【第八十六話】機動戦士ガンダムOO編エピローグ



[14434] 第一話「田舎暮らしと姉弟」
Name: ここち◆92520f4f ID:786b9076
Date: 2009/12/02 07:07

雑多に様々な道具が積まれた薄暗い小屋の中を、刃物を研ぐ金属質な音が響く。一定のリズムをもって響くその音と俺の呼吸音、ここにはその音以外存在しない。

防音対策がされているわけではない。単純に、小屋の中に届くほどの音が外で生まれないからだ。車の音、人々の喧噪、どちらもこの村ではあまり縁が無い。

過疎化が進んだこの村では、バスは一日数本しか走っていない。さらに言うならここはそのバスが巡回するルートからも大きく離れている。

観光名所となるようなものも無く、村の役場の人たちも人を集めようとするほど活動的な連中ではない。自分を含めたごく少数の若者以外は職も娯楽も豊富な都会(ここが基準ならどこに行っても都会だろう)へ移住した。

この村には学校が無い。コンビニも書店も無い。ありとあらゆる現代的な施設が無い。

あるのは見渡す限りの畑と田圃、その合間にぽつりぽつりとたつ民家に、とってつけた様な看板を下げた民家同然の村役場と個人経営の商店、違和感たっぷりのコンクリ仕立ての郵便局と交番。そしてそれらを取り囲む、壮大すぎてキャンプすら困難な大自然あふれる山々。

刺激を求める若者にはあまりにも辛すぎる環境だろう。出て行った若者と入れ替わりに、定年を迎えた老人たちが都会に疲れて越してくることもあるが、出ていく人数を打ち消せる数ではない。

そんなわけで、この時期この場所ではせいぜい鳥や虫の鳴き声が聞こえる程度。単純作業に没頭するにはうってつけというわけだ。まあ、仮に集中できないほど騒がしくても、この作業を欠かすわけにはいかないのだが。

今、俺は大鎌の手入れをしている。といっても、別に厨二病を患っているわけではない。あまり使用する頻度は高くないが、これも立派な仕事で使う道具である。大事なことなので繰り返し言うが、重度の厨二病をこじらせているわけではない。

大鎌と聞いて即座に厨二と決めつけるのはいただけない思考法である。死神だのダーク系オサレヒーローだのの武器である前に農具の一種であることを忘れてはいけない。

そう、俺は農家をしている。山で猟師もするし、短期のアルバイトをすることもあるが、本業は農家だと自分では思っている。親が残した田畑で農業をしながら生活している見習い農家といったところか。

生まれ故郷とはいえ、なぜこんな辺鄙な土地で農家をしているのか、俺自身がのどかな故郷でゆったりと生活したかった、というのもあるが、特殊な事情により人が多く集まる都会では暮らしにくかったというのが大きな理由だろう。

まぁ、今現在の暮らしは充実している。辺鄙な土地とはいえ自宅にはネットを引いているから欲しいものも金に余裕がある時は通販でまあまあ手に入るし、なにより家に帰れば大切な家族が―――

「痛っ!」

益体も無いことを考えながら作業をしていたせいか、研いでいた大鎌で手をバッサリと切りつけてしまった。傷口がじくじくと痛むし、血がどくどくと溢れている。かなり深く斬ってしまったようだ。

大鎌についてしまった血を拭い、ペットボトルの水で傷口の血を洗い流す。しかし、血を洗い流したあとにはもはや傷一つ存在しない。

「…………」

昔はいちいち混乱していたが、慣れてしまった今では大したリアクションも取りようがない。しかし、不気味で異常なことであるのは間違いないのだろう。

生まれつきでは無い、子供の頃はこうでは無かった。ある日を境に、俺の身体は異常な速度で傷を回復するようになった。

むしろ、これは回復や治癒というより復元とか再生といった響きの方がふさわしい速度だ。体中どこでもこの速度で治ってしまう。

服の下ならともかく、肌が露出している部分の再生を見られたらかなり不気味がられるだろうし、下手をすれば怪しげな研究所に連行される可能性もあり得ない話ではない。

俺はサンデー派だが、流石に現実的に考えてARMSを移植されたというわけではないだろう。仮にあったとしても、腕が千切れたり脚がもげたといったARMSが移植されるような大怪我を負ったことは無い。

手術の経験も無いわけでは無いが、盲腸を切った時だけだ。まさか切除した盲腸の代わりにARMSを移植したなんてことはあるまい。流石にそれでは斬新すぎて読者は付いていけないだろうし。

ともあれ、再生シーンを見られて騒がれるような事件を起こさず、義務教育と高等教育をどうにかこうにか終えた俺は、今では人の少ないこの田舎でのんびり農作業をしつつ隠者きどりの生活を送っている。

結局、エグリゴリだのブルーメンだの、クラスメイトが秘密組織のエージェントで古代文明の遺産がどうたらこうたら、マシンに魂を吹き込んで難事件を解決したりといった波乱万丈も無かったが、別に不満は無い。

―――不満は無いが、家族を自分のこんな事情につきあわせて、こんな田舎に縛り付けてしまっていると考えると、少し申し訳なくなる。好きで一緒に居るのだから気にするな的なことは言われているが……。

「……はぁ、なんだかケチがついたって気がする。今日はもう帰ろ」

今日は早いうちに作業が終わってしまったので余った時間で農具の手入れをしていたのだが、気分がのってしまいついつい時間を忘れて没頭してしまっていたようだ。夕日もだいぶ沈んでしまっている。俺は整備していた農具を片付け、荷物をまとめて家路についた。

―――――――――――――――――――

家に到着すると、玄関先によく見知った人影があった。背丈は150程度、長く艶やかな黒髪を簡素な紐でくくってポニーテールにしたエプロン姿の愛らしい女性だ。

「ただいま、姉さん」

「うん、おかえりなさい、卓也ちゃん」

この人は俺の姉である「鳴無 句刻(おとなし くぎり)」、女手ひとつで俺を育て上げ、惜しみない愛情をもって接してくれる大切な家族である。

職業は強いて言うならトレジャーハンターに分類されるらしい。まれに勇者だったり魔王だったりするが、グルグル的には勇者は職業ではなく、魔王も響きがよろしくないので便宜上トレジャーハンターを名乗っている。

どちらにしてもあまり一般的な職業ではないし、はっきりいってつまらない冗談の類に聞こえる。しかし唐突にフラッと居なくなったと思ったら数日後にはやたら豪華な金品を持ち帰ってくるので、それらしいことはやっているようだ。

「もう夕飯食べちゃった?」

「んーん、ちょうどおゆはんが出来上がったところ。早く手を洗って、冷めないうちにたべちゃいましょ?」

今日の献立。ご飯、白菜の浅漬け、ネギとわかめの味噌汁、焼き海苔、冷ややっこ、岩魚の塩焼き。

つばが出てきた……、美味しそうだ……。まさに古き日本の食卓、すごくいい……。ちなみにすべて姉さんの手料理。毎度のことながらありがたい。

ちなみに調味料以外ほぼ材料費はかかっていない、わかめや焼き海苔は遠く海沿いの地域に住んでいる親戚からの贈り物、米や野菜の類はうちの田畑で採れたものだ。しかし今朝まで冷蔵庫にも冷凍庫にも岩魚は入っていなかったはずだが……。

「あ、そのお魚ね、釣りたて新鮮なんだよ?」

「姉さんが釣ってきたの? ……ん、塩加減もいい感じだし、さすが姉さん」

「えへへぇ……、ありがとうね」

しかし、姉さんが釣り……、思わずまじまじと姉の顔を見つめてしまう。くりくりっとつぶらな瞳に柔らかそうな頬に唇、愛らしくていろいろ堪らなくなってくる―――っと、そうじゃない。

「ん? お姉ちゃんの顔、なにかついてる?」

「あ、ええと、姉さんのあれは釣りなのかなって」

「え?釣りの道具で魚を釣り上げているんだもの、間違いなく釣りでしょ?」

「いや、俺はあんまり詳しく無いけど、あんな奇抜な釣りは聞いたことが無いよ」

姉さんは釣りの時も身軽だ。服装もせいぜいスカートがスラックスに代わるだけで、持ち物に至ってはバケツと釣り糸と釣り針のみ。

おかしいのは格好と持ち物だけではない。ここまでなら餌は岩の下あたりの虫で、手釣りでもするのだろうと納得できる。

しかしそうではない。確かに無理やり分類するなら手釣りの一種なのだろうが、決して尋常の釣りでは無い。以下に三行で姉の釣りの工程を説明しよう。

①手にぐるぐると巻いた釣り糸に針をくくりつける。
②川に向かって糸を巻いた手を軽く振る。
③素早く糸を引き上げると針に魚が引っ掛かっている。

これはでは釣りというより狩りだ。事実、これは魚だけでなく空を飛ぶ鳥が相手でも可能らしい。闇狩人の短編でそんな地方出張闇狩人が居た気もする。いや、あっちは竿を使っていたしルアーも付いていたが。

「お姉ちゃんは何もおかしなことはしてないわよ? 川の中の魚の動きを予測して、魚の口の中に直接針を投げ込んでいるの。ね、簡単でしょう?」

「そんな釣りが許されるのはコロコロコミックあたりの世界の中だけだよ……」

それも最低でも伝説のルアーで世界征服とか滅亡的な展開にならない限り無理だ。闇の釣り師養成所とかでも可。

その後も会話は続いた、知りあいの爺さんの牛が脱走してしまい、爺さんが牛と追いかけっこしていたとか、山でまた遭難してる人が見つかったと駐在さんがぼやいていたとか、

ニコ動で気に入っていた動画が消されていたとか、最近改編期なせいか二時間のスペシャル番組しかやらないねとか、まあどうということもない話だが、ここでは毎日こんなものだ。

―――――――――――――――――――

夕食後、俺は居間の炬燵にもぐりお茶を飲みながら、た○してガッテンの健康特集を話半分に聞き流していた。

「卓也ちゃーん!お風呂わいたー?」

部屋でごろごろしていた姉さんが居間に出てきた。最近この時間帯は無駄に長いバラエティしかやってないせいでマンネリ気味らしい。俺はNHKもしくは教育テレビ派なのでそこらの事情はあまり関係ない。

「もう沸いてる。今がちょうどいい湯加減だから先に入っちゃっていいよ」

「卓也ちゃんも一緒に入ろ?お姉ちゃんが背中流してあげる♪」

「なん……だと……?」

姉さんはまれにこういう突拍子も無いことを言い出す。お互いにもういい歳なのだからこういうところは節度をもつべきだと思う。

稀に押し切られて一緒に入るはめになるが、大体においてこういうパターンで風呂に入ると、確実に「背中流してあげる♪」が「洗いっこしよう♪」に進化してしまう。

確かに俺は自他共に認めるシスコンではあるが、多少の常識は持ち合わせている。どの程度の常識か、某er○でたとえれば[貞操観念]と[一線越えない]を持っている程度の常識だと思ってもらえれば間違いはない。

まぁつまり、常識が邪魔をしているのでいくら誘惑されたところで手を出せない生殺し状態なのだ。

「い、今、ため○てガッテン見てるからいいよ。俺は後から入るから」

「一緒に入ろ♪」

「いや、だからガッテン見てるから……」

「入ろ♪」

「あー……、うん。わかった」

押し切られた……。いつもこうだよ!と嘆かざるをえない。このままでは俺のステータス欄に屈伏刻印レベル3と[恋慕]がつく日も遠くは無いだろう。

―――――――――――――――――――

エホバやアッラーやその他もろもろの神に誓ってやましいことはなかった。だから風呂場の出来事は割愛させてほしい。ひとつ言えることがあるなら、熾烈な交渉の末、前面の洗いっこは回避できた。

風呂から無事に上がり、歯を磨いた後は居間で炬燵に入りながら漫画を読んだり一緒にDVDを見たりしながらごろごろとしていたが、しばらくすると姉さんがふらふらと船を漕ぎ出す。気づけばそろそろ日付が変わる時間帯だ。

「姉さん、眠いの?もう寝る?」

猫耳フード付きのかわいらしいパジャマ(可愛いし似合ってはいるが、狙い過ぎて少しあざとく感じてしまう)を着た姉さんは、眠そうに目もとをこすりながら、今にもそのまま炬燵に突っ伏して寝てしまいそうだ。

「ぅー……、そろそろ限界かも……。おやす、ふぇぁ……zzz」

案の定、腕を枕に座ったまま寝ようとする。が、この時期にそれでは体を冷やしてしまうだろう。

「ほら、炬燵で寝たら風邪ひいちゃうって。布団行こ?」

「んぅ……、卓也ちゃん、だっこ」

「いいから立ってってば、お願いだから……」

このやりとりもいつものこと。俺は姉さんを背負い寝室まで運び布団に寝かせ、肩までしっかり掛け布団をかぶせてあげた。こうなればもう一分としないうちに夢の世界へ旅立つだろう。

それから家中の戸締りと火元と明かりの消し忘れなどをチェック、そして眠りにつく。泥棒も来ないような僻地、戸締りはどちらかといえば野生の獣対策だ。

鍵が開いていればドアから窓から問わず開けて入ってくる。以前に野生のクマーが侵入してきて冷蔵庫の中の食料を無残に漁られた時以来厳重にチェックするようにしている。

ちなみにそのクマーは窓ガラスを破りスタイリッシュに駆け付けた駐在さんの無敵BGM付きガンカタにより瞬く間に殲滅された。食われた食糧より窓ガラスの修理費のが高くついたのは誤算だったが。閑話休題。

一日の終わりは大体こんなもの。俺が先に眠くなった時は姉さんにそこら辺を頼んでから寝ることにしている。当然、俺は自分の足で布団に向かうが。

―――――――――――――――――――

すべてのチェックを終え寝室に戻ると、姉が珍しくまだ起きていた。布団に入ったまま上体を起こし、普段は見せない真剣な顔でこちらを見つめてくる。

「どうしたの姉さん。寒くて眠れない? あ、毛布出したほうが良かった?」

返事は無い。俺の目を見つめながら、姉さんが口を開く。

「…………ねえ、卓也ちゃん。いま、幸せ?」

唐突な質問。どういう意図があるのかわからない。こちらを見つめる瞳は、どこか不安がっている、叱られるのを身を竦めて待つ子供のような、そんな風にも見える。

「当然、幸せだよ。どっちかって言えば、幸せすぎて逆に怖くなってくる。」

これは間違いない本音。都会のど真ん中で自分の体の異常性を知られないようにビクビクしながら暮らすことを考えたら、ここでの生活は夢のようだ。

親から受け継いだ家と田畑、親の遺産だって働かなくてもしばらくはつつましやかに暮らせる程度にはあるし、その遺産にしても俺も姉さんもきちんと働いているから手を付けてはいない。ゆっくり農作をしながらの充実した、最愛の姉との穏やかな暮らし。

この生活に文句をつけられるほど俺は罰あたりな性格はしていない。しいて上げるなら、姉さんが田舎暮らしに不満が無いかということだけだが、最近は自分よりよっぽど適応しているのではないかと思える満喫ぶりを見せてくれている。

「――――――そう、そっか。よかった……。」

そう呟くと、安心したのか後ろに倒れこみ、大きく息を吐く。

「……どうかしたの?本当に変だよ?」

「んーん、なんでもないから心配しないで。―――そだ、心配ならさ、今夜はお姉ちゃんと一緒に寝よ?」

真剣な顔から一転、苦笑しながら首を横に振る姉さん。それから何時もの楽しそうな無邪気な表情に戻り、掛け布団をめくり嬉しそうに手まねきする。

いかに姉弟とはいえ、いくらなんでも無防備すぎるのではなかろうか。それとも、よその家庭の姉弟事情には詳しくないが、仲の好い姉弟ならよくあることなのか。

「……いいけど、そういうことばっかり言ってるとしまいには襲うよ?」

「えへへぇ、卓也ちゃんたら積極的! お姉ちゃん興奮しちゃう♪」

「居間で寝る。おやすみ」

「わ、待って待って、冗談だから~!」

騒がしく夜が更ける。我が家に近所の住人などという人種が存在していたら間違いなくクレームが来たことだろう。結局、俺と姉さんは久しぶりに同じ布団に枕を並べて眠ったのだった―――。

―――――――――――――――――――

ざあざあ ざあざあ ざあざあ ざあざあ

水音が聞こえる。見渡す限りの鉛色は雨雲か。

視界がおかしい、空と雨しか見えていないから、理由は今一つはっきりしない。

どういったわけか、体も動かない。手足は、動かないのか、ないのか。

体のあちこちがだいぶ足りなくなっているのはわかるのに、痛みもなにも感じない。

耳、音がとてもとおくに聞こえ、視界は、どんどんと狭く暗く。そのくせ、匂いだけは嫌味なくらいよくわかる。

雨に打たれ、湿った土と緑の匂い。むせかえるほどの、鉄錆のような匂い。

――――これは夢。多分、とてもむかしに見た夢。ありえない、現実とは違ったお話。

「…………ゃ…!」

「………ち……!…………し…ぇ!」

「た…や………!死…じ…だめ!………ちゃ…!」

「…事…てよぉ!…く…ちゃぁん!」

声が聞こえる。誰の声だったか。頭にもやがかかっていて、うまく思い出せない。

思い出せないのに、これだけはよくわかる。

俺はこの声の人が大好きだ。感情豊かで、やさしくて、あったかくて、俺のために泣いたり笑ったりしてくれる。今も俺のために涙や鼻水で顔をグシャグシャにしてまで泣いている。

でも、そんなに泣かないでほしい。そんなに叫んだら、■さんのきれいな声がしゃがれてしまう。

「だめだめだめ!■■■ちゃんまで死んじゃやだぁ! わ、わたし、どうすれば、―――!」

いや、理由はわからないが、俺が泣かせてしまっているのだろう。どうしたものか……。

「――――ごめんなさい。わたし、今から■■■ちゃんに、すごくひどいことをする。それも、わたしの我儘で」

あやまりたいのは俺の方だ。きっと俺は、俺も知らない理由で、ひどく長い間、■さんの心を傷つけ続けている。重荷を背負わせてしまっている。

「なんでこんな身体にしたって、恨んでくれていい、憎んでくれても。こんなひどいことするんだから、■■■ちゃんになら、なにされたってかまわない。だから、どんな形でもいい―――、」

「わたしと、お姉ちゃんと一緒に生きて。たくやちゃん」

何かを撃ち込まれた鈍い衝撃。体の中を、細胞と細胞の隙間をこじ開け、何かがずるずると這いずりまわり根を張ろうとしている。数秒と待たず、全身に根が張られた。

瞬間、気が狂うのではないかという苦痛と快楽。脳天からつま先までの体の全細胞が、完膚なきまでに死滅し、死滅したはずの細胞がうごめき、そこからまったく新しい何かに生まれ変わる。

体中に張り巡らされた根が細胞を侵し犯し喰らい、侵され犯されながら喰らわれている細胞もまた、張り巡らされた根を侵し犯し喰らう。さながら自らの尾を飲み込む蛇。

終わる。ここで何もかもが終わる。なにもかもが元のままに、しかし何もかもが新しく。始まる。何もかもがここから始まる。

俺という個は死に、無限の俺が生まれる。

新生の歓喜に包まれ、俺の意識は唐突に途切れた。

―――――――――――――――――――

朝、夜明け。

新たな一日の始まり、カーテンの隙間から差し込む光はさわやかに今日の天気を知らせてくれている。しかも隣には姉さんの愛らしい寝顔。朝一で姉さんの顔が見れて、天気も快晴。素晴らしく清々しい朝であるはずだ、本来ならば。

「……………………………………………ひっどい夢、厨二か」

なんという妄想。願望丸出し厨二むき出しの記憶改ざん。しかもそれを夢にまで見るのだから筋金入りだ。うわあああああああもうだめだぁ!

 蒲団から転がり出て頭を抱えてごろごろところがり脚をじたばたさせながら悶絶する。

顔面にオイルを塗って生肉を載せればそのまま焼肉ができるんじゃないかというほどに顔が熱い。間違いなく完熟トマトもかくやという赤い顔になっているだろう。恥ずかし過ぎて悶死してしまう!
 
このまま小さくなって消えてしまいたい。なんでこんな夢に限って起きた後にまで鮮明に覚えているのか。難儀すぎる構造の我が脳みそが恨めしい。

「はあ、はあ、はあ……。――――はぁ」

ひとしきり転がり、一息ついて布団を見る。かなりどたばたと騒がしくしたはずだが、姉さんは今だにすぴすぴと寝息を立てている。

さんざん騒がしくしておいてなんだが起こしたらまずいだろう。俺はそっと寝室から出て、顔を洗うために洗面所へと向かった。

―――――――――――――――――――

――俺と姉さんには両親がいない。俺が小さいころ、まだ小学生になってすぐの頃に事故で死んだ。それからずっと二人暮らし。

当時のことはよく覚えていない。なんでもハイキングの最中に土砂崩れが起き、それに巻き込まれたのが原因だそうだ。

父さんも母さんも大きな岩の下敷きになり、車に轢かれたカエルのようにぺしゃんこになっていたらしい。当然即死。

俺と姉さんは服こそ土に塗れてぼろぼろだったが、奇跡的に無傷。ただ、救助隊に発見された時、両親の死体の脇で気絶している俺にすがりつき、姉さんは泣きながら眠っていたらしい。

遺産がどうの親権がどうの保護者がどうのといった話もあったが、姉が全てどうにかしてしまった。姉さんは当時まだ高校生、普段は少しぽやぽやっとしているが、決めるべきところはしっかり決める辺りは当時から変わらない。

そういえば親戚の人たちから聞いた話だが、姉さんには小さい頃から失踪癖とでもいうようなものがあったそうだ。時折ふらりと居なくなり、数週間から数日で何事も無く帰ってくる。そんなことが頻繁にあったらしい。

それが、事故の後からは帰ってくる度に宝石や芸術品や金塊を持ち帰るようになった。持ち帰ったものは、親戚の中でもその筋に詳しい人に仲介料として何割か渡して現金に換えてもらう。生活費や学費はそこから出ていたのだ。

初めはしつこく追及されていたが、真剣な顔で、「やましいことをしているわけでは無い」と言われ、親戚の人も仲介するだけで結構な金を得られていたためか、何時しかそのことを追及しなくなっていった。

俺も負担を少なくするため中学を卒業したら働こうと言ったが、高校くらいは卒業しておいても損は無いという姉さんの勧めに負け、学費の安く、家から一番近い県立高校に入学。

農業高校でも何でもない普通の高校だったが、少なからず人生経験は積めたと思う。空いた時間でアルバイトもした。高校時代のバイト先には田圃の休耕期などの時に、今でもお世話になっている。閑話休題。

横道にそれすぎて何が言いたいのかいまいちわからなくなってしまったが、本題は冒頭の事故の話。端的に言って、あの事故で俺は怪我ひとつ負わなかった。つまり今朝見た夢のシチュエーションはありえないということだ。

似たような見た夢は昔から何度も繰り返し見ていた。最近はあまり見なくなったが、小学校の頃はそれこそ週に何度も見ていた。

といっても、夢を見ながら考えていることは毎回違ったし、全体的にもっとおぼろげで、前半が無く後半の何かを撃ち込まれてからの感覚だけだったり、姉さんの声がはっきりと聞こえてきたあたりで夢から覚めるというパターンがほとんど、鮮明な完全版は事故の直後の最初と今回を含め片手で数えるほどしか見ていない。

完全版の夢の中で起こったことや夢の中の姉さんの発言から考えるに、事故で死にかけていた俺に姉さんが何かしら施して改造人間的なものになったとかそんな展開なんだろう。

それなら事故からしばらくして謎の怪人に襲われてピンチになって秘められた能力覚醒とかそんな展開になれば完璧だ。まさしく『ぼくがかんがえたちょうかっこいいへんしんひーろー』だ。

大怪我の治療のための改造手術は伝統だろう。『姉貴にもらったダイナモがある!(キリッ)』とかやるのも間違いなし。敵基地から盗み出した改造人間の設計図流用でも可。

両親の死という痛ましい事故からすらこんなヒーロー願望丸出しな妄想を夢に見る自分は人としてどうかと思うが、見たくなくても見てしまうのだから仕方ない。

―――――――――――――――――――

顔を洗うだけのつもりがついついシャワーまで浴びてしまった。歯も磨いたが、ご飯の前に歯を磨くと歯磨き粉の味が口に残っている気がしていけない。しかし食後に磨くと食後の幸せな余韻が消されてしまう。

難しい問題だ。寝る前に歯を磨いているのだから食後に歯を磨くのが一番なのだろうが、寝起きに歯を磨かず朝ごはんというのもなにか口に違和感を感じる。

「それにしても、ヒーロー願望ねぇ……」

しかもヒロインは姉、俺にはご褒美だが、近親とかヒーローものとしてはちょっと奇抜かもしれない。Sneg(それなんてエロゲ)?とか思ったが、「妹とセッ」な天の道を行くカブトムシヒーローが居たか。

でも個人的にはガタックの方が好きだ。初変身のエピソード、『君にどうしても見せたかった……』で泣いた人も多いだろう。『甘いな、相変わらず』というが、その甘さこそがかがみんがかがみんたる証である。

証であって明石ではない。かがみんは『アタック!(ペチンッ!)』とかしない!しかし坊ちゃまとバラ風呂には入る。意外と総合的なハザードレベルは似たり寄ったりかもしれない。

……朝っぱらからペチンだの薔薇だの、不健全にも程がある。新聞を取りに行くついでに外の空気でも吸ってリフレッシュしてこよう。

―――――――――――――――――――

「ぅー……、おはよう、卓也ちゃん。卓也ちゃんは毎朝早いわねぇ……」

洗面所から出ると姉さんが眠そうに声をかけてきた。どうやら俺がシャワーをあびているうちに起きてきたようだ。まだ目をしょぼしょぼさせている。

「おはよう姉さん。……もしかして、起こしちゃった?」

「んー……、気にしないでいいわよ。普段が遅すぎるくらいなんだし」

どうやら起こしてしまったのは間違いないらしい。謝ろうかとも思ったが、確かに普段通り眠っていたら寝過ぎでもあるので口をつぐむ。

姉さんは基本的に一日10~12時間は眠る。しかもやることが無い日はさらに昼間に3~4時間昼寝する。多少は反省を促すべきか……。

「眠りたくて眠っているんじゃないんだけどなぁ……。く、ぁ~……」

言いながらも豪快に伸びをしながら大きくあくびをする。

病気の類ではなく、身体的な特徴というか、自分でもどうしようもない設定上の弱点、らしい。なんのことやらわからない。設定上の弱点などというが、姉さんには障害も無い。

しいて分類すると、「最低系主人公にありがちな、酷過ぎる最強設定のプラス要素をごまかすために設定された、欠点にもならないようなくだらなく曖昧な条件の欠点」だそうだ。

おかしな例えだが的を得ている。確かに姉さんは寝付きも良く、邪魔されなければ寝続けるが、起きていようとすれば二日程度なら徹夜できないでも無い。

寝不足で日常生活でのボケが増えたりもするが、それにしたって一般的な寝不足時の作業効率の低下とほとんど差は無い。はんぺんとナプキンを間違えるとかその程度のボケしかやらないし。
 
「じゃあ早起きすればいいじゃないか、目覚まし時計とか買うのがいいと思う」

「それなら携帯のアラームでも足りるわよ……。どうせなら卓也ちゃんにやさしく起こしてもらうのがいいなぁ……なーんて♪」

「ごめん無理」

幸せそうな顔で眠る姉さんを無理やり覚醒させられるほど、俺は鬼になれない。軽口を叩きながら俺と入れ替わりに洗面所に入っていった姉さんに苦笑し、玄関の外に向かった。

―――――――――――――――――――

家の前のポストの中から新聞を取り出す。郵便物は無いが、なにやら詰め過ぎてでこぼこに張ったビニール袋がむりやり押し込められている。袋にはマジックでデカデカと『おすそわけ』の文字。

新聞配達の人がおまけでジャガイモを置いて行ってくれたようだ。おそらく配達員さんの家の畑で採れたものだろう。

新聞配達の千歳・アルベルトさん。たしか母親がドイツ人で父親が日本人のハーフ。姉さんが昔あそこのおばさんからジャガイモ料理のレシピを教わっていた気がする。

彼女はジャガイモ料理が好きではなく、家の倉庫に積まれたジャガイモの山を見てはげんなりし、度々こうしてしばらく家で使われる予定だったのであろうジャガイモをよそに押し付けていく。

しかし理由はどうあれ、市街のスーパーで買えば新聞よりも高くつきそうな量のこのジャガイモはありがたい。今日の夕飯はコロッケにでもして貰おう。パン粉は余っていたかな?無ければジャガイモと大根の味噌汁というのもありか。

外の空気を吸い、新聞とジャガイモ片手に家に戻る。朝食まで時間もあるし、着替えて畑にでも行くかと考えながら玄関を開け、姉さんがテレビをみているだろう居間に向かう。

「姉さーん!チトセさんがまたジャガイモおいてってくれたんだけど、これ、どこ、に……?」

ジャガイモと新聞が手からこぼれ落ちる。理解の範疇を超えた光景に、思考が一瞬フリーズした。

居間へのふすまを開けると、姉さんが、どう表現すべきか、形容しがたい、そう、なんというか、魔女っ子っぽい服で、可愛らしい杖のようなものを振りおろし、こちらを見てウインクと決めポーズを保持したまま固まっていた――――。

―――――――――――――――――――

「え、うそ、なんで、あれぇ?」

姉は振り下ろしていた杖を胸もとに抱えこみながら、目を白黒させて慌てている。確かにその歳でそんな恰好で魔女っ子ごっこをしていることを知られた側の反応としては間違いではない。その場で自害してもおかしくないレベルの暴露だろう。

「ちょ、ちょっとまって卓也ちゃん、卓也ちゃんはなにか誤解してると思うの。話あいましょ?ね、ね?」

どういう誤解があるのか、どのような理由があればあの服が恥ずかしくなくなるのか、疑問は絶えないが、話し合う前にまともな服に着替えるべきだと思う。

姉さんの衣装をもう一度見る。じっくり見ると魔女っ子というよりは魔女見習い服といった風情か。となるとこの現状にいたるまでに、あのリズミカルかつ成人してかなり経過した女性がやるのは少しハードな羞恥プレイになりかねない変身シーンもやってみたのか。

そういえば最近有名なアニメのその後を描いたマンガで25歳のリリカルな魔法少女が誕生したらしいが、リスペクトしているんだろうか。杖は全体的には可愛らしいデザインでありながら所々に機械的な意匠が見える。

しかも、よくよく見れば杖の中には朝八時半の魔女見習いに必須の魔法玉が無いのでポロンでは無いのだろう。衣装にもタップがついていない。全体的に衣装の雰囲気も異なる。さらには服の要所要所に魔法陣のような模様、これはまさか――

「自分で設定考えたオリジナルの魔女っ子衣装とか、姉さんも大概ディープだよね……。でも似合ってる!うん、似合ってるから大丈夫!大丈夫だから早まった真似はしないでくれよ?落ち着いてこっちに投降するんだ」

「違うわよ!どーゆう方向に誤解してるの!?卓也ちゃんの中でお姉ちゃんはいったいどーゆうキャラになってるのよぉ~!?」

杖を畳にたたきつける姉さん。AAにしたら頭から蒸気を吹き出しポッポー!とかなっているだろう。だいぶお怒りのようだ。そのまま頭を抱えてうずくまってしまった。しゃがみガードだろうか。見えた、白。

「――って、そうじゃなくて、卓也ちゃん!逃げて!」

姉さんが酷く焦った声でこちらに叫んだ。

瞬間、居間が、いや、空間が歪む。次第に大きくなる歪みとともに軋むような音。家鳴りではない、そんな程度の規模の音では断じてない。

世界そのものが軋んでいるのだ。空間のみに及ばない、あらゆる常識を打ち破りねじ伏せ踏みにじる超常の力、世界が侵食される。捻じ曲げられた世界の法則が歪みに耐えきれずへし折れ崩れ去る。

思わずそんな想像をしてしまうほどの異常事態。いや、なにが起きているかなんてどうでもいい、今は――――

「姉さん!」

とっさに姉さんに対して手を伸ばす、しかし、あと少しで届くか、というところで、俺の意識は唐突に断絶した。

―――――――――――――――――――

……

…………

……………………

目を開ける、鬱蒼とした木々の中。少なくとも居間では無いだろう。どんなSFかファンタジーか、居間からここに飛ばされてしまったようだ。時間もだいぶ経過したのか、辺りは真っ暗だ。

「――ここは、御山か?」

口にするが、多分違う。それはそうだろう、あそこまで派手な異常事態が起こったにも関わらず飛んだ先が近所の山だった、なんて間抜けがすぎる。

もちろん理由はそれだけではない、森の緑が少ない。適当にうろついていれば五分に一回はシシガミ様に出会ってしまいそうな故郷の御山の森に比べればあまりにも、そう、失礼な言い方だが、普通だ。

あまりにもあらゆる要素が平均的な『絵に描いたような森』。いや、森というより林か?意味も無く白馬の王子様でも通りがかりそうなイメージである。

とはいえそれに対する不満は無い。姉さんが近くに居ないのだから、さっさとこの森をぬけ出して近くの人里にでて捜索隊を出して貰わなければならないし、近くに人里が無ければ森に戻って自力で姉さんを探さなければならないのだから、攻略が簡単な地形であるに越したことはない。

と、ここまで考えたところで、やや木が薄くなっている方向が明るいことに気づいた。早々に民家を発見できるかもしれない。急ぎ足で明かりの方に向かい、森を出ることにしよう。

―――――――――――――――――――

「か、火事?くそ、タイミング最悪じゃないか……」

迷うこともなくあっさり森を出る。位置的にはそれなりの大きさの山の中腹、しかし明かりは民家の明かりではなく、数キロ先で起こっている火事のものだったようだ。

天を照らすほどの大火災、これでは電話を借りるどころの騒ぎでは無いだろう。

麓にぽつぽつと建っているいくつかの洋風の民家、炎に焼かれていなければ世界名作劇場のようだと思えたかもしれないが、今では焼け落ち砕け、遠目にでもわかる無残な姿。

無視して姉さんを探しに行くか? いや、姉さんが俺と同じくあの火災を見たのなら、火を消しに集落に向かったかもしれない。

まだ森にいるにしても、森が炎で焼かれたらただでは済まない。集落の火消しの手伝いをするしかないか? もう一度麓を見る。遠い……。

遠すぎて豆粒のようにしか見えないが、消火活動をしているような人影は見当たらない。いや、人影はあるが、なぜかどの人影も動かず、石のようにじっと固まっている。

「?……な、なんだぁ、ありゃあ……」

いやそれだけじゃない、人とも獣ともつかない異形の群れ。建物との対比から推測するに、小さなものでも人間並み、大きなものでは四階建てのビルほどもある奇怪な影が、何かを探すように集落を練り歩いている。どこのロープレのオープニングシーンだ……。

「ヨウ、ヘンナカッコウノニーチャン。ナンカ、サガシモンカイ?」

麓の集落の惨状を眺めながら呆然としていると、後ろから不意の声。異国語のようでいながら、なぜか意味ははっきりと理解できる。耳障りな声、奇怪な言語での問いかけ。

「この村の人間ではあるまい。余所者だろう」

そのあとを引き継ぐ渋い声の流暢な日本語。聞きなれた言語だが、この状況では嫌な予感しかしない。しかし振り返らないのはもっと不味いだろう。恐る恐る、振り返る。

「リョコウシャカナンカシランガ、ズイブントマガワルイヤツダァ」

「その衣服に顔立ち、同郷か。しかし、このような異国の地にまで喚ばれたかと思えば、最初の獲物が同郷の者とはな。」

背後に立つ、予想通りの存在。あの集落に居る連中と同じ、異形。

「ワリィナァニーチャン、モクゲキシャハケサナキャナンネェ。ツッテモホントナラ、アノムラノレンチュウミテェニ、イシニスルンデモカマイヤシネェンダガヨゥ」

大人の胴周りほどもありそうな太い指で頬を掻く、身の丈四メートルはある筋骨隆々の肉体、ねじれた角の生えた頭を持つ悪魔に、

「生憎だが、我らは共に、石化の術を使えぬ。――せめて苦しまぬよう、一瞬で済ませてやろう」

腰の刀を抜き、こちらに歩み寄ってくる、修験者の服装をした、烏頭の男。

「な、え、あ、ちょ、待った。え?」

展開が急すぎる。頭も舌もうまく回らない。ここはどこ? この状況は何? こいつらは何者?

「アーア、コイツ、ワケワカンネェッテツラシテルゼ」

「ふむ、我らを前にして氣も魔力も纏わぬところを見るに、こちらの知識の無い『表』の者だろう。運の無いことよ」

こいつらは、いったい何を――――

「では、動くなよ? 長く苦しんでも良いことはあるまい」

――――咄嗟に、腕を盾にし後ろに跳ぶ。

「――――――――――ッッッッッッッッ!!!!!」

目の前には刀を振りぬいた烏頭の男、左腕は骨の半ばまで切断されたが、辛うじてつながっている。右腕は、

「……ほぅ、首を落とすつもりが、落ちたのは腕のみ、か。運が良いのか勘が良いのか」

右腕は、肘から先、半ばで消失している。肉塊が土の地面に落ちる鈍い音が響く。それに一瞬遅れ、切断面からどっと赤い血が溢れ出す。

痛い痛い痛い痛い痛い痛い、痛い!左腕の傷が、右腕の切断面が焼けるように熱い!

「オォー!ホンキジャネェトハイエ、コイツガシトメソコナウターナ、イッパンジンニシチャ、ヤルジャネエカ、ニーチャン!」

「やれやれ、抵抗は無意味だと言うに。もっとも、その傷ではどちらにせよ長くは持つま――、んん?」

焼けつくように痛い。しかし、これだけ血が出ているのに、それ以外には何一つ問題ない。見せかけだけの、擬態としての出血。

のたうち回るほどではなく、しかし呆け続けることはできない程度の激痛。恐らく、混乱していた意識を元に戻す為に最適まで調節された痛み。

この痛みおかげで、冷静になってきた。俺なら、この体なら、こんな傷は致命傷にならない。左腕の傷はもう『直った』し、切断面からの血も『止めた』そして――

「これで、仕切り直し」

切り落とされた右腕と、本体側の切断面の双方から生える灰色の『触手』が絡まりあい、見る間に元通りの姿に復元されていく。

言い訳が聞かないほどの化け物ぶり。この状況になってまで人間の機能を模倣する必要も無いということか。

いや、元からいまいち模倣しきれていなかったが、自重が無くなったのだろう。擬態する上で必要だった機能の制限が、かなりの割合で解除されている。

疲れを知らぬ無限の持久力、岩をも砕く怪力、弾丸を避ける超感覚、いかなる傷をもものともしない再生能力。超人か怪物か、それが今の俺。

――そして、それらの事実を知っても、冷静に対処できる。そういった感情まで、脳の機能まで制御されているのか。

だが今はありがたい。何はともあれ現状を切り抜けなければならないのだから混乱している暇は無い。

「ナンダァ、コイツ……。ニーチャン、アンタ、ニンゲンカトオモッテタガ、オレラノオナカマカ?」

「魔力も氣も使わずにその回復、浅ましい外道妖怪でもそこまではできまい。――お主、何者だ?」

「日本生まれの日本育ちの一農民。人間かどうかは、あんまり自信無いけどね……」

軽口を叩く余裕すらある。ここにきて、自分がどんな身体をしているかってのもなんとなくだが理解できた。人間かどうか、間違いなく肉体的には人間では無い。

「でもね、そんな細かいことはどうでもいいんですよ。……そこをどいてくれ。あんたらに構ってる暇は無いんだ」

そう、俺が人間かどうかなんて後で悩めばいい、そんなことより姉さんだ。ここら一帯が化け物で溢れ返っているなら、姉さんも危ない。急いで探しにいかなければ。

「ソーユゥワケニモイカネエヨ、バケモンノニーチャン」

「左様、人であれ妖物であれ、目撃者は残らず始末するという契約だ。通す訳にはいかん」

言いながら、拳を、刀を構える異形二人。

「そうか、なら――」

こちらも構える。武道の経験は無い。だが、この身体ならやれる、性能を引き出せれば勝ちにも行ける。そんな確信がある。いや、勝たねばならない。

背を向けて逃げる訳にはいかない、擬態を解除し、一切疲労せずに一日中でも全力疾走できる今の俺でも、あの天狗っぽい烏頭は振り切れないだろう。

姉さんが無事でいても、こんな連中を連れて行っては意味が無い。後顧の憂いはここで断ち切る。

まだ完全に身体について理解した訳では無いが、再生も追い付かないような致命傷を貰わなければ負けは無い。あとは、こいつらを殺し切れる火力の武装が都合よく搭載されていればいいのだが……。

「――力ずくで、押し通る!」






次回に続く

―――――――――――――――――――

あとがき

原作知識持ちオリ主多重クロス、詳しく一息で言えば「デビガンとかアプトムとかバーサーカーボディとかARMSの設定を混ぜ合わせたインチキ臭いゲテモノボディに改造されたシスコンチートインチキオリ主が大暴れしたりコソコソしながら複数の作品世界で淡々とメカやら怪人やら取り込んで自らを強化しつつ観光したりお土産買って元の世界に帰ってブラコンスーパーチート盗賊姉とまったりしたりする話」始まります。

ヤマ場も落ちも意味も無い感じの作品となりますのでご注意を。

あと、処女作です。つまりこの作品で処女喪失で膜ぶち抜きーの血がでまくりーの。

こんな見返して恥ずかしくなるようなゲテモノで処女喪失とか好きモンだなてめえグへへとか言われそうですが、

膜破られたらイタいのは当たり前なのと同じレベルで処女作読み返してイタタとなるのは当然らしいですから思い切って書きたいものはすべて詰め込んでみます。

詰め込みすぎてヒギィぼごぉとかなっても一応完結はさせます。続き書きたくなったら日常パート挿んで事件起こしてそれを主人公がどうこうする的に張り合わせていきます。

流れとして、基本一つの世界は1~3話で終わらせる→いったん元の世界に帰還して終了→次の世界に向かう理由とか説明する日常パート→異世界に、みたいな。

作品を読んでみての感想、諸々の誤字脱字の指摘、この文分かりづらいからこうしたらいいよ、一行は何文字くらいで改行したほうがいいよ、みたいなアドバイス待ってます。



[14434] 第二話「異世界と魔法使い」
Name: ここち◆92520f4f ID:1ec0d858
Date: 2009/12/07 01:05
白刃が煌めき、鋭い斬撃が幾度となく迫る。常の俺ならば反応出来ずに真っ二つにされているだろう超高速の斬撃。絶え間なく襲いかかってくるそれを避け、拳で逸らし、捌く。ひたすらに捌き続ける。

斬撃、回避、斬撃、回避、斬撃、回避、斬撃、回避、刺突、回、掠った、というより抉れた。首筋、常人なら動脈が切り裂かれて致命傷。常人ならば、の話だが。

「――なるほど、これは厄介よな」

血は出ない。当然だ、扱い慣れた形ということでヒト型を保持しているが中身は別物、そんな分かり易い急所は今のこの身体には存在しない。すでに斬られた跡も無い、再生速度も絶好調。

一歩動く度、敵の攻撃を眼で追う度、避けきれない斬撃をいなす度、この身体への理解が深まる。圧倒的な性能が自信になる。自信が過信に繋がっても負けないだけの性能がある。動きは大胆かつ精密になっていく。

小細工は要らない、というか無駄。こちらが相手に勝っているのは純粋な肉体の性能のみ、戦闘経験で圧倒的に劣るこちらの小細工は通用しない。

単純に回避と防御と攻撃を繰り返すのみ、それがベストな選択だが、攻勢に出れない。回避に専念し続けている。

「そらそら、避けてばかりではここは通れぬぞ!」

言われなくても分かってる!という言葉は呑み込む。声に出す余裕もあまりも無い。それに、最初から回避ばかりしているわけではない。

――通らないのだ、攻撃が。

こちらの攻撃も決して軽い訳ではない。だが、烏頭の斬撃を避けながらでは力の溜めにも限界がある。そして軽い攻撃は刀でいなされ逸らされてしまう。

かといって力を溜めた一撃を放とうと回避の動きを緩めたり距離をとったりすれば――

「ソォラ、ボヤットシテルトツブレチマウゼェッ!!」

迫る横薙ぎの一撃、鉄塊のような悪魔の剛腕、咄嗟のガードも意味を成さない。防御の姿勢のまま吹き飛ばされ、全身の骨が砕け散る。

空中を吹き飛んでいる間に全身の骨格を素早く再生、着地を狙って斬りかかる烏頭の顔面を蹴り、後ろに大きく跳躍。

烏頭にダメージ無し、俺にもダメージ無し、悪魔は言わずもがな。立ち位置は俺と烏頭が向かい合い、烏頭の後ろに悪魔。

「ふむ、千日手というものか。どうした?押し通るのでは無かったのか?」

「イヤ、ケッタイナカラダシテンナァ。コンナナンベンモカラダヲクダイタノハ、ニーチャンガハジメテダゼ」

近距離で烏頭の攻撃を避け続け、こちらの軽い攻撃は無効、俺と烏頭との間が空けば悪魔が拳で潰しに掛かり、吹き飛ばされた俺を烏頭が追撃、それを回避して振り出しに戻る。さっきからその繰り返し。

――なにが「勝ちにも行ける」だ!「負けはない」だけじゃ意味がないだろうが!

などと激昂しても意味は無い。この身体も大概インチキだが、怒って新機能が追加されるほど融通は利かないのだ。

切っ掛けが要る。恐らく、制限・封印されていた機能を使うには何らかの切っ掛けが必要なのだ。眠っている機能を呼び起こす強烈なショックが。

腕を切断されるという日常では起こりえないダメージにより、再生能力の制限が解除されたように、戦う為の力が、攻撃力が必要だと思わせるようななにかが必要。

怪力も超感覚も持久力も戦う為の機能ではない。この機能で戦えない訳ではないが、これらは現時点の危機的状況から逃げ出す為に解放されたもの、こんな怪物達と戦うには何もかもが不足すぎる。

攻撃の為の機能は間違いなく存在する。だが、機能が解放されない限りはどんなものかもどのような切っ掛けが必要なのかも分からない。

と、烏頭と悪魔の雰囲気が変わる。どこか楽しんでいる雰囲気が消え、辺りに張りつめた空気が漂う。

「……ふむ、刻限が迫ってきた。悪いが、次の一撃で極めさせて貰う――!」

「アンマジカンクウト、ホンライノケイヤクガハタセネェカラナ。ワルクオモウナヨ?」

動きを止め、構える烏頭と悪魔。距離がある、動きも無い。絶好の機会に見えるが、今ここで突っ込んではいけないという予感がする。

全力で殴りかかったとしてもこちらの今の攻撃力では一撃では倒しきれない。備えなければならない、最悪のピンチを最高のチャンスに変える為に。

烏頭が刀を振りかぶる。手にした刀がバチバチと帯電を始め、白刃に眩い稲妻が纏わりつく。刀の間合いからは離れているが、距離を無視できる技か。

「いざ――」

悪魔が両拳を撃ち合わせる。激しく撃ち合された拳の間から炎が溢れ、両の腕を紅蓮の炎が覆い尽くす。こちらも同じく遠い。しかし、なんとなく何をやるか分かった気がする。

「コイツヲクラッテ――」

そして俺は、防御の体勢――

いや、『攻めの体勢』を取る。これが反撃のタイミング、刺し違えることにはならない、こいつらの武器が纏うものを見て確信した。勝つ、勝てる。

「雷光の剣を受けよ!」

「ケシズミニナリナァッ!!」

――文字通りの必殺技。極大規模の雷が、超高温の炎弾が俺の身体を襲う。全身の神経を焼き切らんとする雷撃、再生の時間を与えぬまま灰にせんとする超熱量。

「――やったか?」

「イヤ、ヨウスガオカシイ。ナァンカ、イヤナヨカンガスルゼ……」

これがいい、とてもいい、かなりいい、すごくいい、すばらしい!

御誂え向きの攻撃、全身を駆け巡る雷が眠っていた機能を呼び起こす。身を焼く炎は攻撃力のイメージを強烈に喚起させる!

これが、これが!これが俺の!攻撃のイメージ!!!

―――――――――――――――――――

「ヤベェ!ヨケロアイボウ!!」

遅い無駄手遅れ。もう懐に潜り込んだ。この距離なら悪魔は手出しできない。

「――ぬぅうっ!」

回避が間に合わず逸らし切れないとみるや刀で防御の構えを取る。先ほどまでなら防御に専念されたらこちらには打つ手も無かっただろう。

しかし前は前で今は今、その防御はもはや意味をなさない。構えられた刀に対し鉤爪のように折り曲げた指先を叩きつける。指先から迸る新たに発現した力。

受け止めた烏頭の刀は、ジュッ、という音と共に一瞬にして刀身半ばから『焼き切られる』

そしてがら空きになった烏頭の顔面をもう片方の手で鷲掴み、頭蓋ごと脳を『蒸発させる』

断末魔の声を上げる暇もなく絶命し、力無くその場に崩れる烏頭の死体。まずは一体。

「テメェ……、ソンナカクシダマモッテヤガッタノカ」

「いや、今思い出した。ギリギリだ、ギリギリ。あんたらの必殺技が無ければ出せなかった」

指先から突き出る光の爪、その正体は雷と炎の与える今までにないショックにより発現した『プラズマ発生装置』により指先から噴出するプラズマジェット。

プラズマクローとでも名付けるか。見た目的にはまんまガリィのあれだが、機甲術は使えないのでザパン寄りか?しかし残念ながらプラズマ火球を飛ばせるほど器用では無い。

烏頭も肉体を何らかの方法で強化していたようだが、防御にはあまり力を入れていなかったのか、なんの抵抗の無くぶち抜けた。

いや、防御を重視した強化であってもそうそう防げはしないだろう。数万度の超高温プラズマの奔流だ。耐えられる生き物の方が珍しい。

仮にこいつらが古式ゆかしい妖怪変化の類でなく、イマジノスボディの怪物だったなんて超展開が起こったとしても問題なく焼き切り溶かすことが出来る。

「さぁ、どいてくれ。烏頭が居ない今、鈍重なあんたは大きいだけの的。見逃して俺を行かせてくれるなら殺す必要も無い」

残った大柄な悪魔に言う。聞きとり難い喋りをする奴だが、ここで意地を張るほど非合理な考え方をするタイプではないだろう。

というより、そうしてくれた方がありがたい。こちらの手札は割れている、倒せない相手では無いが時間がかかるかもしれない。時間をかければそれだけ姉さんを見つけるのが遅くなってしまう。

「ソノヒツヨウハネェナ。テメェハココデオシマイダ」

その悪魔の一言と共に、虚空から新たな異形が湧き出る。巨大なもの小さいものヒト型のものそうでないもの、ゾロゾロと霞の如く湧き出し続け、辺り一面を覆い尽くすほど。援軍か。

「アイボウガヤラレタナァオドロイタガ、コンダケノカズヲアイテニシタラ、ドウカナ?」

――これはまずいか?いやいや、冷静に数えてみればせいぜいが50か60そこら、やってやれない数じゃない。そう自分に言い聞かせ、萎えそうな心をそう奮い立たせる。

やれなくてもやるしかない。ここを切り抜けて姉さんを探す、その為の障害物が増えただけ。なんとしても片付ける!

指先だけでなく手のひら、肘、膝、つま先、踵からもプラズマを出せるように体を組み替え、今出せる最大攻撃力の手数を増やす。低く深く身体を沈め、獲物に跳びかかる直前の獣のような体勢をとる。

こちらが構えるのを見た悪魔が仲間に目配せ、それに合わせ一気に仕留めるべくこちらを取り囲む異形の群れ。

一触即発、こちらもあちらも動こうとした、その瞬間。

麓の集落から放たれた極太の破壊光線により、俺達はまとめて吹き飛ばされた――。

―――――――――――――――――――

自分のピンチに、父親は必ず助けに来てくれる。そう信じながら幼い少年は日々を過ごしていた。

そんなある日、村は悪魔の群れに襲われる。村にはそれなりに腕の立つ魔法使いが多く居たが、どこからか召喚された悪魔達はそんな魔法使い達の魔法をものともせず、次々と村人を石に変えていく。

――ぼくのせいだ、ぼくがピンチになれば、お父さんが帰ってくるなんて思ったから――!

「とか、そんなこと考えてそうな顔してるわねぇ」

目の前には女性と老人の石像の前で泣きながら初心者用の魔法の杖を構えて、必死にこっちを威嚇している幼児。

「杖を向けるのはいいけど、うざったいから泣きやみなさい。目障りだわ」

この現状、周りの状況から考えるに『ネギま』の世界。この状況には何度も出くわしたから確実。

うろ覚えだけど、この石像になったお爺さんと女性が悪魔からネギを庇い石化、次に現れた悪魔にネギが潰されそうになり、颯爽と最強キャラであるナギが登場!という場面なんでしょう。本来なら。

でも、未だにナギ・スプリングフィールドは現れていない。原作の世界ではナギに拳を片手で受け止められて瞬殺される運命にある悪魔は、すでに私の後ろで寸刻みの細切れ肉になっている。

距離が近すぎたのか、処分する過程で少し盛大に血を浴びてしまった。よくよく考えれば眼前のネギ少年が異常に怯えているのは私が血まみれなせいかもしれない。どうでもいいことだが。

――いらいらする。こんな十把一絡げのイベントに関わっている暇があるなら、今すぐにでも卓也ちゃんを探しに行くべきなのに――!

だけど、そうもいかない。これはお仕事、今後も卓也ちゃんと私が暮らしていくために必要である以上、責任は放棄できない。

たぶんここは『ナギが間に合わずにネギが悪魔に殺されてしまう世界』だ。

どれほど遅れてやってくるのかわからない、しかし、無事にネギ少年をナギに引き渡すまではここを離れられない。

私もこうしてただネギ少年と向き合っている訳ではない。睨みをきかせて余計な事をしないようにしているだけに見えるかもしれないが、ここら一帯の悪魔の掃討もついでにやっている。

すでに半径200メートルほどの範囲に生きている悪魔は存在しない。新たに現れた悪魔もすべて、原型を留めないほどに切り刻まれ潰されねじ切られ焼かれ腐り弾けて死んでいく。

どのような技で悪魔どもを処分したか、と聞かれてもいまいちわからない。体が覚えている技を片手間に放っているだけなのだから、いちいちどの技を使ったかなんて考えたりはしない。

鋼糸やら単分子ワイヤーやらピアノ線やらで、範囲内の人間以外の動くものを片っ端から切り刻んではいるが、それが死神執事からコピーしたものか元天剣からコピーしたものか不気味な泡からコピーしたものかは考えていない。

合間合間で範囲魔法も撃ってはいるが、ディスガイア系かサモナイ系かDQ系かFF系かリリカル系かそれ以外のものか実は魔法ではない何かも撃っている気がするが、やはりいちいち考えていない。

何十何百何千という異世界の技の細かい違いなど覚えていない。そんなことをいちいち気にするのは精々トリップした世界が十数種類までの初心者だけだ。

数を重ねるごとにそんな誤差みたいな違いは気にならなくなる。魔力というエネルギーを効率的に運用するための技術云々だろうがアカレコに至る為の云々だろうが大気中のナノマシンに働きかけて云々だろうが関係ない。

適当にぶっ放して敵をまとめて吹き飛ばす。人質を避けて敵だけ叩き潰す。魔法やそれに準ずる技と相性がいいから使っているだけで、なんならバズーカでも狙撃銃でもなんでもいい。

――そう、私こと『鳴無 句刻』は多重トリッパーだ。それも最強系と呼ばれるカテゴリに分けられるタイプの。

小さいころから一方的に異世界に召喚されてはチート能力を与えられ、戦いながらその世界で日々を過ごし、またある日元の世界に送還される。そんな日々を過ごしていた。

召喚された先の世界には何かしらの不備があり、それをなんとか修正して辻褄を合せるのが、私が異世界トリップする理由らしい。もちろん報酬はある。

この修正が上手くいけば送還までのロスタイムでその世界ではやりたい放題だ。送還への時間もそれなりに融通が効く。

まだイベントの発生していないダンジョンなり何なりに潜って本筋には関係ないお宝は奪い放題。お家にお金を入れることができるし、他にもいくつかの特典が付く。

話がそれた、つまりなにが言いたいかというと、この世界では私はどのような役目を負っているかということ。

いつものパターンなら適当に時間をナギがくるまで時間を稼いでおくというのが通例なのだけど、遅すぎる。

これだけ時間を稼いでもナギが来ないということは、時間を稼ぐだけでなく、更に悪魔を殺し尽くしてネギ少年を安全な場所まで運ばなければいけないのかもしれない……。

「――あんた、何者だ?」

考え事をしている間にようやく主人公の父親が現れた。遅れて来た割には無駄に偉そうな聞き方。いや、少年誌の主人公タイプの人間なんてこんなものね。血迷って攻撃してこないだけまだマシかも。

まぁ、こちらにも誤解される要因は無いではないし仕方ない。血まみれで過剰装飾気味な仕事着(全体的に尖ったデザインの魔法少女服)で、しかも自分の子が杖を向けている。

それでも攻撃してこないのは、私の魔法や糸がここら一帯の悪魔を処理し続け、なおかつネギ少年や周りの石像まで壊れないように見てあげていることに気付いたからこそでしょう。

「あら、私がいなければ今頃この子、ペシャンコの潰れたトマトみたいになっていたのよ?遅れて来た分際でありがとうの一つも言えないなんて、礼儀がなっていないのね」

言いながらもワイヤーを回収して立ち去る準備をする。早く卓也ちゃんを探しに行かないと。

「あ、あぁ悪ぃ。ってどこ行くんだよアンタは!」

「あなたが来たなら私がこの子を守る必要は無いわ。私は私で探さないといけない人が居るのよ」

それだけ言い残し返事も聞かずにその場を飛び去る。卓也ちゃんの反応は山の中腹、卓也ちゃんの体のことを考えれば死ぬ心配だけは無いけれど、万が一を考えて急いだ方がいいかもしれない。

飛びながら考えていると、ネギとナギの周辺に大量の悪魔が再び現れる。しかし腐っても原作最強キャラが居るのだ。なんの心配も無い。

ほら、今も原作のワンシーンを再現するかの如く、悪魔の拳を遮り、超威力の砲撃っぽい魔法、を……?

「卓也ちゃん!!」

馬鹿が放った魔法は悪魔を消滅させ、そのままの勢いで山に直撃した。よりにもよって卓也ちゃんのいる辺りを巻き込んで、だ。

万が一の可能性が見事に的中してしまったかもしれない、私は飛行魔法の速度を上げ、高速で魔法の着弾地点に向かった。

―――――――――――――――――――

――これは、流石に死んだか?

謎の破壊光線に巻き込まれ、周りの悪魔も全員死んでいるのか瀕死なのかもわからないレベルにまでダメージを負ったようだ。

俺も、腕が切断されたとかそんな生易しいレベルのダメージではない。とっさに飛び退いて回避しようと抵抗したが無駄だった。

脚は無い、というより下半身が存在しない、では内臓がはみ出ているのか? 残念なことに内臓も無い、辛うじて肺が少しだけ残っているかいないか。

そう、胸から下はほぼ消滅してしまった。心臓も無いというのに動いていられるのは不思議だが、それも長続きはしないだろう。

再生するにもパーツが足りない。これで生命?を維持できるかとなると流石に望み薄だろう、年貢の納め時か。最後は姉さんの膝枕が良かったなぁ……。

だんだん目も霞んできた、あぁそうだ、姉さんの安否も確かめられないまま、というのが無念だ。せめて一目でも姉さんの無事を確認したかった。

だめだ、もう、いしきが、うすれて……、

じぶんが消えていく、くらい、くらい場所にしずみこんで、ばらばらに崩れていく。

これが――死か――

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

どこだ、ここは。

死んだのなら、天国か地獄か。


ぞる、ぞる、ぞる、ぞる

              みち、みち、みち、みち

                 ごきん、ぼり、ぐし、がしゅ

                         ぶち、ごり、ずりゅ、ぐぢ

ぎち、ぎち、ぎち、ぎち


ひどい音だ、地獄かもしれない。今まで正直にそしてそれなりに誠実に生きてきたつもりだが、死に際に正真正銘の化け物になんかなるから、死後は地獄で働かされるのかもしれない。

いや、地獄で責め苦を味あわされるよりは責め苦を与える方がマシか。さぁ、今日も朝から血の池地獄をひたすらかき混ぜ続けるだけの仕事が始まる……。

そうなると上司は閻魔様か。某ヤマザナドゥみたいに可愛らしければ働く意欲も増すのだがどうだろうか。とりあえず最低限「シャクを奪われて仕事ができん!」 みたいな粗忽者でなければ文句は無い。

――なんて考えるが、自分が死んでいないことはとっくに分かっている。この気持ち悪い音の正体もだ。嫌な予感というか確信がある、この音を出しているのは俺の身体だ。

正直に言おう、見たくない。目の修復はとっくに終了しているので瞼を開ければ簡単に見られるのだが、気遅れしかしない。

とはいえ、見ないわけにはいくまい。意を決して瞼を開ける。

「……うぇ、ひっっっでぇ…………」

予想通りで想定内で何のサプライズも無い光景、見るも無残な地獄絵図。

まずは見渡す限りの破壊痕。森の木々はほぼ残らずへし折れ砕け散り地面は無残に抉られ、俺と悪魔どもを吹き飛ばした謎の破壊光線の威力を物語っている。

そしてそこら中に散らばっている悪魔の死体。大方の死体は元の悪魔の数がわからないほどバラバラ。大型のものはある程度形を残しているが、それでも無事な悪魔は一体たりとも存在しない。

いや、最初に現れた大型の悪魔が動いた。しかし明らかに瀕死、身体の半分を吹き飛ばされ立つこともできないでいる。その悪魔が、嗤う。

「ハッ、オレモツクヅクウンガネェ。サイゴノサイゴデコンナオチタァナ……」

「…………」

瀕死の悪魔に、悪魔どもの破片に、無数の触手が絡みついている。先ほどから聞こえる異音の正体はこれだ。『俺の身体から伸びた触手』が、悪魔の死体を食らっている。

肉片の海を這いずり、悪魔の肉を、血を、骨を、臓腑を、余すことなく貪り尽くそうと蠢き、啜り、噛み砕き、飲み干す。目の前の、まだ生きている悪魔さえ。

「……テメェ、ドコノバケモンダッタンダ? サイゴニ、ナマエクレェオシエロヨ」

「さぁ? 教える義理も無いだろ、そんなの。それも、今すぐ死ぬような相手に」

俺の返事を聞き、何がおかしいのか笑い出す悪魔。しかしその笑い声も次第に小さくなり、消えた。

触手の侵食が脳に達したのだろう、笑い顔のままの顔はぐじゅりと崩れ、俺の肉体の一部に組み換えられる。

これで話すことのできる相手も居ない。辺りに散らばっていた死体と触手は最早元の形を失うほどに混ざり合い、俺の身体の欠損した部分に纏まりつつある。

戦いの興奮も覚め、冷静になった頭で考える。今まで考えずに済んでいたことを。

俺は烏頭を殺した。ヒト型で会話もできる相手を殺してもなにも感じない。死体を、先ほどまで話していた相手のそれを喰らって、なんの嫌悪感も抱かない。これが当然の機能だと納得してしまう、それに恐怖すら抱けない。

俺の身体は人間のものではない。ここの戦いで理解した。だが、頭の中身まで化け物なら、俺は何者なのだろうか。

化け物の身体と精神、これでも俺は、姉さんの弟だと胸を張って言えるのだろうか――

「――――卓也ちゃん」

後ろから声が掛けられた、姉さんの声。最後に見た時と同じ衣装を、何かの血で真っ赤に染めた姉さんが、空に浮かんでいる。

顔にも髪にも服にも、乾いた血を大量にこべりつかせたまま、こちらにゆっくりと降りてくる。あれは姉さんの血では無い、見ただけで分かってしまう。

俺の方はどうだろう、服はズタズタ、身体の欠損部分の修復は未だ終わらず、あちこちが歪なままの姿で座っている。こんな姿を見ても、姉さんは何も言わない。

知っていたのだろう、この身体の事を。いや、多分俺よりも深く知っている。俺が化け物であることを、化け物になっていたことを。

「姉さん、俺、俺は……。」

何を言うべきか、言うべきことも言いたいことも山ほどあるのに舌が回らない。頭の中もぐしゃぐしゃに混乱して考えが纏まらない。目の前の光景が滲む、どんな顔を向ければいいのか。

――不意に、抱きしめられた。乾ききっていない化け物の血の臭い、そして、何時もと変わらない、姉さんの体温。

「帰りましょ? 私たちのお家に」

「あ……、ねえ、さん……?」

抱きしめられ、子供をあやすように背中をぽんぽんと叩かれる。緊張の糸が解れ、身体から力が抜ける。

「帰って、休んで、それからお話しよ? ……お姉ちゃんね、大事なお話があるの」

肉体的な疲れが無くとも、精神的な疲労が溜まっていたのだろうか。安心したら急に眠気が襲ってきた。

「ふふ、眠たい?いいわよ、後は帰るだけだから。おやすみなさい、卓也ちゃん……」

ありがたい、もう意識を保てる自身が無い。姉さんにもたれたままというのが情けないが、今は少し眠らせてもらおう。

「ねえさん、おや……す……」

そうして俺は、意識を保つ努力を投げ出した。


―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「という、夢を見たんだ」

「夢じゃないわよ?」

目覚めと同時、俺の布団の隣に座ってこちらを見つめていた姉さんに夢オチを希望するが無慈悲にも一瞬で却下されてしまった。おぉ、無残無残。かくして俺の儚い希望は打ち砕かれたのであった。

因みにここは寝室。姉さんはすでに風呂に入って着替えたのかラフな普段着、俺も眠って(気絶して?)いる間に洗われて着替えさせられたようだ。

あの服は割とお気に入りだったが、もう襟元がわずかに残っているだけの襤褸切れ同然だったので処分されたのだろう。

「……」

「……」

無言で見つめあう俺と姉さん。なんとも言えない沈黙が流れる。

そういえば沈黙が流れるという表現はどことなく『そこには「誰も居ない」がいる』に通じるものがある気がするが、ここは矛盾都市では無いのでただの無音。

なら『誰もいない』が存在するようにあの都市なら『沈黙』というBGMでも流れてくるのだろうか。

意表をついて、擬人化された沈黙が空中をふよふよと流れていく間抜けな光景が拝めるかもしれない。

思考を本題から逸らしまくっていると、姉さんの方から口を開いた。

「ねぇ卓也ちゃん、具体的にどの辺りが夢なら良かったの?」

「…………最後の辺り。」

二十歳もとうに過ぎた大の男が家族の前で目ぇ潤ませた挙句に抱きしめられて安心、そのまま眠ってしまう。これは酷い醜態を晒してしまった。

「初めてならそんなものよ。全然恥ずかしいことじゃないわ」

「……姉さんは、慣れてそうだよね」

なにやら卑猥な会話に聞こえるかもしれないがそれは考え過ぎだ。「童貞とベテラン」とかAVみたいなタイトルを付けてはいけない。

「お姉ちゃんは大ベテランだもん」

「それだ! 今回のこれはいったいなんだったのさ」

歪んだ部屋、飛ばされた先、悪魔(一部妖怪あり)の集団やら、姉さんが空を飛んでいたことやら、聞きたいことは山ほどある。あと謎の破壊光線も。

「え?聞きたいのはそこ?卓也ちゃんの身体についての秘密とかは?」

「いやそれはもう大体わかった」

この身体の由来やらなにやらはわからない。しかし今現在の大体の性能やら機能やらは使いながら覚えた。

というより、そうでなければあの悪魔やら妖怪やらとの戦いを切り抜けてここに居られるはずが無い。

「さ、そんなことはいいからキリキリ説明してくれ」

「そんなことって卓也ちゃん……。はぁ、まぁいいかな。分かりやすく話すとね――」

……………………

…………

……

「――というわけなの」

「はぁ、そりゃまたなんとも……」

異世界トリップにチート能力、荒唐無稽な話だ。しかし、あれだけの体験をしたのだから信じないわけにはいかない。

しかしあの砲撃が例の魔法先生パパの魔法攻撃だったとは、我ながらよく生き残れたものだと思う。いや直撃していたら終わりだったか、身体の半分以上が消滅していたのだし。

「でも、それって隠し通すこともできたよね? なんで教えてくれたのさ」

「ん、ここからが本題なの。心して聞いてね?」

姉さんのこれまた長く微妙に分かり辛い説明が始まった。

かいつまんで言えば、今回の件がきっかけで俺は姉さんのトリップに巻き込まれて異世界に飛んでしまう体質?になってしまったらしい。

今までは騙し騙しなんとかやっていけたが、こうなってしまっては隠し通しようが無い。こうなったらトリップ先で不自由しないように、事情を説明して鍛えてあげようと思ったらしいのだが……。

「卓也ちゃんを鍛えてあげたいのはやまやまなんだけど、今のその体だと鍛える鍛えない以前にもろ過ぎるのよねぇ」

「もろいって姉さん、俺もそこそこやれてたと思うんだけど……」

「そこそこじゃ駄目よ。はっきりいって今回のトリップは難易度としてはかなり低い方になるわ」

それこそナギの魔法みたいなレベルの攻撃を、けん制として大量にばら撒いてくるザコ敵が腐るほどいるとのこと、次元が違い過ぎる……。

「足手まとい一直線かよ……」

「今は、ね。だから卓也ちゃんには強くなってもらうわ。お姉ちゃんらしいやりかたでね」

無力感にガックリとうなだれる俺に、姉さんは不敵に微笑み、告げる。

「修行の旅(トリップ)よ!」

―――――――――――――――――――

俺の部屋に移動し、姉さんは改めてこちらに向き直る。

「さて、卓也ちゃんはその身体のことを『大体わかった』なんて言ったけど、その身体で強くなるために一番重要な機能を理解できていないの、なんだか分かる?」

「わかったらこんな問答にはならないってことだけは分かる。教えてくれ姉さん」

「だーめ、少しは自分で考える努力をしなきゃ。ほらほら答えはー?」

断られてしまった。とはいえノーヒントという訳でもない、ネギま世界での戦いの中でこの身体が発揮した機能がヒントだろう。

超再生ではない、これは基本的な機能でしか無い。重要というか、ダメージを気にせず大胆に動けるのは利点の一つだが、強くなるという点ではあまり関係ない。

持久力に怪力に超感覚は間違いなく違う。ではプラズマ発生装置?これも違うか。

もしかして『アレ』か?……微妙だ。あれは多分弱った相手にしか通じない。そうでなければ戦闘中に目覚めてもよさそうなものだし……。

「降参?もう答え合わせしちゃう?」

姉さんが嬉しそうに急かす。自分で考えろと言ったくせにめちゃくちゃ教えたそうにしている。ええい、破れかぶれだ!

「もしかして、触手?」

自信が無い。しかし可能性としては一番高いような気もする。戦闘用の機能でも無いし、わざわざ相手を捕食するだけなら触手なんて出す必要が薄い。多分俺の知らない機能がある、かも。

あ、触手が自分でも知らない機能を発揮ってなんだかいやらしい!

ヌメヌメした液体が出てきたら倫理面でアウトだなこれは。『姉さん、なんだか触手がムズムズするんだ……』『あらあらうふふ♪』みたいな。

「惜しい!正解は……って、どうしたの卓也ちゃん変な顔して」

「ごめん変なこと考えてた」

「あらあら。でも今は真面目な話だから、ね?」

「ん。で、答えは?」

優しくたしなめられてしまった。気を取り直して答え合わせ。

「触手はこの機能の補助でしかないの。答えは『融合捕食』、聞いたことあるでしょ?」

「なんと。ここでアプトム!」

融合捕食!そういうのもあるのか。そうかそうか、そうなると話は違う。このエロ目的にも見えていた触手がバトルクリーチャ―のステイタスとして立ち上がってくる。

「そうアプトム。卓也ちゃんはこれから仲間の敵とか言いながらいたいけな少年とその友人をストーキングしたり護衛したり、あちこちで裸体を曝したりツンデレしたり、『もう分かってる筈だぜ』とか自分に問いかけたり、雪が降る度に『心配するな……』とかロマンチックになぎゅっ!」

「ネタ振っといてなんだけど話が進まないから止めるよ?」

「あぅ、ひどい……」

長くなりそうなセリフを頭部へのチョップで中断、涙目で抗議してくる姉さんだが、すぐに立ち直り説明を再開した。

「ま、まぁつまりはそういうことね。適当に悪魔なり妖怪なりを融合していけば、対象の能力を取り込み強化して強くなれる」

「定番だね」

となると、あの烏頭やらでかい悪魔やらの必殺技も使えるということか。名前も知らない有象無象の悪魔の力も。

「この能力を自覚した以上は問題なく捕食した相手の力を使える筈よ。ネギま世界の悪魔を取り込んだわけだし、基本的な魔法なら使えるんじゃないかなぁ。」

「…………うん、分かりやすいのなら大体は大丈夫」

例えば認識阻害は使いようだろう。悪魔が使う魔法だから人が使う魔法とは大分様式が異なるようだが内容は似たようなものだ。

「で、ここからが重要なんだけど、卓也ちゃんの身体は魔法寄りの能力よりも、科学寄りの能力との相性が良いの」

「相性?」

「そ。例えば魔法の矢を撃った場合、元の性能が1として、卓也ちゃんが取り込んで強化して撃てば1.1くらいになる」

ポテトチップスの期間限定増量みたいに煮え切らない倍率だな……。

「でも、例えばジムを取り込めばガンダムに、G3マイルドを取り込めばG4に、数打を取り込めば真打に匹敵するほどに強化できる!」

「おお!」

最後のはわりとファンタジーっぽくなかろうか。だが凄い!

「そんなわけで、私が卓也ちゃんをそれっぽいのがある世界に送るのには媒介――、つまり原作が必要なのよ。ドラマでもゲームでもアニメでも小説でも漫画でも」

因みに姉さんは任意で他人をトリップさせることもできるらしい。今では死体がある程度残っていれば蘇生もできるとのこと。さすが、トリップ回数四桁は伊達ではない。

「ああ、それで俺の部屋」

「うん、私の部屋にも無いじゃ無いんだけどね」

難易度がねぇ……と苦笑いを浮かべる姉さん。姉さんはでかくて派手な破壊力過剰作品を割と好む。初めてトリップするには巨大ロボ系は難易度が高い。

流石にガンバスターや真ゲッターの世界では何か取り込む前に死ぬだろう。ゼオライマーも同上。

となると、できれば今の俺でもどうにかできる、等身大の変身ヒーロー系が好まれるのだが……。しかも中盤から終盤で巨大とは言わないが中ぐらいのロボが出てくると次に繋げ易い。

「じゃあこれ?」

と言いながら先日密林がら届いた十周年記念作品の木箱を見せる。筆字で書かれたタイトルがいかにも勇ましい。

これの主人公は意外とお茶目で、同会社の某アンドロイド主人公に次ぐ萌え主人公かもしれない。賛成意見があるかはわからないが。

「――卓也ちゃん、ここでボケはいらないわ」

「ごめん」

しかもまだ途中までしかプレイしていない。剣術もできないので永遠に保留。これはヒーロー(英雄)の物語でも無いしね。

「そっちじゃなくて……、これよ」

と言いながら見せてくるのは、未来の独逸を舞台に主人公が雑魚相手に無双したり眠ったりチャンプがビッチに騙されたり主人公が眠ったり医大生が恋人を失ったショックで裸足になって諸国漫遊をしたりする変身アクションモノ。

最終的には3D酔いしそうな空中戦が増えてくるあたり修行にもうってつけ。雑魚の多さでは平成仮面ライダーに勝るとも劣らないので相手にも事欠かないだろう。

「これの雑魚なら今の卓也ちゃんでもなんとか無双できそうじゃない?」

「……刺し違える覚悟でいけばなんとかなるかもだけど……」

「『刺し違えても問題ない』のよ。刺し違えられて問題があるのは刺されて死ぬヤツだけ、卓也ちゃんは刺されてもまったく問題ないでしょ?」

「なんだかんだでけっこう痛いんだけどね……」

しかし雑魚を取り込めば主人公にもラスボスにも変身できる可能性がある。痛いだけで一気にラスボス級へのステップを踏めるならありかもしれない。

「ウインナー美味そうだしなぁ。飯食うシーンないけど」

「お土産忘れないでね?ジャガイモ以外で」

行ったら観光もしてくることが前提らしい。ストーリーの流れ的に潜伏期間も長いので時間的に余裕がある。

「あ、じゃあこっちから入ろう」

小説版。時間的余裕と、あとは潰しても現地人に発見されにくい雑魚がいっぱい居るとくればこれだ。原作のプレ編みたいなものだがそんなに昔の話でもない。

せいぜい原作開始の数か月前か。ここで雑魚を取り込んで用意を整えておけば中盤から終盤にかけてロボを取り込む余裕が出てくる。

「……ぁあー、あったわねぇそんなの。微妙に設定が違う気がするけど」

「どうせ些細な違いだよ。本筋は変わらないし、これから始めれば軍資金も手に入る」

というより、小説版で用意を済ませれば原作の序盤は完全に見物だけで済む。ぶっちゃけ観光というか食い歩きができるし、原作キャラの死がどうとかは気分が重くなるから関わりたくない。

「じゃあ、これにする?」

「どれ選んでもケチが少しもつかないなんて話は無いしね」

「そうね、じゃあ、旅の準備をしましょうか!」

「カバンどこにしまったかな……」

これから異世界トリップだというのに生々しい話だが、数か月も家を離れて旅をするのだ、着替えにある程度の路銀と生活用品、念のために寝袋の類も入れておく必要がある。

―――――――――――――――――――

いろいろと大量にあった荷物がなんだかんだで旅行鞄一つに収まるのだから不思議だ。この収納術はトリッパーならずとも旅行者や冒険家には必須スキルなので戻ってきたら教えてくれるとのこと。

着替えも終えて旅支度は万端。机の上に積まれたDVDと小説の前にはいかにもそれっぽい様式美溢れる光輝く魔法陣。

これを通って異世界――作品世界にトリップする。帰りは最終回の途中辺り、最終回ラストまで待つと『―そして5年後―』に巻き込まれるから妥当なところか。

ちなみに、トリップ先とこの世界の時間が流れる速度の差ははまちまちだが、大体こちらの世界に原作がある世界は時間の流れが速く、トリップ先での数か月がこちらの世界の一~二日程度らしい。

「機械の類は卓也ちゃんが身体に取り込んでしまった方がいいから、向こうでもそうしてね。ハンカチ持ったよね?」

「うん」

一緒に準備した筈なのに妙に心配してくる。ハンカチは持ったか、なんて聞かれるのはいつ以来か。いつもならハンカチでなく手ぬぐいだ。

「……ごめん。お姉ちゃんね、卓也ちゃんに酷い事してるって分かってるの」

「……」

うつむきながらの謝罪。唐突だが、何を言いたいかは分からないでもない。

確かに酷いことかもしれない。トリップ先で何かを取り込む度に俺の身体は人間離れしていく。いや、実際は既に人間では無いのだが、より『人間らしさ』からは遠ざかっていくのだろう。

「いいよ、別に」

でも、そんなことはどうでもいい。些細なことだ。

「よくないよ!そんな身体にしちゃったのはお姉ちゃんで、なのに『もっと強くなれ』だなんて言って……!」

姉さんは落ち込む時はとことん落ち込む癖がある。ここでどうにかしないと落ち込みっぱなしの姉さんを放置して向こうで何か月もやきもきし、帰ってきても落ち込んだ姉さんの顔に出迎えられる羽目になる。それはつらい。

姉さんには笑顔の方が似合うし、しばらく会えない(俺視点での話だが)のだからできれば笑顔を記憶しておきたい。

それに、そんなことを負い目に感じては欲しくない。たとえ人間で無いのだとしても、それが不幸に即繋がるわけじゃない。少なくとも俺にとっては。

「どうでもいいよ。俺は姉さんの弟で、姉さんは俺の姉。俺にはそれだけで充分」

「卓也ちゃん……」

ガキの頃の事故以来、姉さんはどんな状況でも俺に対しては『お姉ちゃん』という一人称を使う。文字通り何時でもどんな状況でもだ。

中学のころに子供っぽいし恥ずかしいと抗議したこともあるが、『お姉ちゃんは卓也ちゃんのお姉ちゃんなんだから』とごり押しされて直してもらうのは諦めた。

考えてみれば理由は分かる。けじめのようなものだろう。俺を人間ではなくしてしまったことに対しての。

どんなことがあっても俺の姉であると、俺がどんな化け物になっても姉さんは姉さんでいてくれるという誓い。

極端な話、俺が仮にゲッターロボやバスターマシンになっても姉さんは姉さんでいてくれるだろう。七号になったら弟でなく妹だろうという意見はひとまず置いておく。

だから俺は、安心して強くなれる。レベル的にまずは目指せコオネ・ペーネミュンデ。やることはアプトムか狗隠かってところだが。

「…………」

姉さんはまだ俯いている。今のは慰める言葉としては不適切だったか?仕方ない、向こうで美味いやら珍しいやらのお土産をたくさん買ってそれで慰めてみるか。

「じゃあ姉さん、行ってきます。お土産楽しみに待っててね」

言い、魔法陣の外枠?に手をかける。魔法陣を通り抜けた指先の感覚が不気味だ……これに頭を突っ込むのは意外に勇気がいるかもしれない。

魔法陣に頭から入るか足から入るかで迷っていると、不意に肩を引かれ振り向かされる。至近に姉さんの顔、そのまま更に接近し――

激突。前歯に衝撃が走る。

「~~~~~~ッッッ!」

地味に痛い。手足を切断されたり全身を砕かれる痛みとは違う、不意の一撃。

目の前には口元を押さえて涙目で苦笑いの姉さん。前歯と前歯の激突で唇を切ってしまったのかもしれない。…………前歯と、前歯?

「いたた~、失敗しちゃった……。」

顔をほのかに紅く染め、舌をちろりと出しながら誤魔化す姉さん、そのまま後ろに――魔法陣の中に突き飛ばされる。

「いってらっしゃい、卓也ちゃん。おみやげ、楽しみに待ってるね♪」

魔法陣に落ちる寸前、笑顔でこちらを見送る姉さんの姿が見えた。いける、これなら間違いなく数か月は頑張れる。

――頑張ろう。期待を裏切らない強さを手に入れて、それでいて土産も忘れないように。

落ちる。水ではない何かに満ちた、海のような空間を落ちていく。上に自宅側の魔法陣、下にもうひとつ、作品世界側に開いている魔法陣が見える。そしてその向こう側の風景も。

さびれた郊外、空気も治安も悪そうな地域だと一目で分かる。いかにも何かしら出てきそうな雰囲気。

――というより、もう出ている。俺の最初の標的、金属質の装甲で身を覆った動く屍。肩慣らしと経験知稼ぎ、そして鎧にも武器にも脚にも化けてくれる恰好の素材!

珍妙なデザインの(言っておくが断じて日本車では無い)バイクを引いた血色の悪い青年を狙いにじり寄っていた。

「小説版のまさに最初のページかな?」

口元がニヤけてしまう。これぞ絶好のチャンス。3匹もいるなら1、2匹いただいても支障はあるまい、やもすればそれで暫く分の目的は達成できてしまうのだから。

さて、ぼうっとしてるわけにはいかない。屍どもの注意を惹かねば、目の前のバイク野郎なんか無視して、こちらをまっしぐらに目指してくれるように。

生身でなく、機械でもなく、それでいてどちらでもあるこの身体。人を襲い、機械を取り込みたがるお前らには分かるだろう?どっちが美味しい餌か!

スイッチ、スイッチ、スイッチ!身体の作りを単純かつ強靭に、不要なパーツを溶かし潰し、戦闘に適した身体と心へ移行させる!

変わる、替わる、換わる、人間『鳴無 卓也』から、貪欲に力を求める一個の怪物へ!

――そして、作品世界の魔法陣に触れる。準備は万端、凄い俺落ちながら変態完了した――!!

出現地点は高度にして20メートル、浮遊感とともに湧き上がる止めどない高揚感は憧れの異世界への期待からか目の前(下?)の力への欲求からか。

「―――――――――――――――――っ――――――っ!!!!!」

声にならない歓喜の絶叫とともに、俺のトリップは幕を開けた。




次回へ続く

―――――――――――――――――――

あとがき

やった!ネギま編完!ブラスレ編始まります。

因みに『召喚された悪魔とか妖怪って致命傷受けると消えるんじゃないの?死体が残るはそれを取り込むは、このおバカさぁん!』という突っ込みがありそうな予感がするので弁明。

原作でネギがアスナに過去を見せた話、ナギが悪魔の首をへし折るシーン、ナギの下に大量の悪魔の死体が積み重なっています。

これ確認する為に古本屋巡りをして該当シーンが載ってる単行本を探し、結局見つからずにネカフェで確認したので間違いありません。

京都編で大量に召喚された妖怪どもとは召喚魔法の形式が違ったのではないかなーと勝手に判断しました。でもネギま原作でその辺の設定とかフォローされてるなら情報お願いします。全巻を端から端まで読み込んだわけではありませんので。

正直主人公がピンチになって覚醒して吹き飛ばされて瀕死になるのに最適なシチュだったから村襲撃の話にトリップしたわけで、よっぽど気が向かない限り再びネギま世界に行くことはありえません。

ネギまといえばハレムぅとか原作キャラとのカップリングが無いと話にならないしなぁ。主人公はガチシスコンの変態さんなのでよく知りもしない中学生相手にラブ米とかできません。

やっても一回二回他の世界挟んで強くなった辺りで京都編途中あたりにトリップして、生八橋食べつつ京都観光、ついでにスクナ相手に無双してエヴァの出番を横取りしてスクナを取り込んで颯爽と帰っていくとかそんなんだと思う。

で、簪とか姉にお土産で買って帰ってイチャイチャほわほわ。いったい誰が得をするっていうんだ……。

ちなみにこの作品、百合、TS、不遇な原作登場キャラ救済、ありません。原作キャラの綺麗どころ捕まえてしっぽりとかも無いです。テーマは原作キャラクターとの上っ面だけの交流とかすれ違うだけの物語とかそんな。

それでも「暇つぶしに読んでさしあげてもよろしくてよ?」または「構わん、続けろ。」という愉快で寛大なお方は、作品を読んでみての感想とか、諸々の誤字脱字の指摘、この文分かりづらいからこうしたらいいよ、一行は何文字くらいで改行したほうがいいよ、みたいなアドバイスとかよろしくお願いします。



[14434] 第三話「未来独逸と悪魔憑き」
Name: ここち◆92520f4f ID:96ccb423
Date: 2009/12/18 10:52
「…………」

皿に載った料理をフォークで弄ぶ。グチャグチャに潰されたジャガイモの料理とウインナー、いやここではヴルストと呼ぶのがお洒落だ。それっぽいし。

近未来の独逸でもジャガイモを矢鱈と目の敵の如く潰しに掛かることだけは変り無いらしいが、料理の種類自体は豊富だから飽きることは無い、たぶん。

正直にいえばジャガイモ料理とかはどうでもいい。どんなに美味くても同じような料理なら家族愛補正で姉さんの料理を美味く感じてしまうのだから。

ではヴルストはどうか。美味い、確かに美味いが、だからどうしたといった所だ。土産にしてもいい程美味いがまだ帰還までかなり時間が余って、というか本編すら始まっていない。今買ったら帰るころには間違いなく腐る。

別にジャガイモとヴルストだけが独逸料理ではない。が、そればかりが目立っているように思えてしまうのは偏見からの錯覚だけでは無い筈だ。

ああそうだ、お酒もあった。ことにビールで有名な国でもあったかな? ――アルコールはいくら摂取しても毒素として即座に分解、排除されてしまうから酔うに酔えない訳だが。

ちらりと後ろの席を見る。やたらガタイの良い連中が集まって飲んでいる。いや飲んでいた、かな。なんだかもうグダグダ気味に終焉に近づいているようで。

白い短髪を逆立てた男が酔い潰れ、それを前髪で目が隠れるほど髪を伸ばした鷲鼻の男が介抱し、その対面で桃髪の長身の女が不敵にグラスを煽り、

赤髪で垂れ目の男がそれを見て肩を竦め、メガネの丸っこい髪型の女性はマイペースにカクテルを味わい、口髭を生やしたムキムキの黒人が天を仰いでいる。

――今の私と勝負してみる?

――やめとくさ、お前に勝てるヴィジョンが見えてこない

耳を澄ませるまでもなく会話は筒抜け。聞かれて困る内容でも無いだろうし当然か。外見的な特徴、口調もほぼ一致している。

「実写にするとあんな感じなんだなぁ……」

声も元の声優の特徴を残しながら自然な声になっている。アニメ的では無いというかなんというか。声優さんが素で喋ったらこんな感じになるかもしれない。

酔いつぶれた白髪の男――アルはもうぐでんぐでんだ。声にタイトルをつけるなら『とろける盟主』または『勇者王の煮込み』といったところか。蒟蒻みたいな奴どころか煮込み過ぎて煮崩れた大根みたいになっている。しかし彼を責めてはいけない。

彼の目の前に座る桃髪の女性――アマンダの周りには大量の空きビン。しかも極めてアルコール度数の高い酒のものばかり。流石のエヴォリュダ―もこんな相手では勇気で奇跡も起こせなかったようだ。

ちなみに彼女のこのオリハルコンのような肝臓が今後活躍する機会は無い。なんという無駄技能。酒を飲む場面はヘルマンより彼女に与えるべきではなかろうか。

そしてマイペースにカクテルを飲む、メガネの愛らしいメイフォン女史。あれはどの辺りをサイボーグ化しているのだろう。ぜひ入念にチェックしたいものだ。

髪型を変えたら加速装置を使いだしそうな鼻のブラッドに、どうしても資料集のパン1セクシーウインクを思い出してしまいそうになる隊長。

ミーハー丸出しだが見れて良かった。これからのスケジュールを考えるとこれ以降に遭遇できる可能性はかなり低い。……写メでも撮っておくか?

思い立ったが吉日、それ以降は全て凶日という名言に従って携帯を構え、酔いつぶれたXATの面々を一枚、次いでテーブルを挟んで対面に座る男を一枚。

「……」

許可無く唐突に写真を撮ったにも関わらずなんのリアクションも無し。黙々と食事を続ける血色の悪い男――ジョセフ。

「…………」

「…………」

会話が無い……。周りの連中はそれなりに騒がしく喋りながらの食事を楽しんでいるのにこれだ。せっかくの原作主人公だからと突発的に食事に誘ったのは失敗だったかもしれない。

嗚呼、なぜ神は遠い異国の地にてこんな珍奇な試練を俺に与えるのか! そんな罰を受ける理由は――有るか。シスコンでリアルに近親相姦願望があるのはかなりアウトかもしれない。

割と神話だと近親相姦多いらしいが、その辺は神には神の理屈があるのだろう。しかし納得は出来ないのでそのうち金神さまを取り込んで対抗する。

神の摂理に挑む俺、理由は姉さんとチュッチュしたいから。宇宙の中心でシスコンカミングアウト余裕でした。

しかし油断は禁物、実は金神さまも外なる神々の一種で、昔はアイオーンとかデモンべインとかアンブロシウスあたりと異次元でガチバトルした仲ですとか言いだす可能性もある。

なにせ新聞の連載小説でデウスマキナが出てくるような世界、油断は禁物だろう。もしかしたらあの世界すら邪神の掌の上とか有り得ない話ではない。グラマーな古本屋店主より褐色巨乳アイス売りメイドの方がデザイン的には興奮する。関係無いが。

旧神化したロリコンとロリに文字通りの神頼みというのもありかもしれないが、その展開だとこちらは神を取り込もうとする邪悪な魔術師とかそんな扱いを受けかねない。邪神の眷属の珍種みたいなものだと判断されたらそれこそ終わりだ。

まだ発売して間もない作品である。これからそんな設定の小説が公式サイトに載せられては目も当てられない。挑むならせめてスパロボ補正とかを手に入れて、ついでに精神コマンドを覚えてからでも遅くは無い筈だ。

――現実逃避はここまでにしておこう。何故こんな状況になったのか、時間はトリップ直後にまで遡る――。

―――――――――――――――――――

天より躍りかかる。狙うはバイクで走り出したジョセフから最も遠い後方の一体、気づかれる前に一気に仕留める!

硬化した皮膚の上、肘から指先までに雷光を纏う。ネギま世界にて最初に潰した烏頭の必殺技のアレンジ。下位デモニアックが電流に対する対抗手段を持たないのはパラディンの装甲が証明済み。

自由落下の加速を威力に加えて振り抜いた渾身の手刀がデモニアックの肩口に直撃、硬化したこちらの腕がひしゃげる程の衝撃、全身を貫く電撃で怯むデモニアックを残った片手で細い路地に引きずり込む。

ジョセフは――行った。バイクの走る音が遠ざかる、認識阻害の魔法は上手く働いてくれたらしい。

目の前には攫ったデモニアック。どうやら上位ブラスレイターに支配されているわけではないらしく、目前の獲物つまり俺に注意を向けている。

こちらに向かって突撃してくる。動物的というか馬鹿というか、一直線で分かりやすい。弾丸より早く動いても今の俺にはスロー過ぎるというのに、欠伸が出るほどスロウリィだ。

獲物に跳びかかる肉食獣の如きデモニアックを余裕で迎撃――しない。デモニアックの爪は過たず俺の心臓を貫く。

「ハズレ。まぁ、どこを突いてもハズレだけどな」

余裕すぎる。正に『絶対勝てる相討ち』だ。こうなればこちらのもの、しかも今回はすこぶる相性が良い。

「――――!」

心の無い筈の屍が驚愕する。獲物を貫いた腕が抜けず、自らの意に反して融合を初めていることに気付いたからか。

当然だ、これは俺主体の融合。俺の体内でペイルホース――デモニアックやブラスレイターを生み出すナノマシン――が俺の身体を構成するナノマシンに取り込まれ支配されようとしている。

このデモニアックの身体が生きていればまだ融合に手こずったかもしれない。生物は取り込み難い、しかし死体であれば時間はかかるが問題無く取り込める。

そして、意思を持たない器物は尚のこと。ナノマシンは須らく俺の支配下に置かれる。

元の姿を失った下位デモニアックは人の姿を取り戻さず、そして塵にならず、俺の身体に引きずりこまれていく。

大分形の崩れたデモニアックが、無い脳味噌で危機を察知し必死に逃げ出そうと足掻く。こちらの首を落とそうと残った片腕を振るってくる。

こちらの首を正確に狙ってくるその腕をやんわりと受け止め、プラズマクローでゆっくり丁寧に切り落とす。

「く、くふふ。やめろよ、こそばゆいじゃあないか」

知らず、嗤い声が漏れる。こそばゆく、あたたかい。胎に子を宿した女はこのような気分になるのだろうかと益体も無いことを思う。

間違いなく全国の妊婦の皆様に怒られてしまいそうな感想。しかし、この取り込まれつつあるデモニアックに――見知らぬ人間の死骸と微小機械に、俺は少なからぬ愛情のようなものを抱いていた。

生まれる。ペイルホースの要素を、俺の身体を構成する無数のナノマシンが解体し解析し改造し改正し、自らと掛け合わせ新生する。今の俺は母であり、この取り込まれたデモニアックと合わせて子でもある。

死を迎えずして新生する。俺が俺を宿し俺を食い破り俺が生まれる。子を産む喜び誕生の痛み死の恍惚に親を子を殺し犯す背徳に浸る。見ず知らずの人間の残骸をカロリーに変換しそれを行う。

「あっ、は――」

仰向けに倒れる。人も通らないような裏路地で、盛大に身を投げ出す。どうしてか鞄はうまいこと頭の下に収まった。丁度いい枕代わり。

デモニアックはもう動かない、とりあえずの吸収が完了したようだ。もう不自然に腹部が隆起している程度にしか見えない。数分経たずに完璧に元通りだろう。しかし、

「……服が……」

身体が元に戻っても盛大に穴の開いた服はどうにもならない。起きて着替えなければ……。いや、一眠りしてからでいいか。この感覚なら一時間もしないうちに目が覚める。

ナノマシンの最適化も済んでいないせいか、ひしゃげた腕の再生も済んでいない。一旦休憩をはさむべきだろう。

こんな時間にこんな路地を通るモノ好きも居ないとは思うが、物盗りなどの害意ある犯罪者が出たら身体が勝手に起きる筈だ。

なんだかんだで開始数分にして初期の目標を達成したのだし、多少怠けても罰は当たるまい。

「明日からは、市街探索かなぁ……」

さっそく暇になってしまった。もう何日かすれば独逸東部でデモニアックの大量発生事件が起こる。そこで死んでしまった人達の家から小金をちょろまかして路銀の足しにする。予定らしい予定はそれだけ。いや、もう一つあるがそれは保留。

ついでに相討ちを狙わないまともな戦闘の練習もしてみるか。ペイルホースからどれだけのものが取り込めたかも確かめておきたいし。

「か、ふぁ……zz」

欠伸を一つ、意識が薄れてきた。寝て起きたらまず宿を探さねばならない。いや、夜中に駆け込みで泊まれる宿もそうそう無いだろうし、時間を潰せる何かを探すのもいいな……。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

結局三十分も眠れなかった。チンピラ臭い連中が旅行鞄を漁ろうとしたのに反応し起床、不快な目覚め。

しかし適当におとなしくして貰った上で懐から勝手に駄賃も貰って結果オーライ。これが早起きは三文の徳というものか。

適当におとなしくして貰ったというか、チンピラに身体が勝手に反応、盛大に放電して撃退、後には電極差したカエルの筋肉みたいにピクピク痙攣する集団が倒れていただけだったりする。

腹部に大穴の開いた服を着替え、チンピラの懐から財布を奪って颯爽とその場を去った。しょっ引かれる前に逃走したとも言う。

貰った財布の中身を合計するとそれなりの金額になったが、よくよく考えたら最初に持っていた路銀と併せても帰還までホテル暮らしができるほどではない。とりあえずは移民の皆様に習って適当な廃墟を拠点に据えようと郊外の森林地帯に移動を開始。

徒歩での移動中に見た街並みはまさに異国の地といった風情だ。というか、実際に独逸に行ったことは無いのだがここまで徹底してレンガ造りの家だけが建ち並んでいるものなのだろうか。

書店にて独逸の地図、古道具屋にて小型のラジオとテレビを購入。ここまで現地の人との会話が無かったから気付かなかったが、何故か独逸語も読めて会話できるようだ。

これがストⅡ四コマ昇竜拳現象……!戦慄せざるを得ない。日本人アメリカ人中国人が一堂に会してなんら不都合無く会話できてしまうご都合主義には少々気味悪さを感じるが、まぁ便利なので良しとする。

路地裏でこっそりラジオとテレビを身体に取り込み終え移動を再開すると、さっそく怪しげなゲームショップ発見。オーラが違うぜ……。

こういう店に来そうな原作キャラに心当たりがあったが、この小説版の時点では彼は孤児なのでエロゲには手を出していない。探すだけ無駄か。

躊躇なく入店し独逸語版のニトロ作品を幾つかお土産として購入、ついでに店長さんと世間話。現在アルバイトを募集しようか悩んでいるとのこと。募集が始まったら時間つぶしの為に申し込んでみるのもありかもしれない。

店を出た後、購入したソフトをこちらでプレイするために安いノーパソ一式も電気屋で購入、最後にスーパーで適当な缶詰やら日持ちする野菜や果物などを購入して市街地を脱出した。

―――――――――――――――――――

さて、何事も無く市街から脱出しさまようこと数日、そして活動拠点を確保して更に数日が経過した。

場所は独逸東部の森の中、都合よく存在した教会の廃墟。少し離れた場所には農場や牧場があり、都市部ではあまり見えなかった緑に覆われているのどかな地域。

人目に付かないように認識阻害と人払いの結界を張り、取り込んだテレビとラジオとパソコンの複製を作り出して配置済み。電源はR田中方式で俺から取っている。

ネット環境があればなおのこと便利だが、まだ情報収集もラジオとテレビで事足りてしまうので気にしない。

そんな雄大な自然に囲まれたこの土地で、俺は果物を齧りながらテレビを見ている。

今さっきまでは購入したニトロ作品をプレイしていたが、封印されていた世界中の怪異が解き放たれ、主人公とヒロインが『俺たちの戦いはこれからだ!』をする熱いエンディングを迎えたので一旦終了したところだ。

この終わり方ならアフター物が書けそうな気がするのだが塵骸のSSはついぞ見たことが無い。本篇だけで満足できてしまうので態々蛇足を作ろうという気が起きないのが原因か。

しかし毎回毎回エンディング曲が無駄に力強いというか壮大というか。そしてしっとり系の曲は聞くとエンディングに至るまでのストーリーを思い出して泣けてくるので携帯には入れられない。

いや話が逸れっぱなしだ。端的に言ってここは小説版でデモニアックが大量発生してしまう土地の近く。

まぁ場所的に間違いは無かったようだ。イベントを避けようとしない限りトリッパーはイベントに吸い寄せられるというジンクス通り。

テレビのニュースでは融合体大量発生が報道されている。さっきから彼方此方をXATの派手なボディスーツが駆けていると思ってみればこれだ。

タイミングが良いのか悪いのか、テレビを付けた瞬間にこのニュースが流れていた時は運命を感じてしまった。ご都合主義的なものかとも思ったが緊急で知らせておくべきニュースなのだから当然と言えば当然か。

テレビの電源を消して身体からコンセントを引っこ抜く。ラジオとテレビとパソコンを体内に取り込み、旅行鞄をあらかじめ穴を掘って作っておいた隠し部屋に突っ込んで準備は完了。

教会から出て辺りを見渡す。……高台から遠くを眺める男発見、血色極めて悪し、更に幸も薄けりゃ影も薄いこの『ブラスレイター』世界の主人公?であるジョセフ・荒巻・スカルチノフさん。

変態変形バイクことガルム(繰り返して言うが日本車ではない)に跨り遠くを睨んでいる。

「いいなぁ……」

変態バイクだのなんだの散々言ってはいるがああいう面白ギミック搭載の面白デザインのバイクは男の子のあこがれだ。

「…………」

虎視眈眈、初日にあっさりペイルホースを取り込んでしまった俺の次の狙いはあれ。

とはいえ、ジョセフにこれから助言を与えるであろうエレアさんがこれを使う為、完全に取り込んで『はいそれまでよ』とはいかないのである。

一度形を崩さないように取り込みオリジナルを返却、俺は多少弄った複製を作り出して使うという形になるだろう。

ジョセフに接触した時点でこちらの存在はばれるわけで、俺が複製を使うにしても、間違いなく搭載されているであろう発信機や自爆装置などの危険ギミックをそのままにはしておけないのである。

問題はタイミングだ。といっても、何時やるかは決めている。ほぼ強奪のような形になってしまうが……。

「手口として美しいものではないよなぁ」

ああいうマスコットキャラは嫌いでは無い。例えばエテコウは最高の相棒だし、アルは九朗が他の女とくっ付いても良い相棒でいてくれる。

そんなニトロ系列の粋なマスコットの親戚にあたるエレアさんとはできる限り友好的に、などと考えないではないが、これからすることを考えれば警戒ばかり買ってしまうだろう。

――なにより自分の強化が最優先、後に残らない交友関係は二の次三の次か。

そんな訳で初志貫徹、あっさりとお友達計画破棄。残念無念、巡りあわせの悪さはどうにもならない。気を取り直してジョセフが目を向けていた方向を見る。

「ふぅむ、ふむ」

なるほど、さして目の強化をしているわけでも無いのにこんな遠くからでもはっきりと血だまりが見える、あの一か所で数十人がまとめて殺されてしまったわけだ。

そして、その死体の皆様は晴れて全員デモニアックになりました、と。ブラスレイターになる確率は低くてもデモニアックには簡単になれるみたいだな。

その中でマシュー・デモニアックみたいに人間時の意識を残す珍しい個体はどれだけの数なのか、少なくとも小説版の描写を参考にするならこの事件ではそういう珍しい個体は出てこないようではあるが……。

「この一帯の反応は……」

あちこちに先日取り込んだペイルホースと同じ反応がある。ペイルホースは生き物の血液中でしか長期間の生存は出来ないみたいだし、これを追っていけばよし、と。

ふと手のひらを見る。じっと見ていると悪魔の紋章――のようで微妙に違うものが浮かび上がる。そのまま地図記号一覧に紛れ込ませても分からないほどシンプルな模様。

魔術の要素を含んでそうな他のブラスレイターの印とは大分違う。多分、72種類のデザインのうちどれにも当て嵌まらないオリジナル。ペイルホースをそのまま使用している訳では無い証。

「試し撃ち程度はしておかないとなぁ」

一番近くのデモニアックの反応を探す……、見つけた。ここから歩いても数分かからない。待っていても勝手に寄ってくるだろうが、新機能を試すならより人目に付かない場所が望ましい。

教会を離れ、薄暗い森の中を歩く。何とはなしに身体からラジオを取り出し電源を入れる。熊避けではない、本能のみで動くデモニアックは人や機械の出す音に誘われる習性があるとか無いとか。つまりこうすると――

「お、釣れた」

眼前には何の変哲もないデモニアック。いや、片手がチェーンソーと、もう片方の手が短銃と融合している。

確かこんな奴が小説版でジョセフと戯れていたな。ブラスレイターの装甲を破れるかとなると疑問だが、俺の身体なら硬質化していても余裕で切断できるだろう。

練習相手には丁度いい、俺はペイルホースの能力を開放した。

―――――――――――――――――――

「お、おぉおおおおおぉぉぉ!」

変身。今までの身体の中身を組み替えるだけの変身とはまた違う、外見の明らかな変化を伴う変身。しかしそれにも構わずデモニアックはチェーンソーを振いこちらに襲いかかってくる。

俺の首を斬り飛ばさんと迫る横薙ぎの一撃、それを片手で無造作に受け止める。金属質の装甲に覆われた掌とチェーンソーの間で火花が散り耳障りな音が響く。

「変身完了。似合う?」

誰にともなく問いかける。鏡が無いのでどんな姿かは確認できないのが惜しい。しかし今までの強化とは全く違う、荒れ狂うような激しい力を身体に感じる。

受け止めていたチェーンソーの刃を握り潰し残骸ごと此方に引き寄せ、そのまま手刀で一閃。デモニアックを肩口から斜めに切断した。

切り離された下半身側は既に塵になっているが、頭と心臓の付いている上半身の側はまだ抵抗しようとしている。せっかくなので武器も試してみよう。

体内のナノマシンを紋章から大気中に放出、結合させ武器を具現化せしめる、あらゆる融合体が行使できる異能の一つ。

と言う触れ込みだが、現在進行形で事件を起こしているだろうマルコ・ブラスレイターは背中から直接羽根を具現化している。

あくまでも紋章からだとナノマシンの放出と具現化が容易というだけで、ナノマシンの放出は身体のどこからでも可能なのかもしれない。

さらに言えば、『あれ?ペイルホースって空気に触れると分解されるってマグロが言ってなかったっけ?』とかつっこんでもいけない。メディアミックスではよくあることなのだ。

まぁ、『空気に触れて一分もしない内にタンパク質が分解』という説明なので、ナノマシンだけを放出すれば分解されないとも解釈できる。

あるいは武器の形で結合しているが、ナノマシンとしての力は失っている。いわば瘡蓋の固まり様なものなのかもしれないが、それだとマルコの翼が説明できない。ナノマシンは不思議がいっぱいだ。

さて、特にこれといったイメージはしなかったが上手いこと長柄の武器が出る、大鎌だ。とりあえず何事も無く武器の具現化ができることは分かった。次は切れ味を試そう。

瀕死のデモニアックの残った片方の手の短銃から連続で弾丸が放たれるが、こちらの装甲にかすり傷一つつけられない。短銃と融合した腕を踏み千切り、デモニアックの腹を踏み押さえつける。

そして首に大鎌の刃を引っ掛け、切り落とす。刃を入れた感覚さえ無く、すっ、と刃は通り抜け、一切の抵抗無く静かに首が落ちた。

「……弱いし、鈍いし、脆い。これじゃ試し斬りにもならないな」

大鎌を消し、塵になったデモニアックの残骸を踏み躙りながら呟く。相手が下級デモニアック一体きりではいまいち自分の性能が分かり難い。

というより、下級のデモニアックに苦戦するブラスレイターとか聞いたことも無い。本当に変身と武器の具現化を試しただけになってしまった。

このまま探索を続けるべきか……?少し遠くに都合の良いことに一まとまりになって移動するデモニアックの集団の反応があるし。

うん?なんで一まとまりになっているんだ?上位のブラスレイターが統率している訳でもなかろうに。

現段階でそれができそうな人も近くに居るのだろうが、今はそれをやる理由が無い。デモニアックはたまたま群れるなんてありえない生き物だし……。

まぁ実際に見てみれば分かるか。数がそろえばそれなりに練習になるだろう。俺はデモニアックの集団の反応に向かって走り出した。

―――――――――――――――――――

移動中に山道で立ち往生する、車と融合したデモニアックを数体発見するも、大鎌の一振りで発生したカマイタチで始末。が、車と融合したデモニアック達を切断した揚句にその後ろの地面まで深々と切り裂いてしまった。

XATあたりに発見されたら面倒なことになるかもしれないがとりあえず今は放置。ついでに内一体はこちらの攻撃に対してバリアのようなものを張っていたがあっさりバリアごと真っ二つ。

そういえばアニメ本編でも車と融合したデモニアック、そしてジル・デモニアックが自力でバリア風の何かを展開していたのを思い出していたが、いったいどうやって張っているのかわからない。

というか、自力でバリアを張るのは極々一部のデモニアック、そしてブラスレイターでは変身前のザーギン以外誰も自力で張っていなかった気がする。

バリア機能はガルムから取り込めばいいかと思っていたが、頑張れば自力でなんとかできるのかもしれない。森の中をカッ飛ぶように走り抜けながらそんなことをつらつらと考える。

ペイルホースを取り込んで解析した俺の身体は理屈の上ではデモニアック、ブラスレイター双方の能力は全て使用可能なのだが、なんとなくで使える能力は意外と少ない。

今も空を飛べばより早く目的地にたどり着けるのだろうが、飛べない。生身で空を飛ぶというのがどのような感覚なのかわからないので飛び立ちようがないのだ。

案外崖から飛び降りてみたらあっさり飛べたりするのかもしれないが、今はそこまでする必要性も感じない。手ごろな崖も見当たらないし。元の世界に帰るまでに飛べなかったら、ハンググライダーでも試してみようか。

とはいえ、今の状態でも新幹線と駆けっこして余裕で勝利できる速度を出しているのだが。おかげで走った後は土や草が爆発したかのようにはじけ飛び、地面も抉れ続けている。

この足跡も、後々XATに見つかって新種の融合体かと思われるんだろうなぁ。いや、当たらずとも遠からずなんだけど。

と、前方にデモニアックの集団を発見。バイクで逃げる獲物に十数体のデモニアックが纏わりつき団子状態、バイクの人絶体絶命。

減速せずに集団に突撃。追い抜き様に一体の頭部を掴み、捩じるように引きちぎる。未だにバイクの人にはりついている残った胴体を蹴り飛ばしひっぺがす。

バイクの前で立ち止まる。改めて見ればバイクに半ば融合しているデモニアックが居る。融合されると面倒なので力任せに引き抜こうとすると、融合している面から千切れ、次いでバイクから融合していた部分がなぜか吐き出された。

バイクはどうやらガルムだったようだ。デモニアックが多すぎて見えなかったが、多分ここでエレアさん初登場、ガルム融合ジョセフ無双が始まるところだったのだろう。

しかしまぁ別に遠慮する必要も無し、とりあえず怯んでガルムから離れたデモニアックから片付けるとしよう。

掌の紋章から武器を具現化する。大鎌ではなく通常サイズの鎌を二本、バイクの人――ジョセフ・ブラスレイターの両脇にいたデモニアックに投擲、頭部にスコンと小気味いい音をたてて突き刺さった。

呆然としているジョセフを跳び越え、空中から後方に居た数体のデモニアックに掌を向け、衝撃波発射。ザーギンが使うものと同種、かつ変身済みである分威力は段違いのそれが周りの木々ごとデモニアックを押しつぶし吹き飛ばす。

更に木々の向こうに潜んでこちらに突撃しようとするデモニアック、逆に逃げようとしていたデモニアックを纏めて無数の触手で貫く。ブラスレイター化した時に基本能力も強化済み、戦闘にも使える特別仕様だ。金属質の装甲に守られたデモニアックも楽々串刺しである。

正直ザーギンの触手とだって打ち合って負けない自信がある。あちらは本数に制限があるがこちらはわりと融通がきく。そもそもザーギンに会う可能性は無いに等しいので張り合う必要は無いのだが。

更に今ならプラズマ発生装置も強化済み、クロー以外の使い方もできるのだが森林地帯での火遊びはいけない。大火災になってせっかく手に入れた隠れ家まで焼けてしまったら元も子もない。

デモニアックの死体から触手を引き抜き格納すると同時にジョセフの背後に着地。嗚呼、今すっごい無双してるなぁ。今なら誰にも負ける気がしない、当然思い込みだという自覚はある。俺はまだ登り始めたばかりだからな、このチート坂を……!

「お前は……」

ここでようやくジョセフが口を開く、反応が遅いような気もするが俺がバイクに取りついていたデモニアックの首を引きちぎってから二秒も経過していないからそれほど遅くもない。

むしろエレアさんが無言なのが気になる。怪しいだろうしなぁ今の俺。警戒されてる警戒されてる。

「あ、休んでいてください。すぐに片付けますので。そんな状態では満足な戦闘行動もできないでしょう?」

ジョセフ・ブラスレイターは全身の装甲を削り取られ無残な姿を曝している。ブラスレイターの装甲はデモニアックよりよほど強靭だが、あそこまで集られるとそれなりにダメージが通るようだ。

実際はあんな状態でもガルムと融合すれば余裕で戦えるのだが、それではこちらの都合が悪いので言わないでおく。

「バイクの方は少し手伝って貰えますか?」

「……?」

疑問符を浮かべるジョセフはひとまず置いておき、ガルムを見つめる。動きもせず喋りもしないまま数秒が経過するが、しばらくすると訝しげな返答が帰ってきた。

「貴方……、何者なの?」

「戦場には似つかわしく無い、なかなかに哲学的な質問ですね。俺は何の変哲も無い、通りすがりの怪しいものですよ」

「……」

微妙な雰囲気の沈黙、呆れているのか怒っているのか訝しんでいるのか。

「……まぁいいわ。ついでに、ジョセフに魅せてあげてくださらない? 猛々しく美しい、ブラスレイターの戦いを」

「言われなくとも。はい、ちょっと退いてくださいね」

上手く行った! 本当はもう少し手荒に捕獲して無理やり融合する手筈だったのだが、思いもよらずスムーズに話が運んだ。これも普段の行いが良いからか。

ジョセフに一先ず退いてもらい、ガルムに跨り融合を開始する。そして外見だけでは構造的にどうなってるのか分からない変形開始。

「それは……!」

ビックリドッキリメカの変形に驚くジョセフ。少し意地悪をしてみるか。

「これがガルムの真の姿って訳ですよ。なんで十年も乗ってて気付かないんですか?」

「あら、ジョセフは一度も融合したことが無いもの、気付かないのも当然だわ。人間離れするのが、悪魔になるのが恐ろしかったのでしょう。でもジョセフ、そんな覚悟ではザーギンには到底追いつけなくてよ?」

エレアさんの容赦の無い追い打ちが続く。人間離れするのが、悪魔になるのが怖い?変身してから鏡を見てもう一度よく考えて気付くべきだろう、ブラスレイターになった時点で充分アウトだと。

十年の間、ほぼブラスレイターの身体能力だけで戦ってきたのは称賛に値すると思うが、そもそも大きな売りである融合や具現化などの各種特殊能力を一切使わないというのも間抜けな話だ。

まぁ、本能を押さえつけて戦えるのがジョセフが暴走しない原因である以上難しい注文なのかもしれない。だが、せっかくなのでここで本能のままに戦うブラスレイターの一例を見て貰っておこう。

大鎌を具現化、融合し半身と化したガルムを駆り、俺は周囲のデモニアックの掃討を始めた。

―――――――――――――――――――

数分後、苦戦とかそういうドラマ一切無しに俺は勝ってしまった。周辺のペイルホースの反応は俺とジョセフの物しか存在しない。掃討完了だ。

「甘味(笑)」

「?」

「何を言っているの貴方は……」

変身を解除し、『ガッシ、ボカ!』といった表現すら超越して省略した消化試合を一言で表現した俺に、不思議そうな顔を向ける変身を解いたジョセフと、呆れた声をかけるエレアさん。

「いや、『美しくありませんわぁ』とか言うべきかな、と思いまして」

「そうね、戦いというよりは掃除とでも表現するべきなのかしら。戦い方の参考にはならなかったわね、ジョセフ?」

話の矛先を向けられたジョセフは、俺のことを訝しげに見つめている。男に見つめられて喜ぶ趣味は無いのだが。

そしてエレアさんの問いかけを無視してこちらに声をかけてきた。

「お前は、堕ちていないのか?」

警戒心バリバリである。一回助けただけではそう簡単に信用して貰えないらしい。

「さぁ? その『堕ちる』という言葉の意味がいまいち分からないので、見たままです。としか言いようがありませんね」

大げさに肩を竦めてとぼけてみる。相手は年上なので敬語とか丁寧語っぽく喋っているが、間違いなく正しくないという自信がある。

しかも自動翻訳のような状態なのでどこまで正しいニュアンスで伝わっているか分からない。総合的に見て今の俺、かなりムカつくキャラじゃなかろうか。

更に言うなら『堕ちる』の意味も正確には把握していないというのも本音。設定集に書いてあった『初期設定だとゲルトは速攻で悪堕ちして化け物っぽい姿になるはずだった』の名残りかもしれないが、とりあえずここでは正気かそうでないかを問われていると考えればいいのだろう。

そんな俺のセリフに黙り込むジョセフ。そして未だ立体映像すら出していないエレアさんがクスクスと笑いながら茶々を入れた。

「堕ちているかはともかく、ジョセフよりは力を使いこなしているようね」

「楽しいか? さっきから姿も見せずにそうやって他人を見下して……」

なんだか険悪なムードだ。ジョセフが一方的に険悪になっているだけなのだが。

「と、言うかですねエレアさん。バイクに向かって話しかける成人男性二人、という図はかなり間抜けなんで、とりあえずそれっぽい姿を現しちゃくれませんか?」

下手に出てお願いしてみる。ぎりぎり片手で数えられない程度の人数しか居ない貴重な本編登場名有り女性の一人だ、できる限り円滑な人間関係の構築とかも目指したい。

「そうね――これで良くて?」

言い、ガルムの車体前部に存在する端末から立体映像を投影するエレアさん。誰がデザインしたのか、それとも自分から勝手にこの姿になったのかは知らないが、偉く趣味的な姿である。

仮にも世界の裏で暗躍を続けていた組織のメインコンピューターに住まうAIプログラムが、何故にこんなおっきいお友達受けしやすい見た目をしているのか。ブラスレイター本編で明かされなかった大きな謎の一つだ。

「ねぇ貴方、少し聞きたいのだけれど。」

ようやく妖精のような小悪魔のような愛らしい姿を見せたエレアさんであったが、こちらに向かって首を傾げてみせる。

「名乗って、なかったわよね?何故貴方は私の名前を知っているのかしら?」

「…………あ」

立体映像のエレアさんがこちらを見つめる。なんという凡ミス。この時点でエレアさんの名前知ってるとか今さらながら不審人物過ぎる。

小首を傾げながら微笑んでいるエレアさん。微笑んでいるのに眼だけが笑っていないから余計に視線が痛い。そんな細かい表現もできるとか、器用な立体映像である。

「……」

こちらの会話を聞きながら胡散臭げな顔をするジョセフ。彼にとっては俺もエレアさんも不審過ぎることに変わりは無いのだろう。

「ああもう、とりあえず話を進めますよ。こちらがエレアさん。明らかに仮の姿だけどそこは勘弁してあげてください。そのガルムにはエレアさんの真の姿を見せるだけの機能は搭載されて無いんです。」

エレアさんの追及もジョセフの視線も無視して話を進める。いや、何もかも無視して帰るってのもありだけど、融合時にガルムのコピーも出来たからしばらくやることが無い。

暇つぶしにもなるし、せっかくなのでここは開き直って解説役をやってみよう。

「これといった目的は、しいて言えばジョセフさんの戦いを見届けたいとか。所属はツヴェルフ――っても分かりませんよね。ガルムをくれた組織って言えば分かりますか?すべての元凶と言ってもいいですけど」

「あぁ、まだ存在していたのか……」

どうでもよさそうな返答。そういえばそんなのいたなとでも言いだしてしまいそうなほど眼中に無かったようだ。

まぁ仕方ないと言えば仕方ない。ジョセフが行動しているのは姉の死を無駄にしない為、そしてザーギンを止める為だ。組織の思惑とかは心底どうでもいいのだろう。

実際、本篇でもジョセフの目的のためにツヴェルフが役に立ったことは少ない。せいぜいイシスの開発ぐらいか。それも半ば以上姉の手柄。

バーサーカーモードとか速攻で負けたし、なんだったんだろうあれは。位階を上げる為に必要な工程だったとかそんな説明も無かったし。

ついでに言えば最終回、これはジョセフの話だが、あそこで凌駕する意味もあまり無かった。死体を残して死んだ時点でイシスの発動には巻き込めた訳で、つまりあれは時間を稼いだゲルトとヘルマンの手柄だ。

本当にツヴェルフは何がしたかったのか。というか自分で蒔いた種を刈ろうとして失敗しかしていないっていう。

「支部の一部が壊滅した程度で潰れるほど軟な組織じゃありませんからね。今でも元気に対融合体兵器の開発でもしてるんじゃないですか?」

「……ずいぶんと色々知っているのね」

「しかも、自分のことは話そうともしない」

あ、今凄い勢いで不信感が増してる!顔を合わせたばかりの二人がいら立ちのあまり微妙に息が合い始めているし。

「あ、申し遅れました。俺は――」

と、いったいどう名乗ればいいのか。分類的には旅人とでも言うべきなのかもしれないが、職業旅人とか初対面の人に言うには少しチャレンジ要素が多すぎる。

じゃあ正直に農家とか?……畑放置でなにやってるんだろうこの人みたいな眼で見られるのもなぁ。

もうちょっとこう、捻りが効いてて追及が少なくなりそうな。托鉢の旅を続ける修行僧とかそんな感じの。

でもキリスト教の人に私はブッディストですとか喧嘩売ってるように聞こえるかもしれない。もう面倒だし、名前だけでいいかな。

「鳴無 卓也と申します。職業とか旅の目的とかは秘密ということで一つ。」

「名前だけじゃないの……」

呆れられてしまった。しかしツヴェルフほど秘密があるわけでも無い、詳しく説明しようが無いのだから仕方ない。

「いや、特に話しておくべきこともありませんからね。まあ名前を知っておいて貰えれば会話も多少スムーズになるでしょうし」

「美しくない言い訳だわ。せめて、どうやってあの美しく堕ちた身体になったのかくらいは説明して欲しいものだけれど」

「御尤もで。しかし、ペイルホースの製法が失われている今、融合体を増やせる存在なんて限られてると思いますがね」

漫画版は知らないが、小説版とアニメ本編ではそれっぽいことをしているのはザーギン一派のみ。

野良デモニアックに合って感染というのもありだが、その野良デモニアックにしてもザーギンだのベアトリスだのが感染源だろうし。

まぁ、カルト思想に囚われた秘密結社とかがひそかに融合体を増やしているとか、展開的にはありそうな気もする。謎の魔術結社だ!復活したナチ残党だ!とか、舞台が独逸ならやり易い題材だろう、偏見だが。

「じゃあ、やっぱりザーギンから?」

「ザーギンだと!」

「さぁ?どこから感染したかなんてどうでもいいでしょう? ああ、聞かれる前に言っておきますが、ザーギンのことは多少知っています。でも今何処にいるかとか、何をしようとしているかなんてのは欠片も知りませんよ」

返答とともに、エレアさんの推測に腰を浮かせて反応しようとしたジョセフに釘を刺す。というか凄い超反応だ。外国人のリアクション四コマのオチ張りに立ち上がりかけている。

「……そうか」

手がかりを見つけられたと思いきや即座に途絶えたからか、ガックリとうなだれながら元から暗い表情が輪をかけて暗くなるジョセフ。

「ま、そんなに焦る必要はありませんよ。今まで通りデモニアックを殺し続けて強くなれば、そのうちあっちから勝手に接触してきますから」

「それしか無いのか……」

「つまり、貴方が強く美しくならない限り、被害者は余計に増える一方という訳よ」

エレアさんのセリフに一層暗く、それでいて苦虫を五、六匹纏めて噛み潰して丹念に咀嚼して思いっきり飲み込んだような苦い顔をするジョセフ。

別にジョセフを鍛えるためだけにデモニアックが増やされている訳では無いが、それでも多少はジョセフ強化の為に多めに作られているのだろう。

「人間がどうとか悪魔がどうとかいう変な拘りは捨てて、さっさと位階を上り詰めろ。ということですね。よろしければ強くなる方法、力の使い方というものをお教えしますが」

俺が教えなくてもエレアさんが教えてくれるだろうけどねー、とは言わない。というか俺、大分ムカつく言動だな。すっごい上から目線だし。

まあ正直な話、ジョセフからの印象が悪くなっても今後の予定に影響は一切無いからこんな態度ができているのだ。普段は初対面の相手にはもう少しまともな会話を心がけている。

下手をすると――というか、下手なアクシデントが無ければこれ以降原作登場人物と顔を合わせることは無い。こんなことを考えていること自体がアクシデント発生フラグなのかもしれないが。

「……じゃあ、教えてみろよ、力の使い方ってやつを」

「ジョセフ、それは人に教えを請う人間の態度としては美しくなくてよ?」

「ま、ま。エレアさんも細かいことはお気になさらず」

上から目線で会話をし続けたせいかジョセフがイラついている。口調が乱暴で本編よりややワイルドな感じになってしまった。セリフ少ないからいまいちどんな口調だったか覚えてないが。

しかし、こうして見るとエレアの発言はどことなくジョセフの保護者風だ。十年間も観察し続けていたから愛情的なものがあるのか。しかし首輪で強化のプランは実行する。隠れSかもしれない。

「じゃ、こんなところで立ち話もなんですし、飯でも食いながら説明しましょうか」

そう締めに言い、人に係わりたがらないジョセフを無理やり引っ張って適当な飯屋に連れていくことになったのだった。

―――――――――――――――――――

回想終了。長かった……。

お分かりいただけたであろうか。そう、実は最初から最後まで俺の自業自得なのだ。

「だはー……」

机に突っ伏して脱力する俺。自分の間抜けぶりに思わず奇声を発してしまう。

「自分から食事に誘っておいてそれは、あまり美しいとは言えないわよ?」

そんな俺に容赦なく追い打ちをかけるエレアさん。といっても別に店内にバイクで乗り付けている訳では無い。

今現在のエレアさんは、俺が部分的に複製してみたガルムの通信端末(小さめの弁当箱程度のサイズに改修済み)で会話に参加。

テーブルの上に美少女の立体映像を浮かべているのにも関わらず、周りから何のリアクションも無いのは当然強力な認識阻害の魔法のおかげ。この魔法だけは意外と重宝している。

「いや、まさか口に物を入れたままだと喋らないタイプの人だとは……」

そんな今時誰も守っていないような理由でひたすら会話も無しに黙々と食事を続けるはめになるとは思わなかった。流石は教会育ちの生粋のクリスチャン、礼儀正しい。

突っ伏しながらもフォークで料理を突き刺し口に運ぶ。ヴルスト、おいしいです。ジャガイモ、おいしいです。でも贅沢をいえばもう少し食事時の愉快な会話とか欲しい。切実に。

まぁ、十年もの間、ずっと人との関わりを避けてきたのだからこんな感じにもなるのかもしれない。彼にとって食事時の団らんは遠い過去の話となってしまったのだろう。

エレアさんが携帯用通信端末に取り付けられたカメラをくるくると動かして辺りを見渡し、偶に話を振ってきてくれるのが救いか。

「今撮ったのは、軍が組織した対融合体の組織の連中?」

「そうですよー。Xenogenesis Assault Team(異種発生突撃隊)、通称XAT。軍や警察から厳しい訓練の末に選抜されたエリート集団です」

「その割には美しくない連中ね」

「酷いこと言うなぁ……」

聞こえないからって言いたい放題だ。最初は認識阻害の魔法を不審がっていたが、なんだかんだで順応してしまうあたり、やはり見た目通りの少女では無いことがうかがえる。

まぁ仕事帰りとはいえ見事に酔いつぶれているのだから弁護のしようが無い。非常招集とかかかったらどうするんだろう本当に。一班(笑)に任せるつもりだろうか。

「言わなくても知ってると思いますけど、メガネでマイペースに呑んでるのはツヴェルフ所属のパイロットですよー。搭乗する機体は戦闘機っぽいスケールライダー」

「メイフォンね。ヴィクターの過保護にも困ったものだわ」

肩を竦め、やれやれと首を振るエレアさん。あっさり現時点では機密情報っぽいアポカリプスナイツの機体情報を口にしても突っ込みが無いのは寂しい。

店に入る前、おもむろに懐から通信端末を取り出した(服の下で複製を作り出し、襟元から取り出したかのように見せた)時に呆れた顔をしていたが、すでにあの時点でこちらの行動へのツッコミは諦めたのかもしれない。

しかし過保護?過保護かなぁ。サイボーグ化は延命のために必要だとしても、

「孫が最新鋭機のパイロットになることを許可するのは過保護なんですかねぇ?」

「だからXATなんて組織でアナライザーをさせている、とも取れない?」

「あー……なるほ、ど?」

それもなんか違うような気がするが、祖父の役に立ちたい孫と孫を大事にしたい祖父との間で生まれた妥協点なのだろう。ヴィクターにとっても一番信用できる人物だし。

「エレアさん的にはどうです?家族愛って」

「美しいんじゃなくて?人間の感性で言えば」

「それ、自分の感想では無いですよね」

「ふふっ」

笑顔ではぐらかされた。やはり化け物其の物なブラスレイターを美しいと表現するだけあってかなり尖った感性をお持ちのようだ。

心に病を負った家族の精神安定の為に行われる近親相姦とか、先祖代々伝わる武術の奥儀を伝える為に親殺しが必要とか、そんな感じの家族愛は本気で美しいと感じるのかもしれない。

よくよく考えたら唯の変態じゃないか。立体映像とはいえこんな美少女が変態とか……素晴らしいぞ。なんだか臍の下あたりにグッとくるものがある。

「……そろそろ教えて貰えないか?」

「何をです?」

「戦い方に、力の使い方って奴をだ」

俺が料理をつつきながらエレアさんと談笑している間に食事を終えたらしいジョセフが声をかけてきた。正直、これから話す内容はこんな場所で喋って良い内容では無い気もするが、認識阻害の効力は既に理解してもらえたようで、特に文句は言ってこない。

「ではジョセフさん、貴方の掌に刻まれている紋章が何を示しているか――ってのは知ってますよね?」

「……悪魔の印」

「あら、それくらいは知っているのね」

俺の問いに簡潔に答えるジョセフとそれに感嘆の声を上げるエレアさん。

「では、何故そんなものが刻まれているかは?因みにこの紋章は全てのブラスレイターに刻まれています」

「……お前達は悪魔だ。とでも言いたいんだろう」

「はいお見事、正解です」

「ちょ、違うわよ!そんなくだらない理由な訳が無いでしょう!?」

ジョセフの回答とこちらの返答に食ってかかるエレアさん。別に怒るべきところでも無いと思うんだが。

「いえ、そんな程度の認識でいいんですよ。どうせ数が同じだったからというこじつけ、大した意味も無いんですから」

「……そんな理屈、美しくありませんわぁ」

俺の投げやりな意見に微妙にしょんぼりされてしまったが話が進まないので放置。

「まず、すべての人間がブラスレイターになれるわけではありません。血液中に侵入したナノマシンは遺伝子や何やらの様々な情報を得て、必要条件を満たした者だけをブラスレイターにし、満たせなかったものをデモニアックにします。ここまでは知っていますね?」

「ああ、大体は知ってる」

「それは良かった。人間をブラスレイターに進化させるナノマシンの構成パターンは72種類。ナノマシンは遺伝子などの様々な情報からその人間に適した構成に自分を組み替えていきます」

ジョセフは自分の掌の紋章に目を落としている。紋章の中にはローマ数字で七十二と刻まれている筈だ。

「まぁ、研究者が考える分かりやすい理想の構成パターンを1として、少しづつ少しづつ新たな構成を見つけ出していって、その構成の数が72だったから、外見の凶悪さとかも加味してゴエティアの72の悪魔にこじつけたというわけですね」

美しき奇跡の顕現だの選ばれた人類だのはどうでもいいので省略。遺伝子が適合してブラスレイターになれるかどうかはほぼ運によるところだしね。選ばれし者もくそも無い。

「そしてザーギンのナノマシンの構成パターンは、ツヴェルフが考えるもっとも理想的なもの。通常のブラスレイターでは逆立ちしたって敵いません」

「……」

絶望的な事実を突き付けられたような、それでいてどこか納得しているような微妙な表情で黙り込むジョセフ。ザーギンにどこか圧倒されていたところもあるらしいので仕方がない。

しかし正直な話、ザーギンはそこまで優秀だったろうか?高潔さとか頭脳面や肉体面ですぐれているかとかで強いパターンと適合するなら、まずペイルホースを開発した彼の姉とか凄いブラスレイターになりそうなもんだと思うのだが。

「はいそこ落ち込まない!大事なのはここからなので落ち込まずにちゃんと聞いて下さいね?」

「あ、あぁ……」

落ち込むジョセフに向かって冷めたヴルストの刺さったフォークを突き付け注意し、説明を再開する。

「まだ絶望するほどではありません。ザーギンは単純なスペックで言えば最強のブラスレイターですが、最後に発見された構成パターンを持つ貴方はその裏をかくような能力を唯一持ち得ている可能性があります。」

「……そうね、最後に発見されたパターン――アンドロマリウスは未だ未知の部分が存在するわ」

ここで今まで黙って俺の説明を聞いていたエレアさんが初めて口を開いた。

割と設定部分があいまいなブラスレイターでは、結局ジョセフの能力が何なのかはっきりと明言されてはいない。

しかし、最終回の描写から『今まで戦ったブラスレイターのナノマシンを保存し、そのブラスレイターの特殊能力を行使できる』というのが割と有力な説となっているらしい。

ゆえにデモニアックやブラスレイターと戦い続けていればザーギンにたどり着く、ザーギンを止められるというのもあながち間違った考えでも無い。ザーギンが突っかかってくるジョセフを殺さなければという前提があってこそだが。

「そんな訳で、取りあえずは基礎を固めることから始めましょう。基礎なくして応用無し。ヴィジョンの具現化です」

「具現化?」

「ジョセフ、細かい理屈はあなたには必要ないのではなくて?」

「下手に原理を理解して固定観念に縛られるのもいけませんしね。とりあえずそういうものなのだと理解しておいてください。で、ジョセフさんのようなタイプですと、具現化には明確なヴィジョンを思い浮かべることが必要になります」

これが本能や衝動に任せて力を振るうタイプのブラスレイターなら最初から具現化が可能(マレクやヘルマンなどが例)なのだが、感情を制御して戦うジョセフはその辺が不便になっている。

「まぁ具現化するのは大体の場合において何かしらの武器ですから、悪魔の辞典でも調べてそれらしい武器を連想してみるのが近道じゃないですか?」

そう締めくくり、フォークに突き刺したままだった最後のヴルストをパクリと一口。

力の使い方を教えるだのなんだの言っておいて結局具体的な方法は武器の具現化しか教えてないあたりはお粗末だが、現時点でジョセフが即座に手に入れられる力と言えばこれしか無いのだから仕方ない。

「省略しすぎて美しくは無いけれど、それなりに分かりやすい講義だったわ」

「それはそれは、一番詳しい組織の方にお褒めに預かれるとは、光栄です。俺ではなくエレアさんから説明していただいてもよろしかったのですが……」

「構わないわ。あなたの説明は美しくは無いけれど、必要なことは全て網羅していたのだし、ね」

俺が説明しても必要なことは全て網羅していたということは、ツヴェルフもその程度の情報しか持ちえていないということだ。

ペイルホースの完成から十年。ナノマシンの構成パターンが72あってそれに名前を付けて……、というのが既に十年前には完了していたのだと考えると、未だに最後のアンドロマリウスのパターンだけ解析が済んでいないというのも間抜けな話である。

とりあえずジョセフにガルムを渡してザーギンを追わせるより、協力して貰って最後のパターンがどんな能力を持っているかを解析、ジョセフの遺伝子やら脳波やらを調べてブラスレイターになる可能性の高い人間を探すとかするべきだったのではと思えてならないのだ。

行き当たりばったり過ぎる行動方針をどうにかしていくべきだという意見は出ないのだろうか。それとも宗教組織だからそれでも構わないと思っているのか、疑問は尽きない。

「ま、さんざん説明しといてなんですがジョセフさんは座学より実戦向きですし。エレアさんに頼めば次のデモニアックの出現予想地も分かるでしょう」

「……そんな事までできるのか?」

話を向けられたエレアさんが指で四角を形作ると、そこの空間だけが切り取られたように歪み、やがてこの地点を中心とした地図を表示し、次いで地図上に赤い点をいくつかと矢印付きのラインを表示した。

「これが今までのデモニアック発生現場と、それに基づいて予測された次の予測地点よ。もっとも、この程度ならXATにも分析可能よ。」

「ザーギンの痕跡を辿る為にもXATより早く捕捉してデモニアックを殲滅しなければならないし、被害者を少なくするためにも急がなければいけない。どちらにしても急ぐことは確定。大変ですね」

まるっきり人事な態度で気楽に言いながらオレンジジュースをちびちび飲む。

「貴方はどうするの?」

「ツヴェルフの関係者――エレアさんに見つかっちゃいましたからね。身を隠しますよ、多分」

まぁ、エレアさんに顔を見られているベアトリスが普通にあちこちうろついているのだからそこまで心配する必要はないのかもしれない。派手に事件を起こさなければ問題はないだろうし、バイトでも探してみよう。

「ま、無理しない程度にがんばってくださいな。死んだらなんの意味もありませんからね」

自分の食事代をテーブルに置き席を立って歩き出したジョセフの背に向かい別れの声をかける。返事は期待していなかったが、以外にも返事が帰って来た。呟く程度の声量だが。

「問題はないさ、ヴィジョンは見えてる」

呟くような声なのに内容的には力強いセリフを言い残し、ジョセフは店から出て行った。頼りになりそうな気がする、多分気のせいだろうけども。

外に出たジョセフから視線を外し、テーブルの上を見る。空き皿、空のコップにナイフとフォーク、そして、通信端末。

「で、まだ何か聞きたいことが?」

そこにはいまだ通信端末から姿を投影しているエレアさん。真顔でこちらを見つめる立体映像を映しながら、

「結局、貴方は何者なの?」

こちらの掌の紋章をチラリと見、問うてくる。

なるほど、悪魔の印が後付けなら、どのブラスレイターに適合したとしてもその紋章はデータベースに残っているということか。

更に言えばガルムに融合した時にこちらの肉体が普通の人間のものでは無いことがばれたのかもしれない。可能性は低いが。

「……まぁ、いいわ。ジョセフを助けてくれてありがとう。縁があったら――」

「そんな縁いりません。ツヴェルフに捕まりたくはありませんので」

「つれないのね。私は貴方にとても興味があるのだけど。あの美しい姿も含めてね?」

「ツヴェルフとか関係無しの個人的なおしゃべりなら大歓迎ですよ?」

「ふふっ、機会があればそうさせてもらうわ。また逢いましょう、タクヤ」

最後に妖しく微笑んで立体映像のエレアは消えた。外からバイクの発進する音が聞こえるから、さっそくデモニアック狩りにでも行ったのだろう。

通信端末を懐に入れ身体に取り込む。これで再び作り出さない限りは端末から所在を探られるなんてことは無い。

席を立ち会計を済ませ店を出る。夜も更けてきたし普段はあまり使わない口調で喋ったから精神的に疲れた、帰ってさっさと寝よう。

「あ、空き巣やんの忘れた」

まぁ仕方ない。デモニアックになった人間の家から金品を拝借すると言っても元からかなり無計画な計画だったのだし、換わりにガルムのコピーまで完了したのだから差し引きでプラスだ。

しばらくは暇つぶしにバイト先でも探したり崖から飛び降りて空を飛ぶ練習をしたりの繰り返しかな。バイクも手に入ったから怪しまれずに教会から市街地に通えるのも大きい。

因みに走った方が速いんじゃね?という疑問はいささか的外れ。そこら中に監視カメラが仕込まれている未来独逸でそれは危険すぎる。都市伝説になる程度なら可愛いもので、XATによって融合体との関連性ありと見なされたら面倒にも程がある。

「ヴルスト美味かったなー、明日は肉屋でも巡ってみるかー」

ともあれ、小説版で取り込める物は取り込んでしまったのだし、しばらくのんびりできる。明日からの無駄に長い休日に思いを馳せながら、俺は隠れ家の教会へと帰っていった。



次回へ続く

―――――――――――――――――――


以上、ジョセフとエレアさんを率いて飯屋に突入の巻でした。DVD見直したり小説読み直したりしているけどエレアさんの口調がいまいち分からない。お嬢様風のようでそうでないような……。

ジョセフのセリフも小説版とほとんど変わらないですがそこは勘弁していただきたく。

あ、主人公は肉体に取り込んだものの複製を質量保存の法則ガン無視で無限に作り出したりできます。それでも姉が旅行鞄を持たせたのは多少なりとも主人公に人間らしさを忘れないでいて欲しかったからという理由。

この能力を活用すれば十分過ぎるほどお金は稼げるんですが、そんな事をすると時間が余って暇で仕方がないのでやりません。

生きた動物とかは無理ですが頑張れば取り込んだデモニアックの複製が作れたり。死体からデモニアックになった物限定ですけどね。生きたままデモニアックやブラスレイターになったものは取り込んでも複製できません。

でも仮に今の段階で作っても、まだ主人公がどうやって下級デモニアックを支配すればいいか分かってないので脱走して勝手に暴れ出しちゃいます。

主人公の設定をあとがきでだらだら書き綴るのも変だし、ブラスレ編が終わって一区切りついたらこっそり設定とか纏めて書くべきでしょうかね。どう思います?

そんなわけで次回、マスコット的なオリキャラ登場。アルとかエレアとか村正とか好きですか?自分は大好物です。かけあいさせるためだけの便利マスコットは食傷気味だと言われても好きなんです。

言い訳ですがマスコットというかお供というか相棒的なキャラは最初から出すと決めてました。美少女の皮を被ったウインドウズのイルカとかの同類、あるいはダッチ。

それでも構わない、むしろ「機械語写本とか可愛いよね!」とか「村正より正宗のがノリが好み」とか「適当に読んでやるから、暇は潰せるから」という愉快で寛大なお方は、作品を読んでみての感想、諸々の誤字脱字の指摘、この文分かりづらいからこうしたらどうよ、一行は何文字くらいで改行したほうがいいよ、みたいなアドバイスとかよろしくお願いします。



[14434] 第四話「独逸の休日と姉もどき」
Name: ここち◆92520f4f ID:50eb91d5
Date: 2009/12/18 12:36
ジョセフ、そしてエレアさんと接触を図り一緒に食事をとり謎の助言者ごっこに成功、見事に何事も無く解散したあの日から、しばらくの月日が流れた。

気の良さそうな壮年の男性の手から俺の手に封筒が手渡される。中身は当然――

「はいお疲れ、今週の給料だよ」

「YAAAAAAAAAHOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!」

給料袋を握りしめ、膝を地面につき両腕を天に突き出したガッツポーズ、全身で喜びを表現。一週間の労働の成果が形となって俺の手の中に存在する!おお労働の素晴らしさよ!

「きみは本当に嬉しそうに給料を受け取るねぇ」

「あ、いや、仕事明けでハイになってるもんでつい」

しかも別に疲れているとかそんな理由でハイな訳では無く、なんとなく仕事が終わって嬉しいからとかそんな理由、ついでに明日からは休日だからという理由もあるが。

「で、あとどれくらい務められるんだっけ?一月位?」

「そうですね。そろそろ帰国ですからそんなもんでしょうか。」

「新しいバイトもそろそろ募集しなきゃねぇ」

「お手数かけます。じゃ、お疲れさまでしたー」

店長に挨拶し店を出る。握りしめた給料袋を懐の財布に仕舞いこみ、鞄を手にブラブラと歩きながら物思いに耽る。

今現在、俺は初日に立ち寄ったゲームショップで臨時の雇われ店員をやっている。と言っても毎日毎日働きづめという訳でも無く、週に三日程度だけ店番をやらせてもらっているだけなのだが。

数か月に渡る何もすることが無い生活というのも暇、更にお土産を多めに買う為にお金も必要ということでこの店のバイトをして生活にメリハリを付けているのだ。

貰った給料の一部は食費と隠れ家の改装に使い、休日には良いお土産が無いか市街地をぶらつきながら探索して時間を潰し、それでも余った時間はデモニアックを潰したり能力の練習に費やす日々だ。

――あれ以降ジョセフとエレアさんには接触を取っていない。新聞を見た限りでは無事にマルコ・ブラスレイターを撃破したのだろう。

そして先月、ゲルト・フレンツェンがレース場に乱入したデモニアックに襲われ再起不能。ついにアニメ本編の時間軸に入った訳だ。

「それでもまだ暇なんだよな、これが」

ゲルト編では特にやることは無い。次は市街地が壊滅してからの一週間が勝負になる。

ああいや違うな、もしかしたら市街地にデモニアックが大量発生した段階でどさくさに紛れてパラディンを取り込めるかもしれないと考えてはいるんだが……。

「ふぅむ」

その場合、高確率でジョセフと敵対するはめになる上に、ベアトリス辺りに発見される可能性もある。別にちょっかい掛けられる理由も無いが、何を仕掛けてくるか分からない辺りが厄介だ。

ペイルホースを取り込み、すべてのブラスレイターの能力を潜在的に保有している今、ブラスレイターと敵対するのは戦闘経験を積むという理由以外には意味がまったく無い。

しかし、既に手頃な崖から四桁に迫る回数飛び降りているにも関わらず一行に空を飛ぶ感覚を掴めていない今、空を飛べるブラスレイターであるベアトリスとの戦いを経験できれば、それは間違いなくプラスになる。

しかし、そこから芋づる式にザーギン辺りに目を付けられるのは面白くない。避けようとすれば避けられるような気もするのだが……。

考え事をしている内に市街地の端っこに到着した。目の前にはガルム――を微妙に改変しつつ複製したバイクが停めてある。

諸々のこちらの位置を特定できそうな装備をオミットしたこのバイク、今では変身前も後も立派に俺の脚を務めてくれている。あえて名前を付けるならガルム・マイルドとかそんなんで。

鞄からヘルメットを取り出し被る。あのジョセフも使っているタイプ、コートと一体になったヘルメットは色んな店を探したが見付からなかった。帰るまでには絶対に見つけてお土産にしたいと思う。

バイクに跨ってハンドルを握り、ゆるやかに速度を上げ走り出す。正直走った方が速いが、バイクにはバイクの風情があるのだ。難癖をつけてはいけない。

走り出して十数分で隠れ家に到着。バイクを隠して荷物を置き、教会の奥の住み込みの神父が生活するために存在したのだろう部屋に向かう。

この部屋にはベッドも何も無かったが、礼拝堂の長椅子をもぎ取り移動させ、テレビやなにやらもここに設置して今では立派な寝床になっている。

クッションを敷いた長椅子でくつろぎながらテレビのニュースを見るが、もうゲルト関連のニュースはあまりやっていない。

サーキットのチャンプの再起不能という事件も、世間はもう過去の話として処理してしまったのだろうか。薄情な話だ。

テレビを消して長椅子に寝転び、毛布を被り瞼を閉じる。この身体はあまり眠る必要も無いのだが、人間を擬態している間は眠ろうと思えばそれらしく眠ることができる。

危機が迫ると自動で起きる辺り寄生獣などの睡眠に近いものがあるのだが、この教会は人避けの結界と認識阻害の結界が張られているため物盗りもやってこない。野生動物はなぜか俺を恐れているため俺の縄張りであるこの教会には入ってこない。

結論として、化け物のような身体になった今でも、俺は思う存分睡眠を貪ることができるのである。おやすみなさい。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

重い……。いや、寝苦しくなるほどでは無いが、何かこう、違和感がある。かけた毛布が微妙に足りなくなっているのだ。隙間ができて少し寒い。

渋々目を開けてみると、毛布がこんもりと盛り上がっている。引きはがすと、パジャマ姿の見知らぬ少女がこちらを見つめていた。

「おはよ、お兄さん」

「……おはよう」

毛布の中からこちらに挨拶をする少女。未だ半分眠っている頭を無理やり動かし返事を絞り出す。時計を確認、現在時刻、独逸時間にて午前2時。当然独逸基準でも朝では無い。

「……」

「……」

無言のまま見つめあう。見知らぬ、と言ったがよくよく見れば知った顔に似ている。誰だったか……。

「なんだ、姉さんか……」

「はぇ?」

俺の呟きに間抜けな声を上げる少女――いや姉さん。より正確に言えば中学時代の姉さんの幻覚。リアルな幻覚だな、体温まで感じ取れるなんて。

もう近未来の独逸という世界観のブラスレイター世界に来て数か月、これだけの長い期間姉さんと離れ離れになるのは何時ぶりか。寂しさのあまりこんな鮮明な姉さんの幻覚を見る訳だ。

しかもこんな写真でしか見たことの無いような小さい頃の姉さんを鮮明に思い描けるなんて、俺の愛も業が深いというかなんというか。これからは姉さんの写真を眺めたり録音した姉さんの声を聞いたりしてうっとりする時間を増やすべきだな。

「おやすみ……」

「へ?ひにゃ!」

幻覚の姉を抱きしめ毛布を被り直す。大人と子供の中間の年代、抱きしめた感触はいつもの姉さんよりもやや全体的に未成熟。全体に女性の柔らかさを纏いつつも未だ端々に子供のような硬さがある。

あぁ、こういう感触も中々いいなぁ……。幻覚なのが惜しいほどだ。今は寒い季節だし誰かと一緒に眠るのは悪くない。何かがおかしい気もするが深く気にするほどのことでも無いだろう。

「ちょっ、や、お兄さ、むぐ――」

何時もに比べサイズ的にやや小さすぎるが、それも身体を丸めてより深く抱きしめることにより気にならなくなる程度のもの。腕の中でじたばたもがく感触は弱々しく、逆に眠気を誘う。

布団のような適度な重さが心地よく、俺は再び睡魔に身を委ねることに――

―――――――――――――――――――

「いや、その理屈はおかしい」

森に住まう小鳥や怪鳥の囀りにより目を覚ました俺は、起きぬけに昨夜の自分に突っ込みを入れた。

慌てて毛布を捲り上げる、居ない。しかし、もしかして夢だったのかもなどと寝ぼけた事を言うつもりは無い。あの少女は確かに存在した。

「うぅむ、うむ」

手をわきわきと動かし、姉さんのようでいてどこか違和感のある体温や匂い、やや未成熟で骨っぽくもありながら抱きしめた時にいい感じな感触を返す柔らかな肢体を思い出す。

「たまらん……」

歓声(※幻聴)が聞こえる……。思わず走り抜けてしまいそうな清々しさ。

いや違う!本題はそこでは無く、なぜ俺の毛布に潜り込めたかだ。そもこの隠れ家に使っている教会、ネギま世界の悪魔の力を使って認識阻害と人避けの結界、ついでに何と無く感覚で作った視線避けの魔法が張られている。

ツヴェルフか?認識阻害を使ったとしても写真やビデオには映るし、発見されていてもおかしくは無い。しかしエレアさんとの接触から数か月も経過した今になってというのも遅すぎる。

いや、そもそも接近してきたのが害意をもった相手であれば流石に起きるし、起ききれない場合は身体が勝手に放電するなり毒ガスを生成するなりして撃退しているはずだ。

寝てる間に寝ぼけたまま取り込んでしまったという感触も無い。無意識に取り込んだにしても流石に何を取り込んだかは自分で分かる。

大穴でただの物盗りだろうか。偶然に偶然を重ねて結界も魔法も通り抜けたパジャマ姿の物盗り少女が、金目の物を盗む前に少し眠くなって見知らぬ男(俺)のベットに潜り込み少し仮眠を取ろうとした、と。

……自分でもあり得ないとは思うが、侵入者が居たのは確か。とりあえず荷物が盗られていないかはチェックしておくべきだろう。寝室を出て荷物を隠してある礼拝堂に移動することにした。

―――――――――――――――――――

「おっはよーお兄さん! 昨夜は寒かったねぇ」

礼拝堂に入ると、昨夜の少女が朝食を作っていた。パジャマ姿では無くエプロン姿でテーブルに朝食を並べている。ちゃっかり自分の分も作ってあるようだ。

「朝食もうできちゃってるからさ、飯前に顔洗ってきなよ。さっぱりするから」

「……あ、うん」

そうだ、朝食前には顔を洗わなければいけない。俺は隠してあった荷物を一通りチェック、朝食に使用された食材以外の荷物の増減が無いことを確認した上で、ポンプ式の水道がある教会裏の地下室に移動した。

掌に水を溜め、叩きつけるようにして顔を洗う。水の冷たさで身が引き締まるようだ。しかし、凡ミス。

「タオル忘れた……」

荷物を確認したのだからタオルくらい持って来てもよさそうなものだが、今日の俺はどこか抜けているのかそのままここにやってきてしまった。

まあ、多少水が滴っていたからといって風邪をひくような身体では無いのだから気にする必要もないか。

「はいどーぞ」

と、背後からタオルを渡された。濡れていても風邪はひかないが濡れっぱなしは気持ちが悪いので顔を拭く。

「ありがとう」

「いえいえ~、どういたしまして」

振り返る。タオルを渡してきたのはやはり昨夜の少女。エプロンは脱いでおり、下はぴっちりしたホットパンツに厚手の黒タイツ、上はシャツだけとラフな格好。

「……」

「……?」

少女を見つめる。少女は俺に見つめられると不思議そうな顔で首をかしげた。

―――――――――――――――――――

「いただきます」

「いっただっきまーっす!」

礼拝堂に戻って朝食。サラダに目玉焼きにトーストという標準的な軽い朝ごはん。俺は朝に限らず米派なのだが異国の地故しょうがない。しょうがないのだが……

「和食が恋しい……」

「だねー。今日は休日だし、日本の食材置いてる店でも探してみますかー?」

こちらの何気ない呟きに、テーブルを挟んで向かいに座って目玉焼きを乗せたトーストを齧る少女が返してきた。

某天空の城のごとく一気にトースト上の目玉焼きを食わず、ちびりちびりとトーストと一緒に噛み切って食べている。何やら可愛らしさアピールも兼ねてそうなあざとい小動物的な食べ方だが、この食べ方が目玉焼きトーストの一番理屈に合う食べ方だろう。

大昔の某アニメ雑誌の読者投稿ページで、パンの上の目玉焼きだけを一気に食べてしまうところを目撃した美食倶楽部のツンデレが『乗せ物を先に全部食べたら意味がないではないか!』みたいな突っ込みをする四コマが掲載されたらしいが、この食べ方なら納得して貰えるだろう。

「あるかな、ここ独逸だぞ?」

「近未来のねー。しかもどっちかって言うと独逸ってーよりゴンゾワールドとか表現したほうが近い。見つかる可能性は低く無いよ」

「ふむ……」

悩む。確かに米や味噌、醤油があるだけでもかなり日本食らしくなるが、なんの当ても無く探し回るってのは頂けない。

頂けないが、そんなものは適当にうろつきながら考えれば済む話だ。飛行の練習のために一日中崖から飛び降り続けるよりは有意義な時間になるだろう。

「とくに予定も無いっしょ?お姉さんへのお土産も探せるしさー」

「そうだな、せっかく持ってきた飯盒を使わずに帰るってのもしゃくだし、ちょっと探してみるか」

「やた、おでかけだね!」

小さくガッツポーズをする少女。バイクでぶらつくならヘルメットを用意しなければならないか。俺のヘルメットの複製になるからデザインがほぼ同じなのは仕方ないにしても、せめてカラーリングだけでも違うものにしよう。

―――――――――――――――――――

そうこう話し合っているうちに朝食は終了。あまり早く出かけても店が開いてないので寝室に戻りテレビの前で長椅子に寝転びまったり一息。

とはいえこの時間では見るべきものも少ない。融合体の出現が多発しているとのニュースも流れている。ニュースばかり見ている気もするが、独逸のコメディやらドラマやらは今一肌に合わないというか。

「お、ゲルト特集」

「そういやそろそろ奇跡の復活の時期か」

「わくわくするねー」

この世界のニュースといえば、ビッチがデモニアックになってゲルトに生中継解体ショーされる事件は多分夕方だったはず、なのでこの時間帯はそれほど刺激的で面白い映像も流れはしない。

そもそもあの事件が発生する前に、新聞やニュースでゲルトがチャンプでは無く救世主として祭り上げられるのでそうそう見逃すはずも無い。

ビッチ解体ショーが放送されたら学校の周りを監視、マレク少年が学校でいじめっ子達を殺害、ジョセフを抱えて逃げるのを目撃した辺りで隠れ家を引き払って市街地のホテルにでも泊まると。

いや違うな。ゲルトのビル破壊がテレビで原作進行度を確認する最後のチャンスか。それからはバイトが休みの日も市街地に通わなきゃな。知らない間に街が壊滅していましたなんて間抜け過ぎるし。

「ねーお兄さん?」

「ん、何?」

テレビのニュースを眺めながら考え事をしていると、俺と同じくなんとなくテレビを見ていた少女が口を開く。何を言いたいかは分かるがこちらから言ってはやらない。

俺が寝転んでいる長椅子に座っていた少女は、寝ころぶ俺の頭を太ももの上に乗せて膝枕の体勢にし、俺の髪の毛を指先でいじりながら唇を尖らせ、いじけているような口調で続けた。

「もっとこうさ、『誰だお前はー!』みたいな派手なリアクションがほしいかなーって思っちゃったりするんだけど、なしてこんなに馴染んでるん?」

「ふむ」

まぁ平均的な突っ込み役なら礼拝堂で朝食を作っているのを目撃した段階か、そうでなければせめて食事中に会話を挟んでノリ突っ込み的にこの少女の正体を追及するのだろう。

と言っても、別にそういった普遍的なリアクションに悪意とか隔意を持っている訳では無い。俺が正体を聞かない理由はもっと単純だ。

「タイミング逃した。いまさら聞きにくい」

「じゃー説明いる?」

「ん……、任せる。できれば手短によろしく」

「んじゃ、買いものが終わって夜寝る前とかでもいいかな? 大体察してるんだろ?」

「まぁ、ね」

適当に答えながら、太ももの上で頭を動かし少女の下腹部に耳を当てた。内臓の蠢く音、血管の中を血の流れる地鳴りのような音が聞こえる。

顔を太ももに埋め匂いを嗅ぎ、体温を感じる。太陽の匂い、心地よい人肌の温かさ。

「くすぐったいっての」

反撃で耳を抓られた。少し痛い。少女の手首を握り耳を抓む手を離させて、少女の白く細い指をまじまじと観察する。

「人間みたいだな」

「……お兄さんもね」

顔を見合わせ、笑う。朝の時間は概ね穏やかに過ぎて行った。

―――――――――――――――――――

「いやー、買った買った」

「案外簡単に見つかるもんだねー」

小さめの背負い鞄いっぱいに味噌や醤油や米などを詰めて、俺と少女は意気揚揚と市街地を歩く。時刻は昼少し前、今から帰って昼ごはんを作っても早すぎるので、バイクを適当な場所に止めてゆったりと観光を楽しんでいた。

ここ数か月でなんとなく見て回ったことは何度かあったが、誰かと一緒にというのはこれが初めて。やや見飽きた感のある風景も、誰かとおしゃべりしながらだとまた違った顔を見せてくれるような気がする。

「いや、そういえばヘルマンがエビスビールのんでたんだよなぁ」

「酒瓶のラベルにも漢字っぽいのが書かれてたしねー」

バイクで市街地に移動してすぐに警察署に行き、暇そうにしている警官に日本からの輸入品を扱っている店が無いか聞いてみたら一発だった。

気の好い人だったからなのかどうなのか、地図を持ち出して懇切丁寧に店の場所を教えてくれた。おかげでお目当ての物は捜索開始一時間しないうちにすべて見つかって、こうして空いた時間を楽しく過ごせたのだからありがたい。

「これでお味噌汁も作れますよー。豆腐と長ネギサイコー!」

「しかも納豆と焼き海苔も買えた。素晴らしい……、上の上ですね!」

二人で無駄にテンションを上げる。やはり日本人の食卓にはまず米が無くては話にならない。逆説的に米があれば何も問題は無い。更にあぶらげや乾燥ワカメなども買えたので味噌汁の具もバリエーションを持たせることが出来る。

手に手を取ってキャッキャウフフとはしゃぎながら歩く男女二人。他人様から見ればこれはどう見ても――

「兄妹だな」

「なー♪」

笑顔で相槌を打つ少女を見る。昨夜脳みそが半分眠っている状態で見た時は中学時代の姉さんにそっくりだと思ったが、改めて見てみれば所々のパーツが俺に似ている。

姉さんは垂れ目だが、この少女は俺に似た軽い釣り目、髪の毛も一切重力に逆らわない姉さんの髪とは異なり、途中までストレートだが髪の毛の尖端がやや重力に逆らいはねているのは俺の癖毛の特徴だろう。

並んで立てばまるきり兄妹に見える。外見の歳もやや離れているので恋人には見えないし、恋人のデートと見るには少しノリもおかしい。

「まぁ、あたしは別に恋人でも構わないんだけどねー。どうよ?」

「ダメとは言わない、でもそれ近親相姦みたいなもんだろ」

「元からそういう願望あるくせにー」

うりうりと肘で脇腹を突かれる。それを言われると痛いのだがそれはそれ、これはこれ。人は心にいくつもの棚を作りあれこれと乗せておける便利な生き物なのである。

そうして少女とじゃれながら散歩を続けていたが、もうそろそろ隠れ家に帰ってもいい時間になってきたのでバイクを停めてある場所に向かう。

バイクに跨り、背負っていた鞄を少女に渡しヘルメットを被り準備は万端。あとは帰るだけとなった時、

「あ」

渡された荷物を背負い、ヘルメットを被ろうとした少女が不意に声を上げた。

「お兄さんお兄さん、ちょっと寄って欲しい場所があるんだけど、いい?」

「場所によるけど、遠いか?」

ヘルメットを被り、バイクに跨り背中に抱きつきながら少女は答えた。

「いんや、近い近い。ちょろっと用事があるのを思い出した。道順は指示するからその通りにヨロシクぅ」

最初に地図で道順を教えて貰った方が走り易い気もする。それはともかく、しっかり抱きついている筈なのに背中に当たる感触が物足りない。まぁ体格が体格だけにこんなものか、あの体格で胸だけデカいというのもバランスがおかしいし。

「仕方ないね……」

「急にごめんねー。でも、お兄さんにとっても無益な寄り道ではないから、さ」

―――――――――――――――――――

「病院?」

少女のナビで走り、たどり着いた場所は周囲を自然に囲まれた大きな病院だった。

「そ。現在チャンプが入院している病院だよ」

ヘルメットを外し、少女は軽く指を振った。――魔力が操作された感触、俺と少女を対象にした認識阻害か。

「面会の手続きとか面倒だしねー」

「で、ゲルトに会うのが一体何の益になるんだ?」

何度も言うがブラスレイターとの接触はもう戦闘経験を積む以外の意味を持たない。しかもこのタイミングだとゲルトはまだブラスレイターですらない、唯の怪我人だ。

ゲルトがブラスレイターになる前に何らかの手を打つ? それは無い。この少女が俺の想像している通りのものだとしたらそんな無駄なことはしない。

あくまでも真の目的は自己の強化。誰かを救うというのは俺のトリップの理由にかすりもしない。

完璧にただの気まぐれ、あるいは暇つぶしで誰かを救おうとするというのもあり得ない話では無いが、その場合俺に益があるというのは大ウソということになる。

「ちゃうちゃう、そっちはどうでもいいんよ。お兄さん、まだ空飛べてないっしょ? ここらでなんとかしょうかなーって」

「?」

駐車場にバイクを停め、話しながら病院の中に入る。訳が分からない。こんな病院で空を飛ぶ秘訣を知れる訳が――

「ぶっ!」

受付に褐色肌に変な髪型の眼鏡の女性――ベアトリス・グレーゼが居る。

三次元で見るのは初めてなのに分かるのかよなどという突っ込みが空しくなる超特徴的なカラーリングの髪だ。未来ではああいうのが流行っているとかそんな裏設定でも無い限り本人で間違いない。ペイルホースの反応もあるし。

そういえばゲルトが入院してる病院でゲルトのカルテを見ながらほくそ笑んでいる描写があったような無かったような……。

「落ち着いてよお兄さん、認識阻害の魔法は上手いこと働いてるからばれやしないって」

「っても、空飛べないのにいきなり空戦最高性能のブラスレイターに勝負挑むとか無謀過ぎる……」

本編中のあちらの攻撃描写と、こちらの運動性、装甲などを考えれば少なくとも死ぬことはありえないにしても、こちらの攻撃は当てるのも難しい。

いやまあ、経験を積むという意味ではそういう不利な状況での戦闘も経験しておくべきなんだろうが、骨折り損確定とかうんざりする。

「だーから大丈夫だってー。あれは今回はスルーだからさ」

しり込みする俺の手をぐいぐい引っ張る少女。階段を上りズンズンと病院の奥へ進む。ここから先は部屋代の高い個室になる筈だが……。

と、前方から歩いてきたXATの制服を着た男女とすれ違う。男は制服の上からジャケットを羽織り、女の方は制服の胸元を大胆に肌蹴させて着こなしている。

ヘルマンとアマンダ。今の時期に二人で病院とくれば――

「ゲルトの見舞いか」

「ホモじゃない、ホモじゃないんよ!」

「分かってるからホモホモ連呼するな」

あくまであれは男の友情的な物だ。ヘル×ゲルとか真面目に考える腐った奴は○ねばいいのに。

しかし結局ゲルトの部屋だ。ここでゲルト以外の何か――あ、そう言えばこの場面、なんかひっそりと出てきたような。

「お前は……」

部屋のプレートを眺めていると横から声をかけられた。不健康そうな顔色、珍妙なボディスーツ、かっこいいギミック付きのコート。結構うろちょろ動いてるのに本篇ほぼ寝っぱなしな印象が強い主人公ジョセフ君。

というか、何時の間にか認識阻害が解かれている。ジョセフと会うのが目的? 何のために? ともあれ気付かれたからには挨拶の一つもしておこう。

「お久しぶりですねジョセフさん。マルコの件ではお疲れさまでした」

「うわなにその口調きもちわるい」

茶々を入れる少女の頭をペシリと叩いて黙らせる。そのやり取りでジョセフも少女の存在に気付いたらしく、疑問の視線を投げかけてくる。

「その娘は?」

「こいつは、えーっとですね……」

さて、どう答えるべきか。こんなことなら隠れ家を出る前に説明を聞いて、他人に聞かれたらどう誤魔化すか程度は考えておくべきだったかもしれない。

妹、というのが一番適切な回答だとは思うが――

「あたしはお兄さんの家族だよ。よろしくな」

答えあぐねている間に少女が勝手に話を進めてしまった。片手を突き出し、ジョセフに握手を求めている。

ジョセフは差し出された手と自らの手を交互に見つめて複雑そうな表情をしている。今まで感染を防ぐために他人との接触を避けていた為、肌が触れた程度では感染しないと分かっていても腰が引けてしまうのだろう。

「感染の心配ならいらねぇよ。ほれ」

そうぶっきら棒に言い、少女は差し出していた手の掌をジョセフに見せる。そこには俺のものと同じ、悪魔の印もどきが刻まれていた。

「そうか、お前も……」

沈痛な表情で、おずおずとではあるがジョセフが少女の差し出された手を握り返す。握り返された少女も笑顔だ。しかし――

「!」

握手して数秒としないうちにジョセフが後ろに跳び退る。何事かと二人を観察すると、少女の手とジョセフの手に裂傷が。融合の途中で無理やりひきはがしたのだろう。

いや、何故融合?これはどう考えても少女が行った融合だろう。ジョセフを取り込むことには何の意味も無い筈。

「勝手に同情すんなよなー、誰も彼もがてめーの境遇を嘆いてるってもんでもねーんだからよ」

にししー、と意地の悪い薄ら笑いを浮かべた少女が手をひらひらさせながら後ろに下がる。

「…………」

「えーっとですね。悪気も悪意もありそうな気はするんですが、きっと敵意は無いと思うので見逃して貰えませんか?」

険しい表情でこちら(何故か少女だけでなく俺も含む)を睨んでくるジョセフに両手をあげて降伏のポーズ。

こちらの態度や、曲がりなりにも前回助けておいたのが功を奏したのかとりあえず警戒は解いてくれたらしく、向こうから話しかけてきてくれた。

「お前は、何故ここに?」

「あー、俺は得に用事は無いです。コイツがなんかここに寄りたいって言うから」

コイツ、と言った辺りで少女に目を向けるが、なにやら小指で耳を穿りながら退屈そうにしている。

「いや、あたしの用は終わったよ」

「だそうです。で、ジョセフさんはあれから順調ですか?」

「……まぁまぁだな」

「そうですか」

会話終了。……よし、帰ろう。気不味いし。

「じゃ、俺たちはこれで」

「待て」

呼び止められた。しかし止まらない。しばらく歩いて階段の前で振り向いて一言だけ言い残しておく。ただの気まぐれ、なんの意味も持たない忠告。

「見張るなら、しっかり見張ってあげた方がいいですよ」

階段を降り、廊下から見えなくなった辺りで認識阻害の魔法をかけ直す。これでもし追われても見つからない。

階段を降り、ロビーを歩いていると少女が投げやりな口調で皮肉を言った。

「ま、しっかり見張ったところで、救えるとは限らないけどねー」

「どつぼにハマってるからなぁ、状況的に」

ゲルト救済とか、かわいそうだがハッキリキッパリヴィジョンが欠片も浮かばない。それに映像でしか見たことの無い人をあれこれ苦心してまで助けようなんて殊勝な性格でもなし。

それにしても、結局病院まできてやったことはジョセフにケンカ売っただけというこの少女、いったい何がしたかったのか……。

「収穫はあったよ。あとで見せてあげるね」

「空を飛ぶ方法?」

「へっへぇ、あ・と・で♪」

はぐらかされた。まぁ何はともあれまずは隠れ家に帰ろう。

―――――――――――――――――――

昼やや過ぎ。隠れ家に帰って遅めの昼食。少し時間を置いて近場の崖に向かい変身、日が沈むまでひたすら飛行訓練という名の紐無しバンジー。

崖から飛び降りる→滞空中に空を飛ぶ姿をイメージする→墜落し地面にめり込む→崖を駆け上がり最初に戻るの繰り返し。正直そろそろあきらめてもいい気がする。

夕方。食材がもったいないので夕食は無し。特にやることも無いので夕焼けをぼーっと眺め、ふと辺りを見回す。……よし、夕日の沈むシーンだがYOKOSHIMAとかは居ないらしい。蹂躙救済説教ニコポ過去ポハーレムとか存在しない純粋な世界に感謝を。

夜。ニュースを少し見たが昨日と特に内容は変わっていない。外に出てぼーっとする。星座の類には詳しくないので日本との違いは分からなかったがまあ似たような夜空だ。

「お兄さん」

ぼーっと星を眺めていると、教会から少女が出てきた。昼過ぎに隠れ家に到着し昼食を作った後、なぜか唐突に一眠りし始めたのだが、ようやく起きたのだろう。

「遅よう。北極星ってここから見えるか?」

「お兄さんもお姉さんも星座に詳しくないよね?二人が知らないことは私も知らないよ」

「そういうもんなのか」

「そういうもんだよ」

振り向く、星の光に照らされた少女は、身体を徐々にブラスレイターに変化させていた。

「あたしはお姉さんの因子を元に、お兄さんのナノマシンで肉体を構成したモノだから。二人が知らないことは知らないし、二人が持ってないものは持ってない。『基本的には』ね」

「因子?」

「出がけに貰ったっしょ?しかもわざわざ口移しで。 愛されてるよねー」

その姿は下級デモニアックのものでも、ましてや俺の変身するブラスレイターもどきでもない。正真正銘のブラスレイター。

「お姉さんから心を貰ってこの世に生まれた、お兄さんの身体を構成するナノマシンの補助AI。それがあたしの正体さ」

「補助が必要な場面も無かったと思うが?」

「確かにねー。お兄さんは中途半端に使いこなせてるもんだから中々ピンチにならない。これじゃ出ようにも出られないから、どうにかこうにか肉体を無理やり構成してみたってわけ。おかげでこんなチンチクリンになっちまったわけだけど」

全身を覆う、鋭角的なフォルムの紫の鎧。頭部を包む、悪魔じみたデザインの兜。

小説の挿絵でしか見たことが無いが、あの姿は知っている。ブラスレイターのタイプ25『グラシャ=ラボラス』マルコ・ベルリの変身していたブラスレイターだ。

「かっこいいだろー? 病院でジョセフからペイルホースを取り込んで、マルコのペイルホースのログを引っこ抜いて再構築。人格は消して、力だけを奪った。あたしがサポートすれば、お兄さんはもっと上手く力を使いこなせる。でも――」

背部から暴力的な輝きの粒子をまき散らし、光の翼が具現化される。

「お姉さんはあたしがお兄さんの助けになるようにと思っていたみたいだけど、あたしは只でお兄さんのサポートをするつもりは無いんだ」

「報酬が必要って?面倒なやつだな」

「あはは!そんなに面倒な報酬じゃないから安心してよ!」

オリジナルに比べ幾らか小柄なその体躯には不釣り合いな、巨大な斧槍――ハルバードを具現化し、こちらに付きつける。

「力を示して。これからもその肉体で生きていくに相応しいか」

「――相応しくなければ?」

こちらの問いに、兜の下から笑う気配。

「その答えは――」

少女が翼をはためかせ宙に浮かびあがる。星空をバックに、ハルバードを振りかざし――

「――あたしが勝ったら教えてやんよ!」

稲妻の如き勢いで、こちら目掛けて襲いかかってきた。

―――――――――――――――――――

木々の隙間を縫うように森を走る。上空の少女――いや、敵からの追撃を避ける為に。

遥か上空、というほど高くを飛んでいる訳では無い。ギリギリでこちらの跳躍が届く程度の高さ、触手の射程圏内でもある。

しかしそれは手加減ではなく誘い。高く飛び過ぎればこちらは不用意に跳躍して肉弾戦を仕掛けてこないし触手も伸ばさない。わざと低く飛んで俺が思わず攻撃したくなる適度な距離を保っているのだろう。

「いやらしい奴……!」

こちらは速度を出せない。全力で走れば地面が爆発する音で居場所が余計に分かりやすくなる、そうなれば――

「ほらほらほらぁ!逃げてばっかりじゃあたしを倒せないよぉ!お・にぃ・さあぁーん!!」

俺の後方の、ややずれた辺り。羽根から打ち出された無数の光弾が一瞬にして木々を粉々に粉砕し地面を捲り上げる。ここら一帯の森が丸裸になるのも時間の問題だろう。

せめて地上戦ならどうにかできたのだろうが、最初のハルバードによる一撃、カウンターで腕を一本切断してやったのがいけなかったのか、ハルバードを再び具現化することもなく、上空から光弾による弾幕を展開しつづけている。

「くっそ、舐めるな!」

走りながら数十本の触手を展開、多方向に地を這うように広げ、上空の敵目掛け高速で一斉に射出。光輝く羽根を持つ敵は、こちらからは丸見えなのだ。

直進するもの、ジグザグに複雑な軌道を描くもの、同時に放たれながら時間差をつけたそれらが槍の如く敵を貫かんと襲いかかる。

しかし敵はそれを舞うように回避、追尾を続ける触手を翼から放たれる光弾で撃墜する。

放った触手はすでに本体からは切り離している。斬り離さなければ撃墜されても追尾を続けられるが、そのままだと触手の根元を確認され俺の場所を正確に把握されてしまう。

幾度となく放ったせいで見事に対処法を確立されてしまった。最初に放った時には鎧を削る程度には当てられたのだが。もう牽制程度にしか通じない。

「そんなんじゃ、あたしには届かないよ!」

そのくらいは知っている。致命傷を与えるにはもっと大きな打撃でなければ意味が無い。その為にも距離を、大技を出す為の時間を稼がなければならない。

走り、距離を稼ぎながらも目を凝らし上空の敵を見る。光の翼を広げ、悠然と飛びながらこちらを探す隻腕の鎧の騎士。そう、『隻腕の』。

敵の少女は俺の肉体から作られてはいるが、全てが俺と同じ性能という訳では無いらしい。最初に切り落とした腕はおろか、不意打ち気味に放った触手によって削られた鎧の一部もまだ修復が済んでいない。

回復速度は俺と普通のブラスレイターの中間といったところか。おそらく肉体の大部分を喪失すれば戦闘は不可能になるだろう。

普通に殺すことが可能なのかもしれない。手指の先程度の肉片からでも再生できるなどと言い出さないあたりはまだ良心的と言える。

とはいえ、跳躍して大鎌で切りかかるのは下策。というか最初に腕を斬り落してやった後、上空へ逃げる敵を跳躍し追いかけようとした時、空中で無防備な所を光弾で滅多打ちにされた。

しかもその光弾に撃たれた箇所は未だに煙をあげ続け、修復が済んでいない。おそらく光弾の組成を組み替え、むりやりこちらの同化能力を機能させることにより再生速度を落としているのだろう。

敵は基本的にマルコ・ブラスレイターの能力しか使わないが、やりようによってはこちらを殺すことが可能なのかもしれない。用心するに越したことはない。

今は当てずっぽうで光弾は当たっていないが、もし脚に直撃し動きを停められたら、そこで終了。負けた場合はどうなるのか、少なくとも俺に都合の良いことにはならないだろう。

光弾はどんどん正確さを増している。つまり時間をかければかけるほど負ける確率は高くなる。大分距離も稼げたし、ここらで一つ、勝負に出るか。

触手を出せる限界まで展開。そして体内に切り札を生成、チャージ開始。森を出て開けた場所に出て、上空の敵に真っ向から向き合う。

上空から敵の、少女の静かな声。

「もう、観念しちゃった?」

「いや、勝ちに行かせて貰う」

悪魔の印がある手を、真っ直ぐに少女に向ける。

「……お兄さんのそういうとこ、嫌いじゃないよ」

少女の、異形の騎士の翼が何倍にも膨れ上がる。そこから放たれる光弾の量も質も今までとはケタが違うものになるだろう。

「俺も、割と気に入ってたよ。一日だけの付き合いなのがもったいない」

一瞬の間。

「――いざ」

悪魔の印に、その下にある切り札にエネルギーが収束。印の中に専用の射出口が形成される。

「尋常に――」

膨れ上がった少女の翼、その鋭く尖った縁がこちらに傾ぐ。大砲の筒先のように。

「「勝負!」」

―――――――――――――――――――

夜の空に浮かびながら、あたしはお兄さんを追撃していた。

「くそ、いってぇ~……」

ハルバードでの突撃は見事に避けられ、御返しで片腕まで持ってかれちまった。

「なんだかんだ言って、接近戦じゃもうかなり戦えるみたいだね」

お兄さんを甘く見ていた。この世界に来てから雑魚ばかりを相手にしていたから調子に乗っていると踏んでいたけど、実際に相手にしてとんでもない思い違いだと分かった。

大概の場合、あのナノマシンを投与されたやつは力を使いこなせない。あくまでも自分は人間が改造されたもの、基本的には人間だっつう考えが根っこにあって、十全に機能を引き出せない。

時速数百キロで走れたとしても神経が加速せず、障害物に反応しきれずに激突するのが関の山だ。人間の神経では反応しきれないという思い込みが機能を制限しちまう。

「十数年かけて完全な融合を行ったおかげかな?」

でもお兄さんは違う。そういった常識的な思考が作られる前に肉体を改造された。お姉さんのかけた催眠のせいで表面上は常識的な思考をしていた、でもその裏ではこの身体を使いこなす下地がつくられてきたんだ。

普通の人間は反応出来ない、しかし、自分の肉体は普通ではない。この思考が、肉体の完全な変化を助けている。

普通ではできないが、普通では無い自分ならこの程度は出来る。普通の人間の中で生き、自分の異常性を見せつけられ続けてきたからこその自覚。鳴無卓也は普通では無い、人間ではない。異常な力を持つ化け物であるという無意識レベルでの理解。

自らが化け物であるという無意識での自覚が、化け物の肉体を完全に従えている助けになっている。

心まで化け物であることを表面上忌避しているみたいだけど、本質的には自分が人間じゃないことを受け入れている。

人間であることより、お姉さんの弟であることを重要視しているから。弟というポジションにいられるなら、どんな化け物にもなれる。

「ほんと、妬けちゃうねー」

眼下の森を見下ろす。速度を落としているからか派手な音はしない、それでも時折木々の隙間からこちらに背を向けて走るお兄さんの姿が見える。

一度光弾のシャワーを浴びせてあげたのに、気にした風も無く走り続けている。修復機能は落としてやったから治りきってはいない筈だから、装甲を撃ち抜けなかったか、行動に支障が無い程度のダメージしか与えられなかったんだろう。

化け物じみた装甲の厚さ、堅牢さ。あたしの放つ光弾は一撃一撃がブラッド・ブラスレイターの融合強化ライフルを軽く上回る威力(予測値)。原作で言えばブラスレイター化したウォルフ隊長も余裕で貫けるものなのだけど。

「でも――」

逃げてばかりじゃあたしは落とせない!

「ほらほらほらぁ!逃げてばっかりじゃあたしを倒せないよぉ!お・にぃ・さあぁーん!!」

光弾をお兄さんが居るであろう位置目掛け乱射する。外れたけど、四方から槍のような触手が迫る。やっぱり一方的に追いかけるのではつまらない。

身をひねり翼を振るい、なんとかかんとか回避。逸れた触手も追尾を続ける触手もまとめて光弾で迎撃。

お兄さんの眼には今のあたしはどう映っているんだろう。余裕を持っているように見えるか。遊んでいるように見えるか。獲物を嬲って悦んでいるように見えるか。

例えるなら猛禽?戦闘機? こんな毒々しい色の翼だけど、もしも天使みたいに見えているなら嬉しい、少し照れるけども。

いや、そんな余計なことは考えていないだろう。翼こそ存在するけど、ブラスレイターの飛行はそのどれにも似ていない。

きっと、見たモノを見たままに判断してくれる。何物でもない、何者でもない。このあたし自身を、あたし自身として!

ふと、森からお兄さんが出てきた。開けた草原、隠れる場所も障害物も無い。

変身したお兄さんが、全身を艶のない暗い色の装甲に覆われた人型の怪物が、逃げることも無く、兜越しの視線で真っ直ぐにこちらを見つめている。

「もう、観念しちゃった?」

そうじゃないことは明白、触手をありったけ展開し、こちらを射抜く視線は力に満ち溢れている。何かやらかすつもりだね?

「いや、勝ちに行かせて貰う」

不敵な言葉と共に、悪魔の紋章をこちらにまっすぐ向けるお兄さん。

不屈。力を得る為に、姉に付いて行く為に、いつまでも一緒にいる為に、お兄さんは絶対に諦めない。

目前に壁があれば、どうやってでも打ち砕いて先に進む。正義も悪も無く、力を力として振るい、只管に眼前の敵を撃ち滅ぼす。

確信した。お兄さん、貴方はあたしを、力を振るう資格を確かに持っていると!

「……お兄さんのそういうとこ、嫌いじゃないよ」

最大火力を持って答える。全力には全力、最大の攻撃力で、迎え撃つ。

飛行に割く力をギリギリまで落とし、すべてを光弾の精製に向ける。翼が膨れ上がる感触、全弾直撃すれば無事では済まない。

「俺も、割と気に入ってたよ。一日だけの付き合いなのがもったいない」

思えば、不思議なほどに馴染んでいたな。十数年来連れ添った仲のような、そんな錯覚を覚えるほどに。生まれて一年も経っていないあたしからしてみれば間違いじゃないけれど。

無言、無音――。

どちらともなく、開始の合図を告げる。

「――いざ」

お兄さんの悪魔の紋章に光が宿る。よく見えないけど、印の形状も変化している。何をするつもりなのか楽しみで仕方ない。

「尋常に――」

膨れ上がった背中の翼を、無数の砲口を持つ砲台と化したそれをお兄さんに向ける。

「「勝負!」」

見せて貰うよ。お兄さんの、本気を!

―――――――――――――――――――

光弾の雨が、いや、輝く砲撃の豪雨が降り注ぐ。

周囲の草原は砲撃により地面がめくれ上がり土が吹き飛び無残なクレーターをいくつも形成している。

しかし、俺の周囲は微妙に被害が少ない。限界まで展開した触手を地面に潜り込ませ周囲の地面と同化させ、俺自身も体内にガルムのバリア発生装置を生成しバリアを展開しているからだ。

とはいえ、完全に防げている訳でも無い。幾つかの砲弾は俺の身体を掠め、衝撃だけで容赦なく装甲を、肉を抉って吹き飛ばす。

チャージ中はやはり回復が遅い。抉れた脇腹の、肩の、脚の欠損を余らせておいた触手を無理矢理ねじ込み補填する。

――ここ数か月で分かったことだが、この身体には幾つかの欠点が存在する。エネルギー切れになることは無いが、一つの機能を全力全開で稼働させると他の機能の稼働効率が極端に低下するのだ。

だからこその融合捕食なのだろう。その欠点を修正する為にいつか、何らかの炉を取り込んで最大出力を底上げしなければならない。

しかしそれもいつか未来の話、今は間違いなくその欠点が存在しているのだ。――おそらく、あの少女にも。

その為の、飛行速度を落とさせる為の、最大攻撃力での真っ向勝負。

高速で飛行する少女は俺の攻撃では補足しきれない。何よりも速度を落とさせる必要があった。狙い違わず、少女は速度を落とす。

光弾を砲弾に、ばらまくような雑な爆撃を隙間のない絨毯爆撃に。そうする為に飛行の機能は限界まで制限され、高速爆撃機だった少女は今や、空中の一点にふわふわと浮かぶ固定砲台と化している。

「基本中の基本、肉を切らせて骨を断つ。変に装甲が堅くなったから忘れていたんだな」

触手を巻きつけ補強し、限界までチャージした俺の腕――内部に仕込まれた『プラズマ発生装置』はペイルホースの、ブラスレイターの力で融合強化済み。

砲撃に晒されながらもキッチリと少女に照準を合わせている。間違いなく当たる。当てる。

「勉強になった」

腕に内蔵された融合強化型プラズマ発生装置、そこから生み出される現時点での最大攻撃力。それは――

「これはその礼だ!」

超々高温のプラズマ火球。周囲を昼のように照らすその直径十メートルに迫る破壊力の塊は、その有り余る熱量で俺の手首から先を溶かし、しかし狙い違わず砲弾の雨を蒸発させながら少女に向かって突き進む。

少女は逃げない。逃げられない。肥大化した翼を元に戻すには数秒の時間がかかり、着弾までは数瞬も無い。

火球に呑み込まれる直前、少女は変身を解き、人の姿に戻る。

変身を解いた少女は、輝くような、満開のひまわりのような、晴れやかな笑顔を浮かべていた。

―――――――――――――――――――

「……」

変身を解き、更地に、いや巨大な窪地と化した草原を歩く。

人間の姿に戻ると同時、焼け落ちて断面を晒す腕から、赤熱し溶け曲ったプラズマ発生装置がずるりと抜け、地に落ちる。

歩く、歩く。白み始めた空の下を。

一気にエネルギーを使ったからか、それともまだ少女の放った光弾を吸収しきれていないからか、砲弾で抉れた肩が、脇腹が、脚が、焼け落ちた手首から先が、無様な傷跡を曝している。

服は例によって襤褸切れ同然。この世界で購入した服の中ではお気に入りだったのだが。

「そこんとこ、どうやって責任とってくれる?」

「せ、責任って言われてもぉ~……」

目前に転がっている残骸――身体の大半を失った少女は申し訳なさそうに、再生途中であろう半ば以上ケロイド状に溶けた腕を動かして頬を掻いている。

顔は多少焦げてはいるが見れる程度まで回復している。おそらく真っ先に修復したのだろう。AIでも女性、顔には気を使う。しかしそんなことに気を使うならもう少し他の事に気を使うべきではなかったか。

奇跡的に無事だった、という訳では無い。最後の瞬間、変身を解いた少女はしかし、翼だけは具現化しっぱなしだったのだ。

とげとげしいブラスレイター形態から凹凸の少ない人間体に戻り、肥大化した翼の少ない推力でもって『下に』逃げた。

重力による加速、空気抵抗の少なさ、更に変身を解くことにより、変身状態を維持するだけの余力を翼の推力にプラスし、余波で身体の大部分を溶かされながら、見事ギリギリの処で生き残ったのである。

「あたし、こんな状態だし、もうちょっと労わって欲しいっていうか~……、ねぇ?」

「不許可。それなら俺の怪我はどうなるって話だ。ていうか、この方法でしか俺の力を試せなかったのか?しかも結果はこれだ」

これ、と言いながら身体の欠損部分、周囲の惨状を指差し追及する。

森はあちこちが爆撃を受けたように剥げてしまって地面がむき出し、周囲の草原――いやはっきり言おう、近所の牧場は半分以上がクレーターになった。

俺もプラズマ火球を放ったがあれは上空の少女に向けて放たれたので周囲に被害は出ていない。ほぼ少女一人の攻撃でこうなってしまったわけだ。

「あ、あれはなんてーか、その、テンションが上がりすぎたっていうか、あー、うー……」

消え入るような声で言い訳を始めるも、何一つ言い訳にならない。まぁたぶん取り込んだマルコ・ブラスレイターのログから闘争心的なものまで引っ張ってきてしまったのだろう。

サポート役の癖にそういうミスをする辺りいまいち信用できないが、まぁ姉さんと俺の相の子みたいなものらしいのでそんなもんだろう。

溜息を一つ。叱られた子供のように下を向いている少女の、半分焼滅してだいぶ軽くなった身体を抱えた。抱え上げると少女はキョトンとした表情でこちらを見つめる。

「で、サポートする気になったか?」

「――え、あ……はい!やる!やらせていただきます!」

一瞬呆けた辺り、本気でサポートの件は忘れていたのかもしれない。

人格面で大分不安が残るが、こんなんでもペイルホースからログを取り出していきなり空を飛んで見せたのだ。今まで一人では使えなかった能力の使い方にしてもなんとかできてしまうのだろう。

まぁ、なにはともあれ。

「まずは引っ越しだな」

教会の周辺から森林破壊が行われていることから流石に認識阻害の魔法でもごまかせなくなる可能性が出てきた。早々に帰って荷物をまとめて逃げるべきだろう。

というか、XATが今まさにこちらに向かって駆けつけてきているだろうし、急がなければなるまい。

「ご、ごめんなさいぃ……」

「いいよもう、どうせそろそろ市街地の近くに拠点を移すべき時期だったし」

「え、ホント?ホントにいいの?じゃあ今ちょっと落ち込んでたせいでこっちにXATとか警察とか消防が向かってるって無線を傍受したことを伝え忘れてたことも許しぐぎゃぁ!」

少女の回復途中の腕を骨ごと握りつぶすことで返答し、全速力で隠れ家に向かい走り出した。

走りながらふと気付いたことを少女に問いかける。一日一緒に居たにしては今さらな質問。

「お前、名前は?」

「そゆこと、今更聞くかなぁ……。無いよ、産まれたばっかだし。どうせならお兄さんがつけてよ」

「図々しい奴」

ムカつくので直感で付けてやろう。それでも聞き苦しくない常識的な名前になるが。サバ味噌とかレバニラとか変な名前付けたら呼ぶ方が恥ずかしい。

「美鳥、美しい鳥で美鳥な。はい決定。気にいったか?」

「みどり、ミドリ、美鳥……うん、うん!」

嬉しそうに笑っている。姉さんにそっくりな笑顔。これだけで許してしまいそうになる。

久しぶりに濃い一日だった。なんだか午前中と夜に比重が傾きすぎているような気もするが。

――もう少し、後ひと月もしない内にあわただしくなる。市街地でのデモニアック大量発生、アポカリプスナイツ、ツヴェルフ。

口元がにやける。楽しい予感がする。新たな力への期待が膨らむ。

「楽しそうだね、お兄さん」

「ああ、楽しみだ」

「その前に引越しだけどね」

「――言うな」

水を差され、テンションが少し下がった。これからXATに出くわさないように隠れ家に戻り荷物をまとめて、傷を癒し、拠点を探す。正直面倒極まりない。しかし――

「まぁまぁ、これからはあたしもお手伝いするからさ」

隣に誰かが一緒なら、その苦労も悪くないのかもしれない。




続く

―――――――――――――――――――

以上、主人公、新オリキャラと街に買い物に行くの巻でした。ゲルトさんは超スルー。

昨今のヒロインの嗜みの一つとして、主人公と一対一で血みどろの殺し合いをしなければならないというものが存在します。ヒロインたるもの固有ルートではラスボスを兼任するのが今最新のトレンドなのだと。

そんな理屈で言えば新キャラは早速ヒロインの資格を手に入れたことになりますね。しかしあくまでも真ヒロインは姉です。ガチで。

オリキャラハーレムではなく、ダンジョンに潜る時のパートナーの組み合わせバリエーションが増えたようなものだとお考え下さい。基本的に難易度の高い強制トリップは姉と組み、難易度の調節が効く自発的なトリップは新キャラと組む的な形で。姉は個人的な理由で能動的トリップには随伴しないので。

3Pは更に高難易度の場合のみになります。ああ、もちろん三人パーティーの略で3Pです。それ以外の意味は無いです。無いです。です。

なんでいきなり新キャラは戦いを挑んでくるの?新キャラの思考が支離滅裂なんだけどどうして?とか聞かれそうですが、一人称で進める限り理由とか本編で書けないです。主人公も姉も本人も知らない裏設定的な理由なので。とりあえず戦闘シーン書きたい気分だったからという理由もありますが。

ちなみに戦闘時の主人公の強さとかはその時のノリで変わります。テッカマンが核兵器の直撃に耐えるのにテックランサーの攻撃でダメージ受けるのと似たようなものです。仮面ライダーでもプレデターのシュワちゃんでも構わないんですがそんな感じで。

同じく戦闘中の主人公の考えてることとかもノリで書いてるので深くは考えないでください。色々突っ込まれそうなところがいっぱいなので。まぁ原作あり作品にトリップするSSの筈なのに原作キャラとの絡み極少、原作イベントほぼ皆無、そして大半をオリ主の日常だのオリキャラとのバトルに費やす謎構成って時点で突っ込みどころは満載なんですけどね。

でも大丈夫、次は一気に原作中盤にまで時を吹っ飛ばして原作ルートにほんのり絡めるのでご安心ください。しかし原作ルートに入ると原作登場キャラに無双かましたりXATの隊員をサクッと殺害してしまうかもしれませんので、このSSを読むのは自己責任でお願いします。

この作品に登場するオリキャラは全員、『悪に報いは必ずあるのだ!』とか言われると気不味い表情で視線を逸らしたり、何言ってんだこいつみたいな疑問の視線を投げ返したりするので。

そんな作品でもよければ、作品を読んでみての感想、諸々の誤字脱字の指摘、この文分かりづらいからこうしたらいいよ、一行は何文字くらいで改行したほうがいいよ、みたいなアドバイス待ってます。



[14434] 第五話「帰還までの日々と諸々」
Name: ここち◆92520f4f ID:943f9794
Date: 2009/12/25 06:08
さて、少女――美鳥との戦いから暫く、市街地の中の使われていない倉庫に拠点を移した俺たちの周りでは特に事件は起きなかった。

ゲルトがブラスレイター化し不死鳥のごとく復活、世間でデモニアックから市民を救う救世主ともてはやされている時、俺は美鳥の補助を受けながら飛行訓練と下級デモニアック支配の訓練を並行して行っていた。

崖から飛び降りるという行為は飛行ではなく落下であるという見事に論理的な説明により、今までの俺の努力がまるっきり無駄だったと証明されたが、まぁ正直意味がないのではと薄々感じ初めていたのでショックは少ない。

飛行訓練の方法は単純、ブラスレイターもどきに変身した俺がマルコ・ブラスレイターに変身した美鳥を体内に取り込み、翼の具現化と制御を美鳥に身体で教えてもらうというもの。

身体の一部が自分の意思とは無関係に動くというのはなかなかに気持ちの悪い体験だったが、御蔭で今ではサーカス、もとい空中戦も板に付いてきたと思う。

因みに翼から光弾を発射するのはすぐに出来た。やはり直接的な攻撃能力は直感的に使える。実は俺、脳筋なのだろうか、少し悩ましい。

下級デモニアックの支配は飛行に比べれば格段に容易だった。今まで試してみようという気さえ起きなかったからできなかっただけで、やってみればまさに手足の如く操ることができてしまった。

それもこれも飛行を覚える段階で躓いていたからか。しかし練習を重ねた今では普通のブラスレイター達に出来ない芸当すらたやすく行える。

そう例えば――支配したデモニアックの強化なんてことも。

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今、あたしはお兄さんの指示でマグロ女――ベアトリスの足止めを行っている。

いや、足止めを行っているのは正確にはあたしじゃなく、三体の『元』下級デモニアック達であたしはその監督役。今回は戦わせるつもりが無いのはあたしに荷物の詰まった旅行鞄を持たせている時点で丸わかり。

別に過保護とかそんなんじゃない。というか、お兄さんはあたしにそんな気を使わない。こないだもプラズマ火球で身体を半分焼滅させられたしね。強化した下級デモニアックの性能試験もかねてるのかな?

本来なら下級デモニアックではどれだけ束になってもブラスレイターに太刀打ちできない。しかし、今あたしの目の前にはその常識を真っ向から否定する光景が繰り広げられていた。

「こいつら、私の支配を受け付けない!?」

焦りの声を上げる、スカートを纏った道化師のようなシルエット、ブラスレイターのタイプ29『アスタロト』ベアトリス・グレーゼの変じた姿。

遠距離、近距離共にバランスよく戦える上に空戦では最強、もちろん下級デモニアックの支配もお手の物っつーかなり上位のブラスレイター。しかもそれなりに修羅場を潜っている強敵だけど、それがたった三体のデモニアックによって見事におさえつけられている。

当然あの三体のデモニアックは全部お兄さんの支配を受けている。支配と言っても単純に行動の支持を受けているだけのただのデモニアックじゃあない。

お兄さんによれば細胞の一片、ナノマシン『ペイルホース』の一つに至るまで完全に支配され、普通の下級デモニアックには発現しない様々な能力を得、運動性や力、全身の強度に至るまで限界まで強化されてるとか。

デザインはグチャグチャだ。腕部はウォルフ隊長の変身するタイプ31『フォラス』の分厚い装甲に包まれた剛腕、脚部はマレク・ウェルナーの変身するタイプ62『ウァラク』の俊敏な動きを可能とする蹄の付いた脚、胴はザーギンの変身するタイプ1『バアル』を軽装甲にした戦士風の鎧姿、背中にはこの間あたしも変身したタイプ25『グラシャ=ラボラス』と同じ翼。

のっぺりとした目も鼻も口も無い顔だけが下級デモニアックの名残りを見せているが、戦っているベアトリスからしてみれば何の慰めにもならねーわな。

原作ではこの時点でジョセフ相手にずっとマグロのターン!な感じの強さを見せつけていたベアトリスがたった三体のデモニアックに苦戦している。

お兄さんの出した『俺の用事が終わるまで足止めよろしく』という少しあいまいな指示を忠実にかつアドリブを利かせながら見事に遂行している。

遊んでいる。逃げられないように退路を塞ぎ、決して致命傷を与えないように力をセーブして、相手の闘志も萎えさせないように多少攻撃も受けてみせて。

「このっ、目障りよ!」

宙を舞う一体のデモニアックに向けてベアトリスが触手のようなエネルギー弾を放つ。デモニアックは分厚い装甲に覆われた両腕でガード、そのまま押しこまれビルに激突するかというところで一体のデモニアックがベアトリスに翼から光弾を発射してけん制してそれを阻止。

光弾から逃れたベアトリスに、残りの一体が空を飛ばずビルの壁を足場に高速で駆け上がり迫る。手には具現化した武器、巨大なハンマーが握られている。ベアトリスが回避しようとした瞬間、五体に分身して回避を阻み、振り上げたハンマーで豪打。ベアトリスを地面に向けて叩き落とした。

落下の衝撃でできたクレーターの底で苦しげにベアトリスが呻き、呻きながらも立ち上がる。その体からは怒りの、屈辱の感情が滲みでているかのようだ。しかし、そのベアトリスの気迫を受けてなお、三体のデモニアックは微塵も揺るがない。

一体のデモニアックは輝く翼を羽ばたかせながら空に浮かび、地に落ちたベアトリスを見下ろしている。一体のデモニアックはその剛腕を打ち鳴らしながら地面に立ち、地を這うベアトリスを見下ろしている。一体のデモニアックは巨大なハンマーを片手に掴み雑居ビル中に潜み、立ち上がろうとするベアトリス窓の中から見下ろしている。

顔の無い悪魔三体に見下ろされ、ベアトリスが立ちあがる。挫けない。ザーギンに心酔するこの女は最後の瞬間まで絶対に諦めない。

……ナレーション入れると間違いなくあたしらが悪人だなこれ。デモニアック達は簡単な連携までとってるし、プレッシャーまでかけてる。正直こっちはこいつらだけでいいような気もするけど、いざという時を考えると勝手には抜けられないんだよねぇ。どうしよ。

お兄さんの方は上手くいってるかな?ま、今のお兄さんなら心配するだけ無駄かぁ~。

―――――――――――――――――――

今日は休日、テレビ版と小説版で確認できたデモニアックの特殊能力はほぼ使いこなせるようになったので特訓もなし。朝のニュースでXATに新兵器が配備されたと報じられていたので、時間つぶしにちょっと見に行ってみようと美鳥を伴い散歩がてらXAT本部のある区域に。

しかし歩いていると無駄に特徴的なカラーリングの髪を靡かせた黒人女性が、市営体育館に向かって歩いているのを発見してしまったのだ。

「怪しいな」

「怪しいね。ところでお兄さん、これ、原作六巻目突入の合図かもしれないよ?」

言われて何となく思い出すプールのシーン。どうやって固定しているのかいまいち分からない変態的なセクシー水着を着たベアトリスが、プールでデモニアックを量産しているシーンが確かにあった。

なるほど、つまり今日がこの町の最後の日。今日の内にこの町はデモニアックで溢れ返り、日が沈む頃には秘密組織ツヴェルフの最新鋭機スケールライダーが地味に登場、町に気化爆弾を落としていくということか。

しかし、バイオハザードを起こしたらとりあえず爆発オチみたいな風潮はなんとかならないのだろうかと思わないでもない。そのまま感染が拡大するよりはましだが。

リンゴは地面に落ちる、コーラを飲むとげっぷが出る、住人が化け物になった街は爆発する、惨劇が繰り広げられた屋敷は焼け落ちる、雷様の右端の席は壊れる、鈍感主人公とその周りの女性達はハーレムを建設する。

世界の基本法則だ。これがなければ地球は回らないと言っても過言では無い。もちろん、原則には必ず例外があるという先人の言葉をないがしろにするつもりは無いが、原則あっての例外だ。

まあこの町にはもう用事は殆ど無いので爆発オチに対して不満は無い。なんとなくバイト先の店長に急いで街から脱出しろとメール。これでバイトとして雇ってくれた恩義に報いた。生き残れるかは店長の運次第だろう。

ダッシュで隠れ家に戻り荷物を纏める。ほとんどの荷物は身体に取り込めるので荷物は最初に持ってきた旅行鞄だけだ。バイクは……、今日は走って移動し放題な状況になるので必要なし。これも体に取り込む。

認識阻害の魔法をかけて屋根から屋根へ跳び移り移動。とりあえずは最初の目的地であるXAT本部へ向かったが、XAT本部に到着する前に大型のバイクが数台どこかへ向かっていくのを発見。

間違いなくXATの新兵器パラディンのバイク形体、このタイミングで出てくるということは遂にデモニアックが大量発生したのだろう。今日のターゲットはこの新兵器、方向転換しバイクの後を追うことにした。

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現状の再確認という名の回想完了。XAT本部の方に向かったパラディンは無害なので放置。こっちの四体のうちのどれかを取り込もうと思うが、そのままだとベアトリスが乱入してくるので足止めの為にデモニアックの複製を作り出し、デモニアックの体内のペイルホースを操作し強化、足止めを命じた。

強化したデモニアックが三体も居れば足止め程度は出来るだろうが念のために美鳥にも監督を頼んだ。旅行鞄は美鳥に預けてあるので手ぶら、これでゆっくりパラディンの相手ができる。

認識阻害の魔法を解き物陰から出る。見ためだけは人間の姿のまま、広場にゆっくりと、もったいつけるように一歩一歩足を踏み入れる。

脚元にはまだ崩れていない大量のデモニアックの残骸と、おびただしい量の血溜まり。その広場に無骨なシルエットのロボット――パラディンのロボット形体が四体佇んでいる。

その中の一体、灰色の中に赤いペイントが施されたパラディンがこちらに右腕の銃を向けてきた。

この地域一帯に生存者は居ないと判断されている以上、人間の姿をしたものが出てきてもそれは警戒対象ということか。まぁ、デモニアックだけでもジルにマシュー、ブラスレイターならゲルトにマレクなどの生きた人から変じるケースを知っている以上当然の判断だろう。

この世界なら小説版のマルコもそのサンプルの一つに数えられるか? 死んでからブラスレイターになったタイプだったと思うが、人間体があることを示すサンプルには違いあるまい。

赤いペイントの機体が左腕のレーザーダガー(ダガーと言っても刃渡り一メートルはある)を展開すると、それに続く形でその他の三体も銃を構えてきた。デザイナーさんは『鋼鉄の棺桶』などと言っていたが、これはこれでカッコいいと思う。リアルロボット的というか何と言うか。

「止まれ! ここは……」

ここは、の次に何を言おうとしているのか。それはもう永遠に分からない。警告を発していた赤いペイントのパラディンは、搭乗者をコックピットごと俺の触手に貫かれ動きを止めている。

ブラスレイターの具現化した武器と同等の強度を持つ触手の外殻は、薄く鋭く刃物のように研ぎ澄まされており、ブラスレイターとの肉弾戦すら可能なパラディンの装甲を安々と貫く。

何が起こったか分からないといった風情で一瞬呆ける残り三体のパラディン。その三体に歩みよりながら、触手をパラディンから引き抜き、二三度振って血を掃い体内に格納する。

よし、ほとんど無傷で無力化。綺麗に搭乗者だけ潰せたな、こいつを取り込んだらどうしようか、どう強化できるか、どう強化するか。

期待に胸が膨らむ。変身した方がよっぽど強いなんて野暮な突っ込みは全く聞こえない。こういうものを生身で操縦して戦わなければいけない状況もあるだろうし、手に入れておくに越したことはない。

「貴様!」

三体のパラディンから放たれた無数の銃弾は、俺の身体に届く前に見えない壁に遮られ空中で停止した。

ザーギンも使っていたバリア――というか念動力のようなもの。変身しないでも使えるのでかなり便利だ。いつか変身し辛い世界観の作品に行ったときにも使うことになるかもしれない。

さて、このまま搭乗者の死んだパラディンを持ち去って逃げるのもいいが、状態の好いパラディンを手に入れることもできて機嫌が良いし、無改造パラディンの性能も見ておきたい。

とはいえ、このままではあまりにも単調過ぎる。ブラスレイターもどきに変身したら当然楽勝、プラズマはクローも火球も火力過剰、たまには攻撃魔法なんかも――駄目だ、認識阻害とかしか使わないから攻撃魔法の加減がわからん。

特殊能力無し触手無しブラスレイター化無しの縛りが妥当か。

銃弾を空中に停めた未知の敵――俺に警戒しつつも敵意を向けるXATのパラディン三体に手招き。口元に意識して笑みを浮かべながら、告げる。

「来なさい。遊んであげましょう」

―――――――――――――――――――

三体のパラディンは俺から距離を取りつつけん制として射撃を仕掛けてきた。

仲間を殺されたのだから激情にかられて突撃してくる機体があってもいいかなと思っていたが、予想以上に慎重。流石はプロ、しかも選りすぐりのエリート揃いなだけはある。

数十発の弾丸が迫る。この一発一発がデモニアックをたやすく吹き飛ばすほどの威力を持っている。しかし、ブラスレイターもどきに変身しなくても、ペイルホースを取り込んだ俺の性能は格段に向上しているのだ。横に軽くステップして回避。軽い軽い。

「消えた!?」

驚愕の声を上げるXAT隊員。なるほど、常人には今の動きが目に映らない訳か。ネギまとかブリーチとかその辺にそんな移動技法があったが、それと似たような感じに見えるのだろう。

何度か避けてみるが、その度に一瞬俺の姿を見失っているようだ。……普通に避けただけでこれでは、肉弾戦縛りでもワンサイドゲームになるかもしれない。楽しむためにもう少し奇抜なこともやってみるか。

考えていると三体の内の一体がダガーを構え吶喊してきた。横薙ぎに振るわれたダガーをギリギリの距離で避け、そのまま懐に入り正面のコックピットの装甲を軽く拳で小突く。パラディンは後ろに数メートル吹き飛び、装甲が拳大ほど凹み、凹みの周囲にひび割れが走っている。

複製を作る時は装甲を何か別のものに変えるのが無難かな。デザインは好きなんだが、いかんせん量産機だからか相手をするのが下級デモニアックを想定しているからか、意外と脆い。余程搭乗者の腕が良くなければブラスレイターの相手は難しいだろう。

と、吹き飛ばされたパラディンの左右から残りのパラディンが回りこみつつ銃撃。バリアを張らずにダガーを回避したから、バリアが永続的なものでは無いと踏んだのかもしれない。

まぁ張ろうと思えばいつまでも張り続けられるが、バリアは張らないでおく。何でもかんでもバリアで防いでは芸が無いし戦闘の訓練にもならない。なにより簡単すぎてつまらない。

迫る弾丸。一発一発の弾丸の回転まで見える。当たらない弾丸は無視、直撃コースの弾丸に、デコピン。デコピン。デコピン。

ひたすらデコピンで弾き返す。数十発のうち数発は見事撃ってきたパラディンに直撃した。なかなか銀星号のようにはいかないものだ。その内デコピンで弾丸を弾き返す訓練でもしてみよう。

大体の性能は分かった。まあこんなものだろう。無改造ではいまいちだけど、改造の幅は広そうだ。逃げて応援を呼ばれるのも面倒臭いし、ここらで終わらせるか。

「今から貴方達を始末させて頂きます。逃げても構いませんが、その場合は追いかけて背中から叩きつぶしますので」

それだけ告げ、突撃。一瞬で最初に殴り飛ばしたパラディンの目の前に移動、手は指先をそろえ手刀の形にし、大上段で思い切り振りおろす。避けきれないと見て咄嗟にダガーを翳して防御しようとする辺りは見事!

見事だが、しかし一瞬遅い。ダガーを掻い潜り、搭乗者ごと綺麗に真っ二つに両断されるパラディン。血を浴びないようにサイドステップで他のパラディンの横にさっさと移動。

慌ててダガーを展開し振り抜こうとするパラディン。遅い。ダガーを展開する側の腕を内部のレーザー発振機ごと掴み握り潰し、そのまま少し跳躍して頭の上に登る。

右腕の銃で撃とうとしているが、その機体は残念なことにスナイパータイプ(右腕の銃が長砲身になっているタイプのこと。右腕がマシンガンなのがコマンダータイプらしい)、射角の関係で頭の上はお留守なのだ。

手刀で肩口から右腕を斬り飛ばし、次いで機体両サイドのウェポンラックを引きちぎり、両腕を無くした足下のパラディンに叩きつけ即座に離脱。

俺が一瞬で十数メートル離れた場所に降り立つと同時、ウェポンラックに収まっていたミサイルにより二機目のパラディンが爆散した。残り一体。

「な、なんで、なんでだぁ!なんでぇ!?」

錯乱している。あぁ、そういえばそうだったな。装甲に電圧かけてデモニアックの融合を気にせず戦えるというのがパラディンの売りの一つ。なのに俺ときたら平気で殴るは掴むは乗っかるわ。

「その機体、故障してるんじゃないですかぁ?」

嘲るように言う。裏切り者のウォルフ隊長の手によりXATに配備されたパラディンの帯電装甲は破壊されている。なまじ普通の下級デモニアックは近寄ることさえできなかった為に、きちんと機能しているか確かめられなかったのだろう。

最も、俺の身体は電気に対する防御性能が異常に高い。ある程度は受けた電撃をエネルギーに転換して使うことすら可能なのだ。帯電装甲が機能していたとしてもなんら問題は無い。

「くそっ、くそっくそっ!犬死にしてたまるか!」

パラディンをバイク形体に変形させ逃げだした。逃げるの?戦闘のプロじゃないの?選りすぐりのエリートじゃないの?強壮で勇敢な兵士じゃないの?なんなの?

おかしい、XATと言えば自らが融合体になる恐怖と闘いながら、最後まで生き残りを脱出させる為に戦う猛者達。あ、通信が途絶しているから、俺の情報を直接届けに行くのか? じゃあ仕方ないな。時には引く勇気も必要だって聞いたこともあるし。

と、脚元に先ほど切り落としたスナイパータイプの腕が転がっている。爆発の際に吹き飛ばされてきたのか、砲身は拉げて煤けているジャンク同然のありさま。

拾い上げ、取り込む。取り込んだパーツを解析、改造、改正、複製。腕と一体化した生物的なフォルムの砲身。その砲口を逃げるパラディンに向ける。

照準、初弾装填、発射、命中。パラディンと搭乗者の部品をまき散らしながら盛大につんのめるように吹っ飛ぶ。

? 何かおかしい。撃つ直前に電力が砲に引っ張られてる。構造を再確認…………、完了。再検証の為パラディンの残骸に再び砲口を向ける。

次弾装填、発射、命中。次弾装填、発射、命中。次弾装填、発射、命中。次弾装填、発射、命中。次弾装填、発射、命中。

「なるほど」

再検証終了。ついでに真っ二つになったパラディンの残骸にも連射。証拠隠滅。

撃つ度に砲口から眩い光が迸る。後に残ったのはぐずぐずのスクラップとこれまた悲惨な壊れ方をしているパラディンの向こうの建物。

「ふぬ、平均速度は秒速5、6キロメートルってところかな?」

取り込んだパラディンの銃腕は、皆大好きレールガンと化していた。ペイルホースの力(正確にはペイルホースの力を取り込んだ俺の身体を構成するナノマシンの力だが)をもってすればなんの変哲も無い狙撃銃をビームライフルやレールガンにする程度は造作も無いことらしい。

XATのアルがブラスレイター化した際に使うブラッドの形見の狙撃銃は、融合強化によってビームライフルになっているとのこと。どのような理屈で強化後の能力が決まるかは分からないが、わりと無茶な強化でもまかり通ってしまうらしい。

まぁ、これが主力になることも無いだろう。せいぜい変身できないような状況でパラディン程度のサイズの機体で行動しなければならない場面でしか出番は無いはず。羽根ミサイル(光弾のことな)のが全体的に性能が上だし。

ああ、でもこうなるとウェポンラックのミサイルがどう強化されてしまうかが少し不安だ。まさか一足飛びに反応弾とかになる筈は無いと思いたいが、せめてTPOを弁えた威力に収まって欲しい。具体的には追尾性能と威力が単純に上がってサーカスできる程度の強化具合で。

そんなことを考えながら最初に仕留めたパラディンを取り込む。帰ったらこのガーランドもどきを田圃道で乗り回そう。あ、でもこれ構造的に二人乗りが出来ない。姉さんを乗せて走るならガルムで行くしか無いか。

融合同化完了。搭乗者の死体はいらないので取り込まずにぺいっと吐き出す。XATのスーツは実はハイテク満載なので取り込んだため死体は全裸。身元が割れると面倒なのでこれも証拠隠滅。とりあえず顔と手を焼いておけば判別できないだろう。

プラズマ発生装置を生成するのもめんどうなので、試しに魔法でなんとかしてみる。何気に認識阻害だの人避けだの視線避けだの以外の魔法を使うのはこれが初めて。

「火よ灯れ」

ジャッ!という音と共に白い炎の塊が指先から吹き出し、XAT隊員の死体は一瞬にして人型の炭になった。XAT隊員の死体があった場所の下の石畳は真っ赤に赤熱している。――手と顔を焼くなんてレベルじゃない火力だ。こういうのは火が灯るとは言わない。

火を出すだけでこれか、魔法とは意外と調節が難しいものだったんだな。認識阻害とかしか使わなかったから気付かなかった。帰ったら姉さんにその辺の調節方法を教えてもらおう。

さて、パラディンを取り込んだ以上この町にはもう完全に用が無い、美鳥を呼び戻してさっさとこの町から脱出するか。

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パラディンを取り込み証拠隠滅も終え、認識阻害の魔法をかけた俺は再び建物の屋上を飛び移りながら美鳥のもとに向かう。

するとそこでは、俺の強化したデモニアック三体組VSベアトリスVSジョセフという訳の分からないバトルが繰り広げられていた。

美鳥は少し離れた高い建物の屋上で、旅行鞄を膝の上で抱えてにやにやしながらその戦いを観戦している。何故か手には様々な菓子やケーキが乗った大皿、足元には甘い香りの漂う大量の箱、ジンジャーエールも数本置いてある。

「あ、お兄さんおかえりー。首尾はどう?」

「ペルフェクティオだぜ美鳥。ところでこれはどんな状況?」

「いやー、途中でジョセフが乱入してきてベアトリスに『ザーギンはどこだ!』とかやり始めてねー。デモニアック達も敵が二人に増えたから本気出してこんなありさまさぁ」

いやそれもだが。その状況も確かに無茶だが。周囲の建物も大分崩れてきてるが。

「こんな状況でもジョセフとベアトリアスは共闘しないんだねぇ」

二体の強化デモニアックから具現化したチェーンで縛られているジョセフ、そこにベアトリスが空中から急降下、すれ違いざまに蹴りを放ち、その瞬間隠れていた残り一体がジョセフとベアトリスに纏めて大量の光弾を叩きこむ。

ベアトリスが空中に逃げれば二体の強化デモニアックが翼を羽ばたかせそれを追い、一体は地上でジョセフを相手に格闘戦。ベアトリスは二体分の光弾の雨に、ジョセフは剛腕からの強烈な一撃と素早いフットワークにそれぞれ翻弄され、時折地上から撃ちあがってくるズームパンチと空から降り注ぐ光弾にそれぞれ神経を削られる。

ベアトリスとジョセフは一人で四体を相手取らなければならないのに対してこちらの強化デモニアックは三体一を二通りこなせばいいだけ。強化デモニアックとブラスレイターの間にスペックで大きく差が無い以上こちらの楽勝である。

「スパロボの青軍赤軍黄軍みたいなもんだな。そうじゃなくて、その大量の菓子類はどうしたんだよ」

「当然、火事場どろぼー」

「弁明すらしないのか……」

堂々と言い切られたらどうにも続けようが無い。まぁ、殺人犯が泥棒に説教するのも道理に叶わないとは思うが。

「ここはあのデモニアック達に任せておけばいいかなーって。で、暇潰しにその辺うろついてたら、無人のケーキ屋さんの店内に取り残されたかわいそうなケーキ達があたしに、助けてー、助けてー、と目で訴えてたのだよ」

「目ねえよ」

どんなグロケーキだ。

「比喩だよ比喩。あむっ。らっ出ついれに色んなみへ回っへうっ色してこーへー」

「もの食いながら喋るな」

喋りながら大皿の上のクッキーやチョコを数枚纏めて口に放り込み、町を出る途中での寄り道として火事場泥棒を推奨する美鳥。しかし、爆撃までまだ時間があるな。行ってみるか。

「ほら、荷物半分寄越す」

「ふへへ、お兄さんも悪よのぉ」

「大皿は置いてくこと。邪魔だからな」

「えー、もったいない……」

ケーキが八箱もあれば十分だろうに、まだ欲張るかこいつは……。あきれながらもケーキ四箱を縦に積み細い触手でラッピング。吊るしてゆっくりと高々度を飛んで行けばケーキの形も崩れないだろう。

「嫌なラッピングだなぁ」

変身し翼を具現化した美鳥が微妙な視線をケーキの箱に送っている。触手で可愛らしくリボンが結ばれたケーキの箱は酷くシュールだ。

俺は支配している強化デモニアックに『ここを通るブラスレイターをひたすら足止めし続けて、日が沈んで夜になったら自壊しろ』と命令を送り、未だ戦い続けるベアトリスとジョセフを尻目にその場所を後にした。

―――――――――――――――――――

街を出る際に無人の電気屋に忍び込み、適当に家電を物色しながら見て回り遊ぶ。

「お兄さんお兄さん、ちょっと耳貸してみ?」

美鳥が手招きされ、言われるままに顔を寄せると、ふーっと息を吹きかけられた。

「……なにそれ?」

「マイナスイオン含有送風機能~♪ど~よこの癒し機能!」

「またおまえはどうでもいいものを取り込んだな……」

などというじゃれ合いを挟みつつ、最終的に俺はミンチも作れる洗い易いハンドミキサー、業務用の大型電子レンジ、そして姉さんが通販番組で見て欲しがっていたドイツ製の掃除機の後継機を取り込んだ。

「お兄さん。最後のはお姉さんへのお土産だとしても、最初の二つからは激しく惨劇の予感を感じるんだけど……」

「俺に言えるのは二つだけ。ボンボンのガンダムはどれも名作、そして敵はみな電子レンジの中のダイナマイトだ」

家の電子レンジを新しくしたいという目的もあるし、家電を元にして武器ができるかどうかの実験も兼ねている。そしてSDガンダムフルカラー劇場全11巻好評発売中。

まだ時間が余る。少し移動してこれまた無人のホームセンターにも寄って適当に電動工具を漁り、更に無人の本屋で観光雑誌に料理本などを物色。それでも時間が余ったので無人のレストランで食材を漁って勝手に厨房を借り、遅めの昼ごはんを作成。

料理本を見ながら四苦八苦してそれっぽい独逸料理完成。美鳥と差向いで食べつつ今後の予定を話す。

「で、次の目的地へはどうやって進む?」

「しばらくはバイクで移動だな。途中からはツヴェルフ本部行きのバスが出てる筈だからそれに乗っていく」

本部の中ではIDカードが必要だが、これは適当にその辺の神父さんシスターさんから借りて複製、指紋と網膜認証は警備ロボに触手突き刺して融合、認証は完了したと信号を送ってクリア。ブラスレイターの能力を使っても変身しなければ基本警報はならない不思議警備体制なので侵入は簡単だ。

「秘密組織行きのバスが出てるってのも間抜けな話だよねぇ」

中途半端な出来栄えの料理をつまみながら苦笑する美鳥。

「表の顔があるのは大変ってことだね」

ベツレヘム実験都市。端的に言ってクリスチャンの人らが修行する為に解放されている瞑想場?のような場所。外部に依存しない自給自足のコミュニティーとして半世紀以上の実績を誇っているとかどうとか。

ちなみにここ、基地内部に潜り込むまで身分証を提示する必要すらない。侵入は簡単。堂々と正面玄関から入り、目当ての物をコピー、これまた堂々と帰っていけるのである。

「神父服とかが必要になるわけだねお兄さん!かっこいい改造神父服を用意するぞー!」

「美鳥のシスター服はスカート切り放しで露骨なミニスカになるよう小細工してあげよう」

無論本気だ。似非キリシタンに化ける以上本物の神父やシスターの格好などしていられない。他の敬虔なクリスチャンの方々に咎められても軽い認識阻害かけて『親の形見なんです』とか言えば納得してくれるだろう。

適当な教会の神父さんにお願いしてシスター服と神父服を借り、いったんこっそり取り込んでしまえば複製は作り放題な訳だし。これ以降使う機会があるか無いかはともかく。

しかし今はそれよりも優先しなければならないことがある。

「で、これはどうする?」

言いながら山積みのケーキの箱を指差す。保冷材も入れているのでまだ大丈夫だが帰還まであと一週間はある。それまでには余裕で腐るだろう。

「お兄さんが取り込んでくれれば何の問題も無いよ!」

「ちょ、おま……」

その発想は無かった。材料を取り込むことは既に試してみたし問題なく複製できたが、調理済みの料理を取り込むのはやったことが無い。

「大丈夫大丈夫、箱ごと取り込めば見ため気にならないって」

確かに懐からむき出しのケーキを取り出すのと箱に入ったケーキを取り出すの、どっちも基本アウトだがどっちがマシかと言われれば後者――かな?

どちらにしても人前でできるわけじゃないし、気にするだけ無駄なのかもしれないが。

「棒付きキャンディーとかなら分かるけど、ケーキ丸ごとワンホールは難易度高いなぁ」

「仰向けになってお腹出して、そこにケーキを箱ごと乗せれば簡単だよー」

そういう話じゃ無くて、なぁ?

―――――――――――――――――――

俺はやればできる男、無事ケーキの取り込みに成功。ジンジャーエールもボトルごといけた。しかし美鳥が適当にギッてきたケーキは半分以上種類がダブっていたので、ケーキ丸々五つ程を処理することに。

無人のレストランで向かい合い、山積みになったケーキを黙々と食べる俺たち。美味いっちゃあ美味いが、これだけ量があると流石に飽きる。

「ねぇ、お兄さん」

味を変える為に思い切って醤油でもかけてみようかと考えていると、ケーキ二ホール目をそろそろ食べ終えそうな美鳥がこちらに声をかけてきた。

「うん?」

外道食いは最後の手段だと心の中で結論付け、再びケーキの山を切り崩しながら答える。異世界とはいえドイツくんだりまで来てやることがチョコケーキの一気食いとは……。

「その袖、どうしたの?」

と、フォークで俺の右腕を指し示す。肘先辺りから服の袖が無くなり、右腕だけ半袖になってしまっている。

「ああ、パラディンをチョップでぶった切った時に千切れたんだな」

ブラスレイターもどきに変身しておけばそうそう服が壊れることも無いのだが、その辺はまるで考えて無かった。手加減云々の問題以前にその辺を考慮すべきだったか、失敗失敗。

「へぇ……。じゃ、パラディンは全部撃破したんだ。パイロット諸共」

「そだな。てか、搭乗者だけ残すとか難しいだろ」

俺の二ホール目はシンプルなチョコレートケーキ。正式な名称は知らないがドイツ語だからかっこいいんだろうなぁ。

俺の答えに美鳥が真顔になり、こちらに問いかけてくる。

「……お兄さんが撃破した、いや違う、お兄さんが殺したパラディンのパイロットにも家族が居て人生があって、未来の可能性があったと思うんだ。作品世界の中の話とは言ってもね」

「うんうん」

聞きながらもナイフを走らせケーキを切り分ける。一回、二等分。二回、四等分。三回四回、八等分。斬り分ける。

「……なんとも思わないの?」

一切れにフォークを突き刺し、口に入れ、咀嚼。やはり甘い。茶が欲しい。コーヒーは砂糖入れても飲めない派なのだ俺は。ミルクを入れたらそれはあくまでもコーヒー牛乳として扱います。

「何を?」

「何を? と聞いちゃいますかそこで」

表情が崩れ、猫っぽいにやけ顔になる美鳥。

「今のセリフ、お姉さんが聞いたら感激するよ。『さすが卓也ちゃん♪』とか言って、さ」

「? なんで?」

聞きながら飲み物――ペットボトルのジンジャーエールを複製。いける、これでケーキを一気に流し込む!

「お兄さんが紛れも無く、お姉さんの弟だって話。上着貸してみ、直しておくから。それと――」

「なん?」

上着を脱ぎ手渡すと、美鳥は上着を体内に取り込みながら厨房に向かって歩いて行く。

「お茶淹れてあげるからジンジャーエールはやめとこーぜ? 甘いもの食べながら甘い飲み物なんて奈落だよ?」

キシシと笑いながらそんな事をのたまった。――これしか飲み物を持ってこなかったのはお前だろうが。そう思いつつも、厨房から茶葉を探すという発想がぽっかりと抜け落ちていた俺は言い返すことができないのであった。

―――――――――――――――――――

そして街を脱出しまだ被害の及んでいない少し遠い町にたどり着きホテルで一泊。翌日、小さな教会を訪ねた俺たちは、人の良さそうな神父さんを拝み倒し、どうにかこうにか神父服とシスター服を借りることに成功。

借りるついでにベツレヘム実験都市へ行くバスにはどうやって乗ればいいのか尋ねると、ちょうど近場の教会の人たちと一緒に行くので急遽相乗りさせてもらえることになった。

しかも神父さんとシスターさんのIDカードまで貸してくれた。まさに望外の好運、これも普段の行いがいいからに違いない。天は自らを助くる者を助く、だっけ? あんな感じで。

「拳大の金塊をほいと投げ渡してのお願いは拝み倒したとは言わねー。札束で頬ひっぱたくより効くっしょあんなん」

後々の資金調達の為、実験的にパソコンの基盤に使われている金だけをひたすら大量に複製し溶かし固めて作った金塊。純度の高さは折り紙つきである。

軽く投げ渡したら予想外の重さに神父さんの手首が脱臼しかけたがそれも笑顔で許してくれた。物欲に弱い修行不足な神父様で助かった……。

「右の頬を打たれたら左の頬も差し出せとはよく言ったものだよな。つまり基本相手の提示額の倍額要求しろってことだろ?」

「お兄さん、それ以上いけない」

見事なミニスカシスターと化した美鳥が真剣に止めてくるのでこの話題は終了。俺は窓の外を眺めた。巨大な湖の中心の浮き島、そこに巨大な城のような建築物が見える。

ベツレヘム実験都市、ツヴェルフの根城である。窓の外から視線をバス内に戻せば通路を挟んで隣の席にヘルマンが座っている。前回食堂で見た時と違うのは外見では片目を潰し顔の一部まで痕の残る火傷に――

「感染してるな」

「だね」

体内からペイルホースの反応。ヘルマン・ブラスレイターの誕生はもうすぐ。しかし立ち会いもしなければ介入もしない。だってアポカリプスナイツの機体をコピーするのに忙しいだろうし。興味も無いし。

そうこう話しをしている内にバスが目的地に到着したらしい。他の神父やらシスターやらに紛れてバスを降りる。と、降りて伸びをして身体を解していると背後から誰かがぶつかる。ヘルマンだ。ふらついて倒れそうになったらしい。

「大丈夫ですか?乗り物酔いしたならエチケット袋がありますけど」

とりあえず礼儀として聞いておく。多分年上だったと思うので一応敬語風に。しかしやはり自動翻訳なのでいまいちその辺のニュアンスが伝わっているかは不明だ。ドイツ語に敬語の概念があるかは知らないし。

「――っ、く――」

聞こえていない。――こいつこんなんで本当にアマンダのところにたどり着けるんだろうか? 仕方ない、少し手を貸してやろう。

指先に極小の注射針を作り出し、中にペイルホースを改造して作った、ペイルホースのプログラムに更新パッチを当てるナノマシンを生成、素早く首筋に打ち込む。

「っつ!」

「大丈夫ですか? 袋いりますか? ゲロリますか?」

針がチクリと刺さった瞬間少し声を上げるヘルマンに素知らぬ顔で声をかける。

「あ、あぁ、大丈夫だ。ありがとう」

先ほどよりは大分まともな答えを返し立ち去っていった。プログラムのアップデートは無事終了したようだ。今日からヘルマンの中のペイルホースはペイルホースバージョン1,1といった感じのものに。

まぁ、幻覚を見ないで済むとか凶暴化の度合いが少なくなるとか回復が多少早くなるとかその程度のものだが、無いよりはマシだ。元から血の気が多い方だから多少凶暴化の割合が減っても弱体化には繫がるまい。

立ち去るヘルマンから目を外すと、美鳥が変なものを見る顔でこっちを見上げている。

「お兄さんってさー、器用だよねー」

「あの程度なら美鳥にも余裕でできるだろ」

質量保存の法則を大幅に無視できない、ダメージの回復が俺より大幅に遅いなどといったことを除けば美鳥のボディはほぼ俺と同性能。服や食べ物の取り込みと複製などはこいつの方が上手ですらある。

「そうじゃなくて。救う気も無い相手にそんな手助けよくできるよなってさ」

よくわからん、よくわからんがこれだけは言える。

「俺はな美鳥、野良猫に餌をやる時いちいち『餌を貰うのに慣れ過ぎて自分で狩りができなくなったらどうしよう』だとか考えないタイプなんだよ」

気まぐれの行動にまでいちいちそんな細かいことを考えるほど、俺は繊細じゃない。

―――――――――――――――――――

「で、お兄さんが強化したデモニアックの試験の為に――」

「あら、貴方の兄はそんな真似までできるの?あそこまでの力を持ちながら、まだ出し惜しみを――」

「後から覚えたんですよ。あの時は正真正銘の本気、ではないにしても能力はほとんど全部――」

ここはツヴェルフ基地内部の空き倉庫の一つ。美鳥、警備ロボのモニタに映るエレアさん、俺の順に会話が進む。これまでの事をそれぞれ話合って談笑している。

ヘルマンの暴走に巻き込まれないためにしばらく外の一般向け施設を冷やかして時間を置いてからツヴェルフの基地に潜り込んだ。まぁ潜り込んだと言うには語弊があるか、堂々と入口から入ったのだから。

警備ロボに手を当てて指紋を認証する際に手を触れたモニターから融合し乗っ取り、アポカリプスナイツの機体がある場所を知れたはいいものの、タイミング悪くしばらく前に空軍基地に出撃して出払っているらしく、戻るまで待たなければならなくなってしまった。

確か夕方には戻るかなと記憶していたため、基地のコンピュータをハッキングして適当に時間を潰すことにしたのだが、ハッキング中にエレアさんに見つかってしまった。

しかし何故か武装した警備部隊的な連中が現れる様子も無く、エレアさんも俺が侵入している事に問題を感じていないご様子。美鳥の自己紹介もつつがなく終了して今はこんな感じである。

「ていうかですねエレアさん」

「あら、なにかしら?」

「ジョセフさんの方はいいんですか?」

このタイミングでアポカリプスナイツが出撃したとなればウォルフ隊長による航空基地占拠。となると姉に首輪をつけられて興奮しすぎでバーサーカー状態になっているジョセフも出撃している。ガルム改でサポートする必要は無いのだろうか。

姉に首輪をつけられて暴走、なんだろう、どことなくジョセフに親近感を感じたような。しかも姉の元恋人のことを思い出して怒りのあまり心拍数3000オーバーというそのシスコンぶり。君の姿は俺に似ている。

俺も姉に恋人なんていたら怒りのあまり縮退起こしてしてブラックホールになりかねない。寝盗られとかマジで勘弁。まぁ姉さんは恋人を作ったことが無いらしいからその辺りは安心だな。

しかし俺ジョセフと違って性癖はシスコンだけだから弩Mじゃないんだよなぁ。首輪をつけるのは流石に無い。でも逆に犬耳付けて裸Yシャツに首輪で『くぅ~ん』とかやってる姉さんを想像したら――やめておこう。ジョセフだけじゃ無く俺まで暴走してしまう。ああ、早く帰って姉さんとちゅっちゅしたい。くんずほぐれつ弄りあいたい。

そうだ、そういえば俺今回のトリップで結構強くなれたよな。今ならあのネギ幼少時の村襲撃に出てきた悪魔とか全部余裕で潰して捏ねて燃やして、焼き過ぎて焦げたハンバーグみたいにできる自信がある。

これもしかして褒めて貰えるんじゃあるまいか。『よくやったわ卓也ちゃん!』とか言って思いっきり抱きしめてもらえたりあわよくば出がけのキスの続きがもらえたりなんかしてもうああなんだか堪らなくなってまいりましたよ!

ああ、こう考えると姉さんのトリップに巻き込まれる前の俺のなんと常識的なことか! しかし俺は常識に縛られ過ぎていたようだ。こんな身体になってまで人間の常識に自分の思考をあてはめる必要は無い!

「ジョセフだって子守が必要な子供じゃあないわよ。というか、今は手伝うだけ無駄みたいだし――、……ねえ、聞いているのタクヤ?」

「あー、ごめ。お兄さん今ちょっとトリップしてるから認識できてないと思う。おーいお兄さーん、頭だいじょぶかー?」

あ、なんか凄い失礼なこと言われてる。異世界トリップ中にトリップなんてするもんじゃない。ていうかトリップとトリップでややこしいな、後者は解脱とか呼ぶと分かりやすいかもしれない。

「まだわからないのか、俺は常識を凌駕した!」

叫んだ瞬間、頭を光弾で撃ち抜かれた。いつの間にか美鳥が翼だけを具現化してこちらに向けている。

「落ち着け。お兄さん今の話聞いてた? ちょっと重要な話だったぜ?」

「大丈夫落ち着いた。つまりジョセフが無双して、でも止まる気配すら無いんだろ? そろそろアポカリプスナイツには撤退命令が出る頃合いかな?」

穴が開いた頭を修復しながら返答。帰還まで残り二日を切ったからか姉さんへの思いが溢れ出してきてとんだ醜態を晒してしまった。自重しなければなるまい。

「はぁ……。貴方って、つくづく奇妙で興味が尽きないわ。他の人間とはまた別の意味で」

呆れたような口調で言うエレアさん。

「貴女もですよ、エレアさん」

「だな」

主にデザイン的な意味で。聞こうとは思わないが興味津津である。俺の意見に美鳥も頷く。――は!まさか日本製なのはガルムではなくエレアさんのデザイン!?ジャパニメーションによる文化的な侵略というやつか、恐ろしいな我が祖国。

「……何故かしら、不思議と馬鹿にされているような気がするのだけど」

恨むならキャラデザを恨めばいいんじゃないかなと思う。エロメインの人ゆえ致し方なし。

―――――――――――――――――――

あの後アポカリプスナイツの帰還を知らせると同時、エレアさんは警備ロボの支配を切り、他の用事を済ませに行ってしまった。エレアさんジョセフのサポートとバイクの操作以外にやることあんの? とか聞いてはいけない、作中に描かれなくともそういうものは確かに存在するのだ。たぶん。

そんな訳で俺と美鳥は改めてアポカリプスナイツの機体が整備されている区域に移動を開始した。歩くこと数分、厳しい警備とかチェックはやはり存在せず到着してしまった。

「本気でこの組織どうかしてる……」

「気にしない気にしない、お兄さんにはむしろ好都合でしょ?」

そんな会話をしつつ整備されている途中のアポカリプスナイツの機体を見上げる。

アポカリプスナイツとは、ツヴェルフの誇る超科学を用いて建造された、『スケールライダー』『ボウライダー』『ソードライダー』の三機のことである。と説明があるが、チーム名なのか機体の種別なのかはいまいち分からない。

しかしなかなかにデカい。砲撃形体のボウライダーを見上げる。俺、生まれて初めて実用に耐えうる本物の巨大ロボ見てるんだな……、感激だ!写メ撮らなきゃ!

座って荷電粒子砲を構えた状態でさえ前高6メートルはある。立てば10メートル前後か、リアル系の機体だと考えたらなかなかデカい部類になるな。

砲撃戦特化の人型可変機体であるボウライダー。今持っている荷電粒子砲は真ん中から二つに割って短くすると速射砲に化ける嬉しい機体。荷電粒子砲を撃つ際には座り込むような砲撃形体に変形しなければならないが、スケールライダーに搭載されている時は空中戦の最中にガンガン撃っている。

これは恐らく可変翼戦闘機であるスケールライダーに搭載されている反重力システムが関係していると思うのだが事実は不明である。反重力システムっていうより重力制御装置のようなものだとは思うのが、まあ空を飛ぶのと砲撃の反動を消すのに使えるのならどちらでも構わないだろう。

「お兄さんお兄さん!」

美鳥が目をキラキラと輝かせながら俺に手招きしている。

「ほらゾイド!ゾイドがいるよゾイド!」

と言いながらアポカリプスナイツの一体である四足獣型兵器であるソードライダーを指差して腕をぶんぶん振っている。

四足獣型兵器のソードライダー。格闘戦特化の――まぁゾイドみたいなものだ。尻尾の先にアンカーをつけたり前足にブレードが付いていたりといかにもゾイド臭い。ボウライダーの荷電粒子砲といいこれといい、スタッフは絶対に狙ってやっている。

そしてアポカリプスナイツ最後の機体、可変翼戦闘機のスケールライダー。反重力システム搭載、武装はなかなか弾切れしないミサイルとバルカン。しかもレーザーっぽい武装まで持っていて、挙句の果てにボウライダーを搭載中は使えないが、降着装置でもある近接戦闘用クローアームで格闘線までやってしまえる超戦闘機だ。

こちらも脚とか羽根とかがゾイドっぽいと言えなくも無い。ついでに言えばこの機体、ソードライダーとボウライダーを上下に搭載する輸送機モードと、単体でサーカスする戦闘機モードを使いこなすことで幅広い運用が可能になるとか。万能である。

壮観だ。これが異世界の技術、たまらない。整備が終わるのが待ち遠しい。といっても今回の出撃ではそれほど派手な損傷はできなかったようだし、二時間と待たずに整備は完了するだろう。

―――――――――――――――――――

念のため認識阻害の魔法をかけ直し、整備が完了したアポカリプスナイツの機体に近寄り手に平でぺたりと触る。俺が今触れているのは砲撃戦特化のボウライダー、美鳥は可変翼戦闘機のスケールライダーの方に行っている。

掌と機体が触れた辺りからグジュリと融合を開始する。しばし待ち……、融合完了。これで自由自在にこのボウライダーを操ることができる。

ここまでがペイルホース式の、普通のデモニアックやブラスレイターが行う融合。俺は更に融合し掌握したこの機体の情報を事細かに身体の中に取り込んでいく。

ここは仮にもツヴェルフの総本山、ただの融合や武器、翼などの具現化では気付かれなかったが、いきなり格納庫から10メートル級の機体が消えたら瞬く間に警報が鳴り響くだろう。

最初から俺が出来る融合捕食は融合する対象を完全に肉体に取り込まなければならない、しかしペイルホースの方の融合は対象に自分の身体の一部を浸食させてコントロールを奪う、あるいはそのまま作り替えるといったものだ。

このペイルホース式の融合方式を上手く使うことにより、体内に対象を丸ごと飲み込むことなく、対象の内部構造に自らを浸食させて相手のすべてを取り込むことができるようになった。

なんだか分かりにくいな、つまり最初から俺が出来たのはカービィ方式の融合、今はアプトム方式の融合ができると考えれば分かりやすい。といっても相手はロボット、DNAを採取できればいいという訳では当然なく、隅々まで融合するには少し手間がかかる。

……そういえば、今時間は航空基地で漫画版からゲスト出演のスノウが暴走ジョセフを止めようと奮闘したり、どこぞの教会でアマンダとヘルマンがウォルフ隊長と死闘を演じたりしているんだなぁ。

ご苦労な話だ。まぁ、そんなやつらが細々した事件を勝手に解決してくれているからこそ、こんなゆっくりと融合できるのだが。

――終わった。ボウライダーの隅済みにまで浸食、融合し、完全にこの機体と融合した感触を得る。なんだかんだでそれほど時間はかからなかった。何も気にせずゆっくりと融合に専念できたからか? まぁもともと装甲車と融合するのにも一瞬とかからないのだ、十メートル級の機体でも一分とかからないのは当然なのかもしれない。

「お兄さん、そっちは?」

と、スケールライダーの融合が完了したのか美鳥がこちらに近づいてきた。心なしか顔が紅い。機能不全だろうか。スケールライダーを取り込んでナノマシンの組成が書き変わったせいかもしれない。

そういえばジョセフからペイルホースのログを盗んだ時も眠っていたな。俺がペイルホースを初めて取り込んだ時も眠くなったし、それと似たようなモノか。

「今終わったところ。ソードライダーの融合が終わるまで少し休んでな」

「あ……、うん、ありがと」

言いつつその場に座り込む美鳥を尻目に、俺はソードライダーの融合を開始した。

―――――――――――――――――――

ソードライダーとの融合を終え、アポカリプスナイツの機体全てを複製できるようになりいざ脱出という時になっても、美鳥は顔を紅く染めたままだった。

「大丈夫か?背負うか?」

「だ、だいじょぶだいじょぶ。それより、これからの予定は?最終回は明後日だよね?」

丸一日以上時間があるのだ。最終日にペイルホース感染者を問答無用で消滅させるアンチナノマシン『イシス』を奪取するにしても、明日は本気でやることが無い。いや――

「うまくいけば明日で全部手に入るな」

名案かもしれない。最終日のジョセフVSザーギンを観戦していれば勝手に手に入るとはいえ、わざわざ最終決戦場まで出向くのは面倒臭い。この案ならまだ手近なところで終わらせることが出来る。

明日の予定が決まった。早速美鳥にも伝えようと思い振り返ってみると、座り込んでいた美鳥がぐったりと地に伏せ倒れている。

「おいおいおい、本当にどうしたんだよ。俺もお前もウイルスにやられるような作りじゃないだろ?」

倒れている美鳥を抱き起こし揺さぶる。……反応が無い。意識が無いのかそれとも反応を返すだけの余力が無いのか。どちらにしてもここで回復を待つというのは危険か。

美鳥を背中に背負い外に向かい歩き出す。意識が無いせいか普段よりも重いような気がする。いや、気のせいじゃない。元の重量は見ための通りの軽さだが、今は金属の塊でも背負っているかのような重みだ。

――本気で異常事態だ。本人の意思にかかわらず人間の擬態が解けかけている。こんな時の為のサポートAIだろうに、本人が異常をきたしてたら全く意味がなかろうが。

ずり落ちそうになる美鳥を何度も背負い直しながら、ツヴェルフの基地から脱出した。

―――――――――――――――――――

「う……ん。おにー、さん……?」

ツヴェルフの本拠地が存在するベツレヘム実験都市から遠く離れた町の安ホテルに宿を取り、一泊。翌朝になってようやく美鳥は目を覚ました。

「起きたか。今度はいったいどんな不具合だ?」

ベッドの枕もとに座る俺の問いかけに、パジャマ姿でふらふらと身体を揺らしながら身体を起こし、まだ顔の紅い美鳥が口を開く。

「んー……、お兄さんの身体と違ってこっちは色々と制限があるから。この身体の記録容量を使い切ったんじゃない、かな? 取り込んだデータをお兄さんに移譲すれば元に戻るよ」

「なるほど――、ってちょっと待った。お前そんなに大量に融合同化してないよな?」

スケールライダーを除けばせいぜいが電気屋で送風機を取り込んだ程度、それだけで容量が一杯一杯になってしまうなら、これから他のトリップで手に入れたい超兵器とかは全部自分で融合しなければならないのか?正直な話、俺では接近し辛いモノとかはこいつに任せようと思っていたんだが……。

などと考え込んでいると、俺の表情から何を考えているのか察したのか苦笑しながら説明を付け加えた。

「だいじょぶだいじょぶ、問題無い無い。お兄さんがバージョンアップし続ければこっちの記録容量も増えるし、複雑な作りの物でもサイズ自体が小さければそれほど容量は食わないから。じゃあ、データ渡すぜー」

そう言うと、美鳥は俺の肩を引っ張り、唇を押しつけてきた。カチッという固い音をたてて前歯がぶつかり合う。あ、やっぱりこれなんだ。

「んぅ?」

どう?という視線を至近距離から送りながら唇は離さない美鳥。首に両腕を廻しがっちりと固定してきた。抵抗しない俺の唇をこじ開け、口内に侵入してくる美鳥の舌。

舌で縦横無尽に歯を、歯茎をなぞられる感覚に背筋がゾワリと震える。美鳥はいつの間にかベッドの上に膝立ちになり、座ったままの俺を押し倒すように覆いかぶさっている。

「ん――む、ふ――」

鼻息が色っぽい。そもそも呼吸自体が擬態だから息をする必要すら無いのだが。――誘っているのか?というか、この方法でなければデータは移譲できないのか?

美鳥の舌が俺の上下の歯の門を押しあけて侵入してくる。上顎も下顎も念入りに舌で突き這わせ舐めずり、口内で触れていない個所を無くさんとするかのように蹂躙する。

思うさま口内を舐め回し小突きまわした後は、こちらの舌をからめ取り、舌と舌を擦り合わせながら唾液を送り込んできた。飲み込むと同時、スケールライダーの機体情報が流れ込んでくる。これでデータの移譲は完了したんだが、どうにも美鳥の様子がおかしい。

「ふ、はぷっ……ん、じゅ……ちゅる……」

放してくれない。なんというか、瞳のハイライトが消えているというか眼が虚ろというか、正気の顔じゃない。

首が折れるんじゃないかというほどがっちりと首に抱きつき、身体を押しつけるように胸を擦りつけてくる。体温が高く、汗で服がじっとりと湿っている為かパジャマが身体に張り付き、細い身体のラインがくっきりと見える。

「んぅ、ふっ、ふっ……」

完全に俺を押し倒し、太ももに跨り息も荒く股間を擦りつけている美鳥。そのこめかみにそっと手を触れて、放電。

「ぎゃんっ!」

バヂィッ! という音と共に俺の上から吹っ飛び床に転がる美鳥。手間をかけさせる、本当ならこれ立場が逆なんじゃ無いか?俺が与えられた情報の量に耐えきれずに暴走して押し倒す感じのエロシーンでCG回収的な意味で。

「正気に戻ったか? それで、今回の言い訳は?」

俺の問いに、プスプスと頭から煙を上げている美鳥が苦しげに弁明する。

「き、記録領域にいきなりおっきな空白ができたせいで、その直前のキスのことで頭がいっぱいになって、つい……。ていうかお兄さん……」

「何?」

「あれだけやられて押し倒し返さないって、不能?」

床に転がる美鳥に指を向け、放電。再び尻尾を踏まれた犬のような悲鳴が上がる。

「姉さんともまだしたことが無いからな、操を立ててるって訳じゃないが」

「だからってあの止め方は無いんじゃないかなぁ~なんて思うんだけど」

そこら辺は仕方がない。こいつは見ため姉さんに似ているから、あれ以上放っておくと本気で流されてしまったかもしれない。

ああいや、だからといった姉さんとした後ならこいつとヤッってもいいのかと言われるとそれもまた複雑な感情があって、当然節操というものもあってしかるべきではあるし、それ以前にこいつは言ってみれば俺と姉さんの子のようなものでもあり、いやいや、そもそも俺の一部とも言えるような存在で、あれ?じゃあこいつとヤッても半ば自慰行為みたいなもんだからオッケーなのか?

いかん、この件は考えれば考えるだけ泥沼になりそうだ。結論は保留保留。気を取り直して今後の予定だ。まずは美鳥の状態を確認せねば。

「とにかく、もう問題は無いんだな?」

「さっきの電撃のダメージが抜ければね。それと、昨日なんか言ってたよね?明日――もう今日だね、で全部手に入るって」

「ああ、それはもういいんだ。どっちにしても最終日を待った方が効率いいし。ダメージ抜けるまでゆっくりしとけ」

結局、美鳥が回復するのに夕方まで時間がかかった。電撃は生身の人間には使えないな……。

―――――――――――――――――――

翌朝、俺と美鳥はペトラというシスターが運営する孤児院を、認識阻害をかけて上空から見下ろしていた。下では今まさに灰髪の巻き毛の少年――マレク・ウェルナーがごっついバイクに乗ってザーギンとの戦いに向かった所だ。

しばらくそのまま観察していると、孤児院から赤いXATスーツに身を包んだピンクブロンドのグラマラスな女性――アマンダが飛び出してくる。手には紙切れ――マレク少年の置き手紙。

そう、このタイミングだ。ジョセフは起きておらず、ここには武装は拳銃だけのアマンダただ一人。ジョセフの姉――サーシャから託されたアンチナノマシン『イシス』の設計データが収まった記録媒体を奪取する絶好の機会。

しかし、ここで問題になるのが奪取の仕方だ。イシスがあればペイルホースの再開発も難しくは無い、そのため信頼できる人物に託す。という流れでアマンダの手に渡っている以上、貸してくださいと言って素直に渡してくれるわけも無く。

かといってスタンガン的に電気ショックで気絶させるとそのまま記録媒体まで電気が回ってイシスのデータがお釈迦になってしまう可能性が高い。そして都合のいい眠らせるだけの薬品も思いつかない。

つまりこれから行われる一連の行為は消去法で導き出されたベストではないがベターな選択であり、決してやましい感情がある訳では無いのである。そんな自分への言い訳を思い浮かべつつ作業開始。上空から一気にアマンダの前へ急降下。

「なっ、融合体!?」

「いえ、通りすがりの農家です」

「あたしは生後数カ月の赤ん坊さぁ!」

答えつつ気付く。今から数時間後には元の世界に帰る予定なのに、本編メインキャラの一人であるこの人とは一言も会話を交わしたことが無い。というか、まともに会話した登場人物がジョセフとエレアさんだけという驚異!もうこのタイミングなら名前が広まっても問題ないし、ここはひとつ自己紹介も同時進行で行こう。

「初めまして」

太く強靭な触手を射出、武器を取り出さないように両手首を縛りあげる。

「俺はジョセフ君の知り合いで」

更に触手を射出、逃げださないように両足首を縛りあげる。

「鳴無 卓也という者です」

更に触手を追加、暴れないように胴体を縛りあげる。

「この度、一身上の都合により」

駄目押しの触手、騒がないように猿轡にする。

「アンチナノマシン『イシス』の設計データを貰い受けに参りました」

ジャスト六秒で自己紹介も終えてしまった。ちなみに拘束自体は自己紹介の真ん中あたりで完了している。見事な触手捌きだ、これなら今すぐにでもエロい悪の秘密結社で働けるだろう。

「ンッ、ンー!」

「うっへっへ、ボディチェックの時間の始まりだぜー?」

全身を拘束されながらももがくアマンダさんに、手をわきわきさせながらブラスレイター形体の美鳥が近づく。化け物然とした姿の少女が卑猥でコミカルな動きで拘束されたグラマラスな女性ににじり寄る姿はかなりシュールで緊迫感が感じられない。

「うおっ!こ、これはぁー!」

アマンダの服の中をまさぐり始めた美鳥が突如として奇声をあげる。

「す、すっげぇ筋肉、カッチカッチじゃんか……!」

「――いいから早く探せ」

そりゃ軍だの警察だのから集まったエリート部隊に所属していたんだから筋肉が無い方がおかしい。というか、いちいち実況すんな。

「こりゃヘルマンに膝枕する時も硬くて寝辛いんじゃないかなぁ~」

「――っ!」

羞恥に顔を赤く染めるアマンダ。流石に遊び過ぎなので注意しようとした、その時。

「てめぇら、アマンダになにしてやがるっ!」

石突に鎌の付いた戦斧を構えた赤いブラスレイター、タイプ35『マルコシアス』ヘルマン・ザルツァがこちらに突進して来た。斧の狙いはアマンダを縛りあげる触手、美鳥はアマンダと密着しすぎている為か狙えないらしい。

しかし俺の触手をそこらの一山幾らの木端触手と一緒と考えちゃあいけない。振り下ろされた斧は触手の装甲を削ることすらできずに弾かれ、触手の途中から分岐して新たに生えてきた触手の鞭のような一撃により、ヘルマンは数メートル吹き飛ばされて壁に激突した。

はて、原作の展開を考えればヘルマンは昨夜の内にベアトリスとの死闘の末にお亡くなりになっている筈なのだが、これはいったいどういうことか。

「お兄さん……、後先考えずに行動するからだよ」

と、考えている内に美鳥がアマンダから離れてこちらに寄って来た。手にはこの世界特有のメモリーカードのような記録媒体。どうやら遊びつつも目当ての品は確保していたようで、俺に手渡しつつ説明を続ける。

「あれだよきっと。お兄さんが酔い止め代わりに投与したペイルホースのアップデートプログラム」

記録媒体を取り込みデータをコピー、複製を作り出しながら思い出す。ああー、そういえばそんなこともあったな。忘れてた忘れてた。

アマンダを触手から解放、記録媒体の複製を投げ渡し、再び高速で空に舞い上がる。666はマレクが乗っていったので無い、そして飛行能力を持たないヘルマン・ブラスレイター単体では空を行く俺達を追ってこれない。普通の人間であるアマンダも同上。

「この、待ちやがれぇ!」

光る鎖に繋がれた斧がこちらに飛んでくる。おお、これがヘルマンの具現化する武器か。どういうイメージをすればこんな奇天烈な武器が出てくるのか。荒くれ者は一味違うな。こんなラフファイトが出来るならレーサーとしても十分やっていけたんじゃあるまいか。

「お断りします」

迫る鎖付き斧を平手でぺしっと叩き落とし、軽い口調でしかしきっぱりと断言。それに続いて美鳥もポーズを決めつつ、

「お断りします」

腕を斜め下に伸ばし手は平手で掌を下に向け、顔を相手に向けたまま歩くような動きを見せつつの意思表示。伝統と信頼のお断りしますのポーズ。これ以上無いほどの否定の意思が伝わっただろう。

これでここにはもう用事が無くなった。ジョセフが起きてきたら面倒な事になるし、さっさとずらかることにしよう。

「さぁ、行くぞ美鳥」

「うん、あ、ちょ、速……」

一瞬美鳥が出遅れるが無視。垂直に飛びそのまま超高々度に退散、超音速で駆け巡る。スタートの瞬間からトップスピード、バリアの外側でやたら衝撃波が発生しているが気にもならない。

何もかも置いてきぼりにする程の急展開だが、これで地上で手に入るものは全て手に入ったのだから後は知ったことじゃあないな。

―――――――――――――――――――

音すら置き去りにした世界を航(か)け抜ける。衝撃波避けのバリアはとっくの昔に空気との摩擦で赤熱し、世界を紅く、燃えるような彩りに見せつける。

赤い、紅い、朱い。地の果ては不思議な光景で、紅く輝く地球の表面から暗黒の空への境界は淡く例え様の無い美しさ。漆黒の宙には星が煌めいて見える。

地球の色は、妖しく光る淡い橙で、光の無いひたすらに広い空間へと続く境目は、とても艶やかな曲線に見えた。

地球は真紅のナイトドレスに身を包んだ情婦のようだ。そんな言葉が頭に浮かぶ。

気の向くままに飛び続け、気付けば独逸を遥か遠くに見下ろすような場所にたどり着いていた。宇宙と地球の境界、そこで速度を落とし、ゆるやかに静止する。

「くふ、ふふ、ふふふふっ」

自然と笑い声が漏れる。楽しい。嬉しい。喜ばしい。力をつけることが、身体の作りを更新することが、他者を贄に高みに登る行為が。俺を姉さんの居るステージへと押し上げてくれる全てが!

「御機嫌だね」

少し出遅れた美鳥がようやく合流。これで心おきなくこの世界からおさらばできる。

「ああ、見ての通り、凄い機嫌が良いんだ。今なら世界平和だって願えるな!」

「じゃあ、人助けでもやってみたらどうよ?」

言いつつ下を指し示す。こんな高さからでも地上の光景がはっきりと見える山岳地帯を駆けながら戦闘機と戦う満身創痍のソードライダー、ミサイル迎撃の為なら荷電粒子砲の連続使用も厭わないだろうボウライダー。

デモニアックの汚染率が高くなった独逸を焼き払う為に国連軍が新型爆弾を大量に打ち込もうとしている。原作のストーリーだとそんな感じだったか。

なるほど、まぁこの程度の手間で土産話が増えるならそれもいいかな。翼を、触手を、両腕を大きく広げ、複製開始。

あらゆる物理法則を無視し、翼の、触手の、両手の先から、強化デモニアックが、アポカリプスナイツの機体が次々と溢れ出す。数えるのが馬鹿らしくなる程の死者の群れ、魂の無い機械の群れが、群雲の如く俺の身体から湧き出でる。

生み出されたモノたちはその身の限界を超える速度で地上に急降下、ミサイルが光弾がレーザーが速射砲が荷電粒子砲が豪雨のように放たれ、独逸に発射されたミサイルや戦闘機や爆撃機に降り注ぐ。

「…………お兄さん」

声が届かないので互いの身体に通信機を生成しての会話。宇宙的だ。

「なんだ美鳥」

「地上の被害、余計に増してるんじゃない?」

戦闘機や爆撃機やミサイルを迎撃した攻撃は当然、そのままその下の地上への攻撃にもなる。しかし――

「馬鹿にするなよ。そんな事態は織り込み済みだ。機体やデモニアックどもは地面に激突する前に急停止、着地と同時に自壊して塵になるし、そも市街地に届く前に迎撃したんだから無人の山や森が少し更地になる程度、人的被害は一切無い。見ろ」

遥か地表を見下ろすと、そこには塵の海に埋もれながらも未だ自爆もせず形を保っているソードライダーの姿が!

「あー、まぁ、生きているだけ丸儲けだよねー」

なにやら投げやりな返事だ。提案したのはこいつだというのにこの反応はあんまりではなかろうか。まぁ機嫌が良いので追及はしないでおいてやる。

更に人助けパートⅡ、周囲一帯の衛星にハッキング、各機の情報を検索……見つけた。ミサイル満載の衛星、片っ端から自爆自爆自爆!

「よっし、一丁あがり!」

「まだだよお兄さん、地上から高速で接近する機影あり、速度マッハ23!取り残し、正真正銘、この世界で手に入る最後の力だよ!」

そういえばそうだ、イシスに気を取られてたからすっかり忘れていた。第七世代ICBMディスターブドミラージュ、タキオン粒子制御技術で超電磁フィールドを張る最新鋭の機体!エネルギー兵器に強いバリアに、Vの字斬りの要!

瞬時に加速、しかし流石にブラスレイターもどきになっていても並走出来ない、どんどん引き離される。かなり遠くにスケールライダーの姿、このままだと迎撃されて全部おじゃんだ。

背中の翼を切り離す。よく考えればベアトリスの飛行法をマスターしている以上翼は不要、換わりにスケールライダーの反重力推進システムを生成、再加速!

強烈なGに耐える為に身体がより強靭な構造に作り替えられていく。ミシミシと音を立てながら変形する肉体、それを無視してICBMに追いすがる。

手が触れそうな距離に達した瞬間、ICBMから迎撃ミサイルが放たれる。翼の光弾、いや今切り離したばかりだろう。肩部にウェポンラック生成、同じくミサイルで迎撃。

撃ち漏らしが迫る。右腕にパラディンのマシンガンを生成、弾幕を張る。この時点でなんとか全弾迎撃に成功したがまた距離が開いた。マシンガンを排除。

再び加速、手が届かない、あと一メートルも無いのに。帰還の時刻まであと30秒を切った。間に合わない?届かない?いや間に合う、届かせる。

掌から触手。曲りうねる普段の触手ではなく、間接も無い完全に隙間なく装甲に覆われた固くまっすぐな触手。槍のような棘のようなそれを掌からまっすぐに伸ばし続け――触れた。

ICBMに接触、融合開始。コンピューターの乗っ取りとかは省略、超電磁フィールドの発生装置だけを狙う。機体の隅済みまで枝葉を伸ばすように侵食……発見。

推進装置もミサイルもバルカンも何もかも無視して融合を進める。対象の構造、機能を把握。取り込み完了。超電磁フィールド生成能力取得完了。

融合を完了し、あとは離脱するのみという段階でスケールライダーのバンカーバスターが追加ブースターに直撃、危ういところで離脱。しかし地球の重力に捕まり落下開始。

どうせ大気圏突入も離脱も自由自在、バリアも張ってこれで焼け落ちる心配も無い。片腕に荷電粒子砲を生成、人間サイズに小型化したがそれでも俺の身長よりも大分長い。チャージ――発射。

見事命中。ICBM本体を貫いて爆散させる。落ちながらガッツポーズ。ざまぁみろ、手こずらせた罰が当たったんだ。いや当ててやったんだけどな!

「お兄さん、ご満悦のところ悪いけど――」

「時間か。やれやれ、やっと姉さんに会える」

背中から美鳥に抱きかかえられ、地上を見る。焼けるバリアのせいでやはり地球は紅く見えた。

「紅いなぁ」

「……今度はもっとゆっくり、宇宙船の中からとか、青い地球が見られるといいねー」

異世界を股にかける多重トリッパー。次の世界は過去か、未来か……。いや、少なくともこの世界より技術的に発展してる世界に行かないと意味がないんだけども。

結局、取り込んだアポカリプスナイツの機体はほとんど使わなかったな。せっかくの巨大ロボ(人間視点で見れば10メートルは十分に巨大である)も出番が無かったし、次のトリップ先はそういうのを率先して使える世界を選ぼう。

大気が焼ける紅い色に混じって青白い光が溢れる。俺の目の前に現れたこれが帰還用の魔法陣。ぶっちゃけた話し、来る時にくぐったものと何一つ変わらない。

懐かしい。こんな分かりやすいテンプレ感満載の魔法陣からでさえ姉さんの気配を感じる気がする。感慨深く手を突っ込むと、思い切り釣り上げられるような上昇感。

水では無い何かに満ちた空間を――ってモノローグする暇も無い!元の世界側の魔法陣に頭から突っ込むと同時、柔らかい腕に、胸に抱きしめられる。

顔を上げる。目の前には数か月ぶりに見る、姉さんの満面の笑み。この世で一番大切な人の顔。帰るべき故郷の象徴。

「おかえりなさい、卓也ちゃん♪」

「ただいま、姉さん」

こうして、俺の人生初の武者修業的トリップは幕を閉じた。




続く

―――――――――――――――――――

以上、超駆け足でブラスレイター編最終回をお届けしました。原作的な話としてはこの主人公たちの話の裏で14話分ぐらい進んでます。原作に絡まずに好き勝手やればこのようなものになってしまうんです。自分の構成力だと不可抗力なんです。納得してくれないでもないですよね?ね、ね?

あとラストシーン、主人公と姉が抱きしめ合ってお互いを確認しあっている間、サポートAIは後ろで所在無さげに突っ立ってます。寂しいですね悲しいですね。でもそんなもんです。

因みに突っ込みを先読みして「なんでいちいち美鳥は不具合起こすの?サポートAIじゃないの?サポートされるAIなの?」「なんで唐突にエロシーン挿入しようと思ったの?猿なの?発情期なの?」「なんでレールガン?流行を追ったつもりなの?尻軽なの?」「戦闘シーン雑だね?滑稽だね?」「反重力システムってその高度で意味あんの?」とかそんな感じでしょうか。

美鳥が不具合を起こす理由としては四話で本人が言っていた「無理やり身体を構成した」「おかげでこんなチンチクリン」という言葉が答えです。はっきりいって不具合バッチ濃い(非誤植)な感じのちぐはぐボディなんですね。

更に今回発情して主人公に襲いかかった辺りもこれが原因になっていて、主人公の身体に融合し直して身体を完全体にしようというサポAIとしての本能が、姉にあたえられた心によって『再融合=エロ合体』みたいに誤認させられているわけです。

まぁこれ以外にもエロに至ったの理由はあるんですが、これも本編で語りようが無い設定の一部なので言えません。言った所でどうにかなるような設定でもありませんし。

一番の理由は書いてる途中で唐突にキスシーンが書きたくなったってのが一番大きいですしね。そんなもんです。作品タイトル見ればわかりますよね?そんなもんだって。しかしキスシーンとかの資料無いかなぁ。もっとねちっこい描写がしたいです。

で、武器腕取り込んでレールガンは昔立ち読みした漫画のパワードスーツの武器腕がレールガンで印象に残ってたから。嘘じゃないですよほんとですよ。なんとなくパワードスーツの切り札的なイメージが頭にこびりついてるんですよ。

戦闘シーンは……、アドバイスお待ちしております。手元に参考資料(パンツァーポリス1935とか)が全然無いんです。全部親戚の家に預けたままなんです。

反重力システムはまぁ、実は反重力推進システムとかそんなものの略称だったとかそんなオチかとも思うんですが、本篇で誰が反重力システムって言ってたかわかんないのです。見なおしてもどこで言ってるかわかんないっつう。そんな訳で、理屈はともかくそういう名前の推進システムなんだと思っていただければ。

ついでに飛んでる時にバリア張ってるのはまぁオリジナルというかなんというか、そんな設定は原作には無いですがやってそうだよなぁ、と。

今上げた以外にもおかしいところありますよね?なんだか説明しきれないほどです。大体はそういう風に書きたかったからとかそんな理由ですが、思いついた突っ込みがあったらどしどし感想をお願いします。

因みにそうそう無いとは思いますが展開希望とか何処の世界に行くかの希望も聞けません。リクエストに応えるだけの技量がありませんのし、手元の資料も限られてますので。

それでも「なんとなく斜め読み程度はしてやるよ」または「ほら、早く続きを書きなさぁい!」という愉快で寛大なお方は、作品を読んでみての感想とか、諸々の誤字脱字の指摘、この文分かりづらいからこうしたらいいよ、一行は何文字くらいで改行したほうがいいよ、みたいなアドバイスとかよろしくお願いします。


次回、ブラスレ編エピローグを短めに。お楽しみに。



[14434] 第六話「故郷と姉弟」
Name: ここち◆92520f4f ID:a763b3e9
Date: 2009/12/29 22:45
さて、俺の住んでいる村は冬になるとそれなりに雪が積もる。といっても本場北海道のような異常な積り方はしない。酷い時でもせいぜい大人が頭まで埋まるか埋まらないか程度の積雪量だ。

辺りは一面の銀世界。などと言うとロマンチックに聞こえるが、雪かきをしなければならない側としてはたまったものでは無い。というか、この村には雪が降ると大喜びするような子供は存在しない。過疎ってるし。

一応村役場の人たちが徐雪機で道路の除雪だけはやってくれるのだがそこはそれ、家の畑や庭などには未だみっしりと雪が積りっぱなしなのである。

ブラスレイター世界にトリップしている間にこの世界では二日ほどが経過していたが、その間に少し雪が降り、更に間を置かずに強制トリップ、数日が経過してその間に見事に雪が積もってしまった。

因みに今回の強制トリップは俺が何か行動を起こすまでも無く姉さんが数分で解決してしまったので能力的な収穫は無し、帰還までの残り時間でその世界の観光を楽しんだだけで終わってしまった。次回はもう少しちゃんと手伝いをさせてもらおう。

スコップを雪に突き刺し、只管に畑から雪を掻き出す。まだ大根や白菜やらが埋まっているのだ。白菜は凍らせても大丈夫だが大根はそうもいかない。いや、いけないという訳でも無いが、土が凍りつくと掘り出しにくくなってたまったものでは無い。

そんなわけで雪をかく、忍耐力にはそれなりに自信があるし、俺の肉体は文字通り比喩無しの疲れ知らず、単純作業は得意分野だ。

気づけば只管に掻き出した雪が積み重なってデカイ塊になっている。これはあとで刳り抜いてかまくらにでもしてみようか、中で餅を焼いて食べるのもいいだろう。そういう遊び心は必要だ。姉さんに七輪と餅を持ってきて貰おう。

思えばこういう思いつきに姉さんを誘うことなんてそうそう無かった。最近までは姉さんがいつの間にかフラッとトリップしていたせいでタイミングが合わなかったが、今は違う。姉さんがトリップする時は強制的に俺も巻き込まれる。

普通の会社に勤めていたら大変なことだが、俺は農家、時間に融通が利く仕事だ。何時呼び出されてトリップが始まってもなんら問題は無い。

いつでも一緒、という訳では無いが、唐突に離れ離れになる心配も無い。それがとてつもなく嬉しい。強制トリップ先では俺の知らない姉さんの新しい一面も見れるし、なんだかワクワクする。

新しい一面と言えば姉さんに言われたが、俺は美鳥に接する時お兄ちゃんぶってるらしい。意識してそうしていたつもりは無いのだけど、どうにも自分より年下の家族が出来たことで少し浮かれていたのかもしれない。口調が無駄に偉そうになっているそうだ。

美鳥の事を家族と表現したら姉さんは最初とても怪訝な顔をしていた。あくまでも姉さんの中ではトリップのサポートをするための道具扱いだったらしい。しかし俺が身体を、姉さんが心を与えて産まれたのなら子供か妹のようなものだと言って反論したら苦笑された。

『卓也ちゃんもおっきくなったのねぇ……』

しんみりした声で意味深な事を言われてしまったが、それからは美鳥の事を家族らしく扱っているようだ。美鳥に姉を取られてしまったような気分になる時もあるが、変にギスギスした雰囲気になるよりは何百倍もマシだろう。

そうそう、家で美鳥が普段何をしているかと言うと、姉と一緒に次のトリップ先の選定作業を行ったり、この村唯一の雑貨屋でアルバイト店員をやったりしている。

若者の居ないこの村でそういう仕事をすれば看板娘的な扱いになりそうなものだが、そもそもそういう方面に反応する年齢のお客さんが来ないのでそういう話は無いそうだ。客も一回の買い物で暫く分の生活用品をまとめ買いしていくためまばらで、普段はあまりやることも無いらしい。

次のトリップ先の選定はほぼ済んでいるらしく、あとは細々とした調整のみ。なんでも次のトリップ先ではちゃんと戸籍を持った状態で挑めるとか。まぁ、下手にホームレスづいて野宿癖とか寝泊まりできそうな廃墟探しが趣味になっても困るからこれは素直に嬉しい。

ザクッ、と動かし続けていたスコップを雪に深く突き刺し一息。時計を見る、15時。朝から雪かきをしているがまだ半分も終わっていない。自慢じゃ無いが家の田畑は無駄に広いのだ。

「除雪機持ってくるかな……」

小屋のどこかにしまっておいたような気もするんだが、確か燃料が切れてるんじゃなかったか。今年の始めあたり、丁度燃料使い切って春だーとかやってたらいきなり雪が降り出して、わざわざ隣町まで燃料を買いに行くのが面倒になったから最後の雪はスコップで地道にかいてた筈。

取り込んで俺から電源取るか?それもなんかなぁ、徐雪機って取り込んで後々役にたつかわからんし、それやったらなんか家の周りの雪かきも全部やらされそうだし。代替案は……、こうすれば上手く行くか?

周囲に人が居ない事を確認して細い触手を数本ほど掌から生やして雪の中に潜り込ませる。で、このままウォルフ隊長のように掌を、触手を赤熱させれば……。

「ほら融けた!」

潜り込ませた触手の周りの雪が、湯気を出しながら見る見るうちに融けていく。雪融けの湯はその下の融けていない雪を溶かしながら冷えていくので、地面に到達する頃には冷たい水になっている。野菜が茹であがる心配も無い。

雪国では道路の下に電熱線を張るだか湯を流すパイプを通すとかそんな方法で道路の凍結を防止したり、凍結してしまった道路を溶かしたりするらしい。今の俺ならこのようなハイテクな真似も容易い。

いや、ハイテク云々で言えばプラズマ発生装置だの荷電粒子砲の方がハイテクなんだろうが、火力が過剰過ぎて日常で使う場面が無い。魔法も同上、雪の下の野菜が煮えてしまう。

調子に乗って田畑の隅から隅まで触手を伸ばそうとした時、頭部を段ボールのようなものでこつんと叩かれる。痛くは無いが接近に気付けなかったのは明らかな不覚、これで触手の目撃者が出たら一大事になるところだった。

とはいえ、俺に気付かれることなく背後に接近できる人物は二人しか思い当たらない。そしてその片方は今バイト中だから……。

「『ほら融けた!』じゃないでしょ?卓也ちゃん、もっと周りに気をつけなきゃ、ね?」

振り向くと、コートにマフラー姿の姉さんが片手にAmaz○nの段ボールを片手に持って立っていた。

「それと、いくら寒さを感じなくても、服装くらいはちゃんとしよ?」

「なんで?」

と言われた俺の服装は上下作業服のみ防寒具無し。姉さんは着ぶくれしない程度にコートやマフラーなどを着こんでいる。現在の気温は二℃、しかしこの程度の冷気でどうにかなる軟な身体はしていない。

「周りから変に思われるから。元の世界ではなるべく普通の人と変わらないように生活する。これ、トリッパーの鉄則ね」

普通の人間としての生活を忘れないように暮らすというのは、人間離れした能力を持つトリッパーにとって、元の世界での現実感を保つために重要なことだとか。なるほど、トリッパーでかつ非人間な俺にはさらに重要度を増す内容だ、とても為になる。まぁ今の今まで忘れていたんだが。

とはいえ、この元の世界でもトリップ中と同じように力を使えるかといえばそうでもない。作品世界内に比べてどんな能力を使うにも初動がもっさりしているというか、エンジンのかかりが遅いというか。

これは元の現実の世界と作品世界の作りの違いが原因らしい。おかげで身も心もそういったものでできている美鳥は、ブラスレイター世界に居た時と比べて格段に性能がガタ落ちしている。

一日フルスペックで活動するのに30のエネルギーが必要なところ、この世界では5とかその程度のエネルギーしか一日に使えないとか愚痴っていた。まぁ、それは普通の人間レベルにまで身体能力を低下させたり、睡眠時間を増やして活動時間を減らすことでどうにかこうにかごまかしているようだ。超人的な身体能力とか普通に暮らす上では必要の無いものだしな。

「で、その手の中のものは何?」

畑仕事中に姉さんがやってくるのは珍しい。普段は時間が余れば家で眠っているかごろごろしているかなんだけどどういう風の吹きまわしだろう。

「うん。卓也ちゃんが注文した荷物とかが今さっき届いたから持ってきちゃった。おやつもできたし一緒に確認しよ?」

「わかった。スコップしまってくるからちょっと待ってて」

―――――――――――――――――――

小説版から始まるタイプのアニメ本編寄りブラスレイター世界ではもう手に入るものは無いが、ブラスレイターのメディアミックはそれだけでは終わらない。

「おお、これが……」

「なんつーか」

「エロ本みたいな表紙ねぇ」

スコップを物置代わりに使っている小屋に放り込み、姉さんと手をつないでいつもより早めの帰宅。

ピュアな子供が店頭で買うにはそれなりに勇気がいるかもしれない表紙、というか、巻数が進む毎に表紙のスノウの服が脱げていくのはいったいどういうことなのか。

みなさんご存じの漫画版ブラスレイター、『ブラスレイター・ジェネティック』チャンピオンREDコミックスから出ている全三巻が家に届いたのだ。

なにやらアニメ本編とはノリが違い過ぎるらしくファンの皆様にはあまり好評とは言い難いが、これにはアニメや小説では確認できなかったブラスレイターが複数存在するとかどうとか。

ペイルホースの能力を取り込んで完全に使いこなせる今、新たな種類のブラスレイターの能力など、絵で見ただけで使いこなせる! まぁ、逆に言えばどういった技なのかを知らなければ使いこなすもくそも無いので単行本を買うはめになったのだが。

「まぁ態々トリップする必要が無いのはいいことだ。楽だし」

「卓也ちゃんがまた留守になるのは寂しいものね」

「一度行った世界にまたすぐ行くのも間抜けだしなー」

例えつまらなかったとしても、せいぜい1500円ちょいの出費で新たな能力に開眼できるなら安い買い物だろう。胡坐をかいた脚の上に姉さんを乗せ、頭の上に美鳥が顎を乗せた状態で俺は漫画版の第一巻を手に取った。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

そして、本を閉じる。

「いやー、やっぱり面白いな『はじめてのあく』」

「でしょでしょ?お姉ちゃんも連載で途中から読んだ派なんだけど、これはいけるって思ってたの♪」

お試しとして1、2巻を買ってみたがこれはなかなか。サンデー伝統の居候コメディー後継作と銘打つだけのことはあるというか、キャラがいちいち可愛らしいのもいい感じだ。

最近の連載分しか読んでいなかったが、最初の頃はまだ『こわしや我聞』の癖がのこってたんだなぁ。キョーコのキックとかジロー・ワイルド・ドリルキックとかのエフェクトがバトル物っぽい。

あー、でも我聞の方は単行本持ってないんだよな。その内古本屋をチェックしてみるか?それより今は三巻だな。

「単行本三巻だけの為に送料払うのもあれだし、バイクとばして隣町に買いにいこう」

「あ、お姉ちゃんも行っていい?年末だからついでにいろいろ揃えたいし」

「うん。明日は二ケツで隣町だね。美鳥はどうする?」

「二人ともちょっと待って、なんだか二人だけ時間がすっ飛んで無い?なにこれあたし置いてきぼり?」

美鳥が呆れているが何を言っているのかさっぱり分からない。

「いやだって、たしかあたしら漫画版ブラスレイターを読んで――」

「美鳥ちゃん」

「それ以上いけない」

漫画版なんて『無かった』とでも言うべきか、俺の中では既に過ぎ去っていった存在なのだ。せっかく『はじめてのあく』で気分をリセットしたのにあのうっへり感を蘇らせないで欲しい。

残念というかなんというか、いやいや、あれを純粋に楽しいと思える人もそれなりに居るんだろうし、どうこう批評するのも角が立ちそうというか。

「行かなくて正解だった。多分これ読んでから行ったら速攻で世界中にイシスばら撒いて帰ってきてた。間違いない」

「きもい。主にキャラがきもい」

「お兄さんもお姉さんも酷評だね~」

なんであの路線でオーケーを出してしまったのか疑問は絶えない。これなら劇中の印象全く関係ないオリジナル衣装でエロフィギュア作った連中の方が数倍ましかもしれない。

まぁ、よく切れそうな糸とかは便利そうではあるが、触手で充分代用が効くというか、幻覚にしてもベアトリスさんがさりげなく使っていたのを既に習得済みというか、散々な結果だった。

というかなにあの闇のゲームの出来そこないみたいな能力。馬鹿なの?死ぬの? そして最後の巨大化も訳が分からない。しかもラスボス、高出力レーザー?土の地面があの程度削れる出力で高出力ぅ?こぉの、おばかさぁん!

あのラスボス、絶対ツヴェルフの存在とか知らなかったよなと言わざるを得ない。設定の齟齬が酷過ぎる。メディアミックスの弊害というかなんというか。

「絶対マイクロブラックホール連打で勝ててたよねラスボス。様々な意味でキモいから勝たなくて良かったけど」

「ラスボスってそういうものよ卓也ちゃん。変身を残してると言いつつ、いざ変身すると性能が微妙になるラスボスだって居るんだから。回復能力が消えたりね」

総代騎士ですね分かります。いやあの人は元からかなり小物臭がしていたから納得なんだが。

「無茶苦茶言うなあんたら……。でもさ、マイクロブラックホールとかは便利そうじゃない?」

「ん……、まぁ、な」

認めたくないがそれだけは確かに収穫だった。あまりにもペイルホースの設定が違い過ぎたので上手くいくかは分からないが、もし該当するパターンが俺の取り込んだアニメ本編版ペイルホースに存在すれば、現状これ以上無い程の攻撃力になる。

「でも、その程度で満足しちゃダメよ卓也ちゃん。ブラックホールから平気な顔して脱出する雑魚がうろちょろしてる世界だってあるといえばあるんだから」

それは恐ろしい。というか、魔法だの超能力だの特殊能力で戦う連中はそんなんばっかりだと思う。そういった面倒臭い連中を相手にすることがあり得る以上、さらなる性能の向上が必要不可欠だ。

一作品一作品回っていて、そんな連中に対抗できる力を得られるのは何時の日になるのか……。

考え込んでいると、姉さんが手をのばして俺の頭を撫でつけてきた。

「よしよし、そう悩まないの。卓也ちゃんは卓也ちゃんなりのスピードで進化していけばいいんだから、ね?」

「ん、ありがとう。頑張るよ」

そうだ。今回のトリップでもそれなりの世界で無双できそうなレベルの力が手に入ったんだし、これからも一歩一歩がんばって強くなっていけばいい。そのためにしばらくは姉さんに迷惑をかけてしまうかもしれないけど。

「じゃ、そろそろ飯にしようぜー。いつのまにやら夕飯時だ」

「あ、もうそんな時間か」

「面白くてつい二度読みしちゃったもんねぇ『はじめてのあく』」

「その前にお兄さんとお姉さんが漫画版ブラスレイターのあまりのアレっぷりに放心してた時間も大きかったと思うなぁ」

言いつつ全員台所へ移動を始める。最近は三人で料理をすることが多くなったが、もともとそれなりの広さがある台所なので狭く感じない。むしろ調理時間が短縮されていい感じなのだ。

―――――――――――――――――――

「夕飯の団らんの時間を『吹き飛ばした』。後にはただ、夕飯を美味しく食べたという『結果』だけが残る……」

居間で虚空に向かってジョジョ立ちで何事か呟く美鳥を脇目に食器を洗う。油ものの無いさっぱりとした和食だったので洗い物はすぐに終わる。

因みに美鳥の食器は俺が小さい頃に使っていた食器を掘り出して使った。ちょうどいいのでこのまま美鳥には俺や姉さんのおさがりを引き継ぎ続けて貰おう。もったいないし。

そう、いくら無限に複製が作れるからといって無駄に資源を消費する必要は無いのだ。無駄にしない心がけが大事なのだとルーだって歌っている。

食器を洗い終え食器棚に片付けると、同じく明日の朝食べる分の米を研ぎ終え炊飯器にセットし終えた姉さんが嬉しそうに声をかけて来た。

「ねぇねぇ卓也ちゃん、おゆはん美味しかった?」

「もちろん。久しぶりの姉さんの手料理、美味しかった。ごちそうさまでした」

「えへぇ、おそまつさまでした。でも、向こうでご飯とかの好みとか変わらなかった?ジャガイモとヴルストが無いと始まらないー、とか」

あまり長くトリップし過ぎるとトリップ先に順応しすぎて色々と戻ってきたときに不便が生じることがあるとか。食事にも当然それはあるとのこと、姉さんはそれを心配していたのだ。

しかし、家は姉さんが知り合いのおばさんから独逸料理を教わって昔からたまにではあるがドイツ料理を食べていたので、向こうでそれにはまるということも無かった。それに何より――

「やっぱり、家で姉さんと一緒に食べるごはんが一番、かな? 姉さんは?」

「うん。お姉ちゃんも、卓也ちゃんと一緒のごはんが一番だよ」

穏やかな空気が流れているのが分かる。なんとなく通じ合っているようなこのやり取りが嬉しい。

「じぃ~~っ……」

いつの間にか居間からこちらに接近していた美鳥の視線が刺さる。というか、俺と姉さんを舐め回すように観察するだけでは飽き足らず、口で擬音まで表現し始めている。

「……なんだよ」

「いえいえ~別に何も。あたしにはお構いなく続きをどうぞ~」

「何の続きだっ!」

―――――――――――――――――――

夕飯の後片付けが終わった後、姉さんはなにやら準備があるそうで一旦部屋に戻っていった。俺と美鳥は居間で炬燵に潜り――

「温州みかんにございます」

「ぬぬ、これは中身がないではないか」

蜜柑を食べようとしていたのだが、なぜか全て中身が空。というようなシチュで遊んでいた。ちなみに中身は全て白い筋を取って他に移してあるので安心して欲しい。

「いや、卓也ちゃんも美鳥ちゃんも、時間を潰すにしてももう少し何か無いの?」

ひとしきり遊んで少ないネタのストックが早速尽き始めた頃、トリップ用の仕事着である魔女っ子服を着た姉さんが居間に入って来た。

「お姉さん一番乗り!」

「温州みかんも一番乗り。って姉さん、その格好ってことはまたトリップ?」

帰ってきてすぐに一回強制トリップしたのだが、こんなに短いスパンで召喚されるものなのか、これなら姉さんが俺の強化を急いだ理由も分からないでもない。あの初期状態のままで行ったらまた死ぬような眼にあうところだったろう。

「んーん、あんな短い間に二回も呼ばれたからしばらくは大丈夫よ」

「じゃあその格好は?」

まさか、俺に隠す必要が無くなったから普段からあの恰好で生活するつもりでは!

「姉さん、早まった真似はやめるんだ。その格好で生活するのは人類にはまだ早い、早すぎる……。ゲッターもそう言っている」

聞こえないけどなゲッター線の意思。この世界にはゲッター線が存在しないから当然なんだけど、でもきっとゲッター線も頷いてくれる。俺はそう信じてる。

あれ?じゃぁゲッターロボを取り込んでゲッター線を利用できるようになったら一日中ゲッター線の意思を感じてしまう体質になるのか?なんかやだなそれ、もしその内ゲッター系列の機体を取り込んでも普段はゲッター線は生成しないようにしよう。

「しないわよ! もう、なんでそういうところは信用してくれないかなぁ……」

「その年齢で猫耳フードのパジャマなんて着てるからじゃ――グギッ!」

ああ、余計な事を言った美鳥がとても言葉で言い表せないような奇怪な死にざまを見せて――あ、生きてた。再生してる再生してる。

女性に年齢の話を振ってはいけない、時としてそれはあなたの死を招く呪文となるのだ(フレーバーテキスト風に)。

「話が進まないから端的に言うわね? 卓也ちゃんが今回どれくらいの力を付けたのか見せてもらおうかと思って、ちょっとトレーニングルームみたいなのを作ってたのよ。――卓也ちゃんのカッコいいところ、見てみたいなー」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

現在地、寝室。俺と姉さんはパジャマ姿で一緒に布団で寝転がっている。

「だるい……」

寝転がっているといっても訓練後のさわやかな疲労感に包まれているとかそういうのではなく、再生能力をこれまでに無いほど全開で使用したのでもう動くのも億劫なのだ。

「ご、ごめんなさい……」

『見てみたいなー』などという軽いノリで行われた新能力の発表会は、最終的に乱入した姉さんの攻撃によって俺が消滅一歩手前まで破壊されるというオチで決着がついた。

「何の変哲も無い、超手加減デコピン一発の衝撃波で3000体の強化デモニアックと強化アポカリプスナイツ200セットが一瞬で消し飛ばされるとは……」

「でもでも、バリアで防げないと判断して一瞬でそれだけの肉の壁を展開できるなんて、ちゃんと成長してる証拠よ?」

「バリア全種類全開で展開した上でそれだけの盾を作ったのに毛筋一本の先っぽ程度の細胞しか残らなかったけどね、俺の身体」

姉さんが作ったというトレーニングルームは、長らく使われていなかった物置部屋の中に設置された亜空間のような場所だった。

デフォルトの内装はビル街的な装いで、そこで大小様々な標的(実体のある幻のようなもので、同化しても意味が無い)と戦えるという超ハイテクな感じの部屋だったのだが、今現在は建築物も標的も無く、巨大なクレーターがあるだけで、全方位に地平線が見えてとても見晴らしが良い。もちろん皮肉だ。

逆に極少とはいえ身体の一部を守り切れたことを誇りに思うべきなのかもしれない。これだけの威力の攻撃を受けてよく無事だったな……。再生自体は数秒で全身服ごと再生できたが、この規模の再生は初めてなので中々消耗した気がする。

疲れ知らずのこのボディが疲労しているのは、まだナノマシンがこの規模の再生に慣れていないせいで、何回か回数を重ねれば再生直後にそのまま戦闘も可能とのこと。まぁつまりここで慣れればいいみたいな意味なんだろう。

最初の方はまだ良かったのだ、変身せずにラダム獣とかバッタとか相手に無双して、ASだのSPTだのグランチャーだの相手に変身して無双して、機械獣相手に強化ボウライダーで無双して、鎧獣士相手に新技とかも試して、シミュレーションみたいなものだとしても上手くやれてたんだよ。

最後の最後で姉さんがはしゃいで『お姉ちゃんが直々に相手をしてあげる♪』とか言いだしてファイティングポーズをとった瞬間、残っていたデビルガンダム最終形態が姉さんから噴出する闘気に耐えられずに自壊を初めたのを見た時は少し頭がおかしくなったかと思ったほどだ。

しかし改めて見ると、次のトリップ先が透けて見えるラインナップだな。精神コマンドが欲しいとは思っていた処だけど、よりによってこの作品とは……。

因みに新能力の発表会は俺が再生した直後にお開き、風呂で簡単に湯を浴びて久しぶりに一緒の布団で眠っている。久しぶりと言っても姉さんの視点で言えば数日しか経っていないのだが、俺からすれば数か月ぶりの添い寝だ。

「うう、ごめんなさい……」

申し訳なさそうな顔で謝罪を繰り返す。俺は少し動かすにも違和感が付きまとう再生したての身体をどうにかこうにか動かし、姉さんの手を握った。ビクッ、と震える姉さん。

「嬉しかった」

「え……?」

不思議そうな顔をされても困る。可愛らしく小首を傾げられるともっと困る。真正面からお礼を言いたいのに、恥ずかしくて言えなくなってしまう。

子供の頃生き延びさせてくれた事、これまで育ててくれた事、これからも生きていく術を教えてくれること、足手まといでも隣に立たせようとしてくれる事、感謝しようにも多すぎて言葉で伝えきれない。

「あの部屋を作ってくれたのとか、美鳥とか、トリップで修行とか、俺の為に骨折ってくれてるんだろ?」

「う、うん」

おずおずと頷く姉さん。

「ならいいよ。こんな感じになったのは俺が未熟だからなんだし」

「ち、ちがうよ、卓也ちゃんは一回のトリップでは十分なくらい強くなってる。ほんとだよ? ほんとに、見違えちゃったよ……」

やっぱり姉さんは優しい。でも、これじゃまだまだ足りない。もっともっと強く、今回は荷電粒子砲だの超音速だので分かりやすいパワーアップができたせいで少し浮かれていた。気を引き締めていかなければならない。

ああでも、それはそれ、これはこれ。今回のトリップでごくごく僅かながら強くなれたのは確かなことだ。少なくとも変身すれば超音速飛行ができるとか、単身で大気圏の脱出と突入が出来るってのは一般的なバトル物ではそれなりにステイタスだと思うし、複製能力を駆使すれば戦隊モノの世界で一勢力として旗揚げも可能だろう。

ついでに言えば戦闘員一体一体の戦闘能力もそこらの戦闘員とは一線を画すものだ。まぁ巨大化できないのが難点というかなんというか、個性にも乏しいし。最終的には巨大化じゃなくロボに乗るとかそういう工夫をしなければならないだろう。

くだらないことを考えているように思えるかもしれないが、そういう世界でそういう立ち回りをしなければならない状況もあるかもしれない。力を手にする為にはそういう工夫も必要だ。

これからも俺は色々な世界で力を手に入れ続ける。現地のキャラクターを時には利用し、時に騙し、機械や生物を取り込みながら、ただただ強くなるために。姉さんに届く力を手に入れ、いつの日か姉さんと対等に向き合えるようになるために。

「卓也ちゃん」

考えを脱線させていると、何時の間にか姉さんの顔が目の前に迫っていた。

「なに?」

互いの息がかかるような距離で見つめあう。いっしょに眠ったり風呂に入ったりはしていたのに、ただ意味も無く見つめあう事は以前の生活ではなかなか無かった。そんな状態になっても俺が恥ずかしくなって目を逸らしてしまっていたから。

ブラスレイター世界から戻ってきてから、そういった恥ずかしさというか、姉さんに対する照れが少なくなった。そういう遠慮とか躊躇いは俺たちには意味がないモノだ。

どちらともなく、唇を重ねる。今回は歯をぶつけたりはしない。数度、触れるだけの軽いキス。唇を啄み合いながら、互いを求める深い深いキスへ。互いの味を、舌の温もりを口内で交換する。

キスをする時は目を閉じるのが作法だと聞いたが、俺も姉さんも当然瞼は開いて見つめあったまま。

「ちゅ、ん……。……ふふっ、前みたいに、驚かないんだね」

「ん……。姉さん」

唇を放し、布団の中で姉さんを抱き寄せると、姉さんもしっかりと抱き返してくる。温かくて、良い匂いで、柔らかくて、安心する。

「なぁに?」

「好きだ」

「――うん、お姉ちゃんも、大好きだよ」





おしまい

―――――――――――――――――――

祝、ブラスレ編完結!

短くてすいません。つなぎの話はこれからもこんな感じの量になると思います。

三話四話五話がブラスレイター編で今回はエピローグ、最初に宣言した『基本一つの世界は1~3話で終わらせる→いったん元の世界に帰還して終了』のルールは守れましたよ!

キス後にエロいことをしたかどうかはまぁ本編に関係ないので描写しません。でもまぁわりと幸せな状態になったのは確実。姉は弟が常識を投げ捨てるまでかなりお預け食ってたわけですからそれぐらいは。

因みにサポートAIは姉の超々々々手加減攻撃で名状しがたいグロテスクな状態になっているので、回復して再起動するのに翌日の夕方までかかります。で、ツヤツヤした姉弟を見てニヤニヤしつつも、命が惜しいので『さくやはおたのしみでいたね』とかは言いません。

あ、完結としたのはここでなんか続き書くことができなくなっても打ち切りだとか放置だとか言われないための保険です。一応ここで終わらせても多重クロスの体裁は整ってると思いますしおすし。

でもとりあえず次回トリップのプロット的なものは出来上がっています。次回からは何十話と話があるゲームが舞台なので部分的に主人公の日記形式で進め、その合間に戦闘シーンやら日常風景やらを挟んでダイジェスト風味にして無理やり三話以内にまとめます。

ていうか、そうでもしないと毎回毎回戦闘シーンを長めに挟まなければいけなくなってしまいます。これからの時代は日常描写!がんばります。

それと今回はあまりに原作キャラとも本筋とも絡まなかったのでなるべく多くのキャラと絡むようにしてみたり、あと最後のオチがあまりにも投げっぱなしだったので次回は最後の最後で盛り上がる場面をいれてみたりしてみようと思います。

今回初めてまともにSS書いてみて分かったんですが、最初のプロット通りに進めるのは難しいんですね。メモ書きに、

・倉庫街の雑魚デモニアックを見たアルが「まるで忍者だな」とか言う場面で乱入してカカッと素早い忍者アクションでデモニアック殺害「忍者じゃねえか」とか言わせたい。

とか書いてありましたが、結局アルはセリフすら無く、小説版の酔いつぶれてるシーンのみ。あとパブでジョセフとエレアさんと会話するあたりは最初ザーギンとベアトリスの予定でした。無茶苦茶ですね。

でも大筋を変えなければ話は締めることができると分かったのは幸運でした。次回もこんな感じで予定は未定な縛りの緩いプロットで行こうと思います。

それでは、作品を読んでみての感想、諸々の誤字脱字の指摘、ここはなんでこうなってんのという話の流れに対するもろもろの突っ込み、この文分かりづらいからこうしたらいいよ、一行は何文字くらいで改行したほうがいいよ、みたいなアドバイス、いつまでもお待ちしております。



[14434] 第七話「トリップ再開と日記帳」
Name: ここち◆92520f4f ID:7d3e7175
Date: 2010/01/15 17:49

家具以外殆どなにも無い静かな部屋の中を、控え目な寝息だけが響く。熟睡中の姉さんの寝息と今目覚めた俺の呼吸音、この寝室にはそれ以外の音は存在しない。

朝の爽やかな目覚め。ここ最近の俺の一日は隣で眠る姉さんの寝顔を小一時間愛でる事から始まる。時刻は午前四時、この冬の時期は未だ太陽も昇っていない時間帯だが、朝ごはんを作ったり畑を見に行く為の時間を考えればこの時間が起きるには最適だ。

すーすーと可愛らしい寝息をたてながら眠る姉さんの寝顔、思わず人差し指で頬をツンツンと突いて遊んでしまう。毎朝毎朝俺を惑わせる実に罪な寝顔である。

「んゅ……、むぃ」

くすぐったそうな顔で寝返りを打つ姉さん。口をムニムニともごつかせて日本語になっていない寝言を口から漏らす。

たまらん。これだから早起きは止められない。早起きは三文の得などと言うが、三文は現代のお金に換算すれば60円程度だそうな。それでは余りにも安すぎるのでは無いか。

かといって現金に換算できるものではない。お金で買えない価値があるのは言うまでも無いし譲るつもりも欠片も無い。だが仮にこの朝の時間を現金に換算しようとすれば一秒毎に大国の国家予算数年分が軽く吹き飛ぶことうけあいだ。

この朝の時間はそれほどに貴重なのだ。例えば一秒を数万倍に引き延ばしてでも楽しみたいほどなのだが、いかんせん加速状態ではつついた感触がぷにぷにしない(数万分の一秒で頬をつついて凹ませても凹んだ頬が戻るには通常通りの時間が必要となる)ので少し物足りない。

まぁ以前試した時は加速した時間の中、突くのは無しでひたすら眺め続けるという楽しみ方に開眼したのだが、これはどことなくお預けを喰らっているような微妙な気分になれて不思議と恍惚としてしまうので最近は自重している。

そんな訳でそのまま数十分頬を突いたり寝顔をひたすら眺めてニヤニヤしていると、小さな愛らしい鼻がなんとなく気になってくる。内から湧き出る衝動に身を任せ指先で鼻の先端をコショコショくすぐってみると、顔をしかめて鼻をヒクヒクさせ始める。

これは拙い。弄り過ぎて姉さんの安眠を妨害してしまう処だった。今さらながら起こさないようにこっそりと布団から抜け出し、玄関から外に出て新聞を取りにポストに向かう。

外に出ると丁度新聞を配達しにきたチトセさんと鉢合わせる。なにやら姉さんが最近やけに御機嫌なのが気にかかるらしく、『さくやはおたのしみだった?ねえねえおたのしみだった?』とかウザく聞いてきた。

ストレートに『流石に毎日じゃない』と返したら愕然としていた。まさか本当にそんな状況だとは思っていなかったのか? と考えていたら『これで同世代売れ残りはウチだけかー!』とか吠え出したので、姉さんがまだ寝ているから静かにするように伝えてさっさと家に戻る。

売れ残りも何もこの人は駐在さんと恋仲だったような記憶があるのだが、ここでそれを言うと、お互いに意識しているけどどうにも仲の進展しない幼馴染以上恋人未満のテンプレみたいな照れ反応が始まる。

これは聞き流すのがとても面倒臭い。しかも歳の近い人間はこの村では俺と姉さんとチトセさんと駐在さんだけ、なので聞き役に回って被害に遭うのは俺か姉さんなのだ。

正味の話、二十年以上何の障害も無く幼馴染やっておいて恋人にならないとかどうなっているのか。玄関を開けて家に入る前に一度振り向くと、しょんぼりしながら次の新聞を配達しに行く後姿。哀愁が漂っている。

そういえば近親だってことには突っ込まないんだな、と不思議に思いながらも新聞に一通り目を通し、自分の部屋に戻り着替えを用意、居間に移動し新聞をコタツの上に置き、コタツの電源を入れ、シャワーを浴びる為に風呂場に向かった。

―――――――――――――――――――

暗い風呂場の電灯を着け、タオルを肩にかけ風呂場の扉を開ける。熱いシャワーを浴び、身体と頭を洗う。何故か湯が沸いているのでこれ幸いと湯船に肩までゆったりと浸かる。

朝の一番風呂。と言っても昨日の夜の残り湯なんだが、それでも朝っぱらから入る風呂というのは何処か特別なような気分にさせてくれる。

「いいお湯だねぇ~……」

「だなぁ……」

ざぷん、という音の後に放たれた言葉に相槌を打つ。いや、何かおかしくないか。俺は何に相槌を打っているのか。とりあえず目の前の美鳥に聞いてみよう。

「なぁ」

「なになに?」

頭の上にタオルを乗せた美鳥が顎まで湯に浸かりリラックスした表情で聴き返す。

「一つ言ってもいいか?」

「あたしも言いたいことがあるよ?」

「じゃあ先に言ってみな」

「うん。――キャー!お兄さんのエッチ☆」

イラっときてつい放電してしまったが、美鳥が奇怪な短い悲鳴を上げて浴槽に沈んでいった以外には特に被害は無し。頑丈な風呂で助かった……。

ほっとしていると、美鳥が沈んだまま浮かんでこない。呼吸をする必要はない筈だがビジュアル的に危険すぎるので、白目を剥いた美鳥を抱え上げ膝の上に乗せ、今度は電圧を少し下げた放電で気付け。

「で、風呂場でなにしてたんだよ。水死体ごっこ?」

膝の上で目を覚ました美鳥が、頭を傾けこちらの胸にもたれかかりながら身体の関節をポキポキと鳴らす。

「んーっ、昨日の夜最後に風呂入ったのあたしだったろ?リラックスし過ぎてそのまま眠っちゃってねー」

「ああ、でもあれって起きた時逆に疲れるよな」

風呂に入った後にぐっすり眠れるのは風呂で疲労するからだと聞いたこともあるし、それに湯船という限定された空間の中では満足に寝返りもできない。

「ていうかお兄さん、こっちは風呂で裸を覗かれた側なんだからこの対応はあんまりだと思うんだけど……」

確かにさっきのはいくらなんでもあんまりだったか。いや、それならそもそも明かりが点いた時点で声をかけるなりなんなりしろという話だが、相手は仮にも女性人格を有する女性的な存在、気を利かせて風呂場からいったん出る必要があった。

どうにもこうにもブラスレ世界での生活が抜けないというか、気がねない関係といえば聞こえはいいが、不作法な習慣が染みついてしまったな。

「すまん、咄嗟のことだったもんで、つい」

「罰として暫くあたしをだっこし続ける刑ー♪」

首を後ろに傾け笑いかけ、嬉しそうにそんな事を言う美鳥。しかしこの姿勢、なんというか、そう、とても一言では言い表せない感触。

「尻が当たる。俺のジョイスティックに」

「当ててんだよ」

「あ、待てこら動くな! それは位置的にまずい、擦れる!」

「へっへっへっ、口では何と言おうと身体は正直――」

―――――――――――――――――――

無事に風呂からあがり、あの危機的状況を乗り切った。何事も無かったとは言えないが何とか最後の一線だけは守り抜いた俺の手腕は称賛に値するだろう。これでも昔から姉さんと身体の洗いっこ程度はやっていたのでちょっとやそっとの誘惑には負けないのだ。

美鳥は既に服を着こんでいる。ちなみに脱衣所に衣服が無かったのは洗濯の手間を省く為、汚れた衣服を体内に取り込んで綺麗な状態で再構成する方式を取っているかららしい。

それと、姉さんのブラと自分のブラを並べて干された時、戦力の圧倒的な差に心が折れそうになるからだとかどうとか。けっこうあるからな姉さん。

「ガードが固いなぁ」

「普通は抵抗するもんなんだよ、ああいうのは」

流石にそこまで節操無く手を出す訳にはいかないだろう。いくら半身のようなものとはいえ礼儀と言うか貞操観念は最低限必要だ。俺だって姉さんと美鳥が俺の知らない処でレズってたら嫌だし。

俺の心を読んだように美鳥がニンマリと笑う。いやらしい事を考えている顔だ、様々な意味で。

「じゃ、お兄さんの目の前でならいいの?」

「おいおいどんな特殊プレイだよ」

目の前で見せつけられるとか流石に理性が持たない。本能の赴くままルパンダイブで特攻を仕掛けてしまうこと間違いなし。

「と、そんなことより髪の毛を渇かせ」

一応タオルで大雑把に水気をとってはあるようだが、髪の量が多いのでまだかなり湿っており、御蔭でシャツの背中が濡れてブラが透けて見える。

ブラをする必要はまったく無いサイズなのだが、そこはお洒落の一貫か女の意地か。サイズが合わない大人用のブラを自分の身体に合わせて再構成しているらしく、デザインは無駄にエロいものとなっている。

俺の視線の先にあるものから俺が何を考えているか察したのか、艶っぽい表情になり、しなを作りこちらに流し眼をよこす。

「えっち」

「いいから頭こっち向けろ」

美鳥の頭を掴み引き寄せ、バスタオルで髪の毛の水気をとってやり、ドライヤーで乾かす。このやり方であってるかはわからない、姉さんは適当にやっていても髪質は保てるみたいだけど、普通はもうちょっとやり方がある気がする。

しかしそこはそれ、髪の毛にダメージが残ってもその程度のダメージなら弱体化した美鳥の回復能力でもどうにかなるだろう。そんな訳で髪の毛をドライヤーで乾かす。放っておくと髪から水を滴らせたまま室内を歩きまわるので俺や姉さんが髪の毛を乾かしてやらねばならないのだ。

―――――――――――――――――――

そのまま美鳥を伴い畑へ向かう。美鳥のバイトは午前10時からなので朝早起きしている時は少し畑仕事を手伝ってもらうことにしている。

といってもやることはほとんど無い。雪かきは既に終わっているので、この時期でも収穫できる何種類かの野菜を、家で食べる用にいくらか収穫するだけの簡単な作業だ。

融合して複製を作ればこの手間は省けるのだが、わざわざ普通に食べ物が食える状況でまで文字通りの自給自足はしたくない。

ああ、でも俺の身体からでたモノを姉さんに食べて貰うとか考えると謎の興奮を覚えることはある。しかし俺はそんな動物的な衝動だけに身を任せる訳にはいかないのである。

「おにーさーん!こっちは大体収穫できたよー!」

少し離れたところで野菜を収穫していた美鳥が台車を引いてこちらにやってきた。台車に積まれた野菜は俺と姉さんと美鳥が食べる分を差し引いてもやや多すぎる。

「ちょっと取り過ぎじゃないか?」

「何言ってんのさ、そろそろ次のトリップだからうちの味を忘れない為に複製を作れるようにしておくんだろー?」

ああ、そういえばそんな頃合いか。前回のブラスレイター世界へのトリップ以来、一ヶ月以上も自発的なトリップをしていない。姉さんや美鳥との模擬戦はやっていたから戦い方の経験値は詰めているが、全体的な能力の向上はしていないのだ。

年も明けて正月もゆったりと過ごし終えた。七草粥も食べてしばらく何かしらの行事も無いこのタイミングで新たな能力を求め、新たなトリップの旅をすることに決めたのだ。

「まぁ、どんなに遅くなっても節分までには戻ってこれるだろ」

もし帰ってこれなければ姉さんは一人ぼっちの節分を迎えることとなる。誰も居ない自宅で一人寂しく『鬼はーそとー、福はーうちー』とかやって、撒き終えた豆を拾い集め、ちょびちょびと抓む姉さん。

そして一人で台所に立ち恵方巻きを作る姉さん、今年の恵方を向いて独り黙々と恵方巻きを頬張る姉さん、ご馳走様と呟き後片付けをして一人で風呂に入り一人で布団に包まる姉さん、その眼もとには心なしかうっすらと涙が――

――いかん、考えただけで胸が締め付けられて絞殺されてしまいそうだ。まっていろよ姉さん、姉さんを一人ぼっちにはさせないぜ!

「やっぱり節分はお姉さんに『呑み込んで……俺の恵方巻き……』とかやるん? あたし、『それじゃ豆まきじゃなくて種まき』とか突っ込んでみたいんやけど」

「すぐ下ネタを言いたがる口はこの口か?ん?この口か?」

「いひゃいいひゃいいひゃい!ほめんなはいほういいはひぇんふうひへ~!」

いきなり戯けたことをほざき出した美鳥の口に両手の親指を突っ込み千切れない程度の力加減で左右に引っ張る。人が割と真剣に考えていたのにぶち壊しだ。

涙目で謝る美鳥に満足し手を放してやると、口元を撫でさすりながらも話を切り替えてきた。

「いてて……。とにかく、今回のトリップ先の目標とか決めないとね」

美鳥の言葉にうなずく。前回はとりあえずペイルホースとアポカリプスナイツにパラディン、おまけでICBMの一部と標的の数が少なかったが、今回は取り込んで嬉しい技術が目白押しである。

ちなみに姉さんは『次のトリップ先? えへへぇ、ないしょだよ♪』と可愛らしくごまかしているが、ここしばらくトレーニングルームで相手にしてきた敵のラインナップから既に行先はばれてしまっている。

因みに参戦作品の中で家にDVDやらVHSやらがある作品には一通り目を通し直している。姉さんや美鳥と一緒にゼオライマーを見ても、ふもっふを見ても、種を見てもOVAのゲキガンガーを見ても、姉さんは俺にトリップ先を気付かれたと思っていないらしい。

能力的にはとても優れているのに、こういうことに関しては少し間抜けな面も見せる姉さん。まぁ言うまでも無く、そこもまた姉さんの数あるチャームポイントの一つ。特に『だよ♪』のあたりは何時聞いても脳みそがくらくらする。

と、思考が逸れてしまった。しかし、今回のトリップ先での狙いはなにか、か。

「絞りようが無いな。とりあえず第一話からの流れで主人公チームについて行こう。それで殆ど必要なものは手に入るだろ」

最初にどうにかして主人公チームに合流できればあとは行き当たりばったりでなんとかなる。ついでに言えばあの作品なら流れで仲間になることも容易だ。一度ならず殺し合いをしている相手をあっさり味方に引き入れてしまうのだから。

「さ、とりあえずは野菜を運ぶぞ、そろそろ家に戻って朝ごはんを作らないといかん」

言いながら台車を引くのを代わる。今の美鳥の身体能力は人並みなのであまりスピードが出ない、急ぐ場合は俺が代わってやらねばならないのだ。台車に美鳥を乗せ、俺たちは常人ではありえないスピードで家路に付いた。

―――――――――――――――――――

「ずるい」

時刻は朝八時、場所は台所、お浸しを作りながら姉さんが頬を膨らませてむくれている。唇まで尖らせて不機嫌っぷりを表現しているがとても可愛らし、いけない、また思考が逸れるところだった。

「今日はお姉ちゃんも畑仕事手伝うから起こしてって言ったのに……」

「いや、だってあの時間に起こしたら絶対姉さん作業中に眠って泥だらけになってたよ?」

「そしたら卓也ちゃんにお風呂で洗ってもらうもん」

うれしいこと言ってくれるじゃないの、とか茶化せないほどにむくれている。というか、だんだんと元気が無くなってきているような気がする。

徐々に俯き加減になってきて、包丁を持つ手が震えてあああまな板が一瞬で粉みじんになるほどめった切りに!なんという多段ヒット、悲しみとか憤りとかの感情でパワーの制御が利かなくなってきているのか?

姉さんの背を撫でながらさり気無く新しいまな板を差し出す。なんとか機嫌を直して貰わないとまたこの辺りの大陸プレートを裁断されかねない。

ちなみに美鳥は居間で関係無いねといった顔をしながら呑気にテレビを見ている。いや、確かに関係無い上に美鳥が出てきてもややこしくなるだけなんだが。

「いっつも世話になってるんだからさ、畑仕事位は俺に任せて欲しいんだけど」

「美鳥ちゃんは手伝ってたよ?」

居間で我関せずと不干渉を決め込んでいた美鳥がビクッと肩を震わせ『え?そこであたしに振る?』と慌てている。

「美鳥は言ってみれば俺の手足みたいなものだし、姉さんにそんな重労働させる訳にはいかないじゃないか」

「卓也ちゃん……」

朝ごはんの作成そっちのけで手と手を取り合い見つめあう俺と姉さん。こうなると俺も姉さんもお互いしか見えない。背後で味噌汁が沸騰しても焼き魚が焦げだしても気にしない気にならない気付けない。

どうにか機嫌を直してくれたようだ。地球への被害もあれだが、俺自身も姉さんには楽しい気分で居て貰いたい。そのまま目を閉じた姉さんの顔が迫って、唇に――

「おふたりさーん、朝ごはんできたよー?」

やはり美鳥の声で中断、料理は美鳥が引き継いでくれたようだ。送風機能はあるのに空気を読む機能は付いてないらしい。空気清浄機でも取り込ませたら上手いこと空気を読むようになるだろうか……。

―――――――――――――――――――

昼、毛布にくるまって姉さんとごろごろ。今日は天気予報の通り太陽が出て比較的暖かいのでコタツは消して姉さんとの触れ合いタイム。互いの体温で温まるのが乙なのだ。

ちなみに美鳥はバイト先の商店で居眠りしている頃合いだろう。大体バイトの時間の八割は居眠りで終了するらしい。それでは普通問題がありそうなものなのだが、俺と同じく人の気配に反応して起きることが可能なので支障は無いとか。

まぁそもそもあの店は週に二日も空いてれば地域住民のニーズには十分答えられる程度にしか客が入らないので気にすることも無い。

「むー……」

耳を引っ張られる。なにやら姉さんが不機嫌になっていた。

「卓也ちゃん、今、美鳥ちゃんのこと考えてたでしょ」

妬いてる。妬いてるよ姉さんが! 思わず抱きしめて頭を撫でくり回してしまう。

「そ、そんなんじゃ誤魔化されないもん。……うぅ、卓也ちゃんが女誑しになっちゃった……」

「いつ誑した。俺は姉さん以外には恋愛感情を抱きようが無いぞ」

「でも、『男は恋愛感情が無くても下半身の脳みそで動くことがある』って千歳が言ってたよ?」

流石半分ドイツ製、下ネタの切れ味というか表現の露骨さが一味も二味も違う。今度大量のジャガイモを送りつけて嫌がらせしておこう。いや、まだ『股間のヴルストが』とか吹き込まなかっただけましか。

「俺の身体の構造を忘れた? 俺は、上の脳も下の脳もまとめて全部姉さん一筋だよ」

きらりと歯が輝きかねない程、今の自分に出来る最高の爽やかさをこめた口調で断言。

「卓也ちゃん、それ、あんまりかっこよくない」

自覚はあるので突っ込みは勘弁して欲しかったりする。そんなこんなで何事も無い平穏な昼の時間が過ぎていくのだった。

―――――――――――――――――――

朝収穫した青梗菜で昼飯は野菜炒めとかもろもろ、更にご飯に生卵かけて醤油だって垂らしちゃう、かき混ぜて手を合わせいただきます。姉さんと顔を突き合わせてモリモリ食らう。

姉さんの様に整った顔の人が口に食い物を大量に詰め込んで、頬をむいむいもごもごと変形させる様は見ていて気持ちのいいものがある。食事の作法はやはり二の次で、なによりもおいしく食べるのが一番なのだ。

「ふぐ、むぐ、ん、っぐん。そうだ、卓也ちゃんにプレゼントがあるんだよ♪」

口の中の料理を飲み込んだ姉さんが後ろから紙包みを取り出し、俺に手渡してくる。中身は――、日記帳だ。それなりに厚みがあり、一昔前の冒険小説で船乗りが使ってそうなゴツイ装丁のもの。

表紙の素材はなんだろうか、別に人間の皮だったりうっすらと汗をかいていたりする訳では無いが、どうにも異質な雰囲気を漂わせている。中身は日付と文字を書く為のスペースがあるだけの正真正銘の日記帳だ。

「表紙だけ、お姉ちゃんが昔使ってた日記帳の再利用なの。書いた人とお姉ちゃん以外は中身を見ても内容が理解できないように細工がされてる優れものなんだから!」

むふー、と鼻息も荒く説明する姉さん。しかしなんでまたこの時期に日記帳なんだろうか。

「そろそろ次のトリップでしょ?その間、卓也ちゃんがどうやって過ごしてたかを書いて、帰ってきた時にお姉ちゃんに教えて欲しいなーって思って」

なるほど、なんというか、初々しい恋人同士の間で行われる日記の交換行為のような、いやいやむしろ先生に提出する生活ノートのほうが近い。先生?姉さんが先生かぁ……。ありだな。

属性的には先生と姉は被らないから併せてもいける。学校でこっそり隠れて姉さんと、というのも中々素晴らしいシチュエーションだ。

「ワイシャツ、タイトスカートに厚手の黒タイツ、オプションで野暮ったいフレームのメガネとかもいいと思うんだけど、姉さんはどう思う?」

「ごめん、卓也ちゃんが何を言っているかさっぱりわからないわ……」

女教師姉さんという素晴らしい発想は姉さんに受け入れて貰えないらしい、悲しい話だ。

しかし次のトリップ、そろそろと言いつつ伸ばし伸ばしになりそうな気がする。どうにも我が家は居心地が良すぎて自発的に長期の外出をしようという気になれない。ここは思い切ってササッと行ってしまうべきだろう。

思い立ったが吉日と言う。受け取った日記帳を脇に置いて、何気なく姉さんに提案。

「姉さん、今日の夜にでもトリップしようと思うんだけど」

「うん、じゃあ、夕方まではゆっくりしようね?」

いいらしい。こうして俺の二回目の修業の旅的なトリップは始まるのだった!まぁ、今時間から準備をする必要も無いので言われるままにゆっくりと食事を続行。

テレビを見たり姉さんと雑談を交わしながらの昼食。今日の夜出発と決めたからには数ヶ月以上一緒に昼飯を取れないと考えると、この食事もかけがえの無いものに思え、と、しまった。

「醤油とって」

「はい、どうぞ。何にかけるの?」

「ん、豆腐にかけてなかった」

冷奴に醤油が掛かっていない。俺は醤油を受け取り、冷奴の上の鰹節にてーっと醤油を垂らす。

「あ、美鳥ちゃんにメール打っておくね?二三日休みを貰ってくるようにって」

「首になるんじゃない?」

「あそこのお爺さんはおおらかだから大丈夫よきっと」

そういうもんか。箸を置いて携帯をカチカチと操作する姉さんを眺めながら豆腐をつつく。平和な時間だ。この状況で数時間後には異世界にトリップするなんて言っても誰も信じないだろう。緊張感が足りないと言われそうだが、家ではトリップは小旅行程度の感覚なのだから仕方ない。

―――――――――――――――――――

「卓也ちゃんこれは?」

「持ってく持ってく。あ、デジカメとか無いかな、前回のトリップだと全部写メだったから画像小さくて」

夕方、トリップの準備として荷物をまとめる。全ての荷物を身体に取り込んでしまっても構わないのだが、手ブラというのも何を名乗るにしても不自然なので、邪魔にならない程度に手荷物を作っているのだ。

と、言ってもそこはそれ。簡易なトラベルセット程度の量はあるので、結局前回持って行った旅行鞄をそのまま使うことになってしまった。何だかんだでこの鞄とは長い付き合いになりそうだ。

しかし今回は前回ほど鞄を抱えて行動するシチュエーションには恵まれないだろう。何しろ今回は巨大ロボット出しっぱなし、戦艦に乗っての生活である。荷物を盗られる心配も無いので前回よりは数段気楽に過ごせる。

「たっだいまー!」

玄関から美鳥の声。どたどたと廊下を走る音を響かせ、スパーンと俺の部屋の戸を開け放つ。無駄にダイナミックな動き、漫画ならページ半分は使う大ゴマで表記されているだろう

「今日出発ってまじで?急じゃね?」

「もう美鳥ちゃんの荷物もまとめてあるわよ?」

「えぇ!?」

なにやらぐだぐだとやり合っているが気にしない、姉さんが美鳥の相手をしているのでこっそりと向こうに持って行く姉さんの写真を選別する。この寝顔とかなかなかいいが、このあいだの雪合戦の時のこれも雪がキラキラと煌めいて姉さんを彩りなかなかに素敵だな。

迷う。そもそも姉さんには暇つぶしの為と言って鞄に入れてあるこのハードカバーの本にしても表紙を差し替えただけの姉さんアルバム。容量にして一テラ程の姉さんの画像データも取り込んであるパソコンに入っているが、写真となると話は別だ。何より懐にでもしまっておけば見たい時にすぐ見れる。

悩ましい。懐に入れておくということはすぐ見れて即座に姉さん分が補充できるだけのクオリティのものであり、なおかつどんな時に見ても均一に満足できるだけの状況を映したものでなければいけない。

ふむ、そうなると手元にある写真を一旦全て取り込むのが一番かもしれない。懐に入れておく写真は後でゆっくり選別するべきか。画像データも全て洗い直す必要があるだろう。

となればもう準備は完了だ。なにやらまだ騒いでいる美鳥を姉さんと説き伏せて、さっさと新たな修行のトリップを始めよう。

―――――――――――――――――――

俺と美鳥はそれぞれの荷物入れた鞄を手に下げ、姉さんの前に座っている。ついさっき美鳥を説き伏せついでにみんなで風呂に入り、これからようやく次のトリップの説明に入るところだ。姉さんも気合いを入れているのか、学帽を頭に乗せモノクルをかけた説明スタイル。

「姉さん、白衣は無いの?」

「忘れちゃったの?この間の『逆上した実験体に襲われる科学者プレイ』で思いっきり融かしちゃったじゃない」

「あぁ~……」

複製しておけばよかったと考えるも後の祭り、姉さんはそのまま説明を初めてしまった。もったいない……。

「まずは前回のおさらいね。前に行ったブラスレイター世界ではおっきな流れ、俗に言う『原作沿いルート』を片っ端から素通り、それでいて目的の獲物は全て手に入れてきたでしょ?」

「ペイルホースにイシスといったナノマシンにガーランドもどきなパラディン、そこらのリアルロボット程度のサイズはあるアポカリプスナイツの機体、オマケでICBMから一部機能だね」

オマケと言いつつペイルホースに次いで応用の利く技術だ。元の状態ではバリアを張る程度にしか使えなかったが、取り込んだ時点でかなり融通の利く物になった。今なら某カブトムシライダーに対抗することもできるだろう。

カブトムシライダーといえばディケイド版カブトの『いつでも帰れる場所がある、だから俺は離れていられるんだ…』というのは俺や姉さんのような行って帰ってくるタイプのトリッパーに通じるところがあるような気がする。まぁ俺の場合姉さんに送り迎えしてもらっているようなものなのだが。

ディケイドといえば、去年の年末に姉さんと一緒にディケイドの劇場版を見に行った時、姉さんが偶に『あそこで手を出さないとああなるのねぇ……』とか『うそ、メインキャラみんな生き残るの?』とか呟いていた事を思い出す。

劇場公開より前にトリップしたのかとか、どういう介入をしたのかといった疑問は尽きないが、なぜうちの倉庫にblackbird flyのピンクカラーバージョンがテレビ放送前から転がっているのかという疑問が解けた。本人からぶん盗ってきたんだな、納得。

「――でね、前回手に入れた技術を万遍無く使えて、技術も特殊能力も手に入る丁度いい世界、これが次のトリップ先ってわけね!」

「おー」

思考を逸らしていると、説明を続けていた姉さんが一本のGBAソフトを取り出した。数々のロボット達が一つの世界観に押し込まれ力を合わせて戦う感じのシリーズなのだが、これはその中でも珍しい、同時にギャルゲ的な要素を含んでいる作品になる。

勘違いされがちだが、このシリーズにギャルゲ的要素が入り始めたのは何もこの作品が最初ではない。初代αなどはバグで意味の無いものになったが好感度システムが搭載されていたというし、同じGBAの前作でもフラグ立てによりヒロインを選択することが出来た。

それになによりもテッカマンブレードを参戦させてくれたのは素直に嬉しい。ああいう等身大の変身ヒーローも大好きなので、ギャルゲ紛いなどと言われても俺の中での評価はかなり高い。一粒で二度も三度も美味しい作品である。

「……んー、なんだか卓也ちゃん、リアクションが薄くない?美鳥ちゃんもしかしてばらしちゃった?」

「いやぁあんなもんでしょ、別にサプライズってほどの行き先でもねーし」

「主人公が軽くハーレムなのは少し気になるけど、そこは正直どうでもいいしね。それより、今回から入る新しい特典があるって聞いたんだけど、向こうでの戸籍とか説明欲しい」

今回は向こうでの戸籍が存在するという説明しか受けていない、具体的な説明をして貰わないと向こうでの初手を間違えてしまうかもしれない。

釈然としない顔でGBAのロムの前に魔法陣的なものを開く姉さんだったが、気を取り直して説明を再開した。

「んとね、今回は最初に主人公たちと行動を共にできないと始まらないから、まず向こうの世界に干渉して卓也ちゃん達の戸籍とか職業とかを捏造してあるの。そこのところは荷物の中にメモを入れておいたから読んでおいて?あと、ちょっとこっち来て」

くいくいと手まねきされるままに顔を寄せると、首に手を回されそのまま唇を重ねる。回数を重ねた甲斐があって流石に歯をぶつけるような無様なことにはならない。

十秒ほど経って、ようやく唇を放す。普段のキスとは違う、何か不思議なものが流れ込んできた感触があった。これは恐らく――

「何か入れた?またAI?」

「んー、今回のトリップの要。あって邪魔にはならないわ」

なんだか事務的な会話になってしまっている気がする。これはあれだな、何かの新機能を受け渡す作業的なものだと双方が分かってしまっているのがいけない。

「じゃ、あたしは先にいってるねー」

美鳥が魔法陣にそろりそろりと頭から入っていく。魔法陣の向こうには何もなく、下半身だけがぬるぬると動いていて気持ち悪いのでケツを押して一気に魔法陣の中に叩きこんでやった。

さて、このまま事務的に見送られるというのもなんだか気持ちが悪いというかなんというか。とりあえずはあれだ、仲の好い男女が行うというあれで行こう。

「姉さん、ちょっと」

「やぁん♪なぁに、卓也ちゃ、んむ――」

姉さんを抱き寄せキス。そのまま姉さんの唇を吸い、舌で丹念に味わう。上唇も下唇も丹念にしゃぶり、味をしっかりと記憶する。

「んぅ、っぷぁ……。くちびる、ふやけちゃうじゃない……」

唇を放し、仄かに頬を上気させた姉さんが抗議の声を上げる。愛らしい、今にでも押し倒したい衝動に駆られるが、それは帰ってきてからのお楽しみとしよう。

「特別な意味の無い『行ってきますのキス』があった方が気合い入るしね。じゃ、行ってきます!」

「もう、気合い入れた分しっかり頑張ってくるのよ?いってらっしゃい、お土産も忘れないでね?」

姉さんに見送られ、魔法陣の中に一気に飛び込む。帰るまでは姉さんの唇の味の記憶を糧に頑張ろう。向こうに行ったらまずは何から取り込むか、土産はどうしようか。

相変わらず水ではない何かに満ちた、海のような空間。もう少しこう、時をかける少女とかそんな感じの不思議空間でもいいと思うのだがどうだろうか。超空間としてのそれらしさが足りないというか。

そんなことを考えつつ、少し下を降りていた美鳥を触手で捕まえて合流。作品世界に出るまでまだ時間があるが、ここでアポカリプスナイツの機体を複製、触手で捕まえたままの美鳥をスケールライダーのコックピットに叩きこみ、俺はボウライダーのコックピットに乗り込む。

ソードライダーはパイロットが足りないからそもそも複製して無い。しかしスケールライダーもボウライダーも十分に強化されているのでまったく支障は無い。

さらばソードライダー、君の雄姿は忘れない。でもきっと核とかぶっぱなしまくる日が来るからノーモアヒロシマノーモアナガサキは守れそうに無い、許せ。

ボウライダーのコックピットでソードライダーに短く黙祷を捧げ、荷物の確認をしていると、スケールライダーの美鳥から通信が入った。通信を開くとモニタにジト目の美鳥が映し出される。

「お兄さぁん、もうちょっと優しく扱ってほしいんだけども……」

「悪い悪い。っと、そろそろ見えてきたぞ」

遥か下に魔法陣、カメラをズームにすればその向こうの景色、平和な街に迫る虫型機械と、それに立ち向かう鉄の城の姿が。多分第一話だろう。凄い、俺リアルにスーパーロボット見るの生まれて初めてだよ!

「ココロオンドゥル、いや心躍るな!」

超合金ZやニューZなどの頑強な素材も魅力的だ。ロボットの装甲はもちろん、人間体時にも武器に防具にと大活躍の予感がする。最終的にとんでもないキメラなロボットが作れるようになるだろう、名前は安直なのがいいな、ベーポルンツマーゲーとかそういうセンスが欲しい所だ。いや、名前付ける必要は無いけど。

「じゃ、まずはバッタをムッコロシて印象をよくしないとねー」

いかにもその通り。この時点のバッタにはディストーションフィールドが搭載されてないので遠慮なく全滅させてやろう。握った操縦桿から機体に融合を開始、浅くも深くも無い程度に融合、これでダメージは回復しないが弾薬は気にしなくて済む。

バッタ程度に気を遣いすぎか?しかし第一印象が大事なのでここはサクッと決めて行こう。今回の出現地点は高度500メートル、この高度から落ちて平気なのか?この強化ボウライダーなら問題なし!

「さぁ行くよ、お兄さん!新生アポカリプスナイツの初陣だ!」

「おうさっ!」

こうして、俺の異世界トリップが再び始まった。


続く

―――――――――――――――――――

全然トリップものっぽくねえぇ!オリキャラがいちゃついてばっか!というお客様はご安心ください、姉はこれから三話程影も形も存在しません。

お久しぶりです。正月開けて休み取れたと思ったら怪我して入院してました。七草粥食い損ねました。

予定としては原作キャラにお菓子で餌付けして手なづけたり組み手をして稽古したりこっそり格納庫で整備の手伝いするふりをして機体をコピーしたりする程度です。原作キャラ盛りだくさんの予定です。あくまで予定です。予定は未定なんです。わかりますよね?HPの『建設予定』みたいなものです。しかしどうやってでも完結はさせまする。俺はトマトだ!

そんな作品でもよければ、作品を読んでみての感想、諸々の誤字脱字の指摘、この文分かりづらいからこうしたらいいよ、一行は何文字くらいで改行したほうがいいよ、みたいなアドバイス待ってます。どしどしお寄せください。

次回予告(仮)

主人公、原作主人公のヒロイン(あぶれた奴)を手なづけたい!
主人公、蕎麦にはトッピングをこれでもかと乗っけたい!
主人公、テックシステムを解明したい!

の三本の予定が未定。お楽しみに。








前回投稿から半月以上経過しているにも関わらずこの短さ。お怒りの方もいるでしょうが、すまなかった、許してくれ。



[14434] 第八話「宇宙戦艦と雇われロボット軍団」
Name: ここち◆92520f4f ID:4b169ad3
Date: 2010/01/29 06:07
せわしなく搬送トラックが走りまわるドッグの中、俺は旅行鞄を床に置き大きく伸びをした。背骨がポキポキといい音を立てる。流石は俺の身体、人間への擬態はこういう細かいところだけ完璧だ。

地球から月面の宇宙港、宇宙港から月面都市、そこからさらにナデシコが現在停泊しているネルガル重工のドッグまでほとんど座りっぱなしだっただけあって、肩や腕は回す度にポキポキと軽快な音を鳴らしてくれる。

まぁ、元の世界ですら最近はバイク移動なので、ああいう座席に座っての長時間の移動ってのは懐かしく感じる。仮にも宇宙旅行のようなものだというのに懐かしい感覚というのはおかしな話だが。

しかし、今回はゆっくりと大気圏を突破しての移動だったので正常な色の地球が見れて少し嬉しかった。やっぱり自力で突破するのと勝手に突破してくれるのでは色々と違って面白い。

「地球は青かったって本当なんだなぁ」

宇宙船の窓から見える地球は青くてとても清廉な光景だった。なにより頬杖ついてジュースをすすりながら見れるというのがいい。機内食もまぁまぁおいしかったし言うこと無しだ。

無駄に速度を出さなければ自力で青い地球を宇宙から眺められるんじゃないか、呼吸も擬態なんだから宇宙空間でジュース飲めるんじゃないとか浅はかな事を考えてはいけない。宇宙旅行の風情を楽しむことが重要なのだから。

窓がある宇宙船で月に行くということで当然お守りとしてコンパスを懐に入れておいた。蓋を開けるともちろんplease save Kugiriの文字が刻まれている。姉さんは同乗していないがこういうのは一番大切な人の名前を刻むものと相場が決まっている。

そもそも俺も姉さんも美鳥も宇宙空間に出ただけで死ぬほど軟な作りはしていないのだが、相手を思いやる気持ちこそが大切なのだ。宇宙の怖さ、一人の人間の弱さ、そして生命の大切さを忘れては生きていけないとかどうとか。おっと、これは次回作の話か。

もっとも、この無駄に技術が発達したスパロボ世界ではデブリで宇宙船が事故るなんてそうそう有り得ない、どちらかといえばデブリよりも木星蜥蜴に気をつけるべきだろう。

「……余裕ありそうですね」

肩や腰などをぐりんぐりん廻して身体を解していると、後ろから声を掛けられた。それなり以上のイケメンだが、今その表情はやたらと不機嫌そうでなおかつ『俺は憂鬱です』と言わんばかりの暗ぁいオーラを漂わせている。

声を掛けた直後に溜息、するとなぜか必要以上に髪の毛が揺れる。ヅラ疑惑の少年、紫雲統夜。現役高校生の典型的な巻き込まれ系主人公だ。

ある日空から降りてきた巨大ロボット、そしてそれに乗っていた謎の美少女達にこれに乗って戦ってくれと懇願される。初めて乗るにも関わらず動かし方の分かるロボットに戸惑いを覚えつつもなんとか街を守り切る。しかしそれは少年の波乱の日々の序章に過ぎなかったのである!

――ぶっちゃけた話、そこらに転がっている王道ロボット物と大差ない展開だ。しかもハーレム要素があるのだから多少の危険は我慢するべきだろう、そういう要素が無い巻き込まれ主人公だって世間には存在するわけであるし。

ついでに参戦作品の中にいる、似たような状況でガンダムに乗り込んだ少年はさんざん利用された揚句にピンクの御姫様の操り人形である。戦後にそれなりのまともな生活が待っているだけまだしも恵まれているといえよう。

「ちょっと休学してバイトするようなもんだと考えれば気が楽になると思うぞ?」

バイト、というよりも契約社員になるわけだが、危険な仕事なだけあって結構いい給料が貰えるのだ。限られた親の遺産で暮らす苦学生紛いの統夜からすれば願っても無い話ではないか。

「俺は、あんた達と違って戦いとは縁の無い普通の学生なんだぞ。バイト感覚で戦争なんて……」

「いや、縁はあるだろ」

「え?」

呆けたような返事をする統夜。こいつは一体何を言っているのかという顔だが心外である。

「空から巨大ロボが降ってきて、それがピンポイントに目の前に着陸、乗ってみたら操縦方法が分かって、しかもそれはお前にしか操縦できない。これで縁が無いなんて言ったらそこらのスーパーロボットのパイロットはみんなロボットとも戦争とも無縁になるぞ?」

「そんな無茶苦茶な理屈でっ――」

「おーい!」

俺の冗談ともとれる屁理屈に反論しようと声を荒げたところで、先にドッグの中に進んでいた甲児が声を上げながらこちらに駆け寄ってきた。後ろにはJヒロイン三人組とマジンガ―ヒロインの弓さやかも居る。

「二人とも何してんだよ、何時の間にかはぐれてたからビックリしたぜ」

「美鳥ちゃんなんて先に行っちゃってるわよ?」

「ああ、悪い悪い」

美鳥は気にすることも無く先に進んでしまっているようだがこれは予定通り。トイレに向かうふりをしてナデシコの内部探索をしている筈だ。大型の相転移エンジンも取り込んで置いて損は無い。

しかしまぁどうせブリッジで合流するから気にすることも無いだろうに、流石は気配りの出来る主人公タイプ。いや間違いなく主人公なんだが。

「あの……」

おどおどとこちらに近寄ってくる金髪ショートの少女――メメメ。ここは流れとして統夜と何を話していたかを聞かれるのか? とはいえそういうのを聞くのは代表格っぽいカティアだと記憶していたんだが……。

「ケーキ、ありますか?」

「…………チョコケーキでいい?」

「わあ、ありがとうございますっ!宇宙港の売店でも車内販売でも売って無くて、わたし――」

――どうにも今回はしょっぱなから派手に関わってしまったので容易に相手の行動が読めない。確かに個性の一つとしてお菓子好きだった気はするが、この段階でここまで甘党だっただろうか。それとも単純に話してみればこんな性格だったというだけか。

我ながら異様に馴染んでいる気がする。これも第一印象を大事にしたお陰だろうか、それとも姉さんのくれた何かのお陰か。

カバンに手を突っ込み、見えない位置でケーキの入った小型のクーラーボックスを生成、宇宙港の売店で貰ったプラスチックのフォーク片手に期待のまなざしを向けるメメメに手渡しながら、現実逃避代わりにトリップ直後のもろもろの出来事の回想を開始した――。

―――――――――――――――――――

空から地上に向けてダイブ、二回目だが今回も空から飛び降りる形で参戦。地上では丁度マジンガーがバッタを一体ロケットパンチで仕留めたところだった。

「美鳥、主人公機が降りてくる」

「おっけー、索敵するよ。――みっけた。良かったねお兄さん、細いのだよ」

リアル系機体のベルゼルートらしい。しかしよかったねとはどういうことか。落下しながら地上のバッタにボウライダーの両腕の砲口を向け、両腕からそれぞれ一発づつ発射。二機のバッタに見事に命中、原形を留めていないジャンクが二つ出来上がり。

これでもトレーニングルームで操縦の練習をしていたのだ。しかも半ば融合しているから余計に思うがまま動く、生身でなくともこの程度は朝飯前。

街から少し離れた位置にふわりと着地、この魔改造ボウライダーはオリジナルとは一味も二味も違う。あの高度から落ちても平気なのはオリジナルには搭載されていない重力制御装置のお陰。多少の飛行程度ならもはやスケールライダーに乗っけてもらう必要も無い。

「ああいう分かりやすいくらいメカメカしいの好きっしょ?ていうか、Jでは一番好きな機体だって言ってたじゃん」

残り一機のバッタに向けてスケールライダーが急降下、ミサイルやレーザーを放――たない。代わりに翼の両端に増設された球体から光刃を展開、地面すれすれを飛び、すれ違いざまに切りつけた。

付けておいてなんだが、人型に変形しない戦闘機に接近戦用の剣とか、余りにも趣味的すぎる武装だ。ブラスレイター世界の技術だけであれをやるのは無理があるかと思っていたのだが、ブラスレイターの具現化能力と連動させているらしい。努力と研究の賜物だとか。

急降下から切りつけのコンボ、もしかしたら初めて会った日にカウンターで叩き切った事を根に持っているのかもしれない。後で何か御機嫌取りでもするべきか。

マジンガーがこちらに何か言おうとこちらに振り向くが無視して学校傍の林の方に両手の銃を向ける。スパロボのお約束が残っているのだ。

空から林の中に七機のバッタが降りて来る。学校から遠い方のバッタに狙いを付け、両手の速射砲から電磁加速された砲弾を乱射。周りの木々を巻き込みながらも三体のバッタを粉々に粉砕。

とりあえずは、こんなものか?主人公くんがピンチになる為の分は残しておかないといけないし。銃口を上に向け、冷却する為に間を置いている振りをしつつベルゼルートの観察。

「お、動いた動いた」

学校の校庭にうずくまっていたベルゼルートが立ちあがり、ブースターを吹かして飛び立とうと試みている。その動作はおっかなびっくりといった具合で見ている方が不安になるふらつき加減だ。

「酔っぱらい運転みたいな感じやね」

美鳥が見たままの感想を言うと同時、加速を制御しきれなかったのか学校隣りの小さなビルに激突する。あのビルの持ち主は災難だな……。

「どっちかって言うと、ブレーキとアクセルを踏み間違えた教習車じゃないか?」

危なっかしい、まぁ覚醒する前の主人公なら仕方ない。最初に普通の一般人ならどうなるかというのを視聴者、プレイヤーに見せつけることで覚醒後の主人公の異常性とかを見せつけるのにとても便利なのである。たぶん。

ビルにのめり込んだベルゼルートにバッタが迫る。危うし主人公!とはならずにミサイルで見事に撃墜した。動きも先ほどまでと比べてまともになってきている。とはいっても初心者が初めてプレイする初代ACよりはまともといった程度でしか無い。

動かし方を覚えた程度ならそんなもんだろう。俺も最初にボウライダーを動かした時は、とか苦労を思い返したいところだが、いかんせんペイルホース感染者は武器の扱いに関してものすごい適応力を発揮してしまうので語るべき苦労が無い。

多分ペイルホースの機能の一つにゼロ魔のガンダールブもどきみたいな機能が存在するのだろう。そうでなければゲルトしかりヘルマンしかりマレクしかり、いきなりあそこまで斧槍やらランスやら鞭やら鎌を上手く扱える筈が無いのだ。

しかも装甲車の外側から片手で融合して運転ができることからわかると思うが、実はまともに操縦桿を動かす必要すらない。IFSと似たようなものだがこちらは機体に触れてさえいればどこからでも操縦できるという見事なチートぶりである。

つらつらとどうでもいいことを考えながらベルゼルートの獅子奮迅の活躍を見学。オルゴンライフルやショートランチャーを振り回しながら必死にバッタをなぎ払う必死な姿には感動すら覚える。学校を背負ってるから危機感も増し増しなんだろうなぁ。

バッタの位置的に市街地寄りに移動していたマジンガ―は手を出せないがアフロダイが挌闘やミサイルなどで一緒に戦っている。主人公の覚醒イベントが終わったので俺と美鳥も援護に加わり一機一機確実に潰し、ほどなくして全てのバッタが撃墜された。

とりあえずバッタはこれで打ち止め、しかし直ぐに市街地方面に機械獣が現れる。Jはこの小出しにしてくる増援が面倒臭くていけない。いっぺんに出てきてくれればマップ兵器でささっと片付けることができるのに。

それにしても、あの出現地点から考えるに間違いなく市街地を破壊しながらやってきている筈なのだが、バッタ退治は片方の機体に任せて市街地に入る前にどうにかできなかったのだろうか。

「あなたたち、聞こえる?どこの所属なの?味方と思っていいの?」

市街防衛のシステムに首を捻っていると通信が入った。アニメやゲームでみると絵柄があれだから分かりにくいが中々の美人。これがマジンガ―Zのヒロイン『弓さやか』か。健康的で溌剌とした印象の少女だ。

「あたしらは善意のボランティアってとこかなー」

「移動中に街がバッタに襲われてるのが見えたからな。とりあえずあの機械獣どもを倒すまでは付き合うつもりだ」

「ありがてぇ! そっちのはどうだ?」

うお、すげぇ形のヘルメット!画面に映るイッツジャパニメーションって感じのヘルメットを被った濃い顔の少年が映る。マジンガ―Zの主人公にしてパイロット『兜甲児』だろう。なんかもう、もみあげのあたりから特に濃いダイナミックオーラが溢れているから見間違いようが無い。

同時にベルゼルートの方にも回線を開いているのか、俺達では無い方にも問いかけを放つ。こっちも繋いでみるか、確か、ここをこうして……。できた、画面端に赤毛のイケメンと同じく赤毛の美少女が映る。

「あ、え、いや、俺は……」

こちらのかなり戸惑っている赤毛の少年がこの作品世界『スーパーロボット大戦J』の中の主人公である『紫雲統夜』で、

「とりあえず、敵じゃないのは確かね」

こっちの髪型が九十年代の深夜アニメか八十年代のラノベみたいになってるのがヒロインの一人『フェステニア・ミューズ』だ。こいつらはまぁ、特にこれといった印象は無い。しかし予知紛いのことができるサイトロンは面倒臭そうだと思う。

対策はぼちぼち考えるとして、今はとりあえず機械獣退治を終わらせないとな。先行する美鳥のスケールライダーを追いながら、速射砲の照準を機械獣に合わせた。

―――――――――――――――――――

機械獣を恙無く倒した俺達は、そのまま流されるように光子力研究所にホイホイと付いて行ったのであった。

しかし俺はミーティングルームについて行かず、とある人の執務室を訪ねていた。因みに主人公チームの方には美鳥がくっついて行っている。

「これ、つまらないものですが皆さんで召し上がって下さい」

「これはどうもご丁寧に」

白衣のナイスミドルに菓子の入った紙の箱を手渡す。光子力研究所の偉い人こと弓教授だ。ここまで来たからにはこの人に会っておくのが礼儀というものだろう。

因みに売店の類は無いかと探してみたのだが、噂に聞く『パリンと割れるバリアせんべい』は見付からなかった。都市伝説の類だったのだろうか、一箱姉さんにお土産として買っておこうと思っていたのだが、残念だ。

「ところで君たちは偶然通りかかったと聞くが、どこに向かっていたのかね?」

「それには深い事情がありまして、聞いて貰えます?」

あちらの主人公達にくっついて行ってもいいのだが、ここに来るまでにボウライダーの中で確認した姉さん作の行動予定表ではこのように動いた方がすんなりと話が進むと書かれていた。

これで失敗したら目も当てられないが、最悪砂漠の虎相手にゲリラでもしていれば話の途中からでも合流することは可能なのだ。とにかくやってみよう。

「実は俺達……」

―――――――――――――――――――

俺の説明はいたって簡単、単純に火星に向かう戦艦がネルガル重工で完成し、その乗組員を探しているとの情報を聞いて、兄妹で戦力として自分たちを売り込みに行こうとしていたと言うありきたりなもの。

しかし簡単には話は進まない。強化改造が施されているとはいえ、オリジナルとほとんど操縦系統は変わっていないスケールライダーとボウライダー、光子力研究所に運び込まれた二機を弓教授はチェックしていたのである。

「あの機体の操縦系統は、パイロットの身体に改造が必要になるようなものだね?」

「はい。俺も美鳥も機体に合わせて身体を弄ってあります」

「その手術は何処で?」

「以前生活していた施設では全員が手術を受けていました」

こういったやり取りのあと、弓教授は顎に手をあてて考え込んでいる。IFSなんて手軽で便利なものが存在する世界であんな外科改造手術が必要な機体、まともな奴ならば作らないし使わない。

メモに書かれていた設定だと、こっちでの俺と美鳥の両親はずいぶん前に死去して家族は兄妹二人だけ、何らかの研究所を兼ねた孤児院のような施設に預けられて暮らしていたが研究所が潰れ、それ以降は出所不明の機体を駆使して各地で傭兵として働いていた、という一昔前のラノベじみたもの。

そしてこの設定は少し調査すれば数分で調べがつくようになっているとか。おそらく弓教授は俺達が何処かの非合法な兵器の研究所に預けられ、研究所が潰れるどさくさで機体を持ち出し、戦闘能力を生かしてこれまで生活してきた実験体とでも推測しているのだろう。

なるほど、これは便利だ。あの二機の構造を理解できる人が見れば勝手に勘違いして俺達に同情的になり、軍に捕まって実験動物扱いされないように、どこか都合のいい場所に俺達を勝手に誘導してくれるという訳だ。

そして俺達が向かおうとしていた場所は御誂え向き、ただで保護を申し込むのでは無く、木製蜥蜴と戦える戦力、傭兵として。これにスパロボ補正も組み合わされば間違いなくナデシコと合流できる。

流石姉さん、主人公達と一旦離れて教授にだけ説明しなさいというのも、兜甲児や弓さやかに気を使わせない為に別に話したと考えさせることで相手の中のこちらの好感度も上がって二度お得ということか。奥が深い。

「そうだね、この研究所にも協力要請の打診が来ている。甲児君やさやかから聞いた話では十分に戦えるようではあるし、私の方から連絡を入れておこう」

「ありがとうございます」

頭を下げる。いや、本当に感謝しているんだ。うまいこと勘違いしてくれたことにも、見ず知らずの相手の為に手を尽くしてくれるお人よしなところにも。なんだかカタギの人を騙すチンピラ臭い思考だが構わない、たまにはこういう捻くれた考え方をするのもいい経験だろう。

さて、これで間違いなく主人公組みと行動を共にすることになるだろうが、こうなるとミーティングルームの方が気になってくる。美鳥が変な事を言い出していなければいいのだが……。

―――――――――――――――――――

アドバンスのBGMは『て』と『れ』が一番発音的に近い。音質低いとか安っぽいとか言われてもこの中途半端なレトロさがいい味を出してる。

んー、でも流石に周回重ね過ぎて機体に改造の余地がない。なんつーか、作業ゲーになっちまうっつうか。ちょっと戻ってカルビさんルートでやり直そうかなぁ。

ミーティングルームでソファに腰かけたあたしは、ヒロイン三人娘の身の上話を聞き流しながらヘッドホンを付けてDSで遊んでいた。いや、途中までは真面目に聞いてたんだけど、別にゲームで手に入らない情報とかは無い風だったからつい。

ちなみに一応来客ということでジュースは出たけどお菓子の類は出なかった、ま、お菓子を摘まみながら和気あいあいと話すような内容でも無いから別におかしくはない。

そろそろ身の上話も終わったかな? ヘッドホンを外してDSの電源を落とし鞄に入れ、テーブルに置いておいたジュースを一口。でもここでは特に話すことも無いんだよなー、暇だなー構って欲しいなー。

因みに誰もあたしの話題には触れてくれない、場馴れしているように見せちゃったから、傭兵の類だとでも思われてんのかね。そういう設定みたいだけどさ。

「私たち以外にベルゼルートを動かせるのが、ううん、あれをちゃんと扱えるのがあなただけ、あなたと私たちだけだから……」

「だからそれは何でなんだよ!なんでそんなわけのわからない連中のいざこざや、あんなロボットの話に、俺が出てくるんだ!なんで俺が関わりあいにならなきゃいけないんだよ!?」

「いや状況的に見てすげー運命的じゃん、手伝ってやればー?あと、声でか過ぎ、金髪のが怯えてるよ?」

「そうだぜ、女の子相手にそんなにどなるなよ」

「そうよ、男らしくないわ」

グリニャン仮面の中の人の電波セリフに反応し、あーだこーだと喚く紫雲統夜――名前長い、以下あたしの心の中ではヅラってことで――に一言投げかけた。往生際の悪いやつ、厨二病患者なら表面上は拒んだり苦悩したりしながらも内心ではウヒウヒ猿みたいに喜びながら進んで飛び込んでくる世界だっつうのに。

親の遺産で一人暮らしってのが仇になってるよな、堅実派つうかなんつうか。もっと若さを爆発させるべきじゃない?ほら、若さはプラズマって言うし。流石に古いか、こりゃお姉さんの記憶だな。あたしまだ生まれたてだし。

とにかくもっと無軌道な若さを発揮して欲しい。せっかくだから喚き散らすだけじゃなくて大人しそうな金髪を押し倒しちゃうとかさぁ。そしたら監視カメラハッキングして録画してウヒヒぼろ儲けだよまいったね。

「あんたたちは黙っていてくれ、俺は、こいつらのせいで……」

「そんなこと――」

「つか、もしあそこでこいつらが降りてこなかったらどうなってたと思うよ?恩を感じこそすれ、文句を言うのはおかしいんとおもうなー」

あの距離だと間違いなくマジンガ―は間に合わなかったし、アフロダイじゃバッタも一撃で倒しきれなかった。ベルゼルートがいなければバッタのミサイルで学校ごと潰されて終わりだった可能性だって高い。物語上の演出にそういう突っ込み入れるのは野暮だけどさ。

あ、さりげなく薬用石鹸のセリフ潰しちった。でもまぁいいか、どうせこいつ主人公だし、どう転んでも巻き込まれるっしょ。もうどうにでもなぁれ♪

でも三人娘を弁護してる内容だからか僅かな期待の視線を感じる。おっとりした金髪から特にキラキラした眼差しが!こっちみんな。融ける。

「それについては感謝してるさ。でも、これからも戦い続けろなんて無茶苦茶だろ。せめて俺でなきゃいけない理由を聞かなきゃ、納得できるもんじゃないんだよ」

「それも正論っちゃ正論やね。ま、ここで喚いたってどうなるもんでも無いんだしさ、大人しく教授を待っとくのが正解じゃない?」

言いきって、残っていたジュースを飲み干し、頭の後ろで手を組んでテーブルの上にドカッと脚を乗せ寛ぐ。ヅラは口を閉ざし、グリニャンは黙って何かを考え込んでいる。アンテナが立ってないから電波を受信できていないと見た。

電波はその内なりを顰めるけど、好感度上げないとお姉さんキャラにならねーってのは致命的な欠点だよな。途中で口調も変になるし。幸い機体はベルゼルートだし、その内好感度は嫌でも上がっていくだろ。機体との相性も抜群だし。

ダイナミック出身の二人組は不思議そうな顔であたしを見ている。堂々とし過ぎるあたしの態度に恐れをなしたのかな?かな?変な追及が無いのでなんでもいいや。

ちなみにあたしにセリフを遮られた石鹸は、何か言おうとしても上手く理由としてくみたてられないからか、不完全燃焼といった表情で引っこんでいる。やっぱり勢いが命のキャラを止めちゃだめやね。

「お疲れさま、そっちも大丈夫だったみたいね」

「兜、そいつらか。例の連中は」

微妙に静まり返った室内にドアの開く未来的な音が響き、部屋の中に二人の男女が入ってきた。エキゾチックな褐色の肌の美女と精悍な顔つきのいかつい男だ。

えーっと、なんとかジュンと剣鉄也、だよね。プロの方はあまりにも有名だけど、もう片方はあんまり印象に残らないなぁ。なんか、ゲームではずっと二軍だった気がする。機体の名前も思い出せない。

クリア直前のデータが残ってるから見れば分かるんだけど、ここでDS取り出すのもなんか不自然だよね、まぁ合流は後だから気にする必要は無い、かな?

「あ、鉄也さんたちも戻ってたのか」

「あの程度の機械獣ごときに手こずるグレートじゃない。それにしても……」

ヅラと三人娘、そしてあたしを見て、フン、と鼻息。

「兜と一緒に木星トカゲや機械獣を倒したのが、こんなやつらとはな」

プロのセリフにヅラがどこか不満そうな顔をするが特に反論はしない。まぁ、別にパイロットとしての誇りとかそんなのがあるわけでも無いだろうし、こんな奴呼ばわりが気に食わなかったってだけか。

でも、あたしは反論した方がいいのかな。でもそこまでこだわりがある訳でも無いし、いやいやお兄さんを馬鹿にされたようなもんだから多少は気にした方がいいのかな?あ、ここにお兄さん居ないや。ならいいかな。

続いてまたもドアが開き、白衣のひげ――弓教授が入ってきた。その後ろにはお兄さんも――居ない。

「あ、お父さま」

そうお父さま、出番が少ないけど弓さやかのパパさん。じゃなくて、お兄さん、どこ?

「やはり連合軍と東アジア共和国政府の双方から、彼らに関する問い合わせと、引き渡し要請がきているそうだ。いずれはここへも直接踏み込んでくるだろう」

「だと思ったぜ。あのままだったら軍に追いかけられてたな」

「それで甲児くん、さやか。少しは事情を聞かせて貰ったのかね」

その後、事情の説明が終わってもお兄さんはあらわれませんでしたとさ。なにやってんのさ、お兄さん……。

―――――――――――――――――――

光子力研究所の廊下を歩き、案内の矢印に従いながらミーティングルームに向かう。

「いやっは、こりゃこりゃまたまた」

途中で窓の外をマジンガーZ似の機体が飛んでたからもしやと思ったが、まさか本当にグレートだとは。これも日頃の行いが良すぎるからだな。トイレと偽って別行動をとらせて貰って正解だった。こんな早くにグレートの複製を作れるようになるなんて幸運にも程がある。

格納庫の場所は来る時にボウライダーを入れたから当然知っていたし、監視カメラの類もうまいこと誤魔化せた。人に見られても認識阻害の魔法で『居ても不自然ではない』と思わせたから問題なし。

ああでも、遅れた理由とかどうしよう。弓教授にはトイレがどこにあるかわからなかったとか道に迷ったとか言っておけばいいとして、美鳥は怒ってそうだ。甘いものでご機嫌取りしとくか。

監視カメラが周りに無いのを確認して、大きめのケーキを箱ごと複製する。ついでにプチケーキが入った箱も複製、こっちは美鳥にやる分とは別の特別仕様。これが後々利いてくるといいな。

「どうも、遅れて申し訳ありません。話合いは終わりましたか?」

ミーティングルームに入ると、なにやら暗い雰囲気、多分BGMで言えば東方不敗が死んだ時とか、そういう悲しい雰囲気の場面で流れる曲が似合う空気だ。

追い詰められた雰囲気の主人公君が部屋中の人間に見つめられている。これはプレッシャーがかかる。ちなみに教師が学生を職員室に呼び出して指導するのもこれと同じようにプレッシャーをかける為だとか。

つまりこいつは今まさに周りに味方が一人もいない訳で、しかもうろ覚えの原作知識では鉄也やジュンやらに戻っても軍に拘束されてしまうので元の生活にはどちらにしろ戻れないと説き伏せられたところだろう。

「あ、お兄さん!」

テーブルに足を乗せつつ居心地の悪そうな顔でストローを咥えていた美鳥が、ぱぁ、っと笑顔になりこちらにてててっと駆け寄ってきた。こいつもこうしていれば小動物属性臭いんだけどなぁ。

そんな事を考えていると、速度を落とさず俺のみぞおち目掛けて頭からダイブ、しかし遅い、俺に当てたければせめて新幹線程度の速度は欲しい。突撃してきた美鳥を片手でキャッチ、そしてアイアンクローで持ち上げる。

「ぎゃぁ割れる。お兄さん、ちょっと遅すぎだよ。どこいってたん?」

ギリギリと頭を掴まれ持ち上げられつつも自然な態度で聞いてくる美鳥、痛覚切りやがったなコイツ。つまらないので地面に下ろす。

「ちょっと道に迷ってな。で、そこの少年少女らもナデシコ行きで?」

「あ、あぁ、まぁそんなところで決まりそうだけどな。それよりその箱は何が入ってるんだ?」

甲児が戸惑いながらも返事をしてくる。遅れてきていきなり妹(という設定にしてある)とこんな状態では戸惑いもするだろうが、そこはなんとかスルーしてくれるようだ。

「いやなに、みんな頭使って話し合っているだろうと思いまして、糖分の補給を」

テーブルの上に片手に持っていた箱を置き開け、ケーキを取り出した。空気をひたすら読まずに動いているお陰でみんなの注目は惹けた。

喜んで食べる人も居れば警戒して食べない偉大な勇者もいるが、なにも全員が食べてくれる必要は無い。ちらりと視線を三人娘に向けると、目の前に出されたケーキに最初は恐る恐るといった様子だったが、一度口にしてからは美味しそうに食べてくれている。三人の前にだけさりげなく置かれたプチケーキも。

やはり美少女には笑顔が似合う、甘いものは心の隙間を埋めてくれるって誰かが言ってたがこれが正にそれだな。などという善意でこんなことをしている訳では無い。

うん、そう、『計画通り……!』なんだ。済まない、仏の顔もって言うしね。謝って許して貰おうとも思っていない。

でもその不思議ナノマシン配合ケーキを食べたからには、君たちはきっとどの世界の技術でもそうとわからないだろう巧妙な『思考誘導』を受け続けてくれると思う。

殺伐とした世界観でありながらどこか生ぬるいこのスパロボ世界の中で、そういう処置を施されてしまう犠牲者であって欲しい。そう思って、そのケーキを君たちの前に置いたんだ。

じゃあ、原作沿いの旅を始めようか。

―――――――――――――――――――

回想終了。そう、そういえばそうだ。はいはいメメメが原作以上に甘味好きになったのも恐らく洗脳の副作用ですよ。文字通りの自業自得ですよ俺が悪うございました。

俺の横でケーキを食べながら歩いているメメメを横目でちらりと見つつ自己嫌悪に陥る。いやでも、必要な処置だったし仕方ないといえば仕方ない。

問題となるのはサイトロンが見せるビジョンだ。もし将来的に俺が主人公チームに何らかの害を与えるビジョンが見えて、それを密告されたりすると全て信じるかどうかは別として警戒されて融合捕食がやりにくくなる。

まずはこれを防ぐ為に三人娘の思考を弄って、俺や美鳥に対して警戒心を抱きにくく、それでいて馴れやすくする必要があった。それなりに親しくなっておけばそういうビジョンが見えても何かの間違いだと考えてくれる筈。

三人娘に投与されたナノマシンは初期は直接脳の信号を弄って思考をそういった方向に誘導するが、徐々に脳細胞を直接作り替え、プラス評価を強く印象に残し、マイナス評価を忘れやすくする都合の良い物にしてしまう。

そしてもう一つ。光子力研究所で取り込んだは良いものの上手く動かせないと感じたベルゼルートを動かすためには、今の段階では唯一サイトロンに適応している実験体である三人娘の身体の構造を調べる必要があった。

脳以外の部位にも散らばっているナノマシンが、ベルゼルート操縦時の三人娘の身体を分析し、サイトロンコントロールに必要な要素を俺に伝えてくれるという寸法なのだ。

よくよく考えなくても悪魔の所業だろうがそんな事はどうでもいい。ここで問題にしているのは何故このメメメだけにこんなにも変な副作用が出ているのかということだ。

これは美鳥から聞いた話なのだが、メメメが他の二人に物欲しそうな視線を送り、二人の分のケーキを少づつ分けて貰っていたという。

多分、というか間違いなくこれが原因の一つだとは思う。やっぱり動物実験で犬と熊に使っただけなのにいきなり人間に使うもんじゃないか。

たしか、保健所で貰って来た人間不信の犬に投与してみた時はナノマシンの数が多すぎて、餌やって頭撫でただけでとんでもない忠犬になって、次に近所の森の熊で試した時は少ない数のナノマシンを段階的に投与していって、金太郎ごっこができるようになるのに一月掛かった。

今回は早めに懐かせたかったから中間くらいの量にしたんだが、まさか他の人の分まで食べるとは思わなかった。二人から半分ずつ分けて貰ったと考えても今メメメの体内に存在するナノマシンの量は単純に二倍、警戒心はほぼ0と言っていいレベルまで下がっているだろう。

逆に盛られたナノマシンの量が少ない二人は馴れるとまではいかないが、普通に仲間の一人として接して来る程度だ。あ、そう考えると元の量からして多すぎたのか?

しかしこの即効性、場合によってはいきなり好感度マックスな感じにもできてしまうかもしれない。まさに悪魔の発明、ニコポや撫でポの比では無い。脳に直接作用するナノマシンポとか生々しすぎて発禁ものだ。

このトリップが終わったらせめてサルかチンパンジーで実験を再開しよう。そんな事を考えながら、コンバトラーチームと話し込んでいる甲児達に合流すべく脚を動かし続けた。

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○月×日(無人兵器からビームの雨時々ミサイル、しかし全てDFを抜けられない程度の威力)

『ナデシコに乗り込んでから暫らく経ち、そろそろ火星に到着するかしないというほど地球から遠ざかると、流石に姉さんが恋しくなってきた。荷物の中に仕込んでおいたアルバムを見ようと思い立ち鞄の中を漁っていたらこの日記帳を発見したので航海日誌というものを書いてみる』

『地球圏を脱出する際に軍の追撃を受け、初の宇宙戦闘の実戦を体験したが、トレーニングルームで散々練習したので全く問題は無かった』

『とはいえ、そんなことはこのロボの操縦にかけては天才揃いと言ってもいいスーパーロボット軍団では自慢にもならない。軍の人達だって訓練を積んだプロフェッショナルだろうにあっさりと倒せてしまったのは機体の性能差か指揮官の有能さか。まぁそもそも指揮らしい指揮は受けていないのだけども』

『そういえばその時にふと気付いたのだが、軍のデルフィニウム、そしてこのナデシコに搭載されているエステバリスにも使われているIFSがあれば馬鹿正直にナチュラル用OSを組む必要は無いのでは無かろうか』

『とりあえず投薬やらなにやらで神経加速するよりは、注射一本で思い通りに動かせるようになるIFSの方が格段に優れている筈だ。三馬鹿なんて作ってる暇があればIFSでMSを動かせるようにすればいいと思うのだが、そこのところには俺の計り知れない何かが働いているのかもしれない』

『暮らしてみて実感が沸いてくるスパロボ世界のちぐはぐさ。ゲームで見ている分には面白いが、実際に暮らしてみるとそこら辺の矛盾というものには胸がもやもやとしていけない』

『そんな気分になってしまった時にはボウライダーのコックピットでみんなと一緒にシミュレーションだ。最近は主人公君、いや統夜も積極的にベルゼルートの扱い方を知るために積極的に動いているようで、飯時や非常識な時間帯でなければ大概は相手を見つけることができる』

『そういえば統夜が積極的に訓練を積むようになる少し前に、なにやら落ち込んでいるメメメを廊下で見かけたので、例によって例の如く拾ってお菓子を与えて元気づけてみたのだが、なにやらその事に関してカティアとテニア、そして統夜に感謝されてしまった』

『人から感謝されるのは悪くないのだが、別に善意のボランティアでやった訳ではないので少し困る。俺が三人娘に投与した洗脳・観測ナノマシン、メメメは特に量が多く、詳細なデータを得ることができるので度々データを回収する為にはこういう気配りだって必要なのだ』

『実験用のマウスだってかわいがってやった方がいい結果を残してくれると樹教授も言っている。いや、ここまで露骨な表現だとなにやら不穏当な話をしているように思えてしまう。なにかもっと柔らかい言い方は無いものだろうか』

『では、そろそろ火星に到着する頃合いだろうし、ここらで筆を置いてボウライダーとスケールライダーの調整をしにいこうと思う。機会があったらパラディンもさりげなく作って置いておきたいものだ』

―――――――――――――――――――

ナデシコ格納庫、俺は美鳥と共にボウライダーとスケールライダーの調整を行っている。スケールライダーの調整は終わったのであとは俺のボウライダーの調整だけだ。

「オルゴンエクストラクターは?」

「データが少ない、予備の動力程度にしかならん。あと、サイトロンとの繋がり方がいまいちわからん、暫くはただのお守りだな。そっちは?」

「あたしもダメ、サイトロンってのは何となく掴めて来たんだけどね。まぁ今のところはこんなもんじゃね?」

「仕方ないね……」

調整と言っても普通に計器の調子を見たり内部部品のチェックをする訳では無い、俺がコックピットに乗り込み装甲に包まれた中身の機械部分全てに融合、内部の機械部品に破損があれば破損パーツを取り込み正常なパーツを複製して置き換えるというやり方だ。

ウリバタケさんら整備班の方々には極めて高度なセルフチェック機能があるからあまり弄らなくていいと伝えてあるが、なにやら逆に興味を持たれてしまっている気がする。世の中とはままならない。

実際、あまり中身を覗かれるのは困るのだ。この強化ボウライダー、外見こそ変わっていないが、最初に積み込んだ時とは別モノになってしまっている。

構造材はすでに粗方超合金ニューZに差し替えてあるし、ブラスレイター世界の反重力推進装置を、複製できるようになったエステバリスやナデシコのものを参考に強化、次いで大気圏外での戦闘時に使う為に超小型で高性能になった相転移エンジンを搭載。スケールライダーも似たような改造を施されている。

改造しすぎな気もするが、これでもかなり自重したつもりだ。もし誰の目も気にする必要が無いなら、ボウライダーは両手の速射砲からグラビティブラストを連射しながらディストーションフィールドを張りつつ突撃して超電磁スピンで敵戦艦のどてっぱらに風穴を開ける超兵器になっている所だ。スケールライダーが人型に変形してピンポイントディストーションフィールドパンチを繰り出すのは言うまでも無い。

「ま、外から見た変化は無い訳で、そうそうバレるもんでもないっしょ」

「でもこないだウリバタケさんに突っ込まれたぞ。『被弾した時の破損が減ってるが、なんか改造でもしてんのか?』って」

どうせなら俺にも一枚噛ませろよ、とも言っていたが丁重にお断りした。それはもうお断りの途中で宙返りするほど徹底的にお断りだ。ナデシコ原作のエクスバリスの二の舞にはなりたくない。

あの手のマッドが開発した超兵器は必ずどこかで故障するんだ。西博士とかも技術はすごいが決して自分の機体を弄らせたい相手では無いだろう。流石にウリバタケさんを西博士と同列に扱うには違う気もするが、単なる比喩表現だから深く考えてはいけない。

でもフィールドランサーとかは上手くいってるから、細かい物なら任せてみるのもイイかもしれない。パラディンでも渡してみれば面白いものを作ってくれそうだ。

全てのチェックが終わったのでボウライダーのコックピットから出て格納庫を見渡す。明らかにエステバリスを整備することを念頭に置いている格納庫だが、どういう訳か20メートル程度のマジンガ―もキッチリ収まっている。コンバトラーは流石に合体前の状態だが、それでも狭く感じない。

ナデシコ世界でなくスパロボ世界なので大きな機体も積み込めるようにオリジナルのナデシコよりも広めにスペースをとっている可能性もあるが、ゼオライマーとか来たらどうなってしまうんだろうか。あ、でも分離できるんだよな。50メートルを半分だからマジンガ―より少し大きい程度。意外と入らないでも無いのかもしれない。

ボウライダーの頭部から飛び降り格納庫から出て、廊下を美鳥と並んで歩く。しかし、日記も今日の分は書いてしまったし整備も終った。

「あー、整備終わったからもう本気でやることが無い。暇だ」

姉さんのアルバムも一気に全て見直してしまうのは勿体ない。レクリエーション施設でなんか無いかなぁ。考えていると美鳥に上着の裾を引っ張られた。

「じゃ、食堂に飯でも食いに行かない?」

食堂かぁ、それも悪くないけど。

「意外とここの自販機の照り焼きバーガーが美味くてなぁ」

自販機販売なのにモス並の美味しさ。いや、マックも好きだけど、高級感があるというかなんというか。

元の世界のパーキングエリアとかに置いてある食い物系の自販機のような、微妙にしょんぼりする微妙な出来のものではない。あれとはものが違うのだ。気にならない訳が無い。

「お兄さん、意外とジャンクフード好きだよね。普段は超自然食の割に」

「普段は自然食だからこそだと思うぞ。何だかんだで食事とる回数は食堂のが多いし」

実家だとジャンクフード食べに行くにも電車で二時間以上掛かるから、ここまでお手軽に食べれるとついつい手が自販機に伸びてしまうのだが、パイロット同士の付き合いで訓練後に一緒に食事をとる機会が多いので自然と食堂に行く回数は多い。

まぁ、飯時だからそれなりに人がいるだろうし、世間話でもして時間を潰すのが吉か。

―――――――――――――――――――

でんっ、とテーブルの上に器を乗せる。今日はなんだか麺類な気分だったのでトッピングで様々なバリエーションが楽しめる温かい蕎麦にしてみたのだ。蕎麦の上にはあぶらげにワカメに卵に山菜にコロッケに天ぷら各種にその他諸々、とりあえず食いたい物を片っ端から盛って貰った。

盛って貰う時に揚げ物系を後から乗せて貰う事により、汁の中に沈んでしっとりと味がしみ込む部分と、汁の上にはみ出して汁気を吸わずにサクサクのままの部分の両方が残り、揚げ物を倍楽しむことが可能となる。

「うわっ、なんだそれ……」

「うわっ!なにそれかっこいい!」

「かけそばのトッピングほぼ全部載せ。いやー、多目にトッピング頼んだら何品かおまけしてくれてな」

トッピング増し増しの蕎麦を見て、統夜とテニアが発音は同じなのに全くニュアンスの異なる『うわっ』という言葉を同時に口にした。前者は明らかに乗せ過ぎで無茶苦茶な食い合わせに引き、後者は一つの器にこれでもかと乗せられた数々のオカズに興味津津である。

普通はこんな食い方はしないからリアクションとしては統夜の方が正しいのだが、テニアのリアクションは羨望の眼差しと併せて心地いい。別に受け狙いでやった訳では無いがそれはそれこれはこれ。

しかしこれはオカズがかさばり過ぎて蕎麦までが遠いという欠点もある。早く蕎麦に到達しないとグニョグニョにのびてしまい勿体ない。一部オカズを先に食べ、蕎麦を取り出す隙間を空けなければならない。

手始めにワカメの上に配置されてコロッケの征伐にかかる。噛んだ瞬間にザクッという音をたてるコロッケ、ザクッザクッといい歯ごたえの衣と、中のジャガイモやひき肉、コーンなどを使ったシンプルな味の具が汁気にマッチしてとてもいい。

一気にコロッケ終了、コロッケの下に隠れていたワカメを少し掻き分け、蕎麦と一緒にズゾゾッと一気に啜って食べる。少し柔らかめの麺だが、それをワカメの歯ごたえが補ってくれる。このワカメ、多分乾燥じゃないな。どうやって保存してるんだろう。

どんなトッピングの組み合わせでも美味しく頂けるように蕎麦の茹で具合や汁の濃さも調整されているのかもしれない。箸が進む、これは直感に従って正解だった。

しばらく食べているとごくりと生唾を飲む音が耳に届く。顔を上げるとテニアが厨房の方へ駆け出して行く姿が。

「わたしも蕎麦注文してくる!」

なんて単純な奴だ。こういう奴はグルメリポート番組とか見ると番組終了後にすぐに似たようなものを近所の店に探しに行くんだよな。近所にその店があるなんて状況だったらすぐにでも脚を運んで同じメニューを頼んでみたり。

厨房へと走る後姿を呆れた顔で見送った統夜が、ふと何かに気付いたようにこちらを向いた。

「美鳥ちゃんは一緒じゃないんですか?」

「ん?美鳥が気になるのか。なんだ惚れたか?ロリコンとは頂けないな」

「違う!そうじゃなくて、大体いつも一緒に居るでしょう?さっきも入ってくるまでは一緒だったし」

「いっつもいっつもひっついてる訳でも無いけどな。美鳥はあっちで遊んでるよ」

食堂の一角、やけにどたばたと騒がしいスペースを指差す。先に飯を食べ終わっていたコンバトラーチームが駄弁っていたのだが、それを見た美鳥が、ちょっと確かめたいことがあると向っていったのだ。

「ほーらほら関西人、この匂いがダメなんだろ~?」

「ぬわ臭っ!納豆こっちに近づけんのやめぇ!ちょ、ま、ホンマに勘弁してや美鳥ちゃん!」

美鳥が納豆を掻き混ぜながらコンバトラーチームの十三を追いかけまわして遊んでいる。やはり昔の作品のキャラはコミカルな追いかけっこが様になる。絵柄――もとい人柄の問題だろうか。

しかし遊ぶのは構わないが、追いついたらどうするつもりなのか。無理やり食べさせるのか?まさかぶっかけるとかはあるまい、十三の納豆ぶっかけ画像とか誰が得をするっていうんだ……。

因みに豹馬はそれを見て助けに入るどころか指を指して腹を抱えて笑っている。薄情なのではなく信頼しあっているとかそういう解釈でいいんだろう。

「あれ、止めなくていいんですか?」

向かいの席で月見うどんをすすっていた統夜が俺に遠慮がちに聞いてきた。カティアは統夜の隣でごくごくありふれた定食を食べている。そういえばこいつだけ食べ物ネタを持っていないな、実は味音痴とかあったらキャラとして美味しいのに。

テニアはまだ戻って来ない、蕎麦に何をどれだけ乗っけるか迷っているのだろう。基本この二人が統夜の両脇を固めている。両手に花と言う人も居るだろうが、逆に身近に同性が少ないと不安を覚える年頃でもあるらしく、度々甲児やら豹馬を誘っている。

まぁ、大体の場合において甲児はガールフレンドであるさやかと一緒に食べているので、女だけに囲まれているのとはまた違った居心地の悪さを感じるだろうが何事も妥協は必要だ。

そういった訳で、殆ど気がねなく飯を一緒にできるのがコンバトラーチームか俺と美鳥だということらしい。そうでなければ一人で食べるかだが、流石にそこまでさびしい選択肢は選ばないのが主人公らしさと言えるだろう。

今回は食堂に入った時点で先に注文を決めていた統夜達に見つかり同席しないかと誘われた、というのが今回のあらすじ。それなりに混み合っていたので席を取っておいて貰ったのだが、美鳥の席は無駄になりそうだ。

「いいんじゃないか?ああやってコミュニケーションをとってれば仲間意識が芽生えてくだろうし」

というか、関西人が本当に納豆を嫌いかどうか試したいとかどうとか言っていたが、実際に近づけてみるとその嫌がりようが面白過ぎたというのがあの追いかけっこの原因だろう。リアクション能力の高さが仇となった瞬間である。

身体能力的に美鳥もトンでもになっているから捕まえられない訳は無いし、今はどのタイミングで捕まえるのが面白いか考えながら追い詰めて遊んでいる、ネズミを弄る猫のような状態だ。どうせ十三のリアクションに飽きるか捕まえるかすれば戻ってくるだろうし気にする必要も無い。

「美鳥ちゃんって納豆食べれるんですね。わたし、ああいうネバネバしたのダメだから――」

隣の席でケーキ各種を美味しそうにぱくついていたメメメがずれた発言を――

「ちょっと待った、飯それだけ?」

「そうですよ?」

『それがどうかしました?』とでも言いそうな顔。メメメから視線を外し統夜を、続けてカティアを見る。二人ともから視線を逸らされた。

「ちゃんとご飯を食べるように言ったけど……」

「甘いものを大量に食べないと最近は暴れ出しそうな勢いで……」

気不味そうな表情で言い訳?をする二人。いや、別に責めてるわけじゃないんだが。というか、これももしかすると洗脳の副作用かもしれないと考えれば責める筋合いはない訳だし。

不思議そうな顔でやり取りを眺めていたメメメに、通じるかどうかはわからないが説得を試みる。糖尿になって出撃できなくなりましたとかなったらデータを取ることが難しくなってしまうしな。

「メルアちゃん、普通のご飯は食べないのか?」

「いいんです。女の子は甘い砂糖で出来てるからお菓子だけで生きていけるんです」

なんというファンシーな言い訳。ついこの間まで月で実験体やってたのになんでそんな言い回しを知っているんだ。

「そう美鳥ちゃんに教えて貰いました」

統夜とカティアの視線が一斉に俺に向く。すかさず視線を明後日の方角に逸らし回避。連帯責任というか、保護者である俺の責任になるかそうか。いや大丈夫、まだ逆転のチャンスはある、慎重になれ俺。LP三倍差の状態から逆転でアチーブメントを狙うんだ。

「そうか、じゃあ、ここで食べれるならもうお菓子あげなくてもいいね?」

「え…………?」

かしゃん、という音を立ててメメメの手からフォークが落ちる。その音は喧噪に包まれた食堂の中であるにも関わらず不思議と耳に大きく響いた。

青ざめた顔を通り越して顔面蒼白のメメメが、しばしの沈黙を経てゆっくりと口を開く。

「え、え?なんでですか?だって、卓也さんのお菓子、ケーキとかチョコとか、他にもいっぱい、まだ教えて貰っただけの食べたことのないお菓子もあるのに、そんな……」

焦点の合っていない瞳、視線は不安定に揺れ、唇は震え言葉も途切れ途切れ。心なしか肩も小刻みに震えているような。うむ、見事に洗脳の効果が表れ過ぎているな。

ナデシコに乗ってから毎日15時程に定期的にお菓子で餌付けを行っていたおかげで、俺の出すお菓子に特に強い依存症を起こしている。しかしいくらなんでもこれは行き過ぎだ、絶対にその内アップデート用のナノマシンを作ろう。

「ここで食べれるなら俺が作る必要は無いよね?それに、おやつってちゃんとご飯食べて、それで物足りなかった時に食べるものだし。ちゃんとご飯食べないなら要らないと思うなぁ」

「食べます!ちゃんと普通のご飯も食べますから、だから、だから……!」

じわりとメメメの目が潤む。統夜とカティアからの視線に批難するような感情が混じりだしているし、そろそろ〆に入ろう。

涙目のメメメに猫撫で声で優しく語りかける。表情も意識して極力優しそうな、慈悲に溢れる教会の牧師のように。或いは上手く契約を取り付けることに成功した詐欺師のように。

「よしよし、泣かない泣かない。これからもお菓子あげるから、ちゃんとご飯の時間には普通の食事をとるんだよ? 」

「は、はい!」

涙をぬぐいながら力強く頷くメメメ。ここですかさず言う事を聞いたご褒美をあげることでスムーズにマッチポンプが成立。マッチポンプで合ってるのかこれ?まあいい、ポケットから飴を取り出しメメメの前に差し出す。

「良い子だ。さぁ、ご褒美に飴ちゃんをあげよう」

「はい!あー……ん、おいひいれす……♪」

口を開けて待つメメメの口に直接飴を放り込む。口に入った飴を蕩ける様なうっとりした表情で舐め回すメメメ。着々と警戒心は解かれていっている。

これにて一件コンプリート。反省したメメメはこれからちゃんとしたバランスのとれた食事を取るようになるだろう。しかし、統夜とカティア、そして何時の間にか遠巻きにこちらを窺っていたギャラリーからの視線はなんだか納得できてなさそうな微妙な視線だった。

―――――――――――――――――――

○月■日(晴天なり、多分後からグラドスが降るでしょう)

『何事も無く、とは行かなかったが火星に無事到着。少し前に木星蜥蜴の無人兵器が襲って来たが、まぁここまでは相手も様子見のようなものなので楽勝だった』

『少し前にブリッジでこの星は狙われている発言を聞いた。ロリウェー、行き先はロリウェー、遥か彼方のイエスロリコン、ノータッチ。ロリロリ煩い奴らだ、ボウライダーの荷電粒子砲でなぎ払ってやろうか』

『火星編はここからが本番と言える。これから戦うことになるグラドスについてだが、ここはまぁ細かく言及する必要は無いだろう。自宅のトレーニングルームで飽きるほど相手にしたし、比較的すばしっこい相手だが捉えきれないほど速いという訳でも無い』

『本題に入ろう。生き残りを探しにこれからユートピアコロニーへ向かう所だが、グラドスが攻めてくる前にそこで手に入れておきたいものが存在する。この火星でしか手に入らないものだ』

『後々不必要になるものではあるが、どうせすぐ壊れて無くなってしまうモノ、資源は有効に活用しなければいけない。無駄にしない心がけが大事だとルーが、ルーがやれって、俺は、俺は悪くねぇ!とか書いておくと後々精神的に成長できたりするかもしれない』

―――――――――――――――――――

明かりの少ない地下シェルター、その中でも特に暗い、コンテナの陰になっているスペースに耳障りな異音が響いている。何かを舐め啜りしゃぶり、ゆっくりと噛み砕くような捕食音。締め付け貫き、ごりごりと磨り潰す尋常為らざる非日常の音。

ずるり、ぐち、ぎちぎち、ぎちぎち、ず、ず、こり、ぽき、ぐじゅぅ

久しぶりに聞くこの音、そういえばこういう触手として真っ当な使い方をする機会はあまり無かったな。

「あ、ぁあぁあぁぁ、ぎ、ひ、ゃ、らぁ……」

やはり触手を使う以上は生き物を捕食するのが一番自然だと思うんだがどうだろう。だってほら、こんなによだれやらなにやらよくわからない液体やらを垂れ流しつつ喜んでくれてるし。

全身の細胞への融合同化なんて本来常人ならショック死しかねない痛みが伴うものなのだが、脳味噌に先に少し細い触手を指して感覚を変換している為、ショック死しないが気が狂いそうなほどの他の感覚を得ているはずだ。

どんな感覚かはご想像にお任せする。ただ、この人はこれから俺に取り込まれてこの世から消えてしまう訳であるからして、最後にいい思いをさせる程度の仏心は備えていると言っておく。

「――っ――!ご、お――ほぉぉ――♪」

「良かったなーあんた、これで目出度く地球にいけるよ。他の人に内緒で抜け駆けした甲斐があるってもんじゃない?まぁ地球に行くって言ってもお兄さんの一部に還元されてだけどね」

触手と半ば融合し始めている獲物の肩を叩きながら美鳥が笑顔で話しかける。あ、馬鹿、今下手に刺激を与えるとまずいんだって。

肩を叩かれた相手が身体をぶるりと震わせた。俺は素早く触手を突き刺した獲物の口に柔らかい触手をねじ込む。

「ん、ンんnんnhs2<*`-!”#――――!」

獲物は触手に口をふさがれたままくぐもった言葉になっていない叫び声を上げ、ぐりんと白目を剥いて気絶してしまった。

「感覚が過敏になってるから触るなって言っといたろ?」

「この場合『触るな』は『触れ』じゃね?ていうか、そろそろ引き上げないと怪しまれるよ流石に。他のみんなが近づいてきてるし、そろそろ退散しなきゃ」

美鳥の言葉を受け急いで触手から獲物を取り込む。衣服の類も丸ごと取り込んでしまったが別に支障はない。触手を格納して何食わぬ顔で他の連中と合流した。

「すまん、こっちは駄目だった。そっちはどうだった?」

「そっちもだめだったか……」

合流したアキトや甲児、豹馬などに嘘の報告。やはり他の場所では地球に帰りたがっている人間は見つけられなかったらしい。さっきの人を見つけられたのは幸運だった。

「せっかく火星まで助けに来たってのにこれじゃなぁ」

「木星トカゲだってなんとかできるって言っても信じてくれないし……」

「なーに、実際に目の前で倒して見せれば気が変わるさ」

「うんうん」

見事なプラス思考だ。厳しい戦争の中で心を病まないままでいる為にはこれくらい楽天的な方がいいのだろう。適当に相槌を打ちながらナデシコへ戻る為に各々の機体に搭乗する。

イネスさんをナデシコに迎える傍ら、みんなでナデシコに乗りたがっている人が居ないか探していたのだが、俺と美鳥は運良く周りの空気を読まずにナデシコに乗りたがっている若い女性を見つけることができた。

しかし流石に自分だけがここから出て生き残りたいなどと他の大多数の前で言えるほど肝は太く無かったようで、俺と美鳥を人気のない場所に連れ込みこう言った。

『こんな侵略者に溢れた危険な星に居られないわ、私一人でも地球に帰らせて貰うわよ!』

見事な死亡フラグである。当然の事ながら罠であり、この女性は既に俺の腹の中。A級ジャンパーの生体データを俺に提供してこの世を去った名も知らぬ女性には感謝してもしきれない。

そもそもナデシコに乗りたがっている人を探しに行くというのも適当に火星生まれ火星育ちで、なおかつこの後ナデシコのディストーションフィールドに押しつぶされる人を適当に取り込んで置く為だったのだ。

一人でもナデシコに乗りたがっている人が居るならとりあえず先にその人だけでも連れてくるべきだ。そんな俺の言い訳的発言を聞きつけた一部連中が勝手についてきた時は焦ったが、どうにかこうにか上手いこと他の連中と離れて行動できた。

まさか連中も自分たちが助けようとしたその一人が、自分たちの仲間に食べられてしまったとは到底考えもつくまい。そうしてナデシコに戻りグラドスとの戦闘が開始され、ここは押しつぶされて証拠は残らない。

これでいざという時の回避方法が手に入った。俺の身体が生き物として判断されるか無機物として判断されるかわからなかったので、念のために居なくなっても誰も気付かないA級ジャンパーを取り込んでおこうという計画は何の問題も無く成功したことになる。

スイーツ(笑)とかつけてしまいたくなるほど呆気なく成功してしまった。俺か美鳥の精神コマンドに幸運が無いのが不思議な位だ。後々手痛いしっぺ返しを食らわないか少し不安になるが、今からそんなことを気にしても仕方ない。

あとはCCが必要だけど、これはその内ナデシコに持ち込まれるからどうとでもなるかな。いざとなればチューリップの破片を回収して使うのもありかもしれない。確か人工のCCと違ってオリジナルのチューリップは使っても無くならないんだっけ?どっちにしても複製を作れるから心配する必要は無いか。

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△月◆日(ザフトが降ってくる予定だけど、できれば遅れてきて欲しいなぁ)

『地下シェルターに隠れていたA級ジャンパーをこっそり取り込み、何食わぬ顔でナデシコに戻った。艦長に地下の施設ごと証拠隠滅を行って貰い、そのままグラドス軍との戦闘に突入。なんだかんだでチューリップの中に逃げ込み、提督と山田を生贄に捧げて見事に地球圏への生還を果たした』

『山田の仏壇――を作るのは面倒なので遺影――を飾ろうにも写真が無いので黙祷を捧げておいた。奴が生きるか死ぬかはこれからの主人公のルート選択次第だが、正直催眠術なり洗脳なりで主人公の行動を制御する気まんまんな俺が居る限り山田との再会はありえないだろう』

『山田は話してみればいいやつだった。奴が死ぬまでに、次郎という名前をジローと呼ぶと左右非対称ヒーローみたいでカッコいいという事に気付かせてやれなかったことだけが悔やまれる』

『まぁ逆にそこだけしか悔やむ場所が無かったとも言える。さらば山田、お前のことは忘れない』

『精一杯故人を偲んだ処で現在の状況だが、俺たちは今回初の接近遭遇となるラダムを見事退け、Dボウイのヌードを拝み、ナデシコはヘリオポリスに半舷上陸中した。俺と美鳥は待機組ということで残念ながら居残りで留守番だ』

『もしも俺が、せめて美鳥が最初の上陸組だったらばブラスレイターに変身して正体を隠して、そこら中を破壊して軍事施設を何としても見つけ出し、建造中のアストレイシリーズを全機複製できるように取り込んで、それでいてロウ達にも渡るようにオリジナルは残してこっそり帰ってきてホクホク顔でコレクションにしていたのは確定的に明らか』

『どうせバスターだのストライクだのは勝手に自軍に入ってくるのでその時取り込めばいいとして、記念すべきアストレイシリーズ最初の機体だし、能力の向上とかそんなのを抜きにしても欲しかった』

『欲しかったが、わざわざぬけ出してまでそんな真似をするのはリスクが高い――ああ、集団生活のなんと煩わしいことか!いちいち怪しまれないようにと行動に気をつけなければならないというのは中々にストレスが溜まる』

『交代まで待てば行けるんじゃないかなどと考えてはいけない、空気を読まないザフトが攻めてくるお陰で前半の待機組は船を下りて買い物をする暇もない』

『人様に迷惑をかけるなとは言わないが、せめて俺に迷惑をかけるのだけはやめてほしいものだ』

―――――――――――――――――――

「っと。こんなもんか」

日記帳を閉じてペンを置き、脇に置いておいた缶のお茶を一口。ホットのものだった筈だが、日記を書くのに時間をかけ過ぎたせいですっかり冷めてしまっている。

手を発熱させて温め直す。これは下手をすれば高温に缶が耐えきれず融けてしまうのだが、絶妙な手加減で熱さ60℃程度に調節完了。何故俺の精神コマンドにてかげんが無いのか理解できない程の見事な手並み。Jにてかげんの精神コマンドが存在しないのが主な原因か。それしか無いか原因。

そういえば精神コマンドを使うほど手こずる事が無いので今のところ気になってはいないのだが、こちらに来て最初に覚えた精神コマンドが『愛』で、次いで覚えたのが『覚醒』というのはどうなんだろう。

まるで俺の人生を現しているような分かりやすいラインナップではあるのだが、現状の最大SP量を考えるとここぞという時にしか使えないのが難点か。早く非常食を手に入れて複製できるようにしたいものだ。

お茶を手にぼーっとしているとコミュニケに着信、モニタを付けると煮え切らない景気の悪い表情の統夜の顔が映った。

「なんか用事か?俺は今暇で暇で仕方ないからどんな用事でも大歓迎だぞ」

「いや、俺、ここで降りるから、挨拶くらいはしていこうかって。……色々と、お世話になりました」

そういえばここで降りようとしてたんだっけか。しかしわざわざ俺のところにまで挨拶にくるとは律儀な奴。こいつとの付き合いって訓練とその後の飯と、あとはメメメの餌付けの時に一緒に居た位か?

「んー、気にすんな。仲間が助け合うのは当然なんだし。船降りても元気でな」

俺のセリフを聞いて意外そうな顔をする統夜。

「止めないんですね。卓也さんは」

「意外か?」

「メルアと仲が良いみたいじゃないですか。てっきり引き留めに加わるんじゃないかって」

どうせ降りる前に戦闘に巻き込まれる運命だから止める必要が無いだけなんだが。

「俺が止める必要は無いな。どうせ三人から引き留め喰らってたんだろ?なんとか撒いたところだろうけど、どうせ降りる寸前にまた引き止められるぞ」

「……俺だって、なんとかしてやりたいとは思ってるんですよ。でも――」

言葉を途切れさせ沈黙する統夜。二週間程度の付き合いとはいえ、もう無関係とは思え無くなってるってこの間三人娘にも言ってたし、色々複雑なんだろう。

「まぁ、まだ降りるまでもうちょい時間があるんだからゆっくり考えればいい。契約の解除とかもまだなんだろ?」

「そう、ですね。なんだかすいません、湿っぽくなって。じゃあ、お元気で」

「ん、じゃ、『またな』」

通信を切る。持ちっぱなしだったお茶の残りを飲み干して缶を握りつぶし、ビー玉サイズまで丸めてごみ箱に放り込み、掌を見る。見つめる掌からじわじわとクリスタル状のボックスがせり出してきた。

テッカマンの変身に必要なシステムボックス、Dボウイがナデシコに回収された時にさりげなく取り込んで複製したものだ。ボックスを掌で弄びつつ、なんとはなしに呟く。

「どこに行っても逃げようなんて無いんだけどな。そういう運命だし」

せめてカルビさんルートなら戦いには巻き込まれなかっただろうけど、そんなもしもの話をしても意味は無い。サイトロンコントロールもまだ習得し終えて無いし、せいぜい死なないようにフォローに回っておこう。

警報が鳴り響く、ザフトがようやくやってきたか。このまま運良く俺も上陸できないかなーとか密かに考えていたが、来てしまったならしょうがない、ジンを蜂の巣にしてストレス発散でもしようか。

―――――――――――――――――――

重斬刀を構え斬りかかろうとするザフトのジンに、マジンガーが両腕を向けた。熱い叫び声がスピーカーから響き、兜甲児の意思が恐るべき攻撃力を持って表現される。

「ロォケットパァーンチ!」

マッハ1.5で飛ぶ超合金Z製の拳を正面からまともに喰らい、胴体に風穴を空けられ爆発するジン。一般兵の量産型MSがスーパーロボットに立ち向かうなんて自殺行為なんだが、どうにも恐れを知らなさ過ぎる。

向こうでは倍以上も大きさの違うコンバトラーに果敢にも立ち向かう数機のジン。無反動砲や粒子砲で一斉攻撃を仕掛けているが、コンバトラーはほとんど無傷、反撃でVレーザーやヨーヨーを喰らって見るも無残な残骸に変えられて行く。

SPTやエステバリスなどの体格でMSに劣る小型機体はある程度まとまって行動し、互いに互いを援護しつつ的確に敵を撃墜している。この辺は見事な連携だ。

美鳥の駆るスケールライダーも、何故か弾切れしないミサイルやバルカン、レーザーをばら撒きながら敵陣を掻き廻し、運良く弾幕を掻い潜って来た機体も光刃で斬り飛ばし、縦横無尽に暴れまわっている。

「俺も気合い入れるか」

ボウライダーを地面から数メートル浮かばせ、滑るように移動しつつ両腕の速射砲から砲弾をばら撒く。超音速の砲弾に全身を食い破られ、穴だらけのスクラップと化す進路上の無数のジン。

遠距離では狙い撃ちにされると思ったのか、一機のジンが片手で突撃機銃を乱射しながら重斬刀を構え、激突しかねない勢いで突撃してくる。しかし、ジンの機銃程度ではこの強化ボウライダーに元から備え付けてあるバリアすら抜けない。

迫るジンを真っ向から受け止める為に速射砲を放り捨て、スクラップと化したジンの上に一旦着地。腕部に折りたたまれて格納されていたブレードを取り出し、頭上から振り下ろされた重斬刀へと叩きつける。

重量差、体格の違いで押しつぶしにかかるジンだが、内部フレームもしなやかかつ頑強になるように手を加えられたこの強化ボウライダーはビクともしない。ガワはほとんどボウライダーと変わらないが、馬力だってもうスーパーロボット同然なのだ、MS相手にパワー負けはありえない。片手のブレードで重斬刀を抑えながら、もう片方の手からボウライダー用に大型化したレーザーダガーを展開、コックピットを貫く。

パイロットを失ったジンがぐったりと動きを止める。それをレーザーダガーで貫いたまま片手だけで持ち上げ、レーダーを確認、背後から接近するジンが二機、速射砲を拾うのも面倒だしこのまま接近戦で押し通ってみるか。切れ味を増す為にブレード表面に超電磁フィールドを展開、レーザーダガーは使わないので消しておく。

先行している方のジンに、持ち上げていたジンを投げつける。MS丸一機分の質量をぶつけられたたらを踏むジン。反重力推進装置に背中のブースターも併用して高速で懐に潜り込み、股下からブレードで切り上げ、投げつけたジャンクごと真っ二つに切断。

ブレードに張られた超電磁フィールドが敵の装甲の分子構造を分解することにより、どんな固い装甲も豆腐を切るように切断することができる。ナデシコにはまだ乗っていない方の超電磁ロボの必殺技、これを使う為だけにブラスレ世界でICBM相手に追いかけっこしたと言っても過言では無い。

真っ二つになったMS二機が至近距離で爆発するが、バリアと超合金ニューZ製の装甲のお陰で傷一つ付かない。と、爆炎に呑まれた俺のボウライダーに止めを刺そうとしたのか、目の前にはもう一機、先ほど後ろから迫っていたジンの片割れが無反動砲を構えている。

発射、迫る砲弾、当たってもダメージはほとんど無いが喰らってやる義理も無い。空中に跳んで回避、そのまま前方に宙返りして接近、ジンの一つ目頭を踏みつぶし、更にそこを足場にして最初に速射砲を捨てた位置まで跳躍、着地。

カメラアイを潰されたジンを放置してブレードを格納、速射砲を拾う。ああもう、もしも人目が無いところでの戦いなら捨てた速射砲なんて拾わずにそのまま複製を作り出して使うのに。面倒ったらありゃしない。

頭を潰されふらついているジンに砲口を向けトリガーを引く。引きっぱなしで暫く放置するとジンは影も形も無くなり、跡には細切れの金属片が大量に散らばっているだけ。

やはりスカッと爽快な威力だが、いかんせん的が脆過ぎる。この『強化ボウライダー・J本編男主人公ルート六話までの技術ちょこっと反映バージョン』の速射砲は、毎分6000発の超合金ニューZ製の砲弾を吐き出す電磁力速射砲。給弾は俺がひたすら複製して行い、弾頭は回収して再利用されると厄介なので数分で塵になるように設定している。

この破壊力を向けるに相応しい、逞しく強靭な敵は何時現れるのか。少なくともあと数話は時間が必要になることだろう。出てこなければ弾頭を代えて威力を下げるとかしないとつまらないかもしれない。

手加減具合について考えていると、ベルゼルートから通信が入った。ほっとした顔の統夜とカティアの顔が映る。

「すいません、助かりました」

「あん?」

ベルゼルートの方をボウライダーのカメラアイで確認すると、俺の目の前に居たジンほどでは無いが、穴だらけになって爆発したと思われるジンの残骸。どうやら目の前に居たジンを貫通した砲弾が、ベルゼルートに接近していたジンに直撃していたらしい。

いかんいかん、どうにも流れ弾を気にせず戦う癖が抜けていないらしい。今回は偶然味方への援護になったからいいが、レーダー見つつ射線を気にして戦わなきゃだめだな。今後の課題にしよう。

「ああ、気にせん気にせん。どうせ暫くは一緒に戦うんだしな」

「そうですね。暫くは……」

「統夜……」

暫くは一緒=まだベルゼルートに乗り続けなければならないという結論を改めて他人の口から聞き、自分で決心して乗っているにも関わらず思わず暗くなる統夜と、申し訳なさそうな顔をするカティア。

さて、これでこっち側の敵は全部片付いたかな。コロニー内だから荷電粒子砲は自重したが、これだけやれれば充分だろう。作戦終了を告げるしまじろう声の指示に従い、俺は悠々とナデシコへと帰還した。

―――――――――――――――――――

△月◆日追記

『ヘリオポリスオワタ。貴重なアストレイが……!』

『思わず『……!』をきっちり書いてしまうほど力が籠った嘆きだと思って欲しい。おのれザフト、許さない、絶対に許さないよ!』

『次回遭遇時は一切の自重を捨ててじわじわとなぶり殺しにしてくれる。もう改造に使った資材の出所とかはその辺の廃材を使ったとでも言っておこう。ザフトが相手ならば多連装グラビティブラストを使わざるを得ない』

『奴らの顔が驚愕と恐怖に醜くゆがむ様が目に浮かぶようだ。とかなんとか妄想していたら少し落ち着いてきた。文章を書く行為には精神を鎮静化させる作用があると思う。流石に多連装は無いわ、機動要塞でも作るつもりか俺は』

『どうでもいいことだが、今さっきエールストライクがコロニーの脱出艇を持ってナデシコにやってきて、その時にこっそり取り込んだので複製できるようになった事を記しておく。後でデブリから資材を回収する作業の時にアークエンジェルにも行けるはずだから、他のストライカーパックと、あとはアークエンジェルの陽電子破城砲もコピーしたいと思う』

『あぁ、アストレイくるか?とか思ってたのになぁ。なんかもうがっくり来たから今日はもうこれ書いたら寝ようと』

―――――――――――――――――――

宇宙空間、使えない大型のデブリを手で払いのけるコンバトラー。豹馬の気分を現しているのか、その動きもどこか嫌気がさしているような荒い動きだ。

「宇宙のゴミ溜まりって聞いたけど、ホントにゴミばっかりだな」

「特に木星トカゲとの戦闘が始まってからは、戦艦や戦闘機の残骸も流れてきますし、噂では破壊されたコロニーの一部もあるそうですよ」

「やれやれ、宇宙でゴミさらいかよ」

どいつもこいつも戦闘とかだと割とプラス思考なのにこういう地味な作業だと愚痴愚痴言いだす。戦うんでは無いのだからして、人死にとか考えずに動かせるんだからもう少し明るく行くべきじゃないか?

まぁ、ひたすらゴミを掻きわけて使える資材が無いかチェックするだけの作業というのは戦闘に比べて非常に地味な作業だからテンションが上がらないか。

「馬っ鹿だなぁお前ら、ゴミさらいじゃなくて、た・か・ら・さ・が・し・♪」

スケールライダーが二本の脚でコンテナを掴み、こちらにゆっくりと投げつけ、またデブリの中へ戻って行く。この世界に来て初めてスケールライダーの脚が役に立つ場面だからか妙に張りきっているなアイツ。

俺達は現在、崩壊したヘリオポリスを離れ、物資の積み込みも中途半端なまま出向したアークエンジェルの為にデブリ帯で撃破された戦艦や破壊されたコロニーの残骸を漁り、使えそうな物資弾薬の入ったコンテナを探している。

そんなもんが都合よく流れているものなのかと最初は疑ったが、所々焦げたりゆがんだりはしているものの、ある程度中身が無事なコンテナはそれなりに残っているようだ。ジャンク屋が繁盛する訳である。

そういえばこの世界のジャンク屋、絶対木星トカゲの戦艦とか無人兵器のジャンク回収してるんだろうな。MSの携帯式ローエングリンランチャーとか作れる連中だし、絶対モビルスーツ用のグラビティブラストとか携帯式ディストーションフィールド発生装置とか作ってるんじゃないか?

作業用のキメラとか、バッタの残骸流用してディストーションフィールドとか使えそう。掘削の効率が格段に上がっている可能性だってある。そういえばナデシコ原作だとドリル付きの無人兵器が火星に居たな。

ああ気になる。レッドアストレイが光電球の代わりにディストーションフィールドパンチとか使う可能性があるんじゃないかと思うだけでジャンク屋に合流したくなってくる。

しかしそんな欲望を無理やり押さえてゴミさらい。今は趣味より実益を優先、全て終わった後に観光で再びこの世界に訪れることも出来ないでは無いだろうし。

「ぱっと見この辺はジャンク屋どももまだ手を出して無いみたいだしな。アークエンジェルに積み込む物資に弾薬程度ならすぐ集まるだろ。なんかに使えそうなパーツを探す暇は充分ありそうだ」

このデブリ帯で木星トカゲの残骸を発見して流用したとか言っておけば、ボウライダーがグラビティブラストを撃ってもディストーションフィールドを張っても言い訳はできるしね。

投げ渡されたコンテナを持っていた他のコンテナにワイヤーで括りつけ一纏めに。今回はデブリの中から資材を回収するだけの任務なので速射砲は持ってきていない。

大きな塊になったコンテナをコンバトラーに押し付け、ボウライダーもデブリの中に突っ込ませコンテナを探しに行く。それっぽい残骸とかも拾っておいて、あとで改造資材の出所の言い訳にしよう。

「鳴無兄妹ほどプラスには考えられんが、これも仕事のうちさ。割り切って働こうじゃないか」

アカツキがエステバリス以上に大きいコンテナを押して運びながら話を纏め、メビウス・ゼロにコンテナを括りつけた。

「そっちまで手伝わせちまって悪いな。なにせ人型の方がこういうのは効率いいからさ、助かるよ」

だからIFSを使えば人型でも簡単に動かせるだろうが、とは誰一人言わない。なにこれこわい。暗黙の了解でもあるのか?恐ろしい世界の修正力を感じる。

でもどちらかといえばガンポッドをマニュピレーターにしてブラディシージとかやるのがお似合いだとは思う。そうすれば荷物も運べて便利だし。いいことづくめでなないか。

「でも、あんまりいい気持ちしませんね。撃沈された戦艦に乗ってたコンテナだって考えると……」

「……そうね」

レーダーにせわしなく動き回るベルゼルートのマーカー、なんだかんだ言いつつも手を休めないあたりは真面目だ。いい気持ちはしなくても戦闘よりはマシだと考えているんだろう。

「でも仕方ないだろ?足りないもんばっかなんだからさ」

「弾薬残したまま死ぬのは無念だろうし、拾って使い切ってやるのが供養になるだろうよ。そうでもしないと……」

「化けて出るわね、軍人たちの怨霊が」

俺が途中で切ったセリフをイズミさんが引き継ぐ。ああ、こういう話題だとナデシコ勢のラブご飯なノリの掛け合いが始まるんだよなぁ。人が何週間姉さん断ちしてると思ってるんだ全く。

テンカワを中心としたナデシコ勢の騒ぎを聞き流し、俺は溜息を付きながらコンテナを探す。こりゃテンション下がるわ……。

―――――――――――――――――――

△月○日(アークエンジェル限定でブーイングの嵐、後、ラダム獣も来るでしょう)

『そんなこんなでブリッツ対策を怠ったアークエンジェルは、人質を使って見事に窮地を脱した訳だけども、今回はこれと言って書くことは無い』

『ブリッツといえば、ミラコロが恐ろしくなるのはゴールドフレームに腕が移植されてからだと思うのだがどうだろうか、ブリッツは回想の度に爆発してるイメージしか湧かないし』

『ミラコロ展開中は見つけることが出来ないが、そもそもブリッツの武装だと今の半分スーパーロボットと化しているボウライダーをどうこうすることが出来ないので驚異足り得ない』

『この世界だとニコル、どう足掻いても死ぬ、よね?ニコルはともかくとして爆発の時に残らなかったブリッツのもう片方の腕の事、時々でいいから、思い出してください』

『今日はこの辺で日記を書く作業は終わりにしておく。この時期はやることが無くて暇で仕方ない。次に取り込みたいのはラダムのテッカマンとゼオライマーなのだが、待ち遠しい、待ち遠しい。とても待ち遠しいので後でDボウイの見舞いにでも行こうと思う』

―――――――――――――――――――

「何を書いてたんですか?」

俺が日記帳を閉じようとすると、後ろからメメメが肩越しに首を出して覗こうとしていた。先ほど日記を書いている途中、突然部屋にやってきてそのままベッドに腰掛け、部屋に置いてあった月面都市の観光案内を特集している雑誌(当然お土産に最適なお菓子を売っている店も特集されている)を読んでいたのだ。

用事があって来たのかどうなのかはわからないが、机に向って何事かしている俺を見て声をかけるのを遠慮していたのだろう。ポヤポヤしているようで空気を読む力はあるらしい。

「よ、読めません……」

空気ではなく日記の事だろう。姉さんの不思議力(ふしぎぢから)によって俺、姉さん、美鳥にしか内容は理解できないのだ。覗かれても暗号解読機にかけられても安心の便利アイテム。人に見られたら、覗かれても大丈夫なように暗号で書いているとでも言っておけば言い訳になる。

「暗号で書いてあるだけで中身は普通の日記だよ。ていうか、暇なのか?統夜ん処に居なくていいのか?」

「統夜さんはカティアちゃんを乗せて他のみんなとアークエンジェルに行っちゃいました。お姫様を逃がすらしいです」

ああ、そんなイベントあったな。美鳥にばっかりやらせてないで俺もJ再プレイするべきか。どうでもいいイベントはとことん忘れてるし。

「つまりあれか」

「はい、おやつを貰いに」

本能直結である。こいつがお菓子好きなのって確か昔に父や母にお菓子を貰った時の記憶を思い出すからとかそんなんじゃなかったか?これじゃただの糖分中毒患者だ。杉田声のメメメとか誰得だ。

まぁ、それだけの理由でコックピットまでお菓子を持ち込む訳は無いだろうし、やっぱり最初に甘党であるという個性ありきなんだろう。父母を思い出すってことはそれだけ頻繁にお菓子を貰っていたなんだろうし。

まぁ、この戦争が終わるまで、最低でもサイトロンコントロールをどうにかできるデータが集まるまで健康でサブパイやってて貰えるなら、後は糖尿だろうとなんだろうとなって貰って構わないがな。

「犬や猫じゃないんだから……」

「わんわんにゃー!ってやったらお菓子くれます?」

手を猫手にして万歳しながら笑顔で奇声を発するメメメ。人間の尊厳をどこに捨ててきた。洗脳の方向性がおかしなことになってる。なんか、これは流石にヤバいんじゃないか?こんな状態でサブパイとか勤まるのか?

「いい、いいから。お菓子やるからそういうのは止め、な?」

部屋の隅に設置した鍵付き冷蔵庫から、あらかじめ複製しておいたチョコレートケーキを取り出し切り分ける。俺の分とメメメの分で二切れ、残りを冷蔵庫に戻そうとするとメメメが残念そうに残りのケーキを目で追う。

二切れで一切れづつと言っても一ホールを四等分した上での二切れ、普通はこれで十分腹が膨れる量の筈、筈なんだが、あれは切り分けた分より残りの半分を食べたいって顔だな。

チョコレートケーキが好きだとは言っていたが、まさかここまでとは。これ、そんなに量食えるもんじゃないよなぁ。甘いものが好きと言ってもそう毎日毎日食べてれば飽きると思うのだが。

俺はチョコレートケーキよりも断然イチゴのミルフィーユが好きだ。丁寧に積み重ねられた層を崩して食べるのは贅沢な感じがして大変よろしい。どうせケーキ食うなら『贅沢してる!』って感じを出したいのだ。

因みに次点はミルクレープ、これも理由は似たようなもの。でもこっちはナイフやフォークで層を切断する時の感触も楽しい。偶に一枚一枚はがして食べることもあるが、層を貫く快感を選ぶか薄いものをぺりぺり剥がしていくフェチズムを取るかの違いでしか無い。

そんな事を話しつつ、それは味の好みじゃないですよねなどと冷静な突っ込みをメメメに入れられているとコミュニケに着信、モニタを付けると金髪のイケメン、ノアルの旦那だ。

「はーいもしもし、どうかしましたか?」

「今いいか?いいな?今すぐメディカルルームにミドリを引き取りに来てくれ。保護者なんだろ?」

「唐突ですね、なんかやらかしましたかい?」

「あー、なんつったら良いのか、まぁ見れば分かる」

俺の問いに微妙な表情をし、しばし考え込んでからコミュニケを操作、モニタにメディカルルーム内の様子が映し出される。

「医務室ってのは、誰にも邪魔されず、自由で、なんというか救われてなきゃあダメなんだ。清潔で静かで豊かで……って聞いてるかー?」

「がああああ!」

半裸のDボウイを美鳥がアームロックで押さえている。しかし凄い叫びだなDボウイ、マイクが壊れるから叫ばないで欲しい。コミュニケって壊れたら修理に金掛かるか分かんないんだから。

というか、どういう状況なんだこれは。Dボウイがようやく目を覚ましたってのは分かるんだが。何故押さえつけてるのか、何故アームロックなのか。孤独のグルメごっこがやりたいだけかもしれないが。

もうひとつモニタが開いて、こちらには困惑顔のアキさんとシモーヌが。

「眠っていた彼、起きあがると同時に美鳥ちゃんを羽交い絞めにして『おかしな真似をしたらこいつを殺す』とか言ってたんだけど……」

「腕からすり抜けたミドリに逆に腕をとられてあんな状態ってワケ。まだ怪我人だからそろそろ放してやった方がいいでしょうし、早く迎えに来てあげて」

アンナの身代わりって訳か。そういえばあいつ、姉さんから52の関節技と48の殺人技を習おうとしてたな。しかもあいつ自身は間接とか人体構造も割と自由に作りかえられるのでホールドし辛く、相手に一方的に技を掛けられる。

そんな訳で、超身体能力とか抜きにしても、システムボックスを取りあげられて変身できないテッカマンなら軽くあしらえる程度には戦えるのだ。

「はいはい、じゃ、すぐ行きますよ」

通信を切り立ちあがる。Dボウイとの仲は微妙になりそうだな、この接触の仕方だと第一印象最悪だろ……。

「あ、ちょっと待ってください、わたしも行きます」

「急がなくていいよ。多少遅れても問題ないだろうし」

急いでチョコレートケーキを食べようとするメメメを脇目に見つつ、味方テッカマンとどうやって友好関係を築いて行こうか頭を悩ませるのであった。



続く

―――――――――――――――――――

主人公は機械相手にベルリンの赤い雨を使いますがサポAIは投げ、間接が肉弾戦のメイン、必殺技は人間ヘリコプターと宇宙旅行とアームロック。とかいう設定は欠片もありません。後々殺人技も関節技も出てきません。一切引っ張りません。

なんか微妙に文字数が伸びたので一旦切ります。20000字程度が適度で読みやすいってSSFAQ板で言ってたので基本10000字から30000字程度で纏めて行く方針で。

テックシステム解明まで行けませんでしたね。しかも今回は場面も飛ばし飛ばし、一つ一つの場面も長さにばらつきがあるわなにやで反省するべき点が多い。あとこれ手なづけたんじゃなくて洗脳ですね。でも馴れはしたから二つ目標達成。

因みに日記形式を所々挟んでいる所は時間が大幅に吹き飛んでいると考えてください。これも分かりにくいですよね、どうにかしたい処なのでアドバイス募集してます。

とりあえずスパロボ編では要らないエピソード、戦闘シーンも極力カット、主人公やサポAIが関わらない場面はササッと飛ばして進めます。それでも三話内には纏まらないかも。やはり50話オーバーの長編を題材にするのは難しい。

というか、ゲームを舞台にすると小説やらアニメを舞台にした時と違って、あの場面どうだったかな、あのキャラどんな口調だったかなとか疑問に思った時に素早く探せないのが難点ですね。プレイ画面を動画で記録できれば一番簡単なんですが。

今回のセルフ突っ込みコーナーはお休み。弓教授馬鹿にし過ぎ、そんなんで騙されないよ!とか、なんで洗脳したの?とか、なんだよ原作キャラとしっぽりする気まんまんじゃないか!とか、原作ヒロイン寝盗りとか何考えてんの?とか、原作キャラと馴れ合い過ぎじゃない?とか、強化ボウライダーと強化スケールライダーってオリジナルと比べて何がどんだけ違うの?とか、そういった疑問質問を潰さない方が感想とか増えるかな、とかさもしい考えが浮かんだので。

あ、ここまで書いて思い出したのですが、ブラスレ編終わるまでの主人公のスペックとか設定とか書くとか言ってましたが、止めました。設定の羅列読んでも面白くないでしょう?

どうせ能力なんて『超電磁フィールドが使えるから原理的に超電磁斬りもできるよな、タキオン粒子制御してるならクロックアップもできるよな』なんていう拡大解釈ありありな曖昧なものばかりだから書くだけ無駄ですしね。

そんな作品でもよければ、作品を読んでみての感想、諸々の誤字脱字の指摘、この文分かりづらいからこうしたらいいよ、一行は何文字くらいで改行したほうがいいよ、みたいなアドバイス待ってます。どしどしお寄せください。

次回予告(予定)

主人公、早くテックセットがしたい!
主人公、流派東方不敗を教わりたい!
みどりちゃん、おふろでみくちゃんにいたずら!

の三本を未定。遅筆だからゆっくりお待ち下さい。



[14434] 第九話「地上と悪魔の細胞」
Name: ここち◆92520f4f ID:04f2501c
Date: 2010/02/03 06:54
メディカルルーム内、Dボウイが眠っているベッドの脇でそれぞれ座ったり立ったりしながら情報をまとめる。艦長への報告はこの後だ。

俺が到着した時、既にアームロックしながらのDボウイへの事情聴取(この場合は尋問と言うのが正しいのでは無いか)は終わっており、怪我が治りきっておらずその上アームロックで体力を消耗したDボウイは現状話せる事を全て話して気絶してしまっていた。

「なるほど、つまりこのタカ……ゲフンゲフン、Dボウイはあのラダムとかいうエイリアンと戦っていて、記憶は無いけどあいつらは倒さなければならない敵だということだけは分かっている、と」

「そ。んで、このアイ……ゴホン、ブレー……んっんぅ、Dボウイは自分が地球の人間であると主張してるってわけだ」

「とりあえず、今聞き出せたことだけでもチーフや艦長達に報告しましょう」

「なんだ二人とも、風邪か?」

ついつい名前で言ってみたくなる衝動をこらえきれず、慌てて咳でごまかした俺と美鳥をノアルが気遣う。原作知識持ちでスパロボにトリップした時から覚悟していたが、これはちょっとキツイ。

他にも未知の勢力を何故か知っているプレイとかすごく魅力的だ。前回ラダムと接触した時も危なかったが、あの時は俺と美鳥で、どっちが『あれはラダム!もう地球に侵攻していたのか……』とかやるのかけん制し合っている間に戦闘が始まってうやむやのうちにどうでも良くなってお流れになったが、今回は長い戦いになりそうだ。

Dボウイの本当に記憶喪失のふりをするつもりがあるのか分からない諸々のボケっぷりとかを見ていると、突っ込みと共に名前暴露ぐらいはどっちかが耐えきれずにやってしまうかもしれない。

ま、名前程度は知っていてもおかしくは無い。この世界の宇宙開発系の雑誌『コスモノーツ』の古いバックナンバーにはアルゴス号の特集記事だって書かれていたし乗組員インタビューで全員の顔写真も乗っていた。

むしろここまで突っ込みが無い事の方が奇跡的な気もする。まぁ、謎の魔人と行方不明の宇宙探査船を結びつけることはそう簡単にはいかないのだろうが。

「いや大丈夫、それよりノアルさん、なんでDボウイ?デス?デビル?」

「ディスティニー!じゃなくて、ヘリオポリス入る前から眠りっぱだったし、ドリームのDじゃね?」

それは二作目。俺の問いにノアルは頭を掻きながら困ったような表情で答えた。

「最初に起きていきなりミドリに襲い掛かったから、デンジャラスボウイなんだが……」

ノアルがちらりと美鳥を見る。美鳥は力瘤を作って見せた。

「あたし、素手でボウリングの玉までなら握り潰せるぜ」

「美鳥ちゃん、すごいです」

「ある意味デンジャラスボウイだったわね……」

メメメが無邪気に称賛し、アキさんが冷や汗をかいている。危険な男ではなく、危険な目に遭った男的な意味ですね分かります。システムボックスが無いテッカマンって、無力だな……。

―――――――――――――――――――

△月×日(快晴、というか熱い。アフリカ暑いじゃなくて熱い)

『ダガーさんマジパネェ。マジンガーやらコンバトラーやらエステやらSPTやらからフルボッコにされたのに死ななかった。できそこないのテッカマンでもあの頑丈さ、やはりテックシステムは取り込んでおくべきだろう』

『ダガーさんもラダム獣どもも問題なく倒した俺達ではあったが、群雲の如く湧き出てくる木星蜥蜴の軍勢を前になすすべなく地球に逃げ降りることとなった。ああいう物量で攻めるのは俺の十八番にしようとさえ思っていたのに、屈辱だ』

『だがこれも集団生活に紛れ込む為には必要なこと、今は耐え忍び力を蓄えることが最優先。いつかここで手に入れた機体の技術を継ぎ接ぎした軍団で、どこぞの月の騎士団でも蹂躙して鬱憤を晴らすことにしよう』

『アークエンジェルにつきあって地球のアフリカに降下したナデシコであったが、アークエンジェルの修理につきあう為に足止めを喰らっている。こういう状況になるとナデシコとアークエンジェルに使用されている技術力の差をしみじみと感じる』

『現在はウリバタケさん他ナデシコの優秀な整備班がアークエンジェルの修理を手伝っているが、パイロットは特にやることが無い。そんな訳で、暇なパイロットの一部はスペースナイツのアキさんノアルさんにひっついてラダム樹の森へ調査に向かうのだそうな』

『なんだかんだで俺も付いて行く事になっている。ここでささっとラダム樹を手に入れておけば、テックシステムを解明してテッカマンの能力を取り込む役に立つだろう。いや、テックシステムの原理自体は既に元の世界で調べてあるから、その実証と言ったところだろうか』

『テッカマンは変身する際、フォーマット時に体内に充填された『テクスニウム』(精製する機能も肉体に付与されると思われる)、及びシステムボックスから供給される『ディゼノイド』を化合させることにより、人体表面に強靭な外骨格を形成する』

『この外骨格が形成される際に、外骨格を形成する分とは別に『ディゼノイド』が体内に侵入、ニューロンに特殊な作用を及ぼし、肉体の反応速度をテッカマンの超高速戦闘に耐えられる速度まで急激に加速させるのだ』

『最後に、一番外側のアーマーやブースターなどの機械的なパーツをシステムボックスの『光=物質変換機能』によって形成、外骨格の一部として組み込み、戦闘用テッカマンが誕生する。というのが設定資料集などに書かれているらしい仕組み』

『システムボックスが手に入っている現在、既に外骨格と神経加速以外は真似出来るのだが、それで正式なテッカマンを再現できるかがいささか不安だった。万が一ボルテッカが撃てないなんてなったら余りにも悲し過ぎるしな』

『ラダム樹には人間をテッカマンにフォーマットする機能がある、つまり、ラダム樹及びラダム獣はその体内にテッカマンを作る上で必要な要素をすべて持ち合わせているということになる。現在不足している『テクスニウム』を取り込み、完全なテッカマンを作り取り込む助けになるのは間違い無いだろう』

『そう、変則的な方法ではあるが、地球に降りて早々にテッカマンを手に入れる算段が付いたのだ。幸先のいいスタートを切れた嬉しさに躍り出してしまいそうである』

『興奮気味に書きなぐっていたから気付かなかったが、先ほどからコミュニケの呼び出しがうるさい、どうやらそろそろ出発らしい。ささっとみんなからはぐれてラダム樹を取り込んでしまうとしよう』

―――――――――――――――――――

ラダム樹の森で雑談。地球上とは思えないグロい光景だが開花の時期までは殆ど無害同然だからか、甲児やテニアなど好奇心旺盛な連中はぺたぺたと触ってうぇーきもちわりーとかなんとかやっている。

ここでなんかの間違いで開花してこいつらが取り込まれたら面白いだろうなぁ。完璧に乗り込むタイプの機体ばっかりだからテッカマンになっても何一つ利点は無いが。

「地球をじゃがいも畑にでもする気かもな。今ごろ奴らお空の向こうでじゃがいもの夢でも見てるんじゃないか」

アカツキやカティア、アキさんやアカツキなどと話していたノアルさんが肩を竦めながらジョークを飛ばす。こういうアメリカ人、アメリカ人か?まぁアメリカ人でいいか、アメリカ人はなんで畑と言ったらジャガイモなのか。アメ公的にはトウモロコシとかでもいいと思うのだが。

やはりあれだろうか。この人も古女房とジャガイモはアイダホよりノースカロライナとか訳分からないジョークも飛ばすのだろうか。ジョークのセンスが合わないというのは面倒臭いものだ。

「ジャガイモもいいけど蕎麦もいいぞ?あれは土地が痩せてても取れるからな、知りあいの住んでる田舎も野菜畑やら田圃やら潰して蕎麦畑にしてなぁ」

「へぇ、ソバってのは畑で作るもんなのか。やっぱり本場の人間は違うな」

今ノアルさんの頭の中ではざる蕎麦が畑になっている光景が浮かんでいるような気もするが、外人さんなら誰もが経験する勘違いだ。訂正するのは野暮ってもんだろう。海老の寿司をシャリごと天ぷら粉に付けて油で揚げるような連中にはお似合いの勘違いだと思う。

「食べられるんですか、これ?」

「おいおい、冗談だよ冗談」

ノアルさんが手を振ってメメメのボケを否定するが、森の奥から戻って来た美鳥が茶々を入れる。

「いや、案外蟹みたいな感じで美味しいかもよ?元の外見があんなんだしさぁ。齧ってみれば?」

「うーん、カニってお菓子じゃないですよね。甘く無いならいいです」

甘ければ齧ったのか。アキさんノアルさんが呆れ、カティアやテニアに注意されているメメメを見ていると、美鳥に服の裾を引っ張られ、あっという間に森の奥に連れ込まれた。連れ込まれたが誰にも気づかれない、何時の間にか認識阻害の魔法も掛かっている。

しばし引っ張られるまま歩く。しばらく歩きみんなからそれなりに距離を取り、ナデシコからも死角になっている森の隅まで来てようやく美鳥の歩みが止まった。

「いやー、メメメがボケキャラで助かったよ」

「連中から距離を取るならトイレに行くとかでも良かったと思うけどな」

わざわざメメメに注目を集め、その隙に認識阻害の魔法をかけてその場から離れるなんてしなくてもそれで充分な言い訳になった。いや、便所に行く時複数人数で群れて行きたがるのが女性の習性と言うし、付いてこられては全員の目から逃れられない。

というか、兄妹とはいえ同じタイミングで便所に連れだって行くとか怪しい気もするしな。ここの判断は美鳥のものが正解だったか。

念のために俺も自前で認識阻害の魔法と人避けの結界を張っておく。ブラスレ世界では多様したが、この世界ではあまり使う機会が無い。認識阻害もせいぜい機密扱いの機体に近づく時に少し使う程度。結界なんてそれこそ今までこの世界では使う機会が無かった。

「で、これなんかいいんじゃないかな」

美鳥が一本のラダム樹を掌でぺしぺしと叩いて示す。他の樹と比べてほんの少し幹の太さなどが逞しい気がする。美鳥には先行してもらい、森の中から健康そうなラダム樹を選別させていたのだ。

取り込んだはいいが何らかの不具合があって、人間をテッカマンにフォーマットする機能が付いていない欠陥ラダム樹でしたなんてなったら目も当てられない。

「さて、こいつをどう取り込むか……」

「ラダム獣は散々相手にしたけど、樹になったラダム獣は触れたことがねーしな」

そう、トレーニングルームで大量にラダム獣を解体し磨り潰し貫き蒸発させてきたが、樹になったこいつらを相手にするのはこれが初めて。下手に刺激して暴れ出しました、なんてなったら、いくら結界を張っているとはいえ騒ぎを聞きつけて他の連中がやってきてしまう。

これ以降船を降りて直接ラダム樹の森に近づく機会はそうそう無いし、ここでしっかりと一発で取り込んでおきたい。もう一度周囲を確認、ボディスーツの隙間、右手首から触手を展開する。

「ラダムの本体は潰さなくていいの?」

「あの虫けらか。脳味噌に入って洗脳ってのは面白いよな。取り込んで今後の参考にさせて貰う」

刃物のように薄く鋭い先端の触手を射出、コンッ、と軽い音を立ててラダム樹の表皮に突き刺さった。刺さった先端が内部で釣り針の様な返しに変形、そこをとっかかりに内部に更に深く侵入。

内部に侵入した触手の先端から細い触手が数本新たに生え、内部を抉り進み、更にその触手の先端からより細い触手が生え、掘り進み、器官の隙間を、細胞の隙間を這いずりまわる。

「外道」

「それほどでもない」

謙虚に返したところでラダム樹の全身に触手が、触手型に変形した俺の身体のナノマシンが浸み渡り終えた。ぐじゅ、と全体のフォルムが崩れ、俺の身体の一部に還元される。

久しぶりの感覚、取り込まずに複製するのと取り込んで複製するのではやはり勝手が違う。小さなラダムの本体、その脆弱な肉体を守る発達した外殻。フォーマットの仕組み、システムボックスの組成、製造方法、テクスニウム、ディゼノイド、知識の植え付け、ラダムの知識、ラダムの本能……。

途方も無い、途轍も無い、これがラダム。果て無く広がる宇宙、君臨する、侵略する、支配する、知的生命体。

「お兄さん」

「ん、……大丈夫。この、程度なら、問題な、い」

ペイルホースを取り込んだ時ほどでは無いが、少し眠い。俺の身体を構成するナノマシンが更新されたようだ。肩を貸そうとする美鳥を手で制し、両の頬を平手で叩いて気合いを入れる。

更新内容は、どうだろうか、自力で確認できる部分は少ない。後で美鳥に視て貰うのがいいか、いや、自力でなんとかしてみるのも面白いか。

「じゃあ、戻る、ぞ」

「ホントにだいじょぶ?なんなら背負うけど」

「いい、いらん。ボウライダーに、乗ってからで、いい」

スケールライダーに合体させれば、ナデシコに戻るまでの時間くらいは眠れるだろう。それから降りるまで十数分程度コックピットで眠っても文句は出まい。どうせ整備やらなにやらは殆ど自力でやってるんだし。

目を瞬かせながら元来た道を歩き、いきなり居なくなった俺達を探していたらしい連中に適当に謝罪しながらボウライダーの頭までよじ登る。コックピットへと倒れこむように入り、そこで意識を手放した。

―――――――――――――――――――

△月◆日(初の分岐点はナデシコルートだった。ここは順当かな)

『つつがなくテッカマンの材料を手に入れることに成功し、ラダム獣の掃討を経てデビルガンダムとの初遭遇を終えた。ここでデビルガンダムに近寄れたら一気にDG細胞を採取しようと思っていたのだが、現実はゲームのようには行かないというのが世の常だ』

『拡散粒子弾の嵐を抜けることができずに、結局距離を取って砲撃し続ける程度のことしかできなかった。訓練で回避力を上げるかボウライダーを更に強化するかしないとデビルガンダム相手に接近戦に持ち込む事は不可能だろう』

『代わりと言ってはなんだが、デスアーミーの残骸からDG細胞の一部を入手することに成功した。どこからとっても同じDG細胞じゃないか、なんて疑問に思うかもしれない。しかし取り込んでみて分かることだが、どうもデビルガンダムのDG細胞に比べて三大理論の全ての性能が劣っている』

『Gガンダム本編終了後に世界中のデスアーミーが集結してデビルガンダムjr.になることから考えて、決して三大理論が劣化しているとかそういうのでは無いだろう。デビルガンダムが十分に進化した状態のDG細胞の塊であるとすれば、デスアーミーのDG細胞は生まれたてで殆ど進化していない状態だと言える』

『つまりは進化待ちの状態だ。未熟な三大理論はこの自己進化によって徐々にオリジナルのデビルガンダムに近い物へと進化していってくれる、筈。そもそもDG細胞を取り込んだ時点で俺の身体のナノマシンにも自己進化機能が追加された訳で、放っておいてもじわじわと能力が勝手に向上していくと考えればこれだけでも中々悪くない成果ではないか』

『ではこれ以降無理やりデビルガンダムの懐に飛び込む必要は無いかと言えばそうでもない。いや、厳密にはデビルガンダムに飛び込む必要は無いのだが、懐に飛び込み接近戦を持ちかけるというシチュエーションだけで考えればもっと厄介な相手に挑戦する必要があるかもしれない』

『知っているだろうか。デビルガンダムjr.は脚部の先端にデビルガンダム四天王の能力を備えたビットを装備しているという。これはデビルガンダム四天王の動作のログや機体のスペックデータがDG細胞に記録されていたからこそ再現できたものだろう』

『そう、『動作のログ』を取ることが出来るのだ。そのログを持ったDG細胞を取り込めば、その動作を再現することも可能になる。優れた格闘家の動作を覚える為に、殆ど体術は我流同然の状態でその優れた格闘家に戦いを挑まなければならない』

『矛盾。世界一固い合金の製法を記した巻物を納めた筒を切り中身を得るには、その筒の中の巻物にのみ製法が記されている合金で作った刃物=斬鉄剣を用いなければならない』

『残念な事に俺は斬鉄剣を所持していないが、ここに集まる仲間の力を借りれば何とかなる。何も筒を切るのは俺でなくても構わない、どうせ中身を活用できるのは俺だけ、有効に使わせて貰うのが余のため俺のためというものだろう』

『因みに、このデビルガンダム出現の少し前にフューリーとの接近遭遇もあったらしい。寝過ごしていなければ、ボウライダー内のオルゴンエクストラクターだけでラースエイレムに対抗できるかチェックできたのだが、残念無念』

『次の接触までにサイトロンコントロールのコツを掴めれば心配する必要は無いのだが、まぁ、突発的に偵察任務などで出くわさないことを祈ろう』

―――――――――――――――――――

今日の日記を書き終え、日記帳を閉じ、ペンを机の上に転がす。今日は部屋に誰も来ていない。少しゆっくりしてから格納庫か食堂にでも遊びに行こう。

ふと、肩を叩かれる。室内には誰も入って来ていないと思ったのだが、忍者でも迷い込んだのだろうか。振り返る、そこには洗面所で毎朝毎晩顔を突き合わせている俺が居た。

「よう俺」

「おう俺。格納庫でドモンと忍が口論してるぞ」

「そうか。手が出そうな雰囲気だったか?俺はどう見る」

「放っておいても手は出ないと思うぞ俺。あれでもガンダムファイターとしての矜持はあるだろうからな」

「止めて好印象を得るのもありか?」

「俺と同じ考えだな、流石俺だ」

「――」

「――」

見つめあう。同じ顔で同じ声で同じ服。恐らく今考えていることも同じ。

「自己増殖の機能は封印だな」

「俺もそう提案しようと思っていたよ」

「流石俺、気が合うな」

しかし封印する前にやっておきたいことがある。気づけば目の前の俺の右手には布巾、俺の左手にも布巾。布巾と布巾を合わせ、左右対称に窓を拭く動作を少しして一言。

「「なんだ鏡か」」

お約束を終えた俺と俺は互いに力強く頷きがっしりと握手。同化して一つに戻り、自己増殖の機能を封印、二度と勝手に増えないように念入りに削除した。

―――――――――――――――――――

ナデシコが重力波レールガンにより落とされてしまったのでこれから陸路でナナフシを破壊に向かう。途中でミスリルの増援――つまりフルメタ勢と合流し、そこから陸路で十時間と少しで山岳地帯を抜けカオシュン基地に出る予定。

メインの獲物は他に居るが、ナナフシのマイクロブラックホールを打ち出す重力波レールガンも取り込んでおきたい。マイクロブラックホールの精製は可能なのだが、一山二山超えて打ち込めるとなれば話は違ってくる。

「いつつ……」

ボウライダーのコックピットで出撃準備をしつつ額をさする。忍をドモンの喧嘩を止めようと間に入ったら見事に二人からダブルで拳を貰ったのだ。

よくよく考えたらここのドモンはスパロボJのドモンであって全てが全てGガン原作準拠という訳では無かったんだな、ファイターでも無い相手にこんなに早く手が出るとは。

しかし、忍の拳からはダメージを貰わなかったが、ドモンから喰らった部分は少し痛い気がする。いくら戦闘モードでは無かったとしてもトンでも無いことだ。これは本気で殴られたら多少のダメージは貰ってしまうかもしれない。

流石は生身の状態でビルを蹴り飛ばして持ち上げる男、とても人間とは思え無い。ドモンに殴られた額をさすっているとダンクーガからの通信が入る。

「へっ、人の喧嘩に割り込んでくるからだぜ」

モニタには拳をさすりながらこちらに悪態を飛ばしてくる獣戦機隊のリーダー『藤原忍』、こいつも喧嘩が弱い訳では無い(町で絡んできたチンピラ複数を一人で叩きのめせる程度には強い)のだが、ガンダムファイターにケンカを売るというのはいささか無鉄砲過ぎるのでは無いか。

「やめな忍。悪いね、うちのリーダーは気性が荒くてさ」

で、こっちが同獣戦機隊の『結城沙羅』、真っ赤な髪が特徴で、あとはシャピロの元恋人、だったか。このスパロボJの世界ではあまり心揺れ動いて寝返ったりとかの展開は無いから気にする必要も無し、今後関わることも少ないだろう。

「いやいや、気にしない気にしない。そっちの人のパンチは痛く無かったしな」

「何だとてめぇ!」

がなりたてる忍を無視して考える。このパンチ一発は後で少し手合わせをして貰えるようドモンに交渉する材料になりえるかもしれない。

いや、そもそも殴った事に対して罪悪感を覚えるほど精神的余裕も無いとか、そもそも勝手に割り込んできたのだから気にする奴も居ないというか、この後起こる師匠の裏切りで精神的に追い詰められてそういう事をする気分では無いとか色々問題はありそうだ。

ま、次のステージではマスターガンダムに突っかかって行くだろうし、そこで隙をついて特攻かければドモンに教わるまでもなくマスターガンダムのDG細胞も採取できる筈。

念には念を入れて留守番の美鳥にも指示を出してある。スケールライダーは飛行専用ユニットだから今回はお留守番、部屋にこもって眠っているとでもしておけばさり気無く艦内から居なくなっていてもばれやしないだろう。

その為にはナナフシを撃破する前に、俺の方でも仕込みをしておかなければならないのだが、まぁこれは楽しみでもあるから気合を入れて仕込むとしよう。

未だモニタの向こうで忍が喚いているので通信を切り、整備班の誘導に従って発進シークエンスに入る。

「鳴無卓也、ボウライダー、出るぞー」

「おう!きばってこいよー!」

脚元のウリバタケさんにボウライダーの手を振り、カタパルトから射出された。

―――――――――――――――――――

ナデシコ原作(漫画版ではなくアニメ版のこと)では脚の遅い砲戦フレームに合わせていたのでかなりスローペースだった。しかし今回エステバリス隊は全機陸戦フレーム、ローラーダッシュのお陰でかなりのハイペースで進める……と思っていたのだが、そうは問屋が卸さない。

ローラーダッシュもバッテリをそれなりに食うため多様できず、空を飛ばなければかなり脚の遅いスーパーロボット達も居る。川を渡る際にもある程度の大きさのある機体なら無視して川底を歩けるのだが、水中適正もそれなりにあるはずのエステバリスチームは何故かゴムボート。

遅々として進まない、とまでは言わないが、かなりもどかしい速度での行軍。俺の乗る強化ボウライダーも脚部にパラディンを参考にホイールを組み込んでいる為、浮かばなくともそれなりの速度が出せるのだが、これでは宝の持ち腐れだろう。

まぁ、それでも作戦スケジュールに遅れがある訳では無いから不満を言うのが間違いなのだが、暇な物は暇なのである。時計を確認、時刻は22時30分、この目の前のモアナ平原を抜けたら夜営。やっとコックピットから出られる。

そこで東方不敗と合流する予定。ここでクーロンガンダムに偽装したマスターガンダムを持ってきてくれていれば話は簡単なのだが、そう上手くは行かないだろう。確か生身でデスアーミーを倒したとしか描写も無かったし、マスターガンダムは偽装無しでカオシュンに隠してあると考えるのが妥当か。

匍匐前進で地面にナイフを突き立てつつ地雷を確認するエステを後ろから眺めつつ今後の予定を考えていると、目の前で這いつくばっているエステから通信。

「こぉら鳴無ぃ!てめぇなに人の後ろで楽してやがる!」

目の前で楽しそうに這いつくばって地雷除去していた赤いエステのパイロット、緑髪短髪の少女『スバル・リョーコ』がモニタ越しに怒鳴りつけてきた。

「ボウライダーってそういうナイフっぽいの無いんだよ。適材適所ってやつで勘弁して貰えない?」

肩を竦めて返答すると、既に足下で爆発する地雷を無視して地雷原を抜けていたマジンガーZからも通信、甲児が余計な事を口にする。

「あれ?でも卓也さんの機体ってブレードついてたよな?しかも超合金ニューZ製の」

超合金ニューZ製のブレードをどこから調達したのかという質問をしない辺りに少なからぬ甘さを感じるが、それが何かの救いになる訳でも無い。

「おいおいおい、話が違うんじゃねぇか?なぁにが『ナイフっぽいのは無い』だと?」

「だから、刃物が無いんじゃなくて、ブレードじゃ長さ的にそういう真似は出来ないって話」

「『ナイフっぽいのが無いふ』ふ、ふふふふ」

マキ・イズミのギャグは総スルー。続けてコンバトラーからも通信。なんだ?俺の個別イベントか?やめろ、こっちに注目するな。目立たなかったキャラが急に目立ち出すのは死亡フラグなんだぞ。

「しかも硬い敵が相手の時は超電磁エネルギーを斬撃に利用している形跡もありますね」

しかも喋ったのは説明キャラの小介だ。止めろ、下手にボウライダーの戦力分析とかされると改造しにくくなる。なんとか話を逸らさねば。

「というかだな」

「んだよ、なんか弁解でもあんのか?」

「ボウライダーで匍匐前進をやるやらない以前に、マジンガーとコンバトラーの通った道を歩けば地雷を気にする必要は無いんじゃないか?」

空気が凍った。匍匐前進を止め這いつくばった体勢のまま動かない赤いスバルエステを横目に、ピンクのテンカワエステ(何故か料理用の食材が詰め込まれた風呂敷を背負っている)が地雷の埋められていた平原を平然と歩いていく。当然コンバトラーやマジンガ―が歩いた後だけを狙っている為爆発はしない。

赤いスバルエステがスックと立ち上がり、モニタの向こうでスバル・リョーコが顔をほのかに赤くしながら遅れを取り戻すぞと息巻いている。スケジュール的に遅れては居ないし誤魔化し方が下手だが、上手いことみんなボウライダーの話は忘れてくれたようなので突っ込まないことにした。

ちゃっかりコンバトラーとマジンガーの後ろを歩いていたアマノとマキがリョーコエステの匍匐前進に突っ込みを入れていなかったことにも誰も突っ込みを入れなかったが、これも気付かないふりをするのが大人の対応だろう。

―――――――――――――――――――

「やまーっをこーえってゆーっくよー♪」

焚火を囲んでみんなで合唱。……合唱?なんで歌っているか分からない、林間学校みたいなノリなのだろうか。学生時代も時折こういうイベントがあったが、俺は今一乗りきれなかった。

せめて海がある場所ならいいのだが、山だの川だのは身近にあり過ぎて態々イベントで行こうという気にもならないし、行った処でテンションは中々上がらないものだ。

同じ理由でPS2の『ぼくの夏休み』シリーズも買う気にならない。主人公もお年頃なんだし、夜中に親戚の姉ちゃんの部屋の前で聞き耳を立ててコフコフ興奮したり、せめて村から脱出して隣町の本屋にエロ本立ち読みに行くイベントを入れるべきではないか。

ミスリルから合流した連中は辺りを交代で警戒しているが、クルツに雅人は女性陣と肩を組んでノリ良く歌っている。これはだらけているとかじゃなくオンオフの切り替えがしっかりできている証拠だと思いたい。

用を足しに行くと言い残しその場から抜け出し、対デビルガンダム、対マスターガンダム用の仕込みを済ませる。森の中に入り、辺りを見回し人の気配が無い事を確認、更に人避けの結界も張る。

その上で触手を地面に突き刺し、辺り一帯の地面の中に兵隊を埋め込む準備。数は、500も居れば足りるとは思うが、テストも兼ねているから700ほど複製しておこう。

この辺りはコンバトラーが派手にコケでもしない限り踏まれたりはしないだろうが、念には念を入れて触手をやや深めに埋めて、触手を分岐させて、広げて広げて、地中の土を取り込んでスペースを作りつつ複製。

まずはこれで100。一か所に纏め過ぎるのもなんだし、もうちょい埋める場所をバラけさせるか。少し歩いて辺りを見回し、結界を張り、触手を地面に埋め込み先ほどと同じ工程で複製。以下数回繰り返し。

きっかり700、オマケでもう77ほど複製を作った処で終了。ついでに小も済ませて宣言通り。川で手を洗ってハンカチで手を拭う。

「よし、こんなもんだろう」

「なにがこんなもんなんですか?」

振り返ると、手に焼きマシュマロが大量に刺さった串と、焼きマシュマロをクッキーに挟んだものを両手に持ったメメメが居た。

「そういうのを聞くのは野暮ってもんだから、覚えておくように。そっちこそこんな所で何を?」

それも両手にお菓子持ちっ放しで。月夜の河原で両手にマシュマロを持って立っているという情景は、メメメがそれなり以上の美少女であるという要素を加味してもシュールでしかない。

「あ、はい。マシュマロのお礼を言おうと思ったら居なくなってたから、つい探しに来ちゃいました」

コックピットに持ち込んだお菓子を行軍中に食べきってしまったらしく、なおかつテンカワも流石に甘味系の材料は持ってきていない。統夜に宥められながら涙目で『おかし……』とか呟いて幼児退行していたので、小腹が空いたら食べようと思って持ってきていたと偽ってマシュマロを渡したのだ。

当然このマシュマロも複製。元の世界で買った何の変哲も無い既製品だが、糖分切れを起こしていたメメメと、宥め切れずに困り果てていた統夜には大変感謝された。

今回の行軍では移動スピードがキモとなる。しかも空は飛べないとあって移動力を上げることのできるメメメを乗せてきたらしいが、まさか大きなリュックいっぱいに詰まっていたお菓子を片道の途中で平らげてしまうとは流石の統夜も思ってもいなかったらしい。

そもそもコックピットにお菓子を持ち込む事を容認している時点でおかしいとかリュックいっぱいのお菓子が数時間で腹の中とか突っ込み所は多々あるが、まぁメメメがベルゼルートに乗ってくれるなら特に文句を言うつもりは無い。

今回の出撃で平均的なサイトロンコントロールのデータはほぼ完全に手に入った。できればラースエイレムキャンセラーを機動する時のデータも欲しいのだが、そういう本格的な戦闘の時は機体との相性的にカティアを乗せているだろうからそうそう上手くいかない。

「統夜は?ベルゼルートで待機してなくていいのか?」

「統夜さんはミスリルの傭兵さんと一緒に見張りです。それに、いっつも統夜さんやカティアちゃんやテニアちゃんと一緒に居るわけでもないんですよ?」

これでも年頃の女の子なんですから、とはにかみながら言うメメメ。両手にお菓子を持っていなければそれなりに決まったろうに……。

マシュマロ二刀流で『決まった――!』とでも言いたそうなどや顔をしているメメメにどうリアクションを取ろうかと悩んでいると、向こうから爆発音。東方不敗が登場してデスアーミーを撃破したのだろう。

「トラブルだな、機体に戻るぞ」

「……はぁい、あむ」

何の反応も見せなかった俺に不満げな表情のまま焼きマシュマロに齧り付くメメメを連れ、機体のある夜営地へと向かう。不満げな顔で頬いっぱいにマシュマロを頬張るメメメに問いかける。

「それ、美味いか?」

「普通です……」

しょんぼりするメメメ、それでも無いよりはマシと頬張り続ける。太れ。

「だろうな」

焼きマシュマロは焼きたてが命、長時間持ち歩いて良いことは無いのだ。歩きながら頭の中に直接複製した通信機で美鳥に準備完了の知らせを送る。これから隙を見てナデシコを抜け出すとの返答が返ってきた。

美鳥も変身した状態での移動速度はかなりのもの。今から出ても俺達がカオシュンに到着する頃には合流出来るだろう。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

その後、夜明けにカオシュン基地に到着した。俺は加速が使えないのでナナフシ一番乗りとは行かなかったが、最悪完全破壊後にでも残骸を取り込んでみればいい。ここはSPを温存しておく。

ナナフシに一番乗りで到着したのはベルゼルートだった。スーパー系とASとエステバリスという移動速度的に微妙なラインナップの中ではまぁまぁ速い方だとは思っていたが、あの移動力は明らかにおかしい。

メメメを乗せた時の移動速度はゲーム換算にして+1、強化パーツで言えばブースター並み。しかし今のベルゼルートの移動力は明らかにブースターではなくメガブースター並み、メメメの性能に変化があるのか、それとも追加パーツでブースターでも付けていたのか。

それはさておき、目の前の状況に思考を切り替えよう。デビルガンダムと、その前に立ちふさがるマスターガンダムに向けてシャイニングガンダムが拳を突き付けている。

「うるさい! 俺の師匠は、こんなことをする男ではない!貴様は師匠の名をかたるニセ者だ! デビルガンダムともども、貴様を倒す!」

シャッフル同盟が空気を読んで後退し、マスターガンダム率いるデビルガンダム軍団との戦いが始まった。デスアーミー軍団は簡単に破壊できるし回避もそれほどではないから良い、デビルガンダムもある程度距離をとれば安心。

金棒型ビームライフルで殴りかかってきたデスアーミーのどてっぱらをレーザーダガーで貫き、そのデスアーミーを盾にビームライフルを防ぎつつ距離を取る。

ある程度デスアーミーの群れから離れたところでダガーに刺しっぱなしの残骸を投げ捨て電磁速射砲でまとめてなぎ払う。流石にジンほど軟らかくは無いので多少撃墜し損ねたヤツも居るが、、あちこちを穴だらけにされ動きが鈍った機体は他の機体が止めを刺してくれる。

そんな風にデスアーミーを片付けつつ、群れの隙間からマスターガンダムに電磁速射砲を当てていく。更にASやエステへの援護攻撃で削りつつ一定の距離を保つ。まだ、まだだ。あと少し、あと少しでチャンスが来る。マスターガンダムに接近戦で一撃を当て、DG細胞を採取するチャンスが。

マジンガー、コンバトラー、ダンクーガはデビルガンダムにかかりきりでマスターの相手は出来ていない。エステやM9、そして俺のボウライダーはマスターガンダム相手では遠距離から援護射撃に専念するのが精いっぱい。

援護付きとはいえ殆どシャイニングとマスターガンダムの一騎打ちのような状況。未だに未熟なままのドモンでは分が悪い。機体性能差(この時点でシャイニングはほぼフル改造済み。改造資金のために匿名でナデシコに金塊を送りつけているのだ)で持ちこたえてはいるが、ごり押し感が大きいのは否めない。

しかしそれでも決着の時は来る。まだ怒りのスーパーモードしか使えない筈のドモン、そのドモンの放つシャイニングフィンガーソードがマスターガンダムの腕を斬り落とした。

「なんと!?ぬぅぅ、よくもやってくれおったな……」

流石にこの場は不利と見たか、マスターガンダムが撤退しようとした、その瞬間、この瞬間、この瞬間が実に良い、この時こそが絶好の機会。攻勢から引く体勢に気持ちを入れ替えるその瞬間が!

「ここは引い、ぬあぁぁぁ!!」

山間からマスターガンダムへ向けて幾条もの光線が降り注ぐ。ギリギリのところで避けようとしたようだが範囲が広すぎたのか回避しきれていない。残ったもう片方の腕も潰され、ブースターは全損、脚部も片方が腿の半ばでひしゃげている。あの状態では歩けるかどうかすら怪しい。

『俺への』増援だ。美鳥が作ってくれた絶好のチャンス、逃す手は無い。レーザーダガーを消し、DG細胞採取用に更なる改造を施したブレードを展開する。デスアーミーはほぼ全滅、遮るものは何もない。

通信から、みんなの驚愕の声が伝わってくる。事情を、からくりを知らない者からすれば絶望的な光景だろう。

「あれは!」

「……うそでしょ」

「そんなの、ありかよ!?」

――――――――――――――――――――

お兄さんからの通信を受けてから数十分後、あたしはようやくお兄さんが仕込みをしたという森に到着した。

抜け出すのに思いのほか手間取ったのが原因。なにやら戦艦の中の待機組はウリバタケのコスプレコレクションで気分を出す……じゃなくて、気を引き締めるとかなんとか言って、しまじろうと一緒に武者鎧を着せられる所だった。

なんとか逃げ切り、しまじろうに『部屋で寝てるから放っておいて』と伝え、コミュニケも外し机に置き、部屋には眠っている私が見える幻影を残し、壁に融合しながらどうにかこうにか外に出て強化マレクレイターに変身、山の中を最短距離でかっ飛ばしてようやくここまでこれたところ。

森の中を歩く。反応を見る限り、円周上にぐるりと数百体の兵隊がポツンポツンと小分けに埋められている。いくらなんでも作り過ぎだよ……。

「お兄さんもあれで派手好きだからなぁー、女の趣味は普通なのに」

でも近親は普通の内に入るのかな。お兄さんとお姉さんの知識だと当然みたいな感じだけど、他の新聞配達の人とか駐在の人の話だとどうも一般的な恋愛では無いらしい。少し自分で情報を集めてみようかなー。

「さて、じゃあ、出撃の準備だ。起きろー」

あたしの命令を受け、地面からぼこりと土を捲り上げながら次々と腕が生えてくる。やがて全身を地上にさらけ出したそいつらは、人間の裸体に金属質の装甲を貼り付けたような身体に、目も鼻も口も耳も無い頭のっぺらぼう。

位階の高いブラスレイターにもなれるあたしとお兄さんの言う事を聞いて働く忠実な僕。総数は777体。ブラスレイター世界でお兄さんが作った継ぎ接ぎの強化デモニアックではなく、見た眼は殆どなんの変哲も無い下級デモニアック。

しかし、777体全てが脇の下にはクリスタル状の組織が埋め込まれており、あるものを首から下げている。簡素な紐で括られた、月光を受けて淡く輝くクリスタルのボックス。

あたしも懐からクリスタルを取り出す。下級デモニアックが持っているものとは違う、お兄さんお手製の強化済みの物。

「ふへへ、お兄さんのお手製、あたしだけの……」

何故だか嬉しい。思わず薄紫のクリスタルにキス。顔がニヤケてしまう。だんだんテンションも上がってきた!ふしぎなちからがみなぎるみなぎる!

「行くぞ下僕どもぉ!」

クリスタルを力いっぱい天に掲げる。あたしの動きに合わせ、下級デモニアックどももクリスタルを手にポーズを取る。

見てろよこの世界のキャラども、見ててよお兄さん。これが、これが!この世界に来てお兄さんが手に入れて、あたしに託した力だ!

「テックセッタぁーッ!」

―――――――――――――――――――

マジンガーが、コンバトラーが、エステ隊が、ベルゼルートが目を奪われている、山の中から駆け降りて、あるいは低空を飛びながら近づいて来るモノ。

紫色の甲冑を着た騎士のようなモノに率いられる、灰色の装甲を身に纏った魔人の軍団。総数数百の――

「テッカマンの、大群!?」






続く

―――――――――――――――――――

続くんです。

言いたいことは分かります。予告の三分の一か三分の二程度しか進んでないのに何故投稿したの?とか言いたいのでしょう。しかも長さ的には前回の半分。

仕方ないのです。だってSS書くなら一度はこういういかにも『次回を待て!』って感じの引きをやってみたくなるものじゃないですか。サポAIのシーンがまさにそんな感じだったのでついついやってしまったのです。

欲望のままに途中で切ったり無駄に伸ばしたりするので長さのばらつきには目をつむって頂ければ幸いです。

セルフ突っ込みタイム。マジンガーやらコンバトラーやらエステやらSPTやらからフルボッコってストライクは?→アークエンジェルに戻って換装してる間にステージクリアです。というか、ナデシコクルーの機体は改造済みですがアークエンジェルには流石に金が行って無いのであまり活躍できませんでした。

資金提供、金塊郵送について。文脈的に味方はある程度改造してある筈なのにマスター相手に苦戦してるのは何故?→資金的には二週目以降、パイロットは一週目といったような状態なので、歴戦の戦士相手に楽勝とはいきません。

精神コマンド、SPについて。主人公の感覚です。なんとなくこれぐらいかなーで残りSPや消費SP量が分かります。使い方に関しては次回。

そんなわけで次回は続き、カオシュン編決着と満を持してゼオライマー登場まで。遅筆なのでゆるりとお待ちください。



[14434] 第十話「悪魔の機械と格闘技」
Name: ここち◆92520f4f ID:63b0d291
Date: 2011/02/04 20:31
「テッカマンの、大群!?」

テッカマンの大群がこちらに、いや、デビルガンダムに向けて突撃を開始。エステ隊、コンバトラー、マジンガーは突如出現したテッカマンの大群に気を取られ、シャイニングはボルテッカの巻き添えで行動不能、ダンクーガはデビルガンダムを抑えるのに精いっぱい。ここがチャンスだ。

アニメ本編においてクーロンガンダムからマスターガンダムへモーフィングするシーンから察することができるが、マスターガンダムもまたDG細胞の塊である。

どこでもいいのでマスターガンダムの機体の一部を切り取って回収できれば一番手っ取り早いのだが、これは戦闘後に切り離された残骸に近寄らなければならない為大変目立ってしまう。

他の連中に怪しまれずにマスターガンダムのDG細胞を採取するには戦闘中にそれと分からないさりげなさでマスターガンダムの一部を取り込まなければならない。

そこで今回の改造ブレード――電動鋸を使用する。この絶妙に目詰まりしやすい構造の電動鋸を使う事により、DG細胞の削りカスを流れるような自然さでボウライダーの中に取り込む事が出来る。

今までのブレードと違ってかすりでもすればDG細胞を削り取ることができるという利点もある。今回は増援のお陰で楽に近づけるが、間に合わなかった場合は最強のガンダムファイター相手に接近戦を挑まなければいけなかったのだからこれぐらいの用心は当然だろう。

電動鋸型ブレード起動、重力制御装置により『前方に落下』しながら更にブースト全開で突撃をかける。狙いはスクラップ寸前のマスターガンダム、DG細胞による自己修復が始まっているが俺のブレードが届く方が早い!

デビルガンダムに突撃しようと飛行していたテッカマンを数体撥ね飛ばしつつ高速で接近、周辺の木々を斬り飛ばしながら電動鋸を振りかぶった。

「その首、貰ったぁっ!」

再生途中のマスターガンダム、その胸のど真ん中に電動鋸を押しあてる。ギャリギャリと金属の擦れ合う音が響き、そのままの勢いでコックピット内の東方不敗をミンチに――

しようとしたところで、バリアを突き破り飛んできたビームチェーン付きの鉄球に横っ面をぶん殴られて吹き飛んだ。流石に敵の前で倒れるのは拙いので空中で姿勢を立て直し味方の近くまで後退。機体各部のチェック、損傷は軽微。

これがDG細胞に侵された次世代シャッフル同盟の攻撃か。バリアを貫かれたのは予想外だが、それでも現時点では威力的に取り込む必要性を感じられないからスルーさせてもらおう。

続いて薔薇の花を模したビットが飛んできたが、後方から追いついて来たM9のショットガンの連射により迎撃される。技術的には一番微妙なASでよくあれだけやれるものだと感心してしまう。

「前に出過ぎだ。一人で突出するな」

「ああ、悪い。助かった」

M9の相良宗助から通信で軽く注意されてしまった。あっちでマスターガンダムに突撃かましてボルテッカの巻き添え食らってぶっ倒れてるシャイニングガンダムの中の人と同じ声で冷静に諭されるのは何とも奇妙な感覚だ。

しかし何はともあれマスターガンダムのDG細胞は無事採取出来た。ブレードを格納し刃と刃の間に詰まっているDG細胞の取り込み完了。DG細胞自体はすでに取り込んであるので眠くはならない。流派東方不敗の動作は後で確認しよう。

新たに現れた新シャッフル同盟(予定)とデスアーミー軍団。DG細胞に侵された四人はデスアーミー軍団だけ残してさっさと帰るのが元の流れなのだが、今回はそうもいかないらしい。

デビルガンダムに纏わり付き攻撃を続けるテッカマンの軍団。それを排除せんとするために撤退するはずの四機が参戦する。

拡散粒子弾を避けながらテックランサーでガンダムヘッドを斬り落して行く数百のテッカマン。数体がボルテッカを放ち、ダメージを受けた数体がフェルミオン粒子を限界まで溜めた状態で特攻し自爆攻撃を仕掛けてデビルガンダムの身体を削って行く。

そのまま地の底へ潜って逃げようとするデビルガンダムを追いかけて行く量産型テッカマン軍団と美鳥の変身したテッカマン。その後を四機の新シャッフル同盟候補が追いかけていった。

もうマスターガンダムのDG細胞は手に入ったからそこまでする必要は無いのだが、一体美鳥は何を意地になっているんだ?まぁ兵隊はいくらでも作れるので変に証拠を残さなければ何をやっても構わないが。

下級デモニアックがベースの兵隊はともかく、美鳥は素のテッカマンの状態でブラスターテッカマンに匹敵する強化が施されているから死ぬ心配は無い。その内帰ってくるだろう。

ナデシコチームは現状について行けず置いてけぼり。しかしテッカマンの群れのデビルガンダムへの猛攻撃を見てしまった後だからか、自分たちが標的にならなかったことを安堵している者が多い。

「俺たちは無視かよ!」

「なんだか、眼中に無いって感じだったねー」

「でも助かりました。あの数のテッカマンと戦って無事で済んだかどうか……」

「せやな」

怒る甲児、どことなく呆れている風のアマノ、冷静に戦力を分析してこっそり安堵の溜息を吐いている小介、頷く関西弁。しかし誰一人追いかけようとかそういう提案はしない。

一応主人公チームなのだからもうちょっと血気盛んで良いだろうに、貴重な資金源が!経験値が!とか。赤軍と黄軍が潰し合って嘆くのはあくまでプレイヤーであって、キャラクターからすれば危険が減って大助かりということか。

そんな訳で、周囲の敵は全て撤退、主人公チームに様々な疑問を残しつつも戦闘は終了。念のために周囲を警戒しつつ、改めてナナフシの破壊に向かう事になった。

むぃー、という間抜けな音を立てつつホイールが回る。敵が居なくなったのでほぼ手放し低速運転、今回はもうナナフシに近づいて適当に電磁速射砲を叩きこむだけ。あとはナデシコに帰ったら少し身体を動かして東方不敗の動作を確認、それから風呂にでも――

これからの予定をなんとなく考えていると、ベルゼルートから通信、モニタには困り顔の統夜と泣く寸前みたいなメメメが。

「あの――」

「大丈夫ですか怪我してませんか無事ですか!?」

統夜のセリフを遮りメメメが捲し立てる。統夜に目を向けると頭を掻きながらどうしたものかといった表情で口を開いた。

「卓也さんの機体がハンマーで殴られてからもうずっとこんな感じで……。ほら、卓也さんの機体、何時もは被弾しても吹っ飛ばないし、大きな攻撃は大体避けるか迎撃するじゃないじゃないですか」

機銃で吹っ飛ぶことは無いし、そもそもミサイルだの大鎌だの避けたり回避するのも見栄えの問題なんだけどな。整備班の人に損傷について深く突っ込まれるのは避けたいというのもある。

それにこのボウライダーはそこまで紙装甲じゃない。それどころかスーパーロボット並みの装甲を誇っているというのに何故そこまで心配されなきゃならんのか。

あれか、つい調子に乗って好感度を上げ過ぎたか。それは後で解決するにして、心配されたからにはこれを言わなければロボット物としては始まらないだろう。

「心配するなよメルアちゃん、俺は不死身の男だぜ?」

折角主人公及びその取り巻きと仲良くなれたからには、何時かの為のフラグを立てざるを得ない。これで部隊からフェードアウトするときの演出は決まったも同然だな。

―――――――――――――――――――

予備エンジンでおっかなびっくり空を飛んで迎えに来たナデシコに帰艦する。格納庫にボウライダーを降着させコックピットから飛び降り、整備班の人に軽く挨拶をしてから自室へと向かう。

手には実家から持ってきた姉さんのお下がりのデジカメ。ロボットや珍しい風景(シャトルの窓から見た地球、月面都市、ナノマシン煌めく火星の空、ラダム樹の森など)以外に使用したのは今回が初めてだが、これからはちょくちょく撮ってみようかなと密かに考えている。

先ほどナナフシを破壊した後、みんなで残骸を前にデジカメで写真撮影をした。戦いの記録とかみんなとの思い出になればという口実で撮ったがなかなかの出来だと思う。落ち込んでいたドモンは入らなかったがこれから撮る機会は何度もあるから放っておいた。

正直ナナフシの残骸に手を触れる口実が欲しかっただけなのだが、これはまさしくあのフラグ。後々みんなの回想シーンとかに出演したりその度にこの写真も使われたりなんかしてもう。

何だかんだでちょくちょく援護攻撃も援護防御もして回っているし、飯も度々一緒に食べたり遊んだり訓練したりとパイロット間のコミュニケーションも良好。それなりに仲間らしい振る舞いはできているだろうし、ゲーム的に言えばインターミッションであの悲しいBGMとかが流れるとベストなのだが。

というか、こんな簡単な手で残骸に近寄れるなら無理してマスターガンダムに突撃する必要は無かったか。でもナナフシみたいな大物ならともかく切り離された腕の隣で記念撮影ってのはなんか違うよなぁ。何か上手い言い訳は無いものか。

しかしこのデジカメ、なんだかすごく見覚えがある。直観で言えば拳に付けて相手を殴るのに最適そうだ。エネルギーを流し込むパーツもあるし、表側には何か薄いモノ(メモリ?)を差し込むような部分がある。

思い当たるアイテムはあるが、これ単体じゃ何の意味も無い。実家の物置を探せばベルト本体と付属の携帯とかポインタとかのオプションも出てきそうだが、結局は衛星が無いと全く無意味だろう。

そんなデジカメを弄りながら部屋のドアを開けると、ベッドの上に顔を紅くし汗で全身びしょ濡れ、呼吸も荒く苦しそうな美鳥が横たわっていた。俺の気配に気づいたのかこちらに顔を向け、うっすらと瞼を開けて微笑む。

「お兄さ、ん。おか、えり……」

「ただいま。なかなか酷い状態だな」

ややこしくなりそうだから俺の部屋で寝るなとは言わないでおく。濡れタオルを複製し顔を拭いてやると、美鳥は苦い顔で事の成り行きを説明し始めた。

「デビル、ガンダム、追いかけてたん、だけど、ねー」

―――――――――――――――――――

下僕どもを率いて山から下り、カオシュン基地周辺を見渡して真っ先に目に映ったのは向かいの山の麓で今にも撤退しようとする片腕のマスターガンダムだった。

そこから少し離れて基地寄りの川沿いにお兄さんのボウライダーとASとエステ。どうやら接近戦は諦めて援護に専念しているっぽい。そうそう、こういう状況を待ってたんだ。サポートAIの面目躍如だね。

あたしのすぐ後ろを飛んでいた数体の量産型テッカマンに指示を送る。量産型の肩からボルテッカ発射孔が露出し数瞬のチャージ、苛烈なフェルミオン粒子の奔流がマスターガンダムへ襲いかかった。

着弾。逃げられないように、なおかつ即死しないように少し狙いをずらして撃ったけど、超反応で避けようとしたお陰で予想よりも大きなダメージが入ったらしい。近くに居たシャイニングガンダムにも二、三発直撃したが些細な犠牲、避けられない方が悪いんだし。

お兄さんもこれで安心してマスターガンダムからDG細胞を採取できる筈。これはあたしとしてもチャンス、追いついてきた他の量産テッカマンを率いてデビルガンダムに突撃だ。

二百体に撹乱、二百体に雑魚狩り、残り全部でデビルガンダムを攻め落とす!テックランサーを取り出すとハルバード型だった。いいね、初めてお兄さんと戦った時を思い出す。あの時はあっさり反撃で腕ごと切り飛ばされて使えなくなったけど本当はそれなりに扱えるのだ。

この紫色のアーマーも懐かしい。あたしが初めて変身したブラスレイターのタイプ25『グラシャ=ラボラス』、それを模した鎧騎士のような姿はとても気分を高揚させてくれる。

ランサーを一振りすると、カマイタチが飛んで数本のガンダムヘッドを刈り取り、その後を量産型テッカマンどもが次々と殺到する。ガンダムヘッド諸共拡散粒子弾で吹き飛ばそうとするが、それもけっして正しい選択じゃない。

お兄さんの作った量産型テッカマンは原作のテッカマンとスパロボのテッカマンのどちらにも属さない細工が施されている。

まずボルテッカ。これはスパロボ版のようにENさえ付き無ければ何発でも撃てる代わりに威力は並というものでもなく、アニメ原作のように基本一撃必殺だけど一発で打ち止めというものでもない。

まず全ENの三分の一を使用して高威力のボルテッカを撃てる。が、ボルテッカを撃てるのは二回だけ。これは体内に蓄積されたフェルミオン粒子を使い切らないことで基本性能を下げないようにするという安全装置。

残りの三分の一を蓄えたままクラッシュイントルードやテックランサーなどで戦う。場合によってはボルテッカ一発まで、残り三分の二の半分をコスモボウガンに回して援護役に回ることもできる。

そして最後の三分の一を残したままある程度ダメージを食らった場合、残りの体力やら何やらもENに変換、敵に取りついて自爆するという脳への刷り込み。

これで証拠は残らないし、デビルガンダムに取り込まれてDGテッカマンとかシャレにならない敵ユニットが生まれる可能性も無くなるという寸法だ。

案の定、今の拡散粒子弾の直撃を受けた数体が最後の力を振り絞ってデビルガンダムに特攻を仕掛け始めた。

腕や脚がもげた歪な形の量産型テッカマンどもが拉げて歪んだブースターを無理やり吹かして突撃、デビルガンダムの全身至る所に激突し、いくつもの巨大な爆発で覆い尽くす。

デビルガンダムに張り付きに行く途中でガンダムヘッドや拡散粒子弾やバルカンに叩き落とされて森の中に墜落した量産型が爆発、森が消し飛ぶどころか地面が抉れてカオシュン基地の半分もありそうな面積の巨大なクレーターが生まれた。爆発の規模から見て今のはボルテッカを一度も撃って無い奴だったのかも。

それにしてもえげつないなぁ。大量のテッカマンによる特攻ボンバーなんて荒業、そこいらの連中では思いついてもやらないだろうに。これも数の暴力というか、無限に製造できるからこその発想なんだろうけど……。

ボルテッカの雨と特攻自爆に耐えかねたのかデビルガンダムが地下に潜っていく。逃がさない、ここでお前の細胞を採取しておけばお兄さんはもっと強くなれる!

背部のブースターを吹かしデビルガンダムの掘った巨大な穴へ突入する。日の光の届かない地下だが、暗黒の宇宙空間でも戦えるテッカマンの目には当然のごとく暗がりの中でも逃げるデビルガンダムがはっきりと見えている。

そしてこのトンネルの中は赤や青や緑のフェルミオン粒子の光、量産型がデビルガンダムに向けて絶え間なく放つボルテッカやコスモボウガンの光で更に明るく照らされているんだ、これで見失う道理が無い。さっさと動けない程度に破壊してオリジナルのDG細胞の一部を回収させて貰おう。

「ヘイ!そのお方にはそれ以上近づかせないぜぇ!」

デビルガンダムに近づこうとしたあたしの視界いっぱいに迫る巨大な拳。ガンダムマックスターのファイティングナックルかな?遅くて遅くて欠伸が出る。ギリギリまで引きつけてからひらりと回避、すれ違いざまにナックルガードをテックランサーで切り裂いていく。

「死ぃねぇぇぇ!」

避けた先に竜の頭、ドラゴンガンダムのドラゴンクロー。これも遅い、全身の装甲を折り畳んで急加速、口の中にクラッシュイントルード。腕の中を貫いて肩から脱出。

脆い。弱い。貧弱。只でさえこの世界でMFの性能が微妙だというのに、挙句にそんな魂のこもっていない攻撃ではお兄さんの真心のこもったこのお手製装甲は傷一つ付けられない!

「弱い!弱いなぁあんたら!それでも国家の代表かぁ!?」

あたしの挑発に乗って、デビルガンダムの周りで量産型テッカマンを迎撃していたボルトガンダムとガンダムローズもハンマーとビットをそれぞれ放ってくるが、ハンマーをランサーで叩き割り、ビットはテックランサーからフェルミオンビームを放ち全て撃墜。

攻撃を潰され一瞬怯んだ四機に更に追い打ちでフェルミオンビーム乱れ撃ち。デビルガンダムの掘り進む地下道の中をドス赤い光が幾度となく照らす。

デビルガンダムの掘った即席のトンネルが揺れる。四機が避けた攻撃が壁に当たってトンネルは今にも崩れそうだけど、あたし一人なら即座に地上に脱出できるから気にする必要も無い。

テックランサーを横薙ぎに一閃、四機とあたしの間に赤いフェルミオンビームで線を引く。再び揺れるトンネル。眼下の四機を見下して余裕たっぷりに告げる。

「怒った?怒ってるよね?でも無駄だよ。今のあんたらの雑な攻撃じゃ、あたしには指一本触れられない」

指を振りちちちと舌打ち。今後の展開を考えなければここで撃墜してしまっても構わないのだけど、お兄さんになるべくストーリー本筋に係わるキャラは殺すなと言われている。

掛け替えの無い命、その生殺与奪の権利を手にした時のこの興奮!堪らない。お兄さんには悪いけど、時間いっぱいたっぷりと楽しませて貰おう。

怒りに任せ闇雲に攻めてくる四機をあしらいながら遊んでいると、一体の量産型テッカマンが手に何かの破片を持って近づいて来る。あたしとそのテッカマンを接触させる為、十数体の量産型テッカマンが四機にボルテッカを放った。

量産型から破片を受け取る。デビルガンダムの装甲、オリジナルのDG細胞だ。良くやったと心の無い人形に思わず称賛の言葉を投げかけようとした、その時。

「やらせはせんわぁぁぁぁぁぁ!!」

目の前を巨大な手刀が通り過ぎ、あたしにデビルガンダムの装甲の破片を渡した量産型は自爆する間も無く手刀に磨り潰されて消えた。

「なぁっ!?」

慌てて振り向く。なんとそこには、量産型テッカマンの攻撃を捌きつつも此方に接近するマスターガンダムの姿。あの状態からこんな短時間で再生できるもんなのか!?

撃ちだした手刀を回収しながらこちらに闘気を放つマスターガンダム。拳法独特の構えを取り、こちらに拳を向ける。

「ふん、言うだけの実力はあるようだな。確かにこやつらでは相手にならんほどの難敵。わし、東方不敗マスターアジアが直々に相手をしてくれよう!」

立ちふさがる現時点でのガンダムファイター最強存在である東方不敗。これは、流石にピンチ、かな。

―――――――――――――――――――

美鳥の回想終了。しかしここまでの説明だとマスターは難しいけどMF四機相手になら無双が出来るという自慢がメインのように思える。今こんな状況になっている説明にはならない。

というか何故ここで切るのか。むしろここからが今の状況に繋がる重要な部分だと思うのだが。

「ふんふん。それでそれで?」

話の続きを促しながら背中に手を添えて起きあがらせる。万歳させて服を脱がせ、濡れタオルで首筋を拭いてやると、くすぐったいのかくすくす笑いながら身を捩じらせる。

「マスターガンダムは、ブラスター化して、くふ、なんとか、うひゃ、切り抜けたのはいいんだけど、今度は、採取したデビルガンダムのDG細胞が、ひひ、再生を始めちゃって」

そこをちゃんとした語りで聞きたかったのだが、端折られてしまうとは予想外だ。まぁ自分が苦戦する所を事細かに語りたがる者もそうそう居ないから仕方ないか。

気を取り直し美鳥の身体を拭く。首筋から背へ降り、背の肩甲骨から胸、胸から腹、腹から腰と濡れタオルで汗を拭っていく。

「慌てて取り込んだら容量不足で熱暴走オチか」

呆れた。そこまでしてオリジナルのDG細胞を採取する必要は無かったのに。脇の下に手を入れ持ちあげ膝立ちの姿勢に、そのまま上半身だけベッドに倒れさせ、ズボンとパンツを下ろしてやり、腰から尻肉、尻の谷間へ濡れタオルを滑らせる。

「そ。って、え? あや、やめ、そこはちょっと止め、ひゃう!いやむしろいいけど、むしろバッチ来いだけどちょっとまって、まずオリジナルのDG細胞のデータ、移譲を、あー、もー!」

勢いよく起き上がり振り向いた美鳥にぐいと胸を押され押し倒された。力強いと感じるのは擬態が解けかけて重量が増加しているからか。

俺の肩を両手で上から押えた美鳥が顔を近づけ、唇を落としてくる。もごもごと口の中を滑る舌で探りこじ開け、熱い唾液=オリジナルDG細胞のデータを流し込んでくる。俺がそれを飲み干したのを確認すると唇を放し、改めて軽く触れるようなキス。

そこまでやって力尽きたのか、俺の胸に頭をもたれずるずると倒れこむ。前回スケールライダーを取り込んだ時と違い、美鳥の肉体も全体の記録容量が大きくなっている為、思考がキスのことでいっぱいになるとかそういうエロい展開にはならないらしい。

渡されたオリジナルDG細胞のデータを元に身体を構成するナノマシンの再構築。途端に眠気が襲ってきた。しかし、眠る前にやるべきことが残っている。

俺の上でぐったりと倒れている美鳥の頭に手を置き、汗で濡れた髪を梳くようにゆっくりと撫でる。

今回の無茶はオリジナルのある程度進化が進んだDG細胞を取り込ませて俺を強くするという目的があってのこと。こんなに身体を張ってまで手伝ってくれるとは、俺は良い妹的な存在を手に入れたものだ。

「ありがとな」

「……へへ、どういたしまして」

はにかむ美鳥の頭を腕で抱き、そのまま眠気に身を任せようと――

「卓也さんごめーん! メルアじゃないけどお菓子貰い、に……」

いきなりドアを開けてテニアがお菓子の催促。まずいな、この状況がどう見えているのかは分からないが、どう好意的に判断しても今後の艦内での人間関係が非常に気不味くなって行動し辛くなるのは確実だ。

記憶消去魔法の構成を思い出そうと頭を高速で回転させていると、テニアは慌てて振り返り、うずくまりながら目をこすり独り言を始めた。

「あ、あれッ! 急に目にゴミが入った! 見えないよッ、2人なのかよくわからないッ!!見てない! わたしは見てないからね、なあーんにも見てないッ!」

一気に捲し立て、止める間もなく立ち上がり走り出す。あっという間に廊下の角を曲がったかと思ったら、すぐに戻ってきてドアの隙間から頬を赤らめた顔を少しだけ見せ、ぎりぎりこちらに聞こえる程度の小さな声量で一言。

「ご、ごゆっくり~」

顔を引っ込め、遠ざかっていく足音。眠気が吹き飛んだ。

「美鳥」

「うん。追いかけよう」

―――――――――――――――――――

廊下を走るフェステニア・ミューズは混乱していた。

(あー、こんなことならもっと時間を置いてくればよかったー!)

同じ実験施設から逃げ出して来たメルアがナデシコ内で度々口にしている様々なお菓子。市販の品では無く食堂で買えるものでもないそれが気になり、毎日そのお菓子類をメルアにあげている親切な傭兵のお兄さん、鳴無卓也に頼んで分けて貰おうと考えていたのだ。

脳裏に先刻の光景が蘇る。パンツもズボンも膝まで擦り下ろし、上半身に至っては裸の少女。鳴無美鳥が艶やかな、俗に言う女の顔というやつで卓也の胸に顔を埋めていた。

鳴無卓也と鳴無美鳥。二人はともに傭兵稼業で生計を立てている兄妹だという。自分たちよりも幼い少女が何年も前から戦場に立っていると聞いた時は驚いたものだが、二人だけの家族だから助け合って当たり前と嬉しそうに言っていたのをテニアは記憶していた。

そう、重なり合っていた二人は兄妹なのだ。そういった行為が許される間柄ではない。

(あああでも戦場で生きているならそういう関係もありだってなんかの雑誌に書いてあった気もするしでもそうなったらメルアの立場ってもんが――!)

立ち止まる。そうだ、メルアにはどう説明すればいいんだろう。お菓子を貰いに行く時のあの表情、自分とて少し前まで同じ施設で実験体として扱われていた身、そこまで色恋沙汰に詳しい訳では無いが、あれがどう見てもただお菓子が楽しみでという表情ではないことはテニアでも分かった。

最近ではお菓子の話題の中、お菓子を貰いに行った時に卓也さんとあーだ、卓也さんとこーだと、お菓子では無く卓也さん本人に関する話題の方が多くなってきた程。その表情は明るく、身守る統夜やカティアの眼差しも自然と優しげなものになってきている。

(言ったら、どうなっちゃうんだろ……)

分からない。怖くて想像もできない。言うべきか言わざるべきか、それが問題だ。

一旦カティアに相談するべきだろうか、いや、人生経験は似たようなものだ。じゃあ統夜は――駄目だ。あの鈍感さでは色恋にはあまり疎くないだろう。

ここは人生経験豊かそうなアキさんやエリザベス先生に相談――

「あれ?」

何を相談するんだったか。いやそもそも自分は何故廊下でぼーっと立ち止まっているのか。

首を傾げて頭の上にクエスチョンマークを浮かべるテニア。先ほどまでの苦悩はすっかり頭の中から消えてしまっている。

立ち止まり考え込み始め十数秒、その間に自分が苦悩していた理由も、その原因となる出来事も、そもそも自分が苦悩していたという事実さえ忘れていた。

「よーテニやん、こんな廊下のど真ん中でなにしてるん?」

「寝不足か?睡眠不足は女性の大敵だぞ」

「あ、美鳥、卓也さん……」

そうだ、二人のことで何か、何か相談があって、なんだっけ?あと少しで思い出せそうなんだけど……。うんうん唸りながら首を捻っているテニアの手を美鳥が引っ張って歩かせる。

「ちょーどいいや、一緒に食堂行こうぜ」

「出撃組は朝飯抜きだから腹が減っててな。なんなら奢ってもいいぞ」

「ほんとに!?じゃあカレーライスのトッピング全部載せ!」

忘れてしまう位なら大したことでは無い。そう結論付け、テニアは人の奢りで頼むチャレンジメニューに思いを馳せるのだった。

―――――――――――――――――――

人のまばらな食堂。券売機でカレー大盛りと内容も見ずに嬉々としてトッピングの券を片っ端から買い漁っているテニアを見ながら、隣を歩く美鳥に小声で称賛の言葉を送る。

「詠唱無し予備動作無し発動体無しであれか、流石だな」

「伊達や酔狂でサポートキャラやってんじゃ無いってこと。見なおした?」

天麩羅盛り合わせ定食の載った盆を両手に持ち頷く。記憶消去の魔法、しかも頭がパーになるような不完全なものではなく都合の悪い部分だけを選択式で消して後遺症の残らない完全なもの。

本職ではない俺ではとても真似できない。というか、記憶消去の魔法の恐ろしさを垣間見た気がする。魔力の動きか精霊の働きによっぽど敏感な者にしか感知できないレベルの静かな魔法行使で人からあっさりと記憶を奪うことができる。

こんな凶悪な魔法を学校で基本的なものとして教えるとは、ネギま世界も中々侮れない黒さではないか。赤松補正の無いネギま世界とかあっても正直近寄りたくも無いレベルのえげつなさだ。

「うむよくやった、俺の妹をファックしてもいいぞ」

「お兄さんの妹ってーと……、つまりあたしじゃねーか!」

「なに、やってやれないこともない。試してみるか?俺は横でまじまじと真顔で観賞させて貰うがな」

オリジナルのDG細胞。つまりデビルガンダムから採取したDG細胞の機能としてデスアーミーの生産がある。この機能を応用すれば俺の子機とも言える美鳥を大量に生産することが可能な筈だ。

デスアーミーのDG細胞にも自己増殖機能としてデスアーミーを生み出す機能が備わっているが、これで増殖できるのは自分のみ、能力の劣った兵隊を作り出す機能はデビルガンダムにしか備わっていない。

俺が二人や三人に増えても気持ち悪いし何一つ得な事は無い。しかし美鳥をある程度増産すれば使いっパシリが増えて楽ができる。

美鳥は火星丼タコさんウインナー抜きを載せた盆を机に置き、崩れるように椅子に座りながら渋い顔で首を横に振った。

「そういうのは勘弁してよ……、似たようなネタはやり尽くしたんだし。布巾で鏡ーとか寝転がって幽体離脱ーとかさぁ」

「発想は同じレベルか」

俺も机に盆を置き椅子に座りため息。まぁ自分を増殖させるよりは精神的によっぽどマシなのでデビルガンダムの自己増殖機能は消去ではなく封印としておこう。

暫く美鳥と駄弁りながらテニアを待っていると、微妙な表情のテニアが山のようにトッピングが載ったカレーを持って席に着く。

「カレーのトッピング、あんなに種類あるなんて聞いてない……」

納豆やチーズ、その他諸々の具材の絶妙に異次元的なマッチングに頭を抱えるテニアをひとしきり笑い、食事を開始した。

なお、少し遅れて食堂にやってきた出撃メンバーの中、納豆チーズその他かけカレーを見たメメメが、テニアと少し距離を開けて座ったのは完全な余談である。

―――――――――――――――――――

■月◆日(光子力研究所に暴風警報、いや暴風注意報か。どっちにしても天は揺るぎもしないでしょう)

『カオシュン基地での戦いが終わった後、引き続き戦力としてナデシコに残ることとなった俺達、そしてネルガルの研究所で検査を受ける予定のJヒロイン三人娘と統夜は契約を更新したが、コンバトラーチームに甲児とさやかといった元の所属がある連中はナデシコから降りていった』

『専用の整備機材が無いナデシコでは完全な整備を行うことは難しく、コンバトラーやマジンガーZにも大分ガタがきているとか。まぁ、殆ど間を置かずにナデシコとアークエンジェルの混成チームに戻ってくるはめになるのだが』

『マジンガーZと言えば、ナデシコから降りて直ぐにあしゅら男爵率いる機械獣軍団との戦いでアフロダイを人質に取られてあっさりと捕まってしまい、甲児はパイルダーごと行方不明』

『正直な話、資金に飽かせてやたら改造がほどこされているマジンガーならアフロダイとボスボロットが居なくても機械獣程度の相手なら一機でいくらでも無双が出来るのだが、それでもなお仲間と一緒に戦う道を選ぶとは、流石は兜甲児、主人公の鑑である』

『さりげなくアフロダイも改造してあるので機械獣数機に捕まるほど弱くは無い筈なのだが、それでもあっさり捕まってしまったのはヒロイン補正というやつだろうか。もう少し善戦してくれてもよさそうなものなのだが』

『俺と美鳥も探しに行ったのだが、結局パイルダーもマジンカイザーの眠る秘密格納庫的な場所も見つけることができなかった』

『まぁ、後々合流するから逸る必要は無いのだが、グレートから複製した超合金ニューZはボウライダーの装甲に電磁速射砲の砲弾にとかなり便利に使わせて貰う事ができたので、ついついグレードアップが楽しみになってしまう』

『さて、もうそろそろゲームで言う十三話に到達する頃合い、つまり待ちに待ったゼオライマー初登場の日だ。ここで直ぐ合流するかは覚えていないが、同時に風のランスターも敵としてやって来る筈』

『ここらで今日の日記は終わりにして、体力を持て余しているドモンと組み手でもして身体を温めておこう』

―――――――――――――――――――

人体の発するモノとは思え無い鈍い打撃音が連続でナデシコのドッグに響き渡る。拳と拳、蹴りと蹴り、互いの放つあらゆる攻撃が相殺され身体の芯を鋭い衝撃が貫く。

何も取り込んでいない素の状態でも車より早く駆け、岩を砕き、目前に迫る銃弾を掴み取る超身体能力を発揮していた俺の身体は度重なる融合捕食と最適化により、戦闘モードに切り替わればかなり大型の機体とも殴りあえる程の性能に達している筈だ。

当然今は戦闘機動で動いている訳では無い。室内、というかナデシコを整備しているドッグの隅を借りての組み手である以上、整備中のナデシコや施設を破壊してしまうような戦いはご法度だからだ。

しかし、全力で無いという意味で言えば目の前のドモンとて似たようなものだろう。先ほどから数十分打ち合っているが、劇中に登場した流派東方不敗の技を一つたりとも出して居ない。

俺も大概だが、ガンダムファイターの身体能力も充分に異常なのだ。高層ビルを蹴り飛ばしたり重力百倍で立ち上がったりビルをキック一発で切断したりと無茶苦茶する連中である、例えばMS程度なら生身で撃破など赤子の手をひねるが如しだろう。

ネギま世界で初めて化け物相手に戦った時とは少し違う。まず身体能力で多少優位に立っていて、なおかつ今の俺にはさらに戦う為の技術がある。

空中で飛び蹴りを打ちあい、互いの足裏を蹴り少し距離を取って着地。構えを解かず隙の見えない目の前のドモンが眉を顰める。

「流派東方不敗の動き、どこで覚えた」

そう、先日採取して取り込んだマスターガンダムのDG細胞から読み取った動作ログ、そこから流派東方不敗の動きをトレースしているのだ。

無論、マスターアジアとて日がな一日マスターガンダムに搭乗している訳では無いので全ての動きを完全再現とは行かない。武道家の日常的な体捌きなどはドモンや獣戦機隊の亮辺りを観察してトレースして補っている。

更に言えば俺の似非流派東方不敗は技術であって業では無い、みたいな扱いになってしまうのだろう。まぁ心だの魂だのは使って戦う内に勝手に付いてくるものだと思うので、とりあえずは目の前のドモンで練習させて貰っているのだ。

しかし当然そんなことを口にできる訳も無いので適当に考えた言い訳でお茶を濁す。

「いやなに、ナデシコには日がな一日練習している奴が居るからな。その練習を記録して、あとはこの間のマスターアジアとの戦いも参考にさせて貰ったりして」

フンと鼻を鳴らし、ドモンが拳を打ち出す。下手な銃弾よりもよほど速い、超高速の拳。

「そのような猿真似!通じるほど甘い流派では無い!」

脇腹狙いの拳を肘打ちで迎撃、いや、この拳は囮、逆の蹴りが本命か。蹴り脚にそうように懐に潜り込もうとするも読まれ額に一撃、後方に吹き飛ばされた。

当てられた額が少しひりひりする。生身でこれだけの威力の拳、ガンダムファイターは本気で化け物じみているな。

「猿真似と未熟者、稽古相手としちゃどっこいどっこいじゃないか?」

猿真似を馬鹿にしてはいけない、ジョルジュだってジェスターガンダムの猿真似に負けている。腰を落とし、掌で空中に円を描き十二の梵字を出現させる。

「そら!十二王方牌、大車併!」

梵字から出現した俺の分身がドモン目掛けて軽くホーミングしながら突撃する。

「な、貴様こんな場所で――!」

分身を回避しつつ慌てるドモン、避けた分身が整備中のナデシコへ向けて飛んで行く。このままでは整備中のナデシコが酷い事になるだろう、しかし、この技なら問題無い。

ナデシコへ向かっていた分身を手元に戻し元のエネルギーに還元、体内に戻す。帰山笑紅塵、十二王方牌大車併で大量に放出した分身をこの技で回収することにより、結果的に殆どエネルギーを食わずに攻撃することができる。

ネギま世界で取り込んだ烏頭が、気を使った闘法を覚えていたからこそ使える技。そもそもEN無限な俺には必要の無い回収技だが、このように使えば周りの被害を抑えつつ戦うことも可能なのだ。

もっとも、科学寄りのものでは無いので威力的にはたかが知れている。実戦で使用するなら真正直にこの技を使うのではなく、この技を見せ技にしてミサイルなりビームなりを撃つとかしなければあまり意味は無いだろう。

俺が分身を回収すると同時、組み手開始前にしかけておいたタイマーが鳴った。組み手終了の合図である。

「じゃ、俺はこの辺で上がらせて貰うわ。稽古に付き合ってくれてありがとうな」

「いや、俺にとっても修行になる。礼を言われるほどの事でもない」

愛想がいいとまでは言わないが、それなりに会話ができるようになったのは拳で語ってみたからか。

用意していた折り畳みの椅子に座り擬態用の汗をタオルで拭きつつ、技の型の稽古を始めたドモンに話しかける。

「そういえば知ってるか? 国際電脳の本社ビルが何者かの手によって破壊されたとかどうとか」

「それがどうした。デビルガンダムや東方不敗と関係があるようには思えん」

一心不乱に拳を振るいながらぶっきらぼうに答えるドモン。俺や男性陣だけにこんなんだというならまだいいのだが、こいつの場合はレインに対してもこんな感じだから困る。

この世界ではデビルガンダムコロニーイベントも無いというのに、こんな状態できっちりレインとゴールインできるのだろうか。

「そうとも限らないんじゃないか?国際電脳の本社を破壊したのがデビルガンダム、そうでなくてもデビルガンダムの手先って可能性は無いわけでは無いんだし」

まぁ実際は鉄甲龍の自作自演なんだが、こいつの場合ネットワーク関連をデビルガンダムで掌握して世界征服、なんて短絡をしてもおかしくは無いと思うんだけど。

「そうだとしても、既にその場所にはデビルガンダムの手がかりは無いだろう。もし居るのなら謎の襲撃者の手がかりの話が無ければおかしい」

こちらを振り向きもせずに型の稽古を続けつつだがしっかりと答えが返ってきた。なんだかんだで律儀な性格なのかもしれない。しかも予想外に冷静だ。

「それに、闇雲に怪しい物を追いかけ回すよりもこの船に乗っていた方がヤツを見つけるには近道になる。トラブルには遭い易い船のようだからな」

なるほど、その程度の損得勘定はできるということか。椅子から立ち上がりナデシコに向かって歩き出す。体も温まったし、ボウライダーの調整でもしてこよう。

途中で立ち止まり少し振り返る。一言だけ言っておいてやろう。

「ミカムラさん、もうちょっと労わってあげた方がいいぞ。シャイニングの整備でかなり疲れているみたいだから」

「……ふんっ」

鼻息で返されてしまった。まぁ、こんなんでも幼馴染ならなんとかなるだろう。多分アレンビーは仲間にならないし。幼馴染といえばもっともくっ付き易い男女の組み合わせと相場が決まっている。

例えば俺の身近なところの幼馴染でいえば新聞配達の人に駐在さんだろう。思えばあの二人も俺がまだ生まれても居ない頃からずーっとあんな感じで付かず離れずのままもう三十路過ぎ……。あれ、これは駄目な例じゃないか。

いや、三十過ぎて友達以上恋人未満ってのも別に悪くは無いよな。別に熟年結婚でも構わないと思うんだ。決して幼馴染は近くて遠い立ち位置だとかややこしい事を言いたい訳でも無いし。

あ、でもレインって確か大学時代に恋人が居た気がする。しかも下手をすればアニメ本編と違ってその恋人も無事かもしれん。これはピンチか?

やはり男女の仲というのは難しい、せめてさっさと爽やかで子供に優しいガンダムファイト決勝リーグ時点のドモンになればどうにかなるのだが……。

―――――――――――――――――――

整備中のナデシコの格納庫へ到着した。格納庫の中にはエステの換装用フレームと分離状態のダンクーガ、シャイニングにベルゼルート、後は俺と美鳥の持ち込んだボウライダーとスケールライダーのみ。

ナデシコから降りたのはコンバトラーにマジンガーZにアフロダイ、コンバトラーは分離状態で格納されていたのでこの格納庫から7機も居なくなったということになる筈なのだが、それを補って余りある数のスーパーロボット軍団だ。

そういえばコンバトラーといえば、何だかんだで装甲もENも武装も改造してあるんだよな。風のランスターを一機で倒せるかと言えば少し力不足だが、うっかりゼオライマーではなくコンバトラーが止めを刺してしまいかねない程には強くなっている。

どうしよう、もしもの時の事を考えて八卦ロボの残骸も取り込んでおくべきか。そもそもプレイヤーが操っている状態でもなきゃ全ての八卦ロボをゼオライマーに破壊させるなんて不可能に近いし。

積極的に八卦ロボ周りの雑魚を片付けて誘導するとか、八卦ロボを倒せばゼオライマーから自由になれると言いくるめるとか、宿命の相手なんだから自分で片付けるように説得するとか、決定的な案はどうにも浮かんでこない。

マサキが出てきてくれれば間違いなく自分で止めを刺してくれること間違い無しだが、そこら辺の人格移植のプログラムはデリケート、下手に弄ってマサキの人格が出てこなくなっても問題がある。

これは実際にゼオライマーが来てから考えないと答えは出ないな。せめてゼオライマーがナデシコに来たら目いっぱい改造して貰えるように、また金塊なり何なりを送りつけておこう。

「あ、鳴無兄!ちょっと来い!」

歩きながらゼオライマーのパワーアップフラグの管理に頭を悩ませていると、工具を片手にウリバタケさんが手まねきしているのが見えた。

整備とかは自力でやっているからあの人とはあまり関わりが無いと思うんだが、一体何の用事だろうか。

「はいはい?ボウライダーもスケールライダーも今の処なんの問題も無いですから放っておいて貰いたいんですが」

「お前なぁ、俺は仮にも整備全般を任されてる身だぞ?いくら機体専属のパイロットに整備しなくていいとか言われたからって、はいそうですかと頷けるもんじゃねぇんだよ。例え実際に何の不備も無かったとしてもな」

そういうもんか、技術屋の信条というのもいまいち分からんな。どっちかって言えば責任感の問題なのか?

火星に到着するまではこういう固い事を言うタイプの人でも無かったから、軍と協力するようになって契約内容が変わってしまったというのも原因の一つだろう。


「で、そこまで言うならボウライダーのデータ取り位はしているんでしょう?今さら突っ込みを入れるところでは無いと思うんですが」

初期のプレーンな強化ボウライダーのデータを取られていないのは美鳥が確認済みだし、予備動力のオルゴンエクストラクターとか相転移エンジンは出撃前に複製を作り、艦に戻る直前に消しているので怪しいところは見つかりようが無い。

ウリバタケさんの取ったデータ上では、ボウライダーは良く分からないエネルギーで動き、どことなく超合金ニューZによく似た素材を装甲材に使い、木製蜥蜴のジャンクから取り出して強化したように見える重力制御装置を搭載した普通の機体だ。

充分怪しい?そんな事は無い。いざとなれば最後の手段として、実はこれを作った博士はウィスパードだったのかもしれませんという言い訳があるのでどうとでもなる。もう死んでるから確認できませんとか言っておけばなお良し。

「ああ、まぁなんだ、俺も今さら装甲だの動力だのに突っ込むつもりはねえんだよ。それよりも、だ」

ウリバタケさんの視線がボウライダーの肩のあたりに注がれる。オリジナルのボウライダーよりも分厚くなっている肩の辺り、ここは装甲を剥がすといかにも何か取り付ける為の物ですと自己主張するコネクタが付いている。

これから武装を追加する時の言い訳の為にこっそりと追加した部分なのだが、今の処デビルガンダム以外にはさほど苦戦していない為、追加武装を付けるタイミングが無い。

少し前、ヘリオポリスが破壊された直後なら怒りに任せて右肩に陽電子砲、左肩にグラビティブラストなんて超兵器作って技術だの材料だのの出所を妖しむ輩は片っ端から脳みそ弄繰り回して洗脳して――、とかやれそうだったが今はそこまでテンションが上がっていない。

どうせロウの居るジャンク屋もサーペントテールも探せば見つかる連中だし、どうしても取り込みたくなったらナデシコを抜けた後にでも探しに行けばいい。その方が強化したアストレイを取り込めてよりお得でもある。

仮に付けるとしたらという仮定の元、少し大人しくした代案としてプラズマ発生装置を大型化して俺の身体から取り出し、ここに接続してマグラッシュ的な必殺技にでもしようと考えている。威力的には十分目を見張るものがある筈だし、愛着もある武器なのでどうにかしたいとは思っているのだが。

他にも設定資料集に書かれているアマンダ専用パラディンみたいに反重力推進装置を追加して更なる高機動化を目指すとか、盛大にばら撒けるミサイルを乗せるとか案だけは沢山ある。

「追加武装用のコネクタですか」

「あれ、何積むかは決まってんのか?」

「んー、そうですねぇ」

まぁコンバトラーもパワーアップが始まるし、適当に強化しても目立たないかもしれないが、派手に追加パーツとか付けまくるのも目立ちそうで嫌だ。お金を稼ぐ為にナデシコに乗っているって設定に矛盾してしまうので怪しまれかねない。

ん、そうか、この人に頼めばどうにかなるかもしれん。機体そのものを任せる訳じゃないし、何か変な欠陥があったらこっそり中身を作り替えればいい。

整備員の皆様の厚意で作られた材料費ゼロの追加武装、とでも言っておけば全く問題は無い筈だ。ASを勝手に宇宙戦使用に改造するくらいだしその程度はやってもおかしくは無いだろう。

「図面もパーツも殆ど出来上がっているから、あとは殆ど組み立てだけなんですよ。いざという時の為に、こんな事もあろうかと!って感じで完成させておきたいとは思うんですけどね」

いざという時の為、こんなこともあろうかと、という言葉にウリバタケさんの耳がピクピクと動く。

「ほぉう?で、パーツだの図面だのはどこにあんだ?いや、唯の興味本位なんだけどよ」

「今はまだナデシコに積んでいません。今回ナデシコの整備でしばらく足止めですから、ついでに届けてくれるように頼んでおきました。まぁ、早いうちに届いてくれればゆっくり組み立てられるでしょうしね」

そうかそうかと怪しげな笑みを浮かべながら頷くウリバタケさん。ナデシコに居る間に何か作りたいならこいつらを出汁に使えば簡単に話が進みそうだ、今後利用する機会があるかは分からないが覚えておいて損は無いだろう。

―――――――――――――――――――

■月×日(天気は晴れたり曇ったり、雨は少ない。やることも無い。それっぽい宇宙人が降ってくるかもしれないけどあまり興味も湧かない)

『つまり総じて暇、やることが無い。訓練自体はいつも通りこなしているし、食堂で他の連中と駄弁ったりもしている。毎日15時には欠かさずメメメに餌付けをしているし、その度に統夜やカティアと世間話でまったりしている』

『それでもやることが無い、と感じてしまうのは何故か。それはこれからしばらく積極的に取り込みたいと思うものが出てこないからだと考えている』

『ブレンパワードやグランチャーといったアンチボディも素材としては面白いが、こいつらは文字通り掃いて捨てるほど幾らでも湧いてくるので簡単に手に入ってしまう』

『それこそ偵察任務中に見つけて適当に取り込めばいい話だし、なんなら取り込まなくても構わない。そもそも科学寄りの存在ではないから取り込んだところで急激なパワーアップが見込めるというものでも無い』

『前回の日記で八卦ロボについて書いたが、正直な話攻略法もクソも無いごり押しで勝ててしまった。流石は風のランスター(笑)、原作ですらゼオライマーのメイオウ攻撃一発で蒸発しただけのことはある』

『いや、そもそも原作(OVA版)では鉄甲龍の八卦ロボはほぼ全て一撃で撃破されているので風が特別弱い訳では無い。それを言うならゼオライマーは主人公がフル改造のラスボス機体に乗っているようなものだし』

『俺の魔改造ボウライダーとの機体サイズ差的には酷いことになっていたのだが、そもそも接近戦を挑む訳では無いので余り問題は無かった。むしろサイズ差よりも機動性が高かったせいで微妙に当て難かった事の方が印象に残っている』

『当て難かったとはいえそれは機体サイズの割には、という程度のものでしかない。幾ら速いとはいえ相手はコンバトラー程の大きさ、しかも慣性を無視した不可思議な軌道で飛ぶ訳でも無い。慣れてしまえば少し動くただの大きな的、未来位置を予測して撃てばサクサク当たった』

『装甲もそこらのリアル系ロボット並み、危うく俺が撃墜してしまうところだったが、俺やエステ隊、ダンクーガなどの攻撃でスクラップ寸前になった処で自分からゼオライマーに突撃、この世から跡形もなく消え去っていった。無茶しやがって……』

『あ、でもあいつ出撃前に幽羅帝とベッドの上でにゃんにゃんしてたんだよな。人が姉さん分の補給に苦労しているというのになんて奴。憐れむ必要性は欠片も無い、風ざまぁ』

『今回の戦いで気付いたが、マサキ搭乗ゼオライマーにとどめをやらせると文字通り塵一つ残らない。これでは八卦ロボの残骸を回収するしない以前の問題だ』

『こうなったら意地でも全ての八卦ロボをゼオライマーに撃墜させるしかないな。それでいてそれ以外の時は出撃しないでもいいようになんとか取り計らってみる!』

『……無理かなぁ、無理臭いよなぁ。特に出撃関連、あの強力なゼオライマーを八卦ロボが出ない限り出撃させないとか有り得ないだろ常識的に考えて』

『しかも整備に掛かる費用はナデシコ持ちじゃなくてラストガーディアン持ちだとか。これは詰んだな、こんな経済的な機体、絶対プロスさんとかが放っておかない』

『なんだかなぁ、どうにも上手くいかないって気がする。ゼオライマーはまだナデシコに乗ってすら居ないし、肝心の次元連結システムは取り込む方法すら思いついていない』

『書いてて気が滅入ってきた。他の話題に切り替えよう』

『風のランスターとの戦闘の後、行方不明だった兜甲児がマジンカイザーに乗って帰って来た。本人は今だ意識不明だが、三日も経ったのでそろそろ目が覚める頃合いだろう』

『ついでにこっそりとあしゅらマジンガーとかいう凄いイボイボが大量に付いたいやらしい敵も出てきた気がするが、こいつはいつの間にかシャイニングとコンバトラーに撃墜されていたのでいまいち覚えていない』

『暴走して光子力研究所に攻撃するカイザー。ゲームでは少し苦労したような気がするが、十分の九殺しにしなければ止まらない筈なのにみんなで囲んで袋叩きにしたら直ぐに止まった』

『ここまで戦った機体で初めて電磁速射砲で穴が開かなかったから凄いドキドキしたのだが、こいつが味方戦力としてカウントされるとか余計に戦闘の難易度が下がって退屈になってしまう』

『こんな俺TUEEEな機体が自軍に大量に居るとか、改めてスパロボの主人公チームはチートだと思い知らされる』

『これからサセボシティで買い物をして、みんなで光子力研究所へお見舞いに行く事になっている。できることなら解析中のカイザーの見学もしておきたいものだ』

―――――――――――――――――――

光子力研究所の廊下、メディカルルームへの道をナデシコクルーがぞろぞろと歩いている。これが全員兜甲児へのお見舞い客なのだから仲間思いではないか。

サセボの街で買い物を済ませ、未だネルガル重工のドッグに停泊中のナデシコから各の機体で光子力研究所まで移動してここまでやってきた。

基本的に全機飛行可能だったので確認できなかったが、最新機のエステ二機と軍規格品ではないロボットが二機も空を飛んでいたのだ、何事が起っているのかと地域住民の皆様は戦々恐々とした気分になったのは想像に難くない。

まぁそんな事を気にしていたらスパロボなんて始まらないのでスルーして甲児の見舞いだ。見舞いとして品はメメメ持参の大量のお菓子、あとは俺と美鳥が適当に暇を潰せそうな物を幾らか持ってきている。この時点では甲児が起きている事を知らないので見舞いの品が少ないのは仕方がない。

因みに俺は表紙を適当なバイク雑誌と表紙を科学系雑誌のものと差し替えたエロ本とフルーツ盛り合わせと、本の間にさりげなく挟まれたコンドーム。

美鳥は古道具屋で見つけたルービックキューブのパチモノとジュース数種類、そしてそれらの隙間にこっそり紛れ込ませた避妊薬。俺も美鳥もそれなりに気遣いの心得はできているつもりだ。

「なぁ、やっぱり果物は要らないんじゃないか?まだ甲児くんも起きてるかわからないんだしさ」

「起きてなきゃ起きて無いで研究所の皆さんへの差し入れにもなるだろ?無駄にはならないって」

手ぶらでやって来たテンカワは俺や美鳥やメメメの見舞いの品を見て、自分も何か持ってくるべきだったか少し不安になっているようだ。

一人一人が見舞いの品を持ってくると返って邪魔になるから、ナデシコのみんなからの見舞いの品ということで高めのフルーツ盛り合わせにしてあるから気にする必要も無いんだがな。

友人でもあるボスはともかくスバルとかも明らかに手ブラなのに気にした風も無い、少し位は図太くなるべきだろう。

「つかこれ、全部経費で落ちるし。起きて無くても差し入れを断られても損は無いぞ?」

「メルアも見舞い用ってことにしてお菓子経費で買いこんだしなー」

「ちょっと美鳥ちゃん!言わないでって言ったじゃないですかぁ!」

ちなみにメルアが今背負っている小さめの背負い鞄の中に詰まった大量のチョコやクッキーやキャンディー、その五倍程のお菓子類がこっそりとメメメのベッドの下に隠されているらしい。

経費の使い込みだ。そこら辺は貴重な戦力だから多めに見てくれるかもだが、後々プロスさんから説教を受けるかもしれないな。主に統夜とカティアが。

「何を持ってきたのかと思ったら、お菓子ばっかりそんなにいっぱい……」

「まぁそっちは甲児が起きて無ければお持ち帰りなんだろうけど」

「そ、そんなこと、無いです、よ?多分」

「せめてそこだけはしっかり断言しろよ……」

額に手を当て溜息を吐く統夜。まぁ普段コンビを組んでるカティアはボケないので偶にボケ役と化したこのメメメと組むと疲れるのかもしれない。

そうこうしている内にメディカルルームに到着した。先頭に立っていた兜シローが扉を開ける、するとそこにはベッドの上で弓さやかに押し倒される兜甲児の姿が!

メディカルルームに少し踏み込んでいたシローの襟首を掴んで廊下側に引き戻し、持っていた俺と美鳥の分の見舞いの品をそっと中に滑り込ませ、素早く扉を閉める。この間僅か三秒。

みんなの方に振り返って、一息。

「お取り込み中らしい。少し時間を置いてからまた来よう」

扉の向こうに見えた光景から、それぞれ適当に自分の中で結論付けてくれたらしく大きな反論は無い。

「そ、そうだよな。邪魔しちゃ悪いもんな」

「えー、もっと詳しくみたいよー」

「くっそう、なんであいつばっかり!羨ましいじゃねぇかよ!」

「あ、じゃあこのお菓子は持ち帰っても……」

「研究所の人たちの邪魔にならないように適当に一、二時間ぶらついて、それから改めてお見舞いってことで」

何だかんだ言いつつメディカルルームから離れていく皆に混じり、さりげなく見舞いの品を持ち帰ろうとするメメメ、そのセリフを途中で遮り今後の予定を決める。この中では一応年長だし、少し仕切っても問題は無いだろう。

「だってさ」

「あう」

メメメが少しへこたれているが気にしない。ゾロゾロと元来た道を戻りながら時間つぶしのネタを考える。近づけるかどうかは微妙だが、どうせ暇つぶしなら解析中のカイザーを見に行くってのもありだな。

「ファブリーズとか用意しといた方がいいのかな……」

テンカワが微妙な発言をするが、いくらなんでもその気遣いの仕方はアウトだと思う。むしろ去り際にさりげなく、この部屋なんか変な匂いがしますね、とかメメメ辺りに指摘させるのが一番効果的なやり方ではないだろうか。

俺とて恋人たちの逢瀬を邪魔するほど野暮でもない。ゲームでは主人公達の乱入でうやむやになったが、このまま二人っきりで放置しておけば間違いなくなんとも表現しがたい、しいて比喩表現するならば甲児がさやかにパイルダーオンしたりされたりといった事態に発展するだろう。

からかうなら実際に事が起こってから。殺人未遂犯を捕えるよりも殺人犯を捕まえる方が劇的で面白い大手柄なのである。

「普通そこまで気を使われると微妙な気分になるぞ。部屋に入ってからさりげなく窓を開けて換気する程度でも大分――」

「ちょっ、ちょっとまった!なにも無い!お取り込み中じゃな、痛~~っ!」

メディカルルームから慌てて飛び出してきた甲児によって俺の気遣い講座は中断。改めてお見舞いを再開することになった。無理せず恋人とイチャイチャしていればいいものを。

―――――――――――――――――――

■月○日(オーガニック的な何かが降ってきた。オーガニックって何さ)

『元の世界で下調べしたら、有機栽培の食料や繊維、科学飼料を与えていない動物。とのこと』

『余計に訳が分からない、オーガニック的な何か=有機的な何か?オルファンとかアンチボディが生き物だからそれ繋がりか?』

『そういえば元の世界の隣町のスーパーで売っていたメロンにクインシーとか書かれていたが何か関係があるのだろうか。考えれば考えるほど謎は深まるばかり、人類には少しばかり早すぎるようなのでこの話題はここまで』

『前回の日記の後ボルテスⅤが合流したが、現時点ではコンバトラーのバリエーションみたいな扱いなので取り込んではいない。超電磁ボールを効率よく使えるようになってから改めて融合させてもらうつもりだ』

『Jの原作では少し前にナデシコのメインコンピューターがイカレて味方に攻撃を始めるイベントで一話消費するのだが、そうなる前に連合軍を敵と見なす記憶を部分的に封印してやったのでそのイベント自体が起きて居ない』

『因みにオモイカネに対してハッキングした形跡は残っていない。まさしく俺のログには何も無いな、といった状態だ。機械相手だと話が早くて助かる』

『更に数時間前、グランチャー部隊とデビルガンダム軍団と交戦し今に至る。マスターアジアではないが、周りに主人公チームが居る状況ではグランチャーの捕食もままならない。結局何事もなく全機普通に撃破して戦闘を終えてしまった』

『デビルガンダムが町に突撃をかまし、それをユウブレンがチャクラシールドで弾いたのには驚いた。これが生き物の可能性、オーガニック的な――堂々巡りになるからやめておこう』

『現在はデビルガンダムに破壊された町の瓦礫の山を撤去中、俺はそれなりの量の瓦礫の山を撤去したので休憩しているところだ。面倒な作業の合間に振舞われるトン汁は中々に心温まるものがある』

『ブレンパワードに出てくるらしい施設の人たちが作ってくれたトン汁が中々美味しい。しかしこういう家庭の味、とでも言うようなものを食べるとどうにも家が恋しくなってしまう。もっとも、さっきから一人でがつがつと何杯もお代りを食べている奴を見ていると、どうしてもしんみりとした気分にはなりきれない』

『統夜は瓦礫の撤去という細かい作業なのでカティアをサブパイにしていた筈だから、こいつは本気で何もしていない。なんでそこのところを気にせずに大量にトン汁を食えるのか』

『戦闘後は腹が減る筈のDボウイですら三杯目はそっと出して居るのに、こいつは一体何杯お代りするつもりなのか』

『さて、トン汁を食べながら日記を書いていたのだが、これ以上ゆっくりしていると流石に怒られてしまいそうだ。このトン汁を食べ終わったら撤去作業に戻ろうと思うので、今日の日記はここまでにしておく』

―――――――――――――――――――

日記帳を閉じ、ジャケットの懐に入れ、トン汁の入っていたお椀を施設の人たちに返し伸びを一つ。たまには青空の下で日記を書くのも乙なものじゃないかと思ったが別にそれほどでも無かったな。

休憩している間に大分瓦礫も片付いたようではあるが、見たところまだ人力だけでどうにかできるほどでは無いレベル。もう一仕事だな。

「あの、ちょっとすいません。美久を知りませんか?」

ボウライダーに戻ろうとした時、後ろから声を掛けられた。ゼオライマーのパイロット、秋津マサトだ。

OVA本編の最終回後、大冥界に行った後は追手を撒く為に平気でごみ箱に隠れたり、鉄甲龍の本拠地にリポーターとして突撃する逞しい少年になるのだが、今はそんな雰囲気は微塵も感じられない。

まぁそんな事を言ったら美久だってちょっとドSな普通の女の子になるし、ゼオライマーだって美久とセットで普通に通販で買えてしまえるようになるのだからして、今からその片鱗が見えることはそうそう無いのだろう。

「ああすまん、氷室ちゃんなら女性陣が連れてったぞ。戦闘で汗かいただろうからナデシコの風呂に入って行こうとか強く誘われて」

主に美鳥が強く誘った。歳が近い同年代との触れ合いが少ないからそこら辺は寂しがり屋だとかそういう設定で通してあるからこういう時は相手を断り辛くさせることができるのだ。

というか、そういう設定で通して来たのはこの時の為だとかどうとか。風呂場でお肌の触れ合い(いわゆるお約束的お風呂イベントで女湯から声だけ聞こえてくる感じのあれ)を使ってスムーズに次元連結システムと取り込むんだとか。

容量不足に陥った後の処理は、長湯し過ぎてのぼせたとでも言って自室に運んで貰えばいいという完璧な計画らしい。割とおおざっぱだがとりあえず目的を果たせるから完璧なんだとか。

方法の良しあしはともかく、この世界で最低限手に入れておきたかったものはこれですべて揃う事になる。後は少し先になるが、難易度の高い隠し機体とか火星遺跡中枢ユニットとか相転移砲とかカイザースクランダーとかB・ブリガンディとか月が少し気になるぐらいか。

最悪これらはエンディングの後にこっそり盗み出すという手も無い訳では無いし、これでもう何時主人公チームから抜け出しても殆ど問題は無い。

まぁ、どれを取るにしても主人公チームにひっついていくのが一番楽ではあるのだが……。

「そうですか、どうしようかな……」

少し高速で考え事をしていると、目の前でマサトが考え込んでいる。ここまでの戦闘では全て美久との二人乗りだったため、自分ひとりでゼオライマーが動くか不安なのだろう。

まぁ破壊された町の後片付け程度なら次元連結システムが無くても余裕だろうし、労働力としてきっちり働いて貰いつつ親交を深めておくか。

「どうしようも何も、機体まだ動かせるなら瓦礫の撤去の続きだろ。お椀返したら機体に戻るぞ。瓦礫を拾っては適当な位置まで移動させるだけの簡単な仕事。戦闘よりは気が楽だろ?」

天下のゼオライマーで町の復興作業なんてシュール過ぎる光景だが、50メートル級の機体だと大きな瓦礫も楽に撤去できるから以外に重宝するのだ。

それにゼオライマーはラストガーディアン所属だから国の所有物。こういう復興作業に駆り出されても実際なんらおかしなところは無い。見た目以外は。

「そう、ですね。帰還命令も出て無いし、殺し合いよりはよっぽどマシか……」

「そうそう、ささっと片付け済ませてお前もナデシコ寄っていけよ。ちょっと休んでいく位ならラストガーディアンの人達も文句は言わないだろうし」

「え、いいんですか?」

「氷室ちゃんも今ナデシコの風呂使っているんだから大丈夫だって」

「なんかもう本当に、いろいろとありがとうございます」

素直な良い子だ。これがマサキだったら、『俺に指図するな!だがトン汁の礼に町の瓦礫を掃除してやってやらないでもない』とか捻くれた返事をするに違いない。

ふむ、こうして考えるとマサキも性根は極悪非道ではあるが中々のツンデレ。そもそも人格の移植プログラム自体が不完全なものだからあの人格が発現する時期は限られているし、できればマサキ人格の時に少し話してみたいものだ。

いや、ゼオライマーを取り込めば木原マサキの記憶とか知識とか思考法の記録も手に入るし、脳内でシミュレーションすることもできるかもしれない。

あ、でもここの木原マサキってウィスパードなんだよな。脳味噌に囁きが聞こえるタイプの人は少し気持ち悪いかも。いや、流石にデータ上の人格のコピーにまで影響があるとは思え無い、取り込んでもさして問題は無いか。

考え事をしつつボウライダーに搭乗し瓦礫の撤去作業を再開。合間合間でマサキとしょうもない雑談を交わす。ラストガーディアンは飯の盛りが少ないとか、美久は変なタイミングで微笑むとか、やっぱり苦しそうな表情でもがく少年の姿が好きなんだろうな、などなど。

秋津マサトは基本的にナデシコクルーに対してそれなりに友好的だ。最初にラストガーディアンに連れてかれた時は拉致監禁の上に目の前で親に売られている為、それなりにまともな倫理感を持っているナデシコの連中はとてもまともに見えて少し安心しているのだろう。

このお陰で俺も楽に友好関係を築くことが出来ていい感じだ。一緒に何度か戦う以上それなりに連携は取っておきたいし、変に警戒されてゼオライマーに触れないとかなったら面倒極まりない

最終的にラストガーディアンは人手不足、氷室美久は隠れSという結論が出たところで破壊された町の後片付けは終了。未だに氷室美久が帰ってこないのをいいことにゼオライマーを伴ってナデシコに着艦した。

ゼオライマーもどうしてか分離もせずに50メートルフルサイズで格納庫に収まってしまった。もう細かい物理法則は気にしない事にする。いちいち突っ込んでいたらキリがない。

ボウライダーから降りてゼオライマーの脚に手を付いて融合開始。50メートル級か、ダンクーガにはやってないからコンバトラー以来の大物だな。

ゼオライマーの脚の背をもたれ、背後に隠すように後ろ手にゼオライマーの装甲に手を触れる。ぐじゅ、と肉を潰すような音を立て俺の手の形が崩れ、融合が開始されていく。

「おーい、まだかー?」

「ちょっと待って下さい、なんだか開かなくて。おかしいな……」

コミュニケでゼオライマーに通信を入れてみたがどうにも映像と音声が汚い。やっぱりこの世界でも十五年も前に作られた機体だからか通信機も少し型遅れのもののようだ。

マサトが降りるのに手間取っている内に機体データ取り込み終了。あとは美鳥が次元連結システムを取り込めれば最大の目標は達成したも同然。

取り込んでみて初めてわかる。次元連結システムこそ積んでいないが、これは単体でもかなり価値のある機体だ。なにしろこの機体、BASICで動いているのだ。

流石は十五年前の機体、この感動をなんと表現しよう。今まで取り込んだロボット群がドラえもんのひみつ道具を見た時のような感動だとするならば、こちらはどこのご家庭にも存在する材料で作れるキテレツ大百科の道具を見せられたような不思議な感覚とでも言うべきか。

しばらくこの素晴らしい機体に触れていたいという心を抑え、ゼオライマーからゆっくりと手を放す。手と機体が半ば融け合うように融合している場面なぞ見られたらまた嘘設定を考えなくてはいけなくなる。

「卓也さん、ちょっといい?」

テニアからの通信。こいつも今回サポパイから外れていて暇だったので他の女性陣と一緒に風呂に向かっていたはず、つまりこれはあれだな。

「どうした、美鳥が長湯のし過ぎでのぼせたから看病しろとかそんなんか?」

俺の言葉にテニアが目を剥いて驚く。こいつはいちいち表情が無駄に豊かだ。J組がOGに参戦したら一番顔グラのバリエーションが豊富になるかもしれない。

「すごい、よくわかるね」

そりゃ予定通りだからな。とは言えないので予め美鳥と打ち合わせていた通りのいい訳で誤魔化す。

「どうせ誰かの長湯につきあってそのままクラッといっちまったんだろ?いつものことだ。こういう場所でもなきゃ同年代の同性との触れ合いとかできないからはしゃいでるんだろ」

「あー、風呂場でぺたぺた触ってくるのってそういう理由なんだ……」

当然そういうキャラ作りの為であってレズっ気がある訳では無い。人づてに聞く限りでは大きな胸に対して妬ましげな手つきで揉みつぶそうしてくるらしい。

あたしも本当ならこれくらいは……とか呟きながら半眼で巨乳の女性に対して迫っていく姿はどことなく憐れみすらさそう程の必死さだとか。

当然これも演技――とは言いきれないが、数割本音が混じっていた方がよりリアリティが増すのでここは華麗にスルー。

「誰にひっついてたか、ってこれは聞いたらセクハラだな。すまん」

「うん、まぁやられた本人も気にしないでいいって言ってるからね」

テニアの映っているウィンドウの後ろの方に顔を赤く染めた氷室美久が映っている。漫画原作版では無いからエロにあまり耐性が無いのかもしれない。

「一応自力で部屋まで戻ってたんだけど、ついでにお兄さんを呼んでおいてって」

「把握した。手間かけさせちまったみたいで悪いな」

「気にしないでよこれくらい、じゃ、美鳥にヨロシクね」

テニアの映っていたウィンドウを閉じ、マサトのウィンドウに向き直る。

「そんなわけらしいから案内できなくなっちまった」

「いいですよ。気にしないで妹さんの方に行ってあげてください」

「悪いな。機会があったらナデシコの食堂で飯くらいは奢るから、今日は適当に艦内を探検でもしててくれ」

そして、残ったマサトのウィンドウも閉じる。

長湯でのぼせる、というのは俺や美鳥の肉体では起こり得ない現象だ。つまりこれは間違いなく氷室美久とのお風呂での触れ合い中に次元連結システムの構成情報を取り込んで起きた熱暴走。

見事だ。なんかもう上手くいき過ぎだしその上美鳥が一々お手柄過ぎて、これは何か御褒美の一つくらいはあげてしかるべきかもしれない。

そうだな、まず次元連結システムのデータを受け取ったら真っ先に美鳥に組み込んでやろう。そろそろ体を構成するナノマシンの書き換えもしないといけないし、いっそ一度美鳥の身体を取り込んでオリジナルのDG細胞にも対応させて――

美鳥の強化プランを頭に思い描き、途中ですれ違うパイロット仲間やクルーの人たちと挨拶をかわしつつ、美鳥の部屋へと歩き出した。



続く

―――――――――――――――――――

風のランスターさんは省略。現在原作第十六話まで終了。そして無理矢理話しを途中でぶった切ってまで前回引いたのにあっという間にテッカマン軍団の出番は終了。

でもいいんです、どうせ主人公にとって量産型テッカマンなんてちょっと便利なバッタレベルの下っぱ扱いですから。

因みに量産型テッカマンのスペックメモ。

・ボルテッカ、テックランサー、ワイヤー、クラッシュイントルード、自爆ボルテッカなど一般的なテッカマンの能力全般が使える。コスモボウガンも一応使える。
・下級デモニアックとしての能力として、機械への融合と乗っ取りなど。連合のMSとかならひっついただけで無力化出来てしかも乗っ取れる。
・HPはストーリー序盤のボス程度。
・敵として出てきた場合、一マス以内に移動されると自爆して防御無視大ダメージ。

ついでにサポAIテッカマンも。

・主人公お手製強化済みシステムボックスの光=物質変換機能により装甲の硬さ、高性能ブースターの出力は最初からブラスターテッカマン並み。
・武装はほぼブラスターテッカマンブレードに準拠。ボルテックランサーはEN消費無し。
・この状態から更にノーリスクでブラスター化可能。

タイトルにチート主人公とか書いておいて主人公の下僕やサポAIのがよっぽどチートに見えてしまう。これも実は乾巧って奴のせいなんだ……。嘘ですが。

主人公はまだしばらく正体を隠したままの集団生活でストレスをためて貰います。チート力を爆発させるのは多分スパロボ編最終回か最終回一話前あたり。遠い……。

そこに至るまでの話では、前回のブラスレ編で貰った「ストーリー性的な部分が中途半端な状態になりそう」という意見を元に、ラストを盛り上げる為の下地作りに使う予定です。

まぁこの主人公だと、貰うもんだけ貰ってささっと帰っていってしまう、いわゆる投げっぱなしな話になってしまうので、そこんところはサポAIに巧みに誘導させる感じで。

それにせっかくの集団行動、ナデシコのクルーと仲良くやってるイメージを表現していけたらなと思っています。他意はありません。

そんな訳で途中までは盛り上がり所は極端に少なくなってしまいますが、それでもよろしければ気長にお付き合い頂ければ筆者もなんだかだんだん気持ち良くなってそれでそれで、といった感じで喜びます。

以下セルフ突っ込みタイム。突っ込みや回答ですら無いものも交ざってるけど気にしないでほしいです。

一人称じゃない部分があるけどなんなの?ごちゃまぜなの?

三人称を少し使ってみたかったので。その内戦闘シーンとかでも三人称使うことがあるかも。

動きをトレースした程度で流派東方不敗ってマネできるもんなの?

ジェスターガンダムとそのファイターって何気に凄いですよね。ジョルジュがヌケ作だという説もありますが。ステカセキングとかもいいデザインだと思います。

ボウライダーのデータ取りされてるけど?魔改造はばれないの?

火星から帰ってきてネルガルとの契約内容が更新されてそこんところが厳しくなりました。そんなわけで度々データ採取されているため今は下手に新機能を追加できません。性能的にはヘリオポリス出た辺りから変化無し。

超合金ニューZに似た素材?そのまま使っているんじゃないの?

「取り込んだジムがガンダム並みの性能に!」という二話で明かされた超設定のお陰。
ブレードは超合金ニューZの切れ味とか強度を試すために元の性能で複製しているけど、装甲に使っている素材は実はニューZαに近い強度だったり。

精神コマンドの使い方は?

説明できませんでした。説明できるようなイベント=主人公が精神コマンドを使うような強敵との戦闘が必要となりますので。

予告の風呂は?○○ちゃん胸おっきいなー♪みたいなイベントは?

書いてる時にエロい気分じゃなかったのでカットしました。興奮して思わずエロ風呂シーン書きたくなってしまうようなお風呂シーンのある作品教えてください。

主人公に敬語使う奴多くね?主人公マンセーな話なの?それとも距離を置かれてるの?

主人公の年齢、大体22から23程度です。社会人なら若造だけど、スパロボチームだと歳食ってる方に分類されるんですね。で、年上にはとりあえず敬語って感じで。あとは話すキャラが基本的に礼儀正しい人ばっかなので。書き分け難い……。

原作主人公チーム内での主人公の人間関係は?描写足りなくね?

統夜及び三人娘とはそれなりに仲良くやってます。というか、仲良さそうに描写できてますか?そこら辺の意見求むす。

統夜たちとは第一話からの付き合いで、何より戦闘時の敵との間合いが似たり寄ったりなので援護したりされたりで補正が掛かったりするレベルに親密です。

それ以外は初期火星行きメンバーのマジンガー組とコンバトラーチームとそれなりで、エステ隊とも軽口を言い合えるレベルにはなってます。サポAIも似たようなものですがこいつはDボウイにやや苦手意識を持たれてたり。それ以上いけない。

こんなところでしょうか。他に突っ込みどころを思いついたらどしどし感想欄のほうにお知らせください。

次回予告、の代わりに感想掲示板で言われた主人公等の精神コマンド。

鳴無 卓也(おとなし たくや)
愛  レベル1
覚醒 レベル5
不屈 レベル15
集中 レベル20
狙撃 レベル30
直撃 レベル45

主人公の精神コマンドは一話から五話までのイベントに対応。
何よりも先に存在する姉への「愛」
腕切り落とされて生命の危機、隠された力に「覚醒」
妖怪に囲まれてもサポAIに追い詰められても姉の為なら「不屈」
原作イベントには目もくれず能力収集に「集中」
腕を荷電粒子砲に作り替えてICBMを「狙撃」
見事ICBMに「直撃」

といった感じで、最大SPは平均よりやや高い程度。理由に無理があっても気にしない方針でいきます。ついでにサポAIの精神も。

鳴無 美鳥(おとなし みどり)
かく乱 レベル1
献身  レベル5
激励  レベル15
脱力  レベル20
突撃  レベル30
愛   レベル45

前半三つはサポAI標準装備的な精神で、脱力だの突撃だの愛だのは鳴無美鳥という人格が形成されてから自力で学習したものとかそんな脳内設定。多分本編では語られないあれでそれな感じの。

しかし、設定の羅列だけ見てもつまらないでしょ?とか言っておいて舌の根も乾かぬうちに設定書いてますね、どうしましょう、とりあえずあやまります。ごめんなさいゆるしてください。

このSSの更新が遅いのはゴルゴムからクライシスに移籍してディケイドに変身する乾巧ってやつの仕業でFA。動機は主人公の姉にファイズのオプションを強奪されたから。当然嘘ですただの遅筆です。しかし主人公の姉があちこちから恨み買っているのは事実。

そんな作品でもよければ、作品を読んでみての感想、諸々の誤字脱字の指摘、この文分かりづらいからこうしたらいいよ、一行は何文字くらいで改行したほうがいいよ、みたいなアドバイス待ってます。どしどしお寄せください。


アンケート的なもの

一行空けは止めた方がいいですか?書いてる時は空けた方が誤字見つけやすくていいんですけど、PCから読む場合はどんな感じになるんでしょうか。感想ついでに意見お願いします。



[14434] 第十一話「人質と電子レンジ」
Name: ここち◆92520f4f ID:c077f100
Date: 2010/02/26 13:00
美鳥の部屋のベッドに座り、部屋の中心に立っているタンクトップとスパッツだけを身に付けた美鳥を眺める。

「うー、ん……」

難しい顔をした美鳥がその表情のまま軽く拳を振る。音速を超えた拳先がパンッ、という音を立て空気を破裂させた。

続けて二撃三撃と振るう。流れるような左右のコンビネーション、更に蹴り脚も加わり常人では動きが捉えきれない速度まで加速していく。

動作は流派東方不敗の物にアレンジが加えられている独自のモノ。恐らく美鳥の中にある姉さんの因子から肉弾戦時の動きを抽出して混ぜ込んでいるのだろう。

鋭い。相手を打倒し勝利する為ではなく、最短の時間、最小の手間で障害を踏み倒し次へ進む為の技術。

格闘術を武骨さと流麗さを備えた刀の類に例えるとするならば、美鳥のそれは医療用のメスか軍用のナイフ、いや、いっそ鋏やカッターといった工具の同類とでも言うべきか。

美や威を備えず、一切の余剰を削ぎ取り只管に効率を重視したその動きは機械的でありながらどこか艶かしい。

己が現時点で表現できる最高の機能美をこれでもかと見せつけるようなシャドー。きっかり三十秒動いたあたりでぴた、と動きを止めこちらを振り向く。

「なんかさ、動くと身体が軽いのに止まると重い、いや、インパクトの瞬間だけ重いというか、重さが無い筈なのに当たった時はみっしり詰まってそうというか、ふしぎな感覚だね」

「ん、それも次元連結システムのちょっとした応用──ではなく、どっちかって言えば重力制御の応用だな。ガイバーのパンチと似た原理だと思えばいい」

重力制御装置の機能がナノマシンそのものに付加されている為、素の状態でもこういった芸当が可能となっているのだ。重力制御技能はチートトリッパーのステータスだし付けて悪いということは無いだろう。

部屋の鍵をしっかりと締め、ピーピングされないようにしっかりオモイカネにも言い聞かせてまで何をしているのかと言えば、それは全身のナノマシンを新しいものに差し替えた美鳥の動作チェック。

今まで取り込んだ技術をとりあえず美鳥の肉体に全て反映させてみたのだ。DG細胞の理論も組み込んであるため、再生能力も以前の肉体より大分マシになっているし、以前より派手に質量保存の法則を無視した大きさの複製を作り出せる筈。

更に手のひらサイズにまでダウンサイジングされた次元連結システムを体内に瞬時に生成することも可能な為、異次元から取り出す無限のエネルギーにより単位時間ごとの最大出力も大幅に上昇。いや、出力無限なら大幅に上昇もくそも無いか。

むしろ今回の更新によりボウライダーもスケールライダーも他のエンジンを積む必要がほとんど無くなってしまった。というかもう生身の方が強いんじゃなかろうか。

さらにに小型のオルゴンエクストラクター、ラースエイレムキャンセラーを搭載、これは万が一ベルゼルートが居ない状況でフューリーと遭遇した際に機体と直結して機動することによりラースエイレムの中でも機体を動かすことが可能となり安全面から考えても大変有用だ。

「で、ダメ押しとばかりに小型の光子力反応炉も搭載している、どうだ?」

「いや、もうこれは無茶苦茶だね。機体に乗る必要無いんじゃない?」

そうでもない、次元連結システムは文字通り無限のエネルギーを供給してくれるが、反応炉やエクストラクターはいくら高効率化してもこのサイズでは出力に限界がある。オルゴンや光子力に依存するタイプの攻撃はこの状態では大した威力を見込めないだろう

その他のビームや実弾兵器も口径の関係で生身のサイズでは威力に限界があるし、やはりそこら辺の武装は大型のロボットに積み込んだ方が威力の効率がいい。

今まで取り込んだ全技術をスケールライダーとボウライダーに組み込むことができれば文字通りの意味で無敵モードになれるのだが、現状ではそこまでする必要も無いだろう。

「でも、それよりなにより嬉しいのがこれだね」

難しい顔を崩し、にへら、とニヤけながら自らの胸に手を当てる美鳥。

その胸のサイズは以前に比べそれなりに膨らんでいる。今までの美鳥のサイズだと今回の追加改造に無理が出る為、全体的に身体の大きさを増して余剰スペースを確保しているのだ。

身長もわずかに伸び、身体全体の肉付きも心なしか良くなっている。この大型化により産まれた余剰スペースに様々な機能を搭載している。

まぁいきなり大きくなると怪しまれるので軽い認識阻害を日常的にかけ続け、こっそりとメディカルセンターの美鳥の情報も書き換えなければならないが、それくらいは俺達にとって朝飯前だ。

「おにーいさん♪」

上機嫌な風の美鳥がタンクトップとスパッツに手を当て隠し、手の陰に隠したまま身体に取り込み、一瞬で可愛らしいフリルやレースの付いたブラとショーツに再構成。その場でくるっと回って一回転。

「どう?」

以前は薄過ぎる肉付きのせいでセクシーな下着を付けても違和感が付きまとっていたが、それなりに発達した現在の美鳥の肢体はそれなりのエロスを演出していて実に目に眩しい。

成長したお陰でまた一歩姉さんに近づいた部分と俺に似た部分が顕著に表れてきたようで、その微妙な違いもまた男心を擽るものがある。

「ああ、けっこう色っぽいぞ」

俺の素直な感想に、にぃっと無邪気そうに笑う美鳥。そのまま隣にぴったりとくっついて座ると、俺の腕に両腕で絡みついて、胸を押しつけるようにしながら顔を近づける。

少し高めの体温が伝わり、どことなくミルクを思わせるような甘い匂いが鼻をくすぐる。唇が触れるような距離から、耳に呼気を吹きかけるように囁いてきた

「じゃあ、こうふんする?」

やや釣り目の美鳥だが、眦を下げると姉さんと瓜二つに見える。俺は美鳥の肩を抱き、そのままベッドに倒れ込み、のしかかるような体勢で覆いかぶさる。

「あ……」

押し倒される形になった美鳥が思わず声を上げ、しかし目を潤ませたままこちらに微笑みかけてきた。

「ね、ご褒美、ちょうだい?」

いつもより舌っ足らずな甘えた口調で告げ、目を閉じて唇を控えめに突き出す美鳥。それに応え軽く触れるように唇を合わせ、放す。

予想外の軽いキスに一瞬きょとんと呆けた顔をする美鳥だったが、クスリと笑ってから真似るように軽いキスを返してきた。

美鳥の顔から離れ、首筋に鼻を近づけて匂いを嗅ぐと、かすかに触れる鼻先がくすぐったいのか僅かに身を捩じらせる。

そのまま鎖骨に舌を這わせ、肌の味を確める。美鳥はくすぐったいのを堪えるような声を出しつつ、首筋に顔を埋めるこちらの頭を軽く抱きしめ、掌で髪を軽く撫でつけてきた。

「んぅ……。ふふ、おにいさん、犬みたいでかわ、ひゃっ!」

唐突に鎖骨に噛み付く。俺に可愛いとか多分20年ぐらい早い。

「人を犬扱いするやつはこうしてやる」

皮の上から歯で鎖骨をこりこりと刺激。逃れようと暴れる手足を抑えひたすらこりこりし続ける。

しばらく甘噛みを続けていると、ぱたぱたと慌てるように暴れていた手足の動きが次第に緩慢なものに変わっていった。

「やぁ、そこ、よわ、んぅ……ずるいってぇ……」

顔を真っ赤に染め、眼にはっきりと涙を溜め半泣きのような表情で途切れ途切れに抗議の声を上げるが気にしない。挑発してきたのはそっちなんだから気にしてやらない。

肉体のデザインが俺と姉さんのハイブリッドな美鳥は、俺と姉さんの弱点(もちろん性的な意味で)を両方とも備えている為、こういった行為ではどうしたって受けに回ってしまうのだろう。

しかも本人は散々俺や姉さんを誘ってはいるが、俺とも姉さんとも、それ以外の誰とも致した事が無い。圧倒的に経験値が足りないのだ。

鎖骨を噛みながらブラの肩ひもをずらし、胸の頂きへと舌を滑らせる。舌と歯で刺激を加えつつ両の手を下半身へと移動させ、腿の外側を指先でなぞる。

「ぅ……、そんなの、うゃあっ!」

美鳥が何か言おうとするが口の中で転がしている突起を齧り黙らせる。

指を腿の外側から内側へと滑らせ、徐々に上を目指すように移動させる。じっとりと湿気を吸った白い布に触れるか触れないかの位置に到達したところで指を止める。

そのまま暫く美鳥の身体を一方的に弄り続ける。口は胸から放し浮き出た肋骨を舌でなぞり、臍の中まで優しく丹念にほじくり返し、しかし一部の敏感な局部には一切触れない。

数十分も弄り回した頃には、はっ、はっ、と犬のように舌を出しながら短い呼吸を繰り返すようになり、興奮で白い肌をほのかに桜色になるほど上気させた美鳥が、熱っぽくとろけた眼でこちらに期待の視線を送ってきた。

「おに、さぁん……。お、にいさん、のぉ……」

震える手でショーツの一部を原子分解し切断する美鳥。隠していた布がはらりと捲れ、むあ、と一瞬で部屋の中にむせかえるような女の匂いが広がる。

「ここ、ここにぃ……」

欲情しきった美鳥の姿に、俺は思わず──

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

ベッドに座り込み膝に肘を付いて頭を抱える。ついにやってしまった、これでは姉さんに合わせる顔が無い。

最近そういう事をしていなかったから溜まっていたというのもあるし、何よりもやや成長した美鳥の姿が姉さんに重なってしまったというのが大きな要因だと思う。

いや、姉さんの言によれば本来美鳥はこういう用途に『使う』ことも想定して作ったらしいから気にしないだろうことは想像に難くないけど、これじゃ余りにも不貞だ。

「まぁ気にしない気にしない。あたしへのご褒美の一環だからノーカンだって」

「随分高く付いたって気がするけどな……」

頭を抱えてうずくまる俺の背に、後ろから覆いかぶさりながら美鳥が気楽なセリフを吐く。まぁ、次元連結システムを取り込めた手柄から考えれば安い褒美なのかもしれないが、だからってこれは……。

「大丈夫だよ。お姉さんは実際、あたしのことは愛着のある便利なハサミ程度にしか見てないと思うから」

「そう、か? 最近、つってももうこの世界きてからしばらく経つけど、まぁ最近は最近か。最近はそれなりに家族として扱ってるように見えたけど」

言いつつ、美鳥の言葉にも一理あると頭の冷静な部分が肯定する。ブラスレ世界から帰ってきて美鳥に名前を付けたことを告げた時、姉さんは最初、本気で理解できないと首をひねっていた。

姉さんにとっては美鳥は、旅の道具一式にエロパーツが付いた便利エログッズ程度の認識だったらしい。

男の子はえっちいのが溜まっていろいろと不便になってしまうらしいから、適度に『それ』を使って発散できればいいかなと思っていた、反省はしていない。そんな感じの事を言っていた記憶もある。

因みに男の子は溜まって云々のソースはやはり新聞配達員の千歳さん。毎度の事ながら碌な事をしない人だ。

今は表面上家族として扱っているし、意識の浅い部分では本気で家族だと思っているだろう。しかし根っこの部分では、やはり家族として扱っているペットか何か止まりなのだという予想も簡単に付く。

それは決して悪いことでは無い。便利に使い潰す為の道具に愛着が湧いて、不便に大事にするようになってしまったら本末転倒、むしろ見方によっては美鳥を家族の一人として扱う俺の方がおかしいのかもしれない。

「お兄さんが大切に、それこそ人間みたいに、妹みたいに扱ってくれてるのも嬉しいんだけどさ、やっぱりあたしの本質はお姉さんの思っている通りのモノなんだよ」

背中に覆いかぶさっている美鳥が両腕でこちらの身体を軽く抱きしめながら呟く。振り向かないと顔が見れないが振り向けない。今振り向くのはマナーに反するような気がする。

「だからさっきみたいに、あたしの持ち主であるお兄さんが、おもちゃみたいに好き勝手弄りまわして遊んでくれるのも、すっごく嬉しいし、満たされて、幸せ。だから──」

ぎゅう、と抱きつく腕の力が強くなる。

「あったかくて冷たくて、優しいのに意地悪なお兄さん。これからも、あたしをいっぱい使い潰して。ね?」

力いっぱいしがみ付いてくる美鳥の腕を撫でながら、ただ頷きだけを返した。

―――――――――――――――――――

ズルイ手を使ってしまったかもしれない。少しお姉さんに近づいた体の肉付き、少しだけお姉さんに近づいた顔の造り、少しだけお姉さんに近づいた声の音域。

何もかもが少しだけお姉さんに近づき、前より少しだけお兄さんを身近に感じる身体で、意識してお姉さんの仕草を真似た。微細な筋肉の動き、神経を走る信号まで可能な限りトレースしている。

人間に擬態するにあたっての生体データのモデルも当然お姉さん。多分体臭から声まで中学校時代のお姉さんに似せていたと思う。

身体の素材、機能、構成はお兄さんが全て決めたが、運用方法はあたしに一任されているのだし、お姉さんから離れて久しいお兄さんのせめてもの慰めになれればと──

いや、これは只の言い訳かな。ナデシコに乗っていると下手にお兄さんにひっついていられないし、お風呂だって一緒に入れない。

寂しかった。それでも我慢できないレベルでは無かったけど、お兄さんに取り込まれて身体を再構成する途中で、不思議な現象が起こって耐えきれなくなった。

お兄さんとお姉さんの行為、元の世界で夜な夜な行われていたその情景を、お兄さんの視点で見せられた。いや、共感したとでも言うべきか。

お姉さんの身体を貪る時のお兄さんの心、お姉さんにいろいろされている時のお兄さんの感情、そういったモノを嘘偽りの無い形で体感させられてしまった。

そしてそれ以外、あたしと接している時の心も。ご飯を食べている時、料理を手伝った時、遊んだ時、訓練の時、お風呂の時、みんなで一緒に眠った時。とても温かいその生の感情を実感した。

親しみはある、家族、妹のようなものという言葉に嘘偽りは一切無い。しかしお姉さんへのモノとは決定的に違うそれを見た時、あたしはお姉さんやお兄さんから引き継いだものの中で、未だにはっきりと実感できていなかった感情を自覚してしまった。

そうと知れない部分でお姉さんの真似をして、お兄さんに感知できないレベルの魔力運用で魅了の魔法までかけてお兄さんの動物的本能のようなものを後押し。

はっきり言うと、お兄さんから押し倒してくれるように誘惑した。そしてそれは見事に成功してしまった訳で、お兄さんは少し困惑気味。困惑気味だけど、今もすがりつくあたしの腕を優しく撫でてくれている。

優柔不断ではない。もしどちらかを選べと言われたら一切の躊躇なくお兄さんはあたしを切り捨てる。お姉さん一筋、それだけははっきりしている。お兄さんの行動の理由は結局のところそこに帰結するのだから。

使い潰してと願い、頷いてもくれたけど、それでもお兄さんは自分からあたしを使おうとはしないだろう。無理に押し倒しても拒否されるのも分かる。今回の事は運が良かったというのが大きいし。

これで何かが変わる訳が無いなんて百も承知だ。でも、それでも、あたしは、鳴無美鳥という一個体は──。

あぁ、考えが支離滅裂になっているのが自覚できる。肉体を再構成したばかりだから思考を司る機能が上手く回っていないのかもしれない。

一眠りして頭の中身が整理されれば、きっと今考えていることだって綺麗さっぱり黒歴史認定できる。お兄さんには悪いけど、この背中で少し眠らせて貰おう。

お休みなさい、お兄さん。起きたらきっと元通りのあたしだから、それまで少し我慢してね?

―――――――――――――――――――

■月□日(今宵のボウライダーは一味違うかも)

『甲児とさやか、そして統夜があしゅら男爵にさらわれてしまった。戦争が激しくなってきたので学校が一時的に閉鎖されるという知らせを聞いた三人は、閉鎖される前に最後に様子を見に行こうという話になったのだ』

『貴重な戦力なんだから護衛なりなんなりを付けるべきではないか、などというのをスパロボ世界で言っても始まらないのでスルーしておくにしても、これは少し間抜け過ぎるというか、タイミングが悪すぎるのでは無いだろうか』

『学校について行くのは面倒なのでご免だが、できればその学校周辺の商店街の名物っぽいトライデント焼きや、学校にパンを卸している店を見つけて爆熱ゴッドカレーパンを確保しておきたかった』

『確保しておきたかったが、戦争が激しくなってきているし、行ったところで店が開いているか分からないからやめておいた。これもエンディング後にでも探しに行こうと思う』

『そんなこんなで空いた時間に整備班の人たちに手伝って貰って内職の仕上げをしておいた。ボウライダーとスケールライダーの追加武装の作成だ』

『殆どありもののパーツ(といっても、以前ナデシコの整備中に外出して外から送り込んだ物だが)を組み立てるだけの簡単な作業だが、複製を作り出すのとは違い手間も時間も掛かって苦労した。しかし御蔭で完成品は中々面白いものに仕上がった』

『ついでに速射砲にも別の追加パーツを取り付けておいた。以前のものよりも重くなったが、そも今のボウライダーは馬力が元のモノとは段違いに上がっているので問題は無い』

『これから三人と相良宗助に千鳥かなめ、ついでにその他人質三百人位の救出作戦、俺達はザフト相手に暴れてあしゅら男爵の注意を引く囮役だ。この追加武装を使って、そこら中で派手にやってやろう』

―――――――――――――――――――

メガブースターを三つ付けたボウライダーで海面スレスレを飛行する。誰よりも先に出撃し誰よりも敵に近い位置に陣取りそして今の俺の移動速度は誰よりも速い!

海中のゾノの集団目掛け速射砲を乱射、水の抵抗で僅かに威力の落ちた砲弾はしかし、減速してなお有り余るその破壊力によって敵集団を大破寸前のスクラップへと作り替える。放置しても水圧で勝手に潰れるだろう。

「俺の機体はぁッ!」

水中、普通なら死角にあたる場所から水しぶきを上げながら体当たりを仕掛けてきたグーンを踏み台に上空高く跳びあがる。

跳んだ先の空にはディン、一瞬で距離を詰めてきたこちらにひるまず散弾を放ってくる。流石はコーディネイター、反応の速さはぴか一、判断力も悪くない、古参兵ってやつか?

「無敵!」

しかし残念な事にMSの手持ち火器の散弾程度ではバリアすら抜けない。速射砲を投げ捨て回転鋸型のブレードを展開、更に超電磁フィールドでコーティング、煌きつつも暴力的な速度で回転を開始する刃を突き付ける。

後ろに引き下がりながらランチャーを撃とうとするディンに追いすがり、鋸の刃を見せつけるように頭部モニタにゆっくりと近づけ、触れる寸前で一気に唐竹割り。左右に分断され空中で爆発するディン。

「素敵!」

再び海面まで降りようとすると、足元からブースターを吹かし、突撃銃を乱射しながら近づいてくるジンが一体。

「ナチュラル風情がぁー!」

ハイネうるさい、なんでオープン回線なんだあんたは。さっさと退場して新曲のレコーディングでもしてろよ。

効果が無いのを見てとったのか突撃銃を投げ捨て重斬刀で切りかかってくるジンを、肩に新たに取り付けられた歪で巨大なクローアームで鷲掴みにして捕える。

巨大なクローアームが、ジンを握り潰すように締め付け、その鳥の鉤爪のような鋭い尖端がミシミシと音を立てて装甲を押し破りながらめり込んでいき、心地よい断末魔の悲鳴がスピーカーから溢れ、そして聞こえなくなる。

めり込んでいた爪先を引き抜き、束縛から逃しても動かないジン。クローアームの、人間で言うなら掌に当たる部分に埋め込まれた機械を起動。巨大な掌の上のジンが一瞬にして真っ赤に赤熱しながら膨れ上がり、破裂した。ドロドロに溶けた金属が海に落ちゴボゴボと海水を蒸発させる。

「か・い・て・き」

流石ドイツ製の業務用電子レンジを元に作っただけのことはある。まぁ出力を無理やり上げても大丈夫なように大分作り替えたから基はどんな電子レンジでもよかったのかもしれないが。

ブラスレ世界で取り込んでから今まで使う機会が無かったが、やっと家電から武器を作ってみるプロジェクトのスタートラインを切れた。

あとはハンドミキサーを残すだけ、スタートラインからゴールにすぐ手が届くのは中々手軽で良い企画だ。元の世界で何か思いついたら隣町のケー○電気かヨド○シカメラにでもウィンドウショッピングに行くのも良いかな。

しかし、溶けた敵の機体の飛沫がクローアームについてしまう。接触させるのではなくぎりぎりまで接近しつつも距離を空けるのが正しい使い方だったか? 要練習だな。

クローアームをブンと乱暴に振るい、融けてこべり付きそうな金属を掃い落とす。

「み、ミゲルぅぅぅ!!」

イージスから悲痛な叫びが聞こえるが無視、一気に全滅させても囮の役目を果たせないので一旦後退。背後からビームライフルで追撃されるが適当に機体を左右に揺らすだけで簡単に外れてくれた。

錯乱した状態で焼け糞気味に乱射なんかするからだ。さっきのディンのパイロットの方がよほど質が高かったような気がするのだが、やっぱり調整に高い金賭けた方が優秀だという偏見でもあるのだろうか。

ついでなのでこいつも適当に料理しておこう。慣性を無視して一気に進行方向を反転、うろたえ反応しきれないでいる内に超電磁電動鋸とレーザーダガーでイージスの手足をバラバラのサイコロステーキに、残った胴体を蹴り飛ばして改めて後退。

なんだかこれまたオープン回線でキラに捨て台詞を吐いて撤退していくほぼダルマなイージス。あんな状態で良く飛ぶもんだ、以外と性能は悪くないのかもしれない。

そのまま海中に潜り投げ捨てた速射砲を回収する。しかし先程のアスランの叫び、いったいなんだったんだろうか。

「ミゲル、一体何者なんだ……」

西川声だからまだ未熟なハイネが混じってたもんだと思ってたんだが……。人違いだろうか、ダメだなぁあの凸野郎は、クルーゼから指揮権を預けられているのに味方の名前も覚えきっていないなんて。

敵指揮官の未熟を嘆きながらも速射砲の位置まで移動し回収する。腕に装着し直そうとした瞬間、岩陰に潜んでいたグーンが魚雷を放ってきた。頭が凹んでいるからさっき踏み台にしたやつかもしれない。

面倒臭くなって思わず機体越しに念動力発動。視界に入っていた魚雷とグーン、その向こう少し離れた場所に居るゾノ。それらを含む海底全てが歪み、うねり、爆発した。

海底の岩や魚や海藻や地面自体も全て粉々に粉砕されている。念のためにレーダー確認、周囲に味方機影無し、それなりに深い海底なので映像にも残らない。

改めて速射砲を装着、敵から一定の距離を保ちつつ一息ついてさぼっていると遅れてやって来たブレン、シャイニングがようやく追いついて来た。

「ヘイ大将、いくらなんでも飛ばし過ぎだぜ」

「しかし単騎でエース級の機体を仕留めたか。流石、猿真似程度とはいえ流派東方不敗を使うだけのことはある」

「いや悪い悪い。陽動だから目立たないといけないと思ったから、ついな」

色グログラサンに注意されドモンにツンデレ気味な褒められ方をしてしまった。しかし、どれがエース級だったんだろうか。

まずジンは除外。海での戦いなのに空中戦も海戦もできないような機体で出てる時点で判断力は並み以下、数合わせで出された新兵の可能性すらある。次にゾノ、これも見るべき点は無かった。というか印象に残らなかった。

アスランの乗るイージスは……無いな、これは無い。何かアイテム落としてったけど撃墜してないし、ついでに言えば中身は金持ちのボンボンだ。ここまでこれといった戦果も出していない新人をエース呼ばわりはありえない。

死角からのばかり狙ってきたグーン、これも惜しい気がするが除外。死角から不意撃ち狙いとかは地力で劣る場合に取る行動では基本中の基本、自信過剰な者が多いザフトの中では珍しいがそれだけだ。

なるほど、撃墜したエースとはあのディンのことだな。こちらの行動に一々的確に対応しようとした小器用さは中々のものだった。一般兵のステータスが均一になっているゲームでは登場できなかった無名のエース的な存在なのだろう。

しかしエースなのにあんな軟いカトンボみたいなディンに乗せられるとかあんまりだ。ザフトって中々に厳しい職場なのかもしれんな。もうちょっと良い機体は用意してあげられなかったのか?

「わかってなさそうなので補足しておきますね」

ぼんやりと敵の職場環境に思いを馳せていると、ナデシコのしまじろうから通信で注釈が入った。

「一体だけ混じっていたジンのパイロット、通信の内容から察するに黄昏の魔弾の異名を持つザフトのエースだったようです。……いっぱい居るんですけどね、ザフトの二つ名持ちのエースって」

なんと、ハイネにはそんな二つ名が存在していたのか、また一つ勉強になった。種運命は視聴したのが大分前だからそんなに覚えて無いんだよなぁ。

「解説乙だ。後で好きなだけジャンクフードを奢ってあげよう」

「ありがとうございます」

無表情のままモニタの向こうでぺこりとお辞儀をするしまじろう。そこにテンカワが通信で割って入ってきた。敵があまりナデシコに近づかないからヒマなのかもしれない。

「ダメだよ卓也。ルリちゃんせっかく最近は食堂でご飯食べるようになったんだから」

「ジャンクフードだって人間の英知の結晶だと思うんだけどなぁ」

肩を竦めて首を横に振る。そこまでジャンクフードを毛嫌いされると少し哀しくなってしまう。ああいう食い物だってメーカーの人が試行錯誤して作っていることには変わりないんだから差別するべきではない。

しかし、海なのに一人だけジンに乗せられるエースか……。ザフトの中ではいじめも横行しているのかもしれない、エース様ならジンでも水中戦余裕っすよねー、みたいな。

周りの人間がそんな奴ばかりだから戦闘中もオープン回線で叫んでいたのか、寂しかったんだな。奴もこの戦争の犠牲者だったということだろう。

しみじみしつつレーダーを再確認、コンVとボルテスのマーカーが敵陣に迫り、ザフト機の反応が次々と消滅していく。海中の敵が多い為SPTは前に出ず、エステ隊はナデシコの周辺に近づいた機体を処理していっている。

美鳥のスケールライダーは……、居た。敵陣の外周をうろちょろしてる。あいつ、新武装を撃つタイミングを見計らってるな?

ギリギリまで射線を見極めて、あの位置だとテックランサーで奮戦してるDボウイが邪魔になるな。移動するのか? しないな。しないよなそりゃ。

あ、撃った。おお凄いなDボウイ、不意撃ち気味に敵ごと撃たれそうになったのにギリギリでちゃんと回避したよ。テッカマンの超反応あればこそってやつか。

「凄まじい威力だな」

ドモンも思わず唸るボウライダーの新兵器、両翼の半ばに設置された重力ブレードから発射されるグラビティブラスト。重力制御装置がキモになる武器だから実は重力ブレードは要らかったりする。

見事に命中した敵母艦が爆散していき、周辺を飛びまわっていたMSも巻き添えで数機撃破された。派手だなー、俺今回雑魚を少し散らしただけなのに美鳥はあれか、俺ももうちょい頑張んなきゃな。

「おいおいおい、今Dボウイごと撃とうとしなかったか?」

「ひぇぇ、美鳥ちゃん容赦無いねー」

一部の詳しい状況が見えていた人に恐れられてしまったようだ。一応フォローしておこうか。

「あれはDボウイなら上手く避けれるという信頼の表れだな。肉体言語で語り合った仲だから信頼関係が生まれているんだよ」

アームロックという肉体言語を使うことにより言葉では表せないあれな感じのそれを見事に伝えた美鳥に隙は無かった。

いかんな、これはフォローしてると言わないんじゃあるまいか。自分の言語機能に少し不安を覚える。

「あれは、肉体言語で一方的に語り聞かせてたんじゃないかしら……」

「反撃出来て無かったしな」

冷静なアキさんとノアルさん。流石に弁護のしようも無いぜ。

―――――――――――――――――――

その後、合流したドモンと電影弾撃ったりボルテスとダブル超電磁斬りしたりしつつさらっとザフトを殲滅。小島に燃料切れで不時着してる風を装っていると、しっかりと騙されたあしゅら男爵がのこのことやってきてくれた。

機械獣軍団相手に手も足も出ない(ように演技している)俺達、絶対絶命の大ピンチ!

狭い小島の上をローラーを廻しひたすら逃げ回るボウライダー。他の機体も適当に撃墜し過ぎない程度に反撃や回避を繰り返して時間を稼いでいる。

「くそう、ぼうらいだーがたまぎれじゃなきゃあんなやつらー」

超棒読みで危機感を演出する俺。ちら、とモニタに映るドモンに次はお前の番だと目くばせ。

嫌そうな顔をしつつも作戦の為と仕方なさそうにコックピット内に貼り付けておいたメモをチラ見しつつ音読するドモン。

「お、おのれ、しゃいにんぐが全快ならこのようなやつらあっというまに」

微妙に頬を染めながら下手くそな演技を一生懸命こなしている。まぁこんな演技しなくても敵に回線を開かずにいる今の状況なら適当に逃げ回っているだけで済むのだが、見事に騙されてるなぁ。

モニタに映る美鳥がしかめっ面をしているが、よく見るとフルフルと細かく震えて笑いを堪えているのがわかる。

もうそろそろ6分経つかどうかという頃合いでナデシコから通信。ミスリルが人質の救出に成功したらしい。

さぁ、レクリエーションはここまで、あとは楽しい楽しい狩りの時間だ。

「ドモン? 敵に通信が繋がっているわけじゃないから演技なんてする必要は無いのよ?」

「なんだと? おい、鳴無貴様ぁ!」

レインさんのツッコミに怒声を上げるドモン。演技で無駄に労力を使わせてしまったな、だが私は謝らない。

あれこれ言われる前ににやりと笑いだけ返して通信を切った。こんな冗談騙される方が悪い。

重力制御装置出力調整、ボウライダーを浮かび上がらせ全ブースター点火。目前まで迫っていた機械獣軍団に肉薄、殲滅戦を開始した。

―――――――――――――――――――

ザフトを迎撃してからあしゅら男爵がやってくるまでに全ての機体が補給も応急修理も済ませてしまっていたので戦闘はあっという間に終わった。

まさにスイーツ。あの程度の戦力でこちらに攻撃を仕掛けてくるとは片腹痛くて臍で茶が沸いてしまう。

ナデシコに着艦し、ブリッジに戻るのも面倒なので格納庫で時間を潰していると、後ろから近づいて来ていたウリバタケさんにメガホンで頭を叩かれた。

「鳴無ぃ、あれ使う時は敵掴みっぱなしで使うんじゃねぇって言っといたろぉ?」

こめかみに血管を浮かばせたウリバタケさんが親指で指し示す先では取り外された大型クローアームに整備員が数人とりつき、こべり付いた金属を剥がす作業を行っている。

もともとは融けた金属がこべり付いて塊になって酷い有様になっていたのだが、あしゅら男爵の潜水艦を落とすどさくさで内側から取り込み、表面に少しだけこべり付いている形に仕上げ直したのだ。

数時間しない内に再出撃だからささっと剥がせるようにしたのだが、あれでも常人では苦労するらしい。次回からはきっちりと運用法を考えて使うことにしよう。

「いやー、うっかりしてました。でも凄い威力だったでしょ?」

「木星トカゲの虫型相手にゃ使いでがねぇけどな。それなりに大型の相手なら有効だろうよ」

「今がそういう状況だから使ってるんですよ。MSにも機械獣にも効いてたんですからいいじゃないですか」

「まぁ、そりゃそうなんだけどよぉ……」

苦虫を噛んだような表情で整備指揮に戻るウリバタケさん。この新兵器はあまりお気に召さなかったようだ。

まぁ威力はともかくあんな形にしたのは完璧に俺の趣味だから仕方がない。そも威力云々で言うなら今のブレードだけでも接近戦は十分な訳だし。

悪魔の手指のように刺々しい形をしたクローアーム、重力制御装置を積んでいなければ直立ができなくなる程巨大なそれが、10メートル弱のボウライダーの肩から生えている。確かにメカニックからしたら頭の痛くなるような光景だろう。

通常のMSならそのまま握り潰せる程の馬力を備え、拳のように握り込み殴りつけるだけで敵のフレームは拉げる。

そして掌に埋め込まれた巨大強化電子レンジ、種のサイクロプスとかギアスの輻射波動の親戚のようなものだ。運用方法は紅蓮二式とかを参考にすればいいとさっき気付かされたトンでも馬鹿兵器。

それこそ小型の敵を大量に出してくる木星トカゲには利かないのであれだが、MSや機械獣、そして多分獣士相手にもそれなりに使える兵装である。

今回は直前で握りつぶしてから留めに使用したが、本来なら敵は断末魔の悲鳴をあげる暇さえ無く膨張・破裂して死ぬ。まぁそんなエグい兵器を気にいる奴もなかなか居ないが、どうせ洗浄くらいしか任せる部分も無いのでそこら辺は我慢して貰いたい。

クローアームに付いた汚れを洗浄している整備の人たちを眺めボーっと考える。

統夜にはこの間発信機を飲ませたから今から助けに行こうとすれば勝手に行けるんだよなぁ。でも今回は特に見所のある話でも無いし助けに行っても旨味は少ない。

ラムダドライバ搭載機が居るが、念動力で代用が利く上に自軍にも似たような機体がすぐ合流する。どうせ先に出ても数分の違いでしか無いし、どうするか。

考え込んでいると、通路から三人娘と美鳥が手を振りながら近づいて来た。これは何かありそうな予感、とりあえず話を聞いてみようか。

―――――――――――――――――――

通信施設に居た為にミスリルの救出部隊とすれ違ってしまった5人は、ガウルン操るラムダドライバ搭載ASに追い詰められるも、ガウルン機の新型機ゆえのマシントラブルにより辛くも逃げのびることに成功する。

囮になるから皆は逃げろと言った相良宗助と兜甲児を千鳥かなめが説得し、紫雲統夜に弓さやかを合わせた5人で力を合わせ、海岸近くまでの移動に成功。隠れるのを止めて森を抜け、海の見える場所に出ていた。

「うわっ、あんなにいっぱいいるんだ」

見晴らしの良い平地から、そこに大量に配置されている傭兵のAS部隊を見て顔を少し青ざめさせながら驚くかなめ。

「発見されるのも時間の問題か……」

「ま、あそこにいたってどうせ見つかってたしな」

冷静に状況を分析する宗助と、進むしか無いと開き直る甲児。

「まだまだ。あきらめてたまるもんですか」

「そうよ!」

「ああ。行こう」

気合を入れるさやかとかなめと統夜。全員服もボロボロで疲労困憊だが、その眼はまだ希望を失っていない。なんとしても生き残る、という強い意志の光に満ち溢れている。

しかしそうそう話は上手く行かない。空には海岸を目指す5人に迫る巨大な陰、あしゅら男爵の駆る飛行要塞グール。

マシントラブルによって5人を逃がしたガウルンであったが、あしゅら男爵へ通信を送り追撃に出るように仕向けていたのだった。

「甲児くん、あれ!」

「グール! あしゅら男爵か!?」

「俺達をここへ連れてきた飛行要塞か。発見されたようだな」

空に浮かぶ威容を忌々しげに睨みつける。そんな4人とは別に、全く逆の方向を向く人間が1人、ウィスパードの千鳥かなめ。

何者かに囁かれたか、それとも突っ込み担当にありがちな野生の勘か、彼女は誰も気付かない異変に気付く。

「あれ、何かしら……」

訝しげな表情でつぶやく。彼方の上空に見える小さな点、それがどんどん大きくなっていく。

速い。目を凝らしても青空の中に文字通りの点でしか見えなかったそれは、数秒経たず歪な人型へと変わり──

「ふふふ、見つけたぞ兜甲児め。ガウルンのい、ぎゃぁぁぁ!!」

落下の勢いを殺さず飛行要塞に激突、地上へと墜落させた。

呆然とする5人、地面に墜落した飛行要塞の中からは巨大な羽虫の大群が飛びまわるような音と、耳を劈くような金斬り音が絶えず響き渡り、その度に地に落ちた飛行要塞に細かい穴がいくつも空いていく。

そしてその奇怪な現象が起きている山の麓の反対側、先ほど飛行要塞に激突したものに比べ丁寧に着地したASが2機。ミスリルのM9だ。

「いぃぃぃやっほう!! こちらウルズ6、着地成功! ターゲットも全員ここにいるぜ!」

「ソースケ、しぶとく生きてるわね! 助けに来たわよ!」

同じチームの人間の呼びかけで正気に戻った宗助が小型の通信機で問いかけた。助けに来たことに安堵してはいる、感謝の言葉や状況の報告もするべきだろう。しかし、先にこれだけでも確認しておきたいという欲求を優先した。

「こちらウルズ7、二人より先行した機体は居るか?」

「うちらは出して無いけど、あっちの連中から三機先行させたって話は来てるわ。一機が先行して露払いをするんだってさ」

「ネルガル雇われの腕っこきの傭兵らしいぜ」

あれがなんであれ、味方であるならば問題は無い。ほう、と安堵に胸を撫で下ろす宗助。

そのやり取りを聞き、落ちてきたのが誰かわかった甲児とさやかの顔も明るくなり、詳しくは分からないがなにはともあれ助かる目途が立ってきたのだと安心した顔のかなめ。

しかし、統夜だけはどこか落ち着かない様子だった。2機のASから目を離し、今にも爆発しそうなほど激しく燃え上がる飛行要塞に振り返る。

背筋がざわつく。あそこに居るのは味方、火星に行く前からの付き合いで、初めてベルゼルートに乗った時もフォローしてくれて、訓練では戦い方も教えてくれて、悪ノリもすれば冗談も言うけど、でも時折相談にも乗ってくれる頼りになる先輩のような人の筈なのに、何故ここまでざわつくのか。

閃光。飛行要塞を内側から食い破り極太の熱光線が吹き出し、空いた大穴からゆっくりと姿を現す影。

飛行要塞内部の炎に照らされ純白の装甲は紅く染まり、肩からは悪魔のような禍々しい鉤爪のある巨椀を生やし、その鉤爪に自らの倍近い大きさの機体を鷲掴み、普段二丁の速射砲を持っている腕には身の丈ほどもある巨大な長銃を携えている。

凶暴な獣性と狡猾な理性を、戦う者の非道な一面を、慈悲無き酷薄な戦闘の真実を、悪意を持って具現化したような異形が、そこに存在していた。

―――――――――――――――――――

地上に墜落したであろうグールの中でむくりとボウライダーを起きあがらせ、呟く。

「これぞ強化ボウライダー新必殺、江ノ島キック(仮称)……!」

御姫さん超リスペクトである。威力で劣るが島を吹き飛ばすと統夜達が助からない為に自重しているので問題無し、とりあえず目障りなグールに命中させておいた。

三人娘が美鳥と共に言ってきた作戦は、統夜達の居る島まで部隊内で一番脚の速いスケールライダーに乗せていって貰い、超高高度から接近することにより全ての敵をスルーして一発で合流するというもの。

……作戦? これは作戦ではなく作戦(笑)という物に分類されるものだと思う。まぁそれはともかくとして、輸送形態で機体を乗せるとなれば一部武装が使えなくなるし、一発で統夜等と合流出来なかったら棒立ちのベルゼルートを守りつつスケールライダー単体でしばらく戦わなければならなくなるという問題点を指摘されたとか。

で、それならボウライダーも載せていって、ついでに途中で先行して露払いをして貰えばいいんじゃないか、という提案を美鳥がしたら何故か艦長達に納得されてしまったらしい。

何はともあれ現在無力の統夜にベルゼルートを当てがってしまえば5人の危険度も下がるという判断もあっての決断らしい。先行した俺が先に統夜の位置を見つけてスケールライダーとベルゼルートに知らせれば一石二鳥でもあるとか。

ここまでそれなりに戦果をあげ、今では俺と美鳥で撃墜数一位二位を独占してしまっているからか何故か戦力としての評価も高い。御蔭で俺達なら多少無茶でもどうにか出来てしまうだろうという評価を貰っているのだが、良いように使われているようで少し気に食わない。

ラダムに察知されるかされないかギリギリの高度で飛行して島の近くまで移動、超高高度から落下することによる重力加速度、重力制御装置で自らに掛かるGを大きくすることにより尋常ならざる速度で落下。ダメ押しにブースターで地面目掛けて再加速。

当然この落下の瞬間だけはボウライダーの素材を大きく作り替え、大気圏外からの自由落下にすら耐えきる超合金ニューZαを更に強化した素材に変更済み。こうして見事にグールを一撃で撃破したのだ。

今は回想しつつごうごうと燃え盛るグール艦内で破壊活動中。逃げまわる仮面だか兜だかをかぶった兵士風の連中を轢き潰し走り周りながら速射砲を乱射、回転鋸ブレードを振り回し隔壁を切り開きながら外を目指す。

脱出を促す警告音を鳴らす艦内を突き進むと、大量の機械獣が納められた格納庫に到達した。その機械獣に紛れ一つだけセンスの違う、いや、アレンジの仕方だけが同じセンスの機体が。

全身を鋲でデコレーションされた趣味の悪い片目のマジンガー、あしゅらマジンガーだ。こちらに拳を向けロケットパンチ──と思ったら指を突き付け外部スピーカーで何か喋り出すあしゅら男爵。

凄い、隙だらけだ。

「おのれ一度ならず二度までも、このあしゅらマジへぶぁぁ!」

口上の途中でパイルダーの代理が居座るマジンガーの頭部に速射砲を叩きこむと、ガクンと揺れるあしゅらマジンガーの頭部。固定が甘かったのか代理と共に見事にあしゅら男爵が放り出され無人のマジンガーが残された。

今さらマジンガーっても戦力としては微妙だが、ついでだから貰って行こう。肩部大型クローアームで胴体を鷲掴みにして持ち上げる。

このままだとパイルダーが無いな、適当にでっちあげるか。ボウライダーと深く融合、機体表面から触手を生やし、その先端からマジンガーZのパイルダーを適当に鋲でデコレーションして複製、頭部にドッキング。

ついでに触手をマジンガーの中に潜り込ませ自爆装置の類が付いていないかチェック──杞憂だったらしい。奪うことは考えても奪い返すことは想定しないらしい。

「じゃ、ありがたく貰ってくぜ」

両手の速射砲をドッキングさせモードチェンジ、大出力の荷電粒子砲で壁に風穴を開け、燃え盛るグールの艦内から脱出した。

―――――――――――――――――――

グールから出ると、少し離れた所に統夜、甲児、さやかの姿を確認。ついでに相良軍曹とウィスパードも居る。少し離れた海岸にはM9の姿も。

ぱっと見大丈夫そうだけど、とりあえず通信で全員ちゃんと無事か確認しなきゃな。怪我してる奴が居た時の事も考えて治療用の道具一式も持ってきてるし。

ローラーダッシュで5人に近づき、通信を繋ぐのも面倒なので外部スピーカーで対応。

「見て分かるだろうけど、助けに来たぞー。あと甲児、ナデシコが来るまでとりあえずこれに乗りな。見てくれは悪くなってるけどこの状況じゃ無いよりはマシだろ?」

クローアームで持ち上げていたマジンガーを脚元にそっと降ろす。

「こりゃあ、マジンガーZ! 取り返してきてくれたのかよ!? へへ、さっすが卓也さんだ」

おまえのために、はやおきしてマジンガーZをよういしてきたんだ。まぁ成り行きだったけどな、しかも鋲打ちっぱなしの悪役仕様のままだし、片目が潰れてて光子力ビームは威力半減だし。

横倒しになったマジンガーZの頭部に甲児が近づき、よじ登ってスクランダーに乗り込む。これでまず一人安全確保、戦力も少し増強。

次は、あちこちから血をだらだら流しているこいつか。

「お久しぶり軍曹、治療の道具は要るかい?」

「鳴無か。用意がいいな、感謝する」

「これで前回の援護の借りは返したってことで。お嬢さん達は軍曹の手当てを宜しく」

ボウライダーをしゃがませて、荷電粒子砲を持っていない方の手を差し伸べ、その指先にいつの間にか括りつけておいた救急箱を差し出す。

すぐさま弓さやかともう一人の女、多分千鳥かなめがそれを受け取り、自分で治療しようとする相良軍曹を押さえつけて治療を開始した。

あとは統夜だけなんだが、こいつは周辺の敵をどうにかしないと機体を下ろせないからな。さっきから変な表情でぼーっとこっち見てるし、助けが来たから緊張の糸が切れたのか?

「統夜」

「え、あ、はいっ!」

授業中に居眠りしていた所を指名された生徒のようにビクリと飛びあがる。本当に大丈夫なんだろうか、まぁ最悪でも敵の攻撃から自分で身を守れる程度に動いてくれればいいか。

「もう少ししたらベルゼルートも届くから、気合い入れておけよ」

「分かりました。あの、ありがとうございます。助けに来てくれて」

「感謝するなら3人娘に言えばいいと思うぞ? あの3人が提案しなければわざわざ先行して助けに来たりしなかった訳だしな」

それでも十分間に合ったのは間違いないだろう。今回のことは、なんだろうな、気まぐれ?追加武装の出来も良かったから新鮮味がある内に使いまくりたいってのもあるし。

先行すれば山ほど機械獣と戦える、ザフトのMSよりは手ごたえがあるだろう。戦い方ならAS乗りの本物の傭兵達も巧そうな印象もある。

とりあえず足元のこの位置をマップにマーキング、踏みつぶさないように気をつけて戦おう。ついでに統夜の位置情報ってことでこのマップをスケールライダーとベルゼルートにも送信。

周りは海の側以外全てASか機械獣に囲まれている、適当に撃っても何かの機体には当たりそうだが、観客も居ることだしできるだけ丁寧に片付けて行こう。

マジンガーを渡したり救急箱を渡したりしている間にも機械獣とASはどんどん近付いてきているし、手近な奴からどんどん潰してしまおうか。

「こっちは準備完了だ! さぁて、今までの借りを返してやるぜ!」

「こちらウルズ2、わざわざ単騎で先行して来たからにはそれなりにやれるんだろうね?」

「あんだけ派手に登場したんだ、見かけ倒しでした、なんてオチは勘弁しろよ?」

マジンガーZとM9から通信、前回ミスリルと共闘した時は殆ど援護しかしなかったからどの程度の腕前か分からないというのもあるのだろうけど、随分と舐められたものじゃないか。

こちとらゲームバランスも糞も無いような超魔改造機体と、文字通り人間離れしたステータスの持ち主、そこらのバランスのいい性能の機体やパイロットとは一味も二味も違うって所を見せつけてやろう。

山側へ少し踏み出す。破壊したグールの残骸からわらわらと湧き出し、ガシャガシャと金属音を鳴らしながらこちらへ駆け寄ってきている生き残りの機械獣軍団。

ボウライダーの片腕に提げていた荷電粒子砲を分解、速射砲に戻し、改めて横に束ねて接続、迫る機械獣の群れの真ん中辺りに砲口を向ける。

ASを潰すよりは機械獣を潰す方がデモンストレーションとしては派手で見栄えがいいだろう。経験値も資金も努力と幸運で更に倍、お得だ。

【卓也・精神技能・発動・愛・成功】

予め自らに刷り込んでおいたシステムメッセージが脳内に表示され、文字通りの必殺必中が約束される。

これは精神コマンドを発動する為の自己暗示に過ぎないので、場合によっては『この感情、まさしく愛だぁぁ!』とかでも構わないのだが、とりあえず汎用性の高いこれにしておいた。

このスパロボ世界に元から居る住人ならこんな自己暗示に頼る必要も無く、必要な時に無意識に発動するようだ。自分が異邦人であることをまざまざと思い知らされているようで、なんとも言い難い気分になる。

「それなり、ってのがどの程度を指すのかは知らないけど、そうだな、例えば……」

搭乗機体への融合同化開始──完了。機体内部構造再構成開始──完了。

オルゴンエクストラクター、光子力反応炉、機体内部への組み込み完了、共に正常に稼働中。

エネルギーバイパス接続、チャージ開始、三、二、一、チャージ完了。

重力制御装置超過稼働開始。目標、山の方に居る機械獣軍団纏めて全部。

発射。古い特撮の怪獣が発する甲高い叫び声のような音を発しつつ、強力な重力波の奔流が周囲の地形を抉り作り替えながら進む。

頑強なフレームを持つ筈の機械獣達が歪み潰れ、少し遅れて爆発した。機械獣の向こう側の山まで崩れてしまっているが、人質は全員救出したらしいので周辺被害は気にしない。

「これぐらいかな?」

「……ヒュゥ、馬鹿げた火力だぜ」

「十分過ぎるわ。引き続きよろしく」

重力制御装置へのエネルギー供給を平常のレベルまで下げ、機体の姿勢制御にのみ割り振る。

重力波砲を撃ちっ放しにして砲口を横に動かすだけでAS群も粗方片付けることもできたが、それではせっかく先行しての露払いを引き受けた甲斐が無い。

連結させていた砲を分離させ、元の速射砲に戻す。とはいえこれも今回は控えめにしか使うつもりは無い。

M9を無視しこちらに接近してきた数体のASが、後方から単分子カッターを構え躍りかかってくる。今の攻撃を見て鈍重な火力重視機体だとでも判断したか。それとも敵よりも足下に居る目標を捕えることを優先したか。

ありがとう、今回は接近戦大歓迎なんだ。新武装を使う機会を身体を張ってまで作ってくれるなんて、この世界の傭兵さんは紳士な方ばかりらしい。

クローアームで拳を作り、右後方から飛びかかって来た一体を殴り飛ばす。金属と金属が激しくぶつかり合う快音、そして精密機械を粉砕するような複雑な異音と共に吹き飛ぶ一機。

殴打された衝撃で全身の関節を曲げてはいけない方向に捻じ曲げられたASは、そのままゴロゴロと転がって行き、爆発。

仕事仲間が一機やられ、それでも斬りかかってくる細長いASと、少し離れて銃器で応戦しようとするずんぐりむっくりしたAS。残念ながら、どっちも外れ。

地面をジグザグに動きながら接近する一体を、もう片方のクローアームで鷲掴み、アサルトライフルを撃ってくる敵に向け盾にし、ローラーダッシュで急速接近。

単分子カッターで自分の機体を掴むクローアームを破壊して逃れようとするが、申し訳ない事にこのクローアームも空から飛び降りる前に超合金ニューZα製に作り替えたばかり、その程度では破壊どころか傷一つ付かない。

そのまま掴んでいたASを目前で未だアサルトライフルを撃っているASに至近距離から叩きつけ、衝撃で双方怯んだところをレンジでチン。

赤熱、破裂。AS二機分のドロドロに融けた金属がぶちまけられ地が焼かれる。クローアームには汚れも傷も無し、大体はこんな使い方で決まりか。

今ので近づいてきた敵は終了。こっち側の他のASは遠巻きしつつに動きまわって砲撃を警戒、どう出るべきかとこちらの隙を窺っているようだ。

反対側から迫ってきていたASは甲児のマジンガーが相手をしているし、海岸のM9二機の方に向かっている連中もいる。

やっぱり防衛系の仕事は苦手だ、俺一人だったら相楽宗助と弓さやかはミンチに、千鳥かなめはとっくに連れ去られてあれやこれやあんなこんな仕打ちを受けてそれはもう21禁な展開になってしまっていたことだろう。そんな展開は同人でやれとしか言えない。

この娘が居ないとこの後出てくるガウルンすら倒せないしな。ゼオライマーの次元連結砲なりメイオウ攻撃なり、ナデシコのグラビティブラストなりで倒せそうなもんなのに、不思議な話だ。

さて、ナデシコが到着するまでゲーム通りならあと二分ちょい時間があるし、待っている間にあのAS達を実験台にクローアームの面白い運用方法でも研究してみるか。

遠巻きにしているASと追いかけっこを始めようと重力制御装置で地面から浮かび上がった処で、ベルゼルートを背に乗せたスケールライダーが空から凄い勢いで降りてきた。

地面に激突する寸前で急停止したスケールライダーからベルゼルートがふらふらとよろけるように地面に降りる。

あの速度、スケールライダーの背中に何の固定も無くしがみついていただけのベルゼルートに乗っていた三人娘は、パラシュート無しのスカイダイビングでもさせられたような気分だったろう。

ふらついたまま数十メートル歩き統夜達の居る場所に今まさに倒れこんだベルゼルートを眺めていると、スケールライダーから通信が入った。

「お兄さん、やっほ。グラビティブラストまで使ってノリノリだね」

「さっきの海上では暴れ足り無かったからな。それと、露払いはまだ終わって無いぞ?」

「統夜の位置も把握出来てるし、ベルゼルートに乗り込む時間くらいは十分確保できるってば。つうかさ、あしゅらマジンガーに甲児が乗ってるのは何で? 隠し機体じゃないだろうし」

首を傾げてうんうん唸る美鳥。手元に本体とソフトがあり、なおかつ現在プレイ中だからそこら辺のフラグには詳しいのだろう。

しかしここは俺達二人が追加されたスパロボJの世界なのだ。何もかも元のソフトと同じ内容になる訳では無い。

ゲーム的な条件としては、先行出撃するかしないかの選択肢に出撃すると答えるとか、俺がBPを技量に十以上振っているとか、そんな条件で手に入るユニットだったのかもしれない。

そうなるときっと味方増援(スケールライダー、ベルゼルート)の条件は敵機体一定数撃破が条件とかか、まぁそうそう俺達が話の本筋に絡むことも無いからそこまで気にする必要も無いんだろうけど。

「グールの中に落ちてたから拾って持ち主に返した。これでトリプルマジンガー揃い踏みだな」

「甲児は今カイザー専属だから、乗るのはきっとボスだね」

「じゃあ、余ったボスボロットは廃棄処分か?」

「それを すてるなんて とんでもない!」

まだ敵が残っているのに何やってんだとか言われそうなほどリラックスした会話だが、一応ASからの射撃を全てバリアで防いで足元の救出対象に当たらないようにしているし、速射砲の反撃でそのASも一機一機確実に減らしている。口と手を同時に動かして働いているのだから何の問題も無い。

反対側から迫るASも甲児があしゅらマジンガーで無双しているし、ベルゼルートに乗り込んだ統夜だって敵を近づけない戦い方にはなれた物だ。

まぁ、統夜は何故か遠距離戦重視のベルゼルートでも敵に突っ込んで行きたがる突撃癖があるが、流石に今回は自重してくれるだろう。カティアを乗せて遠距離からバシバシ当てて行く形がベストだと思うし。

とかなんとか考えている内にオルゴンライフルを構えて突撃していくベルゼルート、ASの一機にわざわざギリギリまで接近してからオルゴンライフルを撃ちまくっている。何故だ。

「あ、そうそう。今回はのサブパイね、逃避行の後で疲れてるから精密射撃は出来ないだろうってカティアが辞退して、それほど攻撃力のいる場面じゃないからテニアが外されて消去法で防御が少し上がるメメメがやるみたい。援護してやらないとまずいんじゃないかなぁ」

「そういうことは先に言え先に!」

囲まれて、唯一の近接装備が弾切れになったらそこでおしまいだろうが。俺は急いでオルゴンライフルの接射に夢中になっているベルゼルートの援護に向かった。

―――――――――――――――――――

結局、三回ほど援護防御で身を呈して助ける羽目になった。統夜、すいません助かりましたとかはいいから精神コマンドから突撃を削ってくれ、あるいはグランかクストに乗ってくれ。

メメメも止めるなりなんなりしろ、ハンドル握ってんのはお前等だろうが。ていうか移動補正また増えてないか?メガブースターレベルから更に上がって無いか?移動力プラス3で敵陣に突撃とか勘弁しろ。せめてヒットアンドアウェイで撃った後逃げる時に活用してくれ。

結局足元の5人(相良、弓、千鳥の元から居た連中+カティア、テニアの余りサブパイ組)の護衛は甲児に殆ど任せきりで突撃して回るベルゼルートのフォローに掛かりっきりの戦闘だった。

あれから一分と少し程度で敵は全滅。アーバレストが届く前にザイードが出てきてしまった時は焦ったが、ギリギリでナデシコとアーバレストが合流。残り少ない敵増援を相手に質、量ともに上回る虐め的な戦闘を開始、あっという間に殲滅完了。

そんなこんなで現在ステージ終了、ヴェノム対アーバレストのイベント戦闘中。俺は庇いもしなければ近くに居なかったこともあり、殆ど原作同様に話は進んでいく。

今は千鳥かなめが弓さやかから通信機をもぎ取って、ラムダドライバの使い方について教授している場面。想像力に少し欠ける相良宗助はどうにも要領を得ないらしく、焦れた千鳥かなめが怒鳴り出す。

「じゃあ想像して!! あいつに捕まったらあたしは、頭の中さんざんいじくりまわされて殺されちゃうのよ!」

「あたし、前シベリアでその人と似たような状況の女の子を見たことあるよ。クスリの打たれすぎで自我崩壊寸前でさ、酷い有様だったよ……。ただ殺されるだけじゃない、その子も捕まったら先ずはあの手この手で精神的に責められるだろうね」

ここで唐突に美鳥が会話に入った。しかもこのセリフ、これは俺にあのセリフを言えという事か、ナイスフォローだ。

「あの手この手というと、あんなことや、こんなことや、そんなことか……!?」

あの手この手という言葉に過剰に反応したクルツに、わざとらしく顔を赤く染めそっぽを向きながらこくりと頷く美鳥。

「クルツさん、セクハラです」

「十代前半の女の子にセクハラとか……」

「不潔」

美鳥のリアクションを見た女性陣から言葉でフルボッコにされている。これは神がかり的な展開、いざゆかん勇者王への道。

「イメージするんだ軍曹! 彼女のあんな姿やそんな姿を!」

言った言った、言ってやった!風評が下がってもこれだけは言っておきたかったんだ!

「えぇぇえ! ちょ、ちょっと流石にそれは! あぁもう! この際、許す! 想像しなさい!」

慌てふためく千鳥を確認してズームを止め通信も最低限の物に切り替える。余は満足じゃ、ほっこり。

これでもう正真正銘、このステージでやることはやり切った。あとはアーバレストが勝つのを見届けて帰艦、風呂にでも入ってゆっくりしよう。

―――――――――――――――――――

■月▽日(ボケのち突っ込み、ところにより爆発オチの恐れもあるでしょう)

『ひたすらに哨戒任務の日々が続いているが、コメディパートにも定評のあるフルメタルパニックのヒーローとヒロインのお陰で退屈はしていない』

『しかし、毎度毎度艦内で爆発落ちというのもいかがなものだろうか。今のところ負傷者が出ていないのが不幸中の幸いというか、ギャグ空間特有の生命力強化現象とはこういう状況で発現するものなのだろう』

『そんなこんなでメインメンバーが全員合流したフルメタルパニックのメンツだが、どうにも俺や美鳥の機体に含まれる謎のテクノロジーとかから微妙に警戒されている節すらある』

『前回のガウルン戦闘時、ウィスパードに関して少し知識がある風に装ってしまったのが災いしたのかもしれない。あの後呼び出されて偉い人にその事に関しては口外しないようにと頼まれてしまった。更に美鳥が知っているなら俺も知っているだろうと判断され、しっかりと言い聞かせておいてくれと念入りに釘を刺された。くぎゅぅぅ』

『まったくもって遺憾な話ではないか。こちらには一切向こうを害するつもりは無いというのにここまで警戒されるとは。俺は役に立たないテクノロジーとか取り込んでも意味の無い人間にはかなり無害な部類だというのに』

『因みに千鳥かなめ嬢との接触はそれなりにある。爆発落ちの時に近くにいる時もあるため、相良軍曹のフォローに回っている彼女とはそれなりに会話する機会が多い』

『粗暴で短慮でヒロイン格としてどうかと思うような振る舞いをすることもあるが、実際に話してみればどこにでもいる──とは言い難いにしても、ここの連中に比べればまだまともな思考をする善良な一般人だ』

『……まだ設定が固まっていない頃のウィスパードなだけあって、俺や美鳥の正体何かをなんの脈絡も無く知られてしまうのではないか、と少し警戒していたのだが、今のところそういった傾向は見られない』

『とりあえず今のところ安全のようなので、鬱憤晴らしも兼ねて格納庫でささっとアーバレストの取り込みも実施させて貰った。俺に使えるかどうかは未知数の機能だが、取りあえず取り込んでおくに越したことは無いだろう』

『まぁ機体のデザインとかはASでは量産型のコダールかM6が最強だと思うがそんな所をえり好みしていても意味が無い。何は無くとも自身の強化が最優先』

『これで自軍への新規参入機体は品切れかな? 追加武装待ちの機体があるにしてももう少し先だし、これからはむしろどのようにして敵機体を取り込むかがキモになってくるので、邪魔な目撃者の居ない状況をどんどん作りあげていかなければならない』

『今後は率先して哨戒任務に志願するべきだろう。度重なる強化改造を施しても相変わらずスケールライダーとボウライダーの合体システムは生きているから、俺と美鳥だけで出撃する言い訳もばっちり』

『日々を過ごす中でやることは方端から片付けて行こうと思う。時は金なり、しかしお金で時間は買えないのだ。まぁ俺はボソンジャンプとかクロックアップで結構融通が利いてしまうが、そこは気にせず頑張ろう』

―――――――――――――――――――

「うわあああぁぁぁぁん!」

ブリッジへ行く為に廊下を歩いていると、ナデシコの艦長であるミスマルユリカが顔を真っ黒に染め、年甲斐も無く大泣きしながら反対方向へ走り抜けていった。

艦内であんな煤けることのできるシチュエーションなどそうそう無い。間違いなく相良軍曹の仕掛けたトラップに引っかかったのだろう。

軍の士官学校を出てるエリートと言えど、日常パートの中にさりげなく潜むギャグパートのトラップにまで気付くことはでき無いということだろう。

しかも相手は秘密部隊の現役兵。そのトラップの巧みさは原始的でありながら極めて効率的で──

「む、鳴無か」

考え事をしていると、千鳥嬢の手を引き警戒している様子の相良軍曹と、

「あ、鳴無さん。ど、どうかしましたか?」

掴まれていない方の手にハリセンを握りしめ今にも相良軍曹の頭に振り下ろさんとしている千鳥嬢が居た。

相良軍曹の服装を見る。どこにでもいそうな軽装の軍人風の格好。こちらは服のあちこちにさりげなく様々な機材が仕込まれているのが見える。

日常的に爆発処理やトラップの設置を行うだけあって中々理にかなった装備だ。

しかし、千鳥嬢の服装はどうだろうか。一般的な女子高生の私服、それこそ適当に人口の多い日本の市街地にでも行けばそれなりに数が居そうなごくごく一般的な装備。

当然ながら、あんな大型のハリセンや突っ込み用の旅館スリッパを隠しておけるようなスペースは見当たらない。

行動の面では明らかに相良軍曹の方が異常であるにも関わらず、物理法則の面では千鳥嬢の異常さが際立つ。

「いや、君達は実に面白いカッポーだと思ってなぁ。あ、これは冗談の類だからリアクションは要らないよ? さっきこっちから聞こえた爆発音と同じレベルの冗談だから深く気にしても意味は無いしね」

「そ、そうですよね。あは、ははは……」

「で、用件はなんだ?」

頬をひきつらせながら乾いた笑いを洩らす千鳥嬢をさりげなく背に庇いながら相良軍曹が問いかける。

ふむ、どうにも警戒があからさまだ。ここまでされると何か尻尾を掴まれているのでは無いかと勘繰りたくなってしまう。

正直、懐に手を突っ込みながら警戒するのは勘弁して欲しい。銃一丁で俺を相手取れると考えられているのも舐められているようで嫌だし。

いやそれは今関係無いか。とりあえずここは話を進めよう。

「手隙の連中はブリッジに集合。もうみんな大体集まっているらしい」

ブリッジに集合、の辺りで微妙に千鳥嬢の頬の引きつり具合が酷くなったがスルー。この程度の爆破で問題として取りざたされるほどこの艦の規律はきつく無いのだ。

「何か問題でも起きたか?」

「秋津マサトが拉致されたんだとさ。基地から出て一人で散歩している所をガバっと」

確か原作だとこっそり護衛が付いていたけど、女イザークみたいなおかっぱの戦闘員にやられているんだよな。鉄甲龍で一番有能な働き者との呼び声もある程だが、残念な事にスパロボJでは未登場。

もし出ていたなら一人二人捕まえてデモニアックの素材にしようかと思ったんだけどなぁ。元の人間が優秀なら余計に性能が上がるし。

仮にブラスレイターとして適合できても、ペイルホースを少し細工してやれば意図的に下級デモニアックにしてしまうこともできる。

ロボットにばかり目が向けられがちだが、こういう細かなところでの強化もおろそかにしてはいけないのだ。

「う……、嫌なこと思い出しちゃったわ」

自分が拉致された時の事を思い出してか顔を青ざめる千鳥嬢。まぁこの娘の場合少なくとも命の保証はされるんだけどな。命以外は全部駄目になる可能性もあるが。

「なぜ一人で行動を。この部隊のパイロットの多くが複数の組織にマークされていることはわかっていたはずだ。理解できん」

「ナイーブな年頃なんだよ、きっと」

四六時中あんな薄暗い地下施設の中にいたら間違いなくノイローゼにもなるだろう。

組織に狙われている重要人物が一人で行動することの危険性と、どのように行動すべきかの説明をする相良軍曹とそれに突っ込みを入れる千鳥嬢の夫婦漫才を聞き流しつつ考える。

今回出てくる八卦ロボ、火のブライストと水のガロウィン。こいつらは戦う直前に誘拐されたマサトのお陰で居場所が丸分かり、戦いが始まる前に取り込んでしまえば戦闘時間を短縮できる。しかし正直火とか水とかそんな雑兵には興味が無いからこいつらの事は一先ず置いておく。

というか、鉄甲龍要塞の場所も既に把握しているので火と水に限らず残りの破壊されていない八卦ロボは暇さえあれば取り込みに行くことも余裕で可能だ。三分以内に全機取り込み完了するだろうことは目に見えている。

今残っているのは、火、水、月、地、山、雷の六機に、多分建造途中のハウドラゴンかグレートゼオライマーと中々に魅力的なラインナップだ。次の戦闘が終わったら少し見学に行ってみるのもいいかもしれない。

氷室美久の中にあったデータと照らし合わせ、斥候まで送って確めてみたがどうやら原作と同じくタクラマカン砂漠で間違い無いらしい。

ウイグル語の『タッキリ(死)』と『マカン(無限)』を組み合わせた造語で死の世界とか死の場所みたいな意味合いだったかな?あ、なるほど大冥界フラグか。

いやそれは置いておくとしても、前になんかの雑誌で見た砂漠の写真が凄い綺麗だったんだよなぁ。デジカメ持ってって帰り道でちょっと真似して撮影してみよう。




続く
―――――――――――――――――――

相手が戦艦ならグラビティブラストを使わざるを得ない。そんな感じで主人公が雑魚相手に無双する話終了。ていうか無双する相手が雑魚ばっかりとかジョセフがうつってしまったのかもしれませんね、くわばらくわばら。

分かり辛いかもしれませんが、前回のラストと今回の冒頭が時間的に繋がってます。で、その後の日記で要らない時間をキングクリムゾン。

あ、冒頭でいきなりエロい気がするシーンを挟んでますが特に意味はありません、書きたいから書きました。

エロシーンがかなり早送りなのも、自分が途中でエロい気分が終了したのでバッサリ途中経過をカットしたからです。本篇の中で語られた補助AIの本来想定されていた使われ方のせいとかそういう言い訳設定もありますが。

その後の補助AIの心情とかも一切複線になりません。主人公がいろいろ葛藤していますがこれまた問題にはなりません。

補助AIがなんか乙女チックな感じですが、宣言通り起きてから頭抱えて悶えてます。補助AIの優秀な頭脳は昨夜の自分の恥ずかしい心の中とかもキッチリとログに残しているので生々しさは半端ではありません。

しいて言うなら、深夜のテンションで書いたポエミィなラブレターを綺麗な発音で感情をたんまり込めて音読させられるレベルの恥ずかしさ。生身の人間なら悶死していた処です。

ちなみにエロい気がするシーンですが、直接的な表現を避けているのでセーフです。実際そんなにエロくはありません、無罪です。疑問に思うならその辺のコンビニで年齢指定の無い少女漫画を立ち読みしてみてください、よっぽどエロくて直接的なシーンが山ほどあります。

むしろエロくしたくても文章表現力が拙くてエロい雰囲気を表現できませんでした。でもエロっぽいシーンを書く為だけに官能小説買うのもあれだし、そこら辺は誰かエロい人(非誤字)アドバイスお願いします。

というか、勢いエロシーン書いてしまって消すのがもったいなかったんですが、消した方がいいですかね? 意見下さい。

電子レンジクローは突っ込みどころ満載ですが、まぁ似たような兵器は結構いろんな世界に存在するので拾い心で受け入れて頂ければ。サイズがおかしいという突っ込み来ないかなぁ。突っ込まれたら嬉々として説明するのに。

一応外観がどんな感じかと言えば、基本は踵の部分がローラーになってて、肩からボウライダー本体並みにデカく、しかもかなりフレキシブルに動くゴツイ腕(多分ガンダムベルフェゴールみたいなの)が生えてるのを想像していただければ大体あってると思います。

あと精神コマンド、色々考えたけど技能(テック)方式に収まりました。これ以外は感情が高ぶった時に特定の決め台詞と共に発動したりとか考えてますが本編で書けるかは不明です。

それ以外は特に無しす。今回戦闘ばっかりだったので次回は殆ど戦闘シーン無いかも。そういうバランスの悪さとか気をつけたいのでアドバイスをよろしくお願いします。

読者の方々にアドバイスを求めてばかりのこんな作品ですが、作品を読んでみての感想、諸々の誤字脱字の指摘、この文分かりづらいからこうしたらいいよ、一行は何文字くらいで改行したほうがいいよ、この小説参考になるよみたいなアドバイス待ってます。どしどしお寄せください。

次回、満を持してフューリー登場、でも戦闘シーンを書くかは未定。ゆっくりのんびりお待ち下さい。



[14434] 第十二話「月の騎士と予知能力」
Name: ここち◆92520f4f ID:0d2f3432
Date: 2010/03/12 06:51
辺り一面、砂、砂、砂。月の光に照らされ、光と影に色分けされた砂漠の中に立って居ると、自分がまるで影絵の世界にでも迷い込んでしまったように錯覚する。

唐突にごう、と風が吹き砂を巻き上げる。今日は嵐も来ない穏やかな夜、この風は意図的に生み出されたモノ。

振り向くと、空に一体の異形が飛んでいる。鋭角的で、しかし随所に女性的な曲線を多く含み、紫の体色に白と青のラインが走った全身鎧の様な外殻。背には飛行の役に立つのか疑問に思えるほどの小さな光の翼。

宙で方向転換する度、宙返りをする度、身をくねらせる度に風が吹く。月と星で彩られた空を舞い、風を操り遊んでいる。

ゆったりと気ままに飛んでいたそれが、目の前に降りてくる。その鎧姿が一瞬光の粒子に包まれ──次の瞬間にはゆったりとした長袖の服を身に纏った少女の姿に変わった。

着ている服自体はターバンに始まる砂漠ではフォーマルなものばかり。しかし着崩し、所々肌の露出しているその着こなしからは砂漠の民のように熱さ寒さから身を守るとか砂を防ぐとかそういった意図は一切感じられない。

もっとも、宇宙空間に生身で飛びだせる目の前の少女はそういった機能性を服に求めていないのだからこちらが気にする必要も無い。どんな服を着ていてもあくまでもお洒落の一種に過ぎないのだから。

「もう写真はいいの?」

少女──美鳥が問いかける。

「ああ、やっぱりああいう写真はプロだから撮れるんだってことがよく判った」

散々撮って一枚も納得のいく写真が撮れなかった。これなら美鳥のように空でも飛んでいた方がまだ有意義な時間を過ごせたかもしれない。

秋津マサトが拉致され、それを救出してから暫く時間が経過し、一部の機体やパイロットを除いて全員が平常通りの任務に付いている。

一部の機体とは例えばゼオライマー。戦意を喪失したマサトの代わりにゼオライマーにインプットされていたマサキの人格が表に現れて、そして何事も無く元のマサトに戻った。原因が解明されるまでは余計な任務には出られない。

次にレイズナー。コルベットとかいう軍の偉い人の命令で解体、解析されそうになりこれまた暴走。まぁこれはやるなと言われた事をやった軍の連中の不手際なのでそこまであれこれ言われている訳では無いが、パイロットのエイジがなにやら考え込んでいるようなので哨戒任務にも出ていない。

そんな中で、特に何の異常も問題も無く、かつ雇われた傭兵というシンプルで使いやすい立場に居る俺と美鳥は二人で哨戒任務と称して敵地見学に向かったのだ。

現在地タクラマカン砂漠、鉄甲龍要塞のある辺りからは少し離れているものの砂漠のど真ん中。と、いっても機体に乗ったままここまでやってきた訳ではもちろん無い。

哨戒任務ということで人気の無い山奥に向かった俺達はそこにボウライダーとスケールライダーを置き、チューリップクリスタルを複製しボソンジャンプで数日前に跳び、更にそこから次元連結システムのワープ機能で直接鉄甲龍要塞の中に侵入したのだ。

こうすることにより、元の時間でスケールライダーとボウライダーを放置する時間は殆ど無し、時間を気にせず要塞内部の見学を行い、帰る前に砂漠で寄り道している。

つまり今現在は俺達の時間軸から見て数日前の俺達が同時に存在していて、いや、むしろ今の俺達がこの時間だと未来人ということになるな。禁則事項です。

そんな訳で俺は砂漠の風景写真を適当に撮影し、美鳥は俺の撮影が終わるまでの間、久しぶりに生身での空中遊泳を楽しんでいた。

飛行形態はブラスレイター方式。テッカマンの飛行法だと速いけど強引で飛び心地が良くないのだとか。まぁテッカマンはブースター使ってるしそこら辺はしょうがない。

総合的な戦闘能力ではテッカマンに劣るものの、ブースター無しで超音速飛行できるブラスレイターの謎の飛行能力は一見の価値がある。超能力(ザーギンの念動力とか)や風を操る力(ゲルトのあれ)といった不思議能力も見どころの一つだろう。

DG細胞もナノマシンだが、本当にフィクション世界のナノマシンは便利過ぎる。もうナノマシンの仕業と言っておけば全部まかり通るとでも思っているのではなかろうか。

まぁ、俺も他のナノマシンについて文句を言えるような身体では無い訳だが……。

「ま、砂漠の写真はともかく、鉄甲龍要塞の中は見れたんだから良しとしようよ。建造中の幽羅帝専用機も見れたんだしさ」

「むぅ、まぁそうなんだけどな……」

鉄甲龍要塞の中では様々な物を見ることが出来た。八卦衆専用の大浴場に、各八卦衆の私室、ルラーン老の研究室、世界中に張り巡らされた国際電脳のネットワークを使い世界を破滅させるためのスイッチ、葎の仮面コレクション……。

八卦ロボの残り六機も当然見て触って複製した。あんなものをホイホイ格納庫に放置しているから俺みたいなのに複製を作られてしまうというのに、侵入者に対する警備が礼に寄って例の如くザルだった。

侵入者が云々以前に要塞を発見されるという事を考えて居ないので仕方無いのかもしれないが、仮にも悪の秘密結社のアジトの癖に、認識阻害とそこら辺の警備システムに少し融通を利かせただけであっさりどこにでも入れてしまうのだからもうどうしようもない。

いや、敵要塞の警備状況などどうでもいい。美鳥が言ったように、まだ外装も作り終えて居ないような骨組同然の姿で格納庫にその身を晒していた幽羅帝専用機も見つけたのだ。現時点ではハウドラゴンになるんじゃないかな、という予測がかろうじて立てられるような感じの作りになっている。

おそらく、これからゼオライマーが残りの八卦ロボを倒すと、やっぱり次元連結システムを組み込みたくなってゼオライマー風のフォルムになって行き、そうでなければルラーン自らの持てる技術だけを全てつぎ込んだハウドラゴンがこのまま完成するのだろう。

そして一通り見て回ったので鉄甲龍要塞の見学は終了。俺の写真撮影も美鳥の空中遊泳も終ったことだし、一旦次元連結システムのちょっとした応用である瞬間移動で機体を置いてきた位置まで飛んで、それからボソンジャンプで元の時間に帰還する、という形になるだろう。

と、そこまで考えた処で美鳥に手を握られている事に気付いた。目を期待にキラキラさせながら見つめてくる。

「帰る前にもうちょい寄り道してこうぜ。ケバブが食べたいケバブが!砂漠っぽい名物が必要だと思うんだ!」

「寄り道って、全然位置違うじゃねぇか」

「いいじゃん、一回食べてみたかったんだって。ほら、早く早く!」

手を掴まれそのまま瞬間移動、北アフリカでケバブを食べてから帰ることに。

途中で砂漠の虎に抵抗していたゲリラっぽい人たちとすれ違うこともあったが、俺達の顔は知られていないので特に怪しまれることも無し。

何だかんだ言って本場のケバブは中々に美味だった。店の人に聞いて作り方をメモして、材料もついすべて衝動買いして揃えてしまった。後で食堂に持って行こう、言い訳はどうするかな……。

―――――――――――――――――――

×月▲日(特に書く事が無いーと思ったらゲキガンタイプの兵器が初登場みたい)

『ナデシコの所属が連合軍に協力する特務分艦隊に変わったのでまたまた契約更新。なんでこうも短期間にちょくちょくこんな手続きが必要なんだ。かなり面倒臭い書類の束を始末始末始末、正直敵を始末する方が何倍も気が楽だ』

『とかなんとか書類を前に美鳥と一緒に愚痴を言い合っていたらプロスさんに謝られた。プロスさんはあくまで中間管理職だから悪くは無いんだけどなぁ。あそこまで低姿勢で居られると逆に居心地が悪い』

『あ、契約更新と言えばテンカワがナデシコから降ろされる事になるのか。これは原作通りなので気にしないが、今更わざわざ有人ボソンジャンプの実験とか欠伸が出るほど遅すぎる』

『まぁ、事前に回答見て材料を集めている俺が言えたセリフでは無いのだが。あっちは文字通りの手探りでやっている訳だし、進展しないのは仕方ないことだ』

『今回やってくるゲキガンタイプ(マジンだかテツジンだかデンジンだかは忘れた)もそうだ。もっと、もっと俺が取り込みたくなるような画期的な何かを持ってきてくれ!』

『まぁ、ここまでで殆ど必要な物を取り込んでしまった俺が悪いと言えば悪いのだが、ここからは悪く言えばほとんど消化試合となってしまうのかと思うと少し憂鬱になるのも仕方がないことではないか』

『あー、あとなんだったか、このステージで何か他の敵も出てくると記憶していたんだけど、これは出てから確認すればいいや。思いだせないならそれほど大した連中でも無いだろう』

『これから一旦艦を降りるテンカワの見送りなので今日の日記はここまで。その後はどうするかなぁ』

―――――――――――――――――――

ナデシコ艦内、居住区の廊下でテンカワアキトとメグミレイナードにばったり出くわした。

テンカワは自転車を引き、背中には大量の荷物。レイナードは手に大きめの鞄を持っている。

部屋を出たのはギリギリ間に合うかどうかという時間だったが、タイミング良くナデシコを出る直前、他の連中と別れた後だったらしい。

「よう」

「……おう」

「どうも」

仏頂面でも一応返事を返してくるテンカワと、そのテンカワの腕をギュっと掴みつつ返事をするレイナード。どうにもこの通信士の人からは好き好んで戦争を仕事にする人ということで結構警戒されていたりする。

そのままなにも言わずにいると、テンカワの方から先に口を開いた。

「ルリちゃんにジャンクフード勧めるの、止めておけよ」

「そりゃ俺の配慮する所じゃ無いね、俺が勧めてる訳じゃ無いし。お前がなんとかするべき事だろ? コックとしての腕の見せ所じゃないか」

無性にジャンクフードの味が恋しくなってハンバーガーの自販機に行くと、しまじろう──ナデシコのオペレーターであるホシノルリと出くわすことがある。

同年代の同性である美鳥(あくまでも見た目の話だ。実年齢は一歳未満だし、設定上の外見年齢はホシノルリよりも数歳上。それもバージンアップ後の今の外見ではそれなりに離れている)との付き合いとかで偶に食堂ではなくジャンクフードを食べに来たりする。

まあ、このスパロボ版ナデシコには様々な年代の様々な人種の人間が乗っかっているだけあって、身体に悪いからとジャンクフードを食べさせないなんて、今どきそうそう無い考えを推奨する人もそれほど多くはない。

そんな訳で、原作であるアニメ版ほどラーメンにハマっているという状態にはなっていないのである。

そんな状態に、ジャンクフードは健康に悪いという常識を持っているコック見習いであるテンカワは軽い危機感を持っていたりするのであった。

「無理だよ。だって俺、ナデシコ降りるから」

「ふーん。まぁ、一応言っておくよ、聞くかどうかは本人次第だけど」

「悪い、じゃあな」

言い、再び歩き出すテンカワとそれに付いて行くレイナード。

「おう、またな」

テンカワとレイナードの後ろ姿を見送った。これで一応テンカワ達の見送りも済んだので適当にぶらついて、いや、せっかくだから外の空気でも吸いに行こう。

俺は今さっき別れたテンカワと合流しないよう、遠周りでナデシコの外へと歩き出した。

―――――――――――――――――――

そういえばさっきのやり取り、なんか統夜とも似たようなやり取りをした気がするなぁなどと考えつつ暫く歩き、ナデシコの外、ヨコスカ基地の格納庫に出た。

ナデシコが入れるだけあってかなり広い格納庫は、ナデシコの中の格納庫に比べ格段に違和感無く巨大ロボを並べることができている。軍に正式に協力するということで色々とチェックがあり、エステ以外の機体はナデシコの外に一回運び出されているのだ。

その巨大ロボの足もとに居るブレンパワードが、何かから逃げるようにゆっくりと後ずさりしている。そういえばあれ、一応生き物のようなものだから自律行動が可能なんだったか。

それにしてもあの逃げ方は露骨すぎる。一体何をそんなに恐れているんだ? ブレンパワードの前に居るのは──デッキブラシを両手で槍のように構えた美鳥だ。

美鳥が一歩前に足を踏み出す、ブレンが後ろに一歩下がる。一歩踏み出す、一歩下がる。踏み出す、下がる。

真剣な表情でブレンににじり寄る美鳥、一方のブレンもかなり真剣、いや必死だ。今の俺にはブレンパワードの声もグランチャーの声も聞こえなければ理解も出来ないが、それでもこの強い恐れの感情は肌で感じる事ができる。

なんというか、お腹は減っていないけど運動の一環として鳥に跳びかかろうとする猫と、逃げたいけど脚を紐で括られているせいで飛んで逃げることの出来ない鳥、そんな感じの雰囲気だ。

周囲のパイロットや整備士やその他スタッフの大半が、一人と一機(一体?一匹?)の緊張感溢れるやり取りを固唾をのんで見守っている。

「何やってんだあいつは……」

「あ、卓也さん!」

その場に居たほぼ全員が美鳥とブレンから目を離せないでいる中、俺の呟きに素早く反応してメメメが満面の笑顔で駆け寄って来た。

まるでペティグリーチャムを皿に出された犬のようだ。俺に下心があれば間違いなくR元服な展開に持ち込まれてエロいことしながら統夜や他の2人に電話実況とかのありがちなネタの材料になっていたところだ。

まぁ、こいつらができる範囲のサイトロンコントロールのデータは収集済み、つまり端的に言ってデータ収集用のモルモットとしては用済みなので、特に危害を加えるつもりは無い。

危害を加えるつもりは無いのだが……、

「卓也さん、カメラマンさんが来てるんです、一緒に撮って貰いませんか?」

駆け寄ってきたメメメが俺の手を掴んでグイグイ引っ張りながらそんな事を聞いてくる。手を引く力は意外過ぎる程に力強い。

撮って貰いませんか? などと疑問形で聞いてはいるが、これは間違いなく強制イベントではなかろうか。特に断る理由も無いので構わないと言えば構わないのだが、こいつ原作でこういう性格だったか?

後半でいきなりお嬢様言葉になるヒロインも居るから気にするだけ無駄なのかもしれないが、なんだろう、こういう変化だと元気キャラである残り一名の立場がどこかへ行ってしまうのではいないかという不安が。まぁ元から三人の中では個性薄いからどうでもいいか。

ちなみに俺とメメメがこんなやり取りをしている後ろでは未だに美鳥とブレンの静かな追い駆けっこが続いていたが、やっと状況が変化したようだ。

「こら! ブレンを苛めないのーっ!」

通りがかったヒメちゃん(苗字は知らない)が美鳥に注意し、逃げていたブレンとも何事か話をする。美鳥の方もヒメちゃんに何か、身ぶり手ぶりを交えつつ説明しているようだが、どちらの声もここからでは聞こえない。耳の感度を上げれば余裕で聞こえるだろうが、わざわざそんな事をする程の事でも無いだろう。

ヒメちゃんはその説明を受けまたブレンに何か話しかける。と、逃げていたブレンがその場で足を止め、美鳥が近づいても逃げなくなった。それに向けゆっくりとブラシを近づける美鳥、ブラシがブレンの表面に当てられ、一擦り。

一瞬ビクゥッ! と身を震わせるブレンだが、逃げずにそのままフルフルと震えながらもブラシで成すがままに洗われていく。周囲のギャラリーから歓声が上がった。

「結局あれはなんだったんだ?」

「えーっと、美鳥ちゃんがブレンの掃除をしてあげようとしたんですけど、何でか美鳥ちゃんが近づこうとするとブレンがみんな逃げちゃったんです。それで美鳥ちゃんが逃げ遅れたブレンを追い詰めようと……」

なんであんなに逃げてたんでしょうね。と顎に人差し指を当てて小首を傾げるメメメ。

爪を出して目をキラキラさせる猫を前に逃げたがらない鳥は居ない、ということか……。まぁ本気でどうこうしようという気は無いにしても詰め寄られる方としては溜まったものでは無いだろう。

「そんなことよりほら、写真です! カメラマンさーん!」

こちらの手を掴んでいない方の手を振り、わざとらしい髭を生やした金髪の男を呼ぶメメメ。周囲の騒ぎを気にせずDボウイに纏わりついて話を聞き出そうとしていたそいつが振り返ったその時、格納庫の中に警報が鳴り響いた。

周囲の浮かれていた連中の表情が緊張した面持ちに切り替わる。あれだけ馬鹿なことで盛り上がっていてもやる時はやる連中なのだ。

「アークエンジェル、および全ナデシコクルーへ。緊急事態です。カワサキシティにグラドス軍が出現しました」

その言葉と共に一斉に出撃の準備を始めるクルー一同。気になる新型も出てこないような消化試合ステージで気が乗らないが、一応俺も出撃の準備をしておこう。

メメメに手を離して貰いボウライダーに向かおうと口を開こうとすると、ぎゅ、と手を強く握りしめられた。こちらをジッと見つめるメメメの瞳は常には無い真剣な色に溢れている。

「あの、気を付けて下さい。今日は、何時もと違う事が起きそうな気がするんです」

サイトロンの未来予知、か? あれは機体に乗っていなければ滅多なことでは発生しない筈、パイロットとしてすら満足にサイトロンをコントロールできない実験体であるメメメにそんなことができるのか。

サイトロンとの親和性が上がった? 騎士の息子である統夜ですらそこまでは行っていないのに、元はただの地球人であるメメメにそんなことが起こり得るのか?カルビさんもそんな感じだっただろうか。

いや、メメメのサブパイとしての性能アップから考えてもあり得ない話ではない。注意しておくに越したことは無いだろう。

「分かった、気を付けておく。メルアちゃんも気を付けてな」

「はい! って言っても、私が出るかは分からないんですけどね」

俺の答えを聞きようやく掴んでいた手を放し、舌を出し苦笑しながら答えるメメメ。

手を振り互いに互いの持ち場に戻る。メメメは統夜と他の2人が居るベルゼルートの元に、俺は降着しているボウライダーに。

座り込むような体勢でも六メートルほどの高さに位置するボウライダーの頭部に一跳びで飛び乗る。ハッチを開けコックピットへ滑り込むと同時にスケールライダーから通信が繋がった。

「お兄さん、メルアと何話してたん?」

微妙に拗ねているような表情の美鳥。嫉妬、だろうか。馬鹿馬鹿しい、確かに金髪巨乳は資産価値だが、俺はもっと大人で艶やかな長い黒髪で包容力のある姉さんにしか興味は無い。美鳥は次点で。

「ああ、多分敵増援の話なんだろうな。サイトロンがどうこうしてるんだろ」

言いつつ、身体の中のフューリー関係の技術に意識を集中する。サイトロンが収束し、頭の中に朧げなヴィジョンが浮かび上がる。

カワサキシティの外れに突如として出現する、今まで相手にしてきたどの敵とも異なる機体群。フューリーの騎士団の機体だ。

「──なる、確かに感じる」

モニターの向こうで美鳥も同じように予知をしていたのだろう、表情を真剣なものに改め、そこからニィと口の端を釣り上げて妖しく嗤う美鳥。新しい獲物の予感に心躍らせてるとかそんな顔をしている。

でもなぁ、ベルゼルートで必要な技術は全て取り込み済みだし、そこまで興奮するような要素も無いと思うんだがどうだろうか。

しいて必要なモノを挙げるとするなら、サイトロンに深くリンクできる純度の高い騎士の肉た――、ああ、

「なるほど」

「んふ、楽しみだね?」

「逸るな。先ずは先に木星蜥蜴どもを片付けてからだ」

なにより先ずは出撃命令が来てから、それまでは機体の調整でもしておこうか。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

カワサキシティに現れた木星蜥蜴のジンシリーズと無人兵器、そしてグラドス軍を退けた俺達の前に、というか後ろの方に新たな敵が出現した。お待ちかねのスパロボJオリジナルの敵、月に拠点を構えるフューリー聖騎士団。

正直、自分たちで自分たちの事を『聖』とか名乗っている時点でかなり痛いのだがそこは宗教関係みたいなものだと割り切って気にしない方向で真面目にやろう。

「あれはグラドス軍じゃない。ボソン反応が無い」

「おい、あれは……」

「ああ、アフリカで見た奴だ」

そんな他の連中のやり取りの間、相手は棒立ち同然。とはいえ警戒はしているだろうから空気を読まずに攻撃を仕掛けても見事に回避されそうなのでやめておく。

それよりも、この場で確認しておきたいことがある。敵のリーダー機、ラフトクランズにオルゴンエネルギーが収束していくのが見える。

「くるよ」

美鳥が短く告げると同時、こちら側の機体だけが時を止められたように唐突にその場でピタリと動きを止めた。

各機のステータスチェック、正常。しかし、空を飛ぶ機体のブースターから出る熱による空気の揺らめきすらもが止まっている。

その場で滞空出来ない筈の戦闘機の類までその場で動きを止めているのだ、これは敵の時間兵器、ラースエイレムが確実に起動したと見て間違いないだろう

俺は──動ける。何の問題も無い。モニタの向こうで美鳥も腕で大きな○を作って成功を知らせて来た。肉体に組み込んだオルゴンエクストラクターその他のフューリーの技術が時止めに対する耐性をちゃんと持たせてくれた、と考えていいだろう。

レバーを握る。今回は実験を兼ねているため融合していない、現時点でネルガルにも晒しているボウライダーの仮スペックそのままで、当然フューリーの技術は組み込んでいない。

握ったレバーを動かす、──反応しない。首に繋げているプラグから融合開始、もう一度外からは見えない内部の機構を動かす──動いた。

「こっちはだいじょぶ。そっちは?」

「完璧だ」

そこまで美鳥と確認した処でベルゼルートがラースエイレムキャンセラーを起動、他の機体も動き出した。

これで俺達がラースエイレムを機動されても問題無く動けることが証明された。ここからはもう何の遠慮もいらない、あとは戦闘のどさくさでこいつらに肉体提供をして貰って、さらにサイトロンとの親和性を高めるだけ、と?

「うん……?」

何かが見える、いや、見えそうな気がする。ここまで意識的にサイトロンだのオルゴンだのを扱ったのは初めてだからか? 頼んでも居ないのに未来のヴィジョンが頭に──

浮かびそうで浮かばない、そういえばサイトロンによる未来予知には何かしらのきっかけが必要なんだったな。

この場合は恐らく、というか間違いなくフューリーとの接触がキーになっていると見て間違いない。特にあのリーダー機、隠し主人公機でもあるラフトクランズを見ると何かが頭に浮かんできそうな──ええい、戦って確かめるのが一番てっとり早いか。

荷電粒子砲のチャージを開始、まずは障害物でもある取り込むに値しないレベルの雑魚を散らしてしまおう。

狙いを定めトリガーを引く。荷電粒子砲が火を噴き、海の上を飛んでいた接近戦特化型と思われる機体が爆発。その向こうのバランスの取れた没個性な量産機も巻き込まれて中破。

この位置からだとラフトクランズに近づくには、壊れかけの没個性機と無傷の砲撃戦特化型を潰してしまわないといけないか?

いや、今の一撃で散開した。大体がベルゼルートを狙っているが、それ以外の足止めに回っている機体がこちらに接近してくる。オルゴンを結晶化させたエネルギーブレードを構えた没個性が一機。

さっきまで邪魔だった砲撃戦特化型は他の機体の足止めに回ったらしく援護攻撃や隙を狙う機影も無しと。これは、久々にボウライダーが小兵ということで侮られたかな?

「ふむ、ふむ」

荷電粒子砲を分解して二門の速射砲に戻し、クローアームの代わりに取り付けた肩部ウェポンラックにマウント、空いた腕の片方からレーザーダガーを展開、没個性の振るうエネルギーブレードを切り払う。

反動で少し距離が開いた。エネルギーソードを納めビームライフルを放とうとする没個性に向け、ウェポンラックにマウントしたままの速射砲で牽制、するつもりが牽制の砲弾が直撃しそのまま撃墜、没個性はライフルを構えたまま空中で派手に爆発した。

最終的に撃墜するにしても、あれくらいは避けると思ったんだけどなぁ。兵隊の質が低すぎないか? 騎士団なんて名乗るくらいだからそれなりに戦える連中が居るべきだろうに。

レーダーの反応を見る限りではラフトクランズはまだ様子見の最中なのかその場から動いてすらいない、ヴォルレントはベルゼルートに向かって吶喊中、近づくなら今がチャンスか。

遠距離からネチネチ攻めるのも悪くはないが、さっきの見えそうで見えなかったヴィジョンが気になる。ここはより近い位置で接触する為に接近戦をしてみよう。

と、ここで最初に撃墜した接近戦特化型の同型機が俺のボウライダーとラフトクランズの間に割って入ってきた。

その手にはオルゴンを結晶化させたクローを構えている。これも足止めのつもりなのだろうが──

「雑兵はお呼びじゃない。お呼びじゃないのだよなぁ、これが」

速射砲を単発で数回発射。結晶化したクローの刃の部分に連続で当てて砕け散らせると、撃たれた衝撃で接近戦特化型のクロー発生装置を持った腕がかち上がる。どうせなら両手に持たせてれば時間を稼ぐぐらいは出来ただろうに。

レーザーダガーを展開していない方の腕で電動鋸型ブレードを起動、強化パーツのメガブースターを全力で吹かして突撃し、がら空きになった接近戦特化型の胴体を切りつけた。

上下真っ二つになった機体が爆発、その爆炎の横を通り抜け、ブレードを構えたままラフトクランズに肉薄、殺さない程度に斬りかかる。

それをオルゴンブレードを展開したソードライフルで切り払われ、無い。そのままジリジリと鍔迫り合いの形に移行。

押さば引き、引かば押し。拮抗した状態で機体越しに睨みあう。俺のサイトロンに対する適正はまだ低いが、これだけ対象と接触すれば──

「ラースエイレムが使えぬとはいえ、このラフトクランズ、そうそうに止められは……ッ!?」

気付いた、いや見えたか? 俺も今まさに強いサイトロンの収束を感じる。朧げだったヴィジョンがハッキリと像を結んで行くのを感じている!

「ん、んんんぅ? ……くふ、くふふ」

見得た、視得た! これは面白い、いったいどのような経緯でこの未来へと辿り着くのか分からないが、未来に楽しみが増えて少しテンションが上がってきそうだ。

俺のテンションに合わせて半ば融合しているボウライダーの出力が一時的に上昇、鍔迫り合っていたラフトクランズのオルゴンブレードを無理矢理出力に任せて弾き飛ばし粉砕する。

ラフトクランズは弾き飛ばされながらもソードライフルからビームを発射、即座に転位して反対側からもう一撃。極太ビームによる挟み打ち、落ちるように下に逃げる。

着地寸前でボウライダーを180度回転させ振り向きブーストダッシュ、ラフトクランズの足下へと滑り込み通り過ぎる瞬間真上に向かって速射砲を放つ。回避された。

そのまま距離を取り、元の高さまで上昇。位置関係は振り出しに戻ったがラフトクランズの様子がおかしい。つい先ほどまで様子見をしていたとは思えないほどの気迫、真剣にこちらを仕留めに掛かっている。

そのまま油断なく睨み合う。ソードライフルからオルゴンブレードを再び展開し俺に猛烈な敵意、いや、殺意を向けるラフトクランズ。

今さっき視えた未来はこいつにとっては刺激が強すぎたのか? 地球人拉致って人体実験なんてしているから耐性はあると思ったが見当違いだったか。

いや、相手はサイトロンへの適性が非常に高い騎士クラスのパイロット、俺が見たヴィジョン以上の内容を見たのかもしれない。その方が楽しみも増える。

「敵さん、あんたには何が見えた?」

「悪鬼に語る義理は無い。我らが民の為に、貴様のその身の一片まで滅ぼし尽くす」

嗚呼、なんてすばらしいお言葉、良い感じに反吐が出そう。あれを見ても民の為、などと嘯くことのできるこいつの感性に万歳。

狙いを定めずに速射砲の砲弾をばら撒く。電磁加速された砲弾がラフトクランズをその周囲の空間ごとまとめて薙ぎ払う。途切れることのない飽和攻撃。

オルゴンクラウドの転移機能で一時的に回避し、それでも降り注ぐ砲弾の嵐をバリアでなんとか防いでいる。海を背にしたのが貴様の敗因だ、市街地に被害が出ないならどれだけ撃っても文句は出ない。

「あはははははっ! あんたあれか、自分個人の本音より身分の上での建前を重視するタイプか。……後悔するぜ?」

砲弾をまき散らしながら距離を詰める。いっそここで撃墜してこいつを取り込んでしまうのも一興かもしれない。どうせこいつ一人程度、居ても居なくてもストーリー展開が少し早くなるか遅くなるか程度の違いしか出ない。

まずはこのまま接近してダルマにしてコックピットから引きずり出し──と、興奮しすぎだな。今回は適当にリリースしてやろう。

ブレードに超電磁フィールドを展開、速射砲から放たれる弾幕はそのままに一気に距離を詰め、ソードライフルのオルゴンの結晶に覆われていない部分にブレードを叩きこみ破壊。真っ二つになったソードライフルの残骸と切り落とされた手指の一部が地上に落下していく。

他から見たら偶然武器だけ破壊したように見えるだろう。他の連中の目に『敵のリーダー機を撃墜しようと思ったら予想外に手強く、武器を破壊するので精いっぱいだった』という風に写ればいいのだが。

今の会話にしても、事前にオモイカネに命令して他との通信を妨害しているから少なくともナデシコとアークエンジェルの連中には聞こえていない。筈だ。

そのまま無手のラフトクランズの腹に蹴りをぶち込み距離を取る。ソードライフルが無くてもシールドクローとキャノンが残っているので油断はできないが、そんな不完全な状態で戦いを挑むほど馬鹿でもないだろう。

蹴り飛ばされ空中で姿勢を崩したラフトクランズは瞬時にオルゴンクラウドを発動、更に離れた位置に転位し姿勢を立て直した。注意深くこちらの様子を窺うラフトクランズ。

「……どういうつもりだ」

悔しげな震える声が通信から聞こえてくる。この数瞬の攻防で俺の戦闘力を少なからず感じているこいつは、今ならいくらでも仕留め放題だということも察している。屈辱だろう。

自然、唇の端が吊りあがる。この一方的な状況、たまらない。

「こっちもそろそろ燃料切れ、になりそうな気がするから無理をしないだけ。ほら、アンタの付き人も今にもやられそうだ。どうする、このまま意地張って戦うか?」

ブレードを軽く振り、遠くで戦っているベルゼルートとヴォルレントを指し示す。味方の援護を受けながらじわじわヴォルレントにダメージを与え続けてきたベルゼルート。

ダメージの蓄積で動きが鈍ってきたヴォルレントにオルゴンライフルAモードが叩きこまれた。大破までは至って居ないがこのままでは貴重なオリジナルのヴォルレントがお釈迦になってしまうだろう。

「俺にばっか構ってないで、ベルゼルートの方にも何か言っておくべきじゃないかねぇ」

俺の言葉に一瞬考え込むように動きを止め、そのままこちらに背を向けるラフトクランズ。去り際に短く捨て台詞を吐いて行く。

「次にまみえる時こそ、確実に貴様をヴォーダの闇に沈めてくれよう。我らが民の安寧の為に」

転位。ダメージを負い過ぎて戦える状態ではないヴォルレントの傍らに現れるラフトクランズ。撤退の準備に入ったか、懸命だな。

「地球の文化じゃそういうの、負け惜しみって言うんだぜ」

言い、オモイカネに命じて通信の妨害を止めさせる。この行動のログも残さないように命じ、証拠は当然の如く残さない。何やらオープン回線でラフトクランズがベルゼルートに何事か言っているが、俺に関することは特に言っていないので聞き流す。

雑魚も綺麗に片付き、撃墜されたヴォルレントも何かアイテムを落としていった。今日はこんなものか。あ、予知が面白くてフューリーのパイロット取り込むの忘れた。

多分美鳥も取り込んでないだろうなぁ。まぁ、いいか。どうせ月の中には腐るほど居るんだ。今すぐ急いで取り込む必要も無い。

ラフトクランズの中の人と統夜のやり取りが終わり、残ったラフトクランズとヴォルレントが転位して消えた。

ラフトクランズは武器破壊されただけだからいいとしても、ヴォルレントは殆どスクラップ寸前みたいな壊され方してるのに転位できるんだな。

ふむ、サイトロンとかラースエイレムとか以外の技術は未熟どころか微妙なものばかりと思っていたが、以外と機動兵器の性能も悪くないのかもしれない。

大体の量産機は地球の企業に作らせたものだから、フューリーのオリジナルの機体よりも未熟な作りになってしまっている可能性もある訳だし。

「待てよッ! 答えろ、俺がなんだっていうんだ!! くそぉぉぉぉっ!!」

通信から統夜のやり場のない感情のこもった叫びが聞こえる。そうだこいつの脳みそ穿ったら幼少の頃の記憶からフューリーが月の地下のどの辺りに居るか分からないかな。

いや無理か、ものごころもついてないような子供に自分がどの程度の深さに住んでるか教えるとか無いだろうし。今からフューリーの本部に突撃とか先の楽しみを消費しきってどうするつもりだ俺は。

ああ、なんか今回の戦闘は本気で楽しみしか追及出来なかったっていうか、一応新勢力が本格的に顔見せしたのに一切パワーアップが出来て無いってのはどうなんだろう。

進めて無い、消化試合だっていうのは分かっていたつもりなんだが、ひたすら足踏みだけを続けているみたいでなんとも煮え切らない気分になる。

せめてさっきラフトクランズが落としてったソードライフルの残骸でも拾っておこう。超電磁斬りしちゃったから修復できるかわからんが、何も拾わずに帰るよりは精神的にマシになる。

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……………………

…………

……

「そのような訳で、お二人にはアークエンジェルに乗艦して頂きたいのです、はい。あ、これはもちろん一時的な措置でして、あくまでもお二人はナデシコ、というかネルガル雇われという契約のままになりますのでご安心を」

「はぁ。雇い主の要望ですし、一時的なものなら構いませんが……」

戦闘が終了し、地面への激突の衝撃で更に歪んでいたソードライフルのジャンクを回収してナデシコに戻った後、俺と美鳥はプロスさんに呼ばれ、次の分岐での行き先を告げられた。

今現在のナデシコが連合との共同部隊の一員である、という体裁上、アークエンジェルにもネルガルからの戦力を組み込んでおかないと義理が立たないらしい。

まぁ、雇われの傭兵という身分上、純粋なネルガルの自社戦力とは言い切れない部分があるという突っ込みは当然あるにしても、よその組織や研究所からの協力者達よりは扱い易い戦力だという事からの抜擢だろう。

あとはアークエンジェルにエステバリス乗せても使いものにならないという致命的な問題もあるが、傭兵だからアークエンジェル側のあれやこれやで失っても自分たちの懐は痛まない、という計算もある可能性が高い。

まぁ傭兵の扱いなんてそんなもんなんだろうけど、スパロボ世界でもしれっとそういう計算ができるあたり、この人も中々にビジネスマンだよな。

そんな感じで談話室で机を挟んで話をまとめている俺とプロスさんの隣で、美鳥がぐでーっと机にへたり込んで脱力している。どうもこいつはアークエンジェル乗艦に乗り気ではないらしい。

「地上に残れるのはいいんだけどさぁ、アークエンジェルって飯不味いんだよねぇ。部屋も個室じゃないし、音漏れどころの騒ぎじゃなくね?」

「仕方ないだろ、むしろあっちの方が一般的な戦艦の設備なんだ。どうせすぐ合流できるんだから我慢しろ。ていうか、パイロットは一応個室だろ?」

「あれ、そうだっけ?」

俺と美鳥のやり取りに苦笑いを浮かべるプロスさん。

「いやはは、ま、ナデシコのお二人の部屋は当然そのままですのでご安心ください」

「いやそれは残しておくのが契約上の義務だから当然じゃん。あ、じゃあついでにあたしらの機体のチェックを緩くするようにしてもらえない? 特にアークエンジェルではチェックして欲しくないし」

向こうさんに聞かれたら舌うちされそうなセリフを平気で言うなぁ、でも、向こうにはマッドエンジニア的なキャラが居ないからなぁ。

満足にクルーの補充も行われていないし、それこそ新規で追加パーツを組むにしても自力でやった方が早そうな気すらする。

一々帰艦する時に機体の中身を作り替えるのも面倒臭い、向こうに居る間くらいはその手間を省いてもいいんじゃなかろうか。

「確かに、連合の技術じゃチェックして貰うメリットも無いな。プロスさん、お願いできますか?」

「そうですねぇ、元の契約では機体の扱いに関してはお二人の意思を尊重する、というものでしたし。分かりました、先方にはこちらから伝えておきましょう」

お任せ下さい、とばかりに膝を叩いて承諾して貰えた。これでひとまず話は終わり、三人で談話室を出る。

──正直な要求を言えば、ナデシコに乗っている間も整備だのデータ採取だのは自重して欲しいところではあるのだが、そこら辺は火星から帰って来た時にサインした新しい契約書に書かれているから諦めるしかないだろう。

もうこうなると統夜達のルート選択を誘導とか間に合わないよなぁ。そもそも時を止めて一方的にこちらを殺せる未知の敵が出てきて、しかもそいつに対抗する手段がベルゼルートにしか無い状況で部隊を分割とか訳分からん。

わざわざナデシコで迎えに行かなくても、月のネルガル支社にテンカワ一人分のシャトルのチケットを手配させてこっちに来させるのが一番安全な手だと思うのだが誰も突っ込みは入れないのだろうか。

スパロボ世界の不思議にいちいち突っ込みを入れてもきりがないにしても、艦長にはせめてこういう少し考えれば分かるようなところは考えて動いて貰いたい。

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×月◇日(今日もひたすら哨戒任務に出る日々が始まる……)

『日々というか、ゲーム内で描写されて無い時間なんて九割そんなもんだとつくづく思い知らされている』

『それはそれで気が楽というか、どうせ美鳥とコンビで行く事になるから気を使わなくていいから面倒が無くていいのだが、やっぱりもう少ししっかりとした纏め役が必要だよなぁ』

『UC系ガンダムが参戦していないからブライトさんが不在というのが割と致命的な欠点になってしまっている気がするのだがどうだろうか』

『なんというか、おっさん成分が廃され過ぎて熟練の指揮官が居ないというのは不安感を煽るばかりで頂けない』

『せめてアークエンジェルの艦長を正規の人員にする程度のことはするべきじゃなかろうか、元整備員が艦長っていったいどういうことなの……?』

『ええい、ここで種批判なぞしても碌な事にならない。前向きに現状の記録をしていこうと思うのでこの話はここまでとする』

『では気を取り直して、ナデシコが月にテンカワを迎えに行っている間、当然派手な動きは出来ない。自然とアークエンジェル側は哨戒に出たり各々の機体の整備をしたりといった地味な仕事が多くなるのだ』

『かく言う俺も今さっき哨戒任務を終えたばかりで、そのままボウライダーの整備を済ませて自室に戻ってこの日記を書いている』

『が、不思議な事が一つある。何時も通りに過ごしている筈なのに時間が少し余るのだ。哨戒任務を早く切り上げたとかも無い、むしろ途中でコンビニに寄り道してサンデーの立ち読みまでしてきたほどなのだが、それでも三十分以上時間が余っているのはどういうことなのか』

『基本的な日課はすべてこなしているし、その時の気分で違う事をする自由時間ということでもない、いったい何を見過ごしているのか』

『仕方がないので艦内を適当にぶらついて時間を潰してみようと思う。いやしかし、見るところが少ないからすぐ終わってしまいそうだなぁ……』

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「……とまぁ、そういう訳で。なんか弄っていい機体無いですか?」

「いきなりやってきて整備の手伝い始めたと思ったら無茶苦茶言うねぇお前さんも」

暇つぶしと言えば格納庫。目新しい機体も無いので自身の強化には繋がらないが、これでもかと機体の積み込まれた格納庫は適当にぶらついてあちこち整備の手伝いをするだけでも時間を潰せるのだ。

潰せるのだが、そこはやはりロボがあればとりあえず弄って改造しておきたくなるのが人情というものではあるまいか。

忙しそう、というか明らかに手が足りて無い整備の人達の手伝いとしてあれやこれやと整備をしていたのだが、この時点でストライクにコンバトラーから取り込んで小型化した原子力エンジンとか搭載したらフリーダム要らなくなるんじゃないだろうか。やらないけどな。

ボウライダーもこの機会に何か新装備を追加したい今日この頃でもあるが、ぶっちゃけ主人公チームで戦う分には今のままでも十分だと最近ようやく気付いたので後廻しにしている。

贅沢を言えば、どうせ弄るなら何の変哲も無い量産機とかがあるとすごく弄りがいがあって素晴らしいのだが、主人公勢力にそんなことを求めても意味は無い。そのうち機会があればジンの魔改造とかやってみたいものだ。

アークエンジェルの格納庫で整備全般を一手に任されているコジロー・マードックにそんな熱い情熱をスパナ片手に語って聞かせてみたのだが返事は芳しくない。

「きっちり整備の手伝いさせておいてなんだけどな、元から積んである機体は機密に触れるようなもんだし、それ以外となるとそもそも連合の機体ですらねぇんだよ」

その機密の塊らしいストライクの整備とかを今まさに手伝ってたんだけどそこら辺はスルーらしい。何事にも本音と建前が存在するのだ。

「ぬぅ、ある意味予想通りの回答。じゃああれだ、現地調達したザフトのジンのスクラップとかは?」

「無い。ストライクは装甲があれな上に独自開発だからパーツの流用とかも殆ど利かんし、それ以外はMS自体が存在せんから拾うだけ無駄になっちまうんだよ」

操縦できるパイロットも一人しか居ないしな、と肩を竦めるマードックのおっさん。まぁ複数MSがあってそれに乗れるちゃんとしたパイロットが居ても、周りがこんな超兵器だらけじゃ出撃させる回数も少ないだろうしな。

でも、敵のパーツ拾って急造のストライカーパックとか作るとかすれば面白そうなのに。ブリッツのパーツ流用でミラージュパックとか普通なら誰でも妄想するものじゃないか?

ああいや、ブリッツ以外の機体からだと何も作れる気がしないな。イージスの変形機構はパックには組み込み用がないし、バスターも既にランチャーパックがある、デュエルも特徴が無いのが特徴みたいな機体だし。

そういうMSメカニック関係の小細工はアストレイが担当だから本編組は手を出しちゃいけないという暗黙の了解があるのかもしれない。時系列的に考えるともうレッドフレームはガーベラを手に入れてるしブルーフレームも海戦用のオプションとかを作成済みだろうし。

よくよく考えるとミラージュパックというかミラージュアストレイとかは実際に出てきてる訳だし、もうアストレイが本篇でいいんじゃなかろうか。いや、種と種死が外伝ってのも旨味が一切無くなってしまうか……。

「じゃ、他のところを当たってみるんで俺はこれで。あ、聞いてると思うけど俺と美鳥の機体には手をつけないようお願いしますね」

「おう、自分の機体の整備もしっかりやっておけよ!」

「もう終わってるよー」

マードックのおっさんに後ろ手でひらひらと適当に返しながらその場を離れた。一応話は通っている筈だが、ちゃんとやっておかないと職人気質の人は勝手に手をつけそうで困る。

ナデシコの方で追加武装作る過程で簡単な整備の仕方とかも習っておいて良かった。形だけでも分かりやすく手を付けておかないと、コックピット入って数分してはい終わりじゃ納得しそうにないもんなここの人は。

―――――――――――――――――――

格納庫から出て通路を歩く。見て回って面白い施設が少ないから、だれか暇そうにしてる奴を捕まえる方が面白いのだろうが、アークエンジェル側は人員がやや少なめというか足りないので暇な人間はあまり居ない。

しいて暇そうな連中と言えばシャッフル同盟の連中だが、こいつらは基本特訓で時間を潰しているので、合流すると格闘戦の訓練ルートに強制移行してしまうのが難点だ。

光子力研究所チームは統夜達の付添でナデシコに乗って月へ向かった。まぁ金貰って雇われている訳では無いから割と自由に行く先を決められるのだから、好き好んで連合の船に乗りたがる奴も居ない、ということか。

マサトと氷室のラストガーディアンからの出向組も基地に居る事が多いが、今は空気が悪すぎて積極的に近寄りたく無いんだよなぁ。

コンバトラーチームは今さっき哨戒任務で分離してあちこちに散らばっていったし、ボルテスチームは空気がマジ過ぎて近寄りがたい。

種連中はブリッジクルー以外は昼ドラやってるからボルテスチームとは別の意味で近寄りがたい。ノイマンさんとバジルールさんがくっ付いたら生存フラグ立って隠し戦艦でドミニオン入手とかあればいいのに。

ブレン乗りの連中は生き物系、あいつら的に言えばオーガニック的なあれに日常的に触れているからなんか見抜かれそうで嫌だ。機体越しならそういうのが無いことが分かっているから安心できるのだが生身だとそうもいくまい。

フルメタの連中が一番害が少ないが、変にコメディパートの途中で乱入しても話がややこしくなっていけない。相良軍曹にも微妙に警戒されているし。

ああ、つまりどこの誰に当たってもダメなんですね分かります。せめてまともな調理設備があればサイサイシーあたりから中華料理のコツを聞き出せるのだが、ここはもう本当にガチガチの軍隊系っていうか、食料もヴァンドレッドの男軍みたいなやつだし。

自衛隊とかだと飯関係やたら豪勢だって聞いたんだけどなぁ。いや、出撃の時じゃなけりゃ艦の外に食いに行くから別にいいけど。基地の食堂ならまだまともな飯が出るし基地周辺の食堂も中々良い店が多い。

いやいや飯もいいが次に朝一で哨戒任務が終わる日があったら基地周辺で土産物を売ってる店を巡ってみよう。そんなことを考えながら歩き、結局誰にも会わずに自室へと到着した。

もういいや、今日は自室で本でも読んで時間を潰そう。

―――――――――――――――――――

自室に戻ると、まだ使い始めたばかりでいまいち生活臭足りない空間と、そこで際限なくだらける美鳥が俺を出迎えた。

「そうそう、お兄さんまたミスリルのワンころとはしゃいでさー、銃弾をデコピンで正確に撃ち返すコツの研究だーとかやってたら他のクルーが賭けを――あ、おかえりぃ」

コミュニケとは違うゴツめの通信機を手に、ラフな格好でベッドの上に寝転んでいた美鳥が軽く手を振った。多分月に向かうナデシコに乗っている誰かと連絡でも取り合っているのだろう。

アークエンジェルに一時的に乗り込む上で、俺と美鳥にはそれぞれ個室が宛てられるものと思っていたのだが何故か二人で一部屋を使う事になっていた。

超電磁の二機やダンクーガがアークエンジェルに残る上で、まぁ当然と言えば当然なのだが、スーパー系の扱いに慣れている専属に近い整備員もアークエンジェルに乗艦することになるのだ。

当然、元から空いていた居住スペースにはそれなりの人員が収まる事となり、後から来たパイロットは優先的に個室を使うことができなくなったらしい。

まぁ、それでも他の連中と同室にならなかっただけこちらのことが考慮されていると考えられるし、俺と美鳥の他の連中には話せないプライベートな相談事とかが気兼ねなくできるからこれはこれでいいのかもしれない。

「ん、ただいま」

美鳥に挨拶を返しつつベッドの下に置いた旅行鞄を開けて中身を探る。持ってきた本、というかアルバムの類はどこに入れておいたかなっと。

「え、あーうん帰ってきた帰ってきた。なんかあたしとお兄さんの今のやり取り新婚過ぎてちょっと馴れちゃった夫婦みたいでよくね? 近親とかエロスな――いや冗談冗談、いきなりマジ声に切り替わるの無しだろー?」

自軍で手に入るものを殆ど手に入れてしまったからか、最近の美鳥は少し自らの異常性癖についてオープン過ぎるのではないか。

現在の肉体の外見年齢だと意外と冗談にならない場合があるのだが、いざとなれば切りのいいところで契約切って出て行けばいいとか普通に考えてそうで困る。

まぁ、残りの機体についてもモルゲンレーテにて建造中とかそういうはっきりとした情報があるから最悪本気でここから出て行くという選択肢もありなのだが。

「わかった、わかったから、換わるから落ち着こうぜ? お兄さん、御指名だよぉ」

通信機をこちらに差し出しながらベッドから起き上がる美鳥。

「誰の?」

「金髪巨乳ぅ」

にゅぅ、と語尾を伸ばすと只でさえエロい四文字熟語が余計にエロくなっていけない雰囲気が漂ってきそうだ。きょにゅぅぅ、とか書くと途端に卑猥な擬音表現のようではないか、けしからん。

しかし金髪巨乳か、三人ほど居た気がするが、俺と美鳥に関係があってわざわざ通信機まで使って喋る相手となればメメメぐらいだが――

「ああそうか、なるほどなぁ」

メメメだ。何か微妙な時間の余り方だと思ったら、メメメへの餌付けタイムの一時間が浮いているのだ。

結局月にフューリーの情報を探しに行った統夜と三人娘達、そのお陰で冥王強化フラグが早々に立ち消え、いかん、なんか今少しだけイラっとした。

まぁGゼオライマーじゃなくてもゼオライマーは十分強いから良いけど、良いけどね! ぜ、全然悔しくなんかないんだからね! と、ついつい素直になれなくて損をするタイプ風に錯乱してしまう程度にしか悔しくない。ハウドラゴンだってカッコいいもの。

しかし狙っていたものが取れないのは悔しいので、帰ったら何かしらの罰ゲームをメメメに課すことに決めた。お菓子の山とそれを食べ尽くす美鳥の前にステイ指示でお預けとかそんな感じの罰。

三人娘の他二人と統夜にも食わせるといい感じかもしれないが、どうせ身内だから遠慮したりで罰にならない。いや、罰がどうこうの辺りが完璧に八当たりだからその対応が当然ではあるのだが、ここはコミュニケーションの一環ということで押し通していきたい。

そんな訳で、その旨を伝えるメメメに直接伝える為、俺は美鳥から通信機を受け取った。今からどんなリアクションが見れるか楽しみだ。




続く
―――――――――――――――――――

二話連続でオリサブキャラであるサポAIが開幕持って行くとかどういうことなの……? あ、サブキャラであってサブヒロインでないところがキモです。

しかしスパロボ編が長くなりそうです。処女作だから複線這ってもささっと回収して綺麗に纏め安いようにという意味を込めていた三話以内縛りがあっという間に崩壊しました。

偶に、主人公を原作部隊から除隊させて何事も無く帰らせてしまおうかという誘惑に囚われそうになりますが、スパロボ編のラストシーンとかで色々書きたい部分の事を考えるとそういう訳にもいきませんね。

前話と今話の間でさりげなくキンクリしてるのもそうですが、この話の中で一話しか進んで無い上に、会話した原作キャラがメメメとマードックだけというのもどうなんでしょうか。微妙に短いし。

あ、でもやや短めなのには理由があります。ひとつの話の中に上手くも無い戦闘シーンを二回も入れると前話のようにくどさが倍増してしまうからです。これも戦闘を省略すればどうにかなるのですが、原作だとこの辺の話は重要臭いのでなかなか飛ばし難いので困っています。

でもまぁもしかしたら次回頭でまたささっと省略されているかもしれません。そんなこんなで、必要な部分は書きますが不要な話はどんどん飛ばして行こうと思います。

そういえばこの作品、原作ファンの方々が怖かったりで実際には書けませんが東方にトリップする案もあったりしました。どこに向かうかは当然お分かりですよね? そう、東方非想天則の早苗さんルートのラスト付近です。

それはもうとてつもない原作キャラに対する虐待が一つあるというのも書けない理由だったりします。

具体的には早苗さんの前に巨大ロボで降臨して、憧れの人型巨大ロボットに乗せて欲しそうにする早苗さんに『悪いな巫女さん、このロボット三人乗りなんだ』とかやるだけのどうしようもない話なのですが、三人乗りの機体を主人公が持っていないことと、ここに落ちを書いてしまったことで書く可能性は今まさに完全消滅致しました。

あと、巨大ロボットといってもリアル系かスーパー系かでも好みが分かれるんですよね。J主人公のベルゼルートみたいなリアル系がありなら三人乗りなんだを二人乗りなんだに改変して行けそうな気もするのですが。リアル世界換算なら早苗さん年代的にビーストウォーズとかデジモンとか直撃世代だと思うので。

今回は特にセルフ突っ込みどころが思いつかないのでここまでです。次回更新は色々忙しいのでまた遅れると思いますが、ゆっくりと菩薩のような心でゆっくり悟りでも開きつつお待ち下さい。

諸々の誤字脱字の指摘、この文分かりづらいからこうしたらいいよ、一行は何文字くらいで改行したほうがいいよなどといったアドバイス全般や、作品を読んでみての感想、心からお待ちしております。



[14434] 第十三話「アンチボディと黄色軍」
Name: ここち◆92520f4f ID:259058e2
Date: 2010/03/22 12:28
「そうなんですよ。カティアちゃんが『そんなにお菓子ばっかり食べてると太るわよ?』なんて意地悪言うんです」

カティア、テニア、メルアの三人の共同部屋、ベッドの上で通信機を両手で持ちメルアが楽しそうに通信機の向こうの相手に最近のナデシコの動向を伝えている。
ナデシコの動向、といっても現在は月への移動中故に艦内で起こった乗組員同士のトラブルだとかパイロット同士の賭け事だとかが主な内容だ。
そしてそういった話題が終わり、現在は互いのごくごく身近な事件を報告し合っているのだろう。
先ほどもアークエンジェルで鳴無妹が見た最近の鳴無兄の行動を会話内容の誘導で巧みに聞き出していたようで、それをカティアも微笑ましげに横から眺めていたのだが。

(いきなり目のハイライトが消えた時は何事かと思ったけど)

どうにも傭兵兄妹の鳴無妹は隠れブラコンで近親ネタが大好きらしく、女性パイロットの集まりで好みの男性のタイプの暴露大会などを行っても、

『最低限血が繋がってないとエロい気分になれないなー』

などと堂々と言い放っていたりする。
先ほども同じようなネタを迂闊にもメルア相手に使ってしまったようで、笑顔はそのままにレイプ目に移行したメルアのマジ問い詰めが開始されそうになったが、鳴無兄が通信を換わることでなんとか事なきを得た。

横に居るものとしてはとても心臓に悪い状況だ。全員で会話した方がフォローできる分まだ安心できるだろうが、メルアは通信機を手放そうとも設定を変えようともしない。
数日ぶりの鳴無兄との会話にはしゃいでいるのだろうことは表情を見るまでも無く声の調子で分かる。
カティアとて下手な手を打って地雷を踏みたくは無いのだが、このまま放置というのも危ういのではないか。
そんな事を考えている間にもメルアと鳴無兄の会話は続いて行く。

「普通はそこまで心配しませんよね。――え? もう、卓也さんまでそんなこと言うんですか?」

どうにも先日お菓子を食べすぎだと注意した際の事を話しているようで、通信機の向こうの鳴無兄からの注意に唇を尖らせて反駁している。

「全部胸に行くから大丈夫ですよ」

(人体舐めたセリフを――!)

女性陣の過半数を敵に回すようなセリフをサラリと吐いたメルアに戦慄を覚えるカティア。
いや、無駄にスタイルのいい連中ばかりなのでそこまで過剰に反応する者も居ないのかもしれない。
しかし、よくあそこまで露骨に自分の身体的に優位な特徴を口にできるものだ。
仮にも異性が相手なのだからもう少し慎ましやかに行くべきではないか、むしろ身体的にももう少し控えめになるべきではないか。

ふと、通信に嬉しそうに相槌を打つ度に揺れている気がするメルアの胸部に目をやる。
続けて通信に夢中で他に気が回らないメルアの目を盗んで、鳴無兄が置いて行ったお菓子類が入った大型の冷蔵庫を開けごそごそと物色しているテニアの胸部を見て、最後に自らの胸部に手を当てる。
大丈夫、あの二人のサイズがあれなだけで充分平均値は上回っているのだからと自らに言い聞かせ平常心を取り戻し、メルアの通信相手について考え始めた。

──鳴無卓也と鳴無美鳥の傭兵兄妹。自分たちが地球に降りて統夜と出会うとほぼ同じ時期からの付き合いになる二人。
ボウライダーとスケールライダーという出所不明の高性能機を駆り、特に鳴無卓也のボウライダーによる戦闘法は今の統夜の戦闘法のお手本にもなっている。
実際のところ、高威力長射程の速射砲と二種のブレードで遠近共にバランスの取れた構成のボウライダーと遠距離戦特化のベルゼルートでは同じ戦い方は危ういのだが、周囲の援護なども合わさり今のところは上手いこと戦えている。
兄妹共に奇矯な振る舞い(主にメルアに対する餌付け、ブレンに対するセクハラなど)が気になるが、人当たりも良く不思議と警戒心は沸いてこない。
ナデシコが火星に向かう事を目的としていた頃からの付き合い故に慣れたというのもあるのだろう。
兄の方は割と面倒見も良く、統夜が前に出過ぎた時などは積極的にフォローに回り、同じ艦に乗っている間はメルアや自分たちに毎日と言っていいほどお菓子をふるまってくれたりもする、親切なお兄さんといった感じの人だ。

まぁ、顔は十人並みで、いたるところに美男美女の多いナデシコやアークエンジェルでは目立った風貌というほどでもない。
吊りあがりがちな目元を除けば全体的に素朴な作りの穏やかそうな顔で、殺し合いが日常の傭兵というよりも、どこぞで畑でも耕してそうな印象を受ける。
この兄の方にメルアがとても懐いているのだが、どうにも相手側は異性を相手にしているというよりは一般的な兄が幼い妹に対して接するような感覚に見える。
メルアならもう少し良いのを選べるんじゃないかとか、なんで助けてくれた統夜ではなくこの人なのかといった疑問はあるが、そこは個人の好みの問題だろう。

カティアの考えうる限り、鳴無兄を落とす上で最大級の障害になり得るのは鳴無妹だ。
本人が女性陣のなかで自分がガチブラコンであることをカミングアウトしているし、統夜から伝え聞いた鳴無兄の異性の好みは鳴無妹を成長させたものとほぼ合致している。
また、兄妹二人が揃った時の身体の密着具合もかなりのもので、格納庫から食堂に移動する際は大体の場合において手を繋いでいるがこれも腕の半ばまで絡める、俗に言う恋人繋ぎというもの。
艦内スタッフの持っていた女性向け恋愛読本の図解付き初心者向けページにも書いてあったから間違いない。初心者向けのページは何度も繰り返して読んだからほぼ暗記しているので確定だろう。
人目を憚らずに実の兄妹であのような恥ずかしい手のつなぎ方をして、兄妹仲が良いだけだと言い張る二人だ、好奇心で開いて見た上級者向けページに載っていた、用途のいまいち分からない組み体操ヨガのようなポージング集も実践してしまっているのかもしれない。

(考えれば考えるほど勝率が下がっていくわね……)

むしろもう積んでいるのでは無いかとすら思える。
通信機の向こうへ積極的に身体ネタなどでアピールして尽くスルーされているらしいメルアの想いが成就するかと考えると、自動的にフラれた後のフォローが頭に浮かんでしまうのも仕方ないのではないか。
しかし、この国には告白して玉砕するまでが恋愛ですとの言葉もあるらしい。
最低でも告白の段階にまで持って行けるように援護してあげるのが、実験体時代からの付き合いである自分たちの友情というものだろう。
自分が他人より苦労症であるという自覚の無いカティアは、深く溜息を吐くのであった。

―――――――――――――――――――

「ああ、それじゃまた暇な時間にでも。他のみんなにもよろしくー」

通信を切り、実家から持ち込んだアルバムを眺めていた美鳥に通信機を投げ渡す。
あれ、姉さんの映ってる写真を厳選して集めたものだから俺以外の奴が見ても面白いものではないと思うのだが、いったい何をそんなに熱心に眺めているのだろう。
アルバムから目を離さず片手でページを捲りながら片手で通信機をキャッチした美鳥が、ちらりとこちらを見た。

「お兄さんが持ってた方が良くない? なあんか長々と喋ってたし、あっちも月まで暇だろうからすぐにまた通信来ると思うけど」

「いや、流石に今の会話で殆どこっちの近況は話し終わったからなぁ」

近況、とは言うがルート分岐してまだ数日、それほどネタにできるような事件が頻繁に起きる筈も無い。
こっちに残った連中の気性の問題もあるのだろうがナデシコよりも大分地味な内容になってしまう。
ここが正式な意味での軍艦ということもあり、フルメタの連中の起こす騒ぎにしても爆発ネタは自重しているので大人しめになっているし。

「後半、お兄さん相槌打ったり否定したりとかそんなんばっかだったよね? 女の方にばっかり話題振らせるのは男としてマナー違反だと思うけど」

「あれは、リアクションし難いネタばっかり振ってくるあっちにも問題があるんだよ」

清楚なクッションとか淫らなクッションとか誰が教えたのか。露骨な胸囲自慢、いやらしい。
いや、ナデシコ内でも思い当たる節は大量にあるし、ネット環境もあるから自力で調べたという可能性もある。思い返してみれば、ナデシコの方にある俺の自室に遊びに来た時も備え付けの端末で何事か検索していたような気がする。
検索した覚えのないエロ単語が検索履歴に残っていたり、金髪巨乳グラビアアイドルのポージング特集のページがお気に入りに登録されていたのもメメメの仕業の可能性がある。
というかほぼ確定だろう。俺はやって無いし美鳥も情報収集する時は自分の部屋の端末かコミュニケから検索している。
嘆かわしい話だ。全年齢対象でぱっと見ロボゲにしか見えないからお子様でも安心してプレイできるギャルゲのヒロインの自覚はどこに消えてしまったのか。

「ああ、なんか最近下ネタ増えたよなーあの金髪。多分色目使ってんだろうけど、あれは流石にちょっと引くわー……」

「色目? 誰に」

「お兄さんに。あんだけ露骨にアッピルしてるんだから気付いてない訳じゃないっしょ?」

「ふむ」

そうなるように洗脳仕込んだのは確かなので可笑しくは無い。ここまで露骨なレベルの好意になるのは計算違いだったが。
本当ならもう少し軽い、警戒心が少し薄れて信頼されやすくなる程度にするつもりだった。まぁ今更それを言い出しても意味は無いので気にしないで良いものとしておく。
しかし、金髪巨乳は忍者とドラマチックな恋をしてくっつくのが流行の最先端なのだ、農夫系の俺の出る幕は無い。
というか、俺は金髪巨乳に興味があまりない。
姉さんと致す前に集めていたのも黒髪巨乳とか姉弟の近親相姦モノばっかりだったし、外人系には欠片も手が伸びなかった記憶がある。
ベッドの下にメメメ似の少女が出てくるエロ本がいつの間にか仕込まれていたりするのもメメメの自己アピールなのだろうか、美鳥の悪戯という線も捨てがたいと思っていたのだがこれで確定だろう。

「フラグを立てたからといって回収しなければいけない義理も無いよな?」

「フラグっていうより改造コードで『好感度下がらない』『好感度上昇率255倍』入れてるようなもんだしね。とりあえず直接的に好意を伝えられたりしない限りは放置でいいと思う」

ふむ、そうなるとこっちから三人娘や統夜に積極的に近づく必要は無い訳で、餌付けの時間の優先順位はかなり下がる。
余った時間は追加武装でも作っていた方が効率いい、が、しかしだ。

「どうせ時間は持て余し気味なんだし、暇なとき限定で餌付けは続けておこう」

「え、ツンデレ?」

違う、と言おうとしてまだ美鳥がアルバムから目を離していない、というより一枚の写真に目を向けて難しい顔をしている。

「さっきから聞こうと思ってたんだが、アルバム眺めて面白いか? 俺は面白いが」

「何いきなり自問自答してるわけ? いやそうじゃなくてこの写真、だいぶ古いけど何時頃の写真っていうか、どういう状況?」

手渡された写真に写っているのは小さな頃、多分まだ小学校に上がって間もない頃の俺と高校入ってすぐの姉さん。俺がわんわん泣きじゃくって、それを姉さんがおろおろしながら宥めているという構図だ。
姉さんは高校の頃から外見的に殆ど変わっていないが、この写真だと今の姉さんとは分かりやすい違いがある。
オールバックのド派手な金髪ロン毛、心なしか目つきも悪く、そしてなにより、眉毛が無い。

「ヤンキー? お姉さんにもヤンチャな時期があったんだねぇ」

「いや、スーパーサイヤ人3」

「――なん……、だと……?」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

確か両親が死んで、姉弟二人で頑張って行こうね、みたいな約束を二人で交わしてしばらく経った時の事。
小学校に上がって初の授業参観に、姉さんが来れないということで軽い姉弟喧嘩をした。
その当時異世界トリップのし過ぎで上がったばかりの高校で出席日数がギリギリだった姉さんは、できる限り授業に出なければ早速留年してしまうところだったらしい。
そんな事情を知りもせず、また姉さんのその説明を理解もせずに駄々をこねていじけ、結局数日間気不味い空気が家の中を漂っていた。
そんなタイミングで例によって例の如く姉さんがふらりと家を開け、帰って来た時の姉さんがそんな感じだったのだ。
今思えば間違いなくドラゴンボールか何かの世界に言って目覚めたか、さもなければ何処かキツイ条件の世界に行く特典としてサイヤ人の能力を付加された、とかそんなんだったのだろう。
しかし、そのヤンキーも裸足で逃げだしそうな風貌を見た瞬間、俺は子供ながらにこう思った。

『お父さんとお母さんが居なくなって、お姉ちゃんが頑張ってくれてるのに、僕がわがままを言うから、お姉ちゃんがグレて不良になっちゃったんだ!』

そこからはまぁ、帰ってくるなり出迎えた俺がわんわん泣きながら、ぼくいい子になるがらぁ~! とか叫び出して、それを見てどうしたモノかと姉さんがオロオロして。
俺の泣き声を聞いて姉さんのトリップ中に預けられていた千歳さん宅の親御さん達がやってきて、こっちは状況を把握できずにオロオロして。
遅れてやって来た千歳さんが、状況を一発で把握して一旦部屋に戻りインスタントカメラを持ち出し、写真に撮って姉さんをゲラゲラ指差して笑って……。
結局また数時間姉さんが姿を消して、戻ってきたときには元の黒髪と眉毛を取り戻したいつも通りの姿になっており、その姿で何だかんだとしっかり話し合って和解したのであった。

―――――――――――――――――――

「姉さん力の封印とか手加減みたいなことは出来てもパワーダウンとかできないから。多分あれは一旦自力でトリップして、スーパーサイヤ人4を経てそこから更なるオリジナルの進化を遂げて元の形態を取り戻したんだろう。懐かしいなぁ……」

「お兄さんが金髪巨乳を頑なに受け入れようとしないのはその事件のせいでもあるのかぁ……」

しみじみと当時を思い返す。姉さん千歳さんに一週間くらい写真ネタで笑われてたなぁ。
しかし初の金髪巨乳との接近遭遇が姉なのはいいんだが、眉無しってのはインパクトがあり過ぎる。
例えば、もしあそこで姉さんが眉毛の部分に回復魔法当てて眉毛復活させて普通の顔立ちになってれば、今頃俺は金髪巨乳も守備範囲だったのだろう。
でも、『もし』とか『たら』とか『れば』とかそんな言葉に惑わされるほど俺も若輩では無いしな。黒髪巨乳最高!

「む、カティアってもしかして黒髪巨乳じゃないか? 洗脳深いのがメメメじゃなくてカティアだったら危なかったな」

「お兄さん、そのセリフはお姉さんに報告していいの? あ、でももう完璧に人格破壊されて脳改造完了調教済みな肉人形レベルまで持って行けば、お姉さんも浮気じゃなくておもちゃ持ち帰って来た程度の感覚で許してくれるかもよ?」

「ごめんなさい」

「それにほら、もうこっちの出すお菓子に警戒心無いからカティアに改めてポ用ナノマシン投与するぐらいなら余裕だろうし」

「いやもう本当に謝るから許してくれ、話題チェンジチェンジ!」

それなんてエロゲとか言ってられないレベルだ。数年前までならともかく、今の法じゃメディ倫に通して貰えないだろう。
大体、俺はなんというか、そう、ピュアラヴなのが好みであって、調教とかそういうアブノーマルなのは正直あまり強く無いのだ。
出撃回数的に見てこの世界の統夜はほぼ間違いなくカティアエンド、そんな状況で洗脳調教とか流石に鬼畜過ぎる。
俺のリアクションを見て、美鳥がやや呆れたような顔で呟く。

「殺人とか洗脳とかはオッケーなのに凌辱とか調教は駄目って微妙なラインだよね、童貞?」

「ど、どど童貞ちゃうわ!」

「ん、知ってる」

「……」

「……」

ボケたらマジ返しをされた。リアクションに困る。
美鳥もとりあえず反射的に言ってみただけでその後を考えていなかったのか、明後日の方向を向いて少し紅くなった頬を指で掻いて照れている。
気不味い、ここは互いの精神の健康の為にもこの話題を終了させるべき。

「あー、っと。時間も余ってるし、今後の予定とか確認しよう、な?」

「う、うん」

そんなこんなで両者の利害が一致して話題変更。
こほんとわざとらしく一つ咳をし、今後の予定、どの辺りで主人公部隊から抜けるのが一番それっぽいか、その後この世界のどこを回るかといったことについて話し合った。
どうせ時系列の問題はボソンジャンプでどうにでもなってしまうので、切りが良くて抜ける理由がいい感じにできそうな話を適当に見つくろっておくという、なんとも煮え切らない結論が出てお開き。
夕食まで間があるし、今更格納庫に戻って追加武装の組み立てをするのも何か違う気がする。時間潰しの為に備え付けの端末(ナデシコのものに比べれば技術的に劣るが、それでもその辺からニュースを拾ってくる程度は出来る)で情報収集。

ジャンク屋の動向が載っていないか探すが気が入らない。ふと美鳥の方をチラ見したら目が合った。二人同時に慌てて眼を逸らす。
視線をディスプレイに戻すが、DSでスパロボJをプレイしながらチラチラとこちらを窺っている美鳥の視線を時折感じる。
どこのラブ米だこれは。今さら照れるような内容でもあるまいに、調子が狂う。
微妙な空気が抜けない。あー、ここで空気読んでメメメが通信入れたりしないかなぁ。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

撤退していった月のローズセラヴィーの後ろ姿を見送りながら、ゼオライマーのコックピットの中で秋津マサトは深いため息を吐いた。

「なんとか、なったか……」

戦闘には途中参加だったが精神的な面での疲労がある。
戦うと決めた、敵とも、自分の中の何かとも。とりあえずのものではあるが、色々な人に背中を押されて、それでも自分で一歩踏み出して行こうと決心した。
出撃せずに燻っていた時に声をかけてくれた執事のレイモンドさんに、様々な雑用を担当しているという千鳥さん、そして、何時でも共に戦ってくれると言った美久。

いや、それ以外にも居た。ネルガルの雇われであるという傭兵の鳴無兄妹。
他のパイロットが出撃しなくてもいい、返って足手まといだと言っていた時、あの二人は自分が立ちあがることを確信していたような気がする。
信頼の表れ、と受け取るのは些か自意識過剰というものだろうが、内容的には自分が立ちあがる事を前提としたものだからあながち間違いでも無いだろう。

(言っていることは滅茶苦茶だったけど)

つい先刻の事を思い出し、思わず苦笑を漏らすマサト。精神的に少し余裕が出てきたということだろう。
皆が出撃し、自分の脇を通り過ぎて行った時、すれ違いざまに肩をぽんと叩かれ、

『ふふー、説得待ちで後から出てきていいとこ掻っ攫おうなんていい度胸してるよなー。まぁゼオライマーの攻撃は派手で見栄えがいいから大物は取っておいてやるから安心しとけー』

ほくそ笑みながらこちらの肩を叩き、言うだけ言って自分の機体に向かっていった妹の方、鳴無美鳥。
その言動に呆然と見送っているとその兄、鳴無卓也もまた声をかけて来た。

『あいつの言う事は気にすんな、敵のタイミングが良くて少しヘブン状態入ってんだ。ああそうそう、搬入されてたゼオライマーちょっと弄ってかなり早めにメイオー☆できるようにしといたから、後で敵増援に開幕ぶっぱして使い心地の感想くれ』

そして返事も聞かずにこれまた自分の機体へと走って行ってしまった。
こちらを気遣うでもなく、戦わない事に文句を言うでもなく言いたいことだけ言ってその場を去っていった二人。
あの二人は良い意味でも悪い意味でも気を使わない、というのが秋津マサトの抱いている印象だった。
さばけているというか、余分なところ、必要無いと思うところはバッサリと切り捨てて考え、その癖ふと誰かに世話を焼いていたり、何時の間にか整備の手伝いをしていたりもする。
浅いところでは割と好き勝手干渉してくるが、相手の深い事情には踏み込まない。
あちこちを転戦している傭兵だと言っていたから、その経験から自然とそういう無駄に人と衝突しない接し方というものを構築していったのだろう。
戦う決心をした今では、そういうあり方で接してくれるのは気が楽で、正直ありがたい。

火と水の八卦ロボは既に一度戦っていて相手の手の内が割れていることもあり、相手への遠慮さえ無ければ苦戦するような強さを備えている訳でも無い。
はっきり言って楽勝だった。ゼオライマーは相手の攻撃でまともにダメージを受けてすらいない。
前回のように多くの傭兵を従えているという訳でも無く、連携が重要な機体でその肝心の連携はバラバラ、対するこちらは心強い仲間の援護を多く受けていたというのも大きい。
因縁は自分の手で断ち切るのが一番自然だし、因縁のある八卦衆を他の人に任せるというのも違うような気がしたので二機の、いや、二人のとどめは自分で刺した。予想以上にメイオウ攻撃の制御が楽になっていたのもあって、止めを刺す程度は楽に行えた。

その後に出てきた月のローズセラヴィーは、何故だか執拗にスケールライダーとボウライダーに狙われて、あっという間に撤退していった。
ローズセラヴィーがそれなりにダメージを受け、何かを射出した瞬間に鳴無兄妹が全く同時に「チャージなどさせるか!」と叫び、射出された何かを撃墜していたが、もしかしたら何かローズセラヴィーの機体情報を得ているのかもしれない。
普通の傭兵であればありえない話だが、何せゼオライマーを少し弄っただけで改良できてしまう程の謎の人物だ。
傭兵独自の情報網(笑)のようなものを持っていたとしても可笑しくは無い。
正直、つい先日まで一般人をしていたマサトからすれば、正式な軍隊でも分からないような情報を一回の傭兵が持っているというのは、文字通りフィクションの世界のようで現実味が無いと思えた。
しかし実在する傭兵とかそれに関わる軍隊の人達からすれば自然なことなのだろう。誰ひとりとして疑問を差し挟まないのがその証拠だろう。

「マサトくん、お疲れさま」

姿の見えないパートナーからねぎらいの言葉を掛けられた。
心強い仲間達の中で、誰よりも自分に近い所で一緒に戦ってくれるこの人とも、もっとしっかりと向き合うべきだろう。
そう思い、マサトは改めて己の決意を宣言する。

「美久、僕、戦うよ。敵とも、今日は出てこなかったけど、もう一人の凶悪な自分とだって」

「ええ、それが私たちの運命ですものね」

「違う、そうじゃないよ、そうじゃなくて──」

美久のいつもの返事に、マサトは首を振り否定する。
美久の言うことも確かに正しい。確かにこの呪われた運命から逃れることはできない。
でも、それだけじゃ戦う意味が無い。

「その運命とだって戦って、終わらせて見せる」

「マサトくん……」

「手伝ってくれるよね?」

「……うん!」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

メメメから通信は来なかったが、代わりに出撃の要請が来た。偵察に出ていたスカイグラスパーとブレンがグランチャー部隊に遭遇したらしい。
アークエンジェルが到着する頃にはスカイグラスパーとブレンがほぼすべてのグランチャーを撃墜し終えていたのだが、すぐに八卦ロボの火と水、あしゅら男爵率いる妖機械獣軍団が現れた。
お陰であの微妙な空気のこもった部屋から出ることが出来たし、戦闘による興奮で美鳥の様子も元に戻ったのは本当にありがたい。
現在は戦闘も終了し、自室へ帰る道を一緒に歩きながら雑談している。
すっかり調子を取り戻した美鳥がこちらの腕にぶら下がるように抱きついていて歩き難いが、変な調子でぎくしゃくするよりはよほど気が楽だ。

「敵も空気読めてるよねー」

「ザフトの連中にも爪の垢を飲ませてやりたいな」

暴れまわって気分爽快、というほど雑魚相手に無双をした訳では無いが、むやみにデカイ八卦ロボ相手だと適当に撃ちまくるだけでバシバシ当たって面白い。
そして顔見世に来た月のローズセラヴィー相手に、冥王様よりも先に『チャージなどさせるか!』をやれたのはスパロボファンとして感無量というか、やってやった感が最高潮。
お陰でマサキは出てこれなかったが、これは別に大した問題でも無いだろう。

「あ、そういえばお兄さん、戦闘前に冥王になに吹き込んでたの?」

「ああ、ちょっとした催眠術、かな?」

このスーパーロボット大戦の世界においては、ゼオライマーがメイオウ攻撃を放つのに、原作には存在しない制限が存在している。
気力制限。ある程度敵を倒すなり他人から激励されるなりしてそれを高めなければ、ゼオライマー、ひいては次元連結システムの本領を発揮することが出来ないのだ。
これは本来の性能だとゲームバランスが崩れてしまう為の処置なのだが、この世界においてはバランス云々の話でそうなっている訳では無い。

暗示による弱体化といった感じのものだ。戦わせる為に監禁し、闘争本能を高めたは良いが、その全力が万が一自分たちの方に向けられては意味がない。
戦闘が始まってすぐの時点では全力が出せないようにすることで、万が一の時に『処理』しやすくしているのだろう。
今回は会話の中でさりげなくその暗示を他の暗示で打ち消した。
ゼオライマーを改造してメイオウ攻撃を早い段階で撃てるようにしてあるという言葉を信じ込ませることで、無意識のうちに押さえていた出力を開放させている、というのがメイオウ攻撃が早撃ちできるようになったカラクリという訳だ。
今の必要気力はせいぜい110程度。ゲームの時よりも格段に気力制限は緩くなっているのでかなり早い段階でメイオウ無双が可能となっている。

「統夜は月に行ったが、とりあえず目の届く範囲にゼオライマーが居る限りは頑張ってみようと思ってな」

強制出撃以外でもゼオライマーは出撃してしまっているが、ただ単に幽羅帝の乗機をグレートゼオライマーにするだけなら八卦ロボを全機ゼオライマーに撃破させるだけでいい。
そうしたら適当なタイミングで鉄甲龍要塞に忍び込んで取り込んでしまえば見事にグレートゼオライマーもコンプリート。
次元連結システムは俺も美鳥も体内に搭載しているから問題なく味方版グレートゼオライマーと同じ運用法が出来る。
パイロットが動力も兼ねる全く新しい八卦ロボが誕生するのだ。

「なるほどねぇ、色々考えてんだ。あ、じゃあ金髪巨乳への罰ゲーム的なあれはやらないの?」

「いや、やる」

「好きモノだねぇ」

ただ餌付けするだけ、というのはもう大分飽きてきたし、メメメに対しての焦らしプレイ的なものになるから反応を楽しんで餌付けのマンネリ回避といこう。

「次回はブレンパワード系、と。次は結構暗躍するから心の準備しといてね?」

「予定詰まってるなぁおい」

暇だ暇だと思っていたが忙しくなる時は唐突だ。
いや、多分この暗躍云々も今ちょっと思いついたからやってみよう程度の感覚で言いだした可能性もある。
今現在スパロボJをプレイして予定を立てているのはこいつだから、戦闘前のプレイで何か思い出したのだろう。
バロンズゥとかが出てくるのはまだ先だった筈だし、何か面白い事を思いついたのかもしれない。

「暗躍するのはステージが終わってからだけどね。あ、そうだ、こっちなら一緒にシャワー浴びるくらい大丈夫だろうし、久しぶりに一緒に――」

―――――――――――――――――――

×月◆日(グランチャーの貴重な大量惨乙シーンを眺めるだけの簡単な仕事です)

『伊佐美勇が自軍に合流、これからは艦内に居ても何時脳直な有機的な何か発言が行われるか分からないので注意して行かなければなるまい』

『とりあえずあいつらの会話には『はいはいオーガニック的な何かだね』とでも言っておけば大体オッケーだろう』

『さて、そんなこんなでオルファン対策会議で周辺警備の仕事をすることに相成った』

『警備といっても実際はどこそこを守れ、みたいな作戦がある訳では無く、何時も通り出撃して敵を叩き潰していけばいいだけの話』

『が、今回俺と美鳥は狙ってはいけない目標というべきものがある。しかもその目標、現時点の機体に縛りのある俺達では逆立ちしても敵わない強敵なのだ』

『今回そいつはプレートの奪取のみを目的に動くので俺達が戦う可能性は低いが、まともに戦ったら精神コマンドあり、機体フル改造の主人公軍でも勝てる見込みはまったく無いらしい』

『その目標の気分次第では今回の話はほとんどイベント戦闘だけで敵が全滅してしまう可能性もあるが、あくまでも俺達は手を出さないで邪魔にならないように見守るのが最良なのだとか』

『……自分で言っててむず痒くなってきた。男なんてみんな『俺超強えぇ!』がやりたいだけの単純馬鹿ばかりだという差別発言を聞いたこともあるが、自分でも少し自覚があるだけに余計に痛い』

『まぁ、実際バイタルジャンプだのチャクラシールドだのは少し使ってみたいような気もするし、少しの恥ずかしさとかは気にせずに行こう』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「そういう性格なんだから仕方ないだろ。あの女はどうしたんだよ」

「トイレでマスでもかぐぃ!?」

「ああすまん、なんかこいつの脳みそがバグッたみたいでな。今さっき格納庫でブレン触ってるのは見かけたぞ」

「あの、美鳥ちゃん思いっきり舌噛んだみたいだけど……」

「なあに、舌ぐらいすぐに生えてくるさ」

インターミッションの会話に下ネタを差し挟もうとした美鳥の頭を押さえつけセリフを中断させた。
ヒメちゃんが微妙に美鳥のことを心配しているが、兄妹の軽いじゃれ合いであるということをナデシコに乗っている時に理解しているからかあまり強くは言ってこない。

俺と美鳥は現在、機体と一緒にノヴィス・ノアに乗り込みオルファン対策会議の会場へ向かっている。
基本的に、俺と美鳥は主人公の代役のような役割になるらしく、当然のように会議の会場警備に回されることになったのだ。
身軽である、小型機であることから警戒され難い、というのも警備に回された理由の一つだろう。

そんなこんなでオーガニックエンジン試験艦ノヴィス・ノアの食堂にやってきたのだが、これがまたこの艦、以外に面白い。
先ずは言わずと知れた人工オーガニックエンジン試作型。
これがあればグランチャーかブレンパワードを取り込んだ後、バロンズゥの巨大化のようなかなり無茶なこともできるかもしれない。
そして食堂に来る途中でトイレに寄り、洋式便座に座りながらこの艦全体と融合することでブレンやグランチャーには無い『オーガニックシールド』の機能を得ることが出来た。更にさりげなく核兵器まで搭載しているのだからこの船は中々侮れない。
海戦主体のスーパーロボット大戦があれば確実に自軍の戦艦ユニットでダナンと双璧をなすこと間違いなしだろう。

さて、そんな感じで周りの話になぁなぁな感じで相槌を打っていたらいつの間にか各自の機体に戻ることになった。
俺もボウライダーに戻ろうとしたのだが、どうにも視線が気になる。
視線の主は伊佐美勇、じっ、とこちらを品定めするような視線を送ってきているのだ。
例によって例の如くオーガニック的なものに触れてきたもの独特の直感で何か違和感を感じているのかもしれないが、今のところは怪しむ材料は直観だけということもあるのかこちらにちょっかいは出してこない。

一応この世界に来てからネルガルで身体検査、というか健康診断のようなこともしたし、改造人間であるという自己申告をした後に精密検査を受けもしたが、改造人間である、という自己申告以上の結果は出なかったので擬態は完璧。
ボウライダーを操れる程度の改造人間に擬態しているのでその通りの結果しか出ない。人間に擬態している時は本当に人間になっている、と言い換えるとどことなく無貌で三つ目な神様を思い出すが、あれ由来でないという事だけは姉さんに確認を取っているので変に身体の心配する必要も無い。
とりあえず紳士的に当たり障りのない接し方をしていれば問題は無いだろう。
立ち止まり振り向き、視線の主に声をかける。

「どうかしたか? ええと、伊佐美、勇くん?」

視線を送っていることに気付かれるとは思っていなかったのか、振り向いて声をかけると一瞬呆けたような顔をしたが、すぐに表情を作りなおし、

「あんたが居るとブレンが変に反応するんだ。なにか心当たりは無いか?」

「ふむ」

個人の感覚で気付かれた訳では無く、ブレンの反応から何かを感じたか。
そういえば美鳥がブレンのモップ掛けをした時に逃げ遅れたのは臆病なナンガブレンで、ヒメちゃんが言うには脚が竦んで逃げられないような感覚だったか?
ユウブレンは勇敢な性格だから、怯えるとかそういう感情ではなく警戒するような感じで反応するんだろうな。
で、ブレンの意思をくみ取り切れないこいつは、それがどういうことか理解できない、と。

「俺はアンチボディに明るくないが、俺も美鳥も身体を結構弄ってるから、それに反応してるんじゃないか?」

俺の返答に少しばかり考え込んだ後に訝しげに問い返してきた。

「そういう事があるのか? 改造人間に反応するなんて、聞いたことも無い」

こいつ、男にも結構絡むんだな。原作あんまり見て無いから詳しくないけど、出会いがしらに女にキスする奴ってイメージしか無い。
あ、そういえばこいつ、子供の頃の姉とのふつくしい想い出語りを『ごめん覚えてない』とかやるんだよな。
照れていたにしても、この歳でフォローの一つも出来ないとか弟としてレヴェルが低すぎるだろう。端的に言って反吐が出る、シスコンの風上にもおけない奴だ。あぁそもそもシスコンじゃ無いか。
姉が居てシスコンじゃないとかこの糞ったれめが、世の一般常識が許容しても俺の狭い心は絶対に貴様を許しはしないだろう。責めもしないが。
同じ姉持ちということで多少肩を持とうと一瞬思ったけどこれは駄目だ。こんなやつの質問はささっと流してしまうに限る。

「最初に言ったろ、俺は詳しくないって。犬猫に嫌われることも多いから、そういうこともあるんじゃないかっていう素人考えだよ」

じゃ、と手を振り機体に向かう。予定では出撃はあっても戦闘自体は無い可能性が高いので暇つぶしに持ち込んだCDでも聞いていよう。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

海辺の小さな町、黄土色の人型が白い人型五体に指示を出し、出現したプレートを回収させている。
指示を出している黄土色の人型の片腕は義手、オルファン所属、ジョナサン・グレーンの駆るアンチボディ、グランチャーだ。

「ハエが飛びまわっているが気にするな。プレートの回収が最優先、戦闘は極力避けろ!」

ジョナサンは怒鳴るように他のグランチャーに指示を出しているが、別に作戦に遅れが出ている訳では無い、ただ単にそういう喋り方が染みついているだけだ。
プレートの回収はほぼ完了しており、ここにやってくるであろうノヴィス・ノアのブレンパワード部隊や連合の特殊部隊の相手はクインシー率いる別動隊に任せればいい。
自分たちはプレートを持ち帰ることができれば作戦完了という簡単な任務。これでイラつく筈も無い。

ふと、ジョナサンは自らのグランチャーがあらぬ方向を見つめている事に気付いた。
自らの制御を離れ、何かを警戒するように虚空を凝視しているグランチャーに不審を感じるジョナサン。
数秒、グランチャーの見つめる方向を警戒していると、虚空からにじみ出るように新たな人型が三体出現した。
バイタルジャンプではないし、グランチャーでもブレンパワードでもない。

「ボソンジャンプ、とかいうやつか?」

木星蜥蜴なる侵略者がそういった移動方法を用いるという話を聞いていたジョナサンは、所属不明機の未知の転移を異星の技術であろうと当たりを付けた。
侵略者がオーガニック的なモノを理解し利用する。
ありえない話では無い。自分たちが住んでいるオルファンとて元は外宇宙からやってきた宇宙船のようなものだ、同じく地球の外からやってきた侵略者であれば、その価値を理解し、利用しようという発想をするのも可笑しな話ではない。
が、それにわざわざ協力してやる義理も無い。
プレートの回収は完了している、あとはこの場から立ち去り、海上の支援部隊に引き渡すだけ。

「海上の支援部隊と合流する、急げよ!」

グランチャー達がバイタルグロウブに乗りジャンプしようとしても出現した人型達は動かない。
利用しようとまでは考えておらず、ただの様子見だったのか、などと考えるほどジョナサンは平和な思考をする人物では無かったが、今は何よりも確保したプレートを持ち帰ることが最優先。

(あいつらの相手もクインシー・イッサー任せか)

女に戦いを丸投げとは情けない話だが、個人の感情で任務を放り出す訳にも行かない。
そう冷静に考えながら、グランチャーをジャンプさせ――られない。

「何ぃ?」

思わず疑問を声に出してしまう。
バイタルグロウブに乗れない、いや、正確には違う。
バイタルグロウブに乗りはした、飛びもしたが、行きつく先がここだった。
世界中に張り巡らされているオルファンが発するチャクラの奔流が、この空間においては他の流れから切り離され、狭い範囲に押し込められて限定された狭い順路を巡っているのだ。

転位してきた人型の内、どこかグランチャーやブレンパワードに似た雰囲気がある一体が手を口元にやり、肩を震わせている。
アンチボディでもしないような生々しい、嫌味な程に人間臭い動きを持ってその感情をありありと表現している。
楽しげに、愉しげに笑っている。嗤っている
いたずらが成功して、それに引っかかった間抜けな大人を指差す子供のように、無邪気な悪意に満ちた喜びの感情。

転位してきた人型の内、ザフトのMSに似た雰囲気を持つ機体が肩をすくめている。
機械的な動きを装いつつ、これも人間臭さを消し切れない生き物のような動きで、その感情を露わにしている。
呆れ、苦笑し、嘲笑している。
本来なら満点のテストを、名前を書き忘れてふいにしてしまった間抜けを見るような、軽い優越感と憐れみの感情。

転位してきた人型の内、ラダムのテッカマンのような雰囲気を持つ魔人が、虚空を眺めて呆けている。
両手をだらりと下げ、こちらにまるで関心が無いかのように海を眺めてぼうっとしている。
飽き、つまらないものには目も向けない、徹底した無関心。
しかし、無関心、無反応から読み取れるものはある。
路傍の石に気を止めない、自分が高みに居る事を理解しつつそれが当然であるとでも言わんばかりの傲慢な感情。

「はっ、そういうことかよ」

態度で分かる。バイタルグロウブの異常は間違いなくこいつらの仕業だろう、ジョナサンはそう考えた。仮にこいつらの仕業でなくとも、こいつらが何かしらの情報を持っている事は確実だ。
普通に飛んでいたのでは間違いなく連合の特殊部隊に追いつかれる。
ここは確実にこいつらを仕留め、この異常な現象を解除させなければ任務達成はならない。
ジョナサンのグランチャーがソードエクステンションを構える。それを見た他のグランチャー達も状況を察したのか戦闘態勢に移行していく。
数の上ではこちらが上、狭い範囲に限定されているとはいえ、バイタルジャンプも戦闘でなら使えないではない。

「アンチボディのまがい物や、玩具みたいな人形なぞ!」

グランチャー部隊が戦闘の陣形を取った。
対する三体の人型は思い思いの動きで相対する。
アンチボディもどきはフィンを伸ばし、MSもどきは刃の無いサーベルの柄を取り出し、テッカマンもどきは相変わらずふわふわと浮いたまま構えすら取らない。
いや、三体共に共通する動きはある。
一体は無邪気に、一体はさりげなく、最後の一体はよく観察しなければ分からない程のかすかな仕草で、一つの言葉を表現している。

──遊んでやろう──

子供の相手をするような余裕の感情を持って、グランチャー部隊との交戦を開始した。

―――――――――――――――――――

プレート出現の報を聞き、会議場の警備を抜け駆け付けた俺達が見たのは、元の数が分からないほどバラバラに砕け散ったグランチャーの残骸の山だった。

「なんだ、これは。どうなっているんだ」

「ひ、酷い、ここまでするなんて!」

眼下の光景に愕然とするボルテスの長男の健一と、驚愕と憤りの感情を含むヒメちゃんの声が通信から響く。
他の数名は声も出せずに呆けているか、周囲を警戒している。プレートの回収に来たらこの光景だ、訳が分からない、というのがこの場に居るほぼ全員の素直な感情だろう。
美鳥と俺は一応の事情は知っているが、ここまでオーバーキルするとは思っていなかったので少し呆れている。
なんというか、自重するべきか自嘲するべきか悩む光景だ。

「お兄ちゃん、あれ! この間の義手のグランチャーだよ!」

ボルテスの末っ子の日吉がレーダーにわずかながら残っていた反応を見つけたのか、全員の機体に位置情報を転送する。

「義手? ジョナサンか!」

そう、レーダーに映る反応はグランチャーのもの。しかし、そのグランチャーはとても戦闘が行えるような状態ではない。
なるほど黄土色の機体色は間違いなくジョナサンのものだろう、特徴的な義手も印象深い。
しかし、脚が無い。
片足は膝下からごっそりと消滅し、もう片足は股関節の部分から引きちぎられ無残な傷跡を晒している。

腕は、両腕共胴体に付いている。付いているだけで役に立ちそうも無いが。
義手は一応無事のようだが、義手にならず無事だった肩の関節が握りつぶされたかのように拉げている。振り上げて相手にぶつけることもままならないだろう。
もう片方の無事だった腕はその手にしっかりとソードエクステンションを構えている。
構えたまま肩から引き抜かれ、腕ごと胴体、人間なら肺があるだろう部分に無理やり突き刺しねじ込まれているが。
胴体から切り離されてい入るがくっついてもいるし、腕自体は殆ど損傷も無く無事なので両腕共に無事、ということでいいだろう。明らかに狙ってやったとしか思え無い。

余りの惨状に因縁のある伊佐美勇ですら手を出しかねている。いや、手を出さなくともあのグランチャーは放っておけば死ぬ可能性が高い。今死んでいないのが奇跡と言えるレベルなのだ。
ここまでやられてグランチャーが死んでいないのは、明らかに相手に遊ばれたからだろう。そしてこれをやった犯人は……。

「みんな! 海の上でオルファンの部隊が!」

やはりこの世界では砂漠の虎と戦ってオルファンの飛翔にでも備えるのだろうか、オーブの国の御姫様が海上の様子を伝えてきた。
海上、クインシーの駆る赤いグランチャーが率いるオルファンのグランチャー部隊が謎の機体と交戦している。
いや、交戦しているというのも語弊があるかもしれない。

「あれは、アンチボディ? 遊んでいるのか……?」

伊佐美勇が呆然と呟く。
そう、遊んでいるように見える。子供がおもちゃで遊んでいる、というのがもっとも相応しい表現かもしれない。
バロンズゥとユウブレンを足して割らず、無理やりに一体の形にまとめたような歪なアンチボディのような機体がグランチャーとグランチャーの間をくるくると回りながら飛びまわっている。

いや、ただ飛んでいる訳では無い。
くるりと一回転する度に強烈な暴風が巻き起こり、その暴風に紛れて強烈なチャクラ光がまき散らされ、ほのかに光る包帯のような長いひだ、バロンズゥのフィンのようなものがひらひらと揺れ動く。
周囲のグランチャーは暴風で姿勢を崩し、チャクラ光に身を削られ、フィンに切り刻まれていく。
ズタズタのグランチャーの残骸には股間部にあるコックピットの中身も含まれているのか、白いグランチャーの破片をほのかな薄紅で飾っている。

グランチャーもただ黙ってやられている訳では無い。
暴風に近寄らずソードエクステンションからチャクラ光を発射して応戦しているが、踊るように飛びまわるグランチャーはそのことごとくを避け当たりそうになったチャクラ光もフィンで撃ち落とし吸収している。
撃ち落とすという事は撃つのが無駄では無いという解釈をしたのか、防がれてもなおチャクラ光を連射し続けるグランチャー。
しかし、そのグランチャーも横あいから唐突に割り込んできた巨大な拳に殴り飛ばされて粉々に砕け散った。

「MS……?」

「ザフトの新型か!?」

ヤマトと外宇宙に備える姫が口々に呟く。並べるとイスカンダルに向かいそうだなこいつら。
しかしなるほど、機体のサイズ、意匠共にMSに似た作りをしているようにも見える。顔はザフトのジンを角ばらせたような、そう、しいて言うならバーザム顔であろうか。
いや、顔デザインは間違いなく搭乗者の趣味だろうことがわかるのでスルーするとして、問題は首から下だ。
太い。ゴツい。堅い。首から下だけスーパーロボットのようなシルエットで、表面にMSっぽい擬装を施しました、といった感じの機体だ。
更に今さっき一撃でチャクラシールドを張ったグランチャーをパンチ一発で粉砕した。見かけ倒しではないパワーも兼ね備えているのだろう。

「見て! あの機体、プレートを持ってる!」

持っている、というか、バックパックには明らかにプレートを運ぶために設えられただろうと分かるラックがある。
そのラックに、五枚のプレートが納められているのだ。お持ち帰りする気満々の装備から気合が垣間見える。

「みんな持ってかれちゃう! そんなこと、させるもんかぁっ!」

「いかん、そいつには手を出すな!」

ヒメちゃんが必死なのは分かるが、istdとはさりげなく美鳥もノリノリである。
別に戦ったからといって進化する訳でもな、するか、そういえば。こいつは戦わなくても勝手に進化するが。

ヒメブレンがブレンバーを構え、MSもどきの死角からチャクラ光を放つ。
が、まるで後ろに目でも付いているかのようにヒメブレンの方に掌を向け、放たれたチャクラ光を全て掌で受け止めた。
シールドを張っている訳でも無いのに、それでも受け止めた掌には傷一つ付いていない。恐るべき強度だ。
ゆったりと余裕をもってこちらに振り向き、俺達の機体を一瞥すると、背中のバックパックからプレートを一枚取り出し、手首のスナップで軽くこちらにフリスビーのように投げてよこした。
反撃を警戒していた所にプレートを投げつけられ、慌ててチャクラシールドでプレートを受け止める。

「え、え? 譲ってくれるの?」

ヒメちゃんの疑問に答えず、MSもどきは再び振り返ると、今度は飛びまわるアンチボディもどきの前に転位した。
ボソンジャンプではない、なんの兆候も無く飛ぶ様子から見るに、ちょっとしたシステムの応用だろう。素の状態でブレンパワードのチャクラ光を喰らって無傷の装甲にあのシステムとは、なんとも豪勢な話だ。
アンチボディもどきは飛行を中断させられて不満そうだったが、しばらくすると不服そうな動きを見せた後、MSもどきと共に霞むように姿を消した。

残るグランチャー部隊はまだ数十体は居る。戦闘が始まるか、と俺と美鳥以外の機体が身構えた。
しかし、俺達とグランチャー部隊との間に一体、テッカマンのような姿をした何かが割り込む。
つい先ほどまで単騎でクインシーとやりあって、いや、ひらひらとクインシーと数体のグランチャーの攻撃を木の葉のように回避し続けていた奴だ。
シンプルな、尖りもしなければ丸みも帯びていない地味な装甲のそのテッカマンもどきがグランチャー部隊に向けて拳を向ける。
その手に何も持っていなかった筈が、唐突にその手の中に小さな銃のようなものが出現する。
おそらくテックランサーのようなものだろう、銃身の代わりにクリスタル質のナイフのようなものが生えているそれを向け、カチ、とトリガーを引くような動きをした。

――轟音。それ以外の音が消滅してしまったかのような錯覚に陥る程巨大な発射音とともに、青白いフェルミオン粒子の濁流がグランチャーの一体を巻き込み爆発する。

「ボルテッカ、やはりテッカマンだったか」

ボルテスの健一が冷静に呟く。まぁ、見た目はまんまテッカマンだが、MSやアンチボディを従えているならば疑わしくもなるのだろう。
しかし、目の前のテッカマン(仮)が放ったボルテッカは一味違う。
ボルテッカの直撃を喰らったグランチャー、その周囲に巨大なクリスタルの幻影のようなものが映し出され、そのクリスタルの幻影から新たに数本のボルテッカが再発射され他のグランチャーに着弾、更にそこから新たなボルテッカが撃ち出され……。
通信から驚愕に息を呑む音が聞こえてくる。が、せっかくなのでここは一つ俺も出しゃばっておこう。

「むぅ、あれはリアクターボルテッカ」

「知っているんですか?」

割と冷静に状況を見ていたヤマトが聞き返してくれた。ありがたい返し、これでスムーズに解説に入れる。
重々しく頷き、この世界に来る前に覚えておいたリアクターボルテッカの解説を始める。

「テッカマンが高速で移動する際に発生させているクリスタルフィールドという、言わば結界に覆われた超空間のようなものがある。これをボルテッカに乗せて発射することにより、ボルテッカが命中した時に発生するエネルギーを利用してクリスタルフィールドが新たにフェルミオン粒子を空間から生成し、それがボルテッカへと変化する」

説明を続ける俺の目の前で、次々と枝葉の如く分岐するボルテッカに呑み込まれていくグランチャー達。

「クリスタルフィールドを制御する力に長けていればほぼ無制限にボルテッカを連鎖させることができるという必殺技だ。Dボウイの戦闘データなどから得たテッカマンのスペックから、理論上は可能だとされていたが、まさか実際に使用できるテッカマンが存在していたとはな」

「そんな恐ろしい技の使い手が、敵の中には存在するというのか……」

とうとう最後の一機、クインシー・イッサーのグランチャーに、分岐を重ね全方位からボルテッカが迫る。

「姉さん! 避けろよ!」

伊佐美勇が咄嗟に叫ぶ。バイタルジャンプで間に入ろうとしたのか一瞬ユウブレンの姿がかき消えるが、すぐに元の場所に戻ってしまった。
どうやら、バイタルグロウブの流れを人為的に操作してバイタルジャンプの機能を阻害しているらしい。
逃げられない。チャクラシールドを張った赤いグランチャーに数十にもなるボルテッカが迫り、しかし着弾寸前で全て消滅した。

「助かった、いや、見逃がされた、のか……?」

助かり、しかし呆然とするクインシーのグランチャーに、スクラップ同然に破壊されたジョナサンのグランチャーが投げつけられた。
あのMSもどきがいつの間にか回収していたらしく、グランチャーを放り投げた姿勢のままのMSもどきの姿が見える。
そのMSもどきによりそい、リアクターボルテッカを撃ったテッカマンもどきを肩に乗せたアンチボディもどきが、手をひらひらと振り、辺りの景色に滲むようにして消えていった。
まさにやりたい放題。チートに次ぐチートでどこのスパロボオリジナルだという話だ。

意図するところは分かる。第一目標であるプレートの回収は完了しているし、リバイバルの兆候のある双子が生まれるだろうプレートはこちらに回収させた。ここに留まる必要も無い。
ボルテッカを消したのも、あれを直撃させたら間違いなくクインシー・イッサーは死ぬと分かっていたからだろう。姉キャラが死ぬのは多少嫌な気分になるだろうし、グランチャーがバロンズゥに再リバイバルする瞬間を見てみたいというのもある筈だ。

が、ボルテッカを食らうまでも無くクインシーのグランチャーはダメージを受けていたのだ。
あのアンチボディもどきがまき散らしたチャクラ光の流れ弾を数発受け、ぱっと見は分からないだろうが戦闘ができるぎりぎりのラインで踏ん張っていた所にあのボルテッカのプレッシャー。
それが不発ということで張りつめていた緊張の糸が切れた所に、自分の機体とほとんど同じ大きさ重さの機体を投げつけられた。すると、どうなるかと言えば……。

「うわぁぁああっ!!」

墜落。黄土色のジョナサン・グランチャーに弾き飛ばされるようにして、赤いイイコ・グランチャーは狙い澄ましたかのように綺麗な花畑の中に突っ込んでいった。
そのグランチャーを追うように花畑に降りて行ったユウブレン。
これからあの花畑で、説得に失敗しながらそれはもう見事なフラグクラッシュを慣行するのだろう。フラグと一緒に砕けて死ねばいいのに。

しかし、無茶苦茶な戦い方だった。あのMSもどきの戦い方だけは見ていないが、どうせ碌なもので無いことだけは分かる。ようは趣味に走った感じの機体と武装なのだろう。
これからやらなければならないことを考えると頭が痛い。
せめて一日二日置いてゆったりと静養し、気分を落ち着かせてからにするべきだろう。
これが終わったら、今度こそ本気でこの部隊でやることが無くなるのだ、どうしてああなったのか分からないが、できる限りの努力はしなければなるまい。



続く

―――――――――――――――――――

以上、J三人娘内の電波受信アンテナ兼まとめ役担当のカティアさん、主人公の介入で微妙にマサキになる回数を減らされているマサトくんから見た主人公のそれぞれの印象独白と、三体の黄色軍ユニットが一話分の敵を相手に無双するの話をお送りしました。

しかしあれですね、サポAIが度々ヒロインっぽいアクションをするのが頂けませんね。大体主人公と一緒に行動してるから仕方ないと言えば仕方ないのですが。

ジョナサンの喋りが分からないす。数少ない資料から察するにねっちょりした喋り方でもあり、かと思えば紳士的な感じもある気がする。この使い分け、尊敬に値するマザコンですね。

クマゾーくんは断ってましたが個人的にはグランチャーとかかなり欲しいです。車検要らないから車の代わりに使いたいですね。保険は利くのでしょうか。

あと、別に自分は伊佐美勇が嫌いではありません。好きでもありませんが。でも主人公的には姉をないがしろにしている時点で、もはや問答無用!といった感じになります。



ここでこのSSの作者の根拠無き思い込みによるJヒロインズのエロ知識関係。この作品内だけの設定であることを明記しておきます。

・カティア
基本に忠実。それっぽい読本などの最初の方を読んで、自分がまだそこら辺を体験していないからと最初の方のページを熟読。
ややうぶ。
・テニア
ほぼカティアと同じ、が、少女マンガや他の女性クルーから聞き出した知識がプラスされている。
没個性。
・メルア
勤勉である。基本を押さえつつ、スポーツ新聞の真ん中の小説や駅のキオスクに置いてあるワンコイン小説、少女マンガの付録などにも細かく目を通す。女性クルーから積極的に知識を吸収し、卑猥な妄想をする。
淫ら。



セルフ突っ込みは天気が良いのでお休み、次回更新は今度こそいつもより遅くなると思いますので、なにげない日常に潜む少し心が癒される何か探しをしつつ心穏やかにお待ち下さい。
たとえば天然酵母の食パンとかに口と鼻あてて吸い込むと香ばしくて少しいい気分、天然酵母という響きに騙されれば幸せになれます。

次回予告!
「やろう、ぶっころしてやる!」
「ぎゃあ、じぶんごろし」
「ねむいと、気があらくなるんだな」
「やめろよ、じぶんどうしのあらそいは、みにくいものだ」
「はやく、暗躍してねようよ」
「おにいさんとあたしで6P……!」
の予定が計画倒れ。

諸々の誤字脱字の指摘、この文分かりづらいからこうしたらいいよ、一行は何文字くらいで改行したほうがいいよなどといったアドバイス全般や、特に作品を読んでみての感想とか、心からお待ちしております。

アドバイスを元に文章の改行とか少し作り替えてみました。
どんな感じに見えるのか、皆様、よければご意見下さい。



[14434] 第十四話「時間移動と暗躍」
Name: ここち◆92520f4f ID:c5c488de
Date: 2010/04/02 08:01
さてさて、そんなこんなでノヴィス・ノアからアークエンジェルに戻ってきたあたし達だけど、そこから予期せぬ仕事が舞い込んできた。
原因はもちろんあれ、オルファンのグランチャー部隊を大量虐乙した謎の三体のことについて。
現場を見た人間の中ではそれなりに冷静で年長、かつ機体改造などでメカ関係に詳しいだろうという判断でお兄さん、ついでにあたし。
そしてアンチボディに詳しいということで元オルファンの伊佐美勇が呼び出され意見を求められた。
しかもナデシコからも通信があって、今回現れたテッカマンもどき、ナナフシ討伐の際にカオシュンに現れたテッカマン軍団とも関係があるかもしれないということでレポートの作成も行わなければならない。

真相を知っている立場からすれば滑稽だけど、実際に敵として現れたらこういう対応が正しいんだろうとは思う。
思うんだけど、そこはそれ正直な話、ここまで面倒なことになるならあたしらに目撃される前にプレートだけ奪って逃げて欲しかったかも。
でもそうもいかない事情があるんだろうことは想像に難くない。なにしろあの三体はそういう事を承知でクインシー達も相手にしたんだろうし、あたし達もそれに倣うのが正しいんだろう。

さて、意識を現実に戻すと、伊佐美勇がなんとも微妙な表情で推論を話していた。

「……あれがオルファンに対して友好的な存在じゃない、ってことだけは確かだ。でも言っておくが、間違ってもあんたら、いや、俺達の味方につけることができるような存在じゃない」

「どういうことだ? 他の報告を聞く限りではブレンパワードに近い形状だった、とあるが」

「確かにグランチャーよりはブレンに近いさ。でもあれはブレンともまったく違う。なんていうか、オルファンも人間も鼻にもかけていない、そんな気がするんだ」

副艦長の疑問に伊佐美勇が眉間にしわを寄せたしかめっ面で答える。
ここからしばし伊佐美勇の推論タイムスタート。でもどうにも的外れで面白みに欠ける答えばっかりだし、ここは他のことでも考えてようかな。

例えばそう、この世界でお兄さんの食指が万が一にもお姉さんかあたし以外に向くとしたら誰か、とか。
引き継いだお兄さんの記憶の一部だと、あたしが生まれる少し前にエレアにキュンときてるんだよなぁ。黒髪がキーになってるのかな? 露出がキーならメメメのアタックが多少なりとも実を結ぶ筈だし。
黒髪、例えばこの副艦長もエロいデザイン、髪伸ばして姉っぽい言動をとったらお兄さんが反応しそうな。
いや、でもなんか違うな。お姉さんはもっとこう、ねぇ?
ここまで表面堅く無いし、地元ならそれなりに人当たりもいいし、表情の作り方とかまるっきり違う。注意する必要は無いかなぁ。

「宇都宮さんにも聞いてみるべきかしらね……」

うおぉん、艦長さんおっぱいすげぇ。おっぱいすげぇ、このエロ同人の中の人め! 羨ましい!
いいなぁおっぱい、あれだけあれば絶対挟めるよなぁ。
いや、挟んで舐めるとかそこまで高度なテクは無いけど、無いけどその努力はしたい。
あー、あたしも『絞っちゃらめぇ(訳:もっと絞ってほしいよぉ)』とか『やだ、そんなに吸わないでぇ(訳:ああぁ、お兄さんがあたしのミルク飲んでるうぅ)』とか言いてぇ!
あたしも前よりは膨らんでるけど、それでもさきっちょをちろちろ舐められるとか、前歯でコリコリクニクニされるとか、控え目にフニフニされるとかそんなのがメインだし。
グニグニと欲望の趣くまま真っ赤に腫れあがるぐらい揉みしだいて欲しいのに、このサイズだと迫力無いのかなぁ。

「――で、鳴無、あの機体についてなんだが」

「どっちも専門家ほど詳しく無いんですが、あれ、MSってより間違いなくスーパーロボット系の機体がベースだと思いますよ」

「ああ、マードックの親父さんもそんなこと言ってたな」

まぁ艦長さんは栗毛だし、お兄さんのストライクゾーンからは外れている。
でもおぱいは素直に羨ましい妬ましい欲しい。あたしも無理やり増量するかなぁ。

「ていうか、あれは意見を求めるまでも無いと思いますが。見れば分かる! これでどうだ! みたいな単純な機体ですし。MSって普通アンチボディのチャクラ光喰らって無傷とか無いでしょう、な?」

「わひゃい!」

お兄さんに唐突に肩を叩かれ思わず変な声を上げてしまった。
視線が集まる、艦長も副艦長も死亡フラグも非シスコンもお兄さんもみんなこっちを見てる。
さりげなく他のブリッジクルーも振り向いてあたしを見てる。あ、あたし、見られてる、今すっごい見られてるよ! ンッギモヂイ、じゃなくて。
全く話を聞いていなかった。いや聞いていたけど右から左にすり抜けていったというか。仕方ないので会話の音声ログを辿って……、よし、大体わかった。
こほんとわざとらしく咳をして仕切り直し。

「うん、フェイズシフトでも全部防ぎきれるような単純な攻撃じゃないしね。あれはデザインだけがMSの、多分マジンガーとかと似たコンセプトの機体だと思う。でもマジンガーより単純に頑丈さ、力強さだけを追求した感じだあね」

「武装は殆ど内蔵せずに後付けにして強度を上げているってのもあるが、ゼオライマーみたいな特殊な装置を搭載してるから、余計な武装が必要無いって可能性もあるな」

あたしのセリフに頷き、お兄さんが補足する。

「なるほど、しかし、どこがそんなものを開発したのか……」

考え込む艦長ら三人、とりあえずさっきの叫び声はスルーしてくれるらしい。
しかし、考えた所で結論が出るような話じゃ無いのによくやるもんだ。あーあ、はやく終わらないかなぁ。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「お、終わったぁ……」

肉体的な疲労が無くとも、こういう地味でなおかつ自分たちへのリターンが少ない仕事を延々とこなすと精神的な疲労が溜まるのだろう。
ノート型の端末をバタンと閉じ、美鳥が盛大にベッドに倒れこんだ。

結局、あの後更にブリッジでの意味の無い話し合いに時間を費やし、そこから更にスケールライダーとボウライダーのセンサー類でとらえた謎の機体のデータをレポートにまとめ、
そのデータを別行動中のナデシコに転送し終えるのに消灯時間寸前まで端末とにらめっこするはめになった。

ナデシコに居た時はそもそもナデシコのセンサー類でより詳しい情報を集めて解析していたのでこういった作業を俺達がやる必要が無かった。
しかしここは連合の船アークエンジェル、連合が手に入れたデータを秘匿することも考えて、俺達にありのままの情報を送ってくるようにと追加で依頼を入れてきたのだ。
今から考えてみれば、アークエンジェル側に金を払って雇った自分たちの目と耳を送り込んでおくという意図もあったのが分かる。
この抜け目の無さ、流石はプロスさんだと言わざるを得ない。

が、しかしだ。あの機体がまるきり同じ状態で再び現れるかと言えば、それは間違いなく有り得ないことだと言い切れる。
つまりこのデータは間違いなく役に立たない、いかにもそれっぽいのに最終回終わっても回収されない複線のようなものだ。
これほどやりがいの無い仕事はなかなか無いだろう。

「無駄になると分かっている作業に時間を割く、ってのは、なぁ?」

備え付けの端末から離れ、冷蔵庫からジュースを取り出し、ベッドにうつ伏せに倒れこむ美鳥に放る。
空中に美しい放物線を描いて飛ぶ500ミリ缶。
ごつ、という鈍い音を立て見事に美鳥の後頭部に直撃し、ベッドの上に転がった。

「あてっ!」

枕に顔を埋めて突っ伏していた美鳥が、顔を起こして少し恨めしそうな眼で俺を見る。
が、特に何か言い返すでもなく再びのろのろと枕に顔を埋め直した。
どうやら精神的に相当疲れているらしい。帰って来た直後はもう、今すぐに暗躍しに行こうよ!とでも言いだしそうなほどだったのだが。

「おい、暗躍はどうするんだよ」

ベッドに寝転がる美鳥の横に座り、軽く肩をゆすりながら声をかける。

「うー、明日でもいいんじゃない? まだナデシコも合流できる位置に居ないし、超電磁組も呼び出されてない、じかんてきよゆうはほひれふあぁぁ~……」

「日本語で、いや、いいか。寝るならせめて着替えてからにしな」

「あー、い」

こんな状態で出ても上手いこと暗躍は出来ない、今日のところは休みを取って、明日の自由時間にでも改めて暗躍しよう。
のそのそと起き上がり、スケールライダー用のぴっちりとしたパイロットスーツを脱ぎ捨て下着姿になった美鳥を脇目に、適当にネットで本筋にかかわらない情報収集を開始した。

―――――――――――――――――――

元の世界から持ち込んだ音楽を聴きながら、ネット上の情報を検索する。
情報収集を始めて数時間、そろそろ起床を知らせるラッパが鳴り響く時間だが特に眠くは無い。
そもそもこの肉体は睡眠を必要とすることはあまりなく、今ベッドで眠りこけ、にらにらにやけながら奇怪な寝言を口走っている美鳥が例外なのだ。
まぁ、それだけレポートをまとめる作業が苦痛だったのだろう。
俺に取り込んだ技術の情報を移譲する時の手順を考えれば、わざわざ文章化してそれを身体を操って端末を操作して定型の文章にまとめるというのは面倒にも程があるというものだからな。

「ふむ」

とりあえずJ本編に関わりの無い部分、裏で進行していそうな作品の情報を集めてみた。
やはりというかなんというか、アストレイ関連はかなりの変化が見られる。

まず、デルタアストレイの設定が生きていそうな火星のコロニーが見つかった。
なんでもナチュラルもコーディネイターも遺伝子上の適性を調べられ、それぞれに最適な役割に割り振られていたらしい。
火星のテラフォーミングがまだ不完全だった頃のそういった生活様式を、効率がいいからと続けていた都市が存在したのだそうだ。
技術的にも他のコロニーとは一線を画していたようなのだが、木星蜥蜴、そしてグラドス軍の物量に対抗できず壊滅。
無限に加速できるあれとかが開発された可能性を考えれば、とても我慢ならん話だ。

次に無印アストレイ。これはオーブ関連の情報を追って行けばそれらしい影が見つかった。
グレイブヤードの騒ぎ、ギガフロート防衛戦、それらしい事件の情報はあちこちに流れている。
情報屋のルキーニにでも金を握らせればもうチョイ明確な情報が手に入ると思うのだが、今の段階でそこまで気にかけることも無い。
ここから手に入る情報だけでも既にレッドフレームにはディストーションフィールドが搭載されていることが分かった。
色々な世界観がごちゃまぜになってダイレクトに影響を受けたのは間違いなくジャンク屋連中だろう。自重率はこの世界で二番目位に低いかもしれない。
それでもENの問題だけはどうにもならなかったらしいが、木製の無人兵器から小型の相転移炉を取り出して搭載しようとしていたなんて噂もある。
他にもMSが振るサイズの日本刀とか、実用性はこの際置いておくにしても少し面白そうだし、とりあえずアストレイ原作がどの時点まで進行しているか度々チェックしておくだけでも十分実りがあるだろう。

Xアストレイは、まぁ、ぶっちゃけた話、取り込むべきものが無いので追っていない。
光波防御帯はビームコーティングされたナイフでもあれば貫けるし、そもそも木星蜥蜴のグラビティブラストを防ぐ事も出来ないから無敵の傘足り得ない。
そうでなくともこの世界観だとあの防御はいくらでも抜きようがある。
次元連結しかりボソン砲しかりラムダドライバしかりバイタルジャンプからのゼロ距離攻撃しかり……。
ただ単に、ビームも実弾も防げるよ! なんて単純な機能で勝ちを掴める世界では無いのだ。
ファンネル、じゃなくてドラグーンは適正があるか分からない上にそれほど必要でも無ければ魅力的でもない。
高位ブラスレイターの下級デモニアック使役能力を使えば一足飛びにGビットもどきも作れるのだ、態々盗りに行こうという気にもならない。
……Gビット、Gビットかぁ。なるほどなるほど、そういうのもありだな。スーパー系ビットとか、ううむ。

最後にディスティニーアストレイ。これは、MSコレクターの傭兵もジャーナリストも簡単に所在は割れた。
割れたが、この作品に登場する機体はそもそもまだ開発すらされていない。
量子コンピューターを侵すウイルスとかかなり魅力的だが、これの完成を待っていたらスパロボJのエンディング後にかなり長期間待たされることになってしまう。
探しに行くなら元の世界に帰ってから、改めて原作の世界に取りに行った方が早いだろう。

「ん、っくあぁぁ」

背筋を伸ばし、次いで肩を回す。ぽきぽきと体中の関節が音を立てた。
疲労は無いが、それでも身体は表面上人間の擬態をしている為に新陳代謝で垢のようなものも出れば顔色だって変わる。
意識してそこら辺を無くすこともできるが、姉さんが言うにはそういった無駄に見える部分も人間的なメンタリティを保つのには重要なのだとか。
なにより、身体が汚れている状態で身体を洗ってシャワーで石鹸を流したり、冷え切った身体で熱い湯に満たされた浴槽に身を浸すのは気持ちいい。
これぞまさに人生における至福の時。空腹があるからこそ満腹に価値があるのだ。

そんな訳で、さっそくシャワーを浴びてさっぱりしよう。
タオルと着替えを持ってシャワールームへ移動しようとすると、美鳥がもぞもぞとベッドから起き出して来た。
掛けてあった毛布を乱暴に蹴り飛ばし、ベッドの上でしばし目と口をしばしばさせ、ぼうっと俺と美鳥の間の虚空を眺めること数秒。

「……あ、おにーさん、おあよぉ」

あふ、と大きく欠伸をし、にへら、と笑顔であいさつをする美鳥。
最近の美鳥は極々稀に寝起きが悪くなる。
あくまでも人間の姿形、生理現象その他は擬態に過ぎないのだが、どうにも肉体を構成している姉さんの因子から寝起きの悪さというマイナスの因子も再現してしまうことがあるのだとか。
肉体年齢の成長にともない、そういったものまで再現されることは以前から予測していたらしい。
まぁ、どうしても早起きしなければならないような状況なら、眠らずに貫徹すれば寝起きの悪さも関係無くなるから問題無いとは言っていたが……。

「おはよう。俺はシャワー浴びに行くけど、どうする? まだ起床ラッパまで多少寝てられるが」

「んぅ……」

目をこすりながらタオルと着替えを持っていない方の手を掴んできた。
一緒に行きたいという端的な意思表示。明らかに幼児退行しているというか、いや、幼児期が存在しないから少し違う、電詞都市の高機能化のようなものか。
SD美鳥、つまり走狗だな。役割的にもぴったりだ。こいつに元の世界との通信機能とかあればなぁ。こっちとの時間の流れの違いとかあるけど、姉さんなら数百倍数千倍の加速会話くらい軽いだろうし。
そんなことを考えつつ、美鳥と一緒にシャワーを浴びに向かった。

―――――――――――――――――――

×月○日(暗躍ー!)

『明日でいいだろうとか言いつつ、俺も美鳥もすっかりその事を忘れて数日が経った』

『この数日の間、アークエンジェル側では何事も無く哨戒任務を済ますだけの日々が続いたが、どうやら向こう、ナデシコ側では色々と自体が進行していたらしい』

『木星蜥蜴の正体が人間型の宇宙人だということが分かったりテンカワが好戦的になってレイナードに振られたり、スパロボ換算にして二話分くらいだ』

『なにやらレイナードは相手も同じ人間なんだから戦わなくていいじゃないですかとか言っていたらしいが、そうなると同じではない生き物の類なら争っても特に問題は無いのだろう』

『きっとネンジ君やウッキー君とは死ぬまで理解し合えない人種なのだろう。恐ろしい話だ。非人間代表を気取るつもりはないが、そういった好戦的な態度ばっかり取っているからガイゾックや文明監察官が、いや、この作品には出ないけど』

『しかし、メメメとの通信でこれだけの情報を引き出すのに数回の通信を使用してしまった。あいつは最近露骨に話が横道に逸れまくるから困る』

『木星蜥蜴、いや、木連の連中が元地球人であるかどうか、木連の歴史とかについてまで暴露されたかどうかについては結局分からなかった』

『もう少し他の連中からも話を聞きたいのだが、なにやらメメメがやたらと通信機を放したがらず、他の連中が最初に通信機を取っても後ろでやたら換わってください換わってくださいとうるさいらしく、統夜やカティアやテニアと長時間の会話ができない』

『通信機を複数用意するなりなんなりすればよかったのだろうが、最初はこういう事態になること自体想定していなかったのだから仕方ない。閑話休題』

『そんな訳で今日という今日こそキッチリと暗躍を済ませて、と、ここまで書いて思ったが、暗躍はすでに成されているのに今から暗躍しに行き、しかも今日開始するにも関わらず実行日は数日前、これはかなりややこしい』

『まぁ、本当にそう思っただけで特にオチは無い訳だが。どうしてもオチが欲しければ軍曹辺りに頼めばいいんじゃないかなぁ、爆発オチとか』

―――――――――――――――――――

さて、起床ラッパなどといういかにも軍隊らしいものが存在しているから、当然アークエンジェルに搭乗しているパイロット各位も規則正しい生活をしているのか。
結論から言えばそうではない。一部の職業軍人を除けばほぼ全員が民間協力者、元が学生などならばまだ眠っているし、研究所からやってきた連中だってこの時間は大体いつも寝ているのが普通だ。
しかし、逆に起床ラッパが鳴る数時間前に起きてトレーニングをする武術家も居る。
目の前の連中がまさにそれだ。アークエンジェルを降りて基地の中にある、グラウンドのような場所でひたすら超人アクションに精を出している新生シャッフル同盟。
若い血潮が真っ赤に燃えて、燃えたは良いがその情熱をぶつける相手が居ないのでひたすら身体を動かして気を紛らわしているのだ。

「朝から元気だな、無駄に」

グラウンドで組手をしているのはドモンとアルゴ、チボデーとジョルジュ、一人余りでサイサイシーが少林寺の型の稽古をしている。

(ローゼスビットの修業とか生身でどうやるのだろうか……)

チボデーと対峙するジョルジュは珍しくサーベルを使っている。
というか、ガンダムローズ、接近戦では普通にシュバリエサーベルを使っていたんだったな。
余りにも印象が薄い。そもこいつは格闘系メインの大会で空気読まずにビット兵器使ってくるあたりで半ばキャラが定まってしまっているというか。
正直、今更騎士キャラとして剣使って個性出してみようとか違和感しか無い。あざとい。

「あ、タクヤのアニキ、ちょっと組手の相手してく――」

「貴様にお義兄さんと呼ばれる筋合いは無い!」

「う、うわぁあぁあああっ!!」

型稽古を中断してこちらに近寄って来たサイサイシーに思わず反射的に拳を放ってしまったが無害です。
戦闘シーンみたいなマジ声の叫びをあげながら大分派手に吹き飛んで頭から車田落ちしたけど当然無害です。ガンダムファイター頑丈でマジでいいサンドバック。

そのままなし崩し的に組手を開始、パワーとスピードでごり押しだと簡単に勝ててしまうので平均的なガンダムファイターの身体能力に合わせ、使うのはもちろん流派東方不敗のコピー。
更に美鳥が姉さんの因子から取り出して教えてくれた十七条の拳法も試してみたいのだが、以外と習得にコツが要るようなのでとりあえず今のところは保留としている。

シャッフル同盟の修業風景を見学にくると、必ずと言っていいほどこういった流れで俺まで修行に付き合わされる。
こいつらの人数が奇数なのもあって必ず一人余るのだ。
しかも身体能力があれなのでこいつらに付き合える人材が中々居ない。そこで似たようなレベルの身体能力を持つ(ということになっている)俺が度々付き合わされる。
御蔭で流派東方不敗の動作慣熟訓練も完了し、あとはモビルトレース形式の機体で実践するだけ……ああ、なるほど。

「……あれ、どしたん?」

突然こちらの攻撃が止んだ事に戸惑うサイサイシー。
ここで隙ありと突っ込むとカウンター決められる事を身体が覚えているからか、あちらも動きを止めてこちらを窺ってくる。
考え事をしつつも身体はサイサイシーとの組手を続けていたのだが、それも止めて必要なものとシチュエーションに考えを巡らせる。
よし、とりあえずは図に起こしてみよう。そうと決まれば人気のない場所に移動だ。

「悪い、ちと用事があったことを思い出した。今回はそっちの勝ちでいいから、じゃ」

「えぇ、そりゃないぜぇっ! オイラまだまともに当てれてないのにぃ!」

不満げなサイサイシーを完全放置で、俺は急ぎ足でアークエンジェルへと戻っていった。

―――――――――――――――――――

念入りに人払いの結界を張った自室内で、自らの脳内麻薬を大量に分泌させながらガリガリと絵を仕上げていく。
口ずさむBGMは適当にここ数年のスーパー系主題歌を即興で。まっかなーふーふふんいまー、がれきのーふーふふんたつー。といった感じでうろ覚えの歌詞は適当に誤魔化す。

あ、マジンガーがベースなのに歌のせいでシルエットがまるでアレみたいに! いや、ここは攻める時だな、肘とか膝に刺々しいエッジとかも付けちゃったりしてまぁ。
なるほど人型のシルエットが崩れるからスクランダーはいらんのだな、書き直し書き直し。
あれ? なんで設計図なのに決めポーズとらせてるんだ。また書き直、いいや、これに上書きしていこう。
素手だけってのも寂しいし、サーベルでも持たせるか。剣術もあるしな。
マスタークロス代わりにビーム布、そう、マフラーとかいいね。展開式で、戦闘モードでぶわわっと出てくる感じで。

ぬ、内臓武器全部捨てたから中身のパーツが足りなくてスカスカに。
ここはこうで、スーパー系よりMFっぽくすれば、しなやかになりそうな気がするが試してみないとわからんか。
ついでにこれをこうして、頭は、イケメンのバーザム君にしよう。センサーはモノアイの方が良く見えるザム。ちなみに腰は付いてるザムよ。
む、頭のデザインだけ浮いてる。頭部に合わせて首から下はMSぽく外側を弄って、操縦方式が東方不敗式モビルトレースだし、MFっぽさも出す為にやや角張りを少なくして……。
最後に動力は、俺、と。

「できた……!」

適当にその辺からチョッパってきたチラシの裏に鉛筆で書かれた簡単な設計図。
それはもう妄想満載の代物でとても人様には見せられないような恥ずかしい内容に、思わずクラッときてしまう。
ああ、自分の才能が恨めしい。とりあえずこれは書いた内容だけ画像データで保存して、このチラシはささっと焼いてしまおう。
プラズマ発生装置で一瞬にして焼き尽そうとしたところで通信機に着信が。
着信といってもこの通信機は特別製、ナデシコに乗せてあるもう一つの通信機としか繋がらないようになっている為、どこから掛かってきたかはすぐわかる。
居留守というのもあれだし、通信を繋ぐ。

「はいはい?」

「あ、卓也さん。お久しぶりです」

「おお、統夜か」

通信機に映ったのは相変わらずワンアクション毎に前髪がゆらゆらと揺れるヅラ疑惑の好青年、紫雲統夜だ。
まだナデシコとアークエンジェルがルート分岐して何週間も経っていないのに、こうやって会話するのは随分と久しぶりな気がする。

「お前が無事通信を繋いで来るなんて珍しいな」

日記にも書いたが、何時もは統夜が通信をいれても数分経たずにメメメに通信機を奪われて会話が中断されてしまうのだ。
因みに奪われるまでも後ろでメメメを抑えようとするカティアとテニアの怒声が聞こえてくるので、今回のように普通の声の大きさで喋れるというのは稀だったりする。
統夜は俺の言葉に苦笑いを浮かべた。無事に通信を入れられるのが珍しいなんて確かに苦笑ものだろう。

「ははは……、メルア達は出かけてますから」

「半舷上陸か。いいねぇ休暇、俺も偶には意味も無く市街地をぶらぶらしたいぜ」

基本的に基地に居る間はやることやってれば空いた時間は殆ど自由時間のようなものだが、何時スクランブルが掛かるか分からないので基本的に基地の外への外出は許可されないのだ。
そんなこんなでどうでもいい会話をだらだらと開始。
近況だのなんだのはメメメから一応聞いてはいるのだが、やはり他の人間の視点からだと同じ話でも違って聞こえてくる。
というか、聞いた感じではどうにもメメメ視点からの語りは偏った情報が多い気がするのだ。
やはりより多くの情報源を持ち、そこから情報の取捨選択を――

「あれ、なんですか? それ」

と、通信機の画面の統夜が俺がいろいろ書きなぐったチラシを指差した。
一応裏返しにしてあるし、通信機越しじゃ小さくて何か書いてあるなんて分からない筈だ。
変にはぐらかしても怪しまれるし、内容は知らせずに端的に答えてやろう。

「良いもの、かな」

「良いもの?」

「ちょっとしたお遊びのようなもんだ」

「?」

疑問符を浮かべる統夜に笑いかけ、その後は何事も無く会話を再開した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

そんなこんなで今日も今日とて例によって例の如く俺と美鳥で哨戒任務。
俺達が出る直前はドモンとチボデーが出ていて、チボデーはデビルガンダムが現れないことに不満を感じているらしい。
ドモンは対照的に落ち着いている様子だった。どうせいつかは表に現れて行動を再開する筈だから、今は確実にデビルガンダムを仕留める為に力をつける事に集中するのが大事なのだとか。
そういう割には多少身体のあちこちに平時では感じられない負荷が掛かっているのが見え見え、やはり自分の感情を抑える努力をしているのだろう。なにしろ自分の身内のことなのだ。

しかし、デビルガンダムが出てこない、か。
確か原作でもそんな話があった気がするが、ここでは他の原因も思いついてしまう。
一つ一つの肉のサイズがやたらデカイ鳥の唐揚げ定食をつつきながら、目の前の美鳥に問いかけた。

「やっぱりあれか、前回の自爆テッカマン一斉特攻が利きすぎたのか?」

四体も突っ込ませればカオシュン基地を更地にできる威力の自爆をその身に数えきれないほど喰らっているのだ、デビルガンダムの自己再生能力がいかに優れているとしても無事では済まない。
せめてバリアの一つも搭載していれば話は違ってきたのだろうが、再生能力とあの巨体を考えればバリアが必要になると考える方が難しいのだろう。
俺の疑問に、やたら大蒜の入ったレバー炒め定食をつつきながら美鳥が首をひねって何かを思い出すポーズをとった。

「そういえばあたし、デビルガンダムを攻撃しろ、とは言ったけど、生体コアについてはなんも言ってないなぁ」

「つまりキョウジ・カッシュはすでに消滅している可能性もある訳か」

「まーだからどうしたって話だけどねー。あ、でもそうなると逆にシュバルツとか生き残りそうじゃない?」

「乗換用にGの影忍でも用意しておくか?」

現在哨戒任務を終え、機体をアークエンジェルに戻し、基地近くの商店街の小さな食堂で美鳥と飯を食いながら雑談中。
昼の時間は少し過ぎている為俺たち以外の客は少ないが、念のため認識阻害の魔法は使っている。

戦時下ということで店を閉め疎開しているところも多い中、基地で働く軍人さんの為、あるいはこの土地に愛着を持っていて離れようとしない連中の為に営業を続けているとか。
経営している人たちはスパロボオリキャラ的なスペックを兼ね備えており、なんというか、そう、服装も髪型も独特過ぎて逆に引くレベルだ。
しかし、主人公適正があるのかどうなのか、料理全般を担当しているおかみさんも美人ならウェイトレス(本人に言うと照れる。響きが何となくこの小さな食堂で使うには不釣り合いな気がするのだとか)をしている一人娘もやたら美人。

髪が緑だったり青かったりするもご愛敬、思わず基地襲撃があったら適当な機体を複製して乗り込める形で近所に放置しておきたくなるような女主人公向けの親子だ。
娘ならよくある巻き込まれ主人公女バージョンが、母親が乗りこめば美人未亡人主人公という新ジャンルを立ち上げる事が出来て商業的に凄く美味しい。
現在のスパロボ関連の商法を考えれば路線としてはあながち間違いでは無いだろう。

ナデシコがヨコハマ基地にやってきてから何回かこの店で昼食を取っているが、ここの食堂の娘さん(他の客の話を聞くに評判の看板娘らしい)が唐突に会話に加わってきたり、客がはけてくると一緒にご飯を食べていいですかと聞きながら返事を待たずに同席してくるのだ。
まぁ、幾らなんでも認識阻害の魔法をガンガンにきかせているから内容は理解できないので話に加わろうとはしない筈だが油断は禁物。
ここはスパロボの世界、実はサイコドライバーで魔法が利きませんでしたなんて超展開、十分にあり得る。

「んで、どこから行く? 二人で入るのが不自然でなくて、人目が無くてっていうと、ラブホ?」

「兄妹でラブホは怪しまれるとかそういうレベルを超越してるから。隠しカメラも怖いし、適当な公衆便所とかでいいんじゃないか?」

「だねぇ。じゃ、店員さーん、おかんじょー!」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

元の世界には数多くのナデシコSSが存在するが、公衆トイレの中から過去にボソンジャンプする話はなかなか存在しないだろう。
公衆便所からボソンジャンプでオルファン対策会議が行われた日に跳んだ。場所はどことも知れない山奥、少なくともスパロボJの中では登場しない。
元の世界では少し行ったところにピクニックに最適な広場がある為に道路も通ってきちんと舗装されているが、ここでは色々と辿った歴史が違うのか道路どころかまともな獣道すら殆ど存在しない。
スパロボ世界の日本にありがちな不思議エネルギーによって、開発出来ないような奇怪な山になっている可能性も無いではないが、少なくとも俺と美鳥のセンサー類ではそういったものは検出されていない。

「ふう、ん? ここを集合場所にするなんて、お兄さんも中々、なんていうんだろ、ねぇ?」

生い茂る草木を掻き分けながらきょろきょろとあたりを見回し、俺か姉さんか、そのどちらかの記憶から察したかは分からないが美鳥が複雑そうな顔をしている。

「ただの偶然だからそんな顔すんな、いくつかの候補地から偶然ここが選ばれただけだろ」

うちの連中にも軍の連中にも見つからないような場所で、近くに人が済んでおらず、この日付では特に事件も事故も起こっていない場所をいくつかピックアップし、その内のどこかに跳ぶようにイメージを遺跡に伝えただけ。
まあ、俺の内心というか自分でも自覚できないような意識の深いところまで伝わったと考えれば、偶然とは言えないのだろうが……。

草木をかき分け進むと、少しだけ木々が少なく日の光が射す開けた場所に出た。
そこに居たのは――

「遅かったじゃないか……」

「すまん。でも、遅れるのはわかってたんだろ?」

遅れてきた俺に文句を言う『俺』そして、

「こんな山奥にこんな美少女がお兄さんと二人っきりでいったい何を! こ、この泥棒猫……!」

「見事な疑似的嫉妬表現だと感心するがなにもおかしくはないなー」

美鳥がもう一人。さりげなく自画自賛しているけっこう大蒜臭い方が俺の連れてきた美鳥で、さりげなく香水の類で臭いを誤魔化しつつもほんのり大蒜の香りがとれていないのが目の前の俺が連れてきた美鳥だろう。
目の前の俺が分裂した俺では無いことはよく分かる。空気が違うとでも言えばいいのか、多分これがオーガニック的な何かというものだろう。
恐らくは今の俺がアンチボディを取り込んだらこんな感じになるのではないか。

「ナデシコ合流後の俺でいいんだよな?」

「ん、大体あってる」

こういう時未来人は話が早くて助かる。だいぶ投げやりな感じだが、もうプレートの奪取に成功することは知っているので特に不安は無い。

今回こうして時間をさかのぼってまで主人公チームと別行動をとっているのは、リバイバルしていないプレートを手に入れて、産まれたてで力の強いアンチボディを手に入れる為だ。
アンチボディは生き物のようなもので、俺は生きたモノを複製することができない。
万が一複製できたとしても、アンチボディは科学寄りのものでは無いため強化の度合いも低い。
そこで取り込む前に一旦DG細胞に侵させて無理やり科学寄りの存在にしてしまおうというのが今回の狙いで、それをやるにはやはり元からある程度の強さを持ち、なおかつ生まれたてでそういう浸食に対抗しきれない幼い個体であることが重要なのだ。

生まれたてでも強力なアンチボディといえば、エッガ・グランチャーが一番に思いつく、というかそれ以外に該当するアンチボディが存在しない。
エッガの悪の思念に簡単に影響されるほど純真無垢なグランチャーである為に浸食はかなりやり易いはずだ。
が、近くに居るものの影響を受けてリバイバルするのがアンチボディの特性、原作では見事にエッガのグランチャーが生まれたが、リバイバルの瞬間に居あわせるのが俺達だったがためにグランチャーもブレンパワードも生まれない可能性もある。
念のための保険としてオルファンのグランチャーも取り込んでおきたいのだ。
しかし、アンチボディにはバイタルネットに乗って一瞬にしてその場を離脱することが可能だ。こちらも次元連結式のワープやボソンジャンプがあるが、そもそも跳ぶ先が分からないことには追尾のしようもない。

目の前にいる未来の俺は、それを防ぐ為に助太刀にきたのだろう。
DGグランチャーかDGブレンパワードかは知らないが、アンチボディの持つ力を増幅して使えるようになれば、バイタルネットの結界を張ることができる。
ネリー・キムが山小屋周りの土地に張っていたモノの強化版のようなものでプレートの回収部隊のグランチャーを閉じ込めるのだ。

「さ、機体出して準備しな」

さっきからやたらと言い方が端的で簡潔なのは、下手な事を言ってタイムパラドックスを起こさないためだろう。
あまり知られてはいないが、ボソンジャンプによるタイムトラベルはかなりの危険を伴うらしい。
ナデシコのゲームで、過去に戻る実験をしたジャンパーがタイムパラドックスによって閉じた時間の中に閉じ込められて、歴史から消滅したことがあるとかないとか。

「え? あたしがあたしに乗るの?」

「いいからいいから」

向こうでは未来美鳥が現在美鳥を唆しているがあれはいいんだろうか。
視線を未来の俺に向けると、肩を竦めてやれやれと首を横に振った。

「俺が今のお前の位置に居た時も同じ展開だったよ。何を考えているのやら……」

つまり流れ通りだからパラドックスの心配は無い、ということか?
まぁ、俺もあまり頭が良い方ではないから見落としはあるかもだが、未来俺が何事も無く過ごしているということは少なくとも大きな問題にはならなかったのだろう。
まぁそれは考えてもあまり意味がないので置いておくとして、

「そのグラサン、似合ってねぇな」

目の前にいる未来の俺は何故か、レンズの丸い、怪しげな中国人商人辺りが付けていそうなサングラスを掛けている。
目元が吊りあがり気味でやや人相が悪く見える時がある俺の顔だが、逆に目元を隠すとやたらと胡散臭い顔つきに見える。
高校時代のクラスメイトが言うには、目元がきつい感じに見えるせいで普段は目元以外のパーツが優しげな作りに見えるだけで、実際は目元以外のパーツはかなり胡散臭い詐欺師みたいな感じなのだとか。

「知ってる。けどまぁ、なんだ、お土産ってのは微妙なものでもとりあえずは喜んで使ってみせるのが礼儀だろ? これなら見分けも付き易いしな」

口端を吊り上げ、肩をすくめて皮肉っぽく笑う未来俺。けっしてニヒルなキャラ気どりではない筈なのに、何時も通りのアクションが一々胡散臭く見えてしまう。
しかし、グラサンしたくないけどしなきゃいけないような空気になるイベントがこれからすぐ発生するってことか……。

微妙に憂鬱な気分になりながら手を空中に掲げる。
機体は既に完成している。強化次元連結システムのちょっとした応用により、他の連中では干渉できない異次元に格納してあるのだ。あとは召喚の為の合言葉とキーアクションを行うだけ。
目の前のグラサン俺もグラサンを外しポケットにしまい、懐からテッククリスタルを取り出し、天に向けて突き上げた。
二人同時に、叫ぶ。

「出ろおおぉぉぉぉぉぉっ! シャイニング、バーザァァァァァァッム!」
「テックセッターッ!」



続く
―――――――――――――――――――

短い上に話がまったく進んでいない、サポAIがエロ夢想をしたり主人公がサイサイシー相手に片手間に修行したりトイレからホイホイ過去にボソンジャンプしたりの十四話をお届けしました。ぶっちゃけ繋ぎ回というやつです。
しかも前の話の主人公が伊佐美勇相手に話してるあたりの時間まで逆行する始末。
でも次か次の次の話辺りで盛大にキングクリムゾンする予定ですので、それまでは分かりにくい時系列でお送りします。

あ、冒頭のサポAIのエロ思考ですが、前回のバージンアップ以来エロいことはしていません。
ただ単にその時の情景を欠片も余さず思い出すことが可能なだけです。思いだして何をするかなんてそんなことを考えるくらいなら、XXXにならない程度のいやらしいシーンを書くべきだと思います。

今回は戦闘シーン直前で一旦カット。種キャラ三人とサイサイシーしか原作キャラのセリフがありませんでしたね、とか言おうと思ってたけど、それって何時ものことなんですよね。
そんな原作キャラの出番が少ないこの作品ですが、これからもご愛読いただければ幸いです。

なんだか久しぶりのセルフ突っ込みタイム。シンプル版。
・アストレイ連中の扱いについて。
滅亡したり放置だったりとあれな扱いですが、主人公達がJ主人公チームから脱退した後の展開次第では登場の可能性があったりします。
因みにデルタアストレイチームは当然のように火星地下に潜伏していたりします。我慢ならん!
・主人公がサイサイシーに兄貴呼ばわりな件。
シャッフル同盟合流後に最初に組手をした時に叩きのめして以来そんな感じという、以後使われそうにない裏設定。流派東方不敗補正的なもので弟分生成フラグ。
サイサイシーがサポAIの事を若干意識していたりという無駄設定も。
・食堂の美人親子とか。
J次回作主人公とかそんな妄想。セリフすらないモブだが母親は若い頃は軍人で、娘はバイトの為にIFSのナノマシンを注射済みとかそんなどうでもいい設定がある。
親子共に宇宙人の襲撃とかあると運命的に近くに軍の試作機が落ちてきたりする体質。


次回予告に変わりオリキャラ辞典的な。脇役からー。

【烏頭】
第一話と第二話に登場。主人公の初陣の相手。
天狗系妖怪のお偉いさんの二代目。才能はそれなりにあるが先代と比べられて微妙な評価しか貰えない。こっそり苦悩する若僧。
魔法、符術などの扱いが苦手だが、見よう見まねと巨腕悪魔の指導で神鳴流もどきを習得できる程度には戦闘適正がある。
普段は人間に化け、動き易い洋服で過ごしている。
人間形体の時に、神鳴流の道場近くで虐められている烏族と人間のハーフでアルビノの女の子を何度か助けたことがある。
そこから交友を重ねて仲良くなり、ハーフの子から兄のように慕われるとともに妹の様に可愛がっている。
おっきくなったらお嫁さんになったげるな!みたいな死亡フラグを建立されていた。
仕事は割り切って行うタイプ。

【巨腕悪魔】
第一話と第二話に登場。主人公の初陣の相手。
海外出身のかなり偉い悪魔の貴族。息子に家督を譲ってご隠居生活。ロートル。
日本で余生をゆっくり過ごしていたが、天狗のお偉いさんに頼まれて烏頭の家庭教師的な事をしていた。
実はかなり強いが、若いころの無理が祟って一部魔法が使えなくなっている。
現在でも気まぐれに召喚に応じたりしているが、ヘルマンがまだオムツを穿いていた頃が最盛期だった。
老いて力は衰えているが、それでも一般的な魔法使いでは太刀打ちできない程度には強い。若い悪魔にはそれなりに慕われている。
仕事は楽しむタイプ。

両者とも少しだけ再登場の可能性がある。


次回はそれなりに早めに投稿できたらいいなぁという熱い思いをこの胸に秘めています。まぁ最終的にいつも通りの更新速度だと思いますが。
それでは、諸々の誤字脱字の指摘、この文分かりづらいからこうしたらいいよ、一行は何文字くらいで改行したほうがいいよなどといったアドバイス全般や、作品を読んでみての感想、心からお待ちしております。



[14434] 第十五話「C武器とマップ兵器」
Name: ここち◆92520f4f ID:716f428a
Date: 2010/04/16 06:28
高らかに鳴り響く指パッチンの音と共に、現在お兄さんの背後に突如として現れる全高20メートル程の鉄巨人。
マジンカイザーをベースにしながら内臓武器を全てオミット、格闘戦主体のMFを参考に機体の剛性や柔軟性の強化に力を注ぎ、装甲材も超合金ニューZαの強化版に差し替え済み。
主動力は次元連結システムを搭載したお兄さん。強化済みの光子力反応炉とオルゴンエクストラクターを予備動力として搭載。
頭部から胸部にコックピットを移動したことにより空いた頭部に、ジンのヘッドパーツのジャンクをデザインベースにバーザム顔に差し替え。
機体表面の意匠はMSやMFを参考にカモフラージュ。
MMI(マン・マシン・インターフェイス)には東方不敗式モビルトレースシステムを採用。
そして、バックパックにはちゃっかりプレート回収用のCDラックのようなものと、さり気無く挟まれているビームサーベルの柄のようなものが二本。

これが、これが、これが、お兄さんが数分でササッと考えて作ったスーパー系格闘厨機体『シャイニングバーザム』だ!
……なんでバーザムなのかはこの際脇に置いておくことにして。

「ふぁ、決めポーズかっこいいタルー……」

『あれ、後で思い出して恥ずかしさに悶えるからちゃんとフォローしなよ?』

頭の中に響く未来あたしの声。
ここはグランチャーとブレンパワードの相の子のような機体(以下暫定的にブレンチャー)に変形した未来あたしのコックピットの中。
あたしは両掌をコックピットの両脇に貼り付けてお兄さんの機体を見ている。
そのまま未来あたしがパイロット無しで動いても十分いけるのだけど、やはりパイロットが居てそこから力を吸い取って動いた方が効率もいいし、なにより気合いが入るのだとか。

『じゃ、俺はバイタルネットの結界担当で決まりとして、あとの手筈はそっちで決めてくれ』

シャイニングバーザムの召喚に隠れてこっそりテックセット完了した未来お兄さんがいつの間にか未来あたしの肩の上に乗り、魔法による念話で話しかけてきた。
どうやら必要以上に目立つつもりは無いようで、テックセットした後の姿はいつか見たブラスレイターもどきとほとんど同じ形をしている。
戦いからなにから現在のあたし達(ブレンチャーになった未来のあたしは現在のあたしが操縦しているのでノーカウント)に任せきりにするつもりなのか、テックランサーどころかボルテッカの発射孔すら見えない。

『ま、未来から来たあたしらがあーだこうだ言いだすとややこしくなるからねー』

ブレンチャーになった未来のあたしがそれに補足し、お兄さんの返答を待つ。なるほど、次あたしが未来あたしとしてこの時間に来た時もこう言って適当にやっておけばいい訳だ。
腕組みしたシャイニングバーザムに乗ったお兄さんはしばし沈黙してから、これからの予定を大まかに話し始めた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

異様に色が薄い光景を見ながら、あたしはブレンチャーの中でごろりと寝そべった。
ブレンチャーの隣には現在お兄さんのS・バーザム、少し後ろにテッカマン形体に変身した未来お兄さん。
宙に浮かぶあたし達に誰一人として気付くこと無く、眼下ではオルファンのグランチャー部隊がプレートの回収作業を行っている。

「いや、こんな真似が本当に出来るもんなんだね」

あたし達は今、次元連結システムの異次元からエネルギーを引っ張ってくる機能とワープ機能の拡大解釈で、少しだけ位相をずらした次元に存在している。
双方ともに触れることはできず相手からはこちらの姿も見えないのに、こちらからは相手が何をしているのか丸分かりというご都合な機能。
ちょっとこれはオリジナルの次元連結システムでも再現できないものだろう。

『これも強化型次元連結システムのちょっとした応用だ』

『はいはいめいおーめいおー』

お気楽な会話をしている現在お兄さんと未来のあたし。
未来お兄さんはバイタルグロウブの循環を弄って結界を作ってからはずっとどこかを見ながらぼうっとしている。
何を考えているのかは分からないが、未来のお兄さんの悩み解決のお手伝いをするのは未来のあたしの役目、今は気にする必要も無い。

暫く眺めていたけど、そろそろグランチャー部隊がプレートの回収を終えそうだ。

『そろそろだな、出るぞ』

『ん』

あたしが短く返事と共に起き上がると同時に、現在お兄さんは位相のずれた空間を元に戻した。
突如上空に現れたあたし達に戸惑うグランチャー部隊の面々。
でも、ジョナサンの指示に忠実に従い、こちらに攻撃するでもなくバイタルグロウブの流れに乗ろうとし、初めて異変に気付く。
バイタルジャンプで一瞬消え、しかし元の場所に現れる。
自分が何か失敗したと思ったのか、グランチャー部隊の内の何体かは繰り返しバイタルジャンプを試みている。

自分たちが一番うまく使えているものを把握しきれず、相手がそれを掌握しているなんて夢にも思わない。想像力の欠如、頭を切り取った蛙みたいだ。
未来のお兄さんが片手間に作ったバイタルグロウブのループにこんなあっさり引っ掛かって、笑える奴ら。

と、笑っていたら黄土色のグランチャーがこちらに近づいてくる。マザコンジョンのおでましだ。せいぜい派手に迎えてやろうじゃないか。
あ、でもこのブレンチャー、ブレンバーもソードエクステンションも無い。どうやって戦えばいいんだ?

『じゃ、あたしには今からちょっとチャクラ光の出し方とかフィンの使い方とかレクチャーするよー。それまではお兄さんに頑張ってもらうってことでー』

「それじゃ遅いって、大体──」

『そぉらそらそらそらそらそらぁぁぁぁぁっ!』

他の呆けていたグランチャーの目の前に転位したS・バーザムが布、いや、ビームで出来たマフラーを振るい、マザコンの引きつれていた五体のグランチャーのボディをズタズタに引き裂いている。
かなり狙いを甘くしたのか、五体全てのグランチャーが無事。
遊んでいる、というよりは、機体に乗ってサイズ差のある敵相手にどれほど流派東方不敗の技が使えるかの実験なんだと思う。
が、それでもサイズ差やパワーの差は大きい。このままでは──

「あたしがジョナサン潰すまでに他のグランチャー全部食われちゃうってば」

いや、プレートの回収が最優先目標なのは覚えてるよ? でもあたしにもそれなりの矜持ってものがある。
せっかくの人型ロボット(正確にはロボットじゃないけど)での初陣なのに、相手がジョン坊やだけなんてショボ過ぎる。
折角フィンなんてかっこいいコンボ武器があるのに敵が一体だけだなんてあんまりだ。

『我儘言わない言わない。さ、取り敢えずは目の前のグランチャーで遊んでみよー。なぁに、このブレンチャーはただ戦うだけでも楽しいからさ。あたしが言うんだから間違いない』

そりゃ経験済みの未来あたしからしてみればそうなんだろうけど、まだ経験してないあたしは納得できないんだって。
あああもう、こうなったら目の前のマザコンで徹底的に遊びつくしてやる!
この逃げられない状況で、圧倒的な力の差を見せつけて、心が折れてもあたしが満足するまで絶対に終わらせてやらない。
あたしを包む未来あたしのブレンチャーの身体越しに、周囲の大気の流れを操る。
暴風を、軽い機体であればまともに立っていることすらできないような風を起こす。黒々とした雨雲が湧き出し、絶え間なく稲光が走る。
海底深くまで潜れるアンチボディだけど、これだけ荒れた天気で小揺るぎもしないってのは有り得ない。目の前のジョナサン・グランチャーは姿勢の制御に必死だ。
ジョン坊、この戦闘のオチは死や撤退じゃあありえないぞ? そう──

「絶望が、お前のゴールだ!」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

首元から引き抜いて使うタイプのマフラー型ビーム布、バーザムクロスを振るう。
それにしても脆い。軽くかすめただけで肘から先が千切れた個体まで居る始末。いったいどういうことなの……?
暗躍──プレート回収にかこつけてモビルトレース式の機体で流派東方不敗の技のとりあえずのまとめをしようと目論んでいたのだが、これでは奥義を出すまでも無く通常攻撃の一撃でも直撃すれば一発でバラバラだろう。
しかも、それと並行して予備として生きたままのグランチャーを捕獲するなり取り込むなりしなければいけないのだ。
最初はクロス振って牽制、サーベルで切りつけて、って流れを作る予定だったのに、脆過ぎたからサーベルはバックパックに戻してしまった。

「あぁ、もう。なんでもかんでも同時にはこなせないってことだな」

俺にプレートを奪われたグランチャーがこちらに攻撃を仕掛けてきた。逃げることはできないし、プレートを奪われたままではおめおめと帰れないという意地もあるのだろう
俺の動きをトレースするS・バーザムは、そんなソードエクステンションで斬りかかって来たグランチャーを掌で軽く撫でるようにいなす。
目いっぱい、子供を撫でるが如き絶妙な力加減だった。むしろ姉さんの肌を愛でるフェザータッチレベルの優しい撫で方。
しかしそれでもこちらの装甲が堅過ぎたのかパワーがあり過ぎたのか、装甲のような表面組織が大きく削れている。

プレートの回収と予備のグランチャーの捕獲を万全なものとする為には、やはり敵を圧倒できる強い機体でなくてはならない。
しかし、その圧倒的な機体性能が手加減すらも難しいレベルに達しているのだ。
これではロボット戦での流派東方不敗の試しなんてまともに行えない。今回は奥義系の確認は諦めるのが賢明か。
元をただせば格闘家の体捌きというものを手に入れるためだったのだから、基本的な立ち回りだけ確認できれば問題ない。そう決めた。

バーザムクロスを首のビーム発信装置に戻し、プレートが一枚だけ納められたバックパックに両手を伸ばす。
サーベルの柄部分を取り出し構え、二刀流。
こちらのパワーを見て近距離戦を避けたか、五体のグランチャーが遠巻きにしながらチャクラ光をソードエクステンションから放ってきた。
避けない、当たってもダメージは欠片も無い筈だが、被弾を分かりやすくする為にダメージフィードバックは過剰に効かせている。
斬り払いでどれだけ撃ち落とせるかのチェックなので撃ち漏らした個所を身体で覚えて反省しなければ意味がない。

手に握った柄にエネルギーを送り込む。薄暗く暗くぼんやりした刀身が二本のサーベルの柄からそれぞれ伸びる。
二刀を構え、身を捻り、勢いよく振り抜き身を回し、ゴッドスラッシュタイフーン。
正直これが流派東方不敗の技なのかと言われると少し疑問が残るが、マスターガンダムの動作ログにも残っていたし、ドモンも組手で使ってきたことがあるので手の内の一つではあるのだろう。
そもそもマスターガンダムにもクーロンガンダムにもサーベルは搭載されていないから、マスタークロスか何かでやるのが正しいのかもしれない。
結構回転系の技多いんだよなぁ、ドモンと超級覇王電影弾の撃ちあいになっても最終的にはあの竜巻もどきが発生するし。

剣閃の結界とでもいうものに阻まれ殆どのチャクラ光が叩き落とされ、というか、あらぬ方向に向かって飛んで行く。
チャクラ光は狙ったモノでなくとも何かに接触すれば爆発する。しかし、それでは何故俺はそれを切り払うどころか打ち返せたのか。種は当然武器にある。
そもこのサーベル、熱で切っている訳でもなければ物理的に当たり判定があるものでは無い。

ディストーションフィールドの技術を応用して生み出した空間歪曲刀。
空間を歪ませて触れた飛び道具の進行方向を捻じ曲げ、敵に斬りつければ相手の装甲を空間ごと歪ませて体内深くに潜り込む防御力無視の剣。
バリアとして展開できるから刀にしてまで防御に使う必要は無いのだがまぁそこはそれ、無手でもプレートの回収だけなら余裕だし、武装はお遊びのようなものなので実用性なぞ求めては面白くないのだ。

運悪く跳ね返ってきたチャクラ光に当たり、グランチャーが一機体勢を崩し落ちる。
墜落してくるグランチャーの下に駆け寄り、一閃。
まだ落下中、追加でもう一撃、更に追撃、まだいける。ダメ押しとばかりに追撃追撃追撃追撃追撃追撃追撃追撃追撃。

「むむむ」

おかしい、まだ地面に着かない。
目の前には何分割か分からない程細切れに裁断され、強化パーツのオーガニックビットとしてそのまま使えそうなグランチャーの破片が無数に中に浮かんで、いや、よく見るとジワリジワリと地面に向けて落下している。
ふむ、いつの間にか俺の時間だけ加速していたか。
落下しきるまでに何回切りつけることができるか記録に挑戦とか考えたせいで、無意識の内にクロックアップしてしまったらしい。
まったく、無意識レベルで勝手に加速するのは良し悪しだな。これじゃ流派東方不敗の機体上の動作確認ができないじゃないか。

「クロックオーバー」

タキオン粒子を意識的に操り、俺の加速した時間を標準にまで減速させる。
無数のオーガニックビットと化したグランチャーが地面に落ち、無傷のプレートが一際大きな音を立てて落下、地面に衝突して跳ねた所をすかさずキャッチ。
二枚目のプレートをバックパックに収めながら残りのグランチャーのリアクションを確認、どいつもこいつもうろたえているのが一目でわかる。
チャクラ光を跳ね返され、一機がすれ違い様に訳も分からぬ速度でバラバラにされてしまったのだ、当然のリアクションだろう。

で、被弾箇所は肩に、頭部の角の先端。回転で防ぎ辛い箇所だな。今後の参考になるかどうかは分からないがとりあえず覚えておこう。

天気が荒れている。いや、何時の間にか美鳥が天候を操作したか。爽やかな晴れの日って光景でもないから相応しいと言えば相応しいな。
サーベルをバックパックに戻す。増援とも戦う事になるが、とりあえずはこいつらで確認できる処は確認してしまおう。

最初にプレートを俺に奪われたグランチャーに接近する。ブースター、重力制御などは使用しない純粋な肉体操作による高速移動。
こちらの接近に気付いた。最初にプレートをあっさり奪われた割には、いや奪われたからこそ警戒を深めていたか。ソードエクステンションを構え、こちらの動きに対応しようとしている。
こうして20メートル級の機体で10メートル級の機体を相手にして初めて実感が沸くが、小さな相手は狙い辛い。
というか、同じサイズの敵と戦う事を考えている格闘技では中々対処に困る。
結局こういう相手だといつもと同じ、とりあえず接近して斬りつけるとか、遠距離から狙い打つとかそんなシンプルな戦い方に行きついてしまいそうだ。

宙に浮かぶグランチャーに、何時もドモンや他のシャッフル同盟の連中とやり合う時と同じような感覚で軽く拳を振るう。
チャクラシールドを突き破りグランチャーのどてっぱらに、いや、ソードエクステンションをとっさに盾にしたか。ダメージフィードバックで棒切れの圧し折れるような感触が拳に返ってきた。
拳に打たれる瞬間、ソードエクステンションを盾にすると同時に後ろに飛んだのだろう。だが甘い。後ろ向きに吹き飛ぶグランチャーを追いかけ、追い越す。
振り向き様に肘を叩きこむ。頸椎の辺りを狙おうと思って放ったが、そのまま頭部、アンチボディのオーガニックエンジンを粉砕してしまった。頭部の大きさの目測を誤ったか。
誤りついでにもう一撃、グランチャーの股間に蹴りを入れ、残った胴体を真っ二つに。
敵戦闘員側の目撃者は少なければ少ないほどいい。これで残り三枚と三体。

殴る蹴る歩く走る跳ぶといった簡単なところは確認できた。東方不敗式モビルトレースシステムの調子も上々だ。
欲を言えば同じサイズの機体や自分よりも大きな機体相手にも戦ってみたかったが、それは後々で充分だろう。
あっという間に味方を二体潰されて呆然としている残り三体に挑発的に手まねき。
この三体の中で最後に生き残ったモノか、あるいはこっちに近づいてきているグランチャー部隊の増援の中から予備の生贄を捕まえて終了かな。
残りは美鳥のストレス解消のサンドバッグにでもなればいいや。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「ふむ」

こうして改めて違う視点から見ると、自分の動きがどういうものか分かりやすくて中々勉強になる。
過去に戻ってやり直し、しかも同じ場面をもう二回見てるから結界張ったら適当に流せばいいやと思っていたが、中々実りのあるやり直しになるものだな。
反省すべき点も少なからずあるが、それを差し引いても格闘系の動作はかなりのものと言っていいだろう。
うん、文字通りの自画自賛。しかしまぁ今の、じゃない、あの時点の俺でもグランチャー十ダース位なら軽く一ターンで全滅させることもできるだろうし、これぐらいの評価はしてもいいと思う。

W美鳥のブレンチャーも中々いい感じだ。なんというか、乗ってるのも乗られているのも美鳥だからか機体と乗り手の間に一切の齟齬が無い。
中の美鳥は文字通り自分の身体で直接戦っているような感覚を味わっているだろう。
そんな絶好調の美鳥に思う存分遊ばれて、ジョナサン・グランチャーは満身創痍というか、スクラップ同然のダルマ状態で何度も何度も宙を撥ね飛ばされ続けている。
あの状態でもジョナサン・グランチャーがまだ生きているのは、ブレンチャーに変身している方の美鳥が、アンチボディがどれくらいで壊れるかをという知識を有し的確に手加減しているからだろう。

あっちは何だかんだで楽しそうでいい感じだ。それに比べると、俺の相手は――

『くっ! この、このぉ! ちょこまかと避けるな!』

「はぁ……」

新兵か雑兵みたいな、癇癪を起した子供みたいな声を上げながら空振りを繰り返す赤いグランチャーとその取り巻きの白いグランチャーども。
面倒臭いだけというか、実質ただの作業になりかけているというか。
アンチボディを取り込んだせいでアンチボディ同士の回線のようなものが開いているのか、さっきからクインシー・イッサーの叫び声が耳に響く。
まぁそれでも何のBGMも無い状態でただ見学しているのも暇だし、一方的に遮断するつもりは今のところ無い。
結構いい声だし、本人もカルト宗教にハマっているような感じではあるが可愛い女の子だしな。せめて音量をどうにかして欲しくはあるが、濁声で叫ばれるよりはよほど耳に優しい。
しかし、相手方、しかも女性に一方的に喋らせる、というのも紳士的でない、かな?

「ひとつ、アドバイスというかなんというか」

通信のようなもので繋がっているとはいえ、これで相手の方にこちらの声が届いているかは分からないんだよなぁ。

『な、なんだこれは……、何者だ! どこから話している!』

おお、繋がった繋がった。繋がり過ぎて脳直で声が届いてる風だけど、意志の疎通に問題は無いので気にしない。

「さっきからずうっと空振りばっかりな理由を教えておこうかなと。攻撃は続けてもらって構わないので」

『やめ、やめろぉっ! あたしの中に入ってくるなぁ!』

なにやら錯乱しているご様子。でもま、最初からまともな精神状態とは言い難かったし、いいか。

「実のところ、俺はさっきから回避行動を一切取っていないんです。何故だかわかりますか? 分かりませんよね? ああいいんですよ、分からないのは仕方がない。無知は決して罪ではないのですから恥じることはありません」

我ながらよく滑る口だなぁ。クインシーも取り巻きも脳直で聞こえてくる俺の解説に混乱しているようなので続けさせて貰う。
調子にのって上から目線で話し始めると何故か丁寧語になってしまうのも気にしない。どうせこういうシチュエーションはそんなに無いだろうしな。

「オーガニック・エナジー、という名前でしたっけ。アンチボディを動かしたり、生き物の大半に備わっているものという触れ込みのエネルギー。俺はその流れを見て、その流れの中で一番穏やかな場所に漂っているような感じだと考えて下さい」

こちらの解説を聞いているのか聞いていないのか、がむしゃらにソードエクステンションを振り回し斬りかかってきたり、十数体に及ぶグランチャーで取り囲みチャクラ光を一斉に放ってきている。
が、その尽くが俺をすり抜けるように逸れて、いや、最初から俺を狙っていないのではないかと思えるほど見事に外れて行く。
俺はさっきクインシーに一方的に説明した通り、回避する為の動きもしていなければ、特殊な防御装置を使ってもいない。
ただオーガニック・エナジーの流れを見極めているだけに過ぎないのだ。

「激流に逆らえば飲み込まれる。むしろ激流に身を任せ同化する。激流を制するは清水、激流では勝てないってことなんですが、ご理解いただけます?」

つまり俺は、もうお前の死兆星見えてるから、といった旨を彼女に伝えたいのだ。
因みに北斗七星脇の死兆星は実際にアルコルという名前で存在しているが、これはただ単に目が良ければ見えてしまうものなので見えたからと言って怯える必要はない。

『う、あ、あああああああああ、やだ、やだぁ! たす、助けて、ゆうぅぅ!』

大分錯乱してる、いや、錯乱というかこれ本当に大丈夫なんだろうか。
さっきから美鳥のばら撒いてるチャクラ光も何度か当たっているし、そのまま墜ちてくれれば簡単なんだが。
とりあえず生きてさえいればオルファン説得イベントもどうにかなる、しかしこの後で伊佐美勇が何らかのフォローを入れたらいい感じに姉弟仲が回復すると思うのだがどうだろう。
と、そんな事を考えながらぷかぷか浮かんでいると、過去俺から念話が繋がってきた。

『プレート回収完了。そろそろ適当に決めてくれ』

適当に、か。なんとも敵をなめ切ったセリフだが、俺も全く同じセリフを吐いたのでどうこう言えた義理は無いか。

『あたし、お兄さんのちょっといいとこみてみたいなー』

美鳥(たぶん俺が連れてきた方)からリクエストが入った。
いいところが見てみたい、などと言われたら派手なのを決めざるを得ないな。
敵の並びは――、ここからだと見栄えが微妙か。少し陸側に移動しよう。いつの間にか現れていたギャラリーとグランチャー部隊の間辺りに転位する。

身体の構成は適当だからボルテッカの射出孔すら無い。が、そこら辺はいくらでも外付けで対応できる。
例えばダガーはボルテッカが撃てない代わりにコスモボウガンを持っていたが、あれの弾丸は体内に蓄積されたフェルミオン粒子。
ブレードを追う為に戦闘用テッカマンへのフォーマット途中で排出されたから不完全なのだと言われているが、ラダムを取り込んだ俺はダガーがきっちりと完成した場合どのようなものになるか知っている。
テッカマンデッド。黒歴史との呼び声高いテッカマンブレードⅡのラスボス格であるこいつも、コスモボウガンに酷似した武装を使いボルテッカを放っている。
ダガーの完成系とはつまりこれ。コスモボウガンはボルテッカ発射孔の出来損ないなのだ。
少なくともこのスパロボJの世界ではそうらしい。ラダムの知識ではそうなっている。

戦闘用フォーマットの設計図を思い描き、体内のフェルミオン粒子を外付けの武器に送り込むラインを形成。
今さらただのボルテッカというのも芸が無いし、一回前の俺に習って一捻り。
グランチャー部隊の適当な一体に拳を向け、ボルテッカの外付け発射装置を生成、組成はコスモボウガンを更にコンパクトに、クリスタルボックスを少し調節したモノを加える。
刃も何も無い、グリップと銃口換わりのクリスタルのパーツのみ。
玩具のような、という形容を使うには些かデザインがシンプル過ぎるテックランサーもどき。
クリスタルフィールドの遠隔操作はぶっつけ本番だが、まぉやってやれない事も無いなだろう。
テックランサーもどきにフェルミオン粒子を送り込み、なんとなく直感でクリスタルフィールドをそれに乗せるイメージを頭に思い描く。
狙いを澄まし、人差し指を引き金を引くように曲げ、

「ばん」

ボルテッカ。いやリアクターボルテッカがグランチャーを一体だけ飲み込むと、反物質粒子フェルミオンがグランチャーの肉体を形成する物質と反応して爆発する。
この爆発のエネルギーをクリスタルフィールドで包んで、フェルミオン粒子を再生成、それに指向性を持たせて再ボルテッカ、と。
一連鎖、二連鎖、三連鎖、以下たくさんー。
集中力も精神力も糞も無いな。機械的に誘導して機械的に収束しているから文字通り手足を動かすが如しってやつだ。
むむ、単調な作業過ぎて余計なこと思いついたぞ。
今ボルテッカに追いかけられてるグランチャーの思考を拾ったらすっごい恐怖リアクションが拾えるんじゃなかろうか。
いかん、いかんなぁ。せめてこういうのは録音機で、いや、脳直だから録音機には残せないか。
もったいない、携帯の着信音に登録したら絶対聞き逃さない絶叫系最高の物になりそうなのに。

まぁいいや、今はさっき聞いた錯乱クインシーの絶叫で我慢しておこう。あれは中々に満足のいく出来の叫び声だった。
いやいやいや我慢とか満足とかそんな、それじゃまるで変態じゃないか。
俺は確かに実姉実妹とリアル近親相姦プレイ済みでなにより実姉を心の底から愛しているし、マンネリ回避という名目で触手プレイに興じることもあるし、姉さんや美鳥からエロゲ世界のエロ魔法を幾つか教えて貰っても居る。
しかし決して、断じて直接顔を合わせた事も無い他人、むしろ他姉に欲情するような変態では――
あ、完璧に思考逸らしたせいで連鎖が切れた。惜しいな、クインシーのグランチャーまで繋げることができれば20連鎖突破したのに。

『助かった、いや、見逃がされた、のか……?』

いえ、ただの連鎖ミスです。
まぁいいや、確か後ろでボウライダーに乗ってるこの時間の俺もクインシーだけ助かる光景を見ていたし、これが歴史の修正力的な何かなんだろう。
気にせずに撤退準備、ブレンチャーの肩の上に移動し、クインシー・グランチャーにジョナサン・グランチャーの残骸が投げつけられる光景を眺める。

『うわぁぁああっ!!』

今見直すとあれ、クインシーはともかく意識を失ってそうなジョナサンは墜落の衝撃で死にそうだな。まぁ生命力にかけては群を抜いてそうだから気にするだけ無駄か。
しかし、あれだな、『姉キャラが死ぬのは多少嫌な気分になるだろうし、グランチャーがバロンズゥに再リバイバルする瞬間を見てみたいというのもある筈だ(キリッ』ってお前っていうか俺、明らかにただの凡ミスですよ?
思い出すのも恥ずかしい、ああもう本当に恥ずかしい。
なにあの推理、何一人で勝手に良い空気吸ってるわけ? 別にクインシー殺してもプレーンなグランチャーをDG細胞でバロンズゥに強制的に進化させるくらい可能ですよー! ばーかばーか! 猫のうんこ踏め!
数日前にお手製TUEEE用巨大ロボでノリノリ決めポーズの次は衝撃の新事実発覚でこんな恥ずかしい気分になるとは。
もういいや、双子のプレートはヒメちゃんが回収したみたいだし、ささっと元の時間に帰って寝よう。それがきっと一番だ。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

そんなこんなでまた人気のない山の中。俺達の前には回収した四枚のプレート(一枚は双子が生まれる直前だったのでヒメちゃんに渡した)と、股間のコックピットを潰され、それ以外の部位も半ば以上DG細胞に侵されたごくごくプレーンなグランチャー。
グランチャーは先に動きのいいのを見つけコックピットを潰し、ラースエイレムで時間を止めてこの山の中に転位させておいたモノ。
DG細胞も数分前に投与したばかりだが、もう間もなく完全にDG細胞の虜となる頃合いだろう。

テッカマンもどきに変身していた未来の俺は、この山に戻ると同時に未来の美鳥と共にそそくさと元居た時間に戻っていった。
ここからの作業工程に未来を知っている自分たちが居るといろいろややこしくなる、ドラえもんの漫画家先生の話みたいな事態になるのは極力避けるのが賢明だろうとの事だ。
まぁ、実際問題どうして急いで帰って行ったかなんて、俺がもう一度この日付にジャンプしてテッカマンもどき役をやる時に分かるから気にしなくてもいいだろう。

「このグランチャーは俺が取り込むとして、問題はこっちだな」

四枚のプレートを前に、切り株に座り込む。港町からこの山に転位して十数分経過したが目の前のプレートは未だリバイバルの兆しすら見せない。

「エッガの増援タイミングから考えたら、もうとっくにリバイバルしててもおかしくは無いんだけどね」

スパロボJの作中では、プレートの回収から数分と経たずにリバイバル、エッガをパートナーに選んで即座に戦場にやってこれる程だった筈。
プレートの段階で取り込んで、うっかり孵化しかけの鶏の卵を茹でた料理みたいになったら目も当てられない。貴重なプレートをグロ画像の材料にするつもりは毛頭無いのだ。
プレートはリバイバルせずに硬化して石のような物になることもあるが、このプレートからは僅かに生命の鼓動のようなものを感じる。
具体的にはグランチャーやブレンパワードと同じくオーガニック・エナジーの反応があるのだ。まだ孵化しないと決まった訳では無いだろう。
やはり、何かしらの刺激を与えなければどうにもならないのか?

「こういう時、ゲッター線とかそれ系のエネルギーが使えれば便利なんだが……」

ゲッター線の意思に取り込まれる危険を考えるとメリットばかりとも言えないが、とりあえず未知の刺激と言えばゲッター線。
無限力のようなものは次元連結システムでどうとでもなるが、よその世界からピンポイントで制御が可能なレベルのゲッター線を拾える確率はかなり低い。

「無い物ねだりしても仕方ないって。取り敢えずは今あるネタでどうにか、ね?」

切り株に座る俺の太ももに頭を乗せ、ぐでっとプレートを眺めていた美鳥が起きあがり、次元連結システムでどこかの世界に干渉しながら言う。

この世界で手に入れたエネルギーを使うのは芸が無いので、次元連結システムで他所の世界からゲッター線を避けて適当なエネルギーを引き出すのだろう。
今あるネタって言っても、この世界じゃ精々超電磁エネルギーとかオルゴンとかそんな程度のものしか無いしな。
ノヴィス・ノアから取り込んだ人工オーガニックエンジンを使うとか、グランチャーが完全にDG細胞に侵されるのを待ってから手を出すとか、そんな空気の読めないことは俺も美鳥も言わない。

「じゃ、とりあえずビムラーと負の無限力から試し──あ」

美鳥がその手に二種類の怪しげなエネルギーを呼び出した瞬間、四枚のプレートが一斉に光を放ちながらリバイバルを始めた。
身の危険を察知してのリバイバルか。これならプレートにDG細胞を近づけるとかでもよかったのかもしれない。
さて、双子ほど時間がかからないにしてもこのままぼうっとリバイバルの光景を眺めているというのも間抜けな話だろう。

「美鳥、そろそろDG細胞の侵食が終わる頃だろうし、こっちは任せていいな?」

異次元(たぶん他のスパロボ世界)から取り出したエネルギーを納得いかなそうな顔で元の次元に戻している美鳥に声をかける。
そろそろ世にも珍しいDGグランチャーが出来上がる。俺はこれを取り込んで、更に最適化の為に少しの間休眠状態に入る。
リバイバル直後の生まれたてのアンチボディが逃げ出さないように見張りを付ける必要があるのだ。寝ている間に逃げられました、じゃあ話にならない。

「あ、うん。……あのさ、このプレートからリバイバルしたアンチボディ、あたしが取り込んでいいかな。もちろん逃げられないように縛り付けてからDG細胞で機械化するし、後でお兄さんに譲渡するから」

なんとなく提案してみた風を装ってはいるが、リバイバルの光を眺める美鳥の表情は何時になく真剣だ。
前々から積極的にノヴィス・ノア所属のブレンパワードにちょっかいを出したりしていたようだし、何か思うところがあるのかもしれない。
どうせこれから一足先にDGグランチャーを取り込んでオーガニック的な要素は手に入る訳だし、見張りを任せるのだからそれぐらいの事は許しても構わないだろう。

「ふむ、容量は?」

「十分足りてると思う」

思う、か。こういう、生き物か生き物で無いかが微妙なモノを取り込むのは今回が初めてだから予測がつき難いのだろう。
まぁいざとなればその場で俺が美鳥から取り込んだアンチボディの要素を吸いだせば解決する。

「分かった。なんか問題起きたら言えよ」

「ん、わかった……」

真剣な表情でリバイバルの光を見つめ続ける美鳥に後を任せ、俺は九割九分DG細胞に侵されたグランチャーに触手を伸ばした。

―――――――――――――――――――

DGグランチャーを取り込み最適化の為に眠り始めたお兄さんを膝枕しながら、リバイバルの光に目を向ける。
ふしぎなひかり。これが生き物の、命の輝きってやつなのかな。
最近のあたしはアンチボディ、というか、ブレンパワード関係の連中が言うオーガニック的なものに惹きつけられ過ぎている。
自然界の法則を捻じ曲げて生まれてきたあたしに足りないもの、それをこいつらは補ってくれるのかもしれない。

そんなあたしの思念に反応したのか、プレートが一際眩い光を放ち、遂にリバイバルを終えてアンチボディが姿を現した。
数は四体、グランチャーが二体とブレンパワードが二体で綺麗にバランスが取れている。
しかしどうも普通のアンチボディでは無いようで、どのアンチボディも体色は暗く、しかし目や所々の隙間に光る部分は異常に強い光を発している。形状もバロンズゥやネリーブレンのような雰囲気。

バロンズゥもどきは肩のフィンがゆらゆらと何かを求めるようにあちこちを探る動きを止めず落着きがない。
目や身体のあちこちの光は不安定に明滅を繰り返して、何か不安を訴えているような思念を送ってくる。
ネリーブレンもどきは、頭部の長さ以外は特に何の違いも無い。動きも殆ど無く、隙間に見える光も一定に保たれている。
精神面で自己主張が薄いというか、自己主張が薄いんだよ、という主張を精一杯前面に押し出してきているような。
運がいいのかどうなのか突然変異かもしれない。そばに居たのがまともな生き物で無かったのも原因の一つかも。

いや、それよりなにより、どのアンチボディもあたしやお兄さんを受け入れようとしているのがわかる。これがヒメのやっていた意思疎通なのかな?
これは都合がいい。逃げないならお兄さんを膝枕したままこいつらを取り込むことができる。

「それっ」

手をアンチボディの方に伸ばし、細い触手を撃ち込んだ。先ずはお兄さんに言っておいた通りDG細胞で浸食しよう。
細い触手はアンチボディのビットとビットの間にものすごい勢いで潜り込み、幾度となく体内で分岐して全身に行き渡る。
これで万が一こいつらが心変わりしてももう逃げることは出来ない。じわじわとDG細胞がアンチボディの肉体を侵蝕していく。

でも、これでオーガニック的な何かが、あたしに足りない何かが手に入るんだろうか。
これで出来上がるのはあくまでもオーガニック・エナジーを操る機械のようなものであってアンチボディそのものでは無い気がする。
せめて一体、いや、四体居るんだから二体はそのまま取り込んでも構わないんじゃなかろうか。
侵蝕が遅い方から二体の侵蝕を中断し、そのまま全身に行き渡らせた触手から融合を開始する。
ほとんどありのままのアンチボディ、しかもあたしの影響を受けてリバイバルした変種、何が起こるか分からないけど、やってみる価値はある。

体の中を貫く針や糸のように細い触手からじわじわと自己を侵され取り込まれながら、目の前のアンチボディ達は身じろぎ一つしない。
いや、どこか喜んでいる節すらある気がする。こいつら、なん――っ!

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

息苦しい、息をしていたなら間違いなくそう感じるだろう感触と共に、俺は最適化の為の眠りから目を覚ました。
口が塞がれている。それだけじゃなく、着ている服がじっとりと湿っており、身体の上に丁度人一人分程の何かが圧し掛かっている。
周囲に何らかの自動反撃を試みた後が見られないということは、少なくとも敵性体ではないということだけは確かだろう。
が、俺の口にヌメヌメざらざらした舌のようなものを入れ唾液を吸い上げている何かは一体なんだろうか。アンチボディを取り込んだお陰で野生の獣に懐かれるようにでもなったか。

「はぷ、ん、じゅ、ずず、じゅるぅ、……んっく。ぁは、おにいさんの、美味しぃ……」

……いや分かってる。みなまで言うな。
何が起きているかなんてわざわざ改めて確認するまでも無く、オーガニック的な何かを感じ取る新機能とかそういったモノを使うまでもなく身体で理解している。認めよう。
ただ、なんでそうなったのかとか、どうしてそうしたかという動機が分からない。

状況を整理する為に順を追って思い出そう。俺はリバイバルの始まったプレートを美鳥に任せ、DGグランチャーを取り込んで一足先にオーガニック的なチャクラの流れとか、そういったモノを感じ取れるようになろうと最適化に入った。
ここまでは間違いなく覚えてる。では次、俺が最適化の為に眠りに付いた後。
推測だが、眠りに落ちた俺を美鳥はそのままにせず、どこかに布を敷いて寝かせるか、さもなければ膝枕するとか、そういった行動をとる確率が高い。
これはいつも通り、スキンシップをかなり好む美鳥なら何か敷物になるものを複製するよりも膝枕の方をとる確率が高いのも言わずもがな。

そして最適化を終了し目が覚めた今の状況、美鳥と俺の野生が激突している。
より詳しい描写を行うならば、着衣の乱れた美鳥が俺に覆いかぶさり、こちらのズボンから断空剣を取り出し、そそり立つそれに跨り腰をガクガクと激しくアグレッシブビーストしている。
どうやら目が覚める前に一度ガンドール砲が発射されたらしく、かなり大きな水音が響いている。
諸事情により具体的な名詞は伏せさせて貰ったが大体はこんなものだ。これ以上の具体的な描写は命にかかわる。

「うあ、おに、さ、お、はよぉ」

俺の起床に気付くと顔中の筋肉を弛緩させただらしない笑顔を向けてきた。が、身体というか腰の動きは止まらない。
いや冷静に考えている場合ではない、とりあえず話を聞かなければ。
筋トレになりそうなほどの速度で上下に動いている美鳥の腰を掴み、力尽くで動きを止めさせた。
が、それでどこか壺にハマったのか、背を仰け反らせ白い喉を震わせる。

「あ、ひ、や、やだ、止めちゃ、そんなぐりぃって押しつけたら、なか、潰れちゃうってぇぇぇ♪」

歌うように嬌声を上げ、汗で濡らした身体を俺の身体にぐったりと倒し預ける美鳥。流石にこれで話が聞けるだろう。
そう考えたのも束の間、倒れた状態から顔を近づけ舌で俺の口を舐め回してきた。
かなりエロい、普段ならこの勢いで襲ってしまっても構わないと思えるほどだ。
しかし、臭い。致命的なまでに大蒜臭い。残念なほど大蒜臭い。萎えるほどでは無いが興奮するよりも先に大蒜臭さへの不快感が先立つ。

「おい美鳥、一旦落ち着け。いい加減にしないと怒るぞ」

話が進まないのでドスを聞かせた声で脅しつける。
美鳥の腰を押さえつけていた手を片方放し、バチバチと音を立て、暗い森を昼間の砂漠の様に照らす眩い電撃を掌に生み出す。人間なら一撃で全身余さず炭化しかねない程のエネルギー量。
美鳥が一瞬ビクッ、と身を竦ませて動きを止めた。怖がっているような表情で電撃と俺の顔を交互に見つめ、何故か頬を赤く染める。

「おにいさん、ちょうだい、おしおき。あたし、わるいこだから、わるいこになっちゃったから、いっぱいおしおき、ちょうだぁい……!」

言いながら表情を再びとろけさせ、片手が離れ固定が甘くなった腰を無理矢理グラインドさせ始める。
これは、本気で頭がイカレたか? いや、四体もアンチボディを同時に取り込んだんだ、一時的に混乱しているだけかもしれない。
どうにかこうにか組み伏せて、アンチボディの機体、いや、生体情報を俺の中に移せば元に戻る可能性はある。ここは一つ、立ち位置逆転を狙おう。できればそう、口の臭いを嗅がないで済むような感じの姿勢に。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

意識が朦朧としている。お姉さんの因子に引き摺られて寝坊した時と似たような感覚だけど、身体の方はあたしの制御下から離れ、いつも以上に機敏に動いている。
求めている、父性を、雄を。生き物が生まれながらにして当然持っている本能。その本能に赴くままに同種の異性を求めている。
あたしは生き物でないだけあって元はそういった生臭い感情は薄い筈だったんだけど、取り込んだアンチボディのせいでそういったモノを担当する部分が割り振られてしまったらしい。
そう、朦朧としているのは寝起きが悪くなる因子のせいだけじゃない。
恐らく今身体を操っているのは、あたしのそういった本能の部分。今のあたしはそういったモノから殆ど切り離された状態の理性担当みたいなもの。
切り離された精神の分、思考に力強さが付いてこない。
ん? じゃああたしって本能切り離されたらまともな思考速度も保てない程理性が弱いってこと? ああやめやめ、これは考えるとどつぼにハマりそうだ。

「母を求める子供、みたいな感情を持っているんだっけ?」

グランチャーもブレンパワードも、オルファンやその対となる存在から生み出された子供のようなもの。
だから、母性だの父性だのを強く求める感情があるんだろう。グランチャーのオルファンへの依存もその表れだと聞いている。
多分母親も父親も居ないあたしは、その感情の矛先として無意識の内にお兄さんを選んでいたんだと思う。お姉さんだと相手にされなさそうだしね。
グランチャーの持つオルファンへの依存レベルがお兄さんへの依存、というか、あたしがお兄さんに元から抱いていた感情、つまりその、好意というか、横恋慕というか、そういう感情を増幅させてしまった。

だから、今あたしの身体がお兄さんの上でガクガク腰ふってるのも仕方がないことだと納得して貰えるはず。
本能担当のあたしと完全に切り離された訳じゃないから、身体が得ている感覚を感じることもできるんだけど、今つないだら間違いなく酷い事になる。
お兄さんが相手してくれてる体の方はいいとしても、相手の居ない精神世界的な場所で一人でよがり狂うのはなんとも情けないしね。

取り込んだものから引き継いだ感情やら本能の暴走は、あたしの身体がお兄さんの身体みたいに取り込んだモノを上手く自力で最適化できないからこそ起きた現象だし、どうにかこうにかお兄さんがあたしからアンチボディの要素を吸い上げることができれば終わる。
身体の状況はここからでも分かる、今まさにお兄さんがあたしを組み伏せて、唾液交換という言い訳でデータ回収用のナノマシンを口から送り込み、取り込んで強調され過ぎたアンチボディのデータを集めている。

でも、それが何時頃回収されるかは少し分からなくなっちゃった。
あたしの痴態で興奮してくれたのか、組み伏せたあたしにお兄さんからあれこれし始めた。
頭を地面に押し付けられたままガスガスと後ろから小突かれて、内臓が圧迫されているのが分かる。なかがお兄さんの形に矯正されているのがわかる。

あー、これ、どうせならあたしも表に出てる時にして欲しかったかも。すっごい気持ちよさそうだし、力尽くで征服されてる感じが堪らない、甘えたい。
いやでも、本当はもうチョイ抱きしめて貰いながらとかそういう体位の方が好きかな、キスしながらとかそういうのがベスト。そのうち手柄を立てたらおねだりしてみよう。
それはさておき、あたしの身体の中に入り込んだナノマシンがデータを回収し終えて、お兄さんが満足行くまであたしに溜まっていたものを吐き出し、それからナノマシンを口移しで取り込んで、と考えれば、もしかすれば丸一日こんな状態が続くかも。
仕方ない、お兄さんが興奮してあたしに何をしたかとか何を口走ったかとか覚えておいて、あとでからかう材料にしてしまおう。
最初にこっちが何を仕出かしたかで反撃されそうだけど、そこは自爆覚悟でいくということで。

―――――――――――――――――――

×月○日(またかよ)

『まただよ(笑)とか言われそうだけど、まあつまりあれだ。またやらかしてしまった』

『美鳥がアンチボディの特性というかあり方に強い興味を示していると分かっていながら全部任せて放置した俺も迂闊と言えば迂闊だった』

『せめてDGグランチャーを取り込むのは少し待って、美鳥が安全にアンチボディを取り込むのを確認、何らかの不具合が発生したら即座に対応できるようにしておけば、あんな事にはならなかったろうに』

『いや、そもそも俺が自ら全部のアンチボディを取り込んでおけば何の問題も無かった筈なのだ。これははっきりと俺のミスだろう』

『子供を作る為の機能は無いのでそういった心配は無いのだが、嬉しそうな表情で穏やかに下腹部を撫でる美鳥の姿はかなり心臓に悪い』

『アークエンジェルに戻ってからはいつも通りに振舞おうとしているが、それでも所々で美鳥からのスキンシップが前よりも過剰になっているような気がする』

『ナデシコと合流してからは更にそれが顕著というか、特にメメメの前では露骨にくっついて離れない。オーガニック的な物に触れて独占欲のような感情が生まれたのだろうが、実家に帰る頃までには直さないと姉さんに粛清される可能性が高いのでどうにか頑張って自粛させようと思う』

『不幸中の幸いと言っていいものか、DGグランチャーとDGブレンパワードの複製を作り出すことには成功したし、オーガニック的な何かについても直感的に扱えるようにはなっている』

『近くに居た美鳥や俺の影響で普通のグランチャーやブレンパワード寄りは違う方向に進化したものが出てきたらしいが、DG細胞の自己進化作用でかなり元の形からかけ離れてしまっているのでどういった違いが現れたかは分からない』

『性格面でもかなり両極端な個性を持っていた風であったらしいが、今ではただの操り人形。性能面でも普通のアンチボディと比べれば破格になっているのだから何の文句も無い。外見の問題も複製を作り出す時の細かい調整でどうとでもなる』

『これでどうにかこうにかアンチボディ関連の技術収集は終了。合流したナデシコから相転移砲も取り込み完了。あとは是非とも欲しいのは超電磁ボール生成機能とベルゼルートの後継機だけ』

『今オーブのモルゲンレーテに乗り込んでも後継機は完成していないし、乗り替えイベントまではこのチームに同道させて貰うのが妥当だな』

『そうそう、テロリストとシスコンの話はあっという間に終了した。姉ではない偽姉に利用されている哀れなやつだったのでコックピット直撃の最大火力で一瞬にして葬り去ってあげた。せめて痛みを知らず安らかに死ぬがいい……』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

DOGEZAの姿勢で地面に拳を叩きつけているテニアと、それを見下しクールに鼻で嗤う美鳥。

「やめてよね、あたしが本気になったら、テニアが敵う訳無いないじゃないか」

「ちくしょう、ちくしょう……!」

確かに本気になったら人間とは比べ物にならない思考速度と神経伝達速度を誇る美鳥に、人間が格闘ゲームで敵う訳がない。
しかし、わざわざ食堂でそのやり取りはアウトではあるまいか。
珍しくナデシコの食堂に食事を取りに来ていたキラが胃を抑え苦しげにうつむき、そのキラと腕を組んでいたフレイが気不味そうに明後日の方向を向いている。
この場にサイが居なかったのが不幸中の幸いというものだろう。

「そんな訳で、プリンちゃんは頂いていく。あむ……うめぇ、甘くてうめぇ。人から奪った甘味はうめぇなぁ!ゲハハハハ!」

「この泥棒猫! 人のモノを奪おうだなんて恥ずかしくないの!?」

「プリンちゃんがあたしに食べられたかったんだろぉ? ひひひ、うまうま」

ああ、視界の隅でキラがついにがっくりと膝をついた。フレイも此方にちらちらと疎ましげな視線を向けながらも止める理由が見当たらないのかそそくさと退散していく。
これ、美鳥は間違いなく狙ってやってるんだろうけど、テニアは素でこんな感じのリアクションをとってるんだよなぁ。
これが天性の才能というものか。個性薄いなとか思っていたらこんな輝く才能を持っていたとは、侮れんやつよ。

「あの、どうかしましたか」

テニアと美鳥のやり取りをいつものこととスルーしていた統夜がこちらに話しかけてきた。

「いや、平和だなって思ってなぁ。まだ戦争の真っ最中、しかもここは一番厄介な連中の相手ばかり押し付けられているような部隊だってのに」

「それもそうですね、でも、張りつめっぱなしでいるよりはましですよ」

俺の言葉に苦笑しながら返す統夜。こいつも最初の頃に比べればかなり余裕が出てきた感じだ。
それこそナデシコに初めて乗りこんでいた頃はこういうやり取りを見かけたらなんて気楽なんだとかどうとか愚痴り出していたのに。
それがこんなに早く戦場の流儀的なものを悟るとか、凄い適応力だ。多分これが、

「……騎士の血ってやつか」

いやまぁ、内紛で負けて逃げのびてきた連中だから、騎士っていってもさほど凄い感じはしないけどね。
サイトロンへの適合率が上がって、戦場を体験したことのある父親のメンタリティが移ったとかそんな感じのもあるけど、なにより実戦を幾度となく乗り越えたってのも精神面での成長に大きく繋がっているんだろう。

「騎士の、血?」

俺の呟きに反応したが、意味が伝わらなかったのだろう、統夜は疑問の表情。
またやっちまった。後々統夜が自分の出自とか知った時にこの事を思い出さなければいいんだが……。

「ああ、何でもない何でもない。……で、メルアちゃん?」

「はい」

俺と統夜が会話をする脇で、後ろ手に何かを隠し持ちじっと待っていたメメメが返事をする。

ナデシコ合流後、通信機の件でこちらが難儀していたことを説明し、ああまどろっこしい、つまり今後の為に『待て』を覚えさせたと言えば通じるだろうか。
俺に金髪巨乳に反応する性癖は一切ないが、ステイステイとお菓子の前で待たされて涙目になる様は中々に来るものがある。涙目から泣きに移行するギリギリを見極めるのが通のやり方。
だが決してSではない。俺はそれなりに優しさを兼ね備えた男、サディスティックな趣味なぞ持ち合わせてはいない。
ただ単にそう、メメメの反応にゾクゾクしてしまっただけ。不思議な事は何も無い。

「あの、これ、受け取ってください」

後ろ手に隠していた何かをもじもじとこちらに差し出してくるメメメ。
シンプルなデザインの小箱だ。少し長方形で、長さは500のペットボトルほどだがやや平たく、厚みや重みはあまりない。
その小箱を受け取り、しげしげと眺める。何故だろう、少し嫌な予感がする。
訝しげに小箱を弄り回している俺と、もじもじするばかりでなにも言いだせないメメメを見かねたのか、カティアが脇から説明を入れた。

「目つきが悪いのを少し気にしているっていうのを覚えてたみたいで、月面で休暇の時に買いに行ってたんです。お菓子も買いに行かずに一日中どれを買うか迷ってたみたいですよ」

「へぇ……、いやはや、そりゃまたなんとも」

受け取り拒否も使用拒否もしにくいようなエピソードありがとうございます。
箱の包装紙を剥がし、中身を確認する。
そこにはどこの眼鏡屋で一日迷ったのか、以外にしっかりした作りのレンズの丸い黒メガネ、というか、グラサン。
いや本当に、これを選ぶセンスもあれだが、これを置いてある月面都市の眼鏡屋半端無いな。
今どきこんなデザインのやつを扱うとか、どう見ても趣味全開というか、傍迷惑極まりないというか……。

「気に行って貰えますか?」

こちらの顔色をそろりそろりと窺うようなメメメの問いかけに、言葉では無く行動で示す。箱の中からグラサンを取り出し、装着する。
あ、でもこれ付け心地はそれなりにいい感じだな。
レンズが小さい割には視界にもあんまり違和感無いし。ガラスのようでそうでない新素材なのかレンズ自体の重量も気にならない程度、なのにかなり頑丈そう。
見た目はともかく、このグラサンの出来というか機能性は中々素晴らしいかもしれない。

「うん、いい感じいい感じ。ありがとうな」

とりあえず飴玉を与え、頭を撫でる。
この世界に来てからほぼ毎日のように餌付けを行い、その合間合間のスキンシップによって頭のどの辺りを撫でるといい感じかは学習済み。
この頭を上手いこと撫でた時に脳に発生するα波を感知し、メメメの体内に潜むナノマシンがそれを増幅、通常の数十倍の時間長持ちさせる。

「ほわ、あ、あの、あふうぅぅ……♪」

撫でられて一瞬慌て、しかし即座にヘブン状態に移行するメメメ。
頭の中でリフレインし続けるα波のリラックス効果により、撫でられた時の心地よさは通常の勝ち組みオリ主達が使っている撫でポのそれに匹敵するほどに増加するのだ!
いや、それ以外にもいろいろな脳の働きとか弄ってるんだけど、簡単に説明できるメカニズムはこれだけなんだよなこれが。
……本当はここまで派手な効果は、いや、もういいや。

メメメの頭を撫でる俺を見て、統夜とカティアが一歩後ろに下がって眉を引き攣らせている。
予想通りのリアクションだし、理由も察しがついてるけど、一応聞いておくか。

「なにそのリアクション馬鹿にしてるの?」

「いや、そうじゃない、そうじゃなくてですね。いつも見てる光景なのにいつもと印象がまるで違うというか」

「そう、ね。これは少し、嫌な方向に意外性が出たと言えばいいのかしら……」

直接的な感想は流石に口にしないが、態度からありありと言いたいことが分かる。
と、丁度俺の注文したメニューをテンカワが運んできた。何故か隣にはホシノを伴っている。
恐らく前にジャンクフードを食べるのを止めさせたいなら自分でやれ、というのを実践しているのだろう。ホシノの手のにもシンプルな醤油ラーメンが。

「はーい、ご注文のチャーハンとネギラーメ、うわ卓也、なんだよそれ」

「人身販売の業者さんですか? 似あってませんねそのサングラス」

「お前らは、ほんとズバズバとモノを言うね」

俺とメメメの今の状況を知らない人が見たら、飴玉一つで簡単に騙されて誘拐されそうになっている少女と、上手いこと新商品が手に入ってホクホク顔の人身販売やらの非合法な商品を扱う謎の商人といった具合だろう。
さっきからこいつらのリアクションをみればメメメもしょげそうなものだが、どうやらまだ頭撫での余韻に浸っているのか一切耳に入っていないらしい。
現時点でのメメメの好感度の高さから言っても脳内美化かかるのは間違いないだろう。逆に凄い似あってるから気にしなくていいですとか言い出しそうで怖い。

未来俺が言ってた、グラサンかけなきゃならん状況ってのはこれなんだろうなぁ。
これ、ずっとかけっぱなしにしてたら憲兵にしょっ引かれかねないぞ?
いいや、後でもう一回過去に戻ってプレート奪取のサポートしよう、で、そこでなんか、グラサン使わなくて良くなるいい感じの言い訳とか考えよう。
グラサン俺の怪しさにドン引きしている馴染みの連中に辟易しながら、俺はメメメの頭をぐりぐりと撫で弄り続けたのであった。



続く

―――――――――――――――――――

戦って戦って戦ってサポAIと主人公がセッションしてメメメに科学的な根拠と種と仕掛けのある撫でポをする回終了―。あとサポAIが建てたフラグはジョナサンの生存フラグです、アクセル的な意味で。
内容うすいなー、でももともと全回と併せて一話だったから仕方ないね。いつもより早めに投稿出来たのも、十四話投稿時点で半分以上出来てたからだし。
しかもまた勢いでエロ書いちゃった。ごめんね、でもこれ後々に繋がる複線的なあれだからごめんね。
実は前回の勢いで書いたエロ風シーンより話の上での重要度は上だからごめんね。
この程度のギャグ混じりというか、おふざけレベルの描写なら流石に削除依頼とかきませんよね。問題ありそうならもう少し描写ぼかします。

そういえば、前回は初めてトリップ中でありながら戦闘シーンの描写が無いお話だったんです。だからなんだって話なんですが、これってかなり貴重な気がします。
さっき思いついたんですが、このあとがきについて言及する人も少ないですし、なんかここで色々言っても気付かれないじゃないかと思うから唐突に下ネタとか書いてもいいんじゃないかってうへへ。
ジョークですがね。

さて、今回のセルフ突っ込み一個だけ。
・プレートから生まれた畸形のアンチボディは何? 動きが変だったり発光が不自然だったりする意味は?
プレートがサポAIと主人公に身体を形成する不思議ナノマシンに反応して進化したということで。そこまで影響されねぇよとか言われそうですが、オーガニック的な何か故そういうこともあり得るだろうという拡大解釈です。
バロンズゥもどきの動きとネリーブレンもどきの発光はそれぞれサポAIの内面の本心と外面の建前を現してるとかなんとか。本篇でそこら辺かける技量は無いですがここで説明するのも間抜けなので詳しい説明はしません。

このあとがき書いてる時点でPV十万に届く寸前なんですが、なんか特別編とかやれたらそれっぽくていいですよね。
でもそんなに欲を出すと番外編の方ばっかり更新し始めて本編が進まずにエターなるはめになりそうなので当然自粛します。やるとしてもスパロボ編が終わってから。
いっつも言ってますねスパロボ編が終わったらとか。でも流石にそろそろ折り返し地点が見えてきましたよ。
次回は書きたいエピソードができたというか思いついたのでまだキンクリできませんが、次の次の次か、そのまた次位にはJ本編原作沿いルート最終回的な話が出せる筈です。
亀の歩みというか、一向に話が進みませんがそれでもよろしければこれからもお付き合い頂ければ幸いです。

諸々の誤字脱字の指摘、この文分かりづらいからこうしたらいいよ、一行は何文字くらいで改行したほうがいいよなどといったアドバイス全般や、作品を読んでみての感想とか、心からお待ちしております。

次回「カーテンの向こうで」お楽しみに。



[14434] 第十六話「雪山と人情」
Name: ここち◆92520f4f ID:1ef890bb
Date: 2010/04/23 17:06
×月×日(空にオーロラが。人生初オーロラだけど少し不自然な光景やも)

『この辺ってオーロラが見えるような場所じゃない筈なんだよなぁ、これがオルファンの及ぼす影響ってやつだろうか』

『はてさて、そんなこんなで少しぶりの日記なので近況のまとめ』

『まとめ、と言っては見たものの、スパロボ換算にて二、三話程度しか進んでいない為、実はそれほどイベントはこなしていない』

『発電施設の防衛やらなにやらでDボウイが暴走、軍の連中に連れ去られてしまったぐらいだろうか。ここでは特に何の介入もしなかった』

『ここでは、というか、ここまで積極的に介入したことなんてほとんど無い事に気付く。形に残る介入としてはマジンガーZがさりげなく自軍に残っている程度か』

『あとは一週目なのにやたら資金が余ってたり殆どの機体がフル改造寸前だったり、格納庫の隅に敵のMSやSPTの残骸が修復されて転がっていたりするが、どれも本筋に係わるものではない』

『が、一つだけ、俺の完全な趣味というか気まぐれでやってみたことがある。この世界の統夜は何故か敵陣に突っ込みたがる癖があるので、その辺りの戦闘データと共にモルゲンレーテに後継機の武装変更プランと資金、資材提供をしておいた』

『ベルゼルートの元になった機体の技術を使っているから変更前の武装に劣るものではないし、つけておいて無駄になるものでもないだろう。これでまぁまぁあいつに合った機体が出来上がる筈だ』

『高校時代は部活もやらなかったし、なんだかんだで同性の年下を面倒みるとか初めての経験なので少なからず弟分的な愛着が湧いているのかもしれない。閑話休題』

『Dボウイの事については何故か俺もあれこれ言われたが、フリーマン氏が何の手も打たない筈がないと適当に言いくるめておいた』

『こういう状況でティーンエイジャーな若々しいパイロット連中よりも、フラガ仮面や健一(こいつは若いけど意見は年寄り臭い)と意見が合ってしまうあたり、スパロボの主人公適正の無さを痛感させられているようで悔しい』

『悔しいので、少し軍の方にハッキングかましてDボウイが収容される予定の研究施設を探し出し、警備システムの解除コードと施設内のマップを調べてフリーマンに突きつけてやった』

『しかし涼しい顔で『これで後々の救出作戦の段取りがスムーズになった』などとぬかされたので悔しさ倍増。悔しい……、でもビクンビクン』

『フリーマンまじクール。流石、愛の無いセックスではエレクチオンしない男は格が違ったということか。フリーマン違いかもしれないが気にするだけ損というものだ』

『まぁそんなこんなで今日もミッション開始、今回はオルファンの封じ込め作戦だがいつも通りの普通の戦闘をこなすだけ。的はグランチャーとSPTらしいし、今日のCDは処刑用BGM集の七巻かなぁ』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

グランチャー部隊とグラドス降下部隊は死んだ、スイーツ(笑)といった具合で何事も無く殲滅完了。デカイボスの出ない通常戦闘なんて概ねこんなものだ。
ボスというかネームドのユニットは居たが、性能も腕も大差ないので気にならない。
そういえばジョナサンのグランチャーの色が変わっていたが、前のが死んで乗り換えたんだろうか。
しかしその新しいグランチャーも速攻で潰してしまった。最初のグランチャーは美鳥で次のグランチャーは俺。ここまで何度も蹂躙することになるなら、決め台詞でも言ってやった方が良かっただろうか。次までに考えておこう。
そんなこんなで戦闘終了後、ノヴィス・ノアに着艦してゆっくり経過を見守っていたのだが、何故かハッスルしだしてグランチャーでブッ込みを始めたナッキーを追いかけて休む間もなく再出撃。
これ多分フラグだよなぁ、こんなフラグよりはユニオンのフラッグの方が断然欲しいんだけど。
いいよなあフラッグ、あれの重陸戦用とか設定画見たことあるけど、追加装甲付けてもまだかなり細い。どこが『重』陸戦だよってくらい細い。プレーンなティエレンとガチっただけでも間違いなく折れる。

とか考えている脇ではナッキーがみんなの説得を無視して独自理論でハッスルし続けている訳で。

「君たちはくるんじゃない、グランチャーなら怪しまれずに近づける。俺にはわかる。こいつはオルファンに帰りたがっていない。すぐに呼んでくれなかったオルファンに、怨念返しをしたいんだ」

ヤンデレですね分かります。ヤンデレというか精神的に病んでる人割と多いよなこの作品。全員生き残るけど。

「だがなナッキー、そのまま突っ込ませるとそのグランチャーがラッセ・ブレンのように自爆するのは確定的に明らか。敵地の中でアンチボディを失って無事に帰ってこれると考えた浅はかさは愚かしい」

「そんな真似させやしないさ。フィギュアを狙うだけでいいんだ」

「無理だな、さっきの戦闘で自爆が有効だって学習した可能性だってあるんだ、ここは引き上げよう」

伊佐美勇がすかさずナッキーの反論をカット。これには流石のナッキーも反論の余地なし。
完 全 論 破、というやつだな。ブレンパワードの自爆でオルファンが止まった直後にヤンデレに突撃させるなんて、暗に特攻を勧めているも同然。
ああつまり、捨てられて迎えに来なかった恋人に『一緒に死んで……』とかやるも同然な訳だ。
しかもオルファンの中には自分とは違いちゃんとオルファンに迎え入れられた同種が大量に待ち構えている。途中まで上手く行っても道中で間違いなくヤンデレモードに移行して心中回路が起動するに決まっている。

「ザフトの偵察隊? イージスじゃないか」

ナッキーが反論できずに熟考に入ろうとしたその時、統夜が驚きの声を上げる。
いや実はそんなに驚いていない。多分原作よりは落ち着いた反応をしている。イージス一機にディン二機ならこのメンツで一ターン(現実換算で約一分)も掛からないことは統夜も理解しているから声にもかなり余裕がある。
他の作戦行動中なので追いかける理由も無いのだが、こちらが何か仕掛ける前に二機のディンがチャクラ光にぶつかり爆発した。

「あれは……」

「クインシー、姉さんのグランチャーか!」

仲間を撃墜され反撃しようとイージスが動く。しかし攻撃に入る為の挙動の途中でイイコ・グランチャーに一瞬で懐に潜り込まれソードエクステンションで斬り伏せられてしまった。
早い。というか、動きが気持ち悪い。
同じ姿勢のまま滑るように動くのはいいんだが、その速度と力強さが何時もの他のグランチャーとはケタ違いだ。
通信の向こうで伊佐美勇がオルファンのパワーに同調しているのかとか言っているが、生存本能が刺激されているってのもありそうだ。

「勇……私、殺されちゃう。ガバナーに殺されるのよ。私のグランチャーも。それでは可哀想すぎる……」

「なんだ、なにがあったんだ姉さん。落ち付いて話してくれ」

クインシーの声が震えている。伊佐美勇もそれに気づいているのか、何時になく労わる様な声で聞き返している。
労わるように、落ちつけようとしているのは評価できるが、なんかもう、ほんと駄目だな。
少し選民思想っぽいのに取りつかれているとはいえお前の姉だろうが。こうなる前に体張って受け止めてやるべきだったのにこいつときたら……。
こうなったらもう手遅れ。少し前、具体的には花畑に落下した時にフラグをへし折ったのが最悪だった。なんでこう、見ただけで地雷と分かっている選択肢ばかり選ぶのかこいつは。

「お前のような弟がいるせいで、あたしはガバナーへの忠誠まで疑われているんだ! あたしを姉と思うなら、この世から消えてなくなれぇっ!」

言うや否やユウ・ブレンに襲いかかるイイコ・グランチャー。その間に咄嗟に入り込みソードエクステンションをブレンバーで受け止めるナッキー。
ああぁ、ダメだ駄目だ。姉弟がそんなに仲悪くてどうすんだよ。ナッキー居なかったら今のどっちか死んでたぞ?
ナッキーのグランチャー踏ん張る。ソードエクステンションで斬り合いチャクラ光を撃ちあい、伊佐美勇の代わりに撃墜してやろうと猛攻。
数合打ち合うも、あっさり押し切られて終了。やっぱオルファンに見捨てられたグランチャーじゃ駄目だな。でも弱いが偉い。

「ヒメちゃん! ナッキーを!」

「わかった!」

すかさずヒメ・ブレンが放り出されたナッキーをキャッチ。その場から素早く離れた。これでナッキーの安全は確保完了。

「統夜、ガリ、フォロー行くぞ」

「わかりました!」

「カガリだ!」

素で間違えたが今はそんなことに構っている余裕は無い。速攻でイイコグランチャーを止める。
と、ボウライダーを二体の間にねじ込む前に即効でカガリが反撃でやられた。やっぱこいつカガリじゃなくてガリだ……。
ガリのスカイグラスパーから気にするなとの通信が入ったので一切気にせず作戦続行。ボウライダーで身体ごとぶつかりに行く。

「くっ、邪魔だ、どけぇぇっ!」

グランチャーの腹部をボウライダーの両腕で抱きしめ押さえつけ、ブースターを吹かしユウ・ブレンから引き離す。

「誰が退くか」

「こんの、落ちろ、落ちろ落ちろ落ちろ、勇ぅぅぅっ!」

ソードエクステンションで斬りつけられてもチャクラ光を浴びてもビクともしないボウライダーを引きはがすのを諦めたのか、そのまま我武者羅にチャクラ光を四方八方にまき散らす。
こっちもスーパー系並の馬力で押さえこんではいるものの、今のグランチャーは抑えきれない。
オルファンの近くで抗体レベルの高いグランチャーと力比べとか無茶にも程がある。
フレームから何からスーパー系の機体を参考に組直しているとはいえ、ボウライダーの腕はステゴロには向いていない。
雑魚が多いステージだったので速射砲とブレードが全て使えるようにウェポンラックに換装しっぱなしだったのが痛かった、ブレードで叩き斬っていいならともかく、押さえつけておくなら換装でクローアームを装備しておくべきなのだ。

案の定、こちらの束縛を無視しでたらめに放たれたチャクラ光に被弾し落下するユウ・ブレン。
それを咄嗟に受け止めようと飛び込むベルゼルート、追撃しようとさらに足掻くイイコ・グランチャーからソードエクステンションをもぎ取り、しかしついに引き剥がされた俺のボウライダー。
イイコ・グランチャー以外のその場にいた全ての機体がバイタルネットに接触、いずこともなく飛ばされてしまった
……いずこともなくっていうか、行く先は知っているんだけどな。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

コックピットハッチを開け、ボウライダーの頭の上に立ち周囲を見渡す。

「むぅ」

しんしんと雪が降り、樹や地面を白く染めている。辺りは一面の銀世界。
一見何の変哲も無い雪国の山奥だが、周囲には不自然なオーガニックエナジーの流れを感じる。
以前プレート確保の際に直感的に構成した循環型ではなく、天然自然のバイタルグロウブが偶然何重にも交差して形成している防壁のような結界。それが広い範囲で張られている。
間違いない、ネリー・キムの住処を覆うバイタルネットの結界だ。
どうにもクインシーに弾き飛ばされた時に巻き込まれてしまったらしい。
ここにボウライダーと俺を飛ばしたバイタルネットにベルゼルートも接触していたので、原作通り統夜とサブパイ(今日はカティアだったかな?)も巻き込まれているだろう。

「失敗した、かなぁ」

なんというか、憎み合っている訳でもない姉弟が殺し合うという状況に抑えが利かなかった。本当はあそこでナッキーを追いかける必要すら無かったんだよな、放っておいても丸く纏まるんだし。
いや、直前の戦闘でも姉弟対決とかそんな状況あったけど、あの時はレイズナーよりも早くブラッディカイザルを叩き落としておいたから気にしなかったんだ。
今回は姉と弟のガチ殺し合いに発展しそうで嫌だったんだよなぁ。

ここはネリー・ブレンとユウ・ブレンの再リバイバルの話の舞台で、一応バロンズゥ初登場の話。が、この話は関わるにはメリットが少ない、というか、無い。
DGグランチャーとDGブレンパワードを取り込んだ今、アンチボディの出来る事は大体出来てしまう。突進するデビルガンダムをチャクラシールドで跳ね返すことも鼻歌混じりに出来てしまう。
今さら不完全なネリー・ブレンや操縦者の未熟なバロンズゥを見た所で得るものは何もないのだ。
それこそ他のクルーと訓練するなり遊ぶなり修行するなり、メメメに餌付けするなりなんなりしてる方が有意義なのは間違いない。
しかも、俺が迂闊な行動をとればネリー・ブレンの再リバイバルが起こらなくなる可能性だってある。
万全を期する為にここで俺だけワープして戻るというのもアリだが、そもそもあのバイタルジャンプに一番近い所で巻き込まれたのに俺一人だけ無事ってのは少し不自然過ぎる。
それに、ヒメちゃん張りにオーガニック的な物に敏感なネリー・キムもいる。アンチボディを取り込んでいるとはいえ肉体を完全に人間に擬態させることは可能なはずだが、ああいう連中の直感というのは舐めてかかれない。
正確な日数は忘れたが、たしかこの雪山には数日泊まり込む事になるのだよな。どうにか欺き通すことができればいいのだが……。

「ああもう、しかたない」

何をするにしても、まずは他の二機と合流するのが先決か。コックピット備え付けのレーダーでベルゼルートとユウ・ブレンの場所を確認。
結構近いが、ボウライダーの装甲は大部分が真白なので奇しくも雪上迷彩になってしまっている。あいつらの機体のレーダーが無事かどうかも微妙だし、こちらから探しに行くのが賢明だな。
俺はコックピットに戻り、比較的近くに居るベルゼルートの反応の方へとボウライダーを飛翔させた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

不時着しているベルゼルートの傍らにボウライダーを降下させ、ベルゼルートの脚部表面に手を付き融合、機体の損傷度を調べる。
……ふむ、これだけダメージを受けているのに戦闘機動に支障が無い程度の損傷しかない。相変わらず見た目と設定にそぐわぬ頑丈さ。これだけ頑丈ならブレードの一本も持たせてやればすぐにでも格闘戦もこなせそうなものだが。
中の連中はまだ気絶中かな。とりあえず今のうちにバーニアだけでも修復して飛べるようにして、完全回復させると不自然だからそこそこダメージは残して修復。
こんなもんだろう。あとは中の連中が起きるのを待つだけだ。

と、一息ついたところでベルゼルートのコックピットが開いた。今の融合が見られたか? まあ、カメラの死角だから大丈夫かな。
金髪頭がコックピットからおっかなびっくり外に顔を出す。メメメだ。
意外だ、直前のミッションがひたすらグランチャーを潰すだけのミッションだったから射程の上がるカティアか、次点で攻撃力の上がるテニアかと思ったんだが。

「メルアちゃんか。良かった、とりあえずは無事でなにより」

「あ、卓也さん!」

こちらの顔を確認したメメメがコックピットから身を乗り出し、機体各部を中継して下に降りてくる。片手には緊急修理用の工具箱。
確か昇降用のギミックが付いていた筈だが、不時着して不自然な姿勢になっているせいで使えないのだろう。
メメメもあの見ための印象からは想像できないほど身軽だが、片手であんな曲芸じみた真似をすると、

「きゃっ」

脚を滑らして落下する。下は雪だしもう膝のあたりまで降りているので怪我の心配は無い。無いと理解していてもついつい助けてしまうのが紳士。
紳士でなくナイトならこういった気配りがモテる秘訣に繋がるのだろうが、生憎と俺はナイトでも忍者でもリアルモンクでもなく農民、しかも今現在目指しているのはどちらかと言えばプロトオメガなので小中高と女子にモテた例は無い。
モテモテのプロトオメガなんてどんなジャンルでも見たことが無いし需要も無い、更に言えば俺には姉さんが居るので何ら問題は無いのである。

「ひゃわ、あ、ありがとうございます」

こちらの腕の中で身を小さく縮めて恥ずかしそうに礼を言うメメメ。
今現在の状態は俗に言うプリンセスホールドという女性を抱え運ぶ体勢なのだが、雪山の中この姿勢のままで話を続けるというのは明らかにおかしい。
腕に当たるふくよかな太腿の感触や、胸板に当たる胸部の感触、髪の毛からほのかに香る甘い匂いは金髪属性に反応しない俺を持ってしても無視できない甘美さなのだが、そこをぐっと抑えて地面に下ろす。

「で、そっちの機体の状況は?」

知っているが、まぁ一応聞いておいた方がいいだろう。ここでこれを聞かないのも不自然だしな。
降ろされて露骨に不満そうな顔をしていたメメメが表情をまじめな物に改めた。

「ステータスチェックだと戦闘に支障は無い程度に見えるんですけど、ちゃんと直接目を通しておかないと気になっちゃうんです。ボウライダーはどうですか?」

「ああ、こっちはほぼ無傷だよ」

オルファンの近くでの戦闘だった為、異常なオーガニックエナジーを受けたイイコ・グランチャーに馬力で押し負けたが、攻撃が直接的なダメージに繋がった訳では無い。
しかし、度々機体にチェックが入るから無闇にボウライダーを魔改造できないのが痛いな。
主人公チームの中ではそれなりに避けるスーパー系的な立ち位置のボウライダーだが、オーガニック的なもので強化された強いアンチボディには押し負ける可能性があるということが証明されてしまった訳だ。
もしもあそこで力尽くでしっかりクインシーを押さえこめていれば、ああでもそうなるとユウブレンのパワーアップが出来ない。
感情的になって行動して、しかも思考が支離滅裂。取り込んだアンチボディの性質を上手く最適化出来なかったのか?

「あの、もしよかったら、整備に付き合ってくれませんか? 統夜さんとカティアちゃん、まだ気絶したままみたいだし」

「カティアちゃん? 複座式のコックピットにわざわざ好き好んで三人詰め込んだのか?」

「卓也さんが冷蔵庫を備え付けてくれたじゃないですか、あれ、今回はお菓子を食べる暇は無いだろうって外されちゃったんです。そしたら改造前よりもスペースが余ってたから、それじゃあ試しに三人乗りをしてみようって」

無茶苦茶だな、計器類とか、サポート用の機材は一人分後付けか? それとも機体備え付けのモノを二人で使ったか。
どっちにしろ、本来想定した使い方では無い筈。突貫工事だし、これから更に改修するか、それともやはり三人乗りはお蔵入りか。

「事情は分かった。でもその前に」

振り返り、大きな声で呼びかける。

「そこの人! こっちの機体はコックピットで二人ほど気絶しているんですが、こそこそ覗き見するぐらいなら、そのついでに介抱してやっちゃあくれませんかね!」

木の陰から、赤いドレスのようなコートを身に纏い、髪を後ろで纏めた女性が現れる。

「ごめんなさいね、覗き見するつもりはなかったのだけれど」

このバイタルネットが作る森の結界の住人、ネリー・キムが、複雑そうな表情をこちらに向けていた。

―――――――――――――――――――

×月□日(相変わらず山の中だが、次元連結システムのちょっとした応用で日記帳の召喚に成功、つまり暇を持て余している)

『バイタルネットに乗り、伊佐美勇、統夜、カティア、メメメと一緒にこの雪山に飛ばされて数日が経った。何日経過したか? ……数日だ、この世界で正確な日数を考えようとしない方がいい』

『さて、この生活も数日続いたが、バイタルネットの外側に強力なアンチボディの反応を感じているから、多分明日の朝か昼前辺りにバロンズゥが侵入してくるのだろう』

『ボウライダーの調子は万全、完全にノーダメージだと怪しまれるので装甲表面に多少ダメージがあるように偽装しているが、実際の中身は完全に調整済み。やろうと思えばここでバロンズゥを潰してしまうことも不可能ではない』

『ベルゼルートも、機体全体に多少のダメージはあるものの戦闘可能。中途半端に直しておいたが、それでもしっかりシステムチェックをすると多少の不具合が残っているそうだ。後で少し手を入れておこう』

『ベルゼルートとの合流後に合流したユウ・ブレンは、原作アニメでは一方的にぼろぼろにやられていたが、スパロボの展開だとまだバロンズゥに遭遇していないので両腕共に健在だった』

『しかもこちらの機体数は三機、やりようによっては勝機がある、というかかなりの確率で勝てるはずだが、ここでユウ・ブレンを勝たせても意味はない、気付かれない程度に手を抜いた援護で茶を濁すとしよう』

『それと、山小屋での数日の間、ネリー・キムとも何度か言葉を交わしたが、どうやら俺の身体がアンチボディ的な性質を隠し持っている事に薄々感付いているようだ』

『気付いた上で俺自身には警告も何も発さない、いや、こちらが何も仕掛けてこなければ気にする必要は無いというスタンスなのだろう』

『少々神経が過敏になり過ぎていたらしい、情けない話だ。情けないままでは何なので、いざという時の為に少し入れ知恵もしておいた。これでネリー・ブレンの再リバイバルがおこる確率も上がるだろう』

『とりあえず昼食を済ませてボウライダーのチェックに向かおうと思う。さっさとナデシコに戻って熱い湯船にゆっくり浸かり、風呂上がりのコーヒー牛乳を堪能したいものだ』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「と、こんなもんかな」

工具箱を閉じ、真っ黒に汚れた軍手を外す。

「ここでこれだけ整備出来ただけでも上等だろ」

「そうですね、これならラダムや木星トカゲがでてもどうにでもできる。でも大丈夫なんですか、パーツの流用なんて……」

「なんだ不安か。今まで散々ウリバタケさんがありもので整備してくれてたけど問題無かっただろ。コイツは極一部を除いて一般企業の技術で生産できるレベルの部品しか使ってないからな、ボウライダーのパーツでもしっかり動いてくれるさ」

当然、ナデシコに戻ったらもっと相性のいいパーツと交換するべきだけどな、と付け加えると、統夜は慌てて首を横に振った。

「そうじゃなくて、こんなにベルゼルートにパーツを回して、ボウライダーの方は?」

「今修理に使ったのはもしもの時の為に積んである予備パーツだから大丈夫。戦艦に乗って整備からなにから任せられるような仕事ばっかりじゃないからな」

という名目でこっそり複製した新品同然の予備パーツなんだけどな。
システムチェックで問題があったベルゼルートの破損箇所を、中身はほぼ無傷だったボウライダーのパーツを使って直した、という話。
当然、ボウライダーの戦闘に支障が出ない程度の量で構わないという事だったのだが、雑魚相手とはいえ敵はバロンズゥだけでは無いので念入りに修理しておいたのだ。
この言い訳が通じるかどうかは微妙だったのだが、同じく傭兵をしていた相良辺りとは交流が少ないし、そういう事を想定する奴は居ないと言われてもこの程度ならどうにでもごまかしが利くだろう。

「一応強化パーツのメガブースターも移植しといたから、機動力は普段とあまり変わらない筈だ。ああでも、旋回性能だのバックブースターだのはそのままだから、敵が来ても無闇に突っ込まないように、距離を取って戦うようにな」

「それ以前に、ベルゼルートは接近戦を想定していないのだから普段から突っ込まないで欲しいのだけど……」

「ははは」

カティアの突っ込みに明後日の方向を向いて空笑いで返す統夜。こいつも変な所でスルースキルが身に付いたものだ。むしろこれは少しキャラが違う気がするんだが。

「じゃ、俺は念のためボウライダーの方を再調整しておくから先に行っててくれ」

とりあえずあのオルファン直結グランチャーの出力を計算に入れてボウライダーを少し弄っておかねばならない。

「あ、私手伝います、いいですよね?」

「卓也さんは整備、メルアはその手伝いと。俺たちは小屋に戻ってネリーさんの手伝いだな」

すかさずメメメが手伝いを申し入れ、俺がそれを断るよりも早く統夜が予定を決定してしまった。
こいつ、自分への好意には鈍感な癖に他人から他人への行為には敏感でしかもフォローを入れただと? まるでそこらの少年誌のハーレム系マンガ主人公みたいなスペックになりやがって。
ここで改めて断るのも心象が悪い。仕方ない、メメメには機体の下でブースターの調子だのなんだのを見て貰うという口実で離れて貰って、その隙に作り直すとするか。
ガッツポーズのジェスチャーでメメメに気合を入れるように指示しているカティアとそれに笑顔と力強い頷きで返すメメメを尻目に、俺はウリバタケさんにばれないレベルでのボウライダーの出力強化プランを頭に思い浮かべるのであった。

―――――――――――――――――――

ボウライダーの強化、基本的な部分はウリバタケさんの目が入るからどうしようも無いので裏ワザを使うしか無いという結論で落ち着いた。
バロンズゥの戦力を予測するに、あのオルファンからエナジー直結のグランチャーほど強くは無いだろう。似たようなものをDG細胞で作ったから間違い無い。
さらに言えば相手は姉属性など欠片も持っていないジョナサン、下手に殺さないように、とか考えなければ幾らでも容赦なくTUEEEな戦いができる。

コックピットハッチを開き飛び降りる。地面は事前にボウライダーで踏み固めておいたので着地で埋まる心配は無い。
堅く踏みしめられた雪の地面に着地すると、砲撃形体を取らせていたボウライダーの足もと、メンテナンス用の計器を片手に、メメメが降り積もった雪をぼうっと眺めているのが目に入った。

「メルアちゃん?」

「――え、あ! はい、大丈夫です、こっち側は特に異常無しです」

俺の声に一瞬遅れて反応するメメメ。聞いてもいないのに機体の状況を慌てて報告してきた。

「ああ、うん。そうじゃなくて、どうかした? ずっと景色眺めてたけど」

「……ちょっと、なつかしいな、って。ずっと昔、まだ実験体じゃなくて、お母さんが居て、お父さんが居て……」

「……」

お父さんに、お母さん、か。

「チョコレートケーキ、クッキーに、大きくて凄いカラフルなキャンディーとか……」

メメメは目をつむって、懐かしむようにお菓子の種類を挙げていく。
どんくらい前の話か分からんがよくもまあ覚えているモノだ。実験体時代がつらかったから、そういう数少ない幸せな記憶は強く印象に残ったのか。
それとも、このくらいの年齢の頃は小さい頃の記憶を結構覚えていたりするものなのだろうか。
俺はどうだったか、いまいち思い出せない。

「手作りだったり、お土産だったり?」

「はい、お母さんが作ってくれたり、お父さんが仕事帰りに買ってきてくれたり」

閉じていた瞼を開け、苦笑するメメメ。

「幸せな気持ちになれるんです、お菓子を食べてると。ただお菓子が好きだからなのか、懐かしいからかは分からないんですけど」

「太るぞ」

「もう、真面目な話だったのに……」

唇を尖らせむくれるメメメ、しかし、本気で怒っているような語調ではない。
頬を膨らませた不機嫌な表情のままこちらに歩み寄り、俺の腕を掴み、抱きつくように寄り添った。
腕に抱きついたまま俺の顔を見上げ、眼を細めるように微笑む。

「こうしてても、幸せな気持ちになれるんです。……なんでだか、わかりますか?」

「……」

「ふふ、いいですよ、無理に答えて貰わなくても。でも、もうしばらく、こうしていてください」

腕を抱きしめる力も強くし、こちらの肩に幸せそうに頭をもたれかけてくるメメメ。
なんだかこの状況は、いや、いいか。たまにはこういうのもありと言えばありだろう。
洗脳がどうとか言い出すのは無粋、いや、そもこの世界でやってきたことなんて端から端まで全部無粋の極みだけど、それを洗脳された奴にぶっちゃけるなんて全く意味の無い話だ。
小屋に戻ったら、ホットチョコレートでも淹れてやるか……。

―――――――――――――――――――

一方、ナデシコ。

「うぅ……」

居住区、与えられた個室の中で苦虫を噛み潰したような表情でサポートAI、鳴無美鳥はうんうんと唸り声を上げながら歩いている。

(迎えに、いやでもそんな指示は出て無いし、お兄さんならどうにかなる筈も無いし、ここはおとなしくナデシコで待機、いやいやいやでもでも……)

鳴無美鳥は迷っていた。マスターであり兄のような存在でもある鳴無卓也の不在、というか失踪というか、そういったモノに自分がどう対処すべきか。
理性的な部分ではどっしり構えて、次の出撃に備えているのが一番効率的な選択だと理解している。
今現在のお兄さんなら全裸で最終面に放り出されても、ステージごと一ターンで全敵ユニットを消滅させることが可能。
たかがバロンズゥ一体とグラドスの降下部隊程度に遅れをとる筈がないという確信があった。
が、そんな理屈を超越した所に今の美鳥の心は存在してた。

「おにいさん……」

立ち止まり、ぽつりと呟く。
じわり、と目に涙を浮かばせ、歯を食いしばりながらも口が横に開き、咽喉奥から引き攣るような嗚咽が湧き出そうになる。
大泣きする寸前のような表情。産まれてから数か月、一度も取った事の無い表情だ。
しかし、その表情も長くは続かない。続けせない。
美鳥は自らの痛覚を限界まで人間のそれに近づけると、食いしばっていた顎に更に力を入れた。
ミシィ、という音とともに砕ける奥歯、砕けた歯から伝わる痛みで気合を入れ直す。

(だいじょぶ、お兄さんはだいじょぶだから。下手な手は打たない、次の出撃でお兄さんが飛ばされた雪山に行くはずだから、それまでは我慢、我慢)

砕けた奥歯の大きな欠片を飲み込み、新たに健康な歯を作り再生する。
口の中でザリザリと音を立てる歯の小さな欠片を舌で弄びながら、美鳥は自分を落ち着かせるように思考を再開した。
悩んでいても仕方がない、こうなったら頭の構造を弄って、次の出撃まで目が覚めないように、などと物騒な事を考えていると、コミュニケに通信が入った。

『パイロットの皆さん、グラドスの降下部隊が発見されました、という建前で飛ばされた統夜さんと勇さんと卓也さんの救出に行くことになりましたので、各自の機体で待機をお願いします』

余りにもあまりな言い方に苦笑しようとして失敗、喜びの表情を形作り、その笑いを押し殺す。
どうにもアンチボディを取り込んで、そこから復旧してもまだ感情の制御が上手くいかない。

グランチャーの持つオルファンへの執着や依存の感情が、そのままお兄さんへの物に変換されて美鳥の中に存在しているのだ。

今までにも強い感情はあった。お兄さんへの好意もあった。でも、これほどまでに無条件で誰かに、というかお兄さんに寄り添いたくなるような感情をあたしの精神構造は本来想定していない。
お陰でお兄さんが居ないこの数日、胸が締め付けられるような気持になり、不意に涙があふれてきて膝をかかえて座り込みたくなるなんてことが何度もあった。
感情に振り回されている。でも、不快じゃない。これが生き物の生の感情というもの、オーガニック的な感情なのだから。

「ふふっ」

頬を綻ばせ、笑う。やっとお兄さんが戻ってくる。戻ってきたらどうしようか、まずはキス、これは決まり。
初対面の人間にキスをするような男がなんの問題も無く受け入れられているんだし、兄妹で再会のキスをするくらいならなんら不自然では無い。
しかし、兄妹の行う再開のキスとはどこまでが一般的なものなのか。
舌を入れるのは当然ありとして、抱きついて胸を擦りつける程度のスキンシップもキスの一部と見なされてもいいのではないか。
これまでもなんどもお兄さんと腕を組んで歩いたりしているし、その程度のスキンシップは多めに見て貰えるはず。
再会への期待に胸をふくらませ頭の中身が温かくなり始めた美鳥は、そんな事を考えながらドアを開け、格納庫へと走り出した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

別れの朝が、やってきましたぁ。
一人は死に別れだけど気にしない。ネリー・キム、我らが軍団の糧となるがいい。
そんな事を頭の中で考えつつも表面上は別れを惜しむかのように挨拶を済ませる。
これが野菜の直売所で鍛えた農家自慢のポーカーフェイス……!
どんなムカつくおっさんおばさん兄ちゃん姉ちゃんが来ても笑顔で接客する直売所での野菜売りの基本技能だ。

「ユウや貴方達の行く道は大変だし辛いわ。そこから逃げることはできないでしょうし、きっと貴方達もそれを選ばない。きっとどんな犠牲を払ってでも進むのでしょう」

ネリー・キムがこちらにチラリと視線を送った。どんな犠牲を払ってでも、ってあたり、俺に言ってるんだろうか。
上手くいけば誰も損をしないで終わるんだが、そういう希望的なイメージは湧かなかったのか?
やっぱり基本的に侵略者で掠奪者的な部分が多大にあるからなぁ、そういうイメージになってしまうんだろう。ああいや、この世界だと盗むよりも違法コピーの回数の方が多いか。
なんだか余計に小物臭いが気にしない。

「……そうだね」

伊佐美勇が『逃げない』の辺りに頷くと同時、森の向こうから飛来したチャクラ光によって、ネリー・キムの山小屋が爆発した。

「何だ!?」

「ネリーの小屋が!」

さて、せっかくこんな場所で数日過ごしたんだ。オリジナルのバロンズゥの性能、しっかりと確認させて貰おうか。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「ジョナサン! お前の相手はこっちだと言った!」

応急修理とはいえ、殆ど全快と言って差し支えない程に修理されたベルゼルートが、距離をとりつつ両手に構えた二丁のショートランチャーをバロンズゥに向けた。

「舐めるな、機械人形が! 進化したグランチャーであるバロンズゥの力、まずは貴様が受けたいというならそうしてやる! いけよやァ!!」

ショートランチャーから放たれるオルゴン粒子の弾丸を掻い潜りフィンで斬り払い、バイタルジャンプも使わずに一瞬で数百メートルはあった距離を詰めるバロンズゥ。
進化したグランチャーを名乗るだけあって早い、これが俗に言うデモ戦闘パートであることを差し引いても、今の動きは並みのグランチャーではまかり間違ってもできる動きではない。
まだ僅かにフィンで叩き斬るには距離が開き過ぎているが、触手状に伸ばしたフィンでベルゼルートのショートランチャーを一撃で叩き落とした。
手から落とされたショートランチャーはそのままに腰部にマウントされているオルゴンライフルに手を伸ばすベルゼルート。
しかしバロンズゥはその僅かな隙に更に接近、ブレード状に形を変えたフィンで袈裟掛けに斬りかかる。コックピットを抉る直撃コース。

「死ねってことよぉ!」

ノリノリのジョナサンの叫び声が聞こえるが、流石にそこまでやらせる訳にはいかん。
ボウライダーの両手の速射砲を単発モードに切り替え、振り下ろされるフィンの先端に砲撃、斬線を逸らしベルゼルートがギリギリで回避できる隙を作る。
が、砲撃を喰らったフィンブレードの斬線が思ったよりもずれない。荒っぽい動かし方しかできないなりに、パワーだけは有り余ってますってか?
ベルゼルートも直撃こそは避けたものの胸部装甲がザックリと斬られ、その衝撃で吹き飛ばされた。
追撃で伸ばされる触手状のフィンを、バロンズゥから遠ざかるようにして回避を繰り返す。

「なんだ、こいつ、グランチャーのパワーじゃない……!? 勇、卓也さん、そいつ普通じゃない! 気を付けろ!」

吹き飛ばされながらもさらにバロンズゥから距離を取り、改めてオルゴンライフルを構えるベルゼルート。
ベルゼルートが退くことで空いたスペースにユウ・ブレンが飛びこむ。
近づいてくるブレンを歓迎するかのように両腕を広げ、同時にフィンを広げるバロンズゥ。

「ユウ、オーガニック・エナジーがつくってくれた再会のチャンス、共に祝おう!」

狂気じみたジョナサンの叫びを無視し、伊佐美勇がユウ・ブレンに話しかけている。

「やる気なのかブレン!? やれるのか、あんな変なグランチャーとも!?」

ブレンバーからチャクラ光を放つもバロンズゥの連続バイタルジャンプによって全弾回避され、逆にフィンによる斬撃を受けて片腕片足を落とされるユウ・ブレン。
バロンズゥを操るジョナサンからすれば、今のは殺す気で放った一撃だったのだろう。それを喰らって生きている伊佐美勇に歓喜の叫びをあげる。

「ハハハッ! かつての戦友だ。このくらい力があったほうが倒しがいがあるってもんだ!」

「くそっ、ネリー、俺達のことはいい! 一人で逃げてくれ!」

「馬鹿な事を言わないで。ユウブレンを見れば、あなたを守らなくてはならないのは私とネリー・ブレンです!」

ネリー・ブレンがユウ・ブレンを庇うようにバロンズゥに斬りかかるが、逆にチャクラ光で片足を破壊されてしまった。
悩んでいる内に進化の必要条件を満たしたな。オリジナルのバロンズゥがどんなもんかは見れたし、ここからは手を入れてもいいだろう。
互いを庇い合うようにして支え合っている片腕片足のユウ・ブレンと片足のネリー・ブレンとそれに相対するバロンズゥの間に割り込み、ブレンとベルゼルートに通信を入れる。

「ネリーさん、伊佐美、二人は一緒に下がっててくれ。この場は俺と統夜でどうにかする」

「無茶だ! 全員で行かなけりゃ、あの変なのは止められない!」

いや実は単騎で余裕だけど。そうじゃなくて、いや、ここは伊佐美よりネリーの直感に期待だな。

「そんな『不完全な状態』のブレンパワードじゃどうにもならないって言ってんだよ! いいから『今』は後ろに下がってろ!」

不完全、という言葉を強調して語気を強めに言い放つ。ちゃんと意味を汲んでくれるかな?

「……そう、そうね。完全じゃないとどうにもならない。ユウ、ここは彼らに任せて一旦引きましょう」

「ネリー?」

どことなく納得した風のネリーと、何を言っているのか分からないといった風の伊佐美勇を乗せ、肩を寄せ合い後方に下がっていく二人のブレンパワード。
あの損傷で足りるか? まぁ、不完全であるという自覚とこのままではやられてしまうという危機的状況はあるから、確率的には行ける筈か。

「ジョナサン、目の前の機械人形など相手にするな。中途半端な攻撃はアンチボディに力を与えることがある、ネリー・キムのブレンパワードの抹殺を優先するのだ。あれは危険なのだ、ジョナサン」

いかにも怪しい鎧姿の謎の人物、バロン・マクシミリアンが丘の上から大声でジョナサンに指示を出している。
これはこれでよし。ここで適当に痛めつけて退かせるのは当然として、もし今のブレンの損傷がリバイバルするに足りなかった場合はバロンズゥにもう一度攻撃させなきゃいかんしな。

「統夜、俺が前で斬りかかって動きを封じるから、お前は遠距離から、そう、遠距離から援護を頼む」

「……なんで遠距離を二回?」

「大事なことだからよ」

微妙な表情で疑問符を浮かべる統夜と、さらっと突っ込みを入れるカティア。
実際問題、完全に他からの援護が望めない二機連携なのでそこら辺はきっちりしておかないと無駄に混乱するので必要なことなのだ。

「あの、なにかあるんですか、あの二人に」

黙って静かに機体の制御を担当していたメメメが通信越しにこちらに疑問の声を上げた。
統夜とカティアは気付かなかったががどうやらメメメはあのセリフのどこを強調して言ったか、というのを少し汲み取ったようだ。
ぽやっとしつつもしっかりとした芯があり、観察力に優れるという設定は洗脳済みでもきっちり生きているらしい。

「面白いことが起こるかもしれないんだよ。ここでこいつを抑えていれば」

ぼかして答えながら二門の速射砲を両肩のウェポンラックにマウントし、ブレードとレーザーダガーを展開。
重力制御により、バロンズゥに向かって急速に『落ちて』行くボウライダー、さらにメインブースターと強化パーツのメガブースター二個を吹かし加速、ブレードをバロンズゥに向けて叩きつける。
激突の衝撃で大きく後退しながらも、ブレードを辛うじてフィンで受け止めたバロンズゥからジョナサンの叫び声が聞こえてきた。

「ぐぅぅっ! 邪魔だと言ったぁっ!」

「邪魔してんだから当たり前だ、と返してやろう」

ブレードとフィンで鍔迫り合いながら兆発する。力を得て調子に乗っている今ならあっさり乗っかってくれるだろう。
案の定、後ろに引くでもなくバイタルジャンプするでもなく、フィンを押す力を強めてくるバロンズゥ。

「ふん、いいだろう! どちらにしろ、あの女のブレンを抹殺するには邪魔になる、貴様から始末してやるぞ、機械人形!」

そう叫ぶと共に残りのフィンをボウライダーに突き刺しにかかってきた。
肩の速射砲は距離が近すぎて使えず、ブレードをフィンで押し合っている今ならどうにでも料理できると踏んだか。
だがまぁ、そこまで手加減するつもりはない。

回転鋸型ブレード起動、超電磁フィールド展開。鍔迫り合いしていたフィンを一瞬で切断、身を回すようにして迫る触手状のフィンを叩き切る。
数本斬り損ねるが、その数本は彼方から飛来したオルゴン粒子の結晶弾に撃ち落とされた。
結晶弾が飛んできた方角に頭部カメラアイを向けズーム、何時の間にかバイタルネットの結界ギリギリまで遠ざかったベルゼルートが、地に片膝をついてこちらにオルゴンライフルを向けている姿が映った。

「良い感じです!」

「このまま遠距離から狙撃でいきましょう。遠距離からね、近付かないように」

「言われなくても分かってる!」

通信から聞こえる姦しいやり取りを聞き、ベルゼルートから再び眼前のバロンズゥに視線を戻す。
さて、アンチボディがパイロットの気持も酌むなら、今の自分たちの無力感とかそういったものを刺激する程度に苦戦してみせなきゃならんのだが……。
逆に、向こうに行ったブレン二機の危機感を煽るほど残酷に圧倒的にバロンズゥを叩きのめし、パイロットの分まで無力感というか、完全体にならなければ自分たちまでやられる! 的な感情を想起させてやるのもありだろう。
そんな訳で、精々派手に暴れてやりますか。

―――――――――――――――――――

一方、バロンズゥを統夜と卓也に任せた伊佐美勇とネリー・キムの二人。

「う、ブレン……」

「これは、リバイバルの光、プレートがあったのか!? ネリー!」

欠けたパーツを補う合うように支え合い立っている二人のブレンパワード、その周囲をリバイバルの光のカーテンが覆っている。
伊佐美勇はネリー・ブレンのコックピットに乗り移り、オーガニックエナジーを吸い取られ衰弱しているネリーを抱きかかえていた。

「始まったのね。あなたと会ってようやくわかったの、あの人が言った通り、この子は完全じゃなかった。もう一度リバイバルが必要だったのよ」

ネリー・キムとネリー・ブレンはこの数日、白い機体に乗った人物を観察し、幾度か言葉を交わしていた。
ネリー・ブレンが恐怖とも共感とも言える奇妙な感覚を覚えた人物は、このブレンを不完全だと言い、そのためには必要な出会いが今なのだと、まるで預言者のような口ぶりで告げた。
進化を自ら欲するきっかけと、新しいブレンを育てる強い親が必要だ、と。


――遠くから、激しくも重苦しい重低音が聞こえてくる。アンチボディ・バロンズゥの悲鳴のような叫びも。
ここからはその光景は見えないが、あの恐ろしいバロンズゥを一方的に嬲っているのだろう。時折上がるバロンズゥの叫びを聞き、ネリー・ブレンが怯えている。
恐怖に身を竦めるネリー・ブレンを満身創痍のユウ・ブレンが支えている。精神的な意味での話だ。
進化しなければあの恐ろしい存在から生き延びることが出来ない。一人では戦えない。進化する為の身体も一人分では足りない。相手もこのままでは生き延びることが出来ない。
肉体的に不完全なものと精神的に不完全なものが補い合い、完全な存在に生まれ変わる。

……恐ろしいほど一気に条件が整ってしまった。もしかすると、こういう状況になることを予見していたのかもしれない。
だとすればあの男は……、いや、仮に思い通りだったとしても、今出来ることは何もない。ただこの子たちのリバイバルを見届けることしかできない。この命の最後の時間を使って。

「この子がここを出たがらなかったのは、ユウ、あなたのような人を待っていたからだった。命を与えられた者の可能性を探す為に」

あるいは、悪意ある存在から守り通す為に。

「誰が与えた可能性だ」

「それはあなたが探して。私にはブレンに吸い取られる程度の命しか残っていなかった。でもあなたなら、ブレン達を強く育てて、私の分まで生かさせてくれる。この子の力で、あなたの大切な人達も守ってあげればいい。外敵からも、身の内の悪意からも」

「身の内の、悪意?」

これしか言えない、まだ決まった訳では無いから。他を顧みないだけで、まだ邪悪なものだと決まった訳では無い。
思い出す、この数日の生活の中、あの男が気まぐれに語った想い人の話。その人の為になろうという献身の意思。
あの男の中にも、確かに邪悪では無いものが存在していたのだから。

「ネリー……?」

――ユウブレンと、命を吸い取られたネリー・キムの肉体がリバイバルの光に溶け込んでいく。
その光景に呆気にとられ呆然としている伊佐美勇の耳に、ネリーキムの囁きが聞こえた。

(悲しまないで。わたしは孤独では無かったわ、いつでも。最後には貴方達にも会えた。……ユウ、忘れないでね。憎しみだけで戦わないで。それではオルファンも、いえ、何も止められないわ……)

ネリー・キムとユウ・ブレンの融けた光がネリー・ブレンに収束し、リバイバルが完成した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

超電磁フィールドの光を伴わず、純粋に回転鋸としての機能を発揮し、ギュルギュルと唸り声を上げるブレードがバロンズゥの装甲を削る。
戦闘に必要な筋肉に相当する積層構造が存在する深さまでは達さない絶妙な手加減の成された斬撃。
見ればバロンズゥの表面はそのような傷で無数に覆われ、フィンも幾度引きちぎられたのがぼろ雑巾のような有様になっている。
バイタルジャンプでボウライダーの背後に回り、ブレードも届かず砲撃も出来ない位置に付いたバロンズゥ。
しかし、肩のウェポンラックにマウントされた速射砲が接続部分を基点にぐりんと大きく回転し、その頑強な砲身でバロンズゥの顎を殴りつけた。
離れれば速射砲、近寄ればブレード、背後は死角ではなく、逃げることもネリー・ブレンを追うこともできず、バロンズゥはその身を削られていく。

「あぁはっはぁっ! ごめんねぇ、強くてさぁ!」

ボウライダーのパイロットである鳴無卓也が叫ぶ。
当然通信は切ってあるのでこの叫びは聞こえていない。聞かせられないようなことを口走ってしまうだろうという予測は付いていたからだ。
テンションを上げ、本能の趣くままに力を振るい、ただ只管に目の前の獲物を嬲っている。
操縦桿から機体に神経を張り巡らせ、ボウライダーと普段以上に一体化し、短剣と鋸を手に、砲撃のリズムに乗り、手拍子のような狙撃音に合わせ、踊り狂うようにボウライダーを振り回す。

嬲っている、殺す為では無く破壊する為でも無く、ただ悲鳴と恐怖の感情を引き出すためだけの攻撃。圧倒的な力を示す為だけの蹂躙。
バロンズゥを目の前にしながら、バロンズゥを傷めつけながら、あくまでもこの行為はネリーブレンの再リバイバルを促すためだけに行われている。
逃がす事もしない。バイタル・グロウブの流れが目にはっきりと見える卓也は、バロンズゥが逃走する為のルートをボウライダーの身体を割り込ませることで潰し続けている。

反撃を喰らいそうになることもある。
しかし、チャクラの流れ、バイタル・エナジーの流れを正確に察知することによって、卓也の眼にはバロンズゥの十数秒先の動きまでも映っているも同然。
バロンズゥが必死にフィンを振り回そうとも片端からいなされ流され、チャクラ光はその軌道からあっさりと移動され回避される。

バロン・マクシミリアンが先ほどからバロンズゥのジョナサンに向かって指示を出している。
その必死な姿を見て、ボウライダーのコックピットの中で鳴無卓也は口の端を三日月のように釣り上げ、嗤った。
愉快そうに、滑稽に、皮肉に、嘲るように、羨むように。喉の奥からくつくつと絞り出すように笑い声を響かせて。

――いいな、この感じ。感動的だ。お次は『かわいいジョン』とでも続けるか?
遠目には、バロンズゥの速さに付いて行けず、ブレードも砲撃もギリギリのところで回避されているように見えるだろう。
だからこそ狙撃での援護が続いている。斬り損ねのフィンを撃ち落とす結晶弾が絶え間なく撃ち出されているのがなによりの証拠だ。

(と、そろそろいい頃合いだろう。どんな具合かな……?)

バロンズゥから距離を取り、二体のブレンパワードが引っこんでいった森の方角に顔を向けるボウライダー。同時に、眩いオーガニックエナジーの渦、リバイバルの光が溢れ出した。
成功だ。この数日結界の中を探索してみたが一切プレートは発見できなかった。間違いなくあれはネリーブレンの再リバイバルの光。

――これが見たかったんだ。未熟なバロンズゥでもなく不完全なネリーブレンでもなく、既にリバイバルしているアンチボディが再びリバイバルする瞬間というものを!
これが達成できたのならもう用済みとばかりにボウライダーをバイタルグロウブに続くラインから退かせ、満身創痍のバロンズゥに道を譲る。
すかさずバイタルグロウブに乗りジャンプする、バロンを掌に乗せたバロンズゥ。
ここからオルファンまで一発でたどり着けるものでも無いし、到着するころには再生してほぼ無傷の状態になっているだろう。
これでテンションを上げる必要はなくなった。表情を元に戻し、通信を繋ぐ。

「なんとか退いてくれましたね……」

「あのリバイバルを恐れてのことだろうな」

森の中から未だに溢れ続けているリバイバルの光。
実際は道が空いてようやく逃げられたというところだが、確かにあの光がチャクラ光になって襲い掛かってきたら溜まったものでは無いのも確かだろう。
光が収まり、森の中からユウ・ブレンの色に染まったネリーブレンが現れた。
さて、ここからは消化試合、適当に無人兵器を散らしたらこんどこそナデシコの大浴場でゆっくり湯に浸るとしよう。

―――――――――――――――――――

×月■日(版権スーパー系コンプリート!)

『とか思ったが、別にそんなことは無かったぜ! まだダンクーガのパワーアップイベントが残ってたりするんだ、これがな』

『でも野性とかあんまり分からんし、取りあえず取り込んではあるけど、使い道はなさそうだなぁ』

『ともあれ、マジンカイザーは無事カイザースクランダーとカイザーブレード解禁。俺もそれを複製してマジンカイザーのデータ、及びグレートマジンガーの完全版のデータを入手』

『そうそう、久しぶりに八卦ロボが出てきたがとんでもないわがままボーイだったので手加減無しでフルボッコにしてやった。中性的なイケメンにして貰った恩を仇で返そうとする大バカモノにはふさわしい末路だと言える』

『まぁ結局止めはメイオウ様が刺したわけであるが。これでなんとかGゼオライマー登場フラグだけは立てることができそうだ』

『その後のダナンの潜水艦ジャック事件もさらっと終了。八卦ロボの山、地、雷も全機でかかって叩きのめしたらあっというまに逃げていった』

『この話では顔見せだけ、Gゼオの条件は次の次の話なのでダメージ調整とか気にせず速射砲の的にしてやった。ゼオライマーに撃墜させるように仕向けたりしなければ楽な相手だ。正直、ラムダドライバの分だけベヒモスのが面倒くさい』

『ここまでどうにかGゼオライマーの出現フラグだけは満たしてきたし、ほぼ確定かな。どっちにしろもうほとんど機体は完成しているだろうし、これ書いた後で鉄甲龍要塞に乗り込んで回収しておこう』

『で、更にその後も例によって例の如く空気を読まずに喧嘩売ってきたザフトと連戦。これは特に書いておくことも無く終了』

『次はルート分岐、どっち行っても統夜が選んだルートでフューリーが出てくるんだよなぁ』

『前にアル=ヴァンが言ってた悪鬼云々についても聞きたいし、できれば統夜には残留ルートを選んでほしいものだ』

―――――――――――――――――――

鉄甲龍要塞内、幽羅帝専用機格納庫。

「なるほど、大体分かった。」

座標を覚えていたので途中砂漠などを中継せずに直で要塞内部にワープ、他の八卦衆の機体の設計図のデータやら予備パーツを拾い、幽羅帝専用機の確認をしに来た。
登場直前の八卦衆の残り三機をゼオライマーで撃墜するのが条件の一つであるGゼオライマー。
そこでゼオライマー以外で撃墜するとハウドラゴンになるのだが、そのからくりは実に簡単。
このGゼオライマーとハウドラゴン、ガワが違うだけの同機体なのだ。

「着せ替え式とはなかなか趣味的な男だったようだな」

「盗撮マニアだからねぇ……」

サポートとして付いてきた美鳥がしみじみと呟く。ドラマCDネタは自重するべきだと思うが、実際葎の仮面コレクションを発見している手前どうにも弁護のしようが無い。
まぁ、実際次元連結システムは人一人分のスペースがあれば簡単に搭載できてしまうから、ハウドラゴンとグレートゼオライマーの中身が一緒でもなんら不都合は無い訳で。

「これで、ゼオライマー系の機体はコンプリートだな」

「よっしゃ、時間も少し余ってるし、ちょっと寄り道してもいいよね。そろそろ水着でバカンスな話があるからさ、一緒に水着選んでもらえると嬉しいなぁ」

やたらはしゃいでいるが仕方ない、なにしろ美鳥にとっては水着も海水浴も文字通り生まれて初めての体験なのだ。
元になる生地も存在しないので複製して済ませるとかもできないし、どうせスパロボ世界に来ているのだから、スパロボオリジナル主人公達の奇抜なファッションを支えるこの世界のデザイナーが作った水着を手に入れるのも一興だろう。
お、そう考えるとこの世界で水着やら下着やら買ったら姉さんへのいいお土産になりそうだ。
姉さんのスリーサイズも当然覚えているし、美鳥の水着を選ぶついでに姉さんへのお土産も探しておこう。




続く

―――――――――――――――――――

丸一話使って『カーテンの向こうへ』に主人公を挿入する話終了。
書ける時にささっと書いて、思いついたらシーンとシーンの間にさらに新たなシーンを挿入して、って感じで作ってるので、前後のシーンで微妙につじつまが合って無かったらどうしようとか戦々恐々。
一応その辺りは誤字探ししつつ推敲する上で探しているんですけど、見逃がしがあるかもなので、見つけたら誤字と同じくご一報ください。
今回試験的に地の文弄ってみました。後半のネリーの独白部分から一人称の文と三人称の文が何回か切り替わってます。読みづらいとか分かりにくいとかご意見頂ければありゃりゃす。
前回少しエロいこと書いたから今回は賢者モード。シリアスというか、静かだったり残虐だったりでエロくないお話でした。
実はラストの鉄甲龍要塞で、

鉄甲龍の戦闘員に見つかりそうになる→サポAIが一瞬で首刈って始末→ご褒美下さい→敵地の真ん中で結界も張らずに『人が来ちゃうよぉ……!』プレイ開始!

みたいな流れもあったんですが、二話連続でエロシーン入れるのもなんだし、全年齢表現ギリギリのラインが見極められなかったり、エロばっかりやってると打ち切りになるジンクスがあるので自重しました。


機能しているのかも必要なのかも分からない、セルフ突っ込みこうなぁ。忘れられてそうな内容のおさらい含む。

Qなんで主人公は勇とイイコの間に割って入ったの?
A本文中でも言っていた通り、姉と弟が殺し合うとか無いわぁ、という考えがあったんです。その辺踏まえてブラッディカイザルはエイジが話しかけるよりも早く、グラビティブラストの開幕ぶっぱで潰してます。
殺さなかったのは、エイジ姉は条件満たさなければ勝手に死ぬからいいとして、本来生き残る運命にある姉属性の人を殺すのをためらったとかそんな。つまりこの雪山エピソードに絡ませる為の天の意思、作者の都合です。

Qなんでこのエピソード?
A最終回の展開とかの為にメメメとの親密そうな、というか、メルアが主人公に洗脳されてどの程度慕っているかという描写をする為。限定された環境で、なおかつ普段べったりなサポAIを主人公から引きはがしてくっつけやすくするため。
ほんとうはネリーに、あの男は危険~みたいなことを言わせたかったんだけど、そういう複線を回収する自信が無かったり。
ていうか、スパロボ編初期で説明した主人公の使う洗脳術の方式、某有名ラノベのアンチの的になり易い設定(原作設定だか二次創作設定だかは忘れた)を参考にしてるんだけど、突っ込み無いですねぇ寂しいですねぇ。
ついでに言えば『ごめんねぇ、強くてさぁ!』と主人公に言わせたかったのでわかりやすい強キャラであるバロンズゥを生贄にするためにこの話を選んだとも言える。

Q統夜に遠距離から狙うようにしつこく言い含めたのは何で?
A主人公の戦い方を見て成長したため、J主人公である統夜がやたら接近したがる感じになっているから。その辺含めて微妙に複線です。

Q主人公、メメメ洗脳とか痛めつける戦闘とか、外道過ぎない?
Aこの主人公が正道を歩んでいるように見える人は居ないので問題ないです。


次回、多分少しフューリー関係でシリアスやってお色気担当な水着話。予告は思いつかないのでこの辺で。
そろそろ主人公が離脱ということで、ややメメメとかその辺との絡みを押して行きますよ!当然予定は未定ですが。
まぁメメメ的にはどう足掻いてもバッドエンド確定なんですが。

しかし、このSSってどういう分類なんでしょうかね。ギャグでもなくかといってシリアスというほど空気が固い訳でも無く。
ネタSSってのが適格なのかもしれませんが、狙ってネタ入れてる訳じゃ無いからそうとも言い切れず……。
的確な分類法とかあったらご一報ください

そんなわけで、諸々の誤字脱字の指摘、この文分かりづらいからこうしたらいいよ、一行は何文字くらいで改行したほうがいいよなどといったアドバイス全般や、作品を読んでみての感想とか、心からお待ちしております。



[14434] 第十七話「凶兆と休養」
Name: ここち◆92520f4f ID:56c6d2cc
Date: 2010/04/23 17:05
遠目に映る鉄甲龍要塞はもはや見る影も無い程に粉々に砕け、もうもうと煙と炎をまき散らしている。
世界中のネットワークを支配し地球圏を冥界へと導かんとする秘密組織、鉄甲龍の終わりを告げる光景だった。

「ふん……」

その光景を詰まらなそうに見ながら、従士が駆るリュンピーやドナ・リュンピー、ガンジャールなどの量産機を引き連れたジュア=ムは、ヴォルレントのコックピットの中で不機嫌そうに鼻を鳴らした。
今回の出撃の目的は、フューリーにとって脅威になり得る可能性のある転移機能を持つ地球人の機体、ゼオライマーの調査、それ以外の行動は何一つ許されて居ない。
これは直属の上司たる騎士、アル=ヴァン・ランクスから厳重に言い聞かされた命令で、準騎士であるジュア=ムでは逆らうことも反駁することも許されない絶対の命令であった。

(アル=ヴァン様はあいつと会ってから、いや、それよりもあの白い機体か、あの白い機体と戦ってからお変りになられた)

実験体の乗るガラクタ、それを操る裏切り者と思しき者の事を重要視しているのは確かだ。なにしろあの機体は、こちらを絶対的優位に立たせているラースエイレムを無効化する機能を備えているのだから。
だがそれだけではない、あのカワサキシティなる街で戦っていた白い不格好な人型、あの機体と搭乗者を異常な程に危険視している。
確かに強かった。従士とはいえ前線に出ることを許された者達が瞬く間に撃墜されていったのだ。その強さを認めない訳にはいかないだろう。
しかし、あくまでもそれは対等の条件でやりあえばの話。
それこそあのガラクタと実験体を潰してしまえば、ラースエイレムによって止まった的になり下がる程度のものでしか無い。

(何を恐れておられるのですか? あのような猿どものガラクタ風情に)

いっその事自分が出向いてあのガラクタも白い機体も始末してしまおうか。
あの白い機体も難敵ではあるが、どうにかして実験体の乗るガラクタを先に始末してしまえばラースエイレムでどうとでも料理できる。
……以外といい思いつきだ。あの二機を始末すればあの方はもとに戻られるに違いない。
総代騎士であるグ=ランドン様からも、あのラースエイレムを阻害する機体は機会があれば最優先で潰しておけ、との命令を受けている。
命令違反もそれで全てチャラ、尊敬するアル=ヴァン様も元通りで万事解決だ。

「近辺にあの部隊の反応がある。全機俺に続け、この機会に一気に叩く」

「は、しかし準騎士殿、今回我らが出た目的は、あくまでもあの転位システムを持つ機体の調査のため。それ以外の行動、特にあの部隊との交戦は厳重に禁じられ……」

「その機体が今まさに吹き飛んだのを確認したところだろうが。調査はこれで終了、そもそもあの機体さえ居なけりゃ、そんなまどろっこしい事はしなくて済むんだ。そうだろう?」

「ですがジュア=ム殿、騎士様の命令では」

「いいからお前たちは言われた通りにしてればいいんだよ! あいつは俺達の目的のためには存在しちゃいけないものなんだ! 総代騎士であるグ=ランドン様も機会があればそうせよとおっしゃっていた! すべては我らが民たちの為、アル=ヴァン様とて認めてくれる!」

「……は!」

民の為という言葉か、総代騎士直々の命という大義名分の為か、そのどちらの言葉に反応したか、従士はしばしの黙考の末に力強く頷いた。
そう、すべては我らが民の安寧の為、その為に力を尽くすのだ。
そう、在りし日のアル=ヴァン様にお戻り頂く為に、あのガラクタどもを始末する。
それぞれに強い決意を胸に秘め、従士達と準騎士は目標地点へと転位した。

―――――――――――――――――――

鉄甲龍要塞から少し離れた砂漠地帯、ジュア=ム率いる従士の軍団が転位を終えると、そこには破壊し尽くされたASや八卦ロボの残骸で埋め尽くされていた。
だがその破壊痕を生み出した戦闘機械の軍団を前にしてもジュア=ムの余裕は崩れない。

「よぉし、かかるぞお前たち! いいな、目標は奴のみだ。邪魔ならあとのゴミどもも潰せ。今日こそ、俺達の手であれを仕留めるぞ!」

砂漠で傭兵や八卦衆と戦闘を繰り広げていたアークエンジェルと特務部隊の機体群も、ジュア=ム達の目標がベルゼルートであることを承知しているのか、ベルゼルートを守るような陣形を組み直す。
消耗の大きい機体は一旦母艦に戻り整備と補給を受けるのだろう。幾つかの機体がアークエンジェルへと帰艦していく。
ダメージが少ない機体、あるいは補給の必要の無い機体は引き続きフューリーの機体へと攻撃を仕掛けていく。

そんな中、奇妙な存在感を発する機体にジュア=ムは気付いた。
両肩に二門の砲を備え、両腕にはそれぞれ奇怪な形の実体剣と短い刀身の光学剣を携え、全身を白の装甲に覆い、随所に黒が入った歪な人型。
尊敬する騎士、アル=ヴァン・ランクスと切り結び、專用の武器であるソードライフルを破壊し撤退せしめた憎き強敵。
その人型が、砂地に横たわるASの残骸を足蹴にしながらこちらを見上げている。

「……ぅ、あ……?」

その光景を見た瞬間、ジュア=ムは奇妙な感覚に陥った。
サイトロンの運んでくる未来の記憶の断片。いままで訓練の中で僅かな回数だけ発動した未来予知。
しかし、それを見ているのは自分であって自分では無い。奇妙な、生きているのか死んでいるのかさえ不確かになる不快な揺らぎ。

(俺は、あの機体に、あの機体を……)

記憶が揺らぐ。単純な時系列さえも正確性を失い、過去のものとも未来のものとも判別できない。
だが、確かな事がある。
あれを、あの存在をすぐさま破壊しなければ、破壊しなければ自分たちは、騎士団は、守るべき民は、フューリーは、悲願は――。

グシャリ、と、眼下の白の機体が、足蹴にしていたASの残骸の頭を踏みつぶす。
その踏みつぶされた頭が、自らの姿と重なりあい、ジュア=ムは咽喉奥がひりひりと乾くような感覚を覚えた。
声を出そうとして失敗する。声を出せたならば今すぐにでも部下に出した指示を変更するが、咽喉を湿らせる時間も惜しい。

(あれは、『駄目』だ。ここで、今スグに、今ならまだ、どうにでもなる、どうにでもしなければ、破壊しなければ──!)

処理しきれぬ未来の情報に脳が熱を持ち、腸にナイフをひたひたと押し当てられているような冷たさが全身を支配し、思考が空回る。
冷静な思考を行えなくなったジュア=ムだが、一つだけはっきりと自覚できる感情があった。この敵に対し自らが抱いている強い感情。
極々単純な生命危機への恐怖、人としての尊厳を踏み散らかされることへの恐怖。
そして、その感情を自覚すると共に、一つの教え、自らに課せられた使命が頭をよぎる。騎士として民を、守るべき存在達を守るという使命感。
恐怖、そしてその僅かながら備えていた使命感が、ジュア=ムの身体を突き動かした。

―――――――――――――――――――

「っんのぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

唾を飲み込み、雄たけびをあげて自らを鼓舞しながらビームライフルを乱射するジュア=ムのヴォルレント。
白の機体――ボウライダーは撃ち出されるビームを避けようともせず、両肩の砲を迫るヴォルレントへゆっくりと向けた。
こちらの方が早い、迎撃されるよりも早く撃墜し破壊できる。
しかし、そんな自分でも信じることのできない予測、期待はやはり見事に外れた。
淡く輝く薄いバリア。それが放たれたビームのことごとくを明後日の方向に逸らし、運良くバリアを貫いたビームもその威力を大きく減衰させ、白い装甲を緩く温めただけで終わってしまった。

バリアの存在を失念していた迂闊さにジュア=ムが舌打ちをする間もなく、ヴォルレントへ反撃が襲いかかる。
ボウライダーの肩にマウントされた砲から、超音速の砲弾が文字通り途絶える事無く吐き出された。
が、砲弾が吐き出される寸前に既にオルゴンクラウドでボウライダーの後方へ転位、エネルギーソードを展開し、全力を持って斬りかかるヴォルレント。
回避の難しい相手の攻撃に対し、反射的に空間転位を行い回避、そのまま自らが攻撃可能な状況へと持ち込む。
準騎士以上のものでも使えるものの少ない空間転位を織り交ぜた多次元機動を基礎とした戦闘法、咄嗟にそれが実践できたのは日頃の訓練の賜物であった。

「これなら、どうだよっ!」

あの機体形状ならばこの角度ならばどのような攻撃も返せない。ここからならば装甲に覆われていない間接部分が丸見え、ソードをねじ込み切り裂くことが出来る。
振り向いての防御も間に合わない、あの両腕のブレードとバリア以外の防御方法はここまで確認していない。
貰った。ジュア=ムはそう確信した。

そう、確信していた。キシィ、と金属を擦り合わせるような、そんなとても破壊出来たとは思え無いような軽い音を耳にするまでは。

「なっ――」

受け止められていた。ブレードではない、シールドでもない、ではそれは何か。
砲だ。肩に備え付けられていた砲身が回転し、条件さえ揃えば現時点で地球最硬を誇る超合金ニューZαさえも切り裂く事の可能なエネルギーソードが、受け止められていたのだ。
ヴォルレントの半分にも満たないサイズの機体の、ヴォルレントからすれば小枝のようなその砲身によって、だ。

「なんだよ、そりゃぁ!」

ジュア=ムは驚嘆の叫びをあげた。
なんだこの機体は、この成りであそこの黒くてゴツイガラクタよりも頑丈だとでも言うのか。
出鱈目だ。チートだ。インチキだ。

――無論、そんな事はありえない。
現時点でのボウライダーの装甲はナデシコが機体のデータ取りを始めた頃と変わっていない。まともに正面からエネルギーソードの斬撃を受ければその装甲はあっさりと、とは言わないが切り裂かれる。
では何故受け止めることが出来たのか。
理屈は実に簡単。正確には受け止めたのではなく、受け流したのだ。

刃物でモノを斬る時は、斬る面に対して刃筋を立てなければいけない。
地面に対し平行に置かれた板を思い浮かべて欲しい、鉈や斧の刃を垂直に振り下ろせば刃は板を叩き割るか、そうでなくとも少なからずめり込むだろう。
しかし、刃を斜めにして振り下ろせばどうなるか。或いは板が地面に平行ではなく、振り下ろされる刃とほぼ平行であったならば。

ボウライダーの行った防御行動は実に単純なもの。
振り下ろされる刃に対し、肩のウェポンラックを動かし、ほぼ平行に近い角度になるような形で砲身をぶつけた。
そうすることにより、エネルギーソードの刃はボウライダーの速射砲の砲身の装甲を断つこと無く上滑りし切り裂けない、こうして速射砲の砲身で見事に受け切ってみせたのだ。


その事に一瞬の間の思考で気付いたジュア=ムは、しかして改めてこの敵のやってのけたことに戦慄する。
死角から迫る斬撃の斬線を見切り、さらに見ることも無くそれに合わせて肩の砲を動かした。
しかも、直前に前方に存在した自分の機体へ向け砲撃していたにも関わらず、一瞬でそれをやってのけたのだ。

超反応か、予知能力か、直感か。どちらにせよまともな攻撃など当てられよう筈もない。
この難敵をどう始末するべきか、いや、ここで手を出したのはまずかったのでは無いか、アル=ヴァン様の言うとおりにすべきだったのではないか。
せめてエネルギーソードがエネルギーを固形化して形成される実体剣ではなく、熱量で焼き切るタイプのものならば結果は違ったかもしれないが、今さらそこを悔やんでも意味は無い。
そんな事を考えるジュア=ムは、高速で接近する機影に反応することができなかった。

「っ、がぁぁ!」

衝撃。機体が受けたダメージを喧しい警告音が知らせてくる。
頭部を切り裂かれ、メインカメラとセンサーの一部が死んだ。サブカメラに切り替え、レーダーを確認、今の攻撃を放った敵機を確認する。
上空を飛ぶ、黒い鳥のような戦闘機、機体下部には折りたたまれた脚のようなものがあり、両翼の先端には球体とそこから生える光剣。
鳴無美鳥の駆る可変翼戦闘機、強化型スケールライダー。
スケールライダーの光剣が、意識を完全にボウライダーに向け周囲の確認を怠っていたジュア=ムの機体、ヴォルレントの頭部をすれ違い様に切り裂いたのだ。

「この、生意気なんだよ! ガラクタ風情が!」

不意撃ちを喰らったことで激情に駆られ叫ぶジュア=ム。
叫んで、撃ち落とす為にヴォルレントにビームライフルを構えさせようとし、気付く。
待て、こいつに気を取られていいのか、何か忘れていないか、とても重要な何かを。
サブカメラに映る外の光景、その中に、不思議なものが見える。

「………………あ?」

切り落とされた、腕。
自分が駆るヴォルレントと同型の腕、塗装まで同じ、先ほどの自分の機体があの機体に振り下ろしていたエネルギーソードまで。
本体からのエネルギー供給が途絶え、エネルギーソードの刀身が砕け散った。
そのガラスが粉々に割れるような音とともに正気に戻る。

最初に、ハエの大群が飛びまわるような耳障りな音を認識した。あの機体の持つ機械式のブレード、その回転音。
氷の塊でも削っているかのような、シャリシャリという音。
続いて、衝撃。衝撃と共にコックピット内部の重力が九十度傾く。
脚を切断され、機体が仰向けに転倒したのだと気付く。

武装を全て失って戦闘の続行は不可能だが、ブースターは無事、オルゴンエクストラクターも無事、少なくとも逃げる事はできる。
今まさにコックピットへ向けて突き込まれている光学剣を無事にやり過ごす事が出来れば、の話だが。
助けは期待できない、何時の間にか自分の引きつれていた従士達の機体のマーカーが消えている。
もし生き残りが居たとしても、従士程度では時間を稼ぐこともできず撃墜されてしまうだろう。それほどの相手だ。

(あ、終わった)

――不思議と恐怖は感じない。
先刻サイトロンの運んできた未来に比べれば、ここで戦って死ねるというのはなんと慈悲深い真の死だろうか。
まさか自分が地球にはびこるゴミ虫に殺されることを、ここまですんなりと受け入れることができるとは。

ことここに至って、ジュア=ムの心は穏やかに、まるで悟りを開いた僧のように自らの死を受け入れようとしていた。
まだ奇跡的に機能しているサブカメラが、地球から見える青い空を映しだし、ジュアムの網膜へと映し出した。

「綺麗だなぁ、空――」

青い空、白い雲、日の光に、多くの同胞が眠る白い月。

「アル=ヴァン様、フー=ルー様、勤めを果たせず、申し訳ありません……」

上司である騎士達の名を呟き、届かぬ謝罪を口にする。
装甲板を焼き溶かしながら進んでくる熱量を感じ、覚悟を決めて眼を閉じた。

「…………?」

が、何時まで経っても鉄をも溶かす超熱量の刃は来ない。
状況を確認する為に瞼を開け、レーダーとモニタを確認する。
レーダーには自分以外の騎士団の機体が二機、新たに増えていた。
モニタには白と黒の二機、選ばれた騎士にのみ与えられる名誉ある機体、ラフトクランズがこちらを庇うように白の機体と相対する姿が映し出されている。

「潔さこそ騎士の性。でも、今はそれを押し殺してでも使命を果たすべき時でなくて?」

「私の指示を無視し、挙句従士を無駄に死なせたこと、不問にする訳には行かぬが、今はこう言おう。――無事か、ジュア=ム」

騎士フー=ルー、騎士アル=ヴァン、フューリー聖騎士団の二強とも言える存在が、そこに存在していた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「お?」

撤退するような雰囲気も見せず、生かしておいても特に重要なイベントには絡まないだろう、そう思いブチ切れ基地外候補に止めを刺そうとした瞬間、刃を展開したソードライフルで斬りかかられ、更にオルゴン粒子の弾丸がボウライダーを襲った。
オルゴンソードを斬り払い、弾丸を避け後方に跳び退る。
攻撃の飛んできた方向を確認すると、そこには白と黒のラフトクランズが。

「むむむ」

ラフトクランズが、二機?
ここで出てくるのはアル=ヴァンの乗る黒いラフトクランズ一機のみの筈。なんで男らしいウォーモンガーの人の白いラフトクランズまで現れるんだ?
疑問に思っていると、ソードライフルを銃のように構えた白いラフトクランズからの通信。
悠然とした、というには些か漢らしすぎる威風堂々さを兼ね備えた笑みを浮かべた、整った顔立ちの女性がモニタに映し出された。

「初めまして、私はフューリー聖騎士団所属の騎士フー=ルー・ムールー。貴方がアル=ヴァンの言っていた滅びを運ぶ悪鬼ね?」

凄い言われよう、初対面の女性に滅びを運んでくるだの、悪鬼だのと決めつけられる経験なんてそうそうできることでは無いだろう。

「どこの誰が言ったのかわかりませんが、こちらは好き好んでそんな馬鹿な真似をする気は毛頭ありゃしませんよ」

成り行き次第でやらないでもないが。

「ふふ、口ではどう言っても、貴方からはそういう気質を感じるわ。戦うもの戦わぬものを選ばず破滅へと誘う、邪気無き悪意無き害意が!」

だめだこの人、テンションだだ上がりでまるで話を聞いてくれない。
ああいやでも、こいつも俺が悪鬼と言われる理由を知っているってことでいいんだよな?
聞き出したいが、アル=ヴァンとはまた違った意味で教えてくれなさそうな予感がする。この人戦争狂だし。

「俺を悪鬼と呼ぶからにはあんたも見たんだろう? サイトロンは何を見せた」

俺もあの戦闘で一瞬だけ見た、が、そこまで鮮明に見えたわけでは無い。
確かにやたらアレな事をしていたが、人体実験をするような連中に悪鬼と呼ばれるほどのものでは無かったと思う。
確定した未来という訳でも無いので気にしなかったが、具体的に俺はこいつらに何をするから悪鬼なのか、聞いておいて損は無い。
ここで都合良くサイトロンが俺に未来を見せてくれればそんな必要は無いんだが、まぁまだそこまで適合率が高い訳では無いから仕方がない。

「今は教えられませんわ。それを知るのも戦うのもここでは無い、もっと相応しい戦場で」

いつの間にか体勢を立て直したジュア=ムの片腕と両足を失ったヴォルレントが宙に浮かびあがり、その場から転位。
それを確認し、モニタの向こうの女性、フー=ルー・ムールーがこちらに微笑みかけてきた。
背筋がぞくりと震えそうなほど美しい笑顔。
戦争好きする生き物特有の、攻撃的な笑みだ。

「その時こそ、心躍る戦いを。楽しみしていますわ」

白いラフトクランズはソードライフルを収め、美しいお辞儀をして消えた。
そして、先ほどまでは統夜と話をしていたのだろう黒いラフトクランズのアル=ヴァンからも通信。

「悪鬼よ、貴様を確実にヴォーダの闇に沈めるため、こちらは万全の用意をした上で戦わせて貰う。その時までその命、しばし預けておこう」

もうこいつから聞き出すのは無理だな。完全に話すより殺すって雰囲気がにじみ出てる。
でもせめてこれだけは言っておこう。

「新しいソードライフルかっこいいですね」

「…………」

なにも言わずに転位で帰ってしまった。
『それほどでもない』と返してくれるとは期待していなかったが、せっかくわかりやすい挑発をしたんだから何か反応してくれてもいいと思うんだが……。

―――――――――――――――――――

◇月▼日(機動武道伝Gガンダム、完!)

『といった具合で、ドモン率いるシャッフル同盟がデビルガンダムとマスターアジアとの決着をつけた』

『いや、実際決着に見えてデビルガンダムもマスターアジアも逃げのびているんだが、そのエピソードにしてもまだ先の話、俺が気にするようなことではない』

『ていうか、この世界だとネオジャパンの陰謀とかこんなこともあろうかと鍛えに鍛えたこの身体ぁ!とかが無いから色々と尻切れトンボになっている』

『まぁ、アニメ本編でも東方不敗暁に死す! で切っても違和感が無いような感じだったし、ウルベのエピソードが端折られるのは仕方がないか』

『実際、暁に死すの一枚絵では絵師の人が勢いで『機動武道伝Gガンダム完!』と書いてしまったというエピソードが存在するほどなのだ』

『まぁ武道家としてのドモンの物語はあの時点で完結にしても構わないにしても、レインとの恋愛とかその辺に決着をつけるためには必要なエピソードであるからして、そこで切らずに最終回までちゃんと見よう』

『原作の話はどうでもいいんだ、それよりもゴッドガンダムだな。真新しい機能と言えば、やはり感情をエネルギーに変換する機能が完全な物になっており、怒り以外の強い感情からもエネルギーを生み出すことが可能となっている』

『次元連結システムを使用できない状況に陥った時、気合と根性の続く限りエネルギーを生み出すことのできるこのシステムは中々に頼りになりそうだ』

『さて、Gガンの話はここまでにしておいて、今現在の話だ』

『デビルガンダムを倒してから数日が経過し、ここまで通常待機とか無人兵器との小競り合いなどを除けばいたって平穏な日々が続いている』

『が、なにやら食堂でミスマルユリカ艦長主催、景気づけのお料理教室が行われているのだとか』

『ラブコメハーレムアニメの迷惑幼馴染枠が料理イベントとか、間違いなく主人公の食い倒れフラグだろう。あらかじめ言っておく、テンカワ乙。あの世でジローによろしく言っといてくれ』

『とまぁ冗談はともかく、人間の顔がリアルに紫色に染まる光景というのも興味深いし。普通のどこにでもある食材から毒物を生成できるラブコメ錬金術も一見の価値ありと見た』

『今日はまだ昼飯も食べていないし、少しばかりどんな状況になっているか覗いてみるのもいいかもしれない』

―――――――――――――――――――

――あたしは慄然たる思いで目の前の机の上に置かれた異形の物体を凝視した。
その刹那、あたしの身体に戦慄が走った。それは大小様々なサイズの生き物の身体を組み合わせたとしか言いようのない姿で、狂気じみた紫色の粘体が薄黄色の塊を覆っていたのだ。
鼻腔を焼き溶かすような冒涜的な異臭を漂わせたそれにスプーンを突き刺すと、なんとも名状し難き感触を指に伝え、これを口にした時のあたしのおぞましき最後を伝えてくるかのようであった。
またこれは一般的なキッチンに存在する正常な食材から作られており、台所に存在するものがこのような奇怪な存在を生み出し得ることを示し、人々を混迷に陥れるのだ――。

「どうですか先生!」

どうですかじゃねぇよ、臭気だけで目に沁みるわ。むしろ存在するだけでSAN値が減るわ。

「素晴らしい才能だと思うよん。テンカワなら確か運動場の方に居る筈だからさっさと失せ、んっんぅ! ……さっさと食べさせに行くといいよ」

「ありがとうございます! アキトー、あたしの手料理で元気にしてあげるー!」

高速で食堂から駈け出して行く艦長を見送り、あたしは厨房の中に設置された換気扇をフル稼働させた。

「あ、あの、美鳥ちゃん?」

千鳥かなめが頬をひくつかせているけど無視、ていうか空気が入れ替わるまで極力口も鼻も使いたくない。
対毒用のフィルターを気管に仕込んでいるのに気分が悪くなってきた。
だからああいうギャグ補正のかかった食い物は嫌いなんだ、毒物が利かないからって口にできるような物じゃないし。
舌にも防護用のフィルムを張り付けておいたけど、貫通しそうだったから味見と採点は諦めた。虎児の入っていない虎穴には入らないのが平和への第一歩だ。

「じゃ、あたし今ので肺をやられたからここでリタイアするんで、ツッコミとサイサイシー、後の事はよろしくな~」

「あー、うん、ごめん。わざわざ手伝ってもらったのに……」

「ごめんよ美鳥ちゃん。オイラも、まさかあそこまで酷いとは思わなかったからさ……」

あたしの途中退場を沈痛な面持ちの二人が受け入れてくれた。

「いいよ謝らなくて、むしろ艦長が謝るべきだから」

食材とか調理器具とか、むしろ料理という概念に土下座しつつ割腹して果てるべきだと思う。
あたしも実家で料理を手伝っていたから先生役として参加してたんだけど、ギャグ補正の掛かる作品の連中は壊滅的だった。あれじゃあ教えようが無い。
料理は愛情? それもいいんだろうね、基本を押さえていれば。
でも愛は隠し味にはなってもメインにはなり得ないんだって事を理解して欲しい。
隠し味だとかもう一味だとかをやるのは一人前に料理を作れるようになってから、とは言わないけど、せめて教本読みながらならまともな飯が作れるようになってからにして貰いたい。

「ちょっと、大丈夫なのミドリ」

「ええと、なんて言ったらいいのかしら……」

「だいじょぶだいじょぶ、少し横になればよくなるから。アキさんは皮むきの練習がんばってね~」

こっちを心配そうに見つめてくるシモーヌと、なにやらフォローを入れようとして言い淀んでいるアキさんにひらひらと手を振り、ふらふらと厨房を離れる。
予想外の試練だった。まさか万能を誇るこの身体がギャグパートの料理に屈することになろうとは……。
椅子を何個か並べてその上に寝っ転がっていると、廊下から豹馬が駆け込んできた。

「た、大変だ! アキトさんとボスが倒れた! 食事に毒を盛られたんだ!」

「うるせぇ黙れ……」

大声が頭に響く。それを聞きつけた軍曹まで騒ぎ出したので袖の中に麻酔針を複製、手首のスナップで投げて静かにさせておく。
なんであたしがこんな目に、こういうのはもっと、苦労症の奴がやるべきイベントだろうが。
日常イベントだからと珍しく首を突っ込んだ結果がこれ。

「ここで看護の達人たる俺がきゅうきょ参戦。おおみどりよしんでしまうとはなさけない」

「死んでねぇし。せめてブロか王様かどっちかに、って、おお、なんか癒される良い香りが」

お兄さんが土鍋と小皿、そして空の茶碗と蓮華の載ったトレイを持ってやってきた。
なんかわからんが胃袋の救世主キタコレ。流石お兄さん、あんた天使だ!

「鳥粥でも食って落ち着こうか。しかし嫌な事件だったな、面白イベントかと思いきやあんな殺傷兵器が生み出されることになろうとは……」

「テンカワの死亡保険って誰が受取人になるんだろねぇ」

椅子から起き上がり土鍋の蓋を開ける。

鳥粥。見た目はシンプルなお粥だけど、鳥と生姜のいい香りがする。
具は別盛りで小皿に分けてあり、内容はほぐした鶏肉、刻んだシソの葉、白髪ネギ。
蓮華で茶碗に少しづつ取り分け、具材を調節しつつ食べる。

これこれ、こういうのでいいんだよこういうので。
ごま油と醤油を少し垂らして……、ああ、安らぐ。お兄さんの愛情を確かに感じる。
ほんと、これはおいしい。ほんと……これほんとにおいしい。
けど……どうやってそれを表現したらいいのか、なにを言っても気取っているようで……。
うまい……、おいしいです、ほんとに……これ。
こんな簡単なものでもここまで美味しく感じられるのは直前に見たグロ画像寸前の奇怪な物体のお陰かも。

「いやいやいや、まだアキトさん死んでませんから」

「まだ、って事は死ぬ可能性があった事は否定しないのね」

お、ちょっとゴローしてる間にヅラと三人娘もおもむろに同席してる。
三人娘の分の料理はヅラ特製か。一人暮らしが長いから料理ができる、まさにハーレム系主人公の定番だな。
こういうのって何故かプロ並み(笑)とかそんな設定があったりするけど、プロ舐めんなって感じだね。てめぇ金とれるレベルのモノをコンスタントに作れるのかと。厳しい修行を耐え抜いた料理人ディスるとかまじ許せんよなぁ。
同じく年齢一桁の幼児の作る手料理がプロの作る料理に匹敵するとかも同じく違和感。
好意による補正が入っているのは確定的に明らか。

それはともかく粥、お兄さんの手作りだし味わって食べなきゃね。
味は、うん!これこれ! ……って、何が『これ』なんだろう。
でも数か月ぶりじゃないかなぁ、ナデシコ乗ってから、ていうかこの世界に来てからはずっと食堂飯だったし、手料理感がたまらない。
ああでも、こういうの食べるとお姉さんの手料理の味とかも連鎖的に思い出すなぁ。

「じぃっ……」

「……なに?」

「ううん、なんでも無いですよ?」

ひたすら蓮華を動かして食べていると、金髪ホルスタインがあたしの鳥粥をじいっと見つめているのに気が付いた。
ていうか、明らかに狙ってるな。これは泥棒猫フラグ!
しかしあたしは猫に餌をとられるほど抜けてはいない、むしろ鎖に繋がれて断食数日目の犬の目の前で、血もしたたるステーキ肉を食うとか最高の楽しみだと思う。

空になった茶碗に再び粥をよそい、鳥肉、シソの葉を乗せ、その動作一つ一つから口に運び咀嚼し飲み込むまでをもったいぶった速度で見せつけるように!
しゅばっ、と蓮華を口から抜き取り、決め台詞。

「おいちい!」

「う、うぅぅぅぅ……!」

ふ、勝った。
しかし何故だろう、あたしの心の中を、乾いた風が吹き抜けて行きやがる。
戦いは空しい。そんなことを考えつつも、お兄さんの手料理を独り占めする優越感を味わうのであった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

テンカワほかボスなどの痛ましい犠牲者を出した怪事件から数日が経過し、ナデシコとアークエンジェルは何をしているかというと……

「海はいい……」

「ああ。海はいいな……」

「おまえら感慨にふけるのは良いけど、海パン一丁で女性陣を舐め回すような視線で追ってるとまるっきり不審者だぞ?」

とりあえずぴっちりスポーツタイプの海パンを穿いた豹馬と忍に軽く注意を促す。
そう、ナデシコとアークエンジェルは太平洋上の孤島、クリムゾン島に封印されているチューリップの調査、という名目でリゾートに来ていた。

「そう言わないでくれよ卓也さん、俺達は今、戦いを無事生き抜いて得た人生の喜びってやつを精一杯感じてるんだからさ。さやかさん、ちずるさん、カティアさん、ミナトさん、めぐみさん、カナンさん、イネス先生に……」

同じく赤いブゥメランなスーパー系ビキニを身につけた(それ以外何も装着していない辺りが男らしく見える不思議、流石ダイナミック)甲児が次々と視線を移していく。
なんていうか、今挙げた女性陣の順番とかラインナップとかからこいつの女性の好みが透けて見えるなぁ。
とりあえず、単純に巨乳好きと見せかけて微妙なサイズの娘が混じってるあたりにこだわりを感じざるを得ない。

「あ、そういえば向こうでロールさんとローリィさんがオイル塗ってくれる人を探していたようだが」

「な、なんだってー! そういうことは早く言ってくれよ!」

即座に俺が指差した方向に向けダッシュを始める甲児。凄い簡単に釣れるなぁ。

「え、うそ!? その役目は是非とも俺が!」

「てめえら抜け駆けすんじゃねぇ!」

その甲児に少し遅れて走り出す雅人と忍、おお、激しい激しい。
共釣りというかむしろ一つの針に魚が数匹纏めて食いついてました的な感覚だな。
まぁ嘘なんだがな。そんな上手い話がある訳がない……、餌をちらつかせれば勝手に群がってくる……! まさに動物(ケダモノ)……!

「お兄さん、ここはビーチなんだし、相手をだまして顎と鼻を尖らせるとかじゃなくて、女性陣の水着を見て鼻の下を伸ばすのが男として真っ当なリアクションだと思うんだけど……」

「おお、もうとっくに海に突撃しているもんかと思ったら」

背後にいつの間にか立っていた美鳥。水着の上からパーカーを羽織り、日避けの帽子を頭に被っている。
初期形態よりも外見年齢が成長し、多少肉付きが良くなったとはいえ、無闇矢鱈とナイスバディなモデル体型の多いナデシコやアークエンジェルのクルーとは比べるまでも無いスタイル。
しかし、こいつの身体は何故かむっちりというか、ややエロいというか。
多分最初に産まれ落ちた世界がブラスレイター世界、ゴンゾとニトロの合作世界というエロワールドだったせいかもしれない。
おそらくパンチラとエロゲの要素が合わさり最強に見える感じなのだろう。度々俺を誘惑するエロい行動からもその片鱗が伺える。

「あの、えっと、この水着、どう、かな……?」

そんな事を考えているといつの間にかパーカーを脱いでいた美鳥が、恥ずかしそうにもじもじしながら問うてきた。
それに俺は……

①「うん、良いじゃないか、似あってるぞ」
②「なぜスク水じゃないかが理解できない」
③「うーん、まぁまぁだな」
④「ちょっと向こうの岩陰に行こうか」

ふと頭の中にこんな選択肢が頭の中に思い浮かんだが気にしない。
まぁ仮に俺が欲求不満だったら①と④の混合が正しい答えだろうが、そんな普遍的なエロゲ展開に持って行くほど俺は愚かではないつもりだ。

「ぱっと見では健康的な癖に程良くエロくて大変よろしい」

「えへへ、そんなにストレートに褒めないでよ、お兄さんってばクーデレなんだから……」

褒めてるように聞こえたのか、いや褒めてたけど。
美鳥が今身に付けている水着はトップスがホルターネックになっている可愛らしいチェック柄のワイヤービキニ、下にはヒラヒラしたティアードスカートを穿いている。
意外とこういうした女の子女の子したデザインの物も好みらしい。
戦艦に乗っている間は戦闘待機の間に自由時間があるようなものなので、基本的に常時パイロットスーツとジャケットとかそういった雑な服しか着れないし、元の世界では基本的に雑貨屋の店番か畑仕事の手伝いなので動きやすく落ち着いた格好しかできない。
だからこういったイベントの時くらいは可愛らしい服を着てみたいのだとか。
元の世界に帰ったらその辺考慮してお洒落な服もそれなりに着れる状況を与えてやるべきかもしれないな、なんだかんだで散々手間かけさせちまってる訳だし。

「ていうか、その水着選んだの俺だしなぁ、このやり取りは試着室の前でやるべきだったんじゃないか?」

実際に着ているのを見たのはこれが初めてだが、どれが似合いそうなのかを美鳥の好みを聞きつつ選んだ訳だし。

「わかってねえなぁ」

俺の言葉にちちちと指を振る美鳥。

「こういうのは、実際に海とかプールとかで初めて見せて、そこで褒められてこそ価値があるもんだろ?」

試着室前の水着姿と海と砂浜をバックにした水着姿、どっちが綺麗に見えるよ?と続ける美鳥の言葉に思わずなるほどと納得した。

「納得したところでさ、あたし達も海で遊ぼうぜ!」

此方の手を引く美鳥に引き摺られるようにして、俺も海の中へと入っていくのだった。

―――――――――――――――――――

美鳥と数キロ先の小さな岩まで遠泳で競争し戻ってくると、そこには丁度小休止に入ったのか統夜と三人娘がなにやら砂浜に座りながらこそこそとやっていた。

「テニアちゃん、ほ、ホントにそんな感じでいけるんですか?」

「だーいじょうぶ、まーっかせて! 」

日焼け止めの入ったボトルを手に恥ずかしそうに身をくねらせるメメメに、テニアが歯を見せる豪快な笑みを浮かべながら中指をおっ立てている。
この部隊結構外人多いからそのジェスチャーはヤバいと思うんだが……。
ていうかテニア本人もそういうジェスチャーがシャレにならない地域出身だと思うんだが、まだ常識を学びきっていないのか?
まぁ、あのフレーズとあのジェスチャーが同時に出るのは美鳥の入れ知恵だろう。
いい感じに微妙に間違った常識が着々とインストールされているようだ。

「ビーチで水着とくれば素肌にクリームやら油を素手で塗らせて男を欲情させるのが常套手段だってミナトさんが言ってたんだからまちがいないってば、ほら、卓也さん戻ってきちゃうよ?」

「で、でもぉ……」

「ああもうじれったいなぁ。そうだ! カティアに統夜で見本を見せて貰えば……」

そのセリフをやや離れた位置から聞いていた統夜が傍らに座るカティアに視線を向ける。

「……カティア?」

「や、やりませんからね、そんなこと」

そういいつつも統夜とカティアの距離が、肌と肌が今にも触れあいそうな微妙に他人とは言い切れない関係の距離になっているのだからにやにやしてしまう。

「あの金髪巨乳、今度は露骨に身体を使ってあたしのお兄さんを誘惑に来た、いやらしい……」

まぁスパロボオリキャラの中でもデザインからしていやらしいしな。金髪で巨乳でおっとり系とか明らかに狙ってるデザインだし。
というか、別に俺は美鳥のものでは無いんだが……。

―――――――――――――――――――

「喰らえ! 消えて燃えて痺れて増えて爆発する魔球ぅー!」

「な、なにぃ~~!」

美鳥の平手がボールを叩くと同時、文字通り、見えなくなりながらも炎と雷を纏ったバレーボールが増殖し、受け止めようとしたアカツキの腕に当たると同時に爆発した。
黒焦げアフロになり、口から煙を吐き出しながらその場にガックリと倒れるアカツキ。

「……凄い魔球だ」

ごくり、という観客のつばを呑む音と共に、ロペットから笛の音を模した電子音が響き試合終了を告げる。

「ポイント18-21、セットナデシコ雇われ組。ナオ、アカツキ選手ココデドクターストップノ為、リタイアデス」

アカツキ・ナガレ、リタイアー(再起不能)!
担架に乗せられて運ばれて行くアカツキを脇目に美鳥と三人娘が勝鬨の声を上げている。

「やったね美鳥! ナイスアタックだったよ!」

「うはは、あいむちゃんぴおーん!」

「卓也さーん!統夜さーん!見ててくれましたー!?」

「あれ、大丈夫なのかしら……」

一人だけ空気読んでアカツキの心配をしているがそこは気にする必要も無い、スパロボ驚異の科学力ならあの程度の傷、次のステージが始まる頃にはなんとかなっているだろう。
治らなくても所詮はアカツキ、戦艦で待機してる時の方が多いから戦力には影響しない。

「美鳥ちゃん、凄いな。あれが噂に聞く毘逸罵令(ビーチバレー)……」

「お前ほんと民明書房好きね」

民明書房、このスパロボ世界では実在しているらしく、密かにカルト的な人気を誇る奇書怪書を次々と発行しているのだ。
遺産とバイトで一人暮らししている為に微妙に娯楽らしい娯楽に手を出せない統夜も、古本屋によく流れているそれを愛読書にしているのだとか。
というか、なんで俺は統夜と並んで美鳥達のビーチバレーの観戦なんぞしているのだろうか。
まぁ、トランクスタイプの水着にジャケットと、スーパー系の連中よりはまともな格好してるからそこまで神経質に気にすることも無いか。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

うん、うまい肉だ、いかにも肉って肉だ。
これは、カルビか……、うんうまい。
しかし、これでご飯が無いなんて残酷すぎる。バーベキューでも焼き肉といったら白い米だろうが。
秘伝のスパイスとか肉の焼き加減とか本当に文句なしなのに、やっぱパン食は間違いだな。

「どうぞ」

ひたすら肉と野菜を喰らっていると、横あいから白米を持った皿が突き出されてきた。
そこには統夜が様々な具材の刺さった串と白米を持って苦笑していた。

「美鳥ちゃんが、お兄さんは肉には米が無いと駄目な人だから持って行ってくれって」

さすが美鳥、肉焼く係になってもこっちを気にかけるとか素晴らしい気遣いだ。

「ああ、悪い。そっちはテニア辺りのお守はしなくていいのか?」

「メルアとカティアが見ててくれてるから大丈夫ですよ」

白米の載った皿を受け取り食事を再開する。
そんな俺の隣に、同じく統夜が肉や野菜の刺さった串にかぶりつきながら座り込んだ。
そのまま黙々と食事を続ける俺と統夜。
暫くして確保しておいた肉と米を食い終えると、隣で同じ串に刺さっていた食材を食いつくした統夜が口を開き、ポツリポツリと話し始めた。

「……前、言ってましたよね、騎士の血がどうとか。やっぱり、フューリーの事、何か知っているんですか?」

ああ、このタイミングでそういう話するんだ。
前回は突発的な事態だったからオモイカネに通信を妨害するように指示し忘れたから、結構な人数に聞かれてたんだよな。
艦長とかその辺りの偉い人たちは、ボウライダーの性能とか俺の操縦の腕とか、その辺から強敵だと踏んでいるのだろうみたいな結論を出してくれたのだが。
やっぱりあれか、こいつもサイトロンで未来を見たのか?

「教えて下さい、俺はいったい……!」

「アシュアリー・クロイツェル社」

「え?」

今にもこちらに掴みかかって来そうな統夜を掌で制し、セリフを途中で折る。

「そういう会社があったんだよ。そこでな、全く新しいMMIと動力を持つ機体が研究、製造されていたんだ」

「……」

俺のセリフを黙って聞いている統夜。少しだけもったいつけてから説明を続ける。

「ナノマシンを打たずとも操縦者の意のままに機体を操る事を可能にするサイトロンコントロール、空間からオルゴン粒子を取り込むことにより多様な状況で補給を気にせず運用できる動力オルゴンエクストラクター」

「それは……」

「そう、お前のベルゼルートとフューリーの機体群に積まれているものと同じ物だ。まぁ、この程度の事ならフリーマン氏あたりなら既に掴んでいるだろ」

一息、ここまでは多少調べれば出てくる情報だと言い切ることもできるが、ここからは完全な捏造だ。それっぽく聞こえればいいんだが。

「一時期その開発を行っている部署に潜入していたんだが、そこで開発に携わっている人間と、お前の親父さんだろう人物が話しているのを見かけてな、『偉大な騎士』だったそうだ、お前の親父さんは」

「…………」

うつむき、考えこむ統夜を残し立ち上がる。
どうにかこうにか誤魔化せたかな? これで無理なら認識阻害なり記憶消去なりするしかないんだが、戦闘続きの今の状況でそんな真似してあっぱっぱーになられたら死亡確率が上がっちゃうしな。

「俺が知っている情報なんてその程度だ。悪鬼云々に関しても心当たりはさっぱり、納得して貰えたか?」

「はい。あの、すいませんでした。疑ったりして」

本当にそう思っているか? 細かい表情から心の中まで読み取るような器用なまねは出来ないからな、ここでまだ俺の事を疑っているのだとしても追及のしようがない。

「いいってことよ。何せ――」

グラサンを取り出し、装着する。口元をニヤケさせて不審者っぽい雰囲気をこれでもかと演出。

「ほら、この上なく怪しいだろ、俺」

俺の言葉に、否定するでも肯定するでもなく、ただ苦笑を深める統夜。
ここまで結構信頼値上げているんだし、できれば、多少のフォローは欲しかったなぁ。
追加の肉と米、デザートのかき氷を持ってこちらに近づいてくる美鳥とメメメを眺めながら、そんな事を考えた。




続く
―――――――――――――――――――

ヒロイックな戦闘ってこんな感じですか?わかりません!
因みにアル=ヴァンとフー=ルーがピンチのジュア=ムの前に現れるシーンで英雄襲来とか流すと結構ヒロイックな感じになります。
生命と同胞の危機にやや綺麗な感じになるジュア=ムの戦闘と食い倒れバイオハザードと水着でビーチな話終了。

例によって例の如く少し短めですが、この話は水着話までと決めていたのでここでバッサリ。
次回はまた数話キンクリして、多分折り返し地点かクライマックス直前になります。酷い二択ですねこれ。

『こんなん俺のジュア=ムじゃないやい!』という意見はあるかもしれませんが、二次創作故多少原作とのずれが生じるのは仕方がない事と諦めてください。
実際、本当の危険に触れずにいたからあんな見下し上等な腐った性格に見えただけであって、本物の危機に直面すればこんな感じにもなれるんじゃないかなとか愚考する次第なのですよ。
お陰でまるで主人公が悪役みたいな雰囲気じゃあないですかぷんぷん。
ごめんなさい、ぷんぷんは無かったですね。

ていうか、ジュア=ム視点の戦闘シーン超書き易かったです。
ジュア=ム視点約6000字は前回の話を投稿してから半日もかからずに書きあがったって所からして筆が遅い自分からすれば異常事態。
これはなんかもうジュア=ムに主人公補正(ピンチが映える的な意味で)が掛かっているとしか思え無い感じですね。
そんなジュア=ムですが、なんと予定ではあと二回ほど出番があります!
原作キャラの露出が少ないこの作品で、ここまで出番が確実に取れるあたりはもう燃え尽きる前の蝋燭の炎の如し。

ビーチでメメメが大胆水着でセクシーさを露骨に前面に押し出す話とか予定してましたが、サポAIの水着とか考えている間にどうでも良くなったので無くなりました。
数行も無い水着描写の為に一々資料を漁るなんて、そんな根気は求めるだけ無駄です。サポAIの分やってみた時点で力尽きました。

でも、この話はサポAIよりもメメメを押し出す予定だったのになぁ。
やっぱりあれですよ、金髪巨乳とかそういう露骨なエロキャラより、自分がまず巨乳派でなく美乳派だって辺りに問題があったんでしょうかね。
おっとり系キャラは好きなんだけど、別に巨乳とか金髪とか、そういう属性を重ねる必要は無かったんじゃないかなとか。
それってうどんげにスク水ブレザーとナースキャップ付けた位くどくて後味が微妙になるというか。属性はしぼって出力を上げないと意味がないというか、兎耳+ブレザー+スク水+ナースとかなんだそりゃって感じで。

なんかだんだん自分で何書いてるか分かんなくなってきましたから今日のところはこの辺で。
そんなわけで、諸々の誤字脱字の指摘、この文分かりづらいからこうしたらいいよ、一行は何文字くらいで改行したほうがいいよなどといったアドバイス全般や、作品を読んでみての感想とか、心からお待ちしております。

次回、「消えない灯火、消える命」お楽しみに。



[14434] 第十八話「月の軍勢とお別れ」
Name: ここち◆92520f4f ID:30a41880
Date: 2010/05/01 04:41
ナデシコ艦内、メディカルルームにて、俺と美鳥はある姉弟と兄妹と向かい合って座っていた。

(おい、これどうすんだよ)

(いやほんと、どうしようねぇ……)

俺達は表面上は平静を装いながらも、念話でこそこそとぼやきあっている。
向かい合う姉弟はアルバトロ・ミル・ジュリア・アスカとアルバトロ・ナル・エイジ・アスカのレイズナー出身組。
もう一方の兄妹の方はDボウイことアイバ・タカヤとアイバ・ミユキのテッカマンブレード出身組。
この二組のうちレイズナー原作の二人が、神妙な顔で俺達二人と向き合い頭を下げているのだ。

この二組、例えばジュリアさんは原作の展開ではゴステロに撃墜されて今はトゥアハー・デ・ダナンに保護されているのが普通だ。これは味方に参入するイベントをこなしていようとこなしていなかろうと共通。
そしてDボウイの妹であるアイバ・ミユキはこの時点では外宇宙開発機構に移送されて治療を受けなければ延命も危ういような状況だった筈だ。
が、現実としてジュリアさんは撃墜されずにブラッディカイザルも戦闘による多少の損傷はあるが格納庫にきっちりと納められている。
アイバ・ミユキの方も見た限り生命の流れ、オーガニックエナジーに澱みなどは一切見られず、不完全なフォーマットにより残りの命が少ない、という事も無いように見える。

「ありがとうございます。本当に、何とお礼を言ったらいいか」

頭を上げたエイジが真剣な表情で礼の言葉を告げてくる。

「いいっていいって、どうせ俺がやらなくても他の誰かが助けに入っただろうしな。そこまで気にされると背筋がぞわぞわするから」

「しかし、事実としてあなたは私の命を救ってくださいました。何も無し、というのも……」

微妙にあいまいな表情のジュリアさんが控えめな口調でしかしはっきりと告げてくる。
助けられたのは事実だが、まだ地球人に蟠りが残っているのも確か、という事なのだろう。
あ、もしかしたら前回の登場時に開幕グラビティブラストで乙らせた事もしっかりと覚えているのかもしれない。
が、今回は一切攻撃を仕掛けていないし、むしろ戦意を喪失したジュリアさんのブラッディカイザルに不意打ちを仕掛けたゴステロの機体(名前忘れた)を荷電粒子砲で乙したのだからとりあえずそこら辺はチャラにして欲しい。
俺は明後日の方向を向き、指を立てくるくると回しながら提案する。

「あー、じゃああれです、地球人の事、もっと良く知ってやって下さい。野蛮な毛の抜けた猿とかそんなんじゃなくて、地球にもまともな人格の人間が居るんだってこと、弟さんと一緒に学んで貰えれば」

「この部隊に暫く居ればすぐに分かることだと思うからさー、取り敢えずはそれが恩返しってことで納得してよ」

俺と美鳥の言葉に、改めて深くお辞儀をするジュリアさん。
ていうか、感謝の意を表す時にお辞儀をする文化はグラドスと地球(というか日本)の文化と共通なんだな。
まぁ世界有数の超テクノロジーが集結する国だから、回収して無いグラドスの刻印とかの複線が関係してても何ら不自然では無いか。

「……そろそろいいか?」

と、こちらのやり取りが終わった事を見てとったDボウイが、今まで一文字に結んでいた口を開いた。
警戒している、という訳でもないが、微妙にやり難そうな雰囲気がにじみ出ているのは未だに美鳥に出会いがしらにアームロックを掛けられた事を覚えているからか。
ああいや、そういえばスケールライダーに搭載したグラビティブラスト(MAP版)の巻き添えに成りかけたことも何度かあったか。
まだ命中とか回避とか挙げるタイプの精神コマンドを持って無いからって、避ける系のユニットに乗ってる味方は範囲内に居ても容赦なく撃つからなぁ。

「あー、うん、聞きたい事は何となくわかってる。どうやって妹さんの身体を『直した』かってことだろ?」

これまた口元をムニムニとうねらせ微妙な表情の美鳥がひらひらを手を振りDボウイの言葉に応える。
そう、こいつ、何を思ったのかアイバ・ミユキの身体を直してしまったのだ。
テッカマンブレードがスパロボに参戦した回数は今のところ二回だけだが、そのどちらでも生き残る救済ルート的なものがあるし、こちらにはこの世界における殆どの技術が敵味方問わずに揃っているのだ。
ラダム樹の能力を持っているから負担の掛からないゆっくりとした再フォーマットで洗脳されておらず、しかし肉体的には完全に正常なテッカマンに作りなおす事もできるし、余分な機能を取っ払ったDG細胞改めUG細胞で肉体の機能を正常な物に作り替える事も出来る。
が、そのどちらもが俺達の異常性を示すものになるので迂闊には使えない。
ラダムの技術を持っているのも制御できるDG細胞を持っているのも通りすがりの傭兵、という設定では無理があるのだ。

不完全なフォーマットによる肉体の崩壊からは免れたものの、未だに月面のラダム基地からの逃走劇による戦闘の傷が癒えていないアイバ・ミユキがベッドの上から美鳥に顔を向けた。

「あなたが私の身体を治してくれたのね。でも、排除された不完全なテッカマンの身体を直すだなんて、あなたは一体?」

「うー、なんて言えばいいのかなぁ……」

コイツから言い訳がさらさら出てこないってのも珍しい。
なにかしらの目的があっての行動ならあらかじめ言い訳の十や二十は考えておくタイプだろうに。
……もしかして、今回は完全に何の理由も無い思いつきでやったのか?

「できればさ、今はそこらへんを追及するのは勘弁してくんない? ほら、今まであからさまな偽記憶喪失に付き合ってあげてたんだし」

うわぁ、間違いない、完全に思いつきだけでやりやがったんだ。
いや、別に人助けが悪いとは言わないが、せめて言い訳程度は考えてからやってほしいというか。
Dボウイはしばし黙考し、美鳥の提案に一つ頷いた。

「ミユキを助けて貰ったのは間違いないし、お前達がラダムの手先ではない事は分かる。今はそれで納得しておこう。だが、他の連中へはどう言い逃れるつもりだ?」

基本的にラダムの手先=テッカマンだから、テッカマン同士の感応で見分けがつくからスパイとかそういうのは基本的にすぐに見分けが付くようになっている。
まぁ、俺も美鳥もテッカマンに変身できるが普段はテッカマンにフォーマットされていない人間に擬態しているから感応も糞も無いんだけどな。
そこら辺はこの世界の常識的にみれば想像も出来ないことだから仕方がない。

「手持ちにいい感じの薬があったとでも言っておくよ。ついでにさ、ちょおっとばっかり妹さんと二人でお話させてくれないかな」

頼む、と手を合わせてDボウイに頭を下げる美鳥。

「む、それは……」

「お兄ちゃん、女の子同士の会話に混ざるつもりなの?」

肉体の崩壊が無くなって今すぐどうこうという危険が無くなったとはいえ、やはり心配なのだろうDボウイをアイバ・ミユキが悪戯っぽい笑顔でたしなめる。
未だラダムとの問題が解決した訳でもないが、とりあえず今すぐに自分の命がどうこうなる訳じゃないという安心感からか、ちょっとしたジョークを言う程度の心の余裕が出来ているようだ。
そんな訳で、美鳥とアイバ・ミユキの二人を残し、俺とアスカ姉弟とDボウイはメディカルルームから出て行く事になった。

「卓也」

廊下に出ると、Dボウイがこちらに話しかけてきた。まぁ何を言いたいかは分かる。

「大丈夫、美鳥もお前らの事情は知っているんだ、下手な話題振って地雷踏んだりはしないさ」

十中八九碌でもない事を吹き込むだろうことは目に見えているがな。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

メディカルルーム内、アイバ・ミユキはベッドに座り込んだままシーツをギュウ、と掴み俯いている。

「でも、アキさんとお兄ちゃんはお似合いだし……。私、お兄ちゃんにとってはただの妹で……」

その言葉の中に、どこか自分を納得させようとする響きが含まれているのを美鳥は見逃さなかった。
行ける。そう踏んだのかどうなのか、美鳥は畳み掛けるように、しかし慎重に言葉を選んでミユキに語りかける。

「そんな理由でなぁんで諦める必要があるのさ、アンタ程の女が」

美鳥はミユキの臥せるベッドに腰掛け、身を起こしているミユキの肩に腕を廻し言葉を続けた。
表面上は慈悲深い聖母のような表情で、しかしその内で何を思っているのかはここに居るモノでは探ることすらできない。

「あんたもテッカマンと人間の違いは知っているんだろ? しかもこんな時代だ、テッカマンの隣にただの人間が居たって生き残れるはずがないよ」

耳に唇が触れる程の距離から、息を吹きかけるようにそっと囁きかける。

「そうしたらDボウイ、あんたのお兄ちゃんは一人ぼっち。家族も恋人も失って……」

魔法による催眠効果を含むその囁きを受け、次第にミユキの脳はその誘惑を受け入れていく。
焦点の合っていない瞳は濁り、頭は朦朧とささやかれる言葉を記憶していく。

「なぁに、弱い所を見せればころりと行く、一度間違いを犯せば二度目三度目、その内にDボウイはあんたのモノ。ほうら簡単だろぉ? そうやって奪い取ればいい。今は悪魔が微笑む時代なんだ……」

「あなたは、あなたはなんでそんな事を言うの?」

それは恐れでも抵抗でもなく、純粋な疑問であった。
合ってまだ数日、向かい合って言葉を交わしあったのは今回が実質初めての自分の欲望を見抜き、押さえつけているそれを成就させる為にこんなにも背中を押してくれるのは何故か。
アイバ・ミユキの疑問を聞き、鳴無美鳥は皮肉気に口の端を歪めてみせた。

「同病相哀れむ、ってとこかな。──お兄ちゃんの事が好きなんだろ?」

「え……、じゃぁ、あなたも?」

「そ。兄を慕う妹、というポジションなら、あたしは無条件で応援するよ」

あたしはもう諦めてるけどね、と、心の中でだけ付け足して、アイバ・ミユキへの洗脳を再開した。

―――――――――――――――――――

◇月▲日(逃亡中ー。後にフューリーやらボアザンやらが降ってくるけど、そんな事より今は釣りだな)

『さて、エイジ姉を助けたりDボウイの妹を美鳥が助けたりした裏で、トールが圧死したりキラが行方不明になったり、敵のボソン砲から逃げて宇宙まで飛んだりといろいろあったが、その間特に面白い出来事も無かったので久しぶりの日記になる』

『ボソン砲の騒動の時に木星から大使として白鳥ユキナ、とかいう少女がやって来て、その少女を引き渡せという命令に背きナデシコのクルーが散り散りに逃亡するはめになった』

『木星といえば木星系連邦。かのサイボーグ民族なら国民全員サイボーグ化が義務づけられてため、軍人に捕まってもそう簡単にはやられないのだが、ナデシコ世界の木星人は極々真っ当な人間の惰弱ボディしか有していないため即座に逃亡、今はどこぞのアパートで艦長やテンカワ達と隠れ住んでいる』

『生き物が住める環境でも無い癖に碌に人体改造もやらないとか、信じられない。正義とか強さに憧れるならまずサイボーグ化だろう』

『ぎっちぎっち動く機械の身体♪国民全員サイボーグ♪ 走れサンダー!唸れダイナモ!とか、この応援歌の歌詞の血圧の高さから推察するに、かなりこの世界の木連と波長が合いそうな気がするのだがどうだろうか』

『話が逸れ過ぎたので軌道修正。今現在俺と美鳥は余り人目に付かないような山奥の湖畔にてキャンプをしているのだが、実はキャンプってあんまりやった事が無かったりする』

『せいぜい小中高の林間学校やら臨海学校やらでやった程度か。だがまぁ、庭先で姉さんや数少ない地元の知人たちとバーベキューをすることは結構多かったので余り苦労はしていない』

『そもそも最初にトリップしたブラスレイター世界ではかなりのホームレスぶりを発揮していたので、この程度なら特に不便とも感じないのだ』

『まぁ、成り行きで統夜達と一緒になってしまった為に、ナデシコの中と変わらずそれなりに人間らしいリズムでの生活を強いられるのは不便と言えば不便だが、それもこれも人間らしさを失わない為という姉さんが教えてくれた事を守っていると考えれば問題は無い』

『しかし、なんだ。良く良く考えてみれば、これでネルガルとの契約は切れてしまったということになるのだろう。元から金を貰った所で使い道も無かった上に、貰った以上の資金をナデシコ宛てで寄付しているのだからそこら辺は気にするだけ無駄なのだが、ナデシコがネルガルの指揮下を離れたというのは俺や美鳥にとっては結構なプラスになる』

『ナデシコでボウライダーやスケールライダーのデータ採集が定期的に行われていたのは軍とつながりが出来たネルガルの意向に沿っていたからという理由がある。つまり、ナデシコが独立愚連隊になった今、わざわざデータ採集をする必要性は全くと言っていいほど存在しない』

『つまり、ボウライダーとスケールライダーのバージョンアップが再開できるのだ。いままでの鬱憤を晴らすかの如き超魔改造を行えるのである』

『……とはいえ、実際のところ余り強化する必要性を感じない。いままで手に入れた技術はすべて俺と美鳥の肉体に直接反映させているし、急いで機体を改造しなければならないほど力不足という事も無い』

『ていうか、もうそろそろ部隊から抜けようと思っていたし、このままぬるっとフェードアウトしたいという欲求もある』

『ああ、はやくオーブのモルゲンレーテに行って後継機を取り込みたい。ついでにフリーダムも取り込んでおくべきなのだが、今更ニュートロンジャマーキャンセラーとかなぁ』

『実のところ、もう既にニュートロンジャマーキャンセラーは手に入れていたりする。そう、山のバーストンの核ミサイルにさりげなく搭載されていたのだ。そして当然同じ武装を搭載しているグレートゼオライマーを取り込んだ時点で入手済みというわけだ』

『この世界でも既に核ミサイルの代わりにフェルミオンミサイルが主流になる流れが生まれつつあるが、それにしたってこれは酷い。ナチュとコーディの戦争?何それってな具合の技術格差である』

『それともう一つ正直な話をすれば、フリーダムよりも三馬鹿の機体の方が魅力的だったりする。ビームを曲げたり振動ブレードだったりハンマーだったり……』

『どれもこれも既に似た様な技術を持っているのだが、あの三機のけれんみに溢れたデザインは中々魅力的だと思う。大量に複製を作って暴れさせたいなぁ』

『まぁ、なにはともあれ今はホシノからの連絡待ちだ。それまでは適当に統夜達の相手をして時間を潰すとしよう』

―――――――――――――――――――

プラスチック製の皿に載せられた川魚の塩焼きや野草の天ぷらを摘まみつつ、時折ホカホカに炊けた白米を頬張る。
塩や醤油などの調味料に米や小麦粉といったモノはある程度機体に積み込んであるので問題無い、という設定でこっそり複製したモノを使っているのだ。
現状で食糧やらなにやらについては何ら問題は無いのだ。個人の好みを別にすれば。

「肉が食べたい」

魚と山菜と白米を綺麗さっぱり平らげた美鳥がおもむろに呟いた。
軍人やネルガルのシークレットサービスにナデシコを追い出されてから数日、このキャンプ生活で碌に肉を食べれていない美鳥がそんな事を言い出した。

「いやいやいや、魚で充分だって! ね!?」

「そうよ、卓也さんと美鳥が魚を釣ってきてくれて、食べられる野草を教えてくれたおかげでレトルトだけの生活は避けられているのだから。それだけでもありがたいわ」

テニアが大慌てで反論し、カティアもどこか話の論点をずらしながらの説得を美鳥に試みている。

「あ、ほら、持ってきたレトルト食品の中にチキンハンバーグがあったからそれで」

「でもそれって根本的な解決にはなってませんよね?」

ナデシコから持ち出した非常食を美鳥に差し出しなんとか誤魔化そうとする統夜と、冷静に突っ込みを入れるメメメ。
いや冷静か?しかしこのタイミングでそのセリフが出てくる辺りには確かな成長を感じる。餌付けしながらの英才教育が身を結んだようだ。

さて、何故統夜と三人娘が頑なに肉食を拒んでいるか、その理由を知るにはこのキャンプ生活が始まってからすぐの頃まで遡る必要がある。
ナデシコからの連絡があるか、あるいは他に匿ってくれそうな場所を見つけるまでひたすらこの森の中に隠れていることを選んだ統夜達と、それにとりあえず付き添うことになった俺と美鳥。
隠れ潜む上で最初に問題になったのは食糧関係。
ナデシコ脱出の際に倉庫から持ち出した自販機に補充する為のレトルト食品はあったのだが、何時まで続くとも知れない逃亡生活をするのだから、保存料が入っていて長持ちするレトルト系の食品はなるべく温存しておく事になったのだ。
そこで俺と美鳥が持っていたサバイバル知識(地元の山で釣りや山菜狩りに出かけた経験だったり、ネットから知識だけ持ってきたりとソースは様々)で食料を調達したのだが、その際に少し問題が発生する。
調達した食材の一つである、猪やら兎などの野生動物を捌く場面を見た統夜、そして三人娘の内の二人がそのグロテスクな光景に耐えられなかったのだ。
これがもっと切羽詰まった状況なら気持ち悪さやら罪悪感やらを押し殺して肉を食べたのだろうが、生憎魚や山菜、あるいはレトルトにもある程度は手を付けることが出来るこの状況ではそこまで我慢が利かなかったらしい。
三人娘の内カティアとテニア、そして統夜までもが、あれやこれやと理由を付けて獣を狩って肉を作る必要は無いと言い始めて、それからはずっと魚と山菜とレトルトの日々。

別に俺も美鳥も栄養バランスだのなんだのに気を配る必要もないし、肉が食いたいと言いだしている美鳥本人も本来は肉少なめの和食派。
これはどちらかと言えば、肉を食わないといざという時に力が出ないとかそういった理由で統夜と三人娘に肉を食わせたいのだろう。
予定ではナデシコの再起動に合わせてフューリーもやってくる筈なので、統夜には是が非にでも力を付けておいて貰うべきだ。ここは俺からも肉をプッシュさせて貰おう。

「一応、初日に捌いた猪と兎、冷凍して保存してあるぞ」

「お、さっすがお兄さん」

「う……」

初日に捌いた、というフレーズにテニアとカティアが解体場面を思い出したのか顔を顰めるが、目の前で再びグロい光景を見せられる訳では無い為か特に反論は無し。

「まぁ、捌いた分は食べないと罰が当たるしな」

統夜は親の遺産で暮らす苦学生だった為か、食べモノを残すことに対して罪悪感のようなものを覚える節がある。もったいないの精神というやつだろう。

「あ、でもお肉の前におやつにしません?」

三人娘の中で唯一肉を捌くシーンに難色を示さなかったメメメが、ここでもやはり甘味をねだりだした。後でマシュマロ辺り、ある程度保存が利いてここで出しても違和感の無いものを与えておこう。

やいのやいのと肉やおやつを巡り騒ぎ出す俺達。今日もナデシコから連絡は無かったが、おおむね平和な一日になりそうだ。

―――――――――――――――――――
◇月◇日(この世界で初めて)

『イレギュラーというかバタフライ効果というか、そんな出来事が起こった。いや、起こった、というよりは起こるべき出来事が起こらなかったというべきか。この事態は少しだけ予想外』

『フューリーが出てこないのだ。本来ならナデシコ奪還とその次の話でグ=ランドン以外のネームドユニットが全員登場し、オーブの防衛戦初期でベルゼルートはラースエイレムキャンセラーの中核を残して大破する予定だったのだが、そのイベントも一切起きていない』

『これは一体どういう事、とか思い悩むほど難しい問題でもない。フューリーが何をやろうとしているかは大体察しが付いている』

『しかし、そうなると色々と問題も出てくる。成長した統夜の操縦にベルゼルートが反応しきれなくなって来ているのに、急いで後継機に乗り換える理由が生まれない、いや、むしろ何時攻めてくるか分からないような状況では下手に機体をばらす訳にも行かないと考えるだろう』

『原作では機体が大破したことでそういった可能性が考慮されなかったが、このままではオーブを出るまでは機体の乗り換えは無しという結論に至るだろう』

『さらに言えば、現時点で統夜の乗り換える予定の後継機が未完成。どうやら俺の送った統夜の戦闘データを元に組直した結果、微妙に開発が遅れてしまったらしい』

『コアの移植は間に合わないだろうし、せめて連合が再び攻めてくるまでに俺と美鳥も手伝ってどうにかこうにか完成させて、機体だけでもナデシコに積み込んでしまわなければなるまい』

―――――――――――――――――――

モルゲンレーテ、大量のM1アストレイが立ち並べられたMS工房内に、一機だけ毛色の違う機体が混じっている。
いや、毛色が違うというレベルでは無い。そもそもMSですらない。
この機体を構成する理論は地球人のモノではない。遠い遠い昔、故郷を追い出された異星人達が齎した超技術の塊。
地球人とフューリーのハーフである、統夜・セルダ・シェーンの新しい剣。

「とかなんとか脳内ナレーションを入れてはみたものの」

「見事に未完成だねぇ」

隣に立つ美鳥が呆れた顔で目の前の青い巨人を見上げている。
見事に未完成、というが、強化用外骨格からコアモジュール以外のベルゼルートの強化された基本フレームまで、あと少しで完成まで持って行けそうな処までは出来上がっているのだ。
まぁ、いくらあと少しあと少しと言ったところで、必要になるタイミングで実際に完成してなければ何の言い訳にもならない。

「そう言ってくれるな。実際の処、君らが送りつけてきたベルゼルートのパイロット特性やそれに合わせた改修案を受け入れていなければもう完成していた筈なのだ」

と、俺達をここまで連れてきた黒騎士ことアラン・イゴールが肩を竦めながら告げた。
実際、元々この機体に搭載されていたほぼ変更点の無い武装は完成しており、未完成部分は統夜の戦闘の癖に合わせて改修案を送った部分が殆どとなっている。

「でも、あれが無かったら結構大変な事になってたと思いますがね。元のこの機体の特性と統夜の操縦、合致してると思いますか?」

「別に文句を言った訳ではないさ。あの改修案が有効だと踏んだからこそ、こうやって君達をここに連れて来たのだからな」

君たち、というのは何も俺と美鳥に限った話ではない。後ろを見渡せば、ナデシコ整備班、しかもウリバタケ班長とその肝入りの精鋭達がそろそろと付いてきている。

「おいおいおい、最近は整備の手伝いにもこねぇから何してんのかと思ったら、おめぇら俺様に内緒でとんでもねぇこと考えてやがったな?」

「可愛い弟分の新しい機体、ちょっとくらい口出しするのは当然じゃないですか」

今の統夜の戦闘スタイル、統夜パパからの遺伝もあるだろうけど、部分的には俺の戦い方を見てそれがうつったってのもあるだろうし。
それに、今まで散々ナデシコで機体を無断で複製させてもらっていたんだ、こうやって多少のフォローを入れる程度の事はしても罰はあたらんだろう。

「かーっ! よく言うぜ、散々自分たちの機体ばっか改造しまくってよぉ。しかも俺達には詳しい構造は教えようともしねぇ」

「技術は教わるものではなく盗むモノとう名言を知らないのかよ。ほら、目の前にいかにも盗んで欲しそうな技術が転がってんぞー?」

ウリバタケ班長のセリフに挑発を返す美鳥。その光景を無視し、アラン・イゴールがこちらに顔を向けた。
此方を見る目には疑惑の色は無く、信頼の色も無い。
未知の情報をとりあえず置いておき、今ここにある事実のみを見つめる誠実な眼差し。

「君が何時、何処でこの機体の情報を仕入れたか、そして、一介の傭兵が何故あそこまで充実した技術提供や資金提供を行えたかは分からん。しかし、それが彼らにとって有益な結果を齎す事は確かだ」

疑うべき部分は数多くあるが、今のこの状況では実益優先、ということだろう。
こういう連中ばかりなら、もう少し悠々自適にTUEEEライフを楽しめたのかもしれないが、同じ機体でこんな長期間戦い通したのも、長い目で見ればいい経験になるだろう。

「まかせて下さいな、ここを出るまでには完璧に仕上げてみせますよ」

置き土産として恥ずかしくない程度に立派な物にしてやろう。
俺は未だ名無しの後継機を今一度見上げ、アラン・イゴールに頷きを返した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

まるで太平洋艦隊の全てを相手にしているかのよう、との言葉が誇張とは言い切れぬほどのMS部隊による波状攻撃、次々と送り出されてくる連合のMS部隊、その物量に対し、ナデシコ、アークエンジェルは苦戦を強いられていた。
背水の陣を敷いて奮戦を続ける二艦に、守っている筈のオーブの前代表から、戦闘の中止と撤退を懇願される。
ナデシコとアークエンジェルという未来への希望を残す。これから滅ぶ国の為にその希望の灯が潰えるべきではない。
ウズミ・ナラ・アスハの意思を、願いを受け、アークエンジェルの艦長、マリュー・ラミアスは全機に撤退命令を下す。
オーブの中央から高エネルギー反応が検出されたのだ。自爆により連合の兵力を減らし、ナデシコとアークエンジェルが撤退する時間を稼ぐ算段なのだろう。
ここで抗い捕まっては、ウズミ前代表の犠牲が無駄になる。

「全機に告ぐ! 速やかに当戦闘領域を離脱! 繰り返す、全機戦闘領域を離脱せよ!」

苦渋の選択であった。ブリッジクルーは残らず涙を流し、歯を食いしばり自らの感情を押し殺し、出撃していた機体のパイロット達もコックピット内部でやり場のない怒りや憤りを持て余しながら母艦へと戻って行く。
しかし、未だ母艦へ戻る気配が無い機体が一機。
紫雲統夜のベルゼルートが虚空を睨みつけるようにして再び臨戦態勢を取った。

「ベルゼルート、統夜さん、早く帰艦してください」

ナデシコからの通信、艦長が放心している為か、オペレーターのホシノルリが直接命令を下している。
普段通りの平静を装ってはいるが、心なしかその声は震え、僅かながら語気も荒げている。
が、そのホシノルリの状況も気にしていられない程に焦った統夜の声が通信を通して全機に伝わった。

「いや、ダメだ。奴らが、フューリーが来る!」

最悪のタイミング。
今までの連合のMS部隊との連戦で殆どの機体がボロボロ、弾薬の補給をしている暇も無い。フューリーとの戦いの要であるベルゼルートとてそれは同じだった。
ラースエイレムキャンセラーを発動することは出来る。しかし、そこまで。
万全の状態で向かってくるフューリーを相手にできるほどの余裕は一切無い。
では、今から帰艦して全力で離脱すればどうにかなるか。
いや、フューリーの機体はもれなく転位機能を有している。如何に地球上において他の追随を許さない性能を持つナデシコといえど逃げ切ることは出来ないだろう。
単体での大気圏離脱能力を持たないアークエンジェルなどは言わずもがな、というやつだ。

「くるぞ!」

ビームに実弾、オルゴン粒子弾が豪雨のように降り注ぎ、目前まで迫っていた連合のMS部隊が一機残らず爆散した。
自爆する寸前のオーブに大量の、いや、無数のフューリーが降り立つ。
連合のMSを破壊したのはナデシコやアークエンジェルを逃がす為では無く、横あいから手を出されて作戦に支障が出るのを恐れてのことだろう。

「だめ、これじゃあ逃げ切れない!」

「くっそぉ、ここまで来てこれかよっ」

「万事休す、というやつか……」

目前に迫るフューリーの軍勢、しかし、敵を前にしても殆どの機体は戦闘に耐えられる状態ではない。
『殆どの』機体は。
例外がいるのだ。この連戦でもほぼ消耗も無く、補給も無く戦える機体が。


―――――――――――――――――――


破壊されたオーブの施設、死屍累々と転がるMSの残骸。燃える木々、砕けた山、濁る海。
ラフトクランズに乗るフューリーの騎士、アル=ヴァン・ランクスは眼下に広がる戦闘による破壊痕を見下ろし、深いため息を吐いた。

「愚かな、フー=ルーの仕掛けに踊らされたとはいえ、何故かくも同胞同士で殺し合うのか」

「ははははは、 地球人はやはり滅びたがっているのですよ。おかげで俺達は楽ができる」

準騎士であるジュア=ムの軽口に軽い苛立ちを感じるアル=ヴァン。
彼は本来、このような自らの手を汚さない戦い、搦め手を好まない性質(たち)であった。
一言、取り敢えずはジュア=ムを諌めようと口を開こうとするより早く、横から別の通信が割り込んだ。
今回の作戦で部隊の半分を指揮する事になっている騎士、フー=ルー・ムールーだ。

「あらあら、それは私達が言えた義理では無いと思いませんこと?」

「どういうことです?」

「む……」

フー=ルーの戯れに返した言葉にジュア=ムは疑問を返し、アル=ヴァンは反論を返すことも出来ない。
今や知るものの少ない事実ではあるが、この地に訪れたフューリーは内乱の末に敗れ、故郷を追われた者達のなれの果て。
この地に来る原因からして同胞同士による殺し合い潰し合いにあるのだ。

「子は親に似る、ということなのでしょうね」

で、あるならば、子が親に似るようにやはり親も子に似るのだろう。やもすれば自分たちも、知らぬ間に滅びへの道を歩んでいるのかもしれない。
その疑念を、アル=ヴァンは捨てる事が出来なかった。
あの白い機体、不吉な未来を見せる、滅びの未来を齎す平常の狂気。
あの機体に拘る思考は、あの機体に拘る行動は、滅びへの道を自ら進むに等しいのでは無いか。
自らの思考に埋没しているアル=ヴァンの機体に、青い機体、紫雲統夜と実験体の少女達が乗る試作機、ベルゼルートから通信が入る。

『その機体、アル=ヴァンか!』

その機動、間合いの取り方、視線の動きに至るまで、全てがかつて見た恩師の面影を残し、そして以前見た時とは比べ物にならない程の力強さ、逞しさを感じる。

「統夜か、残念だが、今日は君の相手をしに来た訳では無い」

『そんな勝手を──』

突如として響いた爆音が統夜の叫びを途絶えさせる。
空間を歪める程の重力波による砲撃、グラビティブラストの範囲内に存在した十数機の従士の機体が一撃の元に爆砕された。
ナデシコのモノではない。ナデシコは今宇宙へ脱出する為に艦尾を向けており、即座にフューリーに対応できない。
続けざまに二度、三度と苛烈な重力波が襲いかかる。
転位を使いこなせない機体は必死に逃げ惑い、しかし更に違う位置から放たれたミサイルの雨や荷電粒子の奔流に呑み込まれ破壊されていく。
転位に成功した機体は、一機残らずグラビティブラストの放たれた方角から射手の位置を割り出さんと警戒する。

「来たか」

白い装甲に身を包み、片手には平行に連結させた砲を構え、片手には回転する凶悪な刃を構え、肩からは異形じみた巨大な鉤爪のある腕を生やした歪な人型。
グラビティブラストを放ち、今また多くの同胞を葬った憎き敵。
ラフトクランズの半分程の大きさも無いその機体は、しかしその危険度は地球上のどのような存在よりも高く、悪魔染みた性質を隠し持っている。

黒い装甲を纏い、その身に数えきれぬ火器を備え、翼からは目を焼く程に眩い光刃を伸ばした、鳥のようなシルエットを持つ戦闘機。
背を向け逃げる事を許さぬとばかりに容赦なく逃げ惑う同胞を撃ち落としてきた恐るべき敵。
白い機体につき従うかのような動きを見せる怪鳥、白い機体と同質の気配を持つそれは、やはり悪魔のような歪な気配を纏っている。

『各機、白い機体と黒い戦闘機のみを狙え。他の機体は無視しても構わん。第一にあの二機を始末する事だけを考えろ』

各機へ号令を下しながら、アル=ヴァンは従士が全滅する勢いで掛かってもあの二機、いや、あの白い機体は落とせないだろうと予測している。
真の勝負は従士を撃墜し尽くした瞬間にこそある。
従士を捨て駒同然に扱わねば敵を倒せぬ自らの不甲斐無さを嘆きながら、アル=ヴァンはその瞬間が訪れるのを待っていた。

―――――――――――――――――――

周囲一体、余すところなくフューリーの機体が埋め尽くしている。遠くには遠距離戦強化のドナ・リュンピーが数百にも届かんというほど控え、リュンピー、ガンジャールもそれぞれ互いに邪魔にならない程度に距離を開けつつ同じような数だけ控えている。
それだけではない。温存しておくべきフューリーオリジナルであろう機体、ヴォルレントが十数機、動きから見るにどれも乗るのは騎士に届く寸前の準騎士か。
そして極めつけに黒、白、赤の三機のラフトクランズ。

「統夜、ナデシコに戻れ、ここは俺が食い止める。この軍勢は、俺へのお客様だ」

ボウライダーとスケールライダーを包囲するように展開されたフューリーの機体群。
未だナデシコにもアークエンジェルにも戻っていない他の機体も僅かに残っているのにまるきり俺達しか狙っていない。
いや、それどころか真っ先に破壊するべきベルゼルートすら無視した対ボウライダー配置。
多分あの大量の雑魚共とこの状況が『万全の準備』というやつなのだろう。
まるっきり力技の物量作戦と、時間さえかければこの国の自爆に巻き込んでしまえるという算段。
騎士の誇りとかそういったものをかなぐり捨てた泥臭い作戦。一騎討ちに拘ってくるものと踏んでいたんだが、なかなかどうして騎士様も必死らしい。
自爆プロセスこそ止まっていないが、さっきのフューリーの弾幕によってウズミ前代表の居た施設は跡形もなく破壊されている。
空気を読んで自爆で死なせてやる程度の気遣いもできなくなる程俺に夢中らしい。これが有名税とかいう奴か、全然嬉しくないがな。
せめて相手が美人な姉系の人なら嬉しいかもとか少し考えたが、唯一の女性ボスユニットは男らし過ぎるウォーモンガーだし。
だが、これは好都合だ。俺が一人でここに残ってナデシコから離脱する理由としては十分過ぎるシチュエーション。
予定していた抜け方とは違うが、これはこれで乙な抜け方ではあるまいか。

『無茶だ! ベルゼルートを下がらせたら、あの時間を止める攻撃には対抗できない!』

いい正論だ、感動的だな。だが無意味だ。
ここで抜けると決めた以上自重はしない。どうやってでも納得した上で宇宙に上がってもらう。
サブMMIにサイトロンコントロール設置、予備動力にオルゴンエクストラクターを生成。

「統夜、お前は何時の時代の話をしているんだ?」

オルゴンエクストラクター起動。稼働率安定域到達。以後この出力を維持。

『マサトくん、これは!』

『ああ、間違いない……、ボウライダー、スケールライダーからベルゼルートと同じ種類のエネルギーが放出されている』

ゼオライマーからの通信で氷室美久の驚愕の声とマサトの冷静な分析が聞こえてきた。
驚くのも無理はない。かの天才、木原マサキでさえフューリーの技術を再現しうることはなかったのだから、一介の傭兵がジャンクからそんなものを作れるとは夢にも思わないだろう。
いかなスパロボ世界でも無理があるが、ナデシコの格納庫には俺が回収して修復したガンジャールやリュンピーが数機転がっている。
これ以降ボウライダーとスケールライダーを調べられる事が無ければ、あっちで色々考えてどうにでも辻褄を合せてくれる筈だ。

「つまりはこういうこと。俺達にはもう時間停止攻撃は通用しない」

『ダメです! 戦えるからって、二人だけを残して行く訳にはいきません!』

『艦長、今の状況考えてモノ言えよ。どうするのが最善か、分からねぇあんたじゃねぇだろ?』

ナデシコ艦長のミスマル・ユリカが俺達を止めようとするが、美鳥の言葉を聞き口を閉ざす。
後数分せずにオーブは爆発消滅し、そのカウントダウンを止めることは出来ない。
アークエンジェルはすでに大気圏外へ脱出する為のレールに設置され射出を待つばかり、しかも艦も機体も傷ついたアークエンジェルはナデシコの援護無くして宇宙で生き抜くことは出来ない。
ナデシコとて無傷ではなく、自爆に巻き込まれては無事では済まず、乗っている機体も整備無しでは戦えないような状況のものばかり。
そして、敵はボウライダーとスケールライダーしか眼中に無い。
俺達の機体は損傷無しで弾薬も気にせず戦えるので時間もそれなりに稼げる。俺達を置いて行けば安全に宇宙に離脱することができる。
シミュレーションでは優秀だという艦長の頭脳はこの答えを一瞬で導き出せただろう。
モニタには悔しげに俯き、唇を噛んでいる艦長の姿が映っている

『卓也! 美鳥ちゃん! 馬鹿な真似はやめろよ! そんな真似しなくても、他に、他に何か方法が……!』

「テンカワ、コックの修業もちゃんとやれよ。偶に揚げ物がべしゃべしゃになってたからな、忙しくても油の温度は小まめに気をつけるように」

『次までにギンギー料理作れるようになっとけよー』

テンカワの必死の形相がモニタに大写しになった。山田のことでも思い出しているのだろう。
なるほど、そういえばこうやって自己犠牲で仲間を見送る役は提督と山田に次いで、俺と美鳥で三人目と四人目になる訳だ。だからどうだって話だが。
これ以降食う事も無いだろうが、とりあえず他に言うべき事も無いので料理の粗を指摘しておく。美鳥は以前から繰り返してきた無茶振りをここでも行っている。

『卓也、貴様、死ぬ気か?』

「死ぬ気は毛頭ない。だから次会う時には流派東方不敗の奥儀、ちゃんと見せてくれよ?」

『ふ、任せろ。次会う時には最終奥義で貴様の猿真似を叩きのめしてやる』

頼もしい言葉だ。まぁ次会うことも無いだろうから、最終奥義はラスボスにでも決めててくれ。
次々と繋がる通信、それに手短に言葉を返していく俺と美鳥。これでこいつらとはお別れかと思うと少し感慨深いものがある。
周りのフューリーも空気を読んでいるのか照準を合わせながらもこちらに仕掛けてくる様子は無い。
ボウライダーをナデシコとアークエンジェルから遠ざけるように移動させる。それに合わせるように付いてくる周りのフューリー。
程なくして全ての機体がナデシコかアークエンジェルに帰還するのを確認し、スケールライダーとのリンクを確認する。
本来ならオリジナルのボウライダーが狙撃の際にスケールライダーから送られてきた標的の観測データを受け取る為のモノなのだが、これを双方向にすることにより、両方の機体の死角が狭めることが可能となっているのだ。

砲を構え、さぁ戦闘開始という段になって、ナデシコのブリッジから通信が繋がった。
ブリッジクルーとの交流はあまり無かったんだが、ホシノから美鳥宛てか?

『ダメです! 卓也さん! いっちゃ、やです、戻ってくださいぃっ!』

メメメだ。今回は移動の殆ど必要無い防衛戦ということで一人サブパイからあぶれて、自室に詰めている筈のメメメがブリッジから通信を繋げている。
顔は汗と涙と鼻水でぐしゃぐしゃ、控室から走って来たのか息も絶え絶え。

『待ってください、いま、いま迎えに行きますから、すぐに――統夜さん! カティアちゃん! テニアちゃぁん! なんでおいてきちゃったんですかぁっ!』

錯乱気味に泣きわめくメメメ。さて、これは、どうするべきか。言葉が見つからない。

「ごめん、メルアちゃん。これから三時のおやつは自分で何とかしてくれ」

『違います!なんで、なんでそんなお別れみたいなこと言うんですか!? それに、お菓子なんて、違う、ただの言い訳なんです! 私は、私は本当は、お菓子じゃなくて、卓也さんが──!』

通信を一方的に切り、溜息。遠ざかるナデシコを見送り、改めて周りのフューリーに集中する。
が、始まらない。白いラフトクランズから通信。クスクスという笑い声がスピーカーから響く。

『随分と慕われているのね』

「やることやって、やった分の評価を受けていただけですよ」

『そういう意味では無いのだけど、いえ、わかっていて惚けているのね、残酷な人。ああ、人じゃなくて鬼だったかしら』

女を捨てているとしか思え無い戦争狂に言われたくないので無視。今は軽口に答える気分じゃあ無い。
ボウライダーの顔を黒いラフトクランズに向ける。通信はこの戦場全体で聞こえる筈だが気分の問題だ。

「悪いね、わざわざ待って貰って」

『貴様を滅ぼさねば、我らフューリーに未来は無い。しかし、これから死ぬ者とその仲間の別れを邪魔する程、我ら騎士は無粋でもないつもりだ』

言い、ソードライフルをこちらに向ける黒いラフトクランズ。
ソードライフルはその銃口に眩い光を湛え、今にもこちらを撃ち抜こうとしている。
しかし、これから死ぬ者、ね。

「ふ、くふふっ」

『くっくっくっく……』

笑ってしまう。笑ってしまう。
堪え様としても腹から笑いが湧きだし口から溢れてしまう。
スケールライダーと繋がっている通信からも美鳥の含み笑いが聞こえてくる。

『……やれ』

黒いラフトクランズ、アル=ヴァンの号令と共に、マシンガンの鉄弾が、ビームライフルのビームが、ソードライフルの粒子弾が、粒子砲が、結晶弾が俺のボウライダーと上空のスケールライダーに襲いかかり、爆炎で包み込んだ。

―――――――――――――――――――

アークエンジェルブリッジ、サイ・アーガイルが状況を報告する。

「制空権離脱しました。連合軍、フューリーの追撃、共にありません」

その報告を聞き、パイロットスーツのまま控えていたムウ・ラ・フラガが安堵のため息を漏らす。
機体の整備の為、パイロットには一時休息を、ということでブリッジにマリュー・ラミアスの様子を見に来ていたのだ。

「追ってこられたらヤバかったが、……まだ鳴無兄妹が足止めをしてくれているのかな」

フラガとて、これから自爆して更地になるような場所、しかも無数の敵の中に残してきた二人に、申し訳ない気持ちが無いでもない。
しかし、あの二人が言っていたようにあの場合はやむを得ないだろうと、冷たい軍人としての頭脳が判断もしていた。
事実として自分も開戦初期には似たような役回りを任せられたこともある。戦場ではそう珍しいことでも無い。
が、直前に自分たちは同じような任務を放り出してここに来ているのだ。
軍を抜けていながら、その命令を下した軍人と同じ、冷たい判断を下す羽目になった二人の艦長の心境を思えば自分が暗い表情で暗い雰囲気、というのも頂けない。
そう思い、努めて平常通りに振舞いで艦長へと話しかけた。

「そうね。ナデシコに通信を繋いで」

マリューは努めて冷静に次の行動を起こさねばと努力している。幾度となく戦闘で活躍し、窮地に陥る前にどうにかしてくれたとはいえ、自分たちはあの二人とさほど交流も無かった。
ショックを全く受けていない、という訳でも無いが、戦闘や航海に支障が出るほどでは無い。どちらかと言えばウズミ前代表の死の影響の方が大きい。
が、ナデシコは違う。火星行きの旅から鳴無兄妹が同道していた。少なからず影響を受けている筈だ。
やる事は山積みだ。艦長として、できる限り最善の行動を取ろう。

―――――――――――――――――――

ナデシコ艦内、ブリッジ。
ナデシコにとって、今回の状況はまさしく火星脱出の焼き直し。
普段はお気楽な艦長であるミスマル・ユリカも、二、三重の意味でライトスタッフなブリッジクルーも自らの力の無さを嘆いた。
あれから幾度となく戦いをくぐり抜けてきたのに、自分たちはまたも他人の犠牲の上で生き残っている。
しかし、そんな状況でも事態は進んでいく。
今度こそはこんな事にならないように、艦長もブリッジクルーも自分の職務を果たしていた。

「じゃあそっちはカガリさんが……」

『そっちは?』

「あ、はい、えっと、メルアちゃんが、部屋から出てこなくて」

『そう……、仕方がないわね』

空気が重く沈む。
ベルゼルートのサブパイロットの一人、メルア・メルナ・メイアの悲痛な叫びを思い出す。
メルアが鳴無卓也に好意を寄せていたことは二隻の艦では誰もが知っているほどだった。
そして、今回の出撃では運悪くサブパイロットから漏れて自室待機。メルアは只想い人が死地に向かうのを見送るだけで止めることすらできなかったのだ。
精神に負ったダメージは計り知れないだろう。

しかし、少女が心に消えない傷を負っていても、長旅を共にした仲間が死んでしまっても状況は進む。
二人の艦長は改めて、今後の二隻の行動方針を話し合い始めた。
ウズミ前代表の、そして鳴無兄妹の犠牲を無駄にしない為に。

―――――――――――――――――――

ナデシコ格納庫、エステバリス整備ブロック。

「くそ、くそ、くそっ!」

テンカワ・アキトがパイロットスーツのヘルメットを壁に叩きつけ叫ぶ。
ボソンジャンプという力を得て、戦闘で震えることも無くなって、自分は変わることができたのだと思っていた。
だが違った。同じ状況で同じ犠牲を出してしまった。変わったつもりで何も出来ることなんて無かった。
ボソンジャンプで迎えに行く事が出来ただろうか。いや、迎えに行ったとしても一緒くたに撃破されてしまっただろう。機体は満身創痍、身体は疲労困憊、とても役に立てる状況では無かった。
いや、そうではない。アキトは自分の頭に思いついた状況分析の結果を、頭を振って追いだした。
見捨てたのだ。打算によって、天秤に掛けて、どうせ助からないと。救えないと、切り捨てたのだ。
二度目。ガイに続いてまたも友人を見捨ててしまった。
ガイの時のように咄嗟でなにも出来なかったという訳でもない。考える時間は十分にあった。しかも今回は片方が自分よりも何歳も小さい女の子。
生き残ってしまった。背中を預け守り合うべき存在と、背に庇い守るべき存在を犠牲にして。

自分は、テンカワ・アキトは、正義の味方に、ゲキガンガーになれなかったのだ。

「ちっくしょぉぉぉぉっ!」

「テンカワ……」

叫ぶアキトに、同じくエステバリスから降りてきたリョーコは声をかけることすらできなかった。

―――――――――――――――――――

ナデシコ格納庫、ゴッドガンダムのコックピット内。
ドモン・カッシュは目を瞑り坐禅を組み、自らと国を犠牲に自分たちを宇宙へ送り出した老人と、ある傭兵の事を思っていた。
老人の名をウズミ・ナラ・アスハ。未来への繋ぐ為の希望の灯と自分たちを呼んだ。
平和を、と。命を掛けた託されたこの願い、全力を持って果たしてみせよう。そう堅く胸に誓った。

そしてもう一人、いや、二人。
戦士の名は鳴無卓也と鳴無美鳥。時に拳を重ね、時に背を預けた戦士。
死ぬつもりは無い、と言った。死ぬ人間が良く言うセリフで、あの状況ではどんな屈強の戦士でも生き残ることは容易くは無いだろう。
だが、不思議と心配はしていなかった。拳を重ね戦い合った仲だから分かる。あの二人はこんな所で死にはしない。
再会を誓った。再戦の約束を交わした。
ならば次に相見えた時の為、最終奥義、しかと我がものとしておこう。この拳に宿るキングオブハートの紋章に誓って。
ドモンは自らの拳を掲げ、その拳に誓った。

―――――――――――――――――――

ナデシコ格納庫、コンテナ置き場。
紫雲統夜は戦闘終了後暫くして、アラン・イゴールと共にモルゲンレーテから搬入された物資のコンテナが積まれた区域に足を運んでいた。
なぜこんな所に足を運んでいるか、その理由は統夜の乗るベルゼルートにある。
先の戦闘で、ベルゼルートが限界を迎えた。
統夜の反応に無理やり付いて行けるように限界性能までひきだしていたのだが、とうとう機体の方がダメになったのだ。
大規模改修を行えばどうにか動かせるようにはなるが、今はそれをしている程物資にも時間にも余裕が無い。
これからどうやって戦うか途方に暮れていると、アランが見せたい物があるとここまで連れてきたのだ。

「何ですか、見せたい物って」

アラン・イゴールは無言で、一つの他のコンテナより二回りほど大きな機械式のコンテナの前で足を止めた。
コンテナの隅に設置されているコンソールを操作し、空ける。
重々しい音を立てながら開くコンテナを見上げながら、アランが口を開いた。

「君の知人から託されたものでね。本来は君のベルゼルートの性能をそのまま引き継いで強化したものになる予定だったのだが──」

コンテナが開き、その内容物の全容が明らかになる。

「鳴無卓也、彼が送ってきてくれた君の戦闘データと改修案を元に組直した結果、メインは遠距離での射撃のままだが、格闘戦もこなせるようになっている」

重厚な装甲を身に纏った青い機体。ベルゼルートの面影を残しつつ、全体にどこかがっしりとしたシルエット。
肩周りが心なしか太くなっており、格闘戦でブレードを振り回すのに足る程のパワーを得ているであろう腕部。
地上戦での踏み込みの強化のために芯が強く、粘り強い動きのできそうな、しなやかで逞しい脚部。
拳や肘、踵や膝には鋭いエッジが付いており、文字通りの格闘戦もこなせるだろう。

「これを、卓也さんが、俺の為に……」

どういった感情からか、統夜の咽喉奥が震えた。熱い何かがこみ上げて、眼尻から溢れだしそうになる。
その統夜の横で、アランが説明を続ける。

「彼が敵の指揮官機から奪った、まぁ仮にソードライフルとでもしておこうか。ソードライフルを解析し、モルゲンレーテにデータを送りつけて来てね。その機能を両腕に備え付けた二丁のオルゴンライフルに組み込んである」

一息、更に付け加える。

「送りつけられたデータの中にこう書いてあったよ。『このパイロットはあんな機体で敵陣のど真ん中に突っ込んでいくから危なっかしくてしょうがない。万が一の時の為、近距離の乱戦でも使える武装案を幾つか送っておくから、是非組み込んで置いて欲しい』とな」

良く見てくれていたようじゃ無いか。と、アランが続けようと統夜の方を振り向くと、

「っ……、ぐっ、くぅ……!」

地に膝を付き、堅く閉じた瞼の隙間から、堪えていたモノを溢れださせながらの、感謝。
初めてベルゼルートで戦った時、火星への道行で不満をたれていた時、強くなりたいと願った時、並んで戦った時。
様々な記憶。共に戦ってきてくれた人の姿を思い出し、

(見守っていてくれた……! 確かに、最後まで……!)

「ありがとう……、ございました……!」

その姿に、感謝と共に、別れの言葉を告げた。

―――――――――――――――――――

ナデシコ、居住区、元、鳴無卓也の個室。
メルア・メルナ・メイアは鳴無卓也の使用していたベッドに座りこんでいた。
少し前まで卓也のベッドに突っ伏して泣いていたが、目元を赤くさせ頬に涙の痕があるものの、今は概ね落ち着いていた。
深く物事を考える力が残っていない、とも言える。
暫くすればまた泣き出してしまうだろう、と、メルアは奇妙な確信を抱いていた。

顔も拭かず、ぼうっと電灯の点いていない暗い部屋の中を眺め、部屋の作りは自分達に割り当てられた部屋と同じだな、などと、ぼんやりとした頭で考える。
改めて見れば、そこは驚くほど物が無い部屋だった。
備えつけの冷蔵庫に、旅行鞄だけが置かれていた棚、日記を書く為にのみ使われていた机に電気スタンド、後は何冊か他から借りてきたであろう雑誌が数冊。
ここに残されているモノから、彼の人柄を知ることは難しいだろう。それほどに、この部屋には部屋の主の生活感というものが残っていなかった。

そう、ここには鳴無卓也は残って居ない。信じられない程に、あっという間に消えてしまった。
だが、それを実感できない。あまりにも急過ぎたからか、そのショックを脳が拒絶しているからか。
メルア・メルナ・メイアは奇妙な程に落ち付いていた。

「……おなか、すきました……」

唐突なメルアの呟きと共に、その腹からグゥと空腹を訴える音が鳴る。
コミュニケを確認すれば、オーブを飛び立ってから既に数時間が経過していた。
泣き疲れて眠ってしまい、食事を取り損ねたのだ。更に言えば、昨日今日とおやつを食べていない。
昨日はなにやら用事があったらしく、あらかじめ用意してくれていた卓也のお菓子があったのだが、もしかしたら早くに用事が済んで、いっしょにおやつを食べられるかもしれないと待っていて、待っている間にあの戦闘が始まってしまった。
他のみんなが戦闘している中でおやつを食べる訳にも行かないと我慢していたが、その戦闘は日をまたいで行われ、そして、ナデシコのクルーが二人減った。
二人、減ってしまったのだ。

「……」

悲しい、しかし、やはり涙は出ない。
お腹が空いていると泣く力も湧いてこないのかもしれない。が、今のメルアにはこの部屋を出る気力も無い。
メルアはのろのろと身体をベッドから降ろし、四つん這いで暗い部屋の中を探し始める。
すぐに目当てのモノを見つけた。
冷蔵庫。メルアが自室に取り付けてもらった物に比べれば小さいが、それでも一般的な一人暮らし向けの冷蔵庫よりは大きい。
取っ手に手をかけ、開ける。

「あ……」

ジュースやお菓子作りに必要な材料の中、ポツンと小ぶりなチョコレートケーキが鎮座している。
以前食べた時にメルアが、これが一番好きなんです。と教えたモノ。
数人で分け合って食べると丁度いい量になるだろうそれを取り出し、机の上に乗せ、椅子を引き、座る。
フォークが無い。机の中を漁ると、使い捨てのプラスチックフォークが袋に入ったまま何本も放置されていた。
プラスチックフォークを一本袋から取り出し、チョコレートケーキに突き刺す。
切り分けもせず、贅沢な食べ方です、などと考えながら、切り取ったケーキの一部を口に運ぶ。

「……しょっぱい?」

美味しい、甘い、でも何故か少し塩気があるような。不思議な味だ。
続けて一口、二口、口に運ぶ。
ボロボロと食べカスをこぼしながら無我夢中で食べていると、手に水で濡れたような感触を覚え、メルアは自分の手を見る。
水滴が付いた手、しかし、その手がゆらゆらと歪んで見えた。
泣いている。乾いた涙の痕をなぞるように、涙が流れている。自分の目から、涙がとめどなく溢れている。
泣いている、泣ける。泣けることに気付いてしまったのなら、もう、我慢する必要は、無い。

「う、ううぅぅぅ、うあぁ、うあああぁぁぁぁ…………!」

ケーキを食べ、そのケーキを二度と作って貰えない事を知り、遂にメルアはしっかりとその事実を認めた。
鳴無兄妹は、鳴無卓也は、初めて好きになったあの人は、もう、どこにも居ないのだと。



続く

―――――――――――――――――――

はい死んだ。これにてスパロボ編本編沿いルート終了な、主人公がウソ臭い死亡フラグをおっ立てて回収したりする話終了。
ラスト辺りのナデシコクルーの辺りでは悲しげなBGMでも流しておけばそれっぽく見えるんじゃないかなぁとか。
思ったよりも短く纏まったけど、御蔭で前半と後半のギャップが凄い事になってます。しかも視点変更の数が半端無い。これ、どこら辺で誰に切り替わっているかわかります?
正解は、『わざと三人称と一人称がごっちゃになっている部分がいっぱいなのでカウントするだけ無駄』でした。
とかなんとか書いても反応は無さそうですね。今回ネタが三個くらいしか無いですし。しかもアレンジしすぎてたりシリアスの間に挟まってたりで分かり辛い。

因みに、この後の展開なんですが、実はラストは共通だけど分岐させる事が可能です。
☆一つ目の道は、このままシリアスで突っ走ってスパロボ編完! な道。
★二つ目の道は、シリアスの連続に耐えられない! 色々と台無しな『王道では無い』寄り道編を一、二話挟む道。

できれば、その、なんて言いますか、ご意見とか頂けたらいいなぁなんて、思ったりなんかして。
賢明なエスパー系の読者の方々ならばお気付きとは思いますが、自分、上の行でそちらを20回くらいチラ見しましたのでそこら辺よろしくおねがいします。

今はとりあえず真っ当なスパロボ編最終回へ向かう話を書いておりますが、二つ目の道を選ぶ人が居れば、もしかしたら何かの弾みで寄り道外道枠ストーリーが始まるかもしれません。

でも、アンケートとかってある程度感想数が無いと機能しませんよね。そもそもこのあとがきをどれだけの方が読んでいるのかわからないし。
試しに凄い下品なみさくら語でも書いてみるかなぁ。削除怖いからやらないけど。

そんなわけで、諸々の誤字脱字の指摘、この文分かりづらいからこうしたらいいよ、一行は何文字くらいで改行したほうがいいよなどといったアドバイス全般や、作品を読んでみての感想とか、心からお待ちしております。



[14434] 第十九話「フューリーと影」
Name: ここち◆92520f4f ID:30a41880
Date: 2010/05/11 08:55
……………………

…………

……

四桁に迫るフューリーの機動兵器からの飽和攻撃を受け、白い歪な人型と黒い鳥のような戦闘機が爆炎に包まれる。

「……やったか? はは、なんだ、思ってたよりも大したことなかったじゃあないか」

並みの機体どころか、堅牢な守りを持つ要塞とて無事では済まないだろう弾幕を浴びせられた二機を見て、ジュア=ムは勝利を確信した。
既に白い人型の居た辺りの地面は地下構造物まで根こそぎ吹き飛ばされ、黒い戦闘機の居た空間はもうもうと火と煙に覆われている。
いかにあの二機が異常な性能を誇っているとはいえ、この総勢1千に届かん数の機動兵器群による隙間の無い弾幕は避けることも防ぐこともできよう筈がない。

「いえ、まだよ。まだ反応がある!」

レーダーに映る敵機の反応を確かめ、フー=ルーが叫ぶ。
次の瞬間、『オーブ周辺に展開する全ての機動兵器』のコックピット内にロックオンアラートが響いた。

「各機散開せよ!」

アル=ヴァンの号令に咄嗟に反応出来たものは極僅かな数しか存在しなかった。
空間に無数の切れ目を入れたかのように無数の光の線がジグザグに走り周り、咄嗟に回避行動を取れなかった全ての機体を貫いて行く。
直径3センチ程の光線。
20メートル級の機動兵器からすれば細めの紐ほどの太さしか無いそれが貫通すると、爆発を起こしたように見える程の勢いで融解、蒸発。金属雲が発生した。
自動誘導、追尾型のレーザー兵器。しかもあの数えきれない光線の一本一本に、最低でもフューリーの星間戦争時に用いられていた主力戦艦の主砲に倍する程のエネルギーが込められている。
一瞬で蒸発した機動兵器の構造物が人体に有害な煙となり辺りを覆い、機動兵器を爆発するよりも早く蒸発させた超熱量により大気は焼け、辺りを地獄のような有様へと変貌させた。
辺りを覆う金属の雲の中から、白と黒の機体が現れる。
無傷。一切の欠けも汚れも無く、依然として力を衰えさせることも無く、悠然とそこに佇んでいた。

「は、ははは、はは。なんだよ、なんなんだよ、お前は」

ジュア=ムの咽喉から乾いた笑い声が漏れる。
一瞬にして部隊の九割が撃墜、いや、焼滅させられてしまった。
決して未熟だった訳では無い。従士は準騎士に迫る実力の者を集めた。準騎士は自分と同じく騎士に上がる直前の者も居た、自分よりも優れているだろうという者も居た。
自分が生き残れたのは純粋にアル=ヴァン様のお言葉に素直に従うように心がけていたからだろう。自力では避けることも認識することも出来なかった。
笑うしかない。なんなんだ、その馬鹿げた火力は。なんなんだ、その馬鹿げた装甲は。
腹の奥底から湧き出す、冷たく、自らの動きを止めかねない感情を押さえこみ、白い人型と黒い戦闘機を見据えるジュア=ム。
コックピットの中で数度大きく呼吸をし、ジュア=ムの駆る赤いラフトクランズがオルゴンクローを構え、突撃した。

『待てジュア=ム! 連携を──』

聞こえない、如何に敬愛するアル=ヴァン様の言葉といえど、こればかりは聞く事が出来ない。この敵に対して連携は意味を持たない。そうジュア=ムは予感していた。
まともに向かっても勝ち目は薄く、アル=ヴァン様の言っていた最後の策、それ以外に有効打を与える方法は無い。サイトロンがそう告げている。
ジュア=ムは気を抜けば身を縮めて震えそうになる身体を使命感で無理矢理動かし、オルゴンクローで掴みかかった。

『俺が、何か、か?』

通信から鉄器のパイロットの声が聞こえる。何の特徴も無い、どこにでも居そうな男の声。しかし、どこか脳にじりじりと侵食するような響きを孕んでいると感じたのは恐怖からくる錯覚か。
オルゴンクローを振りかぶる。時間がスローになったかの如く遅々として進まない。
あと数メートルで接触というところでゆっくりとこちらに振り向く白い機体。そのカメラアイと思われる緑色の光がやけに目につく。
白い機体はいつの間にか無手になり、片腕を後ろに引き、もう片腕をこちらに向けて真っ直ぐに伸ばしている。

『お前達にとっての──』

聞き取れない、しかし決定的な何かを聞いた気がした。そして、カチン、と、安っぽいスイッチを入れるような音を耳にした瞬間、ジュア=ムの意識はこの世から消失した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

人か一人横になれるサイズのカプセルの中で、ジュア=ムは目を覚ました。
プシッ、という空気の漏れる音と共にカプセルが開き、身を起したジュア=ムは辺りを見回す。
ここは、月にあるフューリーの移民船、ガウ・ラ=フューリアの内部にある医療区域。
その中でも通常の治療では間に合わない危険な負傷を負った患者を治療する為の肉体再生施設だった。
現在は使用されることも少なく、何よりも民の眠るステイシスベッドへのエネルギー供給のために節電しているからか、照明は殆どが消され、ジュア=ムの入っていたカプセルの周辺以外は薄暗く闇に覆われている。

「目覚めた様ね、ジュア=ム。だいぶ再生に時間がかかったみたいだけど」

「フー=ルー様……」

フー=ルー・ムールーが、未だカプセルの中に座ったままのジュア=ムへと話しかける。
患者服を着ている訳でも無ければ自分のように全裸という訳でもない事から、先の戦闘では軽い傷しか負わなかったのだろうと、朦朧とした頭でジュア=ムは推察した。

「俺は……」

そう、全裸。自らの身体を見下ろし、ジュア=ムは安堵の息を漏らした。
服を着ていないが、肉体には一切の損傷は無い。
このカプセルに入れられるということはかなりの重傷を負っていたのだろうが、どうにか治療が間に合ったのだろう。

「そうか……俺は真の死を免れたのか……。そ、そうだ! アル=ヴァン様は!?」

カプセルから腰を浮かし、慌ててあの場に居た師の生死を確かめるジュア=ムに、フー=ルーは静かに首を横に振る事で答えを返した。

「そ、そんな……」

「慰めには為らないでしょうけど、ジュア=ムは勇敢に戦って、最後には目的を果たしたわ」

「では、あの白と黒の二機は?」

恐る恐るの問いに頷き答える。

「そう、我らフューリーの驚異には成り得ないわ。──ジュア=ム、貴方はアル=ヴァンの騎士の位階を受け継ぎ、これからも我々の主君に忠義を尽くしなさい」

―――――――――――――――――――

ジュア=ムがカプセルから出て、正装に着替え総代騎士の元へと向かい、医療施設内部にはフー=ルー一人が残っているだけ。
が、突如として虚空からパン、パンと手を叩く音が響いた。
ついで、暗がりの方から滲みだすように人影が現れる。膝ほどまである少し癖のある黒髪をたなびかせ、吊りあがり気味の目元に悪戯っぽい笑みを浮かべたやや幼さを残した少女。

「いやー、いい感じいい感じ。頭の硬そうな騎士にしちゃあ良く出来た方じゃん」

心底楽しそうな声。楽しくて楽しくて仕方がないといった表情で大げさに拍手をする少女に、フー=ルーもまた微笑みを返した。

「騎士とはいえど、多くの従者を纏める立場にありますもの。部下の安心できる言い回しを考えるのも必要な技能の一つですわ。それに──」

一点の曇りも無い笑み。雄々しく美しい、野生の獣の浮かべるそれに似た笑顔。
暗い医療施設の中、スポットライトに照らされたようなカプセルの脇で両手を広げ、その場でくるりと踊るように身を回す。

「貴女と、あなたの主には感謝していますもの。これで、わたくしはようやく戦う事が出来る」

くるり、くるりと。舞台の上の演者の様に、街角の踊り子の様に、歌い遊ぶ童女のように。
騎士としてのフー=ルー・ムールーでは無く、何者でもない、唯のフー=ルー・ムールーとして。

「誰の為でも無く、何の為でも無く、民の為でなく、国の為でなく」

朗々と、歌いあげるように、騎士では無く、一人の戦士として。
いや、一握りの火薬、一振りの剣として、その機能を果たせる喜びを吐露する。
広げていた腕で自らの身体を抱きしめ、眼を細めた恍惚の表情で、歓喜に身を震わせた。

「唯々純粋に、戦う為だけに、戦うことができる──!」

戦場の名乗り合いの様なものを好んでも、こういった芝居掛かった動きはしない。以前のフー=ルーならば、騎士としては、戦場には必要の無いものだと断じていただろう。
だが今は違う。フー=ルーの心は解放されていた。
騎士として総代騎士の命を聞き、民の平穏の為に戦っていた騎士、フー=ルー・ムールーはここには居ない。
文字通り、騎士であるフー=ルーは死んだのだ。騎士としての振る舞いなど欠片程にも頓着する必要は無い。
ここに残ったのは己が欲求を満たさんとする純粋な生き物。

「頼もしいねぇ。じゃ、お望みの心躍る戦いって奴をしてもらおうかな」

少女が人差し指と中指で摘まんでいたメモリースティックをフー=ルーへと投げ渡す。
フー=ルーはそれをしっかりと受け取りながらも、訝しげな視線を少女に向けた。

「? わたくし達が出向く必要は無いのではなくて? 彼らは時期が来ればこのガウ・ラに攻め込んでくる、というのが貴方たちの予測の筈」

「そ。でも、あいつら以外にも地球にはしっかりとエース級のパイロットってのが居てね」

「あの機能を搭載したベルゼルートでなければ、そも戦いにすらならないのだけど」

そう、フー=ルーが求めるのは生と死の境界が見えるような強者とのギリギリの戦い。動かない案山子を打ち殺すような単純作業は好むところでは無い。
地球上で唯一ラースエイレムキャンセラーを搭載しているベルゼルートが敵側に居なければ、そも戦う相手として見る事も出来ないのだ。
しかし、そのフー=ルーの疑念を予測していたのか、少女は間を置かずに言葉を返す。

「アンタの機体からはラースエイレムのコアモジュールを取り外してある。作戦の内容とかは全部その中に入ってるから、機体の中で確認してよ」

つまりラースエイレムは使用できない。
騎士や準騎士、従士に至るまで、この宣告を受ければ即座に抗議の言葉を吐き出すのがフューリーでは普通だ。
戦闘の要、自分達がその他の生命体、軍隊からは一線を画した存在であることの証明であり、まさに戦闘における命綱のようなそれを使用できない。
ラースエイレムキャンセラーを搭載した敵を破壊すればいいという単純な解決法は無く、最初から最後まで純粋に自らの戦闘技能による戦いで勝利し生き残る必要がある。
強敵難敵、数が多い敵は軒並み停止している状態が殆どである、大戦を経験していない若いフューリーの兵にとって、それは地球の軍隊で例えれば懲罰で補給の行き届かない前線に飛ばされるようなもの。

「それはそれは、有り難きお心遣い」

しかし、フー=ルーは、戦争狂いの女戦士は、さも喜ばしい事であるかのように笑う。これで正しく対等なのだ。
放置していた庭に生えていた雑草を刈り取るのではなく、敵国に、異星に攻め込む正しき侵略戦争。血で血を洗い、腸の海を泳ぐ如きグロテスクさを備えた確かな戦い。
求めていた戦争。
その訪れに、フー=ルーは逸る気持ちを抑えきれず自らの機体の納められている格納庫へと足早に駆けていった。

―――――――――――――――――――

そうして残った少女が一人、医療施設の中で嬉しそうに虚空に向かい話しかけている。

「うん、これから虱潰しにしてく。──そうだよー、もうあっちこっちに散らばってる」

一言二言告げる度に少し間を置き、誰かの声に返答するかのように再び口を開く。
いや、確かに会話を行っている。この世界の人間では傍受する事の出来ない、少女とその相手にしか行えない方法で。

「いいっていいって、結局火星の遺跡は任せちゃったし、サポートはもともとあたしの役目なんだから」

しばし返答を待ち、苦笑を洩らす。少女は遠慮したが、会話の相手に、何か返せるものが無いか、その苦労に報う方法は無いか、そんなことを返されたのだ。
少女は顎に人差し指を当て、虚空を見上げながら考る。

「じゃあさ、残りのチェックが終わったら、あれだよ、ほら、ね? ご褒美っていうか」

少女は頬を仄かに紅く染め、恥ずかしげな表情であいまいなニュアンスでおねだりを伝える。
会話の相手の返答を受け取り、恥ずかしげで僅かに緊張していたようでもあった表情が綻び、花のように笑った。

「──うん、うん! もう本当にカカッと終わらせるから! お兄さんもがんばっテ!」

そして、会話を終えたのだろう少女は虚空から目を外し、その場でビタンと倒れ伏し、ゴロゴロと転がりながら床をばしばしと叩きキャーキャー叫びつつ興奮している。
数分それを続け、ふと我に返って立ち上がり服に着いた埃を叩き落とすと一つわざとらしく咳ばらいし、周りに誰も居ない事を確認してから、再び滲むように暗がりの中へと消えていった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

ポイント1915、セクター47空間から地球へ向けて加速を続けるラダム母艦内部、テッカマンオメガがその身を表に表し、テッカマンエビルとテッカマンブレードが命を賭けて死闘を繰り広げた広間へ向け、テッカマンブレードことDボウイはボロボロの身体に鞭打って加速を続けていた。
肉体はエビルとオメガとの連戦で消耗しきっており、精神はブラスター化の影響で崩壊寸前。
ここに至るまでに仲間の顔を覚えていられたことすら奇跡だと、ブレードはどこにいるとも知れない神に感謝していた。
神に感謝というよりも、数奇な運命に対する奇妙な納得だったのかもしれない。

外宇宙探査船に乗り込み、ラダムに取り込まれテッカマンへと改造され、かつての友や家族と殺し合う過酷な運命。その全てが今この瞬間に収束しているように感じていた。
仮面の下で涙を流し、かつての仲間と、家族と殺し合うという血塗れの運命。
しかしその運命は新たに掛け替えのない仲間と、友と、愛すべき人と巡り合わせ、今また彼らと、彼らの愛する地球を救う事が出来る力を自らに与えていた。
不可思議な思考かもしれない。あの不毛な殺し合いが運命だったなどと、常のDボウイならば思いつきもしないだろう。
だが、この燃え尽きる瞬間のような猛る力を感じ、兄を、弟をラダムから解放した今、そう考えてもいいのではないか。
急激な加速により崩壊を始めているラダム要塞の中、Dボウイは奇妙な程に落ち付いていた。
煮えたぎるような、燃えるような、決して消える事の無いものと思っていたラダムへの憎しみが自分の中から消え始めているのを感じていたのだ。
そうなると、このような状況でも精神に余裕が出来てくる。ブレードは自らを運ぶペガスへと声を掛けた。

「ここまで付き合わせて、悪かったな」

「……」

答えは無い、戦闘により、通信や発声の為の機能が破損しているのだろう。しかし、ブレードはペガスが何時ものように快く、忠実に付き従ってくれることに心強さを感じた。

―――――――――――――――――――

このラダム母艦の元となった実験コロニーの基礎と重なる中枢を破壊すれば、現在の加速に耐えられず崩壊、内部に貯蔵していた侵攻用の武装と反応して消滅する。
脱出する時間は、多分無い。初期型の実験コロニーの頑丈な基部を破壊するならばボルテッカも加減は利かない、フェルミオン粒子が空の状態でそんな大規模な爆発に耐えきれるとは思えない。
ミユキを残してしまうのは心苦しいが、あそこにはアキやノアル、それ以外にも気のいい連中が多くいる。

そして、ラダム獣の死骸が山と積み上げられ、戦闘の痕も生々しい広間へと到着した。
テッカマンオメガが姿を現した空間の向こう、巨大なコロニーを支える支柱が存在している。
エビル、シンヤとの決着をつけた直後に現れたオメガ。あれは何も他のテッカマンを全て殺されたから自ら出向いた訳では無い。それ以上先に進ませる訳には行かなかったのだ。
あとはこの場で全力のブラスターボルテッカを放つのみ、しかしボルテッカの発射孔を開こうとしたブレードに向け、四方からボルテッカが放たれた。

「何!?」

身を逸らしボルテッカを回避するブレード。慌てて周囲を確認すれば、今まで見た事も無いような奇妙なテッカマンに囲まれていた。
全体のフォルムはブラスター化する前の自分に似ているが、一つ一つのパーツに奇妙な模様が刻まれ、脚は犬のような間接構造をしている。
また、胸部から肩にかけてまでは人の素肌に直接装甲を塗貼りつけたような艶かしいフォルム。
また、頭の両脇には捩じれた角が頭の側面を覆うように生え、しかし顔自体は目も口も無いのっぺらぼうだった。

「こいつら、地球に出たという連中か!」

以前、デビルガンダムを追うようにして現れたという無数のテッカマン軍団。紫色の指揮官風テッカマンに率いられていたという兵隊が周囲に、ラダムの死骸の陰に、壁や天井に張り付くように潜んでいた。
そう、潜んでいたのだ。テッカマンの本拠地であるラダム母艦の中で。
それだけでは無い、ブレードの身体はすでにまともな戦闘行動が行えない程に消耗していた。残りの力を振り絞って、ようやく止まった標的に範囲攻撃=ボルテッカを当てることができる程度なのだ。
そのブレードが回避できた、つまり、このテッカマン達は積極的に自分を殺しに掛かっていない。

『何のつもりだ!』

テッカマン同士の精神感応による問いかけ、少なくともテッカマンであるならばこれが通じるだろう。
殺すつもりだったならば先ほどのボルテッカは直撃していた筈だ。いや、それ以前に自分を止めるつもりならば先ほどの戦闘で出てこなければおかしい。
考えられない話ではあるが、あのテッカマン達はラダムに属していないのかもしれない。

『──』

返答は無し。いや、確かに精神感応によって繋がっているのだが、何も伝わってこない。
無感情でも無関心でもない、どの様な状態であれ、テッカマン同士でリンクすれば何かしらの感情が伝わってくる筈だ。
まるで死人の頭を除いているかのような、そんな虚無的なものを感じたブレードがついその謎のテッカマン達から目を逸らすと、自分も知らない紫色のテッカマンがオメガの死骸を踏みつけにし、その手から触手を伸ばしてラダム母艦の中枢へと突き刺している姿を目撃した。


―――――――――――――――――――


ラダム母艦の機能は理解できた。でもこれを全部取り込んでたら確実にブレードのボルテッカに巻き込まれるなー、などと考えながらちんたらしていると、何時の間にか広間にまでブレードが侵入してきていた。
ま、若本が潰された時点で何故か残りのラダム獣も自壊を始めたから警備がザルなのは仕方がない。
一応連れてきていた量産テッカマンに足止めをさせているけど、多分そう長くは持たないと思う。
いつぞやのモノと同じような作りをしているけど、こっちはあそこまでディティールに拘って無いから並みのテッカマンより多少強いかな程度の性能でしかない。
しかもDボウイ、というかナデシコの連中に関しては今は殺すな、と指示が出ていて殺せない。量産型どもにはボルテッカの発射を妨害させているけど、それも発射孔を経ずに自爆同然で放つことも可能である以上は長持ちしないだろう。
それまでにどうにかしてこのラダム母艦のデータなり母艦の残骸そのものなりを持ち帰りたいのだけど、良いアイディアが思い浮かばない。そこで──

(仕事中の分体諸君、君の意見を聞こう!)

―――――――――――――――――――

『月面で元戦車乗りのビット使いと交戦なう。フーさん超はしゃいでるぜー』
『ジェネシス侵食なう。デカイからデータだけ貰ってオリジナルは放置ー』
『アルテミス侵食なう。デビルアルテミス完成まであと二時間ってとこかなー』
『連合の基地潜入なう。三馬鹿の機体見つけたよー』
『火星で地下組織の我慢ならんと交渉なう。技術提供はしたけど、完成品どころか試作品が手に入るかも微妙臭いねー』
『ギアナ高地でジャンク漁りなう。ボンボンのジオラマ企画みたいな感じでいけるぜぃ』
『木星蜥蜴と遭遇なう。過激派の逃げ遅れかな? ヒマなので突いて遊んでおきまうまう』
『ランタオ島で進化なう。ジュニアもいい感じの仕上がりぃ』
『まてまて、ラダム母艦担当がなんか言ってるから、お前ら落ちつきたまえ^^』
『凄く落ち着いた^^』
『凄く落ち着いた^^』
『凄く落ち着いた^^』
『凄く落ち着いた^^』
『凄く落ち着いた^^』
『凄く落ち着いた^^』
『凄く落ち着いた^^』
『凄く落ち着いた^^』
『よし』

(なんだよー時間無いんだから纏めて返事しろよー)

『まぁそう言うなって』
『次元連結式のワープで逃げたいけど、母艦自体が巨大だから融合してる間にブレードに接触されそうなんだろ?』

(うん)

『母艦のどの辺が新機能に必要かは分かってるんだよな』
『ヒントはブラスレ世界ラスト』

(狙い撃ち?)

『惜しい、もうチョイ前だ』

(天田さんの触手プレイ!)

『かなりむちむちしてたよねぇ……』
『ガチガチでもあったけどなー』
『ピンク髪は総じて淫乱だからね、しかたないね……』
『分かっててボケてるならもう切るよ?』

(わかった、じゃあまた月で合流ってことでー。あ、帰ったらご褒美が貰えるから、何して欲しいか考えておけよー)

『わぁい^^』

―――――――――――――――――――

他の分体とのチャットを切る。最初にヒントだけ聞けてれば早かったんだろうけど、流石はあたし、見事に統率がとれているようでとれていない。
顔文字表記より名前表記の機能を入れた方が効率的かな。今後の課題ということで。

それはともかく、どうすればいいかは大体分かった。
ラダム母艦に搭載された機能は多岐にわたる。でもその機能を使う上で必須なのはこの目の前のラダム母艦の中枢とそれを統率するテッカマンだけで、必要な資材はラダム獣をラダム樹へと変化させる応用でどうとでもなってしまうのだ。
つまりこの母艦全体と融合する必要は無いので、目の前にあるこの中枢だけを取り込んで引き剥がし、ワープで逃げる、と。
コロニーを支える基部でもあっただけあってかなりの大きさだけど、ラダム母艦全体と融合するのに比べたら格段に早く終わる。
触手をラダム母艦の中枢に撃ち込み侵食を開始する。DG細胞で強化されてなおオリジナルより速度が劣るけど、それでも一分と掛からずに取り込むことが可能なはず。

「貴様、何をするつもりだ!」

ラダム母艦の異変に気付いたブレードがこっちに近づこうとしてくるけど、量産型テッカマンの群れを突っ切る事が出来ずにいる。
単純なスペックじゃあブラスターテッカマンに劣るけど、十数体の並以上のスペックを持ったテッカマンがダメージを気にせずひたすら足止めだけに専念しているんだ、そう簡単に抜け出せる筈がない。
そうこうしている間に中枢との融合完了。ラダム母艦の基部でもあるそれを引き抜き、次元連結システムを起動させる。

「待て! 貴様は一体……!」

わりいな、お前らとやんのはまだ少しだけ先だ。

「またな、Dボウイ。月で待ってるぜ」

招待状、というわけじゃあないけど、これからのステージに必要な敵も大分潰しちまったし、とりあえずヒントを出す程度の事はしておこう。
それっぽい言葉だけを残し、あたしは月のねぐらへと転位した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「月、ですか?」

ナデシコの艦長、ミスマル・ユリカは首を傾げながらDボウイへと問い返した。
ラダム母艦の崩壊(消滅ではない、ブラスターボルテッカで消滅させるまでもなく、中枢を引き抜かれたラダム母艦は空中分解しチリと化した)謎のテッカマンがラダム母艦の中枢を引き抜いたこと、次の瞬間に忽然と姿を消す瞬間に告げた言葉を報告していたのだ。

「月で待ってる、か」

「月面といやぁグラドスの連中か、連合の月基地と月面都市があるぐらいだけどな」

ブリッジに集まったナデシコのクルー、通信の向こうのアークエンジェルのクルーも首をかしげている。
謎のテッカマンが残したメッセージは意味深なものであった。
第一に月という場所を指定したこと。
月にはグラドスと地球連合がお互いに一進一退の争いを繰り広げていた。
少し前まではグラドスのSPTに対抗する手段を持たなかった連合ではあるが、現時点ではMSの量産化に成功、試作機の運用データを基に作成されたソルテッカマンの量産型も順調に配備が進んでいるため、グラドス軍を駆逐する為に月の各地で小競り合いが多発していたのだ。
していたというのも、連合が完全にブルーコスモスの下請け組織同然になってしまった為に、今現在月には連合の基地を守る為の最低限の戦力しか残されておらず、グラドスもフューリーの遊撃部隊により戦力を削られている為、双方ともに戦力が不足し、積極的な戦闘行動を避けている為である。
とはいえそれでも少なからず小競り合いは続いている。どういう意図があるにせよ、わざわざそんな場所に呼び出す意味は何なのか。

そして第二に、メッセージを告げた者の『Dボウイ』という呼び方。
これまで出てきた敵性テッカマンのDボウイの呼び方は『ブレード』『タカヤ坊』『兄さん』など、ラダムとしての意識が強い者と、人間としての記憶のままに呼ぶ者とで数パターン存在したが、当然のようにDボウイという呼び名は存在しない。
当たり前といえば当たり前の話で、この呼び名はスペースナイツのノアルが付けたあだ名のようなもので、ナデシコ、アークエンジェルの二隻の中でしか浸透していない。
連合軍内ではそも個人としての扱いではなく兵器扱いであり、そこでの呼ばれ方も『テッカマン』『ブレード』『化け物』などで、一応の親しみのこもった呼称であるDボウイは使われていない。

しかも、ブレードに変身中であるにも関わらず『Dボウイ』という呼称を使った。
これはとりもなおさずあのテッカマンがナデシコかアークエンジェルに関わりがある可能性が高いということなのだが、艦内にテッカマンが存在していたならDボウイが気付かない筈がない、という事でその可能性は考慮されていない。

「確かに放置しておいていい問題でも無いが、今はそれよりも急を要する問題がいくつもある」

「月、なんて漠然とした場所指定じゃあ、探しにも行けませんしね」

結局、月という以外に広い範囲の捜索に時間は掛けられず、オルファンやプラントと連合の衝突などの優先度が高い問題から片付けるべき、という流れで話は進む。
そんなやり取りを話し合うクルーの後ろの方で聞いていた統夜は、不思議そうな表情で月の写った映像を見つめるカティアとテニアに気付いた。

「どうしたんだ?」

少し前に月面でジュア=ムと戦った際には恐怖に身を震わせていたカティアとテニア。それは統夜が力を見せ、フューリーが来てもどうにかなる事を教えたことでなんとか抑えることが出来ている。
しかし、それはあくまでも統夜という支えがあってこその話であり、やはり月に何かが居る、というならば多少の震えや不安を感じる筈なのだ。
が、カティアもテニアもそんなそぶりが一切無い。

「なんだろ、怖いのに、嫌な予感がするのに、行けば絶対に嫌な事が起こるのに、行きたくないって思えない」

「統夜、貴方は何か感じませんか?」

カティアの問いに、統夜はどう答えるべきか逡巡する。
実のところ統夜自身、あの月に対して、どこか覚えのある胸のざわつきを感じていた。
だが、それがいつだったか思い出せない。今思い出さなければいけないような、取り返しのつかない何かを見逃しているようなもどかしさに、統夜は眉根を寄せて首を横に振ることしかできなかった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「はっ、はっ、はっ……」

致命的損傷、大破。そんな端的な事実を告げる画面を、息を切らしたパイロットが睨みつける。
訓練用のシミュレーションだが、実戦であればこの時点でミンチより酷い事になって死んでいる。
コックピットをビームサーベルで貫かれてパイロットは死亡、そのまま動力炉も破壊されて爆発。文句なしの敗北と死亡。

「これで、39回目……」

死亡回数が、ではなく、接近戦でコックピットを貫かれての死亡が、である。総死亡回数はこの五倍以上。
パイロットとしての適性が高くない為、サブパイロット代わりにオーブのモルゲンレーテから持ち出した簡易な量子コンピューターを搭載し補助をさせ、反応が遅れてもいいように遠距離から弾幕を張ったり、接近戦にも対応する為、格闘戦のプログラムを他のパイロットの動作ログを参考に組んでみたりと工夫を重ねてはいる。
が、今回のシミュレーションでの仮想的はザフトに奪われた四機のG。コーディネイターの超反応、機体の優秀さなどのお陰で未だに全機撃破までは辿り着けていない。
ブリッツはコロイドを使う前に遠距離から高火力で圧殺、補足される前にバスターに急接近、すれ違いざまに叩き潰し、高機動でAS装備のデュエルを撹乱したまではよかったが、意識の外にあったイージスのスキュラで体勢を崩された所をここぞとばかりにデュエルに狙われてしまった。

パイロットは小さく舌打ちをした後にコンソールを操作し、訓練を再開。
が、訓練用のプログラムが開始される前に、外部操作で電源を落とされ、コックピットを開けられてしまった。

「今日はここまでにした方がいいんじゃないか」

「そうだよ、こんな何時間もこもりっきりじゃ体を壊しちゃうって」

コックピットの外から心配そうな視線を向けてくるのは、紫雲統夜とフェステニア・ミューズの二人だった。

「ありがとうございます。でも、今は少しでも訓練しないと……」

滴る汗を袖で拭い、ぞんざいに答えるパイロット──メルア・メルナ・メイア。
アークエンジェルにのせられていた連合のパイロットスーツの予備を身に纏ったメルアが、ベルゼルートのコックピットでひたすらにシュミレーションを繰り返している。
オーブ脱出の数日後から続く光景であり、こうして時間を忘れて訓練に明け暮れるメルアを統夜やテニアやカティア、あるいは他のナデシコクルーが食事の為にコックピットから無理矢理にでも引きずり出そうとするのも、もはやおなじみの光景と化していた。

「メルア、せめて食事はとった方がいいわ」

「後でとるから大丈夫ですよ。今は訓練に集中させてください」

心配そうな声のカティアに目も向けず、頑なに戦闘訓練に固執するメルア。
オーブを出た後、数日卓也の部屋に閉じこもって泣いていたメルアだったが、しばらくすると整備班と共にコアモジュールの抜かれたベルゼルートの修復をはじめ、そのベルゼルートで二人が抜けた穴を埋めると言いだした。
当然、統夜もカティアもテニアも反対した。
ベルゼルートはサイトロンへの適合率の高い統夜が居て初めて戦闘機動が行えるのだ。
そもそもメルアだけで動かすことができるのであれば、バッタに応戦する為に統夜を無理やり乗せる必要も無かった事になる。

が、当時と違い現在のナデシコには多くの技術が存在する。ナチュラルでも動かせるMSのOS、IFSに、モビルトレースシステム。スクラップから修復したグラドスのSPTや同じくスクラップを継ぎ合わせて修復したフューリーの機動兵器まで存在している。

先ずは動力の問題を解決する為に、フューリーの機体の残骸を調べた。
鳴無卓也の残したフューリーの機体に関するメモ書きの中に、サイトロンやオルゴンエクストラクタへの適合率はフューリーのパイロットの間でも一定ではなく、適合率が低い者は何らかの補助機械を機体に積んでいるという記述が存在したのだ。
案の定、戦闘員の中では一番の下っ端である従士が乗っていた機体には、機械的にオルゴンエクストラクタの出力を上げる装置が存在していた。
全くサイトロンに適合していない地球人では使えないものだったが、実験体であったメルアならば、どうにかギリギリ戦闘機動が可能な出力まで持って行く事が可能になった。
もっとも、ラースエイレムキャンセラーを機動させるには桁が一つ足りないような心もとない出力しか出ないのだが、

次に、ベルゼルートをIFS対応させた。メルアは何のためらいもなくIFSを注射したが、人体実験の影響なのかイメージが機体に上手く伝わらなかった。
これは更にMSの操縦系を簡略化したもの追加し、それでも足りない部分はどさくさでモルゲンレーテから持ち出した予備の量子コンピュータに、レイズナーのサポートAIを参考に組まれた補助AIを与え搭載することで解決。

が、操縦できるようになっても、そもそも戦闘ではサポートにまわっていたメルアは繊細な機動など出来ない。
機体そのものも強化型であるベルゼルート・ブリガンディの素体を参考に強化され骨太になり、更に出力不足で使えない武装を補う為にオルゴンライフルにも手が加えられた。
鳴無卓也か鳴無美鳥が現在のベルゼルートの状態を見れば、ブレード無しヴァイスリッターが魔改造でバルゴラとゲシュペンストのキメラに化けた、とでも言っただろう無茶な改造。

しかしその無茶な改造のお陰か、それともその改造がメルアのセンスにマッチしたのか、訓練を初めて間もないにも関わらず精鋭揃いのナデシコクルーの中でも見劣りしない程度には戦えるようになっていた。
だが、それでもメルアは訓練を止めない。二人の穴を埋めるにはまだ足りないと、食事の時間を削って訓練に当てていた。

「訓練をするなって言っている訳じゃないわ。食べずに倒れたら本末転倒だって言っているの」

「いざっていう時に空腹でまともに戦えない、集中できなくて撃墜されて死んじゃいました、なんてなったら、二人に合わせる顔が無いだろ」

「……はぁい」

カティアと統夜の説得に渋々と返事を返しコックピットから降りるメルア。
『二人に合わせる顔が無い』
ただその一言にだけ心を動かされての行動だった。
今のメルアは、食事も楽しみな娯楽ではなく、ただ単に倒れない為、戦う為に身体を維持する為の単なる栄養補給として捕えている。
倒れず、死なず、ひたすらに戦い続ける。今生きているメルアの、胸に秘めた唯一つの目的を果たす為に。
鳴無卓也を死なせたフューリーを、一人残らず根絶やしにする。
その為にメルアは、側溝のヘドロの様に溜まった疲労で重い体を引きずり、統夜とカティアとテニアと共に食堂へと歩き出した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

『俺は』

激突の寸前、ガクンと全身を痙攣させ突如として動きを止めたジュア=ムのラフトクランズを巨大な鉤爪で鷲掴みにして受け止めた白い機体。
アル=ヴァンとフー=ルーはジュア=ムのバイタルをチェック、生命反応が停止している事を確認する。
しかし、ジュア=ムの機体そのものには何のダメージも加わって居ない。パイロットの乗せ換えればすぐさま戦闘に戻ることができる程に無傷。
あの無手の状態から何らかの攻撃を繰り出し、正確にコックピットの中のジュア=ムだけを殺害した。
おそらく次元跳躍系攻撃。だが、超高速の戦闘機動を行う機動兵器のコックピットの中のパイロットだけを狙うなど人間業ではない。

『お前達にとっての、死、そのもの』

その白い機体のパイロットが歌うように、しかし確かめて言い聞かせるように一語一語区切るように告げる。
その言葉に、フー=ルー・ムールーは不思議と納得していた。
サイトロンの見せた未来からアル=ヴァンは悪鬼と言っていたが、こうして相対してみれば、この存在はそんな回りくどい表現を使う必要の無いものだと分かる。
あれはまさに死を具現化した存在というにふさわしいのだろう。
誰もが恐れ否定しようとするが、その存在を確かなものとして定義することは難しく、決して逃れ得る事の無い絶対者。
それでも何かに例えるというならば、悪鬼というよりも死神とでも言う方が相応しい。

『フー=ルー。予定より早いが準備が整った』

アル=ヴァンからの暗号通信。あの白い機体にも、沈黙を続ける黒い戦闘機にも悟られない為のモノ。
切り札の準備はあの白い機体が自ら御膳だてしてくれた。予想外の火力を持ってなされたそれに合わせ、こちらも準備を整える。
ギリギリまで悟られてはいけない。こちらの意図を読まれては回避される危険性がある。

『済まないが後の事を、民と皇女を、シャナ=ミア様の事を頼む』

「……ええ、確かに承りました。騎士の誇りに賭けて」

あの白い機体を、フューリーという種族の死を討つ為に、刺し違えようとしているアル=ヴァン。フー=ルーはその遺志となる意思を確かに引き受ける事を誓う。
通信の向こうから、アル=ヴァンのフッというかすかな笑い声が聞こえた。

残っていた従士の機体を下がらせ、アル=ヴァンの駆る黒いラフトクランズがソードライフルを構え、白い機体と向かい合うように前に出る。
白い機体も、クローに掴んでいたジュア=ムのラフトクランズを黒い戦闘機に預け、それに応じるように前に出た。
旧き時代の戦場で行われた一騎打ち。
違うのは向かい合うのが甲冑を纏った騎士では無く、その身を鋼で鎧う機械仕掛けの巨人であることか。

「──」

一呼吸分の間を置き、二機の巨人が激突を開始する。
白い機体はいつの間にか再びその両腕に機械鋸と光学剣を構え、黒いラフトクランズのソードライフルと切り結んでいる。
速射砲や重力波砲、複腕、誘導兵器、次元跳躍攻撃等を使うそぶりは無い。
一合、二合三合、四合五合六合七合、刃金と刃金が削り合う音が周囲に響く。
白い機体の太刀筋は前回見えた時と比べても更に鋭さを増し、ラフトクランズの隙を鋭利に切り裂こうとしている。
しかし、アル=ヴァンのラフトクランズも押される一方ではない。
ソードライフルの二股に別れた刃で光学剣をからめ取り、オルゴンクローで機械鋸を受け、至近距離からオルゴンキャノンを撃ち込み続けている。

やはり遊ばれている。フー=ルーは確信した。
そもあの白い機体はこちらの誘いに乗る必要すら無かった。あの二隻を逃がす時も、最初にあの圧倒的な火力で制圧してしまえば事足りたのだ。
あの別れは余興として演出されたもの、残されたあの白い機体自身の意思によって。
今現在でもあえて刀剣系の武装のみでラフトクランズと打ち合っている。複腕の鉤爪や空間跳躍攻撃を使えば幾度となく殺せていた場面を無視して。
このアル=ヴァンとの一騎打ちも、こちらがどのような策を使うか見る為に態と乗ったに過ぎない。
遊び、弄りながらこちらの手を引き摺り出そうとしている。余裕を持ち、こちらの工夫を楽しんでいるのだ。

だからこそ、その余裕がこちらの勝機になる。
ラースエイレムの制御装置を、残りの下がらせている従士の機体に積まれたレプリカと連動させる。
現時点でフューリーの母艦に残された技術では、完全なラースエイレムのモジュールを一から完全に作り出すことは難しい。
従士達の機体に乗せているレプリカは対象をステイシスさせるものではなく、あくまでもサイトロン・サイティングとオルゴン粒子制御の補助装置でしかない。

今現在、この空間には多量のオルゴンエネルギー、サイトロン粒子によって飽和寸前の状態にある。初めに落とされた従士達の機体に蓄積されていたものだ。
遠距離戦特化型のドナ・リュンピーを大量に連れてきたのはその為。
砲撃の為に最大粒子蓄積量が多いこの機体を落とさせる事により、空気中に多量のオルゴンエネルギー、サイトロン粒子をばら撒く事が、作戦の第一段階。
自然な状態ではありえない程の粒子が溢れ返る中、レプリカ数十基とオリジナルを連動させ無理矢理に暴走させれば、対象を遥かな時間、遥かな次元へと放逐することが可能になる。

どのような敵でも逃れ得ない異次元追放攻撃。
だがこの攻撃を行うには多数の機体やエネルギー、そして対象をその場に留めておく、敵と道連れに命を落とす生贄が必要となる。
この攻撃を使用しなければならない強敵となれば、騎士の中でも上位の者でなければ押さえこめない。
敵の強敵と味方の相討ちを強要するするこの戦法は、故郷の星系を離れる切っ掛けとなった内粉ですら使用されなかった。
リスクとリターンの問題ではない、一騎討ちを持ちかけながらその実本命は刺し違えることにあるこの戦法は、両陣営の騎士達の誰もが騎士として有るまじき戦い方であるとして忌避したのだ。
ましてや地球人如きに使うなど言わずもがなだが、恐ろしい事にこの敵は上級の騎士を犠牲にしてでも始末しなければならない程の強敵でもあった。
アル=ヴァンは自らの命、そしてこの状況を作り出す為に犠牲になった従士達の命と引き換えに、この白い機体を排除しようとしているのだ。

ラースエイレムの超過駆動が開始され、空気中に浮かぶサイトロンとオルゴンが異常反応を起こし始める。
空間全てが緑色の光に包まれ、白い機体と黒いラフトクランズを中心に収束していく。

『お?』

『機は熟した。悪鬼よ、ヴェーダの闇の奥底、真の死の果てまで付きあって貰うぞ!』

通信から、白い機体のパイロットの突如起こった異変に対する疑問符と、アル=ヴァンの雄叫びが響く。
その場から退避しようと、機械鋸でソードライフルの刀身を打ち砕き、反動でその場から逃れようと後退のそぶりを見せる。
だがアル=ヴァンの黒いラフトクランズは白い機体を逃がすまいとオルゴンクラウドで背後に回り込み、ソードライフルとオルゴンクローで掴みかかった。

『フー=ルー!』

「任せなさい。サイトロン・サイティング終了、オルゴンエクストラクター出力臨界!」

空間が歪む、形容しがたい超常的な光景の中、フューリーに滅びを齎す白い姿の悪鬼は、黒い騎士機と共に、異次元へと、遠い時代へと放逐された。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

『…………様、フー=ルー様。起きて下さい、幾らなんでも眠られては困ります。仮にも任務中なのですから』

「う、ん。……大丈夫、眠っていた訳では無いから」

通信から響くジュア=ムの呆れたような声で目を覚ます。
少しまどろんでいたらしい。どうやらここまでの連戦で疲労が溜まっていたようだ。
今回は戦闘ではなく、現時点でのナデシコとアークエンジェルの二隻の戦力を偵察してこいとの任務だった為気が緩んでいたのだろう。

(騎士である事に誇りを持っていた頃なら、こんなだらしのない真似はしなかったのだけど)

自らの失態に思わず苦笑する。
どうにも、唯のフー=ルーとなってから本能に忠実になり過ぎている気がする。
まぁ、部下が未だに真面目にフューリーの為に精力的に気を張っていてくれるから、この程度の任務に力を入れる必要は無い。
むしろ、後々相対する時に全てを見せ合う事になるのだから、ここで真面目に相手の戦力を偵察するのは、何というか、勿体無い気もする。
初見初戦は済ませてしまったが、どうせなら先の戦いよりも格段に成長した強さはデータでは無く実戦で味わってみたい。

『しかし、良いんですかね。こんな簡単な任務で。どうせならここで消耗したあいつらを一網打尽に……』

「ダメよ、この場はまず敵の兵力の分析。この時点での手出しは許可されていないわ」

『わかってますよ。でも、どうにも気になりましてね』

レーダーに映る機影、プラントと呼ばれるこの星のコロニーへ迫る原子核破壊兵器を全て迎撃した機動兵器群が次々と帰艦している。
その中に、オルゴンエクストラクターの反応が『二機』存在している。
片方は恐らくそのまま統夜が乗っているであろう機体。出力は以前に比べ格段に上がっている。恐らくは何処かで開発されていた後継機。

そして片方はこれでまともに戦えるのか疑問に感じる程の低出力、実験体の乗っていた機体を改造したものと思しき機体。
何者が乗っているかは定かでは無い。戦い方もちぐはぐで決して美しいとは言い難い。
だが、呪いにも近い執念を感じる。祝いにも似た死の気配を感じる。
あれに乗っているのは、間違いなく修羅の類。
武器を無くせば腕で殴りかかり、腕を無くせば足で、脚を無くしても身体で、首だけになっても空を飛びこちらの喉を食い千切ろうとする類の化生。
倒れ行くその時まで戦いを止めない、自分と似た種類の生き物。

悪鬼との戦いは二度と願えなくなったが、なかなかどうして、良い戦士を見つけることが出来た。
フー=ルーはコックピットの中で、期待に胸を高鳴らせた。



続く
―――――――――――――――――――

恐ろしい事実。今回、主人公が回想の中でしか登場しない、サポAIだって登場しない。
しかし、顔の上半分が陰で隠されている謎の少女登場。名前欄だって当然『???』、一体何者なんだ……みたいなリアクション所望します。
昔の人は言いました、『釣り針が見えても食いついてやるのが粋というもの』だと。
スパロボのお約束として、シルエットとか言動で誰なのか分かっても、知らないふりをしてあげるのが優しさです。
そんなこんなで中途半端にガチシリアスに成り切れない十九話をお届けしました。
セリフ少なくてごめんね。主人公不在で半ば以上フューリー側が出張ってる戦闘シーンだからごめんね。
ていうか長ったらしい説明ばっかでごめんね。でも今回説明読みとばすとあっという間に終わりますね。つまりあんまり読むとこ無いですね。
まぁこういう話もあります。

突っ込みが入りそうな部分、特にラダム母艦関連の話ですが、完全にオリジナルです。ボルテッカで消し飛ばしたのが原作の展開なんでしょうが、だって自分ラダム系のテッカマンじゃないんで、母艦の構造とか知りませんし……。
その辺りの設定に詳しい方かラダム系のテッカマンの方、或いはブレードⅡの異星人指揮官テッカマン系の方、母艦の構造について突っ込みがあればご一報下さい。
当然ながらフューリーのラースエイレム関係の部分も捏造です、だって自分以下略。
これまた詳しい設定知ってる方、あるいはフューリー系のエンジニアの方、ご一ぽ以下略。

因みに、作中のメルアが訓練で使ってる強化型旧ベルゼルート、格闘性能を上げて実弾兵器を多めに持たせた感じになっておりますが、それでも統夜に渡った魔改造後継機の素体に少し及びません。
例えるなら、統夜に渡った後継機がガンナーとボクサーを足して割らない強化外骨格を装備したヒュッケバインマークⅢ、メルアが使ってる強化型が着脱式中華キャノンオミットしてガナリーカーバー持たせたヒュッケバインマークⅡみたいな感じです。
メルアが色々無茶しながらも人並み以上に戦えてる理由も実はあったりするんですが、そこら辺はエピローグとかで説明するかもなので、もうしばらくお待ち下さい。

あと、この時点でジュア=ムが発狂していない事に疑問を感じられた方も多いでしょうが、そこら辺にも幾つか原因がございます。
アル=ヴァン自体が罰せられている訳では無い事、誇り高い騎士のまま戦って死んだ事、実際に主人公の脅威をその身で感じていたため、下等な地球人のせいで犬死にした訳では無いと感じている事。
それと、例によって例の如く脳をほにゃらららー。そのへんは多分次の話で解説出るかも。

あ、ジュア=ムの機体がこの時点で赤ラフトクランズになってる理由なんですが本編で語るほどのエピソードでもないのでここで説明。
ぶっちゃけ予備です。白い機体=主人公のボウライダーをアル=ヴァン一人で押さえこめなかった場合フー=ルーが加勢して、フー=ルーの代わりにラースエイレムを超過駆動させる役割を持ってました。
でもそんな作戦を聞いたら拒否しそうなので、ジュア=ムには作戦内容自体は教えられていなくて、御蔭で勝手に突っ走って乙ってしまった、と。
アル=ヴァンとフー=ルー的には、ギリギリの状況で教えて無理矢理にでもやらせるつもりだったんですが、御蔭様で犬死にです。今どうして生きてるかも多分次回。

シリアスではなくシリアス(笑)ではありますが、ここまで来ると中々ギャグやネタを挟めないのが心苦しいというか。
でもストーリー的に佳境っぽい感じなんで、もう少しだけお付き合いください。


そしてアンケート結果発表
☆・シリアス・シリアス(笑)が10票。
★・ギャグ・外道が7票。
どちらでも無い、無効、無投票が3票。

厳正なる多数決により予定通りシリアスルートへ進みます。ご協力ありがとうございました。

まぁでも、元々回収し忘れた技術とか主人公がコレクションしたい機体とかの為に別ルートの話はエピローグの後に外伝的に書くつもりでしたので、外道ルートを期待してくださっている方は本編終了後にご期待下さい。
まぁ、外道っても別にそこまで外道な真似をする訳では無いので、ギャグ塗れや外道な振る舞いを期待されると微妙に肩透かしを食らうかもしれません。
本編が最近色々肩肘張った内容なので、外伝では初期のジョセフとの食事シーンとかサポAIとの会話シーンとかみたいなヌルっとしただらけた雰囲気を書きたいですねぇ。

しかし、感想数が一話で20とか、なんというレス乞食技能成功(ヒット)、読者の方々の中にこれほどエスパー系の方が潜んでおられるとは……。
普段の感想数の五倍以上のエネルギーゲイン、驚きのあまり心臓が止まりそうでした。
話の順番に困ったからって安易にアンケートなんてやるもんじゃありませんね。GWと重なったってのも原因の一つなんでしょうが。
しかし今回は半ば繋ぎ話みたいな微妙な内容ですし、感想数はいつも通りかそれ以下になりそうな。あの感想数は蜃気楼の一種だったんだと心を落ち着けることにします。

でも一つも感想が無いのは寂しいので、諸々の誤字脱字の指摘、この文分かりづらいからこうしたらいいよ、一行は何文字くらいで改行したほうがいいよなどといったアドバイス全般や、短くても、一言でもいいので作品を読んでみての感想とか、心からお待ちしております。

次回、セミファイナルバトルまで持って行けたらいいなぁ。上手くいけばラストバトルまで持ってけるかも。



[14434] 第二十話「操り人形と準備期間」
Name: ここち◆92520f4f ID:6de610de
Date: 2010/05/24 01:13
……………………

…………

……

歪んだ空間が次第に元の姿を取り戻し、元の地形すら思い出せない程に破壊されたオーブの姿が露わになる。
歪みが生まれる前との違いは、ラフトクランズとボウライダーが共に姿を消した事。
異次元追放攻撃。
古い時代にフューリー達が禁じ手として自ら封じ、そしてその記録を見たアル=ヴァンがボウライダーと鳴無卓也を打倒する為に、ガウ=ラ・フューリアに残されていた記録を解析し現代に復活させた。
周囲の空間ごと異次元へと放逐する為、発動までに範囲外に逃げなければ回避も防御も全く意味を成さないこの攻撃により、遂にフューリー側の狙い通りにボウライダーと鳴無卓也はこの世界から消滅したのだ。

残っていた数十機の従士機と数機のヴォルレント、それを束ねる白いラフトクランズが、空に浮かぶ黒い戦闘機──スケールライダーへ向け武器を構える。
黒い戦闘機も確かに強敵ではある。あの白い人型と似たような性質を備えてもいるのだろう。
だが、勝てない相手ではない。残っていたフューリーはそう踏んでいた。
白い機体程のプレッシャーを感じない。何より、あの黒い戦闘機はサイトロンの運んできた未来には出てこなかった。

「これで詰み、ね。貴女一人でどこまで持ちこたえる事ができるかしら」

フー=ルーが口の端を釣り上げた攻撃的な笑みで告げる。
白い機体程の脅威は無いにせよ、この状況で始末しておくに越したことは無い。白い機体程では無いが、この黒い戦闘機にも数多くの同胞を殺されている。
騎士級の腕と機体でなければ相手をするのも難しい強敵であることは間違いないのだ。合流されて態勢を立て直されては面倒な事になる。
此方は才のある従士を、更に騎士に届く寸前の準騎士の殆ど、更には騎士の中では最も強かったアル=ヴァンすら殺されて戦力的にも大損害を受けている。
目の前の黒い戦闘機を落としても釣り合いが取れるかどうか。既にフー=ルーの頭の中では次の戦い、ナデシコ本隊とラースエイレムキャンセラー搭載機との戦いの為の戦力計算を行っていた。

『一人ぃ? ひひひっ、おもしれぇ冗談じゃねぇかよこの漢女』

黒い戦闘機のパイロットからの返答。
まだ幼い少女の、鈴が転がるような涼やかで可憐な声。しかしその口調は荒々しく、声の印象とはまるで合っていない。
虚勢を張っている。と考えるのが自然だろう。
残った従士機もヴォルレントもギリギリまでチューンを施した特別仕様。短期決戦向けで継戦能力こそ低いが、今まで少女が落としてきた同胞たちの機体とは比べようも無い程の性能を誇り、乗っている従士や準騎士もあの最初の誘導兵器を回避できるほどの腕前を誇っているのだ。
それはあのパイロットの少女も理解している筈だ。少なくとも戦っている相手の力量を見誤るほど戦馴れしていないとは思え無い。
だが、その少女の声は自信と確信に満ちていた。いや、こちらを見下し、嘲っているというのが正しい表現か。

「面白い冗談、というのは、どういう意味かしら。今だにほぼ無傷の熟練が数十機に、私も居る。対する其方は貴女一人。この戦力差を覆せるとでも?」

『……テメェよぉ、あたしの話聞いてたかぁ? 誰がぁ、何時、戦力差だの勝ち負けだのの話をしたっつうんでございますかぁ?』

そうだ。確かにそんな事は言っていない。だが、そこで無いとするならば、一体何が『面白い冗談』なのか。
疑問に思いつつ、黒い戦闘機を確実に落とす作戦を頭の中で組み立て始めるフー=ルーは、ラフトクランズのセンサーが外部の空間に不審な歪みを検出している事に気付いた。
フー=ルーの駆る騎士機ラフトクランズは射撃戦を重視したチューニングが行われており、その為に他の二機、アル=ヴァン機やジュア=ム機とは一線を画した索敵性能を誇っている。
転位と射撃を織り交ぜた戦いを好むフー=ルーのラフトクランズは、射撃の命中精度を上げる為に、全てにおいて他の機体を上回る騎士機の中でも更に上位のセンサー類を備えているのだ。
そのセンサーが、空間の揺らぎを感知している。
先ほどの異次元追放攻撃の時に発生した歪みと似た反応。しかし、今感知している空間の揺らぎは暴走によって引き起こされたそれとはまるで違う。
完全に制御された、例えるならば自分達がガウ=ラから出撃する際に用いる為の超空間ゲート『軍団の門』の発動にも似た無駄の無い歪み。
丁度、機動兵器一機が通れるゲートが作られる時と同じような反応。

『一人、一人ねぇ。ほんとにさ、おもしれぇよアンタら』

いや、まさかそんな筈がない。唯同じ世界の違う時間に飛ばされた、というのではないのだ。
転位先は完全ランダム、当然だ、ラースエイレムの時間、空間制御を暴走させて放り出しているのだから行先を指定できる筈もない。
しかも飛ばされる先の種類は文字通り無限にある。無限に連なる平行世界、完全に物理法則を違えた異世界。数えきれない数の世界から、この世界へと再び降り立つことなど不可能な筈。
例え世界の壁を乗り越える力があったとしても、ピンポイントでこの世界にやってくることなど──

『あの程度の攻撃で、お兄さんを殺せたと、勘違いできるんだからよ』

ありえないことが、起こる。
空間が裂け、フューリーの機動兵器を鷲掴みに出来るほど巨大な鉤爪が、その裂け目を力尽くでこじ開けている。
空間に走った亀裂の向こう、未だこちらに身を乗り出す途中の白い機体が、空間の裂け目からこちらを覗いている。
白い機体のその機械の眼差しが、フー=ルーにはまるで、獲物を見つけてほくそ笑む猟師の瞳に見えた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

月内部、ガウ=ラ・フューリア、特別格納庫。
フューリー同士の内紛が始まる前、このガウ=ラが星間戦争の旗艦として戦っていた頃にはズィー=ガディンのみならず、対となる皇后機や、専属の騎士の為の専用機が置かれていたらしい。
だが、それが何だと言うのだろう。フー=ルーはその文字上の情報に、全く興味を抱けなかった。内粉に負け、逃げるように故郷の星系を去った今では、それらは影も形も存在しない。
存在しないということは、戦って完全に戦場で大破したか、それとも敵軍に奪われたか。どちらにせよ、今の自分たちの戦力としてカウントする事は出来ない。

いや、そうではない。それは騎士であった頃の理由だ。
今はどちらかと言えば、そのようなものが存在したからといって、自分が乗りこむ訳では無いので知った事では無い、というのが正解のような気がする。
自分は騎士の時も騎士を捨てた今も、血みどろの戦にしか興味を抱けないような純粋な武人、いや、戦人だ。
そのような血生臭い人間が皇帝の直属部隊、親衛隊のような坊ちゃん嬢ちゃんの集まりに混じれる筈も無いし、混ざりたいとも思えない。
それに、華やかな装飾の施された高級な玩具じみた機体で戦場に出るのは、なんとも薄気味の悪い話ではないか。実際の性能がどうであれ、だ。
綺麗なものや可愛いものが悪いと言っている訳では無い。ぬいぐるみは大好きだし、それなりに見られる可愛らしい私服の類も所持してはいる。今自分に指示を出している少女も中々の愛らしさだろう。
だがそれは戦場に持ち込むべきでは無いのだ。物には相応しい使いどきというものがある。
もっとこう、部屋で寛ぐ時にベッドの上で抱きしめてスリスリして愛でたり、こっそりと部屋で着て鏡の前でポーズの練習をする時に用いるべきであり──

話が逸れた。少し話題を巻き戻すとする。
内粉で負けた自分たちはほうほうのていで故郷の星系から逃げ出した訳で、この特別格納庫に皇帝機が収まっていただけでも幸運なのだ。
なのだが、その特別格納庫には今現在多くのガラクタが転がっている。
表面の細胞が壊死を始めているデビルガンダム、ラダムに侵蝕された宇宙開発最初期のコロニーの基部、半ば以上潰れたMFの残骸。
皇帝機がある程度の大きさを備えている為この格納庫もかなりの広さを誇っている筈なのだが、今では物を詰め込み過ぎて狭苦しく感じるほど。
ガラクタ以外にも多くの地球製の機体が転がっている。
地球の傭兵の間で最も広く普及しているAS、軍が多く所持しているMS、テッカマンを解析して作られたのだと言うソルテッカマン。
一部塗装の行われていない地金の色が剥き出しの兵器は恐らくどこからか持ち込んだ(盗み出した?)試作機だろう。
そんな乱雑に積み込まれたガラクタや兵器の隙間を、銀色のディマリウム合金製の甲殻に覆われたラダム獣が数体、忙しなく行き来している。

それらの共通点は、いずれも強大な力を秘めたものであるということ。これらはすべて、今現在のガウ=ラの支配者の力として取り込まれる運命にあるのだとか。
フー=ルーは効率的な話だと感心していた。
ラースエイレムを封じられた自分たちは、この地球という星の機動兵器群とは互角程度の戦いしか行えない。
これはとりもなおさず、未だ一つの惑星系から出る事も出来ていない未熟な文明、地球の機動兵器が、フューリーの機動兵器に劣らない戦力を備えているという事に他ならない。
受けた指示の通り、連合軍のエースと呼ばれる戦士達と戦い、その技量の高さを体感したフー=ルーはその身をもって実感していた。
この星に生まれた自分たちの子供は、恐ろしい程に戦闘や戦争に対して高い適正を見せている。ほんの少しのとっかかりさえあれば直ぐに新しい兵器を作り、それに対応した戦い方を思いつく。

戦闘好適種。それが地球人なのだ。その兵器やテクノロジーを参考にしない手はない。
そんな存在を相手にしているというのに、自分達は元から持っていた技術に固執し、地球の技術取り込みに熱心では無かった。
ラースエイレムさえあればどうにでもなる、という考えがあったせいで内粉に負けたというのに、全く反省できていない。
それが、この遠い星に流れ着いた末に『フューリーが滅んだ理由』なのだろう。
正確な数は聞いていないが、あの少女とその主の言によれば生き残りは極僅か、おそらく数にして良くて一桁、悪くて一人だけ、ということになる。
そうなれば後は地球人に混じって血を薄くし続けて行き、フューリーという種族の痕跡は消え去る。絶滅危惧種として保護されたりする可能性もあるだろうか。どちらにせよ碌な事にはならない。

「なんとも、つまらないオチが付いてしまいましたわね」

「いやいや、故郷から逃げ出した連中にとってみれば分相応のオチだったと思うよ? ん?」

高い位置から少女の声。
見上げれば、実験体と共に盗み出されたベルゼルートと共に作成されていたもう一つの機体、その肩の上に寝そべりこちらを見下ろしている少女の姿が。
サイトロン適合実験用試作機『クストウェル』、地球人のサイトロンへの適応実験を行う際にバリエーションを増やす為にアシュアリークロイツェル社で作成され、しかし未完成のまま放置されていた機体。
脱出した実験体の少女たちの機体にラースエイレムキャンセラーが搭載されていたことから考えて、あの機能を組み込む機体の候補の一つだったのだろう。
それが今、全身の装甲を剥がされ、骨組同然の姿を晒している。

「あら、それは大事な部品が足りなくて動かない筈ですけれど」

だがその不完全な機動兵器の足もとに、銀色のラダム獣が何度も何度も装甲板や用途不明の機械群を運びこんでいる。
別段特別な素材を使っている訳でもない。いや、寧ろあの少女やその主が使っている機体に比べれば、性能面では余程現実的でまともな物になりそうな予感がする。
改修作業を行っている真っ最中ということなのだろうが、今更あんな機体を修復してどうするつもりなのか。

「だねー。でもまぁ中身はほとんど作り替えてるし、もしもの時を考えればこの機体で出してあげるのが一番ドラマティックかなって」

『出してあげる』
つまりこの機体に乗って出る、もしもの時の切り札が居るという事なのだが……。
いや、そこは自分が気にするべき所では無い。取り敢えずは戦いの結果と、偵察結果の報告をしておくべきだろう。

「そうそう、貴女と貴女の主の命令、『各地のエースパイロットの死体を持ち帰る』は残念だけど果たせませんでしたわ」

勝負自体、乱戦のなかでどさくさにまぎれてといった場合が多かった為、途中で横やりが入り勝敗を決するところまで戦いを続ける事が出来なかったのだ。
無論、最後まで戦えていれば勝つ自信はあったが。

「果たせなかったとか、なんでそんなに胸張って言えるかなぁ」

「私に求められているのは戦うことでしょう? 正直、それ以外は自分でもどうでもいいと思えてしまうから仕方がないわ」

こういう命令を下すなら、騎士のままとか、命令には絶対服従するよう脳を改造しておくなりしておけばよかったのだ。
それにしてもあのMS乗り、荒々しくも精妙な太刀捌きは忘れられない! こちらの動きに尽く対応してみせるあの腕前は、ラースエイレムを使っていたら味わう事が出来なかっただろう。
ガンポッド使いも素晴らしかった。一人を相手にしている筈なのに、完全に統率のとれた軍団を相手にしているかのようなプレッシャー! 死角に回り込んだと思ったら自分の死角から攻撃を受けたあの衝撃!

「会話中にトリップすんな! はぁ……、まぁいいや。それで? ナデシコの方は何か面白そうなもんあった?」

ああいけない、報告の途中なのによだれが。気を取り直して報告を再開する。

「そうね、特に変わった点は無かったけど、しいて挙げるならベルゼルートが二機稼働していたわ」

「ベルゼルートが、二機? へぇ……」

何かを愉快がるような声色。心当たりがあるのか、それとも未知の存在に対する好奇心か。

「いいね。面白くなりそうだ。あんたもそう踏んでるんだろ?」

「無論」

間を置かず切り返す。あのパイロットは伸びる。貪欲に敵の命を喰らい、こちらの喉元に喰らい付いてこれる程の力を手に入れるだろう。
剥き出しの臓腑を晒す巨人の骸を見上げながら、フー=ルーは戦いの予感に身を震わせた。

―――――――――――――――――――

雑多に物が積み込まれた格納庫内部、改造中のクストウェルの肩の上で、やはり少女が何者かと会話している。

「今の話聞いてた? 古いベルゼルート、しかも魔改造機に誰か乗ってるって、気にならない?」

返答を待ち、その返答を聞いた少女が眉根を寄せ顔を顰める。

「だろうねぇ、整理出来たのは元の世界から持ってきた荷物と、こっちで買ったお土産くらいだし。放置してたジャンクでもそれぐらいは出来ると思うよ」

会話を続ける少女の後ろで、殆どの細胞が壊死したはずのデビルガンダムがビクリと蠢く。
一定のリズムを持ったその動きは、まるで生き物が生まれる瞬間、卵を内側から破ろうと雛がもがいているかのよう。

「うん、そうなると誰が乗ってるかってのも、想像は付くよね」

少女が、薄く笑う。美しく、残酷で、酷薄な微笑み。
その微笑に反応するかの如く、デビルガンダムの骸を突き破り、一本の腕が突き出る。
楕円の球体を無理やり分解したような、大型の五本指のマニピュレーター。薄緑色の装甲に覆われたその手指は、どういった技術を用いているのか、何らかのフィールドにより高出力のビームを歪な剣状に纏め上げている。
溶断破砕マニピュレーターと呼ばれるその武装を持って、自らを包む親の死骸を引き裂いたのだ。

「いいじゃん、それだけ想われてたってことで。ドラマティックになるぜぇ?」

その金属が引き裂かれ溶かされる音を聞きちらりと脇目に収めながら、それでも少女は十数メートルも離れていない場所で起こっている異常事態を意に介していないかの如く会話を続ける。
デビルガンダムの骸から突き出た腕が、子供が癇癪を起したかのように振り回される。
生体コアとなるパイロットを求めている。
それは本来、地球環境の改善の為に出す予定だった新しい結論、
『人類を奴隷化し、地球環境改善の為に働かせる』
というプログラムの名残りが、自分に都合の良い生体コアを求めさせているが故の行動。

そして、目の前に生体コアに最適な人間を見つけた。
未完成の機動兵器の肩に乗った、歳若い少女。
デビルガンダムに連なる機体に最も相性の良い、命を生み出す機能を備えた『女』という区分のパーツ。
そのパーツを見つけると同時、デビルガンダムの死骸を溶かし崩しながら、MSに似た上半身をさらけ出し、食い入るように少女に顔を近づける。
頭部がぐちゃりと割れ、その隙間から無数の機械ケーブルにも似た触手が吐き出された。相手の意思を無視し、強制的にコアとして取り込もうとしているのだ。
しかしその触手が目前に迫っても、少女は虚空を見つめての会話を止めようとせず、逃げるそぶりも見せない。

「うん、そう。だからさ、次はあたしが出るわ。丁度──」

触手が少女に絡みつき、生体コアとする為に融合を開始した瞬間──

「いい木偶人形が出来上がったから」

デビルガンダムから生まれた、デビルガンダムJr.と呼ばれる筈だった存在は、その機能を完全に掌握された。
デビルガンダムJr.が最後に見た光景は、自分を見下す黒い髪の少女の嘲笑だった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

地球衛星軌道上、宇宙へ向けて旅立とうとしていたオルファンを、メルア・メルナ・メイアはベルゼルートのコックピットの中から眺めていた。
体は疲労で鉛のように重く、レバーを握る手は痺れ、戦闘直後の興奮で頭から熱も抜け切っていない。
だが光輝くオルファンの威容は、オーブを脱出して以来張りつめ続けていたメルアの心に、ほんの少しの温かみを取り戻させていた。

「ね? こういうやり方も悪くないでしょ?」

「そう、ですね……」

改造前はサブパイロット用の複座があったスペースに乗り込んだテニア(ベルゼルート・ブリガンディのコックピットに三人は多い、という建前での割り振りだが、おそらく統夜とカティアが二人きりになる為の言い訳だろうとメルアは考えている)が、自分のアイディアであるかの如く得意満面で言い放つのを、メルアはぼんやりと聞き流す。

機動兵器同士で手を繋いで人間の繋がりを表現し、オルファンの生き物としての思考に訴える。
ファンタジックな話だと思った。言葉が通じて、姿形に殆ど差が無いような敵兵とは殺し合わなければいけないのに、あんな生き物かどうかも怪しい山のようなものを、そんなことで説得できるなんて、と。
正直に言えば、はっきりと馬鹿にしていた。
失敗する事を前提に、オルファンも吹き飛ばせそうな量のフェルミオンミサイル(予めフリーマン氏がオルファンへの保険として作らせていたもので、ソルテッカマンのフェルミオン・カートリッジを改造して作られているらしい)を用意してこっそり搭載してもらってもいた。

だけど、実際はどうだろう。
オルファンは宇宙への飛翔を止め、その場に留まって地球を見守るのだとか。
自分たちだけでは無く、地上でも多くの人々が手を繋いでいるのだろう事はメルアにも予想が付いた。
オルファンが原因で起こる異常気象や天変地異は地球上各地で問題になっている。
この飛翔など、いくら情報規制を敷いたところで世界中から丸見え、それに合わせてラジオやテレビなどで協力を要請してもいるのだろう。
世界中の人々が手をつなぎ合い、オルファンに人間の事を伝え、オルファンは地球人類の温もりを知り、オーガニックエナジーを吸い取るのを中止した。
災害で地上に死を齎すものと認識されていた物は、実は話合いで分かりあえる愛すべき隣人だった。
敵も味方も無く、仲互いしていた姉弟や親子の絆も戻り、文句なしの大団円。

「ふふ、ふふふふふ、くふっ」

息を漏らすように、咽喉を鳴らすようにメルアは嗤った。
もともとメルアは天然でポヤポヤしているようなイメージを持たれがちではあったが、その実、根っこの部分では徹底的な現実主義であり、物事をしっかりと見据える誠実さを備えていた。
だからこそ、このハッピーエンドを嗤う。身の内に湧き上がる温もりを受け入れない。

「ど、どうしたのさ、いきなり笑いだして」

「んーん、何でもないですよ。ふふっ」

突然笑い出したメルアに戸惑うテニアの疑問を適当に誤魔化しながら、メルアは自分が連像のゴツゴツしたつくりのヘルメットを被っていることに感謝した。
仮にこのヘルメットが無かったら、多分とても酷い表情を晒すことになっていただろうから。
メルア自信、自分がまともな表情をしている筈がないと確信しており、事実、その表情は形容しがたい不可思議な表情だった。
皮肉るような、嘲るような、笑うような、泣く寸前のような歪な表情。

(13機、撃墜しました)

今回の出撃での、メルアの敵機撃墜数だ。
前回までの出撃での撃墜数と合わせれば撃墜数はすでに三桁に迫ろうとしている。
メガブースター二つと超高性能電子頭脳を無理矢理に搭載し、血の滲むような訓練を重ねたとはいえ、訓練を開始してから間もないパイロットとしてみれば破格の撃墜数。

敵を打倒したという証。
つまりは人を殺した証。
手を繋ぎ分かり合えるかも知れなかった、愛すべき隣人を、その命を食いつぶしたという証明。
戦闘直後、シャワーを浴びる間もない再出撃でこんな事をしているのだ。この手には、しっかりと人を殺した感触が残っている。
機体越しでも十分過ぎる程生々しい感触。
ショートランチャーで釣瓶打ちにしてやったグランチャーは、手足を吹き飛ばされたがどうにかこうにか逃げ出そうとしていたので、オルゴンライフルでコックピットを撃ち抜いた。
オルゴンライフルの低出力弾を避けきり接近してきたグランチャーを、マジンカイザーの修理用資材の余りで作ったナックルガードで滅多打ちにして、脱出する間もなく圧殺した。
戦闘獣とかいう化け物も、オルゴンライフルを接射して削った装甲にエネルギーブレードを突き刺し、心臓部を破壊した。

それだけじゃ無い。その前の連合とザフトとの戦闘での事もはっきりと覚えている。
核兵器を撃墜した。まっすぐ飛んでくる相手なんてただの的だ。
そしてその次、核兵器を搭載したメビウス。これも頭の悪いパイロットが乗っていたからか、碌な回避行動をしようとしなかった。
核ミサイルの迎撃中にこちらに突っかかってきたザフトのMSが邪魔だったので、変な遺恨を残さないように、手足とメインカメラ、ブースターをガンジャールから移植したクローで握り潰し刺し潰し、生かしたまま適当な方向に蹴り飛ばしてやった。
回収されていれば多分生きていると思う。戦闘終了と共に生き残り連中はまっすぐプラントに引っ込んでいったけど、そこは別にどうでもいい。

だけど、それほどの戦果をあげているメルアですら、この部隊の中では撃墜数が多い方にはカウントされない。
カイザー、グレートのマジンガー組みは言わずもがな、超電磁組にミスリルの三人は連携で見事に撃墜数を稼いでいるし、B・ブリガンディの統夜に至っては、鳴無兄妹が抜けた穴を埋めるかの如く撃墜数で部隊トップに立っている。

それほどに、人殺しをしている。
意見の合わない者を、話合いでどうにもならない敵を、話を聞かない敵を、容赦なく撃墜、殺しているのだ。
人が乗っていない無人兵器もあっただろう。話し合い以前の本物の化け物もいただろう。コックピットを避けて戦闘不能にした事もあるだろう。
だが、結局は殺している。負けた者を封殺している。勝って意見を通している。

『見えた! ネリーブレンだわ!』

『お姉さんも一緒だそうです!』

正しいから勝ったわけでは無く、自分達が相手より強く、勝ったから自分達が正しくなった。ただそれだけの話。
直前に、今和解した相手の仲間を片端から殺し、そうして手に入れた、血塗れの大団円。
それを手にした喜びに、テニアがはしゃぐ。

「やったね!」

「うん。本当によかったです」

だが、それをメルアは気に病んでいる訳では無い。
歪だった表情は、もはや満面の笑顔に塗りつぶされている。清々しいまでの、『喜』の感情に溢れている。
唇の端を吊り上げ、眼は細められた満足げな表情。

「つまり、勝ち続ければいいんですよね」

ぼそりと、ヘルメットに内蔵されたマイクでも拾えないような微かな、しかし確信に満ちた呟き。
殺して、殺して、殺しつくして、敵を根絶やしにして、最後に勝っていれば正しい。
衛星軌道上、オルファンの向こうに見える月を眺め、メルアは舌で唇を舐めた。

(もうすぐ、もうすぐです、もうすぐにでも、もうすぐに)

奴らを、根絶やしにする時が来る。鳴無卓也の仇を討つ時が。

(だから卓也さん、待っていてくださいね? プレゼントを、持っていきますから。あの人たちの、命を)

メルア・メルナ・メイアは、その恋を継続している。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「うむ、めでたしめでたし。ハッピーエンドはやはり美しい」

よかったよかった。何はともあれ伊佐美姉弟はこれで綺麗に仲直り。高性能な合体攻撃まで覚えて戦力増強。
先の展開を知っているとはいえ、バロンズゥにリバイバルする場面は冷や汗ものだった。最初に花畑でフラグへし折ってなければあそこでブレンにリバイバルしてたよなぁ。
いや、フラグへし折って無ければそもそももっと早くに仲直りしていた訳か。
やっぱ駄目だな勇、ネリーさんを生贄に多少成長はしたみたいだが、姉の居る弟としてはギリギリ及第点をあげられるかどうかという処だろう。
そんなことをつらつらと考えながら、隣で同じくモニターを眺めていた女性に声をかける。

「そうは思いませんか? シャナ=ミアさん」

「……貴方はいったい、何を企んでいるのです」

穏やかな、というよりも悲しげな表情を浮かべた儚げなイメージの強い人ではあるが、今現在はこちらを気丈にも睨みつけてきている。
こういう表情もできるのだなと感心してしまう。ああでも当然か、生きてるんだから怒りもすれば笑いもする。当たり前の話だ。
自室で地球人に届かない無意味な自己マン懺悔していたら何時の間にか母艦を乗っ取られていました、なんてなったら怒らない方がおかしい。
いや正直な話、乗っ取った側からすれば面白いジョークでしかないが。

「いやなに、融合と取り込みが終わったから、時間潰しとしてナデシコとアークエンジェルの観察を」

みんな立派になって、るよな? 別れてから結構たってるからいまいち分からん。前もこんな感じだったか?
だがまぁ資金や資材は潤沢な筈だからバロンズゥもちゃんと強化できる筈だし、次の戦場で早速伊佐美姉弟の合体攻撃が見れるかもしれん。
元の世界で見直せるように、とりあえずテレビは向こうのHD録画対応の奴を使っているが、音声はどうしようも無い。
いっそジルトーシュ氏に習って適当にこっちで編集するべきか……?

「…………」

全力でこちらを憎んでいる筈なのだが、元の顔の作りが泣き顔に近いのか、こちらを睨みつけるシャナ=ミアさんの視線はいまいち怖くない。
こういう時は整った顔の女性の方が怖い表情を作れると聞いたことがあるが、この人は例外に分類されるのかもしれない。
とはいえからかい過ぎた。この人にもそろそろ一働きして貰う訳だし、多少説明はしてあげよう。自覚したからと言ってどうにかなるものでも無いが。

「あの部隊に、貴女の幼馴染が居る事はご存じですね? 貴女にはまぁ、メッセンジャーにでもなって貰おうかな、と」

手紙とか招待状と言い換えても良いが、そこまでこの皇女様の神経を逆撫でする必要も無いだろう。
フューリーを統べる皇族であるシャナ=ミア・エテルナ・フューラは、機動兵器のパイロット適正こそ高くないが、単体での短距離ワープが可能であったりテレパシーが使えたりとサイトロンエナジーへの適性自体はとても高い。
本来ならば俺がどうこう言いだす前にとっくに助けを求めていてもおかしくは無いのだが、今現在融合強化されたガウ=ラの機能により、一時的に外部への思念波の送信を遮断している。
ここに来る前にこのフューリーの大本営に待ち構えているのが誰かばらされたら、あまりにも面白くない。
面白くないが、メッセンジャーとして送り込むにしても、統夜の方から一度シャナ=ミアさんにサイトロンを使った呼びかけが行われなければならない。
幸いにして、これからジェネシス攻略で更に数日かかる。向こうからの呼びかけができる余裕が生まれるのはその後。
その間に少しばかり、俺の事を言いふらせない様に脳に多少細工を施すとしよう。

「……あの方たちを呼ぶおつもりですか、このガウ=ラへ」

「シャナ=ミアさんも呼ぶつもりだったんでしょう? ていうか毎日毎晩統夜にSOSを発信しているじゃあないですか。ああ惚ける必要はありませんよ。このガウ=ラ内部でのサイトロンを用いた行動はすべて把握しておりますので」

我ながら少し遊び過ぎかとも思うが、つい先日まで馬鹿みたいに真面目にやってきたのだし、最後の最後、クライマックス位は面白おかしく派手にやってみても罰は当たらないだろう。
姉さんが言っていた、『どうせ利用するなら最後まで、搾りとれるモノがある内は徹底的に搾りとるのが正道』だと。
俺自身、発つ鳥跡を濁さずという言葉よりは、後は野となれ山となれという言葉の方が好きなのだ。
貰える力は全て貰えたし、最後に今までの道程で出来なかった事をやらせてもらおう。

そんな事を考えつつ、モニタを見ながらフォークで突いていた苺のミルフィーユを、丁寧に丁寧に積み重ねられたパイ生地とクリームと苺の層を、呆気なくナイフでざっくりと崩す。
横に倒してからじゃないと崩れるとか無粋な事を口走ってはいけない。こういう無闇に手間がかかっているお菓子は、暴力的なまでに粗雑で荒々しく、手間のかかった部分を破壊しながら食べるのが最高に贅沢なのだ。
時間と手間の結晶であるそれらを破壊するカタルシスたるや、まさに天にも昇るような心地であることは間違いない。
まぁ、だからと言って俺は春巻きを手づかみでむしゃむしゃ食べて『ひさしぶりの飯だぜ』とかやる14歳ど真ん中ストレート病に罹っている訳ではない。
粗雑に食うとは言っても、それはある種のお約束的な部分は守るべきだろう。食事時にふざけてはいけないなんてのは当たり前の話だ。農家サイドの人間としてもナンセンス。
ふざけて食べるのと、荒々しく食べるのでは訳が違う。
むしろこういった暴力や粗雑さ、荒々しさにはそれを取り扱うある種の礼儀のようなものが必要となる。

「あ、貴方は、あの方達と戦うつもりなのですか!?」

「貴女も、あいつらで俺を倒そうと考えているのでしょう?」

切り崩され無残に拉げたパイ生地とクリームと苺を順にフォークに突き刺し、纏めて口に運ぶ。
歯に嬉しいサクサクと軽やかな音を立てるパイ生地、カスタードクリームもくど過ぎず甘すぎず、苺も新鮮で酸味があり爽やかさを与えてくれる。
余りの美味さに人間への擬態機能が齎す疑似脳内麻薬でトリップしてしまいそうだ。
ああ、この至福の時よ……!

「……貴方は、最低の人間です」

「事ここに至って、まだ俺が善人である可能性を信じていたのなら、貴女の頭も大概ですよね」

口の中の余韻をじっくりと楽しんだ後、お茶(紅茶ではなく緑茶、おやつが洋菓子だろうとこれだけは譲れない)を啜り口の中をリセットする。
さて、この人の頭を弄るなら何方式が最適か。不自然無く、それでいて万が一ばれてもナデシコでもアークエンジェルでも、連合の基地に戻っても治療が出来ない奴がいい。
そんな無茶な条件で絞り込もうにも選択肢が狭まらない。我ながら成長したものだ、こっちに来てすぐの頃ならそんなに選択肢は無かったろうに。

此方の邪悪な思考を感じ取ったのか、シャナ=ミアさんが後退りしながら身構える。
逃げだせる状況では無い事は本人が一番知っているだろうが、それでも抵抗は止めないらしい。怯え惑い許しを請うでもなく、此方の瞳を真っ直ぐに見据えている。
素晴らしい度胸だ、感動的だな。だが無意味だ。

「統夜は、貴方の事を、尊敬していました」

……へぇ。

「一方的に呼びかけるだけじゃなくて、そういう使い方もあるのか」

感心しながら、後退りするシャナ=ミアさんの周囲の空間を念動力の応用で固め、逃げ場を奪う。
フー=ルーとアル=ヴァン達がやってのけた時空流離もどきも面白い使い方だったが、サイトロンというのは中々に幅広い応用法があるらしい。
良く良く考えてみれば、適合率が高ければ単独で戦艦二隻をワープさせる事ができるのだから、感情や思考の読み取り程度の事はできてもおかしくは無いよな。

「貴方は! ……貴方は本当に、どうとも思って居ないのですね、彼等の事を」

俺の返答に愕然とした表情になったシャナ=ミアさんは、一瞬声を荒げかけ、次いで沈痛な面持ちで小さく呟いた。
念動力で空間ごと縛りあげているせいか、その表情も相まって正しく囚われの御姫様といった様相だ。あの部隊は情の深い連中が多いから、いい感じにこの表情に釣られてくれるだろう。

「まさか。あいつらは最高のチームだったよ」

その最高のチームと、地球圏を守り抜いたヒーローと戦って、これまでに手に入れた力を確認できる。
この上ない喜びだ。
俺は来るべき最終戦への期待に胸を膨らませながら、シャナ=ミアさんの脳改造を開始した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

そこからは、一方的な展開だった。
時空の果てからあっさりと戻ってきたお兄さんはまず、フューリーの連中がオルゴンクラウドでその場から逃げるのを妨害した。逃げられて自分達の生存をどこかに漏らされると動きにくくなるからだろう。
オルゴンクラウドの転移の原理はボソンジャンプと似た理論で行われている。
遺跡とのリンクが機械的に誤翻訳無く行われているお兄さんは、前もってこの転位を妨害する為の理論を遺跡に残されたデータをもとに組み立てていたのだ。

高卒で普通科出のお兄さんにそんな事が出来るのか、なんて問いは無意味だ。
お兄さんはナデシコと融合した時に、ナデシコのメインコンピューターを軽く凌駕する演算能力を手に入れたし、ゼオライマーと融合した時点で天才木原マサキの人格、知識を手に入れている。
何のヒントも無い状況ではどうにもならないが、天才木原マサキの頭脳と、解析の為のサンプルであるオルゴンクラウド搭載型のB・ブリガンディ(って付けるかな? 統夜のネーミングセンスが原作からブレていなければ)のデータがある。
これだけ材料が揃っていれば、どうにかならない筈も無い。

そんな訳で見事にフューリーが転位で逃走するのを阻止し、逃げ惑う者も立ち向かう者も容赦なく叩き潰している。
Bブリから取り込んだホーミングレーザーを連射すれば一ターン掛からないのだけど、そこはそれ、今までの鬱憤を晴らす意味合いも兼ねているのだと思う。
今も中途半端に避ける連中を速射砲で誘導して、ある程度固まった所にクローアームの掌に当たる部分を向け──

『弾けろブリタニアぁ!』

いやそいつらブリタニアじゃないし、ていうかお兄さん実はその追加武装それ言いたいが為だけに作ったな?
だけど威力だけは全く遜色無いらしく、まんまと誘導された四機の雑魚が言葉通り破裂した。
これで元はただの電子レンジだってんだからつくづくイカレている。

あたしも最初はそれなりに戦ってたんだけど、お兄さんのボウライダーの動きが今までの自重したものではなくなっている事に気付いてからは手を出していない。
ナデシコのエステバリスも重力制御推進を採用しているけど、今のボウライダーほど理不尽な動きは出来ない。
超音速で衝撃波をまき散らしながら有り得ないほど鋭い角度で方向転換、敵を避けるでもなく激突を繰り返している。
既に構造材も最新のものに切り替えているのか、激突された側であるフューリーの雑魚機は一撃でスクラップと化してしまった。
すれ違いざまに斬り伏せられ、体当たりでクズ鉄にされ、速射砲で蜂の巣にされ、マイクロウェーブでチンされ、爪で引き裂かれ、重力波に押しつぶされ、次々と雑魚が沈んでいく。
味方に気を配る今までの戦いじゃあ出来なかった文字通りの無双を心行くまで楽しんでいる。邪魔をしたら勢いあたしまで巻き添えを喰らいそうだ。赤いラフトクランズも掴んだままだし回避しきる自信は無い。
そんな訳であたしのスケールライダーは既に強化型次元連結システムのちょっとした応用で、プレート回収作戦の時と同じようにずれた空間に逃げ込んでいる。

『泣け! 喚け! そしてぇ──』

お兄さんのテンションが冥王入ってきた辺りでセリフを遮って、爆音。
爆音って表現も可笑しなレベルの、音が消えたかと思うほどの大爆発音、というか大爆発。あたしもお兄さんもフューリーの連中もすっかり忘れていたオーブの自爆だ。
地面を引っぺがされたり大地を引き裂かれたりした癖に自爆装置だけは生きているらしい。
原作だともう少し、マスドライバーが使えなくなる程度の自爆だった気がするんだけど……。
あのままあの空間にスケールライダーでふわふわ飛んでたら、吹き飛ばされて宇宙に脱出中のナデシコとアークエンジェルに追いついちゃいそうな爆発だったなぁ。機体に傷は付かないけどね。

「テッテッテ♪テッテレレッテ♪テッテレレッテ♪テッテッテ♪」

前代表の先走りでオーブ滅亡。そのうち『またアスハか』とかそんなコメントしか出なくなるんだろうなぁ。残った娘さんはあんなんだし。さすが、爆発オチはアスハのお家芸だな! とか言われかねない。
そんな事を考えていると、多少煤けたボウライダーが瓦礫の山を押しのけて姿を現した。通信から不機嫌そうなお兄さんの声が聞こえる。

『そここら、歌うな。お前さ、仮にも俺が巻き込まれたんだから、もう少し心配するなりなんなりすべきだろ?』

とかなんとか言ってはいるが、ボウライダーの装甲も多少黒く煤けてはいるものの、かすり傷一つ存在しないし、あの爆発の爆心地近くに居ながらパイロットのお兄さんも欠片も堪えた風に見えない。

「お兄さんならもうその程度の爆発、生身の非戦闘状態でも無傷で耐えきれると思うよ?」

いやマジで。
さて、転位を封じられた状態であの規模の爆発じゃあ、フューリーの連中は全滅かな。
レーダーの敵性反応をチェック──雑魚機は全滅してる。碌な防御手段も無い量産機じゃああの爆発には耐えられない。
ヴォルレントは辛うじて原形を留めている機体が数機だけあるけど生体反応が無い。中身のパイロットは衝撃でミンチっぽいね。
そうなると、ラフトクランズも望み薄なんだけど、どうだろ?

『待ち、なさい……!』

生きていた。辛うじて。
お兄さんのボウライダーの前に立ちふさがる、傷だらけのラフトクランズ。
あちこちの装甲が拉げ剥がれ落ち、更に右腕は肘の辺りから消失、頭部もメインカメラが生きているかどうかわからない程潰れている。
残った左腕で、これまた銃身の片方がへし折れスパークを繰り返しているソードライフルをボウライダーに向け、間接や装甲の隙間から絶え間なく煙を噴き出している脚を動かしにじり寄る。

『まだ……、まだ私は死んでいない』

一歩、二歩、三歩目を数える前に膝が爆発し、その場に倒れこむ。
しかしラフトクランズは戦意を失わない。顔を上げ、ボウライダーを睨みつけるようにしながら、ソードライフルをボウライダーに向け、引き金を引く。
暴発すらしない。銃口に当たる部分に淡い光が灯りかけ、瞬く間に消えていく。

『私、は。私は、まだ』

だけど、それでもラフトクランズは戦いを続けようと足掻いている。
粒子弾を放てなくなったソードライフルのグリップを動かし、片手で剣のように構えた。
剣の柄から光が溢れ、クリスタル状の刀身を形成する。
そこまでがソードライフルの限界だったらしい。ソードライフルの根元が激しくスパークし、爆発する。
その衝撃で形成した刀身にひびが入り、半ばから砕けた。

『まだ、戦える……』

それでも、そんな事は関係無いと言わんばかりに、ラフトクランズは戦いを続けようとしている。
砕けた刃を握り、残った片腕片脚でボウライダーに這い寄る。
せめて一太刀、などという諦めの混じった甘ったれた感情は感じない。こんな状態でも、お兄さんを倒そうと『本気で』考えている。
ラフトクランズのコックピットからは、もう微弱なオーガニックエナジーしか感じない。
はっきり言って虫の息だ。これ以上無い程の瀕死、あと一分もしないうちに勝手にくたばる事が確定している、まだ死んでいないだけの半死人。
でも、それでもこのラフトクランズのパイロット──フー=ルーは戦おうとしている。戦いを続けようとしている。
それも、騎士としての使命感なんかじゃあない。

『貴方という強敵と、戦うことができる──!』

情念にも似た歓喜を持って、その闘争の悦びを一秒でも長く味わうために。
ふと、ここまで口を開かなかったお兄さんがフー=ルーに喋りかけた。

『……戦いたいですか?』

『無論!』

コンマ一秒も必要としない超反応による即答。
それに頷きながら、お兄さんのボウライダーが、その手から新たに剣を複製する。
実体剣。機動兵器同士の戦いで用いる物には見えない程に細いそれを逆手に持ち天に掲げると、勢いよくラフトクランズのコックピットを貫いた。

『ぎぃっ、がっ、あああぁぁぁっっ!!』

通信からフー=ルーの割と聞き苦しい類の断末魔が響く。
そう、コックピットを機動兵器の持つ剣で貫かれて、それでもまともに断末魔の悲鳴を上げる事が出来ている。
たぶんピンポイントで腹部を貫かれ、内臓を丸ごと斬り潰されている。即死しない程度に、絶妙な手加減を加えられながら。
断末魔の悲鳴が聞こえるってことは、機体の通信装置も破壊せずにフー=ルーの身体にだけダメージを与えたんだと思う。
通信から、お兄さんの嬉しそうな声が聞こえる。

『そんなに戦いたいなら、こんな所で俺一人と戦う必要はありませんよ』

『────』

既に断末魔の悲鳴は途絶え、お兄さんの言葉にはただ沈黙だけが帰ってくるだけ。
オーガニックエナジーも一切感じない。完膚なきまでに死んでいる。
死んでいる?

『貴方には、地球圏最強の部隊と戦う事ができる権利を差し上げましょう』

ラフトクランズに突き刺さっている細身の実体剣が、その身をぐずりと崩れさせる。
DG、いや、UG細胞へとその身を転じた剣が、ずるずるとラフトクランズの中へと潜り込んでいく。

「……お兄さん?」

どうするつもりなのかなんとなく、というか、はっきりと確信した。
目の前でラフトクランズの欠損が見る見るうちに金属質の触手に埋められていく様を見ながら、お兄さんに話しかける。

『どうした』

「あたしとお兄さんだけで十分じゃね? なんでこんな微妙な人を……」

『微妙じゃない、これ以上無い程の人材だ。あの状況でまだ戦おうと、敵を倒して勝とうと足掻いていた。これまでこの世界で見てきた連中じゃあここまでは出来ない』

完全に修復されたラフトクランズ、でもたぶん、フー=ルーは死体の状態から修復されていない。それをするのは、一度お兄さんが取り込んでから。
当然のように、ラフトクランズはボウライダーの、お兄さんの中にじわりじわりと吸い込まれていく。コックピットに眠るパイロットの死体と共に。

『素晴らしい闘争心、いや、戦いという行為へのひたむきさ。脳みその中から余計な部分を削いでやれば、きっといい兵士か鉄砲玉になるぞ』

取り込んで複製作ったら先ずはブラスレイター化と洗脳だな、とか呟いてるお兄さんの表情は、玩具を買って貰った子供のようにキラキラと光輝いている。
死体弄って兵士増産とか、少なくともそんな表情するようなネタじゃないと思うなぁ。

「……なんかもう、ここまでやると本気でリアル外道だよね。いや、お兄さんらしいっちゃらしいけども」

『それほどでもない』

数十秒後、ラフトクランズは完全にボウライダーの中に取り込まれてその姿をこの世から消してしまった。
これで、ここに攻めてきたフューリーは全滅。
今からでも宇宙に上がればナデシコとアークエンジェルに合流できるけどそれはしない。もうあそこでは何も手に入らないから戻る意味がないしね。

「お兄さん、これからどうするの? やっぱり月?」

『いや、これまでの取りこぼしを回収していくのが先だな。手始めにもう完成している筈のアカツキを頂いて、それからヘリオポリス崩壊のちょっと前までボソンジャンプだ』

「鏡面装甲でビームを跳ね返せますってか?」

『ディストーションフィールドの応用で十分跳ね返せるんだけどな』

それでも拾って行くあたり、お兄さんも貧乏性だよなぁ。

『むしろ本番は過去に戻ってからだぞ。ヘリオポリスの残骸からアストレイを見つけ出す、或いはジャンク屋辺りに拾って貰って、レッドフレームをこっそり複製させて貰うんだからな』

もし見つけられなかったら、宇宙服だけでジャンク屋の目の当たるところに漂ってなきゃいかんのね。

「またあの時点からやり直しかぁ」

『一年以上ナデシコで団体行動できたんだ、あと少しくらい我慢しろ』

「ういぃっすぅ……」

ま、運がよければグランドスラムとか拾えるかもしんないし、長くてもブルーフレームの強化までだろうし、適当にやるかぁ。
あ、忘れてた。

「お兄さんお兄さん、これどうしよう」

スケールライダーの脚に吊り下げっぱなしだった赤いラフトクランズを上下に振り指示を仰ぐ。
フー=ルーの機体を取り込んだからこれもそんなに必要って訳じゃ無いんだろうけど、何かに使うつもりなのかもしれない以上、その場にぽいと捨てて行く訳にはいかないと思う。

『ああ、後で使うかもしれないから適当に異次元にでも放り込んでおけ。あの中なら死体も腐らないだろうしな』

雑だ……、明らかにフー=ルーとは扱いが違う……。
まぁいいや、どうせジュア=ムだし。
あたしは次元連結システムのちょっとした応用で異次元の物置を開き、そこに赤いラフトクランズを投げ捨てた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

プラントと連合が休戦の提案を受け入れ、ナデシコとアークエンジェルはとりあえず束の間の休息を味わっていた。
だが、それは文字通り束の間のものでしかない。
未だ月にはその実態のほとんどが謎に包まれているフューリーが存在している。
フューリーの情報は軍の全てのデータベースから消去されており、そしてフューリーの時間停止攻撃、ラースエイレムに対抗できるのは未だ統夜の駆るB・ブリガンディのみ。
対策を練る為、今現在フューリーについてもっとも多くの情報を有しているフランツ・ツェペリンのAIへと質問を繰り返し、統夜は遂にフューリーとの接触に成功したのだ。

「……つまり、フューリーには主戦派と非戦派が存在し、非戦派が我々に助けを求めている……。そういう訳だね」

ナデシコブリッジにて、統夜の説明を受けていたクルーの中からフリーマンが内容をまとめた。
内容的には荒唐無稽ではある。いや、そもそも非戦派など存在せず、自分達のフィールドにこちらをおびき寄せる罠なのかもしれない。
しかし、何一つフューリーの情報が掴めていない今現在では貴重な手掛かりの一つと言えるだろう。

「これで一つの方針が立てられるわね。その非戦派のお嬢ちゃんと接触できれば……」

「フューリー全部と戦わなくていい訳だ。プラントの時みたいに」

メリッサ・マオの言葉を、カガリ・ユラ・アスハが引き継ぎ嬉しそうに続けた。
今まで散々戦ってきた相手ではあるが、何もナデシコは戦争狂や殺人嗜好者の集まりでは無い。敵を全て殺さなくてもいいのであれば、それは歓迎すべきことである。
これ以上戦わずに済むかもしれない、その都合のいい展開に、ブリッジは明るいムードに包まれていた。

彼等は知らない。主戦派と非戦派、その双方が迎えた結末を。
彼等は知らない。月で待ち構える地球圏最大の脅威、その正体を。
彼等はまだ、何一つ知らないのだ。



続く
―――――――――――――――――――

ラスボスの居るフューリー母艦の中でヒロインなり損ねな御姫様と和気藹々と一方的に会話を楽しむ謎の人物登場。
一人称で話が進んだり、色々とメタな発言をしたり、陰で顔を隠したり名前欄を『???』にしたりする必要があるのかすら不明ですが、もちろん謎の人物で──なんて、二度ネタですね。
そんなこんなで、回想シーンを二回入れたせいで時系列が分かりにくくなってそうな第二十話をお届けいたしました。

主人公の生存が確定した今回ですが、殆ど話が進んでおりません。なんと作品内での時間経過、スパロボ換算にして一話のみ。
行間でちゃっかりプロヴィデンスが撃墜されてジェネシスも落とされてますが、この辺は特に変化はないので省略しました。
回想シーンで戦闘シーンも書いてはみたモノの、主人公やサポAIの一人称だと途端にコメディ色が強くなっていけません。
まぁ、おふざけが出来ない程の強敵と戦っている訳でもないですし、周りの目を気にせずにフルスペックで戦える事に開放感を感じているので仕方無いと言えば仕方ないのですが……。

しかしその鬱憤を晴らすかの如く主人公に立ち向かうフー=ルーさんは一瞬だけ凄いイケメンに書けた気がします。ぼろぼろの機体で強敵に立ち向かう姿は中々に主人公補正が掛かっていそうな気がします。
まぁこの作品でそういったキャラが報われるかと言えば、うん、ほら、あれですよ、メルアだってほぼ間違いなくバッドエンド確定ですし。

あ、フー=ルーさんがスクラップ寸前のラフトクランズで主人公に挑もうとするシーンはPS2版デモベサントラ二枚目から『絶望に灼ける剣』で入って、主人公がフー=ルーに問いかけるシーンで一回無音挟んで、実体剣を突き刺すシーンから『汚怪なる血脈』とか流すとイメージ的にぴったりです。

え? デモベのサントラを持っていない?
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更に今なら装甲悪鬼村正のオリジナルサウンドトラック『邪悪宣言』も好評発売中です。

まぁつまり良い音楽でどうにかこうにか文章の下手さを誤魔化そうという戦略な訳ですよ。
ほら、まずい料理を無理やり水で流しこむというか、味の薄いオカズに醤油をドヴァドヴァかける感じで。

今回は特にセルフ突っ込みという名の弁明は無し。何か突っ込まずにはいられない矛盾、なんとなく気に要らない不自然さなどございましたら指摘の方どしどしお寄せください。

そんな訳で、諸々の誤字脱字の指摘、この文分かりづらいからこうしたらいいよ、一行は何文字くらいで改行したほうがいいよなどといったアドバイス全般や、短くても、一言でもいいので作品を読んでみての感想とか、心からお待ちしております。




↓ここからいかにもそれらしい癖に割と変更もあり得る次回予告↓


フューリー非戦派との接触を図る為に月へ訪れたナデシコ、アークエンジェル一行。
しかし彼等を待ち受けていたのはフューリーだけではなく、今なお正体不明の謎のテッカマン部隊、DG細胞に侵されて変質したアンチボディ、そして、生体コアを失い死滅した筈のデビルガンダムであった。

次回、『月の門、死霊のはらわた、冷たい世界』

今度こそセミファイナルバトル。おたのしみに。



[14434] 第二十一話「月の悪魔と死者の軍団」
Name: ここち◆92520f4f ID:a7f647b1
Date: 2011/02/04 20:38
フューリーの非戦派と接触を図る為に月へ向かおうとしていたナデシコとアークエンジェルに、月周辺の調査を行うように指令が下された。
生き残った部隊を集め地球へ向かっていた艦隊が、突如として消息を絶ったのだ。
消息を絶った艦隊から届いた通信から分かる情報は、

『いつの間にか艦内に大量のテッカマンが現れ、MSやMAで出撃する前に一気に壊滅させられてしまった』

という事だけだったが、ナデシコのクルー達はその謎のテッカマンに心当たりがあった。
碌に交戦こそしなかったものの、過去においてデビルガンダムを襲撃し、ラダムの本拠地を襲い、こちらには目もくれなかった謎のテッカマン軍団。
それが今回初めて、無視するでもなく足止めするでもなく、明確に敵対行動を取ってきたのだ。
フューリーの問題も解決しなければいけない問題ではあるが、襲撃を受けたからには放置することなどできる筈もない。
ナデシコ、アークエンジェルは一先ず非戦派との接触を先延ばしにし、艦隊が消息を絶った座標へ赴き、現地調査を行っていた。

「ここが、消息を絶つ直前に艦隊が居た座標なんですが……」

「何も無い、ですよね?」

オペレーターのホシノ・ルリが周囲の反応を確認し、それを見たミスマル・ユリカが首をかしげる。
そう、その座標には文字通り『何も存在していなかった』
戦闘の行われた場所には必ず存在していた機動兵器や戦艦の残骸が欠片程も存在していなかったのだ。
これまで幾度となく宇宙での戦闘を経験してきたナデシコ、アークエンジェルのクルー達にとって、この場所はあまりにも不自然だった。
ジャンクを持ち帰ってこちら側の技術を解析しようとしたにしても、これほど洗いざらいにされる物ではない。
それに、脳髄だけを高度に発達させ、武器と防具の役割を兼ね備えた肉体を持つラダムは、そもそも自分達の身体以外の武器を使うという発想を中々しない。
極々少ない例として、裏切り者のテッカマンに対して干渉スペクトル発生装置を使った事があったが、あれは未だ地球侵攻の中心となるテッカマン達がフォーマットの途中であり、フォーマットを中止したが故に中途半端な能力しか与えられなかったダガーの苦肉の策だ。
完全な状態のテッカマンが数百と存在しているのならば、そういった小手先の小細工は必要ないだろう。

「くそ、ラダムの親玉を倒したってのに、まだ生き残っている連中が居たなんて」

マジンカイザーのパイロットである兜甲児がパイルダーの中でぼやく。調査する座標に到着する前に、敵の出撃を予測してあらかじめパイロットはコックピットの中で待機を命じられているのだ。
だが、その甲児のセリフに反応する者が二人居た。格納庫の隅、普段は整備員などが使用している椅子に座るアイバ・タカヤと、その隣にぴったりと身を寄せているアイバ・ミユキのテッカマン兄妹だ。

「いや、あのテッカマンオメガがラダム全ての親玉、という訳ではない」

「地球に送りだされてきた尖兵で、本隊は別に存在しているんです」

カロリーの消費を抑える為に未だテックセットしていない状態で、ペガスに搭載されている通信機を使っての会話だ。
兄であるアイバ・タカヤことDボウイにさりげなく寄り添うようにしているミユキを見て不自然に思う者は居ない。
同サイズのユニットであるテッカマン同士で連携を組む事も多く、ナデシコ、アークエンジェルのパイロット達は鳴無兄妹のスキンシップを一年以上見続けていた為、これが平均的な兄妹のスキンシップだと判断しているのだ。閑話休題。

「だが、そのラダムの本隊が仮に地球にやってくるにしても、確実に数年は時間の余裕がある。そうだろう?」

Dボウイが寄り添うミユキの頭を撫でている事実を華麗にスルーしつつフリーマンが補足を入れ、Dボウイはそれに無言で頷いた。
そう、ラダムの本隊は太陽系から遠く離れた星系に存在し、そこに居る本隊の司令官に位置するテッカマンが、地球侵攻を担当するテッカマンオメガの反応が消えたという事実を知るにもかなりの時間が掛かる。
更にそこから地球人類がラダムを脅かす驚異となり得るという結論を出し、戦力を整えて攻め込んでくるとなれば更に必要な時間は増加する。
しかし謎のテッカマン軍団は数か月前から地球上で活動を行っており、しかもその行動はDボウイやミユキの脳に刷り込まれたラダムの知識、本能のどこからも予測できないものだ。
同胞である筈のテッカマンオメガの死を見逃し、ラダム母艦の中枢を回収したかと思えばそれを再建するでもなく、裏切り者であるブレードを殺そうともしない。

『あのテッカマン達はラダムとは関係無いのではないか?』

何時しか一同は、そんな考えを頭に浮かべるようになっていた。


―――――――――――――――――――

「これ、月面都市の宇宙港……?」

調査を月周辺から月面に移したナデシコ、アークエンジェル一行が最初に見た光景は、活発に人々が動き回る月面都市の宇宙港であった。

「どういう事なの? ここはジェネシスに焼かれた筈じゃあ……」

アークエンジェル艦長、マリュー・ラミアスが困惑した顔で呟く。
そう、先の地球の連合軍とザフトの衝突時、月基地から発進した艦隊を焼いたジェネシは、そのまま連合軍の補給線を断ち切る為にプトレマイオス基地諸共月面都市を跡形も無く破壊した筈なのだ。
だが、今目の前に広がる光景は破壊された形跡すら無い平和そのものの月面都市。
月面都市はやはり地球と比べて過酷な環境にある為、宇宙放射線や隕石などを防ぐために様々な防御手段が用意されている。
しかし、それはあくまでも宇宙に都市を築くための最低限度のものでしか無く、核シェルターでも防げないジェネシスの超高出力なガンマ線レーザーを防げるようなものでは無い。

「奇跡的な速さで復興を遂げた、とか?」

「いえ、直前に月周辺の残存兵力を集めていた時の定期連絡の内容では、復興以前に一人残らず全滅していて、住人は一人足りとも生き残っては居なかったそうです」

とんちんかんな答えを捻りだすユリカに冷静にルリが突っ込みを入れる。
年長者や識者を集めて改めて話し合いが行われ、実際に何人か月面都市に降ろして調査を行ってみようという結論が出た所で、B・ブリガンディから通信が入ってきた。

「艦長! サイトロンの反応が降り切ってる。地面の底から何かが……」

「こっちもです! 美久、位置は!?」

「上昇しています! 距離200、120、100……」

慌てた様子の統夜の報告に、更にゼオライマーからの通信が重なる。

「敵か!? 総員戦闘配置!」

「ルリちゃん、フィールド展開! 相手を識別できますかっ!?」

何も見つからない調査任務と滅んだ筈の月面都市の姿に少なからぬ警戒を抱いていた艦長達は即座に意識を切り替え戦闘態勢に移行しようと指示を出し始めた。
だが指示を受けたルリは、表面上の無表情を崩さぬまま困惑の混じった声を上げる。

「無理です。だって……、相手、人間みたい」

「えええ!?」

アキトやユリカ、他数名の驚愕の声。

「距離20、10、……え?」

美久がカウントダウンを疑問符と共に中断した。

「も、目標、地上に到達……」

そう、ゼオライマーのセンサーが正しければ、既に目標は目の前。だが、そこには巨大な光の柱と、その中に存在する一人の少女だけが存在していた。

「きれい……、柱がそびえてるみたい!」

光の柱を見て宇都宮姫がはしゃぐ。オーガニック的なものを感じている訳では無く、純粋にその光の柱がそびえ立っているという光景に感動しているのだ。
だが、その美しい光景に素直に感動出来ない者達も居た。

「統夜……」

「中にいる人が、そうなんですか?」

B・ブリガンディのサブパイロットである三人娘の内の二人、フェステニア・ミューズとカティア・グリニャール。
二人は月で長年フューリーに実験体として扱われてきたおかげで、相手が戦いを望んでいない非戦派のフューリーであっても身が竦んでしまうのである。
そして、その二人とは違った意味でその光の柱に感動しない者が一人。

「あれが、フューリーの……」

手入れを怠ってボロボロになった金髪を短く切ってショートに纏めた少女、メルア・メルナ・メイアが、ギシ、と奥歯を軋ませながら光の柱を、その中のフューリーを睨みつけていた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

月内部、ガウ・ラ、騎士団機動兵器格納庫。
整備が完了し、出撃準備に入っている赤いラフトクランズのコックピットの中でジュア=ム・ダルービは憤慨していた。
これまでの計画を放棄しガウ・ラを起動、それにより発生する強大なサイトロンエナジーにより引き裂かれ吹き飛ばされる月の外殻により、地球を、ひいてはそこに住まう生き物たちを全て滅ぼし、新たに生命の創造をやり直す。
つまるところ、『──』に自分達ではあの地球人達には勝てないという判断をされたのだ。これで憤らない筈がない。
確かに自分はラースエイレムを使わない戦闘は殆ど経験したことが無い。
しかし、それでも充分シミュレーションを繰り返し、ラースエイレム抜きでもそれなり以上に戦える力を備えているのだ。
今まではなんやかんやあってあの忌々しいガラクタを破壊出来なかったが、次に戦えば勝つのは自分、それを『──』は──

『──』? 待て、それは、誰だ?
自分に命令を下されるのは、アル=ヴァン様亡き今、総代騎士であるグ=ランドン様だけのはず。
記憶を遡れば自分に命令を下した男の顔が浮かんでくる。その顔は間違いなく、総代騎士グ=ランドン・ゴーツのものでは無い。
いや、そもそもここしばらく総代騎士の姿を見かけない。それに不自然さを感じる事も出来なかった。
一体、自分は何時から『──』の命じるままに働いていた?

『ジュア=ム、準備はできているの?』

フー=ルーからの通信、この人はいつも通り、いや違う。
フー=ルー様もお変りに為られた。以前のような騎士としての毅然とした態度をとることは少なくなり、戦場では戦いに酔い、それ以外ではゆるゆると規律を無視し気ままにあちこちをふらついたりする事が多くなった。
しかし、その様に変わった今でも、『──』の命令は忠実にこなしている。
しかも下される命令は不可解な内容でありながら、どこかしらでラースエイレムを用いない、純粋な腕と性能の戦いが起こるフー=ルー好みの物ばかり。

「フー=ルー様、貴女は、いや、貴女達は──」

ジュア=ムは自らの赤いラフトクランズにオルゴンクローを構えさせ、隣接するフー=ルーの白いラフトクランズとの間合いを測る。

『……あらあら、ここまで来てようやく不自然さに気付くなんて、騎士としてはあまりにも鈍感にすぎますわね』

くすくすと可笑しそうに笑いながら、白いラフトクランズは武器を構えるどころかその場から動こうともしない。
ジュア=ムはそれに構わず、事の真相を聞き出す為に、オルゴンクローをフー=ルーの白いラフトクランズに突き付けようと手もとの操縦桿を動か──せない。

操縦桿が動かないのではない。だが、その操縦桿を動かす為の動きを腕がしてくれない。
腕だけでは無い、腕を含む殆どの部分がまるで自分の身体では無いのではないかと思うほどにぴくりとも動かない。
いやそれどころか、身体を動かさずにサイトロンコントロールだけで動かすこともできない。身体だけでなく、サイトロンを操ろうという意思すら通らないのだ。
唯一まともに動かせる目で、操縦艦を握る自らの手と腕を見たジュアムは、一瞬それが何なのか認識できなかった。
鈍色の金属に覆われた、細長い蚯蚓を束ね無理矢理腕の形に形成した様な奇怪な腕と手指。
その腕の様な塊の表面が、中に細かい虫でも這っているかのように時折もぞもぞと蠢いている。

「ぁ──、っ──!」

動かない喉から、引き攣った悲鳴のなり損ないのような音が漏れる。
腕が化け物のような何かに化けていたから驚いている訳では無い。
ここ最近、より正確に言うならばあの白い機体に撃墜され、肉体再生用の医療用カプセルから出た時から、自分の腕はずっとこのままだった。
しかし、自分はそれを見て、『何の変哲も無い自分の身体』だと思い込んでいた。

『騎士様、どうかなされましたか』

ラフトクランズの片方が武装を構えている事を不審に思ったのか、少し離れた場所に並んでいる準騎士や従士の機体から通信が入る。
通信が繋がりモニタに映った多くの従士や準騎士の顔。
だが、それぞれの顔を映している筈のウィンドウは、全て同じ、のっぺりとした金属に覆われ、頭の両脇から捻じれた角を生やした異形の姿だけを映している。
ジュア=ムは更に思い出す、そう、ここ最近はずっとこいつらと出撃していた。食堂で合いもしたし、整備について話し合っていたような気もする。
自分は、この怪物の群れの中で、この異形の身体で、何一つ疑問を感じること無く生活していたのだ!

『何でもないわ。貴方たちは自分の持ち場に戻りなさい』

フー=ルーの言葉に素直に従う怪物と化した自分のかつての部下や同僚を視線だけで見送り、ジュア=ムは混乱した心のままでフー=ルーへと視線を向ける。
その視線から発されている疑問に、フー=ルーは明日の天気でも教えるような気軽さで応えた。

『何も不思議な事ではないのよ。その身体はすでに『その身体相応のジュア=ム』の人格が存在しているの。貴方は自分の身体と周囲に違和感を認識できなくなる代わりに、その人格と全く同じ行動を取ろうとしていた』

『しかぁし、テメェに掛けられた強烈な認識阻害が消えた今、テメェとテメェの身体の人格にズレが産まれたのさ』

小鳥の囀りの様な軽やかな声が、その声色に相応しくない粗雑な言葉遣いでフー=ルーの説明を引き継いだ。
そう、この少女の事も知っている。
この少女が、この少女の主こそが──

『つまり、『元ジュア=ム』の出番はここでお終いっつう訳よ。お疲れさん、ヴォーダの闇でゆっくりと休むと良いぜ』

そこまで考えて、フューリー聖騎士団準騎士、ジュア=ム・ダルービの自我は、今度こそこの世から完全に消滅した。

―――――――――――――――――――

ギチギチと変形を始めるジュア=ムの赤いラフトクランズを異変と認識する者はこの格納庫の中には一人として存在しない。
この格納庫の中に存在する『元』準騎士と『元』従士達は一人残らず元の人格を残していない。
より正確に言えば、それらは人格というモノを有していない。
話しかけられれば元のフューリーの人格を模した反応を見せるが、それはあくまでも登録単語数の多い人工無能のようなもの。
そしてジュア=ムが消えたことで、それらが言葉を発する事はもう二度と無い。
それは何故か。この場に残っている者達はそれらがそういったモノである事を知っているからだ。

「今のところはこんなもんかぁ。あたしは魔力量もさほど多い訳じゃないし、脳味噌の構造自体を弄ってないからまぁまぁ持った方かな」

巨大な機動兵器のコックピットで両手を頭の後ろで組み寝転んだ姿勢の少女は、その脳内にジュア=ムへと施した術式と、効果の持続時間を記録する。
『ネギま』という作品世界に存在する、不自然なものを不自然と感じさせなくする魔法。
今回のこの少女と主の旅ではそれなりに使用してきた魔法だが、今回はその規模というか、強度を段違いに高く設定してあった。
回収しておいたは良いものの使いどころの無かったジュア=ムの死体をDG細胞で蘇らせ、これまで余り行っていなかった魔法方面の実験に使用していたのだ。

「まったくもって不可思議な技術ですわね、その魔法というのは」

変形を続けるジュア=ムのラフトクランズを見つめるフー=ルーは、その魔法というものにしきりに感心していた。
無論、フューリーとていくつもの星を股にかけて支配していた文明である。似たような思考操作技術は有している。
だが、フューリーで似たような思考操作を行うならば専用の設備が必要になる。
しかしこの少女は(あるいはその主も)、肉体を蘇生され眠っているジュア=ムに一言二言呟き、手を軽く振ってみせただけでそれを行ったのだ。

「どっちかって言や、あの皇女さんに使ったやつの方が面倒なんだけどなー。あたしがやった訳じゃないけども」

ジュア=ムに対して施された魔法は、周りの不自然な現象を過去の自分の経験と照らし合わせ、それが不自然な現象であると確信する。という工程を踏ませないように思考を誘導するものだ。
『常識とは成人までに集めた偏見のコレクションである』という言葉が存在する。
この場合の偏見とは、『人間がパンチ一発で宙に吹き飛ぶなんておかしい』とか『十歳にも満たない少年が中学校で教師をするなんておかしい』といったもの。
認識阻害の魔法はそういった積み重ねてきた常識(あるいは偏見)という基準へのアクセスを妨害し、更にその状況がおかしいと気付いても、だからどうするかという結論を出せない様に思考そこで停止させるというもの。
しかしこの魔法は脳味噌の構造を作り替えるものでは無いし、不自然と感じることが出来ないだけで見たモノ聞いたモノはそのまま記憶として残る。
つまり、認識阻害の魔法が切れた時点でその不自然な現象を思い出せば、しっかりと不自然なものだと認識することができるのである。

無論、何一つおかしいところは無いと判断した何気ない光景を後々思い出すこと自体稀であるため、効力が切れた後に事が発覚する事自体そうそう無い。
さらに言えば、年単位でこの強力な思考誘導を受け続けていれば、脳自体に異常事態を異常と感じられ無いという思考の癖が残る場合もある。
細かい事を気にしない、悪い言い方をすれば異常事態に対する警戒心が極端に鈍い人間が出来る訳である。閑話休題。

「王女妃殿下には違う処置を?」

「あっちは完全な記憶の書き換え。『フューリーは現状主戦派のグ=ランドンに支配されていて、ガウ・ラを機動させて地球のリセットを行おうとしている』って感じ」

認識阻害や記憶消去の術とは違い、完全な記憶の書き換えというのは難易度が段違いに高い。
まず元の記憶を消す、次に偽の記憶を植え付ける、最後にその記憶に対して違和感を覚えないように細工をする。
一つの術の中に記憶消去と認識阻害、加えて不自然さを感じさせない偽の記憶を作り植え付けるという要素が含まれているのだ。
特に最後の偽の記憶を作るというのが厄介で、ここで植え付けた偽の記憶に矛盾があった場合、記憶を植え付けられた側はともかくとして、周囲からは不審の眼を向けられることとなる。

「あたしも一緒になってある程度設定は詰めたつもりだけどさぁ、やっぱどこかしらに矛盾とかは出てくる訳よ」

つまるところ、記憶の書き換えが『難しい』ではなく『面倒くさい』というのはそういうこと。
何故ガウ・ラを機動するのか、どうしてそこまで追い詰められたのか、他の方法を取ろうとは思わなかったのか、ナデシコを避けて他の軍事拠点を各個撃破していくのではだめだったのか。
などなど、記憶を書き換えた対象が聞かれそうな情報を片端から羅列して、その書き換えた対象が知っていて不自然なものは除外し……。
魔法云々以前の部分で必要となる労力が多いのだ。
更に言えば、万が一にも元の記憶を取り戻さないように脳味噌の構造自体を弄ってもある。
もっとも、これは脳改造を施そうとして途中で飽きたこのガウ・ラの現所有者の仕業なのだが……。

「ま、実際のところあいつらはその辺すげぇ雑だから気にする必要も無いんだろうけどさ。これって一種のサプライズパーティーだから、細かいところも気をつけたいんだと思うよ」

戦争を続ける中、自分達に和平を申し込もうとしてきた敵国の姫、敵国の実質的な支配者は地球を滅ぼそうとしており、それを止められるのは自分達だけ。
だが、それらの情報は全て嘘。もはや敵国──フューリーには、主戦派も非戦派も存在しない。
敵地で待ち構える自分達の真の敵。それは──

「悪趣味ここに極まれり、というヤツですわね」

「今のあんたも似たようなもんだろよ」

二機のコックピットの中で、くく、と、堪えるような笑い声をあげる二人。
フー=ルーは口元に手をやり上品に、少女は寝転んだ姿勢のままで身体を丸め、腹を抱えて笑っている。
ひとしきり笑った後、巨大な機動兵器の中で寝転んでいた少女が何かに気付いたかの様に顔を上げた。
増幅用の機械を通さない強いサイトロン・エナジーの反応。誰かが独力で『軍団の門』を開いたのだ。
このタイミングで自分達に何の報告も無く、月の地表付近からガウ・ラの内部に直接繋がる門を開くような相手となれば、ナデシコ、アークエンジェルを引き連れたシャナ=ミア皇女その人以外にはありえない。

「来たぜ。全力で掛かりな」

「あら、さっきの話からすると、彼等は貴方の主の元まで向かわせなければならないのでは?」

「ボスの間までたどり着くことも出来ずに死ぬような連中なら、わざわざ戦う必要もねぇってさ」

そう告げた少女が姿勢を正すと同時、コックピット内部から数本の機械の触手が集い、少女の背に、肩に、そして首へと突き刺さる。
突き刺さった箇所から皮膚の下を盛り上げるようにして更に細かく分岐していく触手。

「さて、前座は前座らしく──」

しかし、自らの肉体へと突き刺さるそれらに何ら痛痒を感じていないのか、少女はその愛らしい顔に似つかわしくない、獣の様に獰猛な笑みを浮かべ、口を開く。

「しっかり舞台を温めさせて貰おうかな!」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

月中心部、ガウ・ラ機関部。
戦艦を、機関部の中枢を守る無数の機械の兵隊を、機械の巨人達が蹂躙し進撃する。
銃弾が光線が砲撃が鉄拳が飛び交い、機関部を守る為に配置されたフューリーの機動兵器を尽く破壊しつくしていく。
ナデシコ、アークエンジェルに所属する機体は主力機体の殆どが出所不明の資金によりフル改造済み、敵陣に斬りこんで弾をばら撒けば勝手に敵の方から墜ちてくれるような状態。
対するフューリー側の機体は、地球連合に普及している量産型MSに比べれば遥かに高性能ではあるが、それでもそこまで非常識な性能を持っている訳では無い。
このままで行けば、ガウ・ラが起動する前に機関部を破壊する事も容易い。
だが、それでもナデシコとアークエンジェルの面々は油断をしない。
今現在相手にしているのは、指揮官機すら含まれていない先遣隊。フューリーには、こういった不利な状況を覆せる、一騎当千の実力を持つ騎士が存在しているのだ。

「前方にフューリー機反応、強力です」

ナデシコの管制を行っていたルリが一早く敵機の反応に気付く。

「ああっ、くそ! やっぱり増援が来ちゃったか!」

ナデシコ副艦長のアオイ・ジュンが唸る。
敵にまだ本隊が存在している事は理解していたが、早め早めに進撃していればそれらと遭遇する前に機関部を破壊する事が出来たかもしれない。
それはあくまでも運がよければの話ではあったが、これから機関部を破壊し、皇女以外の非戦派と接触し安全を確保、更に主戦派の親玉と戦うだろう事を考えれば、余計な戦闘は避けたかったというのが正直な所だった。

「ルリちゃん、敵の規模は?」

「隊長機クラス二機、大型機一機、小型機多数。大型機からはサイトロン検出されません。この反応は……」

ルリの報告に疑問符を浮かべる一同。
これまでフューリーの機動兵器には尽くサイトロン、オルゴンが用いられてきた。
それは何も自分達の技術に絶対の自信があったからという理由だけでは無く、時間停止兵器であるラースエイレムを用いた戦闘を行う上で、時間停止に巻き込まれない為に規格を統一する必要があったためである。
しかし、この土壇場で相手の持ち出して来た兵器からはサイトロンの反応が無い。
つまりそれは、ラースエイレムを用いることが出来ない戦闘、つまりベルゼルートを含むこの部隊を相手にするためだけに用意された秘密兵器である可能性が高いのである。

「統夜……」

「大丈夫。奴らが何を出してこようと、ここで決着だ」

不安げなカティアを勇気づけるように力強く宣言する統夜。
ここまで、色々な事があった。巻きこまれるような形でベルゼルートに乗せられ、軍から逃げる為に火星に行く戦艦に乗り込む羽目になり、仲間を犠牲にして火星を逃げだし、戦って戦って戦って。
自分の過去のしがらみに迷い、導いてくれた人も亡くし、遂に辿り着いた決戦場。
それも、もしかしたら敵を全て殺さずに済むかもしれないというおまけ付き。ここで躓く訳には行かなかった。

「敵、来ます」

ルリの合図と共に、機関部の前に無数のフューリーの機動兵器が出現する。
これまでそれほど数は出てこなかった大量生産の指揮官機、ヴォルレントも数多く含まれている。
次いで、それらを率いる白いラフトクランズと、ザフトのバクゥやラゴウのように四足で動く赤いラフトクランズのようなもの。
記録している反応と合致する事から考えれば、あれも間違いなく隊長機なのだろう。
そして、その後ろに控える──

「あれは、デビルガンダム!?」

そう、地上でキョウジ・カッシュとシュバルツ・ブルーダーを犠牲にしてまで破壊した、連合軍がカッシュ親子に作らせた悪魔の兵器。
最後に見た時に比べ全体的に白っぽくくすみ、サイズこそ一回り以上小さくなっているが、その姿は紛れもなくデビルガンダムそのものであった。

「ガウ・ラへようこそ、歓迎させて貰うわ」

通信から妙齢の女性の声。フューリア聖騎士団所属の騎士、フー=ルー・ムールーが優雅さすら持った響きで歓迎の言葉を放つ。

「フー=ルー・ムールー! 剣を納めなさい!」

ナデシコのブリッジからシャナ=ミアが通信を入れる。
仮にもフューリーのトップである皇女の言葉なら、非戦派の存在を知らされていない騎士であったならば止めることができるかもしれない。
そう判断しての通信だったが、話し掛けられたフー=ルーは皇女がナデシコに居る事に全く動じていなかった。

「あらあら王女妃殿下、ご壮健そうでなによりですわ」

礼節を重んじる元のフー=ルーではありえないような気安い雰囲気に戸惑いながら、しかしそれでもシャナ=ミアは自らの騎士を止めようと試みる。

「グ=ランドンの計画は既に潰えました。おわかりでしょう? もう戦うのは止めてください!」

「それは戦いをやめる理由にはなりませんわ。だって私はもう、誰にも縛られておりませんもの」

「え?」

フー=ルーの迷いの無い即答に思わず間抜けな声を上げるシャナ=ミア。
そんなシャナ=ミアを見、フー=ルーは口の端を吊り上げ、笑う。

「後方にボソン反応、超小型機多数」

「うそ!?」

ナデシコとアークエンジェルは月に現れたテッカマンの調査の途中でそのままフューリーの本拠地に攻め込んでいる。
地球が滅ぶか滅ばないかの瀬戸際であった為に、自分達に理解のあるミスマル・コウイチロウ提督に軽い報告をして直ぐに月内部への突入を敢行したのだ。
つまり、自分達がここに居る事を知っているのは提督とその周りの信の置ける副官や部下程度。
当然、クーデターで忙しい木連に情報が行っている訳も無い。このタイミングで現れる者は敵でしか有り得ないのだ。

「敵、ジャンプアウトします」

そして、数十を超える人間大の何かがジャンプアウトする。
手には弓のようにも見える槍を持ち、全身を強固な外骨格で覆い、背中のブースターで宙に浮かぶ魔人の群れ。

「あいつらはカオシュン基地の時の!」

「間違いない、ラダム要塞で見た連中だ」

「ちょっと待って下さい! なんでテッカマンがボソンジャンプできるんですか!?」

月周辺での目撃情報がある故にある意味予想通りの敵が、しかし最も予測できない登場の仕方をしてきた事に慌てふためき戸惑いを隠せないナデシコの面々。
これまでも木連とグラドスと手を組み、鉄甲龍もあしゅら男爵と手を組んだ事がある。
しかし、それらの間で技術的な交流が行われてきた事は不思議と無かった。
どの勢力も上っ面だけの同盟であり、場合によっては互いを裏切る事も躊躇わないような連中であった為だ。
しかし、今現れたテッカマンは、現状火星と木星にしか存在しない古代文明の遺産の力を使いこなしている。

「面白いモノでしょう? 捕獲した火星の住人の生態データを即席で移植したテッカマン。あのお方が戯れに作り上げたものなのですけど、驚いて貰えたなら幸いですわ」

「なっ……!」

「じゃあまさか、連合軍の艦隊を襲ったのも」

「そう、それも私達。テッカマンの大群の調査ともなれば、地球圏最強と名高い貴方達が送られてくると踏んで、ね」

ナデシコかアークエンジェルのクルーの誰かが発した問いに、フー=ルーの白いラフトクランズが鷹揚に頷いて見せる。

「どういうことですフ=ルー! そのようなものを生み出すなど、グ=ランドンとて出来る筈がありません!」

戸惑いの感情をそのまま言葉に変え叫ぶシャナ=ミアをしげしげと眺め、フ=ルーは何かに感心するように頷いた。

「本当に、完全に忘れておられるのですね。これは中々に、ふふ、面白い趣向ですわ」

「何を、何を言っているのです!?」

自らの問いに答えず、自分を珍しい実験動物でも観察するように見つめるフー=ルーの視線に身を震わせるシャナ=ミア。

「ここまで全て、我が主の予定通りということですの」

フー=ルーの白いラフトクランズが、シャナ=ミアが新たな問いを発するのを遮るようにソードライフルを横薙ぎに振るう。
それと同時、戦闘態勢に入るフューリー機とテッカマン。
それらを満足そうに眺めながら、フー=ルーは声も高らかに宣言する。

「他の方々もお聞きなさい! このガウ・ラ=フューリアは既に起動準備に入っています。止める手段はただ一つ、私とジュア=ム、そして、ガウ・ラの中枢に控えるこの船の新たな主を殺害する事のみ!」

地球を救いたければ、自分達を殺して見せろ。
その挑戦的な発言にあるものは眉を顰め、またあるものはざわめきうろたえる。
B・ブリガンディのサブパイロットであるカティア・グリニャールが問いを投げかける。

「どうしてそんなことまで、私達に教えるんですか!? それに、新しい主って……」

「こうすれば、貴方たちは必死で戦わざるを得なくなるでしょう? 新しい主は、全力の貴方たちとの戦いを望んでいる。つまりはそういうこと」

フー=ルーの闘志に反応するように、四足の赤いラフトクランズが獣そのものの咆哮を上げる。
これ以上の会話は不要。後は戦いこそがこの場を支配する絶対のルール。

「さあ、愚かにも戦いましょう。醜くも戦いましょう。卑劣にも戦いましょう。居もしない仇に憎しみを向けて、ありもしない大義に目を眩ませて。あるべき戦いだと偽って!」

白いラフトクランズのソードライフルの銃口に目も潰れんばかりの光が集まり、フューリーの量産機が武器を構え、テッカマンが周囲に散開し、デビルガンダムがゆっくりと歩き出す。
動き出す。最終幕へ向けて、舞台を盛り上げる為の捨て駒として。

「聖騎士団の隊長でも、ましてや誇り高い騎士でもなく」

しかし、今この時だけはただ自らの欲求の為に、只管に楽しもう。

「一振りの剣、一握の火薬、一発の弾丸として!」

命を賭けた、文字通りの死闘を。

「フー=ルー・ムールー、推して参る!」

―――――――――――――――――――

テックランサーを構え突撃してくるテッカマン数体を、オルゴンライフルに括りつけられたブレードで叩き落とす。
超合金ニューZ製のブレード(ナデシコの格納庫の隅に放置されていた。おそらくボウライダーが最初の頃に使っていたモノ)をもってしてもテッカマンの装甲を切断する事は容易では無いが、力任せに壁に叩きつける程度の事は出来る。
機関部へと続く通路の壁にめり込んだテッカマンに、容赦なく粒子弾を叩きこむ。

「訳の分からない事をごちゃごちゃと……」

クリスタルのように砕け散るよりも早く体組織をぶちまけ真っ赤な壁の染みと化したテッカマンに目もくれず、ラフトクランズと量産機の待ち構える機関部の中枢へと駆けるメルアのベルゼルート。
荒っぽく、身体からぶつかっていく戦い方のお陰で装甲はあちこちが凹み、青い塗装は剥げ所々に銀に近い鋼色の地金を露出させている。
必要最低限の修理だけで戦いを繰り返してきたのだろうその姿は、理性を失った狂戦士さながら。

「貴方たちは、死ぬんです」

眼前のヴォルレントへと高速で接近しながら、ベルゼルートが腰部に大量に括りつけられたカートリッジのようなものを一つ手に取り、素早くオルゴンライフルへと装填する。
機械的にオルゴンエクストラクタの出力を底上げした今の状態ですら、オルゴンライフルをまともな出力で使おうとすればあっという間にENが空になってしまい、ともすれば敵陣のど真ん中で行動不能になってしまう。
その為、ベルゼルート本体からのエネルギー供給は保険として残しつつ、通常時はバッテリーパックを兼ねた專用のカートリッジのみで動くように改造が施されているのだ。

「一人、残らず」

減速せず、オルゴンライフルの先端に括りつけられたブレードを、ベルゼルートの全重量を乗せて突き立てる。
装甲の厚いコックピットは貫けなかったが、その脇の関節部分へと突き刺さる。
致命傷では無かった為か、ヴォルレントはエナジーブレードを抜刀。反撃の体勢へ。
ベルゼルートは深々と突き刺さったオルゴンライフルを手放し、ガンジャールから剥ぎ取り移植しておいたオルゴンクローを取り出す。
ヴォルレントのエナジーブレードを持つ腕の肩関節にクローを食い込ませ、そのまま数度踏みつけるように蹴りつけ、その反動を利用し腕を引き千切った。

「今日、この日に!」

引きちぎった腕からエナジーブレードを奪い取り、クリスタル状の刀身が砕け散るよりも早く、ヴォルレントに叩きつける、狙いは今まさに肩から引き千切った腕の付け根。
装甲に覆われずに内部の機械が剥き出しのそこから、改めてコックピットを貫く。
動かなくなったヴォルレントからオルゴンライフルのブレードを引き抜き、素早くその場から離脱する。
ブースターを吹かしその場から離れると同時、直前までベルゼルートが存在した場所をボルテッカやコスモボウガン、ビームに実弾が殺到し、その場に残されていたヴォルレントの残骸を破壊する。

「メルア前に出過ぎだ! 連携しろ!」

「じゃあ援護お願いします!」

誰かの通信に短く返事を返し周囲を索敵。
此方を狙ってきたテッカマンと量産機は後ろから追い付いてきた誰かの機体の相手をしている。
今がチャンス、只管に前に前に。
メルアの視線がコックピット内部に備え付けられた各種計器を目まぐるしく見まわし、レーダーを見た瞬間にぎょろりと見開かれる。

「見つけたぁ……!」

ぎぃ、と口を三日月のように歪ませ、歪な笑みを形作る。
レーダーに映る無数の敵機の反応、その中でメルアが凝視しているのはたったの一つ。
オーブ脱出の際にフューリーの部隊を指揮していた少数生産型の指揮官機と同じ反応。
ベルゼルートのカメラアイで改めて目視で確認、見間違える筈がないその姿をその瞳に映す。

「あ、ああぁ」

そう、見間違える筈が無いのだ。
あの敵は、あの敵こそが、

「………んの、…たき」

メルア・メルナ・メイアが、絶対に許せない、存在を許容できない、

「卓也さんの──」

何よりも誰よりも殺したくて堪らない――、あらゆる負の感情の矛先だから。

「仇ぃ!」

ベルゼルートの全身の装甲が弾けるように展開、何かが爆発したかと見紛う程の光が溢れ出す。
メルアの脳細胞及び全身の血液中に潜む謎のナノマシンが、宿主の意を汲みサイトロン・コントロールのリンケージ率を高める事の出来る個体の体質を再現、補助機械によって出力を底上げされたオルゴンエクストラクタの出力を更に押し上げる。
ベルゼルートの設計段階では想定していない量のエネルギーが発生した事によるオーバーフロウ。
オルゴンライフルAモード使用時の出力と比べても尚高いそのエネルギーが、ベルゼルートの挙動一つ一つに反応するように唸りを上げ光輝く。
機体の限界を超えた代償か、一挙動毎に機体各部が軋みを上げ、剥げかけていた塗装が剥離し溶解し蒸散し、機体の輪郭をぼやけさせる。
そんな機体の状況を無視し、メルアはベルゼルートにオルゴンライフルを構えさせ、白いラフトクランズに向けて完全に結晶化の済んでいない巨大な鏃状の砲弾を乱射。

「遂にやってきたのね、私達の首を噛み千切りに」

白いラフトクランズはメルアのベルゼルートを待ち構えていたのか、超音速で衝撃波を撒き散らしながら飛来する鏃をオルゴンクラウドによる断続的な短距離ワープを繰り返し回避。
一瞬後ろに下がりソードライフルから粒子砲を発射、爆炎に紛れて転移、ベルゼルートの背後に現れ、更に追加の粒子砲。
ベルゼルートは前方と後方からほぼ同時に迫るオルゴン粒子の砲撃を下に落ちながら回避すると、振り向きざまに加速し後方上空のラフトクランズへ向け跳び、オルゴン結晶でコーティングされ見上げるほど大きくなったブレードを下から上に振りかぶるように切りつける。
疑似オルゴンブレードFモードとも言えるそれの軌道上に存在した地面をも抉り斬り飛ばし、瓦礫と共に巨大な斬撃がラフトクランズへと襲いかかる。

「素晴らしい、素晴らしいわ。月から逃げ出した実験体の貴女が、一人では戦えない筈だった貴女が、これほどまでに戦えるなんて」

歓喜に濡れた声を上げながら、フー=ルーのラフトクランズは全身の姿勢制御用ブースターを吹かし、その身をよじるようにして巨大なブレードの側面に回り込み斬撃を回避する。
身を独楽のように回しながら、ブレードを展開していないソードライフルで無数の瓦礫を叩き落とす。
そのままベルゼルートの全長を遥かに超える長さにまで伸長したブレードに張り付き身を寄せ、ブレードの腹を伝い降り、ソードライフルにクリスタル状のブレードを展開したラフトクランズが迫る。

「このおおぉぉっっ!」

結晶化した刀身を砕き元の長さにまで戻すのでは間に合わないと判断したのか、ベルゼルートはオルゴンクローを取り出し、更に鉤爪部分を展開する時間すら惜しみそのままラフトクランズのソードを白刃取りで受け止める。
ぎゃりぎゃりと金属の擦れ合う音をBGMに、顔と顔がぶつかる程の至近距離で睨み合うベルゼルートとラフトクランズ。

「これが想いの力?ねぇ、今どんな気持ち? 貴女の愛しい人の仇は目の前にして、やっぱり不思議な力が湧いてくるものなのかしら!」

「さっきから、ごちゃごちゃごちゃごちゃとぉ……!」

半ば以上までソードライフルに切り裂かれ始めているクローを投げ捨て、ようやく結晶の刀身が砕けた始めたオルゴンライフルだけを持ち後ろに後退するベルゼルート。
後ろに下がる直前に、ミサイルランチャーを放ち、自らは砕け散る直前の疑似オルゴンブレードの刀身の陰に回り込む。
が、当然のようにオルゴンクラウドのバリアで爆発から免れ、ベルゼルートの直上に発射寸前のソードライフルを構えた状態で出現するラフトクランズ。
操縦系統が完全なサイトロンコントロールでは無い今のベルゼルートでは、回避行動を取る時間は無い。ベルゼルートにはバリアも無い。

「私は、そんな下らない話をしに来たんじゃありません! 私は! 貴女達を! ぶっ殺しに来たんですよおぉぉぉっ!」

が、それはほんの数十秒前までの話だ。
機械的に出力を上昇させられたオルゴンエクストラクタ、今代においてサイトロンとの適合率においては最上の個体、紫雲統夜の生体反応を模した事により上昇したサイトロンリンケージ率。
更に操縦者の思い描いた通りに機体を動かす機能を持つIFS、それらを統合する高性能量子コンピュータ。
その全てが合致した時、メルア・メルナ・メイアの駆るベルゼルートは人知を超えた軌航性能を発揮する!

「なんとおぉぉぉぉぉぉっ!」

ブースターだけでは無い、全身の装甲の隙間からあふれ出る余剰エネルギーの放出を制御し、直上のラフトクランズへと突撃する。
余りの速度にベルゼルートの輪郭がぶれ、数体に分身したかのように見えるほど。

「なぁっ!?」

回避が間に合ったとしても、自分の方に突っ込んでくるとは想像していなかったフー=ルーは狼狽する。
が、フー=ルーとて過去のフューリーの大戦を経験した古兵、即座に平静を取り戻し、ソードライフルの引き金を引き瞬時にその場から転移、その場から距離を取る。
先ほどの砲撃は間違いなくベルゼルートを巻き込むことに成功していた、あの出鱈目な機動はもはや不可能だろう。
ベルゼルートの改造機に乗った実験体の娘はどうやら接近戦を好む傾向にあるらしい。
距離を取って戦えば突っ込んでくる処を狙い撃ちに出来る。フー=ルーはそう考えていた。
一瞬の間の後、転移の完了を確認。だが──

「つかまえたぁっ……!」

接触回線で、少女の喉から絞り出すような、それでいて歓喜に包まれているような声が聞こえてくる。
そう、『接触』回線で。ベルゼルートはラフトクランズのオルゴンクラウドによる転移についてきていた。
どういう事か、ベルゼルートにオルゴンクラウドは搭載されていない筈、転移についてこれる筈がない。
フー=ルーはその疑問に囚われ、気付くのに一呼吸分の時間だけ遅れてしまった。
自らのラフトクランズの脚部にギリギリのところで引っ掛かっているアンカーに、それに繋がるワイヤーに、そして、その先でオルゴンライフルを構え直すベルゼルートの存在に。

ラフトクランズがオルゴンライフルを撃ち転移する直前、ベルゼルートはラフトクランズへの突撃を止め横に回避、ソードライフルから放たれた砲撃に巻き込まれていたのは装甲から剥離した塗装の見せた、言わば質量を持った分身。
更にメルアは機体牽引用のワイヤーアンカーを投げつけ転移直前のラフトクランズへと絡ませ、オルゴンクラウドの転移に付いて行ったのだ。
これで距離を開けることは不可能、転移による回避も不可能。

「これで、終わりです!!」

そして、この状況を意図的に作ったメルアにとって、今の驚愕の感情に囚われているフー=ルーは隙だらけ。
ブースターを吹かし、牽引用のワイヤーを巻き込みながら接近、ラフトクランズのコックピットの隙間に、一切の情け容赦なく超合金のブレードを突き立てた。

―――――――――――――――――――

コックピットを貫いたブレードは、そのままフー=ルーの上半身と下半身を両断していた。
切断面から臓物をぶちまけ、シートごと両断されたフー=ルーの下半身はそのままずるりとコックピットの下に滑り落ち、上半身だけが辛うじてブレードの上でその姿勢を保つ。

「御美事……!」

フー=ルーは顔面の穴という穴から大量の血液を噴き出しながらも、清々しい程の満面の笑みを浮かべ、メルアを心から祝福する。
この少女が掴み取った力に。この先に待ち受けるモノに。与えられる何かに。奪われる何かに。
呪いのような祝福を捧げる。

(いい、いい戦いでしたわ……)

あの船には他にも戦ってみたい敵は多く居た。だが、これほどまでに感情を、敵意を、殺意を向けて戦う修羅は他に居なかっただろう。
それに、この実験体の少女に殺されるというのも、自分達には相応しい最後だとも思う。
この少女はフューリーの人体実験の被害者。ある意味では、自分達がこの地球に存在した証でもある。それが自分を押しつぶし轢き殺し前へと進むのは感慨深いものがある。
かつての自分達の悪意が、死を齎す何かへと生まれ変わりやってきた。これに討たれずして何に討たれれば良いというのか。

少し、心残りがある。最後にこの少女に教えてあげられなかったことだ。真実を教えた時、どんな顔をするのか興味があった。
絶望するだろうか、歓喜するだろうか、そのどちらでも無い感情を見せてくれただろうか。
あの可愛らしい顔で、綺麗な声で、どんな泣き声上げるのだろう。歓声を上げるのだろう。
そんな事を考える事も、難しくなっていく。

(ああ、もう、いいか)

身体の底から湧き出し続けていた戦いへの執着も、もはやどこか遠くに思える。
自らを形成する、フー=ルー・ムールーという記録が薄れ、冷たく、しかし何もかもを受け入れる、広大な宇宙へ霧散していく。
これが、真の死。
死ぬのは二度目だが、前に殺された時よりは遥かに痛みは少ない気がする。
それが少し、物足りない。

「………ルー! …出なさ…! 今な…まだ………います」

遠くから、こえがきこえる。だれのこれだったかしら。
そうだ、このお声は、しゃな=みあさま。
かわいそうなおうじょさま。このひろい宇宙で、もう、ふゅーりーはあなたひとり。

(でも、きっと)

奇跡的にまだ機能しているモニタに映る、塗装が全て剥げ落ち鋼色の地金を晒しているベルゼルートの姿が霞む視界に入り、意識が少しだけ纏まった。
あの少女が、貴女を連れて来てくれます。
貴女を待つ民草の居る、ヴォーダの闇の奥底まで。
だから──

「さようなら、御機嫌よう、『また会いましょう』王女妃殿下」

フー=ルー・ムールーは自らの愛機と共に、部下と同胞の待つヴォーダの闇へと沈んだ。

―――――――――――――――――――

『ベルゼルート、敵指揮官機一機を撃破しました』

通信から聞こえてくるルリの報告を聞き、白いラフトクランズの爆発を背にその場から離脱するベルゼルートを改めて確認する。
こちらも交戦中だったが為に見ることは出来なかったが、ベルゼルートは途中から常識外れな機動を始め、パイロットにどれだけの負担が掛かっているか分からないという。
だが、それでもメルアはそれを乗りこなし、見事ターゲットの内一人を撃破した。
恐ろしいまでの執念の成せる技。復讐に囚われ、他の物を見なくなったが故の強さ。

「メルア……」

「大丈夫、この戦いが終われば、きっとメルアは立ち直る」

心配そうに友の名を呟くカティアに、統夜は優しく声を掛ける。
カティアの不安を取り除くためにこう言いはしたが、それも希望的観測でしかない。
鳴無卓也が殺された瞬間を見た訳では無いのだ。その殺意はフューリーという種全体に向けられている。
統夜は、ナデシコの中でメルアがシャナ=ミアに向けた視線の冷たさを思い出し背筋が震わせた。
あれは非戦派だからという理由で見逃した訳では断じてないだろう。何時でも殺せる場所に居ることと、彼女の手を借りなければこのフューリーの本拠地に辿り着けないという理由がある。
そうでなければ、メルアは早々にシャナ=ミアを殺していただろう。
ナデシコのブリッジでシャナ=ミアの話を聞く時、メルアはシャナ=ミアを挟んでガンダムファイターと反対側に陣取っていた。
そして、最近のメルアは拳銃を持ち歩いている。自衛のため、などと言ってはいるが、メルアは最近は食事と風呂と就寝の時間を除いて、ベルゼルートの操縦の訓練と射撃訓練にのみ時間を費やしている。
あの位置ならば、ドモンやサイサイシーなどが割って入るよりも早く、シャナ=ミアの頭を潰れたトマトのようにできただろう。
そんな殺すことを前提にした位置取りをし、きっと確実に行動に移せる程にメルアの心は復讐に染まり切っている。
そしてそれは、一つ、また一つとフューリーの命を奪う毎にメルアの心に暗く深い淀みを生み出す。
それはきっと戦争が終わっても、メルアの心から消える事は無い。

確かに、フューリーは鳴無卓也を殺した。
統夜とて、非戦派の助けてくれ、という言葉に完全に納得した訳では無い。何を今さら、という憤りの感情も確かに存在する。
例え直接戦闘に出て居なかったとしても、同じフューリーであるというだけで多少の嫌悪感を感じる部分もある。そればかりはどうしようもない、理性で納得できない事もある。
だが、だからといって人として後戻りも出来ないような道に踏み込んでいい理由にはならない。
彼はそんな事を望まない、なんて口が裂けても言えない。自分は鳴無卓也の全てを知っていた訳では無いから。
しかし、彼を慕っていたメルアがそんな事になってしまったら、彼の目の前で美味しそうに無邪気に甘味を味わっていた少女がそんな事になってしまったら、彼に会わせる顔が無いではないか。

「だから」

「ええ、行きましょう、統夜」

目の前の、赤い四足の獣と化したラフトクランズは、自分達で片付ける。

―――――――――――――――――――

「──、────ッ!」

赤いラフトクランズが、声の形をとらない野生の獣染みた咆哮を上げる。
声だけでは無い、その動きはまさしく獣そのもの。ザフトのバクゥやラゴウなどとは比較にならない程しなやかな動きと爆発的な瞬発力を見せつけている。
これがただの機関部へと続く通路であったのなら、獣のような機体形状を生かすことなく撃破されただろう。
だが、今この空間にはこのラフトクランズの他に厄介な敵が居る。
デビルガンダム。
機体サイズこそ小さくなっているものの、依然としてその驚異の三大理論は生きている。
自己増殖、自己進化、自己再生。
その三大理論が齎す驚異がこの通路一帯に広がる光景だ。

「くそ、小癪な真似を!」

ドモンの駆るゴッドガンダムがビームサーベルを横薙ぎに振るう。
そのサーベルの軌道上に存在した木の幹のようなものが数本纏めて断たれ、ほんの少しだけ視界が開ける。
その切断された木の幹のようなものを足掛かりに宙へ跳びあがるゴッドガンダム。
上空から見える景色は、まるでアマゾン奥地の密林。
異なる点は二つ、密林を形成する木々が残らずDG細胞の基本色である銀色だと言う事と、その再生能力。

「全く、これでは切りがないな」

先ほど切断したDG細胞製の木は既に完全に再生し、自分がどこから飛び立ったかを確認することすら難しい。
銀色の密林のあちこちが繰り返し破壊されているが、それも十秒も経たない内に再生し元の姿を取り戻してしまう。
この情景がデビルガンダムによる地球再生後の光景なのだとしたら、それこそ人間が幾ら自然を破壊しようとしても無意味だろう。自然(この銀色の光景が自然だとは考えたくないが)を破壊しきる前に、確実に人類は滅ぼされる。
あの密林の木々は全て敵機と判断される上に、軽いジャミング機能まで備えているらしく、あの密林の中ではレーダーもあまりあてにならない。上空からの攻撃は木々が上空にのみ向けているバリアで防がれて終わり。
地上に降りあの密林の中、あるいは木々に触れる程の低空飛行で戦うしか無い。だがそれは、この密林の王者のテリトリーで戦うという事に他ならない。

「他の連中が無事ならいいんだが……」

戦闘を開始直後、あの赤いラフトクランズとデビルガンダムを中心に生み出されたこの密林は、四足のラフトクランズの獣染みた動きに恐ろしい程に相性が良い。
両手両足、つまり四足の全てが変形したオルゴンクローで構成されているあのラフトクランズは木々の間を猿のように飛びまわり、地を駆ければ豹か虎を思わせるしなやかな動きを見せつける。
銀の密林を抜け空へと向かった白いラフトクランズはメルアのベルゼルートが撃破した。
ならば赤いラフトクランズはこちらでどうにかするべきだろうが、数度の交差、一瞬の攻防を数度繰り返した後にまたこの密林のどこかへと消えていってしまった。
絶え間なく聞こえてくる通信の内容を鑑みるに、今現在あの赤いラフトクランズと対峙しているのは統夜のB・ブリガンディ。
今の統夜ならばそうそう遅れを取ることは無いはずだが、この密林をどうにかしなければ、万が一という事もあり得る。今現在自分達は分断され、離れた連中とは連携を取る事も出来ない。
早急にこの状況をどうにかしなければならない。
そして、この密林を生み出している存在は、できれば自分の手でどうにかしてやりたいとも思う。
因縁に囚われるつもりは無いが、あの場所でこいつを滅しきれなかった自分の不手際でもあるからだ。
ドモンは、自らの直感に従い密林のある一点に向けて落着、目の前に立ちはだかる存在に対して、叫ぶように問いかける。

「お前もそう思うだろう? デビルガンダム!」

名前の通りの悪魔染みた異形のガンダムは、その叫びに答えるように、ニタリと嗤った。

―――――――――――――――――――

デビルガンダムはその両肩に生えた複腕でもってドモンのゴッドガンダムに掴みかかろうと突撃を開始する。
その動きは以前の山よりも巨大な時から考えれば比べ物にならない程機敏な動きではあったが、それでもガンダムファイターを、シャッフル同盟のキングオブハートを捉えられる速度では無い。
余りにも鈍重、その複腕から繰り返し拡散粒子砲を放ってきてはいるが、ゴッドガンダムはそれらを容易く捌き、デビルガンダムの懐に潜り込む。
機体はすでに金色の輝きを帯び、次の瞬間には流派東方不敗の最終奥儀にて、デビルガンダムを欠片も残さずこの世から消し去ることが可能。
だが、奥義を叩きこむ直前、ドモンの頭の中に疑問が浮かぶ。

(余りにも呆気なさすぎる)

これまでのデビルガンダムの驚異とは、その巨大さ、再生能力、火力などにあった。
だがこのデビルガンダムは、そのどれを取っても以前のデビルガンダムに劣っている。
それは異常な事なのだ。自己進化するデビルガンダムは常に自らの性能を向上させ続ける。負けたのであれば、自分を負かした相手の性能を模倣する程度のことはやってのけるだろう。
であれば、このデビルガンダムは何なのか。
以前の山のような巨体を捨て、おそらくはMFを目指して進化した姿。しかし、それにしては余りにも中途半端だ。

(これではまるで――)

そうドモンが考えた所で、デビルガンダムの主腕がビームサーベルを構え懐に潜り込んだゴッドガンダムに斬りかかる。
その腕を、ドモンのゴッドガンダムはビームサーベルの居合抜きで素早く斬り落とす。
そう、以前のデビルガンダムならば、あの程度の小さなパーツは一瞬で再生していた。そしてその腕の切断面は、最低限サーベルを振るのに必要なパーツしか無い簡素な代物。
その断面構造を見て、機械工学にも明るいドモンは自らの推論に確信を得た。

(間違いない、今のデビルガンダムは、蛹──!)

思考を中断しサーベルを十字に構え、デビルガンダムの外殻を貫き現れた攻撃を受け止める。
プロヴィデンスのドラグーンやガンダムローズのローゼスビットにも似た遠隔操作型の武装。明らかな違いを上げるとするならば、それがとあるMFの姿を模している事か。

「貴様あぁぁ!」

マスターガンダムの姿をした、紫色のビット兵器。その姿に、師である東方不敗マスターアジアを汚されたような思いを感じ激昂する。
その怒りが、致命的な隙となる。
マスターガンダム型のビットを砕き手に持つビームサーベルを叩き落とし、凶悪な輝きを宿した歪な形の五本指がゴッドガンダムの右肩を鷲掴む。
同時、ゴッドガンダムの右肩が超熱量によって溶断され、小爆発を起こす。

「ぬぉぉっ!」

怯むゴッドガンダムに追い打ちをかけるようにして、巨大な脚部による蹴りが迫る。
ゴッドガンダムの足もとを狙った踏みつぶすような蹴り、それをバックステップで回避し、体勢を立て直した処で、相手の全体像をはっきりと確認する事に成功する。

もはや完全に色が落ち、半透明の抜け殻と化したデビルガンダムの外殻を足蹴にし、悠然と立ちはだかる真のデビルガンダム最終形態。
腰から上は薄緑色で、頭部に残るV字型のアンテナがかろうじてガンダムの原形をたもっている。
胸部は直線で構成されたシンプルな作りで、その正面にマジンガーシリーズのようなブレストプレートを備えている。
肘から先の腕部は両腕共に亀裂の入った卵のような形状で、おそらくあれが変形して先ほどの歪な五指になるのだろう。
下半身は段々になった三角錐のような二脚であり、先端が少し欠けている。
あの掛けた先端が先ほど破壊されたマスターガンダム型のビットが収まる部分なのだろう。
機体サイズはMFよりも僅かながらに大きい程度。脚部が通常の二脚であったならば、デザインのおかしいだけのMFかMSとして扱っても構わない程度のものだ。

「なるほど、それが貴様の真の姿という訳か」

そう、それはまさしくMFを模したデビルガンダム。先ほどの動きの俊敏さからもそれは伺えたが、その姿と速度以外にももう一つ気付いた点がある。
だが、確信が持てない。可能性としてはありえない話では無い、しかし、できることならそうであって欲しくは無い。

(確めてみるか……)

周囲の銀色の密林はいつの間にか枯れ始めている。
恐らくあの形体に移行した時点で、以前のような出鱈目な自己増殖が不可能になるのだろう。
MFの動きを模す事で生まれた弊害、いや、不要な機能として切り捨てたか。
その極端なまでに効率を追求する思い切りのよさが、ドモンの嫌な予感を否応なしに確信へと近づけていく。

「行くぞ!」

ゴッドガンダムの嵐のような拳打が進化したデビルガンダムへと迫る。
デビルガンダムはそれを最低限の身のこなしで避け、避け切れない分は極少のバリアで逸らし、拳打の隙を縫うように反撃を差し込んでくる。
その動きは何処かマスターアジアを彷彿とさせながら、その実余りにもかけ離れた闘法。
その拳に感情の熱は無く、技に積み重ねられた思いは冷たく、ただただ此方の命だけを刈り取りに来る拳は死神の鎌よりも野生の蛇の毒牙に、日本刀よりも工具のカッターを連想させる。
只管に効率のみを追求した拳。相対する敵に敬意を払わず、藁束を刈り取るように淡々と処理する無慈悲な力。
殺人哲学にして破壊科学の極致に至らんとするその業。
ドモンはこの技の使い手を知っている。
幾度となく拳を重ねた相手だ。その兄と共に、自らを高める為に!

「何故だ……」

拳と拳を激突させながら、顔を怒りに歪ませ、搾りだすように、血を吐くように叫ぶ。

「なぜお前がそこに居る、鳴無美鳥!」

―――――――――――――――――――

枯死を始めた銀色の密林をフューリーの量産機ごとオルゴンライフルで伐採していたメルアは、通信から聞こえたドモンの声を耳にし、放心する。

「美鳥、ちゃん?」

そんな、だって、美鳥ちゃんは、あの時に、オーブで、卓也さんと一緒に――
通信からザリザリというノイズが聞こえる。デビルガンダムがこちらの通信の周波数を探りつなげようとしているのだ。
通信が繋がり、ナデシコとアークエンジェルの面々にとって、懐かしい顔がモニタに映る。
オーブで別れた時と何一つ変わらない、傭兵兄妹の片割れ、メルア・メルナ・メイアの想い人の妹、鳴無美鳥。
無邪気そうでいて、どこか人を食ったような印象を受ける笑みを浮かべた美鳥は、面白がるようにドモンに問いかける。

「どうしてあたしだってわかった?」

「貴様とも、その兄とも幾度となく拳を合わせている。戦って気付くなという方が無理があるだろう!」

「ひひっ、そうだよなそうだよなぁ、やっぱりそういう気付き方をするもんだよなぁ、流石はキングオブハート! 最強の武道家はモノが違うぜぇ!」

ドモンの怒りの籠った叫びと、その返答に歓喜する美鳥の絶叫。
未だゴッドガンダムとデビルガンダムの戦いは続いている。
デビルガンダムの攻撃は、その一つ一つが一撃必殺。パイロットの脱出を許す暇も与えず、ゴッドガンダムの破壊の為に繰り出される。
それを受けるゴッドガンダムの拳もまた、一切の容赦や躊躇いも無くデビルガンダムを破壊せんと放たれ続ける。

「美鳥さん、戦闘を中止してください。私達が戦う理由は無い筈です!」

ルリの、どこか慌てるような、懇願するような声が聞こえる。ナデシコの中、日常生活で鳴無美鳥と一番多く接していたのはホシノルリだ。
故に、この状況でもついそんな事を口にしてしまう。
それを聞いた美鳥が、美鳥が操るデビルガンダムが、ゴッドガンダムを弾き飛ばし距離を取ると同時に動きをピタリと止める。

「…………おいおいおい、いつも自分だけはまともで冷静です、って澄まし顔のテメェはどこ行ったんだよ。この状況、どう見ても、誰が見ても明らかだろうが」

あーあーあ、しらけちまうよなーこういうのってさー、などという呟きを洩らす美鳥。
その余りにも以前と変わらない様子に、ただ絶句するしかないナデシコ、アークエンジェルの面々。
そんな彼等の内一人が、沈黙を打ち破る。スペースナイツのフリーマンだ。

「なるほど、恐れていた事が事実となってしまったか……」

フリーマンのそのセリフに、美鳥が僅かながらに声に張りを取り戻して喜ぶ。

「おお? やっぱアンタにはお見通しだったかフリーマンの旦那。でも──」

ゴッドガンダムから距離を取っていたデビルガンダムが変形する。

「ネタばらしは、もうチョイ大事な場面で頼むぜ。あたしはあくまでも前座だからよ」

三角錐を組み合わせたような脚を四本に分岐させ、その足で持って自らのボディを包み込む。巨大な蕾のような形状へと変形したデビルガンダムが、薄れるようにしてその場から消えていく。
かつてプレート回収作業の時に目にした三機と同じ転移方法。

「あ、ま、待って、美鳥ちゃん! 卓也さんは、卓也さんはどうしているんですか!?」

放心から元に戻ったメルアが問いかける。追いかけることは出来ない。未だ頭が混乱して正常に働かないのだ。
通常空間から乖離を始めているからか、モニタに映る美鳥の映像も薄れ始めている。

「もう一度、テメェらの勝利条件を教えてやる」

だが、モニタを見ていた者たちははっきりと見た。メルアの問いに、鳴無美鳥が顔を歪めて笑うのを。
薄れ行くデビルガンダムは、何時の間にか破壊されていた赤い四足のラフトクランズを見て鼻で嗤いながら、噛み砕くようにしっかりと、ナデシコとアークエンジェルが成すべきことを、確認した。

「今このガウ=ラを支配している、『お兄さんを殺すこと』さもなきゃ、地球はおしまいだ」

その場にいた全員が、デビルガンダムが消え去るのを、ただ見送る事しか出来なかった。



続く
―――――――――――――――――――

メルアに連続して二度もオリジナル笑顔で駆け抜けさせ、遂にラスボス勢の正体が明らかになった衝撃のセミファイナルバトル終了な第二十一話をお届けしました。
衝撃? とか思ったそこのあなた! ごめんなさい、今の自分的にはこの辺が限界です。

因みに赤ラフトの扱いがとてもぞんざいなのは仕様です。
特に必要な場面でも無いですしねぇ。原作程活躍していないのでこんな雑な扱いになるのは仕方が無かったりします。
なんか最近は強そうな設定だったキャラがストーリーを進めるために、本気だしてない味方中堅キャラに倒されるのがオサレだと風のうわさで聞いたもので。嘘ですが。
それでも四足にしたのは、今は亡きソードライダーへの追悼的な。しかしそれでも活躍は出来ない。書こうとしてめんどくさくなったとも言う。ここのジュア=ムって誰とも因縁無いしね。
そしてDGアンチボディに期待してた人ごめんなさい。数十機のスーパーロボットの乱戦で一々雑魚戦闘書くとかマジでモチベーションが上がらないんです。

ていうか、戦闘シーンばっかで今度こそ感想少ないだろうと思う。マジで。
これで感想書けたら結構凄いと思います。戦闘シーンって読みとばされるのが常らしいですし。
今回はネタ差し挟む部分が殆ど無いし。差し込んだ部分もネタ自体がマイナーな上にシリアスに紛れ込ませてる上にアレンジしすぎて分かり辛いですし。お寿司。


以下言い訳コーナー。
・テッカマン、自爆は?
テッカマンが自爆アタックもせず、生々しい殺され方をしたのにも理由がありますが、そこら辺は次回で。つっても少し考えれば分かるようなものですが。
ヒントを出すなら、今まで出た量産型テッカマンは結構回避率が高いです。

・魔法の理屈、あれ何?そんな設定あった?
ぶっちゃけ、あれはサポAIから見た魔法の原理であって、この作品内に登場する普遍的なネギま魔法全般に適用されるわけでは無いです。
つまりオリ設定というか、碌にメカニズムが描かれていない故に幾らでも拡大解釈できるので、屁理屈的なものを捏ねて捏造設定作ってみたかったダケー、というそんなあれ。
ネギま原作でその辺のメカニズム書かれてたら、お暇な方ご一報ください。


さて、まだ色々突っ込みどころはあるでしょうが、最終回目前でだらだら後書き書くのもあれなので今回はこれでおしまいです。
今回出したデビルガンダムジュニアもどきの設定とかも次回あとがきか別項目で。

そんな訳でいつも通り、諸々の誤字脱字の指摘とか、この文分かりづらいからこうしたらいいよとか、ここの設定がここの設定と矛盾しているとか、一行は何文字くらいで改行したほうがいいよなどといったアドバイス全般や、短くても長くても、一言でも長文でも回文でもいいので、作品を読んでみての感想とか、心からお待ちしております。





次回、スーパーロボット大戦J編最終回。
難易度最高隠しルート最終話、
『ぼくがかんがえたちょうつよいらすぼすむそう』
次回も、原作主人公と共に地獄を見て貰う。



[14434] 第二十二話「正義のロボット軍団と外道無双」
Name: ここち◆92520f4f ID:29c8f907
Date: 2010/06/25 00:53
ナデシコとアークエンジェルが美鳥達と交戦を開始し、その状況を玄米茶と豆大福を片手に観戦していた俺は、ある一機の挙動に釘づけになった
所々色の剥げたベルゼルートの改造機。
荒々しく苛烈な戦い方で雑魚を蹴散らし、遂にはフーさんのラフトクランズへと喰らい付くまでの一連の動き。
フーさん自体、死体を複製して生き返らせる段階で神経系と脳の作りを弄ってあるから、まともな反応速度では戦いにすらならない。
だが、今ラフトクランズのカメラをジャックして見ているこの映像!

『ぶっ殺しに来たんですよおぉぉぉっ!』

「おぉ」

優秀だ。 設定上は試作機であるベルゼルートから、まさかこれ程までの性能を引き出す事が出来るとは。いやいや中々どうして侮れない。
これならこっちで組み直したクストウェルもいい感じの働きをしてくれるかもしれないな。
ああいやでもあれはあれか、まず出さなきゃいけない状況が必要になってくるし、何の脈絡も無しに出してもつまらないよな。
うん、でもあれはいいな。性能の向上もさることながら、燃え尽きる前の蝋燭のような輝きはそれなりに惹きつけられるものがある。
しかし、トランザムもどきかF91もどきのような感じのあれは、余裕を持って機体を組み運用する俺では再現する事が難しい。追い詰められたり激情に駆られたりする前に戦闘は終わってしまうものだからだ。
確かにあのベルゼルートと同じ状態に機械的に持って行く事自体は容易い。
リミッターカット的な機能なら幾らかサンプルがあるし、ナデシコに残してきた量産型の残骸に組み込まれていたものよりも効率のいい補助機械は幾らでも作れる。

「でも、あれは間違いなく機体に酷く負担が掛かるな。ボウライダーに組み込む程のモノでも……」

言いつつ、手に持っていた豆大福を一口。餡子の中に混ぜ込まれたこの豆の食感が好きな人には堪らないのだろう。何の変哲も無い豆大福、作りたてという訳でも無ければ特に大好物という訳でもない。
甘味という括りの中だけで言えば、苺などの果物が入った物の方が好みではある。アップルパイとかも捨てがたいが、ブルーベリーのタルトなども嬉しい。
だが、どこをどう取り繕ってもやはりお茶に合うのはこういった和菓子系統だろう。これは揺るがす事の出来ない大前提とも言える。
それなら間を取って苺大福などもいいのかもしれないがそこはそれ、好きなものを制限する事で生まれる楽しみというものも存在するのだ。溜め撃ち的なものだと思ってもらえればいい。
茶を啜る。ミルフィーユとかミルクレープとかも合わない訳では無いが、口に残った餡子をお茶で流す瞬間は日本人的に心にすとんと落ち付くものがある。

「ふぅ……」

落ち着いた。頭の中を元に戻そう。
つまり何が言いたいのかといえば、ぱっと見の印象で面白そうだからと言って、あれもこれも自分の使う機体に採用するのはいけないということだ。
確かに俺は戦闘中にリアルタイムで機体の構造をまるきり作り替えることが可能ではあるが、だからといって使い処の無い、役に立たない機能を搭載するのは完全に無駄としか言いようがない。
戦闘行動を行う以上は当然、最低限度敵を殲滅可能な程度の装備や機能は必要だ。
その必要最低限の性能を備えた機体で、更に必要に応じて機能や武装をその都度追加、不要な機能を消去していくのが、少なくとも俺にとっては正しい戦闘方法。
ああいった緊急で無理やり出力を上げる機能はそれこそ必要の無いもの筆頭である。
むしろ限界を超えたはずみで機体が故障したら、それを修復する手間の分だけ隙が生まれる。必要なのは限界を超えて戦う機能ではなく、限界を超える必要の無い戦い方なのだ。

「どっちかって言えば、あのワイヤーとか、面白そうではあるな」

ナデシコを離れてからの地球圏や火星での放浪の旅の合間に見た、傭兵やジャンク屋の連中も似たような事をやっていた気がする。
ありものの装備で戦わなければならないからこそ生まれる発想というのはとても勉強になる。
結局二年近くこの世界で戦い続けたというのに、俺はそういった発想はあまりしてこなかった。必要なものは大体その場で揃える事が出来てしまうからだ。
そういった小細工の仕方などを学ぶ為にも、過去に戻ってこの世界をナデシコとは違う場所から違う立場で見て回ったというのに、これほど進歩が無いとなると少し落ち込んでしまう。
まぁ、この身体がそういうモノだから仕方がない事ではあるのだが。
そこら辺は追々、元の世界に戻ってからどうにか制限を付けた状態で戦う術を学んでみよう。

『今このガウ=ラを支配している、『お兄さんを殺すこと』さもなきゃ、地球はおしまいだ』

そうこう考えている内に、機関部での戦闘が終わったらしい。
ああ、いいなぁ美鳥。俺もそういうのやりたかったなぁ。
こういう展開はスパロボ世界に来てからずぅっと憧れていたものだし、部隊の連中からも思ったよりも疑われる機会が少なかったから、謎の味方っぽいキャラとしてのイベントも演出出来なかったし。
いや、そのお陰でナデシコの中ではトントン拍子で機体を取りこめたから文句を言うのは筋違いなんだろうけども。

戦闘の終了した機関部の映像をシャットダウン。
これ以上あいつらのリアクションを見たら、この後のメインイベントの楽しみが減ってしまう。
しかし気になる。これからナデシコの中ではどんな話し合いがされるのやら。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

鳴無卓也は生きている。この戦艦の奥で待っている。
鳴無美鳥の言っていた事は、余分な部分を省き掻い摘んで言えばそういうことになる。
メルア・メルナ・メイアは震え初めている手に、笑い出しそうな膝に、だらしなく綻びそうな頬に、緩む涙線に活を入れ、誰よりも早くガウ・ラの中枢へと続いているだろう道へベルゼルートを飛翔させる。

『メルアさん、待って下さい! まずは一旦艦に戻って──』

聞こえない、聞いていられない。そんな時間がある筈が無い。
この先に居る。言われみれば確かに分かる鳴無卓也の気配。
考えるだけで体中の血液が沸騰し、咽喉がカラカラと乾き、心臓が破裂しそうな勢いで脈打ち、子宮がきゅうきゅうと音を立てて下に降りてくる。
機体を整備している暇なんてない。そんな事に時間は割けない。
早く速くとメルアの身体の細胞全てが、精神を構築する総ての要素が急かしてくる。
あの人に逢いたい、近付きたい、話がしたい、抱きしめて貰いたい!
しかし、逸る気持ちにベルゼルートが付いてこない。先ほどのオーバーフロウによって機体にはそれなりのダメージが残っていたのだろう。
メルアは瞬時に機体の状況を確認、煙を吹き今にも動かなくなりそうな部分へのエネルギー供給をカット。更に機体の装甲他、移動には不要なパーツを片っ端からパージ。
中枢までに接敵する可能性もあるが、当然そんな事は考えてもいない。
今はただ、ただこの先へ、待っている人の所へ。

「これで!」

機体の調整完了。
武装はほぼ死んでいるし、無茶な動きも出来ないがそれでもただ早く空を駆けるだけならこれで充分。
案内は要らない。この身体の蕩ける様な疼きが、全身の細胞のざわめきが、メルアに鳴無卓也の居場所を教えてくれる。
全身の装甲を剥がし、巨大な骨格を曝け出したベルゼルートが空を駆け、一直線にガウ・ラの中枢へ飛んで行く。

―――――――――――――――――――

「メルア? メルア応答しなさい!」

「落ち着けカティア、一旦ナデシコに戻ろう」

通信機に向かって呼びかけるカティアを統夜が静かにたしなめる。

「なんでそんなに落ち着いているんですか!? 今のベルゼルートで敵陣の真ん中に行っても、いえ、そもそもメルアが卓也さんと戦える筈がありません!」

「だからだよ」

カティアの問いに答えながらもB・ブリガンディをナデシコの格納庫へと移動させる統夜。
機体の冷却と整備を同時進行で忙しなく行う整備班に心の中で頭を下げる。連戦になるが、それでも整備や補給をおろそかにする訳にはいかないのだ。

「え?」

「メルアもベルゼルートも、今の状態じゃあ満足に戦えない。だから、卓也さんは手出ししない」

紫雲統夜は思考を巡らせ、冷静に現状を、敵の狙いを予想する。伊達に一年半も戦争をしていない。
そして今敵対している人物は、その中でずっと同じ艦で寝食を共にしてきた仲間だったのだ。敵対した場合、敵側、つまり自分達に何を望むか程度の事は簡単に予想が付く。

「どういうことだよ。なんでメルアが戦えない事が、鳴無が手を出さない事に繋がるってんだ」

理解しきれず困惑するリョーコの通信に返事を返そうとし、遮られる。

「新しい主は、全力の貴方たちとの戦いを望んでいる……」

ぽつりと、ミーティアと合体したフリーダムの中のキラが呟く。
フューリーの指揮官であったフ=ルーという女が戦闘を始める前に言った言葉だ。
戦闘後の展開のショックで多くの者が忘れていたその言葉。

「なるほどねぇ、彼は完全な状態のこちらと、全力で戦いたいという訳か」

苦虫を噛み締めるような声のエターナルブリッジのバルドフェルト。
ナチュラルとコーディネイターの戦争はその性質上、裏切り者、スパイというモノが極端に少なかった。
だが、地上での軍事行動の中、アマチュアの集まりであるザフトでは学べなかった多くの事を実践の中で学んでいたバルドフェルトは、そういったモノに対する理解が深い。

「そう、恐らく彼等は最初からこうなることを見越していたのだろう」

今一つ理解出来ていないクルーの注目を一身に浴びるフリーマン。
ナデシコのブリッジに立つ彼は、神妙な顔が映る多くのウィンドウを前に、ゆっくりと口を開く。

「思えば何もかもがおかしかったのだ。例えば彼等はいとも容易くフューリーの技術を解析し、自分達の機体へとその技術を組み込んでいた」

そう、ナデシコが回収したフューリーの機動兵器の残骸は、何も格納庫の中で案山子になっている訳では無い。
修理の完了した機体のうち幾つかはネルガル本社に送られ解析が進められている。
ラースエイレムなどの異星技術を一企業が独占するのは危険かもしれないが、そもそも回収された機体にはオルゴンエクストラクターなどの基本的な技術のみが使われているだけ。
悪用しようにも、あれらの量産機からはラースエイレムのヒントすら見つけることは出来ないのだ。
それならば本社の方でも解析を進め、ラースエイレムへの対抗手段を探って貰おうと、クルーの同意を得た上で会長の部下の元へと送り出されたのである。

だが、結果は芳しくないモノだった。
一部技術に火星文明の技術と似た理論が用いられており、ネルガルの技術をもってすれば量産する事も可能だが、パイロットに求められる適性が特殊過ぎて実用には程遠い。
単純にオルゴンエクストラクターやサイトロンコントロールユニットを搭載した所で、パイロットに適性が無ければ結局機体は動かせず、動かないただの的として出撃するはめになる。

「それをナデシコの中の機材だけで改造して出来るようにした、という事は……」

「サイトロンの適性があった。さもなければ、余程フューリーの技術に対して造詣が深かった、という処か」

「それだけではない。彼等の経歴にも疑問点があった」

ネルガルはナデシコのクルーとして選ばれた人材の経歴を、その情報網を持って徹底的に洗っている。
ナデシコは火星の遺跡から得た最新技術の塊である。選んだクルーの中に他企業のスパイが潜り込んでいないか確かめるのは極自然な事だろう。

「我が社の方で、彼等の経歴に怪しい所は無いと確認済みなのですがねぇ」

当然、飛び入りで参加した鳴無兄妹の経歴も調査済み。
彼等が幼少期を過ごした研究所、これまで戦ってきた戦場、それらすべてにネルガルの調査の手は伸びている。

「研究所の研究員は散り散りになり行方知れず、行く先々の戦場では同じ部隊の仲間とも交流せず、彼等を深く記憶している者は居ない」

「それって……」

ナデシコ、アークエンジェルでの彼らからは想像もつかない。
あの兄妹はあちこちに頻繁に首を突っ込み、パイロットの間ではそれなりに親しい者も居た。整備班の連中とは技術関係で話し合った事も多い。
その職業から一部クルーには好かれていなかったが、大概のクルーは彼と何らかの交流を持っている。

「ここで重要なのは彼等の振る舞いではない。今まで彼らに関わった者の中には、ただの一人も、彼等を良く知る人物が存在していなかったのだ」

個人としての交流が少なくとも、彼等の経歴が嘘で無いこと、どこの企業とも繋がりが無いという事を証明する最低限の情報だけが、何故か彼等の頭の中に記憶として存在していた。
あまりにも不自然。個人的な交流が少ないにも関わらず、思い出したかのように唐突に『鳴無兄妹の身の潔白を証明する発言』が飛び出してくる。
個人的な交流があり、性格などを熟知した上で彼等を庇うのであればおかしな点は無い。
だが、調査対象となった者達は、鳴無兄妹の事を『そういえばそんな連中も居たな、あまり話をした覚えは無いが』といった程度にしか覚えていない。
どういう人物か覚えていないのに、その人物が潔白だった事だけは記憶している。

ネルガルも本来ならば多少は怪しむ不自然さだ。だが、鳴無兄妹の経歴の調査を行った調査員達もまた『それが不自然である事に気付けなかった』ことが判明している。
ネルガルの調査員達は、彼等の証言の不自然さを報告書に記すことなく、潔白であるという証言が取れたという事実だけを報告書にまとめて提出してしまった。
これらの事実は、ナデシコとアークエンジェルがオーブを脱出した後にフリーマンが派遣した調査員が初めて発見した。
フリーマンの調査員に当時の事を聞かれたネルガルの調査員は、何故あの不自然な証言を間に受けてしまったのかしきりに首を傾げていたという。

「彼等がその不自然さに気付くことが出来たのは丁度、鳴無兄妹がオーブで別れた後、つまり──」

「鳴無卓也と鳴無美鳥がナデシコに残る必要が無くなったから、彼等はその不自然さを認識する事ができるようになった、と?」

フリーマンの言葉をイネスが引き継ぎ、それにフリーマンが頷く。

「それ以外にも、彼等が進入禁止区域の監視カメラに映っているのにも関わらず、誰もそれに気づくことが出来なかった。という証言も方々で出始めたよ。当然、あのオーブ脱出以降に限られるがね」

つまりフリーマンはこう言いたいのだ。
『彼等は人の精神に作用する何らかの技術、技能を用いてナデシコに潜り込んでいた』
ナデシコとアークエンジェルの双方に沈黙が流れる。
精神操作や記憶操作の技術は各陣営に多くはないがそれなりに存在していた。
だがフリーマンの言う事が正しければ、彼等はそれを、何の準備も無くその場その場で気安く多用していたという事になってしまう。
そして、その記憶操作の対象となってしまったであろう事が明らかな人物が存在している。
ナデシコのブリッジで俯いたまま沈黙を保っている、青い髪の少女。フューリーの皇女であるシャナ=ミア・エテルナ・フューラ。
彼女がガウ・ラとフューリーの現状を話す際、彼女には当然嘘発見器も使用されていた。だが、発見機の判定は白。
その上で起こった、彼女の証言と、ガウ・ラの現状の食い違い。現在ガウ・ラを支配しているという鳴無卓也の存在を知らなかったという事実。
それこそが、鳴無兄弟が記憶を操作する技術や技能の類を持ち合わせている何よりの証拠となっているのだ。

「でも、どうしてあの二人はナデシコに乗り込んだんでしょう」

「さて、思いつく目的はいくつもあるが、それは直接彼等に聞いてみるのが早いのだろうな」

ナデシコとアークエンジェルは進む。疑念を残したまま、最終決戦の場へと。
決戦まで、あと僅か。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

ここまでの道のりで、時折現れる前に進むのに邪魔になる敵を片端から薙ぎ倒してきた。
お陰で、今度こそベルゼルートはスクラップ寸前。オルゴンライフルの予備カートリッジも使い切りショートランチャーも弾切れ、とても戦えるような状態ではない。
だが、メルアの駆るベルゼルートは遂に開けた場所に出る。
ベルゼルートの計器が、ガウ・ラ中のエネルギーがこの場所へ向けて集まっているのを感知している。ここがガウ・ラの中央区画、間違いなくここに居る。
50メートル級の機体が数百体飛び跳ねて戦闘機動を行っても余裕だろう広さを持つ部屋を見渡す。
膨大なサイトロンエナジーの流れ込む先、幾つもの巨大な柱のようなものが並ぶ先に鎮座する、ラフトクランズを尖らせて巨大化させたような機動兵器。
その機動兵器からの通信。
ナデシコとアークエンジェルのクルーしか知らない筈の周波数での通信。これを知っているという事は──

「おや、ベルゼルート一機だけか」

──聞こえた。
確かに聞こえた。もう何年も聞いて無かったような気さえする懐かしい声。

「卓也、さん」

声が震える。目の奥が熱い。視界が滲む。

「ん? ……ああ、メルアちゃんか」

映像が繋がる。
ベルゼルートのコックピットのモニタに新しくウィンドウが開き、懐かしい顔を映し出す。
短く纏め、艶の少ない黒髪。優しい顔つきに、全体の作りの中で一か所だけ浮いている鋭い眼差し。
最後に、あのオーブで見た時と、何一つ変わらない。
その顔が、どこか申し訳なさそうな、しょうがないなぁとでも言いたそうな表情を形作る。

「久しぶり、元気にしてたか?」

「──っ!」

堪え切れない。
オルゴンライフルをその場に放り捨て、ブースターを全開で吹かし、メルアのベルゼルートが巨大な機動兵器、ズィー・ガディンへ向けて加速する。
ズィー・ガディンがその手に携えていた剣のような武器を少し構えるが、それにも構わずただ真直ぐに突き進むベルゼルート。
そのコックピットが開き、メルアが空中へと飛び上がる。ベルゼルートの加速に乗り、ズィー・ガディンへ向け放物線を描きながら飛んで行く。
操縦者を失い、しばらくふらふらと飛んだ後に地面に墜落するベルゼルート。
メルアが激突する直前、その巨体に似合わぬ軽快な動きで後方へと下がるズィー・ガディン。コックピットが開き、中のパイロットがメルアを両腕で受け止める。
自分を受け止めた人物を、決して放すまいと強く抱きしめるメルア。

「た、くや、さん、たくや、さん、だぐやざぁん……!」

泣きじゃくり、涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにしたまま、確かめるように繰り返し名を呼びかける。
そんなメルアの頭を、ズィー・ガディンのパイロット──鳴無卓也の手が、短く刈られた金髪を梳くように優しく撫でる。
その掌の感触に、オーブで別れてからずっと凍えたように堅く強張りざらついていた心が、温かさと柔らかさを取り戻していくような安らぎを感じ、メルアは目を細める。

「髪、切っちゃったんだな」

顔を上げ、えづくのを堪えながら、メルアはふと我に返り身を慌てて離した。
そういえば、ここ最近はまともに髪の毛のケアをしていない。そもそも、見せる相手が居なくなったからケアする必要も無いだろうと、洗い易くする為にバッサリやってしまったのだった。
戦闘後のシャワーでも身体を洗うのは適当だし、食事も短い時間で済ませる事の出来るジャンクフードとサプリメントばかりだったから肌もだいぶ荒れていると思う。

「あ、あのあの、わたし、えっと、その……!」

「うん」

みっともない姿を見せていると思い、頬を赤く染めわたわたと手を振り慌てるメルアを急かさず、ゆっくりと聞く態勢で待つ卓也。
その様子を見て、少し落ち着き、ゆっくりと頭の中を整理して言いたい事を考えるメルア。
しかしいざ思考を纏めようとすると、言いたい事が多すぎて一つに纏まらない。言葉が泡のように浮かんでは消えていくような感覚。

メルアはそれらを、纏まらないままに、思いつくままに話した。
オーブで別れた後、散々泣いた後しばらく塞ぎ込んでいたこと。
それから仇を討とうと機動兵器の訓練を始めたこと。
動かせる機体が無くて、辛うじて適性があったベルゼルートを改造したこと。
来る日も来る日も、ベルゼルートのコックピットと食堂と自室の間だけを往復したこと。
白兵戦になっても戦えるように、ネルガルのスタッフやミスリルの人達に銃の使い方を教わったこと。
実戦に出て、だんだんまともに戦えるようになってきたこと。
そして──

「死んじゃったんだって、思ってました」

ずっと、死んでしまったこの人の仇を討つ為だけに戦ってきた。フューリーでなくとも、自分の前に立ちふさがる相手はリクレイマーもコーディネイターもナチュラルも関係なく、片端から殺して進んできた。
それに文句を言うつもりはない。自分ひとりで戦うのは初めてでも、統夜のサブパイロットとして散々人を殺してきたのだから。今さらそんな事をどうこう言う資格は無いし、言うほど気にもしていない。
だが、だがしかし、だ。

「なんで、生きてるって、教えてくれなかったんですか……?」

そのメルアの問いに、困ったような表情の卓也が口を開く。

「美鳥から聞いているだろ?」

そう、デビルガンダムに乗った鳴無美鳥は確かに言った。鳴無卓也を殺さなければ地球は終わる、と。
このフューリーの母艦であるガウ・ラ=フューリアを機動させれば月の外殻は恐ろしい速度で外に飛び散り、地球の生態系を確実に完膚なきまでに破壊し、進化の歴史をリセットする。
それを止めるには、鳴無卓也を殺すしかない。
冗談は言うが、意味の無い嘘は吐かないのが鳴無美鳥という少女だ。
そして、目の前のこの人は確かにフューリーの総大将が乗るべき機体に乗っている。
いや、そんなものよりも確実な証拠がある。彼がガウ・ラの膨大なサイトロンエナジーを操っているという事を、サイトロンの適合率の上昇したメルアは肌で感じ取っているのだ。
彼はその気になれば、今この瞬間にも地球を破壊し尽くす事ができる。
彼は、鳴無卓也は、紛れもなく人類の敵対者なのだ。

「それでも! それでもわたしは、貴方のそばに居たかったんです! 地球が滅んだって、人間が一人も居なくなっても、わたし、私は……」

よく耳を澄まさなければ聞こえないような小さな声で、今度こそ自らの思いを告げるメルア。
そんなメルアを抱き寄せ、背を優しくぽんぽんと叩き落ち着かせる。
しばしそのままの姿勢で抱きしめられるままだったメルアだったが、その内に小さな声で問いかけた。

「わたしに、何かお手伝いできることはありますか?」

そう問われた卓也は、一瞬呆気にとられたが、直ぐに優しげな笑みを浮かべ頷き、メルアに一つの頼みごとをした。

―――――――――――――――――――

「これでよし、と」

俺は、その生き物の臓のような生々しさを持つコックピットと、その中で死人のように静かに眠っている金髪の少女を一瞥し、その場から飛び降りた。
100メートル級の巨大機動兵器の胸部コックピットから飛び降りる。言葉にすると簡単だが、実際は想像しにくいものだろう。スカイダイビングと例えるには少し高さが足りないか。
どんな気分かてっとり早く知りたければ、ちょっとした高層建築物の屋上から飛び降りてみればいい。
勿論、着地出来るだけの技量か頑丈さがある事が前提になる。
そういった特殊技能無しに飛び降りて、万が一潰れたトマトのような何かに進化してしまったとしても当方は一切の責任を取れない。
適切な技能のお勧めとしては魔戒騎士あたりを推したい。これなら高層ビルから飛び降りてもどうにか減速できるし、『凄い、あの人落ちながら戦ってる……!』とギャラリーを沸かす事も可能だ。
今なら戦闘中に指輪が主題歌を熱唱してくれるサービスも付いてくる。もちろん嘘だ。

重力を操り落下速度を落とし、その場で後ろを振り向く。
メルアを乗せた巨大機動兵器、ズィー・ガディンだったものは既にその身を深く壁に潜り込ませ、趣味の悪いオブジェのようなものへと変化を始めている。
いや、潜り込ませているというよりは、壁と、ガウ・ラと融合を始めていると言った方が適切だろう。
いい感じだ。上手い具合に上半身だけが突き出てるあたりとか、いかにも囚われてますって感が出ていて素晴らしい。自画自賛だがな。
うんうん頷きながらゆっくりと地面に向けて落下していると、思ったよりも早く着地した。
いや、未だ地面には遠い。ズィー・ガディンの膝よりも少し下あたり。地上まで20メートルはある。

「戻ったか」

ターンXの上半身に、逆さにしたデビルガンダムジュニアの下半身を持つ微妙なデザインの機動兵器が地面に直立し、俺をその肩に乗せている。
頭部コックピットから、ここでは無い月の御大将のような衣装に身を包んだ美鳥が、気だるげに這い出てきた。

「今戻ったんじゃなくて、空気を読んで裏側の空間から見守ってたんだけどね。お兄さんが金髪巨乳を甘やかしてる時もじっと我慢で見守っていたんだけどねぇぇ……」

不満げにジト目をこちらに向ける美鳥に、俺はその場に座り込みながら肩を竦めて言葉を返す。

「甘やかしていた訳じゃないぞ、あれはメメメの体内のナノマシンに働きかけて、メメメの身体がどんな進化を遂げたかを調査させてたんだ」

最近は意識する事も少なかったが、あのナノマシンは宿主の生体データを俺に報告する機能が存在している。
それを使って、メメメがベルゼルートで戦えるようになった原因を探ろうとしたのだ。
そんな俺の言葉に、座り込んだ俺の肩にしな垂れかかりながら、ほんの少しの好奇心を滲ませた声で美鳥が訊ねる。

「ふぅぅん。で、なんか面白い結果は出た?」

「体内に潜伏していたナノマシンが極端に減って、八割方肉体と脳細胞に同化している」

そして、ナノマシンとの融合を果たした部分の肉体の組成が、サイトロンをコントロールするに相応しい形へと変貌を遂げていたのだ。
フューリーを、身近に居た統夜を模している部分もあったが、恐らくベルゼルートでサブパイロットを行っていた時に対応しきれなかった部分を補おうとしたのもあるのだろう。
サイトロン制御の機体で戦った場合、機動制御に関しては統夜を上回る可能性がある。
本来ならば思考の誘導と生体データの観察だけに特化させたナノマシンが生体組織との融合を行う事は有り得ない筈なのだ。これはメルアの身体とナノマシンの相性が良かったのか、それともメルアの思考にナノマシンが引っ張られたのか。
もしかしたら、俺の身体を構成するナノマシンの新たな進化の可能性なのかもしれない。
そんな俺の説明を聞き終えた美鳥が、ほんの少しだけ憐れむような感情を含んだ視線を、ズィー・ガディンのコックピット辺りに向ける。

「それで、あれ?」

「おう。なんか問題でもあるか?」

恐らく、俺がメルアに頼んだ『お手伝い』の内容も聞いていたのだろう。
サポートAIだなんだと言いつつも、何だかんだでお人よしなところもあるのだ。

「んにゃ、望み薄ではあるけど、金髪巨乳にも希望が無い話じゃねぇし。いいんじゃねぇの?」

お人よしな部分もあるが、この様にあくまでもサポートに支障を来さないレベルのお人よしだ。
毒にも薬にもならない、心の余裕的な意味合いしか持たない同情しかしない。
コイツはトリップ先の全ての存在に生温いようでいて、結果的にはとても冷たく薄情な感情で持って切り捨ててみせる。
頼りになる奴だ。こいつが居るからこそ安心して力を取り込んでいく事が出来る。

「ん、お前が俺のサポーターで良かった」

「ふしし、照れるぜ」

ぐしぐしと荒っぽく頭を撫でると、甘える猫のように体を擦り付けてくる。
俺はナデシコとアークエンジェルの到着まで、身を寄せる美鳥の喉を人差し指で擽りリアクションを楽しむ事で時間を潰した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

塞ぎ込むシャナ=ミア皇女を説得し、サイトロンエナジーの流れ込むガウ・ラ中央の広間へと辿り着くナデシコとアークエンジェル。
この広間はかつて、フューリーの聖騎士団の練兵場などを兼ねた講堂のようなものだったという。
しかし、今この広大な広さを持つブロックには、ただ一機の機動兵器だけが佇んでいる。
MFデビルガンダム。
全高約20メートル程度のその機動兵器の肩の上に、彼等の見知った人物が二人。

「遅かったじゃないか……」

ナデシコとアークエンジェルを歓迎するかのように、超然とした笑みを浮かべる男。
ガンダムファイターに拮抗する身体能力を持ち、あらゆる技術系統を無節操に学び、自らの機体を際限なく強化する頭脳をも併せ持つ超人。鳴無卓也。

「ラストダンスだ。ドレスの準備は万端かぁ?」

彼に身を寄せしな垂れかかり、僅かに幼さの残る顔に蟲惑的な笑みを浮かべる少女。
兄である鳴無卓也と同じく、人間を超えた身体能力と頭脳を併せ持つ超人。鳴無美鳥

機関部からこの中央ブロックへ向かう中で何度か軽い戦闘をこなし、最終的に整備が完了した機体数は、僅かに20にも届かない。
しかし、撃墜数、損耗の少なさ、機体性能などの要素から優先的に整備と補給の行われたそれらの機体は、まさしくナデシコ、アークエンジェルの誇る最強の戦力と言っても過言では無い。
連携の取れない、あるいは取り難い機体。または性能、パイロットの腕のお陰で足を引っ張る機体が外れた事で、出撃している機体達はその性能を存分に性能を発揮する事が出来るだろう。
ここに、地球圏最強の部隊が集結したのだ。
鳴無美鳥と鳴無卓也の望む、彼等を倒す為だけの力が。

「卓也さん……」

既に整備と補給を完了し、ナデシコから出撃していたB・ブリガンディのコックピットで、統夜が眉を顰めた険しい表情で、苦しげに呟いた。
その呟きが聞こえていたかのように、MFデビルガンダムの肩の上の卓也がB・ブリガンディの方へ顔を向け、幼い弟の成長を実感した兄のような喜びを含んだ声で語りかけた。
あの肩の上の声をMFデビルガンダムのコックピットのマイクが拾っているのか、それとも服に小さいマイクでも忍ばせているのか、その声は確かに通信から聞こえてくる。

「統夜か。B・ブリガンディを上手に使いこなしているようで何より。それでこそ倒しがいがある」

だが、その内容は残酷そのもの。
統夜に託された新しい力ですら、最終的に戦う相手を倒す価値のある強さにする為の、高みへと連れて行く為のモノだった。そんな意味合いを含む卓也の言葉に反応したのか、他のパイロットが食ってかかる。

「卓也さん! あんたはなんでこんな真似を!」

マジンカイザーの兜甲児。ナデシコに乗る前、ベルゼルートが地上に降りた時からの付き合いであり、部隊の中でもそれなりに長い付き合いである。
甲児もまた、一年半に渡るナデシコでの転戦の中で鳴無兄妹と交流を深め、この戦いに疑問を、そしてそれを上回る怒りの感情を持っているのだ。
そんな甲児の問いに、顎に指を当てしばし考え、ゆっくりと語りだす卓也。

「そうだな。まずは、俺が何故ナデシコに乗り込んだか、という所から説明するべきか」

「ナデシコに乗り込んだ理由。やはり君は最初から何らかの目的を持ってナデシコに乗り込んだという事か」

ナデシコのブリッジに控えるフリーマンに、大きい頷きを返す。

「といっても、それほど複雑な理由があった訳じゃあない。あそこに地球圏の最新兵器が集まることは最初から知っていたからな。機体のデータを手に入れる為には整備員かパイロットとして入り込むのが面倒が少なくて良かったってだけの話さ」

「最初から、知っていた? ……まさか」

B・ブリガンディのコパイシートに座るカティアが驚きの声を上げる。
あらかじめ未来の事象を近くする技術に心当たりがあったから、いや、統夜を除けば部隊で彼女を含む三人娘が一番その技術に深い関係を持っていたから。
サイトロン。未来から過去に情報を運ぶ性質も持つその粒子とそれらを扱う科学技術。
だが、その呟きに卓也は首を横に振り否定する。

「残念ながらハズレ。その頃はまだフューリーの技術は持っていなかったんだ。だからこそ、真っ先に君達とベルゼルートに接触した訳だが」

あの頃は時間停められたら抵抗のしようも無かったからなぁ、としみじみ語る卓也に、ナデシコのブリッジからテニアの震える声が掛けられる。

「じゃあ、あたし達があの日、あそこに落ちてくる事も、その前に統夜のお父さんが宇宙で殺される事も」

「知っていたよ。あのタイミングで助太刀に入れば、多少なりとも信頼を得ることが可能だと思ったからな。自分達を助けてくれた人物が死んで、不安に駆られている時ならなおさらだ」

マジンカイザーと並び立つグレートマジンガーのコックピットで怒りに震える剣鉄也が。

「ならば、光子力研究所で最初に顔を合わせた時に一人だけ遅れてきたのも!」

「察しがいいな。当然、光子力研究所でも思う存分技術を盗ませて貰ったよ。警備がザルで助かった。弓教授にも礼を言っておいてくれ」

真剣な表情のドモン・カッシュが、コックピットの中で腕を組み仁王立ちで。

「なるほどな、デビルガンダムやマスターガンダムに率先して接近していったのも」

「その通り。デビルガンダムの三大理論と、マスターガンダムのDG細胞に残された流派東方不敗のモーションと運用理論を手に入れる為だ。もっとも、MF搭乗時の動きしか手に入らなかったから、中途半端な猿真似じみた動きになってしまったがね」

フリーダムのコックピットで、キラが愕然と。

「じゃあ、オーブでフリーダムの整備に手を貸していたのも」

「うむ。他の連中に悟られぬようにNJキャンセラーを解析する程度朝飯前だった。もっとも、そんな真似をしなくともあちこちに製造法はばら撒かれたようではあるがな」

ブレンの中の宇都宮比瑪が何かを思い出したかのように。

「もしかして、あのプレートを奪っていったのも?」

「そうそう。因みにあれはあの時点から見て未来から来た俺と美鳥だな。そこまでで手に入れた技術の確認もしておきたかったから丁度良かった。アンチボディは使い減りしないから良い的になるんだこれが」

ナデシコのブリッジ、艦長であるミスマルユリカが、驚愕に顔を歪め。

「じゃあ、じゃあ! これまでの事は全て、貴方の思い通りだったってことですか!?」

「いかにも、いかにも、いぃかにもぉっ! ナデシコへの潜り込み方から、どんな事件が起こるか、各陣営との戦闘の順番、タイミング、何処でどの技術を盗むかまで、すべて俺の予定通りということよぉ!」

超然とした、優雅とすら取れる表情を壊し、歯を剥き出し破顔する鳴無卓也。
地が揺れる。彼の感情に呼応するように、腹を抱えて笑っているかのように、脈打つようにガウ・ラが脈動する。
その揺れに怯まず、B・ブリガンディの統夜が静かに問う。

「……メルアは、メルアはどうした。ベルゼルートで先行したメルアがここに来ている筈だ」

もはや敬語ではない。あの南海の孤島でボウライダーを見た時のざわめきは現実のものとなったのだと、騎士の血が告げている。
鳴無卓也は、もはや、完膚なきまでに、自分達の敵対者なのだと。
メルアがどうなったのか、嫌な予感しかしない。当たって欲しくも無いのに確実に当たると分かる類の予感。

「メルアちゃんは、あそこだ」

表情を正し、顎をしゃくるようにして指し示した先、壁にめり込むようにして存在する超巨大兵器。その表面は生き物のように蠢きうねり、常にその形を変化させ続けている。

「あれは、ズィー・ガディン……?」

「フューリーの創世神話に登場する神を模した、フューリーの最高指揮官機か」

ナデシコのブリッジで呆然と呟くシャナ=ミアと、ゼオライマーのコックピットでマサキの記憶を手繰りよせるマサト。

「それに、デビルガンダムのものと同等のレベルまで進化したDG細胞を掛け合せ、ガウ・ラと融合させたもんだ。メルアは、晴れてそのコア・パーツとして組み込まれたっつう訳さ!」

目を細め、口の端を釣り上げて酷薄に笑う美鳥が叫ぶ。
ギリ、と歯を食いしばる音が通信から聞こえる。
B・ブリガンディのコパイシートのカティアが、苦しげな表情で、無理矢理に喉から搾りだすような声で、弱々しく呟く。

「メルアは、貴方の事を、貴方に、好意を抱いていました」

「うん、だからこそ、『何か手伝えることはありませんか、手伝わせて貰えませんか』というメルアちゃんの願いをかなえてあげたんじゃあないか。彼女はつくづくいい実験体だ、向いているのかもわからんね」

平然と返す卓也に、この会話を聞いていた全員が血液を沸騰させるほど怒り、次の瞬間に響いた叫び声で我にかえった。

「い、いやぁぁぁぁっ!」

ガウ・ラと一体化したDGズィー・ガディンの表面が一際大きく蠢くとともに、ナデシコブリッジのシャナ=ミア皇女が膝をつき悲鳴を上げていたのだ。

「ど、どうかしました?」

困惑しながら問いかけるユリカに、震える声でシャナ=ミア皇女が告げる。

「ガウ・ラの全エネルギーが、あのズィー・ガディンに向けて流れ込んでいます! 民たちの時を繋ぎとめているサイトロンエナジーが、吸い取られているのです!」

「えぇ! な、なんで今そんな事を!?」

フューリーの民を殺すことになる事も驚きだが、この状況で戦える状態には見えないズィー・ガディンにエナジーを集める理由が分からないのだ。
サイトロンエナジーの流れを操っているだろう鳴無卓也に、シャナ=ミア皇女が必死に懇願する。

「やめて、やめてください! すべての未来が滅んでしまう!」

必死の形相の皇女を眺め、鳴無美鳥が無邪気に、あるいは酷く残酷な子供のように笑う。

「なぁに言ってんのさぁ、消えるのは月の、それも本当は何十億年も昔に滅んでいた筈のフューリーだけ。一人も残さず滅んでも未来は無くならないし、明日も世界は回ってるぜぇ? ああなんか今の名言っぽくね? ひひひぐぇ」

「ちょっとはしゃぎ過ぎだ。少し落ち着け」

そんな美鳥の頭を軽く小突き窘め、元の表情に戻った卓也が説明を始める。

「悲しむ事はありませんよシャナ=ミア皇女。心配せずとも、ステイシスベッドには最早一人も貴女の民たちは眠っていないのですから」

優しげですらあるその言葉に、少しだけ落着きを取り戻すシャナ=ミア皇女。
だが、次の瞬間に思いついた問題点を、嫌な予感を感じつつもついつい声に出して聞いてしまう。

「お待ちなさい、ステイシスから目覚めてもすぐに動くことが可能になる筈がありません」

凍結させる代わりに時間を止めることで時を超えるステイシスも、やはり完全では無い。
何十億年にもわたり時を止められていた身体は、その時代の宇宙空間に含まれるエネルギーの密度に馴れるのにそれなり以上に時間が必要になる。
膨張を続け、熱量が少なくなっていく宇宙。
数百年、数千年程度ならば問題無いが、数十億年も時間が経過すれば宇宙は大分膨張し、一定の空間に含まれるエネルギー量は大幅に変化しているのだ。
その違いに肉体が変調を起すのを防ぐため、ステイシスから目覚めた者はまず専用のリハビリを受けるか、さもなければ何らかの肉体改造処置を受ける必要がある。
卓也はその問いに鷹揚に頷き、答える。

「ええ。どうやら皆さんだいぶ身体が弱っている様でしたので、僭越ながらこちらで勝手に処置を行わせて貰いました。皆さんとても元気になられましたよ」

笑顔で告げられた予想よりも幾分まともなその言葉に、胸を撫で下ろす皇女。
しかし、その答えにまたも疑問が投げかけられる。
ミスリルから出向の、ASアーバレストに乗るプロの傭兵、相良宗助。

「……鳴無、その処置を行った連中は、いったい何処に居る」

その問いに、口の端を裂けるのではないかと思うほど釣り上げ、笑みを深める。

「おや、ここに来る途中で大量にすれ違わなかったかい軍曹。何だかんだ言って病み上がりみたいなもんだから、今までの連中に比べてだいぶ動きが鈍いし、直ぐに見分けが着くと思うんだが」

『肉体改造』『大量に』『すれ違う』『今までの連中と比べて』『動きが鈍い』
これらのキーワードから答えを一早く導き出したのは、当然と言えば当然、その肉体改造技術に深く関わっている、同じ改造を施された者だった。
ペガスに乗ったDボウイ──テッカマンブレードが、ランサーを折りかねない力で握りしめ、叫ぶ。

「まさか、ここに来るまでに出てきたテッカマンは──!」

「いかにも、肯定、おめでとう、予想通りで大当たり。あれらは一人残らず、一欠けも余さず、この月で眠っていたフューリーの一般人をベースに作り上げたテッカマンだ!」

悪戯が成功した事を喜ぶ童のように、無邪気で、残酷で、心底愉快で堪らないといった愉悦に浸った表情で楽しげに手を叩く。
そして、三日月のように吊りあがった口から、くつくつという引き攣る様な笑い声と共に、決定的な言葉が放たれる。

「で、どんな気分かな? 助けようとした相手を、自分達の手で始末した気分は」

全てを言い終えるよりも早く、卓也の真横一メートルも無い至近距離を、オルゴンの結晶弾が通り抜けた。
その弾丸を放ったのはB・ブリガンディ。
コックピットの中、操縦艦を握りしめた統夜は義憤に震える騎士の血を燃やし、怒りに満ちた眼差しで、MFデビルガンダムの肩に乗る二人を見据える。

「俺、ここに来るまで、もしかしたらと思っていた。もしかしたら、まだ話し合いでどうにか出来るんじゃないかって。一緒に戦ってきた、かつての仲間なら、もしかしたらって、どこかで考えてたんだ」

「馬鹿馬鹿しい話だな。いや、馬鹿じゃないか? お前」

卓也の、かつて自らを導いた者の無情な言葉を聞き、くっ、と、何かを堪えるような音が統夜の喉から漏れる。

「……本当にそうだ。もう貴方を、いや、お前を許しはしない。見逃せもしない!」

B・ブリガンディの前腕に備え付けられたオルゴンラグナライフルから、結晶で構成されたブレードが展開する。
その剣の尖端を突き付け、紫雲統夜は、騎士トーヤ=セルダ・シェーンは、静かに、しかし重々しく宣言する。

「この剣に誓い、お前はここでヴェーダの闇に返す。騎士の情けだ、自分の機体を喚べ、鳴無卓也!」

―――――――――――――――――――

この瞬間を、この展開を、この戦いを、俺はずぅっと待っていたんだ。
見せつける時が来た、この世界で得た力を。
証明する時が来たのだ、俺がこの世界で得た力は、オリジナルの持ち主をも容易く蹂躙し得る程のものである事を。
故に、俺はその誘いを断る言葉を、意思を持たない!

「応!」

MFデビルガンダムの肩から、跳ぶ。数百メートルを一瞬で飛びあがりナデシコとアークエンジェルを、その周りに展開するかつての仲間達の機体を見下ろす。
人間では有り得ない跳躍力。だが、これは前の世界でも出来た事、誇るべきものでも無いもはや当たり前のものと化した俺の力。
だからこそ、続けて見せる。この世界で得た力、その集大成を。
宙を駆け上がり、空に浮かび、掌は上に広げ、広げた掌を力強く、天を掴み取るように握り締める。
空間が入れ替わる。この時の為に、凝りに凝って作り上げた、この世界で最強の名を冠するに相応しい機体が、俺の身体を中心にこの世界に顕現する。

「見よ、これが──」

初期数値を自重せず、機体の20段改造を自重せず、PP振りを自重せず、強化パーツを自重せず、精神コマンドも当たり前のように自重しない。
どれだけ周回を重ねても倒す事の出来ない、プレイヤーとキャラの心を圧し折る為だけに生み出されたラスボス!

「これこそが、貴様らに、覆しようのない敗北を齎すモノの姿だ!」

―――――――――――――――――――

宙へ飛んだ鳴無卓也の身体を鎧うように出現したそれは、一見して少し人型を歪めただけの、何の変哲も無い機動兵器であった。
ナデシコ搭乗時に使用していたボウライダーがベースなのか、各部に緩やかな曲線と直線を含んだ装甲。
純白だったその機体色は今、宇宙の色を吸いこんだ様な深い黒色で塗りつぶされている。
全体に歪さを残しながら、より人体の構造を忠実に模したシルエットへと変化したそれは、格闘戦を考慮してのモノか。
機体胸部と手首には仄かに光る用途不明の球体が埋め込まれ、そこから全身に複雑な模様を描くように光のラインが走っている。
ボウライダーのメインウェポンだった電磁速射砲は存在せず、前腕部側面には四基のコネクタが付いている。
換装で付け替えが利いた大型クローは存在せず、後方には数機程の黒い立方体が数十基、ふわふわと浮かびながら消えたり現れたりと、蜃気楼のように不安定にその姿を見せている。

全高は、おそらく15メートルほど。
ボウライダーよりは一回り大きいが、それでもMSなどと比べても小型と言っても過言では無いサイズ。
しかし、その機体からは言い表しようの無い、まるでこの世の存在では無いかのような威圧感が溢れている。
十五メートル程の機体が存在する空間に、無理矢理大隊規模のスーパーロボットを押しこんで人型に纏め上げたような圧倒的な存在密度。
だが、ナデシコもアークエンジェルも幾多の戦場を乗り越えてきた精鋭。その異様な雰囲気に呑まれることなく迎撃の指示を出す。
先ずは得体のしれない未知の敵よりも、既知の驚異から取り除く。

「艦尾ミサイル全弾照準! ヘルダート用意、バリアント、狙え!」

艦橋後方の16門艦対空ミサイル発射管にミサイルが装填され、艦側面に配置されたリニアガンが棒立ちのMFデビルガンダムを狙い打つ。
未だ搭乗者である鳴無美鳥が乗りこんでいないMFデビルガンダムは、しかし当然のようにその卵型の前腕部で打ち出された弾体を払いのけ、肩に乗る自らの搭乗者を守る。

「鈍い鈍い、鈍過ぎて欠伸がでるぜぇ」

連続で迫る弾体を気にも留めず悠々と頭部コックピットへと戻る鳴無美鳥。
コックピットの中に搭乗者が戻ると、攻撃を防ぐ時もどこか機械的だったMFデビルガンダムの動きに、生物的な躍動感が生まれる。
次いで、MFデビルガンダムが重さを感じさせない軽やかな歩みでアークエンジェルへと接近。二歩、三歩と歩む内に、映像をコマ落とししたかのように急速に距離を詰める。
一人だけ時間の流れの外に居る様な、時間すら飛び越えるフットワーク。

「やらせるかよ!」

アークエンジェルから出撃したバスターガンダム、ストライクガンダム、デュエルガンダムAS、ストライクルージュがビームライフルや対装甲散弾、レールガンなどをMFデビルガンダム目掛け放つ。
だが、ビームは全て紙一重で避けられ、散弾やレールガンなどの実体弾は全てMFデビルガンダムの巨大な五指によって摘まみ取られ、接近を止める事すら出来ない。
MFデビルガンダムはアークエンジェルまであと一歩という処まで迫り、そこで急停止、一足飛びにデュエルガンダムASの懐に飛び込み、光を湛えたその五指をコックピットの下、下腹部の辺りに押し付ける。

「元競技用ごときがぁ!」

しかし、イザークとて伊達に高い金を費やして遺伝子調整を行われた訳では無い。
即座にビームサーベルを抜き放ち、押しあてられたマニュピレーターを切り落とさんと振るう。

「やっぱりさぁ」

「ぐッ」

が、ビームサーベルを構えた両腕が、肩関節から爆発する。
いつの間にかMFデビルガンダムの脚部から切り離されていた四天王ビットの一つが、PS装甲に守られていない関節部にニードルを突き刺し、そのまま自爆して腕を破壊したのだ。
角度的に懐の敵にレールガンは当てることが出来ない。ミサイルポッドは自分も巻き込まれる。イーゲルシュテルンは今まさに当て続けているがダメージになっていない。

「これで潰す相手は、ドモンか相良、さもなきゃてめえしか居ねえよなぁ? これが──」

軽く当てられていただけだったマニピュレーターの五指は今や下腹部を鷲掴みにし、逃げる事も敵わない。
五指の間に湛えられていた光は遂に、破壊的な熱量を伴いデュエルガンダムASの装甲を熔解させる。

「こんな、こんな事が……」

「シャイニングフィンガーというものかぁ!」

追加装甲をも容易く貫くビームの熱量によって、呆気なく撃破されるデュエルガンダム。
爆発寸前のそれを、ゴミをごみ箱にでも放り投げるかのような気安さで明後日の方向に投げ捨てるMFデビルガンダム。

「イザーク! てんめぇ!」

「落ち着け、パイロットは無事だ」

「お前、これ以上好き勝手出来ると思うなよ!」

残りの三機が陣形を組み直す。二機のストライクが前衛、バスターが後衛に回り援護を行うといった陣形なのだろう。
投げ捨てられたデュエルの残骸を射線上に入れないように考えられているのか、ストライク、ストライクルージュは片手にサーベルを構えつつビームライフルを連続で発射しながらMFデビルガンダムへ迫り、バスターも収束火線ライフルで援護に入っている。
だが、連携を組み迫る三体のMSを前にMFデビルガンダムは余裕たっぷりに両腕を広げ、もはや避けることすらせずにバリアを張りその全てを無効化する。

「手前ら雑兵を片付けるのがあたしの役目なのは確かだけどさ、だからってそんな手間をかけてやるつもりは無ぇんだ」

「手間掛けたくないなら、さっさとやられちゃくれんかな」

効果が無いと見るやビームライフルを戻し、両の手にサーベルを構え直すストライク。そのパイロットであるムウ・ラ・フラガの半ば以上本音の軽口を美鳥は軽く鼻で笑い飛ばす。

「いんや、手前ら程度の雑魚にやられてやるよりぁあ、こっちの方がよっぽど簡単ってもんよ。──暴食せよ、『スターヴァンパイア』!」

MFデビルガンダムの全身から、辺り一帯、それこそ後方に回っていたバスターガンダムまで巻き込むような量の煙が溢れ出す。
しかし防がれたのは視界だけで、レーダーには未だMFデビルガンダムの位置がハッキリと映し出されている。

「ふん、何を出してくるのかと思えば、ただの煙幕だなんて……」

「……いかん! お前ら、早くこの煙の中から出ろ!」

「え? あ、あれ、なんだこれ、バッテリー残量が!」

ムウの注意に疑問符を返すカガリだったが、ふと目に入ったバッテリーの状況に目を剥く。
今さっきバッテリーを完全に充電して出撃したばかりなのに、もはやPS装甲を展開するどころかその場に立っていることすら困難な量の電力しか残されていないのだ。
装甲の色を灰色に染め、その場にくず折れる三機のMS。
力無く倒れるストライクルージュの頭部を踏みつぶしながら、MFデビルガンダムの美鳥が嘲るように笑う。

「アスハのガキがサハクの技術で落とされるとか、ミナ様ファンにはたまんねぇ光景だよなぁ。ひひひ」

ミラージュコロイドを高濃度で散布しバッテリに蓄えられた電力を放電させ、同時に自らの力とする。
使用されている技術はゴールドフレームに搭載されたマガノイクタチのモノの発展形。
現時点でのアマノミハシラの技術力では接触した相手にしか行えないが、鳴無兄妹がこれまで蒐集してきた様々な技術により、最初に目指していた武装を完全に再現してみせたのだ。
倒れ伏す三機のMSの手足を、武装を、武器を使うまでも無くただ踏みつぶして破壊していく。

三機の無力化を終えたMFデビルガンダムはアークエンジェルの方に向き直る。
アークエンジェルは今、三機の四天王ビットによる襲撃を受けている。
そう、MFデビルガンダムはデュエルガンダムへ向かい方向転換をする直前ビットを切り離しアークエンジェルの攻撃へと向かわせていたのである。
切り離されたビットは即座にECSのよりその姿を肉眼、レーダー双方から消し、MFデビルガンダムが注意を惹きつけている間にアークエンジェルに接近。
ミラージュコロイド粒子と共に散布された、量子コンピュータを操るコンピュータウイルスの乗せられたナノマシンが残る三機のMSに取りつき、アークエンジェルからの救援要請が来ていないように見せかけていたのである。
後にディスティニーアストレイでも同系列の量子コンピュータ用ウイルスが使用されるが、それと同じくレーダーやカメラの映像を操らなかったのは鳴無美鳥の余裕かけれんみか。
ともかく、主人公機の名前繋がりでスターヴァンパイアなどと言いつつ同時にバッド・トリップ・ワインでもあるこの厄介極まりない攻撃は、見事にアークエンジェルとMS部隊を一ターン以内に無力化してしまったのである。

「まだ整備の終わってないM1アストレイが居るみてぇだが、いちいち相手すんのもたりぃんだよなぁ」

艦に取りつき攻撃を繰り返す四天王ビットを落とそうとイーゲルシュテルンを放ち抵抗を続けるアークエンジェルに、再び光を宿した腕を向けるMFデビルガンダム。

「まとめて消えっちまいな」

腕に、五指の間に収束した光が指向性を持たされ解放される。
アークエンジェルのラミネート装甲が、直撃したビームの熱量を艦表面に拡散させダメージを和らげる。
しかし、排熱処理が終わるよりも早く更に二射目三射目のビームを喰らい、遂にはMSハッチと格納庫を熔解、貫通。

「ヒュウ♪」

整備途中のMSや弾薬が誘爆し、予想以上のダメージが入ったのに気を良くしたのか、次々とアークエンジェルの各部にビームを放ち、四天王ビットに指示を出し搭載されている武装を次々と破壊していく。
なるべく人が居ないブロックを狙った攻撃はしかし決して手心を加えている訳では無く、武装を奪い無力化する事を第一に考え、第二に『武装を破壊し終わったら殺される』という恐怖をクルーに植え付けて遊んでいるのだ。
つい最近まで仲間として接し積み上げてきた人間関係を自らの手で破壊するその行為は積み木崩しにも似たカタルシスとなる。
ナデシコ程では無いが、アークエンジェルのクルーにもそれなりに顔見知りの居る美鳥は、その記憶の中にある顔や声を思い浮かべながら心底楽しげに引き金を引く。
未だ精神の本質的な部分で幼く、子供ならではの残虐性をその心に秘めた美鳥にとってはこの上ない快感であった。
子供が生きた虫の脚や羽根を毟り取るように、次々にアークエンジェルの武装を潰していく。その攻撃の矛先が、遂にブリッジへ向き、超高熱の奔流が放たれんとした、その時。

「やめろおおおおぉ!」

叫び声と同時、高出力のビームが空からMFデビルガンダム向けて降り注ぐ。
バリアの出力を僅かに上回り貫通可能なそれと、僅かに間をおいて降り注ぐ電磁加速された弾丸。
しかし、着弾する直前に突如としてMFデビルガンダムの姿がその場から掻き消え、攻撃の主──フリーダムのキラは素早くレーダーを確認。
先ほどまでアークエンジェルとMS部隊以外が束になって鳴無卓也の駆る黒いボウライダーと交戦していたのだが、アークエンジェルの救援要請を受け、急いで此方に駆け付けたのだ。
間一髪のところで間に合った。とはいえ、アークエンジェルは既に戦闘行動が取れる状況では無く、被害の状況から見て戦死者も決して少なくは無い。
少なく見積もっても、整備を行っていた整備班、アストレイ専属のパイロットは無事ではないだろう。非戦闘員が乗って居ないのが救いと言えば救いだが、それは何の慰めにもならないだろう。

「どうして、どうしてこんな……!」

キラは顔見知りの人間の死に、顔を泣きそうな表情に歪め、しかし突如背後から放たれたビームの斬撃に反射的に対応する。
既にボウライダーとの僅かな戦闘で大破寸前だったミーティアとの合体を解除、大質量の火器の塊であるそれを斬撃の放たれてきた方向目掛け自動操縦で吶喊させる。

「君は、どうしてこんな真似が出来るんだ!」

そして、半壊のミーティアを一瞬で細切れに切り裂き、爆炎を抜けて現れたMFデビルガンダムの手から伸びるビームサーベルをラケルタ・ビームサーベルで斬り払う。

「そりゃこっちのセリフだっつうの。なんで只の人類があのタイミングの攻撃に全部対応できんだよ。これだから『よめがかんがえたちょうつよいいけめん』は嫌いなんだ……」

苦い声でキラの問いとは関係無い事に愚痴を零す美鳥。
ボソンジャンプで僅かに出現のタイミングをもずらした時間、空間転移攻撃。
並のエースでも対応する事が難しいそれを、種割れで極限まで精神を集中させていたキラはひらめきのみで回避、反撃を繰り出してみせたのである。
文字通り、同作品内の他のパイロットとは次元の違う強さに、さしもの美鳥も呆れ返る。

「パイロットを殺さなかったのは迂闊だったな、ディアッカから攻撃の種は聞いた。俺達は不用意にお前の霧の中で立ち止まらないし、アークエンジェルの方に居たドラグーンも潰させて貰った。ここで落ちろ!」

同じくアークエンジェルの援護に駆け付け、今まで四天王ビットの処理をしていたアスランのジャスティスが、フリーダム反対側に現れMFデビルガンダムを挟み込むようにしてサーベルを構える。
MSのビームライフルが出力の関係で効かないのは確認済み、恐ろしい話だがレールガン程度の弾速では全て見切られて受け止められるか回避されるかのどちらか。
もしかしたら通用したかもしれないミーティアの攻撃はフリーダム、ジャスティス共にミーティアを破棄してしまった為に勘定に入れることもできない。
だが、それでもこれ以上放置する訳にも行かない。それをしてしまったが最後、自分達が戻る船が破壊されてしまう。
そんな悲壮な覚悟のキラとアスランをあざ笑うかのように、二機の間のMFデビルガンダムは自然体。
MFデビルガンダムは手から伸ばしたビームサーベルでフリーダムの胴体を指し示す。そこに攻撃が来るぞ、とでも予告するかの如く。

「あたしに夢中なのは構わねえけど、そんなんじゃ足元掬われるぜ?」

「そんな御託──キラ、後ろだ!」

「え、うああああああああぁっ!」

フリーダムの背面、PS装甲に守られていないブースターが爆発する。どこからか加えられた攻撃、しかもその攻撃の主は──

「馬鹿な、あのドラグーンは全機破壊した筈」

そう、フリーダムに攻撃を加えたのは、先ほどジャスティスが破壊した筈の四天王ビット。
しかもその数は倍に増え、更に電撃を放つ銀色の球体までもがフリーダムへの攻撃に加わっている。
心なしか色の薄くなったそれらは、脱皮したての昆虫か、あるいは、ロールアウトしたばかりで塗装もされていない量産機を連想させた。

「あたしの乗ってる『コレ』が、デビルガンダムの系譜だって忘れたかぁ?」

そう、破壊された地に落ちた四天王ビットの残骸は、地面を構成する金属を取り込み自らの欠損部分を瞬く間に修復、数と種類を増やして主の敵に自らの意思で攻撃を加えたのである。
接触するまで気取られぬようECSを掛けたまま慎重に近づき、フリーダムの機動力を削いだのである。

「か゛、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ゛っ゛っ────!!」

そして、銀色の球体から絶え間なく放たれる超高圧電流により全身の筋肉を焼かれ、絞め殺される鳥のような絶叫を上げるキラ。
如何にフリーダムが優れた機体でも、如何にスーパーコーディネイターが常識はずれな身体能力を有していようとも、全身の細胞を余さず高圧電流で焼かれたままでは抵抗のしようも無い。

「キラ!」

フリーダムに纏わりつく銀の球体と四天王ビットを破壊せんとするジャスティスを、MFデビルガンダムが道を塞ぎ妨害する。

「おいおい、あたしの相手もしろよヅラホモ野郎」

「この、邪魔だぁ!」

ファトゥムー00に乗り、ビームサーベルですれ違いざまにMFデビルガンダムを切り捨てフリーダムの救援に向かおうとするジャスティス。
そのファトゥムー00を、フリーダムに纏わりついていた四天王ビットの内の一機がピンポイントで翼の片方の先端を粒子弾で狙い打つ。
バランスの崩れるファトゥムー00からよろける様に転げ落ち、しかし瞬時に姿勢を立て直したジャスティスにMFデビルガンダムのビームサーベル、いや、溶断破砕マニピュレーターが迫る。
眼前に迫る破壊の光、しかし、この距離ならばまだ受け切ることができるとアスランはジャスティスにビームサーベルを構えさせる。
そんなジャスティスを『前方を除く全ての方向から貫く無数の溶断破砕マニピュレーター』
目の前のMFデビルガンダムのジャスティスに向けられた腕は、『肘から先が虚空に融けるように消え失せている』

「あ、え?」

その異様な光景に、既にコックピットの中が小規模な爆発を起こしているにも関わらず、呆けた声をあげるアスラン。
ノイズ混じりの通信がカガリの悲鳴と、鳴無美鳥のしてやったりと言いたげな顔を見せる。

「獅子神吼が闘法『跳空殺手』のアレンジ、なんて言ってもわかんねぇよなぁ、マイナーだし。旅の扉とか言った方が若い子には理解しやすいか? MFっぽい外見してっから格闘戦は真っ向勝負なんて思いこみが手前の敗因だろうよ」

その美鳥の言葉が終わるのを皮切りに、溶断破砕マニピュレーターがビームの出力を上げ、更に深くジャスティスのボディを抉り、

「じゃあな」

爆発すらすることなく呆気なく蒸発させ、ジャスティスをこの世から消滅させた。

「アスラァァァァアァン!」

悲痛なカガリの叫びを聞き流し、MFデビルガンダムのコックピットの中で美鳥は状況を確認する。
アークエンジェルは戦闘能力、艦載機を全て消失。
ジャスティス撃破、フリーダムは──確認した、コックピットの中に人間大の炭の塊を確認。パイロット消失及び電装系の破壊により無力化完了。
通信からカガリやら何やらの非難が聞こえる、相手側の通信機能を掌握、遮断。

「これであたしの担当分は終了かな」

あとは、お兄さんの予想が正しかった時の事を考えて、アレの出撃準備を済ませておこう。
そう考え、美鳥のMFデビルガンダムは虚空へと融ける様にその場から消え失せた。

―――――――――――――――――――

それは、圧倒的な破壊だった。
攻撃という言葉では容易過ぎる。弾幕という表現は優し過ぎる。爆撃という分類では温過ぎる。
豪雨のように降り注ぐ特殊金属の弾丸はその進路上のモノを容易く抉り貫き、様々な金属で構成されている機械の巨人の質量を減らしていく。
空から射す光はそれに触れたモノを余さず焼き熔かし、曲がる筈の無いその光は意思を持つ生き物の様に追いすがり、遍くその場に居るモノへと喰らい付く。

この恐るべき密度の弾幕を形成するのは、黒いボウライダーの周囲に無数に展開する黒い立方体(キューブ)。
この立方体は細かく蠕動するように変形を繰り返し、表面に走った亀裂から追尾式の熱光線を、サイの目のように空いた銃口から実体弾を吐き出す。
この立方体は蜃気楼のように不安定に出現と消滅を繰り返し、撃ち落とそうにもタイミングを合わせなければ命中させる事も難しい。
そしてそれらの吐き出す攻撃の脅威は、その身の巨大なモノほど抗う事が難しい。

「くっそお、サーメットの装甲を紙みたいに破りやがって」

「これ以上はまずいですよ豹馬さん!」

「お兄ちゃん、もうだめだよぉ」

「いや、まだだ。まだボルテスは戦える!」

全高50メートルのコンバトラーとボルテスは、まさに恰好の的といっても過言では無い。
これがまだ分離した状態であれば一気に距離を取って攻撃の範囲外に逃げる事も出来たかもしれない。
だが、ボルテスとコンバトラーは逃げるよりも黒いボウライダーに先制攻撃を放つ事を優先した。
初手から全力という訳には行かなかったが、コンバトラーはビックブラスト、ボルテスは超電磁コマを、それぞれ威力と射程、弾速から見て最良の選択であった。
だが、それはあくまでもボルテスとコンバトラーの機体性能の中での最良最善。
ビックブラストは目標への道程を半分も進むことなく撃墜され、超電磁コマもまたあっさりと高密度の弾幕によって撃ち落とされてしまった。
そして、スーパー系機体の中でこの二機だけが回避する事もままならず、今も苛烈な攻撃に曝されているのだ。
しかし、この二機の超電磁ロボが未だ生き残っているのが、鳴無兄妹が何となく置いて行った超電磁フィールド技術により使用可能時間が大幅に延長された高圧超電磁バリアがあったからというのはどういった皮肉か。
そのバリアも、変形を解除した状態では使用できない。今この場から逃げる為に合体を解除すれば、一瞬にして全マシンが粉々に粉砕されてしまう。
絶体絶命、万事休す。
しかし、豹馬の目にも健一の目にも絶望の色は無い。
二人は互いに目配せをし、起死回生の一打を放たんとする。

「行くぞ、豹馬!」

「おうよ、俺達の底力見せてやるぜ!」

ボルテスが天空剣を構え、コンバトラーがボルテスの背目掛け超電磁タツマキを放つ。
タツマキと反発する磁極の高圧超電磁バリアを全身に纏うことにより加速度を上げ、更に竜巻によりボルテスを超威力の弾幕から保護しているのだ。
タツマキに覆われていない正面から迫る攻撃を威力を上げた超電磁ボールで防ぎ、天空剣を構えたボルテスはそのまま天高く跳び上がる!
そして、遂にボルテスは弾幕の向こう、黒いボウライダーよりも高い位置に到達。

「天空ゥ剣!」

更に、ボルテスの後方からタツマキの中を抜けて、スピン状態のコンバトラーが追撃を掛ける。

「超電磁ィ……」

空から必殺の剣が、地から身を顧みない決死の突撃が、黒いボウライダー目掛け同時に放たれる。

「必殺、Vの字斬りぃぃぃっ!」

「スピィィィィィィィィィンッッ!」

高圧の超電磁ボールと超電磁タツマキを受け、黒いボウライダーは両者の攻撃を前に身じろぎ一つ見せること無く、二つの過剰殺傷攻撃をその身に直撃させた。


―――――――――――――――――――


直撃させた筈だった、あのタイミングでの回避は間に合いようがない。
如何に身軽なボウライダーといえども、あの状態から取れる防御ではこの必殺の合体攻撃は防ぎきれるものでは無い。コンバトラーチームとボルテスチームは、勝利を確信してもいい筈だったのだ。

「いやいや、御見事。流石は同系統の技術で作られた超電磁ロボット、見事な連携といったところか」

目の前で、天に掲げた左手で天空剣を、地に下ろした右手でクリスタルカッターをそれぞれ軽々と受け止める、黒いボウライダーの姿を見るまでは。
超電磁ボールは直撃した、今のボウライダーの装甲は分子構造を破壊されスカスカの発泡スチロールのような有様の筈。
超電磁タツマキで張りつけにされ、こちらの攻撃を受けるような動きは取れない筈。
そんな疑問を、そんな当たり前の結末を、黒いボウライダーはいとも容易く覆してしまったのだ。
50メートル級のスーパーロボットの持つ、15メートル級の機体からすれば自らの身の丈以上の長さの凶器を、50メートル級の機体そのものを使った突進を、ボルテスとコンバトラーから見れば小枝に例えても不自然では無いボウライダーの腕が、指が、しっかりとホールドしている。
黒いボウライダーが手に力を込めると、天空剣とクリスタルカッターが音を立ててひび割れた。スカスカでも無ければ磔にもされていない。未だその力は健在。

「超電磁加重砲、右手」

黒いボウライダーの右腕側面、四基のコネクタにボルテスに搭載されたものよりも格段に小型化された超電磁加重砲が実体化、装填される。

「ウルトラマグコン、左手」

更に左腕のコネクタにも、四基のマグコンが実体化し装填される。
右手の加重砲はクリスタルカッターを掴まれ逃れられないコンバトラーを、右手のウルトラマグコンは天空剣を放しその場から逃れようとしているボルテスを狙う。
間髪入れず、超電磁ボールが四発コンバトラーに叩きこまれ、四重の超電磁タツマキにボルテスが飲み込まれる。

「くそ、こんな所で負けられるか! 動け、ボルテス!」

「このぉぉ、放せ、放せよテメェ!」

しかし、通常の数倍の出力の超電磁タツマキを四重に喰らい、当然ボルテスは動けないし、分子構造を破壊され、形はとどめながらもスクラップ同然のコンバトラーは黒いボウライダーの手から逃れることができる程のパワーを出す事も出来ない。
黒いボウライダーの手首に設置された青い球体が、低い虫の羽音のような振動音を鳴らしながら紅く変色する。それは、低出力稼働から超過稼働へと移行した証。攻撃の予兆でもある。

「超電磁組、リタイア」

紅く染まった球体から、眼を焼く眩い閃光が走る。
その閃光は磔にされたボルテスを、腕を捕えられたままのコンバトラーを貫き、その向こうに出現した黒い立方体に受け止められ増幅、他の立方体に転送され、異なる角度から再び二機の超電磁ロボを貫く。
更にそれを他の立方体が受け止め増幅し転送し再発射、貫き、更に他の立方体が受け止め増幅転送再発射、更に更に更に……。
何時終わるともしれない再攻撃の嵐は、二機の超電磁ロボがバラバラになるまで繰り返され、唐突に終わりを告げた。
黒いボウライダーが、天空剣と砕けたクリスタルカッターを手から放す。

「ほら、放してやったぞ」

黒いボウライダーの手からこぼれおちた二つの武器は地面に落ち、涼やかにすら聞こえる音を立て粉々に砕け、超電磁ロボの完全敗北を確定した。

―――――――――――――――――――

「そんな、コンバトラーとボルテスの合体攻撃で無傷だなんて……」

B・ブリガンディのコパイシートのカティアが呆然と呟く。嵐のような攻撃が始まる直前、サイトロンで危機を察知した統夜はオルゴンクラウドでその場を離れていたのだ。

「どうなってるってのさ、あいつの装甲は!」

ビーストモードのランドクーガーで、弾幕の濃い薄い外側を駆け回り回避行動を続ける沙羅が愚痴を零す。
獣戦機隊のパイロットはその野生の勘により戦闘開始と同時に即座に分離、一番速度の速く小回りの利くビーストモードで逃げ回り反撃の機会を窺っている。

「いや、無傷ではない。攻撃を受けた瞬間に、僅かに装甲が削れていた」

同じくビッグモスのビーストモードで逃げ、しかし巨体故に回避しきれない攻撃で僅かにダメージを追っている亮が冷静に分析する。
が、亮の指摘した装甲のダメージは既に修復され跡形もない。

「重装甲な上に、ダメージを受けると同時に回復しているという事か」

超電磁ロボの攻撃で僅かに傷が付く程の重装甲で、しかも二機の攻撃を手で受け切った事から考えて機動性も悪くない。
挙句の果てに、ダメージは即座に再生されてしまう。
最初から距離を取って対峙していたアーバレストの宗助が、絶望的とも言える敵機の性能を改めて確認し、その上で打倒する策を考える。

「再生に関しては、どうにか出来るかもしれないわ」

「どういうことだよ美久ちゃん」

ゼオライマーの中に次元連結システムとして組み込まれている美久の言葉に、ナデシコの防衛を行っているアキトが聞き返す。
そのアキトの問いに、ゼオライマーのパイロットであるマサトが答え、それに美久が補足する。

「あの自己再生は、デビルガンダムよりも僕のゼオライマーと似た理論で行われているんだ。多分、次元連結システムの発展型のようなものを搭載している。だから、ゼオライマーの次元連結システムでボウライダーと他の次元の連続性を断絶することが出来れば、少なくとも再生能力を無くす事は出来る」

「でも、それを行うにはゼオライマーをボウライダーに一度接触させる必要があるの。それに再生能力を封じるまで、ゼオライマーは攻撃にも防御にも次元連結システムを使う事が出来ない」

それは、この弾幕の中を裸で走るも同然。

「なら、ボウライダーに触れるまでは俺達が盾になるとしよう」

「一発ぶちかましてやろうぜ!」

グレートマジンガーとマジンカイザーがゼオライマーを守るように一歩前に出る。
超合金ニューZとニューZα製のこの二機ならば、この攻撃の中でもゼオライマーを送り届ける事ができる。

「俺の方でも敵の攻撃を逸らすことが出来るかもしれない。アル、やれるか」

「肯定です」

アーバレストが更に後ろに下がり、ラムダドライバの全能力でもってゼオライマーの前面に強力な斥力の壁を形成する。

「よし、行こう!」

ゼオライマーが、二体の魔神が空を飛ぶ。
熱光線と音速を超える弾丸の雨にその身を晒し、それでも二体の魔神はひるまずゼオライマーをボウライダーに接触させる為に壁になる。
二体の壁を抜けた攻撃も、ラムダドライバの生み出す斥力場が逸らすことでゼオライマーには届かない。
三機は進む。黒いボウライダー目掛け、地球の命を守る為に、命を弄ばれた者達の無念を晴らす為に。

―――――――――――――――――――

いい、いいね。
正に団結、最終決戦。立ちはだかる巨大な壁を、愛と努力と友情で打ち砕き乗り越える正統派の正義の味方。この世界における主人公。
負けという結果は無かった事(リセット)にされ、歩む道(ストーリー)は常に正道。用意された結末はハッピーエンドで、勝ちを義務付けられた予定調和の勝者達。
そう、お前らにはそれがある。プレイヤーの操る主人公として、絶対勝利と不屈の意思の具現、主人公補正というモノが。
この世界で勝ちを義務付けられた連中を完膚なきまでに打倒し、勝利をこの手に掴み取る。
それが、俺がこの世界で得られる強さを全て手に入れたという証になる!

「重力加速式速射砲、両手」

ナナフシの重力レールガンを小型化し組み込み再設計した速射砲を両腕に形成する。
弾体は超合金ニューZαの発展形超合金と、着弾と同時に発生、蒸発するマイクロブラックホール弾頭。
弾幕は俺のボウライダーに近づけば近付くほど密度が上がる。耐えきれずに減速した所で狙い撃ちにして、ゼオライマーとマジンガー二機を一網打尽だ。

「だめだ、後一歩、あと一歩の距離が足りない」

マサトの泣き言が聞こえる。
人格の融合でマサキの冷静さも持ち合わせているあいつが泣き言を言うんだから、どうしようも無いのだろう。
さぁ、ここからだ。どうなる、どうする。
このままでは俺の予想通りゼオライマーとマジンガーは減速を開始し、あと一歩の所で届かない。
お前らは主人公だ、こんな絶体絶命の状況でも、何か、何か手があるんだろう?
さぁさぁさぁ、さぁ、さあ! 見せてみろよご都合主義!

「その一歩、詰めさせて貰う!」

少しだけ聞き覚えのある叫び声と、背後に朧げな敵の気配。
この気配にキューブどもが反応しない。キューブどものセンサーでは確認できないのか?
いや、そうか、これは実体化の途中、ジャンプアウトする前兆。
ボソンジャンプ、このタイミングで狙い澄ましたように、背後にボウライダーを押し込めるだけの出力を持った機体が。

「遅かったじゃないか、いや、時間通りか?」

騎士機ラフトクランズの黒、アル=ヴァン・ランクス。あの日あの時、オーブで俺とは違う次元に飛ばされた機体が、危機に駆け付けるように現れた。
振り向けない、今からでは間に合わない。いや、ここは殊勝に受けるのも悪くないか。
一撃、オルゴンソードFモードの刃が叩きつけられ、僅か十数メートルだが確かに存在していたゼオライマーと俺の距離をゼロに縮めた。

「あの日、貴様とは違う時間の流れに乗った私は、遥か数万年前の火星に飛ばされたのだ」

「なんやかんやあって遺跡の文明人どもに送ってもらったという訳ですね、分かります」

ル・カイン様じゃねぇか!という突っ込みはどこからも入らない。
いや、これぞまさにご都合主義。
最終回でスポット参戦は原作であった流れだが、俺と同じく時間と空間の果てに飛ばされたと思ったこいつが、同一世界の高々数万年前に送られるだけで済んだとは。
出現と同時にあんな真似が出来たのは、遥かな過去でサイトロンによる未来視が働いたのだろう。こいつらを勝たせる為に。

「でも、お前の同胞はもう姫様一人だけ。それを踏まえた上で問おう。守るべき民亡き今、騎士であるお前は何をする、何ができる!」

斬艦刀の如く長大に伸びていた刀身が砕け、折りたたまれたソードライフルがオルゴンソードを再形成する。
その剣先を向け、フューリー聖騎士団ただ一人の生き残りは突きつけるように雄々しく宣言した。

「多くの同胞の仇を討ち、シャナ=ミア様の未来をお守りする」

面白い。既にフューリーの視点で言えば勝利は無く、これからは地球人との交配を重ね血は薄れただ地球人にまぎれ消えていくだけだというのに、それでも勝負を捨てていない。
そうでなければ、そうでなければいけない。戦うのなら、全力の意思と意地の潰し合いで無ければ!

「遊んでやるぞ、ドン・キホーテ!」

そういう強い意志で無ければ、叩き潰しがいも無い!
片腕の武装を消し、無手になったボウライダーの指が音を立て鳴らされる。

「ただし、手前の相手はこいつ」

ラフトクランズの背後の空間が裂け、一体の機動兵器が出現する。
既にエンジンはフルスロットル。オルゴンエクストラクタの回転率も機械によって底上げが完了済み。
サイトロン適合体專用超格闘戦偏重機動兵器、クストウェル・ブラキウム。
搭乗パイロットは、サイトロン適合率は生体改造にて騎士団長並みに強化された、ある人物。

「アァァァぁル、ヴァアぁァぁぁぁァンッッッッッ!」

「っ!?」

元連合宇宙軍少尉、ホワイトリンクスの異名を誇る天才アーマー乗り、更に元アシュアリークロイツェル所属のテスト機の運用評価及び教導官でもある──

「本日のスペシャルゲスト、白猫ことカルヴィナ・クーランジュ。暫くぶりの恋人との再会だ、思う存分語り合ってくれ」

巨大なオルゴンナックルによるチョッピングを受け、その場から離脱するラフトクランズとクストウェル・ブラキウム。
そして何時の間にやらゼオライマーは距離を置き、両脇にはグレートとカイザー。
まぁ次元連結システムの無いゼオライマーとか木偶同然だし、当然の判断か。

「ここまでだな卓也さん。今まで騙されてた分、きっちりぶちのめしてやるぜ!」

「次元連結システムを封じられた今、先ほどまでのような無茶は出来まい。覚悟しろ!」

セリフと共にマジンガーブレードとカイザーブレードが同時に振り下ろされる。

「ブレード、両手」

残る片手の速射砲も捨て、電動鋸型ブレードをコネクタから直接生成。グレートとカイザーのブレードを力任せに弾き返す。
が、相手もこういったガチンコの格闘戦を考慮したスーパーロボット、弾き返されても何度も切りつけてくる。
超電磁フィールドはあえて展開していないが、それでもこのブレードの刃に使われている金属は二体の装甲を遥かに上回る強度を持っているし、リアルタイムで新品同然の状態に更新され続けている。
だというのに、カイザーブレードどころかマジンガーブレードにも一向に折れたり削れたりする様子が無い。
剣の扱い方に特殊な要素は見いだせないというのにこれだ。ヒーロー補正というものだろうか。
こうなると打ち合いを止めることはできない、そうなるとどうにもこうにも抜けられ無い。
肩のクローアームがあればどうにでもできたのだが、かっこつけて肩の武装を全部キューブに代用させるのは流石にまずかったか。
この状況でキューブを呼び出せば警戒されて迎撃される。相手は二体、片一方が俺と打ち合いを続け、片一方がキューブを迎撃する程度の分業はできるはずだ。

手首と胸部の球体からは光が消えている。次元連結システムは復旧に少し掛かるか。流石は開発者とオリジナル、性能が劣る旧式でこんな真似が出来るとは。
次元連結システムが無ければキューブ共の性能もガタ落ち、しばらくすれば他の連中もキューブを処理してここまでやってくるだろう。
とはいえ、マジンガー系列はあれで倒そうと思っていたし丁度いい、まとめて掛かってきてくれるなら面倒が少なくて済むのも確かだ。
と、何時の間にかグレートが二刀でこちらに斬りかかり、カイザーが距離を取ってブレストプレートを赤く光らせている。
グレートが力の限りブレードを振り抜き俺を弾き飛ばす、その先に、カイザーが狙いを定めていたらしい。
これは、どうだろう、耐えられるか? いや考えるだけ無駄だな、避けようが無い。
ここは文字通り、不屈の精神で堪えさせて貰おうか。

「一気に片付けるぜ、ファイヤーブラスター!」

―――――――――――――――――――

マジンカイザーのブレストプレートから放たれた熱光線が黒いボウライダーに直撃し、爆発する。
爆炎に呑み込まれる黒いボウライダー。

「やったか?」

やや出現と消失の間隔が長くなった立方体を処理していたアーバレストの宗助が撃墜の成否を誰にともなく確かめる。
レーダーでは確認のしようも無い。
黒いボウライダーとその周りの立方体はレーダーの上では同一の反応を見せる為、肉眼で確認するしかないのだ。
今現在、黒いボウライダーは再生能力を封じられている為、ダメージを負ったのであれば戦い易くなるのだが……。

「いくらボウライダーでも、あの距離からのファイヤーブラスターを喰らえば一溜まりも、うわぁっ!」

「何、どうした甲児くん! ぬおぉ!」

爆炎の中から黒く巨大な鉤爪の様なものが突き出し、カイザーとグレートの胴体を鷲掴む。
かつてナデシコに居た時、ボウライダーが換装パーツとして使用していたクローアームに酷似しているが、ボウライダーに合わせて一回り巨大になり、そのシルエットはより骨太になり、引き裂くよりもただ力強く掴む事を優先したものとなっている。
その姿はまさしく、マジンガーなどのスーパーロボットを相手にする事を考えて作りなおされた、ボウライダー第二の腕。

「温うございます」

煙が晴れ、機体表面を赤熱させながら、どこのパーツにも欠損の無いボウライダーが現れる。

「そんな、ファイヤーブラスターも効かないのかよ!」

理不尽だ! と、余りのボウライダーの強度に悲鳴を上げる甲児。
カイザーをクローアームから引きはがそうともがかせるものの、カイザーのボディが軋むだけでクローには何の変化も与えられない。
パワーで劣るグレートは言わずもがな、逆にミシミシと音を立ててボディにクローが減り込み始めている。
そんな二機の目の前で、赤熱していたボウライダーの装甲が見る見るうちに元の黒に染まっていく。ファイヤーブラスターで貰った熱量を、この短時間で全て処理して機体を冷却してしまったのだ。

「カイザーのブレストプレートは、ファイヤーブラスターを発射する毎に融けて壊れたりするか? つまりはそういうことだ」

そして、次元連結システムの停止と同時に光を失っていた胸部と手首の球体に、仄かに白く、それでいて眼を焼く炎のように激しい光が灯っているのを二人は目撃する。
次元連結システムが再起動した訳ではない、別のエネルギーだ。
そしてそれは二人にも馴染み深いエネルギーであり、世界で唯一兜甲児にのみ託された筈のエネルギーでもある。

「光子力エネルギー、フルチャージ」

マジンガーのパワーの源である光子力エネルギー。
黒いボウライダーに搭載された光子力反応炉発展型が全力稼働を開始。
この世界の兜甲児が未だ扱う事の出来ない力、光子力反応炉の文字通りの全パワー解放。
本来ならば魔神皇帝こそが放つべき破滅の光。

「冥途の土産という訳じゃあ無いが、一つ、良いものをお見せしよう、これが──」

黒いボウライダーの全身から光が溢れる。それは限界を超えた光子力反応炉が生み出す力の顕現。
カイザーノヴァ。
超合金ニューZαを超える強度のボディと、エネルギー変換効率を上昇させた強化型の反応炉より放たれる破滅的ですらある超常のエネルギー。
黒いボウライダーより放たれしその力は──

「く、くっそぉ……」

「この、程度のダメージで、グレートは……」

偉大な勇者に、そして本来の使い手である魔神皇帝に、敗北の二文字を与えた。
全身の装甲を熔解され、熱で骨格の歪んだ内部構造をさらけ出す、上下に分断されたグレートマジンガー。
グレート程では無いが、禍々しくも雄々しいそのシルエットを崩れさせ、溶けた装甲により関節を固定されてしまったマジンカイザー。
もはやまともに立つ事も出来なくなった二体の魔神を投げ捨て、淡々と宣言する。
いや、淡々と、とは言えない。
黒いボウライダーの中、その言葉を紡ぐ卓也の口は、確かに笑みを湛えている。

「マジンガーシリーズ、リタイア」

重々しい音を立てて、二体の魔神の骸が墜落する。
奇跡的にパイロットは無事だが、機体はこの戦闘中に修理する事は不可能だろう。
歴戦の戦士であり、魔神に選ばれた者達をその手で下したという、達成感にも似た感情が、鳴無卓也の胸に溢れていた。
しかし、その達成感を手にしても戦いは未だ終わらない。
未だ、敵の殲滅は完了していないのだ。

ゆっくりと高度を下げつつ、黒いボウライダーは周囲を見渡す。
分離状態のダンクーガ、ラムダドライバ発動済みのアーバレスト、次元連結システムを使えないゼオライマー、立方体を迎撃しナデシコを守るテンカワエステ、無傷だが、せわしなく動き回るB・ブリガンディ。
全機出撃している訳では無いが、これがナデシコとアークエンジェルの今出せる最大戦力。
出撃数は奇しくもゲームと同じ。だが、未だナデシコの中では機体の整備が、機体の『説得』が行われている。
そして、視界の、レーダーの外からボウライダーに迫る気配も存在する。ここから増援が増える可能性は十分あるのだ。
だがそれでいい、余力を残して全滅されては困る。全力を出しつくして貰わねば困るのだ。
全力を出し切った原作主人公達を倒さなければ、鳴無卓也は胸を張って姉に強くなって帰って来たと言い切れない。
だからこそ、迫りくる嘗ての仲間に、今の敵に容赦はしない。

「次はお前か、ドモン!」

―――――――――――――――――――

速度の面で優れる機体が多いので隠れがちではあるが、ゴッドガンダムは決して鈍足では無い。
地上(ギアナ高地)から飛び立ち僅か十秒足らずで大気圏外まで脱出する程度の速度を出し、更にまた地球の裏側(香港)まで一日と掛からずに到達することが可能なのである。
そのゴッドガンダムが今、持てる最高速度を持って黒いボウライダーへと迫り、その拳を振るう。

「歓迎するぞ、チャンピオン!」

歓喜を含む卓也の叫びと共に、黒いボウライダーのシルエットが変化を開始した。
肩から巨大な、悪魔の翼にも見えるクローアームを分離させる。
本体であるボウライダーから分かたれたそれは更に複雑怪奇な、三次元的な説明が不可能な超次元的な変形を繰り返し数個の立方体へとその姿を変え、周囲の他の機体へと向かって行く。
そして、歪さを残していた黒いボウライダーがみしりと音を立て、更に人型へと近づく。
もはや元のボウライダーの面影は、その鳥の嘴のように鋭角な頭部を残すのみ。
変形を終えると同時、地面に到達。拳法の独特な構えを取る。その姿勢、動き、呼吸、全てがドモンに覚えのある動き。

「この後に及んで、まだその技を使うつもりか! 盗み取ったその技を!」

流派東方不敗。この世界において並ぶ物の存在しない、究極と言って差し支えない格闘術。
そして、黒いボウライダーのその動きは、その流派を極め、究極奥儀を編み出した偉大なる格闘家そのもの。
ドモンの怒りを乗せたゴッドガンダムの拳を、流水の様な動きでいなし、逸らす。

「当たり前でしょう。使う為に盗んだのに使わない馬鹿がどこに居ると?」

せせら笑う。
鳴無卓也は格闘家ではない、ただ力を求めているだけであり、拳法も刀剣も銃砲火器も技術も何もかも、彼に力を与える為にツールとしか捉えていない。
格闘家の心構えも、彼にとっては拳法という武器の運用理論の一部でしか無い。
その事を理解し、ドモンは攻撃の手を緩めず、しかし自らの怒りを鎮める。
この相手は、冷静に冷酷に平静に拳法を、流派東方不敗を武器として振るう。それもマスターアジアにも匹敵する的確さでもってだ。

「だが、どんなに正確に技をトレース出来たとしても、所詮キサマはファイターに非ず!」

怒りに濁った拳では届かない。綺麗な手で無ければ届かない。
怒りに煮えた頭では予測できない。冷静に、鏡のように静かな水面の如きイメージを持たなければ。
ドモンの頭の中に、鏡のような水面に一滴の水が落ちるイメージが浮かぶ。
明鏡止水。格闘技、拳法における窮極の境地の一つ。
荒々しさが先行していたゴッドガンダムの動きが目に見えて滑らかに、無駄の無い洗練された動きになる。

「だからどうした、だからどうする。ええ、どうしたいか言ってみなよ、ガンダムファイター、キングオブハート、ドモン・カッシュ!」

鏡合わせのように拳を打ち合わせるボウライダーとゴッドガンダム。両者は一見して互角。威力と正確さはゴッドガンダムが、手数と一撃の鋭さはボウライダーが上回っている。
これは純粋な機体性能差、人間の動きを全て再現できるMF、だが黒いボウライダーはそれを上回る柔軟性を見せる。
技の威力は生粋の武道家と、動きと運用理論をトレースしただけの者の違いだろう。

手数で上回る黒いボウライダーの拳や蹴り脚が幾度となくゴッドガンダムを捕えるが、身のこなし一つでダメージを軽減している。
装甲を削られようとも、内部のメカにダメージが無ければ格闘戦は続ける事が出来る。
押されているようでいて、不利になるダメージは一度も受けていない。紙一重で致命傷を避け続ける神業。

対してゴッドガンダムの拳や蹴りが黒いボウライダーに当たる時は、その一撃一撃が確実にダメージを与えている。
が、数発も喰らえば動けなくなる筈の攻撃を幾度も喰らっているにも関わらず、未だボウライダーは戦闘を続行している。
受けた機体内部のダメージを即座に修復している。
次元連結システムを封じられても、黒いボウライダーは他の自己再生機能が存在している。DG細胞しかり、搭乗者の身体を構成するナノマシンしかり。
一撃で機体をバラバラにされなければ幾らでも戦闘が続行可能なのだ。

どちらの攻撃も、相手に致命傷を与えるに値しない。
が、小競り合いでは決着がつかない事はドモンとて承知していた。デビルガンダムを利用している以上、少なくともその機体にDG細胞が使用されている事は予測済み。
故に──

「決まっている。師匠が愛した地球の為にも、そして、流派東方不敗の誇りに賭けて、貴様を倒す! 貴様が見たがっていた、この技でな!」

蹴りと蹴りが交差し、距離を取るゴッドガンダムと黒いボウライダー。
腰を低く落とし、精神を統一する。ゴッドガンダムのその身が、端から次第に黄金色に染まる。
向かい合う黒いボウライダーも同じ姿勢、しかし、こちらはそれ以外に変化無し、いや、闘気とでもいうエネルギーがその身に充実し、周囲の空気を歪ませている。
互いに、必殺必倒の心構えで放つその技は、

「石!」

「破!」

「天驚けえぇぇぇぇぇぇん!」

「天驚けえぇぇぇぇぇぇん!」

流派東方不敗最終奥儀、石破天驚拳。
鏡合わせのように同時に放たれる気の塊。
一方が放つそれは武道家としての積み重ね、技への誇り、そういったモノが詰まった重い一撃。
そしてぶつかり合うもう一方のそれは、形を真似ただけの紛い物。
正面からぶつかり合ったその技のどちらが相手に届くかは明白だった。

「な」

「ん」

「て」

「な」

正し、それは、正面から一対一での、拳法と拳法のぶつかり合いであった場合の話だ。
ドモン・カッシュは忘れていた。
いや、正確には覚えていた記憶に引き摺られ、判断を誤った。
かつて拳を合わせた記憶が、彼、鳴無卓也が、正面からの拳法による勝負を受けると、思い違いをさせたのだ。

「鳴無、貴様ぁ!」

「悪いね」

「正直な話」

「お前に殴り合いで勝てると思えるほど」

「俺は自信過剰じゃないんだな、これが」

石破天驚拳を放つゴッドガンダムの周囲を取り囲む、四体の黒いボウライダー。
それらはすべて、石破天驚拳とは異なる、しかし必殺の一撃を放つ寸前。
石破天驚拳を中断し避けようとすれば、未だ消えていない正面の黒いボウライダーの石破天驚拳に身を晒す事になる。
四体の黒いボウライダーの手には、太陽の如き灼熱の塊。叩きつけるモーションは既に止められる事も無く。

「そんな、馬鹿な!」

「鳴無卓也はファイターに非ず」

「ドモン、お前が言ったんだ」

「実に正鵠を射ている。そして、ファイターでないなら」

「こういう手を、使わない理由も無いだろう?」

四つの光の塊がゴッドガンダムに叩きつけられる。
超級覇王日輪弾。
かつて東方不敗マスターアジアが、ネオジャパン代表のガンダムファイター、シュウジ・クロスとして戦っていた頃に使われていた、石破天驚拳に次ぐ威力を誇る必殺奥義。
並みのガンダムならば一撃で蒸発させる事の出来る威力を誇る超高熱の気弾が、過たず、全弾ゴッドガンダムに叩きこまれた。

―――――――――――――――――――

ゴッドガンダムの石破天驚拳が消滅したのを確認し、俺は自らの分身を消滅させ、ボウライダーを格闘形態から元の姿に戻す。
更に内部機構のチェックを終え、俺はようやく溜息を吐いた。
真っ向勝負に見せかけて、相手の動きを封じた所でブラスレイターの力による分身四体の必中直撃の奇襲。
一応作戦勝ちではあるが、ドモンに実力で勝ったとは言えないな。格闘戦においては要練習と言った処か。

「しかしまぁ、どんだけ頑丈なんだMFってのは」

残骸を確認するまでも無く蒸発させる事ができると思ったら、ゴッドガンダムは未だ原形をとどめていた。過去大会の時のガンダム達とは強度が違うのだろうか。
まぁ、ガンダムでカンフー映画やってるようなもんなんだし、どっちかと言えばGの影忍辺りに近い訳で、これくらいの強度はあってしかるべきなのかもしれない。
錆びた刀でシュピーゲルの刀を受け切るシーンも、変装したシャアがMS忍者のビームサーベルを真剣白刃取りするシーンに似ているしな。
この分だとドモンは死んではいないと思うが、予備のMFなぞ存在しないので気にする必要も無いか。

「さて」

次は誰が、どの機体が掛かってくるか。
キューブ共の反応は消えた。構わない、ここからはまとめて相手になってやるつもりだった。武装はキューブを使わなくても直接生成してやればいい。
テッカマン兄妹はいいとして、まだアンチボディ組は出撃すらしていない。
ラムダドライバへの対抗策も思いついているからアーバレストで試しておきたいし、念動力で貫けるかも実験の価値があるだろう。
SPTはどうだ、そろそろ修理が完了して出撃してくれてもよさそうなものだが。
折角原作よりも強化してやったB・ブリガンディの性能も確かめていないのも心残りだ。
それに、ゼオライマーを下さないとどうにもJ世界を制覇したとは言えない気がする。
が、このままではゼオライマーは不完全。先ずは、次元連結システムの能力戦闘に使用させなければ。
ボウライダーと俺の身体の強化型次元連結システムをフル稼働させ、ゼオライマーが封じる他次元への接続を無理矢理に取り戻す。

「ふむ」

かなりの力技だから何かしらのリアクションがあるかとも思ったが、どうにも予想の範疇だったらしい。ゼオライマーは普通に戦闘態勢に移行している。
傍受した通信からもそんな内容の会話が聞こえる、少しでも時間稼ぎが出来ただけでも上出来だと。
時間稼ぎ、なるほど。確かに時間をかけ過ぎたかもしれない。

「ヒュウ♪ これはこれは、いやいやこりゃまた、頑張るもんだ」

隣に降り立つMFデビルガンダム。辺りを見渡し、美鳥が口笛を吹いた。
主戦力とも言える機体は尽く潰した、しかし、目の前の連中は未だ闘志を失っていない。
マジンガーが出撃している。頭部のスクランダーだけがカイザーの物に入れ替わっている。動かない新機体を捨て、旧機体で出撃とはさすが甲児、お約束を分かっている。
しかも、何故かラフトクランズとクストウェル・ブラキウムがエレメントを組んでいる。あの短時間でヨリを戻したとは、催眠暗示も浅くしか使ってなかったから、愛の力でも働いたか。原作でも同じ速度でヨリ戻してやれよ。

「お兄さん、愉しいかい?」

美鳥の通信、いや、念話だな。
しかし、何を当たり前の事を聞いているのか。

「楽しいねぇ」

当然の話だ。
楽しくない訳がない。嬉しくない訳がない。喜ばしくない訳がない。

これぞまさにご都合主義。
これぞまさにラストバトル。
これこそがラスボスの醍醐味。

俺という強敵を殺す為に、地球を守る為に、あらゆる力が、運命が主人公に味方している!

「さあ、生き足掻いてみせろ、ヒーローども!」

その力、その運命、その命。
一つ残らず踏み台にして、更なる高みに登ってやろうじゃないか!




続く
―――――――――――――――――――

ド ワ ォ !
あるいは
紫雲統夜の勇気が地球を救うと信じて……!
な、打ち切りエンドのスパロボJ編最終回をお送りしました。
大分前にトマト予告したし、そんなに怒らないでね?

苦情が来たら戦闘シーンとか追加するかもですが、そもそもシリアスな戦闘シーンを読む人は居ないんじゃなかろうか……。
因みに今回、戦闘シーンと胡散臭いフリーマンの説明シーンを消すと四分の一程度しか残りません。だから戦闘シーンとか説明シーン無駄だから消したら? とかできれば言わないで欲しいなと。言いたいなら謹んでお聴きしますが。
ネタもほぼ無しです。というかネタとか、仮にもシリアスな最終話でどう挟めと言うのか。
それ以外にもいろいろ突っ込み、あると思います。

↓以下来そうな突っ込み予想。
・かっこよく啖呵切った統夜との戦いは?
・原作キャラ、殺しちゃったね……
・回収してない複線(月面都市の連中とか)は?
・無双し過ぎじゃね?
・むしろ無双してなくね?
・笑い取りにいけよ
・謎の超理論
・セーフティーシャッター!
・貴様が倒したキラ・ヤマトはカーボンヒューマンの中で最も格下!
・原作主人公勢の対応とか思考とかおかしくね?
・主人公が外道過ぎる……
・主人公の頭とテンションおかしくね?
・よくもこんなキチガイ主人公を!

色々言い訳ありますが、一つ一つの説明が長くなるので実際に来た質問にのみ答えます。
でも例外的に最初と最後にだけ言い訳。

・かっこよく啖呵切った統夜との戦いは?
答え・出撃機体分の無双シーンを書こうとして力尽きた。要望があれば他の機体を全て沈めた後の一騎討ち的なエピソードを書けたら書くかも。
一対一っぽい戦いがゴッドガンダム戦だけなのはシーンの数を減らそうとした跡。
まぁ、あれ以上一方的な戦闘シーンもとい蹂躙シーン書いても助長になってたし、仕方無いね……。ね!
ああ、あとこれだけは言っておきたい。
も う 二 度 と キ ャ ラ 数 多 い 作 品 に は ト リ ッ プ さ せ ね ぇ … … !

・よくもこんなキチガイ主人公を!
答え・お許しください! とでも、言ってやれればよかったのかもしれんがね(by南極のリ・テクノロジスト)。
嘘ですごめんなさい。今回の主人公のコンセプトが
『読者をドン引きさせるレベルの外道ラスボス』
なので予定調和なんです。仲良くなり過ぎた原作主人公勢と全力で戦う為に挑発している部分もあったり。
しかし実際外道過ぎて読者減るかもと内心ビクビク。
でも仕方ないのです、中盤の実は全て掌の上的発言がやりたいが為だけにスパロボ編始めた部分もある訳ですし。
次のトリップでは善行を積ませるべきだろうか……。


ここで一つアンケにご協力お願いします。
スパロボ編を一区切りと考えて、ここまでのオリジナル登場人物、および主人公達の搭乗機体、主人公の影響で原作とは違う何かを得たキャラクターや機体などの説明を纏めるか纏めないか悩んでいます。
正直な話、SS書くなら設定とかも書いて見たかったりするのですが、そういうのは本物のチラシの裏に書けよ、という方もいらっしゃると思うので。
これまで作品内に出た情報を纏めるべきか、それともそういうのは胸に秘めておくべきか、よろしければご意見ください。


今回は戦闘シーン途中で打ち切り終了だったけど、次回はフィナーレですからちゃっかりしっとり綺麗におわらせますよー。
そんな訳で初心に帰り、誤字脱字の指摘、分かり難い文章の改善案、設定の矛盾、一行の文字数などのアドバイス全般、そして、一音節でも長文でも散文でも詩でも怪文書でもいいので作品を読んでみての感想、心よりお待ちしております。





次回、スーパーロボット大戦J編メルアルートエピローグ。
バッドエンド兼ノーマルエンド兼トゥルーエンド
「遠い世界の貴方へ」
たとえこの恋が、嘘でも幻でも。



[14434] 第二十三話「私達の平穏と何処かに居るあなた」
Name: ここち◆92520f4f ID:e96feda7
Date: 2011/02/04 20:43
枕元でジリジリと神経を逆なでする騒音を鳴らす目覚まし時計をぶん殴り、私はのろのろと毛布から顔を出した。
勢いよく叩き過ぎたのか、その空色の目覚まし時計はベッドの上から転がり落ち、背面をわたしのほうに向けている。
可愛くて頑丈で、それでいて値の張らないものという条件で探した目覚まし時計はそのファンシーな外見と安い値段には似つかわしくない頑強さを備えているので、少なくとも壊れてはいないと思う。
これもネルガルの製品の一つらしい。ナデシコを降りてからあまり関わる事も無くなった企業だけど、元クルーで色々と不慣れな人にはプロスペクターさんが何かと世話を焼いてくれる。
春から学生生活と共に一人暮らしを始めたわたし、フェステニア・ミューズも、世話を焼いて貰っている内の一人。
統夜やカティアに一緒に暮らさないかと誘われもしたけど、この国には人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて地獄に落ちてしまうという慣習があるらしい。
折角平和に暮らせるようになったのに早々に死にたくはないし、あの二人の桃色空間に耐えられる程、わたしの神経は太くできていない。

「ふあ……」

ベッドの上で上半身を起こし、欠伸を一つ。
昨日は千鳥に勧めて貰った映画を見たせいで遅くなって、お陰ですっかり寝不足になってしまった。
しかし、千鳥も毎度毎度宗助の巻き起こすトラブルに巻き込まれているわりには、戦争物とかガンアクションを好きなままだ。
これが日本で言う「いやよいやよもすきのうち」というものなのかもしれない。
うん、今難しい言葉を言えた気がする。流石わたし、もう日本の諺を使いこなし始めている。偉いぞわたし、頭いいぞわたし!
先生の教え方が上手いのもあるけど、こう見えてわたしは物覚えも悪くないのだ。
頭が悪かったら機動兵器のサブパイロットなんてできないのだから、当たり前と言えば当たり前なんだけど。

「うっし」

一声気合いを入れベッドから勢いよく立ち上がり、カーテンを開ける。
ここはとあるマンションの一室、ナデシコでの給料を使って買ったそれなりに良い位置にある部屋。
機動兵器のパイロットは高給取りだし、ナデシコでは危険手当とかがいっぱい追加されたので、暫くは働かなくても暮らせる程度のお金が手元にある。
私はパイロットはパイロットでもサブパイロットだったけど、わたしの身体に施された実験の跡、それを解析して、かなりフューリーの技術を解析出来たらしく、それで得た利益も少し上乗せされているのだとか。
でも、馬鹿みたいに贅沢な使い方はしない。
少なくとも今は、普通の女の子として、普通の学生として、普通の生活というモノを送ってみたいのだ。
教室で勉強して、友達とバカ話して、帰りに寄り道して、宿題して。
この歳になるまでずっと月で実験体なんてしていたから、そんな当たり前の生活がとてもありがたい事なんだって、わたしにはよく分かる。

「んー……」

日の光を浴びて背伸びをする。
今日は休日で、しかもいい天気だ。布団を干してシーツを洗って、そしたらどこかに遊びに行こう。
ああ、忘れるところだった。今日は千鳥と街に買い物に行くんだった。そうなると、余った時間で面白い遊び場も教えて貰えるかもしれない。
なんだか楽しみだ。女二人というのも色気の無い話だけど、そういうのもありだと思う。

「その前に、朝ごはんかな」

―――――――――――――――――――

サラダの中の半分に切られたプチトマトをフォークで突き刺し一口、続けてトーストをかじり、砂糖とミルクのたっぷり入ったコーヒーを飲みながらテレビのニュースを見る。
もう何時間かしたらいい○も増刊号が始まるけど、その時間には出かけているので見る事は無いだろう。
統夜から聞いた話だと、カティアはこの時間にやっている変身ヒーロー番組と、その後の変身ヒロイン番組を毎週欠かさず見ているらしい。
そういえばゲキガンガーにも一発でハマっていた。ナデシコを、ベルゼルートを降りてから気付いたけど、カティアは割と子供っぽい性格なのかもしれない。
でもまぁ、聞いた話ではそれなりにカッコいい役者さんが出ていたり、本物の変身ヒーロー(Dボウイ、タカヤとかミユキのことだろう)にも負けないような迫力だったりでそれなりに見ごたえはあるらしい。
うん、話の種に視てみようかな。面白ければ休日の楽しみが増えるし、つまらなければそれをネタにカティアをからかって遊ぶ事も出来る。
リモコンを手に取り、その番組の放送されているチャンネルに変えようとして──

──依然として月の再開発の目途は立たず、連合政府は次のように──

思わず、手を止めた。
ニュース番組が報道するのは、ザフトのジェネシスによって崩壊した月面都市、その復興についての話題だ。
戦争が終わり、侵略者の影も見えないほど平和になった今でも、戦争で破壊された施設は直されず、戦争被害者への援助も行き届いていない。
テレビの中でコメンテーターやジャーナリストのおじさん達が、やれ政府の怠慢だなんだと騒いでいる光景は、一気にわたしの心を冷ましてしまった。
難しい事は分からない。わたしは一年半の間戦場で統夜やナデシコのみんなと戦ってきたけど、それは死にたくないから戦ってきただけ、というのが一番大きい理由なのだ。
別に戦争経済がどうとか、戦後の復興がどうとか、そんな知識を得ることが出来た訳じゃない。
むしろ今は、普通の人よりも足りない知識を学校に通う事で覚えている真っ最中。

「……はぁ」

それでも、分かる事がある。
もう私達は、いや、人類は、二度と月に手を出す事は出来ない。
月は、もう人類の生活圏じゃ無い。
かつての月面都市に暮らす百万を超える魔人──テッカマンと、それを纏める眠れる女王の王国だ。

その事実は一般に公開される事は無い。
月の資源は惜しいけど、もう資源衛星は腐るほどあるので月に拘るのは月の資源の採掘権を持っている偉い人だけなのだとか。
実際、こちらが手をださなければ害がある訳では無いらしい。
それはそうだ。月の女王は、今も夢を見続けているあの娘は、好き好んで戦いを仕掛けたりはしない。
ただただ、好きな人の為に待ち続けているだけなんだから。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「でも大丈夫? テニアちゃん、ここらへんはそんなに来た事無いと思うんだけど」

「簡単な地図もあるから迷わないって。急がないとまたややこしくなるだろうし、がんばってねー」

「うー、マジでごめんね? ったく、あの馬鹿が騒ぎを起こさなきゃ案内続けられたんだろうけど……」

わたしに頭を何度か下げ、今度学校帰りにトライデント焼きを奢るという約束をして、千鳥は宗助の元に向かった。
なにやら宗助がまた騒ぎを起こしたらしく、そのフォローに向かうのだとか。
ナデシコ内では日常の風景だったから、日本では割とよくあることなのかと思っていたが、学校のみんなのリアクションを見る限りは非常識極まりない行動なんだろう。本当に勉強になる。
勉強になるけど、明日学校で会ったら、休日に買い物をしている時位は千鳥を休ませてあげないと嫌われてしまうと言っておこう。
お陰でわたしは、こんなメモ書き一つで買い物を済ませなければならない。
二人で荷物を運ぶ予定だったから、帰りは大変な事になるかもしれない。少し憂鬱な気分になる。

「えーっと、まずはここを真っ直ぐ進んで……」

繰り返し言うが、わたしはネルガルの生活保障を受けている。
これがプロスペクターさんの善意によるものか、それとも契約書に最初から乗っていたモノかは分からないけど、とりあえず生活する上で不便なところがあったら電話一本、殆ど待たずに即時解決してしまう。
何処で買えばいいか分からない生活用品(生理用品なども含む)は、お金を払って届けて貰うという手はずになっている。
が、流石にそれは年頃の女の子としてはどうなのかという千鳥やさやか、新しく友達になったクラスメイトの女の子のアドバイスを受け、そういったモノが安く手に入る店を教えて貰い、今日は千鳥の案内でその店の場所を覚えると同時に、暫く分の生活用品を揃えに来たのだ。
まだ一般の流通にそういったモノが満足に行き届いていない現在では、そういった店は貴重なのだとか。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

どうにかなってしまった。
向かった先の一つである薬局は大量に商品を購入した場合、商品を纏めて宅配便で送り届けてくれるサービスも行っているらしいのだ。
なんだか最終的にネルガルの人に用意して貰うのと変わりがなくなってしまったけど、重くはないのに無駄にかさばる荷物を両手いっぱいに抱えて電車に乗り込むよりはよっぽど賢いと思う。

そういった訳で買い物開始早々手隙になったわたしは、一人家電量販店に来ていた。
テレビ番組で聞いたのだが、炊飯器はその性能によってお米の美味しさを格段に上げることができるのだとか。
一人暮らしを始めると共に、少しずつ自炊に手を出しているわたしには朗報だった。
流石にお米を洗剤で洗うような漫画によくある失敗はしないけれど、それでもナデシコの食堂で出てきたふんわりしっとり、甘くて味わい深いご飯を再現出来ていない今、機械の性能に頼ろうと思ってしまうのは当たり前の事だと思う。
思うのだが──

「むー、石窯式とスチーム式?」

──ここは異世界かもしれない。
正直な話、わたしは機動兵器のサブパイロットとしてやって来たから、機械の扱いはそれなりのもんだと自負している。
が、同じ機械を扱っている筈なのに、ここの炊飯器の説明はいまいち要領を得ないというか。
日本語は完璧にマスターしているのに、ここでは更に特殊な言語を必要とするらしい。そう思ってしまうほどに専門用語が多すぎる、理解させようという努力が足りない。
ここの商品と比べると、パソコンコーナーで見つけたネルガル製IFS対応PCの説明は分かりやすかった。
『あなたの思うがままに動く、機械仕掛けの奴隷(スレイブ)』なんて、ちょこっとポエミィかつストレートでグッとくる説明だ。
漢字にわざわざ英訳を当てるのは純粋な少年の心の表れなのだとか。
手近にある、レイズナーの頭みたいなデザインの炊飯器の説明を見る。

「内面フラットフレーム? ステンレス鏡面仕上げ?」

なんとなく強そうな響きだと思う、隠し機能でビームを反射する効果でも付いていそうな。
そういえばフレームにPS装甲を使った絶対に壊れない車が発表されたらしいけど、もしかしたらこれもどこかの機動兵器から技術が民間の方に流れてきているのかも。

―――――――――――――――――――

店員さんに説明して貰って解決した。最終的に購入したのはどことなくベルゼルートの頭に似たアンテナ付きの炊飯器だ。
やっぱりこういうのは意地を張らずにプロのアドバイスを貰うのが一番手っ取り早い。
しかもこれまた宅配便で届けてくれるらしい。
薬局と違い、こっちは家電量販店では当たり前のサービスなのだとか。
そりゃそうだ、こんな大きくて重い荷物、車で来た客でも無ければまともに持ち帰れないもんね。
この少し型遅れの大型テレビとか、まともに運びようも──

──また、基地には新たにソルテッカマン及び量産型ゼオライマーが配置され、過剰戦力では無いかという声も──

思わずその場に立ち止まり、テレビコーナーの最新式空中投影型テレビの画面に見入る。
マサトに事前に聞いていた事だけど、実際に映像で見るとかなりのインパクトがある。
何しろMSサイズで少し鋭角の少ない大人しいデザインのプチゼオライマーが、基地の滑走路の様な所にずらりと整列しているのだから、驚くなという方が無理だろう。

──他星系からの侵略者に対する特殊部隊として発足されたこの部隊は──

他星系からの侵略者。
もちろんそれもあるけど、この部隊はもっと身近な敵を排除する事を主眼に置いているのだとか。
この部隊の真の目的は、月の奪還。
多分それはとても難しい事だと思う。正直な話、百年かけて一部取り戻せればいいところじゃないかというのがマサトと美久の考えだ。
中々厳しいらしい。でも、

「……」

それはもう、わたしには関係の無い話。
画面から自然に視線が離れる。
映像にインパクトはあるけど、これはわたしの生活に関わるような話じゃない。
それより今は生活用品だ。宅配で送って貰えるなら多少買い足しても困らないだろう。

「うん、ハンドミキサーも買っていこう」

ネットで見たお菓子作りの動画を真似してみたい。
クリームや生地を混ぜる意外にも、肉をミンチにする事ができるのだとか。自力でひき肉を作れるなら最終的に節約にもつながるだろう。
わたしはテレビコーナーから離れ、店員の人にミキサーの場所を訪ねた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

買い物を済ませた後、街でたまたま同じクラスの友達と合流し、あちこち遊びまわって、帰ってくる頃には夕飯の時間だった。
冷蔵庫の中と相談し、今日は天麩羅蕎麦に挑戦した。
蕎麦は乾麺をゆでるだけだから完璧に出来たけど、天ぷらはまだ私には難易度が高かったらしい。
少しべしゃっとした仕上がりで、ナデシコの食堂で偶に引き当ててしまったアキト特製失敗天ぷらのような残念な代物になってしまった。
油の温度とか、どうやって確認すればいいんだろう。今度千鳥かプロスペクターさんに聞いてみよう。

夕飯を済ませた後は宿題、少しテレビを見た後にお風呂。
シャンプーが切れそうだ。買い物に行く前に確認しておけば薬局でまとめ買い出来たかもしれないのに。今度からは気を付けるように心に誓ってメモしておいた。

何だかんだで風呂上がり。
昨日学校帰りのスーパーで見かけて購入しておいたビン牛乳を一気飲み。
わたしは当然フルーツ派。
エイジに聞いた話では、遠い昔に滅んだハザード星ではコーヒー牛乳は戦士の飲み物であり、戦いの後に自らを労う意味を込めて夕日に向かって仲間と肩を並べて呑む風習があったのだとか。
なかなかイカした風習だと思う。
夕日をバックにコーヒー牛乳を煽るように呑む戦士達、それだけで一本のドラマが作れそうなかっこよさだ。
地球でも広まって欲しいけど、そうなったらコーヒー牛乳の値段が上がりそうだ。

そして、パジャマに着替えてブラックバ○エティを見ていると電話が掛かってきた。
発信元は光子力研究所、ここから電話を掛けて来そうな知り合いは二人居るけど、今日はどっちからの電話だろう。

―――――――――――――――――――

「へえ、じゃあ甲児はそろそろ退院できるんだ」

『ええ、復帰したらあいつらの分まで地球を守るんだって。今じゃリハビリが筋トレに変わっちゃってて、昨日も看護婦さんに怒られてたのよ』

電話越しにさやかとおしゃべり、話題は月の最終決戦で大けがを負った甲児の話題に。
やれ両腕が使えない間はご飯を食べさせてあげただの、当然トイレにも満足に行く事ができないのでしびんを使って手伝ってあげただの、看護婦さんが来るかもしれない空白の時間にあれこれするのはスリリングで興奮するだの。
正直な話、ウザい。
こう見えてわたしは失恋したばかりなのだ。カティアと統夜の幸せの為に告白するまでも無く身を引いた謙虚なわたしの前で惚気話とはいい度胸だと思う。
いくら穏やかさを信条としているわたしでも、いささか語気が荒くなる事無きにしも非ずという事を教えてあげるべきだろうか。
そろそろ受話器の向こうの相手を殴れる電話が開発されてもいいと、ほんの少しだけ思った。

『でも本当、生きて帰れて本当に良かったわ』

「ほんとにねー、生きてるのが不思議なくらいだよ」

『本当に、グ=ランドンとズィー・ガディンはすごい手強かったわ。こんなことを言うとアークエンジェルのみんなとボルテスとコンバトラーのみんなには悪いけど、全滅しなかっただけ運が良かったのかも……』

「──そう、だね」

一瞬、言葉に詰まってしまった。
それでもなんとか相槌を返し、なんとかかんとか会話を自然に終わらせる事に成功させる事ができたのは、これまで何度も同じやり取りをしてきたからだと思う。
なんだか最後の方は相槌ばかりでまともにさやかの言葉が聞き取れなかったけど、体調が悪いと言って誤魔化しておいた。
通話を終え受話器を置き、冷蔵庫からお茶のペットボトルを取り出したわたしは、パジャマにスリッパのまま、ベランダの外に出た。

―――――――――――――――――――

半年前の月での最終決戦、結論から言って、わたしたちは負けた。
それはもう酷い負け方だった。少なくともわたしはそう思っているし、カティアもそう考えているらしい。
ナデシコの中から見ているだけだったわたしですら理解できるような大負け。
今の地球の状況は、卓也さんの気まぐれというか、オマケにオマケして譲ってくれた勝利の賜物なのである。

偶然戦闘領域の外に乗り捨てられていたメルアのベルゼルートをナデシコの整備班が必死の思いで回収し、スクラップ同然にまで破壊されたB・ブリガンディのコックピットをむりやり組み込み、同じく重傷の統夜とカティアが再出撃。
ガウ・ラを起動して地球を破壊しようと準備をしていた卓也さんの黒いボウライダーのコックピットをブレードで貫いた。間違いなくコックピットの中の卓也さんは潰れていると分かるような貫き方。
ギリギリのところで勝った。わたしもみんなもそう思った。
でも、そんな簡単に話が終わる筈も無くて──

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「いや、まいったね。まさかそれを回収するのを忘れていたとは。凡ミス、いや、これが補正とか、世界の修正力ってやつか?」

黒いボウライダーの頭部コックピット、ベルゼルートにブレードを突き立てられ身体を斜めに両断された鳴無卓也が、平然と喋り続けている。
大破したゴッドガンダムごと回収されていたドモンが、ナデシコのブリッジで叫ぶ。

「まさか、DG細胞!?」

少なくとも、身体を両断されて生きている理由は他に思いつかない。

「ああ、そういえば言っていなかったか。こりゃDG細胞じゃなくて、俺の体質だよ」

事も無げに言う卓也は、自らの肉体を両断しているブレードに手を触れる。
するとどうだろう、オルゴンライフルに括りつけられていた超合金ニューZ製のブレードはさらさらと砂のように崩れ去り、後には服が斜めに切り裂かれただけで、肉体的には全く無傷に見える卓也の姿だけが残った。
黒いボウライダーが軽く腕を振るい、撫でるようにベルゼルートに掌を当てる。
剥き出しのフレームを残らずへし折られながら激しく吹き飛ぶベルゼルート。

「メルアの乗り捨てたベルゼルートを回収し忘れて、そのベルゼルートが使うブレードはお兄さんがナデシコに置いてきた忘れ物で、通常なら致命傷になるような攻撃を直でくらってしまった、と」

からかい混じりの美鳥の言葉に肩を竦める卓也。もはや二人の眼中にナデシコもベルゼルートも入っていない。

「ここまで圧倒的な戦力でやっといて、最後に一太刀喰らっちゃあ、勝ちなんてとても言えんよなぁ」

黒いボウライダーが、その手に巨大な何かを呼び出す。
それは、巨大な機械を組み合わせ作った、魔法の杖の様な物体。
黒いボウライダーの身の丈を遥かに超えるその長大な杖を軽々と振り回し、その切っ先が幾何学的な、しかし呪術的な図形を描く。
空中に現れる、巨大な魔法陣。

「でも、お前らにはもう戦う力は残っていない」

魔法陣を乗せた杖の先端がナデシコに向けられる。
杖の動きに連動し、黒いボウライダーの強化型次元連結システムが発動する。
異次元より引き出される、ゼオライマーの使う力とは種類の、属性の違うエネルギー。
そのエネルギーが、魔法陣に巡り、その効力を発動させる。

「この勝負、勝ちも負けも中途半端だ。故に地球は今すぐ滅ぼさず、しかし滅びの可能性を残す、という事で痛み分けにしておこうか」

色付き、光を帯びる魔法陣。
光の三原色でも色の三原色でも表現する事の出来ない未知の輝き。
全くの異世界、平行世界でもスパロボJの世界での異次元でもないそこから引きずり出された、異界の魔力。

「どうせ手前らは、この結末が気に召さないだろうな。だから、こう考えてみろ。そうすりゃあ、全てが、大団円」

杖を構えるボウライダーに寄り添うMFデビルガンダム。その中に居る筈の美鳥の声が、杖の先に居る、ナデシコとアークエンジェルのクルー、撃墜され回収すらされていない機体のパイロット達全員の脳に直接響いた。
そして、続く卓也の声が、深く、深く全員の頭に沁み込んでいく。

「あなた達は今までずぅっとまどろみの中、虚ろう夢をご覧になられていたのだと」

そして、異界の色が、光が、その場の全てを包み込んで、弾けた。

―――――――――――――――――――

負けて、訳の分からない事を言われて、よく分からないモノに包まれて、わたしは意識を失った。
目が覚めたとき、ナデシコとアークエンジェルの残骸、ボロボロになったみんなの機体、今度こそ二度と修復できないレベルまで破壊されたベルゼルートは、地球のカワサキ基地に転送されていた。

全員が全員、例外なく気絶していて、基地で目を覚ました時、わたしとカティア以外の皆は偽物の記憶を植え付けられていた。
具体的には美鳥と卓也さんが関係している部分の記憶が丸ごと書き換えられていた。
その内容は、多分最初にシャナ=ミアさんが説明した事が真実だったなら起きたであろう事態そのままで、でも、現実に出た死人や被害とは矛盾しない内容。
まず月に居た非戦派の人達は全てグ=ランドンがズィー・ガディンで無茶をした余波で死んでしまったという事になった。
そしてアークエンジェルのクルーとか、アスランとか豹馬とか健一とかの死因もただ殺した相手が卓也さんからグ=ランドンとかいう人に変わっただけ。
メルアは、そんなグ=ランドンと刺し違えて死んでしまった事になっている。

勿論、そんなのが嘘だって事は月の中に存在するガウ・ラを調査すれば一発で分かる。
でも、ガウ・ラを調査する事は出来ない。
それどころか月の中にガウ・ラが存在しているのかどうかすらわからない。

「あー……」

わたしは、空に煌煌と光る月をぼんやりと見上げる。
一見、何も変わっていないように見える月。
おまんじゅうみたいにまん丸くて、ふんわりしておいしそうな、黄色い月。
でも、あの月は月じゃない。
あの月は、デビルガンダムなんだ。
月の調査に向かった軍人さんが、もう何人も撃ち落とされて、逆に月を守る番人に仲間入りさせられてしまった。
ボソンジャンプやゼオライマーの転移でも侵入する事ができなかった。
逆に月の地表に飛ばされて、文字通りの意味で地平線まで広がる無数のテッカマンに追い立てられ、命からがら戻ってきたらしい。
フューリーがボソンジャンプするテッカマンを作ったり、デビルガンダムを回収していたから、主であるズィー・ガディンを失って暴走を始めたんだろう、との事だ。

でも、わたしとカティアだけは知っている。
月に居るのは暴走したデビルガンダムなんかじゃなく、美鳥が言っていた、メルアをコアにした、ズィー・ガディンがベースの全く新しいデビルガンダム。
ガウ・ラと融合したそのデビルガンダムは、そのまま周りを取り囲む外殻、月そのものを取り込んでしまったんだ。
多分、卓也さんの頼みごとに必要だったんだろう。
好きな人にお願いされたから、お手伝いできるのが嬉しくて。

「ほんとに、一途だよね、メルアは」

あの月で、メルア以外には兵隊のテッカマンしか居ないあの月で、ずうっと卓也さんの事を待っているんだろう。
眠りながら、頼まれた仕事をしながら、ふわふわ、ふわふわ、楽しい夢でも見ているんだろう。

「んっ、んっ、んっ……、ぷは」

コンビニで買った、安もののペットボトルのお茶を煽り、月に掲げる。
ねぇ、メルア。今、どんな夢を見てるの?
みんなで、卓也さんと美鳥と、あたしやカティア、統夜と一緒にオヤツを食べてる夢?
夢の中だからって、卓也さんとのらぶらぶエッチな妄想とかもしてそうだよね、メルア、エッチかったし。
どんな夢を見ててもいいよ、夢の中身まで強制されなきゃいけないなんて、面倒臭くて嫌だもんね。
でも、

「待ってるだけじゃ、男は捕まんないみたいだよ」

待ってて振られたわたしが言うんだから間違いない。

「早く起きて、捕まえに行かなきゃ」

卓也さんと美鳥の事は、どうしてか嫌いにはなれない。
裏切って、最初から騙してて、いっぱい殺されたけど、それでもあの人は恩人だった。
だって、今の私が生きているのは、あの孤島で統夜が死ななかったのは、確かにあの人のお陰だから。
騙されていても、計画のうちでも、わたしたちの命の恩人である事に違いはないんだ。
誰が殺されたって、結局自分が生きているのが一番いい。その程度の常識は、月で実験体をやってた頃にもう身に付いてる。
一つの房から叫び声が消えて、また他の房から泣き叫ぶ声が聞こえてきた時に、自分の番じゃなくてよかったと、心底安心していたあの頃に。

「なんて言わなくても、きっとわかってるよね」

メルアは、強いし、賢しい。待つよりもいい選択肢なんて、自分から見つけることができる。
心を操る事が出来たとしても、作られた偽物の想いでも、メルアにとっては、確かに初恋なんだ。
ずっと隣で見ていたわたしには分かる。向ける相手は違っても、わたしとメルアは並んで一緒に恋をしていたんだから。
どこからどこまでが偽物の恋でも関係無い。メルアの恋は、最初から最後まで全部本気だった。
あの子の恋は、確かに本気の恋だったんだ。だから、

「だからいつか、メルアに捕まってあげてよね」

掲げたボトルに月が映り、光の屈折で月が歪む。
その月に、小さな影。わたしはペットボトルを下ろし、その影に目を凝らす。
月を横切り、一直線にどこかに飛んで行くボウライダーと、ぴったり後ろに張り付いて飛ぶスケールライダー。
あっという間に月を横切って、西の空へ、夜の闇に融けて消えていく二つの影。
本当に居たのか、幻だったのかは、誰にも分からない。
でも月は、のろのろ、のろのろと、それでもその影の消えていった方に進んでいる。
あの人は確かにこっちに居ると、絶対にいつか、追い付いてみせると。

「……っぷ、ポエミィ過ぎるよこれ」

ロマンチックが過ぎたかもしれない。ポエミィなのはカティアの秘密ノートだけで十分だというのに。
明日は学校がある、そしたら、カティアとも会うことになるだろう。
堅物なところがあるからまだ友人が少ないみたいだし、わたしが率先して引っ張ってあげるのもいいかもしれない。
踵を返し、部屋の中に戻る。

「またね、おやすみ」

少しだけ振り返り、月とメルアと、どこかに消えてしまった悪党で恩人で、とっても薄情な二人に、おやすみなさいの挨拶をした。





おしまい
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祝、完結。
前回の引きからそして半年後、多分期待していた人も多いだろう戦闘シーンなんて欠片も無い、しっとりふっくら静かな夜に、まさかまさかのフェステニア・ミューズこと薬用石鹸の日常オチな第二十三話ことスーパーロボット大戦J編最終話をお届けしました。
原作からして一部の連中のその後しか書かないエンディングだったし、特に問題は無いですよね。最後に無理やりいい話にしようとしてる、あざとい。とか言われそうですが。
でもなんか、自分的に的には書きたいもん書いたんですが、読者の皆様の機体は悪い意味で裏切った感が凄いですよ今。
だが私は謝らない。だって最初からスパロボ編エピローグはしっとり終わらせるつもりだったんで。
というか、前回の戦闘の続きをエピローグで書くとか思った人は居ませんよね? 前回のブラスレ編もエピローグは日常で終わらせましたし。
ていうか、ステージじゃなくてエンディングなんで戦闘とか普通は入りませんし。

そして過去の自分へ、
>ダイジェスト風味にして無理やり三話以内にまとめます(キリッ
だっておwwwwwwごめんなさい直ぐに除草します反省しています。
最初におっ立てた『基本一つの世界は1~3話で終わらせる→いったん元の世界に帰還して終了』の流れはこのトリップで完全にぶち壊れましたね……。
でもいいんです、何だかんだで中編くらいにはなる量の話を書けましたし、いい経験になりました。
やはり長々と話を書いていると微妙にプロットから話がずれてきて、修正とかこじ付けに手間がかかりすぎます。

正直に告白しますが最初のプロットだと、メルアがヤンデレてベルゼルートで戦う予定は一切ありませんでしたからね。
メルアの最後も月のデビルガンダムのコアとかそんな大それたもんじゃ無かったです。
原作通りフューリーの式典に向かう途中で主人公に関する記憶を主人公の手で消されて、式典の最中に出されたチョコレートケーキ食って無意識に涙を流して、なんで泣いているのか理解できないという事が異様に悲しくて、みたいな感じでメルアがぼろぼろ泣きながら終わり、みたいなラストの予定でした。
どんな話だったか想像もつかないでしょう?

このキャラの今の性格だと、こうなるとこういう行動を取るな、とか考えながら書いてると、話の大筋からどんどん逸れて、何時の間にかフューリー全滅ですよ。笑っちゃいますね。

話は無理矢理纏めて終わらせる事ができたけど、しばらく長編書く気力は無いなぁ。
これから『スパロボJこぼれ話──その頃の主人公──(仮題)』とか書きながら、一話完結の短編と何回か書いて行こうと考えてます。先ずは最初のトリップのリベンジかなぁ。

あ、七月になると思いますが、設定まとめを投稿します。
なんだかんだで設定とか見たいって人がそれなりに居るようだし、反対意見も無かったので。
設定集とか、読むの結構楽しいですよね。気に行ったゲームの設定本とかついつい買っちゃいますし、スパロボ辞典とかも結構時間かけて読むの楽しいですよね。
まぁ、この作品の設定がそこまで読んで楽しめるモノかは保証しませんが……。
でもなにより自分が書きたいので書きます。

条件は
・少なからず本編に使われた設定であり、未使用の設定は書かない事。
・ふざけてもいいのできっちり纏まった文章で作る事。
の二つで行きます。

あと、アンケートでは無いんですが、いちおう区切りとしてトップに(スパロボJ編完結!)とか書いた方がいいですかねぇ。
書くとしたら読む人は増えそうですけど、熱烈なJファンの方が怒りをあらわにして苦情を書き込んでくるかもとドキドキします。
保守的になるか攻めるべきか、よろしければご意見下さい。

それではいつも通り、誤字脱字の指摘、分かり難い文章の改善案、設定の矛盾、一行の文字数などのアドバイス全般、そして、短くても長くても一言でもいいので作品を読んでみての感想、心よりお待ちしております。

次回、スーパーロボット大戦J編付録
「スパロボ辞典」
消されるな、この設定。忘れるな、我が厨二。



[14434] 付録「第二部までのオリキャラとオリ機体設定まとめ」
Name: ここち◆92520f4f ID:96797f90
Date: 2010/08/14 03:06
第一話から第二十三話までのオリジナル登場人物及び搭乗機体設定まとめ。
なお、ここまでに登場した設定を暫定的に纏めたものであるため、後々変更される事もある事を最初に示しておく。
原作ありのキャラクターは次項を参照の事。

※この設定まとめは本編のネタばれを含みます。本編未読の方が閲覧する場合はそこら辺を理解した上でお進みください。
※この項目で一部本編未登場の設定が出てきますが、そこら辺を本編で話のネタにする時は改めてキャラが説明するので、この項目を読まなければ話が理解できない、という事はありません。

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オリジナル人物紹介


主人公
鳴無 卓也(おとなし たくや)

のどかな田舎町で畑を耕し猟をしながら日々を過ごす青年。両親は居らず、現在姉(後述)と妹(サポートAI・後述)と三人暮らし。
幼少時、家族でピクニックをしている最中に土砂崩れに遭い瀕死の重傷を負い、応急処置の為に投与された怪しげなナノマシン的なモノの副作用により、生身の割合0のナノマシン集合体になってしまった。
両親は治療が間に合わず(即死だった為蘇生不可だった)他界。
平均的な普通高校卒、成人はしている。「はじめてのあく」のエーコと同じか少し上くらいの年齢、四捨五入するとまだ二十歳。
少し前にトリップ体質を得て、姉のトリップに巻き込まれるようになった。
トリッパーとしては新人もいいところで超未熟なため、様々な世界にトリップし、力を付ける。

生身の肉体ではなく、超多機能ナノマシンの集合体ではあるが、日常生活では不要であるがゆえにその機能の大半を封印されていた(第一話、第二話参照)。
その為本人が自覚している人間との差異は、異常な回復力とスタミナ、肉体の頑丈さだけで、自分が人間とは違う存在となってしまったという自覚が無かったが、ネギま世界にて烏族に腕を切られた拍子に抑制されていた幾つかの機能が解放された(第一話参照)。
生身の肉体のDNAパターン自体はナノマシンに記録されているが、何故か自分の生身の肉体の再生はできない。普段の肉体は某無貌の神級の精度の擬態で人間の自分に化けているだけ。
融合捕食能力と複製能力を持ち、機械系の存在とすこぶる相性がいい。

ゲーセンやコンビニや本屋すらない田舎ではあるが、姉の影響でオタクである。むしろ田舎だからこそオタク、他に娯楽が無いので。
好きなジャンルは特撮・ロボットアニメなど。姉といっしょにまったりほのぼの系アニメも見たりもするのでかわいい系も好き、つまり広くて浅い雑食のオタク。
好きなNHK・教育テレビの番組は「みんなのうた」「ぜんまいざむらい」「十本アニメ」「ピタゴラスイッチ」「今日の料理ビギナーズ」「リトル・チャロ」などなど。
エロゲファンとしては生粋のニトロっ子であるが、割とぽつぽつプレイしていない作品がある。
その能力の関係上、ぐちょねちょざくりどすり系触手使いでもあるが、火の鳥で似たような話を読んだ時にトラウマになっている為、沙耶の詩は未プレイ。

重度のシスコン、姉妹共に既に一線を越えているが、本人は姉一筋。
本人はいたって真面目な性格で通しているつもりだが脳内はナチュラルにネタまみれ、更に他から見ると少々享楽的かつ行き当たりばったりなところがある。
人の世話を焼いたりする事もあるが、それで情が湧くかは微妙。
本当に長い付き合いの親しい相手や身内(姉と妹)以外には割と上っ面だけの交流で済ますことも多い。
なので、本気で信頼したりすると後々酷い裏切られ方をされた気分になるので、友人として付き合うには注意が必要(第二部参照)。
本気で友人として仲良くなるためには根気が必要だが、浅く軽く付き合う分には楽な性格。
地元には同年代の友人が(むしろ同年代の人間が)居ないが、姉と同年代の新聞配達員と駐在所のおまわりさんとは昔からの友人付き合いがある。
基本的に嘘は言わないが、本当の事も言わずにおくタイプ。
実は少しばかりミーハーなところがある。

第二部ラストでは原作主人公達に戦いを挑み『世界の修正力』の強大な力を確認した。
なお、戦闘直前の悪役臭いやり取りは完全に趣味である。
二つ目の世界を終え、しかしトリッパーとしてはまだまだ未熟。
元の世界に帰った後は、不要な能力と有用な能力を分別したり流派東方不敗の修業をしたり光子力自家発電機を実家に設置して電気代を浮かしたり姉とお風呂で洗いっこしたりと、次のトリップに備え着々と力を磨いている。
チョコレートケーキを作る腕が微妙に上がっていた。

・能力
『融合捕食』
基本的にアプトムなどのそれと同じ、取り込んだ物の性質を取り込む。生き物である必要は無く、むしろ機械などの方が相性が良い。
ブラスレイター世界にて手に入れたナノマシン「ペイルホース」(後述)の感染者が持つ融合能力により、完全に取り込まずともある程度融合し構造を把握すれば取り込んだと同じ扱いになる。
が、当然全部いっぺんに取り込んでしまった方が早いので、時間が無い時は強奪するような形で捕食逃げしてしまう。
取り込んだモノの能力を、魔法なら一割増、科学や機械系なら数倍から十数倍の性能で扱うことができる。下記の能力と併せることで性能を強化したモノを複製する事も可能。
取り込んだモノの性質を取り込んでいる為、第二部終了時点では超合金ニューZα以上の強度、重力を操る力、異世界からエネルギーを引き出す能力などを一つ一つのナノマシンが有している。

『複製』
取り込んだモノを質量保存の法則ガン無視で複製する事ができる。
基本的にどんなサイズのモノでも一瞬で複製することが可能だが、生きているものは何故か複製を作り出すことが出来ない。理由は不明。
逆に、生きた生物で無いのであればどのようなものでも複製を作り出すことが可能。
融合捕食が目立ちがちではあるが、弾薬の関係上第二部では一番活躍した能力と言っても過言では無い(後述のボウライダーの項を参照)。

『触手』
使い心地ナンバーワンの便利機能。
うねる、しなる、締め上げる、突き刺さる。戦闘から融合捕食の補助、人体改造、夜の生活のお供に最適。
第二部で一番の活躍シーンは火星での触手プレイ(第八話参照)。
姉とのマンネリ回避の特殊プレイにも使用されているらしい(第七話参照)。

『超身体能力』
素の状態で岩を砕いたり銃弾を掴み取ったり出来たが、二部終了時点ではDG細胞で強化された上位ガンダムファイターを軽く上回る身体能力を持つ。
具体的には生身・精神コマンド無しの縛りでフル改造グレートマジンガー辺りに無双できる。複数出てきても余裕。
現在の目標はブラックロッジの臍出しグリリバ。
付け加えると、現在の身体の動きは埋葬されていたマスターアジアの死体を掘り返して取り込んで覚えた動き。
飛んだり跳ねたりしても体の軸がぶれないとかそういう理屈を超越した訳分からん超バランス感覚。達人級。

『超再生能力』
全身を構成するナノマシンの内、一機でも残っていれば一瞬で全身を服ごと再生できる。
第二話時点では不足している質量をよそから奪うことで補っていたが、質量保存の法則を無視できる複製能力を自覚してからはその必要も無くなった。

『プラズマ発生装置』
いわゆる初期装備。烏族を焼いたり(二話参照)妹を焼いたり(四話参照)した。
本体が人間大の状態でも、全開で撃てば火のブライストのマグラッシュ程度の威力は出せる。
でも使用法は指先などから噴出してのプラズマクローなどの方がそれっぽい。
スパロボJ世界に来たお陰で、プラズマジェットで鍔迫り合いが出来るようになった。
プラズ魔デコイが出せるかこっそり練習中。

『機械・AIからの好感度補正』
機械や人工知能の類は例外なく主人公を好ましく感じる。ハッキングの一種かもしれない。
命令されるとそれなりに人間臭い人格を有していないと逆らえない為、人工衛星を自爆させたりオモイカネに通信の設定を弄らせたりできる(第五話、第二部のあちこち参照)。
第一部でエレアさんが割と好意的だった理由がこれ。機械、AIのみが対象の~ポ系能力のようなもの。
多分パチンコ台に思いっきり頼み込めばいい設定に換えてくれる。


・第一部で取り込んだ能力

『魔法』
腕の大きな悪魔や、その他の悪魔の死骸を取り込んで覚えた。
基本的な認識阻害、基本的な視線避け、火よ灯れ、など、本気で基本の魔法しか使えない。
しかしどれも悪魔数十体分の威力を誇る筈だが、比較対象が姉か妹のみなのでいまいち実感が湧かないらしい。

『氣の制御』
烏族の侍っぽい奴の死体を取り込んだ時に入手。
流派東方不敗をスムーズに習得出来たのはこの力のお陰。
初使用は下級デモニアック捕獲時(第三話参照)

『ペイルホース』
人間をデモニアックやブラスレイターと呼ばれる怪物へと変貌させるナノマシン。
遺伝子や脳波などのパターンにより適正があり、本来なら一人一種類にしか変身できないが、主人公は全ての変身パターンをアッパーバージョンで使用できる。
本来ペイルホースに感染すると、周りの全ての人間がデモニアックに見えるなどの幻覚症状を抱える事になるが、主人公はそういった症状をナノマシンに命じて押さえつけることが可能。
また、他の一般的なペイルホース感染者のナノマシンをアップデートする事も可能(第五話参照)。
主人公特性の改造品に、感染者を適正関係無く下級デモニアックにする兵隊量産用ペイルホースや、適正の無い人間を無理やり上級のブラスレイターにするペイルホースなどがある。
デモニアックのナノマシンに働きかけ、複数のブラスレイターの能力を持つ下級デモニアックを生産する事も可能(第五話参照)。
なお、主人公が変身するブラスレイターもどきはペイルホースに登録されているパターンでは無く、ペイルホースの機能を取り込んだ、主人公の身体を構成するナノマシンがでっちあげた姿。
超音速で空を飛び大気圏から自力で離脱し突入しても無傷でバリアを張り分身し気候を操り機械と融合し念動力を使い幻覚を見せ俺ルールな闇のゲーム発動可能で極めつけにマイクロブラックホールを作り出せる。これだけでも十分チート。

『ガルム』
変形バイク。
変形して空を飛んだりできるが、主人公はもっぱらブラスレイター世界で独逸郊外の住居とバイト先の往復にのみ使用(第四話参照)、エレアさんは搭載されていない。
こっそりバリアを搭載している。

『パラディン』
戦場の棺桶、むせる。
原作ではアマンダの絆パラディンが大活躍したが、本作では文字通りXATの皆さんの棺桶になった。
主人公のお気に入りの一品ではあるが、使用する機会が無いので本編ではまだ複製が作られていない。

『スケールライダー』
アポカリプスナイツの内の一機。
後述の機体紹介を参照のこと。

『ボウライダー』
アポカリプスナイツの内の一機。
後述の機体紹介を参照のこと。

『ソードライダー』
アポカリプスナイツの内の一機。
唯一主人公に手によって複製が作られなかった機体、魔改造されなかったのは幸運か。
ゾイドもどき。ノーモアヒロシマノーモアナガサキ。
出番的には犠牲になったのだ……。

『ICBM』
ICBMと名乗る機動要塞。板野サーカスとかできる。
空から独逸爆撃を狙った、多分ブラスレイター原作最強の敵。
ビーム無効の超電磁フィールド持ち。タキオン粒子制御機能の賜物。
一部というか、タキオン粒子制御装置部分のみ取り込まれた。そのタキオン粒子制御装置を強化して追加された機能が↓。

『クロックアップ』
タキオン粒子制御機能のちょっとした応用。
言わずと知れた加速装置、正確にはタキオン粒子制御により発動者の時間の流れを変えているだけ。
理屈は仮面ライダーカブトとほぼ同じ、やってみたらなんかできた系機能。
超加速した時間の中で普通の速度で移動しているだけなので、どんだけ早くても衝撃波が出たりはしないし速度による破壊力補正も無い。
代わりに、速度的には光の速度を軽く超える事が可能。
任意発動もできるし気が付くと自動発動したりもしている便利機能(七話、十五話参照)。

『超電磁フィールド』
ビーム無効バリア。
むしろバリアよりも超電磁切りの為にブレードにコーティングされる機会の方が圧倒的に多い。

『反重力推進システム』
スケールライダーから取り込んだ機能。
強化され、基本的な重力制御装置と化している。

『レールガン』
パラディンの腕の残骸を拾って取り込んだら出来た。
以後、ボウライダーの速射砲に技術を応用され続ける。

・第二部で取り込んだ能力
基本的に味方側で取り込んでいない技術が殆ど存在しない。
複数作品クロス作品が舞台のため、全部書くと長過ぎるので省略。
ほぼ全ての登場技術を有しており、それらを数段上回る性能で使う事が可能。
一部の能力を紹介すると、
ナデシコ関連の技術により『重力制御』の性能がかなり向上している。予備動作無しでグラビティブラスト連射可能。
動力として『次元連結システム』の機能を有している為、エネルギーは無限。第一部にて発見された欠点(第四話参照)はほぼ補われた。
体術として『流派東方不敗』を使用可能。気合とか根性とかその辺以外はマスターアジア準拠。
『火星遺跡』を取り込んでいる為、相転移攻撃無効。
そして『Yユニットナデシコ』を取り込んでもいるので相転移砲使用可能。
『テックシステム』解析済みの為、ボルテッカ打ち放題、対消滅耐性在り。
『ラダム樹』を取り込んでいる為、生き物を取り込んでテッカマンにすることも可能。
サイトロン制御により『ラースエイレム』使用可能。
サイトロンのお陰でかなりの頻度で未来が見えるため、作品は違うが特殊技能『予知能力』のようなものが使える。
J本編の能力意外にもアストレイ系技術を持っていたりするが、そこら辺は外伝で。


・姉のプレゼント的能力

『魔法の杖』(第二十三話参照)
主人公の姉は基本的に主人公には自分で力を手に入れて欲しいと思っているので、この魔法の杖も設計図のみを主人公の身体の中に口移しで転送しておいただけ。
材料は『次元連結システム』『火星遺跡中枢』『ウルトラマグコン』『ラムダドライバ』に、その他細々とした技術を幾つか。
主人公が無事にスーパーロボット大戦Jの世界で力を蒐集でき、材料が揃った時に初めて体内の設計図のデータを認識できるように設定しておいた。
頑張ったご褒美か、さもなければ複数の技術の組み合わせ方の見本のようなもの。
非常にメカニカルな外見をしているが、決してリリカルなデバイスではない。
どちらかと言えばライトノベル『ストレイト・ジャケット』の『スタッフ』に、色々な方面で有名な『宝石剣』の機能を付け加えたような代物。
予め登録されていた魔法を、異世界からくみ上げた魔力の様なエネルギーで発動する。
主人公が最後に何かやらかすだろうなと予想していた姉は、強力な大規模記憶改竄魔法と大規模認識阻害魔法のデータを入れておいた。

―――――――――――――――――――

ヒロイン
鳴無 句刻(おとなし くぎり)

・設定
主人公の姉にして出番の少ない本作正ヒロイン。
田舎で弟の手伝いをしたり山で釣りなどをしながらのんべんだらりと過ごす自称トレジャーハンター。むしろ異世界押しかけ強盗。
両親を事故で失ってから、女手一つで立派に弟を育て上げた実績がある。その代わり幾つかの異世界は財政的に犠牲になったのだ、弟を育てる為の犠牲にな……。
いわゆる多重トリッパー。非常に文章に起こし辛いレベルの最強系。
蹂躙型最強系で他作品の技が使えて、オッドアイで銀の長髪で実はほぼ不老不死でと、あんまりな設定でおなかいっぱいな人生を歩んできた。
髪と目の色はチートパワーでどうにかしているが、度々起こる新能力の覚醒の度に髪の毛がカラフルになったり目がオッドアイになったり虹色になったりと実は面倒臭い体質。
今まで旅した世界で手に入れたアイテムや能力は全て持ち越している。
しかし、基本的に持ち物までチートな為、RPGに出てくるようなまともな消費アイテム的な物は持っていない。
主人公を治療するために用いたナノマシンも、凄いものだとは分かっていたが由来は実は本人も知らない。

昔から事あるごとに光る鏡に吸い込まれたり突然現れた不思議な魔法陣に吸い込まれたり異世界人にさらわれたりしてマンガやアニメやSFやよくわからない世界に飛ばされていたが、異世界トリップの度に手に入れた超チート能力により、見事最強オリ主としての能力を開花させ、どんな世界に飛ばされても数日で事件を解決(または御破算に)させて帰ってこれるようになった。
たびたび異世界に飛ばされては事件を解決したり世界を救ったりしていたが、回数を重ねると、一度救った世界とほとんど同じ世界に呼ばれることが増え、いくら異世界で救ったり人と親しくなっても、またなにもかも最初からやり直しをさせられるような感覚に陥り、トリップ先の人間に対して何も期待しなくなった。
一度行ったことのある世界から逃れる最短の脱出方法を模索、「その世界に呼ばれた理由」を探し出し、問答無用で叩きつぶすという解決策をとるようになる。
異世界の人間に対しては、自分が帰還するために必要ならば、主要キャラであろうと容赦なく排除・殺害できる。帰還や目的達成の障害になる相手は障害物程度にしか認識しない。

ご都合主義な半不老不死体質により外見年齢10代後半から20代前半だが、実は主人公とは10ほど歳が離れている。
見た目はまさにお姉さんといった風なので、これから年を食ってもロリババアにはならない。

脅威度MAXな宇宙的怪異を余裕で蹂躙できるレベルの強さを誇るが、マイルールとして、その世界で最強系が出来る程度の力だけを使った戦い方をするようにしている。
対象を任意の作品世界に飛ばすことができる能力を持つ。その場合、その世界に何日何ヶ月何年いても元の世界では数時間から数日しか経過しない。
不思議パワーで主人公の身体に補助用のAIを追加したりできる。インストール方法は当然キス。
文字通り、殆ど出来ない事が無い完璧系。あえて言うなら魔法やそれに準ずる能力と相性が良い。

幼いころにトリップ先の世界を調べていたら、何時の間にか立派なオタクになっていた。
ゲーマーでもあるが、ゲーセンでやるくらいなら家庭用が出るのを待つタイプ。出なければ基盤購入、つまり最終的には余計に金がかかる。
アニメ関係は通販でDVDを買い集めるタイプで、最近は便利になったわねぇとかしみじみしている。
エロゲはあまりやらないが、トリップした経験のある作品はとりあえず集めている。デモベのエロ無し版は新鮮な気分でプレイできた。
夕飯を早めに作って、夕方五時台の教育テレビを視聴するのが日課、平日以外でも土曜の夕方は教育テレビが最強だと心から信じている。

重度のブラコン、第六話終了時点まではエロいこと未経験であるが、弟の身体にはわりと興味津津だった。
トリップ先以外ではいたってまともで近所付き合いもしているが、弟との関係を知らない人物からお見合いを薦められると、笑顔のまま相手に聞こえるように舌打ちする程度には毒がある。
人当たりも良く、友人は男女ともにそれなりに多いが、そのドン引きされるレベルのブラコンぶりから女性として意識される事は少ない。
地元の村では駐在所のお巡りさんと新聞配達員と友人。この二人とはいわゆる幼馴染で、くっついては離れるラブコメの様な二人を生暖かく見守ってきた。
おっとり系で通しているが、長く付き合っていると所々ちゃっかり者の部分が見えてくる。
嘘は言いたい時に言い、ばらしたい時にばらす。割と自由な性格。

弟と妹っぽいのが戻ってくるまでの暇つぶしに、いくつかの異なる世界(ラブクラフト二次創作的な意味で)のアザトースに遠隔ザメハ連打かまして叩き起こして遊んでいたが、数時間で飽きた。
その後ラブプラスでひたすらリンコにセクハラして更に時間を潰し、それでも暇だから新聞配達員の家に遊びに行ったら『働け』と突っ返され、自分がニートだと思われている事に気付き凹む。
その日の夕ご飯は少しだけ何時もよりも塩辛かったとか。
元の世界に帰って来た弟の荷物から、XX染色体の金髪を気付けてこれは泥棒猫の気配! と昼メロ展開にワクワクすると同時に、これも若さよねぇと少し納得している。
金髪の持ち主について詳しく聞いてみるか検討中。

・トリップの原因
正確には異世界にトリップする体質ではなく、とある欠点のある異世界を引き寄せる『欠陥異世界誘引体質』とでもいうべきものである。
引き寄せる異世界には尽く話を進める事の出来るオリジナル主人公またはクロス主人公、あるいはそれら主人公の能力が欠けており、その本来のオリ主の代わりに物語を進めることがトリッパーとしての仕事だと姉は推理している。
主人公が姉のトリップに巻き込まれたのは、あのネギま世界がダブル主人公モノで、片方があの場で能力に覚醒するイベントをこなす必要があった為、能力を封じられていた主人公が引き寄せられた。
※補足
なお、この欠陥のある異世界の大半は、いわゆるネットや多くの人の頭の中に転がっている『先に主人公とか能力とかイベントとか考えたけど、いろいろ面倒臭くて本編が作られなかった物語』のなれの果てである。
その為、その世界のスタート地点をよく探すとオリ主のなり損ないとかが転がっていたりする。
場合によっては、それら元の二次主人公に能力を付加してやる事で話を進める事も可能。

・弱点
低血圧。寝起きは常に不調というか、最低でも一日十時間ほど眠らないとまともに動きたくない(動けない訳ではない)。
最強系主人公によくある、言い訳じみたどうとでもなる弱点である。

・能力
メジャーマイナー問わず、あらゆる作品の気とか魔法っぽい雰囲気の能力は全てノーリスクで使える模様(第二話参照)。それ以外は一切不明。
魔法や特殊能力無しの状態でも無駄に強い(第六話参照)。

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サブキャラ、サポート要員
鳴無 美鳥(おとなし みどり)

元をたどれば主人公の肉体を構成するナノマシンの補助AI。現在は妹ポジションに収まっている。
姉の因子を元に人格や精神や魂など諸々をでっちあげて生まれてきた。
本来なら主人公が超ピンチになった時に生まれてくる筈だったが、主人公が思いのほか上手いこと立ち廻ってしまい、生まれてくるタイミングを逃すまいと自力で無理やり生まれてきた。
しかし、本来の誕生プロセスを経ていないため、かなり未成熟な肉体で生まれてしまった(第四話参照)。しかしロリでは断じてない。
幾度かのアップデート(第十一話参照)を終え、今では微妙に小さいだけでそれなりに成熟したボディとなっている。
主人公のトリップの旅を補助する役割を持っている為、基本的にトリップには大体付いて行く事になっている。
普段は村にある唯一の個人商店で店番のアルバイトをして過ごしている。

肉体を構成するモノは基本的には主人公と同じ謎のナノマシンではあるが、複製を作る際に質量保存の法則をあまり無視できない為、必然的に肉体の再生速度で劣る。
また、主人公のナノマシンのようにナノマシン一つ一つが取り込んだモノの能力を有してはいるが、それらの能力を使うためにはある程度の数のナノマシンがその能力を使う為だけに一つのユニットとして結合する必要がある。
その為、ある程度の能力を身に付ける為には身体の容量を増やす必要があり(第十一話参照)、アップデートの度にグラマラスになる予定だが、デビルガンダムの自己進化機能か次元連結システムのちょっとした応用でこの欠点は解消されそう。
本人は、遠い未来に超ファットボディになる危機を回避した代わりに、近い未来で身体の凹凸の成長が止まるかもしれないと少し残念がっている。
そういった様々な面から、肉体的には主人公の下位互換だと思われる。

実は主人公と姉のDNAを掛け合せたようなDNAパターンのデータを持っており、そのDNAパターンを元に肉体を作れれば主人公と姉の間に出来た娘的なポジションに入る事が可能だが、これまた生物を複製する事が出来ないので不可能。
普段の肉体は主人公と同じく擬態。もし生身の肉体を作れたら、を基本にしている。
また、ニトロとゴンゾの合作世界で肉体を構成したせいか、眼に見えて肉付きが良い訳でも無いのにやたらエロい雰囲気を出している。
二トロの肢体とゴンゾのパンツが合わさって最強に見える。ある意味パーフェクトボディ。

姉と主人公のデータをベースにしている為、生まれながらのオタク。
が、基本的に知識で知っているだけの事柄が多いため、とりあえずなんでもやってみる活動的なタイプ。情報に対しては雑食性。
光ケーブルを直接口にくわえてインターネットで情報収集、プチサイバーパンク気取り。
兄×妹系エロゲ、兄×姉×妹系エロゲを蒐集中。

重度のブラコン、と思いきや、同時に主人公に人間で言う父性なども感じている模様。
基本的にエロ関係で主人公に迫る事が多いが、これは主人公の身体に対する帰巣本能的な部分もあるらしい。
そんな訳で主人公に対してはエロ系含めて甘えん坊。
主人公の姉には親愛と同時に畏怖のような感情を抱いている。
交友関係は少ないが、それなりの期間付き合う連中には遠慮の少ないあけっぴろげな性格で付き合うことが多い。
が、基本的に親しい相手以外にはかなりサバサバした判断を下せる。
戦闘中は興奮で多少ガラが悪くなる。

元の世界に戻ってからは、ナデシコで撮ったクルーの写真を『スゲー気合いの入ったレイヤー』としてネットにアップ。マジンガー系パイロット、というか、兜甲児の超鋭角モミアゲに対する掲示板の住人の食い付きの良さに驚く。
更にぱちって来た連邦とザフトとオーブのノーマルスーツをコスプレグッズとして販売、地味に家計を助けている。
最近は兄と姉のギシアン音がうるさくてさみしくて眠れない夜が続いている。
反動で昼間店番のバイト中に寝ているが、そうすると夜中に目がさえて、そこで更にギシアン音が聞こえて、の無限ループに陥っている。
仲間に入れて欲しそうな目線を送るべきか真剣に検討中。

・能力
複製、再生以外は基本的に主人公の設定に準じる。
ただし、姉の因子を少なからず有している為、魔法や格闘術に関する知識は明るい。
実は総合的に見て主人公よりも多芸。

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搭乗機体紹介

『ボウライダー』
第二部スパロボ編にて主人公が搭乗する機体。データはオーブでのナデシコ離脱時準拠。
オリジナルは狙撃を得意としていたが、このボウライダーは改造を重ね過ぎたせいでそういった特色は欠片も残っていない。
・装甲材
超合金ニューZを強化したモノを使用。グレートより固ーい!
・馬力
内部構造をマジンガーなどを参考に見直している為、機械獣相手に殴り合いが出来る程の超パワーを持つ。
・武装
超音速の弾丸を毎分6000発吐き出す電磁速射砲が二門。
この速射砲は縦に直列でつなぐと荷電粒子砲に、横に並列に繋ぐとグラビティブラストを放てる不思議構造。
電磁速射砲として使用する際は、超合金Z製の弾丸を常に主人公が複製能力で補充している。
レーザーダガー及び電動鋸型ブレードが片手にそれぞれ装備されている。
電動鋸型ブレードは基本的に超電磁フィールドで覆われており、分解した対象の分子構造をズタズタにし削り取る事が可能。
換装パーツとしてクローアームを装備、握り締めるだけで敵のフレームは拉げ、殴れば装甲をまき散らしながら吹き飛ぶ。掌には輻射波動の親戚が撃てる機能が備えられており、当たると大概の機体は沈む。
次元連結砲をさりげなく使うことが可能だが、これはどちらかと言えば主人公の能力であり、ボウライダーに搭載された武装とは言えない。
・推進
重力制御によるもの。ブースターなどの補助で更に速くなる。物理法則ぶっちぎりな軌道で飛んだり跳ねたりする。
飛べない状況を見越し、脚部に無限軌道を備えている。
遅くはないが、強化パーツ無しだとそれほど速くも無い。
・動力
主人公から直結で次元連結システム、本体にはオルゴンエクストラクタ、光子力反応炉を備えている。
主役級の機体の動力を予備動力として備えるモンスターマシン。
・総合評価
装甲はグレートマジンガー、速度ではそれなり、火力ではスーパー系、射程は強化パーツ無しで速射砲が2から7、荷電粒子砲が3から10、グラビティブラストはマップ兵器、EN無消費の天空剣Vの字斬りもどきが1をカバー。機体サイズSかMだがサイズ差補正無視。
挙句、基本的に武装は弾数無制限でEN回復持ち。金を注がなくてもパイロットの手によって勝手に改造値が上がっていく。
こんなのが味方に居ると、明らかに難易度が下がる。ので、最終回で更にパワーアップした姿でラスボスとして登場する。




『黒いボウライダー』
いわゆる『ぼくがかんがえたちょうつよいかくしぼす』である。
第二部ラストバトルにて主人公が搭乗。
搭乗というよりは着込む、融合するような形態を取っており、主人公の拡張パーツとしての役割を担っている。
パーツごとに分解され異なる次元に格納されており、主人公の強化型次元連結システムでないと取り出すことが出来ない。
半ば主人公が融合同化している為、主人公の半端無い再生能力が適用される。HP回復(大)持ち。強化型次元連結システムのお陰でEN回復(大)持ち。
防御力はマジンカイザー20段フル改造に装甲系強化パーツを四つ付けたよりも硬い。
ワープ系機能を有しており、速度もテッカマンやレイズナーを上回る。
攻撃力は基本的に一撃必殺だが、次元連結システム以外固定武装が無く、その都度主人公が武装を生成して攻撃する。
内部に光子力反応炉、オルゴンエクストラクタを搭載しているのは元のままだが、そのエネルギー変換効率はオリジナルを遥かに上回る。
主人公が融合している為、今まで取り込んだあらゆる機体の能力を保有する。
全身が黒いのは超合金ニューZαの流れを組む超合金を使用しているからではなく、融合同化するとともにブラスレイターの力で融合強化している為。
カラーリングはジョセフの適合したアンドロマリウスのモノ。青いラインが赤くなるのもこれのせい。
窃盗と深い関わりを持つ悪魔という事でゲンを担いでも居る。
しかしそのせいか、性能で主人公チームを凌駕していたのに負けた。俺はお前を凌駕した!いわゆるジョセフの呪である。

また、これで戦う時限定で、主人公は以下の戦法を取る。
・毎ターン精神コマンド全部発動。
片っ端から精神コマンドを使用し、SPが切れたら口の中に強化パーツ『保存食』を幾つか纏めて複製し、一気にSPを回復する。
覚醒持ちなので無限行動可能になるが、一分間にどれだけ攻撃しても相手が必ず反撃をしてくるので一方的な展開にはならない。
実は合体攻撃やらファイヤーブラスターが殆どダメージを与えられなかったのは精神コマンド『不屈』のお陰。相手のターンでも容赦なく精神コマンドを使う。
その為、基本的に援護攻撃でしかまともなダメージを入れる事が不可能。この機体が出てきたら強制負けイベントと思っておくと気が楽。
『愛』も使っている筈なのに回避しないのはお情け&演出。
なお、作りだした保存食は体内に取り込まれるため、鳴無美鳥も覚醒無限行動以外は同じ戦法を取ることが可能である。

・相手の技術で圧倒。
超電磁組に四重超電磁竜巻や四連超電磁ボールを使用し、グレートとカイザーをカイザーノヴァで倒し、ゴッドガンダムを超級覇王日輪弾で倒した理由。
ラストバトルは主人公補正への挑戦であるとともに、自分の取り込んだ技術でオリジナルを圧倒できるかの確認であった為、相手の使用するメイン技術を使用して倒していた。
なので、クロックアップなどの強さを比べるのに不必要な反則臭い技術は使用しなかった。



『キューブ』
黒いボウライダーのサポートメカ、数個から数十個ほど黒いボウライダーの周囲に浮かんでいる。電脳コイルのバージョン4の親戚っぽい見た目。
主人公の次元連結システムからエネルギーを供給され、異次元に格納されたちょっとした天然衛星程もあるカートリッジの山で無限に弾丸を吐き出す。
更に、数個のキューブが合体変形して巨大なクローアームになり、黒いボウライダーに装着される。
実は空間認識によるビット兵器ではなく、一つ一つに下級デモニアックが融合しており、普段は一括で命令を下しての自律行動、黒いデモニアックのオプションとして変形合体する時のみ上位ブラスレイターの力で個別に操っている。
防御力はそれほどでもないが、黒いボウライダーの次元連結システムが稼働している間は消えたり現れたりを繰り返すので撃墜する事がほぼ不可能。
次元連結システムが停止すると同時に核融合エンジンに切り替わりビームの出力も下がり、それ以後はかなり雑魚い性能になる。




『スケールライダー』
第二部スパロボ編にて鳴無美鳥が搭乗。
本来はミサイルやビームぶっぱして爆弾落して逃げるのが仕事の機体だが、魔改造を繰り返された今はそういった戦法以外も取れる。
本来は接近戦は離着陸用の脚部で蹴る程度のことしか出来ないが、翼の外側に設置された光剣(ブラスレイターの力で具現化されたもの)で空中剣戟が可能。
なお、質量保存の法則を無視していそうな大量の弾薬は、全てブラスレイターの力で生み出されたモノ。そのため、実は攻撃力はさほどでもない。
次元連結システム、オルゴンエクストラクタや光子力エンジンなどを搭載した後はグラビティブラストによる砲撃戦メインで戦っていた。
出番が少ない。むしろまともに活躍シーンが描かれなかった。
実は輸送機の特性を備えた機体であり、軽量級とはいえ20メートル級の機動兵器であるベルゼルートを輸送できたりする。
・装甲材
ボウライダーに準ずる。戦闘機の癖にマジンガー並みに固い。
・馬力
力比べをする機体ではないが、機動兵器を輸送できる程度にはある。
・武装
マシンガン、緩く誘導がかかるレーザー、ミサイル、爆撃などのロボット物の戦闘機として標準的な武装。
光剣や脚などの格闘用武装も備え、後にグラビティブラストなども装備した。
・推進
重力推進。通常の板野サーカスの三倍の複雑さな軌道が余裕で可能。
無駄に速く、自力で大気圏離脱、突入が可能。
・総合評価
出番が少ない事を除けば一線級の機体。それ以外は特に書くべき点も無し。




『MFデビルガンダム』
第二部セミファイナル及びラストステージにて鳴無美鳥が搭乗。
本来ならデビルガンダムジュニアとして生まれるはずだったが、主人公や美鳥の手が加えられ、半分ターンエックスのような外見になっている。
が、性能はどちらとも異なり、ジュニアの四天王ビットとターンエックスの溶断破砕マニピュレーターを併せ持つMFのような性能。分離は出来ない。
性能こそ一般的なボスキャラ程度だが、内臓された様々な機能、搭乗者の技量により恐るべき性能となっている。
強化型ディストーションフィールド搭載、装甲にはPS装甲使用。おまけにかなり回避する。
マガノイクタチの発展形技術と、アルテミスを取り込んだ際に手に入れた量子コンピューター用ウイルスを組み合わせた無力化兵器、『スターヴァンパイア』はCEのモビルスーツに対して超鬼畜。
『四天王ビット』は原作とほぼ同じ性能だが、一度壊されるとGガンダム原作のデビルガンダムコロニー内部に出現した防衛用の銀色の球体を味方として作りだしたりする。
『溶断破砕マニピュレーター』も基本的に原作と同じ性能だが、搭乗者である鳴無美鳥が用いる格闘術の一つ『跳空殺手(原作・学園帝国俺はジュウベイ)』のアレンジ技により、相手の死角に瞬時に分身状態で出現する事が可能。
こっちは特にマイルールが無いので、気軽にクロックアップしたりしながら好き勝手戦った。
毎ターン『かく乱』と『愛』を使って戦う。

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全オリキャラ共通設定

『元世界での能力低下』

どんな優れた能力を持っていても、元の世界では能力の使用にかなりの制限がかかる。
主人公の姉が即死した両親を生き返らせる事が出来なかったのもその為。
全能系、絶対能力系は特にその能力を制限される。



[14434] 付録「第二部で設定に変更のある原作キャラと機体設定まとめ」
Name: ここち◆92520f4f ID:96797f90
Date: 2010/07/03 13:06
主人公である鳴無卓也の登場により原作とは異なる成長、異なる変化を得たキャラクター、機体のまとめ。
キャラの変更前設定において一部筆者の主観が交じっているが、この項目自体は読んでも読まなくても話の進行に問題はないのであまり深く考えないこと。


※この設定まとめは本編のネタばれを含みます。本編未読の方が閲覧する場合はそこら辺を理解した上でお進みください。
※既に死亡し、復活の予定の無いキャラについてはここでは言及しないものとします。

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バンプレストオリジナル
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紫雲 統夜(しうん とうや)

スーパーロボット大戦J男主人公。
空から降ってきた女の子付きロボットのパイロットにされたり、戦いを続ける中で実は騎士の血を継いでいることが判明したりする、いわゆる巻き込まれ系の王道主人公。
三人娘の中からヒロインを選ぶ事の出来るエロゲ体質でもあり、後々気分が高揚すると騎士っぽい言葉使いになる事が判明した。多分サイトロンのせい。
今作では初戦闘時に鳴無卓也と鳴無美鳥の援護を受けながら戦い、それ以後オーブで別れるまでは頼れる仲間として共に闘っていた。

原作ではどうにかこうにか三人娘のサポートを受けながら自らの戦闘法を確立していったが、今作ではボウライダーでの戦闘法を見よう見まねでトレースして戦い方を覚えた。
そのせいか射撃機体であるにも関わらず突撃を繰り返し、接近されるとショートランチャーのグリップで殴ったりオルゴンランチャーをフルスイングで叩きつけたりもする。
そんな訳で最初の頃は機体の損耗率が高かったが、後々ボウライダーがブレードを装備して格闘戦を始めたりすると、『あれと同じ戦い方は無理だ』と悟り、ようやく距離をとっての射撃をメインにし始める。
それでも癖がついたのかどうなのか、やはり気付かないうちに距離を詰めてしまう事が多いが、そこら辺はサブパイロットの三人娘が勝手に心配してくれるので本人はあまり気にしていない。
オーブ脱出後に手にした後継機が挌闘もできるものであった為、全ての距離で均等に戦えるようになった。
逆に言えば全距離で器用貧乏。ステ振りも格闘と射撃に均等に振られているタイプ。

鳴無卓也が毎日欠かさずメルアのおやつを持ってくる関係上、ナデシコにいる間、一日一度は間違いなく遭遇していた。
それ以外にもシミュレーション訓練で相手をして貰ったり一緒に飯を食ったりなんだりと付き合いが多く、鳴無卓也をこっそりと人生の先輩的な相手として慕っていた。
しかし、フューリーの騎士として覚醒しかけていた頃、鳴無卓也のボウライダーが無双する姿をみて心を不吉な感情でざわつかせていた。
この頃から密かにラストバトルの状況を予知しかけていた事から、フューリーの騎士としての優秀さがうかがえる。
ラストバトルではB・ブリガンディを黒いボウライダーの繰り出す新ラースエイレムで停止させられて破壊され重傷。
改修した旧ベルゼルートで再出撃し黒いボウライダーに一太刀浴びせるも敗北、記憶を書き換えられ地球に転送される。
最終決戦時の怪我のせいでパイロットとして復帰できるか微妙になった。そもそもベルゼルートもB・ブリガンディも修復不能なレベルにまで破壊されている為、復帰しても乗る機体が存在しない。

エピローグ時点でカティアと同棲、一学生としての生活を満喫している。
月を見る度に何かを思い出しそうになるが、今は何よりも勉強の遅れを取り戻し、カティアとの生活を楽しもうと思っている。


搭乗機体

『ベルゼルート・ブリガンディ』
ベルゼルートの強化型だが、原作とは異なり接近戦も想定した骨格と武装に変更されている。
肩周り、肘周り、脚周りが骨太になっており、拳、肘、膝、踵などの各部位に搭載されたヒートエッジで格闘戦を行う。
両腕に備え付けられたオルゴンライフルはラフトクランズのソードライフルを参考に組直され、オルゴンソードを形成することが可能。

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カティア・グリニャール

スーパーロボット大戦J三人のヒロインの一人。
真面目かつ物静か、クール系のお姉さんキャラと見せかけて電波担当、物語後半では何故かお嬢様言葉になる時がある。実は本質的に三人娘の中で一番子供っぽく、精神的に脆く臆病。
猫耳付けてグリニャーン仮面参上だにゃん☆とかは言わない。
今作で統夜のハートを射止めたヒロイン。
脳内に残留していた洗脳用ナノマシンを魔法の杖が鳴無卓也の一部と誤認したお陰で、大規模記憶改竄魔法の対象から外された。
が、もしまた戦ったら今度こそ統夜が死んでしまうと考えている為、事件の真相は墓まで持って行くつもり。
テニアが統夜に好意を向けていた事を知っており、少しだけ申し訳なく思っている。

エピローグ時点では統夜と同棲生活をおくりつつ学生としてそれなりに順調にやっている。
最近月を見上げて物思いに耽る事が多い。
趣味は秘密のポエムノート。が、たまにやたら上手いゲキガンガーの絵が描かれていたりする。

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フェステニア・ミューズ

スーパーロボット大戦Jの三人ヒロインの内の一人。
第二部本編では大食い意外に特に特徴の無い地味キャラと認識されていたが、エピローグでまさかの独白担当に大抜擢。三人娘の中ではあて馬になり易い性格をしている。
おやつの時間でどさくさにまぎれて統夜にアプローチを仕掛けていたようだが、結局は搭乗回数によりヒロインの座から転落。
同じく鳴無卓也にアプローチを始めていたメルアに共感を覚えていた。
気付いたら告白する前に統夜とカティアがくっついていた為、振られる前に自分から身を引いて諦めた。
活動的な性格だが、恋に関して微妙に奥手なところがある。というか、軽いツンデレ、素直になれない性格。
カティアと同じ理由で記憶改竄を免れたが、恋破れたとはいえ想い人に死んでもらいたく無く、また、自分も二度と戦場に立ちたくないと考えている為、真相をどこかに漏らすつもりはない。

エピローグ時点では、春から学生生活を初めて心機一転、一人暮らしを始めてみた。近所には千鳥かなめや相良宗助が住んでいたりする。
クラスではこっそりと人気があるが、まだ失恋を引きずっている節があり、新しい恋を探すのはまだ先になる模様。
晴れの日にはペットボトルのお茶で月見をするのが日課になっている。
趣味は色々、最近は実益も兼ねて料理を初めてみた。

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メルア・メルナ・メイア

スーパーロボット大戦Jのヒロインの内の一人。
甘い物が好きでおっとり系で巨乳で金髪でと狙い過ぎなヒロイン。三人娘の中で実は一番芯が強い。
サブパイロットとして乗せると移動力と装甲が上がり、なおかつベルゼルート・ブリガンディのサブパイロットにして必殺技を使うと全弾発射したりと、割と機械系に強いと思われる。
原作では戦う事を苦手としているような節があるが、今作では自らベルゼルートで戦ったりと割と活動的。
最終的にナデシコから離脱し、鳴無卓也のお願いにより月の中心で生体コアとなった。

サイトロンによる予知を危険視した鳴無卓也の手により三人娘に洗脳用ナノマシンが盛られたが、その洗脳用ナノマシンをケーキに入れて出したものだからしょっぱなから計画が狂う事に。
この洗脳用ナノマシンは鳴無卓也に対して非常に好感を持ちやすく悪印象を忘れやすくするように脳の働きを弄る機能、更にサイトロンを操る為の生体情報を報告する機能を有していた。
しかしそのナノマシンを盛られたケーキをメルアが他の2人から半分づつ貰ったが為に二倍摂取してしまい、そのせいか速攻で鳴無卓也に懐いた。
初めは犬猫が餌をくれる人間に懐くような感覚で鳴無卓也を慕っていたが、何時の間にか恋愛感情の様なものに変化していった。
実は半分眠った状態でラストバトルでの鳴無卓也とナデシコ、アークエンジェルクルーとのやり取りを聞いていたが、モルモットとしてでも役に立てるのなら嬉しいと考えている。
なお、投与されたナノマシンが突然変異を起こし、肉体がフューリー寄りのモノに作りかえられている。御蔭で統夜と同じかそれ以上のサイトロンリンケージ率を誇る(二十一話、二十二話参照)。
実は余剰投与分のナノマシンはかなり初期の頃から徐々に肉体と脳、神経系との融合を開始しており、その片鱗はサブパイロットとしてベルゼルートに乗った時の移動力補正に現れていた(第九話、第十一話参照)。

エピローグ時点では月の中心で生体コアとなり、只管演算を行いながら幸せな夢を見続けている。
その演算を終えれば鳴無卓也に会えると信じているが、このままでは演算終了まで数十年掛かるので、優秀な生態コンピューターの材料(人間の脳味噌)を集めるために数年後、地球への侵攻を開始する。
その際に自らを倒しに来たかつての仲間達と相対するが、その時点では既に髪の毛がロングになっている。
全滅させられたフューリーの連中の次に人生を歪められた人間の一人。

搭乗機体その一

『ベルゼルート改』
ベルゼルートの改造機。
B・ブリガンディ乗り換え後にも関わらず機体が残っていた経緯については十八話、十九話参照。
操縦系統にIFSとサイトロンコントロールを併用し、補助としてMSの操作を簡略化したモノを採用、更に小型の量子コンピューターを操縦補助に回している(第十九話参照)。
オルゴンエクストラクタは機械的に出力を底上げされ、後にメルア自信のサイトロンリンケージ率が上がった際に、出力を底上げされたオルゴンエクストラクタが暴走、オーバーフロウを起こし、恐るべき戦闘能力を発揮した(第二十一話参照)。
オルゴンライフルはバッテリパックとマガジンを組み合わせたモノで出力を維持し、更に鳴無卓也の残した超合金ニューZ製のブレードを括りつけてある。
また、全身にフューリーの機体から剥ぎ取った武装を装備しており、ハリネズミのような状態になっている。
メインパイロットとしての経験がないメルアの為に、荒い動きでも壊れないように全身のフレームがB・ブリガンディを参考に骨太に造り直されている。

搭乗機体その二

『ズィー・ガディン(DG細胞侵食)』
搭乗、というよりも、コアユニットとして組み込まれただけ。
壁に埋没しているので戦闘能力は無い。

搭乗機体その三

『デビルガンダム衛星(月がベース)』
エピローグでカティアが見上げていた月。
実は二十一話時点で鳴無卓也の手により月は完全にデビルガンダムの一部と化していた。メルアは完成品にコアとして組み込まれただけ。
鳴無卓也が『次元連結システムのコピー』『火星遺跡の中枢のコピー』などを残していったため、それを使用して防衛システムが作られている。
お陰でゼオライマーのワープや火星出身者のボソンジャンプでは侵入する事ができない。
中心にあるガウ・ラとその周囲は巨大な演算装置として使われているが、表面の外殻は自由自在に変形して悪意を持って接近してくる敵を排除する。
この外殻は全てデビルガンダム細胞であるため、これに触れる、または撃墜されるとゾンビ兵にされ月の番人として朽ち果てるまで働かされる。
地球で配備された量産型ゼオライマーはこの外殻を触れずに打ち砕く為に用意された。

なお、外殻の上に住んでいるテッカマン軍団は、遺伝子に調整を施されたフューリーの一般人のなれの果て。
ガウ・ラ内部で殺された分以外はすべてここで暮らしている。
このテッカマン達は、いずれ鳴無卓也が神様系の属性を手に入れた時に作られる奉仕種族の材料である為、崇拝や従属の感情が遺伝子に刷り込まれている。
鳴無卓也がこの世界に存在しない今、その代理であるメルアの命令に絶対服従。
当然のようにブラスレイター化の処置も施されており、大規模戦闘時にはDG細胞で作られたMFやゼオライマーもどき、SPTもどきと融合するグループと、テッカマンとして戦うグループに分かれる。
普段は何事も無く月面で宇宙野菜を栽培している。農家というよりも農奴のような感じ。テッカマン兼ブラスレイター兼アストロノード。

―――――――――――――――――――

フー=ルー・ムールー

フューリー聖騎士団のとても漢らしい女騎士。戦とは死狂いである。
戦の中であっても優雅さを忘れない騎士で、逞し過ぎるカットインが特徴の女傑であったが、オーブで鳴無卓也に殺害され、死体を機体ごと取り込まれる。
どのタイミングでかは不明だが鳴無卓也の手によって尖兵として再生され、優雅さなどを重視しないある意味で前よりも純粋な戦狂いに進化した。
と思いきや、思いもよらぬほどの少女趣味を見せつけてくれたりもする。
騎士として過ごしていた時から隠れ少女趣味で、団員に隠れてこっそりピンクハウスやゴスロリなどに分類されるヒラヒラフリフリ系の服を着て鏡の前でくるっとまわってみたり、
寝る前に枕元のヴォルレントのぬいぐるみ(従騎士時代からのお気に入り)に話しかけた後抱きしめて眠ったりしていたが、騎士としての自らの立場を考えて秘密にしていた。
再生の後遺症かそれとも騎士団が全滅したからかは不明だが、そういった少女趣味を隠しきれなくなっていった。
クローゼットの奥に秘蔵の少女服を隠していたが、それらを全て取り出しやすい位置に移動した。パジャマは猫の肉球がプリントされた愛らしいデザインのものを着用。
そんな少女趣味を抱え、しかし敵には一切悟られることなく、セミファイナルバトルにてメルアのベルゼルート改と激戦を繰り広げ敗北。
最高の戦いに満足して、上下に両断された上でモツをまき散らして死亡。
ある意味死後の二度目の生を誰よりも楽しんでいたと言える。

エピローグ時点では死亡している。
が、実は記憶や戦闘経験のバックアップが鳴無卓也の中に送られている為、記憶を連続した状態での復活が可能。
三度目の生を受けるのが何時になるかは、今のところ不明である。

―――――――――――――――――――

カルヴィナ・クーランジュ

スーパーロボット大戦J女主人公。今回はゲスト出演。
ネルガルからの仕事の依頼を断り、軍の退職金でのんびりやっていた所を突如家に押しかけた鳴無美鳥に『俺んとこ来ないか』と男らしく拉致された。
拉致された先で証拠を突き付けられつつ説明を受け、アル=ヴァンが自分と仲間達を裏切っていた事を知る。
そんな怒りに駆られた状態になった隙に洗脳を受け、見事にアル=ヴァン対策用のパイロットに任命された。
まだ襲撃時の後遺症が残っており、リハビリ無しではパイロットに復帰する事は不可能だったが、驚異の科学力&魔法により見事回復。
更に拉致られてからずっと高濃度のサイトロンエナジーを浴びていた為、サイトロンリンケージ率も高くなっている。

エピローグ時点での生死は不明。
だが、各地の紛争地帯でラフトクランズと並んで戦うクストウェルの姿を見た者がいるとか居ないとか……

―――――――――――――――――――

アル=ヴァン・ランクス

フューリー聖騎士団所属の騎士。
フューリーを滅亡させる未来に直結する鳴無卓也に突っかかり過ぎたせいで、統夜にあまりちょっかいを掛けることが出来なかった。
時の旅の果てに最終決戦の真っ最中に戻ってきて黒いボウライダーの次元連結システムを一時的に封印するのを手助けするが、あらかじめ用意されていたカルビさんにヤンデレられて退場。
しかし、世界の修正力の後押しを受けた愛の力により、僅か説得二回でヨリを戻す事に成功する。

エピローグ時点での生死は不明。
だが、各地の紛争地帯で通信でいちゃつきながら互いを援護するウザい凄腕の傭兵が現れたとかどうとか……。

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シャナ=ミア・エテルナ・フューラ

扱いは原作でも不遇だったが、今作では更に不遇。
現在は貴重なフューリーの生き残りとして、ネルガルにて丁重に『保護』されている。
流石に恋人と再会したアル=ヴァンを引きとめるほど空気が読めない訳では無いが、最近はどうにかして自分も連れ出して欲しかったなと考えている。
そろそろフューリーの知識も出しつくしたので、生体実験か地球人相手の交配実験が始まるかもしれないと怯えている。

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ここから版権キャラ
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アイバ・タカヤ&アイバ・ミユキ

ミユキの身体に施された処置がどのようなものであったか解析され、その技術でブラスター化の後遺症を無くした。
そんな訳でDボウイことアイバ・タカヤは今日も元気にマイクを破壊している。
エピローグ時点では何故か再び地上に現れたラダム樹によって大量に生み出された素体テッカマンの暴動を治める仕事を任されている。
月のテッカマンの軍団については、今の自分達ではどうする事も出来ないと考え、仲間を増やすことから始めようと考え、素体テッカマンのスカウトと、テックシステムの解析に日々の時間を費やす。
なお、ただの人間であるアキを戦場に連れて行くのは危険すぎるという名目で、ミユキは見事アキとタカヤを一時的に引きはがす事に成功する。
アキを引きはがしている間にタカヤの心を掴めるかは、今後の努力次第だろう。

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アルバトロ・ナル・エイジ・アスカ

地球に帰化し、SPT関連の技術を生かして働きながら学校にも通っている。
何だかんだで姉が生き残って嬉しい。
最近、姉に色気を感じてしまう。
戦争が終わった今、彼の思春期は始まったばかりである。

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アルバトロ・ミル・ジュリア・アスカ

地球に帰化し、SPT関連の技術を生かして働いている。
エイジと二人暮らしだが、最近エイジの部屋からエロ本を見つけて慌てる。
思春期に入って興奮する暇が生まれたエイジの視線を少し意識してしまう。
いわゆる一つの欲求不満の未亡人。
戦争が終った今、彼女の欲求不満の日々は始まったばかりである。

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秋津 マサト(あきつ まさと)

ラストガーディアンは潰れてしまったが大冥界に行ってはいないので、まだごみ箱に隠れる程のバイタリティは身に付けていない。
月の脅威をどうにかする為という名目で説得され、渋々簡易型の次元連結システムを設計した。
しかし、量産型ゼオライマーに搭載した簡易型次元連結システムに、オリジナルゼオライマーと次元連結システム、そして操縦者のマサトの意思によって何時でも異次元との連結を解除する事が出来る安全装置を仕込んだりもしている。
エピローグ時点で氷室美久と二人暮らし。そろそろ学校生活に戻りたいと思っているが、量産されたゼオライマーの監視でそれどころではない。
統合したマサキの影響か、軒先に氷柱が出来る時期を心待ちにしている。

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氷室 美久(ひむろ みく)

死んでいないのでドラマCD程スレていない。
エピローグ時点で秋津マサトと二人暮らしだが、簡易型次元連結システム(通称ロリ美久)達の教育に忙しいのであまりエロい事は出来ていない。
マサトの目線が自分の尻を追いかけるのを感じて、しょうがないなぁと思ってしまう程度にはお姉さん属性だが、それが意味する正確なところは未だ察する事が出来ていない。
尻氷柱未体験。

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キラ・ヤマト
セーフティシャッターをものともしない超高圧電流によって炭と化したはずだが、何故か今はオーブの外れにある孤児院で暮らしている。
体には何故か傷一つ無いが、撃墜された後遺症なのかどうなのか、アークエンジェルで戦っていた頃の記憶がほとんど残っていない。
これまた何かの後遺症なのか、何故か無かった筈の空間認識能力が発生している。
不思議な事にラクスの記憶だけはくっきりと残っており、とても懐いている。
このキラの初めての相手はフレイではなくラクス、というだけで色々と察して貰えるだろう。
彼には何一つ罪は無い。今はまだ、と付け加える必要はあるが。



[14434] 第二十四話「正道では無い物と邪道の者」
Name: ここち◆92520f4f ID:96797f90
Date: 2010/07/02 09:14
無限に広がる大宇宙。
星々の瞬きは美しく、黒いビロードに散りばめられた数えきれない宝石のように、漆黒の宇宙を彩る。
そして、その広大な宇宙に比べれば狭いが、それでもとても広範囲に渡って、大小無数のデブリが散乱している。
資源衛星ヘリオポリス、そのコロニーがザフトと連邦または連合──正確にはナデシコとアークエンジェル──の戦闘によって崩壊し、このような光景を作り出しているのだ。

「ふぅ……」

などと、ナレーション風に言ってみたが、俺の言いたい事は只一つ。

「宇宙──さいっこぅ……!」

ビッグ、ワイルド、クール、ダークマター。地上駄目、俺としてはナンセンス。
目の前には、数時間前に完全に崩壊したヘリオポリスの残骸。俺はザフトのジンに似せた通常のMSよりも少し小柄な機体でその残骸の内の一つに近づいている。
ECSを展開し、重力推進によって移動する俺のジンもどきは何者の目にも映らない。

「俺、思うんだけど、宇宙のモノ、誰のものでもないって」

レーダーに感あり。
目標は、もうチョイ先、いや、あの衛星か。

「ってことは、逆に誰のものでもいいんじゃないかって、思うの」

モルゲンレーテから持ち出したデータでは、確かにこの辺り。
なにしろ未来のデータだ、信頼性は高い、いや、むしろバツ牛ンだろう。

「ってことは何? 俺が頑張ったら、独占?」

勿論、独占するつもりはない。
最低でも赤と青の二機が無ければ伝説の傭兵とジャンク屋が死んでしまうのだから。
何を隠そう、俺は無印のアストレイは大好きなのだ。
だが、だがしかし。だがしかしである。

「あーもーいいから早く行こうぜぇ?」

「ノリが悪いなおい、せっかく念願のアストレイが手に入るってのに」

俺の機体の隣をゆっくりと飛ぶ、メカニカルなパワードスーツ。
ソルテッカマンの改造機のようなそれに乗った美鳥がぼやいているのだ。

「お兄さん、アストレイのデータ、モルゲンレーテで手に入れてたじゃん。なんでまたわざわざ、一年以上遡ってまで……」

ぶちぶちと愚痴をこぼす美鳥。
そう、何故俺と美鳥がそれぞれの機体、スケールライダーとボウライダーを降り、わざわざ違う機体で活動しているか。
それは、この時代に居る俺と美鳥との接触の可能性を減らすためだ。
オーブでナデシコを降り、フューリーを全機撃破した俺達は、廃墟と化したオーブから未完成の趣味の悪い金色ビーム反射MSを掘り出した後、ボソンジャンプで過去に跳んだ。
時期は、丁度火星からボソンジャンプで戻ってきた頃。

「夢(ロマン)だよ、夢(ロマン)。俺はこの世界に来たら、とりあえず性能面は度外視でアストレイのオリジナルに触れてみたかったんだ」

「そういうもんかねぇ」

そういうもんだ。
しかし懐かしい、あの頃は空気の読めていないザフトとかどうとか言って怒っていた。
そういえば、何だかんだでザフト軍にはそれほど大打撃を与えられなかったんだよな。
しいて言うなら、異名付きのエースパイロットを落としたくらいか。海でノーマルなジンに乗って出てきた間抜け。名前もしまじろうが言ってた気がするが、誰だったか。

「西川、いや違う。そう、ハイネだハイネ。ハイネ・ヴェルタース」

なんとも語呂の悪い名前である。せめて名前の最後にオリジナルと付ければ化けると思うのだが。

「何が? 特別な存在?」

「ああほら、大分前に俺が落としたザフトのエース。確か黄昏の魔弾とかいう」

「ぬ、前々から言おうと思ってすっかり忘れてたんだけどさ、多分それ、人違いだよ?」

「なんと」

流石にエースパイロットが未改造のジンで出撃とか無いとは思っていたが、やはりあれは声が西川声なだけの赤の他人。
駄目だなしまじろうは、間違った情報をパイロットに与えるとかマジで下手をすれば死んでしまうようなミスだ。
まぁ、ナデシコは実質あの娘一人で動かしているようなもんだし、そういう細かい所にまで気が回らないのは仕方がないのかもしれない。

「せめてミスマルが艦長職をしっかりこなしていればなぁ」

「何かものすごい勢いで勘違いしてそうだけど、面倒臭いから突っ込むのは無しにするね」

「うむ」

ぶっちゃけ、ザフトの異名持ちなんて腐るほど居るから興味無いし。

―――――――――――――――――――

隔壁解放用のレバーを回し、おそらく資材搬入用であろう通路を封じる隔壁が開く。
巨大な岩の塊──つまり、天然の衛星に偽装された、あるいは天然の衛星を加工して作られたと思しき格納庫。
が、その通路の広さはMSが通れるほどの広さは無い。
当然と言えば当然か、資材搬入用である以上、ここを通るのはあくまでもMSのパーツ。防犯の意味でもMSがそのまま通るような広さの通路である必要はない。
完成したMSを外に持ち出す為の通路は別の場所に存在し、当然セキュリティも厳重なのだろう。
そんな訳でこの搬入路は狭い。ジャンク屋ギルドのキメラあたりなら余裕だろうが、多少サイズを縮めているとはいえ、俺のジンもどきが通れるような広さは無い。
ついでに、他のジャンク屋連中がやってきて面倒な事になる前に、オリジナルのアストレイを舐め回すようにじっくりと隅から隅まで味わいたい。

「お兄さん、どうする?」

「こうする」

美鳥の問いに答えると同時に、乗っていたジンもどきをコックピット内部から侵食する。
見る見るうちに俺の身体に取り込まれていくジンもどき。
適当に乗り捨てて行けばいいと思われるかもしれないがそうも行かない。
宇宙船のカタログなどを読んでいて気付いたのが、ナデシコなどで使われている重力制御技術は、この世界ではネルガル含む一部企業が売りにしている高級な技術なのだ。
更に言えばECSはミスリルの誇る超技術の一つ、少なくともこの世界ではミラージュコロイドよりも高性能な迷彩技術だ。下手に乗り捨ててはどこの誰に利用されるかわかったものでは無い。
そんな訳で取り込みを完了。ついで、作業用の機体を作り出す。
美鳥と同様にソルテッカマンをベースに、とも考えたが、ここはもう一捻りが欲しいところだ。
そして、一捻りが利いたパワードスーツと言えば、個人的に思い入れがあるのはこれしか無い。
宇宙でも使えるように気密性や推進をいじり、更にスペースデブリへの対策で装甲を取り換え、これから始まるジャンク漁りの為に腕部も頑強なモノに変え、生成。

「ボン太くんじゃない……!?」

「あれは軍曹がまともだったお陰で手に入んなかったろ」

美鳥のオーバーなリアクションを軽く流し、俺はバイクタイプのコックピットの中に飛び込む。
造り出したパワードスーツは『パラディン』の改造機。
パワードスーツではなく大型可変バイクのロボット形態だが、物としてはパワードスーツとほとんど変わらないので気にしないでおくこと。
改造機と言っても戦闘用の改造ではない。武装はミサイル迎撃用のガトリング・ガンをウェポンラックに左右一対装備しているだけで、それ以外はすべてジャンク回収用の改造だ。
掌部には廃材や隔壁を焼き切る為の高出力レーザーカッター、マニピュレーターは本来のパラディンのものよりも分厚く頑強に、それでいて巨大な物体を持ち上げることができるように馬力を上げられている。
背部には回収したジャンクをまとめておくためのワイヤーが収納され、最大でMS四機分のジャンクを搭載できる。
宇宙空間で三次元機動をするようには出来ていないので、重力制御装置を搭載。
さっき乗り捨てられない理由でどうこう言ったばかりだが、このパラディンを乗り捨てるつもりは欠片も無いし、この時期には連邦もそれなりにエステバリスを配備している。
万が一このパラディンをどこかで解析されたとしても、連邦とザフトや木星蜥蜴との戦闘跡でジャンクを拾って搭載したとか、そんな言い訳はいくらでもできる。
俺はパラディンの二本指のマニピュレーターをガシャガシャと動かし動作を確認する。
まぁ、いざ動かないとなって生身で宇宙に放り出されても、別に死ぬわけじゃないので気にする必要も無いのかもしれんが。

「おー、ごついごつい」

確かに戦車に手足生やしました、見たいなデザインのパラディンは、美鳥が着込むソルテッカマンもどきと比べると余りにもゴツゴツしている。
俺のパラディンと美鳥のソルテッカマンがブースターを吹かし通路を進む。
あまりにもデザインラインが違う二機が並んでいる姿は、この場にこの世界の原作キャラが誰一人居ないにも関わらず、まさに多重クロス、といった光景だろう。

「しかし美鳥。お前のそれ、明らかにジャンク拾うつもりの無い装備だよな」

美鳥のソルテッカマンもオリジナルとは違うアレンジを施されてはいるが、それはあくまでも戦闘用の武装が追加されている形でのアレンジだ。
着込むタイプで人型であるから、手を使ってジャンクを拾う程度の事はできるが、それ以外にはワイヤーすら付いていない。

「アストレイの上に乗っかってる瓦礫を吹き飛ばすくらいならできるよ」

肩の上に備え付けられているミサイルポッドを揺らし答える美鳥。
貴重なアストレイを吹き飛ばすのは止めて欲しい、あれは装甲が発泡金属だからそんなに頑丈ではない、ミサイルなんて受けたら一発で本物のジャンクになってしまう。
一年越しにようやく手に入れることができそうなのに、目の前で吹き飛ばされたらかなわない。

―――――――――――――――――――

通路を抜け、工場跡と思しき所に出た。
所々に爆破された跡があるが、これはヘリオポリス崩壊の時に機材が巻き込まれて爆発した痕なのだろう。

「ここ?」

「いや、違うな」

少なくとも、P02(レッドフレーム)やP03(ブルーフレーム)、ましてやP01(ゴールドフレーム)のあった場所じゃあない。
記憶が正しければ、いくつかの階層に分かれた上の階層にゴールドフレームが安置されており、その下の階層にレッドフレーム、ブルーフレームがある筈なのだ。
この工場跡にもそれっぽいジャンク品が無い訳では無いが、逆にそれは、ここがハズレである可能性を高めていた。
秘密工場を放棄する癖に、それっぽい証拠を残しておくものだろうか。
まぁ、ギナ様がゴールドフレームを持ち出すのですらギリギリだったから、証拠隠滅をする暇が無かったとも取れるんだが……

「お、エロ本はっけーん。この袋とじの開け方が無駄に綺麗なのは、まさにオーブ住人特有の几帳面さ……!」

「お前はいいね気楽で」

その場にしゃがみ込み、地面に落ちているいかにも洋モノっぽいエロ本をそのヒーローチックなデザインの装甲に包まれた手で嬉々として捲っているソルテッカマン。
橋の下のお宝に群がる中学生男子の様な恰好のソルテッカマン。
中身が美鳥だという事を鑑みても、これはテッカマンファンには見せられない残念な光景である。
まあいい、ぶっちゃけ瓦礫の撤去作業なら俺一人で充分。
仮にここが金赤青のアストレイの工場で無かったとしても、そうすれば逆にサーペントテールに襲われる心配がないという事。ゆっくりじっくり探索が出来る。
俺は気合を入れ直し、瓦礫の山に挑み始めた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

十数分掛けてじっくりとエロ本を読み終わった美鳥が途中で合流したお陰で、探索はそれなりに捗った。
ジャンク拾いには向かないソルテッカマンだが、そこら辺は念動力でしっかりカバーしていたので何ら問題は無いらしい。なんだか気合い入れてパラディンを改造したのが馬鹿みたいだ。
美鳥の合流から数時間が経過し、俺達はようやくアストレイ一機分のパーツを発見した。
そう、完成したアストレイを見つけられた訳では無い。あくまでも、アストレイのパーツを発見しただけなのだ。
アストレイのパーツ、その筈なのだが、どうにも様子がおかしい。
俺と美鳥の中には、今までナデシコとアークエンジェルに搭載された事のある機体の情報が全て存在する。
それに照らし合わせてみると、このアストレイはどうにも胡散臭い。

「むぅ、この間接部分の構造、明らかにあれだよな」

「ん、でもアストレイって基本フレーム部分はオーブの独自開発なんだよね?」

「連邦のものよりも、より人間に近い動きが可能な奴をな。確かに、条件的には合ってるが」

この発見したアストレイのパーツを組み合わせている内に、俺達はとある機体に似た構造を発見した。
そう、このアストレイのフレームは、MSではなく、明らかにMFの規格で作られているのだ。
そもアストレイシリーズは連合のPS装甲技術を盗めなかったが為に、オーブ独自の素材である発泡金属を使っているため非常に機体が軽い。
そしてその軽さを生かす為に機動性を上げる形の設計思想で作られている。
つまるところ、アストレイの肝となる部分はその装甲とフレーム部分にあると言っても過言では無いはずなのだが……

「これは、マック、いや、シャイニングかな? 微妙にカモフラしてるっぽいけど、元が特徴的な形してるからぜんぜん誤魔化せてないねぇ」

「だな。まぁ、カモフラ部分以外はかなり本気で似せてるから、性能的には申し分ないんだろ」

フレームの構造がほぼシャイニングそのものなのである。
勿論、シャイニングはオーブ製でも無ければ大西洋連邦製でもない。
つまり、このアストレイに込められているオーブの技術は、被装甲箇所をギリギリまで削られた発泡金属の装甲だけなのである。

「どっから持ってきたんだよ、MFの技術なんて……」

コックピットの中でぐったりと身を伏せる。
こんな、こんな本編に出ない部分でこんな微妙なクロスをされても嬉しくはない。
はっきり言って脱力した。俺が欲しかったアストレイじゃないよ姉さん……。欲しかったのはこれじゃ無い、コレジャナイアストレイ……。
俺の心に渦巻く悲しみ、これぞまさに裏切りのプレゼント。
このままではパラディンから降りて、このパーツ状態のアストレイに愛の鉄拳を叩きこみかねない。いや、叩きこむべきではないか。

「乗り越えられるか、愛の鉄拳……!」

具体的にはバッテリ充電マックスのPS装甲搭載MSを二発で撃墜できるパンチを。
一撃でPS装甲をダウンさせ、二撃目で衝撃波含むパンチでもって打ち砕く。二撃必殺だが別に肩と背中を露出するつもりはない。貴様にはまだ早い(キリッ
そういえば高校の帰りに立ち読みしたジャンプで、なんとなく開いたページがあの人の全裸で、それが俺の鰤の初ページだったんだよな。何時斬魄刀出すんだろうかあの人。

「とりあえず落ち着こうぜ」

パラディンのコックピットの天板がゴンと叩かれ、俺は自分の腕が半ばパラディンに融合しているのに気付いた。
俺の怒りに呼応したのかパラディンのメカメカしい腕が妙にボスキャラ臭い半生体メカっぽいモノに変化している。
これはいかん、俺はとりあえず自分を落ち着かせる事にした。セルフコントロールセルフコントロール。
瞬時に落ち付いた、この間僅か千ミリ秒。
結局ドモンと戦っても明鏡止水の境地の理屈はさっぱり理解出来なかったが、俺は身体の構造上、感情の制御が容易になっているのだ。
一々モノに当たってもしょうがない。
もう王道じゃないどころの騒ぎでは無い技術盗用の仕方だが、それは指示を出した偉い連中や盗みしか出来なかった技術者どもが悪いのであって、このアストレイっぽいものには何一つ責任は無い。
それにほら、塗装すら施されていない癖に、結構な男前ではないか、この機体。
SEEDは本編よりもアストレイのMSの方がイケメン多い気がするがあれだな、多分人間をイケメンにするのにイケメンポイント使い過ぎたんだな。
外伝にもイライジャが明らかなイケメンキャラとして登場しているが、あいつは親がMS操縦の才能とか身体能力をイケメンポイントに振り替えた結果だからノーカン。

「うむ、とりあえず組み立てるか」

「んじゃ、まずは散らかったゴミをどうにかしないとねー」

アストレイのパーツを探している間に見つけた明らかに必要無いジャンク、崩れた壁や天井の破片を美鳥がミサイルで吹き飛ばし集め、重力制御によって生み出された高重力によって圧搾していく。
整備用の設備はナデシコやアークエンジェルに居た時に全て取り込んであるので出し放題。
今必要なのはそれらを置く場所だけなので、関係無いジャンクをまとめて消す事でスペースを作る。
その辺の事を、説明するまでも無く始めてくれる辺り、まさに以心伝心と言ったところだろう。
俺は未組み立てのMSを組み立てるのに必要な機材を、適当に思いつくまま複製した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

そんな訳で、モルゲンレーテでB・ブリガンディを仕上げた時に使った設備を忠実に再現し、工場内の発電施設が動かなかったので更に発電機を作り、組み立てを開始した。
と言っても、俺と美鳥だけで組み立て作業をする訳では無い。
一ダースほど下級デモニアックを複製し、そいつらを操ってパーツを組み立てていく。
下級デモニアックはペイルホースに働きかけ念動力と飛行能力を与えているので、工作機械を動かして組んでいくよりも早いのだ。
しかもデモニアック、ブラスレイター共通の融合能力によって工具と一体化させる事で作業効率は更に上がっている。
無論、微妙にスパロボアレンジが施されているとはいえ憧れのアストレイ、重要な部分の組み立ては俺自身がやっている。

「なんか、作った設備を半分も使っていないような気がするよ?」

「少なくともフレーム組む役には立ったろ?」

全身本気でバラバラだったため、パーツを宙吊りにして組み上げていかねばならない。
宙吊りと言っても無重力なので、正確には吊り下げている訳では無くふわふわと何処かに漂って行かないように固定しているというのが正確なのだが。
内部の機械部分が剥き出しで、まるで巨人の骸のようなアストレイ。
フレーム部分だけ見て、パチモノじゃねーかとか思ってしまったが、肉付けしていくにつれて明らかにMFとはかけ離れたモノに、つまりはMSへと近づいて行くのが分かる。
どうやら、あくまでもMFの技術を採用しているのはフレームだけであり、それ以外は何の変哲も無いMSの技術で作られているらしい。

「しかし、見事に無着色」

「たぶんグリーンかミラージュの元になる予備パーツだったんだろうが、これじゃ何色でもないな」

これから装着する予定の装甲を見てぼやく。
そこにある装甲パーツはどれも見事に灰色の金属色剥き出し。ゴールドとかレッドとかブルーとか言い出す以前に、ホワイト部分すら塗られていない。
これを装着するとなると、かなり地味というかなんというか、微妙なカラーリングになると思う。
でもこう、なんと言ったら良いのか、これはこれでありな気がするな。
何しろ、これが後にグリーンやミラージュになるにしろ、少なくともこの世界では俺がこの場で組み上げたアストレイだ。
データを元に複製を作りだした訳では無く、あくまでもこの工場で手に入れたオリジナルのパーツでくみ上げた、俺だけのアストレイ。
なんというか、そそるものがある。

「お」

「む」

アストレイを見上げながら感慨にふけっていると、俺と美鳥の体内のレーダーに反応。
この工場とは少し離れた位置に、何やら戦艦が接近している。
多分オーブだろう、他所の国の輸入品の戦艦を使ってるが、今この場に来るならオーブでしか有り得ない。
このアストレイを組み立てている最中にも民間船が近づいていた。
で、ここにはアストレイの予備パーツが転がってたから、ここに無かった組み立て調整済みのアストレイは近くの衛星にカモフラされた工場にある筈。
つまり、民間船=ホーム、戦艦=アストレイを消しに来たオーブの連中。
戦艦はまだ大分遠くにいるが、それでも一時間もせずにここに到着するだろう。
つまり、そろそろ無印アストレイ第一話の戦闘パートが始まる訳だ。

「急ぐか」

あとは装甲だけ。それからバッテリを充電済みのモノに入れ替えて、ちゃんと起動するか確認して、それで大体十分かかるかどうか。
適当にアストレイを始末に来た連中を片付けるのを手伝って恩を売り、少しの間、ぶっちゃけガーベラ作り終えるまでどうにか乗せておいて貰う、と。
うむ、一年以上この世界で暮らしておいて、発想が最初の頃と変わっていない。
無理なら後々グレイブヤードに自力で向かうしかないが、そうなると色々と面倒だなぁ。

「武装は?」

そう、実はこのアストレイ、碌に武装が無い。
予備パーツを組み合わせて作ったばかりだから当然と言えば当然。
まぁ、適当に既存のMSの武装を複製して持たせればいいだけの話ではある。ストライカーパックもできるし、無理をすればバスターの装備も使えないじゃないだろう。
コネクタが共通では無いが、アストレイの方のコネクタに合わせた規格に装備の方を作り替えれば十分どうにでもなる。
どうとでもなるのだが、なんというか、面白味がない。使って楽しそうなのが選択肢の中だとビームブーメランくらいしか思いつかない。
やっぱ後々連邦の基地を襲って三馬鹿の武装を奪取するべきなんだよなぁ。ハンマーとか大鎌とか振り回したいぜ。
まぁ、とりあえず急場をしのげればいいんだからビームライフルとビームサーベルだけあればいいか。

「んふ、微妙な表情のお兄さんに朗報があるよ」

美鳥のソルテッカマンが右手を上げると、奥から何かが運び込まれてくる。

「お、おおぉ」

思わず唸る。
SEED本編では使われなかった、というよりPGモデルオリジナルっぽい、実用性的にどうなんだとそれ言いたくなるような非公式のロマン武装。
武骨で無駄に長大なそれを、重機と融合した下級デモニアック数体がえっちらおっちら運んでくる。

「正直さ、ビームライフルにサーベルなんて標準的な装備より、いっそこれだけで出撃した方がインパクトあるよね?」

「間違いねぇなそりゃあ」

というか、いざとなればコックピットから次元連結砲を発動する事が出来るから飛び道具はあまり必要ではない。

「実は両肩にビームブーメランとかそんな逆転の発想も考えたんだが」

「余ったパーツとカラミティを合体させてソードカラミティにするんですねわかります」

予備のストライカーパックがここに二つあるのも不自然だから、それは後々作ればいいだろう。
とりあえず今は組み立て作業の続きだ。戦闘開始には間に合う必要はないけど、戦闘終了までには終わらせなきゃな。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「あたしは出なくていいのー?」

「お前はパラディン見張っててくれ、後々使うかもしれんし、流されたらたまったもんじゃない」

「あーい」

美鳥にパラディンを任せ、指向性を与えたメイオウ攻撃で工場の天井を抜き、軽く地面を蹴り外に出る。
バイク形体のパラディンに座ったソルテッカマンがこちらに手を振っている。ここから見ると小さい。ここまで来て初めて気付いたが、いつもよりかなり視界が高い。
そういえば何だかんだで20メートル級の機体で戦闘行動を取るのは多分これが初めてか。しかし相手は動きの鈍いメビウス、訓練代わりに丁度いい。

レーダーを確認する。何やら微妙に動きのぎこちないジンがメビウスの大群相手に奮闘している。
イライジャ・キールだな。確か今はホームを守ってる筈だし、ここで助ければどっちにも借りを作れる。美味しい状況だ。
背面に追加したメガブースター四基を吹かし、爆発的な加速でメビウスの群れに突っ込む。
肉眼では芥子粒ほどのサイズにしか見えなかった大量のメビウスの群れ、その中に一秒掛からずに到達する。移動力+8は伊達じゃ無い。
メビウス数機とすれ違う、こちらはすでに武器を構えている、すれ違うだけで充分敵を破壊できる武器を。
両手に構えた大剣がジンに迫る二機のメビウスをすれ違いざまに撫で斬り、真っ二つに両断する。

「ううん、我ながらスプレンディッドなクリティカル」

技量はそれなりに高い方だと自負している。
高速振動で切れ味が上がったりもしない何の変哲も無い実体剣だが、加速と斬り方に気を付ければこんなもんだ。
これが、今の俺のアストレイ唯一の武装、『XM404グランドスラム』
なんやかんや紆余曲折があった末にストライクの公式の武装ではなくなってしまった悲劇の武装だが、そんな経歴をものともしない面白い使い心地の武器だ。
今まで普通のブレードで何かを切る時はほぼ例外なく超電磁フィールドでコーティングして斬っていたから気付かなかったが、この鋼を切り裂く感触ときたら!

「素晴らしい、上の上ですね」

恥ずかしい話だが、ふふふ、勃起、しちゃいましてね。
でもそんな事言ったら、じゃああたしが処理してやんよ! とか美鳥が言い出しそうでなぁ。
この興奮はエロい気分では無くこの敵を叩き切る感触が快感であり、あでも剣を男性の性のイメージとして捕えるならあながち間違っていないというかそうなると美鳥とエロいことするのもありかなとかそういえば最近美鳥なんか微妙にエロいというか我ながらなんという不貞! 許せん!
落ち着こう。1、2、3、はい落ち着いた。

気を取り直し更に強引に方向転換、ジンを囲むメビウスの大群、その外周を回るようにして飛ぶ。飛びながら切る。後ろにはメビウスのジャンクしか残らない。
誰も俺のアストレイに追いつけない。
いや、それどころかメビウスもジンも文字通り止まって見える。
分かる、分かるぞ。これが、速度の先、何もかもを置いてきぼりにする、世界の尖端……!
俺は世界の時間を置いてきぼりに──

「って、これクロックアップじゃねえか」

一気に冷めた。
これまた急いでいたお陰で久しぶりに勝手にクロックアップしてしまったようだ。
このままではそもそも援護したかどうかを理解して貰えないし、乗艦の交渉もできない。
クロックオーバー。
俺に叩き切られたメビウスが全機同時に爆発する。
通常の時間の流れに戻り、今度こそ人間でも視認でき、しかし迎撃するには早すぎる程度の速度でメビウスの群れを掻きまわす。

「な、なんだ、お前は」

通信が開くと、マイクからイケメンヴォイスが響き、モニタにはイケメンフェイスが映し出された。あまりの清々しい程のイケメンぶりに少し撃墜したくなってしまう。
そういえば、俺って結構こんな感じの『誰お前?』的な質問受けること多いな。
あーいや、どっちかって言えば『何だお前は?』みたいな感じだったか?
どっちでもいいか。

「ふむ」

しかし、俺が何か、か。哲学的でもあり、現実的に見て大変答えにくい内容ではある。
例えば元の世界での本職はと聞かれれば、俺は間違いなく農家だと答える。それで生計を立てているのだから文句は言わせない。
しかし、常識的に考えてこの状況でMSで助太刀に参上する農家なぞ有り得ないだろう。
しかるにこの世界での仮の職業を答えるべきなのかもしれないが、それも今となっては微妙な肩書きである。
傭兵を名乗っているがナデシコを降りた今は実質無職、そう気軽に『今ちょっと失業中で』とか言うのはかなり気が引ける。
更にこの問いが本当に哲学的な問いであったならば、間違いなく俺は答えることができない。生憎と俺が通っていた高校では授業で哲学なぞ学ばせてくれなかったからだ。
図書室で斜め読みした哲学の入門書の言葉を真に受けるなら、そもそも哲学を人から学ぼう、という考え自体がおかしいというものらしいのだが、正直俺には理解できない世界の話だと思う。
なにしろ人に聞いてはいけない癖に、自分の中だけで完結するのは余りにも子供だましだとか。
とにかく、考えごとが好きな連中の学問だということくらいにしか理解できない。

「あなた、よく面倒臭いやつだって言われません?」

「は、はぁ!?」

何を言ってるんだこいつは、といった顔と声だが、それは間違いなくこちらのセリフだろう。
こんな切羽詰まった時にこんな面倒臭い問いかけをしてくるあたり、全く状況が理解できていないのはそちらなのだから。
常識的に考えて、この状況で問うべき事は一つしかない。
それ以外の余計な事は、戦闘が終わってからでも膝を向け合ってじっくり話し合うべきなのは確定的に明らか。
俺はアストレイにグランドスラムを振らせ、無造作に近場のメビウスを一機串刺しにし、もう一度振るって他のメビウスの未来位置に投げ飛ばす。
これで更に二機撃破、だがまだまだ居る。メビウスはスペースを取らないから戦艦に大量に搭載できるのだ。

「じゃあ面倒臭くない話はどう?」

通信が開き、胸元を肌蹴た白衣の美女が映る。
ホームのプロフェッサー、この人はときた版だとひたすら影が薄いが、もし戸田版ならかなり『粋(いき)』というものを分かっている人物の筈。
まぁ、同一人物だから描写の違いなんだろうが。

「大歓迎ですね」

「報酬払うから、あの連中を片付けて貰えるかしら」

こういう受け答えしてると分かるが、この人はサバサバしてて結構いい女だと思う。姉さんや美鳥程では無いが魅力的だ。

「諒解ですよ。値段交渉はまた後ほど」

身を捻りメビウスの機銃を紙一重で回避しながら、縦横無尽に飛び回る。
如何にクロックアップしていないとはいえ、通常の人間の戦闘速度は俺にはスロー過ぎる。
これが取り回しのいいアーマーシュナイダーなら全弾斬り落して防いでいた所だ。
身を捻る動きを利用し、そのままグランドスラムを全身で振り回し、更にメビウスを叩き落とす。

「聞いてましたよね? これからそっちもまとめて援護しますんで、誤射とか無しの方向でおねがいします」

「わかった」

いつの間にかジンと背中合わせで戦っていたブルーフレーム。
この人が伝説の傭兵、サーペントテールの叢雲劾!
やっべたまんね、サインとか欲しい、いや貰うべき、でも大の大人がサイン下さいとか恥ずかしいな。
そうだ、美鳥辺りにサインのおねだりをさせよう。それが一番それっぽい!
今の今までりりなのトリッパーが白い悪魔に異常に反応したり、ネギまトリッパーが金髪ロリ婆に異常に好意的に迫ったりするのを馬鹿にしてたけど、これは興奮せざるを得ないわ。
これぞまさにファン心理……!

などと考えていると、最後の一機がホームに向けて突撃している。
少し遊び過ぎたか。流石にここからだと接近して斬るには遠すぎる。
そんな訳で重力レール形成、投げるモーションから不自然の無いレベルでグランドスラムをメビウス向けて投擲する。
メビウスに向けて敷かれたやや緩めの加速を与える重力レールにより打ち出された大剣は、ホームに接近するメビウスに『どこからか投げ付けられたシールドと同時に』命中。

「…………え?」

なんだろうあのシールド、このシーン、多分原作にあったよな、凄い、嫌な予感が……。

「俺の船に──」

ビームサーベルを構えた、みんなの憧れのレッドフレームが、グランドスラムの突き刺さったメビウスに突撃する。
ん? いや待った、待て、それはマジで待て!

「ちょ、待……」

「手ェ出すなァぁぁぁぁ!」

慌てて止めようと通信を繋ぐ。しかし当然のように間に合わない。

「ぐ、グ……」

高出力のビームサーベルによって、既に爆発寸前のメビウスと、それに突き刺さったグランドスラムが、見事に焼き切られた。

「グランドスラムぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっっっ!!」



つづく
―――――――――――――――――――

まさか、もう第三部が始まるとでも?
残念、スパロボJ編、サイドストーリーで延長戦、始まります。
そう、これが現実……、新作ではなく、スパロボ編のあれやこれやと言った辻褄合わせが始まるのが、現実……!
そんな訳で、スパロボJの要素が少し混じっただけのアストレイ&零れ技術蒐集編見切り発車の第二十四話をお届けしました。

なんかここ最近はクライマックス近くだったりメメメがヤンデレたりフー=ルーさんが男らしくモツ出したりエピローグでテニアがいい女に見えたりで慌ただしかったけど、これから暫くはまったり侵攻(進行より先にこれが出たのはきっと運命)でお送りします。
なんかこう、十何話か前に戻ったみたいなヌルっとした雰囲気で進むと思うので、激動の展開とか望むと間違いなく肩透かしを食らうと思うのでそこら辺だけご注意を。
ついでに、暫くは一万字前後で出していくつもりなので二十二話みたいに無駄に頑張っちゃった感丸出しな文章量を期待してる人もご注意を。

クライマックス近くの感想の内容とか鑑みるに、こういった盛り上がりの無い話だと感想数が少なくなりそうではあるんですが、まぁ仕方ないね。
アストレイ編ずっと書きたかったし。ラストバトルで使ったアストレイ関連の技術も集める話書きたいし。

セルフ突っ込みはお休み。サクサク進みますぞ。

そんな訳でいつも通り、誤字脱字の指摘、分かり難い文章の改善案、設定の矛盾、一行の文字数などのアドバイス全般、そして、短くても長くても一言でもいいので作品を読んでみての感想、心よりお待ちしております。







内容が変更される可能性が高い次回予告

出会って早々にメイン武装であるグランドスラムを熔かされてしまい、実質非武装にされてしまった卓也のアストレイ。
無駄に落ち込む卓也と、彼を宥める美鳥を見かねたロウ達は、護衛の報酬も兼ねて代わりの武装を見繕ってやる事に。
しかし、新しく見つけた武装にロウ本人が惚れ込んでしまい……。

次回
「知識の墓と枯れた菊」
お楽しみに。



[14434] 第二十五話「鍛冶と剣の術」
Name: ここち◆92520f4f ID:bbe4acae
Date: 2010/07/09 18:06
ソルテッカマンの調整をしようと、あたしは格納庫兼ジャンク置き場にやってきた。
ナデシコを出た後までこうして力を制限して暮らす、というのは少し面倒臭い。
せっかく団体行動を終え普通の人に合わせる必要が無くなったんだから、この世界で好き勝手やってみたくはある。
だけどこの状況をお兄さんが望んでいる以上、サポートする役目のあたしがどうこうのは筋違い。
でも正直な話、ここでジャンク屋について行く必要はあったのかな、と思ってしまうのは仕方がないことだろうとも思う。
こういう無駄は人間らしさの証、という事でお姉さんにもある程度黙認するように言い含められているけど、あたしのテンションはそういった事情とは全く関係無いのだ。

「むぅ」

あたしとお兄さんの持ち込んだソルテッカマンとボウライダー、それにこのホームに元からあったキメラを置いてある場所とは少し離れた場所、お兄さんの色無しアストレイを見上げ、溜息を吐く。
多分今、お兄さんは無改造アストレイの機体構造を心行くまで楽しんでいることだろう。
それこそ全身を完全融合させて、『アストレイの中、あったかいなりぃ……』とか悦に入っている事だけは分かる。女の勘というやつだ。
あれだけパチモノパチモノ騒いでおいてあれなのだから現金な人だと思う。
あたしも楽しみが無い訳では無い。プロフェッサーに魅力的な女性の心構えを聞くのはためになるし、ちゃんとネット環境も整っているので、今現在のナデシコの状況を他者の目線で観察するのも面白い。
だけど、それでもお兄さんがアストレイやら積まれたジャンクの種類やらに夢中な間、あたしは殆ど構って貰えない訳で。

「エースキモーの○○○は冷凍○○○ー♪」

寂しさのあまり、こうして歌の一つでも歌いながらじゃないと人間っぽい工程を踏んでの整備なんてやってられない程度にはテンションが下がってしまっている。
こんなの、一回着こんで融合すれば整備なんて必要無いのに、それだと怪しまれる可能性もあるから余計に面倒臭い。
ていうか、後から火星に行く事も考えれば、小柄で肉弾戦も出来ずフェルミオン砲をディストーションフィールドで曲げられてしまいかねないソルテッカマンは使い続けるのはかなり無理があるような。
また気が滅入ってきた。どうせ火星に行ったら適当なサイズの機体に乗り換える羽目になりそうなのに、あと何度使うか分からないソルテッカマンの整備とか無駄過ぎる。
サイズS機体だから手間が少ないのが唯一の救いというか……。
もう考えるのはやめよう、無理にでもテンション上げて行かないとお兄さんに心配させちゃうし。

「おれによーしおまえによ……」

「女の子がそんな下品な歌、歌っちゃだめだよ」

ああ、せっかく歌でいい気分になろうとしていたのに、空気読めて無いなこいつ……。
整備用の工具箱を開け整備を始めようとしていたあたしに、背後から遠慮がちに声を掛けてきたのは、多分無印アストレイのヒロイン?だと思われるけどそれっぽい恋愛描写なんて碌に無い、空気要員の山吹樹里(やまぶききさと)。
空気要員の癖に空気読めないとか、これはちょっと有り得ない外道使用じゃね?
せめてエロい格好するなりエロい身体になるなり、腕にシルバー巻くとかさぁ。
訂正、腕にシルバーはねえな、だせぇ。王様もAIBOもセンスねぇ。貴様にはスーパーヨーヨーがお似合いだぜ。ストリングプレイスパイダーベイビー!
初期の、靴の中に毒サソリを入れて、とか、ガシャポンから出たミニチュア使うボードゲームとか、結構色々やってた頃のも好きなんだけどなぁ。

「かてーこと言うなよ。遠くに聞こえねー程度の音量で歌ってんだし、別に本当にエスキモーの○○○に興味があるわけじゃねんだからよ。大体あたしは後にも先にも前も後ろも上も両手もお兄さんの○○○一筋で──」

「わー! わー!! ほんと、ホントにそういうのは危ないからだめだって!」

慌てて両手でこちらの口を塞ぎに掛かる空気ヒロインをひらりと避ける。
言動の自由くらいは確保しないとやってけないし、むしろなんでジャンク屋なんてエロイベント多そうな仕事してる奴にこんな注意を受けなければいかんのかさっぱりだ。

「なんだよーもー、てめーだってロウの○○○を自分の▽▽▽に■■■して◇◇◇してほしいとかそういう妄想の一つや二つや三つや四つや五つや六つや七つや八つや──」

「多いよ! そんなにしてないってば!」

「そんなにって事はぁ、それなりには妄想してるんだぁ。わーやだー、このねーちゃん超エロイー!」

「え、うああ、違うってば美鳥ちゃん。これは言葉のあやってやつで」

からかいながらフワフワと格納庫の中を飛び回るあたしと、真っ赤になって追いかける樹里。もう整備は後でいいや、暫くはこいつで遊んでよう。
しかし、このやりとりは昨日もした気がするなぁ。そろそろ飽きそうだし、早く到着しないもんかねぇ……。

―――――――――――――――――――

「何やってんだあいつ」

アストレイのコックピットの中で改めて機体のチェックをしていた俺は、メインカメラを付けると同時に格納庫の中を跳ね回る美鳥と山吹を見て首をかしげた。
構図的には美鳥が山吹にいたずらしたかからかったかして、それを怒った山吹が追いかけようとしたとか、そんな所か。

「まぁいいや」

別にからかわれた所で山吹が死ぬわけでもないし、美鳥も引き際ぐらいは弁えているだろう。例え弁えて無くても俺は困らん。
気にせず機体のチェックを続ける事にした。
メインカメラも特に異常無し、で、レッドフレームとブルーフレームから引っ張ってきたデータと比べても特に違いは無し。
ここ数日、能力を殆ど使わずに地道に調査した結果俺のアストレイについてわかった事がある。
俺のアストレイには火器管制システムこそ搭載されているが、肝心の装備する武装自体が、最初から用意されていなかったということ。

おかしな話だ。機体の予備パーツは作ってあるのに武器は予備が存在しない。
あの日の戦闘の後、俺と美鳥、更に色々あって暫く行動を共にする事になったホームのジャンク屋連中で、あの工場は隅々まで探索した。
しかし、それこそ連合のGの予備武装でも落ちていて問題無いだろうに、ご丁寧に武装に分類されそうなものは予備のカートリッジすら一切落ちて居なかったのである。
そのくせ、あのグランドスラムは都合良く完全な状態であの工場に安置されていたとか。

「…………剣戟戦、格闘戦特化MSとか?」

いやいくらなんでもそれは、どうなんだ?
態々飛び道具サイキョー思考なSEED系技術者がそんな趣味的な物を作るとは思え無い。
大体、そんな物を作るくらいならフレームだけ技術盗用するとかみみっちい事せずに、そのままMFを開発した方が分かり易いだろう。
確かにこのアストレイはMFのフレームのコピーを使用している関係上、他のアストレイよりも更に人間に近い動きが出来るし、柔軟性、剛性共に優れている。
しかし、それはあくまでも他のアストレイと比べて、他のMSと比べての話であり、フレーム以外の部分がMSの技術で作られている以上、どうしたってMFそのものに比べて動きは硬い。

「ふむ」

しいて優れている部分を上げるなら、格闘偏重型のMFに比べて、火器の扱いが楽な作りになっているくらいか?
武装こそ無いが、全身のハードポイントに後付けで武装を取り付ける事は容易だし、その為のギミックも多い。
この間は趣味の関係でグランドスラムだけで出たが、遣ろうと思えばブルーフレームのフルウェポンの真似事も出来る。
いや、そうか。確かMFはパイロットにかかる負荷さえどうにかすれば、2000倍の重力の中で戦闘の続行が可能。
これだけフレームが頑強でしかも柔軟性に富んでいるなら、かなり無茶な、それこそ並みのMSなら積載量オーバーになるような量の武装も施せる可能性が。
いや、フレーム以外はどうにもならんか、結局融合炉じゃなくてバッテリな訳だし、重ければ動きも鈍くなるし、電力の消費も……。

と、考えごとに没頭していて気付かなかったが、さっきから誰かがコックピットを叩いて呼んでいる。
俺がコックピットを開けるとそこに居たのはやや面長の長髪の男。
このホームで様々な頭脳労働を行う苦労人、リーアム・ガーフィールドだ。

「鳴無さん、もうそろそろ目的地に到着しますよ」

「おおぅ、もう到着とは」

ここに来るまでにかれこれ数日。
最新式の戦艦であるナデシコで生活していたせいか分からなかったが、民間に出回っている船だと地球圏内のコロニー間を移動するだけでもそれなりに時間がかかるのだ。
しかも位置的にヘリオポリスと、今向かっている目的地はそれなりに離れた位置に存在しているのだ。移動に数日でなく数週間とか言い出さないだけまだましだろう。

「良かったじゃない、愛しのグランドスラムをようやく直せるわよ?」

開かれたコックピットのモニタに、ほんの少しだけウェーブのかかった黒髪の女性が映る。このジャンク回収船ホームの頭脳、謎の美女プロフェッサーだ。
シャワーを浴びたばかりだろう艶姿、水も滴るいい女、と言った所だろうか。
隣にいるリーアムが顔を手で押さえて呆れている。
まぁ、少なくとも付き合いの短い人間の前に出るのにふさわしい恰好ではないだろうから、このリアクションも当然か。

「愛しのってほどでは無いですけどね」

「あら、MSの武器を壊されてあんな大げさに悲しむヤツなんて見たことが無いけど」

「確かに、お気に入りのメカを壊されたロウでもあそこまではいきませんね」

からかうような口調を崩さず笑みを深めるプロフェッサーと、苦笑いのリーアム。
こういう風な形で引っ張られるとは思わなかった。こうなると分かっていたならもう少し感情を抑えてひっそりめそめそした、いや、男がやったら間違いなくキモいか。
思えばナデシコやアークエンジェルにはこういうタイプの人達は殆ど居なかった。元の世界でもこういった人とかかわり合いになった事は記憶にある限りでは無いと思う。
元の世界ではそれほど交友範囲が広い訳ではないから仕方がないにしても、あれだけ人の居るナデシコで、しかもキャラが濃い連中しか居ないナデシコで見かけないというのは、こいつらが最初にスカウトの段階でネルガルが諦めていた『人格もまともで能力的にも優秀な人材』だからなんだろうなぁ。プロフェッサーは人格微妙だけども。
いや違うか、プロフェッサーはどっちかって言うと、人を食ったようなタイプだから基本善人揃いのナデシコじゃ見なかったんだな。
俺は色々と二人への反論を考えながら、あの戦闘後、折れたグランドスラムを回収した後の成り行きを思い出していた──。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

目の前には、真っ二つになったグランドスラムの残骸。
折れている訳じゃない。むしろ折れているとかそんな表現が生易しいと感じる程の壊れ方。
調整も済んでいないお陰で過剰出力だったビームサーベルで切断されたせいか、切断面は見事に熔け、ぐずぐずの塊の状態で冷え固まってしまっている。
これじゃあ、溶接して繋ぐ事(繋げる事が出来ても強度的に意味はないが)も出来そうにない。
鉄の塊と言って良いほど単純な作りの大剣だったが、これで本当に、正真正銘の鉄の塊になってしまった。

「俺の、俺のグランドスラムがぁ……」

回収され、ホームの格納庫、俺の色無しアストレイの足もとに安置されたそれを目の前に、俺は思わず膝からくず折れてしまう。
折角の、折角のレアアイテムが、それこそプレミア付いてもおかしくないレベルのレア武装だったのに、あんなカッコいい武装、そうそう無いってくらいいい感じの武装だったのに……。

「まぁまぁ、どうせあのまま使い続けるには微妙な性能だった訳だしさ」

嘆き悲しむ俺の肩を手でぽんぽんと叩く美鳥。
慰めているんだかどうだか微妙な言葉だが、言っている事は正論だ。グランドスラムはその使用する場面を限られる兵装だったし、その場面にしても俺はグランドスラムよりも使い勝手のいい武装を山ほど作れる。
グランドスラムが平凡な作りな訳ではない。素材も多量にレアメタルを使用した形跡があるし、加工方法もそれなりに凝ってはいた。
特殊なギミックがグリップの折りたたみ部分だけだったのも、複雑な機構を廃することで耐久性を上げるためだったというのも理解できる。
その構造上グリップが折れても両手持ちで使用する事ができる為、おそらく継戦能力はすこぶる高い。
ビームサーベルでぶった切られたのも、超高速の連続斬撃によってグランドスラム自体がダメージを負っていたというのもあるが、何よりもあのグランドスラム自体が試作品だったか、それとも製作途中のモノだったせいだ。
あの刀身の金属が剥き出しのグランドスラムに、耐ビームコーティングを施して、そこで初めて完成品と言えるのだろう。
不幸中の幸いか、グランドスラムのデータは取ってある。新しく複製を作り出すにしても、M1のシールドの耐ビームコーティングを発展させた技術を使えるから、今度こそ完全体のグランドスラムを作り出すことができる。
作り出せるのだが、

「グランドスラム……」

これは、あの場所で手に入れた、美鳥が探し出して持ってきてくれた、おそらくこの世界オリジナルのグランドスラムなのだ。
『この世界のオリジナルの』『美鳥が俺の為に持ってきてくれた』グランドスラムはこれ一本きりしか存在しない。
過去に戻ってきてまでオリジナルのプロトアストレイを取り込みに来るのをかなり渋っていた美鳥が、わざわざ工場の中から見つけて用意してくれた武装。
俺をサポートする為に生れて来た存在だから極自然な行動なのかもしれないが、その心遣いはやはりも貴いものだし、素晴らしく、有り難いものだ。
それがこんな形で壊れてしまった。それだけは、揺るがしようも無い厳然たる事実なのだ。
コピーが作れるから良いじゃない、などと言って割り切れるものでは無い。
もっとも、こんな理由は恥ずかしくてとても美鳥本人には言えたものでは無い訳だが……。

「悪い!」

冷え固まった元グランドスラムの前でそんな事を考えながら途方に暮れていると、格納庫に四人の男女が入ってきて、その内の一人、よく分からない機械の付いたバンダナを頭に巻いた男、多分ロウ・ギュールが手を合わせて頭を下げてきた。
今さっきまでサーペントテールの劾とブルーフレームの扱いについて話していたのだろう。
こっちもホームの護衛やら何やらで値段交渉をしなければならないが、あっちはそれこそ一回の船の護衛では買えないようなMSに関する話だ。後廻しになるのも仕方がない。
しかし無印アストレイの主役か、常の俺ならばそれはもう表面上は平静を装いつつも心の中でびったんびったんしながら大はしゃぎする自信があるが、今はそんな気分じゃ無い。
適当に何か言って追い返して、後でこれをネタに暫く同道させて貰うように話をもっていければいい。
そう考え、適当に追い払うために何か言おうとする前に、ロウが続けて口を開いた。

「その剣、俺が責任もって直すから、それで勘弁してくれ!」

「まぁ、今回は互いに間が悪かったというのもありますが、それでもあの大剣を壊してしまったのがロウである事に違いはありませんからね」

長髪の優男、リーアムがロウに続き補足する。

「修理するっても、あれ、直せるんですか? ちょっとここで直すには設備やら何やらが圧倒的に足りないのですけども」

ロウ達がジャンク屋である以上、自分達が壊してしまったならこのように修理を申し出るのは予測済みだ。
しかし、このグランドスラム、普通の重斬刀のように単純な作りでは無い。
折れていない刀身を良く見ると分かるのだが、複数の特殊金属がいくつもの層になっており、日本刀の刃紋やダマスカス鋼などに見られるらしい(俺は写真でしか見たことが無い)特殊な模様が浮き出ている。
いや、仮にこのグランドスラムが普通の重斬刀のような刀剣であったとしても、ここにはそれ専用の鍛造設備が無い。
更に言えば、ここに居るのはジャンク屋、メカの修理をする事も多いだろうが、こういった刃物を修復する技能を持っている者は居ない筈だ。

「確かに、その剣を修理する技術はここには無いわ」

す、と前に出てくる長髪の女性、プロフェッサー。

「ここにその剣を修復する為の技術を探しに行く。で、ロウがそれを学んで、貴方の剣を打ち直し、元のそれよりも優れた剣にする」

彼女が持った携帯端末の画面、そこには一枚の画像が映っている。
そこは、失われた知識の辿り着く場所。必要とされなくなった英知の墓場。
MS用日本刀、ガーベラストレートの眠る場所だ。

「それに加えて暫く分の食費と宿代が、今回の護衛の報酬でどうかしら。無いんでしょう?船」

―――――――――――――――――――

こんな感じだ。
大体、あの場面でこちらの船が無い事を持ち出してそれで報酬の交渉も済ませようという辺り、かなりいやらしい商売人根性ではないか。
正直、俺はそういった商業系の交渉スキルを持ち合わせていない。
ナデシコに乗っていた間はずっと戦っているだけで契約分の報酬が支払われていたし、大企業だけあってこちらの仕事に難癖付けて報酬を出し渋りするような事も無かった。
ブラスレイター世界ではアルバイトだったし、元の世界ではせいぜい野菜を卸す時の値段交渉だが、そこら辺も厳正な価格規定があるのでつっかえる事も無い。
直売所で野菜を売る時も、元から捨て値同然の商品を値切るような客が居る筈も無く。

結局、護衛の代金はグランドスラムが治るまでの食費光熱費無料、どこかのコロニーへ送り届けるタクシー代わり、グランドスラムの修理と強化でおさめられてしまった。
まぁ、金は必要ならどうとでも用立てられるし、そもそもこれ以降この世界で金が必要になる場面も無いから別にかまわないと言えば構わないのだが。
とにもかくにも、こういったタイプの人と長く話を続けると碌な事にならない。さっさと話を進めよう。

「で、肝心のロウは?」

「MSサイズの刀剣を作り直すのに必要になりそうな道具一式、運び込む準備をしていますよ」

もう少しで到着って言っても、一、二時間で到着する訳でもないのに気合入ってんな。

「一目見て気に入ってしまったようですからね」

「……? ああ、ガーベラですか」

経緯は違っても、レッドフレームとロウ、そしてガーベラストレートは互いに惹かれあう運命なのだろう。
そういえば、アストレイ原作だとレッドフレーム手に入れてからガーベラ手に入れるまでに幾つか事件があるはずなんだが、そこら辺はどうなるのだろうか。
まぁ、ガーベラ手に入れるまでは特にこれと言って面白いエピソードも無かったと思うし、どうでもいいか。
俺が色々考えていると、プロフェッサーが顎で俺のアストレイを指し聞いてもいない説明を始める。

「そう。これは高性能だけど、ロウの機体は武装がビームライフルにビームサーベルだから燃費が悪いし、威力が過剰になってしまうのよ。だから使い方次第で加減の効く実体剣、しかも貴方が使っていたグランドスラムの様な、鋭さで斬る武装が欲しいんじゃないかしら」

大活躍だったものね。と笑うプロフェッサーに愛想笑いを返しつつ、思う。
つまり、グレイブヤードに向かう理由も、実体剣を手に入れたがる理由も、ここでは俺が原因と。
まぁ、ガーベラの美しさに惚れ込んでという理由も大きいだろうが、何と言うべきか、なんともはや、これぞまさしくトリッパーだな。

―――――――――――――――――――

△月×日(日々是平穏)

『久しぶりの日記な上に日付も巻き戻っているけど、そこら辺はボソンジャンプの一言で色々と察して貰えるだろうと思う』

『実際ここまで大幅な過去への時間移動だとタイムパラドックスやらなにやら気をつけなければいけない部分は山ほどあるのだけど、この時間に居る過去の俺と接触する可能性はとても低いので気にしないものとする』

『さて、ナデシコを離れた俺と美鳥はヘリオポリス跡地で憧れのアストレイルートに突入、少しはしゃぎ過ぎた揚句にレッドフレームのガーベラストレート入手を早めてしまった』

『原作では掠奪者だのなんだの言われ、剣術の達人である『蘊・奥』老人に襲われる筈なのだが、そこら辺は最初に懇切丁寧に説明してからグレイブヤードに入ったお陰でどうにか回避する事に成功した』

『──などと言えればよかったのだが、俺が何か言うよりも早くロウが『剣が欲しくてやってきた』などと言い出してしまったのでさあ大変』

『世界観自体がクロスしているせいかこのお爺さん、動きがガンダムファイター染みている。危うく俺のアストレイの腕をちょん切られてしまうところだった』

『そこからはほぼ原作通りだが、どうしても違う所を挙げるとするなら、俺と美鳥も目を付けられ剣術の稽古を受けているところか』

『俺の持ち込んだグランドスラムの残骸から、重さで叩きつけて斬る刀剣ではなく、刀の、太刀の類似品のようなものであると見極めた蘊・奥さんがハッスルし始めてしまったのだ』

『俺も美鳥も剣術の基礎の基礎は流派東方不敗の技術から会得しているのだが、この老人が言うには剣に魂が籠っていないのだとか』

『当り前だのクラッカー、というジョークはこの世界では古典文学に分類されるのだろうか、しかしまぁ、これが俺の正直な感想』

『乾坤一擲、というフレーズは俺の辞書には無い言葉だ。能力的に物量戦が主体だし、魂が籠らなくても威力さえ籠っていればどうでもいい』

『このお爺さんの剣術観というか、そういったものはどうなっているのか、話の種に聞いてみるのも悪くはないだろう』

―――――――――――――――――――

ここは剣道場ではなく、あらかたジャンクの類が退かされて作られた広めのグラウンドのようなスペース。
俺は手には木刀を構え、目前には同じく木刀を構える老人。
全身から粘り強い濃厚な闘気を漲らせたその様は、煮え滾るマグマを今まさに噴出さんとする活火山の様で、同時に鏡の如く澄み切った湖面のようでもある。
静と動。それらが一体に合わさったような、同時にそのどちらでも無いような達人のオーラ。
距離は40メートル強。GF級の身体能力の持ち主であれば一歩、いや半歩必要とするかしないか。
クロックアップは無し、必要以上の身体能力も無し、仕留めるつもりで掛かれば途中で行動を変更はできない。そんな余裕のある速度ではあっさり迎撃される。
GF級の身体能力で戦う以上、おそらく交差するまで1アクション分の時間しかない。
互いが同時に踏み込むめば時間は更に半分。
どちらから先に踏み込むか、待ち構えるか、打って出るか。

「……」

じり、と、足の下で鉄粉が音を鳴らす。
同時、踏み込む。
足下の鉄粉が踏み出す脚部が生み出すエネルギーにより圧搾、赤熱する薄い一枚の鉄板へと生まれ変わり、次の瞬間には弾け飛び消える。
踏み込みは完璧、瞬間的に空気の壁を突き破り、木刀の切っ先が老人の喉目掛け突き出される。
貰った。そう確信し老人の顔を見ると、ニヤリと薄く意地の悪い笑みを浮かべている。

「甘いわ」

踏み出すよう誘導された。
焦れた訳では無い。隙を見つけた訳でもない。そうだ、あそこで踏み出す理由は一切無かった。
如何なる面妖な技巧か、俺は自らの意図せぬ所で先制を取らされたのだ。
つまり俺のこの突撃、この斬撃は眼前の老人が意図して引き出したもの。
当り前の結果として俺の木刀は半ばから断ち切られ、俺の首には老人の木刀が押しつけられる。
トッ、という軽い衝撃。
だが、常人であればこの一撃で首を刎ねられて絶命していた事は間違いない。

「負けた」

「そう、お前の負けじゃ」

―――――――――――――――――――

そんな訳で、俺は負けた。文章に起こせば『甘味(笑)』だけで済んでしまいそうな短く呆気ない決着。
というか、ここで剣術の稽古を始めてから結構経つが、これまで俺がこの老人に剣術で勝てた事はない。
当然と言えば当然だろう。流派東方不敗のデータやドモンとの組手などで剣術の基礎の基礎、というかぶっちゃけ、刀の振り方程度の事は知っているが、それはあくまでもモーションと運用方法だけなのだ。
ドモンの様な未熟者ならともかく、老獪さを兼ね備えた目の前の老人のような、しいて分類するなら知略を使っていた頃のマスターアジアタイプの剣術の達人に基礎技術だけで勝てる筈がない。
だが、これはどこら辺に魂とやらが籠っていたのだろうか。
積み重ねた技術以外に何かの違いが存在したのか。それがもしや、この老人にとっての剣術というものなのだろうか。
俺はスポーツドリンクで喉を潤しながら、手拭いで汗を拭う蘊・奥老人に訊ねてみた。

「剣術とはなにか、じゃと?」

重り入りの木刀で素振り百万回を律儀にこなすロウも、素振りを続けたまま目線をちらと老人へ向け、興味深そうに此方の会話を盗み聞いている。
意識を逸らすな、とばかりにロウの方にギロリと視線をやった後、老人は何を馬鹿な事を、とでも言いたげな表情で口を開く。

「刀を振るい、敵を切る技術じゃ。ここをどこだと思うておる。わしを何だと思うておる」

老人が振り返る。
そこには、ジャンクの荒野にそびえ立つ無数の塔、塔、塔。
墓場の卒塔婆の様なそれは、かつてここに辿り着いた技術者の知識を記録した記録装置。

ここグレイブヤードに、嘗て住んでいた技術者たちの遺体は無い。
遺体は須く地球へ向けて射出され、大気圏で燃え尽きるようにして葬られる。宇宙火葬か、さもなければ再突入葬とでもいうべきか。
ここで死した技術者たちは、自らが誰の記憶にも残らず、塵のように消えるのは仕方がない事だと納得していた。
だが、どうしても、どうしても自らがその生涯をかけて磨き上げた技術が消えうせる事だけは我慢ならなかったのだ。
肉体は死してしまえば唯の肉の塊。だが、技術者達がその生涯を掛けて磨いた技術は、理論は、その技術者の死などという不純物に侵されることなく、この世で生き続ける事が出来る。
魂は不滅、などという言葉にしてしまえば陳腐だが、ここにある記憶装置はまさにそれ。
それが技術者という者達の生き方で、死に方で、在り方。

「わし『等』は、他の何者でもない。紛れも無い『技術者』なのだ」

俺にはまだ『魂』という存在を目視できるような能力は備わっていない。
だが老人が、いや、『剣技、剣術を操る技術者としての蘊・奥』が見つめるその先にある記憶装置には確かな、生きた人間よりもよほど存在感のある、エネルギーの塊のようなものを感じている。
恋のようであり、憎悪のようであり、愛のようであり、恨みのようであり、祝いのようであり、呪いのような。
錯覚かもしれない。しかし、それら感情に共通するモノ、如何し様も無い、死も生も遮る事の出来ない一途さのようなモノを俺は確かに感じたのだ。
この、目の前の老剣士からも。

「お前もお前の妹も確かな技術がある。その技術で人を斬った事があるだろう。殺した事もあるだろう。斬撃には確かに、これまでお前達が殺してきたモノ達の死の気配がこべり付いておる」

だが、と前置きし、蘊・奥はこちらを向き、瞳を合わせ言う。

「それらを相手にした時、必殺の意思を込めた一撃を放った事はあるまい。殺す技術を、殺す方法で用い、結果として相手は死ぬ。お前のしてきた事はつまりそれだ。だがそれでは、一つの技術に抜きんでたモノ、一つの業に自らの全てを捧げた者の先に行く事はできん」

そこまで本気を出す必要のある敵にこれまで出会えなかったというのも、不運なのかもしれんがな。
そんな少し寂しげな蘊・奥の呟きが、何故か強く耳に残った。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「つまり、剣を振るなら確実にぶち殺すつもりで全力を出して気合を入れて振れってこと?」

「色々大無しだけど、端的に言えばそんな感じだろうな」

数日後、ガーベラストレートを打ち直すアストレイとキメラを見物しながら、ふと思い出した蘊・奥の言葉を美鳥に話してみたが、結果はこんな感じ。
まぁ、俺自身それが一番答えに近いような気がするし、それで問題無いとは思う。
魂、つまり『必殺の意思』を込める事が出来ないと剣士になれないというのなら、俺も美鳥も剣を使う事は出来ても剣士にはなり得ない。
何故なら、俺も美鳥も剣術は敵を倒し殺し踏み倒す為の道具でしかなく、これが通用しなければ他の技を使うまでの話だからだ。
勿論、敵を殺すつもりで戦っている時は少なからずそういった心構えを持って戦っている。
しかし、俺達が込めているそれと、蘊・奥の言うそれではその次元が違うのだろう。

「もうチョイ簡単な言い方は出来ないもんかねぇ。おじーちゃんおばーちゃんの言う事は回りくどくて困るぜぇー」

「まったくだ」

頭の後ろで腕を組み壁に寄り掛かる美鳥に同意する。
仮にこれが間違いだとしても俺は知らん。そもそも技術は後代に伝えるものなのに、態々伝えにくい言葉にして誤解させる方が悪いのだ。
もっとも、俺と美鳥が剣術の指南を受けているのはオマケの様なものだろう。
蘊・奥老人が本当に技術を継がせたいのは間違いなくロウ・ギュールだ。
それ以外には伝わっても伝わらなくてもいいと考えているだろうし、俺達も好きに解釈させて貰う。

「まだまだじゃな、もとのヤツはこんな切れ味じゃなかったぞ」

「チェッ、いい線いってたと思ったのによ……!」

俺たちよりもレッドフレームに寄り、打ち直されたガーベラストレートにダメ出しをする蘊・奥と悔しがるロウ。
蘊・奥はああ言っているが、もはや完全なガーベラとの切れ味の誤差は数パーセントにも満たないだろう。
それでもああやって厳しくダメ出しを繰り返すのは、どうせ技術を覚えさせるなら徹底的に仕込んでやりたいという、後代を育成する先達の気持ちである事は確定的に明らか。
口では厳しい事を言いながら、本心ではとても大きな期待をロウに向けているのだ。

「詰まるところ、あれはツンデレ……!」

「爺婆のツンデレってなんか多いよねぇ」

誰得だろう。
しかし、ガーベラがあそこまで修復できるなら、新生グランドスラムもさぞ素晴らしい出来栄えになるだろう。
日本刀ではないからオリジナルとは別モノになってしまう可能性も大きいが、それでもあのオリジナルのグランドスラム直して使える、というのが重要なのだ。
これで美鳥の気遣いを無駄にしなくて済む。
そして、更にマニア目線で言うならば、だ。

「グランドスラムがベースの、ロウ・ギュールがガーベラを打ち直す為に習得した技術を用いて作られた、世界で一本だけの太刀……」

うへへ。

「おにーさん、よだれよだれ」

口元をハンカチで拭われた。
みっともないかもしれないが、これぞ文字通りマニア垂涎の代物、という訳である。
これで興奮しない奴の方がおかしい。むしろよだれくらいはどぅばどぅば垂れて当たり前。

「でもさ、ここでの収穫はそれだけじゃないんだよね?」

「そりゃな」

必要とされなくなりいつしか誰からも忘れられた、外には存在しない技術が眠っているここは、俺にとっては文字通り宝の山だ。
剣術指南の時間やガーベラの修復の見学以外の時間は、当然のようにそれらのデータのコピーと確認に当てている。

「とりあえず使う用グランドスラムの整備の為に、今ロウが覚えようとしてる技術は完璧だ。後でパラディンとソルテッカマン用に何本か打ってみるのも面白そうだな」

「……たぶんこれは、『じゃあお兄さんが自分でグランドスラム直した方が早いんじゃね?』って言ったら駄目なんだよね」

「その指摘は無粋なのでお断りします。で、あとは傘貼りとか染物とか陶芸とか楽器作りとか、そんな感じか」

武装に転用できそうな技術は殆ど無かった。
楽器の構造とかは、その内五行風水が飛び交う世界辺りに行った時、デバイス作りに役に立ちそうだけども。
無論ここで言うデバイスは神形具の方だ。最近はデバイスと言えばリリカルと思う輩が多いから困る。
あの挿絵の尻ドアップで性の目覚めを起こした同世代の連中も多いことだろう。

「本気で趣味的なのに逆に実用的だね。お土産にこの世界の土でお椀とか作って持ち帰ったらお姉さん喜ぶんじゃない?」

「お前マジで頭いいな。そのアイディア頂き」

テラフォーミングされた火星の土で出来た湯呑とか、結構面白そうではないか。
いや、むしろここの技術をフルに活用して陶器の大杯とかすごい御洒落かもしれない。
酒造りの技術もあったけど、あれは設備の段階で結構手間が掛かるからなぁ。元の世界で作ったら日本酒の密造で捕まってしまうし、作るならこの世界でだろう。

巨大ハンマーでガーベラを打ち直すレッドフレームを尻目に、土産物をどうするかを冗談なども時折交えながら話し合う俺と美鳥。
その合間、ふと思った。
蘊・奥の言う『必殺の意思』は、大分前にドモンと手合わせをした時に思った『技』と『業』の違いに似ている。
意識して使う技術、悪く言えば小手先の技術が『技』で、俺は今のところそれしか理解し行使する事ができない。
そして、ここぞという時に出る咄嗟の一撃、それこそが小手先の技術でない、その使い手の根幹に根差す『業』であり、蘊・奥ならば彼独自の剣技であり、ドモンならば流派東方不敗なのだろう。
そういう、咄嗟に出る『俺の業』とは、一体どのようなものなのだろうか。

「触手、とかだったら」

嫌だなぁ。
もしそんなのだったら、まるで俺がエロ生物みたいじゃないか。
少なくともこれまでの戦いで触手が決め手になった事は無いってのに、咄嗟にそんなもんが突然出てこられても、なんだ、困る。

「あたしは大歓迎だけどね。大歓迎だけどね。ね!」

「こういう時に限ってきっちり思考がトレース出来てるって、運命的なレベルの変態だよなぁ」

目をキラキラさせながら両手で俺の手を取る美鳥をやんわりと押し返しながら、俺は少しだけ溜息を吐いた。




続く
―――――――――――――――――――

以上、何事も無く終わるグレイブヤード編でした。八割方シリアスなので多分シリアス回。

色々サポAIが酷い下ネタを使いますが、実際に主人公と致せた回数は片手で数えるほどしか無いので無害です。ここ最近はクライマックスフェイズだったお陰で下手に下ネタ出せなかったからなぁ。
あとはロウの口調、意外にまともに会話してるところが無いのでセリフがやたら書き辛い。デルタアストレイから引っ張ってきてもまだ足りない。
そもそもロウが謝るシーンとか無いっぽいしなぁ。
そんな訳で全国に潜伏しているアストレイファンのみなさんごめんなさい。ロウの出番超少ないです。
セリフの数だけならリーアムの方が多いかもしれないってのはどういうことなの……?

しかし第二部がずっと平均二万字くらいだったから、一万前後だと短く感じてしまう。二部だとここまで書いてさぁ折り返しだって感じなんですが。
二百メートルの走者が百メートルに転向した時の違和感と言いますか。
まぁこれはこれでサクサク話が進むから別にかまわないっちゃ構わないんですがね。
書きたいエピソードをサクサク書いて行くのが外伝のコンセプトなのでそこら辺は軽く行きますよ。

セルフ突っ込みまたまた省略。突っ込み来そうなグランドスラムのあれやこれは非公式武器ということで勘弁してねって事で。


ではでは、誤字脱字の指摘、分かり難い文章の改善案、設定の矛盾、一行の文字数などのアドバイス全般、そして、短くても長くても一言でもいいので作品を読んでみての感想、心よりお待ちしております。



[14434] 第二十六話「火星と外道」
Name: ここち◆92520f4f ID:bbe4acae
Date: 2010/07/09 18:08
そんな訳で、グレイブヤードにやってきて多分一月ほど時間が経過した。それだけの時間で、ロウ・ギュールは剣術の修業と鍛冶技術の習得に時間を費やし、朽ち果てる寸前だったガーベラストレートを見事に再生してみせた。
鍛冶師の修業は何年にも渡ってじっくり技を磨きあげるものだと聞いたのだけれど、まぁこういった主人公の学習速度に突っ込みを入れるのは野暮なんだろう。
一応ガーベラの作り方に関しては完全なデータが残っているし、実際に打つのがロウ自身では無くレッドフレームなのも関係しているのかもしれない。
さて、実際の修復されたガーベラストレートの出来栄えはと言えば、間違いなく極上の仕上がりだった。
抜けば玉散る氷の刃、とはよく言ったもので、濡れたような刀身の輝きはそういうモノに対する関心が薄いあたしでも美事と褒めてやりたくなる。
刀身に映った光輝が水の様に刃の上を流れ、先端から水滴のように零れ落ちる。そんな幻が見える程。
漫画版、しかも戸田版の150ガーベラの時の切れ味とかは流石に誇張だろうと高をくくっていたけど、この美しさを保てるなら有り得ない話では無いと思う。

「どーだい卓也、できたゼッッ!」

そのガーベラストレートを修復した技術で、ロウのレッドフレームはつい先ほどようやくお兄さんのグランドスラムの打ち直しを終えたのだった。
お兄さんの目の前の地面に、ズ、と音を立てて静かに新生したグランドスラムの刃が突き刺さる。
金属の床に金属の刃を突き立てたとは思え無いような滑らかな入り。
これでレッドフレームが柄を持つ手を放したら、そのまま刀身が全て地面に埋まってしまうのではないかと思うような鋭さ。

「お、お、おぉぉぉぉぉぉ……」

その膝はグランドスラムが折れた時と同じように地面に付き、しかし今お兄さんの中に浮かぶ感情はあの時とは真逆のベクトルを向くタイプのもので間違いない。
鈍く光る刀身を見つめる瞳はウルウルと、というかむしろキラキラと、いやいや表現が優し過ぎたか、眼がカメラのフラッシュライトになったのかと疑いたくなるほど光り輝いている。
あたしは子供というとルリだの小介だのそこら辺の一般的な子供に分類できない連中しか見たことが無いけど、たぶんこういう表情の事を『新しいおもちゃを買ってもらった子供のような』と表現するんだと思う。『トランペットを見つめる少年』でもいいかもしれない。
かわいい、というにはお兄さんは大き過ぎるけど、今のあたしの感想はそんな感じだ。
まるで子供みたいというか、いや、年齢的にあたしの方が圧倒的に子供なのは理解しているんだけど、それでも何処か微笑ましいというか。
だけど、それも仕方の無い事だと思う。それだけロウの仕事が見事過ぎるのだから。
折れたグランドスラムと数種のレアメタルを材料に造られたこの太刀は、ロウのレッドフレームが使う、ファンの間で有名なガーベラストレートとはまた違う思想で作られている。
日本刀と言えば、その刃紋の美しさが有名だろう。だが、この太刀の刀身には目立つ刃紋は無く、一般的な日本刀に比べれば無骨な印象を受ける。
オリジナルのグランドスラムにあった刃紋の様な模様に似ていると言えばいいのか、鋭さよりもその刃金の粘り強さ、強靭さを重視したが故の特殊な製法の為らしい。
ジジイが言うには、元のグランドスラムの開発には、ガーベラを打った鍛冶師と同門の鍛冶師が関わっていたのかもしれないとの事。
切れ味ではどうやってもビームサーベルに劣る実体剣。軍での開発に協力する以上は、ビームサーベルとは方向性の違う武器を作り出す必要があった。
それゆえの耐久性。ザフトの重斬刀よりは切れ味に優れ、それでいてエネルギーを喰うビームサーベルよりも長時間連続使用が出来るような太刀を目指したのだろうと。
それをこのグレイブヤードで死の直前まで掛けて技を磨いたガーベラの鍛冶師の技と、ロウがガーベラの打ち直しをしている際に思いついた幾つかのアイディアを加え、見事に再現、いや、更に上等な太刀へと昇華させたのである。
レッドフレームが地面からグランドスラムを引き抜き、簡素ながらも頑強そうな拵えの鞘に納刀し地面に横たえる。
ロウがレッドフレームから飛び降りお兄さんの前に着地した。

「これ、本当に貰ってっていいんだよな!?」

今から返せと言われても絶対に返さないだろうと一目で分かるお兄さんのはしゃぎ様にロウは胸を張って答え、次いで少しだけ申し訳なさそうに謝る。

「おう! つっても、元はと言えば俺が壊したのが原因だからな。一月も待たせちまって悪かった」

ロウの謝罪に少し考える様な表情を取ると、お兄さんは懐から何かディスクの様なものを取り出しロウに向け放り投げる。
ディスクをキャッチしたロウはそのディスクをしげしげと眺めた後、お兄さんに向き直った。

「これは?」

「釣りだ。予想外に上等な物に仕上がったから、その礼みたいなもんかな」

お兄さんの答えに、ロウは少し困ったような顔で。

「まいったな、中身次第じゃ借りが返せないぜ」

「それだけの『価値』が、あのグランドスラムには生まれたって事だ。ありがたく受け取っておけよ」

ニッ、と歯を剥き出しにして笑うお兄さんと、吊られて笑うロウ。
青春っぽいというか何と言うか、ここは何時から少年漫画の一場面にって、そういやアストレイは少年漫画だったか。
どうでもいいけど、この後も最寄りのコロニーまで同じ艦で移動するんだよね。
後でこの青臭いやり取り思い出して、お兄さんがゴロゴロ地面を転がって悶え始めなきゃいいんだけど……。

―――――――――――――――――――

■月◆日(我慢ならん!)

『そんなこんなで最寄りのコロニーに降ろして貰い、ジャンク屋連中との束の間の同道は終了。アストレイファンとしては貴重な経験だった……』

『新生グランドスラムの余り質実剛健ぶりに、思わず木星蜥蜴のジャンクから作れる小型の相転移エンジンの設計図を渡してしまったが何も問題はない』

『むしろここでNJCの設計図とか渡さないあたりは理性的だったと思って貰えると思う。まぁ、そも核エンジンを入手する事が難しいので渡してもすぐには活用できないから除外したって理由もある訳だが』

『閑話休題。ジャンク屋と別れた俺達は、さっそく次の目的地、火星へと跳んだ。目指すは火星極冠遺跡、標的は遺跡中枢ユニット!』

『が、ボソンジャンプ一発で遺跡の中枢に跳べるかと思っていたのだが、どうにもこうにも上手くいかず、少し離れた場所にある廃棄コロニーへとジャンプアウトしてしまった』

『翻訳ミス無しで正確にジャンプ先を指定できる俺達なら楽勝とか、帰りに焼き物に使える火星の土でも探して行こうかなとか、色々雑念が入りまくってしまったのが原因だと思う』

『まぁ、地球に戻るのは連合が三馬鹿の機体を開発してからでいいので時間はたっぷりある。ナデシコに居た時にギガフロート防衛戦の記事は手に入れているからスケジュール管理もばっちりだ』

『というかぶっちゃけた話、オーブでナデシコと別れた直後、俺と美鳥が過去に跳んだ直後辺りに戻れば色々と揃っていて丁度いい。アメノミハシラの座標はオーブで手に入れてあるし、連合艦隊に忍び込めば三馬鹿の機体も楽に手に入る』

『つまり、地球に戻るまでの猶予は実に半年以上! 焦る必要が欠片も見当たらないので、極冠遺跡まではグラドスと蜥蜴どもを蹂躙しながら進もうと思う』

―――――――――――――――――――

まずはじめに、アストレイの話をしよう。
ここで言うアストレイとはオーブで正式に採用されたM1アストレイの事では無く、ヘリオポリスで秘密裏に作られていたプロトアストレイの事だ。
これら五機(正確には完成した三機と二機分の予備パーツ)は、基本的にコンピュータ内のデータ、使用されているOSなど以外で性能・デザイン面では塗装以外全く同じと言って良い。
だが、これら同じデザインの五機は、最終的に全て異なる目的の為に異なる改造を施され、ほぼ別機体と言ってもいい程の差別化がされる。
特にそれが顕著なのが、オーブの影の支配者と言ってもいいサハクのバックアップを受けて改修され続けるゴールドフレームと、コンピューター内部に残された武装データや劾のオリジナルの武装案、更にロウ特注のパーツなどが組み込まれたブルーフレームだろう。
更に後にはミラージュフレームなどもライブラリアンによって大幅に改造され、こちらはほぼ原形が残っていない有様だ。
結局俺が何を言いたいのかと言えば、アストレイは基本の形に縛られない機体だと言う事だ。
基本の形、戦闘用MSの試作機という王道を外れ、思うがままにそれぞれの道を進む。
それがアストレイというMSなのである。
つまり──

「どんな魔改造も、それがアストレイであるならば正当化されるという事だ」

「いやまぁ、無改造アストレイでナデシコ設定の火星ぶらり旅とか難しいからいいけどさぁ」

難しいどころか攻略不可のクソゲーになってしまう事は間違いない。
仮に元のこいつであれば、今現在も此方に向けて絶え間なく発射されているグラビティブラストの嵐に耐えられず、文字通り一瞬でぺしゃんこになって潰れていただろう。
が、動力をバッテリからお決まりの光子力とオルゴンの複合エンジンと次元連結システムの二段構えに換え、辺り前のように高出力のディストーションフィールドを展開しているこのアストレイであれば、それらの攻撃を軽く無視して先に進む事ができるのである。
高重力の嵐により歪んだ景色を眺めながら、増設したコパイシートに乗る美鳥にのんびりと問いかける。

「で、この先にあるのが?」

「なんたらコロニーを三日前に抜けたから、えっと」

美鳥が空中にウィンドウを浮かべ現在地を確認する。
地図を見ながらひとしきりうんうん唸り、後ろのコパイシートから乗り出し俺に見える位置にウィンドウを移動させた。

「今ここで、」

ウィンドウの地図上の一か所を指差し、

「こっちに行くのが、まぁ妥当なルートだよね」

ついっ、と指を真っ直ぐ動かす。
指の動きに合わせウィンドウ上の地図がスクロールし、極冠遺跡を表示した。
地図上の現在地を指し示す矢印は丁度美鳥が示した方向を向いている。

「遺跡にまっすぐ向かうならこのまま直進か」

「まぁ、時々進路確認ぐらいはするべきだとは思うけどね」

「妥当じゃないルートは?」

「うーん、と」

美鳥がウィンドウの端を指先で軽く叩き、極冠遺跡周辺を表示していた地図を現在地まで戻す。
再び地図を別の方向にスクロールすると、その先には赤い点でマーキングされたコロニーが現われる。

「ここのコロニー跡を通って」

地図が更に広範囲を現すものとなり、その赤い点でマーキングされたコロニーと、他のコロニーが点線で結ばれているのが分かる。
やや遠周りになり、というか、火星を軽く半週するほどの道のりだ。

「このルート、かな」

それらの位置にあるコロニーの情報を、俺はナデシコで調べた火星の情報と頭の中で照らし合わせた。
木星蜥蜴が攻めてくる前の都市情報、それこそネルガルの企業秘密なども合わせれば、これらのコロニーの共通点が見えてくる。

「なるほど、地下構造物探索か」

「そゆこと」

ネルガルの研究所、ネルガル傘下の子会社の研究所に加え、ライバル企業の研究所、更には火星入植直後に廃棄されたテラフォーミング実験場。
それらを地下に備えるコロニーを巡って行こうというのだ。
たぶん本命はこのテラフォーミング用ナノマシン実験場跡地。
オーストレールコロニーを表に構えるこの実験場は、火星移住初期の段階において真っ先に入植者の住める場所を確保する意味もあり、小さめの都市一つがそのまま収まる程度の広さを有している。
そういった入植直後の地下施設は外部からの影響を厳重に遮断する為に外壁などが頑強に作られており、上に都市が築かれている事からカモフラージュも容易い。
ユートピアコロニー跡の地下とは比べ物にならない規模で生き残りが潜伏している可能性は十分にある。
しかもその実験場の上にあるのは他のコロニーとは一線を画する技術を持っていたオーストレールコロニー、地下に潜伏し、着々と反撃の準備をしている可能性は大いにあり得る。

「光の翼もどきは望み薄だろうけどねぇ」

「ま、運がよければ基礎技術くらいは手に入るだろ」

確かCE70時点じゃデルタは完成していないが、それでも独自の発展を遂げたMAが存在していたはず。
もっとも、それらのMAなども、本当に生き残りの火星人が居なければ話にならない訳だが……。
まぁ、どちらにしても、だ。

「こういう連中をぞろぞろ引き連れてくのはいかんよな」

レーダーを見る。周囲は一マス分開けてびっしりと敵の反応を示す赤いマーカー。
スパロボで例えるなら、広大なマップ一面が敵ユニットで埋まって真っ赤っか、といった状況。チューリップがあるから、倒しても倒しても撃墜した端から補充されるのだろう。
無人兵器とはいえ俺達に廻し過ぎだ。まぁ、占領してからかなり経過しているから俺達以外に構う相手も居ないんだろうが。
武装の用意、とりあえずテストも兼ねてグランドスラムで少し刻んでみるか。

「グランドスラムレプリカ」

「もう出した!」

指示を出すよりも早く美鳥が大量に複製を作っておいた太刀型グランドスラムのレプリカ改造品を異次元から呼び出し、アストレイに持たせていた。
事前に『オリジナルは大事にとっておこう』と言っておいたが、それでも両手持ちの太刀を片手に一本づつ、俺に言われるまでも無く用意しておいた美鳥。
俺も美鳥もアストレイに半融合状態であるため、アストレイを通して半ば融合している俺の思考を直に読み取っての事だろう。例え話ではなく、文字通りの以心伝心。
まぁそもそも態々複座にするよりもそれぞれ別の機体に乗った方が効率はいいのだが、もうこの世界の火星なら俺達の内どちらか一人だけでも無双出来てしまう為、二機に分かれる必要が無いのだ。
そんな訳でパイロットの居ないソルテッカマンとパラディンは併せて別の次元に収納してある。
実は無改造のアストレイとレッドフレームのコピー、オリジナルのグランドスラムやガーベラのコピーも大事に収納してあったりする。
あくまでもオリジナルのアストレイはコレクションアイテム。改造するなら複製を使うのは当たり前の発想だろう。

「しかし、せっかく即席とはいえ複座に改造して、サブパイが武器を出す辺りまでやったのに、光装甲っぽい素材が一切存在しないのは勿体ない」

一瞬、オルゴン粒子をソードとかと同じように固めて装甲に被せる、とか考えたが強度が危険すぎるのでアウト。
武器にも使える癖にかなりパリパリ景気良く割れるからな。これまでのフューリーとの戦闘記録から考えても脆いイメージしか無い。

「設定上かなり頑丈なのに、アンチゼーガが登場してからあんまり堅くなさそうなイメージが付いちゃったよねぇ」

「破壊されない、って前提を覆されたから仕方がないんだけどな。つうか、強度の話じゃなくて見た目の話なんだよ見た目の」

デザイン的にはアンチゼーガの方が好みだが、それこそどうやって手に入れろって話になるからな。
似たようなクリアパーツ仕様の頑丈な装甲、どっかで手に入ればなぁ。

「じゃああれだよ、決め台詞とかで行こう!」

「あれは戦闘開始の台詞じゃなくて転送時の掛け声だろ」

大体、あれ系の決め台詞って得てして何かしらの理由があるから、何も考えずに台詞だけ頂くってのは恥ずかしいものなのだ。
因みに転送時のお決まりのあれは、量子テレポートの動詞形なのだとか。

「大丈夫、どうせこんなど真ん中から切り込んでたら切りがないし、チャージング終了と同時にこいつらの最後尾、チューリップの後ろに転位するからそん時にでも言えば」

「む、まぁ、そこまで言うなら」

本当はそんな無理矢理な理由であの掛声を使いたくない。好きな作品のネタであるが故に、逆にいざ使う段になると尻ごみしてしまうのだ。
うん、でも可愛い妹っぽいサポート役にここまでお膳立てされては仕方がないだろう。
だってここから全方角に攻撃を仕掛けるとなると手間だしな。どうせ転移するのだし、うん、当然ながら本意では無いのだ本意では。
とりあえずディストーションフィールドに回していた大量のエネルギーを重力制御装置に叩き込んで、と、ああ大変だ。本当に仕方のない。

「チャージ完了。お兄さん、何時でも行けるよ!」

まことに遺憾であるというか、ああもう、参った参った。
ええ、へへへ。

「エンタングルッ!!」

―――――――――――――――――――

きゅお、という何かを吸いこむような音と共に、木連の無人兵器群を吐き出すチューリップと、その正面に展開していた無人兵器群が砕け散る。
一条の超高圧重力波がキラキラと輝く軌跡を描き、その軌跡の中に生まれた無数の爆炎が火星の空を彩る。
高出力のグラビティブラスト。規格外の超エネルギーを元に生み出されるそれは一度では終わらない。
発射する位置、方向を変えながら、千を超え万を超える無人兵器を尽く押し潰していく。
途絶える気配の無い破壊の連鎖。それを生み出すモノは如何なる怪物か。
無情な破壊を生み出すそれは、空を飛んでいた。
両の手に長大な抜き身の太刀を下げ、爆炎や残骸を避け、空を泳ぐ様に飛んでいる。

「まずは、そうだな」

それは人を模した機械の塊であった。白でも黒でもない、精製した金属の塊からそのまま削り出したかのように見える無造作な鋼の色に身を包む機械人形。
その機械人形には未だ正式な名は無く、ただアストレイ(邪道)というその在り方を端的に表した呼び名だけがある。
アストレイは数秒毎にいくつもの方向に向け重力波を放ち、その度に空を行く無人の戦艦を十数隻纏めてクズ鉄へと戻していく。

「コロニー近くのチューリップ、全部潰してみるか」

アストレイを操る男──鳴無卓也が事も無げに呟く。この火星に生き残りが居たのならば、この言葉を聞いていたのならば、口をそろえてこう言うだろう。
『何を馬鹿な』『そんな無茶な』
と。火星に無数に存在していたコロニーを全滅させた木星蜥蜴は、常識的に考えればたった一機の機動兵器でどうにか出来るものではないからだ。
何しろ地球軍の艦隊が全滅させられているのだ。20メートル級の機動兵器でどうにかできると考える方がおかしい。

「その方がゆっくり探索出来ていい感じだしねぇ」

だが卓也の後ろ、コパイシートに座る少女──鳴無美鳥は彼の無茶な提案に気楽そうに返事を返す。まるで夕飯のメニューでも語るように軽い返事。
そう、彼等にとって、木星蜥蜴は気を張るような相手では無い。彼等と彼等の機体にとって、木星蜥蜴の無人兵器は驚異足り得ないのである。
それは本来MSではありえない、不可能な事だ。MSはそんな状況で戦う事を想定していない。
それが可能なのは、このMSがアストレイだからこそ。MSという兵器の括りに入れる事をためらってしまう程の邪道なまでの魔改造を受け、その名の通りMSの王道を外れ、大量破壊兵器として生まれ変わった、この無色のアストレイにのみ許された暴虐。
それ故に、このMSには名前が無い。色も無い。情熱の赤ではなく冷静の青でもなく高貴な金でもない。
ただただ邪道、外道、鬼道を歩むモノ。『アストレイ』という言葉以外ではこのMSの存在を定義する事は出来ないのである。
 ちゃき、という音と共に両の手の太刀を構え直し、手近な距離まで近付いていた虫型の無人兵器目掛け振り下ろす。
本来両手で扱う獲物をなんなく取り回し、流れるような動きで細かい無人機を斬り伏せる。
もはやMSの腕ではない。その腕は、内部の機械は、全てスーパーロボットの様な恐ろしい力を、強靭さを秘めている。
動きの滑らかさはMFのそれですら及ばない。生身の達人にも迫る流れる様な斬撃。
グラビティブラストの弾幕を掻い潜る事の出来る小型の虫型無人機は鏡の様な切断面を見せ、次から次へと解体されていく。
空を駆けるアストレイに近寄られた大型の虫型機動兵器も無人の戦艦も、どういった理屈か、刃渡りよりも分厚いその胴を輪切りにされ、時には二枚に三枚に下ろされ、瞬く間に数を減らしていく。
ディストーションフィールドが薄紙でも切り裂くような気安さで易々と抜かれ、無防備な金属の身体を割断する。
 木星蜥蜴の無人兵器もただ黙って落とされている訳では無い。三連ショックレーザーが、ミサイルが、小型兵器のディストーションフィールドを張った特攻が、グラビティブラストが、アストレイ向けて放たれる。
撃墜される直前まで持てる全ての性能を出し切らんと攻撃を続ける無人兵器。
だが、それらの攻撃は尽く無効化されてしまう。
レーザーとグラビティブラストは強力無比なディストーションフィールドで逸らされ逆に味方を撃ち抜き、機銃は身のこなしだけで避けられ、ミサイルは両の手の太刀で爆発する前に解体され、特攻した無人兵器はディストーションフィールドを無視する謎の斬撃で呆気なく切り捨てられた。
火星の人類をその武力で持って殲滅した木星蜥蜴。しかし、その木星蜥蜴が今、たった一機のMSによって虫を潰すかの気安さで蹂躙されている。
暴力という概念をそのまま実体化させた様な光景。
それを、遥か遠方より観測する者が居た。
SPT、しかしグラドス軍の物では無い。所々のパーツがグラドス製の物ではなく、火星で主に使用されているMAのパーツやASのパーツに組み替えられている。
砂岩迷彩を施したSPTを岩場に隠し、エンジンの火を最小限に絞り息を潜める様にして、それでいて注意深く無人兵器を撃墜し続けるアストレイをメインカメラの望遠機能だけでしっかりと追い続けている。
SPTのコックピットの中、ノーマルスーツを着込んだパイロットは厳しい視線をモニタに向けて送っていた。

「……」

じっ、と、戦いの成り行きを見つめ、木星蜥蜴と駆逐するMSが何者か、自分達の害になるものか、それとも益を齎すものかを見極めようとしている。
半年以上前に火星に降りてきたネルガルの戦艦はチューリップに呑み込まれていった。中途半端な戦力では与するのも危険。
だが仮に戦力的に充分だったとしても、それが自分達にとって好意的な存在であるとは言い切れない。
木星から侵略者がやってくる時代なのだから、また他の星からやってきた別口の侵略者の可能性だってある。MSに見えるあの機体もMSによく似た何かである可能性だってある。
 そんな事を考えている内に、空を覆い尽くさんばかりの木星蜥蜴の無人兵器は殆ど破壊し尽くされてしまったようだ。初撃でチューリップを破壊したのがよかったのだろう、これで暫くは増援も来ない。
状況が一段落しSPTのパイロットは、木星蜥蜴を蹂躙していた機動兵器に通信を入れるべきか、それとも息をひそめてやり過ごすか考える。
あの戦いぶりから考えて戦力になるのは間違いない。だが、ここで判断できたのはそれだけだ。自分達の味方に成り得るかといえば、全く分からないとしか言いようが無い。
だが、あの技術を手に入れる事が出来れば火星の地上奪還も夢では無い。危険だからとあの機動兵器をこのまま見逃すのは惜しい。
ひと先ずは判断を保留とし、機動兵器の尾行を続けようとSPTのエンジンの出力を高めようとした、その時。

「あーもしもし、そこの不自然な岩場のSPTさん?」

通信。仲間が潜伏中の地下コロニーからではない。慌てて空を見上げる。
空にただ一機、悠然と佇む機動兵器が、こちらに太刀を向け自分の隠れている場所を指し示していた。

―――――――――――――――――――

「いけない、いけないな。人のお楽しみの時間を覗くなど、紳士に有るまじき行為、紳士として恥ずべき行為だろうに」

「覗きとかマジ引くわ……」

もっとも殲滅線を始める前に気付かなかった俺達も間抜けと言えば間抜けだ。
チューリップの後ろに転位した後に、すぐレーダーを確認すれば一発で見つけられたと言うのに。
転位直前にレーダーを確認して全画面真っ赤だったから手当たり次第倒せばいいかとレーダーの確認を怠ったのは明らかなミスだろう。
敵を現す赤いマーカーが消えたレーダーには、少し離れた位置に岩場にひっそりと隠れ潜む黄色い中立表示。
そもそも、戦闘を開始する前に木星蜥蜴はグラビティブラストをばんばんぶちかましていたのだから、近隣に生き残りが居たなら気付いて当然。
しかもその攻撃音が鳴りやまないなら、木星蜥蜴の攻撃を受けて生き残り続けられる存在だということ、斥候の一つや二つ放つのは定跡。

「ところで我々はこれから、近隣のチューリップを破壊しに向かうのだが」

「巻き込まれて死なれても困るから、付いて来んのは勘弁な」

「その代わり、三日後には此方から出向こうと思っているので、よろしければ其方のコロニーの座標か、集合場所の指定を。ああいいんですいいんです言い訳も交渉も要りませんよ。其方が此方の技術に興味津津なのは戦闘中の熱視線で理解しているので」

「お前らが二年以内に火星を奪還出来るような技術とか、欲しいだろ? なら大人しく言うこと聞きな」

出来る限り慇懃無礼で超傲慢な態度で反応を窺うが、怒り出す様子も無くじっくりと考えた末に

「──の、──だ」

とあるコロニーを指定した。今は木星蜥蜴とグラドスの攻撃により壊滅状態にあり、人が生きている訳がないと思われている場所。
だが、一番生き残りが潜伏していそうだと俺達が当たりを付けておいた場所だ。

「へぇぇ」

「ほぉー」

なるほどなるほど、確かに記録にあるあのコロニーの技術力の高さから考えれば、SPTの残骸を回収して再利用する程度の事は可能。
残骸をどこから調達したかは少し疑問だが、ナデシコが火星でグラドスと交戦した時に結構な数のSPTを撃破したし、そこから回収したかな?

「──?」

「ああ、なんありません。有名なコロニーだったから少し驚いただけで」

アストレイの進路を一番近くにある別のチューリップへと向ける。
此方を見送るSPTに向け、後ろ手に手を振る。

「では、また後日」

「ちゃんと歓迎の準備してまってろよなー」

さぁ、生き残りが居る事は確認できた。さっさとこの周辺の安全を確保して、技術の蒐集をさせて貰いますかね。

―――――――――――――――――――

謎の機動兵器を見送り、SPTのパイロットはコックピットハッチを開け、外の光景を改めて確認した。
屍山血河、とでも言うのか、空を覆いつくしていた木星蜥蜴の無人兵器は、今や無残な残骸で火星の大地を埋め尽くしている。
これだけの光景を、たった一機の機動兵器が作り出したなどと言って誰が信じるだろうか。
独断で潜伏場所の座標も教えてしまった。これについては散々に絞られるだろう。
今さっきの機動兵器の戦闘はSPTのコンピュータに記録が残っている。
これを見せればあの機動兵器の技術を欲しがる者達は賛同してくれるだろうが、それでも何故不用意に情報を渡した事は追及されるだろう。
敵かもしれない、だから身を隠し息をひそめて遣り過ごそう。そういう意見が多い。
当然だ、今自分のコロニーには他のコロニーからの難民が溢れている。侵略者の驚異にさらされた後ならば引け腰になるのは当然。
だが、あの機動兵器は少なくとも木星蜥蜴の敵ではあるらしい。そうでなければチューリップをわざわざ破壊したりはすまい。
敵の敵は味方、などというのは単純すぎる理屈だが、いつか地球や火星の敵になる可能性のある者でも、今はそいつらの戦う技術が何よりも必要なのだ。
 ノーマルスーツのヘルメットを外し、火星の大気にその顔を晒す。ヘルメットからシルバーブルーの長髪が零れ、溶けた鋼と焦げた機械油の臭いを含む風に靡く。
その燃える炎の様に真紅に染まった瞳は、機動兵器が飛び去った方角へ向けられ、厳しく吊りあげられている。
しかし、それは機動兵器へ向けた感情ではない。
言葉の端々に傲慢な強者の感情を滲ませてはいたが、彼等は積極的にこちらに情報提供、技術提供を行う。怒る理由は一切無い。
そんな、どこの誰ともしれない連中の力を一方的に借りなければ、自分達は先に進む事が出来ないという事実。
自らの、自分達の非力、未熟こそが──

「──我慢ならん!」

オーストレールコロニーの未来の指導者候補、アグニス・ブラーエにはなによりも耐えがたい屈辱だった。




続く
―――――――――――――――――――

ここは切らずに続けてもいいかなと思ったのですが、せっかく我慢弱い人に『我慢ならん!』と言わせたので一旦切り。
色々と中途半端で淡々と話が進む繋ぎ回の第二十六話をお届けしました。

次は多分原作よりも貧窮したオーストレールコロニーからスタート。今更チューリップ破壊活動とか見たい人いないだろうし自分も書きたいネタではないので。
グラドス軍は何やってんの?とか言われそうですが、この頃グラドス軍は火星から地球に向かう真っ最中で火星を留守にしていた、とかそんな設定で除外。
本編最終回までクリアして、またそこら辺の細かい時系列とか確認するのは面倒臭いのでささっと流して頂ければ幸い。
でも多分ソロムコとかはバッタとかその辺と一緒に仲良く火星を見回っているんだろうなとか思いますが関係ありませんね。

短めに言い訳コーナ。久々。
Q,グランドスラムのオリジナル、せっかく直したのに使って無くね?
A,大事な人からの実用品のプレゼント、使うのがもったいなくて戸棚に飾りっぱなしとか、よくある話ですよね。
Q,地下実験場……?
A,独自設定です。参戦作品ごとに火星の開拓事情が全く違うので大胆に設定を捏造。
Q,オーストレールコロニー製SPT?
A,独自設定です。SPTとかはちょっと操縦をレクチャーされただけで学生が戦闘行動できるんだから、MS開発するよりもSPT鹵獲、あるいは残骸から改修した方が効率いいよね、という事で。


ではでは、誤字脱字の指摘、分かり難い文章の改善案、設定の矛盾、一行の文字数などのアドバイス全般、そして、短くても長くても一言でもいいので作品を読んでみての感想などなど、心よりお待ちしております。




段落ごとに文頭に一マス空白を入れる、ってこんな感じでしたっけ。
読みにくければ次回から元に戻します。できればご意見ください。



[14434] 第二十七話「遺跡とパンツ」
Name: ここち◆92520f4f ID:bbe4acae
Date: 2010/07/19 14:03
■月×日(火星の食べモノは総じて不味いらしいが、ここの飯の不味さは火星でも群を抜いていると思う。ナデシコの火星丼は味を極限にまで美化していたのだ……!←『……!』まで文章化するくらい不味い)

『さてさて、オーストレールコロニーに程近い場所にあるチューリップを破壊し尽くして早数週間が過ぎた』

『端折り過ぎだ、と言われそうな気もするが仕方ない。最初の一戦こそグランドスラムの試し斬りの為にまともに戦ったが、それ以降はすべて単純作業の繰り返しだ』

『ぶっちゃけた話、相転移砲連射ゲーと言ってもいい。文字通りのお掃除を繰り返しただけであるので、詳しい説明など出来ようはずも無い』

『待ちあわせの場所に到着した俺達に対し、オーストレールコロニーの連中はそれはもう警戒心バリバリ、持てる限りの鹵獲SPTで出迎えて、脅しつけて俺達の乗るアストレイを奪おうと──』

『なんて展開にはならなかった。まぁ、大型戦艦多数を含む木星蜥蜴の無人兵器群相手に無双できるような無茶な機動兵器を敵に回すほど愚かではない、という事だろう』

『では、アストレイを降りた後に拘束されて、ドギツイ尋問で技術を絞り出されたかと言えばそうでもない』

『俺と美鳥は客人扱いで迎えられ、それなりに立派な工房と自室を与えられてのんびりと兵器開発を行っている。追い詰められている割にはそれなりに紳士的な連中である』

『もっとも、今のアストレイの動力炉は光子力反応炉とオルゴンエクストラクタの融合した特殊なモノだ。バラして解析してもサイトロンに適性を持つ者がそもそも居ないし、光子力は火星では生成する事もできない』

『そういった諸々の事情を知っていた訳では無いだろうが、あくまでも友好的に協力関係を結ぼうと努力するオーストレールコロニーの連中の気風は中々に好ましいモノだと思う』

『今なお過酷な環境である火星では、無駄に敵を作る様な生き方は一般的な物ではないのだろう。そういう意味では、火星人の中ではテンカワ・アキトはやや攻撃的な気風の持ち主だったのかもしれない』

『イグニスは少しばかり堪え性が無く、色々とらめぇ我慢できないのぉみたいな熱い所がある奴だが、それでも基本的に争いを起こすこと自体が我慢ならんらしい』

『つまり統計的に見てやっぱり我慢弱い男だということだが、それでも木星蜥蜴に対抗する為の武器、機体を作る事に関しては時間をかけてでもしっかりした出来の物が必要らしい』

『まぁこれだって結局のところ、納期を早めて粗製が出来上がるのが我慢ならんという理由がある訳で、どうしたって堪え性などは持ち合わせていないのだろう』

『そろそろ木星蜥蜴に対抗できる機体の開発と、しばらく研究すれば使いものになるだろう技術の受け渡しも完了する、せいぜいそれまでは苦手な我慢を続けて貰おう』

―――――――――――――――――――

 以前ナデシコで火星に来た時、ユートピアコロニーの地下に生存者が群れているのを見たが、それとは明らかに異なる部分がある。
 あそこに居た連中は本当にただ生き残りが肩を寄せ合い震えているだけで、統率がとれているとか居ないとか以前に、何かしよう、という気力が無いので、乱れるようなものが無い、という感じだった。
 食料の配給などがほぼ完全に平等で奪い合いなどが無かったのも、和を乱して異物になればそこに居ることすら出来ない、なので争わない、といった後ろ向きなモノ。
 だがここは、オーストレールコロニー地下は違う。

「活気があるな」

 地下街を歩き、周囲を見回しながら呟く。
 配給が云々ではなく、それなりに商売のようなやり取りも行われており、急造の掘っ立て小屋のような屋台で野菜や果物を売る者まで居る。
 それでいて飢えているような者が居る訳では無く、変にギスギスした閉塞感も無い。
 店先で商品を値切るおばさんなどが居て、なんというか、制限された生活に慣れているような感じが見える。
 掘っ立て小屋のような店舗にもそれぞれナンバーが振られ、商売人もキッチリ管理されているらしい。

「ここは木星蜥蜴が攻めてくる前にも、入植当時と同じように管理された生活が普通だったからな」

「もともと好き好んで制限された生活をしていた連中だから、多少生活が苦しくなっても大事無い、か」

 ガイドするイグニスの言葉に頷きながら通路を歩く。
 扱う商品の種類が微妙に少ないような気もするが、それは元から火星の食料のバリエーションが少ないというだけか。

「テラフォーミングが済んだとはいえ、火星は暮らしやすい場所ではない」

 その為に普段から節制を心がけていたのが今生きている事に繋がったのだろう、と、感慨深げに頷くイグニス。

「そりゃ結構な話だけどさぁ」

 後ろから付いて来ていた美鳥が口をはさむ。手には先ほどの屋台で購入したものだろう林檎を持ち、顔を顰めている。
 林檎に齧り付くと、モシュ、という余りにも爽快でない類の音が響き、そのまま数度嫌そうな顔で咀嚼し、飲み込む。
 周りに聞こえないように一応声のボリュームは控えめに、手に持つ林檎の批評を始めた。

「スカスカなのも味がおかしいのも、まぁ戦時下だから問題無いのかも知らんけど、栄養素が致命的に足りてねぇよこれ」

「不足分は栄養剤の配給で補わせていますよ?」

 疑問形で返す独特な喋りの褐色の男──ナーエ。木星蜥蜴の襲来で人手が足りないため、周囲やイグニスに押される形で様々な役職をかけ持ちしているのだとか。
 今回は俺達外から来た人物との仲を取り持つことが仕事であるらしい。他の職業を兼業していても、やはりこの仕事における適正は一番高いと見られているらしい。
 そんな彼も、今現在取引されている食料が酷く不完全なものである事は否定しないようだ。

「地下で使用されているテラフォーミング用のナノマシンは、火星入植最初期のものだからな。これでも地上のナノマシンで改造された土よりは、栄養価が高い筈なのだが」

「限界が来ているって事か」

 こくりと頷くアグニス。
 火星入植最初期、まだ火星全体が完全に改造されていない頃のナノマシンは、土の養分を極端なものに作り替え、気候の合わない野菜や果物でも無理矢理に作れてしまうようなモノだったらしい。
 当時は火星と地球の横断は今の何倍も時間が掛かり、生活環境も整っていなかったが為に、まずは生きていくこと最優先で、痩せた土地からでも栄養価の高い食料を作れるように調整してあった。
 この地下実験場の土は当時のモノそのままで、それ故に肥料を満足に与えられない今でもしっかりと実をつけさせる事が可能だとか。
 だがいくらそんな無茶な改造を施された土壌でも、こう連続して大量の作物を収穫しては限界がくる。

「農地の土も定期的に地上の土と入れ替えようとはしている。しかし」

「ここの連中を養うだけの作物を作れる広さの農地、木星蜥蜴に見つからないように土を入れ替えるのは難しいか」

 作業用MAや重機では脚が遅いし木星蜥蜴の兵器にもグラドスのSPTにも敵わないのは分かっている。当然護衛には鹵獲したSPTが付かなければならないが、そもそもの絶対数が足りないのでどうしようもない。
 まともに戦闘をこなせる軍人連中は、木星蜥蜴が初めて火星にやってきた時、地下に民間人などを避難させる為の時間稼ぎで大半が死んでしまい、まともに護衛に回れる者も少ないとの事だ。

「まーまー、そう暗い顔すんなって、今はてめーがここの顔なんだろ? その辺もこっちで手ぇ貸してやっからよ、とりあえず今は武器の話しようぜ武器の話」

―――――――――――――――――――

 武器の話、つまり先日別れ際に話した事だ。
 二年以内に火星を奪還出来る程の兵器、更に火星でもどうにか材料が調達でき、古い設備しか存在しないこの地下でも頑張ればどうにか量産できそうな物を見繕ってやる事になった。
 ただ非常に残念な事に、引き換えに手に入れるつもりだった光圧推進システムは殆ど研究が進んでおらず、デルタに至っては影も形も存在しなかった。
 当たり前と言えば当たり前だ、今の火星、オーストレールコロニーにはそれほど余裕はない。
 そもそも使い勝手のいいSPTが何機も鹵獲して使われている時点でMSが主流になる可能性はとてつもなく低い。
 とりあえずこんな感じで作れるよ、といった基本的なデータだけは手に入ったが実用には程遠く、コレクションに加える様なものにもならないだろう。
 が、それでも何もせずに帰るというのも癪なので、ロウに先駆けて火星産MSの第一号を作ってみる事にしたのだ。
 そんな訳で、技術の出所とか何やらを詳しく話す訳にもいかないので、顔役のイグニスをやや素通りして頭役の古くて偉い、現在ここ地下コロニーを運営している連中を説得という名の軽い洗脳にかけて話を通し、現在に至る訳だ。

「ここまで開発が速く進むとは。あれもこれもと、感謝しているよ」

「まだ試作だ試作、一応このままでも使えるが、量産して万全の状態で運用するなら工場に専用のラインを作ってからにしとけ」

 俺の返答にナーエが首を傾げる。

「MAや重機のパーツを流用できるようにつくられているのでは?」

「一応パーツの流用は出来るけど、細かいパーツはできるならそれ用に調整して使った方がいいよ。早死にしたくなけりゃね」

「どっちにしろ、何機か作ってテストしたら仕様変更入れるつもりだったんだろ? これは先行量産型みたいな感じだと思ってくれりゃいい」

 市場の様な場所を抜け工房に到着した俺達は、完成寸前の兵器の前で話し合う。
 俺達の目の前に直立する20メートル級の機動兵器、色々と他作品の技術が盛り込まれてはいるが、とりあえず分類するならMSになる。
 この地下実験場で作業用に使われていた三本脚のクラゲの様なMAのマーズタンク(火星丼に乗っているタコさんウインナのモデル)をベースに、地球ではネルガルの独占技術になっているディストーションフィールドなどの古代火星文明の技術を多く盛り込んだ機体。
 一応は可変MSに分類されるもので、元のMA形態からMS形態に移行する事であらゆる場面に柔軟に対応する事が可能である。
 まぁ、マーズタンクがモデル、という時点で分かってしまうだろうが、これは原作のデルタアストレイに登場したガードシェルのスパロボ技術混合版だ。
 ナデシコにもアークエンジェルにも可変機が少なかったお陰で変形の際に幾つかの擬装用パーツが余ってしまうが、運用上は余り問題無い。
 そもそもこのガードシェルもどきは耐ビームシールドの代わりにディストーションフィールドを搭載しているのでより広範囲を守ることが可能。
 重力制御装置も少し安価で単純な作りのものだが一応搭載しているので移動速度も申し分ない。火星のやや弱い重力なら多少の無理も効く筈だ。
 重力制御推進の素晴らしいところは推進材を余り必要としない所だろう。装置を稼働させる電力さえ賄えればかなり自由に飛び続ける事が出来る。
 更に、火星にはニュートロンジャマーが存在していないので気兼ねなく核エンジンを搭載する事が出来る。
 核エンジン自体は火星のMAには標準装備されていたので腐るほど余っているし、もしもの時の為にNJCの設計図も渡してある。
 武装はDFアタックとピンポイントDFパンチと両手持ちの大型リニアカノン、原作でも搭載されていた有線シールドフリスビー。
 最初の二つはディストーションフィールド発生装置を搭載しているなら出来て当然として、見どころはリニアカノンとシールドフリスビーだろう。
 リニアカノン(ぶっちゃけ電磁加速なのでレールガンと変わりない)は次にボウライダーで戦う時の事を考えて、実験として徹底的な小型化を図ろうと思っていたのだが、ここにある資材、しかも大量生産できる様なありふれた材料では無理っぽいので諦め、その代わりに口径を大型化し、加速度と連射力を上げた設計にした。
 ここら辺は既に地球軍がメビウスで似たようなものを作っている上に、フリーダムなどに搭載されている物も参考にしているのでそれなりにいい感じのものが出来たと思う。
 更にシールドフリスビー、有線式ではあるが、ケーブルを切断されてもビームチェーンで即座に再接続が可能。ここにきてボルトガンダムの不思議技術が役に立つなど誰が予想できただろうか。
 シールド自体にもフィールドランサーと同様のディストーションフィールド破壊機能が内蔵されているため、余裕こいてフィールドで受けようとすると直撃してかなりいい感じのダメージが入る。
 ここまでの代物が本当にジャンクから作れるか疑問に思うかもしれないが、俺はナデシコに居る間にボスからガラクタから巨大兵器を製造する技術を聞き出した。
 おそらく、あの理論はまともな人間が聞いても『ボスボロットなら仕方ない』で済ませてしまい理解できないだろうが、機械系の技術とすこぶる相性が良い俺は、このガラクタから人型二足歩行の大型機動兵器を作り出す奇跡のような理論を完全に理解する事に成功した。
 俺はこの技術を分かり易くオーストレールコロニーの技術者にも教授したのである。
 常人である彼等は噛み砕いた説明でも半分程しか理解できなかったが、まだガラクタとも言えないような中古MAと中古重機から設計図通りにMSを組み立てる程度の事は可能だろう。
 メインの材料がMAなので外に出てSPTのジャンクを集める必要も無い上に、基本性能も此方が上、オーストレールコロニーのメインを張る機体はジャンク寄せ集めのSPTからMSへと移行していくことだろう。

「ま、これ一体で作業やら戦闘やら防衛やら、大概の事はこなせるようにしといたから、できればテストで使い潰すんじゃなくて最後まで大事に使ってやってくれ」

「当然だ。資源を無駄にできる状況ではないのだからな」

 ここも原作との明確な違い。
 俺は木星蜥蜴に対抗する為に戦闘用のMSをでっちあげてやるつもりだったのだが、面白い事にイグニスの、というか、オーストレールコロニーの希望したモノは違った。
 なんとこいつら、木星蜥蜴に対抗できる戦闘能力を備えつつ、それ以外の作業もこなせて安価に量産が可能な高性能機を作って欲しい、などと言い出したのである。
 無茶苦茶な要求だ。普通の兵器開発会社にでもこんな注文をしたら鼻で笑われるか頭がイカレた可哀想な奴とでも見られてしまうだろう。
 だが、それこそが今のこのオーストレールコロニーにとって紛れもなく必要な機体なのである。
 原作のように侵略者が無く、過酷ではあるがMSやMAの材料には事欠かない状況であれば、それこそ作業用や戦闘用といった分類が重要になってくるのだろう。
 だが、今のオーストレールコロニーは豊富な資源、という言葉からはかけ離れた状況にある。
 人も資源も限られた状況では、遺伝子に定められた仕事だけをこなしていれば良いというものでもなく、当然機械も様々な場面で使い回せるものでなければいけない。
 そんな訳で戦闘力ばかりが前面に出がちなデルタではなく、このガードシェルもどきを組み上げる事になったのだ。
 火星初のMSがガードシェルというのも地味な話だが、そこら辺は火星に二種類も侵略者がやってくるこの世界の運命を呪っておけばいいと思う。

「言うまでも無いだろうけど、このガードシェルだけで木星蜥蜴と全面戦争ができる訳じゃない。これはあくまでも戦力を整えるまでの繋ぎで、新兵器のベースになるものだと考えてくれ」

「チューリップを速攻で破壊出来る程度の戦力を整えないと、木星蜥蜴と戦うのは難しい、ですか?」

「ボソンジャンプだったか、説明も受けたし理論も理解できるが、それでも信じ難いな」

「でもチューリップから無尽蔵に機動兵器が湧き出してくる事にもこれで説明が付くだろ?」

 このガードシェルだけで攻め始めるとは思っていないが、万が一の事を考えてチューリップの仕掛けやら何やらも教えてある。
 ボソンジャンプの実験を行うにしても火星生まれの火星育ちしか居ないここなら死人も出ないだろうし、実験にはチューリップクリスタルを手に入れるところから始めないといかん。
 暫くはガードシェルのテストと量産に時間が必要だろうから、実際にボソンジャンプ実験を開始して成功させるまでにはそれなりに時間が必要になってくるだろう。

「ま、ぼちぼち完成する予定だから、期待して待っててくれ」

「ああ、よろしく頼む」

上手く話が纏まった所でナーエ口を開いた。

「そういえば、このMSの名前は決まっているのですか?」

 そういえば俺の中ではガードシェルで決まっていたが、話題にする時は『アレ』とか『あのMS』とかしか言って無いのだよな。
 設計図にも『記念すべき火星第一号MS一番乗り!』とかしか書いて無い。デルタアストレイみたいに元の企画名みたいのがあれば楽だったのだが。

「イグニス、パス」

 特に思いつかないしイグニスにパス。実質的なリーダーが決めたなら他からも文句は来ないだろう。
 ネーミングにケチ付けられるほど精神的な余裕があるかは知らないけどな。

「お、オレか。そうだな……」

 突然のキラーパスに一瞬戸惑うも、直ぐに真剣に考え始めるイグニスと、それをニコニコと微笑みながら見守るナーエ。美鳥はにやにやと成り行きを見守っている。

「リベレーター。こいつの名前は、リベレーターだ」

「リベレーター、解放者ですか。良い名前じゃないですか?」

 ナーエが微笑みを浮かべてMS『リベレーター(仮)』を見上げる。
 奪われた火星の地上を取り戻し、この不便な地下から解放する。そんな思いが詰まったネーミング。
 リベルタスなら玉無し短命と酷く縁起の悪い名前になったが、イグニスが素直なネーミングセンスの持ち主で助かった。
 あー、リベルタスとか言ってたらなんか、久々にガイバー読みたくなってきた。この世界ガイバーが無い。当然だけどゼオライマーも描いてないし。
 ガイバーが連載されていない代わりに高屋さんラブコメが連載されている。
 主人公はガイバーと同じく晶だけど、別に変身もしない平和なお話。しかしこれが中々王道で面白い。
 現在二十七巻まで刊行されていて、最近は主人公をライバル視していた転校生のアプトムが男装美少女だった事が明らかになるなどのイベントが目白押し。どうでもいいか。

「まぁ、かっこよく『リベレーターだ(キリッ)』とかやってもその名前が通るかは謎だがなー。他の偉い人の意見も聞かなきゃならんのだろ?」

「きさま……!」

「落ち着いてくださいイグニス、相手は客ですよ?」

「お、また我慢できねぇか? んん? 堪え症の無いやつだなぁおい、ほぉらほらぁ、少しは我慢してみたらぁ?」

 グギギとでも言いだしそうなイグニスとそれを宥めるナーエ、更に追加で挑発する美鳥を横目に考える。
 これでこの地下に潜った連中が生き残る可能性は増えた。今の今まで生き残ってこれたのなら、どこからどこまでが無茶でどこからどこまでがやれる事か位は分かるだろう。
 もうしばらくして余裕が出来たら、改めて光圧推進システムの開発に関する話を持ってくるのもいいかもしれない。あれはあれで加速力に優れる素晴らしい機能だ。
 何はともあれ、今はこいつを仕上げる事だけ考えよう。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

 あれから更に数日かけて火星第一号モビルスーツ(結局俺達がコロニーを発つまでに名前は決まらなかった)を完成させた。
 現段階の試作機では飛行やGの軽減程度にしか使えないが、もう半年も駆ければグラビティブラストも試作を完成させる事が出来るだろう。
 とはいえあの地下施設の機械は古い、無理矢理人型を保たせるよりは、バレリオンの様な砲撃戦特化の特異な形に仕上げるのが妥当な線。
 更に半年、木星蜥蜴が木連として認識され地球との和平に乗り出す頃、つまりエンディングの少し後の頃には木連とまともに戦争が出来る程度の戦力が整っている筈だ。
 その時点で木連側が和平を求めてきた時、あそこの住人がどう反応するか、実に興味深い問題だ。
 無駄な争いは避けるべきだと言ってはいるが、火星の住人、それこそあのオーストレールコロニーの連中からしてみればとてつもなく勝手な話になる。
 勝手に戦争を仕掛けてきた上に勝手に戦争を御終いにしませんか、などと言い出すのだ。しかも実際に戦場に出た軍人や、逃げ遅れた子供など、死人は数えきれない程出ている。
 そこで感情的にならずに対等な和平の道を探せれば奇特だが素晴らしい判断だと思う、会場総立ち拍手喝采。殺された連中の恨みを背負って戦ってもそれはそれでドラマチックで素晴らしい。
 惜しむらくは、俺達がエンディングの途中で帰る感じの設定になっている為、その面白そうな状況を見れない事か。

 ついでに、まだあの地下で粘るつもりらしい連中の為に、生活環境を改善するのに一役買った。
 テラフォーミング用のナノマシンを改良したり、地上の土に含まれるナノマシンも取り込んで掛け合せてみたりして、更に高度な農業用ナノマシンを開発してやったのだ。
 実はこのナノマシン、超々簡易型の次元連結システムを搭載しており、連中に提供した技術の中では一番高度な物だったりする。
 異次元とこの次元を連結させるのでは無く、火星という限定された範囲内で作物を育てるのに最適な土壌をオートで検索し、不自然にならないレベルで周囲の土を入れ替える。
 更には、近くに使用されていない家畜の糞や塵、生ゴミ等を粉々に分解した状態で自らの元に呼び込み周囲の土と攪拌。
 これらの不自然で無い、ばれないレベルという判断も簡易型の自己推論AIにより完全制御。農業の素人が痩せた土地で農業を始めても、このナノマシンさえ使えば簡単に栄養満点で美味しい野菜を作ることが出来る。
 更にUG細胞の自己増殖機能を搭載、カプセル一つ分のナノマシンで、東京ドーム一つ分の農地を賄える優れもの。増殖したナノマシンは株分けも可能だからとても経済的。
 増殖しすぎる事を不安に思う人の為に、自己増殖の回数には制限を付け、古いナノマシンは順次寿命で朽ち果て田畑の肥しになる自然に寄り添うエコ使用。
 色々と説明が面倒臭くなってしまったので、あそこの連中には新型テラフォーミング用ナノマシンの試作品と言い訳してある。
 ともあれ、最終的には人が手を貸すのは雑草の処理と収穫だけ、完全自農ナノマシンの一つの完成系とも言える、この世界でやってきた事の総決算と言ってもいい出来栄えの作品だ。
 素晴らしい、ワンダフル、スプレンディッド!
 もしもオーストレールコロニーの連中が無事に地上に復帰する日が来たのであれば、その日は火星農業界における一つの節目となるだろう。

「あれこそがDGガンダムに冥王のパワァを纏った火星の伊達ワ──新世代ナノマシン」

「ごめん、日本語でお願い」

「そりゃ無理だな、なにしろ、ガイアが俺にもっと輝けと囁いているのだから」

「素で言うけどお兄さん伊達ワルとかあまりにも似あわないよね」

「その心は?」

「殺人だの触手凌辱捕食だの洗脳だのする人は、伊達ワルじゃなくて極ワル」

「極悪じゃない辺りが救いか……」

 こんな間抜けな会話を何処でしているのか。
 オーストレールコロニーではない。そこは数日前に発ったばかりだし、与えられた自室は監視カメラや盗聴器の類が多量に設置されていたのでこんな迂闊な話が出来るわけがない。
 ならば地球かといえば当然違う。今戻っても特にするべき事が無いし、火星に来た最大の目的を果たしていないのに帰ろうなどと思える筈も無い。
 ではここは何処か、ナノマシン煌めく火星の空は遠く、ここに太陽の光は届かない。
 周囲を見渡す、ぐるりと三百六十度全方位、存在感抜群の機械の壁。
時折壁より突き出ているのはディストーションフィールド発生装置か。相転移砲を防げる所から見て上位互換でらる可能性は高い。
 そう、ここは火星極冠遺跡中枢へ続く縦穴の途中、俺と美鳥の乗ったアストレイはこの無駄に長いすり鉢状の穴をゆっくりと降下している途中なのである。
今さっき十二枚目のディストーションフィールドを突破したから、うん、見えてきた。
 一キロほど下にある遺跡中枢、演算ユニット。

「取り込むのはこの遺跡だけでいいんだよね」

「ああ、現状で他の場所に行けるか微妙だし、跳んだ先の文明が全員全能クラスのチートパワーの持ち主だったりするといやだしな」

 火星の遺跡、というか跳躍装置はこの銀河の至る所に同じような物が存在しており、この火星の遺跡からもやり様によってはそれらの跳躍装置の場所にボソンジャンプする事が可能らしい。
 太陽系の外からやってきた古代火星文明と呼ばれる連中はまず木星に遺跡を造り、そこを中継して火星にやって来たのだとか。
 が、火星に移住したのかと言えばそうではなく、この火星も中継点で目指す場所は更に遠い星なのだそうだ。
 この辺の詳しい設定はあまり存在しないらしいのだが、木星の遺跡も火星の遺跡も間違いなくオーバーテクノロジーになるのは分かっていた筈なのに完全放置とか、かなり大雑把な連中だったのだろう。
 むしろこれは大雑把というよりも気風がいいと言うべきか、『自分達の持つテクノロジーは現地の文明に渡すには影響が大き過ぎる(キリッ』みたいな事を言い出す連中に少し見習わせてやりたいものだ。

「はい到着ぅ」

 美鳥の声と共に着地、目の前には縄の塊を四角い型に押し込んだような形状の演算装置。
 時折遺跡の壁と共に光り輝いているのは木連のチューリップが絶え間なく無人兵器を送り込んでいるからか。
 アストレイのコックピットハッチを開き飛び降り演算装置の上に着地。
 ずる、という音と共に爪先から身体を演算ユニットに融合させ、演算ユニットから更に遺跡全体に向けて根を張る様に融合を開始する。
 深さ10キロメートル近い巨大遺跡、しかも時間移動を計算する事の可能な超高性能コンピューター。完全に融合が終了するまでに何時間掛かるだろうか。
 腰まで演算装置に融合した辺りでアストレイのコックピットの中の美鳥に向かって振り向く。

「良いか美鳥、敵が来たら──」

「問答無用で口封じ、だね」

「いい子だ、飴ちゃんをやろう」

 飴玉を一つ美鳥に投げ渡し、今度こそ頭まで演算装置に融合した。

―――――――――――――――――――

 演算装置との融合を開始したお兄さんを見送り、掌を広げ投げ渡されたモノを確認する。
 紐のついた歪な三角形、表面はザラザラとしていて、合成着色料でわざとらしく色づけられている。

「駄菓子屋かよ」

 文句を言いつつにやけてしまう。
 お兄さんがジャンクフードを好む様に、あたしもまたこういった合成着色料などの科学的な材料で作られた食べ物を好む傾向がある。
 お兄さんは普段から自然食ばかりで滅多に食えないから好物になったらしいけど、あたしは少し事情が違う。
 お兄さんのジャンクフード好きが精神的な物が原因であるのに対して、あたしは体質的にこういう食べ物とすこぶる相性が良い。
 作り物の身体は作り物の食べ物を好む、お兄さんが科学系の能力と相性が良いのと大体理屈としては同じだと思う。
 実際何を食べた所で栄養として取り込む訳でもないので関係無いのだけど、食べたあとの満足感の様なものがまるで違う。
 まぁ、どんなものでも元を正せば地球から生まれた天然自然のものなのだけれど、製造工程に明らかに身体に悪そうな科学的な加工が施されていれば、それだけで一味違うように感じられるのだ。
 とはいえ、科学的なものなら何でもいい訳でもない。
 味覚は基本的に人間のものと変わらないので、サッカリンをザラザラ流し込んだり青色一号をペロペロ舐めて満足できる訳でもない。
 そんな複雑怪奇な味と材料の妥協点として、適当な位置に存在するのが駄菓子という訳である。閑話休題。

「さて、さて」

 掌を握り直し一度取り込み記憶し、改めて複製を作り出し口の中に放り込み、口の中でコロコロ、カリカリと飴玉を転がしながら身体から数冊の本とノートパソコンを作り出す。
 小説が八冊、ノートパソコンには二クールアニメが二種類にエロゲ数種類。
それらを抱えたまま、警戒の為にさっきまでお兄さんの座っていたシートに、シートに──

「すんすんすん、くんかくんか、すぅぅぅ」

 一瞬意識が途切れ、気が付いたらお兄さんの座っていたシートに顔を埋めていた。
 口の中の飴玉はすでに消え失せている。たぶん臭いを嗅ぐのに邪魔だからさっさと飲み込んでしまったんだろう。

「…………はぁぁぁぁぁ♪」

 やや蒸れ気味のシートから、お兄さんの股間から臀部にかけての匂いを肺一杯に吸い込み、思わず恍惚の溜息を漏らす。
 何日も座りっぱなしだったせいか、あたしの超嗅覚がかなり濃ゆいお兄さんの匂いを検出してしまったらしい。
 まいった、これじゃあ興奮して読書もエロゲも集中できないじゃないか。
 仕方ない、とりあえずお兄さんの臭いが消えるまで、ちょっとだけ臭いを嗅いでお兄さん分を貯めておこう。
 改めてシートに染みついた臭い、臭いを──

「やっぱり味も見ておくべきじゃね?」

 誰にともなく宣言し、あたしは高鳴る動悸に背を押されるようにして、お兄さんの座っていたシートに舌を伸ばした。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

 そして、半日程が経過し、ようやくシートからお兄さんの味や臭いが消えうせた。
 消えうせたというか、くんかくんかしたりぺろぺろしてるうちに、あたしの臭いが上書きされてしまったというか、変態過ぎて大変面目ないというか、どうせなら臭いの染みついたシートを取り込んでおけば後々複製して楽しめたんじゃないかとか、そんな事を朦朧とした頭で考える。

「はっ、はっ、はっ──うっ、…………ふぅ」

 ともあれ、ようやく落ち着いた。後処理をしないと怒られる。
 涎で水溜りが出来てしまっているお兄さんのシートを、素早く作り出したタオルで拭き更にファブリーズを噴きかけて脱臭。
 足元に溜まっている別の液体もささっとタオルで一拭きしてコックピット内部は洗浄完了。
 人間に擬態したままだったせいで、激しい運動によって汗が噴きだし、服がぐしょぐしょで気持ち悪い。
 あたしはコックピットから乗り出し、遺跡内部の空気に身を晒す。

「おおぉ、これは」

 不思議な感覚。
 この火星の極冠遺跡最深部、地下十キロという深さに存在している為か、少しばかり大がかりな空調で空気を対流させているらしい。
 お陰でこんな日の光も届かない様な地下でありながら、新鮮な空気がさわやかに吹き抜けている。
 湿った上着の前を肌蹴ると、ぐしょぐしょに濡れた下着を風が優しく撫でた。

「すーすーして気持ちいい……!」

 そして一糸纏わぬあたしの下半身が、拭きぬける風による未知の刺激により驚くべき清涼感を感じている。
 驚くべき開放感。驚くべき爽快感。圧倒的ゾクゾク美!
 あたしは足首に引っかかっていたパンツを脚の動き一つで放り投げ、天に向け両手を広げる。

「ハレェェェルゥゥゥヤァァァァァァァァ!」

 未知の感情に、何時の間にかあたしは喉が裂けんばかりに叫んでいた。
 これが、人間──!
 嗚呼、なぜあたしは今の今までパンツを穿いていたのだろうか。パンツを脱ぐだけで、こんなにも心は自由になれるというのに。
 そう、思い返せばブラスレイター世界に自力で生まれ落ちた時、既にあたしはパンツを装着していた。
 そもそも人間の姿を模倣するというのなら、人間の存在を模倣するというのなら、それは盛大な間違いだったんだ。
 人間は誰しも、生まれてきた時はノーパンだった。お兄さんもそうだし、あの強壮なるお姉さんだってそう、みんなみんな、最初はノーパンで人生を始めている。
 そんな単純な世界の真実を、当時のあたしは理解していなかった。
 その為に、お兄さんの布団の中に潜っているという好条件でありながらパジャマ姿などという邪道を認めてしまった。

 ここまで考えて、気付いてしまった。
 その邪魔なパンツも言わばあたしの一部、つまり分身も同然。
 あたしは、パンツと人間に対する認識が浅かったが為に、生まれながらにして存在意義の無いあたしを産み出してしまったんだ。
 驚愕、愕然。
 戦慄、慄然。
 その感情のままに、あたしは声を荒げる。

「神様とやら、あんたは残酷だぞ!」

 天を振り仰いだ姿勢のまま、がっくりと膝を落とす。

「パンツはお腹が冷えるのを防いでくれて、見えないワンポイントのオシャレにもなる!」

 天に向けられていた両の拳を地面──展開したコックピットに叩きつける。

「だがその結果、お腹を壊す事は無くなり、オシャレに気を使う余りパンツを脱ぐのを躊躇う事が多くなり、多くのパンツ否定派が絶望する!」

 叩きつけていた手を、再び天に掲げる。
 その手には、先に蹴り飛ばした筈のパンツが握られていた。
 全体的に湿り気を帯び、一部はぐっしょりと濡れそぼっている。
 パンツが泣いているのか、自らの宿命を嘆いて。

「そいつがあんたの思し召しか。パンツはいったい、パンツは何の為にあるんだ!!」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

 半日ほど掛けてパンツの宿命に涙を流し、泣き疲れて眠りこけ、一日半ほど経ってから起床。
 ここからは太陽は拝めないけど、体内時計によれば今は太陽系標準時間で朝。
時間が経ったせいか、涙と何かの汁の後で顔も股も握りしめたパンツもかぴかぴになっている。
 パンツをプラズマ発生装置で燃やし証拠隠滅、アストレイから飛び降り、シャワー室と貯水槽を異次元から召喚して身体を洗ってさっぱりリフレッシュ。
シンプルなシャツとズボンに着替え、テーブルとイス、そして簡単な朝食を作り出す。
 ささっとトーストを焼き、ピーナッツバターを塗りたくって齧る齧る齧る齧る。
 口の中いっぱいに詰め込まれたトーストをもっしゅもっしゅと咀嚼し、ホットミルクで流し込む。
一息。
 うっすらと輝く演算ユニットに向けマグカップを優雅に掲げ、一言。

「パンツの運命とか、マジでどうでもいいわ……」

 初めての露出の快感で一時的に頭がどうにかしてしまったんだと思うよ、うん。
そんな訳であれは黒歴史認定、以下何事も無かったかのように作業続行。

「それっ」

 触手を勢いよく伸ばし、コパイシートに置きっ放しの本とノートパソコンを掴み上げテーブルの上に引き寄せる。
 小説九冊の内訳は、上下巻が二セットと、三巻完結一セット、三巻完結の外伝が一冊。
 上下巻二セットは同じ世界で、作中で事件が起きる時期は一九九六年の年末と一九九七年の六月。
 三巻完結は正確な年代は不明だが短い期間で終わって、外伝は本編開始二年ほど前。これは更にパソコンの中に続編がインストールされている。
 更に三巻完結の作品とは表向き関係無い事になっているエロゲが一本。
 二クールアニメは長くなるから後回しでいいとして、先に小説とエロゲを片付けよう。

「ふむむ」

ず、とホットミルクを啜り、とりあえず小説を片手でパラパラとめくり読み、内容を把握する。
 この八冊とノートパソコンはお姉さんがあたしにこっそりと託していたモノで、このスパロボ世界での技術収集が終わりに近づいた時に取り出しが可能になるという仕掛けになっていた。
 スパロボ世界でお兄さんがどれほど強くなったかを考えて、これらの作品のどれが次のトリップ先として適切か考えておいてと言われている。
 お姉さんも一応考えてはみるらしいけど、お兄さんと殆ど同じ能力で、なおかつお姉さんの経験を極々一部とは言え引き継いでいるあたしの意見はかなり参考になるらしい。
 まぁ、お姉さんはそこら辺の力の感覚が大き過ぎてイカレ気味なのでそこら辺正常なあたしにアドバイスを求めるのは間違っちゃいないと思う。
 思うのだけど……。

「これは、ちょっと過保護過ぎねぇ?」

 上下巻二セットは難易度が低く、お兄さんを殺しきれる存在がほぼ存在しない。
 三巻完結の小説は結構苦戦しそうな難易度だけど、最後の方に挟まっていた栞には『こっちに行くならお姉ちゃんも保護者として同行』とかサインペンで書かれていた。

「どっちにしてもヌルゲじゃん……」

 呆れる。
 修行トリップには同伴しないんじゃなかったのかよ。これならお姉さんの持ち物から適当なアイテムでも取り込ませる方が手っ取り早いって話になってしまう。
 少し冷めたホットミルクを飲み干しマグカップをばりばりと噛み砕き飲み込む。
 ノートパソコンを開き電源を入れ起動、エロゲとアニメのデータ、それを動かすのに必要な最低限のソフトしかインストールされていないおかげで無駄に立ち上がりが早い。
 インストールされているゲームは二種、片方は三巻セットの続編だから難易度も似た様なものとして、もう片方は──

「ん、今のところはこれが一番丁度いい、かな?」

 これはお兄さんが前プレイしていたのを後ろから見ていたので大体のあらすじは分かる。
 科学系の能力はかなり手に入ったし、次は一旦不思議能力とか不思議存在を取り込むのが賢いと思うし、敵を選べば苦戦もするけど死にはしない適度な難易度。
 ただ、この作品世界に行くと、ちょっとした問題が発生してしまう。
 逆に言えばその問題を無視出来れば、これ以上無いほど次のトリップ先として相応しい世界ではある。
 相応しい世界ではあるんだけど……

「キャラ被りとか、マジで勘弁して欲しいなぁ……」

 これまでに見てきた、ブラスレイター世界とスパロボJ世界の二次元キャラの三次元化後の姿。
 そのパターンを考えると、この作品のとあるキャラは、なんというか、あたしの、ねぇ?
 遺跡の壁を見上げる。まだまだ遺跡全体との融合には時間がかかるようだし、考える時間だけは腐るほどあるしまずは自力で全編通してプレイしてみるべきだよね。
 それに万が一あたしがこれを選んでも、お姉さんが何か反論を入れて他の作品に変更してくれるかもしれない。
 本家本元の姿を突き付けられた中国某遊園地のパチモノマスコットの気分を味わいながら、あたしはぺしぺしとエンターキーを叩きテキストを読み進めた。




続く

―――――――――――――――――――

人は何故パンツを穿いて生活するのか、そんな事を考える夏の一コマ。
技術説明やらなにやらばっかでだんだんダレてきた第二十七話でした。

オーストレールコロニーの現在の状況とか、まるきりオリ設定です。
何だかんだで今のところどうにか維持してるけど、下手をすればその内ソイレントグリーンとかミートキューブが作り出されていたかもしれない程度には切羽詰まって居た感じで。

暑くて頭が上手く働かないので自問自答コーナーはお休みです。不明瞭な点に関しては感想板にでも書き込んで頂ければ。

次回で盛り上がりに欠ける外伝も最終回。
その後に日常編とセットになった一話完結強制トリップ話を挟んだ後で第三部開始になります。お楽しみに。

ではでは、誤字脱字の指摘、分かり難い文章の改善案、設定の矛盾、一行の文字数などのアドバイス全般、そして、短くても長くても一言でもいいので作品を読んでみての感想などなど、心よりお待ちしております。



[14434] 第二十八話「補正とお土産」
Name: ここち◆92520f4f ID:19d255aa
Date: 2011/02/04 20:44
気が付くとあたしは、上半身はパジャマ、下半身は半脱ぎのパジャマとパンツだけ、という状態で天蓋付きの豪華なベッドにうつ伏せで寝転ばされていた。

「え、あれ、何これ」

この状況が何なのか分からない。
とりあえずその場から逃れようと身を起こそうとするも、あたしの手首は安っぽい金属の光沢を放つ手錠でベッドに固定されていて起きあがる事も出来ない。
でもこんなものは手首から高周波ブレードを出──せない。
なら怪力で引きちぎ──る事も出来ない。
身体能力も総じて人間の少女並みに抑えられている。
じたばたと無様にもがき、ようやく膝立ちの状態にまで行ったところで、背中に誰かが覆いかぶさり──

「ひぁ」

耳を軽く噛まれた。
ぞくぞくっと背筋が震え力が抜け、くて、と横倒しに倒れてしまった。
倒れた後もこりこりと耳を甘噛みされ続け、背中に覆いかぶさるやつの吐息が顔にかかる。
あたしはせめて睨みつけるだけでもしてやろうと身をよじり、そいつの顔を確認した所で呆けてしまった。

「え、お、お兄さん?」

お兄さんはニヤ、と口を歪めるだけで何も答えない。
ニヤニヤ笑ったままベッドとあたしの身体の隙間に手を差し込み、お兄さんはパジャマの上から身体をまさぐり始めた。
服の上から臍に指を差し込まれ、グッ、と押され、グリグリとかき回される。
腹の中、臓をくすぐられるような、痛いような気持ち良いような微妙な感触。

「う、くひ」

変な声が漏れてしまった。
エロゲやAVで勉強してエロい喘ぎ方の練習をしたのに全く練習の成果が出せていな、いやそうじゃなくて。

「ちょま、お兄さ、まっていや、嬉しいけど、もう少しあむ!?」

口を塞がれた、口で。
片手は身体をまさぐり続け、もう片方の手で顎をがっしりと掴まれ引き寄せられ、強引に唇を合わせ、いや、貪られる。
唇を食い千切られるのかと思うほど何度も噛み締められ、舌で力任せに閉じた歯と歯を開けられ、舌を引きずり出されてしゃぶられる。
激しくて、とてもじゃ無いが息なんて出来ない。それぐらい、完膚なきまでに口を支配されている。
口内を蹂躙されている。お兄さんの口に、舌に、侵略され征服されている。
呼吸が出来ない、酸欠で意識が朦朧として、このまま死んでしまいそう。
でも、これ、生命の安全なんて無視されるほどに、強烈に求められているって事になるのかな。
あたしが、お兄さんに、求められてる?

「──っ!」

そう考えた瞬間、あたしは呆気なく上り詰めてしまった。
頭の中のまだ冷静だった部分の思考が弾け飛んで、真っ白い熱い何かで埋め尽くされる。
下腹部の、人間の擬態で、偽物の筈の赤ちゃんを作る部屋がグリグリと蠢き、口を開き下に降りてくる感覚。
あたしの下半分がお兄さんを求めて、餌を欲しがる子犬のようにきゅうきゅうと切なげな鳴き声を上げる。
じわ、と、パンツに下の涎が滲んだ。

「美鳥」

口を開放され、眼を見つめられたまま名前を囁かれると同時に、臍を弄っていたお兄さんの指が、パンツの上まで降りてくる。
パンツを降ろされる。
そう考え、少しだけ身を強張らせるが、指は呆気なくパンツの上を滑り、秘密の部分を避け、そのままお尻の肉の間に添えられる。
お尻の谷間をパンツの上から撫ぜられるもどかしい感触。

「お、おにいさ、もっと、つ、え、ぇぇえ?」

おねだりを口にしかけ、しかし驚きのあまり中断してしまう。
パンツ越しに、窄まりに指を当てられ、

「ひ」

一気に押し込まれた。
布越しの指が窄まりをこじ開け侵入し、中の壁をずりずりと擦り刺激する。
少しだけ無理矢理な侵入、血が出たかもしれない。
指を、お兄さんの指を入れられて無遠慮に掻き回され、血が、おなかが、布の感触が、ごりごりって。
お腹と胸が焼ける様に熱い。こんなに、こんなに求められた事は無かった。
こんな、本当に、お兄さんの方から、玩具みたいに使われて。
あたし、あたしは、ようやく──

「パンツが無かったら、こんな事は出来ないよな?」

「ふぇ?」

ぺろりと頬を舐められた。いつの間にか涙を流していたらしい。
あたしはお兄さんの舌の動きに合わせる様に顔を動かす。

「ほぁ」

舌の感触に夢中になっていると、唐突に指を抜かれた。
でも中にはまで異物感、指で押しこまれた布が中に入りっぱなし。
両手が使えないなりにどうにか中から出そうと尻をくねらせてみるけど、逆に中でもぞもぞと擦れてしまう。

「パンツがあれば、こんな事もできるぞ」

意地の悪い笑みを浮かべたお兄さんが、もう片方の手を股の付け根に伸ばす。
後ろの方に押し込まれた布の分だけぴっちりと張り付いたパンツが、布の上からくっきりと筋を浮かび上がらせる。
じっとりと濡れた布地のお陰で、しっかりと透けて見えている、と思う。
そんな場所を、お兄さんの掌がやんわりと包み込み、ゆっくりと揉みしだく。
両側の肉を擦り合わせる様に揉まれ、中指が時折割れ目にパンツの布を押し込む。

「やぁ……」

にち、にち、という音が、酷く耳にくっきりと聞こえてくるような気がして、今更ながらに恥ずかしさに身を縮こませて顔を赤くし、形だけの抵抗をしてみせる。
当然形だけだ。本音を言えばもう少し焦らしてほしいような、それでいて即座に突っ込んで欲しいような、泣いて抵抗しても絶対にやめて欲しくないような、そんな複雑でシンプルな気持ちでいっぱいいっぱいになっている。
そんなあたしの内心の葛藤を見越してか、しばらくしてお兄さんはパンツの上からの行為をやめ、やや乱暴にパンツを引きずり下ろした。
いつの間にかズボンも完全に脱がされていたため、あっさりと足を抜けてパンツを剥ぎ取られる。

「むぐっ」

剥ぎ取られたパンツを、口の中に押し込まれた。
色々な汁の味がしみ込んだパンツをねじ込まれ、抗議の言葉も形に出来ない。

「いっぱい声出していいぞ、パンツのお陰で聞こえないからな」

お兄さんがそう言うと同時、剥き出しになったあたしに、熱くて硬いモノが当てがわれ──

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

ちゅんちゅんという、小鳥の鳴き声が聞こえる。

「んぁ?」

目の前にはお兄さんの意地の悪い笑みは無く、口にパンツを突っ込まれておらず、パジャマは多少乱れているが脱がされた形跡は無い。
当然のようにベッドに手錠で固定なんてされてもいない。
試しに人差し指を簡単な刃物に作り替える。変形できないなんて事も無い。

「む……」

目を数回瞬かせ、周囲の光景を確認。
全てが上下逆さまになった遺跡最深部、爽やかさを演出する為なのかやたら音質の良い鳥の鳴き声が録音された目覚まし時計が転がっており、頭の上には読みかけの少女漫画。
身を起こす。

「……」

ベッド代わりに作り出したソファの上から、九割九分お兄さんとの融合が完了した遺跡を眺める。
少し記憶を遡ろう。
確かお姉さんから託された次回トリップ先の候補作品を全部観終って、それでもお兄さんの融合が終わらなくて、仕方無いからナデシコからくすねてきた少女マンガを読んでいた。
で、なんか成人指定にされるべきエロ描写がある漫画を見つけて、それが偶然兄妹モノで、
色々我慢できなくなった兄に妹が押し倒されてやや無理矢理だけど嫌じゃ無い的な内容で、
ん、グッドエロスって感じでセルフバーニングしちゃって、エレクトしまくった挙句にそのまま意識を失ってつまり──
思考を終えきっかり一分後、あたしは頭を抱えてその場に蹲る。

「夢オチかよ……」

ぐしょぐしょのパンツの嫌な感触と合わせ、あたしのテンションは地の底より尚深く落ち込んでいった。

―――――――――――――――――――

遺跡の機能を完全に取り込み最適化も終え、演算装置から改めて元の肉体を復元した俺が最初に見た光景は、苦虫を噛み潰したような表情で黙々とパンツを洗う美鳥の姿だった。
汚れものが出ても一度身体に取り込んで再構成してしまえばいいので洗濯は基本的に必要無いのだが、何故か盥と洗濯板でじゃぶじゃぶと手洗いでパンツを洗っている。

「なにしてんだお前」

「あ、お兄さん。いや、賢者タイムで自己嫌悪っつうか、変態的な嗜好を秘めた自分への戒めっつうか……」

何時になく歯切れが悪い。何かアクシデントでもあったのだろうか。

「具体的には?」

「ごめん、お願いだから追及しないで……」

ああでももう少し目が覚めるのが遅けりゃ、とか、直ぐに寝なおしてれば続きが、とか、そんなつぶやきが聞こえる。
ガックリと項垂れる美鳥の落ち込み様も呟きの内容も気にはなるが、これは多分追及されると更に落ち込む類の話だろうし、スルーしてやるのが優しさか。
雰囲気を明るくするためにもさっさと話題を変えよう。

「俺が融合している間、何も来なかったのか?」

陰鬱な表情でパンツの手洗いを続ける美鳥は手を止めずに首を横に振った。

「虫一匹こなかったよー。つか、現時点で遺跡に侵入できるようなのは存在しないし、誰も来ないのは当然の話なんだよね」

「そりゃそうか」

当たり前のように遺跡に侵入しているから分かり難いかもしれないが、この極冠遺跡は通常の手段で立ち入ろうと思ったらとても手間がかかる。
特殊な防御フィールドで殆どの攻撃をノーダメージで切り抜けるから盗掘用の穴を掘るなんて論外。
真正面から入ろうにも強力なディストーションフィールドが何枚も邪魔をしているので、短距離ボソンジャンプで跳び越えるか、フィールドランサーやゲキガンパンチのような物でフィールドを打ち消して侵入するしか手段がない。
そして、現時点では木連側もゲキガンタイプを投入していないので単騎でのボソンジャンプは不可能、地球側は一応フィールドランサーが完成しているがこの時期は火星に乗り込む程の余力が無いので心配するだけ無駄。
唯一可能性がありそうなところで言えばオーストレールコロニーの連中だが、あいつらのコロニーからこの極冠遺跡まではそれなりに距離がある。
更に言えばこの極冠遺跡は周辺にそれなりの量のチューリップが存在している。
俺達のように木連の戦力とガチでやりあえるか、さもなければECSのように敵をガン無視できる能力がなければ、戦力の整わない内は近づこうという考えさえ起こらないだろう。

「あそうだ、取り込んだ遺跡の能力はどんな感じ? やっぱタイムマシンの演算装置取り込んだんだし、滅茶苦茶思考速度が速くなったとかあんの?」

「そういう都合良いパワーアップは一切無い。でもどんな世界に行っても時間旅行が可能になったんだから充分だろ。未来視とかはサイトロンで補えるしな」

遺跡には他にも古代火星文明人の住居だの機動兵器の生産プラントだのが存在していたのだが、有効利用できそうなのはボソンジャンプの演算機能だけ。
いや、どちらかと言えば『遺跡には時間と空間の区別が無い』『切り離されても正常に機能する』という二つの能力こそが今回の目玉というかなんというか。
まぁそれはまた別の話、保険のようなものなので説明は省こう。

「そうそう、原作ではこの遺跡の演算ユニットが破壊されると過去現在未来全てのボソンジャンプが全てチャラになる、とかそんな仮説があったが、別に壊されてもそんな事にはならない」

ボソンジャンプの演算装置が破壊された時点で全ての時間のボソンジャンプが無効になる、というのなら、そもそもボソンジャンプという現象自体起こりようがない。
この演算装置自体の強度はそれなりだが、ブラックホールに叩きこめば破壊される程度の強度でしか無いし、物質である以上何時かは必ず壊れる。
広がり切り全ての熱量が消えて完全に静止した宇宙でも当然稼働しないから壊れたモノと見なしてもいいだろう。
『何時かは必ず壊れる存在』が『壊れた瞬間に過去のボソンジャンプまで無かった事にする』のなら、『現時点でボソンジャンプが起きている』という事実に矛盾が生じてしまうのである。
まぁ、そうでなくとも宇宙のあちこちに同じタイプの遺跡が散らばっている時点で、この火星の演算装置が壊れた程度でボソンジャンプができなくなる訳が無いのであるが。

「ふ、上等じゃないか。あたしも一つ言っておく事がある。ゲーム版ナデシコで主人公が途中から女になるような気がしていたが、別にそんな事はなかったぜ……」

「そうか」

何処か哀愁を漂わせた美鳥にただただ頷く。
仕方ない、そこら辺は色々あるのだ。監督と会社のトラブルとか、人気とか。
そもそも最初から短い放送期間で纏まるように構成しておけばよかったのにとか、企画倒れになるなら企画するなとか言ってはいけない。
身近なところで言えば、絶対に続く必要無い糞スレに最初から【パート1】とか付けられているとか、コンテンツが九割方建設予定のホームページとかも似ているが、金が掛かっている分シビアになっているのだから同列で扱ってはいけないのである。

「まぁまぁそれは置いといて」

盥の中の洗剤混じりの水を捨てパンツを水ですすぎ始めた美鳥が更に話題を切り替える。
多少は精神的に持ち直したのだろうか、その口調は先ほどよりは少しだけ明るくなったような気がする。

「これで火星でやる事は無くなった訳だけど、次はどこに何を探しに行くの?」

「あぁー……」

俺はこの世界に来る前に、本編中には登場しないけど登場作品的にはありそうな技術を調べておいたのだが、この世界観だともう地球以外には明確にこれといった標的が存在しないのだ。
木星の遺跡は極冠遺跡の下位互換だし、グラドスの本星にもこれといって必要な技術も無い。ボアザンも特に技術的に優れた部分は見当たらない。
少し離れた外宇宙にはラダムの本隊が存在している筈だけど、これもブレードⅡの描写を見る限りでは取り込む必要性が感じられない。

「地球に戻るのが一番真っ当な道なんだろうが、気が進まん」

「この時間のあたし達とブッキングする可能性は控えたいしねぇ。火星の土で焼き物の練習でもする?」

「オーストレールコロニー滞在中に散々作ったからなぁ。もう姉さんの土産に相応しい傑作も出来上がってるし、今更焼き物ってのも……」

姉さんには既に姉弟妹茶碗と、陶器製の7分の1姉さんフィギュアを用意してある。
正直言ってこの二つはかなりの自新作で、もう一、二年ほどみっちり修業して画期的な新技術でも導入しないことにはこれを超える作品を作れる自信は無い。

「特にこの姉さんフィギュアはスカートの中身の作り込みに特に力が入れてあってだな」

「茶碗超スルーでいきなりフィギュアを持ち上げてスカートの中身を覗きこみ始めるとか人としてどうだよ」

言いつつ二人で見習い魔女服風トリップ作業着姿の姉さんフィギュアを下から覗きこむ。
薄暗い遺跡の奥底でフィギュアのスカートの中身を見上げると陰で良く見えないと思われるだろうが、この陶器製姉さんフィギュアはそこら辺一味違う。
火星のテラフォーミング用ナノマシンを配合しているお陰で特定のパターンの電力を流す事により自律発光を始める為、陰になり易いスカートの中身だってくっきり観察する事が可能なのである。
舐めるようにじっくりと観察していた美鳥がポツリと呟く。

「ちょっとめり込み過ぎじゃね? リアルじゃここまで筋見えねぇしさぁ」

「ほんの少しのデフォルメは必要だろう。ついでにこのフィギュアには素敵な隠し機能があるのだ」

「どんな?」

「炊飯器に入れて米を炊くと何時もよりふんわり炊けて、腕や脚部分を口に含んでもごもごペロペロしていると口臭が取れる」

この機能を付ける為にナノマシンの機能自体を少し弄ったのだが、まぁ些細な問題だろう。
俺の返答に、すすぎの終わって乾かすだけのパンツを片手に握りしめた美鳥がこめかみをひくひく引き攣らせながら俺に問いかけてきた。

「これ、お姉さん用のお土産だよね」

「一応茶碗と同じく俺と美鳥の分もあるが」

旅の思い出として持ち帰れば、このフィギュアを眺めたり炊飯器に入れたり口に含んだりする度にオーストレールコロニーでのウルルン滞在記ばりの生活を思い出せる事だろう。
できあいの既製品が悪いとは思わないが、自分の力で作るお土産であれば思い出の詰まったものであって欲しいと思うのは当たり前の話だ。

「ありがとう。でも、お姉さんは自分のフィギュアを口に含む性癖があると思う?」

「おいおい、自分のフィギュアを炊飯器に入れたり口に入れてペロペロしたりだなんて、姉さんはそんな変態的に強烈なナルシストじゃあないぞ」

武装紳士どもでもあるまいに、お人形の脚を口に含むなんてする訳がない。
しかし自分のフィギュアをてろてろになるまで舐めるとかそんな変態的な姉さんも悪くないけど現実はそうはいかない。
ああ、ちなみに当然全身フル稼働であるため、脚を開いたり閉じたりすることによる精神安定機能も搭載されている事になる。
しかし、この姉さんフィギュアが完成した直後は脚を開いたり閉じたりする作業で丸二日ほど潰してしまったが、その作業の現場をナーエに目撃されたのは痛かったな。
流石は人間関係を取り持つのに最適な遺伝子の持ち主、あの超スルーっぷりと、その後の生暖かい眼差しはトラウマ物だった。これ人間関係は関係無いかよく考えると。

「いや、お兄さんの中で解決してんなら、あたしは特に言う事は無いけど。結局どうすんの?」

「二コルが僕のピアノるまで時間があるからなぁ、ナデシコとアークエンジェルを避けつつ、適当に時間を潰そう」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

時間を潰すと言葉で言うのは簡単だが、実際に時間を潰すとなるとそれなりに色々と考える事も出てくる。
特に時間を逆行している俺達ともなればその苦労は人の倍以上。
時間を遡る前、この時間の俺と美鳥は無色のアストレイ、つまり今時間を遡ってやってきた俺達の情報を手に入れていない。
プレート回収の時にアストレイ関連の情報を手に入れはしたが、そこで入手した情報は全てアストレイ原作に沿う内容のもの。
もしもあの時点で原作には存在しない無色のアストレイの情報を手に入れていたのなら、俺が何一つ行動を起こさないというのは不自然極まりない。
俺なら、原作に存在しないアストレイの情報を手に入れたら間違いなくナデシコから抜け出してでも探しに行く。
しかし、俺はナデシコを降りるまでそんな行動を取ってはいない。
つまり、タイムパラドクスを起こさない為には、俺のアストレイは誰にも発見される訳にはいかないのである。

更に言えばボウライダーでの行動も不可能。
ナデシコを出てから気が付いたのだが、ナデシコとアークエンジェルのニュース映像などには大概ボウライダーが映り込んでいるのだ。
当然、軍の特殊部隊というか、独立愚連隊であるナデシコとアークエンジェルの情報はそう易々と流されていいものでは無い。
しかし、そういう規制された情報を嬉々として特集組んで報道する雑誌、ニュースサイトも当然のように存在している。
映画の『MIB』で宇宙人の情報を集めるのに三流ゴシップ誌を買い集めるシーンがあるが、この世界でもそういった情報を集めたければ、いかにも信憑性の薄そうな情報ばかりが載せられている三流ゴシップ誌を探すのがてっとり早かったりする。
無論、そういった雑誌にありがちな話を面白可笑しくする為の意図的な誇張表現や嘘の情報と、本物の情報を見分ける力も必要になってくる訳だが……。

「みてみてお兄さんこれこれ!『謎の超高機動戦闘機スケールライダーの秘密に迫る!!』だって!」

「『秘密のヴェールに包まれたパイロットへの突撃取材に成功!?』って、クエスチョンマーク小さすぎるだろこれ」

エロい袋とじの付いた如何わしい情報誌を嬉しそうにこちらに向ける美鳥に冷静に返す。
所々文章の合間合間に『?』や『仮』などが挟まれ、決して確定情報として扱っていないのがミソなのだろう。

「すげー、あたしインタビュー受けた覚えなんて一度も無いけどこんな有名人になってたなんてなー」

「せめてシルエットを似せる努力くらいはするべきだろ、常識的に考えて」

インタビュー受けてる目線の入ったグラマーな金髪女性は誰のつもりだよ。
とまぁ、部分部分の捏造の激しさはともかくとしても、ナデシコやアークエンジェルの戦闘が度々撮影されているのもまた確かな事実である。
軍の避難誘導もなんのそのと戦場に隠れ潜み、命がけでスクープを狙う根性は他人事であれば結構評価できる。人事で無いので俺は評価しないが。
そんな訳で、野次馬根性丸出しな連中のお陰でボウライダーとスケールライダーの姿はそれなりに世間に知れており、ナデシコに居るこの時間の俺に悟られない為にも、一般的なパワードスーツに偽装したソルテッカマンやパラディンでの行動を余儀なくされているのだ。

「お兄さんお兄さん、これ買ってもいい? ああでもこれ写ってんのあたしじゃないんだよね、微妙な気分だけど、うぅむ」

「買わなかった後悔よりも買った後悔だろ。どうせここの金なんて残しても使えないんだから、買いたいもんは買えるだけ買っとけ」

雑誌コーナーに張り付く美鳥から離れ、買い物かごに適当にインスタントの食品を放り込む。
火星から地球にボソンジャンプで戻ってきた俺と美鳥は、微妙に未来へと時間移動を繰り返しながら、ナデシコとアークエンジェルが立ち寄った事の無い各地の連合とザフトの基地へと侵入を繰り返していた。
今までのナデシコでの生活の中で手に入らなかったもので、適当に連合かザフトの基地を探していれば見つかりそうな技術を探していたのである。
例えばそう、グーンとかグーンとか、あとグーン。
いや、確かにグーンは欲しかったが正確に言えばグーンそのものが目当てだった訳では無い。
正確に言えばプロトグーン、別名ジンフェムゥスか、さもなければグーン地中機動試験評価タイプ、それらの機体に搭載されているスケイルモーターが必要だったのだ。
細かい突起物を振動させて土や砂を液状化させたり水を掻いたりして推力をえるモーターであり、これが手に入れば水中での機動に大きなアドバンテージが手に入る。
結局普通のグーンしか手に入らなかったのだがそこはそれ、最終的には陸上戦艦に搭載されているスケイルモーターをチョッパって解決した。
少しばかりサイズは大きかったが、これで問題無くアストレイ用のスケイル・システムを完成させる事が出来るだろう。
今後水中戦を行う機会があるかはともかく、デザインはすこぶる気に入っているので作らない手はない。
超音速魚雷はグーンのモノを使えるとして、問題はデザイン。大体の形は覚えているし、かっこよかったって印象も残ってはいるが流石に細部まで覚えている訳では無い。
そういった諸々を考えつつスケイル・システムを作り出す為に少しの間缶詰しようと思い、こうして面白い食品や美鳥の暇つぶしアイテムが手に入る店にやって来たのだ。

「お、ぱりんと割れるバリア煎餅」

しかもコンビニ売り用の食べきりサイズ。
これはこれで買っておくとして、結局お土産用のファミリーサイズは何処で手に入るのだろうか。
大量のエロ雑誌をこっそりかごに入れようとしている美鳥の頭を小突きながら、俺は頭の中で近隣の土産物屋を検索し始めた。

―――――――――――――――――――

夜、人里離れた山奥に通常空間から切り離した作業用のスペースを作り出しそこに入り込む。
次元連結システムでも無ければ入り込むことが不可能な最高の隠れ場所で俺は仮組みしたスケイル・システムを前に胡坐をかいて首をひねる。
やはり何かが違う。
いや、水の抵抗やら何やらを考えればこれが一番効率のいいデザインではあるのだ。
だがしかし、これは俺が身体から直接作り出した『水中戦闘を行う上で最大限効率のいいスケイル・システム』なのだ。
通常の製造工程を経ている訳では無く、どうすればこんな構造で作れるんだ、なんて感じのパーツも多い。
はっきり言って、これと同じものを通常の兵器を作り出すのと同じ手順で作ろうとすれば、パーツの加工技術を開発するだけであと三年は必要になる。
当然、多方面に様々なコネのあるサーペントテイルといえどもこんなものを作り出せる訳がない。

手から触手を伸ばし、その触手の先からアストレイを作り出す。
性能面では避けて硬いデバック用ですかと聞きたくなるような機体だが、外観は紛れも無く何の変哲も無いアストレイ。

「むん」

気合一発、念動力でスケイル・システムを宙に浮かしアストレイに取りつける。
スケイル・システムの装着された俺のアストレイ。

「凛々しいぜ……」

うっとりしてしまう。
ちがうそうじゃなくて、カッコいいけど、機能美に溢れているけども。
滑らかで、魚のひれの如く少しだけ鋭角気味に伸びたスケイル・アーマーは両腕両脚に計四枚。背には水中用ジェット。頭部には水中用のセンサーを装着。
武装は超音速魚雷発射管にアーマーシュナイダーのみ。
間違いなくオリジナルよりも高性能であるという自信はある。だが、致命的なまでにオリジナルとはフォルムが違う気がする。
うぅむ。

「なに首捻ってんの? 便秘? 浣腸ならあたしが代わりに受けて立つぜ!」

「たまに婆ちゃんとか爺ちゃんが代わりにトイレ行って来てとか言うけど、あれって何も意味ないよな」

両手にそれぞれエロ本とバリアせんべいを持った美鳥が変態発言をしながら近づいてくるも華麗にスルー。

「つれないなぁ」

エロ本を地面に広げ、隣に座り込む美鳥。
バリアせんべいの袋を開け、一枚口に咥え、もう一枚取り出して俺の方に差し出してきた。

「で、スケイル・システムの、デザイン?」

「む。アーマーとかの細部のデザインが思い出せんのよ」

せんべいを受け取る。
パッケージの写真のようにまん丸では無く、半ばから割れてしまっている。
美鳥を見る。美鳥が口に咥えているせんべいも既に割れていた。
パリンと割れる歯ごたえに重きを置き過ぎて、輸送時の衝撃を考えていなかったか。
というよりも、ここに来るまでに結構山道を走ったからその時に割れたのかもしれない。荒地も楽々走行できるからはしゃいでしまったのがいけなかったか。でもパラディンのバイク形体での移動は初めてだったから、俺がはしゃぐのも無理無いと思うんだ。
次から割れモノを運ぶ時は低空飛行できるマシンで移動するように心がけよう。
そんな事を考えながら、手の中の割れたバリアせんべいを口に運び、齧る。
ぱりん、という小気味いい音と共にせんべいが見事に口の中で砕け散った。
なるほど、これはまさしく光子力バリア。
噛み砕いた瞬間、まるで自分が一匹の機械獣になったかのような錯覚に落ち入りそうな割れ具合。エクセレント。

「見てくればいいじゃん、本物」

「………………おぉ!」

そういえばそうだ。手元に単行本や設定資料集が無くても、ギガフロートの建設現場に行けば実物のスケイル・システム装備済みのブルーフレームを見る事が出来る。
実物のスケイル・システム装備型ブルーフレーム……うへへ。

「サーペントテールの劾が撃墜されたって噂がギガフロート襲撃事件の少し前に流れてたし、運が良ければブルーフレームセカンドLも複製できるかもよ?」

「ブルーフレームセカンドL……ゴクリ」

美鳥がハンカチを俺の口元に当て何度か拭う動作を行う。
呑みこみ切れなかったか涎が口の端から零れ落ちたようだが何も問題はない。
セカンドGも嫌いでは無いが、そもそも狙撃能力はボウライダーのオリジナルですら大気圏外の標的を狙い打ち出来るからあんまり旨味が無いけど取り込みたいなぁぐへへ。
時期的にショートレンジアサルト存在するか微妙だが、ブルーフレームのコンピューターかサーペントテールの母艦のコンピューターと融合できれば設計図は手に入る。
これで行かない理由が無くなった。さっさと荷物をまとめて建設中のギガフロートにジャンプしよう。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

そんなこんなで、俺達はギガフロートへと上陸した。
建設中のギガフロートはそれほど機密性が高い訳では無いので、ギガフロート建設の手伝いをするという名目で堂々と船で乗り付ける事に成功したのだ。
まぁジャンク屋ギルドへの登録手続きは簡単に済ませる事が可能だったし、これ以降ジャンク屋として活動する事も無いので決まり事に関しても深く気にする必要はない。
ここで建設の手伝いをするという事でパワードスーツではなくMSを使う必要があるのだが、そこら辺も抜かりはない。
ジン系のMSをベースに作り上げた追加装甲と、火星で手を付けた重機をベースに作った作業用の追加パーツの装着により全身のシルエットは大幅にアストレイから外れているし、ヘッドパーツにも手を加え、Vアンテナは小型化し内部に収納、ガンダムフェイスも仄かにジンっぽいフェイスガードによりしっかり隠蔽。
……個人的には、フィレシュテのガンダムのような感じで隠したかったのだが、それだとこの時間の俺が絶対に気付いてしまうので泣く泣く諦めた。
だが仕方がない、ボソンジャンプの過去への移動はタイムパラドックスの危険を孕んでいるのだ、趣味を楽しめない程度の事でその危険を回避できるならそうすべきだし、そうする。
他にもアストレイの擬装で、趣味にまみれたモノはいくつも案があったが、全て安全を重視する上で諦めた。
本当に、本当に仕方なく、だ。泣く泣く諦めているだけであり──

「で、この腕の部分にこういうギミックが付いて、ワイヤで簡単に引き戻せる訳よ」

「紐付のロケットパンチか。確か極東のスーパーロボット、マジンガーZの武装だよな、あと、確かネルガルの新商品に似たようなのがあった気がするな。パンフだけは見た覚えがあるぜ」

「民間にはまだ出回って無いんだったか。そのネルガルの新商品、エステバリスとかだともう実用化されてるし、マジンガーよりも構造は簡易だから、ありものの素材でも再現出来るって」

こうして、建設作業の合間に作業員の仮設宿舎でロウとアストレイ魔改造討論をする程度の事は許されてしかるべきだと思う訳だ。
ワイヤードフィストの内部構造を印刷した紙が張られたホワイトボードを前にあれやこれやと議論する。

「あー、でもそうなるとワイヤを収納するスペースが足りなくないか?」

「だから、そこら辺の問題も含めてこの技術で解決できるんだよ、このワイヤが指先まで命令を送れるように出来てるし、エステバリスの技術応用で駆動系もかなり簡略化できる」

「なるほどなるほど」

現在の議論、というか、魔改造雑談のネタはエステバリスのワイヤードフィスト。
軍に配備されるようになってから多少有名にはなっているが、その性能の高さによる被撃墜率の低さと、単純な数の少なさからジャンク屋にはあまり流れていない。
更に相転移炉式戦艦とのセット運用が基本であるためやや一般のジャンク屋には敬遠されているネタだが、ロウの食いつきは中々のモノだ。
それは何もロウが新しいメカ好き、というだけでは無い。
純粋にエステバリスに使用されている技術は応用性が高いというのが第一の理由。

『遠隔操作でここまでの精密操作が可能なのは魅力だが、バッテリ駆動でこの機構は無駄が多いだろう』

「そこでこれ、重力波受信アンテナの出番だ」

8(ハチ)がモニタに映した疑問に、更に新しい紙をマグネットでホワイトボードに貼り付けながら答える。
そう、ロウ達の新しい船、リ・ホーム、何を隠そう相転移炉式戦艦であり、更には高級な重力制御装置も搭載しているらしいのだ。
といっても、別にネルガルから購入した訳では無い。
相転移炉式戦艦はネルガルの商品の中でも高級品であり、原作で手に入れたアークエンジェルと対になる補給艦が五隻は買えてしまう馬鹿みたいな値段なのだ。どれだけロウ達が稼いでもそうそう買える物では無い。
種は簡単、俺がグレイブヤードでの別れ際にロウ達に渡した相転移炉の設計図が原因だったのだ。
あの設計図を基にジャンク屋ギルドが独自に相転移炉を製造する事に成功し、その功績を考慮してロウ達にジャンク屋ギルド製相転移炉第一号を搭載した母艦を提供したのである。
元々は設計図通りに作ろうとして、ここまで各部品を小型化するのは不可能という結論に達した所で、パーツの製造が可能なサイズまで大型化し各部の機構を簡略化すれば、ネルガルで売り出し中の相転移炉式戦艦と同じものが作れるのではないかと気付いた。
その再設計後の設計図を基にジャンク屋ギルド専用のドッグで製造し、新しい船を用意する交換条件としてジャンク屋ギルドの商品として目出度く登録される事となったのである。
現在ネルガルの独占技術である相転移炉の設計図と引き換えであるため、現在製造中のリ・ホームはグラビティブラストの無いやや小型のナデシコと言ってもいいような高級な船になろうとしているのだ。
まぁ、そんな特許という概念を超越した超商法が可能なのも、ジャンク品から技術を盗んでレイスタなどを作り上げ自社商品と出来るジャンク屋ギルドならではというものか。
まぁネルガルは元々巨大企業だし、この程度の損失は我慢して貰おう。ネルガルに不利益があったとしても、俺は痛くもかゆくも無いしな。

そんな訳で、あとはアストレイの方に重力波アンテナさえ装備してしまえば、リ・ホームの周囲での活動に限り、バッテリの残量を気にする必要が無くなるのである。
一応自力で強化バッタの残骸からディストーションフィールド発生装置は作り出せたようだし、MFばりの実力を持つ蘊老人に鍛えられている以上、並みの実体攻撃はどうにか回避できるだろう。
戦闘が好きな訳でもないのに度々戦闘に巻き込まれるロウ達ジャンク屋チームも、これで滅多な事で危機に陥る事も無い、筈だ。
もっとも、これからの展開を考えると、その余程のことが起こる可能性は非常に高い。

「しっかし、こんな高級なメカをジャンク拾いに使うのもなぁ」

「どうせトラブルには巻き込まれる運命にあるんだ。それにお前、ゴールドフレームに狙われているんだろ?」

『早急なパワーアップが必要だ』

そう、その余程の事とはつまりゴールドフレームの事だ。
原作ではギガフロートが目ざわりというのがロンド・ギナの主な理由だったが、この世界のギナはギガフロートの破壊とレッドフレームの破壊を同列に見なしている。
何でも地球に降下する前に襲撃された時、ガーベラストレートだけでかなり善戦してしまったらしい。これもまた蘊老人の手ほどきの賜物だろう。
そう、原作よりも強化されたロウの技量故に、ギナに自分と踊れる相手としてロックオンされてしまったのだ。
仮にロウが自分からゴールドフレームの戦場に首を突っ込まなくとも、この世界のギナは間違いなくロウとレッドフレームを自ら破壊しに現れるだろう。
今でこそ水中戦でかなりの強さを誇るブルーフレーム・スケイル・システム装着型が護衛に付いているが、宇宙に上がってからの戦闘ではそうもいかない。
ブルーフレームとレッドフレーム、更に現場作業員の方々と共闘してわかった事だが、この世界のゴールドフレームはCE技術だけで作られた物では無い。
反応速度は並みのCEのMSではありえない程の速度で、装甲も間違いなく発泡金属ではない頑強なもの、おそらくフレームは俺のアストレイと同じくMFをモデルにしつつ、独自技術でより柔軟性と剛性を上げている。
極めつけとして、黒と金の装甲が、一瞬だけ全身金色に変化しようとしていた。
あの現象は、少なくともこの世界では一流のファイターの搭乗したMFでしか起こり得ない。あれは感情をエネルギーに変えるシステム、しかもシャイニングの不完全版ではなく、ゴッドガンダムの完全版が搭載されている。
無論そんな装置が無くてもハイパーモードになればシャッフル同盟の機体も金色に光輝くが、本気で人間という枠組みから離れかけている連中に常識を説いても仕方の無い事だろう。
俺のアストレイのフレームにMFのコピーが使用されていたのは、おそらく技術大系の違う技術をMSに取り入れても正常に機能するかのテストだったのだろう。
或いは通常の予備パーツとゴールドフレーム専用の予備パーツがちゃんぽんになったか。
ともかく、今のゴールドフレームはCEのMS基準で考えると手酷い目に会う相手であることは間違いない。
更に相手は未だ片手、どうにかして他の技術を盗んで取り入れたいのだろうが、順当に行けばブリッツの片腕が移植される筈だ。
腕単品に目を引くような技術を詰め込んであるのはミラコロとPS装甲を備えたブリッツのみ。
ゴッドやシャイニングやマックスターやドラゴン辺りの腕ギミックはモーショントレースシステムの機体でなければ能力を発揮しきれない。
武器腕であるブリッツの右腕は丁度いい妥協点なのだ。
そして、度々あったゴールドフレームの襲撃がつい先日唐突に終わった。
日記を読み返し、てもわからなかったので記憶を掘り返しつつスパロボJの攻略本を読んで確認したところ、二コルのブリッツガンダムが回想シーン用のバンクを撮り終えたようだ。
これからミラコロ技術の解析を開始し、更にマガノイクタチのようなミラコロの新しい利用法を開発するのだろう。
そうなると、ギナとゴールドフレームは衛星軌道上のアマノミハシラに引っ込んでいる筈、次にロウ達が宇宙に上がった時が決選という事になる。
パイロットであるロウが原作以上に戦闘力が高かろうが、ナデシコの技術でパワーアップしていようが苦戦は必至。
なのでこうして思いついたけど自分の機体に取り込むには性能面で不安で、なおかつ一般では有用で再現も容易な技術をロウに託して魔改造レッドフレームえへへ、ではなく、どうにかしてレッドフレームとロウ達に生き残って貰おうと苦心しているのだ。

「あそこまで行くとディストーションフィールドも使って来そうな気がするし、フィールド中和装置とかも積んでおきたいが……」

『強化バッタのフィールド程度なら、ロウは自力で切り裂く事ができるぞ』

「マジで!?」

俺の驚きに、フフンと鼻を鳴らしながらロウが親指を立てて自信満々答える。

「爺さんに言われたとおりの『まっすぐな振り』で斬れば、フィールドなんて軽い軽い」

Q、ディストーションフィールドをどうやって破りますか?
A、刀を真っ直ぐ振れば斬れます。

いや、スパロボ的には正しいけど、無改造MSの攻撃でバッタのDF貫通するけど、それを言ったら木星蜥蜴の脅威も糞も無くなっちゃうだろうに。
ロウが、ロウがすっかりスパロボレギュに適応した上でガンダムファイターみたいな超理論に侵されてしまった。
とか思ったが、原作でもガーベラでビームを切っていたし、元からそういう素養はあったのかもしれない。生身で宇宙空間に飛び出すし。
つまりこの世界も寺田により破壊されてしまったけど、プリキュア始まるからあと三十分は許してくれるらしい。おのれ鳴滝……! 録画でいいだろう録画で。
Jは寺田じゃないとかそういう突っ込みはどこからも期待できない。そも寺田は自分の好きなキャラを不必要なまでにプッシュするからあまり好きでは無いのだ。
もうATXチームをトラブルの中心に突撃させるのは止めてやれと。あと次のOGにDが出た時ラキルートが黒歴史化されそうで戦々恐々としているのだ俺達Dファンは。

「おおっと、ノースリーブキモウトの悪口はそこまでにしてもらおうか!」

「ご飯持ってきたよー」

大量のおにぎりが載った御盆を片手に美鳥が見得を切りながら部屋に入ってきた。こいつは時々ナチュラルにこちらの思考を読み取るから困る。
山吹ももう美鳥の電波的な発言に慣れ切ったのか、何事も無かったかのようにお茶の入ったポットと漬物の乗った御盆を持ち部屋に入ってくる。

「じゃ、飯食ったら作業再開だな。卓也と美鳥はどうするんだ?」

「俺は午後からは警備と半々。こういう防衛系の依頼じゃなきゃ、データ取りの為にもゴールドフレーム来い! とか言えるんだけどなぁ」

「あたしもお兄さんも攻める方は得意だけど、守りは普通だからねぇ。ゴールドフレームに張り付いてデータ収集なんてしてたらその他の襲撃者が全部サーペントテール任せになっちまうし、それだと流石にまずいっしょ?」

「警備は数が少ないもんね」

サーペントテール以外の警備が貧弱だった為、俺の擬装済みアストレイも自作のスケイル・システムを装甲に組み込んで海中の襲撃者の迎撃に回る事になったのだ。
デザイン面以外ではかなり高性能であるため、単純に戦う時に使う事には抵抗は無いのだ。
まぁ、周りの目が多いので何時ぞやの水中戦のように念動力で一網打尽とか、そういう真似は出来ないのが難点だが。
美鳥もジャンク屋ギルドの一員としてここに来たので、当然作業用にMSを使っている。
といっても美鳥にはMSに対する思い入れが余り無い為、単純に適当なMSを継ぎ接ぎして作業用っぽい雰囲気に仕立て上げただけの代物を使っている。
作業用のアームとなら同時に、空からの襲撃者を迎撃する為に様々な紐付鈍器や対空ミサイルやライフルを装備しており、ここで使い捨てるには少し勿体無いと思えてしまうような豪華なゲテモノMSに仕上がっている。

「じゃあ午後の作業が終わったら新装備の設計詰めようぜ。二人ともそろそろギガフロートでの仕事は終わりなんだろ」

「え、そうなの? なんで?」

「元々ここへは路銀稼ぎと見学に寄っただけだから、お前らみたいに船丸ごと買わなきゃならん訳でも無いし」

ブルーフレームのスケイル・システムは見たし、セカンドに使用されてる頭部とタクティカルアームズの設計図も見せて貰った。
ここではブルーフレームがずっとスケイル・システムを装備したままだからブルーフレームセカンドLの活躍は見れなかったが、それは後から宇宙で少しだけ見れそうなので問題無い。
ここでの作業が終わったらアメノミハシラ行ってゴールドフレーム取り込んで、月行ってフューリー取り込んだらひとまず終了かな。
ラスボスを取り込んじまうと盛り上がりに欠けるかもしれんけど、まぁフューリーが居なくなって誰が困るってもんでも無いし、気にする必要もあるまい。

「そっかぁ、さみしくなっちゃ、う、ね……?」

溜息を吐きながらおにぎりを手に取った山吹が、一口おにぎりを口に入れたと同時に眉根を寄せ口を曲げ奇妙な表情をとり、急いでお茶で流し込み食べかけのおにぎりを盆に戻した。

「うへぇ、こいつ一発目で当たり引きやがった。相変わらず空気読めてねぇなテメェ」

「み、美鳥ちゃぁん……!」

おーいやだいやだと手を振る美鳥に恨みがましい視線を送る山吹。

「んー、当たりはプリン入りか。俺もこれはカラメル部分が苦く感じて苦手なんだよな」

「いや、その感想はおかしい」

山吹の食いかけのおにぎりを一口食べたロウに突っ込みを入れる。
流石は火星のマズ飯を地球の飯と同列に扱う男、味覚も例外なく王道から外れているという事か……。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

黒と黄金に身を包み、鉤爪のような翼の様な背部ユニットを持つ異形のMS──ゴールドフレームが、その禍々しい背部ユニット、マガノイクタチから鏃の様な物を射出する。
マガノシラホコ、PS装甲で作られ、射出速度さえ強化すればスーパーロボットの装甲すら容易く貫くそれが、不規則な軌道を描いた後、ゴールドフレームと対峙する白と赤のMS──レッドフレームへ向け一斉に加速。
弾丸よりもなお早いその鏃を、レッドフレームはガーベラストレートを振るい巧みに軌道を逸らしていく。

「なんでもかんでも壊しやがって! 自分ひとりで世界を動かしてるつもりかよ!」

逸らした鏃、マガノシラホコが軌道を修正するよりも早く、返す刀でマガノイクタチと繋がるワイヤを断ち切り、ビームサーベルを抜刀。
油断無くワイヤから切り離された鏃の予測位置に向けサーベルを振るう。
そう、ワイヤから切り離されたマガノシラホコの鏃部分は自ら推進材を吐き出しながらも自律してレッドフレーム目掛け進路を修正していたのだ。
ビームサーベルが鏃を捕えた。
だが、鏃はビームサーベルの熱で熔ける事も無く執拗にレッドフレームを狙い続ける。
耐ビームコーティング、いや、微弱なディストーションフィールドが鏃を保護し、ビームサーベルを逸らしている。

「ふん、愚物が。万人は世を統べる者にその生命を捧げる義務があるのだ」

幾度となく再アタックを繰り返す鏃の対処に精一杯のレッドフレームに、ゴールドフレームがランサーダートを放つ。
当然のようにフェイズシフト化しレッドフレームを貫かんとする三本の杭。
その杭に、ガーベラストレートで軌道を逸らされたマガノシラホコの鏃が激突、PS装甲同士の超高速度による衝突の衝撃により、双方の内蔵するバッテリに蓄えられた電力が底を尽く。
フェイズシフトダウンにより灰色に染まった二つの射出武器をすかさずガーベラで叩き切るレッドフレーム。
ランサーダートとマガノシラホコが、内臓されている機構から考えると過剰な程に煙を吐き出しながら爆発。
煙を突き破りながらゴールドフレームがレッドフレームに迫る。
トリケロス改をガーベラで受け止め、キスも出来そうな距離で睨み合うゴールドフレームとレッドフレーム。
その鍔迫り合いを続ける二機を通して、ロンド・ギナ・サハクとロウ・ギュールが睨み合う。

「ふざけんな! 世界ってのはな、そこに生きてる一人一人が頑張って作り上げるもんだろうがっ!」

「下賎の者の考えそうなことだ。多少ダンスが踊れるとはいえ、ジャンク屋風情に理解できる事ではないな!」

だが、拮抗は長くは続かない。
ロウのレッドフレームはMFではなくMSのフレームを使っているが、ギナのゴールドフレームはMFのフレームを使用している。骨格の強度が違う。
さらに言えば、ゴールドフレームは単純な出力、機動性でもレッドフレームを遥かに上回っている。
このゴールドフレームの機体各部には、ボルトガンダムのビクトルエンジンのコピーが搭載されているのだ。
基本的にはガーベラを振る為の調整しかされていないレッドフレームでは、単純な力比べでは勝ち目がない。
そして、ゴールドフレームにはまだいくつもの手が残っていた。

『ロウ、距離を取れ、バッテリが強制放電されている!』

拡散されたミラージュコロイドによるバッテリの強制放電。
様々な方面にスパイを潜り込ませていたこの世界のアメノミハシラの技術力は原作を軽く上回っている。
マガノイクタチを経由せずとも、機体のどこか一部が接触していれば相手のバッテリを強制放電させ、自らのエネルギーとする事が可能なのだ。
エネルギーを失い、力を失ったレッドフレームの手からガーベラが取りこぼされ、ゴールドフレームが自らの後方に弾き飛ばした。
動けなくなったレッドフレームに、ガーベラを弾き飛ばしたトリケロス改の返す刃が迫る。

「いいや、まだ行ける! 重力波受信アンテナセット!」

ロウの指示と同時に、空になりつつあるバッテリから、重力波ビームによる無線エネルギー供給に切り替わるレッドフレーム。
ピンチのロウを援護する為、相転移エンジンを搭載したリ・ホームが接近し、重力波ビームの圏内にレッドフレームを納めたのだ。
ロウはレッドフレームを素早く再起動し、ビームサーベルを構え、トリケロス改を迎え撃つ。
力場を形成してサーベル状にビームを固定するビームサーベルは、ディストーションフィールドでは瞬間的にしか逸らす事ができない。
仮にゴールドフレーム本体にディストーションフィールドを張る能力があっても、ビームサーベルなら通る筈。
PS装甲もビームに対する耐性は強く無い、斬り裂ける。

「な」

「ビームサーベルを」

『掴んだだと!?』

リ・ホームの面々が驚愕する。
発泡金属どころか、頑強な宇宙戦艦の装甲すら容易く切り裂くビームサーベルを、ゴールドフレームの『完全に黄金色に染まったトリケロス改』がその手で握り締めて防いでいる。

「油断だ……!」

トリケロス改を中心に、ゴールドフレームの全身が眩いばかりの黄金色に染まっていく。
アストレイゴールドフレーム天(アマツ)ハイパーモード。
国を影から支配するに相応しい王者となるべく、自らの身体を鍛えに鍛えたロンド姉弟にのみ許された、ゴールドフレーム最終形態。

「それこそが、下賎の証明!」

全身が完全に黄金色に染まり、周囲のデブリを破裂させた。
ギナの禍々しい闘気が破壊的な衝撃波となり放出され、空間すらも歪ませて、その歪みに耐えきれなくなった物から崩壊していくのだ。
その衝撃波に弾き飛ばされたレッドフレームのカメラアイが、ゴールドフレームを睨みつける。
全身の装甲を破壊され、フレームが歪み正常に動作しない。ジャンク寸前、戦闘機動などもっての外。
だが、それでもレッドフレームは、そのパイロットであるロウは諦めていない。

「下賎だろうとなんだろうと、俺はあんたを認めねぇし、そんな考えの奴には負けらんねぇ」

「貴様の考えがどうだろうと、このダンスはもう幕引きだ。せめて美しく散るがいい!」

黄金色に染まったゴールドフレーム、その背部のマガノイクタチが死鎌(デスサイズ)のように瀕死のレッドフレームの命を刈り取らんと振り下ろされ──

「一寸待て」

高速で飛来した機械的なフォルムの大剣に阻まれる。

「ぬぐ、P03!」

「村雲劾!」

「戦いに集中しろ、ロウ・ギュール」

大質量の衝突により姿勢を崩すゴールドフレーム。その隙を突いて、レッドフレームがその肘から先を発射する。
ワイヤードフィスト。しかし拳で無く掌のままゴールドフレームの背後に伸びたその手は、しっかりと己が剣を、ガーベラストレートを捕まえた。
衝撃から回復し姿勢を立て直したゴールドフレームと、ワイヤを引き戻しガーベラを構えたレッドフレームが正面から相対する。

「そのようななまくら刀で、このアマツが斬れるとでも思っているのか」

「斬れるさ、斬れない訳がない」

向かい合ったまま、十秒、二十秒が過ぎ、一分が過ぎた瞬間。
両者の姿が消え、次の瞬間には背を向けた状態で互いの位置を入れ替える。
互いに互いの武器を振り切った姿勢のまま硬直。レッドフレームのガーベラは半ばから罅が入り、ゴールドフレームのトリケロス改はその鋭利な刃が掛けていた。
一瞬の間を置き、レッドフレームが先にくず折れ、

「ば、馬鹿な……」

ゴールドフレームが、その前面の斬撃痕からオイルを血飛沫のようにまき散らした。

―――――――――――――――――――

「はは、すげえすげえ。マジで勝っちまいやがった!」

ECSで姿を隠したアストレイの中、美鳥がモニタを見ながら手を叩いてはしゃいでいる。
ロウ・ギュールのレッドフレームがロンド・ギナのゴールドフレームを下す。
そこに至るまでの経緯はときた版と戸田版で多少の違いはあるものの、どちらでも起きた結果だ。
だが、この世界でそれが起きるのは奇跡と言ってもいい。
ギガフロートを経った後アメノミハシラに忍び込んでゴールドフレームを取り込んでわかったが、この世界のゴールドフレームにはレッドフレームの魔改造など比べ物にならない程の魔改造が施されていたのだ。
装甲は発泡金属よりも軽量で、かつ並みのMSの装甲よりも堅牢な超合金Z。
フレームはMFのフレームの発展形で、限定的ながらラムダドライバすら搭載し機体の制御に当てていた。
マガノシラホコにはローゼスビットの技術、機体の駆動系にボルトガンダム、更にパイロットはギナ、ミナ共に鍛え抜かれた細マッチョでハイパーモード発動可能。
動力源は横流しされたパラジウムリアクターの最新型。もともとエネルギーを食う機体では無かったお陰で、バッテリの残量を気にすることなく戦闘が出来るというすぐれもの。

「なんで勝てたんだろうなぁ」

目の前で、ロウが消えた後にブルーフレームに止めを刺されているゴールドフレームを眺めながら考える。
ロウのレッドフレームは直前に重力波アンテナとワイアードフィストを追加した以外はこれと言って原作との性能差は存在しない。
せいぜい出力の弱いディストーションフィールドを搭載している程度だが、それはどう考えてもあの戦闘で有利に働いては居なかった。
マジンガー、Gガン、フルメタの技術を搭載した、本編に出ないからこそ許される超魔改造ゴールドフレーム。
味方に居ればバランスブレイカーで、敵なら間違いなく難易度高限定の中ボスのような無茶な機体。
それを、ほぼ無改造なレッドフレームが、原作よりも少ない損傷で勝利をもぎ取った。

「さぁて。もしかしたら、これが噂に聞く主人公補正ってやつかね」

「ふむ、主人公補正か」

なるほど、一理ある。
主人公補正という訳では無いが、俺達の様なトリッパーにも『トリッパー補正』とでも言うべきものが存在しているらしい。
特に対抗策を取っていなければ、トリップ先の原作イベントの方からこちらに近づいてくる、というものだ。
犬も歩けば棒に当たるというか、イベントエンカウント率が非常に高くなるらしい。正直心当たりも結構ある。何よりベテラントリッパーである姉さんの言葉だ、ほぼ間違いないだろう。
で、あれば、どんな逆境をも乗り越え、あらゆる強敵を打倒する事が可能になる『主人公補正』の存在する確率は非常に高い。

「あいつらは、どうなんだ?」

「バリバリだろ。スパロボ的に考えれば、下手をすれば一度も被弾せずに戦争を終えるような確率操作すら行われてる可能性もある訳だし」

「所詮この世は泡沫の、セーブリセットリロードか」

この世界は俺の家にあったロムだからプレイヤーは存在しない。
姉さん辺りがプレイしているならまだ有り得るが、流石に俺達がトリップしているカセットで再プレイはしないだろう。
だが、主人公補正の有無は大きい。
どれだけ能力が厨二的で倒し方が分からない敵でも、ストーリー上必要とあれば主人公は倒す事が可能なのだ。
で、あるならば。主人公補正をもった原作主人公に、トリッパーは絶対に勝つことが出来ないのだろうか。

「…………」

これは重要な事かもしれない。
死なない為に力を蓄えている以上、最終的にはあらゆる存在から害されず、あらゆる存在を一方的に害せるような力を手に入れなければならない。
例え相手が主人公補正を持っていたとしても、こちらは勝ち続けなけれなならないのだ。
俺は、この世界で手に入れた力で、この世界の真の主人公を負かす事が出来るだろうか。

「どったの、いきなり黙り込んで」

心配そうに美鳥が身を乗り出し此方の顔を覗き込んできた。
姉さんならば、そんな補正はものともしないだろう。だが、美鳥はどうだろう。
仮に鬼畜エロゲの世界で主人公補正持ちの主人公に負けて捕えられた場合、こいつは一体どうなってしまうだろう。
そんな事を考えてしまい、背筋が少しだけ震えた。

「わわ」

乗り出してきた美鳥の首を捕まえて、持ち上げる。
そのままコパイシートからひっこ抜き、頭からこちらのシートに落とす。

「うぎゅ」

しばらく逆さのまま足掻いていた美鳥をもう一度持ち上げ、膝の上に乗せる。
そのまま美鳥の腹に両腕を廻し、きつくない程度に、それでいて逃げられない様にホールドする。

「え、えーっと、お兄さん? あ、あれー、まさかまた夢オチな展開っすかぁ?」

多少身をよじる様なそぶりを見せたモノの、抵抗らしい抵抗は一切しない。

「どうせここで二人乗りじゃないと対処できない敵なんて出ようが無いんだから、大人しく抱かれてろ」

「うわ、マジで? やっべなにその発言エロいけどどちらかと言えば大歓迎」

「訂正、寒いから温まるまで湯たんぽ代わりにされてろ。」

「……うん、はい、分かってましたけどねぇ、そうそうある展開じゃないもんねぇ、そんな感じの人生だよねぇ」

いじけ気味な美鳥の発言を無視し、腹部をホールドする手で美鳥の腹をさする。
正直な話、姉さんの代用とか劣化複製とか、そんな感じで扱うのが正解なんだろうけど。
こいつも、まぁ、悪くはないか。

「うぅ、おにーさん、その手付き、エロくないのにこそばいよ」

「うだうだ抜かすな。体が温まったら俺達がボソンジャンプした直後のオーブに移動だからな」

「月?」

「月だ。二機のラフトクランズと、生き残りの量産機と一緒に、な」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

月内部、ガウ・ラ=フューリア、機動兵器格納庫。
転移装置、軍団の門を介して白と赤のラフトクランズに、ヴォルレントを含む数百の量産型が出現する。
そのどれもが深く傷ついてはいたが、戻ってこれなかったものは極僅かだったのか、最初に出撃した機体数とほぼ変わりない数の機体がこの格納庫に戻ってきていた。

「おお、ラフトクランズが」

「騎士様達がお戻りになられたぞ!」

整備を任されている騎士団の従士見習い達が歓喜の叫び声を上げる。
今回の討伐隊に選ばれなかった未熟な者には詳しいところまでは知らされなかったが、今回の敵は、もし倒せなければフューリーの未来が途絶えかねない程の強敵だったという事は知らされている。
その強敵を相手に、ほとんど犠牲無しで勝利を収めた。
やはり自分達は、自分達の仲間は強いのだ。地球人を名乗る連中などに負ける筈がない。
白いラフトクランズのコックピットが開き、パイロットである騎士が姿を現す。

「フー=ルー様!」

「騎士フー=ルー様だわ!」

出迎えた従士や従士見習い達が、男も女も黄色い歓声を上げる。
歴戦の騎士であり、美しく、男らしさと女らしさを兼ね備えたフー=ルー・ムールーは上司にしたい騎士ランキングで常に上位にランクインし、お姉さまになって欲しい女性ランキングでは常にトップに君臨し続けているのだ。
地球の言葉で言えば、ヅカっぽいとでも表現すればいいか。そんな人気だった。

「皆、出迎え御苦労!」

フー=ルーは、その顔に微笑を浮かべ、格納庫に響き渡る声でねぎらいの言葉をかけた。
その言葉に格納庫が湧き立つと、フー=ルーは浮かべた微笑を更に濃く、深いものへと変えていく。
口の端を裂けんばかりに吊り上げ、右手をあげる。
それに合わせる様に、ヴォルレントを始めとする量産機のコックピットが一斉に開く。
開いたコックピットの中には、誰も居ない。
数百のコックピットの中に、一人足りともパイロットが存在しないのだ。

「あれ、なんか、おかしくな」

出迎えた従士の一人が異変に気付く前に、その喉笛を掻き切られ血を噴き出し、大量出血のショックで絶命した。
肉の塊を叩くような音を立て、絶命した従士がその場に倒れこむ。
そしてそれに他の者が気付くよりも早く、次々と出迎えの従士達が喉を割かれ心臓を潰され声を上げる間もなく倒れて行く。
その被害者達の後ろには、全身に金属質の何かを張り付けた裸身。
ただし、顔はのっぺりとした仮面のようなもので覆われ、側頭部には捻じれた角がへばり付く様にして生えている。
腰のあたりからは脊椎をそのまま延長したような尾を生やし、その脚は獣のそれに似た構造。
その異形は皆、唯一つのコマンドだけを実行する為に生み出された存在。

『生きてる奴を殺して、仲間を増やせ』

量産型の機動兵器の脚部に融合していた彼等は、解き放たれると同時、そのコマンドを迅速に実行に移した。
格納庫に武装した従士の一団が押し入ってくる。
異常なほどにフー=ルーに気を取られていた従士達は気付かずとも、監視カメラで異常を察知した警備担当の従士達はこの異形の集団を排除せんと動きだしたのである。
放たれる銃弾や熱光線を、腕を緑色の丸太の様な太さの物に変化させ防ぐ異形の集団。

「おい、大丈夫か!」

銃を構えた従士を護衛に、衛生兵が喉を切り裂かれた者達に駆け寄る。
監視カメラ越しでは確認できなかったが、まだ息のある者が居るかもしれない。そう判断しての事だった。
だが、その行為すら、この襲撃を計画したモノの思惑通り。

「くそ、だめ、か?」

胸に軽い衝撃。
今まさに絶命を確認した仲間の腕によって深々と胸を貫かれ、心臓を鷲掴みにされている。
遅れて痛みがやってくるが、発生の為の器官ごと胸を貫かれているので絶叫することも出来ない。

「なん、で」

自分を殺した相手の顔を、霞む視界にとらえた衛生兵が見たモノは、金属質の何かに覆われた、のっぺらぼうの悪魔の顔だった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

暫定的な指導者である総代騎士の控える部屋の戸を、フー=ルーはノックもせずに開き、堂々と脚を踏み入れる。
部屋の中、机に向かう総代騎士グ=ランドン・ゴーツ。
グ=ランドンは椅子に座り机に向かい、難民の一人が母星から持ち出した娯楽雑誌を読みふけっている。
開いているページは漫画だ、フー=ルーも昔に読んだ覚えがある。
内容は酷く陳腐な勧善懲悪もので、宇宙の果てから来た侵略者を、侵略される側の星のヒーローがやっつけるというもの。
そんな漫画を、地球を侵略せんと企むフューリーの総代騎士が読みふけるというのはどんな皮肉だろうか。

「そんな真似も出来るのですね」

「一発でばれたか」

「今は貴方の下僕ですもの。主の見分け程度は付きますわ」

漫画雑誌を読みふけっていたグ=ランドンの顔が、体形が、服装が、瞬時にどこにでもいそうな平凡な男のモノに変わる。
全体的に穏やかそうな作りの顔、適当な長さで刈られた黒髪、全体の調和を無視したかのように、不自然なまでに鋭すぎる目つき。
フー=ルー・ムールー自身とその同僚、そして数百の部下を皆殺しにした、白い人型機動兵器のパイロット。
ナデシコとアークエンジェルのクルーを騙しぬき、今やフューリーの母艦を半ば以上掌握した驚異の存在。
地球人のようで、実は違うのかもしれない奇妙な男。
鳴無卓也が、我が物顔で総代騎士の椅子に座っている。

「グ=ランドンはどうされましたか?」

「食った。サイトロン適合率は結構高かったかな」

事も無げに答える。だが、それを恐ろしいとは感じない。
いうなれば、この男は天災のようなものなのかもしれない。フー=ルーはそんな事を考えた。
人の力では防ぎようの無い災厄、フューリーは台風に巻き込まれた安普請の掘っ立て小屋のように、ただただ運が悪かったというだけで、何の意味も残さず終わるのだろう。
それもいい。運も実力の内、ならば自分達は究極的なまでに勝利とは縁の無い弱者だったのだろう。
例えフューリーが滅んでも、私はこれで、晴れて地球最強の部隊と、正面切って戦う権利を得たのだから。

―――――――――――――――――――

此方に一礼したフー=ルーが部屋から出て行くのを見送り、俺は再び手元の漫画雑誌を読み始める。
ガウ・ラの乗っ取り自体は至極簡単だった。
量産型の機動兵器に複製した下級デモニアックを融合できるだけ融合させ、凱旋してきた仲間を労う為に格納庫に集まった戦闘員を片端からペイルホースに感染させる。
感染した者を強制的に下級デモニアックへと変化させる改造ペイルホースのお陰で、あと数時間もしないうちにガウ・ラ内部で現在活動しているフューリーの連中は一人残らず
俺の制御下に置ける。
火星の遺跡で慣れたから、全身を融合させずに上半身は出したままでガウ・ラそのものとの融合も可能。途中で退屈になる事も無い。
大き過ぎるので数週間は時間が必要になるかもしれないが、ナデシコとアークエンジェルがここにやってくるのにもまだまだ時間が必要。
最後の演出を考えながら、ゆっくり完全に融合同化に専念できるだろう。

「お兄さん、作業完了したよ」

漫画を読む俺の目の前に美鳥が転位してきた。

「全部か?」

「全部全部。お兄さんみたいに融合して取り込む作業じゃないんだから、この程度は余裕だって」

美鳥に頼んでおいた作業とは、フューリーの民が眠るステイシスベッドの改造である。
ステイシスベッドにテックシステムを組み込みフューリーの民を総テッカマン化、更にステイシスベッドを通じてペイルホースを感染させる。
更にテッカマンへのフォーマットの過程でラダムでは無く俺への忠誠心遺伝子レベルで組み込み、ペイルホースに遺伝子を組み替えさせる事で火星人のジャンプ体質も組み込ませるように注文してもある。
コールドスリープ装置を全自動改造人間製造機に改造したと言えば分かりやすいだろうか。
とりあえず、これで雑魚は揃うし、挑発の材料にもなるだろう。

「よしよし、じゃあ次の仕事は──」

「お兄さん」

次にさせるべき事を伝える前に、美鳥が俺の発言を遮った。

「なんだ、褒美の類ならもう少し待て。しばらくはガウ・ラとの融合を優先したいから細かい作業はしたくないんだ」

「うん、我慢して我慢した後の方が喜びもひとしおだもんね。いやそうじゃなくて、どうしてまた、ナデシコの連中と戦うつもりになったの?」

「わからないか?」

「わかんね」

両手を肩の高さまで持ち上げお手上げのジェスチャーをする美鳥。
漫画雑誌を閉じ、適当に机の上に放り出しながら答える。

「主人公補正、破れるかなって思ってな。あいつらから取り込んで、確実にあいつらの技術よりも優れている状態で、それでも主人公補正はあいつらを勝たせるのか、それとも純粋なパワーの差で俺が勝てるのか」

「んー、まぁ、確かに少し気になりはするけどね」

「それに、俺がこの世界で強くなった確かな証拠として、主人公連中の首を姉さんの土産にするのも悪くないだろ?」

「生首トーテムポールはお土産に向かないと思うなぁ。防腐剤買ってこようか?」

「比喩だよ比喩、比喩表現」

椅子に深々と腰掛け、脚を机に乗せて、頭の後ろで腕を組む。
何だかんだでナデシコには散々金を送った。主要な機体はフル改造済みだろう。
レベルの方がどうかはわからんが、まぁそれでも普通にプレイした時の一週目よりは間違いなく強い筈だ。

「万全の状態で、あいつらを言い訳不能なまでに叩き潰す」

欲しいのはケチのつけようの無い完全勝利。
空力を操り、メモ紙を美鳥に向けて飛ばす。空気の上を滑り見事に美鳥の手の中に収まるメモ紙。

「量子コンピュータ用ウイルス、シャイニングガンダムのジャンク、東方不敗の死体、デビルガンダムの残骸、ラダム母艦中枢、VL開発リベンジ、ジェネシス……」

「出来るだけ早めに全部集めて来い。他にも欲しいものがあったら拾ってきてもいいから」

「分裂して手分けした方がいいなぁ。あ、カルビさん拾ってきていい?」

「いいんじゃないか? 主人公してないならどうせ暇を持て余してるだろうし」

特に必要な物には太い文字で書いてあるし、美鳥はこういうお使いではへまをするタイプではない。
寄り道するにしても拾い物を探しに行くにしても、は全てのお使いを終えてからにするだろう。
ガウ・ラと融合を初めて、俺の中に出現した謎の設計図も気になる。
連中が月に来るまでにやっておく事は山積みだ。気合いを入れて、最終決戦の準備を整えるとしよう。




十九話「フューリーと影」に続く
―――――――――――――――――――

なんとか七月中に外伝を終わらせる事に成功。
いろいろと展開に巻きをいれつつも何事も無く外伝終了な第二十八話でした。

二三話分の話を押し込めたからやや展開というか場面転換が無茶苦茶かもしれませんが何も問題はありません、これがボソンジャンプの力です。
まぁ、一応ゲーム版ナデシコで古代火星文明に『過去には跳ぶな』って注意されているんですけどね、どうせスパロボ編が完全終了するということでガン無視です。
山無し落ち無し、でも微妙に意味があるから厄介な外伝でしたが、ここまでお付き合い頂きありがとうございました。
次回は一話か二話完結の超短編を挟んで、少し間を置いてから第三部に入ろうと思っとります。気長にお待ち下さいと言う事で。

以下自問自答というか、突っ込みへの保険とか削除依頼とか出されない為の言い訳コーナー。

Q、冒頭のサポAIの夢の内容は結局なんなの?
A、ポーカーです、ベッドに縛られてポーカーをしていたのです。PS2の絢爛舞踏祭スレで同じ状況をそう解釈していましたので間違いありませんのだ。深く追及すると怖い人がやってくるのでそれ以上いけない。

Q、ジャンク屋ギルドってそんな簡単に入会できるもんなの?
A、そこまで詳しい設定を見つける事ができなかったので、この作品内ではレンタルビデオショップの会員証作るよりは難しい程度のあれで。

Q、ロンド姉弟は鍛えに鍛えてるの?
A、ガンダムファイターの存在を知っているのでそれ相応にムキムキです。ウルベとか指先一つでダウンですとも。

Q、フューリーの漫画、文字は読めるの?
フー=ルーさんの死体を取り込んだ時点でフューリー側の知識は一通り頭の中に入ってるので、当然読めます。脳味噌に記録されてる知識も取り込むので。


こんな所でしょうか。
ではでは、誤字脱字の指摘、分かり難い文章の改善案、設定の矛盾、一行の文字数などのアドバイス全般、そして、短くても長くても一言でもいいので作品を読んでみての感想などなど、心よりお待ちしております。







信憑性の低い次回予告
スパロボ世界での修業を終え、節分やバレンタインやホワイトデーや桜の季節を満喫しつつも主観時間で一年半以上ぶりに姉といちゃつく主人公。
そんな久しぶりの姉との逢瀬を邪魔するかのように始まる強制トリップ。
「いいぜ、トリッパーは何時トリップしても文句を言えないって言うんなら、まずはその幻想をぶち殺す!」
喰らえ必殺アトミック・クエイク! 燃え尽きろファイアーブラスター!
主人公怒りの精神コマンド全部掛け無限行動分身殺法が、八当たり気味に京都の街に炸裂する!

次回、
『魔法教師細長い香草付き焼き鳥! チートトリッパー残酷地獄絵巻』
これで決まりだ!



[14434] 第二十九話「京の都と大鬼神」
Name: ここち◆92520f4f ID:bbe4acae
Date: 2013/09/21 14:28
がたんごとん、がたんごとんと眠たくなるような速度で走る二両編成の電車の中、俺は窓の外をのんびりと眺める。
スパロボJの世界で一年以上戦場を駆け抜け、時にはメガブースター四つ装備のボウライダーで海面スレスレを飛び回り、スカイダイビングもビックリな超高々度から空中要塞目掛け重力加速踵落としを敢行したり、速さにかけてはかなりの体験をしたと思う。
更に言えば、軽く走っても電車どころか並みの新幹線より余裕で早いので、ガオガイガーのオープニング張りに追い抜けてしまう。
だが、それでも電車での移動というのは素晴らしいモノだ。
電車はレールの上を走り、一定の区間だけを移動する、ある意味では不便な乗り物だ。
当然途中で忘れ物をしたからといってUターンして戻れる訳でもないし、途中で行き先を変更できる訳でもない、急ぎたいからといって速度を上げる事すらできない。
そんな電車での移動中、親しい間柄の同行者がいればお喋りに興じ、駅の売店で新聞や週刊誌、ワンコインの文庫本を買うこともあるだろう。
自らの意思、自らの力の及ばない無為な時間をどのようにして潰すのか。
電車というどちらかと言えば公に分類される場所で、他人に迷惑をかけない範囲で恣意が交錯する。まさに人間という生き物の作り出す社会の縮図とも言える空間だ。
こうして電車の中でゆったりとしていると、トリップ中にいろいろやり過ぎて薄れてきた人間としての自覚という物が緩やかに再生していくのが良く分かる。

「卓也ちゃん、表情的に物思いに耽ってるのはなんとなくわかるんだけど」

「もぐ」

向かいの席に座る姉さんに、返事はせずに頷きを返す。
如何に姉さん相手とはいえ、口の中に物をいれたまま喋るのはマナー違反。
親しき仲にも礼儀あり。むしろこの世で最も親しい相手である姉さんに対してこそ、俺の礼節は最大限に発揮されるのだ。
頷きとジェスチャーで話を聞いているという意を伝えると、姉さんは分かってくれたのかうんうんと頷き返し、ビニール袋から紙パックを取り出した。
良く冷えた500mlの牛乳。

「頬袋一杯にままどおるを詰め込んだままじゃ、どうしたって恰好は付かないんじゃないかって、お姉ちゃん思うなぁ。はい牛乳」

「むぐ」

これにも素直に頷く。
しかしこの頷きは格好が付くとか付かないではなく、久しぶりに姉さんと電車を乗り継いでまで買い物に出掛けているにも関わらず、只管食べてばかりでまともな会話が無いというのは寂し過ぎるという事に関する頷きなのである。
口の中身を数度咀嚼し、手渡された牛乳を一口。
素朴な甘さの餡が牛乳と合わさる事によりまろやかさと滑らかさを増した。
呑みこむ、喉通りも滑らかで、口の中にしつこく味が残ったりもしない。この優しい甘みは全国販売のお菓子では中々有り得ない、誇るべき地元の味だと感心するがどこもおかしくはない。

「ほうぅ……」

「ふふ、おいしい?」

「うん、美味過ぎる……」

電車の中で人目も憚らずにヘヴン状態!
まぁ、こんな畑と田圃と山と川しか周りに無いような地方の路線、しかも平日の真昼間だから人目もくそも無いのだけども。

「戻ってからリハビリに忙しくて、殆ど遠出できなかったもんね」

「う、面目ない」

「いいのいいの、トリッパーにはありがちな事なんだから」

そう、リハビリである。
主観時間で一年半以上、というか、二年弱の戦争体験により、俺はすっかり農作業の基本を思い出せなくなっていたのである。
考えても見て欲しい。俺が高校を卒業してからまだ四、五、六年程度、トリッパーになってからの長期トリップはまだ二度目を終了したばかりだが、ブラスレイター世界とスパロボJ世界での活動期間は合わせると余裕で二年を超すのである。
実に元の世界での実労働時間の半分から三分の一近く、俺は全く関係無い事を行っているのだ。
この際だからはっきり言おう。元の世界では、ロボット操縦の腕がエースパイロット級でもクソ程の役にも立たないのである。
作業の遅れを取り戻す為、人数を増やして足りない労力を補おうとしてフーさんを作り出してみたはいいものの、当然ながら農業の従事経験なぞ欠片も無いので、本気で猫の手程の役に立たなかった。
まぁ、地球圏最強の部隊と戦わせてやるという約束はしっかり果たしたとはいえ、まさか農作業の手伝いをさせられるとは流石のフーさんも予測できなかっただろうから仕方がない。
では何故、戦争と可愛いものしか頭に無いようなフーさんを農作業の手伝いに駆り出す事になったかといえば、実のところ、ちゃんと人間の姿を保ったまま複製できるのはフーさんだけだからなのだ。
美鳥も量産出来ないでもないが、これは目撃者が出ると今後の生活に支障がでるので不可、いっそ下級デモニアックに農作業用の服着せて量産しようかとも思ったが、野菜を媒介にしてペイルホースが感染すると危険なのでこれも不可。
ぶつぶつ文句を垂れつつもきっちり作業をこなしてくれたフーさんには頭が下がる思いだ、ふんぞり返り過ぎて後ろ側に。
そういえば、年甲斐も無いフリフリ着たフーさんを見た姉さんが何ら大きなリアクション無しで、『金髪じゃないのね……』とか呟いていたのが気になるが、何か金髪に思い入れでもあるのだろうか。
とまれ、ジャガイモや玉ねぎ、春菊や長ネギなどの種まきも終わり、春キャベツの収穫が終わる頃にはどうにかこうにか勘を取り戻せたので、こうして姉さんとお出かけと洒落こんでみたのだ。

「まぁそこら辺は追々馴れるとして、さっきの店で何を買ったの? 店員さん、注文の品がどうとか言ってたけど」

「ん、姉さんの服の材料」

「お姉ちゃんの? 材料から作るの?」

「ん、これがまたかなりの自信作でさ、グレイブヤードで職人の技術を収集したのは話したよね」

「うん。お土産に凄いカッコいいお茶碗持ってきてくれたもんね。あと何故かフィギュアも」

因みに三人分作った姉さんフィギュア、姉さんは五月人形を入れるようなケースに入れ、大事に自室に飾ってくれている。
炊飯器に入れているのは俺の分の姉さんフィギュアで、美鳥はニンニク料理を食べた後などによく口に咥えたままテレビを見ている姿を見かける。作っておいてなんだが、実にシュールな光景だ。

「アストレイを読めば分かると思うけど、グレイブヤードは世間では見向きされなくなった技術の使い手が集まるコロニーな訳よ」

「うんうん、それでそれで?」

「で、あの世界の極東、つまり日本の宗家から追い出された異端の着物職人が、持てる全ての技術を費やして編み出した『異界の美と威を備えた窮極無敵のゴス和服理論』を俺が再構築して設計した和ゴス服が──」

「待って、ちょっと待って。それ、お姉ちゃんは何時着ればいいの? 夜一緒に寝る前とか、そういう、ひみつ一杯なプライベートな時? コスチューム『で』プレイ的なそんな」

「え、いや、姉さん最近自分の服買ってなかったし、お出かけ用にお洒落な服の一着や二着新しく用意してもいいかなって。ほら、ゴールデンウィークには千本桜が満開になるって予報あったしさ」

なにやら姉さんが指先をもじもじさせ赤面しながらエロい発言をしだしたが、神(たぶん顔が無かったり三つ目だったりするタイプ)に誓って俺はそんなやましい事は考えていなかった。
そう、今の一瞬で夜のワクワクタイムの為に脱がしやすく扇情的なデザインの再設計版が頭に構築されたが、それは姉さんが悪いのであって俺がエロい訳では断じてない。
とりあえず、最初に設計した和ゴス服の材料では二種類は作れない。
布の複製を作って、それで一旦美鳥をベースに試作して、それからオリジナルの布で姉さん用の完全版を作るのが妥当か。
再設計の時点で新しい種類の布が必要になるかもしれないが、まぁその時はその時だ。

「うー、千本桜って、あの川沿いのあそこだよね、出店とか出る。卓也ちゃんとか美鳥ちゃんならともかく、あそこはいっぱい知らない人が来るから、恥ずかしいかなって思うんだけど……」

「あ、そっか、けっこう観光客とか来るもんね。これはお蔵入りか……」

更に言えば、あの時期は都会に出ていった古い知り合いとかも花見をしに戻ってくる。
トリップ作業用の魔女っ娘服で慣れているとはいえ、知りあいの目の前でそういう服装というのは精神的に来るモノがあるだろう。
考えても見て欲しい、確かに姉さんはそのトリッパーとしての能力も相まってとてつもない若々しさだが、戸籍上は三十路越えなのだ。
世間的な目を気にした場合、その年齢の女性がフリフリひらひらの付いたアレンジミニ和服なぞ着るのは適切と言えるだろうか、過去同じ学び舎で過ごした学友に胸を張って会えるだろうか。
答えは否だ。三十路越えと言えば世間的には小学生くらいの子供が居てもおかしくない年齢、そんな服装を出来る筈がない。
確かに、そういった世間体を無視して本音を言えば着て欲しい。
せっかくデザインしたのだし、何度も再設計を繰り返して完成した自信作(まだ型紙の段階だが)だし、絶対に姉さんの魅力を十二分に引き出せる自信がある。
だがその服を作って送ったからといって、それを着るかどうかは姉さんの判断次第なのだ。
頼みこめば着てくれるかもしれないが、嫌々恥ずかしながら着て貰うというのはかなりそそるが気が引ける。
姉さんは俺の着せ替え人形では無く、確固たる人格を持った一個人なのだ。俺の趣味、欲望を満たす為だけに無理矢理に着てもらうなど言語道断。
という、毒にも薬にもならないような理屈でどうにかこうにか自分を誤魔化しておくのが一番平和的な解決法だろう。

「もう、そんなに落ち込まないでよう。ほら、えっと、知りあいとか人気の少ない場所でデートする時とかなら、お姉ちゃんもそういう服着てみてもいいし、ね?」

「姉さん……!」

思わず身を乗り出し、姉さんの手を両手で握り締める。
感激だ。なんとなく通じ合っているようでそうでないような微妙なシンパシーに喜びを感じざるを得ない。
電車の窓の外では、大きな川が太陽の光を反射してきらきらと光輝いている。
今の俺と姉さんを車内から見たらいい感じに俺と姉さんのシルエットが映って美しい一枚が撮れるだろう。
いやまて、これは少しばかり光量が強すぎるのではなかろうか。季節は春、日差しはぽかぽかと暖かくなる事はあっても、ここまでくっきりと影が出来そうな日差しは──

―――――――――――――――――――

同時刻、鳴無家。
耳にはイヤホン、手にはマウスを握りしめてPCの画面に齧りついていた鳴無美鳥が、ハッとした表情で顔を上げる。

「お兄さんとお姉さんの霊圧が……、消えた……?」

それはつまり、二人が自動トリップで異世界に飛ばされたということ。
そう確信すると同時、美鳥はPCからイヤホンを引き抜き、ボリュームを上げる。

『んほおおぉぉぉぉぉぉぉ!』

途端、スピーカーから溢れだす女性の過剰なまでの喘ぎ声。その大ボリュームの喘ぎ声は家中に響き渡る。
PCの画面に映るのは、身体を殆ど隠せない程度の鎧を身に纏ったままベッドに押し倒されている金髪の女性。
世間的にはイグゥ!さ乙女などと言われる有名監禁調教作品だ。

「ふふふ、これで心おきなく、大音量でエロゲを楽しむことができるというもの」

人二人が消えても、それでも世界は平和だった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

次の瞬間、俺は普段乗る電車とはまるきりレイアウトの違う座席に、姉さんと並んで座っていた。
隣の姉さんは苦虫を噛み潰したような表情。

「ごめん、油断しちゃった。この導入、滅多にないから感知しにくいのよね……」

溜息一つ、衣装はトリップ用のモノに変化していないが、手のひらサイズまで簡略化された機械的な魔法の杖をその手の中で弄んでいる。
この車両、前に一度、いや二度ほど見かけた事がある。これは電車では無く、新幹線!

「新幹線の自由席って、また微妙な始まり方というか、ちょっと車内販売の弁当とか買ってきていい? いいね? いいぜ!」

「卓也ちゃん落ち着いて」

姉さんに真顔で宥められても止められない止まらない。
新幹線なんて高級な乗り物、中学校と高校の修学旅行の時に乗ったきりなので少しワクワクしてしまうのは仕方がないことだと理解して欲しい。
三百円ぐらいする詐欺臭い缶ジュースとか買う為に財布を取り出すと無駄に胸が高まれ高まる。
丁度車内販売のお姉さんが通路を通っている。財布の中を確認、いい生地を買う為に余分に金を財布にいれてある、これぞまさに天恵!

―――――――――――――――――――

そんなこんなで吊り目で雑魚い悪役顔の美人な売り子さんから弁当を全種類買占め、姉さんと二人でお昼ごはん。
少々出費がデカくなってしまったが、今やここは元の世界ではなくどこかは不明ながらトリップ先の異世界、多少ずるして金を増やす程度の事は許されてしまうのである。
その証拠に、先ほど車内販売の売り子さんに万札で支払ったが、それは手元の財布の中にある本物の万札の複製に過ぎない。
通し番号の数字を書き換える程度の事は造作も無いので、この世界から帰るまでは全部偽札で済ませてしまう事にしよう。

「うぅん」

弁当の器である益子焼の釜を掌で押しつぶすようにして取り込み、包み紙を丸めてビニール袋に詰め込み、唸る。

「どうかしたの?」

「いや、そういえばここは何の世界なのかな、と。多分魔法とかそんな怪しげな世界だってのは分かるんだけど」

「そうねぇ」

ブラスレ世界やスパロボ世界を体感した今だから分かるが、トリップ先の世界毎に細かい処でかなり違いがある。
スパロボ世界では重力は巨大なロボットに対して優しいところがあるし、ブラスレ世界は超人アクションに関して物理法則が気持ち緩めになっているような感じがするのだ。
そして、この世界の空気は、不可思議な現象、氣や魔力というものに酷く大らかな雰囲気がある。
大気中には意思を持った不可思議な何かが充満している。
この不可思議な意思を持った存在、ブラスレ世界やスパロボ世界で魔法を使う時に周囲に現れていた何か──つまり、精霊に酷似しているのだ。

「うん、卓也ちゃんもそういうのをしっかり認識できるレベルに達しているのね。偉い偉い」

母性溢るる笑顔を向けられ、あまつさえ撫で撫でされてしまった。
ここで常人ならば恥ずかしがったり照れたりしながら手を振り掃ったりするのだろうが、俺は断固としてそんな事はしない。
姉さんに褒められて甘やかされている。
この幸福な状況を自分から中断させるなどという愚行を犯すほど、俺は未熟では無いつもりだ。
全身全霊を持って、この状況に甘んじる!
とか決心した瞬間に撫で撫でが終わってしまった。馬鹿な事考えてないで姉さんの掌の感触に集中してればよかった。

「そうね、そこに気付けたのはいいけど、それだけじゃどういう世界か特定するには足りないわ。こんな感じで世界に精霊っぽいのが満ちている世界なんてさして珍しくも無いし」

「まぁ、現代の地球っぽい世界観で平気でぽんぽんファンタジーな技術を使う作品は少なくないしね、異能力バトル物とかそんな感じだし」

しかし、新幹線に乗るシーンがある、という条件が加わればそれなりに絞り込む事ができる筈だ。
更に言えば、この新幹線は大阪行きである事は確認済みで、時刻は午前。

「魔法関係のネタがあって、それでいて大阪行きの新幹線が登場する作品かぁ」

新幹線で真っ先に浮かんだのはマイトガインやヒカリアンではなく何故かグリーンウッドなのだが、あれは剣と魔法は外伝にしか登場しない。いや、マイトガインもヒカリアンもロボ物だが。
……まぁ、宇宙人だの幽霊だのが平気で存在している時点で魔法の存在も完全には否定できない訳だが、そんな事を言い出したら絞り込む事なんて出来る訳も無く。
更に言えば、大阪行きの新幹線とか、午前とかは余りに情報として細か過ぎて役に立たない。
うんうん首を捻って考えていると、姉さんがポッキーを一本差し出して来た。

「そんなに悩まなくても大丈夫だって、卓也ちゃんはもう生半可な異能力じゃダメージは入らないんだし、これからの展開を様子見しながらゆっくり──」

「コラーーっ、親書を返してくださーいっ!」

姉さんのセリフの途中で、背中に大きな杖を背負い、肩に白くて細長いユーノ君を乗せたスーツ姿の赤毛の少年が走り抜けていった。
姉さんはポッキーを差し出した姿勢のまま、俺はそれを受け取る寸前の姿勢のまま、しばし沈黙。
重々しく、口を開く。

「これ以上無い程のヒントが、つうか、答えそのものが目の前を横切っていったような」

続けて、姉さんが静止状態から復活した。

「まぁ、こんな事もあるのよ、うん」

この落ち着きよう、やはり天才……
此方に差し出していたポッキーを新幹線の通路に向け、仄かに頬を赤く染めほんの少しだけそっぽを向く。やや動悸が激しくなっているようだ、姉さんも少し動揺しているようで安心した。
ポッキーの先はかすかな光を帯び、しかし機械的に計測した限りでは魔術的、科学的に防壁の張られた大都市を一瞬で蒸発させるだけのエネルギーが宿っているように見えた。
強力でありながら並みの探知能力では察知できない程に存在感の希薄なエネルギー。
サイトロンから核分裂、バッテリーに至るまで、あらゆるエネルギーの探知に定評のあるスパロボ世界版次元連結システムのアッパーバージョンを搭載した俺ですら、目の前でエネルギーが収束する様を見なければ察知できない程のステルス性。
こんな物で攻撃されたら、自分が死んだという事にすら気付けずにこの世から消滅してしまうだろう。

「ここがネギまの世界、しかも修学旅行編なら話は早いわ。ええと、確か首謀者はメガネの吊り目女と白髪の子供よね」

ポッキーの尖端に集まった謎の力が、そこにあるのか無いのか、どんどん不安定な状態へと移行する。
スパロボ世界で見たボソンジャンプとも次元連結式のワープでもオルゴンクラウドでもない、かといってネギま世界の魔法でもない。
ポッキーの尖端に存在する力、それが存在する確率がどんどん低くなっているとでもいうか、もう俺に内臓されている観測機ではその存在を捉えきれない。
そう、誰にも観測出来ないが故に、どこにでも存在し得る。
あとは標的の存在する座標に確立を収束させるだけ。事実上どのような場所に存在しても、あの攻撃からは逃れ得ない。
射程距離無限の必中攻撃。

「こいつらを始末しさえすれば事件は終了、ささっと片付けてお家に帰──」

言いかけ、言葉を止める姉さん。
そのまま、人差し指と中指に挟んだポッキーを縦に振り、もう片方の手を顎に当て考え込む。
一つ頷きポッキーを大きく一振りすると、何処かに居る標的の二人に向け転送される寸前だった力をあっさりと消してしまった。

「どうしたの?」

「えと、よくよく考えたら、卓也ちゃんと二人っきりの時間とか、最近なかったよね」

「言われてみればそんな気もする」

何だかんだで姉さんは早起きできないのは相変わらずだし、そうなると早朝に畑仕事に向かう俺とは鉢合わせ無い。
昼間は農作業で家を開けるし、ご飯を食べる時は美鳥を入れて三人なので当然二人きりではない。
姉さん自身は昼間特にやる事も無いのでちょくちょくお昼ご飯用にお弁当を持って畑に来たりもするのだが、ここ最近は畑限定でカプセル怪獣の如くフーさんをこき使っているのでこれも厳密には二人きりでは無い。
せいぜい風呂の時間か、さもなければ美鳥が遠慮して他の部屋で眠った夜程度か。

「そのくせ、美鳥ちゃんはあっちで殆どずっと卓也ちゃんと一緒だったっていうし……」

ぽす、と軽い音を立てて姉さんが肩にもたれかかり、人差し指でこちらの胸元にのの字を書き始めた。
ううむ、これはいけない。姉さんを寂しがらせてしまったようだ。
確かに俺と姉さんでは互いに互いを愛でる時間に差異があったのは確かだろう。
何しろ俺の実睡眠時間は僅かに二、三時間程度。日が変わるか変わらないかという時間に姉さんと一緒に布団に入り、一瞬にして眠りに付き、丑三つ時かそれを少し過ぎた時間に起床する。
深夜に起き、すやすやと眠る姉さんの寝顔を見てほっこりしたり、眠りを妨げない程度の強さで寝顔や寝姿を愛で、早朝の農作業が始まるまでの時間で姉さん分を補給しているから、コミュニケーション不足に気が付かなかった。
つまるところ、姉さんはこのトリップを利用して久しぶりに二人きりの時間を作ろうと提案しようとしているのだろう。

「しかも向こうで金髪巨乳の十代の美少女を従順な雌奴隷に調教したっていうし……」

「お待ちなさい」

予想外の変化球。何処の誰の入れ知恵だ。

「でも、荷物の中に綺麗な金髪が入っていたもん。金髪のちぢれ毛にストレートパーマをかけてまで持ち帰ってくるほどお気に入りなんでしょ?」

「なんで素直に普通の毛であると判断できないのかがさっぱり理解できないのだけども」

フーさん見た時のリアクションはそれが原因か。
下の毛にストパを掛ける事ができるかどうかは知らんが、少なくとも毛の太さで分かりそうなものだろうに。

「だって美鳥ちゃんが、『お兄さんはその金髪巨乳の乗った機体を背後に庇って、見事に攻撃を一発も後ろに通さずにラストバトルを戦い抜いたんだよ!かっこよかったよ!』って、それなら間違いなくちぢれ毛をお守り代わりにするでしょ?」

「いや、公共の場でちぢれ毛ちぢれ毛連呼しないで、お願いだから」

美鳥め、最終決戦に関して、極限まで曲解した報告をしやがったな。
スパロボ世界で手に入れた能力とそれを用いた戦闘法の研究とかは結構したけど、俺からスパロボ世界での詳しい活動内容の報告をしていなかったのが仇になったか。
……いや、割と意図的に避けていた節もあるけども。多少の後ろめたさはあるし。
いくらサイトロン予知の予防の為とはいえ、女の子を薬ポさせるとか、姉さんに話して軽蔑されたら嫌だし、そこまでやって最終的には主人公達には勝てなかった訳だし、率先して話したい内容ではないと思う。
日常に関してももうちょい詳しく日記に書いておけばよかったか。自分で読み返してもいまいち何やってるか分からんものなあの日記。

「ああもう、京都までまだ少し時間があるから、まずはそこら辺の誤解を解く為にも掻い摘んであの世界でのあらましを聞いてくれ」

「卓也ちゃん駄目! そ、そんな、首を締めながらだとよく締るだなんて」

「人の話聞けよ」

エロゲ脳か、何もかもエロゲ脳が悪いのか。
桜色に染まった両頬に手を当て、いやんいやんと身体をくねらせる姉さんに突っ込みを入れ、俺はスパロボ世界での出来事を順を追って説明した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

新幹線を降り、四泊五日泊まる為の宿を借りる為に京都の市街を歩き始めた時点で、ようやくスパロボ世界でのあれやこれやを話し終える事が出来た。
何だかんだで基地に居る間は哨戒偵察ばかりの日々だったが、ナデシコでの日常生活なども含めるとかなりの情報量だ。誤解を解くのに必要な部分だけ話すにしてもそれなりに時間はかかる。
姉さん自身スパロボ系の世界にトリップした事はあったが、俺のように機械に対して相性が良い訳でも無いので主人公のチームについて行くこと自体そう無く、そういった主人公達の乗る戦艦での日常というのは少し興味があったらしい。
そんなスパロボ世界の話の中、姉さんがとりわけ強い興味を示したのはやはり金髪の少女──メメメの事。
姉さんと、あとオマケで美鳥というものがありながら主人公のヒロイン候補に手を出すとか意地汚いとか言われるかと思ったのだが。

「連れてこなくてよかったの? すっごく懐いてたんでしょ?」

そういった独占欲とでもいうべき感情に縛られるほど、姉さんも未熟ではないらしい。
正直、俺が姉さんの立場で、姉さんが姉さんに凄く懐いた、馴れ馴れしいイケメンとか連れてきたらファイアパターンの刻まれた覆面を装着して嫉妬の炎を滾らせるに違いない。
流石、姉さんは懐の深い大人の女性だと尊敬するべきか、俺が他の女としても気にしないという事実に凹むべきか……。

「姉さんは、俺が姉さん以外の人としても平気だったりするのか……」

俺の言葉に、姉さんはぷくっと頬を膨らませ唇を尖らせながら答えた。

「そんな訳無いじゃない。もう、卓也ちゃんはハーレムでも作りたいの?」

俺の言葉に少し怒っているのか、俺の手を握る姉さんの手の握力が強くなり過ぎてそろそろブラックホールが出来る危険性があるのでどうにか宥めたい。

「いや、だってほら、メメメを連れてきても良い的な事言っているし、多少なりとも嫉妬して貰えないと、なんか」

握力が弱まった。握り潰されてグシャグシャに潰れていた手を姉さんに悟られないように修復。
修復が完了すると同時に、姉さんが先ほどまでよりも深く、腕も絡める様な感じで手を握り身を寄せてきた。
良い匂いが香ってくる。かなり近付かないと気付かない様な微かな香水の匂い。
なんでも、肌の匂いや汗の匂いと交る事を考えて選んでいるのだとか。
不自然で無く、姉さんそのものの匂いも混じった香料の匂いは何処か蠱惑的ですらある。
そんな匂いを滲ませた姉さんが、こちらを悪戯っぽい表情で見上げている。

「だって、卓也ちゃんがお姉ちゃん以外に本気にならないって、お姉ちゃんは信じてるもの。卓也ちゃん、その子に迫られてもキスの一つもしなかったんでしょ?」

「いやまぁ、確かにそうだけど」

うう、大人の貫録だ。
ここで美鳥辺りなら空気を読まず『こないだまで三十路処女だったのに大人の貫録とかぷぷぷ』とか言いそうなものだが、当事者としてそう感じざるを得ない。
いや、そんなこと正面切って言ったら間違いなく泣かれるか、さもなければ冒涜的な角度のヒットマンスタイルから放たれる宇宙的怪異の如きフリッカーで念入りに殺害されそうな気もするが。

「お姉ちゃん的には、金髪巨乳ちゃんの本番無しの寸止めエロ撮影会付きなら全然オッケーよ!」

「いや、そういうのはいいから」

「むしろそんな泥棒猫には目の前でお姉ちゃんと卓也ちゃんが濃厚に愛し合ってる姿を一晩目をそらさずに見せつけて身の程を弁えさせてあげるのもやぶさかじゃないっていうか、わかるわよね!?」

「姉さんがエロゲのやり過ぎでエロ漫画の読み過ぎだって事はよくわかった。姉さんの脳の為にも快楽天の定期購読はそろそろ止めといた方がいいと思うから今度契約切っておくからね」

姉さんは世代的に調教SLG全盛期の人間だから、同じエロゲーマーでも最近の泣きとか燃え全盛の人間に比べて危険性がとても高い。
この際だから美鳥にもLOの定期購読を控えさせるべきか。

「ああん、そんな無体な」

「とりあえず、ここでそういうエロスな会話は控えようよ。仮にもここは天下の往来なんだから」

そう、大きなホテルは修学旅行の時期なだけあってどこもいっぱいいっぱいなので、学生向けでない穴場的な宿を探しているのだ。
京都、実は中学高校と修学旅行で行かなかったので産まれて初めてだったりするのだが、その生まれて初めての京都での会話が下ネタというのは頂けない。

「むー、もうちょっとそのメルアちゃんのお話聞きたかったなぁ。卓也ちゃん、学生時代はそういう浮いた話無かったじゃない」

モテませんでしたからね。ええ、モテませんでしたからね。
積極的に女子と交流してた訳でもないし、イケメンって訳でもないから当然ですとも。
……まぁ、クラスの女子とか見て、姉さん程可愛く無いなぁとか内心考えているシスコンがまともにモテる訳は無いのだけども。

「エロスを交えなければいくらでも話すよ。つってもそれ以外だと、餌付けしたとか餌付けしたとか餌付けしたとか、そんな話しかないけど」

ナノマシンを一服盛って、あとは餌付け餌付け餌付けの繰り返しだったから、人に話すようなエピソードとかは殆ど無い。
姉さんが繋いでいない方の手を上げ、指をくるくると回しながら何かを思い出す様な仕草をし、閃いたとばかりに顔を明るくする。

「そうだ! 美鳥ちゃんから聞いた話だと、ブレンパワードのエピソードに巻き込まれて雪山に行って、その時にそのメルアちゃんも一緒だったんでしょ? 吹雪の雪山で狭い小屋の中に若い男女が押し込められたならそれはもう……!」

「他にも四人ほど居たけどね」

美鳥の語ったエピソードだと統夜も伊佐美弟も電波も電波(オーガニック)もディスられているらしい。
とにかく、そういった細々としたエピソードを語ればいいなら、話すネタが無い訳でもない。
俺は次に狙っているホテルの位置を地図で確認しながら、姉さんにスパロボ世界での零れ話を語り始めた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「おかしい」

「いや、こんなものよ実際」

結局、日が落ちるまであちこちホテルを探し続けたにも関わらず、ガイドマップに乗っている営業中のホテル、旅館は全て満室で、宿を確保する事すら出来なかった。
姉さんの話によれば、麻帆良の学生連中、つまり原作キャラの泊まっているホテルに行くと、何故か運良くキャンセルが入り泊まる事が出来るが、確実に原作のイベントに巻き込まれるのだとか。
当然、白くて細長くて犯罪者なオコジョとか、十歳の男の子の金玉をやわやわと弄ぶ手コキレズとかに因縁を付けられ、更には何故か翌日も同じ宿に泊まるはめになり、パイナップルみたいなパパラッチに付け回されたり、何故かラブラブキッス大作戦に巻き込まれたりといったイベントが始まってしまうらしい。
つまるところ、原作イベントは掠った時点で強制イベントに化けてしまうのだ。
姉さんや俺のようなトリッパーが、存在出来なかった主人公の代役であるが故の強制力のようなものらしい。
このトリップの目的が、姉さんと二人きりでイチャイチャする事を主眼に置いている以上、そんなくだらないものに巻き込まれるなどという事は当然あってはいけない。
それは分かる。何が悲しくて乳臭い中坊どものドタバタ騒ぎに巻き込まれて姉さんとの貴重な時間を浪費せねばならんのか、そう考えれば麻帆良の連中の泊まっている宿になぞ死んでも行きたくはない、むしろ宿ごと相転移砲で消滅させてしまっても構わない。
だが、だがしかし、だ。

「これは、無い」

「もう、原作に関わらないなら、本当にこれがベストな選択なのよ。ほらほら卓也ちゃんこのベッドすっごく弾むわよ! きゃー♪ 回る、回ってるー!」

「もう少しでいいから説得力を出すように努力してほしいんだけど……」

丸く、余裕で二人が眠れそうな、むしろ、激しい運動をしても転げ落ち無いような回転ベッドの上で姉さんがぽんぽん弾んで遊んでいる。
途中で脇にある各種スイッチを押してしまったのか、姉さんはエロチックな音楽と共に回り始めたベッドの上でキャーキャー叫びながら弾んでいる。
備え付けの冷蔵庫には精を付ける為かマムシドリンクや各種栄養剤。
バスルーム完備、部分的にくぼんだイスとか、妙にふかふかなバスマットとかも抜かりなし。
部屋は全体的に清潔に保たれ、随所に隠しカメラと盗聴器が設置されていた事を除けばそれなりに良い宿だと思う。

「だからって、ラブホテルは無い!」

そう、原作の流れにトリッパーを近づける為にかなり強い強制力の働く強制トリップだが、いくつか原作に近付かなくてもいい裏道がある。
そして、ネギまのようなラブコメで特に良く使える裏道が、こういったラブホテルなのだというのだ。
跳ねるのに飽きた姉さんが女の子座りでベッドに座り、真剣な顔を向けてくる。

「それが嘘でも冗談でも無くて、マジな話なのよ。私達が渡る世界は基本的に二次創作、つまりは何処かの誰かの妄想だから、原作キャラとか主人公専用のオリジナルヒロインとかとこういう場所に来て」

視界が回転する。
投げられた、武術の達人である東方不敗を取り込んだ俺が、技の入りすら見極められない程の速度と技量を伴った投げ。
くるりと回転し、姉さんの目の前に仰向けに落とされる。
落下のタイミングを認識できなかった為、無様に大の字に寝転ぶような形。
倒れた此方に覆いかぶさった姉さんが、妖しい笑みを浮かべる。

「こういう事をする、なんて流れも存在するの。本編なんてそっちのけで、ね」

ぷち、ぷち、と、もったいつける様に上着のボタンを外していく姉さん。
その表情も相まってとても扇情的なその姿に、思わず生唾を飲み込む。

「いや、ちょっと待って、ムード、それっぽいムードとか」

「そういうの、普通はお姉ちゃんが言うべきセリフだと思うんだけどなぁ」

姉さんはボタンを外す手を止めず、こちらのホールドも解かずに片足をベッドの端に伸ばし、スイッチを入れる。
何処かに設置されているスピーカーから、分かりやす過ぎる程エロチックな音楽が流れ始めた。

「はいムード完成」

「今壮絶な手抜きを見た」

「ああもう! お姉ちゃんだって実際に誰かと入るのは初めてなの! テンパってるんだからそういう突っ込み入れて意地悪しないの!」

なるほど、それで微妙に手が震えていたのか。
よくよく見れば頬の染まり方も欲情によるそれでは無く、羞恥によるものだと分かる。
もっとも、そんな細かい事に気付けたのは姉さんがテンパりだしたお陰で逆に冷静になれたからなのだが。

「安心した」

「……誰かと一緒に入った事があるんじゃないかって思った?」

「まさか。そういう事があったら、姉さんは自分から言ってくれるしね」

中途半端にボタンを外した姉さんを抱き寄せ、耳をぺろりと一舐め。
舌の感触にくすくすと笑い、擽ったそうに身を少しだけよじる姉さんに囁きかける。

「緊張してるのが俺だけだったら、男側としては恥ずかしいでしょ?」

俺の言葉に姉さんは一瞬キョトンとした顔をし、猫のようにニンマリとしたニヤケ顔になる。
可愛い。猫みたいだけど猫より遥かに可愛い。

「卓也ちゃん、男の子だ」

「姉さんも、女の子だね」

夜が更ける。
久しぶりの姉さんと俺だけの夜。
一日目の締めくくりとしては悪くないだろう。
姉さんと体温を交換しながら、そんな事を思った。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

夜が明け、トリップ二日目の朝。
いや、朝というのはかなり語弊がある、現在の時刻は昼過ぎ、あと二時間もしない内に昼飯をすっ飛ばしておやつの時間。
久しぶりに完全な二人っきり、翌日早起きして農作業をする必要も無いという事で、明け方近くまで張り切ってしまった。
血が出る様なプレイこそしなかったが、張り切り過ぎたお陰であの部屋のシーツは洗って再利用できるかどうか怪しいものだ。無人のラブホでなければ弁償しなければいけなかったかもしれない。
それはともかく、日もすっかり昇りきったこの時間にようやく二日目の活動開始だ。
原作に関わるつもりは欠片も無いので、今日は麻帆良の修学旅行生と鉢合わせ無いように場所を選んで京都観光、の前に、腹ごしらえをする事になった。
俺も姉さんも食事が必ずしも必要という訳では無いが、せっかく京都に来たのだからそれっぽい食事を頂いてみたいというのがある。

「っても、俺京都の知識とかお寺がたくさんあるとか、大仏様が実はラ・グースへの対抗策の一つで強力な法力を持ったお坊さん数人で動かす巨大戦闘用機動兵器である事しか知らないんだけど。あと生八橋がニッキ臭くて美味しいとか」

「そういう偏った知識もトリッパーとして重要ではあるけど、今のお姉ちゃんと卓也ちゃんに必要なのは京都グルメマップね。あと生八橋はニッキ臭いの以外にもチョコ味とかもあるらしいわ」

「チョコ味か」

「チョコ味よ」

そんな訳で本屋に入り、それっぽい本を購入。
移動に際してバイクでタンデムというのも考えたが、京都を観光するのには景観に合わず相応しくないということで徒歩移動。
相応しくないを通り越して変形後ガルムでの移動は一種のギャグとして通用しそうなので、何時か元の世界の京都ででも試してみる事を堅く心に誓う。
バスに乗り、更に数分歩いて目的の店に辿り着く。
店先にかかっている大きな草鞋が目印の店で、鰻や鰌を扱っているらしい。
煮込み雑炊がメニューに存在した事実にはセンチメンタリズムな運命を感じずにはいられない。
俺と姉さんはガイドブックとメニューに誘われるようにして、ホイホイとその店に突入してしまったのだった。

―――――――――――――――――――

甘味屋ではないので季節限定ではなく、注文通りに雑炊が運ばれてくる。店員さんが言うには正確には煮込み雑炊ではなく鰻雑炊らしい。
つまり雑炊だ、そういう細かい所に気を使うのは少し気取り過ぎでは無いだろうか。鰻と鯰の店で雑炊を頼んで鰻が入っていないなんて誰も思わないだろうに。
そして肝心の中身だが、美味い。
白焼きにされた鰻と餅がメインで、更に人参や椎茸なども入っており栄養バランス的にも優れており、それらを包む卵の黄色も色合いに鮮やかさを加えている。
吸い物などもついていて、結構ボリュームもあり、値段設定も納得がいく。
納得がいくし、美味しいのだが──

「美味い、確かに美味いけど、なんかムカつくというか、遣り切れないというか」

「ブルジョア飯に対するアレルギーって、なかなか抜けないものよねぇ……」

姉さんと一緒にほんのり凹みながら、それでも美味しいので箸が進む。
卵でとじられた鰻の雑炊とか、今までの人生では食べた事の無い上品なメニュー。いや、雑炊が上品なメニューに分類されるのかは分からないが、上品だと感じてしまう。
何度も言うが、美味しいのにそれが逆に悔しい憎らしい。
悔しいので値段の高い方から幾つか追加で注文して、全部偽札で払ってやった。
今は本物との見分けがつかないが、俺達がトリップから帰る頃には『いっせんまんえん』の子供銀行券に変化する時限式のトラップを掛けておいた。
やってから気付くが、俺も大概やる事が小さい。
でもまぁ、大きな事をやれば良いというモノでも無いので気にしない事にする。

「次はどこに行く?」

会計を済ませ店を出て、次の目的地をどこにするか相談する。

「ちょい電車で移動すれば大阪か。OSAKAファン的には聖地巡礼と洒落こみたいところだけど」

「流石に、そこまで細かい地理は覚えてない?」

「うん」

残念無念、今度は小説版とゲーム版で登場した場所のメモを持って来たいものだ。
改めて地図を広げ直し、二人で覗きこみ現在地を確認。

「ここからだと、清水寺か三十三間堂ね」

「飛び降りるところと、走るところだったかな」

バイク移動ならともかく、徒歩移動の後にゆっくり拝観するならどちらか一方にしか行けないだろう。
まぁ、どちらか一方は明日にでも行けばいいとして、今日この時間に行くのがベストなのはどちらか。
拝観料は清水寺が三百円で、三十三間堂が六百円。三十三間堂一回で清水寺は二回入れるという事か……。
いや、幾らなんでもそこまでケチる必要は無い。拝観料の事は忘れよう。

「お姉ちゃん的には、やっぱり断然三十三間堂がおすすめかな」

「なんで?」

「近いじゃない」

あっけらかんと答える姉さん。単純すぎる理屈だ。
だが、確かに近いのは利点だろう。今から三十三間堂に向かって一時間ほど拝観しても四時半には見終わる。
これなら少し急げば清水寺に向かう事も出来るが、狙いはそこでは無い。三十三間堂の向かいにある京都国立博物館だ。
寺だのなんだのばかりが注目される京都ではあるが、この国立博物館も収蔵物の古さ渋さでは中々のものだし、野外展示の行われている二つの庭と二つのエリアはそこらのお寺の庭よりも見ごたえのある物なのだ。

「と、観光案内には書いてあるね」

「うんうん、まぁ当然メインは三十三間堂なんだけど、その後にどこに逃げこ、どこを観光するかも考えておいた方がいいじゃない?」

「追い出されるよりも早く外に出て博物館に駆けこめば問題にもならないしね」

既に問題を起こす事が前提というのが何ともあれだが、まぁここは元の世界ではなくネギまの世界、多少の馬鹿な行動には目をつむって貰うという事で。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

百メートル走や五十メートル走のランナーというのは、競技中の記憶が無い場合があるらしい。
銃声と共に走り出し、気がつけば競技は終わり、歓声も何もかもを後ろに置いてきぼりにするのだとか。
面白いし興味深い話だが、俺は短距離走者どころかスポーツマンだった事すら無い男なのでその感覚を味わった事は無いし、多分これから何時まで続ける事が出来るか分からない人生の中でも、そういった感覚を得られる確率は低い。
神経加速、例え百メートルを瞬き一つ分の速度で駆け抜けたとしても、俺の感覚では数分掛けてゆっくりと進んでいるように見える。
こんなインチキに頼るようではそういった極限の状態に達する事は難しいだろう。
現在、俺の身体性能はネギま世界無双が出来る程度(姉さんの目から見ると大体そんなレベルらしい)まで落としてある。
フルパワー程の馬力は無いが、当然の事ながら木張りの床で全力疾走などすれば床が砕け散る程度のパワーは備えている訳で、走りながらもそこら辺を気にしなければならない。
──地面を蹴る、一歩踏み出す毎に布の塊で木の板を叩いたような軽い音が響き、俺を前へと押し出す力を生み出す。
スパロボ世界から帰ってきてからの、流派東方不敗などの格闘術を自分専用の体術に組み替える修行で似たような事をした覚えがある。
パンチ一発にしても人体から繰り出す攻撃というものは奥が深い物で、拳から肩までの捻り、筋線維一本の動き、血流速度などの的確な組み合わせにより、無駄にまき散らされていた衝撃波を全て攻撃力、貫通力に変換する事が可能となる。
──腕を振る、空気を掻き、走行中の身体のバランスを調整する。物理的、空力的に正しい腕の動きを心がける。
それを走るという行為に適用しなければいけないのだ。
踏み出す力は緩めず、しかし床を粉砕するはずだった無駄な力を全て俺の身体を前に進ませる推力へと変換する為、リアルタイムでそういった動作を制御する。
修行を続ければそんな事を意識するまでも無く出来るらしいのだが、今の俺ではそこまでは出来ない。
──斜め前に少しだけ視線を向ける。姉さんが俺の数メートル先を走っている。素晴らしい肉付きの尻である。何時間でも鑑賞に耐えうる美尻。
身体能力は俺と同じレベルまで下げてくれているので、この数メートルの差は純粋な肉体制御能力の差が表れているに過ぎない。
身体能力を引き上げるのでは無く、地面を蹴るのに適した形状の骨格へ、筋肉の付き方もそれに適した分配に変えて対抗する。この程度の変化ならネギま世界レギュに反しないし、姉さんも似たような真似は出来るだろう。
だが、それでもこの数メートルの差が縮まらない。
──姉さんが一瞬此方を振り向き、クスリと笑った。
舐められている。現状に甘んじる訳には行かない、しかし、打開する策もやはり無い。

「いっちばぁーんっ♪」

姉さんが片手を振りあげ叫ぶ。少し遅れて俺もゴール。
結局、俺は121メートルを走る間に、姉さんにまるまる一秒以上の差をつけられてしまった。
肉体的には余裕だが、どうにもこうにも精神的に疲労感が漂っている。

「どうだった? 神の領域とか見えた?」

「姉さんの尻しか見て無かった」

三十三間堂を全力疾走で駆け抜けるロードランナーごっこは中々に面白い企画ではあると思うのだが、そこに能力上の制限やら施設破壊不可などの条件が付くと途端に難しい競技に早変わりしてしまう。

「はいアクエリアス」

「ありがとう」

一本のアクエリアスで互いの喉を潤す。実際に疲れている訳でも喉が渇いている訳でもないがそれでも運動後のスポーツ飲料はとても美味しく感じるものだ。
そんな感じで一息吐き、互いに手持ちの鞄の中から靴を取り出し庭に置く。
重力制御で体重を限りなくゼロにしてあるので足跡が付く事も無いだろう。
後ろ、三十三間堂レースのスタート地点からとてつもないオーラを放つ何者かが近づいてきているのが分かる。
振り向くと、手になにやら長年使いこまれた形跡のある錫杖を構えた、顔面に無数の傷のある極道も裸足で逃げだしそうな風貌のお坊さんが近づいてきていた。

「あらあら、今回のここのお坊さんは有能なのね」

「すげぇ、あの坊さんもしかしなくても孤月とか撃ってくるよね」

孤月の代わりに法力金剛弾を撃ってきた。
が、速度的には大したことが無いので即座に撒く事に成功。穿心角を持っていなかったあたり、顔が似ているだけの別人だったのだろう。ここネギまの世界だしね。
なんだか最初に出てきたお坊さんが他のお坊さんに数人がかりで取り押さえられていたので、あのお坊さんの独断専行だったのだろう。
よくよく考えてみれば東の使者が親書を持ってくるデリケートな時期なのだし、あのお坊さんも気が立っていたのかもしれない。
そんな事はどうでもいいとして、顔は姉さんの不思議な魔法で記憶されていない筈。
堂々と国立博物館に逃げ込み展示物を楽しみ、その後は夕飯を適当に済ませて最初に出たラブホテルでもう一泊する事にしよう。

―――――――――――――――――――

しかし、予想に反して今日の宿泊先は普通のホテルだった。
大きくも無いが小さくも無い、宿泊料金も高くも無ければ低くも無い極々普通の宿。

「あれ?」

昨日の説明を真に受けるなら、ネギ達の居ないホテルには泊まりようがない筈なんだけど、あれ?
頭からホログラムではてなマークを浮かべる俺に、姉さんが不敵な笑みを浮かべながら答えた。

「ふっふっふ、昨日のあれは卓也ちゃんに強制トリップで発生する強制力の内容を理解して貰う為の誰でも出来る安全策、今日は多少力を身に付けたトリッパーならではの宿の取り方をレクチャーしようと思うの」

「あ、ここのホテルテレビ有料だ」

テレビの脇にコイン入れる追加パーツが。ちょっとレトロな感じ。

「このコイン一個入れる感が堪らないけど、まずはお姉ちゃんの話を聞いてね?」

「うん」

手提げカバンと元の世界で買った生地をベッドの枕元に置き、姉さんと正座で向かい合うと説明が始まって、終わった。総説明時間三十秒。
結局のところ種は簡単、ホテルを無駄に満室にしているお客の中から数人『不慮の事故』に会って貰い予約をキャンセルさせ、その空室に潜り込むというもの。
力技である。そこまでやるなら隣の県まで移動してそこでホテルを取るとかすればいいような気もするが、そこの所はどうなのだろうか。

「移動が面倒、という冗談はともかくとして、その手段はとれる場合と取れない場合があるからそうそう使えないのよ」

「存在しない?」

「舞浜サーバーとかメガゾーン23とか、そんな言い方で通じるかしら」

「なるほど」

姉さん曰く、ここは何処かの誰かの妄想した世界であり、その妄想が作品として形を成さなかった出来損ないであるという。
大概の場合は生み出され損ねた世界自身が自ら不足している要素を補おうとするのだが、結構な確率で物語の舞台となる都市や施設『だけ』が存在し、それ以外の場所に向かえない、箱庭のような世界になってしまう事があるのだとか。
その世界を産み損ねた者の想像力不足なのか知識不足なのか、それともただ単にそういった仕組みになっているだけなのかは分からないらしいが、そういった場合外に出ようとする行動は完璧に無駄になる。
この世界が、『修学旅行編のネギまの世界』なのか、『ネギまの世界の修学旅行編』なのかは分からないが、登場人物達が行った事の無い都市は存在しないものと考えるのが妥当だろう。

「そんな時間の無駄遣いはしたくないでしょ。それに、卓也ちゃんもこういう雑な解決法とか好きだと思ったから」

「楽だもんね」

「ねー♪」

不慮の事故にあった人達には悪いが、いや悪いか? 仮に悪いという事で話を進めるとして、バイク戦艦に轢き殺されたものと考えて人生を諦めてもらうとしよう。
結局今日はエロい事をするでもなく早く寝る事になった。
お約束として明日の夜にスクナを倒した直後に帰れる確率が高いので、明日は早起きして午前中からデートの時間にあてようと言われたのだ。
明日一日、しかも夕刻からは原作イベントに介入するのでそれまでの時間でどれだけの場所を観光できるかは分からないけど、せっかくの二人きりの時間なので大切に過ごそうと思う。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

深夜、ダブルベッドからゆっくりと這い出す影が一つ。
その影の名は鳴無卓也、彼はその体質故に一切の睡眠を必要としない。通常時の睡眠は擬態に過ぎないのだ。
だが、彼が夜中にベッドを抜け出す事は稀である。彼にとって姉との同衾は、姉と共に夢心地でまどろむ時間は何よりも大切な時間なのである。意味も無くベッドから抜け出す事はありえない。
姉を起こさぬようベッドから抜けだした卓也は、枕元に置いてあった紙の箱から、いくつかの生地の詰め合わせを取り出す。
その生地を暫く見つめ、更にもう一つ、その掌から紙型の束を生成する。
それらを見比べ、頷く。

「クロックアップ」

その一言が卓也の口から紡がれると共に、卓也の世界だけ時間の流れが変わる。
体内のタキオン粒子制御技術による時間制御、その加速倍率は過去のどのタイミングで行われたクロックアップよりも高く、通常の時間の流れの実に10万倍。
その倍率には何の意味があるのか、いや、確かにその倍率にする意味はある。
ダブルベッドに残された卓也の姉、鳴無句刻がベッドから抜けだした卓也に気付くのに1分と少し、それは卓也が事前に数回にわたって計測した結果であり、確かな目安でもあった。
農作業に行くでも無く、朝までゆっくりできる時に卓也が起きると、句刻は何事かと思い起き出してしまうのだ。
卓也の姉である句刻が起きてくるまで、卓也の主観時間で69日と数時間。
それだけの時間を掛けて、姉には秘密で作っておきたいものが、卓也にはあるのだ。

「さて、やるか」

静かに、しかし力強い決心を以て、その手から道具を作りだす。
グレイブヤードに追いやられた非業の天才が残した技術を、この世に顕現させる為に。
そして、姉の喜ぶ顔を見る為に。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

長い、長い夜が明けた。
まるで丸二ヶ月、一睡もせずに縫製作業に明け暮れていたような、そんな、というか、明け暮れていたのだけど、実際の時間の流れ的にはずうっと夜だったから明けても暮れてもいなかったっていうか……。
まぁ度々姉さんの寝顔を愛でたり、取り込んであった食べ物飲み物で心を潤したりしたとはいえ、たった一人で延々二ヶ月生地とフリルとレースに向き合うのは精神的にクルものがあった。
だがその苦労の甲斐もあって、完成品は素晴らしいものに仕上がった、きっと姉さんも気に入ってくれるだろう。
そんな事を考えながら向かいで朝食を取る姉さんに視線を向けると、姉さんも丁度此方を見ていたようで、ばっちりと目が合ってしまう。

「朝からニヤニヤして、何かいいことでもあったの?」

「ん、昨日はゆっくり姉さんの寝顔が可愛かったから」

約二ヶ月分もの作業の間、数日分は確実に寝顔の観察に充てていた。
これまでも寝顔を愛でる際にクロックアップで時間を引き延ばしたりはしていたが、一晩の間に丸数日姉さんの寝顔を眺めたのは多分初めてだろう。
姉さんは小鉢に入った納豆(関西人は納豆が嫌いというが、ホテルの朝食には出る事があるらしい)をかき混ぜながら、ほんの少しだけ唇を尖らせて拗ねたような口調で呟く。

「またそうやって誤魔化して、お姉ちゃんは卓也ちゃんをそんな隠し事ばっかりするような男に育てた覚えはないのに……」

「まぁまぁ、俺も成長してるってことで勘弁してよ」

今ここで何をしていたかばらしてもいいのだが、それではあまりにも詰まらない。
夕方からはトリッパーとしての仕事が始まる、その時に渡すのがベストではないかと思う訳だ。
トリッパーとしての活動中ならばそれなりに恥ずかしい恰好でも許容してくれるだろうし、あれを着て戦う姉さんというのも少し見てみたくある。
姉さんはまだ完全には納得していないようではあるが、それでもそんな問答で時間を潰すのは勿体ないと思ったのだろう、納豆ごはんを掻きこみながら、今日観光する場所の相談を始める事になった。

「当然だけど、太秦シネマ村は却下ね」

「このタイミングで接触しても原作ルートに巻き込まれるのか」

太秦シネマ村は実際の京都に存在する東映太秦映画村がモデルになっており、時代劇のショーや東映の特撮ヒーローのキャラクターショーも頻繁に行われており、時代劇風の街並みやコスプレに興味の無い人が訪れてもかなり楽しめる施設の一つだ。
東映系列のアニメにも観光地として度々登場していることから、その筋の人々の間でもかなりの知名度を誇っているのだとか。

「MOSAICの関わっていない平和だった頃の映画村を訪れるチャンスだと思ったんだけどなぁ」

ああ、俺のかちん太君が何処かに行ってしまう……。

「でもCD買ってたわよね、密林で」

「ああいう気が狂ったような曲は結構好きだけど、ああいうのは棲み分けが大事じゃないか。映画村であのマスコットが許されるなら、京都の街をマジンガーで練り歩いたって文句は言えなくなるよ?」

まぁ一応イベント限定のマスコットという事だが、あれが万が一定着したら笑うに笑えないだろう。
まぁ、時代に合わせるというのは分かるから、何処ぞのせんとくんのようなマスコットキャラではないだけましなのかもしれないが。だがまんとくんなら超許す。マジで許す。

―――――――――――――――――――

結局、原作キャラが通り過ぎた場所をたどるのが安全という事で、奈良県は奈良市が誇る鹿とパンチパーマの楽園、奈良公園へとやってきた。

「不味くない、けっして不味くないぞ!」

とりあえずお約束として鹿せんべいを食べてみる。
味付けしていないせんべい、穀物そのままの味わいとでもいうか、ご飯のおかずとか酒のつまみとかと一緒に食べれば意外と合うかもしれない。

「だめよ卓也ちゃん、せめて何か塗って食べなきゃ、はいこれ」

姉さんにピーナッツバターを渡された。意外に合うが、ご飯ですよとかのしょっぱい系も合うかもしれない。
因みにこの鹿せんべい、何時までも口の中に入れておくと米ぬかの味が出てきて酷い事になるので、何度も噛まずに適当なタイミングで呑みこむのがコツだろう。
奈良公園に来たのなら是非ご賞味いただきたい味だ。

「とかなんとか考えている内に鹿に包囲されているわね、近寄れて無いけど」

「我が歪曲フィールドの前には奈良公園の鹿など所詮は烏合の衆同然ですとも」

歪曲フィールド、もとい、ディストーションフィールドを解除し、残りの鹿せんべいを全て取り出し、鹿の注目を集めた所で周囲にばら撒く。
四方八方に鹿の群れが散った所で強行突破、更に新しい鹿せんべいを購入しに行く。
鹿の絵の描かれた包み紙に包まれた鹿せんべいは10枚百五十円というリーズナブルな価格、たった百五十円で鹿への餌付けを体験できる素晴らしく良心的な価格設定だ。
たとえ原材料費が馬鹿みたいに安かったとしても、そんな事を考えなければとても良心的に映るので問題はない。
当然、コンビニ売りの普通のせんべいの方が安いとかについても言及してはいけないのである。他所は他所、うちはうちという事だ。
そんな訳で新しい鹿せんべいで餌付け再開。

「卓也ちゃん、引き撃ちよ引き撃ち、ああもう何で自分から鹿の群れに突っ込むの」

華麗なムーンウォークで後ろに下がりながら鹿にせんべいを与えている姉さんに、

「戦時中の癖ががが」

無様に鹿に囲まれて身動きが取れないでいる俺。
スパロボ世界での戦闘の癖が抜けていないのか、ついつい鹿の群れに斬りこみながら鹿せんべいをばら撒いてしまう。
非殺傷の飛び道具(鹿せんべい)しか無いのであっという間に包囲され身動きが取れなくなってしまった。
鹿せんべいを構えた俺に頭から突撃を仕掛ける鹿、しかしその突撃は失敗する。

「残像だ」

鹿の群れをラースエイレムで一瞬だけ止めて素早く背後に回り込み、今度こそゆっくりと後ろに下がりながら鹿せんべいを渡す。
少し高い位置に鹿せんべいを掲げると、先頭の鹿がぺこりとお辞儀のような動作をした。
そんな鹿のしぐさに和んだ後は、公園内の甘味処で少し休憩。
基本的には甘味処だが、予想外に料理、というか、蕎麦のバリエーションが豊富。休憩だけでなく、飯時にやってくる客も多そうだ。
注文の品が届くまで少し雑談、姉さんは美鳥に暴れ鹿の角をお土産として持ち帰るらしい。
因みに奈良公園の鹿は国有なので、捕まえて持ち帰ったり傷を付けたりするのは犯罪だ。良い子は決してマネしてはいけないらしい。
因みにトリッパーで良い子というのは無理があるので問題ないのだとか。
俺も美鳥に何かしらのお土産を持ち帰ってやるべきか……。

「でね、ここはやっぱり甘味が魅力的だと思うの、このわざとらしい和の雰囲気が堪らないわ」

「まさに和スイーツかっこ笑かっことじ」

「西日暮里諸共甘味全般を馬鹿にしたような言い方なのに二つも頼む辺り、卓也ちゃんは根っからのツンデレよね」

「俺は好意を行動で示すタイプなの、クーデレなの」

六十年以上受け継がれてきた伝統のわらびもちは勿論だが、あんみつに使われている自家製の蜜というのも興味深い。

「この抹茶を混ぜて作られたほろ苦い寒天とか、実に興味深いね。姉さんも半分食べる?」

「じゃあお姉ちゃんの抹茶アイスも半分こね」

姉さんから分けて貰った抹茶アイスは玄米フレークの食感がいい感じ、でも少し甘すぎるかも。
抹茶アイス本体には黒蜜がかかっているが、これをプラス要素と見るかマイナス要素と見るかは人によって分かれるかもしれない。
抹茶を頼むべきかと迷ったが、抹茶は抹茶で羊羹が付くので意味が無い。
冬季限定のぜんざいとか凄い気になるけど、季節が違うなら仕方がないと諦め、会計を済ませ、一路大仏殿へ。

―――――――――――――――――――

「おぉ、でかい」

姉さんと並び、大仏を見上げる。俺達以外の観光客もかなりの数居るが、その内の大半は俺達と同じく口を開けて間抜け面で大仏を見上げている。
MSより少し小さいが、立ちあがればちょっとしたスーパーロボットよりも大きくなるだろう。
確かに積み重ねた歳月が重々しさを感じさせてはいるが、サイズ的には中途半端である。

「うーん、ダメか」

「駄目ね、仏像にそういったモノを求めるのは無粋だけど、残念だわ……」

サイズが合えば取り込んで巨大ロボットに着せて擬装用の装甲にしようと思ったのだが、この大仏に合うサイズのロボットが存在しない。
オーバーボディ奈良の大仏計画は夢と消え、ない。その無理、俺の道理でこじ開ける!

「そんな中途半端なサイズの大仏も、取り込んで拡大複製すればあら不思議、50メートル級ロボットの追加装甲に早変わり」

「そんなサイズならMAKEBONOだって鼻の穴を通れるわ、やったね卓也ちゃん!」

実際はそんなに大きくなる訳じゃないからMAKEBONOとかは無理だろうけど、元ラグビー部の新入社員程度なら通れるようになるかもしれない。
そんな訳でこっそり奈良の大仏コンプリート。大物を取り込むのはスパロボ世界以来なので数か月ぶり、昨夜の分を合わせれば半年くらいぶりか。
取り込んで見たモノの、これといって何か特殊な機構を備えていないただの仏像なので最適化も必要無し。
必要無い筈なのだが……。

「なんか違和感、もぞもぞする」

「補修が繰り返されているけど、これでも千年以上の時間存在し続けてる仏像だもの、多少なりとも神威的なものは宿ってるわ。本当に多少だけどね」

「なるほど」

観光案内によれば、最初に作られた部分で残っているのは台座、腹、指の一部だけなのだとか。
なるほど、その程度の量であれば不思議パワーが宿っていても最適化に手間取る事は無いという事か。

「魔法系世界のこういう歴史のある仏像って、完全な状態で残っていれば程度の低い邪神程度なら圧倒できる力を発揮したりするのよ。前にデモンべインの世界にトリップした時なんて、日本近海に出現した量産型ダゴン相手に、日本中の大仏が大迎撃作戦を──」

実に興味深い話だった。デモンべイン世界の日本はかなり怪しげな事になっているらしい。
アーカムとは別の意味で不可思議で、ある意味ではアーカムより豪奢かつ悲惨な発展を見せる魔界都市アキハバラとか、位階の高い魔術師にも匹敵する力を持つ英雄が複数存在するご当地都市アキタとか。
外部の都市の連中は知らないが、日本は日本でアーカムに突っ込みを入れられない程に奇怪な都市が多いのだとか。
特にアキハバラは凄い。二次元の存在がミラーマンばりの気安さで実体化しては二次オタを絶望させたり、路地裏のジャンク屋では極々自然に巨大ロボットのパーツが手に入るらしい。
もしトリップしたのなら、街を包み込む妄想(アクム)に立ち向かえる精神強度を手に入れてから一度立ち寄ってみるのもいいだろう。
そんなこんなで奈良公園を散策し、夕方まで時間を潰した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

時刻は深夜、まだ終電が出ていない時間帯。俺と姉さんはとある大きな神社にお邪魔していた。
生活空間もあり、つい先ほどまで人が活動していた気配もある。
しかし、ここには今生命の息吹が感じられない。空気に生き物の生み出す熱が存在していない。
人間が一人も存在していない、が、それでもこの風景は素晴らしい。むしろ人間が居ない分、その美しさを際立たせていた。
写真でしか見た事が無いような、見事な美しさを誇る桜。
一本一本がとても立派な幹を持ったそれらが、この神社の敷地内に所狭しと咲き誇っている。

「夜桜が綺麗ねぇ……」

「お酒でもあれば、って言いたいけど、俺も姉さんも酒はやらないもんね」

「桜と月をただ眺めるだけでも、十分風流というものよ」

「そういうもの?」

「そういうものよ」

そんなとりとめも無い会話をしながら、神社の廊下を歩く。
この神社は日本古式の陰陽術などを使う魔法使い達が所属する組合、関西呪術協会という組織の総本山である。
……日本を二分する組織の総本山の癖に、今現在は保有戦力を尽く石化魔法により無力化され、もう一つの大きな組織である関東魔法協会からの来客扱いであるネギ・スプリングフィールドに敵の追撃を任せている。情けない話だ。

「主人公を活躍させる為に周りを無能化させるタイプの話なら、大きな組織の力なんてこんなものよね、それだけは何回トリップしても変わらないわ」

「スパロボ世界の正規軍も戦力微妙だったしなぁ」

主人公ありきな話は脇を固める力が弱いのがお決まりのパターンという事か。
そんな事を言いながら廊下を歩いていると、廊下のど真ん中に細長いおっさんの石像が立っていた。
関西呪術協会の長にして、サウザンドマスターの親友にして戦友、近衛詠春その人である。

「この人が、神鳴流の達人(笑)か」

「関西呪術協会の長(笑)ね」

面白い人だ。初対面で既に石化しているとか随分身体を張ったギャグだと思う。
何気なくぺたりと石化したその身体に手を触れスキャン、その結果は驚くべきものだった。

「こ、これは!」

「ど、どうしたの卓也ちゃん」

凄い、これは、これを、このセリフを言える日が来るとは!

「良いか姉さん、この近衛詠春の石像! ぱっとスキャンした限りではアミノ酸がある! 細胞があるッ! 微妙ながら体温があるッ! 脈拍があるッ! 生きてるんだよこいつはッ!!」

「へぇー」

思いっきり熱弁してみたが、姉さんのリアクションがめちゃくちゃ薄い。

「姉さんが冷たい……」

確かに柱の男程の危険性は無いけど、所詮神鳴流の達人(笑)だけど、もう少し大きくリアクション取ってくれても……。

「あ、違うのよ卓也ちゃん、今までネギま世界で石化された被害者がどうなってるかなんて、余りにも興味が無いから調べもしなかったんだけど、実際知ってみても予測の範囲内で意外性が無かったっていうか、えぇっと、卓也ちゃんを責めてる訳じゃなくて」

その場で四つん這いになり落ち込む俺の背を撫でながら、姉さんがあたふたとフォローっぽい事を言ってくるが、実際は絶妙にフォローになっていない。
俺も姉さんもこういう時のフォローは結構苦手なのだが、フォローされる側になると途端に悲しくなってくる。
今度その手のフォローの仕方を覚えられる本でも買って一緒に勉強するべきかもしれない。

「いや、いいんだ、俺が唐突に第二部ごっこ始めたのが悪いんだから、早くここを済ませてリョウメンスクナの所に行こう」

「うう、ふがいないお姉ちゃんでごめんね」

涙目の姉さんに立ち上がりながらハンカチを渡し、指先から糸のように細い触手を無数に吐き出す。
その触手を近衛詠春の石像に向け伸ばし、全身が見えなくなるまでひたすらに巻きつける。
近衛詠春の石像が俺の細い触手にぐるぐる巻きにされ、糸の塊の様になった所で、一気に同化、中身の石像は消え失せ、周りには石像を取り込んだ糸のように細い触手が残る。
結果として新聞紙とコップのマジックの様に、石像を覆っていた触手がその場にふぁさ、という音とともに崩れ落ちる。

「なんだか宴会芸に使えそうよね、それ」

「今度の千歳さんの誕生日の余興はこれかな」

取り込んだ近衛詠春の脳から身体動作の記憶を検索、検索、検索、検索……、検索終了。
武術『京都神鳴流』の動作、技情報を取得完了。
取得した動作を戦闘時動作のパターンに組み込み開始、完了。
続いて魔術関連の記憶を検索、検索、検索終了。
魔術関連データベースの最適化完了まで、3、2、1、最適化完了。

「────、──ん」

「だいじょうぶ? 眠くない?」

「──うん、完璧。大した情報量じゃないからそれほど負担はかかって無いよ」

魔力の扱い方も氣の使い方も大分前に習得しているから、今回取り込んだ情報は少ない。
近衛詠春の身体は特に強い訳でもないのでそのままカロリーに変換かな。

「呪術関連の知識が思ったより多くないから、適当に術者を取り込んで保管しよう」

「その辺に転がってる巫女さんに触手を捻じ込むわけね、お姉ちゃんなんだか胸が熱くなってきたわ……!」

姉さんがじゅるりと舌舐めずりをし、口元をさっき俺が渡したハンカチで拭った。あのハンカチは後で洗う前に回収しよう。
しかし、姉さんの発想はおかしい。いくら全員ハンコで作った様に同じ顔の美人揃いの巫女とはいえ、相手は石像なのだ。
どうやってエロい事をすればいいかさっぱり分からな相手にどうやって興奮すればいいというのか。

「石像に欲情する趣味は無いなぁ」

「あれ、でもアストレイには興奮するのよね、ソースは美鳥ちゃんだけど」

「当たり前じゃないか、姉さんは可笑しな人だなぁ」

好きなロボットを目の前にして興奮しない男は居ない。極々自然な話ではないか。
因みに碌な使い方をしなかったがラフトクランズもヴォルレントも嫌いでは無かったんだよなぁ。
敵として戦っていた頃は一方的にぶっ壊してばっかりだったし、手に入った頃にはボウライダーに愛着が湧いていたし、掛け替えのない俺アストレイを手に入れていた。
まぁ、フーさんの戦いぶりがかっこよかったのでそれなりに満足したけど。

「え、あれ、可笑しいのはお姉ちゃんの方なの?」

「ははは」

姉さんは結構ボケボケなところもあるが、そこがまたチャーミングなのである。
そんな感じで下らない事を話しながら、無人の神社の中を巫女姿の石像を取り込んで歩きまわり、ついでに金になりそうな貴金属類を物色。
あらかた火事場泥棒も終った所で、姉さんが別行動を取る事になった。面倒な増援が来ないように根回しをするらしい。
手にはいつか見たトリップ作業用の魔法の杖、これからおじゃ魔女的ダンスと共にトリップ専用の作業服に着替えるのだろう。
渡すなら今しかない。

「姉さん、その変身ちょっと待った」

杖を構えて今にも踊り出しそうな姉さんが動きをピタリと止め、こちらに振り替える。

「え、なに、もしかして変身プロセスをゆっくり見たいの? 当然一瞬全裸になるけど」

「それはもちろん見たいけど、ちょっと姉さんに渡したい物があるんだ」

そう言い、俺は亜空間から一着の衣装を取り出す。
俺が手に持ったその衣装を見ると、姉さんは目をくわ、と見開いた。
そこにあるべきでない存在を見つけてしまったような、驚愕と疑惑と困惑の感情をないまぜにしたような、そんな今まで見た事も無いような姉さんの表情に、俺は内心でガッツポーズを決めた。
これは只驚いている訳じゃない、その証拠に、姉さんの目がきらきらと輝いている。

「う、美しい……、ハッ!」

姉さんの口から賞賛の言葉が零れ落ちる。
無意識のうちにその言葉を呟いたのか、姉さんが先ほどよりは軽いが確かな驚愕の表情で口元を押さえている。
写真に撮って『うそ、私の年収低すぎ……!』とか落書きしたくなる程の表情だ。

「姉さんの為に、夜なべして完成させたんだ。多分ネギま世界レギュの姉さんの戦闘になら耐えられる筈だから」

「卓也ちゃんたら、もう、お姉ちゃんにそんな、気を使わなくてもいいのに……」

姉さんが眼尻に僅かに浮かんだ涙を指で拭い、俺の差し出した衣装を両手で大事そうに受け取る。
姉さんは受け取った衣装を両手でぎゅう、と抱きしめ、次いで俺に向き直り、まっすぐな瞳を向ける。

「今日はこれから別行動だから、お姉ちゃんのこの服での活躍を見せてあげられないけど」

「うん、元の世界に帰ったら、その服でお散歩デートしよう」

互いに見つめあい、とびきりの笑顔で頷き合う。
これ以上の言葉は不要。あとはさっさとこの世界を片付けて、元の世界に帰るだけ。
姉さんは後ろを向き、改めて、威風堂々と、それでいて一シーン一シーンが目視出来る速度で変身シーンを再開した。

―――――――――――――――――――

変身を終え、更に二段変身で俺の用意した衣装に着替えた姉さんが何処かに転位するのを見送り、俺は神社の境内に移動する。

「そういえば、ああいう鬼と戦うのはこれでようやく二回目か」

魔法関係の世界は、最初のトリップ以来だ。
奇しくもあの時と同じくネギま世界だが、相手の強さは桁違い。

「あの烏族の人は、燃やした時にちゃんと生き物の身体が蒸発する臭いを出していたが」

一応生き物に分類されるのだろうか、漫画だとリョウメンスクナは凍結粉砕だったからいまいち死に様からどういう存在かを想像し難い。
仮に生き物と同じような構造だと考えて、返り血を考慮、する必要は無いか。
どうせ何を作っても完全防水だ、返り血程度で誤作動を起こしたりはしない。

掌から、腕から、肩から、只管に触手を生やし、無数の触手を隙間なく境内に敷き詰める。
広げる過程で編み込まれ、シンプルな絨毯の様になった触手から、俺はリョウメンスクナと戦うのに相応しい機体を生み出す。
鬼神に対抗するならこいつしか居ないだろう、だが、サイズが違い過ぎるので拡大コピー、更に、ただ単に倒すのが目的ではないので、それに合わせて各種武装も変更する。
元の約二倍ほどにも巨大化されたその機体の頭部に乗り込み、脚元に広がった触手の絨毯から更に追加装甲を作り出し、被せる。
ややサイズが合わず、動きも制限されるが構わない。正体を隠す追加装甲は戦闘中に敵の攻撃で剥がれおちるのがお約束なのだ。
触手の絨毯を乗りこんだ機体に拾わせてマントの様に纏わせる。

「サウザンドマスターですら封印しかできない超存在、か。インフレ起こした今のネギまだと雑魚臭いけど」

でもまぁ、設定上はとても強い魔法や何や関連の不思議系超存在、凄い妖怪みたいな分類ではあるが、名目上は神の一種ですらある。
取り込んで損には決してならないだろう。
触手のマントに隠された、真紅の翼を翻し、俺は一路リョウメンスクナの封印されている祭壇へと飛び立った。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

S県麻帆良市、麻帆良学園上空。
地の喧騒も届かぬ空の果て、雲の上。月の光に照らされて、一人の女性が佇んでいる。
黒を基調とし、随所にアクセントとして白と赤があしらわれた和風のゴシックドレスを着たその人影は、口元に緩い笑みを浮かべ、眼下の学園都市を見降ろしていた。
いや、見降ろしてすらいない。眼中に入ってすらいない。
彼女はひとえに、自らの衣装を見つめ、撫で、感慨に浸っている。

「ふふ、卓也ちゃんたら、もうこんな物まで作れるようになったのね」

ドレスを触り、怪しげな、優しげですらある笑みを浮かべる女性の名は鳴無句刻。四桁を超え五桁に迫る異世界トリップを超え、今なお成長と強化を繰り返す超常の存在。
彼女の着る衣服、世間的には和ゴスと分類されるそれは、ある非業の天才の残した異端の技術と、姉である句刻を思う卓也の情念が生み出した、この世のもの成らざる装束。

「和ゴス、ふふふ、和ゴスだわ。これ以上無い程に、これ以外無い程に」

真の存在たる和ゴス。
無窮の和ゴス道を超え、衣服を超越し衣服の概念を覆し、遂にこの世に生まれ落ちた最も古く、最も新しき和ゴス。
真っ直ぐでありながら捻じれ狂い、縫い目の一つ一つに無限の並行宇宙を内包した、鳴無卓也の姉、鳴無句刻の身体を包み込む事だけを考え、無数の宇宙を生贄に作られた窮極にして再果ての和ゴス。
和ゴス、和ゴス、和ゴス!
あらゆる異世界、平行世界、無限/無量/無窮の宇宙から、無限/無尽/無垢の和ゴスを集めてもこれ以上の物が存在しえない、同等のものすら製造され得ない、唯一最強の和ゴスである。

「今の卓也ちゃんには、同じものは作れないでしょうね」

偶然と必然が合わさり、乱れ狂った時間と空間の捻じれが呼び起した鳴無卓也の未来の可能性。
時間の流れを歪めた状態での長時間の単純作業によりトランス状態になった鳴無卓也の脳に舞い込んだ、何時かの、何処かの、和ゴスを極めた鳴無卓也の力が生み出した到達点の一つ。
傍目にはとてもデザインの優れた和ゴスにしか見えないだろうが、特殊な感覚を得た者から見れば、これ以上無い程の和ゴス。
それを、自分の為に弟が作り出したという事に、鳴無美鳥は酷く感動していた。
流れるままに涙を零し、感情のままに笑い、その果てに、酷く落ち着いた心で持って眼下の学園都市に視線を移す。
ゆるゆると緩むに任せた笑みを、締まりの無い涙線を、鋭く引き絞る。
鋭利な刃物のような、切り裂く凶器としての力がそのまま美しさに直結するような、あらゆるものを切り裂き、破滅させる笑みを浮かべ、

「今、私、すっごく機嫌がいいの。そんな顔、してるでしょう?」

片手に、杖を構える。
優しげですらある、慈しみの感情すら感じられるような動作で持って、学園都市に向けられる魔法の杖。
杖を構え、静かに、誰にも聞かれぬままに宣言する。

「だから」

杖の先端には、あらゆるものを癒し、休める為の癒しの力。

「今回は、楽に終わらせてあげる」

あらゆるものを、永遠の安らぎへと誘う力が宿っていた。

「大回復」

―――――――――――――――――――

「な、なんだこれは!?」

麻帆良学園の学園長室『だった』場所で、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは酷く狼狽していた。
京都に居るサウザンドマスターの息子からの救援要請に応える為、一時的に呪いの精霊を誤魔化す術式を成立させる為に、学園長室に訪れていた。
しかし、術式を組み立てている最中に突如、彼女を除く周囲のあらゆるモノ、生物非生物を含むすべての存在が一瞬にして成長し、老化し、風化して消えうせたのだ。
辺りは一面、学園施設と学園内の生き物のなれの果てである真っ白い塵の荒野。
白、白、白、余りにも無垢で、生き物の生み出す穢れの存在しない純白の世界。何もかもが終わりを告げた、静寂なる世界の終点。
そして、そこに佇む自らの『十五歳程度まで成長した肉体』を見て、彼女は何が起こったのか、一瞬にして把握してしまった。
そう、『麻帆良学園都市は大規模大威力の過剰回復魔法を受けた』という、馬鹿馬鹿しい結論に。
だが認めるしかない。今の自分に起きている現象、おそらくこれは過剰な回復力を注ぎこまれたことにより、不死という概念すら超越して肉体が成長させられてしまったのだ。
不老にして不死である真祖の肉体が数年分成長する程の回復力を注ぎこまれ、有限の命しか持たない存在達は、自分が何かされた自覚を得る前に一生分の成長を終え、塵と化して消えた。
それが、そんな余りにも馬鹿馬鹿しい事実が、今ここで生きている異常事態の真相なのだ。
そして、はたと気付く。

「茶々丸、チャチャゼロ!」

二人の従者の名を呼ぶが、当然の様に返事はない。
二人、いや、二体の従者は主の様に何もしなくても永遠を生きられるような都合のいい存在ではない。
非生物であるため寿命は存在しないが、無機物であるが故に主のメンテナンス無しでは正常に存在し続ける事は難しい。
当然、今の回復魔法でもって、周りの建物と同じく物体としての寿命を使い切り、塵と化して消滅したと考えるのが妥当だろう。

「茶々丸、チャチャゼロ」

だが、認められない。
本当なら自らの手で修復を繰り返し、未来永劫共にある筈だった、自らの従者が、

「茶々丸、チャチャゼロ……」

こんな、馬鹿げた理由で、

「茶々、まる」

自分を置いて、消えてしまうなどという事が、

「チャチャ、ゼロ──!」

有り得て良い筈が、無いのだから。

―――――――――――――――――――

学園からの救援であるエヴァンジェリンを京都に来させない為に学園長を老衰で殺害しようとした句刻は、眼下の純白の塵の丘を見て、自らの魔法が失敗してしまった事に気が付いた。

「あら、あらあらあら」

口に手を当てて大仰に驚く。
常のトリップならばしない失敗、常のトリップならばしないオーバーリアクション。
要するに、簡単な大魔法すら失敗し、そんな些細な失敗に心を動かしてしまう程、句刻の心は浮ついていたのだ。
愛する弟の手作りプレゼントを着ての初の作業、彼女の精神を高揚させ、過剰に魔力を使わせてしまうには十分過ぎる出来事だった。
そして、この失敗談は弟との話の種になるだろう。弟はどんなリアクションをするだろうか、姉さんでもそんな失敗をするんだなと驚くか、プレゼントをそんなに喜んでくれたのかと喜ぶか。
元の世界で留守番をしている妹的な存在ならば遠慮なく腹を抱えて爆笑するだろう。こちらを指差しながら笑い転げるだろう。
少々気恥かしいが、それはそれで自分と弟の間には無かったリアクションであり、新鮮で良いと思う。
自らの失敗談を語り、それを誰かに笑い話にしてもらう、それは基本的に孤独であるトリッパーという人種にとって、得難い幸福なのである。

「っ────ぁ────ぁぁああああっっ!」

そして、このちょっとしたアトラクションもまた、句刻にとっては土産話の一つにしかならない。
足首まで伸びた美しい絹の様な金髪をなびかせ、空気を爆裂させながら迫る十代半ば程度の外見の少女に笑いかける。

「貴様が、貴様がぁぁぁぁぁああああぁぁ!!!」

そんな句刻の笑みとは対照的に、金髪の少女──エヴァンジェリンはその美しい相貌を般若の如く怒りに歪め、咽喉は張り裂けんばかりに怒りの感情を声へと変換する。

「どうしたの、子猫ちゃん。そんなこわぁい顔をしていると、可愛い顔が台無しよ」

杖をだらりを下げ、優雅さすら感じさせる口調で問いかける。
その軽口に答えず、エヴァンジェリンはその手の先に生み出された半透明の刀身を句刻の心臓目掛け突きつけられる。
エクスキューショナーソード、その刀身に触れたあらゆる物体を強制的に相転移させる極低温の刃。
学園が消滅した事で学園結界から解き放たれ、登校地獄の呪いも消滅し、成長分だけ魔力も向上し、全盛期を遥かに上回る魔力で持って生み出された絶対攻撃の刃。
今までのエヴァンジェリンの人生では無かった、これ以上の速度と力で振るわれた事の無い文字通りの渾身の一撃は、何の変哲も無いように見える句刻の服に触れた瞬間、薄いガラス板の様にあっさりと砕け散り、素の魔力へと還元されてしまう。

「な、が、ぐぅぅううっ」

必殺の意思を持って放たれた攻撃を防がれるでもなく無効化された。
怒りと驚愕で我を忘れそうになったエヴァンジェリンは、感情に呑み込まれる寸前、自らの唇を噛み切り、痛みと血の味によって正気を保つ。
あれほどの大規模魔法を使う、あれほど常識はずれな都市破壊攻撃の使い手がそんなに容易く殺されてくれる筈も無い。
そう思いなおし、従者を殺された怒りを全精神力を投入して押さえつけ、情報を引き出す為にエヴァンジェリンが頭を巡らせ始めたところで、句刻の方が口を開いた。

「そんな温い、情報量の少ない、存在の薄い攻撃が、この卓也ちゃんの愛の詰まった和ゴスを傷つけられると思ったの? ふふ、控えめに言って貴女、馬鹿じゃないかしら」

泰然とした笑み。
句刻のその表情を憎らしげに睨みつけながら、エヴァンジェリンは思考を巡らせる。
全盛期の力を取り戻した自分の目を持ってしても、あの女の着る衣服が何故自分の攻撃を防げたのかが理解できない。
いや、どことなく理由は分かる。あのドレスは、見たままの印象では測りきれない。蟻の視点では人間の世界を理解できない様な、存在としての規模が余りにも巨大すぎる。
何処かの国には神木とリンクした聖剣が存在し、その聖剣を砕く為には神木を砕くのと同等の力が必要だと言うが、あれも似たようなものなのだろう。
余りに巨大すぎるが故に、違和感を覚える事すらできない。そして、そんな物に身を包んでいるせいか目の前の女の実力も測りきれない。

「でも、仕方がない事よね。貴女達と私達じゃあ、存在の密度が違うもの」

「存在の、密度、だと?」

「ふふ、うふふふ、あは、は」

くるくると、ドレスの端を摘まみ上げながらくるくるとその場でステップを踏み踊り回り始める句刻。
気のふれたような句刻の振る舞いに、エヴァンジェリンは嫌悪や疑惑ではなく、身を震わせるような恐怖の感情を得る。
喚起された感情を、湧きあがる恐怖を、従者を殺された怒りで持って無理矢理に押しつぶし、震える脚を押さえつける。
ガチガチと打ち鳴らされる歯を食いしばり、相手に聴こえない様に詠唱を開始する。

「ト・シュンボライオン・ディアー・コネートー・モイ・へー・クリュスタリネー・バシレイア……」

自らの使える魔法の中では最大の威力を誇るこれならば、あるいはあのドレスの防御を抜き、ダメージを与える事ができるかもしれない。
女子供は殺さないなどという自分の信念は、この敵を前にしたら何の意味も持たない。この必殺の一撃を持ってしても、殺せるかどうかは望み薄なのだ。

「エピゲネーテートー・タイオーニオン・エレボス・ハイオーニオ・クリュスタレ!!」

句刻が笑いの表情のまま氷漬けにされる。
氷属性の高等呪文、『えいえんのひょうが』は150フィート四方の広範囲をほぼ絶対零度にし凍結させる。
だがこれでは終わらない、まだエヴァンジェリンを支配する恐怖の感情は消え失せていない。

「パーサイス・ゾーサイス・トン・イソン・タナトン・ホス・アタラクシア・コズミケー・カタストロフェー!」

『えいえんのひょうが』で凍結した敵を粉砕する追加呪文、『おわるせかい』が炸裂する。
砕け散る氷柱、だが、エヴァンジェリンはまだその身を恐怖に侵されたまま。
未だ、敵は健在である事を、吸血鬼としての本能が告げていた。
そのエヴァンジェリンの背後に、巨大な、余りにも巨大な気配。

「其は安らぎ也、ね」

振り返る間もなく、首を鷲掴みにされた。
エヴァンジェリンの首を掴む、たおやかな手指。傷一つ、汚れ一つ無い和風のゴシックドレスを身に纏った鳴無句刻の姿が、圧倒的な存在感を従えそこに存在していた。
自らの首を優しく掴むその手が、首の骨に半ばまで食い込んだ肉食獣の牙である様な錯覚を覚え、エヴァンジェリンの戦意は跡形も無く砕け散り、消えた。
積んだ。もはや、どうする事も出来ない。600年の戦闘経験が告げている、自らの命を狙いにきた身の程知らず達、命を投げ捨てた雑兵と同じ立場に、自分は遂に立たされてしまったのだと。
自分の番が来てしまったのだ、自分の立場が変わったのだ。命を奪う側から、命を奪われる側に。
不死の身体を押しつけられ、もはや永久にやってくる筈の無かった人生の終焉。
かちかちと歯が打ち鳴らされ、内腿を生暖かい物が伝う感触。腹の底が重く、冷たい何かを詰め込まれた様な怖気を振るう感覚。
この時、エヴァンジェリンは恐怖に、絶望に支配された。
これが、これが、これが死の恐怖!
ぶるぶると雨に濡れた子犬の様に身を震わすエヴァンジェリンに、句刻の慈愛すら満ちた微笑みが向けられる。

「私、最高に機嫌がいいのよね。だから」

首を掴む手から流れ込む膨大な回復魔法の魔力。
不死者すら成長させる圧倒的な癒しの力が与える快楽に、エヴァンジェリンはその身を仰け反らせる。
脳が、記憶が、心が、真っ白に塗り替えられていく。
六百年の孤独が、その果てに見た光が、絶望が、怒りが、何もかも塗りつぶされて消えていく。

「──────────っ!」

声の形を成さない絶叫。
そして、身体に始まる異変。
エヴァンジェリンの身体がどんどん成熟し、凹凸のある成人女性の姿に、色気のある熟年女性に。
成長を続ける、吸血鬼にならなければ辿ったであろうその成長の道筋を、不死となった筈の身体がなぞる。

「だから、これで貴女の旅は御仕舞にしてあげる。だってほら、私、今凄く優しいから」

六百年ぶりの成長、その余りの快楽に、エヴァンジェリンは気付かない。
自らの身体が成長を終え、老化を始めたという事実に。
瑞々しい肢体は見る間に枯れ木のようにやせ細り、絶世の美貌は皺くちゃの老婆の姿に変って行く。
それこそが正常。運命を歪められたエヴァンジェリンの、本来あるべきだった、人間としての死への道程。
エヴァンジェリンの、魔法世界を恐怖に陥れる吸血鬼の真祖『だった』老婆の口から、とぎれとぎれに擦れた声が漏れる。

「わ、たしは、死ぬ、のか」

「ええ、貴女のお話はここで終わり。長旅は疲れたでしょう?」

エヴァンジェリンの、一人の老婆の、暗い、暗い瞳から、涙が、

「ああ、そう、だ、な。少し、疲れた」

「ええ、だから、お休みなさい」

零れ落ちた。

「あ、ぁ、おや、すみ、なさい、『──』」

聞き取れないようなささやかな声量で誰かの名前を呼び、静かに眼を閉じる。
同時に、ふっ、と。エヴァンジェリンの身体から力が抜ける。
流し続けられる回復魔法により、その遺体がどんどんと風化していく。
六百年の歳月を駆け抜けた吸血鬼の、余りにも呆気ない最後。
後には、他の人間のなれの果てと変わらない、白い塵が残るだけ。

「夢はただ、夢と散り逝くのみ、ね。どこの誰ともしれないオリ主もどきのダッチワイフになるよりは上等な終わりじゃない?」

手に付いた塵を叩き落とし、白い荒野に一瞥もくれず、リョウメンスクナの封印された祭壇へ向け転移した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

リョウメンスクナが封印されている祭壇での戦闘は、既に一つの区切りを迎えようとしていた。
大量に召喚されていた妖怪達は3-Aからの増援の獅子奮迅の活躍によりその数を見る間に減らされ、今回の事件の首謀者である天ヶ崎千草の共犯者である神鳴流剣士の月詠と犬神使いの小太郎も足止めされ封殺されている。
そして、大鬼神リョウメンスクナの封印を解く為の魔力タンクとして浚われていた近衛このかは、自らの秘密、忌み嫌われる純白の翼を持つ烏族と人間のハーフである事を明かした桜咲刹那によって救出された。

ネギ達の戦力を考えれば十分過ぎる戦果であったが、それもここまでが限界。
近衛このか救出に桜咲刹那を送り込む為、天ヶ崎千草に雇われていた西洋魔術師である白髪の少年を足止めしていたネギとアスナ、その二人の奮闘ぶりを脇から見ていたカモミール・アルベールはそれを痛感していた。
この場において最大の火力を持つネギの最高威力の魔法は、リョウメンスクナの肌に傷一つ付ける事無く散らされ、更には今目の前に居る白髪の少年にすら、ネギとアスナの連携で一発当てるのに成功した程度、しかも当然の様にダメージは入っていない。

「や、やったの……?」

拳を振り抜いたネギに、恐る恐る声をかけるアスナ。
度重なるギリギリの戦闘、その果てにこのかは救出され、今まで一度も攻撃が届かなかった敵に対して初めて攻撃が通った事による、ここまでやったんだからなんとかなるかな、という思いから出た言葉。
だが、まだ何も終わってはいない。ネギに頬を殴り抜かれた白髪の少年がゆっくりと振り返る。

「……身体に直接攻撃を入れられたのは……初めてだよ」

アスナの魔力完全無効化能力により障壁を破られたからとはいえ、彼からしてみれば現時点では格下も良いところのネギに直接身体に攻撃を入れられたのは予想外であり、屈辱の極みだったのである。

「ネギ・スプリングフィールド」
ネギに向け、白髪の少年が完全に振り返り、拳を打ち出す。
ボッ、という空気の壁を突き破る音とともにネギに迫る。魔力の切れた今のネギが喰らえば、一撃で身体を貫通し、拳の進路上に存在していたネギの身体の内容物を吹き飛ばし撒き散らす痛烈な一撃。

「ネギッ!!」

今まさに力を使い果たしたネギはその攻撃に対応できない。
そばにいるアスナも同じく力を使い果たし、そしてこの距離では全快状態であってもフォローは間に合わない。
奮闘空しく、ネギの命運はここで尽きてしまうのか。

「っ!」

だが、白髪の少年の拳がネギに届く事は無かった。
拳を止め、慌てた様子で白髪の少年が何かを避ける様に後ろに飛び退ったのだ。
だが、そんな白髪の少年を、轟音と共に飛来した巨大な赤い壁の様な物が打ちすえ斬り飛ばしていった。
赤い、いや、紅い壁のように見えた何かは白髪の少年を吹き飛ばすと、そのままの勢いでまた空の彼方へと飛んで行く。

「な、なにあれ。エヴァちゃん、じゃないわよね」

真祖の吸血鬼といえど巨大化はできない。
そして、その紅い壁が徐々に速度を落とし、空のある一点で静止、巨大な人影の背にドッキングする。
紅い壁のような物の正体は、巨大な悪魔の様なフォルムの翼だったのだ。
そして、自分達の目の前を通り過ぎていった時の翼のサイズを考えれば、あの巨大な人影の尋常では無い大きさである事が理解できる。
その人影が、見る見るうちに大きくなっていく。

「え、え、えぇぇぇぇええぇぇ!!」

その巨人のシルエットに、その場で成り行きを見守っていた全ての者が戦闘や作業を中断して驚愕する。

『聞こえますか、麻帆良からの救援の代理で来ました、魔法協会の方から来た救援の者です。これより大鬼神リョウメンスクナの討伐を開始します。現地の皆様は至急祭壇から離れ、泉の湖の端まで避難してください』

その巨人からであろう念話の内容すら理解できない。
それ程に意外過ぎる、いや、ある意味では妥当過ぎるのに、どこをどう好意的に解釈しても無理がある救援。
背に赤い翼があるという差異を除けば、その姿は紛れも無く──

「エヴァちゃんが巨大化してパンチパーマに!」

「ちげーよ姐さん、ありゃ日本の筋者だよ!」

いや違う、イメチェンしたエヴァでもなけれな、巨大ヤクザでもない。
裸体に死体から剥ぎ取った衣服を継ぎ接ぎして作られた糞掃衣と呼ばれる布を巻き付け、頭はマーラの誘惑に打ち勝つための、長大な髪の毛一本一本を渦巻き状にして巻きつけた螺髪。
あらゆる煩悩を消し去り、遍く全ての人類を解脱へと導く聖人。
人々が想いを馳せ、人でと物資を集めて作られたその似姿。

「だ、大仏!?」

そう、全高50メートルはありそうな、巨大な大仏。
背には紅い翼を生やし、手には仏教とは欠片の関係性も見出せない実用一辺倒の飾り気の無い両刃の剣を携えた大仏が、皆の注目が集まる中、完全に封印から逃れた大鬼神の目の前に着地。衝撃で津波が起きる。
同時、落下の勢いのままに振り下ろされた大仏の手の中の剣がリョウメンスクナの腕の一本を切り落とす。

「──、────!」

空気を、水面を震わせる。
そのリョウメンスクナの絶叫と共に乗せられた霊的、物質的な攻撃力を秘めた波動が、対峙する巨大仏像へと直撃する。
その破滅的な神氣を備えた波動は、千年以上もの間祀られ、信仰の力により霊的強度の高められた銅と、その力を阻害しないために選ばれたオーガニック的に正しいアンチボディの体組織で形成された複合装甲を、一撃でヒビだらけにしてしまった。
動くたびに装甲が剥がれ落ち、見るからに動きの鈍った大仏に、事の成り行きを混乱しつつも見守っていた天ヶ崎千草が冷や汗を拭いながら高笑いを始める。

「フ、フフフ、アーッハッハッハ! 空から大仏なんて何事かと思たけど、こけおどしもいいとゴビェ」

高笑いを始めた天ヶ崎千草を、大仏の殻を突き破り飛びだした黒金の拳が叩き潰す。
タイヤに潰された田圃道のカエルの様な天ヶ崎千草の死体は、拳の発する熱により一瞬にして水分を蒸発させられカラカラに干上がり、その拳が発する謎の振動により粉々に砕け、空にばら撒かれた。

術者を失い、文字通り完全に解き放たれたリョウメンスクナ。
無敵ともいえる大鬼神が、その大仏を突き破り産まれてきたモノを相手に、『一歩後退した』
気押されているのだ、京都の街を恐怖のどん底に陥れた悪の化身が、偉大な魔法使いであるナギ・スプリングフィールドですら封印するしかなかったリョウメンスクナが。

大仏の顔が割れ、隙間からその真の姿が垣間見える
対峙するモノを睨みつける鋭すぎる黄の眼差し、自らの位を現すような銀の冠。
胸にはその背に負う翼にも似た紅い胸当て、全身は悪魔の如き禍々しいフォルムの漆黒。
禍々しく、それでいて何処か神々しさすら備える巨人。
しかし、リョウメンスクナと同じく見る者に畏怖の感情を湧き立たせるそれは、大仏ともリョウメンスクナとも明らかに違う存在。

「あ、あれは……」

「わー、かっこええなぁ。あれもせっちゃんのお友達なん?」

念話による警告を受け、泉の淵まで飛んでいた桜咲刹那が唖然とし、それに抱きかかえられている近衛このかが無邪気に喜ぶ。

「ありえません、あんなサイズのあんなものが、あんな機敏に動くなんて、いやそうではなく、そもそも存在自体があり得ません!」

「西洋魔術師の連中はあんなもん隠してたんか! 西洋魔術師もなかなかやるなぁ!」

「あれも魔法とかいうものに関係しているのでござろうが、それにしては余りにもダイナミックなデザインでござるな」

泉の隣の林で事の成り行きを見守っていた三人、未だ世界の裏側と表側の中間に居る綾瀬夕映が混乱し、犬神小太郎は年相応の子供らしくキラキラと目を輝かせ、長瀬楓は呆れながらも違和感を感じ、この世界に存在しない真実の欠片を言い当てる。

「最近の技術は凄い物だな、超ならばああいった物も作れるのか?」

「アイヤー、日本の自衛隊はこっそりロボ作てるいうのはホントだったアルか!」

「あの太刀筋、ちょぉっと手合わせしてみたいですけど、あんなおっきいの相手にしたら、ウチ、ウチ、壊れてしまいますぅ♪」

天ヶ崎千草が死んだ事により召喚されていた敵が帰ってしまい、手持無沙汰になった龍宮真名が静かに感嘆の声を上げ、古菲は間違った日本への偏見を披露し、月詠は勝手に妄想を巡らせていやんいやんと身を捻じっている。

「すごいの来ちゃった……」

「うわ、うわぁ! カモ君! アスナさん! やっぱり日本にはあるんじゃないですかほらぁ!」

疲労困憊で祭壇から逃げる事の出来なかった二人と一匹、突っ込む気力すら湧かないアスナと、そんなアスナと肩の上でふるふると身を震わせるカモに向けて興奮気味に騒ぎながら大仏の中身を指差すネギ。
そして、しばらく身を震わせ──突っ込みを入れる為に体力を振り絞っていたカモが、今信の突っ込みを、腹の底から解き放つ。

「それ、巨大ロボットじゃねぇかあぁぁっ!」

―――――――――――――――――――

「その通り!」

聞こえていたとも、大仏アーマーのせいで碌に視界が確保できなかったが、地上の連中のリアクションは大気の振動を拾って全て把握していたのだ。
この世界が誰かの妄想で、俺がここには居ない主人公になれなかった誰かの代わりなら、原作キャラであるあいつらの大きいリアクションを狙いに行くのは至極当然の話だろう。
地上の連中のリアクションに大きく頷き、気を取り直して目の前の二面四臂の巨人に向き直る。

「お初にお目にかかる、剣と魔法の世界の鬼神よ。機械巨人と破壊光線の世界から、鉄の魔神を束ねる皇帝がまかり越したぞ!」

外部へのマイクはオフにしてあるので俺のこの声は聞こえないだろう。
だが相手は仮にも神の称号を冠する存在。眼前に居る俺の目的を解する事が出来ないとは思え無い。
が、とも、ご、とも聞こえるリョウメンスクナの叫び声を伴う拳打。
手に構えたカイザーブレードの腹で受け、しかし叫びの破壊力は砕けかけの大仏アーマーを、粉微塵に粉砕した。
余波で下の本来の装甲すらビリビリと震えるが、こちらにダメージは入らない。
まともな殴り合いで打ち負ける程、超合金ニューZα製の装甲は軟な作りをしていないのだ。
完全に砕け散った大仏アーマーの下から現れた姿に、更に地上のギャラリーが湧き発つのが分かる。
全高50メートル程まで巨大化させたマジンカイザー、その威容が露わになったのだ。巨大ロボットの存在しない世界の人間が驚かない筈が無い。
カイザーブレードを拳で抑えるリョウメンスクナの腕に、光子力ビームを放つ。
焦げ目こそ付いているが、熔けも貫通もしない。
今使っているこのマジンカイザー50は20段フル改造、俺のパイロットステータスも射撃値は悪くない筈なのに、ダメージは殆ど入っていない。
この世界では魔力だの氣だのの不思議パワーが優遇されているだけあって、中々ダメージは入らないらしい。
だが、それがいい。そうでなくては取り込み甲斐が無い。
腕を焦がされ、怯んだ様に後ろに下がるリョウメンスクナ。
ダメージはそれほどでもないが、それでもこんな機械と鉄の塊にダメージを貰うとは思っていなかったか。
しいていうなら煙草の火を押し付けられた大型肉食獣の様なもの、次の瞬間には怒り狂って襲い掛かってくる。
だが、だがその怒りこそが侮り、驕り。
表の技術は、表の存在は自分達に敵わないという、この世界のありとあらゆる裏の存在が潜在的に心に持っているどうにも拭いがたい偏見のコレクション。
肩からもう一本のカイザーブレードを取り出し、構える。
先ほど取り込んだ京都神鳴流を使えば楽勝だろう、大仏から取り込んだ神氣を限界まで高めれば楽勝だろう、次元連結システムで似たような不思議エネルギーをどこからか取り寄せれば楽勝だろう。
俺はこの大鬼神を殺し切る超常の力を幾つも備えている。やろうと思えば一撃で殺し切る事も可能だ。同じ土俵で戦って圧倒するなど造作も無い。
だが、気が変わった。
こんな獣同然の木偶の坊にまで嘗められるなんて、オリジナルの持ち主にも申し訳が立たない。
コイツは機械の力で、科学の力で、完膚なきまでに叩き潰す。
お前らが裏の世界の力には裏の世界の力で無ければ対抗できないなんて考えているなら、まずはその幻想をぶち殺す!
気合を入れよう、頭には甲児の被っていたモノと同じ、趣味の悪いデザインのヘルメット。
口調も合わせる。この魔神を駆るならば、丁寧な言葉使いなどしてはいられない。

「相手が大鬼神ってんなら、こっちは神にも悪魔にもなれる魔神皇帝様だ! 兜家秘伝の科学力を受けてみやがれ!」

息を吸う。腹の底に力を溜め、声にはドスを効かせ、あらん限り声量で叫ぶ。

「マジーン、ゴー!」

俺の発した伝統的な掛声と共に、京都は封印の地で、二大巨人の決闘が始まった。

―――――――――――――――――――

巨大化したマジンカイザーとリョウメンスクナが向かい合う。
マジンカイザーはカイザーブレードの二刀流。だが、何かしらの武術の構えを取っている訳では無く、ただただ相手の攻撃に備え、何時でも斬りかかれる様に、という二つの事しか考えていない我流の構え、邪道の剣。
オリジナルのマジンカイザーを操る兜甲児も、何かしらの剣術を納めていた訳では無く、似たような我流の使い手だった。
だが、コピーカイザーのパイロット、鳴無卓也の構えは違う。
彼の剣理、それを支えるのは剣術、剣を振るい人を切る技術を極めた男、剣術家『蘊・奥』が生涯を掛けて磨き上げてきた操刀技術の集大成。
蘊・奥の死体の脳から取り出した剣術理論が、そのまま生かされているのだ。
それは刀が剣に、一刀が二刀に変わったとしても適用される。
その中から、一番重要である基礎の基礎、刃筋を立て、まっすぐに振るという部分を残し、その他の体捌きは流派東方不敗なども合わせ、卓也の戦闘理論に合わせて原形を留めないアレンジを加えられた上での我流なのだ。
剣の扱いを知らない者の我流と、剣を理解した上での我流、この違いは大きい。
無論、そこまでの技術があればただの力任せの戦いしか出来ない木偶の坊相手ならば一瞬で蹴りが付く。
しかし、動けない。
卓也の操るマジンカイザーは、リョウメンスクナを前にして、アストレイ世界最高の剣術理論を持ちながら、攻めあぐねている。

(隙が、無い)

対峙するリョウメンスクナ、腕を切り落とされ、四本の腕は三本となり、しかしその手はもはや無手ではなかった。
その三本の腕にはそれぞれ、鉾、斧、錫杖が握られ、そしてそのどれもが達人級の使い手の空気を纏っている。
飛騨の山中に潜むまつろわぬもの、大鬼神リョウメンスクナ。
その正体は、かつて飛騨の国に文化を、人々には知恵をもたらし、かの地で暴れまわっていた悪龍を討ち滅ぼした大英雄である。
本来のリョウメンスクナは知恵無く暴れまわる化け物では無く、真に知性を持ち、神性を纏った神の一柱なのだ。
時の朝廷により鬼の烙印を押され、その無念により陰の氣に取り込まれていたリョウメンスクナは、封印から完全に解き放たれ、術者を失うと同時にその感情に任せて暴れまわる筈であった。
しかし、突如目の前に現れた自らと変わらぬ体躯を持つ鋼の魔、その驚異を前に、自己防衛の為にかつて振るった武術の理を一時的に取り戻したのである。
この時点で、原作の様に結界でもって封じ込め、大魔術で一撃、などという勝利は望めない。
結界弾はかの大鬼神に届くまでも無くその身から発される神気により込められた術式を崩壊させ、大魔術はその手に持つ斧に構成を叩き切られ、或いは錫杖を振るい放たれる術により無効化させられる。
事ここに及んで、リョウメンスクナと戦う事が出来るのは、同じ体躯を持つこのマジンカイザーだけとなったのだ。

じり、と双方が一歩足を横に踏み出すと、足下にある水面に大きく波が生まれる。
その波が湖の端に辿り着き、返す波がマジンカイザーとリョウメンスクナの脚に衝突し、崩れる。
同時、弾ける様に二体の距離が詰まる。
マジンカイザーは向けられる鉾の先端を弾き絡め取り、振り下ろされる斧の一撃を真っ向から受け止める。
大質量の斧による振り下ろしの一撃を受け、ズシ、とその場に沈み込むマジンカイザー。
だが、リョウメンスクナの攻撃はそれだけでは終わらない。
リョウメンスクナは残る一本の腕に錫杖を構え、人間には発音し得ない神性言語による口結を唱える。
かつて悪龍を滅ぼす際に使われた、今なお受け継がれる陰陽術よりも更に古い、神々のみが扱う原初の魔法。
原始的な構成でありながら人間の脳では理解する事すら叶わない程の緻密さを備えたそれが、大鬼神の有り余る魔力──神氣を込められ、一撃必殺の威力を備えた攻性魔法を作り上げる。
矛と斧は相手を押さえつける為だけに使われる、捕縛用の武装に過ぎないのだ。
リョウメンスクナの本命は相手を抑えてからの大威力術法攻撃。
四本の腕、二面の顔は西洋魔術師における魔法使いと従者の関係を一人でこなす為のギミックなのである。
錫杖を中心に空間を軋ませる大神氣が収束する。
フル改造のマジンカイザーといえども、直撃すればただでは済まない。神の称号に相応しい人智を超えた大魔術。
しかし、それは本来の性能を完全に発揮しているとは言い難い。
リョウメンスクナは本来、二面『四』臂の大鬼神なのだ。
本来なら存在していた筈の四本目の腕、術の発動を補助するもう一本の六角の杖は、腕ごと切り飛ばされて手元に存在しない。
自然、術の発動は遅くなり、隙は大きくなり、マジンカイザーがその状態から抜け出す事も容易になる。
ガシャ、という金属の重なる音、マジンカイザーの口元が開く。
カイザーブレードが封じられているのならば、それ以外の武器を使えばいいだけの話。
ルストトルネード、超酸性の液体を含む竜巻が、術を発動寸前のリョウメンスクナにぶち当る。
光子力ビームとは比べ物にならない威力、しかも光線では無く強酸、身を焼かれ溶かされ、尚身体の表面に残る酸性の液体にもがき苦しみ、思わず詠唱を中断してしまう。
爆音を立て、双方の武器が地面に落ちる。
リョウメンスクナはその身体に走る激痛から、マジンカイザーはその武器が最早使いものにならない事を理解しているが故に。
湖に落ちた斧、鉾、錫杖、カイザーブレードは、ルストトルネードによりボロボロに錆び、数合打ち合うまでも無く折れ砕ける程に強度を落としてしまっているのが目に見えて理解せきる。
当然、そんな攻撃を至近距離で放ったマジンカイザーも無事では済まない、前面の装甲を醜く爛れさせ、深紅のブレストプレートは跡形も無く融け崩れてしまっている。
この状態ではファイヤーブラスターも撃てなければ、真のカイザーブレードも抜き放つ事ができない。
決め手に欠けるのだ。神を人の力で打ち砕くには、科学の力で打ち破るには、一撃必殺の決め技が必要不可欠。
だがマジンカイザーは、マジンカイザーのコックピットに居る鳴無卓也は、

「これだ、この状態、この状況が凄く良い!」

にやり、と、口元に笑みを浮かべていた。
マジンカイザーの腹部、本来ならばギガントミサイルの搭載されている箇所が開き、内部構造をさらけ出す。
それは、マジンガーの系譜とは全く別の理論で構成された機械群。
光子力エネルギーを操る魔神とは異なる、超電磁エネルギーで動く巨人の力。

「超電磁ぃ、タ・ツ・マ・キィィィィィィィッッッ!!!!」

その在り得ざる機械より生み出される、電磁力の嵐。
常人ならば近づいただけで体内電流を乱され即死必至の竜巻、未だ酸の齎す激痛にもがいていたリョウメンスクナは、呆気なく巻き込まれ、その身体を張りつけにされる。
如何に神性を帯びていたとしても、この世界に物質として存在している限り逃れる事の出来ない物理法則。
自らを固定する磁界から逃れようと足掻くリョウメンスクナを前に、マジンカイザーがその両手を合わせ、超電磁ギムレット──クリスタルカッターへと変形させ、身体全体を回転させ始める。

「超電磁ぃぃぃ……」

そう、このマジンカイザーは只単にマジンカイザーを巨大化させた訳ではない、
衆人環視の中、戦闘中に、力のほとんどを残したリョウメンスクナを自らに取り込む為の武装を搭載した、魔改造を施されたマジンカイザー。
『超電磁ロボ・マジンカイザー』なのである。

「スピィィィィィィィィィ──」

強力な磁界に磔にされたリョウメンスクナの腹に、マジンカイザーの超電磁スピンが炸裂!
しかし、一撃では貫通しない。
封印からも術者による制御からも抜け出し、真の力を取り戻した大鬼神の皮膚は、肉体は、その表面を徐々に削られながら、しかし完全に貫かれる事も無く堪えている。
ギギ、という、骨を筋肉を軋ませる音を鳴らしながら、リョウメンスクナの両腕が磁界から逃れ、自らの腹部を削る超電磁ギムレットを両手で無理矢理に押さえつける。
回転するダイヤモンドの刃に掌を切り刻まれながらも、しかし徐々にスピンの速度が落ちる様を見て、リョウメンスクナの口元が吊りあがる。
この攻撃を防ぎきれば、この鉄の人形に打つ手は無くなる。そんな余裕の感情を滲ませた笑み。
それが、苦痛に歪められた。

「────────ッ!!??」

ダイヤモンドカッターを掴んでいた掌が、手が、一瞬で血と肉の霞みに変えられたのだ。
マジンカイザーの超電磁スピンの回転速度が一気に跳ね上がり、手を、腕を次々と削り卸して、遂に腹部を突き破る。
この両者の戦闘を極々間近で見れる者があったなら、削られたリョウメンスクナの肉体が回転運動を続けるマジンカイザーに吸い寄せられている事に気付く事ができただろう。
そして、マジンカイザーのボディに接触すると同時に、早送りの様にその動きを速めた事も。

「この超電磁スピンもフル改造済みの威力だったのだが、流石は大鬼神だな。でも俺は、科学の力はもっと、もっと、もっと! 更に高みに存在しているっっっ!!」

そう、今のマジンカイザーは、通常の時間とは別の時間の流れの上で活動している。
クロックアップ、それこそが、超電磁スピンの回転速度上昇の種だったのだ。

「では改めて。超・で・ん・じぃぃ……」

加速した時間の中で、マジンカイザーの生み出す回転の力が、貫通したリョウメンスクナを体内から引き裂き、巻き込むようにしてその残骸を取り込んでいく。
臓を、骨格を、筋肉を血管を神経を脳髄を、まとめて引き裂かれ呑みこまれていくリョウメンスクナ。

「スピィィィィィィィィンッ!」

突き抜けた。
後にはリョウメンスクナのガワ、姿形だけの残りかす、抜けガラだけが残される。
満身創痍で、しかしどこか神々しい氣を纏ったマジンカイザー、そのコックピットの中で、

「クロック・オーバー」

戦闘の完全終了が告げられた。

―――――――――――――――――――

祭壇の上空、リョウメンスクナが弾け飛び、キラキラと輝く粒子が舞い落ちる。
リョウメンスクナの抜け殻に残されていた神氣のカス、その最後の煌めきである。
その煌めきが、リョウメンスクナを撃破したロボットを照らす。

「た、倒しちゃった」

その鋼鉄の威容を、上着を無くし胸元を手で隠したままのアスナは複雑な表情で見上げていた。
担任のネギが赴任してきてから数か月、魔法の存在を知ってからの生活は無茶苦茶で余りにも現実離れしていたが、この巨大ロボットに比べればまだしも現実的だ。
先のリョウメンスクナの戦闘、だれが魔法関係の事件の締めに『巨大怪獣とそれを倒す巨大ロボット』などという無茶苦茶な落ちを持ってくるなどと考えるだろうか。
そして、あの白髪の少年を倒した事に関しても。
あれだけ苦戦した相手が、一撃で叩き潰されてしまった。巨大ロボットの攻撃だから仕方ないと言えば仕方ないけど、それにしてもあんまりな決着だ。

「すごい、すごいけど、凄いのはわかるんだけど……」

こちとらあの少年に二回も脱がされたのだ、『こんな物があるなら最初からこれを出してれば良かったじゃないの』などと考えてしまうのは仕方の無い事ではないか。
勝利に喜べばいいのか、余りにも余りな、荒唐無稽なデウス・エクス・マキナにどう反応すればいいか迷っているアスナを横目に、ネギはその目を輝かせて巨大ロボットを見上げていた。
先ほどまでの疲労は何処へやら、いや、興奮のあまり精神が肉体を一時的に凌駕しているだけだろう。
それほどまでに、『英雄』という存在に憧れる少年にとって今の光景は衝撃的だったのだ。
傷だらけで、しかしあの圧倒的な大鬼神を、悪のシンボルを打倒した正義のシンボル。
みんなのあこがれ、でも、物語の中にしか登場しないとたかをくくっていたスーパーロボット、実在した、正義の味方!

「兄貴、見てくだせぇ!」

ネギの肩の上に乗っていたオコジョ妖精、カモがその短い前足でロボットの頭部を指差す。
頭部近くに浮かぶ女性、手に杖を持っている事から魔法使いだろう事は分かるが、細かい表情までは見て取れない。
頭部のコックピットらしき部分が開き、中からヘルメットを被った男性が現れると、その女性が勢いよく抱きついた。
ロボットのパイロットの恋人だろうか、熱烈な抱擁である。
女性に抱きつかれた男性がコックピットから身を乗り出し、空中へ身を投げ出す。
ゆっくりとした落下、魔法で速度を調節しているのだろう。

「降りてきやすぜ」

「ど、どうしようカモ君、僕、スーパーロボットのパイロットに会うのなんて初めてだよ。なんて挨拶すればいいんだろう」

「いや、そんなのに会った事のあるヤツそうそう居ないから」

慌てふためくネギに、額に特大の汗を浮かべて呆れるアスナ。
二人の目の前に、巨大ロボットのパイロットと、その恋人らしき女性が降り立つ。
手にいかにもといった風のヘルメットを下げたパイロット、まだ二十代前半程度の、全体的に素朴な作りの顔つきで、しかし眼差しは異様に鋭い男性。
手には部分部分機械化された魔法の杖を下げ、和風のドレスを着た同じく二十代前半程度の、おっとりとした顔つきの女性。
なるほど、と思わず納得してしまう程のプレッシャーを備えた二人に、思わずネギもアスナもカモも姿勢を正してしまう。
そんな二人と一匹の態度を気にした風も無く、パイロットの男が軽く手を上げ、ネギとアスナを準番に指差していく。

「ええと、そっちのちっこいのがネギ・スプリングフィールドで、そっちのトップレスの娘」

男は言葉を途中で区切り、羽織っていたジャケットをアスナに投げ渡した。

「あ、ありがとうございます」

ジャケットを受け取り、自分の格好を自覚して赤面、急いで着こんでから頭を下げるアスナ。
そんなアスナに手をぱたぱたと振る男性。

「いやいや構わん構わん。で、お前さんが神楽坂明日菜でいいんだよな」

「ぷっ」

「え、はい。私が神楽坂明日菜ですけど」

男性の隣で女性が面白がるような表情で噴き出した事に疑問を感じつつ、しっかりと返答するアスナ。
そんな畏まった風のアスナとネギに、男性がその両手を差し出した。

「噂は聞いている。西洋魔法使い期待のホープと、その従者。お会いできて光栄だ」

「えぇ!? あの、その、僕はそんな大した者じゃあ……」

「私だって、巻き込まれて必死でやって来ただけで、そこまで言われる様な事は何も……」

謙遜しつつ、しかし差し出された手を受け取らない訳にも行かず、ネギはおずおずと、アスナはぶっきらぼうに、『二人同時に男性と握手を交わす』
そして、ネギとアスナ、二人の意識は、この世から永遠に消滅した。

―――――――――――――――――――

地面に落ちたジャケットを拾い、羽織りなおし、掌をじっと見つめる。

「ふむ」

ネギ・スプリングフィールドと神楽坂明日菜、二人を取り込んだ両手を数度握り締め、二人から取り込んだ有益になりそうな能力を検索する。
ネギは成長率が半端無く、魔力も馬鹿みたいに多いし、噂に聞き及ぶチート能力『開発力』が中々に魅力的だ。
神楽坂明日菜は色々不明な点こそあるものの、魔力完全無効化能力はとても魅力的だし、黄昏のなんちゃらの記憶を掘り出せば『咸卦法』とやらの使い方も引き出すことができるだろう優良物件だ。
更に先ほどマジンカイザー50越しに取り込んだリョウメンスクナ、これも凄い。なにより、これで神様系の属性をも取り込んだ事になる。神秘がどうとか言う連中にも対抗できる可能性が上がってきた。
ネギま世界の、と注釈は付くとはいえ京都観光を楽しんだ上にこれほど見事にパワーアップを済ませる事が出来るとは、いやはや姉さんの提案は素晴らしい。
とか内心でさりげなく姉さんを褒め称えているにも関わらず、姉さんは隣でまだ腹を抱えて笑っている。

「何、俺何かおかしい事した?」

立ったまま自分の膝を叩き、引きつけを起こしたかと思うほど笑い続けている姉さん。
やっとの事で笑いが薄れてきたのか、笑い顔の涙目でこちらを見ながら途切れ途切れに口を開いた。

「だ、だって卓也ちゃん、あの喋り方、ぷふぅぅー! なに、あれカッコいいの? カッコいいベテランパイロットってあんな喋り方するものなの?」

「癖なの、あれはロボ乗ってる時のキャラ作りなの!」

実際、普段の自分を知っている姉さんの目の前であの喋り方をするのは結構恥ずかしいのだが、こうもあからさまに笑われると余計に恥ずかしい。
思えばこんな感じの喋り方で洗脳メメメ辺りを誑し込んだのだと考えるとうわぁァぁもうだめだぁぁぁぁあ!!
なに、なんなの、主人公の兄貴分で料理が上手でヒロイン一人掻っ攫うとかどこのオリ主人公なの!? 安全確保の為とは言え何やってんの俺!?
俺は恥ずかしさのあまり、姉さんは笑いのツボを刺激された為に、全くベクトルの違う理由でその場で転がりまわる。
暫く恥ずかしさを消す為に転げまわり、少し落ち着いた頃、遠目に此方を見ていた桜咲刹那と、3-Aからの助っ人組が異変に気付きこちらに近く姿が見えた。
此方の状況を完全に把握したら間違いなく戦闘になるだろう。
だが、そうはならない。

「ひぃ、ひぃ、もう駄目お姉ちゃん死んじゃう、って、あら、もうタイムリミットみたいね」

まだ笑いのツボから逃れていないらしい姉さんが呟き、次いで俺と姉さんを包み込むように空間が輝きを帯び始める。
買い物途中の電車で見た不自然な光。この粗雑な作りものの世界と元の世界を繋ぐゲート。
リョウメンスクナを倒したことによるクリアか、それとも主人公二人を消してしまった事によるゲームオーバーか。
どちらにしても、あと一分もしないうちに俺と姉さんはこの世界から消え失せる。
残った連中が何を思おうが、正直な話知った事ではないのである。

「あ、美鳥のお土産、買うの忘れてた」

一応、関西呪術協会に向かう途中で八橋とかキーホルダーとかペナントとかは買ったが、姉さんの暴れ鹿の角みたいな受け狙いのジョークお土産を買っていない。
そんな俺の言葉に、姉さんは笑顔で答える。

「美鳥ちゃんは、卓也ちゃんのお土産なら鹿の糞でも喜ぶから大丈夫じゃない」

「それは余りにもおざなりすぐるでしょう……」

最近偶に姉さんが酷い。
今この場で何か、土産になりそうなものは……、あった。
白いオコジョがずりずりと引きずって逃げようとしている土産物候補を拾い上げ、オコジョを指でつまみ上げ適当な方向に投げ飛ばす。
姉さんに向き直り、その土産物を見せ確認する。

「これ、京都土産になるかは分からないけど、トリップ土産には良くない?」

姉さんは首を捻り、数度唸った後頷いた。

「うーん、正直、家の物置に何本か同じのが転がってるんだけど、いいんじゃないかしら。卓也ちゃんが拾って来たって意味ではダブりでは無い訳だし」

「よぉっし、お土産完了!」

これで心おきなく帰れるというものだ。
その場からマジンカイザーを遠隔操作で塵に変化させ、姉さんと帰った後の事を話し合いながら帰還待ちをしていると、後ろから怒気のような感情の流れが感じられた。
振り向くと、さきほど放り投げた白いオコジョ──カモがこちらを睨みつけている。

「よくも、よくも兄貴と姐さんを! てめぇらは、てめぇらは、いったい何モンだ!」

姉さんと顔を見合わせる。
改めてそんな事を聞かれるとは思わなかった。

「俺たちか? そうだな、俺達は──」

感覚的には帰還まであと二十秒も無いし、あのセリフしかありえないだろう。

「通りすがりの、押し込み強盗(トリッパー)、かな」

「覚えておかなくて構わないわよ。もうここのお宝は必要ないから、ね」

姉さんのセリフが終わり、眼を焼かんばかりの光が溢れる。
トリップ終了の合図、あるいは元の世界へのゲートが開いた証。
その光景を見ながら、あの世界での最後の言葉について少しだけ考える。
そう、俺や姉さんの様なトリッパーを他の何かに例えるなら、押し込み強盗か通り魔の様なもの。
姉さんが言っていたトレジャーハンター、遺跡荒らしという自称も頷ける。
その世界に深く関わらず、やりたい事だけやって帰って行く俺達トリッパーなんて、所詮はそんなものだ。
トリッパーが通り過ぎる物語は、けっして英雄(ヒーロー)の物語にはなりえない。
残されるのは、無残に荒らされた、あるいは綺麗に整理整頓された世界だけ。
そんな者を深く記憶に残す必要はないし、少しでも気を許す方が間違いなのだ。

因みに、元の世界に帰った後、トリップした時と同じ場所に放り出された為に川に落ちたり、駅がある処までずぶ濡れの服を着たまま徒歩で移動する羽目になったり、数日家を開けたら美鳥が寂しさのあまりぐずぐずと泣いていた為に宥めるのに時間がかかったのは、完璧に余談である。




おしまい
―――――――――――――――――――

気付けばこれまで書いた話の中でも最長の48600字オーバーの読み切り短編、『ネギま最後の日! 京都観光地獄編』な感じの第二十九話をお届けしました。

ネギま? ほとんど原作キャラが登場しない上に原作主人公二人とも死んでるじゃねえか! と、憤っているそこのあなた!
ごめんなさいとは言いません、だってこの話の主要素はネギまではなく、以下の三つだからです。

・其の一『主人公を姉といちゃつかせたい』
これは簡単ですね。そもそもこの作品自体が世のロリ、妹偏重の気風に逆らってお姉ちゃんの魅力を描きたい、という所にあるので。
拙いなりに姉と主人公のいちゃつきを掛けて満足満足ぅ。
・其の二『京都に行きたい』
凄く行きたいんです京都。
でも自分が住んでいる場所からだと遠いので、ネットや旅行カタログを眺めながら文章に起こし、主人公達に代わりに京都を堪能してもらいました。
所々描写が薄いのは資料の少なさゆえですから勘弁するか自分に京都行きの新幹線のチケットをください。
京都に行きたい、死ぬまでに一度でいいから行ってみたい。
・其の三『身も蓋も無い展開をしつつ、トリップの設定を説明したかった』
ブラスレ編は中途半端に、スパロボ編はストーリー仕立てで来たので、こんな感じのただただ主人公達が遊んで、原作キャラ達がその割りを食う話が書きたかった訳ですね。
この物語では、トリップ先の世界はそれこそネズミや猫の子供のようにぽこぽこと量産されているわけですね。その分出来損ないも多い訳ですが。

まぁつまり、第二話あとがきで書いた、もし書いてもこんな感じだよー、的なネギま読み切り編のアレンジバージョン。
原作キャラにフラグ立てるかも、みたいな有り得ない期待を寄せていた人、ざぁんねぇんでしたぁ(ギアスのロイドさん風に)
すいません、本編見て無いくせにPSPごとロストカラーズ買ってプレイしてたら、なんかロイドさんの粘っこい喋りにハマってしまって……。

以下、自問自答の代わりに本編で不明瞭な部分の設定晒し。


・『ネギまの世界』
今回の話の舞台。
実のところ、本編内で姉が語ったような不出来な世界では無く、それなりに設定の詰められた極めて現実に近い世界。
この世界の欠点は、スクナ戦でエヴァンジェリンが出撃出来ない事。麻帆良襲撃は無駄足だった訳ですね。
実はこの世界のオリ主になれなかった存在がフェイトもスクナも倒してTUEEEポする予定だったり。
微妙にアスナが畏まっていたのもそのため。ロボで無く生身で倒すと好感度が一気に跳ね上がりフラグが楽に立つようになる予定だったのです。
・『元オリ主』
実は生きている。
原作知識有りの現実からの転生体という設定のオリ主だったが、付加された能力のお陰で原作にはかすりもせず、それなりに満ち足りた生活を送っている。
その能力は【厄介事完全回避能力】とでも言うべき代物であり、本来ならばこの能力を用いて原作のトラブルを尽く片付けていく予定だったが、原作の事件にかかわる事自体が厄介事であるためストーリーに関われず物語が破綻、晴れて主人公から脱落した。
主人公の姉が麻帆良を塵と化した修学旅行三日目は、大学のゼミの研究旅行で友人や恋人ともども県外に逃れていた為に死なずに済んだ。
言うなれば、常時不幸に対してのみ発動するラッキーマン体質。
戦闘能力は高く、ありとあらゆるモノを投げ飛ばす程度の異能を持っている。
登校地獄の呪いやリョウメンスクナや千の雷や雷天ネギなど、速度的にも威力的に物質的にも本来触れる事すら出来ない存在すら投げる事が出来、戦闘があれば当て身投げ無双が出来る筈だった。
当然、そういった厄介事を完全にスルーできてしまうので使いどころは欠片も存在しない。
多分、今現在この世界で一番幸せ。
・『真・リョウメンスクナ』
術者が制御している時は術者の技量に合わせて弱体化しているんだよ!
とか、
実は遥か昔に悪神として封印された時に善の属性を封じられて知性を失ってた分パワーダウンしてたんだよ!
みたいな弁護がしたかった。
1600年前に一国で神様なんてしてた超存在が、たかだか600歳の吸血鬼なんぞに殺されるとか絶対弱体化しているんだからね!みたいな変な意地が具現化した二次創作的設定魔改造。
魔改造の果てにちっさい踏み台からおっきい踏み台に進化した。
実は法術メインのインテリ派。
・『宿に予約を入れていた一般人・千草・麻帆良の皆さん・ネギ・アスナ』
犠牲になったのだ、古くから続く犠牲、その犠牲の犠牲にな……。
・『白髪の少年』
フェイトは、粉微塵になって、死んだ。
などという事実は無く、エンディングまでに肉体を再生できなかっただけ。
ネギが居なくなった為、何事も無く計画を発動させる事ができる。
※八月二十九日追記
と、思ったら計画の要らしいアスナが主人公に食われた為難しいかもしれない。
代案くらいは用意していそう。
・『農作業を手伝うフーさん』
カプセル怪獣。
普段着は軍服からふりふりレースのドレスへ変更。
主人公が四人分のご飯を作るつもりが無い為、作業終了後すぐに再び取り込まれる。
レギュラー化の予定は一切無い。
・『和ゴス』
発音的にショゴスに似ているが反逆したりはしない。
色々と大仰な説明が付いているが、別に邪神が封じ込まれている訳でも無ければ輝いている訳でもない。
その正体は、クロックアップで過剰に時間が加速され、どこか違う、何時か辿り着くかもしれない主人公の和ゴス職人としての可能性を拾い上げて作られたコズミックホラー設定な衣装。
でも姉のトリップ作業着である魔女見習いっぽい服には性能的に一歩も二歩も及ばない。
帰還後にサポAIにも同じような物が譲渡されるが、こちらは至って一般的な和ゴス服。
ただし、それでも異端の技術が用いられた窮極の和ゴスである事には変わりないため結構高性能。
醤油をこぼしてもカレーうどんのつゆを零してもシミにならない。丸洗いOK。雑に丸めておいても皺にならない。色落ちしない。糸がほつれない。縮まない。
頼れる主婦の味方である。
・『大仏アーマー』
バーコードファイターと仏ゾーン、どちらのアーマーを思い浮かべてもいい。
自由とはそういうものだ!
バーコードバトラー全五巻、仏ゾーン全三巻、全国の古本屋にて好評発売中。
自分も男の桜ちゃんが好きです。むしろ男だからこそ逆に興奮するのです。
携帯で読み取るバーコードを見て『バイオバーコードだ!』とか思った事のあるそこの彼方はきっと自分と同期の桜。ふたなりは滅び小学五年生男子妊娠が始まるのです。
あとユンボル始まりましたね。ウルティモともども今度こそ打ち切りにならずに完結して欲しいものです。
プリンセスゲンバーとかプリンセスダンスタンとかマジ勘弁な。
・『マジンカイザー50』
オリジナルより20メートルほど大きくなったマジンカイザー。
光子力エネルギーを一度超電磁エネルギーへと変換してから使用している為、オリジナルよりも馬力は落ちる。
取り込むのに必要なさそうな武装、ファイヤーブラスターと真・カイザーブレードは最初からオミットされていたため、ブレストプレートが溶けても戦闘行動に支障が出ない。
超電磁竜巻が耳からでなく腹から出るのはアレンジの時に主人公が思いついた一捻り。
リョウメンスクナを取り込む上で一番重要な機能であった為、剥き出しの耳では無くギガントミサイルの格納されていた頑丈なスペースに収納されることになった。
大仏アーマーが壊れるとこの形態になるため、一度だけ撃墜される事が可能。
・『名前が出てないけど調べると何処か分かる京都の名店』
京都行きたい。京都で美味しいもの食べたい。
京都行きたい。
・『トリップ土産』
なんか頑丈な木の杖。落ちてた物を拾ってそのままお土産にした。
魔法発動体ではあるらしいが、サポAIも主人公も身体そのものを発動体にできる為あまり実用性はない。が、主人公が持ち帰った土産である為にサポAI自身は結構喜んだらしい。
現在はサポAIの手により解体され、主軸は物干し竿に、サイドの出っ張りは孫の手に改造されている。
喜ばれてはいるが、サポAI的にはいかにもなペナントや安っぽいキーホルダー、生八橋の下あたりの扱い。
・『生八橋』
食べたい。
因みに主人公はチョコ派、姉はカスタード派、サポAIは抹茶派である。


とかなんとか書いている内に50000字をオーバーしてしまったので、今回はこれでおしまいです。他にもネタを紛れ込ませてあるので間違い探し的な楽しみ方をして貰えると嬉しいかもしれません。
それではでは、誤字脱字の指摘、分かり難い文章の改善案、設定の矛盾、一行の文字数などのアドバイス全般、そして、短くても長くても一言でもいいので作品を読んでみての感想などなど、心よりお待ちしております。






予定は未定で例によって見切り発車な上に他作品へのトリップになる可能性をも秘めた第三部予告。


「踊り続ける様に、土を掘り、地下へ潜る。
見えぬ叫びと共に、このショベル、全て込めて」
地上のいざこざ何のその、目指せこの世の不思議の秘密。
言うなれば原作放置ルート、互いに頼り、互いにかばい合い、互いに助け合う。
一人が二人の為に、二人が一人の為に。だからこそトリップ先で生きられる。
兄妹は恋人、兄妹は家族。
──嘘を言うな!
情欲に歪んだ暗い瞳がせせら笑う。
あたしも、あたしも、あたしもっ! だからこそ、お兄さんの為に死ねっ!

次回、第三部プロローグ兼第一話

『蘇生騎』

お米サイダーは実際に売られていたが、芋サイダーは未知の味。
お楽しみに。








なお、この予告編の内容は本編とあまり関係有りません。ざぁんねぇんでしたぁ。



[14434] 第三十話「新たなトリップと救済計画」
Name: ここち◆92520f4f ID:bbe4acae
Date: 2010/08/27 11:36
季節は夏、普段は人気の無い山に無謀にもキャンプに向かう他所者の家族連れがそのまま戻って来なかったり、隣町にバイクを走らせてみれば平日昼間だというのにジャリ、もとい、クソ、もとい、うざ、もとい、無駄に活力に満ち溢れた子供達があちこちに溢れ返る時季。
そんな暑い季節、農家を営む人々、つまり俺を含む村の大多数を占める人々にとってはどういう時期か。答えは簡単、収穫の季節である。
無論、春だろうが冬だろうが秋だろうが大体年中収穫の季節ではある。
だが家で育てている野菜の大半は夏に収穫される野菜であり、更に言えば夏はあらゆる生き物の活動が活発になる時期でもあり、他の季節に比べて雑草の処理にやたらと手間がかかるのだ。
除草剤をまけばいいじゃないかと言われそうだが、総合的に見て俺と美鳥が超人的な身体能力で草むしりをやった方が時間はかからないので、節約の為にも除草剤の使用は控えている。
ささっと朝日が昇る前に作業を終えて、昼間に休憩の間に少しづつ残りの作業をするのが、日差しがきつくやる気が削がれるこの季節のお約束である。
日差し程度で体力を奪われるのかと言えば、当然奪われる。命を狙われている訳でもないのに、普段から身体を人間離れさせておくのは良くないのだとか。
まぁ、普段から楽をしていては人生も楽しくなくなってしまうだろう。
焼けつくような日差しから室内に逃れ、クーラーの恩恵に与る快感、安心感。日差しの熱さ(誤字ではない)を感じなければ味わう事は出来ないのだ。
話しを戻そう。つまり、今この季節は紛れも無く収穫の季節であり、農家にとってはかなり忙しい季節なのだ。
当然そこにある人手は家族でも使う。自分の指示に従う他人であるならなおさらだ。

「こっちの収穫は終わりましたわよ」

「アイヨー。おにーさーん、こっちは収穫しなくていいのー?」

「そっちはまだ小さいからしばらく放置。二三日もすればいい感じの大きさに育つから、帰って来てから収穫しよう」

今日も今日とて昼間から野菜の収穫、書き置きを残しておいたから、姉さんももうしばらくすればお弁当を持ってきてくれるだろう。
基本的に姉さんは夜更かしした次の日には昼ごろまで自然に眠りっぱなしだし、何も残さずに俺と美鳥だけで作業をすると、ハブられたと思って半日程いじけ続けるので、昼飯をお弁当にして持ってきてもらうという事で協同感を演出しているのだ。
上半身に熊とも鼠ともつかない可愛らしい怪生物、ボン太君のアップリケの縫いつけられた作業着(手作りらしい)を着、下には花柄のモンペ(近所の御婆さんのお下がりらしい)を穿いたフーさんが別々に積み上げられた野菜の山を指差し、こちらに顔を向けた。

「これらはどうして分けられていますの?」

「小さい方の山は家で食う分ですよ。形の悪いのが多いでしょう?」

「なるほど、形が悪くとも、味に変わりが無ければ美味しく頂けるわけですわね」

こちらのフーさん、今回は予想外の豊作で収穫に人手が必要であった為、臨時で俺の中から再出撃してもらっている。
今回は、というか、春の時も収穫の時に出て来ていた気がするし、時たま美鳥がバイト先のレジに立っている時に話し相手になっているらしい。
一応フーさんの死体と記憶情報は美鳥の中にも存在しているのだが、暇な時の話し相手として呼び出す、いや、蘇らせるのはいかがなものだろうか。
自宅に招いたりこそしていないものの、美鳥が集め無さそうでフーさんが気に入りそうなアイテムが美鳥の自室に飾られているのはその報酬なのだろう。
お陰で近所の人達に顔が知れてしまい、今ではフーさんの立場は『農業体験のついでに遊びに来る外人さん』というものになっている。
……実際、髪の毛の色があれで無ければフーさんの顔かたちは十分日本人で通るのだが、染めているという事にするとお年寄り受けが悪くなるので、日本人の血の入ったハーフかクォーターの人という設定にしてあるのだとか。

「見た目の美しさがどうなるかは些か気にはなりますけれど」

しかしフーさん、ただの可愛いもの好きの戦争狂かと思いきや、テーブルマナーなどにもそれなりに詳しく、食事のあれやこれやについても少々口うるさい。
もっとも、食事のマナーはフューリーの故郷での礼儀作法であって、そもそもフューリーが居ないこの世界の日本ではまるで役には立たない。
しかし、美的感覚は地球人と似たようなものらしく、

「まぁまぁ、別にフーさんが食うわけじゃねえから気にすんなって」

「それ、フォローになってませんわよね」

「フォローしてねぇし。当たり前じゃん」

「事実だしな」

農作業をフーさんに手伝わせる事は既に姉さんに伝えているが、それでも三人分のご飯や弁当を四人で分けるのは気に食わない。
姉さんの手料理を食べさせるには、俺のフーさんの対する友情度や愛情度や信頼度が足りないのである。
そんな事を考えていると、携帯にメールが届いた。姉さんからだ。
これからお弁当を持ってこちらに来るから、手を洗って待っていてね、といった内容だ。
俺は携帯を閉じ、フーさんに向き直る。

「そんな訳で、今回もお疲れ様でした。次は秋口に呼ぶかもしれないので、それまでお元気で」

俺の言葉にフーさんは人差し指を顎に当て、困ったような顔で首を軽く捻る。

「構いませんけど、私、貴方に取り込まれている間は死んでいるのですから、『お元気で』はおかしくありませんか?」

「たまに美鳥の相手をしている時くらいは元気でいてください、という事ですよ。この間、何か落ち込んでいたでしょう?」

言葉を終えると同時、手から触手を打ち出しフーさんの腹部に深々と突き刺す。
人払いは済んでいるし、念のために新しく作った端末に周囲を見張らせているので目撃者は居ない。
この場面を見られて『ひ、人殺し!』みたいな言われない罪を着せられるつもりは更々無いのだ。

「いえ、あれは──」

フーさんが何か言い終わるよりも早く、触手に取り込んでしまった。
美鳥に顔を向ける。何度かフーさんと雑談していた美鳥ならフーさんが何を言いたかったのか分かるかもしれない。
美鳥はきししと意地悪そうに笑い答えた。

「ありゃあれだよ、原作のスパロボJで自分の出番がすっげぇ少なかった事を知って落ち込んでただけ」

「ああなるほど、原作だと何度も出てこないもんなあの人」

そういう出番とか目だったかどうかを気にしている当たり、それほど純粋に戦争狂という訳でもないのか。
出番が少ないだけで、俺達が介入した時と同じように裏ではあれこれ手を回していたはずなのだが、意外にナイーブ人なのかもしれない。
軍手を脱ぎ、美鳥と一緒にタンクから出した水で手を洗いながら、フーさんの未だ隠れたままの趣味や正確に関する勝手な憶測を語らい、姉さんが来るまでの時間を潰した。

―――――――――――――――――――

そんなこんなでお昼ご飯の時間である。
ビニールシートを広げてパラソルで日差しを除け、外でみんなでわいわい食べるという事でお弁当の作りはピクニックっぽい内容である。
大量のおにぎり、味付け濃いめのから揚げ、胡瓜の浅漬けに、甘ぁい卵焼き、そして水筒にはキンキンに冷えた麦茶。
男らしい、というより、小学校の運動会の様な潔い内容である。栄養バランスは夕食で補えばいい! という激情が伝わって来るようだ。
おにぎりは昨日日本昔話を視た美鳥のリクエストでやたらデカく作られており、一つに付きご飯一合は使われているだろう。
具は無しで、薄めに塩がついている程度、他のオカズにとてもよくマッチする。
生姜や大蒜などで豪快に下味の付けられた唐揚げ、これもデカイ、握りこぶしの半分くらいある。
箸でつまみ齧ると外の衣はガリっと気合いの入った歯応えで、中の肉は柔らかく肉汁がじゅわっと溢れる。とにかく食べると力の湧いてくる味だ。
そして箸休めに胡瓜の浅漬け、これは縦に半分に切られた胡瓜を四センチ程の長さ毎に切ってあり、それほど塩気も無いのでこれを合間に挟むと唐揚げの油っぽさが流れ、さらに良く箸が進む。
塩辛い味に飽きてきたら卵焼きの出番だ。
お弁当に入れるという事でとろっとしてはいないが、それでも中身はしっとりとした舌触りで、砂糖と卵の甘さが優しく舌を癒してくれる。
一気に喰らい尽くし、〆は麦茶で流し込む。氷を入れ薄まる事を考え濃いめに入れてある麦茶は、食事が終わる頃になると温度と濃さが絶妙なバランスになっているのだ。
紙コップに入った麦茶をごくごくと飲み干し、溜息。

「満腹寺……!」

思わずして何時でも傍に居る素敵な誰かのその名を思い出さざるを得ない。
虚無に満ちた腹の内部空間が食欲の幸福に満たされ、一瞬にして意識が涅槃へと導かれる。
どこまでも白い空間に、荘厳な作りの柱が延々並び立っている。
外を見れば一面黄金色に輝く大豊作の小麦畑。
風にそよぐ黄金の稲穂の中を、呆けた古狸が若い変化の術の使えない狸を率いて踊り念仏の教祖に収まっている。
これが、ヴァルハラ……!
キツネやタヌキはともかく、変化のできないウサギやイタチは自力で姿を消せるのか。
消せる、消せるのだ。
ミラージュコロイドを搭載したイタチやウサギのサイボーグアニマルが自らの力で姿を消し、地上人の手の届かない地下世界、ラで始まりギアスで終わる感じの異世界に独立国家を建設した!
数十年ぶりに地上に戻ったキングサコミズ(捨てペットが野性化したフェレット、元の名はU-乃君)は人間文化にすっかり迎合した狸達に憤怒の情を覚え、砲撃とお話(戦意が無くなるまで繰り返し殴り倒してから耳元に怒鳴りつける感じのニュアンス)を司る邪神ナノルクルスの力を持って地上に破壊と混乱をまき散らそうと計画する!

「この羽根は、俺だ! 子供の頃の、俺達だ!」

俺の脳内にて絶賛放映中止中!

「卓也ちゃん、ごちそうさまは?」

「ごちそうさまでした」

トリップしていないのに脳内だけトリップしていたらしい。姉さんの笑顔で正気に戻った。
昔から笑顔で迫る姉さんには逆らえた例が無いのである。
しかし、こういう時の姉さんの有無を言わさない迫力、ゾクゾクするねぇ。

「さすがお姉さん、お兄さんの操縦がうまいなー、あこがれちゃうなー」

もっちゃもっちゃとおにぎりを咀嚼している美鳥が尊敬の眼差しを姉さんに向ける。
口を閉じおにぎり食べながらあそこまで普通に話せるのは、肉体の一部をスケイルモーターとスピーカーを融合させた特殊な発声器官として用いているからなのだとか。
その証拠に、今美鳥の首筋には細かい鱗のような物が薄く生えており、なんだか竜人属性無いのに少しドキドキしてしまう。
この鱗っぽい器官を指先でフェザータッチすると、擽ったそうにして逃げようとするから、最近は俺も姉さんも美鳥の首筋の鱗に夢中なのである。
お陰で最近は飯時以外は美鳥の笑い声というか嬌声が家の中を響き続けている。
そこまでされてその鱗っぽい副発声器官を引っ込めないあたり、本当は美鳥も俺と姉さんに触って欲しいのだろう。乙女心は不思議に満ちているらしい。
流石は生まれながらの総受け属性持ち。最近は俺と姉さんが意図的に鱗っぽい器官に触れないでいると、さりげなく此方に首筋を覗かせて、何気ない風を装いながらも頬をうっすらと染め、期待に満ちた視線をちらちらと送ってくるのだ。
趣味的過ぎて無駄な技術と思うなかれ、こういう技術の積み重ねが何時か素晴らしい新技術に生まれ変わるかもしれないのだ。
それに、こうして行われる家族の団らんというのは、姉さんと俺だけの家では中々出来なかった。姉さんもかなり乗り気なようで、最近は何故か融合する事も破壊する事も出来ない不思議拘束具を探している。
倉庫に上半身を突っ込んでその形のいい尻を振ってまるで此方を誘っているような姉さんを見ると、美鳥総受けで俺と姉さんの全力攻めというのも悪くないと思えてくるから不思議だ。

「うふふ、それほどでもないわ」

余裕の笑みで尊敬の言葉を受け取りながら、美鳥の口の周りに付いている米粒を取ってやり、空に放り投げる。
都合良く通りかかった小鳥がすれ違いざまに投げられた米粒を咥え何処かに飛んで行く。
このように姉さんの行動をフォローするかの如く時たま現れる小動物は姉さんのトリッパーっぽい特殊能力の一つ『何故か無意味に小動物に好かれる』が発動しているのだろう。
どこぞの下界にバカンスに来た聖人の片割れの如く、事あるごとに野生の獣が姉さんのフォローに現れないのは基本的に人徳で動物が寄ってくる訳では無いからなのだろう。
その証拠に、一見様の獣は姉さんから距離を取って観察を始める。
が、姉さんがその遠巻きにしている獣にニコリと微笑めば飼いならされた犬並みの忠誠心を得てくれる。
この世界の人間には効かないが、人間よりもやや精神耐性の少ない野生の動物や、トリップ先の現実よりも情報量が少なく構造も単純な登場人物達ならばその気になればいくらでも懐柔できるらしい。
噂に聞くニコポ、いや、ある種の洗脳というべきか。
俺がナノマシンを一服盛るという手間を掛けて行うそれを、姉さんは表情筋ひとつ動かすだけで完了してしまうのである。
全力で懐柔しようという意思を込めて微笑めば、姉さんの視界の中に居る全ての存在を洗脳できるという話も聞いている。
並みのニコポではない。通常のニコポは相手にその微笑みを見せなければ発動しないというのに、姉さんのニコポはその微笑みを向けられた、という事実が存在すればそれでポされてしまうのだ。
洗脳、いや、○○ポ一つとっても俺とまるで格が違う。
訓練付けて貰っている時に強化ジェネシスで火傷一つ負わなかったり、何の防御も無く核ミサイルの絨毯爆撃からの分身してのブラスターボルテッカ連打、数十体に分身した状態から絶え間なく放たれる烈メイオウと相転移砲を喰らいながら服(普段着にエプロンだけの私服)に汚れ一つ付いていないどころかスカート一つ捲れない時点で気付くべきなのだろうが、それでも凄いものは凄い。
早く俺も一人前のトリッパーになって姉さんを安心させたいものだ。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

午後、農具を畑の脇の小屋に置き、収穫した野菜を持ち帰ったらお仕事は終了。
この時期に日が真上にある時間帯にわざわざ働く農家はMかモグリさんだけ、殆どの農家は日が昇る前にきつい作業を終わらせて、日が出ている間はそれほど苦にならない軽い作業をこなすのだ。
そんな訳で、居間でクーラーをガンガンに効かせてのんべんだらり。
いや、ただただゴロゴロと転がっている訳では無い。

「こうやってただ寝っ転がっているようで、今の俺から溢れる清浄なゴッドパワーがマイナスイオンもビックリな空気清浄効果を」

「溢れる、っていうか、漏れる、っていうか、滲んでいるっていうか……」

「しょっべぇごっどぱわぁ(笑)っすね」

そう、四月頃のネギま世界で取り込んだ大鬼神リョウメンスクナ、その力の源である神氣をどうにかしようとしていたのである。
不思議な事にこの神氣、直接相対した時の数万分の一も取り込めていないのである。
……まぁ、取り込んだ時点で大分弱っていたし、あの超電磁スピンを両手で押さえ込むのに神氣を割いていたせいで、取り込む頃には残りカス程度の神氣しか残っていなかったと考えるのが妥当なのだろう。

「まぁ、そもそもリョウメンスクナなんて神様としてはマイナーどころか頭に『元』が付いちゃうような妖怪もどきでしか無いもの。あれは神様系のとっかかりには丁度いいけど、あれから奪った神性だけで戦い抜いて行けるほどトリッパーの世界は甘くないわよ」

チョコチップ入りのスーパーカップを穿っていた木べらをふるふると前後に振りながらの姉さんの注意。
トリッパーの世界ではリョウメンスクナの神性も新ダンジョンの初期装備レベルの扱いらしい。

「ぬーべーにもゲゲゲにもうしとらにも出て無かったしなー」

美鳥がバイト先から買ってきた心霊現象カードを開けながら投げやりに言う。
ネギま世界トリップ後のアップデートで神氣を手に入れた事により霊体を知覚、接触できる様になったので、ホラー系のネタが多い季節の内に幽霊の類を触ってみたいのだとか。
今は心霊写真を見ながら、幽霊の当たり判定の割り出し作業をするのがマイブームらしい。

「お前のマイナーとメジャーの基準は分かるようで分からんなぁ」

うしとら基準だと下手な神様より九尾の狐の方が強そうだぞ。
しかし、姉さんの話ももっともだ。日本に転がっている神様というのは、妖怪とかの化け物との違いが曖昧なのだ。
地方の山の中にある古い社などの一部は、現代では妖怪として知られているような連中もいる。
逆に、妖怪もある程度の信仰を集めれば何時の間にか神様に格上げされていたような時代、あるいは世界観もあるのだとか。
その理屈で言えば、リョウメンスクナにあれほどの神性が残っていたのは奇跡と言ってもいい。
何しろ彼(彼女?)は悪神、というか、化け物の一種として討たれ、もはや信者など地元の飛騨含め、この世界のどこにも存在しない。
討たれてから千六百年の間しっかり封印されたことにより逆に力の消耗を抑え、大鬼『神』という冠を載せられる事で信仰とは逆属性のエネルギーを得る事が出来たのかもしれない。

「エネルギー密度として考えると、大仏の指先とか腹の一部とかの方が凄かったりするのがまた。あと台座」

起き上がり座布団に座り、神氣をリョウメンスクナの物から大仏の物に切り替える。
途端、先ほどまでの全身を薄らぼんやりとした神氣から、身体の極々一部と、俺の座る座布団に荘厳な気配が宿る。

「おお、お兄さんの座布団からさっきまでのお兄さんとは比べ物にならない程のゴッドオーラが」

「ふふふ、凄かろう」

この状態で何かしらの敷物に乗っていれば、ゴッドパワーとかアガペー的なあれによって、特殊な装置や能力無しで『光って浮く』程度の事が可能になるのだ。

「あんまりやると座布団が使命を帯びたような気合入ったデザインになるから止めてね?」

「うん」

俺の属性的にチクタクマンとかギアとか鈴の音が聞こえる長距離ビームライフル装備MSの下のアレみたいな座布団になりそうで期待度がウナギ登りだが、座り心地は悪そうなので神氣を抑える。
溜息。
最近は本業である農作が忙しかったとはいえ、せっかく手に入れた力の修練を怠ったのでは何時まで経っても強くなれない。
確かに、神鳴流はマスターした。ネギま最新刊までのネギが覚える魔法も闇の魔法の習得が前提となる物以外はすべて習得したし、咸卦法も、まぁ使いどころが無いが一応完璧にマスターした。
だが今さらそんな小技を覚えた所で大した戦力アップには繋がらないのだ。
必要なのは、今まで手に入れてきた力『科学の力』とはある意味で対極に存在する『神の力』だ。
神の力、神秘の力と言い換えてもいい。
自然発生したその力は、人類が英知を結集して作り上げ、金の力をつぎ込んで可能な限りの改造を施した科学の巨人をあっさり上回りかねない理不尽の塊。
トリップという理不尽、トリップ先に潜んでいる理不尽、トリップ先に待ち構える理不尽。
それらを踏み越え呑みこみ喰らい尽くす事の出来る、大理不尽の力、それを手に入れなければならないのだ。
考えこんでいると、頭をてしっ、と掌で軽く叩かれた。いつの間にか少し俯き気味になっていたらしい。
顔を上げる。姉さんが頭を叩いたのとは別の手でサムズアップしていた。

「だいじょうぶ! 卓也ちゃんのそんな悩みも、お姉ちゃんと美鳥ちゃんが選んだ次のトリップ先に行けばいっぺんに解決できちゃうんだから!」

バチコーンと効果音が飛び出そうな程美事なウインク、惚れた。既に惚れているけど、子供の頃から惹かれていたけど。
しかし、サムズアップ。
あの姉さんが、古代ローマにおいて『満足できる・納得できる』行動をした者にのみ与えられたと言われる仕草をするとは。
今度のトリップ先はかなり満足できそうな予感がする。

「それに今回は美鳥ちゃんの気合の入り方が違うから、かなりいい感じのトリップになると思うの。ほら、最近美鳥ちゃん特訓部屋に入り浸る時があるじゃない」

「あぁー、言われてみれば、なんか特訓部屋で髪色金に変えた分身と組手してたような」

しかも分身体は一人称を『あたし』から『あて』に変える徹底ぶり。能力も仮想敵と同じ程度の物に固定して。
毎回最終的に金髪の分身がズタズタのバラバラになって終わるんだよなあの組手。組手っていうか、なんか儀式じみている様な気もするが。
確かに、ズタズタになった自分の分身のグシャグシャになった金髪を掴み上げ首を切り落とし、生首を天に掲げてプレデター張りの雄叫びを上げる美鳥からは今迄に無い迫力を感じた。
あの気合いの入れようと来たら。今回のトリップ、一波乱起こりそうな予感もするぜ……。

「なになに何の話ー? なんか褒められてる気配がしたような気がするんだけどー」

重量感のある巨大なボウルと三本のスプーンを持った美鳥がこちらに早足に駆けてきた。
普段はこんな無邪気な美鳥が、自分とまったく同じ顔の分身を初期の筋肉マンの残虐超人も真っ青な残虐ファイトでズタズタにできるのだ。
全く持って頼もしい限りである。

「美鳥ちゃんはいい子だねー、って話をしていた所、ねー?」

「うん、美鳥は便利な奴だなぁと」

「うへへ、褒められてもこのボウルの中のゼリーが増殖するだけだぜ? DG細胞で」

がんばれドモンくんとは懐かしい。ていうか便利な奴も褒め言葉に入るのか……。
結局DGゼリーはそれぞれ5リットルほど食べた辺りで飽きが来てしまい、更にゼリーの増殖速度が加速し収集が付かなくなってしまったので、姉さんがどこからか引っ張ってきた宙に浮かぶ楕円形の銀のゲートに廃棄した。
なんでも形成されかけていたトリップ先の世界で、修理したてっぽいノートパソコンを抱えたツンツン頭の少年を追いかけていた設定魔改造召喚ゲートらしい。
ファーストキス(メロン味)から始まる一人と、多分30リットルくらいの恋?のヒストリー。
運命にかけられたのは魔法というよりも呪いの類だろう、召喚ゲートをくぐって現れたのが一分毎に2~5倍程に膨れ上がるプルプルした何かとか絶対に話が破綻するしな。
せめて食用になる際に封印された自己進化機能が復活してくれれば話は違うのだろうが……。

―――――――――――――――――――

ゼリーを召喚ゲートに流し込み、それからまたゆったりとした時間が流れる。
何だかんだであれだけ大量のゼリーを食べたからみんなお腹がいっぱいになってしまっていたので、夕飯はいつもよりも遅めの時間に食べ、消化がいい感じに終わった辺りでトリップの説明開始。
俺と美鳥は脇に荷物の詰められた鞄を置き正座で待機、姉さんは学帽にメガネに白衣、手には指示棒の説明スタイル。
前回の説明時は在庫の切れていた白衣を隣町の駅前にある白衣専門店で購入しておいたので、今回は完全無欠のフル装備である。
姉さんはフレームの小さいメガネ(伊達)を中指でくいっと持ち上げる。

「それでは、これから卓也ちゃんと美鳥ちゃんをトリップさせるわけだけど、その前にお姉ちゃんから言っておく事があります」

「うん」

「あいあい」

頷く俺と美鳥に、姉さんの指示棒が突きつけられる。

「二人とも、ちょっと悪事働き過ぎだと思うの」

「え?」

「ハハッ」

思わず聞き返してしまった。姉さんを指差しながら千葉ニーランドの黒ネズミっぽい裏声で短く笑った美鳥の頭は消し飛んで即座に再生を始めた。
『悪事を働き過ぎ』
何かの暗号かとも思ったが、姉さんはそんな回りくどい真似は嫌いなので恐らくそのままの意味だ。
多分前回のスパロボJ世界へのトリップでの事を言っているのだろうが、あれは多分に不可抗力という物を含んでいた訳で、決して好き好んで悪事を働いていた訳では無いのである。
姉さんは指示棒の先をくるくると回しながら続ける。

「確かにトリップ先の連中の生き死にだの幸不幸だの、そんな物は卓也ちゃんや美鳥ちゃんやお姉ちゃん達の人生になんら影響を及ぼさないわ。でもこれからの人生でたくさんトリップをする以上、いろんなやり方を覚えてもいいと思うの。同じことばっかりやってても飽きちゃう訳だし」

なるほど、確かに一理ある。
俺のこれまでのトリップは、何の先導も無い初心者トリッパーならばまずしないような選択の連続だ。
初心に帰って、訳も無く原作に介入するべきかしないべきか悩む素振りをしたり、苦心の末にストーリーに介入する決心をしたふりをしたり、とりあえず巨大な組織に対しては無闇にアンチ的な素振りで行動したりすべきなのかもしれない。
無意味に尊大な態度で相手を無駄に貶めて大した理由も無く自己正当化してみるのも捨てがたい。

「はいせんせー! それって例えば、やっぱり死ぬはずだったネームドキャラとか生き残らせてみたりすればいいんですかぁー?」

頭部の再生が完了した美鳥が元気よく手を上げると、姉さんは我が意を得たりとばかりに大きく頷く。

「そ、まさにそんな感じね。そこで! 今回は原作では死ぬ筈だったネームドキャラを最低で『三人』救って貰います!」

「おお! いかにもトリッパーっぽい!」

俺の感嘆の声に姉さんはえっへんと得意げに胸を張りふんぞり返る。
強調される胸部、白衣を押し上げる胸!
ああ、今気付いたけど、白衣の下は普通のシャツとかじゃなくてワイシャツだと尚いいかもしれない。
姉さんの胸のサイズならほんの少しサイズの小さなワイシャツを着てくれればボタンとその周りの布の張りつめ具合が姉さんの魅力を更に引き出してくれるに違いない。
帰ってきたらワイシャツを用意して進言してみよう。
そんな事を考えていると、ふんぞり返っていた姉さんが元の姿勢に戻り、背後から一つの箱を取り出した。

「しかも今回のトリップ先はこれ、この通り死人がぞろぞろ出てくるから三人救うとかタイミングを選べば楽勝なの。トリップ自体はもう回数こなしてるのに典型的なトリップは初めてな卓也ちゃんにはぴったりね」

黒の筆字で雄々しくタイトルの書かれた木の箱、通販で予約を入れてまで手に入れた初回限定版である。
もう半年以上前にクリアしてしまったが、それでもその斬新な好感度システムと主人公の様々な変顔が記憶に残る名作である。
しかしなるほど、確かにこの作品ならやたら強い上に現役で信仰を集めまくり、しかもそれ自体に意思は無いから吸収も容易なとても都合の良いターゲットが居る。
それ以外にも特殊な剣術槍術、あるいは合戦礼法など魅惑の技術が盛り沢山。
しかも銃砲火器などの軍事技術はさして発展していないので、後々軍の基地を巡って兵器の収集をする手間が必要無いのだ。

「ふふふ、この作品は卓也ちゃんのお気に入りだから、向こうで何をすればいいかは理解していると思うから説明は省くわね。念のため言っておくけど、今回はスパロボ世界の時みたいに戸籍や身分が用意してある訳じゃないから、そこら辺は美鳥ちゃんと創意工夫すること」

「オッケー姉さん、俺、きっと立派な神様になって帰ってくるよ」

立ち上がり、姉さんとがっしりと抱きしめ合う。
たっぷり10分ほどくっ付いたままでいると、隣から視線を感じた、美鳥だ。
ぼけーっと口を開けた間抜け面でこちらを眺めていた美鳥は、俺の視線に気づくと目を輝かせながら期待の視線を向けつつ聞いてきた。

「キスしないの? ねぇねぇキスとかしないの?」

それに、姉さんが更に俺を抱き寄せながら答える。

「ふふふ、卓也ちゃんとお姉ちゃんは心で繋がっているから大丈夫なの、心で繋がってるからね!」

「おぉー、あたしはてっきり最近連日連夜肉体面で繋がりっぱなしだったから控えているのかと」

「歯に衣着せないねお前も」

互いに腕を放し、再び木箱に向き合う。
姉さんが軽く指示棒を振ると、木箱の表面におなじみとは言えないまでもこれまで二度お世話になった異世界転移魔法陣が現れる。
魔法陣に美鳥が駆け寄り、一度姉さんに振り替える。

「お姉さん、お土産は岡部の髑髏の杯でいいよね?」

「ええ、あとお姉ちゃんお酒駄目だから芋サイダーもよろしくね」

「よっしゃぁ任されたからケースで買ってくる! 行ってきます!」

美鳥が魔法陣に向かって頭からダイブ、俺は姉さんに向き直る。
姉さんは俺の視線を受け、少しだけ頬を染めそっぽを向きながらしどろもどろに応える。

「だって、ね? あの世界はそんなに行った事無いし、試しに飲んでみた芋サイダーが斬新で結構美味しかったけど自分で行くほどの物ではないし、ね?」

「うん、じゃあ俺も土産は芋サイダーでいい?」

背中を物凄い力で叩かれた。
少し前の俺であれば、平手から背に伝わる破壊エネルギーが肉体を駆け巡り細胞の一片に至るまで粉微塵に破裂させていたことだろう。
たたらを踏み、荷物を抱える様にして背中から魔法陣に接触、手を振り抜いた姉さんの姿。

「卓也ちゃんは、とりあえず自分の強化を第一に考える事。春先のネギまの時とは違って、今回はそっちがメインなんだから……」

呆れたような口調で、照れを含みつつもしょうがないなぁとでも言いたげな表情でこちらを見送る姉さん。
それでも、呆れつつも優しげな笑みで、こちらに手を振る。

「いってらっしゃい、土産話、楽しみにしてるわね」

後頭部から魔法陣の中に落ちる。
海の様な、宇宙の様な、何か不思議な物に満ちた空間。
最下級の上に元が付くようなものとはいえ神の視点を手に入れた今なら分かる。
この空間に満ちる不思議な何か、宇宙の元であり宇宙のなれの果てであり、ありとあらゆる可能性を秘めた空間と時間其の物のプール。
なるほど、こんな物を間に挟んでいる以上、元の世界と作品世界の行き来は並みの術理ではなし得まい。
根本的に、作品世界内部とは世界の理論が違うのだ。格が違うのだ。密度が違うのだ。
何の媒介も無く作品世界の存在がここを通りぬけようものなら、一瞬にして押しつぶされこの『宇宙の元』に還元されてしまうだろう。
空間に満ちるそれらに見惚れていた俺の手を、小さくやわらかな手が握り締める。
美鳥の手だ。
しかし、その美鳥もまた、ある一点を凝視して固まっていた。
遥かに下、作品世界への入口。
入口から、俺達を誘うように歌が聞こえる。

《生命よこの賛歌を聞け笑い疲れた怨嗟を重ねて》
《生命よこの祈りを聞け怒りおののく喜びを枕に》

頭にじくじくと響き渡る歌声、精神汚染波。
人の様で人で無い、生きているようで生きていない、そんな俺達だからこそこうして呑気に聞いていられる魔性の音色。
美鳥がこちらの手を更に強く握りしめた。
美鳥の表情は、今、喜悦に歪んでいる。

「いい、歌、だね」

「ああ」

正直、歌詞の内容はさっぱりと理解できない。
だが、この歌に乗せられた思い、これには少しだけ共感できる様な気がする。
最も、俺は既に手に入れている側なのでそんなおこがましい事を口にできる訳が無いのだが。
歌を聞いている内に入口が近づいてきた。
それほど高度は無く、青く節のある植物が生い茂っている。
てっとり早く言って竹林の中で、そこには何かで伐採された跡の様な広場、周りには伐採された竹が散乱している。

「今までのパターンから考えて、物語序盤に出るんだよな」

「いひ、最初からいきなり救済イベント発生の予感じゃね?」

鴨が羽根を毟られ臓を取り除かれ血抜きをされた状態でネギを刺され鍋に入れられて目の前に転がっている、といった処か。
目標を取り込みに向かう前に、一発人助けをしてからこの世界での活動を始めるとしよう。
俺と美鳥はゆっくりと、物音ひとつ立てる事無くその世界へと突入した。




つづく
―――――――――――――――――――

プロローグと第一話は分離します。
だって統合すると姉の出番がますます少なくなってしまうから……。
そんな第三部プロローグをお送りしました。

多分第三部は三話から五話程度の中できっちり納められると思います。思い付いたネタが少ないので。
ノリ的にはストーリー仕立ての第二部よりは本筋放置の第一部のノリに近い感じで。
大々的にストーリーの乗りこみはしないけど、時たまストーリーの一部に顔を突っ込んで少しだけ原作から筋を逸らす感じで行こうと思ってます。
やや一部寄りのハイブリッドと考えて頂ければ幸いです。
あ、でも暗闇星人さんが変顔で奇声を上げるシーンはちゃんとあるのでご安心ください。
なにしろ救済物ですから。

そんな訳で、第三部のテーマは『死者の数を少なくする』です。理由は本編で姉が言った通りマンネリ回避。
なんかこう、べたべたー、って感じの救済物を書けたらなぁと思うとります。
死人多いからチャンスは沢山ありますから、拾う肉には困らないという事で。

そんなべたべたを目指す第三部第一話である三十一話は、原作だと死にっぱなしの人が生き返って決め台詞言って悪人を倒す感じのありがちな話になります。
多分本題はしっかり書いても一万字前後で終わっちゃうから、暗躍する主人公達のやり取りで分量少し水増しかも。できるだけ早めに出せればいいなと考えております。

それでゅわ、誤字脱字の指摘、分かり難い文章の改善案、設定の矛盾、一行の文字数などのアドバイス全般、そして、短くても長くても一言でもいいので作品を読んでみての感想など、心よりお待ちしております。



[14434] 第三十一話「装甲教師と鉄仮面生徒」
Name: ここち◆92520f4f ID:bbe4acae
Date: 2010/09/03 19:22
彼は破壊を求めたわけでは無い。
彼の精神構造はそこまで未熟ではなかった。
あくまでそれは、真の願いが叶えられないものであるが故の代償行為。
彼が欲したのは、おそらくは永遠と呼ばれるもの。
しかし、当然の事ながら彼にそれは与えられなかった。
誰も永遠を生きる事は無い。
古くから歌われる世界の真実に逆らう事は出来ない。
真に麗しく、真に美しきものこそが、なによりも早く滅びへと突き落とされる。
ならばせめてと、自らの手でそれを壊した。
幼稚だったわけでは無い。
真綿で圧殺されるような緩やかな絶望の中、知恵と心を巡らせた彼は、彼自身が最も忌み嫌う世界の一部に自ら組み込まれた。
つまるところ、どうしようも無いほどの、弱虫だっただけか。

―――――――――――――――――――

最悪な目覚めとは、いったいどのような目覚めの事を言うのであろうか。
とある少年は『寝ている最中に足を攣り、その痛みによって目覚める事』だという。
細かい説明を端折り要点のみを掻い摘んで言えば、『爽やかであるべき一日の始まりに、痛みに足を引き攣らせている自分を発見する』という部分に集約されるらしい。
なるほどそれは酷い目覚めだ。少なくとも日常生活の中でそのような目覚めを得たのであれば、そこに何かしらのプラス感情を得る事は不可能だろう。
さて、では『悪夢からの目覚め』というのは最悪な目覚めと言えるだろうか。
一般的な意見を言えば、それは決して悪い目覚めではない。最悪どころか安堵の感情でみたされるのではないだろうか。
少なくとも、目覚めた後に待ち構える現実が、その悪夢よりもましなものであったのならば。

人里離れた山奥の、更に地下深くに存在する大空洞。そこに、幹から枝、葉に至るまで余さず鉄色の鱗に覆われた怪植物が存在している。
怪植物、いや、より正確に言うならば植物の機能を有した怪生物の生態を模した微小機械の塊。
その幹に相当する箇所に、ほぼ球形の瘤が盛り上がっていた。
その瘤が、びきんと音を立て罅割れ、砕ける。
砕けた瘤の中から、輝きを帯びた透明な緩い膿の様な液体がぞるぞると流れ出し、次いで、襟の紅く染まった学生服を着た少女が姿を現す。
満たされていた液体の生み出す浮力により立たせられていた少女は、流れだした液体の水溜りの中に膝をつき倒れこむ。

「う、っげ、お、ぇぇええぇぇぇ」

水溜りに膝をつき手を付き四つん這いのまま、目からは苦悶による涙を流しながら、その口からはびちゃびちゃと、腹の中を満たしていた液体を吐き出す。
今まで決して口にした事の無いような味のそのやや粘性を持った液体は、彼女の胃や肺までを余さず埋め尽くしていたのである。
だが、彼女がその液体を、内臓がひっくり返るような勢いで吐き出しているのはそのせいでは無い。
肩の上、丁度『首の半ば』程で栗色の髪を切り揃えられたその少女は、腹の中から吐き出す物が無くなると同時、何かを確認するように自らの首に掌を当て、指でなぞり、何かの痕を探り出す。
蒼褪めるという表現では生温い、蒼白な顔は恐怖に歪み、歯はガチガチと打ち鳴らされ、傷一つ無い自らの首を確認すると、その場にへたり込んだ。
首に傷痕一つ無い。それはおかしい。
それは、現実と矛盾しているのだ。

「わ、わた、わたし、は」

覚えている。
首を撥ね飛ばされ、地面から逆さまに見た世界を。
意識が途絶える瞬間、確かに見たのだ。
月を天に仰ぎ、『首の無い自分の身体』と、黄銅色の鎧武者の姿を。
思い出す。
一瞬で首を撥ね飛ばされるから痛みは無い、死んだ事にも気がつかないなんて嘘っぱちだ。
思い出す。
あの瞬間、竹林の中で、わたしは確かに感じたのだ。
思い出す。
首の皮を裂き、筋を断ち、神経を貫き、首に侵入してきた刃金の感触を。

「死ん、で……!」

思い出し、何も入っていない腹から再び何かを吐き出しそうになり口元に手をやろうとすると──

「そう、君は確かに死んでいた」

唐突に、頭上から声が掛けられた。
重々しいようでいてどこまでも軽薄で、相手の事を思いやるように軽んじているような不思議な声。
そして、どこか逆らえない雰囲気を滲ませた、頭に、身体の芯に沁み入る様な声。
顔を上げ、声の主の姿を探す。

「だがしかし、一度死んだ君は、俺の手によって黄泉帰った」

声が反響してどこから聞こえてくるのか分からない。
それにこの場所は光が少なく、声の発信源を見つける事が出来たとしてもその姿を目に入れる事は出来ないだろう。
落胆する。
何故だか、いや、命を救って貰ったから当然か、自分はこの声の主に向き合い、礼の言葉を告げたかったのだ。
いや、正直に言おう。
わたしは、この声の主に、頭を垂れて跪きたい。
産まれてこのかた、このような感情を抱いた事は一度たりとも無いというのに、この感情に、気持ちに、疑問を持つ事すら出来ない自分が居る。

「それもただの人間としてでは無い。君は生まれ変わった。生半可な武者にも負けない、無敵の戦士として」

そう、そうだ。
暗闇? 反響? だからなんだ。今のわたしは、そんな物で目を晦ませたりはしない。
よくよく眼を凝らせば、当然の様に闇の中をはっきりと見渡す事が出来る。
音が、空気の振動がどこを何回跳ね返り耳元に届いているかが理解出来る。
主が、自らの『』がどこに居るのかなど、五感に頼るまでも無く理解し終えている!

「テッカマン・ブラスレイターとして!」

顔を上げる。
見える、見えるのだ。
この暗闇の中で、尚暗く、しかし目を焼く程に、黒い太陽の様に眩く光り輝いている!
常人の目には映らぬ域にある波長の光で、この暗闇を照らしている!
此方を見下ろす、その姿を!
それは人で、それは山で、そのどちらでも無く、一言で言い表すならば──

「あ、あぁぁ」

赤子の漏らすような、嗚咽。
ぼろぼろと、見上げる瞳から涙が零れる。
共鳴により、少女の全身に紅い光のラインが走り、その全身を異形の身体へと組み替えていく。
血液中に流れるナノマシン、ペイルホースが汗腺を通じて皮膚上に排出され、空気に触れ崩壊を始める前に互いに結合し、人間の肉体を鋼で鎧う。
体内のペイルホースは筋組織、神経系、心肺との融合を初め、脆く脆弱な肉体を宇宙空間ですら活動可能な強靭な肉体へと作り替えていく。
肉体の組み換えが終わり、ドレスを纏った道化師の様なシルエットを持つ異形、ブラスレイターのタイプ29『アスタロト』へと変じた少女が、跪き、祈りを捧げる様な敬虔さを持って、呟く。

「かみ、さま」

悪夢から目覚めた現実もまた悪夢。
しかし、それを悪夢だと認識しなければ、それは存外に心地よい目覚めなのかもしれない。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「ふむ」

再び誰も居なくなった大空洞の中、奇妙な男が一人佇んでいた。
その男は腰から下を金属質の木の幹の様なものにめり込ませ、溶け込むようにしてそこに存在していた。
この大空洞、ここから更に地下へと根を伸ばす巨大な力の塊、それを統括する頭脳として男は組み込まれている。
いや、それも少し違う。巨大な力の中に組み込まれているようでいてその実、その男が主体となってその巨大な力をゆっくりと取り込んでいるのだ。
男は今さっき少女が吐き出された怪植物の残骸を手から伸ばした触手で手繰り寄せながら、少女の消えた天井の穴を見つめて、ぽつりと呟いた。

「あれは、ちょっとキモいな、狂信的過ぎる。やっぱり即席は駄目か」

手繰り寄せた怪植物、総DG細胞造りのラダム樹、テックシステムを弄びながら、下半身を力の塊、金神魔王尊と融合させた男、鳴無卓也は考える。
ラースエイレムで真改の時間を停止させ、首を切断されて死んでいた少女の死体を死亡直後に手に入れ、作中の教授の言葉と次元連結システムのレーダーによって得た情報を元にこの場所にたどり着き、少女の蘇生及び強化を始めたのがトリップ初日。
二日目に魔王尊との融合を開始、完全な取り込みこそ完了していないが一応支配下に置いたのでテストとして、少女を改造中のテックシステムに魔王編ラストで空から降り注いだ光の雨、劒冑の基となる魔王尊の身体の一部を組み込んだ。
そうして三日目の昼に復活した少女、その身体に、命の一部を分け与えられたのが原因と見られる刷り込み染みた崇拝の感情。
それが、死した肉体をブラスレイターとして、テッカマンとして、生体甲冑(リビングアーマー)として修復された少女に与えられた新しい感情だった。

「でもまぁ、これで一人目の救済完了、と」

触手がテックシステムを締め付けると、ガラスの割れる様な音と共にテックシステムが砕け散る。
即興での改造故か、金神の力に耐えきれなかったか、はたまた初期フォーマットから戦闘用テッカマンへのフォーマットまでを僅かに二日弱にまで短縮したが故の負荷故か、テックシステムはその強度を著しく下げていた。
砕けたテックシステムの破片がどろりと液状化し、地面に吸い込まれていく。
死者蘇生に金神の力を付加した場合のデータを回収する為、地下に根を張る卓也の、金神の一部へと還元されたのだ。
地下空洞の地面が、壁面がざわめき、蠢く壁面、地面に無数の顔面が浮かぶ。
苦悶する顔、苦悩する顔、怒りに歪む顔、喜びに染まる顔、慈悲深い仏の様な顔に、無慈悲な悪魔の様な顔。
それらは全て、金神と融合する男、鳴無卓也と全く同じ顔をしていた。
下半身を金神と融合させた卓也が口を開く。

「まだ掛かるか」

大空洞にびっしりと浮かぶ卓也の顔面の幾つかが、下半身を融合させた卓也にぎょろりと眼球を動かし視線を向ける。

「まだまだ」

「今のデータのお陰で半日伸びる」

「救済はおまけだから後廻しにすればいいものを」

「だが脇役を救いたいという理屈は分からんでもない、一回戦敗退とかマジ憐れ」

「生体甲冑でデモニアックでテッカマンとか、データとしては面白いしな」

「まだまだ改良の余地がある。要研究」

「芋サイダー飲みたい」

不機嫌そうに、デレながら、楽しそうに、飽きながら、顔面は口々に言葉を放つ。
これらの顔面もまた全て鳴無卓也、いや、正確にはその複製。
デビルガンダムの自己増殖機能を復活させ作りだした総勢600を超える自己の複製を自らと同時に金神へと埋め込み、金神という巨大な力の塊を御し取り込む為の補助装置としているのである。
埋め込まれた複製、あるいは分体の大半は半ば融合の完了した金神の力を効率良く振るう為の肉体の最適化の為に眠りに付いており、残りの喋る顔面は言わば余裕を持って金神を制御する為の補助装置なのである。
金神を通してこれらの分体は本体と繋がっている為、これらの分体の意見も言わば表に出ない鳴無卓也の本音の一部であり、こうして時たま会話を通して何か見落としが無いかを確認しているのだ。
分体の意見を聞いた本体がぽんと手を打ち頷く。

「そういえばちょっと気になるな、芋サイダー」

「そういうと思って買ってきたよー」

鳴無卓也の声とは異なる、鈴の音の様な少女の声。
何の前触れも無く大空洞の中に現れた少女に、部屋中の視線が一斉に向けられる。
だが、少女はその視線に怯まない。
オリジナルを含め、これほど多くの鳴無卓也の視線に晒されるというのは、少女──鳴無美鳥にとっては堪らなく心地好い状態だからだ。
ワープによりこの地下空洞に現れた美鳥は地面に浮き出る複製卓也の顔を踏まないように宙に浮かび、上半身だけは人の形を保っているオリジナルの卓也にふわふわと近づくと、肩から下げていたクーラーボックスの中から紙パックを取り出す。

「はい、お姉さんのお土産の分確保してきたから、そのついでに」

「いい仕事だ。後で俺の妹をファックしてもいいぞ」

「このやりとりは前もしたような気がするねぇ」

「初期美鳥×今の美鳥とかバリエーション増えたからノーカンだ」

紙パックを受け取った卓也の隣、触手の束の上に美鳥が腰掛ける。
二人並び、紙パックにストローを突き刺し、じゅるじゅると啜り始める。
ちびりちびりと飲みながら、うんうんなるほどと頷き何かに納得している卓也の隣、美鳥が空になった紙パックを畳みながら天井の一点を見つめている。

「これは意外と……、どうした」

「んぁ、あの天井の穴、何?」

地下空洞の天井部、地上へと繋がる細い穴が開いていた。
この金神を取り込むための地下空洞は基本的に鳴無卓也と鳴無美鳥の出入り以外は考慮されていない為、完全に地上とは隔絶されており、空気の通り道すら存在しない。
が、今現在地下空洞の天井には人が丁度一人通れるかどうかという程度の広さの地上への通り道が形成されていた。

「あぁ、あの娘を殺した武者の正体と事情、その武者が今誰を狙っているかを教えたらクラッシュイントルードで飛びだそうとしたから、こっちから出口を作ってやったんだ」

「メメメとかの比じゃないレベルで洗脳されてんだろうに、美しい友情だねぇ。戦闘法は刷り込んであんだっけ?」

「テッカマン同士の戦闘理論と、村正本編で術理解説の人が出てきたシーンのは殆ど、ついでに覚えている限りの劒冑の陰義と、卵を植え付けられた劒冑への対処法。あと──」

「あと?」

言葉を区切った卓也に、美鳥が先を促す。
卓也は天井に空いた穴を見つめながら、ニヤリと笑みを浮かべた。

「決め台詞も、しっかりと組みこんでおいた」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

日も沈み、夕暮れを過ぎ夜に差し掛かった時刻、鎌倉の街路を二人の男女が早足で並び歩いている。

「で、どうするの? これから」

ややくすんだ紅い髪を肩の辺りまで伸ばした学生服の少女、来栖野小夏は隣を歩く同じ学校の学生服を着こんだ少年に尋ねる。
三日前の夜に行方不明になった二人の(ここに居ないもう一人を入れて三人の)友人である飾馬律の探索についてである。
探索二日目にして見つけた手がかり、自分達と同じく行方不明となった飾馬律の探索を行っている警察署属員である湊斗景明の言によれば、この事件には世間を騒がせる大虐殺犯である武者、銀星号が関わっている。
自分達はそれでも飾馬律の捜索を続けたいが、彼はそれは自分の職務であり、学生の身分である自分達は危険を伴う友人の探索よりも、自分の生命安全を優先すべきだと言う。
大人であるという事実をかさに着て上から押し付ける様に物を言うのであればはねつける事も出来たかもしれないが、湊斗景明の態度はどこまでも誠実で、それを言い聞かせる瞳がどこまでも静穏であった。
行方不明の友人の捜索、決して途中で投げ出せるような事態ではないが、安易に無視出来るような言葉でもないのである。

「決まってんだろ。湊斗さんの言ってることは正しい。だが生憎と、おれたちは正しい事を受け入れられないガキンチョだ」

しかし、そんな道理も気にせず学生服の少年、新田雄飛は鼻息も荒く宣言する。
確かにあの人の言う事は正しい。危険な探索を続けて家族に迷惑を掛けるのはいけない事だし、身よりの無い自分を引き取ってくれた来栖野のおじさんおばさんに迷惑をかける訳にもいかないだろう。
だが、自分達の友人が誘拐組織に浚われているかもしれない、武者に襲われているかもしれないと言うのに、そんな道理で納得して探索を中断することなどできはしない。

「馬鹿なものは馬鹿なんだから仕方ない!」

「うわ、開き直った。タチ悪」

そう、馬鹿はしつこくてタチが悪いものなのだ。諦めて貰うしか無い。

「リツは探し続けるぞ。できれば湊斗さんを探し出して強引にでも協力したい。おれらが無闇に動き回るよりはその方が効率的だ」

「コバンザメみたいな活動方針ね」

「それでわたしが公衆便所に全裸で繋がれて『精液便所膣射精無料』なんて身体に書かれているのを見つけるのを期待してティッシュ持参で探しまわるのね! もう、そこまでいやらしいと弁護士だって付けられませんわ!」

やや呆れを含んだ小夏の言葉に、唐突にもう一つの声が加わる。
甲高く脳を突き抜けるような響き、お嬢様染みた口調に、しかしその口調が究極的にそぐわない脳が腐食しそうな内容の発言。

「えっ」

小夏と夕陽が慌てて声の方向に振り返ると、そこには探していた相手、行方不明になっていた友人である飾馬律が立っていた。
恐る恐る、雄飛が問いかける。

「えっと、リツ?だよな」

行方不明になっていた友人がひょっこりと戻ってきた事に懐疑的になっていた事もあるが、それ以外にも思わず本人かどうかの確認をしてしまった理由はある。
先ずは服装、失踪した当時は制服だった筈だが今は私服だ。
だがまぁこれはいい、夜遊びをする上で補導されないように着替えを用意しておくなんて事は度々あることだろう。
だが、目の前に居る飾馬律は自分達が知る飾馬律とは決定的に違う点がある。髪の長さだ。
背中の肩甲骨の辺りまで伸ばされていた飾馬律自慢の美しい栗色の髪は、肩に届かない程のショートカットになっていたのだ。
度々自慢していた髪を切った事、その理由を遠まわしに訪ねたつもりだったが、彼女は雄飛の言葉をストレートに誰何の言葉と受け取り返答を返す。

「あぁら、数日顔を合わせないだけで顔を忘れられるなんて、ここ数日の雄飛さんの頭の中ではわたし、いったいどんな白目剥いて涎鼻水垂らしまくったアヘ顔で再生されていたのかしら! 妄想と現実の区別をつける為にもちゃんと暇を見て右手の上下運動に励みなさい!」

顎から頬にかけて手の甲を当て、優雅に高笑いを始める飾馬律。
天下の往来で発せられるべきでない品性下劣な発言の数々に、雄飛と小夏は心の底から納得する。

「この口から洩れる今にも発禁喰らいそうな毒電波、間違いなくリツね」

「うへぇ……」

小夏は数日ぶりに聞く友人の元気な怪音波に腕を組み感慨深く頷き、雄飛は二日前に自分が想像したのとほぼ変わりない壮健な彼女の発言に、全身の筋肉の脱力によってげんなりとした自分の感情を表現した。

―――――――――――――――――――

「遠出した帰りに近道を通ったら、崖から転げて動けなかったねぇ」

「へぇー、じゃあ怪我が治るまでその男の人の所で休ませて貰ってたんだ」

「ええ、髪もその時に引っかけて切れてしまってバランスが悪くなってしまいましたから、思いきって短くしてみましたの」

夜の街路を三人並んで歩きながら、雄飛と小夏の二人は律がここ三日何処で何をしていたかの説明を受けていた。
結論から言えば、六波羅の人身販売も銀星号も律の行方不明になった原因とは欠片も関係が無かった。
両親との喧嘩の憂さを晴らす為に派手に夜遊びをしていたら、市街から離れた山道で不慮の事故で怪我を負ってしまい、通りがかった親切な通行人の方に助けて貰ったのだという。

「夜遊びしてたのに山で怪我したとか、まず設定からして無理があると思う」

「リツ、何か隠してない?」

鎌倉の町の中の遊び場、夜遊びが出来そうな場所と律の家の間には数日動けなくなるような怪我が出来そうな山道など皆無に等しく、どんなひねくれ方をしたとしても夜遊びの帰りにそんな場所を通る事はありえない。
当然のごとく雄飛と小夏の二人は律を問い質すが、律はのらりくらりと二人の追及をかわし続け、別れ際に改めて二人に向き直り、常ではありえない程の素直な笑みを浮かべ。

「とはいえ、雄飛さんも小夏さんも、あと忠保さんもそこまで心配してくれていたというのは、ええ、ありがたい話ですわ」

そんな律をまじまじと見詰め、ついで二人が口を開く。
心底相手を気遣っている表情と労わる様な口調で。

「リツ、お前本当に怪我大丈夫なのか? 頭とか」

「明日改めて病院に行った方がいいと思うの。ほら、脳の怪我は後遺症が残り易いって言うし」

「……お二人が普段わたしの事をどういう目で見ているのか、よぉーくわかりました」

頭痛を堪える様な険しい表情で、咽喉から絞り出すように言葉を紡いだ律は、深々と溜息を吐いた。

―――――――――――――――――――

雄飛と小夏の二人と別れ、明かりの少ない街路を歩く少女を、暗い眼差しが見つめている。
武者。
暗雲に覆われ月の見え無い夜の闇の中、民家の天井に屹立し、感情の窺い知れない視線を飾馬律の背中に送っている。
武者、あるいは竜騎兵。
鋼鉄の香りを漂わせ、超常の力を仕手に与える生きた鎧、劒冑を纏い空を駆ける戦場を支配する魔神。
黄銅の甲鉄に身を包んだ魔神が、遠ざかり曲がり角の向こうに姿を消した少女を見つめる。
武者が脚を踏み出す。
鋼の重量を持つ武者の一歩はしかし、簡素で堅牢性に欠ける質素な作りの民家の屋根を揺らす事も無くその身を風と化す。
曲がり角の更に向こうへ、音も無く着地、少女の姿を確認する。
少女の自宅へは未だ遠く、脇路は無く、この通りは空き家が多い。その事を踏まえ、武者は改めて少女の姿を探す。
居ない。慌てたように辺りを見渡す。
居た。しかし街路ではない。

「ごきげんよう、鈴川先生」

民家の屋根。先回りした自分よりも更に先、この住宅街の中で一番の高さを誇る木造建築の一軒家。
自らの存在を誇示するように、少女──飾馬律が自信に満ちた、攻撃的ですらある笑みを浮かべ、腕を組み武者を見下ろしている。

「レディの帰宅を尾行するなんて、品行方正な教師の鑑である先生らしくもありませんわね」

心臓が一つ鼓動を打つよりも早く自分を殺害可能な超力を備えた武者を前にして、飾馬律は何一つ身構える事も無く、気の合う友人と世間話をするかの如き自然体。
まるで、そう振舞う事こそが正しく自然なのだと言わんばかりの威風堂々とした振る舞い。
笑みを深め、まるで舞台の上の演者が決められた台詞を、何度も繰り返し練習した台詞を口にするように、一息分の間を置き、再び武者に向け言葉を紡ぐ。

「わたしに、何か御用でも?」

武者が、無意識の内に一歩後退りをした。
未知なる者への恐怖、超常の力を与える甲鉄を身に纏った武者が、華奢ですらある生身の少女へ向けるには相応しくない感情。

「何故だ、何故」

それを自覚する事も出来ず、武者──飾馬律の担任でもある教職公務員、鈴川令法は、湧き立つ惑いの感情を漏らす。
そう、何故。何故この自分の教え子である、教え子であった少女が自分の目の前に存在しているのか。
この少女は、確かに自分の手で、美しいままに終わらせた筈なのに!

「何故? ふふ、わたしを殺し、あまつさえわたしの友人の命すら狙っておきながら、何故と!」

飾馬律が怒りの表情で袖を払うように腕を一振りすると、袖口から一振りのナイフ飛び出し掌の中に収まる。
柄に小さなクリスタルの嵌め込まれた両刃の短剣。
夜闇の中、律の全身に紅い光のラインが走る。
光のラインが光量を増し全身を覆い尽くしたかと思えば、すでにそこに栗毛の少女の姿は無く、全身を金属質のドレスで鎧った道化師のような異形が存在していた。

「む、武者!?」

自らの劒冑、井上真改の中で鈴川は目を剥いた。
そう、無理矢理に常識に当てはめて考えれば、目の前で自分の教え子が変じた異形は、劒冑を纏った竜騎兵に他ならない。
だが何故、美しいままに、腐らぬ内に殺した教え子が、何故蘇り、何故武者に!
惑いは鈴川から正常な判断力を奪う。武者を前にしながら、即座に逃げるという行動を頭から抜け落ちさせる。
あるいはそれは、一度殺した相手だからこその油断か。

「そう、わたしは黄泉帰った。自らの仇を討つ為に、友を付け狙う悪逆非道の輩を討つ為に」

朗々と、唱える様に宣言し、掌の中のナイフをくるりと回し天に掲げる。
ナイフに埋め込まれたクリスタルを中心に、幻影のようにナイフを包み込む一回り大きいクリスタルが浮かび上がる。
雲が割れ、欠けた月が少女の変じた鋼の道化師を照らす。

「テックセッタァーッ!」

月に照らされたクリスタル──システムボックスから少女の身体にディゼノイドが供給され、体内に充填されたテクスニウムと反応、既に形成されたペイルホース製の外骨格の上に更に強靭な外骨格を形成。
体内に供給されたディゼノイドは更に神経系へと影響を及ぼし、人知を超えた反応速度を与える。
そして、システムボックスに内蔵された光=物質変換機能が二重の外骨格に鍛造雷弾すら耐えうるアーマーと、理論上無限に加速が可能な高機動バーニアを組み込む。
要塞の如き堅牢な防御と戦闘機を遥かに上回る高機動性、ブラスレイターの筋力と回復力、そして金神の神通力を分け与えられた、この世界唯一の『宇宙の騎士』
これがっ! これがっ! これがテッカマン・ブラスレイターだ!
そいつに触れることは、死を意味する!

「さぁ」

少女から道化師に、道化師から騎士へ変じた飾馬律は、眼下で呆ける武者、井上真改の仕手である鈴川令法に向け両手を広げ、身体を横に向け、堂々と片腕を掲げ、銃で射抜く様に指差す。

「あなたの罪を、数えなさい!」

―――――――――――――――――――

騎航する──逃げる様に。
周囲の住人に気取られぬようになどという考えは既に頭には無く、周囲の頑強さに欠ける建築物を破壊する勢いでの急発進。
停止状態から一瞬にして合当理を臨界稼働へ、最短時間で最大推力を確保する、甲鉄の事を考えない無謀な飛翔。
月が照らす蒼黒い夜空を、黄銅の武者が一条の光の矢となって駆け抜ける。
頑健さが売りである真改の甲鉄あってこそ成功したその飛翔はしかし、追いかける様に飛翔する赤い悪魔の様なシルエットの武者を引き離す事が出来ない。

《敵機、二〇〇度上方。距離二四〇。来襲》

真改の統御機能(OS)が無機質な声でこちらに追い縋る武者の位置を知らせる。
そう、迫ってきているのだ。美しいままに、腐る前にその生を終えた筈の教え子が、武者の力を得て自分の事を追い詰めようとしている。
ぞわりと、背筋が凍える。
得体の知れない感情が湧きたち、迫る武者から只管に逃げようと更に合当理を吹かす。
計器類を確認する。高度九百弱、速度はもう八百に迫る。
好奇心から騎航性能を確かめた時に迫る速度、それでもまだ足りない。
加速は続けている、だがこれ以上の速度を出した事が無い、ここから更に加速して甲鉄が持つだろうか。
もう少し性能の上限を調べ体得しておくべきだったかと今更ながらに思う。
だが同時に思う。誰がこんな事態を予測できただろうかと。
自分が死を与え終わらせた相手が、武者となって自分を殺しに来るなど!
振り返りもせずにひた駆ける。このまま逃げ続ければ関東防空圏を踏み越える事態になりかねないが、そんな事を考える余裕は無い。

《尻追い戦(ドッグファイト)なんて、武者にあるまじき行為、猪突戦こそ武者の誉れではありませんの? ──まぁ、わたしは尻追い戦の方が好みですけれど》

兜の内側に敵機の、飾馬の囁きかける様な声が響き、即座。
首筋に冷たい感触、冷えた鉄器を押し付けられるような肌のざわめき。
肉の内から熱が逃げる寒気。
横転、急降下!

「がぁっ!?」

肩口に激しい衝撃。
衝撃は骨を突き抜け肺に達し、こちらの呼吸を阻害する。
肺をローラーにかけられ潰され続けるようなものだ。
劒冑の機能が肺に代わり無理矢理に脳に酸素を送り込み、ようやく思考を纏める事ができた。
劒冑に問う。

「なんだ、やられたのか、何を!?」

《左肩部甲鉄に裂傷、騎航、戦闘に支障無し。敵機の攻撃は甲鉄を砲弾として撃ち出したものと思われる》

「甲鉄を、砲弾として!?」

劒冑を纏い、甲鉄と肉体を融合させる武者にとって、甲鉄とは文字通りの意味で自らの身体の一部。
文字通りの意味で身を削って打ち出される砲弾。一撃毎に身を引きちぎられる苦痛を味わう両刃の刃。
なるほど、武者の甲鉄であれば、同じく武者の甲鉄を破る事も可能だろう。実に理に叶った攻撃だ。
しかも破損箇所の状態から見るにそれは敵を撃ち貫く形を取らず、わざわざ刃の形を取って斬り抉る形を取っている。
かつて自分が首を切り落とした少女が、自分の首を狙って。
何故!? 私はただ、美しいものを、美しいままに留めておきたかっただけなのに。
なぜその美しいものが、自分の命を狙う!
美しいままに終わらせてやったのに、その友人までも美しいままに終わらせてやろうというのに! 美しいままに終わらせてやった恩も忘れて!
……そうだ、まだ、まだ大丈夫だ。
飾馬は友人を助けに来た。蘇ってまで、武者の力を得てまで、美しい友情のあるがままに。
飾馬は、やはり美しいまま。ならば、汚れる前に、美しいままに再び終わりを与えてやらねば。
我が身に課した責務の為に、この手で再び、救いを与えてやらねば!

「真改、敵機の性能で分かった事はあるか」

《敵機は無手にして火砲を持ち、しかしこちらを遥かに上回る機動性を誇る。軽装甲の一撃離脱型と思われる》

対するこちらは重装甲の汎用白兵戦型。
正面切っての斬り合い有利!
旋回し、こちらを見下ろす形で追う紅い武者──飾馬に向き合う。

《距離四〇〇。闘牛形》

「美しき諸々の為に、飾馬、穢れを知り腐る前に、お前も、ここでえぇぇぇぇぇ!」

太刀を振り被り、天目掛け直進する。
合当理を吹かし、最大加速──!

「っっっ!」

衝撃。
天の一点にある風間を視界に入れ、加速を入れて斬りかかろうと思い立った瞬間、木の葉のように吹き飛ばされた。
遅れて体内を駆け巡る冷気と熱気。
鉄の刃の冷たさに、身体から抜け出る血潮の熱さが、痛覚よりも早く正確に身に受けた打撃の深さを知らせる。

《左肩部甲鉄に深刻な損傷。内部骨格に致命的な損傷》

左腕が上がらない。劒冑の守りのお陰か激痛に悩まされるといった事が無いのだけが慰めか。
だが、あれはなんだ。
一撃離脱型とはいえ、武者の強化された視覚で捉えられないどころか『目に映らない』などという事があり得るのか!?

《高度の劣勢、という理屈だけではありませんのよ? それに、理解を深める時間も与えて差し上げません》

「げっ、うごっ」

普段通りを装いながら、隠しきれない冷徹な口調と、奥底から滲み出る様な憤怒の感情の籠った飾馬の声を聞きながら、見えない斬撃に打撃に射撃に滅多打ちにされる。
一つの痛みが丁度弱まるのを見計らったかのようなタイミングで打ち込まれる追加の打撃に意識が朦朧とする。
一撃一撃が酷く冷たく、容赦なく鋭く、感情を叩きつけられている様に重い。
脳を揺さぶられる、血液を流し過ぎ、酸素を脳に送れず、思考ははっきりとした形に纏まらない。
ただ、やはり頭に浮かぶのは『何故』の一言に尽きた。
自分はただ、美しいものを美しいままに終わらせたいだけだというのに。
この腐敗した醜いものの地平に、美しい関係を持つ教え子たちを置き去りにしたくなかっただけだというのに。
美しいものを、この醜い世界から逃がしてやろうとしただけだというのに。
何故、何故自分は──!

「何故、何故、何故だぁぁぁっ!!」

攻撃が途絶え、湧きたつ怒りにより意識がクリアになる。
全身を鎧い交わる劒冑、この身そのものでもある甲鉄へ伸びる神経に感覚を尖らせる。
血と肉と神経と、魂の合一した甲鉄の中、心中に蠢く力の奔流を知覚し認識し掌握する。
呪句(コマンド)の詠唱を持て解放。

「狂意操!」

体内の血流を体液を操作し、戦闘に不要な器官への血流を封じ、戦闘に必要な最低限のパーツだけを残す。
脳へ血液が行き渡り、筋肉に張りが蘇る。
陰義。
古来から伝わる製法により鍛えられた真打劒冑の中でも極上の品だけが操る、世の法則を書き換える異能の術理。
これを自らの身体に行使する事により戦闘に耐えうる身体を取り戻した。
だが、これでは終わらない。終える事は出来ない。
目の前で、殺人という罪を犯し穢れようとしている美しい教え子を救う為に!
力を、もっと、もっと力を!

「曲輪来々包囲狂暮葉紅々刳々刃」

頭に自然に呪句が浮かび上がる。
丹田で──横隔膜の下で──存在していない子宮の中で、有り得ない胎児が、胎児のようなバケモノが、カイブツが暴れ狂う。
泣き叫び我が身を食い破らんとする幻、胎児のイメージを映す力の顕れ。
非実在のカイブツの胎児、誰の目にも映らない妄想の塊。
しかし、その妄想が引き起こす腹を内側から食い破る幻痛が、確かにそこに力が存在する証!
呪句により指向性を与えられた力を収束し硬度を付与し速度を付与し鋭さを与え、眼下でこちらに救いを求める様に見上げる教え子に向け、叩きつける!

「白華欄丹燦禍羅!」

河川から海から噴き上がる水流に呆気なく呑み込まれる武者──飾馬。
あらゆる液体を操る真改の陰義によって生み出された水龍の如き濁流が、死の国の使者の如き様相へ変じた教え子を飲み込んでいった。
飾馬の劒冑は機動性を極端に上げた劒冑、装甲はさして厚くは無い筈。
深海の如き水圧を持った高圧、巨大質量の塊に襲われて無事で済む筈が無い。
友人の命を助けんと蘇った美しき友情の持ち主は、その感情を汚される前に、戦いの中で燃え尽きて死んでいったのだ。

「あぁ、何故、美しいものから散っていかねばならないのか……」

友の為に死の国から蘇った彼女の友情は、何にも代えがたい程の美しさを誇っていた。
だが、その美しさが汚れる前に終わらせるには、戦い殺すという選択しか有り得なかったのだと思う。
しかし、そのお陰で彼女はその熱く美しい友情を胸に秘めたまま散り、思いは永遠になる。
彼女の三人への友誼は美しいままに。

《──否、散ってはいない。方位一五〇度下方、距離三〇〇〇。敵影確認》

「何!?」

信じ難い報告に目を剥き示された方向を見やると、そこには確かに紅い悪魔の様な武者の姿、装甲した飾馬律の姿が。

「あれを受けて無事だというのか!?」

《敵機は我が白華欄丹の直撃を受ける前に磁力による防壁を展開、その効果により致命打を避けた模様》

「磁力による防壁……、つまり磁力操作が飾馬の劒冑の陰義なのか」

《そう推定するのが妥当である》

劒冑の甲鉄を貫く砲弾を撃ち出し、眼に映らない程の速度で駆け、極めつけに陰義すら操る以上、飾馬の劒冑もまた大業物に匹敵する真打劒冑である事は間違いが無い。
いったい何処の誰が飾馬を蘇らせ、更に劒冑など分け与えたのか……。
いや、そんな事を考える時では無い。
如何に防壁で致命傷を防いだとはいえ相手は軽量高機動、無傷で居られる筈が無い。
正面を向いての相対、突撃は砲撃により迎撃される危険があり、あの高機動であれば未だ此方の剣戟を避けきる余裕を残している可能性もある。
白華欄丹で畳みかける!
体内でうねる力を引き寄せ掴み取り、収束──

「あ──?」

できない。
それだけでなく、視界は色を失い、音が遠くに聞こえる。
姿勢が崩れ、速度が落ち、身体から、熱が消える。
寒い、寒い、──寒い!

「真改、なんだこれは、真改!」

《────》

答えは無く、ノイズ染みた雑音だけが僅かに耳に届く。

《あらあら、もう限界が来てしまったようですわね》

兜の中に教え子の声が響く。

「飾馬!これはなんだ、限界とはどういう意味だ!」

一瞬だけ飾馬の劒冑の陰義の作用かとも思ったが、磁力を利用してこの様な状態を作り出せるとは思え無かった。
眼下、色を失った光景の中で、教え子の変じた武者が手に弓の様な、槍の様な武器を携え、呆れた様な仕草で肩を竦める。

《わたしも教えられた程度の事しか知らないのですけれど、それは多分、熱量欠乏と呼ばれる症状ですわ》

「熱量欠乏!?」

叫ぶと同時、ガクンという衝撃と共に下がり続けていた高度が止まる。
何事かと確認してみれば仕掛けは簡単、『飾馬の劒冑の手首から伸ばされた細い糸が自分をからめ取り、もう一方の糸の端が海底に繋がっている』だけのこと。
先ほど白華欄丹を喰らい海に落ちた時に海底に設置していたのだろう。
いや、まて、それはつまり、あそこで白華欄丹を喰らう事すら予定の内という事か?

《劒冑は仕手に超人的な身体能力、騎航能力、超感覚、生命保護、そして陰義を使う時、全ての行動において必ず仕手の熱量を消費するのだとか》

ぴんと張られた糸に捕まった私へ、飾馬は手に提げた弓、槍の矛先を向ける。

《当然、攻撃を受け続けて無理な再生を繰り返したり、限界を超えた大規模な陰義を使うなどの無茶な戦闘を続ければそれだけ熱量の消費も激しくなり、身体に蓄えてある熱量を使いきれば──》

槍を構えた飾馬が、手首から伸びた糸を指先で爪弾くと、だらしなく身体が揺らされる。
身じろぎする事すら出来ない。

《劒冑の機能は停止、仕手の身体もまともに動かない、という事ですわね。聞きかじりの話で申し訳ありませんが》

そんな、そんな事は聞いていない。
酷い、知らなかったのに、こんな事になるまで、誰も教えてくれなかったのに!

―――――――――――――――――――

「最後に二つ言っておく事があります。まず一つ、わたしに与えられた陰義は磁力操作ではなく、超光速粒子制御。呪いの劒冑なぞと混同されては堪りませんわ」

超光速粒子、すなわちタキオン粒子と一般的には呼ばれる未発見の粒子を制御することによる固有時間制御(クロックアップ)による超高速戦闘と、簡易型の電磁障壁。
甲鉄を飛ばしたと思われていた砲弾は、金神の影響を受けたペイルホースの光弾に波動化されたタキオン粒子を被せて貫通性と誘導性を与えたモノ。
磁力制御とはまた異なる、しかし別方向に優れた超常の力。
金神の力により強引に陰義として組み込まれた、超常の力で再現される超科学。

「そしてもう一つ」

慈悲無く、淡々と、しかし誇るように、憤りを晴らす様に、テックランサーを構えた律が最早逃げる事すら不可能になった鈴川に告げる。

「穢れ、腐れた程度で無くなる程、わたし達の絆は弱くはありませんの。泥に塗れても、世界の厳しさに挫けても、わたし達が仲間で、楽しくやっていたという事実は曲がらない。だから──」

槍の様に構えられたテックランサーに、レンズ状の発射孔の付いたプレートが展開され、何かをチャージする音と共に光を帯びる。
光──フェルミオン粒子が唸りを上げてプレート、テックランサー付属型の発射孔へ収束し──

「醜いものを見たくないなら、一人で何処へなりと消え失せなさいな!」

解放される!

「ボオォル、テッカアァァァァッッ!!!」

―――――――――――――――――――

青い光が迫る。
分かる、私ですら理解できる。
あの破壊的な光の奔流を、真改の甲鉄は──無双無敵の防壁は──決して防ぎ止める事は出来ない。
身体が震える。恐怖に竦み上がる。真改はこの攻撃を防ぐ事が出来ず、仮に身体を動かす事が出来たとしても、『私が』避ける事が出来ない。避けるという行為を許容できない。
そうだ。理解できた。
美しいものを留めたいというのは崇高な使命などではなかった。
美しいものに変って欲しくないというのは、単なる私の我儘に過ぎなかったのだ。
いくら私が愚鈍でも分かる。
救った筈の美しいものに否定されては、認めない訳にはいかない。
私は美しいものに救いを求めていても、美しいものは、救いなど求めてはいなかった。
美しいものは、こんなにも力強く在る事ができるのだから。

《いかで……我が……こころの月を……あらは……して……》

「やみに……まどえる……ひとを……てら…………さ…………」

―――――――――――――――――――

爆音。
対消滅により文字通り跡形も無く消滅した鈴川令法──真改。
自分を一度殺した相手、友人の想い人であり自分の担任の教師でもあった者の死に、飾馬律は一瞬だけ想いを馳せ、次の瞬間には全身から力を抜き、深く、深く溜息を吐いた。
新たな命と共に力を与えて貰った。戦う為の知識も与えて貰った。事実として、自分を殺した武者を相手に苦戦する事無く一方的な勝利を掴めた。
だが、それでも生まれて初めての殺し合いというのは、精神的に『くる』ものがあったのも確かだ。
自分を殺した相手という事、更に愉快な友人たちまでもつけ狙っていたという事で怒りにまかせて戦う事は出来た。
怒りにまかせて戦っている間は良かった。頭の中が綺麗に整理整頓され、戦うのに最適な心が動いていた様な、そんな錯覚を覚えるほど綺麗に戦えたと思う。
だが、もう一度同じ事を他の武者相手にやれ、と言われれば間違いなく首を横に振るだろう。こんな事はもうこりごりだ。
腕を振り、海底に引っかけていたテックワイヤーを回収する。
ワイヤーを巻き取る最中に、刀の柄の様なものが引っ掛かっていた。
ちょっとした短刀程の長さもある黒塗りの柄、赤く簡素(シンプル)な作りの柄巻きに、黄金色の蜘蛛の彫物。
多分、これが植え付けられていた銀星号の卵の核、なのだと思う。頭に植え付けて貰った記憶が確かであれば。
『かみさま』に渡すにしても持ち主に返すにしても、取り敢えず暫くはわたし預かりという事で良いだろう。
刀の柄を手に、ランサーを収納してからテックセットを解除する。
このブラスレイター形体での飛行は武者の合当理の様に爆音が響かないから静かに行動する事が出来る、ひっそりと誰にも見つからない様に着陸するには絶好の能力。
拾った柄もどうにかするべきだけど、それはまた明日。
今日はもう家に帰ろう。
雄飛さんや小夏さん、忠保さんも大分心配していた、両親も気を揉んでいる筈。
きっと延々と説教を食らう羽目になるだろうけど、それもまた一興。
親の説教が聴けるのも生きていればこそ、なんて、悟った事を言うつもりは無いけれど、今は何故だか誰もかれも、日常の中の何もかもが恋しくてしょうがない。
未だ熱の残る頭でぼんやりとそんな事を考えながら、手に野太刀の柄を携えた飾馬律は、そのままふらふらと自分の殺された竹林へと降りていった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

昨日見たリツは幻覚か白昼夢かと悩みもしたのだが、リツのやつは結局あっさりと翌日の昼休みに登校してきた。
欠席に続いて大幅な遅刻、もう意味も無く早く登校してリーダー風を吹かせるつもりは無いのだろうか。
小夏も忠保も昨日までのシリアスな雰囲気は何処へやら、何事も無く小粋な(あるいは俺や忠保を貶める形式の腐食性の強い下劣な内容の)冗句が飛び交う何時もの光景が戻ってきた。
そんな何時もの光景の中、何時もと違う事があるとすれば、リツに続いて担任の鈴川が無断欠勤をした事だろうか。
とはいえ、リツと違いこちらは成人し職を持つ立派な大人、何かしらの事情でやむなくという事もあるだろうし、水泳部顧問として立派な肉体を持つ鈴川がそうそう危険な目に合う事も無いだろう。
鈴川の家には電話の類は存在しなかった筈だし、もしかしたら急病で寝込んでしまい、学校に連絡をする事ができなかっただけなのかもしれない。
……つい昨日までは友人が行方不明になって取り乱しておきながら薄情な、と思われるかもしれないが、いくら治安が悪いからと言ってたかだか一度の無断欠勤で生徒が教師の安否に頭を悩ませるのは筋が違うのだから仕方が無い。
もし万が一鈴川が何事かの事件に巻き込まれているのならともかく、ただ単に病気で寝込んでいるだけなのだとすれば、俺達が、というよりも、脳味噌を納豆菌へと変化させた約一名が押し掛けるのは間違いなく迷惑極まりなく、病状を悪化させかねない。
そう三人がかりで小夏を説き伏せ、それでも完全に説得しきる事の出来なかった俺達は、丁度良く巷の行方不明事件を調査している知人の警察の人に相談する事になった。

―――――――――――――――――――

午後の授業が終わり、放課後。俺達はあっさりと湊斗さんを発見した。
周囲の明度ががくんと下がる様な、空気が重々しさを持たされているような、そんなあの人特有の悪目立ちする空気のお陰である。
なんとなく息苦しくなるような空気を追っていたら三十分で見つけてしまった。

「……。自分に近づくのは危険だと、簡潔に御説明したはずです、が」

湊斗さんは口をへの字に曲げ困ったような此方を諌める様な表情で口を開き、口元に柔らかい笑みを浮かべる。
明るさとも快活さとも無縁の、やはり本人の雰囲気そのままの暗さのある笑みだけど、間違いなく心底リツの無事に安堵を感じてくれている笑みだ。

「そちらの方は、飾馬律さんですね? 行方不明の疑いがあるとの事でしたが、御無事だったようで何よりです」

リツを含めた行方不明者の調査をしていた以上は、内一人が行方不明事件とは何も関係無かったのなら無駄脚を踏まされたと憤っても可笑しくないのに、純粋にリツの無事を喜んでくれている。
そんな湊斗さんに向け、リツが腰を折り深々と頭を下げた。

「お手数掛けさせてしまったようで、申し訳ありません」

ぺこりと頭を下げるリツ。
普段から礼儀正しくあり警察関係者、お巡りさんなどの覚えをよくしておけば、夜道で見かけられたとしても『あの礼儀正しい娘に限ってまさかそんな』という理由で見間違いで済まされる可能性が増えると言っていたが、それとはまた別の、ちゃんと誠意の籠った礼に見えた。
こういう場面でお姉さん風を吹かされるのは気恥かしくてたまらないのだが、俺達が迷惑をかけたという理由以外にも、自分を探す手間をかけさせてしまって申し訳ない、という理由があるだろうと分かってしまう為、下手に茶々を入れる事も出来ない。

「お気になさらず、これも職務の一環ですので」

「ありがとうございます。それで、その職務のお話なのですけど──」

―――――――――――――――――――

「──なるほど、飾馬さんと入れ違いに、担任の教諭の方が行方不明に」

「あ、いえ、まだ行方不明と決まった訳では無くて、ええと」

納得顔で頷く湊斗さんに小夏が慌てて訂正を入れる。

「まぁただの無断欠勤なんですけど、最近物騒な噂ばかり耳にしますからね。万が一のことを考えて先にお知らせしておいた方がいいかと思いまして」

しどろもどろの小夏を遮り忠保がフォローを入れる。
いくらこう不吉な事が連続して起きているからと言って、鈴川の自宅を訪ねて本当に病欠かどうか調べてください、などと言える筈も無い。

「いえ、丁度こちらも調査に行き詰まっていた処です。情報提供、痛み入ります」

相変わらず本心からの言葉か社交辞令かは分からないが、やはり誠実な人だ。
リツが戻った以上無理やり付いて行って調査に協力させて貰おうとまでは思わないけど、何か俺達で力になれる事があればその時は恩を返したいと、そんな事を思った。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

新田雄飛、来栖野小夏、稲城忠保、飾馬律の四人組と別れてから数時間後、日も沈みかけた夕暮れの中、湊斗景明は鎌倉の街を独り歩いていた。
いや、独りではない。
歩く景明を、巨大な朱の色の肌を持つ蜘蛛が民家の壁を屋根を伝い追いかける。
身の丈6、7尺にも及び、人を抱え込めるほどの長く頑強な節足に、酒樽ほどもありそうな胴体。
甲鉄の肌を持つ大蜘蛛、善悪相殺の呪を宿した劒冑、三世右衛門村正の独立形体。
景明が細く人気の無い路地に入ると、その大蜘蛛は姿を現し、景明に声をかける。

《今日も進展無し、ね》

「いや、そうでもない。昨日の時点で寄生体を見つける事ができた。その寄生体の消滅も」

逆に言えば、銀星号の卵の寄生体が鎌倉に存在『した』ということしか分かっていないのだが、それでも何も無いよりはましと言えるだろう。
寄生体自体には精神汚染能力が存在していないので、村正以外の劒冑でも対処が可能、故に自分以外の武者に討伐される可能性も無いではないのだ。
あの武者が自分たちではなく学生を目標としていた事から考えても、早期に討伐されたのは悪い事ではない。
問題があるとすれば、

《野太刀の破片を回収出来なかったのは痛いわね》

「ああ……」

銀星号に砕かれ、卵の核として組み込まれた自分達の野太刀の破片。
黄銅色の武者との交戦後、不利を感じ撤退した村正は直接その戦闘を見る事は無かった。
銀星号の波動を感じ取る事ができる村正といえども、卵から分離した野太刀の破片を探し当てるのは至難の業なのだ。
今日は行方不明者の捜査と共に、鎌倉中を歩き回り野太刀の破片を探したのだが、結局見つける事は出来なかった。

《まぁ、少なくとも孵化する可能性が無くなった訳だから──》

台詞を途中で切り、村正が音も無く跳び民家と民家の間に隠れる。
村正が隠れてから数秒、人の通る事の少ない路地に一人の少女が足を踏み入れた。
艶のある栗色の髪を短く纏めた活発そうな少女。飾馬律。
彼女は昼間友人とともに景明と相対した時とは違い学校の制服ではなく、少しだけ大人びた印象の私服を身に纏っている。
夕陽を背に現れた少女の表情は景明からははっきりと確認できなかったが、その表情が不敵な笑みであるように見えた。

「……学生の夜間の外出は禁止されている筈ですが」

「ええ、存じておりますわ。でも、昨日の帰り道で落とし物を拾ったのを思い出してしまいましたの。元の持ち主が今も必死で探しているかと思うと、居ても立ってもいられなくて」

そう告げる律の手には、何か細長い物が入った巾着が下げられていた。

「なるほど、では、自分の方でお預かり致しましょう」

「ええ、確かにお預けします」

律は景明に歩み寄り、その手に巾着を渡すとくるりと踵を返し、元来た道を歩き始めた。
律が路地から出るか出ないかという所で、村正の金打声が景明の耳孔を突き抜け脳を揺さぶる。

《御堂、それ、野太刀の破片!》

「何?」

そんな馬鹿な事が、とは思わず景明が受け取った巾着袋を開けると、そこには確かに銀星号に七つに砕かれ奪われていた自分の野太刀の破片、柄が入っていた。
景明は律の背に視線を向け、しかし何と問うべきか迷った。
少女、飾馬律は落し物を拾ったと言っていた。
昨夜の寄生体と謎の武者の戦いをこの目で確認した訳では無いので自分達はその戦闘が何処で行われていたか知らない。
それが下に陸地のある場所で行われていたのならば、確かに彼女がこの破片を拾う可能性が無いでは無い。
だがそれなら、いくら昼間に会ったとはいえ、近場に居る警官ではなくわざわざ自分の事を探してまでこれを届けたのは何の為か。
それも友人三人から聞いた評判から判断したという可能性もあれば、身近にいる警官に良い感情を持っていないが為に自分に渡したとも考えられる。
様々な思考を巡らせている景明に、今まさに路地から表通りに出ようとしていた律が振り返った。
夕陽をバックに、煌めくような眩い笑みを浮かべ、揃えた中指と人差し指を米神に当て、その指先を緩い弧を描きながら振るう。

「アデュウ」

「……ッ……」

息を呑む。
そんな景明を置き、飾馬律は鎌倉の喧騒の中に融ける様に消えていった。
その後ろ姿を、呆っとした、あるいはハッとした表情で見送る景明に、建物の隙間に隠れた村正が恐る恐る金打声をかける。

《御堂、なんで感動してるの……?》

その言葉に我に返った景明は二度三度頭を振り、そして眩いものを見る様な眼はそのままに答える。

「いい、台詞だ……」

《………………御堂、解っているでしょうけど、私達が誰かに好意を抱くという事は》

「いや、そうではない」

呆れの様な感情が混じった沈黙の後に告げられた村正の言葉を遮り、

「本当に、いい台詞だと思っただけ、だ」

どこか遠い眼をした景明は、鎌倉の街に向け、ぼそりと呟いた。




続く

―――――――――――――――――――

戦闘パートはオマケでむしろ戦闘前の口上を言わせたいが為の第三部第一話をお送りしました。あとタキシードとかヒットマンリボンズアルマークとか。

戦闘パートはオマケなので読みとばしても今後の展開に一切支障ありません。
むしろ第三部は一話完結で後の話を引き摺らないのでこの話を読みとばしても次の話を問題無く読める新設設計。
でも、竹林で救済なのに原作を知っている人が誰一人律を救済候補に挙げなかった事に驚愕を禁じ得ないです。
いや、人気無いですけど、救済する相手としては妥当じゃないですか……。
まぁこれ以降間違いなく出番は無いですけども。
最後の最後まで再生首ちょんぱの必殺技をボルテッカで通すかライダーシューティングにするかで迷いはした訳ですよ。
あとは変身シーンのエフェクトでコスモスの花びらを舞わせたりしたかったんですが、構造的に金神パワーでもテックシステムでもペイルホースでも説明がつかなかったので諦めました。
デザイン的にはテッカマンデッドとエビルを掛け合せて女性っぽいラインを合わせた様なテッカマンになりますが想像できなくてもあまり問題はありません。髪の毛が伸びたら地球製テッカマンぽく髪が靡いて、とかありますが特につかいません。
しかしこれで一挙に雄飛の命と忠保の目と小夏の四肢と律の命を救った訳ですね。
この介入行動により雄飛が獅子吼に捕まって大鳥の当主として奉りあげられたり、そこで雄飛が獅子吼に稽古をつけて貰って大鳥家当主に代々伝わる劒冑を装着して奈良原ぽくない正調の英雄編とかが始まったり、
改造された律が鎌倉というか日本の危機に立ちあがって進駐軍の横須賀艦隊の日本上陸をボルテッカ無双で阻止したりといったサイドストーリーがあるかもしれませんが、当然後に引き摺らないので書きません。
行間に挟まっていると思うので読みたい方は心眼で読んでみればいいと思います。

しかし、第一話からいきなり原作を知らない人たちからしてみればわけ・わか・らん♪な内容でしたね。シリアス一辺倒ですし。
そもそも今回のトリップ先が年齢制限ありの作品なのもあれですよね。
もし、『この作品しらねぇよバーヤ!』という方がいらっしゃったら申し訳ありません。
多分第四部は年齢制限無い作品にトリップすると思うのでそこまでだらだらと斜め読みしていただければ。
いや、原作知ってる人からも、こんなの俺の知ってる○○じゃねぇ!みたいな事を言われそうですが、そこは皆様改善の為のアドバイスを頂ければ。
しかし次回は大丈夫! 次回はコメディというかいつも通りのグダグダなノリで主人公とサポAIが死ぬ筈だった幼き命を救ったり悪人をサクッと一人蒸発させたりします。
大体あれですよ、色々外道だのレーベンとエーデルを足して割らないだの言われてますけど、さりげなく介入して原作で死んでいる人たちを救うなんてこの主人公第一部でそりゃもうさくさくヤッてしまっている訳で、救済なんておてのものー!ってな訳ですとも。
あとは適当に可哀想な人に心にもない上っ面だけの慰めの言葉をかければいい感じにベタベタの救済物になると思います!テンプレ的に考えて。

さっさと次話を書き始めたいので自問自答コーナーはお休みです、何か不明な点があれば感想欄にどうぞ。

へば、誤字脱字の指摘、分かり難い文章の改善案、設定の矛盾、一行の文字数などのアドバイス全般、そして、短くても長くても一言でもいいので作品を読んでみての感想など、心よりお待ちしております。



次回、
『金神様とリョウメンスクナは誰が何と言おうと冷やしたぬきが大好物』
『暗闇星人、他人の善意の行動で犠牲者を少なく出来た事に喜び顔芸をしながら喉が張り裂けんばかりに絶叫』
の二本立てでお送りします。お楽しみに。



[14434] 第三十二話「現状確認と超善行」
Name: ここち◆92520f4f ID:190f86b3
Date: 2010/09/25 09:51
────ジュースの話をしよう。
ジュースとは100パーセント果汁或いは野菜汁で構築され、添加物などを使用せずに製造されなければならない。
糖類は入れてもいいと告げられた。
食塩を入れても許されると。
その言葉に、頷いた。
果汁100パーセント未満の煮え切らなさ、そして不自然さを知っていた。
だから屈した。
決断をした。
…………しかし。
やはりそれは、間違った決断ではなかったか。
糖類を入れてもいいなら、保存料を入れてもいいと熱弁を振るうべきではなかったか。
食塩を入れてもいいなら、他の素材も入れるよう、勧めるべきではなかったか。
何故それができなかったのか。
味の安全性を放棄してしまったのか。
────罪はここにある。
────敵はそこにある。

そう。
ここにある。

“これは美味しくない”
“美味しくはできない”
“この飲料はまともに飲んではならない”
“あなたは──”
“飲み物ではなく、罰ゲームとして。
この飲料を広めてあげて”
“約束して……”

―――――――――――――――――――

「──ってのが、ν下僕の店のおばちゃんが聞いた世間様の評判なんだと、この芋サイダー」

「サイダーな時点で添加物バリバリでジュースじゃないにしても、それ言った奴はマジで敵だな」

じゅわじゅわぶちぶちと音を立てて泡を生み出す白濁したゲル状の飲料をすすりながら憤慨する。
口に入れた瞬間のゼラチンの分量を間違えた崩れかけのゼリーの様な奇怪な食感。
やもすれば口の中で小さな虫の卵が孵化し続けている様にも感じられる弾け方の炭酸。
極めつけは、どこをどう間違えたのか、大量生産の安いスイートポテトをそのまま液状化させているような、素朴と言えば聞こえはいいが結局のところ雑過ぎる甘味。
全てが全て未知の感覚で、余りにもショッキングな味である。炭酸飲料の革命と言ってもいい。
しいて名前を付けるならば、ふるふるシェイカー芋味。馬鹿にしている訳では無い。
元の世界でも戦っていけるレベルの飲料だ。
多分500mlボトルが三本で百円とか、そんな感じの販売方式で長く百円ショップの売り上げに貢献できるだろう事はもはや明白。

「まぁ、日常的に飲み続けたいかと聞かれれば絶対に首を横に振る自信があるが」

呑み終わった紙パックを折りたたみごみ箱に入れる。もう暫く飲む必要は無いな。

「たまーに味を忘れた頃にうっかり呑む分には悪くないかもねー」

そう言う美鳥が新たに鞄から取り出した紙パックは一つ。
ただ独つ。
新しき味覚の境地を切り開いた飲料が、そこにある。
だから。
飲むべきはただ、このサイダーのみ。
心底、覚悟して。
心底、感謝して。
そのストローを突き刺す。
完全な貫通を行う。
伸ばされたストローは紙パックのストロー差し込み口を破壊する。

──故に。
絶対の戒律(ルール)が、発動した。

「ほらほらお兄さん紙パックに炭酸飲料なんか詰めるから結構な勢いでねちょねちょした白濁色の液体がストローを逆流するはめに……!」

「何度見てもノイローゼになりそうな光景だな。ていうかそれはお前開けたんだからお前が飲めよ?」

「え?」

「『え?』じゃない」

ストローからどぴゅりごぼりと飛び出し、あっという間に紙パックをぶっかけ状態にした机の上の芋サイダーを押し付け合う俺達の前に、ゴンッと割れかねない勢いでお冷の入ったコップが置かれる。

「お客さま」

顔を上げればそこには笑顔のウェイトレスさん。
未だ学校に通っていてもおかしくない年齢にも見える、綺麗というよりは可愛らしいといった印象の小柄なお嬢さんだ。
童顔から高校生程度に見られるが来年には成人する年齢で、今は実家の飲食店を継ぐ為にウェイトレスをしながら厨房の方でも修行を続けているらしい。
明るく活発で気立ても良く、ちょろちょろと厨房とテーブルの間を行ったり来たりする姿は小動物的な愛らしさを秘めており、若い男性客には度々声をかけられるこの店自慢の看板娘なのだとか。
その看板娘さんの笑顔、若干米神やら口の端がヒクヒクと引き攣っているが顔面の筋力トレーニングでもしているのだろうか。

「お客様、ご注文は、お決まりでしょうか」

一言一言区切るように力強く問われる注文。心なしか怒気を孕んでいるような。
なるほど、よくよく考えてみればこの店に入ってから一時間以上、注文もせずに安く仕入れた芋サイダーをすすりながら駄弁っていたような気がする。
いくら昼のピークを過ぎた時間で碌に客が居ないとはいえ、これではただの迷惑な客だろう。
特に心惹かれるメニューが存在しないので『水』とか『キャベツの千切り』とかを注文してお茶を濁してもいいのだが、それをやると若い店員さんはブチ切れて怒りのハイパーモードに突入してしまう事はスパロボ世界で実験済みである。
俺と美鳥は会話の場所を確保する為に、大人しく適当な料理を注文する事にした。

―――――――――――――――――――

互いに向き合い食事を摂る。
何時ぞやのスパロボ世界の基地近くの食堂と違いさほど通っている訳でもなく、店員がいきなり隣に座ろうとしてこないので落ち着いて食事をする事ができるのはいいのだが、いかんせんメニューが少ない。
食料規制と併せて布かれた食糧増産計画で普及した玄米と芋類のおかげで幾つか生き残れたメニューもあるが、それでも置いてあるメニューは大半にバツの書かれた侘びしいラインナップとなっている。

「芋サイダーと大学芋ってのは、ちょっと凄過ぎる組み合わせだな……」

「玄米カレー少し食うか?」

「うぃ、ありがと」

大学芋の盛られた美鳥の皿に、俺が注文した肉が気持ち程度に入っている芋と豆の玄米カレーをよそってやりつつ考える。
今の大和は六波羅幕府の布いた食糧規制政策によって、外食産業が華やかに活動できる程の余裕が無い。
鎌倉の市街を歩いても軒並み暖簾を下ろして休業中の店ばかりで俺達が少し飯を入れていくような場所がなかなか見つからないのだ。
無論、俺達の食事は殆ど形だけのものなので無理に食べる必要はないので、ここで言うちょっと飯入れていく場所とは、これからの予定を立てる為に適当に話し合いのできる場所を指す。
金神を取り込んでいた地下でやればいいじゃないかと言われるかもしれない、だが待って欲しい、それは健全な人間の行い足り得るだろうか。
そもそもおめぇら人間じゃねぇっ! などというくだらない岩の妖精染みた揚げ足取りはこの際放置して話を進める。
まともな精神の持ち主であれば周りに土しかないような場所に一週間以上缶詰めして、さてようやく外に出られるという段になって、話合いをしたいからまた暫くここに詰めようねー。などと言われ、首を縦に振る事が可能であろうか。
答えは否。あの地下空洞は割と娯楽に溢れたフューリーの母艦でもなければ、それなりに面白い情報が大量に蓄えられている火星極冠遺跡でもない訳で、そうそう長い間閉じこもって居たい所では無いのだ。
恐らくこういった感情以外にも、地下から外に出たがっていた金神の原始的な本能が中途半端に俺の精神に影響を及ぼしているのだろう。
不景気、というか、わざわざメニューの大半が現在休止中な食堂に飯時を過ぎた時間に入ってくる客も居ないが、念のために何時ものように認識阻害の結界を張っている。
こうすれば、厨房で椅子に座ってぼんやりしている店員の娘さんには話の内容は聞かれないし、いきなり別の客が滑り込んできても内容を知る事は出来ない。

「うー、口の中が芋しかないよう」

「芋に芋を重ねる馬鹿が居るか、素直に玄米系のメニューを頼まんからだ」

舌を出し顔を顰めた美鳥にさりげなく複製した缶のお茶を渡すと、美鳥は緩慢な動作でプルタブを開け啜るように茶を口に含み、数度濯いだ後に呑み込んだ。

「なんか玄米メインだと自然食臭くてさあ、気取ってるみたいで気に食わないんだよねー」

「今現在のこの国の情勢だと玄米出すのが普通だし、ここは元ヒッピーがやってる店でもなければテーブルもぺとぺとしてないからな?」

むしろこの時代だと人工の調味料の方が貴重なのではなかろうか。
そんな俺の言葉を聞いた美鳥が傍らに置いた鞄から小冊子を取り出し、パラパラとページを捲る。

「えーと、お兄さんの今の発言で『賢しらにトリップ先の世界情勢を語る』はクリアー、わーいおめでとー」

「お、当たり引いたか」

美鳥が取り出した小冊子は姉さん自作の旅のしおり。
この小冊子には、一般的なトリッパーがトリップ先で行う行動について纏められており、この冊子の通りに行動していけば姉さんの言う初級トリッパーっぽい行動をトレースする事が可能な優れものなのである。
美鳥に習い鞄から旅のしおりを取り出し、空になった食器を脇に除け、机の上に広げる。
外に出たいというのは俺と取り込んだ金神の記憶の残りカスが理由だが、話合いはこの旅のしおりにある項目にチェックを付ける為なのだ。
ぺらりぺらりと旅のしおりのページを捲り、目的のページを開く。
そこには初心者にも分かり易い簡易な説明文で、初級トリッパーの基本的な行動方針が書かれている。
やれ『死ぬ筈だった原作キャラを助ける』だの、『主人公が倒す筈だった敵を横取りする』だの、『原作で誰ともくっつかなかったキャラを篭絡する』だの。

「あ、このページのネタ、全部スパロボ世界でコンプリートしてるね」

「なんという事だ。何の指導も受けずに知らぬ間に初級トリッパーに相応しい行動を取っていたとは、帰ったら姉さんに報告せねば」

しかも既に図らずもこの世界の中ですら二つコンプリートしてしまっている。
ええと、再生怪人飾馬律が装甲教師をぶっぱしたから連鎖的に新田雄飛が助かって、結果的に洗脳したから飾馬律は篭絡できたものとして扱えるから、

「いやでも解釈次第では敵を横取りしたのは飾馬律で、新田雄飛が生きているのも飾馬が勝手に鈴川を殺したからとも言える訳で」

「どっちもお兄さんがあの下僕を改造しなけりゃ起きなかったことじゃん。はいはいこの三つはしゅーりょー」

「ぬう」

なんとなく不満が残る結果である。
ここで言う『死ぬ筈だった原作キャラを助ける』って、リリカルな世界で言えばプレシアだのリィンフォースだのを持前のチート能力で無理やり救済!って感じのネタで、『主人公が倒す筈だった敵を横取りする』ってのも、ネギま的に言えば空気を読まずにヘルマン(ゲルトマニアではない悪魔)をスライスする感じのネタだろうに。
これ、結果的に成功してるけど、『物は試しで作ってみた使い魔が原作のトラブルを勝手に解決してました』みたいな話なんだよなぁ。
飾馬律は死んでるのを蘇生したから該当するかは微妙だし、ううむ。

「そんなに不満なら後で自分で改めてこの項目のネタをやればいいじゃん、別に二度同じネタをやっちゃいけないなんて言われて無いんだし」

「う、ん、そうだな、迷えるラム肉は大量に転がっている訳だし」

ここがあまり救いの無い世界で良かった。中途半端に救いのある世界だと救済もクソも無いからな。世界規模の不幸のお陰で今日も今日とて飯が美味い。
下手な鉄砲数撃ちゃ当たる的方針で、適当に不幸そうでかつ不幸をまき散らしそうな奴の後ろにへばりついていれば勝手に救いを求める連中が見つかるだろう。

「じゃー気を取り直してチェックを続けるよーう」

「おいさ。で、肝心の次のページのネタは『意味も無く現状の確認をする』か」

成程、これは盲点だったかもしれない。
トリップして介入行動を取ろうとする連中は、トリップ先の連中には無いアドバンテージ、原作知識をとろうとする。
スパロボ世界で俺と美鳥がやった事だが、これはこの項目を見なければ自覚する事すらできなかったかもしれない。
何しろ、この世界で取り込むべき第一目標はすでに取り込んでしまったので、あとはエンディングまで適当に見たことあるキャラに似ている人を救って行けばいいかなと緩く考えていたのだ。
もし今後確認するにしてもせいぜいストーリーの進行具合程度のものだろう。

「んー、これはここで適当に振り返っておけばコンプリートだよね」

「だな。思いつく限りの、介入とか救済活動に必要そうな情報を書きだして一通り目を通せば十分だろ」

鞄に突っ込んだ手からレポート用紙の束を複製し、一枚剥がしてテーブルの上に置く。
シャーペンを手にした美鳥が向かいの席から俺の隣の席に移動し、俺達は思いつく限りの重要なネタを書きこみ始めた。

―――――――――――――――――――

主人公とラスボスについて
・主人公『湊斗景明』は普通の家で普通の育てられ方をした善人。
・『湊斗景明』は呪いの劒冑『三世村正』を装甲し、各地で全滅事件を引き起こしている『銀星号』を追っている。
・『銀星号』を追う中、『湊斗景明』は『善悪相殺』の呪いにより望まぬ殺人を繰り返す。
・十銭玉を三枚縦に積み重ねる事が出来る。
・『銀星号』の正体は呪いの劒冑『二世村正』を装甲した『湊斗光』
・『湊斗光』は『湊斗景明』の妹であり、鉱毒病に罹り闘病生活の内に精神を破壊されている。
・現在の『湊斗光』は夢遊病のような状態で動き回っている夢で、『湊斗光』の願いを叶える事だけを考えている。
・『銀星号』である『湊斗光』はその命を削って力にしているので、放っておいても衰弱して死ぬ。
・十銭玉を縦に十枚積み重ねる事が出来る。

呪いの劒冑『二世村正』と『三世村正』について
・悪(敵)を殺すと善(味方)も殺さねばならなくなる『善悪相殺』という戒律が設定されている。
・『二世村正』は引辰制御、つまりとてつもなく応用が利く重力操作能力を備える高機動格闘型。『三世村正』のお母さんに当たる。
・『三世村正』は磁流制御、そのまま磁力を操作する能力を持つ汎用白兵戦型。『二世村正』の娘に当たる。
・双方ともに人間の精神を支配する『精神汚染波』を操る事が可能。
・『精神汚染波』は劒冑を纏った武者には効かないが、『精神汚染波』の結晶である『卵』を植え付ける事で汚染が可能。
・『精神汚染波』の塊である『卵』を植え付けられた武者は、『卵』の孵化と同時に『卵』を生み出したものと同じものに変質する。
・『二世村正』『三世村正』共に隠しコマンドに『褐色美人への擬人化』『足コキ』を備えている。

救済するならかなり重要なネタ
・第四章までのゲストキャラは大体全員死ぬ。三章で一人行方不明扱いだけど怪我の具合から考えるに後々死んでる。
・江の島の景観バランスがキックにより破壊される。江の島丼を食べたいなら阻止するべき。

更に姉さんの言に寄れば、ストーリー分岐のある作品世界の場合、特別な場合を除いて真エンディングへ向かうのだとか。
その条件を当てはめると、今トリップしている世界は魔王編を経由して悪鬼編へと進み、最終的には武帝が誕生するルートになるのだろう。
そう考えると、以下の事が分かる。

魔王編と悪鬼編の場合
・ネームドユニットはヒロイン二人と稲城忠保と来栖野小夏、署長と陛下、雪車町一蔵を除いて大体死ぬ。
・このルートのみ『銀星号』が『金神』を取り込む事でパワーアップ、衰弱死しなくなる。

つまり、魔王編に入った時点で適当に誰を救っても大体救済という事になるのだ。
村正のインストールされたPCは複製を作り出せるので何時何処で誰が死ぬかはカンニングが可能だし、これはかなり好条件だろう。
更に魔王編に向かうのならオマケでこんな事も書くことができる。

魔王編に入らないと分からない足利茶々丸についての裏情報
・堀越公方竜軍中将『足利茶々丸』は『湊斗光』大好きで『湊斗景明』にベタ惚れ。
・『足利茶々丸』は人と劒冑のハーフ『生体甲冑』である為、自らの仕手、しかも自分を道具の様にして扱ってくれるような仕手を必要としている。
・『生体甲冑』の特殊な感覚により其処ら中の音を拾ってしまい、そこら中から他人の声を拾ってしまい、更に地下で外に出たい外に出たいと騒ぐ金神の叫びにも日頃から悩まされている。
・割と破滅願望持ち。

―――――――――――――――――――

「と、こんな所だな」

ずらずらと本編のネタばれ文章が補足のメモと共に箇条書きされたレポート用紙を手に取り頷く。
これだけ振り返れば『意味も無く現状の確認をする』はクリアしたと考えてもいいだろう。

「雑魚様に触れてない辺り割と穴がある気がするけど、大体振り返るべきところは振り返れた感じだねー」

レポート用紙を覗きこむ美鳥が片手で手元のしおりにチェックを入れる。
これで合計四つの項目にチェックを入れる事が出来たわけだが、この初級トリッパーの行動方針チェックシート、全ての項目をクリアーする必要はない。
これはあくまでもメジャーなトリップ先、すなわちそこら辺の人が脳内で二次創作を思いつく程の人気作にトリップした場合の行動方針であり、マイナー作、一般的ではない作品へのトリップでは達成できない行動もあるからだ。
例えばそう、エロゲギャルゲの筈なのに男女比率で圧倒的に男の比重が多く、しかも片手で数えて指が余るほど少ない女性キャラは揃いも揃って超地雷持ちのヤンデレ属性、みたいな作品にトリップした人間にこの旅のしおりを渡したとしよう。
そんなトリッパーに『原作レギュラーのネームドキャラでハーレム作る』みたいな項目を制覇させる事は出来るだろうか。
あれやこれやとチート能力の多いトリッパーの力でなんとか数少ない女性キャラを全員陥落したとしても、その後に待ち受けるのは本当の地獄だ。

「そういった理由で、次のページの『適当に説教かます』は不可と」

「だね、この世界だと説教には公開凌辱か足コキが必要になってくるし、保留でいいっしょ」

文字通り体で分からせる必要が出てくる辺り、この世界の連中は偏屈である。
暫くチェックできる項目は無いようなので、気を取り直して箇条書きされた情報に目を通す。

「しかし、適当に書き連ねた割には情報の整理に役立ちそうなメモになったな」

「うん、この世界に来てから死人一人蘇らせただけなのに、もう大分前提条件が変わってきてるのがよく分かるよ」

先ず銀星号、湊斗光はこのままだと神と合体する事が出来ないので衰弱死する。
次に足利茶々丸、もう金神は完全に俺が取り込んでしまったので、聞こえるのは周囲の人の声だけ、毎夜気が狂いそうな騒音に悩まされる事は無くなった筈だ。たぶん。
更に第一章で死ぬ予定だった飾馬律と新田雄飛が生き残った事により、ここには書かれていないでっかい中尉の動向も大きく様変わりするだろう。

「んぅ、今回のお兄さんの強化は終わったから、あとは救済の方に力を入れてみるにしても、あちこち手を出せる場所が多くて迷っちゃうね」

「各章ごとのゲストを一人づつ生き残らせるだけでも目標人数は十分達成できるのだよな。ゲストは複数人数居るから多少助け損ねても問題無いし」

姉さんから託された宿題は三人の命を救う事だが、それ以外に何かやってはいけないという事も無いだろう。
折角救済という大きな目的がある訳だし、エンディングを迎えるまでの時間潰しとしてそれに沿う形で何かしてみるのもいいかもしれない。

「少なくともまだ第三章は始まって無い、か。第二部はどうだ」

レポート用紙を折りたたみつつ美鳥に問う。
つい先日、というよりも今日ようやく完全融合を終わらせる事が出来たところだから、外の出来事とかさっぱり分からないのである。
美鳥が芋サイダーを買い占めた時に店番の飾馬律から貰った昨日の新聞によれば、大和初の装甲競技国内統一選手権までまだ暫くの時間があるのだとか。
更に言えば、新聞には未だ会津猪苗代で始まった岡部頼綱の反乱は未だ治まっておらず、六波羅も戦の真っ最中との事。
昨日の夜に再プレイして確認した所によると、第二章では岡部の乱の最中に長坂右京が赤い武者、つまり村正と装甲した景明との戦闘の後に増援を要請したという童心坊の発言もある。
つまり、少なくとも未だ第三章は始まっていない。
今から急げば第二部の犠牲者、ふきとふなの褐色長耳姉妹の命を救って姉さんの宿題完全コンプも夢では無いのだ。

「あー、少なくともあの村の全体的に細長くて髭面の安い悪党面の代官がどうこうなった感じは無かったよ、まだ強制労働やってたし。あれが良く似た別の悪党だってんなら話は別だけど」

「あんな絵に描いたような悪党面がそう何人も居てたまるか、いや、たまりそうだが」

俺は金神の強大なエネルギーを次元連結システムのちょっとした応用で見つけて即座に融合を開始してしまったが、何度も地下空洞と外を行き来していた美鳥は金神が地下に眠っていた山の周辺の様子を良く知っている。
遠目で確認した程度だが、ゲームの立ち絵の顔がそのまま人相描きとして使える程度には似た人物が偉そうに踏ん反り返り、村の住人に穴掘りをさせていた光景を何度も確認しているらしい。
そもそもあんな辺鄙な土地の山を村の住人を借り出してまで発掘作業させるような酔狂な輩はそうそう居ないだろうから、この小悪党面の代官は第二部ボスの長坂右京で間違い無い。

「じゃ、一旦関東拘置所を覗いて暗闇星人の所在を確認して、それからあの山に向かうって事で」

美鳥が伝票を手に立ち上がる。
さりげなく手には未開封の芋サイダー、おそらくあの店員さんにチップと称して押し付けるつもりなのだろう。
認識阻害を掛けながら渡せば、芋サイダーを渡された事に疑問を持つ事など不可能なのだ。たとえどんなに不味くても受け取らざるを得ない。

「ああ、あと冷やしたぬきを出す店を探しながら、鎌倉観光を挟みつつ、決して走らず、急いで歩いて行こう」

俺も椅子を引き立ち上がる。
褐色長耳姉妹の救済も重要だが、この時期に冷やしたぬきを出す馬鹿な店に一言文句を言いに行かなければならない。
冷やしたぬきというのは、カンカン照りのお天道様の下で食ってこその値打ちのものなのだ。
それを流行りものだからといって、こんな秋も半ばを過ぎた寒い季節に店に並べて悦に浸るなど、天が許してもこの俺が許さない。神的立場から見ても絶対に許さないよ!
そんな馬鹿な商売をするから冷やしたぬき否定派がつけ上がると理解できない奴は、俺が直々に熱くしてやるぜ。

「うん、ついでに装甲競技をやるサーキットを見学してから、そして早くダークエルフっぽい外見のエロシーンが無いのが悔やまれる姉妹を助けにいかなきゃな」

財布からお金を取り出し、無気力極まりない表情で店内を眺めていた店員さんの元に歩み寄る。
途中忍び込んだ金持ちそうな家で複製したお陰でこの時代の通貨は大体複製可能、迷惑を掛けてしまったお詫びに本当にチップをあげるのもいいかもしれない。
店員に少し多めに食事の代金を払い、俺達は助けを求める子羊の元へと向かい始めた。
徒歩で。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

そして市街を散策し、途中にバス移動を挟みつつ第二章の舞台となる鎌倉近郊の寒村へと足を踏み入れた時、俺達は少しばかり自分達が出遅れ気味である事を自覚した。

「村の人達、鉱山に居ないね」

「つうか、村に居たっていう六派羅の連中の姿もまるで見えないな」

装甲競技のグッズ(皇路操の等身大ポスターや有名チームの競技用劒冑のフィギュアなど)や鎌倉土産(ペナントや根性の文字が入った置物など)が詰め込まれた紙バックを両手に提げた俺達の前を、冷たい一陣の風が吹き抜けていく。
おかしい、確かに多少鎌倉の街で冷やしうどんをやっている店の店長の全身の関節を外して身長を伸ばしてあげて、しばらくは店を営業出来ないようにしてやったりもした。
美鳥の意見を聞いて行ったサーキットではレースこそ行われてはいなかったものの、競馬場や競輪場競艇場の如く売店に人気レーサーや人気の劒冑のフィギュア、人形、ポスターなどが並べられており、思わず色々と手に取ってじっくり確認しつつ結局大量に買い込んでしまったりもした。
少しはしゃぎ過ぎたので適当にホテルに入って一泊して、翌日そのまま貸し衣装を美鳥に着せたり脱がせたり着せたり脱がせたり着せたり剥いだりで追加で二日目を丸一日潰したりもした。
ふと思い立ってミラコロ状態で猪苗代湖上空まで飛んで、美鳥と二人並んで芋サイダーをすすりながら竜騎兵が入り乱れる戦場を見学して三日目を見事に消費したりもした。
四日目、今度こそこの村に向かおうとバス停を探していたら登校中の飾馬律に見つかり、お礼だの神への捧げものがどうだの世間話だのをする事になり、それを目撃した他の三人に飾馬律が語った偽の事情を話したら三人からお礼を言われたりなんだりで時間を潰されたりもした。
更にああだこうだと久々の外出と鎌倉観光を思う存分楽しんでいる内に、合計で一週間ほど経過していた。
しかし、たかだかその程度の予定のずれで、ここまで見事に第二部導入部を見逃すなどという偶然があり得るのだろうか。

「これは間違いなくレジデント・オブ・サンの陰謀……!」

「実写版だと宇宙人に浚われたキバヤシが超能力を身に付けたりすんだよな。あんまり覚えてないけど似せようという努力の跡すら見えない配役だった気がする」

まぁ、当然ながら謎の組織が裏で手を回している訳では無く、俺達が鎌倉観光を思いっきり楽しんでいる間にストーリーが進行してしまっただけの話なのだが。

「いや、諦めるにはまだ早い。村は滅んでいないし、銀星号が来ていないなら最低でも長坂右京は生きている筈だ。まだ挽回できるレベル、だと、思いたい、なぁ、と」

「すっげぇあやふやでふわふわ意見じゃん、ていうかそれもう意見つうか希望じゃんお兄さんの」

「あーあー聞こえないー。つーかここはがっかり美人か代官のどっちかを殺せれば自動で一人は救えるからいいだろうが。難易度的には第三章と第四章のネームドゲストキャラ救済のが楽なんだからここは失敗しても問題無いんだよ」

ジト目の美鳥の追及を手で耳を塞いでかわす。
救済相手の母数が多いから多少の救済失敗は許容されてしかるべきなのだ。別に善意の行為では無い訳だし。
俺は土産物の入った紙袋をラースエイレムで固定し、スパロボ世界で使用した黒ボウライダーなどが格納されている異次元空間に収納すると、周囲の空間に意識を伸ばした。
スパロボ世界に一年以上滞在する事で、俺は携帯機スパロボの俯瞰型マップを脳内に描き、建物の向こうで息を潜めている敵の位置までも確実に把握する事が可能となっている。
そのマップに更に金神の能力を付加する事により、金神の新陳代謝で本体から剥離した身体の一部、それを鉄の鎧、鍛冶師の肉体と混ぜ込んで生み出した分体とも子孫とも呼べる劒冑の所在地を如実に俺に伝えてくれるのだ。

「なんか見えた?」

意識を辺りに広げている俺に美鳥が問いかける。
今回は金神を取り込んで直ぐ活動を始めたので、美鳥には未だ金神の性質は含まれていないのである。

「ん。川のほとりに、半壊の数打ちが一領。山の中に装甲済みの数打ち一領と、装甲済みの真打ちの欠片。少し離れた空で真打ちが二領、片方の真打ちと同型の劒冑が二領……」

因みに脳内マップ表示では青軍の反応二つに赤軍の反応四つ、俺達の位置に黄軍のユニットが二つで写っている。
……確かに善悪相殺なんて七面倒臭い呪いの持ち主の味方になぞなりたいとは思え無いが、その場合俺達を青表示にするべきでは無いだろうか。
俺達が黄軍で表示される辺りには、不慣れな金神の感覚では察する事の出来ない世界の悪意的なものを連想せざるを得ない。
多分無貌で燃える様な眼が三つある神様の仕業だと思うので、その内頑張って殴れる程度には神様としての格を上げておきたいものだ。
いや、必ずしも殴る必要は無いのか、展開次第では味方になる可能性もある訳だし、黒髪美人の時におっぱいにビンタを入れる程度で済ませるのが穏便でいいかもしれない。
もしも黒人アナゴ声だったら指輪を全部駄菓子屋のプラ指輪に入れ替えるとか。黒人メガネメイドならアイスを全部わさびアイスにすり替えるとか。

「つまり、最後の戦闘シーンには間に合ったと見て良いわけだ」

「む、山の中でひっそりと陰義を使い続けているのが羽黒山と湯殿山で間違いないだろ」

パッとマップを見たところ、青い表示の村正が月山に滅多打ちにされているところから見ても、まだ戦闘開始からそれほど時間は経っていない筈。
俺は身体の内部構造を組み替えながら全身から煙の様にナノマシンを噴き出し、ブラスレイターと同じ変身プロセスを経て簡易式等身大戦闘形体へと移行する。
基本的にブラスレイターかつテッカマンブラスレイターであるというだけの簡易な戦闘形体だが、俺の肉体は今まで取り込んできた機械の能力を強化状態で使用する事が可能。
更に生身でDG細胞汚染済みガンダムファイターを遥かに上回る身体能力を備え、俺自身の戦闘経験、流派東方不敗の体術、蘊・温爺さんの剣術、あとついでに京都で手に入れたなんたら流の術理を振るう事も出来る。
というか、いざとなればいくらでも装備や能力の組み換えは出来るから、あくまでも戦闘形体は形だけのものとも言える。
主人公にしか倒せないラスボス補正を備えるラスボスだとか、滅多なことでは死なない主人公補正持ち主人公相手でなければ俺に負けはそうそう有り得ないのだ。
……ここの主人公は主人公補正とかほぼ皆無どころか結構な確率で死ぬので戦う時には殺さないように注意が必要だし、下手をすればこちらが殺されかねない激強いラスボス補正持ちがこの村に近づいている事も考えれば決して油断は出来ない。
念のために村には近付かず、月山か代官を殺したら村から離れた場所に逃げるのが一番だろう。

「美鳥、お前は川のほとりの雪車町の数打ちを回収したら一旦鎌倉まで戻って、こないだ泊まった駅前ホテルの予約とっとけ」

「あいあい。お兄さんは?」

「月山と村正の方が位置的に近い。村正がステルスの秘密に気付く前に即効で月山沈めてくる」

ステルスに気付いてから月山の撃墜までは速攻だ。
二度続けて自分以外の誰かに野太刀の欠片を回収されれば、第三勢力の存在を疑い始めさせてしまうかもしれない。
それに代官との戦闘前には一条さんのフラグイベントが発生する。
正直、臓を武器にする女性との親密な付き合いなど御免被りたいし、あの娘は悪党センサーとか内臓してそうだから正直近寄りたくない。
例え長いスカーフの片方がパンツに入っちゃってスカートがめくれ上がっていたとしても、忠告する事無く素通りする程度には関わりたくないのだ。
掌の章印から十分の一程度にスケールダウンした太刀型、いや長さ的には大太刀型というか、そんなグランドスラムの複製を作り出し、美鳥へ一度振り返る。

「そこまで武装しなくてもいいんじゃないか?」

美鳥はブラスレイター形体への変身を済ませ、前に俺が作ってやったシステムボックスを手で弄んでいた。
夕日に照らされ紅く光るクリスタルを、美鳥のデモナイズしても尚細い指が柔らかい手つきで撫ぜる。
もう美鳥も自力でクリスタルを形成できるはずなのだが、あのクリスタルやクリスタルの生み出すアーマーとブースターのデザインが余程気に入ったのだろうか。

「いいじゃん、羽黒山と湯殿山はあたしが食ってもいいんでしょ?」

「後で統合な」

言い捨て、重力を中和。
ふわりと宙に浮かびブースターを吹かす。停止状態から一瞬で超音速へ、周囲の木を衝撃波で薙ぎ倒し空へ駆け上がる。
刀の振り方モノの斬り方モノの怪の斬り潰し方は知っていても、空中剣術なぞテッカマンの知識以外では聞きかじりでしか知らない。剣劇なんて面倒臭い真似はせず、一撃で片を付けよう。
一瞬にして地球の重力を振り切り、大気の層を全開で突き抜け、更に加速加速加速。
宇宙の真空の冷たさと衝突する暗黒物質を全身に感じ、地球を背に駆ける。
加速を続け、ようやく『天に』青い地球を仰ぎ、地に足を付ける。
かつてしばしの塒として用い、頼もしい元仲間達と力をぶつけ合った思い出の場所、月の大地を踏みしめ、しかし加速は止まらない。
一分かけずに月面へと到達する程の速度を、エネルギーをしっかりと脚にとどめ、更に月を蹴り跳び上がる。
本来なら月すら貫通、あるいは砕きかねない速度。しかし、足を付いた月面は砂一つ浮かび上がらず、反作用の力を純粋に速度に積み重ねる。
ディゼノイドとペイルホースにより限界まで加速された神経を、更に違う流れの時間へと移動させる。
それでも速い。理論上は無限に加速が可能なブースターで月⇔地球間往復の距離を加速に費やしたのだから速いのは当たり前。
まだ見えない、いや、見えた。見えざる敵に翻弄される赤い劒冑。
その周囲を飛びまわる、金神の欠片、劒冑の反応、月山従三位、丸見えだ。
サイトロンによる未来予測、未来位置予測完了、相対速度合わせ。
ブースターを切り重力推進に切り替え、手に提げたグランドスラムを両手で上段に構え、そのままぐるりと前転。
超々高空からの降下突撃、加速によりエネルギーを高めつつ接敵し、前転により打ち下ろしの太刀に威力を乗せる荒技。

「見様見真似、吉野御流合戦礼法“月片”が崩し──」

太刀を持って繰り出して初めて気付いたが、昔の戦隊ロボットの必殺剣と動作及び理屈が同じ馬鹿げた術技。

「魔剣」

しかし、威力はこの世界のラスボスが幾度となく証明している!

「天座失墜──────小彗星!」

―――――――――――――――――――

「なっ──」

「何、あれ……」

巨大な、盆地。いや、クレーター。
つい先刻までいくつもの山に囲まれていた土地が、跡形も無く更地になっている。
完全な円形ではなく、一方向に向けて楕円に伸びたクレーターが眼下に存在している。
小さな村程度ならそのまま収まってしまいそうな巨大なクレーター。
村正は、村正を装甲する湊斗景明は、直前まで自分が一方的に攻撃を受け続ける絶対的な劣勢に立たされていた事も忘れて、呆然とそのクレーターを見つめていた。
何者かから絶対的な命令を下されたかのような錯覚を受ける程の強制力が、その光景から目を離させない。
景明は、未だ土煙を上げ続けるクレーターの中心部から目を離す事無く、自らの劒冑に問いかけを送った。

「村正、これは」

《──、み────っ──》

が、帰って来たのは村正の声ではない。
いや、村正の声こそ混じってはいるが、強すぎるノイズに上書きされ意味を持った形を作れずにいる。
そして、そのノイズを更に上書きする様に、聞いた事の無い声が響く。

《──い─、──する─だった──────》

ノイズを混じりのその声は、変声機を通したかのような、劒冑の金打声の様な何処か金属的な響きを持つ男の声だった。
その声色に似合った落ち着き払った口調に、人間臭さがにじみ出すどこか芝居がかっている様でもあり、この状況を面白がっているようにも感じられる音程。
ごう、と、一際大きな風が吹き、クレーターの中心部を覆っていた土煙が晴れる。
晴れた土煙の向こうに立つ姿を目に入れ、

「────あ──」

息が、止まる。
夕陽を浴び紅く染まる甲鉄は、しかしその色を留める事無く絶えず複雑にその色彩を変化させている。
単純に堅牢さを追求した劒冑では決して出す事の敵わない繊細さを備えているようでいて、しかしその輪郭は決してそれが芸術品の類ではないという現実を叩きつけてくる。
いや、果たしてそれは劒冑(ツルギ)なのか、同じ響きを持つ剣(ツルギ)に等しく攻撃的でありながら、それは景明の知るどのような劒冑とも共通項を見出す事が出来なかった。
渦の様な、河川図の様な、邪神を地に降ろす魔法陣の様な、複雑怪奇にして精緻、神聖にして冒涜的な紋様が全身に刻まれたそれは、兵器であり武器である劒冑とは一線を画した存在である様に見える。
見える? いや、感じるのだ。
村正の全甲鉄を震わす金打声が、様々な光を放つ装甲、しかして余りにも【虚ろな相貌、燦然と炎え滾る三つの眼】が、それが異質でしかない事を知らせて──

《──『』──》

─────────ペタリと、何かが張り付けられる音が聞こえた─────────

──いや、ともかくその奇怪な劒冑を纏った武者は、身の丈よりも大分長い野太刀を傍らの地面に突き刺し、その手に拉げた鉄の塊を持ち首を傾げている。
拉げ、土埃に塗れてはいるものの、それは紛れも無く先ほどまで相対していた風魔小太郎の劒冑の欠片。
爆散するよりも早く弾き飛ばされた事で、残った劒冑の破片は未だその命を留めていた様だが、一度大きく震えると粉々に砕け散り小さな欠片を残した。
鍔、村正の失われた野太刀の欠片だ。
しばし手の中で野太刀の鍔を弄んでいた武者は、その鍔を一度深く手に握りこむと、村正を装甲した景明に視線すら向けず、無造作な動きで軽く放り投げた。
軽く放り投げられた野太刀の鍔は、劒冑の騎航能力無くして届かない空の高みにいる景明の手に過たず収まった。

「…………」

何かを言うべきだと思い、何を言うべきかが思いつけない。
鍔を受け取った。こちらの窮地を救ったのも恐らくあの武者なのだろう事も理解できる。
だが、あの武者に関わろう、という気を持つ事が出来ない。
無関心でいる事を強要されている様な不可思議な感覚に、しかし疑問を感じる事もまた不可能。
天と地に分かたれ、両者を決定的なずれが更に隔てる。
沈黙を破ったのは、空から降ってきたと思われる所属不明の武者。
先の呟きよりもノイズの幾分少なくなった声。しかしその言葉もまた景明に向けられたものでは無い、中に融ける呟き。
余りにも軽い口調、小遣いの数を数える様な気安い声音。

《減速にやや難あり、と。いやはや、どうしてこうして本家程巧くはいかん》

地面に突き刺していた野太刀を引き抜き肩に担ぐと、その武者は空を飛ぶ景明に視線を向け、今度こそただの呟きで無い言葉を告げた。

《呆けている暇があるなら急いだ方がいいですよ。急げばまだ間に合うかもしれませんし、ね?》

言われ、慌てて坑道の方角に振り向く。
そう、風魔小太郎との激戦に気を取られていたが、今現在坑道では弥源太老が代官と戦っている。
呆けている時間など無い、一刻も早く山に向かわなければ。

「村正!」

先ほどから一言も発さない自らの劒冑に呼びかける。
先ほどまでのノイズは、初めから存在しなかったかのように綺麗に消えている。
数瞬の空白を挟み、村正の声が返ってきた。

《──ごめんなさい、急に意識が》

「構わん、今は坑道へ急ぐ」

《ええ》

合当理を吹かし山へ向かう寸前に一度振り返ると、そこに武者の姿は影も形も存在せず、ただただ巨大なクレーターだけが残されている。
その事に村正も景明も疑問を抱く事無く、一直線に弥源太と代官の居る坑道へと騎航を開始した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

急ぎ坑道へと向かった景明と村正を待ちうけていたのは、一眼で致命傷と分かる刃傷を負った弥源太とそれを庇う綾弥一条、それに斬り掛らんとする六派羅代官長坂右京。
既に息絶えた弥源太はその場に置き、綾弥一条を救出、すぐさま舞い戻り、劒冑に植え付けられた『卵』が孵化寸前だった代官を陰義による一撃で殺害し、この村での村正と景明の戦闘行動は終了。
三世村正の仕手である湊斗景明は、恩義を感じていた弥源太を殺した憎い仇、六派羅代官の長坂右京を殺害した。
悪の命を一つ断ち切った。

「……」

幾度も修繕を繰り返した跡の見える、古い百姓家の中、手には太刀を提げた赤い劒冑の武者が立ち尽くしている。
くうくうと安らかな寝息を立てる蝦夷の少女ふき、その妹である幼子のふな。
布団を並べて眠る二人の少女の前で、しばし逡巡するようなそぶりを見せ、

「──」

太刀を逆手に持ち換えて、その切っ先を幼子──ふなの心臓の上に向ける。
赤い武者──景明の脳裏に、この百姓家に匿われていた数日の間の出来事が駆け巡る。
凶刃に倒れ、治療を受けた際に、幾度となくお話しをせがまれた。
鎌倉の町の事を聞かれ、その人の多さに歓声を上げて喜ぶ姿が瞼の裏に蘇り──

「……ッ」

突き降ろす。
赤い花が、一輪。
咲いた。
老人と孫の三人が暮らす平和な家。
蝦夷の家族が暮らす平和だった家に、今はもう、一人だけ。
幼い孫は弥源太老人の後を追わされ、残る孫は頼れる相手も無く一人取り残される。
立ち尽くし、静かに大輪の赤い花を見つめる。

《御堂》

「……大丈夫だ。俺は狂ってなどいない。狂いなどしない。そんなところには逃げない」

《そう。でも、違う。まだ終わってない》

「……?」

「……けふっ。こほっ、けふっ、けふっ!」

心の臓を突かれたふなが目覚め、血の混じった咳を苦しげに始めた。

「!!」

息を呑みたじろぐ景明に、その声にどこか責める様な色を含んだ村正が言葉を重ねる。

「見当を見誤ったようね。……顔を直視したく無かったのでしょうけど、首を刎ねていれば良かったのよ」

「……う……あ……」

咽喉が引き攣っているような、悲鳴の一歩手前の様な音を漏らし、脚を一歩、後ろに、

「そのお陰で、あの子は苦しんでいる」

下げる事すら出来ない。
善悪相殺の呪が、もう一人の確実な犠牲を望み、その脚を縛りつける。
顔を逸らす事も出来ない。
目の前で、ふなが苦しみ悶えている。
血の咳を吐き、貫かれた胸を掻き毟るように身を捩り、その度に、肌蹴たチョコレート色の肌に刻まれた刃傷から、とくりとくりと赤い血が溢れ、

「けほっ、えほっ、えぇっ……ねーや……いたいよ……ねーやぁ……じっちゃ……」

苦しむ。助けを求める。

「ひ……ひっ、ひぃ……」

劒冑の甲鉄の下で、景明の顔が醜く歪む。
自らの罪を目の前に曝け出され見せ付けられる恐怖に、如何し様も無く。
目を逸らす事すら無く。

「早くしなさい!」

村正の叱咤。
このまま出血多量で死んでしまえば、善悪相殺としてカウントされず犠牲者を増やしてしまうからか、それとも、早く苦しみを断ち切ってやれという事か。

「ひ……あぁ……」

どちらにしても、やらなければいけない事に変わりは無い。
やらないという選択肢は存在しない。
村正の呪いが、景明の意思が、劒冑を動かす。
太刀を振りかぶる。
痛みに苦しみ喘ぐ幼子の顔を確と見定めて──
目が、合った。

「!!」

「えほっ、けほっ! にーや……!」

しかし、痛みで混乱し、自分がどのような状況に置かれているかすら理解できないふなは、目の前で太刀を振り上げる武者に、手を伸ばす。
涙でグシャグシャに濡れた顔を、潤む眼を向け、無垢なままに助けを求める。

「たすけて……にーや……にーやぁ……」

その一言毎に血を吐き、しかし力の限り縋り付く。

「いたいよぉ……にーやぁぁ…………」

「あ……ひぃ……ッ」

その願いに、湧き出る声を耐えきれず、

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃッッッ!!」

刃を、振り下ろした。
苦しみも痛みも縋りも願いも、呆気なく刎ね飛ばされた。
ごろり、と転がり、しかしその不完全な球形故に長くは転がらず、止まる。
残ったのは、蹴飛ばされた掛け布団を被り、びく、びく、と痙攣を続ける小さな身体。
それもやがては動きを止め、二度と苦しみに悶える事は無い。
そして、何時の間にか目を覚まし、呆然と赤い武者を見上げる、ふき。
呆然と、いや、恐怖に歪み、怒りに歪み、悲しみに歪み、しかし疑問に満ちた表情。

「お武家、さま……」

何故殺したと叫ぼうとし、だが恐怖に凍り付き喉はうまく動かず、声は正確に形を成さない。
怒りの表情でありながら眼には恐怖からか悲しみからか涙が浮かび、気丈に振舞おうにも座る蒲団からは暖かな湯気とアンモニア臭が漂い。
しかし、その視線は複雑に混濁した感情を含んだまま、決して赤い武者から逸らさない。
罪人への糾弾。
しかし、その視線に射抜かれても、もはや景明は何も返さない。
叫ぶでも弁明を並べるでもなく、村正と景明は静かにその場を立ち去った。

―――――――――――――――――――

その光景を、隣の部屋から覗き見していた雪車町一蔵は、自分がやはりまだ夢を見ているのではないかと感じていた。
余りにも現実味の無い光景。
代官と風魔小太郎を殺してきたと思しき警察の武者が、泣き喚きながら、守る対象であった筈の蝦夷の娘の片割れを殺し、何処かへと去っていった。

(へ、へ……ひでえ、夢……)

余りにも道理が通らない。荒唐無稽な悪夢。
結局のところ、誰ひとりとして救われていない。
警察の武者の行いは、その武者本人すら納得せぬままに、意味も無く人を殺して終わり。
後にはただ、何も残されていない蝦夷の少女が一人。

(こいつがもし、夢じゃァなかったら……)

泣き腫らした目で、妹の半分を膝の上に抱えた蝦夷の少女が、ぼんやりと窓から差し込む月の光を眺めている。
表情にはもはや怒りも無く、虚ろで、どこかを見ているようで見ていない。
ただただ、膝の上の妹の頭を撫で、髪の毛を梳いている。
その光景を見つめていた雪車町の耳が、カシ、カシ、と、軽い金属のぶつかり合う音を捉えた。
遠くから響く金属質の足音。武者の様な重く重ねられた金属鎧の音ではないそれが、どんどんとこの民家へ近づいて来ているのだ。
その足音が、戸の前で立ち止まる。

「ふ、ふ、ふ。これはこれは、まったくまったく、見事に如何にか成ってしまって!」

戸は開けられる事無く、しかし蝦夷の少女の目の前にはいつの間にか怪しげな人影が悠然と佇んでいた。
映画のフィルムのコマ落としの様に唐突に屋内に侵入した人影。
武者。それも先の侵入の手妻から推察するに何らかの陰義を持つ真打ち。
月の光を浴び白銀に輝き、その白銀から目まぐるしく色彩の変化する虹色の光彩を放つ不可思議な材質の甲鉄。
装甲の表面には古代人の描いた線画の如き紋様が刻まれ、ある種の宗教の偶像の様でもある。
通常の武者に比べ、数打ちと比較しても痩身と言ってもいいほどそのシルエットは人間の物に近く、しかし壊れる姿を想像する事すら出来ない。
壊れる、破損するという概念を何処かに置いてきたかの如き佇まい。
少女の顎を指先でつまみ持ち上げ、まじまじと顔を覗きこみながらの呟きは劒冑の統御機構の様な機械的な響きの声。
しかしその声はどこまでも自然体で軽薄で泰然として愉悦に満ちた、如何し様も無い程の人間臭さを含んでいる。

「ううん、これはまさしく救われない終わり方だ。このままでは少女は復讐に取りつかれ、新たな悪鬼へと変じてしまうやもしれん」

芝居がかった口調のセリフと共に少女の顎からぱっと手を離した武者が、背に手を廻し身の丈を超える程の長さの長大な杖を取り出した。
機械の臓を引きずり出し繋ぎ合せて作られた鉄と油の匂いを持つ杖。
蜂巣砲(ガトリングガン)にも似たシルエットを持つそれを武者特有の剛力で軽々と振り回し、武者はその杖の先端を蝦夷の少女に向けた。
人差し指を引っ掛けている引き金を絞ると杖の先端に魔法陣が現れ、カメラのフラッシュの様に弾けて消える。
泣き疲れ、怒りに引き攣り、そのどちらもが付き果てた虚の表情で月を眺めていた少女が、その場で浮き上がる程に身を撥ね、しばしの硬直の後にくたりとその場に倒れこんだ。
つい先刻、妹が斬り殺される寸前までと同じ、安らかな寝息を立てている。

(……どうしたもんですかねぇ……)

一部始終を目撃していた雪車町一蔵は、先程の警察の武者の凶行を目にした時に湧き発った暗く熱を帯びた感情とはまた別の、戸惑いにも似た感情を目の前の光景に感じていた。
いや、それはまさしく戸惑いの感情なのだろう。
突如現れた武者の行動全てが彼の理解の範疇を超えていたのだ。
いや、玉虫色の武者は未だ目の前ではよく分からない行動を続けている。
巨大な機械杖を背中に背負い直し(背負った時点で既に背後に杖の形は見てとれなくなっている)、血が飛び散り放題の室内へ人差し指を向けくるりくるりと指先を廻し始めた。

「くるわ、くるくる」

その呪句と指の動きに呼応する様に全身に刻まれた紋様がうっすらと光を放ち初め、室内に飛び散った血液が浮き上がり指先に集まり、その血の塊がぶくぶくと泡を噴き出し、小さなビー玉程にまで凝縮されてしまった。
最早先ほどの凶行を知らせるのは蝦夷の幼子の死体と、室内に充満する濃厚な血の香のみ。
そして武者は大きな鞄を取り出すと、その鞄の中に蝦夷の幼子の体を寝かせ、その身体の首の上に、姉が取り落とした頭部を乗せ、

(おいおいおい……)

ここまでくれば、何をどうやっているかは分からなくとも、何をしようとしているかは筋者の雪車町には簡単に察しが付く。
証拠隠滅。
ここで行われた事を、無かった事にしようとしているのだ、あの武者は。
ただ凶行の痕跡を消した程度では隠ぺいのしようも無い、恐らくあの先ほどの杖による一撃、それが自分を除く唯一の目撃者である蝦夷の姉妹の姉への何らかの処置だったのだろう。

(いやいや、何が起こっているやら……)

だが、そこまで察する事が出来たとしても、自分では今何かをする事も出来ない。
何か出来たとしても、自らの身の危険を顧みずに行えるほど、雪車町一蔵という男には義侠心の様なものは備わっていなかった。
目の前の不可思議な武者にも確かに興味をそそられる。この武者は恐らく、心底自分の今の行動に満足し、全力でこの行動を楽しんでいる。
誰も彼もが今日を生きるのに全力なこの時代には珍しい、楽しむためだけに楽しむ、真面目に不真面目な行い。
珍しく興味も引かれるが、しかし、雪車町の心を占めていたのはやはり先の赤い武者、警察の武者の行いへの疑問だ。
最早夢だったなどとは思えない。
あの武者が証拠を消した、という事実が、あの光景により真実味を与えていた。
赤い武者へと思いを馳せる雪車町に、

「善悪相殺」

唐突に機械の響きを含む声が掛けられる。

(!!)

布団に蝦夷の姉妹の姉を横たえ、鞄にその妹の死体と衣類全般と布団などを詰め終えた武者の視線が、障子戸の隙間から覗く雪車町の視線と重なっていた。
気取られた、いや、当然と言えば当然か。もはや意識は完全に覚醒し、驚きのあまり気配は駄々漏れ。
それ以前の問題として、目撃者へ何らかの『処理』を行っていた武者が、この家の中の探査を怠る筈も無い。
今の自分には劒冑は無く、逃げようとした瞬間にあの武者に捕捉されて終わり。
ここはどうにかこうにか口八丁で乗り切らねば、などと考えている内に、

「村正と善悪相殺で調べてみな。ちょっと劒冑に詳しい坊さんにでも聞いてみれば一発だ」

いつの間にか武者が構えていた杖、そこから発せられる光に、呆気なく呑み込まれた。

―――――――――――――――――――

鞄を背負い、すやすやと眠るふきに掛け布団を掛け直し戸に振り替える。
片手で構えた魔法の杖を一度、二度振り折りたたみ、背後の異空間へと収納する。
前この杖でガンスピンの練習したら暴発して酷い事になって姉さんに怒られたから、今現在では派手なアクションも挟まずにこうして地味に格納する事にしている。
まぁ、そもそもこの杖を使わなければいけない時は見せる相手が居ないから、そこまで恰好を付ける必要は無いからいいのだけど。

「うむ」

何はともあれ正義完了。
こうして姉のふきは無事生き残り、目の前で憧れの感情を抱いていた人による妹の斬首ショーを見せつけられて精神面で不安があったが、それもさっきの魔法でフォロー出来たと見ても良い筈。
明日の朝からは祖父の事も妹の事も綺麗さっぱり忘れて、一人でも何の不自然も感じずに暮らす事が出来る筈だ。
ここに生き残りが居る事を知れば銀星号事件唯一の生き残りという事で何時か参考人として呼ばれるかもしれないが、そんなところまでアフターケアをする義理も無いだろう。
そもそも雪車町を鎌倉の適当な空家の中に転送したのだって過剰なアフターサービスなのだ。理屈の上で言えば、あの後雪車町に浚われて景明いじめの材料に使われても救済完了したから気にしない!ってやっても良かった訳だし。
そんな訳で、今後この娘がどうなろうと、取り敢えずはこのタイミングで死ぬという運命は変えるのに成功した訳だから、間違いなく救済完了。
俺の脳内シゴック先生も盛大にお喜びになられているし、これで姉さんの宿題もあと一人救済すれば終わり。
残りの時間は適当に原作の修羅場を眺めたり、思いついた救済系トリッパーっぽい行動を試してみるのもいいだろう。

「ふふん。なんだ、簡単じゃないか」

「今、すっげぇ失敗フラグが立った気がすんだけど」

いつの間にか屋内に侵入していた美鳥の突っ込みも何のその。
そもそも次の救済では特に変身したり斥侯を作り出したりする必要すらないのだから失敗も糞も無いのである。
適当に札束ビンタかまして趣味の悪い金翼クルスをきゅっとしてどかんしてやれば呆気なく三人目を救う事が出来るのだ。
後々の第四章での救済も楽と言えば楽なのだが、こういうのは早いうちにやっておけば後は遊び放題、夏休みの宿題と同じなのである。
戸を両手で開け放ち、後ろ手に戸を閉めると同時にテックセットとデモナイズを解除する。
金神の力が侵食したお陰か、全身を覆っていたアーマーは砕け散る様にして解除され、その破片は輝く塵となり風に融けて消えた。
金神パワーで新機能盛り沢山、色々と実験してみたいが、今はそれよりも、

「さぁ、ホテルに戻って夕食だ! なんでも好きなもの頼んでいいぞ!」

「やったねお兄さん! 明日はホームランだ!」

ふなのつまった鞄を背負い直し、月に照らされた夜道を、鎌倉へ向けて歩く。
銀星号との遭遇も避けられて、見事に人一人の命を救って、今日ほど御目出度い日もあまりあるまい。
ああ、善行を積むのって、気分がいいなぁ!




続く
―――――――――――――――――――

本当はこの後、鎌倉市内でこそこそと買い物をするふきと景明が出くわして、以前と変わらぬ態度で『お武家さまー』とかひょこひょこ張り付いて景明くんの精神を傷めつけたり、
別パターンでは人間二人分の記憶とそれに関連する人格を形成する記憶を主人公の手で雑に消去されたせいでワールドエンブリオのロストリバウンド的に廃人状態になったふなが署長の計らいで秘密裏に信用のおける病院に収容されて景明と再会、
辛うじて覚えていた『お武家さま』から連想ゲーム的にふなとじっちゃまとの日常を断片的に思い出して、虚空を掴みながら『もう──(ふなの記憶消されてるから名前部分は空白)ったら、お武家さまにまた迷惑かけて……』とか虚ろな目で呟いて景明くんの精神を傷めつける展開が入るんですが。
そんな文章を書く技量とガッツが足りないので、省略に省略を重ねた第三十二話をお届けします。

まぁ、あれです。
書きたいシーン優先で話を進めたは良いものの、実際そのシーンが近づくとそのシーンにつなげるまでが大変で挫折して、それ以外のネタで話を進めてしまったりするのは、SS書いてれば良くある事だと思うのですよ。
ええ、当然説明した二つのシーン、最終的には景明君が精神的に追い詰められて変顔で絶叫するシーンが入る訳です。結果的に半分嘘予告に。
いい感じにそこにつなげるシーンを思いついたらさりげなく追加する可能性も無きにしも非ずという事で。最後のシーンに直で追加しても不具合は発生しないと思いますし。
もともと自分はそういうストーリー仕立てとか苦手なところあるので、仕方無いですね。何が得意なのかと言われると返事に困りますが。

でも実際、直接的に責められないとか、自分を罰するべき相手が自分の犯した罪を丸ごと忘れ去っているって、結構精神的にクル物があるとおもうのですよ。
しかも何事も無かったかのように慕われるとか、割と拷問じゃないですか、自罰的な思考の景明さん的には。
とかなんとか言い訳をするなら実際にそのシーン書けって話なんですけどねー。
本当に、湊斗景明さんのもがき苦しむシーンとか絶叫とか期待してくださっていた方には申し訳ない事をしたなと反省しております。

久しぶりに、突っ込まれる前に自力で突っ込むこぅなぁ。

Q、刀を持ってるのに天座失墜・小彗星?
A、主人公がそれ以外に思いつかなかった的な。月片そのままって訳でも無いですし。あくまでも崩し。

Q、月山相手にオーバーキルじゃないの?
A、主人公の趣味です。あと地上に出られた金神のテンションにやや引っ張られている的な。

Q、三つ眼が通る! 唐突な。
A、検閲されました。本格的外宇宙からの驚異な神を取り込む事で一つ上のオトコへ……!

Q、ふな、何故殺たし。
A、二択だし。ぎりぎり同じくらいの好感度だったから割と選択出来たけど、ふきなら一人でもどうにか生きて行けそうな雰囲気だったから。

こんなところですかね。
ところで、大鳥香奈枝ってどこら辺からが景明さんを疑ってのストーキングでしたっけ。
復讐編のセーブデータをやり直しても、そこら辺の詳細がいまいち分からないのですが、もしかして雄飛の事が無くてもスパイとして景明について行ったりします?
ゲーム本編のこの辺で詳しく解説してるぜ、などのアドバイスお待ちしております。
なお情報無しの場合、香奈枝さんは雄飛さんを巡るお家騒動で妹や許婚の部下とてんやわんや的な理由で欠席となります。
居なくても割と進行に支障ないですし。

ではいつも通り、誤字脱字の指摘、分かり難い文章の改善案、設定の矛盾、一行の文字数などのアドバイス全般、そして、短くても長くても一言でもいいので作品を読んでみての感想、心よりお待ちしております。





☆気分次第で変更と化ありありの次回予告。
ある日、唐突に地下から響く怪物の雄叫びが聞こえなくなり、浅い眠りながらも安眠する事が出来る様になった足利茶々丸。
しかし、ある日を境に怪物の雄叫びとはまた異なる音に悩まされる事となる。
起床時間の訪れと共に優しく語りかける謎の声。
「キンタ、キンタや、起きなさい、キンタや」
「あてはキンタじゃねぇぇぇぇっっ!!」
睡眠の妨げにはならず、しかし笑ってはいけないシリアスな場面をピンポイントで狙い笑いを取りに来る幻聴は、とうとう視界の隅に獅子吼×童心の濃密なBL幻覚を映し始める。
未来科学で合成された濃密な二人の絡み映像、突如恐ろしいまでの健康体へと変化した湊斗光の肉体。
彼女ははたして、無事に湊斗景明と運命の出会いを遂げる事が出来るのか。

次回、
「文明堂のカステラは何処へ消えた?」
お楽しみに。



[14434] 第三十三話「早朝電波とがっかりレース」
Name: ここち◆92520f4f ID:190f86b3
Date: 2010/09/25 11:06
もぞ、と布団を引き剥がし、小柄な少女が身を起こす。
しばしばと眠たげに瞬く吊り目がちの眼、首を傾げると同時に肩からさらさらと零れるやや癖のある金髪。乱れた髪から覗く耳は僅かに尖り、その少女に流れる蝦夷の血を控えめに主張している。
蝦夷。劒冑を鍛えるのに適した強靭な身体とやや短い寿命、褐色の肌に尖った耳を持つ大和先住民族。
一般的な大和人とは余りにも異なるその姿は差別の対象ともなり易く、全体ですら僅かな蝦夷達は大和でも貧しい生活を強いられる事が多い。
肌の色こそ大和人のそれではあるが、髪に隠されたその耳の形から察しのいい者は直ぐに彼女が蝦夷と大和人とのハーフである事に気付くだろう。
が、少女の寝室でもあるその部屋の調度品。それら一つ一つに残らず格調高さが見てとれる。
現在の大和の情勢から見て、大会社の社長か軍の高官でも無ければ使う事の出来ない高価な部屋。

「………………」

少女は身を起こし、しばし呆ける。
十数年味わう事の出来なかった、安眠という生物的には無防備になるその隙。
しかし、脳が破壊されんばかりの騒音に悩まされる事無く安寧に意識を沈める事が出来る幸福を、少女は目覚め切っていない脳で噛みしめていた。
立ちあがらず、布団の中で上体を起こした姿勢のまま外に視線を送る。
日は未だ昇り切っておらず、人々の声も遠い。
単純にこの時間帯に声を出している人間が少ないというのもあるが、それを差し引いても聞こえてくる声は何処かフィルタを通した様にはっきりとしない。
スイッチを入れる様に聴覚を研ぎ澄ませる。聞こえてくる声は朝餉の仕込みをする厨房の声、朝錬をする兵の掛声、丁度交代する警備の声。
昼夜問わず厳重な警備によって守られている普陀楽城は決して人の声が絶える事も無く、その会話内容に聞き苦しい内容が混じる事も多々ある。
が、それを差し引いても、この朝は少女にとって心地よい目覚めであった。
過剰な騒音に悩まされる事も無く眠りに着き、目覚める。
たったそれだけの事が、彼女にとっては堪らなく喜ばしい事実である事を知る者は少ない。
布団の上で身じろぎ一つせず、山の向こうから登る朝日をぼんやりと見つめる少女の名は茶々丸。
堀越公方竜軍中将、足利茶々丸である。

―――――――――――――――――――

あまり想像できないかもしれないが、足利茶々丸の朝は一般的な軍人と比べても格段に早い。
周囲数キロから十数キロ半径の人間が起床し言葉を発して活動を開始するのとほぼ同じタイミングで起き出す彼女は、まず十数分程睡眠の余韻に浸り、その余韻を味わい終えると即座に一日の活動を始める。
冷たい水で顔を洗い、自らの兵の朝の鍛練を見回り、昨日から持ち越した自分にしか処理できない書類の整理など、朝餉が出来上がる前に一通りの雑務を終わらせてしまう。
四公方の中ではちゃらんぽらんとした態度と何を考えているか分からない言動、遊び半分に生きているような性格、かと思えば時に身内すらあっさりと始末してのける容赦の無さからあまり評価されていないが、公方としてこなさなければいけない最低限の職務は迅速かつ積極的に処理している。
これは別に隠れた努力が好き、という訳でもなく、まともに眠る事も出来ずに起きている時間を有効活用していたかつての生活リズムが残っているだけなのだ。
基本的に公方としての職務は他にできる事の無い早朝に済ませ、昼から深夜にかけてはその日に発生した仕事、それを抜け出してのさぼり、更にさぼりの時間と偽っての悪巧みに利用されている。
いや、もう職務に関する事以外では悪巧みはあまりしていない。
悪巧み──緑龍会の最終目的である神降ろし、そしてその神の力を全て銀星号に取り込ませるという茶々丸の目的。
それらはもはや何の意味も持たない。何しろ、降ろすべき神はもはやこの世に存在しないからだ。
大和帝国相模玉縄、普陀楽城から地球中心部へ向けて一一五キロ。
今ではそこに神は存在していない。神の収まっていた場所は只の空洞、あるいは何の意味も無い詰め物が収められている。
何故、そんな事が分かるのか。その神が居ない事の証明を誰がなし得ると言うのか。
……実の所を言えば、神はそこに居ないだけで、確実に存在している。
知性無き、虫以下の意味の無い力の塊ではなく、人並み以上の知恵を、運用する理由を、欲を、希望を得て、地上へと解き放たれているのだ!

「なーんつって」

執務室に運び込まれた朝餉を前に、茶々丸は力なくケケケと哂った。
余りにも馬鹿馬鹿しい、ゴシップを中心に取り扱う新聞ですら、こんな記事を通そうとしたなら編集長が受け取った記事を丸めて頭を叩いて持ち込んだ社員に叩き返されるだろう陳腐な煽り文句。
人気の無い地方紙の連載小説だってもう少しまともなネタを取り扱うだろう。
そんな馬鹿げた話が、ニュアンスは違えど間違いなく現実に起こっているのだから笑えない。笑うしかない。

「どうかなさいましたか?」

朝餉を運びこんできた部下が茶々丸の突然の台詞に疑問符を浮かべる。

「んにゃ、なんでもねー。下がっていいよ」

それに茶々丸は手をひらひらと振り誤魔化し部屋から退出するように促す。
静々と頭を下げて執務室から退室する部下を見送り、箸を手に取り、思考を再開する。
神は解き放たれた。怪物として人に暴かれる事も無く、世間で騒ぎを起こす事も無く。
いや、正確に言えば騒ぎは起こしている。
鎌倉で起こった学生連続誘拐事件の犯人を殺害したのはその尖兵で、古河の領地で起こった銀星号事件の一部と目されていた、山間部に突如出現した巨大なクレーターはその神自身が手を下したものなのだとか。
結局前者は行方不明者の箱詰めされた腐乱死体が見つかっただけで犯人は不明のまま迷宮入り、後者は茶々丸自身が誰かに知らせた訳でも無いのでそのまま銀星号事件の一部として扱われている。
伊豆國は堀越御所に居る銀星号本人──湊斗光の元に出向いて確認してみたのだが、確かに本人はやっていない、という事らしい。

『劒冑とも生物とも機械とも付かず、それでいて強大な力の持ち主は近くに居た気がするな』

とは光の劒冑、二世村正の言だ。
因みにその時、光は理性を剥ぎ取られて思いのままに争い合う村人たちに夢中であった為、一瞬で現れ何処かに去っていった謎の反応の事は知らなかったらしい。
それも可笑しな話だとは思う。それだけの武を持つ武者(神らしいが)が相手ともなれば、喜び勇んで戦いに向かいそうなイメージがあるのだが。
そこら辺も、あの暴力的なまでに強大な神の力を効率的に運用すればどうにか小細工が出来てしまうのかもしれない。
──何故、ここまで地上に出た神の動向に詳しいのか。理由は実に単純。

《うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁっぁっぁ!!!!!!》

「うおっ!」

味噌汁を啜っていた茶々丸の脳内に、突如として年若い少女の絶叫が木霊する。
その声を茶々丸以外の人間、あるいは人間以外の知性体が耳にしたのなら、それが茶々丸の声に非常に酷似している事に気が付いただろう。
完全に同じでは無く、少し違うのについつい聞き間違えてしまう様な、しかししっかり聞けば別人だと分かる絶妙なそっくりさん声。
ここ最近の茶々丸には、馴れたくも無いのに聞き慣れてしまった声だ。

「あち、あちちち」

しかしそんな声に構う余裕も無い。思わず取りこぼした味噌汁のお椀から飲みかけの味噌汁が零れ、軍服の胸元から腹にかけてを濡らしてしまっているのだ。
このまま軍議に出席しようものなら、罵倒を通り越して失笑を買いかねない程の醜態。
飯を食べ終わったなら風呂を浴びなければいけないと思い、茶々丸は眉を寄せて顔を顰める。

「糞ったれが、んだよ朝っぱらからギャアギャア騒ぎやがってぇ……」

ドスの利いた、しかし声量的に誰にも届かない様な呟き。やや涙声でもあるか。
しかし、その呟きに応える声が二つ。金打声にも似た響きの、茶々丸の脳内に響く声だ。

《おはようキンタ君、朝っぱらから家の妹が騒がしくてすまんね。俺も妹も反省はしないが形だけの謝罪、つまりは真に遺憾であるという言葉を慎んで送らせて貰う次第だよキンタ君。Oh! キンタ君!》

《……うぇぇぇう、おはようドMルスキー。こんな朝も早くから執務室に缶詰で朝食もそこでとか、ワーカホリックの真似事で真正の被虐嗜好を満たそうとするその欲望の権化ぶりは、まあ尊敬しないでもないぜー》

「あてはキンタでもドMでもねぇぇぇ! つーか、てめぇらが毎朝毎朝このタイミングで喋くりだすからこんなとこに引き籠ってんですが!? 多少なりともそこら辺に反省の色を見せるとかねぇのか!!」

外に声が漏れない程度の囁き声で喉が張り裂けんばかりに絶叫するという曲芸じみた真似をする茶々丸への脳内音声の返答は、余りにも無情極まりない内容だった。

《はん…………せ、い? ……おいィ美鳥、この金田は一体何を言っているんだ?》

《あの日、まぁ具体的に言っちゃうと生理が重くて気が立ってるんじゃねえかなと推測する次第だけども。でもそのリアクションはないわー》

《生理か、うん、ナプキン要るか? 姉さん愛用の横漏れしない羽根着きで寝相が悪くても夜安心なヤツのコピーが余ってるから、今なら格安で提供してもいいぞ。郵送するけど着払いの制度とかもう存在してたっけか》

《適当に窓から投げ込むとかでいいじゃん。恐怖新聞的にガシャーンって》

《六波羅の警備を乗り越えて更に窓ガラスを突き破り毎夜届けられる生理用品か、そりゃ毎度百日寿命も縮むわ》

「うっがぁぁぁぁぁぁーーー!!」

茶々丸はとうとうその場で頭を抱え叫び出す。
そんな主を、部屋の外に控えていた従僕は、何事かは分からないが何時も何時も大変であらせられるなぁと、のんびりと心配するのであった。
族が忍び込んだわけでは無い事は前回突入した時に確認済みで、一々入ってくんなとのお叱りも受けていた部下は、茶々丸様特有の何らかの精神的な持病の一種であると解釈し、深刻には受け取らない様にしていたのだ。
……つまるところ、この早朝に送られてくる怪電波、これが最近の茶々丸の悩みの種であり、日常の一部。

《あ、これ一応は神の言葉な訳だし、天声神言吾とか命名すると訴えられそうでいい感じかも?》

《後半が微妙に改変してある辺りは保険な訳だぁね。ノレパン的な》

《人から神変換で天声神語は誰か絶対やってそうだしなぁ。ナイアさんのバリエーションとかが新聞社に勤めてたら絶対そんなコーナー持ってるだろうし》

「どやかましいわぁぁぁーーーーーっ!」

堀越公方竜軍中将、足利茶々丸。六派羅百万騎の一翼を預かる武人。
最近の彼女の一日は、大体の場合こんな感じで始まる。

―――――――――――――――――――

足利茶々丸が所有する、この怪電波の発信源、神(兄)と神(妹)についての情報はあまり多くは無い。

《んでさー、辰気操作の練習だーとか言い出したお兄さんがあたしに見せた夢が何か分かる?》

「辰気で夢操れるってのがそもそも初耳なんすけど、そこは説明なし?」

《出来ないと思う?》

「あー……、うん、別に可笑しくはねぇか。やろうと思えば出来そうだ」

兄妹である事、更に兄妹で神としての力はあまり違わず、最大出力で兄が優れ、技のバリエーションでは妹が優れている事。
妹の方は『みどり』という呼び名を持っている事と、両者ともに普段は完全に人型であり、劒冑の探知能力を持ってしても見抜く事は不可能らしいという事。

《うん。でな、最初はいい感じの夢だったんよ。お兄さんがこう、人気の無い路地裏でいきなりあたしの服の中に手を突っ込んで『なんだ、もう興奮してたのか』とかいいながらそりゃもう、ええ、こんな所でそんなことまでぇ? みたいな感じでエロく進んでてさぁ》

「その夢の内容で『いい感じ』とか、まじ救えねード変態が居たもんですよ」

地球を一秒間に十回滅亡させる超絶パワー(自己申告なので真実かは定かではない)を持っているらしい事。
力を求めてこの地球にやって来たけど、開始早々に標的を手に入れてしまって割と暇を持て余している事。

《いやおめーも似た様な趣味じゃん。好きな人が出来たらそりゃもう道具の様に扱って欲しい系のドMルスキーなエロ願望持ちになるって》

「無いね、好きな相手が出来てもそんな事にゃあぜってーならねー。純情派なあてを手前みてぇな変態と一緒にすんな」

元々はあの地下の神とは欠片も関係が無かったが、所在を知っていてそのパワーが魅力的だった為に取り込んだだけである事。

《じゃーもしそうなったらドMは下の剃毛な。パイパンである事を存分に詰られてゾクゾクするがいいわ……! で話を進めるけど、路地裏で三回戦くらいやった後にラブホに担ぎ込まれる訳よ》

「手前はどんだけあてを変態にしたいんだよ……。らぶほ、は、あれか、えろい宿か」

そして、遠隔地にある劒冑の機能をある程度制御できる、という事だ。
今現在、茶々丸の聴覚に薄くフィルターが掛けられているのはその応用らしい。
劒冑に含まれる金神の粒子を遠隔操作する事で、劒冑が持つ『超』能力を制御する事が出来るのだとか。

《そそ、しかも休憩じゃなくて宿泊だからさー、もうどんな一晩かけてどんな事をされてしまうのかー!とか興奮する訳よ。分かるだろ?》

「わかんね。つうかもう止めね? まだ日も昇ったばっかなのに、何が悲しゅうて女二人で猥談せにゃならんのよ」

なるほど、と茶々丸は納得した。ウォルフ教授の書いた論文が正しいとするならば、劒冑の持つ異能は全て金神の欠片が原泉という事になる。
その欠片の持ち主ともなれば、本来想定していないだろうこの以上聴覚を封じる事も可能だろう。

《やめてもいいけど、残りの話は夜中寝る前にきっちり聞いて貰うよ?》

「わかった、わかったから続き」

金神の叫びを止めてくれた事と、煩わしい騒音を遠ざけてくれた事、この二つに関してのみ、茶々丸は心底からこの神を名乗る二人に感謝していた。

《うんうん、聞きたいならそういう素直な態度が必要だよねー。でな、連れ込まれた先、ムードのある部屋に連れ込まれて、妖しげな器具に身体を固定される訳よ。なんかまぶたもあけっぱなしにできる感じの器具までつけられてドキドキワクワク、もう心の中で観客総立ち拍手喝采》

(こいつ、何種類の異常性癖を……やはり変態……)

例え朝っぱらから数時間に渡ってこの神(妹)の無駄話の相手をさせられたとしても、騒音に襲われない安らかな眠りは何にも代えがたい幸福なのである。

《で、固定されたと思ったら、奥の部屋からお姉さん登場。あたしはあえなくお兄さんとお姉さんのピロゥトーク付きのラブラブチュッチュでストロベリィな遺伝詞交換(セッション)を被り付きで見せつけられた訳よ。数時間に渡って》

「うっわ、それは流石に……」

ここ最近の怪電波(妹)の内容から充分察する事が出来る程に、この神(妹)は兄の事を慕っている。当然家族愛含みつつの性的な意味で。
それは確かに使い潰してほしいとか愛して欲しいとか求めて欲しいとか、そんな複雑に歪んだ内容ではあるが、不純物の無い純粋な好意である事は間違いない。
茶々丸は話の内容から更に姉が居る事を脳内に密かにメモしながらも、神(妹)に密かに同情の念を抱いた。

《で、最終的にお姉さんとお兄さんが『美鳥ちゃんをハブるのも可哀想ねぇ』とか『日頃の苦労を労ったりもするべきかな』とか言い出して》

「ふんふん、それでそれで?」

話しの雲行きが怪しくなっても、半分右から左へと聞き流している茶々丸は気付かずに相槌を返してしまう。

《で、あたしに掛けられた拘束を一部分だけ解いた上で二人がかりで持ち上げられてー、前にはそそり立つお兄さんのオべリスクが、そしてなんと後ろにはお姉さんの股間から生えた不思議な巨大マツタケが宛がわれ──》

「ああうんもういい。それ以上は聞きたくない。つうか手前の兄貴はそんな夢をピンポイントで見せるのが趣味か! 遺伝か、遺伝する変態なのか!?」

《んにゃ、あくまでも夢の操作は練習だから、あたし好みのエロい夢を見せるってイメージで操ってただけで内容は知らないんだと。で、最終的になんかもう色々堪らんくなって、今朝の悲鳴に繋がるわけよ》

「あーはいはい素晴らしい夢オチでございますねー」

余りにもくだらな過ぎる電波に、茶々丸はぶくぶくと泡を作りながら湯船へと身を沈めていく。
現在茶々丸は味噌汁臭くなった服を洗濯に出し風呂場を貸切、朝風呂を浴びていた。
今日の仕事で他の公方に合う予定は無いが、そもそも身体から味噌の匂いを漂わせながらでは仕事をする気も起きない。唯でさえ仕事は気が乗らないというのに、だ。
完全に湯船に沈み込み、水の中から大浴場の天井を眺めながら、茶々丸は根気よく送られてくる電波を話半分に聞き流す。
このくだらない電波には稀に重要な情報が隠されていたり、唐突に真面目な本題に入ったりするから、完全に聞き流す訳にはいかないのだ。
事実、この電波の中で茶々丸は周囲の声を遠ざける術を得て、地下に眠る神の結末を知り、大鳥家の此方が知らない現状までもを知る事に成功している。
成功しているが、割合的には無駄話99パーセントに1パーセントの重要な話といった割合なので、場合によっては数日ひたすら意味の無い駄弁りで終わる事もある。
そういう事態があり得るからこそ、この電波に対して集中力を割き続ける、というのは至難の業なのだ。
もっとも、特に知略も腹の探り合いも必要としない無駄話を盗み聞きの心配も無く出来る、という意味で言えば、この怪電波も茶々丸にとっては一種の息抜きと言えるのかも知れない。
無論、本人にその自覚は無いが。

《あ、そーそー、御姫様のその後の容体はどんな感じー?》

「……っぷぁ。そーだなー、ほぼ寝たきりだってのに健康体、ってのもおかしな話だけど、単純に肉体面で見れば健康極まりないよ。最近は『熟睡してる』時間の方が格段に長いのに『起きてる』時の状態も悪くないし」

ここからはやや真面目な話だろうと予想した茶々丸は、ざぷ、と湯船から浮かび上がり姿勢を正した。

《ふむりふむり、お兄さんの処置もいい感じに効果が出てるみたいだね》

そう、伊豆の堀越御所に匿っている御姫、『銀星号』湊斗光の肉体の衰弱を解決してしまったのも、今電波を送ってきている連中の片割れ、今はどうしてか会話に参加していない兄の方の仕業なのだという。
湊斗光が『起きている』時期を狙って堀越御所に誰にも気付かれずに侵入、堂々と湊斗光の寝所に忍び込み、湊斗光の劒冑『二世村正』に気取られる事無く湊斗光と接触、本人の承諾を取る事も無く勝手に治療を施し、何か面白い品は無いかとあちこち物色した末に、やはり武者にすら見つかる事無く帰っていったのだという。
滅茶苦茶である。むしろ明らかに犯罪であり、ひっ捕えられても文句は言えない。
いや、仮にも厳重な警備が張られている堀越御所にほいほい侵入して何事も無く帰ってこれてしまうという事実が、この自称神達がそれなり以上の能力の持ち主である事の証明となっているのだが。
それでもこの電波の送り手が神、少なくともあの地下の化け物に手を出して、易々と手に入れてしまえるだけの怪物である事を認めたくないと思ってしまうのは、この自称神兄妹の会話の俗物っぽさが原因だろう、と考えていた。
正直、身元も不確かな連中なぞにいいようにからかわれるのは癪で仕方が無い。
が、他の音が遠ざかった代わりにこの電波だけはどうやっても遮断できず、軍議の最中まで垂れ流し、ピンポイントで笑いを取りに来るので無視する事もできないのだ。

「つーか、処置って何したんだよ。御姫の身体には特に手術の後も薬物反応も無いってのに、あの回復っぷりは異常過ぎて逆に不安になるってもんですよ?」

《あーっと、お兄さんが言うには──》

《ガウ・ラに積まれていた医療用ナノマシンを参考に、ペイルホースの機能を完全に肉体の健康維持と不備解消に充てた。キンタ──タイガーピアス君の耳で探れなかったのは、最大限の機能を最小時間で発揮させる為にナノマシン自体の寿命が短くなっていたから、だな。自己増殖する暇も無く寿命を終えたナノマシンの残骸は、たぶん汗腺から揮発する汗と同時に排出されたかなんかしたのだろ》

《あ、おかえりー》

「うおっ」

唐突に会話に加わったもう一人の声に驚き、つるっと尻を滑らせ湯船に頭から潜りなおしてしまう。
何の準備も心構えも出来ていない状態でも沈没であった為に、鼻の奥と肺に水が入り、げほげほと無様に咽る茶々丸。
が、咽ながらも電波の内容について考えてみる。
余りにも唐突に始まった長い解説、明らかに茶々丸が知らない単語が含まれていることを鑑みても、その説明の内容は重要なヒントだ。
咽て咳きこみながらも頭を使って思考を巡らせる。
ナノマシン、ナノサイズのマシンの略語で、意味合いとしては微小機械と解釈すれば──

「……もしかして、聖骸断片(らぴす・さぎー)?」

聖骸断片、地下に眠る金神の肉体の欠片。
劒冑の異能を生み出す力の源でもあり、濃度の差こそあれ世界中の水に微量ではあるが含まれているモノ。
その物質は目に見えぬ粒子一つ一つが力を持ち、巨大な塊を得れば不死に近い肉体すら手に入れる事が出来ると言われている。
機械、という表現は相応しくないかもしれないが、茶々丸の知識の中ではそれが一番正解に近い答えだった。

《神の正体を知ってた割にはその呼び方なのなー》

「他に呼び方も何もねーしな。で、どうよ」

そもそも金神の名前自体はそれなりに広く知られていても、それが実在する事やその肉体の一部が劒冑に超常の力を与えているなどという仮説は一般には知られていない。
極々一部のオカルト好きが収集した昔話の中に怪しげな夢の金属、或いは秘薬の類として伝承が残っている程度の話なのだ。
が、それを使った治療だと仮定するならば、やはり湊斗光の生命安全は保障されていない。

《惜しい、とは言えないな、その答えでは落第点だ。今回投与したのは純粋に科学技術、医療技術の粋を集めてちょちょいと捏造したただの医薬品の様な物なので、湊斗光が金属の水晶に変わってしまう、などという事は起こり得ないから安心するといい》

「医療技術に科学技術ねぇ……」

金神を取り込んだ、というのなら聖骸断片を無闇に使用した人間の末路を知っていてもおかしくは無い。
しかし、純粋な科学、医療技術ときたものだ。一応、堀越公方としての権力とコネを存分に使って最新最高の医療技術をつぎ込んで延命してようやく『あれ』だったのだが。
情けないやら、馬鹿馬鹿しいやら。いや、こいつらの能力については深く考えるだけ無駄だと割り切るべきなのかもしれない。
茶々丸はそう考えながら再び身体から力を抜き、頬の辺りまでゆったりと湯船に沈み込む。

「あぁ、そーだ。なぁ妹の方、結局御姫の容体を聞いたのは経過を知る為って訳じゃねーな? なんか面白い見世物でもあんだろ」

警戒するでもなく気を抜いた喋り方。
少なくとも湊斗光を害する存在ではないと理解しているからだ。殺すのが目的ならそもそも健康体に戻す必要はない。
そもそもこいつらが治療を施した理由こそ分からない(本人たちは『救済』の一環だと言っていたが、こんな連中が純粋な善意で人助けをするとは思えないのでブラフだろうと茶々丸は考えている)のだが、それこそ詮索しても意味が無い。
だが、少なくとも茶々丸お抱えの医師達の診断によれば、湊斗光は文字通りこれ以上無い程の健康体だ。
特に治療の類を施さなくても、そこらの健康体の人間よりも長生きできると医師全員に太鼓判を押させるほど。
当然銀星号として活動すればするほど体力は削られ寿命も短くなっていくのだろうが、それにしてもあと数回の活動が限界だった銀星号は、大和を滅ぼし尽くして残りの大陸全て制覇する事すら可能なのではないかという程の残り時間が与えられた事になる。
今すぐどうこうという話ではない以上焦る必要も無い。
お前達の警備、守りなど無駄だ、何時でも御姫もお前も殺せるぞ。というパフォーマンスをしておいて、こちらに何らかの協力を取り付けさせるのかもと考えたが、恐らくそれも無い。
まず純粋に能力の差だ。こいつらならば何かしらの目的を果たす時に、殆ど力技で解決してしまえるので協力できるところがない。
あるいは堀越公方としての、もしくは緑龍会の会員である足利茶々丸としての人脈を使いたい、という可能性も無いでは無いが、その可能性は限りなく低いだろう。
こいつらは基本的に、自分で行動したその結果を求めている。
誰かの力を借りてなどという婉曲な真似は好まない、というのでは無く、面白いイベントは特等席で見るのが信条なのだろう。
エンターテイナーかトリックスター気取り、さもなければ気まぐれで究極的に自分勝手な愉快犯。
面白そうだ、と思ったなら行動に移し、知りあいにその面白さを分けてやろう、などというお節介を焼き出す事もある迷惑型。
今すぐ起こりうる分かり易い害が無ければ、気を張るだけ無駄なのだ。

《もち。つうかこれはお兄さんの御誘いでもあるんだけど、ちょっと見逃せないイベントがあるからその誘いかな》

「なになに、また獅子吼が面白い事にでもなっ、っぷはははっ、ちょ、思い出し、あはははははっ!」

前回こいつらが電波で寄こした光景はそうそう忘れられるものではない。まさか大鳥の正当な跡取りを迎えに行った獅子吼が、国外に追放された大鳥の娘とあんな事になるとは……。
その余りにも不出来で喜劇的な飯事の様な光景を思い出し、茶々丸は問いかけを中断し、脚をばたつかせお湯をばしゃばしゃと跳ねさせながら腹を抱えて笑いだした。

《今回は前回のジョーク映像みたいな内容ではないぞ。今度、国内統一規格の大和グランプリが行われるのは知っているな?》

「そりゃ当然、鎌倉サーキットでやるあれなら特等席を取ってあるよ」

装甲競技の国内統一規格の大和グランプリ、このレースの優勝者と競技用劒冑は大和国内最速の栄誉を得る事となり、大和の装甲競技史上に永遠に名を残す事となるだろう一大イベントだ。
茶々丸自身も個人的に作らせた競技用劒冑を所有している。タムラのサンダーボルトの改造騎である上位騎、その名も『恐怖の運び屋』。
タムラの方で何だかんだあって採用されなかったが、そんないざこざが無ければ今度の大和グランプリでサーキットを騎航る筈だったのだ。
が、逆にそれが茶々丸をワクワクさせても居た。自分が作らせた自信作を蹴ってまでレースに出る機体とは如何程の物なのか。

「アプティマの最終型を持ってくるっていう翔京もだけど、一番の注目はタムラかな。こっちも面白い新型を出してくるかもしんないし」

その茶々丸の意見に同意する様に、いやそれだけでは無く、純粋に本心からの喜悦を含んだ神(兄)の声が脳に響く。

《ああ、タムラの新型な、あれは……、うん、いい、堪らない。見逃がしたら一生後悔するレベルで》

「……へぇ、そんな声も出せるんだ」

心の底から感動している様子の声に驚く茶々丸。
これまでこの兄の方からこういった生の強い感情を含んだ声を聞いたことが無かったからだ。
何を話すにしても軽々しい、というか、行動全てが娯楽混じりで、何もかもが時間潰しのお試しである様な雰囲気すらあった。
が、今の声は違う。芸術作品を前に涙を流している様な、如何し様も無く溢れ出す強い感情を感じる、不思議な艶やかさすら含んだ声。

《俺の声なぞどうでもいいんだよ。あの脳味噌裏返ってるとしか思えない造形美、機能美……、うん、他に何の用事が出来ても見に来るべきそうすべき》

「何の脈絡も無く唐突に英国が大和を制圧しようと攻めてきても?」

《そしたら連中の大陸ごとマッハで消し炭にしてやるから、来い。是非御姫も連れて》

とんでもない程の興奮ぶりである。これは、とんでも無い物にお目にかかれるかもしれない。
と、そこまで考えた所で違和感に気付いた。
何故、自分ですらその実態を掴めなかったタムラの新型をそこまで賛美する事が出来るのか。
自然に流していたが、そんな物はこの段階ではタムラの関係者くらいしか見る事は出来ないだろう。

《あー、言いたい事は分かるから先に言っておくけど、今お兄さん、タムラのスポンサーやってんだ》

「ははぁん、なるなる。それで一足先に新型の性能を確認した訳か」

もはや資金の出所だとか、唐突な投資にタムラから怪しまれなかったか、などと問い詰めるつもりはない。
そういうものなのだろうと割り切った上で感心してしまう、この連中の面白いものを見つけ出す嗅覚の様なものに。

《競技用劒冑としては明らかに異端だけどな、あれはそう、速度という概念を三次元化したとでも言えばいいのか、ああもどかしい、言葉じゃ説明しきれん。当日は絶対来い、絶対だからな!》

《ついでにキンタの運命の人もサーキットに観戦しに来る筈だから、しっかりおめかしして来いよー》

ぶつん、と、脳味噌の中に強制的に送られてきていた電波が途切れ、頭の中が急に静かになる。
此方の都合を考えない一方的な電波ではあるが、この殆ど何も聞こえない静寂は少しだけ違和感があった。楽過ぎるのだ。
茶々丸は自らの聴覚に被せられたフィルタを完全に取り除き、外から流れてくる忌々しい膨大な雑音に浸りながら考える。
今日は特に面白いイベントも無く、岡部の乱の事後処理で書類仕事が溜まっているだろう。
流石に普陀楽の中では堂々と仕事をさぼってぐうたら出来る訳もないので、昼間から真面目に仕事をするしかない。
が、楽しみも出来た。今度の大和グランプリは嵐が巻き起こるらしい。
御姫の音を聞いた感じでも、大和グランプリの日には外出が可能な筈だ。
形容し難い程の能力を秘めたタムラの新型、御姫との外出、運命の人。

「ま、せいぜい楽しみにしとくかな」

にふふと不敵笑みを浮かべた茶々丸は大きく伸びをし、書類整理で固まっていた身体をほぐし始めた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「はぁ、ふぅ……、み、操ちゃん、こっちもよろしく頼むよ」

「……は、はい……」

あまり清潔さを感じさせない弛んだ身体を剥き出しにし、自らの恥部を晒す中年男性が、手にごつごつとした棒を持ち扇情的な衣装に身を包んだ少女に急かす様に声を掛ける。
その中年男性──タムラの競技用劒冑部門へと資金援助を行っている会社の幹部役員の注文に、少女──皇路操は戸惑いながらも応える。
日常の中でもレースの中でも手にする事も無く、一般的に女性は好んで手にしない、性的な意味合いをも持つ棒。
恐る恐るそれを握る皇路操の手は緊張と嫌悪に軽く震えながら、決して取り落とす事も無く丁寧に扱う。
嫌悪の情とはまた別に、その行為に慣れてしまっている自分に居る事に気付く。
その行為に馴れ、やもすれば少なからぬ興奮も覚え始めてしまっている自分を自覚する事も無く、
彼女はその手に持った黒い棒──黒塗りの鞭を力強く握り、天高く振り上げ、中年男性の汚れた臀部に向けて、勢いよく振り下ろした。

「あ、あお、おほぉぉぉぉぉぉおおおっっっ」

革製の鞭が人間の柔らかい肌を打つ強い音が、暗い部屋に響き渡る。
顔を恍惚に醜く歪めた中年男性を見下ろす、扇情的な衣装──赤い本革のボンテージ衣装に身を包んだ皇路操は、困惑の表情の中に嫌悪の表情を滲ませている。
その表情を見た、鞭を振り下ろされたのとは別の中年男性達は息も荒く我先にと更なる注文を始めた。

「あぁ、操ちゃ、操様! わたくし共にもお情けを!」

「罵ってください!もっと、もっと踏み躙って!」

「鞭を、恥知らずな家畜に鞭を!」

周りを囲んでいた、両手両足を拘束具で固定された中年男性達──いずれもタムラに資金援助を行っている会社の役員達である──を一瞥し、しかし内から密かに溢れ出る嗜虐の快感に任せ、皇路操はそれらの注文一つ一つを丁寧にこなしていった。

―――――――――――――――――――

その光景を少し離れた位置から見ている皇路卓は、どんな顔をしていいか分からないといった複雑な表情のまま、妹に鞭で叩かれ恍惚の表情で悶える援助者達と、鞭を振るう腕に何処か義務以外の熱がこもり始めている妹を眺めていた。

「…………いや、うん。もともとこいつらの事など人間とは思っていない、し。家畜の世話をすれば汚れるのも当たりま──」

「ほら、犬が人間の言葉を喋っちゃ、だめ!」

「キャインキャインっ!」

「あ、あひ、あ、あひぃぃぃぃぃぃっっ!!」

「なに、を打たれて、喜んでる、の!」

「ワンっ! ワオォォ……!」

自分を誤魔化す様に口の中だけでぼそぼそと言い訳の様に言葉を紡ぐ皇路卓の前で、無情にも彼の妹は仄かに息を荒げながら、興奮気味に繰り返し鞭を振り下ろす。
その鞭に打たれる旅に援助者達は身を捩り濁った嬌声を上げる。
頬を染め地べたに身を横たえる援助者達をヒールで足蹴にし踏み躙る彼の妹は、振るう一撃毎にその興奮の表情をよりあからさまな物へと変えていった。

「…………」

「現実見よう、な!」

顔を片手で覆い、ともすれば妹に身体を売らせていた頃よりも余程苦しげな苦悩の表情の皇路卓。
その肩を手で軽く叩き、元気付ける様に話しかける男が一人。
一言で表現するならば、それは怪しい男だった。
爽やかさを演出しようとでもしているのか短く刈られた黒髪と、縁の丸いサングラスが異様な程に良く似合う、うさんくさいニヤケ顔。
パリッとしたスーツは人身販売の元締め、身なりの良いインテリヤクザ、百歩譲っても詐欺師にしか見えず、男の怪しさを強烈に助長している。
あえて無理矢理に既存の職業を当てはめようと思うのなら訪問販売員だろうか。
勿論扱う商品は幸せの壺と金が溜まる財布、存在しない金塊の所有権を売る場合もあるかもしれない。
現在まともに職務をこなさない警察でも、この男を見かけたなら即座に捕まえて職務質問を開始してしまい、もし取り逃がしたならば全国指名手配程度の事はしかねない程の怪しさを全身から噴き出している。
百年に一人の逸材と言っても過言では無い程の不審者。
だが肩を叩かれた当の皇路卓の視線は、彼がこの場に居る事が自然であるかの如きものであった。

「ああ、鳴無さんですか……」

疲れた顔色のまま、しかし柔らかい笑みを浮かべるその様は、資金援助を行っている会社の役員に向けるものとは比べ物にならない程の親しげな感情を含んでいた。
いや、親しげな感情、と一言で切って捨てるにはその感情は複雑過ぎた。
そもそも彼、怪しげな謎の男こと鳴無卓也と皇路卓の出会いは、資金援助を乞うていた会社の役員が、何時もの如く皇路操の身体を味わおうとやってきたその夜の事だ。
何故か会社の会長ではなく、彼、鳴無卓也に率いられてやってきた援助者達。
彼等が挨拶もそこそこに何時もの様に服を脱ぎ棄て、皇路操にのしかからんとするものかと考えていた。それを仕方が無い事だとも。
が、それが間違いであると即座に思い知る。
何時もの様に下卑た笑みを浮かべた援助者達は、その表情を崩さぬままに、地べたにひれ伏し、一般的には受け入れ難い特殊な性癖を一斉に自ら暴露し始めたのだ。
曰く、『娘程の若い女子に罵られたい』『美少女に踏まれたい』『詰られるだけで堅くなってしまう』などなどなど……。
そして、その援助者達の希望に応える内に、どんどんと内なる性癖が露わになっていく皇路操。

「お前の懸念も分からんではないが、むしろこの『営業』が始まってから、徐々にだがタイムが縮み始めているんだ。悪いことばかりでもない」

「ええ、そう、ですね。ははは……」

弱々しく頷く皇路卓。
少なくとも、この男が現れてから妹に掛ける負担が少なくなったのも事実で、少ない労力でより多額の資金援助を得られるようになったのも事実なのだ。
資金援助だけでは無い。開発中のアベンジは鳴無の齎した謎の新素材のお陰で更に速度を増す事に成功した。ユーツ鋼も目では無い程の圧倒的に優れた重量比強度。
更に言うならば、当然皇路卓にとっては認めがたい事実でもあったが、この営業を始めてから、いや、より正確に事実のみを語るのであれば、皇路操がこの営業にやりがいを感じ始める様になってから、明らかに彼女の騎航には迷いが無く攻撃的な物へと進化を遂げ始めている。
そして余分な機能を完全に排除し、今度こそ何の雑念も無く『速度』のみを追求した真アベンジを彼女が装甲する事により、間違いなく現状世界最速の装甲騎手が誕生する。
世界最速。国内グランプリ優勝間違いなし、世界への道は約束されたようなもの。
そう考えればあの『営業』で操の凶暴性、闘争心を掻きたてる事ができるのなら、世界への道を進む為ならば、些細な事ではないか。

「本当に、感謝しています。これで僕達は世界への道を歩む事が出来る」

「いやいや、本当は此方からもっと新しい技術を提供する予定だったのですがね。予想外に『逆襲』の構造が極まり切っていたせいか、装甲材程度しか提供できず」

「いや、貴方が居なければ、ここまで余裕を持って調整する事も出来なかった」

役員達の豹変、援助金の大幅な増額は明らかに彼が現れてから起きた事であり、貴重な鋼材の無償提供は会社すら挟まない本人からの直接提供だ。
特に以前に妹に強制させていた労働が無くなったのは大きい、あれが無いお陰で健康管理の面でも調整が行い易くなったのだから。
感謝してもしきれないとはこの様な場合の事を言うのだろう。
……ここまで考えた皇路卓の思考の中に、都合良く何もかもを調達してくれた鳴無卓也を疑うという思考は存在しない。
思えば皇路卓もタムラの他の社員も、驚くほどあっさりと、何一つ疑う事無く受け入れてしまっていた。
あまつさえ、もしもの時の為に切り札として用意していたアベンジのギミックすら見破られ、熱心な説得の末にそのギミックを排除してしまった。
普通なら技術や情報を盗みに来た、或いは妨害工作を仕掛けに来たスパイ(スパイと仮定するならばそれはそれでずさん過ぎる所もあるのだが)だと疑うべきなのに、どうしてかそう疑う事もできない。

「しかし、何故ここまで僕達への援助を? 返せるものなど、何一つ無いというのに」

初めて抱いた疑いすら援助に関する事のみ。鳴無卓也という男の、この怪しげな男の素性を疑う事すら出来ていない。
皇路卓もその他のタムラのスタッフも、一人残らず『認識を阻害』されている様な奇妙な状況。
鳴無卓也は味方である、という強い認識を抱いた上での疑問。
その何処かずれた疑問に、皇路操と資金援助を行っている会社の役員が楽しんでいる光景を嫌そうな眼で眺めていた鳴無卓也は、皇路操へと振り返り、満面の笑みを浮かべた。
常人が見たなら何を売りつけられるか身構える程の不審な笑み、しかし、皇路親子を含むタムラスタッフには何故か爽やかな好青年の笑みに見える表情。
人差し指だけを立てた右手を顔の横にまで上げ、ち、ち、ち、と数度振り、

「それは、秘密です」

あっさりとはぐらかした。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「ネコミミぃっ!」

にゃーん! と巨大な立体映像の擬音を背負った美鳥が高らかに叫ぶ。
その言葉通り頭にはご丁寧にカチューシャに偽装した黒猫猫耳が生やされ、そのまま臨気か激気でも放出しそうな気合いの入った猫ポーズと猫アクション(たぶん威嚇する感じのポーズ)を決めている。
因みに髪型を少し弄って顔の横の人間耳を隠す辺り含めて完璧。
更に尻にはスカートの上に留められたアクセサリーに偽装して、尻から衣服を貫通して生やされた黒猫尻尾を完備。
全身の骨格に獣っぽさが無いと興奮出来ないケモ属性の重篤患者はともかく、耳尻尾で満足できる軽度のケモ属性持ちに対しての効果はバツ牛ンだろう。

「あざとい」

動いて見えても問題無い厚手の黒タイツを穿いた状態でのスカート、全身ケモ耳尻尾のカラーに合わせた黒中心の小悪魔系コーディネイト。
可愛さアピール狙ってる猫手に招き猫アクションと、決してどや顔にはならない完全な顔面の筋肉制御能力による可愛こぶった表情。
見る者に与える心理的影響まで考慮された完全な猫耳娘っぷりである。
だがもう一度言う。

「あざといぞ、美鳥。それはあざとい」

「二度、三度も繰り返し罵倒された!?」

表情の制御を手放し驚愕の表情を形作る美鳥の顔面。
表情一つ崩れるだけで猫娘としてのバランスが崩れ、ただのかなり可愛いだけでやはりイタいコスプレイヤーの如き印象にまで落ち付いてしまう、
そのままガックリと膝を折り、地面に両手両膝を付き挫折のポーズへと移行する。

「ううぅっ、旅のしおりの『美女、美少女と見れば好きでも無いのに褒めまくってフラグを立てる』をコンプリートして貰おうってぇあたしの気持ちが、お兄さんには伝わらないと言うのか……」

「あー、あれって実際現実でやると空気読めて無い認定喰らうよな」

普通一般的なラブコメで、出会って間もない場面で相手の事を見て『う、美しい』とか『すっげえ綺麗』とか『天使みたい』とか言うキャラは、その褒められたキャラに一目ぼれして変態的(あるいは良い意味で馬鹿な)半ストーカーキャラとして定着するモノだと思うのだが。
しかし、そんな一般的な作品の常識にとらわれないのがトリップ先の世界の常識らしく、主人公補正さえあれば適当に褒めるだけで、『き、綺麗だなんて、からかわないでください!』でポッである。
あれは何ポと表現すればいいのか……、褒めポ? いや、古い表現だが褒め殺しでいいのか?

「まーそーだよねー。何処の誰とは言わないけど、超マンモス校に在籍しているやや頭の悪いアルビノ手羽先貧乳レズ女剣士とか、なんで翼を褒められただけで惚れるのよ、っと」

何事も無かったかのように猫の様に身軽な動きで立ち上がった美鳥が、ぷひゅうと呆れ気味な鼻息を噴き出す。
そう、相手の優れた肉体的特徴を褒める行為は必ずしも好感を得られる訳でも無いのである。

「言ってみれば、自分の巨乳にコンプレックスを持っている女性の胸を『母性溢れる良い乳ですね』とか褒めるようなもんだしなぁ」

「ちょっと違うと思うけどまぁいいか。でもそれ以前にお嬢様との和解以前は何言っても地雷臭いけどね」

「地雷か。面倒臭いな」

「ねー」

よくよく考えてみれば、今まで長期に渡って付き合いのあったトリップ先の人間は、ほぼ男女問わずそういった面倒の少ないまともな性格の人間ばかりだった気がする。
精神的にストレスを溜めに来るキャラなどは、ラブコメにトリップした場合に多くなるらしいが、スパロボJはラブコメに分類されないのだろうか。
思い出すに、鈍感な統夜がテニアの遠回しなアプローチをスルーし続けて、その度に脛を蹴られたり臍を曲げられたりといったラブコメアクションがあった気がするのだが。
……そういえば結局どっちとくっ付いたんだろうか統夜は。ラストバトルのサブパイはヒロインで固定だったと思うおぼろげな記憶があるからやっぱりカティアか?
出撃回数も圧倒的だったものなぁ、テニアもメメメも可愛いのに勿体ない。ギャルゲ主人公ならハーレムルート選べよと。一人奪っちゃったけども。
思考が逸れた。話を本題に戻さなければ。

「で、結局なんでそんなわざとらしい記号的で頽廃的で非文明的で思考停止した駄目萌え要素を自分に組み込もうとしたんだ。これで語尾に『にゃん』とか付いていたら間違いなくグランドスラムで念入りにバラバラにした上で時間固定して相転移させていたところだったぞ?」

「えぇと、お兄さんはケモ属性に恨みでもあるの?」

「恨みが無いとでも思っているのか……! という冗談はともかくとして、それぐらいあざとくて見ていて痛々しかったんだよ」

「うん、これには海より深い理由があってだね」

腕を組み難しい顔でうんうん唸り出す美鳥、どうにかして猫耳の理由を説明しようと考えているのだろう。
考えこみ過ぎて人間大の縮尺まで拡大されていた尻尾は最早原形を留めず伸長を続け、うねり絡まり合い、立体パズルの様になってしまった。
それでも耳だけは猫耳のまま、髪の毛に伏せられながらも時折ぴくぴくと動き、美鳥の感情の働きを露わにしている。
あざとい。
未だかつて人に話した事は無いが、俺は美少女にくっ付いている獣耳だの翼だの、分かり易い異形系萌えパーツを見ると、どうしようもなく引き千切りたくなって仕方が無いのだ。
もしも先日のネギま世界で翼展開済み手羽先女と出会っていたのなら、間違いなく手動でパージさせていた自信がある。
が、流石に何の失敗も間違いも犯していない身内、しかも仮にも妹的存在でもある美鳥の身体を溢れる衝動に任せて破壊する訳にはいかないのだ。
そう、そんな不躾な真似は、できる訳が──

「……散々あざといとかどうとか言っといて、なんで耳に触るかなぁ。いいけど、気持ちいけど」

「いやあえて弁解するが、これは本能を司る右脳主体の行動を理性の左脳が割と倫理的に許されるレベルにまで抑えた末の結果で、けっして俺の本心からの行動ではない訳であるからして」

そのまま指先で耳をホールドし、数分間無言で弄繰り回して玩ぶ。
この猫耳の感触ときたら、手の中で軟骨がしゃっきりぽん、いやコリコリと踊っているかのようじゃないか!
こんなうずうずする猫耳を、この手で引き抜いてやれないだなんて、引き千切る事が出来ないなんて残酷過ぎる。
なんちゅうもん生やしてくれるんや美鳥はん……。

「あ、頭が沸騰しちゃいそうだよぉ……!」

醒めた。一発で醒めた。
やはりというかテンプレというか、神経の通っている猫耳をコリコリと刺激され、そのもどかしい感覚に興奮し始めたようだ。
顔を赤らめて息を荒げている美鳥の猫耳から手を離す。

「あぅ、止めちゃうの……?」

潤んだ瞳で物欲しげに此方の掌を見つめる美鳥の、普段は愛らしいと思い抱きしめる程度の事はしても可笑しくない表情を見ても俺の心は揺らがない。
そういうのは猫耳外してからやってくれ。あざとい。

―――――――――――――――――――

俺と美鳥、二人分の足音を鳴らし階段を登りながら、話を最初の辺りまで巻き戻す。
美鳥は民族衣装とかを好んで集めはしても、変に制服を着たりして属性を付けたそうとした事は無かった。
なんでも自分はすでに『妹属性』と『献身属性』を保有しているので、『ナース』だの『女子高生』などの余分な属性を後付けで付加するのは積載量オーバーになり、見てるだけで胃が重くなってしまう可能性が高くなるのだとか。
そんなこいつが今更ケモ属性などという分かり易い代わりに独創性も糞も無いインスタント個性に手を出すからには何か意味がある筈なのだ。

「で、結局なんで猫耳なんだよ」

俺の後ろから着いて来ている美鳥(既に猫耳と猫尻尾は消滅させた)が、あぁ、と思い出したように口を開いた。
どうにも猫耳尻尾を諦めきれないのか、その口調もどこか不承不承といった感がにじみ出ている。

「だってさ、今日はなんかキャラ被ってる奴がここに来るじゃん。もうパクリ呼ばわりとかは諦めるにしても、お兄さんが見間違わない為にも、何かしらの差別化を図って置きたい訳よ」

「ふん、何を言い出すのかと思えば、そんな馬鹿な事を考えていたのか?」

「馬鹿な事と一言で言いきられるのは、流石のあたしも納得いかないなぁ」

不満そうな美鳥の反駁を聞きながら階段を上り続け、かつ、と足音を鳴らし立ち止まる。
階段はここで終わり、目の前には場内に密かに作った秘密の通路へと繋がっている扉が一つ。
ここを出た後にまでああだこうだと言いたくないし、人前で猫耳を生やされても面倒だ、ここできっぱりと言い含めておく事にしよう。
唇を尖らせてぶちぶち愚痴をこぼしている美鳥に振り返り、ややしゃがみ込んで視線を合わせる。
相手を説得する時は上から見下すように言葉をぶつけてはいけないとかなんとか。

「元の世界でもそろそろ丸一年、トリップ中の体感時間も合わせれば足かけ三年以上、毎日毎日顔を突き合わせて生活しているんだぞ? 今更美鳥と他の誰かを見間違える訳がなかろうが」

そう、確かに容姿も口調も声も似てはいるが、たかだかそれだけの事で美鳥と他の誰かを見間違うなど有り得ない。
俺と美鳥は一応数か月にわたりドイツの廃協会で数か月共同生活を送り、一年以上同じ戦場を駆け抜け、一つの機体のコックピットの中で数日を過ごした事もある。
元の世界でも居間でテレビをぼーっと眺めている時の独特の仕草も知っているし、村の商店のバイトでもどんな周期で気を抜いているかも把握している。
稀に俺か姉さんと同じ布団で寝る時も、寝付くまではぎゅうと強めに抱きついているのに、眠りにつくと控えめに袖や上着の裾を指先で掴むだけになるなど、本質的な所では一歩引いてしまう所があるのも知っている。
俺と姉さんの間にあるモノ程では無いにしても、そんじょそこらの他人が割って入れない程度の絆は存在しているのだ。

「あ、っと、うん」

俺の言葉にぽかんと口を開け、十数秒程の間を置いてから間抜けな返事を返す美鳥。
もにょもにょと何事か呟いて頭の中を整理しているのか、大口開けた間抜けヅラが次第にニヤケ顔に変わり始めた。

「うん、うん、そっかぁ」

にひひ、と少しだけ照れている様な笑顔の美鳥。
とりあえず納得はしてくれただろう。美鳥は自分を過大評価も過小評価もしない上に察しも良い、俺の言わんとするところは察してくれる筈だ。

「わかったならさっさと行くぞ。念のために関係者用の証明証も皇路さんから貰ってるけど、今日はあくまでも観客として楽しむんだからな」

「ん! 良い席とらにゃ勿体ないしね!」

嬉しそうに此方の手を取り、俺に先んじて扉に手をかけた美鳥を見ながら思う。
正直、万が一見分けがつかなかったら、一度偽物と本物の両方取り込んで、それから改めて本物の美鳥だけを作りなおしてしまえば万事解決してしまうのだ。
そして、俺がそんな身も蓋も無い解決法を考えている事をぶっちゃけてしまったら、美鳥がどんなリアクションをするか大変興味深い訳で……。

「ゾクゾクするねぇ」

「ねー」

此方の考えている事を知ってか知らずか、ドアノブに鍵を差し込む美鳥は無邪気に相槌を返してきた。
もし知った上でこのリアクションだとするなら、ますます頼りになる妹ポジションである。
まぁ、どれほど頼りになっても猫耳だけは絶対に許さないけどな。

―――――――――――――――――――

さて、ここ数日の塒として利用させて貰っている秘密の地下室だが、地上部分はれっきとした公共施設である。
鎌倉郊外に存在する国内最大級の装甲競技場、鎌倉サーキット場。
何だかんだで認識阻害魔法やブラスレイターとしての幻覚能力を応用した催眠術等を駆使してタムラレーシングチームへまんまと潜り込んだ俺と美鳥。
皇路操と皇路卓を救済する為にここ最近は色々とあちこちに手まわしをしたり、『逆襲』の最終調整を手伝ってみたりとしてきた訳だが、今日この日に至ってはもう俺と美鳥に出来る事など殆ど無い。
速攻でタムラに潜り込んで工作する為にスタッフ全員に催眠を強く掛けたお陰で証明証も手に入ったが、これを使うような事態にはならないだろうし、できればなって欲しくは無い。
気を取り直し熱気に包まれ始めたサーキット、一般客の座る観客席を見回すが、やはりどの座席も空いておらず、通路も大量の立ち見客で埋め尽くされている。

「ま、立ち見ってのもこういう場所だといいもんだけどな」

一番上の観客席の後ろの通路の壁にもたれかかりながら、売店で買っておいたカレーを食べる。
肉と玉ねぎなどの具材少なめのいかにもな売店カレーだが、このご時世に売店で売っている食べ物に過度の期待はするだけ無駄というものだろう。
福神漬けが下品にならない程度にたっぷりと乗っかっているのは評価できるが。

「あいや、一応座席の確保についてはそれなりの宛てがあるんだけど」

美鳥はもしょもしょとパサ付いた焼きそばを啜りながら周囲の観客席をきょろきょろと見渡している。

「予約できるような席はないだろ、この時代のサーキット場なんかに」

その手の知識は豊富ではないが、座席を買うのではなく入場料を支払ったら後はご自由に早い者勝ち、というのがこういうレース系イベントの定番だと思ったが違うのだろうか。

「違う違う、今日このレースを見に来るって言うからさ、ついでに二人分の座席確保をお願いしてた訳よ」

「ふぅん」

まぁ別に座った方が良く見える訳でもないのでどうでもいいが。
その席を取っている筈の人物を探しに行った美鳥を見送り、先割れスプーンをカレールーに沈んだウインナーに突き刺しながら、改めてコースへと目を向ける。
コース上を疾走する機影は一つ残らず競技用劒冑であり、どの劒冑を取り込んだとしても、俺の性能向上に欠片の役にも立たないだろう。
が、それよりも目を向けたいのはこれが劒冑を使った競争であるという事だろう。
パワードスーツでレースをするという発想は、劒冑よりも早い存在を知っている俺からしても斬新で興味深い。
実際問題、これまでに訪れたブラスレイター世界、スパロボJ世界、ついでにネギま世界で似た様な事を始めようとしてもここまで広まる事はありえないだろう。
なにしろ非効率的だ。人型の物をレースとして成り立たせる程の速さで飛ばす技術が存在しているならば、より航空力学的に正しい形状のものを競争させる方がいい。飛行機とか。
実際、スパロボ世界の技術力なら似た様な事が可能かもしれないが、そうなると今度はガンダムファイトとジョグレス進化してモーターボールの様な、より暴力的で刺激的な競技へと早変わりするだろう。
劒冑こそが最速であり、飛行機などが存在しないこの世界だからこその競技。
すこぶる魅力的である。

「あれ、貴方はもしかして」

「うん?」

コース上に広がる光景を眺めながら悦に浸っていると、唐突に横から声を掛けられた。
茶髪に糸目、やや高い背が特徴の多分高校生くらいだろうと思われる少年が少し驚いた表情でこちらに視線をよこしている。
そう、高校生くらいのこの少年、しかしこの少年が見ため通りの高校生ではなく、なおかつ間違いなく十八歳以上である事を俺は知っている。

「メディ倫審査済みだしな」

「相変わらずいい電波拾ってますねぇ」

このいきなり屈託のない笑顔で不躾な発言をしている少年の名は稲城忠保。装甲競技の選手を目指す、どこにでもいる普通の学生さんである。
本来この少年、担任教師に目を潰された上、達磨にされた好きな人を無理矢理アレさせられてしまった挙句に三世村正の陰義の応用で磁力線センサーを組み込まれたりする割と可哀想な運命を持っていたりする。
が、それも俺が何となく試しに生き返らせてしまった飾馬律の大活躍によって見事救われ、この世界では何事も無かった様に平穏な日々を過ごしているらしい。

「あぁ、今日も勿論アンテナ三本ガン立ちだ。もう少し、気持ち程度に追加で褒め称えていいぞ」

「いえ、慎んでお断りします」

真顔ですげなく断られた。この少年意外とセメントである。

「皮肉を言われてるんですよー、と伝えるべきか、強気な癖に微妙に謙虚な部分に反応するべきかひっじょーに判断に困るリアクションね」

そしてこの赤毛で背丈のやや低い高校生ぐらいでしかし決して十八歳未満でなく高校生でも無い少女が来栖野小夏。
今でこそ五体満足であるが、本来ならばダルマ経由で全身義体のバトルサイボーグへ改造されハニー原人たちとダイナミックなアリスゲームを繰り広げる茨の道を歩む少女である。
彼女をモデルにした超合金は関節部に磁石を内蔵している為遊びの幅が広いのが特徴であるが、迂闊に砂場に持って行って遊ぶと関節部を砂鉄がコーティングしてしまい、涙目でそれを取り除く羽目になる上級者向けの玩具でもある。
因みに少し前までは同居していた幼馴染の少年を関節技で起こすのを日課としていたが、その少年が近所の空き家を借り、親戚のお兄さん(面長)とお姉さん(でっかい)と同居を始めてからはその日課も行えず、寂しい思いをしているらしい。
俺が思うにそのお兄さんとお姉さんが一つ屋根の下でありながら殺し合いに発展していないのはその少年のお陰だと思うので、この少女には今後ともぜひ寂しい思いを続けて欲しい。
この二人とは再生飾馬律を通して少しだけ面識があるだけだが、町やどこかで会えば世間話をする程度には交流があるのだ。

「しかし奇遇ですね。鳴無さんも装甲競技に興味が?」

「一応ここ最近で一番注目を集めてるイベントだし、個人的に見届けておきたいチームもあるからな。装甲競技の熱烈なファン、って訳じゃあ無い。俺はあくまでもにわかだ、にわかファン」

「胸張って自分の事にわかって言う人も珍しいですけどねー……」

実際そんなもんだ。何度も見ていればその内武器使用許可のハードな展開を望みだしたりする事は目に見えている訳だし。
この装甲競技もその内数打ちの性能が向上するにつれ、モーターボールの様な戦闘主体の競技が派生で生まれる可能性だってある訳だし。
と、ここまで会話してようやく気付いたが、新田雄飛と飾馬律が居ない。
何時もの仲良し四人組での活動では無いのだろうか。

「今日はレースにかこつけてのデートか何か?」

「あっれ、もしかして僕たちそんな関係に見えちゃいます? いやぁまいったなぁ!」

「断じて違います。リツは空いてる席が無いか探しに行ってるんです。で、雄飛はこれ」

頭を掻きながら照れたようにハハハと笑う稲城を華麗にスルーし説明を被せる来栖野。仲が良いなぁ。
これ、と言われて指差されたその先には、真白に燃え尽きた新田雄飛が壁にへばりついて休憩していた。
連日の親戚のお兄さん(暗闇星人の生き別れの兄という裏設定があるらしい)とお姉さん(瞼を開けるとそれまで蓄積していた小宇宙が爆発するらしい)のギスギス空間に耐えたり身体を鍛えたりとで疲れが溜まっているのであろう。
今も周囲の人ゴミに紛れて人の良さそうな執事服姿の老婦人が隠れていたり、さりげなく六派羅の武者がこちらをセンサーで監視していたりするのもその延長だろう事は容易く理解できる。
そんな体力的にも精神的にも可哀想な少年は放置するとして、残りの一人である飾馬律だ。

「席探すっても、見ての通りのあり様だぞ?」

座席に座っている人数よりも立ち見客の方が多い程に大量の客が来ているというのに、今更空いている席を探すなんて無謀にも程がある。
そんな事をするくらいならいっそのこと、自分で折りたたみの椅子でも持ち込んだ方が余程ましというものだろう。椅子の持ち込みが可能かどうかは知らないが。
……むしろ問題なのは、この人混みを力尽くで掻き分けて座席を確保するだけの馬力が、今の飾馬律には間違いなく存在しているという事。
騒ぎになってレースが中止になるなんて事は無いにしても、せっかくの現代最速の競技用劒冑の晴れ舞台、可笑しな空気は作りたくない。
まぁ、変身した後ならともかく、平時においては無闇に好戦的になる様な調整は施していないから、いきなり座っている客を除ける様な真似はしないと思うが……。

「わたし達もそう言ったんですけど、人との約束もあるからって聞かなくて──あ」

「うん?──い」

──う、とは続けずに二人の視線の先へ顔を向ける。そこには人ごみの中に生まれた小さなエアポケット。
中心には見知った顔が二つ。
さっき人を探しに行った美鳥と、席を探しに行っていたらしい飾馬律である。

「うっわー、なんか見るからに険悪というか」

「既に肉体的にもぶつかり合ってるわね……」

そう、二人から放たれる闘気に当てられて周囲の観客が一歩下がる事により生まれる空白の中で、美鳥と飾馬がそこらのチンピラの如く方をぶつけ合って牽制し合っている。
爽やか極まりない満面の笑顔で、だ。正直近寄りがたい。
近寄り難いが、とりあえず音声を拾って実際にどんな理由で戯れ合いが始まったか程度は把握しておこう。
耳に搭載された高性能集音装置を起動し周囲の音を全て拾い、ピンポイントであの二人の出す音声のみを抽出──来た来た。

『なんで席の一つも取れませんかねぇこのデコ助が』

『あらあらサーキットの真下に住んでおいて人に席の確保を頼むなんて、流石に筋が通らないのでは無いかしら』

あはははは、とか、おほほほほ、とかの乾いた笑い声の後に、勢いよく肩と肩をぶつけ合う。
ドゴッ、と、とても年若い少女達の肉体が出したとは思えない音が周囲に響き渡る。
周囲の観客が更に後ろに退いた。空白地帯の直径はこれで3メートル。

『おいおいおい、それとこれとは話が別だろーが。頼まれて承諾した癖に失敗するとか、とんだ恩知らずが居たもんですよ』

『わたしが恩を受けたのは貴女の兄であってあなたではありませんのよ? そこのところ、ちゃんと弁えて下さらないと』

ゴツッ、ゴツッ、ゴッゴッゴッゴッゴ!
連続で角材を叩きつけ合う様な音が響き渡る。

『言うじゃねぇか、ゾンビ如きが』

『貴女程ではありませんわ、金魚の糞さん』

ミシィッ、という音が聞こえた。二人の足元にプレッシャーで亀裂が走っている。
闘気は膨れ上がっているが、双方ともに殺傷攻撃を繰り出す程のレベルでは無いらしい。
美鳥の身体は未だ戦闘形体へ移行していないし、飾馬の方はクリスタルを取り出す気配も無い。
いや、飾馬に渡したクリスタルはナイフとくっ付いてるから取り出すと騒ぎになるし、美鳥の方もこの程度の相手通常形体で楽勝だぜクハハ、みたいな考えがあるのかもしれないが。
なにやら貴賓席の方、黒髪ロングの深窓の令嬢っぽい人がチラチラと興味深そうに視線を送っているが、それも今直ぐどうこうというレベルの物では無い。
結論、放置しても問題なし。

『ケツから手ェ突っ込んで奥歯ガタガタ言わせ──』

『その命、神に返しなさ──』

集音装置を停止すると二人の声が途絶え、耳にサーキット場の喧騒が戻ってくる。
視線を二人から外すと、真顔の稲城と来栖野がこちらの様子を窺う様に顔を覗き込んでいたのに気が付いた。

「あれ、鳴無さんの妹さんですよね。どうしよう、止めるそぶりを見せておいた方が良いのかしら……。と葛藤しておけば言い訳は立つわよね」

「事情はなぁんとなく理解できるから、できれば止めた方がいいかなーなんて思わないでも無いです。と証言していたと記録しておいてください、後々の為に」

白々しい二人からの二票、燃え尽きた新田の無効票一。
あちらのグループは過半数超えで見捨てるで決定らしい。
俺も正直、高校生っぽい学生の仲良しグループの中に割って入るのは心苦しいので、美鳥の頼んでおいた席は無い方がいい。
利害は一致。顔を見合わせ頷き合う。

「じゃ、俺はこっちの方でレースを見るから」

「ええ、お元気で」

「さよーならー」

稲城と来栖野と二人に引き摺られている新田のグループと互いに手を振り合い、未だ戯れ合っている二人を置いてそれぞれ反対方向に遠ざかって行った。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

警備員にしょっ引かれた美鳥がどうにかこうにか身分証が無い事を誤魔化して戻ってきた頃には、本予選は終わってしまった。
既にコース上に競技用劒冑の姿は無く、間もなくサーキット場もその門を閉ざす時間。
俺と美鳥は強化型ミラコロで姿を消し、サーキット場の外延部に立ちぞろぞろと名残惜しげに家路につく観客達を見下ろしていた。

「凄い熱気だねぇ」

「それだけ衝撃的だったって事だろ」

サーキット場から出た観客達の足は皆一様に遅い。まるでこのサーキットから離れる事に名残惜しさを感じているかのようだ。
だがそれも仕方の無い事だろう。
世界を制覇した横森鍛造のスーパーハウンド、その記録を容易く塗り替えた怪物、翔京兵商のウルティマシュールの出現が原因、という訳でもなく。
他に類を見ない強烈な個性を備えたタムラのアベンジ、その暴力的とも言える加速に魅せられた、という事でも無く。
いや、タムラのアベンジが原因である、という所は当たっているか。
観客を沸かせ、今なお熱を持たせている理由、それは──

「出ちゃったもんね、新記録。いや、理論上その程度の速度は余裕で出るのは分かってたけどさぁ」

「ああ、まさか何の出し惜しみのせずに初日でぶっちぎるとは思わなかった」

正式な記録なのかどうかは分からないが、作中で皇路操と皇路卓が固執していたコースレコード。
一分二五秒一三。
世界最速の男が叩きだした鎌倉サーキットでのこの記録に、なんと二秒以上の差を付けての記録更新。
明日の本選を待たずにタムラの優勝確定、世界へと羽ばたく皇路操、みたいな雰囲気になってしまったのだ。
無論、今日はあくまでも予選のようなものである訳で、当然明日の本選でこそ真の勝者が決まる。
予測不能のアクシデントもあるだろう、不幸な事故、運の悪い位置取りでアベンジの騎航が妨害される可能性もあるだろう。
運悪くウルティマシュールとアベンジが共にクラッシュし、大番狂わせが起こる可能性だって無い訳では無い。
少なくとも、眼下の観客達の一部はそう信じている。
そんな事態にはなり得ないというのに、だ。

「ああぁぁ」

そのまま後ろに倒れこむ。
観客の熱気に当てられて上がっていた体温に、秋の寒さを孕んだコンクリートの冷たさが心地いい。
熱が地面に奪われ、俺の精神状態と同じレベルにまで体温を調節する。

「……もう帰ろうかな」

「気持ちは分からないでもないけどさ、もうチョイ頑張ろうよ」

俺の頭を持ち上げ太腿の上に乗せた美鳥が、そんな事を言いながら髪の毛を撫でつけてくる。
……撫で方が少し姉さんに似てきたか、変な因子ばかり受け継ぐ。
身体を横に向け、困った顔でこちらを宥める美鳥から視線をずらす。

「頑張った結果がこれだろうがよ」

そう、今回の皇路兄妹救済計画には、それなりに力を入れたつもりだったのだ。
そもそも皇路卓が殺されたのは、レース中に行われた犯罪が原因である。
ならばそんな犯罪行為を行わなくとも済むようにと、調整中のアベンジの改造に一役買った。
騎手の体調をどうにかする為に枕営業を止めさせ、更にはレースで重要であるらしい攻撃性を増す為に軽い精神改造も施して、より先鋭的な騎航が出来る様に仕向けた。
はっきり言おう。アベンジは少なくともこの大会中に負ける事も、傷が付く事すらあり得ない仕上がりになっている。なってしまっている。
勝って当然。負けるのに努力が必要な程の力を持っているのだ。

「なんだろな、改造前とか改造中はアベンジの恐ろしいまでの思想を持った構造にワクワクしてた気がするんだよ」

「ん」

美鳥は相槌を返しつつも俺の頭を撫で続けている。
髪の間を抜ける指が心地よい。

「美鳥。お前、あのアベンジと皇路操のセットが明日のレースで勝って、感動出来るか?」

「んー……。あたしは無理かな、今のあそこにゃドラマが無いし」

苦笑いのニュアンスを含んだ美鳥の声。
裏事情を知らず、皇路卓が独力であそこまでの劒冑を作ったのだと思えたなら、純粋にその技術力に感動する事も出来たのだろう。
が、そこに俺が手出しをしてしまった事で全てが台無しになってしまった。
何と言うのだろう、人が一生懸命レベル上げ頑張っていたRPGのセーブデータでチートを使ってしまったような、そんな罪悪感。
彼等に純粋に速度を求める様に助言(思考誘導)しておいて、せっかくより純粋になった彼等の気持を汚してしまった。

「スパロボの時は、こんな気分には成らんかったのになぁ……」

「スパロボは公式で全滅プレイなんてチートがあるからじゃないかな」

「んんんん……」

そう、なんだかんだでスパロボは改造してナンボ、といった気風のあるゲームであり世界だった。
この世界は違うのだ。いや、俺がこの作品を気に入っているからこその感情なのかもしれないが。
これなら単純に皇路卓が斬られるシーンで割って入って、卵をチョッパった上で素直に二人とも逮捕されるように動くべきでは無かったか。
せめて鏡面化の機構を除去させて、内部構造を破損しにくくするだけにとどめるべきでは無かったか。

「なんかもう、『美しくありませんわぁ』って感じだなぁ」

何処となく二回目のトリップで出会った人工知能に鼻で笑われた気がした。
この世界ではありえない鋼材を与えるのは、流石に物語として美しくないというか。

「どうする? あたしは元からそれほど興味無いし、お兄さんが乗り気でないなら明日の本戦は見なくてもいいけど」

美鳥が気遣わしげに提案してきたが、レースを見ないからと言ってここを離れるのも問題がある。
皇路卓から報酬として貰っておいた銀星号の卵、これを明日一杯まではこのサーキット内に置いておかないと、明日のポリスチームの援護が無くなってしまう。
いや、援護が無くても今のアベンジなら余裕か。

「仕方ない、明日の本選は地下室で適当にDVDでも見て時間を潰して遣り過ごそう」

「うぃ。気晴らしも兼ねて、大画面で派手なの観ようね」

「ん」

お出かけ用に取り込んでおいたのが幾つかある筈だし、遅めに起きて二クールアニメを全話視聴すれば確実にレースは終わっているだろう。
卵はレース終了を見計らって砕いて、中の野太刀の破片だけ所長宅にでも投げ込んでおくのが無難か。
俺は美鳥の膝枕に顔を埋めたまま、今も熱気を放出し続けている観客を冷めた目で眺め続けた。

―――――――――――――――――――

翌日の大和グランプリ本戦、他チームの破壊工作を見事な機転で乗り切ったタムラレーシングワークスは、レース中の妨害を装甲材の強度に任せたラフファイトで乗り切り、呆気なく初代大和グランプリ王者の座を獲得した。
その翌日、俺はサイトロンの運んできた未来の情報を夢で見た。
その比類なき加速性と初期のホットボルトをも上回る頑強さを備えたモンスターマシンは、後年まで装甲競技の世界で長く語り草にされたのだとか。
皇路操とタムラレーシングワークスも見事に世界へと羽ばたいたらしいのだが、俺はそれ以上先を見る事は無かった。
今までサイトロンの運んできた未来の中では、最高に見所の無い予知だった。




つづく
―――――――――――――――――――

突如現れた美人の義姉候補とその元許婚との同居を始めた新田雄飛。
昼は日常を守る為に鎌倉の学校に通い、夜は大鳥の家を纏める為の英才教育と武者としての肉体造り。
しかも義理の姉候補とその許婚はどうしてかやたらと仲が悪くて家の中の空気は最悪!
肉体、精神共に疲労困憊の彼の元に、また新しい美少女が押し掛けてきて……。

次回、装甲当主ゆうヒ!
「今度は許婚!? 魅惑の姉妹どんぶり」
お楽しみに。

―――――――――――――――――――

──という、ウソ予告が成り立つようなストーリーが本筋とは関係無い所で発生している可能性も無いではないのです。暴走編的はっちゃけが必要になりそうですが。
無論、そんな事が起きていると断言できる訳ではありません。可能性が0でないというだけで。
ええ、現実的に考えてあの二人が雄飛さんが居るからと言ってまともに和解できる筈が無いとは思うのですが、香奈枝さんの過去回想で見れる若かりし頃の獅子吼の純情台詞(声も立ち絵も無い)に胸を撃たれたのが原因ですね。
今では名前変更できるゲームでは名前を大鳥獅子吼にする程大好きです。
爽やかで社交的な獅子吼、みんなのまとめ役獅子吼、文化祭で女装させられてしまう獅子吼……。
たまりません。
そんなこんなで第三十三話をお届けしました。

ラストで主人公が妙にナイーブになっているのは、まぁ作中で主人公が独白した内容で大体合ってます。
しいて言うなら、それなりに現実的な格闘技漫画にネギまの気の概念を持ち込んでしまった全てだいなし、みたいな残念な気持ちになっている訳です。
余計なことしたせいで詰まんない勝負になったなぁとか、そんな要らん気をもんでしまう程度には主人公は村正のこのエピソードがお気に入りだった、そう考えて頂ければ。
これまでの主人公の非道とか考えると間違いなく共感は出来ないでしょうけどもねー。


以下自問自答のコーナー。

Q、茶々丸の生活リズム。職務に対する態度。
A、作者の妄想です。原作で特に言及されてませんでしたよね?

Q、アベンジの改修?
A、スーパーロボットの装甲材って、まともに考えると超軽量ってレベルじゃないんですよね。水に浮く事もしばしば。

Q、今更そんな理由でナイーブになられても。
A、ナイーブ(笑)って感じですので、寝て起きたらすっぱり気持ちが切り替わってると思います。


多分次か次の次辺りで第三部はラストになると思います。
スパロボ編が無駄に長かったから、という理由では無く、特に書くネタが無くなったからというのが本当のところ。
次回で終わったらほぼ第一部と同じ長さですしねー。

では、誤字脱字の指摘や分かり難い文章の改善案や設定の矛盾や一行の文字数などのアドバイス全般、そして、短くても長くても一言でもいいので作品を読んでみての感想など、心よりお待ちしております。



[14434] 第三十四話「蜘蛛の御尻と魔改造」
Name: ここち◆92520f4f ID:190f86b3
Date: 2011/02/04 21:28
第一回大和グランプリから暫し。
時間は深夜。場所は鎌倉市内、鎌倉警察署署長宅、寝室にて。

《最近、妙な視線を感じるの》

「……」

頭の中に響く自らの劒冑、三世村正の金打声に、湊斗景明は沈黙を持って返答した。
くだらない話題故に返答の価値を見出せず、無視の形を取った訳では無い。非常に返答に窮する話題だった為だ。
最近妙な視線を感じる。
人間であればそのままの意味で捉えてしまっても問題は無いのだろう。不審者から視線を向けられている、誰かに尾行されている、色々と理由はあれど、原因は言葉通りのものであると考えて良い。
だがこの言葉を言ったのが劒冑の制御機構であれば話は大きく違ってくる。村正ともなればなおさらだ。
村正は隠密行動において他の劒冑から頭一つ以上抜きんでた性能を誇る。
その村正に視線を向け続ける事が出来るともなれば、それは当然武者や劒冑の探査が可能である武者か、独立形体での単独行動が可能な真打の仕業である可能性が高い。
が、当然その様な話であれば『最近妙な視線を感じる』などという周りくどい言い方をする必要はない、はっきりと『他の劒冑に捕捉された』とでも言えば済む話だ。
つまるところ、三世村正はこう言いたいのだ。
探査に引っかかった訳でも隠業に失敗した訳でもないが、それでも誰かに見られている気がする、と。

《覚えが無い訳じゃないでしょう》

「……ああ」

そう、三世村正に向けられているという視線に、景明は心当たりがあった。
いや、明確に誰の視線であるか推測が出来る程ではないが、そういった視線を向け、しかし自分たちに尻尾を掴ませない存在と幾度となくすれ違っているのだ。
連続行方不明事件を調査中に、自分たちに先んじて寄生体を潰し、野太刀の柄をそのままに消えた謎の真紅の武者。
姿を見せない風魔小太郎を一撃の元に叩き潰し、自分たちに野太刀の鍔を投げ渡した、複雑な光を放つ特異な装甲を持った謎の武者。
そして、自分達が全貌を掴む前にサーキット場のどこかにあった卵を砕き、村正にも気取られずに翌日の夜に景明の枕元に置いて行った謎の人物。
七つに砕かれた野太刀の欠片を含む卵の内、既に三つまでもが自分たち以外の武者によって破壊されているのだ。
単純に、極限まで好意的に捉えて考えてみれば、善意の協力者であると考えるのが妥当だろう。
だがこれまでの自分達の行いを考えれば、その様な都合の良い存在が自然と現れる訳が無い事だろうという事は湊斗景明も三世村正も自覚する所であった。

「俺達の先回りをしている連中と視線の主が同じであるとは断定できない、が──」

《少なくとも、現時点で私達を害するつもりは無い、か》

敵では無い、とは断定できない。恨まれる筋合いは少なく見積もってもこれまで殺してきた人数の倍以上あると考えて良い。
が、復讐者であるならば、サーキット場でその相手が手に入れた野太刀の刀身の欠片を景明の元に届ける際に殺さないのは不自然過ぎる。
現時点では敵か味方か、第三勢力か見極める事すら難しいのである。
しかもその敵は、卵に寄生された武者を倒した時に現れる野太刀の欠片が村正のものである事を知り、自分と村正の関係を知り、自分達の所在も知っているという事になる。
所在も正体も知られている以上、この署長宅をこれ以上拠点にして活動するのは危険かもしれない。
景明は新しい拠点を用意する事が可能か考えながら眠りに付き、村正は今も見られている様な気味の悪さを感じながら一日を終える事となった。

―――――――――――――――――――

鎌倉市内のホテルの一室、ネズミや雀、虫などを軽く改造して作った端末越しに、俺と美鳥は真紅の甲鉄を持つ大蜘蛛、三世村正を眺めていた。
ソファの上、何故か正座で目を瞑り端末から送られてくる蜘蛛正の映像をじっくりと鑑賞する。美鳥に至ってはカーペットの上で全裸ネクタイで正座である。

「いいなぁ、蜘蛛正」

「蜘蛛正いいよねぇ」

小動物視点だと視力の関係であまり鮮明な映像を手に入れる事は出来ないのだが、脳改造や肉体改造を施す段階で既に視力の辺りも弄っているので、かなり鮮明な村正──蜘蛛正の姿を見る事が出来る。
今も屋外で探索を続ける蜘蛛正を、上空からは鳥型の端末が、地上からはネズミ型蛇型ゴキブリ型ネコ型犬型の端末が、さりげない動作でしかし全身を舐め回すかの如き執拗さで持って観察している。

「……ごくり」

「……じゅるり」

頭胸部最前に配された頭部、の何処か愛嬌のあるギザギザ口、その真下から生える鋭角円錐状の突起物に、脚と見紛う程の大きめな鋏角。
頭部よりもやや幅の狭い胸部の天側には小さな窪みがあり、ここにふななどの小さい子を乗せる事が可能なのだろう。
付属肢は自然界の蜘蛛に比べシンプルな作りであり、どちらかと言えば古い工業機械の内部パーツを伝統工芸風にアレンジした様にも見え、その付属肢の下に格納された武者形体時の肩当てが逆に生物的な複雑さ、余分さを演出している。
合当理を内部に搭載した腹部は樽の様な丸みを帯びながら、曲線と直線をどちらも含む自然界には在り得ない外骨格。
自然の蜘蛛ならば糸疣や生殖器、肛門などもあの腹部に存在する筈なのだが、やはり蜘蛛正もそれらに値するパーツがあそこに存在しているのだろうか。

「おにいさん、あたしアレ欲しい」

「俺も欲しいけど涙を呑んで我慢しよう、そして創作活動に励もう」

俺は美鳥の素直な欲望を肯定しつつもやんわりと流す。
俺達はもはや蜘蛛正の魅力的なボディラインにメロメロ、昼夜を忘れてその造形美に見蕩れ、ある程度形状を記憶しては独自に小型の複製を作り動かして遊んだり自律回路を組み込んで動かしてみたり簡単な知性を分け与えて互いに遊ばせてみたり金神の欠片を与えて簡易な劒冑にしてみたり時たま味を確かめてみたり脱走をその愛らしさから度々見逃がしてしまったりして、その欲求を発散していた。
だが、美鳥はそれでも飽き足らず、できる事ならば蜘蛛正オリジナルのボディを弄びたいらしい。
正直、できる事ならば俺もそれが理想的であると思う。

「やだやだやーだー! 蜘蛛正の糸疣をマイナスドライバーでぐりぐりしたいー!」

「こらこら、キャラ崩壊も劒冑虐待もやめなさい。せめてアルコールで湿らした脱脂綿とか棉棒で優しく内部形状を確かめるべきだろう」

もはや端末との通信を切り、全裸ネクタイのままでカーペットの上で手足をばたつかせる美鳥。
美鳥がここまで何かを欲しがり駄々を捏ねるのは珍しいので、日頃の働きに報いる為にもどうにかしてやりたいし俺も合当理や糸疣をいじいじしたいというのが本音ではある。
だがしかし、それには結構な問題がある。
別に主人公を丸腰にするのは気が引けるとか、俺は景明×村正にどちらかと言えば大歓迎であるとか、そんな理由ではもちろんない。

「大体、善悪相殺の呪い持ちの劒冑とか、愛玩用以外に明らかに使い道が無いだろうが」

そう、これまでに数打と古めの真打を取り込み、現在最速の競技用劒冑の構造をコピーしたからこそ断言できるが、もはや俺が劒冑を取り込む事で得られるうま味紳士──もとい旨味は無いに等しい。
それほど試してはいないが、作中で出てくる陰義は全て金神の力で再現が可能であるし、肉体強化に関してもそれほど目覚ましい効果が得られる訳でもない。
挙句、もしも善悪相殺の呪などという面倒臭い縛りが生まれたらまともに戦う事も不可能になってしまうだろう。
善悪相殺の戒律が呪いでは無いだのなんだの説明はあるが、何だかんだで人やら人以外やらをこれからも殺す可能性がある以上、そんなリスキーな真似は不可能と言っても良い。
そんな俺の説得に、美鳥はカーペットの上に胡坐をかき、頬をふくらませ唇を尖らせた不機嫌顔で反論してきた。

「だからぁ、適当にひっ捕まえて遊んだら記憶をちょちょいのちょいして持ち主に返せばいいじゃん。壊すわけじゃないんだし」

……余りにもヤクザ臭すぎる。俺は額に手を当て天を仰いだ。
昔そこら辺のモラルの有無を説いたアンチ魔法使いSSを読んだ気がしたが、万が一もう一度ネギま世界に行ってもそこら辺を言及する事が出来なくなってしまいかねない暴論である。
いや、正直なところを言えば、記憶を云々脳味噌を云々思考形態を云々する事に関しては俺も人の事を言えた立場では無い上に、モラルがどうこうにも余り興味が無いのだが、これを承認してもいいものだろうか。
成るべく早く結論を出した方がいいだろう。何しろ今回のトリップでのメインターゲットは手に入っている、つまりここから帰還までの時間はオマケの様なもの。
美鳥は俺の補助を優先する必要が無く、他の目的があれば完全な自由意思で動くことが可能なのだ。放置したら勝手に村正を持ってきかねない。
仮に蜘蛛正──村正を奪取、あるいは一定時間自由にするとして、これからのエピソードで村正を浚って大丈夫な話は存在しただろうか。
……あった。あっさりとそのエピソードを思い出した俺は、カーペットの上で座り込んでむくれている美鳥に向き合い、そのエピソードが始まるまでは村正に下手に手出ししない様に言い聞かせた。

―――――――――――――――――――

さて、どうにかこうにか説得されてくれて、ついでに服もちゃんと着てくれた美鳥と、大学ノートと旅のしおりをテーブルの上に乗せて向かい合う。
大学ノートにはとりあえず村正を再プレイしてチェックした大まかなイベントの発生時系列が記されており、旅のしおりは相変わらず初心者トリッパー行動チェックのページが開かれている。
以前と明らかに違うのは、チェック用ページの最後のページ、一つだけカラーで太字の項目にチェックが入れられている事だろう。
その項目名は『原作登場ネームドキャラの命を三つ救う』、つまり姉さんの出した宿題だ。
これまでに俺達は『新田雄飛』『ふき』『皇路卓』の確実に失われる筈の命を繋ぎ、もしかしたら失われるかもしれずこのルートだと確実に失われていた筈の『皇路操』と、一度死んだ『飾馬律』を蘇らせた。
更に言えば、本来レース中の事故で死ぬ筈だった『来馬豪』の命もさりげなく救っていたりもする。
死んでから生き返らせた奴や死なない可能性もあった奴や立ち絵が装甲時の物しか無い奴も含めれば、何と当初の予定の二倍の六人の命を救っているのである。
これはもう、完全に初心者的トリッパーと言い切っても良いのではあるまいか。
救済方法も『死んでるのを生き返らせる→ついでに戦闘能力強化』とか『資金提供とか暗躍』みたいなテンプレを踏んでいる辺りも完璧。
だからどうしたという訳では無い。帰ったら姉さんが『よくやったわね卓也ちゃん、これで立派なトリッパー初心者の仲間入りよ』とか言いながら撫で撫で褒め褒めしてくれるのが心底楽しみなだけである。
それはともかく、一つの問題が発生した。

「まぁまぁまぁ、そんな訳でどうにかこうにかお姉さんの宿題は完了したわけですがぁ、まぁだまだ帰れそうにありませーん」

机の上に上半身をだらしなく伸ばした美鳥が、やる気無さげに現状を端的に説明した。

「まぁ、正直途中失敗する事とか考えてたり、金神の取り込みにもう少し時間が必要だと思ってたもんな、トリップの前は」

そう、金神を驚くべき短期間で取り込んでしまい、最初の方から万全の態勢で救済活動とかに励んだお陰で、予定よりも数週間早く全ての目標を達成してしまったのだ。
本来なら第一章には間に合わず『飾馬律』『新田雄飛』は救済失敗、第二章時点にも微妙に間に合わず『ふき』『ふな』死亡、第三章で漸く皇路兄妹を救済して二人、第四章で漁師のガキを救えれば丁度三人、程度の考えだったらしい、旅のしおりによれば。
大学ノートに書かれた予定表と照らし合わせると、帰還可能になる時機までそれなりに暇な時間が出来てしまっているのだ。

「たぶん魔王編の途中くらいで帰れると思うんだけど、それまでは自由時間という名の暇つぶしをしなければならんのです」

「つっても俺、一月二月程度なら適当に時間潰せるぞ」

スパロボJ世界終盤のガ・ウラ内部缶詰期間の事を考えれば、その程度の時間は余裕で消化できる。
勿論あの時とは違い娯楽だけで時間を潰すつもりはない。
姉さんに格闘系技術の効率的な修業方法を教えて貰ったから、その修行に時間を充てるのも良いか。組手の相手は元の世界と同じく美鳥が居るから何も問題は無い。
美鳥は姉さんから受け継いだ因子の中に格闘術が多く含まれているから、今まで行った事の無い世界の技をこっそり教えて貰う事も出来るかもしれないし。
元の世界で美鳥から教わろうとすると、姉さんが怒るんだよなぁ。カンニングはいけません的なノリで。
ぶっちゃけ、流派東方不敗の技も刀の扱い方も、取り込んだ二人の脳味噌からカンニングしている様なものなのだが。
……ついでに言えば、『あれ』の開発の為に色々と知識を詰め込ませたい。

「うん、あたしもその程度なら余裕だけどさ、もうちょいこう、トリップ中にしか出来ない事とかで時間を潰すべきじゃないかな」

机から身を起こした美鳥の言葉の内容に思考を巡らす。
トリップ中にしか出来ないこと。
ここが剣術上等の村正世界である事を考えれば、やはりここでしか味わえない剣術理論の取り込みだろうか。

「吉野御流なら、今度湊斗光が起きている時を見計らって脳味噌からデータだけ取り込む事も可能だな。六派羅柳生とかも最終ルートだとバルトロメオさんが居るから直接取り込めるし」

銀星号は所在が割れているからいいとして、バルトロメオはどうやって見つければいいのだろう。やはり普陀楽かとも思うが確証が無い。
まったく、あれだけ強いなら専用の真打の一つや二つ持っててくれてもいいだろうに、生身で直接面識の無い人物とか、探すのが面倒臭過ぎる。
いざとなればどうにかして茶々丸から聞き出すのがベターかもしれないが、何を取引材料にするべきか……。

「いやそういう物騒なのでなくて」

ぱたぱたと手を横に振る美鳥の表情は苦笑い。
どうやら殺伐とした世界観のせいで思考が少し攻撃的になっていたらしい。
正直俺も蘊奥爺さんの剣術で充分だと思っているので余り気乗りしていなかったのでありがたい。
何しろ実体剣でビームを斬れる剣術で、しかも場合によっては生身でMSを叩き斬れる様になるのだ。
もしも全盛期のスパロボJ世界の蘊奥爺さんが村正世界に来たら、生身でもそれなり以上の活躍が出来てしまいそうではないか。
しかし、それではトリップ中にしか出来ない事とは一体何の事なのか。

「元の世界だとさ、何だかんだで毎日細々仕事があるじゃん?」

美鳥の言う通り、農家なんて仕事をしていると一年中休む暇はほとんどない。
季節によっては殆どやることが無いなんてところもあるが、家はそれなりに手広く育てているので比較的仕事が無い時期でも毎日細々とした仕事があり、家を空ける事はそうそう出来ない。
偶に休めても連日休むと畑が荒れるし、せいぜい隣町に繰り出して買い物をするとか、日雇いのバイトをするとか山で猟をする程度の事で精一杯。
ワープするなり空飛ぶなりすれば日帰りで日本中どこでも行けるのだが、元の世界でそういう非現実的挙動は控える様に姉さんに堅く言いつけられているのでそれも不可能。
と、ここまで考えて、美鳥の言いたいことが理解できた。

「あぁ、つまりどっかに旅行に行きたい、と」

そう、逆にトリップ中であればワープしようが空飛ぼうが乗用車で『歩道が空いているではないか』とかやろうが誰も文句を言わない。
更に日帰りではなく五泊六日とかそんな海外パックツアーみたいなそれなりの日数を使う事も、時間的には十分可能なのである。

「そうそれ! で、ついでにチョロチョロッと原作イベントとか見て、ついでに旅のしおりのチェックを埋めていければなーって考えてるわけよ」

我が意を得たりと頷きながら、旅のしおりと大学ノートを興奮気味にばしばし掌で叩く美鳥。
そんな美鳥の微笑ましい挙動を眺めながら、顎に手を当て考える。
よくよく考えてみれば、スパロボ世界から元の世界に戻って以来、旅行どころか隣の県にすら行っていない。
俺や姉さんにとってはそれで当り前な訳だが、これまでの人生の半分近くをスパロボ世界で暮らし、あちこち移動して過ごすのが当たり前になっている美鳥にとっては少し窮屈なのかもしれない。
正直、帰還するまでひたすら鎌倉に缶詰で修業三昧設計三昧というのも案外きつそうだし、ここは一つ美鳥の提案に乗ってみるのも面白い。
どうせ美鳥の事だ、行き先はもう目星を付けているのだろう。

「で、結局何処に行きたいんだ?」

俺は鼻息も荒く此方を見つめる美鳥に、行きたい場所を聞くことにした。
美鳥は目をキラキラと輝かせ、椅子から立ち上がりながら大きな声で宣言する。

「江ノ島丼!」

「せめて丼を抜け」

食品名が返ってきた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

江ノ島に存在する幕府直轄の漁業研究所。
秘密裏に危険性の高い兵器の開発をしているというそこに送られた調査員が消息を絶った。
調査員が最後に寄こした報告は只一言。
『銀色の化け物を見た』
更に江ノ島周辺で起こっている連続失踪事件。
これらを関連付けて、六派羅幕府が非人道的な兵器実験を行っている、あるいは非確認虐殺犯『銀星号』の関与が疑われ、迅速な調査が必要とされている。
が、現時点での大和には調査行動に適した人材が多いとは言えず、進駐軍総司令部は大和国内務省警察局に対して協力を要請した。
──という建前の下、何らかの罠が張り巡らされている可能性は高い。
八幡宮の戦力である赤い武者──湊斗景明の存在を嗅ぎつけ、戦力を削る為に罠を張っているのか。
それとも、湊斗景明──赤い武者の存在そのものが疎ましい理由があり、直接的に排除しようとしているのか。
確実に何らかの罠があると理解した上で、湊斗景明とその付添達は江ノ島調査の協力要請を受けた。
『銀色の化け物』
事件の裏に銀星号が潜んでいる可能性を、彼は無視する事ができない。
自らの妹でもある銀星号を自らの手で討伐しなければならない、と考える彼にとっては、例えそれが罠であったとしても、銀星号の手掛かりのかけらでも手に入るのならば行かない理由は存在しないのである。
そして、そんな景明の使命感とは異なるものの、この任務に対してやはり並々ならぬ熱意を持って当たっている少女が一人。

「そうですか、ありがとうございます」

小柄と言っても良い背丈に凹凸の少ない身体、短く切り揃えられた藍を含む黒髪、可憐で幼くも見える顔立ちに、その造形に対して獰猛さを秘めたまっすぐな瞳。
人の溢れ返る浜茶屋で『銀色の化け物』や『連続失踪事件』について、一人一人聞きこんでいるこの少女の名は綾弥一条。
とある事件の折に村正を装甲した景明に命を救われ、それ以来部下として景明と共に銀星号事件の調査を行っている。
義務感では無く、平和を脅かす銀星号を一刻も早く討伐しなければないらない、六派羅の支配を何とかしなければいけないという正義感で持て動く彼女は、普段見せないような営業スマイルの様なものを浮かべ、丁寧に聞きこみを行っていた。
が、如何に丁寧な聞きこみを行っていたとしても、聞きこんでいる対象が必要な情報を持っていなければ、その努力が報われる事は無い。

(ここまで、碌な情報は無し、か……)

全く無い、という訳では無い。
無責任な憶測を垂れ流す観光客はともかく、聞き込みに対する地元民の嫌そうな、聞いて欲しく無さそうな反応を見る限り、間違いなく何かが起こっている。
そして、聞き込みをしているのは自分だけでは無い。自分が有力な情報を得られなかったとしても、他の三人が手がかりを見つけているかもしれない。
だが、たとえそうであっても、彼女は何かしらの有力な情報を欲し、それを手に入れられない自分に不甲斐無さを感じていた。

(仕方ないか、そろそろ合流場所に戻って──)

一向に有力な情報の集まらない聞き込みを切り上げ、ひと先ず景明や進駐軍大尉と合流しようと思い立った綾弥の視界に、奇妙な光景が映った。
いや、映ったというのは適切では無いかもしれない。
彼女の感性が、綾弥一条という人間を形成する重要な何かが、捨て置けない何かの気配を察知したとでも言えば良いか。
ともあれ、彼女の理屈では説明のしようの無い感覚、それに従うままに顔を上げた綾弥の視線の先、観光客の賑わう浜茶屋の中では違和感を覚える様な光景が存在した。
浜茶屋の隅、きっかり六畳分ほどのスペースを、たった二人の男女が悠々と独占し、周りの喧騒などどこ吹く風でのんびりと飲み物を啜っているのだ。
合い席上等で客を詰め込むほどではないが間違いなく人がにぎわい入れ替わりの激しいこの店内、急かされるでもなく、そこに何時までも居座っているのが当たり前とでも言いたげな雰囲気。
全体的に穏やかな作りの顔に似つかわしくないほど目つきが鋭く、がっしりとした体形の男。その逞しい体つきは肉体労働者の証か。
同じくやや吊り目がち、鍛えているのか、しなやかな体躯の少女。こちらはどことなく先日サーキット場で見かけた金髪の少女に似ている気がする。
顔面の細かい造詣、髪の毛の癖などから見るに兄弟だろうか。如何にも観光客といった雰囲気の服装。
彼等は暫く楽しげにだらだらと雑談を続けていたが、自分達を呆っと見つめる綾弥を確認すると、楽しげな緩い表情から、何かに驚いたような表情へと顔を変化させた。
二人組の片割れ、妹に見える少女が綾弥を指差し、兄と思しき男に向かって何かを喚き出す。

「ほら! ほら! やっぱ旧スク水じゃないじゃん! 邪悪、邪悪だよこれは!」

それ見た事かとでも言いたげな少女の言葉に、男の方は綾弥を訝しげに見つめた後、溜息を吐きながら首を振る。

「馬鹿、あれでいいんだよ。そもそも学校とは言っても、全員十八歳以上の学生が通う学校なんだ。18歳以上の女性がスク水を着ている方が可笑しい」

「何を言ってるんだあんたらは」

こめかみを引き攣らせ、思わず素で突っ込みを入れてしまう綾弥。
先ほどまでの聞きこみ専用の人当たりの良い態度とはかけ離れた態度に、しかし少女も男も気にした風も無い。
男も少女も気を取り直したように綾弥に向き合い、話を聞く態勢に入った。
この二人以外の店の中の客には全員聞き込みを終えている。その聞きこみの光景を見ていて、自分が聞き込みをしている事は分かっているのだろう。
そう綾弥は自分の中で結論付け、改めて本題に入った。
当然、何も知らずに観光に来ている人達に『銀色の化け物について何か知らないか』などと聞ける訳も無い。
質問の内容は当然、江ノ島周辺の異常気象についての物となる。
今現在の綾弥の服装は、先ほど少女が指摘した通り学生用の水着、それの上からジャケットを軽く引っかけているだけ。
秋も終わりに近い季節でありながらこの服装、しかしそれを不自然だと指摘する者は存在しない。この服装がこの場では正しいからだ。
江ノ島周辺の温度は、夏日などという区分では分けられない程の猛烈な暑さに包まれている。
この異常気象の原因は一切不明、という事になっている。
原因が分かっても、誰もそれを口に出して言う勇気が無い、というのが本当のところなのだが。
それらについて二人に尋ねた時、正直なところ、綾弥はあまり期待していなかった。
見たところ地元民ではないようだし、観光客の証言はどれも根拠の無い憶測ばかり、今回も情報とも呼べないような噂話を一つ追加して終わりだろう、と。
が、その二人組が観光の最中に目撃したという内容は、根拠の無い話と断じるには余りにも具体的過ぎた。

江ノ島から流れる、海が煮え立つ程の暖流。
深夜に警備の薄くなる長磯。
何かに群がるように溢れ返る魚の群れ。
そして、唸り声を上げる銀色の化け物。

最後の最後で当たりを引いたのだ。
綾弥は『何一つ疑う事無くその証言を信じ』、意気揚々と合流地点へと向かった。
……景明が全く同じ情報を持ってきて、自分の聞きこみが無意味なものとなった事に項垂れるのは、実に数分後の出来事である。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

深夜、江ノ島、灯台へと続く道。
一般に知られる美しい景観が売りの江ノ島とは違うが、外周では過剰なまでに生い茂っていた植物が、島内部へと進むにつれて枯れていく様は中々に類を見ない光景であり、これはこれで面白い景色となっている。
そんな光景に包まれた山道を、ザクザクと足音を立てて地面を蹴りながら、周囲の景色を楽しみながらゆっくりと歩く。

「いやぁ、まさか認識阻害の結界を無視するとはねぇ」

俺も美鳥もスパロボ版ECSを起動し、不可視状態で山道を歩きながらの雑談。
会話は通信機を使っての小声でのものなので、余程近くに武者が居なければ気取られようも無い。
そして肝心の会話内容は昼間の浜茶屋での出来事。というよりも、一条さんについての話だ。

「やっぱ普通じゃないよなぁ。流石メインヒロイン兼ラスボスなだけの事はあるよ」

真っ二つになっても戦い続けた上で、結局主人公を殺してエンディングまで生き残る辺り、大尉よりも扱いは上と考えるべきなのだろうか。
それとも、やはり一条の名を持つ者は違うということなのだろうか。
作中ではそんなシチュエーションは無かったが、やはり直径六キロを吹き飛ばす爆発で無傷の装甲にダメージを与える攻撃で、眼に見える程派手な外傷が残らない長野県警の一条さんの様な人間離れした肉体強度を備えていたのか。
それだと電磁抜刀で切断できるか微妙だが、そこが真っ二つにされても生きていた理由なのかもしれない。
斬れたのは顔の表面だけで実は頭蓋骨は切断できていなかった、とか。

「だよねぇ。なんか変なセンサーでも搭載されてんじゃないかな、あの女」

「正義印の悪党センサーとかか?」

「んー、まぁ、あの時の会話内容もあれだったしねぇ。しかも、普通の会話してる時は見事に認識阻害に引っかかって、最後のこっちの証言もあっさり信じさせられた、と」

「なんか、マジで搭載されてそうで怖いな悪党センサー。これだからどこか突き抜けた人は……」

くだらない会話を続けながらも足は止めない。
先ほど子供ばかりが乗っている小さな漁船が、俺達と入れ替わりに現れた六派羅の兵に捕まっていたので時間は稼げているだろうが、できる事なら早いうちに灯台へと到着しておきたい。
明日の夜は少しばかり騒がしくなるので、できるなら今日の内に済ませておきたいのだ。

「で、昼間の会話の続きなんだけどさ」

「ああ」

昼間の会話──綾弥一条の登場により中断された話。
その内容は、『あれ』の開発具合である。

「結局、これまでに手に入れた劒冑作りのノウハウだけじゃ作れないんだよね」

「うむ、あれから色々考えたんだが、どうにもこうにもデータが足りない」

作成中の『あれ』──専用の劒冑。
金神の力を制御するに至って気付いたのだが、やはり何かしらの道具か技術でそのエネルギーを収束させた方が、陰義もどきの超能力を使う上では効率的なのだ。
俺の力はこういった科学技術とは無関係な能力を増幅するには向かないので、既存の技術で可能な限り強化しておきたい。
理想としては、陰義を使える程のポテンシャルを誇りながら、陰義自体は持たない劒冑。
鋼材は最高の素材が幾らでも思い付く。足りなければ複製すればいいし、金神の一部と合成して組成を作り替えても良い。
そして劒冑を鍛える鍛冶師、劒冑を構成する上で水の次に重要な生体部品。これは鍛冶師としての技術のみを頭に蓄えた、雑念を持たない純粋無垢な質の良いもの。
そう、物を知らない蝦夷の幼い子供であれば素晴らしい。
幸いにして、というか、事前にちょっとした実験をするつもりで鍛冶師の『材料』を拾って、そのまま確保してある。
蘇生し、劒冑を打つのに必要な体格へと急成長させ、不必要な記憶を消し去り、これまで手に入れた鍛冶技術も頭に刷り込んである。そんじょそこらのクローンで作る数打ちとは訳が違う。
江ノ島に来る前に一度試しにその鍛冶師の複製に作らせた劒冑は、大業物と言って差し支えない程の劒冑になった。
陰義を使用可能なポテンシャルでありながら、しかし一切の陰義を持たない大業物。
陰義を、『超』能力を仕手に依存する、仕手である俺や美鳥の中の金神の力に指向性を与え易くする銃身。
が、肝心の劒冑そのものの作りに不満が残るのだ。

「これまで手に入れた劒冑、参考にするには今一つだったもんねぇ」

真打ちは羽黒山、湯殿山の二領だけ。数打ちも六派羅のやや型遅れの代物で、おまけとばかりに競技用劒冑のアベンジ。
数打ちを除いて、碌に曲がらない劒冑ばかり。設計思想にアベンジの加速性を取り込もうとしたのもいけない。
あれでは劒冑というより、人間型のライフル弾だ。
電人ファウストにそんな感じのが居た気がするが、ぶっちゃけ用途としては同じものに分類されてしまうだろう。
どうせ造るのであれば、きちんと双輪懸の出来る劒冑にしたい。実際に双輪懸をするかは別にしても、だ。

「正直、真改さんとか手に入ってればもう少し早く完成したと思うが」

まぁなんだかんだ思いつくのだが、專用の劒冑を作るという企画自体思いつきである以上、後悔しても仕方ない。
大阪正宗がダメでも、それに匹敵するどころか変な部分で突き抜けている本家様のデータを手に入れればいい。

「ま、それで完成させたら上は目指せなかった訳だしさ。より良いサンプルで最高の劒冑を作れると考えれば」

「そういう事、と」

ザク、と乾いた土を踏みしめる。
林の中の山道を抜け、海岸の灯台へ到着した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

海岸の灯台の中、びゅうびゅうと吹く風に、壁に立て掛けられた鎧櫃の蓋ががたがたと音を立てて揺れている。
丁寧に掃除されている訳でもないコンクリート敷きの地面には砂やほこりが降り積もり、その上には二種類の材質のガラクタが転がっている。
片方は、上半分が粉々になった鎧櫃の破片、その周囲には木片がばら撒かれている。
そして、もう一つ。鎧櫃と壁の間に落ちている、巨大なカミキリムシの玩具の様な、大小様々な金属の塊。
蒼く鈍い輝きを秘めた金属の節足。
その上に無造作に置かれた、複眼から光を失った頭部。
そこには、全身を罅割れさせ、バラバラになった真打劒冑の姿があった。

「なんてこった……、こりゃあ、こりゃあ……正宗さんの死体だ!」

美鳥はもはや見回りの兵士に聞こえないように配慮する様子も無く、叫んだ。
俺は声も出さずに、もはや金神の粒子の欠片も感じられないその金属の山をながら立ち尽くす。
数十秒か数分か、しばらく正宗さんの残骸を眺めた後、大げさに騒ぐ美鳥に視線を移す。

「で、なんか釈明はあるか?」

俺の言葉に、美鳥は両腕を組んで暫く考えこみ、そっぽを向きつつ口を開いた。

「後悔はしていないが反省はしている。すまなかったな、許してくれ」

絶対に許さないので脳天にチョップを入れておいた。ごぎゅ、という音と共に首の骨が拉げ、美鳥の鼻の下までが胴体に陥没する。
人体の構造を模倣しつつ素材だけを単純に超合金に入れ替えると、こうして強い力を加えると間接部分から破損する。
無論、そういった構造的な欠陥も、例えば生物的特徴を持つアンチボディの構造を参考にすれば解決する。
もっとも、戦闘時はそもそも人間とはかけ離れた内部構造をしている場合が多いので弱点には成り得ない。
俺も美鳥もナノマシンのようなものの集合体だ。
俺達の身体は極端に言えば力学的に理想的な構造の粘土の塊であり、打撃、斬撃などの物理的な攻撃は致命傷になり得ない。
つまりこれは暴力では無く、家族的肉体言語による触れ合いツッコミ編なのである。

「ふご、むご……!」

何やら不満げな視線を送ってきているが未だ口が胴体に埋まりっぱなしなので抗議の声を上げる事すら出来ない。
腕をぱたぱた振って暴れてるが、何を言いたいのかはさっぱり分からない。
暫く放置して眺めていると、両手で頭を鷲掴み力任せに上に持ち上げて、ぎゅぼ、という音と共に胴体から首を引き抜いた。
顔の骨格も皮膚も破損した様子はなく、首に巻き込まれて乱れた襟元を正しながら、恨めしげな視線を寄越してくる。

「あのタイミングでボケたあたしも悪いとは思うけどさ、仮にも見目麗しい可憐な美少女たるあたしにあの仕打ちは無いんじゃない? さっきのビジュアルは発禁モノだったよ?」

「姉さんに似て可愛いのは認めるが、自分で言っちゃあ御仕舞だろうが」

「もう、お兄さんはつれないなぁ」

ぷぅ、と頬を膨らます美鳥から、地面に無残にもその屍を晒している正宗さんに視線を移す。
どう見ても劒冑の機能は残っていない鉄屑にしか見えないが念のため、もう一度だけ金神の感覚で全部のパーツを確認してみる。
…………やはり何の反応も無い。完全に御臨終である。

「お前なぁ……」

ジト目を美鳥に向け、首を横に振る。
俺達の目的はあくまでも正宗の鍛冶鍛造技術であり、正宗を破壊する意図は欠片も存在していない。
ぶっちゃけその記憶を探るにしても、機械的な存在に近い金属生命体の亜種である劒冑は俺達に対してかなり好意的になる。技術を聞き出す程度の事は朝飯前の筈だ。
それが、どこをどう間違えればこんな、内部から崩壊させるような事態になるというのか。
俺と美鳥だと、どちらかと言えば美鳥の方が口がうまいので美鳥に任せて外で見張っていたのだが、仕事の分担を間違えたか。

「いや、大丈夫だって。発狂して死ぬ前に鍛冶技術の記憶は引っこ抜いておいたから」

俺の視線に美鳥は慌てるでもなく手をひらひらと振りながら半笑い。
でもそうか、もう必要な情報は手に入れていたのか。それならボケるよりも先にそれを言って欲しかったのだが。
しかし、さっきの美鳥のセリフの中で気になった部分がある。

「なんで発狂させた? 俺の印象だと適当に正義を掲げた感じの言葉で誘導すれば口を割りそうだと思うんだが」

「いやぁ、それが以外と頭が固くてさぁ。ちょおっと頭を柔らかくして貰おうと思って英雄編のエピソードをちょちょいと改造して幻覚で追体験させたら、うーうー唸りだして」

ぼん、と言いながら握りこぶしを開く美鳥。
なるほど、おそらくはその魔改造英雄編では、一条さんが正宗の自壊を止められない展開なのだろう。
で、信念が間違っていたのかとか、我の正義は云々とかで崩壊寸前の精神から無理矢理鍛冶鍛造関連の記憶を引きずり出した事で、精神の拠り所である正義と鍛冶師であるという誇りを失い、完全に崩壊してしまった訳だ。
自我の薄くない劒冑の欠陥だな。何かしらの強い目的のある劒冑だと、それが果たせない、もしくはそれと反する状態になったとき、その甲鉄を維持できなくなる。
自我が薄くなるのは金属生命体に変化する上での副作用の様なものの筈だが、それが劒冑の統御機能としては最適な状態なのかもしれない。
うん、この事を踏まえて、完成品の俺達の劒冑からは統御機能は除去してしまおう。どうせ邪魔になるだけだし。

「で、これはどうしようか。あたしはこのまま放置して帰ってもいいと思うけど」

美鳥は正宗に対して、もうほとんど興味を失っているらしい。
必要なデータを全て手に入れているからというのもあるのだろうが、元からこういう暑苦しく偏執的なタイプの人格とは相性が悪いのだろう。
このまま正宗が死んだままだと、江ノ島から抜けだしたGHQの兵隊が市民やら警察の人達やらを虐殺してしまい、それを止めにいった一条さんも当たり前に死ぬ。
昼間に立ち寄った浜茶屋に江ノ島丼が無かった。その浜茶屋も店主ごと潰されるだろう。
あんな品揃えの悪い浜茶屋の店主など無残に殺されてしまえ、という美鳥の内心も分からないでは無いのだが。

「ふむ」

目の前の元真打劒冑、現鉄屑の正宗を前に、考える。
正味の話、もう正宗に利用価値は存在しない。
俺達に必要だったのは正宗の鍛冶鍛造技術だけであり、純粋な戦闘能力には価値を見出していないのだ。
七つのからくりは奇抜と言えば奇抜だが、それもあくまでもこの村正世界での話。
現在判明しているからくりにしても、その全てを元から持っていた技術で再現可能であり、態々修復して手に入れる必要性は薄い、というか、欠片も存在しない。
が、しかし。それはあくまでも実利的な部分での話だ。

「これはあくまでも趣味の問題なのだが」

「うん」

「臓を武器に戦う女の子、というのは、それなりにエンターテイメント性が高くて素晴らしい」

見世物としては十分の出来ではないかと思う。リョナ好きには堪らないだろう。
それに、下手にここで菊池署長やら一条さんやらが死ぬと面倒な事になる。
こういった分岐のある世界は、何事も無ければトゥルーエンドとかに向かうように出来ているが、それはあくまでも『何もしなかった場合』の話だ。
物語の重要な小道具である正宗が退場した場合、全くの別ルートに入る可能性もある、というか間違いなく別ルートに入ってしまうだろう。
そうなれば魔王編には辿り着けず、動けない蜘蛛正を好き勝手弄ばせるという美鳥との約束も反故になってしまう。

「どうにかして直したいってのはわかったけど、どうすんの?」

「ああ、まずは正宗の記憶をこっちに寄こせ」

美鳥の声に頷きながら、掌から触手を伸ばし、灯台の内部に張り巡らせる。
触手に覆われた室内の時間を、タキオン操作で加速。一分が数週間にもなる程の強加速。これで時間制限は無いも同然。
次は肉と鋼の混じった触手で埋め尽くされた室内に、劒冑を鍛造するのに必要な器具を次々と複製する。
通常の刀や鎧の鍛造に必要な器具はグレイブヤードのから回収したデータからでっち上げ、そこに湯殿山や羽黒山から取り込んだ舞草鍛冶の記憶を元にアレンジ。
しかし、この施設では恐らく元の正宗にはとても及ばない不出来な劒冑しか作れないだろう。
そこで正宗の記憶が必要になってくる。

「んー、打ち直すなら打ち直すで良いんだけどさ、流石に人格まではどうしようも無いよ? 手に入ったのはあくまでも鍛冶鍛造関連の記憶だけなんだし。代用品を使うにしても『あれ』を統御機能に使うのは流石に違和感あるし」

俺の手を取り、手と手を融合させて正宗の鍛造技術のデータを転送しながら首を傾げる美鳥。
確かに、俺と美鳥専用の劒冑を作らせる予定の鍛冶師は、統御機構にするには色々と不都合がある。
元より俺達専用の劒冑が完成したら、装甲状態で内側から取り込む予定であった為、統御機能については特に考えて無かったのだ。
俺達が統御機構の仕事を自分で負担するので問題は無いのだが、並みの人間では統御機能無しで劒冑を扱うのは難しいどころの話では無いだろう。

「何を言っている。俺達には、まだ頼りになる強い味方、便利な手駒が居るじゃないか」

そう、ロボットでの戦闘から農作の手伝い、美鳥の暇つぶしのお供までなんでもお任せのあの人!

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

そんな訳で、脳内に鍛冶師としての知識を詰め込んだ助っ人を作成して、劒冑の打ち直しを始めて、時の加速した灯台の中では数週間が経過した。
思った通りというか何というか、予想通り、自分が劒冑の一部になる事に何の抵抗も示さなかった。
普通の人間、しかもこの世界の鍛冶師でも無い人間だったのならば普通は生きたまま武器の一部になるなんて事は拒絶して当然だろう。
だが、この人は違う。
世に戦乱の嵐吹き荒れ、内外に敵を抱え込むこの国。劒冑に生まれ変われば普通に生きるよりもよほど多くの心躍る戦いに挑める。
ただそれだけの理由で、頼むまでも無く現状を理解して自分から劒冑になってくれるらしい。
流石、俺が見込んだだけの事はある。オーブで拾っておいた甲斐があったというものだろう。

「ふふふふ、血沸き肉躍る、とはこの事ですわね」

まだ見ぬ戦いへの期待から悦びに蕩けた笑みで、鎖で天井から吊るされた少しだけ正宗に似た意匠の鎧を嬉々として炉に降ろす助っ人──フー=ルー・ムールー。
炉の発する熱さから既に上着は脱ぎ棄てており、上半身は肉体にぴったりと張り付くスポーツブラの親戚のようなフューリー独特のボディスーツ。
引き締まった筋肉が眩しい戦士の腕に珠の汗が浮かぶ。体を鍛えている女性は新陳代謝が活発であるが故に肌が綺麗だと言うが、それは異星人でも変わるところでは無いらしい。
フーさんの脱ぎ捨てたフューリー聖騎士団の上着を抱えた美鳥は、そんなフーさんを呆れた表情で見守っている。
いや、美鳥だけではなく、実際に頼んだ俺も今のフーさんの喜びっぷりには少々呆れている
ここまでノリノリで劒冑を打つ鍛冶師というのは、この世界に存在するのだろうか。
しかも、劒冑になっても良い理由が完全に自分の趣味である。
鍛冶師が劒冑の統御機能として組み込まれる際、炭素生命から金属生命へと進化する副作用として自発的な意思が弱くなる、というのが公式の設定であるが、間違いなくフーさんは仕手を戦に進んで駆りだそうとする迷惑極まりない統御機能になるのだろう。
……基本的に本編の重要な劒冑の大半がそんな感じじゃあないか、とか言ってはいけない。物語の主人公の周りには個性の度合いが変態的な連中が集まるのが様式美なのである。

くだらない事を考えている間に、作業の工程は最終段階に突入する。
滑車の鎖をフーさんが力を入れて引っ張ると、ガラガラと言う音と共に赤熱した鎧が炉から引き上げられる。
少しだけ正宗に似た意匠と言った通り、正宗っぽいパーツは余りにも少ない。というより、メカっぽい。明らかに劒冑のデザインでは無い。
何処となくフューリーの機体に似ている。武者ラフトクランズ、いや、ヴォルレントか?どちらにも似ている様でいて、もう少し鈍重そうなイメージのシルエット。
ここまでアレンジしておきながらも一応劒冑としての体裁は保っているようで、種別としてはオリジナルの正宗と同じ重拡装甲(おうぎづくり)に分類されるだろう。
からくりの性能はかなり大人しくなっているが、甲鉄の隙間にはそれを補って有り余る程の大量の火器が覗いている。
刀自体はオリジナルの正宗の物より格段に刀身が短く、より取り回し易い長さに摺り上げられ、完全に予備の武装か、懐に潜り込まれた時のことしか考えていない補助武装扱いだ。
露骨なまでの遠距離仕様。はっきり言ってこの世界の通常の武者には相性の悪い劒冑だ。
だがこの劒冑、良くも悪くもフーさん色に染め上げられている。

「随分と趣味的ですね」

俺の言葉に、フーさんが炉から引き上げた鎧から、真っ赤に焼けた籠手を素手で持ち上げながら振り向く。
じうじうと音を立てて焼け焦げるフーさんの手。文字通りの身を焼く熱にもフーさんに怯んだ様子は欠片も存在しない。
確かにスパロボ世界で回収して蘇らせた時点で多少の改造は施したが、決して痛覚が完全に無くなる様な調整をした訳でもない。
彼女の顔には相変わらず艶然とした笑みが浮かんでいる。
両腕に籠手を装着し、自らの腕が焼け焦げる匂いを嗅ぎながら、フーさんはその籠手を誇る様に此方に見せ付ける。

「素敵なヨロイでしょう?」

フーさんはそう呟きながら、嬉しそうな、懐かしむような視線を吊り揚げられた鎧に向ける。

「うん、いいと思うよ。見るからに強そうじゃん」

美鳥はその劒冑になる鎧を見て、面白がる様に称賛する。
強そう、というか、ゴツゴツしていて堅そうなイメージ。移動要塞というか空中砲台というか、とにかくフーさんのイメージには合っていない様な気もする。
いや、仮にも空を飛んで銃で戦う訳だからフーさんらしいといえばらしいのか? 感じた違和感は細身のラフトクランズのイメージが強いせいか。

「何か、思い入れでも?」

フーさんは次々と赤く燃える鎧を身に纏いながら答える。

「フューリーの本星で内戦をしてた頃、まだひよっこだった頃にお世話になった機体ですわ。これに乗ってた頃は私、被撃墜数ゼロでしたのよ?」

なるほど、一応ゲンを担いではいるらしい。
ラフトクランズの時はパイロット歴数か月の実験体に撃墜されたものな。
疑問も晴れたので、俺はフーさんに最後の指示を出しておく事にした。

「いいですか、これから人相の悪い筋者がここに来ますが、彼に求められても決して装甲しないでください。その鎧、その劒冑、貴女を使うのは──」

「学生服を着た気の強そうな女の子、ね。ええ、ええ。仮にも主の命令ですもの、しっかりとやらせて頂きますわ」

ひらひらとフーさんが手を動かす度に、鎧の隙間から黒い何かが零れ堕ちる。
精神的な部分がどうあれ、そろそろフーさんの身体の方が持たないだろう。
赤熱した籠手が、ゆっくりと兜を持ち上げ、フーさんは兜を被った。
被ると同時に顔面が焼かれた筈だから声を出す事も出来ないのだろう、フーさんが道を開ける様に美鳥に手を振り指示する。
美鳥が頷きもせずに退くと、その向こうには地面を掘って作られた簡易プールと、なみなみと注がれた光輝く水。
半透明金属になるかならないかのギリギリの濃度にまで調節された金神の水だ。
ここに鎧を纏った鍛冶師が入る事で金属生命体へと生まれ変わり、金神の子、劒冑がこの世に生まれ落ちるのである。

がしゃ、がしゃ、がしゃ、と、ゆっくりと金神の水のプールに向かって歩く鎧、フーさん。
一歩一歩が重そうで、これまでの戦いを思い出しているようで、これからの戦いを想う様で。
その冗談みたいな在り方に、平和とは縁の無い欲求に、血生臭い生き様に、決して似つかわしくない穏やかな歩み。

「じゃあね」

「良い戦いに恵まれるといいな」

美鳥と俺の言葉に、軽く片手を上げて応え、金神の水に足を踏み入れる。
じゅわ、と立ち込める蒸気の向こうへと消える、鎧とも機動兵器とも付かない独特なシルエット。
それが、俺と美鳥の見たフ=ルー・ムールーの最後の姿だった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「しかし、あれが最後のフーさんとは思えない。この世に戦争がある限り、きっとまた、第三第四のフーさんが俺達の前に現れないとも限らないのだ」

第一のフーさんはスパロボJ世界で死んでいるのでさっき劒冑になった彼女は第二のフーさんなのである。
さらばフーさんⅡ。貴女の事は忘れないと思う。多分。

「次は米の収穫の頃に見れそうだぁねー」

美鳥の言葉に頷く。人手はあって困る物では無い、今年はそれなりに豊作気味なのだ。
いい加減、人力じゃない稲刈り機買わないとな……。

「で、これからどーしよぉぉぉー、お、お、お」

折り曲げた座布団を背に敷して背骨を伸ばす美鳥。身体を撥ねさせてぼきぼき音を鳴らして遊んでいる。
そう、ここはすでに灯台でも江ノ島でも無い、何の変哲も無い質素な和室である。
無事に正宗もどきをでっちあげた俺と美鳥は続いて木箱をでっち上げ、その中に劒冑へと変じたフーさんを押し込み、室内にまき散らされた木片や、打ち直す上で使わなかったオリジナル正宗の残骸(9割程残っていた)を掃除し、クロックアップを解除して灯台から脱出。
無間方処の咒法でひたすら迷わせていた雪車町さんを解放し、何事も無かったかのように江ノ島を脱出、民宿に泊まってくつろぎタイムへと突入したのだった。
開け放たれた窓からは江ノ島が見えるが、それ以外は特に見るべきものが無い安宿だ。
ここ意外に営業している宿が無かったからここにせざるを得なかったというのが理由だが、食べモノもその他必要な道具も全て複製できるので不自由は無い。

「ん、んー」

ジンジャーエールの瓶を傾けコップに注ぎ、ストローで啜りながら生返事を返す。
正宗の技術を手に入れたから、改めて俺達専用の劒冑造りを始めるのもいいかと思うのだが、どうにもこうにも欲が出た。
先刻見たフーさんの劒冑、偽正宗を思い出す。
現行の劒冑の技術だけでは無い、フーさんはフューリーの技術を鍛冶師の技術で再現し劒冑に応用した。
あの劒冑、見た目を似せただけではない。心鉄の近くには原始的な作りのオルゴンエクストラクタが内蔵されており、仕手の熱量の他に僅かながらオルゴンエネルギーを利用する事も可能な筈だ。
そのエネルギーを利用すれば、あの偽正宗は仕手が無くとも自律稼働が可能だろう。
……更に言えば、フーさんの肉体にはデモナイズ出来ない程度の量ではあるが蘇生専用のペイルホースが含まれている。
フーさんの事だ、仕手が死んだら肉体を操る為に躊躇無く投与して蘇生するだろう。
エネルギー効率に優れ、即死した仕手を蘇生させる事すら、その身体を乗っ取って戦い続ける事の出来る劒冑。
少し妖甲臭いが、フューリーの技術と俺から分けた技術だけでもここまでの劒冑が作れるのだ。
ならば、もう少しだけ他の劒冑のデータを集めるのも良いのではないか。
で、サンプルにしたい劒冑といえば真っ先にあれが思いつく。

「銀星号、二世村正ってさ」

「んー?」

美鳥は相変わらず座布団を背中に敷いたまま寝転んでいる。
が、相槌を打っているところから一応話を聞いているようなので注意はしない。話を続ける。

「重拡装甲だっけ、単鋭装甲(やじりづくり)だっけ」

「えー、っと」

ごろんと転がりうつ伏せになった美鳥が掌からにょきにょきと一冊の本を複製する。
装甲悪鬼村正ビジュアルファンブックだ。
中身の表紙は和風でカッコいいが、外側のカバーは少し恥ずかしいデザインなので、実家暮らしの人は親兄弟の目に触れない場所に保管しておくのが妥当かもしれない書物である。
カバーを乱雑に外し、ページをぺらぺらと捲る美鳥。
後半の劒冑のページを開いているところからして、劒冑の特集ページを参照しているのだろう。

「んー、どっちでもないね。分類不能って事でいいんじゃないかな」

「ん、手間かけさせたな」

「いやいや」

ふむ、村正一門の劒冑を取り込むのは御免被りたいが、どちらの形式にも分類できない二世村正の構造自体は気になる。
そういえば、キンタ、堀越公方足利茶々丸も劒冑としては生体甲冑という分類で、重拡装甲でも単鋭装甲でも無かった気がする。
この世界で最初に改造した風間も、便宜上生体甲冑とはしているが、あれはただ単にテッカマン・ブラスレイターに金神の欠片を与えただけ。
あの時は生体甲冑だと思っていたが、よくよく考えてみれば甲冑、劒冑の要素は欠片も存在していない。
では、実際の生体甲冑とは如何なる存在であるのか。
劒冑というものをファンブックの記載を元に考えれば、鎧を纏った人間が金神の水によって生まれ変わった不完全な金属生命体だと定義できる。
通常、普通の人間が金属生命体に生まれ変わった場合、生体的原動力の殆どを失い、自発的意思も薄れてしまう。
これが、鍛冶師の生まれ変わりと言っても良い真打劒冑が自らの主を求めて自発的に動き回らない理由である。
しかし、生体甲冑である虎徹、足利茶々丸は人間としての生活を自発的に行っている。
このように虎徹が茶々丸として自立稼働する事が可能なのは、虎徹が打たれた当時に母親の子宮の中に存在していた茶々丸の生命体としての自発的意思と生体的原動力が、そのままの形で虎徹に組み込まれているからなのだろう。
茶々丸が劒冑の造形に深いのも、無意識レベルの部分で虎徹を打った鍛冶師、つまり茶々丸の母親の極僅かに残された記憶や自発的意思との融合を果たしているからに他ならないと言ってもいい。
そう考えれば、彼女を安直に劒冑と人間の相の子、と表現するのは短絡的ですらある。
仕手と劒冑と統御機能、彼女はたった一人で三位一体を果たしている。どこぞのマザコン騎士かぶれなどよりも余程効率的ではないか!
そして、甲鉄を欺瞞して人間形体になっている村正とは違い、彼女は人間としての機能を確実に有している。
その事を踏まえて考えれば、彼女は劒冑以上に金神の正当にして正常な子孫、地球上で初めて生まれた完全な金属生命体、いや、金属生命体の機能を完全に有した半金属生命体と言っても良い!
そう、生まれながらの半金属生命体、半分が金属、半分が機械……ウォーズマン? いや金属生命だからドラゴンパーティーか。
危ない、盛大に思考が逸れた。
まぁともかく、そういった生体甲冑、金属生命体という特異性を抜きにしても、劒冑として茶々丸、真打劒冑、二十八代目虎徹入道興永の構造はとても興味深いものがある。
結縁して仕手に装甲された状態での統御機能が茶々丸である事から、恐らく鍛造技術を手に入れる事は不可能だろう。
が、その構造を外側からスキャンする程度の事なら十分に可能だ。
高レベルで纏まった性能、レーサークルス、ウルティマシュールに迫る真打ち劒冑としては破格の旋回性能。
よくよく見なおしてみると分かるのだが、この虎徹の合当理の母衣(ほろ)、他の劒冑の母衣とは違う機械的な構造こそが秘密だと思うのだが、それを確認する為に時間を費やすのは十分に価値のある時間の使い方だろう。

「銀星号と、できれば虎徹の構造も見ておきたいな」

「伊豆の堀越御所で張ってればどっちも見れるんじゃない? 虎徹は、まぁここまで散々銀星号の治療で貸しを押し付けてるし、変形時の苦痛を和らげられれば見せる程度の事はしてくれんじゃないかなぁ」

「それが妥当だとは思う、思うのだが、できれば銀星号の戦闘中のデータを採取したい。辰気障壁を解いた本気モードでのデータ、それも相対する敵としての視点からの物を」

俺の言葉に、美鳥は驚いたような表情で勢いよく起き上がる。
美鳥は俺の顔を真剣な眼差しで見つめたまま口を開く。

「お兄さん、正気?」

「せめて本気と言え」

だが、美鳥の言いたい事は良く分かる。
スパロボJ世界で、俺は主人公達を遥かに上回る戦力を持ちながら、最後は通常であれば致命傷と言っても過言では無い攻撃を受けてしまった。
『主人公は最後には必ず勝利する』
これは、スパロボの様なヒロイックな作品では当たり前に主人公に備わっている自動発動型の特殊能力、主人公補正だ。
連中から盗み出した技術で完全に圧倒するという俺、ラスボスの勝利条件は満たされる事無く、鳴無卓也を殺害するという連中の、主人公の勝利条件は数多くの偶然が重なる事で、形だけとはいえ達成されてしまった。
多くの批評、二次創作内部で論われるこの主人公補正。恐ろしいところは、俺の行動、思考すら部分的にこの補正によって捻じ曲げられていたという所にある。
もし俺の掲げる勝利条件が単純な主人公達の殲滅であったならば、開始と同時にクロックアップ発動、最大攻撃力の武装に精神コマンド全部掛けで呆気なく決着が付いていただろう。
あるいは、ボウライダーのブレードを電動鋸型に差し替えた時、旧ブレードを消滅させていたのなら、ベルゼルート改をそのまま放置せずに回収していたのならば。
更に言えば、オーブ戦の時に相手に合わせずさっさとアル=ヴァンを殺害しておいたなら、派手な戦いをせず、史実通りの順番でフューリーが襲来していたなら。
言いだしたなら切りがない程に、主人公に立ちふさがるラスボスには、着々と敗北条件を満たす為の修正が加えられていると言ってもいい。

「正気を疑いたくもなるよ。いーい? ここは、ニトロ+作品の世界、中ボス風味の獅子吼の戦闘ですら大量の死亡エンドが存在するんだよ? 『主人公補正』は存在しないか、極々薄くしか存在してない。あたしの言いたい事、お兄さんも分かるでしょ?」

「一応な」

──そう、逆にこういった暗く、選択肢一つで平気で主人公がぽんぽん死ぬ世界の場合、全く逆の属性の補正が存在する。
『ラスボスは主人公以外には殺されない』
悪の組織の大首領は、仮面ライダーにしか倒せない。軍隊警察は役に立たない。主人公を引っ張ってきた最強のなんたらとかそんな設定持ちの兄貴分がラスボスには手も足も出ない。
これらの原因の一つとして挙げられるのがラスボス補正である。
単純な技量、才のきらめきでは湊斗光に匹敵する今川雷蝶の手に寄り、英雄編で銀星号は母衣に傷を付けられ、しかも復讐編ではあっさりと鍛造雷弾で死んでしまう。
が、銀星号がラスボスとして据えられている魔王編では、このどちらもなされていない。
このルートでは、ラスボスとしての力を十二分に発揮し、ラスボスとしての威容を示している。
更に言えば、古代の封印などで弱体化している筈の魔王が最盛期の力を取り戻しているとかも、ラスボスを強くする為のラスボス補正である。
俺は今回のトリップの副題である救済活動の一環として、気まぐれに湊斗光の肉体の治療を行った。
恐らく俺のこの行動もラスボス補正、肉体的に超健康体である銀星号の現在の戦闘能力、推して知るべしという処か。

「別に俺もラスボスを倒してみよう、なんて思ってる訳じゃない。蹴りだのなんだのは置いておくとしても、ブラックホール攻撃は防げるか分からないしな」

一応、不屈を使えば最小限のダメージで防げる筈だが、それでもこういった世界でのラスボス補正持ちとかと全力で戦うのは危険である。
しかも相手は善悪相殺の呪持ち、倒してから死体を取り込むのも危険であり、危険を冒して最後まで戦うのは割に合わない。

「引き際は弁えているから心配するな」

例えば英雄編。
雷蝶は辰気障壁を貫き銀星号の甲鉄(はだ)に傷を付けたにも関わらずブラックホール攻撃──飢餓虚空魔王星を使われずに敗北した。
八幡宮上空での二世村正対三世村正の戦いから考えるに、景明以外の相手であれば、あの段階ではそれほど力を行使する事は無い。
俺の狙いはあくまでも銀星号の劒冑としての構造の理解だけが目的であるが故に
その程度の推測は美鳥も可能な筈だが、どうにも心配であるらしい。
真剣な眼差しの瞳は少しだけ潤み、両手は俺の両腕の裾をぎゅうと力強く握りしめている。

「でも、うぅ、どう説得すれば」

「なぁに心配するな、俺は不可能を可能にする男だからして、帰ったら一緒に何処かに買い物にでも行こう。そうだ、銀星号のデータを収集したらお祝いに何か豪勢な食事でも取るか。ステーキとかパスタとかパインサラダとか。デザートにはパインケーキもいいな」

「やーめーろーよーぅ! それ全部死亡フラグじゃんかよー!」

涙目でこちらの胸をぽかぽかと殴りつけてくる美鳥。
ふふふ、相変わらず愛いやつだ、姉さん程では無いが。姉さんと猫を除けば、これほど愛らしい生き物はそうそう存在すまい。
涙目で俺を止めようとする美鳥をからかいつつ、俺は銀星号との戦いに思いをはせた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

江ノ島の上空、通常の劒冑では到達する事の不可能な超高高度にそれは存在していた。
銀。白銀。流星。
大和を騒がせる銀色の魔物、二世村正と湊斗光は、空の彼方、天上の月を目指すように騎航していた。
何の事は無い、先の江ノ島の戦闘の余韻を残したまま、昂りに任せるままに空を駆けているだけ。
多くの戦いを経て、心を削る殺人を重ね、しかし心を折らずに自らに迫る最愛の肉親、湊斗景明の姿に、戯れる様な戦いに心を躍らせた。
戦い終え、しかし未だ持って身体に、胸に残る熱が消えない。
有り体に言ってしまえば、彼女は戦いへの欲求を持て余していたのだ。
不作法、不器用な騎士(クルセイダー)との戦いを経て、景明とぶつかり合った。
己を求め我武者羅に突き進む様は湊斗光を高ぶらせたが、しかし未だその力未熟、昂奮の熱量を使い切るには遠く及ばなかった。
故に、白銀の星は夜闇を切り裂き、駆ける。

《御堂》

「何か」

唐突に響く二世村正の声にそっけなく答え、

《『何か』が近付いておる》

「うむ、ああいや──」

騎航(あし)を止める。
呼び止められた時点で気が付いた。何か、そう、他の何にも形容し難い何かが近付いている。
いや、少しだけ違う。村正の言葉は間違っている。

「おれ達が近付いていたらしい」

そう。それは最初からそこにあり、距離が近付く事で初めて此方から補足する事が出来たのだ。
天に座す、ヒトガタ。
月を背に負うその姿は奇しくも銀星号と同じく銀。
いや、それも正しくない。ヒトガタを覆う甲鉄は、虹色の光輝を放つ刃金色。
劒冑という存在を模した歪なヨロイには、ペルーはパンパ=コロラダやパンパ=インヘニオの地上絵を彷彿とさせる紋様が刻まれている。
劒冑ではない、武者でもない。恐らくは人ですら無い。
何者とも知れぬ奇怪なヒトガタ。
だが、はっきりとしている事が二つ。

「淑女に舞を申し込むならば、名を名乗るのが礼儀であろう?」

ガシャ、と、鋼が打ち合う音と共に刀を構えるヒトガタに、返事を期待するでもなく声を掛けながら、構える。
ヒトガタの型は無形。唯刀を手にだらりと下げ、しかし間違いなく臨戦の型であると分かる。
目の前の存在は、自分との戦いを望んでいる。強く、強く闘争を望んでいる。

《……一手、馳走》

期待していなかった返事に、湊斗光は装甲の下で僅かに目を見開く。
手に下げられていた刀が構えられると同時、目の前の虹色の輝きを持つ刃金の甲鉄がギュルギュルと金属を捻じ曲げる様な音を立て変色する。
刃金色から変じた甲鉄は、夜の闇を吸いこんだ様な黒。
光沢の無いその甲鉄は二世村正の知識にあるどの鋼材にも似ず、しかし湊斗光に強い確信を抱かせていた。
強い。その闘志に違わぬ力強さを秘めている、このヒトガタは。
間違いなく、この疼きを止める事が可能なのだ!

「いざ、来ませい!」

銀の流星と、黒い人型。
未だ人類の手の届かぬ地球と宇宙の境界線で、二つの強大な力が激突した。




続く

―――――――――――――――――――

正宗さん、死亡確認!
装甲大義正宗は開始前に終了、次回より装甲戦鬼フー=ルーをお届けします。
そんな感じで相変わらず説明臭い第三十四話をお届けします。

あ、因みに次回の冒頭、戦闘から始まるかどうかは決まっていません。
次回で一応第三部村正世界は最終回になりますが、オチの関係上湊斗光は死なせる事ができませんので、戦闘描写をわざわざ挟む必要性があまりないのです。
でも多分気が向いたら戦闘シーン書くかもしれません、レイディバグを力技で攻略するシーンとか浮かんだんで断片的になるかもだけど。

以下、自問自答。
Q、端末?
A、古い魔法使いの使い魔的なイメージ。ブラスレイター化して弾丸の様に飛びながら敵の肉を食い破ったりする肉食ゴキブリとかそんなバリエーションもあるかも。
Q、專用の劒冑?鍛冶師?
A、金神パワーを更に繊細に制御する為の鎧とかそんな言い訳でパワーアップ。鍛冶師は複線回収したいから。小さい子の方が物覚え良いって言うよね?
Q、正宗ェ……
A、ギセイ!
Q、さよならフーさん……
A、次は多分三人目だから。代えが利くから身体張りますよ。
Q、フーさんのひよっこの頃の機体。
A、毎度おなじみオリ設定。あんまり大きくない泥臭い火砲支援型の咽る系パワードスーツだったとかそんな妄想。本篇に関わらないのでスルーしても何の支障も無い。

相変わらず突っ込みどころ満載の第三部も次回でラスト。
名残惜しくもありますが今回はこれでお別れ。それでは誤字脱字の指摘、分かり難い文章の改善案、設定の矛盾、一行の文字数などのアドバイス全般、そして、短くても長くても一言でもいいので作品を読んでみての感想などなど、心よりお待ちしております。

次回、装甲悪鬼村正編、最終話。
「いいことしたなぁ」
お楽しみに。



[14434] 第三十五話「救済と善悪相殺」
Name: ここち◆92520f4f ID:190f86b3
Date: 2010/10/22 11:14
双輪懸。
武者と武者の空中戦の事を言い、この言葉はそのままこの太刀打ちの作法の形を現している。
空中で打ち合う武者二騎の軌道を現して8字戦、またはチェインファイトなどとも呼ばれるこの戦いは、分厚い武者の甲鉄を切り裂き、劒冑の仕手にダメージを与える為の闘法である。
分厚い武者の甲鉄を切り裂く為には武者一騎の力では足りず、相対する武者の力をも利用する必要がある。
逃げる敵に追いすがるドッグファイトでは劒冑を切り裂くだけの力を得る事が出来ず、自然、その形式は顔と顔を合わせたブルファイトとなるのだ。
更に空中という縦方向へも広い戦闘領域を利用する為、位置エネルギーの奪い合い、高所の取り合いが重要視される。
顔を突き合わせた高所の取り合い。
上昇速度など諸々の点でより高い位置を手に入れた武者は、低い位置から迫る武者目掛け下降しながら迫り、重力の力、すなわち位置エネルギーをプラスした威力の高い一撃を繰り出す事が可能。高度優勢。
低い位置から切り上げる武者は、重力に逆らいながら高位の武者目掛け上昇、重力の力の分だけ威力を減衰した一撃で相対しなければならない。高度劣勢。
この優劣は一撃が交差した後も引き継がれる。
高所から重力の後押しを受けた武者はその勢いを利用して素早く上昇し、低い位置から上昇した武者は速度を取り戻す為に下降しなければならない。
すると駆け降りた武者は下から上へ向かう輪を描き、駆け上がった武者は上から下へ向かう輪を描く。
この軌道の形を持って双輪懸と言う。
低位置から上昇した武者が劣勢から逃れる為にこの形を崩す事もあるが、基本的に武者が太刀を交える時はほぼ間違いなくこの形になる。

が、この双輪懸という空中戦の形式、ある条件を満たした武者同士の戦いにおいては適用され得ない。
大前提としてこの双輪懸と言う作法は、戦闘領域に充分な重力が発生している場合のみを想定しているのだ。
例えば、衛星軌道上付近まで戦闘領域を移動する事が可能であれば双輪懸の高度の優劣はほぼその意味を失い、宇宙空間にまで移動すればそもそも高度、重力という二つの概念自体が意味の無い物となる。
あるいは、これはそうそう満たせる条件では無いが、相対する二騎の武者が共に重力を操る術を持っていた場合。
出力の問題もあるが、仮に地上から上昇する際に、上に向けて10Gほどの重力を掛けてやれば十分過ぎる程のエネルギーを得る事が可能である。
更に、互いの力を利用する為のブルファイトという条件。
これはもっと簡単。単純に、相手の装甲を破れるだけの力が存在すれば、ドッグファイトで後ろから斬り伏せても何ら問題は無いのである。
例えば単純な剛力以外でも、先に説明した重力を操る術、陰義を持っていたならばこれも容易く成し得るだろう。

今行われている戦いは、それら双輪懸が意味を成さなくなる条件が、一つ残らず揃った戦いであった。
衛星軌道を超え、完全に重力の頚木から解き放たれた黒と銀の武者が、続け様に交差する。
その交差に、双輪、8、チェインに例えられる軌道など影も形も見当たらない。
息吐く暇も無い交差、激突、離脱、交差、激突、離脱の繰り返しにのみ、辛うじてその影が見てとれる程度か。
銀の影が描く、線に近い美しい楕円の軌道。
黒の影が描く、線に近い超鋭角の歪な軌道。
一度の交差で数手の攻防が繰り返され、離れ、次の瞬間にはまた交差している。
正調の武者の戦いではない。武者では成し得ない異常、超常の極み。
だがそれは、紛れも無く武と武のぶつかり合い。
極低温、無重力の決闘場。
未だかつてこの世界の人類の到達し得ない、頂上決戦、いや、超常血戦であった。

―――――――――――――――――――

交差時に掌の一撃を受けた。物理的ダメージの一切を無効化する筈の甲鉄を突き抜け衝撃が走る。
だが、それはダメージになり得ない。
戦闘時の俺の肉体に生物的な記号は含まれず、内臓、骨格などへ衝撃を与える事が目的の打撃は一切の意味を持たない。
衝撃によって生まれた人型という造形の歪みを修正し、方向転換。
慣性の法則を力技でねじ伏せ真逆に反転。
正面、数千の間を持って相対する銀の影も丁度此方へ振り向き終えたところだ。
敵機に向け加速。
機械的重力制御装置、及び高機動バーニアによる加速を持ってして、その距離を一息の半の半の半程で詰め切る。
詰め切るまでの刹那に接近中の対敵の動きから分析、予測する。
右掌から中段蹴り、左肘の流れか?
対処行動を思案中に割り込み。

《右掌は完全にフェイント、早いタイミングで蹴り、肘の直ぐ後に手刀》

「ん」

短く返し、接敵。
ほぼ予想通り。掌を避け、蹴りをいなし、肘を太刀で受け、そのままの流れで手刀を潰す。
当たった、が、潰せない。力を流される。
すれ違いざまに数度打たれた。速度が乗っていない、無視。
再加速、離脱。
戦闘続行可能。戦闘続行、敵機の観測は順調。
現状での敵機の状態を確認。

「どうだ?」

《まだ駄目、辰気障壁を解く気配が無い》

融合し統合した美鳥(右手ではない)の声に、だろうなと呟く。
受けた腕にも太刀にも、銀星号の甲鉄(はだ)に触れた感触が無い。
感じたのはラムダドライバ、ディストーションフィールドを初めとする力場系の障壁に通ずる気色悪い手応え。
動きも『鈍い』としか言いようが無い。俺がまだ付いていけている。
仮にも楽々主人公を殺し得るラスボスを相手に、俺が余力を持ち、あと二段三段の変身強化を残しているのは不自然。
敵は加減をしている。加減されている。
それを不快とは思わない。当然ですらある。
ドモンも言っていた。俺も認めた。鳴無卓也はファイターに非ず。
それが全力を出さずに戦っている以上、ファイター、戦士、武者であるあちらも全力を出す理由は存在しない。
手加減上等だが、それでは意味が無い。手加減したまま、障壁を張ったままの鈍い銀星号のデータでは役に立たない。
……できればこの世界準拠、剣戟舞踏で相手をしたかったが。

《配慮は無用っしょ。銀星号も無手、ここで意地張って刀に拘る理由も無いよ》

「そうか?」

《そーだよ。それに、刀を使わない武者なんて本編中でも腐るほど居るじゃん》

「なるほど」

加速する戦闘速度から更に乖離した速度の思考と議論、決定。
装備と闘法を決闘仕様から戦争仕様へと移行を開始。
大太刀、グランドスラムレプリカを体内に分解、格納。
肩部に可動式ウェポンラック、重力加速式速射砲二門形成完了。
右腕超電磁電動鋸、左腕レーザーダガー発信装置形成完了。
高機動バーニア変形開始、高機動メガブースター×4への変形完了。
移行完了。動作チェック、完了。
現時点で最も扱いに慣れた装備、魔改造ボウライダーの武装。
フーさんではないがゲンも担いでいる。この武装で撃墜された事は無く、部隊での撃墜数トップであった期間はとても長い。
振り返る。銀の影とは万程の距離が開いている。
近付かない。俺は肩のウェポンラックに据えられた速射砲、その砲口を敵機に向け、明後日の方向に加速しながら砲弾を打ち出した。

―――――――――――――――――――

黒いヒトガタの戦闘法が変わった。
先ほどまでの典型的な武者の戦いではない。
先ほどまでのヒトガタは、その性能こそ突き抜けたものがあったが、戦い方自体は通常の武者のそれと同じ種類のものだった。
接近し、切り結び、離れる。
太刀と素手の間合いの違いこそあれ、互いに接近しなければ打ち合う事の出来ないという道理。
それを、今の黒いヒトガタは極々有り触れた手妻でもって覆している。
射撃。
六派羅やGHQの数打ちが共に刀や剣と共に帯びている物と同質の遠距離武装でもって、間合いの外から狙い打ちにしている。
通常、武者同士の戦いにおいてその手の武装が有効打と成り得る事はありえない。
純粋に火力、威力、速力、貫通力が、劒冑の甲鉄を貫くのに不足しているのだ。
それらの武装は牽制か、さもなければ劒冑以外の通常兵器に用いられるものと相場が決まっている。
劒冑に向かってそれら火器を使ったとしても、甲鉄を貫けない、回避される、刀で切り落とされる、弾丸を掴み取られるなどといった結果しか齎さない。
が、このヒトガタの放つ弾丸は、それら全ての行動を許さない偉力を備えていた。
絶え間なく吐き出される材質不明の弾丸、砲弾を紙一重で回避し続ける。
すり抜ける様に砲弾が脇を通り過ぎて行く度に、甲鉄を覆う辰気障壁が外側へ向けて引き寄せられる感覚を得る。
あの砲弾に引き寄せられているのだ。
空間を歪ませる程の弾速だからこそ起こり得る現象。
避けるしか無い。直撃すれば、いままで破られた事の無い、無敵を誇っていた辰気の盾は濡れた薄紙の様に食い破られる。
指打ちで弾き返すなどもっての外、弾くよりも早く指が飛ぶ。
威力は高いが、ギリギリで回避できる。いや、回避させられ、誘導されている。
近付く事が出来ない。
幾度か弾幕をくぐり抜け接近出来た物の、その度に両腕の奇怪な刀剣で迎撃された。
待ち構えていたかのような見事なタイミングの一太刀で辰気障壁を破られ、騎航に支障無い程度ではあるものの、甲鉄の裂傷を刻まれてしまう始末。
ヒトガタは弾幕の隙間の行きつく先、到達するまでの時間を完璧に把握し、それに合わせて太刀を振るうだけでいい。
つまるところ、遠距離でも近距離でもヒトガタの掌の上。
劣勢だ。

「ふふっ」

その事実に、湊斗光が微笑む。
気が付けば数万を放され、しかし、互いに動く事無く向き合っている。
眼前には、芥子粒の様な人型。
宇宙の真空の中で尚唸り声を上げる鋸の様な剣、光輝く短剣。
変形を繰り返し複雑な機動を作り出す合当理の両脇には、現行のどの劒冑の甲鉄すら抜く事が可能な砲。
武士とは思えぬ異形の武装。
しかし、その戦いは先までの太刀を使った戦いの時よりも、より人間らしさを含んでいる。
余分なもの、ではない。獣のそれとは違う、極めて論理的に正しい知恵のある闘法。
武者の闘いではない。
人間の戦いであった。
そして、目の前のヒトガタは、
己が肩の砲、二門を、
自らの両腕で引き剥がした。

「……」

見守る。
ヒトガタは自らから引き剥がした砲を両腕の剣でもって真っ二つに断ち割る。
盾が意味の無いものである事を示し、速度で勝る事を示し、それらの理を『捨てた』
鋸と融け合った腕を伸ばし、掌を上に、指を揃え、手まねき。

《来いよ、銀星号。辰気障壁(たて)なんて捨てて掛かって来い!》

金打声が響く。人の声だ。人間の感情の籠った、力を漲らせた戦士の声。
それに驚くで無く、応じる。
本気で掛かってこいとの求めに、望みの全力を持って返礼する。

「いざ」

仕切り直し、ここからが正真正銘の真剣勝負。
互いに加減も様子見も出し惜しみも無し。
これが、これこそが100%の銀星号(ムラマサ・ヒカル)
甲鉄の仮面の下、柳眉を立てた獰猛な、如何し様も無い程の喜悦に歪んだ攻撃的な笑みを浮かべ、

「尋常に」

辰気障壁を、

「勝負!」

解除した。

―――――――――――――――――――

銀星号の障壁が消えた瞬間、周囲のタキオン粒子の流れが変わった。
クロックアップ。
倍率は七万五千倍と言ったところか、周囲のタキオン粒子濃度から考えて、現在瞬時に俺の意識の外で切りかえられる最大倍率。
常識的な強さの相手であればこの倍率での戦闘は不可能、ワンサイドゲームに持ち込んだと言える。
が、今現在この世界の湊斗景明の周囲は間違いなく魔王編かその派生へと繋がる道に進んでいる。
俺の目の前に居る対敵は、間違い無くこの世界のラスボスなのだ。油断は禁物。
天体の運行が、太陽のフレアが、ありとあらゆる周囲の動きが緩慢に停止し、

《正面、拳!》

芥子粒程のサイズに見えた銀星号が消え、次の瞬間には眼と鼻の先に、白銀の鋼拳が迫っていた。

「うおぉっ!?」

電動鋸型ブレードを機動させた状態でその拳を受ける。
回転する刃によって拳の甲鉄が僅かに削れ、拳打は外側に逸らされ、間一髪のところで直撃を避ける。
いや、当たってはいる。腕から生やしたブレードが、根元から拉げ掛けているのだ。
ダメージを受け流し損ねた。
身体が傾ぐ。
しかし、体勢を整えている暇は無いらしい。

《左後ろ、下、蹴り!》

崩れた体制が功を奏した。
指示を受けている間にも打たれた衝撃で上下が逆さまに成りかけ、左上からの蹴りが迫る。
レーザーダガーを最大出力で展開、合わせる様に打ち返すと、高出力で力場すら形成しているレーザーの刃を蹴り抜き、左腕が関節部から螺子曲がる。
砕けた腕を再構築、身体構造を更に強靭な物に作り替え、短距離ワープを繰り返しかく乱。
が、何故だかそのことごとくを先読みされ、その度に寸での処で切り払う。
一打毎に並みの武者ならレンジ猫の如く弾けるだろう衝撃。
距離を開け、最大限まで時間を加速する。
現在の倍率十一万五千倍。
それでも純粋な速度で追い付けるかどうかは謎。こちらを追い詰める様に銀星号の速度も上がっていく。
距離を連続ワープで稼ぎながら、思考。

「あいつ、あんなに速かったのか」

無想、夢想剣だからこその肉体を顧みない超加速。
それとも鉱毒病でもがき苦しんでいる間に、人間の持つ第六感を超えた第七の感覚にでも目覚めてしまっていたのか。
良く良く考えずとも、この倍率の俺から見て通常倍率の銀星号があの速度だとすれば、リアルに光速を超えていても可笑しくは無い。
鉱毒病が治って暫く、廃人の様な状態でいたのは六感全てを封じられたのと同じ状況だったからか。
理屈で言えば、五感を失っておらずとも、それらを認識する為の第六感、自我に値すると言ってもいい部分が消えてしまえば至れないでもない、と思う。当然普通なら有り得ないのでラスボス補正込みでの話ではあるが。
これに追随できる心甲一致の三世村正はどんな超性能なのだろう。

《たぶん、あれが二世村正と『健康体の湊斗光』の心甲一致なんじゃない?》

なるほど、魔王編ラストバトルでは金神を取り込んで超出力になっていたが、それで身体が健康になった訳では無い。
あれは治療法としては無理矢理に過ぎる、言うなれば病人の身体に無理矢理大量のエネルギーを注ぎこんで誤魔化しただけ。
穴の空いた桶に、零れる以上の量の水を注ぎ続ける様なものだ。
だが、現在の湊斗光の肉体は、紛れも無く健康体。一切の不備の無い肉体、体力の下で運用される引辰制御の陰義。
流石にリアル光速を超えた訳ではないのだろう。恐らく、やっている事は結果としては俺のクロックアップと同じ。
重力の違う場所では時間の流れが異なる、という現象を超過剰にして行使される加速。
完全に違う時間の流れに乗る俺が参考にしたクロックアップとは違い、物理的な破壊力も加味される可能性はとても高い。
元来の超速度も相まって、おそらく地上でこの加速を行えばそれだけで周囲の地殻が捲れ上がるだろう破壊力を伴った加速性能。
まぁ、それも多分引辰制御の応用でどうにでも出来てしまうのだろうが……。

「自業自得か」

ちょっとした思いつきとはいえ、まさかあの時の治療がここで仇になるとは。

《善因には善果があるもんだと思ったんだけどね》

「悪果があったなら悪因だったんだろうよ」

悪因には悪果があるなら、やはりこの世界にとって湊斗光の肉体の治療、というのは悪行なのだろうか。
だが、これはこれで良い状況だとも言える。
現在の銀星号の騎航、ギリギリ観測して纏まったデータに出来る程度には、最大戦速時の銀星号の甲鉄の動きのサンプルが集まってきているのだ。
あと数合打ち合う事が出来れば──

《! 重力波、来るよ!》

思考を中断、迫る空間歪み目掛けて、振り向き様にグラビティブラストを放ち、相殺する。
接近していた重力波の正体は、おそらく指向性をもった辰気の波動。
銀星号の陰義を応用した術技の一つ『瘴熱疾走・火隕星(ブレイジング・ストリーム)』

《おれを前にしてお喋りとは、随分と余裕があるのだな》

距離にして、約3万。
俺にしても銀星号にしても、一息も掛からないで必殺の一撃を叩きこめる位置。
ふわり、と、銀星号が距離を開けた。助走距離を作り出している。
月をバックに、銀色の女王蟻の劒冑が舞う。
目の前には月をバックにした銀星号。
振り返ると、障壁を張った銀星号と打ち合っていた時よりも大きくなった蒼い地球の姿。

「美鳥」

《うん、あたし達も銀星号も、とっくに地球の重力に捕まってるよ》

なるほど、先に速射砲で誘導し続けたことへの意趣返しか。
短距離ワープの移動先も巧妙に誘導されていた、という訳だ。
敵騎の現時点での最強攻撃、飢餓虚空・魔王星は恐らく俺に対して向けられない。
俺自身試した事は無いが、おそらく敵騎の目から見たら、俺の重力制御能力をもってすれば放たれた魔王星の影響を無効化出来ると踏んだのだろう。
火隕星も先ほど打ち消した。通常の手ではダメージにもならない。
これで、銀星号の決め技は唯一つにまで絞られた。

《天座失墜──》

目の前で、こちらに近づきながら前転を始める銀星号の姿。
全身の甲鉄が流動し、打点である足先に集中していく様まではっきりと見てとれる。
相手が鈍い訳でもない、俺が早い訳でもない。
感覚だけが加速している。回避し得ない攻撃を前に、全感覚が加速し、振り下ろされる死神の鎌を鮮明に瞳に映し出す。
この勝負、俺達の──

《小彗星!》

勝ちだ!

―――――――――――――――――――

空気の壁を、空間を割り砕きながら、天から地へと駆け──
ヒトガタを、貫いた、蹴り砕いた。
弾き飛び、胴体から破裂するヒトガタ。
硝子の割れる様な涼しげな音が鳴り響く。
違和感。
感触が、軽すぎる。
ヒトガタの先ほどまでの強度ではありえない、薄氷を踏み抜くような脆い感触。
そして、砕け散ったヒトガタの破片が、村正の甲鉄に纏わりつき、融ける様にして甲鉄一つ一つに広がっていく。

「村正?」

《陰義、ではないな。これは──》

黒鉄の粉の様であったそれは、溶けるにつれ色を失い、遂には黄金色の水晶となり、銀星号の心鉄を除く全甲鉄を覆い尽くす。
だが、その不可思議な現象を置き、二世村正は驚愕した。

《これは……聖骸断片(らぴす・さぎー)だと!?》

かつて異国より渡ってきた賢者、浦夢より齎され、村正一門の劒冑に含まれている特殊な素材。
劒冑に比類なき異能を与える生きた金属、この世に二つと無い筈のもの、神の断片。
驚愕する村正を捨て置き、湊斗光は空を見上げる。
何故、確実に止めを刺した手応えは無かったが、確かに標的を貫きはしたのに。
相手を薄氷と間違う程の威力が出たからかもしれないではないか。それだけの力を込めもした。
馬鹿馬鹿しい。胴体を貫いたからと言って、相手が死ぬとは限らない。
自分達以外に引辰を操る者が居た。
障壁を張った状態でとはいえ追い込まれもした。
全速全開の状態でも、尚喰らい付いてきもした。
それが、最後の一手に対し、何の返し技も行わなかった。
月を背に立ち留まり、背を向け距離を取り、十分な準備の間を与えたにも関わらず。
で、あるならば。

「それが、貴様らの狙いであったか!」

裂迫の気合と共に全身から破壊的な辰気の波動を放ち、甲鉄に纏わりつく黄金の水晶を弾き飛ばす。
再び微細な粒子と化したそれらは、胴体の半ばより上下に分断されたヒトガタの傍らに集まると、大気中の塵を取り込みながら、一つの形へと纏まっていく。
大人を一人余裕で抱える事が出来る程の、巨大な女王蟻。
心鉄の存在を感じる事は出来ない。劒冑ではない筈だが、それは本物の女王蟻の如くギチギチと顎、足を蠢かせ、羽根を震わせている。
二世村正の独立形体に瓜二つの、生きた彫像。
材料の問題か、それとも何かしらの不可思議な力でも作用したのか、その色は透けた金からオリジナルの銀、赤、藍、蒼、茶、緑、と目まぐるしく色を変え、ヒトガタと同じ、宇宙の暗黒を染み込ませた黒色に染まり、分断されたヒトガタ、その両方に吸い込まれていった。

《いかにも、いかにも、いぃかにもぉ!》

もはや、最初の不気味なまでに寡黙な、返事も返さなかった謎のヒトガタとは思えない程の、悦びに満ちた男の叫び声。
恐らくは分断されたヒトガタの上半身から。

《騙して悪いけど、これが目的なんでねぇ!》

分断された下半身から響く、悪いとは欠片も思ってい無さそうな、鈴の音の如き少女の声。
分断され、二つに分かれたヒトガタは、それぞれ質量保存の法則を無視しながら別々の形へと変形を始める。
上半身はやや筋肉質な成人男性に。
下半身は小柄ながらも鍛えられた少女に。
顔の細かな造形、髪質などの共通点から、おそらく兄妹か親子。
そんな二人には、造形以外に二つの共通点があった。
まず、気配。
先ほどまで対峙していたヒトガタと全く同じ、人とも武者とも劒冑とも器物とも神仏とも取れぬ奇怪な気配。
人の姿のまま生身で浮かんでいる事から考えれば、それは別段可笑しな事では無い。
しかしてもう一つの共通点、表情。これはおかしい。
二人は揃って、『してやったり』といった笑みを浮かべているのだ。
武器も無く、装甲を解いた状態で、しかしその表情は何故浮かべられているのか。
二人が、動く。
いつの間にか、二人の周囲には無数の金属の破片が飛び交っていた。

「鬼に逢うては鬼を斬る」

腕を伸ばし、朗々と口結を唱える。
銀星号、湊斗光にも二世村正にも、馴染み深い言葉の羅列。動き。
幾度となく繰り返し取った構え。
幾度となく繰り返し唱えた口上。

「仏に逢うては仏を斬る」

腕を引き、再び前に突き出す。
二世村正の装甲ノ構。
二世村正の誓約の口上。

「ツルギの理、ここに在り!」

オリジナル、二世村正からすれば間違いなく、偽物であると看破できる。
偽りの構え、偽りの誓約であり、生まれるものもまた偽物。
劒冑の紛い物を纏った、人間の紛い物。
だが、だがしかし。
そこには確かに、二世村正の武者形体が、三騎、存在していた。

―――――――――――――――――――

やった、やってやった。
手に入れた。銀星号、二世村正の甲鉄形状。
引辰制御(グラビトン・コントロール)、重力を操り空を駆ける事において最大効率を発揮できる構造。
最大限に加速した、引辰制御能力を体術に最大限使用した状態でのデータを手に入れた、理解した、取り込まずに。
呪い。善悪相殺の制約は、付加されていない。
成功。俺達の、作戦勝ちだ!

「なるほど、つまり貴様等は銀星号(おれたち)ではなく」

《冑(あ)の方に用向きがあった、という事か》

「それだけじゃあ、無いんだなぁ」

未だ臨戦態勢を解かない銀星号に向け、人差し指をちちち、と振りながら答える。
もう後は届かない距離まで逃げるだけだ。勝利条件を満たした以上、こんなインチキくさいラスボス補正持ちと戦ってはいられない。
美鳥は黙々と安全そう、かつこのラスボスがこれない様な場所の割り出しを行っている。
こうなれば逃げるだけなら打たれるより早く可能なので、答えられる事には全て応えておく。

「一応、医者の真似事をした以上、患者の経過は確認しておきたくてね」

《ふむ、やはりなれらはあの時の》

「ええ、あの折は挨拶もせずご無礼を」

堀越御所に忍び込んだ時、二世村正だけはこちらに反応する事に成功していた。
存在している事に気付いてもそれに対処不能だった事を考えれば術に引っかかっていたと言っても過言では無いのだが、真打すら混じっていた警備の武者が一人も反応する事すら出来なかった事を考えれば上等な探査能力だろう。

「なんと、怪しげな妖物の類かと思えば、俺の身体を『直した』医者であったか」

感心したような響きの湊斗光の声。
治したではなく、直したという響きが彼女の直感の鋭さを窺わせる。

「礼を言おう。医者殿のお陰で、おれは万事不備も無く天下に武の法を敷く事が出来る」

「いやいや。礼なんて要らないので、構えを解いては頂けませんかね」

礼を言いつつ拳を打ち込める姿勢を崩さないとかシュール過ぎる。
治療への礼に込められた真摯さと、こちらに向ける攻撃的な意思の強さが同等とか、知ってはいたけど頭おかしいだろうこの人。頭おかしいのは知ってたけど。

「それはならん」

「なぜ?」

俺の切り返しに湊斗光、銀星号は一先ず構えを解き、顎に手を当て考える。

「医者殿の目的は、村正の構造を調べる事。違い無いな?」

「確かにそれが一番の目的ですかね」

「つまり、医者殿は自らの目的を達成した。この光を相手に勝利したと言ってもいい」

顎から手を除け、再び構えを取る。

「負けっ放しは気分が悪い、と?」

「しかり。天に立つ銀の星はこの光ただ一人。神の座に至る為にも敗北は許されぬ身故、許せ」

「ふむむ。許せと言われてしまえば」

と、ここまでの会話で充分に時間を稼ぐ事に成功した。
ので、装甲を解く。再び生身で滞空。空気が薄い。
此方の行動に警戒した銀星号が構え直し、こちらもそれに対抗する様に構えを取る。
右手の握りこぶしから親指を上げてサムズアップ。
その右腕を肘から緩く曲げ、前に突き出し、
親指を立てた拳を喉の高さまで持ち上げる。
右腕の力こぶの辺りに左手を軽く乗せ、
身体を右に傾ける。

「許さない、絶対に許さないよ! 絶対にだ!」

必勝の構え──許されざる構え!
俺の背後には今、金神エフェクトとしてマケドニアの国旗が輝かしくもはためいている事だろう。
そう、俺は成長している。
大鬼神を超え、金神魔王尊を超え、現人神、いや、アラジン神として!
ならば、この事態をやり過ごせない筈が無い。

「ならば如何する!」

突撃しながらの銀星号の問い。どうあっても逃がす気は無いんやな。
しかしこの構えを取ったからには、許せと言われても絶対に許さない。
逃がせないと言われたからには確実に逃げ切るのみ!

「美鳥ぃっ!」

「ほい来たぁ!」

今の今まで背後で空間を弄っていた美鳥を呼び寄せ、装甲を解いた美鳥の身体を片腕で抱き寄せる。
そんな俺と美鳥の身体を、銀星号の拳が、『何の抵抗も無くすり抜ける』
空間の位相をずらした。もはや通常空間の存在とは互いに物理的干渉はほぼ不可能。
だが油断は出来ない。引辰制御と重力制御は似て非なるもの、ラスボス補正も併せて鑑みれば、次の瞬間にも引辰制御の応用で打撃可能になる可能性は非常に高い。

「逃げるか!」

「違うな、これを一般的に戦略的撤退という」

「あえて言うなら逃げるが勝ち、つまりはあたし達の二勝目だ!」

俺と美鳥は捨て台詞を残し、即座にその場から転位した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

奉刀参拝の行われていた八幡宮で銀星号が大虐殺を行い、湊斗景明と三世村正相手に初めて飢餓虚空・魔王星を使った翌日。
伊豆、堀越御所。

「──と言うのが、先日のあらましな訳だ」

簡素ながらそこかしこの造りに匠の技が見てとれる和室にて、茶をすすりながらの説明を終えた。
美鳥は説明に参加するでもなくその場に寝そべり、せんべいをがじがじと齧りながらLOのバックナンバーを読み耽っている。
先ほどまでは運び込まれた蜘蛛正を弄り倒していたが、全身隈なく弄り倒した挙句に『リアクションが無いと詰まらない』という理由で中断。
残りは人間形体に偽装が不可能でかつリアクションが可能なレベルまで回復した後に行うつもりらしい。

「はーい質問しつもーん」

目の前の金髪美鳥もどき──堀越公方、足利茶々丸が手を上げる。
口調こそ緩いものだが、その顔面は何かを堪える様にひくひくと引き攣っている。

「あては、『なんでおめーらがここに居んだよ!』という突っ込みから始めたと思うんだけど、なんで御姫との決闘に話がずれてんだよ!」

途中までは穏やかに問い詰めようと堪えていたのだろうが最後の最後で怒り爆発。
互いに声だけは幾度となく交わしているのだが、顔を合わせるのは初めてだと言うのにこの態度。
声だけでこちらの事を見抜いたのは予想通りとはいえ流石だが、何をいきなり憤っているのか。
カルシウムを積極的に摂取するべきだと思う。牛乳とか小魚とか。
頭から蒸気を噴き出す勢いで怒鳴り始めた堀越公方を落ち着かせる為に茶請けを渡す。

「慌てるな、言った通りここまでが先日の話、つまりまだ話の途中だ。ひとまずカステラでも食って落ち着け」

切り分けたカステラを皿に乗せ差し出す。

「あ、どうも。──って、これあてがとっといた文明堂のカステラじゃねぇか! 無い無いと思ったら手前らかよ! なんで勝手に食ってんの!?」

「ふぅむ」

茶を啜る。一息。

「隠し場所を見つけて貰って来たに決まっているだろうに。君は馬鹿か」

「うわぁ今すぐ殺してぇコイツ」

ふるふると拳を震わせる堀越公方は落ち着くまで置いておくとしよう。
一応、御所の全員に強力な認識阻害と記憶操作で、『俺と美鳥がここに居るのが当たり前』といった風に思わせ、堂々と家探しをさせてもらったのだが、このカステラを除いて大したものは見つからなかった。
あわよくば仕手の居ない真打劒冑でも無いかなとか思ったのだが、残念無念。
カステラは、一応物々交換という事で値段÷10の数だけ美味い棒を置いてきたから問題ないだろう。
文明開化の味を思う様味わうが良いさ。

「あぁ、もういいや。で?」

「うむ、さっきの話を聞いて貰った上で、今現在の湊斗光の容体、どう思う?」

「…………なるほどな。だから改めて、って事か」

結局のところ、湊斗光は戦う度にその生命力を削り続けている事に何ら変わりない。
確かに、俺がこっそり投与した医療用ナノマシンで湊斗光は過剰なまでに健康体になりはした。
が、それに伴い、今度は銀星号として活動を重ねる内に『仕手が健康体である事を考慮したペース配分』を覚えてしまったのだ。
ただ飛んで汚染波をばら撒き、そこらの数打武者を相手に無双する程度なら問題無いが、辰気障壁を解除してそれなり以上の性能の武者相手に全力で戦った場合、加速度的に湊斗光の身体は衰弱していく事となる。
特に少し前のVS俺in美鳥の時に至っては、本来想定していない我流のクロックアップなどを行った為に、更に余分に熱量を消費していた筈だ。
二年前より衰弱している、とまではいかないだろうが、間違いなく前回の戦いで数年分の寿命を消費したと見て間違いないだろう。

「大体あれだ。奉刀参拝の時の排水溝脱出ゲーム、俺がこっそりサポートして無ければ全員纏めて吸い込まれてスパゲッティみたいになっていたんだ。命を救った代金として考えれば数日の滞在位妥当なもんだろう」

「え、それマジ?」

「マジも大マジだ」

その吸引力と来たら、以前の銀星号のそれが年代物の中古手持ち掃除機だとすれば、今の銀星号の放つそれは吸引力の変わらないただ一つの掃除機のスペシャルチューンだと考えてもらえば良い。
あれの直撃を受けたら、鋼鉄の厚さが五段階評価で五の付いた真打武者でも一溜まりも無い。
そうなると三世村正は暗闇星人と共にスクラップになってしまい、蜘蛛正を美鳥に弄らせる事が出来なくなってしまうので、重力制御でどうにかこうにか威力をある程度相殺した。
完全に打ち消すつもりは無かったにしても、威力を多少減衰させるだけでもそれなり以上に手間取った事から考えるに、八幡宮を中心に半径数キロ程度の土地が土埃舞う荒野になった程度で済んだのは幸運だったと言えよう。
今後数十年は重力異常で草木の生えない不毛の土地になってしまったが、周囲の物を吸いこみながら巨大化して、最終的に地球を丸ごと飲み込んだりするよりは余程マシだろう。
……ふと思ったのだが、もしかしなくても署長はすでにあの時点で死んでしまったのではあるまいか。望遠鏡で覗ける位置だとすれば十分過ぎる程に射程内だし。
とはいえ、蜘蛛正を弄れる位置に入りこめた時点で署長の役目は終了している。深く気にしない事にしよう。

「サポートっても、あの時点ではあの場所に居なかったんだろ?」

首を傾げる公方に頷きを返す。

「遠隔地から中継点を経由しての重力操作だな。銀星号が常に制御しているのならともかく、あの技は一度放たれたら銀星号の制御下には存在しない。あのサイズの辰気の渦なら多少減衰させる程度はどうにでもなる」

「何その超人技。遠隔引辰制御って時点で只事じゃないし、どうにでもなるとか言ってられる技じゃねーじゃん」

「超人技じゃなくて神技な。ああ、一応言っておくけど、そこらの死にたそうな人間を誘拐して美系に改造して超能力付与して異世界に転送とか、それ系の神様じゃあ無いからな?」

「余計に訳分からんわ」

大体、結果として視覚情報として入ってくるのは三次元のイケメンが三次元の美少女相手にあれやこれやハーレム作ったりイチャイチャしたりするリア充生活だ。
何処をどう間違えればそんな不快極まりない物を楽しめるというのか。ああいうのは映像を想像し難い文字媒体か二次元であるからこそ見世物に成り得るのである。
そういう娯楽を楽しめる様になるのはリア充になるか、さもなければその世界を二次元に変換して観測可能な能力を手に入れてからではなかろうか。
そんな訳のわからない見世物よりは、ゲーセンのセガのロボゲーでもプレイしている方が有意義に時間を潰せるだろう。
スパロボ世界のチートを使ったリアルバトルでは味わえないあのもどかしさと安心感、癖になるゲームである。
思わずPSPのソフト新品一本分程の金額を一日で使い切ってしまうのも仕方が無い事だろう。後々姉さんにこっぴどく怒られたので最近は自重しているが。

「ま、そんな訳で、湊斗光が起きるまで治療は出来ないから、しばらくここの隅っこを貸して貰うので、悪しからず」

「どんだけ図々しいんだよおめーら……」

疲れた様に項垂れ、カステラを頬張る公方。
そう、ここで項垂れるだけで強く追い出そうと行動に出ないのが、既に俺の術中に嵌まっている証拠なのである。
俺や美鳥に限らず、トリッパー全般が多用するらしい認識阻害や記憶操作の魔法。
この魔法、不思議な事にこの生体甲冑の少女には非常に効果が薄いのである。
まぁ、一発で思考回路を作り替える汚染波が利かない時点で予想してしかるべきなのだが、それではゆっくりと蜘蛛正を弄繰り回す事が出来ない。
そこで、金神を取り込んでから定期的に送っていた怪電波を利用し、徐々に俺達という存在に慣れさせたのだ。
認識阻害魔法の効果が薄いのであれば、薄い効果で充分に効き目が出る程に違和感が無い状態まで持って行けばいい。
正直な話、スパロボJ世界で使用したナノポマシンを使えば一撃なのだろうが、元々が不憫な者に追い打ちをかける様に不憫な思いをさせるのはほんの少しだけ気が引けるのだ。
第一、万が一また投与する量をとちってメメメの様な状態になったら目も当てられない。
ああいう事故は一度で充分だと学習済みなのである。こいつ不憫な上に金髪だから特に縁起悪いし。

「ま、次に湊斗光が目覚めたら勝手に治療しておくし、飯も女中さんが持ってきてくれる事になっているから、特に俺達にはお構いなく」

「あ、あるぇー? あてん家、何時の間にか乗っ取られてね?」

公方はなにやら首をかしげているが、これはむしろ当然の結果と言ってもいい。
以前忍び込んだ時に聞いたのだが、基本的に堀越公方、竜軍中将の足利茶々丸には腹心という者が存在せず、何か命令を出す時も理由を話す事が少ないらしい。
この少女に付き従う者は、基本的に茶々丸を恐れ、盲従し、命令の意味を深く考えずに付き従う者が多い。
そういう人物でなければ部下に心を開かないこの少女には付いて行かないし、付いて行けないのである。
そんな訳で、ここの連中の頭を弄るのは実に簡単だった。
普段よりも軽い認識阻害の魔法に加え、『鳴無卓也と鳴無美鳥は足利茶々丸の個人的な客である』という単純なキーワードを与えてやるだけ。
ここであえて『友人』ではなく『客』とする事で、後は勝手にそれぞれが自分の中で納得してくれるのである。
人の事を言えた義理で無いにしても、友達の類は少なさそうだしな。
と、ここで寝そべってせんべい、雪の宿を齧っていた美鳥がいやらしい顔つきで口を挟んだ。

「そそ、あたしたちは勝手にやってっから、愛しい仕手候補さんの寝顔でも覗きに行ってみたら?」

「ど、どうしてお兄さんが仕手候補って証拠だよぅ……」

因みに平静を装いつつも最後の最後でどもってこの世界には存在しないサブカル言語になっているが、ここで堀越公方が顔を赤くしながら言っているお兄さんは暗闇星人、湊斗景明の事である。
第一章の被害者がゼロであるこの世界では稲城忠保は三世村正との会話を行わず、洗脳された暗闇星人を説得する内容を三世村正が手に入れられない可能性が高い為、きちんと茶々丸ルートに入る可能性があるのだ。
応援してやりたい所ではあるのだが、現状湊斗光は超健康体。衰弱死の可能性は極めて低く、予想寿命は百にも迫る。戦力的に考えて下手をしなくても湊斗景明よりも長生きする可能性が高い。
つまり説得の可能不可能云々を論じる以前に、精神汚染をした後ですら堀越公方は湊斗景明を仲間に引き入れる事が出来ない可能性が高いのである。
重ね重ね、不憫な奴だ。

「なんか今、すっげぇ不愉快な感情を向けられている気がする」

表情に出したつもりは無かったのだが、経験上相手の感情を読み取る術には長けているのだろう。不快そうなしかめっ面を此方に向けてくる堀越公方。
そんなに見つめられても、正直困る。不憫さがこっちにまでうつりそうなのであっち向いて欲しい。

「富士山、綺麗だなぁ」

「なー」

一々弁解するのも面倒だし、正当な評価なので美鳥と共にそっぽを向いてはぐらかしておいた。
曇りなので富士山は影も形も見えないが。

「て、め、え、ら……!」

余計に怒りを買った様だが気にしない。劒冑として仕手を得た状態での戦闘シーンも存在しない上に個別ルートが超短いなんてのは不憫以外の何物でもないのだから。
どうしても暗闇星人を仕手に欲しいのであれば、大和に平和が戻った後にでも暴走編の如く他のヒロインとキャットファイトして決着をつければいいと思う。
正直本編後にそんなほのぼのイベントを発生させる事が出来るかと言えばまず不可能だと思うのだが、どうせ夢見るだけならタダ、気にしてはいけないのである。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

奉刀参拝から三日後、眠りから目覚め、御所内を案内された後の湊斗景明は、酷く思い悩んでいた
二年もの間追い続けていた銀星号──妹、湊斗光との再会に。
村正の、善悪相殺の制約を知っていて、それを利用して義母を、湊斗統を殺させたという光。
身命を賭した一撃で、届いたと確信した。そしてそれは自惚れであった。
真の力を発揮した銀星号の圧倒的な力の差を見せつけられ、叩き伏せられ、この地で再開をし、ゆっくりと向かい合うに至って、気付いた。

(統様に、似てきた)

そう、二年ぶりにその姿をまじまじと見つめ、怒りに任せ掴み掛ろうと躍りかかり、投げられる段になって、不覚にも唖然としてしまったのだ。
投げられる瞬間に確かに感じた、二年分の成長とはとても信じられない程熟れた、妹の肢体。
自らの内の獣を揺さぶる、女の色香。
部屋へ戻る道を歩きながら、自らの手が確かめる様に虚空に妹の肉体のラインを描きだした辺りで正気に戻り、景明は雑念を取り払う様に首を横に振った。
自分は何を考えていたのか。相手は銀星号、災厄と言っても良い大量殺人の下手人であり、狂っているとはいえ、自分の──

《え、ちょ、何よ貴方達、こら、やめ、キャァァァァァァァァァッッッ!》

全方位に向けての叫び声、絹を裂くような女性の悲鳴を聞き、思考を中断する。。
ただの悲鳴ではない。金打声での悲鳴、村正の悲鳴だ。

(村正、如何した!)

突然の叫びに自らの劒冑へと問いかける。が、返事が無い。
油断していた。ここは仮にも六派羅の四公方の御膝元だというのに、休眠中の劒冑を置いて外出など。
急ぎ、木張りの廊下を駆ける。
幾つかの角を曲がり、自分が寝かせられていた部屋に近づいた景明は、ガタガタという物音と共に、不穏な会話を耳にした。

「……正さんの身体は俺達に弄ばれる為に死蔵されていたんですものね」

《いつもの力が出せれば、こんな奴ら……!》

「良かったじゃねーか、甲鉄のダメージのせいに出来て」

村正の金打声と、聞き覚えの無い男性と少女との声。
身動きの取れない村正が襲われている。その事実を認識した時、景明の心に言い知れぬ感情が湧き立った。
障子を勢い良く開き、

「村正! ……村正?」

その光景に、首を傾げる。
確かに村正が、少女と成人男性に襲われている。
独立形体の巨大な蜘蛛の村正が、と、注釈をつけなければならないが。

「生蜘蛛正様の生合当理の寸法を測らせて頂いてもよろしいでしょうか」

目つきの鋭い屈強な体つきの成人男性が、巨大な蜘蛛の腹部、村正の合当理の辺りにメジャーやその他良く分からない計測器の様な物を当て、あれやこれやとメモを取っている。
よろしいでしょうか、と聞きながら勝手に寸法を測り始めている辺り、聞いてみただけで寸法を取る事は決定済みだったのだろう。

《そ、そんなそこらの雑貨屋で売ってそうな安物の計器なんかで……》

安物の計器で測られると何か不都合な点でもあるのか、村正は独立形体の蜘蛛の形のまま、金属の節足をビクンビクンと、もといガシャンガシャンと震わせている。
何故か声に艶があるように聞こえるのは気のせいだろうか。
と、合当理の後ろ側に取りついて何やら弄り回していた少女が顔を上げた。

「生蜘蛛正の生鋼糸ゲーット!」

《んんんんんんんんんん!》

少女は鋼糸の束を手に巻きつけ、全身で喜びを表現しながら歓声を上げた。その表情は達成感に満ち溢れている。
どうやら村正は未だ完全には回復していないのか、身体に纏わりつく二人を押しのける事すら出来ないのだろう。鋼糸を無理やり引き抜かれて声を殺した嬌声を上げている。
気持ち良いのだろうかという疑問を押しのけ、景明は自分の劒冑から離れて貰う為、村正にとりつく二人に声をかけた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

さてさて、もう弄るところが無いのではないかというほど蜘蛛正を弄り倒し、美鳥は鋼糸まで手に入れ、俺は磁気制御に最適な三世村正の甲鉄の形状までもを事細かに記録し、ほくほく気分で借りている客間に戻り眠りに付き、堀越御所の事件から四日目の朝を迎えた。
公方が暗闇星人の布団から出たであろうタイミングを見計らって、毎度おなじみの早朝電波で朝の挨拶。
途中美鳥の『さくやはおたのしみでしたね』という発言に、今までに無い程のうろたえっぷりを見せた公方を微笑ましく思いながらもからかいを入れ、公方の堪忍袋の緒が切れる直前で電波を打ち切った。
打ち切ってから思い出したのだが、作中では金神や他の音が遠ざかるから、という理由で一緒に寝る事をせがんでいた筈なのだ。
既にそれら騒音被害から解放されている公方は一体ぜんたいどのような言葉で添い寝を通したのか、実に興味深い。
朝食を終え、女中さんが膳を下げるのを見送り、しばらく客間で寛ぐ。
ゴロゴロと文字通り部屋の高級な畳の上を転がった挙句に俺の膝を枕にして脱力している美鳥が、何とはなしに口を開いた。

「おにーさーん、今日は何か予定あったっけー?」

「ふむ、午前中は庭で景明と三世村正チームが無我の練習中に我らが鬼畜坊主と遭遇。午後は庭に湊斗光が現れるから、部屋に閉じこもってるか何処かに外出した方がいいな。あぁ、そういえば夜には黒瀬童子が忍び込んでくるか」

黒瀬童子の劒冑もかっこいいし、厄介な制約も無いから取り込んでみるのも良いかもしれない。
銀星号、『湊斗光』の治療は明日の夕方でもいいか。一応親族が来ているなら説明入れてからの方が問題無いだろうし。
そんな俺の説明に、ふぅん、と気の無い返事を返し、太ももに顔を擦り付けてマーキングを始めた美鳥。
マーキングを初めて数分、存分に頬ずりしたり涎が付かない程度に膝を甘噛みしていた美鳥が突如ガバリと身を起こした。
寸前までのマタタビを嗅いだ猫も顔負けのだらしない表情は一変し、その顔は青褪めている。

「わ、忘れてた……」

「何を?」

俺の問いに振り向いた美鳥の目には涙すら浮かんでいる。

「お姉さんのお土産、頼まれてた、髑髏の、盃」

「あー、そういえばそんなのもあったな」

俺への頼みごとでは無いのですっかり忘れていた。
今日古河公方が来るから、もう既に公開凌辱ショーは終了済み。
作中で描写されたのは英雄編だけだが、そのシーンの前後からは髑髏の杯の行方は知ることが出来ない。今から探して発見するのは難しいだろう。
多分姉さんは杯よりも芋サイダーの方をメインに据えているのだろうから、俺の強化の手伝いをしていたと言えば許される可能性は非常に高い。
高いが、仮に姉さんが許しても美鳥は結構後々まで気にしてしまうだろう。
とはいえ、俺達にとってみればそこまで焦る必要の無い話でもある。

「六派羅に忍び込んで、ボソンジャンプで一日ずつ遡って能舞台が開かれている日に移動すればいいじゃないか」

「あ」

俺の提案に、ガタガタと震える体をピタリと止め、顔色を見る見る元のカラーリングに戻す美鳥。
いくら人間の生体活動が擬態とはいえ、器用な奴だ。

「今回は俺達の関係無い場所での出来事だからタイムパラドックスを気にする必要も無い。しかも、だ」

以前にタイムスケジュールや細々とした情報を纏めた大学ノートを取り出し、開く。
分岐した後、どのルートでも起こるであろう共通イベントのメモ。

「英雄編、一条さんと暗闇星人が普陀楽に忍び込む少し前の普陀楽での四公方の会話で、八幡宮事件について言及されている。そして、今日堀越御所にやってくる古河公方は既にエロシーンを消化済み」

「今日は八幡宮排水溝事件から四日目、英雄編でエロシーンは潜入三日目の夕方だから……」

大学ノートを見ながら呟く美鳥に頷きを返す。

「能舞台のタイムスケジュールが英雄編通りなら、昨日の夕方辺りが妥当な筈だ。といっても、これはあくまでも無理矢理当てはめた場合の話だけどな」

能舞台で岡部桜子が古河公方に鬼畜エロされてしまった、というのは魔王編でもちらほらと情報が出ているが、それが八幡宮事件の後の事か前の事かが分からない。
流石に大ボスが生きている内にその息子の懸想する相手に手を出したりはしないと思うが。
とはいえ、そう何度も時を遡る事は無い筈だ。

「その時期には何故か普陀楽に大鳥獅子吼もケバ太も居ないからな、同太貫を取り込んできても良いぞ」

忘れがちだが、俺と美鳥の身体は電撃や炎などのエネルギー攻撃にすこぶる強い(何故、どうやってというのは美鳥も知らないらしい。ごく一般的な健常者が『右手を上げる方法を説明する』のと同じ程度には説明するのが難しいのだとか)。
仮に初手で陰義を使われたとしても充分に耐えきれるし、全てエネルギーとして吸収する事が可能だろう。
騎航速度、旋回性に劣る同太貫であれば、槍の間合いに入らずに遠距離から攻め続け弱らせるか、更に身も蓋も無い方法だが、ラースエイレムでステイシスさせてしまうのもありだ。
まぁ、同太貫は独立形体こそ可愛らしくて魅力的だが如何せんこれと言って欲しい機能が存在しない。
これはあくまでもおまけの様なものだ。美鳥もどちらかと言えば機能的に優れない劒冑よりも公開凌辱ショーの方の見物の方が好みだろうし。


「あ、お兄さんは付いて来てくれないんだ」

「そもそも髑髏の杯とか言い出したのはお前であって姉さんではないからな。俺は俺なりの土産物を用意するから、まぁ頑張って来い」

ボソンジャンプの準備の為かその場から立ち上がった美鳥に、投げやりで適当なエールを送る。

「お兄さんのいけずー。いいもんいいもん、お兄さんには『岡部桜子公開凌辱──兄と父の死骸の目の前で──』が撮影出来ても貸してあげないもんねー!」

「いらんがな」

アッカンベーしたままボソンジャンプした美鳥を見送りながら、俺はボース粒子の残る虚空に向けて虚しく突っ込みを入れるのであった。

―――――――――――――――――――

さて、美鳥にはああ言ったが、この世界独特でかつ面白そうな土産物は中々思いつかない。
例えば、金神の欠片を練り込んで鍛造する甲鉄製姉さんフィギュア(辰気の大渦に呑み込まれても壊れない)……二度ネタの上に金属生命体として目覚めかねない。
某禁書の如く姉さんの力の欠片とか受信したら手が付けられなさそうだ。これは没。
いっそ村正世界であるというこだわりを捨て、普通に土産物の饅頭を買うというのもありかも知れないが、そうすると逆に選択肢が多くなり過ぎて選別が難しい。
もう少し後の時代、六派羅とかGHQとかの全てが過去のお話になった後なら六派羅饅頭とか、四公方をモデルにしたゆるキャラのぬいぐるみとかもあり得たのかもしれないが。
普陀楽城をモチーフにした『ふだらくん』とか、適当にデフォルメした猫やら犬の頭に城の屋根と、背中には対空砲のミニチュア、尻尾の先に二頭身の六派羅制式数打竜騎兵の『りゅーくん』を付ければ誰がどう見ても普陀楽城モチーフにしか見えないだろう。

「うぅむ」

……これは意外と行けるかもしれない。ユキチの匂いすらする話だ。
更に考えてみれば、村正に登場する劒冑の独立形体はマスコットにし易い。布と綿を用意して、本編に独立形体の登場する全ての劒冑のぬいぐるみを作ってみてはどうだろうか。
グレイブヤードの無駄知識群にも、流石にぬいぐるみ造りの知識は存在しないし、俺自身ぬいぐるみを作った事は無い。
が、地球に行きたがっていた火星地下コロニーの少女の記憶の中にぬいぐるみ作成に関する知識が存在している。
取りこむ際に少しばかり快感覚のオーバーフロウで頭がイカレてしまっているが、ぬいぐるみ造りに関しては身体が覚えているレベルでしっかりとデータが残っているのでなんら問題は無い。
そして、ただの劒冑のぬいぐるみというのも良いかもしれないが、やはり劒冑を模すからには劒冑のような機能も欲しい。
こう、誓約の口上を告げると布と綿が分解して着ぐるみになるとか。
人型に当て嵌め難いのが多いから、デフォルメされた劒冑の独立形体から顔と手足を出す感じのデザインで纏めるとして。
想像してみよう。例えば、姉さんが蜘蛛正やら蟻正、あるいは亀太貫やらの着ぐるみを着た場合。

「……悪くない」

悪くないではないか、この構想……。
姉さんの様な妙齢の女性が、そんな一昔前の子供番組かバラエティに出てくる低予算マスコットみたいな恰好をする。
そして照れる姉さん! もじもじする姉さん! しかも着ぐるみで!
恐ろしい、これ程までに自分の才能を恐れた事が未だかつてあっただろうか。嫌、無い。
想像するだけでニヤケてしまう。
構想は纏まった。全ての劒冑をモデルにすると確実にかさばるので、最初に蟻正を作って、それからより完成度を高めた蜘蛛正を作る事にしよう。
布と綿と糸をどうやって溶鉱炉に燃やさずに突っ込むかとか、バートリーを参考にしたかったが所在も戦闘能力も知れないおばあちゃんには関わりたくない。
大体あれだ、装甲時の衣装の変化の仕方から考えるに、エロシーンでのあの大人パンツを老婆の状態でも穿いているという事は確実。
この衝撃の事実を考えれば別の意味でも近付きたくない。むしろ怖い、関わりたくない。
まぁ、高熱に耐えうる繊維なら幾つか心当たりが無いでもないし、試作を繰り返して最終的に一つ完成すればいい。
そうだな、試作を作るに当たっては、やっぱりあれに打たせるのが一番だろう。
着ぐるみならタッパを伸ばしてやる必要も無いから作るのが楽だ。

「よいしょ、っと」

目の前の畳を引っぺがし、その下の木の床をこじ開け、土の地面に触手を突き刺す。
土の中に潜った触手を分岐させ、周囲の土を取り込みつつ金属製の外枠を作り小さめの部屋を一つ作り出す。
簡易な炉と水を溜めておける風呂桶の様なものだけの簡単な設備。
更に、火に入れても金属と同じように赤熱するだけで燃えない不思議な布、糸、綿と、裁縫道具と机。
大体完成した所で、一旦地下鍛冶場に降りて内部構造を確認する。

「ふむ」

焼き入れの時の蒸気を逃がすのに煙突が必要になるな。後で蒸気を出しても良い場所が無いか女中さんから聞き出してみよう。
続いて鍛冶師。ぬいぐるみにフーさんというのもあれなので、この世界で拾ったあれを材料にする。
掌から人間の子供が入りそうなサイズの、パンパンに膨らんだ鞄を作り出す。
地面に落とすと、巨大な肉の塊が落ちた様な重々しい音が響いた。
鞄のチャックを開き、中からハンドボール程のサイズの肉と骨の塊──子供の頭部を取り出す。
さらさらとした銀髪とチョコレート色の肌の幼い少女の死に顔は苦悶に歪んでいる。
後頭部、頭蓋骨に守られていない隙間から細い触手を突き刺し、脳の記憶を改ざんする。
自分が何処で何をしていて、どういった最後を遂げたかという記憶を消し、鍛冶師の記憶、ぬいぐるみ造りの記憶、作るべきものの記憶、俺への服従心を植え付け、第一段階完了。
頭部を脇にどけ、鞄の中から首の無い少女の身体を取り出す。
心臓を鋭い刃物で破壊されており、その他内臓、脊椎にもダメージが入っている。
患部にこれまた細い触手を突き刺し、傷口を埋める様にUG細胞を埋め込み、機能を取り戻した処でUG細胞の働きを抑える。
首の切断面以外の損傷を修復した身体を壁に立てかけ、その上に先ほど脳味噌を改造した生首を乗せ、切断面をUG細胞で作られた糸でつなぎ合わせる。
最後に、UG細胞で直接蘇らせると凶暴化する可能性があるので、首のUG細胞も活動を休止させ、デモニアック化出来ない様に調整したペイルホースを打ち込んで──

「ん、うに……、おはよー!」

「うん、おはよう」

完成。
民族衣装を着た見た目は年齢一桁の銀髪褐色肌の少女が、苦悶の表情から寝ぼけたような表情に変わり、次の瞬間に目をカッと見開きその場から跳ねる様に跳び起きた。
通常、自分の死の記憶やら以前の生活などの記憶と現状との齟齬から、召喚酔いならぬ蘇生酔いとでも言うべき状態になるのだが、記憶をあらかじめ弄ってやればこんなものだ。
蘇生するまでに下準備を終えてしまえば、後は指令を下すだけ。
言ってしまえば料理と一緒で、下ごしらえの段階で手を抜かなければ料理自体にはそれほど手間もかからないのである。

「さぁ、ぬいぐるみ鍛冶師試作一号よ! ここにある素材を用いて、着ぐるみ型劒冑試作一号『にせいむらまさちゃん』の作成に取り掛かるのだ!」

「はーい!」

俺の命令に、針と糸と布を手に笑顔で応える褐色幼女を残し、俺は女中さんに煙が出ても大丈夫な場所を教えて貰いに行く事にした。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

湊斗景明が堀越御所に運び込まれてから二日目の夜。
堀越御所から少し離れた人気の無い道を静かに、しかし風の如く掛ける人影があった。
普陀楽に軟禁されていた姉を公衆の面前で辱めた古河公方を追い、堀越御所に忍び込んでいた黒瀬童子。
侵入していた事を気取られ怪我を負い、隠れこんだ部屋の一時的な主である湊斗景明と三世村正の手を借り、この武者の警備の無い離れた小道まで連れ出してもらったのだ。

(何時か、恩を返せればいいが……)

どういった意図があったにせよ、あそこで騒ぎを起こさず、更に脱出の手引きまでしてくれたあの二人に、黒瀬童子は感謝の念を抱いていた。
最も、堀越御所で居候をしながら六派羅側の人間では無いというからには、それなりに複雑な身の上なのだろうし、その恩を返す機会には恵まれる事はそうそう無いだろうとも考えていたのだが。

「……っ」

足を止める。
周囲は暗く、月明かりだけが森の木々を抜けて地面を照らす夜道。
辛うじて人の通れる程度のその獣道に、一人の男が佇んでいた。
黒いスーツにサングラス、張り付いたようなというには余りにも胡散臭さの深さが強すぎるニヤケ顔。
そんな不審な男が、エンジン音の代わりに軽いモーターの様な音だけを鳴らす自動二輪に跨っている。
まるで、黒瀬童子を待ち構えていたかの如く。
身構え、このままやり過ごせるかどうか考える時間は直ぐに終わった。
結縁した劒冑からの警告があったのだ、あの自動二輪は劒冑である、と。
そして、まるでその劒冑の金打声が聞こえたかのように、胡散臭い男は黒瀬童子の潜む藪のへ顔を向け、にぃ、と口の端を歪ませ、

「──」

此方には聞こえない声量で何事か──恐らくは誓約の向上──を呟き、装甲した。
男の跨っていた自動二輪がバラバラに、いや、粉々に砕け、それが瞬時に男の肉体と結合、装甲する。
一瞬で装甲した男はしかし、未だ姿を見せぬ黒瀬童子に襲いかかるでも無く、しかし黒瀬童子が潜む茂みから目を離さない。
逆に、黒の瀬童子もその武者から目を離す事が出来ないでいた。
自動二輪という現代の作であろう事が分かり切っている、数打の劒冑で間違いないと思えるそれの装甲時の姿は、異様、という一言に尽きた。
例えば真打劒冑には重拡装甲、単鋭装甲といった括りがあり、その外見的特徴からある程度の性能を知る事が可能である。
逆に数打ち劒冑は量産性を高め、多くの武者で一つの劒冑を使い回せるよう、あるいは一つの劒冑が壊れた時に他の劒冑と変えても違和感無く戦えるよう、ある程度個性を潰した汎用的な造りになっている。
目の前の数打と思しき劒冑も、この例に漏れず個性を潰した作りではあった。
では何をもってこの劒冑を異様とするか。
この劒冑、重拡や単鋭という個性どころか、これが劒冑である、という個性までもを潰しているのだ。
武者や竜騎兵と形容するにはそのシルエットは余りにものっぺりとしている。
頭がある。首がある。胴体があり、手足が生えている。そしてそれらパーツに大雑把に粘土を張り付け表面を慣らした塑像の様な装甲が覆っている。
ただそれだけ。母衣も合当理も存在せず、空を飛ぶのかさえ怪しい。
おぼろげな人影の様な武者。影絵の武者だ。
影絵の武者が身を揺らす。塑像の様であった装甲が波立つ様に蠢く。
手には何時の間に大太刀を握りしめ、黒瀬童子の居る茂みに切っ先を向けている。
その切っ先が、黒瀬童子を挑発するように揺れている。
考える。
『あれ』がどのような武者、どの様な劒冑であったとしても、こちらが捕捉されている以上、生身では逃げる事すら容易では無い。
この場で装甲し、茂みの中から不意打ち。これも問題外。既に居場所が割れているのに奇襲も何もあったものでは無い。
茂みから獣道へと踏み出し、影絵の武者と対峙する黒瀬童子。
武者は大太刀を手に下げ、黒瀬童子が装甲するのを待っている。
それに不審を覚えながら、しかし劒冑から伏兵などの存在が居ない事を知らされている黒瀬童子は堂々と装甲ノ構を取り、誓約の口上を唱え、装甲した。
あっさりと、何の妨害も無く装甲を済ませる事が出来てしまった事に戸惑いながら、黒瀬童子は口を開き、未知の相手へと問いかけを行う。

「……追っ手か?」

「物取りです」

あっさりとした返答に甲鉄の下で眉を顰める。
先程の二人とのやりとりの時に自分が言った台詞であったからだ。この武者はどの時点から自分の事を見ていたのか。
刀を構え、油断無く相対する武者を観察しながら考える。
六派羅の追手であれば自分の身分を偽る必要はない。そもそもこの受け答えが発生する訳が無い。
で、あるならば、この武者の目的や如何に──?
兎角、この武者は自らの目的を明かすつもりは無く、ここを何事も無く通すつもりも無いらしい。
大上段に刀を構えた武者に対し、刀を下に構え、一歩踏み込む。
地摺りの青眼、下段の刀をプレッシャーに、がら空きの頭部を誘いに使い、踏み込んできた相手に斬り降ろされるよりも早く、下段から跳ね上げた切っ先でもって喉や胸に刺し貫く技法。
影絵の武者が、黒瀬童子に踏み込み太刀を振り降ろす。
その胸に、黒瀬童子の刀の切っ先が呆気なく突き込まれた。
影絵の武者の背から、黒瀬童子の突き出した刃の切っ先が見える。
教科書に乗せる事が可能な程の理想的な絵図。
勝った。
そう確信した黒瀬童子は、その確信を抱いたまま、この世から消滅した。

―――――――――――――――――――

特殊な能力無し、凄く強い訳でも無く、素晴らしい戦術を持っている訳でも無い。
黒瀬童子はつまりそんな程度の武者。凡百では無いが、特別と言える何かを持っている訳では無い。
剣術の腕は上の下か中の上程度、真打のお陰でまぁまぁ強いというだけの武者。
良くある凡人系主人公の如き、岩に齧り付いてでも生き残り、最終的には勝利を掴むといった命の煌めきを持っている訳でも無い。
戦って得られる物は何もない。

「そんなのと、まともに戦う、訳が無い」

字余り。季語が無いから川柳だな。
俺は身体の前面、胸部から腹部辺りから生えている、『食べ掛け』の黒瀬童子を身体の中にずぶずぶと押し込みながら考える。
俺や美鳥、版権で言えばアプトムなどもそうだが、何らかの対策を備えていないのであれば、融合捕食能力を備えた相手との白兵戦は鬼門だと言える。
特に俺と美鳥は、取り込むだけならほぼ一瞬で取り込むことが出来るのだ。
先ほどの様に、不用意に突っ込んでくるのはアウト、刀を突き刺して、そのまま放置したのも論外。
突き刺さった刀を通して融合し腕の制御を奪い取り、刀を離せない状況を作り出されてしまえば、あとはゆっくり捕食するだけ。
挙句、黒瀬童子は俺に刀を突き立てた時点で勝利を確信していた。俺を未知の存在だと感じながら、だ。
首を撥ねれば勝利というのが武者戦の基本ではあるが、相手が未知の劒冑であれば少しぐらい警戒するべきではないか。
世の中には仕手が真っ二つに両断されても戦闘を続行する劒冑も存在していたし、この世界にこの間生まれた劒冑は仕手を木偶人形にしてでも延々戦い続ける異能を持っているのだ。
敵を殺そうと思ったらきちんとバラバラに引き裂いて心臓と脳を潰して、脳チップのような記憶媒体が無いか調べてみるのが基本だろう。
世の中には爆発する船から飛び降りて、どう見ても船のスクリューに巻き込まれていたのに、次の巻では何事も無かったかのように再登場する敵役だって存在するのだ。
しかも理由が『便利な自動回復アイテムがあってな』
その理屈でいくと、死んだのを確認した後に怪しげな装飾品は全て引っぺがす必要も出てくるか。
とにかく、胸を貫けば死ぬだろうなどと、ホントに状況判断が甘いと言わざるを得ない。
──無論、刃が即座に対象から離れる斬撃ではなく、突きが来る様に構えで誘いもした訳だが。

「せっかくの真打劒冑も宝の持ち腐れだったな」

とはいえ、この劒冑から得られる情報も黒瀬童子の能力も、俺にさしたる力を与える事は無い。
劒冑は業物ではあるが陰義を持つ程のものでは無く、黒瀬童子の剣術知識、運用理論もたかが知れている。
なんとなく取り込んで見たものの、俺も間違いなくこの劒冑のデータを持ち腐れるだろう。
ふむ、そう考えると全く意味の無い外出でも無かったか。

「人のふり見て我がふり直せ、だな」

敵にはしっかりと止めを、最後まで油断しない。
これを守っていれば、スパロボJ世界では勝利を手にしていた可能性も高い。
手に入れた宝を持ち腐らせるのは俺も同じ。
俺も、一歩か十歩か百歩か、何かを踏み違えれば黒瀬童子と同じ様にあっさりと人生に幕を下ろしてしまう。
そんな当たり前の様で忘れがちな大切な事を彼は身を持って──

「ぁふ」

欠伸。
長々と考え過ぎていたせいもあるが、取り込んだ黒瀬童子とその劒冑のデータの最適化でほんの少しだけ眠気が襲ってきたのだ。
全体容量からして極々僅かな変更なので欠伸程度だが、もう今夜は殆どする事が無い。
そろそろ美鳥も帰ってきている頃だろうし、丁度いいのでさっさと眠ってしまおう。
俺は除装した劒冑、環状リニアモータードライブ式バイク型劒冑に跨り、堀越御所への道を走りだした。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

魘され飛び起き、『寝れば寝る程疲れる気がする』などと呟き、その疲れからか再びあっさりと眠りに付いた湊斗景明は、慣れ親しんだ何時も通りの悪夢に苛まれていた。
自分の手によって殺された人たちの夢。
自らの手で破壊した銀星号の卵の数の、丁度二倍の犠牲者。
老いた老人、満足に動けない身体の子供、新聞記者。
何の罪も無く自分に殺された。自分が殺した相手。殺されたと訴える被害者。
笑顔で自分がどのように殺されたかを誇らしげに語ったかと思えば、怒りに醜く歪んだ顔で悪鬼と叫びつけてくる。
自分が殺した人々。卵の寄生体となった相手すら混じる。
暴き立てる事も出来ず、幻として現れる事しか出来ない死者の群れ、湊斗景明罪の顕現。
一人足りとも忘れた事は無い。忘れる筈が無い。
だが、居ない、足りない。
葛藤の果てに、一人残されては生きていく事も適うまいと、選んで殺してしまった幼子の姿。
何処にも居ない。姿を思い浮かべる事すら出来ない。
鮮明に記憶していた筈の、蝦夷の少女の姿を、その死に様を。

《…に…ゃぁ》

声が聞こえる。蝦夷の少女の声だ。
だが、憎悪が滲むでもなく、皮肉の様に自らの死を説明するでも無い。

《にぃや……》

虚ろな声。

《にぃやぁ……》

唯その発音を喉が、口が覚えているから繰り返すだけの、見せかけの感情すら乗らない声。
それは心の無い、獣の鳴き声、虫の咆哮。
姿を探す。探さなければならない。身体すら自由にならぬ夢の中で湊斗景明は声の元を辿る。

《にぃぃやあぁ……》

声が途切れる事はない。声の元を辿るのは容易い。
だが、途切れる事無く繰り返されるその声は、自分の手すら見る事の叶わぬ夢の暗闇の中、そこかしこから聞こえてくる。
しかし諦める事無く探索を続け、何処に響くとも知れぬ反響の中から、やっとの思いでその声の主の姿を見つけ出した。
地面に横たわっていると思しきその声の主の身体を持ち上げる。
それは、今まで見たどのような死に様よりも奇怪で、グロテスクなものであった。
切り離された筈の首は半ばまで繋がっている。
だが、その断面から漏れだす物は何か。
綿と、血。
縫い包みに用いられる様なその綿はうっすらと光輝を帯び、血は水銀を混ぜたかのような、重金属工場の廃液の様なおぞましい色合い。
一糸纏わぬその肢体は所々焼け爛れ、無事な個所はそのチョコレート色の肌と同じ布に覆われている。
いや違う、布に覆われている訳では無い。肌が布になっているのだ。
持ち上げた腕に返る感触は、所々に縫い包みの柔らかさ、肉と骨の硬さが乱雑に入り乱れている。
人間と縫い包みの合いの子。
人を模して、しかし人とは確実に違う物として造られた人形に対する、悪意に満ちた戯画(カリカチュア)
人ですら無い、死人ですら無い何かが、自らを抱え上げる者を見上げ、微笑んでいる。

《にぃや、にぃやぁ、にぃぁ、にぃやぁぁぁぁぁぁ》

壊れかけのラジオの如く、唯只管に鳴き声を上げる。感情すら乗らない声を繰り返す。
いや、違う。
この声は、喜びの感情に満ち溢れているのだ。
何の理由も無く、この状況、自らの状態に対して疑問すら持たず、喜びの感情だけで持って声を上げ続ける。
唯一つの感情しか持たない。唯一つの言葉しか発さない。
それはつまり、無感情で無言なのと同じなのではないか。
言葉にはやはり意味など無い。
唯、最後に残った言葉に、最後に残された感情を乗せて、表現しているのだ。
縫い包みと人の混じった、今にも胴体から千切れ落ちそうな頭、その頭に張り付いた顔が、湊斗景明を見つめる。
眦を緩やかに下げ、口は歪んだ半月。
貼り付く様な、しかし楔の様に少女に打ち込まれた強い感情。
天使の如き慈愛に満ちた、優しげな微笑。

「あ、ぅあぁぁ……」

自らの内から溢れる、表現するのもおぞましい感情に突き動かされ、抱え上げていた蝦夷の少女『だったもの』を取り落とす。
ごしゃ、ぼす、という人と縫い包みの出す二つの音が、夢の中に響き渡る。
見通す事の出来なかった暗闇に、光が生まれる。

《にぃや》

《にいや》

《に、ぁ……》

光源は、死体。
無数の、数えきれない程の少女の死体から溢れた極彩色の血液が、肉と代わりに詰められた綿の、骨の代わりに埋め込まれた鋼の光を反射して光源を生み出しているのだ。
死を弄ばれ、生の価値を踏みにじられた少女の馴れの果て。
夢の中、起きれば忘れる薄い思考の中で、湊斗景明ははっきりと確信した。
自分が殺したから。

「……っひ、」

自分に殺され、捨て置かれ。

「ひあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!」

彼女は今も、苦しむ事すら出来ずに、死に続けているのだ。

―――――――――――――――――――

俺の触手が最後の失敗作の心鉄を砕くと同時、堀越御所のどこかから恐怖にひきつった男性の絶叫が聞こえてきた。
この低めの声質は……、暗闇星人か。

「お兄さん、そっちは終わった?」

背から生やした数本の触手に、様々な種類の劒冑のぬいぐるみを突き刺した美鳥がこちら。

「討ち漏らしは無いぞ。ちゃんと一つ残らず心鉄を貫いて殺してある」

「いやー、まさか試作とはいえ、一つ残らずまともに完成しないなんてねー」

「完成はしただろう。求める所とは違かったが」

俺が作ろうとしたのは、あくまでも装甲して着ぐるみになるヌイグルミの劒冑であって、持ち主が眠ったのを見計らって勝手に外に飛び出て動き回る呪いの人形ではない。
朝から作っていたヌイグルミ型劒冑には欠陥があった。
部分的な記憶消去のせいで劒冑になった後も子供らしさが残ってしまい、遊ぶ、という劒冑にもヌイグルミにもあるまじき行為を始めるらしい。
しかも動かすのが鉄の塊ではなく繊維の塊であるせいか、少ない熱量で長時間の自律行動が可能とあって、動きだしたヌイグルミ達はてんでんばらばらに、しかもかなりの距離を移動してしまう。
最終的に部屋に飾られる可能性の高いトリップ記念のお土産としては、余りにも相応しくない機能だ。

「しかも一丁前に陰義まで使うし」

ヌイグルミ達に発現した異能、陰義のお陰で全ての劒冑を捕まえる頃には丑三つ時を軽くオーバーしてしまった。
小賢しくも精神同調と幻覚を操って俺を惑わしに掛かってきたのだ。
もっとも、それも俺の身体の一部から湧き出る力であるが故に、あっさりと明後日の方向に弾き返せたのだが。
そんな感じで一つ一つは然したる脅威にはならないのだが、断続的に放たれる様々な種類の陰義によって妨害を受け、当初は破壊せずに生け捕りを狙っていた俺達はかなり翻弄されてしまったのだ。

「動いて陰義まで使うとか、保管に手間が掛かって仕方が無い。真打形式じゃなくて数打と同じ感じで行くしかないか?」

安っぽい物にはしたくないし、色々な意味で『心の籠った』お土産にしたかったが、不便に土産を贈るよりは余程ましだろう。

「それが妥当かもねー。つか、他には代案は無いの?」

突き刺した触手からヌイグルミを取り込んで始末している美鳥の何気ない問いに、心鉄を貫かれた二世村正型のヌイグルミを掌で押し潰しながら、しばし考える。
圧縮されたぬいぐるみはテガタイトの如き金属板に変化した。その硬質な手触りを感じながら答える。

「オリジナル正宗さんの欠片をモチーフにした、独立形体が菜箸の劒冑風ミトンとか」

ヌイグルミの材料は結局金神の水で金属繊維に変質させた普通の布と綿なのだが、金属繊維であるという性質上、束ねればそれなり以上の強度を誇る。
このヌイグルミ劒冑造りの副産物を使えば、独立形体と装甲時の強度、手触りに変化を付ける事も可能な筈なのだ。
熱が伝わり難い金属で長めに作って、ミトン装甲時には繊維状に分解して質量を誤魔化す。
デザインも正宗さんの腕をイメージしつつもポップでキュートなデザインに仕上げ直せばいい感じの一品になるだろう。
俺の答えに、美鳥は信じられないとでも言いたげな表情。

「革命的だわそれ。農家止めて発明家になった方が人生得するレベルで」

「そんな馬鹿な」

褒められて悪い気はしないが、間違ってもそんな博打染みた職には就労したくない。
美鳥に裏拳気味の突っ込みを入れながらも、俺は菜箸の長さ太さ重さ、ミトンの厚みと断熱性についての計算を始めるのであった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

夜が明けて、堀越御所滞在五日目。
失敗作のヌイグルミ型劒冑の捕獲を終え、客室に戻り布団に入ったのは午前四時で、現在時刻は午前九時。
もうここで手に入る物は何もないので、親族の許可を得て銀星号、いや、『湊斗光』の最終治療を行い、今日の夜にはここを出て行く事になるだろう。
折角の最終日、この時間帯は銀星号も活動していないので、庭にテーブルと椅子と日傘を用意して優雅に朝食をとる事にした。
堀越御所に来てから本格的な和食ばかりだったので、洋風やら邪道やらを味わおうという魂胆もあったのだが……。

「おかしいな」

「それはこの高級旅館の庭園みたいな見事な庭にテーブルとイスと日傘のティータイムセットの組み合わせ? それともお兄さんが手に持ってるチャーハンサンドイッチが?」

俺の手の中のサンドイッチを嫌そうに半目で見つめる美鳥。
そんなに駄目だろうかチャーハンサンドイッチ。お好み焼きをオカズにするのがありならチャーハンを具材にするのもありだと思うのだが。
むしろ、お好み焼きをオカズにするのがありなら当然タコ焼きもオカズに入ってしかるべきではないか。
そもそもアラブの方では米はルッズ、ロッズなどと呼ばれ、野菜の一種として扱われているのだ。
つまり、このチャーハンサンドイッチは分類すれば野菜サンドと同種の扱いが可能なのである。
そもそも、食パンに目玉焼きやベーコンと一緒に蒲焼さん太郎やわさびのり太郎を挟んで美味そうに食べ、マグカップに移したブタ麺をスープ代わりにする美鳥に食に関してどうこう言われるのは心底納得いかない。
納得いかないが、家で食事を取るとあまり派手に外道食いは出来ないので、元の世界に戻るまでの我慢とツッコミを抑える。

「違う、そうじゃなくて、あれだ」

庭の一角を食べ掛けのサンドイッチで指し示す。
そこには一組の男女が、一本の木に身体を向け微動だにせず構えている。
二人の目の前の木の枝には極々一般的な椋鳥が羽根を休めていた。

「あん? ……あぁ、やっぱり続けてんだ」

美鳥は興味の無さそうな視線を二人にいや、無想という境地を目指す湊斗景明に向けている。
美鳥にとってこの状況は想定外の出来事では無く、しかし余りにも意外性が無く詰まらないイベントなのだろう。
目指す事が無駄な夢想を目指している。つまり、無我を目指せという助言は受けていない事になる。
古河公方と出会っていないのだ、ここのこいつらは。

「同太貫は手に入った訳か」

「んー」

ブタ麺を片手でずるずると啜りながら、テーブルの上に置かれた美鳥の掌から金属の塊が湧き出しある一つの形に収束する。
直径五センチ程の甲鉄の甲羅を背負った小さな亀。
甲羅を下にしてテーブルの上に落としたその亀をフォークで突きまわしながら、美鳥はブタ麺のスープを喉に流し込み、マグカップをテーブルに置いた。

「けぷっ。……独立形体の亀を先に取り込んじまったし、騒がれるのも面倒だからハゲにはラースエイレム使ったから戦いにもならんかったよ。正直、ああいう烏賊臭いおっさんは取り込みたくないんだけどねー」

「乙女な意見だな」

まぁ、確かにちんこ臭いおっさん取り込むよりは、綺麗な女の子や見ていて目の保養になるイケメンの方が取り込むのに抵抗は少ないが。

「乙女だよ」

語尾にダブリューが付きそうな半笑いの美鳥の一言にあいまいな笑みを返す。
まぁ、乙女の定義自体が曖昧な訳だし、結婚していない歳の若い女、という意味で言えば確かに乙女だとも言える。
こういうのは自称した者勝ちだろうと無理矢理納得してしまおう。本人も逆で言ってる節があるし。

「普陀楽には簡単な受け答えができる肉人形を置いてきたから、今日一日くらいはばれないんじゃないかな」

となると、サーキットへ遊びに行くイベントは無し。
つまり、今日は湊斗景明、三世村正、足利茶々丸の予定が丸一日空いてしまっている訳だ。ついでに言えば、銀星号も夜半過ぎまで目覚めない。

「丁度いい、三時のおやつを食べたら、湊斗光の治療を始めよう」

「親族への許可がどうたらってのはいいの?」

「ああ、よくよく考えたら、俺達のできる治療って、事情を知らない奴が見たら何がなんだか分からないだろうしな。治療の終わった患者に引き合わせるだけでいいだろう」

肉体の治療は注射一本分のナノマシンで終わるにしても、精神の治療となると何かの宗教か冗談の類にしか見えないのだ。

「ふー、ん。お兄さんって、姉でも無ければ手駒でもない女の子にそこまで手を尽くせるんだ。ちょっと意外かも」

「今回のテーマが初心者救済トリッパーだし、それほど手間は掛からんからな」

街中でゴミが落ちていれば拾ってごみ箱に入れる。
横断歩道を渡ろうとしている老人がいたら、急ぎの用事が無く、気が向いたなら手を貸してあげる。
話し相手の社会の窓が開いていたら、少し時間をおいてから指摘してあげる。
相手はそれで助かり、俺は少しばかりの満足感を得る事が出来る。
これはその程度のお話なのだ。世の中助け合いが肝心なのである。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「で、どこに連れて行くつもりなのよ」

自分たちを先導し屋敷の中を進む少女に、仕手の修業を邪魔されて不機嫌そうな三世村正が声を掛ける。
銀星号を倒す、殺す為に必要な状態、無我の境地に至る為の試行錯誤の途中、堀越御所の主である少女足利茶々丸に呼び出されたのである。

「あても呼び出された側なんだ、内容なんて知るかよ」

呼びかけられ、振り向く事も無く応える茶々丸も負けず劣らず不機嫌さ隠すつもりも無い荒い口調。
彼女もまた、執務の最中に唐突に呼びかけられ、二人を連れてくるように指示されただけなのである。

「でも、」

ふと、歩みを止めずに顎に手をあて考え込む素振りを見せる茶々丸。
立ち止まり顔を上げ、湊斗景明の顔を真剣なまなざしで見つめながら、ゆっくりと口を開く。

「たぶん、お兄さんと、御姫に関わることだと思う」

「自分と……、光に?」

「ん」

景明に頷きを返しまた歩き出した茶々丸は、自分と景明と村正を呼び出した者達の事を説明する。
といっても、全てを話す訳では無い。
自称神で、神と呼んでも問題無い程の異能を持っている、などという話は今回の呼び出しとは関係無いからだ。
自然、彼等が医者紛いのボランティアである事、彼等が口にした胡散臭い活動方針、湊斗光が銀星号である事を理解しながら、死に瀕していた彼女の肉体を完全に癒し切ってしまったという部分だけを説明する事になった。
それらの内容を説明する上で、銀星号として力を振るう度に湊斗光が衰弱していくことも、景明と村正に明かされた。
一通りの説明を受けた所で、村正は激昂した。

「なんで、なんでそいつらはそんな……!」

「救えそうだから救った、だとよ」

「何よそれ! 頭おかしいんじゃないの!?」

「うっせ、あてが連中の残り正気度なんぞ知るか。あてが知ってるのは、患者の善悪に関わらず治療するとか、医は仁術とか、そんな良性の言葉とは無縁の連中だって事くらいだ」

心底嫌そうな茶々丸の口調に、村正は違和感を覚える。
言葉の内容からも、彼女がその連中を信用していない事は明らかだ。

「……貴女、なんでそんな連中を招き入れたの?」

ここ二日の滞在で村正には分かった事がある。
彼女は時折意味深な事を言い行動も破天荒ではあるが、決して頭は悪く無く、警戒心も強い。
そんな彼女が、得体の知れない、人格すら信用できる処の少ない人物を自らのテリトリーに招き入れるのだろうか。

「あいつらが勝手に押しかけてきて、勝手に治療してただけだ。……あいつら以外に、治療が出来る医者も居なかったからな。腕『だけ』は確かなんだよ、あの連中」

言葉尻に舌打ちを入れた茶々丸の言葉を最後に、全員の言葉が無くなる。
無言のまま廊下を歩き、曲がり角を数度曲がり、一つの部屋の前に辿り着く。
三人の呼び出された場所、湊斗光に与えられた部屋。
まだ日が明るい時間だからか部屋の明かりはついていない。
が、中からは話し声が聞こえる。
茶々丸の手が添えられ、静かに障子戸が開かれた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

さてさて、無事に湊斗光の治療を終え、『正気を取り戻した湊斗光』との対面を果たした暗闇星人──湊斗景明の表情は、僅かばかりの苦悩や葛藤を湛えつつも、やはり安堵の度合いの大きなものであった。
ここまでくれば後は葛藤の後に訪れるであろう決断、『銀星号の罪を暴き立てず、湊斗光と静かに暮らす』という選択肢を待つだけで一山幾らのハッピーエンドの完成である。
『殺すしかない悪人を改心させ、生き残らせる』
旅のしおりに書かれていた項目も一つ埋まり、何よりさりげなく湊斗景明の妹である湊斗光を救いたそうにしていた、俺の妹ポジションにあたる美鳥の喜ぶ顔も見れ、姉さんへのとびきりの明るい土産話も出来て万々歳。
だというのに、だ。

「なんでそんな不服そうなんですか貴様等は」

「あんま恩知らずだと。ここら辺にエロ触手植物の種ばら撒くよ?」

湊斗光と湊斗景明だけが残された部屋から出てすぐ、俺と美鳥は少し離れた部屋に連れ込まれた。
目の前の二人の女性の内の一人の手によって、だ。
しかもその女性、此方の胸倉を掴み、射殺さんばかりの視線を向けてきている。

「なんで、じゃねぇ」

ギリ、と歯を食いしばる音。
此方の胸倉を掴み上げている女性、足利茶々丸は、砕けんばかりに食いしばった歯の隙間から擦れた声で疑問を発する。
とはいえ、言いたい事は分かる。何故こんなに激昂しているのかも。

「御姫が自分の事を覚えていないのが、そんなに不服かな?」

「悪ぃか」

衝撃的な出会いを経て、本来の目的から逸れ始めた今でも、足利茶々丸は湊斗光、銀星号に好意を抱いている。
その相手が自分の事を忘れているとなっては、怒るのも仕方が無いといえるだろう。

「悪くは無いな。悪くは無いが、俺に当たるのはお門違いというものだろうよ」

「っ、テメェ……そりゃ、どういう事だよ」

俺の言葉に反応し、胸倉を掴み上げる手に更に力が込められる。
そのまま生体甲冑の怪力で持ち上げられそうになったので、手を払いのけて襟を正す。
純粋な組打ちの実力なら負けるが、堀越公方の肉体の半分は俺、金神の身体から派生した金属生命体、握力を少し緩めさせる程度なら造作も無い。

「足利茶々丸の事を知っているのは、湊斗光であって湊斗光ではない」

「!」

「故に、正気に戻った湊斗光が足利茶々丸を知らない、というのは至極当たり前の結果じゃあないか」

息を呑み、こちらから視線を逸らす堀越公方。
その外見に似合わぬ剛力は萎え、しなしなと萎れた花の様にその場で脱力して崩れ落ちてしまう。
まぁ、唐突に親しい友人が記憶喪失も同然の状態になったと思えばこうなるのも仕方が無いか。
と、ここまで黙っていた三世村正が一歩前に出た。

「ちょっとまって」

片手を上げて、少し控えめな声量。
心なしか俺とも美鳥とも距離を取っているのは一昨日の甲鉄測定が後を引いているのか。
いくら目的を持って鍛えられた劒冑だとしても、恥じらいや恐怖まで残すのはやり過ぎではなかろうか。
いや、そもそも普通の鍛冶師にはそこら辺の感情量の残し具合は調節できないんだったか。

「正直言って訳が分からないわ。湊斗光は銀星号としての記憶を失っているし、二世(かかさま)との繋がりも感じられない。……貴方達は一体何をしたの?」

なるほど、確かに銀星号がどのような理屈で動いているか、という説明を受けていない状態では、唐突に湊斗光が記憶喪失になったように見えるだろう。
二世村正は仕手である湊斗光との繋がりが治療の邪魔になるので、仕手と劒冑のつながりを断つ為に、ステイシスさせた上で少しばかり未来に送らせて貰った。
まぁ二世に関する説明は適当にはぐらかすにしても、湊斗光の状態と銀星号の正体程度は説明しておくとしよう。
俺が口を開き、説明を開始しようとしたところで障子戸が開き、陰鬱な雰囲気を背負った男が部屋に入ってきた。

「自分にも説明していただけますか」

暗闇星人──長いので以下景明──だ。
今朝方見た時も少しばかりやつれていたが、今見ると更に影がさして見える。
今回の治療の結果、間違いなく彼の中で激しい葛藤があったのだろう。
常識的に考えて自動発動型の読心能力は不便なので欲しくないが、こういう時にちょろっと人の心を覗いてみたくなるのは人情というものではなかろうか。

「勿論、今では唯一残った湊斗光の血縁者ですからね。えぇ、えぇ、治療内容の説明くらいはさせて貰います」

「……」

さりげなぁく、『あたしゃぜぇんぶ知っておりますよ』アピールをしたのに、リアクションが無いのは寂しいなぁ。
とはいえ、この人に派手なリアクションとか苛烈な感情表現とか求めるのは酷か。
返事をするでもなく俯いて押し黙ってしまったのが精いっぱいのリアクションだと思う事にしよう。

「といっても、答えられる事は少ないんですけどね。しいて言うなら、『頭のイカレていた湊斗光が正気に戻った』としか説明のしようが無い訳ですよ」

「だから、どうやってそれをやったって言うの!」

「精神病の治療ってのは少しばかり手順が複雑でしてね、詳しい方法を説明する訳にはいきませんが、彼女の心を砕いた原因、鉱毒病を患っていた時の記憶、その大半を消させて頂きました」

「記憶を……?」

びくびくしながらも此方に迫ろうとして来る村正を掌で押しとどめつつの説明に、景明が何事か考え込む素振りをした。
何を考えているかは大体分かるので、説明を続ける。

「そもそも人の人格というのは、それまでの生涯で得た知識、そして記憶を元に形作られています。二年前に鉱毒病の治療を終えた直後の湊斗光は、闘病生活中の激痛に精神を蝕まれ頭の中をぐちゃぐちゃに掻き回された状態だった訳です」

「そんで、まともにモノも考えれんような状態で汚染波を操る二世と接触、ハッピーバースデー銀星号。で、あたしとお兄さんは、頭がぐちゃぐちゃになっている原因である苦痛の記憶を、鉱毒病に罹った数日後辺りまで消して、きちんと思考できる状態にした訳さ」

ここまでの証言に、俺も美鳥も一切の虚偽は無い。
湊斗光の人格が崩壊した原因は間違いなく鉱毒病であるし、銀星号が生まれたタイミングにも間違いは無い。
記憶消去による人格の再構成も完璧である。
何一つ嘘は無いのだ。何しろ今の俺達は超善良なトリッパーであるが故に。嘘など吐ける筈も無い。
そして、湊斗光が正気に戻っている事は、なによりも言葉を交わした景明達こそが自覚している、疑うべき所は無い。

「では、光は」

「ええ、『正気に戻った湊斗光は』もう銀星号には成り得ません」

震える声の景明の問いに鷹揚に頷いておく。
が、その表情は隠しきれない複雑な感情に歪んでいる。
当然だ、如何に正気での事では無かったとしても、銀星号は大量殺戮を犯している。
正気に戻ったから罪が帳消し、とはいかないのが難しい所だ。
何しろ、今現在の湊斗光の頭の中には殺人の記憶が存在しないのだ。自分の罪を自覚する事すら出来ない。
何も知らない湊斗光を、一体だれが裁く事が出来るというのか。
とはいえ、それを悩むのも決断するのも目の前の男と、この世界の法だ。俺が考える事じゃあ無い。
存分に悩んだ後で、自分なりに納得いく結論を出して貰う他無いだろう。

「……それで、かかさま、二世村正は何処にやったのよ」

今の今まで黙っていた村正が口を開いた。
ここまでの出来事は湊斗景明と湊斗光の間に関する話だったので口を挟めなかったのだろう。

「結縁したままだと色々と治療に不都合でしたからね、少しばかり隔離させて貰ってますよ」

「じゃあ、」

「二世の破壊を目的とする貴女に引き渡したいのは山々ですが、今ここに連れてくると、浅い眠りに付いた湊斗光の身体を乗っ取られる可能性があるので、今日の夜にでも引き渡しますよ。『湊斗光が熟睡した頃』に、ね」

「……なんでも知ってるのね」

片手で収まる程の数の人間しか知らない事実を容易く口にした俺に、三世村正は目を細めて警戒心剥き出し。
心地よい、実に良い視線と態度だ。
この、何故かなんでも知ってる怪しいキャラはスパロボJ世界であんまりやれなかったから、ちょっと未練があったんだよな。
本当は鉄也だの隼人だのに疑われるポジションに収まりたかったんだが、鉄也はプロじゃなくて勇者だったし、隼人はそもそもゲッター未参戦だったから諦めた訳だが。
そんなこんなで、湊斗光の治療は終了だ。
後は荷物を纏めて地下室を埋め立ててここから出て行くだけだな。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

そして、夜が降りてくる。
月に照らされた堀越御所の廊下を、鳴無卓也と鳴無美鳥が歩いている。
湊斗光の治療を終え、もはや得るべきもの無しと判断した二人は、最後の仕上げを行いこの堀越御所から脱出、帰還までの時間を適当に潰すつもりなのだ。
二人の手には土産物の紙袋と大きめの旅行鞄、背には鎧櫃にも似た巨大な箱。
強化型通信遮断装置、仕手と劒冑の金打声だけでなく、結ばれた縁すら断ちきっておく事が可能な一品。
廊下をしばし歩き、立ち止まる。
立ち止まった卓也は、目の前の女性、湊斗光──いや、湊斗光の夢と笑顔で向き合う。

「こんばんは。良い夜ですね」

「こんばんは。うむ、新たな門出に相応しい、美しい夜だ」

挨拶もそこそこに、卓也は背に負った強化型通信遮断装置を廊下に下ろし、蓋の留め金を外す。
途端、蓋を開けて飛び出す銀色の劒冑、二世村正。
定位置である湊斗光の隣に、壊れた心から生まれた湊斗光の夢に寄り添う銀色の女王蟻。
何を問うでも無い。この状態は予測は出来ずとも予想は出来たから。
だから、余計な事は言わない。

「これだけは言っておきますが、このまま天下布武の為に戦い続けた場合、貴方の命は保証できません」

真剣さはない。
牛乳は身体に良い、そんな辺り前の事を説明するような口調。

「命の保証された戦いなど、在りはせぬ」

笑み、当たり前の様に、辺り前の答えが返される。

「そうですね」

「うむ」

無言。
これ以上話す事は無い。
天を仰ぐ湊斗光のような誰かはそのまま何時もの様に装甲ノ構を取り、何時もの様に誓約の口上を唱え、何時もの様に、天下に武の法を敷きに飛び立っていった。
その後ろ姿を数秒眺めた後、卓也と美鳥は再び歩き出した。
廊下を歩き、通りすがった女中や警備の兵とあいさつを交わし、玄関へと歩き続ける。
玄関から出、堀越御所の敷地から出てすぐ、また足を止める。
卓也と美鳥の目の前に立つのは、苦々しい表情の女性、足利茶々丸。

「結局、手前らは何がしたかったんだよ」

「分かりませんか?」

「分かってたまっか。これじゃ、お兄さんが、不憫過ぎる……」

俯き、唇を噛む茶々丸。握りこぶしは心なしか小刻みに震えている。
そう、卓也と美鳥は湊斗光の精神を立ち直らせはしたが、それで銀星号が消え失せる訳では無い。
銀星号は壊れた湊斗光の心が見る夢。だが、それは一夜毎に消える儚い夢ではない。
夢のメカニズムは未だ持って完全には解明されていない。例えば、長い間継続した内容の夢を見続けていたのなら、どうなるか。
……銀星号は、既に壊れた人格に残された願いの発露ではない。
湊斗光という少女の一側面、普段表には出ない別の面を現す、確固たる人格となり果てていたのである。
かつて心を壊された少女の欠片、少女が表に出してはいけないと思っている部分を司る別人格。

「一番可哀想なのは湊斗光だ。そこんとこ履き違えるなよ」

吐き捨てる様な美鳥の言葉。
結局のところこの世界、装甲悪鬼村正という大和の中の一部分を切り取ったお話の中で一番目立たず、悲惨な目に会ったのは湊斗光だ。
鉱毒病に侵され心を失い、自分の最も隠したい望みだけが独り歩きして、最終的には大量殺戮犯。
最後の最後で望みが叶ったから報われた、という話ではない。
あくまでも、それは銀星号、ムラマサ・ヒカルの願いなのだ。
銀星号は世界で一番純粋な湊斗光である。しかし、純粋でないからこその人間、不純物を織り交ぜて出来上がるのが人間なのだ。
例えば純粋な人格、思考を司る器官である脳を頭蓋から取り出して指差し、『これがあなたの本当の姿です』というのは普通に考えてありえない暴論である。
本心以外も持った、真実を呑みこみ、自らを押し殺し、娘ではなく妹であろうとした本当の湊斗光には、一切の救いが無いのだ。
初心者的救済をテーマとした今回のトリップ、卓也が最終的に救うべき対象だと彼女に中りをつけたのは至極当然の帰結だろう。
これから、湊斗景明は選択を強いられる。
起きている時の湊斗光を良しとして、銀星号を見逃すか。
眠っている時の銀星号を悪しとして、蘇った湊斗光諸共殺害するか。
湊斗景明にとって、究極的な善悪相殺。嘘の無い真の決着。
そして、湊斗光の虚偽と真実、どちらが生き残るか。
ようやく全てが対等な状態で、湊斗光と銀星号の戦いが始まる。

「用事はそれだけか?」

「……あぁ、もう手前らには何の用もねぇ。どこへなりと消えちまえ」

卓也の問い掛けに、茶々丸は悪態をつきながら不承不承頷く。
そんな茶々丸の横を会釈しながら通り過ぎる卓也と美鳥。
山道へと進む卓也と美鳥、その後ろ姿を見送り、茶々丸は自らの御所へと歩き出す。
門を潜り、屋敷に入る直前、空を振り仰ぐ。
月の昇りきった空、夜の闇を、白銀と深紅の流星が切り裂いていた。





おしまい。
―――――――――――――――――――

呪、完結。
ここまでの第一部第二部が最終回全編しっとり系だった事を考えると、バトルパートと堀越御所に入った辺りで一旦切って、最終回は治療の説明とラストシーンだけで良かったかもしれない第三十五話こと装甲悪鬼村正編最終回をお届けしました。エピローグはありません。
どこかのラノベ作法を教えてくれるサイトを斜め読みしていたら、物語は竜頭蛇尾で終わらせるべし、みたいな事を書いてあったからそれに従ってみた、訳では無いのですが、地味な終わり方ですね。
でも正直な話、普通に暗闇星人さんを絶望させて絶叫させるよりは、想像の余地を残しておいた方が興奮できるとおもうのですよ。
まぁ、毎度毎度最終回というかエピローグでは読者の方々の期待は裏切っていると思うのですが、ラストは静かに閉めるのはこのSSのお約束でもあるので。
明らかに投げっぱなしじゃねーか、とか言われると言い訳ができないんですけどねー。
ノリとしてはやや第一部に近いノリで纏まりつつ、所々に第二部のノリを入れることが出来たと思うのですが、そこんとこどうでしょう。
まぁ、第一部は読んで無いぜー、って人が多い感じなので返事は期待できないのでしょうが。

実のところ、この村正編はかなり雑な作りです。
プロットとかはやたら大雑把な骨組だけで、入りと中とオチしか決まって無いような状態での見切り発車同然。
治療説明のシーンを書いたり消したりしてる内に半月以上経過しちゃっているわで、反省点の多いお話になってしまいました。
正直、最初のバトルパートとかは二日程度で書き上がったんですけどねー、なかなかうまくいかないもんです。

自問自答コーナーは、あってもなくても同じ気がしてきたので省略。
疑問質問突込等ありましたら感想板までお越しください。


☆アンケート★
第二部まとめみたいな、主人公達の行動で運命を捻じ曲げられた人たちのその後とか、簡易な設定集とか、読みたいと思います?
正直、どいつがどうなってるかとか、ご想像の通りだと思うので、間違いなく蛇足になると思うのですが。
そこら辺可能な限りご意見下さい。


それでは、誤字脱字の指摘、文章構造の改善案、設定の矛盾に対する突っ込み、一行の文字数などのアドバイス全般、そして、短くても長くても一言でもモールスでもいいので、作品を読んでみての感想などなど、心よりお待ちしております。









次回予告

「うー、ラノベラノベ」

今ラノベを求めて古本屋へ人並な速度で走る俺は農業を営むごく一般的な成人男性。
強いて違う所を上げるとすれば、ガチシスコンで姉以外にはあまり興味が湧かないってことカナー。
名前は鳴無卓也。
そんなわけで隣町で新しく発見した古めかしい造りの古本屋にやって来たのだ。
店内でラノベを確保し怪しげな奇書を物色し、ふと顔を上げると、何時の間にか目の前に、おっぱいが今にも溢れだしそうなスーツとスラックスに身を包んだ、黒髪と白い肌が眩しい、

「何かお探しものでも?」

《燦然と炎える三つ目》の女性が俺の顔を覗き込んでいた。

「ウホッ! いい混沌」




次回、原作知識持ちチート主人公で多重クロスなトリップを、第四部序章。

『(無限螺旋、)やらないか』

引き継ぎあり、超やりこみ式ループ世界編開幕!
おたのしみに。



[14434] 第三十六話「古本屋の邪神と長旅の始まり」
Name: ここち◆92520f4f ID:190f86b3
Date: 2010/11/18 05:27
強化ECSを展開、周囲の大気を操り俺の身体が発する音を消し、慎重に奇怪なフォルムの建造物の間を縫う様に移動する。
地に足は着いていない。周囲の大気を誤魔化せても、地面から伝わる振動で察知される可能性が高いからだ。
無論、今更普通の振動センサーや達人級の使い手に察知されるような雑な足運びをする訳も無いのだが、それでも消しきれない、通常では察知しきれないレベルの振動は残ってしまう。
そして、今の相手は間違いなくその振動をしっかりと察知しきれてしまう強敵。
石版からメモリースティック、あるいは人類ではそれが記録媒体だと理解する事すら出来ない様な奇怪な形式の図書、果てはUMDまで納められた本棚の影に潜み、脳内にマップを思い浮かべる。

(堂々としたものだ)

スパロボ式俯瞰マップ。
これは通常、物理法則いや、世界法則にしたがっている程度の相手にしか通用しない。
全く異なる法則を持った世界を十や二十程度体験した相手であれば、あっさりとこのマップから抜ける手だてを思いついてしまうだろう。
が、敵は真正直にこのマップに映り続けている。
時折ふらりふらりと気まぐれに移動を繰り返してはいるものの、標的がマップから姿を消す事は無い。
打てるものなら打ってみろ、当てられるものなら当ててみろという余裕があるのだろう。
確かにこの戦いの主旨はそれだ。
俺の攻撃を届かせる事が出来るか、今現在の俺の最大級の攻撃を撃ち込み、その実際の威力を確かめる。
その為、基本的に敵は此方の攻撃を回避しないし防御もしない。
その上、敵は戦闘形体ですらない。サンレッドで言えばTシャツ装備であり、バトルスーツの着用すら行っていない。
対する俺は強化型ブラスターテッカマン形体、強化型次元連結システム起動済み、金神の力も全開放、クロックアップ済み。並の主人公補正持ちやラスボス補正持ちならば力技で潰し切れる超本気モード。
が、しかし。この状態ですら俺はあの敵にダメージを与える自信が無い。それだけの覆し難い実力の差が、俺とあの敵の間には横たわっているのだ。

御釈迦様と孫悟空、などというレベルですらない。
この思考すら読まれている、完全に予想されている可能性だってある。
当然、読心術を使う相手への防御手段として、この思考を含め、俺の脳内の思考は全て火星遺跡とガウ・ラのメインコンピュータの演算能力を駆使し複雑な暗号化が行われており、金神の持つ超能により思考防壁も形成している。
が、それらの手妻とは関係無い部分で俺の思考は読まれる可能性があるのだ。
そして、俺が繰り出すであろう攻撃を予測した上で防御する必要が無いと考えている。
力の差を考えれば仕方が無いのかもしれないが、少しばかり悔しいものがあるのも確かだ。
多くの(他人の)犠牲の元、屍を踏み越え喰らい(無許可)ながら今日まで自分を強化してきているのだ。
これでも少なからぬ矜持という物が無いとはっきり言いきるには難しいのではないかと頭の隅をよぎる程度には存在しているかもしれない。
どうにかして、少しでもいいからダメージを与えてみたい。

そこで翻って考える。俺の最大威力の攻撃とは何か。
候補その一、プラズマ火球。
基本装備であるプラズマ発生装置は、俺がバージョンアップする毎にその性能を上げている。無限熱量とまではいかないまでも、洒落抜きで太陽の中心核程度の温度のプラズマ球を連射する事が可能だ。
余り捻りの無い攻撃ではあるが、それ故に単純な威力に優れ、何より初期装備であるが故の高い信頼性がある。
候補その二、烈メイオウ攻撃。
原子を破壊し消滅させる問答無用の大量破壊攻撃。処刑用BGMがどこからか流れてきかねない超威力。本編中で防がれた事は一度も無い。
このフィールドでも異次元との連結は問題無く可能であり、全方位攻撃なのである程度接近した状態からならば確実に当てて行く事ができる。
候補その三、ブラックホール攻撃。
マイクロブラックホールによる高重力の渦と、ブラックホール蒸発によるガンマ線バーストの二段構えの攻撃。

これら三つの攻撃の内、俺は三つ目を担当する手はずになっている。
マップを確認、光を屈折させて敵の位置を視認する。やはり移動していないし何かしらの防御を行おうとしてもいない。
再びマップを確認する。
マップのほぼ中心に位置する赤いマーカーと、それから少し距離を置いて赤いマーカーを囲い込む、俺を含んだ青いマーカー、クロックアップで最大倍率まで加速し、全ての精神コマンドを発動した、完全戦闘モードの俺の集団。気力は一人残らず150。
一人残らず美鳥と完全融合し、文字通りの全力全開。
一人一人の俺が常に思考を同期する事によりこれ以上無い程の完璧な連携が可能なのだ。
……もっとも、間違いなく防御も回避もしないような敵相手には無意味な連携なのだが。

一番手、敵の固定を担当する俺が突撃、少しだけ遅れてプラズマ火球担当の数人の俺が追う。
固定担当がランダム転移を挟みながら接近し、敵の手首足首の辺りに何かを噴き付けると、噴きつけられた空間が黒ずみ、空間に固定される。
超高重力による限定的な時間停止、金神の超能を科学の力で制御する事によって初めて成功する技の一つ。部分的に時間の流れが止まり固定されている為、無理に動こうとすれば固定された部分が切断されるというオマケ付き。
ラースエイレムの様に、時間停止中でも破壊可能という訳のわからない止め方では無く、時間停止している部分は理論上破壊する事が不可能だが、その分強度は折り紙つき。
しかしこの時間停止というある意味では絶対の枷も一瞬の時間稼ぎにしかならない。経験上、この敵は時間も空間も因果律も無視しようと思えば幾らでも無視出来る。
それでも僅かばかりの時間稼ぎには成り得た。敵は少しだけ目を見開き驚きの感情を顕わにしている。
そして、その驚きの表情を薄い笑みに変え、離脱しようとしていた固定担当の俺に『時間の静止した空間を引き裂きながら』掌を伸ばす。
固定担当はその掌から逃れる事が出来ず、掌が触れた瞬間、ナノマシンの一欠けも残さず爆散、消滅した。
今の俺ではあの敵が繰り出す戯れの様な一撃にすら耐えきれない。どのような攻撃だったのかも知覚不能。
不屈と愛の中のひらめきを抜いたなら、覚醒にも似た技能を用いて精神コマンドを掛け直す前に三度攻撃したか。
……正直、そんな小難しい理屈抜きでただそれらの守りを力技で貫いた、という可能性が一番高い。
が、これも想定内だ。固定担当を爆散させた敵は、既に五人のプラズマ火球担当俺に囲まれている。
直径二メートル程の小型太陽が合計五つ、敵の身体に叩き込まれる。
自分で生み出した複数のプラズマ火球の熱の余波を受け、しかし不屈とひらめきの効果で無傷の五人の俺。その後方に控える数十のメイオウ攻撃担当俺。
しかし、後方に退避途中のプラズマ火球担当五人が一瞬で縮退し消滅した。何らかの特殊能力を使った訳では無い、おそらくは握撃の一種だろう。
ブラスターテッカマンより数倍頑丈な俺を空間ごと握り潰す程の握撃。余波でメイオウ攻撃担当が半分に減った。
残った半分の俺が時間差烈メイオウを発動する。フィールドが原子消滅の光に包まれる。
全方位攻撃なので余波が来た。ひらめきで回避、続いてきた第二波を不屈でしのぎ、精神コマンドを掛け直しながら突撃する。
突撃の最中に追い抜いたメイオウ攻撃担当は残らず息絶えている。これは本当に死因が分からない。事細かに描写しようとすればSAN値ががっつり減りそうな有様だ。
SAN値-9程度の頭の狂った天才彫刻家が作り出した前衛芸術の様な自分の死体を見て、これまでのトリップの情景が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。

燃える村を遠くに望む山中で腕を切断され覚醒、初めての殺し合い、砕かれる身体と再生する身体の立てる音、鳥肉の焼ける臭い、砲撃で吹き飛ばされ、欠損を埋める為に魔物の肉を取り込み、姉さんに抱きしめられた。

廃教会を改装したねぐら、食事の席のジョセフの仏頂面、バイト中のエロゲショップにこっそりと入店してきたマレク少年、ゴミ捨て場でPCのジャンクを漁っていたヨハン少年、布団に潜り込んでいた初期美鳥、無改造ボウライダー、赤い地球。

目を離した隙に他の二人のナノマシン入りお菓子を半分ずづ食べていたメメメ、車田飛びして頭から地面に直撃するサイサイシー、MSのジャンク、葎の仮面コレクション、美鳥バージョンアップ版(変更点:とにかく強くなった)、途中まで弟分だった統夜、報われ無さそうな薬用石鹸、お菓子をねだるメメメ、こっそりふりふりドレスを試着するフーさん、俺の攻撃で砕け散るスーパーロボット軍団、黒いボウライダーのコックピットにブレードを突き立てた統夜の少しだけ辛そうな表情。

駅弁、ラブホ、鰻の雑炊、鹿の群れ、三十三間堂チキンレース、和ゴス姉さんの太ももと尻のライン、なんか妙に強かったリョウメンスクナ、少し畏まったツインテのおさる、白くて細長い卑猥な生き物。

死体蘇生、金神との接触、何時の間にか解決してる装甲教師事件、白濁した芋臭い炭酸飲料、見様見真似天座失墜(偽)、死体回収、早朝ろくはらじお、魔改造、フーさんとの別れ、ラスボスとのガチバトル、文明堂のカステラ、蜘蛛正のおしり、治療、正気を取り戻した素の湊斗光。

最後に、少しだけ成長したラスボス臭い衣装を着こんだロン毛のメメメが笑顔でおいでおいでしている光景が浮かんだ。
何故かメメメが川の向こうに居たり、川原で子供が石を積み上げているとか、不思議な幻覚だ。深く考えない方がいいだろう。
十三階段を全力で駆け上がる死刑囚の心地。
ランダムワープを繰り返し、敵の懐に潜り込み、接触するかしないかといった距離へ。

「この距離ならバリアは張れないな!」

無論、ここまで敵はバリアどころか防御すらしていない。いわゆる強がりである。
敵の腹部──エプロンのポケットに接触した拳から肘までを構成するナノマシンを切り離し、一つ残らず重力崩壊させ、素早く位相の違う空間に逃げ込む。
物理干渉が不可能な位置から、元居たフィールドの光景を覗きこむ。
一瞬黒い渦で満たされた後、爆発。
何処の宇宙のものとも知れない本棚や書物は頑丈な物を覗き消滅し、後にはほとんど何も無い更地のみ。
敵の姿は見えない。

「やったか?」

ダメージは入らなくとも、回避行動を取らせる事ができたなら大躍進で──

「残念、それはやってないフラグよ」

背後から響く声、敵だ。
即座に振り向いた俺の目に飛び込んだのは、指打ち──デコピンの形を取る細くしなやかな指と、傷一つ無い敵──姉さんの笑顔。
次の瞬間、姉さんのデコピンにより、俺の頭は綺麗に吹き飛ばされた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「もう少し行けたんじゃない?」

「無茶言わないでよ姉さん……」

「あれが現状できる最大攻撃だと思うけどなぁ」

殆ど更地になった訓練室を出て、美鳥と分離してシャワーを浴び、昼食を採りながらの反省会。
姉さんはあと一歩で身体に届いたと言うが、そもそも姉さんの着ていたセーターやスカート、エプロンに至るまでかすり傷一つ付いていないというのが、今の俺と姉さんの実力差を如実に物語っている。
いや、全くダメージが無い訳では無い。俺には見分けが付かなかったが、腕二本を犠牲にしたマイクロブラックホール・クラスターの直撃を受けて、エプロンのポケットの糸が少し解れたらしい。
……言われてみれば、少しだけ端の方の糸が切れている気がするが、言われなければ気付かない程度のダメージだろう。しかも姉さんの本体ではなく、姉さんが着ているだけの普通の服だし。

「むー、でもお姉ちゃん、攻撃法とかもうちょっと工夫できたと思うの。最後の〆にしても、もう少し広範囲にばら撒くとか」

「そりゃ、普通にMB(マイクロブラックホール)の高重力か蒸発時の爆発でダメージが入る敵ならね。姉さん相手に単発のMB弾を撃ち込むとか、牽制にもならないし」

「分体数人丸ごとMBの材料にすればまた違ったかもしんないけど、お姉さんの防御力考えれば焼け石に水ってやつかな?」

流石に、糸が解れた程度のダメージをエプロンのボタンが一つ取れた程度のダメージにする為にそこまで力を振り絞る気にはならない。
これまでのトリップ先を散々食い物踏み台にして強くなっている筈なのだが、どうにも姉さんには指先すら引っかからないのが現状だ。
大分下を作ってきたつもりだが、上を見れば切りが無い、と。
が、そんな俺と美鳥の現実的な意見に、姉さんはサツマイモの天ぷらを摘まんだ箸先を左右にちちち、と揺らし否定する。

「二人とも、そんなネガティブな考えじゃだめよ? かけた水で砕ける焼け石だってあるわ」

「むぐ」

そんな返し方をされるとは思わなかったが、咀嚼している最中なので言い返す事ができない。
だが考えてもみて欲しい、ここで言う石は姉さんであり、水は俺の攻撃である。
力の差からそれぞれのサイズと量を考えれば、焼け石は山ほどもあるサイズのヒヒイロカネで、かけられる水の量はせいぜい子供用の象さん如雨露程度だろう。
こういう時に助け船を出すべき美鳥はにやけ顔で蕎麦を啜りながら俺と姉さんを眺めている。こっち見んな。
最近の姉さんは少し厳しい気がする。そりゃ、模擬選のラストは目標のレベルを下げてしまったけど、敵の強大さを考えればそれは仕方の無い事ではなかろうか。
姉さんは自分の火力と装甲と速度と諸々のステータスの異常さについて少しだけ考えなおすべきだと少し思う。
俺が口の中の物をつゆで流し込むのを見計らって、姉さんの追撃。

「大体、神様属性を手に入れたら作る予定だった奉仕種族とか眷属とかの話はどうなったの?」

「いや、それは──」

答え難い質問だ。目を逸らしつつ、平静を保つためにもう一口つゆを呑む。
うん美味い。美味いけど、少し物足りないな。卵と大根おろしでも入れてみるか。

「奉仕種族の材料の管理を任せた眷属候補に顔を会わせ辛いんだと思うけど、気にし過ぎじゃないかなーってあたしは愚考する次第だよ」

「ごふッ!」

現実逃避の最中に美鳥が俺の代わりに答えてしまった。
驚きで胃から逆流した麺つゆが気管に入った、咽る。

「え、その眷属候補ってあれ? 卓也ちゃんが薬盛って餌付けして飼い慣らして誑し込んで騙して使い捨てた金髪の女の子?」

「イエェェス、金髪淫乱巨乳の三大要素が盛り込まれたみんなの○ナペット。あ、一応材料管理と秘密の演算とか任されてるから捨てた訳じゃないと思う」

「ぶっ」

会話の内容の酷さに鼻から勢いよく蕎麦が一本飛び出た。少し痛い。
姉さんの言葉はともかくとして、美鳥の意見は頷けない。
金髪巨乳はともかく、淫乱だったかは確認していないし、そもそもみんなのという枕詞を付けるにはメメメの薄いエロ本に対する普及率は、同シリーズの銀髪クマパンや自爆機能付きダッチワイフに比べかなり低い。
専門で描いているマニアックな所を除けば、精々がスー○ーボ○ッボ大戦とかぐらいではなかろうか。残り三ページです。
無論これは自分で調べた訳では無く、スパロボ世界から帰ってきてすぐの頃に美鳥が調べて俺に見せてきたのだが、美鳥の調査能力から考えてもそれほど間違ったデータでもないはずだ。
咽に咽まくって復旧できずにいる俺を見て、姉さんが口元に手を当ててにやにやと嫌らしい笑みを浮かべている。

「え、あれ、もしかしてもしかして、卓也ちゃん照れてる? やっだもう女の子洗脳して肉奴隷とかトリッパー的に見たら若気の至りで済む話なのに、卓也ちゃんかわいー」

フォローしつつからかっているが、それはぶっちゃけトリッパー的に見ても黒歴史確定という事ではなかろうか。
姉さんの笑みを小憎らしいと思ったのは産まれて初めてかもしれない。
でも可愛い、可愛いのが小憎らしい愛らしいこのアンビバレンツな感情をどうしてくれよう。
しばらく咽たままでいると、美鳥が背中を擦り出してくれた。

「お兄さん、一回身体の中を全部潰して再構成すれば一瞬で復旧できるよ」

言われて気付く。戦闘時ならともかく日常の中だとやはり人間臭い失敗をしてしまう。
まぁ、それがなくなったらいよいよまともな社会生活が送れるか怪しいので、好ましいといえば好ましいのだが。
体内を再構成し、息を整える。
動揺してはいけない。俺がしたのは洗脳と餌付けまでで、あそこまで懐いたのは想定外の出来事、もちろん意図的に誑し込んだ訳では無いし、あそこまで便利に使うつもりもなかったのだから。
そもそも最初の予定ではあれ以降ナデシコの連中と接触する予定は無かったのだ。洗脳メメメの意思をはっきりと聞いたのもガウ・ラの中が初めて。
ほら、俺がハッキリと悪い事をしたのは洗脳と経歴詐称と裏切りとかつての仲間殺しと、あとは違法コピーなどの細々とした小事だけじゃないか。
それをなんだ、姉さんも美鳥も、まるで俺が18禁調教SLGの主人公張りの鬼畜エロス男の様な言い方で、曲解も甚だしい。
俺は融合捕食的な意味で女の子を食べた事は二、三度ある(死体含む)が、性的な意味で食べたのは姉さんと美鳥だけだ!

「ふふふ、卓也ちゃんが何を考えてるかなんて、お姉ちゃんには丸っとお見通しよ。あえて突っ込まないけど」

「うん、突っ込み入れると話がループするからここまでにするべきだぁね」

「俺としてもここで話題を変える事に関してはどちらかと言えば大賛成」

正直な話、メメメと材料どもは全力で放置しておきたい問題でもある。
肉体をサイトロンに適合させるのに使われたナノマシンを除いても、メメメの脳内に残留するナノマシンは俺への好意を増幅させ続けるには十分な量なのだ。
そして下手をすれば、ナノマシンが脳の構造そのものを完全に改造しているかもしれない。
そうするとどうなるか。ナノマシンに依らず、脳の一部に組み込まれた機能により、只管に俺への好印象が増幅され続け、最終的にどうなってしまうのか。
……再びあの世界にトリップした時、姉さんの言を信じるならば、あの世界では二、三年程度の時間が流れているらしい。
ヤンデレている程度ならまだ可愛い方だろう。もし仮に、思考が正常なまま好意が増幅され続けているなら、
いや、想像すると現実になるというし、この思考は無しだ。

―――――――――――――――――――

昼食を終え、三人で食器を洗い、再び居間でくつろぐ。
俺は朝の早い時間帯に仕事を終えたので時間は有り余っているし、美鳥はバイト先が臨時休業である為に暇を持て余し、姉さんはいつも通り一日中自宅警備。
三人ともてんでバラバラに好き勝手時間を潰しながら、居間のそれぞれの定位置でリラックスしていた。
暫く何をするでもなくテレビを眺めていると、カーペットの上で座布団を折り曲げ枕にして寝転び漫画を読んでいた美鳥が口を開く。

「そーいやさー、今日の訓練室は一体どこがモチーフだったん?」

「あ、それは俺も思った。図書館が舞台になる作品?」

なんかそんな作品があった気もするが、俺は話に聞いただけで読んだ事が無い。
原作知識を用いて事を有利に運んでパワーアップする以上、メインで活動する俺か美鳥が知っている作品であるべきだと思うのだが。
ああ、そういえば最近流行りの東方でも図書館がステージになる事があったか。
だがあの作品は設定に自由度があり過ぎるせいで、酷い時は自重しない黒歴史設定U-1ですらまともな戦いにならない場合があるらしいし。
かと言って変に自重した設定だと今度は取り込む旨味が無い。
……正気度や魂を削ったりしないライトファンタジー系の魔法なら、ネギを取り込んだから魔導書さえ手に入ればどうにでも習得できるし、こっそり図書館に忍び込む程度なら面白そうだが。

「んーん、一応次のトリップ先で出てくる場所だけど、実際にあそこで戦う事は無いと思うわ」

ソファにだらしなく伸びながらノートPCを弄っていた姉さんがモニタから目を離さずに応える。

「なんでそんな場所をステージに?」

今までは一応戦場になりそうな場所を舞台に片端から練習した。
が、それでも戦場になる可能性の低い場所は、これこれこういう地形よ、という説明だけで済ませていたのだ。
俺の問いに、やっとモニタから目を離した姉さんが瞼を閉じ、目元を指でほぐしながら答える。

「いっつもビル街とか採石場とか地下大空洞とか密林とか市街地だと飽きるでしょ? 卓也ちゃんも美鳥ちゃんももう地形適正は全部Sになったも同然だし、気分転換よ気分転換」

「ふーん」

そういうものだと納得しておこう。経験しておくに越した事は無いのは間違いない。
考えてみれば、物陰に息を潜めて隠れて戦うなんてシチュエーション自体希少だった訳だし、いい経験だ。

「で、結局その戦場にならない図書館はどこよ?」

「えっと確か、プレアデス星団の──」

姉さんが美鳥の問いに答えようとしたところで電話が鳴った。
こんな真昼間に掛かってくる電話と言えば保険か宗教か通販か不動産関係と相場は決まっているが、流石に無視する訳にもいかない。
姉さんはソファ、美鳥はテーブルを挟んで向かい側、ソファの対面にはテレビがある。
俺から見て姉さんの座るソファは右手側、テレビは左手側。
姉さんの座るソファから見て、電話はテレビの左側に設置されている。
ここでクエスチョン、一番早く受話器をとれる位置に座っているのは誰でしょう。
※ヒント、俺から見て左側から喧しい音が響き続けています。

「と、考えている間にも23秒が過ぎてしまった」

無論、この二十三秒の間に受話器を取る為に動こうとした者は俺含め一人も居ない。

「これで切らねぇんだから気合入ってる勧誘だよなー」

既に美鳥の中ではこの電話の主は勧誘で確定してしまっているらしい。

「卓也ちゃん、よろしく」

「うぃ、むしゅ」

ムシューは男性への敬称だったかと思ったが、細かい事なので気にしないでおく。
斜め後ろに手を伸ばし受話器を上げる。
そしてすかさず落とす。

「間違い電話という事にしておこう。この家の没交渉ぶりは皆も良く知っているだろうし」

「さすがお兄さん、凄い決断だ……。だけど、嫌いじゃないわ!」

「まぁ、これでキレる相手なら知り合いに欲しくないわね。心は猪苗代湖の如く広く持たなきゃ」

三つの心が一つになった瞬間である。
今の俺達なら間違いなく研究チーム以上戦闘チーム未満の戦闘能力を発揮できる筈だ(当社比)。
でもゲッター線の意思だけは勘弁な。

「で、プレアデス星団のどこ?」

「そうそう、一言でプレアデス星団って言っても結構広いし」

少し目の良い人間でも、肉眼で25程度の恒星が確認できるプレアデス星団。当然実際の数はそれ以上だし、その恒星の数倍の惑星が存在するのだ。
正確な場所を知りたいとは言わないが、せめてどの恒星の第何惑星か程度の情報は欲しい。
戦う予定が無いとは言うが、予定は未定が世の理。座標を覚えておけば万が一の事態にも対処しやすい。

「だいじょぶだいじょぶ、ちゃんと恒星の名前も覚えてるんだから。確か、セラ──」

と、雑談を再開して直ぐに再び電話が鳴りだした。
即切りされても再び掛け直してくる辺り、この電話の主は少々粘着質なのかもしれない。
仕方ないのできちんと応対してみる事にする。

「はい鳴無ですが」

「あ、卓也君? ウチよウチー、ひっしぶりー」

女性としてはやや低めで渋みのある声でありながら、声質に実にマッチしないどこか脳天から声を出して居る様な印象を与える明るく軽い口調。

「なんだ、チトセさんか」

独逸人ハーフの千歳・アルベルトさん。
そういえばそうだ。新聞配達のバイトと実家の農作業の手伝いと同人活動で日々を過ごしているこの人も、この時間帯に暇を持て余している内の一人だ。
姉さんの同級生で、俺と姉さんの両親が生きていた頃から家ぐるみでの付き合いがある。
この人は朝早くに新聞配達を終え、そのまま畑で農作業をし、この時間帯はまだ眠っていてもおかしくない筈なのだが、一体どういう風の吹きまわしだろうか。

「なんだって、相っ変わらずひっどいリアクションね。句刻からの頼まれごとで徹夜までしたってのに、ウチってば報われないなー悲しいなー」

「姉さんの?」

「そ。てな訳で、ウチ、いま、すっごく眠たいから、結果だけ言うから伝言の方、よろしくー、っね」

チトセさんが受話器の向こうで何らかのポーズをとった事だけは感知できた。
少なくとも『ねっ☆』ではなく『っね』である事から溝ノ口発の真っ赤なヒーローが関係していない事だけは理解できたがあえて突っ込まない。
徹夜明けの人間特有の変なハイテンションはスルーするのが一番単純かつ現実的な対処法なのだ。

「じゃあ伝言いくよー、『一晩で現実来訪型デモベ最強オリ主成長SSなんて作れる訳無いだろこのダラズがっ』って、事で、おっやすみーっ」

ガチャンと一方的に電話が切られた。
この人も相変わらずのマイペースである、電話を一度一瞬で切られた事に関しても完全にスルーだったし。

「千歳から?」

「ん、『一晩で現実来訪型デモベ最強オリ主成長SSなんて作れる訳無いだろこのダラズがっ。て、事で、おっやすみーっ』だって」

しかし、頼まれる方も頼まれる方だが、姉さんはなんで態々チトセさんにこんな無茶な頼みごとをしたのだろうか。
チトセさんは安直なエロ本だけではなく、即売会では珍しい純粋文字媒体の同人誌、つまり小説でも頑張っている職人だ。
ジャンルはオリジナルSFから二次創作まで手広く扱っており、それらはコアな層からの熱烈な支持を得ているのだとか。
プロットを練りに練って、一話作るのに数百の推敲を重ねるというその凝り性ぶりから来る話の作りこみは精妙の一言、同人ゲーのシナリオを担当したりもすれば、一時期は有名作家のゴーストライターを務めていた事があるとか無いとかいう噂すらあるほどだ。
そして姉さんがそんな彼女に出した依頼の内容を鑑みる。
最強でありながら成長可能で、クトゥルフ神話体系御馴染の精神的な部分の問題を解決でき、しかもその主人公を現実から持って来なければならない。
無茶だ。現実にそんな人間が居るとしたら、俺や姉さんや美鳥、あるいはまだ見ぬ他のトリッパーでも連れてこない事にはどうにもならない。
きっと身寄りの無い苦学生とか、まだ病院に収容されていない精神病患者とか、そこら辺をどうにか加工して主人公に仕立て上げようと四苦八苦した筈だ。
……当然、凝り性なチトセさんが一晩でそんな無茶なSSを書き上げる事が出来る訳も無く、どうにかしてプロットを纏めようとして敢え無く破たんしたのだろう。
姉さんも酷なお願いをするモノだ。後で何かしら労いの品を送らせて貰おう。

「何その馬鹿みたいなお願い。ていうか、千歳さんはなんでそんなあっさり承ったわけ?」

呆れた様な美鳥の問いに、姉さんがノートPCを閉じながら、不敵な笑みを浮かべて応える。

「これまでの掛けポーカーやら掛け桃鉄のツケを全部チャラにしてあげるって言ったら一発よ一発。さ、卓也ちゃん、美鳥ちゃん。出掛ける準備をしてね? 軽い身支度程度でいいから」

電源を落としたノートPCを小脇に抱え立ち上がる姉さん。
余りにも前後の脈絡が無いその言葉に、俺は思わず問い返した。

「出掛けるって、いったい何処に?」

「『狩り』に行こうと思うの……、一緒に来てくれる?」

久しぶりの姉さんの上目使いのお願いに、俺は無言で頷く事しか出来なかった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

『狩り(ハンティング)に行こう!』

と、改造学帽を被った真顔の美鳥が、題字の様な物が描かれたスケッチブックを胸のあたりに掲げている。
因みに現在地は隣町の路地裏、ここまで珍しく大人しくしていたと思ったらこれだよ。

「……何してんだ美鳥、また頭が可笑しくなったか?」

「美鳥ちゃんの頭は基本的に常時可笑しいと思うけど」

「二人が何を言っているか分からないけど、今あたしが虐められてんのだけは理解できる。……で、この店で狩りをするの?」

スケッチブックを鞄の中に戻し学帽を投げ捨て、何事も無かったかのように目の前の店に向き直る美鳥。
俺達は今、隣町の駅前の路地裏、少し前までは本当に古い小さなビルと安いアパートしか無かった筈の場所に突如として現れた怪しげな店の前に居る。
怪しげだ。何しろ、先日まで工事していた気配すら無かったというのに忽然と現れ、しかも建物自体にそれなりの年季が入っているのだ。
が、まぁそれ自体は別に説明できない事も無い。最近は古い家屋から外壁を持ってきて新築の素材に使い事もあるというし。この店もその類なのだろう。
窓から内装を覗き見るに、おそらくは昔ながらの古本屋だろうか、古びてはいるものの妙に迫力のある雰囲気を醸し出すハードカバーが数多く陳列されている。
なるほど、こういう品を扱うのであれば、店の外見にもそれなりにハッタリを効かせたいというのも頷ける。
しかし、しかし、だ。

「姉さん」

「なぁに?」

「ここでトレジャー(レアなエロ本)をハンティング(物色)するのは少しばかりハイリスクローリターンというか」

見つかっても70年代アイドルのグラビアとかそんな、別の意味でのトレジャーしか手に入らないような気がする。
もしかしたら設置されているかもしれない投げ売りコーナーには旬の過ぎた芸能人の出演するAV程度は置いてあるかもしれないが、そのトレジャーには欠片たりとも用は無い。

「?」

可愛らしく小首を傾げられてしまった。
しまった、ボケが通じないせいで俺にダメージが反射してきた。
美鳥が肩を慰める様に叩いて同情の視線を向けてきた。お前はいいやつだ……、一緒にトレジャー探そうな。
気を取り直して、再び姉さんにここに来た理由を問いかける。

「結局、ここで何をハンティングするのさ」

「それはぁ、次のトリップの、そ・ざ・い♪」

パチンという音(幻聴)と共に、姉さんのウインクからハート(幻覚)が放たれ、避ける間もなく心臓を射抜かれた。
とんでもない不意打ち、俺は思わず『トリップ先は決まってたのに、その原作を持っていなかったのかよ』という突っ込みを中断してしまった。

―――――――――――――――――――

怪しげな古本屋に入店し、姉さんと俺達は別行動をとる事になった。
俺達も付いて行こうとしたのだが、どうにもその獲物を手に入れるには姉さんの単独行動の方がやり易いのだとか。
姉さんと別れてから暫く店内を歩き数分の時間が過ぎた頃、美鳥が本棚の中の本を何冊か引っ張りだしながら口を開いた。

「実際問題さぁ、ここにトリップ先に相応しいような作品が置いてあると思う?」

「さて、正直な話、無いとも言い切れなくなってきた、とは思うが」

「だね」

この古本屋、怪しげなのは外装だけでは無い。
外から計測した店舗の大きさに比べて、店の内部空間が『異常に広大に』なっているのだ。
外見の印象よりもずっと中が広い、などという生易しい話ではない。この内部空間を収めきれる店ともなれば、ここら一体の雑居ビルを一纏めに撤去しなければ建設する事など不可能だろう。
常人の目では、思ったより広い程度の印象しか得られないだろうが間違いない。
何よりも、試しに放ったネズミベースの隠密強化端末から情報が送られて来ない。
ネズミ捕りに引っかかるような間抜けでも無い。知能もそれなりに強化しているし、非感染型のペイルホースで強化もしてある。
トリップ先でならともかく、元の世界ではそうそう遅れをとる様な軟な作りはしていない筈なのだが。

「お兄さん、これ」

美鳥が本棚から取り出した数冊の本を差し出してきた。
その内の一冊を手に取る。

「学研の『魔導書ネクロノミコン完全版』か」

極々一般的な装丁のハードカバー、この町の図書館にも置いてあるし、本屋でも見かけた覚えがある。
昔、ニトロの切り開いたクトゥルフ神話の新境地を目撃した後に、興味本位で探した事もある。
そして更に二冊手渡された。ページを開き、内容を流し読む。

「これは」

「ん、こっちは『ソロモンの大いなる鍵』に『ソロモンの小鍵』、両方とも出版社が学研になってるけど」

内容を確認し終えてから本を返し、頷く。
ルルイエ異本同封のネクロノミコン完全版を除き、美鳥の言った二冊は、学研から出版された事実が存在しない。
しかもこの渡された三冊は共に、大真面目に魔術に関する理論を解説している。
有り得ないのだ。俺は以前に図書館で学研版ネクロノミコンを読んだ事があるが、間違いなくこの様なマニア向けを通り越してジョークアイテムにしかならなそうな、それでいてジョークとして扱うに真に迫り過ぎている内容では無かった。
そしてなにより、この三冊の雰囲気。霊的視覚で見ればはっきりと分かる、この暗色の気配。
精霊として活動する程の格ではないが、間違いなく『本物の』魔導書。
この世界では有り得ない存在。

「『何かお探し物でも?』」

唐突に、背後から声を掛けられる。
外観を維持したまま完全戦闘形体に移行し振り向くと、そこにはメガネをかけた、背の高い美人が居た。
胸元が大きく開いた扇情的なデザインのスーツに、形の良い足を強調する細いスラックス。
顔には妖しげな笑みを浮かべ、片手には簡素な造りの冊子を開いている。

「『はは、僕の悪い癖でね。ちょっとばかし無節操に集め過ぎちゃって』」

後頭部の高い位置で髪を纏めたその女性は、台本でも読んでいるような芝居がかった口調で言葉を重ねる。
いや、これは文字通りお芝居なのだろう。
女性が手に持っている冊子の──台本の表紙には『無限螺旋──来訪者【】の旅行記』というタイトルが記されている。

「『この中から目的の本を探すのは大変だろ。協力するよ……っと失礼。挨拶がまだだったね。僕はこの店の店長で、名前は……』」

「ナイアルラトホテップ……!」

……つまり、これも強制トリップの形なのだろう。
ゼロ魔なら光る鏡、型月なら第二魔法、リリカルなら次元漂流、汎用で光に包まれてやラベンダーの香りを嗅いで、などなどなど。
ここで捕まれば、俺達は呆気なくこの人が管理している世界に飛ばされてしまう。それも姉さんの庇護も無く、神殺しも割と当たり前に行われるインフレ上等な世界に、だ。
抵抗、できるのだろうか。
姉さん程の力があれば別だろうが、俺はまだ強制トリップの前兆すら掴めず、何時の間にかトリップしているという体たらく。
しかも相手は神の一柱。俺も一応神に数えられる存在を取り込んではいるものの、あれは力だけは強いものの、優れた智慧など望むべくも無い力の塊。
神の力を応用し、こういう搦め手の相手に対抗する手段も考えてはいるモノの、まだまだ未完成でこの場で使えるようなモノでも無い。
次元連結システムで逃走は、できない。他次元との連結に失敗してしまう。何度試しても変わらない。
ここは封鎖されている。今の俺と美鳥ではどうしようもない理屈を持って。

「……いけない、いけないな。まだ僕の科白の途中だっていうのに割り込むだなんて。あんまりせっかちだと、女の子に嫌われちゃうよ?」

手元の台本を閉じ、額に白く長い指を当て、やれやれと頭を振る女性店主姿の混沌。
その妖しい美貌に笑みを湛え、ゆっくりとこちらに手を伸ばしてくる。

「まぁ、いいか。何しろ僕らはこれから、ここから、長い、とても長ぁい付き合いになるんだ」

逃げられない。いや、目の前のコレから逃れても意味が無いのだ。
先ほどまでは、どこまで歩いても確実に窓の外が確認できたのに、何時の間にか四方が何所までも続く長い通路と本棚になっており、自分達がどこから来たのかすら分からない。
マップも機能しない。当然だ。ここは既に敵の腹の中。いや、ここにはそもそも時間や空間の概念が存在するのかすら怪しい。
美鳥が此方の手をぎゅうと握っている。強く握り返した。

「向こうに着いてから、ゆっくりと」

俺と美鳥に向け伸びる手、その向こうに見える、ただただ憎らしいだけの笑みを浮かべる顔が──

「ゆっくりと、どうするつもり?」

その背後から伸びてきた手に頭部を掴まれ、ぼきごきと音を立てて、180度ほど回転した。
首を有り得ない角度に捻じ曲げられた混沌はギクリと身体を強張らせる。
あくまでも仮の姿である以上、あの姿をどう破壊されても問題無い筈の這い寄る混沌、ナイアルラトホテップが、だ。
バシッ、という、精電気が弾ける様な音が響くと、首を捻じ曲げたままのナイアルラトホテップが、どさりと身体をくず折れ倒れこむ。
同時、空間のねじれが消え去り、異常な雰囲気の古本屋は何も無い廃墟へと様変わりしていた。
薄暗い廃墟の中、ナイアルラトホテップの首を捻じ曲げた女性──姉さんは埃を払う様に手をぽんぽんと叩き、倒れこむナイアルラトホテップの身体をサッカーボールでも蹴る様に足蹴にする。
肉を叩く重い音。見降ろす姉さんの視線は物理的な作用すら及ぼしそうな絶対零度の冷たさを湛えていた。

「私の卓也ちゃんをどうにかしようなんて、身の程を知りなさい、この膨れ女が」

(胸が)膨れ女って、誰が上手い事を言えと。
しかし姉さん、ベリークール……。思わず俺のキャン玉がきゅんと引き締まる。思わずして新境地に目覚め掛けてしまう所だった
まぁ、何はともあれ、

「助かったぁ……」

美鳥ともどもその場にへたり込む。

「加齢臭がきつかったぁ……」

先ほどまではシリアスに特攻仕掛けてしまいそうだった美鳥もボケる余裕を取り戻したようだ。

「卓也ちゃん、あとついでに美鳥ちゃんも、だいじょぶだった?」

「いや、本当に危ないところだったよ。姉さんが来てくれなかったら一体どうなっていた事やら」

姉さんの差しのべてきた手を借り立ち上がり応える。
少なくとも容易に時間を巻き戻されて消滅なんて自体には成り得ないにしても、何の準備も無しに超危険世界にトリップさせられる所だったのは間違いないだろう。
単純に魔導書の力で戦う程度の魔術師になら対抗できるが、デウスマキナや向こうのそれなりに格のある神威や怪威と戦う事になれば苦戦は必至、下手に照夫様辺りに目をつけられたらリアル人生オワタの大螺旋に陥るところだ。

「ほら、美鳥ちゃんも」

「うー、腰が抜けた……」

「腰が無くても気合いで立つのよ。浮きなさい、さぁ!」

「そんな無茶な」

姉さんが美鳥に立ち上がる様に促している。姉さん割と美鳥にはスパルタなところがあるなぁ。
未だに俺の手を掴んだままの美鳥が、ぐちぐち言いながらも俺の手を支えに立ち上がり手を離し、尻に付いた土埃を掃い始めた。
そういえば、美鳥が取り出した三冊は、未だ消滅せずに美鳥の足もとに落ちたままだ。
少し屈み、地面に落ちた三冊を拾い上げる。
やはり間違いない、古本屋は消えた筈なのに、この三冊は依然として本物の魔導書として存在している。
いや、本物といってもそれなりに出来の良い写本レベルの代物なのだろうが、この世界で出版されるジョークアイテム的な魔導書ではないというか、しいて言うなら、実用本としての魔導書。
怪し過ぎる。これまで数度のトリップで、ここまでおあつらえ向きに力の方から俺の方に近づいてきた事があっただろうか。
何の代償も無く力を与える典型的な神様トリップでもあるまいに。

「卓也ちゃん、それはまだ見ちゃだめ」

試しに最初のページから少しだけ順々に読んでみようとした処で、姉さんから待ったがかかった。

「? 今さら魔導書を読んだ程度で俺のSAN値は下がらないと思うけど」

一応は俺もラダムや遺跡やアンチボディ、更には金神の取り込みで大幅な精神の拡張・強化が行われている。
常人では知った瞬間発狂する知識も、見た瞬間目を抉り出してしまう様な醜悪邪悪な邪神の姿も、俺の精神に及ぼす影響は少ない。
金神の原始的な精神を取り込む事により気付いたのだが、ラダムの知識には邪神の様な超存在の知識も断片的にではあるが含まれているし、火星の遺跡にも少なからぬ記述が存在していた。
取り込んだアンチボディの本能はナイアを見た瞬間に足を竦ませつつも抗戦の構えを取ろうとしていた。
……いや、これらの知識や反応がスパロボ世界にクトゥルフ的コズミックホラーが存在していた証明にはならない。これらの知識や反応は金神を取り込み、外宇宙からの超存在という要素を加えられた事により追加された設定なのかもしれない。
分類の出来ない断片的な知識の中から、そういう存在であると無理矢理に解釈できないでも無い物をこじつけているだけなのかもしれない。
それはともかく、金神自体どちらかと言えば魔導書に記述として記される側なのである。
魔導書に記される様な邪神が、魔導書を読んで発狂するだろうか、答えは否だ。
だが姉さんは首を横に振る。

「それがどこから出てきた物か、まさかもう忘れちゃったの?」

「あ」

そうだ。これはナイアルラトホテップが俺と美鳥を何らかの手段でトリップさせる為に作りだした小道具の一つ。

「実はそれもナイアルラトホテップの一体だ、なんて事もあり得るでしょ?」

「あー、そのまんまトゥーソードもどきである可能性もあるのか」

「あたし達だと、寝返ったりしてくれなさそうだしねー」

あれは擬態していたナイアルラトホテップも思わず答えてしまう様な眩しいものだったからこそ起こった出来事であり、何の補正も無い俺達が起こし得る奇跡ではない。
補正云々以前に、混沌すら憧れてしまうような黄金の精神を備えていないのがいけないのだろうが。

「俺達が寝返る事ならあり得るけどな」

俺達の興味が向くのは種族や主義主張や邪悪か正義かではなく、新しい力。
どっちに何が現れるか未知数であれば、どっちに所属していても裏切る十分に可能性はある。
姉さんは俺の拾い上げた三冊を取り上げ、肩から下げていた鞄の中に仕舞い込んでしまった。

「そんな訳で、これもお姉ちゃんが預かっておくね」

「これ『も』?」

他に何か持っているのだろうか。
そういえば、ここでトリップの素材を手に入れるとかどうとか言っていたが、それ関連の本か何かだろうか。
邪神の持ち物に入る書物なんて、どんな作品であれ碌でも無い世界な気もするが……。
いや、あのデザインのナイアルラトホテップの持ち物ってことは作中作とかに分類されるのだろうか。
少しだけ廃墟と化した店内を見回す。何か拾っておいて特になる様なものは残っていないものだろうか。記述の断片とかでも構わないのだが。

「あれ、お姉さんも何かここで──」

俺と同じ疑問を感じたのか、俺が口にしなかった疑問を言いかけ、美鳥が硬直する。
何事かと思い振り返り、美鳥の視線を追うと──

「な、な」

「なんかはみ出てるじゃないかーっ!」

先ほど三冊の魔導書をしまい込んだ姉さんの鞄から、スラックスに包まれた形の良い足が、ずるりとはみ出ていた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

結局、鞄から脚をはみ出させたままでは電車に乗れないという理由で、帰りの道のりは空間転位での移動となった。
隣町の廃墟の中から家の玄関まで直接移動し、靴を脱いで一旦それぞれの自室に戻り、再び居間に集合する事に。
部屋着に着替える為に自室に戻る途中の俺と美鳥に、姉さんが声を掛けた。

『これからトリップするから、二人ともぱぱっと準備済ませちゃってね?』

表情こそ春の日差しを連想させる眩い笑顔だったが、肩から提げたバックからは相変わらずだらしなく痙攣し続ける脚が覗いていた。シュールだ。
部屋に戻り、すっかり見慣れた旅行鞄にお気に入りの着替えなどを詰め込み、部屋中の娯楽作品を身体に一旦取り込み吐き出し、オリジナルを元の位置に戻す。
ついでに軽く部屋の掃除を済ませ、机の中に隠しておいたドーナツを食べて片付ける。
部屋を出る直前、ふと思い立ってここ最近の俺の記憶のバックアップを残しておく事にした。
今度のトリップは長丁場になりそうだし、こっちでの生活やら知り合いやらを忘れてしまうのはまず過ぎる。
脳チップ型のメモリーカードを机の上に置き、俺は慣れ親しんだ自分の部屋にしばしの別れを告げた。

―――――――――――――――――――

旅行鞄を持って居間に向かうと、既に先に用意を済ませていた美鳥と、今までのトリップで見た魔女っ娘服ではない、落ち付いた服装の姉さんが居た。
一般的に女性の方が外出の準備には手間取る物なのだというが、どうやら姉さんも美鳥も例外に分類されるらしい。

「それじゃあ、今回の説明を始めるね」

俺が到着したのを確認した姉さんは、鞄から生えた脚の足首を掴み、ずるりと引きずり出した。
中から現れたのは、やはりというかそれ以外あり得ないというか、当然の如く古本屋の女店主ナイアさんモードのナイアルラトホテップ。
白目を剥いた首は180度螺子曲がり、服は所々破れ、全身から焦げくさい臭いが漂っている。
正直な話、これが邪神の一種でなければ確実に死んでいると思いこんでしまいそうな姿。

「今回のトリップは、どちらかと言えば強制トリップに分類されるの」

「そりゃそうだ」

「思いっきり作品内のキャラクタが出てきちゃってるもんね」

姉さんの言葉に頷く俺と美鳥。
姉さんが能動的に何処かの世界に送る場合、作品世界の要素は基本的にこの世界に現れる事が出来ない。
姉さんの力でトリップする場合は、媒介となる本やゲームソフト、DVDやブルーレイなどの完成した世界の中に直接出向く形になる。
逆に強制トリップの際に送られる世界は、外から人を招き入れる為に、少なからず外の世界、つまりは今のこの世界に干渉する力を持つのだ。
先に思い浮かべた召喚のゲート、次元振、もしくは今目の前に転がされている様な、世界を渡る設定の超存在でもいい。
これらの、外から何かを招き入れようとする動きが出来るのは、不完全でパーツの足りない未完成の作品のみであるという。
それはそうだ。既にそれ自体で完成している完結作品が、外からの不確定要素を必要とする筈が無いのだから。
が、そうすると疑問がわき出てくる。
全能殺しやら常時全能攻防やらが当たり前の姉さんですら、ある程度の力ある世界の強制トリップから逃れるのにはかなりの労力を必要とするし、全ての力を出し切っても絶対に逃れる事が出来るとは言い切れない。
それが強制トリップの恐ろしいところなのだ。
だというのに何故、今回はこうも簡単にトリップの原因を仕留める事が出来たのだろうか。
俺の疑問を見透かしたように姉さんが口を開く。

「そうね。でも、今回のトリップは今までのトリップとは訳が違うわ。これは──物語の冒頭に胡散臭い神様が現れる系のトリップよ!」

「なん……だと……!」

姉さんの衝撃発言に、美鳥の顔面が一気にオサレ色に染まってしまった。
だが、そう言われてみればここまでの全ての事に納得がいく。

「なるほど、訳の分からない古本屋内の広大な空間は神様がいる真っ白な空間、ナイアさんのあの口調は俗っぽい神様のフランクな口調、三冊の魔導書は神様が何故かくれる他作品の力、それぞれのメタファーという事か……」

しかも姿形は自由自在なので老人から幼女、長身痩躯の黒い肌の男にも物理学者にも成れる。
力をくれるのも狂言回しとしての悪ふざけか、さもなければアザトース宇宙を開放する為の何かの布石と考えれば違和感も無い。

「ふふふ、卓也ちゃんも大分察しが良くなってきたじゃない。お姉ちゃんもなんだか鼻が高いわ」

「伊達にトリッパーになってからそろそろ一周年じゃあないよ」

思えば去年の今頃、姉さんの魔女見習服もどきを見たのが全ての始まりだった訳で、そう思うと感慨深いものがある。
体感時間では一周年どころの話では無い程の時間が流れてしまっているのだがそこはご愛敬。
ああ、そういえば、この世界での美鳥の一歳の誕生日が近付いてきた訳か。スケジュール的に祝えそうにないなぁ。

「まぁ、あの魔導書はやっぱり長期的に見て持ち主の正気を奪って行く機能があったんだけど、それも与える神がこれだという事を加味すれば、むしろ軽すぎる対価ね」

「もともとそういう分類のアイテムだしねー」

内容が真に迫ったものであればあるほど強力かつ持ち主を強く蝕む様にできてるしな。
いや、それでもやはり晴れない疑問が一つあった。

「でも姉さん、なんで強制トリップの始まる古本屋の場所を知っていたの?」

そう、あの時俺達は、姉さんのハンティングに行く発現を受けてわざわざ隣町にまで足を運んだのだ。
しかも迷う事無くあの古本屋に辿り着く事が出来た。
実際に強制トリップが始まる前に、そこまでの情報を手に入れる事が出来るものなのだろうか。

「それはね、僕らの世界を作らせたのが、君のお姉さんだからだよ」

と、先ほどまで目を覚ます気配すら無く倒れていたナイアルラトホテップが起きあがり、何事も無かったかのように自然に会話に割り込んできた。
なるほど、姉さんが一撃で沈める事が出来たのは、何故か何の力も無いトリッパーに良いように暴力を振るわれる神様という概念の応用。
そして、ぼこぼこにされた筈の神が何事も無くトリップの説明を再開するのもそのまま。
……それをするのが、ひげを蓄えた爺さんやらロリっ娘ではなくナイアルラトホテップだというだけで裏を勘ぐってしまうのは俺の警戒心が正常に働いている証拠だろう。
むしろここで裏を勘ぐらないのは余程の自信家、いや過信家か、さもなければ邪神信奉の気がある変人に違いない。
しかし、姉さんが作らせたとは──なるほど。

「チトセさんの言ってたあれか」

「だぁいせいかぁい。君には賞品としてネクロノミコン新訳の文庫版をあげよう」

「あ、どうも」

ナイアルラトホテップが胸の谷間から取り出した文庫本を受け取る。
文庫本に残る人肌の生暖かさが微妙な気分にさせてくれるが、美鳥が憎々しげな視線であの谷間を睨みつけているので、リアクションは控える事にした。
少し中身をパラパラと確認してみる。先の三冊に比べて内容が薄い、わざとライトな乗りにしているというか、初心者向けの参考書の様なものなのだろう。
まぁ、参考書というには少しばかり信用できるのか怪し過ぎる内容が多いのだが、初めて魔導書のオーナーになる人向けだと考えれば悪くは無いのかもしれない。
……巻末のおまけページに恋占いが乗っていたのは見なかった事にする。

「そう、千歳にわざと作品として完成させる事の出来ない、それでいてお姉ちゃん達、というか卓也ちゃんの修業に都合のいい設定の未完作品いや、未開始作品を作らせる。極々身近な知り合いから生まれ、トリップ前の導入部だけをあらかじめ教えて貰っていれば、強制トリップといえども出がかりを抑える事は十分に可能なの」

つまり今回のトリップ、強制トリップでありながら、一から十まで姉さんの『計画通り……!』という訳だ。

「しっかしあれだよね、ここまで壮絶にネタばれされて置いて、よくもまぁナイアルラトホテップさんも平静でいられるよなー」

「そこはそれ、僕らは元々──つまり、君等の言う原作でも一人残らずうたかたの夢だからね。今さら『君達は人の妄想から生まれた代物だ』なんて言われても、だからどうしたって話になっちゃうわけさ」

美鳥の呆れを含んだ声に、ナイアルラトホテップは肩を大仰に竦めて応えてみせる。
この神のノリ、何だかんだで仲良くなれそうな気もするが、それは一先ず置いておいて、姉さんに向き直る。
ここまで聞いて最初に浮かんだ疑問は全て解決したが、今度は新しい疑問が浮かび上がってきたのだ。

「姉さん、なんでわざわざそんな面倒臭い手順を踏んでまで強制トリップに拘ったの?」

そう、家にはデモンべインはアニメ版のDVDと漫画版を除き、小説とゲーム版、市販されているビジュアルファンブックまで全て揃っているのだ。わざわざ強制トリップが起こる様に仕込む必要はあまり無い。
仮に今家にあるデモベ関連グッズを全ての新品でそろえたとしても三万円にも届かない筈。
因みに、姉さんがチャラにしたチトセさんの借金は二十五万六千八百三十一円、明らかに金の問題でもない。
姉さんはいつの間にか手に持っていた教鞭の先を天に向けくるくるとまわし、悪戯っぽい表情で唇に人差し指を当て、内緒のジェスチャー。

「それは、行ってみてのお楽しみ♪」

そしてもはやテンプレと化したこのやり取り一つで、俺はあっさりと誤魔化されてしまうのであった。

―――――――――――――――――――

なんやかんやと三人で戸締りや冷蔵庫の中の賞味期限、忘れ物のチェックなどを済ませた所で、部屋の中が暗くなる。
暗視が利かない所を見るに単純に部屋を暗くした訳では無く、そういう設定のステージなのだと推測できる。
ガシャンという音、天上からスポットライトの光が降り、胸の開いたスーツにスラックスの女性を照らし出す。
スポットライトの光源の高さ、照らされた脚元の木製の床を見るに、もう既にトリップは始まっているのだろう。

「さてさて、卒爾ながらここからは僕が君達のナビゲートをさせて貰うよ。はい拍手ー」

スポットライトに照らされた女性、ナイアルラトホテップ(以下ニャルさん)の合図とともに、三人分のぺちぺちぺちと気の無い音の拍手の音が鳴り響く。
広い観客席(音の反響からの推測でしかないが)に座る俺と姉さんと美鳥に満足げにお辞儀をするニャルさん。

「紳士淑女の皆様、お待たせいたしました。それでは始めましょう。始まる事すら出来なかった物語、可能性すら与えられなかった物語。御代は観てのお帰りだよ」

おどけた口調のニャルさんが、片方の腕をステージ中央に向け伸ばす。

―――――――――――――――――――

登場人物

ヒーロー:不在
ヒロイン:不在
ともだち:不在
ライバル:不在

ナレーション:□□□□□□□□□□(友情出演)

観客:鳴無 卓也(招待客)
   鳴無 句刻(スペシャルゲスト)
   鳴無 美鳥(児童割引)

―――――――――――――――――――

ステージ全体が証明で照らされる。
が、そこには見事に全て空席のキャストの席があるだけ。
ステージ端のニャ、ナレーションが大仰な素振りでかくんとこけてみせた。

「失礼、どうやら、演者は全員ボイコットのご様子」

客席、俺達以外の場所から失笑。
再び照明が消え、舞台は暗闇に包まれる。

「でもご安心を、今日は代役の皆さんをお招きしております」

―――――――――――――――――――

登場人物

旅人:鳴無 卓也(代役)
恋人:鳴無 句刻(代役)
従者:鳴無 美鳥(代役)

ナレーション:□□□□□□□□□□(友情出演)

観客:誰も居ない(沢山居る)

―――――――――――――――――――

気が付けば、観客席では無く、照明に照らされるステージの上、出演者の席に座っている。
眩しい、照明に照らされたステージなんて高校のクラス対抗合唱大会以来だ。照明の熱で喉が渇く。
目の前の長机の上には、花束、水の入ったグラス、そして台本。
水を一口だけ口に含み、台本を開く。
内容は実にシンプルな全編アドリブの無限軌道自由形。
知識利用救済型や精神改造ハーレム型に比べれば得意種目だ。
隣の姉さんと美鳥を脇目で覗くと、誰も居ない観客席に居座るNO BODY達に笑顔で手を振っている。愛想笑い、営業スマイルと言い換えてもいい。
試しに客席に向け会釈。

『──────!!!』

客席が湧いた。
万雷の拍手と滝の様な歓声。いい演出だと感心してしまう。
しばし間を置き、客席が静寂を取り戻すと舞台暗転、俺達三人にスポットライト。

「従者には主を。恋人には恋人を。欠員には代役を。では旅人には? 旅人には何が必要?」

ナレーションにスポットライト。
大仰な素振りで叫ぶ。

「そうだ!『世界』だ! 旅をする為の『世界』が必要なのだ!」

舞台が明るく、目が焼ける程の光に包まれ、ここでは無い何処かへと切り替わる。
──それが、これまでで一番長い、気の長くなる様な時間を掛けた小旅行の始まりだった。





続く
―――――――――――――――――――

メメメは可愛いなぁ。可愛いから、もうずっと放置でいいよね?
そんな作者と主人公の心情が明らかになる第四部プロローグな第三十六話をお届けしました。

あ、でも一応主人公がメメメを迎えに行くシーンは思い付いているんです。必要なのはあくまでもメメメではなく奉仕種族の材料なんですが。
問題があるとすれば、これまで思いついたシーンをそのままに書く事に成功した試しが無いという事くらいで、ええ。
一応忘れないようにメモしておくんですが、話が進むにつれて整合性とか取ろうとして立ち消えたり、そこに至るまでに思いついた要素を足されて見る影も無い程変更されたりするのがお約束なんです。

次回からのお話に関係無いキャラの話ばかりというのもあれなので、こっそり続けている『次回トリップ先の明言は早くともその部のプロローグのあとがきから』というマイルールにのっとり、ここに宣言します。
斬魔大聖デモンべイン編、始まります。
ええ、手元にPS2が無いのでPC版ですとも。
別に触手凌辱シーンとか断片屈伏シーンとかはXXXじゃなくても書けるんだって事を証明してみせようと思います。嘘ですが。
でもここで嘘ですがといって触手シーンと3P屈伏シーンとか書いたらこの嘘が嘘という事になってしまうので、未定でお願いします。
設定資料集はうまくいけば台風が日本列島を抜けた頃に取りに行ける。小説外伝は三冊とも手元にある。
ほらほら、この機神胎動、207ページの端っこが折れて変形している。伸ばすとはみ出る変形機能!
それらを駆使しつつ、本編スルールート、原作主人公達に張り付いて行動する本編見てるだけ(場合によってはいろいろ盗む)ルートとかやって行こうと思います。
とりあえず、暫くはエンディングなんて欠片も見えない修行編と出会い編が続きますので、のんびりまったり進行で行きましょう。
因みに、真っ先に登場するのはミスカトニック大学の皆さんかもしれません。ストーリーの流れ的に考えて。
だから魔導探偵とロリ古本コンビの出番は恐ろしく遠いです。ざぁんねんでしたぁ(ねっちょりとした口調で)
西? 秘密です。でもきっとわかりあえる。ひとはわかりあえるいきものなのだから……。

もう何度繰り返したか確認するのが面倒臭い自問自答コーナー。

Q、ナイアルラトホテップの扱いが軽くね?
A、導入だけなのでご勘弁を。主人公達の世界では作品世界の存在は極端に性能が低下する設定が忘れ去られていそうだけど存在するのです。

今回は一個だけ。
色々穴だらけというか、なんじゃそりゃ見たいな設定ばかり説明していた回なので、これは突っ込まざるを得ない、みたいな部分があれば感想で。
今回は導入だからそういう事でもなければ特に書く感想とか無いでしょうし。
なにせ今回の話の流れ、
模擬戦ぼろ負け→昼食反省会→第一種接近遭遇→お持ち帰りぃ→いざトリップへ!
だけですしねぇ。薄い薄い。
まぁ、次回以降に濃くなるかどうかは未知数なんですけどね。

ではいつも通り、誤字脱字の指摘、分かり難い文章の改善案、設定の矛盾、一行の文字数などのアドバイス全般、そして、短くても長くてもナアカル語でも機械言語でも血液言語でもいいので作品を読んでみての感想、心よりお待ちしております。



[14434] 第三十七話「大混沌時代と大学生」
Name: ここち◆92520f4f ID:190f86b3
Date: 2012/12/08 21:22
がばりと上体を起こし、周囲の光景を確認する。
部屋が広い。姉さんと一緒に使用している寝室はそれなりの広さがあるが、この部屋はそれと比べても二回り以上広く作られている気がする。
部屋の内装も実家のものとは異なり、ホームドラマかホラー映画で見た事のある様な洋風のデザイン。
半開きのカーテンからは光が洩れ、夜が明けて朝日が昇った事を教えてくれている。
ベッドから降り、壁掛けのアナログ時計の針を確認。時刻は朝の五時、普段に比べて一時間ほど遅い起床時間だ。
だがそれも仕方が無い。何しろ今の俺には世話をする畑が無く、朝早起きをしてもこうして、

「くふふ……」

幸せそうな寝顔の姉さんの頬をツンツンする事に時間を費やす事しかできないのだから。
いや、費やす事しか出来ない、というのは聞こえが悪いか。
むしろ俺としてはこの眠っている姉さんのほっぺたやら鼻先やらぷにぷにした唇やらを思う存分ツンツンつついて愛でる事に関しては一切不満は無い。
最高級のシルクの様にきめ細やかな肌の感触を指先で感じ、押す、戻すの感触だけで天国への階段を駆け上りかねない多好感を俺に与えてくれる頬の弾力。
高すぎず、かといって潰れている訳でも無い絶妙な形の鼻ときたら、この鼻を見た瞬間ハイアイアイ諸島の鼻足類全てが瞬時に求愛行動を始めかねないほどだ。
……時系列的にハイアイアイ諸島は教授ミサイルで消滅している筈だが海に逃れた残党が居るかもしれない。見つけ次第核ミサイルの嵐で消し飛ばしておくべきだろう。

「……まんほー……わっふ……ぅ……すぅ」

無論、アトミッククエイクの使用を心に誓う間中ですら俺の視線は姉さんから欠片も逸れていない。
今の俺の精密動作性はスタープラチナすら遥かにしのぎ、眼球は正確に唇の動きを追尾し、視覚情報を送られた脳は微細な唇の震えの周期から唇の端から垂れる涎の成分まで記録し続けている。
早起きは三文の得というのは安すぎるというのは既に数十回以上繰り返した思考ではあるが、この動画データや涎の成分表に繰り返し目を通す事により、俺の中で不思議な物の何もかもがふつふつと煮えたぎり強い粘性を持ち時折ごぽごぽと泡立つ虹色の溶解液が──

「お兄さん」

「うひゃ」

自らの思考に没入している最中に唐突に背後から伸ばされた手に肩を叩かれ、反射的に背中から刀の様に鋭い触手を無数に生やしてしまった。
しかもそれなり以上に勢いよく。背後で空気の壁を突破する破裂音が聞こえたから間違いない。

「ぐぇ」

潰される瞬間のカエルの断末魔の様な声と、わざとらしい、しかし真に迫った人体への刺突音。若干水っぽい音がするのが特徴である。
突き刺さった触手を伝って生暖かい血潮が背中に伝わる。
慌てて触手を引っ込めると、背中にぐったりと脱力した身体が倒れこんできた。
ひっこめられた触手に引っ張られる様に背中に衝突した小さな身体は、そのまま力無くずるずるとその場に倒れこむ。
これは不味い。何が不味いって、

「お気に入りのパジャマだったのに……」

「そっち!?」

何やら驚く声が聞こえてくるが無視。
元の世界の今年初め頃、スパロボ世界から戻ってきた後の俺の誕生日に姉さんが買ってくれたプレゼントだったのに……。
ポップな絵柄の螺子や歯車が散りばめられた藍色ベースの紳士用パジャマ。こんな珍奇なデザインの大人用パジャマなんてそこらじゃ間違いなく売って無い。
しかもこれは姉さんのプレゼントで、コピーは取ってあるけど、今着ていたのは一着しか無いオリジナル。

「ああ、一体俺はどうしたら」

「このリアクション、あたしはパジャマ未満か。やべぇ、なんか今リアルに死にたくなってきた」

背後から精神的に虫の息っぽい声が聞こえてくるがそんな事は知った事じゃないのである。

―――――――――――――――――――

結局、姉さんが起きる前に美鳥に手伝わせて血のしみ抜きと開いた穴の縫合を行って事なきを得た。
血やワインなどのしみ抜き技術は例によって例の如くグレイブヤードから収集した知識で補い、見事しみ一つ残さず血の跡を除去する事に成功。
幸い背中に空いた穴は物凄い鋭さの触手で貫いたものである為損傷が少なく、切断された布の両端の繊維を解し繋ぎ直すことで簡単に修復出来た。
これも日頃の行いの良さと、日々こっそりと磨き上げてきたナノテクのおかげ。

「ほらほら見たまえ美鳥、米粒の表面に電詞都市上下巻の内容をすべて書き写してみたんだ。並の人間だと電子顕微鏡が無ければ読むどころか文字だと気付く事すら不可能な神技だぞ。お詫びのしるしにプレゼントだ」

「いやいやお兄さん、いくらあたしが簡単な女だからってそんな小道具如きで──挿絵SUGEEEEE!」

このように、街中でタイトスカートを引きずり降ろされたヒロインの挿絵によって、穴だらけになった血みどろの美鳥の機嫌を直す事など造作もありません。
因みに書き写した時点でこの米粒の時間を静止させたので、素手で触っても文字が消えたりはしない優れもの。指から油脂が付いて読めなくなるけどな。
そんなこんなで機嫌を直した美鳥と共にジャージに着替え、姉さんを起こさない様に(先ほどの騒ぎを考えれば今さらではあるが)静かに部屋を出る。
正直もう三十分だけでも姉さんの寝顔を愛でておきたかったが、もうそんな感じではなくなってしまった。
部屋を出、廊下を歩き、玄関を開ける。
そこは普段の田舎町特有の光景──ではなく、ごくごくありふれたアパートメントの階段と、空家となっている隣室の玄関。
階段をしばらく登り続け、屋上へと続く扉を開ける。
空は白み始め、雑多に建てられたやけに古臭いデザインのレンガ式のビル群を照らしている。
古臭いなどと形容してはみたものの、実の所を言えばこれらの建物のデザインは少しばかり気に入っている。
現在の、元の世界の無駄の無いデザインも機能的で悪くはないのだが、ここの建物は外壁にそれなりの装飾が施されており、なんというか、古い映画に出て来そうな風景を作り出しているのだ。
もっともこれらの町の景観、建物の作りもそれなりに意味のある形状ではあるのだが、そこら辺は住んでいる人たちからしてみれば自覚のしようも無い事ではある。
まぁ、そんな無粋な効能を置いておくにしても、異国の街並みというのは滅多な事では県外にすら出ない俺にとってみれば新鮮さをもたらしてくれる。
ブラスレ世界の未来ドイツや、スパロボ世界で時たま下船した時に見かけた様々な国の街並みもいい思い出だ。

「んーっ、いい妖気。希望の朝だな」

朝日を身体に浴び、大きく伸びをして身体をほぐす。
新しい朝の到来、喜びに胸を開き青空にメガスマッシャーならぬサイボルテッカを放ちたくなるのも当然と言える。
ラジオの声は聞こえないが、何処からともなく奇怪な鳥の声が聞こえた。
きっと馬面の鶏でも鳴いているのだろう。この街ではよくある事だ。

「怪奇指数は1700手前くらいかな?」

俺と同じく、いやむしろより本格的に柔軟体操を始めている美鳥が答える。
ここしばらくの怪奇指数の平均をやや下回る数値、異常な字祷子振動も確認できない。
外部からの怪異の侵入を抑える構造の為に、内から湧き出るモノの濃度が高くなるこの街にしてはすこぶる健康的な数字。
総合的に見て穏やかな1日だと断言できる。怪異の発生率も低くなるだろう。

「獲物とルールは?」

「飛び道具無しで槍か剣か刀、ボディは中程度のガンダムファイターレベルに抑えて、派手な音をまき散らさない様に注意しておけばいいと思うよ」

「時間が時間だしな」

人間大のグランドスラムレプリカを構え、槍を構えた美鳥と対峙する。
ゆっくりと音速を超えない程度の速度で身体を動かし、槍と刀で打ち合い、一つ一つの動作をしっかりと確認。
達人の脳を取り込む事により、劣化しない剣術拳術槍術を扱う事が出来る俺達だが、繰り返し実戦を積み、または組手で敵の思考を読む練習をする事により、それらの技術をより高いレベルに押し上げる事が出来る。
この訓練もその一環だ。暫くは取り込んだり身体から無闇に何かを生やしたりも迂闊に出来ない為、こうやって人間の身体を維持したまま行使できる戦闘術の研鑽を行っている。
実際、流派東方不敗や蘊奥爺さんの剣術は、大学の課外授業でとても役に立っているのだ。
他にも神鳴流は派手で魔術にも見える為に使用する機会は極端に少ないのだが、例えば原作のアリスンの行使した原始的な魔術の一種と偽れば、念動力共々割と目零しが利くのでそれなりに使う機会が増えてきている。

「今日は何コマ目からだっけ」

美鳥が槍を捻り、穂先が無数に分裂したかの様に見えるほどの回転を生み出す。
実際に分裂している訳では無いし、常人ならばともかく神経系だけはテッカマンやブラスレイター並みに加速している俺達からすれば、対処できない速度ではない。
身を捻り、当たる穂先のみ刀で受け流し回避。
受けた刀がそのまま絡め取られ天に弾き飛ばされた。

「午前中は、2コマ目からだからまだまだ時間の余裕がある」

刀を無くした手に袖口から取り出した小刀を構え、美鳥の首に斬りかかりながら答える。
午前中の講義は考古学の講義だが、よくよく内容を考えてみるとこれもCCDに対抗するうえでは必要な知識であると知れて面白い。

「午後の講義は、あぁ、そういえば戻ってきてたんだっけ」

槍の柄で小刀を防ぐ美鳥。小刀を受けた柄は削れもしない。
割と強度がある。螻蛄首はやたらしなる癖に、石突き側の柄はやたらと頑丈だ。
そのまま尖った石突きを顔面目掛けて滑らせてきた。

「戻ってくるのは半年ぶりらしいぞ。こんだけ長期の学術調査は久しぶりらしいけど」

「忙しい人だよねぇ。なんか、一年の九割くらいは学術調査とかに出てる気がする」

空いた片腕を硬化させて払いのける。
見た目も内部構造もあまり変化していないので、初歩的な魔術の一種と誤魔化せるのでこの手もあり。
槍の強度がテックランサー並みであったとしても、尖った石突きではなくその少しだけ後ろの柄を払えばダメージにはならない。

「世界有数のホラーハンターだし時間が無いのは仕方が無い。偶に講義が聴けるだけでも十分実になるだろ」

「ま、学生引き連れての長期の学術調査なんてそうそうやるもんでもなし、これから暫くは先生の講義が聴けるかな?」

「しばらくって、一か月くらいか?」

「一週間居ればましな方だと思うよ」

が、石突きの一撃を横から受けた腕が千切れ跳んだ。
何故、と疑問に思うよりも早く、槍の両端30センチ程の空間が歪んで見える事に気付く。
ディストーションフィールドを一瞬だけ爆発的な出力で展開させ、空間諸共螺子切ったのだ。

「ずりぃ」

「へへへ、ばれなきゃイカサマとは言わんのよ」

確かに、飛び道具でも無ければ派手な音を立てる訳でも無いディストーションフィールドはルールに違反している訳では無い。
実地での研修がある講義を取っている連中にも担当教授にも、俺達は少しだけ魔術を齧っただけの機械兵器大好きな武術エスパーという胡散臭い役処で通しているのでこういった攻撃もありと言えばありになる。
とはいえ、理屈で幾ら正しくとも納得できないのが人間である。

「どうする? 降参する?」

「いや、こうする」

螺子切られ、美鳥の背後に落ちた片腕に命令を送る。
最後の命令を受け取った腕が風船を割る様な音とともに破裂し、白濁したゲル状物質になり美鳥を背中から包み込む。
背後から掛かり全面まで覆ったゲル状物質は瞬時に硬化、美鳥の動きを一瞬だけ停止させた。

「そっちのがずるい!」

「いや、これは実は隠し設定で、斬り落とされた方の腕は自爆装置付きの多機能義腕だったのだ。いやーすっかりわすれていたまいったまいった」

という設定にしておけば問題無かろう。
再び残った方の腕に小刀を形成し、唯一露出している顔面目掛け突き込む。
美鳥が怪力で硬化したゲルを砕いて脱出を図るも、こちらの方が早い。
が、脳髄を抉り出す為に目を狙い付き込んだ小刀は、美鳥の目から照射された高出力のレーザーによって蒸発させられてしまった。
構わず柄を握りこんだまま顔面を殴り抜ける。
吹っ飛んだ美鳥は空中で姿勢を正し綺麗に着地。ばきばきと拘束を砕きながら眼を光らせ不敵に笑う。

「ふふふふふ、実はあたしの眼はレーザーとか出る高性能義眼だったのさ。驚いた?」

「うわぁびっくり。……ところで、実は俺は全身義体のバトルサイボーグだったって知ってたか?」

言いながら既に身体は神属性抜きの完全戦闘形体に移行している。
人間っぽいのは見た目だけ、蜂蜜酒服用者には一発で見抜かれてしまうだろう。
が、実は身体の中に刻まれた魔術文字によって生身の身体と機械の身体を入れ替えているのですとか言い訳すればどうにか通せるかもしれない。天使王的な意味で。
もっとも、その言い訳をする以上は魔術なり科学なりで構造を説明するべきなのだろうが……。

「わー、そりゃ知らなかったよー。……じゃあ、あたしのボディは怪我をする度に機械に置き換えられて、今じゃ下手な巨大ロボットよりも戦闘能力があるとかは?」

「驚きの新事実だな」

美鳥の内部構造が組みかえられた。
一人でどんなスーパーロボット軍団を相手取るつもりなのかと聞きたくなるような詰め込み具合。
当然、人間っぽいのは見た目だけとなっている。見る人が見れば一発だろう。
が、これも俺と同じ理由で無理やり押しとおす事が可能かもしれない。

「ふふふ」

「へへへ」

笑い合う。美鳥の目はマジだ。俺の視線はどうだろうか。
いや、もはや視線がどうとか意味の無い事か。
ここからは力こそが全て、破壊力こそ正義。
訴える事があるなら拳に乗せて伝えるべし。
アパートメントの屋上で、二つの超破壊力が音も無く激突した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

その後三時間程激闘が続き、互いに遠い昔のご先祖様に外なる神々の血筋が紛れ込んでおり、ピンチになると先祖がえりを起こして金神パワーが炸裂するという設定を二人同時に出す寸前に、起きてきた姉さんの手によって強制的に中断された。
俺と美鳥は部屋に連れ戻された後、正座させられた上で姉さんに説教されている。

「いい? ここでは、というより、少なくとも今の二人はきっちりと決まった設定があるの。多分先生方の内の何人かは既に二人の内部構造も把握しているから、そんな隠し設定は追加しちゃだめ。少なくとも人目がある時は人間らしい身体を維持したままで居るのよ?」

つまり、あくまでも構造と素材は人間の範疇を大きく超える事ができないということになる。
これまで手に入れた不思議生物の中で最も人間に構造が近く、見破られても問題無い生き物と言えば、やはり最初に頭に浮かぶのはガンダムファイターだろう。
遠い未来、人間という種族単位での遺伝子組み換えや、医療や軍事を中心に広く普及したナノマシンによる突然変異、あるいは宇宙へ進出したことによるニュータイプにも似た自然発生的な進化の果て、種族的に強くなったとかそんな隠し設定があると噂のガンダムファイター。
公式設定かどうかは知らないが、ぱっと見の特徴は人間から外れておらず、遺伝子的にも人と猿ほど離れていないし、しかも生身でそこら辺のパワードスーツ装着済みのヒーロー張りに強い。
強いのだが、この世界でどこまで通用するかは不明である。

「それだとせいぜいキックで高層ビル切断とかしかできないんだけど」

「水の上の木の葉に立つとか、布で20メートル級のMSを破壊するのがやっとだよねぇ」

実際、DG細胞による強化を行わない通常物理攻撃でも〈深きものども(ディープワンズ)〉程度なら楽に撃ち抜けるが、時たま現れる魔導書持ち相手では苦戦こそしないものの少しだけつっかえてしまう。
そういった連中には通常の物理攻撃が通り難く、何かしらの技を併用しなければ一撃で仕留める事が難しいのだ。
魔術的に肉体を強化、あるいは改造している連中の強さはかなりのものであり、魔術的な結界も精神コマンド抜きで貫くのは難易度が高い。
此方も魔術的な攻撃で対抗するのが一番手っ取り早いのだろうが、そこら辺の技術は絶賛勉強中なので下手に運用する事ができない。
これまでの自主的な現地調査、あるいは野外での実践講義などでは運良く、あるいは運悪く遭遇しなかったが、それら人間以外の魔術師がもし、もしも鬼械神などを呼び出せるだけの位階に上り詰めた魔術師であったなら致命的である。
それこそ監督役で教授が一緒に居てくれる実践講義であればどうにかなるが、もしも俺と美鳥だけで行く、講義以外の時はどうすればいいのか。
生憎と、俺の魂の籠らない形だけの石破天驚拳で鬼械神の装甲を抜けると思うほど自惚れても居ないのだ。なんちゃって剣術の神鳴流に至っては言わずもがな。
日緋色金やオリハルコンを実際に殴りつけた事がある訳ではないが、そこまで容易い硬さでもあるまい。
いや、そもそも高密度の魔術情報の実体化した存在である鬼械神を破壊しようと思うのなら、物理攻撃よりも魔術的なクラッキングの方が現実的ではある。
破壊ロボのドリルでデモンべイン赤が破壊される場合も極々稀にあるが、あれは神智をも超える予測不能の基地外力を保持している者だけが成せる技。
更に言えば、デモンべイン赤も鬼械神の出来損ないであるデモンべインをモデルにしている為、純粋強度に関しては怪しい部分があるのも確かな話だ。
結論から言って、俺は未だ広大な情報体としての力をも合わせ持つ紛い物でない神の力以外を持って鬼械神と戦う術を持たないのである。
いや、直撃辺りを使えば物理攻撃で高密度情報自体に損傷を与えられるかもしれないが、何の保険も無しに試してみたいとは思えないのだ。
が、そんな俺達の不満そうな顔を見て、姉さんは溜息を吐きながら首を横に振る。

「二人とも、お姉ちゃんの話ちゃんと聞いてた? 人間の体裁を取るのはあくまでも人目がある所での話。今の身分が危うくなるのを避けるのが目的なんだから」

「あ、じゃあ目撃者が一人もいない状況なら、テックセットもデモナイズも機体の召喚も超許される訳だ」

「えと、目撃者を確実に消せる状況なら装甲も変神も15身合体も6段変形もして大丈夫、であってるよね?」

「そういう事。それじゃあ注意はこれまでにして、朝ごはん食べちゃおっか」

―――――――――――――――――――

朝食はいつも通りの和食だった。
実在するアメリカでも日本人向けの米や納豆、味噌醤油などを扱う店が存在するが、この街ではそういった専門店を探すまでも無く普通のスーパーで米が売られている。
続編で一度だけ使われた元ヒロイン候補の一人の立ち絵にご飯の入った茶碗とお箸を持った物が存在している事から予想はしていたが、中々に侮れない品揃えである。
流石は世界の中心とまで呼ばれる大都市、大黄金時代にして大混乱時代にして大暗黒時代との煽りは伊達では無い。

「相変わらず、ここのニュースは大味なネタばっかりねぇ……」

ソファに座った姉さんが新聞に軽く目を通し、畳んでテーブルの上に放り投げ、もう一欠片も関心が無いといったそぶりでソファに倒れこむ。
姉さんはデモベ世界も数回来た事があるので、この手の記事には辟易しているのだろう。
それでも一応毎日目を通すのは記事内容の多少のぶれに期待して、という訳でも無く、内容から原作開始時期を割り出す為であるらしい。
放り投げられた新聞──アーカムアドヴァタイザーを拾い上げ広げ、一応全ページの端から端まで数秒で目を通し、折りたたんでそのまま後ろに放り投げる。

「端から端まで全部特ダネ記事しか載って無いてのも難儀な話ではあるよね」

ブラックロッジの起こす事件、数年前から騒ぎになり始めた破壊ロボによる街への被害に、それを食い止める白い機械天使、魔術的な淀みから生まれた怪異についての細々とした注意事項。
面白いと言えば面白いのだが、もう少し落ち着いた記事を読みたいと思うのは極々当たり前の感情ではないだろうか。元の世界で取っていた地元の地方紙のほのぼのとした内容が堪らなく懐かしい。
怪奇指数の予報程度しか心を落ち着かせる記事が無いのは如何なものだろうか。

「もっとこう、地元出身の少しだけ有名なヨボヨボの作家さんのインタビューとかあればいいのになー」

放り投げた新聞を空中でキャッチし、内容を確認した美鳥がそのままクシャクシャに丸めてごみ箱に放り投げながらぼやく。
コイツはさりげなく新聞の隅っこにある読者投稿の俳句コーナーとかイラストコーナーなども愛読しているので、こういう大味なだけの新聞はお気に召さないらしい。

「あふ……。卓也ちゃん、美鳥ちゃん、今日は何時頃に帰ってこれるんだっけ?」

ソファにごろんと寝そべってしまった姉さんが、半分瞼が閉じた寝ぼけ眼でこちらを見つめながら問うてくる。
この世界に来てからは普段に増してやる事が無くなってしまった姉さんは、俺と美鳥の起床時間に合わせようと何時もよりも二時間以上早い朝八時頃には起きる様にしているらしい。
因みに昨夜の就寝時間は十一時半。一日十一時間眠って初めて全力が出せるとまで豪語する姉さんにこの時間の活動は厳しいのだろう。
これから再び寝なおし、昼を少し過ぎた辺りで漸く本格的に活動を始める筈だ。
まぁ、活動といっても特にこれといってやる事は無いので、市街地を散策して夕飯のおかずの材料を買い付けてくるとかその程度らしいが。

「午後に音速先生の講義が三コマ連続だから、六時くらいかな」

基本的に実地での学術調査にばかり目が行きがちだが、あの教授だって調査に出向けない学生の為に、または調査に連れて行けない未熟な学生の為に大人しく大学の構内で教鞭を振るう時もある。
あの人の場合ディスカッションは調査対象を目の前にした段階で行わせる為、部屋の中で大人しく講義をする時は、基礎的な魔術理論や基本的な怪異の生体についての知識をみっちりと詰め込ませる。
あくまでも学内で行われる講義は予習的なものであり、実践的な知識を手に入れようと思うなら力を付けて学術調査に付いて行くしかない。
そうする事によって、上を目指そう、怪異に対抗する術を得ようとする学生は自然と努力を重ねる事になる、という訳だ。
因みにこの人、黒板の前で魔術理論を教える時でもグラサンに上半身裸コートだ。
しかし、あの人はそもそも入学式の挨拶でもあの格好で壇上に立っているし、もう入学式から数か月ほど経過している為、服装について突っ込みを入れる人は少ない。
極々稀に痴女みたいな服装の幼女を侍らせて構内を歩いている姿を目撃されていたりもするのだが、その事に関して突っ込みを入れる事の出来る度胸の持ち主が殆ど存在しない事もあり、あまり広まってはいない。
とまれ、彼の先生に関する悪い風聞というものは、大体においてその魔術師としての優秀さ、そして奇抜なファッションセンスによりかき消される運命にあるらしい。

「音速丸先生……?」

「黄色いのは襤褸布だけだよ。コートの裾は羽根っぽいけど」

「丸くも無いねー。空飛ぶし筋肉ムキムキではあるけど」

瞼が落ちかけた眠たげな表情で小首を傾げる姉さんに俺と美鳥の突っ込みが入る。その人は多分ブラックロッジに居ると思う、頭領でなく地球皇帝としてだが。
こことは別の螺旋で敵としても味方としても飽きるほど相対したと言っていた気がするのだが、これは本格的に眠たくなっているのか、それとも本気で忘れかけているか。
いや、そもそも定着させるつもりも無いあだ名で呼んだのが悪かったのかもしれないが。
ソファの上でウトウトと船を漕ぎ出した姉さんに、ベッドから持ってきた毛布を掛け、ノートや参考書、筆記用具の入った鞄を手に取る。

「じゃ姉さん、そろそろ俺達は大学行くから、出掛ける時は戸締りを忘れないでね」

返事の代わりに、瞼が閉じ掛かった姉さんが毛布から腕を出し俺を手招きした。
招かれるままにしゃがみ込み、姉さんの声を聞き取ろうと顔を近づける。

「ん」

片腕で首を絡め取られ、唇が触れあう。
ちぅ、と、吸う様な啄ばむ様な一瞬の口づけ。

「いってらっしゃい。勉強頑張ってね♪」

「ん、いってきます」

そのまま眠ってしまった姉さんに毛布を掛け直し、美鳥を伴い部屋を出て鍵を閉める。
階段を降り、アパートから出る直前、黙々と着いてきている美鳥に言葉を掛ける。

「今の俺なら鬼械神の模造品を生身アッパーで吹き飛ばせる気がする」

イベント戦闘扱いになるのだろうけども。
全身に活力が満ち溢れている。今なら巨大化やロボを使用せずにリョウメンスクナとか一撃で粉砕できるわ……。
安い男と言う無かれ。トリップ先であるにも関わらず、毎朝の様に姉さんから行ってらっしゃいのキスを貰えるという事実が俺にもたらす幸福を正確に測れるものは存在しないのだから。

「キスでパワーアップとか安易だよね。プラーナの量に変化はないよ」

「そうか」

素気無く返されてしまった。俺達の様な身体でプラーナは存在し得るのだろうかという疑問はあるが、美鳥はこの話題に触れたくないらしいので会話を切る。
気を取り直し、人通りの多い街を歩き、街の中心にある巨大な時計塔へと足を進める。
あの時計塔は街のどこからでも見えて、しかも大学のど真ん中に建っている為に目印にするには丁度いい。
歩きながら街を見る。昼前の中途半端な時間だというのに、多くの人で賑わい活気に満ち溢れている。
が、それは今歩いている表通りに関してだけ。一度街の裏側に入り込んでしまえば、活動時間も弁えない悪党共がこの瞬間にも悪事を働いているのだ。
それなりの大きさのビルが一夜にして瓦礫の山と化していた、なんてのは日常茶飯事、人死にだってそう少なくはない。避難誘導だって完璧とは言えないのだ。
ビルが砕け、人が死ぬ。この街──アーカムシティではよくある事だ。
そう、ここはアーカムシティ。
大黄金時代にして大混乱時代にして大暗黒時代の、世界有数の大都市であり、邪神の企みの中心であり、無限螺旋のメインステージであり、今回のトリップにおける俺達の活動拠点である。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

午前の講義を終え、あたしとお兄さんは一旦大学の敷地から離れ、他の学生の少ない食堂へと足を運んでいた。
普段ならお姉さんがお兄さんとあたしの分の弁当を作ってくれるのだけれど、今日はあたしとお兄さんの取っ組み合いを止めて説教するのに時間を掛けてしまったせいで、お姉さんは弁当を作るのを忘れてしまったのだ。
まぁ、毎朝毎朝お姉さんにお弁当を作ってもらう、というのは気が引けるし、金の流れを考えなくても良い以上は外食もし放題な訳で、こういう日が合ってもいいんじゃないかなとあたしは思っている。

「ラム肉うめぇ」

何より、真昼間からジンギスカン定食を頼み熱々の肉を頬張る。この幸せはお姉さんの手作りをお兄さんと一緒に食べるのとはまた違った贅沢じゃあないか。

「こらこら美鳥、羊肉ばかり食べてないで鳥肉も食べなさい。そしてその羊肉を少しよこしなさい、鳥肉つまり唐揚げを少しあげるから」

などと言いながら瞬く間に焼けた肉を数枚掻っ攫い、やたら巨大な唐揚げをごろりとこちらの受け皿に乗せていくお兄さん。
野菜を食えなんて無粋な事は言わない。野菜は普段飽きるほど食っているし、自慢ではあるけれど家の畑の野菜は栄養価も味もそこらの野菜とは比べ物にならない程優秀なので、他所の野菜は研究用に少し食べる程度に収めているのだ。
それにこの定食屋の売りは野菜などでは無く新鮮な肉と米。
いや、肉と米で言えば明らかに肉優勢であり、肉の中でも更にラム肉は群を抜いた美味さだ。
なんでもこの定食屋、ニグラス亭の店主が直々に育てている特殊な種類の食用羊であるらしいのだ。
店主が言うには『我が子……の様に育ててきた羊達を潰して店に出すのは気が引けたが、お客さんにより満足満足ぅして貰う為に決心した』らしい。
素晴らしい心がけだと思う。尊敬に値する人だ。正に神と言って差支えないと思う。
これは羊肉では無く山羊肉だ。なんて言い出す両サイドの髪の毛が白い老美食家風の男が現れたりもするが、度々現れるところからしてツンデレなんだろう。
因みに、あの美食家風の人は意図的に山羊肉を注文しており、ジンギスカン定食を注文した時に出てくる肉はちゃんとしたラム肉なので安心して欲しい。
そんなとりとめも無い事を考えつつ、お兄さんから貰った唐揚げに箸を突き刺す。
ここの唐揚げは、とにかくやたらと量が多い事でも有名なんだとか。
あたしの皿にはソフトボールサイズの唐揚げが乗せられたわけだけども、お兄さんの皿にはこのサイズの唐揚げがトーテムポールの如くうず高く積み重ねられていた。
材料の鳥(南極だか北極だかの巨大な白ペンギン)がかなりの大きさらしく、原価が馬鹿みたいに安いため、値段相応の量を盛ろうとするとこんな馬鹿げた盛り方にならざるを得ないらしい。
最も、お兄さんは出てきた唐揚げの八割をステイシス状態にした上で、物置代わりの異空間に放り込んでいる為、この場で完食する訳じゃあ無い。
極々稀に、夜中まで魔導書の内容を復習する時などに夜食として摘まむ為に保存してるのだ。
夜中に食べる、揚げたてカリカリジューシーな唐揚げ。これがまたジャンキーで堪らないのだとお兄さんは言う。パンに挟んでかぶりつくのも素敵だとも言っていた。
まったくもって同感である。健康面を考慮しなければ、これに異論を唱えられる人間はそうそう居ない。
箸に常には無い異常な重さを与える肉の塊に、がぶりと齧りつく。

「味が濃すぎね?」

これでは唐揚げというよりも竜田揚げの様な気がする。
常人がこれを全部食べたら塩分過多で血管破裂して死ぬんじゃないだろうか。

「労働者向けだから塩分多めなんだよ。大体、脂身ばっかりのペンギンをここまで見事な唐揚げに仕立てる事が出来ている時点で──」

お兄さんの言葉を遮り、ゴト、という音が響く。あたしとお兄さんの使用しているテーブルに、新たに食事の乗った盆が載せられている。
盆を持つ手はゴツイ初老の男の手、その隣には人間の少女に擬態しつつもそれなりに目が良ければ見分けがつく精霊が一人立っている。

「午後の講義は君達も取っていたと思うのだが、こんな所で食事をしていて間に合うのかね?」

「昼の時間に焼き肉なんて、少し時間に余裕を持ち過ぎているよね、ダディ」

顔を上げるとそこには、黒い肌にサングラス、上半身は素肌コートのオシャレダンディと、痴女の様な姿の大学ノートが、馴れ馴れしく合い席しようと椅子を引いている所だった。
向かいの席に座るお兄さんはさりげなく座席をずらしオシャレが座り易いようにしている。
お兄さんは基本的に、自分に物を教えてくれる相手にはそれなりに礼儀を払うのだそうな。
その割りには口調は軽いし、礼儀を払うというのも自己申告だから甚だ怪しいものだけれど。

「俺らは近道通れるから充分間に合いますよ、シュリュズベリィ先生」

そう、断りも無しに相席する事になったこの二人こそ、盲目の賢人、ラバン・シュリュズベリィ教授と、彼の著書であるセラエノ断章の精霊ハヅキその人である。

―――――――――――――――――――

シュリュズベリィの目の前で、大学での教え子でもある東洋人の二人組、鳴無兄妹の片割れである妹の美鳥がパタパタと手を横に振る。

「もうそろそろ食べ終わるし、時間的にはよゆーよゆー」

様々な意味を含むジェスチャーではあるが、今回は心配される程の事でも無い、という意味合いだったのだろう。
兄である鳴無卓也の皿に乗っかっていた唐揚げはもうあと一つを残すところであり、妹である鳴無美鳥の皿の上にはあと数切れのラム肉が残るのみ。
確かに二人とも食事自体は終わりかけている。

「でもミドリもタクヤもこの後デザートでしょ?」

魔導書の精霊であるハヅキがクスリと笑いながら指摘した。
この二人の兄妹の甘味好きはミスカトニックの一部では語り草である。
講義と講義の合間など、時間に余裕が出来ると緑茶を啜りながら饅頭を齧っていたり、昼食の時間の食堂で、片手で文庫本を開き流し読みしながらもう片方の手がフォークでミルクレープを突いていたなんてのはよくよく目撃されている。
……しかも、クレープを突きながら開いている文庫本が、少なからず力のある魔導書だというのだから、色々な意味で陰秘学科の学生から目を付けられるのは仕方の無い事だろう。
魔術に対して態勢の無い人間の前で魔導書を開くなどと憤慨する者もいるにはいるが、多少霊視能力の強い学生なら彼等が魔導書を読む際にさりげなく視線避けの魔術を行使している事に気が付く。

「ああ、最近公園に店を出しているドーナツ屋が絶品でなぁ。この街でフレンチクルーラーが食えるのはあそこだけなのだよ」

「午後の講義、二人は遅刻だってさ、ダディ」

「おいおいおい、もう講義室にはもしもの時の為の代返用の影武者と講義内容の録画機材を送り込んでんだからそういう事を言うなよモロパン」

が、咀嚼した米飯を呑みこみながら嬉しそうに露店の話をしたり、講師の前で堂々と不正を宣言する姿からは、その様な抜け目の無さは見て取る事は出来ない。
不真面目の様でいて勤勉、しかし長期の学術調査という名の特別講義には顔を出さず、カリキュラムの途中でありながら自前の魔導書を所持し、既に魔導書が無くとも初歩的な魔術行使も可能。
シュリュズベリィは、そんな不可思議な二人との初めて対面した事件へと思いを馳せた。
そう、あれは二年と少し前、ミスカトニック大学の講師としての学術調査では無く、一人の邪神狩人として世界中を飛び回っていた頃の事。
東洋のとある島国の一角で密かに活動を続けている〈深きものども〉の活動拠点に、現在行方不明とされているルルイエ異本が存在するという情報を受けた。
数日の調査の後にその拠点の所在地を発見し、準備を整え即座に襲撃を仕掛けた彼は、自分とは別の『先客』を発見する事になる。
〈深きものども〉の無残な死体が溢れ返る神殿の中、奪取したと思われるルルイエ異本らしき魔導書を祭壇の上で読み耽っていた東洋人の二人組。
それが、目の前でドーナツ談義と講義の出席欠席についての議論を同時進行している鳴無兄妹だった。

(あの時は、何処ぞの魔術結社のエージェントかと思ったモノだが)

苦笑する。
あの時点でのこの兄弟の魔術に関する知識は素人に産毛が生えかけ、程度の極々僅かな代物であり、魔術結社に所属するどころか、未だ粗悪な写本で勉強を始めたばかりだったのだ。
それをよりにもよって魔導書を奪取しにきた魔術結社のエージェントと間違える辺り、人を見る目が(眼球は無いが)狂っていたのかもしれない。
もっとも、事前に環状列石を爆破処理していた事からしてそれなりに知識がある物と思ってしまった事や、原形を留めぬ物も多い〈深きものども〉の死体の山からして、何らかの攻撃的な魔術を行使できると勘違いしてしまったのも原因である為、一概にこの勘違いを笑う事は出来ないのだが。

「シュリュズベリィ先生?」

いつの間にか食事を終えていたらしい鳴無卓也が不審そうに声を掛けてきた。どうやら少し思考に没頭していたらしい。
声の距離からして近すぎない距離から顔を覗き込んでいるのだろう。
食事の席に着いて食事もせずに黙りこみ、唐突に苦笑いを始めたなら不審がられるのも仕方が無い。

「いやすまん。少し考え事をしていたものでね」

「ふぅん。まぁ、それならそれでいいのですが」

そう言い、再び椅子に座り込む鳴無卓也。
手提げ鞄の中から紙製の小箱を取り出し、更にその中から何かを取り出すと、むしゃりむしゃりと齧りつき始めた。
……臭いから知れるそれの正体はドーナツだった。買いに行くまでも無く少量確保していたらしい。

「ともかく、今日の講義には出席した方が君達の為だ」

「それはまたどうして。出席日数は余裕で足りていると思うんですけど」

「そういう問題ではないさ。いや、そういう問題も含んでいるが、勿体ぶる必要も無いか……」

勿体ぶるではないが、口調を濁すシュリュズベリィ。

「ダディ、その喋り方はもう勿体ぶってるようなもんだと思うよ?」

いつの間にか鳴無美鳥との会話を終えたハヅキに指摘されるシュリュズベリィ。

「うむ、しかしだなレディ、これは本人に伝えて置くべきだとは思うのだが、果たしてこの二人にこれを伝えて良いものか迷う気持ちも確かにあるのだよ」

直接シュリュズベリィが、この二人の生活態度というべきか、人格面の問題というのはそれなりに目につくものがある。
二人とも普段はそれなりに目上の人間に対して礼儀も出来ているのだが、ふとした事で奇行に走りたがる節があるのだ。
バイクに魔術理論に基づいた回路を組み込むことで空を『走らせて』そのまま時計塔に激突させたり、というような程度の問題行動はこの二年の間で数えるほどしか行ってはいないが、それでも小さな事を指摘しだしたら切りが無いほどだ。
いや、そういったミスカトニック大学では研究する者の少ない魔術応用科学に手を出し、しかも入学してからたった二年でそれなり以上の成果を上げている二人だからこそ許可が出てしまったと考えるべきか。

「そんなに勿体ぶられると気になって夜も眠れないので割と鼾や寝言が煩いらしいあたしは講義に枕を持参します」

「気になって気になってモーガン君に譲る予定だった試作型魔導ライフルの暴発の危険性が上がるのは俺の心証を受けての事だと推測されます」

「そういう事を言うからこそ伝えたくなくなるのだと理解して欲しいのだがね」

額に片手を当て頭を振るシュリュズベリィ。
この二人のもっとも問題がある部分は、実際に今言った事をやるほど愚かでも無い辺りなのかもしれない。
奇行に走りながらも適度に常識も抑えているからこそ、何だかんだと問題を起こしながらもミスカトニック大学に二年も在籍し続けて居られるのだろう。
してはいけない事と、してもどうにか許される事のラインの見極めが絶妙なのだ、この二人は。
今回の事も、その見極めに期待するしかないのだろう。ここで伝え無くとも誰かが伝える事になる、どうせ偶にしか大学に顔を見せない自分がやっておくのが適当だ。
シュリュズベリィはそう自分を納得させた。

「二年前に君達が回収した『ルルイエ異本』の写本の閲覧許可が下りた。──下手に講義をサボって許可が撤回されても詰まらないだろう?」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「今更閲覧許可出されてもねぇ」

退屈そうに頬杖を突く美鳥を対面に置き、ミスカトニック秘密図書館にて、机の上に乗せた古い和装の書物を開く。一ページ目から開き、次々とページを捲り内容を確認する。
内容は、クトゥルフを初めとした海関連の邪神、あるいはその眷属に関する記述に、それらを召喚する手順に呪文が主な内容。
ムーやルルイエに関する記述も見られるが、これはそのまま読むよりも教授が既に執筆しているだろう『ルルイエ異本を基にした後期原始人の神話の型の研究』を見せて貰う方が理解しやすいだろう。

「暇ならアーミティッジ博士の所でお茶でも飲んでくればいいものを」

俺は写本から目を離す事無く美鳥に言う。
美鳥はその造形から、実際に想定している外見年齢よりも五、六歳若く見られる為、口さえ開かなければご老人受けが非常に良い。
頼み込むまでも無く、唐突に押しかけてもお茶と安いお茶菓子程度なら出してもてなしてくれるだろう。

「爺さんうたた寝してたから無理」

「ああ、もう夕方になると眠くなるくらいお爺ちゃんになっちゃってるんだなぁ」

入室する時はしゃきっとしていた気がするのだが、名うての魔術師とはいえ、やはり寄る年波には勝てない、という事か。
……そういえば、シュリュズベリィ先生もそれなりに歳いってた気がするのだが、肉体改造でも施しているのだろうか。
まぁ、学術調査の度に鬼械神召喚してるのに死ぬ気配が一切無い辺り、既に肉体的に人間止めてる可能性も無いでは無いのだろうけども。

「それ、読み返す意味あるの?」

「ある訳が無いだろう」

暇そうに脚をぶらぶらさせ始めた美鳥に即答する。
魚人どもを鏖にし、魔導書を確保した時点で既に取り込んでしまっている。内容は一字一句間違いなく記憶しているし、全く同じものを複製するのも容易い。
しかし肝心の内容に付いては重要な部分に抜けや誤植が多く、斬魔や機神で出てきた原本の様にダゴンを呼び出したり、飛翔のように鬼械神を呼び出す事も出来ない。
まともに機能する記述はノーデンスの護符やヒュプノの指輪の作成法程度、安らがぬ死者の記述からアフリートやジーンなどを再現出来るかとも思えたが、アルアジフのナイトゴーントの断片の様に容易に再現する事は難しいだろう。
重要で、よりSAN値を削る内容になるにつれて記述の正確さが失われているのだ。

「もしこれを自由に使って良い、とか言われても困るだけだな」

精々、ガルムを元にして再現しようとして失敗したハンティングホラーの劣化コピー、あれに組み込んで水上バイクならぬ水中バイクを作れるくらいか。
それにしたって水中活動ならアンチボディの要素を加えれば魔術を加えるまでも無く水中での活動は可能だし、実用性は皆無と言ってもいい。
……そも、ルルイエ異本の『日本語版』という時点で胡散臭さ爆発の代物な癖に、ここまで利用価値が無いというのはどういう事だろうか。
姉さんの見立てでは、買い取られる前の中国語版の写しの写しか何かじゃないか、という話。
無論、多少なりとも力のある魔導書である以上、有ると無いとでは段違いだというのは理解しているのだが、一度取り込んでいる以上俺と美鳥の中には魔導書の能力も含まれており、わざわざこの魔導書を持ち戦うメリットが存在しないのだ。

「ま、これのお陰でミスカトニックに入り易かった、と言ってやっても良い訳だし、実用品としての価値まで求めるのは贅沢なのかもね」

「そういう事だ。あと五分ほどで終わるからそれまで大人しくしてろよ」

「あいー」

美鳥の返事を聞きながら、意識を目の前の写本──ではなく、脚元から伸ばした蜘蛛の糸よりも細い触手に集中。
触手が周囲の本棚の全ての魔導書の前に到達、魔導書に接触すると同時、無数に分岐を開始する。
目には見えない程細い無数の触手が魔導書の中に潜り込む。
如何に細くとも完全に本を覆い尽くしてしまえば、密度の高すぎる蜘蛛の巣の様に目に見えてしまうからだ。
故に、触手が潜り込むのは魔導書の中、表紙の下からになる。
様々な材質の表紙を除き、触手は一つ一つ確実に魔導書の中身だけを取り込んでいく。
内容を取り込んだ触手は、今度は内側から魔導書の表紙を取り込み始める。
魔導書はその記述だけでなく、表紙の素材、記号、あるいは皺ひとつに至るまでに意味が隠されている偏執的な造りの物も存在するらしい。
じっくりと内容を吟味する。取り込んだ魔導書のデータと実物を比較、取り込まれる時点で内容が変質する、などという事も起きないらしい。
本棚に収納できない書物、巻物や竹簡、粘土板に宝石板、植物の葉を束ねた物も存在しているが、これは今回は諦めた方がいいだろう。アーミティッジ博士の寝室もとい、研究室に近い場所に保管されているから、触手を向けたら気取られる可能性も無いでは無い。
取りこんだ魔導書の中に鬼械神を呼べるほどの書は無いが、まだ魔導に関する知識が浅い俺には役に立つ程度には集まった。
これらの魔導書の複製をどうにかこうにか組み合わせれば、鬼械神の出来損ないまではいかないまでも、鬼械神にダメージを与える事が可能な武装程度なら造れてしまうかもしれない。
内容も実に興味深い物で満たされている。姉さんが先に眠ってしまったら徹夜で読みふけるのも悪くないか。
魔導書を覆っていた触手の材質を、全て酸素に作り替える。
唯の空気の一部と化した触手達は俺の制御を離れ、一瞬だけ図書館内部に微風を産み出して消滅した。
仮に腕利きのサイコメトラーがこの場に調査に現れたとしても、俺が何かやったとは理解する事はできないだろう。
こうして、俺はまんまと秘密図書館の一角から大量の魔導書の記述の写しを持ち出す事に成功し、証拠は何一つ残らない。

「ここの警備って、入ってからはほとんどザルを通り越して枠みたいなもんだよな」

「いやぁ、入るまでも大分ザルだと思うよ? 怪しげな邪神ハーフとか正面から入れちゃうし」

ウェイトリーのことかー! いやでも、あれって不法侵入じゃなかったっけ?
そのお陰でこうして入学二年目程度であっさりと入れてしまったのだから、礼を言うならともかく文句を言うのは筋違いなのだが。

「せめて入口の警備はもう少し厳重にすべきだろう。次元をずらして異界にするとか、どっちかって言えば侵入者達の方が得意なジャンルなんだし」

「物理的、科学的な強度はひたすら普通の木製扉のまんまだしねぇ」

現代の図書館の如くチップを張り付ける、とまでは言わないが。せめて図書館の入口の扉とかもどうにかした方が良いと思う。普通のドアだったし。
異界に隔離、とか言いつつ、ずらす先の異界は何時も同じ座標にあるから、もしかすれば次元連結システムのちょっとした応用で侵入してしまう事も可能なのかもしれない。
せめて、俺が一人前の魔術師として成長しきり、秘密図書館の魔導書を全て取り込み終えるまでは陥落してもらっては困るのだ。

「それ以外の警備方法も、やはり連中にとってはザルも同然になってしまうのだよ」

口を覆い隠す程の立派な白髭を蓄え、しかし頭部には両サイドと後方を残し毛髪の存在しない、それでもなお力強さを感じさせるスーツ姿の老人が会話に割り込んできた。
ミスカトニック秘密図書館の館長、ヘンリー・アーミティッジ博士その人であった。

―――――――――――――――――――

アーミティッジの中でのこの東洋人の学生二人は、将来有望な魔術師の卵であり、同時に要注意学生リストで常に上位に君臨する程の問題児でもあった。
二人の成績は上位に食い込む程であり、魔導書を読み解いても正気が削れる気配すら感じられない程の人間離れした精神力。それでいて、その外道の知識に対して嫌悪感を感じる事の出来るモラルを持ち合わせている。
外道の知識に溺れることない、極めて健全で、しかも実力のある魔術師になれる資質があるという事になる。
が、同時に得た知識を利用しようという点においてはそこらの犯罪組織も顔負けな程の積極性を持ち合わせてもおり、その成果は度々校舎の一部に少なくない被害をもたらしていた。
ガテン系の作業着で自分達が破壊した校舎を修復する姿も度々目撃されており、その風景に学生たちが馴染み始める程度には懲りずに実験を繰り返している。
壊れた校舎も破壊した本人たちの手によって一時間もしない内に修復されてしまうので、問題にする暇も無いのだとか。

「すいません、でもあの扉、多分少し力入れて蹴ったら粉砕できる気がして……」

「あたしも、なんだか一ラウンドじゃなく一秒で粉々に出来るような扉は不安で……」

二人の言葉を聞き、アーミティッジは溜息を吐く。

「扉には防御魔術が付与されておるし、分かり難いだけで、それ以外の警備方法も用意してある」

その程度の魔術、感知できない程この二人の霊感は悪くない筈。
いや、シュリュズベリィ博士から聞いた話では、この二人の膂力はそこらの邪神眷属を遥かにしのぐとの事だ。
鋼鉄を遥かにしのぐ強度の扉も、自分達の前ではそこらの木製扉と変わらない、とでも言いたいのだろうかこの二人は。

「そういうもんですかねぇ」

「それに、その侵入者をどうにかするのも私の仕事だ」

アーミティッジとて、そこらの木端魔術師では届かない程の位階に到達している魔術師。
しかもいざとなれば他の教授や陰秘学科の学生達も力を貸してくれる。ダンウィッチの怪もそのお陰でどうにかなったのだから。

「じーさんが守ってんなら、ここの守りも安泰だぁねぇ」

けらけらと笑いながら椅子を傾けていた鳴無妹が、そのまま椅子を引き立ち上がる。
見れば鳴無兄の方も既に魔導書を閉じ立ち上がっていた。

「もういいのかね?」

彼等兄妹が秘密図書館に入ってからまだ三十分も経っていない。
彼等が回収した写本の閲覧許可、などと言ってはいるが、その他の魔導書の閲覧を禁じられている訳でも無いのだ。

「姉さんに、六時頃に帰るって言ってしまいましたので」

「ああ、それなら仕方が無い。早く帰って安心させてあげるといい」

因みに、鳴無兄妹には更に上に一人姉がおり、鳴無兄は姉にべったりである事も一部では有名な話だ。
弁当を届けにきた鳴無姉と鳴無卓也が構内のベンチで弁当をあーんして貰っていたとか、その隣で鳴無美鳥が一人で煤けていたとか。
毎夜鳴無家から鳴無姉と鳴無卓也の苦しげなうめき声とギシギシ軋むベッドのスプリング音が聞こえるの……だとか、それが終わると鳴無美鳥の啜り泣く声が聞こえるだとか。
何処までが真実かはアーミティッジには分からなかったが、少なくともこの兄妹が姉をとても大事にしている事は理解できていた。
時刻は午後六時十分。あと二十分もここに留まっていたなら妹の方はともかく兄の方は時計塔を破壊してでも姉の元に向かうに違いない。
引き留めるのは得策では無いし、わざわざ引き留める理由も無い。

「あ、そうだ」

写本を本棚に戻し、入口から出て行かんとした鳴無兄が脚を止め、妹もそれに習う。

「俺達以外にも日本人の学生が居るって聞いたことがあるんですけど」

彼等以外の学生というと……、そうか、彼の事か。
アーミティッジは得心した。如何に同郷の出とは言え、学年も違えば当然顔を合わせる機会も少なくなってくる。
目の前の二人とは違った意味で優秀な学生だった彼は、単位をとりこぼす事も無いので下の学年の講義は受けない。
目の前の兄妹にしても、学ぶ時は基礎からしっかり学んで行く為、上の学年の講義など聴きに行く事も無い。
今度タイミングがあったら二人に彼を紹介してみるのもいいかとアーミティッジは考えた。
彼はこの二人に比べればまだ素行もまともな方だ、良い方に感化してくれるかもしれない。

「大十字九郎の事か。彼も優秀でな、今は三回生だから実習が多いが、魔術で分からないところがあればアドバイスをして貰うといい」

「え?」

「え?」

アーミティッジの言葉を聞いた二人の表情は、およそ一切の二人の知り合いが見た事も無いような、奇怪な呆け顔だった。

「え?」

兄妹どちらが発したかも分からない疑問符に、答える声は未だ無く。
ただ冒涜的なフルートの音だけが、何処かの宇宙に響いていた。





続く
―――――――――――――――――――

プロローグと一話の間で何の説明も無く二年以上時間を経過させるなんて暴挙が許されるのは、ケータイ小説かチラ裏だけ!
な感じで、何時の間にか主人公とサポAIがミスカトニック大学に入学して夢のキャンパスライフを送っている間にも姉は自宅警備に励む何時もより短めな第三十七話をお届けしました。

いや、最初は二年も飛ばすつもりは無かったんですよ、でもこれぐらい時間経過させないと話の進行速度がナメクジレベルになってしまうから……。
まぁ、後書きでうだうだ言い訳するのも見苦しいですよね。
ぶっちゃけ、この第四部は平気でン十年ン百年時間が飛ぶ可能性が多々あります。
分かり辛い所とか、ハヅキの尻描写が無い事に関する不満だとか、そこら辺はぜひ感想にでも送って頂けたなら有り難いです。

以下、自問自答ですらない謎の提示的な手記。
・アーカムにフレンチクルーラーを持ちこめる存在とは如何に。
・学術調査ではない邪神狩り活動とは如何に。
・ミスカトニック入学とは如何に。
・原作主人公の存在を二年間気にも留めなかった主人公達。
・「え?」

こんなところですかね。
いろいろ言いたい事はあるけれど、それは次のお話の中で、という事にしておきます。

それでは、誤字脱字の指摘、分かり難い文章の改善案、設定の矛盾、一行の文字数などのアドバイス全般、そして、短くても長くても記述の一部が削除されても誤訳でもいいので作品を読んでみての感想、心よりお待ちしております。







何故か無事に進級している原作主人公に疑問を抱く主人公。
『姉さん、俺達は何か、とんでも無い勘違いをしているのかもしれない』
『きっと軍産複合体かレジデントオブサンかリトルグレイの仕業ね。あ、卓也ちゃんならナノマシンのネタは解決出来ちゃうのか』
のらりくらりとしらばっくれる姉に留守番を頼み、彼はサポAIと共に都市の地下に潜る。
大都市の地下に眠るのは失われたメモリーか、できそこないのザ・ビッグか。
いや違う。
それは、未だ生まれえぬ人類の守護者にして、打たれ始めたばかりの魔を断つ剣。

次回

「神の作為に挑む者たち──魔を断つ剣は未だ有らず」

お楽しみに。



[14434] 第三十八話「鉄屑の人形と未到達の英雄」
Name: ここち◆92520f4f ID:c798043f
Date: 2011/01/23 15:38
―――――――――――――――――――
○月○日(本日晴天、怪奇指数低め)

『今日は色々あったので、体感時間で3、4年ぶりに日記をつけてみる事にした』
『しかし、以前貰った日記帳をそのまま再利用しているのだが、今改めて見るにこの日記帳の表紙、力ある魔導書の表紙では無いだろうか』
『とはいえ、魔導書で重要なのは正確な記述にあり』
『表紙も目次も奥付も精霊も言わばおまけの様なものなので気にしない方向で話を進める事にしよう』
『今日は衝撃の事実が発覚した。なんと、大十字九郎が三回生に進級しているのである』
『が、しかしである』
『魔導書閲覧でドロップアウトしない大十字九郎だと? 原作前からのスタートか!』
『などと言い出すのは少し早合点が過ぎる。まだ慌てるような時間じゃない』
『もしかしたら、魔道探偵にならずに邪神の箱庭を打ち崩す感じのシナリオかもしれないではないか』
『なにしろここは二次創作の世界、しかも創造主はあのひねくれたシナリオを描かせたら東北の同人業界では右に出る者が居ないかもしれない千歳さんだ』
『あの人なら『大学生だって、平和を守れるんだ!』とか大十字に言わせる程度の憎い演出を──』
『するだろうか。ううむ、思わず『──』までしっかり書き込んでしまう程疑わしい』
『ジャガイモ嫌いで根性性根が螺旋階段の如く曲がりに曲った捻くれ者のあの人が?』
『捻くれ者過ぎて三十路処女を守り抜き、友達以上恋人未満なんていう甘酸っぱそうな関係の相手を三十越えてまで維持し続けているあの人が?』
『そんな関係の相手まできっちり義理堅かったが為に、『恋人は魔法使い』なんて状況のあの人が?』
『声優ネタ? スパロボで『~と~の声って似てるよな』的なネタが出る度にケケケ笑いで嘲笑を送るあの人が?』
『有り得ない』
『いや、あくまでもここはあの人が作ろうとして失敗して放棄した世界だから、絶対に無いとは言えないか。猿とタイプライターとシェイクスピアのあれと同じ理屈で』
『ともかく、まだこの世界が無限螺旋最終周でないという証拠は揃っていない!』
『ので、姉さんに意見を聞いてみようと思う。』
『確か姉さんはこの世界で幾度となく強くてニューゲームするはめになったと言っていたし、似た様な状況は体験済みな筈、この疑問の解決法を知っているだろう』

追記
『帰り道ドーナツ屋に寄ったが、フレンチクルーラーは売り切れていた』
『自分で複製を作って食うのと買って食うのでは大幅に気分が違ってくるのだが、まだあそこの店員に強気に出られる程の力は持っていないので、明日の生産分に唾付けさせて貰って大人しく帰って来た』
『明日は講義に遅刻してでも昼休みの内に確保しておこう』
―――――――――――――――――――

「──という訳で、今が無限螺旋の何時頃か、分かり易い目安って無い」

「うふふ」

頬に手を当て首を傾げる姉さん。
頭にあらあらとか付けないだけましではあるが、そのリアクションでは何一つ質問の答えになっていない。
いや、姉さんの事だから、その程度のヒントは自力で見つけなさい、という事なのかもしれない。何しろ姉さん、俺のパワーアップに関してはスパルタカスの如き容赦の無さを見せてくるのだ。
どのスパルタか。勿論阿蘇山脈に鎮座するアナボリック・アカデミー形式の厳しさである。
欲しい物は自らの力で奪い取れ! これこそがトリッパーの絶対的不文律であるらしい。ジャージも能力も自らの力で手に入れてこそ。
実際、俺を即座に強化しようと思っていたのならば、姉さんのコレクションの中から適当に二三力を取り込めば良かった訳であるし、それをさせてくれなかった辺り、この法則にも意味があるのだろう。
確かに幾度かのトリップを乗り越えた時点でそれなりに戦闘経験を積む事も、補正の脅威を肌で感じ取る事も出来た。
つまり、力を手に入れるのも情報を集めるのも、その過程を自分で経験する事が重要なのである、という事。
パッケージングされた力や知識では不足なのだ。

「お兄さんも理屈は理解して実感してるし、ヒントくらいはあってもいいんじゃないかなぁ」

流石美鳥だ、何度姉さんに粉砕されても俺にフォローを入れてくれる。
これでナコト射本読みながらで無ければグンと信頼度が上がってたところなんだがなぁ。
いや、数限りないループの中ではそういう展開も無いでは無いだろうけど、だからって読み返してどうなるもんでも無いだろうに。
というか、暇があればエロ本か魔導書しか開いて無い気がするのは気のせいだろうか。

「まぁ、ヒントはともかくとして、展開次第じゃあ大十字以外に膜破られるアルアジフも出てくるんだよね」

「アルルート自体滅多に通らないだろうしな。大半は姫さんルートにしても、ほぼ置いてけぼりか」

数えられる程度しか無い展開ではあるけど、ライカさんルートだと次の周の大導師のママはライカさんなんだよな。
バランス調整の為に態とライカさんルートに誘導される大十字とかも居るんだろう。大導師を弱体化させる為に。
大導師がトラペゾ覚えてからは差が開き続けるだけになっちゃうだろうし、そういう処置も増えるのではあるまいか。

「クリアまでは絶対に負け続ける運命だもの。あ、でも憎しみが裏返ってヤンデレちゃうエセルドレーダは珍しくないの。序盤後期から中盤にかけて起こり易いイベントだから、録画機材とか用意しておくと面白いかも。終盤でからかって遊ぶのに最適ね」

「ふむ、続けて」

成るほど、流石にエロ本娘は出てこないだろうが、それ以外の再現は十分にあり得るといいう事か。
撮影機材は、うむ、ナデシコの監視カメラは精度が極上だったな。

「いやそれは気になるけど、今はヒントくれヒント」

話が脱線し過ぎた。恐るべしナコト射本、まさに外道の書と呼ぶにふさわしく、魔性の知識の集大成と言っても過言では無い。
万が一精霊化でも起こしたら危険すぎる代物である。あれ一冊からふたなりエセルドレーダ、ふたなりアルアジフ、ふたなりアナザーブラッドが生まれえる可能性を秘めているのだから。あとエンジンバイブ椅子とか。
美鳥にはあの薄い本は出しっぱなしにせず、読み終わったらしっかりと分解して塵に返すように言い含めておかなければ。

「ヒント、ヒントねぇ」

こめかみに指を当て、軽く考えるしぐさの姉さん。
しかしすぐさま何かを思いついたのか、手をパンと叩いて表情を明るくする。

「無限螺旋ってね、結局はループしてるから、一定期間の結果が常に書き変わっている様なもので、実際は一度しか起きていないの」

「伯林最終巻後の先生とヘイゼルみたいなもん?」

ヘイゼルの五行を取るか風水を取るかという選択による本人の資質と行動の変化によって、常に歴史が塗り替えられ続けている。
大十字九郎の選択、行動によって常に歴史と次の大十字九郎が変質を起こし続け、その結果歴史が少しずつ変化を繰り返す。
少し違うだろうが、まぁ似た様なものだと解釈できないでもないだろう。

「そう。でもね、この無限螺旋には最初から最後までの時間経過を体感している存在が、三つだけ存在するの。……って、これもう答えよね」

無限螺旋という物、その構造はこうだ。

①大十字九郎がブラックロッジとの闘争とか、姫さんライカさんアルさんとの恋愛やら何やらをする。
②闘争の果て、時空を超えながらの大導師との一騎討ちに敗北、過去の地球に漂着する。
③死にかけの覇道鋼造と出会い、成り変わる。
④飛ばされた先で生まれる大十字九郎は、過去に漂着した一周前の大十字九郎と同時に存在するという矛盾を解決する為に、僅かながら一周前の大十字九郎とは違う存在に変質する。
⑤変質した大十字九郎が、一周前とは違う選択を繰り返しながら①に戻る。

新たに生まれる大十字九郎は少し以前の大十字九郎とは変質している為、ブラックロッジとの戦い方から誰と恋仲になるかまで少しずつ変わり、歴史が変化する。
勿論、そこに至るまでの人生でも経験や人格に細かな違いが生まれる為、魔術師としての資質もほんの少しだけ変化する事となる。
ニャルさんはこの変質を利用して、大十字九郎を人間側代表、白の王に仕立て上げようとしている訳だ。
ここで重要なのは①~⑤の全てを経験し続けている存在。これの状態を観測する事によって、今現在が幾度目の繰り返しかを類推する事が可能となる。
真っ先に思い浮かぶのは大導師とナコト写本だろう。彼は一週に一度死に、即座に母親の腹を突き破り転生、大十字と戦い、共に過去の地球へと落ちる。
転生後も記憶は引き継がれるので、実質閉じたループの中をひたすら生き続けていると考えて良い。
が、当然ながら今の俺は善良な一般市民であるし、大導師に疑いを持たれて身を危険にさらしたくないので確認に行く事は出来ない。
大十字九郎はそも最後には覇道鋼造として確実に大導師に殺害されてしまう為ループしていないので除外。
最後に残った、今の俺でも安全に確認できるもの、それは、大十字九郎と共に過去の地球に漂着した──

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

巨大な地下トンネルを歩く。
鉄骨、コンクリート、などで建造された人工的、近代的な作りのトンネルだ。
現在地はアーカムシティ地下数百メートルの、覇道財閥の地下秘密基地の格納庫へと通じる道。
俯瞰マップでは暫くこのトンネルが続くが、行きつく先には恐ろしく広い空間が存在しているし、機体ではなくマップのコマ状態のデモンべインらしきものも見える。
適当に地下の巨大な空洞を探り当ててワープしたが、まさか一発で当たりを引くとは……。
おとめ座ならぬみずがめ座の身でありながらセンチメンタリズムな運命を感じてしまうではないか。

「ねーねーおにーさーん、やっぱり止めとこーよー」

身体をアーマー付きのライダースーツとジャケットで、顔をフルフェイスヘルメットで隠した美鳥が、ぶーぶー文句を垂れる。
文句を言いつつもしっかりと着いて来てくれている辺りはありがたいが、どうしてこうも反対されなければいけないのか。

「少し確認しに行って、ついでに新機能を手に入れに行くだけだから危険も無い。何か予定でもあったか?」

予定も何も、現在時刻は日付が変わった少し経った辺りであり、学友の類も極端に少ない俺達は尚の事予定が入っている訳も無いのだが。
もしも警備員の類が居たとしても、俺も美鳥も顔を隠しているし、地上の適当な位置に即座にワープする事ができるから脚がつく事も無い。
原作の描写を信じれば覇道財閥の地下秘密基地の警備には魔術師の類は存在せず、デモンべインの格納庫にもこのトンネルにも、何故かまともな警備システムが存在しないのだ。
正直な話、下手をしなくともスパロボ世界にトリップする前の俺でも侵入できた可能性は高い程のザル警備。美鳥に心配されるような危険は何もない筈。

「だってさぁ、ここで確認しても確認しなくてもやる事は変わんないじゃん」

「そりゃそうだけどな」

よくよく考えればこの世界は姉さんが俺を鍛える為に用意した世界。
千歳さんに注文を付ける時にある程度の修業期間を確保する為に、何回かループできそうな設定も言い含めておいたと考えれば別段ループのどの時期に降り立っていたとしてもおかしくは無い。
そもそも、どの時期に降り立つのかすら不安定な強制トリップ(作為的な物ではあるが)で、原作直前にこれたと考えるのがおかしいのである。
ある程度の魔導書を手に入れてしまっている以上、魔術の修業に関しては元の世界に帰ってからでも十分に可能であるし、正直な話、人間の魔導師に擬態した状態でなければ鬼械神の召喚も魔導書さえ手に入ってしまえばどうにでもなる筈。
この世界がループの終焉間近であってもループの初期であっても、只管に修行というか強化に明け暮れる日々である事は変わらないのだ。
まぁ、仮に変則的な最終周であったとしたら、何処かのタイミングでアルアジフなりなんなり、鬼械神を召喚できる魔導書を殺してでも奪い取る必要があるのだが……。

「お姉さんの口ぶりからして、絶対最終周じゃないだろうし、どうせよく分からない理屈であたし達もループに巻き込まれる様に出来てるだろうし」

「あの勿体ぶりからして、絶対姉さん俺の反応楽しんでたしな」

そも千歳さんに出された注文はあくまでもデモンべインの二次創作、デモンべインも大十字もアルアジフも存在しないアフター物を始める筈も無い。
あの人ならそこまでするならオリジナル物を書くに決まっている。デモベ二次と言われたからには、原作の裏や脇を通る様なストーリーを作ろうと考える。
描写されるのが無限に書き換えられる一定期間内であれば、存在しないそれ以降の時間に進む事は不可能であり、デモンべインが門の向こうに消えて暫くすれば、描写の存在するループ内に戻されると考えるのが普通だろう。
なにしろこの世界は現実来訪型の主人公を入れる筈だった世界なのだ、強化する予定の主人公には時間の余裕を持たせるに違いない。
そして一周以上余裕があるのなら、次の週の初めにインスマンスに行ってルルイエ異本の原典を掠め取ってくればいい。
人間に擬態した状態ならともかく、鬼神と金神の力を使用すれば逆十字から未契約の魔導書を強奪する程度の事は可能な筈。
この世界の創造主の作るストーリー傾向からして一桁程度のループで済むとは思わないので、そこまで焦る必要は無いが。

「だがな美鳥、万が一の事態に備えて、機械技術と魔導技術のハーフであるデモンべインを手に入れておきたい、ってのは極々自然な発想だろう」

これまでの二年と少しはこの世界の魔術に関しての習熟に力を入れていたが、曲がりなりにも自力での魔術の行使、魔導応用科学の実践が行えるだけの知識も手に入れた。
そんな今だからこそ、もう少し即物的でぱぱっと見栄えがして、何よりも憧れの巨大ロボットの一つであるデモンべインを手に入れたいと思うのは当然の発想ではないか。
デモンべインの心とかも考慮に入れるとどうなるか分からないが、機械とのハーフであればデモンペインを動かすが如く、機械的に俺の力で無理矢理に動かす事が可能。
いや、そのままの複製を作り出して使う必要すらない。機械的に作られた鬼械神の構造と、日緋色金や武装さえ手に入れてしまえば、あとは好き勝手改造した俺専用の鬼械神もどきを作ってしまえる。

「いや、お兄さんの身体的に相性がいいから、取り込むのは反対じゃないけど……」

美鳥は言葉尻を濁し、うんうんと唸り始める。
こいつは言いたい事ははっきりと言うタイプなのだが、今回は嫌に歯切れが悪い。

「なにはともあれ、姉さんの許可も貰ってるんだ。ああだこうだ言うのは、実物を目の前にしてからでも十分だろう」

「引き返した方がいいと思うなぁ。いや、勘なんだけども」

俺は未だぶつぶつ続ける美鳥を引き連れ、通路の奥へと歩みを続けた。

―――――――――――――――――――

靴音を響かせながら、冷え冷えとした薄暗がりのトンネルの中を進み続けると、前方から僅かに差し込む光が見えた。
トンネルの出口だ。俯瞰マップでも、ここから一気に広い空間になっている。
実際にマップでとてつもなく広大な空間だと分かっていても、実際に足を踏み入れるとそのスケールの大きさに驚かされた。
……こんな感じの誇張したナレーションを頭に思い浮かべながら、重たい脚を動かし先導するお兄さんの背中を追う。
そう、誇張している。確かに広いと言えば広いが、広さで言えばコンバトラーやボルテス、ゼオライマーやダンクーガが待機している状態のナデシコの格納庫も似た様な広さだった。
未だにあの不可思議な空間は忘れられない。なにせそういった巨大な機体が存在していない状態、エステバリスだけが格納されている状態の時はエステバリスに合わせた広さの格納庫だったからだ。
スパロボ世界では『そういう風に出来てる』と言われてしまえばそれで御仕舞なのだけど、何時かあの謎も解明してお兄さんに知らせてあげたいな。

「どうした、ぼっとして」

そんな事をぼんやり考えながら歩いていると、お兄さんが心配そうに、多分心配そうにあたしの顔を覗き込んで来ていた。
ヘルメットは透視で抜いているにしても、せっかくお兄さんと顔を近づけているというのにシチュエーションとしては少し奇怪過ぎる。
何故なら今のお兄さんは顔じゅうに包帯を巻き、記憶を失った都市の狂った新聞記者と同じ方法で顔を隠しているからだ。あの頭のとんがりは包帯に織り込んだ細い触手が支えているらしい。
流石にお兄さんは顔芸はしないけど、どうせ顔を突き合わせるなら素顔の時の方がお兄さんの顔を近くで見れていい気分になれただろうに。
この世界に来てからはお姉さんが何時もいるから、あたしの出番が殆ど無いのだ。たまには使ってくれないと蜘蛛の巣が張ってしまう。

「大丈夫、うん、少し考え事してただけだから」

「そか、あと少しだけど、気乗りしないなら俺の中に入っててもいいからな」

呑みこんで、あたしのバルザイの偃月刀……じゃない。
入れるよりむしろ入れて欲しい、あたしは誘い受けなんだ! でもない。
お兄さんの気遣いは嬉しいけど、ここまで来て何の収穫も無いってのは流石にシャレにならない。
魔導合金もプラモも買ってないけど、3Dモデルのデモンべインは結構好きな部類のデザインなんだ。毒を食らうなら皿までというし、せっかくだから見物していこう。

「いや、せっかくだから見てく」

「そうか、うんそうだよな、ここまで来たなら見ておきたいよな!」

何やら一言一言の間にどんどんお兄さんの興奮度が上がっている。
この興奮ぶりはブラスレイター世界で初めて十メートル級の巨大ロボであるボウライダーを見た時と似ていないでもない。
心なしか歯並びが異様に綺麗になり、口角を上げてだんだんと狂喜染みた笑顔になり始めている様な。
こんな真実を求めてやまなそうな素敵なスマイルも、嫌いじゃないわ!
そう思ってしまう程感情をむき出しにしたイイ笑顔だ。
そんなアメコミ風笑顔のまま、お兄さんは屈伸運動を始め、

「ここまで自分を勿体つける意味でも徒歩で来たけど、もう我慢ならんわ!」

跳んだ。前方、見え始めていたデモンベインらしき巨大な人型に向けた大跳躍。
着地予想地点はデモンベインの胸部コックピットの真上辺り。
……やっぱりおかしい。デモンべインは仮にも人類の切り札とも言える人造鬼械神、ここまで警備が杜撰なのはどういう事なのか。
いやでも、原作でも主人公達は何事も無く縦穴から侵入してトンネルを抜けてデモンべインに到達したし、実際地上からさっき通ったトンネルへの入り口もそうそう探せるものでも無いから問題ないのかな?
嫌な予感は消えていない。サイトロンがビジョンを運んで来ている訳でも無いのに。

―――――――――――――――――――

その物体を、一体どの様に表現するべきだろうか。
何らかの意思を持って鍛えられた鋼鉄、小さな山ほどもある鉄の塊。
全高50メートルはありそうな鋼の人型、機械の巨人。
分厚い鋼板を張り合わせ作られたかのような腕、大きく盾が張り出した脚部、堅牢さを誇示する様なボディライン。
人型二足歩行の機動兵器として見た場合、合格点をはじき出していると言ってもいい。あくまでも、ただの機動兵器であるならば。

「これが、デモンべイン……?」

唖然とする。その力強い威容にではなく、その造りの粗雑さに。
之を持って鬼械神の出来損ないと言えるのだろうか、この程度の出来で、鬼械神の出来損ないを名乗ってもいいのだろうか。
一目視ただけで理解出来てしまう程に粗悪な作りの魔術回路、しかも、その回路すら満足に全身に組み込まれている訳でも無い。
いや、粗悪、粗雑という言葉ですらこの有様を表現するには言葉が足りない。
融合同化して確認したところ、構造的に成立していない魔術回路がそのまま組み込まれている箇所すら存在する。
これでは魔導書を搭載したとしてもまともに立って歩けるかすら怪しい。ましてや戦闘機動など不可能に近い。
機械技術と魔導技術が互いの欠点を、欠陥を補いきれていない。
『不完全』なのだ! この鬼械神の『なり損ない』は!
これが、これが本当にデモンべインなのか!?
同化を解き、怒りと憤りに任せて拳をデモンべインの胸部装甲に叩きつける。
轟音、拳を中心に半径二メートル程が纏めて凹んだ。亀裂も無数に走っている。
無意識に神氣を込めていたとしても脆過ぎる。なんだそれは、それで鬼械神と戦うつもりなのか。魔導合金ヒヒイロカネの強度はその程度の物なのか。
これが、こんな物が、本当にデモンべインなのか。魔を断つ剣なのか。地獄の戦鬼も恐れる戦機なのか。

「お兄さん、落ち着いて」

「俺は十分落ち付いている」

この言葉を吐く奴は大体落ち付いていないと相場が決まっているが、俺は本当に落ち着いている。落ち付いて冷静にこのポンコツならぬジャンクを文字通りの鉄屑に変える手順を考える事が出来る。

「いいから落ち付いてって、の!」

ごづ、という鈍い音。包帯と髪と皮膚と頭蓋を貫き美鳥の手刀が脳髄に当たる部分をかき回す。
実際にそこが脳味噌の機能を果たしている訳ではないが、頭だと自覚できる部分に冷たい手が差し込まれる事によって、熱されていた思考が徐々に温度を落とす。
……最適化されていく。デモンべインの、デモンべインに届かない鬼械神もどきの、始まったばかりのデモンべインのデータを、ゆっくりと俺の身体に馴染ませていく。
処理しきれなかった情報を、確実に堅実に纏めて整理する。
手刀を引き抜きながら、美鳥が気遣わしげに声を掛けてきた。

「落ち着いた?」

「ああ、すまん。ちょっと興奮してた」

「いいよ。こういうのがあたしの仕事だもんね」

ヘルメット越しでも美鳥が苦笑しているのが分かる。
一瞬で巨大な情報体を取り込む事で思考が機能不全を起こしていたらしい。最近は取り込む時も時間をかけていたから眠くもならなければこういう事態にも成らなかったのだが、油断していた。
そう、確かにまともに動くかどうかすら怪しいものだが、確かにこのデモンべイン?には鬼械神に匹敵する量の情報が含まれている。
レムリアインパクトも、撃てば確実に暴発するレベルではあるものの実装されているし、断鎖術式も回数制限を設ければ運用できなくも無いレベルの物が搭載されている。
……こんな物を実戦で使うのか? 命懸けどころか確実に自爆技になるぞ。

「銀鍵守護神機関は、一応完成しているんだな」

武装がここまで不完全なのに心臓部のみほぼ完成しているのは、鬼械神を召喚可能な魔導書を使用する事を前提にしているからなのだろう。
鬼械神本体の代用品としてデモンべインを使用し、武装のみを流用する事により、魔術師の命を削る事無く鬼械神級の戦力を運用できる、というコンセプトか。
実際に使用する魔導書がアルアジフか機械語写本固定であれば、ぶっちゃけ柔らかいアイオーンの様な使い心地になる筈だ。

「マナウス神像も、特にデモンべインが無くても存在してるアーティファクトだからね」

ここで重要となるのはマナウス神像ではなく、内蔵されている無限の心臓である。
無限の心臓はヨグ・ソトースの影の一形態であり、例えばアイオーン等に内蔵されているアルハザードのランプと似た性質を持ちながら、異界への門を開き、事実上無限のエネルギーを得ることができる『呪術的アーティファクト』である。
大規模な儀式魔術の中核となり、周囲の空間構造を変化させる性質をもつのだという。
そう、アル・アジフに記述が存在し、これを用いた儀式魔術が行われている程度には、アーティファクトとしてメジャーな存在なのだ。
となれば、過去の事件の記憶を持ちながら過去へと降り立った大十字九郎=覇道鋼造の手にかかれば、どこかの魔術結社が起こした大規模な儀式を事前に防ぎ心臓を奪取、デモンべインに搭載することも可能。
何週目かの覇道鋼造がその魔術結社のイベントを潰した場合、次の週の大十字九郎はその魔術結社の起こした事件を知ることは出来ないだろうし、この心臓だけは連綿とループの中で受け継がれ続けているのかもしれない。
もっとも、獅子の心臓を手に入れた覇道鋼造に話を聞かない限り、どこまで行っても憶測にしかならないわけだが。

「獅子の心臓が無きゃデモンべインである必要が無いしね。術者を殺さないからこその人造鬼械神な訳だし」

「それもそうか」

術者の魂を削らないからこそ、人間の魔術師が使える鬼械神な訳だし。
これまでの周でどうにかこうにか心臓部をでっちあげるまでのノウハウが確立され、ここから武装が充実していくのだろう。
何しろ、アルアジフを魔導書に据える事で武装はどうとでもなってしまうのだ。
大十字九郎が大学生のままであれば、武装に関しては秘密図書館から写本を借りてくればバルザイの偃月刀程度なら作り出せるだろうし。
アルアジフの断章を秘密図書館からの魔導書貸出で補填してしまえる以上、武装の強化はどうしても後回しになり易いのかもしれない。
そう考えれば、この不完全な魔術兵装にも説明が付く。
恐らく、これから何周何十周、何百周何千ものループを繰り返してく内に、じわじわと完成に近付いて行くのだろう。
そう、まだまだ、この無限螺旋は続いて行くのだから。

「やっぱり、ループ初期かあ」

デモンべインの胸部に倒れこむ。空は見えない。なんだか一気に草臥れてしまった気がする。
人間とは時間感覚が段違いの神様ハーフである大導師ですら絶望する様な長い永い時間を、こんなネットもコンビニもヨドバシもアフタヌーンも存在しない世界で過ごさなければならないとは。携帯機スパロボの新作とかプレイ出来るの何十億年先なのか。
こんな長期トリップになるなら、元の世界のレンタルビデオ屋でこっそり店中のDVDやらVHSやら取り込んでおけばよかった。
頭に巻き付けていた包帯も外す。しゅるしゅると身体に巻き込まれていく包帯。
まったく馬鹿馬鹿しい。仮にここで正体が割れたからと言ってなんだというのか。
正体が割れてしまったなら、次の周になるまで身を潜めていれば良い。時間だけは腐るほどあるのだ。
いや、身を潜める必要すら無い。覇道鋼造の存在しない覇道財閥など、ある程度の力を持つ魔術師にとってはどうというものでも無い烏合の衆同然。今の俺でも軽く一捻り出来てしまう。
そうだ、いっそここでひと暴れしてしまうのも良いかもしれない。覇道瑠璃を触手でウネウネぬちょぬちょと遊ぶのも面白いか。原作には存在しない令嬢触手凌辱ルート始まるよー。
そしてその現場を撮影して保管、数周後にブラックマーケットで写真集にしてあちこちにばら撒く。ううん、今から姫さんの悲鳴が聞こえるようだ。
実の所を言えば、俺は女性の悲鳴はあまり好きではない。しかしナアカルコードを送信する為には声を出せなければいけないから、咽喉を潰す訳にもいかないし。
いや、そもそも数あるループの中ではティベリウスにあえなく凌辱される姫さんも居るのかもしれない。それならそれで触手エロのプロに任せるのが一番か。やはり凌辱ならメカ触手よりもグロ肉触手だろう純愛的に考えて……。
遊ぶのではなく実益を追うなら、教会に居る魔術の才能溢れる少女を捕食するのもいいかもしれない。成長すれば一角の魔術師として大成できる可能性を秘めているなら、取り込んで損は無いだろう。
いやいや、面白そうで、かつ実益に繋がるレクリエーションはやっぱり本格的魔術師&鬼械神を召喚できる格の高い魔導書の取り込みだろう。
今身近に一人居るし、無限螺旋には深く関わらないから取り込んだ能力を活用しても怪しまれ難い。
そもそも一回取り込んだところで次の周には何の影響も無いのだから、遠慮する必要はないだろう。そしたら何食わぬ顔で学術調査に同行してダブル鬼神召喚とかやってしまおう。
でも今の段階で鬼械神とガチンコして、魔術師の肉体も魔導書も残せるように手加減して戦うなんて器用な真似は出来ないか。
暫くは講義を受け続けて、そうだな、偶には学術調査にも同行するべきか。鬼械神を使った先生の正確な実力も測っておきたいし。

「お兄さん、悪い顔になってるよ」

いつの間にかヘルメットを脱ぎ、俺の横に寝転がっていた美鳥がクスリと笑いながら指摘してきた。
口元に手を当て確認。両端が見事に吊りあがり顔芸寸前である。言われた通りの悪い顔だ。

「悪い事考えてるからな」

まぁ、悪いことしても次の周では無かった事になるのだし、ループしないモノは適当に玩具扱いにしてしまっても問題無いだろう。
玩具、というよりは実益のある餌を探す方が優先事項なのだけど。

「水射すようで悪いけどさ、その悪事がタイタスにばれたら事だよ。次の周では覇道鋼造になるんだから」

「む」

そうか、何か実行に移すなら、覇道鋼造と大十字九郎の知れるところで事件を起こして正体バレを起こす訳にもいかないのか。
次の周でしつこく記憶していたら、ミスカトニックに入学するどころかアーカムに拠点を構える事すら難しくなってしまうものな。
そうと決まれば話は早い。

「明日は一コマ目から講義入ってたよな」

「休むの?」

「長い長い時の円環の中では、たかだか一日の講義をサボった所で大したことは無いの、だ!」

背の下のデモンべイン、その殴って凹ましてしまった装甲に触手を突き刺し補修。
寝転んだ姿勢のまま美鳥を抱き寄せ、そのまま姉さんの待つ自宅の朝方へとボソンジャンプ。
こんなタイムスケジュールを気にしない大胆な運用法が可能になるのも無限螺旋ならではだろう。
良く良く考えれば時間が無限にあるなら、何時間姉さんとイチャイチャしてても、ついでに美鳥を突いて可愛がっても何の問題も無くなるのだ。
何周何十周何百周何千周何万何億何兆周もしてる内に飽きてくるだろうけど、飽きるのはその時の俺の仕事、今の俺の仕事はほぼ無限にある時間で生の喜びを謳歌する事ではないか。
そう考えるとなんだか気分が良くなってきたぞ!
ジャンプアウトした先にはエプロンを着て目玉焼きを焼いている姉さんの後ろ姿。そして尻。
ここで唐突にネタバレ、姉さん超可愛い。そしてまロい。
やべぇ愛らしい!グゥゥんレィトォ!(褐色ではなくコーンフロスト)

「おはよう姉さん!」

「おかえり卓也ちゃん。ご飯にする? ライスにする? それともお・こ・め?」

見返り美人だ。何時もより二割増で美人に見える。
振り向き厨と呼ぶ無かれ、キャラの頭身がそれなりに高いアニメのオープニングでは必ずと言って良いほど振り向くカットが用意されている。
つまり振りかえるというアクションは人を美しく見せる効果があるのだ!

「もちろんルッズ!目玉焼きには醤油で!」

黄身が半熟とろとろの目玉焼きを熱々ご飯に乗せ、黄身を少し潰してご飯に染み込ませて醤油を垂らす。これぞ至高。
そんな素晴らしい朝食を、姉さんとそして美鳥と共に飽きるほど迎える事が出来るとは。
ああ、なんと清々しい。世界が晴れ渡って見える。俺はいったい何をうだうだと悩んでいたのか。
この瞬間なら身体からではなく魔力を練り合わせて魔銃の一丁や二丁程度合成できてしまいそうだ。
そうか、そうだったのか。時間と空間の関係は、こんなにも簡単な事だったのか……。
見える、俺にも、俺にも字祷子宇宙の構造が、手に取るように!

「お姉さん。お兄さんの頭、じゃない、様子がおかしいんだけどどうしよう」

「絶望が一回りして開き直ってる最中だし、朝ごはん食べればクールダウンするんじゃない?」

何か聞こえた気がするが何も問題ない。後でログを読み直せば済むだけの話。
さあ、まずは朝食を食べよう。食べたら影武者を大学に送り出し、姉さんと昼寝した後に皆で市街を散策だ。
時間は腐るほどある。どうせ目いっぱい講義に出ても卒業する前にループに巻き込まれる可能性の方が高いのだから、気まぐれに講義をサボるぐらい許されるに違いない。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

今現在の私、フールー・ムールーにとって、目覚めとは蘇生であり、死の否定である。
ラースエイレムによるステイシスとは違う永遠の死。
フューリーでは真の死、などと呼ばれる事もあったそれは、今や私にとっては夢を見ない睡眠の様なものとしてのみ存在している。
私は目覚める度何かしらの役目を与えられ、その役目を終えると同時に眠りに着く。
勿論、ここで言う眠りとは比喩表現であり、実際はその度に殺害され、生命活動を終えている事になる。
大概、その役目は今の主の妹君の話し相手であり、数分から数時間程度で私の役割は終わってしまう。
会話が終わる、というより、妹君の言いたいことが終わると、私は妹君から放たれる鋭い触手により心臓を射抜かれ、瞬時に絶命する。
数分から数時間の生を終える度、私の記憶は逐一回収され、次の私へと受け継がれる。
極々稀に今の主自身が呼び出す事もあるが、この時に課せられる役目は大概長時間にわたる活動が必要な場合が多く、最短で数時間、最長で数か月程の間活動する事が可能。
最初に蘇生された時、フューリア聖騎士団のまとめ役として振るまえと言われ、異形と化した部下と共に、地球圏最強の機動兵器軍団と死闘を繰り広げた。
二年程前に呼び出された私は、生きたまま焼けた鉄を身に纏い、遂にフールー・ムールーとは全く異なる存在へと生まれ変わった。
この二つを挙げれば、主から与えられる役目は大きなものに見えるかもしれない。
が、実際はその殆どが雑務、ありていに言えば農作業の手伝いに、山小屋の様な場所での売り子が殆ど。
詰まる所、私を、私達フューリーを滅ぼした今の主は、その生の大半を戦闘も何もない日常の中で過ごしているという事になる。
私を打ち負かした機動兵器軍団を、一方的に壊滅に追いやった主は、一年の大半を畑を耕して暮らしているのだという。
自分達を殺した戦士は、その実、元はどこにでもいる地方の農民なのだ。
嗚呼、あぁ、なんという馬鹿馬鹿しい話か! なんと痛快な話か!
ここまで来ると、流石に呆れも怒りも通り越して笑うしかないではないか。
何処をどう言い繕ったとしても、私は闘争の末に敗れ、屈し、彼の軍門に下ってしまったのだ。
私は、『戦わせてやる』という言葉に釣られ、悪魔の契約書にサインを押してしまった。
もう後戻りはできない。

「そんな訳で、今日は一日影武者よろしくお願いしますね。あ、これお駄賃です」

例え主が一日掛けて街をふらつきたいから、という理由で大学を休み、代返と講義の内容の記録を頼まれたとしても、今の私は断る事など出来ない。
決して、帰りに雑貨屋に寄ってこの貰ったお小遣いでぬいぐるみを買おうなどと思ってうきうきしてはいない。断る事が出来ないから仕方なく向かうのだ。雑貨屋には寄るが。
私はフールー・ムールー。
フューリア聖騎士団元幹部の、フールー・ムールー。
何処にでも居る、戦争と可愛いものが大好きな標準的な成人女性だ。

―――――――――――――――――――

録画機材とレコーダーが講義の内容を記録し続ける脇で、私は以前から妹君に頼み込んでいたとあるカタログを眺めていた。
何の事は無い、極々ありふれたヌイグルミの通販カタログ。
私に課せられた使命は講義の記録と代返であり、それを共に済ませてしまった今、一日が終わり眠りに着く(殺害される)までの時間は貴重な自由時間。
正直な話、講義の内容が全く気にならないと言えば嘘になる。今の主に拾われた世界、私の住んでいた世界にはこの様な技術は全くと言っていいほど存在しなかった。
この技術を兵器に導入したら、戦争はどの様な様相を見せてくれるだろうか。そう考えると期待に胸が膨らんで仕方が無い。
いや、胸が膨らむ、というのは禁句か。
以前妹君の前でこの言葉を発した時は、憎しみの籠った眼差しで胸を睨まれてしまった。
実際ある程度の大きさの胸は戦いにおいては邪魔になるし、可愛らしい服を着る事も出来なくなるのであまり喜ばしくも無いのだけれど、やはりそういった感想は持たざる者からすれば余裕の表れに聞こえるらしい。
私の胸も巨乳という分類には入らないものの、この星でロリータファッションと呼ばれている可愛らしい服には似合わない程度には大きさがある。
装飾で可愛らしく見せるファッションは、自己主張が激しい身体のラインには合わないというのが私の持論なのだ。
現に今着ているフリルやコットン、リボンのあしらわれた白基調のワンピースもそう。
小悪魔系リボンロリータ、などと言われるこの服の最大の特徴である筈の胸部中央のリボンは、両サイドを固めるレースを押し上げている私の胸に存在感を奪われてしまい、魅力を引き出す事が出来ずにいる。
そういった意味では、元の世界で見たまだ胸の膨らみがささやかだった妹君は特にそういった衣装が似合いそうだったのだけれど、これを言ったら今回の私が生きていられる時間は加速度的に短くなりそうなので口にはしない。
難しいものだ。そこまで卑下する程貧相な身体をしている訳では無い筈なのだけれど。
少々脱線が過ぎた。話を戻そう。
私がこうやって講義に顔を出せるのは、あくまでも主と妹君の代理としてである以上、全ての講義を受ける事が可能になる訳ではない、というのが理由の一つ。
そしてもう一つ、自分で受ける必要が無いというのが一番大きな理由。

「この内容、他の講師の講義でやりましたわね」

口から思わず呟きが漏れる。
私自身は見ていない筈の講義の内容が、何故か頭の中にしっかりと残っている。
授業内容は何の態勢も無い一般人が見聞きすると気分が悪くなり、最悪心に病を負ってしまう様な内容である為か、蘇生される段階である程度の耐性と共に知識が刷り込まれているらしい。
つまり私自身がここで講義の内容に耳を傾けなくとも、主や妹君が真面目に学習を続ける限り、自然と私の頭の中にも知識が蓄積されていくのだ。
そういうからくりがあるのであれば、私の貴重な生きていられる時間を費やす必要も無い。
ついでに言えば自分はあくまでも騎士、戦士であり、新たな技術を兵器に導入する為の知識など持ち合わせていない。
鎧──劒冑は辛うじて打てるが、ああいった強化服での戦闘は本来の戦闘スタイルとは遠いので除外させて貰う
つまるところ、私はこの講義の内容を理解できても、頭の中で魔術兵装を組み込んだラフトクランズを乗り回す程度の事しか出来ないのである。
そんな空想も面白そうではあるけれど、どちらかと言えばもう少し現実に即した、例えばこの二十ドル台のぬいぐるみなんかはサイズも丁度良いしデザインも悪くない。

「問題があるとすれば」

サンプルの写真と実物のギャップはどれほどのものか、という事だ。
この時代の写真や印刷の技術も悪くは無いが、このサンプルにのみ気合いが入っているという可能性は捨てきれない。
知性体とは良くも悪くも相手を騙す能力に長けているのだ。産まれた星が違えども、それは多くの知性体に共通する特徴である事は間違いない。
以前買ったネズミとタコを混ぜた様なクリーチャーのぬいぐるみは、サンプルと実物の間に突撃銃を構えた兵士がずらりと並んだ国境線が存在している様なあり様で酷くがっかりした覚えがある。
結局あのヌイグルミも妹君に頼んで保管して貰っているけれど、もう手に取って抱きしめる事は無いと確信している。
私に与えられる時間は少ない。その時間を、どれだけ有効に使う事が出来るか。
これからも、ヌイグルミを抱きしめる程度の時間は限りなく与えられるだろう。だが、今の、今日産まれた私には今日という日しか存在しない。
サイトロンは私に闘争のビジョンを運んでこない。今回の私は一度も戦う事無くこの命を終えるのだ。
ならば私は潔く、愛らしいものを愛でる事にのみ意識を裂く。
あと二時間もしない内に今日の講義は終了するから、日が高い内に大学を出て街に出かけよう。
カタログとのにらめっこにも飽きてきた所だ。店頭で思う存分抱き心地を確かめながら、今の私にとっての、最初で最後のヌイグルミを見つけに行こう──

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「まぁ、明らかに姿形すら真似るつもりが無い影武者でも出席扱いにしてくれる辺り、俺達への信頼の篤さが分かる、というか」

夕刻、居間の空きスペースに置かれた椅子の上に設置された猿型ロボットのヌイグルミを前に、殺害しながら取り込んだ今日のフーさんのログを確認しながら呟く。
街の雑貨屋に都合良くボン太君のヌイグルミでも置いているかとも思ったが、やはり品揃えはニトロ世界準拠であるらしい。
いや、今回のフーさんの形見となってしまったヌイグルミのカタログを斜め読みする限りでは必ずしもニトロ世界に関連する商品ばかりという訳でも無いのだけど、まさかピンポイントでこういったグッズを手に入れてくるとは。

「この白い供物の竜のヌイグルミとか結構迫力あると思わない?」

「俺はどっちかって言うとこの肉の塊に目玉と触手が生えた怪物のヌイグルミの放つ異様なプレッシャーの方が気になるな」

「お兄さんもお姉さんも、なんでまともな商品に目を向けないの?」

趣味である。どっちも純愛系だし。
因みに、どちらも子供が抱えたら引きずってしまう程の巨大サイズであり、共に米ドルでギリギリ三桁台に踏みとどまる程の高級品である。
もう少しで四桁台に乗ろうかというこの値段で大特価だというのだから、ヌイグルミの値段というのは侮れない。
……結局、ヌイグルミの劒冑は失敗作に終わってしまったが、普通にヌイグルミを作って売ったら売れるかもしれないな。こういうのは何処に話をつければいいのだろうか。
しかし、フーさんも大分便利になってきたものだ。最初の頃は機動兵器の操縦と裁縫以外は稲作すらまともにこなせない戦馬鹿だったのに、今では代返からお買いものまでこなす万能パシリ。
ここらで一つ思う存分戦える戦場とかを提供してあげるのもいいかもしれない。

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○月×日(数日前から怪奇指数がウナギ登り)

『なのに、魑魅魍魎の一つも湧いて出ないとはどういう事だろうか』
『学術調査に出発する前の最後の講義だからとシュリュズベリィ先生が構外実習を慣行してくれたというのに、結局怪しげな人影すら見る事が出来なかった』
『そもそも街の妖気の質は殆ど変っていないというのに、怪奇指数だけが上がっているのだ』
『強大な力を秘めたアーティファクトが運び込まれた場合はこんな空気になるものだと姉さんは言っていた』
『が、秘密図書館周りにはそれらしき動きは無かった。つまりはミスカトニックとは関わりの無い所で怪しげなアーティファクトが運び込まれているのだ』
『この街でそんな大それた真似をする様な組織は二つしか思い当たらないが、覇道鋼造の居なくなった覇道財閥がそんなアーティファクトを手に入れられる筈も無い』
『そしてブラックロッジであったならば、街がいつも通りというのは不気味過ぎる。調子づいた下っ端が暴れる程度の事件すら起こっていない以上、ブラックロッジの仕業だとは考えにくい』
『これは明らかに何かの前触れだと思われるので、対魔術師用の兵装の用意だけしておこう』

追記
『シュリュズベリィ先生は講義が終わると同時、直ぐにアーカムシティから離れて行った』
『アーカムの怪奇指数の上昇に合わせるかのように、世界各地で様々な魔術結社や邪神眷属群の活動が活発になり始めているらしい』
『他にも、旧神を崇める過激な魔術結社が現れたとかで、その組織の実態調査もやらなければならないとか』
『何時もよりも格段に危険な調査になる為、今回の学術調査には学生は同行させられないのだとかで、単身バイアクヘーに乗って旅立っていった』
『多分、これで俺が初めて師事したシュリュズベリィ先生とは完全にお別れ』
『一瞬で空の彼方に消えていったバイアクヘーに手を振りながら、次に出会うシュリュズベリィ先生とも良き師弟関係になれればいいな、と思った』

追記の追記
『放課後、魔導書の閲覧許可をかさに着て秘密図書館に突撃し、美鳥と一緒に魔導書を並べてドミノを作って遊んでいたらアーミティッジ教授にげんこつを喰らった』
『だが、俺の頭蓋骨は平時でもテッカマンのアーマー程度には強靭に作られているのだ』
『殴った教授の拳からは木のひび割れる様な嫌な音がしたのだが、こういった場合でも慰謝料を払うべきなのだろうか』
『帰り際、手に包帯を巻いたアーミティッジ館長から、紹介したい人が居るからまた明日来なさいと言われた』
『そんな何処の馬の骨とも知らない人を紹介する暇があるなら、もう少し奥の方まで秘密図書館に踏み込ませて欲しい。今は何よりも新しい知識が欲しいのだ』

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と、いうような内容の日記を昨日書いた覚えがある訳だが。
前言を撤回するべきか、それともやはり魔導書の探索の方が有意義だったかは分からないが、これはこれで面白い出会いだと思う。

「あんたらが鳴無兄妹か、噂だけは聞いてたよ」

今日の講義が終わり、ようやっと立ち入りの許可が出た秘密図書館の前回よりも少しだけ奥の区画で、相も変わらず鬼械神を召喚できる程では無い位階の魔導書を漁っていた。
カモフラージュの為にまともに魔導書を手に取って机の上で読む予定だった俺達の目の前に現れたのがこの男だ。
上背もあり、服の上からでも分かる筋骨逞しい造形の肉体。
しかし、その見た目に反して体捌き自体は多少実践馴れこそしているものの戦闘術を本格的に習ったものではない。
顔面の造詣は、まぁ美系と呼ばれてもいい程度には整っており、目立つ特徴が無いのが特徴と言えば特徴。
更に服装に関しては、何処に売っているんだと聞きたくなるような不思議なカッティングの施されたワイシャツにスラックス。そして臍出しのシャツ。
言わずと知れた原作主人公──を生み出す為に無数に消費される、シャイニングトラペゾヘドロンに至れない魔術師兼大学生の大十字九郎だ。
……原作本編中に女装が似合うという描写があったが、肩の骨格からして男性である事は誤魔化せそうに無いと思うのだが、そこは覇道財閥独自のメイクアップ法で誤魔化せたりするのだろうか。

「奇遇ですね、大十字先輩。俺も先輩の噂は少しだけ聞いてますよ」

「へぇ、俺も有名になったもんだ」

鼻を指でこすり、少しだけ照れくさそうにしている大十字。少なからず自分が有名人である、という自覚はあるらしい。
まぁ、一部の人間は彼が覇道鋼造からの支援を受けている事を知っているだろうし、そうでなくとも魔術師としては才能に恵まれ努力も欠かさない。
いわゆる一つの優等生、という奴に分類される。しかもルックスは当然イケメンだ。注目されない方がおかしい。
……下手にドロップアウトして探偵になんてならなければ、人生勝ち組なのになぁ。

「あー噂ね、知ってる知ってる。あれだろ、ちんこが腕より太くて長いと評判の大十字だろ」

美鳥が、『マジで引くわ……』的に両掌を大十字に向けて手首から先を振りながら後ずさる。
他にも噂結構あったのに、そこピンポイントで選ぶのかよ。俺も真っ先にそれが浮かんだけど。

「えぇぇぇ、そっち!? どっからんな噂が流れたんだよ! ていうか、女の子がちんことか言っちゃいけません!」

コイツらちんこちんこ煩いわぁ。
まだ、精液が濃すぎて噛み過ぎたガムみたいな色だとかそんな噂が流れていないだけましじゃないか。

「美鳥、図書館でちんこちんこ言わない。先輩も、右のポケットに何突っ込んでるんですか、いやらしい」

流石自重の無かった頃のニトロ砲、収納しきれずにサイドに押し込められておるわ。
ぶっちゃけ常人に突っ込んだら間違いなく裂けると思うのだが、どういった相手を標的にしているのだろうか。
もういっそ、牛とか馬とかページモンスターとか改造人間とか魔導書の精霊とか、頑丈な人外系専用カノンにしておけばいいと思う。
いや、外から弱点の場所が丸分かりであるという部分を指摘した方がいいのだろうか。ザクのパイプ的な意味で。
数回はティトゥスにパイプカットされてショック死する大十字九郎とか居てもおかしくない気がするし。
……想像したらキャン玉がキュンッてなった、この想像はここまでにしておこう。

「いや、ポケットに突っ込んでんのは財布だから。ああもう、アーミティッジの爺さんの言ってた通りか……」

大十字は俺と美鳥のボケを聞いて、頭痛を堪える様に片手を額のあたりに当て、頭を振る。
しかし、財布か。
頭の中に俯瞰マップを開き、味方ユニット扱いの大十字の項目を選ぶ。パイロットのステータス確認……、やはり、技能欄に『貧乏』が存在しない。
分かっていたが、今度こそ確実にここがループ最終章ではない事を改めて確信した。
大十字九郎がトラペゾヘドロンを呼び出すには、『貧乏』技能が必須なのだ。姉さんが言っていたから間違いない。
姉さんは深く言及していなかったが、やはり貧乏にありがちな欠食状態が自然と断食による神経の鋭敏化を行い、それが魔術師としての爆発的な成長に繋がっていたのだと考えれば。
むむむ、つまり大十字を経済的に追い込めば、ループの終焉も近付く可能性が高くなるのか。
ううむ、高値で売りこめる道具は腐るほどあるが、いかんせんセールストークには自信が無い。
直売所で野菜とか売る時は売れなくても持ち帰って自分達で食えば良かったから、売り込む様な事はしなかったし。
そういう実用的なスキルを持っている一般人は取り込む機会が無かったし、そういう技能はグレイブヤードにも流れていなかったからな。
経済的に追い詰めるのは、そういう技能が手に入ってからで十分だろう。
そう思い、改めて俺は自己紹介をする事にした。他人からの評判だけでこちらの人格を決められるのはあまり嬉しい事では無い。
『大十字九郎』とは長い付き合いになるのだから、多少なりともまともな面を見せておいてもマイナスにはならないだろう。

「冗談はこれくらいにして、会えて光栄です、大十字九郎先輩。俺は鳴無卓也、こっちは妹の美鳥」

「自分で言う前に言われちまったけど、あたしが鳴無美鳥な。コンクリートジャングルを駆け抜け損ねた女とは一味も二味も違うから間違えんなよ?」

俺に促され、美鳥も名乗りを上げる。
駆け抜け損ねたのは俺達のせいでもあるんだけどな、金神取り込んだ挙句に患者も治しちまったせいで魔王編始まらないし。

「本っ当に聞いてた通りだなお前ら。俺が三年の大十字九郎。つっても、互いに名前だけは知ってたみたいだから、今更な名乗りだけどな」

―――――――――――――――――――

噂で聞いていたよりもまともな性格をしている。
それが、鳴無兄妹に対して九郎が抱いた印象だった。
第一印象こそ酷かったものの、或いは第一印象が悪かったからこそ、それ以降のまともな会話が深く印象に残った。
何しろ共に祖国日本から渡米してきた身であり、他の学友たちとの会話では共感を得られない様な話も多分に交わす事が出来るのだ。
スーパーに米も醤油も味噌も置いてあって助かっただとか、異様に日本的な文化が流入しており違和感なく生活出来て便利だとか、それでいて聞いた事も無い様な異国の文化が混ぜられているから見ていて飽きないだとか。
ブラックロッジの破壊ロボに関する驚きこそ何故か共感出来なかったが(鳴無兄曰く、錬金術が復活した現代、ああいった巨大ロボが群雄割拠する時代は何時来ても可笑しくないのだとか)、どことなく故郷を懐かしく感じる会話。
そう、この時点で九郎は鳴無兄妹に対する警戒心を殆ど失っていたのだ。

「へぇー、じゃあ二人とも既に本持ちなのか」

ミスカトニックからの帰り道、三人は往来では言い難い内容はぼかしながらも、互いの大学での学習状況などを世間話程度に交換しあっていた。
別段おかしな事では無い。決定的な単語や心を蝕む外道の知識を直接口に出さなければ、周りからは良く分からない会話にしか聞こえないからだ。

「本と言っても、さして位階の高い書でもありません。探せばそこそこある様なもんですよ」

そう言いながら卓也が鞄から取り出したのは一冊の文庫本。
それこそが、卓也と美鳥の持つ魔導書、偉大なる魔導書アル・アジフを祖に持つ近代魔導書、新約ネクロノミコン文庫版であり、二人が用いる魔術の源泉とも言える。
最も卓也が言った様に、基本的なアーティファクトの製造法以外は解釈が意図的に歪められているせいでまともに機能しない、言わば劣化複製品とでも言うべき代物だ。

「いやいや、普通に考えて見た目完全にただの文庫本の書なんて、そうそうそこらじゃ見かけないだろ」

魔導書というものは基本的に読んだ人間の精神や魂を蝕む性質を持つ為、写本を作るのが非常に難しい。
出来の良い写本を一冊作るのに数十人、数百人単位で犠牲者が出る事もざらであり、犠牲者を出さない様に作れば作るほど原本からの写し間違いや抜けが多くなり、粗悪な物が出来上がる。
確かにその内容の粗雑さから見れば、そこらの好事家がふとした拍子に何冊か所持してしまってもおかしくない程度の位階ではある。
だがこの魔導書は文庫本なのだ。そう、文庫本を作るに当たって、一体何人の人間が魔導書の内容に目を通す事になるのか。

「これがどんなに珍しくたってさぁ、魔導書としての機能はほとんど無いも同然、信頼できる様な内容でもないから教科書にも不向き。もうチョイまともな魔導書が欲しい、ってのがあたし達の本音だよ」

「そう言うな美鳥。こんな本でも魔導書は魔導書、あると無いとじゃ天と地ほどの差が出るし、足りない部分や間違っている部分は後々加筆修正していけばいいだけの話だ」

不満そうな表情でひらひらと手に持った文庫本で天を仰ぐ美鳥とそれを宥めつつも危険な発言をする卓也を、九郎は微笑ましげな視線を送る。
何だかんだ不満を言いつつも、この二人からはカルト宗教に嵌まる力を求める魔術師にありがちな焦りが無い。
学内で良く耳にする二人の実験や暴走も彼らなりの試行錯誤であり、まだまだあの魔導書には利用価値があると考えているからこそなのだろう。
彼等も口にはしないが、今のところは手持ちのもので満足している、というのが本当の所なのだろう。

「大体、俺達は本と契約済みなのよりも、大十字先輩が本持ちじゃない事の方がおかしいじゃないですか」

「一応、優秀な成績を収めた上に、二年に上がって直ぐに魔導書の閲覧許可は出たんだろ?」

後輩の着実な歩みに感心する九郎に、今度は逆に鳴無兄妹からの問いかけが行われた。

「あー、それは良く言われる。でもなぁ」

そっぽを向き、ガリガリと頭を掻く九郎。
沈みかけの夕日、街を赤く染める日の光に目を細めながら、九郎はぼそりと呟いた。

「なんつぅか、『違う』んだよ」

三年に上がるまでの間に、あるいは三年に上がってから、講義を行う上で必要に駆られて幾つかの魔導書を使用した事はある。
二年の時、初めての魔導書閲覧で怪異に襲われた時、アーミティッジと共にそれを撃退する為にネクロノミコンの写本と契約した事もある。
だが、それらと契約を結び、魔術を行使しても、大十字九郎に齎されるのは堪らない違和感だけだった。
何かが違う。これは自分の求めている物では無い。
そういった何処から出てくるのか理解できない感情が、三年に上がって徐々に実習に出る回数も増えてきて尚、九郎に魔導書との本格的な契約を乗り気にさせずにいた。

「へぇ」

「ほぉ」

「いや、そんな目で見るなよ頼むから。自分でも理由になって無いって分かってんだから」

興味深そうに、或いは面白そうに自分を見つめる二人の視線に、九郎は堪らず両手を上げて降参のポーズを取る。
この自分のわがままで担当教授やアーミティッジに多大な苦労を掛けている事を考えれば、おおっぴらに出来る話でもない。
だが、鳴無兄弟はその瞳に好奇心を含ませつつも、やはり真剣な瞳で九郎を見続ける。

「いやいや、魔術師の勘程重要な要素も無い。もしかしたらその内、先輩が心の底から『これだ!』と確信が持てるような魔導書の方から現れるかもしれませんよ?」

「もしかしたらそりゃ、かの死霊秘法かもしらんぜ?」

「はは、そりゃいいや。そうなったら俺は死霊秘法の主(マスター・オブ・ネクロノミコン)か!」

周囲の人影も少なくなり、もはや魔術関係の単語もおおっぴらに口にしつつ、話の内容は荒唐無稽。
違和感一つで魔導書との契約を躊躇う自分が、死霊秘法の主になるなんて、一つ下の後輩たちは面白いことを言うものだと。
夕暮れ、長い影を引きずり歩きながら、九郎は腹を抱えて笑っていた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

さて、あの後暫くして別々の帰り道になったので大十字とは離れる事になった訳だが。

「パンツだ」

天上に輝く月をバックに、大開脚でのパンモロショットを頂いてしまった。
天上に、とは言っても真上を通って行った訳では無い。パンツの精霊は実際には一つ二つ向こうの通りのビルの上を走り抜けている。
度重なる融合同化を繰り返した俺の視力は、数キロ先のパンツの繊維に含まれた洗剤の残りカスすら視認可能なのだ。
たかだか数百メートルも離れていない場所の逆光パンツなど、視力検査で一番上のCマークの穴の方向を30センチ離れた場所から見る程度の難易度でしかない。
薄い緑色のぴったりくっきり筋が見えるパンツ。その薄布からも薄布に包まれた肉の薄い尻にも濃密な魔術の気配を感じる事が出来る。幼女のパンツなど見ても欠片も嬉しくは無いが。
まさかアロハ座長も、自分が喰い殺される事も厭わずに書き遺した邪神へ対する防衛知識の集大成が、ロリ臭い幼女になって通行人にパンツ晒す事になるとは夢にも思うまいよ。

「メインヒロインだけあって、申し訳程度にだけど穿いているんだよねぇ」

「ああ、エロシーンの無いハヅキは穿いて無いもんな」

勿論、どんな角度から見ても申し訳程度に垂れた布が運命的に隠してくれるので、教授の大学ノートは間違いなくKENZENである事は言うまでも無い。
そんな事を考えていると、一つ二つ離れた通りを覆面にストライプ柄のスーツを着込んだ集団がジープで爆走していったが、これはまぁどうでもいい。
大排気量のバイクのエンジンから生まれる爆音とギターの生み出す怪音が聞こえてきたが、今のところは関わり合いになるつもりはないので聞こえなかった事にする。

「追え、追うのであぁーるっ! 全ては我らが『ブラックロッ──」

ドップラー効果でドンドン低音になっていき最終的に聞こえなくなったたくみ声など、当然の事ながら俺の耳には聞こえないのである。
……そうなんだよな、脳味噌攪拌機できぶんがよくなる薬と一緒にかき混ぜたみたいな発現しか出来ない様でいて、それなりにまともに部下に指示も出せるんだよなぁ。
ま、空耳の正気度など俺の知った事では無いので置いておくとして。

「あっちって、大十字の居る方角だよな」

「まぁ、アーカムにやって来たあれの行きつく先なんてそれ以外にあり得ないし、仕方無いんじゃない?」

何処となく作為を感じる展開だ。
あの魔導書と魔術師が極々自然に出会う様になるまでに、何回這い寄るアレの干渉を受けたのだろうかと邪推してしまう。
極々初期のループだというのはデモンべインの状態でなんとなく確信していたつもりだけど、スムーズにスタートを切れる程度にはもう下地は整っているらしい。
ループ初期中盤、みたいな感じなのだろうか。

「ま、なにはともあれこれでようやくデモンベインの初戦闘が始まる訳だけど、どうする? 見物に行く?」

「少し待て」

懐から携帯電話を取り出し、自宅に居る筈の姉さんにかける。
因みにこの携帯電話、コミュニケやら機動兵器の通信機やら遺跡中枢の技術やらが詰め込まれている為、中継器が無くとも直で地球⇔冥王星間程度の距離なら一発で繋がる優れもの。
これがあることにより、携帯電話が普及していないこの時代でも、姉さんが起きてさえいれば何時でも姉さんとの声での何気ない日常会話を楽しむ事が可能なのだ。
可能なのだ。
可能なのだ!

『もしもし卓也ちゃん? お夕飯のリクエストならもう締めきっちゃってるから、何かあるなら明日以降のお楽しみにしてね』

「いや、今日は特にリクエストは無いからいいよ」

『そう? あ、今日はメンチカツだから早めに帰ってきてね』

「うんわかった。そろそろ戻るけど、買ってくる物とかある?」

『んー、だいじょぶ。あ、美鳥ちゃんにもあんまり買い食いとかさせちゃだめよ?』

「わかってる、それじゃ」

『ん、気を付けてね』

通話を止め、携帯を懐に戻し、美鳥に振り返る。

「急ぐぞ美鳥、早く帰らないとメンチカツの衣がしんなりしてしまう……!」

自分でも珍しいと思う真剣な口調に、美鳥の表情も自然にキリリと引き締まる。
これまでのどんな戦いでも見せた事の無いシリアスな表情だ。

「そりゃやべぇ。巨大ロボットにうつつを抜かしている場合じゃねぇやね」

いつかの銀星号戦を彷彿とさせるスピード勝負だ。急がなければ何もかもが手遅れになってしまう。
俺と美鳥は熱々カリカリジューシーなメンチカツを食べる為、即座にその場からボソンジャンプで離脱した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

鳴無兄弟が帰宅し、姉弟妹で楽しく夕餉のひと時を過ごしているのと同時刻。
帰宅途中の大十字九郎は突如空から降ってきた謎の少女、魔導書『死霊秘法(ネクロノミコン)』のオリジナル、アル・アジフとの契約を済ませ、アル・アジフを追っていた魔術結社ブラックロッジの追撃を辛くも退けていた。
見習いとはいえ優秀な魔術師の卵である九郎はアル・アジフが魔術の障壁で銃弾を防いだ時点で魔導書の精霊である事を見抜いていたが、それがネクロノミコンのオリジナルであるとは思いもよらず、困惑を隠せずにいた。
何しろ写本ですらミスカトニック秘密図書館では最も位階の高い魔導書として分類されるのだ。
現にその写本を求めて通常時は異空間に隔離されている筈の秘密図書館に侵入した怪異すら存在するほどであり、更に質の悪い写本を相対して戦う羽目になった時は生きた心地がしなかった。
そんな物のオリジナルとの契約ともなれば、まともな教育を受けた魔術師としては恐れ多いというよりは恐ろしい、と感じてしまうのはまともな感性を残している以上当然のことだと言える。
九郎はこのループの終着点に居る最後の大十字九郎よりも上手くマギウススタイルでの戦闘をこなしながらも、より頑なに共に闘う事を拒んでいた。

「ブラックロッジと戦わなきゃいかん理由も、なんとなくはわかる。でもな、なんで魔術師って言っても駆けだしのペーペーでしかない俺なんだよ」

「運命だな」

腕を組みふんぞり返るSDアルの尊大な態度に頭を抱える九郎。かの大魔導書の精霊がこんな無茶苦茶な性格をしているなどと想像できる者は居るのだろうか。
魔導書の精霊というのは、数度だけ見た事のあるシュリュズベリィ先生の魔導書の様な、口数の少ないクールなモノが大半だとイメージしていたのだが、思いっきり当てが外れてしまった。

「即答かよ。とにかく、これからミスカトニックにいってしかるべき相手を……?」

言葉を尻すぼみに途切れさせ、九郎はあらぬ方向に耳を傾ける。
その一動作の間に既に聴覚に神経を集中させる必要も無い程に音は大きくなっていく。
いや、音だけではない。

「地響きか、こっちに近づいて来ておるな」

地面が揺れ、アスファルトのかけらやマシンガンの薬莢がカタカタと震えているのだ。
そしてその揺れはどんどんと大きくなっていく。まるで、超巨大な重量物が自分たちを目指して歩いて来ているような。
そこまで考えて、九郎は青ざめた。
この街でそんな現象を起こせるものと言ったらそれ以外存在せず、そして、今の自分達はそれが近づいてくる理由がある。
アーカムシティに引っ越してきてから三年以上の九郎に、それを理解できない筈は無かった。

「やべぇ……」

地響きと共に聞こえてくる逃げ惑う人々の悲鳴、絶え間なく響く爆音、銃声、光線の発射音。
爆砕されたビル、立ち上る煙の陰から見えるその姿。
途方も無く巨大な、40メートルはあろうかというドラム缶の様な寸胴なボディ、その上端には無数の短い砲。
胴体の下には、安定性こそありそうだがまともに歩けるとは思えないのに、何故か高速で自らの身体を運ぶ短足。
子供の玩具の様に簡単な作りの腕がドラム缶型の胴体から四つ生え、その先端には冗談の様な大きさのドリルと銃。
そして銃腕の上に申し訳程度に添えられた、それ以外のどのパーツとも均整の取れていないミニサイズの鉄拳。
子供向けのブリキの玩具をそのまま巨大化させた様な、人を小馬鹿にする為に作られたとしか思えないシルエット。
だが何の冗談か、その巨大な物体は、装甲車や戦車の放つ砲弾を容易くはじき、しかもその装甲には傷一つ付けられていない。

「なんだ、あの瓦落多は」

「ブラックロッジの破壊ロボだ! つうかお前、この状況でなんだってそんなに余裕なんだよ!」

いくらマギウススタイルとなる事で魔術師としての格が上がったとはいえ、あれほど巨大なロボットを相手取って戦えるようになった訳では無い。
慌てふためく九郎に、アルはフフン、と不敵に鼻を鳴らして笑う。

「あの様な屑鉄、今の我らにとっては取るに足らんわ」

アルの叫びと共に、九郎の身体を包んでいた漆黒のボディスーツの翼が解け、無数の紙片となった。
紙片──アル・アジフの頁の断片は複雑な紋様や魔術文字列を目まぐるしく表示しながら、戸惑いの表情を浮かべたままの九郎の周囲を円形に囲む。
そして、解けたページの幾つかが纏まり、九郎の手の中に一振りの剣を掴ませる。
バルザイの偃月刀。魔法の杖としても機能する呪術具。
手にした九郎には、その杖と周囲の魔導書のページのリンクを知覚する事ができた。

「これは……」

九郎にも理解出来た。これから何が起こるのかを、どの様にすればいいのかを。
これは『詠唱形態』、魔導書が力を発揮するのに最も適した形体だ。
そして今まさに展開されている術式こそ、魔道の窮みに達した者のみが使う事が許されるという、神を召喚、使役する為のものである事を。

「呼べ、九郎! 我らの剣の、その名を!」

その術式とは『機神召喚』、魔導書『アルアジフ』の最大最強の奥義であり──

「来いっ!『アイオーン』」

最強の鬼械神、『アイオーン』を召喚する為の、この世界でただ一つ、『アル・アジフ』にしか記されていない機械の神の記述である。





続く
―――――――――――――――――――

『この周の九郎がデモンベインで戦うと思った素直な心の持ち主の人、正直に手を上げて。先生も他の人も目をつむっていますから。ね?』
優しく生徒に語りかける、当然の様にブラウスの胸元を肌蹴させた口元に黒子のあるいやらしい程セクシーな女教師。
しかし、生徒の大半と教師の目は間違いなくうっすらとしかし確実にあけられているであろう事はもはや言うまでも無い。
そんな感じで、デモンベインがただの高価なパーツを使った置物扱いの第三十八話をお届けしました。

本当はラスト、場面転換して主人公達の食卓、街中に放った端末から送られてくる映像で一連の流れを(映像と音声の受信機をテレビに接続して)見て、主人公とサポAIが食っていたメンチカツを噴き出し、姉がにやりと笑ってエンド。みたいな感じで書こうかとも思ったんですが、これで引くのもいいかなと思ったのでやめました。
カッコいいですよねアイオーン。
因みにこの九郎ちゃんは暫くアイオーンに乗りますが、別段アイオーンの戦闘シーンみたいなのは書きません。
二話も掛けて話の中では数日しか経過して居なかったここまでの鬱憤を晴らすかのように、次回は話が恐ろしい勢いで飛びます。
シャンタクもビックリ仰天の速度で飛びます。速度が文化と言ってる人も腰を抜かす速度で飛びます。
ほのぼのラブコメ漫画を読んでいた筈なのに、途中の巻を一冊だけ飛ばしたら主人公もヒロインも全身咽るデザインのサイボーグになって地下帝国でレジスタンスやってたレベルで飛びます。
嘘です、義経の八艘飛び程度だと思います。日記無双でかなり跳びます。
詳細は以下次号、という事で。

因みに自分、仕事の時間帯変更の関係で更新速度がやや遅くなります。
二か月に四話程度のペースだったのが、三か月に五話程度のペースに落ちると思って頂ければ間違いないと思いますがご容赦を。

以下、ただ次話に流れ、疑問を全て継続する自問自答コーナー。

Q、このデモンベインは動くの? どうやって戦うの?
A、動きません。詳細は次の話。
Q、なんでタイミングよくシュリュズベリィ先生は忙しくなるの?
A、陰謀です。理由は次号。
Q、どうして未熟な魔術師の九郎がアイオーンを呼べるの?
A、陰謀です。ネェクストコナンズヒーントゥ!『三十九話参照』

疑問を全て諦めずに次の話を読むと謎が解けるかもしれません。
正し華厳の滝の滝壺に潜ったりすると、通報されてお縄になるので良い子も悪い子も真似をしてはいけません。
若さゆえの勢いで許されるなんて事はそうそう無いのです。
ラッキーアイテムは恋人をうっかり焼き殺してしまったパーカー男の後ろ姿の一言。
関東圏に住んでいるなら、関西圏にお引越しすると気分転換ができて良いでしょう。

そのような塩梅で、今回のお話はここまで。
誤字脱字に文章の改善案、設定の矛盾への突っ込みにその他諸々のアドバイス、
そしてなにより作品を読んでみての感想、短くとも長くとも、短くも長くも無くとも、心よりお待ちしております。



[14434] 第三十九話「ドーナツ屋と魔導書」
Name: ここち◆92520f4f ID:190f86b3
Date: 2012/12/08 21:22
さて、今日はここしばらくの間ですっかり御馴染の場所となったミスカトニック秘密図書館にやってきた訳であるが。

「今日は、魔導書閲覧以外に目的がある訳ですよ館長」

「そうかそうか、わしも今日はこれを用意してきた所だから丁度よかった」

そう言いながら笑顔のアーミティッジ博士が手首のスナップ一つで袖から取り出したのは、ある程度まとまったサイズの金属の粒と、細かな粉末の入っている細長い革袋だった。
袋自体も霊的な加工が施されているから内容物の詳細がいまひとつ分かり難いが、多分邪神眷属とかに使う武装では無かろうか。
革の表面に刻まれた紋章から察するに、中身の金属はヒヒイロカネ程では無いにしてもそれなりに値の張る魔導合金で、粉末はイブン・カズイの粉薬か。
なるほど、これなら殴る対象が物質的な肉体を持たなくともぶん殴る事が出来る。
なめした革自体もかなり頑丈そうだし、万が一敗れても靴下か何かに中身を詰め変えれば即座に戦闘を再開できる。
霊的存在相手に粉振りまく魔術以外の方法でどうやって戦うのかと思っていたが、こんな即物的な武装もちゃんと所持していたんだなぁ。
この世界ならHPL御大の必殺武器、祖父ホイップルの形見の仕込み杖(メイドインジャパン)とかも間違いなく魔術兵装の類に成り果てているに違いない。

「あたしそれ知ってる、ブラックジャックって言うんだよな。さすがミスカトニック三銃士の一人、そういう原始的な武装も似合うぜジジイ」

「ほっほっほ」

美鳥の言葉を受けて笑っているが、眼がまるで笑っていないのはどういう事か。
だが今日は大十字で遊ぶ予定なので、正直な話アーミティッジ博士とじゃれている暇は無いのだ。

「とりあえず、今日は魔導書で遊んだりしませんから、それはひと先ず置いてください。真面目な相談があるんです」

居住いを正し真剣な表情になった俺を見て、アーミティッジ博士もまたただならぬ自体である事を悟ったのか、〈深きものども〉の頭蓋程度なら容易く陥没させる事が出来てしまいそうな凶悪な革袋を机の上に置き、俺の話を聞く態勢になってくれた。

「お前達がワシに相談なぞ、明日は空から何が降ってくるかわかったものではないな」

「んー……、正直な話、あたしらもどうしたもんか迷っててさ。こういう事はあいつに何かと世話焼いてる爺さんに聞くのが一番かなって」

「あいつ?」

美鳥の、少なくとも学内では一度もした事の無い真剣な、或いは苦悩に満ちた表情に、驚きと訝しみを混ぜこぜにしたような顔になるアーミティッジ博士。
俺はそんなアーミティッジ博士に、懐から取り出した一枚の写真を差し出した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

魔導書『アル・アジフ』との契約、そして初の鬼械神招喚と破壊ロボとの戦闘から一夜明け、大十字九郎は受ける予定だった講義を全て自主休講し、ミスカトニック秘密図書館へと足を運んでいた。
偶然にも(あるいは運命的に)契約を交わしてしまったとはいえ、こんな秘密図書館の魔導書が霞んで見える様な貴重な、危険な代物を自分一人の裁量でどうこうして言い訳が無い。
本当なら、似た様な魔導書を持っているらしいシュリュズベリィ先生にでも預けたかったが、当のシュリュズベリィ先生は魔導書と出会った日の午前の内にアーカムを飛び出し、本業である邪神狩人としての活動に精を出しているので、そもそも接触する事すら出来ない。
一先ず思い付く限りでは一番安全な場所、ミスカトニック大学秘密図書館に預け、今後の事はアーミティッジの爺さんにでも丸投げしてしまおう、などと考えていたのだ。
道中、何を言うでもなく当然の様に魔導書が勝手について来てくれたのは僥倖だったかもしれない。
昨夜、破壊ロボをあっさりと粉砕した後、魔導書と魔術師は一心同体、などと言いながら勝手に付いてきた時は辟易したモノだが、こういう時もしっかり付いて来るなら話は早い。
ここまで相性の良い魔導書も初めてだし、ここまで誰かに熱烈に求められたのも初めてだが、未だカリキュラムの全てを収めたとは言えない見習い魔術師である自分には、ブラックロッジとの闘争の日々というのは些か荷が勝ちすぎる。
少々の名残惜しさと申し訳なさこそあるが、生命安全を脅かされるよりは遥かに良い。

(そんな事を、ここに来るまでの道中で考えていた気がする)

椅子に荒縄で縛りつけられた上、取調室にある様な電灯を目の前に、大十字九郎はぼんやりと頭に思い浮かべた。
今現在の状況から考えれば、余りにも楽観的だったろうか。いや、一体どこのどんな人間が、どんな優れた預言者がこの様な事態を予見できただろうか。
まさか、図書館のドアノブに高圧電流が流されていたとは、未だ魔術師として未熟な自分にはどうしようも──

「──って、魔術関係ねぇ!」

モロに科学的、物理的なトラップだ。魔術による探査が可能かは全く持って不明である。
椅子に縛られながらも現状に対して突っ込みを入れる九郎に、机を挟んで対面に座る鳴無卓也は、片手はハンケチで涙を拭く仕草を取りながら、もう片方の手で卓上ライトを掴み、九郎の顔面すれすれの辺りに近づけ、いや、押しつける。

「熱、あっつぅ!」

「先輩、俺達と先輩が出会ったのはつい昨日ですが、先輩後輩の信頼関係は最早ゲージ振り切っている物とみなし、嬉々として、もとい、心を鬼にして言わせて貰います──自首してください」

そして、ハンケチを畳みポケットの中に仕舞い込み、九郎の瞳を真っ直ぐに見据えて言い切った。

「お前それ絶対楽しんでるだろ、なぁ?!」

「言い訳はここでは聞きたくありません」

電球の生み出す熱と光に顔を焼かれながらも懸命に声を荒げる九郎に、卓也は悲しげに首を振りながら一枚の写真を取り出して見せる。
それは、どう見ても未成年どころか初潮が来ているかどうかも怪しい、しかも露出の多い衣服を着た幼女を自宅に連れ込む九郎の写真。
実際は来るなと言っても無理矢理ついて来て、しかし名のある魔導書をそこら辺に放置する訳にもいかないから自室に連れ込んだという、ミスカトニック陰秘学科の学生としては常識的とも言える処置。
が、どういった作為なのか、写真のアングル、光源の位置、微妙なピンボケなどがうまい具合に合わさり、九郎の顔はにやにやと嫌らしい笑みを浮かべている様に、幼女──魔導書『アル・アジフ』の精霊の表情は頬を染め俯き加減にもじもじしている様にしか見えない。

「だから、それを今から説明しようと──」

図書館に訪れ、少女が魔導書の精霊である事すら説明できずにいた九郎は、ここぞとばかりに弁明しようとする。
が、その言葉が聞こえていないのか、卓也は顎に手を当て目を瞑り、どこか遠くへと空想の翼を広げ始めていた。

「そう、言い訳するなら法廷で、しかし決して聞き入れられる事の無い被告人の主張、被害者から告げられる心当たりがあったり無かったりする証言に心をえぐられながら、それでも被告はこう叫び続ける『それでも俺は(まだ)ヤッて無い』大丈夫、未遂ならまだ罪も軽い筈だから……プ」

「こんないたいけな少女に、しかも初めての相手にあんな凶器を突っ込もうとしてる時点で超万死に値するけどなー。拡張工事無しで貫通式とかマジ引くわ懲役確定だろ……ククク」

「ご、ごしゅじんさまぁ。そんなの入れられたら壊れちゃいますぅ……ニヤリ」

自分以外の三人の邪悪な笑みに、九郎は椅子に縛りつけられながらも暴れ出した。

「あ、手前らそれが本性だな!? どいつもこいつも人を陥れて貶めてそんなに楽しいか! 助けて弁護士さん、弁護士さぁぁぁん!!」

――――――――――――――――――――

暫く暴れる大十字をからかい続けていたが、ミスカトニック大学の偉い人達との話を付けてきたアーミティッジ博士の登場で事態は収束した。
実のところ、大十字に対しては部屋に幼女を連れ込んだ下衆野郎(ペドフィリア)として対処したが、アーミティッジ博士には俺の知り得る処、つまり彼女が魔導書である事や、大十字と契約を済ませてしまっていることなどを一通り説明しておいたのだ。
一応、発覚した時にトラブルにならないように、街のあちこちに俺が使い魔(という名目の端末)を放っている事自体は大学側に届け出を済ませているので、現場を偶然使い魔が見ていた、という事であっさりと証言は受け入れられた。
その事を知らされたアーミティッジ博士は、即座にミスカトニック大学の偉いさん方と集まり、伝説の魔導書であるアル・アジフと大十字九郎に対する処遇などを話し合いに行っていたのだ。
アーミティッジ博士が大十字相手に弾劾裁判ごっこをしていた俺と美鳥の頭に躊躇無くブラックジャックを勢い良く振り下ろし、しかし振り抜いた時点で革袋の中の金属粒の方が残らず拉げたのを確認した時の唖然とした表情は見物だったが、流石にこれ以上の無茶は不信感を増幅させてしまうかもしれないので自重しようと思う。
縄を解かれ、椅子から自由になった大十字は縄の食い込んだ痕を擦りながら俺と美鳥をジト目で睨んで来た。

「お前ら、事情を知ってるのにああいう悪ふざけはするのはどうよ?」

「あれは場を和ませる為のジョークだろ。それに魔導書の方は乗り気だったじゃん」

肩を竦めあっさりと返す美鳥。
まぁ、こういった細かなイベントをこなしたり、後々にウェストが合流するまでの間に魔導兵器などを融通したりして強く印象に残せれば、次周で覇道鋼造になった時に色々と融通してくれるんじゃないかなという目論見がある訳だ。
良い思い出よりも、こういう馬鹿騒ぎで多少ダメージを与えたりする方が印象には残るだろう。
仲良くしたいかどうかはともかくとして、資金提供などで成長を促したら得になりそうだ、とか成熟したこいつに思い出の中で評価される程度の関係を築いて行きたいと思っている。
けっして、ギャルゲ主人公的突発的不条理に逢う大十字を見世物にしたいという理由だけでは無いのだ。

「大体、そんな魔導書が出張ってきている時点で、これから悪ふざけが出来なくなってくるのは予想付きますし、ね」

「む……」

俺の言葉に、大十字は不満そうにしながらも黙り込む。
魔術的闘争の苛烈さは陰秘学科の生徒であれば誰しも知るところであり、シュリュズベリィ先生の教え子であればその実感はより深い物となる。
今回のトラブルに関わるつもりが無くとも、仮に完全にアル・アジフとの契約を断ったとしても否応無しに巻き込まれてしまう可能性が高い事も理解している筈だ。この周のこいつは、最終周のこいつとは似ても似つかないレベルの優等生なのだから。
騒動を回すのはアーカムに根を張る一大魔術結社である『ブラックロッジ』であり、騒動の中心に存在するのはかの偉大なる魔導書『ネクロノミコン』のオリジナルである『アル・アジフ』
アーカムを飛び出して、国外に逃げおおせたとしても間違いなく被害は飛び火する。
事態が進めば、こんな馬鹿騒ぎをする暇すら無くなってしまうだろう事も、容易に想像できるのだろう。
俺はそんな大十字から、白いドレスの様な服装の少女──魔導書の精霊、アル・アジフへと向き直る。

「お会いできて光栄です、アル・アジフ。あなたの娘さんにはお世話になってます」

「ふん……。娘、という程近縁でも無いようだがな」

「違いねぇ」

鼻を鳴らしながら娘、という言葉を否定するアル・アジフに美鳥が同意を返し、俺も無言で頷いた。
何しろ俺と美鳥の魔導書である『ネクロノミコン新釈』はオリジナルからの写しでは当然無いし、内容も写本の写本の写本程度の精度しか無く、しかも入手経路はニャルさんからのプレゼント。
姉さんにもチェックを入れて貰って、さほど危険なギミックは仕込まれていないからと使い続けているが、出所が出所だけに機械語写本とはまた違った方向で一番遠い位置にあるのは間違いない。
しかも字祷子を弄れる程度の位階に達し、更に秘密図書館に出入りできるようになってからは所々の余白に新たな記述を追加しているので、オリジナルとの共通点は殆ど無くなっていると言っても過言では無い。
娘というよりは、遠縁の親戚の娘。しかも全身ピアスにタトゥーに拡張にヤク漬けのハード調教済みと言った方が正しい表現だろう。
まぁ、俺と美鳥が入れる区画にあった魔導書はそれほど位階の高いものでは無いので、魔改造を施しても一流の魔導書の足もとにも届かない訳だが。
鼻を鳴らす仕草がどことなく不満げなのは、自分の遠縁の子孫がそこまで滅茶苦茶に改造されている事に対する憤りと、しかし魔導書としては整合性を保っており、無碍に扱われている訳でも無い事も理解できてしまったからだろうか。

「……そろそろ話を始めてもいいかね?」

必殺(たぶん必殺を狙っているんだと予測される)のイブン・カズイの粉薬入りブラックジャックがノーダメージだった事の衝撃から立ち直ったアーミティッジ博士。
その言葉に反応し、難しい顔をしながら黙っていた大十字が顔を上げた。

「あ、すんません騒いじまって。……結局、今回の件はどういった扱いに?」

「ふん、教師風情にどうこうできるほど、妾とこやつの相性は生半可なものでは無いぞ」

踏ん反り返り不敵な笑みを浮かべるアル・アジフ。
本人別に気にしてないだろうけど、胸張っても胸部に膨らみを確認できないってのは寂寥感を感じてしまうな。
まぁ、ループの中で少しづつ差異のあるアル・アジフの事だから、某フィギュア版の如くむちむちボディな場合もあり得るのかもしれないが。
それはともかく、今はアル・アジフの処遇だ。俺は結論を告げようとしているアーミティッジ博士に視線を向けた。
アーミティッジ博士は別段その結論を俺や美鳥に知られても構わないと考えているのか、俺達全員を見回した上で重々しく口を開いた。

「うむ、色々と協議をした結果の結論なのだが──」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

ビジネス街の只中にポツンと存在しているこの公園は、平日昼は近隣の会社に勤めるビジネスマン達が昼食を取るのにも利用され、憩いの場として人気が高い。
が、ビジネスマンに好まれる反面、この街に暮らす子供達にはあまり利用される事は無い。
問題は立地だ。周囲をビル街に囲まれ、車通りも多いここは、学生が学校帰りに寄るには遠く、未就学児童を連れた親が通うにはあまりに危険。
また、どういった訳か避難用シェルターへのアクセスも不便で、どんなに近くのシェルターに逃げ込もうとしても六分は必要になってしまう。
街の何処に居ても三分以内にシェルター入口に到達できるのが個性の一つであるアーカムにおいては異例の立地となっているのだ。
その為、ビジネスマンがキリキリ働いている時間帯、具体的には昼休み周辺の時間帯を除けば、この公園はお年寄りが散歩を楽しむ程度で、非常に閑散としている。

「ふぅ……」

ベンチに座り込み、空を仰ぐ。
高層ビルが立ち並ぶ時代ハズレなビジネス街のど真ん中に存在しているだけあって、ここから見える空の形は酷く歪だ。
霊的視覚を展開し凝視すれば分かる事だが、歪んでいるのはビルが邪魔で空が見渡せない、というだけの話では無い。
覇道邸に仕掛けられた結界の余剰エネルギーが街を覆い、外敵を近づけない構造にしている訳だが、その結界を生み出す為のエネルギーはアーカムシティに住まう人々が吐き出し、流動させる生命エネルギーを風水的な都市構造によって増幅したもの。
人が多く集い、活発的に活動している土地は吐き出すエネルギーも多く、それを結界に取り込む為にやや空間に歪みが発生してしまっているのだ。
それなり以上の魔術師であれば、この綻びを魔術で突いて結界の構造を反転、結界が張られ独立した状態にある覇道邸を丸裸に出来る可能性だってある。
覇道財閥が配管一つにまで手を加えて作られた筈のアーカムに、なぜそのような欠陥が存在しているのか。
答えは簡単、そういった都市開発の魔術方面での指揮を執っていた覇道鋼造が、数年前に死去しているからだ。
因みにこの覇道鋼造の死亡時期、瑠璃ルートはいまいち印象が薄いのだがかなりのズレがある。
そう、これまでの全てのループでそうだったかはともかく、少なくとも今回の覇道鋼造=前回の大十字九郎は原作よりも遥かに早死にしているのだ。
そんな事を考えながら、眺め続けていると目が悪くなりそうな違和感のある青空を眺めていると、甘い砂糖の臭いが鼻に付いた。
臭いの元を探る為に視線を元の公園に降ろすと、目の前にはある程度の重みがある内容物を包んだ茶色い紙袋が差し出されていた。

「おまたせしましたー!はい、ご注文の品です」

「ああ、ありがとうございます」

濃い褐色の肌を、ミスドの制服に似ているようで似ていない衣装に身を包んだ活発そうな少女から、この時代ではココでしか手に入らない素晴らしい栄養物を受け取り代金を渡す。
このアラブ人と日本人のハーフの少女こそこの公園に居を構えるドーナツ屋台、ミスクアマカス・ドーナツの店長兼店員、名を新原トテプ(にいはら とてぷ)という。
知る限りにおいて俺達を除き、唯一フレンチクルーラーをこの時代に生み出す事の出来る、何の変哲も無い、
そう、
『何の変哲も無い何処にでも居る少女』
である。ツッコンではいけない、あらゆる作品に登場するコレは大抵の場合極度のかまってちゃんかつ愉快犯で、人のリアクションを楽しむ傾向があるからだ。
今回はこの設定で通すつもりらしいので、この少女である間は真実この少女以外の何物でも無いのだ。理論として見事に成立しているのでツッコミどころなど欠片も存在しないのである。
いいじゃあないか、どうせ次の周では黒人神父だったり科学者だったりハーレムの主だったりするのだから。こんな時だってあるに決まっている。
売るのはアイスとかじゃないの、とか、そんなツッコミをしたらそれこそこの少女の思うがままというか、正直アイスよりはドーナツの方が、ドーナツよりはミルフィーユやミルクレープの方が好きだからドーナツよりケーキ売れよとか、そんな野暮な事は言いっこなしだ。

「もう、そういう堅い口調はやめて下さいよ。なんでドーナツ屋の店員ごときに敬語なんですか」

ぷぅ、と頬を膨らませながら、極々自然な動きでベンチの隣に座る新原さん。
その距離を詰める様な動きと丁寧な様でいて親しくして欲しそうな口調が、煩わしく感じないからこそ煩わしい。

「じゃあその顔と体型と口調と声色も止めてくださいよ」

濃い褐色の肌に黒髪、エキゾチックな雰囲気漂うアラブ美人。いや、設定年齢からすれば美少女か。
しかし、アラブ風なのはその肌の色と髪色だけで、顔形はむしろ日本人寄りの白人風。
その艶やかな黒髪を編み込みバレッタで頭の後ろに纏め、眼はくりくりと可愛らしさをアピールしている。
顔の造詣は美しいというよりも可愛らしいというのに、その首から下は出るところが出て細い所は細い、俗に言うエロい身体。
色違いのメルア・メルナ・メイア──黒いメメメとしか言いようの無い姿なのだ、この少女の外見は。
大体、仮にも自分よりも上位に居る神に対して失礼な態度は取りたくないのだ。

「あれ? でもこの姿だとそれなりに気を使ってくれますよね」

顎に人差し指を当てながら小首を傾げる新原さんの仕草は、どうしようもなくメメメの姿とダブる。
が、内に潜む悪意を考えると、とてもではないが似ているなどとは言えたものでは無い。
この不思議がる様な仕草にしても、外面こそ真似ているものの、滲み出る此方をからかおうという意地の悪い感情を隠しきれていない。
口の端や目の端の下り加減に皮肉の意図が含まれているのは明らかである。
そして、隠そうと思えば隠せるそれらの違和感をあくまでも出しっぱなしにしている事が気に食わない。
つまるところ、遊ばれているのだ。

「習慣づいてるだけです。その姿は別に好きでも嫌いでもありません」

「むぅ……」

趣味が悪いったらない。俺は金髪は嫌いだが、メメメの髪は金髪でこそだと思っているし、わざわざこの姿を取っていること自体、俺への悪意と言えるだろう。
宇宙的な悪意、純粋な悪意は愛にも似る。だからこそ、その姿を見る度、言葉を交わす度に感じるデジャビュに俺は一抹の懐かしさと不可解な苛立ちを覚える。
そして、苛立ちを紛らわすためにもドーナツを、甘味を食べなければならない。
甘味は心の隙間を埋める事が出来る、と言ったのは何年前のアフタヌーン連載だったか。
やたら白い絵柄の漫画で、終番で主人公の母親が手の骨の関節を外して縄抜けしていた事だけは記憶にあるのだが、まあいい。
一抱えほどもある袋を開け、その中から標準サイズの袋を取り出し、更にその袋を開けて中からドーナツを取り出す。
フレンチクルーラーにチョコクリームフレンチ、エンゼルクリームにダブルチョコレートに……、
うわぁ、なんだか凄い事になっちゃったぞ。

「あれ、妹さんは呼ばないんですか?」

「ええ、あいつを呼ぶ前にフレンチクルーラーは食べておこうかなと」

こういう場合に限って、あいつは言う事を聞かないからな……、俺の分のフレンチクルーラーどころか、姉さんへのお土産分にまで手を伸ばしかねない。
まぁ、それも仕方が無いか。この世界に来てから美鳥が姉さんにうっかり殺害される回数が極端に減っているし、そこら辺の畏れみたいなのを忘れかけてしまっているのかもしれない。
それ以外は、よくやってるんじゃないかな、と時折ツンデレてしまう程度には有能なので、そこまで叱りつける事でも無いのだが。
フレンチクルーラーを食い終るまで、美鳥には引き続き公園の野生動物との戯れを続けて貰うとしよう。
そして、手に持ったドーナツに、齧りつく。

「……うん、うん」

感慨深い。沁み渡る様な、蕩ける様な、それでいてしっかりと形の崩れていない甘味。
心に喜びの感情が溢れ出す耐えがたい開放感。
しっとりとした舌触りのフレンチクルーラー、オーソドックスなデザインながら中のクリームが優しいエンゼルクリーム。
しっとり感こそ少なくなっているものの、そこにチョコとクリームが合わさる事で食感と味にアクセントを付け加えるチョコクリームフレンチ、息継ぎには微妙な食感のダブルチョコ。
そう、ストレスが堪るからこそ、ストレスから解放された時の喜びを感じる事が出来るのだ。

「ふふふ、本当に甘い物が好きなんですね」

「習慣ですよ、習慣。百年そこそこが寿命の人間にとって、半年間続けた習慣ってのはなかなか抜けないものなんです」

そう考える事が出来るからこそ、わざわざこの人(いや、神か)の所に来てドーナツを食える。
どうにもこの人、大十字九郎にも大導師にも深く接触せず、俺の精神に負荷を与えに来ている節があるのだ。
それがどのような意図の元に行われているのか、何か壮大かつ遠大な計画を練っているのかもしれないし、ほんの少しの気まぐれかもしれない、上手くいかない大十字九郎育成計画の息抜きの余興かもしれない。邪神ならぬ身の俺では真実を知る由も無い。
ならせめて、逆に少しでもいいから利用してやろう、という気になるのは極々自然な流れではないか。
だからこそ、あからさまにメメメの笑い声をトレースした様な含み笑いで甘味を語るこの少女に追い払う為の行動を起こさないのである。
一々喋り方が似ているところとか、見覚えのある妙に幸せそうな笑顔とかが癪に触れば触るほど、俺が感じるドーナツの旨味は増していくのだから。

―――――――――――――――――――

うっかり美鳥の分のドーナツを半分平らげたあたりで、俺はようやく今日ここを訪ねた理由を思い出した。
いや、どちらがメインかと聞かれれば、甘味の補給が日課になっている以上ドーナツ購入がメイン行事なのだが、メインで無い方の用事も一応知的好奇心を満たす為には重要な要件なので、どちらかをおろそかにして良いという訳でも無い。
俺はドーナツの複製を紙袋の中に押し込み、ドーナツ屋台をほったらかしにして未だベンチに座って、胡散臭い程に邪気の無い(恐らく邪気の代わりに純度の高い宇宙的悪意が含まれているのだろう)笑顔でこちらを眺め続けている新原さんに声を掛けた。

「新原さん」

「はい? あ、愛の告白ならオーケーしかねますよ。あなたのお姉さんに釘を刺されてますからね、『卓也ちゃんに変なちょっかいかけたら、即座に無限と一回だけぶち殺してあげる』って」

新原さんが居なくなると、大導師が戦う理由とか無くなっちゃって無限螺旋終わるのでは無かろうか。
まだ修行の途中だから、ここで世界が救われてしまうと少し困る。
いや、それはともかく。

「いや、俺があなたに好意を抱くとかまず確実に天地が引っくり返ろうが字祷子が目覚めようが有り得ないからいいんですけど」

そも字祷子が目覚めたら新原さんも消滅するのだが、仮に消滅して思い出の中だけの存在になったとしても、懐かしさを感じる事はあっても恋する事は確実に有り得ないという意味できっぱりと言っておく。

「それはそれで混沌(オトメ)心が傷つきますねぇ……」

響きは『おとめ』だったのに、間違いなく関係無い漢字が割り振られてる事だけは分かった。
新原さんの顔が悲しげな表情を作るが、それが本気で無い事は丸分かりだ。
何故なら彼女(本来性別は無い筈だが、今はアラブハーフの少女なので便宜上『彼女』とする)が本気で入れ込むのは、この世界のアザトースを開放できる可能性を秘めた二人の王だけで、その他の人間にはそれほど愛着を持つ筈が無い
どのような形であれ、彼女の玩具足り得るのはあの二人だけなのだ。

「大十字九郎って、毎度毎度あんな流れなんですか?」

大十字九郎と魔導書『アル・アジフ』の精霊が出会い、ミスカトニック大学側の対応が決まってから数日が経ち、ふとそんな疑問が頭をよぎったのだ。

「そうですよー。ほら、あの年頃の男の子は、街角でぶつかった女の子には厳しい対応が取れないって言うし」

「ミスカトニックの決定も?」

あの日、ミスカトニック大学の偉い人たちが出した結論。
それは、大十字九郎にそのままアル・アジフのマスターで居続けて貰う事だった。
しかも、アル・アジフの所有権はそのまま大十字九郎預かりという、正直危機管理どうなっているの、と聞きたくなるようなおまけ付き。

「ああ、ミスカトニックは昔からそんな感じですよ。秘密図書館から盗み出された訳でも無い野良魔導書で、契約者は模範的な自分の所の学生ですからね。取り上げる法的根拠も無いですし」

「いいんですかそれは」

「いいみたいですよ。どうせ、陰秘学科の生徒なんて真っ当な所に勤めようと思ったらミスカトニックか覇道に関係ある場所にしか就職できませんから」

「なるほ、ど……?」

納得していいのだろうか。そんな不確かな首輪で確保していると思える物なのか。
この世界に直接繋がらないらしい小説版の話で恐縮だが、陰秘学科ならずとも外部の魔術結社に就職する博士とかも存在する。
それにはっきり言って、真っ当な教育を受けたからと言って真っ当な人間に育たないのが魔術という分野だ。
魔術の研鑽の行き過ぎたものならば、わざわざ行動の制限される真っ当な職場で無く、違法行為を繰り返す悪の魔術結社に憧れてしまう場合もあると思うのだが。
まぁ、ニャ、新原さんが知り得ること全てを教えてくれるなんて思っても居ない。
ここはひとつ、ミスカトニックの偉い人の中にも他のコレが紛れていると考えておけば、さほど問題は無いか。
原作でも、それなりに戦えるだろうにクトゥルー召喚後も一切手出ししてこない様な組織だし、手が入っていないと考える方がおかしい。対抗できる魔術師が居ないって可能性も捨てきれないが。

「あたしも少し聞いておきたい事があるんだけど」

と、どうにかこうにか自分を納得させたところで、草むらに潜り込んでアーカムシティ特有の昆虫や小動物の採集していた美鳥が戻ってきた。
ここで採集された虫や小動物は少々の改造を施された上で再び街に解き放たれ、俺と美鳥の目と耳の代わりを務める。
元から街に存在していたものであれば余程奇怪な変化を遂げ無い限り見咎められないため、直接俺が死体を複製して造り出した端末よりも魔術師に発見される可能性が低い。
街に元から存在するモノを加工して使う為、端末をばら撒き過ぎて生態系が壊れる事も無く、そういった生物の分布を調査する方面からの露見も少なくなる。
魔道に通ずる者が多く隠れ潜むアーカムで無ければ、ここまで面倒な手間をかける必要は無いのだが……。

「ふふふ、美鳥さんの言いたい事は解ってますよ。ですが安心してください、このボディはモデルとなった人物のフレームをそのまま利用しているので、スリーサイズもそのままなのです……!」

「あんなスパロボよりギャルゲ向きの非ぃ現実的ィなスリーサイズなんてどうでもいい通り越してこの世から消滅すればいいよ」

「なんでお前はそこまで人のスリーサイズに攻撃的なんだ」

胸のサイズを割り増す程度なら幾らでも出来る筈なのだが。

「お兄さん、例え創作物とはいえ、天然であのサイズは女の敵だ……! じゃなくてほら、お兄さんも疑問に思ってたじゃん、アイオーンの事」

「あぁー」

思わず間の抜けた声を出してしまったが、確かにそれも聞いておくべきかもしれない。
機神招喚は最大級の奥義とされる魔術であり、何かしらの下駄を履かせでもしない限り、魔術初めて三年目の駆けだし魔術師が使える様な魔術では決してない。
俺が文章のみで知る大十字九郎以外のマスターオブネクロノミコンにしてもその身を人間のまま機神招喚に成功しているが、片方は確実に命を削り続け、もう片方はアリスンと同じかそれ以上の魔術の素養持ちの上、ナイアルラトホテップ自身の手によって存在を強化されている。
如何に魔導書の精霊の補助付きとはいえ、あんなに簡単に、一発で成功させていいものなのだろうか。

「ああ、九郎君の話ですか。凄いでしょう、あそこまで持って行くのにもう何百回ループさせてきたか。無限螺旋道場で鍛えられただけの事はあると思いません?」

えっへん、と自信満々に胸を張る新原さん。
ううむ、この態度が縁起か演技で無いかはともかくとして、現状分かっている事実とこのセリフから幾つかの事が分かる。
ここしばらくの、少なくとも数百周分の大十字九郎はその変質の方向性を意図的に調整され、純粋に魔術師としての伸びしろを強化され続けているのだ。
人間側の魔術師、白の王に相応しい力を手に入れさせるための下地作りか、それともトラペゾヘドロンを使わせる為には大導師と同じく魔術師として成長させるのが最善と考えたのか。
……よくよく考えてみれば、だ。大十字九郎が一つのループの中で『魔術師・大十字九郎』として活動する期間は極めて短い。
大学入学と同時に魔術を学び始めたとして、大導師との戦いの果てに過去の地球に落ちるまでの期間は五年にも満たない。
トラペゾヘドロンを大十字九郎に召喚させようと考えるのなら、何の下積みも無い状態からたったの三~五年程度で魔術師として大成させなければならない。
アル・アジフが白の王、大十字九郎のパートナーとして選ばれたのも恐らくはその為だ。
術者の技能を補助し底上げするマギウススタイルは、限られた期間しか魔術師として技能を磨けないという状況にはとても相応しい。
更に言ってしまえば、この数年を終えてしまえばトラペゾヘドロンを召喚できる可能性が無くなる以上、魂を削られて早死にしても惜しくは無い。
この世界の覇道鋼造が早死にしているのもそのためだ。下手をすれば、大導師に挑むまでも無く老衰で死亡してしまっている可能性だってある。
それに、ここは無限螺旋。この育成方法が失敗だったとしても、また数百、数千、数万、数億のループを使って新たな方向に育てれば良い。
変質による素質の変化は微々たるものでも、そのループで起きるイベントをあれこれ変化させればある程度の調整はできる。
気の長い話だが、彼女には時間制限などという物が存在しないのだ。こういう方法での育成も、ありと言えばありなのかもしれない。
そんな訳で、大十字九郎は魔術を学び始めて僅か三年で機神招喚が可能な魔術師になるだけの素質を持たされていた、というのがこの話のオチであるらしい。

「でも、最初から無敵モードなんて、話としてドラマが無いよね」

「アンチクロスには流石に苦戦するだろうけど、破壊ロボの立場はまるで無いよな」

「ドラマ、ですか。それは、まだまだ先のお話です」

最後にヒントを与えてみようと向かい合い『ネー♪』と意見を合わせる俺と美鳥に、新原さんは不敵な、モデルとなったメメメなら絶対にしないような、蟲惑的な笑みを浮かべた。
そう、この段階で大十字九郎が覚醒しないのもまた、彼女の思い描く計画の一部に過ぎないのらしい。
俺は、これから無数に積み立てられる大十字九郎の敗北と、俺と姉さんと美鳥の長く永く続くであろうこの世界でのトリップ生活の事を考え、溜息を吐いた。

―――――――――――――――――――

×月×日(アイオーン大敗北!)

『推奨BGMは『哀哭せよ。所詮、我等は神ならざる身』か『絶望に灼ける剣』と言った所であろうか、それはもう見事な負けっぷりであった』
『まぁ、所詮今回の大十字九郎はこれからのループで無限に出現する大十字九郎の中でも最も格下! とまではいかないものの、ループを終える可能性は限りなく望み薄な個体だったので予定調和だろう』
『とりあえず、アイオーンの敗北に至るまでの話から始めなければなるまいが、俺の身の回りは殆どいつも通りだったので大十字九郎とアル・アジフ周辺のあらすじを語っておこう』
『実のところ、主無しでリベルレギスと戦ったアイオーンではあるが、その実、戦闘の余波で抜け落ちたアル・アジフの記述は極々僅かだった』
『その為イベントらしいイベントと言えば、ほぼページに関わり合いにならないものばかり』
『ついでに言えば、覇道財閥も大十字九郎には殆ど接触していない。御蔭でインスマンスの海水浴イベントは教授抜きのミスカトニック大学学術調査班(死亡フラグ持ち)との学術調査にすり変わってしまった』
『ページモンスター絡みで起きたイベントと言えば、ニトクリスの鏡イベントに、バルザイの偃月刀イベント程度』
『これは狂言回しの仕込みでは無く、ループする度に少しずつ生まれるブレの様なものであるらしく、しかも大十字自身がそれなりに使える魔術師であった為か、強化イベントにもならずにあっさり消化されてしまった』
『そう、ほぼ一方的に有利な戦闘しか経験せずに、遂にブラックロッジが最終計画を発動させてしまったのだ』
『この世界、微妙に覇道財閥の戦力が低いせいか、ブラックロッジの襲撃事件も起きず、最終計画発動までに大十字が見たのはウェスパシアヌスのみ』
『割と調子に乗っていた大十字は、大導師をフルボッコしたアンチクロスにぺしゃんこにのされてしまいましたとさ』
『ちなみに、今回は好感度低めのアルルートといったところだったのか、大十字こそ無事であるものの、アル・アジフは魔導書としては『死んで』いる』
『如何にエンネアイベントが起きず、大十字のコンディションが悪く無いからと言って、遥かに格が上の魔術師数人を相手にして被害が魔導書の精霊一匹だけで済む辺り、未だ至れぬ大十字九郎といえども簡単には死なせてくれないらしい』
『とはいえ、新原さん(端末越しに見たところ、覇道財閥が用意した避難所でドーナツを売っていた。街の高い所から大十字を観察して嘲笑ったりはしないらしい)の表情も気が抜けているから、ここまでの展開はほぼテンプレ、しかもここからは消化試合的な意味合いが多分に含まれているのだろう』
『が、しかし、だ。この世界の成り立ちを、この世界の元となった原作を知る者からすれば、ここからが本番と言っても差支えない』
『アル・アジフは力を失ってはいるものの、魔術を使用する為の演算装置としては十分に機能する』
『大十字九郎もパートナーが死んでいるものの、魔術師としての技能が失われた訳ではない』
『そして、この世界には、この街の地下にはまだ、あれが存在する。アイオーンと比べれば、瓦落多どころか鉄屑と呼んでも差支えない様な不出来な代物ではある』
『アイオーンが大業物とするならば、数打ちにすら劣るかもしれない。まともに刃も付けられていないかもしれない。棒切れ同然かもしれない』
『しかし、魔を断つ剣は、確実にそこに存在しているのだ』

―――――――――――――――――――

大十字九郎は、もはや完全に異次元に引き籠っているミスカトニック秘密図書館の中、只管に弾丸の加工と秘薬の生成に明け暮れていた。
逆十字達の鬼械神に吹き飛ばされる直前、魔導書『アル・アジフ』の精霊が身を呈して庇い、最後の力を振り絞り、自分達の知り得る限り一番安全と思える場所へと主を転移させたのだ。
大導師マスターテリオンとの決戦、逆十字達の裏切りによる大導師の死、そして、逆十字全員を相手取った戦いによって、九郎の駆る鬼械神『アイオーン』はもはや修復不可能なレベルまで記述を欠損。
同時に、魔術師として無くてはならないパートナー、魔導書の『アル・アジフ』も霊的構造に致命的な打撃を受けた状態で魔術を行使したお陰で全魔力を消失、実質死亡したも同然。
九郎は、ブラックロッジと戦えるだけの力を失ってしまっている。

「……」

弾頭と薬莢を外し火薬を取り出し、秘密図書館に貯蔵されていたイブン・カズイの粉薬を火薬と混ぜ弾丸に封入し直していく。
弾丸が一マガジン分揃う度に、弾丸に一つ一つ魔術文字を刻んでいく。
刻む文字はそれぞれ『The minions of Cthugha』『Wendigo the Blackwood』
刻み終えた弾丸をマガジンに押し込み、丸ごと洗礼儀式を施す。
それが終わると、また新たに弾丸を取り出し、先ほどと同じ工程を繰り返す。
あの日、街中に突如現れた逆十字の鬼械神二体を迎撃する為にアイオーンを呼び戦っている最中、何者かから託された赤と銀の魔銃、その弾薬を生成しているのだ。
鬼械神と同系列の魔導理論で構築された魔銃は、魔導書を失った状態の九郎であっても扱える強力な武装。
弾丸は鳴無兄弟が秘密図書館に持ち込んだ試作魔導銃の中に50AEと460RUGERを使用するタイプの物があった為、掃いて捨てるほど存在している。
そう、九郎はパートナーと愛機を失って尚、戦いをやめるつもりはないのだ。

「そう根を詰めんなって」

机に向かい、弾丸を加工し続けている九郎の目の前に、湯気の立つ暖かそうなコーヒーの入ったマグカップが置かれた。
九郎が顔を上げると、そこにはマグカップが乗っていたであろう盆を持った鳴無美鳥の姿があった。

「ああ、美鳥か。わりぃな、気ぃ使わせちまって」

加工の済んだ弾丸をまた一つテーブルの上に置き、マグカップを手に取りながら九郎は美鳥の姿を見上げた。
彼女も着の身着のままここにかけ込んだのか、何時も学内で見かける時に比べてラフな格好だ。
が、避難シェルターではなく秘密図書館にかけ込んで来ているという事は、彼女もまたブラックロッジとの闘争に関わるつもりなのだろう。
止めるつもりはない。ミスカトニック大学も一時期ブラックロッジと積極的敵対関係にあった頃があったらしいし、なにより、魔導書の補正を抜きにした単純な戦闘能力において、彼女が自分を遥かに上回る事を知っていたからだ。
もしもアルと相性の良い魔術師が自分の様に手広く魔術を扱える半端な秀才ではなく、彼女の様に戦う力において優れるものであったなら、あの様な無様は晒さず、アイオーンも失わず、アルを殺さなくても済んだのではないか。
そんな事を一瞬考え、九郎は頭を振る。

(馬鹿な事を)

それは、その思考はこれまでの戦いを、アルとの日々を否定する考えだ。
アルが死んでしまったのは自分が未熟だったのが原因であり、他の相応しい誰かがマスターにならなかったから、などという理由では断じてない。
そも彼等は既に魔導書と契約済みであり、その魔導書を不足と断じながらも、今の自分たちの身の丈に合っていると納得し愛用していた筈だ。
仮に相性が良くても素直に契約し直すとは思えない。

「弾薬と薬は足りてるか? まぁ、足りないなんて言われても困るけどな」

「いや、大丈夫。というより、過剰な位だな」

自分の分の飲み物に口を付けながらの美鳥の問いに、九郎は傍らに積まれた大量の弾薬と粉薬を横目で見ながら頷いた。
咄嗟に口にした言葉は半分は嘘で、半分は本音。
相手は一人一人でも純粋な実力でマギウススタイルの九郎を圧倒する達人級(アデプトクラス)の魔術師が六人に、無数の破壊ロボ軍団。
更にはそれらを倒した上でクトゥルーすらどうにかしなければならないのだから、弾薬はいくらあっても十分という事は無い。
が、しかし、魔導書を失い充分に魔術を行使できない今現在の九郎では、大量の弾薬を隠し持つ事は至難の技であり、持つ量によっては動きを制限されかねない。
そして、用意できた弾丸と粉薬はとてもではないがまともな人間では抱えきれない量。
ガンショップに行けば購入できる弾丸はともかく、これほどのイブン・カズイの粉薬を誰が用意していたのか。
アーミティッジが使うにしては量が余りにも過剰だ。生徒が実習で作ったものにしては質が均一過ぎる。
それはまるで、未来の完全機械式工場で大量生産したかのよう。

「まぁ、アーカムがこんな事になって無くても新しく用意するのは難しかったかもね。特に二百年物の墳墓の塵なんて、それこそ歴史の浅いこの街じゃ探すのだって難しいってお兄さんがぼやいてたし」

九郎が弾薬を加工しているのとは別の机に腰掛け、大量に積まれていた鉛の小筥の一つを膝の上に乗せ、眼を細め、愛しむように小筥の淵を指でなぞる。
これ以上無いほど穏やかな、優しげな笑み。
彼女がこの表情をする時は必ずと言って良いほど一人の人物の事を思い浮かべている事を、九郎は短い付き合いながらも自然と察していた。

「これは、卓……お兄さんが?」

この表情をしている彼女に対し、彼女の兄を名前で呼ぶ事は何故か躊躇われた。
そんな九郎に視線すら向けず、美鳥はくすくすと笑う。

「そうだよー、もしもの時の為に、って。アーカムじゃ二百年ものなんて望むべくも無いから、休みの日に少し海外に旅行ついでに墓荒らし」

そこまでやらなくてもねー、などと言いながらも笑い続ける美鳥。
そんな彼女の言葉を聞き、ふと一つ思い出した。

「た……、じゃない」

「良いよ別に、名前で呼んでも。どうせメメメや統夜も、それどころか石鹸やグリニャンすら名前で呼んでたんだ、今更一人二人名前で呼ぶ奴が増えるくらい」

美鳥の口から出た名前も気になったが、今はそれよりも聞きたい事があった。

「卓也はどうしたんだ? 美鳥ちゃんがここに居るって事は、あいつもここに居るんだろ」

九郎の知る限り、この兄妹は一日中行動を共にしている様に見える。
それになにより、彼女一人を戦わせて自分一人シェルターに隠れ潜む様な性格はしていない筈だ。
悪ふざけが過ぎる事もあるが、それでも彼等は一本の筋が通った人間であり、戦うべき時は戦う戦士であり、邪悪に抵抗する魔術師なのだ。
その九郎の言葉に、美鳥は呆れた風に肩をすくめて見せた。

「その様子じゃ、『ここ』に飛ばされてきた錯乱状態のあんたを大人しくさせてくれたのがお兄さんだってのは、すっかり忘れてるみたいだね」

「え、あ……言われてみればそんな気も」

そうだ、命からがら秘密図書館に転送され、精霊としての身体を維持できなくなったアルのページを掻き集めながら泣きわめいていたら、頭に何か、硬いものを押し付けられて……。

「先に言っておくけど、あの場合はお兄さんの判断は間違っていなかった。あのままの精神状態じゃ、準備も整えずにあの空中要塞に突撃しかねなかっただろうし」

そして、次に目が覚めた時には、不思議な程に落ち付いていた。
起きてすぐに現状を確認し、武装の用意を始める事が可能になる程には。
アルを失い怒り狂っていたのに、あれほど悲しかったのに、心は驚く程に静けさを取り戻していたのだ。
一度頭の状態をリセットしてしまえば正常な魔術行使が可能な精神状態に持って行けるのは魔術師としての性、というものなのだろうか。
荒ぶる感情を抑えるのでも沈めるのでも無く、乗りこなす。
魔術師としての先天的な才能に優れた九郎ならではの心のあり方だった。

「それは分かってる。でも、あいつは結局何処で何をしてるんだ?」

「それ」

やはり九郎の方を見もせずに、小筥を持った手の人差し指で九郎が傍らに抱えたアラベスク模様に黒檀装丁の大冊を指し示す。

「ダミーなんだけど、気付いてたか?」

「え」

慌て、傍らの魔導書を開き確認する。
が、書の材質、形状、記述の一文字に至るまで、何一つおかしな所は存在しない。
アル・アジフが精霊として生存していた時に後学の為に何度か魔導書形体になってもらい内容を熟読しているので間違いない。
いや、一部記述は破損しているが、これは先の逆十字との戦闘が原因だろう。
だが、それを除けば間違いなくこれはアル・アジフに見える。

「精霊付きだと上手くいかない、いや、精霊がまともに写させてくれないから上手くいかないけど、魔導書としての『力』を失ってればそんなもんだ。言い忘れてたけど、お兄さんは複製──写本造りに関してはこの世界で右に出る者が殆どいない程度には腕利きなんだよ」

淡々と、新聞記事でも読み上げる様な淡白な口調の美鳥に、九郎はガタリと音を立てて乱暴に立ち上がり、胸倉に掴みかかる。

「てめぇ……、どういう心算だ」

何故自分からアル・アジフを引き離したのか、何故勝手に写本と入れ替えたのか、何故それを今まで言わなかったのか。
何故という言葉を力に換え──ねじ伏せられる。
胸倉を掴む九郎の腕は、鉄をも螺子切る美鳥の怪力により、ギリギリと音を立てて引き剥がされ、逆に捻じり上げられた。

「どういうつもり? そりゃこっちの台詞だね」

「何?」

捻じり上げられた腕を持ち上げられ、顔と顔が触れ合う様な距離に近づけられ、視線が交錯し、九郎は漸く美鳥の表情を目の当たりにする。

「いいから聞け、大十字。魔導書の複製なんてな、普通はそうそう上手くいくもんじゃねぇんだ。『力ある魔導書』ってのはそういうもので、それが楽にできる今のあれはただの紙束だ」

「違う! アルは……」

反駁しようとし、美鳥の視線に含まれた異常なまでの力に、熱に押し黙る。
眼差しに込められた温度は金属の様に冷え冷えとし、口を開く度に吐き出される言葉は、血を吐きながら紡がれる亡者の呪詛染みている。
伝わるのは鉛の様に重い説得力。

「聞け、大十字九郎。魔導書の精霊ってのは、何の意味も無く存在している訳じゃない。魔導書の精霊は総じて術者の補助が目的で、精霊の人格は引き易い形に作られた銃のトリガーみたいなもんで、人間と同じに扱う、食事を共にする、感情を交わし合う、全て余分だ」

「……」

反論の言葉はある。
だが、それを自分が彼女に言った所で、何の意味も無いのではないか。
この言葉は、どうしてでも最後まで邪魔してはいけない気がする。
そんな思いに囚われ、九郎は口を開く事が出来ない。

「いいか、魔術師大十字九郎。何もその余分が全て悪い事だって言ってんじゃねぇよ。だがな、今のあれは何の力も無い紙束で、吊るしていっても唯の重りにしかなんねぇ。それを戦場に持ち込むのはきっと『本人』だって望んじゃいない。壊れた銃を持って戦うのは、ただの感傷だ」

怒鳴るでも無い、声を荒げるでも無い、誰かに言い聞かせる様な静かな言葉。
しばしの沈黙、それを破ったのは美鳥では無く九郎だった。

「ただの感傷が、悪いってのかよ……」

冷え切った鉄の様な視線に真っ向から睨み返しながらの、絞り出す様な声。
そう、力を失ったアル・アジフが戦いの場において何の役にも立たないなんて事は、それまで戦いを共にしてきた九郎が一番よく理解している。
魔導書は魔術師に力を与えるが、今のアル・アジフでは魔刃鍛造すら難しいだろう。
下手をすれば、秘密図書館の中から適当な魔導書を持って行った方がよほど役に立つ。
今現在、アル・アジフを連れて、持って行く事に関して、戦略的アドバンテージは存在しない。
だが、それを理解してなお、九郎にはアル・アジフと、彼女と別れて戦うという選択肢は存在していない。
当然だ、相棒を置いて戦場に出掛けることなど出来よう筈も無い。
少なくとも、九郎はそう考えていた。

「悪いね、ただの感傷なら。感傷は抱いてるだけならただの荷物だ」

にべも無く断じる美鳥。
言うだけ言って満足したのか、美鳥はようやく九郎の腕を解放した。
捻じり上げられ腕を放された九郎は美鳥を睨みつける。
彼女もまた、インスマスや大学などで幾度となくアル・アジフと顔を合わせていた筈だ。
だというのに、この割り切った態度はどうだろう。
ある意味では正しい言葉で、魔術師としては正常かもしれない。邪神狩人の候補としてなら間違った判断ではないかもしれない。
だが、それを置いても彼女の態度は冷たく、硬過ぎる。
睨みつける九郎の視線を受け取らず鼻で笑い、美鳥は顎をしゃくり一つの扉を指し示した。

「でもな、感傷は使い方じゃ心の拠り所になるし、振り回せば人を傷つける武器にもなる。
──付いて来な、面白いもんを見せてやるから」

―――――――――――――――――――

図書館と一言で言っても、その内部には様々な区域が存在する。
ここは本来なら利用客は立ち入り禁止の部屋。
破損した、あるいは経年劣化で崩れてきた本などを修復する為の作業を行う部屋だ。
そんな部屋の中──

「本っ当に──申し訳ないっ!」

俺は傍らに立つ美鳥の後頭部を陥没寸前まで握りしめ、無理矢理に頭を下げさせる。
頭を下げる相手は、戦いに敗れ魔導書を失い、やや憔悴した風の大十字。
単純作業の繰り返しで頭の中が少なからず整理されたからなのか、ここに来た直後に比べれば見違えるほど落ち付いて見える。
が、それでもパートナーを失った直後である事にはなんら変わらない以上、無神経にあれやこれやと言い聞かせるのは配慮が無いにもほどがある。

「なんだよー。あたし嘘も出鱈目も間違った事も言って無いじゃ凄く痛い痛い痛いごめんマジで反省してるからその手を放して」

「じゃ美鳥ちゃん、心からの謝罪一発どうぞ」

人間を忠実に模した肉体、その頭部の皮膚や毛細血管を手指から伝わる圧力で破壊され涙目で苦痛を訴える美鳥に、姉さんがチャンスを与える。
俺に後頭部を掴まれながら頭を上げた美鳥は、半笑いの表情で明後日の方向を向きながら口を開く。

「ちっうるせーな……反省してまーっ、ぎっゃ」

握りつぶした。
手指の間に引きちぎられ血塗れの毛髪と頭皮が残り、爪の間には削れた骨が覗き、美鳥が頭を抱えながら地面をのたうちまわる度に図書館の地面に血痕が染み込んでいく。
この世には言って良いジョークと悪いジョークが存在する。
もちろん今のは駄目な例だ。良い子は決してマネしてはいけない。

「いや、それはもういいから、っつうかやり過ぎだマジで」

大十字は俺の仕置きの過激さにドン引きしているが、少なくともさっきまでの無駄に消沈した態度で居られるよりは余程いい。
俺の説明でもたもたと時間を取る訳にはいかないのだから、聞く側にはそれなりに気合いを入れて欲しい。

「っと、あんたは? ミスカトニックの関係者じゃないよな、たぶん」

「今回は自己紹介をしている暇は無いから端的に言うと、卓也ちゃんの姉です」

「あ、俺は大十字九郎、弟さん達には何時もお世話になってます」

姉さんに気付いた大十字は早速姉さんに挨拶を仕掛けた。
姉さん自身も自分の存在感に細工を施しているので、関係者に見つかっても何故秘密図書館に部外者が入り込んでいるかという疑問は一切思い浮かばないらしい。
お陰で大十字も特に違和感を持たずに会釈している。その視線にも態度にも特におかしな所は無く、不自然なまでに局部を追っているとか鼻の下が伸びているとかも無いようで一安心だ。
まぁ、この時点でアルルートに入り気味風だから姉さんに性的欲求を抱く事は無いと思うが、仮に粉かけようとしたら──

「大事な大事な孫娘を犯し尽くしてから、イハ=ントレイの魚共の餌にしてやる……」

勿論次のループで。或いは両親が襲われる現場に遭遇するように仕向けてティベリウスの玩具にするのもありだろうか。
知っていたのに止められなかった、とか、知っていたこと以外も想定しておくべきだった、とか思わせてやりたい所存。

「え、何、何か今やたらえぐい事言わなかったか!?」

む、少しだけ声に出てしまったようだ。
だがまぁ、今はそんなどうでもいい事の弁明をしている暇は無い。何しろ人を待たせているのだ。

「ともかく、大十字先輩は健康体の様ですので、話を進めさせて貰いますね」

「スルー!? いや、もういい話を進めてくれ、疲れてきた……」

「諦めんなよ……諦めんなよそこでぇ!むぐ」

「美鳥ちゃん、話が進まないからここからは突っ込み無しよ」

何かを諦めた様な表情の大十字や、クトゥグアやその眷属とは別系統の炎の精を召喚しようとして姉さんに口を塞がれる美鳥(完全回復済み)は華麗にスルー。
俺は雑多に工具の並んだ作業机の上から一冊の本を手に取り、大十字に差し出した。
アラベスク模様に黒檀装丁の大冊、一見すると大十字が今も抱えているアル・アジフのレプリカにそっくりだが、こちらは少しだけ異なる点が存在する。
それは、書が纏う『力』の有無。

「これは、アル、か?」

恐る恐る差し出された魔導書を手に取った大十字。
やはりというか、当然の様に見抜いてきた。だが、半分正解で半分外れといったところだ。

「大半はそうですね。一応、そう、一応は破損した記述も修復してあります。同じ素材の紙を用意して、それにラテン語版からの再翻訳版の記述を書き込み、無事な記述にも魔力を流し込みながら上書きを施し、一旦表紙から何からばらして組み直させて貰いました」

「でも、アル・アジフの精霊までどうにかできた訳じゃないわ。肉体的には完全に健康体だけど、脳味噌は致命的に破壊されて人格は取り戻せない、記憶の類も当然無い、そんな相手を以前と同一人物であると言い切れるなら、それもアル・アジフと言えるのでしょうね」

俺と姉さんの説明が聞こえているのかいないのか、大十字は渡されたアル・アジフ(リペア版)を大事そうに抱きしめ目を閉じ俯き、直ぐに表情を改めた。
さっきまでのどこか疲弊した様子は微塵も感じられない、戦う戦士の表情。

「ありがとう、御蔭でまだ俺は戦う事が出来る」

──いや、正直感謝したいのはこっちの方な訳だが。
何しろ、一部記述に破損ありとはいえオリジナルのネクロノミコン、アル・アジフを一度取り込むことができた。
更に混乱に乗じてアーミティッジ博士から、オリジナルの修復の為にネクロノミコン・ラテン語写本の閲覧許可を貰い、こちらも取り込む事に成功した。
合わせればほぼ完全なネクロノミコンとして扱う事が出来る。
まさかこんな早い段階でオリジナルのネクロノミコンとラテン語版を手に入れる事が出来るとは思わなかった。
安全な場所として、どこよりも先にこのミスカトニック秘密図書館を思い浮かべてくれたアル・アジフには感謝してもしきれない。
あの日あの時、今後の流れを特等席で眺める為にと秘密図書館に立てこもる準備をしていなければこの幸運はありえなかったのだから。
そんな考えはおくびにも出さずに、真剣な表情を作り大十字に釘をさしておく。

「先輩、分かっていると思いますが、今まで先輩がアイオーンを召喚し、喧嘩殺法とはいえそれなり以上に戦えてきたのはアル・アジフが誇るマギウススタイルの特性のお陰です。そして、そのアル・アジフ改修版で機神召喚を行おうとすれば……」

「呼ぶだけなら七回、戦闘機動なら、どんだけ多く見積もっても三回が限度、ってところか?」

遺跡中枢の機能を使用して可能な限りシミュレートした上での数値を、事も無げに口にする大十字。
魔術師としての力量云々ではなく、何度か試そうとした上での実感込みの彼なりの予測値といったところだろう。

「ええ、この際だからはっきりと断言させて貰いますが、このまま戦えば、間違いなく先輩はそこらの路地裏の野犬の如く無駄に無意味に野垂れ死にます。打倒逆十字? 寝言は夜、布団に入って目を閉じてからお願いしますといった感じですね」

「……前々から思ってたけどお前、人の嫌がる事言う時やたら嬉しそうな顔するよな」

「気のせい、英語で言うとウッドスピリッツですよ。……とはいえ、友達とまでは言えないまでもそれなりに付き合いのある先輩後輩である貴方を死なせるのは、少しばかり忍びない」

どれぐらい忍びないかと言えば、引っ越し先の近所の人に引っ越し蕎麦を渡したら何故か世界がバグってバグってバグってハニー。好感度はマックス固定。
それから毎日の様に美味しい手料理を振舞われたり、朝も健康な時間帯に優しく電話で起こされたりしてしまうが、その隣人は同性でなおかつインスマス顔(しかもエルダータイプ)であった時位には忍びない。
そんな訳で、彼にはどうにかしてループが成立する程度には長生きして貰おう。
懐から封蝋の施された封筒を取り出し、投げ渡す。
投げ渡された封筒をしげしげと眺めていた大十字は、封蝋の形を見て驚愕する。

「これは……覇道財閥の印じゃねえか!」

「コミッショナーがお呼びです、ってか」

竜虎乱舞のデッドコピーでも強いしカッコいいんだけどな、デッドリーレイブ。
墓ギースばっかりメジャーになったけど、野心溢るる若ギース様だってカリスマでは負けていないと思う。
しかし美鳥よ、それだけだとどんなボケをしているのか理解できる人はそうそう居ないと思うぞ。実際呼び出しているのは覇道のトップなんだから。

「そこに向かってください。召喚回数に関する問題は、たぶんそこで初めて解決する筈です」

クトゥルーが召喚される少し前に、ミスカトニック大学に届けられたものだ。
一度取り込んでから内容を把握している。内容は、簡単に言えばこう。
『ブラックロッジを打倒する為の秘密兵器あります。凄腕の魔術師と魔導書求む』
といった旨が書かれている訳だが、その実、よくよく読めばある一人の学生にのみ拘っている風の文章。
そう、そうなのだ。ようやく、ようやく『アレ』が姿を現す時。

「たぶんに筈ねぇ。魔術師の勘には意味があるもんなんだろうけど」

俺の内心の興奮を知らず、手紙の内容を見た大十字はがりがりと頭を掻きながら唸る。

「ま、今は考えても仕方がねえか。……本当に、何からなにまで助かった、ありがとう」

「ええ、頑張ってください」

「長生きしろよ」

「ウチの卓也ちゃんの事、忘れないでね」

俺達に背を向け、作業室から出て行く大十字の後ろ姿に、俺達は別れの言葉を送る。
姉さんだけ転校生に送る言葉染みているが、大した問題じゃない。
大十字九郎、君の運命は動きだしている。もう止められない。君は走り続けるしかない。何時か宇宙の中心に立つ、その時まで。

「さて」

さしあたって俺達がするべき事はなんだろうか。
先ずは魔導書の改造だな。身体に取り込んだままでも十分に機能する筈だが、一度文庫版の方に記述を纏めて日本語に編纂し直す。
それから、取り込んだ記述の効力の確認。特に鬼械神関連の記述は特に念入りに微に入り細に解析させて貰わなければなるまい。
大十字がアル・アジフと共に転移してきてからそれなりの時間が経過し、取り込んだアル・アジフの最適化も済んでいる。
取りこんだ時点で魔術師と契約するだけの力すら残っていなかったのでそのままの運用は難しいが、二年間愛用している文庫版に記述を移植する事で俺との相性は調整済みなので何ら問題ない。

「となると、やっぱりこっそりと一ステージ分だけでも戦っておきたいな」

術や武装の試し打ちにはうってつけの標的がそこら辺にゴロゴロ転がっているこの状況、試すなという方がおかしくは無いか。
しかも敵はすべて80メートル級の超巨大ロボであり、これまでのトリップでも相対した事の無いサイズの敵だ。
これまではゼオライマー級か超電磁級、さもなければダンクーガ級が人型としては最大で、それ以上の大きさとなると大体人型からは外れていた。
全くの未知のサイズの敵、これまでのミスカトニックでの二年間の積み重ねを試す絶好の機会だと言える。
ついでにロボも出してみるのも良いかもしれない。なにしろスパロボ世界での最終決戦以降は殆ど動かしていない、埃をかぶる事は無いにしても、偶には昔を懐かしむ気持も大切にするべきだろう。
それになにより、ロボに乗って戦うなり、変身して戦うなりすればそれだけで正体を隠す事が出来る。
記述に関しても、他の魔導書に同じ記述を別の観点から考察して書いたものだってそれなりにある筈だから何とでも言い訳は効く。
魔銃は、ううん、アレンジは間に合わないから、今回は武装の魔術兵装への転換実験という事で古いものを使うとしようか。

「お姉ちゃんも少し運動したい気分かも」

「ああ、最近運動不足でお腹に肉が付いたとかなん」

美鳥は台詞を言いきる前に正中線から真っ二つになった。
俺は左右に綺麗に倒れた美鳥に構わず、姉さんの手を両手で握り、出来得る限りの熱視線で姉さんの瞳を見つめながらフォローを入れることにした。

「姉さん、俺、姉さんの下腹に少し付いた肉の丁度いい柔らかさとか、甘噛みするのにもってこいだから大好きだよ」

「決めた、お姉ちゃん絶対痩せる。今日痩せるすぐ痩せる。だから卓也ちゃんもそんな変態ちっくなセリフを決め顔で言うのは止めて歯を輝かせるのも止めて……!」

姉さんは嫌々をする様に頭を振る。
いや、本当に好きなんだけどね、変に痩せているよりは肉感的で良いと思うし。
行為の後に、少し熱を帯びて汗ばんだ肌の吸い付くような感じとか、口の中でしゃっきりぽんと踊って舌にも唇にも嬉しい感触なのだ。
でも女性からすれば、やはり理解され難い物なのかもしれない。

「姉さんとか、運動するレベルで戦ったらアザトースが眠りから覚めて宇宙ヤバくない? ねぇ?」

「うん、お兄さんだけで破壊ロボ軍団だけなら一時間掛けずに全滅しちゃいそうだし、あたしは後ろに引っ込んでるにしてもさ」

「お前結構シンメトリーだな」

分断された左右の身体からそれぞれ再生を果たした美鳥が、双子キャラにありがちな、互いの両手を合わせて頬を近づける双子耽美描写で、俺の試し打ちと姉さんの運動の同時進行の問題点を指摘してきた。

「お姉ちゃんはあれ付けるから大丈夫よ、あれ、ええと、『呪霊錠』とかそんなのの凄い版」

呪霊錠と言っても、そのまんま幽白に出てきた術ではない。なんでも、姉さんが覚えていない程昔にトリップ先で編み出した自分強化用、あるいは超手加減用の術であるらしい。
回数制限無し、霊的な呪縛だけでなく、肉体、魔力、気、その他諸々のあらゆる不思議パワーを極限まで制限する事が可能。
この術を使えば、手加減するでもなく、今現在の俺の完全戦闘形体と本気で(少なくとも気分的には本気で)戦って互角レベルまで戦闘能力を落とせる優れもの。
が、姉さんはこの術の使用を本気で嫌っていた筈だ。

「大丈夫? それ以上パワーアップして、鍛錬の時にうっかり完全消滅とかさせられるのは俺も流石に嫌だよ?」

そう、押さえつけたまま戦えば戦う程、呪霊錠を解いた後、ただでさえ恐ろしいレベルにある姉さんの戦闘能力が加速度的に上昇してしまうのだ。
原作で例えれば、霊界探偵なりたての主人公が一気に魔族として覚醒した後、しかも先祖に身体を乗っ取られた時レベルまで強くなると考えて貰えれば間違いない。
姉さんからすれば誤差に含んで片付けてしまってもいいパワーアップかもしれないが、稽古付けて貰う側としては正直気が気でない。

「たぶんだいじょぶ、力の制御能力も制限できるように改良したから」

つまり、上昇した力に合わせて制御能力も上昇する様になる訳だ。
無茶苦茶だが、まぁ姉さんはそこらのチートトリッパーに出来る事なら大概余裕だっていうし、仕方無いか……。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

アウグトゥストゥスによって腹部をナイフで刺され瀕死の重傷のドクターウェストを抱えたまま追っ手を振り切り、格納庫から量産型の破壊ロボを盗み出しどうにかこうにか夢幻心母からの脱出を果たしたエルザ。
しかし、そこからが難儀の始まりだった。
エルザの乗った破壊ロボを、無数の量産型破壊ロボが追いかけて来ている。
追手の量産型が放つバルカンを、ミサイルを、破壊ビームを華麗なテクニックで交わし続け、反撃。
簡易AI制御の量産型とは比べ物にならない精度で放たれる攻撃はまさに百発百中、次々と量産型を撃墜していく。
が、余りにも多勢に無勢、敵の数は一向に減る気配が無い。
倒しても倒しても減らない破壊ロボの群れを相手に、エルザの破壊ロボは徐々に、しかし確実に追い詰められる。

「こなくそおぉぉぉロボぉっ!」

狂気の科学力により生み出され、人並み以上の人間味を備えたエルザの超AIが熱を持ち、処理速度が徐々に落ち始める。
人間で言う所の焦りの感情だ。
破壊ロボに限らず、ある時期からのドクターウェストの発明品の大半は、六弦式生命電気発生器の生み出すオルゴンエナジーによりで事実上半永久的に稼働する。
が、それだけで戦いぬける程ロボットというものは単純なものでも無いし、弾薬などに至っては極々正常な量(せいぜいアーカムを焦土に変える程度)しか積みこむ事が出来ない。
このままでは、追い詰められて、博士諸共破壊されてしまう。
それだけは何を置いても避けるべきだと、自己と創造主の消滅を恐れるエルザの優秀なAIが、この時ばかりは逆に撃墜される可能性を高めてしまっていたのだ。
ミサイル、バルカンを打ちつくし、ビームは砲身が焼き付く寸前。
反撃が止んだのを好機と見た量産型達が、エルザの乗る破壊ロボに一斉に取りつこうとした、その時である。

「ロ、ロボっ?」

四方を取り囲んでいた量産型が、一体残らずその動きを停止した。
空中に、ブースターを全力で吹かしながら、全身するでもなく静止している。
エルザの駆る量産型破壊ロボのカメラアイでは捉えきれなかったが、魔術的素養の高いもの、或いはある程度の位階に達した魔術師であればそのからくりを理解する事が出来ただろう。知覚する事が出来ただろう。
量産型達を縛りつける、蜘蛛の糸の存在を。
或いは、ここに多くの魔術に精通する者が、或いはその存在の記述を持つアル・アジフ本人であれば、真実その術の原理を一言、こう言ったか。
『アトラック=ナチャによる捕縛術式』
アトラック=ナチャ、ヴーアミタドレス山の地底に広がる底なしの深淵に巣を張り巡らせる蜘蛛の神。
蜘蛛神の糸の如く敵を捉え、決して放さない驚異の捕縛魔術。
破壊ロボのカメラがとらえずとも、破壊ロボに搭載されている魔力レーダーに映る反応からそれを理解したエルザは一瞬前まで焦りに満ちていた顔を喜色に染めた。

「ダーリン! 生きていたロボ!?」

アル・アジフにも記述が載るこの神の力を借りた捕縛術は、生身の戦闘、そして、アイオーンを使用した巨大戦においても大十字九郎が多用した術である。
少なくとも、破壊ロボに通じる規模でこの術を行使できる存在を、エルザはマスターオブネクロノミコンである九郎以外に思い浮かべる事は出来なかった。

「──」

返事は無い、いや、無言の否定が帰る。
迫る量産型から逃れ余裕の生まれたエルザは、捕縛されている量産型の絡まり具合と、アトラックナチャの糸が放つ僅かな魔力を頼りに、初めて術者の姿を目撃した。
そこに居たのはアイオーン、ではない。
それは、小さな、これまでアーカムで戦いを繰り広げてきた存在達に比べれば余りにも小さすぎる、二十メートルにも満たない小型のロボット。
そのシルエットは、人体の構造を模倣しようとして、しかし機能性を追い求める内に僅かに骨格が人間の規格から外れてしまってる。
人に似ているが故にそのずれが致命的な違和感となり、見る者の精神に不安定さを与えるフォルム。
頭部は、それこそ人のそれとはかけ離れた、逆三角の、鳥の嘴をデフォルメした様なシンプルなデザイン。
辛うじて人と同じ数に見えるツインアイは、額に位置する所に埋め込まれたレーザー発振機の様なものと揃いの、灼えるような赤色。
ただ、その体色のみはエルザの見知ったアイオーンに通じる、宇宙の漆黒を吸い込ませた漆黒。
その暗い人型が、片手を量産型の群れに向け佇んでいる。
掌に煌めくのは、隠蔽しきれなかった捕縛術式の糸が放つ光か。
伸ばされた糸は無数に分岐し、迫る量産型を次々と捕縛していく。
塊がある程度にまで大きくなった所で、エルザの第六感回路に電流が煌めく。
慌て、目の前の量産型の塊との距離を大きく開ける。
幾条もの閃光が走り抜けた。
暗い人型のもう一方の手から放たれた科学的光学兵器と魔力レーザーが、正確に破壊ロボの制御装置のみを撃ち抜き、機能を停止させていく。
その魔力レーザーはエルザの固有武装である『我、埋葬にあたわず』にも似ているが、やはりそれから放たれる魔力反応も彼女のログに記録されている物と類似している。
大十字九郎がつい最近、アイオーン備え付けの魔銃に依らず制御に成功した二つの記述の片方と同種の反応を示している。
科学式の光学兵器にも似た様な機能が存在しているのか、二種の光線は曲がりくねりながら量産型を打ち抜き、照射を終える。
機能を停止した数十の量産型が地面に落下する。が、もちろんそれで追撃が止む訳では無い。
更に夢幻心母から吐き出される量産型。
まともに相手をしていては切りが無い。
──ここはこの謎の機体に任せて、自分だけでも離脱するべきでは無いか。その様な考えがエルザの頭に浮かぶ。
目の前の機体は勝手に自分達を助けるような行動を取っているだけで、別にこちらがそれに合わせて味方だと判断してやる必要も無い。見捨てても痛くも痒くもないのだ。
だが、何処に逃げるか。
ここからの離脱も急務ではあるが、同時に逃げた先でドクターの『修理』も行わなければならない。
基本的に戦闘用に開発されたエルザは、腹部を刺された人間を治療するのに必要なデータはインプットされていないし、これから無人の書店に向かってデータを集めるには、絶対的に時間が足りない。
その時、エルザの駆る量産型に向け、一つの座標データと共に一文が送られてきた。

「『大十字九郎を頼れ』って、ダーリンが生きてるロボか!?」

送信者は、目の前で未だ量産型の駆逐を続けている機体。
外部スピーカーからのエルザの問いに答えず、鳥の嘴の様な頭をしゃくり、指定した座標の方角を示した。
その仕草に頷き、エルザは迷うことなく一目散に指定の座標に向けて軌道を変えた。
背後では、黒い人型が、自分の四倍以上も大きい巨大ロボの群れを、同じく自らの身の丈を遥かに超える長大なバルザイの偃月刀を無数に展開し、翻弄している。
エルザが、ドクターウエストが覇道財閥の基地に向かう。奇しくもその座標は、デモンべインの格納庫に直結する秘密通路の縦穴。
役者は揃う。様々な作為に導かれ、物語はまた一歩動き出す。
折られ続ける運命を背負わされた魔を断つ剣が、何時か真に魔を断つ剣となる為に。
戦い続け負け続け、何時か宇宙の中心で、呪われた円環を断ち斬るその日まで。
エルザの乗った量産型の背を見つめる黒い人型──ボウライダーのツインアイと額のレンズの輝きが、怪しく揺らめいていた。



続く

―――――――――――――――――――

話、超進みましたよ。
だってだって、原作で描写された共通ルートは全部日記で飛ばしましたし、エンネアイベント無しで暴君でデートしてないところ以外は姫さんルートって事で通して省略したし。
真っ当なSSなら、『そこ飛ばすとか訳分からん』みたいな苦情が出るレベルで紅王現象を巻き起こした筈です。
なのになんで、なんで一週目が終わらないんだ……!
そんなジレンマと戦いつつ、第三十九話をお届けしました。

いや、めちゃくちゃ話は進んでいるんですよ、第四部に入ってからの作中時間の経過具合は半端では無いのです。スパロボ世界とか軽くオーバーしてしまうレベルで。
ほら、源書も出来の良いラテン語版もあれやこれやと言い訳しつつ取り込んで、終いには記述もちゃっかり使用して第四部初戦闘までこなしてますよ。
ええ、これを後何百何千何万回繰り返して、ようやく第四部が終わる訳です。
総話数がとんでもないことになりそうですね。なんだか、今なら大導師と奇妙なシンパシィを感じてしまうかもしれません。

嘘です、次回の冒頭でデモンべインの起動方法とかやって、姉の初めてのまともな戦闘シーンとかやって、それで一週目は終わりです。
え? 逆十字とか暴君とか大導師殿との戦闘シーン?
毎度、毎ループぶん書けと? 最終的に負けると分かっている戦いを? 延々と?
無いですわー。
そんな訳で、一週目が終わったら二週目、三週目、四週目、五周目とひたすら教授の実戦民族学の学術調査の模様とかをダイジェストでお送りします。
苦情は感想板にでもお願いします。
逆十字のセラエノ断章以外の魔導書の精霊全部出してレギュラーにしろ、みたいな無茶な要望は聞くだけで受け付けない感じに留めますが、日記で主人公が言及している部分で気になる所があるので描写しろとか、その程度なら受け付ける可能性があります。

自問自答、こう、な?
Q、これでいいのかミスカトニック大学。
A、別に、人と契約した魔導書を取り上げるほど無粋では無いというか、魔導書の方にも魔術師を選ぶ機能があるので、野良犬の交尾の様な行きずりの契約も許容してくれます。
Q、新原さんって誰だよ。オリキャラか。
A、誰なんでしょうか。次回以降はドーナツ買い食いするシーン以外出てこない使い捨てキャラなので気にする必要はありません。
こんなのレギュラー化するなら、何ら脈絡も目的意識も無しにメメメを連れて来てドーナツ屋やらせる方がまだしもましですしね。
でも同じ系列で出すなら、やっぱりアラブ風の外見になると思います。
自分、ナイアさんの外見は例外的な物と捉えているので……。
いや、新原さんとは関係無い話ですけどね。
Q、魔導書の補修ってどうよ。できるなら原作でもやってね?
A、原作に至る前の大学生大十字九郎はやってたかもしれないじゃないですか、やだー!

今回の所はそんな感じです。
誤字脱字に文章の改善案、設定の矛盾への突っ込みにその他諸々のアドバイス、
そしてなにより作品を読んでみての感想、短くとも長くとも、短くも長くも無くとも、心よりお待ちしております。




[14434] 第四十話「魔を断ちきれない剣と南極大決戦」
Name: ここち◆92520f4f ID:190f86b3
Date: 2012/12/08 21:25
鳴無兄妹を経由して渡された招待状を手に、初めて覇道財閥の秘密基地に訪れた九郎は、地下深くに隠された秘密格納庫に眠る人造鬼械神、デモンベインとの邂逅を果たす。
覇道財閥現総帥覇道瑠璃の依頼とは、ミスカトニックの学生の中では一番に腕が立ち、なおかつこれまで鬼械神の真作に乗って戦ってきた九郎に、このデモンべインで戦って貰う事だったのだ。
鬼械神の理論を踏襲しながらも、不自然なまでに不備、不足の存在するデモンベインに初めは不信の眼差しを向ける九郎であったが、試しにコックピットに乗り込み、その内部構造を魔術で解析したところ、ある事実に気が付いた。
そう、デモンべインなる人造鬼械神は、驚く程に構造がアイオーンに似ていたのだ。
そして、再開された破壊ロボの攻撃に、九郎は不完全な人造鬼械神で出撃する事となる。

―――――――――――――――――――

コックピットに備え付けられた操縦席に座り、地上へ向けて上昇を続けるデモンベインの中、九郎は先程覇道の若き総帥に言われた言葉を思い出していた。

『私の祖父である覇道鋼造は、デモンベインを動かすには優れた魔導書と優れた魔術師だけでは足りないと言っておりました』
『デモンベインを動かすには、三位一体を成した魔術師でなければならない、と』
『そして、初めてこれに乗る魔術師はこの言葉の意味を理解できるだろうとも』
『……突然呼び出しした挙句に、この様な事を言われても困惑されてしまうかもしれませんね』
『本当に、そのロボットが戦えるのかは私達にも分かりません。構造の解析を行ってきた技術者達は、どうあがいてもこのままでは一歩歩く事すら困難だと言っておりました』
『ですが、祖父が、あの覇道鋼造が、本当に無駄な事にこれほどの手間をかけるとは、私には信じられないのです』
『大十字さん、デモンベインの事、どうかよろしくお願いいたします』

アーカムシティを、いや、世界の半分を統べるとも言われている覇道財閥の現総帥である少女が、しがない学生であり、魔術師としても未ださほど位階の高くない自分に頭を下げた。
覇道の名を出して招待してきたが、権力をかさにきて命令をした訳では無い。依頼料も支払われるが、金に物を言わせて依頼してきた訳でも無い。
それは、街を自らの力で守る事の出来ない少女の、切実なる願い。
身の縮まる様な思いとはこの事を言うのであろう。
何しろ、九郎自身はこの人造鬼械神、デモンベインのある秘密を理解した瞬間、とんでもない拾い物をした、程度に考えていたのだ。
これを使えば、まともに機神召喚を行うよりも遥かに負担を少なく戦う事が出来る。
だが、あそこまで真摯な態度で頼まれたのであれば、少しばかり考えを改めるべきだろう。

「頼んだぜ、デモンベイン。お前には俺の相棒を預けてるんだからな」

九郎は自分の足の間、操縦席の下に備え付けられた機械を掌でぽんぽんと叩く。
その機械からは無数のコードがコックピット内部の到る所に伸ばされ、中央には一冊の本が添えられている。
力の殆どを失ったアル・アジフの魔導書形態。
術者を能動的にサポートする程の力は失ってしまったが、ラテン語版からの逆翻訳移植などにより僅かに力を取り戻し、術者からの命令を受け取り受動的にサポートする程度の力は取り戻している。
九郎は気付いていた。この機械は魔導書を制御する為の装置なのだ。いや、魔導書の機能を最低限に抑える装置と言い換えた方が適切か。
この機械に組み込まれた魔導書は記載されている術式の半分以上をデモンベインの機体制御に向ける為、その力を十全に発揮する事が出来ない。
そう、魔導書に記された術を使用しても、それらの魔術が不完全にしか発動しないのだ。

「アル……」

目を瞑り、命を賭して自分を助けてくれた相棒の事を思う。
未熟な自分に今一度、力を貸して欲しい。
いや、借りる。ブラックロッジを討ち、お前の仇を取るまでは何度でも力を貸して貰う。
嫌だとは言わせない。死んでいるから嫌だとは言えないだろうが、それは死んでいる方が悪い。
文句があるなら化けてでも現れてみろ、そうしたら首元引っ掴んででも力を貸して貰う。
始まりは偶然、しかし、一方的に巻きこんだのはあちらの方。一人だけ先に抜けるなんて誰が許してやるものか。
たかだか『死んだ程度』で逃れられると思ったら大間違いだ。
何故なら俺達は、死が二人を『別つとも』途絶える事の無い強い絆で結ばれた、相棒。
故に、

「地獄の底まで、付き合って貰うぜ!」

目の前の、アル・アジフの装填された機械に、逆手に持ったバルザイの偃月刀を突き立てる。
振り降ろされた刃は機械を破壊せず、溶け込むように融合、内部に搭載されたアル・アジフと、そこから更にデモンベインへとリンクする。
機械に封じられたアル・アジフのページは舞わず、しかし周囲に設置されたモニタや機械類が唸りを上げ、光を点す。
変則的詠唱形態へと移行したバルザイの偃月刀の柄を握り、モニタを見つめる。
無残にも破壊されたアーカムの街並みと、未だ無秩序に破壊活動を繰り返す無数の量産型破壊ロボ。
その鈍重な玩具の様なデザインとは裏腹に、破壊ロボ達は軍隊でも相手をする事が不可能な程の力を備えている。
対するこちらは、まともに動くかどうかも怪しい、継ぎ接ぎだらけの鬼械神の紛い物。
だが構わない、足りない部分があるのならこちらで補ってやればいい。

『召喚回数に関する問題は、たぶんそこで初めて解決する筈です』

ふと、秘密図書館での会話を思い出す。
あいつはこの事を知っていたのだろうか。あの場所にこの機体がある事を、この機体を見て何を思いつくのかを、あいつは直感だけで予見していたのだろうか。
予見していたのか、知っていたのか、それとも、あの時に自分に会えば誰であれあの言葉を口にしたのか。
勘か作意か運命か、どちらにしても、今は目の前のポンコツ共をジャンクにするだけだ。
偃月刀を通しリンクしたアル・アジフの記述にアクセス。
制御に取られ、穴だらけになった記述に魔力を流し込み、もはや御馴染となった大魔術を、初めて誰の補助も無く発動させる!

「機神、召喚!」

力量の足りない術者の、不完全な記述による鬼械神の召喚。
生み出されるのはいくつものパーツが欠損した鬼械神のなり損ない。
腕は欠け、脚は脚足らず、心臓たるアルハザードのランプに至ってはパーツの一欠けすら召喚できていない。
満足に人型すら構成出来ていない、未完の鬼械神。
そして、それらのパーツは過たずデモンベインの不足部分に合致、結合される。
断絶されていたデモンベインの全身の回路が、『数十年ぶりに』完全に接続された。

【That is not dead which can eternal lie(久遠に臥したるもの死する事なく)】

【And with strange aeons even death may die(怪異なる永劫の内には死すら終焉を迎えん)】

燃える街を映し出すモニターに、誓約の言葉が流れて消える。
デモンベインを構成材料に召喚された、機械技術と魔術の混ざり合った異形の鬼械神が、完全戦闘形体への移行に成功したのだ。
偃月刀を通し、デモンベインの動きを確認する。

「アイオーンよりは鈍いが、やれない程じゃねえな」

武装を確認──頭部備えつけのバルカン以外、デモンベインの武装は間違いなくあてにならない、魔術兵装はほぼ自力で使用できない。
対する敵は地上だけでなく空中にも存在している。
シャンタクもまともに使用出来ない今、空の敵に対して使える手は限られている。

「アトラック=ナチャ!」

デモンベインの頭部より光輝く蜘蛛の糸が伸び、空高くより爆弾を落とし続ける量産型破壊ロボに巻き付く。

「どおりゃぁぁああっ!」

デモンベインは自らの頭部より伸びたアトラック=ナチャの糸の束を鷲掴み、全力で地面を蹴ると同時に、力任せに手繰り寄せる。
操縦者の意を汲んだのか、未完成状態のまま搭載され、安全装置の掛けられた断鎖術式が限定解放され、重力を操りデモンベインの重量を半減させた。
アトラック=ナチャに絡め取られた量産型目掛け、デモンベインは砲弾の如く宙を跳ぶ。
この間僅か三秒。しかし、量産型に搭載されたAIが異常に気付くのには十分な時間であった。
自分を足掛かりに飛ぼうとするデモンベイン目掛け、量産型がビームを照射、直撃。
いや、ビームが打ち抜いたデモンベインがガラスの様に砕け散る。
ニトクリスの鏡による幻影だ。
目標を見失い、周囲を見回す量産型の頭をデモンベインが踏み抜く。
九郎は量産型に察知される前にデモンベインの幻影を作り出し、自らは空中に鍛造し滞空させたバルザイの偃月刀を足場に更にジャンプ、一気に高度を稼いだのである。
一見、この方法であれば空中を無限にジャンプする事が可能であるように見える。
が、この移動法には重大な欠点が存在する。
まず、デモンベイン自身の重量を軽減した状態でしかこの移動法は行えず、自然と未完成状態の断鎖術式に頼らなければならないという不安定さ。
そして、術者である九郎に掛かる負担の問題だ。

「はあっ、はぁっ、はっ、は」

魔術師としては未熟な九郎が、不完全ながらも鬼械神を召喚しながら、移動の度にバルザイの偃月刀を鍛造し、更には敵の攻撃を逃れる為にはニトクリスの鏡を使用しなければならない。
仮にバルザイの偃月刀を使い捨てずに再利用するにしても、今度は偃月刀を手元に呼び戻すために力を使わなければならないのだ。

「このっ」

手元に呼び戻したバルザイの偃月刀で周囲の量産型から迫るミサイルの雨をたたき落とし、時には展開し盾にしながら、確実に一機一機斬り伏せていく。
だが、予想外に消耗が激しい。
十機、二十機、三十機と落としていく度に九郎の息は上がり、疲労は溜まり、魂は削られていく。

「どうせなら、先生の蜂蜜酒もくすねておけば良かったかな」

半分本気の冗談を口にし、疲労により萎え始めた闘志を振るい立たせる九郎。
シュリュズベリィ先生が生身の人間のまま鬼械神を自在に操り続けていられるのは、あの黄金の蜂蜜酒に秘密があるという噂を聞いた事があったのだ。
学術調査中ならそれほど研究室に大量に置いていないにしても、少なからず貯蔵していた筈だ。戦うつもりなら何故持って来なかったのか。
今さら思い付いても使用の無い事を考えながら、次々と量産型の上を跳び移りながら切りつけ、殴り潰し、蹴り壊していく。
身体や魂に掛かる負担を考えなければ、単純作業と言ってもいい程に慣れてきた所で、いや、慣れてきたからこその油断が生まれた。

「うお」

次の足場にするつもりで跳んだ先の量産型が、踏み台になる直前で自爆した。
自分達が足場にされている事を、量産型のAIが理解し始めたのだ。
空中で突如足場を失い、バランスを崩すデモンベイン。
同時に、同士撃ちを避ける為に控えめに抑えられていた周囲の量産型から、雨霰とミサイルやバルカン、ビームの嵐が降り注ぐ。

「んなもんで、やられてたまるか!」

弾数の関係で出し惜しみしていた唯一まともに機能するらしいバルカンを使用し、迫りくるミサイルを撃ち落とす。
が、ビームとバルカンはどうにもならない。
足場にした偃月刀を呼び戻す時間も、鍛造し直す時間も無い。
どうにかして受けるダメージを最低限にせんと、九郎はデモンベイン身をよじらせ、気付く。
デモンベイン目掛け攻撃を続ける量産型に混じり、一機だけ、別の動きをしている量産型の姿。
他のほぼ無傷の量産型とは違い、全身いたるところにダメージを負ったその量産型は、デモンベイン目掛け一直線に飛びながら、手を差し出している。
すれ違いざまに手を取り合いそのまま離脱、間一髪のところで量産型の集中砲火から逃れた。
他の量産型とは一線を画した動き、九郎はその傷だらけの量産型の動きに見覚えがあった。

「エルザか!」

「ダーリン、助けに来たロボ!」

外部スピーカーから聞こえる、語尾がロボットっぽい少女の声。
ブラックロッジが誇る狂気の天才、ドクターウエストによって生み出された人造人間エルザ。
かつてアイオーンに乗って戦っていた頃、破壊ロボのパイロットとして幾度となく相対し、時には苦戦を強いられた相手。
そう、彼女はドクターウエストの部下であり、つまりはブラックロッジなのだ。

「どういうつもりだ、なんでお前らが手を貸す!」

すかさず追撃を仕掛けてくる他の量産型の群れ。
機体性能に差が無く、ダメージと荷物であるデモンベインの重量分だけハンデがある為、追う者と追われる者の距離は見る間に詰められていく。
更に、量産型達はエルザの乗る量産型にも容赦なくミサイルやバルカン、ビームを放っている為、回避の度に更に距離は縮められる。
六百、五百、四百と短くなる距離にエルザの量産型はデモンベインを、

「手を貸すから、博士を助けて欲しいロボ! 助けてくれるなら、幾らでも協力するロボ!」

迫る量産型の上方へ、力の限り放り投げた。
──内臓がひっくり返る様な浮遊感を感じながら、九郎はエルザの言葉の内容を考える。
助けて欲しい、あのキ○○イ科学者を。
どういった経緯なのかは分からないが、悲痛な、切羽詰まったエルザの口調には真剣味が感じられた。
平気で自分の創造主をトンファーで殴打して頭蓋を陥没させるような娘がここまで慌てている以上、本気で急がなければならないような事態なのだろう。
改めて見れば、エルザの破壊ロボは他の量産型から攻撃を受けている。
恐らく、逆十字の造反とマスターテリオンの死を切掛けにブラックロッジの中でも色々とごたごたがあったのだろう。
ドクターウエストも悪党ではあったが、逆十字の様な邪悪さは持ち合わせていない。
仲間割れ、いや、破壊ロボの量産型が完成した時点でブラックロッジ内部でのドクターウエストの役目が終わり、切られたか。
ともかくこの状況で無碍に断る必要も無いし、見捨ててどこかで野垂れ死にされるのも後味が悪い。

「良いぜ、一時休戦だ。話はこいつらを潰してから聞いてやる」

量産型の群れの真上に到達した九郎は頭部のバルカンから砲弾をばら撒きながら、先ほど置き去りにしていたバルザイの偃月刀を呼び戻し、更にもう一本偃月刀を鍛造。
一方を展開しブーメランのように真下の量産型の群れに投げ込み、遠隔操作で纏めて数体両断。
そして、迫る偃月刀をギリギリのところで回避した量産型を、

「ありがとうダーリン、愛してるロボ!」

エルザの乗る量産型のビームが貫いた。
二機の連携で次々と量産型の破壊ロボがスクラップと化していく。
量産型の数が半分を切ろうかという所で、デモンベインが地面へと着地。
空からの援護があるのならば無理に空で戦う必要も無いと踏んだのだ。
投擲した偃月刀をキャッチし、残りの量産型へと視線を向けた、その時。

「──────ッ!?」

「ロボ!?」

大地が振動している。
地下に大量の水が流れている様な、巨大な蛇がのたうっている様な、そんな重低音が鳴り響く。
轟音と共に、大地を突き破って高層ビルを超える高さの巨大な水柱が天を突いた。
それも一つではない。
二、三、四、五、六本もの水柱が円環状に並び立ち、その輪の中に魔法陣が輝く。
目を焼く魔法陣の輝きが増すにつれ、水柱の噴射の勢いも増す。
強大な魔力が渦を巻き、膨大な密度の情報が急速に収束し始める。
天に噴き上がる水柱が捻子曲がりながらも交り合い、一本の巨大な渦を形成する。
爆砕。
魔術的高密度情報体が渦を媒介に顕現化し、巨大な質量を伴い現実に実体を結ぶ。

「ゲェハハハハハハハハハハハハッ!」

鉄の塊の様な無骨で剛健なシルエットが、圧倒的な存在感を放ちながら威圧するように聳え立つそれは、刃金を持って作られた神の模造品。
──クラーケン。
ブラックロッジの幹部、逆十字の一人、カリグラの招喚する鬼械神。
デモンベインから微弱なアル・アジフとアイオーンの気配を感じ取った逆十字が送り込んだ刺客。
機械の身体にアイオーンの不完全な身体を継ぎ足してようやく動いているデモンベインでは、勝てる道理の無い相手。

「エルザァッ!」

大蛇の如く迫るクラーケンの両腕をバルザイの偃月刀で切り払い、アトラック=ナチャをエルザの破壊ロボ目掛け展開する。

「了解ロボ!」

エルザは自らの機体目掛けて飛んでくるアトラック=ナチャの糸を掴み取り、急上昇しながら腕の可動範囲ギリギリまで一気に糸を掴んだ腕を振り上げた。
宙を舞い、エルザの破壊ロボを死角から狙っていた量産型の頭を踏みつぶし着地。
量産型破壊ロボ五十機余りと逆十字の操る鬼械神を相手取り、不完全な鬼械神一体と、弾薬の尽きかけている量産型破壊ロボ一機のみ。
それでも、九郎の闘志は衰えを見せない。

「やぁってやるぜぇ!」

コックピットの中、操縦桿代わりの偃月刀の柄を握りながら、獰猛に歯を剥き笑う。
戦闘は新たな局面を迎え、九郎の精神もまた、新たな高みへと登らんとしていた。

―――――――――――――――――――

アトリーム月 暴徒鎮圧装置日(いやぁ、クラーケンは強敵でしたね)

『強敵だったかはともかく、デモンベインはそれなりに苦戦していた』
『マギウススタイルの補助なしでバルザイの偃月刀とか鍛造するから防御魔術とか使えるのかと思ったら別にそんな事は無かったらしい』
『お陰で今回のデモンベインと来たら避けないわ脆いわで、それはもう見ていられない有様だった』
『クラーケンのコックピットを偃月刀で叩き潰したのは大十字のデモンベインだったが、間違いなくあの勝利はエルザの飛行型破壊ロボのお陰だ』
『というか、エルザの破壊ロボの中には腹部を負傷したドクターウエストが乗っていた筈なのだが、大丈夫だったのだろうか』
『まぁ、あっちこっちで腹部を刺されるのはドクターウエスト唯一の死亡フラグと言われているが、少なくとも原作では三人のヒロインのどのルートでも死んでいない。つまりは死ぬ死ぬ詐欺用の偽装フラグ』
『どうせ今頃勝手に病室から抜け出して、機能的に不完全な上に、クラーケンとの戦闘でズタボロのデモンベインを勝手に修復しながら『毎日牛乳飲んでるからな!』とか、地元の酪農家の爺さんみたいな事を言ってピンシャンしているに決まっている』
『……と、ここまで書いて気が付いたのだが、一度相手の身を案じた後に『なぁに、どうせ元気に○○しているに決まっている』みたいな発言は、相手側に押しつける形の呪術的死亡フラグではなかろうか』
『どう転んでも大十字は次のループに落とされるにしても、できる事ならドクターにはデモンベインの魔術武装、断鎖術式とか昇華呪法とか、その辺の改良とかもして欲しいというのが本音』
『まぁ、それも次のループでドクターが無事に覇道財閥に辿りつけるように手を回せばいいだけの話で、そこまで気にかける様な問題でもない』
『しかしなんというか、この世界がループしている、という事を理解しているせいか、少しばかり心に余裕を持ち過ぎている気がする』
『これが姉さんの言う、幾らでも代えが利く相手に対する心の持ち方、というものなのだろうか』
『だとすれば、俺はまた一歩姉さんに近づいた事になる。実に喜ばしい限りだ』
『さて、栄えあるデモンベイン世界第一週目のイベントも、残すところあと二つか三つくらい。気合いを入れ直して頑張ろう!』

―――――――――――――――――――

アーカムシティ地下、デモンベイン秘密格納庫。
小型の作業ロボットが覇道財閥の秘密兵器であるデモンべインの上を忙しなく動き回っている。
量産型破壊ロボや鬼械神クラーケンとの戦闘を経てスクラップ同然になったデモンベイン。
しかし、その身体に刻まれた傷は、既にその大半を修復されつつある。
高速稼働する作業機械群を眺めながら、九郎は感嘆の溜め息を漏らした。

「本当に、良くここまで直せるもんだ……それも二日で」

九郎の搭乗していた鬼械神アイオーンであればそもそも自己修復機能(メリクリウス・システマ)によってそのまま放置しておくだけでも直ってしまう。
が、このデモンベインは違う。
一部に魔導技術を組み込んでいるとはいえ、その身体は通常物質を建材に使用した機械人形。
単純に考えてみよう。50メートル級のロボットを建造するのに、一体如何程の労力、時間が必要になるのか。
一般的な50メートル級の高層ビルですら、完成までにかなりの時間を要するのだ。

「ふはははは! 当然であーる! 我輩をそこらのとりたてて見るべき所の無い平凡な科学者と一括りにできると思ったら大間違いである! そう、我輩が、我輩こそが神に選ばれし真の大、天、才! ドォォォ、グボォフッ!」

ミシィ、ブチブチブチ、パキン、という余り耳にしたくない生理的嫌悪感を覚える危険な音を立て、車椅子に乗ったドクターウエストの腹部にトンファーが減り込んだ。
ドクターウエストは顔からじっとりと冷や汗をかき、ボディスーツの上から巻かれている包帯は真っ赤に染まり、眼の焦点はふらふらと揺れまるで定まる気配が無い。

「博士、あんまり騒ぐと傷が開くロボ」

「いや、むしろ今ので悪化したんじゃねえか?」

片手にトンファーを構えたまま、腹を抱えて呻く事すら出来ずにいるドクターウエストを気遣うエルザに冷静に突っ込みを入れる九郎。
このロボっ娘、これがボケでも殺意を持っている訳でも無く、本気でドクターウエストを気遣った上での行動だから恐ろしい。
勝手にデモンベインを弄られて文句を言いたそうにしていたメカニック担当のメイド(覇道財閥でデモンベインに関わっているメイドは何故か全員ミニスカメイドである)、チアキですらハンマーを抱えたまま硬直している。
が、傷が開いたにもかかわらず医者を呼ぶ素振りすら無いところからして、ドクターウエストへの気遣いは存在していないらしい。
手に持っていた白木の杭でも仕込んでありそうな凶悪なデザインのハンマーを地面に下ろし(柄から手は放していないが)、ドクターウエストへと質問、いや、尋問を始めた。

「そんで、人様の庭に勝手にあんなもん解き放って、一体どういうつもりやこの○○○○犯罪者が」

「あ、あんなもん、とはなんとも酷い言われようであるな」

腹部から血を滲ませたドクターウエストが、傷口を手で押さえて痛みを堪えつつも顔を上げ、チアキの言葉に不満を漏らす。
チアキの言うあんなもん、とは、今現在デモンベインを高速で修理している作業機械群の事だ。
本来、デモンベインの修復はあの様な自動機械を大量に使用するモノではなく、その殆どが整備員頼りのものであった。
というのも、今現在の覇道財閥の持つ科学力では完全無人、完全自動の修理機械などというものは構築できないのだ。

「大体、もしも我輩がトイ・リアニメーターを用意していなければどれだけ修理に時間がかかったと思っておるのだ。これだから凡人は困るのである」

「うぐっ」

ドクターウエストの反論に言葉を詰まらせるチアキ。
ここでドクターウエストが口にしたトイ・リアニメーターとは、チアキの言う『あんなもん』こと、デモンベインに大量に取り付いている修復作業を続けている作業機械の事だ。
これは本来、アイオーンとの度重なる戦闘の度にバラバラのジャンクになってしまう破壊ロボの修復の為に作り出された機械であるらしい。
破壊されても破壊されても次の日には何事も無かったかのように街で暴れまわっている事も多い破壊ロボの秘密は、この完全自動の修理ロボの活躍が合ってこそのものだという。
簡単な治療を終えたドクターウエストは病室を抜け出し、エルザからこれまでの経緯を聞き出し、即座にこのトイ・リアニメーターを作る自動機械を作る自動機械を作る自動機械を作る自動機械を作り出した。
三十センチ程しか無いトイ・リアニメーターを作る自動機械を作る自動機械を作る自動機械を作る自動機械は、一時間でトイ・リアニメーターを作る自動機械を作る自動機械を作る自動機械(四十センチ)を五体造り、
トイ・リアニメーターを作る自動機械を作る自動機械を作る自動機械(四十センチ)は、一時間にトイ・リアニメーターを作る自動機械を作る自動機械(五十センチ)を五体造り、
トイ・リアニメーターを作る自動機械を作る自動機械(五十センチ)は、一時間にトイ・リアニメーターを作る自動機械(六十センチ)を五体造り、
トイ・リアニメーターを作る自動機械(六十センチ)は、一時間にトイ・リアニメーターを五体造り出した。
こうして四時間あまりで最終的に生み出された六百二十五体のトイ・リアニメーターの自壊も辞さない超過駆動により、デモンベインは通常では有り得ない速度で修復されたのである。
なお、修理途中で破損したトイ・リアニメーターは、周囲の無事なトイ・リアニメーターにより一分と掛からずに完全修復されるため、減り過ぎて修復速度が落ちる、という事も無いのだとか。

「ふぅん、それでもなおいちゃもん付けてくる、という事は、ん? あれか、凡人故に感じずにはいられない天才たる、世紀の大・天・才! たるこのドクターウエストへの嫉妬であるか?
なぁに気にするなメガネを付けた凡人、むしろ凡人眼鏡よ。凡人たる貴様がいかに努力を重ねても辿り着けなかった境地に我輩が片手間に辿り着けてしまうのも、まぁ言ってみれば埋めがたい歴然とした才能の差であるが故に。
つまりこれは貴様が悪いのでは無く、我輩の溢れんばかりの才能こそが、凡人眼鏡が欠片も得ることが叶わぬ神の愛を一手に独占してしまっている我輩の神秘の頭脳こそが元凶なのだ。嗚呼! 天才であるが故に凡人眼鏡に嫉妬の念を抱かせるという罪を犯さざるを得ないこの頭脳を! 我輩は憎む!嗚呼、ああ! 許しておくれ、平凡な凡人眼鏡──!」

遂には車椅子から立ち上がり、歯茎が剥き出しになるほど大口を開け涙も鼻水も涎も垂れ流しの笑い顔で凡人眼鏡──チアキを指差し笑いながら謝罪(?)するドクターウエスト。

「だ、だ、だ、誰が凡人眼鏡やこの超犯罪級○○○○ィ! 盛大に人をコケにしながら自己陶酔かぁ! 殺す、死ね、百ペン死んで詫びぃ入りゃれぇぇぇぇぇぇ!!」

「うわぁぁぁ! 凡人眼鏡が乱心したあぁぁぁぁぁっ!」

「平凡過ぎて頭がおかしくなったロボね」

「天丼をするなぁぁぁぁ!!」

激昂し、顔を真っ赤にしながら一度降ろしたハンマーを振りかぶるチアキと、腹の怪我など無かったかのように元気に走り回るドクターウエストとエルザの追いかけっこを尻目に、九郎は修復されたデモンベインを見上げた。
──実の所を言えば、ドクターウエストが無事にデモンベインの格納庫に辿り着き、修理をする事が出来たのは九郎の進言を聞き入れた覇道瑠璃の手引きのお陰である。
鬼械神にも匹敵する巨大ロボを建造できる組織などそうそう存在しないため、覇道財閥、ひいては地下秘密基地が狙われるのは時間の問題。
敵が攻めてくる前に最大戦力であるデモンベインを修復出来なければ、抵抗する間もなく壊滅させられてしまう。
そこに来たのが、ブラックロッジを追い出されたドクターウエストである。
祖父、覇道鋼造が死んで以降、覇道財閥の総帥としてアーカムシティを何年も取り仕切ってきた瑠璃は、ドクターウエストの頭脳は敵に回しては危険だが、味方につける事が出来ればそれなりに役に立つだろうと当たりを踏んでいたのだ。
そこに、九郎からの進言があった。ドクターウエストにデモンベインを任せてみてはどうか、と。
瑠璃とはまた違った理由からではあるが、九郎もドクターウエストの科学力に対する期待を抱いていた。
まだ九郎がアイオーンを駆って戦っていた頃、ドクターウエストはアイオーンに似せた破壊ロボを作り上げた事がある。
ドクターウエストが作り上げた偽アイオーン、スーパーウエスト無敵ロボ28號DX──通称『AEOM』……アイオーム。
それまでの科学技術一辺倒だった破壊ロボとは違い、アイオーンのみならず逆十字や大導師の鬼械神から観測したデータを基に、ドクターウエストが用いる事の出来る最大限の魔導技術を駆使して作られたそれは、アイオーンを一度ならず二度三度に渡り苦しめた。
そう、ドクターウエストは覇道財閥よりも先に、機械で作られた人造鬼械神、或いは準鬼械神とでもいうべきマシンを、より高い完成度で作り上げていたのである。
万が一、今の量産型破壊ロボが従来のドクターウエストの破壊ロボではなく、アイオームをモデルに作られていたら。
そんな事を考えると、九郎は背中に冷や汗を掻いてしまう程だ。
もっとも、魔導技術をふんだんに利用したアイオームはコストの問題で量産が効かないという問題点がある為、九郎の想像は完全な杞憂なのだが。
とはいえ、御蔭でデモンベインは完全修復どころドクターウエストの手により更に改修を加えられ、不安定過ぎて使えなかった魔術兵装もほぼ使用可能になり、シャンタクを召喚展開出来ないまでも空中を駆け抜ける事が出来る様になった。
空を飛ぶというよりは空中ジャンプを続けて跳び続けると言った方が正しい無様な動きではあるが、それでも一々足場を製造しながら戦うよりは余程安定している。
これで、デモンベインは更に強くなった。
だが、それでも戦いぬく事が出来るかは未知数だ。
カリグラはどうにか倒せたが、そのせいで逆十字は本腰を入れてくるだろう。
隙を突くような戦いはもう通用しない。エルザの破壊ロボはクラーケンとの戦いで大破してしまっているので、今度はまた一人。戦術の幅はさらに狭められる。
アルとアイオーンを失った自分に勝てる見込みがほとんどない事を、九郎は自覚していた。
だが、

「アル……」

それでも、戦い抜かなければならない。
九郎は手の中の魔導書を強く握りしめる。
アルが死んだのは自分が不甲斐無かったせいだ。だから、大十字九郎は戦い続けなければならない。
ツケはきっちりと払わなければならないのだ。最後の最後まで戦い抜く。
もう二度と、この街の大切な人達を死なせたりはしない。
九郎がそう心に堅く誓った時、周囲の照明が赤く点灯し、けたたましいアラームの音が鳴り響く。
襲撃、この状況で現れる敵と言えば、ブラックロッジしかありえない。
通信機から聞こえる声は基地内への逆十字の侵入を知らせている。
生身の逆十字が侵入してきている。その知らせに九郎の背筋に冷たい物が走った。
相手が生身で、鬼械神を運用できない場所での戦いとなれば鬼械神による戦力差の誤魔化しが利かない。純粋に魔術師、戦闘者としての差が現れるだろう。
持ち得る限りの手を使わなければ、倒すどころか一矢報いる事すら危うい。
九郎は手持ちの武装と弾薬を確認しながら、エルザと共に基地内部、侵入者の居る辺りへと駆けだし始めた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「とまぁ、そんな感じのやり取りが行われているとか居ないとか」

現在地、無人の荒野と化したニューヨークの一画、人気の無い崩れかけた廃ビルの一室。
姉さんが遠隔透視能力(日本語吹き替えあり、副音声で状況や心理状態の説明あり、予告あり、映画泥棒CMあり、NG集あり)で覗き見た状況を、懇切丁寧に解説してくれていた。
因みに、この辺り一帯に展開されていた陸戦用量産型破壊ロボは姉さんが運動がてらアメリカ軍毎纏めて蹂躙してしまっている為、少なくとも俺達の探査範囲には俺達以外の動体反応は存在していないのだ。

「ドクターは腹刺されても平常運転やね」

「全パートでギャグ補正が利くってのは強みだよなぁ」

ドラゴンボールとこち亀の公式コラボ漫画でもフリーザ様が両津さんを殺せなかったし、その補正の強大さが良く分かると思う。
まぁ、主人公補正やラスボス補正同様、持ち主を取り込んでも手に入らない能力だからどうしようも無いのだが。

「で、どうするの? この周はロリコン御用達ルートだから糞餓鬼の死体も手に入らないから、手に入る物はあんまりないと思うけど」

「ううん、どうしようか」

姉さんの言うとおり、これが金髪シスタールートであればぐちゃぐちゃになったクラウディウスの死体と精霊の出ないセラエノ断章とかが手に入る場面なのだが。
しかし残念な事にこの周の大十字はものの見事に下衆野郎(ペドフィリア)と化してしまい真に遺憾である。
デモンベインが本当の意味で完成して、なおかつ最初からアイオーンが無いような状況が固定されたなら姫さんルートがメインになるのだろうが、それまでは余程の事が無い限り大十字は性的な意味で社会不適合者であり続けるしかない。
デモンベインの断鎖術式もいい感じに完成しつつあるようだが、どうせ次の週に改造持ち越しだろうからわざわざこのタイミングで取り込みに行く理由も薄い。
というか、流石にこの状況下で以前と同じようなザル、いやさ枠警備であるとは思えない。

「アル・アジフの復活劇辺りはドラマティックだから見ておきたいけど、アーカムシティにはまだ俺の端末が残っている訳で」

○○○○補正でドクターウエストにひっつかまりそうだから、覇道財閥保有の地下基地に潜入させていた分は街に放っている。
一応ブラスレイター化出来る個体も残してあるけど、流石に鬼械神を融合して取り込めるほど出鱈目な残像、もとい出鱈目な強化が施されている訳でも無い。
あれはあくまでも機械に対する優位性しか持ち合わせていない。というか、そんな真似ができるならとっくの昔に俺がやっているし、そこまでできる様にしたならそれは強化ではなく別機能の組み込みだろう。

「卓也ちゃんが煮え切らない感じなので、美鳥ちゃんは何か意見ある?」

悩んでいると姉さんは美鳥の方に矛先を向けた。
が、美鳥もあまり現状のアーカムシティに興味が湧かないのか、というか、別の物に気を取られて姉さんの言葉が右から左に抜けて行っているようだ。
気絶した大十字から取り上げた魔銃の複製を腕と融合させ、嬉しそうに変形した銃身を撫で回している。

「ふっへっへ、見ての通り、接ぎ目すら無い美しいフォルムだろ?」

「まぁ、接ぎ目も埋めてるしな、腕の肉で」

表面のモールドに沿う様にして埋め込まれた血管がドクドクと脈打って(演出なので特に何が流れている訳でも無いらしい)いて中々にキモカッコいい。
もうチョイどうにか出来なかったのかと聞きたくなるようなグロテスクな混ざり方だ。
ああいう生体兵器っぽいフォルムも悪くは無いが、せっかく大量に複製が作れるんだから、いやでもまだ構造を完全に理解した訳でも無いのに過剰な魔改造は、ううむ。

「んー、じゃあ美鳥ちゃんは試し撃ちがしたいの?」

「いや、この魔銃の美しい構造があたしの身体と混じり合っている様をもうしばらく眺めてたい。試し撃ちは次周にでも外装を誤魔化して教授の課外授業でやればいいかなーなんて」

課外授業よりも先に、日本各地の邪神眷属群の拠点を潰しながらスカウト待ちしてる間に充分試す機会はあると思うが。
最初はミスカトニックと縁もゆかりも無いから、まずシュリュズベリィ先生と遭遇する所から始めなきゃならん訳だし。
次周も日本語写本のあったあの遺跡で張ってれば間違いないかなぁ。他にも奇怪な遺跡はあちこちにあったし、そこら辺も虱潰しにしていってもいいかもしれない。
しかし、シュリュズベリィ先生か、今頃どうしてるんだろうあの人。
アーカムに戻ってこないって事は何処かの国で破壊ロボから街を守る感じのイベントでもこなしているのだろうか。
どうにかこうにか合流出来ても、南極での決戦でゲスト参戦するくらいか?
そうだな、南極でちょっと戦ってみるのも悪くないかな。ダゴンは邪神の中でも割と組みしやすい部類だろうし。
まだ人間の魔術師に擬態したままでの機神招喚は難しいけど、魔銃の技術を武装に応用すればボウライダーでもどうにかなるだろう。
というか、本当にどうにかなるのか調べておいて損は無い筈だ。
いざ魔銃や魔術でないと戦えない相手を目の前にした時に『理論上は可能でしたが、実際は色々と問題がありました』では話にならない。

「そういうお姉さんはこれからやる事あるの?」

「お姉ちゃんはちょっと目隠ししたままラブプラスのデータ改造したら、三つのセーブデータが統合されて修羅場なのよ。今さっき寧々さんの瞳からハイライトが消えた所だわ……!」

「美鳥も姉さんもちょっと待った。その話は実に興味深いけど、まずは俺の話を聞いてくれ」

とりあえずの方針は決まった。
姉さんのラブプラス変則プレイを後ろから見て、美鳥と一緒に魔銃の構造にうっとりした後から、ワープは使わずにゆっくりと南極へ向けて移動を開始しよう。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

俺が普段から適当にばら撒いている端末は、スパロボJ世界で望める最高精度のカメラや集音装置などが小型化された上で組み込まれており、そこらの映画やドキュメンタリー顔負けの映像、音声を俺に届けてくれる優れ物。
状況によっては各種センサーなどが内蔵されることになるが、そういう状況の場合は直接出向くか美鳥に行かせるかした方が早いのであまり使用する事は無い。
何が言いたいかと言えば、カメラやセンサーが付いていても、50メートル級の巨大ロボのコックピット内部のあれやこれやは正確には伝わらないという事だ。
大十字とアル・アジフの復活の夫婦漫才こそ外部スピーカーから駄々漏れだった為に聞く事が出来たが、それも正直期待していた程面白いものでもなかった。

「まぁ、あの二人の漫才が見れる場面はあと一つあるはずだし、感じ感じ」

ブラスレイターの飛行能力でゆっくりと移動してきたが、ようやく目的地が見えてきた。
南緯四十七度九分、西経百二十六度四十三分の辺りに存在する、クトゥルーが収める海底都市ルルイエ。
最近では宇宙人向けのアミューズメント施設になっている場合もあるらしいが、人間サイドでボケが合っても、邪神側は一片の隙もなくコズミックホラー全開なこの世界では浮上したが最後、マジでシャレにならない絶滅エンドしか訪れない危険な都市。
その直上の水面に顔を出す、夢幻心母に融合したクトゥルー。
まだまだマップ換算にして三十コマはありそうなのに、やたらと濃い存在感のお陰でここからでもはっきりと見る事が出来る。
サイズだけならオルファンの方が巨大だが、こっちの方がシャレにならない程危険だという事は見た瞬間に理解できる。
あんなにわさわさと触手生やすとかマジで正気を疑わざるを得ない。身体から生える触手はもっと効率的な器官であるべきだ。
反省させる意味も込めて、あの触手群は念入りに微に入り際に粉砕させていただこう。

「じゃ、行ってきます」

振り返り、空飛ぶ大型サイクロン式掃除機に跨った姉さんと美鳥に片手を上げる。

「卓也ちゃん、ファイトだよ!」

「お兄さん、魔道兵装の試験を重点的にお願い」

姉さんは運動に飽きて魔法でカロリーを消費しダイエットに成功したため、美鳥は完全融合状態では無い俺の戦闘力の確認のため、ダゴンや破壊ロボや触手の攻撃が届き難い距離から見学だ。
正直あり難い。姉さんは呪霊錠が限界を迎えてパワーアップしたばかりだから、この海域ごとクトゥルーを殲滅しかねないし、美鳥に外から俺の戦い方を分析して貰うのは面白い。
前方に向き直る。目に映るのは次々と交戦状態に突入している軍艦、戦闘機。
今の所破壊ロボ相手にどうにかこうにか踏ん張っている様だが、ソナーには巨大な影が映り込んでいる。
ダゴンが交戦可能域にまで近付きつつあるのだ。
丁度いい、破壊ロボ相手だと魔道兵装を使うまでも無いから、標的にするには最適だろう。
掌を天に向け、空間自体を握り潰す様にして拳を作り、叫ぶ。

「顕在化(マテリアライズ)!」

そこに存在していないという現実を、そこに存在しているという事実で塗りつぶす。
空間が裏返る様にして、巨大な機械の鎧が俺を中心に現れる。
俺の身体を組み込み具現化した力の塊、黒いボウライダー。
魔術戦闘を主眼に置いてあるため、最初から『魔法の杖』を機体そのものに組み込んであるデモベ世界仕様。
取り込んだ魔導書の記述から、戦闘用に再構築した術式を呼び出し、腕と一体化しプラズマ発生装置と魔銃の構造も組み込まれた『魔法の杖』へと装填。
精神コマンドを全て使用し、胃の中に直接非常食の中身を生成しSPを回復しながら、俺はダゴンの群れへ向けて吶喊した。

―――――――――――――――――――

《大十字! 無駄弾を撃つな!》

「え?」

「なんだ?」

機神招喚により南極の海に現れたデモンベイン、そのコックピットの中に居た九郎とアルは、クトゥグアの神獣弾を撃つ直前に掛けられた声に、一瞬動きを止めた。
そのデモンベインの上を、小さな影が通り過ぎる。
人型、そう、破壊ロボとは全く違う、人型のロボットが翼も無く空を駆けているのだ。
サイズは破壊ロボに比べて小さいデモンベインと比べても半分も無い小兵。
その小型のロボットが、杖と砲と銃の混じり合った暗い青に染められた腕を海魔の群れへと向け──

《ファイルロード・フサッグァ!》

青い稲妻とそれに追随する無数の火球が放たれ、海ごと、海魔の群れの五分の一程を蒸発させた。
青味がかった稲妻に導かれ、火球一つ一つが核をも上回る熱量を持って焼き尽くし、しかし、海魔や深きものども、破壊ロボ以外には一切被害を与えていない。

「クトゥグアの眷属、炎の精達の長フサッグァか。九郎、どうやらあの砲、こちらの魔銃と似た理論で動いているようだぞ」

それに、下級神性の神獣弾か……面白い真似をする。という、興味深そうなニュアンスを含むアルの言葉も九郎の耳には届かない。
口調こそこれまで聞いてきたモノとは全く違う粗雑なモノだが、あのロボットからと思しき通信から聞こえてきたのは聞き覚えのある、いやさ、聞き間違えようの無い声だ。
それに、魔術を使う時のあの独特な口結。

「お前、卓也か!」

その大十字の声に応える様に、先行している人型ロボットが振り返り、砲と一体化した腕を片方だけ持ち上げた。

《新兵器の実験ついでに、露払いをしに来てあげましたよ!》

そう言い、今度はもう片方の腕、ほのかに青白く発光している灰色の腕を海魔の群れに付き付ける。
銀とは言えない不浄の灰色に染め上げられたその腕に内臓されている巨大な回転弾倉が、ガギンと音を立てて回転し──

《ファイルロード・アフーム=ザー!》

極低温の冷気を帯びた灰色の炎が、海面に顔を出した海魔を舐めつくした。
青白い輝きを帯びた灰色の炎の周囲を、周囲の大気中の成分で作られた結晶が火の粉の様に綺羅綺羅と輝く。
ダイヤモンド・ダスト現象を起こしながら、容赦なく灰色の炎が燃え上がり、吹き荒れる波諸共にダゴンの群れを凍結させる。
アフーム=ザー。クトゥグアの眷属であり、ハイパーボリア大陸の北部を氷河で覆った神性である。

「クトゥグアとイタクァの模倣を、クトゥグアの眷属だけで済ませたか。あやつ、思ったよりもやるではないか」

「はは、すっげぇの」

九郎は、後輩の思わぬ力に驚きと歓喜を隠せずにいた。
以前から邪神眷属や高位の魔術師にも通用する武装を開発していたが、まさかあんな、巨大ロボットまで自作していたとは。
しかも、ブラックロッジと戦うとは言っていたが、この場面でこんな形で助太刀に来てくれるとは。
しかし、あのロボットは一体何処で? 材料はどこから? 誰にも気付かれずに作り上げていたのか?

《雑魚程度ならこちらで処理できますから、先輩はクトゥルーを!》

尽きぬ疑問が頭を駆け巡り、しかしその当の後輩の言葉によって九郎は正気を取り戻した。

《ヘーイそこな怪しげなロボット! 我輩を差し置いて我が宿敵の花道造りなど十年百年一億光年早く、行き過ぎて一周巻き戻り貴様にとっては明日の出来事であり一日遅いであるぞ!》

《あ、あの時の黒い恩ロボットロボ。ヤッホー、元気してたロボか?》

後方からはドクターウエストとエルザの駆る量産型破壊ロボの改良版が迫り、レーザーを放ち次々と破壊ロボを撃ち落としている。
ようやく追い付いてきた覇道艦隊旗艦ノーデンスからの援護射撃も間隔を短くし始めている。
ノーデンスから通信が入った。

《大十字さん、あの黒いロボットは?》

通信から聞こえた声は覇道財閥総帥、覇道瑠璃のもの。
突如として現れた謎の機体が敵なのか味方なのか判断しかねている所で、九郎との面識ありという事を聞き、素性を訊ねようとしているのだ。

「あいつは学校の後輩で、多分味方だ。撃墜しないで貰えると助かる」

この状況で偽物が出てくる意味は薄い。
そして、あの後輩なら資材の問題さえ解決できればああいった発明も不可能ではないだろう。
それに、あれほどの火力があるならダゴンや破壊ロボを攻撃して信用を得るのではなく、直接艦隊にあの火力を叩きこめばいいだけの話になる。

《撃墜しようにもできないでしょうが……、分かりました。ここは連合艦隊と後輩さんに任せて、一刻も早くクトゥルーを》

「いや、それは」

危険だ、と、一瞬反駁しかけ、ちらりと戦場を、もっと言えば後輩を見直す。

《ファイルロード・フサッグァ!ファイルロード・フサッグァ!ファイルロード・フサッグァ!ファイルロード・フサッグァ!ファイルロード・フサッグァ!ファイルロード・フサッグァ!フサッグァ、フサッグァ、フサッフサッフサッ、フサフサフサフサフサフサフサフサ! 申し訳程度にアフーム・ザー!》

日頃毒を吐く時もあれど、基本的に外面だけは品行方正を売りにしていた後輩は、海の水を干上がらせる勢いで火砲を連射していた。
ものっくそ楽しそうに。
連合艦隊が添え物にしか見えない、八面六臂の大活躍だ。

《ええ、と……、ぐ、幸運を(グッドラック)》

「あ、うん、そちらこそ」

心なしか気不味そうな口調の覇道財閥の総帥にあいまいに返事を返し、デモンベインはクトゥルーの頭頂部、剥き出しの夢幻心母へ向けて飛び立った。
『たぶんあいつ一人で大丈夫なんじゃないかな』
その一言が言えずに、九郎はコックピットの中で静かに肩を落とした。

―――――――――――――――――――

「ふむふむ」

デモンベインを送り出してから数分、無尽蔵のエネルギーと人間を遥かに超える圧倒的演算能力による強引なお兄さんの魔術行使も、大分洗練され始めてきている。
一度クトゥグアを召喚しようとしてうっかり身体の半分を消し炭にされ掛かっていた時はどうなる事かと思ったけど、一つ二つランクを落とした神性の記述ならまともに操れるかな。
戦況は……、原作ほど悪くは無いけど相変わらず戦闘機も軍艦もボンボン落とされ続けてるか。
ま、戦闘機やら軍艦やらが戦ってる所に援護射撃をしている訳では無い上、敵もクトゥルーと夢幻心母を落とさない限り無尽蔵に湧いてくるから当然かな。

「美鳥ちゃん美鳥ちゃん」

「何? 修羅場をくぐり抜けた? やっぱりリンコ落ち?大穴で寧々さん?」

「んーん、みんな死んだ。そうじゃなくて、そっちはもう撮らなくてもいいと思うの。卓也ちゃん、他の所に行くみたいだし」

「え?」

言われた直後ボウライダーはオートパイロットに切り替わり、ひたすらホーミングレーザーを打つだけの簡単なお仕事を始めて、ボウライダー内部からからお兄さんの反応が消え、直ぐ別の場所に現れた。
そこは海面、いや、お兄さんが散々アフーム・ザーを放った事で生まれた巨大な流氷か。
不自然に亀裂が走ったその流氷から、巨大な海魔や破壊ロボ、戦闘機やお兄さんのボウライダーよりも更に小さい、背に翼を負った白い影が飛び立っていくのが見えた。

「メタトロンね」

そう、アイオーンが現れるまで、たった一人でアーカムシティを守っていた正義の味方。
その正体は、極々稀に大十字を社会不適合者(ペドフィリア)の道から引きずり上げる事の出来る稀有な魅力を持った金髪巨乳眼鏡シスター。
この周がアル・アジフルートだとして、ここでメタトロンが出てくる場面と言えば……。
考えていると、メタトロンが飛び立った流氷目掛け、ダゴンの一匹がダイブしてきた。
恐らく、メタトロンに殺されたもう一人の改造人間から放たれる死肉の匂いを嗅ぎつけてきたのだろう。
あれには殆ど人間のパーツなど残って無いだろうに、浅ましい事だ。あれじゃ神と言ってもそこらの野犬か何かと変わらない。
内心で畜生同然のダゴンを見下していると、流氷を砕きながら再び海の中に沈み込もうとしたダゴンの動きが止まり、破裂した。
破裂、というのも言葉が足りないか。爆砕とか、粉砕とか、緑色の汚らしい血液が派手にばら撒かれたせいで大喝采とはいかないけども。

「卓也ちゃん、荒れてるわね」

お姉さんは、眉をハの字にして困ったような表情で頬に片手を当て、ダゴンの血溜まりと化した水面を眺めている。
お姉さんはお兄さんとのリンクがある訳でも無いのに、あれをやったのがお兄さんだと理解し、お兄さんの精神状態まで言い当てて見せた。
流石、あたしの年齢の数倍姉弟やってるだけの事はある。

「お姉さんは、あんな感じのお兄さんを見たことは?」

さっきのダゴンを粉砕した力、念動力は、これまでのどの場面で使われた念動力よりも遥かに爆発力の高い力だった。
魔術師としての術理を学んだ事によってお兄さんの念動力も威力を増したとはいえ、平時ではここまでの出力は望めない。
感情の爆発、違う、巨大な熱を含む感情のうねりを、機械の様に正確ではなく機械そのものと言っていいお兄さんの理性が制御し、もっとも単純な破壊の力へと精錬した。
だけど、ここまで強いお兄さんの感情は見た事が無いと思う。
単純な喜怒哀楽では示しきれない複雑な感情。少なくとも喜んでも楽しんでもないけど、怒っているのでも悲しんでいるのでも無い。

「卓也ちゃんが高校生の時、しばらくあんな感じだった事があったのよ。友達がお姉さんと酷い喧嘩したとかでね。卓也ちゃん、変な所で感情移入し始めたりする癖に、人様の家庭の問題には下手に口出ししないのが礼儀だって思ってるから」

「そうだね、伊佐美姉弟の時も、身体張っても説教とかはしなかったし」

不要な感情ではないけど、間違いなく何の意味も持たない感傷。
だけど、お兄さんはそれでいいのかもしれない。お兄さんに、そういった心の余裕(ヒマ)がある限り、お兄さんは人間で在り続ける事ができるのだから。

―――――――――――――――――――

重油や緑色の血液、肉片やスクラップが緩慢な速度で降ってくる深く、しかし海底には届かない深さの海中。
流線形と鋭角の混ざり合った、甲冑の様なパワードスーツの様な銀の人型が、同じく人のシルエットを残しながら機械的な要素を含んだ人型を抱えていた。
銀の人型は、自らの腕の中の黒い人型を仮面の中の瞳に映し、微動だにしない。
抱えられている黒い人型は一眼で致命傷と分かる傷を負っており、顔を覆う仮面は半ばから割れ砕け、覗く瞳はこの世の何者をも映していない。

「………………」

どちらも、一言も言葉を発さない。しかし、どこか圧迫感のある静寂。
海中において無防備な彼等を狙い近付く海魔は、彼等を取り囲む強大な念動の力によって尽く粉砕され、その静寂を侵す事すらできない。
音も無く、事態は進展する。
銀の人型から伸びる無数の触手が、黒い人型の姿を隠す様に巻き込み、飲み込む。
触手に包まれた黒い人型の脚が、腕が、胴が、次々と消えて、いや、取り込まれていく。
もはや胸から上しか残っていない黒い人型、その割れた仮面から覗く、ざんばらに切り揃えられた髪が海のうねりに靡き、触手の動きが止まる。
割れた仮面から覗く、穏やかな表情の青年の顔の上を、銀色の手が瞼を閉じさせる様に通り過ぎる。
手が離れた時には既に割れた仮面は無く、割れる前の物と何一つ変わらない、どこまでも黒く、暗い、顔の無い仮面が乗せられていた。
そうして、今度こそ、黒い人型は完全に触手の中に取り込まれ、銀の人型の一部と化した。
もはや何も抱きかかえていない両腕を、掌を見つめ、一度拳を作り、ぽつりと呟く。

「勝って生き残ったのはメタトロンで、負けて死んだのはサンダルフォン。それだけの話だな」

もはやここには用は無いとでも言うかの様に振り返り、浮上を始める。
周囲の荒れ狂う念動力は次第に静まり始め、しかし決して完全には消え去らない。
迫る海魔を念動力で磨り潰しながら浮上し、海面に辿り着く寸前、静かに、しかし強い感情を秘めた言葉が漏れる。

「また、いずれ」

誰に向かうでも無い言葉は微かな音の呟きであったにも関わらず、戦場の爆音にもかき消される事なく、確かに南極の海に響いた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

マスターテリオンを追ってあの門の向こうに行ったら、二度とこの世界には戻れない。
今確かにある俺の総てを、これまで積み重ねてきた諸々を捨てなければならない。
それで迷わない筈は無かった。
アルは一晩だけ、俺に考える時間を与えてくれた。
だが、たった一晩という時間は総てと決別するには短過ぎて、決意を鈍らせない為には長すぎる時間だ。
だけど、それでも──

「珍しく暗い顔をしていますね、先輩」

「え、……卓也? どうしてここに」

肩を叩かれ振り返ると、そこには大学の後輩の一人、鳴無卓也が居た。

「一応、さっきの戦闘ではそれなりに活躍しましたから、先輩の証言のお陰で武装解除しただけで乗せて貰えましたよ」

「武装解除って……いいのか?」

「ええ、渡したのはダミーですからね。どうせ、渡した処で内容を検分できるわけでもありませんし」

「お前なぁ……」

確かに、魔導書を渡した処で、その内容を正気を失わずに確認できる様な人員が居なければ、その魔導書が本物であると確認する事は出来ない。
まぁ、艦隊を丸ごと殲滅できるような戦力を持っている相手が罠にかけてまで欲しがる様なものがこの船に積まれていないからこそなんだろう。
だからと言って、天下の覇道財閥相手に偽物掴ませて堂々と船に乗り込むとは、相変わらず何処か頭のネジが吹っ飛んでいるとしか思えない後輩だ。
卓也は俺の隣に立ち、手すりに寄りかかり海を眺め始めた。とことんマイペースな男だ。

「……で、何しに来たんだよ」

「最後に同郷の先輩の面を拝みに来たんですよ、これでお別れでしょうから」

「っ」

後輩のあけすけなもの言いに、息を詰まらせた。

「俺は、まだ行くなんて」

「言わなくても、心に決めたって顔に書いてますから。丸分かりですよ?」

「~~~~っっっ」

海の方を向いたままの後輩の、何時もは柔和な顔の造りのバランスを壊している鋭い目つきが、緩く眦を下げているのを見て、俺はガリガリと頭を掻いて唸るしかできない。
見透かされている。こいつの妹もやたらと観察力に優れていたが、どうしてこう内面を簡単に見透かされてしまうのか。
天を仰ぎ溜息を付き、海に背を向けて手すりに背を預ける。
互いに顔は見ない。見てもどうせこいつはニヤケているだけだろうし、こいつはこいつで見なくても分かる、程度に考えているに決まっている。
少し、数十秒か数分ほどの沈黙を挟み、海を見たままの卓也が口を開いた。

「ホントの所を言えばですね」

「ああ」

「もっとこう、何か気の利いた事を言おうと思った訳ですよ。でも、今までの行いがロウじゃなくてカオス方面に傾いてるから、いい言葉が浮かばなくて」

「いいよ、別に。つうか自覚があるなら直せ」

後輩の思わぬ言葉に、苦笑しながら首を横に振る。
なんだかんだ言いつつも、この慇懃無礼を絵に描いたような後輩なりに気を使っていたという事に何処か嬉しさを感じている。
それに、一人で無ければ意地も張れるから、今を失う恐怖に震えずに済む。
今は、それだけでも十分にありがたい。

「さて」

卓也が手すりから離れ、背を向けた。

「行くのか?」

「これ以上居ても湿っぽくは成れませんからね。先輩も、アル・アジフの所にいってみればいいと思いますよ。多分、格納庫に向かってる所かと」

「ああ、サンキュ」

「いえいえ。それじゃ、運が良ければまた何時かお会いしましょう」

振り返りもせずに片手をひらひらと振って元来た道を歩いて行く卓也を見送り、俺は格納庫へと向かう事にした。
──そこで、一人で勝手に出撃しようとしていたアルと出くわし、互いの意思を確かめ合う事になるのだが、それはまた別の話だ。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

昼の少し前、拝礼者も居ない時間帯を見計らい、教会の戸を叩く。
ここはアーカムの隅にひっそりと佇む孤児院を兼ねた教会。
とはいえ、ここで聖職者といえば神父ではなくシスターただ一人、しかも、そのシスターもモグリであり正式なシスターではない。
そもそも洗礼を受けたかどうかすら怪しい訳だが、それは気にする必要も無い些細な事だ。
俺だって廃教会を改造してねぐらに使っていた時期があるのだし、ここのシスターの事情を鑑みれば身分を偽るのも仕方の無い事だ。
決して、弟を持つ姉、という属性故に甘くなっている訳では無い。

「居ないみたいね」

「ガキ連れて炊き出しにでも出てるんじゃねーの?」

「そうか、困ったな」

デモンベインが扉の向こうに消えて、扉自体も消えうせてから、既に数日の時が経過している。
アーカムシティは壊滅状態ではあるものの、他に行き場の無い人々は荒地同然のこの土地に残り、仮設住宅や奇跡的に残っていた建物に住まい、復興作業を行っているらしい。
らしいというのは、姉さんから聞いた他のデモベ二次創作世界での話だからだ。
とはいえ、アーカムシティもまともな街ではない。帰る故郷を持たない人も多く、あの混沌とした活気を気に入り、元のアーカムに戻そうと考える人が多いのは変わらない筈だ。

「姉さん、時間は大丈夫?」

「……駄目ね、あと二分も無いわ」

あと二分。それが、俺達がこの一週目の時間に存在できる制限時間。
普通の作品として成り立っているループもの二次創作ならあって当たり前のループの原理だが、俺達が今居るこの世界にはそんな物は存在しない。
大十字や大導師のループと同じ理論では、外から来たトリッパーはループできない。
最初に主人公は現実来訪型と条件を付けられて造られたこの世界は、例によって例の如くそのループの理論を構築する事ができなかった。
まぁ、元々ループものをあまり書かない千歳さんにそんな物を注文する方がお門違いなのだけど、そのお陰で俺達は『特に何の原理も無くループ』する事ができる。
そして、そのループのタイミングは例によって例の如く姉さんの超感覚で正確に測る事が可能なのだ。
だから、昼頃まで余裕があると聞いた時、部屋の整理を済ませた上でここに来たのだが。

「ポストに突っ込んどいたら? 盗まれるようなもんでも無し」

「それもなんだかなぁ」

できれば、これは直接シスターさんに渡したい。というか、渡さなければならない。
やっぱり何処かの仮設住宅に移動したのだろうか、この教会も屋根とか壊れて雨風しのげそうに無いし。

「あのー、どうかなさいました?」

端末にでも教会を張らせておけばよかったかと考えだした処で、後ろからおっとりとした女性の声が掛かった。
振り返ると、そこには豊満な身体をシスター服に包んだ金髪の女性。この教会のシスター、ライカ・クルセイドだ。
良いタイミングだ。が、あと一分と少ししかない、手短に済ませてしまおう。

「すいませんシスター、これ無縁仏の様なものでして、といっても髪の毛一房と遺品が一つだけなんですが、そちらで供養していただけませんか?」

無縁仏とか供養とか、あきらかにキリスト教ではなく仏教臭いけど、他の言い回しが咄嗟に出てこなかったから仕方が無い。

「ええ、こちらで丁重に供養させて貰いますから、ご安心くださいな」

笑顔で受け取ってくれた。ここら辺インチキシスターだからそういった部分で緩いのかもしれない。

「ありがとうございます。では俺達はこれで」

姉さんと美鳥と共に、その場をそそくさと離れ、復興作業中の市民を避けながら人気の無い場所に移動する。
見られた処で何か困る訳では無いのだが、転位の瞬間を見られない様に人目を避けるのはもはや癖の様なものだ。

「卓也ちゃん」

道すがら、姉さんが俺に物言いたげな視線を送ってきた。
間違いなく、さっきの遺品の事だろう。トリップ百戦錬磨の姉さんからすれば、随分と無駄な行為に見えたかもしれない。

「魔導ダイナモのお礼みたいなものだから、次の周からはやらないよ」

「んーん、卓也ちゃんはまだ十回もトリップしていないもの。そういうのも、悪くないってお姉ちゃん思うな。そういう顔、してるでしょう?」

確かにそういう顔をしている。つまりは意外な事に許してくれた訳だ。
まぁ、トリップ先の人間に感情移入してはいけないと直接言われた訳でも無いし、注意されると思ったのは過敏だったかな。
姉さんもトリップ始めた頃は普通に友情とか育んでいたみたいだし。トリッパーにも友情はあるんだー! といった感じなのだろう。

「お姉さんから見たら、お兄さんもあたしも、まだまだ登り始めたばかりだからなー」

「ああ、このトリップ坂をな……」

「ミカン食べたいな」

さて、次の周では、もう少し頑張ってカリキュラム受けてみようか。学術調査に積極的に同行するのも悪くない。
何しろ時間だけは無駄に大量にある。修行と並行してマンネリ回避の手段も色々と講じておかなければ。

―――――――――――――――――――

クトゥルーの砲撃の余波で荒れ果てた教会に、仮設住宅で生活するのに必要な日用品などを取りに戻ってきたライカは、唐突な依頼に困惑していた。

「なんだったのかしら、あの三人組……」

割り当てられた仮設住宅の中で、東洋系の、多分九郎と同じ日本人の三人組から渡された箱を前に首をひねる。
思わずここまで持ってきてしまったが、どちらにしろあの教会の周辺には墓地が存在していない。
箱の中身が危険物で無い事を確認した上で、今回の事件の被害者の内の一人として集合墓地に入れられる事になるだろう。
自分が頼まれたモノだし、他の神父さんシスターさん達は他の死者の埋葬や祈りなどで忙しい。正規のシスターでない自分も、こういった作業をおこなうべきだろう。
そう思い、ライカは机の上に置かれた箱の蓋を空け、

「え──」

目を見開いた。
箱の中に収められていた遺品は、仮面。
自らの変身する戦士、メタトロンと同じデザインの、しかし漆黒に染まり、ひび割れて欠けた仮面。
メタトロンと対になる黒の戦士、サンダルフォンの仮面だ。
そして、仮面を被せられ隠れていた、一房の髪の毛。
ごわごわとして男っぽい、茶色の、ライカ・クルセイドの弟、リューガ・クルセイドの遺髪。
箱の中から、仮面と髪の毛を取り出し、胸に抱きかかえる。
仮面と髪を取り出された空き箱の中に、ぽたり、ぽたりと、

「お休みなさい、リューガ」

涙が落ちた。





【二周目に続く】
―――――――――――――――――――

ループ初期設定だから、色々と想像で補うしかない部分は独自設定
色々とツッコミどころが多いデモベ編一週目終了の第四十話をお届けしました。

尚、ラストのシスター・ライカが目を見開く辺りから機神飛翔のエンディングから、いとうかなこで『Roar』でも掛けて頂くと曲の雰囲気に誤魔化されていい感じの場面に見えるかもしれません。

今回のあらすじテレビくん十三月号風。
壊(こわ)されたアイオーン(あいおーん)に変(か)わる新(あら)たな戦士(せんし)、デモンベイン(でもんべいん)!
アイオーン(あいおーん)のパーツ(ぱーつ)と合体(がったい)して戦(たたか)うんだ!
デモンベイン(でもんべいん)の必殺技(ひっさつわざ)が炸裂(さくれつ)、敵(てき)のデウスマキナ(でうすまきな)はいちころだ!
つまり、テレビ版とは展開が違う幼年雑誌のやたら振り仮名の多い解説漫画でも読むような、広い心でお楽しみください。

以下、突っ込まれそうな部分を自問自答。
Q、姫さんがデモンベインに関して事務的過ぎない?
A、原作よりも遥かに早い段階で覇道鋼造が死に、デモンベインについて祖父本人からではなく人づてで知らされた事、原作よりも長い期間覇道の総帥をやっているので原作よりも人間的に熟成している事などが原因。
Q、原作との時間のズレ。
A、時間と空間とが通常空間とは隔絶された秘密図書館の中では、外での半日が二日三日に伸びたりしてもいいじゃあないですか。設定少ないし。
Q、クラーケンが破壊されてからクラウディウスの襲撃まで時間掛かり過ぎじゃね?
A、今回、というか、ここまで覇道財閥に殆ど出番が無いので、デモンベインの場所を探すのにも時間がかかったとかで勘弁。
Q、黒いボウライダー?
A、まだ完全には鬼械神が召喚できないので。
Q、ファイルロード!
A、フサッグァ・ナパーム! みたいな武器名とくっつけて感じで使おうかと思ったけど、ほんの少しだけ冷静になって止めた。ファイナルアタックするかは未定。
機械的に記述を管理してそれを読みこむ形で使うとか何とか、あるいはCDかDVDに焼いた魔導書をサポAIの口に突っ込んで鬼械神召喚とか。
本編で説明するかは未定。

ようやく、ようやく一週目が終わった……。次からは容赦なく飛ばせる。飛ばせるんだ。
二周目以降はダブりイベントはやりません。何かしらの差異が無ければ描写する意味も無いと思うので。
二周目はほんの少しだけ日本で創作者の思考のノイズ説明とか、大学への入学方法の違いだとかやってから、只管に学術調査同行編。
後々の展開の為に、シュリュズベリィ先生とかハヅキとかの好感度稼ぎまくりです、お楽しみに。

今回もそんな感じでお別れのお時間。
誤字脱字に文章の改善案、設定の矛盾への突っ込みにその他諸々のアドバイス、
そしてなにより作品を読んでみての感想、短くとも長くとも、短くも長くも無くとも、心よりお待ちしております。



[14434] 第四十一話「初逆行と既読スキップ」
Name: ここち◆92520f4f ID:190f86b3
Date: 2011/01/21 01:00
────そして、目を覚ます。
唐突な目覚め。なにしろ眠りについた記憶も無いのに、俺はパジャマを着た状態で布団に潜り込んでいたのだ。
これを持って唐突な目覚めとしなければ一体他の何が唐突な目覚めと言えるだろうか、いや言えない。反語。
今は無きミスター塩沢を偲びつつ、上体を起き上がらせ部屋を見回す。分厚いカーテンが朝の陽ざしを遮り室内は薄暗いが、それでも部屋の内装は良く見える。
そこに見えたのは二年半かけて親しんだ洋風のアパートの一室、ではなく、どこか元の世界の実家を思わせる様な、日本では極々一般的な中途半端な広さの個室。
二次創作デモンベイン世界における鳴無家、その二階に位置する俺の部屋である。

「くぁ……」

欠伸をしつつ立ち上がり背を伸ばし、布団を畳む。
不思議な事に布団はつい昨日干したばかりであるかのようにフサフサ、もといフカフカである為、畳んで押入れに入れておくだけでいい。
伸ばした触手で押し入れを開け布団を放り込み、朝日の光を遮っていたカーテンを開く。
窓から見える外の風景も、電信柱が木製である事、千歳さんの家や駐在さんの交番が無い、むしろこの家以外に民家も道路も畑も無い事を除けば大体元の世界と一致している。

「って、どこが一致してるんだそれは」

しいて言うなら空と空気と大地がある事だろうか。
どうにも人生初逆行という事で脳味噌が混乱しているらしい。
本来のスペックを全て出し切ればこの現象、しいて命名するならそう、逆行酔い(逆行後一ターン行動不可となる)にかかる事も無いのだが。
だがこれも人間らしさを忘れない為には必要な事だし、このもどかしい感覚も嫌いではない。
何はともあれ、無事に何事も無く栄えある二周目初起床を済ませる事に成功したのだ。
ここは堂々と二周目初洗顔と二周目初歯磨きと二周目初朝風呂を済ませ、二周目初朝ごはんをみんなで頂く事にしよう。
俺は朝風呂を浴びる為に下着を持ち、洗面所へ向けて移動を開始した。

―――――――――――――――――――

洗面所に行くと、パジャマ姿の美鳥が顔を洗っている所だった。

「おはよー」

「おはよー」

軽く挨拶を交わし、洗面所が塞がっているのでまず風呂に入ろうとした俺の視界に飛び込んできたのは、洗濯かごに入れられた女性モノの下着だった。
ブラのサイズを見て、タオルで顔を拭いている美鳥の胸元を見て、再びブラを見る。
──サイズ的に見て、間違いなく美鳥の物では無い。
だが、ここで姉さんの下着であると考えるのは早計である。
何しろこの世界は這い寄る人のテリトリー、ここで何の脈絡もなく新原さんや銀髪あほ毛美少女や黒髪胸元どばーんな美女が風呂から登場し『やあ、何を隠そう私です』などとのたまい始める可能性も無いではないのだ。
いや、それならまだしも、万が一風呂場から出てきたのが地球皇帝であったのならば恐ろしい事態になりかねない。彼は這い寄る人の一形態である為、唐突にここに現れないとは言い切れない。
魔術師は通常、魔導書が無ければ殆どただの人になり下がってしまうという、テッカマンと似た様な存在だ。
が、しかし。逆十字程の魔術師ともなれば魔導書を物理的に持ち運ぶ必要はなく、空間を切り裂いて取り出したり、光の粒が集まって魔導書になったりとカッコいいエフェクトでもって魔導書を召喚できてしまうのだ。
するとどうなるか。俺は朝っぱらから全裸の黒人神父と向き合い戦わなければならないのである。
何しろこの最悪の予想が当たっていた場合、バリトンヴォイスの黒人神父はその衣装の下に、大きめのブラジャーを装着しているという事になる。
そして、胸元に手を当てながら『守られている感じがしますね』と爽やかな笑みで決め台詞。白くキラリと輝く歯。
恐ろしい話だ。もしそうなら俺の心と世界の平和の為に戦わなければならない。
勝てるかどうかではなく、戦わなければならないからこそ戦うのだ。戦わなければならないからこそ戦いは産まれるのだ。
勝つか負けるかはともかく、真っ先にブラジャーは事象の地平の彼方へと消えて貰う事になるだろう。
そもそも家に上がりこんでいて欲しくないし、姉さんがいる時点で家には上がれないと思うのだが、万が一という事もある。
ここまで考えるのに僅か千ミリ秒。
生唾を飲み込み、俺は遂に意を決して、風呂場に向けて確認の声を放つ。

「姉さーん、そこに居るのー?」

「ここに居るよー」

風呂場から姉さんの間延びした声が返ってきた。
良かった、本当に良かった……!
その場でフローリングに膝を付き、この世界では間違いなく天に居ないであろう善性の神に向け、感謝の祈りを捧げる。
やはり平穏はここにあった。青い鳥は何時だってスタート地点裏手に存在するのだ。
スターと地点からすこし下がると崖から落ちてゲームオーバーになる様なファミコン初期の某横スクロール格闘アクションの様な罠こそが希少であり、通常出発点に存在するのは無上の平穏と無償の温もりなのである。
となれば、これから俺はいかなる行動をとるべきか。
まず気付いたのだが、洗顔と入浴では顔を洗うという行為がダブってしまう。
美鳥は既に顔をタオルで拭き終えている為、風呂に入る代わりに顔を洗うだけで済ませるのも一つの手だろう。
だが待って欲しい。あの風呂場には今、姉さんが入浴している。
そう、あの曇りガラス一枚の向こうには、眩しい眩しい夢があるのだ。
常日頃から姉さんの裸体を見る機会は多くあるが、姉さんがこの時間帯に起きて朝風呂を浴びているというのははっきりと異常事態だ。
その珍しさときたら、しいて言うなら惑星大直列だとかグランドクロスだかが並行する数億の異世界で同時に発生する程に珍しい。
いや、少し言い過ぎだが、とにかく珍しい事態なのだ。
そして、家の風呂は換気扇もあるが窓もある。
ほんのり暗く、しかし窓から差し込む朝の柔らかな日差しが、入浴中の姉さんを照らす。
──素晴らしい。入らない訳にはいかないだろう。
姉さんは一度風呂に入るとそれなりに長い時間湯船に浸かっている為、今から俺が途中入場しても十分な時間一緒に風呂に入る事が出来るだろう。
全く、二周目開始早々こんな望外の幸運に恵まれるとは、一体何処の冒険が挑戦を連れてきたのだろうか。
ともかく、これで洗顔と入浴のどちらを取るか、という問題は解決した。
風呂が俺を呼んでいる。そしてそこには産まれたままの姿の夢の様な姉さんが居るのだ。
ここで風呂に入るという選択肢の他にも、確かに正解はいっぱいあるだろう。
だが、俺はここで姉さんと風呂に入る、という以外の選択肢は存在しない物として扱って構わないだろうと考えている。

「美鳥も一緒に入るか?」

俺は瞬時に服を脱ぎ棄て、何故かジト目の美鳥に向けて一応の確認を取った。

「……この数秒の間にお兄さんの脳内でどんな会議が開かれていたかはなんとなーく予想が付くけど、風呂桶のサイズを考えて遠慮しとく」

―――――――――――――――――――

何事もなくごくごく一般的な風呂場での姉弟の触れ合いを楽しんだ後、朝食。
二周目最初の朝食は大量のコロッケ、すなわち、いっぱいコロッケで幕を開けた。
冷蔵庫の中に、昨晩造られたとおぼしきコロッケのタネが大量に放置されていたからだ。

「一体、俺達がトリップする前に誰がこのコロッケを仕込んでおいたのか解き明かす必要があると思う。思うけど」

「不思議ともっともっと食べたくなるね」

朝から揚げ物、というのもいかがなものかと思っていたが、これなら毎朝食べても飽きないかもしれない。
何処となく昔食べた事のある味の様な気もするが。

「たぶん、千歳のイメージのせいね」

「なひて?」

姉さんの答えに、美鳥がコロッケを加えたままで問い返す。

「千歳はいっつも家にジャガイモを置いて行くでしょ? そうすると、千歳の中には『いっつもジャガイモ押しつけてるから、常日頃からジャガイモを余らせているに違いない』って思いこみが生まれるの」

「ふむふむ」

「で、そういった細かな思い込みが千歳の頭の中で構成されたこの世界に混入していて、この世界にあるこの家と関連付けが行われた、と考えるのが一番自然ね」

なるほど、無意識レベルでの思考が二次創作世界を構成する材料に使われる訳か。

「じゃあ、ジャガイモが残らずコロッケのタネになっていたのはー?」

「千歳の好物だから、かな」

「そこはあやふやなのか」

まぁ、千歳さんがルー濃い目の辛口カレー以外でまともに美味しく食べられる唯一のジャガイモ料理だし、カレー以上にジャガイモを大量消費できる料理なので仕方が無いといえないでもない。
大皿の上に乗っていたコロッケを一つ箸で摘まみ、齧る。
ジャガイモの割合は市販のコロッケに比べて少なめで、ミックスベジタブルや玉ねぎ、ひき肉などの分量が多いのも間違いなく千歳さんの好みによるものだろう。
言われてみれば、昔千歳さんの家で食べた事がある味のような気もする。
無意識レベルでの思考がストーリーとは関係無いこういった造りこみの部分に反映されるのなら、この世界のアーカム以外の土地は千歳さんの趣味や偏見によって構築されているに違いない。
……まさか、地球のあちこちではアーカムに関わりない部分でガンダムファイトが行われていたりするのだろうか。
いや、宇宙にコロニーを作って移住するにはこの世界は人間に厳し過ぎるし、デモンベインの二次創作と姉さんが注文したからには流石にそういった露骨なクロスオーバーはおこなわれていないだろう。
とはいえ、ストーリーに絡まない部分では他作品からのクロスオーバーキャラにしか見えないキャラが紛れている程度の事は考えられる。
一週目で欲しい物が結構手に入って余裕があるし、二周目はそういったレアなキャラを探してみるのも面白いかもしれない。

―――――――――――――――――――

さて、無事に何の脈絡もなくループに成功し、この世界にトリップした時と同じ日に戻ってきた訳であるが、今直ぐにアーカムに渡りミスカトニックに入学できる訳では無い。
陰秘学科は外に対してどころか、同じ大学の生徒にすら秘されている為、入学願書を送って試験を受けたら即入学とはいかない。
前の周の大十字九郎=覇道鋼造の推薦で入学できる大十字九郎はともかくとして、基本的に陰秘学科に入学する連中というのは邪神眷属や魔術結社絡みの事件に巻き込まれてどうにか切り抜けたか、自ら世界の裏側を知る機会を得たかの二択となる。
変則的な例では、考古学の実習中にうっかり邪神眷属の神殿に踏み入ってしまったから転科しただとか、不可思議な遺体の解剖実習中に、うっかり死体から変容した怪異と遭遇、どうにかこうにか切り抜けてから転科こそしないものの関わり始めた、なんて話もある。
とりあえずの戸籍こそあるものの、海外の学校に対するコネなぞ欠片も持ち合わせていない俺達が陰秘学科に入ろうと思うならば、積極的に各地の邪神眷属の拠点を潰して回りながらミスカトニックからの接触を待つか、さもなければ偶然学術調査中の教授とエンカウントするのを待ちながら暴れまわるしかない。
が、それも前の周までの話に過ぎない。
今の俺達はトリッパー兼逆行者、トリッパー兼『逆行者』なのだ。
それはもう、原作知識があっても普通は知り得ない様な事だって、前の周で体験済みである為に知っている。
俺達は前回と同じく、例の神殿に教授が来るタイミングを見計らって暴れれば良いだけだ。

「まぁ、教授があの神殿に踏み込むまで一月くらい時間がある訳だが」

「あのルルイエ異本の写本程度なら完全に制御できるから、わざわざ取りに行くうま味も少ないんだけどねー」

「美鳥ちゃん、『うまあじ』じゃなくて『うまみ』ね」

「えぇ? だってとしあき達が」

「喰いタンでも読めば自然と読み方が分かると思うけどな」

うまみー! とは叫んでも、うまあじー! とは叫ばないのが普通だ。いや、普通はどちらも叫ばないが。

「無理やり話を戻すけど、前とは別のルートで行けばいいんじゃない? お姉ちゃんね、前すごくパチモノ臭い魔術師を見つけたの。エア魔導書を使う姉弟なんだけど、その姉の方が人間にしては恐ろしく腕っ節が強くて──」

「鳴無さーん、郵便でーす!」

気を取り直した姉さんの提案が、郵便屋さんの威勢の良い掛け声で遮られた。
遠ざかるバイクの排気音を聞きながら、三人揃って玄関の方を向き、首を傾げる。
前周のログを漁ってみても、このタイミングで、というか、この家を出てアーカムに移住するまでの短い間、一度たりとも客人や郵便物が来た記録は無い。
思い当たる節があるとすれば……

「あみあみだろうか」

「バレモンかしら」

「メロンブックスも捨てきれないね」

全員心当たりがあるようだが、少なくともここは元の世界では無いので注文の品が届く訳が無い。
そして、少なくともこの世界においてこの時代のこの付近は未開拓にも程がある森の中だ。
並大抵の相手であれば、郵便物を届けようという気にもならない。というか、無事にあの郵便屋さんが辿りつけたこと自体が奇跡と言ってもいい。
一体、どこの酔狂な輩が何を送りつけて来たのやら……。

―――――――――――――――――――

郵便受けにねじ込まれていたのは、二つの分厚い封筒だった。
大判の、それこそ設定資料集が余裕で収まってしまう程の大きさの封筒の宛名は、『鳴無卓也』と『鳴無美鳥』の二つ。
少なくとも爆発物でも魔術的なアーティファクトでも無いのは確認済み。
いや、むしろ既に開封済みなのだが、その中身が問題なのだ。
美鳥がおもむろに封筒の中身を取り出し、内容を読み上げた。

「『捕大作』」

「もっともらしい表情で大ウソを吐くな」

まともに読み上げ無かったので自分で内容を確認する。
封筒の中身はミスカトニック大学の入学願書一式と、一通の手紙。
手紙の内容は、いくつかの条件を呑めば学費免除、更に生活費付きでウチの大学に入学できますが如何か、という様な内容であった。
差出人はミスカトニック大学の学長だが、話の裏にもう会えない元先輩の影が見え隠れしてしまうのもご愛敬。

「卓也ちゃん、どうするの? せっかくだから誘いに乗ってみる?」

「うぅん」

正直な話、気のりしない。
こういう話が出てくるとい事は、元先輩が少なからず俺の有用性の様なものを見出して援助してくれるという事なのだろう。
実際、俺がした事と言えば、手を出さなくてもいいところで手を出して、自分が居なければどうなっていたかとか思わせただけに過ぎない。
何しろ、俺が居なかったこれまでのループでもどうにかこうにか最終決戦に持ち込めている筈、いやむしろ、全ての元凶である黒幕の目的が達成されるまでは、どう足掻いたところでリタイアすら許されない。
そう、先輩、大十字に対するフォローというものは、実はトリッパーはする必要性が皆無なのだ。
やはり姉さんから聞いた言葉の通り、トリッパーはトリップ先の存在にとって、何より先に天上の神に似たものであるらしい。
第一に歓喜を語るに良い、第二に不平を訴えるに良い、第三に、居ても居なくても良い。
現実定住型トリッパーにこのジョークを言うとドッカンドッカン湧かせる事が出来るというのは姉さんの言だったか。閑話休題。
さらに言えばこの話、俺にもあまりメリットが無い。

「正直な話、秘密図書館にはあんまり用事が無い。あそこの虎の子のラテン語版はもう持ってるし」

「それに、こういう特別待遇で入学すると舐められたりするものねぇ」

「前回は最初からシュリュズベリィせんせのお墨付き貰ってたからねー、戦闘だけは」

そう、前回はそれが大きかったのか、ある程度の実力が無ければ参加も許されないような学術調査に何度か誘われた事があるのだ。断ったが。
だが姉さんのいう通り、そういったイベントも無しで特別扱いで入学したりすれば、学術調査に誘われる事も無くなってしまう可能性が高い。
極上の魔導書の記述が手に入った今、俺達が身に付けるべきは魔導書の実践的な運用理論だ。
そして、それを学ぶのに最も適した教師はシュリュズベリィ先生を置いて他には居ない。
俺は二つの封筒を手に取り、中身の願書と手紙ごと真二つに引き裂く。
更にその真二つに裂かれた封筒二つを重ね、もう一度引き裂き、最後にプラズマジェットで燃やした後にマイクロブラックホールに放り込み消滅させた。

「遠くアメリカからやって来た書類は、配達事故で俺達の所には届かなかった、という事で。姉さん、超人姉弟の話の続きをお願い」

「つうか、この世界で妖怪変化の類と共存なんてできそうに無いけど、そこら辺の思想とかはどうなってんの?」

「うん、その姉弟は揃って魔術による肉体改造をしてるんだけど──」

―――――――――――――――――――

◆月◆日(激動の一か月終了!)

『二周目開始からの一月は、それなりに慌ただしい物となった』
『大学からの誘いの手紙を見なかった事にして、一周目のとは違うルートで日本の怪しげな遺跡を攻略しつつ、未知の魔導書やアーティファクトを手に入れていく事になったのだが、一周目とはまた違った様々な困難が俺達を待ち受けていたのだ』
『出発から三週間ほどした頃には、姉さんの言っていた魔術師の姉弟も確認した。この世界で妖怪に該当する存在のエグさから色々と嫌な予感はしていたのだが、その嫌な予感は杞憂に終わった』
『今なら凄腕の魔術師という姉さんの言にも頷ける。その姉弟は心も体も人間の範疇から外れており、そのお陰で人間の魔術師では越えられないハードルも軽々と乗り越えられてしまうのである』
『しかし、外道の術により超人と化した姉弟ではあるが、彼等は時折現れる怪異などから檀家の人々を守り抜く正義超人だったのだ』
『なお、モデルとなったと思われる姉弟は弟の死により姉のみが超人と化していたが、この世界では姉弟揃って超人と化していた』
『と、いうのも、弟はただ死んだ訳ではなく、この世界特有の術式を組み込んだ即身仏になっていたらしい。ティベリウスの様な発酵系の不死ではなく、乾物系の不死を得る為の儀式だったのだとか』
『が、姉はそれを知らされておらず、超絶的な魔術の腕前を持つ弟ですら死んでしまうのだと恐怖を感じ、弟とは別の方法で自らの身体を不死身の超人へと変じさせたのだ』
『そんな美女と乾物の姉弟魔術師とは、不幸なすれ違いにより最初は敵対関係になってしまい、空飛ぶ船型鬼械神VS魔術理論搭載ボウライダー黒のデスマッチが開始された』
『しかし、そこはVSもののお約束(戦隊モノのVS物とか、真ゲッターとネオゲッターとか)、直ぐに共通の敵がやってきて、戦いの中で和解する事に成功した』
『巨大な下級邪神との戦いを経て、最後には超人姉弟のお手製残虐ラーメン(材料は麺のみドイツ製らしい。すごくおいしい)をみんなで食べてスタッフロールとエンディング』
『スタッフロールが流れる脇で、別れた後の俺達と超人姉弟の日常とかが流れに流れ……』
『気が付くと、一周目にシュリュズベリィ先生と出会った神殿付近の港町へと辿り着いていた』
『しかも、シュリュズベリィ先生が件の神殿に現れる二日前に』
『これにはさしもの水瓶座の俺もセンチメンタリズムな運命を感じずにはいられない』
『たとえ、すっかり忘れそうになっていた『トリッパーは対策を施さない限りイベントに引き寄せられるの法則』のお陰であるにしても、だ』
『前回俺と美鳥が神殿に蔓延る〈深きものども〉へ、大好きな殲滅戦を仕掛けたのは三時のおやつを食べ、三人で大きなベッドでゴロゴロ昼寝をした後、つまり夕飯前くらいの時間だった』
『が、少なからぬ世界のぶれによって、シュリュズベリィ先生の来訪が早まったり遅くなったりする可能性も無いではない』
『今日の所は早めに眠って、明日は朝ごはんを食べたらすぐ仕度を整えて出発、何時間かかけてゆっくりと〈深きものども〉を皆殺しにしに行こう』

―――――――――――――――――――

そんな訳で、始まりの朝である。
仮にもここは近場に海系の邪神の神殿がある港町である為、インスマンスの如き魚面の住人達が夜中に仕掛けてきたりもした。
しかし昨日日記を書き終えた時点で既にこの宿屋の住人は分子レベルで分解された後にトイレに流されている。
厨房も厨房に繋がる食堂も綺麗にリフォームされており、怪しげな宗教に嵌まっているだろう魚面の料理人や他の客はもう居ない。

「今お兄さんが、『お陰で俺は、安ホテルの朝にも関わらず姉さんの手料理に舌鼓を打つという至福の時を迎える事が出来たのだ』とか考えている気がする……」

「人の心を読むのはマジやめろよお前」

因みに、俺の表情筋や身体を覆うオーラの揺らめき、これまでの俺の言動パターンのデータベースからの類推によるサトリごっこが美鳥の最近の密かな趣味であるらしい。
言動のサンプルが無い初対面の相手の心を完璧に読み取れる様になるのがひと先ずの目標であるとか。
あえて読心系の能力を開発するのではなく、莫大なシミュレートなどの科学的な手法で結果を出す、という辺りに拘りがあるらしい。

「朝から家族間コミュニケーションが活発なのは良いけど、出撃の準備はできたの? 造り出した武器や防具は、装備しないと意味が無いからね?」

「大丈夫だよ姉さん、俺達の身体は全身これ狂気、もとい凶器。つまり武器腕とか武器内臓胴体とかだから」

両腕ブレードとかかなり伊達や酔狂の武器だと思う。
因みに、姉さんも最近は改造ラブプラスの修羅場編(三人分のクリアデータを作らずとも、恋人にするまでの過程で幾度も修羅場が発生する特別仕様)を、主人公のコンテニュー無しで生き残らせる方法を模索している。
ちなみに、ゲームのデータを改造してもセーブデータを改造しない、主人公有利な設定を作らないのが拘りなのだとか。

「一応、今回は野良魔術師設定で押して行こうと思うから。魔導書に、バルザイも持った」

「魔銃使っていいかな。クトゥグア二丁で火力無双か、イタクァ二丁で誘導弾無双したいなー」

「だめよ、美鳥ちゃん。あんな大層な魔術理論を使ってる癖に使用者がインスタント魔術師でも発動する様な武器使ってたら腕が落ちるわ」

「ちぇー」

一応、その場で生成する以外の武装を皆でチェックしつつ、考える。
これから何度ループするか正確な所は分からないが、今がループ三桁台である事は確認済みなので、原作通りの最後に突き進むのだとすれば、あと最低でも二千回以上はループしなければならない事になる。
これからも同じ期間をループし続けるのだとしたら、ざっと四千年以上はこの世界に居なければならないという訳だ。
カブのイサキの続きが気になるのに、それを見る事が出来るのはずうっと先の事。
元の世界から持ってきた娯楽ではとてもではないが暇な時間を潰す事はできない。ひたすら魔術の研鑽に時間を費やしたとしても限度があるだろう。
もしかしたらその内、生き足掻く人間の営みを見て滑稽だとか言って娯楽にしてしまう時期が来てしまうのだろうか。
そんな世に飽いたラスボスみたいな事を口走るのは御免被りたいので、俺も新たな趣味に目覚めてみるのもいいかもしれない。
……リリアン編みとか、どうだろうか。止め方知らないから何時までも続けられるし、作った分は異次元に放り込んでおけばいい。
とりあえずの目標は鬼械神が着れる巨大セーター作成で、次に地球人全員で一緒に首に巻ける長さのマフラーとか……。

「卓也ちゃん、大丈夫?」

ミレニアム単位で飽きない趣味の構想を練っていると、何時の間にか姉さんが心配そうに顔を覗き込んでいた。

「あ、うん。大丈夫大丈夫。ちょっと毛糸について考えてただけだから」

「いやいや、ダンジョンアタック前に毛糸に思いを馳せる理由がわかんねぇし。マジで大丈夫なん?」

「大丈夫よ」

美鳥の疑わしげな声に、俺では無く何故か姉さんが答えた。
そんな姉さんと顔を合わせ力強く頷き合い、いぶかしげな美鳥に笑いかけ、窓の外を見る。
魚面の住人がのそのそと働く陰気な街。だが、日の光が照らす海は一時的に真夏の様な照り返しを見せていた。

「そう、大丈夫。なにせ俺達」

待ってるから、大好きな殲滅戦が待ってるから──

「トリッパーですから」

「上手く纏めたつもりでも第二部はでねぇよ」

「第一部完の文字は編集部が勝手に入れたものなのよね、たしか」

別に構わない。バスケと言えば俺の中ではボンボンでやってたやたら頭身低い子供が主役のバスケ漫画だし。
タイトル覚えてないけどな。

「それじゃ、はい」

コントが一区切りついた処で、姉さんが俺と美鳥に布でくるまれた箱状の──端的に言って弁当を渡してきた。
弁当箱の中身は食べる寸前まで見ないという曲げることのできない大宇宙の法則に乗っ取り透視こそしないが、包みの中には弁当だけではなく小さな包みが入れられているのに気が付く。
重量的にみて焼き菓子か何かだろうと思われる。

「とりあえずお昼の分に、簡単なのだけど三時のおやつも入れておいたから」

「つまり、夕飯までには帰って来いってこと?」

「ん。卓也ちゃんが帰ってくるまでお姉ちゃん夕飯食べるまで待ってるからね?」

そう言われては遅くなる訳にはいくまい。一人飯も悪くないと思うが、できれば家族が揃っている時は団欒を楽しむべきだと思うし。
とりあえず、シュリュズベリィ先生が五時頃までに神殿に来なかったら、この周はミスカトニックでの勉強は諦めよう。
間に合ったら、適当にミスカトニックに入れる様に未熟な魔術師的アクションで気を引いてみるという事で。

「じゃ、いってらっしゃい」

「うん、いってきます」

「ます!」

姉さんに見送られ、美鳥を伴い、俺は神殿のある沖合の孤島を目指した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

小さな島の地下に建造されたその神殿は、本来祀る神とは縁も所縁もない神道系の建築物──神社を置き、その存在を巧妙に隠していた。
いや、その神社は只のカモフラージュの飾りではなく、餌の役目も果たしていたのだ。
表側の神社目当てにやってきた異教の輩を捕え、神への供物としてささげ、またある時は繁殖の際の苗床として利用する。
その餌場としての機能こそが、邪神狩人ラバン・シュリュズベリィがこの神殿の所在を掴む切っ掛けとなったのは当然と言えば当然の結果だった。
ルルイエ異本が日本の何処かに存在しているかもしれないという情報だけを頼りに各地を転々としていたシュリュズベリィは、怪しげな漁港と行方不明者が多い神社の噂を聞きつけ、遂に秘密の地下神殿を発見する。
しかし、そこで待ち構えていた光景は、彼の想像とは少し違うものであった。

―――――――――――――――――――

整備された地下洞窟の闇の中、サングラスと掛けた一体の蛙と魚を掛け合せた様な顔の類人猿がしゃがみ込み、周囲に倒れている別の魚人の身体に触れている。

「ダディ、ここにも死体しかないよ」

そのサングラスの魚人の懐から、年若い、いや、幼さを残す少女のくぐもった声が響く。

「ああ、分かっているとも、レディ」

それに頷きながら、サングラスの魚人は立ち上がる。
明かり一つ無い洞穴の中を見渡しサングラスを外すと、自らの首元に指を差し込み、顔の皮をずるりと剥ぎ取った。
いや、その顔の皮は精巧に作られたマスクであり、首から下にも似た様な材質のボディスーツを着ているだけの様だ。
ひゅる、と一陣の風が吹き、身体を覆っていたスーツが微塵に切り刻まれ、遂に全身が露わになる。
壮年を通り越し、初老の域に足を掛けた老人。しかし、その全身からは覇気と、警戒心がにじみ出ている。

「どうやら、私達よりも早くここに辿り着いた、『同業者』が居るらしい」

老人──邪神狩人ラバン・シュリュズベリィが見渡した洞穴の奥に通じる道には、無数の〈深きものども〉の死体が延々と積み重ねられていた。
シュリュズベリィの懐から無数の紙の束が噴き出し、一人の少女の姿を形どる。

「同類であるかはわからないけどね」

魔導書『セラエノ断章』の精霊ハヅキが、いくつかの死体を視界に入れてから呟く。
通路に横たわる無数の死体、その状態から、殺害方法は斬殺と撲殺の二種類である事は分かる。
斬殺死体は、切断面が炭化、もしくは凍結しており、魔力の残滓も見てとれる。
恐らくは何らかの魔術的アーティファクトで殺害されたのだろう。
問題は撲殺死体の方だった。
こちらの死体には、一切の魔術的痕跡が残っていないのだ。
それだけではない。殴打された個所の反対側が吹き飛び、内容物の尽くを噴出させている。
そして、いくつかの原形をとどめている死体には、人間の物と思われる拳の跡が存在した。
粉砕された部位は構造的に脆い部分もあれば、頭蓋、心臓の上の胸骨など、高い強度を誇る部位もあった。
これらの死体から分かる侵入者の特徴を纏めるとすれば、こうなる。
魔術を使える、もしくは魔術的なアーティファクトを使いこなせる知恵を持ち、更にはなんら魔術的な要素を含まない単純な殴打で頑強な〈深きものども〉の肉体を力任せに粉砕せしめる、人間の様な手を持つ何か。

「やれやれ、これなら〈深きものども〉の魔術師が待ち構えている方がまだ分かり易いな」

撲殺死体からは、死体が元から持つ水妖の気しか感じる事は出来なかった。
何処かの軍隊が軍用パワードスーツの開発に着手したという話も聞いた事があるが、それならば打撃部分を人間の拳型にする理由も無い。

「ダディ、こいつら」

「ああ、どうやら、殺されてからまだ時間はそれほど経っていないらしい」

つまり、この奥にはまだ、〈深きものども〉を惨殺した未知の存在が居座っている可能性が高い。
シュリュズベリィはその事に対し気を引き締める様にサングラスを掛け直すと、ハヅキを伴い、ゆったりとした歩調で歩き出す。

「先客と出会ったらどうするの?」

一歩後ろを歩く魔導書の上目使いの問いかけに、老賢者は肩を竦めて答えた。

「まずは話が通じる相手かどうか、だな」

こつりこつりと足音を立てて歩く彼等を止められる生者は、この洞穴の通路には存在しない。
常の学術調査ではありえない状況に少なからぬ緊張と、未知の出来事への知識欲を刺激されながら、シュリュズベリィは洞穴──神殿の最奥部へと足を進めた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

〈深きものども〉をのんびり歩きながら片端から片付け、もとい散らかしながら神殿の奥地に辿り着いた俺達が見た光景は、やはり二年と少し前に見た物と全く変わらない光景だった。
ダゴンを模したと思しき石像を天に、その下には生贄を捧げるなどの様とに用いられるのであろう祭壇。
そしてその中間程に位置する神棚の様な場所に安置されていた、最早複製を作り出すまでもなく一文字一句逃さずに暗記済みのルルイエ異本日本語写本。
インスマンス近くの神殿の様に、祭壇に続く巨大な階段状のピラミッドがある訳では無く、広間といっても小学校の体育館ほどあるかないか程度の広さしかない。
が、階段の代わりとでも言う様に円環状に置かれた石柱は、何かを召喚する、もしくは何処かへ繋がる門を作成する為の、魔術的に正しい配置にある。
あちらこちらに落ちている骨は〈深きものども〉のものとは違う、極々一般的な構造の人骨。
恐らくは旅行中に拉致され、〈深きものども〉の子供を孕まされた観光客の女性だろう。
あとは、少し前まで暴れていた〈深きものども〉のバラバラ死体。
ここにはそれしか無い。この光景を見たのは二度目だが、本当に直ぐに飽きてしまう光景だ。

「分かっていた事だけどさ、ここの連中ってすっげぇ時化てるよね」

愚痴をこぼす美鳥はうんざりした様な顔で、切り飛ばした〈深きものども〉の肉片がこべりつくバルザイの偃月刀を、魔力を込めながら一振りする。
すると、偃月刀に込められた灼熱の魔術が起動し、強度の問題で通常の金属では得られない様な熱を帯びた刀身が、こべりついた肉片や血液を灰にしてしまう。
そして、脚元に転がる〈深きものども〉の死体を、綺麗になった偃月刀の先端でいじり始めた。
最初の内は〈深きものども〉の身体の構造をフューチャーだー! とか、理解不能のハイテンションで綺麗にパーツを腑分けしていたのだが、それも三体四体と捌いている内に飽きてきたらしい。
もう美鳥は手持無沙汰の時に髪の毛の先を弄る程度の感覚で〈深きものども〉の死体に刃を付きたて切り裂き、その感触のみを楽しんでいる。

「景気がいい連中なら、態々こんなアメリカ視点で辺境の島国に流れてこないだろ」

日本語写本の出来からして大陸経由か海路だろうし、元の生息地域から考えればとんでもない長旅だったに違いない。
俺は美鳥をぼうっと眺めながら適当に答えた。
先ほどまでは無尽蔵なのではないかと疑いたくなるほど湧きだしていた〈深きものども〉はぴたりとその姿を消し、何処へともなく消えていってしまった。
小説版的な展開だとすればここでクトゥルーの捕食用触手が現れてくれてもいいのだが、連中が消えて十分程経過してもそんな気配は微塵も無い。
せめてあのダゴンの石像をよりしろにしてダゴン君が出てきてくれてもいいのだが、残念な事にあの儀式をここの粗悪な劣化コピーのルルイエ異本で再現するのは至難の業だ。
そうでなくとも、シュリュズベリィ先生が早く来てくれてもいいと思うのだが、いったいどこで道草を食っているのやら。

「だいたいなにあの環状石柱、並びも石のサイズも成分も無茶苦茶、おまえら奉仕種族の癖にまともに『門』も作れねぇのかよっていう」

死体を突いていた美鳥のいちゃもんは遂に神殿内部の呪術用具にまで及びだした。
唯でさえ地域間の情報の流れが速く正確になるにつれて真っ先に淘汰されそうな連中にそんな期待をしても、などとは俺も思えない。
それだけ、ここの神殿としての価値は低い。邪神を崇めている形跡はあるが、それが身を結んだ事は無いのではなかろうか。
精々、観光客を拉致して自分達の子供を産ませたり、意味もなく祭壇の上でそれっぽい生贄の儀式『ごっこ』に精をだした程度か。

「だな。シュリュズベリィ先生辺りが見たら鼻で笑うんじゃないか?」

俺達も二年程度の短い時間とはいえ、ミスカトニックの陰秘学科に在籍していた事のある魔術師だ。
更に言えば、他に研究者の居なかった魔導応用科学を研究していたから贔屓されていた可能性を加味したって、秘密図書館にある程度自由に出入りさせて貰える程度には良い成績を維持していた。
この世界の目玉とも言える鬼械神を召喚出来ない様な有象無象とはいえ、力ある魔導書の類は山ほど読んだ。常人なら千度頭が狂って死んでも可笑しくない量だ。
完全な機神招喚ができる日を夢見て、邪神の召喚の術式に目を通した事もあるし、姉さんの監修の元で幾度か実験した事もある。
その経験から言えば──

「まずは」

並び立つ石柱目掛け、バルザイの偃月刀を投擲する。
ギャオ、と音を立てて飛んで行った偃月刀は、狙い違わず俺の狙っていた数本の石柱を切り倒した。
ブーメランのように戻ってきた偃月刀をキャッチし、剪定前よりも幾分こざっぱりした環状石柱を指差す。

「あの材質のまま行くなら、あの辺は真っ先に切除するべきだろう」

「うーん、でも深海にゲートを開く目的から考えればこうじゃない?」

美鳥が自前の偃月刀を投擲せずに、投げやり気味に振り回す。
振るわれた偃月刀の軌跡の延長線上に、電撃を纏った巨大な斬撃が走り、進路上の数本の石柱を砕き、そのまま神殿内部の壁に激突した。
神鳴流決戦奥義の収束版の余波で、不安定な神殿内部がぐらぐらと揺れ、天上からはぱらぱらと細かい水滴や石が落ちてくる。
当たった所で痛くも痒くもないが、服がぬれるのは気分が悪いので、偃月刀を傘に変化させて頭上に広げる。

「ほら、石柱だけじゃなくて、地面に引いたラインのお陰で門を開くという意図が強調された」

同じくちゃっかり偃月刀を傘に変化させた美鳥が環状石柱を指差す。その表情は何処か得意げですらある。
だが、俺とて大学での二年間を無為に過ごしてきた訳では無い。
美鳥のこの改造には荒がある。

「ラインも良いが石柱を潰し過ぎだ。ここまで簡略化したら、開門するのにそれなりの魔術師が必要になるだろうが」

効率だけを見た設計だから、門を開けるのが誰であるかをまるで考えていない。
ここの施設を利用するのが魚どもである以上、まともに頭を使わせるのは問題外なのだ。

「元の材料だけで考えるならこんなもんじゃねーの?」

「いや、そもそもここまで大規模改修するなら」

念動力で神殿内部の壁を崩し、適当なサイズまで崩したら風の刃でカッティング。
増幅の意味を込めた魔術文字を透かし込みで入れ、出力を抑えたレーザーで魔力を通り易くする為の風穴を開ける。
この工程を数度繰り返し、環状石柱の中に割り込ませた。

「ほら、ここまで弄ってやれば、最悪魔導書の内容の意味を理解できなくても発動できる」

新たに手を加えられた環状石柱を見た美鳥は渋い顔をしている。
苦虫を77回咀嚼させられています、みたいな顔だ。

「何そのどや顔。大体、新たに材料追加していいなら──」

―――――――――――――――――――

──そして、数度の改造が繰り返された。
辛うじて残った『追加素材は神殿内部のものだけ』という暗黙のルールに従い、神殿の内壁、祭壇、ダゴン像、更には人間や〈深きものども〉の死体までが超空間ゲートの材料に使用され、神殿内部は最初の面影を影も形も残してはいない。

「いやー、いい設計した」

「劇的なビフォーとアフターの差が美しいよね」

美鳥と互いの健闘をたたえ合う。
そう、神殿内部の何もかもを犠牲にし、遂に俺達は太平洋深海へのゲートを完全な物に仕上げる事に成功したのだ!
まぁ、新米ではないけど未だ達人級にまでは届かない魔術師の設計である為、クトゥルフの全身を招喚できる様なサイズでは無いが。
しかしこの大きさのゲートなら、間違いなく捕食用の触手程度なら十本近く通れるだけの大きさになっていることだろう。
このゲートの凄い所は最終的に僅か数分の間にこの状態に持って来られたことと、クトゥルフさんの気分次第で全自動でゲートを開いてくれるところか。
しいて言うなら、かつて教授が攻め落としたペルー大峡谷に存在する物と同じレベルにまでは持って行けた筈だ。
これ以上の改良を望むのなら、三、四周ほどかけて本格的に招喚魔術の修行や研究を行わなければならないだろう。

「それはともかく」

「うん」

「これ、なんで改良始めたんだっけ」

「余りにも出来が悪かったから、ついつい修正を始めちゃったんだよね。お兄さんが」

「そうか、許せ」

「たとえこの世の誰が許さなくても、あたしはお兄さんを許すよ。姉に誓って」

「ありがとう、お前は最高の相棒だ。ところで美鳥、神殿の内部が水浸しになりつつある」

「そりゃ、もうゲートは開いてるから当たり前やね」

ここまで繋がったゲートから入り込んできた〈深きものども〉のエルダーとか普通の魚とかを眺めながらの淡々とした会話。
お互い、何だかんだで改良された環状石柱に視線は釘付けだ。
まぁ、見なくとも鼻を使わなくとも、互いに冷や汗を掻いていることだけは察する事が出来る。
のそのそと未だ地面に引っかかって動けないエルダーを、ゲートから飛び出した蛇の顎の様な物が噛み砕いた瞬間、俺達の心は一つになった。

「逃げよう」

「うん」

入学の鍵となるルルイエ異本の写本だけは忘れずに、一目散にその場から逃げだした。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

シュリュズベリィは思う。今回ばかりは生徒を置いて一人で来て正解だったと。
数分の間に幾度となく神殿の奥から破壊音が響いたかと思えば、決壊したダムのように水があふれ出し、おぞましい水妖の気があふれ出し始めた。
数年前に生徒を連れて来た時も似た様な状況に陥った事はあるが、今回は調査では無く魔導書の探索なのだ。
危険だからと引き返すわけにもいかず、かといって生徒全員を守る事も難しい。

「やれやれ、先客が何事か起こしてしまったかな?」

言いつつ、既に膝上程にまで達した水の上を、風に乗り滑るように駆ける。
こう狭くてはバイアクヘーも使えず、機神召喚も洞穴を利用したこの神殿を崩落させる危険があるので使用できない。
もどかしいが、奥にあるだろう魔導書を確保しなければならない以上あまり無茶は出来ない。
結果、普段あまり用いる事の無い生身での飛行魔術を使用して移動しているのだ。

「ダディ、何か近付いて来る」

シュリュズベリィの飛翔を補助する為に魔導書形態に戻り懐にしまわれていたハヅキが声を上げた。
その声にシュリュズベリィが顔を上げると、成るほど、確かに人型の何かが全力疾走している様な動きで近付いて──出口の方に向かって走っているのが分かる。
典型的な、それこそ秘境を攻める探検隊の様な格好の二人組は、その背に魔力を帯びた刀剣を背負い、大きい方の人影が手に持っている年季の入った本からは微弱ながらも水妖の気が感じられる。
目標の魔導書、ルルイエ異本だ。そのプレッシャーの微弱さから察するに、出来の悪い写本だろうか。
更によくよく観察すると、彼等は『水の上を何のトリックも無しに走り抜けて』いる事に気が付いた。魔力の欠片も行使されていないのだ。
魔術も使わずにこの非常識、素手で〈深きものども〉を手並みに通じるところがある。まず間違いなく彼等が先客だろう。
一瞬、この水妖の気もこの二人組のせいかと思ったが、件の魔導書から感じられる気配は余りにも弱い。ここまでの術を行使できる様な上等なものでは無いだろう。
魔導書を持ち出した時に発動するトラップか。もしくは、あの二人組にどうにかされた元の魔導書の持ち主が殺される前に最後の賭けに出たか。
もっとも、直接事情を聞かない限りはどこまで行っても予測にしかならないのだが。
あっという間にすれ違い出口の方面へと向かって行く二人組に、シュリュズベリィは空気の足場を蹴り方向転換。
二人組の全力疾走も並みの車を遥かに超える速度が出ているが、水面という悪い足場である為か一定の速度が出ていない。

「問題は無い!! 十五キロメートルまでならば!!!」

二人組の大きい方、目つきの鋭い青年が美しい短距離走者のフォームで走りながら、自らを鼓舞するかの如く叫ぶ。

「やめろよーう、この状況で負けフラグを立てるのはやめろよーう」

二人組の小さい方、青年と似た様な目つきの少女が平坦な口調で青年を非難する。
割と余裕がありそうな二人組に追い付くのに、シュリュズベリィの足で十秒も必要無い。
先ずは挨拶。それから、この状況と彼等がどのように関わっているのか。そして、この事態を切り抜けたら、あの魔導書を渡して貰う為の交渉だ。
シュリュズベリィは簡単に現状を問う為の幾つかの言葉を頭に思い浮かべ、二人組の背に声をかけた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「ダディ?」

肩を揺すられ、自らの魔導書──ハヅキの声を耳にしたところで、シュリュズベリィは漸く自らがまどろみの中に居た事に気が付いた。
椅子から起きあがり、サングラスを掛け直す。

「……む、すまんね。どうやら眠ってしまっていたようだ」

ここは極東の〈深きものども〉が潜む神殿ではなく、覇道財閥からシュリュズベリィの学術調査隊に『動く拠点』として貸し出された巨大空母の一室。
学生の現時点での習熟具合を考慮し、なおかつ早急に手を入れなければならない怪しげな遺跡を一通り周り、半年ぶりにアーカムシティへと帰還している最中であり、決して迫るクトゥルフの捕食手から逃げている最中ではない。

「疲れてる?」

「問題児の『お守』も大変という事さ、レディ」

心なしか心配そうな雰囲気のハヅキの頭に掌を乗せ、口元に濃い苦笑を浮かべる。

「でも、居なければ居ないでもっと疲れるんだよね」

「そうだ、レディ。彼等は問題児でもあるが、そこらの学生よりは確実に優秀でもある」

だからこそ、最低限目の届く所に置いておき、なおかつ生徒には荷が重く、自分も手が離せない時は彼等に任せる場面も多くなるのだ。
彼等が何か起こさないか目を光らせる労力と、彼等が居る事で省かれる労力は差し引きで考えれば決して悪い方には傾かない。
ミスカトニック大学陰秘学科の学術調査において、彼等の存在感は良い意味でも悪い意味でも強い。

(しかし、あの二人も出会った頃に比べれば随分とましになったものだ)

先ほど見ていた夢を思い出す。
二年と少し前まで独学で魔術を学び、実践と修行の為に〈深きものども〉の巣穴にたった二人で突撃していた鳴無兄妹。
その危ういまでの行動力を危惧し、何時かの科学者の若者の様な道に走らぬ様にとミスカトニックに半ば囲い込む様に招き入れた。
彼等が一度大学側から招待を推薦を受けていた事は後で知ったが、知らぬ内に確保する事が出来たのは幸運と言っても差支えないだろう。
彼等のもともとの能力を見極めた後は、人類側の抵抗者としての心構えを説き、彼等の長所を伸ばす為に積極的に学術調査に同行させてもいる。
そのお陰かどうかは知らないが、彼等にもそれなりの協調性の様なものが見え始めてきたのだ。
これから三年、四年と学年が上がり後輩が出来れば、その傾向はさらに強くなるだろう。
自らが教え、導いた教え子の成長を想い、シュリュズベリィは、

「そうそう、タクヤとミドリからの伝言、『そろそろ姉さんが近付いてきたから早退します』『お兄さんがアネルギー切れ起こしそうだから付き添いで一緒に早びけー』だって」

「またか……」

シュリュズベリィは額に手を当て、深く溜息をついた。
アーカムが近付いて来ているとはいえ、まだ陸地が目視出来る距離でも無い。
まぁ、彼等──ではなく、鳴無卓也の姉に対する超感覚は今更としても、この海のど真ん中から彼等はどうやってアーカムに向かったのか。
搭載していた上陸艇を使用した、というならまだいいが、それは早く姉に会いたいと思っている彼が選ぶ筈もない選択肢だ。
同じ理由で海面を走って行ったという選択も無い。
では、以前開発し学術調査中も改良を続けていた魔導バイクか。
バイアクヘーには速度で及ばないまでも、シャンタク鳥の記述を搭載し、並みの戦闘機を軽々と凌駕する速度と圧倒的なコーナーリングに定評のあるあれならば、彼等も満足のいく速度が出せるだろう。
学術調査の役に立つからと乗せて、実際に幾度となく他の学生の命を救いもしたが、もしかすればこの時の為だけに積みこまれた可能性もある。
まぁ、色々問題はあるものの要領も良いし、空飛ぶバイクが見つかって騒ぎになる様な事も無い筈だ。
とはいえ、アーカムに戻ったからと言って現地解散とはいかないのがこの学術調査であり、許可も無く早退されるのは少々困る。

「大丈夫だよ、ダディ。なんだかんだで二人ともレポートは欠かさず提出するんだから」

「そうだな、そう考えれば、勤勉な生徒だと言えるか」

ただ少しだけ、そう、ほんの少しだけ家族愛が深すぎるだけで、それを除けば善性の人間なのだ。
だが、他の学生達の手前、何のペナルティも無しとはいかない。
シュリュズベリィは窓の外、アーカムの方角に顔を向けながら、早退した二人への罰を考え始めた。

―――――――――――――――――――

○月×日(特に書く事は無いかも)

『月日はクラッシュイントルードの様に流れ、二周目も終盤。これまで色々な事があった』
『シュリュズベリィ先生の紹介でミスカトニック大学に入学した直後は、破り捨てた入学願書について色々と聞かれ』
『同じ学年の気のいい連中と飯を食いに行き、気の良くない連中を酒に酔った勢いに見せかけて酒瓶で殴り倒し』
『講義では率先してディスカッションに混ざり、魔導書で理屈が分からない部分をシュリュズベリィ先生に質問し、学術調査では思う存分身体を振りまわして奉仕種族を嬲殺しにし尽くした』
『もっとも、最初は加減もせずにミンチにしていたせいで『これでは標本も作れないし解剖も出来ないだろう』とシュリュズベリィ先生に苦笑いされてしまったのだが、今となってはそれもいい思い出だと思う』
『こうして二周目を通しての活動で分かった事がある』
『それは、魔術師は魔導書以外から教わる事は余りにも少ない、という事だ』
『当たり前と言えば当たり前だが、これは思いもよらない盲点だった』
『なまじミスカトニック大学という教育機関がある為に、師を得て学ぶ物と考えてしまう』
『しかし、だ。この世界、デモンベインの世界における魔術という物には決まり切った絶対のルールが存在しない』
『このデモンベイン世界の魔術は世界のルールを書き換え改竄する。つまり、元からあったルールも新しいルールで上書き出来てしまうのだ』
『しいて例えるなら、小学生が鬼ごっこなどで行う『バーリア! もう触れませーん』『バリア無効ですー、はい触った。今触ったよこれー』みたいなやり取りを超高度な域で行っていると考えればいい』
『休み時間が終わって教師が教室に入場すると何もかもおじゃんになる=アザトースが目覚めると何もかもおじゃんになる。とか考えると更に分かり易い。正に諸行無常』
『……言い過ぎか。まぁそんな訳で、魔術を使う魔術師同士の戦いは、ゲームのネット対戦で互いにリアルタイムで改造コードを新たに打ち込みながら対戦している様なものだと考えれば分かり易い』
『ともかく、このミスカトニックで学べるのは魔術においてほんの触りの部分だけであり、それなりの位階に上ろうと思ったなら魔導書から自力で学びとるしかない』
『今しばらく、あと二、三周くらいは機神召喚の現場を観察する為にもミスカトニックに入学させて貰うつもりだが、それ以降は自力で魔術の研鑽を行うのが効率的だろう』
『我ながら気の長い話だ。その度に学術調査の為に姉さんと数カ月単位で離ればなれになるのも正直言って辛い』
『しかも、平気で二、三周とか言ってるけど、今までのトリップ先の世界で過ごした時間を遥かにオーバーしているんだよな』
『姉さんが同じ世界に居るからホームシックはありえないにしても、向こうの知り合いを思い出してふと寂しくなったりするのだろうか。イメージしてみよう』
『……すまない、隣町に住まう高校時代の同級生の横田君。君に塵骸魔京を貸せる日は、俺の主観時間で最低でもミレニアムが四回ほど訪れた後になってしまう。7で動くかは分からないし、古いOSの安いPCは用意できただろうか』
『大学卒業後に見事大手企業に入社し上京した葉山君。餞別として渡した、お姉ちゃんに命令されて眠れないCD、大事にしてくれているだろうか。きっと気に入ってくれるだろう、彼はMだった筈だし』
『隣の県に引っ越した我が同士、俺と同じく法に触れるレベルの近親好きの鈴木さん。君はもうお兄さんに押し倒して貰えただろうか、それとも押し倒せただろうか』
『なるほど、即座に思いつくだけでもこれだけ出てくるか。もうこの世界に来てから四年の月日が経過したというのに』
『意外と長期のトリップでもどうにかなるのかもしれない。心おきなく修行に励ませて貰うとしよう』

―――――――――――――――――――

そう、暫くはじっくりと学術調査で撃墜数を稼ぎながらの修業の日々になる筈だった。
しかし、現実はどうだ。今俺が居るのはどこだ。
そう、ミスカトニック大学秘密図書館だ。ぶっちゃけ、もうほとんど見る所の無い場所だ。

「つうか、まだ魔導書の閲覧許可も貰ってない気がするんだが、なんで司書代理なんだ?」

しかも、破損の激しい魔導書の修復作業まで任されるというのはどういう事だろうか。
俺達、今周は素性の知れない野良魔術師上がりの学生だよ? 書を持ち出されるとか、悪用されるとか思わないの?
つうか、仮にも力ある魔導書の癖に紙魚に食われてるんじゃあ無いよお前ら。紙魚もこんなもん食うんじゃないよ。
変な方向(エロゲヒロイン的な意味で)に突然変異起こしても知らんぞ。そうなる前に駆除するが。

「一応、一度は大学の方から招待されているしねぇ。援助を頼みこむ時に、何か言い含めてたんじゃないの? ほら、複製作ったり修復できるって知られちゃってるし」

俺の隣で作業をこなす美鳥が気だるげに答えた。
流石に、一度取り込んで内容も完全に記憶している様な魔導書を、只管分解して破損部分を継ぎ足して組み直す作業は堪える物があるのだろう。
俺はそんな美鳥の推理に納得しかけ、首を振る。

「……いや、その理屈はおかしい。あの時点で魔導書の修復が出来たからって、入学する前からそういう事が出来たとは思われないだろ」

「だからぁ、そういう方面の素質があるって思われてるんじゃないかって話ぃ」

組み立て直した魔導書の背表紙をばしばしと叩きながら、美鳥の言葉はしりすぼみだ。
いや、そうなるのも頷ける。この作業、正直言ってかなりだるい。
これが読み物として優秀な本であればまだいいのだが、残念な事にここにある魔導書は全て手元にあり、この二年で読破済み。
更に言えば、修復が必要な魔導書は記述の信頼性が低く、既に完全制御が可能なレベルの魔導書ばかり。読みなおす事で得られる物も少ない。
豆を皿から皿に移すだけの刑と本をひたすら写し続ける刑の小話があったが、これは本が関わっているにも関わらず豆系の罰則だろう。

「素質ねぇ……。そんな訳のわからんもんの為に、俺の貴重な放課後の時間が削られるのは納得いかんなぁ」

大十字九郎が覇道鋼造になった時点で、世界は幾度となくループしているものだと気が付いているのだ。
ならば、放っておいても鳴無兄妹はミスカトニックに来るものと思うだろう。
いや、そう考えればそもそも入学させる為に学長に推薦書を書かせる必要も無いのだ。
やはり完全に何もかもがループしているとは思え無かったのだろうか。

「早く帰って、姉さんとちゅっちゅしたいなぁ……」

天下の秘密図書館も二十四時間営業という訳では無いので、一応は定時になれば帰れる筈だ。
だが、今の時刻は四時少し前。今日の講義が午後一番の講義で終わって、それから一時間半程が経過した事になる。
これで利用者が来ればびしっとできるのだが、生憎と秘密図書館は並大抵の生徒では入る事は叶わない。
何しろ、ミスカトニック大学の中でも限られた人数しか居ない陰秘学科、その中で更に成績優秀なものにしか秘密図書館での魔導書閲覧の許可は下りない。
それこそ、そこらの大学、さもなければミスカトニックの秘密ではない図書館の方の様に、時間が出来たからちょっと寄って行こうか、なんて気軽に立ち寄れる場所ではない。
よって、俺達は今外出中のアーミティッジ博士からの言いつけを守り、宛がわれた魔導書の修復を黙々と続けなければならない。
そして、俺は修復する魔導書が無くなり、机の上に倒れこむ。
ここからはもうただ暇なだけの時間が始まる。取り込んである娯楽の品を取り出してもいいのだが、未だ美鳥はのんびりと魔導書を修復している最中だ。
別に何時までにやっておけというノルマがある訳でも無いが、手伝ってやるべきか。

「ん?」

「んーん」

また一冊の本を仕上げ終った美鳥が、俺の視線に気付き疑問符を浮かべ、俺はそれに首を横に振って『気にするな』と答える。
首を傾げながらも魔導書の修復を再開した美鳥の横顔を、久しぶりにじっくりと観察する。
こうして美鳥の顔だけを見つめるのは何時ぶりだろうか。
幾度かのアップデートを越え、やや成長が遅い高校一年生程度にまで身体を成長させた美鳥。
幼さから抜け出しそうで、やはりどこかあどけない印象を残す目鼻立ちは、しかし確実に女性としての形を主張し始めている。
うっすらと色づく頬に、形の良い耳、ふっくらとした唇、切れ長の眼、毛の生え際からうなじへかけてのきめ細やかな肌。
姉さんに似ている、という一言だけでは表現しきれなくなってきたその造形は、それでも何故か俺の心を擽るものを持っている気がする。
視線を手元に移す。昔は子供の手と一言で言い表せていた手指は細くしなやかに。本を分解する一つ一つの動きは、観察すればするほど艶かしさを見出せる。

「? なに?」

気が付けば俺は立ち上がり、図書館の出入り口の方、いや、美鳥の方へと歩き出していた。
作業スペースを確保する為に椅子一つ分を開けて座っていたのだが、それではだめだ。

「あれ、あたし何か間違ってた?」

すぐ隣の席に座った俺に、まさか自分の作業手順が間違っていたのではないかと慌てる美鳥。
わたわたと手元の分解された魔導書のパーツをひっくり返す姿は、やはり愛らしく──

「いや、そうじゃない」

そうだ、そんな事は問題では無い。
この距離でなければ、美鳥の身体に手が届かないから、俺は距離を詰めたのだ。

―――――――――――――――――――

「へぁ?」

お兄さんからの想定外の接触に、あたしは思わず間抜けな声を上げてしまった。
任された分の修復のノルマをこなして時間を余らせていたお兄さんが、隣に座ったと思ったら、脇の下に両手を廻し、一息にあたしを膝の上に移動させてしまったのだ。

「お、おにいさん?」

あたしの声に答えず、お兄さんは脇に差し込んだ手を滑らせ、あたしの身体に這わせる。
右手はお腹に、左手は胸に。
身体のラインを確かめる様に手で、指先で、服に皺も出来ないほどの柔らかな手つきで、お兄さんはあたしの身体をなぞっていく。
鳩尾からか肋骨に移る手。その指に少し力が加わり、薄い肉に覆われた肋骨を一本一本確かめながら、下に降りて行く。
左手は胸のふくらみに宛がわれ、やわ、やわと、柔らかさを確かめる様に指を押し込んでくる。

「んぅ……」

もどかしい手付きに、思わず身を捩じらせる。
でもお兄さんの腕の中に、膝の上に居るこの体勢から、あたしは積極的に逃げるという考えを持つ事は出来ない。
こうして全身でお兄さんの体温を感じるのは、随分と久しぶりな気がする。
お腹に移動した手が、シャツを捲り潜り込んできた。
じっとりと汗ばんだ肌を、お兄さんの指先が触れるか触れないかの微妙なタッチで撫ぜる度、あたしは電流でも流されたかのように身を撥ねる。
お兄さんの手に触れた個所が、熱い。焼けた鉄を押し付けてもこうはならないだろう。
それでも、お兄さんの手は決定的な場所には決して触れず、執拗に、優しさすら感じる手つきで、あたしの身体に熱だけを籠らせていく。
何分、十何分、何十分? 何時までも終わらないんじゃないかと思えるほど、時間が長く感じる。

「っ……は、ぁ」

吐息が漏れる。呼吸なんて必要ないのに、息が苦しい。
酸素なんて必要ないのに、酸素が頭に回っていない人間みたいに、頭がぼうっとする。
耳元で、しゅる、という、小さな紐が擦れ合う様な音が聞こえたと思ったら、髪を掻き分けられた。
お兄さんの触手だ。うなじに触れる先端の感触がこそばゆい。
この触手で、何をされてしまうのだろうか。どこに触れて貰えるのだろうか。
何本も何本も束ねられたこれを入れられて、子宮の中を掻き混ぜられてしまうのだろうか。
細長いこれをお尻につぷつぷと出し入れされるのも好きだ。くにくにくにくに弄られて、開きっ放しになったら、指で更に広げておねだりしたくなってしまう。
エロゲとかで勉強して、とびっきり下品な惨めでいやらしい挨拶を考えてきたのに、きっとうまく言えなくて、舌っ足らずにしかお願いできないかもしれない。
お兄さんの事だから、いじわるして聞こえないふりとかしてくれるから、そしたら行動で示そう。
お尻を指で弄くりながら、口だけでお兄さんのを気持ちよくしてあげるんだ。
臭いも味も無くなるまでしゃぶったら、いっぱいいっぱい出してくれるかな。頭を掴んで、おもちゃみたいに扱ってくれるかな。
それでそれで、お腹の中がちゃぷちゃぷ言うまで呑ませてもらえたらいいな。

「え、へぇ……」

お兄さんが、あたしを徹底的に玩具にして遊んでくれる。
そう考えただけで、あたしはもうとろとろになっている。
今すぐ、あたしのお尻の下で堅くなってるのを入れられても大丈夫なくらい、いや、入れられたらきっと駄目になるくらい、それくらい準備万端。
でも、お兄さんは相変わらず大事なところには触れてくれなくて、

「ゃ……ぁ」

掻き分けられた髪の毛の下、うなじに、耳に、何度も何度も優しくキスを落としてくれる。
それが終わると、掻き分けられた髪に顔を埋め、すんすんと鼻を鳴らして匂いを嗅いできた。
大丈夫かな、さっきからずっとカビ臭い古本ばっかり弄っていたから、埃っぽくなってないかな。
いや、そんなことよりも大事なことがある。
それを伝えたいのに、あたしはお兄さんのなでなでと、これまでの妄想でもう呂律が回らなくなる処まで来ていた。

「お、おにぃ、さ」

身を捻りお兄さんに顔を向け、声を出そうとしても、途切れ途切れにしか言葉にならない。
目が霞んで、口の端からはだらしなく涎が垂れてしまっている。
そんな、下品極まりない表情をしているのに、あたしを見るお兄さんの顔は優しい。

「どうした?」

囁く様な問いと共に、胸から手を放し、あたしの口元から垂れる涎を指で拭い、半開きの口をこじ開けて指を侵入させる。
あたしは思わず、口の中に入ってきたお兄さんの指に舌を絡めた。
汗でほんの少しだけ塩辛い指を何度も、舌全体で包み、しゃぶりあげ、すする。
直ぐに塩辛さは抜け、お兄さんの指の、肌の味が口の中に広がる。
お兄さんも指を動かし、爪で舌を掻くように擽る。

「ふぅ、ふぅ……」

嫌だ、これじゃ、こんなのじゃ、満足できない。
こんなのは、やさしすぎる。
あたしは、あたしはもっと、

「どうして欲しい?」

「ふぇ……?」

口の中から、指が引き抜かれた。
ふやけた指に付着したあたしの唾液が、つぅ、と銀色に輝くアーチを作る。
そのいやらしい輝きに喉を鳴らし、息を整える。
お兄さんの手の動きも止まっている。落ち付かせるだけの間を貰い、慎重に考える。
どうすれば、もっと『して』貰えるのかを。

「お、お兄さんは、どうし、ひあぁああ!」

唐突に、胸を強く絞りあげられた。
握りつぶされるのではないかという程の力で、胸の肉を掌で潰され絞られ、先端を人差し指と親指で千切れそうな程捻り上げられる。

「──っ、────っ!」

突然の、待ちに待った、不意打ち気味の強い刺激に、お腹の底から熱い何かがせりあがって、声が出せない。
パンツの中で、ぷし、ぷし、と音を立てて暖かい液体が噴き出したのが分かる。
もうぐしゃぐしゃだったけど、これでズボンまで駄目になった。
濡れたズボンで帰らなきゃならないのかな。ぞくぞくする。

「なぁ美鳥、もう一回だけ教えてくれ。どうして欲しい? 何をして欲しい?」

「あ、あぅ……」

とびきり意地の悪い顔でお兄さんが笑っている。
お兄さんの指が頬に触れ、何かを拭う。いつの間にか涙をこぼしていたらしい。
優しい。でも、あたしが答えに迷っていると、お尻にぐり、と、硬く、熱いモノを押し付けてくる。
ぐり、ぐりと押し付けられる度に、ズボンの中がぐちゃぐちゃと音を立てて、こんなの、生殺しだ。
ごくりと唾を呑む。
言えば、して、貰えるんだ。

「お、お兄さんの……で、あたしの、ここ」

腰をくねらせ、場所を教える。

「いっぱい、虐め──」

「おーい、アーミティッジの爺さーん、居るかー?」

入口の両開きのドアが立てる大仰な音と間の抜けた呼び声。

「なんだ、居ないのか? 不用心だな……」

小さな呟きも静かな図書館の中だとよく響く。
こんなんで大丈夫なのか、警備とかしなくていいのか、そんな呟きもはっきりと聞こえてくる。

「……まぁ、次の機会ということで」

お兄さんは苦笑と共にあたしをホールドしていた腕を外し、隣に座らせ直した。
さっきまでの桃色の空気は綺麗に吹き飛び、あたしの中の熱が消えていく。
いや、熱は違う形で残っている。
脳をじりじりと焼く炎が燃えている。
でも、燃え盛るだけじゃない。あたしの中の冷静な部分が、その熱に指向性を持たせている。
理性で感情を乗りこなし、昂る魂を魔力と融合させ、精錬、精製する。
そう、これこそ魔術、これこそ力の顕れだ。

「そうか……」

あたしは乱れた着衣を瞬時に直し、声の主の居る方へと歩き出す。
右手に剣を、左手には魔導書を、瞬時に生成する。
今まで生きてきた中で最速かもしれない。
でも、いまはどうでもいい。
そうだ、いまかんがえるべきは、そんなことじゃあない。
そうだろう?

「これが、怒り……、か……!」

大十字、九郎!

―――――――――――――――――――

○月○日(あなたは大十字のニトロ砲を輪切りにしてもいいし、切れ目を入れて縦に裂いてもいい)

『無論、事件に発展しても自己責任であり、俺は何一つ責任を負う事は出来ない』
『あの日は大変だった。美鳥が半べそ掻きながら大十字に切りかかり、今後の展開に必要ない部分を切り落とそうとしたのだ』
『流石に出会いがしらに自分と息子を泣き別れにさせた相手は印象が悪いだろうと思い、ギリギリの所で止めに入っておいた』
『……美鳥の剣を受けた俺のグランドスラムレプリカ(魔術理論応用版)が一瞬にして腐食し、ぼろぼろの刀身から何故か蛆やら毒百足やら何やらがわらわらと湧きだしたあたり、美鳥の本気さ加減が窺えると思う』
『後で思いついたのだが、あそこはあのまま斬らせてやっても良かったのかもしれない』
『あんな腐食性の高い魔術を使われたら、生身の人間なんて生きたままグズグズのゾンビに成り果てて一巻の終わりだ』
『そうなれば、いつもにこにこ大十字のことを観察できる位置に這い寄っている何者かが時間を巻き戻して、文字通り『無かったこと』にしてくれた筈だ。そうでもしないと無限螺旋終わらないし』
『まだ『ド・マリニ―の時計』を本格機動した事も無かったし、手本となる本格的邪神パワーを見せつけて貰うのもいいだろうと思うのだが、それはしっかりと魔術の基礎を固め、大十字を斬り損ねた時に敵にまわりそうな教授をどうにか出来るようになってからでいいだろう』
『今回は少しばかり暴力的な出会いになってしまったが、どうにかこうにかそれなりに友好的な位置に立てたと思うので、巻き起こる騒動をポップコーンでも食べながら見物させて貰う事にしよう』

追記
『帰り道でも美鳥がぐずぐず泣いていたので、姉さんと一緒に一晩かけて慰めてやった』
『三人でのプレイは初めてだったが、面白い具合に美鳥が総受けに収まる事で何もかもうまく行ったのは、予想通りと言えば予想通りだろう』
『いかに家族とはいえ不純かとも思ったが、何時も俺とする時は出さない様なSっぷりを美鳥相手に遺憾なく発揮する姉さんも素敵だったので気にしないでおく事にする』

追記の追記
『三人でエロい事してる間に、大十字は初の巨大ロボット戦を体験し終えてしまったらしい』
『今回も初期機体はアイオーンとの事だ。先は長いようなので気楽に行こう』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

南極近海、デモンベイン専用輸送艦。

「あー……」

俺は口に煙管を咥え、うろんな目つきで空に佇む巨大な門を眺める。
声と共に二酸化炭素を吐き出し、酸素を取り込むために息を吸い、ついでに煙管も吸う。
苦い煙の味、ではなく、すーすーとしたハッカの味が口いっぱいに広がる。

「これ、ラベンダー詰めたらいけるかな……」

どうでもいい事を呟きながら、先ほど全工程が終わった二周目の事を思い出す。
思い出す、思い出す、思い出──
ええと、ほら、なんかあったよ、一周目との違い。学術調査以外で。
さっきは大十字に気の利いた事が言えない代わりに芋サイダーやったし、それ以外にも、ええと。

「アイオームかっこよかったなぁ」

顔以外は。
前回は何だかんだで楽勝だろうとあんまり巨大戦は見て無かったから、かぶりつきで見るのはこれが初めてだったんだよな。
アイオーンの偽物に、奪った記述やらそこら辺から盗み出した魔導書やらで魔導兵装も使いこなせるとか、デモンペインよりも厄介なんじゃないだろうか。
正直、二周目の感想はこれに尽きる。というより、それ以外に特に印象に残った場面が無い。
ダゴンとか破壊ロボとかは一周目の時点で楽勝だったから特に修行の成果が出せた訳でも無いし、イベントも一周目で見た様なのばっかりだから新鮮味に欠けるし。
そもそも、アル・アジフが来てからは魔術の修行もシュリュズベリィ先生が居ないから魔導書を読みながらの復習しかできなかった。
しいて収穫を挙げるとすれば、姉さんとの夜のあれこれに更にバリエーションが増えた事だろうか。
美鳥という第三者が居る事により新鮮味が増したというか、これから増えて行きそうな特殊プレイとか想像すると自然と心が春色夢気分というか。
見られながらという新たなシチュエーションで姉さんが恥ずかしがるのもいい感じだ。
なんかもう其れだけで千周くらいは持ちこたえられそうな予感がする。

「はぁ……」

そこまで考えて、溜息。
懐に忍ばせていた文庫魔導書を取り出し、ぱらぱらと内容を流し読みする。
暗唱できるどころか、何ページの何文字目は何? と聞かれても完璧に答えられる自信がある。
内容もしっかりと理解している。一つ一つしっかりと人に教える事が出来る自信もある。
なのに、機神招喚が上手く発動しない。
魔導書が悪い訳でもない筈だ。
実際、他の記述はほぼ全て完全に制御できるし、姉さんはこれのコピーで500メートル級の神々しいアイオーンを鼻歌混じりにダース単位で招喚してみせた。
そこまで非常識な真似ができる様になりたいとは言わないが、そろそろまともに招喚できるようになってもいいんじゃないか?
特にアイオーンとか、才能無くても命を削れば招喚できるのが売りだと思うのだが。
本当にもう、合計で四年以上も修行してるのに召喚出来ないとか、一周目と二周目とはなんだったのか。

「いいや、帰ろ帰ろ」

姉さんと美鳥を掃除機の上に待たせっぱなしだし、これ以上ここに居て何か得る物がある訳でも無い。
先は長い。それこそ、この四年間が霞んで見えるくらいの時間がある。
もう六年、五周目まではミスカトニックで、シュリュズベリィ先生の元で頑張ろう。
それでも駄目だった場合は……、その時に考えるという事で。




三周目以降へ続く
―――――――――――――――――――

よく来たな、読者の人達……、待っていたぞ。
読者の人達よ……読み終えた後になるが一つ言っておく事がある。
貴方達はこのSSの作者がややエロいシーンを書くには何かしらの理由や設定のこじつけが必要だと思っているかもしれないが、別に無くても書く。
そして本番のシーンは投稿するとXXX板行きになってしまうので、本編から切り離してPCの秘密フォルダに格納しておいた。
後はこのどうでもいい後書きを読んでうっへりしたり読み飛ばしたりするだけだな、ははは……。

そんな感じで、ダッシュで二周目を終えた第四十一話をお届けしました。
別に打ち切りになる訳ではないので誤解の無きよう。

最近気が付いたんですけど、自分二週くらいかけて一話書くじゃないですか。
するとですね、前半書いてた時に『あーこれどうするかな。いいや、後書きで補足するから書いちゃえ』みたいな事を考えていた筈なのに、書き終える頃にはすっかり忘れてるんですよ。
今回も例によって例の如くです。
なんか前半の内容で言っておくべきことがあった気がするんですが、すっかり忘れてしまいました。
で、二、三話くらい経って読み直して『あ、これ説明しなきゃだめじゃん』みたいな気分になるんです。
でも偶に思い出せない場合もあるので、何か疑問があったらどしどし指摘お願いします。

保険としての自問自答。
Q、最後らへん、主人公とサポAIは図書館の中で何をしている?
A、絢爛舞踏祭スレを参考にして考えるならば、あれは間違いなくポーカーです。
Q、なんで主人公は唐突にサポAIに手を出したの?
A、なんとなく。早急にお姉ちゃん分を補給する必要があったので手元の予備で済ませたとか、最近かまってやれなかったから開いた時間でとか、むらむらしてついついとか、理由はご想像にお任せします。どれを選んでも酷いのは気のせい。
Q、エロくないね。描写がワンパターン。
A、エロ好きだけど苦手です。直接描写無しルールで更に難易度増してるし。
Q、シュリュズベリィ先生とかハヅキとかとの交流は?
A、どうせ三周目四週目五周目と同じ事やるから省きました。ミスカトニック大学初期修行編ラスト、多分次か次の次の話でやると思います。
Q、ラスト、いきなり南極戦後だけど、飛ばし過ぎじゃね?
A、むしろ飛ばさなさすぎだと思います。下手するとスパロボJ編以上の長丁場になりかねません。一度読んだ部分は高速スキップを計画的に利用しましょう。

しかし我ながら思うのですが、相変わらず原作キャラの影が薄いSSですよね。
どうにかしてシュリュズベリィ先生とかもっと喋らせたいんですが、実は彼のキャラが掴み切れないというか。
ハヅキも同じく。公式でのキャラ露出が少ないというか、生徒相手に講義以外の時にどう喋るかとか分からないというか。
色々ありますが、頑張りますのでできれば見捨てないで下さいませ。

ああ、それにしても、隠語連発伏せ字ぼかし無しのエロ話書きたい。
もちろんサポAI総受け主人公と姉のダブル超ドS責めでボロボロ泣きながらおねだりする感じの。
皆さん覚えてますか? もともとサポAIはエロシーンを書く時の汚れ役も兼任していたことを。
まぁ、健全SS書いてる作者がXXX作品に手を出すのは死亡フラグなので意地でも直接描写はしませんが。

今回もそんな感じで。
誤字脱字に文章の改善案、設定の矛盾への突っ込みにその他諸々のアドバイス、
そしてなにより作品を読んでみての感想、短くとも長くとも、短くも長くも無くとも、心よりお待ちしております。

次回予告は予定の変更により検閲されました。悪しからず。



[14434] 第四十二話「研究と停滞」
Name: ここち◆92520f4f ID:190f86b3
Date: 2011/02/04 23:48
○月○日(四周目開始。引き継ぎありのゲームなら、そろそろ味方が強くなり過ぎてヌルゲーになり始める頃じゃないだろうか)

『三周目も何事もなく経過し、もうこの世界に来て六年の月日が経った。六年、長い様で短い様で、やっぱりそれなりに長い時間だ』
『未だに機神招喚が上手く発動しないが、ミスカトニックに入るまでのテンプレが出来上がりつつあるのは間違いないと思う』
『とりあえず、シュリュズベリィ先生の学術調査に積極的に参加する為にはやはり現場でのスカウト待ちが一番手っ取り早い』
『三周目は二周目の様にうっかりゲートを繋げてクトゥルーの触手と生身で追いかけっこするをする事もなく、一周目をもう少し余裕を持ったやり方でトレース出来た』
『そこからの流れも、もはや俺の中ではテンプレと化しつつある』
『四年間続けてきた大学の連中との共闘、四年間見続けてきたシュリュズベリィ先生の戦い、四年間見続けてきたハヅキちゃんの臀部、四年間で見慣れつつある幾つかの邪神眷属群の拠点』
『三周目を終えて何故四年なのかと言えば、一周目は何だかんだで学術調査にはほとんど同行しなかったからだ』
『だが正直な話、このままひたすら学術調査に同行する意味があるのかは疑問だ』
『一周目は確かに収穫があった。秘密図書館の中身を片端から取り込み、科学と魔術の融合を研究し実験し、遂にはアイオーンを除くアル・アジフの記述は一つ残らず手に入れ、ラテン語版のネクロノミコンを取り込むことでその不足分も補う事ができた』
『デモンベインはこの時点で不完全だったが、オリハルコンに並ぶ硬度を持つ魔導合金ヒヒイロカネを取り込むことにより、俺や俺の作り出す機体の耐魔術防御力も生半可な物では無くなった』
『さらに言えば、魔導書の記述の制御もこの時点でほぼやり終えてしまっている』
『二年と少し前、二周目の途中の日記にも書いたが、学術調査での修行よりも、独自の研鑽の方が伸びがいいのかも知れない』
『勿論、一周目の時点で取り込んでしまえる物は取り込んでしまっているので、二周目以降の伸びが少なく見えるのは仕方が無いのかもしれない』
『だが実際、魔術の実践的な行使における様々な問題点を、俺は人間態のままでもクリアしてしまえるので、デモンベイン世界の魔術に対する適性はかなり高いのは間違い無いのだ』
『……というよりも、現実からのトリッパーにとって、デモンベイン世界の魔術はSAN値の問題さえ解決してしまえばかなり相性がいいらしい』
『なんでも、トリッパーが以前トリップした世界の魔法やスキルなどの技能を、新たなトリップ先の世界設定を無視して使用できるのも、このデモンベイン世界の魔術と似た理屈であるかららしい』
『精霊の居ない、というか、精霊が存在したとしてもまともな精霊は生き残ってい無さそうなデモンベイン世界でネギまの魔法が普通に使えたりするのはそのお陰であるらしい』
『トリッパーは自らの一部と化した他の世界の法則を用いて、トリップ先の異世界のルールを無意識に浸食する』
『終わりのクロニクルの『概念』の様なものと考えても説明が付くのだとか』
『だからこそ、そういった物の侵食を受けにくい現実世界ではトリッパーは弱体化を余儀なくされるらしい。閑話休題』
『ともかく、もうこの四年間でシュリュズベリィ先生の機神招喚の観測データは十二分に取れているし、この四周目は息抜きも兼ねて、アーカムに腰を据えてじっくりと魔術の修業に専念する事にしよう』

―――――――――――――――――――

×月▲日(ただいま修行中!)

『……というタイトルのエロゲがあった事をご存じだろうか。いや、俺はこの日記を誰に向けているつもりなのだろうか』
『それとはまったく関係なく修行の日々である。それはもう、只管ミスカトニック大学の敷地内で実験をしたり、実践の為にブラックロッジの縄張りの外の弱小魔術結社を潰したり』
『一度だけ、念のためにもう一度だけシュリュズベリィ先生の学術調査について行ったのだが、当然のごとく収穫は無かった』
『これなら今後は大十字、もとい、覇道鋼造の後押しを素直に受けて入学した方が楽かもしれない』
『大学にしっかりと腰を据えての学習は四年ぶりだ。一周目よりも知識も魔術の腕も伸びているので、かなり早い段階で秘密図書館に入り込む事が出来た』
『まぁ、秘密図書館の魔導書は漁り尽くしてしまっているが、秘密図書館はアーミティッジ博士以外ほとんど人が居ないので静かに魔術理論を練り続けるのには最適だ』
『家にいると、息が詰まる度に姉さんとの触れ合いに気をとられてしまう。俺はそういう面で意志薄弱で我慢弱いので、自戒の意味も込めて午後五時までは秘密図書館で美鳥と共に魔術理論の勉強を行う事にしている』
『さらに言えば、前の週までは大十字と出会うタイミングが原作っぽい展開の開始時期であったが、今周はもう二年に上がる前に大十字とのエンカウントを済ませている』
『何だかんだで三周目までは漫才やら世間話しかしなかったが、いざ魔術師見習い同士として語り合ってみると、これがなかなかどうして理知的で面白い意見も多く聞ける』
『大十字は俺と美鳥の知識量と検索速度に関心していたが、そんな物は精霊付きの魔導書さえあればどうにでもなってしまう』
『この世界の魔術師としてはやはり大十字の方がポテンシャルは遥かに高いのだろう。何だかんだ言っても、邪神に直々に人類側代表として選ばれているだけのことはあるというものだ』
『実際、あと数カ月もしない内にアイオーンを招喚できてしまうのだから、この時点でそれなり以上に実力があるのは当然と言えば当然なのだろう』
『そう、あと数カ月の内に、また大十字は分岐殆どなしBADエンド確定のバトル展開に巻き込まれる』
『息抜きも兼ねて少しくらい手を出しても良いかもしれないが、息抜きに戦うには破壊ロボの相手は悪目立ちし過ぎる。この時点で悪目立ちしてブラックロッジに睨まれたくはない』
『というか、大導師どのには絶対に睨まれたくはない。他の誰に睨まれても大導師どのに睨まれるのは勘弁して欲しい』
『次の周に記憶を引き継ぐ系の人に睨まれるとかマジで無い。しかも、大導師どのの実力だと普通に殺されかねない』
『どうしたってフラストレーションは溜まる。大学と家の往復が嫌だという訳でも無いが、久しぶりに思いっきり全力で暴れたい』
『もう、次の周の大十字に対する印象操作の為のダゴンと量産型破壊ロボの殲滅作業は飽きたのだ。他の敵と戦ってみたい』
『大導師どのと大十字が見て無い範囲で大暴れしたいけど、その頃には手頃な敵は残っていない』
『行き詰っている。機神招喚の研究も進まない。どこかで大きな息抜きを行いたいものだ』

―――――――――――――――――――
□月■日(実験、検証、また実験)

『相も変らぬ繰り返し繰り返し実験と検証を重ねたる日々』
『最近は鬼械神というものについて考え直すため、様々な方向からアプローチを続けている』
『今日は実用性を無視し、只管に複雑で無意味に巨大な神の力の塊で実験してみた』
『DG細胞の自己進化機能を付与した金属生命体としての金神の身体に、リョウメンスクナの属性を与えた人造の神形』
『これを真次元連結システムでより上位の次元へと移行させ、その次元に適応した形に進化させる』
『そして、その神形自身に自らの影を三次元に投射させ、自発的に鬼械神を三次元に顕現させる事が出来れば成功』
『……という構想だったのだが、思った通りにはいかなかった』
『まぁ、正直絶対に上手くいくとは思っていなかったからあまりショックではない。難易度的には二次元のキャラを三次元に実体化させるよりも数十倍難しいから仕方が無い』
『高位次元に送る途中でこちらから認識する事が出来なくなった神形は、姉さんが処理してくれたらしい。姉さんの手を借りるのは不本意だが、この処理については仕方が無いと思っている』
『上手くいけば、自力での異世界トリップの足掛かりにもなるかと思ったのだが、そこまで美味しい話では無かったか』
『だが、いくつかのデータは取れた。無駄にはならない筈、と、思いたい』

―――――――――――――――――――

■月▽日(別解釈)

『高次元の存在の影という公式解釈以外に、記述がそのまま鬼械神となるという説も存在している』
『かのネクロノミコンの源書、アル・アジフには圧縮言語を用いて人間の人生を数行の文字列に変換して留めておく機能が存在している』
『ならば、更に高圧に圧縮された言語であれば、巨大ロボを一冊の本、数十ページの中に格納する事は不可能ではないだろう、という理論らしい』
『確かに、取り込んだアル・アジフの中には歴代の主の人生が圧縮言語で記録されていた』
『内容も確認済みだ。アル・アジフから見た主の人生である為不足こそ多いが、それでも解凍してじっくりと読めば面白い人生も多い』
『欲望の赴くままに力を振るうエドガー型や復讐に身を焦がすアズラット型は大概話に起承転結が付く事が多く、結末が全てデッドエンドである事を除けば物語としてそれなりの水準ではあると思う』
『これにより、最低限の箇条書きではなく、読み物として機能する程度には連続性のある情報を圧縮できるのはこれで証明された』
『が、それでもロボットを記述として本に押し込める程の圧縮率ではない』
『そもそもこの方法では、呼び出された鬼械神は高度な情報の塊どころか、すかすかのハリボテ同然の木偶人形になりかねない』
『というか、実際にそんな感じになった』
『一冊の本にロボットを記述に変換して押し込む事は可能だが、それで呼び出されるのは普通の巨大ロボットでしかなかったのだ』
『異次元を利用しない、持ち運びに便利な『折りたたみ式巨大ロボット』とでも形容するべきものが生まれた訳だが、これは鬼械神とは全くの別物だろう』
『これはこれで何かに使えるかもしれない。が、機神招喚の研究には関係無いか』

―――――――――――――――――――
◎月●日(基本に立ち返る)

『堅実な努力こそが一番の近道である。という言葉に少しだけ希望を見出し、正攻法での機神招喚の理論をまとめ直す事にした』
『レポートにまとめ、姉さんにチェックして貰い、シュリュズベリィ先生に目を通して貰い発禁を喰らい、完成』
『よくよく考えると、ここまで難易度の高い魔術理論を文章に纏めたのは初めてかもしれない』
『美鳥の提案で、このレポートにまとめられた理論がどこまで正しいか実験してみる事になった』
『いろいろ考えた結果、ミスカトニックの学生を使うのは問題があると思ったので、使い捨てが出来る便利な人を使う事に』
『本人も喜んで承諾してくれた。前々から魔術に興味があったらしい』
『世界初のフューリーの魔術師が生まれる瞬間をこの目で確認できるかもしれない』

―――――――――――――――――――
◎月◎日(一応の成功)

『たった一人の多くの犠牲により、遂に俺の構築した理論の正しさが証明された』
『このデータは俺にいよいよもって鬼械神をもたらしてくれる。彼女には感謝してもしきれない』
『お礼として、今度呼び出す時はちんこ生やして褐色幼女をプレゼントしよう。ちんこ生やした褐色幼女でもいいかもしれない』
『彼女には性的な意味では手を付けたことが無いから、攻めなのか受けなのか分からない。両方用意するのが確実か』
『ありがとう、善意の協力者カプセル下僕Fさん(Hさんかな、アルファベットでどう書くのか分からない)貴女の事は忘れない』
『だって、まだまだ貴女には利用価値がありあまっているから』

―――――――――――――――――――
◎月▲日(今のぼくには理解できない)

『無理だった。理論は完全な筈なのに』
『脈絡が無い失敗、ではない事は理解できる。ただそれだけ』
『頭がおかしくなりそうだ。決して元からおかしい訳では無い』
『もちろん、おかしいのは世界の方だ! などと喚き出す程不安定になっている訳でも無い』
『でも今は駄目だ。少し間を置いて、それから』

―――――――――――――――――――

◆月×日(研究が進むのと成果が上がるのは全くの別問題)

『ここらで一つ纏めよう』
『鬼械神とは巨大な情報の集まりであり、本体は異次元に存在する』
『現実世界で見える巨大なロボットの姿は、異次元に存在する本体に対し影の様な存在でしかなく、それこそが鬼械神と通常の巨大ロボットを分ける大きな違い』
『シュリュズベリィ博士と糞餓鬼の鬼械神の違いもそこから来ている』
『例えば一つの彫刻から影絵を作る時、どの角度から光を当てるか、どの程度の光量を当てるか、光源は一つでいいのか、見える影をどのような形であると認識するか』
『それらの違いこそが呼び出される鬼械神の違いであり、同じ魔導書でも呼び出す術者によって姿を変えるからくり』
『だからこそ、鬼械神に決まり切った姿は存在しない。同じ姿、同じ名前、同じ性能の鬼械神が違う術者によって呼び出される事はまず無い』
『分かりやすい例は二種類のアイオーン、ロードビヤーキーとアンブロシウスか』
『理屈は簡単だ。いや、確かに難しい部類の術ではあるが、小達人(アデプタス・マイナー)にまで到達していれば割と簡単に発動できる』
『実際、理論は完璧だ。分かり易く纏めたレポートがシュリュズベリィ先生に差し止めを喰らい、説教を受けてしまう程には』
『俺の書いたレポートを最後まで『発狂せずに』熟読できれば、小達人に届かない魔術師ですら鬼械神を招喚できてしまうだろうとお墨付きを貰った』
『無論、未熟な魔術師が発動すれば、一度の招喚か数分の戦闘で魂を燃やしつくす事は確実らしいが、命を引き換えにする程度で鬼械神を召喚できてしまうのであれば、悪の魔術結社は大喜びだろう』
『そんな物を世に出す訳にはいかないと、俺の書いたレポートは秘密図書館に封じられてしまった』
『よくよく考えれば、これが俺の書いた初めての魔導書という事になるのだろうか』
『先生の魔導書が大学ノートで、その教え子の俺の魔導書はレポート用紙の束にパンチで穴を開け紐で綴じたもの。これもある意味運命か』
『だが、そんな物に意味は無い。どうせ二年と少しで終わるループだ。次の周ではそんな事実は跡形もなくなる以上、喜ぶ理由もない』
『大事なのは、俺の構築した理論は、姉さんの様な規格外のチーターではない、実際に機神招喚を行える地に足のついたレベルの魔術師から見ても間違いの無いものだという評価が貰えた事だ』
『……一つ、シュリュズベリィ先生は勘違いをしている。実際問題、発狂しようがなんだろうが、生きた状態で読み切らせて記憶させてしまえば鬼械神は呼び出せる』
『先生に見せる前、姉さんの生成した異空間で実証実験としてフーさんにやらせてみたから間違いない』
『達人級寸前まで強化できる処をあえて理論者(セオリカス)程度に抑えて造り出したフーさんは、たった91回目の蘇生で鬼械神の招喚に成功した』
『さらに、魂がすり減り切り死ぬまでの間に何と十三分もの戦闘機動を繰り広げて見せ、俺のラスボス仕様ボウライダーと互角に渡り合ってみせたのだ』
『正直フーさんは戦闘中に興奮すると死狂い状態になるので発狂しようがしまいが戦い方に違いなんて殆どない。正気を失った程度で戦い方を忘れるほど軟な戦狂いではないのだ』
『しかし、機神招喚成功時の糞便やら諸々の体液やら内臓やらを穴という穴から撒き散らしながらのエンジョイ&エキサイティングっぷりからして、読み終えた頃には殆ど正気は残っていなかったと考えてもいいだろう』
『お墨付きを貰い、実験も成功、理論は完璧だ』
『なのに、何故。何故俺は未だに機神招喚を成功させられないのだろう』
『俺の鬼械神は、俺の神は何処にいるのだろうか』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「我が信仰は何処、ってか」

大学を休み、平日の昼間から街をぶらついている様な男が口にしていい台詞ではないのだろうな、と、そんな事を考える。
別に、信仰が必要な訳ではない。いや、邪神を信仰する事でその神に関する魔術を扱いやすくなる、という傾向は確かに存在する。
分かり易い所で言えば逆十字の糞餓鬼だろう。シュリュズベリィ先生も言った通り、あれはハスターの奴隷同然だ。
だが、それが原因では無い事は明らかだ。
アル・アジフの起源が何処であるかは分からないが、少なくとも前の周から流れ着いたアル・アジフを写して新たにネクロノミコンの原典となるアル・アジフを書いたアルハザードは、基本的にどの邪神も崇拝していなかった筈。
邪悪と戦う事を目的とした書の主が邪神崇拝者では意味が無い。
アイオーンを、ネクロノミコンを起点に呼び出される鬼械神は、どの神の属性も持たない。
構成としてはバランスタイプであり、どんな術者であっても命を削ればそれなり以上に戦える癖の無い鬼械神。
実際、他の魔導書で呼ぶ鬼械神よりも格段に招喚の条件は緩く、難易度も低い筈だ。

「ああもう、やめやめ」

頭を振り、堂々巡りになりそうな思考を頭の外に逃がす。
こうして大学を休んでぶらついているのは、姉さんと美鳥に『最近根を詰め過ぎてるから、気分転換した方がいいんじゃない?』と言われたからだ。
だというのに、街を歩きながらまでこんな事を考えていたんじゃ全く意味が無い。
とはいえ、街をぶらついたところで何か新しい発見がある訳でも無い。
これならどこか静かな場所でゆっくり読書でもした方がまだ気分転換になる。
勿論読むのは魔術とは関係無い普通の本、ラノベ辺りが適当だろうか。
しかし、今日は美鳥に代返を頼んで大学を休んでいる手前、秘密図書館にも秘密で無い図書館にも行き難い。
この時代には漫画喫茶がある訳でも無いし、公園には新原さんが居るから行きたくない。
どこか適当に、静かで豊かで、救われる感じの場所があればいいんだが……。
露店で幾つかフルーツと菓子を買い、アーカムのエアスポットを求めてのそのそと歩く。
辺りを歩く人々の足並みは早く、煩わしい。イライラする。
ここでは何もかもが過剰だ。速度も、人の多さも、騒ぎも、余りにも無駄が多すぎる。
いっそ何処かの路地裏にでも入って、適当なヤクザビルの中身を潰して静かなスペースに改装してしまおうか。
ブラックロッジと関わりの無い組織もそう無いだろうが、少し休憩する位なら痕跡を残さずに消える程度の事は可能だ。

「ん?」

短時間の間にビルの中身を綺麗に掃除する手順を考えていたら、何時の間にか大きな通りから外れていた。
そして、目の前にはかつてブラスレイター世界で住んでいた廃教会を彷彿とさせる(それも失礼な話ではあるが)質素なつくりの教会。
アーカムといえどもやはりアメリカ、適当に歩いているだけでもそれなりに教会を見つける事が出来る。
しかもこの教会、今までアーカムで見かけた中では一番繁盛していなさそうだ。雰囲気的に。
なんというか、まず風水的に駄目だ。これでは信者が集まる筈が無い。金回りも決して良くは無いだろう。
何処となく暖かな雰囲気はあるから人は住んでいるだろうが、なんかもう、全体的に幸が薄そうで仕方が無い。
如何にも、たらいまわしにされた孤児の行きつく先ですよ。みたいな空気が滲み出ている。
ここなら間違いなく他の礼拝客も居ないと確信できるし、シスターか神父か知らないが、熱心な説教も行われていないだろう。
パイプオルガンとか以ての外、あったとしても質に入れられているのは確定的に明らか。
これは、いい場所を見つけたかもしれない。
人の居ない教会なら、長椅子に寝転がってラノベを読んでも文句は言われないだろう。
俺は買い物袋を抱えたまま、ふらふらとその教会へと近づいて行った。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「ただいまー」

「お、おかえりー……」

「お帰りなさい……」

「……」

買い物を終え、教会に戻ってきたライカ・クルセイドは、遠くから聞こえる子供達の声に小さな違和感を感じていた。
何時もならばお腹を空かせて待っている子供達は、ライカの帰宅と同時にじゃれる様にしてライカに纏わりつき始める。
ここに来るまでは碌に大人に甘える事が出来なかった子供達は、最近来たばかりの一人を除いてライカにべったりなのだ。
落ち付きを持つよりも元気さが優先される年頃だから、それ自体は好ましい事ではある。
だというのに、今はその子供達がひっそりと息を殺している。
恐怖を感じているのではない。困惑から来る沈黙だろう。

「あらあら、今日は皆どうしちゃったのかし、ら?」

ライカは自分から子供達の方に近づき、声をかけようとし、不審な、見慣れないものを見つけた。
普通ならば礼拝に訪れた人々が座る、しかし滅多に礼拝客が訪れないこの教会では子供達の遊び道具と化している長椅子で一人の男が本を読んでいるのだ。
年齢はライカの友人である九郎と同じに見える。
どこにでもいる大学生風の服装に、素朴で優しげな造りの顔つき、そしてその印象を台無しにしかねない鋭い目付き。
一見して何処にでも居る大学生の様だが、その身に纏う雰囲気はどこか暗く、重い。
ここが教会である事から考えて、何か懺悔でもしに来たのかもと一瞬考えたライカではあったが、その男の両脇に積まれた大量の娯楽小説を見てそれは無いかと思いなおした。

「ライカ姉ちゃん、これ」

そう言いつつ、金髪に褐色の肌の少年、ジョージが様々な重そうな紙袋を重そうに差し出した。
紙袋から顔を覗かせるのはお菓子に果物、何に使うのか分からない玩具の様なものと脈絡が無い。

「あのお兄ちゃんがくれたんだけど」

「それ、やるから、二時間くらい静かにしてろ、って……」

コリンとアリスンの言葉に、なんだそれは、と、ライカも心の中で困惑する。
態々こんな入り組んだ場所にある小さな教会に来て、子供たちにこれほど大量に物を与えてまで要求するのが『静かにしている事』とは。
これで何かやましい事をしているというのなら分かるのだが、それなら子供達が真っ先にそれを伝えてくれるだろう。
ライカは意を決し、黙々と本を読み続ける男へ向け歩み寄り、声をかけた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

結果だけ言えば、俺はどうにもトリッパーとしての本分を果たそうとしていたらしい。
度重なる実験と検証、実証まで済ませた理論を用いてすら機神招喚が成功しない事に、俺は自分で想像していたよりも深くショックを受けていたのかもしれない。
イベント事を避けるという心構えすら消えうせてしまう程にショックを受けていたお陰で、俺は見事に原作主要人物の住まう教会へと引き寄せられていたのだ。
人は皆運命の奴隷とはよく言ったものだが、トリッパーはやはり物語の奴隷なのだろうか。
あの姉さんですら強制トリップに抗う事はせず、最短でトリップを終わらせる事を目指した戦法をとるのだ。この考え方もあながち間違いでも無いのかもしれない。

「ふむふむ、つまりあなたは大学の勉強が上手くいかなくて落ち込んでいた、と」

「ええ、まぁ、大体そんな感じですね」

目の前の金髪眼鏡のシスターを見ると、つくづくそう思う。

「……すいません、いきなり子供たちに『静かにしろ』なんて言って」

そう言い、シスターに軽く頭を下げる。
どうにも気が立っていた、というのも、この落ち込んだ精神状態では可笑しな話ではあるが。
とにかく静かな場所を確保したい、というのが自分の中で最優先だったせいか、少しばかり強引に荷物を押し付けて、買収のような形になってしまった、
いや、ここが懐かしさを感じるボロ教会でなく、町の廃ビルやらただの孤児院であれば、お菓子を与えるのではなく、煩い子供など『適当に片付けて』しまっていたであろう事を考えれば、ここで悪いことをしたなどと考えるのは変な話なのだが。
そんな内心に気付かず、シスターはころころと笑って手を振った。

「いいんですよ、ここは教会、祈りの場ならもう少し静かでもいいくらいなんですから」

と、目の前のシスターは言っているので、深くは気にしない事にする。
なんとなく、ゲームのストーリーから推測できる内面から考えれば、静か過ぎると陰鬱な気分になってド壺に嵌まって抜け出せなくなりそうなこの人は明るい雰囲気の方が好きそうではあるが、本人がそう言っているのならそういう事にしておくのが礼儀だろう。
しかしどうにも、金髪巨乳とは引き合わせがよろしくない気がする。
何と言っても、金髪で、巨乳で、おっとり天然系(擬態である可能性が非常に高いが)という三つの要素が揃っているのだ。
寄りにも寄ってオフの日に出会う原作登場人物がピンポイントでこの人とは。何か、こう、金髪持ちの女性に因縁染みたモノを感じてしまうのは仕方の無いことだろう。
折角ドーナツも控えて新原さんも避けているというのに、邪神ですら感知できない宇宙意思の様なものでも働いているのだろうか。
しかし、この宇宙の意思と言えば字祷子か、さもなければ千歳さんのどちらかという事になる。
千歳さんは金髪巨乳に思い入れは無いと思うし、多分字祷子の仕業だろう。
新説・字祷子は金髪巨乳萌え。
これは新しい。これを発表すればクトゥルフ神話学会に一大センセーションが巻き起こるのは間違いない。
個人的には迷惑極まりない話だが、個人の性的な指向は自由であるべきなので許容するしかあるまい。
ま、俺は黒髪至上主義だから金髪とか訳分からんが。

「? どうかしました?」

金髪のシスターが首を傾げる。
じっと見つめながら考え事をしていたせいで不審に思われたかもしれない。
そろそろ時刻は昼になるし、どこかに飯も食いに行きたい。
ここはひとつ、誤魔化しつつも会話を不自然なく打ち切れる様な言葉で答えよう。

「ああいや、ええと……シスターは、弟さんとか、居ます?」

「──っ」

シスターが顔をこわばらせ、息を呑んだ音がハッキリと聞こえた。
ぶっちゃけ、このシスター──ライカ・クルセイドにこの話題は鬼門だ。
何だかんだと擁護する事も出来るかもしれないが、実際にライカさんが弟を刺し、そして弟を見捨ててその場から逃げだしてしまったのは事実。
この話題を出せば、自然とライカさんの口は重く途切れ途切れになり、普段の優しげなお姉ちゃんキャラの仮面はひび割れていく。
気不味くなればあとはしめたモノ。沈黙に耐えかねた様にしてこの場からそそくさと離れる事が出来るのだ。

「あ、あの、なんで、そう思ったんですか?」

「いや、面倒見が良さそうだし、俺の姉さんも世話焼きなところがあるから。まぁ、そういうところがうちの姉さんのいいところですけど」

当然、家の姉さんの方が数無量大数倍素晴らしい姉だが。

「そう、ですか。良いですよね、姉弟って」

俺が姉を持つ弟であり、姉との仲が良好である事を察したのか、辛そうな中に何処か羨ましそうな感情を含んだ笑顔を浮かべるライカさん。
なんかもう、このまま攻め続ければ変身して何処かに逃げだすんじゃないかと思うほど辛そうな表情だ。

「ええ、いいものです。貴女も、弟さんが居るのなら大事にしてあげてくださいね」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

あの後ひたすら仲の良い弟と姉の話、まぁつまりは姉さんと俺の日常生活の話で、ライカさんの地雷の上でブロードウェイで一山当てられる程の超高速タップダンスを小一時間踊り続けた。
無理矢理に浮かべた笑顔が崩れる寸前の、泣きだしそうな表情のライカさんと別れ教会から脱出。
時間を潰すのにちょうどいい教会から出て行く羽目になった俺は、気分を変える為にも食堂に向かう事にした。
ラノベを読みながら食べるつもりだった果物とお菓子は餓鬼三人を黙らせるのに使ってしまったので、昼飯を食べていない事に気が付いたのだ。
利用するのはもちろんニグラス亭。一周目ではかなりお世話になったが、二周目以降は学術調査などでアーカムを離れている時期が長かったため殆ど行く事が出来ず、この周に至っては初めての来店だ。
昼のピークの時間を過ぎていた為か、客は珍しい事に俺しか居ない。

「────」

「ええ、お久しぶりです」

相変わらず無口な店主だが、なにを言わんとしているのかはだいたい分かる。

「────」

「そうですね、じゃあ、唐揚げ定食って今できます?」

オーダー表を手にした店主の問いに、俺はパッと思いついたメニューを注文した。
だが、俺の注文に店主はどこか呆れた顔をしている。

「────」

なるほど、店主の言い分ももっともだ。
ここのメインはジンギスカン定食で、それ以外のメニューも大体山羊か羊が主菜。
それを無視して毎度毎度唐揚げ定食ばかり頼んでいたら、なんでこの店に来ているんだと思われても仕方が無い。

「あはは、こればっかりですいません。他のメニューも美味しそうだとは思うんですけど、ついつい頼んじゃうんですよね。シュブさんの作る唐揚げ美味しいから」

「────」

「いやいや、俺、外食で世事は言わないって決めてるんです。美味しいですよシュブさんの料理。シュブさんをお嫁さんに貰える人は幸せ者でしょうねぇ」

「────、────」

店主は顔を赤くし、触手の様なアホ毛の様な触手的な何かを犬の尻尾の様にぱたぱたと機嫌良さそうに振り回しながら、ぱこぱこと蹄の様の様な蹄を靴を鳴らしつつ、オーダー片手に厨房の方へと戻って行く。
多分に全人類に冷笑的な部分がある店主だが、どうにも褒め殺しに弱いらしい。
崇拝される事はあっても、賛美される事には慣れていないのだとか。
それにこの姿の時は人間的な感情に振り回されてしまうのだとも前の周で言っていた気がする。意味はいまひとつ理解しかねるが。
何やら会話の中に見逃してはいけない矛盾点を見つけた様な気がしたが、店主との心温まるやり取りに癒された俺にとっては些細な事。
ああ、久しぶりのペンギン肉の唐揚げ、早くじっくりと味わいたいものだ。

―――――――――――――――――――

昼飯を食べ終え、しばし公園で眠り、俺はミスカトニックの時計塔の上で夕陽を眺めている。
美鳥が一緒に帰るかと誘ってきたが、今は少しだけ一人で居たい気分なので断り、姉さんにも少し遅くなると電話を入れておいた。
高層ビルが立ち並ぶ街並みが赤く染まる。
血染めの街、と形容できないでもないが、将来的に本当に血に染まってしまうのでジョークとしてはあまり上等ではないか。
いや、この世界がその段階まで進むのかは分からないし、そもそもそのイベントが起きない世界である可能性だってある。
この世界は平行世界肯定派だし、創造主は千歳さん。続編の物語に続かない世界だったとかそんな裏設定も上等だろう。
まぁ、順当に行けばエンディング辺りで退場出来る俺からすれば関係の無い話だ。
ひゅる、と風が吹き、遠くのビルの屋上のアンテナに括りつけられたハンカチがたなびいた。
誰か狙撃でもするのだろうか、点々と斜め下に向かって様々な布が括りつけられている。
ビル街の中ではそれら目印の布が風に揺れ、空では雲がゆっくりと形を変えている。

「いい風が吹くなぁ……」

尻彦が最後に感じた風もこんな気持ちの良い風だったのだろうか。
夕暮れ時のやや冷たくなり始めた風に乗って、程良く淀んだ妖気が運ばれてくる。
スナイパーの風への苛立ちを滲ませた舌うち、マーケットの賑わい、寂れたビルの地下から聞こえてくる大量の男女が入り混じった嬌声、明日の約束をして別れる子供達の声。
それらが入り混じった混沌とした声が聞こえる。
ここにはどんな物もあり、ここに無いものはどこにもない。そんな事を妄想してしまう程に、何もかもに溢れ返った街。
長く暮らすには此処ほど良い場所も無いだろう。

「こんな所にいたのか」

渋みのある男性の声、というか、ここ八年で元の世界のサブカルで触れるよりも長時間聴き続けている人の声。
珍しくアーカムに戻り、久しぶりにアーカムで魔術の講義を教えているシュリュズベリィ先生だ。
呆れの感情を含んだその声は、内容から察するに俺の事を探していたらしい。

「ここからだと街が一望できますから」

振り返らずに返事を返す。
態々この人に探されるような事をした覚えは無いのだが、何故こんな所に居るのだろうか。
普通この時間は生徒のレポートに目を通しているか、他の陰秘学科の先生がたと色々と話し合っていたと思ったが。

「優雅だね、講義サボった癖に」

「普段は真面目にしてるからいいんですよ、偶の自主休講くらい」

セラエノ断章の精霊、ハヅキにひらひらと手を振りながら答える。
そう、今回四周目の俺は二周目三周目とは違い、学術調査は控えめにして大学での講義を重点的に受けている。
取った講義は一度たりとも休んでいないという見事な出席率だし、お茶を濁す為に提出した魔導工学のレポートも軒並み高い評価を貰っている。
ついでに、これは先生にもその魔導書にも言えないが、今日の講義に限ってはもう三度ほど受けているので内容は完全に把握している。
今までの周でも、シュリュズベリィ先生が大学で講義をする時は欠かさず出席していたし、他の講義もその流れで全部出席しているのだ。
ログを年単位で巻き戻して講義の内容を読み返すまでもなく、今日の講義で教えられる事は一つ残らず知識として吸収済み。
だが、そんな事情を知らなければただサボっただけの様に見えてしまうのだろう。
ふと、一つだけ、シュリュズベリィ先生が俺の事を探しに来るそれっぽい理由を思い出す。
というよりも、今日までそればかり考えていた。
俺は先生の真意を確かめるため、振り返り先生の顔を見ながら告げる。

「もしかして、俺がヤケ起こしてあのレポートをばら撒いたりするとか思ってました?」

やもすれば、こちらの可能性の方が高いかもしれない。
完成させ提出した時に先生はレポートの内容を確認しているし、俺がそのレポートの手順通りに魔術を行使しても機神召喚が発動しない事も、一度相談しに行ったから知っている。
目元をサングラスで隠された先生の表情は読みにくい。
先生の傍らには手の届く範囲にハヅキが佇んでいる。何時でも魔導書を用いた本格的な魔術を行使する事が出来るだろう。
もっとも、ハヅキが出ている時は大体このポジションなので、考え過ぎという事もあるかもしれないが。
一つだけ、眼に見えて先生の感情を想像できる部分がある。
口元、未だ髭に覆われていないその真一文字に結ばれた口元だけは、如実に先生の感情を表している。
この歳に似合わず明朗快活な老教授は、非常に珍しい事に返答に窮しているらしい。
本当に珍しい事だ。何だかんだで八年半ほどか? それほどこの人の教え子をしていて、初めて見る表情かもしれない。
新しい発見に、俺は思わず表情をほころばせてしまう。

「鳴無卓也君、君は──」

「大丈夫ですよ、先生」

何かを言おうとした先生を遮り、俺は夕日も沈みかけて暗くなり始めた街並みへ振り返る。
まだ、まだ四周目だ。少なく見積もってもこれまでの千倍の時間が俺の目の前には横たわっている。
この見慣れた街並みだって、まだまだ知らない事が山ほどある。
あの駅の近くの店は不定期にしか開店していないから、気にはなっているけどまだ一度も入った事が無い。そもそも何屋さんかすら分からないのが現状だ。
あのニグラス亭と反対側になる定食屋、店の表側は小汚いのに、裏手のゴミ捨て場は綺麗に整頓されている。場の見栄えではなく、食品や生ゴミの管理に重点を置いているのだろう。
あのアパートのあの部屋のベランダには何時も古めかしい軍服と軍帽、何やら魔術臭いマークの入った手袋が吊されている。誰か古い作品からクロスオーバーしているのだろうか。
まだある、まだまだある、まだまだまだある。
知らない事はたくさんある。見落としている物がたくさんある。
理論は完璧だった。足りないものは無かった。
だけど本当にそれを証明する事はできない。何しろ俺は、まだ全ての可能性を試した訳では無いからだ。
もしかしたら、俺の方にも問題があるのかもしれない。
ある朝トイレでこけて頭を打った衝撃で脳髄に電流が走り、唐突に車型タイムマシンの基礎理論が頭に思い浮かぶと共に機神招喚が出来る様になるかもしれない。
ある昼下がりに、食後のデザートに林檎を切っている最中に、細長く切られたリンゴの皮から宇宙の真理を見つけ機神招喚が出来るようになるかもしれない。
ある夜下がりに姉さんの中で果てた瞬間、恍惚の中で次々と素晴らしい魔術の新発見をして、ついでに機神招喚も出来る様になるかもしれない。
レポートは完全で完璧だが、更に向上させて完璧を超えてさらに分かり易く、お求めやすい形の内容に仕上げる事ができる。
まだまだ魔術の研鑽を初めて十年にも満たない。魔術師としての位階はまだまだ上げる事ができる。

「俺はまだ登り始めたばかりですから、この魔術坂を……!」

―――――――――――――――――――

(言葉の意味は分からないが、凄い自信だ)

両手を広げ、アーカムの街を迎え入れる様なポーズをとった自らの教え子を見て、シュリュズベリィ安堵と共に胸を撫で下ろした。
実の所を言えば、卓也の言葉はシュリュズベリィがここに居る理由を半ば以上当てていた。
シュリュズベリィは、卓也の精神状態を不安に思っていたのだ。
きっかけは、鳴無卓也の提出した機神招喚に関するレポート。
驚く程に纏まり、しかし情報に含まれる毒を薄める意図が欠片も無い簡潔な説明、そして容赦の無い直接的な描写。
僅か数十ページに満たないレポートに詰め込まれた機神招喚に関する革命的な理論。
それは科学、魔術の両面から考察に考察を重ね、魔術の秘奥の一つと名高い機神招喚の術式に一つの完全な答えを導き出していた。
その文章に指をあて、乾いたインクの感触を頼りに読んだシュリュズベリィは舌を巻き、眼球の存在しない目に鱗が詰め込まれてぼろぼろと零れ堕ちていく様な感動を覚え、背筋に怖気を走らせ、頭をふら付かせた。
常日頃から魔術に触れ、自身も並大抵では無い魔導書を執筆し所持し行使しているシュリュズベリィが、その余りにも冒涜的過ぎる内容に眩暈を覚えたのだ。
そして、次の瞬間に真っ先に思った事がある。
このレポートを、いや、この『魔導書』を世に出してはいけない、と。

(あんなものを書いたから、精神的にも危険な処まできているかと思ったが)

常人ならぬ魔術師であるシュリュズベリィですら心を情報の毒に侵されそうになる程の危険な文章の羅列、禍々しいほど理路整然として隙の無い魔術理論。
あのレポートを読み切れた時点で正気で生きていられたなら、確かにどんな素人でも機神招喚が行えるようになるだろう。
だが、あのレポートを読んで無事でいられるとしたら、それは機神招喚を行える位階の魔術師のみ。
それ程の位階に上り詰めた魔術師であるならば、あのレポートはそれほど重要でも無いだろう。後押し位にはなるかもしれないが。
だが、未だ位階の低い魔術師に読ませたらどうなるだろうか。
それこそ、どこぞの魔術結社にあのレポートが渡ったとしたら、下位の魔術師にあれを読ませ、鉄砲玉にする程度のことはしてのけるか。
シュリュズベリィは思う。あれはまともな行いに利用できない。
だから、そんな物を書き上げ、あまつさえその理論を実践した、などと言われた時にはシュリュズベリィは心臓が止まる思いだった。
思い返してみれば馬鹿馬鹿しい心配だ。何しろ、あのレポートを書き上げた本人がそのレポートを読んだと聞き、正気を失ってしまったのではないかなどと考えていたのだから。
結果として、彼の機神招喚は失敗に終わった。
術式にも術者にも何の致命的な欠陥がある訳でも無い謎の失敗。
鳴無卓也は落ち込んでいたが、それで良かったのかもしれないともシュリュズベリィは考えていた。
機神招喚を完全に物にした場合、彼が次に何を作るのか、あの猛毒の情報でいったい何を現すのか。
それを知るのが今しばらく後になるのであれば、それは世界の平和の為にも喜ばしいことだろう。

―――――――――――――――――――

そう、シュリュズベリィの心配は杞憂となる。
ガス抜きにより一時的に精神の均衡を取り戻した鳴無卓也は何事もなく旅立つシュリュズベリィを見送り、数ヵ月後に姿を晦ますまで何一つ事件を起こさなかった。
南極でクトゥルーと人類の総力戦が行われた時に、鬼械神とも破壊ロボとも異なる技術体系の巨大ロボットに乗って現れたという話をシュリュズベリィが覇道財閥から聞いたのは、何もかもが終わって数か月の時が流れてからの事だった。
ブラックロッジが壊滅し、南極の上空に現れた時空の門に大十字九郎が消え、鳴無卓也とその家族も姿を消し、壊滅状態のアーカムシティに戻ってきたシュリュズベリィ。
今彼は、秘密図書館に収蔵された一つのレポートを手に、思索を巡らせている。
そのレポートの表紙には、そっけない文字でこう記されている。

『機神夢想論』

シュリュズベリィから見ても、よく纏まった内容に見える。
機神招喚へ至るまでの様々なアプローチから、生きて招喚を行える様になる為の肉体と精神の改造法、理解が足りない術者の為の招喚補助アーティファクトの製造法に、これ以上無い程に細やかな手順が説明された機神招喚の術式。
シュリュズベリィが目を通した時点ではまだ銘も入っていなかったレポート。
今現在付けられているタイトルは、その理論を用いても自らは機神に至れなかったが故の皮肉か。
数度目を通す事によりその情報の毒に馴れたことで、シュリュズベリィはそのレポートに記された理論に一つの違和感を覚えていた。
そう、違和感なのだ。理論に間違いがある訳では無い。抜けがある訳でも無い。
ただこのレポートに記された機神招喚の理論は、自らが行使する機神招喚とは、何か、致命的な部分で違いがある。
シュリュズベリィは思う。自らの教え子はこの違和感を知覚していたのだろうか、と。
それとも、無意識であるが故に自覚できなかったのか。
肉体の反射を意識ではどうにもできない様に。自分の見た夢の内容を正確に把握できない様に。

「夢想、か」

それで良かったのかもしれない。
何処かへと消えた教え子の事を頭に思い浮かべ、彼はそう断定した。
もし、もしも彼がこの理論に沿って機神招喚を遂げていたら、何か恐ろしい事が起きたかもしれない。
漠然とした予感ではある。だが、その予感が当たっているか外れているか、もはや調べる事はできないだろう。
彼の教え子は、二度とこの秘密図書館に訪れる事は無く、自分の前に姿を現す事も無い。
そんな確信を抱きつつ、レポートを本棚の中に戻し、シュリュズベリィはその場から歩き出す。
久しぶりのアーカム、久しぶりのミスカトニックだが、今はのんびりとしている暇は無い。
拠点となるミスカトニックはアーカムという守りを失い丸裸、迫る脅威を払うのはシュリュズベリィの役目だ。
消えた教え子の心配はしない。
信じられない程に生き汚い彼等の事だ、きっと何処かでなんとかやっている。そう確信している。
何故なら彼等は、シュリュズベリィの自慢の教え子だからだ。
秘密図書館から外に出て、自らの魔導書を精霊化させるシュリュズベリィ。

「行くぞ、レディ!」

「オッケー、ダディ」

荒野と化したアーカムの空を、音を置き去りにして老魔術師が騎航る。
老魔術師──シュリュズベリィは、サングラスに隠された彫りの深い顔を歪ませ、不敵な笑みを浮かべた。






五周目に続く
―――――――――――――――――――

三分の一が主人公の日記で、しかも前の話とこの話の間に丸々三周目が収まっているという驚きの第四十二話をお届けしました。

ここで唐突に一部登場人物紹介

『フー=ルー・ムールー』
愛称であるフーさんが固定されつつある女傑。
製造される段階で刻み込まれる魔術の知識や肉体の構成物によって、新参入者から小達人に少し足りない程度までの間で魔術師の位階を与えられる様になった。
今回の話で死ぬ気で頑張れば鬼械神を招喚出来るようになったが、召喚した時点で戦闘後の死亡が確定する。
主人公作成のレポートを読む→発狂して死ぬ→主人公に取り込まれる→記憶を引き継いだ新しい個体が複製される→再びレポートを読む
のループを幾度となくというか91回ほど繰り返した挙句のパワーアップである。
発狂ついでに嬉ション属性とスカトロ属性が付いた。どこら辺の需要を見込んでいるかは不明。どこに向かっているかも不明。

『ニグラス亭の店主』
本名不明。『シュブさん』の呼び名は愛称であるらしい。
獣耳よりも獣角こそがアピールポイントであるが、本作品ではうっかり神様とロマンスに陥ったりはしない。
周毎に姿形が変わっているらしいが、それはあくまでも物の見方の違いでしかなく、本質的には同一人物。
褒め殺しに弱いというハーレム物ではありがちな落としやすいキャラ設定を持っているが、本作品では一切使用されない死に設定となっている。
この世界の大物との間に大量に子供が居たりするが、本筋の人物、団体、ストーリー、宗教、邪神とは一切関わりが無い事を明記せねばならない。
安らぎの店ニグラス亭は年中殆ど休まず営業中である。

『ラバン・シュリュズベリィ』
ミスカトニックの講師にして世界有数の邪神ハンター。
本作における主人公の恩師。
主人公の機神招喚理論はその半分程がこの人の術式発動を見て集めたデータで成り立っている。
次と次の話でもメインになる予定。


もう一週間かけてあと何千字か追加する予定でしたが、わりと綺麗に纏まったので一旦切ります。
何時も隔週みたいな速度ですけど、偶には文章短くして週刊でもいいですよね。
予告の内容が全く本編に入っていないどころか姉もサポAIも出てこないのは、この後に入る筈だったエピソードをそのまま次の話に持って行くから。
お陰で次の話も今回と同じ程度の長さに纏まってしまうかもしれません。
そんな訳で、次の話と併せて初めて真四十二話となる訳です。
実質、次の次がミスカトニック学生編の山場と考えてくれてもいいと思います。

そんな訳で、今回はゆらゆらと波の様に揺れる諸行無常な自問自答コーナーはお休みです。

今回もそんな感じで。
誤字脱字に文章の改善案、設定の矛盾への突っ込みにその他諸々のアドバイス、
そしてなにより作品を読んでみての感想、短くとも長くとも、短くも長くも無くとも、心よりお待ちしております。



[14434] 第四十三話「息抜きと非生産的な日常」
Name: ここち◆92520f4f ID:190f86b3
Date: 2012/12/08 21:25
「ん……」

心地よいまどろみの中にいた私は、カーテンの隙間から入り込んでくる光によって意識を覚醒させる。
何時もならここで二度寝三度寝四度寝と続けたくなる所だけれど、今日は十二分に睡眠をとったからか寝覚めが良く最高に気分がいい。
目を数度瞬かせてから目覚まし時計の所在を探し諦め、改めて私を目覚めさせた光を確認する。
窓の外から差し込んでくる光は茜色で、今日という一日が終わろうとしている事を知らせていた。
いくら私が朝に弱いからと言って、夜に眠って次の日の夕方まで長々と眠り続ける事はそうそう無い。あってもせいぜい月に一度か二度程度だ。
じゃあ、なぜこんな時間まで眠っていたか。
その答えを私が一々口にする必要はないと思う。
察しの良い人であれば、私が今布団の中で一糸纏わぬ姿である事と、私に抱きつくようにして眠り続けている愛しい弟──卓也ちゃんを見れば一発で理解してくれる筈だ。
今日も今日とて、私と卓也ちゃんは極々自然に互いを求め合い、睦み合い、貪り合って、互いに疲れ切った頃に自然に就寝した。
体力はお互いに常人並みにまで落としている。そうでなければ、私と卓也ちゃんは比喩抜きでこの世が終わるまで繋がりっぱなしになってしまう。
そうでなくても、最近の卓也ちゃんの求めは激しい。
理由は何となくわかる。今卓也ちゃんは精神的に非常に参っているのだ。
自覚こそ無いだろうけど、ループという環境はそれなり以上に精神に負担を強いる。
自らの知った顔、友人知人が暫く経過すると他人になってしまい、以前に構築した関係がリセットされる。
これは気にしないでいるつもりでも、記憶の方が混乱してしまい人間で言えば脳に非常に大きな負荷が掛かる。知り合いが他人になるというのは心の問題じゃなく、脳機能の面でも問題があるのだ。
でも、並みのトリッパーならこの時点でやさぐれるか十四歳ど真ん中病にかかって対人関係でヒッキーになってしまったりするところだけど、その点卓也ちゃんは何も問題ない。
様々な高性能コンピューター(中枢含む火星極冠遺跡、諸々のスーパーロボットの制御装置、デモンベインの初期人工知能とか)や超存在の頭脳(数十の雑兵悪魔に始まり、リョウメンスクナ、金神など)を取り込んだ卓也ちゃんであれば、その程度のエラーを吐いても何の問題もなく稼働できる。
じゃあ、何で卓也ちゃんはこんなに参っているのか。

「うーん、うーん……アイオーンちゃんマジ永遠……」

苦しそうに寝言を言いながら胸元に顔を埋めてくる卓也ちゃんの頭をあやす様に撫でつける。
ここ最近の卓也ちゃんの寝言は大体こんな感じで、鬼械神に関する夢でうなされているのだと一発で分かる内容ばかり。
『レガシーオブゴールドを懐中時計に改造したい』『ロードビヤーキ―が許されるのは男性向けエロCG集に何故か受け側で出演させされる糞餓鬼まで』『クラーケン(コスト1000)』『皇餓アストレイのあれ再開希望』『サイクラノーシュ残機×3』『ベルゼルートと名前が似ててややこしいから宇宙バルサン』『ネームレスワンぺろぺろ』
挙げ出したらきりが無い程、毎日毎日そんな寝言を吐きながらうなされている。
無理もない。卓也ちゃんのこれまでのパワーアップ方法を考えれば、よくもここまで長期に渡って努力出来たモノだとも思う。
トリッパーとして考えれば、十年にも満たない努力というのは時間としても少なく、まだまだ努力が足りないと思われるかもしれない。
でも、考えてもみて欲しい。卓也ちゃんはこの世界に来てからの四周、八年もの間魔術の研鑽を積み重ねてきた。
八年やそこらで、なんて軽く思ったらいけない。
実生活で八年もかけて研究し、実用化に成功し、しかし自分は何故かそれをうまく使いこなせない。それがどれほどの虚無感を生み出すか。
……私は、何で卓也ちゃんが機神招喚を成功させられずにいるのかを理解している。
でも、それを教える訳にはいかない。それは、自分で気付いて初めて価値が出るものだから。そうして初めて身に付くものだから。

「う、ん……、……おはよう、姉さん」

卓也ちゃんが眠たそうに眼をこすりながら、それでも笑いながらおはようと言ってくれた。
どんなに精神的に参っていても、私と話すときは精いっぱいの笑顔で元気そうに振舞う。
私を心配させないために。やっぱり、どんなに成長しても、卓也ちゃんは卓也ちゃんだ。
私の、大切な大切な、世界で一人だけの愛しい弟。

「うん、おはよう、卓也ちゃん。あのね、お姉ちゃん、一つ提案があるの」

「何? 何か面白いこと?」

だから、私は少しだけ後押しをして、何時もの様に見守ろう。
弟の成長を見守る事、それが姉の役目なのだから。

―――――――――――――――――――

×月×日(息抜き!)

『デモンベイン世界での生活も五周目を迎え、もうそろそろ十周年』
『しかし俺は五周目を始めた当初、目出度いを通り越して、僕は憂鬱だよハレルヤ……みたいな気分になっていた』
『なんだか前の周の途中でシュリュズベリィ先生に俺はまだまだ大丈夫的な事を言っていた気がするのだが、よくよく考えなくてもあまり大丈夫ではない』
『なにしろあの機神招喚に関するレポートを書く上で、俺は持ち得る限りの知識を総動員したのだ』
『正直、現時点で手に入れられる魔導書はすべて取り込んでしまっている以上、あの理論は先には進めようがない』
『しかし、未だ持って逆十字辺りならともかく、大導師どの辺りとやり合ってどうにか出来る自信(せめて確実に逃げられるようになりたい)も無い以上、下手に魔術結社から強奪、なんて真似もできない』
『八方手詰まりの状態で始める五周目、十周年なのに何一つめでたくない』
『しかし、そんな俺の精神状態を一発で見抜いたのか、姉さんがある提案をしてきてくれた』
『デモンベイン世界に来てから姉さんが俺の強化方針に口を出してくれるのは初めてだったが、その内容は俺にとっては新鮮なものだった』
『細かい部分を省いて要約すると、今までは力の強化にばかり拘っていたけど、ここらで一つそこら辺の事を忘れて、ひたすら非生産的な行為に明け暮れてみてはどうか、というものだ』
『なるほど、確かにそれは面白そうだ。何の意味もない辺り特にやりがいがある。これがいわゆる、真面目に不真面目というものだろう』
『今周はスタートしてから三週間ほどを姉さんとのひたすらただれた生活で消費してしまったが、ここらでしっかりとふざける為にもミスカトニックへの入学の手続きを行わなければなるまい』

追記
『姉さんとのプレイの一環で、人間体から変化出来ないようにしてエロい薬打ってボンテージで拘束してヌメヌメした触手の中に放置しておいた美鳥の事をすっかり忘れていた』
『何だかんだで二週間も放置していたせいか、すこし知能に支障をきたしていたので再構築する羽目に』
『少しばかり面倒臭いが、四六時中エロい事しか考えてない美鳥では助手として使えないので仕方が無い』
『まぁ、デモンベイン世界にきてからアップデートしていなかったし、丁度いいと考えるべきか』

追記の追記
『美鳥の出した様々な液体を掃除するのに手駒としてフーさんを複製した』
『が、前回初めて鬼械神での戦闘を経験した余韻に浸っているのか、恍惚の表情で立ったままアンモニア臭のする液体を漏らし始めた』
『今度からフーさんを複製する時はオシメをデフォルトで装備させておくべきかもしれない』

―――――――――――――――――――

「おにーさん、ダイナモ頂戴」

素直に大学からの招待を受け、正々堂々とアーカムに乗り込み、ミスカトニックに入学してから数か月。
一日の全ての講義を終え、夕食後のくつろぎタイム中に美鳥が不思議な事を言い出した。
ダイナモとはつまり、サンダルフォンから取り込んだ装置、魔導ダイナモの事だろう。
実際にそんな名前なのかは知らないが、魔力の素粒子である字祷子を取り込んで循環させ力に変えるダイナモである以上、俺には他の名前は思いつかない。
大体、いい感じじゃないか、魔導ダイナモ。如何にもそれっぽい名前で。

「いいけど、何に使うんだ? つうか、前回のアップデートの時点でお前の中に内蔵されてたと思うんだが」

「そうよ美鳥ちゃん。このあいだ変神見せてくれたじゃない。あれでも十分かっこよかったわよ?」

美鳥が変神する、カラーリングに迷った結果いいのが思い浮かばず結局女性版サンダルフォン(微妙にデザインが違うので黒いメタトロンにはならない)みたいな感じになった真黒な姿の機械天使。
まぁ、変身してもメタトロン程胸が強調されたデザインにならないのは、ベースがサンダルフォンである事と、美鳥のインパクトの少ない並前後平均乳に問題があるので仕方が無いにしても。
天地の構えもかっこよかったなぁ。自分で変身するのもいいけど、やっぱり変身後の姿をじっくり眺めるなら自分以外を変身した方がいいと再確認できたし。

「いあいあ、じゃない、いやいや、あくまでもこれは儀式的なもんだから」

「儀式ねぇ」

とりあえず、全身にくまなく組み込んだサンダルフォン形式だとかさばるので、もっとエネルギー生成機能を高効率化した小型のダイナモを掌の上に生成する。
魔術系の技術である為に強化しても一割増程度かと思いきや、これは機械的な構造を持っているのでかなりの倍率の強化が施されている。
これ一つで小さな町程度の電力なら余裕で賄えてしまうほどのモノだが、美鳥に搭載しているものはその全身に合わせたものである為、これよりもよほど高性能になっている。
あくまでも儀式的なものであるというのならこの程度のものでも構わないだろう。

「あ、渡す前にお姉さんの方に一回渡して」

「ふんふん、それでお姉ちゃんはこれで何をすればいいの?」

「うん、それを今度はあたしに渡してくれればうれしいなぁ」

俺が作り出したダイナモが、俺から姉さんに、姉さんから美鳥に手渡される。
美鳥はそれを手に取り頷くと、口の中に放り込んでごくりと飲み込み取り込んでしまった。
既に取り込んだモノを取り込み直しただけなので、眠くなったり発情したりはしない。

「……で、結局今のやり取りにどんな意味が?」

「いや、これで『兄貴に貰ったダイナモがある!』とか『姉貴に貰ったダイナモがある!』とか言いながらピンチの状況から抜け出せるフラグが立つかなぁと」

「あぁ、確かに真空地獄車ってネーミング、結構野蛮でカッコいいわよね」

「きりもみシュートってネーミングも割と直情的だよな」

美鳥も姉さんも俺も意外とライダー好きだけど、俺達ってどちらかと言えば退治される側じゃないか?
そんなどうでもいい考えが思い浮かんだが、姉さんが一度ディケイド劇場版の世界をぶち壊しにしていた事を思い出し、俺はツッコミを放棄した。

―――――――――――――――――――

◆月●日(作ったバイクで走りだせ、行き先も、わからぬまま)

『入学してから半年程が経過して、俺と美鳥もそれなりに実績を積み重ね、学術調査などに使われる武装の作成を頼まれたりする様になった』
『今回の依頼はミスカトニック大学図書館特殊資料整理室の人から頼まれて、移動速度が速過ぎて追えない怪異に対する追跡手段としてバイクを作成』
『報酬はシュリュズベリィ先生の学術調査への同行許可だ。怪異相手に無双したり同級生どもを助けたりして遊ぶ為にはうってつけ!』
『そんなこんなで突貫作業で一台作成。ハンティングホラーほどではないが、並みの怪異から初期のマギウススタイル大十字程度なら一発で轢殺可能な素晴らしい作品が仕上がった』
『デザインは、ブラスレイターコンセプトワークスの四十三ページ下段と言えば分かり易い。変形は出来ないが大体そんな感じだ』
『実の所を言えばあの試作バイクはその構造上、どんなに頑張っても曲がるというアクションを行えないのだが、まぁライフル一丁で邪神の子供に立ち向かおうという勇者なら気合いでコーナーリングもどうにかできるだろう』

―――――――――――――――――――
◆月×日(だからヘルメットをかぶれと言ったのに)

『モーガン君は犠牲になったのだ……。曲がれないバイクの犠牲にな』
『少しばかり全身の骨が拉げて内臓飛び出していたから、アーミティッジ博士に見つかる前に開発中の新薬で修理しておいた』
『この新薬こそ医療用ナノマシンとUG細胞と詫びと黄金の蜂蜜酒を組み合わせて造り出した全く新しい人体蘇生薬!』
『蘇生したモーガン君は暫くの間レントゲン要らずの透視人間になったってさ』
『その後、モーガン君は傷一つ無く直したのに、アーミティッジ博士に脳天をぶん殴られた。何故だ』
『でもアーミティッジ博士も人を殴ると自分が痛い(強度の違い的な意味で)という事を理解して貰えたと思うので気にしない事にする。五代は何時もこんな痛みと共に闘ってるんだぞ、と』

追記
『で、でたー! アーミティッジ博士の伝家の宝刀、聖別されし魔術的ブラックジャックだぁぁ!』
『中身の金属球が全部拉げたので弁償した』
『正直、自分の頭に振り下ろされた凶器の修理代を出すとかマジで非生産的だと思う』

―――――――――――――――――――
◆月◎日(非生産的な生産再開!)

『ライフル片手にバイクにまたがったモーガン君にも非があるけど、曲がれないバイクにも責任の一割程度はあると思うので作りなおし』
『今度は九〇式をベースにしたモノバイクを作ってみた。性能は大人しめに抑えたけど、いざとなれば空を飛べるから別にいいよね』
『アメ公共の変身の掛け声とか知らないから、口結は全部ドラゴンナイト風に『カァメンライドゥッ』で統一して、予備も含めて説明書と共に五台程納入完了』
『一晩かけてノリノリで書いたお手製説明書を読んだウォーラン米が泡吹いてぶっ倒れた』
『数打劒冑を金神側から見た見解を含む抒情的な説明書だったが、前衛的過ぎて読んだ人の脳が耐えきれないらしい』
『五周目初執筆の魔導書はバイクの説明書である(笑)。いや笑えないがな』
『分かり易く事細かに解説すると魔導書になってしまうらしいので、百円電卓の説明書みたいな一枚の紙にシンプルにまとめた』
『今、アーカムシティの路地裏の平和は六派羅制式採用の劒冑が守っているとかいないとか』
『あの人達は基本的にブラックロッジに絡まないらしいから安心だね!』

―――――――――――――――――――
■月●日(劒冑ではしゃいでたアーミティッジ博士がぎっくり腰で倒れた。爺ェ……)

『一回、劒冑の力が破壊ロボに通用するか聞かれたが、流石に数打でそれは無理があると否定しておいた』
『辰気操作とかを組み込んだ真打ならどうにかなるかもしれないが、むさくるしいおっさんの為にフーさんや貴重なロリ蝦夷を消費したくない』
『それに、フーさんや蝦夷はいくらでも代えが利くけど、クロックアップした鍛冶場を作るのは俺なのだ。面倒臭くてかなわない』
『代わりに破壊ロボを一発で破壊できる(追加効果・街も吹き飛ぶ)廃墟弾を作ろうかと言ったら、何故かシュリュズベリィ先生に納品する事になった』
『俺は学生であって便利屋じゃない!とか非生産的な抗議をして満足したので十発程納品した』
『置き場が無い上に整備も出来ないらしいので、覇道財閥からレンタルしている空母預かりになるらしい。メンテナンスフリーにしておくべきだったかな』

―――――――――――――――――――
▲月▼日(そろそろ二年に進級ってところで)

『シュリュズベリィ先生が学術調査に連れてってくれるらしい。美鳥とハイタッチして喜びをあらわにし、みんなから苦笑をもらった』
『やったねたえちゃん、邪神眷属側の犠牲者が増えるよ!』
『姉さんがお祝いに御馳走を作ってくれた。アーカム・トルム肉のステーキだとかなんだとか』
『美味いぜ美味いぜ美味くて死ぬぜ。食って生まれた有り余る体力は姉さんとのプロレスごっこで消費した』
『キスの度に何時もとは違う肉の味がした。ペロッ……これは、ステーキ!』
『まぐわいながら何時もの味に戻るまでキスをした。やっぱり姉さんの舌の粘膜は激美味い』
『ストレートにそう言ったら頭を小突かれて割れた。愛が痛い』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

邪神、と言われて、真っ先に思い浮かべるモノはなんだろうか。
特定の邪神を崇拝せず、なおかつ魔術に明るい人種が真っ先に思い浮かべる邪神は、最もその眷属を含む類型に出会う可能性の高いものである事が多い。
何故なら、最も遭遇する可能性の高いモノこそが、最も直接的な危険性の高いものだからだ。
では、最も接近遭遇しやすい、邪神に連なるモノとは何だろうか。

「うりゃ」

それは和製の雰囲気を持つ、刃の分厚い太刀に唐竹割にされた蛙や魚を類人猿型に引き伸ばした様な化け物、すなわち〈深きものども〉である。
地球の大半を覆い尽くす海を住み家とし、海辺の港町などを隠れ蓑にして活動する彼等は、生まれて十数年から数十年程度であれば人間に紛れて生活する事も不可能では(『上手く』紛れる事が出来るかは置いておくにしても)ない。
この様に、活動範囲の広い彼等は、一般人含む人間ともっとも出会う確率の高い種族であると言っても過言では無い。
そしてその遭遇率の高さは、魔術を持って怪奇に立ち向かうミスカトニック大学陰秘学科の学生や教授にとっても例外ではない。
更に言えば、ミスカトニック大学の学術調査はシュリュズベリィ教授の鬼械神の運用の為、投下用の爆弾を搭載する空母が必要となる。
この覇道財閥から貸し出された空母を現地への足とする為、必然的に空母で近くまで向かえる場所が調査の場所になり、結果として海の者、〈深きものども〉の相手をする回数が多くなるのだ。

「た、助かった。ありがとう!」

「いえいえ、どう致しまして」

半分に分割した〈深きものども〉に捕まりそうだった青年──ミスカトニックの院生──からの礼にお座成りな返事をしながら、卓也は再び太刀を横薙ぎに振るう。
弱点である鰓を、その上の頑強な鱗ごと叩き切り、刃に血が纏わりつくよりも早く振り抜く。
斬り裂く段階で刃を差し入れる角度を調節し、返り血が掛からないように死体の倒れる向きを調節する。
卓也はそれを無感動に眺め、場を仕切り直す様に一度太刀を振るった。
その刃が決して届かぬ程度の距離を置き、〈深きものども〉が卓也を取り囲んでいる。
いや、取り囲んでいる訳では無い。近づこうとして、しかしその剣気に本能的な部分を無意識に刺激され、脚を止めてしまうのだ。

「ふぅん」

自らを取り囲む〈深きものども〉の取る距離に感心した様に鼻を鳴らし、卓也は明後日の方向に首を曲げ呼びかける。

「せんせぇー! あなたの生徒が化け物に囲まれて大ピンチなんですが、何か思うところは無いんですかねぇ?」

その呼びかけに、群がる〈深きものども〉を蹴散らしつつ他の生徒の面倒も見ていた先生──シュリュズベリィ教授は、不敵な笑みを浮かべた。

「そうだね、君や君の妹の相手をさせられる彼等には同情を禁じ得ない、と言ったところか」

「嘘でもいいから、ご自分の生徒を心配する素振りくらい見せて下さいな」

卓也は肩をすくめ、太刀を構える手とは反対の手を懐に潜りこませ、一冊の文庫本を取り出した。
一見何処にでもある文庫本だが、それは通常の書物ではありえない程の濃密な『気配』を溢れださせている。
ぱらぱらと片手で捲るその文庫本のページには多くの書き込みがあり、白い部分が殆ど存在しないあり様である。

「仕方ない、助けもあてにならないし、ささっと片付けようか」

その文庫本のタイトルは『ネクロノミコン新訳』ネクロノミコンの祖であるアル・アジフの、最も新しい子孫とも言える魔導書だ。
魔導書から質量を持つ程に濃密な魔力が溢れ出し、術式の型に乗っ取り世界の法則を捻じ曲げる。
何が起こるか理解できないまでも、何かが起こる前に阻止しようと〈深きものども〉が本能からの制止を振り切り突撃し──
あっさりと、全ての〈深きものども〉は殲滅された。

―――――――――――――――――――

さて、無事に魚人の群れを殲滅し、あたし達は覇道財閥から貸し出された空母の中、食堂でご飯を食べている。
流石はニトロ世界というかなんというか、やはり主食となるのはパンでは無くライス、すなわち米食で、なんと週に一度はカレーも出る。
別段海軍でも何でもないのだけど、このカレーを出される日を基準にして週の感覚を忘れないようにしているらしい。
生体機能としてではない、文字通りの体内時計を備えるあたしとお兄さん的にはそういった気遣いは無用なのだけれど、週一で美味しいカレーにありつけるのは本当にうれしい。
学術調査とは言っても、実際に邪神眷属群などの活動拠点を潰したり、持ち主の居なくなった拠点の調査を行う時間よりも、やはり移動の時間の方が長くなってしまうのだから、移動中の嗜好品はあって困るものでも無い。
あたしは、船と言えば一年近く乗り続けていたナデシコが印象深いのだけど、普通に海の上を進む船というのは、移動にかなりの時間を必要とする。
だからこそ、こういった移動中のメンバーのメンタル面でのケアは重要になる。
このカレーには、そういった船員や学生達の精神面を安定させる効果も含まれているのだろう。

「ねぇ、ミドリ、まだ?」

「まだまだ」

あたしはそんな事を考えつつ、中腰でこちらに臀部を向けているハヅキに、先ほどから何度も繰り返している返事を返した。
突きだされたパンツを穿いているようで穿いているのかどうかいまいち分かり難い尻肉を見つめ、手に持ったカレーからスプーンで一口分カレーライスを掬い、口に運ぶ。
うん、美味い。ナデシコよりもヨコハマ基地近くの食堂を思い出す味だ。
素朴というか、ガテン系っぽいがっちり系の盛りというか。
そして、ハヅキの尻を見る。
丸い。と一言で言いきるには惜しい尻だと思う。
ハヅキの背丈というか、外見の年齢は育ちの悪い小学校高学年程度だと思うのだけど、尻から太腿にかけての肉の着き方は何と言うか、ニトロクオリティというのだろうか。
お兄さんが言うには、バージョンアップを重ねる前の初期のあたしの身体もこんな感じだったらしい。
もしそれが本当なら、もうチョイ押せ押せで行けばお兄さんもぐっと来てくれたのではないだろうかとハヅキのエロさを称えるふりをしつつ自画自賛してしまいそうになってしまう。
つまり、いい尻だ。なんでこの娘にはエロパートが存在しないのだろうか。
細マッチョ老人と幼女の組み合わせがニッチ過ぎるからだろうか。もったいない。
あたしにレズビアンの気は無いけど、この尻が無茶苦茶にもみしだかれたり何度も何度も掌でぺしんぺしんと叩かれて真っ赤に腫れ上がる所なんて、想像するだに素晴らしい光景じゃないだろうかと愚考するしだいだ。
仮にアクセサリーを付けて貰うとしたら、取っ手の所がハートマークになったアナルパールを限界まで差し込んでしまうべきだと思う。
んで、異物感に身を捩じらせる度に尻穴から覗く小さなハートマークがぷらぷらと揺れる。
最高じゃなイカ……。いざとなれば触手をうならせても構わないと思わないでもない。
そんな想像をすると、それはもう食が進むの何の。スプーンが皿と口の間を何度も何度も行ったり来たりしても仕方が無い事じゃなイカ。

「うぅ、ミドリ、もう勘弁してよ。カレー食べ終わるまでじゃないの?」

「ちょっと待て、今いいところなんだから」

頬を朱に染め、困ったように眉をはの字にさせたハヅキの歎願なんて聞こえない。
だけど、もうそろそろカレーも底を尽きる。興奮に任せてついつい食べる速度を上げてしまったのがいけなかったのか。
仕方が無いので、あたしは懐の魔導書から、ある術式を起動させた。

―――――――――――――――――――

比喩表現では無く、文字通りの意味でハヅキちゃんの尻をオカズにしてカレーを食べている美鳥から少し距離を置き、俺とシュリュズベリィ博士は食後のコーヒーを啜っていた。

「君の妹は、なんというか、本能に忠実だね」

「そこはマジで申し訳ない」

仮にもハヅキは魔導書の精霊、しかも実体化にはシュリュズベリィ先生の魔力に依存するらしいのだが、美鳥はハヅキちゃんの尻を眺め続ける為、特殊な魔術装置を用いて自分から実体化に必要な魔力を送っている。
そもそも、美鳥が一方的にハヅキに尻を差し出させているのも、先日の戦闘でシュリュズベリィ先生が手を貸してくれなかったからであり、そもそもクトゥルーの戸口となる超空間ゲートを潰す作業をしていたから、別段美鳥自身は苦労していなければ助けも必要として居なかった。
が、何故か数分に渡る美鳥の熱烈な説得により、シュリュズベリィ先生ではなく、何故かその魔導書がペナルティを負い、美鳥が一方的に得をするような形になっていた。
魔術の研鑽にばかり目が行っていて気付かなかったけれど、ミスカトニック大学での九年にも及ぶ学生生活で、言葉に説得力を乗せる力も身に付いていたらしい。
思い返せば前の週のラスト、南極大決戦でも一周目よりもスムーズに援軍に加わる事が出来たし、そのお陰で最終決戦直前のデモンベインを取り込む事も出来た。
更に言えば、姉さんも最近はマンネリ回避の為の少しだけ特殊なプレイにも恥ずかしそうにもじもじしながら控えめにこくりと頷いて『そういうの、馴れて無いから、卓也ちゃんがリードしてね』とかうあわあああああ姉さん可愛いいやっほぉぉぉぉぉぉぉおおおおうっ!

「大丈夫かね?」

「俺の頭は何時になく絶好調ですが、何か?」

学術調査に出る前日の姉さんとの一夜の回想を経て翼を得た俺の妄想は力を押し上げる螺旋も使わず空へ、空へ!
見事に大気圏を突破した俺の妄想は、宇宙空間のダークマターを蹴りその反動で更に加速。
只管に宇宙空間を駆け抜け、遂には作中で唯一と言っていい程にレアな名前付きの宇宙からの侵略兵器を相手取り涙目になりながらも必死で戦い続ける世にも珍しいツインテ凸ツンデレCVパクロミのヒロインの変身する宇宙戦争の英雄のなれの果ての顔の脇辺りに到着。
『見てる。俺も見てる。姉さんも見てる。君は何のためにここに居る!』
無論、俺と姉さんの茶飲み話のネタにする為に居る事は間違いない。あれほどまったりと落ち付いて見られるSF?も珍しい。リメンバー九十年代NHKアニメ。あーのそらをふふーふふーん。
姉さんが行った事があるのはアニメ版の方だけらしいが、やはりおでんパンは美味しくないらしい。
因みに、姉さんが珍しく空気を読んでストーリーに手出ししてショートカットさせなかった貴重な作品でもあるとか。

「いや、鼻血の事なのだが」

なるほど、この鼻から垂れる熱く赤い液体を、どうやら先生は鼻血であると誤認してしまっているらしい。
だが、それは勘違いも甚だしい。これはもっと抒情的で夢(ロマン)に溢れた物なのだ。

「先生、これは鼻血ではなく、愛です。俺の姉さんへの堪え切れない愛が、俺の肉体という未だもって卑小なる器から零れ落ちているのです。赤は情熱の赤なのです」

「ふむ、気の毒な教え子には腕利きの精神科医か脳外科医を紹介したいと思うのだが、どうかね?」

「俺、人間の精神を弄繰り回す事に関してはそこらの町医者より余程回数こなした自信がありますよ。脳味噌はインプラント系のが得意なんで、外科手術はあんまり経験無いですけど」

魔術耐性の無いスパロボJ世界だと認識阻害無双しまくりだったし。
フーさんも魔術要素入れて発狂してから、治るまでは何度も作り替えて失敗して殺して取り込んで作り替えての連続だったし。
ああ、でもインプラント系も回数こなしてないな。メメメはオーバードーズだったし、飾馬のはインプラントしたって言うより間違って混入したってのが正確だしな。
ううむ、そう考えると人間の脳味噌、いや、人間の肉体ってのはかなり研究し甲斐がありそうじゃないか。
幸いにして、超人系なら死にたての東方不敗の死体も作り出せるし、常人でもアーカムなら身寄りも無く戸籍も無い人間なんて幾らでもいるし。

「……毎度思うのだが、君達は何故わざわざミスカトニックに入学を?」

「二年に上がる段になって、いや、もう二年生か。二年生になってまでそんな事を問われるとは思いませんでした」

実際、そういった疑問を持たれるのも仕方が無いと思う。
今までなら魔術の研鑽の為に、と即答する事も可能だったかもしれないが、生憎とこの周の俺達はそこまで建設的な理由で入学した訳では無い。
科学と魔術の融合がどうのと活動しては居るが、それも今までの流れで続けているだけの事。
しかも、これまでの周で学んだ事を吐き出しているだけなので、実質大学では魔道機械を弄るか講義を聞いて何度も同じテーマで書いたレポートを提出するだけ。
今回の俺達は、ミスカトニックで何一つ益を得ていない。

「何、実際に君達の腕前の程を見て、改めて疑問に思ってね」

ちらりと、シュリュズベリィ先生が美鳥とハヅキの方に目(目?)を向ける。
カレー一杯を食べ終える寸前だった美鳥が、まるでビデオの巻き戻しの様に口からカレーライスをスプーンで掻きだし、皿に盛りつけていく。
何も人間ポンプの真似事をしている訳では無い。あれはアル・アジフから取り込んだ記述の一つ、『ド・マリニーの時計』による時間逆行魔術。
戦闘で使えるレベルかどうかはともかく、こういった日常の一コマで使える程度には制御できるようになった術式の一つだ。
ハヅキちゃんが魔力が動く気配を察知して振り向き、美鳥に対して憤慨しているが、美鳥は何事か言いながら、どこ吹く風といった具合に受け流している。
カレー一杯を食べ終えるまでハヅキの尻を鑑賞し続けていいという約束だったが、カレーを反芻してはいけないというルールも存在してないとでも言っているのだろう。
シュリュズベリィ先生は、美鳥がカレーを吐き出しているという事実を完全にスルーし、今発動した魔術にのみ着目している。この人も大概だよな……。

「あれほどの魔術を行使できるのであれば、ミスカトニックではあまり学ぶことが無いのではないか?」

「そりゃ、見解の相違ってやつ、でも無いですね。ええ、実際問題、俺も美鳥も今後ミスカトニックを出るまでに、何か有益な知識を得られるとは思って無いです」

何しろ、今周は自己の強化は忘れてひたすら遊び倒すと決めているのだから。
本当なら海に最高濃度の金神エキスを垂れ流して劒冑技術の発展を促したりしてもよかったのだけど、たったの二年でそれをやるのは無理があるので諦めた。
この世界はもうジェット戦闘機があるから、劒冑じゃ空の王者にはなれないしな。
俺の返答に、シュリュズベリィ先生は手に持ったコーヒーカップを揺らし、思案顔になる。

「ううむ、では何故ミスカトニックに? 言ってはなんだが、ここはあくまでも知識を得て学ぶ場所だ。魔術の研鑽を積むのであれば、独学の方が上手く行く事だってある」

そんなシュリュズベリィ先生の言葉に、その言葉の内容に、俺は思わず顔をほころばせてしまう。
あぁ、この人は俺達の事を本気で案じてくれている。声に込められた感情が分かる。伊達に九年以上この人の生徒をやっていない。
俺達がミスカトニックで無駄な時間を過ごしているのではないかと心配してくれている。
一年中世界を飛び回っている様な人だけど、それでもこの人は立派に教師として成立している。

「長い長ぁい人生、寄り道だって必要でしょう。それに、ミスカトニックには恩師の様子を見に来てるようなもので、入学して講義を受けているのはおまけの様なものですよ」

「恩師? 君達の魔術の師がミスカトニックに居るのか」

俺はシュリュズベリィ先生の問いに、手に持ったコーヒーカップに注がれた液体(もちろんミルメークのコーヒー味だ)の揺れる様を見ながら、少しだけ考える。
薄茶色の液体の水面には、これまでのループでの回想シーンが映し出されそうな気分。

「ええ。もっとも、あちらは俺達の事を覚えておられないでしょうけどね。それでも、俺達が一端の魔術師に指が届きそうな場所に来られたのもその恩師のお陰ですから、遠くから一目だけでも、と」

遠くも無いし、覚えていないというのも語弊があるが、意味合い的には変わらないだろう。
これまでの四周でのシュリュズベリィ先生はそれぞれ別人としてあつかうべきだし、目の前の五周目のシュリュズベリィ先生と混同するのも間違っている。
だが俺と美鳥にとって、それが何回目のシュリュズベリィ先生であったとしても、魔術方面での恩師である事に変わりは無いのだ。

「ふむ」

「……なんです?」

これまでの周のシュリュズベリィ先生の事を思い出していると、今の周のシュリュズベリィ先生が興味深そうな顔、というより、面白そうなでこちらを見つめて(目は無いが)いた。

「いやなに、君達にそこまで言わせるのであれば、余程優れた魔術師なのだろうが──」

「ぶっ、く、あははは」

シュリュズベリィ先生の言葉に、俺は思わず噴出し、次いで耐えがたい衝動に駆られ、のけぞって笑ってしまった。
知らないから仕方が無いとはいえ、この人の口からここまで直接的な自画自賛が聴けるとは!
多分、シュリュズベリィ先生は『ミスカトニックにそこまでの魔術師が居たか?』という疑問を覚えているのだろうが、駄目だ、笑える。
これは偶然にしても出来過ぎている。堪えられない、笑い過ぎて涙が出てきた。

「……おかしな事を言ったつもりはないのだが、もしや、実践的な魔術師ではないのか?」

「ひぃ、ひぃ、あー、いや、モロに実戦派の人ですよ。俺が知る限りの話ですけども地球上の魔術師の中でもバリバリ最強NO……、2か3か4位にはランクインできそうなレベルで」

どうにか笑いが収まってきた頃に、一応の訂正を入れておく。
ミスカトニックでそんな条件に当てはまる講師はそうそう居ないのだけど、まぁ、そこら辺は深く追求してくるほど無粋な人じゃあ無いだろう。
今回はミスカトニックからの招待を受けての正面からの入学だし、身元を怪しまれる様な事もしていないしな。

その後、美鳥がハヅキちゃんの尻を視姦するのに飽きるまで、俺とシュリュズベリィ先生は他愛の無い話を続けた。
学術調査を終えた後だから見る事の出来る、平和な一コマである。
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▽月▲日(お前は虎だ!虎になるのだ!)

『虎にはなれんが、バクゥやラゴウにならなれないでもない。変わり種じゃ見せ場も無く死んだDG細胞改造ラフトクランズ赤とかもあったか』
『しかしここで言う虎とは物言わぬ四足の獣の事では無く、白いマットのジャングルを縦横無尽に駆け巡る虎仮面の事だ』
『まぁ、何が言いたいかと言えば、偶には慈善事業なんていう非生産的な行為に耽るのも悪くは無いじゃないか、という話だ』
『もちろん、ブラックロッジに目を付けられたくないので、アーカムシティの街中に突如としてちびっこランドを建設する訳にはいかないのだが、恵まれないジャリガキの頭に金塊落としてやる程度の事はやぶさかじゃないというか』
『色々と手続きが面倒なので、適当にメダル状に加工した純度ほぼ百パーセントの金貨三十枚をユダ張りに教会の中に投げ込んでおいた』
『罪悪感と負い目とおっぱいが服着て歩いている様なあそこのシスターなら、あの金で人生狂うなんて事も無く上手く活用してくれるに違いない』
『本当はあそこの魔術の素養に優れた少女は食べておきたい(捕食的な意味で)が、今周は出来る限り非生産的な行為に明け暮れると決めているので諦めよう』
『今回あの教会に入り浸ってガキやシスターと微妙に親交を深めたのは、あくまでも寂れた教会で子供と遊ぶという非生産的な行為が目的なのだから』
『べ、べつに折笠声の褐色肌の子供が邪神の分霊じゃないかって疑って、確認のために通い詰めた訳じゃないんだからね!』
『でも、米屋さんの乱入ありおままごとを教え込む事に成功したのは間違いなく生産的な行為だと思う。不倫の子や修羅場を生産する的な意味で』
『あのガキどもが成長するまで見届けられたら、成長し女になった女の子を取り合う昔からの親友の二人の熱い友情的なパートも見れたんだろうになぁ』
『悔しいから女の子ナノポして『一人の幼馴染の女の子を無二の友人と取り合っていたら、今まで女の子とのイベントなんて欠片もクリアしていなさそうな年上の男性に横から寝盗られた』というトラウマ経験をさせてやろうかなぁ』
『ロリコンとか非生産的だけど非生産的なのが今のテーマだし、どうせループすれば無かった事になるから、ポさせるだけなら面白いかな。姉さんと美鳥に相談してみよう』

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唐突だが、アーカムシティにおける鳴無句刻は、極々普通の主婦という事で通っている。
別に自分でそういう設定を付け加えた訳では無く、普段の立ち振る舞いや言動、街の市場で見かける人々が勝手にそう判断しているのだ。
金遣いが荒い訳では無く、一般的な家庭が消費する分だけ食材や生活必需品を買う姿や、時折同年代の男性と腕を組んで歩いている姿から、新婚夫婦か何かと思われている。
しかし、その同年代の男性が彼女の実の弟である事を知るものからすれば、彼女への評価はがらりと変わる。
実の弟とそこまで親密に振舞い、それに何ら不自然さを感じていない所から、彼女は重度のブラザーコンプレックス持ちの、いわゆる残念な美人という評価になり、敬遠するようになる。
最も、ここはあらゆるものが集まる街、アーカム。
彼女のその特殊な性癖を知りつつ、しかし避ける事無く知人としての付き合いを続ける者も多い。

「あらあらまぁまぁ、じゃあ、弟さんも妹さんも暫くはアーカムに?」

孤児院を兼ねた教会でシスターをしている、ライカ・クルセイドは、その奇特な人間の一人だ。
様々な事情で唯一の肉親である弟と敵対し、周囲の知人たちにも弟が居る事を知らせていない彼女は、弟、姉と弟という類の会話に対し非常にストレスを感じてしまう。
だが不思議な事に、鳴無句刻との会話においてはそういったストレスを感じずに居られるのだ。
……もっとも、それは異世界からの来訪者、いわゆるトリッパーである鳴無句刻の持つ多くの特性の内の一つである『悩みを感じなくなる雰囲気』『異様に癒される雰囲気』に無意識の内に絡め取られているからなのだが。
これはその世界において重要な役割を背負い得る、業子力学で言う『強いカルマ値を持つ人物』に対して強く作用する力である為、極一般的な人生を送る人々にはあまり効果が無いのだが、それは今のところ関係の無い話だろう。
そんな訳で、ライカはかつての自分と弟──リューガ・クルセイドの関係を鳴無句刻と鳴無卓也に重ね、彼等の楽しげな日常の話を聞く事を最近の楽しみとしていた。
夕食の材料を買いにきた返り、同じ理由で市場に来ていた鳴無句刻とばったり出会い、今日も今日とて世間話と共に彼女とその弟、ついでに妹の話を聞いていたのだ。

「どっちかって言うと、今回の学術調査の方がイレギュラーだったもの。これ以降はずっと大学と家の往復ね」

そして、ライカと話す句刻も多少の硬さはあるものの、彼女との会話を楽しみにしていた。
何しろ、トリッパーとしてここと同種の世界に来た事は幾度もあるが、今回は弟と一緒なのだ。
唯一人でひたすらに無限にも思える様なループを繰り返すのでは無く、最愛の弟との生活を何時までも続けて居られる。
その生活の中で感じた幸せを弟や妹以外にも話したいという欲求は、トリップ先の住人に対し諦めにも似た感情を持っている彼女をして、通りすがりのシスターとの会話を求めさせる程のものであった。

「ふふ、これからまた、弟さんとの甘い生活の話を聞けるのねー」

「それを何気なく受け流せるあなたって、以外と大物なのかしら……」

ライカはさりげなくスルーしているが、姉弟での生活を甘い生活、と言い切るのは一般的な価値観ではありえない。
句刻はそんなライカを懐が深いのか余り何も考えていないのか、表面上からは読み取れない彼女の本質に首をかしげる。

「じゃあ、私はこれから夕食作らなきゃだから、またね」

止めていた脚を動かし、家族の待つアパートに帰ろうとする句刻。
そんな彼女の背に、ライカは声をかけた。

「句刻さん、弟さんに、『ありがとう』って伝えておいて!」

句刻はその言葉に振り向かず、肩越しに手をひらひらと振って了承する。
背を向け、ライカの側から見えない句刻の表情は、
嘲笑の形に歪んでいた。

―――――――――――――――――――

□月◆日(大学で二年の時を過ごしたという事は)

『入学から考えれば、その時点で三年生な訳である』
『いや、まだこの周では二年生な訳だけども、一応これはメモしておくべきかと思っただけで特に意味は無い』
『ともかく、俺達はミスカトニックに入学するまでの微妙な空き時間を合わせても、合計で二年と少しでループする』
『で、その中でまともに講義を受けると、自然と二年までのカリキュラムしか消化できないという事になる』
『そこで前の周までの俺は、ある程度三年四年の講義にも顔を出して、単位にはならなくとも講義の内容を学習していた』
『といっても、本当に講義室の後ろの方で大人しく講義を聞いていただけなのだが、これは中々為になった』
『今周は非生産的な周にすると決めているので積極的に上の学年の講義を聴きに行く必要もないと思っていたのだが、よくよく考えると一度聞いて完全に記憶している講義を改めて聴きに行くというのは非常に非生産的な行為ではなかろうか』
『どうせ上の学年の講義をこっそり聞きに行くだけだから講師の人には質問もできない』
『それを踏まえた上で、真面目に講義の内容や講師の発言を一字一句聞き逃さずにノートに写し、後で見直しても分かり易いノートを構築する。後で見直す必要もないのに、だ』
『素晴らしい無駄……。美鳥は嫌がるかもしれないが、こんな非生産的な行為であればやってみる価値はあるだろう』

―――――――――――――――――――

五周目を初めて、もう一年と半年程になるか。
こうしてみると感慨深いものだと思う。何しろ、端数を切り捨ててももうすぐこの世界に来てから十年の時が流れようとしているのだから。
大学の講義にしてもそうだ。陰秘学科の講義は一通り受けたし、その内容も全て把握している。
だが、俺が把握していたのはあくまでも講義の内容だけであり、講義に出席している同じ学科の連中の顔まで全て覚えている訳では無い。
更に言えば、出席する学生が依然と全く同じ席に座るとも限らないのだ。
カオス理論だったか量子論的揺らぎだったか、ラプラスの魔が存在出来ないとか、つまりはそういう理由らしい。
そんな訳で、以前も受けていた記憶のある講義に、前の周まででは居なかった筈の大十字が現れ、遅れてきた大十字が俺の隣に座り、図々しくもノート見せてくれ、などとのたまい、同郷という事で話が弾んで、帰り路を共にしてしまうのも仕方が無いことなのである。
前の周でこいつから得られる発想は絞り出し尽くしたから積極的に交友を深める必然性は無いに等しいのだけど、この周は非生産的な行動をしていくと決めたから仕方が無い。

「……って訳よ」

「アハハハハハハハ! つ、佃煮じゃあるまいにっ、ぶはははははは」

まぁ、笑いの壺もなんとなく抑えているから、こうして思いっきり笑わせられるのも気分がいい。
ブラックロッジとの魔術闘争に巻き込まれない程度の適度な距離を保ちつつ、知り合い以上友人未満の関係を続けてみよう。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

ミスカトニック大学での講義が無く、資料整理室からの依頼も一切無い休日。
俺と姉さん、そして美鳥は、アーカムから遠く離れた、元はアボリジニの集落があったと思しき土地に居た。
この五周目は息抜きの為に非生産的な事を重点的に行おうという方針を定めはしたが、それでも多少魔術の研鑽を積んだりはするのだ。
機神招喚の練習は断固として休憩中なので、姉さんの提案で今までどうにも上手くいかなかった術式の練習をする事に。
勿論、大学の方に許可は取っていないので、後をつけられていないかを姉さんに確認して貰い、監視の目が無い事を確認した上での実験だ。
時刻は夕暮れ時、列石は用意してあるし、太陽の位置も完璧、イヘーの護符も準備万端。

「イア・シュブ=ニグラス。大いなる黒山羊よ、我は汝を召喚する者なり」

その場に跪きながら、詩句の読み上げを続ける。

「汝の僕の叫びに応えたまえ、力ある言葉を知るものよ」

片手でヴーアの印を結び、更に詩句の読み上げを続けながら考える。
この術式も今までまともに発動した試しが無い。
そもそもシュブ=ニグラスを信奉している訳では無いから仕方が無いし、この術式が必要になる事もそうそう無いから別に構わない。
だがこれも招喚の術式である事に間違いはない。この術式を上手く発動出来たら、オーストラリアに白くて大きな家を建てたんだ♪
などというたわけたことを抜かす変態を握り潰す勢いで喜べる。
何しろ、この世界でも有数の力を持つ神の招喚だ。
成功させる事ができれば、そこらの魔術結社なら幹部になれる程の位階には登れたという証明になる。
そうすれば、今後の修業の難易度もいろいろと考えやすくなるだろう。

「我は印を結び、言葉を発して、扉を開ける者なり」

キシュの印を結び、詩句の読み上げを続けながらも、俺は脳味噌のどこかで『こういうのを取らぬ狸のなんとやら、って言うんだよな』などと冷静に考えていた。
今回も、以前この術式を発動しようとした時と同じような感覚を得ている。

「ザリアトナトミクス、ヤンナ、エティナムス、ハイラス、ファベレロン、フベントロンティ、ブラゾ、タブラソル、ニサウァルフ=シュブ=ニグラス」

燃える炭の中に薫香を投げいれ、ブラエスの記号を刻み、力ある言葉を述べながら、俺はこの術式がまた失敗するのだろうなと奇妙な確信を得ていた。
この第六感に触れる巨大な力の感触が、今までの失敗の兆しだ。

「ガボツ・メムブロト」

そして、招喚の術式を完成させた。
この術式が成功していれば、俺の目の前には吠え猛る千匹の角あるものどもが現れる筈、なのだが、

「────」

目の前には、デフォルメされた可愛らしい山羊が大量にプリントされたパジャマを着て、今まさにパジャマのズボンを脱いでいる途中のニグラス亭の店主、シュブさんが現れていた。
捻じれた角の様な物が隙間から見える髪の毛は寝ぐせでぼさぼさ、眼もどこか眠たげで、しょぼしょぼと瞬きしながらこちらの事をぼんやりと見つめている。
そういえば、最近疲れ気味だから今日は店を休むとか言っていた気がするし、今時間まで眠っていたのだろうか。
そんな事を考えていると、後ろで儀式を見守っていた姉さんが、俺の方をポンと叩きながら言った。

「凄いわ、今の卓也ちゃん、まるでラブコメの主人公みたいよ」

「いつの間にか統夜のギャルゲ主人公属性に感染してたのかもなー」

姉さん、正直この世界だとラブはラブでもラブクラフトになるから勘弁して欲しい。
美鳥、それは幾らなんでも発病に時間がかかり過ぎだ。
そんな事を内心で思いつつ、俺は高速で思考を巡らせた。
いかなる理由からか、シュブ=ニグラスの招喚術式は失敗し、手違いからシュブさんが呼び出されてしまった。
愛称は似ているが、仮にも多くの邪神を産み落としている大手の邪神と大衆食堂の店主を間違えるとは何事だろう俺。
これでこの周にシュブさんを招喚してしまったのは都合三回目、一度目は閉店後にお風呂に入っていた所を浴槽ごと、二度目は就寝中の所をベッドごとだった事を考えれば、余計な付属品が付いていないだけ術の精度は上がっていると考えて良いのだろうか。
しかし今はそんな事は問題ではない。
仮にも妙齢の女性を、しかも着替えの最中に外に放り出してしまったのだ。

「────、────?」

見れば、シュブさんも寝ぼけていた頭が回り始めたのか、眼を驚きで丸くし、パクパクと口を開け締めしながら、どんどん顔を赤く染め始めている。
──さて、一般的な成人男子はこの様な場合、一体どの様に対処するのだろう。
パッと見、俺の置かれている状況はギャルゲエロゲではありがちなシチュエーションだろう。
違いがあるとすれば、部屋のドアをノックも無しに空けたか、招喚術式の失敗で呼び出してしまったか、それと、俺が思春期の男子学生ではなく、成人し、農家として収入を得ている一端の社会人であるという点だ。
前者は、どちらの場合であっても俺が一方的に悪くなってしまう。ここは後々平謝りするしかない。
だが、後者は違う。思春期の男子学生であれば慌てふためくところであろうが、俺はこれでも二十代半ば、もっと落ち着いた対応を取る事ができる。
どもったり失言したりする様な未熟者ではないのだ。
遠き元の世界の天で見守るお父さんお母さん、見ていてください、誇ってください。
貴方達の息子は、こういった難儀な状況すら軽々と乗り越えて行ける立派な男になったのだと──!

「シュブさん」

「──ッ、───」

涙目になりこちらをぷるぷると震える指先で指差しているシュブさん。
俺は宥める様に、意識して落ち付いた声色を作り、シュブさんの格好を見て咄嗟に頭に思い浮かんだ言葉を口にした。

「パジャマ着る時は、できればパンツ穿いた方がいいで──」

「────────────────────────ッッッッ!!!!!!!!!」

思ったより毛深くないシュブさんのシュブさん(比喩表現)をちらりと見ながらの一言は、シュブさんの咆哮の様な悲鳴とともに放たれた一撃により、言いきる前に中断された。

―――――――――――――――――――
○月■日(俺が保有するラブコメ主人公と同じ能力は、一瞬で怪我が治る回復能力だけだ)

『鈍感なども含まれないのか、などと言われてしまいそうだが、俺は人からの好意に気付かないのではなく、気付いても気にしない、もしくは気付いても不必要なら無視するだけなのでなんら問題は無い』
『それはともかく酷い目にあった……。まさかシュブさんのアッパーカットが人体を成層圏近くまで打ち上げる程の超威力を持ち合わせていたとは』
『あそこで殴られたのが俺だからよかったモノを、並みの人間なら打ち上げられる前に身体が衝撃で破裂していたところだ』
『邪神を招喚しようと思ったらこれだよ。なんかもう、あの術式は成功させる自信が無いし、金輪際使わないようにしよう』
『しかし、あの状況での正しい対応はボケる事で間違いないと思うが、女性に対してパンツの有無の指摘は少々不躾だったかもしれない』
『でも、何だかんだで許してくれたのはありがたい。あれで気不味くなってニグラス亭出入り禁止とかなったら軽くノイローゼになるところだった』
『なにやら胸元に飾っておいたイヘーの護符をちらちらと見ながらの不承不承の許しだったような気がするけど、まさかオシャレアクセに免じての許しという訳でもあるまい』
『それにしても、その後シュブさんが姉さんが何故か用意していた服に着替え、姉さんのリクエストによって店が休みであるにも関わらず食事を御馳走してくれたのは一体どういう事なのだろう』
『姉さんが夕食を作る労力を消費せずに済んだのはありがたいが、姉さんは何かシュブさんの弱みでも握っているのだろうか』
『姉さんは終始これ見よがしにイヘーの護符を見せびらかしていたし、何か護符に対して嫌な思い出でもあるのかもしれない』
『いや、逆にイヘーの護符が欲しくて欲しくて堪らないシュブさんに、姉さんが『これが欲しければ、分かってるわよね? ん?』みたいな事を言い含めていたという可能性もあるか』
『ともあれ、休日はシュブさんも交えてこの集落後で魔術の特訓とキャンプをして過ごす事に決まりそうだ』
『明日はシュブさんも秘蔵の山羊肉と秘伝のバーベキューソースを提供してくれるらしい。いい休日になりそうな予感がする』

追記
『ふと気付いたのだが、姉さんがここまで作品世界内の人に懇意にするのは珍しいのではなかろうか』
『今日も何事かをシュブさんに耳打ちしていたし、もしかしたら何か秘密があるのだろうか』
『実はニャル様の分身の一つとかいうオチだったら流石に意外性が無さ過ぎるし、隠れた凄腕魔術師なのかもしれない』
『そこら辺の事を姉さんに尋ねたら、『あの店主とは親しくしておくといいかもね』と言っていた』
『俺に若妻属性は無いと断ったら、友人としての付き合いでも十分御利益があるとかどうとか、なんのこっちゃ』
『親しくするならニグラス亭に姉さんも一緒に来ればいいのにとは思ったが、山羊肉は好き嫌いが分かれる味だから仕方が無いか』

―――――――――――――――――――

○月○日(ループ系の世界では)

『時報、という概念が存在する』
『例えばデモンベインと同じようなファンタジー作品から挙げるとすれば、真っ先にフリーのカメラマンが思い浮かぶだろう』
『幾度ループを重ねてもほぼ同時刻に発動するイベントの事を指してそう呼ぶ訳だけども、この世界では一体何が時報なのだろう』
『ループに囚われている大十字辺りが時報に相応しい行動を取ってくれるかと思われがちだが、実際一番変化があるのは大十字だ』
『なにしろ、一度ループする度に確実に前回の大十字とは違う存在に変化するのだから、毎度毎度同じ行動を同じタイミングで取るとも限らない』
『同じ理由で記憶を引き継ぐ大導師どのとその犬、毎度毎度前回の周の書き写しによって生まれ直している可能性のあるアル・アジフも却下、デモンベインは自発的に行動しないのでこれも省く』
『時報に適した存在とはつまり、ループを重ねても変化の無い存在、つまり無限螺旋から離れた位置にいる人になる』
『何が言いたいかと言えば、そろそろ毎度おなじみシュリュズベリィ先生がアーカムから旅立つ』
『船では無くバイアクヘーで直接移動する本気モードだった為にいままでまともに見送れなかったが、今回のループではもう一度会えたらいいなと思っているので、まともに見送る予定だ』
『今までの四周で、シュリュズベリィ先生が何時何処でバイアクヘーを招喚して旅立つのかは確認済みなので、都合が合えば大十字も誘ってやろう』

―――――――――――――――――――

ある日の夕暮れ時、邪神狩人であるラバン・シュリュズベリィは自らの魔導書が変じる飛翔機バイアクヘーに乗り、太平洋の上空を駆け抜けていた。
ミスカトニック大学への短期の滞在期間を終え、再び世界中の邪神眷属や奉仕種族、悪の魔術結社の拠点への攻撃を開始に行く為に。
一年の大半を戦いに明け暮れ、時に大学で後進の育成に力を注ぐ、それがシュリュズベリィのライフワークだからだ。
時に後進の育成と邪神眷属の拠点へのアタックを同時にこなすため、自らの教え子を同行させる事があるが、今回は単独での戦いになる。
ブラックロッジの台頭により活動を活発化させてきたより強大な勢力との戦いにおいて、未だ一端の魔術師に届かない教え子たちを連れて行くのはシュリュズベリィにとっても教え子たちにとっても危険だからだ。
今までに学生達と向かった邪神眷属の拠点とは訳が違う。魔術師ラバン・シュリュズベリィが周囲への被害を考えずに、完全な状態で戦える様でなければ対抗が難しい者たちを相手取る事になる。
だというのに、だ。

「今回は学生の同行は許可していないのだが、どこまで付いてくる気かね」

そう言い放ち、それなりの高度を飛翔するバイアクヘーに『並走する』一台のバイク、その搭乗者に対して、シュリュズベリィは額に手を当てて溜息を吐く。
物理法則を無視し、空中を踏みしめて疾走するバイクに乗っているのは、彼の教え子の鳴無卓也だ。

「いやいや、恩師であるシュリュズベリィ先生の見送り位させてくれてもいいじゃないですか」

「恩師は別にいるのでは?」

「今俺の目の前に居る先生も、俺にとっては恩師という事ですよ」

「君が私から何か学べていたのなら、有意義な講義が出来ていたようで何よりだ」

シュリュズベリィは教え子の言葉に、密かに安堵していた。
この無茶な教え子の事だから、同行させてくれ、などと言い出すのではないかと少し心配だったのだ。
通常の学術調査を基準に考えれば戦力的には申し分無いが、回る予定の遺跡や神殿、拠点の内のいくつかには、鬼械神が無ければ厳しい場所も存在している。
機神招喚が可能な位階に達していないまでも、この歳でここまでと感心してしまう程の位階には達しているこの教え子を連れて行く事は、シュリュズベリィにとっては躊躇われる事なのだ。

「本当は大十字とか美鳥とかも見送りに来れたらと思ったんですが、このバイク一人乗りなんですよね。ヘルメットも人数分ありませんでしたし、二ケツするのもはばかられますし、代表で餞別をば」

そんなシュリュズベリィの内心を知ってか知らずか、卓也(ノーヘル)はバイクのタンデムに乗せていた鞄の中から小さなビニールパックを取り出した。
並みの戦闘機よりも早く飛んでいるにも関わらず、そのビニールパックに包まれた赤い果物は風圧で潰れる気配も無い。

「実家で作ってる苺で、『シュリュズ・ベリー』と言う品種です。良かったら休憩のときにでもハヅキちゃんと食べて下さい」

「もしかしなくてもそれを言う為だけに来ただろう」

自らと似た名前の果物を受け取り苦笑するシュリュズベリィは、教え子の乗るバイクが少しづつバイアクヘーから離れている事に気が付いた。
空を掛ける二台のマシンが離れると、途端に轟々と叩きつけられる風の音により聴覚が封じられる。

「それだけじゃないんですけど、言うべきか言わざるべきか……」

しかし、空気では無く、空間の字祷素を震わせる発声法により放たれた卓也の声は、確実にシュリュズベリィの耳に届いた。
珍しく言い淀む教え子に、シュリュズベリィは鷹揚に頷きながら先を促す。

「言ってみたまえ、次に大学に戻れるのは何時になるかわからんのだからね」

ぐんぐんと離れていくバイクと飛翔機。
バイクに跨った卓也はしばし考え込むような表情を浮かべ、軽い、軽い口調で尋ねた。

「もしも、もしもの話なんですが、もし先生の教え子が魔術を使って悪の道に走ったりしたら、先生は止めに来てくれますか?」

「ふむ、私の教え子からそういう者は出て欲しくないというのが本音だが……」

教え子の、物の例えを口にした程度の軽い口調の中に含まれる僅かに試すような響きを、シュリュズベリィは聞き逃さなかった。
その上で、獰猛な笑みを浮かべ力強く頷く。

「万が一そのような真似をする学生が出たのなら、この世の果てからでも駆けつけよう。教師としての責任を果たす為に」

シュリュズベリィのその返答を受け、卓也は口元に深い笑みを浮かべ、バイクを倒す様に進路を変え、バイアクヘーから離れた。
互いの姿が豆粒ほどのサイズに見える距離にまで離れた頃、シュリュズベリィの耳に卓也の声が響く。

「その答えが聞けたなら来た甲斐がありました! シュリュズベリィ先生、『またお会いしましょう』!」

一気に離れ、地平線の彼方へ飛んで行くバイクを見送る。
苺の入ったビニールパックを手に卓也の消えた方角に顔を向けていたシュリュズベリィに、今まで黙っていたハヅキが声をかけた。

「ダディ、タクヤはなんであんな質問したのかな」

「さて、私としてはあの質問に意味が無い事を祈るばかりだよ、レディ」

予感とも言えないような不明瞭なもやもやとした感覚を胸に仕舞い込み、シュリュズベリィはバイアクヘーの進路を最初の目的地へと向け直した。

―――――――――――――――――――

○月×日(時の歯車、裁きの刃!)

『やっぱりアイオーンはカッコいいなぁ』
『大十字が召喚するとアズラットのアイオーンよりもヒロイックな見た目になるんだけど、それはそれでありな気がする』
『なんというか、ほんの少しだけデモンベインに似ているというか、膝アーマーと鶏冠の無いデモンベインというか、ぶっちゃけて言えばアズラッドのアイオーンのマイナーチェンジっぽい感じだ』
『そもそもアイオーンの3Dモデル自体デモンベインを元に作られているらしいから仕方が無いと言えば仕方が無い』
『今回もかぶりつきで見たけど、細部がまんま原作のデモンベインなんだよな……』
『今はデモンベイン自体が毎周毎周未完成状態だから分かり難いけど、今後どんどん完成度が上がるにつれてさらにアイオーンとデモンベインの姿は似てくるだろう』
『何が言いたいかと言えば、今回もようやく大十字とアル・アジフが出会った訳だ』
『我ながら毎度毎度、二年近くも良く待てるものだと感心してしまう』
『しかし色々とブラックロッジ側のあれこれやら大十字のカリキュラムの消化具合とかあるから、何処にどう介入してもスケジュールを早める事が出来ない』
『ボソンジャンプでの長間隔での時間移動は字祷子宇宙の物理法則との兼ね合いが悪く不安定だから、わざわざそんな事の為に使いたくないし、ここは素直に諦めるしかない』
『でもその内魔術の修業をあらかた終えたら、金神式の力技時間移動でヒヤヒヤドキンチョのモーグタン☆してみるのも悪くないかな』
『運が良ければ『覇道鋼造のデモンベイン修復の歴史』みたいな時代に辿り着けるかもしれないし、人類以前の偉大なる先史文明と接触を図れるかもしれない』

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○月▲日(消化期間)

『ギャルゲの共通パートの様な、大分見慣れて見飽き初めてきた日々を過ごす』
『今回は非生産的な事を楽しむため、今までにやった事の無い行動をとってみたりもした』
『まず初めに、ニトクリスの鏡イベントが起きなかったので一肌脱ぎ、ナノポで洗脳済みのアリスンに命じて他のジョージ、コリンと共に三人でお医者さんごっこをさせてみた』
『アリスン攻めでたじたじの少年二人、というのも愉快な光景かと思ったが、あの年頃の少年たちはむしろ何かされるよりも何かしたい傾向があるので、アリスン患者役、ジョージとコリンが医者役になった』
『恥ずかしげに服の裾をまくりあげ、パンツも幼い胸の膨らみも曝け出すアリスンに、理由も分からずそんなアリスンに興奮を隠しきれないジョージとコリンの二人』
『白い肌にうっすらと浮かぶあばら、なだらかな胸の膨らみに、桜色の小さなぽっち』
『息を荒げ、一度ごくりと唾を呑みこみ、ふるふると緊張に震える指先を伸ばす少年二人』
『恥ずかしげに顔を背け、こちらに視線を寄越してきたアリスン(洗脳済み)に微笑みかけると、安心したように微笑み、再び少年二人に淫靡に誘う女郎の様な表情を向けるアリスン(洗脳済み)』
『無論、決定的な何かが起こる前に世界意思によりシスターライカが登場して御破算になった』
『まぁ、途中までの映像は手に入ったし、その内写真集にして出版して時間を潰そうかな』

追記
『なお、教会に住まう少年少女は全員十八歳以上であるだろう事をここに明記しておく』
『メディ倫様マジぱねぇ』

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×月×日(テリオン様マジ時報)

『大導師様、マジで記憶持ち越してるのか?』
『一周目から死ぬタイミングが全く変わらないし、逆十字の反逆に対する驚き方も変わって無い』
『いや、原作でも迫真の演技だったけど、それに輪をかけて驚いている様な、悔しがっている様な』
『なんかのフラグかもしれないが、今は目先に迫った五周目メインイベントが楽しみなのでこの思考は保留しておこう』

―――――――――――――――――――
……………………

…………

……

「汝(なれ)、そこで何をしておる」

覇道財閥所有のデモンベイン専用輸送艦『タカラブネ』の格納庫。
デモンベインのコックピットの中で少しだけ小細工をしていた俺に、アル・アジフの不機嫌そうな声が掛けられた。

「何って、最終調整」

さっきまでは西博士の改造講座をがっつり見物していたのだが、本格的にデモンベインがドラム缶に改造されそうだったので、チアキさんと共に西博士とエルザを簀巻きにしたお陰で中断。
更に毎度おなじみ南極大決戦でのボウライダー無双によってそれなりの信頼を獲得、ソフト面も弄れるという事で、チアキさんが西達を見張っている間にデモンベインの調整を任せて貰っているのだ。
ナノポを使うまでもなく、ネギま魔法でも多少好意的になって貰う程度の事は容易い。
まぁ、デモベ世界の魔術に対する耐性も無さそうだったけど、身体への悪影響の少なさから考えればネギま世界の魔術だって捨てたものじゃない。
お陰で、次のループへの仕込みもこうして堂々と行う事が出来るというものだ。

「どけ」

「どきません。せめて大十字先輩が来るまで待っていたらどうです?」

因みに、下で西やらチアキさんやら他の整備員さんやらが吹き飛ばされたのは確認している。
俺が魔術で吹き飛ばされないのは、魔導書単体の攻撃魔術よりも、俺の発動する魔術障壁の方が頑強だと、今までの交流でアル・アジフ自信が理解しているからだろう。
それはそうだ、何しろ厳密には人間でない俺は魂がすり減る心配をしなくていい上に、持っている魔導書はアル・アジフの記述を全て備え、なおかつ様々な魔導書の記述を移植して統合したハイスペックなゲテモノ魔導書。
どれくらいゲテモノかと言えば、仮に魔導書の精霊が出現した場合、瞬時にモザイクが掛かってR-18とR-18Gのタグが付けられてしまう程のゲテモノぶりである。
なんというか、複乳複根複玉で全身ピアスの薬漬けのダルマ(グロい意味で)みたいなのが出てきても正直驚けない程のゲテモノ。
そろそろ全記述を圧縮言語に置き換えなければ、全ページの白い部分が消えてしまう程の情報量のそれを起点に作る障壁は、並みの魔導書に刻まれた防御魔術の記述とは訳が違う。
そんな俺をコックピットから退かせる事は、今のアル・アジフには事実上不可能と言っていい。
それを理解しているのか、アル・アジフはなんとか俺を説得しようと口を開いた。

「頼む、妾(わらわ)を行かせてくれ。これ以上、ここから先に九郎を巻き込む訳にはいかんのだ……」

苦しげな、苦々しげな、悲しさを含んだ絞り出すような懇願。
そんなアル・アジフの声をBGMに、俺は黙々と作業をこなす。
どうせなにがどうなろうと、アル・アジフだけが門をくぐるという結末は用意されていないのだ。
そんな戯言につきあう暇は無いし、今は初めてのデモンベインへの介入で忙しい。
……やっぱりデモンベインに覚えさせておくのが一番手っ取り早いけど、確実性を求めて紙媒体にしておくのも一つの手か。

「汝、聞こえて居らぬのか!」

「聞く価値が無いと思っただけですよ。アルさんだって、大十字の気持ちは知っているんでしょうに」

傍らに置いておいた鞄の中から取り出すそぶりをしつつ、死角に入った手の中にA4の大学ノートを作り出し、それに必要な情報を高速で書きだしていく。
大十字の気持ち、と言われて言葉に詰まるアル・アジフに、俺は高速でペンを動かしながら言葉を重ねる。

「魔術師の扱う魔導書は生涯一冊、なんて決まりは存在していないんですが、俺の中では大十字先輩の魔導書と言えばあなたなんです。貴女が居なくなった後の大十字先輩など想像もつきません」

俺の言葉に、アル・アジフは首を横に振りながら弱々しく応える。

「もはやそういう次元の問題では無い。あの門の向こうは、人間が立ち入れるような甘い戦場ではない。妾は、そんなところに九郎を連れて行きたくはないのだ。頼む…底を退いてくれ」

ふむ、レムリアインパクトの記述は、ノートに纏めるには少し文章量が大きすぎるな。
断鎖術式とか、全身の構造とかなら簡単なんだが……。
仕方が無い、再現可能そうな部分だけ残して、残りはデモンベインに覚えていて貰おう。
俺はノートを閉じ、振り返り、ボールペンを弱々しく頭を下げていたアル・アジフに付き付けた。

「貴女こそ思い違いをしている」

「汝も魔術師のはしくれなら、いや、汝程の位階の魔術師であれば、あの門がいかに危険な代物か理解できない筈が無い」

「理解していますよ。あの門の事も、その先の事も、この勝負の結末も、次に始まる再戦の事も、その再戦の結末も、また始まる日々の事も、その時の今の先輩の事も、新しい大十字先輩の事も」

面倒臭い古本である。
普段押せ押せの実力行使に出てばかりの癖に、こういう場面になるとグダグダと喚き始める。
普段からもっと口車の使い方を勉強するべきだろう。もう生きている間にはかなわない事だろうが。

「なんだ、汝は、汝は一体何を言っておる」

俺の言葉に面白いほどうろたえるアル・アジフ。
因みに、大十字は美鳥の誘導により格納庫に向かっている。あと数分もしない内にここに到着するだろう。
どうせアルアジフはループで持ち越しが不可能、ここで色々と謎の人物っぽく振舞っても問題はあるまい。

「良いですか、これから貴女方は──」

「おっと、これ以上は流石に見逃せないかな」

瞬間、世界のあらゆるものが静止した。
まるで、読み進めていた小説に栞を挟んで一旦休みを入れるかの如く。
身体の構造が切り替わる。
こういった、世界規模のデバック機能とでもいうべき能力は、存在としての基幹が世界の外にあるトリッパーならほぼ確実に対処できてしまうのだ。
困惑の表情のまま固まっているアル・アジフと俺の間に、白く、可愛らしい猫の様なヌイグルミの様な姿の獣が降り立った。

「ダメだよ。これ以降の情報を与えたら検閲の対象にしちゃうからね」

白い体毛に覆われ、赤い目をした猫。
その頭部側面に手の様な羽根の様な耳の様なものが生え、その先端は桃色の体毛に包まれ、その謎の器官の半ばには金色のリングがはめられている。
イメチェンだろうか、喋っても口が一切動かない所とか、全体のデザインが魔法少女物にマスコットとして出られそうな程可愛らしいだけに不気味極まりない。
恐らく新原さんの累計のバリエーションであろうその獣に、俺は肩を竦めて見せる。

「正直、あそこで俺が何か言うよりも早く、大十字のセリフで遮られたと思いますがね」

デモンベインのコックピットから覗く格納庫の入口には、丁度格納庫に辿り着いたと思しき大十字の影が見えた。

「それでも、さ。用心するに越したことは無いし、君もこれから始めるメインイベント前に変なトラブルは起こしたくないだろ?」

灼える様に赤い瞳の白い獣の口調はあくまでも明るく爽やか。
俺は、そんなケモ──めんどいから仮にQBとしておく、何故QBかは知らない──QBに対し、いくつかの技術の覚書が記されたノートを振ってみせる。

「こっちは見逃してくれますか?」

「うん、そっちは僕としても歓迎かな。君達の世界の記録だと、それがある方がゴールに近付き易くなるんだろ?」

「それはもちろん」

「なら歓迎するよ。じゃあ、くれぐれも、変な事は言わないようにね」

QB(仮)は去り際に少しだけ時計を逆回しに回し、その場から霞の様に消えてしまった。
静止していた世界が動きだし、目の前のアル・アジフが口を開く。

「汝も魔術師のはしくれなら、いや、汝程の位階の魔術師であれば、あの門がいかに危険な代物か理解できない筈が無い」

ああ、つまり先を知ってる云々からして最早抵触していたのか。
意外と厳しい検閲作業に精を出すQBに感心してしまう。
当たり障りの無い答えを口にしながら、占領していたコックピットから立ち上がる。

「俺が分かるのは、これから貴女と大十字先輩の塗れ場が始まりそうって事だけですよ。大十字先輩が来たら退きますんで、後はごゆっくり」

―――――――――――――――――――
……………………

…………

……

いつの間にか朝陽は東の地平より頭を現し、黎明の空は澄んだ白に染め上げられていく。
何処までも透明で新鮮な大気の中を、朝の輝きにその装甲を煌めかせるデモンベインが、鋼の翼をはためかせて駆け昇っていた。
日の輝きですら照らす事の出来ない超狂気を内包する、ヨグ=ソトースの門を開き、その向こうへと消えるデモンベイン。
その雄姿を、クトゥルフとの総力戦を生き残った艦隊の者全てが見送っていた。

「……行きましたわね」

デモンベイン専用輸送艦『タカラブネ』、そのブリッジでは、デモンベインが突入すると同時にヨグ=ソトースの門が消滅するのを確認し、覇道財閥の若き総帥、覇道瑠璃が、疲労と安堵から溜息を吐いていた。
祖父から託されたデモンベインは、その祖父の遺言通りに見事に邪神の脅威を打ち払い、見事に世界の平和を守ったのだ。
多大なる戦果だ。だが、その戦果に辿り着くまでには長い長い道のりがあった。
祖父である覇道鋼造がそれを建造するまでの長い長い年月とは比べ物にならないにしても、覇道瑠璃もまた、デモンベインの操縦者に相応しい実力と精神の持ち主を探し当てるまでの相当の労力をつぎ込んでいる。
……実際のところ、覇道瑠璃には両親や祖父の記憶はあまりない。
両親は幼い時分にブラックロッジの逆十字の手に掛かり亡くしているし、祖父もそれを追う様に老衰で死んでしまっている。
だが、教育係も兼ねていた前執事長から祖父の偉大さと功績は飽きる程に教えられ、自らも統治者としての教育を受ける事で、祖父の偉大さは理解出来るようになった。
その祖父から託されたデモンベインの操縦者探しと、覇道財閥の総帥という自分の役目。
アーカムはこれから復興作業に取り掛からねばならないだろうが、それでも先ずは一段落。
端的に言って、瑠璃は重い重い肩の荷が下りた様な感覚を得ていたのだ。

「貴方にも、何とお礼すれば良いものか」

瑠璃はブリッジに備え付けられたモニターに映る、目元以外は穏やかな顔の造りの青年に声を掛けた。

「いいえぇ、こちらも大学の先輩の手助けに来ただけですので、お気になさらず」

あくまでも慇懃な態度を崩さない青年の名は、鳴無卓也。
大十字九郎や彼の師であるラバン・シュリュズベリィの様に鬼械神を招喚することこそ出来ないものの、彼自身優れた魔術師であり、魔道工学の実践者でもある。
南極での決戦に、自作の機動兵器を駆り突如として助太刀に現れた彼は、それまでに目立つ功績こそ無いものの、九郎と同じミスカトニックの学生である事が既に大学へと問い合わせて判明している。
デモンベインの援護をし、ダゴンや〈深きものども〉に襲われて沈みかけていた多くの戦艦を救い、更にはデモンベインの最終調整にまで手を貸した彼は、デモンベインと大十字九郎程では無かったが、艦隊の人間たちからは感謝の念を向けられていた。

「ここまで助けられて、そういう訳にも行きません。と、言いきれないのが悲しいところですわね……」

実際、覇道財閥には余裕が無い。
ブラックロッジの齎した破壊の傷痕は、邪神の脅威が一時的に去った今ですら、生々しく世界に痕跡を残しているのである。
これから拠点であるアーカムを中心に立て直していくにしても、全世界の被災地に救援を送るのを怠る訳にもいかない。
そんな状況で、復興よりも先に急遽現れた助っ人である彼に、どれだけの報酬を渡す事が出来るかと言えば、首をひねらざるを得ないのだ。

「んー、じゃあ、ですね。少しばかりお願いがあるのですが、それが報酬という事で如何でしょう」

「ええ、出来得る限りの範囲でお応えしましょう」

少しばかり困ったような顔で一瞬だけ考えた卓也は、画面の中でぴんと人差し指を立て、瑠璃はそれに対し、表面上はにこやかに対応する。
ここまでの対応から考えるに、そう無理難題を吹っ掛けられる事も無いだろう。

「ありがとうございます! じゃあ、──貴方達、全員纏めて、滅びてください」

「……え?」

卓也の言葉を、その言葉の内容を、一瞬理解しかね、瑠璃は首を可愛らしく傾げる。
その思考が一巡、二巡、三巡し、言葉の意味を理解するよりも早く、覇道瑠璃は、人類の総戦力とも言える艦隊は、文字通りの意味でこの世界から消滅した。

―――――――――――――――――――

ボウライダーと融合し、荒れ狂う海原を見下ろし、対照的に晴れ渡る空を見上げる。
強化型次元連結システムから発動したメイオウ攻撃により、周囲数十キロから数百キロ程の範囲を纏めて消滅させたのだ。
射程内部の海水、海底は消滅し、海底の更に奥底に眠る地下の火山が噴出し、そこに周囲から海水が流れ込む事により、海は煮えたぎりながらうねり狂う。
空は単純だ。空を覆っていた雲や大気を消滅させた事により、空から降り注ぐ太陽を遮るものが無くなっただけの話。
だが、単純に空が晴れ渡った訳では無い。
ここら一体の大気もまた消滅している為、周囲から猛烈な勢いで大気が流入してきている。
その為、並みの台風では味わえないような猛烈な強風が吹き荒れているのだ。
壮大な光景だ、まるで神話の一ページの様な、自然の偉大さを教えてくれる景色。

「さぁ」

ボウライダーの手から、足から、背から、頭から、腹から、ありとあらゆる場所から、無数の人型が溢れ出す。
適応確立0パーセント、感染すると同時に本能のままに動くだけの獣になる悪性の人体改造ナノマシンを満載した、機械天使『テッカマン・ブラスレイター』の群、群、群。
蝗の如く溢れ出し、世界中にばら蒔かれる異形。
億にも上る程の数を吐き出した処で一息。

「地球最後の日だ!」





続く
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姉との朝チュンだったり、姉弟妹の戯れだったり、ミスカトニック武者軍団だったり、ハヅキの臀部だったり、シュリュズベリィ先生との和やかな会話だったり、原作キャラと珍しく会話する姉だったり、オリキャラとのお約束的使い捨てラブ(クラフト)コメだったり、シュリュズベリィ先生との再会の約束だったり、僕と契約して、魔法少女になろうよ! だったりした第四十三話をお届けしました。

もうチョイ日常面での描写とかを練習するべきかなぁとは思うのですが、どうにも上手くいきませんでしたね。まぁそこら辺は要練習という事で。
そんな訳で、今回は日常回です。ええ、今回は日常回です。大事な事なので二度言いました。
稚拙ながらも地元の人々とか恩師とかとの交流に重点を置いて書いてみたのですが、如何だったでしょうか。
本当はネス警部とかストーン君とか出したかったんですけど、武装警察と絡むネタとかいまいち思いつかなかったんですよね。
パロネタとかも少なめでしたし、地味な話ですいません。

しかし、誰が予想できたでしょうか。無限螺旋を舞台にしながら、七話も掛けて未だに十年ほどしか作中時間が経過していないなどと。
次回は全編バトルパートなので話は進みませんが、一応次回でミスカトニック大学編は一区切り、次の次からは大学以外での活動をメインに行いつつ、微妙にリクエストがあったような気がするキャラに焦点を当ててみたりする可能性を追求する所存です。
作中時間の紅王症候群の発症率は、それから一気に加速すると思います。
もう平気で十周二十周、いや、二百周とかバンバン飛ばして行きますよ!

自問自答コーナーは、次回を早く書きたいので今回も省略です。なんか疑問があったら感想板にでもお願いします。

それでは、今回はここまでです。
誤字脱字に文章の改善案、設定の矛盾への突っ込みにその他諸々のアドバイス、疑問質問、ばっちこいです。
そしてなにより大切な、作品を読んでみての感想、短くとも長くとも、短くも長くも無くとも、心よりお待ちしております。


次回、第四十四話

「機械の神」

お楽しみに。



[14434] 第四十四話「機械の神と地球が燃え尽きる日」
Name: ここち◆92520f4f ID:190f86b3
Date: 2011/03/04 01:14
────かつての大十字九郎にして、現在の覇道鋼造はその日、時折書類の整理などの為に籠らなければならず、不本意ながら見慣れてしまった執務室の中、座りなれた椅子の上で、机の上に置かれた一冊の古びた本と睨み合っていた。
古い本、いや、ノートか。
大凡二十年程の時の経過を経験したであろうそのノートだが、実のところ、そのノートを作っている会社はまだこの世に存在していない。
これから暫く後に創設者が生まれる様な、元の大十字九郎にとっては馴染み深い文具会社。
今の世には存在していない筈のものである。
九郎──鋼造は、そのノートを手に取り、開く。
最初のページを捲り、眼を見開き、更にページを捲り続ける。まだ歳でも無いのに震える指先で、捲り捲り捲り続ける。
記されている内容は──デモンベインの設計図、いや、ここまで来ると改修案と言ってもいい。
魔術理論を必要としない部分は徹底的に機械化された、デモンベインをほぼ完全に機械化する為の改修案。
断鎖術式を組み込んだ儀式機械の設計図は、ドクターウエストの手が入った後の物を書きだした物だろうか。
現代の技術レベルで再現出来ない部分も、時折書き込まれた注釈を元にすれば、十年もせずに実用化レベルまで持って行ける可能性が高い。
この設計図通りに回収したデモンベインを修復──いや、改造できれば、機神招喚が出来ずとも、鬼械神を操る技量があれば、単独で戦闘機動が可能になる。
前回初めて乗った時の様な継ぎ接ぎで、アイオーンの残骸による補填が必要な出来損ないではない、不足の無い、完全なデモンベイン。
完成すればアルアジフを失った自分でもまだ正面切って戦えるかもしれない。
その可能性に、鋼造のページを捲る手は早くなる。

「む、これは……」

興奮気味にノートを捲っていた鋼造は、最後のページが設計図や術式ではなく、何の変哲もない手紙の様な文面である事に気が付いた。
手紙の様な文面ではあるが、誰が書いたか、というような事は記されていない。
しかし、鋼造にはその文字の筆跡に見覚えがあった。
かつて大十字九郎としてミスカトニックで学生をしていた頃に、後輩とのディスカッションの時、幾度となく見た、几帳面そうな程整った形の文字。

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『いやいや、必要最低限の内容を纏めただけなのに、最後の一ページしか自由になるスペースが確保できないとは思いませんでしたよ』
『お久しぶり、になるのでしょうか。もしかしたら意外にも、落着直後にそれを読んでいるのかもしれませんね』
『万が一、これをヨグ=ソトースの門に突入する前に読んでいるなら、少し後まで読むのは控えた方がいいでしょう』
『いいですか、いいですね? ここからは先輩がマスターテリオンに負け、アリゾナに墜落した後にこのノートを発見した事を前提に書きますよ? 次の行からですからね?』
『──さて、このノートには俺の知る限りのデモンベインのデータ、更に完全機械化の為の改修案に加え、ドクターウエストの手が加わり完成度の高くなった断鎖術式と魔術儀式代行装置の設計図を先輩の理系向きとはとてもでは無いけど言い切れない頭脳でも理解出来る様に分かり易く書いています』
『先輩は数十年の時を重ね世界を急速に発展させていくことでしょうから、必要な技術も機材も苦労こそすれどうにか工面できる筈です』
『何故俺が、先輩が今そこに居る事を知っているかなどの疑問もあるかもしれません。黙って送り出した事も謝ります』
『ですが、先輩は何よりも先に、この無限に続く円環を断ち切らねばなりません』
『……『無限に続く円環』とか『断ち切らねばなりません』とか書くと、ものすっごい十四歳病っぽいですよね』
『まぁ、言い廻しの聞こえ方なんてどうでもいい事ですね。聞き流して、もとい、読み流してください』
『ともかく、今は何よりもデモンベインの完成に力を注いでください』
『アイオーンでは勝てません。アイオーンとのハイブリッドのデモンベインでも勝てません』
『いいですか、これだけは覚えておいてください』
『リベルレギスを打倒し得るのはデモンベインのみで、マスターテリオンを打倒しうるのもまた大十字九郎のみ』
『これは絶対の法則ではありません。デモンベインにも大十字九郎にも、リベルレギスとマスターテリオンを打倒し得る極々僅かな可能性があるだけに過ぎません』
『絶対では無い、微かな可能性でしかありません。ですが、人類が未来を取り戻すにはそれしか道は残されていないのです』
『先輩が去った後の世界の事、思い出して不安に思う事もあるでしょうが、俺に任せておいてください』
『だから、覇道鋼造として頑張ってください。走り続けてください』
『何時か大十字九郎が宇宙の中心に辿り着く事を、貴方の後輩は遠い未来で祈っています』

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手紙の内容に目を通し終えた鋼造は、暫くぶりに思い出したかつての後輩の割と失礼な言動に苦笑し、次いで内容に渋面を浮かべた。
有り得ない事ではない。この円環のからくりを、自分とマスターテリオン以外が知り得ているなどという事は、理論的に有り得ない。
だが、知っている人物から教えて貰う事は出来るだろう。そうでなければありえない。
恐らく、自分の前の覇道鋼造が、何らかの理由であの後輩に自分の知り得る限りの情報を伝えていたのだ。
思い返してみれば、あの時後輩が乗ってきたロボットには、デモンベインの操る魔銃と似た様な理論が用いられていた。
そもそも、教授からの評判を聞いた限りでは、入学時点で大学で学ぶことが無い程に魔術師としても技術者としても成熟していたという。
異様に高い戦闘力も、有事の際にと覇道鋼造から鍛える様に指示を受けていたと考えれば頷けない事も無い。
彼等の不可解なまでに優れた能力は、全て前の自分が彼等を幼少の時から鍛える様に仕向けていたからだと考えれば解決してしまうのだ。
そう、つまり、自分以外の誰かにこの世界の過酷な運命を背負わせてしまっていたのだ。
そして、これから自分もそうしてしまう可能性がある。
彼等は自分と接する時は、何時もこの事を考えていたのだろうか。
で、あるならば、彼等の朗らかな姿も、全て仮面に過ぎなかったのだろうか。
『元』大十字九郎は、覇道鋼造は考える。
仮面に隠されていない彼等の本当の姿は、一体どの様なものだったのか、と。

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……………………

…………

……

「あははははははっははあっはははははははははっはははははははははははっっっ!!」

機械天使化したテッカマン・ブラスレイターからの視覚情報と聴覚情報を受信し、地上の光景を目の当たりにしながら、卓也は身を仰け反らせて笑っていた。
街が、人が、燃えて、砕け続けている。
逃げ惑う人々の群れに向け、数体の端末が武器を向け、拳を握りこみ、胸部に搭載されたレーザー砲を展開し、無意味なまでに高められた威力を開放する。
次の瞬間、人型は跡形もなく消滅した。
だが神経速度が人間に比して遥かに早い卓也からすれば、その人々が死ぬまでの瞬間は数秒にも数十秒にも数分にも引き伸ばされて見える。
雑兵どもが卓也の意思を組んで、威力を放つ寸前に、数秒だけ勿体ぶっているからだろうか、本来なら人間には決して反応する事の出来ない、テッカマンやブラスレイターや機械天使、その他諸々の技術や生体が盛り込まれた怪物の攻撃の瞬間、逃げ惑う人々の内の数人が振り返り、その顔を恐怖に歪めている。
その顔面に、振り返りもせずに逃げ続ける背に、人間に向けるには過剰な程の破壊力が叩きこまれる。
光弾が頭蓋を砕き脳漿を宙空にぶちまけ、拳圧が柔らかい人体を破裂させ肉も臓も無い程に磨り潰し、熱線砲がそれら全てを綺麗に蒸発させる。
いや、綺麗に蒸発させた、というのは語弊がある。
高効率魔導ダイナモにより威力を高められ、逃げる群衆を突き抜け、向こうビルを数本倒壊させた正拳突きの威力は、肉片や血液を余りにも広範囲に飛び散らせてしまっていたのだ。
ばら撒かれた人間の破片が、男に手を引かれ、少し離れた所を手に赤子を抱えて必死で逃げていた女性の顔に、べしゃりと音を立てて付着する。
自らの顔に降りかかった物の正体に数秒掛けて気が付いた女性は、咽喉よ裂けよとばかりに絶叫を上げ、男の手を振り切り、先刻まで大事そうに腕に抱えていた赤子を放り捨て、明後日の方角に向けて走り出す。
女性を呼びとめようと叫ぶ男性の頭が、機械的な装甲に包まれた手に鷲掴みにされ、握り潰されて、その場にどさりと崩れ落ちた。
投げ捨てられ地面に強く身体を打ちつけ、泣き声を上げる事すら出来ずにいた赤子が金属の脚に踏みつぶされ、半ば分断された身体でカエルの様な潰れた断末魔の悲鳴を上げ、絶命した。
女性は、自らが連れ添ったであろう存在の死にも構わず、只管に前に向けて逃げ続けている。
だから気付けない。頭を握り潰された男が、重要な内臓をあらかた踏みにじられた赤子が、身体を鉄の被膜に覆われながら再び立ち上がるのを。
見れば、街中では殺されながらも原形を留めていた死体が、次々と異形へと姿を変えながら立ち上がっている。
デモナイズだ。通常であれば最低限人間として活動し得る器官が残っていなければ発生しないデモナイズが、人間としての重要器官を幾つも失った状態で起こっている。
卓也がペイルホースとDG細胞を掛け合せて改悪したナノマシンの機能の一つ、人体不完全蘇生機能。
それは正常に作動し、脳髄を失った男にはナノマシンが集合し疑似脳を生成し、心肺を潰された赤子にはナノマシンが作り出した代替装置で補った。
だが、それはその二人を元の姿で生き返らせた訳では無い。
頭を潰された男は、潰された頭蓋の中に納められた疑似脳をぬらぬらと光らせ、踏みつぶされた赤子は潰された腹の上に、剥き出しの臓物の様な代替装置をぶらぶらと吊り下げている。
その姿は、やもすれば街を襲った機械天使よりも余程おぞましい異形。
この場にそれを観察するモノが居れば、この男と赤子のなれの果てに似た存在が、廃墟を通り越して更地になりつつある街のいたる所に現れている事に気が付くだろう。
機械天使達に殺され、しかし僅かでも人の原形を残していた者達は、機械天使達が常にばら撒き続けているナノマシンにより、その身を出来の悪い前衛芸術の様な姿へと変えられてしまう。
身体の蘇生、いや、再構成を終えた男と赤子の背を突き破り、体内から機械の羽根が押し出された。
確かめる様に光の粒子を放出しながら翼を打ち鳴らし、前へ、自分たちを置いて逃げ続けている女に向けて低く飛翔する。
男は僅かに残った脳漿の中からナノマシンが組み上げた男の生前の記憶から、赤子はナノマシンに統制されながらも未だ働き続けている本能から、逃げ惑う女の事を求めている。
つがいとしての女を、母としての女を、その身を異形に変えても求めているのだ。
数百メートル先を走っていた女を、羽根を生やした親子は半秒も掛からずに追い抜き、取りつく。

「ジぃ、るうゥぅぅぅぅ」

鼻から上の無い異形が、かつての愛しい人への行為の残滓か、服を丁寧に脱がそうと女の服に手を掛ける。
しかし、鉄に覆われ、獣の様な鋭い爪のある手は、女の肌を傷つけながらその服を切り裂いて行く。

「まんま、マぁんマ、まぁまぁぁぁ……」

背に身の丈の倍以上の長大な羽根を生やした赤子の異形が、母の愛を求める様に、剥き出しにされた胸にすがり、乳を食もうと口を寄せる。
だが、既に赤子のそれを遥かに超える力と生え揃った牙を持つその口は、母の乳に牙を付きたて、貪る様に柔らかな肉を引きちぎっている。

「いや、嫌よ、来ないで、いや、いたい、いたいの、おねがいだからやめて、食べちゃわないで、いひ、ぎぃ、ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」

女は恐怖に顔を歪ませ、首を激しく振りながら叫び声を上げる。
だが、それはこの状況ではとても危険な行為だ。
女の叫び声を聞きつけて、周囲で思い思いに共食いを繰り返していた『元』街の住人達が、どこかしら欠損した身体を揺らしながら近づいてくる。
母体であるボウライダーから生み出され完全に制御された機械天使とは異なり、ナノマシン感染で生み出された異形は力こそ機械天使に遠く及ばないものの、人間の、いや、生き物としての本能や欲望を色濃く残している。
そんな彼等にとって、ナノマシンに未だ感染せず人の形を保ったままのこの女は、恰好の獲物なのだ。
女の叫び声が、群がる異形の群れの立てる様々な、重く濡れた布を引き裂くような、肉を噛み千切り咀嚼する様な音に掻き消されていく。
その光景から、崩れたビルの下敷きになった少年が身を震わせながら目を背ける。
空にも、地にも、まともに生きている人間がいない。
居るのは何もかもを壊すだけの、悪魔染みた機械天使、怪物達のみ。
現実の何もかもから逃れたくて、しかし瓦礫の下敷きになって潰れた脚から伝わる痛みで、現実へと強制的に引き戻される。
身体から血液が流れ出し、音も目の前の光景も遠くになり始めた時、生き残りの女に群がっていた怪物達が、轟音と共に吹き飛ばされた。
きゅらきゅらと響く無限軌道の音。生き残りの軍人たちが応戦を始めたのだ。
薄れ行く意識の中、少年は思った。軍人さんがきてくれた、あの化け物たちをやっつけてくれるんだ。
そう、無邪気に信じながら、少年は静かにその命を途絶えさせた。
少年の亡骸が、鋼の被膜に覆われていく、ナノマシンに感染し、デモナイズしていく。
少年の身体に居付いたナノマシンは、生前の少年の意を確かに汲み取る。
少年の変じた異形は、目の前の救いと力の象徴である戦車へと、獣そのものの動きで駆け戦車の外壁に取り付き、浸み込むように融合を開始。
先の砲撃で吹き飛んだ筈の怪物達は、何事も無かったかの如く立ち上がり、街の破壊を再開している。
少年の記憶の残滓が、確かに目の前の怪物達へと殺意を向ける。
少年の身と意思の残骸が融け込んだ戦車が、怪物達に向け狂ったように砲撃を繰り返し、轢き潰そうと前進を初め、しかし、呆気なく巨大な金属の脚に踏みつぶされた。
脚、そう、脚だ。まるでドラム缶の様な円筒形の脚が、直径六十メートルはありそうな金属の柱が、怪物も異形も何もかもを踏みつぶしている。
あまりにも巨大なそれは、元を正せばブラックロッジが世界中に解き放った量産型破壊ロボ。
各地でどうにか殲滅されたそれらの残骸に、無数の怪物や異形が融合し、積み重なり、円筒形を組み合わせた雑な造形の人型へと姿を変えたのだ。
全高六百メートルを超える鉄の巨人が、崩れかけた廃墟の街を踏み砕いて行く。
鉄の巨人の体中から、怪物と異形が湧きだす。
踏みつぶされたと思われたそれらは、足裏から融合し、巨人の身体を伝って再び空へと放たれる。
炎に包まれ、建物は砕け折れ、破壊を撒き散らす天使と人のなれの果てである異形が空を覆い尽くし、巨人が大地を踏み躙る。
文字通りの地獄絵図、即物的な終末の戯画。
そして、この光景は、世界中の到る所で繰り広げられている。
人知を超えた邪神の脅威を乗り越えた世界は、誰もが思い描ける有り触れた破壊の力で、滅びの結末へと加速していく。
人類の歴史が終わる。生き物の歴史が途絶える。何もかもが踏み躙られ、誰もが大切な物を失い、奪われ、呆気なく死んでいく。

「あ、は、は、は! どうです、先輩! 貴方の守った世界が! 跡形も無く壊され! 貴方が堪らなく愛おしく感じていた世界が! 如何し様も無い程に汚されていますよ! は、はは、あ、ははははははははははははははははははは!」

異邦人は終末の光景の中、笑う。
狂ったように、子供のように、無邪気に笑い声を上げる。
一片の悪意も交らぬ、純粋な喜の感情を基点に生まれる笑い声は、眼下の光景と相まって悪夢めいた響きすら感じられる。
世界を滅ぼさんとする者の姿とは、大十字九郎の知らない鳴無卓也の一側面とは、おおむねこのようなものであった。

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…………

……

南極から螺旋を描きながら、リンゴの皮を剥く様に人類とその他生物を建築物ごと皆殺しにし初めてから五時間程が経過。
解き放った端末の群れを、時折核兵器と大型フェルミオンミサイルの絨毯爆撃を楽しみながら追いかけ続けた。
一撃毎に地形が変わる様な超破壊力をむやみやたらと吐き出し、時には端末の群れを一部薙ぎ払い続け、思う存分に破壊の限りを尽くす。

「ちょっと休憩かな」

一時的に落ち着いた、いわゆる賢者モードに突入した俺は一息吐き、デモベ世界仕様の黒いボウライダーとの融合を解き、コックピットから這い出てそのまま肩の上に座り込む。
絶妙な重力制御能力により、不安定な姿勢の人型兵器の肩の上であるにも関わらず、俺は自宅の居間で座布団に座るのと同じようにリラックスする事が出来た。
ヤクルトを作り出し、細いストローを刺し、中身を啜りながら考える。
『世界に破壊と混乱を!』
みたいなノリで行こうと思ったのだが、破壊力が強すぎると思った程に混乱が起きないらしい。
もっとこう、東京タワーに迫るゴジラの如く現場のアナウンサーが決死の放送をしてくれるものと思って核やフェルミオンミサイルばら撒きながらラジオまでチェックしていたのだが。
しかし残念なことに、ラジオ放送どころか避難警報が出るよりも早く、端末どもが下りた街の住人は尽く殺されてしまった様だ。
ま、あの端末を破壊するには最低でも魔力ガン決めの偃月刀クラスの威力が必要になるし、魔術を応用しない攻撃では核の直撃でもダメージを与える事すら不可能だから、仕方が無いと言えば仕方が無い。
意外と抵抗勢力の少ないデモベ世界、白と黒の王二人やブラックロッジの逆十字が居ない今、人類の力は所詮この程度のものだろう。
でもまぁ、別に世界中の戦力が結集して俺の所に来る、なんて事を期待した訳でも無い。
そもそも南極でのクトゥルフとの決戦にしても、世界中の邪神狩人が一人も参戦していなかったのだ。
『あの』人の良いシュリュズベリィ先生ですら、あの決戦をスルーした。
十年この世界に居て気が付いた事なのだが、人類が総力を結集しても勝利するのは難しい様な敵、邪神が居るというのに、ここの人類は力を合わせる事が出来ずにいる。
集まりが悪いというか、チームワークがなっていないのだ。
だがそれでいい。俺が今の人類に、地球の生命に求めているのはドラマ性ではない。
俺が振るう破壊力、暴力の矛先になってくれれば何も文句は無い。
二年前、俺が不貞腐れて『五周目はひたすら姉さんと美鳥とで爛れた生活を送ろうかなぁ』とか考えていた時、姉さんは言った。

『卓也ちゃん、暴力はいいわよー暴力は』

あの日、姉さんの告げた言葉は、俺にとっては革新的な一言だった。
思い返してみれば、俺は今までひたすら強くなる事を主題に据えて行動してきた。
ブラスレイター世界でもそうだ。元の生活を忘れない為にバイトこそしていたが、それ以外は下級デモニアック狩りで戦闘訓練に明け暮れた。
スパロボ世界でもそうだ。部隊での信用を勝ち取る為に最前線で戦い続けたが、それにしても味方からの警戒心を薄れさせるための行為でしかなく、最後の主人公達との決戦も、主人公補正に勝てるのかという疑問を解消する為の実験であり、挑戦だった。
ネギま世界ではどちらかと言えばデートがメインだったが、スクナとの戦いも如何に違和感なく取り込めるかを考えて、一撃で粉砕する事はしなかった。
村正世界も言わずもがなだろう。暗躍メインだった上、俺が出張ったまともな戦闘は一度きり、しかもラスボスの劒冑の構造を知る為の戦いであり、これも強くなる為に必要だったからに過ぎない。
そう、俺は力を振るう時、相手側にとって迷惑千万な理由だろうがなんだろうが、とにかく何かしらの理由があった。
純粋に暴力を暴力として楽しむ為に力を振るった事が殆どないのだ。
初めて聞いた時は少しばかり非文化的な行為だと思ったが──

「いい、いいなぁ、これ」

呟き、自分でも顔が緩んでいるのが分かる。
楽しい。この極々単純な破壊という行いが楽しくて仕方が無い。
腕を振り、出力を中程に絞ったプラズマジェットで目の前の地球上の光景とは思えない荒野をなぎ払う。
単純な熱エネルギーの奔流によって、融けてガラス状に成りかけていた眼下の地表が蒸発し、有毒なガスを発生させる。
割れた大地からはマグマが噴き出し、既に取り返しのつかない程荒れていた大地が、噴出した溶岩に覆われていく。
面白いほど簡単だ。少し時間をかければ、これだけで地球を両断できそうな気さえする。
いや、人間大の俺の身体から発するだけでこれなら、ある程度のサイズまで巨大化させたプラズマ発生装置なら数分と掛からずに地球を両断出来るだろう。
そう、取り込む相手が消滅しない様に気を使って、精神コマンドにも無いてかげんをしなければいけない、なんて事も無い。
メイオウ攻撃、相転移砲、ジェネシス、マイクロブラックホールなどの即死級攻撃を躊躇う必要もない。
魔術の要素を取り込んだ新武装、神獣弾などの単純に威力の高いだけの武装も気兼ねなく使える。
そして、それらを全て駆使したところで届かないかもしれない相手が居る。

「先生、はやく、はやく来て下さいよ。はやくはやくはやくはやく、早く来ないと──」

待ち遠しい。いくつ街を潰しても、大陸を消し飛ばしても。
海の水を全て最高濃度の金神の水に浸食させても。
大陸プレートを念入りに砕いてもこの期待感に届かない。

「地球、ほんとうに滅んじゃいますよ?」

滅ぼすのが目的だけど、今それをするのはもったいない。せめて先生と全力で戦ってからにしないと。
クトゥルフが現れても帰って来ない先生でも、地球上に俺以外の人類の敵が居なくなればきっと来てくれる。邪神を狩る者として、邪悪に立ち向かう者として。
大導師も大十字も逆十字も存在しない今、多分、地球上の何もかもを破壊する上で一番の脅威になるのは先生だ。
それに、何もかもを意味も無く破壊するのであれば、先生との信頼関係もぶち壊しにしなければ。
積み木の遊びは積み木で城を作って終わりじゃあ無い。積み上げた積み木を、完膚なきまでに崩し切る処までが積み木遊びなのだ。
積み上げるのも打ち崩すのも真剣に取り組まなければ。

「……そういえば、アーカムはどうなっているかな」

そこまで考えて、俺は割と交流がある知り合いの多いアーカムの事を思い出した。
復興作業自体は南極決戦の前から行われていたと思ったが、今どれくらい生き残りがいるのだろう。
少し遠回りでゆっくり移動させているとはいえ、解き放った端末どもはそろそろアーカムに到着する時間だ。
実際問題、機神招喚が出来る実力を持ちながら隠れ潜む隠者系魔術師でも他所の街に居なければ、アーカムは世界で最大規模の魔術的な防衛能力を持っていると言っても過言では無い。
街の構造、結界こそ破壊されているし、覇道にも殆ど力が残されていないとはいえ、真っ当に学べる場所としては魔術の最高学府と言っていいミスカトニック大学。
しかもその中でも腕利きの集まる特殊整理室には、金神スペシャルチューンの数打も納入している。
彼等もシュリュズベリィ先生には劣るものの、攻撃的な魔術を行使する事は不可能では無い。
劒冑の力と併せて戦えば、半日程度なら端末を退けながら逃げ続ける事も出来ないでも無い、かもしれない。
そして、あの街には一足先に帰ったシスターが、メタトロンが居る。
正直な話、メタトロンの性能では複数の端末を相手にするのは難しい。
あの端末には数倍に増幅されたサンダルフォンの魔導ダイナモと魔術的倍力機構が搭載され、ベースになっているのはブラスレイター化したテッカマン。
解毒機能のお陰で改悪ペイルホースに感染する恐れこそ無いけど、まともに戦える程スペックは拮抗していない。
だが、戦闘機能を設定する際に様々な戦闘動作、行動選択パターンを作り上げる為の試行錯誤の末、端末の内の何割かはサンダルフォンの頭脳を材料に使用している。
使用した脳細胞の量や記憶の断片数から考えて、激情が溢れ出す程に人間性を発揮できる訳ではないが、シスター、あるいはメタトロンを見た瞬間、何らかの誤作動を起こす可能性は否定できない。
シスターがサンダルフォンの記憶の残骸に『どのような形で求められるか』までは正確に予測できないが、かなりの数が足止めを喰らい破壊活動を中断してしまうのは間違いない。
軍警察は……お察し下さいってやつか。
ともかく、アーカムはもう数時間は無事である可能性が高い。
滅ぼす前にお世話になった人達やそれなりに仲の良かった人達と別れの挨拶をするのも一興だろう。
端末に任せっきりってのも悪くないが、せめて知り合い程度は俺が直接挨拶に行くのがすじ公国ってものだろう。

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……………………

…………

……

かつて世界の中心とまで言われていたアーカムシティは、今や見る影もない程にその姿を崩されていた。
幾重にも聳え立っていた高層ビルは折られ砕かれ潰され、道は捲れ上がり枯れた土を剥き出しにされ、その土ですら圧縮された字祷子の不浄さに耐えきれず毒を吐きだす。
街に生きる人々は空から舞い降りた機械の天使達に殺され、その死体は異形へと姿を変え、かつての隣人たちを嬲り、かつての友人の肉を食み、かつての恋人の血を啜る。
空は金属にも似た不気味な輝きを帯びた分厚い雲に覆われ、そこから降り注ぐ光の雨を浴びた生物は残らず水晶質の金属の彫像へと姿を変え、生き残りの人間は刻一刻と数を減らしていく。
僅かに存在していた力ある者達がそれらの災害を食い止めようと奔走するも、一人としてそれを成し得る者は居らず、極々限られた範囲を守る事にのみ辛うじて成功していた。

ミスカトニック大学、時計塔付近。
ただ与えられたコマンドに従い建築物を破壊せんとする機械天使達が、街で一番の高さを誇る建築物に群がっていた。
それらの時計塔への接近を拒むように、無骨な鎧武者達が空を舞い、力を振るっている。
劒冑だ。異世界における日本──大和の六派羅幕府制式採用数打劒冑、九〇式竜騎兵。
五体の武者は、手に刀では無く思い思いの武装を持ち、数で圧倒する機械天使達を抑え込んでいた。
手に持つ武装は長銃や機関銃、機殻剣に杭打ち機などの現代兵器が殆ど。
だが、それらは通常の兵器では無い。実用段階にまで到達した魔導兵器だ。
引き金が引かれる度、敵に刃が、杭の先端が触れる度、眩い魔力光を迸らせ、主力戦車の砲撃すら通さない機械天使達の身体を貫いて行く。

「まったく、これでは切りがありませんね」

白くペイントされた九〇式が、古めかしいデザインの長銃に新たな弾薬を詰め込みながらぼやく。
ミスカトニック図書館特殊資料整理室のメンバーの一人、フランシス・モーガンだ。
迫りくる拳圧やレーザーを避けながら手に提げた試作魔導ライフルで近付いてくる機械天使の頭をまた一つ撃ち抜き、舌打ちをする。
本当に切りが無い。これがただの畜生の様な化け物であれば、モーガンもその他の資料整理室のメンバーも防衛戦などしていないだろう。
だが、この機械天使達は図書館の魔術的な守りをこじ開ける力を、魔術を極めて高度なレベルで行使する技量を備えていた。
如何に表向き存在している時計塔を壊されようと、時間と空間の異なる場所に存在する真の図書館には何の影響も無い。
だが、アーカムの空を埋め尽くすこの機械天使達は、ずれた時空に存在する図書館こそを破壊しようとしているのだ。
今、秘密図書館はその蔵書をまた別の場所に移し、中に避難民を匿っている。
時計塔に仕込まれたド・マリニーの時計による時間操作で秒刻みにずれた空間を作り出す事により、生き残り数百名が逃げ込めるスペースを作ったのだ。
たったの数百名だが、この世界の終りの様な光景を作り出した怪異から人々を守らなければならない。
モーガンはそう考え、必死で致死性の弾幕を避けながら、一匹ずつ確実に機械天使を撃ち落としていく。
後輩である兄妹の手により山のように造られていた弾薬も底を突き始めた時、機械天使達の動きに変化が起きた。

「引いて行く……?」

それまで愚直に秘密図書館目掛けて進んでいた群が、ゆっくりと後退を始めたのだ。

「やったか?」

ミスカトニック大学の敷地内から次々と消えていく機械天使達に機関銃を向けながら、ウォーラン・ライスが呟く。
その前で機殻剣を下げた劒冑が自分達の勝利を確信しガッツポーズを取っていた。
正義感と空中戦の腕を見込まれて特殊資料整理室にスカウトされた、空軍への従軍経験もある新人だ。

「はは、これだけ墜としてやれば、天使ばかりの部隊ってのも流石に──うわぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

その新人が、巨大な掌に叩き潰された。

「柿崎ぃ!」

ライスの呼びかけにも答えない。
新人を叩き落とした巨大な鋼の掌には、潰れた金属と、スパゲッティの上に掛かっていそうなミートソースがへばりついている。
即死だ。あれほどの質量に勢いよく叩きつけられたのだ、如何に劒冑の守りがあるとはいえ、ここまで原形を留めていない有様ではどうしようもない。

「あ、あれは……」

だが、手に巨大な鈍器──モーニングスターを構えた九〇式の仕手、ヘンリー・アーミティッジが驚愕したのはそこでは無い。
その巨大な掌は只の鉄の塊ではない。只の巨大ロボットではない。
情報だ。巨大で、人間の感覚では捉えきる事の出来ない、超高密度情報体。

「デウス……マキナ……」

そう、それは紛れもなく鬼械神だった。
武装もなく、翼も無く、しかし頑強な四肢を備えた人型。
この世ならざる次元から映し出された情報の影。
その鬼械神が、解けるように消滅する。
中からは、生命エネルギーを絞り尽くされた抜け殻の様な在り様の機械天使が零れ落ち、地面に落ちて砕け散る。
それを見届けた、ミスカトニック大学の敷地内から引いた──いや、ミスカトニックを包囲する機械天使の群れの一部が、一歩前に前進する。
四方八方から、三匹ずつのグループを作った機械天使達は、どれも手に二冊の本を構えている。
一冊のタイトルは『機神夢想論』、本というよりもレポート用紙の束に見える。
そして、もう一冊の装丁とタイトルを見た、その場にいる全ての人間が目を見張る。

「あ、『死霊秘法(アル・アジフ)』だと!?」

かつて陰秘学科の主席の学生が偶然に手に入れ主となったそれが、機械天使達の手の中に、福数冊存在している。
有り得ない。有り得ない筈なのに、それを見た瞬間に感じてしまった。あの全てが、真実本物の死霊秘法なのだと。
そんな特殊資料整理室の面々の驚きを他所に、機械天使達は次々とページを開き、機械的な音声で詠唱を開始する。

《永劫》
《時の歯車、裁きの刃》
《久遠の果てより来る虚無》
《永劫》
《汝より逃れ得るものはなく》
《汝が触れしものは死すらも死せん》

機械的な詠唱に応じる様に、機械天使達の持つ死霊秘法のページが宙を舞い、球天を模る様に整然と整列し、立体型魔法陣を形成する。
魔法の杖代わりとなる偃月刀は必要無い。彼等機械天使達の極僅かに残された生身の肉体。
そこに刻まれた遺伝子情報こそが、詠唱補助の術式に書き換えられている。
機械天使達は、術者であると同時に招喚補助のアーティファクトでもあるのだ。
それぞれ三冊の死霊秘法から展開したページが、ちかちかと機械的に明滅しながら魔術文字に力を流し、魔法陣内部の空間の性質を作り替え──
衝撃波。実在と非実在の揺らぎの中間に存在する巨大な影が顕現する。
確かな厚みを、質量を、存在感を伴って現れる、闇色の機神。
最強と謳われた死霊秘法本来の鬼械神『アイオーン』
死霊秘法に記された術式の中で最大最強を誇る奥義は、魂すら存在があやふやな人型の機械の塊の行使によって成立し得る、極々有り触れたプログラムへと堕されたのだ。

「う、うあ、ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

「いかん、早まるな!」

時計塔を、自分達を取り囲む巨大な質量を伴う超情報体の齎す神氣に当てられ、もう一人の新人が杭打ち機を構えて特攻を仕掛ける。
試作型魔導杭打ち機。高層ビルを一撃で粉微塵にする程の威力を持つそれを、未だ操縦者を機神の魂へと招き入れていないアイオーンが展開する防禦結界へと突き立て、躊躇うことなく引き金を引く。引き続ける。
攻撃的魔術文字の刻まれた薬莢に包まれた、イブン・カズイの粉薬を混ぜ込まれた火薬が炸裂し、結界へと貫通力を叩きつける。
だが、術者の搭乗までを保護する結界は小揺るぎもしない。

《アイオーン》

アイオーンの胸元に、光輝く魔法陣が浮かび上がり、機械天使達を取り込んでいく。
そう、取り込んでいる。術者を自らの魂に導くのでは無く、自らのパーツとして組み込む為に。
三匹の招喚者が、魔法陣に取り込まれながら融合し、人の形を失って行く。
鬼械神を制御する為だけの形態、『頭脳形態』へとその姿を変じさせている。
複雑な、限りなく四次元構造に近い三次元構造体へと変形を完了した機械天使達が、光に包まれながら、機神の魂──コックピットへと完全に組み込まれた。
操縦者を、頭脳を取り込んだアイオーンが小さく拳を突き出す。
ただそれだけの動作で、杭打ち機を持った竜騎兵は血飛沫すら残さず大気の一部に還元された。

「これは、流石にまずいかもしれませんね」

モーガンは劒冑の甲鉄の下で冷や汗を垂らす。
唯でさえ、数に押されて押し切られるのが時間の問題だったというのに、ここにきて鬼械神、しかも死霊秘法から呼び出されるアイオーンが、計四機。
守りきれる自信が無いどころの話では無い。

「だが、どうにかせねばなるまい」

しかし、この逆境にあってなお、アーミティッジは諦めない。
手に提げていたモーニングスターを構えなおす。

「当然ですな。それが、この街で怪奇事件に関わった者としての務めというものでしょう」

機関銃を構えたライスが、震える事も無く、四方を囲むアイオーンの内一機に向き直る。
具体的な方策は無い。だが、ここで諦める事は出来ない。諦める事に意味は無い。ここで諦めたら全てが終わってしまう。
モーガンはともすれば全速力で逃げだしそうになる程の恐怖を押さえつけ、ライフルの残弾を確認する。
……やはり絶望的だ。鬼械神どころか、鬼械神の後ろに控える機械天使の包囲すら破れそうにない。
しかし、逃げるという選択肢は残されていないのだ。いや、逃げる先すらこの地球に残っているか怪しい。
死にに行く訳では無い。生きる為に、立ち向かわなければならない。

「では、行きましょう!」

アーミティッジ、モーガン、ライスの動きに合わせる様に、漆黒の鬼械神が空手の様な構えを取る。
取り囲む数千の機械天使達が、その多彩な武装を展開する。
人類と蹂躙者達の、威力と威力がぶつかり合い────現実に即した、極々有り触れた結末が訪れた。
それは戦い敗れた戦士達だけに限った話では無い。
時計塔に匿われていた民間人は引きずり出され、一人一人、様々な手法によって、その命の輝きを吹き消された。
今、この地球上で、人の命と祈り程軽いモノは存在しない。
あらゆる痕跡を巨神と天使に踏み荒らされ、遂にミスカトニックは完全に陥落した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「あちゃ、一足遅かったか」

額にぺし、と掌を当て、俺は瓦礫の山と化したミスカトニック大学を見下ろしていた。
機械天使から受信していたログで資料整理室の彼等がどんな決意をし、どんな最後を迎えたかまでしっかりと確認したが、できる事ならもう少し手間を掛けてあげたかった。
匿われていた民間人も一人残らず死んでいるし、もうここでやれる事は無いな。
ボウライダー頭を軽く蹴り、もう一つの心当たりへと向かわせる。
ゆったりと滑空している様な速度で空を旋回すると、空から地上を蹂躙していた端末が道を空ける。
いや、道を開けさせなければ通れない。目的地に向かうにつれて、空を覆う端末の密度が上がっているのだ。
密度が濃くなっている辺りに向かって移動すればいい話と思われるかもしれないが、こうも密集していてはどこが濃いも薄いも無い。
ここ二年で幾度となく通っていなければ道に迷っていた所だ。

「ふむ」

一分もかからずに目的地に到着し、俺はボウライダーを着陸させ、肩から飛び降りた。
邪魔な端末に少し脇に退くように思考を飛ばし、周囲を観察する。
そこは、元は教会だったのだろうか、殆ど枠だけになっている窓には色の着いたガラス片が僅かにはめ込まれ、一番高いところには十字架であったと思しき物体が掲げられている。
だが、それだけだ。ここがどこであるか、どの様な用途を持った建築物であったかを示すものはそれだけしか残されていない。
座標データとの一致が無ければ、ここが元はシスター──ライカ・クルセイドの孤児院兼教会であったなどとは信じられないだろう。
敷地内には無数の端末が犇めき合い、与えられた命令をこなすでもなく、何か、白い何かに向かって、我先にと群がっている。
何処となく、学生時代に学校の帰りに見た、ハトの死体を啄ばむカラスの群れを思い起こさせる光景だ。
白い何かに近付くに従って、俺の『其処を除け』というコマンドは利きが鈍くなってきている。
お情けで脳髄を少しだけパーツとして組み込んだのだが、思ったよりも人格の欠片が残っていたのだろう。
客観的に見て、素晴らしい姉弟愛だと思う。尊敬に値する。
そう考えれば、この元教会の中に溢れる濃厚過ぎる栗の花の匂いもさして気にならない。

「りゅ、が、ごめ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、りゅうが、りゅうがあぁ……」

うわ言の様に弟の名と謝罪の言葉を吐き出し続ける銀髪のシスター、ライカ・クルセイド。
メタトロンとしての装甲は半ば以上砕け、手足も所々曲がってはいけない方向に折れ曲がっている。
彼女の弟だったモノの残骸達が腰を打ちつける度、がくがくと身体を人形のように揺らして、弟だったモノ達が白濁を吐き出す度に、身体をびくびくと痙攣させる。
謝罪を繰り返す口に捻じ込まれた。頬の肉越しに、舌がうねっているのが分かる。少しして、ごくりごくりと喉を鳴らす音が聞こえた。
どういった経緯か、彼女には抵抗する気概は芥子粒程も残されていないらしい。
彼女に群がる端末達は、その顔面を覆う装甲を部分的に除装し、素体を構成する人間の一人、リューガ・クルセイドの顔で、朗らかに笑っている。
狂気に浸された笑顔ではない、どこまで純真で、無垢で、とても死んでいるなどとは思えない笑顔だ。
そんな顔のまま、何を言うでもなく、シスターの身体を貪っている。
別段おかしな事では無い。完全機械化されたサンダルフォンの身体であるならばともかく、テッカマンもブラスレイターも金神の子供も、すべからく性欲を持ち合わせている。
その欲に、リューガの欠片に含まれていた『自分の知らない姉が怖い』という部分が重なり合い、知らない部分を無くそうとしているに過ぎない。
今でこそこの様な形でその思いが発現しているが、この教会に群がっている端末(リューガの部分を多く残された個体達だ)がこれと同じ事を終えたなら、次に来るのは食欲当たりだろう。
変則的な形ではあるが、これも一種の求め愛。やや姉側が受動的過ぎるきらいもあるが、そこは弟を刺殺して逃げ出した分の清算とでも考えれば何も問題は無い。

「残り少ない時間だけど、お幸せに」

ここがこうなっているのは大方予測済みだからいいとして、ここにはもう三人程居てくれていると思うのだが。
運悪く難民キャンプの方に出てたなら即死だろうが、その可能性は探してから考えよう。
シスターに夢中で破壊活動を行っていないせいか、いかにも人が隠れられそうな場所が幾つも残っている。
恐らく殺されてはいない筈だし、殺されているのであればレーダーには引っ掛からない。
レーダーは使わずに居住区を一部屋一部屋探して回る。
居ない。クローゼットの中、ベッドの下、大時計の中、風呂桶の中……。
一通り室内を探し終え、外に回る。順番待ちの端末の列を押しのけ、井戸の近くの地面の土を引っぺがす。
見つけた、地下室だ。ここは物置代わりに使っていたが、子供が三人隠れるには十分なスペースが確保されていた記憶がある。
端末どもを地下室内から見えない位置まで下がらせ、扉を開く。

「おっと」

扉を開いた瞬間、顔目掛けて尖った木の棒が付き出された。
折れて物置に仕舞われていたスコップの柄だろうそれを手に襲いかかって来たのは、金髪に褐色の肌の活発そうな少年、ジョージだった。
スローどころか止まって見える凶器の一撃を掴み取り、後ろ手に地下室への扉を閉めながら侵入する。

「落ち着けジョージ、俺だ」

言い聞かせるも、数秒返事が無い。
いや、返事が出来ないのだろう。外の端末が出す足音に紛れて、しかしガチガチと歯を打ち鳴らす音がしっかりと俺の耳には聞こえている。

「よし、よし、よく頑張った」

十秒、二十秒と掛けて背を撫でて落ち付かせてやると、ジョージが涙を目に浮かべながらも歯を打ち鳴らすのを止め、袖で涙を拭い出した。

「たっ、タクヤ? 助けに来てくれたの!?」

奥からアリスンを背に庇いながら近づいてきたコリンが、恐怖に青ざめた顔に、僅かに希望の色を表した。
恐らく、空が端末に覆われた時点でシスターに地下室に隠れている様に言われたのだろう。
ここは造りこそ頑丈だが、防音ではない。街の破壊される音、逃げ惑う人達の悲鳴、果てはシスターの上げたであろう嬌声まで聞こえてきた筈。
そんな絶望的な状況の中で地下室にどれだけ閉じこもっていたのか。そこに助けが来たのであれば、どれだけ安堵するか、想像に難くない。

「いや、積み木を崩しに来た」

「え? びゃっ」

撫でていたジョージの背から、死なないまでも筋肉と神経を焼かれて身体が動かせ無くなる程度の電流を流し、瞼を開いたままで固定し、そっと、アリスンとコリンの姿が見える位置に横たえる。

「な、何してるんだよ、卓也、ジョージに何を……」

喜色に染まりかけていたコリンの顔から一瞬で血の気が引き、蒼白になった。
アリスンは……なるほど、ナノポが良く効いているらしい。何が起こったか理解しながら、それ自体にはあまり反応していないようだ。
ぽう、っと蕩けた表情でこちらの事を見つめている。白目を剥いて倒れているジョージの姿は認識していないかのようなリアクション。
感情制御用ナノマシンの過剰投与患者の末期症状だ。
何をされても好感に、強烈な快感へと変換され、終いには対象者へのまともなコミュニケーションすら不可能な状態に陥る。
常日頃からぼうっとしているアリスンだからこそ不審に思われなかったのだろうが、そうでなければまともに生活する事すら危うい状態だ。

「おいで、アリスン」

「ひゃい……」

ろれつが回っていない。熱に浮かされたように焦点の合っていない瞳は、端から涙を零れさせながらも此方に釘付けだ。
ふらふらと覚束ない足取りで近付いてくるアリスン。
歩く度、太ももを伝い流れてきた透明な液体が、ぱたぱたと足元に垂れていく。

「まって、いかないで、行っちゃだめだ、アリスン!」

コリンは必死でアリスンを呼びとめるが、その声がコリンのものだと認識出来ているかは怪しいものだ。
呼び声に振り返る事も無く歩き続け、遂に俺の元に辿り着くアリスン。
倒れこむように抱きついてきたアリスンの僅かに着崩れた服の上から、無遠慮に身体を弄る。
弄りながら、コリンとジョージがどうするかを見定める。

「あぅ、ぅぅぅ、ふ、ぐぅぅぅぁぁ♪」

獣の唸り声の様な声を上げながら、身体を二度、三度と痙攣させるアリスン。
そんなアリスンを見ても、身体の自由を奪われていない筈のコリンは何もしない。
アリスンを奪い返すでも無く、返せと叫ぶでも無く、唯アリスンの猥らな姿から目を逸らさない。
ジョージは、動けない筈の身体をずりずりと蠢かせ、それだけで人一人くらいならば殺せそうな殺意を込めた視線を向けている。
うん、これだ、この視線が心地いい。何もできずにただ本能に流される情欲の視線と、裏切り者を見る視線。
純真無垢なこの子供たちにこの視線をさせる為だけに、この二年間こいつらと遊んでいたんだ。
ずっと続くものと思っていた友人と少しだけ親しい女の子との生活。それを壊された時の少年たちの心の歪曲!
いや、これだけでも二年間非生産的な行いを続けてきた甲斐があった。
これ以外の、特殊資料整理室とかシスターとかもいろいろと積み上げてきたけど無駄になってしまったし、一つだけでも回収できてよかった。
二年間の活動が完全に水の泡になったら悲しいものな。

「さて、せっかく二年もかけてアリスンを意識するように思考誘導してやったんだし、じっくり見学するように」

アリスンの身体に身体に触手を這わせる。
服の上から身体を緩く締め付け、身体のラインを強調させ、服の中に入れた触手で見えないからこそ感じるエロスを再現。
少し立ち方を調節して、ジョージからもコリンからもアリスンの晴れ姿が見える位置に移動する。
思えば触手で姉さんと美鳥以外の人間にエロい事をするのは火星の難民の女の子以来か。
とはいえ、あくまでもこれは前菜、メインディッシュまでの時間潰しでしか無い。
適当なところで切り上げて、先生の出迎えの準備をしなければ。
俺は先生をどのような形で出迎えるかという事と、このデモンべイン世界では、原作に登場するキャラは全て十八歳以上であるという事実を頭にしっかりと思い浮かべながら、アリスンの下半身を包む薄布の中に触手を滑り込ませた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

白銀の雲に覆われた空を、全長五十メートルはあろうかという巨大な機械の鳥が、大気を引き裂きながら飛翔する。
音よりも早く、現行のあらゆる航空機に勝る速度で駆ける機械の鳥、いや、魔導書『セラエノ断章』によって呼び出される鬼械神、アンブロシウス。
アンブロシウスはその身をエーテルの波に乗せ、現世の物理法則を振り切り、しかしその速度を上げる事が出来ていない。
それはこの白銀の雲、土妖の気を帯びた金属粒子を含む霧を防ぐ事に注力せざるを得ないからだ。
この白銀の霧に触れた生物はたちどころに有機的属性を奪われ、水晶質の金属で身体を構成された新生物へとその身を作り変えられてしまう。
そして、この霧は恐るべきことに金属質と融合し、内部に浸透する。
その為、アンブロシウスの操者である老魔術師、ラバン・シュリュズベリィもまた、自らの身を守る為に、アンブロシウスを結界で包み込んだままでいなければならない。
そうでもしなければ、地球上の空を覆い尽くしているこの銀色の雲は忽ちの内にシュリュズベリィの身体を侵し、人間という規格から逸脱させてしまうからだ。

『ダディ、まだ来るよ』

セラエノ断章の精霊、ハヅキが平坦な口調で追跡者の存在をシュリュズベリィに知らせる。

「やれやれ、街中の国道でもあるまいに、速度制限などするからこうなる」

アンブロシウスのコックピットの中でシュリュズベリィは肩を竦めながら、アンブロシウスと同調した視覚を用いて背後に迫る追手の姿を確認する。
迫るのはその身を黒金に覆った鬼械神、いや、果たしてそれを鬼械神と断言していいものだろうか。
剥き出しのフレームに、最低限の格闘戦を想定しているであろう最低限度の外装と、継ぎ接ぎだらけの飛行ユニット。
気配から察するに、恐らくはネクロノミコンの系譜から召喚される鬼械神なのだろう。
鬼械神を招喚できる程に正確な記述の魔導書が、彼の教え子たる大十字の持つオリジナルと、ミスカトニックの図書館に収蔵されているラテン語版以外に存在している事は確かに驚きだ。
だが、呼び出され使役されている鬼械神の状態から予測できる術者の技量は恐ろしく低い。
魔術師としての位階は小達人に一歩も二歩も及ばないだろう。
だが、未熟者が招喚したにしては、余りにも現界時間が長すぎる。
余りにもアンバランスな鬼械神。しかし、シュリュズベリィはそのカラクリを少なからず理解していた。
突如として世界中に現れた、アーカムのメタトロンとサンダルフォンにも似た機械天使の群れ。
滞在先で相対したそれらが十数体集まり結合し、機神招喚の術式を発動したのを、シュリュズベリィはその光を写さない目でしかと確認していたのだ。
複数のAI、もしくは、機械天使の『材料』とされた人間の脳を繋げて処理能力を高め、複数の魂を燃料電池代わりにする事により、むりやり継戦時間を延長しているのだろうと、シュリュズベリィは推理していた。

「学ぶ意欲の無い生徒への講義は気が進まないが、やむを得ないな」

飛行形体(エーテルライダー)から人型に変形し、両手に握った大鎌を横薙ぎに振るい、風の神性であるハスターの魔力を帯びたカマイタチを放つ。
空を断つ魔刃、それを不完全な形のアイオーンは身を傾け逸らし、両腕に籠手の様に施された装甲で防ぐ。
オリハルコン製の装甲が、刃筋を立てられずに打ち込まれたカマイタチによって僅かながら削られたが、それでもなお機械天使達の駆るアイオーンは怯まずアンブロシウスに追いすがる様に加速を続ける。
決死の特攻にしか見えないそれを、シュリュズベリィの駆るアンブロシウスは冷徹に迎撃する。
時折飛行形体に変形し距離を取り、迫るアイオーンへとカマイタチを、気象攻撃を重ね、着実にダメージを与えていく。
数度の迎撃の末、アイオーンは呆気なくその身を崩壊させ、しかし、間を置かず新たなアイオーンが現れ、シュリュズベリィを追いたてる。

『ダディ、こいつらおかしい。ぜんぜん攻撃してこない』

アンブロシウスを追いたてるアイオーンには、遠距離用の武装は搭載されていない。
しかしある程度の距離まで接近されると肉弾戦に持ち込まれる為に迎撃していたのだが、余りにも呆気なさすぎるのである。
銀色の雲に対して障壁を張り続けている為に速度を落とさざるを得ないアンブロシウス相手であれば、少し無理をすれば懐に潜り込めないでも無い。
が、今まで墜とされたアイオーンは全て只管に追いかけてくるだけで、積極的に懐に潜り込もうとしてこないのだ。

「……どうやら誘い込まれていたらしい。くるぞ、レディ」

追いかけて来ていたアイオーンはいつの間にか消え失せ、機械天使の追撃も無い。
霧はいつの間にか晴れ渡り、空の雲は一部分だけぽっかりと口を開けて、場違いなまでに明るい真昼の太陽の姿を垣間見せている。
眼下には機械天使に破壊されるまでも無く、以前より既に焦土と化していた土地、『十三番閉鎖区画』。多くの人々の間では『焼野』という名が広がっている重度魔力汚染地帯。
その空と大地の間に、ポツンと一つの人影が佇んでいる。
アンブロシウスに比べれば小さな、しかし人間と比べれば巨大な人影。
どこかアンブロシウスにも似た、人間には似つかず、しかし歪ながら人間を模したと思しき黒い人型。

『アレが黒幕?』

「少なくとも、事態の何割かはあれが原因だろう。見たまえ、土妖の気に満ちている」

一見して殆ど魔術を使用していない機械人形のように見えるが、その両腕の砲には鬼械神にも通じる魔術理論が見て取れ、その身の端々からは下級の邪神を凌ぐほどの土妖の気、いや、土の神氣が溢れ出している。
純粋物質によって構成されているそれの全身に神経の様に神氣の通り道が張り巡らされており、しかし機械的な雰囲気を持つ霊質により黒い人型は限りなく鬼械神に近い位置へと到達している。
そして、その黒い人型の放つ土の神氣は白銀の霧が持つ土妖の気と同質の気配を有している。
少なくとも、白銀の霧とこの人型の間には何らかの因果関係があると見て間違いないだろうとシュリュズベリィは予測していた。
そして、機械天使達はその白銀の霧の中を侵される事も無く自由に飛び交う事が出来ている。
人型とこの二つとの関係性を否定する事は難しいだろう。

『来るよ!』

黒い人型が生き物の様な滑らかさを持って動き出す。
その手に提げた二門の砲に魔力光が宿り、しかしその砲口から吹き消されたかのように消え、次の瞬間にはアンブロシウスが衝撃に揺らぐ。

「ぐっ……!」

魔術構造内部の仮想コックピットの中で、シュリュズベリィが呻く。
感染魔術的連携状態にあるシュリュズベリィは、後頭部に頭蓋を割りかねない強い衝撃を感じていた。
幻痛である為に一瞬目がくらむ程度で済んだが、この場で生まれる一瞬の隙は大きい。
眼前に迫ったアンブロシウスの半分にも満たないサイズの黒い人型が、その身を前転させる様に廻しアンブロシウスの頭部、バイアクヘーへと踵を振り下ろす。
だが、それを大人しく食らうアンブロシウスではない。迫る踵を後ろに向かって全速力で離脱する事で回避し体勢を立て直す。

『ちょっと狭いね』

黒い人型を中心に旋回しながらぼやくハヅキ。
おびき出されたフィールドは白銀の雲も機械天使も無く整えられてはいる物の、アンブロシウスの本来の戦法である一撃離脱を行うには少しばかり範囲が限られ過ぎている。
空に上るのも手の内だが、それは余りにもあからさまな誘いだ。

「そう言うなレディ、ぼやいた処でどうなるものでも──」

シュリュズベリィが全ての言葉を吐き出し切るよりも早く、戦場を囲っていた白銀の霧が一斉に晴れた。
まるでハヅキのぼやきを聴き、アンブロシウスを戦い易くする為とでも言う様なタイミングだ。

『もしかして、舐められてる?』

ハヅキの疑問に答える様に、黒い人型が動く。
霧が晴れた事により広がったフィールドの中心で、黒い人型は砲と一体化した腕を組み、手首だけを曲げ、アンブロシウスに対して手招き。

「『かかって来い』か。これはまたあからさまな挑発だな」

だが、迂闊に手を出せる相手ではない。
先ほどの一撃、恐らくは超次元的に空間と空間を連結させ、砲口から放たれる筈の攻撃を直接着弾地点へと転送したのだろう。
それはつまり、発射から着弾までのタイムラグをほぼゼロにできるという事。こちらは常に動き回り狙いを定めさせてはいけないという条件が追加されている事になる。
更に言えば、周囲の白銀の霧もあの人影が操っている以上、この広いフィールドも常に広さを保たれているとは考えられない。
迂闊にフィールドの広さを利用した体当たりを使用するのも命取りである。

『でも、ダディは行くんでしょ?』

「そうだレディ、ここで行かねば進めない」

完全な高機動形態ではいざという時の対処が不可能である為、アンブロシウスは人型を保ち、手の大鎌を握り直す。
多発型飛翔魔術機関群にシュリュズベリィの魔力が流れ込み、その出力を倍増させ、環状の雲を噴き散らしながら人型に接近。

「吹け、ヒアデスの風!」

すれ違いながら、大鎌より魔風の刃が放たれる。
人型はそれを防御結界と腕でガードしようとし、結界ごと腕を叩き切られた。

『ダディ、こいつ凄く脆い』

「鬼械神にダメージを与えられるだけで破格なのだ、防御にまで手が回られてはかなわんよ」

人型の分かり易い欠点に、ハヅキとシュリュズベリィは軽口を言い合う。
結界越しでもこれほどに容易くダメージを入れる事が出来るのであれば、遣る事は簡単だ。
只管攻撃を回避しながら、只管攻撃を当てていくだけでいい。
人型は切断された腕を掲げ、困ったように、あるいは困惑した様に首を傾げている。
余りにも簡単に防御を抜かれたせいで戸惑っているのだろうか。だが、それはシュリュズベリィにからしてみれば致命的な隙になる。

「さぁ、講義の時間だ」

今までの木偶とは違い、この人型からは確かな意思を感じ取る事が出来る。早く片付けて搭乗者を引きずり出し、この事態を収拾させなければならない。
シュリュズベリィは、現状もっとも早く目の前の人型を倒し得る攻撃法を考え、それを実行する。

『いつでも行けるよ、ダディ!』

「御淑やかに頼むぞ、レディ」

アンブロシウスの霊燃機関にありったけのスペースミードが注がれ、多発型飛翔魔術機関群の出力が臨界を超える。
大鎌は霊質に覆われあらゆるものを切り裂く魔刃と化し、凶殺の魔爪に囚われた眼前の敵は只細切れにされるしかない。

「戯曲『黄衣の王』!」

シュリュズベリィの雄々しい宣言と共に、アンブロシウスが突撃を開始し──
その動きが、ほんの一瞬だけ完全に停止する。
アンブロシウスだけではない。周囲の大気も、汚染された大地も、汚染された土地に適応した元小動物である醜悪なミュータントも、フィールドの中に居る何もかもが、まるで時間を止められたかのようにその場で動きを止めた。
多発型飛翔魔術機関群から吹き出る字祷子も、噴出された瞬間のまま、字祷子の一粒に至るまで、完全にその場で動きを止めている。
例外はただ一つ、滑る様にアンブロシウスの突進する軌道から外れた黒い人型ただ一機。
半秒にも満たない停止を終え、止められた時が動き出し、あらゆるものの動きが再開される。
目標を見失ったアンブロシウスの初撃は空しく空を切り、フィールドの端まで突進し、ようやくその身を反転させ人型を視界に入れ直した。

『ダディ、今のって『ド・マリニーの時計』?』

ハヅキは以前シュリュズベリィの教え子である鳴無美鳥が発動していた魔術の事を思い出し、先の不可思議な停止現象の原因に当たりを付けた。
源書であるアル・アジフを除けば極々一部のネクロノミコンにしか正確な記述が存在して無いと言われている希少な魔術だが、あの人型が機械天使達の大ボスだとすればおかしな話では無い。
だが、シュリュズベリィは自らの魔導書の推理に首を横に振った。

「いや、それなら私達が止められた時点で、『止められた』と自覚する事は難しい筈だ」

正確に言えば、今の時間停止にしてもシュリュズベリィとハヅキは正確に知覚出来た訳では無い。
魔術とは異なる何らかの技法を持って行われたその疑似時間停止とでもいうべき状態で止めきれなかった霊子の揺らぎを、黄金の蜂蜜酒で拡大された知覚能力がかすかに感じ取っていたのだ。
更に言えば、アンブロシウスの本体はこの次元では無く、ここよりも十数は上の次元に存在している。
その為、アンブロシウスを構成する物質の内、外界に干渉する為に三次元まで落とされた部位は動きを止めても、外からも中からも知覚できず、なおかつシュリュズベリィの意思が届かない人間で言う不随意筋に当たる内部機関の幾つかがその状態を記憶していた。
原因不明の、しかし対抗するのは難しくない術理に思考を巡らせる間もなく、黒い人型が反撃を開始し、攻撃の後の隙を見せたアンブロシウスは回避の体勢に入る。

《流石はシュリュズベリィ先生、何の対策も無しにラースエイレムを一瞬でレジストするなんて流石です!》

白銀で囲まれたフィールドに、機械的に増幅された声が響く。驚きに、更にその喜びを上回る歓喜に震える声、叫び。
シュリュズベリィの声でもハヅキの声でも無い。
その声はアンブロシウスと相対する黒い人型の動きと連動している。
何ら攻撃的意図を垣間見る事すら出来ない動き。
最早焼野全体を覆い尽くしている広大なフィールドを縦横無尽に飛び回りながら、驚きに仰け反り、喜びに両手を広げ天を仰ぐ黒い人型。
だが、それらの動きに合わせて絶え間なく破壊力が行使され続けている。
炎弾が氷線が消滅波が断続的にアンブロシウス目掛け、未来位置目掛け、駄目押しの様に狙いを定めず吐き出され続け、アンブロシウスはそれを避け続ける。
微かな光を放つ糸がアンブロシウスの行く手を阻み、靄の様な糸の塊が追いかけ、それらの全てをシュリュズベリィのアンブロシウスは大鎌を風を雷を爆弾を駆使し打ち払う。

「これは……!」

シュリュズベリィは驚愕する。
黒い人型の圧倒的な攻撃密度に、ではない。
この程度の攻撃であれば、並みの鬼械神であれば如何様にも捌く事が出来るので驚愕には値しない。
アンブロシウスが、黒い人型の攻撃の隙間に生まれた僅かな活路に向け稲妻を放つ。
途端、何も存在していなかった筈の空間が燃え盛った。
更に、あらぬ方向からその炎が燃える隙間に禍々しい光が照射された。
不可視の糸が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、攻めの間隙を縫い接近しようとする敵を捕え、致命の一撃を意識の向いていない方向からの一撃で仕留める。
これまでの動くアンブロシウスを追う攻撃ではなく、アンブロシウスを誘導し固定してからの攻撃。
先ほどの術と、この戦法。シュリュズベリィの疑惑は膨れ上がる。

「まさか、君か、君なのか!」

『ダディ?』

眼を持たず、しかし霊視においては魔導書の精霊に勝り、長年の経験により人並み外れた観察力、洞察力を備えたシュリュズベリィだからこそ気が付く事ができた。
それが、自らの良く知る人物が『学術調査の折に多用していた』戦法だという事を。

《そうです、そうですよ! 俺です、俺なんですよ先生!》

アンブロシウスから距離を取り只管に動き回り飛び道具を乱射するだけだった黒い人型が、突如としてその動きを変える。
両腕の方からの次元連結攻撃すら止め、何の小細工も無しに、アンブロシウスの懐目掛けて弾丸の如く飛び込んでくる。
その速度はアンブロシウスからすれば余りにも緩慢だ。
だというのに、シュリュズベリィはそれを避ける事すらせず、正面から迎え撃つ。

《貴方を恩師と仰ぐ者です。貴方の薫陶を受けた者です。紛れもない、貴方に憧れる教え子の一人!》

アンブロシウスが大鎌で何かを受け止める。
それは、黒い人型の手から手品のように現れた一刀、東洋の刀にも似たシルエットを併せ持つ、アレンジの施されたバルザイの偃月刀。
その全長は二十メートル強、それはアンブロシウスの半分も無い黒い人型が持つには余りにも長大。
そして、アンブロシウスと打ち合うには、黒い人型は余りにも非力だ。

「君の言っていた悪事とはこれか、この有様か!」

二十メートル弱と五十メートル弱の巨人による、大鎌と大太刀の鍔迫り合いは決して拮抗しえない。
アンブロシウスの大鎌に押され、黒い人型は後ろに押し込まれる形になり、偃月刀の刃には大鎌の刃が減り込み、両断せんと更に押し付けられる。
鬼械神の、いや、魔術師の攻防において押し合いの状態での拮抗はありえない。
両手が武器で塞がれても魔術が使えなくなる訳では無いからだ。
アンブロシウスも気象魔術による攻撃を続けてはいるが、黒い人型も負けじと天候を操作し妨害する。
だが、これも拮抗しえない。黒い人型の天候制御はアンブロシウスの気象魔術を僅かに減衰させるのが限界。
黒い人型の装甲が削られ、フレームが、内燃機関が、コックピットの中、パイロットの姿が剥き出しにされる。

「この有様! この有様というのは──」

黒い人型が偃月刀を放棄し、全身を引き裂かれているとは思えない軽やかな動きで後退する。
同時、フィールドの外の光景を遮っていた白銀の霧が晴れ渡り、空と焼野だけではない、アーカムシティ全体の光景をシュリュズベリィの眼前に叩きつける。
いや、それはかつてアーカムシティがあった光景と言うのがより正しい表現か。
機械天使に、鋼を纏った動く死体に、鉄の大巨人に、鬼械神に喰らい尽くされ、蹂躙され尽した荒野が広がっている。
覇道財閥の屋敷も、時計塔も、駅も、大学も、ビルも民家も店も人も木々も生き物も無機物も何もかも奪われ果てたかつての世界の中心の成れの果て。
その光景を背に、切り刻まれなお動き続ける黒い人型のコックピットの中、

「こぉんな、有り様の事ですか?」

鳴無卓也は、歯を剥き出しに、さも愉快そうに笑っていた。

―――――――――――――――――――

アンブロシウス・エーテルライダー形態の突撃を受け、鳴無卓也の乗る黒い人型、ボウライダーが木の葉のように宙を舞う。
いや、エーテルライダー自体の突撃は辛うじて回避に成功している。
卓也の身体に組み込まれた異世界のルール、精神コマンドの恩恵によるものだ。
アンブロシウスの攻撃が何処に来るか、どう身を動かせば避ける事が可能かを『ひらめき』続け、しかしダメージを完全に無くす事に失敗し続けている。
物理法則を超え光の速度に近づいたエーテルライダーの撒き散らす高密度の魔力を伴った衝撃波が、空間毎ボウライダーを砕かんとしているからだ。

「アーカムを破壊したのは君か」

《その通り》

エーテルライダーの仮想コックピットでシュリュズベリィが叫び、剥き出しのコックピットで卓也が答える。
エーテルライダーの先端、嘴ならぬ剣の鋭さを備える鋭角が、再生中のボウライダーの片腕を両断。
ボウライダーは腕を引き裂かれた衝撃で更に明後日の方向に吹き飛ばされる。

「世界中に銀の霧を散布したのも君か、機械の兵隊を操っているのも君なのか!」

《それも私だ。そう、紛れもなく、この俺の仕業ですとも!》

だが、次の瞬間にはボウライダーの腕は再生を始めている。
鬼械神に搭載されたメリクリウスシステム(自己修復機能)ではない、純科学の結晶であるナノマシンによる再生能力。
再生した腕には、赤と銀の混ざったようなカラーリングの長大な砲身が備えられていた。撃発。龍の雄叫びの様な音と共に、砲口から太陽の如き輝きが無数に吐き出され、様々な軌道を描きながらアンブロシウスへと迫る。

「何故この様な真似をする。何が君をそこまで駆り立てる。世界を滅ぼす程の思いとは何だ。君の願いは何だ! 私に見抜けなかった君の欲望は!」

叫び、アンブロシウスが天に大鎌を掲げる。
それにより生み出された高密度の魔力の竜巻が追尾炎弾を尽く巻き込み、爆発させた。
爆発の衝撃により、ボウライダーとアンブロシウスの間の距離が更に開く。
アンブロシウスと対峙するボウライダーは、既にその全身の修復を終えている。
だが、アンブロシウスは追撃を行わない。
向かい合った状態からの打合いであれば、機動力に劣る小兵のボウライダーといえどもアンブロシウスの攻撃に容易く対処でき、逆にボウライダーの攻撃もアンブロシウスに通用しない。
睨み合い。しかし、そこには問いを放つ者と答えを返さんとする者が居る。
これは問答だ。この世界、この時代、この惑星で最後に残った一組の教師と教え子の、世界最後の個人面談。
ボウライダーのコックピットの中、卓也は静かに答える。

《ロマン、ですね》

ざぁ、と、風が荒地と化したアーカムの土を巻き上げる。
砂に巻かれ、その輪郭を暈したボウライダーは、砲の無い片手を軽く曲げる。

《気に入らない相手を打ん殴り、いい女(姉さん)を独り占めして、でかいマシンをかっ飛ばす》

ボウライダーは拳を握り、天に掲げる。

《男のロマンとは、すなわち環境破壊! ……という事らしいんです。姉さんから聞いた話なんですけどね》

掲げた拳がへろへろと力を失い、両腕を広げて肩を竦める。
卓也のその言葉を聞き、アンブロシウスの中でシュリュズベリィは怒りに身を震わせる。
アンブロシウスの手がシュリュズベリィの感情に合わせて力強く大鎌の柄を握り締める。

「其れだけの為に、たったそれだけの為に、ここまでの惨事を引き起こしたのか!」

《正直、俺もこれは流石に暴論だと思いますよ。でも──》

肩の高さまで掲げられていた両手を握り、拳を作るボウライダー。
拳が完全に形作られると同時、カチン、とスイッチを入れる様な音が連続して鳴り響き、眼下のアーカムシティ跡地が綺麗に整地された。
いや、荒れ果てていた表面が、人間の形作った文明の痕が一瞬で削り取られ、この世界から消滅したのだ。

《窮極の漢の夢(ロマン)、独力での惑星破壊には、正直な話、興味が尽きません》

ボウライダーを中心に、文明の跡が、大地が、地球がその身を削られて質量を失って行く。
空間が歪む。ボウライダーの周囲に、ブラックホールにも似た重力の渦が幾つも現れては消えていく。
その異常事態にアンブロシウスが魔刃を、魔風を、魔雷をボウライダーに向けて放っても、ボウライダーに届く前に超重力の坩堝に巻き込まれ押しつぶされ消えていく。
いや、その防護も完全では無い。幾つかの出力の高い魔術は疑似ブラックホールに巻き込まれるよりも早くボウライダーに到達し、その身を削り始めている。
手足を、胴を削られながら、それと拮抗する速度で再生するボウライダーの中で、卓也は憧憬と僅かな嫉妬の入り混じった視線をアンブロシウスに向けていた。

《……やはり貴方は凄い。いや、この世界の魔術師なら誰しもがここまで上り詰める可能性を秘めているという事でしょうか》

ボウライダーを中心に、巨大な、アンブロシウスにも匹敵する巨大な影が映し出される。
その輪郭は、アンブロシウスよりもボウライダーよりも、より完全な人型に近い姿をしている。

《この力を使うのは何時になるか、こんな偽物ではない、本当の神の力を振るえるように成るのは何時になるか、そんな事をずっと考えていました》

だが完全な人型ではない。
城壁の様な、いや、馬上槍の様な鋭角が両足と両腕に突き出している。
頭部には鶏冠の様な突起と、風に靡く鬣の様な細いビームの束。

《でも、未完の紛い物でも、この力があって良かったと、今はそう思えます》

白い城塞の様なその姿がボウライダーを取り込むように、上書きする様に現世に顕現する。
空間を破裂させながら実体化を完了した、50メートル程の巨人。
その装甲が、上書きされたボウライダーに浸食されたかの如く、白濁の如き灰色を経て、光沢の無い黒色に染め上げられる。
黒い巨人の背に、鱗を噛みあわせた様な質感の、棘の様に鋭角な翼が広がる。
ぎちぎち、ぎちぎちと音を立て、巨人の身体が、デモンベインの複製が変形を繰り返し、その在り方を捻じ曲げる。

《これが、今の俺の全力全開。さぁ先生、これがこの地球最後の決戦です》

超重力の渦が蒸発し、変形を完了したデモンベインの姿を現す。
それは人類の白亜の守護神で無く、最も新しい神でも無い。
禍々しい瘴気の色に染め上げられた、人の世に終りを告げる悪魔そのもの。

《────いい戦いにしましょう》

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

更地と化したアーカムの上空で、先生の大鎌と俺の偃月刀が轟音を立てて激突する。
がちがちと音を立てて大鎌と偃月刀が拮抗する。拮抗している。
当然の事だ。何しろ先ほどとは前提条件が違う。先ほどの打ち合いは、文字通り子供と大人の喧嘩の様なものだった。
外見のサイズが倍以上違い、その存在密度は五つ六つ程桁が違っていたのだ。
魔術の最大の奥義と言っても過言では無い機神招喚によって呼び出された鬼械神たる先生のアンブロシウスと、これまでの世界で手に入れてきた技術を全てとこの世界で蓄えた魔導兵装と魔術の知識を注ぎ込んだ『だけ』のボウライダーでは、比べる事すらおこがましい。
アンブロシウスを最新の戦車や戦闘機だとすれば、俺はカツ専用オマルに乗って銀玉鉄砲の代わりに密造トカレフを構えている様なものだった。
だが今は違う。曲がりなりにも、人造の紛い物とはいえ鬼械神に乗っているお陰か、それとも内燃機関として組み込まれている獅子の心臓のお陰か、先の打合いでは数合持たずに叩き切られそうになった偃月刀もちゃんと凶器としての役割を果たしている。
昂揚感がある、様な気もするが、少しばかり複雑だ。

「今回の先生には言っていませんでしたね」

《何の事だ!?》

偃月刀を握る手に更に力を込めさせ大鎌を弾き飛ばす。
格闘戦が出来ないでは無いが、アンブロシウスの本領では無いのだろう、デモンベインをベースに改造して鬼械神もどき──ペイルライダーを構成する機械部分が強化されているせいもあるが、力比べでは勝っているらしい。

「俺ね、こういう鬼械神『もどき』を作れる程度の技術は持っているし、鬼械神サイズの魔導兵装を無手で錬金する事も出来るんです。こんな風に、ね!」

ペイルライダーの偃月刀を構えていない手に白銀の魔銃を錬金し、更に俺の周りに十数丁同じ魔銃を錬金、手の中でトリガーを、周囲の魔銃は遠隔で引き金を引き、込められた魔弾を一斉に解き放つ。
自動追尾の魔術の込められた魔弾は、直線的に曲線的に正面から視界の隅から死角から、弾速を調整し時間差も付けてありとあらゆる角度からアンブロシウスを貫かんと疾走する。

《なるほど、整理室の武装を作るだけの事はあるという訳か。だが!》

アンブロシウスは魔弾の尽くを大鎌で魔術の構成毎切り落とし、結界で威力の減衰した弾丸はハスターの風で吹き散らし無力化する。

《どうやら君は、『鬼械神同士の戦い』には慣れていないらしい》

「ええ、『鬼械神との戦い』は、正真正銘経験がありません。何しろ──」

切り落とされた魔弾の材質を変換させ、瞬時に小型のテッカマンへと変じさせる。
子供程の大きさのテッカマンはアンブロシウスの周囲へと浮かび上がり、互いにボルテッカを打ち合い対消滅を起こす。
強烈な衝撃波がアンブロシウスを襲うも、その飛行速度を落とすどころか体勢を崩す事すら叶わない。
だが目くらましにはなった。俺はシャンタクと両足の断鎖術式を起動させ、アンブロシウスに追いすがる。

《なるほど、君は鬼械神を招喚する事が出来ないのか》

背を向け距離を取りながら、アンブロシウスは突進するこちらを迎撃しようと気象魔術を放ってくる。
俺はそれを防御魔術を張り、更にペイルライダーを分身させ、防御魔術を張らせた上で盾にして前進を続ける。
数百の距離を縮めるまでに分身の九割が微塵に砕かれ、更にその分身の欠片から分身を作り出し盾にして残りの数百を削り、偃月刀、偃月刀がギリギリで届かない距離にまで到達。

「その通り、俺は魂さえ削れば機神招喚が出来る理論まで打ちたて立証し──しかし、どうしても機神招喚を成功させる事が出来ずにいるのです」

未完成のデモンベインに、魔銃を解析してでっち上げた魔術的回路を増設し、魔術の要素が不必要な部分は徹底的に機械化した。
だが、それでもこれは鬼械神足り得ない。鬼械神に似せた、魔術理論を搭載したロボットに過ぎないのだ。
鬼械神がレプリカで、デモンベインがガラクタであるなら、俺のペイルライダーは魂の宿らない木偶にしかなれない。

「十年、十年の時を掛けて魔術の腕を磨きました。短いと思われるかもしれませんが、俺の持つアドバンテージを考えればこの半分の時間で機神招喚に辿り着けなければおかしいのです。分かりますか?」

偃月刀に『伸長』の魔術を施し、残りの距離を無理矢理に詰めアンブロシウスに切りかかる。
振り下ろした刃に、アンブロシウスの多発型飛翔魔術機関群にめり込んだと思った瞬間、アンブロシウスの姿が霞の様に掻き消えた。
デコイ? 今までの学術調査でも見た事の無い機能だ。

《それは自惚れではないのか? 魔術の深淵とは十年やそこらで覗き切る事の出来る底の浅いものではない。特に、君のように安易に邪神に尻を振る負け犬には!》

「あぐぅっ!」

コックピットが揺れ、半ば融合同化しているペイルライダーから危険信号を苦痛という形で受信。
背後のシャンタクが片方切り落とされ、背骨に当たるフレームを切り裂かれた。
切り裂かれた翼と背のダメージの入り方から、あらゆるセンサーの反応を元に未来位置を予測し、原子消滅エネルギー波を、疑似マイクロブラックホールを目暗撃ち。
だが、そのどれもが一撃足りともアンブロシウスを捉えきる事が出来ない。
特殊なステルスでも、レーダーが撹乱されている訳でも無い。
純粋に、アンブロシウスの速度に俺が追いつけていないのだ。
既にアンブロシウスが目の前に現れた時点で俺はクロックアップをしているというのに、それでもアンブロシウスは、シュリュズベリィ先生はただただ『速い』。
魔術師にとって物理法則、ユークリッド幾何学、既存のあらゆる法則は破る為に存在しているというが、何の説明も無くあっさりと光の速度を超えられるのは恐ろしい物がある。
断鎖術式で複雑に空中を跳ねまわりながらシャンタクの再構成をしていると、何時の間にか偃月刀を握っていた腕が切り落とされていた。

《それが、それが君がこの世を滅ぼそうとする、本当の理由か?》

もはや残像を追う事すら出来ない超光速にまで加速したシュリュズベリィ先生のアンブロシウスが、沈み始めた太陽を背に、大鎌を俺とペイルライダーに向けている。
目の前で止まっている筈なのに、必中を掛けても当てられる気がしない。
静止状態でありながら、あのアンブロシウスは超光速を維持している。
魔術機関内部に流れる字祷子が、常に超光速で循環する事により、トップギアを保ったまま外見上は静止していられるのだ。
此方の必殺の攻撃は、科学、魔術に限らず、全て無効化されてしまう。
膂力にのみ勝るが、大胆でありながらも慎重な先生はもう正面からの接近戦を仕掛けてきたりはしない。
此方から仕掛けるなんてもっての他。先ず、正面に速度を落としたアンブロシウスを入れることすら出来ない。

「…………八つ当たり、いや、気晴らしのつもりだったんですけどね。どうせ滅びる運命にある訳だし、一度や二度なら俺が滅ぼしても構わないだろう、と」

大導師に当たらなければ、ナイアルラトホテップに玩具にされなければ。
そんな甘い考えで動いて、暴れまわって、こんな場所で、先生に討たれそうになっている。

《そんな理由で、人が滅ぼされていい訳が無い。鳴無君、君が奪っていい命は、この世界には一つとてありはしなかった》

「だけど、何もかも奪ってやりました。人類も滅んでいますよ。俺が保証します」

少なくとも目の前には人類の男と魔導書の精霊が居るか。
だが仮に繁殖が成功しても半人半書が溢れ返る世界には成り得ないだろう。
俺が滅ぼしたのは目につく場所だけ。海底や地底には手を出していない以上、新たな人類が生まれるよりも早く、他の支配種族が現れる公算の方が高い。

《……かもしれん。だが、だからこそ、これだけは、教師としての務めは果たそう》

先生の静かな宣言と共に、アンブロシウスが大鎌を、死鎌(デスサイズ)を振りかぶる。
最初の様子見を兼ねた『遅い』突進ではない。

《──風は虚ろな空を行く!》

正真正銘、最速の一撃が、俺の命を刈り取らんと振るわれる。
ペイルライダーの半身が切り刻まれた。

《声は絶えよ、歌は消えよ!》

目にも止まらぬ、ではない。目にも映らない一撃。いや、一撃であったかすら分からない。
回避行動が間に合わない。防御が間に合わない。再生が間に合わない。
ペイルライダーはその身を余さず字祷子に還元され、残るはコックピットと融合した俺だけ。
どうする、ボソンジャンプ? 転位? 発動が間に合わない、あの一撃を堪え切れる自信が無い、次の瞬間、俺という存在は光を超えた速度という究極の一端にある暴力により消滅する。

《涙は──》

消える? つまり、俺はこの場で死ぬという事か。
なんで? 悪事を働いて、その裁きを受けるからだ。
どうなる? 鳴無卓也は二度と現れない。
姉さんは? たぶん、悲しむ。

(ちがう……)

姉さんとの約束を違えてはいけない。
【鳴無卓也は、どの様な事があっても、鳴無句刻と共に生きなければならない】
どんな悪事を働いたとしても、姉さんを泣かせる事だけはしてはいけない。
【物語を食い潰す事をしても、物語に食い潰されてはならない】
悪事の報いは、ルールよりも弱い者こそが受ける。
故に、
【あらゆる因果を蹂躙し】

《流れぬまま涸れ果てよ!》

鳴無卓也は継続する。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

アンブロシウスの大鎌が、鬼械神もどきのコックピットごと、鳴無卓也を切り刻み、塵すら残さずにこの世から消滅する。
一度の交差の度に繰り出される大鎌の斬撃回数は13桁にも及び、一度触れたモノはその原型どころか、存在したという事実すらこの世に残す事は出来ない。

「カルコサの夢を抱いて眠れ……」

仮想コックピットの中で、シュリュズベリィは眼球の無い虚ろな眼を瞼で覆い隠す。
終った。教え子の期待通りに、魔道により成された悪事の報いは、その師が刈り取り収める事に成功した。
鳴無卓也の悩みは、浅はかなものであった。シュリュズベリィはそう考える。
なまじ優秀であるが故に自らを特別な存在と思いこみ、小さな躓きに心を乱し、時にこの様な凶行に走らせる。
その果てには、常に何も残らない。今回は極めつけだ。
何しろ本人だけでなく、人類の文明そのものが消えかけている。

『ダディ……、これからどうしようか』

ハヅキが静かに、僅かに気落ちしている様な、迷いを帯びた声でシュリュズベリィに語りかける。
そう、これからどうするべきか。
白銀の霧も、機械天使も、まるで全て幻であったかのように姿を消してしまった。
だが、卓也の言葉が真実であったとするならばそれもまるで救いにならない。
殺される対象である人類や、破壊すべき対象である文明が既に存在しないのであれば、それらを害するモノが居ても居なくても変わりは無いからだ。

「まだだ。まだ、生き残りが何処かに居るかもしれない」

だが、ほんの僅かな可能性であっても無視する事はできない。
人類が滅んだというのは卓也の勘違いであり、どこかにまだ生き残りの人間が居るかもしれない。
もし居るのであれば、これからは協力して生きていくべきだろう。
いや、生き残りが居ると仮定していなければ、シュリュズベリィの心が耐えられないのかもしれない。
如何に優れた邪神狩人だとしても、地球上に生き残った人類が自分ただ一人という事実は膝を折らせるには十分な重みとなる。

「行くぞ、レディ。先ずは北半球から当たってみよう」

『オッケー、ダディ。どこまででも付いて行くよ!』

ハヅキが出来得る限りの明るい声で応え、シュリュズベリィが僅かにその顔に力を取り戻し、無理矢理に不敵な笑みを浮かべる。
日の沈む地平線目掛け飛び立とうとアンブロシウスがその身をひるがえし──
突如、世界が鳴動する。
大地が、ではなく、空間が、世界そのものが唸りを、悲鳴を上げる。
茜色に染め上げられていたアンブロシウスが、暗い影に覆われる。

『ダディ!』

「こ、これは……!」

アンブロシウスの眼前に、機械が寄り集まって造られた巨大な壁が聳え立っていた。
いや、壁に見えたそれは、大地に拳を突き立てた巨大な腕。
拳だけでアンブロシウスを上回る、天を衝く巨大な機械人形。
いや、機械人形ではない。
その巨人は、あらゆる機械を統べる王。
あらゆる機械に崇められる、レプリカでは無い真の神。
正真正銘の『機械神』が、あらゆる命の静止した地球に轟臨したのだ──

―――――――――――――――――――

地球の空を、大地を覆い尽くす機械巨神の姿を遥か彼方の次元より見つめる者達が居る。

「あれが、お兄さんの鬼械神……」

その一人の名は鳴無美鳥。
異世界よりやってきた三人の小旅行者(トリッパー)の内の一人であり、鳴無卓也の身体のサポートAIである。
本来、主である卓也と同質の能力を持っている筈の彼女は、彼女の主が呼び出した存在を目の当たりにして、得体の知れない感情に言葉を失っている。
その感情の名は畏怖と言い、自らの死すら恐れない彼女が本来必要としないもの。
だが今、彼女は無性にあの機械巨神に対して跪き頭を垂れたい衝動に駆られていた。
そんな彼女に見向きもせず、機械巨神に柔らかな笑みを向ける一人の女性が居る。

「ようやく、ようやく一皮剥けたわね、卓也ちゃん」

機械巨神に対し、生まれたばかりの赤子を祝福する母親の如く、慈愛に満ち溢れた笑みを浮かべる女性の名は鳴無句刻。
鳴無卓也の身体を改造した張本人であり、三人がトリップする主原因でもある彼女は、自らの弟がついに一つの段階を踏み越えた事に、無上の喜びを感じていた。
──鳴無句刻は、鳴無卓也が機神招喚を成功させられない理由を理解していた。
卓也の編み出した理論は、確かにこの世界の魔術理論からして抜けの無い完璧なものであった。
自らの位置する次元より高位の次元にアクセスし、鬼械神の元となる超存在の影を映し出す最大呪法。
それは確かに本来機神招喚を発動すらさせられない未熟な魔術師に機神招喚を扱わせる事が可能だった。
だが、それはあくまでもこの世界の魔術師、あるいはこの世界の住人と同列の存在から見た場合の完璧なのだ。
鬼械神は、人間の存在する次元よりも高位の次元に存在する神の影を映し出す魔術。
だがトリッパーの本来存在する次元は、物語の設定上の上位次元よりも遥か上に存在している。
当たり前の話だ。物語の上で如何に全知全能であったとしても、物語の外、現実に存在するどのようなものにも干渉する事はできない。
トリッパーの上位次元に、神は存在し得ないのだ。
もしもトリッパーが、物語上の上位次元にアクセスしようと思ったなら、必要なのは上を見上げる事では無く──

「その世界のあらゆるものを、『自分より下にあって当然』と思える、相手を見下す認識こそが、トリッパーの力の基礎」

死の間際に置かれ、因果応報、倫理などのあらゆるものを捨て置き、踏みにじってでも生き延びたいというその感情。
相手を同列に認識し踏みにじり、その上で自分たちこそが上だと決めつけ相手を貶め確信し踏み抜く心こそが、機神招喚を成功させる鍵だったのだ。
これは人に教えられるだけでは身に付かない。自らが実感し、心の奥底から求めなければ手に入れる事の出来ない境地。

「こうなれば、結果はもう決まったようなものね」

句刻は、アンブロシウスに覆いかぶさる様に掌を向ける機械巨神に、卓也が降ろした『あらゆる鬼械神の本体』に熱いまなざしを向ける。
我が弟ながら、そんな俺設定ロボットを呼び出すなんて、成長が楽しみで仕方が無い。
句刻はそんな事を考えながら、膝をがくがくと震わせている美鳥の膝の裏に、軽く膝蹴りを放った。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

今まで感じた事の無い様な、比喩を抜きにそう信じられる全能感に酔いしれながら、俺は初めて招喚した鬼械神の手を動かす。
目の前には掌に収まる程のサイズの機械の小鳥、シュリュズベリィ先生の駆るアンブロシウスが、呆然と中に浮かんでいる。
ああ、そうだ。
今、俺がこうして機神招喚に成功したのは、何もかもこの人のお陰なのだ。
基礎しか知らなかった魔術、その知識を深めてくれたのはこの人だ。
まともに使えるようになった魔術、その実戦での研鑽の場を与えてくれたのはこの人だ。
悩んでいるとき、真摯に相談に乗ってくれたのはこの人だ。
打ちたてた機神召喚の理論をしっかりと理解した上で、禁書指定する程に評価してくれたのもこの人だ。

「ああ、先生、シュリュズベリィ先生。俺は貴方に何とお礼を言えばいいのか」

そして、鬼械神を呼び出す為のきっかけをくれたのも、間違いなくこの人なのだ。
手を動かし、距離を取ろうとするアンブロシウスを捕まえる。
速度は先程の全速のまま。しかしこの鬼械神と重なった俺には、アンブロシウスのこれからとる動きが手に取る様にわかり、その速度も緩慢にすら見える。
いや、それだけじゃない。
シュリュズベリィ先生の操縦で距離を取ろうとしたアンブロシウスが、操者の意思に反して鬼械神(おれ)の掌に近寄ってきているのだ。
面白い。この身体になってから制御するまで動物からは尽く逃げられていたのに、この機械の鳥は面白い程に鬼械神(おれ)に懐いている。
アンブロシウスを潰さないように慎重に握りしめながら、俺は声に出さずにアンブロシウスに礼を言う。
ありがとう、アンブロシウス。
これで、ゆっくりと先生にお礼を言う事が出来るよ。

「先生、貴方のお陰なんです。こうして、初めて機神招喚の真実に辿りつけたのは、貴方が居なければ成しえなかった事なんです」

昂る感情に、力を抑えきれない。
アンブロシウスを握る手に力が籠り、小さな機械の小鳥が金属の擦れる様な悲鳴を上げる。
アンブロシウス越しに、コックピットの中の先生の姿が垣間見えた。
その顔は驚愕の色に染め上げられている。

《君はまさか、いや、お前は──!》

どうして驚いておられるのです、先生。
俺の顔(ひたい)に、なにか面白いものでも付いているのですか?
残念ですけど、彼女は今回は性別不明の獣ですよ。

「ありがとう、我が恩師! ありがとう、ありがとう、ありがとう!!」

掌の中で、アンブロシウスがその身を細分化させ、俺の操る鬼械神(おれ)へと身を捧げる様に同化していく。
アンブロシウスに組み込まれていたハヅキちゃんが悲鳴をあげている。
アンブロシウスに閉じ込められたシュリュズベリィ先生が絶叫している。
やがてその二つの声は小さくなり、俺の身体に綺麗に組み込まれた。
これからあの二人は文字通り、永遠に俺の中で生き続けるのだ。

「──さて」

感慨に耽る暇は無い。
あと半刻もしない内に、俺と、どこかで見守っている姉さんと美鳥は次のループに入らなければならない。
その前に、宣言通りにこの星を蹴り砕いてしまう事にしよう。
俺は鬼械神を空に飛ばしながら、次のループから何をしようかと頭を巡らせ始めた。






ミスカトニック大学編、終わり。
自由探索編へと続く
―――――――――――――――――――

このありがとうを、貴方に届けたい。
そんな主人公の恩師への感謝の念が溢れ出して破裂した第四十四話をお届けしました。

ネタは少ないはシリアス続きだわで片っ苦しい回に思われるかもしれませんが、自分は書いてて凄い楽しかったです。
もうそれだけで大分満足。
そして主人公のマイ鬼械神ちゃん、ハッピバースデイッ!!とか手作りメカケーキ持って社長風に言ってみたりなんだり。
もう欲望だだもれですからね、社長ともQBとも仲良くなれる主人公が理想です。
なんかもう書いてて訳分からんな感じですが、いつかまどか世界に行ってQBとコンビを組ませて魔法少女を量産したくなる位大好きですよQB。
これ以上書くと本気で訳が分からないよ(笑)とかいわれそうなので、無理矢理何時もの流れに戻そうと思います。

すごく久しぶりに感じる、イカ自問自答コーナー。
Q,鬼械神が招喚できなかった理由って?
A,つまり本編の姉の説明を参照の事。トリッパーが作品世界のキャラを同列に見る必要はなく、シャーレの中の微生物を見るかの如き精神が寛容なのだそうです。ブーイングが歓声の代わりですよ。
Q, 第四十二話「研究と停滞」でシュリュズベリィ先生の言っていた違和感、結局何の説明も無くね?
A,まず一つ目は、無意識に上位次元を見下し気味に書かれていたという事と、呼び出す対象がアイオーンでもアンブロシウスでもなく『鬼械神そのもの』だったという二つの点が違和感。
機械系との相性の良さが『鬼械神』という概念を直接招喚するという考えに至ってしまったとかそんなん。
全ての鬼械神が一つの原型からとか云々は完全に独自設定だから間違っても信じない様にすべし。
Q,アリスンが!貴重なアリスンが!
A,作者の中では常に触手が大ブーム。後寝盗りとか少し静かなブーム。

そんなこんなで、デモンべイン編第一章『大学生鳴無卓也の学習』はここまで。
上のタイトル今即興で考えたんで、別に次の章の名前とかも決まっておりません。
少しおまけ的な蟲師っぽい日本編とか、しれっと再びミスカトニックに潜り込んで学生やってにやにやするシーンとか挟んだら新章開始します。

ではでは今回もここまでです。
誤字脱字の指摘、分かり難い文章の改善案、設定の矛盾、一行の文字数などのアドバイス全般、そして、短くても長くても一言でもいいので作品を読んでみての感想など、心よりお待ちしております。





アンケです。よかったらお答えください。
今後の話の順番に影響が出るかもしれません。

Q,ロリとギャランドゥ、どっちが好き?
△やっぱ俺、ロリコンだったみたいでさ。 あいつの綺麗な体知っちまったら、中学生以上なんか薄汚くて抱く気にもなれねぇんだよ、ババァ!!
▲お早う、お兄ちゃん。

なお、アンケ結果は展開の順番に影響を及ぼすかもしれませんが、書ける方から先に書いて行くので必ずしも反映はされませんのでご了承ください。




[14434] 第四十五話「続くループと増える回数」
Name: ここち◆92520f4f ID:190f86b3
Date: 2012/12/08 21:26
とある大都会の、とある大学、その中にある、一般の学生には解放されていない、とある図書館での一コマ。

「ふぅ……」

半分眠っているのではないかと思えるほど瞼を落とし、うっすらと開いた瞳で手元の本に視線を落とす青年。
平時であれば余りにも鋭い、いや、余りにもガラの悪い鋭さを持った、見る者に悪印象を与えるその目は閉じられる寸前の如く細められ、まるで老衰で安らかに死ぬ寸前の猫か、満腹の余り眠る寸前の犬の様な印象を与えている。
そんな彼を、訝しげに見つめる紳士然とした老人が一人。
彼の名はヘンリー・アーミティッジ。このとある大都会、アーカムシティのとある大学──ミスカトニック大学の、陰秘学科の学生の内でも一部の者しか入る事を許可されない秘密図書館の主だ。
ミスカトニック秘密図書館には世界中から様々な魔導書、アーティファクトなどの魔術的危険物が集められており、危険物の管理、及び、危険物の収集や管理が行える人材を育てるのが、アーカムシティに居を構えるミスカトニック大学の陰秘学科の役割の一つである。
彼の視線の先に居る青年は、その陰秘学科に一年前に推薦で入学した学生である。
青年の名を、鳴無卓也という。
陰秘学科の中では入学前から温めていたと思われる科学と魔導の融合技術を駆使し、各講座の講師からの覚えもいい。
だが、本来ならば二年に上がったばかりの彼がこの秘密図書館への入室を許可されるのは異例の事だ。
彼の一つ上の学年にもやはり一年で秘密図書館での魔導書閲覧許可を貰った学生も居るには居る。
だが、アーミティッジの目の前の彼はその一つ上の学生とは違い、飛び抜けて優秀という訳でも無い。
それでも一般の学生より実力は確かにあるのだが、それでも一年そこらで秘密図書館に入れる程に飛び抜けている訳では無い。
彼が秘密図書館に入室出来た理由、それは彼が今視線を落としている一冊の本が原因となっている。
『機神夢想論』
魔術における一つの極みとも言える超高難易度魔術に、機神招喚という物が存在する。
高位次元に存在する機械の神の影を現実に映し出し思うがままに使役するという、神降ろしに分類される魔術の中では最高峰に分類されると言っても過言では無い魔術。
『機神夢想論』は、魔術の世界に入門したばかりの碌に技術の無い者でも機神招喚を扱う事が出来る様になるという、破格の魔導書なのだ。
足りない技術を補う為のアーティファクトの作成方法から、機神招喚を行う上で最適な身体、魂への成長方法などが載せられている。
勿論、如何に補助アーティファクトを作れてもそれは未熟な魔術師でも作れる簡易な物でしか無く、当然、術者の技術不足分は『一度の招喚で確実に致死レベルまで魂が摩耗する』という代償によって補われる。
だが、本来機神招喚とは魔術の才に優れた者が幾年もの修行を重ねた上で初めて至れる境地なのだ。
通常であれば如何に才に優れようとも、機神招喚の記述が存在する魔導書を持っているだけの魔術の初心者が機神招喚を行える訳が無い。
だが、この魔導書は、その道理を覆してしまう。
たった一つの命を燃料として差し出す。たったそれだけの代償で最高位の魔術を成功させてしまえるのだ。
これが万が一邪悪な魔術結社──たとえばブラックロッジ──に渡ったとするならば、町中でブラックロッジの手下による、命を顧みない『鬼械神テロ』とでも言うべき事態が多発する可能性は十分にある。
鳴無卓也は、そんな危険物を二年に上がる直前の講義で、『妹と共に一年で研究したテーマを纏めたレポート』として、担当の教師に提出したのだ。
勿論、レポートは即座に禁書指定を受け、危険な魔導書として秘密図書館に移送、即刻その他の危険な魔導書と共に封印される事となった。
封印とは言っても魔導書自体には力は殆ど存在しないため、秘密図書館の中でもやや浅い所に収蔵されているそれを、陰秘学科の一部講師を除き、閲覧を許可されている唯一の学生。
それが、『機神夢想論』を執筆した学生、鳴無卓也とその妹、鳴無美鳥。
一年の時点で魔導書を執筆できるだけの知識量を持った彼等が、また唐突に危険な魔導書を書き始め無い様に、再教育を施すべきだとして秘密図書館に居る間はアーミティッジが面倒をみる事になったのだ。
……その他にも、優秀な魔術師の孵化寸前の卵である彼等を逃がさない為、ミスカトニックの蔵書の量を見せて大学に括りつけておきたい、という部分もあるらしいが、問題はそこでは無い。

「鳴無美鳥君、君の兄はどうしてこう、あそこまで無気力で居られるのかね?」

司書の座る受付から少し離れ、鳴無卓也の座る席からも少し離れた所で、クッキーを摘まみながら大学ノートにひたすら何かを書き連ねている少女──鳴無美鳥に向かい、アーミティッジは声を潜めて話しかけた。
美鳥はちらりと視線を逸らし、また溜息を吐きながら魔導書のページを捲る兄に視線を送りながら、クッキーを食べる手を止め、顎に手を当てて答えた。

「あたし達の故郷に、賢者モードって言葉があるんだけど、ジジイは聞いた事あるか?」

「……いや、初耳だな」

そもそも、英語と日本語が混じり合った言葉を一つの単語として扱う日本語は少なからず魔術的だ、などと思いはするが、それだけだ。
アーミティッジも多国語に精通し、日本語も不自由しない程度には理解しているので日本語の意味を翻訳して考えてみたが、言葉通りの意味しか浮かばない。
そんなアーミティッジに対し、美鳥はくるくると手に持ったペンの先を教鞭の様にくるくると廻しながら答えた。

「人間、年単位で時間とか労力やらを掛けた仕事とか、そういう大きな事を終えた後って、今まで力を注いできた対象が無くなって、それまでがつがつしてたのが変に悟りきった様になる事があるじゃん。お兄さんはそれだね。時々思い出したようにあんな感じになるんよ」

「なるほど」

アーミティッジは美鳥の答えに得心した様に頷いた。
年単位で時間を掛けた仕事、というよりも、年単位で研究をつづけた物の集大成を完成させてしまったからこそ、指導の必要が欠片も見受けられない程に落ち付いてしまっているのだろう。
冷静になって考えてみれば、あれだけの理論を一年やそこらで打ち立てる事は不可能。
入学前から研究を重ね、ミスカトニックに入ってからの研究でそれを完成させたと考えるのが自然だ。
恐らく、鳴無兄妹もまさか入学一年目で長年の研究を纏める事になるとは思いもしなかったのだろう。
四年かけて纏めるつもりだった理論を一年で纏めてしまったため、意欲を向ける先が無くなり、あの無気力状態に陥ってしまった。
大学側の想定していた『再教育』は、ああいった危険な理論をそこら辺の講義のレポートとしてぽんぽん出さないように、変に野心を持たない様に、という方向性だった。
だが、これでは逆にあの無気力状態から復帰させる事こそが第一の様な気さえしてくる。

「彼にやる気を出させるには、どうするべきだろうか」

「んー……ま、お兄さんもそんな長々と引っ張る性格じゃないし、次に力を注ぐテーマなり目標なりを見つけるのを気長に待てばいいと思うよ。学校以外じゃまともに動いてるしね」

そう気楽に言い放ち、また美鳥はノートにペンを走らせ始める。
ノートに描かれているのは、日本に存在する城の絵と設計図。
どうやら、卓也程では無いにしても、美鳥も現時点で魔術に対する興味が薄れているらしい。
アーミティッジはこの二人の学生の扱いを考え、こっそりと溜息を吐いた。

―――――――――――――――――――

○月○日(世はなべて事も無し)

『俺の大気圏外からの前回り踵落としにより、人類が根絶やしになった地球は、比喩表現ではない文字通りの意味で粉々になった』
『俺の鬼械神は送還した上で、人間サイズの戦闘形体に戻った上での事だ』
『もちろん、それ以前の段階で多少熔断して切れ目を入れてしまっていたし、質量も少なからず減っていたが、それでも単独での惑星破壊に成功した、というのは間違いでは無い』
『念願の機神招喚にも成功し、単独での惑星破壊も成し遂げ、かなり上機嫌だった事を覚えている』
『俺は、人々が逃げ惑う様を覚えているし、燃え尽きた人類文明の跡を、抵抗者達の必死の反撃を、俺に裏切られた先生の叫びを、俺に取り込まれる寸前の先生の驚愕を覚えている』
『大気圏外から見た、あらゆる生き物の命が途絶えた地球の姿も、身体が光を超える感覚も、脚先に触れた地球が砕ける感触も、地球のあった宙域覆った多量の塵の見苦しさも、間違いなく記憶している』
『だが、それらの事実を証明する物は、この世界には存在しない』
『姉さんも俺の行いを見ていたし、美鳥だって姉さんの隣で見物していた。俺自身、映像データに起こせと言われればフルハイビジョンで千ミリ秒も掛けずに用意できる』
『しかし、今現在確かに地球は健在だし、人類は今も地球のあちこちで減ったり増えたりを繰り返しつつも、滅亡なんてしていない』
『赤子と旦那を見捨てて逃げた女も、見捨てられて殺されて化け物に成ってしまった男と赤子も、喧嘩したり仲直りしたり破局したりしつつも生き続けている』
『死に際にあこがれの戦車に希望を見出した少年だって、今は何の変哲も無い学生生活や奉公人生活を送っているだろう』
『端末どもに引きちぎられ砕かれ焼かれたあらゆるものが、今はそんな事実は存在していない物として平和に暮らしている』
『シスターライカは、今も教会で孤児たちの面倒を見ながら、明るい表情の下で度々鬱々しているだろう』
『三人の孤児は前回ほどでは無いにしても仲好くに孤児院で生活している筈だ。NTRも触手も未経験の綺麗な心と身体で』
『特殊資料整理室の面々は遠めに見かけた位だが、裸白衣もインディーも館長も元気にしている』
『この間は、この六周目で初めてシュリュズベリィ先生と出会った』
『学術調査や何やらでそれなりに親交を深めた時の親しげな視線でも無く、裏切り者の敵対者としての厳しい視線でも無い』
『入学一年目にして危険な魔導書を執筆した学生を見極めようとしている、探る様な、しかし好奇心や期待の多く含まれた視線』
『あの地球が燃え尽きた日、互いを喰らい合う為の熾烈なやり取りなど無かったかのような、極々有り触れた感情』
『今の俺は、スペック的にはシュリュズベリィ先生の一割増程効率よく、一割増の威力で、一割だけ早く魔術を行使できる』
『シュリュズベリィ先生の持っている知識は残らず記憶しているし、セラエノ断章の複製も可能』
『そして、鬼械神を、俺だけの、俺が機神招喚を行使して初めて招喚できる鬼械神を所有している』
『これだけが、あの終末の光景を引き起こしたという、確かな証拠だ』
『得た物は大きい。俺がトリッパー達の機神招喚の真実に辿りつけたのも、ああいった行動を起こしたからこそだと確信している』
『爽快感はあった。はっきり言って罪悪感はかなり薄い。今さら悔い改めた訳でも無い』
『元の世界では間違っても出来ない行為だし、普段は何より先に能力の向上のみを求めている以上、あそこまで単純に破壊力だけを行使する機会もそうそう無いので、いい経験にはなった』
『だが、なんなんだろう。今のこの慌ただしくも平穏な何時も通りの世界は、俺の行為が、全て夢幻だったとでも言いたげに流れていく』
『変質した大十字九郎によって作られる、無限の平行世界とでも言うべき異なる結末』
『確かに、俺はその中の一つの未来を完膚なきまでに破壊した。続く筈だった人類の未来を消滅させた』
『無かった事になった訳では無い。だが、俺は二度とあの滅びた地球に辿り着く事は無い』
『似せた結末を用意する事は簡単だが、あの世界を垣間見る事は不可能』
『それがどうしたと言われればそれまでなのだが、俺の頭からは一年の時が流れてもこの考えが離れてくれない』
『いや、これは考えなのだろうか。あそこまでやっておいて、というか、あそこまでやったからこそ、俺の中にはもやもやとした何かが蟠っている』
『つまるところ、ループするというのはこういう事なのだろう』

―――――――――――――――――――

大学の講義を終え、俺は美鳥と別行動を取っていた。
何の事は無いただの気まぐれ、少しばかり街を見て回って、何か面白そうなものがあったら姉さんや美鳥へのお土産にする。
今がループ初期であるという証なのか、実はこのアーカムシティは一周毎に極々僅かながら以前よりも成長を続けている。
これは何もおかしな事では無い。何しろ、今はまだ無限螺旋が始まってから一千周もしていない。
最初の大十字が金の鉱脈と、僅かながらの近代史の記憶を頼りに世界に誇る覇道財閥を築きあげ、更にその有名な覇道財閥の偉業を記憶した大十字が過去に遡り、記憶していた覇道の功績に沿って世界を成長させていき、カンニングでできた余裕で新たな事業を起こす。
覇道財閥が有名に、強大になればなるほど次の大十字の中の覇道財閥の知識は多くなり、覇道鋼造になった時にカンニングできる量が増え、生まれた余裕で前の周よりも更に覇道財閥は成長する。
そういった面で見れば、この世界、特にこのアーカムシティは、引き継ぎ無しでプレイヤーのリアルプレイングスキルだけが上がり続けるシムシティの様なもの。
そうして、この極僅ずつの成長こそが、アーカムシティの結界の綻びや淀みの整理に繋がり、街の成長から見てとれる前の周との分かり易い相違だ。
……などと偉そうに考えてみるが、俺自身このからくりに気が付けたのはここ一年でじっくり街を見て回る様になってからの事だったりする。
それもこれも、この世界にトリップしてからずっと追い求めてきた機神招喚を完成させられたからこそだろう。
現時点での努力目標が無いので、それ以外のどうでもいい部分に意識が向いて、見落としていた様々な物を見つける事が出来るようになっているのだと思う。

「平和だなぁ……」

いや、間違いなく世界は今も現在進行形で邪悪に狙われているのだけど、少なくとも俺の周りは平和だ。
基本的に下手に治安の悪い区域に出向かなければブラックロッジに関わる様な出来事には巻き込まれないし、表通りで発生するブラックロッジ絡みのイベントはビジュアルからなにからド派手な巨大戦ばかりなので、回避が容易い。
というより、破壊ロボ出現からメタトロン出現、破壊ロボ撃破までの流れが迅速過ぎて、余程の下手を打たなければ巻き込まれる事が無いのだ。
アル・アジフが現れるまではまだまだ掛かるし、大十字九郎との合流前であればさらにブラックロッジの表立った活動は少ない。

「この平和、前はちょっとヤンチャしちゃったけど、割かし大切だったんだな」

前の周は最初から、二年もかけて壊す為に大切に日々を過ごしたけど、そのまま平穏に暮らしていくというのも悪くない生活なのかもしれない。
まぁあれはあれで面白かったが、ループ後の虚無感が何とも言えな過ぎて頻繁にやろうとは思えない。
でも地球割りは爽快だったし、気が向いたらまたやろう。人類を滅ぼすという工程を抜けば一瞬で終わるし。
他の空いている惑星とかでもいいかな。火星は基本的に無人の筈だし丁度いい。
無人、だよな? 月みたいに変に高度な文明持った連中とか居ないよな?
まぁともかく、今はこの本気で何もする事の無い平穏こそを満喫しようと思っている。
今のこの平穏を侵すものがあれば、気まぐれに戦ってみてもいいくらいだ。

「俺、この平和を守ってみせるよ。だから…………早く乱れろよ、平和」

「──────」

人の多い市場を眺めながらそんな事を呟いていたら、突っ込みの言葉と共に後頭部を細長い棒状の何かでスコンと叩かれた。
叩かれた後頭部を擦りながら振り向くと、今回の周では一度も行っていない、大衆食堂『ニグラス亭』の店主であるシュブさんが、買い物袋とフランスパンを持って呆れた表情で立っていた。
現在の時刻、ニグラス亭は準備中の筈だけど、あと数時間もしない内に安くて美味くて量の多い夕飯を求めた労働者が大挙して押し寄せると思うのだが、一体こんな場所で何をしているのだろうか。

「──? ──────、────?」

「え? ええ、講義が終わったので、珍品か美味しいおやつでも無いかと探していたんです」

「────」

「ですね。新原さんの屋台、終わっちゃいましたから」

元新原さんの現QBさんは、今はドーナツとは全く関係無い営業マンになっている。
なんでも、今は怪しげな石だか種だか卵だかを黒く染めて、それを魔法少女という名の改造人間に回収させる事業に取り組んでいるとかいないとか。
魔法少女になる素質を秘めた女の子の願いを叶える代わりに、魂を物質化させて肉体面での強化を図るとか云々。
今は才能溢れる少女に契約を結ばせる為に西へ東へ奔走しているとかいないとか。
本当に、黒の王と白の王はどうしたんだと問い質したい。
まぁ、ドーナツ屋やっているよりは余程それらしい仕事なんじゃないだろうか。
そんな事を考えていると、シュブさんが手に提げていた買い物袋を押し付ける様に手渡してきた。

「────、──」

「はぁ、荷物持ちをしろとは、また唐突ですね」

一度シュブさんも交えてキャンプ、というか、バーベキューをした事はあるが、そこまで親しい中でも無かった筈だ。
それを言い出したら、召喚失敗でお風呂シュブさんとかスヤスヤシュブさんとかシュブさんの思ったより毛深くないシュブさん(比喩表現)とか、親しくないのに見たのかと言われそうだが。
いや、だからこそ、それらの失態を清算する為にも手を貸せ、という事なのかもしれない。
俺の疑問の声に、シュブさんは片手に持ったフランスパンを掌で叩きながらツンとした態度で答えた。

「────────。────、────?」

「あー……そりゃすいません。そこら辺の事は考えていませんでした」

どうやら、自分の店をアーカム毎真っ平らにされたのが割とご立腹らしい。
言われてみれば、アーカムを焼き払った時点でニグラス亭も消滅してしまったのだよなぁ。
前もって姉さんが知らせていたから家の中の私物は全部実家に移しておいたらしいが、それでも家と店を一度潰してしまったというのは事実な訳だし。
本当なら怒られて当然の所を、荷物持ち程度で許してくれるというのなら、喜んで付き合うべきだろう。

「で、何を買いに行くんです?」

「────」

「ラム肉ですか。……なんか一瞬、共食いという言葉が頭に」

「──、────」

「いやいや、そりゃラム肉が山羊じゃなくて羊肉だってのは知っていますけどね、でも正直どっちも食べ慣れてないから違いが今一分かり難いというか」

そんなこんなで、その日はシュブさんの買い物に付き合って放課後の時間を潰してしまった。
が、シュブさんの機嫌も直ったし、シュブさんの紹介で割と良い食材の揃っている店も知る事が出来たので良しとしておく。

―――――――――――――――――――

■月×日(量子論的な揺らぎが云々)

『ラプラスの魔は存在できないとかどうとか、そんな感じの結論を出してくれたありがたぁいお話だったと思う』
『サイトロンの予知もいまいち完全な未来予測ではない以上俺は否定する材料を持ち合わせていないのだけど、この世界で似た理論を立てようとしたら字祷子論的揺らぎがどうこうって言い変えなきゃならんわけか』
『今までのループ、と言ってもまだ六周目な訳だが、その中でも少なからぬ変化というか、誤差の様なものは存在していた』
『一番顕著に表れていたのは大十字が関わる事件の数々、というか、ぶっちゃけ対峙する事となるページモンスターだろう』
『ニトクリスの鏡イベントが起きずにジョージ、コリンのアリスンに対する感情が軟化しないまま終わった事もあれば、原作通りに鏡イベントを起こして仲良くなる場合もあった』
『だが、今回の変化は極めつけだろう』
『今は二年に上がって数か月、この時期にはシュリュズベリィ先生が帰ってきて、実戦民族学ではない座学を教えてくれるのが恒例だった』
『だが、未だ持ってシュリュズベリィ先生は帰ってきていない』
『なんでも、海外での単独活動中に八月党とかいう怪しげな魔術結社にいちゃもんをつけられて、今現在は身を隠しつつ党員の駆除活動を行っている最中らしい』
『八月党。今までのループの中ではついぞ名前も出てこなかった連中で、しかも原作世界で活躍し始めるのはED後、出典はシナリオの人のブログだかHPの日記が初出だった筈』
『この時期にはシュリュズベリィ先生と関わりはあまり無かったと思うのだが、一体どうなっているのか』
『というより、旧神が云々言う教義だから現時点ではそこまで熱心な信奉者は居ないと思ったのだけども』
『しかも、連中との魔術闘争のお陰で、後一年は帰れる見込みが無いらしい』
『一年。アルアジフが到着する直前までアーカムに滞在していた今までのループとは確実に違う流れだ』
『何かが変わろうとしているのか、それとも、これもまたイベントの僅かな揺らぎでしかないのか』
『機神招喚に成功して以来、ずっとまったりしていたが、俺もこれをきっかけに動き出してみるのもいいかもしれない』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

作品世界にトリップしている最中の時間の中、最も多い割合を占めるのは、物語の進行とは欠片も関係無い日常生活である。
多くの事件やトラブルが存在する物語の中ですら、人々はごく普通の人生を続けなければならない。
当然の話だ。SFであれファンタジーであれ、そこに暮らす人無くして世界は成り立たず、トラブルに巻き込まれていない間は、例えその世界のモデルとなった作品の中心人物ですらごくありふれた生活を送っている。
人はパンのみにて生きるに非ず。そして、キャラもイベントの中においてのみ生きている訳では無い。
例え物語上の登場人物であったとしても、極めて緻密に形成された世界の中においては、飯も食えば風呂にも入り糞もする。

「……昔の話ですが」

糞をする、とまで考え、俺はふとある事を思い出し、目の前で日替わり定食を貪っている大十字に、パンケーキタワーをフォークでつんつんと突いて揺らしながら語りかける。

「あん?」

「信奉するアイドルを指して『○○ちゃんはうんこなんてしない!』なんて言う連中が居たじゃないですか」

それこそ、巷のアイドルに親衛隊だのファンクラブだのが当たり前の様に存在し、そのファン同士で敵対アイドルのつぶし合いまで行われていた時代の話だ。

「あぁー……、居たな。今も居るんじゃないか? 絶滅危惧種だとは思うけど。ていうか飯食ってる最中にうんことか言うなよ」

大十字は心なしか嫌そうな顔をしながら、それでも食欲は衰えないのか、小鉢の中の納豆に醤油を掛けてかき混ぜ始める。
かき混ぜられまくった納豆は、ビジュアル的にカレーよりもうんこの話と相性が悪いと思うのだが、そこは気にならないのだろうか。

「まぁ最後まで聞けよ先輩。……んで、そのアイドルを文字通りの偶像(アイドル)にしていた連中ってのは滅んで、今は割と人間として見始めているでしょう」

元の世界での話だが、部分部分ニャル様の差し金で時代を先取りした文化が存在するこの世界でも似た様なものだ。
これはどちらかと言えば事務所やメディア側の『アイドルの売り方』の変遷によるものだから先取りした所で意味は無い筈なのだが、それを言ったらアイスクリームを先取りした意味も分からなくなるので深く考える必要はない。
邪神の、それも世界を文字通り回している様な規模の邪神の考えなど、完全に理解するのは難しい。

「まぁ、色々とニュースで取り上げられることも多いからな。完全な偶像にするのは無理があるんだろ」

「そうですね、昔ならファンが激減する様なスキャンダラスな内容だった筈のアイドルのリアル私生活だって、今じゃ祭りの如く騒ぐ為のネタの様に扱われるようになりました」

其処を考えると元の世界で女性声優に熱を上げるタイプの人々は、二十年か三十年程昔の文化をなぞっている様なものだろう。
処女じゃないとか男とデートしたとかで大炎上する様は、昔のアイドルの親衛隊の姿とダブって見えると姉さんが言っていた。
だが、重要なのはそこでは無い。
問題なのは、アイドルのそういった人間であるという側面を受け入れつつ、尚熱狂し続ける人々の方だ。

「悪い事じゃないだろ、それは。結局何が言いたいんだ?」

納豆ごはんを口の中に掻き込み、味噌汁に手を伸ばす気楽そうな大十字。
俺はそれに、パンケーキタワーをフォークに流し込んだ斬鉄の意味を込めた気の力で縦に切り裂きながら答える。

「つまりですね。旧来の熱狂的アイドルファンの『○○ちゃんはうんこしない!』という主張と、現在の熱狂的アイドルファンの『○○ちゃんのうんこなら是非食べてみたい』という主張。俗世に受け入れられにくいのはどちらの方なのだろうかと、疑問に思ってしまう訳ですよ。俺は」

切り裂かれたパンケーキタワーは綺麗な断面を見せ、その素晴らしい積層構造を披露してくれた。
そう、積層構造なのだ。ここのパンケーキタワーは交互に少しだけ食感の違うパンケーキを重ねる事により揺れに対する柔軟性を持たせ、より高い塔を建設する事に成功している。
それでいて、交互に積み重なったパンケーキはその食感の違いが見事にマッチし、味じたいにも不自然さは無い。
このタワーを考案したシェフ(学食のおばさん。バタ臭い顔のアメ公だが腕は確か)、まさに天才……。

「……お前さ、本当に、人が飯食ってるって事を考えて発言しろよな」

大十字が納豆ごはんを掻き込む端を止め、ジト目を向けてくる。
ああ、消化不良だと豆系が混じったりはするからな。イメージしてしまったのだろう。
別に俺はイメージを押し付けられるつもりはないので気にしないが。

「俺だって食っていますよ。デザートですが」

パンケーキ、美味しいです。
メープルシロップとアイス、美味しいです。
お茶、美味しいです。

「そりゃパンケーキなら連想する事もないだろ。大体、お前ら兄妹は先輩に対する礼儀が──」

礼儀とか言い出したよこの大十字。今回はやや硬めに変質したようだ。
すっかり思考が逸れてしまったので、大十字の説教を脳内でフィルタリング。
かないみかボイスに変換された説教をBGMに、俺はうんこの方に逸れていた思考を修正する。
作中人物達がストーリーとは関係無い日常の諸々とこなしている以上、何かしらの変化があったとして、それが実際に表に現れるにはそれなり以上の時間を必要とする、という事だ。
日記には先生の行動の変化が何かのきっかけになるのではないか、と思っていたが、やはりその変化が現れる大分前にその変化を促す何かしらのイレギュラーがあり、そのイレギュラーにも原因がある。
蝶の羽ばたきが遠い街で嵐を起こすには、そこに至るまでのいくつもの要素が存在しなければならない。
業子力学によらずとも幾度も提唱されてきた事だ。
世界への影響力の違いにより、投げられた小石の齎す結末は変わる。
放物線を描き何事も無く地面に落着するか、近所の雷親父の家のガラス窓を突き破るか、空を飛ぶ鳥を貫き撃墜するか。
転がりに転がり、最終的には大国を滅ぼす事の出来る小石だって存在する。物語を軸に存在する作品世界であればなおさらだ。
だが、そういった大規模な、遠大な結果を生み出す事が出来たとしても、それにはやはり、結果を出すまでの時間と言う物が必要不可欠なのだ。
更に言えば、その結果が俺に関わりのあるものだとは限らない。
基本的に、トリッパーは回避しようとしない限り原作のイベント、もしくはオリジナルのイベントなどに関わり易くなる修正が掛けられているが、それもあくまで基本的な話。
事に捻くれ者の千歳さんの作った世界ならなおさらだ。あの人なら平気で主人公の知らない場所でサイドストーリーが始まって終わるなんて事は当然のごとくやりかねない。
最も、穴埋め要員であるトリッパーである俺達が入り込んだ事で、どれほど千歳さんの生み出した世界に変化を与えているか分からない以上、全てをあの人の作品傾向から推察する事は難しいのだが。
ともかく、新たな変化が訪れるか否かが確認できない以上、俺は独自に時間を潰す為の何かを考えなければならない。
真っ先に思い浮かぶのは、機神招喚によって呼び出した機械巨神の制御訓練か。
やはり、大導師さまから隠れながら活動し、なおかつあの力を必要な時に使おうと思ったなら、あのサイズは大きすぎる。
訓練でどうにか出来ればいいのだが……。

「おい、ちゃんと聞いてるか?」

額を押され、目線を大十字に向けさせられた。
俺の額を手で押した大十字が、いぶかしげな表情で俺の顔を覗き込み問いかけてきた。
かないみかボイスで。

「ぶっ」

思わずパンケーキを噴き出す所だった。このイケメン顔でこの声は危険すぎる。
俺は脳内のフィルタリングを取り去り、改めて大十字の説教に耳を傾け直した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「なぁんて、事を話した事もありましたねぇ」

「だから、なんで最後の最後で思い出す話がそれなんだお前は!」

何時ものように異界へと続く門を浮かべている南極の空を見上げながらの俺のふつくしきおもひで語りに、大十字が突っ込みを入れる。
当然、頭に振り下ろされそうだった平手は直撃する前に受け止めた。
如何に優れた魔術師とはいえ、生身の人間のツッコミをうっかり受けてしまう程、俺の性能は低くない。

「いいじゃないですか、俺、湿っぽいお別れって少し苦手なんですよ」

また数ヵ月後には初めましてをするというのに、真面目にお別れなんてしていられない。
それに俺の前科から考えて、なんかうっかり敵対フラグとかも立てちゃいそうだし。
『何故、お前がそんなところに居る!』
『フフフ……、メタルジェノサイダー……、フフフ……』
みたいな感じで。違うか。
正直、圧倒的にスペックで上回っているのに勝利条件をもぎ取られたこととかを考えると、最終的に此方を圧倒的なスペックで上回る上に補正も十分付いていそうな大十字とは敵対したくない。
というか、現時点では大十字は死ぬ度に巻き戻されてコイン一個入れられるから、理論上完全勝利は不可能なのだ。マジで連コインとか後ろの客に迷惑だろニャルさん。
ああ、違うぞニャルさん! それはギャラリーじゃなくて順番待ちの次のお客さんだから! 手を振っても挑発にしかならないから! はやくクリアーしてあげて!
そんな事を脳内で考えていた事には欠片も気付いていない大十字が、呆れたような表情で自らの額に手を当て、溜息を吐く。

「まったく、お前は最後までそんな感じか」

「別に、死にに行く訳じゃないんでしょう?」

負けに行くだけだし、その後は何だかんだで三十か四十年くらい生き存える事が出来る筈だ。
まぁ、邪神との戦いに身を投じた挙句、最終的には若かりし頃の機神招喚の後遺症で衰弱死という微妙な人生になるけど、死ぬよりはナンボかましだろう。
というか、もうこれで大十字を見送るのは六度目なのだ。
正直な話、一々気の利いた見送りをするつもりにはあまりなれない。
むしろここまで南極での決戦イベントで皆勤賞を取っている事を評価してもらっても良いくらいだ。
一応、気の利いた見送りは出来なくても別れの言葉は毎度毎度告げているしな。
そんな俺の態度に、大十字が少し考えこむような表情をし、口を開く。

「……なぁ、これから俺はあの門をくぐって、異世界に行く事になる。多分、いや、確実にこの時代の地球には戻れない」

「戻ってくることが絶対にあり得ない訳では無いですけどね」

過去、未来、異星、異次元を経由する事になるが、最終的にはどうあがいても数十年前の地球に落ちる事になる。
いわゆる読者視点、神の視点から言えば、大十字九郎は二度と戻って来れないどころか、確実に地球の近い年代には戻って来れるのだが。
しかし、それはあくまでも神視点であり、この世界の住人の視点では無い。
やはりというかなんというか、大十字は俺の希望的観測(あるいはニャル様による絶望的筋書き)に、寂しそうな顔で頭を振る。

「それでも、多分戻って来れないと思う。だから、ここからの地球の事は──」

ううむ。
ここまでの六周、全ての大十字はやや優等生気味であり赤貧でない事を除けば、ほぼ原作の大十字と変わらない性格だった。
だが、今回の大十字はやや思慮深い性格なのだろう。これからの、デモンベインを失った後の世界の事にも気を掛けている。
……正直、この世界がまかり間違って魔導探偵になる前にループを終わらせるシナリオだったとしても、ループを終わらせる大十字は間違いなくこの大十字では無いと確信してしまった。
下手に思慮深いが故に、何も考えずに前に進む力においてはこれまでの大十字に一歩も二歩も劣っているのだ。
ここで地球に、親しい何もかもと別れる事を恐れるのではなく、よりにもよって世界の平和について頭を悩ませるとか、負けフラグにも程がある。
とはいえ、それを本人に対して告げるのも違うだろう。
何しろ、これから大十字は散々世の中のあれやこれやに打ちのめされながら覇道を行き、しかし戦いの中では無く、衰弱と戦いながら静かにこの世を去らなければならない。
大十字九郎としての最後の戦いぐらい、安心して戦場に出向かせてやるのが情けというものだ。
俺は僅か一ミリ秒で思考を終え、大十字を安心させられる内容をでっち上げ、大十字の言葉を遮る様に口を開いた。

「確かに、ブラックロッジが潰えたとはいえ、世界にはまだ悪い魔術結社も人類に敵対的な邪神も溢れています。────ですが」

うん、今のですがの前の間は、確実に『────』が表示される絶妙の間だった。
そんなどうでもいい事を考えながら、俺は次に用意していた言葉を口にする。

「人類はそれほど軟ではありません。シュリュズベリィ先生だっています。シュリュズベリィ先生以外にも、人類側で鬼械神を召喚できる程の魔術師はそれなりに居ます。破壊ロボの残骸を回収して、魔術理論を応用してデモンベインもどきを作って人類側の防衛力にする国も出てくるでしょう」

確か公式でもそんな事が言われていた筈だ。
これ以降の時代、世は魔術と科学が入り乱れ、戦場には機械と魔術の巨人が溢れ返る。
スーパーロボット大戦をもっと絶望的にした様な世界が訪れるのだ。少なくとも、人類が簡単に滅ぼされる、という事は無くなるだろう。
ま、それでも強めの邪神が本気出したりしたら一瞬なのは変わらないが。
それに、今回は試しに世界を滅ぼすつもりも無い。
少なくとも俺が滅ぼすという可能性が低い分、間違いなくこの世界の今後は暗くない筈だ。

「だから先輩。後ろの事は心配せず、思う存分戦ってください」

「……そっか、そうだな」

先輩の憂鬱そうな表情が、僅かに明るさを取り戻す。
まだ憂いが抜けきっていないけど、これ以上はアルアジフの仕事だろう。
精々少女の綺麗な身体で心を癒すがいいさ。

―――――――――――――――――――
○月○日(繰り返し、繰り返し)

『もしかしたら次こそは何か面白い劇的な変化が現れるかもしれないと、ループを繰り返す毎に考えていた』
『もちろん、街を見渡せば少なからぬ変化が見て取れる』
『それは前回の大十字の持つ歴史系の知識の引き継ぎによって起こる発展でもあれば、変質した新たな大十字の行動であったり、世界そのものの揺らぎが引き起こす誤差であったりと様々だ』
『だが、やはり六周目以降、この十二周目に至るまでに、只管にそういった誤差を慰めにするというのは些か不健康な気もする訳だ』
『もちろん、姉さんや美鳥が居るお陰で私生活に不満は全くないが、能力的な伸びを考えると自己強化という面では不満が残るのも確かな事実になる』
『取り込んだシュリュズベリィ先生の記憶に依らない魔術の研鑽にも余念は無いが、それでも伸び率が地味でパッとしないのもまた事実』
『まともに成長が確認できている部分もあるにはあるが、それは余りにも巨大過ぎて使い辛い機械巨神の制御法にのみ現れていると行っても過言では無い』
『サイズ、能力共に夢幻心母と融合したクトゥルーと余裕で殴り合いが出来るレベルに達してはいるが、そこまで派手に動くと、母体の中の大導師殿に気取られる可能性も出てくる』
『悩ましい話だ。力を使う場が欲しい訳ではないが、力の伸びを確認する場に恵まれないのは少しイライラする』

追記
『機神招喚に関する追加の修業、研究の必要が出てきた』
『やはり世界は広い、というか、トリッパー業界は余りにも広大だ』
『たかだか鬼械神の原形程度では、並みのロボット相手に遅れをとる可能性だってある』
『その事を教えてくれた姉さんには感謝してもしきれない』
―――――――――――――――――――

初招喚から十四年程の時を経て、度重なる修行の果て、遂に俺は機械巨神の完全制御に成功した。
これでもう何も怖くない。シュリュズベリィ先生を踊り食いした事に関しても、後悔なんてある訳無い。
世界法則を捻じ曲げる術のあるこの世界では奇跡も魔法もあり放題。
思えば、機械巨神ともなんとなく夢の中であったような気さえしてくる。正にこの出会いは運命だったと言っても過言では無いだろう。
つまり、思いっきり調子に乗っていたのだろう。
今の俺なら、ラスボス補正も超えて大導師さま辺りも殺せるんじゃないかって。
だから、姉さんが俺との模擬選で『お姉ちゃんもロボットを召喚して戦ってみるね』と言ったとき、それはとても嬉しいなと思った。
姉さんが魔法の杖ではない、あまり得意科目では無いロボット限定とはいえ、俺との模擬選で武器を装備してくれるなんて、俺も成長してきたんだなぁ、と。

「俺って、ほんとバカ……」

目の前の、俺の操る機械巨神からすれば小人の様なサイズのカラフルなロボットに、姉さんは乗っている。
だが、その動きは余りにも鈍い。
というか、動かない。移動する際も手足を動かしたりせず、直立不動のままでスライドするかの様に動く。
いや、動く必要が無いのか。
その巨大な山の如き安定感、仏教における不動明王をイメージさせるその姿は、見る者の心理的影響すら考慮して設計されているのかもしれない。
俺の機械巨神は、そのマシンの放つ余りにも圧倒的な威圧感に、まるで戦闘シーンへ作画枚数を裂くつもりがないのではないかと思ってしまう程に動けなくなっていた。
いや、既にダメージの面でもまともに動く事は出来なくなってしまっている。
今でも思い出す。胸部の『G』のマークから放たれる、安い絵具色のコマ数の少ない怪光線が直撃した瞬間のあの理不尽なダメージに、次の攻撃を回避不能にされてしまう俺の機械巨神なのだ。
そんなダメージ、絶対おかしいよ……。

「卓也ちゃん、これで止めよ!」

通信越しに、姉さんが珍しく声を張り上げている。武器を使うのは久しぶりだから気合いが入っているのかもしれない。
そろそろけりをつけてしまおう。
いつの間にか、姉さんの駆るマシンが、途中の動画をケチったかの様に剣を振り上げている。
振り上げているというより、胴を横から狙う様なポージングだ。そのまま身体を動かさないと機械巨神を切り裂く事はできない。
いや、そんな、あの一枚絵をスライドさせる様な動きはなんだ! 横に! 横に!

「ファイナルゴッドマーズ!(効果:相手は死ぬ)」

姉さんの操る剣を構えたロボット──カラフルな配色のゴッドマーズが、繰り返し横にスライドする。
理不尽なまでの必勝バンクに組み込まれながら、俺は思った。
いつか、無敵のレオパルドン流剣術に、本当に向き合えますか、と……。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「分かっているとは思うけど、というか、さっき思いっきり理解して貰えたと思うけど、如何に鬼械神の原形とかいう凄い痛い機体でも、勝てない相手には勝てないの」

「うん、すっごい良くわかった」

「見てる方がぞっとするような理解のさせ方だったねー」

字祷子宇宙とはずれた次元に作られた訓練用亜空間の中、反省会用に設えられた教室の様な場所で、椅子に座って姉さんの指導を受けている。
元の世界で学生をしていた頃に座っていた様な木と金属パイプで作られた机と椅子に座り、色々なロボットがデフォルメされて描かれたホワイトボードに目を向ける。
姉さんや美鳥が描いたであろうそれらのロボットは、例え機械巨神の力をフルに用いたとしても勝てないタイプのロボットだ。
例えばゲッペラー様、ドリルで天を衝く赤いやつ、アマテラスが乗ってたりする黄金のMH、レオパルドン、そして姉さんがさっき使っていたゴッドマーズだ。

「火と火で炎になるロボットとか、その母艦の子孫の地球より大きな集合体の統御ユニットとかは?」

「単純物理系とか、簡単な構造の物理法則改変系なら問題じゃないでしょ?」

「なるほど」

ある程度の位階に達した魔術師の鬼械神戦において超光速戦闘は必須科目であり、宇宙、時空などが戦闘の余波で壊れない程度の規模の戦いであればどうとでも対処できてしまう。
物理法則を書き換えるのは魔術で既に可能なので特に問題にはならない。
もっとも、どちらも純粋科学の結晶であるので、取り込む事に成功すればオリジナルの十数倍程度の能力は軽く望める。
デモンベイン世界に来てからはやたらと魔術に傾倒し続けているし、その内真っ当な科学技術の塊を取り込みに行きたいものだ。

「一話収録後に着ぐるみが盗まれたせいで恐ろしい程に掛かってる補正で勝つとかそもそもパイロットが全能とか、その辺のイカれた相手はともかくとして、やっぱり能力に幅を持たせる事も勝利の鍵だと思うの。そんな訳で、卓也ちゃんには更に今の力を使いこなして貰うわね。美鳥ちゃん」

「あぁーい」

姉さんの指示により、美鳥が様々なメカの書かれたホワイトボードをひっくり返す。
裏面に描かれていたのは──、ヒステリーなエドロポリスできっと待ってる必殺ヒーロー、尻尾の生えたメタル忍者(宅配ピザ屋)だった。
ピザと一緒に正義もお届けしてくれるらしいが、困った。
正直な話、俺はこの作品の事を殆ど知らない。
猫で忍者でピザ屋で、しかも当時の流行の最先端であるデフォルメ系メカという美味しいとこ取りをしていた記憶はあるのだが、いかんせん放送当時の俺が幼すぎた。
というより、これ放送してた時俺は物心付いていたのだろうか。実はテレビ放送ではなくVHSに偶然録画されていた映像を見て覚えた節がある。
何気にタツノコだったと思うのだが、間違いなくタツノコファイトに出られない様な印象しか無い
そもそも俺は、猿、犬、雉がメタリックなアーマーになって桃太郎と合体するアレとか、心の刃を大空に振りかざしたり眉間が煌めくメカ武芸伝の方を好んでいた気がする。
もしかしなくても、父さん母さんが生きていて俺がこの不思議ボディに改造される前の話だ。ログを辿る事すら不可能な時代の話。
正直、リアクションに困る。
これでまだ某レイバーとかならテレビ版OVA版劇場版漫画版サントラと揃っているからそれなりに語る事も出来るのだが……。

「お姉さん、落書きしたらちゃんと消しておこうよ……」

「ご、ごめんごめん。あ、これは関係無いからちょっと待っててね?」

呆れた風の美鳥が姉さんに突っ込みを入れて、姉さんが慌ててホワイトボードに描かれた絵を消している。
何時もとは立場が逆だが、美鳥も変にボケると即死するという事を覚えたからだろうか、すっかり突っ込みも板に付いてきた気がする。
数秒でホワイトボードを綺麗にした姉さんは、改めて文字や図を書き連ね、ホワイトボードが八割方埋まった所で振り向き、こほんと咳をして仕切り直した。

「結局のところ、卓也ちゃんはあのでっかいのを十四年位掛けて完全に制御した訳だけど、機神招喚の術式はただ単に鬼械神を呼び出す以外にも様々な可能性があるの」

学帽にモノクル、スーツに白衣の姉さんが教鞭でホワイトボードの一角を指し示す。
其処には数本の横線で仕切られ、上には上位次元を現しているだろうデフォルメされた機械巨神、下には現在の次元を現しているだろう様々な鬼械神。

「上位次元に存在する鬼械神の元となる何か。これが原作や他の二次創作でどう扱われているかは分からないけど、少なくとも、この世界では極僅かな例外を除く殆どの鬼械神はたった一つのオリジナルから三次元に落とされた影という扱いになっているわよね?」

「はい質問。極僅かな例外って、どの鬼械神の事?」

なんとなく予想は付いているが、曖昧な予測を正解として自分の中に置いておくのは危険なので、聞ける時に聞いてしまうのが吉だろう。
姉さんはその質問を予測していたのか、更にホワイトボードの一角を教鞭で叩きながら答えた。

「いい質問ね。なんとなく予測は付いていると思うけど、例外となる鬼械神は二つ。デモンベインとリベルレギスよ」

教鞭の先端で指し示されたそこには、二頭身と三頭身の中間位にデフォルメされたスパロボドット絵風のデモンベインとリベルレギス。
だが、双方ともに完全には描かれておらず、人間で言う心臓部分は内部構造が嫌に精密に描かれている。分解でもした事があるのだろうか。
そして、その内部構造の中心には機械装置に包まれた怪しげなオブジェが搭載されている。
デモンベインの獅子の心臓と、リベルレギスの無限の心臓だ。

「なるほど、体内に別の神の一形態を内蔵しているから、単純にオリジナルの影、というう訳でも無いって事か」

「そゆこと。体内にヨグ・ソトースの影の一形態を備えたリベルレギスとデモンベインは、エネルギー供給源も思考も心臓に多く依存していて、オリジナルの影であるボディから独立しているお陰で、アンブロシウスの時みたいに手なずける事は出来ないんだってさ」

俺の言葉に頷きながら、今度は美鳥が補足を入れてきた。
そう、デモンベインもリベルレギスも、力の差こそあれ、その力の源はヨグ・ソトースの影を通して異界から無限に供給される力を利用している。
それこそが紛い物の鬼械神であるデモンベインが本物の鬼械神に対抗できる理由であり、リベルレギスが心臓無しでも稼働できる理由なのだ。
小説版の軍神強襲において、大導師さまの駆るリベルレギスはその心臓をデモンベインに貸与し、ツインドライブモードのデモンベインと動力源無しで渡り合った。
これは大導師の異端さを表してもいるが、本来のリベルレギスが心臓無しでも稼働可能である事を示している。
仮にも一々鬼械神として招喚されているリベルレギスに、鬼械神とは関係無い物が混じっているなどという事があり得るのか、などと思われるかもしれない。
しかし、現実として原作の外伝小説である機神胎動にて、リベルレギスに搭載されていない状態の無限の心臓──リベルレギスの動力源が、ブラックロッジとはあまり関係無い魔術結社(ほぼ個人の様なものだが)の手中に収められていた。
つまり、リベルレギスの超常の強さの秘訣は、大導師殿の種属値、三位一体、ナコト写本の魔導書としての優秀さの他に、リベルレギス本来の動力の他に追加で動力を積んでいる所にあるのだろう。
こう考えれば、軍神強襲でツインドライブデモンベインとハートレスリベルレギスの能力が拮抗していたのも説明が付く。
神とのハーフという基礎からして優秀な魔術師の大導師殿と、その優秀な魔導書によって呼び出されるリベルレギスは、追加の動力が無くとも鬼械神の中で頂点に立てる程のスペックを持っているのだろう。
そう考えれば、できそこないの鬼械神であるデモンベインに強力な動力を二つ積んで強化してようやく互角というのも頷ける話だ。
何しろ、搭乗しているのは覇道鋼造──既に負けの確定した大十字九郎。
ループするまでの間にトラペゾヘドロンに目覚める必要がある為、大十字の魔術師としてのピークは大学三から四年程に調節されており、敗北してループした後は、如何に研鑽を積んで知識量を増やし修行を重ねたとしても、全盛期の魔術への適正には遠く及ばない。

「卓也ちゃんも一応獅子の心臓を持っているけど、それだけじゃリベルレギスには勝てないし、そもそもデモンベインとは敵対する旨味が無いわ。変な思いつきで戦ったりしちゃダメよ?」

「まぁ、巨大化は負けフラグとも言うしね。つうか、そもそもあの二人に喧嘩を売るつもりは無いし」

正直、大導師殿と大十字、この二人と敵対するつもりはさらさらないのでここは素直に頷いておく。

「うん、美鳥ちゃんからのこれまでの世界での行動の報告とか聞くと、ちょっと調子に乗ってやりかねないかなーなんて思ってたけど、やるつもりが無いならいいの」

「お兄さんちょっとその辺前科多すぎだもんね」

「失敬な」

ラスボスと敵対したのは銀星号の時一度だけだし、それ以外の時はラスボスなんてかすりもしなかったぞ。
スパロボ世界のラスボス機体は俺の中に息衝いてるから敵対した訳じゃないし。
スクナも踏み台専用の中ボスだからカウントされないし。
ブラスレ世界じゃ裸足の王子様どころかその部下のマグロさんと俺の下僕が戦った程度だ。

「話を戻すわね。──つまり何が言いたいかって言えば、出自や構造からして特殊なリベルレギスとか、そもそも正確には鬼械神ですらないデモンベインはともかくとして、それ以外の鬼械神はすべて、あの機械巨神から派生させる事が可能な筈なの」

「んー……、なる、ほど?」

理屈は分かる。何となく実感もしている。
招喚した機械巨神は、本来三次元に存在出来ない上位次元の存在である為か、見る角度一つとっても不自然な程に全く別の姿に見えるのだ。
動く度に全身を構成する螺子に歯車やその他様々な機械部品が複雑怪奇に噛み合って動くせいで、大まかなフォルムは変わっていない様でその姿は常に変化を続けているせいもあるのだろう。
だが、この見え方というのが機神招喚を行う術者の見る鬼械神へのイメージであるのならば納得もいく。
術者の位階、主に用いる術式の種類、属性、そして契約した魔導書の違いにより、現世に映し出される姿を決定付けている。
そう考えれば、オリジナル、原形である機械巨神をそのまま呼び出すというのは如何にも効率が悪い。
いや、別に招喚するのに何らかのリスクが必要と言う訳でも無いし、制限時間がある訳でも無い。機械の神と俺の身体の相性はやはり抜群だ。
効率が悪いというのは、相手の強さに応じた力加減の問題だ。
例えば敵がシュリュズベリィ先生程の実力の持ち主であれば、デモンベインをトリプルドライブにしたりブラスレイターの能力で融合強化したりしても、最終的には基礎スペックで圧倒されてしまう。ボウライダーは言わずもがな。
そこで、俺が一定以上の位階にある魔術師の招喚する鬼械神に対してどのような対処をすればいいかと言えば、機械巨神しか手は無い。
相手が逆十字一人辺りなら、
無限の心臓トリプルドライブで蛇口三つ分のパワー!
とか、
四連断鎖術式からのアトランティスクラッシャー!
とか、
自爆覚悟の諸手螺旋もとい諸手レムリアインパクト!
とか、
周囲に無数の魔銃を錬金してのトリガァァ、ハッピィィィィ!
とかやって楽に押し切れると思うが、仮に相手がタッグやトリオを組んできたら、もうそこで全高一キロを超える機械巨人の出番が始まる。
丁度いい、目立たないノーマルサイズの鬼械神を招喚出来れば一番いい。
いいのだが……

「俺、招喚すると勝手に機械巨神が出てくるんだけど」

そう、俺の初招喚の相手があらゆる鬼械神のアーキタイプとでも言うべき存在であった為か、俺の中の鬼械神のイメージはそれで固まり切っている。
アル・アジフのコピーを使って召喚してみても、精々ほんのりアイオーンっぽいシルエットになるだけで、呼び出されるのは相変わらず超巨大サイズの機械巨神。
『機械の』神である為か俺との相性が抜群で、俺が手を抜いて召喚しても召喚される側が常に全力全開になってしまうのだ。

「大丈夫! こんな事もあろうかと、手加減招喚の練習に必要な道具はすべて揃えてあるの。美鳥ちゃん、例のモノを」

姉さんがパチンと指を鳴らし、何時の間にか教室の外に移動していた美鳥が、ドアをガラガラと開けて何か荷車の様なものを引きながら入室してくる。

「あいあいあい持ってきたよー」

美鳥が引く荷車の上に四角い檻の様なものが乗せられ、それには分厚い布が被せられている。
バラエティー番組であれば、あの中に入っているのは某ドM属性をもつ芸人か、リアクション芸人を動かす為の猛獣が入れられているところだろう。
ただ、ここ二十年少しで鍛えに鍛えられた俺の霊視能力はあの中にある物が何であるかを薄々勘付かせていた。

「ああ、確かにそれなら上手く招喚できないかもしれない。俺、嫌われてるし」

何しろ、俺はあの布の中のモノの主を生きたまま喰らってしまっているのだ。
しかも、もうこの世界でその事実を確認する事は不可能に近いが、俺が一度世界を滅ぼしている事も知っているのだ。
印象は最悪、まともに協力する気にもならない筈。

「なぁんだ、やっぱりわかっちゃうのね」

「だから言ったじゃん。こんな檻まで用意してサプライズする意味は無いって。鎖でいいよ鎖で」

がっくりと肩を落とす姉さんと、やれやれと首を振りながら無造作に布を取り払う美鳥。
中に居たのは予想通り、俺が五周目に取り込んだ魔導書、セラエノ断章の精霊であるハヅキちゃん。
こうして五周目の彼女と会うのは、かれこれ十三年程ぶりだろうか。
当時は地球を滅ぼした事やらダディ──シュリュズベリィ先生を殺した事やらを非難され、挙句攻撃魔術まで使われて会話にならなかったので敢え無く消滅して貰った。
その時以来、記述は既に他の魔導書に写した後である為複製する機会も無かったのだが……。

「なんか、妙に大人しくない?」

檻越しに目の前で掌を振ってみるが、欠片も反応を示さない。
ウンともスンとも言わないという表現がこれほど似合う人型の存在も初めて見る。
記憶を弄ったのかもと思ったが、仮に元の状態で接したとしてもここまで反応は薄く無い筈だ。
俺の疑問に、姉さんが難しい顔でうんうん唸りながら答える。

「んと、美鳥ちゃんに複製して貰って魔力を流して擬人化して貰ったは良いんだけど、少しきゃんきゃん煩くて、ちょっと大人しくなって貰おうかなー、なんて思って、いろいろやってみたのよ」

「いろいろって?」

俺の更なる問いに、何故か美鳥が胸を張って自慢げに答えた。

「お姉さんが直々に魔導書を使って、大規模精神改造をしてくれたんだ。すごかったよー。後であたしを取り込む時に見れるだろうけど。お姉さんって機械類もそれなりに扱えるんだね」

「まぁ、魔法で呼び出したアーティファクトで似たようなのがいっぱいあるし、それ位はね」

姉さんがそれを自慢するでもなく流し、檻の鍵を開け、ハヅキちゃんの両脇に手を差し入れ持ち上げる。
だらんと身体を弛緩させ成すがままのハヅキちゃん。
姉さんは、そのままハヅキちゃんを俺に手渡してきた。

「とりあえず、人格はほとんど残って無いけど最低限卓也ちゃんへの恨みつらみは残ってるから。その状態でシュリュズベリィ先生の能力でアンブロシウスの招喚を成功させるのが最初のノルマね」

「わかった。……ていうかコレ、まともに動くの?」

俺に抱えられたハヅキちゃんは反応が無いとかそんなレベルでは無く、周囲の物を認識出来ているかどうかも怪しいレベルなのだが。
記述があれば精霊など居ても居なくても同じとはいえ、これでは精霊化させない状態で練習した方がいいのではないか。

「別に動かなくてもいいと思うけど、どうしても動かしたければこれの電源を入れて音を聞かせてあげて」

そういいながら、姉さんが細長い何かを手渡してくる。

「……マブチモーター?」

船やら潜水艦の耐水プラモなどに搭載して遊べるタイプの物。
モーター音がそれなりに響くが、逆にそれが『電動である』という事を強調していて楽しいという意見があるこれで、どうやってハヅキちゃんを動かせばいいのだろうか。

「ダメならもっと直接的に、あのマッサージチェアに座らせればいいと思うよ!」

美鳥の指し示す方向、反省会教室の隅っこに設置された、他称マッサージチェア。
頑丈そうな椅子の下に、モーターではなくやたらゴツイエンジンが搭載されている。
そして、どういった用途であろうか、座る場所の少し前に、なんというか、巨大な張り型が超雄々しく突き出している。
コメントに困る。
しかし、ここで黙り込んでは話が進まない。意を決して美鳥に問いかける。

「なあ、あれってどう見てもバイ──」

「マッサージチェアだよ」

「いやでも」

「あたしお手製のマッサージチェアだもんね。お兄さんとお姉さんが二人っきりでプロレスごっこしてる時、あたし一人であのマッサージチェアで癒されてるし。製作者が言うからには絶対にマッサージチェアだし」

「とりあえずハンカチ貸すから涙拭けよ」

うっかり衝撃の事実を聞き出してしまったが、その事は後回しだ。
貸したハンカチで鼻を噛んでいる美鳥をひと先ず置いておき、俺は手の中にハヅキちゃんを抱えたまま、姉さんの方に振り返る。

「姉さん、どんな魔導書を使って精神改造したの?」

「なことしゃほん」

「いや、もうちょい漢字が分かり易い発音で」

「だから、なことしゃほん。全六巻の」

デジタル言語版を入れれば七巻になる筈だが。
とりあえず、意地でも漢字に変換するつもりはないらしい。
姉さんはこう見えてたまに頑固なところもあるから、こうなったらもうお手上げだろう。
ふと、手渡されたマブチモーターの電源を入れ、ハヅキちゃんの耳元に近づけてみる。
スイッチを入れた途端びくりと身体を震わせたかと思えば、かちかちと歯を小刻みに打ち鳴らしながらぶつぶつと何事か口走り始めた。
『電源いれちゃやだ』だの『もう気持ち良くなりたくない』だの『ダディのじゃないのに』だの『ダディのより凄い』だの、ていうか、シュリュズベリィ先生ェ……。
白い肌を紅潮させうっすらと汗すら流し始めたハヅキちゃんから姉さんたちに視線を戻す。

「これ、適当に攻撃して精霊化出来なくしちゃだめかな」

アルアジフルートの精霊死亡版アルアジフとか、ライカルートのスリープモードナコト写本みたいに。

「それを すてるなんて とんでもない!」

美鳥うるせぇ黙れ。

「卓也ちゃんの術式を妨害してくる魔導書じゃないと意味が無いじゃない。因みに実体化の魔力はお姉ちゃんから電源取ってるから、生半可な攻撃じゃ本形態には戻らないと思うの」

姉さんからの供給を上回る攻撃力となると、維持できなくなるより先に魔導書本体が消滅する。
俺は反省会教室の窓から見える偽物の空を仰ぎ、五周目までのシュリュズベリィ先生を思う。
なんか俺、ロリに興味無いのに、寝盗ったみたいでごめんなさい。
大空に笑顔でサムズアップする先生の姿を幻視しながら、俺は機神招喚の修業スケジュールを頭の中で組み立て始めた。

―――――――――――――――――――

▲月◎日(トリップ中の時間の流れ)

『基本的に、トリッパーはトリップ中の時間は年齢に加算しなくてもいいというのが通例らしい』
『なにしろ、トリップ先の世界で寿命を迎えて死ぬどころか、老化を体験した者すら居ないというのだから、これは当然の流れなのだろう』
『さらに言えば、これは精神面での成長にも似た事が言えるらしい』
『偶に見る原作数百年前に転生、あるいはトリップする作品において主人公が年相応の人格を獲得し得ないのと似た様なものだというのが主流の考えなのだとか』
『力を振るうのに必要な、あるいは相手の精神攻撃、脳神経や魂への直接干渉を防ぐための精神力は時間経過によって手に入れられても、トリッパーの本来の性格が消え去る程に老成する事は無い』
『齢数百の人間がどんなメンタリティを獲得するか、現実においてそれを試す事は人間の寿命の関係でまず不可能だが、やはりリアル文献における仙人の様になるのが最も近いのだろうか』
『生まれる事の出来なかった、あるいは物語に適応する事の出来なかった元オリ主候補の隙間埋めとして呼ばれるのがトリッパーであれば、これは当然の事なのかもしれない』
『この世の全てに飽いていて、自発的には何も行動を起こさず、『原作きゃら? へぇ、美味しいの?』みたいな活力の無い性格では、物語の穴を埋めるも何もない』
『思えば、俺も姉さんも本来求められるそれとは異なるにせよ、最終的には物語の重要部分を掻き回しているという面では、物語への積極性を持っているという事になる』
『姉さんであれば迅速な元の世界への帰還のため、俺であれば優れた力を取り込むため、どちらにせよ、物語の中心部に向かわざるを得ない様になっている』
『うまく出来ているものだと思うが、それならば、この世界に来てから何度かなった、行動の指針が無く、どう動いていいか分からない状況というのは一体なんなのだろうか』
『トリッパーは成長しても反省はしない。学習しても改心はしない』
『この特性が今の状況と噛みあう時、今度こそ何かが始まればいいなというのが、ここ最近の俺の希望だ』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

雨は、夕方から突如として振り始めた。
家を出て大学に向かった朝方、空は雲一つなく晴れ渡り眩しい日差しが射していたので、殆どの人にとっては完全な不意打ちだっただろう。
ラジオの朝の天気予報でも一日晴れで降水確率はゼロパーセントだったし、新聞の周冠天気図でも雨の気配は無かった。
その辺りの事を考えれば、常日頃から鞄に折りたたみ傘を忍ばせている人か、会社や学校に置き傘をしている人でも無ければ、今日のこの雨には対応できなかっただろう。

「そこら辺踏まえて感謝の言葉をどうぞ」

「改めて言われると少し恩着せがましい気もするけど、ま、素直に助かったよ。サンキュー」

苦笑しながらも感謝の言葉を素直に口に出す大十字と、俺を挟んで大十字の反対側に陣取って歩いている美鳥。
全員陰秘学科でもそれなりに上位をキープし続け、出身も同じ日本なだけあって、ミスカトニックに入学して積極的に講義を受けていれば俺も美鳥も直ぐに大十字とはそれなりにつるむ関係にはなれてしまう。
この適度な距離感を大十字と構築するのも、ここ三十二周までの間で二十三回目だろうか。
思えば七周前とかは大変だった。まさか大十字含むメインキャラが全員TSするとは思わなかったから、親しくなる為の距離造りが大変だった。
あそこで下手な美男だったりすると大十字とフラグでも立っていたのかもしれないが、そういうイベントは一切なく、幾つかの殴り合いイベントを経て親友になったりしたのもいい思い出だ。
しかし、やっぱり転生で元の性別に戻った大導師殿やナコト写本に負けた後エロい事されたりしたのだろうか。
なにせニトロ砲のサイズがそのまま胸のサイズに変換された様な身体だったし、顔つきも元々女っぽかったからなぁ。
直後のループでは覇道鋼造女性説がまことしやかに囁かれてたけど、胸とかどうやってかくしてたのやら。

「前々から思ってたけど、サンキューとか少しアメリカかぶれし過ぎじゃね?」

「そうかぁ? 三年以上もアメリカに住んでればこれ位は普通だろ」

「まぁ先輩は朝食にサラダとトースト、熱々のブラックコーヒーとか並べてそれが絵になるタイプだから、仕方無いね……」

落ちぶれていない時の大十字は、イケメンは何やっても様になるという言葉の見本の様な奴だから、少しくらいアメリカかぶれを起こした処で非難のしようもない。
そんな俺達の言葉に、大十字は憮然とした表情で首を振り抗議の声を上げる。

「いやでも、米って結構するだろ。炊くのに時間も掛かるし」

確かに、毎食毎食日本食を食べようとしたら、如何にアーカムといえどもそれなりに金が掛かる。
パンなら切ってトーストして数分で用意できるが、米は研いで水量って入れて、電気炊飯器が無ければ更に火の加減まで見なければならない。
俺達の家には元の世界で使っていたモノと同じ家電がそのまま持ち込まれているのでそういった苦労は存在しないが、一般的な時間の無い学生が米をメインにするのはアメリカでは難しいのかもしれない。
原作の様に落ちぶれていないにしても、大十字だって贅沢ができるほど生活費の援助を受けている訳でも無い。
やはりどこででも作られている小麦でできたパンの方が安価で入手も楽、忙しい学生の朝には打って付けなのだろう。
思えばこいつ、学食で飯を食べる時は結構な比率で和食を選んでいる。
前に大十字の家に遊びに行った時、冷蔵庫の中に味噌と醤油が存在したので、休日には時間を掛けて白米を炊いて和食を楽しんだりもするのかもしれない。
遠く故郷を離れても、やはり日本人は醤油や味噌の香りを忘れる事が出来ないのだ。
今度家で漬けているたくあんでも差し入れてやるべきなのかもしれない。

「だからって、毎度毎度シスターのとこに飯食いに行くってのもどうかと思うけどなー」

「うっ……。そりゃ、迷惑かけてるかもしれないけど……」

美鳥のケケケ笑いと共に発せられた指摘に、大十字がそっぽを向きながら思わず言葉を詰まらせる。
どういった訳か、シスターライカの教会では洋食と並んで和食が多く食卓に並ぶ事が多い。
米も決して安い訳では無い筈なのだが、どこからともなく振り込まれる援助金のお陰で選択の幅が増え、子供達の身体の為に栄養学的にも優れている米飯が出される比率が増えたのだとか。
その援助金の出所を知っている俺は、大十字に対して弧を描き細めた眼を向ける。

「アレ長、もとい、あしながおじさん兼食にも困る貧乏学生も良いけど、それだけじゃ女性は落とせないと思いますよ」

「うぅっ!」

「バイトしてまで資金援助も良いけど、学業をおろそかにはすんなよなー」

「ぐはっ……」

俺と美鳥の連携攻撃に、遂に大十字が胸元を抑えて後ろによろめく。
そう、アメリカかぶれといえば、今周の大十字はその中でも特に強くアメリカかぶれだろう。
何しろこの大十字、シスターライカを狙ってアプローチを繰り返しているのだ。
金髪巨乳眼鏡好きとか、余りにも大艦巨砲主義過ぎるというか、趣味嗜好が過剰にアメリカナイズドされ過ぎているのではないだろうか。

『ふん、あのような小娘の何処が良いのやら、妾には到底理解できそうも無い』

ここで大十字の鞄の中から空気では無くエーテルを震わせる特殊な声が響く。
雨に濡れたくないからと書の形に戻って鞄の中に潜り込んでいた大十字の魔導書、アルアジフだ。
因みに、今周の大十字はアメリカ的火力主義なので、アルアジフのつつましやかでなだらかな起伏に乏しい偏平なスマートかつフラットなスーパーライトボディには全然欲情できないらしい。
今周の大十字のメンタリティが最終決戦時に現れれば、ニャルさんのわがままボディの誘惑に耐えきれずバッドエンドルートに直行すること請け合いだろう。

「分かり易い場所にあると思うけどな、いいところ。例えば胸とか、あと胸とか」

更に言えば胸とか、眼鏡とかな。金髪は知らん。地毛は銀髪の筈だし。

「案外と、具合がいいとかそんな話じゃねーの? ひひっ」

それは少し発想がチンピラ過ぎるだろうと突っ込みたかったが、これは薄くなりがちなキャラを濃くしての事故アピール(んにあらず、デッキ事故とかと似たニュアンスだと思う)なので憐れみと諦めを込めてスルー。
だが、俺と美鳥の下品な発言に対し、少しばかり力を取り戻した風の大十字がよろめきながらも反論する。

「だから、そういう外見的な魅力だけじゃなくてだなぁ。こう、偶に見せる憂いを帯びた表情とか、優しさとか、そっちを挙げるだろ普通」

いい賛辞だ、感動的だな。だが無意味だ。
この惚気はかなりの真実度ですよぉ? ここまで照れる事もなく相手の良い所を上げられるなんて大した惚れっぷりだ。
自罰的思考でのネガティブスパイラルのふとした表出に、素顔を隠すための誰にでも向ける基本表情の如き笑顔は確かにS心を刺激されて魅力的ですよねとか言ったら間違いなく激昂しそうではあるな。
まぁ、どれもこれも大十字が無事にライカルートに入れれば知る事の出来る事だろうし、俺が言う必要も無いか。

「だったら、好感度稼ぎの為に人形劇の術式でも覚えてみます?」

「ああ、あれ子供たちに大受けだったよな。どうなってんだあれ」

前の前の休みの日、近所の他の孤児院の子供達も集めて俺と美鳥と姉さんで人形劇を行ってみせたのだが、これが思いの外受けた事を思い出したのか、大十字が興味津津と言った表情で訪ねてきた。

『やめておけ、お主の力量では寿命を縮めるだけだ』

「大げさだなアルは。なにもそこまで難易度が高い訳でも無いだろ。人形を動かすだけだし、念動の応用か何かじゃないのか?」

だが、ここでアルアジフの静止が掛かる。やはり止めたか。
パッと見は魔術師でも分からない様に隠ぺいしてあるのだが、魔導書の精霊から見れば一目瞭然なのだろう。

『うつけ。よいか九朗、あの人形劇は『機神招喚』の変形、規模こそ小さいが、あの劇に登場した人形はすべて鬼械神だ』

「…………マジで?」

アルアジフの言葉を聞き、数秒天を仰ぎ考え、顔を下ろして俺と美鳥を見ながら尋ねる大十字。その瞳には猜疑の色が浮かんでいる。
俺と美鳥を疑っている訳では無く、アルアジフの言葉の真偽を疑っているのだろう。

「マジす」

「マージ・マジ・マジーロだね」

変身するなという突っ込みを投げ捨てながら頷く。
二十周前の十二周目で姉さんに言われたとおり、俺は通常の魔術の修業にくわえ、更に並行して機神招喚の応用術式の訓練を行い続けている。
最初はシュリュズベリィ先生の能力を応用してアンブロシウスを招喚する所から始め、アルアジフコピーを利用したアイオーンの召喚とだんだん幅を広げ、今では二十センチの人形サイズまで小型化した鬼械神を召喚可能になった。
小型化に成功した辺りから武装の暗器化に加え、表面を陶器に近い材質で覆い人の顔を、ベルゼビュートの如く布を纏わせ衣服とする事で、見た目は只のお人形にしか見えないレベルまで辿り着く事が出来た。
これを発展させてヴァルシオーネR張りの巨大メカ娘ロボを作ったり、知能を搭載して本当に神様属性を持った武装神姫とか呼び出せるようになるのが、今後の目標だったりする。
……本当はアイオーンとかアンブロシウスとか以外の鬼械神も呼び出して訓練できればいいのだが、形状や性能を変化させる事はできても、全く思想、系統の違う鬼械神を呼び出すには、キーアイテムとしてそれ専用の魔導書が必要となってくるらしい。
だが、現状でも最初の頃に比べれば十分過ぎる程に鬼械神の運用の柔軟性は上がっているので、しばらくは小技を鍛える事で我慢しよう。
そんな事を考えていたら、大十字の鞄から傘が雨を弾く範囲に収まる控えめさで頁が舞い、大十字に寄り添うようにして人の形を形成する。

「鳴無、貴様等兄妹がどの様な形で修業をしても構わんが、妾の主に無茶な修行を勧めてくれるな」

人の形を取ったアルアジフが、じろりと俺の事を睨みつけてきた。

「貴様等と違って、我が主は『まともな人間』だ。一緒に修行して壊されては困る」

敵意という程でも無いが、その視線には明らかな警戒が浮かんでいる。
此方が悪意を持っている訳では無い事は理解している様だが、それでも主(敬って居なくても主は主だということだろう)を戦闘以外で無闇に危険に晒すのは本意ではないのだろう。
唯でさえ機神招喚は只の人間の魔術師が用いるのは代償の大きな術式だ。
大十字はその余りの相性の良さに気付いていないかもしれないが、やはりアイオーンを招喚する度に極々僅かながら魂は削れ、回数を重ねれば当然死に至る可能性だってある。
破壊ロボや偽アイオーン、逆十字などと戦う時以外で無闇に機神招喚を発動させたくないからこそのこの態度だと思えば、可愛いとすら思える。小さすぎて守備範囲外だが。
いや、むしろボール球どころか投げる前からメディ倫や児ポ法辺りの影響でボークか無効試合か。

「おいアル、言い過ぎだ」

「あいた!」

腕を組み、こちらを睨み続けているアルアジフの頭を大十字がぱこんと叩き、アルアジフが叩かれた箇所を両手で撫で擦りながら警戒むんむんの表情を涙目に変えた。
そんなアルアジフを尻目に、大十字が苦笑いしながら片手を手刀の形にして頭を軽く下げる。

「わりぃな。アルも悪気があって言ってる訳じゃないから、あんま気にしないでくれ」

「いいですよー。それに、わざわざそんな小ネタで好感度を上げなくとも、今度の休日にデートに誘えたんでしょう?」

「おう! 念願叶って初デートだ!」

──だが、そうなる様に誘導したのも、何を隠そうこの私だ。
人形劇で一般的な演目に混ぜて仲睦まじい姉弟が仲違して最終的に戦場で相討ちになる悲劇物とか混ぜてメンタルを弱らせ、大十字がそれをさりげなく慰める事が出来るように子供達の視線を人形劇に釘付けにもしていた。
ふふふ、思いのほか貴様等の誘導は容易かったぞ。何しろ娯楽の少ない孤児院の事、ジョージもコリンもアリスンも、他の孤児院の子供達もかなり夢中になってくれたからな。

「いいか大十字、女性をデートに誘えたからってあせったらダメだぜ? ホテルは最低でも三回目のデートの時に、さりげなく休憩をとる形で入らないと警戒されるからな。ほら、餞別にこのマップをやろう」

「ありがてぇ、って、これラブホにしかマーク付いてねぇじゃねえか!」

「男は獣だからな。どうしても我慢できなくなったらそこに書いてあるラブホにかけ込むのがお勧め。そして全身のポケットを探ってみな」

「いつの間にかいやらしいゴム風船が大量に……!」

「ふふふ、これで多い日も安心だなぁ大十字。シスターは孤児院の子供たちだけでも大変なんだから、今焦ってにんっしんさせたらいかんぜ?」

美鳥と大十字のアホなやり取りを眺めつつ、考える。
これで今週の大十字の嗜好も合わせれば、確実にライカルートに突入するだろう。
暴君が瀕死の重傷を負い、胎児を引き抜かれた上で死体を放置されるのはライカルートだけ。
無名祭祀書の行方が分からなくなるのもこのルートだけ。
つまり、この二つを安全に確保しようと思ったなら、何千何万のループの中で三十二度位しか訪れないライカルートに狙いをつけるしかない。
大十字の嗜好がオールマイティからボイン派になる機会はそれだけ少ない。
逆を言えば、俺の目論見通りライカルートに突入してくれれば、一気にシュリュズベリィ先生をも上回る位階にいそうな魔術師の死体と、優秀な魔導書を一気に取り込むことが出来る。

「先輩先輩、とりあえずこの流行りの甘味店が網羅されたマップを上げますから、美鳥のそれも大人しく受け取ってくださいな。ほらほら和スイーツの店もありますよ」

「いくらライカさんの気が引ける店を教えて貰っても、全身にコンドームを忍ばせたままデートなんてできるかこの日暮里出身!」

俺は期待に胸を膨らませながら、一度も日暮里に行った事が無いのに日暮里出身扱いされたことへのツッコミを行う為、ハリセン型バルザイの偃月刀の錬金を行うのであった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

ざあざあ、ざあざあ、と、空から絶え間なく落ちる雨が街を濡らす。
降りしきる雨の中を、襤褸を纏った少女が、とぼとぼとあてどなく歩く。
傘をさし、もしくは傘をささずに街の人波が、少女には嫌に遠くに感じられた。
当然の話だ。何しろ、彼女にはそれらの近くに居た記憶が無い。
もしかしたら、ここではない何処か、今では無い何時かにそんな場所で生きていた事もあったのかもしれない。
だが、ここの、今の自分にはそんな記憶、どこを探しても存在しないことを、少女は嫌という程に理解していた。
侵されている。犯されている。冒されている。
世界はどうしようもない程に、邪悪で強大な神の掌の中。
足掻いて足掻いて足掻きぬいて、でも、どこまで行っても、どこにだって辿り着けない。
また、この汚された世界で、一人、歩き続けている。
逃れようの無い、飽きる程に繰り返されている終わりに向けて、止める事の出来ない前進を続けている。
袋小路に当たるのでは無く、出口の無い迷路で彷徨い続けている。
少女の瞳に浮かぶのは、諦観と絶望。
これまで自らの身に起きた禍を忘れることなく、これから自らの身に降り注ぐ禍の大凡を知り得るからこその感情。
だが、ならばなぜ少女は意味も無く、あてどなく彷徨うのか。
それは、世界の真実の一端を知る少女にすら知り得ない、有り得ない存在を感じた為。
災厄の詰まった箱に最後に残されたこの世で最も恐ろしい概念を彼女が有していないからこそ、未知という可能性に縋ってしまう。
これから産み落とす忌まわしき黒の王でもない。
未だ邪悪に力及ばない白の王でもない。
自らの知り得ない、全くの事前情報の無い、イレギュラー。
そんな者が『居るかもしれない』と感じた。唯それだけの理由で、彼女は持てる力の全てを用い、逃げだしてきた。
いや、逃げだすのは何時もの事か。
そんな事を考え、少女は毎度自らが行っているであろう行動を嘲笑う。
これまでの自分も、もしかしたら幾度か似た様な理由で逃げだした事があるのかもしれない。
在るかどうかも分からない、希望に縋って。

「あっ」

ぬかるみに足を取られ、その場にベシャリと倒れ伏す。
雨に濡れ、更には襤褸諸共泥まみれになりながら、少女は起きあがる気配を見せない。
倒れたまま、顔を伏せたまま、その小さな身体を小刻みに震わせる。
起き上がるでなく、身体を転がして仰向けになる少女。

「……は、ははは、はは」

笑っている。疲れた老人の様な、夢破れた芸術家の様な、疲労感と自らへの呆れに満ちた笑い声。
顔に付いた泥が雨で流され、泥水を口の中に運ぶ。
土の味を舌に感じながら、尚少女は笑い続ける。ビルに区切られ、直線に囲われた曇天を仰ぎながら、降り注ぐ雨を受け入れながら。
如何し様も無い循環に組み込まれながら、在りもしない希望に縋って、何もかもどうにもならないと分かっていながら、それでも足掻くのを止められない。
自らの余りにも滑稽な振る舞いに、少女はただただ笑い続ける。
笑い続ける少女の目の端から次々と雨が流れて落ち続けている。
頬を伝う雨よりも温度のある液体の感触に、これまで知らず繰り返してきたかもしれない自分の行動に、少女の心はかき乱される。

「もし、そこの人」

ふと、少女に声が掛けられる。
人混みの喧騒もかき消す程の雨音も、自らの喉から発せられる笑い声も、何処からか響く邪神の嘲笑ですら遮る事の出来ない、不思議と良く通る男性の声。
少女の目が見開かれ、声の元へと視線を走らせる。
声の主は、傘をさした男だった。
背後にしかめつらをした少女を従え、近付いてくる。
雨に打たれていた自分の上に傘がかかるまで近付いてきた男。
全体的に朴訥な造形の顔に、全体の調和を崩す鋭い眼の、大十字九郎と同じ東洋人種。
そして何より、少女が知らない、少女に知る事の出来ない、見たことも無い、消す事も出来ない、居ない筈の魔術師。

「こんな所で寝ていると、風邪をひいてしまいますよ」

居るかもしれず、しかし居ないだろうと自ら結論付け嗤っていたイレギュラー。
完全な外来人(イレギュラー)である鳴無卓也と、最凶にして最悪の称号を冠する反逆の逆十字(アンチクロス)、暴君の初めての邂逅は、こうして果たされる事となった。




続く
―――――――――――――――――――

※ネロ=暴君はその死亡タイミングと、完全にループしている訳では無い(ライカルートでのニャル様の発言とそれに対するリアクション参照)という欠陥により、主人公の第四十三話ラストから第四十四話ラストまでの行いを知りません。
※他にも、なんでエンネア、というか暴君が主人公に興味を持ったか、という理由はあるんですが、そういう重要な設定は本編中に語らないと意味が無いじゃないですか、やだー!

これを最初に書いておかないと怒られそうな気がしたので。
正直批判除けとか邪道だと思うんですけど、この辺は書いておかないと次回までにその辺かなり突っ込まれそうな気がしたので念のため。
救う救わないはネタばれになるから書けませんけどもねー。

気を取り直して、日常シーンと修行シーンと処刑シーンしかない大人しめで、しかしちゃっかり二十七周進んだ第四十五話をお届けしました。

このSSはほのぼの無惨を目指している為、前回の様な派手な戦闘話とかは実はメインでは無いのですよ。
こっそり技術を盗み出したり、捕食したりするのがメインの目的である為、当然のごとく原作イベントからは積極的に離れて行きます。
安全そうな期間を見計らって力を手に入れに行くのが基本コンセプトですので。
本来ならブラスレ編並みのすれ違いっぷりになる予定だった事を考えれば、今でも十分原作イベントに関わっているんですよね。
なので、暴君との戦闘シーンとか期待されると、正直、その、困るます。
戦闘とか止めて、みんなでロボットでも食べようぜ! あと能力者とか。
捕食相手の都合は基本的に見て見ぬふりですが、そんな主人公で良ければ今後ともよろしくお願いします。

さて、次回はアンケ結果を取り入れるという、当SSでは異例とも言える斬新な決定により、別に挟まなくても困らなかったロリルート──エンネア編です。
ギャランドゥ編を希望してくれた僅かな人、ご安心ください。あっちは強制ルートなので後から必ず通ります。
アカシックレコードにアクセスする事すら可能な暴君ですら知らない、完全な未知の存在であるトリッパー、鳴無家。
そんな鳴無家の長男に、ひょんな事から拾われた暴君は、彼等の家で一体何を体験するのか──
とか書くと予告編みたいですよね。ハートフルに行ければいいなと思います。


そんな訳で、珍しく感想板で疑問質問が出ていたのでここぞとばかりに疑問解決コーナー。

Q,機械巨神のサイズって?
A,ややガタイの良い知り合いのあんちゃんに協力して貰って、ペットショップで小鳥を優しく握って貰った結果、大体1300メートルくらいでいいんじゃないかって思えました。
所詮距離も時間も心の迷いが生み出す幻に過ぎませんので、大体そんな感じのサイズだと思ってもらえれば。
Q,アリスンは取り込んだの?
A,あくまでも積み木崩しが目的だったので、アリスンは寝取り後にジョージやコリン共々機械天使達の群れに放り込まれました。
幼女だから手加減される、優遇される時代など存在しません。
Q,教授とハヅキは下僕になるの?
A,なりません。優れた魔術師にはナノポするよりも早く異変に気付かれてしまう為洗脳も出来ないし、ハヅキはそもそも精霊なのでその手の洗脳術は効かず、双方から世界の敵と認識されているので複製しても敵意むんむんです。
フーさんが協力的なのはあくまでも戦場とファンシーを提供してくれる主人公サイドに旨味があるからにすぎません。帰る場所も目的も無いですしね。
そもそも生きたまま取り込んでるからそのまま複製を作り出せません。
作れるのはシュリュズベリィ先生と同じ位階の知識と技を持たされたデモニアック程度でしょうか。
雑兵が一斉にアンブロシウスを招喚してガガみたいに超光速で体当たりとか、衝撃波で地球が大ピンチですね。助けてピンチクラッシャー!


そんなこんなで、今回もお別れのお時間です。
誤字脱字に関する指摘、文章の改善案、設定の矛盾、一文ごとの文字数に関するアドバイスなどを初めとするアドバイス全般、Gジェネワールドでのマンダラガンダム最短作成法、
そして、長くても短くてもいいので作品を読んでみての感想など、心よりお待ちしております。




[14434] 第四十六話「拾い者と外来者」
Name: ここち◆92520f4f ID:190f86b3
Date: 2012/12/08 21:27
立ち込める湯気で見通しの悪くなった浴室に、どこか呆れた様な少女の声が響く。

「汚物に溢れた街でも、塵の一つ一つを拾う行為は無駄では無いって言うけどさぁ。やっぱ程度によるわけよ」

一切抵抗する素振りも見せずに身体を石鹸の泡で覆われ洗われている癖のある赤毛の少女──暴君に対して、先端の跳ねた黒の長髪の少女──美鳥は自らの持論を展開し続ける。

「もち、倫理面での話じゃなくて、単純に収支面での話な。例えば小銭を拾うとするだろ? これが十円百円ならまだしも、一円だと実は拾う意味がねえんだ。なんでかわかっか?」

「…………」

面倒臭そうな表情で自らの頭を洗う美鳥の、しかし丁寧で優しい指の感触に身を任せながら、暴君は呆っとした表情で美鳥の言葉に頷くでも先を促すでもなくただ耳を傾ける。
目の前のイレギュラーの一人が、一体どういった人物であるかを見極めんとしているのだ。

「身体をかがめて落ちた一円玉を拾うのには、一円で摂取できる以上のカロリーが必要になる。だから、単純に考えて一円玉を拾うのはマイナスって訳な。まぁ、これは一部の国に限った、ていうか日本に限定した極端な話なんだけど」

逃げ出した先で拾って貰いはしたが、それでもこのイレギュラー達がまともな、悪意を持った神の側ではなく、人類側の存在であるかどうか、暴君の得た少なすぎる情報では判断できなかった。
一見して、身体の魔力の流れに不自然なところもあるが、それは魔術に関わるものであれば何処かで確実に自らに施すごく普通の肉体改造術によるものでしかない。
何より不思議な事に、このイレギュラー達からは、魔術師達が持つ独特の闇の臭いが感じられないのだ。
これを不思議な事だととるか、それとも不自然な事と取るか、鳴無宅に連れて来られて一時間もしていない暴君には、判断の材料が少な過ぎた。
雨の中、襤褸を纏った自分を拾い、気を使って同性である妹に身体を洗わせるという行為は善人の様でもあるが、同じ手口を使い信用を得ようとする人売りはこの街の裏路地に入れば幾らでもいる。
暴君の良く知る邪神にしても、人間の中に紛れた場合、ここぞという場面以外では人畜無害な性格を演じる事が多い。
対象への優しさは、それだけでは信用する為の物差しにはなり得ない。
そう、悪魔は優しいのだ。
そんな事を考えながら、暴君は自らの頭を洗い終え、シャワーで流し始めた美鳥を見上げようとして、頭を押さえつけられた。

「リアクションが在るのは嬉しいけどよ、流す時くらいは顔下げとけって」

勢いよく流れる熱めの湯の温度に驚き、僅かに身を震わせる暴君に構わず、美鳥は言葉を続けた。

「まぁ、何でもかんでもメリットデメリットのプラスマイナスで考えろとは、流石に言えないんだ。お兄さんはお兄さんである限り、何処まで行っても鳴無卓也という人間でしか居られないしね」

当たり前っちゃ当たり前だけどなー、と気楽そうに呟く美鳥。
暴君の頭の泡は全て流され、美鳥の手によって今度は身体に石鹸を塗付けられていく。

「メリットとデメリットだけで判断すりゃ、あの場でお兄さんが手前を拾ったのは、なんてーかな、本人の前で言うのは憚られるって建前は置いておくとして」

石鹸の塗りつけられた暴君の肌を、美鳥の細い指が揉むように、磨くように、石鹸を擦り込む。
暴君の喉元から当てられた手が、胸にまで下りずに肩に流れ、つぅ、と上腕から肘までを滑り、所々に刻まれた傷痕を、刺激しない程度になぞる。
指先は遂に手首の鎖の痕に到達、何事も無かったかのように通り過ぎ、指と指をからみ合わせる様にして手の先まで丹念に洗って行く。

「デメリットの方が大きいのは目に見えてんだよ。ま、時折こんな不合理な行動を起こすのも、やっぱりお兄さんの面白い所でもあるし、これはこれでありっちゃありなんだけど」

絡めた指先を解き、片手で手首を保持したまま、もう片方の手で胸全体を掌で柔らかく捏ねる様に洗い、そのまま掌を鳩尾、下腹部へと下にスライドさせ、デリケートな部分へと滑らせる。
腿を撫ぜ上げ、スリットに指を浅く差し込んで洗う美鳥の手の動きは優しく、しかしどこか有無を言わさぬ強さをも表していた。

「お兄さんが『人間』である以上、心の余裕(ヒマ)から不合理な判断をするのも間違いじゃない。でも──」

手首を捕まえていた手を放し、その手で顎から口までを洗いながら、美鳥は暴君の耳元に口を寄せ、底冷えする程の優しさすら感じる口調で、小さく呟く。

「手前の存在が、お兄さんに害になるってんなら、お兄さんの意に背いてでも、消えて貰う事になる」

その警告に、暴君は無表情のまま、内心でかすかに微笑む。
少なくとも目の前の美鳥という名の少女は、自分を騙す事よりも先に自らの兄の身を案じて見せた。
其処に込められた思いは、自らを洗う手に一瞬だけ籠った致死威力の魔術の気配から、嘘偽りの無い本音だと知る事ができた。
勿論、それがそのまま鳴無家がどちら側であるか、真実自分を終わらせる、呪われた運命から解き放ってくれる存在であるという証明には成り得ない。
だが、彼女は兄に嫌われる事を厭わず兄の身を案じるという、家族の絆を見せた。
ただただ優しさを見せ自分を信用させるだけでは無く、家族の身を案じ、嫌われ者役を買って忠告し、家族の危険を減らしに掛かってきた。
それは少なくとも、彼女に計算だけではない情が存在しているという事だ。
暴君は美鳥に身体を洗われながら、美鳥からは見えない角度で、口元に小さく笑みを浮かべた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

身体を洗い終え、美鳥と共に風呂から上がった暴君を待っていたのは、間に合わせの服の選択だった。
選択といっても、その幅は非常に少ない。パジャマか、ジャージの二択。
まだこのイレギュラー達にどのように反応するか決めかねている暴君はどちらを選ぶでもなく動かなかった為、付き添っていた美鳥が勝手にジャージを着せていく。
身体を拭き着替えを終えた暴君と美鳥は居間へ移動し、そこで完全に汚れを落とされた襤褸を手に首を捻っていた男に声を掛けられた。

「なんだ、結局ジャージにしたのか」

男の言葉に、美鳥は肩をすくめて答える。

「こいつ、下手に見目麗しいから、中途半端に可愛いデザインだと服の方が負けちまうんだよ。ダサい小豆ジャージのがよっぽど相性がいいって」

「そうか、キャラプリパジャマじゃ駄目か……」

男は少し寂しげに呟くと、気を取り直して暴君に顔を向け直す。
愛想笑いの様な曖昧な笑みを浮かべた、やや申し訳なさそうな表情。

「まぁ、暫くはそれで我慢してくれ。そのサイズの服が存在したのが奇跡に近いんだ」

暴君は自分を連れてきた男の言葉に、心の中で頷いた。
何しろ間に合わせなので仕方が無い。唐突に自分を拾ったのであれば、衣服を用意している方がおかしいのだから。
暴君は、せっかくブラックロッジを抜け出して着る衣服がこれかという、オシャレへの僅かな不満を抱いている内心をおくびにも出さず、目の前の男を観察する。
目の前の目つきの悪い男──卓也は、机の上に広げられた型紙と、元は暴君が着ていた襤褸切れを洗った物を見比べながら、口元に手を当てて思案顔でぶつぶつと何事かを呟いている。
暴君程の年頃の少女の着ていた衣服を握りしめ、真面目な顔で考え込む姿は一見して変人であり、一度見返しても怪しげであり、つまり、暴君からすれば、何処にでも居る一般的な人間にしか見えなかった。
パッと見の印象では、とても魔術に関わる人間には見えない。
顔つき、というよりも目つきこそ厳しいが、魔導理論を捏ねまわすよりは畑で鍬を振るっている方が似合う風貌ですらある。
良く言って素朴な顔つき、悪く言えば、地味。
位階が上がれば上がるほど、人間的に見て好ましくない方向に個性が突出する魔術師という生き物に分類するのであれば、まだ入門したての初心者といった感じか。
だが、彼等が字祷子宇宙の外からの来訪者なのだとすれば、見た目から判断できる印象だけではどれほどの力を持ち合わせているか判断するのは難しい。

「お姉さんは?」

「台所。今日はカレーだから、カレー鍋ぐりぐりかき混ぜてる所だ」

今現在はそれ以外に見るべきところも無い。ここが戦いの場では無い以上、彼等の力を推し量るのは難しい。
今現在の彼等の振る舞いは恐らく(暴君自身はそれを体験した事が無いので確信は持てない)ごく一般的な家庭のそれで、不審な点や怪しげな点は殆ど見当たらない。

「卓也ちゃん、美鳥ちゃん、付け合わせは何がいい?」

台所から声が響き、エプロンを着た女性がタオルで手を拭きながら現れる。
彼女が彼等の言う姉なのだろうと暴君はあたりを付け、一見して不審過ぎる程に不審な点が無いことを確認、警戒を強めようとし、
【彼女は危険ではない】
暴君の頭に一瞬でその事項だけが書き加えられた。
暴君はその女性は害が無いと確信し、視線を向けた事を悟られない内に目を逸らす。

「あ、俺は福神漬け」

「ラッキョウ、は小型爆弾で、水は人食いの液状生物なんだっけ。レーズンでお願い」

「なんだっけそれ、美鳥ちゃんそのデータはどこから?」

「セガサターンかなんかのソフトかな。お姉さんの記憶の中でもかなり薄れ気味の記憶だよ」

「どっちかって言うと卓也ちゃんの方が好んでプレイしてた気がするけど、なんとなく覚えがあるような……」

「宇宙軍艦日暮里だっけか、何もかも皆懐かしい」

三人姉兄妹(きょうだい)による、和気藹々とした雑談が繰り広げられている。
極々一般的な人間の振る舞い、普通の生活の情景。
暴君にとって、憧れがあるかどうかはともかく、間違いなく縁遠い世界。
それはある種異常な事なのだ。
なにしろ、普段の彼等がどうあれ、今日は襤褸切れを纏い、全身に傷を負った少女を拾って来ている。
そんな事があれば、控えめに言っても、少なからず家の中の空気は変わる。
控えめに言わなければ、少女が虐待を受けているだろうという事に気が付けた時点で、家の中の空気は最高に重くなる。
だがその異常を兄妹のやり取りを、複雑な感情の入り混じった瞳で見つめる暴君は気付く事ができない。

「で、お嬢さんは何にする?」

会話の内容を耳で拾わず、その暖かい光景だけを見つめていた暴君に、卓也が声を掛ける。
逡巡する。なにしろ、暴君はカレーにかけるトッピングで何が美味しいかなど知らない。
いや、何より、現時点で彼等の出す食べ物を口にしていいものか、という不安がある。
イレギュラーを目指して脱走したはいいが、いざ出会ってみると、何をするにしても躊躇ってしまう。
何しろ、少なくとも記憶している限りでは初めてのイレギュラー。どれくらいの距離で、どれくらいの力で接すればいいか、暴君は測りかねているのだ。
暴君が卓也への答えに迷っている間に、姉と呼ばれていた女性が軽く噴き出した。
何事かとちらと暴君が姉──句刻に視線を向けると、彼女は腹に手を当て、膝を叩いて苦しそうに笑っていた。

「お、おじょ、お嬢さんって、お嬢さんって卓也ちゃん、それ何キャラ……? だめ、笑う……!」

何がツボに入ったのか、句刻は腹を抱えたままソファーに倒れ込み笑い転げる。
それに卓也が不満そうな視線を向け、そんな彼等を見て美鳥がやれやれと肩を竦め、暴君に向き直った。

「悪い、ちょっと色々不便だから、名前だけでも教えてくんねぇ?」

名前、そうだ、彼等の名前はここに連れてこられるまでに教えられたが、自分は彼等に名前を教えてすらいない。
名前を問われ、ブラックロッジでの立場をも現す暴君という渾名と、それを象徴するようなネロと言う忌まわしい名前が真っ先に暴君の頭に浮かび、急ぎそれをかき消す。
彼等がその名の意味を知っているかは知らないが万が一の事もある。
それに、もしかしたら自分に希望を齎してくれるかもしれない彼等に、そんな不吉な名前を背負って立つ訳にはいかない。
偽名でも駄目だ。それでは彼等が善き存在だった時に礼を欠く事になってしまう。
暴君の頭の中に、名乗るべき名の候補が幾つか浮かんでは消え、一つ、心にすとんと落ちる響きが残った。
由来を考えればこれも、自らがおぞましい実験の果てに生まれた怪物である事を示す名前かもしれない。
だが、この名前には、希望がある。
目の前のイレギュラー達とも違う、この世界を本当に終わらせる事の出来るかもしれない希望。
その一字と、遠い昔に、暴君の名を押し付けられた時に使わなくなったナンバリングを掛けた、洒落の利いた名前だ。
皮肉も利いていて、しかしそれだけでは終わらず、偽名とも言えない、ここで名乗るのに相応しい名前。
彼等の前に居る自分にだけ与えられる、理想と希望を模った仮面の名前。

「…………エンネア」

反逆のアンチクロスではない。最凶のアンチクロスでもなく、もう一人のマスターテリオンでもない。
暴君とは違う。世界の外からの来客を迎える、ただの少女としてのエンネア。
その名前を、エンネアは僅かに笑みを浮かべながら答えた。

―――――――――――――――――――

儚げに微笑む暴君──エンネアに対し、換えの衣服をワイシャツで済ませ無かった理由はと言えば、まず原作の大十字と俺との経済状況の違い、次に来るのは慎重さの違いだろう。
経済状況に関しては特に言うまでも無い事ではあるが、二年と少し程度であれば、市場を気にせずに貴金属を売り払って金を作る事は容易く、万が一を見越して幾つか余裕を持たせて来客用に寝間着や布団を用意する程度の備えは当然している。
次に慎重さ。これは大十字に限った話では無いのだが、大体のラブコメものの王道として、主人公はヒロインから被った被害から学習しない。
部屋に入る時はノックしない。もしくはノックしても返事が返ってくる前にドアを開けてしまう。そして身体は勝手にシャワー室へ向かうのだ。
これらの部分的な学習能力の欠如とも取れる現象は、もちろん主人公とヒロインの間にイベントを起こす為の神の手によるもの。
何しろラブコメだ。着替え中の、もしくはシャワー中のヒロインをだして読者サービスの一つもしなければ人気はガタ落ち、終いには打ち切られて後書きで電波な捨て台詞を吐いて業界から抹殺されてしまう。
大概のラブコメ主人公は痛みを知らない子供も心を無くした大人も別に嫌いでは無い(遠回しなデレではない)と思うので、バイバイとか言って一年半以上姿を晦ます必要もその後結局行方不明になる必要も無いのだ。
まぁ、もはや人気取りや読者サービスよりも先に、様式美だからという理由でそれらのイベントを起こすところもあるが。
打ちきりの心配の無いジャンルでは、主にサービスシーンや様式美が主な理由となるだろう。
大十字とアルアジフが同時に存在する場面での様式美と言えば、アルアジフの所業で大十字が何か不幸な目に合うという処だろうか。
ここで思い出してほしいのが、大十字が常日頃からアルアジフに受けている仕打ちである。
例えば初めてシスターライカの孤児院兼教会に訪れた時、もしくは初めてミスカトニック秘密図書館に訪れた時だ。
アルアジフはこの二つのシチュエーションで、先に周りが誤解したという部分があるにせよ、まるで性犯罪者にでもしたいかの様に振舞っている。
これは頑なな主を柔らかくする為の彼女なりのコミュニケーションなのかもしれないが、ここで重要になってくるのはそんな彼女が、主が拾ってきた年端もいかない少女に着せる服を、どういった基準で選択するかという事だ。
アルアジフは服すらも身体の一部である為に予備の衣服という物を持っておらず、選択肢は主である大十字のクローゼットの中の僅かな衣服に限られる。
当然、露出の多く、万が一突然の来客に目撃された時でもとっさに主に濡れ衣を着せられ、しかしある程度の説明で誤解を解く事のできる絶妙なラインに存在する『男物の大きめのワイシャツ』を選ぶであろう事は想像に難くない。

「エンネアちゃんか」

名前に特に思う所は無いので軽くスルー。
思考を再開する。
アルアジフが、主へのサービスと嫌がらせと手抜きを兼ねてワイシャツを選ぶ事は、誰でも予想できる。
ならば、ならば、だ。やはり大十字も、『アルアジフがエンネアにワイシャツを着せる事を予測していた』可能性が非常に高い。
例えば着替えを用意するに当たって、普通の長袖のシャツに、裾を折りたたんだズボンとかでも構わなかった訳だ。
ワイシャツを着させるのと、普通のシャツを着させるのには労力の面においてさしたる違いは無い。
アルアジフも稀に主を貶めようとする場面こそあるが、基本的に常識に則った常識的なお願いであれば聞く程度の常識は持ち合わせている。
大十字は、アルアジフがエンネアにワイシャツをはおらせるだけだろう事を予測しながら、着せる衣服を指定しなかった。
しかし、大十字はアルアジフがエンネアにワイシャツだけを着せた事に驚きの感情を得ている。
つまり、大十字九郎は自分でも自覚できていない無意識のレベルで、エンネアの扇情的な裸ワイシャツを見たいと願っていたんだよ!!!!1!

『な、なんだってーΩΩΩ!!!』

《おっと、宇宙人に怪しげなインプラントをされたり軍産複合体製の怪しげなナノマシンを投与されたりした可哀想な被害者達を全員ほったらかしにするミステリー捜査班の悪口はそこまでよ》

俺の体内に知能部分のみを構築した美鳥の驚きの声と、暴君の魔術の腕でも察知できないスーパー☆テレパシーで脳に直接語りかけてくる姉さんの突っ込み。
ついでに言っておけば、大十字の様に先を見越した上でついうっかりアルアジフに衣服のチョイスを任せてしまうのと違い、あらかじめパジャマとジャージという比較的健全な衣服を渡す事で美鳥にボケの間を与えない辺りが俺の慎重さという訳だ。
大体、ワイシャツを着せている以上裸では無い。だからあのスタイルは『裸ワイシャツ』ではなく『素肌ワイシャツ』と呼ぶべきだろうに、わけがわからないよ。

『それはそれとしてさ、なんでわざわざ拾って来たん? 外に出てる方のあたしが風呂場でくまなく精密検査したけど、あのガキ、間違いなく暴君だぜ?』

同期している外の美鳥からの情報を分析し終え、エンネアの正体に確信を抱いた美鳥が不満そうな思考を発した。
全身隈なく、と言ったが、そうなるとやはり子宮の内部もスキャンして確認したのだろうか。

《そっちは美鳥ちゃんじゃ不安だからお姉ちゃんがやっておいたけど、……もう『居る』わね、次の大導師》

気付かれて無い?

《それはもちろん。この作業だって何度も何度もやった覚えがあるしね。今さら失敗なんてするわけ無いじゃない》

『それ実は失敗フラグじゃね?』

確かに。
まぁ、いかな大導師殿とはいえ、未だこのループの大導師殿が生存している以上、そう強烈な自我や外界への知覚能力は芽生えていないだろう。
……正直、これも実は全てお見通しフラグに変えられそうだから怖いんだよなぁ。
大体、作中の活躍シーンだけでは大導師殿が出来ることと出来ない事の境界が見えてこないのがいけない。
宇宙を破壊したりできるのに、ニャルさんの時計には一切抵抗できずに巻き戻されたりするし。
そもそもニャルさんだって本来ただの使いっぱしりの筈なのに、妙に格の高い神様みたいな扱いになっているし。
いや、神様の中の使いっぱしりって事は、それだけ色々と便利な能力を持っている証拠なんだろうけども。

『おにいさーん、あたしの質問に答えてよーうシカトとかマジでいじけるぞーあたしはー』

《はいはい、美鳥ちゃんには後でおやつ多めにあげるからいじけないで、ね?》

『わぁい! で、今日のおやつは?』

《ワリチョップ》

『…………自分で買うからいいっす』

なめんなよワリチョップ。最近のチロルの製品の中ではかなりのヒットだろ。
ていうかデモベ世界に売って無いぞワリチョップ。
いくらデモベ世界で半世紀ちょい過ごしたからってそこんとこ忘れるとか、美鳥最近だらしねぇな。

『いや、あたし、複製作れるし……』

あぁ、そう。仕方ないね……。

『ていうか、そろそろ内緒話はやめた方がいいんじゃね? あんまり黙り込んでると怪しまれるし』

並では無い速さで思考を伝え合っているので、実際は俺が『エンネアちゃんか』と言ってから二秒も経っていないのだが、ここで暴君──エンネアを拾ってきた理由を説明しようと思ったら通常時間で三十秒は掛かる。
ここは一旦家族間の会話を中断し、エンネアを食卓に移動させるのを優先させた方がいいだろう。

《長くなるって事は、深い理由があったりするの?》

いや、拾ってきた理由を考えながら説明するとしたらそれぐらい必要って話。
まともな理由とか正当性を考えようと思ったら倍かかるよ。

『つまり、何の考えも無いのかよ!』

落ち付け、飯を食い終えてみんなが寝静まるまでには良い理由を考えておくから。
姉さんもそれでいいよね?

《こういう突発的なイベントにも冷静に対処できるようになってこそのトリッパーだしね。大丈夫、この状況も、転がし方次第で確実にプラスに繋がるから》

姉さんマジでべリィクール……流石ベテランと言わざるを得ない。
意識を内から外に向けしゃがみ込み、改めてエンネア(小豆色ジャージ装備)に視線の高さを合わせて話しかける。

「エンネアちゃん、ご飯食べられるかい?」

俺の対外的年下向けのお兄さん口調に、やはり姉さんが身体を震わせて笑いをこらえているが、俺は割と大真面目なので軽くスルー。
いや、俺も正直最後の『~かい?』は要らないんじゃないかって思うけども、これがあると無いとでは大分印象が違う。と思う。
エンネアは俺の言葉に、濁った瞳に一瞬だけ知性の輝きを垣間見せながら逡巡する。
ともすれば見逃してしまいかねない僅かな表情の変化だが、完全に見た映像を解析に掛かっている俺からすれば分かりやす過ぎる変化。
これは、決してそこらのストリートチルドレンや変態金持ち爺のペットが出せる輝きではない。
相対する未知なる存在の本質を見抜こうとする、魔術師の瞳だ。
恐らくエンネアが俺達の、というより、俺の目の前に現れたのも偶然ではあるまい。
エンネアは、俺達がトリッパーという世界にとって最大級のイレギュラーであるという事実の一端を理解している。
その上で、俺達に害意があるかないかを見極めんとしているのだ。
そう、これはシュリュズベリィ先生の学術調査に付いて行った時、俺と美鳥が『中に何が入っているか分からないびっくりたこ焼き』を学生諸君に振舞った時に見た覚えがある。
まぁ、結局あのたこ焼きの中身は全て〈深きものども〉の死骸から採取した食べられそうな部位だった訳だが。
あの時はシュリュズベリィ先生が『観察眼を養ういい訓練になる』とか言って見逃してくれたんだよな。
で、シュリュズベリィ先生が俺と美鳥の悪戯に気が付けたのは、俺と美鳥の雰囲気から僅かな悪意を感じ取っていたからなのだとか。

「……うん」

エンネアは小さく返事をしながら、しかし確かに頷いて見せた。
これは、一応は信用された、と考えて良いのだろう。
今の俺はエンネアをどうこうするどころか、どうしてエンネアを拾ってきたかという理由すら存在しない。
子宮ごと胎児を抉られた死体と、持ち主の居なくなった魔導書を失敬しようと思ってはいるが、それは別に今生きているエンネアをどうこうしようという訳では無いから、悪意とはみなされないのだろう。
俺が何をしなくとも、目の前の少女は勝手に死に、極々稀に優秀な魔術師の死体と魔導書を提供してくれる。
持ち主の無くなった『落し物』を二つ、後は腐るだけの肉の塊と使い手が居なければ何もできない紙束を拾う事は悪だろうか。
勿論、悪では無い。リサイクルと考えれば、一般的には善性の行動だとすら言える。
地球に優しく、街を美しく保つトリッパー。我ながら善人だと思う。
そんな俺から悪意を汲み取る事は、いかな最強のアンチクロスといえど不可能と言ってもいい。
……などという、ちょっとしたジョークは置いておくにしても、だ。
俺の生理機能は、あくまでも俺の身体を構成するナノマシン風の物体が人間の俺に擬態する上での一つの機能に過ぎない。
つまり、俺の外見から汲み取れる情報は幾らでも偽装し放題な訳で、そこから俺の本心を見抜こうとするのは、文字通り不可能なのだ。

「よっしゃ飯飯。お姉さん、カレーに乗っける揚げ物とか無いの?」

美鳥がエンネアの手を引き、食卓に向けて歩きながら姉さんに問いかける姿を見ながら思う。
確かにエンネアを拾った事に理由は無い。
何しろ、俺はエンネアを最初見た時、唯の頭の可哀想なストリートチルドレンが死にかけているか、金持ちの変態爺辺りの玩具が逃げ出して世の中に絶望しながら死にかけているのだと思ったのだ。
暴君を拾ったのだと自覚していなければ、そもそも暴君を拾う理由など持ちようが無い。
俺はあくまでも、ここ最近珍しいイベントが見当たらなくなってきたから、ここらで不確定要素を取り入れる為に子供を拾っただけの事。
仮に、あの場に居たのが段ボールに入れられた子猫や子犬であっても拾っただろう。
子供一人かペット一匹を入れた新たな生活が、厄ネタ持ちのにんっしんっ魔術師(子宮内に次の大導師殿在中)を入れた新たな生活に変わっただけ。
最近妙に爛れた生活になり気味なったが、ここらで一つ新しい風が入ってくるのであれば、暴君やエンネアの一人や二人どうってことは無い。

「最近、ずっと揚げ物ばっかりだったから、乗せ物は焼き野菜とかのヘルシー系だけだよ。卓也ちゃんもそれでいい?」

「カレーライスにカレーコロッケは男の浪漫だと思ってるよ、俺は。カツは甘え」

「ん、知ってる。でも今日の所は焼きナスで我慢してね?」

とはいえ、それで大導師に目を付けられる可能性が高くなるのも事実。
正直、トラペゾ無しの舐めプ大導師殿相手であればどうにかまともに対抗可能なレベルまで来ているから、さして気にする必要はあまりないと思う。
美鳥の念には念を入れるという考えも理解できてしまうが、一度拾ったのを放り出すのも気が引ける。
とりあえず今は夕飯を食べながら、大導師殿との接触を避けつつ、エンネアの最後を看取る方法と、美鳥を納得させられるエンネアを拾った理由を考える事にしよう。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「……」

一夜明け、暴君──エンネアは、今まで感じた事の無い不可思議な感覚の中で目を覚ました。
人類の中では最高とも言っていい魔術への順応性により、アカシックレコードへのアクセスすら可能なエンネアは、世界の一部を書き換える力を持つ代わりに、この世界のどうしようもない部分を誰よりも理解している。
この世界は全て邪神の掌の中。足掻いて足掻いて足掻きぬいても、耳に聞こえるのは宇宙的悪意を秘めた嘲笑ばかり。
目に映る、耳に聞こえる、五感に触れる何もかもが自分を、世界を陥れ弄ぶ邪神の作為に充ち溢れているようにすら思えた。
暴君に、最凶のアンチクロスに、心の安らぐ時間は無い。
エンネアの世界は絶望と諦観に満たされていた。
だというのに、

「おはよう、良く眠れたみたいね」

思考を寸断される。
布団から上体だけを起こしていたエンネアが声のする方に顔を向けながら身体を身構え、何時でも魔術を発動できる態勢に移行。
脳内にどういった態度で対処するべきかという考えと、致死性の攻撃力を持つ攻撃術式と鬼械神の一撃も防げる防御術式を思い浮かべながら、声の主の顔を確認する。
イレギュラーの内の一人、鳴無句刻。
エンネアは、声の主が彼女である事を確認し、【彼女は危険では無いので警戒する必要はない】と頭の中の術式を霧散させた。
だが、それでもエンネアは視線を句刻から離さない。
【危険ではないし、警戒する必要もない】が、それでも目の前の女性との距離の測り方を決めかねていたのだ。
弟が唐突に拾ってきた浮浪者の少女を快く引き入れ、衣服も食事も与える。
通常ならば、とんでも無い善人か、超分厚い猫を被った奴隷商人のどちらか迷う事ができるのだが、いかんせん目の前の女性はイレギュラーの一人なのだ。
どういった考えで彼等が動いているか分からない以上、【彼女は危険ではない】が、彼等の善悪は未だ定められない。
目の前の句刻ではなく、イレギュラーの一人として、信用を置く事は出来ない。
そんなエンネアに、パジャマを着たままベッドから抜け出した句刻はクスリと微笑む。

「涎、垂れてるわよ?」

「……あわっ」

句刻からの思わぬ指摘に、顔を赤くしながら口元を拭うエンネア。
そんなエンネアを横目に句刻は窓の前まで移動し、両手で一気にカーテンを開け放つ。

「今日は快晴ね。お洗濯ものが良く乾きそう」

目を細め嬉しそうに呟く句刻の肩越しに窓から差し込む光は白く、既に日がかなり高くまで登っている事をエンネアに自覚させた。
そして、エンネアはその事に奇妙な感動を覚える。
時間が経つのも忘れて熟睡していた。
つまり、悪夢に魘されるでもなく、邪神の嘲笑に耳を塞ぐでも無く、絶望も諦観も、何もかもが幻であったかの様に、普通の少女の様に、無防備に眠れてしまったのだ。
安らぎ、ではあるが、正確には違う。
ここには世界を脅かす悪意が届いていない。
安心できる何かが存在しているのではなく、精神を脅かす何もかもが存在しない。
仮に邪神などの一切が存在しない宇宙があったとしたなら、こういった平凡な空間なのだろう。
ここはまるで異世界の様だ。

「エンネアちゃん」

「あ、うん。じゃ、なかった違うくてええと」

ぼうっと呆け居てたところに声をかけられ、思わず素で返しそうになるエンネア。
そんなエンネアを見て、句刻は眉をハの字にし困ったような顔で、頬に掌を当てて溜息を吐く。

「別に隠さなくても、普段通りの口調でいいのに」

ここで、本来ならエンネアは句刻に対して『何故自分の何時もの口調を知っているのか』問い詰めなければならない。
だが、【彼女が危険ではない】と考えるエンネアは、その思考を句刻への警戒から切り離した部分に到達させて、問い返す。
真剣なエンネアの眼差しは、まっすぐに句刻の瞳を捉える。

「……なんで、エンネアの事、何も聞かないの?」

到達した新たな問いは、純粋な疑問だ。
自分を拾ってきた卓也ならば分かる。
彼が最初に自分を連れてきた以上、それがどのような物であれ何かしらの理由は存在するだろうし、後々何らかの形で自分の知る所になるのだろう。
美鳥の行動方針も、風呂で身体を洗われている時に確信した。
あれは基本的に卓也の安全確保を最優先で動き、次いで卓也の補佐を行おうとしているから、基本的には卓也の行動に従っているだけなのだろう。
兄と妹という二人の間柄を考えれば奇妙な繋がりだが、そういった兄妹も居るには居るのだろう。
だが、目の前の女性、二人の姉である句刻は違う。
卓也と美鳥のどちらの行動にも口を挟むでなく、かといって只管に二人の行動に追従する訳でも無い。
行動方針が見えない句刻の、自分に対する余りにも自然体過ぎる態度は、エンネアの目には酷く奇妙な物に映っていた。
だが、そんなエンネアの疑問を笑い飛ばす様に、句刻は即答した。

「だって、卓也ちゃんが自分で思い付いて拾って来たんだもん、無碍にする筈が無いじゃない」

「危ないかもしれないよ? いきなり飛びかかって、殴りかかるかも」

何かしたか認識する間もなく、魔術によりこの世から消滅する可能性もある。
だが、そんなエンネアの内心を見透かすかのような、自身に満ちた笑みを浮かべ、ち、ち、ち、と舌を鳴らしながら人差し指を振る。

「そういう全てに対処する度量が無いと、弟の姉なんてできやしないわ。姉って、そういうモノよ」

句刻の言葉に、エンネアは目を丸くして驚く。
基本的に夢幻心母に監禁されているエンネアではあるが、それでもその優れた知覚能力は夢幻心母内部の声であればある程度拾う事が可能なのだ。
エンネアとて、普通の世界の何もかもを知らない訳では無い。
姉と弟、妹。家族という間柄は互いに助け合う暖かい関係だと言われているのは知っている。
が、夢幻心母の内部で耳に入る姉という立場にいる者、自分の先輩に当たるムーンチャイルド計画の四号は、弟を刺殺した後に、錯乱してその場から逃げだしたのだという。
夢幻心母の中で耳にした姉という立場の者の行動と、句刻の言う姉の在り方は、余りにも異なっていた。
言葉だけで、実際に何か起きたら即座に見捨てるかもしれない。
だが、本当にそうだろうか。
口先だけと言い切るには、句刻の表情は確かな自信に充ち溢れている。
イレギュラーの一人なだけあって、この恐ろ【無害そうな】────何の力も持って無さそうな女性も何かしらの能力を持っているのだろうか。

「ほらほら、アーカムの朝は忙しいものと相場が決まってるの。ぼっとしないで急ぐ急ぐ。」

考えこんでいたエンネアは、何時の間にか近付いていた句刻に肩を捕まえられ、部屋のドアの方へと振り向かされる。

「わ、わ、ちょっ、ちょっと待ってって!」

後ろから掌で柔らかく肩をホールドされ、後ろから押されるように前に足を進めてしまい、慌てふためくエンネア。
エンネアの静止の声も聞かず、句刻は片手を肩から放しドアを開け放つ。
そのまま洗面所まで連れて行かれ、抵抗する間も与えられず顔を濡れタオルで拭われ、二枚のタオルを手渡される。
一連の行動の余りの速度に目を白黒させて混乱していたエンネアに、顔を拭き終りパジャマから普段着に着替えた句刻がエプロンをかけながら、人差し指で天井を指差し早口で指示を出す。

「卓也ちゃんと美鳥ちゃんが屋上に居ると思うから、エンネアちゃん、呼んできておいて。そろそろ朝ごはんだから戻って来なさいって」

「な、なんでエンネアが!?」

反逆者として捕えられていたとはいえ、ブラックロッジでの序列で言えば二番目、またその力から誰かに指図をされる事も殆ど無いエンネアは抗議の声を上げる。

「あぁ、蒼褪めたんまとぉ~♪」

が、当の句刻はそのまま歌を口ずさみながら朝食の準備を始めている。
エンネアの声はまるで聞こえていない様だ。

「ああ、もうっ」

エンネアは台所から視線を外し、玄関に向けて歩み始める。
どちらにしろ、彼等が信用に値すると思ったなら家事の手伝い程度の事はするつもりだったのだ。
だが、エンネアの見たところ、この家の家事全般は句刻の手一つで賄えており、手を入れるところが見当たらない。
そもそも、イレギュラーの存在を感知して衝動的に脱走してみたものの、肝心のイレギュラーに出会えたらどうするか、などと言う事は欠片も考えていなかった。
いつの間にか用意されていた靴をはき、玄関を開ける。
階段を登りながら、エンネアは今思いついたこの事実について思考を巡らせる。
彼等はイレギュラーだ。
少なくとも、自分の知る範囲(アカシックレコードに記されている範囲という事)では彼等の素性を知る事は出来なかったし、エンネアに取っても、もう一人の自分にとってもイレギュラーである事は間違いない。
だが、だから、彼等に何を期待しているのだろうか。
何もかもを掌で転がす邪神ですら把握しきれない何者かを見て満足したかったのか。
未だ持って自分の本心すら捉えきれないが、それが一番もっともらしい答えだろう。
まかり間違っても、彼等にこの無限の螺旋を終わらせてほしい、などと期待している訳では無い。
それを成そうと思ったのなら、まず彼等に邪神以上の力が備わっていなければならない。
そして、そんな力を持っているのだとすれば、彼等は神という事になってしまう。
少なくとも、エンネアの目から見た彼等は、それ程の存在には見えなかった。
それに、エンネアは善い神様の存在に憧れこそすれ、その存在を信じようという気は微塵も持ち合わせていない。
彼等が神なのだとすれば、この世界の邪神に招かれた、異なる世界の邪神だという方が余程自然な発想になってしまう。
昨日拾われてから今朝までの短い時間で見た光景、彼等の団らん風景はこの世界でも極々有り触れているものだった。
彼等が邪神や悪神の類であるなどと、思いたくはない。
階段を登り切り、屋上へと続く扉を前に立ち止まり、エンネアは自嘲する。
彼等が信用できるか、善き存在であるか悪しき存在であるかは分からない。
だが、彼等の団らんの温かさに触れたエンネアは、既に心のどこかで『信用したい』と考え始めているのだ。
たったの一日、いや半日、いやいや、実時間に換算すれば数時間の交流で、そう思ってしまっている自分の警戒心の無さに、エンネアは笑うしかない。

「……大丈夫、まだ、まだ時間はあるもんね」

完全に記憶している訳では無い。
が、覚えている限りでは、自分が再び捕えられるまで、あと一週間はある。
一週間。
それだけあれば、彼等をしっかりと見極める事は難しくは無い。
扉の向こうからは金属のぶつかり合う音、風を斬る音が絶え間なく聞こえてくる。
おそらく、卓也と美鳥が組手をしているのだろう。彼等が魔術と同時に武術を嗜むのは昨夜の夕食の時の会話を聞き理解している。
一度自分の両頬を掌でぱしんと叩き気持ちをリセット、できる限りの明るい笑顔を作り、屋上へと続く扉を開け放った。

―――――――――――――――――――

「卓也ー! 美鳥ー! そろそろ朝ごはんだから降りてきてー!」

「む」

「お」

鋸と大鎌での押し合いになり、懐から魔銃を取り出そうとしたところで、屋上の入口から脳天を突き抜ける様な馬鹿に明るい声が掛けられ、俺は思わず手を止めて振り向いた。
隙を見せたかとも思ったが、美鳥も俺から目を放し、入口の声の主に視線を向けている。
その片手は俺と同じく懐に差し込まれ、優美ささえ感じられる銀色の銃身を持つ回転拳銃を握り締めているが、その理由が俺と同じく先程の拮抗を破る為かは分からない。
美鳥は表面上は平静を保っているが、いや、平静を保っているというのが最早普通では無い。
内心を隠すために、先ほどまでの模擬戦で見せた喜色や興奮は失せ、平時と同じ様な表情をしているのだ。
俺も美鳥も表情を読み取られると不味い時を除き、戦闘時は沸き立つ感情に相応しい表情をするのだが、今の美鳥は表情と内心の齟齬が酷い。
もし今エンネアが何かしらの敵対行動の予備動作でも取ろうものなら、美鳥は懐から魔銃を抜く動作すら省略し、服越しに放たれる魔弾でもってエンネアの頭部を吹き飛ばすだろう。
……幾らなんでも警戒し過ぎではないだろうか。
昨日の夕暮れ時に拾ってから夜に姉さんの部屋で眠るまでの間は、様子見なのか借りてきた猫の様だったが、今のエンネアは今にも人受けの良さそうな明るい人格を演じている。
いや、演じているのかあれが素なのかは知らないが、少なくとも多少なりともああいう態度で臨んでもいいと踏んだのだろうから、即座に敵に回る事は無いだろう。
大体にして、俺、姉さん、美鳥には、エンネア──暴君の最大の攻撃であるアカシックレコード書き換えによる意味消滅は通用しない。
通常の、正面からのぶつかり合いになるなら、特に警戒するべき敵とも言えないと言うのが正直な所だ。
まぁ、俺のこういう隙を守る役目も持っている以上、俺が警戒し過ぎと思う程に美鳥が警戒するのは当前のことと言えば当前なのだが、過剰に心配されているようでこそばゆい。

「美鳥、今それは必要無い」

美鳥の大鎌と押し合っていた鋸を引き、懐に入れていた手を抜いて空の手を見せる。

「ん……お兄さんが、そういうなら」

表情はそのまま、口も動かさずに不承不承と言った口調のまま、懐から空の手を抜き、大鎌を引く美鳥。
そのまま大鎌を二、三度振るって消し、表情を改める。
これでいい。とりあえず、今の所は暴君と事を構えるのではなく、エンネアを混ぜて生活を送るのが目的なのだ。
鋸を二度ほど振るい、そのまま美鳥と同じように消す。
消すと言っても、俺も美鳥も何も本当に大鎌や鋸を消した訳では無く、オサレアクションに紛れて屋上の柵の外に高速で投げ捨てているだけ。
魔術的な方法で消す事も可能ではあるし、もちろん普段通り科学(むしろ次元連結システムのちょっとした応用)で異空間に格納する事も可能だ。
だがこういった破損の少ない刃物を捨てると、肉屋のパリーさん、浮浪者のジャックさん、紳士のポチョムキンさんが後々お礼と称してお歳暮をくれたりするので、最近は特別な理由が無い場合は使い終わった刃物は全て投げ捨てる事にしている。
偶に下の方から水っぽい音と悲鳴が聞こえる事もあるが、事件に発展した事は無いので問題は無い。閑話休題。
やる気無さげに背を曲げて歩く美鳥を引き連れ、屋上の入口に居るエンネアの前に立ち、その姿を見据える。
相変わらずの小豆ジャージだが、眼に生気が宿り表情も溌剌としているお陰でまるで別人に見える。
とはいえ、それで即座に彼女が暴君ネロ=エンネアである事に気が付ける者は居ないだろう。
何せアーカムの住人はかなり雑多であり、赤毛で癖毛の少女など、探すまでもなく街中を歩いていればかなり見かける事がある。
一言で言えば、この世界では割と見かける白人種の美少女、なのだが……

「? なになに、エンネアの顔に何かついてる?」

俺の視線に、エンネアが可愛らしく小首を傾げる。
俺はその姿を目に入れ、一度瞼を閉じ、明後日の方向を向いて再び目を開ける。
朝日というには登り過ぎた太陽の光に目を細めながら、慎重に言葉を選ぶ。
ごく短い期間ながら、彼女とはこれから家族ぐるみで共同生活を送るのだ。悪い印象は抱かれないに越したことは無い。
さりげなく、さりげなく、小さな声でぼそりと呟いて、この思考を終える事にしよう。

「白人系美少女にダッサイ小豆ジャージって、ちょっとニッチ過ぎるだろう……」

何処の層を狙っているか理解しかねる組み合わせだ。
いったい誰がパジャマとジャージの二択なんていう組み合わせ失敗フラグを立てたのやら。

「お前が言うな」「お前が言うな」

俺の呟きに、目の前のエンネアと後ろの美鳥が肘から先を横に振り抜きながら、全く同時に突っ込みを入れる。
こいつら、以外と仲良くなるかもしれない。
そんな事を考えながら、俺はこれから目の前の少女が死ぬまでの生活へ、期待に胸を膨らませた。
―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「今日は午後からだっけ、大学」

「四限目と五限目しか無いから、家でるのは午後からやね」

「ちょっと家の手伝いが出来ると思うけど、何かやる事ある?」

この時期はシュリュズベリィ先生がいないから、碌な講義が無いんだよな。
まぁ、そのシュリュズベリィ先生の講義にしても、もう何十回も同じ内容を聞いているのだけど。
受けるなら出す意見によって違うリアクションが返ってくるディスカッションが多い講義の方がまだバリエーションに富んでいて楽しい気がする。
逆に只管に講師の話を聞き続ける講義はもう受ける気力も湧かないのだが。

「んー、お掃除は終わっちゃってるし、洗濯物と買い物くらいかな。あ、トイレットペーパーの特売があるから、それ手伝ってくれる?」

姉さんは台所、居間、それぞれの部屋に通じる廊下を見て首をかしげた後、トイレを見て両の掌をぱんと打ち合わせた。

「んー」

「わかった」

返事はしたものの、まだスーパー、というより、ショッピングモールが開店するまで二時間ほども時間がある。
折角の空き時間なので、姉さんにくっ付いて居たいとも思うのだが、流石に人目がある所でべたべたするのは俺も恥ずかしい。
というより、ここ十数年で気付いたのだが、姉さんは基本的に作中キャラに恥ずかしいシーンを見られた場合、解決方法が余りにも物騒なのだ。
そんな訳で、なるべく殺したくない相手の前では姉さんといちゃいちゃし辛いのである。
頬を赤らめながら『何を見ているの、笑うな!』とか激昂しながら一見ファンシーな魔法の杖を振りかざす姿は非常に国粋主義的(マホウショウジョバンザイと読む)ではある。
が、しかし。
今、所在無さげに立ち尽くしているエンネアは、その癒しを少しの間だけ我慢してでも保持するにふさわしい価値を持つレア存在である。
何しろ、最終ルートの魔道探偵の所に向かうエンネアを除き、他のルートでは大概暴君の姿のまま大十字の所に直行し、一乙するか、さもなければ再び囚われ大十字と大したイベントを起こすまでも無く出産して死ぬ。
こうして暴君がエンネアとして存在する、という状況は、実はマスターオブネクロロリコンが金髪巨乳派になる確率よりも断然低い確率でしか起こらないのだ。
しかも、俺達の存在を感知してあちらから接触を図ろうとしたと考えればレア度は更に上がる。
ただ……

「な、何?」

俺の視線に、少しだけたじろぐエンネア。

「いや、今朝やたら明るかった割に、今は借りてきた猫のように大人しいな、と」

そう、この場に居るエンネア、やたら大人しいというか、行動がやや消極的なのだ。
別に原作の大十字の様に好かれている訳では無いから飛び付かれたりする訳は無いにしても。
例えばそう、服装の面にも文句を付けていい気がする。
確かにジャージは部屋着にするにも家事をするにも運動するにも便利な代物ではある。
しかし、御洒落の面で言えば、少なくとも今エンネアの来ている小豆ジャージは落第点だろう。
正直、あの小豆ジャージを違和感無く着こなせるのは熱血隼人先生以外では、某レインボウリバースな板の目隠れ巨乳ジャージの先輩程度しか思い当たらない。
それ以外で小豆ジャージを着用する人々と言えば、デモンパラサイトリプレイなどで変身後に服が使えなくなる連中くらいか。
それにしたって一番安い衣服だからという理由で用意されているに過ぎず、着用者達にも決して好意的に迎えられていた訳では無い。
それほどまでに小豆ジャージとは、難易度が高い衣服であり、ジャージ初心者には向かない装備なのだ。
そんな俺の疑問にエンネアの代わりに答えるかの様に、窓際で寝転びながらラノベを読んでいる(シリーズ全編読み終える度にストーリーに関する記憶を封印する事で、何度でも新鮮な感覚で読む事ができる)美鳥が、ごろんと身体を横に倒しながら。

「余りにもやる事が無さ過ぎて、何か要求するのも気が引けるんじゃねーのー?」

「あぁー……、納得」

確かに、原作での大十字家とは違い、家はやる事が無い。
家事の類は俺も姉さんも美鳥も一通り精通しているし、各自で分担したり、週毎に(周毎ではない)役割を入れ替えている為、掃除がされていないとか、ご飯がまともに作られていないとか、洗濯物を溜めこむとかが余りない。
時折美鳥が洗濯当番の時に俺のパンツが消えたりするが、それにしたって美鳥に直接返す様に言えばかぴかぴの状態になってはいるものの返ってくるので問題ない。
人のパンツをなんだと思っているのかは知らないが、俺も洗濯当番の時に姉さんの下着を手に思わず想像の翼をはためかせてしまう時があるので、仕方が無いものなのだろう。
これで姉さんが美鳥の下着に何事かしていれば見事な循環が完成するのだが、別にそれは必要な循環では無いので無い方がいい。
ともかく、はっきり言ってしまえば、この家ではエンネアのする事は何もないのである。
更に言えば、原作の大十字がやられた、誘拐拉致監禁されて云々言いふらす、というのは、俺達のご近所との良好な関係によって実行不可能。
つまり、エンネアは今、八方手詰まりの状態なのだ。
もう少し、傍若無人な所を露わにして好き勝手するかもと思ったのだが、姉さんの持つ力を本能的に感じ取り、無茶な行動が出来ないでいるのだろうか。

「じゃ、エンネアちゃんにはゴミ捨てお願いしようかな」

そうすれば、代わりに何か主張出来るでしょう、と言外に告げる姉さん。
因みに家のアパートは、階段を降りてすぐ隣にゴミ捨て場があるので、移動距離は数十メートルにも満たない。
出るゴミも極端に少ないため、ゴミ捨てに掛かる労力は無いに等しい。
対価として何かを得ようとするには、余りにも軽すぎる労働。
だが、

「わかった! そういう事ならエンネアに任せておいてよ!」

ここに来て初めて『何か』する事が出来るとあって、エンネアの表情は割と輝いて見える。
そんな表情をした少女に無粋な指摘など出来る訳も無く、俺は手元のアーカム・アドヴァタイザーへと視線を落とす。
トップニュースを飾るのはもちろん『治安警察及びブラックロッジ構成員78名死亡』というスキャンダラスなニュースだ。

「昨日未明、18番区画にて『ブラックロッジ』構成員78名が殺されているのが発見された。治安警察では裏社会の構想に巻き込まれたものとして……」

見飽きたニュースなので、途中で新聞を閉じて放り投げる。
何しろ通算で三十回ほど見た記事であり、この記事程内容の代わり難い記事も存在しないからだ。
この構成員の78という数字は恐らくブラックロッジがエンネアの追撃に即座に出せる限界の数だったのだろう。
この数字が変わった事は無い。殺害状況も同じなら、事件が起きた区画も同じ。
正直、ドクターウエストを見習ってほしい。
彼はこれまでのループの中、一度たりとも破壊ロボに同じ名前を付けた事が無く、そのバリエーションには目を見張るものがある。
まぁ、何かしらの目的や衝動に任せて逃走する暴君にエンターテイメント性を求めるのは酷なのだろうが。
ともあれ、このタイミングで起きる事件も何時も通り。
今回のイレギュラーな出来事は、エンネアが俺達と接触したことくらい。
背筋を伸ばし思いっきり仰け反り、窓の外に視線を送る。
昨晩の雨が嘘のように雲一つない空に、サンサンと太陽の光が降り注いでいる。

「今日はいい天気だ。こんな日はなんだかいい事しちゃいそう」

小規模な悪の組織でも一方的に蹂躙したら、善行って事になるのかな?
そんな事を考えられる程度には、今日もアーカムは平和です。






続く
―――――――――――――――――――

御覧の通り生きています。心配していた方が居るかは自信がありませんが。
福島県在住ですが、海から遠い中通り(そういう分け方があるんです。ニコニコ大百科あたり見てくれれば理解しやすいと思います)なので比較的被害は少なかった訳ですね。
あとは水道が復旧して更に原発が落ち着いてくれれば本当に一息吐けるのですが、どっちも難しそうです。
こんな時期にこんなアレなSS上げるのは不謹慎かとも思いましたが、このSSが僅かなりとも娯楽として心を慰める事が出来ればと思い、投稿する事にします。
作中の主人公の外道な思考については、フィクションという事でなんとか流して頂ければ幸いです。

前置きが長くなりましたが、久しぶりに時間の流れが超遅い第四十六話をお届けしました。
なんとこの話、半日程度しか時間が経過していないという、遠大な無限螺旋物としては酷く冒涜的な構造。
とはいえ、偶には作中時間をまともに戻さないと感覚がずれてしまいますから、仕方無いですね。
エンネアがジャージだったり、明るい猫の様な性格が垣間見え無かったりして違和感たっぷりかもしれませんが、そこは以下自問自答コーナー。

Q,こんなの俺のエンネアじゃないやい!
A,エンネアって、基本的に尽くすタイプな訳ですが、つまるところ好意の対象となる相手が居ない、もしくは自分が手を出せる場所が無い場合、途端に何もできなくなる所があると思うんですよ。基本的に諦念を抱いている訳で。
あれです、ダメな男に惹かれるタイプ? しっかり者とは相性がよろしくないという事で。
主人公達を見極めていないので、距離を測っている最中とも言えます。


なんか書き忘れた事があったら追記するかもしれませんが、今回はこんなところで。
誤字脱字に関する指摘、文章の改善案、設定の矛盾、一文ごとの文字数に関するアドバイスなどを初めとするアドバイス全般、そして、長くても短くてもいいので作品を読んでみての感想など、心よりお待ちしております。



[14434] 第四十七話「居候と一週間」
Name: ここち◆92520f4f ID:190f86b3
Date: 2011/04/19 20:16
エンネアが来てから一日程が経過した。

「経過したんですよ、先輩」

「いや、唐突にそんな事を言われてもな」

隣に歩く、同じ講義を受けて途中まで一緒に帰る途中の大十字に、既に大事な所を全て省いて端的に説明する。
だがリアクションは芳しくない。これだからラブコメ主人公は鈍くていけないのだ。
スパロボJ世界のフリーマン氏の察して貰う必要の無い処まできっちり察してくれる恐ろしいまでの洞察力を百分の一程度でいいから見習ってほしい。
百分の一以上は見習ってほしくは無いが。こっちの正体までどこからともなく察しそうだし。
そこまで考え、困ったような顔の大十字の顔を見る。見る。見る。

「な、何だよ?」

至近からの俺の視線を受け、大十字は身を仰け反らせるようにして距離を取りつつ、更に聞き返す。
俺はそんな大十字から視線を外し、眼を伏せ頭を振る。

「いや、よくよく考えると、察しの良い先輩というのもいまいち想像が付かないなぁと」

それは多分大十字の様で大十字で無いでも少し大十字なイトケンだろう。
案外タイショーくんあたりかもしれない。

「お前今日に限った事じゃないけど偶にやたら失礼だよな」

大十字が半眼で恨めしげな視線を送ってくるのが分かるが、失礼な態度になってしまうのも仕方が無い。
先輩を敬う心は全て敬語に現れているので、態度と対応は自然とそんな感じになってしまうのだから。
そもそもループ中の時間を計算に入れれば間違いなく大十字の死んだ親御さんたちよりも歳上だし、体面上の先輩後輩関係以外ではあまり敬う理由が存在しない。
いや待てよ? そうなると、数度無限螺旋に呑み込まれた事のある姉さんは──
これ以上考えるのは危険だ。この思考は原則禁止とする。
まぁ姉さんはたとえ干からびても腐ってもエーテル体になっても可愛いけどな!

「……お主の兄は相変わらずだからいいとして、結局何が経過したのだ?」

「んー、昨日帰り道で浮浪者のメスガキをお兄さんが拾ってから一日経過したって話」

―――――――――――――――――――

卓也がストリートチルドレンの少女を拾った。
その美鳥の言葉を耳にし、アルは数秒だけ頭の中でその内容を転がし、

「くぅ、我が主の悪癖がとうとう後輩にまで伝染を……!」

拳を握りしめ悔しげに歯を食い縛りながら歯の隙間から声を絞り出す。

「お前は、どうしてそう、何もかも、俺のせいにしたがる!」

そのアルのわざとらしい動きに、九郎は拳をぎりぎりと握りしめ、血涙を流しながらツッコミを入れた。
そんなショートコントを繰り広げる九郎とアルに、美鳥は呆れた様な口調で待ったをかける。

「……本当に、そんな事が起こると思う?」

言いながら美鳥が親指で指し示すのは、虚空に向けて姉の胸部の膨らみをμメートルレベルの緻密さで両手を使って表現する卓也の姿。
虚空にエア姉胸の三次元図を描きながら、口からは延々と姉の胸にうずもれた時に感じる柔らかさ温かさ香りなどを、もはや何かの術式なのではないかと疑いたくなる程の複雑な暗号化が施され、通常の言語では三日三晩かけても言葉にしきれない程の超圧縮言語で宇宙的なメロディに乗せて唄っている。
人の多い通りで歌っていたら、通行人の半数が泡を吹いて倒れかねない程の常軌を逸した暴力的ですらある情報量と汚染率。
もちろん泡を吹いて倒れなかったもう半分は漏れなくSAN値直葬ルート。銃を携帯していればすぐさま口に咥え出すだろう。
無論、人通りの多い表通りであれば自重したのだろうが、ここが人の通らない裏道である為か、卓也の姉語りは止まる所を知らない。
そんな卓也の奇行に、九郎とアルは極々自然な動きで耳を塞ぎながら、生暖かい視線を美鳥に送りつつ、頷く。

「ま、ジョークみたいなもんだろ。アルも反省してるから止めてくれ」

「うむすまぬ、妾が間違っていた。十二分に反省したので、いい加減止めさせるがいい」

「理解してくれたならいいよ、ちょい待て」

九郎とアルの懇願を聞き入れた美鳥が卓也の耳元で何事か囁くと、卓也は虚空を彷徨わせていた手を止め、超圧縮暗号言語による歌唱を止めた。
こほんとわざとらしく咳をして、真顔で九郎とアルに向き直る。

「申し訳ありません、取り乱しました」

「いいよ別に。それで、拾って来た子供がどうかしたのか?」

馴れからか気にした風も無い九郎の問いに、卓也は両腕を組み、俯いて少しだけ思考。
顔を上げ、困った様な表情で口を開いた。

「いや、どうもしないんですよ」

「はぁ?」

「どういう事だ、そりゃ」

アルは呆れ顔で頭に疑問符を浮かべ、九郎は困惑した表情で問いを返す。
そんな二人の態度にさもありなんといった表情で頷く美鳥を見もせず、卓也はぴんと立てた人差し指をくるくると廻す。

「いや、訳ありそうな子供を拾って、しかもそれが女の子な訳でしょう? そうなると、大十字先輩みたいに女の子に理不尽な目に遭わされるのが自然じゃないですか」

「なるほ、あたっ」

「加害者が先に納得すんな。……いいじゃねぇか別に、何事も無いんならそれで」

得心したといった風の顔で頷くアルの後頭部を掌でぺしりと叩いた九郎。その口調には呆れと非難の色が含まれている。
当然と言えば当然だ。彼の後輩は、彼が後輩自身に語った苦労話と同じ体験をしてみたいと言っているも同然なのだから。
そして、この場合に起こるトラブルは、少女の我儘に端を発するものばかりとは限らない。
拾って来たのが正真正銘何の変哲も無いストリートチルドレンであれば問題は無いが、仮に何処かの人身販売組織や悪趣味な金持の元から逃げてきた被害者の類であれば、起こるトラブルは周りにも被害を及ぼしかねない。

「いや、ま、それを言われちゃ御終いなんですけども、ううむ」

九郎の言葉に頷きながら、未だ納得しきれていない風の卓也は、身体全体を捻りながら唸り続ける。
──常に常識的でありながら、時折突発的に不謹慎なことを言い出し、社会的な道徳観念から外れた行動を容易く取るこの後輩の事を、九郎は少しばかり持て余していた。
それが唯単に不道徳であったり考えなしの行動であれば、同郷の出であるという事を加味しても、見切りをつける事ができるだろう。
だがこの後輩の場合、それらの道理に反した行動が、最終的には何処かで何かしらの理屈と繋がる。故に、九郎はこの後輩を悪とも善とも断じる事が出来ない。
この話題にしても、拾ってきた子供を孤児院に預けるべきでは無いか、という方向に話を持って行く事もできないではない。
だが、この後輩はその浮浪者の少女を何故拾ったのかという理由すら明かしていない。
少女は、何者かに追われており、孤児院では守り切れないと踏んでいるのではないか。そう考える事もできる。
警察に届け出るにしても警察組織も全てが清潔である訳でも無く、一部はマフィアに鼻薬を嗅がされている事も多く、迂闊に少女を預ける訳にもいかないと考えているかもしれない。
そもそも孤児院も警察も、少女が正真正銘普通の孤児だからといって簡単に受け入れてくれる訳でも無い。
そんな事をしていたら、忽ち警察署も街の孤児院もパンクしてしまう。
先の言葉にしても、拾った少女に関する何かしらの情報を得て居て、その情報と少女の行動が噛み合わない事に対する疑問かもしれない。
とかく、この後輩は最後までその行動にどのような意味があるか、読み取る事が難しいのだ。
そんな九郎の思考には気付きもしないのか、卓也は空を見上げて溜息を吐いた。

「子供なんて、大人に迷惑かけるのが仕事だと思うんですけどねぇ」

「これ、まともな事言ってるようだけど意味はかなり違うから、そこんとこ注意な」

「日常の中にエンターテイメントを求めて何が悪いんだよ」

「それだけでガキ拾ってたら、ちびっこランドどころか海馬ランドが幾つあっても敷地が足りんくなるやん」

軽口の様に言い合いを始めた卓也と美鳥を見て、九郎は自然とアルへと視線を移す。
『処置なし』とでも言いたげな表情で肩を竦める、冷めた表情のアル。
九郎は、せめてこの奇妙な後輩に拾われた子供が心身ともに疲れない生活を送れるよう、何処に居るかも分からない神様に向け、投げやり気味に祈りを捧げた。

―――――――――――――――――――

▲月●日(猫を飼った事は無いが)

『高校時代、隣町の空き地で猫に餌付けをする事があった』
『大体の場合、姉さんがふらりと何処かに姿を晦ました時、家に帰っても誰もいないという状況の寂しさをふと想像し、寄り道したくなった時だったか』
『数日から数週と言うブレこそ在ったものの、二日ほどは確実に家に姉さんが居ない為、学校に行く前に家の台所から煮干しやちくわを持ち出し、高校から家に帰る為の電車が出る駅までの間の空き地で時間を潰そうとしたのだ』
『餌をやる、とは言うが、俺の場合は本当に餌を与えるだけで、猫に触るどころか近付く事すらしなかった』
『俺がそれと自覚して制御しない限り、俺の身体からは動物が好ましくないと感じる電磁波が垂れ流しにされている為、俺が近くにいると猫達が餌に近寄れないからだ』
『割と、むしろ大いに可愛らしい野生動物たちに近寄れないという悲しみと、それでも与える餌は食べて貰えるという事実への微かな喜びを感じながら遠巻きに猫を見つめていた事はよく覚えている』
『そんな俺に、極々僅かながら接近を試みようとしていた猫が居た事も』
『俺の発する電磁波を感じ取れない程に神経が鈍いのか、それとも餌をくれる人間に良い印象を与えようとした賢い猫なのかは分からない』
『だが、これだけは言える』
『警戒して遠くにいた動物が、こちらに歩み寄ってくれるというのは、心温まる体験なのだと』
『大十字とライカさんのデートまで、あと五日ほど』
『それまでに、エンネアが少なからず警戒を解き、こちらに歩み寄ってくれたのなら』

―――――――――――――――――――

レーダーに感あり。
書きかけの日記を閉じ、手に持っていたペンを机の上に置き背後の反応に向けて振り返る。
が、居ない。
そこに居たのに居なかった、とでも言うのだろうか。
レーダーに映っていた筈の熱源はいつの間にか消え失せ、否、振り向いた俺の更に後ろに居る。

「ええと、『最後の滞在日と言う事で、記念すべき初めての巨大ロボであるボウライダーに乗って夜間飛行を敢行した』」

居る、というか、読んでる。エンネア(しかし小豆ジャージ)だ。
手には適当なページが開かれた俺の日記。

「『優れた科学技術を持っているのに、何故か微妙に現代よりも古い街並み。かと思えば近未来そのものと言っても良い風景が違和感なく混在している』」

朗々とスパロボJ世界から帰ってきて最初の、スパロボ世界最終日の日記を読み上げるエンネア。

「『戦争が終わり半年、物資もまぁまぁ民間に流通し始めているせいか、夜だと言うのに街には活気が溢れていた。無くしたモノを忘れず、しかし前を向く強さを持ち合わせているのだろう』」

その表情を見る限り、人のプライベートを許可も無く覗き見ることへの後ろめたさとか、そういった心遣いとは無縁のようだ。
まさか今朝方まであそこまでおどおどというか、大人しいというか、知らない親戚のおじさんおばさん達に囲まれた人見知りする病気がちな少女みたいなキャラで通して置いて、このタイミングでそんな堂々と人の日記を読むとは思わなかった。
と、いうよりも、だ。

「『相良軍曹と千鳥さんの住んでいるアパートを見かけたが、どちらもカーテンが閉じられていた。翌日が学校だから早めに休んだのか、などとは思うまい。どうせ深夜テレビを見ているとか、深夜テレビを見ている千鳥さんを見ているだとかだろう』」

「エンネアちゃん」

「『あの二人の行動はおおむね予測通りだが、同じマンションに薬用石鹸が入居しているのは少しだけ意外だった。パジャマ姿でペットボトルのウーロン茶持ってベランダで何をし』なぁに?」

俺の声に、エンネアが日記の朗読を止めて、少しだけ俺の方に小首を傾げながら向き直る。
小豆ジャージで無ければ、そして俺が前の周までの大十字の様な特殊性癖を持っていたなら、心を奪われていたかもしれない可愛らしさだ。
まぁ、万が一俺が大十字の如き精神病に罹ったのであれば、真っ先に美鳥は初期形体で再構成され、蝦夷のロリ(ただし実年齢18歳以上)が蘇生され毒牙に掛かっているだろう。
そしてロリフーさんを凌辱し尽くしてダブルピース撮影後、最終的には魔法の力でロリ化した姉さんの元に帰る……!
愛の力である事は言うまでも無い。
個人的に調教系とか鬼畜系の主人公がひよって何もかも許された挙句に被害者と和解してハッピーエンドとか今一好きではないが、俺の心の棚はセラエノの図書館にも匹敵する数と耐久性を持ち合わせているので問題ない。
やっぱ愛だろ、愛。

「何で勝手に人の日記読んでるの、とかは今さらどうでもいいとして」

あまりよくは無いが、今読まれている所からは致命的な事は書いていない筈だ。
スパロボ世界初期の美鳥と初めて致した時の日記とか読まれたらあの光景がフラッシュバックしてしまい取り乱すかもしれないが。

「いいならもう少し読んでいい?『何かの感情に浸り切っているのだけは遠目にも理解できた。月に向かってペットボトルのウーロン茶を掲げるオシャレアクション。それで決め顔とかされても、正直、その、困る。リアクションに』」

「……読んでいいけど、内容、理解出来てる?」

俺の日記帳には姉さんの不思議力(ふしぎぢから)による理解を妨害する効力が備えられている為、書き手である俺か、姉さんと俺の因子を併せ持つ美鳥、術者であり超越者の姉さんにしか内容を理解する事はできないはずなのだ。

「『いい世界だったが、過ぎ去ってみればあっというまだった。月にメメメを置き去りにしてしまったが、トリップ先から一々生身の人間を拾ってきたら家の空き部屋が幾つあっても足りないし、仕方が無』んー……、さっぱり。言葉にして読めるけど、文字に直せないし、意味も理解できないね」

そう言いながら日記をパタンと閉じ、机の上に置きながら、エンネアは俺の顔をのぞき込む。
紫色の瞳に、まじまじと、瞳の奥を覗き込まれている。
ガラス玉の様な、という表現は失礼だが、こちらを覗きこむエンネアの瞳からはそんな印象を受ける。
石言葉から考えればアメジストも相応しいのかもしれないが、まぁ、正直、愛も慈しみも今のエンネアには重い気がする。
色の付いたガラス。
透明感があり、どこまでも透き通って見える様でいて、その深い所はガラスそのものの色で覆い隠されている。

「……ねえ、不思議に思わない? なんでエンネアはこれが読めるのか」

「不思議ではないね。理解できない構造になってはいるけど、ただ音に直して口で言うだけなら、意味を理解する必要も無いし、『理解できない』というルールには抵触しない。理屈の上では不可能じゃない。写しにもその効果が出るし、読める事自体はさして問題にならないんだ。意味が理解出来なければ、どんな情報も無害だよ」

瞳の色はエンネアの心そのものだ。
深くガラスに包まれた場所もエンネアの心なら、それを覆い隠すガラスもエンネアの心そのもの。
全てを曝け出すには遠く、見て貰わなくていいと諦めるには、その囲いは透け過ぎている。
もしもエンネアの覗き込んでいる瞳が俺のものでは無く大十字のものであったのなら、エンネアは何かしらの救いを得る事が出来たのだろう。
小さく、くりっとした、しかし、どこまでも深く、奥底を除き込めないガラス玉。
大十字であれば、この意味深なだけで無価値なガラス玉を、価値あるアメジストに変えられたのだろう。
それは別にいい。
エンネアの本質がどうであれ、こういう展開は今までの生活では無かった流れ。
新鮮だ。この一触即発の、正解以外を選んだら即死する様な緊迫感。

「エンネアは、貴方達の事を知らない……」

瞳を逸らさぬまま、それがさもおかしい、不自然な事であるかのように呟く。
俺達がそういうものだとは知らなかったのか、それとも知った上で、それでも違和感を拭えないのか。
私は貴方達を知らない。私はなぜ貴方達を知らないの? と。
問う訳にも行くまい、何故なら、

「普通はそういうものだよ。この街でも、世界中のどこに行ったとしてもね」

だから、これから知っていけばいい。
──とか、言う奴もいるのだろう。例えば今時間は風呂場を魔導書に占領されている巨根苦学生とか。
だが、別に無理に互いを知る必要は無いのではないか、と、そう思ってしまうのだ。
エンネアは俺達の事を知らない。しかしその一方で俺達はエンネアの事情や性格の一部を知っている。
しかし、それは今のエンネアではない、赤貧探偵に拾われて懐いたエンネアであり、今のエンネアと重なる点は殆ど見られない。
暴君としての無邪気な邪悪さもなりを潜めており、俺達の持つ知識では今のエンネアへの対処法は構築できない。
でも、昨日の夕食の時や今朝の朝食の時に比べればエンネアも大分喋る様になった。
共通の話題こそ無いが、なんとなく適当に世間話をする程度の事は不可能では無い。
仲を深めるのには、確かに互いの事を知らなければならないだろう。
だが、会話をするだけなら、ただ一緒に居るだけならば、極端な話、相手の名前すら必須という訳では無い。
犬の様に群れるか、猫の様に集まるか。
一回こっきりの、一周どころか一週続くかも分からない共同生活であれば、やはり猫の様であって欲しいと思う。
長く続けられないのなら、とびきり太く短く、生命エネルギーを発して欲しい。
そうでないと、拾った意味があんまりないし。
俺の内心を知ってか知らずか、エンネアは先程の覗きこむ様な視線では無く、しかしまじまじと俺の目を見つめている。

「聞けば、教えてくれる?」

おずおずと、控えめに訪ねるエンネア(可愛らしい仕草でも格好は小豆ジャージ)に、俺は力強く頷く。

「聞かれなければ答えようがないね」

聞かれない部分には答えないけどな。わざわざ聞かれない部分まで答えるのは蛇足だろうから、簡略化して答えるのがいいか。
俺ってば親切過ぎる……。今度姉さんに褒めて貰おう。
そんな事を考えていると、何事かを決心したかのような表情で、エンネアが口を開く。

「貴方は、誰?」

問いの内容は、酷く曖昧なものであった。
その能力と出自から誰かに何かを問う事に慣れていないのかもしれない。
或いは、決定的な回答を無意識のうちに避けているのか。
なら、こちらも少し謎を残すような答えを出すのが礼儀だろう。

「俺は、鳴無卓也。鳴無句刻の弟で、鳴無美鳥の兄。よろしく、エンネアちゃん」

改めての自己紹介。
会話の中から俺達の名前を知った様だが、やはり名乗るという行為には意味がある。
その証拠に、エンネアは何度か口の中で小さく名前を反芻し、

「うん、よろしく、卓也」

はにかむ様な笑顔を浮かべた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

まぁ、名前を教えるという事は大事な事ではあるが、それで何かが劇的に変化する訳でも無い。
多少なりともエンネアが大人しくなくなったとはいえ、それでも好意を向ける先である魔導探偵大十字九郎が居ない以上、原作ほどはっちゃけた事をし出す訳でも無い。

「むぐぐ……美味しい」

姉さん手作り肉じゃがを頬張り、少しだけ悔しそうに唸り声を上げるエンネア。

「うふふ」

そして、それを眺めながら笑う姉さん。
好意を向ける相手がおらずとも、エンネアは家の家事を手伝おうとしたが、やはりというか何と言うか、姉さんの手料理よりも美味しく作る自信は無いようだ。
姉さんの料理の腕が一流ホテルのシェフ並み、という訳では勿論ないが、ベテラントリッパー的には、『手料理を作ると、なぜか料理に対して評価厳し目のキャラからも高い評価を受ける』などという現象は基本中の基本らしい。

「まぁ気にすんな。お姉さんは何だかんだで高校生の頃から家事全般こなしてんだしさ」

肉じゃがの糸こんにゃくばかりを箸に絡めて持って行く美鳥が投げやり気味にエンネアを慰める。

「慰めるのはいいけど、それは今朝にとろふわオムレツで度肝を抜いた挙句に得意げにどや顔した奴の吐いていい台詞じゃないな。あと、汁が染み込むからって糸こんばっか持っていくな」

嵩増しも兼ねているんだから、それが無くなると一気にしょんぼりボリュームになってしまうだろうが。
だが、糸こんどころか肉じゃがの器を持ち上げご飯に汁まで掛け始めた美鳥は、俺の言葉に対して気にした風も無い。
美味いのは分かるが、もう少しだけでいいから丁寧に食って欲しいなどと考えていると、エンネアがジト目を俺に向けて、ぽつりと呟く。

「卓也の作ったお吸い物、凄く、凄く美味しかったよ」

「それほどでもない」

基本的に、和食は出汁さえどうにか出来ればそれなりの味はキープできるからな。
美味しい出汁さえ作れれば、それを作る過程でどのような変化を加えても許される。
俺の汁物の出汁の取り方は、あと108式存在するぞ。

「うぅ~……」

唸りだしてしまった。
美味しいと言っていたのに、なぜそんな頭を抱えてしまうのか。
君達はいつもそうだね。事実をありのままに言うと、決まって同じ反応をする。
わけがわからないよ。どうして料理に拘りがあるタイプの人は、そんなに出汁の取り方に拘るんだい?

「卓也ちゃん、料理する時、出汁パックで作るしねぇ……」

焼きサバから僅かな小骨を箸で取り除いていた姉さんの苦笑付きの台詞に、俺は首をひねる。

「あれ、中身は全部オリジナルだし。パックの素材にしても完全無味無臭だから既製品とは出来が違うよ?」

この出汁パックの袋に使われている紙も、勿論グレイブヤードに追いやられた製紙メーカーの異端児が生み出した技術だ。
小物系技術であそこ以上に役に立つデータベースはこれまでのトリップでは見つけられていない。

「確かに中身は別物だけど、あれに味で負けるとビジュアル的にレトルトに負けたみたいで結構へこむんだって」

「むしろ便利じゃないか」

ていうか、美鳥も料理する時結構使ってるし。
調合する為に中身の材料の比率もメモってるし、パックごと取り込んでいるから面倒臭い時は複製を作って間に合わせてもいい。
完成品の汁物も作り出せると言えば作り出せるのだが、ビジュアル的にな……。
指先とか掌から味噌汁やお吸い物とか出したとして、姉さんにそれを呑んでもらうとか想像するだけでやたら興奮す、もとい、あまり飲みたいものでは無いだろう。

「うー、うー!」

「うーうー言うのをやめなさい」

エンネアが箸をぶんぶん振りまわして唸り出したので、軽く注意。
料理の腕を披露できなかっただけで、情けない。
それでもデモンベイン本編触手凌辱担当の一人ですか。
あ、そっか、そうなると今周はライカさんが触手担当なのか。
五周目の姉×無数の弟は動画残してあるけど、これはどうやって録画するべきだろうか。

「うっうー☆」

「うるせぇもやしぶつけんぞ」

美鳥が便乗して楽しげに腕を振り回し始めた。
どれだけ高速で腕を振っても茶碗の中の味噌汁とご飯が零れ無いのは素晴らしいが、とりあえず買っておいたもやしのパックを振りかざして威嚇しておく。

「食べ物を粗末にしたらだめよ? あと鳴き声全面禁止ね」

美鳥とエンネアともども、姉さんに窘められてしまった。
そうだよな、モヤシは麻婆もやしにするつもりで買っておいたんだもんな。投げちゃだめだ投げちゃ。
そんな訳で、エンネアに向き直り、場を〆る言葉を告げる。

「別に無理に家事を手伝う必要も無いんだよ?」

「拾って貰っておいて、食べて寝るだけなんて、エンネアは淑女だからそんな不義理な真似はできないの! いいもん、掃除と洗濯で名誉返上してやるもんね!」

汚名挽回してどうするというのか。
やけくそ気味にご飯を掻き込むエンネアに生暖かい視線を送りつつ、俺は今踏み抜かれた失敗フラグが成立する確信を得ていた。

―――――――――――――――――――

エンネア奮闘記其の一。洗濯編。

美鳥が分別された汚れ物をメカニカルな箱に放り込み、スイッチを入れる。
御近所に優しくない物々しい音もしなければ、わざわざ手洗いする必要も無い。
これで電気代は従来機の三分の一、洗浄力は三倍(当社比)
その機械を前に、主婦たちはただただ洗濯にかける時間を減らしていくという。
慈悲深さすら感じるその圧倒的性能の持ち主、その名も──

「見ろ。これが人類を導く、斜めドラム全自動洗濯機(節水、節電使用、)だ!」

「手、手を出す隙が無い……」

現代の洗濯において、衣服のタグを見て選別する作業を終えたなら、あとは使用者の腕にはよる汚れの落ち方の優劣は存在しない。
記憶を頼りにデモンベイン世界で作り上げた全自動洗濯機に片手を置き、無意味に煽りカメラで威圧感を演出する美鳥と、全自動洗濯機でジョー(顎)に強烈な一撃を喰らったボクサーの如く、がくりと膝を付くエンネア。
ここ(洗面所)で、エンネアに出来る事は、何一つ存在しない。

試合結果
エンネア●―○全自動洗濯機
決まり手
圧倒的科学力

―――――――――――――――――――

エンネア細腕繁盛記。掃除編。

「いいかいエンネアちゃん、部屋の角は丸く掃く。これさえあれば、その程度の知識でも十分に掃除(たたかう)事ができる」

エンネアを前に、掃除機の説明をしていた卓也が、遂に掃除機のスイッチをオンにした。

《サイクロンッ!》

合成音による機動音が雄々しく鳴り響き、コーン型の円筒内部で激しい空気の渦が発生する。
通常、サイクロン式の掃除機の吸引仕事量は紙パック掃除機の三分の一とされている。
これは吸引力の低下が起こり難い事と相殺されるのだが、このサイクロン掃除機は吸引仕事量も並みの紙パック式掃除機を上回るスペック。
スイッチの入ったアップライト型掃除機を手に、エンネアが恐る恐る部屋の隅、箪笥の隙間などを掃除していく。

「わ、わ、凄い吸引力だよ!?」

「ダイソン社の製品(隣町の電器屋でコピーして造り出した複製)をベースにしたスペシャルチューン、我が家の切り札(ジョーカー)だから、安心して掃除するといい」

「う、うん」

手渡された掃除機の驚異の出力に驚きながら、おっかなびっくり部屋の隅を掃除していくエンネア。
最初こそその出力と排気される空気の綺麗さに驚いていたが、次第にその顔は苦渋の表情へと移行していく。

「これ、エンネアじゃなくても、十分だよね……」

サイクロン式掃除機という切り札(ジョーカー)を手に、エンネアはコツすら必要の無い単純作業と化した掃除を、のっそりと続けるしかなかった。

試合結果
エンネア●―○サイクロン式スティック掃除機
決まり手
コーン型内部に生じる真空状態、歯車的塵嵐の小宇宙

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「で、結局買い物全般が一番無難なお手伝いだ、と」

エンネアを拾ってから三日が経過し、その間にエンネアはいくつもの家事を断念してきた。
何しろ我が家にはこの時代にはあるかどうかも分からないような文明の英知、家電三種の神器が揃っており、俺、姉さん、美鳥だけでも十分に家を回していける。
既に当番が決められている所に割り込むからにはそれなりの成果を上げなければならない。
だというのに、自動化の進んだ我が家では、誰がその仕事をやってもさして効率は上がらない。

「だって、これしかお手伝いできそうな事が残ってないんだもん。覇道財閥じゃあるまいし、全自動の掃除ロボまで出てくるなんて、そんなの絶対おかしいよ」

トイレットペーパーとティッシュペーパーを抱え、不機嫌そうに頬を膨らませるエンネア。
因みにこの全自動掃除ロボ、ルンバの改造品──ではなく、もちろんトイ・リアニメーターの改造品である。
ボディを徹底的に薄型にしている為面影は殆ど無いが、十機ほど縦に積み重ねるとオリジナルのトイ・リアニメーターの姿になり、連結合体する事によりメカの整備も可能となる。
普段は足元をウロチョロされていらいらするので倉庫で埃を被っているが、仕事を次々に奪われるエンネアのリアクションが面白いので久しぶりに活躍しているのだ。
しかし、仕事を奪われるエンネアの落胆っぷりは見ていて中々に清々しい。
そこまで考え、俺は食材の満載された袋を手にしたまま、顎に手を当てる。

「なんなら、荷物持ちもしてくれる科学的買い物お手伝いロボというのもあるけど」

「やめて、もう本当にこれ以上エンネアから仕事を奪わないで」

エンネアが俺の服の裾をギリギリと音が鳴る程に握りしめ、強く、しかし抑揚の無い声で訴える。
目が笑っていない。このままここで正体バレしてボンテージに変身しかねない程のマジ顔だ。
しかし、不思議だ。
俺も美鳥も姉さんも、別にエンネアに家の手伝いを強要している訳では無い。
ここ三日ほどは姉さんがやや早めに起きて直々にエンネアに俺と美鳥を呼んでこさせているが、あれにしても最初から時間を決めての組手なので、呼ばれるまでも無く朝食には余裕で間に合う。

「なぁエンネアちゃん、何度も言うけど、別に無理に何か手伝いをする必要は無いんだよ? 小間使いにするつもりで拾った訳では無いんだし」

俺の言葉に、エンネアは服の裾から手を放し歩みを遅め、俯く。
見えない表情、エンネアは静かに口を開いた。

「だって、それじゃ、エンネアは、どうしていいか、わかんないもん……」

ぽつりぽつりと途切れ途切れに、力無く言葉を出し切り、エンネアは遂にその場に立ち止まってしまった。
前にも思った事だが、今のエンネアには好意を向ける明確な対象が存在しない。
大十字ならばとも思うのだが、どうやら全てのループの大十字がことごとくエンネアに気に入られている訳でも無いらしい。
原作の貧乏探偵大十字九郎はそのからっとした性格から好まれたが、それ以外の時は魔銃を渡す事すらあまりしない。
これらのデータは周回毎のエンネアの行動を振り返るまでも無く、作中のニャルさんとの会話を振り返るだけで揃う単純なものだ。
だが、これまでのループの中でも幾度となく繰り返された大十字のマイナーチェンジを目の当たりにしてきた俺としては、常に大十字に惚れるのであれば、惚れる側もマイナーチェンジをしなければならないだろうと言う確信を抱いている。
その証拠に、これまでのループの中でも、全ての大十字がアルアジフとくっ付いた訳でも無い。
誰とくっ付くでも無く、アルアジフとも善きパートナーのまま最終決戦を迎えた大十字もそれなりに居る。
つまり、エンネアはどのループでも大十字を重要視するが、ライクではないラブになる可能性はまちまちなのである。
そうなると、エンネアはエンネアにならず暴君のまま大十字に戦いを挑み、大十字にその素顔を晒す事すら無く覇道瑠璃ルート準拠の死に様を晒す。
曲りなりにもエンネアが救済を得るには、やはりどこかで誰かに素顔を晒す必要があるのだ。
そして、エンネアが素の飾らない自分を見せる相手となれば、それはやはり好意を持ち、心を許した相手でしか無い。
エンネアは原作にて自分の事を『尽くす女』と言っていたが、あれはつまり『尽くすからここに居てもいいよね?』という代価の先払い。
産まれからして非道な魔術結社の研究施設であるエンネアは、どこかで自分が存在し続ける、その場にとどまり続けるには何かしらの役に立っていなければならない、と考える節がある。
大方、エンネア──暴君が生まれるまでに、ナンバリングすらされていない実験体が多く使い捨てられていて、その末路をエンネアが記憶しているとかそんな感じなのかもしれない。
そもそも、シスターライカ含むムーンチャイルドの研究結果だけで、エンネア程の魔術師が生み出せると考えるのがおかしい。
シスターライカ達を初期ロットと考え、最終系であるナンバーⅨ事エンネアが完成するまでに幾度も実験が繰り返されていたと考えるのが自然だ。
そうでなくとも、実力第一の実験施設では、自分の有用性を示すのが一番の生き残りの方法。
その生き残ってきた生の経験がある方法と、アカシックレコードにアクセスして手に入れた情報を組み合わせて、エンネアの『自分は尽くす女、お買い得で、重宝ですよ』というアピールは産まれている。
故に好意を持った相手にはとことん尽くす。
そして今、エンネアは意味も無く拾われ、俺と姉さん──と美鳥の温かい家庭に拾われ、この状況に対して少なからぬ居心地の良さを感じている。
しかし、自分が何故拾われたか分からない。
自分の何が拾われ、家庭の温度を分けてくれる理由になっているか分からないエンネアは、とりあえず家事を手伝う事によって『エンネアはこんなに家事も出来る偉い子ですよ、居ると役に立ちますよ』というアピールをする。
無論、エンネアとてそういった生活が長く続くものでは無いと知っている。
だが、限られた時間の中、少しでも好きな相手との時間を、暖かい家庭に触れる時間を長引かせる為に、エンネアの無意識は自らを『好いた男には尽くし、厄介になっている家では手伝いをする淑女』と定義し、その様に振舞う。
そこに、好いた相手がいれば擦り寄って媚、甘えるという、完全に自分の欲求に従う行動が付加され、何もする事が無い時はその行動にシフトする。
だが、今はそうもいかない。
何しろ、『好いた男のそばに居たい』と『暖かい家庭の空気に触れていたい』というのは、全くベクトルの異なる欲求だ。
前者であれば、先の通りの『すり寄って甘える』などの行為により、より欲求を満たす事ができる。
何しろ、相手である大十字は男だ。美少女であるエンネアがすり寄るだけでもそれはかなりの奉仕行動に繋がる。
だが、後者の場合はそうもいかない。
家庭の雰囲気に包まれている間は幸せだが、エンネア自身は何も俺達の家にプラスを(あくまでもエンネアから見た結論であるが)齎さない。
手伝う家事が無い時、エンネアは一方的に幸せを享受、貪るだけの役立たずであり、相手からは不要な存在になり下がっていると言ってもいい。
勿論、俺がエンネアに求めているものからすれば、それは大きな勘違いなのだが、エンネアからすればそう考えてしまうのも仕方が無い。
自分は、何かしなければ全くそこに居る権利すら無い、と考えてしまう。
エンネアはその明るい振る舞いからは想像も出来ない程、その思考はマイナス方向に傾き易い。
好意を向ける異性=相互のメリットとデメリットがある程度釣り合う相手というのは、エンネアにとって、気兼ね無く寄りかかる事の出来る、精神安定剤なのだ。

「ああ、もう……」

頭をがりがりと掻き毟る。
ここまでマイナス思考に陥り易い人間と言うのも、元の世界とトリップ先の作品世界のどちらの経験を顧みてもそうそう居ない。
その為、効果的な対処法は何一つ思い浮かばない。
思いつかないので、振り向き、俯いたまま足を止めているエンネアの手を奪い、ゆっくりと先導して歩くように促す。

「エンネアちゃん」

「うん……」

引き摺られるように歩きながら、それでもエンネアは返事をした。
周りの、俺の声が聞こえているなら話は早い。
エンネアが何故家に連れて来られたか分からないなら、教えられる部分だけでも教えて、自分がそこに居るだけで十分に意味のある存在である事を教えてやろう。
まったく、面倒な。
姉さんや美鳥との生活の中では決して味わう事の無かった厄介事だ。
新鮮過ぎて清涼感が鼻から突き抜けてしまう処ではないか。
エンネアめ、本当に拾って得した感じだ、全面的にありがとう。これからあと半週も無いけど、改めてよろしくお願いしたいものだ。
―――――――――――――――――――

「俺達はね、実はこの字祷子宇宙の人間では無いんだ」

この卓也の言葉から始まった、彼等の秘密。
それはエンネアにとって半分は予想通りのものであり、半分はエンネアにとって、全くの未知の物語であった。
あらゆる物語が世界を内包する、高位の世界から彼等は来たのだという。
彼等は度々その世界に取り込まれ、世界の不備を調節する役目を与えられているのだという。
『トリッパー(小旅行者)』という名を与えられた彼等は、いくつもの世界を渡り、その世界の混乱を収束へと導いて行った。
そして、本来この世界に存在していた筈のキーマンが動けなくなった為、この世界にも彼等が訪れた。
世界を外から観測する彼等は、この世界がループしているという事を知っている。
覚悟を決めて入ってみたはいいものの、実際に幾度もループさせられるのは精神的に疲れるという事。
恩師との死に別れ、再会した恩師の初対面の相手に向ける表情へのやるせない気持ち。
エンネアには、それはとても尊い事だと感じられた。
自分はこのループから抜け出す為に必死で生き足掻き、時には何の罪も無い人々を平気で巻き込んでいるというのに、自ら率先してこのループに加わるなど、想像もできないお人よし。
馬鹿だけど、彼等は善き馬鹿だ。好ましい相手だ。頼れるか分からないが、頼っても良い相手なのだ。
そこまで考えて、エンネアは自らの手を掴み、前に進ませる手を強く握り、立ち止まる。

「エンネアの事も、知っているんだよね。……なんで?」

エンネアが暴君である事を知って、何故拾ったのか。
拾ったにしても、何故普通の少女として扱うのか。
そのエンネアの問いに、卓也は一瞬だけ何かを考える様に黙り込む。
前を歩く卓也の表情を、エンネアは見る事ができない。
酷く遠くに聞こえる雑踏の喧騒をBGMに、歩き続ける。

「これまで何度も繰り返してきて、エンネアちゃんと会ったのは、あれが初めてだったんだ」

「え」

エンネアは一瞬、卓也の言葉を理解出来なかった。
耳に入った情報を纏めきれていないエンネアに構わず、卓也は言葉を続ける。

「最初の周は、先輩から又聞きしただけだった。それ以降はたまに戦闘を少しだけ見る事があった。多少の誤差はあっても、時期も同じ、エンネアちゃんが先輩に突っかかって街を壊すという流れは変わらなかった」

「……」

エンネアは答えない。答える事ができない。
だが、エンネアは気が付いていた。
卓也が今言おうとしている事は、自らが望み、しかし、有り得ないだろうと諦めていた事。
自らが望んでやまない、最後の希望。

「もしかしたら、もしかしたらだけど、これで、このループも終わるのかもしれない」

―――――――――――――――――――

▲月□日(ものは言い様)

『先日の買い物以来、エンネアは明るくなった』
『明るくなったついでに、やたらと行動がアクティブになり、家の中を思う存分騒がしてくれている』
『今までのどこか遠慮がちな態度は何処へ行ったと聞きたくなるような無遠慮な日常への侵略ぶり』
『美鳥と共にゲーム対決、魔術師の超演算能力を生かして超高速テトリス対決、ドカポン対決で熱い血潮を燃やしてみたり、果敢にも姉さんの料理を手伝ってみたり、お姉さんの不機嫌にならない程度の時間に目覚まし代わりに働いてみたり』
『……流石に、俺の風呂にまで侵入しようとしてきたのには閉口したが、身体にタオルを巻いていたので許す事にした』
『別にあの小ささの子供に欲情する様な(あの年頃、ではない。この作品に登場するキャラ、つまり原作で見た事のある人物はすべて十八歳以上であると言っている!)特殊で可哀想な性癖は持っていない』
『が、あのペドい外見の少女と一緒に風呂に入ったという事実が発生すると、後々何かしらの冤罪を掛けられかねないのだ』
『大十字でもあるまいに、欲情する事も難しいような平坦な肉体(アルアジフよりは凹凸があるらしいが、ドングリの背比べというものだろう)を見た程度で豚箱送りとかマジであり得ない』
『その点、一緒に風呂に入ったがエンネアは身体にタオルを巻いていた、と言えれば、俺の普段の常識的な行動と言動、社会的な信用からして言い訳が立つ』
『ともかく、エンネアが家に新たな風を齎したのは間違いない』
『明るい雰囲気が、ではなく、これから死ぬと分かっているのに、それを理解した上でとびきり明るく、この上なく楽しそうに、力の限り生命エネルギーを発散するあの痛ましい姿の方だ』
『俺も姉さんも美鳥もああいった振る舞いをする状況にはなるつもりはないし、だれがなったとしても、俺か姉さんか美鳥は必ず悲しみに沈んでしまう』
『そういった意味で、エンネアの振る舞いは実にグッドだ』
『なにしろ俺達にとって、エンネアの死は完全に他人事であり、幾度となく繰り返されるイベントの一つに過ぎない』
『純粋に、今まで見た事の無い振る舞いを楽しむ事ができるのは、ループにおける退屈を紛らわすには最適だろう』
『スパロボ世界ではDボウイの妹辺りがそのポジションだったのかもしれないが、彼女はまぁまぁ大人しかった上に美鳥が直してしまったのでノーカン』
『最終決戦でDボウイとの合体攻撃がうざったかったので、巨大テックランサーで打ち上げ、諸共壁にめり込んだ状態で変身が解除されるまで殴りつけてやったが、どうせ生きているだろう』
『ブラスレ世界にネギま世界ではそもそもさほど原作キャラと殆ど関わっていないからノーカン』
『辛うじて引っ掛かりそうなのは、村正世界の銀星号だろうか』
『……無い、無いな。治療したから生命力に溢れている上に、死ぬ可能性は限りなく低い。そもそも無理して明るく振舞うとかでは間違いなく無い』
『ともかく、エンネアが俺の期待に応えてくれたのは間違いない』
『エンネアは死ぬ。間違い無く死ぬ。そして、その日は着々と迫って来ている』
『だからこそ、何か一つ、礼と餞別の意味を込めた贈り物をしよう』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

エンネアが家に来てから六日目、日曜を明日に控え、街にはここぞとばかりに居酒屋やバーに掛け込む社会人や大学生で溢れるサタデーナイト。
街のあちこちで吐瀉物が電信柱に向けてフィーバーされ始める夜更け。

「ねぇねぇ! 明日! みんなで遊びに行こうよ!」

「いいぜ」

「いいわよ」

「何も問題ないね」

エンネアの唐突な提案に、俺達三人は一も二も無く頷き、エンネアが大げさにその場で跳び上がり全身で喜びを表現する。

「やったーー! さっすが、話がわっかるぅっ!」

しかし遊びに行くと言っても、一体全体何処に行けばいいのやら。
言ってはなんだが、この街には大規模なアミューズメント施設は存在しない。
カラオケもゲーセンも遊園地も無い。
ウィンドウショッピングくらいしか思いつかないが、それを遊びに行くと言っていいものだろうか。
あ、そういえば映画館はあるんだったな。出番が無いからすっかり忘れていた。
外装がやたら現代チックで周囲のアンティークな雰囲気の建物からは浮いていたが、アパートの一つ一つにまで怪しげな悪魔っぽい彫刻があるという謎センスに比べれば大分ましな造りだった筈だ。

「たぶん映画館には行くんだろうけど、今は何を上映してんの?」

「卓也ちゃん?」

美鳥と姉さんの疑問に答える為、映画館の前を通りかかった時に見た看板を思い出す。
極々普通の古めかしい内容の映画に紛れて、何故か一本だけニトロ作品がアレンジされて上映されているのがあそこのお約束だった筈だが、確か今月は……。
なんと、三本の内二本がニトロ系列ではないか。
俺は美鳥と姉さんに顔を向け答えようとして、エンネアに顔を向け直す。
休みの日だから最初から何処かに出掛けるつもりではあったが、少なくとも現時点で一番に外出を提案したのはエンネアだ。
エンネアに選んでもらうのが一番だろう。

「エンネアちゃん、火の鳥風グロ純愛とメカ主人公によるハートフル学園ラブコメ、どっちがいい?」

もう一つは……ジャズ・シンガー?
同時上映のニトロ作品は全編フルトーキーなのだが、この場合はどういう扱いになってしまうのだろうか。
まぁ、ここはニトロ世界なのだから、ニトロ作品が優遇されるのは仕方が無いのかもしれない。

「んー、映画ってどれくらい時間かかる?」

「この二つは大体二時間くらいかな」

この時代の映画作品ならもう少し上映時間にばらつきがあると思うのだが、この二つは時代背景からしておかしいから例外なのかもしれない。

「んとね、んーとね、エンネアは──」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

結局、朝一番に上映が始まる学園ラブコメを見る事になった。
映画の出来自体は……、まぁまぁだった、としか言いようが無い。
そもそも総プレイ時間が数十時間とか百何十時間とかのアドベンチャーゲームを二時間の映画に纏めようと言うのがおかしいのだ。
だが屈指の名エンドとも言える遥香エンドを持ってきたのは評価してやらんでもない。
でもなぁ、取り調べにカツ丼の代わりにカツサンドとか、アメリカ人に理解できる文化なのだろうか。

「たくやー、余韻に浸ってないで美鳥宥めるの手伝ってよー!」

「うん?」

エンネアの困ったような声に、映画館の入口を振り向く。
と、そこにはパンフや下敷きなどのグッズを大量に確保した美鳥が、エンネアに背中を撫でられながら、姉さんにハンカチを顔に当てられていた。

「おいおい」

映画を見て暫く放心した後に、財布を握り締めてグッズ売り場に飛んで行った時には具合が悪いどころか危ない薬打たれたみたいな危険なオーラを放っていた。
だというのに、美鳥は二人に宥められながら、顔をくしゃくしゃにして泣いているのだ。
ていうか、美鳥がこんな泣き顔するとか初めてではあるまいか。

「どうした美鳥、青い子が居なかった事にされたのがそんなに気に食わなかったのか?」

そんなマニアックな部分に反応するとかちょっと通気取り過ぎるだろう。
ていうか、居なくても話進むから別に居なくてもいいだろう。不人気如き。

「遂に、遂に公式で妹エンドがトゥルーエンドに……! おめでとう、おめでとう遥香ちゃん……!」

コングラッチュレィション……。
でも公式じゃなくて異世界で内容が殆ど語られないようなマイナーな映画としてな。
しかも半ば千歳さんの妄想だし。
地球見捨てて宇宙へ逃亡エンドよりは余程メインヒロイン臭出してると思うけど。

「もー、美鳥は泣き虫だなー」

「うるへー! ハロワで燦然と輝く一番星は軍服遥香(レイポ後バージョン)なんだよ! あれがヒロインで泣かない訳が無いだろぉ!?」

美鳥の背から手を放し苦笑するエンネアに、美鳥が唾を飛ばしながら反論する。

「最萌えは主人公だけどな」

「うん、あの初期の無垢っぷりが堪らないわね」

堂々と女子トイレを盗撮したり、通りすがりのダッチワイフで脱童貞したり、超無垢だな。
まともな所で言えば、OP前の家を出るシーンの『Hello, world』は本作屈指の名言だと思う。
何が言いたいかと言えば、映画って、本当に素晴らしいものですね。

「纏まったところで、次いってみよー!」

エンネアが片手を振り上げ、俺達を置いて行きそうな勢いで映画館から飛び出す。
俺達もそれなりの今日何処を廻るかは考えていたのだが、エンネアの頭の中にも何処を廻るかというスケジュールが組み立てられているのだろう。

―――――――――――――――――――

人の波を器用にすり抜けながら、エンネアはやや丈の長いスカート(お出掛けだからと、美鳥の服を少しだけ仕立て直して借りている)を翻し、くるくると楽しげに駆けまわる。
子供特有の、アクセル踏みっぱなしとでも表現するのが相応しい速度だが、随伴する卓也達は慌てる事も無く、のんびりとした歩みでその速度に追いつき、エンネアから離れない。
映画を見た後は買い物が始まった。
洋服に小物、人形に本、調理器具に健康グッズ、怪しげな部族の伝統工芸品に、この時代にそぐわない技術が用いられたオーパーツ。
大きなショッピングモールから路地裏の小さな店、果ては歩道の脇に敷き物を広げての簡素な露天、眼に付いた端からエンネアは飛び込み、そこに存在する何もかもを味わいつくそうと駆け巡る。
力の限り、時間を一秒も無駄にせず、瞬間瞬間を楽しもうとしている。その何処かに、掛け替えの無い何かを見出そうとするかの様に。
エンネアは三人を引っ張り廻し続けた。
卓也と句刻に服を見て貰いながらのファッションショー、美鳥と共に小物を弄り回し一部をうっかり欠損させて弁償し、公園の屋台で軽い食事をとりながらお喋りに興じ──
そうしている内に日は沈み、空は茜色に染まっていた。
四人は夕食の時間帯に迫り、客を定食屋に取られ人の少なくなった喫茶店で軽い食事と飲み物を頼み、ゆったりと寛いでいる。

「なんか、あんまり減らなかったな」

卓也が自分の財布を覗き込みながら、不思議そうに首を傾げる。

「結局、荷物になる様なものはあんまり買わなかったしね」

句刻は卓也の疑問に答えながら、良く冷えたオレンジジュースをストローで掻きまわし、氷を打ち合わせて音を立てる。

「だね。一番大きな荷物って、美鳥の買った映画のグッズじゃない? ぷぷ、お猿さんのお人形って、美鳥はお子様だなー」

「猿じゃねーよエテコウだよ。原作だとミクラスよりよっぽど役に立ってたイケメンサポートロボなんだかんな?」

メカニカルな猿のヌイグルミをエンネアから庇う様に大事そうに抱える美鳥と、それを指差し口元を押さえ笑うエンネア。
しばし、四人は食事を摘まみながら、購入した品をテーブルに広げて、その一つ一つに関して意見し、笑い合う。
このネタばれ満載のパンフは先に買わなくて良かった、プロジェクター付きの時計はいい買い物だけど精度が気になる。
使うかどうかはわからないけどこのコップは洗うのが面倒臭そうだ、このマグネットは飾りがでか過ぎて邪魔だけど冷蔵庫に貼りつけるアクセントとしては可愛らしい。
このブーズー人形は美鳥が服を裂いちゃったんだよね、いやいやテメェが腕を千切りかけたんだろ、いやいや美鳥が、いやいやお前が、いあいあ。

「しかし、エンネアちゃんは結局一着も買って無いんだな」

品物のチェックを一通り終えた辺りで、卓也がコーラフロートを啜りながら、今気付いたと言わんばかりに呟く。
そう、映画館を出てすぐに入った店で、延々一時間ほども様々な服の試着を繰り返していたにも関わらず、購入した品の中には一着も服が入っていない。
いや、句刻や美鳥が購入した下着やハンカチなどは入っているのだが、エンネアが着る服が一着も入っていないのだ。

「先に自分の分買っちゃった私が言うのもなんだけど、エンネアちゃんは新しい服とか要らなかったの?」

「そうそう、絶対あのパンツとか似合ってただろ(頭に被る的な意味で)。勿体ない」

「一応大目に金は下ろしてたから、遠慮する必要は無かったんだよ?」

そんな三人の言葉に、エンネアは困ったような笑みを浮かべる。

「そりゃ、エンネアも御洒落の一つもしてみたいけど、さ」

──それは夢の様な話。
暗闇を逃れ、光のある夜を迎え、
悪夢を怖れず、温かい寝床に付き、
絶望を忘れ、何事も無く朝が来る事を、当前の様に信じられる。

「これ以上、もう、持ち切れないよ」

温かいごはんを、笑顔の溢れる食卓で食べ、
休みの日に、気の合う友人たちと外に出かけ、
一日中、疲れるまで街中を遊びまわり、
今日は疲れたねと、楽しげに愚痴を零し合う。
──それは、夢見る事すら忘れていた、何処にでもある、楽しい楽しい夢の話だ。

「エンネアは、これでおしまい。そろそろ戻らなきゃ。エンネアじゃないエンネアに」

喫茶店の窓の外、夕焼け色に染まった道路に、隣の喫茶店から一人の人影が飛び出してきた。
対となる白き王、この世界を終わらせられる、運命の人。
見た事の無い光景、見た事の無いシチュエーション、見た事の無い焦りの表情。
その何もかもが、この僅かな救いの日々と、苦痛に満ちた円環の終焉を予感させ、嫌がおうにもエンネアの背を押してくる。
踏み出せ、ここから抜け出せ、全てに終止符を打て。と。
席から立ち上がったエンネアを、引き留める様な声が掛けられる。

「もう少し、欲張りになってもいいと思わない?」

「ん、もう十分。これ以上はエンネアもお腹が破裂しちゃうよ」

溶けかけの氷の入ったコップを揺らしている句刻の声に頷く。
最初に迎えた朝、向けられた笑顔に、暖かい思いが胸に溢れた。
もともと家に居るのが当たり前であるかのようにパシリにされ、されるがままに、そこに居てもいいものと教えられていた。

「急ぎ過ぎても良いこた無いぜ。急がば回れって名セリフを知らないのかよ」

「だいぶゆっくりしてたからね。これ以上は遅刻しちゃう」

冷めたハンバーグをフォークで何度も何度も突き刺している美鳥に、苦笑しながら首を振る。
最初に連れて来られた夜、シャワーをと共に浴びせられた殺気は、その冷たさに反比例する様な、人を大事に思う熱さを教えてくれた。
事あるごとに突っかかって、対等な位置でぶつかり合い、嫌でも自分がここに居る事を知らせてくれた。
そして──

「もう、行くんだね」

真っ直ぐに、逸らされること無く自分を射抜く視線。
その黒い瞳の中に、エンネアは自分の姿を見つけた。
瞳の中のエンネア(じぶん)は、これまで見たことも無いような笑みを浮かべている。
諦めではない。自分のこう考えるのも恥ずかしいのだが、決意を秘め、運命に立ち向かう『人間』の笑みだ。
まるで、これまで自分に立ち向かってきた、あの大学生魔術師の様な。

「ねぇ、卓也」

エンネアは、瞳に映る自分では無く、その瞳の持ち主──卓也の顔を見据える。
あの日、あの運命の日、あの出会いの夜。有り得なかったかもしれないどしゃぶり中、すれ違わなかった奇跡。
手を差し伸べてくれた、何処にでもいそうな、この世のどこにも居なかった人。
希望のありかを教えてくれた人。
最後に、こんなに沢山の思い出を作ってくれた、気紛れな異邦人。

「なんだい?」

「ありがとう──」

店の中に人気が無い、三人の内の誰かが魔法を掛けてくれたのか。
──私を見つけてくれて。
身体を包んでいた借り物の服が解け字祷子へ、魔術師としての装束──拘束着へと変換する。
──私から隠れずに居てくれて。
口枷を構成仕掛けて、止める。
──私の手を引いてくれて。
言葉を告げよう、この温かな日々に、別れでは無い、解放へ向かうだけ。
──だから、さよならの代わりに、この言葉を。

「──行ってくるね!」

エンネア──暴君は、何もかもを振り切る様に店の外へ、大十字九郎目掛け、走りだした。




続く
―――――――――――――――――――

エンネア編、完!
次回、暴君編へと少しだけ続きます。
そんな感じのファイナル→ピリオド詐欺的な嘘は一つも言っていない第四十七話をお届けしました。
実際問題、明確に敵対する相手か明確に好意を向ける相手が居なければ、エンネアの行動ってこんな感じじゃないですかねぇ。
勿論作者の予想と言うか妄想と言うか、作中に炸裂した俺理論によるエンネア限定な訳ですが。
まぁループ初期だとかなんだとか、そもそも完全に原作設定を踏襲する必要の無い二次創作世界観のお陰で幾らでもいい訳が立ちますがね。

ネタもまばらでシリアスという訳でも無い繋ぎ回ですが、繋ぎが無ければパンも蕎麦もボロボロになってしまい残念な気分になってしまう物です。
つまり、SSを書く上で繋ぎ回は必須! カタストロフの為の積み重ねも必須!
次も主人公は戦わないんですけどねー。繋ぎに繋いだ上で暴君と九郎のバトル回です。
戦闘シーンは主人公が少し九郎にちょっかい出す部分以外はほぼ原作通りです。
なので、『エンネア? 暴君? ロリとかワロス三十以上こそ至高』みたいな人は飛ばすのが賢明かもしれません。
一応次のデモベ編○○の章みたいな区切りへの複線でもあるんですが、予測できる人は予測できると思いますしねー。

以下、自問自答コーナーに代わり、主人公が今回どれだけ嘘を『吐いていない』か、簡単に説明させていただきますがかまいませんね!

>あらゆる物語が世界を内包する、高位の世界から彼等は来たのだという
そういう世界観ですしおすし。
>彼等は度々その世界に取り込まれ、世界の不備を調節する役目を与えられているのだという
姉の推論ではあるが、そういう役目を与えられている、という事自体は間違ってはいない。※まっとうに遂行するかはさじ加減次第。
>『トリッパー(小旅行者)』という名を与えられた彼等は、いくつもの世界を渡り、その世界の混乱を収束へと導いて行った
どのような形であれ、とりあえず収束はしている。何もかもまっ平らになっていても収束したと言うのは間違いでは無い。
>そして、本来この世界に存在していた筈のキーマンが動けなくなった為、この世界にも彼等が訪れた
キーマン事オリ主は姉の無理難題によって生まれる前に流産、原因が何かとは言っていないが嘘も言っていない。
>覚悟を決めて入ってみたはいいものの、実際に幾度もループさせられるのは精神的に疲れるという事
何十年と繰り返せば飽きもする=精神的に疲れる。
>恩師との死に別れ、再会した恩師の初対面の相手に向ける表情へのやるせない気持ち
自分が殺した訳だけど、死に分かれである事には変わりない。
>「エンネアの事も、知っているんだよね。……なんで?」
そもそもこの疑問には明確に答えを返していない。

うちの主人公はまっこと正直ものでござるなぁ。
宇宙から来た白い獣程度には正直もの。
ノルマを達成したいのも同じ。

それでは、今回はここまで。
誤字脱字に関する指摘、文章の改善案、設定の矛盾、一文ごとの文字数に関するアドバイスなどを初めとするアドバイス全般、そして、長くても短くてもいいので、作品を読んでみての感想、心よりお待ちしております。



[14434] 第四十八話「暴君と新しい日常」
Name: ここち◆92520f4f ID:190f86b3
Date: 2013/09/21 14:30
第十四番区郊外と第十三番完全封鎖区域との境界に、幾つも存在する廃墟。
打ち捨てられ、今や主を人から無数の鴉へと換えたその城の最上階。
異様な光景だった。
欠けた天井から覗く暗い室内を更に黒く黒く黒く染める、無数の影。
鴉だ。数百を超える無数の鴉。
暗闇を更に黒く染め、しかし無機質に輝くその瞳だけが、静かに暗闇の中、一点だけに向けられている。
感情の無い視線が交差する中心。
微動だにせぬ鴉に包囲され、無造作に捨て置かれた鉄材に座る拘束衣の囚人と、手足を束縛され、砂埃に塗れた床に転がされたライカ・クルセイドの姿があった。

「あなたは、何者なの?」

鴉の視線に怯える素振りを見せながら、ライカは囚人を真っ直ぐに見据えて訪ねた。
──本来であれば鴉など恐れる事は無いし、この程度の束縛もライカには通用しない。
変身していない状態とはいえ、即座にレーザーブレードを展開する事も可能であり、魔術的に強化された特殊な素材でも無ければ容易く断ち切る事が出来る。
ライカ・クルセイドは悪の魔術結社ブラックロッジから逃げ出した改造人間である。
故に、本来であれば生半可な拘束具ではライカの行動を制限する事はできない。
だが、組織から逃亡中であるライカは、潜伏先を悟られる事を恐れ、他人に正体をばらす事ができない。
更に言えば、目の前の囚人の魔術師としての位階を鑑みれば、例え力をフルに発揮した所で逃げ切る事は出来ない。
ライカはいざという時の為に体力を温存し、助けが来るまでの時間稼ぎの為に、聞いても答えが返ってこない様な問いを発したのだ。
ライカの問いに、囚人はゆっくりと振り返る。
囚人は口を開きかけ、一瞬だけ何かを思う様な仕草を見せた後口を閉じる。
囚人の代わりとでも言うように、周囲を取り囲んでいたカラスたちが口を開き、本来発せられるべきでは無い人語で答える。

「……『暴君』」


「『暴君』?」

予想外に答えが返ってきた事に内心驚いたライカではあったが、それを顔には出さずに鸚鵡返しに聞き直す。

「大体そう呼ばれてる、みんなからはね」

何か、言葉を詰まらせる様な間を置いた後に告げられた名前に、ライカは首を傾げ、囚人──暴君の代弁をする鴉達は僅かに、よくよく注意しなければ分からない程に自嘲の籠った声で肯定した。

「みんなって……」

「『ブラックロッジ』

「──っ!」

「あそこじゃ、そう呼ばれてる」

告げられた名前に、ライカは息を呑んだ。
このアーカムシティにおける、いや、世界中を見ても最大規模と言っていい、悪の魔術結社。
ライカの身体を改造した組織。
つまり──

「あなたも、信徒!?」

「そういう事になっちゃうね。はみ出し者だけど」

ライカは暴君に厳しい視線を向け、ぎっ、と音が鳴る程に噛みしめた歯の隙間から、絞り出す様に声を出す。

「九郎ちゃんを誘き出して、殺すつもりなのね……!」

ライカは、自分でも驚く程に感情が高ぶっているのを感じていた。
かつて日常の象徴であり、しかし今、想う相手となった九郎を殺そうとしている目の前の囚人相手に、今にも手が出そうな程に怒りの感情を震わせている。
だが、そのライカの言葉に肯定は告げられず、鴉の合唱がぴたりと止んだ。

「────違うよ」

「……え?」

暴君が、自らの口から発した言葉に、ライカは思わず間抜けな顔で聞き返してしまう。
九郎を殺すのかという問いに返された、暴君の否定の言葉。
暴君自身の喉から発せられたその声は、暴君の身体付きから想像し得る幼い少女そのままの澄んだ鈴の音の様な音。
その声には、先ほどまでの凶行からは想像も付かない様な、疲労と、淡い期待に満ちた感情が込められている。

「たぶん、テリオンも似たようなものなのかもね。『暴君』もテリオンも、形は違うけど九郎には期待してる。本当はテリオンが先約なんだけど、でも、『暴君』の方が先だった。巡り合わせに感謝しなきゃ」

「……」

意外な程に饒舌な『暴君』に呆気にとられているライカに、『暴君』は口を噤み、再び鴉達が口を開く。
合唱では無い。ライカの目の前の一羽の鴉だけが、ライカの瞳を見つめながら『暴君』の言葉を伝える。

「訳が分からないだろうけど、少なくともシスターに手を出すつもりはないから安心してよ」

酷く真摯な、声色だけで嘘では無いと信じてしまいそうになる言葉にも、ライカは表情を緩めない。
ライカは確かに目の前の魔術師の言葉が信用に足るものだと、奇妙な確信を抱いていた。
『暴君』は、この場所に九郎が来たのなら、後はシスターが逃げても追う事はしないし、人質に使う事もしないだろう。
だが、問題となるのはそこでは無い。

「……駄目よ、だってあなた、九郎ちゃんを巻き込もうとしているもの。そんなの絶対、許せない……」

ライカの憤りとはそこだ。
本来なら関わる必要の無いブラックロッジとの闘争に、目の前の魔術師は九郎を積極的に巻き込もうとしている。
自分とブラックロッジとの因縁は、もはや関係無い。
九郎を死地に追いやる相手だからこそ、ライカ・クルセイドは『暴君』の行動を、何より、今正に九郎を死地に誘う為の餌と成り果てている自分を許容できないのだ。
今にも全身に埋め込まれた魔導回路を機動しかねないライカに、『暴君』は首を横に振る。

「違う。九郎が巻き込まれているんじゃない。いや、九郎が巻き込まれているんなら、『暴君』も、テリオンも、シスターも、この街も、この星も、何もかもが巻き込まれる側なんだ」

鴉の口から放たれる暴君の言葉に、ライカは反応を示さない。
ただ、起動仕掛けていた魔道回路が、遠くからゆっくりと近づいてくる、強大な魔術師の反応を捉え、ライカの波立つ心を押さえつけた。
目の前の『暴君』を含め、アンチクロスと同じレベルの魔術師が三人。
下手に動く事も出来ず、ライカは無力感に苛まれながら、ただ大人しく機会を待つしかない。

「でも、巻き込まれたままじゃだめだ」

そんなライカに背を向け、『暴君』は自らの口で、自分にだけ聞こえる声量で、呟く。

「人は皆、眠れる運命の奴隷、眼が醒めたなら、自分で道を切り開かないと、ね」

二人の居る廃墟に入るまでも無く、近付いて来ていた魔術師達の魔力が高まっていく。
押し潰す様な圧力を伴った水気と、刃物の様に鋭い風気の気配が濃密な物へと変わる。
戦闘が、始まろうとしていた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

暴君に操られ、自らの口から放たれた言葉の意味を考える事すらせず、大十字はマギウス・ウイングを広げ、空へ飛び発っていた。
第十四番区郊外と第十三番完全封鎖区域との境にある一番大きな建物。
九郎はそこを探すまでも無く知っていた。後輩の魔術実験に付き合わされた時に、人気が無く、万が一何か起こったとしても対処しやすいからと度々訪れていたのだ。
車でも三十分も掛からずに辿り着けるような場所で、空を飛べば更に早い。
だが、今の九郎にはその場所にたどり着くまでの時間が、苦痛に感じられる程に長く感じられていた。
仮に、浚われたのがライカ以外の誰かだったとしても、九郎は同じ全速で助けに行っただろう。
だが、浚われたのがライカ・クルセイドであるという事実が、全力で飛翔を続けてもなお遅いと感じさせているのだ。
だが、逆にその速度に危機感を抱いている者も九郎の傍には存在した。

「待て、九郎! 敵は罠を張っている筈だぞ! 事は慎重に進めねば……」

九郎の所有する魔導書、アル・アジフの精霊だ。
彼女は僅かな戦闘から、暴君が達人級(アデプトクラス)の、下手をすればアンチクロスよりも強力な魔術師と考えていた。
思慮無く策無く跳び込んでは、九郎に勝ち目はないと踏んでいたのだ。
だが、九郎は自らの魔導書の精霊の言葉にも耳を貸そうともしない。

「だからってちんたらしてらんねぇだろ! ライカさんの身がかかってんだぞ!?」

いや、貸そうとしていない訳ではないが、その理屈に頷いてゆっくりと準備を整える時間すら惜しいのだ。
偃月刀一本鍛造する間にライカさんがどんな目にあわされるか、策一つ練る間に、もしかしたら取り返しのつかない様な事になっているかもしれない。
事ここにきて、九郎とアルの思考にはずれが生じていた。
九郎は、何をおいてもまずライカの救出を最優先とし、極端に言ってしまえばライカを浚った暴君の能力に関しては一切思慮に入れていない。
まず、助ける為には駆けつけなければならない。故に準備をする時間すら惜しく、その時間を完全なロスと考えている。
アルは、ライカを救出する事を最優先としているが、その目的を達成するには確実に暴君が障害として立ちふさがるものと確信していた。
まず、助ける為には暴君をどうにかしなければならない。故に目的地に付き戦闘が始まるよりも早く、何かしらの対策を手に入れなければならないと考えている。
どちらも間違いでは無い。実際のところ、九郎とアルの両方の考えを両立しうる手段があれば、それが最善だろう。
だが、今現在速度と策を両立させる事は難しい。不可能と言ってもいい。

【……輩、せ……い、せーんぱーい】

不意に、九郎とアルは空を飛翔する自分達の隣から、聞き覚えのある声が響いている事に気が付いた。

「この声は」

「卓也か!」

アル・アジフが一瞬だれの声か記憶を掘り出すのに時間をかけている間に、九郎はその声が付き合いの長い後輩の声である事に気が付いた。
前方への飛翔を止めず顔だけで声の方へと振り返ると、そこには戦闘機と鳥の合いの子の様な、しかしその身体に鱗を生やし、馬の様な顔をした機械の鳥が並走している。
九郎がアイオーンで戦う折に多用し、卓也が飛翔用魔道兵装に組み込んでいる物と同じ、シャンタク鳥の記述を刻み込まれたアーティファクト・クリーチャー。
九郎はそれが、卓也がふとした思いつきから造り出した使い魔の一種である事を記憶に留めていた。

【はい、俺です。非常時なようなので手短に差し入れの説明だけをさせて頂きます。ささっと受け取ってくださいな】

「約に立つんだろうな!?」

言いつつ、九郎は卓也の操る使い魔がぶら下げていた包みを引っ手繰る。
包みを開く九郎の表情は、既に藁にも縋りたいといった表情では無く、心強い武器を扱う戦士の表情へと変化していた。
疑う様な事を言ってはいるが、ここぞと言う時にこの後輩がやたらと都合良く的確なお節介を焼ける事も記憶しているのだ。

【もちろん、姉に誓って。さ、アルさん】

「うむ」

荷物を引き渡し身軽になった使い魔は、アルに向けて淡く輝く文字列を飛ばし、アルはそれをマスコット形体の身体を一部魔導書形態に変化させ受け取る。
言葉で武器の解説をするのでは無く、記述の一つとして一時的に組み込むことにより、魔術兵装の一部としてアルから簡単に参照する事が出来る様になる。
更にアル・アジフから参照できると言う事は、マギウス・スタイルに身を包んだ九郎もまた、瞬時にその武装の情報を取り出し使用する事が可能であり、脳に直接情報を書き込むのと同等の速度で理解する事が可能となるのだ。

「なるほど、銃に刀か」

「あの魔術師に対抗するにはおあつらえ向きだな」

そのアルと九郎の言葉に、機械の使い魔は揃いの良い歯の列にも似たエア・インテークを剥き出しにして、身体を傾ける。

【それだけあれば、十分戦えますでしょう? 待ちかねていると思いますので、しっかり救ってあげて下さい。ではまた、休み明けに大学でお会いしましょう】

風に乗り遠ざかり、九郎達の視界から消えていく使い魔。

「おう!」

後輩の『救ってあげてください』という言葉に力強く頷き、九郎はウイングを羽ばたかせ、目的地へと加速。
爆音が響き、生まれた焦りを今さっき受け取った二丁の銃と一本の刀に手をあて、臨戦態勢になる事で和らげる。
目の前まで迫った目的地の近くから爆音にも似た地響きが届く。
周囲の建物の屋上から無数の鴉が一斉に飛び立ち、烈風が吹き荒れ、逃げ遅れた鴉達の血と羽根と肉片が宙に舞う。

「!? 何が起こっている……?」

「ちぃっ!」

目的地、一番高『かった』崩れかけのビル目掛け、全速力で降下する。
既に根元から崩れ始め、天上、いや、最上階が丸ごと砕け散り落下、地表に降り注ぎ更に微細に砕け続ける音が連続して大十字の耳に聴こえた。
月光に照らされ、瓦礫と粉塵と血風と羽根の中、三つの、いや、四つの人影。
その内の一つ、いや、二つに九郎の視線は釘付けになる。
拘束着の小柄な脱獄囚と、その肩に背負われたブロンドの女性。
暴君と、ライカ。

「ライカさん!」

九郎の叫びに、肩に背負われていたライカが身を捻り顔を上げる。

「九郎ちゃん! ん……っ!」

だが、その身を捻る動きで固定が不安定になったのか、暴君に担ぎ直されて言葉を詰まらせるライカ。
ライカのとりあえずの無事に安堵する暇も無く、九郎はライカを奪い返す為に暴君目掛け、地表スレスレを低空飛行し吶喊。
九郎が暴君とライカの二人にだけ目を奪われている間に、アルはこの場に居るまかり間違っても味方とは思えない連中の分析を行っていた。

「アンチクロスに匹敵する魔術師が現れたと思ったら、更にアデプトクラスが二人追加か。ややこしい事になっておるのう」

暴君では無いアデプトクラスの魔術師の一人は、禍々しい風の気配を纏ったストリート・キッズ風のファッションに身を包んだ少年。
もう一人は大柄な、ガウンとマスクに身を包んだ二メートルに届く筋肉質の巨漢。

「関係ねぇ。邪魔者を全員ぶっ飛ばして、ライカさんを助けるだけだ! アル!」

「お主は単純じゃなぁ……」

主である大十字の言葉に軽く肩を竦めながら、アルは求められるままに、つい先ほど追加された武装を九郎の手の中に顕現させる。

「貰い物だから予備は無い。ぬかるでないぞ」

「おうよ!」

進路を遮る様に魔導器であるヨーヨーを構えて立ちふさがる小柄な魔術師──クラウディウス目掛け、身体にぴったりと張り付けるように手の中に現れた何かを構える九郎。
クラウディウスは一瞬何が来るものかと警戒したが、九郎の手に握られている何かから感じられる魔術的な雰囲気が極々小規模な物であった為、避ける事すらせず、身体を捩じり振り被り、ヨーヨーを射出。

「はぁっ! 即席野郎が何し」

殺人的な威力の込められたそのヨーヨーで、九郎の持つ武器毎迎撃しようとしたのだ。
それは正しい判断だったのだろう。九郎の持つ武装が、真実この世界の論理のよって形作られていたならば、の話だが。

「た、あ、ぁ?」

どちらにしろ、それはIFの話に過ぎない。
常時展開している出力の弱い障壁を容易く切り裂き、九郎の手の中の武装──機械的な意匠の施された刃の無い刀は、一刀のもとにクラウディウスを何処とも知れぬ時間、空間へと追放した。
これこそ、卓也が九郎に託した武装の一つ。BOSON CARRIED TERMINATOR OUTFIT──BCTO(ボクトー)である。
魔術的な効力こそ持っていないが、内臓された複数の超小型オルゴン・エクストラクターとラースエイレム・モジュールによる異世界追放攻撃と、込められた『命中』『直撃』の呪い。
どちらもこの世界には存在しないルールによって構成されており、魔術師にはこの異常性を察知する事は不可能に近い。
振り抜かれたBCTOから、カシュ、という空気が抜ける様な音と共にカートリッジ型に纏められたエクストラクターとモジュールが排出される。
押し出される形で、BCTOの内部で新たなカートリッジが装填された。
込められていたのは科学ではなく魔術の産物。発動するのはバルザイの偃月刀に魔力を込める術式の簡易版。
日緋色金製の刀身が一時的に魔術の威を帯び、

「グォォォォォォォッッッ!!!」

巨漢の魔術師──カリグラのダイナマイトが爆発したかの如き拳圧を受け止める。
迫る拳の弾幕に対して振るわれたBCTOは『必中』の呪いの残滓を受け、過たず命中する。
だが、激情に支配され威力を増したカリグラの拳打を受け流しきれず、九郎は無様に地面に叩きつけられた。

「ヨグモ、クラウディウスヲ!」

拳打の余波で崩れ落ちる足場を転げる九郎に、カリグラの容赦の無い追撃が掛かる。
変わらぬ、いや、繰り出されるたびに破壊力が上がり続ける拳圧を、マギウス・ウイングを地面に叩きつけるように羽ばたかせ体勢を立て直し、後ろに跳び退りながら受け流す。
いや、ただ単に受け流している訳では無い。まっすぐ後ろに逃げるのではなく、僅かながらカリグラを中心に螺旋を描くように下がり、ライカへの距離を詰めているのだ。
上手く行けば直ぐにでもライカの元に辿り着けるルート。上手くいけば。

「ヨグモ、ヨグモヨグモヨグモォォォォッッッ!!」

濁った嗚咽の様な、泣き声にも似た叫び。
カリグラの狙いをつけない乱打は、その一撃一撃が頑強なビルの一角を粉砕してしまう程の威力を秘め、自然と九郎はその拳打の雨から逃れる為、螺旋運動を中止しなければならない。

「埒が明かんな」

「こうなりゃ……」

九郎は構えていたBCTOを逆手に持ち換え、もう片方の手で先程の暴君との戦闘で掠め取った大口径の赤い自動拳銃を抜きかけ、ふと思いついたようにその拳銃を元に戻す。

「使わんのか?」

「ああ、代わりにアレ出してくれ」

「早速か」

赤い自動拳銃を戻し、空となった掌に粒子が集まり、一丁の黒い拳銃を形成する。
いや、果たしてそれを拳銃と言っていいものか。
それは銃身を持たず、代わりに複雑な構造の機械で形作られた刃の無いナイフの様な物が二本、互いに背を向けて並べられている。
だが、九郎はそれがまるで必殺の威力を秘めていると確信しているかのように、躊躇い無く引き金を絞り、

「ステイシス!」

呪句(コマンド)を唱える。

「ゴロズ! ゴロズ、ゴ、ロ、ズ、ゴ──ロ──ズ──……」

銃口ならぬ矛先を向けられたカリグラの拳打が、カリグラ自身の動きが、カリグラの周囲、カリグラの一部と認識される周辺の空気までもが緩やかに減速し、拳圧の弾幕を緩め、十分に避けきれる密度に落ちた。
九郎の呪句と共に目に見えぬ程の密度で解放された、字祷子の性質を含んだオルゴン粒子。
それが照射された対象であるカリグラの周囲で重力変動を起こし、時空に限定的な歪みを生じさせ、時間の流れを極端に減速させる。
これもまた、卓也が九郎に齎した武装の一つである。
かつて恩師であるアデプトクラスの魔術師にあっけなくラースエイレムを解除され、その対策として思いついた、完全時間停止成らぬ時間遅延攻撃。
それを小型モジュール化し、斬りつめたソードライフルへと組み込んだ、対魔術師用の補助兵器。
アルに転送された説明書きには『ド・マリニーの時計とは異なるタイプの時間操作兵器』としか説明されていないが、今の九郎にとって理屈はどうでもいい。
ただ、カリグラの攻撃をくぐり抜け、ライカを抱える暴君の元へと辿り着けるという事こそが、何よりも重要なのだ。
二人の魔術師を出し抜き、重りとなる撃ち終えた拳銃を投げ捨て、再加速しながら距離を詰め暴君へと肉薄。

「九ゥゥぅぅ郎おォォオオおぉォォクゥゥゥゥゥンンっッッッ!!」

仮面に隠されていない口元を引き裂けんばかりに吊り上げ、暴君が拳を振り上げる。

「ずえぇぇぇぇぇぃぃぃりゃあぁぁぁぁぁ!!!!!」

同時、九郎もウイングによる加速を加え、BCTOを握ったままの拳を咆哮と共に突き出す。
空中で激突する拳と拳。太い生木をへし折る様な音と共に、暴君の拳の骨が拉げ、砕けた骨の欠片が肉と皮を引き裂き、小さな拳を内側から破裂させる。
拳だけでは無い。腕の半ばからも骨が飛び出し、肘から先は使いものにならないレベルで破壊される。
単純な腕力であれば勝っている。他の二人には新しい武装も通った。勝機が無い訳では無い。
取り戻せるのだ、ライカ・クルセイドを。
その事実に、九郎は口角を上げ笑った。

―――――――――――――――――――

そして、そんな九郎の健闘に『暴君』は粉砕された腕を庇いながら狂笑を深める。
初めは九郎を怒らせ、力を引き出させる為にシスターを浚ってきた。九郎は怒りによって力を増すタイプだと踏んだからだ。
だが、再び相対してみてその印象は裏切られる。
確かに、九郎はシスターを取り返す為に突っ込んできた。
だが、障害となるアンチクロス二人の内、一人を瞬殺、一人を苦も無く足止めした手並みは、間違いなく冷静な思考を維持している証拠だ。
確かに怒りはあるのだろう。だが、その激しい感情を理性で乗りこなしている。
大十字九郎は、間違い無く魔術師として順調に成長を重ねているのだ。
そして、それだけではない。

「ライカさんは返して貰うぜ!」

髪の毛にアトラック=ナチャの魔力を通し、シスターを奪い返そうとする九郎。
その九郎の手に握られている刀と、投げ捨てられた銃。

(知らない、『暴君』は、『暴君』はあの武器を知る事が出来ない……!)

そう、『暴君』はそれが何であるか、何処から齎された武器であるか理解できない。
例え無名祭祀書に記された最大最凶の禁術を用いアカシックレコードにアクセスしても、その武器に関する情報を得る事は出来ないのだから、当然と言えば当然だろう。
潰された腕を庇うのにシスターから手を放してしまい、なすすべも無くシスターを奪われる『暴君』
だが、九郎をおびき寄せる人質を奪い返されたにも関わらず『暴君』はそれを阻止する素振りすら見せない。
いや、動けないのだ。沸き立つ感情に、潰れた腕を握る手に力が入り、折れ砕け刃物と化した骨に切り裂かれた腕の皮膚を脂肪を神経を筋線維をみちりみちりと握り潰す。
歯を、涙を堪える様に、嗚咽を抑える様に食いしばる。
悲しい訳でも無い。悔しい訳でも無い。
あの武器の出所を、『暴君』は知らない。だが、『暴君』ではない『暴君』ならば──

『もしかしたら、もしかしたらだけど、これで、このループも終わるのかもしれない』

エンネアであれば、あれらの武器が誰の作であるか、容易に想像する事ができる。
痛みを産み出してまで抑え込む感情の名を、歓喜に似て、感謝に近い心の動き。
迂闊に手を出せない筈なのに、こんな周りくどい真似をしてまで『暴君』を、エンネアを解放しようとしてくれているのだ。
その事実を思い、歯を食い縛ったまま、泣き顔になりかけていた口を無理矢理に笑みの形に歪める。

(そこまでしてくれるなら、期待に答えなきゃ、だよね)

カリグラの振るう拳の余波に煽られ、九郎の腕の中に収まる事無く落下したシスターをキャッチしながら、『暴君』は嗤う、いや、笑う。
見れば目の前のカリグラは既に時間停滞をディスペルし、しかしその衝動に任せ、機神招喚の術式を展開。
地を割り噴き出す巨大な水柱が辺り一面を水没させ、カリグラの魔導書『水神クタアト』の機神招喚に適した空間に変換。
巨大な渦に飲み込まれ、同じく流されてきた瓦礫に、千切れかけていた腕を持って行かれる。
隻腕となりながらも荒れ狂う水の中で足掻きながら、『暴君』はそれまで放さない様に捕まえていたシスターから手を放す。
シスターは『暴君』が流れに抗いきれずに離したと思ったのか、振り返りもせずに渦の奥、水底へ向けて潜り始めた。
見ればシスターの頭髪は銀に染まり始め、身体の各所に字祷子が纏わりつき、仮面が、装甲が、背には翼を模したスラスターが展開している。
自らもシスターから、いや、ムーンチャイルド試験体4号『メタトロン』に背を向け濁流を掻き分け、移動を始める『暴君』。
先輩である彼女ならば大丈夫。
そう割り切り、自らの魔導書『無名祭祀書』を呼び戻す。
『暴君』自身から分裂するかの様に現れた、『暴君』と同じ容姿に全く同じ拘束衣を纏った少女。
自意識こそ命令を聞く程度にしか存在しないが、その少女こそ魔導書『無名祭祀書』の精霊。
魔導書の精霊が、弾ける。
人型が爆ぜ、しかし溢れだしたのは血肉では無く無数の紙片、魔導書の頁。
それらのページの半分が水を引き裂きながら螺旋を描き、素顔を晒した『暴君』を中心に球状に広がり、仮想コックピットを形成。
自らを機械の神と術者をリンクさせる為のデバイスと定義し直した無数の頁群。
それは混沌と、しかし整然と打ち立てられた術式に乗っ取り、術式の発動を心待ちにするかの如く、刻まれた魔術文字に光を波立たせる。
もはや水気の排除された仮想コックピットの中、髪から水を滴らせ、一糸纏わぬ姿の『暴君』が、柔らかな笑みを浮かべている。
楽しい、いや、嬉しいのだろうか。自らの心に湧き発つ感情を掴み切れず、しかし『暴君』は尚優しく微笑む。
何もかもが、嫌気が刺し、暗澹たる気分で流れるままに見過ごしてきたこの世の何もかもが、自らの意に沿う様に動き出している。
背中を押されているのだ。見えない手に、感じられる掌の感触に。

「ねぇ、見てる?」

唇を躍らせ、囁く様に、謡う様に、誰へとも付かぬ問いを放つ。
誰へ向けた声か、誰に当てた言葉か。
聞こえるか、聞こえていないかは然したる問題ではないのかもしれない。

「見ていて、聞いていて、覚えていて、忘れないで」

私はここに居て、でも、ここに留まらない。
この呪われた運命を絶ち切って、ここから飛び出してみせる。

「これが、最凶のアンチクロス、『暴君』の!」

名を、呪われた自ら肯定し、邪悪の一極としてこの世に定義する名を叫ぶ。
仮想コックピットと成らなかった魔導書のページが、『暴君』の身体に殺到し、打ちつける様にその身体を覆い隠していく。
貼り付いた紙片が赤く、紅く色付き、紙とは異なる厚みを生み出す。
革の質感を得た紙片は『暴君』の裸身を隠すだけに飽き足らず、その身体を引き千切らんばかりに締め上げる。
ぎちぎち、ぎりぎり、みしみし。
皮膚を捻じり、肉を締め付け、骨を軋ませ、しかし頁は遂に『暴君』の身体を拘束しきれず、屈伏する。
赤い革の手袋に包まれた手を開き、肘から先の無い腕と共に、翼の様に広げる『暴君』。
吊りあがり気味で、どこか猫を思わせるその瞳は決して揺らがない意思を湛え、口はその自信を現す様に笑みを形作る。
全身から、コックピット内部の淡い光を打ち消す暗色の魔力を噴き出し、その勢いで濡れていた髪から水気が飛び、猫の耳にも似た癖のある癖毛を立たせた。
それら秘されていた『暴君』のありのままの素顔を、最後に残っていた頁が覆い隠す。
頭蓋を割る程の締め付けも意に介さず、しかし口元は三日月の如く吊りあがり、亀裂の笑みを作り出す。
魔導書『無名祭祀書』の『詠唱形態』が成立し、後は術式の発動を待つばかり。
渦の上では、クラーケンの攻撃を空を飛び避け続けるアイオーン。

「──最後の、戦いだ!」

喜悦に満ちた叫びと共に、アーカムシティに、異形の機神が舞い降りた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「すいません、この『ミルフィーユ・オー・フレーズ』を一つください」

「────、──、──────」

材料の入荷が来月らしい。
がーんだな、出鼻をくじかれた。

「じゃ、この『ベリーベリークレープ』を」

「─────────、─────────、────────」

そんな、メニューに乗っているのにこれも材料が揃っていないなんて、残酷過ぎる……。
しかしそうか、どうしよう。結局甘い物は数が置いて無い訳だ。
それならパンケーキやミルクレープなんて手もあるだろうが、ただただ甘いだけで飽きがくるし、自分で勝手に果物を追加するのもナンだ……。
かといって、街で鬼械神が巨大戦をしているにも関わらず営業する店なんて、ここ意外に思いつかない。
ここは大人しく軽食をお持ち帰りして、甘味は自力で用意する事にするか。

「じゃ、このハムサンドを三人前ください。持ち帰りで」

後ろで豚肉炒めとライスと豚汁とおしんこを頼んでいた客(舞踏会に出席できそうな蒼白の仮面と、そのままコンクラーベに出場できそうな立派なこしらえの黄色い法衣の様なものを着ている)が、俺のお持ち帰りという言葉に心の中で食い付いた気がしたが、無理も無い。
何しろ、シュブさんがお持ち帰りサービスを始めたのはここ数年の事だ。
一ループにつき二年しかないにも関わらずここ数年とか少しパラドックスな気分だが、ここ数年なのは間違いない。
あの客の高貴な服装、どことなくこの店に似つかわしくない。
恐らくアーケードで飯屋を探している途中で巨大戦が始まり、何処の店も店員が避難してしまって、偶然空いていたこの店に飛び込んできたのだろう。

「────」

「はい、じゃ、これで丁度ですね」

代金を払い、紙袋に入れられた三人分のサンドイッチを受け取り、笑顔で小さく手を振るシュブさんに此方も笑顔で手を振り返しながら店から出る。
巨大戦が行われている第十四番区郊外とは反対側に位置するこの店からでは、人間の耳では戦闘の音が小さな地響き程度に聞こえるくらいだろうか。
細い路地からアパートの上に跳び、数度の跳躍で遠目に巨大戦が見える高いビルの上に降り立つ。

「ただいまー」

「おかえりなさい、甘いのあった?」

「おにーさん遅ーい!」

雨避けに張ったパラソルの下でティータイム用の椅子に座り茶を(紅茶ではなく日本茶である事は言うまでも無い)舐めていた姉さんと美鳥が、机の上に載せられているモニタから目を離し、思い思いの言葉で出迎えてくれた。
俺はテーブルの上にサンドイッチの入った紙袋を置き、首を横に振りながら椅子を引き、力無く腰を降ろす。
力無く腰を降ろすとか自分でも自覚してしまう程度には、俺はショックを受けていたのだ。

「ダメダメだ。ていうか、新メニューの告知しておいて材料入荷してないとかどういうことなの……」

そりゃ、何時もの大衆食堂然とした材料を揃えるのとは訳が違うのかもしれないけど、それならそれでメニューから外しておくとかさぁ……。
項垂れる俺に、紙袋の口を開け、ハムサンドの包みを取り出しながら美鳥が口を開く。

「でもあのメニュー、来月からっしょ? 広告にもそう書いてあったし」

「メニューに載ってたら普通、サプライズか何かで早めに始ったのかと思うだろ?」

特に個人経営の店ならそんなもんだろう。

「まぁまぁ、シュブちゃんも少し申し訳なく思ってオマケしてくれたみたいだし、今日の所はハムサンドを頂こ?」

「オマケ?」

姉さんに窘められながら、俺は紙袋の中を探る。
紙袋の中には、俺と姉さんの分のハムサンドの包みの他に、クリーム色で満たされた透明なカップが、蓋をして入れられていた。
ハムサンドの包みを二つ取り出し、片方を姉さんに手渡し、カップを取り出す。

「プリン?」

「いや──」

美鳥の疑問に、俺は首を振り、カップの蓋をゆっくりと開ける。
今まさにサイトロンが俺に見せたヴィジョンに間違いが無ければ、これは────

「焼きプリンね」

「いや」

姉さんの言葉に首を横に振り、震える手で透明なカップを僅かに天に掲げる。

「焼きプリンさんだ!」

・──焼きプリンさんへの敬意を忘れない。

「……今、概念条文が」

「卓也ちゃんも美鳥ちゃんも終わクロの世界なんて行って無いでしょ? 気のせい気のせい」

「いやでも」

「美鳥ちゃん」

「……あいこぴ」

俺が焼きプリンさんの表面に浮かぶ焦げの見事な具合に感動している間に何かやりとりがあった気がするが、きっと些細な事だろう。
しかしどうだ、この美しいフォルム。見ただけで分かるカラメルの絶妙なカリカリ具合。
コンビニで買えるタイプとは違う、どちらかと言えば、飲み屋で締めに注文すると出てくるタイプに近似しているが、どうにもそれだけでは無いようだ。
次元連結システムの探知能力と、ブラスレイター、テッカマン、金神などの超感覚がプリン本体の蕩ける様で、しかし決して緩すぎない硬度を想像させてくれる。
口に入れた瞬間の食感は、蕩けるというよりも解れる、解けるといったものだろうと推測できるが、それだけに留まらないだろう事は想像に難くない。
さすがシュブさん、見事な造形だ。
オマケ一つにここまで手を尽くすその心遣い、やはり天才……。
この焼きプリンさんは楽しみに取っておくとして、ハムサンドだ。
ハムサンドは、至ってシンプルなものである。
パンはやや厚切りだが、薄茶色の耳まで柔らかく齧り易い。
挟まれているハムも極々普通のハムだが、いわゆる日本の一般的ハムサンドと違って塊と見紛う程大量にハムが挟まっている。スーパーで見かける切れ端が固められたブロックが丸ごと挟まっていると考えれば間違いない。
ハムの間に申し訳程度に挟まれたレタスも萎びておらず瑞々しく輝いている。
どれもこれもシュブさんが厨房で『おいしくなぁれ、おいしくなぁれ』(常人に理解できる言語に直した場合の意訳)と真心をたっぷりと。
一人前にこれが三つ入って日本円換算で約五百円、三人前でも千五百円程度、これは安く感じる。
エンネアと入った店では軽くしか食え無かったから、このボリュームはありがたい。
ハムサンドを一つ手に取りながら、遠めに見える巨大戦に目を向ける。

「クラーケンが」

「跳んだな」

「エンネアちゃん、腰の入ったいいパンチねー」

名無しさん@鬼械神の、身体を捻って力を溜めた拳がクラーケンにクリーンヒット。
原作では木の葉の様に舞うなどと表現されていたが、どちらかと言えばビックバン打法とか、加縫 勇治辺りを彷彿とさせる。
バット、じゃないな、拳の芯で捉えた、タイミングバッチリの一打。
余りにも芯を正確にとらえ過ぎている為、クラーケンは本来前後には曲がらない胴体を一度くの字に折り、回転すらせずにそのままの姿勢で宙を一直線に飛んで行く。
名無しさんの馬力もさることながら、エンネアも良い腕をしている。もしも元の世界で見かけたなら、隣町の草野球チームに推薦するレベルだ。

「あ、帰った」

姉さんの言葉の通り、半壊したクラーケンが水柱に包まれて実体化を解く。
カリグラも一度吹き飛ばされて頭が冷えたのだろうか。

「糞餓鬼さんも居なかったしなぁ」

BCTOの起動も確認したし、数週間後に跳ばされては流石にカリグラの手伝いもできまい。
アルアジフに渡した説明書にも『何処とも何時とも知れぬ場所へ』としか書いていないから、数日後に何処か適当な荒野に放り出しただけだとしても、決して嘘では無い。
というか、

「アイオーンの武装、ロイガーとツァールじゃないか、珍しい」

バルザイの偃月刀と使い道が被り過ぎて、何処で使えばいいか分からない微妙な武装の代表格ではないか。
その扱いの悪さと来たら、使用頻度は途中から乗り換えるデモンベインのバルカンにすら劣るという。
別名、地味なシルバークロス。
大十字の息子さんは好んで使っている様だが、あれは二丁拳銃と格好よくマッチングする武装を考えた上での彼なりのオシャレだろう。
短い間合いで使うって言っても、偃月刀を小さめに鍛造すれば良いだけの話だしな。
そんなPS2移植の際に無理矢理捻じ込まれた武装を手に、今、アイオーンは自分の五倍程の大きさの鬼械神に立ち向かっているのだ。

「普通に偃月刀渡しておけば良かったんじゃないかな」

「かなぁ」

一つ目のハムサンドを食べきり、パン屑の付いていた指を舐めていた美鳥の言葉に、椅子を後ろに傾けながら消極的に同意する。
確かに、どうせエンネアが鬼械神召喚した時点で糞餓鬼もケツ巻くって逃げ出す訳だし、変に高性能な武器を渡す必要は無かったかもしれない。
いや、でもアデプトクラスの魔術師相手にどれくらい科学的武装が通用するかも試してみたかったし……。
あ、実際どれくらい通用したか確認しないと意味無いじゃん。後でカートリッジだけでも回収しないと。

「大丈夫よ、卓也ちゃん。どうせ非武装で突撃させても、ナイアルラトホテップがどうにかしてくれるもの」

「……あー、あー、そういえばそんなルールもあったね」

そう、この無限螺旋の肝となる白と黒二人の王は、輝くトラペゾヘドロンを二人同時に招喚する為に育成されている。
その為、大十字九郎は普通なら死ぬような場面でも、邪神による陰ながらのサポートよって切り抜け、次のループにつながる様になっているのだ。
その為、仮にあそこで大十字が追加武装どころか魔銃を持って居なくとも、持っているのがひのきの棒であっても、最悪全裸であったとしても、ニャルさんの怒涛のリセット&リロード&リトライによって、最悪でも門を潜る処までは辿り着けるのだ。

「ここ十周くらいニャルさんとあんまり関わって無いから忘れる所だったよ」

忘れる、というよりも、ニャルさんの事を考える回数が減り、思い出す理由が無くなっていたのだ。
通常の人間の『忘れる』がリンク切れやページ消滅であるとすれば、俺や美鳥の『忘れる』とは、お気に入りにいれたは良い物の、余り興味を引かれなくなってクリックされる事の無くなったページだと考えればいい。
勿論、どこかしらにニャルさんを想起させるような何かが転がっていれば思い出しもするのだが、ニャルさんの企みに関する何かとは、この十周ほど関わっていない。
精々、新原さんになった時にドーナツを買う時とか、路地裏に行ったらQBの銃殺死体が無数に転がっていた程度。

「ともかく、エンネアちゃんがどれだけ強くても、ここで大十字九郎を殺害する事は事実上不可能ってことね。あむ」

そう気楽に言いながらハムサンドに齧りつく姉さん(ネタばれ・両手でハムサンド持って美味しそうにもぐもぐする姉さん凄く可愛い)を習い、俺も手にしていたハムサンドに手を付ける。
遠くで魔力が収束し、炎の塊の様な物が花火の様にまき散らされた。
見れば、何時の間にかアイオーンはシャンタクを砕かれ墜落、更には手元を赤熱させ、何本か指のもげた腕を名無しさんに向けている。
クトゥグアは、本来とても制御の難しい記述だ。
神を直接招喚している訳では無く、あくまで魔術により神の力を再現している訳だが、それでもシャンタクや双子の卑猥なるもの、そもそも無機物であるバルザイの偃月刀に比べて、その力は非常に膨大である。
同格の神性であるハスターではなく、その下に存在するイタクァと同等にまで力を削られていることからも分かると思うが、その力の再現は最強の魔導書である死霊秘法アル・アジフですら完璧なものでは無い。
態と格を落とし制御しやすくして、そこから更に銃の形をした特別な魔導兵器に一旦封印する事で初めてその力をまともに運用する事が可能となるのだ。
大十字はクトゥグアを切り札的に使用していたが、制御に失敗したのは最初の一度だけだった気がする。
これはもしや、

「ひひっはほはいほひはひはいへ」

「はへ」

ハムサンドを咀嚼しながら、姉さんの言葉に頷き同意する。
恐らく、大十字はエンネアの操る名無しさんを見て、威力を限界までセーブされたクトゥグアでは分が悪いと踏み、魔導銃のリミッターを解除したのだろう。
で、魔導銃の限界までチャージした上で発砲しようとした瞬間、名無しさんの魔術弾によって迎撃され、あえなく制御を失い暴発、魔導銃を失うと共に、アイオーンにも多大なダメージを負う事となった。といったところか。
それにしても、このハムサンドはうまい。これはいいハムだ、実に美味しい。以前食べたのよりずっと美味い……、そんな気がする。
ハムとパンとレタスだけなのに、どこまで食べても飽きないぞ。

「おねーさんもおにーさんも、行儀わるいよ」

眉根を寄せた美鳥に指摘されながらも、俺と姉さんは慌てず騒がず咀嚼し、お茶で流し込む。
これだけの物を味わう事無く腹の中に詰めてしまうのは勿体ない。
御茶を飲み干し、急須から新たにお茶を注いでいると、同じくお茶を飲み干した姉さんがコップの縁を撫でながら口を開く。

「ふぅ、とにかく、どういったハンデがあってもこのルートに突入した大十字九郎がエンネアちゃん──『暴君』を仕留め損ねるなんて事は無いから、安心して観戦してるのが一番なの。わかった?」

「ムムム」

姉さんの言葉に、俺は思わず横山漫画風に唸ってしまった。
そうなると、一週間新しい刺激を与えてくれたエンネアへの恩返しにはならないか。
折角大導師を自分の腹から産む事の無いルートに更に押し込もうと思ったのだが、余計なおせっかいでしか無かったらしい。
俺と姉さんのやり取りに、何か思い出した風の美鳥が口を挟んだ。

「そもそも、エンネア自身に致命打撃つのって大十字じゃなくて金髪巨乳(姉)だよな」

「うわぁ、本当に大十字に武器渡す意味無いのか」

言いながら巨大戦に視線を戻すと、アイオーンが両腕を広げ、その先に二柱の神性を剥き出しで招喚している。
霊圧値が一万、二万、三万と上昇を続け、四万に届こうという所で二柱の神性がその身を分解し、アイオーンの手の中に収まっていく。
改めてみると、大十字は異様にまどろっこしく、恐ろしい程に器用な事をこなしている事が分かる。
即興だから仕方が無いのかもしれないが、あそこまで鮮明に実体化した神性を何の補助も無く因果律レベルで組み替えるなど、モビルスーツのOSを戦闘中に組み替えるどころの話では無い。
ゲゼで戦闘中に新しい機動兵器の概念を発案し、そこら辺のアークエンジェル級の巨大戦艦をステッキ四本だけで改造、完成したのはブラスターテッカマンと互角に戦える魔改造パラディン、みたいなキチガイ染みたややこしさ。もちろん部品は一切余らない。
そこまでするなら、クトゥグアとイタクァの記述を模写、銃器として招喚されるように書きなおした方が余程簡単だし、この無茶な再構成を行った大十字なら逆立ちして片足で皿廻しをしながらでも可能だろう。

「そうだよなぁ、あそこまで即興でイカレた武器作れるなら、俺がわざわざ武器渡す必要も無いよな」

俺は一体何を考えて銃と刀なんて渡したのか。
科学系武器の試験評価以外では、大十字をスーパーウルトラセクシイヒーローに仕立て上げようとした俺の無意識が関与しているのかもしれない。
まったく、おちゃめさんな無意識である。

「でもさ、エンネアもいい面の皮だよな。あんだけ嬉しそうに解放されるとか思ってんのに、実質このルートって珍しいだけであと三十回はある訳だし」

「それを言っちゃあ御仕舞だろう」

美鳥の身も蓋も無い言葉に突っ込みを入れる。

「『いずれ真実が我々を自由にしてくれるだろう。しかし、自由は冷たく、空ろで、人を怯えさせる。嘘はしばしば暖かく、美しい』ってね」

「誰の言葉?」

コップを傾けながらの姉さんの言葉に、美鳥が問いかける。
だが姉さんは肩を竦め、事も無げに言う。

「幾らお姉ちゃんでも、いちいち覚えてないわよ。誰が何を言っていたかなんて、ね」

姉さんはコップを下ろしながら、にやにやと笑いながら俺に視線を送ってきた。

「お礼がしたいなら、耳に優しい嘘とかがいいかもね。トリッパーの原作キャラへの言葉なんて軽くて当たり前だし、ウソを吐くには丁度いいと思うの」

次いで、コップでもってテーブルの下に置かれていた俺の鞄を指し示しながら、

「混ぜる真実もあるし、名案じゃない?」

「気付いていたのか、姉さん」

「誰よりも長くお姉ちゃんしてるんだから、当然じゃない」

俺の言葉に僅かに籠められていた驚きに、姉さんはふふんと鼻を鳴らし、言葉に出来ない程いい感じの胸を張りながら、自身満々に答えた。

「あ、やっぱなんか渡すんだ」

「ああ」

散々生活を引っ掻き回してくれて、しかもこれから更に素晴らしい品を貰う予定なのだ。
せめて一つ二つお礼の品はあってもいいだろう。
姉さんの提案を取り入れるなら、手紙の一つも付けておくのがいいか。

「ところで話は変わるんだけどさ、さっきお姉さんに拾って貰った映像なんだけど、すごいよこれ。エンネアの貴重な変身シーン魔法少女風」

美鳥が話題を切り替える様にテーブルの上のモニターを持ち、椅子を寄せてきた。
モニターに映るのは、水中に魔導書の頁でもって形成された仮想コックピットの内部と、全裸のエンネア。
やたらキラキラと輝くエフェクトと共に魔導書のページを纏い、『暴君』の拘束衣姿へと変じている。
まさか、画面に映らず描写されないプレイヤーからは察知不能な場面だからって、こんな世界観にそぐわないファンシーな変身を行っていたとは。
まぁ、エンネアったら、いけない人!
が、しかし、だ。

「だがな美鳥、エンネアも暴君も十八歳以上なので少女と言っていいかは微妙だぞ?」

なにせ十八歳以上だからなぁ。どこまで行っても魔法少女風でしかない。これで少女と言っていいのはAVのジャンルくらいではなかろうか。
しかしモニタに再生されている変身シーンは評価してやってもいい。

「いいじゃん、どうせ実年齢は分からないんだし」

「そういうものか?」

「そういうもんだよ」

そういうものなのか。
しかし、ページが着色されてから膨らんでレザーになるだけなのに、膨らみ切る度にパキィィンって感じで光が弾けるのは、どこら辺を意識したエフェクトなのだろうか。
このグローブぎちぎちの辺りはややカッコいい系も狙っているのだろうか。
途中までのエフェクトが全部キラキラなのに身体から溢れ出す魔力がやたらドス黒いのは、光と闇が合わさって最強に見えるからか。
流石エンネア、いや、アンチクロス最強と名高い暴君。変身一つとっても奥が深い。
拘束衣は別にマギウススタイルじゃなかった筈とか、その辺の突っ込みは無しにしておいてやろう。

「ていうか、卓也ちゃん、今さっきすごく残酷な事言ったわよね。平たいけど歳は行ってるから成長の見込みは無いとか、合法ロリはリアルで見ると余りにアワレだとか、エンネアちゃん可哀想……」

そう言いながら、姉さんは悲痛な視線をモニタに映るエンネアのなだらかな身体に向ける。
ハンカチを持って眼尻を拭うその腕の動き一つ一つに、豊かな胸がそのボリュームを誇示するかのように変形を繰り返す。
これが、富める者の余裕、優越すら浮かべぬ憐みの目線、もはや、向けられた者の心を貫く、鋭い刃と化している……!

「言って無いよ。捏造甚だしいよ。ていうか合法ロリとすら言って無いよ」

姉さんの言葉に突っ込みを入れると同時に、今の今までモニタを俺の方に向けてにやにやしていた美鳥がガタリと椅子を鳴らし立ち上がり、焦りの見える表情で数度ぱくぱくと口を開き、叫ぶ。

「ごごご、合法ちゃうわ! ……あ、やっべ合法でいいんじゃん、やっぱ今の無しで」

「どうした非合法、そんなに慌てて」

「非合法ちゃん何か言った?」

「ああ、もう駄目だ、メディ倫様にしょっぴかれる……!」

どもりまくってから一旦冷静になりかけた美鳥(現実時間だと満一歳、人間で考えれば当然非合法)をからかいつつ、モニタから視線を放し、再び遠くの巨大戦に視線をやる。
見れば、クトゥグアとイタクァを魔銃へと変換したアイオーンが、半壊したシャンタクとアトラック=ナチャを器用に使い、エンネアの駆る名無しさんの眼前まで跳躍していた。
向けられる銃口、執拗に繰り返し放たれる破壊力の塊と、その度に遠雷の如く響く轟音。
戦闘が、終わろうとしていた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

結論から言って、『暴君』と彼女の招喚した鬼械神は死に体であった。

(あ、はは、こりゃ、もう、ダメかな)

感染魔術的連結状態にある鬼械神とその招喚者は、神経を疑似的に同化させているといってもいい。
それは飽くまでも神経面、つまりは感覚的な部分を共有するだけであり、鬼械神のダメージはあくまでも鬼械神のダメージでしかない。
だが、鬼械神同士の戦闘において、唯鬼械神だけがダメージを負う、という事はありえない。
先ず、完全に破壊された場合だ。この場合のダメージは肉体的なダメージではなく、精神、アストラル面での損傷だ。
鬼械神を招喚、維持する為の魔力と言うのは、ごく一部の例外を除き、あくまでも術者自身の魔力に依存する。
故に、招喚、維持している鬼械神を破壊された場合、術者は魔力、魂を著しく減衰させてしまう。
次に、肉体面での損傷。
鬼械神がダメージを負いその身を削られた仮想コックピットを剥き出しにされた場合、やはり内部に存在する術者も命の危険に晒されるのは当たり前の事実だ。
魂魄の代替物として術者を取り込む鬼械神は、基本的に術者と仮想コックピットを一番強固な部分に格納する故に、生半可なダメージでは内部の術者にダメージを与える事は出来ない。
だが、アイオーンがネームレスワンに向けた砲火は、容易くとまではいかないまでも、確実に術者へとダメージを通していた。

「まさか、九郎がここまで、強くなってたなんて……」

『暴君』が薄らと、憧憬すら秘めた眼差しを向ける先、そこに、黒い機神が居た。
銀の輝きを持つ蜘蛛の糸、アトラック=ナチャの捕縛術式をネームレスワンの首筋に巻き付け巻き取りながら、半ば砕けて空を飛ぶことも出来ない筈のシャンタク──飛翔ユニットで加速。
早業だった。魔砲弾による迎撃に掠ることすらせず、一瞬で、文字通り一つ瞬きする間もなく、目の前に九郎のアイオーンはやってきた。
そして、息吐く暇も与えない猛攻。黒と白の二丁の魔銃による絶え間ない鉄の風、雷の火、撃滅する意思の豪雨。
まるで容赦の無いその姿は死神のようで、勇者のようで、

「すごいなぁ……」

『暴君』が、何よりも待ち焦がれていた、救いの、断罪者の姿に見えた。
止む事無く振り続けていた砲撃が、ぴたりと止まる。
弾切れか。だから何だというのだろう。それで目の前の機神が止まるだろうか。
止まる訳が無い。止まる訳が無かった。
魔銃を手に、アイオーンが自らの身体を抱くように、両腕を交差させ身を畳み、魔力を圧縮させ──
解放する。

「あ──、ギ────っっ!」

焼滅呪法。鬼械神アイオーンの心臓、『アルハザードのランプ』の生み出す魔力を圧縮、解放する事により、自らを小型の太陽とするアイオーンの切り札の一つ。
ネームレスワンを、その内部のエンネアを、魔力の灼熱が焦がしていく。
細胞の一つ一つが、焼け、焦げ、塵となり、一歩一歩、確実に死へと追いやっていく。

(でも)

足りない。
太陽に匹敵する熱量を持ってしても、ネームレスワンを、『暴君』を打倒するには、あと一歩足りないのだ。
自己修復機能がネームレスワンの融け砕けた身体を、身体に刻み込まれた術式がエンネアの焼け焦げた肉体を、辛うじてこの世に踏み止まらせる。
焼滅呪法の光と、オリハルコンが蒸発して産まれた金属の雲に姿を紛れさせたまま気配を遮断。
未だネームレスワンに気付かないアイオーンに呪縛弾を放ち、その場から逃げられない様に捕縛した。

「は、はは、は……今のは、効いたなぁ~っ……ほんとに、死ぬかと、思ったよっ」

──でも、それじゃあ、殺せない。だから、

「そんなに……強くなってたなら……」

ネームレスワンの腕を掲げ、その場から動けないアイオーンに照準を合わせる。

「……受け止めて、貰わないと……九郎には……この『暴君』の……絶望を、憎悪を…………そのくらい、してもらわないと……!」

──しっかり、終わらせて、貰わないと。

「これが、最後の術(ラストスペル)……さぁ、九郎は、どうする……?」

術の対象をこの世から消滅させる、いや、無かった事にしてしまう。ネームレスワン最大の術式。
防ぐ方法は簡単だ。ネームレスワンの操者である『暴君』を殺害し、発動前に術式を中断させてしまえばいい。
アイオーンに施した呪縛は、あくまでもアイオーンをその場に留める役割しか果たしていない。
今のネームレスワンと『暴君』の状態では、発動にもかなりの時間が必要になる。
冷静に立ち向かう事が出来れば、大十字九郎は十二分に『暴君』を、殺害し得るのだ。

「術式選択──、────っ!?」

勿体ぶる様に術式の発動を遅らせ、アイオーンの反撃を待っていたネームレスワンの剥き出しの仮想コックピットを、攻撃的魔力を伴う一条の光が貫いた。

「あ、ぁ、ぁあああっっっ!」

身体を熱光線で貫かれながら、『暴君』は光線──ビーム砲の飛んできた方角に身体を向ける。
砕けたビルの合間に、光の翼を背負い、素顔を仮面で隠した白い影。
ムーンチャイルド計画試験体第四号、メタトロン。
ムーンチャイルドの成功作である『暴君』の先輩。
──九郎の、恋人だ。
頭に浮かんだその言葉に、エンネアは訳も無く堪らなく愉快な気分に陥った。
──ああ、だめだ、笑うな、笑う理由も無いだろう、笑うな、なんで、何が可笑しい。
堪えることすら出来ず、咽喉から笑い声が溢れ出す。

「あははははははは!」

アイオーンのコックピットの中の九郎とメタトロンの会話を遮る様に、『暴君』は笑う。
笑ってしまう。訳も分からず、どうしてか、なぜこんなにも笑えるのか。
嬉しいのか、妬ましいのか、滑稽なのか。
自分がどんな感情をもって笑っているのか。それすら分からずに、笑う。
笑い続ける『暴君』を、再び光線が貫いた。

「あ……、ははあは……ははは、あははははっ、はっ、っははははは!」

「──」

メタトロンはその笑い声に反応する事も無く、淡々とエンネアにビーム砲を打ち込んでいく。
貫き、
穿ち、
焼き、
燃やし、
徹底的に『暴君』の存在を否定し続ける。

「お前は──私の手で滅ぼさなければならないのだろうな」

その呟きが、自らの笑い声に掻き消されること無く、確かに『暴君』の耳に届いた。

「は、は」

──そんな事が出来たなら、どんなに楽だったか。
笑い疲れて、それでも、今のメタトロンの言葉は、尚笑える言葉であった。

「それなら、君も」

ネームレスワンの腕に、再び術式を走らせる。
ネームレスワンも『暴君』もかなり回復が進み、先よりも数段早く術式が成立したのだ。

「受け取ってくれるのかい、この、絶望をおぉぉぉぉぉっっっ!」

この世界からメタトロンの存在を否定せんと、意味消滅の呪光が迸り、

「呪文螺旋──神銃形態っ!」

指向性を持って放たれるよりも早く、アイオーン最大の破壊力が、ネームレスワンを呑みこみ、跡形も無く消滅させた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

夕方に曇りだしていた空からは、何時の間にか激しく雨が降り注いでいた。
隙間一つ無い雨雲が、夜空から星と月を、宇宙を奪い去る。
雨が降りしきり煙る街は深海に沈む古代都市のよう。
暗く、静かな路地裏の闇を、囚人は重い足取りで歩く。
千切れた腕を初めとした体中の至る所から止め処なく流れる血は、身体を伝うよりも早く雨に洗われ消える。
血が抜け冷たくなった躰に、炎に焼かれ所々の皮膚が炭化した身体に、容赦なく雨は打ちつけ、体温を根こそぎ奪い、炎の残り香を消していく。
囚人の身体が傾ぎ、水溜りに顔を突っ込むように前のめりに倒れる。
転倒の衝撃で囚人──『暴君』の頭部を覆っていた拘束具が外れ、癖のある赤毛と、猫の様に吊りあがった紫色の瞳が露わになった。
同時に、身体を覆っていた拘束具が解け、その全てが紙の束となり舞い上がる事も無く雨に濡れ地面に落ちる。
顔を覆う物も無く、ボロボロになったセーターとスカートを身に纏った『暴君』は、片方だけ残った、しかし無事とはとても言えない腕に力を込める。
それはまるで意味の無い行動だ。まるで力の入らない腕は、杖の代わりに身体を支える強度すら残っていない。
きし、きし、と、枯れ木の枝を曲げる様な音が響き、折れる直前になって、とうとう腕に欠片程の力も入らなくなり、再び倒れ伏す。
身体が仰向けになる様に、ばしゃ、と、水溜りに盛大に背中から落ちる。
仰向けになり、まず視界に映ったのは、建物の壁に切り刻まれた、黒い、余りにも黒い曇天。
そして、空を覆う雨雲から降り注ぐ数えきれない透明な弾丸、視界を埋め尽くす雨粒。

「強かったなぁ……あいつ……」

ひとりごち、顔をクシャリと歪ませ、笑う。

「それに、結構面白いやつだったなぁ……」

呟きは雨音に掻き消され、しかし思考は止まることなく続いて行く。
大十字九郎。選ばれし者。
神殺しの宿命を背負い、神の世界を、神が世界を取り戻す為の鍵。
神殺しの刃、もしくは、魔を断つ剣。
あれもまた運命の道化に過ぎず、しかし、唯一舞台を台無しにする可能性を秘めた、未熟な大根役者。
デウス・エクス・マキナを起こし得る、細く儚い可能性。
本当の意味での、人類の、地球の切り札。

「あいつなら……本当に、ぶち壊しにできる、かな……」

どうだろうか。一抹の不安が頭を過る。
もしかしたら自分は何か、『致命的な見落とし』をしているかもしれない。
だが、そんな事は、もう自分には関係無い事だ。
これでようやく、終われる。
何時か何処かの名も知れぬ神サマが、鼻歌混じりに書き上げた、便所の落書きの様な三文芝居から、ようやく抜ける事が出来る。
汚辱に塗れた世界よりの解放。
不条理に満ちた運命からの解放。
そう、ようやく、ようやくまともに死ねる。
過去への憎悪も、
未来への恐怖も、
過去の重圧も、
未来の呪縛も、
一切存在しない、死の安息。
────本当に?

「あ……」

雨脚が弱まり、『暴君』の耳に、街の喧騒が届いた。
巨大ロボット同士の戦いが終わり、互いに無事を確かめ合う安堵の声。
馴れた様子でシェルターから飛び出し、再び日常へと戻り始めたアーカムの住人達。
邪悪に、理不尽に打ちのめされる事無く生き続ける人々の生み出す、極めてありふれた光景。
目に、耳に、侵入する。路地裏からは、決して届かない、日の当たる場所。

「う、…………あ、あぁ……、ああ……!」

我知らず、手を伸ばす。

「い、やだ……」

その光景に触れようと、その空間に入ろうと、手に脚に力を入れ、もがく。

「いや……、だ。いやだ、嫌だ……」

倒れ伏した『暴君』の躰は、もはやその位置から動く力すら残していない。
塵と泥の混じった水溜りに濡れ、襤褸切れ同然の服は見るも無残に汚れていく。
声は『暴君』が望む程に空気を震わせる事が出来ない。
『暴君』の何もかもが路地裏の中で完結し、表の世界に届かない。

「嫌だ、違う、嫌なんだ、いや、いや」

『暴君』は、残りの命を燃やし尽くす事も厭わず、足掻く。
もはや腕も脚も動かず、指先がふるふると、死にかけの虫の様に震えるだけ。
それが、『暴君』に残された、自らを主張する力。
暗闇の中でもがくその姿を、普通の世界から見る事は叶わない。

「ぃ──、──────!」

もはや声を出す事も出来ない。
かつて知る事無く憐み、嘲笑い、しかし強く憧れた場所。

──帰らなきゃ、帰らなきゃいけないのに!

奇跡的な巡り合わせで知る事が出来た。混ざる事の出来た世界。
何ていう事も無い、何事も無い、入ろうと思えば入る事の出来る、紛れ込む事の容易な世界。

──あの世界に、『エンネア』の世界に!

其処が今、どこよりも遠くに存在している。

──誰か、誰か、誰か!

目を見開き、涙を鼻水を撒き散らした必死の形相で大通りへ、日常の光景へと手を伸ばす。

──助けて、誰か、気付いてよぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!

死に物狂いで喉を震わせ、しかし虫の鳴く様な音にしかならない『暴君』──エンネアの叫び。
躰を寒さだけでは無く、怯えの感情により幼子の様に震わせ、声にならない叫びを届かせようと、咽喉を震わせ続ける。
体中が痛い。
息を吸う事が出来ない。
酷く息苦しい。
寒い。寂しい。
目の前の光景が、酷くゆっくりと、色を失っていく。
暗闇の中、あれだけ鮮明に見えていた筈の景色が、光を失っていく。
怖い、死んでしまう事が。
このまま、こんな所で、こんな死に方をしてしまうのが、どれだけ泣き叫んでも止まらない程に、恐ろしい。

──あぁ……

遂に、叫びを発する意思すら、折れる。
頭に浮かぶのは、何故、という疑問。
何故、こんなにもままならないのか。
難しい事を望んでいる訳では無い。
困難な要求をしている訳でも無い。
誰かの迷惑になる訳でも無い。
誰もが望んで、誰もが少なからず叶えている望み。
愛して欲しい訳では無い。そこまで欲張ろうとは思えない。
愛して貰えないなら、こちらから愛し続けてみせる。
抱きしめて欲しい訳でも無い。少しくらいの寒さなら我慢もしてみせる。
抱きしめて貰えないなら、自分から抱きついてもいい。寄り添わせてくれるだけでもいい。
でも、本当は、
そんな贅沢を望んでいるわけではない。
ほんの、ほんのささやかな願いなのだ。
『暴君』は、『ネロ』は、『エンネア』は、僕は、私は──
ただ、

「幸せになりたかっただけなのに……」

何処にも、誰にも届かない、最後の言葉。
誰にも看取られる事無く逝く筈だった孤独な少女。
その言葉が、路地裏に静かに染み込み、

「────その願いは本当に、魂を掛けるに足る望みかな?」

届いた。
酷く優しげなその声に、『暴君』ならぬエンネアは聞き覚えがあった。
だが、それを思い出す事ができない。思いだす為の脳は、酸素を運ぶ血液の不足に寄って急激に死滅を始めている。
誰だったか思い出せない、聞き覚えのある声。
誰だったか思い出せないのに、この声を聞き間違える筈が無いと確信している。
脳では無い、心で理解した。
ブラックロッジから逃げ出し、『暴君』でも『ネロ』でも無くなった自分を、『エンネア』として受け止めてくれた人。
あの日も、こんな雨が降っていた。

「その役を投げ捨ててまで叶えたい願いがあるのなら、俺が手伝ってあげる事もできる」

雨の音は遠く、静かな提案だけが、ゆっくりと耳朶を震わせる。
何時の間にか雨の勢いは和らぎ、しとしとと静かに街を濡らすだけの細雨へと変わっていた。
躰を打つ雨は、声の主の射す木と紙で出来た傘に遮られている。

「君には、その『資格』がある」

区切られた空。
夜空を隠す雲は割れ、真円の月が顔を覗かせている。
既に痛みは無い。痛みを感じる力も無い。

「私は、──────たい」

だが、エンネアの喉は自然と答えを口にし、
傘を持った男は、その言葉に鷹揚に頷いて見せた。

「君のその願い、必ず叶えよう」

エンネアは、その言葉に込められた歓喜の感情を受けながら、躰を弛緩させる。
恐怖はない。この声は、今まで一度たりとも自分に嘘を言わなかったから。
叶うというのなら、確かに自分の望みは叶うのだろう。
もう、何も怖くない。恐れる必要は、無いのだ。
張りつめていた気が緩み、急激に音が、光が遠ざかっていく。
喧噪も、雨音も、自らの鼓動も希薄になるのを感じ、

「──契約完了だ。君が払うべき代償は、たった一つ」

その言葉の続きを耳にする事無く、静かに、意識を闇へと沈めていった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「そう睨むなよ。目も開いてない癖にあたしとやろうってのか?」

「馬鹿、下手なこと言って瞼が開いたらどうするつもりだ」

受けて立つぜ、お姉さんが。と言いながらシャドーボクシングをする美鳥に小声で注意
俺は空中に羊水ごと固定された胎児を中心に、内部から順番に人間のパーツを複製し、組み上げていく。
服装は貸していた女の子向けの服では無く、初めて出会った時に着ていた襤褸切れの複製をそれらしく焼いたり穴を開けたり血を付けたりしてアレンジしたもの。
これでアヌスが胎児を回収して死体を処理しに来たとしても、俺達の存在は察知されずに済む。
エンネアの、というより、暴君の死体の複製を静かに路地裏に横たえる。

「最適化も大分早くなってきたわね」

暴君の複製を作る間持ってて貰った傘を姉さんから受取り、肩を竦める。

「まぁ、エンネアも何だかんだいって人間ベースの魔術師だからね。複雑な機構が無い分、下手なロボットとかに比べればよっぽど楽だ」

実際、昔に取り込んだシュリュズベリィ先生に比べても位階の高い魔術師ではある。
だが極端な話、エンネアの異常性はせいぜいそれ位だ。
人間のDNAパターンに、あとは身体に刻まれた傷痕、魔術的な改造痕に、脳味噌に刻まれた魔術の知識。
情報量はそう多くない。ラダム樹や金神に刻まれていた宇宙の記憶に届くか届かないか程度だろう。

「神様に対する感応性が高かった事を除けば、エンネアも普通の女の子とさしてスペックは変わらなかったんじゃないか? もちろん、無改造での話だけど」

「ま、アヌスに見出されなければ、シスターの所に来る前のアリスンとあんまり変わらない境遇だしね」

流石、まるで見てきたかのように海のものとも山のものとも知れない二次設定をそれらしく言う。
やっぱり、見てきたんだろうなぁ。エンネアの過去とか、千歳さんならどう書くんだろうか。
そんな事を考えつつ姉さんと手を繋ぎ指を絡ませ、死体に背を向け、大通りへと歩き出す。
姉さんの言葉を信じるなら、まだアヌスにも胎児にも大導師にも察知されていない筈だ。
それなら後はここから迅速に立ち去るだけだろう。

「ま、エンネアとの約束はループ直前に果たすのがベストだし、後は平常通りのスケジュールか」

シスターが寝盗られにんっしんっ出産後に赤ん坊による内側からの帝王切開で死ぬのは多分門に入った後だろうし、俺達には関係無い。
後は、ハンティングホラーだろうか。
バイクに使われる技術も気になるけど、やっぱりどうにかして上手い事ナコト写本辺りを手に入れたい。
でも、あれはあくまでも死んだふりだしなぁ。下手に取り込んで大導師殿に目を付けられたくない。
やっぱり地道に他の場所に保管されているナコト写本を探すべきかな。

「これで存分にお姉さんとベタベタできる、と。よく飽きないよね……」

俺と姉さんの後ろに張り付くようにして同じ傘に入った美鳥が不貞腐れる様に言う。
頬を僅かに膨らませた美鳥に、姉さんが口元に手を当てながら笑った。

「ふふふ、美鳥ちゃんも混ぜて欲しいならそう言えばいいのに、ねぇ?」

「姉さんが許可するならやぶさかじゃないぞ、俺は」

「え、デジマ?(RIKISI用語で『それは本当ですか』の意味)」

嬉しそうに俺と姉さんの間から顔を突き出す美鳥。
何はともあれ、無名祭祀書も大達人級の魔術師の身体も手に入って、万々歳だ。
帰ったらジンジャーエールで祝杯を挙げよう。
俺達はエンネアの死体の複製に一瞥もくれず、慌ただしく動き出した表通りへと脚を踏み入れた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

夜が明け、カーテンの隙間から差し込む光に顔を照らされ、少女は目を覚ました。

「ん……」

恐ろしい世界の幕開け、邪悪に侵された世界、邪悪に穢された世界へ向き合う一日の始まり。
だが、世界には、それとは全く縁の無い目覚めもある事を、少女は理解していた。
かつての少女にとっては酷く不可思議で、奇妙な程に救いに満ち溢れた目覚め。
極々当たり前に人々に与えられる、一日で最初の幸福。
睡眠は死に似ていて、しかし目覚めという一点において、死と隔絶している。
目覚めた先を地獄と思うのであれば睡眠は死よりも残酷に映るだろう。
だが、そう思う感情も、生きていればこそ。
目覚めを幸福に感じられるように成ろうと思い続けていれば、自ずと人生は明るく希望に満ちた物に変えられる。
そんな陳腐な言い回しが、人生を楽しく生きる秘訣。

「んぅ……」

布団の中から伸ばした手でカーテンの隙間を閉じ、再びまどろみの中に帰ろうとする少女を妨げるモノは無い。
この家には彼女一人しか居らず、彼女の生活リズムを決めるのは彼女の仕事のスケジュールと睡眠時間の都合だけ。
寝起きでぼんやりとした思考で、少女──エンネアは、それが少しだけ、寂しい事なのだと感じていた。

「…………なんか、朝っぱらから変な事考えちゃった」

エンネアは少しの思考ではっきりと目覚めてしまった自らの脳細胞の優秀さに舌うちしながら、布団から跳び起きる。
身に纏うのはダボダボの男物のワイシャツ。
初任給で買ったお気に入りのパジャマもあるにはあるが、それは洗濯中。
決して、一人の家が寂しいから懐かしい人々を想起させるような物を使って寂しさを紛らわせている訳では無い。
大体、置きっ放しにしてあるという事は使われても文句は無いと取られても仕方がない。
文句があるのなら、直接言いに来ればいいのだ。

「直接……」

ぽつりと呟きながらドアを開け、フローリングの廊下をぺたぺたと素足で歩き、階段を降り、脱衣所へ。
大きいワイシャツを洗濯機に放り込み、洗面所の鏡を見ると、酷くしょぼくれた表情の美少女が映っている。
それはもう、街を歩けばすれ違った男が十人中三十人は振り向く(十人が全員二度見した後に最後にもう一度振り返る)プリティフェイス。
そんな愛らしい顔を曇らせていては、人類にとって致命的な損失だ。
句刻も言っていたではないか。美女、美少女は健康で、更に笑顔でこそ輝くと。
自分に自信が無い美少女なんて、人からは嫌味にしか見えないのだとも言っていた。
それは困る。唯でさえ職場には同性が少ないのだから、さっぱりと友好的な関係を築いて行きたい。
両手で頬をぱしりと叩く。
両頬に走った鋭い痛みが、しょぼくれた表情毎感情を切り替えさせてくれる。
再び鏡を見れば、そこには眼尻から僅かに涙を滲ませ、苦笑に近い笑い顔。
これもまた別の意味で情けない表情だけど、さっきの表情に比べれば百倍マシだ。

「うし、うし」

頷きながら、風呂場への扉を開け放つ。
風呂の湯は冷めているだろうけど、シャワーを浴びて身体を洗っている間に沸かし直せば、髪を洗い終えるのと同じタイミングで温まってくれる。
エンネアは風呂桶の脇にある『トゥインロード』と書かれたスイッチを押した。
浴槽に取り付けられた機械が、洗濯に使って足りなくなっていた水を自動で足しながら、湯を沸かし始める。
コックを捻り、シャワーからお湯を出し、寝汗を掻いていた身体を熱いお湯で清める。
スポンジに石鹸を付けて泡立て、身体の汚れを落としていく。
背中の洗い難い部分は無名祭祀書で分身を作り洗わせ、全身隈なく洗い続ける。
身体を再びシャワーで洗い流し、シャンプーのポンプに手を乗せ、押す。
ポ、ブヒュ、という間抜けな音と共に、途切れ途切れに白濁の液体が溢れ出した。

「ありゃ」

どうやらそろそろ切れてしまうらしい。
仕事帰りにでも買いに行くかと考えながら、エンネアはシャンプーで頭を洗い始めた。
リンスはしない。そんな事をするまでも無く、若さによって髪質はしっかりと保たれるのだ。
若さ万歳、そんな事を言うと職場の同僚には歯ぎしりされるので、表立っては言わないが。

―――――――――――――――――――

「うん、うん。わかってるってばー」

受話器を肩と顎で固定し、料理をしながらの電話。
電話の相手はアメリカ。本当なら国際電話は無いらしいのだけど、そこは驚異の技術力でカバーしてある。
──今更な話ではあるが、今エンネアの住んでいる場所はアメリカではない。
日本という、大十字九郎や鳴無家の故郷に当たる、東の果ての島国。
覇道鋼造の祖国でもあり、その縁でアメリカとはそれなりに交流がある、四季という珍しい季節の変化が見られる国だ。
春は桜、夏にひまわり、秋にはコスモス、冬には枯れた木々に雪の花が咲く、正にエキゾチックジャパンというやつだ。
無駄に自然に囲まれたこの家であれば、その風情は尚強く感じる事が出来る。

「今までだって遅刻した事は無いのに、そこまで言われる筋合いは無いって」

軽口の様に不満を言いながら、焼き上がったトーストを皿に乗せ、その上にフライパンの上から直接ハムエッグを乗せる。
同時に、今や無限の猿定理で製造されるショートストーリーと大量の録画データしか流さないテレビにスイッチが入り、画面に文字が現れる。

『ラピュタトーストの反応を検知、乗せ物を先に食べきると減点1』

はいはいと頷きながらリモコンを操作し、テレビの電源を落とす。
この家を譲り受けてからずっとこの調子なのだが、何が減点されるのかが分からずに一度も逆らった事が無い。
まぁ、大概間違った事は言わないので、無理に逆らう必要も無いのだが。

「ああ、こっちの話こっちの話。……うん、言いたい事は分からないでも無いんだけどね、やっぱりここは離れられないよ」

紙パックの牛乳をコップに注ぎながら、見えてもいないのに首を横に振る。

「うん、うん、そんな心配しなくても大丈夫だって。じゃ、また午後に、大学でね」

相手の返答を待たずに受話器を置き、数秒の間を開けて、溜息。
心配して貰えるのはありがたいのだけど、それでもこう度々同じ内容で連絡を入れられると、少しばかり面倒臭い。
アーカムが大分復興してきているのは分かるけれど、それとここに居る理由はまた別の問題なのだ。
何しろ、ここは特別な場所、エンネアが守ってやらなかったら、いったい誰が守るというのか。
この、卓也と、句刻と、美鳥の居た、日本の家を──

―――――――――――――――――――

ハムエッグの乗ったトーストを齧る。
基本的にサニーサイドアップは黄身が好まれるものだと聞いたが、どんな調味料にも逆らわず味を引き立てる白身こそが真の主役ではないか。
だとすれば、やはり下に敷かれたハムは邪魔者だろう。
何故なら、ハムを敷くとどうしてもハムの味が先に来てしまい、調味料と合わさって白身が生み出すパーフェクトハーモニーが霞んでしまう。
そんな事を考えながら、ぼんやりとテレビを見る。

『食虫植物の価値は消化液で決まる。その中でもモウセンゴケは最強の部類に入る』

テレビに映っているのは、草むらで身を伏せて何者かを待ち伏せる二匹の猫の様な狸の様な愛嬌のある生き物。
自動生成されたショートストーリー動画だが、これは録画データであり、以前も同じ内容の物を見た事があった。
ショートストーリーの生成に失敗した時は、視聴した回数の多い動画からランダムに放送される仕組みらしい。

『お前を食べる為だよー!』

二人組の内、目がぱっちりと開いた方が両手をガバリと上げ襲いかかる様な素振りをし、垂れ目気味の目が細い方が、それに何のリアクションも返さずに黙って見つめ、二人とも何事も無かったかのように元の姿勢に戻る。

「シュールだ……」

思わず呟く。
いや、このシュールさが癖になってしまい、音が無いのが寂しい時にはこのシリーズを流しっぱなしにしたりするのだが。
正直、このシリーズだけで二時間は時間を潰せる。
むしろ毎日二時間はこれで時間を潰している。
となると、実質エンネアの一日は二十二時間になっているのだろうか、この動画のお陰で。
いや、確実に実りのある二時間なので何も困りはしないではないか。
むしろ、この二時間は何もしないでいる二時間の二倍は充実感がある。
となると、エンネアはこの動画のお陰で一日を実質二十六時間とカウントする事が可能なのだ。
やったねエンネアちゃん、時間が増えるよ! 残業の。

「いや、流石に無いか」

『最強最後の強化外骨格! その名も佐久間将軍だーっ!』

トーストの最後の一欠けを口に放り込み、十分に咀嚼した上で牛乳で流し込むと、テレビに違うシリーズの映像が流れ始めた。
これまた傑作なのだけど、これを全て観ようと思ったら間違いなく午後の仕事に間に合わない。
テレビを中断して早めに出発するべきか、時間ギリギリまで見続けるべきか……

「郵便でーす」

リモコンを手に持ったまま悩んでいたら、チャイムの音と共に呼び声が聞こえてきた。
こんな辺鄙な土地に郵便物とは珍しい。
態々呼びかけるという事は、手紙とかはがきとかではなく、大きめの荷物なのだろう。
内容を吟味するには時間がかかるだろうし、とりあえずテレビはつけっぱなしにしておく事にしよう。
エンネアはリモコンをテーブルの上に置き、そのまま玄関へ向かった。

―――――――――――――――――――

エンネアへ

『久しぶり、という表現が正しいのかどうかわからないけど、とりあえず久しぶり』
『最初は時候の挨拶でも入れようかとも思っていたのだけど、そこまで堅苦しい形式で手紙を書くのは恥ずかしいので、これで勘弁して貰えると嬉しい』
『君がこの手紙を読んでいる頃、きっと俺達はこの世界には居ないと思う』
『これを書いている時期が時期だから結果を書く事は出来ないけれど、もしもループが終わったなら俺達が居る必要はないし、ループが続いたとしても、きっとエンネアちゃんのいる時間軸には辿り着けない』
『だからまぁ、色々と言いたい事はあると思うけど、一方的に伝えておくべきことを伝えておきます』
『これが届く時期を考えると、ようやく混乱が収まって、『エンネア』としての生活にも大分慣れてきたんじゃないかな』
『最低限の状況はメモを置いていたから分かると思うけど、ここでもう一度おさらいをしておこうか』
『まず、エンネアちゃんの居るその家。そこは元々俺達の家だから、基本的に自由にして貰って構わない』
『半径五十キロ圏内に店が一軒も無いけど、魔導バイクを置いてあるから移動には困らないと思う。使う時は魔導書をセット、買い物中は鍵を掛けて、魔導書を外すのを忘れずに』
『資金もある程度は置いておくけど、ミスカトニック大学の方に色々と捏造した事情を話しておいたから、机の上の紹介状を持っていけば簡単に雇って貰えるから、気が向いたら顔を出してみるのもいいかもしれないね』
『アーカムがあんな事になって人手が足りてないから、きっと喜んで迎え入れてくれる。俺や美鳥や姉さんの様な常人から見ると、あそこは酷く変態的な人生スタイルの連中ばかりだけど、基本的にはいいやつばかりだから安心して付き合って欲しい』
『ここまでは、もう家中に張り付けておいたメモから知っている内容だね。ここからが本題だ』
『気付いていると思うけど、今のエンネアちゃんの身体は、元のエンネアちゃんの身体じゃあない』
『ついでに言えば、魂の形も完全に元のまま、とは言えない』
『これについては素直に謝るしかない。ごめん。前の身体は余りにも損傷が激し過ぎたし、魂も大分弱っていたから、こういう方法を取るしか無かったんだ』
『字祷子レベルで完全に前の身体を模倣して作っているから見た目にも動かした分にも不自由は無いと思うけど、エンネアちゃん程の魔術師なら、何かしらの違和感を抱いてしまうかもしれない』
『そしてきっと、こうも思う筈だ』
『肉体だけでなく、自らを証明する最たるもの、魂すら別物と化した自分は、本当に以前と同じ自分なのか、と』
『以前の自分と今の自分が別人なら、以前の自分は暗闇から抜け出せずに死に、今の自分は自分が体験した訳でも無い経験と知識に振り回されるお人形』
『エンネアちゃんは世間に対して嘲笑的なのに自罰的な部分もあったから、そう考えてしまうかもしれない』
『確かに、以前のエンネアちゃんと今のエンネアちゃんが同一の個体であるか、それとも別の個体であるかを証明する事は難しい、いや、不可能と言ってもいい』
『でも、それでいいんだと俺は思う』
『人間っていう生き物は、面白いほど単純な理屈で動いている』
『生の始まりは化学反応に過ぎないし、人間存在は記憶情報の影、魂が無くても精神は神経細胞の火花で心を作り出してしまえる』
『イカレた神しか居ないこの世界、人間に祝福や慈悲を与える存在なんて居ない』
『人間は選ばれた生き物でも無ければ、無意味に無条件に愛されて産まれてくる訳でも無い』
『だからこそ、人は自由に生きられる。見ず知らずの何かに頼まれたからではなくて、ただ自らの意思の元、「生きよ」と命じる事ができる』
『きっとそれは、誰に証明されるよりも強い、エンネアちゃんがエンネアちゃんである証になるだろう』
『俺も、姉さんも、美鳥も、エンネアちゃんが何であるか強要するつもりはない』
『救われる事無く死んだ不幸なエンネアの記憶を引き継いだだけの人形か、荒唐無稽な救いの手に拾われた悪運の強いエンネアか』
『ただ、エンネアちゃんがどちらを選ぶにしても、取り敢えず死んでしまうまではしっかりと生きていて欲しい』
『鬱々と落ち込むのも明るく元気でいるのも、生きていればこそ、だからね』
『これから俺達の人生が交わる事は無いと思うけど、お互い交通事故と病気に気を付けて頑張って長生きしよう』

追伸
『初日にエンネアちゃんが着ていた服の様な襤褸切れ、襤褸切れの様な服かな?』
『どうにかして原形を取り戻そうと頑張ったけど、無理だったので、それらしく改造して体裁を整えてみました』
『自信作なので、できれば私服の一着にでも加えて貰えると嬉しいです』

―――――――――――――――――――

手紙を読み終え、机の上に載せられた小包に目をやる。
小包と言っても、カラフルな包装紙に包まれ、黒と赤のリボンをあしらわれたプレゼント使用の物。
包装紙に付いてたセロテープの様なものを剥がすと、中からは一着の服が現れた。
手に取り、広げる。
黒がベースで、しかし所々に白地に赤のラインの入ったフリルが施され、襟首にも同じカラーリングが採用されている。
更に赤のインナーに、太ももを編上げリボンなどで飾ったオーバーニーソックスも入っていた。
シックなカラーリングなのに、しっかりと子供らしさ、女の子らしさも兼ね備えている。
良い服だと思う。思うけれど……

「ここまでするなら、買った方が早いって」

律儀なのか、何かしらの洒落を効かせているつもりなのか。
確かに、手の中の衣服からは、初日に何処からか拾った襤褸切れの繊維が使われている。

「ふふっ」

笑いながら、服に込められた思いを受け取るかの様に抱きしめ、眼を瞑る。
自慢できる一着だ。男からの贈り物だと言えば、同僚の研究員はどう反応するだろうか。
そうだ、今日はこれを着て行こう。アーカムは今日も晴れだし、太平洋上を移動中に雨に出くわしてもバイクに搭載されたバリアで無視できる。
これまではずっと句刻や美鳥のお下がりばかりだったけど、これは正真正銘のエンネアだけの服。
大学で初めて出来た友人に見せびらかしたいし、面白いリアクションも期待できる。
そうと決まったら、テレビを見てるヒマなんて無い。
エンネアは逸る気持ちを抑えきれず、その場で服を脱ぎ棄て、送られてきた新しい服へと着替え始めた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

衣服の一番下に入っていたパンプスを履き、書類と筆記用具を入れた鞄を手に持ち、玄関のドアを開ける。
眩しい日差しに目を細めながら鍵を閉め、家の前に止められていた魔導式自動二輪に被せられていたシートを剥がす。
キーを入れる代わりに半透明なプレートに親指を押し当て認証完了。
次に、エンジンに当たる部分に『無名祭祀書』を挿入。ハンドルを握って魔力を流し込む。
途端、唯の金属の塊だったバイクが激しい排気音と共にエーテルを吐き出し、生命の躍動感を獲得する。
こうなれば、後は魔導書を介して考えるだけでその通りに動いてくれる。
精霊任せにしてしまえば、自動二輪ならぬ『完全自動』二輪そのものにも出来るだろう。
一人乗りのバイクなのに横乗りだって問題無くこなす賢いバイク。
だがエンネアは鞄をタイヤの脇のトランクに詰め込むと、極普通にシートに跨った。
ハンドル越しに、鬼械神を操るのと同じ感覚でバイクと疑似的に神経を連結。
後はエンネアが一つ命令を下すだけでバイクは少しだけ地表を走った後に空へと舞い上がり、高度を稼いでからは音速の数十倍の速度でアーカムへと辿り着く。
何時もならそのまま空へと駆け上がる段になって、エンネアはふと家の方を振り返った。
誰もいない、彼等から譲り受けただけの家。
愛着を持つには短く、楽しい日々を思い出させる匂いも多い、複雑な家。
だけど、今日は機嫌がいい。
あの人曰く、自分が何者かを決めるのは自分だけだという。
ならあの家が何であるかも、エンネアが決めてしまってもいいだろう。何しろ今はエンネアの所有物なのだ。
ここは、住人が一人だけの寂しい、でも、確かに安心できる大切な家。
そう定義したのなら、言わなければならない言葉がある。
帰るべき所から飛び出し、戻ってくる約束の言葉。

「行ってきます!」

振り向いた先の玄関に三人の男女の姿を一瞬だけ幻視し、微笑みを浮かべたエンネアとバイクは一瞬にして空の彼方まで駆け上がる。
湿り気の少ない大気、怪奇指数も低く無く高く無く、グレムリンにも出会い難い良いフライト日より。
眼下には緑に覆われた山と川、一部ではピンク色の花を咲かせる桜の木も見える。
遠くには幾つもの山があり、それを超えて平野を超えて、その頃には地表が見えるか見えないか。
海に出る途中に街の様な物が幾つか見えた気がする。仕事が終わったら、偶には日本の街を散策してみるのもいいかもしれない。
──『暴君』の時間は、絶望に満ちた世界と共に終わり、希望の持てる未来が始まった。
見て回りたい物がたくさんある。探したい物も山ほどある。
それらをどうするか考える為に、まずは最初にやりたい事、服を見せびらかして、大学で後進の指導を済ませてしまおう。
新しく始まった『エンネア』の時間も有限で、それでも無駄遣いが利く程度には有り余っているのだから。






エンネア編・完
次のステージへ続く
―――――――――――――――――――

まぁ、記憶を引き継いだ人形が正解なんですけどね。コピーだし。
そんなこんなで嫌に時間が掛かった、主人公が手紙でいけしゃあしゃあと嘘を吐く第四十八話をお届けしました。
最近は二週間に一度のペースを守れていたのに、ここでリズムを狂わせてしまうとは。
それもこれもあれだ、ええと、ほら、武装神姫の新作の予習をしたり、スパロボ新作に胸をときめかせ過ぎてむせてみたり、無駄にGジェネでレベル上げしてたせいですね。
反省はしましたけど後悔はしてませんがね。

では、何時も通り自問自答コーナー

Q,主人公が明らかにこれ以降出てこなさそうな武器を渡したのは?
A,BCTOを振らせたかったダケー。因みに英語の意味は深く追求しないでください。アニメ版も平行世界論で説明が可能なんです。
Q,シリアスが途切れた……。
A,シリアスに耐えきれなかった……。正直、主人公達のシーンの裏の戦闘とか、描写しても格好よくならないんですよ。デモンベインでもそれなりに対抗できたのに、アイオーンなら空を逃げ回ってればどうにでもなっちゃいますし。
Q,胎児は?
A,
①胎児から一番遠い位置でへその緒を切断し、羊水ごと念動力で宙に浮かばせておく。
②頑張って取り込んだエンネアの情報を最適化して、即座に複製を作り、再接続する。
③切断面はネギ驚異の開発力で作り上げた回復魔法でちょちょいのぱっぱ。
④胎児状態なら意外と無力らしい。
証明完了!
Q,エンネアの仕事って?
A,ミスカトニック大学での教授達の補助みたいなの。研究員したり、課外授業で戦闘をサポートしたり。
闇の気配とかそんな事を言い出す人が確実に居そうですが、既にある程度信頼を獲得していた主人公が、『その子は長年ブラックロッジに自らの意に反する研究の手伝いをさせられ、あまつさえ実験動物扱いもされていた可哀想な娘です』的な手紙を渡していた。
Q,三人称と一人称がごっちゃの部分が。
A,そこは仕様です。エンネアの一人称ってエンネアでいいんですよね。僕とか私とかあったらたぶん一人称だけに直せるかも。

見落としあるかもしれないんで、他の疑問点とかあったら感想板の方にどうぞ、という事で。
次回、最近ずっとデモベだったんで、少し変則的な裏ワザ使って別作品に寄り道日常編します。
一万字弱くらいで投稿すると思うので次は早いかと。
多分、気が変わらなければ。

ではではでは、今回はここまででおしまいです。
誤字脱字に関する指摘、文章の改善案、設定の矛盾、一文ごとの文字数に関するアドバイスなどを初めとするアドバイス全般、そして、長くても短くてもいいので、作品を読んでみての感想、心よりお待ちしております。



[14434] 第四十九話「日ノ本と臍魔術師」
Name: ここち◆92520f4f ID:190f86b3
Date: 2011/05/18 22:20
目の前のカウンターに置かれたゴーヤチャンプルーを箸で突きながら、俺は目の前でフライパンを振るう黒髪の青年に声をかけた。

「なぁ超次くんや」

「なんすか」

「なんで超次くんは童貞なん?」

台詞の途中で飛んできたフライパンをキャッチ。
そのまま店に来る途中で買ってきた新聞紙の上にフライパンを乗せ、カウンターの脇に退避させる。
熱烈な応答ではあるがまるで答えになっていないし、喰い物を粗末にするのは許せない。

「近親野郎にゃ言われたかねぇ」

頬に血管を浮かばせた青年──超次くんは表情と声に怒りを滲ませながら反論? してきた。
正直なところ俺が近親野郎である事は間違いないのだけど、現在の俺は別にその事に関して負い目を持っていない。
世界を渡るトリッパーなどという物になって置きながら近親相姦がどうだのというくだらない決まりに囚われ続ける程、俺の脳は柔軟性に欠けている訳では無いからだ。
ほら、他の法律とかは律儀に守っている訳だし目零し願いたいというか、これは家族愛から来る行動なのでいかんともしがたいというか。

「まぁ落ち付いてくれよ超次くん。これは君の私生活を少なからず知っている人間からすれば、誰しもが辿り着く疑問なんだ」

「……疑問って、どんな」

「君、入間ちゃんと同棲しているだろう。で、毎朝起こして貰っている、と」

入間ちゃんとはこの店、猟犬亭のウェイトレスをしているハイティーンの少女だ。
店長である超次くんと似た種類の特異体質のせいで高校を中退したが、紆余曲折の果てに記憶を失い、同じ学校の同級生だった超次くんと同棲生活をしている線の細い少女。
本来であればこの店も似た体質の客が常に管を巻いているのだが、今は外で美鳥の『遊び』に付き合って貰っており、入間ちゃんもそれを観戦している。
その為、今現在ここに居るのは店長である超次くんと客である俺だけ。
なので、俺は説明の途中で茶々を入れられる事無く、超次くんが童貞である不思議を追求する事が可能なのだ。

「それがどうかしたっつうんですか?」

苛立ちを隠しきれていない超次くんに、俺は腕を組み、少しだけ溜めてから応える。

「毎朝毎朝自分に好意を抱いている薄着の美少女に細く柔らかな手で『大事な所』をやんわりと掴まれながら、耳元で囁くように名前を呼ばれて起こされる。……これでまだ童貞とか、俺はまず君の男性自身が正常に機能しているのかを危惧してしまうのだよ。おけい?」

「俺はそういう方向性にしか考えられないあんたの脳味噌が心配だよ……」

超次くんはフライパンをコンロにおいて、頭を抱えてしまった。
追い打ちをかける様に、手にゴツゴツした塊を持った美鳥が入口のウエスタンドアを蹴り飛ばしてダイナミック入店。
一瞬だけ外に甲殻を残らず粉砕された怪人や、顔に甲の字を付けたマスクマンがボロボロな姿で倒れていた気がするが、この街では多分珍しい光景ではないだろう。

「童貞超人童貞超人! 今日の払いは世にも珍しいこのラフJさんの折れた角でたのまぁ!」

「一銭の価値もねえよ」

「あ、超次くんお会計纏めてで。ラフさんの角で足りるよね」

「だから一銭の価値もねえよ! 現金で払えよ!」

豆知識になるが、ラフさんの甲殻は別にダイヤモンドでは無い。
つくづく役に立たないカニ野郎だ。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

十九世紀終盤、より正確に記すならば189×年十二月二十二日午後一時四十二分。
とある邪神の引き起こした魔術的災害は、世界中に深刻な影響を及ぼした。
世界中で霊感に優れた者達が一斉に発狂し、数万の妊婦が流産、後の半年に渡り、流産した数と同数の畸形児が生まれ、世に生まれ落ちた畸形児達はその多くが成人を迎える事無く息絶えたが、残る小数は長ずるに及び、様々な人外の異能を宿した超人と化した。
この魔術的災害を極東のとある島国では『オルタレイションバースト』と呼び、生まれ落ち生き延びた畸形児──超人、もしくは魔人と呼ばれる者達とは異なる脅威を認識する事となる。

『ノッカーズ』──オルタレイションバーストを契機にこの島国、日本で出没する様になった異形の怪物。
平行世界、パラレルワールドに存在する自らの可能性を掻き集め、自らの姿形を変貌させるある日唐突に力を手に入れるに至った人間。
人々は自らとは異なる存在と化した彼等を恐れ、差別の対象とし排斥せんと動きだした。
『ブースター』──ノッカーズを殲滅する為に、最新の科学、錬金術、魔導工学を駆使して造られた電動服(モータースーツ)。
手に入れた力を悪用するノッカーズに対抗する為という名目で製造されたこの電動服は、その拡張性の高さから様々な分野へと応用される事となる。

その内の一つとなるのが『霊子甲冑』──バッテリーの代わりに蒸気併用霊子機関を搭載し、霊的、もしくは魔術的な怪異との戦闘を目的として造られた人型蒸気との合いの子とでも言うべき兵器だ。
だが、オルタレイションバーストによる混乱を機に活動を開始した、魔導工学を応用していると思われる謎の機械群『魔装機兵』との戦いを主眼に置いて製造されたこの兵器は、霊力の素養に優れた者にしか運用できないという欠点を除いても、多くの問題を抱えた兵器であった。
霊力を循環させやすい特殊合金シルスウス鋼は鉄と鉛の合金であり、その物理的強度は通常兵器に使用される装甲材に比べ遥かに劣り、高度な物理攻撃力を持つ存在相手には運用が難しいのだ。
故に人間同士の戦闘、もしくは、オルタレイションバーストにより綻んだあの世とこの世の『スキマ』を通じて三途の川より現れる『外道衆』との戦闘においては無用の長物と化してしまう。

更に、度重なる怪異との戦闘により向上した技術を狙い欧米から渡来した『カラクリ強盗団』に、邪神とは異なる大系に存在するとも邪神すらその内に含むとも言われている『悪魔』の跳梁跋扈。
強盗団に敢然と立ち向かう謎の少女『鉄腕小町』に、密かに悪魔から街を守る『デビルサマナー』、外道衆から人々を守る『侍戦隊』の活躍により一定の平和は守られていたが、それも表面上の事に過ぎない。
時は二十世紀初頭。大暗黒時代にして大混乱時代、大黄金時代のアーカムの陰に隠れ、日ノ本はかつてない程の大混乱期を迎えていた。

だが、しかし。
これら様々な騒動、事件の種には、一つの共通点が存在した。
それは────
―――――――――――――――――――

「もしかして、狙われてるのって日本じゃなくて東京じゃね?」

「そういうもんなんだよ」

そう、基本的に日本の平和を脅かす脅威は東京周辺を中心に活動する為、それ以外の場所は至って平和なのだ。
しかし、これは仕方の無いことでもある。
例えばノッカーズは地方では人の少なさからどうしても孤立しがちになるが、人の多い東京──帝都に行けば多くの同類を見つける事が出来る。
ブースターを有するBOOTSなども犯罪を起こさず大人しくしているノッカーズ相手であれば無闇に力を振るう様な真似はしない。
結果として、反社会的な思想を持たないノッカーズは多くの仲間が集まる東京に集い身を寄せ合うというのが極ありふれた行動方針となるのだ。
一部、軍に自らの肉体を提供し、最低限生命の安全を保障されたモルモットとして生きていく道を選ぶノッカーズも居るには居るが、それは余程愛国心に溢れた者か、ノッカーズの集団の中でもあぶれてしまった者だけ。

魔装機兵や外道衆が帝都に居るのは当然と言えば当然だ。何しろこいつらの場合、まず人間を害さなければ話が始まらないのだから。
人の多い土地に行かなければならないのはノッカーズと同じだが、こちらはまず最初の行動が人間を害する事にある為、真っ先に霊子甲冑を使う特殊部隊や全身タイツの侍達に蹴散らされる。
で、蹴散らされると目的を達成できないので再び派遣され、また即座に打ち取られる。
それを繰り返していく内に、あと数カ月もしない内に自分達を妨害している存在を脅威として認め、それなりに格の高い存在を送り込んでくる事だろう。

当然、他所の人の少なく、霊的、魔術的に価値の薄い土地に戦力を派遣する事は少なくなり、送られた少数の戦力もそこらでひっそりと危険な実験を繰り返す野良マッドサイエンティストや野良魔術師、正義感溢るる野良モヂカラ使いなどに蹴散らされるのだ。
極々稀に、表が裏に裏が表になっている世にも珍しい一銭硬貨などで野良デビルサマナーの軍門に下る魔装機兵や外道衆のナナシ連中を見かけるが、どちらにしても地方の脅威は少ない訳だ。
カラクリ強盗団は言わずもがな。珍しく貴重なお宝は大体展示品として帝都に集められたりするので地方に出向く理由が無い。

また、地方は地方でナモミハギやアラハバキの力を借りて戦う謎の戦士が現れたなどという噂も耳に入ってくる。
ここで注意して貰いたい事なのだがこの謎の戦士、出典と思われる作品で見た物とは見ための姿が大きく異なる。
数周前に先生に聞いた話なのだが、邪神崇拝者とはまた異なる神氣を纏ってはいるが、見た目はかなり禍々しい鬼の様な姿、もしくは蛇人の様な姿をしているとの事らしい。
恐らくは鬼の様な姿をした方がナモミハギの力の使い手で、蛇人の様な姿をした方がアラハバキの力の使い手なのだろう。
まぁ、俺達の住居のある場所からはかなり離れている土地しか守っていないため、彼等の力の恩恵にあずかれるわけでは無いのだ。

ともかく、トラブルの中心は何時も東京。
地方で危険な事と言えば、邪神崇拝の宗教団体や邪神眷属群の集落に紛れ込んでしまう程度でしかない。
観光するなら東京へ、暮らすなら地方へというのは、この世界の日本をある程度知っている人間であれば誰でも辿り着く結論な訳である。

「かっこよかったわね、あのマシーネンクリーガー。ちょっと性能は酷かったけど、霊力を使うってのは面白い発想だと思うし」

因みにこれは姉さんが霊子甲冑を知らないのではなく、姉さんが普段から霊子甲冑の事をマシーネンクリーガーと呼んでいるだけの話なのだ。
ボトムズ的とも言われる霊子甲冑だが、ずんぐりむっくり体系から見れば遥かにマシーネンクリーガーの方が近い。
ていうか、モチーフなのだから当然と言えば当然か。

「本当に対霊とか対魔とかしか考えて無いから、装甲も武装も純粋にそっち向きだしね」

美鳥が言うように、今現在日本、というか帝都で運用されている霊子甲冑は装甲も武装もはっきり言って通常の戦争向きの作りでは無い。
これなら覇道財閥に保管されていた新型電動服の試作品達の方が遥かに性能面では上だろう。
まぁ、そこら辺は覇道財閥驚異のメカニズムということで全て説明が付いてしまうのだが。

「これで各地の仏閣でパーツを建造中の移動菩薩が完成してれば、間違いなく破壊ロボの侵攻を完全に防げただろうになぁ」

因みに軍部による強化外骨格の開発が行われていないのは姉さんに確認済みだ。
恐らく数十人の強力な法力僧達が力を結集して運用する事となる筈なのだろう。
完成すれば、もし、これほどまでの美味しい素材をそこらの悪の魔術結社に嗅ぎつけられることなく、なおかつ日本政府からの、そして檀家達からの資金提供が完成まで続けば、存在消去ありありのネームレスワンと正面から戦って力技で勝つ程の力を得るだろう。
建造完了まであと十年程の時間が、更に小国を今後百年バブル期並みに豊かにする程の資材と資金が、最後に建造までに延々とビックバン的技術革新を起こし続けるだけの発想力があれば、完成させる事が可能なはずだ。
なお、法力僧の力量は魔術師にして小達人級、それらの能力を束ねる統括体(ブレイン)として限りなく被免達人に限りなく近い大達人級の法力僧が必要となるとのこと。
因みに、それらの必要な人材は全て比叡山辺りに行けば予備まで余裕で手に入るらしい。比叡山すげぇ。

「そいつらがデモンベインの量産機的な物に乗れば移動菩薩とか要らなくね?」

美鳥が汽車に乗る前に購入した冷凍ミカンを袋から取り出しながら言う。

「んー、十九世紀序盤に奈良とかの強豪を残して大半が大破しちゃったみたいだから、難しいんじゃないかしら」

なんでも、日本近海に転位門を広げて現れた謎の海産物系の邪神『九頭龍』に対抗する為、日本中の仏像と力ある法力僧達が駆り出されたのだとか。
魔術師の制御下になく、空腹により自力でゲートをこじ開けて全身を顕現させた邪神の力は南極上空に出現したクトゥルーin夢幻心母の比では無く、その暴虐は苛烈を極めたという。

「廃材は十九世紀中盤に通常兵器の素材にされちゃったしな」

といっても完全な通常兵器では無く、軍部が理想としたのは魔術や霊力、法力的な要素を兼ね備えた、邪神に対抗する為の兵器であった。
九頭龍との戦いにおいて、通常兵器しか持たない軍部は猫の手程の活躍すら出来ずに撤退を余儀なくされ、それ以来邪神や邪神眷属に類するモノに対する警戒心を高め始めたのだ。
が、何故か開発中に空軍、海軍、陸軍がそれぞれ対立を初め開発は難航、というよりも迷走し、今の中途半端にからくり、霊子甲冑、電動服などの技術が入り乱れる魔境と化した。
ともかく、邪神に対抗する兵器を作る為には邪神に実際に対抗出来た物を参考に、そして素材にするのが一番という理屈で軍は大破した仏身の接収を開始。
また、同時期に法力僧の居ない仏閣に存在する仏具もしくは寺そのものを接収し、寺を失った僧達を接収した仏具の量と内包する力を基準にして報酬を用意し破戒させ、新兵器の研究員として雇うなどの政策も行っていたという。
これが後の世に言う廃仏毀釈のおこりであったのは言うまでも無い。

「惜しむらくは、ここの連中を取り込んでも意味が無いってことだよなぁ」

「ここの『設定』はかなり不安定だもの。仕方が無いんじゃない?」

基本的に、この世界はあくまでもデモンべインの二次創作世界である。
創造神たる千歳さんの事だからPC版に繋がりのある小説外伝は全て参考にしていると見て間違いないが、それでもメインの舞台はアメリカはアーカム。
それ以外の部分も何かに使うかもしれないと設定を整理している為、メガゾーン23や舞浜サーバ的な箱庭構造こそ免れているが、やはり明確に話の主軸となっているアーカム程しっかりと作られている訳では無い。
その証明となるのが、先の東京に蔓延るオーバーテクノロジー達だ。

────話はもう一か月ほど前に遡る。
もうミスカトニックで取れる講義の内容を全て暗唱し、理論を応用して魔術式全自動老人介護ヘルパーマシンとかフルカネリ式刺身の盛り合わせにタンポポの花乗せるマシーンとか、
寂しい独り身の学生の為に南極100号(人工知能搭載の超リアルダッチワイフ。初めて採取した精液の持ち主にぞっこんになる刷り込み機能【らめぇ! 子宮があなたの味覚えちゃうのぉシステム(命名、美鳥)】付き)とか、
ついでに低コスト低技術簡単ペーパークラフト人造鬼械神(火にすこぶる弱い)とか余裕で作れる程に学習してしまった俺は、飛び級が余裕である事を理由に、大学に入る時期を少し遅らせ、日本で少しだけ観光をする事にしたのだ。
で、地方民にとっての観光地と言えば東京と京都の二択となる。これは地方民である俺がそう思っているのだから間違いない。
京都はネギま世界に行った時に堪能したし、この時代はやっぱり文明開化の音がぽこじゃか鳴っている東京いわゆる帝都こそがホットスポット。
そう家族会議で決まり、俺達は一月程滞在できるだけの荷物と金銭を持ち、一路帝都へと足を運んだ。

初めてこの世界の帝都に足を踏み入れ、ていうか、東京自体あんまり来た事が無いので、俺の心臓はバクバク音を立てて鼓動を撃ち、昂奮の余り人の群れの中で太陽よりアツいプラズマ火球を乱射してしまいそうな精神状態。
そこに現れ、大正ロマンな情緒溢れる東京駅をぶち壊さんと突撃してきたのが、明らかにPCゲーではなくセガの廻し者にして王子様の最強武装と名高い名作ギャルゲに登場した魔装機兵と、それを追う桜色の霊子甲冑である。

当然、帝都観光の出鼻をくじかれる訳にもいかない俺は徹底的に迎撃した。触手で。
帝都駅周辺に散布した強化ミラコロ粒子を含んだ煙幕により監視の目を欺き、素早く指先から射出した触手をもって魔装機兵と霊子甲冑をまとめて貫き、1n秒で戦闘行動が不可能なレベルにまで絶妙に手加減した上で破壊。
研究の足しになるかと思い、破壊された大量の魔装機兵と霊子甲冑のスクラップ、あと少しだけ霊力の高いパイロットのポニテの少女を亜空間に叩き込み、その場を姉さん、美鳥と共に離脱。
ありていに言ってジャンクをパチって操縦者を拉致った。

その後は無事に帝都をぐるっと見回り、滞在中のねぐらを確保し、意気揚々と確保していたジャンクを好き勝手いじり回した上で取り込んでみたのだが、ここで不思議な事が起こった。
取りこんだ筈の魔装機兵と霊子甲冑の情報が、確認する前に霞の様に俺の中から消えてしまったのだ。
そう、まるで元の世界で姉さんが作ってくれた仮想訓練室の敵の様に。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「言ってみれば、これは千歳の躊躇いの様なものね」

「躊躇い?」

姉さんは俺が取り込まずにデータ取得用に残しておいた残骸の一つを手に取り、指揮棒の様に振りながら俺の疑問に頷いた。

「そ。お姉ちゃんは千歳に『デモンベインのオリ主成長無限螺旋物』を注文した訳だけど、それ以外に細かい指定はしていないってのは覚えているわよね」

そういえばそんな事を言っていた気がする。
不完全な物語を近場で発生させる事で、トリップのタイミングを任意で操り、トリップ後の状況を有利にする事ができるからだとか云々。
で、物語が生まれない様にする為、ある程度の自由度を作者である千歳さんに与え、物語の中に多くの要素を盛り込ませ過ぎることによる物語の破たんを狙い、更に主人公をどうするか思いつかない場合の逃げ道とする事で物語の完成を諦めさせる効果を狙っていたらしい。

「でも、本筋以外は自由裁量権が認められているなら、千歳さん嬉々として設定書の類造りそうなものだけど」

あの人、にやにやしながらFSSの設定本読み漁って1日潰すとか平気でするし。
姉さんは転がされている残骸の脇、柔らかそうな肌色の何かに座りながらち、ち、ち、と手に持った残骸を振る。

「千歳はね、三十路処女の上にあの年頃にはありえないレベルのツンデレで、好きな相手と手を握るだけで顔真っ赤にして蒸気噴出した挙句捨て台詞に『ば、ばーかばーか!うんこ漏らせ!』とか言い出しちゃうような女だけど、妙な所で義理堅いところがあるのよ」

「うんこ漏らせは初耳だけど、つまりどういう事?」

ていうか、三十路処女は1年と少し前まで姉さんも同じだった気がするのだが。
これがあれか、のど元過ぎれば熱さ忘れるってやつか。

「たぶん、あくまでも『デモンベインの二次創作』である事に拘ったんじゃない?」

「実際には明らかにクロスっぽい連中が腐るほど居た訳だけど」

姉さんは手の中の廃材を投げ捨て、椅子にしていた肌色の何かに突き刺さっていたぬらぬらしている触手をぐりぐりと動かしながら考え込む。
肌色の椅子が嬌声にも聞こえる異音を発する。
姉さんはぬらぬらとした触手を椅子に深々と突き刺しながら口を開いた。

「つまり、街に居る他作品っぽい連中が、その葛藤の結果なのよ。実際に物語上描写しないなら、別に日本がこんな状況になっていたもいいんじゃないか。いや、日本にそんな物があるなら、話に多くの矛盾が生じてしまう」

一つ息を吐く。

「だから世界観にそぐわない連中は一つの場所に纏められて、大十字九郎の知る所では無く、覇道鋼造に知覚出来ないタイミングで暴れ始めている。でも、本当にそこに存在させていいものだろうかという葛藤は消えず、あれらの存在を曖昧で希薄なものにしてしまっているのね」

姉さんの手から投げ捨てられた廃材は、最初からそこに存在していなかったかのように消え失せてしまっている。

「矛盾が生じたら街ごと書き換えられて、証拠は残らず消滅してしまう、と」

「矛盾が生じない程度には残るんじゃないかしら。魔装機兵はともかく、霊子甲冑は魔導工学を応用すれば造れないでも無いし、怪異を相手にするには有効だしね」

ノッカーズの連中はそのまま異能力者として残って、ブースターはノッカーズだけじゃなくて怪異相手の任務も割り当てられる様になる。
一番割りを食うのは、多分侍戦隊か。姉さんの理論だと、量産型破壊ロボ襲来時に少なくとも折神は無かった事にされる筈だし。

「ところで卓也ちゃん」

「何? 姉さん」

「さっきからお姉ちゃんが椅子に使ってる娘なんだけど、なんで触手まみれになってるの?」

言われ、姉さんの座っている肌色の物体が初めて人間の少女、というか、拉致ってきた霊子甲冑のパイロットである事に気が付いた。
言われてみれば、何時の間にか服は所々捲りあげられ重要個所を露出し、捲れていない服の下でもぞろぞろと大量の触手が蠢いている。
当然、穴という穴にも触手が侵入し、触手のものとも少女のものとも知れぬ体液で全身べとべとになっていた。
危ない危ない。これで耳と鼻から触手を突っ込まれて少し危険な液体が漏れ出していなければただの触手凌辱になる所だった。
耳と鼻から溢れ出る怪しげな色彩の液体を見れば、常人ならこれで興奮する事は不可能だろう。
リョナ好き? そんな特殊性癖は知らん。

「これはほら、電話してる時にメモ帳に無意識の内に○とか∞とか熊とか魚とか描いてる時あるじゃん」

「それは分かるけど、それと同じレベルの感覚で触手凌辱しちゃうなんて、卓也ちゃんのエッチー」

最高に朗らかな笑顔で、なおかつ両手の人差し指を此方に向けながらそんな事言われても。
ていうかそのジェスチャーは世代毎に浮かぶ言葉がバラバラだと思うのだが。

「おにーさーんおねーさーん、夕飯のチキンカレーでき、うおぉいきなり女の淫臭とお兄さんの媚薬的触手分泌液の臭いが! あたしにもよこすべきそうすべき」

「美鳥ちゃん落ち着いて」

ふむ、身体が勝手にシャワー室にの人はまだ来て無いらしい。
あ、ほじくってた脳味噌から北辰一刀流の情報ゲット。実在する技術はオッケーなのか。
唯一役に立ちそうなデータなので、お礼に18禁液を少し追加投与してあげよう。9リットルでいいよね。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

回想終了。もう二月も前の話である。
本当に他作品の能力は全てダメなのか確かめるため、害の無さそうな所をつまみ食いもしてみたのだが、やはり取り込んだモノはその構成情報を明らかにする前に全て熱量に変換されてしまう。
まぁ、元から観光目的での上京だったのでそれほど惜しいとは感じなかったのが救いと言えば救いだろうか。
むしろ、どれをどのように取り込むか頭を悩ませる必要が無い分だけ、じっくりと観光に明け暮れる事ができたかもしれない。

「ラーメン洞のラーメン、おいしかったよね」

「ああ、あれは中々の強敵だったね。あの中にアンチクロスとか放り込んだら何時間持つかな」

倒すと中身がこぼれるから、戦いながら食べないといけないんだよな。
偃月刀で切ろうとすると偃月刀の方が折れるし、ハスターの魔風は湯気で遮られるし。
科学的アプローチも難しい。メイオウ攻撃はそもそも麺も器も汁も具も何故か表面が削れる程度、おそらく空間圧縮にも似た理論で密度を上昇させているのだろう。
恐るべき密度の麺のコシは歯と歯の間で弾け飛び、麺の縮れ具合はその曲線によって物理攻撃を受け流すだけに留まらず多くの汁を絡め取る絶妙な角度を保っている。
何より理不尽なのはその熱さだ。ハスターの神獣弾を二、三発撃ち込んでからでなければ俺でも舌を火傷してしまうのだから、その熱さたるや並では無い。
相転移砲が僅かにその熱エネルギーを奪う事しか出来ない辺りからも、その存在が如何に科学を舐めているかおわかりになれるだろう。
だが、そういった困難を乗り越えても食べるだけの価値があったのは間違いない。

「美鳥はどこが面白かった?」

「声優じゃない本人ミュージカルかな、あの演技しながら両穴バイブとか胸熱。勝利のポーズがアヘ顔ダブルピースでガン決めってのもマジで歪みねぇよな。あと王子の骨董品店、いい拾いものしちゃったんだよねー」

えへへーと気の抜ける笑い声を出しながら、序盤の冒険の御供である毛抜形太刀を嬉しそうに鞄から引きずりだす美鳥。
某四コマ漫画では剣術少年の手によって木刀の代わりに市営プールに持ち込まれたという曰く付きの刀剣である。

「廃刀令とか大丈夫なのかそれ」

「廃刀令(笑)とか、この状況で何の役に立つのかと」

「むしろ刀でどうにか出来る連中には刀を持ってて貰いたいってのが本音でしょ」

刀でどうにか出来るのって、モヂカラ持ちとかデビルサマナーくらいじゃないか?
帝都を守るミュージカル系の人らは生身だと戦闘力微妙だし。
黄龍の人はもう如月骨董品店で奥さんと仲良く隠居してるっぽいけど、元鬼道衆の人とかが使ったりするのだろうか。
それともやはりあれだ、以外とモヂカラ使いとかデビルサマナーとかが多かったりするのかもしれない。

「卓也ちゃんはどこが面白かった?」

「聖地巡礼かな」

一番の思い出は真神学園の看板の前で記念撮影。控えめに言って最高だった……。
グダグダとか言われてるけど個人的には外法帖も好きだったから、時代の近いこの世界に存在してくれたのは素直に嬉しい。
何、DS移植版? そんなものは無かった。
だいたい開発チームアトラスにぶっこぬかれてる癖に移植しようって方がおかしい。
天香學園の方は所在地が少し分かりにくかったから諦めたが、機会があったらまた訪れたいものだ。
どうせダンジョンアタックだけなら教授の実戦民族学で腐るほどやってきてる訳だし。
大体の邪神眷属って肉体面で糞頑丈だから、威力を加減すれば銃も打ち放題なんだよな。

「続編はポシャったけどなー」

「やめろォ!」

粉バナナ! マーベラスの仕組んだバナナ!
どれだけ待ったと思ってんだよ続編!
ふと思い出して心の寂しさを埋める為にひーちゃんの子孫とか東京中探しちゃったよ!
東京一周した後に辿り着いた骨董屋に居たよ! 忍者と黄龍の器のハーフかよ! 菩薩眼の女じゃないのかよ! いいけど。くのいちの人嫌いじゃないし。セクシーだよね。
落ち着いて考えれば、忍者も黄龍の器も種族じゃないか。

「卓也ちゃん、どうどう」

姉さんに背中を撫でられながら息を整える。
思わず精神の均衡が崩れてしまう所だった。これが機械的な精神制御を俺の魂が上回った結果という事か。
でも、いいんだ。九龍の続編はアトラスからだからまだ希望があるから、そっちに望みを賭けるんだ。
ルイリー先生ルートでも再プレイするかな……。あの人も姉と言えば姉だし。
まぁ俺の姉さんの方がより姉さんだが。
そう、姉さんと言えば、

「そういう姉さんはどこが面白かった?」

「そうそう、あたし達にきいてばっかじゃなくてさ」

「んー……」

俺と美鳥の問いに、姉さんは人差し指を顎に当て、汽車の天井を見上げながら少しだけ考え込む。

「やっぱりこの時代はいろいろ人とか物の流れが面白いし、どこを見ても騒動ばかりで飽きないって言えば飽きないけど、人の往来が多いのは難点よね」

「つまり?」

俺の問いに、姉さんは天井から視線を下ろし、両掌を合わせてはにかみながら答えた。

「まだ着いてないけど、やっぱり何処かに出掛けるよりも家が一番落ち着くかな」

―――――――――――――――――――

○月○日(本日晴天、耕作日和)

『東京観光を終え、毎度の様に送り付けられてきた推薦状を片手に、俺と美鳥は何時も通りミスカトニック大学へと入学を果たした』
『前の周までも完全に入学する日が同じだった訳ではないが、一月以上も遅れて入学したのはこれが初めてだ』
『とはいえ、学力含む能力を見た上での途中編入だった為、前までの周と変わらない学年に入り込む事が出来た』
『ふと思い立ち大十字と同じ学年に入ろうかとも思ったのだが、同郷の出で一つ下の学年、敬語を使って表面上は敬ってくるが肝心な所では慇懃無礼、というキャラは自分でも中々に美味しいポジションだと思うので、現状維持という事にしておいた』
『ループまでの期間が二年間と少しである事を考えれば、ミスカトニックに居る間はこれ以上に美味しいポジションは存在しないと言っていいだろう』
『今更な話だが、毎度毎度同じ学年同じ学習内容では飽きが来てしまうので、この周は少し日常面で変化を取り入れる事にした』
『二十七周前のエンネアとの家族ごっこも面白かったと言えば面白かったのだが、あれは極めてまれなケースなのであてにできない』
『この試みは特に危険な部分も無く、なおかつ元の世界での生活を追体験する事によって、自らの本分を思い出せるいいアイディアだと思う』
『もうそろそろ夜が明ける。ここらで筆を置き、大学に向かう前の一仕事を始める事にしよう』

―――――――――――――――――――

「ほらほらー、きっちりタイムスケジュール守れー、はったらきばちー!」

全高8メートル程の機械大蜘蛛の背に乗った美鳥が、数十ヘクタールはある広大な畑に向け、拡声器で激を飛ばす。
その声に応えた訳では無いだろうが、畑中に散らばっていた無数の人影の速度が目に見えて加速する。
人影は全て裸体を金属で覆った人間で、それぞれ肉体の何処かに無理矢理農機を組み合わせた様な異形と化している、つまりは毎度御馴染下級デモニアックさん達。
融合している農機は全て俺の手作り、というか複製だ。
前に少しだけ奮発して数種類レンタルし、一度取り込んでとりあえず複製を作れるようにしていたのだ。
と言っても、唯の複製では無い。
一度取り込んでどういった理屈でどのような動きをするか、どの様な構造をしているかまで把握している以上、俺の技術レベルに合わせて性能を向上させるのは当たり前の話だろう。
とはいえ、戦闘用のロボや武装を作る訳程単純では無く、いくら技術を注ぎ込んだとしても作業の効率化には限界が来る。
だが、それもまた一興。一つで足りないなら二つで、二つで足りないなら四つで。
一種で足りないなら二種で、二種で足りないなら四種用意する事が出来る。
それは実に喜ばしい。何しろ、思いついても実戦出来なかった幾つかのアイディアを試す絶好の機会に恵まれている訳なのだから。
作品世界のハイテクを農業に応用する!
全裸でベッドに横たわる新技術(ボニータ)! 無視出来るトリッパーなど居る筈も無い。
つまり誰もが思い至るこの誘惑に耐えてきた俺は実に偉いので姉さんに褒められて伸びる権利が与えられているのは言うまでも無い。
勿論、姉さんは別に権利がどうとか考える人では無いが、それでもやはり何の後ろめたさも無く褒められるには、こうしてやる事やって我慢する所は我慢しておくのが一番なのだ。

「そんな何時も心にマイルールを抱えているお兄さんが、未だ寝こけている可能性が高いお姉さんの為に歌います。『熱情の律動』」

美鳥の虚空へ向けての紹介を受け、ビーチパラソルの下の椅子に座ったまま、俺は手にギターを携え、一度だけ大きく深呼吸をし、歌う。

「ヘェーラロロォールノォーノナーァオオォー」

歌う、歌う、我武者羅に歌い続ける。
恐るべき開放感だ。ここがデモベ世界の地元で良かった。これが元の世界であれば、ここまで大きな声で歌ったら何事かと駐在さん辺りが飛んできて、次いで駐在さんからメールを受けた千歳さんがジャージ姿で現れ、最後に朝食の準備を終えた姉さん辺りがゆっくりとやってきて、俺は晒し者同然。
だが、今のここなら違う。
この時代のこの辺りはまだ未開拓も同然、家こそ何故かポツンと建っていたモノの、それを除けば本当に盆地と言うかまるきり山だけ。
俺が鬼械神の新武装でまるっと削って整地しなければ畑とか田圃とかまるで夢物語だったここならば、俺は何の気兼ねも無く大声で歌う事が出来る。
これを聞いてるのはどうせ美鳥と心を持たない最適化された下級デモニアックのみ。
正直、一回だけでもいいからやってみたかった『農地の傍らで熱唱』だが、これが真に愉快愉悦。

「ヒィーィジヤロラルリーロロロー!」

そしてかっこいいギターソロ!
楽器は俺がギター使ってるだけだから歌が無い部分は全部ギターソロになるけど、とりあえずギターソロである事に間違いなんてあるわけ無い。
無心にギターを掻きならす。もはや俺の指とギターは物理法則を超越し、何故か他の楽器の音まで奏で出している。
複数の楽器の音が溢れ出す。しかしどこまで行ってもギターソロ。
そうだ、何の負い目があるだろう。
人は色々と言い訳を探す、
でも、

「おはよう卓也ちゃん、美鳥ちゃん。朝から元気ねぇ」

「おはよう姉さん」

思考と歌と演奏を中断し、姉さんに向き直る。

「────────」

「ああ、シュブさんもおは、よ、う……?」

更に姉さんの隣で曖昧な笑みを浮かべ、朝の挨拶をしてきたシュブさん。
そう、シュブさんだ。
何故貴女はシュブさんなのか。
シュブさんは何故ここに居るのか。

「あ、お姉さんが呼んだんだって。シュブさん居るとなんか豊穣の女神でも訪れたんじゃないかって程豊作になるらしいよ?」

「なるほど、それで」

言われてみれば、ド・マリニーのデジタル時計で加速空間と化した畑、そこで今まさに数か月の時を超えて収穫されているキャベツは昨日種付けから収穫まで行ったキャベツよりも出来が良い気がする。
勿論、完全科学農法かつ農薬の代わりにばら撒いた害虫のみを食い散らかすデモニアック益虫シリーズと、かつて火星の某コロニーに提供した農業用ナノマシンの最新バージョンの恩恵に与っている俺の畑は当然の如く毎度豊作だ。
だが、それにもまして瑞々しく生命力に満ち溢れたあの野菜達の姿はどうだ。
いや、そうじゃない。そうじゃないんだ。
俺は恐る恐る、姉さんの隣でもじもじそわそわしているシュブさんに問いかけた。

「……見てないよね、聞いてないよね」

「────」

ミタヨー、か。
ふふふ、そう来たか。
心配りの出来るシュブさんなら、ここはあえて何も見なかったふり聞かなかったふりをしてくれるものと踏んでいたのだが。
俺が姉魂(シスコン)でなければ惚れていたかもしれない程の美しいはにかみ顔でそこまで残虐な宣言をしてくるとは。
俺がシュブさんに何となく敵対行動が取り難い、取ってはいけない様な感覚を得ているのを理解した上での事だろうか。
これが世界の選択か……。
だが、俺にも策が無い訳では無い。

「一週間ロハでウェイターするから、この事はダゴン無用という事で」

失礼、神ました。もとい噛みました。脳内モノローグすら間違う程テンパっているのがばれていないだろうか。
とりあえず、当方には何時でも全面降伏の準備があるのだ。

「────!」

が、何故か慌てたように両掌を此方に向け首を振るシュブさん。
まさかこの条件で渋られるとは。
だが、俺は常にとは言わないが二手三手先までなら考える事も無いではない男。
シュブさんの足元にしゃがみ込み、片足を恭しく持ち上げ、蹄の様なデザインの靴を脱がし、清潔感のある白い厚手のハイソックスに手を掛ける。

「分かった、そこまで言うなら、俺の超絶舌テクで、シュブさんの脚を舐めよう……!」

因みに俺はこれで姉さんを達して貰い、荒く熱っぽい吐息を洩らす姉さんに、息も絶え絶えにこれは危険な業だとお墨付きを貰ったこともある。
複数本出す触手に比べ、舌は人間で言う脳に近い位置に存在する為、その動きの精度も段違いなのだ。
魔法少女アイにジブリールを掛けた触手エロスで舞台はうどん工場、残り三ページで全ての言語がみさくら化を起こす程の気持ちよさ、とは姉さんの後に語った言葉である。
万が一オリエントな工業にこの舌の動作ルーチンがデータとして持ち込まれたなら、業界で革命が起こる事は間違いない。
本来なら姉さんと美鳥以外にこの絶技を使うのは不本意なのだが、先の出来事を忘れて貰う為ならば仕方があるまい。
それに、なんかシュブさん良い臭いするしな。清潔な山羊みたいな感じの。舐めるにもそこまで抵抗は無い。生肉舐めるのに比べればナンボもましだろう。

「───、──! ───! ───? ───!!!」

今さら『わかった、黙ってるから止めて!(意訳)』などと言われて信じるとでも思っているのだろうか。
さっきは只働きというお得な報酬で断った癖に、急に心変わりするなど怪しいにも程がある。
そして何気に人の姉に助けを求めないでください。何が『ちょっと句刻! いいの? 弟が今まさに変質者に!!!(意訳)』ですか。
こちとら舐めたくて舐めるんじゃないんですよ!
ていうかなんだその俺の頭を押さえつける未知なる腕力は。
ネームレスワン五百対と押し合いしても馬力で勝てる(理論値)俺の首の膂力を、シュブさんのまさしく細腕繁盛記という名にふさわしい手が押さえつけるなんて、物理法則もなにもあったもんじゃないな。

「ええい埒が明かん。美鳥! シュブさんを後ろから押さえつけろ!」

「ていうか、これ、絶対、目的と、手段が、入れ、替わって、る、よね!!」

背中に取りつこうとして、シュブさんの尻尾の様な触手の様な何かにつかまり振り回される美鳥。
これでシュブさんの戦力は半減だ。
俺はこの状態からあとかなりの数変身を残している。このままパワー勝負になれば、勝つる!

「構わん、いざとなればシュブさんの恥ずかしい写真撮影会に移行するまでだ!」

結局の所は俺の秘密をばらされなければいい訳で、いざとなれば全面降伏を翻して革命を起こしても構わない。
そう考えれば、脚を舐め回されただけでビクンビクンして白目に舌出しするシュブさんの写真あたりを押さえてしまうのも手と言えば手だ。
なんとなく、前にシュブ=ニグラスの召喚術式に使ったイヘーの護符があればどうにでもなる気もするけど、そんなあやふやな直感よりも誠意を見せて弱みを握る方が確実に決まっている。

「──────────!」

「ええい、大人しく俺の誠意を喰らいなさい!」

体内で生成した黄金の蜂蜜酒により格段に上昇した透視能力、更に医学、魔術的見地から推測されるシュブさんの脚部の最も敏感な場所は、
ここだ────!

―――――――――――――――――――

×月×日(俺は悪くねぇ! 先生が、先生がやれって!)

『とでも、堂々と書ける神経をしていればよかったのだが』
『ギター弾きながらの熱唱を見られていたからと言って、あの時の俺は少し錯乱し過ぎていた』
『そう自覚する事が出来たのは、シュブさんの爪先から脹脛半ばまでを舐めつくし、シュブさんが抵抗を止めくたりとその場にへたり込み、紅潮した頬に、呆けたように小さく開いたまま熱い吐息を途切れ途切れにし、熱に浮かされた様な潤んだ眼差しを向け始めた頃だった』
『俺が正気に戻りシュブさんの脚を舐める舌を止めると、シュブさんは物欲しそうな表情でもう止めてしまうのかという旨を告げてきた。──もう片方の足を差し出しながら』
『期待を秘めた視線だったと思う』
『俺は今までになく、また、普通に人生を送り続けていては経験する事も無かったろうその状況に戸惑い、思わず今まで何も言わずに見守っていた姉さんに視線を向けた』
『姉さんの取ったジェスチャーは【ごー、あへっど】、事の続行を示すものだった』
『姉さんからのゴーサインが出たからといって、そのまま続行してしまった俺は、やはり完全に正気に戻ってはいなかったのだろう』
『最近、シュブさんの視線が痛い。突き刺さる様な、触れる者皆焼き尽くす程に熱量を持った蕩ける様な流し目』
『だが、その視線に振り返ると慌てたように手を振りながら何でもないと首を振る』
『気不味いのだ。それはもう気不味くて気不味くて、ニグラス亭の唐揚げ定食大盛りも十割しか喉を通らない。ライスおかわり自由なのに勿体ないったらない』
『しかも、他のお客さんに比べて唐揚げが一つ二つ多かったりするのだがら勿体無さは三倍四倍、いや、十二倍』
『こういうイベントは心に決めた姉さんが居る俺に起きてもどうしようもないのだ』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「……というのが、俺がここでバイトを始めた理由な訳ですよ先輩、ご理解頂けましたか? つまり金に困っている訳では無いのです」

対面でジンギスカン定食を食べ終えた大十字は神妙な顔でひとしきり頷いた後、まっすぐな瞳を俺に向けた。

「なるほど、てっきり苦学生かなんかかと思ってたんだが、飯おごるよりも先に良い弁護士を紹介するべきだったんだな」

あの脚ペロ事件以来、微妙に気不味くなってしまったシュブさんとの関係をどうにか修復する為に俺がとった行動。
それは、やはり最初に提案した只働きだった。
友人知人との関係が気まずくなった時、人がとるべき行動は大体二つに分ける事が可能だ。
一つは一旦距離を置き、互いに冷静になる事。
もう一つが、むしろ距離を縮め、互いに相互理解に励む事だ。

危険度の少ない対処法はもちろん前者なのだが、これは同時に時間を掛けて縮める事に成功した相手との距離を大きくするという危険性も孕んでいる。
前者を安全にとる事が出来るのは、学校、職場などで嫌でも顔を合わせる相手のみ。
そうでもなければ、距離の開いた相手とそれ以降接触するのが難しくなり、関係を元に戻すどころか疎遠になる事もあり得る。

その点で言えば、嫌がられる可能性があるにしても繋がりを保ち続ける事の出来る後者の案は、ベストではないがベターな選択と言えるのだ。

まぁ、唯で働かせるのも気が引けるという事で超格安とはいえ給料は出されてしまう事になったのだが、その条件を呑まないとシュブさんが雇ってくれないのだから仕方が無い。
こうしてバイトの時間外に食事をここでとる事で給金はニグラス亭に還元する事でバランスを保とうとしているのだが、やはり関係の修復は遅々として進まない。
そもそも、学生は学業が本分だからって、周に三日しか仕事をさせて貰えないのもいただけない。

「可愛いキラケン、もとい、綺羅星ッ! もとい、可愛い後輩をいきなり犯罪者呼ばわりしないで下さいよ。──シュブさーん! 白玉あんみつチョコ饅頭一つ追加で!」

カウンターの向こうでペット雑誌のトリミング特集ページに釘付けになっているシュブさんに〆のデザートを注文する。
よくよく見れば、ペット雑誌と並んで女性ファッション誌のヘアカタログやらも積まれて、いくつか開かれている。
つまり、こちらの注文も聞こえない程に雑誌に集中しているのだ。
別に厨房で本読むなとは言わないけどさ、食堂のおっちゃんとか客居ない時に本やら新聞やら広げていたりするし。
でも、せめて注文はしっかりと聞いて欲しい。

「シュブさん、シュブ☆さん、シューッブさん♪ 白玉あんみつチョコ饅頭ーおねがいしまーす」

懐から取り出したメガホンでシュブさんに何度か呼びかけ、俺の呼びかけに気付きハッとした表情で雑誌を閉じ慌てて背後に隠し、こくこくと頷きながら了承の旨を伝えてくるシュブさんに満足しつつ、俺は大十字の顔を向け直す。
視線の先には、先ほどとは異なりジト目の大十字。

「なんです? 俺の顔が何か突いてますか」

「それがどういう状況なのかビタイチわかんねぇけど……、ホントに気不味いのか? ていうか何注文してんだよおい」

「気不味いに決まってるじゃないですか、でもデザートともなれば話は変わります。あ、あと金があっても先輩の奢りの時は目いっぱい食べると決めてるんですよ俺」

年上なんて頼ってなんぼの所があるしな。

「そんな訳で、先輩にはこういう場合の対処法とかをご教授願いたい訳ですよ」

俺の言葉に、大十字は困ったように後頭部を掻きながら答えた。

「どういう訳だっつーの。……そりゃ俺だって、同郷のよしみって事でできれば相談に乗ってやりたいけど、そんな状況でアドバイスとか言われてもなぁ」

「先輩は中学高校まで、股間のベイベルカノーネでクラスのマドンナ保健室の先生堅物風紀委員イタズラ生徒会長と、数多くの不沈艦を撃墜してきたと聞きましたが」

「どこ情報だそれ」

「脳内です、俺の」

俺の言葉に、顔の上半分を掌で押さえ、天を仰いで溜息を吐く大十字。
大十字はこんなリアクションをしているが、多分に間違った推測では無いと思うのだ。
大十字が童貞だったという噂は聞かないが、大学入ってからは魔術の修業一辺倒らしいし、女に手を出すなら発情期の中学高校時代だと考えるのは極々自然な話ではないか。
まぁ、そこら辺の細かい女性遍歴もループ毎に微妙に違っているようなのだが。

「まぁ、なんだ。お前が俺をどう見てるかはともかくとして、そんな微妙な状況になった事は一切ないから、まともなアドバイスなんて期待すんなよ?」

顔から手をどけて元の姿勢に戻った大十字は、そう言いながら苦笑した。
何だかんだあって社会不適合者、下衆野郎などの称号を欲しいままにする予定ではあるが、基本的には情に熱く義理堅い男なのだ、この大十字という男は。

「ええ、では、ご指導のほど、よろしくお願いします」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

色々とアドバイスを貰い大十字と別れ、日本に構えた自宅へ帰る為に港へ向けて歩く。
大分話し込んでしまったのか、空には煌々と月が照っていた。
美鳥は姉さんに呼ばれて先に帰ってしまっているが、まぁ移動手段は幾らでもある。
しかし、だ。

「なぁんか、な」

順調過ぎる。
鬼械神を招喚するのに十年掛かった。だが、実際に成果は出た。
最終的にシュリュズベリィ先生とエンネアを取り込んで下駄を履かせているとはいえ、魔術の修業も続けている。まだまだ伸び白は残っている。
勿論、科学面での研鑽だって忘れていない。今手元にある材料だけでもそれなりに応用は効かせられるようにしているつもりだ。

順調なのだ。余りにも順調過ぎる。
順調でない事と言えば、精々シュブさんとの関係がぎこちなくなった事と、農作に応用できる技術の開発程度。
確かに数十のループの中で少なからず伸び悩んだ時期もあった。
だが、それらは何だかんだで根気よく研究や修行を続けたり、アメリカ以外の国の図書館に訪れたりして新たな知識を入れる事で解決してきた。
機神招喚程手こずった事は無かった。どのスランプもせいぜい一、二回のループの中で解決してしまう様なものばかりだった。

改めて考えてみよう。
ここがどこであるか。
俺達をこの世界に招き入れたのは誰か。
俺が一番に危険視していたのは誰か。

姉さんはナイアルラトホテップに釘を刺したが、全ての行動を制限した訳では無い。
本来、ナイアルラトホテップは絡め手を好む。それも、遠大過ぎる程に回りくどい物を。
そこまで考えれば、自ずと答えは見えてくる筈だ。

海へと続く倉庫と倉庫の間の道に足を踏み入れ、ふと、空気が冷たく、重い物に変わった事に気が付いた。
威圧感、だろうか。
恐ろしい程に強大。未だかつて感じた敵のプレッシャーの中では一番と言っても過言では無い、いや、それでも言い足りない程。

「貴公が、鳴無卓也か」

何時の間にか、俺のセンサーにも引っ掛らず、一人の少年が姿を現していた。
華奢、細いというよりも引き締まっているという表現が似合う身体を呪術的な礼服で包みこんだ少年。
男とも女とも付かない中性的な姿。
その顔は頭上より降り注ぐ月光を遮る倉庫の陰に隠され、それでも尚凄絶なまでに美しい(でも姉さんの方が遥かに可愛い)。

事前情報通りの姿。
今まで俺の、あるいは俺達の前に現れなかったのがおかしかったのだ。
だが、だがしかし、なんだろう。
一歩、また一歩と近づいてくる少年から目を逸らさず、俺はその違和感に思いを巡らせる。

「突然だが、貴公のその類稀なる力を、僕の、いや、余の為に振るってはくれまいか」

この空気は、想像して想定していたモノに比べると、温(ぬる)い。

「余は、ブラックロッジの大導師、マスターテリオン」

そして、その黄金の瞳。
宇宙的な暗黒、本能に訴えかける恐怖と言うには、余りにも、

「地球は、狙われている」

その瞳は、邪悪に抗う強い力を秘めていた。

「え、」

「えぇー……?」

思わず喉から零れる、戸惑いの声。
────これが、この無限螺旋のもう一人の主人公との、初めての邂逅だった。






続く
―――――――――――――――――――

日本観光と近代日本史の勉強をして、デモニアック農法を開発した主人公。
いきつけの大衆食堂の店主をぺろぺろして気不味くなって知り合って数か月程の先輩に人間関係の相談。
そして港で臍出し魔術師と出会う。
三行で説明が終わる簡潔な第四十九話をお届けしました。

因みに、例によって例の如く大導師殿はママンが貪られた事を知りません。
それもこれも鳴無句刻って女の仕業なんだ。

最後の主人公の『え、えぇ……?』は、多分こんな表情です。
( ゚д゚)

(つд⊂)ゴシゴシ

(;゚д゚)

(つд⊂)ゴシゴシ
 _,、_
(;゚Д゚)エ、エェ……?

以下、これが無い方が質問とか疑問とかで感想入るんじゃないかなと思う自問自答コーナー(アレハンドロ)

Q、大導師さま、何で丸いの?死ぬの?
A、ループ初期の設定なんて無いも同然だから好き勝手解釈しまくりだわーい。という、捏造。
ニトロコンプリートにループ初期の設定とか乗ってたらごめんね自分ニトロコンプリート買い損ねたからごめんね。

Q、日本勢の中で、一つだけ大きく時代が外れてるのがある気が……。
A、スパークさんからの指令も多分矢文とか。いざとなれば全部ナイアさんの仕業。

Q、大神さんの嫁が!
A、大神さんは帝都と巴里にハーレム形成してから関係無い所でお見合い結婚がジャスティス。一人二人足りなくてもわかんなくね? 多いし。


それにしても、次は早くなるかもとか言いつつ何時も通りでしたね。
シオニースレに入り浸ってたりしたせいなんですが。
シオニーちゃん好き過ぎて作品世界からシオニーちゃんお持ち帰りしちゃったトリッパーとか出してグダグダなショートを一本書いてしまいたくなるほどでした。
いや、間違いなくシオニーちゃんを調子づかせてから机バンやるだけのSSになるので書きませんが。多分。だってシオニーでシオった~スレと全く同じ内容になりかねないので。
書かないと断言できる自信が無いです。まさに魔性の女シオニーちゃん。

そんな訳で、今回もここまで。
誤字脱字に関する指摘、文章の改善案、設定の矛盾、一文ごとの文字数に関するアドバイス、改行のタイミングと数の割合などを初めとするアドバイス全般、そして、長くても短くてもいいので、作品を読んでみての感想、心よりお待ちしております。



[14434] 第五十話「大導師とはじめて物語」
Name: ここち◆92520f4f ID:190f86b3
Date: 2011/06/04 12:39
数秒前までのあらすじ。
大十字にスイーツ奢らせて悠々帰宅しようとしたら、見た目がマスターテリオンなペルデュラボー君(口調は少し大導師っぽい)にスカウトされた。──以上。
そして目の前に本編。

「えぇ、と」

地球は狙われている、っていうか、ごめんなさい、こっち来て十年目位に住人フル改造してから蹴り砕きました。
後、スランプ陥った時とか、気分転換にレーザーで溶かしたりメイオウ攻撃で消滅させたり結界無しの打ちっ放しレムリアインパクトで焼きながら押しつぶしつつ汚染したりドリフ流しながらガウ=ラ入りの月を重力レールガンで落としたりして、何回か滅ぼしました。
やばいな、シュブさんには毎回事前に退避して貰うようにお願いしたし、その後にご機嫌伺いの為に何度か食事とショッピングに誘って色々プレゼントしたり、色々とアフターケアしたけど、地球を破壊した事には変わりない。
で、目の前のは地球が狙われている事に危機感を感じてる、つまり地球が大事という事だ。
どうしよう、これ、ばれたらかなり印象悪いよな……。いいか、黙っておこう。
しかし、どう返答するべきだろうか。

正直言って、今目の前に居る大導師マスターテリオン(自称)が相手ならば、間違いなく『殺せる』のだ。
原作の大導師もデモンベインを殴り飛ばせたが、それは未だ気合いの入っていない未熟な魔術師の乗る不出来な鬼械神だからこそであり、生身で鬼械神と戦闘が可能という訳では無い。
更に言えば、目の前の大導師(?)は今まで見てきたどの魔術師よりも確実に強大な力を有してはいるが、原作の描写を元に想定していた能力と比べれば見る影も無い程に力が足りない。
リベルレギスが召喚される前に速攻で決められればまず間違いなく仕留められる。

だが、実際問題既に活動状態にあるマスターテリオンは無限螺旋の流れとは異なるタイミングで殺害しても意味が無い。
何故ならば彼もまた、特別な存在(邪神の加護という名のオートリロード機能付き)だからです。
これらを踏まえて、俺の取り得る選択肢は……、
①殺害する→ニャルさんが巻き戻して無かった事に。無意味。
②逃亡する→待ち伏せされてたって事はヤサも割れてるんじゃなかろうか。報復活動で畑を荒らされそうだから没。
③協力する→これが一番現実的だが、なんかニャルさんの思うつぼ臭くて気に食わない。

「パス1で」

とりあえず保留で済ませておこう。
一旦家に帰って姉さんに相談したいし。

「貴様、折角のマスターの御誘いに……!」

回答を先延ばしにする俺の返答に、大導師(仮)の背後の倉庫の陰に身を潜めていたナコト写本の精霊(?)が、ガタっと音を立てて飛び出してきた。
うん、飛び出してきた。何か、虚空からページがにじみ出してとかそういうエフェクト一切なし。
ていうか、さっきから倉庫の陰から少しはみ出してた。顔を少し出して此方を観察してた。
表情も雰囲気も凄んでいるし、威圧感もかなりのものなのに、子犬臭がするのは何故だろう。

「良いん……、よい、下がれ、エセルドレーダ」

そして、そんなエセルドレーダ(暫定)を掌で制止する大導師(仮)。
一見カリスマ臭漂わせてる風だけど、今明らかに『よい』って言う前に『良いんだ』って言おうとしたよな。
これは、これは、いったい、ええと、なんだろう。俺は白昼夢でも見ているのだろうか。
ドッキリ、でもないよな。
何時の間にかループが終わって息子世代のミスターキシドーの同級生に転生した方のマスターテリオンと会っているとかでもないし。

「ではな。色好い返事を期待している」

傍らにエセルドレーダ(暫定)を寄り添わせた大導師(仮)はそう言い残し、倉庫街の暗闇へと消えて行った。──徒歩で。
俺はしばし大導師(仮)が消えて行った方角を見つめ続け、ゴクリと唾を呑みこむ。

「ど、どういうことなの……」

俺の呟きに答えを返す者は無く、疑問は夜の倉庫街へと静かに溶け込んでいった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

その後、周囲に此方を探る視線の類が無い事を確認した俺は、夜間飛行を楽しむことも無くワープで自宅へと直帰。
そして、まるで大導師マスターテリオンの様な、それでいて本当にマスターテリオンか怪しい人物について、何か心当たりが無いか姉さんに訊ねた。

「なるほど。でもね卓也ちゃん、別に大導師マスターテリオンだって、最初から原作の様なラスボス臭漂うノリな訳でも無いの」

だが俺の戸惑いとは裏腹に、姉さんの返答は『なぁんだそんな事か』とでも言いそうな程にそっけないもの。
姉さんにとってはありふれた展開なのかも知れないが、それでも俺はこういう事態を体感するのは初めてなのだから、こうものんびりされるとやきもきしてしまう。

「そりゃ知ってるけど、それにしても『アレ』がマスターテリオンだとするには、少しなぁ」

「でも、お兄さんはマスターテリオンについてあんまり知らないじゃん」

姉さんの言葉にも納得いかず腕を組んで首を捻っていると、美鳥が突っ込みを入れてきた。
確かに俺はここまでのループで、ブラックロッジの関係者とは殆ど接触を図っていない。

稀に覇道の船でドクターウエストと顔を合わせる事はあるが、そもそもアレとは中々会話がかみ合わず、辛うじて成立する会話はデモンベインの改造案や、科学的に優れた威力を持つ武装や科学的見地から見て素晴らしい効力を発揮する発明品に関する話のみ。
勿論大導師の人間性やその魔術師としての実力の程が話題に上った事は無い。

死体を取り込んだ『暴君』──エンネアの脳味噌の中に残っていた情報にも、大導師の人柄や能力を正確に示す事の出来る記憶は存在していなかった。
如何に記憶が取り出せるとは言っても、それはその記憶を体感したエンネアの知覚し得る範囲内の情報を知る事が出来るというだけの話だ。
『大導師マスターテリオンも邪神の企みを知っていて、解放されたがっている』というエンネアの記憶も残っているが、それは余りにも単純化された推測でしかなく、大導師がその邪神のたくらみに関してどのような感情を抱いていたのかは考えても居なかったらしい。
……何故か取り込んだ時点で大導師への憎悪の様なものはかなり希薄になっていたようなのだが、それならそれで大導師が何を考えて大導師なんてしてるのかとか、考えないものなのかね。
複雑な関係ではあるのだろうけど、仮にも親子な訳だし。

「知らないなら、これから知っていけばいいってのは、ギャルゲエロゲの主人公のセリフだよな」

大十字を差し置いて俺が言う訳にもいかないし。
ていうか、これから知って行こうと思ったら、それすなわちブラックロッジ入社という事になるのではないか。
やだなぁ、なんか臭そうな感じだし、乱交パーティとかしてるんだぜ? いやらしい。
健全な精神と健全な肉体を兼ね備えた俺からすれば、あまり所属したいとは思えない組織だ。
ていうか大導師からの直接スカウトとか、逆十字に陰険にいびられるフラグだろ、常識的に考えて……。

「うぅん、なんだか卓也ちゃんはイマイチあれが大導師マスターテリオンだって信じられないみたいね」

姉さんは頬に手を当て、眉をハの字にして困ったような表情。

「どうにもね。……あれが大導師だとしても、せめてああいう性格になるまでに何があったか分からないと納得いかないかな」

とはいえ、事はそう単純な話ではない。
ああいう性格になるまでに、大導師はかなりの数のループをこなしているのだ。
しかも俺達の様に二年ループではなく、数十年で一周のループを俺達よりも多い回数こなしている。
あの性格に至るまでの経緯を知ろうと思ったら、もう戻る事の出来ない過去のループの内容を知る必要が出てくるのだ。
ボソンジャンプに金神パワー、ド・マリニーの時計と時間を操る方法はいくつか所持しているが、それでは単純に過去に跳ぶ事しかできない。

いや、正確に言えば跳ぶ先は過去と表現するのが正しいのかも分からないのだ。
例えば十周前の南極大決戦に跳ぼうと思ったら、俺の主観時間では単純に二十年と少し前になるが、外から見た場合南極大決戦は未来の出来事になる。
勘違いしている人も多いと思うが、あくまでもデモンべイン世界のループは大十字と大導師を中心に存在しており、それ以外の存在にとっては極々普通の過ぎ去るだけの時間になる。
常に変化を続ける大導師と大十字。過去のループの大導師に会うのは、通常の時間遡航技術では不可能という事になる。
世界を軸に時間を遡るのでは無く、通常の世界の時間の流れとは異なる時間に生きる大導師の時間に合わせて過去に遡る必要があるのだ。

「つまり、お兄さんは照り夫の歴史を、初めてを見に行きたい、と」

何時の間にか、ずんぐりむっくりとした縫い包みに姿を変えている美鳥。

「待ってましたぁ! 今日のテーマは、『大導師マスターテリオンの初めて』ね、それじゃいくわよー」

「行くって何処に、ていうか美鳥の姿は何?!」

状況に付いていけない俺を無視し、姉さんと美鳥(ヌイグルミ)は肘から先を小さく動かし怪しげな踊りを踊り、口からは未知のエネルギーを含んだ呪言を紡ぎだし始める。

「くるくるバビンチョ」

よくよく見ると美鳥の目から見事にハイライトが消えうせている。

「パペッピポ」

姉さんに肉体の支配権を奪われ、魔法を使う為のデバイスとして使用されているのだろうか。

「ひやひやどきんちょの、モーグ、タン!」

ぐにゃぁ、と今の光景が歪み、眼に見える物が三次元から二次元へとその姿を変貌させていき──

―――――――――――――――――――

──気が付くと、肩に美鳥のヌイグルミ(ヌイグルミの美鳥というのが正確だろうか)を乗せた姉さんと共に、いかにも人気が無く、外からの観光客にも恵まれ無さそうな田舎町のど真ん中に突っ立っていた。
当然、眼に映るものは全て二次元、つまり絵の様な感じに見える。

「姉さんは二次元でもかわいいなぁ」

デモベの原作っぽい絵柄だが、どちらかと言えば飛翔の頃の絵柄なのでさほど見苦しくも無いどころかやっぱり姉さん可愛い。
当然、姉さんに顔が似ている美鳥も可愛いのだが、これはまぁ、いいや。

「流石の適応力ね、卓也ちゃん」

「今まさに雑な扱いをされている気がする……! ……なんか知らんが気持ち良くなってきた」

いかんぞ美鳥、マゾとかサドとかで安易にキャラ付けすると、余計に影が薄くなり扱いも雑になると相場がきまっているのだからして。
とりあえず虐めておけばいい虐めさせておけばいいなんて安易な発想は金やすりで寿命を削り取るがごとし、だ。
それはともかく、

「姉さん、ここは?」

「ループ開始前の19××年のアメリカはアーカムシティね」

「アーカムシティ? ここが?」

あの大都会、世界の中心、アーカムシティ?
この、海岸の使われて無さそうな港と、少し大きめの大学くらいしか見所の無さそうな街が?

「アーカムシティって、本当ならこんな感じなのよ? ああいう大都会に変化したアーカムの方が珍しいんだから」

どや顔もかわいい姉さんの肩の上で、ぬいぐるみと化した美鳥がるるぶマサチューセッツ特集号のページを捲りながら、ふむふむと頷いている。
ていうか、髪型とか衣服とか抜きに考えると、どう見てもピンク色の豚かモグラの出来損ないにしか見えないなこれ。百歩譲って桃色の獏か?
あの顔面のふくらみは鼻なのか口なのか。それすら判別できない奇妙奇天烈な肉体構造。
ヌイグルミに肉体の構造も糞も無いだろうけど。

「文献にもこれと言って見どころが書かれて無いね。産業みたいなのも無いみたいだし、本当に大学がある街でしかないっていうか……、お兄さん、なんであたしの鼻を揉んでるの?」

説明を続ける美鳥の鼻っぽい部分を揉んでいると、美鳥が鼻声で疑問符を頭の上に浮かべた。
やはり鼻だったか、鼻が六割、上唇が一割、口と鼻が一体化した器官が三割程度の確率だと思ったのだが、読みが当たったな。

「嫌だったか?」

「せめてもっと情感を込めてねぶる様に揉みしだいて貰えるかな」

はかはかと息を荒げ出した美鳥のぬいぐるみから手を放し、再び姉さんに向き直る。

「ここがアーカムってことはわかったけど、ここと大導師に何の関係が?」

「そうね、まずはあそこ」

姉さんが指差した先には、ミスカトニック大学の正門前の広場が存在していた。
よくよく見ればミスカトニック大学の時計塔も、なんら魔術的ギミックが仕込まれていない極々平凡な時計塔になっているのだが、問題はそこでは無い。

「なんか集まりがあるみたいだね」

広場には十数人程の集団、いや、見物人まで集めれば倍の数十人ほどだろうか。
演説台替わりの木箱の上に立ち、金髪の美少年が何やら演説を行っている。
内容は……、巧妙に暗号化されありふれた学生活動の様に聞こえるが、魔術に対する啓蒙活動とでも言えばいいのだろうか。
魔術の実践的な修行や研究をもっと積極的に行っていくべきであり、今の大学側のやり方では直ぐに限界が来る、的な事を身ぶり手ぶりも加えて熱弁している。

因みに、この暗号化を解けない人間が聞けば、彼は延々情熱的に長葱に宿る霊的脅威に関して演説を行っているように聞こえるだろう。
群衆の外側に陣取っている人々や、聞き流しながら通り過ぎる人達は皆一様に苦笑いを堪えている。
きっと、『こいつどんだけネギに付いて語るつもりだよ』みたいな感じなのだろう。

「なんか、こういう光景は逆に新鮮だね。俺が通っている時点だと魔術の積極的な実践研究とか、あそこまでおおっぴらに主張できないし」

そういう主張するのはブラックロッジの信徒と相場が決まっているし、下手に大学で言おうものなら疑いの目を向けられかねない。
元の世界では高校どまりで大学にはいかなかったけど、現実の大学でもああいう学生の演説みたいなのは余り行われていないらしい。
まぁそこは日本人の気質的な部分もあるのだろうけど、ああいう、いかにも学ぶ事を目的に大学に来ました的な若者の迸るパッションっていうのだろうか、憧れる物がある。

「そうね、ここまでなら、その感想で済むんだけど、ね」

クスリと笑いながら、姉さんは演説を続ける少年と周囲の群衆に好奇の視線を向けている。

「何が始まるんだい、お姉さん?」

なんかこのヌイグルミ美鳥、声の抑揚が激しいんだよなぁ。
わざとらしいって言うか、大げさというか。二頭身前後しか無いのにやたらぐにぐに動くし。

そんな事を考えている内に、金髪の少年の演説がそろそろクライマックスに入ろうとしている。
金髪の少年も自分の言葉と理論に大分酔っているようで、熱に浮かされた様な表情で演説を〆に掛かっている。

「魔術のあるべき姿、魔術の真理は唯机に座して理論を組み立てるだけでは到底辿り着く事はできない!」

良い事言うなぁ。

「魔術の真実とは法の言葉、そして、法の言葉とはすなわち意思そのもの!」

法の言葉とは意思である、か。
魔術は意思を持って法則を書き換える術な訳だから、これもある意味では一番魔術をシンプルに表す言葉になるか。
でも、結局その言葉だけなら座学で教われちゃうんだよな。教える側はそれなりに実践を積み重ねた魔術師な訳だし。
ああでも、ここが極々初期の、まだ覇道鋼造によって手を加えられていないアーカムのミスカトニックだと考えると、そこまで優秀な魔術師は所属していないのか?
シュリュズベリィ先生とアーミティッジ博士は元からここに所属していたにしても、それ以外の陰秘学科教授は外からスカウトされてきたのが大半だし。
陰秘学科の人数にも寄るけど、そういう教えを聞いた事の無い学生もいるのだろうか。

「法の言葉は意思(テレマ)なり!」

「法の言葉は意思(テレマ)なり!」

「法の言葉は意思(テレマ)なり!」

なんか暗号を解読出来てた連中は揃いも揃って金髪の青年の迫力に当てられて熱狂してるし、本当に教育は行き届いていないのかもなぁ。
大体、意味を理解するのはともかくとして言い方が悪い。
その騒ぎ方じゃ、どこぞの魔術結社まんまだっつうの。
せめて周囲の意味が解ってない連中とかに気付かれない程度に騒げよ、ドン引きしてるだろうが。

「……あれ?」

ていうか、中心に居る金髪の少年、どっかで見たことがある気がする。
具体的に言うと、機神飛翔のクリア後の特典CGみたいなので。

「えー、この信仰に基づいて正しい秩序について考えを深めたい、という方は、ぜひ放課後のサークル活動にご参加くださーい!」

やはりさっきの少年の言葉が〆だったようで、青年を取り巻く側では無く、青年の傍に立っていたどことなく高貴な風貌の白衣を着たアラブ系の少年が、木で作られた簡素な看板を担ぎ、見物客にチラシを配布している。
白塗りの木の看板にポップな字体でカラフルに描かれた文字。

『魔術研究サークル【ブラックロッジ】、ただいま部員募集中!!』

「ば……」

ばんなそかな。

―――――――――――――――――――

魔術研究サークルとか、きっぱりと魔術って言っちゃってるし。
葱の霊的脅威とか、カモフラの意味がまるで無い!

「ふふふ、これこそが、第一周目、まだ無限螺旋が始まる前のブラックロッジと、大導師マスターテリオンの最初の姿、という訳よ」

驚いた? ねえねえ驚いた?
そんな悪戯っぽい表情も素敵な姉さんに、しかし俺は未だに混乱から脱する事が出来ない。

「ばんなそかな!」

もっとこう、黒の王っていう位だから、生まれた時から俺最強、人類マジ皆殺し五秒前メーンみたいな感じじゃ無いのか?
こう、長生きし過ぎて擦り切れる前の大導師って、超ノリノリな悪の帝王的な感じを想像していたのだけど。
え、何あの好青年。如何にも優等生ですみたいな雰囲気なのに、しかしそれでいて嫌味なところが無く同じサークルの連中からは気軽に友人関係を築かれてるし。
ていうか、魔術一辺倒の少し嫌味孤高入りかかった大十字(今の所二十周に一回くらいそんな感じのが出てくる。魔術戦闘でぼこると治る)の初期状態よりよっぽど大学に馴染んでるじゃないか。
え、白の王ホントにそれでいいの? 初期状態でダークサイドのトップにライトサイドのステータスで劣るとかヤバくね?

「人に歴史あり、ってやつよねぇ……」

あと、今気付いたけどこれ姉さん扮するお姉さんと美鳥扮するヌイグルミ、役割が逆じゃね?
いまいち美鳥がヌイグルミになった意図が分からない……。

「ここからは少し何も無い平和な時間だから、ターニングポイントまで早送りするね」

そう姉さんが言うと、背景がまるでVHSの早送りの如くノイズ混じりに加速し、瞬く間に太陽と月が数百回入れ替わり──

―――――――――――――――――――

数秒も経たない内に、俺達はアーカムシティの外れ、今では使われていない廃港の倉庫街の屋根の上に立っていた。
一見人気が無いように見えるが、闇に紛れる様に黒い衣装に身を包んだ集団が、倉庫街のあちこちを徘徊している。
何かを探す様に徘徊する集団は、皆一様に手に武器や魔導書を持ち、衣装や肉体の一部などに旧神の印(エルダーサイン)を刻んでいる。

「あれって、もしかしなくても八月党の連中だよね」

ヌイグルミの美鳥が姉さんに訊ねる。だからビジュアル的にそこは逆だろうと。

「こんなしなびた村でもああいう連中は居るもんなんだね。狙いは陰秘学科の学生かな?」

確か、旧神以外を頼りに発動する魔術を使用する連中は全員邪神信奉者だから浄化してよし、みたいな教義だった筈だし、未熟な陰秘学科の学生とかいいカモなんだろう。
実際、元の時代みたいにアーカムシティに霊的、魔術的結界が張られていなければ、ブラックロッジの様な大手悪の魔術結社が暴れていなければ、彼等のアーカムでの活動もより活発な物になっていた筈だ。
まぁ、あの時代ではまだ旧神の名を借りた邪神の加護も無かったから、そこまで力が無いってのも原因なのかもしれないが。
彼等が力を振るえるのは、彼等が旧神と信じている邪神の加護があってこそであり、その加護は邪神の都合のよい、信徒たちを何かしらの企みの為に動かそうという時だけなのだ。
アーカムシティの外に居る八月党が、シュリュズベリィ先生自ら動かなければならない程に力を得ているのも、無限螺旋にシュリュズベリィ先生を関わらせる事に旨味を感じられなくなった邪神の企みが原因であるらしい。

で、話は今眼下で何者かを追い立てている八月党へと戻る。
普段の彼等の装備というのは、前述の理由によって魔術的に見て余り力を得る事の出来ないハリボテ同然の物だ。
が、今の彼等の武装、もしくは身体能力は、正に超人の域に達していると言っていい。
多分、今ここに集まっている連中全員で連携を組めば逆十字一人くらいなら相手取れるのではないか、という程度には全能力を底上げされている。
アレだけの能力を持ってして邪神が彼等に追い立てさせている獲物とは、一体何処の何者なのか。

「じゃ、ちょっと事情を聞いてみよっか。すいませーん、ちょっといいですかー?」

俺の思考をナチュラルに読み取った姉さんが、屋根から飛び降りて忙しそうに駆けまわる八月党の党員に話しかける。
姉さんだけを行かせるのも忍びないので、俺と美鳥も同じく飛び降り、姉さんの隣に立つ。
大きな声で呼びかけられたにも関わらず、周りの八月党員は気付く気配も無く、呼びかけられた党員だけが姉さんと俺達に振り返った。

「なんだ貴様ら、貴様らも汚らわしい邪神の信徒か!」

やはりいきなり屋根の上から飛び降りてくるというのは不審者に見られても仕方の無い搭乗の仕方なのだろう。
魔導書に魔力を迸らせ手にした歪な造形のナイフを突き付ける党員に、誤解を解く為にも俺と美鳥は努めて冷静に答える。

「とんでもない、家は先祖代々葬式の時と除夜の鐘の時と盆はブッディストだよ。クリスマスはキリスト教で、元旦は神道系になるが。あと姉弟姦推奨の宗教とかあれば籍だけ置いてやらないでもない」

「あたしはヌーディスト寄りのブッディストかな。それ以外はお兄さんと大体同じ感じで。ついでに近親在りのゾロアスター教も割と好みかも」

俺と美鳥の真っ当な返答に、何故か八月党の党員は警戒心を強めたのか、魔導書と肉体に施された術式に更に魔力を走らせ、臨戦態勢に移ろうとしている。
そんな党員の人を制するかの様に、最後に自己紹介を取っておいた姉さんが懐から何か、手帳の様なものを開いて突きつけた。

「時空警察所属の鳴無句刻よ。少し事情を窺ってもいいかしら」

姉さん、それはいきなり番組が違う……!
だが、姉さんの差し出した手帳をまじまじと見つめた党員は武器を納め、疲れた様な緊張が解けた様な表情で溜息を吐いた。

「時空警察の方でしたか。驚かさないでください」

納得しちゃうのか、手帳凄いですね。
少しだけ振り向いてそれほどでも無いと手をひらひら振り、姉さんは再び党員へと向き直る。

「貴方達八月党は、ここで一体何の捕り物をしているのかしら」

姉さんの質問に、党員は少しだけ躊躇した後、何か忌々しい、汚らしいものでも吐き出すかの様な表情で情報を口にした。

「魔導書ですよ、魔導書。なんでも、ミスカトニックに収蔵されていた力ある魔導書が何者かの手によって持ち出されて、その盗人を殺して魔導書が自力で逃げ回っているとかで」

「魔導書っていうのは?」

「世界最古の魔導書、『ナコト写本』だって話ですよ。私はみちゃいませんがね」

もう行っていいか? と続ける党員に軽く礼を言い、姉さんは俺と美鳥に振り返った。

「仄長いおっさんとか、ナレーションの人がいればもっと簡単なんだけど、ここはお姉ちゃんが担当するね」

―――――――――――――――――――

後の魔術結社ブラックロッジの大導師マスターテリオン──今はミスカトニック大学の一サークルの部長『■■■■■■■』。
元々は何処かの孤児院に預けられていた孤児の一人で、孤児院の院長の厚意で高校まで上げさせて貰えたけど、大学には行かずに就職して孤児院に恩返しをするつもりだったみたい。

しかし、高校卒業を迎えたある日、彼に一つの転機が訪れる。
アメリカのマサチューセッツにある田舎町、そこにぽつんと存在するあまり有名とは言えない大学から招待状が届いたの。
内容は──『とある条件を呑めば、学費、生活費免除で入学が可能で、成績次第では報酬も出る』
これ以上無く怪しい内容だけど、彼はその招待に思わず乗ってしまう。
何故って、手紙の端々に、彼の好奇心を強く揺さぶる内容が散りばめられていたのよ。
勿体ぶる必要も無いから、言っちゃっても良いわよね。
そう、そこには魔術に関わる者でなければ知り得ない様な暗号が多く記されていたの。

何で彼が魔術の知識を持っていたかって?
この世界じゃ、真贋を問わなければ魔術の存在に触れる事はそう難しい事じゃないわ。
で、彼の居た孤児院の院長は、一時期魔術に手を染めようとしていたの。

うん、そう、実際に染めていた訳じゃないわ。
彼は手に入れた内容に欠けのある質の悪い魔導書を繋ぎ合せて、魔術の深淵への第一歩を垣間見て、即座に研究を諦めた。
僅かながらも魔術に手を出そうとして、正気を失わずに戻る事が出来た。
それなりに才もあったんだろうけど、それよりなにより、賢明な人だったんでしょうね。

でも、完全にその道を閉ざす事は出来なかった。
本当にのっぴきならなくなった時に、何かしらの力になるかもと思って、集めた魔導書は破棄せずに、孤児院の倉庫の奥深くに仕舞うだけに留めた。
まぁ、魔術に手を出そうなんて考える人間だもの、どうしてもそういう駄目な所はあるものよ。

当然というか、運命というか、彼は院長の隠した多くの魔導書に目を通す事になる。
その魔導書を読むに至って、学校の同級生のナイ・アルラ(アラブとかエジプトとかからの留学生なんだって)とか、色々と肌が黒かったり無意味に胸が大きい美人とかに誘導されているんだけど、これは後の彼の人生からすれば必須イベントの様なものだから気にしないでいいわ。

……言わなくても分かると思うけど、彼は自分でも驚くほどの速度で魔術に関する知識を深めていくわ。
スポンジが水を吸うように、なんて例えじゃ足りない。
彼は、魔導書に記されていた間違いだらけの記述の中から僅かに存在する真に迫った記述の断片を見つけ出し、それを足がかりに魔導書に記されていない知識まで手に入れた。
そうね、断片の情報がきっかけで、ド忘れしていた記憶を取り戻す様な、とでも言えばいいのかしら。
『様な』じゃなくて、そのものだって事は分かると思うけど。

当然彼は自分の異常にも気が付いたわ。
でも、それ以上に喜びがあった。自分が今まで知らなかった世界の法則、真理が、魔術という物を知れば知る程に解き明かされていく。
でも、院長が隠していた魔導書は数はそれなりにあったけど悪書にも分類できない様な、真に迫った記述の断片すら無い物も多かったし、孤児院自体それほど余裕があった訳じゃないから、新しく魔導書を探す事も出来ずにいた。
当然よね、高校出たら即座に就職して孤児院にお金を入れようって考えてるのに、自分の知的好奇心だけを理由に散財なんてできる訳が無いもの。

──え? いやいや違うのよ責めてる訳じゃなくて、だって卓也ちゃんバイト代の半分はお家に入れてくれてたじゃない。
大体、家はトリップ先から持ってきたお宝を捌けば十分にやっていけたんだし。
お金にまぁまぁ余裕があったのは高校時代にもう知ってたでしょ?
もう……卓也ちゃんはそういう所を気にし過ぎ! 余所は余所、家は家なんだから。
お姉ちゃんは、卓也ちゃんに灰色の青春を送って欲しいなんて思った事は一度も無いんだからね?

えふんっ。ともかく、魔術の研究に手詰まり気味だった彼にとって、ミスカトニックからの招待状、推薦状かな? は、これ以上無い渡りに船だった訳。
成績優秀、容姿端麗、しかも孤児院での生活が活きているからか素行も悪くない超優等生。

え、誰かよりもよっぽど善性が強そう? 人類側の方が向いていそう?
ところが、そうでもないのよね、これが。
善性が強いっていうのは、聖人君子のように清らかであるだけじゃダメなものなの。

心身ともに清廉潔白、優等生の見本みたいなスペックの上に、魔術に対する適性も異様に高い彼は、入学してから一年を待つことなく秘密図書館への入室、そして、魔導書の所持を許された。
でも、彼は秘密図書館で魔導書を読み漁る事はあっても、特定の魔導書をパートナーに選ぶ事は無かったわ。
かのネクロノミコンのラテン語版ですら、彼の求めるレベルではなかった。
フィーリングが違う、と言えばいいのかしら。どこかで聞いた事のある様な理由よね。

秘密図書館の魔導書を読み尽くしても尽き無い知識への欲求、邪神眷属への小規模な実戦はあっても、危険な魔術の実践は許されない大学のカリキュラム。
如何に主席を維持しようとも、研究が大いに評価されようとも、元居た孤児院に仕送りが出来たとしても、

あらゆる事が順調に進んでいたからこそ、彼は鬱屈とした思いを溜めこんでいく事になる。
鬱屈とした思いを発散する為に始めた、位階の高い魔術師でもある教授陣の耳と目を避けながらの魔術研究サークル活動と実践第一主義という魔術への思想の啓蒙も、彼の心を満たすには足りなかった。

この日も、彼はサークル活動で僅かにその心を癒し、少し遠回りをして散歩をしながら家路に着こうとしていた──

―――――――――――――――――――

マサチューセッツ州、アーカム。
海岸沿いの旧倉庫街にて、彼は周囲の暗闇から聞こえる人の出すざわめきを感じ取り、一人ごちる。

「やけに騒がしいな」

彼にとってこの海岸沿いの旧倉庫街は、一人で物思いに耽る時、空の星を観測したい時、無性に月を見たくなった時と、頻繁に足を運ぶお気に入りの場所だった。
漁師達が個人で船を出す以外は利用者の居ない港とそこに続く倉庫街は、一部の時間を除いて波の音と静寂のみが居座り、人の生み出すあらゆる音と縁が無い。

同時に、彼は異変が周囲の人気の多さだけでは無い事に気が付いた。
闇の匂い。魔術に関わる存在の放つ特有の匂いが、立ち並ぶ廃倉庫の一つから微かに漂ってくる。
彼は熟練の魔術師よりもそういった存在に対して鼻が利くので、自分の実力で対処不能なレベルの存在相手であれば、一目散に逃げ出す様にしていた。
廃倉庫から漂う闇の匂いは、普段の彼であれば間違いなく逃げ出す程の濃度のそれだ。
だが、

(何故だろう……)

彼はその匂い、気配に、今まで感じた事の無い懐かしさを覚えていた。
何処か胸を突く、濃厚な花の蜜にも似た瘴気。
意味を持たされた魔力の糸、精神操作の魔術。
彼はその魔術の効能を理解し、無意識の内にディスペルし、しかしその魔術の求めるまま廃倉庫の中に足を踏み入れる。

「そう、こっちにいらっしゃい……」

廃倉庫に踏み込んだ彼が耳にしたのは年若い、いや、幼い少女の、男を誘う様な妖艶な響きを持つ声だった。
その声に誘われるように、彼は一歩一歩、ゆっくりと廃倉庫の奥、声の主の元へと歩み寄る。
廃倉庫の中の暗さにようやく目が慣れ、声の主の姿が目に映る。

其処に居たのは、黒い、夜闇よりも尚黒い少女だった。
墨を流したような黒の長髪に、黒のゴシックドレス。
肌の白さは彼女の持つ黒のイメージを強調する為のアクセントにしかならず、彼女の放つ魔力もまた、闇の色に染まっている。
黒い少女の美貌に浮かぶのは優越、ではない。
その声の調子とは裏腹に、彼女の表情には酷い焦りの色が浮かんでいた。

「君は……」

彼は恐る恐る、憔悴した表情の黒い少女に向けて声を掛けた。
自らの精神操作が通じていない事に少女が表情に驚きの色を見せると同時、廃倉庫の入り口に大量の人影が押し寄せる。
八月党の超人達だ。

「見つけたぞ」

「諦めろ、もはや逃げ道は無い」

「邪神の知識を記した忌むべき書! 魔導書『ナコト写本』!」

「貴様の命運は今日この日、我ら旧神の加護を受けし戦士達の手によって潰えるのだ!」

廃倉庫の中に殺到し、自らの言葉に酔いしれている八月党の党員達。
だが、そんな超人達には目もくれず、彼と黒い少女は互いを見つめあう。

少女は思う。
この少年は何者なのか。
この状況を脱する為だけに、運良く近くを通りかかっていた魔術の素養のありそうな人間を連れてきた筈なのに。
自分の魔術が利かない。精神操作を受け付けない。
魔導書すら持っていないただの人間に、術者が居ないとはいえ、術をディスペルされた。
この少年は、危険だ。
今周囲を取り囲んでいる連中など比べ物にならない程に。
いや、違う。そうでは無い。
私は、もっと違う事を考えている。

彼は思う。
この少女は、魔導書らしい。
この状況で怪しげな集団に囲まれて、それを打破する為だけに自分を誘い込んだだけの、邪悪な存在の筈なのに。
自発的に魔術を使った。精神を操る魔術を躊躇い無く行使した。
術者を持たない魔導書の精霊が、自発的に無関係の人間を、危険な状況に招き入れようとした。
この精霊は、危険だ。
今自分と少女を取り囲んでいる人達と比べても、遥かに。
いや、違う。そうじゃない。
僕は、もっと違う事を考えている。

「貴様、どこから紛れ込んだ!」

「いや、さてはその魔導書に誑かされたか」

「邪神の使途の誘いに乗ったからには、貴様も罰せられるべき大罪人。ここで滅してくれよう!」

手に手に構えた攻撃的アーティファクトに、致死性の魔術を流し込み始めた超人達。
だが、彼と黒い少女はそれらの状況が一切知覚できていない様に見詰め合い、ゆっくりと歩み寄り、距離を縮める。

「貴方は、魔術師、で、いいのかしら」

自分より大分背の高い彼を見上げる少女。
半ば以上分かり切った、しかし格信の持てない言葉を口にしながら少女は思う。
これも自分が言いたいことではない。
いや、自分がしたいのは、こんなもどかしい言葉の交換では無い。

「君は、魔導書かな。いや──」

自分より大分背の低い少女の見上げる視線を、まっすぐに受け止める彼。
口にするまでも無い事だ。
そして、今は言の葉を積み重ねるよりも、余程分かり易く行動で示せる。
彼は、自分を見上げる少女を抱き寄せ、奪い取る様に唇を重ねた。

驚愕に見開かれ、次の瞬間には受け入れる様に瞳を蕩けさせる少女。
彼の金の瞳と少女の黒い瞳が見詰め合い、彼と唇と少女の唇が重なり、二人は自然界には有り得ない眩いばかりの黒い光に包まれる。
月明かりの届かない廃倉庫の中を尚黒く染める閃光が晴れ、彼と少女はようやく唇を離す。
二人の姿は何一つ変わっていない。
だが、二人の関係は決定的に変化し、ある種の完成を迎えていた。
彼は、陶酔の混じった瞳で自らを見つめる少女に向け、囁き掛ける。

「君は、『僕の』魔導書だね」

愛おしむ様な、しかし、絶対的に相手を慮る心の欠けた睦言。
その言葉を受け取る少女も、彼の自らへ持つ感情を、酷くあっさりと、肯定的に受け入れていた。

「イエス、マスター。この身は常に、貴方と共に」

魔力の奔流により抜けた天井より、月光が降り注ぐ。
月明かりが、絶対的な主従関係を結んだ彼と少女を、周りに転がる、魔術の稲妻によって焼き殺された超人達の死体を、優しく照らしていた──。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

ううむ、これは、なんとも。
とりあえず、まずはこれだけでも言っておかなければ。

「この物語には原作に登場しないエピソード、設定、独自解釈などが多量に含まれております」

俺の言葉に、ヌイグルミ美鳥が天を見上げ空を指差しながら憤慨する。

「そういう事は前書きに書いておけよ馬鹿!」

千歳さんに言いたいんだろうけど、千歳さんはもうこの世界に関しては匙を投げたあとだからな?
大体、もうこの世界の中に入ってる訳だからクレーム付けても意味無い訳だし。

「言いたい事は分かるけど、何でもかんでも事前にネタばれして貰えるって根性じゃ生きていけないわよ?」

「やだー! 事前にオチ読んで安心できないのやだやだー!!」

じたばたと暴れるヌイグルミ美鳥は姉さんに頭頂部を掴まれて肩の上に置き直される。

「そりゃ、表紙の絵からオサレ系バトルファンタジーかなーとか想像して購入したラノベが超鬱展開ありありだったりするのも、大人の階段を駆け上るには大事なファクターだけどさぁ」

だからって全年齢向けのラノベで『どうだ、好いた男の前で女になった気分は!』とかやられても超困る。
いや、そうではなくて。

「なんか、途中まで原作主人公よりよっぽどヒーロー&ヒロインっぽいと思ったら、契約直前から大導師殿いきなり悪落ちしてるんだけど」

八月党員とか、契約時のどさくさで放たれたアブラハダブラで瞬殺されてるし。
少し前まで過激思想に染まりつつも殺人とか一切した事の無い善良な一般魔術師見習いだったのに。
……これ見て思うけど、禁書の二次創作に出てくるツンデレヒロインって、こういう攻撃を初対面の殺す気も無い相手にぶつけたりするんだよな。
半ば殺す気で掛かってくるネギま二次創作の某狂犬(種族的にはひこうタイプだが)と比べて、どっちを優先的に通報するべきか悩む人間性である。
ま、実際に出会っても脅威レベルは限りなく低いから、別段気にする必要も無いのだが。

「流石に未来のマスターテリオンなだけあって頭の回転も速いし、思い切りいもいいから、周りからは行動が短絡して見えるのよね。今、マスターテリオンはナコト写本に対して『僕の魔導書』って言ったでしょ?」

姉さんの言葉に少しだけ思考を巡らせ、納得する。
ナコト写本といえば、ミスカトニック大学秘密図書館に収蔵されている魔導書の中でも禁忌の品の一つ。
魔術師と魔導書の契約に対してきつい縛りを持たないミスカトニックといえど、首席とはいえ一学生にそんな危険な魔導書を与える筈が無い。
つまり、このままナコト写本との契約を続けようと思ったなら、ミスカトニック大学から離反するしか道は存在しないのだ。
と、そこまで考えて、昔調べたナコト写本に関しての情報を思い出す。

「あれ、でもミスカトニック大学のナコト写本って不完全版じゃなかったっけ?」

ていうか、少なくともミスカトニックにあるナコト写本は不完全な内容の英語版だ。
取りこんで熟読して実践を繰り返した俺が言うんだから間違いない。
まったく、世の中には古本屋の百円投げ売りコーナーで力ある魔導書を手に入れる様な魔術師も居るというのに、どうしてこう主要な図書館には碌な魔導書が存在しないのか。
俺だってアーカムの中の古本屋は全て廻ったし、一冊ぐらいセラエノ断章と同じ程度の位貴重な記述のある魔導書を見つけてもいいだろうに。
日本にも良いのはあったけど、他作品だから何時記述の意味が通じなくなるか分からないのがなぁ。
それ以外の国になると、知らない魔術師が浚ってったか覇道財閥が掻き集めたりしてスカスカだし。

「そこはそれ、裏で手を回している奴がいるから」

姉さんがパチリと指を鳴らすと、月明かりの下で堂々と廃倉庫の間を歩くマスターテリオンの基とナコト写本の精霊という場面が消え、アーカムの大学近くの路地裏に場面が切り替わった。
月明かりが届かない訳ではないが、空き家が多い為か路地裏は全体的に薄暗い印象を与えてくる。

そんな路地裏のど真ん中で、白衣を着た黒人の青年が胸から血を流して倒れている。
前の前のシーン、マスターテリオンの基が大学の広場で演説を行っていた際に、サークルの看板を掲げていた青年だ。
地面に広がる血の量を見るまでも無く、この倒れている青年からは生命反応が感じられない。
死んでいる。と、普通ならそう判断するのだろう。
だが、微かにこの青年から放たれる闇の気配には記憶がある。
俺は倒れている青年の肩に手を置き、揺さぶりながら声を掛ける。

「お客さん、白と黒の王が一周目でいきなりトラペゾ召喚しましたよ」

「マジで!?」

死体に擬態してる場合じゃねぇとばかりに飛び起きる青年。
その顔は最早人間の形をなしておらず、底の知れない闇とそこに浮かび上がる燦然と炎え滾る三つの瞳。
口の様な亀裂を顔面が上下に分断される程嬉しそうに歪めたその表情が、辺りを見回し次第に口元の亀裂をへの字に歪め、炎え滾っていた三つの瞳は泣く寸前の様に揺らめき始める。
遂にはその場に再び寝転がり、三つの瞳から混沌汁を垂れ流しながら地面にのの字を書き始めてしまう。

「なんだ嘘か……」

「一瞬だけでも信じる方がどうかしてるよ」

まぁつまり、この黒人の青年に擬態したニャルさんが今回の件の黒幕なのだろう。

「これが世に言う困った時のニャル任せというやつね。図書館からナコト写本の英語版を持ち出したのもこいつなら、英語版を何処からか持って来た原本と摩り替えたのもこいつ、も一つおまけに、鬱屈としていた彼にサークルの立ち上げを提案したのもこいつよ」

「マジで全部こいつの仕込みかい」

俺達の会話に反応して、少しばかり元気を取り戻した青年が立ち上がり、顔面を黒人の青年の顔に戻しながら、投げやりな態度で口を挟んだ。

「後々殆ど自動化する予定だからこそ、スタート前には多くの仕込みが必要になってくるものなのさ。ま、僕が何をしなくても彼は何処かでマスターテリオンになっていたと思うけど」

肩を竦めるニャルさん。
見た目は完全に黒人の青年なのに、声だけ折笠とか止めて貰えるかな。
そしてところどころ若本が混じるとか止めて貰えるかな。

ここで、そんなニャルさんの声の混沌具合など気にしないヌイグルミ美鳥が、手を上げて抑揚の激しい声で疑問を投げかけた。

「はい質問、確か大導師マスターテリオンって、ヨーグルトソースとネロの間に生まれる邪神ハーフだと思うんだけど、なんでごく普通に日本の孤児院に預けられてたの?」

「ヨグ=ソトースな」

子宮にヨーグルト突っ込んで女が孕むとか、クトゥルフ神話とは全く別ベクトルのミステリーだろうが。
美鳥の問いに、ニャルさんは顎に手を当てて身体を傾げ、唸る。

「うぅん、君達相手なら思う存分ネタばらしが出来るんだけど、今の僕って回想シーンだろう? 明日の朝には死体で発見されて彼の悪落ちの一助になる予定だから、ここを離れられないんだよね」

そう言いつつ、ニャルさんはちらりと姉さんの方を流し見る。
そして、俺はそんなニャルさんの首をハスターの風で切断し、ポンと空に跳んだ頭を魔銃クトゥグアでぶち抜き焼却する。
首の無くなったニャルさんの死体が今度こそ動かなくなり、路地裏に再び倒れ伏す。
両性具有の混沌風情が姉さんに流し眼とか、虫唾が走って思わず攻撃的行動を取らざるを得ない。
だが、クトゥグアを使ったのは少し早まったことをしただろうか。
クトゥグアの砲弾はニャルさんの頭部を燃やしつくしただけでは飽き足らず、貫通して周囲の民家も燃やし始めてしまった。
でもまぁ、回想シーンだし、いっか。

「じゃ、後々そのくだりも軽く説明するから、そろそろ次の場面ね。美鳥ちゃん!」

姉さんの手がヌイグルミ美鳥の尾てい骨の辺りに捻じ込まれ、一瞬だけ美鳥がびくりと跳ねたかと思うと、次の瞬間、美鳥の身体に姉さんから膨大なエネルギーが供給される。
白目を剥いた美鳥が、姉さんの手に操られるように前を指差す様なジェスチャーをし、叫ぶ。

「バビンチョ!」

掛け声とともに美鳥の身体から名状しがたいエネルギーが解放され、世界がぐにゃりと歪み、暗転した。

―――――――――――――――――――


次の場面などと言われても、一体次はどの場面に移るのか。
そんな事を心配している間に再び視界が戻り、早送りかダイジェスト風に次々と場面を映していく。
八月党の襲撃の翌日、路地裏で発見された黒人の青年の遺体は即座に鑑識に回され、以前から大学側に目をつけられていた魔術研究サークルの副部長である事が判明する。
すると直ぐに、青年を殺害したのは、長い間図書館に封印される間に精霊として活動するだけの魔力を失っていたナコト写本では無く、今現在のナコト写本の持ち主であるという噂が流れ始める。
そして、死体には争った形跡も無く、貴重な魔導書を持ったままでも接近を許してしまう程青年に近しい人物の犯行というのが濃厚な線として浮かび上がった。

青年の大学での交友関係が洗い出され、ナコト写本の主となった彼は警察に参考人として呼び出されるもこれを無視。
魔術研究サークル『ブラックロッジ』の部員と共に大学に退学届を付き付けた彼は、煩わしい警察の手から逃れる為、元部員達と共に地下活動を開始した。

活動の内容は大学でのサークル活動と同じ。
しかし、内容はモラルをかなぐり捨ててより過激に。
非合法な実験、非人道的な儀式も当たり前に行われる、真に魔術を極めんとする者だけが集まる組織へと徐々に変貌を遂げていく。
噂を聞き付けた位階の高い魔術師を講師として招き、その活動は更にエスカレートを続ける。

自らの存在への探求心から悪の極致へと走り始めた魔術師の少年と、少年に寄り添い悪の道へと走り続ける魔導書の精霊。
彼等の出会いから、数年。
魔術研究サークル『ブラックロッジ』は、アメリカでは知らない者は居ないとされる程の大組織へと姿を変えた。

その名も、秘密結社『ブラックロッジ』
世界で一番有名な秘密結社の誕生である。


―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

そして、ダイジェストが終わると共に目の前に広がった光景に、耳朶を打つ熱狂的な信者達の叫びに、俺は思わず自らの正気度を疑った。
場所は、恐らくは夢幻心母だろうか。
玉座を中心に広がる広大なドーム状の広場に、無数の信者達がひしめき合っている。
信者達の服装は様々だ。
スタンダードな魔術師然としたローブを身に纏った者、黒いスーツを着て、顔を魔術的紋様の刻まれたマスクで覆った者。

有象無象に紛れて、少し位階の高い連中も居る。
白と黒のストライプスーツを身に纏い、歯をむき出しにして笑う口が描かれた工事現場のコーンの様なシルエットのマスクを被った者達。
身体にフィットする黒いスーツに、顔にはサイコロの目を一面ずつ刻んだ覆面で顔を隠した六人組。
黒い五芒星が刻まれた手袋に、日本の軍服を身に纏った長身痩躯、鋭い眼光に尖った顎が特徴的な、やや頬の扱けた男。腰に下げた刀はかなりの業物だろう。
……日本からの参戦も多いようだが、土壇場で消滅したりはしないのだろうか。

だが、問題なのはそこでは無い。
彼等は、広間の中央に居る彼等の王に向け、一心不乱に叫び声を上げている。

「法の言葉は、意思(テレマ)なり!!」

「法の言葉は、意思(テレマ)なり!!」

「法の言葉は、意思(テレマ)なり!!」

「法の言葉は、意思(テレマ)なり!!」

「法の言葉は、意思(テレマ)なり!!」

「法の言葉は、意思(テレマ)なり!!」

俺の知る原作であれば一息に言い切られるであろうこの言葉が、ある一点で区切られているのだ。
そして、皆一様に不可思議な動きを行っている。
いや、ここまで来てしまえば、もう玉座を見て皆のお手本となっている人物に視線を移した方がいいのだろう。

玉座の前に立ち、結社の社員達に向けて、彼は何時かの様に熱弁を振るう。
右拳は胸に当て、左手は掌を広げて左斜め下にピンと伸ばされている。指先まで。

「そう、我らこそが、我らだけが世に魔術の真髄を知らしめることが出来る! いや、無知蒙昧な大衆の目を開かせる事は、我らの義務だと言ってもいい!」

その言葉に、いかにも選民思想に溢れていそうな連中が湧き立つ。
だが、玉座を前に演説する彼にとって、この演説は社員達を奮い立たせるだけのおべんちゃらなのだろう。
この言葉に、真実味は無い。

「だからこそ! 我らは成し続けなければならない! 魔術の研鑽を! 未知の探求を! あらゆる道理、道徳を投げ捨て、ただ、目指すのだ!」

そう、これこそが、この結社がここまで大きくなった理由。
それこそ一般市民の犠牲を顧みず魔術の研鑽を望む者にとっても、魔術の研鑽と称して一般市民を食い物にする者にとっても、この教義は都合がいい。
リーダーは強く、普通の国家権力には捕まらない。
そんなリーダーを中心に集まる魔術師達もまた位階の高い魔術師だ。
そんな彼等をバックに付ければ、より派手に、大胆に活動する事が可能となる。
そして、彼の心からの言葉に、共感を覚える者もまた多いのだ。

だが、今はそんな事が問題ではない。
彼は、更に一歩前に踏み出し、社員達の前に己が姿を晒す。

「我らの頭上に、法の言葉を、我らの意思を!」

まず、左腕を肘から曲げ、掌を腰に当てる。

「法の言葉は──」

胸元に当てがっていた拳を開き、右肘を顔の高さまで上げ、手を顔の横に移動。
そして、

「意思(テレマ)なり!」

──ビシィッ、と、横に倒したピースサインを顔の横に広げた。
広げたのだ。
これ以上は無い程の、見事なまでの決めポーズ。

「意思(テレマ)なり!」

「意思(テレマ)なり!」

「意思(テレマ)なり!」

「意思(テレマ)なり!」

そして、次々と同じ動作を行う社員達。
彼等の一糸乱れぬ動作に、俺は思わず視線を逸らした。
こんなのって、こんなのって無いよ……。
あんまりだよ……!

「卓也ちゃん卓也ちゃん」

そんな俺の目の前に回り込んだ姉さんが、左手を腰に当て、右手を顔の横に持って行く。
そして横倒しのピースサイン。

「意思(テレマ)なりっ☆」

キャピルン♪ な感じの表情でやられても。

「やめたげてよぉ!」

これ以上、彼の、いや、大導師の傷口に塩を抉り込む準備をはよして貰えないかな!
あと美鳥、デジカメで撮影するのも出来れば止めてあげて欲しい。
そんなスパロボ世界最先端の機種まで使って致命打レベルの黒歴史を保存しないであげてくれ。

駄目だ、これ以上この光景を見続けたら、俺は回想から覚めた後、まともに大導師の顔を直視できなくなってしまう。
いくら大導師が協力を求めていると言っても、顔を見るなり噴き出したりしたら怒るに決まっている。
ブラックロッジに入るにしろ入らないにしろ、大導師とは敵対しないに越したことは無いのだから、そんな真似をする訳にはいかない。

「そうね、もう美鳥ちゃんも十分記録したみたいだし、ここから大導師が卓也ちゃんの所に現れるまではダイジェストでいくね」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

ダイジェストというからには、魔術結社としてのシリアスな側面が流れていく筈。
そう考えていた時期が、俺にもありました……。
いや、間違いなくブラックロッジの活動のダイジェストではあったのだが、その活動内容が問題だったのだ。

まず、流離の魔術師、マスターオブネクロノミコンの大十字九郎との戦い。
アンチクロス的立ち位置に存在する魔術師によって窮地に立たされる大十字九郎。
そこに颯爽と表れて逆十字を撃退、大十字の窮地を救う仮面の男。
御存じ大導師である。
ライバルとなる可能性のある男を部下にみすみす殺させる訳にはいかないという理由で正体を隠して助太刀。
因みに、大十字をライバルだと思うのは、一目見て運命を感じたから。

次に、仮面の男では無くマスターテリオンとしての初登場時。
大導師は普段はしない様なおめかしをして、大十字の前に現れた。
そう、大導師の貴重な地球皇帝装備である。
上半身は素肌にマントだが、マントのお陰で総合的な露出度が変わっていないという不思議使用。
美系であるが故か、頭部に乗せられた王冠がはまり過ぎて怖い。

なんというか、とかく、この大導師ノリノリである。

そんな大十字九郎とブラックロッジの戦いが幾度か繰り広げられた頃のだった。
運良くブラックロッジの下っ端構成員の足取りを追う事に成功した警察と軍が、政府からの特命でブラックロッジの構成員の一斉検挙を行おうとしたのだ。
政府お抱えの魔術師監修の元に捕縛用の魔術が付与された銃弾、魔術的防御力を持たされたプロテクターなど、装備は万全。
アメリカはマサチューセッツの片隅の辺鄙な田舎町。
ブラックロッジの脅威を肌で感じた事のある一部の警察を除き、大半の人員が『こんな田舎のマフィアもどき程度に、ここまで人員を割く必要はないだろう』と苦笑していた。
そんな彼等は、地面を割り砕いて現れた巨大な移動要塞から発せられる怪音波によって、一人残らず人間では無い『何か』に変貌し、全滅。

魔術結社ブラックロッジのアジトにして、最終作戦における要ともなる超弩級移動要塞『夢幻心母』
地面を穿つ為にその天辺に取り付けられた一際巨大な物を含め、地中移動用に無数に取り付けられたドリルが異様な輝きを放つ、たった一機で世界中の軍隊を相手取る事の出来る魔術母艦。
大導師マスターテリオンのミスカトニック大学時代からの盟友にしてライバル、魔術と科学という、相反する題材を扱う空前絶後の大天才、ドクターウエストの技術協力の賜物である。

そして、空気中の字祷子とエーテルを掘り進みながら、夢幻心母は世界中の主要都市を破壊していく。
時には体中にドリルを生やした無数の破壊ロボが、時には下部組織で製造された様々な怪ロボットが、日本から呼び寄せられた魔人の使役する式神が、地上のありとあらゆるモノを破壊していく。
世界中の軍隊が抵抗空しく蹂躙され、抵抗者が居なくなった所で、各地に設置された空間投影装置により、裸マントに王冠を被った大導師マスターテリオンの姿が、世界中に人々の前に晒される。
煽りライトで下から照らされた大導師は、全世界に向けて、第一声を放つ。

『我は魔術結社ブラックロッジの大導師にして、この地球の新たなる支配者、地球皇帝マスターテリオン!』

ここで、両手を広げてマントを広げる。
腰が僅かに捻られているのもポイントである。
……実は大導師本人じゃなくて、憑依オリ主とかじゃないよな。

そして、全世界の魔術師、異能者、正義の味方達に対しての宣戦布告。
正規軍は最早我らに太刀打ちできない。だが貴様等には我らを止るその機会を与えよう。
我らはこれより南極へ向かい、大いなるもの『クトゥルー』を招喚し、世界を滅ぼす。
我らの野望を止めたければ、命の惜しくない者から掛かってくるが良い。

そんな感じで行われた世界中の人類側の魔術師、異能者などへの挑発。
だがこれは、逆十字に位置する構成員にすら知らされていない、マスターテリオンの企みを成功させる為の生贄でしか無かったのだ。

―――――――――――――――――――

夢幻心母の中枢、内部に収まる形で密かに召喚された神の肉。
神の肉に組み込まれた、機械仕掛けの神が居る。
魔導書『無名祭祀書』の鬼械神、ネームレス・ワン。
そのコックピットの中で、今も神にその身を貫かれ、犯され続けている一人の少女の名は『ネロ』。
ブラックロッジが魔術結社となって直ぐに始まった『ムーンチャイルド計画』の唯一の完成系。
そして、そんな彼女を陶酔の表情で見つめる少年が一人。

大導師マスターテリオン。
ミスカトニック大学の時代から数十年かけて、遂に少年は自らの出生の秘密を知る事となった。
マスターテリオンは、彼は、この情景に覚えがある。
そう、今、目の前で神の肉に身と心を犯されている哀れな少女。
この少女の胎の中から、かつての自分は、今の自分と、夢幻心母を見つめていた。
信徒達の熱狂と、邪神の肉が母を繰り返し貫く音を子守唄代わりに、まどろむ意識の中で自分は確かに、未来の自分の姿を目の当たりにしていたのだ。

そう。この邪神召喚計画、『C計画』は水泡に帰する。
夢幻心母を文字通り虹色の水の泡へと変貌させる、より高位の邪神の介入により、ブラックロッジの最終計画は破綻するのだ。
南極に集い、夢幻心母に突入し志半ばで散って行った多くの人類の味方達。
彼等が死体になり果てる場所を調節し、意図的に夢幻心母内部で新たな魔法陣を構築し、召喚されていたクトゥルーを生贄に捧げ、より上位の神を招喚した。
そう、大導師マスターテリオンが自らの出生の秘密を知る為、最後に取った手段。
それこそが、ブラックロッジの企みを潰えさせる重要な鍵となっていたのだ。

──あらゆる時間と空間を支配する外なる神、ヨグ=ソトース。
この邪神は招喚された瞬間に、あらゆる時間、あらゆる空間に偏在するという特性から、
『クトゥルーが孕ませていたと思われていた邪神の巫女となる少女は、既にその更に前に少女の腹の中に自らの種を蒔いていた』
という、タイムスケジュールを完全に無視した結果を生み出したのだ。

そうして彼は、大導師マスターテリオンはこの世に生まれ落ちる。
産まれたばかりでの赤子が、父親から受け継いだ力を不完全な形で発動させ、過去の世界へと自らを跳躍させた。
そして、不完全な時間移動のショックで、彼は自らの持つ異能、邪神と人間のハーフであるという忌まわしい事実を忘却する事になる。

「ふ、ふふ」

何の事は無い。
今まで魔術の知識を恐ろしい速度で習得できていたのは、邪神の子であるが故に最初から持ち得ていた知識が蘇っていただけのこと。
極簡単に人を殺した事を受け入れ、人の道から外れた行いが出来たのも、何もかも、生来の特性を思い出していただけなのだ。
白い物が黒く染まった訳では無い。
自分の色が黒である事を完全に忘れて、白い、清らかなものであると錯覚していただけ。

「は、はははは、はははははははははははははははははっ!」

そう、この神の、邪神の子であるマスターテリオンにとって、この場に悪の悪の組織の大首領として存在するのは、運命だったのだ!
そして、これが運命であったのならば、

「君もまた、僕の運命の人、という事になるのかな? 大十字、九郎!」

振り向いた先に見える、破砕された夢幻心母の隔壁。
其処に居るのは、機械の神とそれを使役する一人の男。
夢幻心母を守るブラックロッジ十五羅漢と、更にそれを束ねる十神将、その中でも優れた者だけが選抜されるという五大頂と、五大頂では足もとにも及ぶ事の出来ない四天王に、変身能力を持たない最も格下の一人を除いた四天王の真の姿である三鬼神を打倒し、遂にここまで辿り着いた怨敵。
最強の魔導書より招喚される鬼械神を駆る流離の魔術師、大十字九郎。
九郎の駆るアイオーンは、頭の上に乗せられたオリハルコン製のカウボーイハットを人差し指で押し上げ、もう片方の手で銀色の魔銃をマスターテリオンに向ける。

引き金を引けば、万が一億が一程度の確率で自分を殺せるかもしれないというのに、大十字九郎は引き金を引こうとしない。

【抜きな、お前の鬼械神(ガン)を】

情けのつもりか? いや違う。これこそが、彼がマスターテリオンの運命の相手である所以。
アウトローな流れモノを気取っても、どこか人に優しく、見捨てる事が出来ない。
自分の獲物が銃なら銃を、刃なら刃を、鬼械神なら鬼械神を使う相手としか戦う事をしない。
黒を気取った白いヤツ。
悪を切り裂く正義の刃。
それこそが、マスターテリオンの対極に存在する者の真の姿。

その事実が、マスターテリオンを高揚させる。
あの日、ネクロノミコンを追跡中に部下が遭遇した流しの魔術師。
一目見た瞬間に感じた運命は、正しく宿命の対決へと連結されたのだ!

「征くぞ、エセルドレーダ!」

マントを翻し、吊るしていたナコト写本に呼びかける。
頁が風に煽られた様に翻り、渦を巻くように纏まり、人の形をとる。
現れた人の形はマスターテリオンに寄り添うように立ち、答える。

「イエス、マスター。何時までも、何処までも」

構築される機神招喚の術式。
現れる最強の鬼械神。

対峙する魔術師と魔術師。
刃を交わし、銃口を向け合う白の王と黒の王。

────これが、これから幾度となく繰り返される最終局面の、最初の光景であった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

そうして、今現在の二人の位階からすれば低レベルにも見える激戦の末、大導師と大十字は過去へと跳ぶ。
大十字はアイオーンの残骸と共に砂漠に墜落し、覇道鋼造から金の鉱山の地図を渡され、それと引き換えに故郷の女へと伝言を頼まれる。
辿り着いた街で、自分が数十年前の世界に飛ばされた事を知る大十字は、いずれ現れるマスターテリオンとブラックロッジに対抗する為、頼りない歴史と経済の記憶、そして金の鉱山を元手に、一大組織を結成する。
後のループに言う覇道財閥の誕生だ。

過去に降り立ったもう一人の魔術師、大導師マスターテリオンはこれを境に一時的に歴史の表舞台から姿を消す。
いや、彼もまた暗躍を続けるつもりなのだ。
大十字九郎が覇道鋼造に成り変わり覇道財閥を設立した様に、大導師もまた、後に現れるブラックロッジをより強靭なものとする為、自らの元にかつて集まった信徒達から聞いた情報を頼りに、魔術の腕を磨き、志を共にする仲間を集め始める。
より優れた邪神の子である自分が世界を我がものにするのは当然なのだと。

優れた魔術師としての力を持ち、邪神の子としての力を自覚した彼には、奇妙なカリスマ性が存在した。
人を引き付ける人外の魅力、逆らうなど想像も出来ない圧倒的な力。
そして、彼の元に集えば、今までよりも遥かに安全に魔術の実践と研鑽ができる。
後に人員をブラックロッジに組み込む為に作られた名も無い魔術結社は、瞬く間にその勢力を広げていく。
水面下で徐々に勢力を拡大し続ける魔術結社は、その成長途中で幾度となく大十字九郎──覇道鋼造と熾烈な戦いを繰り広げ、遂に、過去の大導師とナコト写本との出会いの時が訪れた。

だが、ここで大導師にとってもナコト写本にとっても予期せぬ事態が発生した。
時は19××年、本来ならばミスカトニックの秘密図書館から盗み出される筈のナコト写本が盗み出されず、それどころか、過去の大導師すら存在していなかったのだ。

―――――――――――――――――――

「つまり、どういうこと?」

「簡単な話よ。邪神、まぁニャルさんな訳だけど、ニャルさんの手によって弄られた大導師の因果は、通常の因果からは外れてしまった。
今の大導師に、過去の世界で孤児院に拾われミスカトニックに入学する、という過程は存在しない。
産まれる寸前の彼が能力の暴走で過去に飛ばされるという因果は、ヨグ=ソトースの門で大導師マスターテリオンが過去に降り立つという因果に上書きされて消滅したの。
だから、生まれた瞬間から大導師マスターテリオンへと成長するまでの過程は完全に短絡される」

なるほど、これがニャルさんの言っていた工程の自動化ってやつか。
後はネロが邪神に犯されて子供を孕むという因果さえ流れに組み込んでしまえば、黒の王の周りの仕込みはほぼ完成する。
産まれてから大導師になるまでの工程を省略して、即座に完成した大導師が生まれる様にすれば、わざわざ分体を人間に化けさせてあれやこれやと誘導する必要も無い。

「初めてループするまでの時間を無限螺旋に含まないのはそういう意味もある訳だ」

「そ。悪の極致なんて言われる存在に『元ミスカトニックのエリート、優等生で実家に仕送りもしている』なんて設定必要無いものね」

「物語としてあくまでも王道を目指すなら、悪の側に小難しい理屈も改心しそうな背景も必要ない。ニャルさんっぽいと言えばニャルさんっぽいシナリオじゃないかなぁ」

とはいえ、悪の極致として無限螺旋に配置される前にああいう流れが存在したなら、どこかで大導師がふと我に返ってまともになる、なんて事も無いではないのだろう。

「後のループの分は、まぁ無限螺旋前のノリノリぶりから予測できるだろうから、一気に流していくわね」

―――――――――――――――――――

後の流れは、極々有り触れた展開が延々と続いて行く事になった。
原作と全く同じ、という訳ではないが、無限螺旋の中のアーカムは、おおむね未来の知識と金の鉱脈を知る覇道鋼造の手によって魔術的防御能力を備えた大都市へと変貌を遂げる。
当然、拠点となるアーカムが大都市となった以上、人や金を集めるのにも便利になり、ブラックロッジも以前と同じように拠点をアーカムかアーカム近辺に置き、他の都市に移動する事も無くほぼアーカムの中でのみの活動へと切り替わった。

これはアーカムを大都市として成長させ、世界中に被害が拡散しない様にアーカムにブラックロッジの注意をひきつけるという覇道鋼造の目論見通りの結果だった。
更に言えば、ブラックロッジが活動の場をアーカムシティに集中する事により、自らがブラックロッジを追跡しやすくするという利点も存在する。
いや、覇道財閥総帥としての彼では無く、魔術師としての彼としては、そちらの方が本来の目的だったと言ってもいい。
そう、大都市アーカムは何も、完全に人類の安全だけを考えて善意のみで造られた訳では無い。
このアーカムシティ全体が、覇道鋼造と大十字九郎がブラックロッジと戦う為に作られたリングだったのだ。

闘技場、決戦場としての都市改造計画。
これをアーカム計画と名づけ、覇道鋼造は見事にこれに成功する。
世界有数の大都市と化したアーカムシティ。
大暗黒時代にして大黄金時代、大混乱時代でもある世界の中心、文化の最先端とも言われるようになったアーカムには、一般人、富豪、貧民問わず集まり、自らの成功を夢見て精力的に集まり出す。
そして、この周の大十字九郎もその一人であった。

時代的にまだ流しの魔術師として活動し始めたばかりの大十字を、覇道鋼造は自らの財閥のお抱え魔術師として囲い込む事に成功する。
あちこちを彷徨いながらの魔術の研鑽よりも、早いうちから魔術に関する英才教育を施して戦力として強化、自らも共に闘う事で、今度こそブラックロッジの大導師、マスターテリオンを打倒しようと考えていたのだ。

その企みは、確かに成功を収める。
正義の極致としてではなく、あくまでも覇道鋼造として無限螺旋で始まった、無限螺旋が始まる前の大十字九郎。
彼はあくまでもこれ以降に生まれる善性の極致を育成する為の礎でしか無く、邪神の誘導によって自らに肉体と魂の改造を施し、既に人の枠から外れかけていたのだ。
魂の摩耗を気にせず機械語写本によってアイオーンを部分招喚し、デモンベインの原形とも言える鬼械神招喚補助用の機械人形を駆り、大十字と共にブラックロッジと戦い続ける覇道鋼造。

果てしない戦いの果て、遂に大十字九郎と覇道鋼造は二基のアルハザードのランプを搭載した鬼械神を超える超鬼械神、アイオーン・デモンベイン(和訳すると続編のあれと被るので割愛)を召喚。
大導師マスターテリオンの駆る最強の鬼械神、リベルレギスと壮絶な死闘を繰り広げ、覇道鋼造の命と引き換えに悪の大首領マスターテリオンを討ち取った。
恩師である覇道鋼造の死体を抱きしめながら、大十字は男泣きに涙を流す。

『これで、世界は救われた。全て貴方のお陰です……!』

覇道鋼造の招喚していたアイオーンが消滅し、鋼のフレームと融合したアイオーンだけが残される。
そのアイオーンで夢幻心母を脱出しようとした大十字の背を呼びとめる声。
そう、ネロの胎内に存在した胎児が、一つ前の大導師の死をきっかけにして、新たな大導師マスターテリオンとして誕生したのだ。

後は、無限螺旋に入る前と同じ流れだ。
原作では一旦外に出て突入するまでに熟考するのだが、ここの大十字は覇道鋼造によって鍛えられた戦士。
その過程で知り合い、姉弟の様な兄妹の様な関係になった覇道瑠璃へと通信で短く別れの言葉を交わし、即座にヨグ=ソトースの門へと突入する。

次の周、またも同じ砂漠に墜落し、大十字九郎は覇道鋼造として活動を始める。
以前と違う点があるとすれば、まずは前回の覇道鋼造が大々的に活動していたお陰で、今回の大十字の経済、歴史に関する知識が豊富だった点。
これにより、覇道財閥は以前よりも格段に勢力を拡大し、より強力な力でブラックロッジに対抗できるようになった。
次に、この大十字九郎があくまでも生身の人間の魔術師であるという事。
彼は肉体と魂の改造を前回の覇道鋼造に堅く禁じられているので、これ以降も肉体を改造しなかった。
更に、デモンベインの雛型となる鬼械神招喚補助用の機械人形の存在。

そして最後に、前回の大十字九郎から見た覇道鋼造とは僅かにとった戦略が異なるという事。
身近な所に頼れる師が存在すると、ついついその相手に依存しがちになってしまう。
だからこそ、今回の覇道鋼造は大十字九郎に接触しようとはしなかった。
魂の摩耗度の関係で、干渉する事が出来る時代まで生きられなかったのも、原因の一つではあるが。

こうしてこの周より、覇道鋼造は大十字九郎をミスカトニック大学へと導く選択をし続ける事になる。
これで、大十字九郎は変質以外での変化をする機会の大半を失い、ループに置ける基礎を確立した。

―――――――――――――――――――

──だが、大導師マスターテリオンは未だもってループに置ける基本的な流れに乗らずにいた。
例えばこの大十字のミスカトニック大学での学生生活が始まる周、マスターテリオンは前回とは違い、最初から自らを首魁としたブラックロッジを設立する。
力の強さ、カリスマ性を前面に押し出した超強気スカウトを慣行。

しかし、拡大したブラックロッジの勢力に合わせる様に覇道財閥の勢力も拡大しており、また、大学で英才教育を受けたエリート学生大十字に単騎で部下を蹴散らされてしまう。
が、転生による能力と知識の引き継ぎにより以前よりも強力な魔術師と化していた大導師はエリート大十字をぼこぼこにし、ヨグ=ソトースの門を潜り、次のループへ。

そして三周目、四周目、五周目、六周目、十周目、二十周目、四十周目、八十周目とループを重ね、大導師が通算7803回目の大胆な衣装チェンジを行った頃。
とうとう大導師は気が付いた。
明らかにおかしい。
自分は確かに大十字九郎を殺す気で戦っているし、ヨグ=ソトースを呼び出して使役する事で、世界を邪神達が跳梁跋扈する正しい世界に作り替え、その中で人類の支配者として君臨し、いずれは全ての邪神を自らの配下とするという目標をもって活動している。
初めて出会ったころとは違い、もはや大十字九郎は自分が手心を加えるまでも無く自分の部下を打ち果たし、自分を殺しにやってくる。
お互いにお互いを殺し排除するつもりで戦っている。

だというのに、一向に決着が付かない。

覇道鋼造の頑張りと大十字九郎の頑張りと才覚が恐ろしく高まり、完全に敗北しそうになった時もあった。
逆に、唐突に新たな力に目覚め、大十字九郎を容易く退ける程の力の差が生まれた時もあった。
戦力差が歴然としていた時はそう少なくない。
どちらが勝ってもおかしくないどころの話ではない。
どちらかが『勝たなければおかしい』レベルの戦いを繰り広げた事が幾度となくあったのだ。

―――――――――――――――――――

「正直なところを言えばね、『ここまで来てようやくかい?』って気分だったよ」

時間の止まった夢幻心母の中、ナイアルラトホテップの化身の一つである『少女に契約を迫る白い獣』QBが、忌々しげに目の前の一点を睨みつけたまま固まっている大導師の頭の上に乗り、眼を伏せ首を振りながら溜息を吐く。

「彼は最初の状態だとすぐ調子に乗る悪い癖があったし、早い内に、自分が踊らされているだけの道化である事を自覚して欲しかったんだよね。なのに、僕が手を加えてバランスと流れを調節しているのに気が付くのに、まさかあんなに時間が必要になるなんて」

流石の僕も予想外だったなぁ、と呟くQB。

「でも、少し状況を安定させ過ぎていた、っていうのも問題があったのかもしれないと思ってね。しばらく様子を見て、何か、全く新しい不確定要素が必要なんじゃないか、って思ったんだ」

ぴょいんと大導師の頭から飛び降りたQBに、ヌイグルミ美鳥がどこからか取り出した槍でツンツン突きながら指摘する。

「それを思いついたのは大導師がてめーの暗躍に気が付いてからだろ? なんでそんな微妙なタイミングで新しい要素を取り入れようと思ったんだよ」

美鳥の言う事はもっともだ。
デモンベインのパーツの経年劣化や回収具合から察するに、俺達がニャルさんの手引きでこの世界に訪れたのは恐らくは百数十周目辺りと見て間違いない筈だ。

「いや、それ以前の問題として、本当に新しい不確定要素を取り入れる必要はあったのか?」

「そうだね、君達の知っている彼がどういう性格をしているかは知らないけど、今の彼は微妙にループ馴れをし始めたばかりでね。自分の全く知らない突発的なイベントに咄嗟に対処できないんだ」

特に逆十字の裏切りには未だに慣れていないみたいで、まいっちゃうよ。
そんな事をのたまうQBに、なるほどと頷く。

「だから、ニャルさんすら何をしでかすか分からない外の世界の存在を取り入れて、突発的な変化が増える様にしたかった、と」

「そう考えて貰っていいと思うよ」

でも、本当にそうなのかな……。
俺の脳内に疑問が浮かび上がる。そう、囁いたのだ、俺の中のカズィのゴーストが。
コイツは嘘はつかないが本当の事を全て言う訳では無い。
いや、嘘も結構平気で言うか。なんで嘘は言わないとか思ったんだろう。

「気にする必要はないわ、卓也ちゃん。こいつの思惑は何となく予想が付くし」

自身に満ち溢れた笑みの姉さんのその言葉を契機に、再び場面は切り替わる。
背景に映る光景は、俺が初めて南極で大十字の援護を行った時の映像だ。
次々と切り替わる映像。そのどれもが、俺がこの世界にやって来てから大十字やミスカトニック大学に干渉した場面だ。

「お見通し、って訳かい? やっぱり敵わないなぁ、君には」

燃え尽きる地球の光景、天を衝く機械巨神、砕け散る地球。
次いでセミヌードのシュブさん、赤面しながら涙目で皿を投げるシュブさん、壁に突き刺さる皿。
エンネアとの出会い、一週間の共同生活、永遠の別れ。
そして、港での大導師との出会い。

「家畜の状態を把握するのはお手の物、ってね」

作品世界のキャラを家畜扱いとか、姉さんマジ鬼畜可愛い。
でも家、畜産はやってないよね……。

「多重クロス世界に牧場物語が混じってた事があるのよ」

どういうクロスをしたのだろうか。
何時の間にか背景はブラックアウトし、スタッフロールが流れ始めた。
次いで流れ始めるNG集。
大導師とナコト写本が出会った時に、大導師が真正のペドフィリアだったお陰で逃避行、そのまま無限螺旋が始まらないルート。
信徒の前の演説で台詞を噛んでしまい、信徒達から笑われ、顔を赤くして『もう一回、もう一回お願いします』と必死過ぎる大導師。
その大導師の背中を『ドンマイドンマイ』と言いながら慰める嫌にフランクなナコト写本。
大導師を超える魔術師として現れるBFにブラックロッジを乗っ取られるシーン。
ライバルとして戦い続けるうちに何時しか大導師と大十字の間に性別の壁を迂回する真の愛が目覚めたベーコンレタスルート。

地球が燃え尽きる場面、機械巨神のセットに飛び火して監督と大道具と美術監督が泡を吹いて倒れるアクシデント。
セミヌードの筈が下着がずり落ちてフルヌードと化し、マジ泣きしてしまうシュブさん。
投げた皿が壁では無く俺の頭部に直撃、頭部が真っ二つになった俺。
大十字との決戦後、雨が降るシーンなのに空が晴天、助けを求めたら腐っていないティベリウスに助けられるエンネア。

「まぁ僕としては、せっかく彼が自分から新しいことを始めようとしてくれた訳だし、君達にもできれば協力をお願いしたいんだよね」

赤い眼を閉じ、後ろ脚でカシカシと頭を掻くQB。
くそっ、露骨な可愛さアピールしやがって、ケダモノっぽくて可愛いじゃないか。
いや、それはともかく。

「一応、大導師殿がああいうキャラになった理由もわかったし、協力するのもやぶさかじゃないよ、俺は。姉さんはどう思う?」

俺の問いに、姉さんは少しだけ考えるそぶりをしてから、頷く。

「うん、今の卓也ちゃんなら大丈夫じゃないかしら。別に喧嘩を売りに行く訳でも無いんだし。ねえ美鳥ちゃん」

QBの頭を掴んで持ち上げていたヌイグルミ美鳥(顔面のシルエットがホームベースみたいになっている。作画の問題かもしれない)への姉さんの同意を求める声に、美鳥が頷く。

「だね、喧嘩を売りに行く訳じゃないんだし」

「なんで姉さんも美鳥も俺が無闇に人に喧嘩を売るとか考えてんの?」

そんな評価ばかり受けていると、植物動物(衣服に使われている植物繊維を消化する触手系動物的な意味で)の様に心穏やかな俺でも、心荒ぶる時が無きにしも非ずという事を主張しておくべきだろうか。触手で。

「喧嘩売るっていうか、土壇場で裏切るっていうか」

「見えてる釣り針に飛び付く相手に、見える釣針を恐ろしい速度で投げつけてる感じ?」

「失敬な、俺は裏切りとかあんまりしないぞ」

何度も言うが、少なくとも俺が人の期待や仲間を裏切った事は片手の指で足りる回数しかない筈だ。
ブラスレ世界じゃそもそも原作キャラと付き合わない、スパロボ世界でメルアと主人公達にそれぞれ一回ずつ、村正世界も裏切る相手が居ない、ネギま世界では裏切る裏切らない以前に誰の味方でも無かったし、デモベ世界じゃ大十字と先生の信頼を裏切って地球を滅ぼしただけ。
※なお、この場合同じシチュエーションで行われた周違いの裏切りはカウントしないものとする。

「それにしたって何かしら裏切る理由あっての事だし、少なくとも俺に大導師を裏切るメリットは存在していない」

「何となく手伝い始めたから何となく裏切るとか、どうだい?」

こらQBさん、尻尾を?にして可愛さアピールしたって、そんな暴言は看過できませんぞ?

「その可能性は否定できないけど、流石にそれだけの理由で頼ってきた相手を袖にする程非道じゃないつもりだよ」

きっと大導師も、自分のこれまでの覇道が全部、邪神の敷いたレールの上のイベントでしか無い事を知った時、堪らなく恥ずかしくなったに違いない。
その点を踏まえ、後で美鳥から撮影した写真とかコピーさせてもらおう。
あと、視た映像と聞いた音声を組み合わせて、大導師の無限螺旋前の大演説シーンとかブルーレイディスクに永久保存すべきだな。
在る程度気の置けない中になったら上映会だ!

「……やっべ、なんか想像したらだんだん興奮してきた。姉さん早く実写パートに戻ろうず!」

「はいはい」

苦笑する姉さんがぱんぱんと掌を叩くと──

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

呆気ない程に二次元風回想シーンは終了し、普段通りの三次元空間、自宅の居間に戻ってきた。
入りではお決まりの呪文があるのに、出る時は話の総括しか残ってないからあっさりぎみなんだよな。

「ぼくの絵・わたしの絵コーナーは?」

「どうせ全員『意思(テレマ)なり大導師』しか描いてないから省略していいんじゃないか?」

「お姉ちゃんは、意表を突こうと思って」

姉さんが照れながら裏返したスケッチブックには、何故かうどん工場見学に来ているデモンベインの女性組。
絵柄は見事にブロンコ。姉さんもよくよく多芸な人ではないか。

「実は二コマ目以降も……」

「いや、参戦する見込みは薄いからめくらなくていいから」

ほんの少し自慢げに次のページをめくろうとした姉さんを止め、ふと美鳥を振り向く。

「いや、あたしもちょっと捻ろうと思って……」

ネタ被りに恥ずかしそうにしている美鳥の手には、ナコト写本の精霊が両手首を拘束され、悔しそうな表情で監禁されている薄い本が。
タイトルは『エセルハード』、もちろんそんな物は刊行されていない。
自作なのだろう。美鳥の趣味も大概だと思う。

「そこまでメジャーって訳でも無いから」

ていうかそれは書名じゃなくて人名だから。
そんな風に駄目だしをしていたら、姉さんと美鳥がブーイングを始めてしまった。

「じゃあ、そういうお兄さんはどうなのさー」

「そうよ、お姉ちゃんと美鳥ちゃんの絵に文句ばっかり付けて、卓也ちゃんはいったいどんなまともな絵を描いたのよー」

「そこはそれ、俺は飽くまで創作系でいったし。因みにこんなんね」

スパロボ世界の超高級プリンタもビックリな超高精度印刷で刷られたショートノベル付きイラスト集。
内容は、総ふたなり化したデモベヒロイン組に代わる代わる凌辱される女体化大十字と女体化大導師。
大導師は遠目でしか見なかったからあれだが、この女体化大十字は全員TSしていた周で見た大十字をモデルとしている為、かなりの再現率を誇る筈だ。
ていうか、女装させたらこれになるんじゃないだろうか。

「卓也ちゃん、眼糞鼻糞を笑うって知ってる?」

「眼糞と鼻糞ではジャンルが大分違うんじゃないかな」

大事なのはどれだけ絵が美味いか否かでは無く、どれだけ多くの人に受け入れられるかという点だろう。
凌辱系、百合系、リョナ系、純愛系、そんなの人の勝手。
本当にそのジャンルが好きなら、そのジャンルで楽しめる様に頑張るべき

「つまり、五十歩百歩なんだね」

「まぁな」

そんなグダグダなやり取りをしながら、今日も賑やかに夜は更けていった。
明日からは大学生活とバイトに加え、社員としても働かなければならないのだが、今日くらいは思いっきり夜更かししても構わないだろう。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

夢幻心母とは、魔術結社ブラックロッジの本拠地にして、大導師マスターテリオンの壮大な計画の鍵となる超巨大建築物、移動要塞である。
ループ初期においてドクターウエストの科学がふんだんに織り交ぜられていたその要塞は、大導師の魔術師としての格が上がり、魔術結社としての質が上がるにつれ科学の要素を排し、それ自体は純粋魔術、もしくは錬金術などを用いた物へと推移していく事となった。
無限螺旋が始まってから何故か強まったドクターウエストの精神異常が原因の一つとも推測されるが、真偽の程は定かでは無い。
内部には千を超え万を超える魔術師を擁し、ドクターウエストの作り出した無数の破壊ロボ、達人級の魔術師であるブラックロッジ達を含めれば、文字通りそのままでも世界を相手取れる程の戦力を有していると言っていい。

「来たか」

「ええ、来ました」

そんな、トップを除いて本気で世界征服なんてものを本気で企んでいる組織の要塞の中。
俺と美鳥は、この世界で最高位の魔術師と相対している。
プレッシャーは、冷静に見ればそれほどでも無い。
敵対している訳でも無い相手に無意識に向けてしまう程度の威圧感であれば、さしたる脅威とは感じられない。
むしろ、これならマナーを弁えずにぎゃいぎゃい騒ぐ一見の迷惑な客に向けるシュブさんのプレッシャーの方が遥かに恐ろしい。
実際に本気で威圧しようと思った時にどうなるかは分からないが、少なくとも今現在の大導師ならば、まだどうにでもなる。
……これから、どうにでもなる相手を、どうにもできないレベルに押し上げる作業もしなければならないのかもしれないが。

「答えを聞かせて貰おう」

この広間の人払いは済んでいる。
間違いなくこの会話を盗み聞いている連中が居る筈だが、聞かれて困る話でもない。

「学業とバイトの方もあるので、常にとはいきませんが、了承しましょう。──ですが」

言葉を切り、つい、と指先で空間をなぞり、異空間を開く。
俺の突然の行動に大導師の傍らに控えていたエセルドレーダが身構えるが、気にしない。
異空間から取り出す、料理の載った皿。

「俺と美鳥の入社に伴い、大導師にはまずこれを献上させて頂きたく」

「それは?」

「鰤大根です」

異空間の中に無菌状態で保温されていた鰤大根は、もう汁を吸って大分味が染みてきている頃合いだ。
僅かに空間全体に掛かる圧力が上がった。
この場に覇道財閥のチアキさんが居たのなら、この瞬間に二百回はオモラシストとしての本領を発揮して脱水症状に罹っている頃合いだろう。
大導師がこちらを威圧しに掛かっているのだ。

「余に、食べよ、と?」

声は出さずに、頷く。
余計な事は言わない。美鳥に皿を手渡す。
歩み寄り、片膝を立てて、鰤大根の乗った皿を差し出す美鳥。
何時の間にか、皿の端には割り箸が載せられていた。
セブンプレミアムである。

「マスター……」

心配そうに大導師を見つめるエセルドレーダ。
さぁ、ブラックロッジの首魁、黄金の獣、大導師マスターテリオンは、どう応える。

「────」

大導師は美鳥の手に乗った皿から箸を取り、パキンと左右に箸を割る。
その大根に迫る箸捌きまで、まるでそうあるべく神が生み出したかの如き自然さ、荘厳さを持って、

「……」

大根を欲し!

「これは……!」

貪り!
そして、

「マ、マスター……」

傍らの鰤まで食い尽くせ!!

「……」

俯き、表情に出さずに内心でガッツポーズをとる。
────これがやりたかった!
いや、本当にそれだけなんだけど。

やがて、鰤大根を無事に完食した大導師が、箸を並べて皿の上に置き直す。
次に、傍らのエセルドレーダの背に手を伸ばし、ビッ、という、紙を裂く音と共にやたら時代を感じさせる紙(一見して魔導書のページっぽい)を一枚手に取り、口元を拭う。

「──大義であった」

そして、けぷっ、とげっぷをしながら決め顔をする大導師。
口元を拭いた紙は再びエセルドレーダの背にあてがわれ、何時の間にか何処かに消え失せていた。
紙を戻されたエセルドレーダは、どこか好きな人のリコーダーを前にした小学生を思わせる頬の染め方をしている。

そんな光景を目の当たりにして、俺は思った。
こいつらとなら、以外とうまくやれるかもしれない。
美鳥もきっとそう思っているに違いない。

満足げに溜息を吐く大導師と、こちらに表情を見られていた事に気が付き睨みつけてくるエセルドレーダに対し、

「俺は、外道トリッパー鳴無卓也。コンゴトモヨロシク……」

深々と、頭を下げたのだった。





続く

―――――――――――――――――――

★ブラックロッジ編はネギま系SSの幼少期編のパクリ!
どれくらいパクリかと言えば、これくらいパクリ。
①原作最強クラスのキャラが未熟な頃に主人公が接触する。
②そんな未熟な相手の過去を垣間見て、相手の気持ちを理解した気分になる。
③色々な思惑から仲間になる。
④多分これから鍛えたりする。
⑤対象はどちらも露出の多い金髪人気キャラ。
★ほらそっくり!嘘だけど!

あくまでも主人公の視点から見たループ初期大導師様の感想だし、今回のデモベ編は二次創作世界で独自設定ありありだから、広い心で行きましょう。
ループ初期やら、ループ前やら、出生の秘密やら、その他諸々、何もかも二次創作世界と言う名の多次元世界解釈によって説明がついてしまうのです。
ニトロコンプリート買ったけど、ループ初期とか欠片も描写されておりませんでした……。
でも探した甲斐はありました。機神大戦が期待できる内容でしたね!
そんなこんなで、記念すべき第五十話をお届けしました。

五十という記念すべき回にも関わらず、堂々と主人公達が来る前の再現シーンが八割という謎構成。
でも世の中には一クール毎に総集編してた作品なんてのもあるわけですし、別段以前にやったシーンを書いてる訳でも無いから問題は無いですよね。
あれ、でも一クール毎に総集編をやるのは普通なのかな……。最近四クールアニメとか見てないからいまいち自信が無い。

毎度御馴染と言いつつやるかやらないかはまちまちな自問自答コーナーは、今回はQとAのAのみ行います。
いいですか、短いから見逃さないで下さいよ?


A,独自設定です。


はい、回答終了です。
でもよくよく考えるとこの回答、二次創作におけるあらゆるQへのAとして成立してしまうのではないでしょうか。
ドラえもん映画のトラブル、ドラえもんが未来道具を様々な理由で使えなくなったとしても、未来からドラミが来れば大丈夫、みたいな。
いわゆる禁じ手の一つですね。
今回はQの数が恐ろしい事になりそうなのでこの様な苦肉の策を取りましたが、次回からはちゃんとやったりやらなかったりすると思います。


☆今週のフラグコーナー☆
今の○○なら殺せる。
→殺せないフラグ
○○が××(必殺技なり武器なり)を出すより早く撃てばどうにかなる。
→相手がクイックドロウの名手フラグ。


ではでは、今回もここまで。
誤字脱字に関する指摘、文章の改善案、設定の矛盾、一文ごとの文字数に関するアドバイス、改行のタイミングと数の割合などを初めとするアドバイス全般、そして、長くても短くてもいいので、作品を読んでみての感想、心よりお待ちしております。



次回予告

遂に無限螺旋を破壊する鍵、『トリッパー』を組織に引き入れる事に成功した大導師マスターテリオン。
しかし、実際にトリッパーという存在をどのように用いれば無限螺旋を破れるかが分からない。
思い悩む大導師。そんなある日、仲間に引き入れたトリッパーが、ある重大な情報を持ってきた。

次回、大導師さまレベル1、第五十一話。
『ゾワンゾワン! ブラックロッジ、修行開始』
ブラックロッジ編、始まります。



[14434] 第五十一話「入社と足踏みな時間」
Name: ここち◆92520f4f ID:190f86b3
Date: 2012/12/08 21:29
○月×日(ぶらろじっ!)

『入社してから、早い物で数カ月の月日が流れようとしていた』
『仮にも結社で碌を食む以上、俺も美鳥もここで何かしらの仕事をするべきなのだろう』
『が、それはあくまでも碌を食む、つまり、お給料が出るのなら、という話になる』

『勘違いする者は少ないだろうが、あくまでもブラックロッジは怪しげかつ非合法な魔術の実践を行う為の魔術結社である』
『多くの人間が集まり結束する事により、魔術実戦の上で必要になる機材や素材などを集める為の犯罪行為を成功させやすくしているに過ぎない』
『逆に言えば、それらの実践に必要な物を全て自力で集める事が出来る、あるいは集める必要が無ければ、特に活動する必要も無い訳だ』

『何が言いたいのか』
『答えは簡単。──ブラックロッジは、給料が出ないのだ』
『金が必要であれば、同じく資金を必要としている社員を見つけ集い、結社内に保管された武装などを用いて銀行強盗などをするしかない』
『だが、金が必要になった時に一々仲間を集めるのは面倒臭い』
『そこで、ブラックロッジの中で小さな部署が幾つも発生する。資金源となる麻薬を製造する部門、人身売買用の部門、強盗などをする為の部門』
『これら社員達の自主的な経済活動こそが、今日のアーカムにおける『街の犯罪の殆どがブラックロッジと繋がっている』という現実につながる』
『まぁ、これにしたってブラックロッジをアーカムに引き留めておくための覇道鋼造の計画的な都市改造計画と噛み合っている訳だが、今は関係無いので割愛する』

『つまり、金を稼ぐ必要が無ければ、ブラックロッジの社員になったからと言って無闇に犯罪行為に走る必要はないのである』
『まぁ、社員として籍を置き続ける以上、何かしらの成果を上げなければ白い目で見られるのだが、そこはそれ、俺にはこれまでのループでの積み重ねがある』
『定期的にそれらの技術などを放出していけば、極々自然に結社内で好き勝手出来る程度の地位には登れてしまうのだ』
『結果、俺と美鳥が大学とバイトとプライベートな時間の合間を縫ってブラックロッジに来ても、特にする事が無いという結果が生まれる』

『これなら態々ブラックロッジに立ち寄る必要も無いと思うのだが、そうもいかない訳がある』
『呼び出されるのだ、大導師に。しかも定期的に』
『しかも、呼び出されても何か命令されたり任務を依頼される訳でも無く、一通り見つめられて終わりだ』
『時たま質問を受ける時もあるのだが、基本的に大導師は頷くだけ』
『『貴公はどの様な技術を得意としている』や『犯罪行為に対して抵抗は無いのか』とかならまだ分かる。何かしらの任務を振る為の前振りにも思える』
『だが、『昨日の夕飯は何を食べた』に始まり『成人した女性と未成熟な幼児のどちらに魅かれるか』、挙句の果てに『髪を切ったか』という質問』
『はっきり言って、意図を測りかねる』

『因みに髪は定期的に切っている。髪が伸びないようにする事も可能と言えば可能だが、そうすると姉さんに髪の毛を切って貰えない』
『散髪中に姉さんの手が首筋に触れたり、散髪が完了した後に笑顔で『ん、男前になったね!』と言われる為には、常日頃から人間並みの速度で髪の毛を伸ばし続ける、というか、人間の生理現象を見ため上は完全に再現する必要が出てくるのだ』
『つまり、髪を切らないとか訳分からない。そこのところだけは大導師に問いただす必要があるだろう』

『余談だが、美鳥も髪を度々切るが、その時の散髪は姉さんでは無く俺が担当する事になっている』
『理由を問うと、『おにーさんがおねーさんに髪を切って貰うのと同じー』と答えるのだがら、可愛いものだ。まだ甘えたい盛りなのだろう』
『────が、俺が姉さんに対して感じている甘えたいという欲求に比べればまだまだである』
『夢幻心母の内部を散策している最中、ネロを除く全ての逆十字に絡まれたり嫌味を言われたりしていたのを、如何様にして姉さんに膝枕をねだるかという脳内シミュレーションに夢中になり過ぎて全てガン無視してしまう程だ』
『彼らは怒り心頭で大導師に抗議にいったらしいのだが、全員顔を真っ青にして戻ってきたらしい』

『む、つまり、大導師は俺が姉さんに対して抱いている感情、その感情から来る一切の行動に弁護をしてくれる、という事だろうか』
『なんだ、いいやつじゃないか大導師』
『そうなると、ますます俺が髪を切るか切らないかという、知恵の足りない質問をした意図が見えてこないが、まぁ許す』

『なんだかとりとめも無くなって来たので、今日の日記はここまでにしておこう』
『安らかにお休み、ハム太郎。明日はもっといい日になるよね』
『いや、いい日にしてみせるさ。あの青空に浮かぶ、君の笑顔に誓って……』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「なるほど、つまり貴公は、姉君に散髪して貰っている、と」

「は」

ブラックロッジの本拠地であり、この歴史の中では未だ本格稼働した事の無い移動要塞でもある夢幻心母の中心部。
玉座の間にて、二組の男女が向かい合っていた。
片方の男女は、男は玉座に座し肘を付き、傍らに黒い少女を侍らせている。
ブラックロッジの大首領、大導師マスターテリオンと、その魔導書『ナコト写本』の精霊であるエセルドレーダ。

名実ともにブラックロッジのトップに君臨するこの二人に相対するのは、一見何処にでも居そうな青年と少女。
片膝を付き、心の籠らぬ形だけの臣下の礼を取る男と、その後ろで真剣な表情を崩さない様に顔を強張らせている少女。
この二人は大導師マスターテリオン自ら直接スカウトに向かったにも関わらず、魔術結社としての活動には積極的に参加せず、魔術理論や装置などを提供するだけに留めている。
実戦派ではなく研究タイプの魔術師であるとも目される彼等は、自らの立場を『ブラックロッジのスーパーバイザー』として定め、週に一度程の割合で夢幻心母を訪れてはこうして大導師との謁見を行っていた。

「この後に予定はあるか」

「契約済みの平社員達から魔導書に関する相談を受けましたので、連中の身の丈に合うレベルにまで添削と加筆修正を行い、そのまま帰宅させていただきます」

この二人のやりとりも、もはや幾度となく繰り返された馴染の会話でしかない。
予定を聞き、答える。唯それだけの何も可笑しな所の無いやりとり。
二人の傍らにいる二人の少女から見ても、どこか芝居じみている事を除けば、特に見るべきところも無い光景。
ふと、玉座に肘を掛け頬杖を突いていたマスターテリオンが、何かを思い出す様に顔を上げた。

「次に来る時は、鰤大根を用意しておけ」

何気なく、気だるげに言い放たれた言葉に、卓也は下げた頭を微動だにせず、答えた。

「恐れながら大導師殿。────鰤大根は先程も食べられたばかりかと」

ブラックロッジの動かないスーパーバイザー、鳴無卓也。
大導師との謁見の際、彼が必ず鰤大根を用意している事を知る者は、ブラックロッジの中でも殆ど存在しない。

「そうか」

「はい」

マスターテリオンと卓也の言葉を最後に、玉座の間に、耳に残るほど大音量の静寂が鳴り響く。
使用済みの割りばしを大事そうに両手に握りしめたままマスターテリオンを心配そうに見つめるエセルドレーダと、対面する二人から顔を逸らして表情を隠し肩を震わせる鳴無美鳥。
彼女達が何か声を発するよりも早く、マスターテリオンと卓也の姿勢が変わる。
マスターテリオンは再び頬杖を突き、卓也は頭を上げて立ち上がった。

「では、俺はこれで」

「うむ」

背を向け退出する卓也と、それに無言で付き従う美鳥。
玉座の間から消える彼等の背を見送り、

「──……」

マスターテリオンは、ゆっくりと両手で顔を覆い、ガックリとうなだれた。

―――――――――――――――――――

玉座に座り項垂れたマスターテリオンは、今日も今日とて後悔の念に縛られていた。

(今日も聞けなかった)

自らのこれまでの行いが全て邪神の掌の上だった時にも似た様な気分だったが、今回はそれよりも幾分軽い。
だが、繰り返し繰り返し自らを襲う持続性、取ろうと思えば簡単に取れる解決策を取る事が出来ない歯痒さは、その軽さでもってマスターテリオンの心を暗澹たる様相に変えていく。

──トリッパー。
彼等はこの邪神のからくりの中に閉じ込められた世界を破壊する鍵となる、世界の外から来たとされる存在。
あらゆるものが字祷子によって構成されたこの世界において、彼等は唯一その存在を完全に字祷子宇宙から解き放つ事の可能なのだ。
あらゆる世界の法則を捻じ曲げる魔術師、そんな魔術師ですら曲げる事の出来ない宇宙法則すら超越する彼等を仲間に引き入れ、見事邪神の姦計から抜け出す。
それこそが、マスターテリオンが彼等をブラックロッジに招き入れた理由だった。
だが、そんな彼等を仲間に引き入れた後、大導師ははたと気が付いた。

────では、どの様に彼等を使う事で邪神の計略から逃れればいいのだろうか。

(さっぱり分からない……)

彼等の魔術の腕は相当のモノだ。今すぐアンチクロスとして組み込んでも、問題なく活躍してくれるだろう。
だが、トリッパーなる特殊性の高い存在である彼等を何の捻りも無く魔術師として使う事が邪神の計略から逃れる役に立つとは思えない。
生贄、実験材料、大十字九郎の味方として送り込む。
色々と考えたが、彼等の利用法は幾つも思い付くのに、邪神に対抗する一手は何一つ思い浮かばない。
謁見の時もそうだ。いざ彼等と対面する段階になっても毎回何も思い付いていないから、引き留める為に全く関係無い話題まで口にしてしまう。

そこまで考え、マスターテリオンは上体を前に倒し、顔を覆っていた両手で頭を抱えた。

(鰤大根は無いだろう……!)

折角、組織に入れた後も動かし易いように、もう使いたくないカリスマ口調を意識してまで使っているというのに、あれでは食欲旺盛なボケ老人ではないか。
しかもこの要求、以前の邂逅でもした覚えがある。
しかし、彼等がどのような事が出来るか、程度の事は知る事が出来ている訳だし、あながち無意味というわけでもあるまい。
そうとも、特に前回から今回にかけて及んだかのトリッパーの散髪に関する話題は、互いを知る事により信頼感を得るのには最適だった。
そうに違いない。いや、そうとでも思わなければ情けな過ぎて表に出られない。

「マスター」

自分を鼓舞するマスターテリオンの頭を、少女の細い腕が柔らかく抱きしめた。
エセルドレーダが、マスターテリオンの頭を抱きしめているのだ。

「大丈夫です、きっと、マスターなら大丈夫です」

自らの頭を抱きしめる少女の温もりに目を閉じ、思う。
そう、大丈夫。
邪神を破る為の鍵は手に入れた。自分を信じて付き従う信徒達も、何があっても傍らにあり続ける魔導書もある。
もう、寒い事なんて、無いんだ──。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

ガタっと派手に音を鳴らし、トランプを持ったままの美鳥が椅子を倒しながら立ち上がった。

「どうしたんすか?」

俺が問うまでも無く、ブラックロッジの覆面を付けた下っ端が手の中のトランプから顔を上げて美鳥に問う。
下っ端の問いに、美鳥は天井を見上げながらの難しい顔。

「……今、ツッコミを入れなきゃいけない場面があった気がする」

「いや、多分場面じゃなくて、思考とか発言とか感情とかじゃないか?」

なんとなく大導師がボケた気がするのだが、気にするだけ時間の無駄だろう。
なんかこの時期の大導師は質問の意図も考えている事も微妙にブレブレで読みようがないし。
なんとなく『それはせめて無限螺旋が終わってからにしろよ』というツッコミが頭に浮かんだ。
が、それに対応するボケが何なのか断定できず、今更ツッコミの為だけに玉座の間に戻るのも億劫過ぎる。

さて、大導師との謁見を終えた俺と美鳥が何処に居るかといえば、逆十字の連中が立ち寄らない位置に存在する、ブラックロッジの下級社員どもが屯する談話室の様な場所だ。
談話室と言っても、そこらの健全な会社の様に和やかな空気が流れている訳でも無い。
何しろ、社は社でも(有)でも無ければ(株)でもなく、天下御免の【秘密結社】。
トランプでの賭け事一つとっても餓死者や魔術儀式の生贄が生まれてしまう程の危険領域である。
しかも、そんな危険行為を行っているにも関わらず、一部の下っ端達は極々自然体で気さくな連中ばかりなのだ。
まぁ、その一部は大半がドクターの元で働いている連中だったりするのだが。
キチの元にはキチ度の大小はともあれ似たようなのが集まる、という事だろう。
そんな堂々としたキチ連中が相手だから、俺もミスカトニックでは出来ない様なお遊びが出来る訳だし、文句を言うつもりは全くない。

「いいから続きしましょうって。もう少しでポイント貯まるんすから俺」

このポイント制度もその内の一つだ。
お使い(違法な品の調達)や勉強などの課題を済ませる度、もしくは俺との何かしらの勝負に勝つ、もしくは惜しい処まで食い下がるなどする度に加算される。
一定以上のポイントを貯めると、ブラックロッジでは考えられない程に安全性が高く、ミスカトニックでは到底許されないレベルのバランスの取れた人体改造を受けられるのだ。
今までそのレベルにまで達した者は居ないが、肉体の改造度が一定を上回った相手には、小型でやや脆い鬼械神を招喚できる魔導書をプレゼントする予定も立ててある。

こういった細かな遊び心を出していく事で先輩だけど下の位置に居る社員の方々との交友関係が広がるだろう。
そう考えて始めた事なのだが、入社から数か月がたった現在、このポイントを貯めて肉体改造を行おうという者は殆ど居ない。
最初の頃はそれこそひっきりなしだったのだが、ある改造例を目にした途端、ぱったりと人の数が減ってしまったのだ。

あれは、そう、数人のグループが全員のポイントをまとめて使用し、合体魔術的な物を使えるようになりたいと言い出したので、
魔術を使用する上で非合理的な人体の構造を片端から取り除いて、最終的に『メカニカルアームの生えたドラム缶に詰め込まれた数人分の液体人間』に改造してやった時だったか。
彼等はあと少しで安全に鬼械神を召喚できる位階に達し、招喚用の魔導書をプレゼントされる筈だったのだ。

だが、彼等は消えてしまった。
改造直後、人の枠から外れたお陰で少し情緒不安定になっていた彼等は、相撲取り十人が全身にローションを塗っておしくらまんじゅうする様な不快極まりない笑い声を上げながら、アーカムの路地裏へと姿を消したのだ。
ブラックロッジに彼の行方を知る者はいない。
仮に逆十字クラスの、アヌスさん辺りなら探し出せそうだが、肉体改造の話は今のところ下っ端にしか伝わっておらず、位階の高い魔術師が探索に出る事はそうそう無いだろう。
彼等の末路を知る下っ端達にしても、液体人間と化した彼等と深い交流を持つ者はいなかったのだろう。

今では、アーカムの路地裏に消えた彼等に言及する者は殆ど居ない。
一時期はニグラス亭でウェイターの面接を受けていたという噂も流れたが、その余りに奇怪過ぎる声では注文を復唱することすら出来ず、敢え無く一時面接でさようならとなった。
覇道財閥に捕えられて標本になったとも、ミスカトニックで保護されて標本になったとも、名も無きドラム缶として何処かの荒野でひたすら押されているとも言われているが、彼等の正確な行方はようとして知れない。

そんな事件の後から、下っ端達は俺達を大きく避ける者と、逆に積極的に近付いてポイントを集め続ける者、近付いて話こそするけれどポイント関連の話は断固拒否する者に分かれて行った。
因みに、今机を囲んでトランプに興じている下っ端は、もはや片手で数えるほどしか居ないポイントを貯めて人体改造を続ける物好きの一人だ。
彼の身体はすでに七十パーセントが科学技術と魔導技術が織り交ぜられた全身義体であり、内蔵武装の多彩さから全方位義体師に分類してもおかしくない程の全距離対応型と化している。
戦闘時はAJかウォーマシンといったロボ好きならたまらずエレクチオンする程のメカメカしい姿に変形するのだが、平常時はその身体を無理矢理ストライプのスーツに包んで正体を隠している。

とりあえず好き勝手暴れたい、欲望を解放したい系の連中には見られない向上心は中々なのだが、いかんせん彼の元々の義体との適合率の低さから、ここから先の改造手術は難航するだろう事が目に見えている。
更に、全身に走らせた魔術回路(マジックサーキット)に、魔導ダイナモから溢れる高濃度の字祷子を走らせるには、彼の身体制御能力は未熟過ぎるのだ。
もしも完全に肉体のスペックを引き出そうと思うのであれば、彼はその肉体を『完全に』捨て去り、脳細胞の一片まで機械に置き換えなければいけないだろう。

だが、そこまでする位なら別に人間を素材にする必要も無い。
これはお遊びではあるが、あくまでも人間をベースにどれほど改造可能か、という実験も兼ねているのだ。
金神水でも使って脳味噌を水晶質金属に作り替えれば多少はましになるかもしれないが、それなら最初から全身を金属生命体に作り替え、そこから手を加えて行った方がよほど面白い仕上がりになる筈だ。
液体人間を作りもしたが、あれはあくまでも人間ベースの液体人間。
仮に金神の眷属として造り直してから液体人間にするのだとしたら、それはそれで面白い素材(劒冑の材料に最適的な意味で)だとは思うのだが。

「さぁ、今日こそはポイント溜めて、死角の少ない複眼に改造するっすよ!」

鼻息も荒くゲームの続きを急かす下っ端に思わず苦笑を向ける。

「君は本当にサイボーグが好きなんだなぁ」

とりあえず、今日の所は軽く捻って、敢闘賞という事で改造に必要なポイントだけくれてやろう。
魔導書と回路の融合は、この下っ端自身の位階が上がってからにするのが上策か。
そう考えながら、俺と美鳥は自分の手札を全てジョーカーへと摩り替えたのだった。

―――――――――――――――――――

×月▲日(吐き気をもよおす邪悪とは!)

『概ね、俺の様な能力取り込み型トリッパーの事を言うのだという』
『というか、トリッパーがオリ主の代行である、という時点でそういった誹りを受けるのは仕方がない事なのだろう』
『基本、本格的二次創作界隈においてオリ主という存在は煙たがられる』
『他人、つまり原作者が作り出した世界(原作)で原作知識にチート能力を使い好き勝手暴れる』
『本来の原作主人公が手に入れる筈だったヒロイン、お宝、技能をかすめ取る。あるいは価値の無い物に引き下げる』
『原作知識という未来を一つも知らない者達を、己の利益、欲望の為にだけ利用する』

『なるほど、それは煙たがられても仕方のない事だ』
『原作知識を持たない、もしくは現実とは欠片も関係無い、その世界生まれという設定のオリ主や、逆チートで不条理なレベルで不幸な目にあって鬱展開鬱人生を送るオリ主というのも存在するが、そういった主人公に関してはスルーされるのが大体の流れだろう』
『原則には必ず例外がある。当然その例外があるという原則にも例外があるが、それはまた置いておく』

『さて、ここで話はがらりと変わるのだが、牛というのは非常に頭の良い動物である』
『知り合いの酪農家の育てている牛達は、育てられている内に人間の言葉の幾つかを覚え、簡単なお願いなら聞いてくれる様になっていた』
『そんな彼等は、ドナドナの如く出荷される段になり、この後に自分がどうなるかを理解している節すらあるのだ』
『同じ厩舎から運び出され、戻ってこなくなった牛の事を覚えているのか、それとも人間の表情から少なからず感情を察しているのか』
『住んでいた場所から運び出され、殺される、もしくは戻ってこれなくなるという事を理解し、悲しむまでの情動すら見せる。なんとも頭の良い動物ではないか』

『だが、そんな彼等が人間の言葉の一部、自分達の利用方法を知るのは、当然ある程度育ってからだ』
『その厩舎で生まれた子牛がそういった知恵を付けるにはどうしても時間が必要になり、当然、生まれた直後は何も知らない無垢な動物でしかない』
『そうすると、酪農家は何も知らない無知なるものを自分達の生活の為という都合で持って利用している、という訳になるのか』

『当然、そんな訳はない。酪農家は牛達が心身ともに健康に生活できるように常に住み家を清潔に保ち、放牧をして適度な運動をさせ、安全で栄養満点な餌を用意し、外敵から守っている』
『清掃する労働力、餌代、厩舎の維持費、などなどなど』
『酪農家のそういった努力が無く、牛が自然に放たれた場合、飼育されていた時に比べてどれだけの苦労を強いられるだろうか』
『彼等は最終的に彼等を自分の糧にする為に、最大限の投資をしている』
『知る、知らないは関係無い。無知は罪ではないが、無知だから許される訳でも無い』
『牛は、生まれた瞬間からその生涯を酪農家に『金で買われて』いるのである』


『ここで、いくつかの商品と某有名通販サイトでの価格を記す』

『ブラスレイターDVD・一枚約五千円。全十二巻セット約六万円』
『スーパーロボット大戦J・中古約二千円』
『装甲悪鬼村正限定生産版・中古約九千円』

『どれも色々な意味で思い入れのある作品であり、全て間違いなく名作だと胸を張って友人に勧める事の出来る素晴らしい作品達』

『さぁ、最後の仕上げだ』
『この作品を構成するのに必要な登場人物、名も無きモブ、建築物、土地、空間、技術、能力』
『その数で、この値段を割ってみよう』
『彼等とそれらは、一体如何程のお値段になっただろうか』

『それらの値段を、『元の世界の人間と何も変わらない』と計算できるのであれば』
『どこか空気の良い高原のサナトリウムで療養するか、定期的に精神病院に通う事をお勧めする』
『どちらも嫌なら、普段の生活で人と接する機会を多く取るべきだろう』

『因みに、俺は上記の作品はすべて発売日に定価で購入している』
『購入しても家に負担をかけないため、睡眠時間を削って副業に明け暮れたのはいい思い出だ』
『この、二十五万六千八百三十一円の世界は、最終的に俺にどれだけの利益をもたらしてくれるのだろうか』
『それが俺には(姉さんの奢りなだけに余計に)気になって仕方がないのだ』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

そんなこんなで、初のブラックロッジ社員としての南極決戦を迎えた訳だが。

「永劫(アイオーン)! 時の歯車、裁きの刃。久遠の果てより来る虚無──」

何で俺は、デモンベイン輸送用のデッキの上で、魔導書とバルザイの偃月刀を構えているのか。

「我は勝利を誓う刃金、我は禍風に挑む翼」

そして美鳥も、サングラスはともかく、何故裸コートまで再現したのか。
絶妙な角度のお陰でどんな状況でも大事なところが見えない鉄壁に本当に魔術を使用していないのか。
そんな事を、無数の量産型破壊ロボと量産型ダゴンを見ながら思う。

それもこれも、クトゥルフ招喚まで一切俺にまともな指示を出さなかった大導師が悪い。
お陰でドラム缶の液体人間がドクターウエストの研究所に住み着くわ、全身サイボーグの下っ端が最新式のモータースーツを着た覇道瑠璃と低レベルな戦いを繰り広げるわ。
もう散々である。大体あの下っ端は何故あそこまで全身に火器を搭載した無敵ボディにされておきながらパワードスーツ覇道瑠璃と互角レベルなのか。
液体人間はダンセイニと意気投合して粘性が僅かに増すし、調子に乗ってドラム缶から出ようとして排水溝に流れかけるし。
どうにもこうにも、改造してやったボディを操るのに精神性とかが足りて無さ過ぎるのではないだろうか。
むしろ肉体に精神が引っ張られまくりで、元の人格があるかどうかも怪しい。

他にも他にも、
ドクターウエストが何時も通りのキチなのに、ボスボロット理論を利用した機械工学の話になるとまともな表情になるのも、
大十字九郎がこのループでも何時も通りロリコンでなおかつシスターにもデレデレなのも、
糞餓鬼さんの魔術師としての腕前がどうしても先生に比べると稚拙すぎるのも、
ティベリウスの視線を不快に感じた美鳥がうっかり夢幻心母内部でクトゥグア神獣弾を乱射してしまったのも、
シュブさんが最近バイト後に引き留めて世間話の時間を長めにとる様になったのも、

「永劫! 汝より逃れ得るものはなく、汝が触れしものは死すらも死せん!!」

「無窮の空を超え、霊子(アエテュル)の海を渡り、翔けよ、刃金の翼! 舞い降りよ! アンブロシウス!」

せっかくブラックロッジに在籍してるのを匂わせてやったのに大十字もアルアジフも喰らい付かなかったのも、
美鳥が大事に取っておいたコンビーフを三つ目のネズミに齧られたのも、
一昨日姉さんが好物のタケノコの煮物を寝ぼけて箸を滑らせて落として落ち込んだのも!
あれもこれも、全て!
何もかも、大導師が悪い!

「美鳥、俺は今からMAPWを撃つ。乱れ打つ。避けるか耐えるかしろ。先輩、俺と美鳥で露払いをします。せめてまっすぐ飛んでけば当たらないように撃ちますから、さっさと招喚お願いします」

―――――――――――――――――――

《ファイルロード、クトゥグア・イタクァ、ファイナルアタック!》

融合の過程を無視し召喚されたアイオーンの全高の二倍はある長大な融合砲から、イタクァの追尾性能を持ったクトゥグアが途切れることなく放たれ、南極の海に溢れ返る邪神も空を覆い尽くす破壊ロボも瞬く間に蒸発いや、消滅させていく。
放たれた神氣の炎、その余りの熱と字祷子の密度にダゴンの肉体や破壊ロボのボディを構成する字祷子が耐えきれず、熱に焼かれるという過程を経ず押し潰される様にして最小単位に分解され、招喚されたクトゥグアの炎に取り込まれているのだ。

当然、下級の邪神──ダゴンも破壊ロボも黙ってやられ続けている訳では無い。
遠距離での戦いは分が悪いと思うや否や、即座にアイオーンに対して特攻を開始する。
アイオーンを軽く丸呑みしてしまえるほどの巨体を持つダゴンのダイブアタック。
未だその両手に融合砲を構えるアイオーンは、しかしそのダゴンの突撃にも慌てることなく、ゆったりとした動作でもって融合砲の実体化を解除。
両手は空いたが、次の武装は間に合わない。

《ハスターのおぉ……!》

だが、今まさにアイオーンを呑みこまんとしたダゴンが、突如横合いから飛び込んできた巨大な航空機の体当たりによって、その外殻を粉砕されながら吹き飛ばされた。
航空機、いや、鋼の怪鳥とも言えるそれは、魔導書『セラエノ断章』によって召喚された鬼械神。

《虹色の! 脚! スペシャ、ルゥゥッ!!》

ロードビヤーキーよりもアンブロシウスに似た美鳥の操る鬼械神が吹き飛ばしたダゴン目掛けて亜光速の連続蹴りを放つ。
蹴り足の軌道に合わせる様に生まれた無数のハスターの魔風が死にかけていたダゴン諸共、周囲のダゴンと破壊ロボを粉微塵に切り刻む。
するとどうだろう。字祷子へと分解されたダゴンと破壊ロボの残骸が虹色の輝きを帯びた美しい火花を散らし、まるで祭りの夜の花火の様な光景を作り出したでは無いか。

《へっへーん、どうよ。これが鬼械神ファイターという全く新しいジャンルの象徴的な》

《ファイルロード、ドールドリル──》

七色の花火を背景にポーズを決めるセラエノ断章の鬼械神を掠める様に、鬼械神の指程もある円柱が伸び、花火の後ろから迫っていた破壊ロボとダゴンを貫いた。

《──フルドリライズ!》

アイオーンの手首から伸びていた一本の細い円柱。
螺旋の溝が二本刻まれた、一般的にはツイストドリルと呼ばれる工具の形状をした魔導兵器。
星を貪り喰らう蟲の記述を元に生み出されたそれが、アイオーンの操者である卓也の呪句(コマンド)の詠唱を持ち、その真の力を発現する。
アイオーンの全身の間接の隙間から、数十、数百、数千の粘性の液体にも似た魔力を纏うドリルが現れ、先の魔砲に匹敵する速度で、周囲のダゴンと破壊ロボ、更には上空のクトゥルフの触手にすら突き立てられた。
流石にクトゥルフの触手は完全には削りきれていないが、それでも表面をガリガリと削りながら増殖したドリルは、次々とクトゥルフの触手を捻じり上げていく。
クトゥルフ以外の獲物体内深く潜り込んだドリルは、削り取った破壊ロボのパーツをダゴンの臓を喰らい尽くし、スカスカのスポンジ状になるまで被害者達を喰らい、喰らった養分を元に更にドリルは伸長、次なる獲物を求めて掘削を続ける。

《フェイントかよ、って、うぉっ、ちょっ、お兄、まっ、まっまっ!》

そして、大いに慌てながら奇声を発し、超次元的な軌道の飛行でそれらドリルの追撃をかわし続ける美鳥の鬼械神。
アイオーンの、卓也の味方であることなどお構いなしに追撃してくるドリルに四苦八苦している。

《美鳥、それは仕様上しばらく自動で追尾が続くから、気合い入れて避けろよ》

《理不尽だぁぁぁぁぁ!》

叫びつつ、周囲に展開する死に損ないのダゴンや破壊ロボをハスターの風や蹴り、鎌などで切り裂き続ける光景は、声とは異なり意外と美鳥に余裕がある事を見物人に感じさせていた。
見物人もまた鬼械神、何時の間にか虚数展開カタパルトより招喚された、人造の鬼械神、デモンベイン。
そのデモンベインを操る一人と一冊は、その光景を見ながら困惑していた。

「なんかあいつ、妙に気合い入ってるな」

「気合いが入っているというよりも、行き場の無い怒りをぶつけている様にも見えるが」

呑気な事を言っている彼等も、出撃前はそれなりに気合いが入っていたのだ。
だが、ドクターウエストの監視役として着いてきた筈の二人の後輩が、突如かつての自分達の相棒でもあった鬼械神と大学での恩師や逆十字と同系列の鬼械神を招喚し、今まで見たことも無いような気迫を漲らせながら殲滅戦を始めてしまい、呆気に取られ、気を削がれてしまったのだ。

《先輩》

「お、おう、どうした?」

自動で周囲の獲物の追尾を続けるドリルの隙間をどの様に抜けるか考えていた九郎は、唐突に掛けられた後輩からの呼びかけにうろたえながらも応える。

《あと一分でデモンベインが安全に突入できるだけの余裕が生まれます。そしたら改めて突入を》

「ああ、悪い。じゃねえ、サンキュー」

「そこまでお守をされる云われは無いと思うがな。それほど妾達の力が信用できぬのか?」

不貞腐れ気味のアルアジフに、卓也は努めて平静な口調で答える。

《お二方の力は知っていますけどね。その鬼械神もどきにそれほど慣れてないだろうって事も分からないじゃないのですよ》

「む……」

「こりゃ一本取られたな、アル」

「喧しいわ!」

アイオーンからデモンベインへと乗り換え、体験した実戦の数は片手で数えるほどしか無い。
万全な状態で夢幻心母の中で戦おうと思ったなら、それ以外の戦闘は極力避けるのが適切ではあった。
戦闘中でありながら流れる和やかな雰囲気。

《それと、一つだけ言っておく事があります》

だが、その空気を引き締める様に卓也の言葉に真剣な色が混じる。

《大導師に気を付けて下さい》

「何を言っておる。奴は逆十字に裏切られて──」

《ええ、死にました。ですが、気を付けて下さい》

「??」

頭に無数の疑問符を浮かべるアルアジフ。
対して九郎は、卓也の言葉に表情を引き締める。

「生きているのか? あいつが」

《死んでいます。でも、気を付けて下さい。彼は、貴方の宿敵です》

意味が分からない卓也の言葉。死者が生き返りでもするのだろうか。
だがその卓也の言葉に、九郎は何処かで納得している自分が居るのを自覚していた。
たかだか死んだ程度で、大導師マスターテリオンがどうにかなるのだろうかという不安にも似た疑問。
九郎には卓也の言葉が、その疑問への答えへ続くヒントの様に聞こえた。

《本当はもう少し言っておきたい事もあるんですが、そろそろ突入の準備が整いますね》

卓也の言葉の通り、南極の海と空を覆い尽くしていた破壊ロボとダゴンは一時的にとはいえほぼ殲滅され、増援が届くにはしばしの時間が必要になるだろう。
クトゥルフから伸びる触手もその一部を伸長したドリルに絡め取られ、鬼械神が一体夢幻心母に突入出来る程度に隙間が生まれている。
シャンタクで近付き、アトランティスストライクで外壁を蹴り破れば容易く夢幻心母の内部へと突入する事が可能になる筈だ。

「帰ってから聞くさ」

言いつつ、一対の断鎖術式と背部のシャンタクの調整をし、一瞬で空へと駆け上がる。
前方にはクトゥルフと一体化した夢幻心母。
少し下には、全身からドリルを生やし、更に備えつけのモノとは異なる魔銃を両手に構え、魔力弾でクトゥルフの触手をつるべ打ちにしている鳴無卓也のアイオーン。
夢幻心母を挟んで向かい側の空では、手足の生えた戦闘機の様なフォルムの鳴無美鳥の鬼械神が慣性の法則を無視した軌道で飛び回り、背後から追いすがるクトゥルフの触手とドッグファイトを繰り広げている。
これだけの仲間がいれば、安心して決戦に挑む事が出来る。

「行くぜ、アル!」

「うむ!」

雲を突き破り天高く飛翔したデモンベインは、全身を切り揉み状に回転させ回転の力を加え、アトランティスストライクで外壁を蹴り砕き、夢幻心母の攻略を開始した。
そんなデモンベインを見送るアイオーン。

《悪いね先輩》

その言葉と共に、アイオーンの姿が僅かに歪む。
黒い装甲がぎり、ぎり、がちん、がちん、と音を立てて裏返り、無骨ながらも剣の様に鍛えられた武器としての美しさを失い、内部の機械が剥き出しになったカラクリ細工にも似た姿へ。
内蔵されていたアルハザードのランプはそのパーツ一つ一つを仕掛け箱の様に組み替え、魔導書ネクロノミコンとその著者の意図から、思想から著しく外れた存在へと変貌を遂げる。

《このループでの俺とあんたに》

常の、人類の操り得るアイオーンとは異なるアイオーン。
■■■■■■■・アイオーンが軽く手首を捻る動きに連動して、全身から生えたドリルが字祷子を撒き散らしながら高速で回転を始め、クトゥルフの触手を纏めて切断する。
先ほどまでの拮抗が嘘の様に、豆腐でも切るかの如き気安さでクトゥルフの触手を次々に切断し続け、海上の艦隊に手を出せなくなるまで触手の数を減らす。

《『後で』なんて時間はもう存在しないのさ》

ドリルが引き戻され、触手に掛かり切りになっている間に増えていた破壊ロボとダゴンへ向け、つい、と人差し指を向ける。
指先の酷く軽い魔力が流れ、簡素な術式を発動。
ジジ、ジジというノイズと共に、追加で現れた破壊ロボとダゴンが、まるで最初から存在しなかったかのように消滅していく。
字祷子に分解された訳では無い。
文字通りの意味で『最初からこの世に存在しなかった事にされた』のだ。
その異常な光景に、この場に存在する人間は一人として気付けない。
いや、目の前の光景を見てはいる。しかし、それが何を意味するのか認識する事が出来ずにいる。
常の常識的な判断力を、別に敵が唐突に消えるのは不思議では無く、騒ぐまでの事でも無いという非常識な認識に密かにすり替えられているのだ。
故に、卓也の■■■■■■■・アイオーンと、何時の間にかその背に翼の様にドッキングしていた美鳥の鬼械神が、その場から音も無くレーダーにも掛からず静かに消えようとしている事に気付く事も出来ない。
何の説明も無く協力者がこの場を離れる事も、今の彼等にとっては不思議な事では無いと思えてしまう。

《これからどうするの?》

翼と化した鬼械神の中の美鳥が、兄であり主である卓也に問う。
それに卓也は、攻撃目標が一瞬で激減した事だけを認識でき、ここぞとばかりに攻勢にでる艦隊を見下ろし鼻を鳴らしながら答える。

《今回のループ一回使ってやっとわかった。次はもう少し積極的に大導師に意見を言って行こう。あのザマじゃ、話がいっこうに進まん》

無限に存在するかとも思われた破壊ロボとダゴンは、しかしその残量を調整されたかのように増援の数を減らし、今や完全に人類の艦隊有利。
鬼械神がなくとも拮抗し得るよう作り替えられた戦場。
そのうそ寒い光景を振り返る事も無く、卓也と美鳥の鬼械神はゆっくりと南極を後にした。

―――――――――――――――――――

★月◇日(一人は皆の為に)

『オールフォーワン・ワンフォーオールの精神とはつまるところ、全員がその志に沿った行動を取らない事には成立しない』
『誰か困っている人がいたら手を貸す。それを全員が行う』
『全員がこまめにこういう行動をとり続ければ、みんなが一人の為に行動しているように見える、という訳だ』
『情けは人のためならず、という言葉をより分かり易く行動指針としたのがこの言葉だとも言える』
『手は手で無ければ洗えない。得ようと思ったら、まず与えよ』
『何かを得る為には、自らも相手に対して何かを差し出さなければならない』
『メイトやヨドバシやビレバンやヨーカドーに行ったとしても、財布のひもを緩くしなければ何も買えないのだ』

『思えば前の周、ブラックロッジでの社員生活一周目』
『俺は大導師に何か利益を齎したのだろうか』
『少なくとも俺の視点では、俺は大導師に何も益を齎していない。せいぜい組織を少しひっかきまわした程度で、大導師と大十字の対決構造には欠片も手を入れなかった』
『というか、逆十字にすら碌に接触していない』
『ティベリウスが美鳥にちょっかいを出そうとしていたが、ティベリウスが近付こうとした瞬間に美鳥がクトゥグアを召喚して汚物を消毒しようとする為、ティベリウスは迂闊に美鳥に手を出す事は出来なかったのだ』
『マッチョと糞餓鬼はそもそも面識すら殆どないし、強力若本さんはニャルさんがちょちょいと手を加えて俺に興味を抱かない様に調整されていた』
『アヌスさん辺りは俺の改造手術の噂を少しだけ聞きつけていたが、そもそも彼の改造人間作製技術は巫女を作る過程で生まれた余技であったため、それほど興味を引かなかったらしい。液体人間の噂は耳に入らなかったのだろうか』
『禿げてない天さん(四妖拳的な意味で)はそもそも強い相手を斬れればいいタイプの人なので、あからさまに外様の技術者として振舞っていた俺と美鳥には欠片も興味を示さなかった』
『なんか逆十字はもう一人居た様な気もするが、何時の間にか脱走して死んでいたのでこれはどうでもいい。魔導書も本人も既に所持してるし』

『つまるところ、俺は前回少しばかり消極的過ぎたのだ』
『きっと大導師の事だから何か考えあっての事だろう、と思っていたのだが、それは大きな勘違いだった』
『よくよく考えてみれば、今の大導師は邪神の企みに気付いてからそれほどループを体験していない』
『で、二年ほど前に見せて貰ったブラックロッジはじめて物語を思い出して、大導師の素のキャラを類推してみれば──』

『(>ω・)ゞ☆意思(テレマ)なり!』
『(・ω⊂)余は……地球皇帝マスターテリオン!』

『この二つに尽きるだろう。……駄目だ、何も考えていない様にしか思えない。こんな事の為に日記に一行とはいえ手描きでAAを書く破目になるとは思わなかった』
『何しろ、まだ大導師は絶望してない。最大のイレギュラーと言われるトリッパーを求めていた事からしてもよく分かる。彼もまた試行錯誤を繰り返している最中なのだ』
『ていうか、地球皇帝マスターテリオンの延長線上、しかもすぐ近くに存在しているのだから、そこまでの思慮深さを求めるのが酷なのかもしれない』
『基本的にブラックロッジでの活動、大導師はカリスマと魔術以外は発揮してないからな……』
『これが強すぎる力故の弊害というやつなのだろうか』

『ともかく、思いこみだけで行動すると時間を無駄にするのだとよく理解できた』
『次のループが始まったら、ミスカトニックに行く前にブラックロッジにカチコミ入れて、大導師を問いただす作業から始めなければ』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

その日、大都市アーカムの外れ、『第十三番区角』通称『焼野』の地下にそびえるブラックロッジの本拠地にして移動要塞である夢幻心母は、未だかつて受けた事の無い程の大規模な襲撃を受けていた。
いや、大規模と言っていいものか。
襲撃者の数は、元は二名。
碌な武装も部隊も引き連れずに夢幻心母に侵入してきた無謀な侵入者に対し、当初は下部構成員達の警備部隊が当てられていた。
だが、通常の警察や軍隊では手も足も出ない程には力のある魔術装置で身を固めた構成員達は瞬く間に無力化され、賊の足止めをする事すら出来なかった。

次に、侵入者の強さに興味を持った異形の剣士、逆十字のティトゥスが迎撃に出る事になる。
この時点で、侵入者が三人に増えた。
元の侵入者は二人、二十代かそこらの青年と十代中盤程の少女。
この時点で増えた三人目の侵入者は、三十台程の東洋系の厳しい顔立ちをした剣士。
魔術的に肉体を改造したティトゥスの二刀流に対し、一本きりの刀で持って互角以上に立ち会いを続け、最初の二人の侵入を手助けした。

ティトゥスの次には、侵入者の容姿を聴き、若く可愛らしい少女という事に興味を──もっと突っ込んで言えば性欲を──持った不死の魔術師、逆十字のティベリウスが侵入者を見物に行った。
この時点で、侵入者が四人に増えた。
新たに現れたのは、銃剣に魔導書を携え、背後には群青色のカミキリムシを従えた、緑色の髪をした妙齢の女性。
美しい女性、もしくは可愛らしい少女や少年であれば性欲を抱き、とりあえず犯しにかかるティベリウスが思わずドン引きして逃げまわる程、好戦的な喜悦に歪んだ顔でカミキリムシの変形した鎧を纏い、一方的に追い回した。
追う者と追われる者が逆転している隙に、最初の侵入者二人は夢幻心母の奥へと進む。

最後に、夢幻心母に残っていた逆十字の残り、カリグラとクラウディウスがどんな馬鹿が現れたのかと見物をしに行った。
新たに現れた五人目の侵入者は、彼等の良く知る、マスターテリオンにすら匹敵する、自分たちの遥か上の位階に居る魔術師だった。
赤い拘束具ではなく、シックな黒色の少女服に身を包んだ魔術師は、二丁の魔銃と多彩な魔術により、二人の逆十字を軽々と手玉に取り、猫がネズミを弄って遊ぶ様に暴虐の限りを尽くした。
戦いながらも後ろ手に笑顔で手を振る魔術師に対し軽く手を振り返しながら、二人の侵入者は、夢幻心母の中を進む。

ティトゥスVSまっすぐな振りの剣士。
ティベリウスVS群青色の鎧を纏う戦狂い。
クラウディウス&カリグラVSマスター・オブ・ネームレスカルツ。
恐ろしく長い廊下VSやる事の無い侵入者二人。
夢幻心母の中で繰り広げられる、かつてない規模の大闘争劇。

一番早く決着が付いたのは、長い廊下を相手取っていた二人の侵入者だった。
そして、二人が夢幻心母の中心である玉座の間に到着すると同時、三人目以降の侵入者は、まるで何もかもが幻だったかのようにその姿を消した。

―――――――――――――――――――

ドアを蹴破り、玉座の間に侵入する。
玉座を囲み、大導師を守る様に陣形を組んだ構成員達をテレポートで夢幻心母の外に纏めて放り捨て、ずかずかと玉座に向かって足を進める。

「hey大導師殿、再会祝いに鰤大根一丁お待ちしました」

大十字に感化され、少しだけ挨拶をフランクかつアメリカナイズド。

「…………余が思うに、それは鰤大根ではなく、ブリガンダイン(※1)ではないか?」

※1、十二世紀から十七世紀にかけて製造された、人間の胸部や胴を覆う鎧の一種。地方によって様々な製造バリエーションが存在している。
そこに気が付くとは、やはり天才か……。
前の周では、謁見が始まるととりあえず鰤大根食べ始めてたから、今回も確認せずに齧り付いて、そこからノリツッコミ的にブリガンダインである事に気が付くかと思ったのだが、少なからぬ成長を遂げているようだ。
それが少なからず喜ばしくもある。
前の周ではボケてもこういう突っ込みは中々来なかったのだ。これは大導師も変化を求めていると考えてもいいだろう。

深皿の上に無理やり乗せていたブリガンダインを美鳥に投げ渡し、玉座の間を魔術と科学の両方面から捜査。
盗聴や盗撮、使い魔の類が無い事を確認した上で、話を切り出す。

「大導師殿。もしやあなた、俺達を仲間にした後の事を、何も考えていませんでしたね?」

俺の問いに、大導師の後ろに控えていたエセルドレーダが険しい表情を作り前に出る。
が、大導師に無言で制され、渋々といった表情で後ろに下がり直した。
大導師はしばし目をつむり、天を仰ぐ。
そして顔を下ろし、眼を開ける。

「当然であろう。邪神ですら測り知る事の出来ないイレギュラー。どう扱うかなど、そう直ぐに思いつくことでも無い」

カリスマ顔で言い切りやがったこいつ……!
今すぐここではじめて物語を流したくなる衝動を堪え、溜息を吐く。
俺の溜め息に一々反応してエセルドレーダが睨みつけてくるが、知った事では無い。
もういい。畏まるのも一歩引くのも無しだ。

「そうですね、それは当たり前のことです。貴方は邪神とのハーフで、俺達はトリッパー。どちらも通常の人間からは外れていますが、だからといって邪神の思惑まで理解できる訳では無い」

なので、一旦大導師の言葉に頷いておく。
この事実を互いに認めた上で、その上で互いの考えを知らなければならない。

「話し合いましょう。互いに知る事、知らない事。貴方は邪神の企みから逃れたい。俺は自身の性能を向上させたい。互いの目的を果たす為に、益になる事を」

何をするでもなく飼殺しにされるのはまっぴらごめんだ。
社員として一年近く侵入し、夢幻心母も他の社員の能力の程も大体理解した。
どちらにしろ大導師が大十字と共に成長し、輝くトラペゾヘドロンを召喚しない事には幾ら成長してもこの世界から抜けて元の世界に帰る事も出来ないのだ。
余程のへまをしなければ、今後もブラックロッジで安全に活動を続ける事は難しくも無いだろう。

べ、別に早くDSのスパロボ新作をプレイしたいからこんなこと考えている訳じゃないんだからね!
トリッパー的には原作知識で原作キャラを少し導くのも運命だと思っているだけなんだからね!
ついでにミスカトニックでは手に入らなかった能力も取り込んで、自身の強化に充てたいっていう理由もあるんだから、勘違いしないでよね!

「話し合う、か」

俺の言葉に目を瞑り考えこむ大導師。
数十秒の間を置き、大導師はその瞼を開ける。
開かれた大導師の瞳には、これまでの邂逅では見た事の無い、不安や期待といった人間臭い感情の光が見てとれた。
大導師マスターテリオンになる前の『彼』の瞳に少しだけ似ている。

「余は、貴公らが何を知るかを知らぬ」

「知らないなら聞いて下さい。聞かれなければ教え様もありません」

「貴様──っ!」

とうとうエセルドレーダが俺の無礼に堪え切れず、手に黒い魔力を迸らせながら一歩前に出る。
が、激昂するエセルドレーダを、俺の背後に控えていた美鳥が前に出て無言で牽制。
アルアジフ、無名祭祀書、セラエノ断章、その他有象無象の大量の魔導書、極冠遺跡の中枢を含む大量のコンピュータを内包し、『裏技』で更に演算能力を増強した美鳥は、無言の内にエセルドレーダの手の中に収束した魔力を霧散させる。
魔術をディスペルされ、驚愕に顔を歪ませるエセルドレーダ。にやりと笑う美鳥。

「ほう」

エセルドレーダの術をディスペルした美鳥の鮮やか過ぎる手並みに、大導師は軽く眼を見開く。
これで、ある程度は此方が『できる』と踏んだのだろうか、大導師は頬杖を突いていた顔を上げ、こちらに向き直った。

「問おう」

「は」

「かの邪神を制する一手はあるか?」

決定的な、この時点で最も大導師が知りたいだろうと思っていた問い。
それに、はぐらかすではなく遠回りに、必要な行動から知識を与える。

「大十字九郎。かの者への対処に情け容赦をしないことです。常にその時点で出せるだけの力を持ち、しかしギリギリの所で殺さぬように、徹底的に追い詰めるのです。」

「何故だ」

「あれは、叩けば叩くほどより強くなり立ち上がります。そして、貴方はそれに呼応するように力を付ける事が可能なのです」

「これ以上の力を得て何とする」

「邪神を制する、目論見を台無しにする為に、呼び出さなければなりません」

「それは?」

「『輝くトラペゾヘドロン』」

問いに簡潔に答える。

「輝くトラペゾヘドロン(シャイニング・トラペゾヘドロン)……」

大導師は、その言葉を口の中で転がす様に改めて呟く。
思案顔の大導師に、重ねて言葉をぶつける。

「強くなられませ、大導師殿。より高くより強く、遥かな高みを目指すのです。空の果て、星の海を超え、銀河を飛び出し、宇宙の中心に辿り着くその時まで」

跳び付かずにいられない魅力的な餌を吊り、迷える大導師に指針を示す。
そんな俺の事を何処からか見ているネズミが、ちゅう、と愉快気に嗤い声を上げた気がした。




続く
―――――――――――――――――――

>「恐れながら大導師殿。────鰤大根は先程も食べられたばかりかと」
★ここが今回のオチでした。OP前のアバンでオチた感じ★
★大導師が顔を両手で覆って自己嫌悪に陥る辺りでOPが流れ出すとベスト★

以上、予想に反してブラックロッジの名前あり構成員の台詞が一つも無いブラックロッジ編第一周目、全然絶望して無いけど十四歳病から十七歳病に華麗なる成長を遂げた大導師の憂鬱的第五十一話をお届けしました。

ブラックロッジ一周目は冒頭の悩める大導師のグダグダが延々続き、只管ブラックロッジ平社員を改造したりしている内に終わった感じ。
要望あれば二周目以降で似た様な事やって描写する感じで。
無いとは思うけどね要望!


Q&Aを挙げ出したらきりがないので、今回のさらっと流されて以後使われないオリキャラ&オリアイテム紹介。

・ドラム缶に詰め込まれた液体人間
元ブラックロッジの信徒であり、主人公が魔導書を斜め読みしている時に思いついた改造方法の被検体。
人間は自らの肉体と言う檻に閉じ込められた囚人であるという尊敬する人物の言葉を元に、某SFCゲームの設定を元に製造された。
ベースとなる人間が複数人数である事と、全員が魔術師であった事から元ネタよりも性能が高い。
人間らしい情動は失われているが、この状態で修業を重ねれば、鬼械神『御出居』を招喚する事が可能になる程のポテンシャルを秘めている。
奉仕種族として如何にショゴスが優れているか図らずも証明した貴重な失敗作。
最終決戦後も残っているが、人間であった頃の記憶が混濁している為、自分を改造したのが主人公である事は誰にも告げていない。

・身体の七十パーセントを改造された下っ端
最終的に生身のパーツは脳味噌と脊椎だけになったが、そのボディの戦闘能力は極めて高い。
顔面以外は平時はロボット刑事、戦闘時はウォーマシンといった風貌のサイボーグだが、元になった下っ端自体の脳の性能がよろしくないので、今一力を扱いきれていない。
最終決戦前に、逆十字の攻撃から覇道瑠璃を庇って大破する。
顔面は情けない絶火とでも表現するのが一番近い。
ヘタレだが、スペックが異常に高いので死ぬ気で頑張ればメタトロンやサンダルフォンに勝てないでも無い。

・覇道瑠璃の着たモータースーツ
デモンベインを建造できる技術でもって製造された、ダーレスの着ていたモータースーツの正当な後継機。
頑丈で、大きく、力が強く、空を飛ぶ。ただそれだけの機体。
映画版のアイアンモンガーで想像すれば大体合ってる。
可愛らしく華奢な少女がゴツイ機体に乗っていると嫌に興奮する、それだけの理由でこの機体は存在している。

・■■■■■■■・アイオーン
多分後々、大分後に再登場出来る。
無限螺旋の中で、デモンベインに繋がるまでのアイオーンという鬼械神はいかなる役割を持たされていたのかという疑問への、千歳・アルベルトなりの回答。
台詞が殆ど無い彼女の作品作りへの捻くれた情熱を如実に表す存在。
主人公が誰かと戦う羽目にならない限りは使われる予定は無い。
シリアス担当。


こんなところでしょうか。
大導師を情けないキャラにしてしまいましたが、外面は原作っぽい振る舞いをさせ続けるつもりなので、そこら辺はご安心ください。

誤字脱字に文章の改善案、設定の矛盾への突っ込みにその他諸々のアドバイス、そしてなにより作品を読んでみての感想、短くとも長くとも、短くも長くも無くとも、心よりお待ちしております。



[14434] 第五十二話「策謀と姉弟ポーカー」
Name: ここち◆92520f4f ID:190f86b3
Date: 2012/12/08 21:31
大暗黒時代にして大混乱時代である大都市アーカムは、その広さに違わぬ様々な姿を持つ。
一面ではさびれた港町があるかと思えば、もう一面では個人所有の飛行場がある。
一面では二束三文で子供が売り買いされている治安の悪い地域があれば、もう一面にはゴミ一つ落ちておらず、軽犯罪の一つも発生しない治安のいい地域も存在する。
この場所は、それらのどの地域にも近く、どの地域からも遠い、絶妙な場所に存在していた。
天を突く様な、とまではいかないまでも、周囲の街並みを一望できる高層建築。
ブラックロッジとの関係は薄いものの、街の筋者が大量に入居している、俗に言うヤクザビルというものだ。
いや、元ヤクザビルというべきか。ブラックロッジに恭順せずに居た筋者達を一掃した怪しい男に安く買いたたかれたそのビルは、今では三人の男女によって使用されている。

「あー……」

一人は、シックな黒色の少女服をハンガーにつるし、小豆色のジャージを着た少女。
椅子に座り、テーブルに肘を立てて頬杖を付き、テレビを見るでもなくぼうっとした表情で眺めている。
元逆十字最強の魔術師ネロ改め、魔法少女エンネア。

「あら、どうかして?」

もう一人は、全身を白のフリルで覆ったロリータワンピに身を包んだ妙齢の女性。
ソファに座り、自らが来ている服と同種の服に、針と糸で細工を施している。
元フューリー聖騎士団の騎士、フー=ルー・ムールー。

「なんじゃ」

最後に一人、藍色の作務衣を着て髪を黒い紐で結い後ろで束ねた齢三十程の男。
部屋の中で更に広い場所にて、一心に刀を振り続けている。
元グレイブヤードの墓守、蘊・奥。

この三人は、いずれも元となった人物その人ではない、理論上、そして事実上誰もオリジナルとの違いを見つける事が不可能な程精巧に造られた複製人間だ。
だが、彼等は複製として造られる過程で、ある程度『製造目的』を達成するのに適した身体に調整されている。
そう、彼等にはすべからく『製造目的』が存在している。

「卓也と美鳥、まだかなぁ」

だが、その製造目的を果たす為だけに彼等は存在している訳では無い。
いや、それ以外の目的があるからこそ、彼等はその製造目的を全うしようと自発的に活動を行っているのだ。
故に、彼等は同じビルに住んではいるものの、普段はそれぞれ別のフロアを使い、日々の生活を行っている。

「そのセリフ、つい五分前も聞きましたわね」

裁縫の手を止めず、フー=ルーがクスクスと笑い声を洩らす。

「今日は大学に行く日じゃと言っておったからな。来るのは日が暮れる頃じゃろ」

蘊・奥は、働き盛りの成人男子といった外見に見合わぬ年寄りじみた言葉使いでエンネアの疑問に答えながら、尚も刀の素振りを止めない。
そんなフー=ルーと蘊・奥の余裕の態度と、それに比べて自分の子供っぽい振る舞いに気恥ずかしさを覚えたのか、エンネアはぷぅ、と頬を膨らませながらベランダの方へと視線を外した。

窓の外から見えるアーカムの光景。
真上に上った太陽が燦々と紫外線を振りまき、忙しそうに道行くサラリーマンの、ゆったりと乳母車を押しながら談笑する母親たちの、大学をサボって公園でハトにパン屑をばら撒いている大学生の皮膚を焼いて行く。
そんな、極ありふれた日常を眺めながら、エンネアは思う。

──みんな紫外線浴び過ぎて熔解しちゃえばいいのに。

勿論、本気でそんな事を思っている訳では無い。
自分は余りにもやる事が無く、テレビを見ながら待ち惚けているというのに、楽しそうに日常を送る連中が少しだけ羨ましいのだ。

それこそ、普段であれば幾らでも時間の潰し様はある。
洗濯して掃除してお布団を干して買い物をして、少しだけ本屋に寄って、雑貨屋で小物を見るだけ見て帰って、ラジオを聴きながらおやつを作って……。
だが、人を待っている状況では下手に外に出掛ける事もできないし、ここは自室でもないので料理の類も出来ない。
これで、待ち人がいつ来るか分かるタイプの人なら良かったのだが、今待っている二人はエンネアの魔術師としての腕を持ってしてもその行動を知り得ぬ特殊な人種なのだ。
そうでなければ、こんな話し合いの時にしか使われない様な部屋に顔を出す理由など無い。
連絡が来たのが昼少し前で、昼食を取ってからすぐにここで待っているというのに、これでは余りにも間抜けすぎる。
時間は限られている。
その限られている時間が以前とは違い格段に長くなったとしても、それでも人の一生は有限なのだ。

「まだかなぁ……」

だから、ついつい口に出して言ってしまう。
その言葉に反応して、フー=ルーが肩を竦める気配をエンネアは感じた。

「先ほどからまだ三分も経っておりませんわよ?」

言われるまでも無い。
さっきのセリフからまだ二分十三秒しか経過していない事なんて自分が一番理解している。
ついでにこの台詞もかれこれ四十二回目だ。
一々カウントしてる自分の律儀さが空しくなりテーブルに突っ伏すと、蘊・奥が素振りを止めて刀の整備に取り掛かった気配を感じる。

「待つ時間はもどかしくもあるが、そのもどかしさを楽しむのも人生じゃろう」

理解できるが、納得はできない。
待つ時間は楽しいが、結局のところもどかしさを感じるのはやはり不快でもあるのだ。
いや、来る事が分かっているという安心感があればこそ、というのも理解はできるのだけれど。
それに、ブラックロッジを襲撃した時以降はずっとこのビルで生活をしていただけだったので、最近は生活リズムも崩れて来ていたのだ。

「うぅ」

ありていに言えば、ねむい。
昨夜はオールナイトアーカムにゲストでH・P・ラブクラフトが出演していたせいで、思わず夜更かししてしまっていたのだ。
しかも、これまでひっそりと送り続けていた葉書がこのタイミングで読まれ、思わず夜明け少し前まではしゃいでしまった。

読まれたのはゲストへの質問。
以前卓也達に教えて貰った『邪神眷属すら殺害できる攻撃力を備えた祖父の形見の仕込杖』の存在の真偽と、常日頃から持ち歩いているのか、という質問だ。
どうせ読まれる事は無いだろうと高をくくって、かなり専門的な魔術用語を多用した質問をしてしまったのだが、H・P・ラブクラフトの見事な応対には感激すると同時に感服してしまった。
噂によると彼はシュブ・ニグラスの信奉者であると言われているし、かの邪神から魔術に関する知識を得ているのかもしれない。
句刻は夜更かしできないから論外として、卓也か美鳥が録音していないものだろうか。
録音していたなら、再生できるプレイヤー毎譲って貰おう。そして永久保存しよう。

ああでも、何の見返りも無しに譲ってくれるだろうか。
頼み込むまでも無く、ちょっとコピーしてくるから待ってて、みたいなノリで貸してくれそうではあるけれど、それは少し、余りにも自分の側にだけメリットがあり過ぎるのではないだろうか。
かといって、今の自分には見返りとして差し出せるようなものも無い。
というか、そもそもこの住居に衣服に生活費など、全て賄って貰っているのだ。
そのうえで、録音したデータと再生機器を譲ってくれ、などと言えるだろうか。

いや、フー=ルーは先日何の臆面も無く『衣装を自作してみるから、教本と材料の費用を用意して下さらない?』とか言っていた様な気もするし、そんな物なのだろうか。
いやいや、蘊お爺ちゃんの刀と衣服、生活用の雑貨は元を正せばお爺ちゃん自身の持ち物だと言っていたし、それ以外に何か貰った時も何処からか金を稼いできては返していた気もする。
同じ境遇の二人は、余りにも極端すぎて参考にはならない。
常識的に考えればお爺ちゃんの方を参考にするべきなのだろうけど、金を稼ぐにしても何処で稼げばいいのだろうか。

「おいーっすぅ、みんな集まってるかよ?」

どの職業にしても、世界から情報を引き出せばエンネアに出来ない事は無い。
が、エンネアの見た目の年齢で雇ってくれる店となると、余り品の良い場所は望めないだろう。
良い所で新聞配達、悪ければ子供を専門に扱う娼館にでも斡旋されかねない。

「あら、思ったよりも早いのですね」

ニグラス亭なる食堂はそこら辺の規制が緩いらしいが、あそこは卓也が働いている。
働いている理由などを間違って聞かれでもしたら、『そんな気を使わなくていいのに』などと言われて、再生機器も音声データも押し付ける様に譲られかねない。
それでは駄目だ。筋が通っていない。美鳥辺りなら『すじ公国が通行規制』とでも表現するほど通らない。どこだよすじ公国って。

「今日は午後の講義は一コマだけでしたからね。蘊・奥さん、身体の調子は如何ですか?」

「ふん、何も問題は無いわ。じゃがここまで若返ると、身体が動き過ぎて違和感があるのう。不思議なものじゃ」

筋、すじ。
そうだ、身体で払う、というのはどうだろうか。
別段異性として好き、という訳でも無いが、邪神や知らない人間に比べればまだしも抵抗は無い。
そもそも腹の中のテリオンを取り除いてくれたのだから、そのお礼に、という理由も付けられないでもない。
自慢になるが、細かな傷を度外視すれば人並み以上の美貌を誇っていると思う。
以前こことは異なる時間で、具体的にはまだテリオンが胎の中に居た頃に一緒にお風呂に入った事はあった。
だがあの時とは異なり、今は胎の中に誰も居ない。
プロポーションは以前の比では無い筈だ、と思う。

「そこら辺は慣れてください、としか。最低値に合わせるよりは効率的でしょうし、下手に脳味噌の方を弄って腕を鈍らせて貰っても困りますしね」

「なんでしたら、私が慣らしの相手をしても──」

「フーさんは部屋の壁貫通させるから却下な」

以前は何だかんだでペタン娘だの膨らみかけだのコメし難いだの美鳥にからかわれるし、バスタオル一枚で背中流してあげたにも関わらず卓也はリアクション薄いし。
句刻に至っては、わざわざ子供用のブラまで買ってくる始末(可愛かったから貰ったけど)だし、鳴無家のみんなは揃いも揃ってエンネアを子供扱いし過ぎていると思う。
こう見えてエンネアは立派な大人だ。
なにしろ最低でも■■歳で──
■■歳で、……■■歳。
ええと、暴君ネロ、■■歳。
最強にして最凶の逆十字、暴君ネロ■■歳!
何処にでも居る女の子、でも実は魔法少女なエンネアは若さと色気香る■■歳♪

…………。
……。
■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳、
■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳、
■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳、
■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳、
■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳、
■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳、
■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳、
■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳、
■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳、
■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳、
■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳■■歳!

「前に出したあれが良いかもしれんの。ほれ、『東方不敗の格闘能力と蘊・奥の剣術、湊斗光の脳から写した吉野御流合戦礼法、更にはシュリュズベリィ先生の魔術的能力を備えた数打ちブラスターブラスレイターテッカマンサンダルフォン量産型バージョン28.02(更新内容・肌年齢低下)初回特典金神の大きな欠片入り』とかいう木偶があったじゃろう」

……おかしい。今の年齢思い浮かべただけだよね。なんで検閲されたの?
別に邪神の名前とかでもこの世界の仕組みとかでもhydeの身長でも無いよね。年齢思い浮かべただけだよね。
しかし156。あ、これは大丈夫なんだ。■■歳。
…………いいや、釈然としないけど、これは一旦考えないでおこう。

「ダースで?」

「所詮は魂の籠らぬ木偶、グロスで来い」

「流石スパロボ世界出身は格が違ったなー」

「Gガンをクロスさせたばっかりに……」

ともかく、身体で払う、ってのは一番分かり易いし親睦も深められる。
上手くいけばもっと仲良くなれるし、姉弟間で、なんて不純な状態から抜けさせる事も可能かもしれない。
美男という程でも無いけど不細工という訳でも無いし、気配りも出来る方だし、シスコンさえ直せば恋人の一人や二人頑張れば直ぐにできると思う。
いや、でもそうすると今度は美鳥が更に不憫になるし……。

「エンネアちゃん?」

「え……、ひゃ!?」

肩を叩かれ、初めて卓也と美鳥が部屋に訪れていた事に気が付く。
心配そうに此方の顔をのぞき込む卓也の表情には、心配一割、疑惑一割。
残り八割は自宅で待っている句刻の事でも考えているのだろう。
たった一週間の共同生活では知る事の出来なかった卓也と句刻と美鳥の特殊性癖は、鼻と鼻が触れそうな距離にまで顔の距離を詰められても女性としての危機感を感じる事が無くなるほど強烈なものだ。
だが、それでもこの距離はやはり恥ずかしい。
今考えていた事を読まれていたら、と考えると、顔面の血流が活発になってしまう。

「今後の方針が決まったから、エンネアちゃんからも意見が欲しいんだけど……」

「う、うん、任せてよ」

そうだ、これから卓也達の指示で活動する事になる以上、何か欲しい物があったら正当な報酬として手に入れる事ができる。
何をいきなりトチ狂って身体で返すとか考えているんだエンネアは。
だめだ、余りにも思考が馬鹿すぎて余計に恥ずかしくなってきた。この事について考えるのはまた後にしよう。

―――――――――――――――――――

そんな混乱気味なエンネアの内心を気にすることなく、フー=ルーは手に持っていた造りかけの衣装と裁縫道具を置き、蘊・奥は手入れの途中の刀を傍らにそっと横たえる。
部屋に集まっていた三人が自分達に注目した所で、卓也は掌を二つ叩く。

「では改めて、おはようございます。早速、今回のループで皆さんに手伝って貰う事を発表しようと思うのですが……」

「ですが?」

言葉に詰まった卓也に、フー=ルーが先を促す。
先を促された卓也は、顎に手をやり、眼を瞑り考えこんでいる様な表情で首を傾げる。

「……実のところ、今のところ皆さんに手伝って頂く事がありません」

その言葉に、フー=ルーがソファーから尻を滑らせ、エンネアが椅子から転げ落ちかけ、蘊・奥が深く溜息を吐く。

「それでは、ワシらはもう自由、という事でいいのじゃな?」

「いえいえ、不測の事態に備える意味で、皆さんにはせめて俺達がループするまでの間はこのビルに留まっていただく事になります」

「大体の事を知っているようで、実際は何が起きるか分からない、それがループ。だからこそ面白いって言うしなー」

言いたい事は分からないでもないけど、言い回しが良く分からない、といった風のエンネアは置いてきぼりで、更にフー=ルーが質問を投げかける。

「私達の手が必要無い理由は?」

そのフー=ルーの言葉に、卓也ではなく美鳥が肩を大げさに竦めながら答えた。

「あたし達の挙げたプランなんだけど、元から居る人材に本気出させれば十分こなせるんだってさ」

「まぁ、ここ数十周の大導師はいろいろ手探り中だったみたいですし、仕方が無かったと言えば仕方がないのでしょう」

うんうんと頷きながらの卓也の言葉に、エンネアは一つの疑問を覚えた。
手探り中であるが故に出される事の無かった逆十字含むブラックロッジの真の実力。
その真の実力は、一体何処に対して向けられるのか。
手持ちの情報の少ないエンネアには今一つ思いつかなかったので、大人しく手を上げて訊ねる事にした。

「で、その卓也達が挙げたプランっていうのは、どういうプランなの?」

「よくぞ聞いてくれました!」

そのエンネアの言葉に、我が意を得たりといった風に、卓也は嬉しそうに顔を歪める。
バンッ! と後ろ手に卓也の平手が壁を叩くと、叩かれた壁の一部がぐるりと回転しホワイトボードが姿を現す。
ガチンッ、と力強い金属音と共に再び固定されたホワイトボードには、何時の間に仕込まれていたのか今の一瞬で書かれたのか、このループにおけるブラックロッジ、大導師の活動プランのタイトルが、黒いマジックでデカデカと記されていた。

―――――――――――――――――――

第五十二話
『ありそで無かった大十字九郎精神的虐待周 ~確実に次へと繋がる死なない程度の追い詰め方入門編~』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

夢幻心母内部、部屋の角を不思議な素材を塗りたくる事により滑らかに加工した秘密の部屋。
俺は黒板の脇に立ち、椅子に座る大導師に今後のスケジュールの再確認を行っていた。

「さて大導師殿、こちらの秘密☆スケジュール表によれば、前後二日程のズレはありますれど、あと一週間程でアルアジフがアーカム近辺に現れます」

「うむ」

鷹揚に頷く大導師に、俺は移動式の黒板に張り付けたスケジュール表を教鞭でぺしぺしと叩きながら説明する。
態度こそ理由も無く偉そうで、訳も無く頷くアクションにカリスマが充満しているが、それは些細な問題だ。
大導師が勤勉な学生っぽく眼鏡をかけて(グルグル眼鏡ではなくオシャレメガネだ。学生時代のザーギンぽくもある)いようが、大導師に寄り添えるようにエセルドレーダが椅子と机を限界ギリギリまで寄せていようが、予定の確認には影響しない。

「まず第一段階ですが、何をしなければならないか、覚えておられますか?」

「アルアジフの鬼械神である『アイオーン』の完全破壊であったか」

「はい、良くできました。大導師殿にはニコちゃんバッジを進呈します」

そういい、大導師の机の上に黄色いニコちゃんバッジ(エボリューション仕様なので三つ目)を転送。
曖昧な表情で頷きながら、机の上のバッジを摘まみ上げ、極々自然な流れで傍らのエセルドレーダのカチューシャに安全ピンで留める大導師殿。
そしてとりあえず大導師からのプレゼントであると自己完結したのか、気恥ずかしそうにカチューシャのニコちゃんバッジを指先で撫でるエセルドレーダ。

「しかし鳴無卓也よ、何故アイオーンを破壊する必要がある。あれは術者の力量さえ上がれば、余のリベルレギスに匹敵し得る力を持っているだろう」

「そうですね、でも大導師殿も半ばお気付きとは思いますが、アイオーンをリベルレギスに匹敵し得る位階に上らせる術者など存在しようがありませんし、仮に存在したとしてもアイオーンに乗せる意味もありません」

「何故だ?」

「そもそも、通常の鬼械神をリベルレギスに匹敵させ得る術者であれば、どんな魔導書を用いて鬼械神を呼び出したとしても、大した性能差は生まれないからです。そうですね、図で表しますが……」

そういいながら、黒板を教鞭でココンっ、と二度叩くと、スケジュール表が縮小しながら黒板の隅に押しやられ、空いた黒板のスペースにチョーク風のラインが走り、数体の人型ロボット、そのロボット達の上にラインを引き、曖昧な巨大ロボのシルエットを描く。

「鬼械神は、高位次元に存在するオリジナルの機械の神がこの三次元に落とす影な訳ですが、ここである問題が出てきます。それは、元となる機械の神の姿が余りにもあいまいである、という事です」

黒板に描かれたロボットの上の巨大ロボのシルエットの真ん中にクエスチョンマークが書き足される。
曖昧というよりも、オリジナルの機械の神、という存在自体が余りにも魔術師に対して認識されていないのだ。
機神招喚が魔術において奥儀の一つに数えられるのも、この機神招喚という魔術の曖昧さにある。
機械仕掛けの神を招喚するとはあるが、そもその機械仕掛けの神の姿が知られていないため、具体的なイメージを持ちにくいのだ。
以前、デモベ世界のトリップ初期の頃に書いた魔導書でも、ここが問題点として挙げられる。

他の魔導書とのセット運用が望まれる、機神招喚を行う為だけの魔導書。
これはセットで扱う魔導書によって、機械の神のイメージを補填しているのだ。

「実像のあやふやな機械の神のイメージを補う為に、魔術師はどこから近いイメージを持って来なければならないか」

ここで、うっとりし終えたエセルドレーダが、なるほどといった風の表情で呟く。

「機械の神に近い、高位の邪神のイメージを当てる、という事か」

「大正解、エセルドレーダさんの持ち主である大導師殿に、鼻眼鏡と期限切れの5ガバスが進呈されます」

美鳥の手を経由して大導師に渡される鼻眼鏡と5ガバス。
エセルドレーダの頬に掛かる髪を指先でそっと掻きあげる大導師と、眼を細めるエセルドレーダ。
そんな恍惚の表情に掛けられる鼻眼鏡、ノースリーブの漆黒のドレスの胸元に捻じ込まれるガバス。
そして、ガバスの感触に擽ったそうに身をよじるエセルドレーダ。

「は」

そんなエセルドレーダを見下し、小さく鼻で笑う美鳥。
エセルドレーダはうっとりとしたまま美鳥の表情にも気が付かない。
何も不自然な所は存在していないな。

「機神招喚を立体の断面で説明する理論も存在しますが、別の邪神でイメージを補填する、という工程は影絵で例える方が分かり易いですね」

黒板に、
立体に当てるライトの光量=魔術師としての力量。
ライトの光源=魔術的解釈。
ライトの色=魔導書=魔導書が主に扱う神や怪異の属性。
と、順番に書き連ねられていく。

「水系ならばクラーケンなどの水中系、風系ならロードビヤーキーなどの空力系。が、鬼械神があくまでも機械の神の模造品にそれぞれの邪神のイメージを当てたものである以上、どうしてもオリジナルの機械の神には及ばないし、イメージのモデルとなる邪神にも劣ります──通常であれば」

巨大ロボットとロボット達の間に、デフォルメされたクトゥルフとハスター(まぁ、タコイカっぽいのとトカゲタコっぽい感じか。見た目は正直どっちもどっちだろう)を描き、その下に居たロボット達の姿を、クラーケンとロードビヤーキ―に描き直す。
曖昧な神氣を纏う機械人形は、実像のはっきりとした邪神のイメージをパッチされる事で方向性を定められ、初めて鬼械神として完成する。
そして、それら鬼械神とは別の枠でスパロボOG的中途半端頭身のリベルレギスが描かれ、その中心に空白が生まれ、虹色の泡の集合体の様な物が描かれ──
最後に、リベルレギスの隣に赤黒い血液の塊が描かれる。

「そこまで知っていたか」

意外だったとでも言いたげな表情で呟く大導師に頷きを返す。

「データ上での事ですけどもね。実物を見た訳ではありませんよ。
ともかく大導師殿、リベルレギスは鬼械神ではありますが、半ば、いや、ほぼ神そのものと言っても過言ではありません。
何しろ、高位の外なる神の子である半神の化身が、自らの真の姿とでも言うべき邪神をモデルに招喚し、
挙句の果てに神そのものの一形態を内部にそのまま動力として内蔵しているのです。
これで強く無ければ嘘ですし、神の影絵に過ぎない一般的な鬼械神でどうこう出来るわけもありません。最強の鬼械神と呼ばれるアイオーンでも例外では無いのです」

ていうか正直、これは鬼械神としてカウントするべきかどうかすら怪しい。唯の神でいいじゃんとすら思えてしまう。
これに匹敵するアイオーンを招喚できる術者とはすなわち、半神でありながらアイオーンを招喚する上でモデルとなる邪神であり、なおかつアイオーンに邪神そのものを組み込める存在、という事になる。
真っ当な鬼械神でリベルレギスに対抗しようと思った場合、大導師アナザータイプを一人用意する必要があるのだ。
そんな無茶な配役はこの際捨て置いて、黒板に追加の絵を描く。
二頭身アイオーンと、その上にモデルとなる邪神が不明という事で謎のもじゃもじゃを描き、最後に、リベルレギスと同じ頭身でデモンベインを描く。
デモンベインの中心もやはり空白、だが、内部には機械の檻に囲まれた虹色の泡。
これこそが、デモンベインの強さの一端であり、リベルレギスに対抗できる理由の一つ。

「デモンベインの基礎スペックですが、実際の所、既存のどのような鬼械神にも劣ります」

装甲材である日緋色金は、正規の鬼械神の装甲材であるオリハルコンに匹敵する防御力を誇るが、それでもオリハルコンに比べて魔術によらない物理攻撃を通す可能性が高い。
制御装置となる魔導書が不完全な状態では、はっきり言って鬼械神を破壊できる武装を運用できる、少し頑丈な機械人形でしかない。
だが、それらのデメリットは、術者と魔導書がある程度の位階に達した時点でメリットに化ける。

「が、鬼械神は機械の神の影ではなく、完全にこの世に存在する物質でのみ形作られています。
正真正銘、人類が作り上げた『デウス・エクス・マキナ』であるデモンベインは、作りこそ劣悪ではありますが、まごう事無きオリジナル。
内部の邪神の一形態をどこから持ってきたのか、制御装置はどのようにして作り上げたか、興味は尽きませんが、それは置いておきましょう」

つまり、

「デモンベインはその他の鬼械神と異なり、オリジナルの影ではなく別に拵えられたオリジナルそのもの。
単なる影に過ぎない故に性能に限界がある通常の鬼械神と異なり、ゆっくりとではありますが、無限に成長を続ける事が可能なのです」

操縦者のスペック差を気合いと根性と運と努力と気合で覆さなければならないという高すぎる壁はあるにしても、他の鬼械神と比べてこの差は大きい。
何しろ、最初からリベルレギスは鬼械神の限界を突破した所に存在している。
限界で必ず成長が止まってしまう鬼械神ではお話にもならない。
デモンベインだけが、いや、デモンベインこそが、真にリベルレギスに対抗し得る鬼械神足り得るのだ。

「そうでなくとも、最初からアルアジフほぼ完全版所持、アイオーンで破壊ロボ戦や逆十字戦なんてシチュエーション、叩かれて伸びる大十字には害悪にしかなりません」

「イージーモードが許されるのは、最初の百ループくらいまでだよねー」

口元に掌を当てた美鳥がキャハハと嗤う。
だが、言っている事に間違いは無いのだ。
今の自分ではどうにもならない、故に、自らの性能を高めようという気概が起きるのだ。
俺も、万が一姉さんが今の様に頭おかしいレベルの強さで叩き潰してくれなければ、
『えー俺もう十分強くなったんだから異世界トリップとかやんなくていいじゃんいちゃいちゃしようようようよう(残響音含む)』
とかのたまいつつ、元の世界で姉さんとただれた生活に突入していた頃だろう。
姉さんという比較対象が無ければ、俺はスパロボ世界が終った辺りで自己の強化に納得していた可能性もある。
強くなったと思ったら別の強キャラにあっさり叩き潰された、とかの方が向上心は湧きあがるものなのだ。

強くなろうと思うなら、目標は高く持たねば。
もっとこう、姉さんに戦闘服である魔法少女服を夜の営み以外で着て貰うとか、こちらの全力攻撃にガードの素振りをさせるとか。
何時の日にか、姉さんの魔法少女服をエロス破り出来るほどの攻撃力を手に入れる、とかでもいいか。
でも全力攻撃とかは勘弁な。消し飛ぶ自信があるから。

「ともかく、大導師殿。絶妙な手加減でアルアジフが自力でアイオーンを招喚できない程度に痛めつけるのはある意味凄いと思いますが、アルアジフがアーカム周辺に来た時点でアイオーンの出番は終わりです。これからは後腐れなく完全破壊してしまってください」

―――――――――――――――――――

一週間前、引き入れたトリッパーの片割れである鳴無卓也が告げた言葉に、僕は自分でも信じられない程の『納得』を覚えていた。
別段、機神招喚の理論が革新的だった、という訳では無い。
どちらかと言えば、魔術師であればその辺りの理論は理屈で考えるのでは無く、魂で理解し、疑問に思う事も無く運用するものだ。
正体を知られていた事に、リベルレギスの強さの秘密を完膚なきまでに解明されたのは驚きだったが、それもそれだけの話。
僕が、余が納得していたのはつまり、『大十字九郎を還付無きまでに痛めつける』という、今現在ミスカトニック大学に通っているあの兄妹の口から出てくる物としては、余りにも残酷な言葉に対してのもの。
余は、■■■■■■■は、ブラックロッジの大導師、マスターテリオンは、その余りにもえげつない行為を、庭先の木にふと停まった綺麗な小鳥の様に気に入ってしまった。

こう、と意識して、
黄金の剣を振り下ろし、漆黒の機神から腕を切り落とし、
超重力の魔弾を射出し、嬲る様にして残った手足を削り、
魔力の稲妻を解き放ち、宇宙(そら)を駆ける翼を焼き、
アイオーンを、役目を終えた鬼械神を、丹念に破壊する。

そうする度に、心のどこかに溜まっていた鬱屈とした感情が癒されていくのを感じているのだ。
我が怨敵、自らと同じく宇宙の果てに登り詰める生贄に選ばれた大十字九郎との戦いでは得られない、暗く重く澱んだ感情。
八つ当たり、というのが正しいのだろうか。
八つ当たり、という程的外れではないだろうが、本当に当たりたい相手に届かないという意味では間違いなく八つ当たりだろう。

だが、意識して完全破壊を目指すと、また一つ、これまででは気が付けなかった事に気が付いた。

──こちらの意識の隙を縫うように、アイオーンの魔銃から魔力砲が、リベルレギスへの直撃コースへと放たれた。
──それを避けるでもなく、軽く張った障壁だけで防ぐ。
──障壁で防ぐ、という一行程の間に、追い詰めていた筈のアイオーンが、やや仕留め難い位置へと移動している。

またこれだ。
アイオーンの末端を破壊する事は出来るのに、魔導書の位置する仮想コックピットへの直撃コースに攻撃が近付くと、ほぼ確実になんらかの要因でこちらの攻撃があらぬ方向へと逸れる。

【まるで肝心の何かをはぐらかされているようで】
【何時か見た白い獣の姿を思い出す】
【蟲の様な無機質な光を宿し、無感情を装う、灼える様に赤い瞳】

ぎろり、と、アイオーンのデュアルアイが赤く輝き、操者の、アルアジフの感情を代弁するかの様な忌々しげな視線をリベルレギスに向けてきた。
……今一瞬、不自然に思考が途切れた。ほぼ間違いなく思考を検閲されたのだろう。
そして、それに今の自分では抗えない事も知っている。
検閲された、という事実を知覚できるようになっているだけでも、初めてアレと接触した時から比べれば大きく前進しているのだ。

──続けざまに放たれ続ける魔力砲を打ち消す様に、ン・カイの闇、超重力を内包する闇の塊が吐き出され、魔力砲を、魔銃を消滅させる。
──辛うじて動いている飛翔ユニットを限界まで動かし必死で逃げるアイオーン。
──しかし、遂には胴体の半分程を消失するという致命傷を喰らい、力を失い、地球へと、
──落ちない。飛翔ユニットが炎を吹き出し、

「なっ!」

それは、余りにも予想外の行動だった。
これまでのループでは、致命傷を負う前に逃げていたアイオーンが、致命傷を負った途端、リベルレギスに突貫してきたのだ。
激突。激しい衝撃がリベルレギスの仮想コックピットを揺らす。
アイオーンはすかさず、奇跡的に残っていた片腕でリベルレギスの身体にしがみつく。
余りにも力強過ぎる。これから消滅する鬼械神とは思えない力。
リベルレギスの装甲が軋みを上げ、腕の絡む背中の装甲に罅を走らせた。

「貴公、余を、道連れにするつもりか!」

アイオーンの操者、アルアジフは答えず、アイオーンはリベルレギスにしがみついたまま飛翔ユニットを稼働させ、バーニアから炎を吹かし続ける。
特攻染みた、自らの死を厭わない戦術。
これまでのアルアジフであれば取らなかった戦法。
余が手加減無く、アイオーンを破壊する、という選択をしたが故に、ここにきてアルアジフのアイオーンを温存する、という選択肢を消してしまったのか!?

リベルレギスとアイオーンが、赤熱を始める。大気圏に突入を始めたのだ。
だが、鬼械神であればさしたるダメージも無くくぐり抜けられる。
アイオーンはこれで完全に破壊されるだろうが、それはあくまでも大破寸前まで破壊し、魔術師が居ないが故に鬼械神の自己修復を始める事すら出来ないからに他ならない。
この特攻に、何の利点も存在しない。
犬死になのだ。
その事実に、頭に血が上りかける。

「血迷ったか、アルアジフ……!」

ループは確実に起こる。
余が、大導師マスターテリオンが存在している、という事は、覇道財閥が存在し魔術的闘争の準備を着々と進めているという事は、つまりはそういう事なのだ。
アルアジフは、間違いなく大十字九郎の元に辿り着き、逆十字の屍を乗り越え、扉の向こうにやってくる。
其処でなければ、時間と空間が規則性を失い、因果が不安定なあの場所でなければ、ループを断ち切る事はできない。
だというのに、その事を知らないアルアジフは、こんな場所で、こんな、

「無駄なあがきを」

顔が、心が歪むのを感じる。
嫉妬、だろうか。奴は、奴等はこの世界の秘密を知らない。
知らないが故に、そこまで無知なままで無様に足掻き続ける事ができる。

「マスター……」

エセルドレーダの声が聞こえる。
だが、そこにいかなる感情が含まれているのか、察してやれるだけの余裕はない。
何時までもしがみつくアイオーンの頭部をリベルレギスの手で鷲掴み、破砕の術式を流し込む。
半分だけ残っていた顔を残らず粉砕し、その反動でアイオーンの腕から力が抜けた。
振りほどく。

──四肢のほぼ全てを失い、残った片腕を、星を掴もうとする様に伸ばすアイオーン。
──手を差し伸べる様にリベルレギスが手を伸ばす。
──表情の無い機械の神。その顔には、
──泣き笑いの様な、複雑な感情が浮かび上がって見えた。

「堕ちろ」

堕ちろ、落ちろ、墜ちて、砕けて、消えてしまえ。
徹底的に、完膚なきまでに、後腐れなく、二度と立ち上がれなくなる様に、二度と目の前に現れない様に。
これから幾度となく繰り返す。
放たれた魔術はしかし、全身で起こる小さな爆発によって落下時の軌道を変化させ続けるアイオーンに、留めの一撃を当てる事ができない。

「……っ、この」

《はーい、オッケーですよ大導師殿。それ以上いけない》

追撃の魔術を放とうとしたところで、待ったの声が掛かる。
リベルレギスの鬼械神としての機能に強制的に介入し、通信を入れてきたのだ。
その通信で、一瞬で頭が冷える。
今、自分は何をしていた?

《こちらでも確認しました。少なくとも、オリジナルのネクロノミコン、アルアジフからのアクセスでアイオーンが招喚される事はもうないでしょう。や、めでたいめでたい》

明るい声で、しかし淡々と事実のみを告げる鳴無卓也。
面白がっているようでいて、物語のあらすじを言い聞かせているようでもある。
アイオーンの破損状態から、記述が破損した事はある程度の魔術師であれば分からないでもない筈だが、違和感を感じる。
『こちらでも確認』とは、どういう意味か。

《大導師殿》

此方の不信を感じ取ったかの様に、鳴無卓也の声が思考を中断する。
どこからかけているかもわからない通信越しの声。

《大導師殿、貴方の前には、実質三つ程の道が存在します》

先ほどの面白がる様な声では無い、酷く真摯な響きで、選択肢を提示する。

一つは、何のヒントも無く、無限に続くこの世界でもがき続ける道。
もう一つは、この無限螺旋の仕掛け人に頭を垂れて、何も考える事無い操り人形として動く道。
最後に、俺達の出すヒントを元にひたすら魔術師としての位階を駆け上り、無限螺旋を破壊する鍵を手に入れる道。

《大導師殿、大導師殿。貴方は、いったい、どれを選びたいですか?》

鍵。
トラペゾヘドロン。
輝くトラペゾヘドロン。
そうだ。
その響き、魂に訴えかけるその響きこそが──

「鳴無卓也」

《は》

通信越しに、鳴無卓也が腰を曲げ、形だけの臣下の礼を取る気配を感じる。

「大十字九郎は、これで強くなるのか」

《貴方様に対抗し得る存在は、彼の三位一体のみ。魔を断つ剣、貴方を殺すための刃は、必ずや大十字九郎とアルアジフの元に届き、貴方の首を達に参りましょう》

慇懃無礼を絵に描いた様な男だ。
だが構わない。この者達がいかなる思惑を秘めていようとも、この繰り返しを抜け出す事が出来るのであれば。
いいだろう。乗ってやろうではないか。
だが心しておくがいい。
貴公の利用している者が、いかなる存在であるか。

知るがいい。知識では無く、実感として、何時の日にか、思いしるがいい。
余は、魔術結社ブラックロッジの大首領。
邪神ヨグ=ソトースと人類最強の魔術師、暴君ネロの産み落とした、宇宙最強の魔術師。
人類では到達できず、邪神ですら届かぬ領域に踏み込み、円環を破壊する──
大導師、マスターテリオンなのだと!

《意思(テレマ)なり☆》

リベルレギスの仮想コックピットから出て決めポーズをとると同時、何かおかしな言葉が聞こえてきた気もするが、気にしない。
声は間違いなく鳴無美鳥のものであったが、アレの妹もアレと同じかそれ以上のレベルでアレなアレなのだから。
気にしないったら気にしないのである。

「では、鳴無卓也よ。次の目標はなんとする」

《あいや、しばらく大導師殿に出張っていただく必要はありませんよ。少しばかり俺の方でも大十字を誘導しますんで》

素の口調に戻った鳴無卓也が言う。
思えば、大十字九郎も哀れなものだ。元を正せばあの流しの魔術師なのだろうが、今のループでは何の変哲も無い魔術師見習いでしかない。
呑気に大学で魔術の勉強をしている大十字は、同郷の出である(そういう設定にしてあるらしい)後輩に、素知らぬ顔で地獄の様な人生へと突き落される。
その後輩が何もしなければ、少なくとも今まで通りのループであったのに、だ。

《それでは、今日の所はこの辺で。暫くは定期報告の感覚も開きますんで、また一月程後に》

ブツリと通信が切れると、おずおずとエセルドレーダが口を開く。

「よろしいのですか、マスター」

「よい。疑わしくはあるが、邪神などに比べればまだ可愛らしいものだ」

少なくとも、今のところ鳴無兄妹は嘘の報告を行っていない。
彼等の言う『輝くトラペゾヘドロン』というキーワードも間違いなく自分の中に存在していた。
彼等の望み、自己の強化というのがどのように行われるか分からないが、それを行う過程でこちらの願いを叶える必要もあるのだろう。

「それに」

そう、彼等は、余とエセルドレーダ、覇道鋼造、ナイアルラトホテップを除き、初めて次のループへと記憶を跨らせる事の出来る存在なのだ。
彼等の振る舞いはいっそ清々しい程に疑わしいが、同時に、彼等を失いたくはない、とも思っている。
彼等はこの周で大十字を叩く事によって、次の周からのアーカムシティの発展度と覇道財閥の対魔術戦闘技術が急激に上昇し、デモンベインの強化も僅かながら施される筈だと言っていた。
この周、いや、これから目的を達成するまでの周は、ループを終わらせる事が目的ではなく、ループを終わらせる周に辿り着く為の繋ぎなのだとも。
彼等はループする事を前提で計画を立て、その事に関して余に相談し、これからの周に関する事も大雑把に説明を仕掛けてきた。
この無限螺旋を実感する存在が、手元に居て、共に無限螺旋を抜ける方法を模索してくれている。

「マスター」

「どうした、エセルドレーダ」

「……いえ、マスターが嬉しそうで、何よりです」

その割には声に不満が滲み出ているが、そんな事は些細な事だ。
アイオーンは既に砕け散り、アルアジフを無事に大十字九郎の居るアーカムへと導いた。
ドクターウエストも嗾けてある。大十字九郎の元にアルアジフが辿り着くのも、大十字九郎とアルアジフがデモンベインを自らの鬼械神にするのも時間の問題と言っていい。

今までのループとは違う。
アイオーンの記述はすでにアルアジフの元には無く、いくつかの記述もアーカムへとばら撒かれた。
計画は順調に進んでいる。

ふと、アーカムの街の光を見下ろす。
あの通信は、鬼械神という存在の特性上、理論上は宇宙の端から端まで届かせる事も可能だ。
だがやはり、彼等はこの街に居る。
大学に通うのにもバイト先に通うのにもブラックロッジに通うのにも、交通の面から考えるとアーカムが最適なのだという。

そう、彼らもまた、この街に、この舞台に上がっているのだ。
端役のふりをして、何もかもを自らの利の傾くままに主役を動かす為に。
螺子とばねと歯車が噛み合い回るこのからくり仕掛けの無限の螺旋に、何処からか放り込まれたイレギュラー。
彼等は一体、何を奪い、何を齎していくのか。

―――――――――――――――――――

☆月◎日(最近)

『姉さんとの触れ合いが少ない気がする』
『実際はほぼ毎日一緒の布団で眠っているし、姉さんの眠気に余裕がある時はいたしてもいる訳だが、どうにもそんな気がしてならない』
『これはひとえに大学とバイトとブラックロッジでの活動時間が原因だと思うのだ』
『俺が思うに、これはトリップという現象に付随する大きなメリットを上手く活用できていないのではないか』
『特に、この世界はループ物という時間だけは有り余るタイプの世界』
『元の世界ではなかなかできなかった、日がな一日姉さんと一緒に居る、という、怠惰極まりない生活も送り放題だというのに』
『大十字は無事アルアジフと合流したし、デモンベインが二人によって強奪されるのも確認した』
『これ以降の指示はすでにしてあるし、俺が出張る必要性は余りにもない』
『ていうか、ブラックロッジとか通勤してる場合じゃないよ日記何て書いてる場合じゃないよ姉さんだよ姉さんだよ』
『姉さんの絹糸の様に滑らかな髪さらさらだよ!』
『シャワー浴びると肌の上で水が玉になる癖にしっとりと指が吸いつくような餅肌だよ姉さん!』
『うおぉなんかテンション上がって来たぜ来たぜ来たぜ! どうよ!? おうよ!』

―――――――――――――――――――

日記を書きながら一人急激にチャージアップした俺は、何時も通りに日記を雑にまとめ、寝室でベッドに横になって寛いでいるであろう姉さんの元に向かった。
勿論ワープもしない。室内は様々な要因からワープ禁止というルールが敷かれている。
はやる気持ちを抑え急ぎ足で、しかし走らない様に廊下を早足に歩き、寝室のドアの前で立ち止まる。

「姉さん、もう寝ちゃった?」

軽くノックをしながら声をかける。
時刻は午後十時半。
最近は日が落ちるのが遅いとはいえ、流石に太陽は完全に沈んでいる時間だ。
姉さんも何だかんだで金曜ロードショーが終わる時間まで起きている事は可能だが、確か今日は九時を少し回った辺りで風呂に入っていた筈。
姉さんはお風呂に入って身体が温まるとかなり急激に眠たくなる体質なので、この時間に既に就寝している可能性も捨てきれない。

「起きてるよぉ」

間延びした眠たそうな声が聞こえてきた。
良かった、まだ起きているようだ。
俺は一言断りを入れてからドアを開け、寝室に足を踏み入れる。
寝室にはベッドに幾つかの本棚、書き物をする為の机などが置いてあり、机とセットになっている椅子とは別にもう一脚椅子が用意してある。
ただ眠るだけの部屋、と言うには語弊があるが、寝室と言う空間は何となく集中力が上がる気がするので、ついつい物を置いてしまうのだ。
部屋の広さからして大分広めに造られているので閉塞感は無い。

「んぅ……、卓也ちゃん、どうしたの?」

姉さんは眠そうな目を擦りながらベッドに腰かけ、珍しくハードカバーの真面目そうな本を読んでいた。

「いや、姉さんに逢いたくなって」

姉さんは俺の答えにクスリと笑い声を漏らし、少しだけ腰を上げて座りなおし、ベッドの横にスペースを作ると、ポンポンとそのスペースを掌で叩いた。
誘われるままに空いたスペースに座る。
肩と肩が触れ合いそうな距離だが、俺が座るのを確認すると、姉さんは再び腰を上げ、距離を詰めてきた。

「卓也ちゃん、結構、甘えんぼさんだよね」

目を細め猫の様な口でにふふと笑う姉さん。ケツみたいな口しやがって、大好きだ。
しかし、男と女の距離は拳二つでいいという言葉を聞いた事があるが、これは毛筋一本入らない密着度。
風呂上がり、というには大分時間が経過してしまっているが、姉さんのたおやかな髪の匂いが香る距離。
世界一安らぐ香りだ。

「何読んでたの?」

安らぐだけでなく、姉さんは実は頭も良い。
今さら大学に行くなんて恥ずかしいと姉さんは言っていたが、トリップ先で腐るほど勉強漬の日々を送っていた事もあるらしく、頭の良さは折り紙つき。
が、今読んでいる本はまともな学術書、という訳でも無いらしい。
今ではすっかり馴染になってしまった暗い気配を本から感じる。

「アレイスター・クロウリーの『法の書』だよ。読んでみる?」

「いいよ、俺にはまだ早そうだし」

というか、姉さんがこういう言い方で進めてくる物は、大概今の俺では扱えないレベルの物だったりするし、取り込もうとしたら直ぐに取り上げられてしまうだろう。

「そう? 意味が分からなくても結構おもしろいのよ?」

「姉さんは理解できてるんでしょ?」

「そりゃ、お姉ちゃんだもん」

姉さんじゃ仕方がないね。
そう思いながら、姉さんの髪を少し、一房だけ摘まみあげる。
絹糸の様に細く艶やかで、摘まんでいる指から少し力を抜くとさらさらと掌から零れ、姉さんの背中にすとんと戻る。
碌に手入れをしている風でも無いのに枝毛一つ無いし、髪の毛を括る時も結構雑な縛り方をしているのに、癖一つ無い。
首筋に顔を寄せ、髪の毛の匂いを嗅ぐ。
ただ髪の毛だけを梳くって嗅ぐのとは違い、姉さんの肌から、汗腺から香る姉さんの汗の匂いがよく分かる。

「くふ、ふふっ」

髪を弄られながらも読み続けていた本をぱたんと閉じ、堪える様な笑い声を上げながらもたれかかる様に体重を預けてくる姉さん。

「くすぐったかった?」

「んーん」

首を振りつつ、姉さんはお返しとばかりに俺の首筋に顔を埋め、くんくんと鼻を鳴らして匂いを嗅ぎ返す。
なるほど、姉さんは首を横に振って否定したが、これは肉体的にも心情的にも少々こそばゆい。

「んっ……」

すんすんと匂いを嗅ぎ続ける鼻に髪の毛を掻き分けられ、ぺちゃ、と、姉さんの舌が首に落とされ、ちろちろと肌をなぞる。
水気を含んだ姉さんの熱。肌よりも熱い、内臓に近い箇所の熱。
肌を味わう様に繰り返し繰り返し、姉さんの舌が執拗に首筋を舐め回す。
舌の感触はせいぜいくすぐったい程度なのに、耳元から響く水音のせいで嫌に卑猥な事をしている気分になってくるから不思議だ。

負けじと姉さんの首を舐めてやろうと思ったのだが、この状態では俺の舌は姉さんの首筋に届かない。
仕方がないので、髪を掻き分け、姉さんの耳元に口づけ。
寄せていた姉さんの身体が跳ねる。
が、舌で首筋を舐め続けているからか、声は洩らさなかったようだ。
もう一度耳にキスをしてから、今度は耳を口に含む。
お風呂上がりなだけあって耳垢の欠片も無い清潔な耳。
耳の形を探る様に、口に含んだ耳を軽く噛み、舌で探る。

「は──ちゅ、う、ん……ふ、ぅぅぅ」

俺の舌の動きに合わせる様に、姉さんの舌使いも激しくなり始めた。
ぺちゃぺちゃという水音の合間に、姉さんの荒い吐息も聞こえてくる。
舌で舐め続ける事で声を出さずに済んでいるようだけど、むりやり抑え込もうとして失敗し、徐々に大きく、熱くなる吐息は、逆に酷く劣情を掻きたてられる。

「は、ふ……、ひぅ……」

姉さんの腰に手を回す。
細すぎず、しかし肉が付き過ぎている訳でも無い女性らしい曲線を、パジャマに使われている薄手の木地の上から、廻した腕で、添えた掌で撫で、じっくりと堪能する。
俺の手の動きに逃げるでも無く、しかし積極的に身体を押し付けてくる訳でも無く、姉さんはその細い腕を俺の腰に絡ませ、服の背中の記事をきつく握りしめた。

姉さんの舌は次第に首筋から顎へ口元へと移動し、俺もそれに合わせて口に含んでいた耳を放し、頬へ瞼の上へと舐め、キスをする場所を移していく。
唇と唇が触れるか触れないかという位置で、互いに顔を離す。
微かに汗を滲ませた頬は紅潮し、眠たげだった姉さんの眼は、今では別の理由からとろりと蕩け、情欲を秘めた視線を向けてくる。

「卓也ちゃん、わんちゃんみたい」

「姉さんだって」

笑い合い、この場の雰囲気にそぐわない冗談を言い合う。
だが、やはり冗談だけで吹き飛ぶ様な空気では無い。
抱きしめた姉さんの身体は熱く火照り、パジャマ越しに押し付けられた豊満な胸から伝わる鼓動も早く。

「卓也ちゃん程じゃないもん」

言いながら、姉さんはこちらの背に廻していた手を片方放し、その手を俺の股間に伸ばし、つぅ、ズボン越しに堅く肥大化したモノを指先で優しく撫で上げる。

「堅いし、熱いし……。これで、お姉ちゃんにいろいろしたいんでしょ。それこそ、わんちゃんみたいなカッコで……」

ズボン越しに姉さんの手が、絶妙な力加減で何度も何度もなぞりあげる。
その度に暴発しそうになる欲望を抑え、姉さんの腰に廻した手を、パジャマの下に潜り込ませる。

「うん、したい」

情欲に蕩けた姉さんの瞳を見つめ、パジャマの下に潜り込ませた手を更に下に伸ばす。
指に吸いつく様なきめの細かい肌はしっとりとあせばみ、指が離れるのを拒んでいるかのようだ。
複雑なレース生地の、少し面積の小さいショーツ(ローライズだろうか)の上から、姉さんの薄い茂みを感触だけで探り当て、掌で包み込む。

「姉さんのここも」

パジャマの下の手を動かし、太腿と太腿の間をこじ開け、指先でショーツをずらし、控えめなすぼまりに、半センチだけ指を押し入れる。

「ひゃん」

流石に後ろは不意打ちだったか、姉さんが小さく嬉しそうに悲鳴を上げる。
でも知らない。抵抗も無く、指先だけとはいえこんなあっさり加えておいて、悲鳴も何も無いだろうと思う。
だが深くは刺さず、くにくにと、指先第一関節までだけですぼまりをほぐしていく。

「ここも、全部、俺のものでいっぱいにしたい」

ゆっくりと、丹念に指でほぐすにつれ、しがみついていた姉さんの片腕から力が抜けていく。
しかしそれに反比例するように、俺の股間に当てられた姉さんの指の動きは精緻さを増して行く。
俺の視線を見返す姉さんの視線には、誘う様な怪しい輝きと、期待する様な輝きが混在していた。

「これ? 卓也ちゃんの、これで、いっぱい、いっぱいにするの? お姉ちゃんの中、全部?」

「うん、いっぱいになっても、それでもいっぱいにする。溢れてきても絶対に止めない」

俺の宣言と同時、前から手を廻しすぼまりをほぐしていた手の、ちょうど手首に当たる部分に湿り気を感じる。
唇に柔らかい感触。姉さんの顔がさっきよりも近い。
どうやら不意打ちでキスされてしまったらしい。
唇と唇の間、ちろちろと姉さんの舌が俺の唇を舐めている。
唇を開き招きいれ、姉さんの舌を受け入れる。

「ん、ん、ちゅ」

懸命に舌を動かし、俺の舌を引きずり出し、入れ替わりに舌を口内に侵入させ、口の中を徹底的に舌で舐め尽される。
口の中から、舌の触れていない部分をなくそうとするかの様な積極的な動き。
送り込まれた姉さんの唾液を呑み、姉さんの口の中に唾液を送り返す。
こく、こく、と喉を鳴らし、とても高級なお酒でも飲んでいるかのような恍惚の表情で唾液を飲み干す姉さん。
何度も、何度も、食むように唇を動かし、舌を絡め合う。
数分もそうしていただろうか。姉さんはようやく唇を放した。
離れていく互いの舌と舌に、名残を惜しむように粘つく銀色のアーチが掛かり、途切れる。

「えへへ、卓也ちゃん、そんなにお姉ちゃんが欲しいんだ」

唇を放すと同時に、身体を掴んでいた手も放した姉さんが、両手でニヤつく口元を隠す。
なんだろうか、今日の姉さんは。いつもと比べても更に愛らしく愛おしい。
小悪魔的というか、悪戯っぽいというか。

「なんか、今日の姉さん、何時もよりエッチい?」

「そうだよ、今日のお姉ちゃんは、すっごいエッチなの」

姉さんが両手を俺の首の後ろに廻し、そのまま後ろ向きにベッドに倒れこんだ。
俺の組み敷かれるようにベッドに倒れこんだ姉さん。
腰まで届く長髪は、姉さんの下敷きになる事無くベッドに広がり、汗ばんで透けたパジャマは肌にぴったりと張り付いて非常に扇情的だ。

「お姉ちゃんだってね、卓也ちゃんが欲しくて欲しくて堪らない時、いっぱいあるよ」

夢見る様な瞳で、しかし情欲に潤む瞳で、姉さんが囁く。

「今も?」

「今も」

首に回した腕を引きよせ、もう一度口づける姉さん。
ただ唇と唇を合わせるだけの口付けは数秒で終わり。
首に絡めていた両腕を放し、ベッドに投げ出す。
少しだけ恥ずかしそうに、はにかむように笑う。

「脱がせて」

「うん」

パジャマのボタンを、一つ一つ、ゆっくりと外していく。
姉さんの胸の大きさのせいか、張りつめていたボタンが外れ得る度、プッ、プッ、と、弾ける様な音が部屋に響く。
鳩尾の少しした辺りまでボタンを外した処で、姉さんの豊かな双丘が零れ堕ちる。
今日はブラをつけない気分なのだろう。
俺はパジャマの上着を脱がす作業をそこで終え、パジャマの下に手を掛けた。
姉さんは、きょとん、とした表情で首を傾げる。

「今日は全部脱がさないの?」

「ん、こっちの方がエッチい」

半脱ぎで、他の部分は服で包まれているのに、大事なところが丸出し、というのがいいのだ。
まぁ、気分によっては全部脱いでもらったり、逆に上半身の服には一切手を付けずに、という場合もあるのだが。

「変態さんだ……」

呆れたように、照れを隠す様にそっぽを向く姉さんの表情は、やはり笑みを含んでいる。
姉さんはこういう表情、わかっててやってるもんなぁ。

「姉さんのお陰でね」

「お姉ちゃんは、そんな事教えた覚えはありませーん」

言葉でじゃれながら、姉さんの服を脱がす手は止めない。
パジャマのズボン、腰の部分に手を掛け、するすると下ろしていく。
姉さんが仰向けに寝転がっているお陰でベッドと尻に挟まれた部分で引っ掛かりもするが、姉さんに腰を少し浮かして貰う事で難なく脱がす。
脱がしたパジャマの下を簡単にたたむと、今さっきまで手探りで触っていた姉さんのショーツが目に映る。

「じっとりしてる……」

俺の言葉に、姉さんは真っ赤に染まった顔で、どことなく嬉しそうな声で答えた。

「えへへぇ……。お姉ちゃんはね、卓也ちゃんが欲しくて、ついついそうなっちゃうんだぁ」

次いで、自らの手で、ショーツをずらす。
むわ、と、むせかえる様な姉さんの匂い。
薄い茂みに覆われた姉さんのそこは、受け入れるモノを求める様に卑猥にひく付いている。
頭がくらくらする程濃厚なフェロモン。

「だから、ね?」

姉さんが笑っている。まるで色狂いにでもなったかの様な淫蕩な姉さんの笑み。
半脱ぎで、実の弟に対してそんな姿をさらしてしまう可愛らしい姉さん。
そんな姉さんを、俺は独り占めにできる。他の誰にも渡さなくていい。
その事実に、今更ながらに俺は興奮を抑えきれず、獣の様に姉さんに覆いかぶさった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

僅かに開いたドアの隙間から響く、激しい水音と肉と肉を打ちつけ合う音。
そして、互いを求め合う男女の嬌声。

──姉さん、姉さんッッ!
──あ、あ、たくやちゃ、たくやちゃ、んひ、ひゃうぅ♪

『男』と『女』の顔で肌を重ねる、お兄さんとお姉さん。
あたしは、その光景を一人、暗い廊下から覗き見ている。
フローリングの廊下にへたり込み、息を殺して、見つからない様に。
二人の情交を、食い入るように見つめている。

いや、見つめる事しか出来ずにいる。
今までだって何度も見てきた光景だけど、不意打ち気味に見せられると、どうしても思考が停止してしまう。

──すご、っひ♪ おへその裏、叩かれちゃってる!
──ここだよね、姉さん、ここが大好きなんだよね。ね!
──っ──っ! そう、そうだよ、そこ、卓也ちゃんので、突かれ、駄目に、────っっ!!

普段のお姉さんは、おっとりとしていても、あんな馬鹿みたいに蕩けた声は出さない。
普段のお兄さんは、あんなに興奮して女の身体をむさぼったりもしない。
いっつもいっつも仲が良いけど、あんな、半裸で絡みあって、腰を打ちつけたりはしない。

──う、姉さん、少し、キツイ。
──だって、だってぇ、卓也ちゃんの、おっきいんだもん!

何かを堪えるようなお兄さんの声に続き、艶やかな声で必死に弁解するお姉さんの声。

「は……、ふ……」

何時の間にかあたしは、冷たいフローリングに下着を脱ぎ散らかし、両手を自分の股ぐらに手を突っ込んで、荒く息を吐きだしていた。
ぐちゅ、ぐちゅ、と湿ったソコを指で掻きまわす。
目の前の光景、お姉さんの位置に自分を当てはめた光景を脳内に描き、お兄さんに責められる妄想でもって、自らを慰める。

──でも姉さん、おっきいの好きだよね、放したくないみたいだし。お陰で前にも後ろもにも行けやしない。
──ん、んー、たくやちゃん、いじわるだよぉ……動かしてよぉ……。

でも、足りない。
指を緩急つけて動かしているけど、今入れられたまま動きを止められている姉さんの方がずぅっと気持ちよさそうに見える。
通じ合う愛情が、あそこには間違いなく存在する。

──俺だって動かしたいよ。でも、姉さんから一言、聞きたいかな。
──う、い、言わなきゃ、だめ?
──聞きたいなぁ。駄目かなぁ。
──……たくやちゃんのえっち、ヘンタイ、すけべ、お姉ちゃんは悲しいよぅ。

「ふ……ぐ」

シャツの裾を噛み、声を噛み殺す。
楽しそうに、でも少し我慢している顔でお姉さんをじらしているお兄さんと、そんなお兄さんに屈して、恥ずかしそうにおねだりしようとしているお姉さん。
二人の映っていた視界が歪む。

「う、うぅ」

駄目だ、お兄さんはお姉さんとひさしぶりにしてるんだ、邪魔しちゃだめなんだ。
あたしは、お姉さんが居ない時の代わりだから、間に合わせだから。
お姉さんがいるなら、お兄さんとする必要はないんだ。

「ふ、ぐぅぅぅぅぅ……!」

そうして、動かし続けていた指の刺激で、機械的で独りよがりな絶頂を得る。
掌を見る。人間の分泌液を百パーセント完全に模倣した体液にべっとりと濡れている。
……涙があふれてきた。最低だ……。
なんであたしはこんな所で誰にでも無く言い訳なんてしてるんだろ。
お兄さんとお姉さんの近親プレイ見ながら、なんてするから、少し訳が分からなくなってきた。
お陰で、お姉さんがお兄さんになんてお願いしたかよく聞こえなかったし、最悪だ。

自己嫌悪。
あー、死にたい。ひっそりと誰にも看取られる事無く。
三途の川のほとりでピラミッド建設して、その石室でギター弾きながら永遠にひきこもりたい。
もしくはエッチしたい、お兄さんと。お姉さん程じゃなくていいから愛情込めた感じで。
少しでいいからいちゃついてみたい。
抱きしめて、撫でられて、名前を呼んで、体中、いっぱい触って貰って、キスをして。
あたしだけを見て欲しいなんて言わないけど、あたしだって見て欲しい。

今のあたしは賢者モード。俗に言うモード・ワイズマンに移行している。やべぇかっけぇなこれ。
つまり一通り発散してしまったお陰で酷い虚無感に襲われているのだ。
だから、なんというか、あれだ、今の思考も、今口にする事も、限りなく人間に近い形で生まれ落ちたが故の弊害というか、気の迷いと言うか。

「……さみしい、寂しいよぉ……」

纏まらない思考を口から垂れ流せるのも、口にしても意味の無い言葉を吐けるのも、ただのAIじゃなくて、こんな形で作られたからこそのこだわりの贅沢っていうか。
目からぼろぼろ涙があふれてくるのに、身体だって背中を丸めて縮こまっているのに、平静なAIとしてのあたしが、ぼっちなあたしを見下ろして観察してる。
『あー、やっべ、すっげー脳味噌決まっちゃってるわ。あたしは友達いない中学生か何かか。邪気眼が発動するのか。セカイ系とか始まるのか』
とか、そんな感じで。
納得できても寂しさを消せないお兄さんとお姉さんの妹的あたしと、冷徹にお兄さんをサポートするAIとしてのあたしの思考がごちゃごちゃに混線している。

もう、いいや、部屋に持って寝よう。
ここに居ても、部屋から聞こえてくるお兄さんとお姉さんのラブラブピロートークを聞かせられるだけだろうし。
これ以上自分の心を痛めつけるとかとんだ自虐プレイじゃないか。

あたしはのそのそと起きあがり、廊下に投げ散らかしていたパンツを回収しようと、手探りで足元を探る。
が、見つからない。横着して目を使わなかったからか。
改めて、周囲を見渡す。
寝室からは明かりが漏れ、板張りの廊下は明かり一つ無く、いや、窓から差し込む月光が僅かに窓の下だけを照らしている。
やはり暗い。いや、こんな時にまで視力を人間レベルに抑える必要はないか。
目の構造を作り替え、夜目を利かせる。
だが、無い。パンツがない。

「脱いでからしたのか?」

唐突に、声を掛けられた。
探していた方向とは逆、廊下に座り込んでいるあたしからすると、少しだけ上。
顔を上げると──

「意外と匂わないな」

──お兄さんが、あたしのパンツに顔を近づけ、すんすんと鼻を鳴らして匂いを嗅いでいた。
しかも、股間のスラップスティックラブコメディは丸出し、角度的にはメディア倫理審査委員会に喧嘩を売るかの様に冒涜的な角度で天をファックしている。
はっきり言おう。ギンギンだ。

「あ、アワワ……。お兄さんが、お兄さんが変態に……」

※元から変態かもしれない。
いや、あたしの下着で変態行為をしてくれる、というのも複雑怪奇な喜びを感じてしまいそうではあるのだけど。
が、なんとなくこの場から逃げなければならないと思い、パンツも穿かずに四つん這いでお兄さんの反対側の廊下に逃げだす。
いけない、なんだかわからないけど、どこでもいいから、早く逃げなければ。
この世界線、もとい、この夜は危険だ!

「はい、つーかまーえた♪」

お姉さんに回り込まれた!
パジャマの上着は胸元が開きっ放し、下もパジャマを穿いただけで、全体的には着衣の乱れを直しもしていない。
あたしは例によって例の如く、お姉さんの謎パワーによって全能力を封じられ、転位して逃げる事も、武器を出して抵抗する事もできない。

「やぁ、だ! ていうか、なんであたしが捕まえられてるんだよう!」

お姉さんに抱き抱えられあたしにできるのは、せいぜいが脚をじたばたとさせる程度の事だけだ。
あと、あたしを抱きかかえるお姉さんの胸が背中に当たって劣等感が超刺激される。
なんだそりゃ、自慢か余裕か。格闘技術とか継承するくらいなら胸の成長率を因子に入れておけよ!
こう見えてあたしは、自己嫌悪に陥ると途端に面倒臭くなる女だぞ……!

「ん、美鳥だけ仲間外れにするのは流石に気が引けるからな」

あたしのパンツを胸ポケットに入れ直したお兄さんが腕を組んでうんうんと頷きながら答える。

「あたしは! お兄さんとお姉さんの水入らずを邪魔したくなかったんだってば!」

「卓也ちゃんとお姉ちゃんは、これから毎日ゆっくり互いを確認するから、そんな気にしなくてもいいのよ?」

「……ホントに?」

「ほんとほんと」

もしも本当なら、二人の間に混ぜて貰えるって事になる。
お兄さんだけ、って訳じゃないのが釈然としないけど、お姉さんの事も、別に嫌いな訳じゃないし……。
ていうか、

「お姉さん。なんか、さっきから、おっぱいとは別の何かが」

より具体的に表現するなら、ノーパンであるが故にノーガードなあたしの後ろにある狭き門に、おそらく攻城兵器級であろうタンパク質の極太が。
赤熱した鉄杭の様な、姉さんの第二のマジカルステッキが付きつけられている。
絶対絶命だ。
尻が。

「ふふ、まさか美鳥ちゃんにこの台詞を言う日が来るとは思わなかったわ。──当ててんのよ」

天使の様な微笑みと共に言い切られた。

「当てないでよ!」

マジでプレッシャーだよ!
お姉さんの手により、あたしはいつの間にか、子供におしっこをさせるポーズに移行させられている。
もはや退路は無い。
正面のお兄さんが形態を取り出し、ピロリンという間抜けなシャッター音と共に今のあたしとお姉さんを写真に撮る。
お兄さんは写メを確認した後、あたしに向かって爽やかな笑顔と共に親指を立ててサムズアップ。

「今のお前、なんかエロ漫画みたいだぞ」

知ってる。分かってる。
それに古代ギリシャ人の闘士達だって、こんな場面で満足ジェスチャーを使われる事になろうとは思うまい。
まずテレ朝とかヒーロータイムに土下座するべきではないだろうか。
だから、なんていうか、じわじわと接近してこないで欲しい。
そしておもむろに前から抱きかかえないでほしい。嬉しいから。
ついつい騙されそうになるけど、騙されそうになるけど……、ああちくしょう騙されてぇ!

「お兄さんお兄さん、なんであたしは二人がかりで寝室に運ばれようとしてるの」

「それはね、廊下で致すといろいろと問題があるからだよ。掃除も面倒だしね」

そうかそうか。理にかなってるな。
寝室の中に入り、お姉さんが後ろ手でがちゃんとドアを閉める。

「お姉さんお姉さん。前後から、っていうのは百歩譲って、ていうか割と望むところだけど、なんでいつの間にか部屋の中に大量の撮影機材が設置されてるの?」

「それはね、前から後ろから攻められて、体液噴き出しながら乱れ狂う美鳥ちゃんを録画して、後で見直して美鳥ちゃんの痴態で家族の絆を深めるためよ」

なるほどなー。驚くほど剛速球な直球だね。
あたしのエロ動画でどうやって家族に絆が深まるのかは甚だ疑問だけど。
……………………
…………
……
え?

「俺としても美鳥に寂しい思いをさせるのは本意では無いしな。精一杯気持ち良くするから、咽喉が枯れるまで叫んでくれていいぞ。録音もしてるからな」

え?

「あ、因みにお姉ちゃんの股間の魔法のステッキ、卓也ちゃんの最大サイズに合わせてるから。美鳥ちゃんも満足できるだろうし、よがり顔いーっぱい撮ろうね」

え?




え?
―――――――――――――――――――
☆月О日(ラヴ&ピース)

『アメリカンがこれを直訳すると、『正義と力』となる訳だが、やはり愛と平和は素晴らしい』
『あれ以来、大学、アルバイト、ブラックロッジでのそれぞれの活動時間を少しづつ減らし、姉弟の時間と家族の時間を取る様にしている訳だが、一日の充実感がまるで違う』
『傍らに寄り添いあり続けてくれる人がいる、それを毎日確認する事が出来るというのは控えめに言って至上の喜びと言っても良い』
『何と言うのだろうか、人生の絶頂というか、この永遠の絶頂を脅かすものは決して生かしてはおけないというか、そんな感じ』
『因みに絶頂の向こう側へと旅立った美鳥は、俺が作り出した新生鳴無美鳥に取り込まれて生まれ変わった』
『毎度毎度思うのだが、なんで美鳥は三人ですると酷い目にしかあわないのだろうか』

『さて、姉さんと言う掛け替えのない大切な人が俺には居る訳だが、俺以外の人間にも、やはり掛け替えのない大切な人というものは存在する』
『当然、作品世界の人間といえども同じ事だ。彼等と俺達は隔絶されているとはいえ、身体も心もその構造に差異は少ない』
『大切な人がいれば、その少し、あるいは大分下に、それなりに親しい人、などが来る訳で』
『一番大切な人でなくとも、親しい人間が見るも無残な姿にされたら、人は感情を掻き立てられるものだ』
『薄情だなんだと言われる俺でも、千歳さんや駐在さん、横田君、葉山さん、同士鈴木、その他学生時代の友人が不幸な目に遭ったら少なからぬショックを受ける』

『……つまるところ、精神的に追い詰めるには、一度大切なものを多く抱えて貰った方が好都合なのだ』
『大十字は気さくで友人もそれなりに多い。偶に出るエリート気取りで人を見下す外れ大十字でも無ければ人並み以上の数の友人が出来る』
『だが、基本的にミスカトニックの連中はブラックロッジとの闘争には関わらない。大学の教授どもに、未熟なまま危険な場所に踏み込むな、と教えられているからだ』
『デモベ以外のクトゥルフ神話作品では危険に突っ込んで死ぬのがお仕事とも言えるミスカトニックの連中だ、こういう規則というか、思想でも無ければあっという間に定員割れを起こす程死人が続出してしまうのだろう』

『今回の周は、ただ単に大導師と大十字を鍛える為の周ではない』
『まず大十字の親しい人達が、大十字自身の力不足や覇道財閥の準備不足などで尽く不幸な目に逢う』
『その光景を見た大十字は悔しさをばねに努力を重ね、最終決戦までにかなりのレベルアップを遂げる、という訳だ』
『さらにこれには、次の周で覇道鋼造が『同じ過ちは繰り返させん!』的に奮起、覇道財閥がこれまでのループ以上に目覚ましい発展を遂げる可能性が出てくるかも、という目論見もある』
『かといって、全てに絶望して何もかも投げ出されても困るので、途中途中で適度にフォローを入れるつもりではある』
『大十字の幸福度を上げる→落とす→少しだけ持ち上げる→更に突き落す→軽くフォロー→絶望しないレベルで叩きつける様に激しく落とす』
『これらをどの程度の加減で行えばいいか、という実験周でもあるのだ』
『大導師は、基本的に大十字を鍛え上げればそれを少し上回るレベルまで勝手に強化されるので、余り手を打つ必要が無い』

『大十字を付き落とすのは当然ブラックロッジ社員の仕事な訳だが、その仕分けが難しい』
『西博士とは後々共闘して貰わなければいけない訳だし、やはり逆十字安定だろうか』
『糞餓鬼と筋肉ダルマ、ブシドゥーは論外』
『アヌスさんはそういうくだらない事はしそうに無いし、ナイ神父だって大いなる計画を前に小さな作戦には参加しないだろう』

『そうだよな。やっぱティベリウスさんだよな』
『いやぁ俺も本当はこんな事したくないっていうか、よりにもよってティベリウスさんかよーみたいなところはあるっていうか』
『原作じゃ触手レイパーの癖にヒロイン凌辱シーンすら無く、精々パンツに触手擦りつけたり身体に絡ませたりがせいぜいのティベリウスさん(笑)じゃ少し役者不足じゃないかなとか思ってしまう』
『が、ランク的に言えば覇道瑠璃の凌辱に成功した魚人達にすら劣る感じだけど、その実力(触手凌辱的な意味で)は確かなものだ』

『因みに、今ここで思いついたような事を書いているが、このプランは大導師殿にすべて伝えてある』
『俺の方は、ティベリウスさんの初出撃までに大十字と周りの女性たちの親しさを深めておくだけでいい』
『適度な友好関係、或いは淡い恋心が芽生えた所で俺の仕事は終了』
『ティベリウスさんのアグレッシブビーストが断空砲フォーメーションして、夜のハイメガキャノンが炸裂すれば、この作戦は完了、という事になる』
『補正で間に合いそうになるかも知れないが、そこら辺は俺の方で少なからずフォローを入れる事にしよう』

―――――――――――――――――――
……………………

…………

……

ミスカトニック大学で講義を受けた俺は、昼の休憩時間を利用し、美鳥と共に大十字を空き教室に引っ張り込み、強制的に昼食を共にしていた。
窓の外を見れば、グラウンドでは如何にも男臭いラグビー部に混じって陰秘学科の中でも肉体派の連中が、声を張り上げながら身体を動かしている。
弾け飛ぶ汗で呼吸困難になりそうな光景だが、ここミスカトニック大学では珍しい光景でもない。

「ああ、これこれ。ミスカトニックって言えばこれだよな」

「いや、どれだよ」

大十字のツッコミを軽くいなしつつ思う。
ミスカトニック大学、特に陰秘学科には女学生が極点に少ない。
いや、ループ毎の揺らぎによってメンバーも多少変わったりはするし、それで女性メンバーが増える事もあるのだが、それでもやはり男女のバランスは男性に傾いている。

「見るからにホモ臭い空間だもんね」

「講義受けてる時は意外ときにならないんだけどな」

講義中に他の学生の姿形とか気にする意味も無いし。

「ホモ臭いは言いすぎだろ。荒事もあるし、自然と男が増えるのも仕方がないんじゃないか?」

「臍出し男が何か言っているでござる」

「ベーコンレタスバーガー買ってあるけど、喰うかい?」

「服飾のセンスにまで突っ込むなよ、何着ようが人の勝手だろうが。あ、バーガーは貰う。ありがとな」

美鳥にジト目を向け、ベーコンレタスに秘められた意味も知らずに俺から紙包みを受け取る大十字。
執事さんとの一枚絵がある様な潜在的BL野郎なので仕方がないのかもしれない。

「つうか、その可愛らしい弁当は何よ?」

「ああ、まるで『普段はガサツなイメージ持たれてるけど、気になるあの人の為に本気出せばこれ位楽勝! かわいいでしょ!』みたいなオーラを放っているけど、恋人でも出来たのか?」

大十字の手元には、まるで身体を動かす男性の消費カロリーの事など度外視した、いかにも手料理です、といった造りのオカズが詰まった弁当箱。
ハートとかそういう露骨なラブサインは入っていないが、それゆえに端々に見えるタコさんウインナーに兎林檎など、調理した人間の心遣いが良く見てとれる。
ミスカトニックだけで活動し続けている限りは、こんな弁当を作る女性と巡り合う事は出来無さそうだが……。

「あ、ああ、バイト先の人が、毎日店屋モノとか、出来合いの弁当で済ませてるっていったら、『アカンアカン、そんなんばっかやと栄養が偏るで! 今度からウチが作ったる!』とか言ってさ」

あらぬ方角に視線を送りながら、その弁当の製作者と思しき人の口調まで真似て、人差し指で頬をぽりぽりと掻きながら答える大十字。

「ほう」

「ほほう」

にやにやしている美鳥と並び、にやにや笑いながら大十字を見つめる。

(おもらしさんかな)

(ああ、凡人メガネさんだな)

ほぼ間違いないだろう。
因みに、今回の俺達は大十字がブラックロッジとの闘争に巻き込まれたことを教えられていないので、バイト先が覇道財閥である事は知らされていない。
が、大十字に大事な人をいっぱい作らせる計画の為に、クロックアップをラースエイレムとボソンジャンプとド・マリニーの時計を多用して、覇道財閥の秘密基地内に存在する食料品には全て手をいれさせて貰っているのだ。
覇道財閥の秘密基地で活動している人達は今、脳細胞の構造を作り替えられ、大十字に対して極端に好意を抱き易くなっているのだ!
この、
『脳内に侵入し宿主の対象Aへの好感と嫌悪感を操り好感度上昇後に脳細胞ごと作り替え本体は新陳代謝で排出される超微小機械改良型』
略してナノポマシンM型2nd Edition ver.4.73!に、よって!

「なんだよ、やましい所は一切無いぞ。普通にこう、生活面を心配してくれるところがお姉さんっぽいというか、頼りになるのにか弱い面もあるとか、そんな事思って無いからな!」

「分かった、うん、式には呼べ」

「産婦人科を紹介してやろう」

ツンデレ乙というものか。
これはなるほど、傍から見てると無性にムカつく。

「いやいやおまえら絶対誤解してるだろ。ていうか真相知るつもり欠片も無いだろ実は! いいか、俺とあの人はだなぁ!」

壮大な惚気をを始めた大十字の声をフィルタにかけ、まきいづみボイスに変換、華麗に聞き流しながら美鳥と通信で密談。

《確実に釣れたのは一人だけみたいだな》

《この段階じゃ、しゃーなしだろ。要は大十字と接触すればするほど好感度が上がっていく訳だし》

理想としては、原作では蔑まれ気味だった褐色ロリメイドとかでっかいショタコンメイド辺りとも仲良くなって貰った方が、標的が多くなっていい感じなのだが。
ショタコンはともかく、褐色ロリには少なからず脈があるんじゃなかろうか。
この大十字、別に貧乏探偵でもないし、さげすまれる要素も無い。
むしろ天下のミスカトニック大学で素晴らしい成績を収めているから、好感度は上がり易いのでは?

《執事さんの好感度が一番上がってそうな気がする件について》

《あぁー》

言われてみれば、原作からして執事さんからの信頼度は半端無かったし、それに加えてミスカトニックのエリートだ。
魔導書さえあれば機神招喚すら自力でこなしかねない腕利きの、人格面でもそれなりに正義感のある男となれば、未来の旦那様(覇道財閥総帥的な意味で)として見据えても何ら可笑しな所は無い。
元からホモ臭い容姿だしな。

《別に子供作るわけじゃないんだし、かまわんだろう》

《そだね》

ホモになったら軽蔑するけどな。
折角だからシスターライカとかアルアジフ辺りにも確実にフラグを立て続けて欲しいのだが、そこら辺は大十字の性癖とかスケコマシぶりに期待するしかない。
まぁ、なにはともあれ。

「バイトの方も、無理しない程度に頑張れよ」

「その頑張りぶりを見て、更に惚れ直してくれるかもしれんしなー」

「応さ! ……って、だから、あと何回説明すりゃ気が済むんだよお前らは」

「五回」

「二十は堅いね」

頭を抱える大十字を見ながら、思う。
ティベリウスさん無双が始まる前に、悔いが残らないよう、回想シーンだけでも回収しておけよ、と。





続く
―――――――――――――――――――

ポーカーです。
ていうかこのSSに限り、もうポーカーという言葉をスラングとして扱っていい気がしてきました。
それ以外は正直おまけの様なものです。機神招喚の理論も、以前説明した物に、主人公のその後の入手データを加えたものだから、大きな変化はありませんしね。
むしろ今回は如何にしてボール球になる直接的な単語を使わずに描写するかだけを考えていた為、それ以外の所は少しばかりおざなりかもしれません。
ネタが少ないと感想少なくなるってのは過去データから統計取れてるんですけど、まぁ、こういう回もあります。

だって、『姉と主人公の絡みは気持ちが悪いが』みたいな紹介を見かけたから……。
じゃあもっと気持悪くしてやるお! むしろ極限を目指すお!
みたいな意気込みが生まれてしまって……。
何気に姉とのシーンは初描写。気合い入れましたがどうでしたでしょうか。
因みに今回、セーフかアウトかで言ったら、断然セーフでしたね。
XXX版に行く必要なんてない。これくらいなら十分全年齢対応さ!


自問自答。
Q,大導師のキャラがおかしくないか。
A,大導師様は今のところ、半神であるという自尊心に、これまでの事が全て邪神の掌の上であった事に対する恥が半々に混じり合ってる状態です。
当然、人目が無ければポーズだってキメキメです。
Q,大導師殿は主人公の事をどう思っている?
A,とてもSSに出来ぬ! 注釈※にて返答いたす!
※余りにも知り過ぎているから警戒してはいるものの、肉体的には何の変哲も無い魔術師である為に、いざとなれば力づくで排除できるだろうと踏んでいる。
※が、同時に数少ない大導師側のループ体験者である為、結構好意的でもある。
※トラペゾ手に入るまでは逃がさない。
※好感度は意外と高いかもしれない。両刀的な意味で。


次回は待ちに待ったティベリウスたんの初登場ですね。
自分、この話投稿したらティベリウスのカマ言葉とか再確認して、気合い入れて触手ポーカーシーン書くんだ……。
関西弁のポーカーとか、初めて書くなぁ緊張するなぁ。
まぁ、原作からしてメインヒロイン以外では数少ないお漏らし枠だし、問題無いかな。
一応開幕ポーカーにならない程度に、出撃前のティベリウスと主人公の会話シーンとか挟むと思いますので、そこら辺は安心してください。

そんな訳で、今回もここまで。
誤字脱字の指摘、文章の簡単な改善方法、矛盾している設定への突っ込み、その他諸々のアドバイス。
そしてなにより、このSSを読んでみての感想など、心よりお待ちしております。



[14434] 第五十三話「恋慕と凌辱」
Name: ここち◆92520f4f ID:190f86b3
Date: 2012/12/08 21:31
×月◇日(ひぎぃ! ぼごぉ)

『たった七文字の文章、しかし、この文字列には人類種の果てしない可能性が秘められている』
『通常、触手を使用して交尾する様な大型動物は存在しない。せいぜい微生物だの植物だのが関の山である』
『で、あるにも関わらず。今現在では多くの人間が触手=エロスという方程式を基本常識として頭に刻み込んでいる』
『サブカルに詳しくない人間ですら、エロゲに登場する様な、やや暗い、しかし様々な色合いと艶やかを通り越してドロドロの粘液に塗れた触手を見た瞬間、酷くいやらしいものであると認識してしまう』
『デビルマンにおける、人間の遺伝子に残された悪魔への恐怖と同じレベルで、触手に対する刷り込みが行われていると言われても、俺はそれに反論する根拠を持たない』

『日本においては、かの天才画家・葛飾北斎が描き、艶本『喜能会之故真通』に掲載された木版画、『蛸と海女』が始めとされる、人間と触手の性的な交合』
『裸体を晒す女性に絡みつき、本来は只の触腕でしかない脚を使用し容赦なく犯す蛸、自らの内で暴れる自由自在にして長大な触手にたまらず乱れる女性』
『人々はその余りにも超自然的な情景に憧れと僅かな畏怖、形だけの嫌悪を示し、しばらく興奮に朦朧とした脳でその存在が現実に有り得るか有り得ないかの判定を行い、現実とはやはり夢の対極に存在するのだと結論付ける』

『現代日本においてもそうだ。様々な法律を乗り越え現代に生き残る風俗店』
『様々なプレイバリューを兼ね備えたその手の店ですら、触手を使用したサービスを取り扱う店は存在しないらしい』
『では、夢と現が混在する魔都秋葉原ではどうか』
『東京に移り住んだ友人の言葉を信じるのであれば、少なくとも今現在、触手が服の下で蠢き、怪しい液体を股間から撒き散らす、眼からハイライトの消えたメイドが歓待してくれる、』
『いわゆる触手寄生調教洗脳メイド喫茶なる店も、また、その派生形すら存在していない』
『存在していたなら、中学からの付き合いである触手マイスターである五十嵐君が黙ってはいないだろう』

『触手は、触手に貫かれて乱れる女性は、現実には存在しない』
『人間の触手に対する飽くなき信仰とはすなわち、実在しない神への信仰に似ている』
『存在しないと理解し、しかし尚その存在を崇めずにはいられない、それこそが触手』

『だが、確かに触手は実在する』
『女を犯す触手は実在する』
『触手は、確かなリアリティを持ち、この世界にあり続けているのだ』






『なお、俺が姉さんとのプレイで用いる触手はその全てが純愛使用であり』
『犯す触手ではなく愛でる触手である事はもはや言葉にする必要も無い事だろう』

『今なら、飲んで安心コラーゲン配合でお肌ツヤツヤ、食物繊維を適度に含んでいる為お通じも良くなる健康淫乱粘液も付いてくる!』
『姉さんには栄養面でのプラス効果しか現れないが、何の耐性も持たない者が接種した日には、それはもう酷い事になる事うけあいである』
『とりあえず人間を模した存在であれば、一滴も垂らせば一瞬で自立駆動を始めてM字開脚始める程度の効果は保障しよう』
『万が一垂らした対象に音声出力機能があるのならば要注意、発禁必至な淫語P音抜きを連発し始めるので、ご使用の際には周囲に人が居ないことを確認した上でご利用願いたい』
『エロいボディのガイノイドとエロい事したいけど、なんかそういう機能付いてないみたいだぜくっそぉぉぉぉぉぉ!』
『みたいなリビドー持て余し気味の思春期の少年よ、今直ぐアクセス!』
―――――――――――――――――――

そんな感じで、どこに向けるでも無いメッセージを日記に書いたので、俺の体内で生成されるものである事を伏せて、ブラックロッジのトップ触手マイスターにお勧めしてみた。

「今すぐアクセス!」

「要らないわよぉそんな無粋な薬ィ」

が、芳しくない返事しか貰えない。
ティベリウスは腐った死体顔に被せた道化の仮面を器用に変形させ、原作の立ち絵では見た事も無いような微妙な表情を表している。
なんというか、関わり合いに成りたくない的な雰囲気がバリバリ伝わってくる表情のお面だ。

「アタシはねぇ、そんな薬に頼らなきゃなんない程自分のテクとモノに自信が無い訳じゃないの」

ヤダヤダと巨大な鉤爪が隠された袖で口元を隠すティベリウス。

「濡れて無いトコに無理やり突っ込んで泣き叫ばせたり、その泣き叫んでた娘(こ)が、白痴みたいなアヘ顔で腰振りだすまでしっぽり犯し抜く過程が楽しいんでしょぉ?」

痛がらせるのはテクがイマイチな証拠では無く、痛がらせるのもティベリウスのテクの一つなのだろう事は想像に難くない。

「気丈な財閥の娘さんが○○○狂いになったり?」

「アラ、何よアンタ、以外と分かってんじゃない」

「分かってないならこんな薬を作ったりもしないと思いますが」

俺の返答に、ティベリウスの仮面が見慣れた黄緑色の喜色を現す仮面へと変わる。

「おほほほほほほ! 言われてみればその通りだわ。アンタもなかなか言うじゃない」

だが機嫌よさそうに談笑しつつも、ティベリウスの視線は落ち付かず、俺の背後や通路の向こう側にちらちらと注がれている。
こんな気を散らされたままではまともに会話も出来ないので、俺はティベリウスさんの心配ごとを一つ取り除いてあげる事にした。

「今日はフーさんも誰も連れてきてませんよ」

……したのだが、俺の返答にティベリウスの仮面は不機嫌も露わな形の物へと変わってしまった。

「な、なによ。アンチクロスであるアタシが、あんなゲテモノ女に芋引いてるとか思っちゃってるワケ?」

芋引いて無いってんなら、忍と同じ声でどもらないでください。
が、ここで馬鹿正直にそんな事を言うつもりはない。
俺は少しだけ考えるそぶりを見せ、くるくると天を指差した人差し指を廻しながら返答を返す。

「いや、俺が思うに、ティベリウス様と装甲フーさんって、結構相性抜群だと思うんですよ。俺も長年フーさんの戦いとか見てますけど、戦闘中にあんな嬉しそうにセックルしてるフーさん初めて見ましたし」

「……アタシが言う台詞じゃないと思うけど、脳味噌に蛆でも湧いてんの?」

「失敬な」

実際、フーさんの劒冑には金神補正でオリジナル正宗と同一の陰義を持たせた訳だが、戦上手のフーさんの手にかかれば正宗七機巧が一つ、割腹・投擲腸管が繰り出す内蔵の種類は格段に増加する。
迫るティベリウスの触手ティンコを、装甲で覆われた下腹部をぶち破り跳び出したフーさんの意思で自在に動く女性性器が見事にキャッチ。
特殊金属でコーティングされたフーさんの輸卵管が、ティベリウスのグロカリ首をがっしりとホールド。
続く卵巣の一撃が見事にティベリウスのグロ陰茎を挟み込み、叩き潰す様に切断した。
これが俗に言う、千切れるほどの締め付け、というものである。

のた打ち回りながらも怒りの赤色面へと仮面を変化させたティベリウスにひるむ事も無く、隠剣・六本骨爪で互いの身体を密着させ、胃と融合した甲鉄が生成する超強酸性の液体を撒き散らす。
ティベリウスも負けじと巨大な鉤爪でもって装甲状態のフーさんの頭を叩き潰さんとした訳だが、ギリギリの所でフーさんのスウェーバックで半ば回避されてしまう。
が、当然上半身もフーさんの肋骨で固定されている訳で、ティベリウスの鉤爪はフーさんの頭部と顔面装甲、胸部装甲、ついでに顔面の半ば程と方胸をごっそりとこそげとってしまう。

……ここまでの状況は後日フーさんを取り込み直した時に知った事なのだが、フーさんはここで軽く二度ほど絶頂に達している。
文字通り、命をと身体を削りながらの死闘。
それこそが、フーさんが協力者として俺達に力を貸す理由。
だからこそ、互いが互いの命を掌の中に握りしめる様なティベリウスとの戦いは、彼女がこれまでの戦いで得る事の無かった『戦闘時の高揚による性的絶頂』へと導くに至ったのだ。

「だいったい、何よあの女、自分から臓全部ひっくり返して、顔が削れてるなんてもんじゃないのよ? 頭蓋骨まで削れて、脳味噌まで零れかけてるのに、あんな、嬉しそうに笑ってくれちゃって、どんな神経してんのよぅ!」

全身のサブイボ(肌は無いと思うが)を沈める為とでも言う様に、鉤爪を内蔵した袖で自らの身体を抱きしめるティベリウス。
恐怖を現す紫色面で震えあがるその姿からは、装甲戦鬼フーさんへの紛れも無い恐怖がありありと見てとれる。
だが、あえて言おう。
お前が言うな。

ともかく、ティベリウスはフーさんの中に存在する、自らの抱く欲望とは異なるベクトルの狂気に触れ、逃げる様に距離を取りながらの戦闘を始めた。
が、そもそもフーさんの得意な戦闘距離は中距離から遠距離。
更に、アップデートが繰り返されたフーさんはシュリュズベリィ先生の無視覚状態での超感覚すら備えている。
当然、ティベリウスが遠距離から魔術による攻撃を繰り返しても、魔術式オルゴンライフルによって悉く迎撃され、結局は只逃げまわる事しか出来なかったらしい。

「とは言っても、ティベリウス様だって本気出してたわけでは無いのでしょう?」

「あったり前じゃない」

機嫌を直し、喜色を現す黄緑色面へと仮面を変化させるティベリウス。
その手の中には、アルアジフやナコト写本には劣るものの、かなりの魔力を内包する魔導書『妖蛆の秘密』が握られている。

「なるほど、無敵の鬼械神が相手なら、フーさんもどうにかなるかもしれませんしね」

「そ。アンタもね、大導師様のお気に入りだからって好き勝手やってると、磨り潰しちゃうわよ?」

冗談めかしたような口調だが、このティベリウス、ヤルと言ったらヤル男だ。
今回は俺も美鳥もそれなりに力を見せているから気易い上司と部下程度の位置で話せている。
しかし、普段はこのおちゃらけたオカマ口調のまま、気に入らない部下なら磨り潰して死姦している所だろう。

因みに、俺が大導師の居る玉座の間に到達した事で消滅する寸前、ティベリウスは紫色面から赤色面へと仮面を変え、確かに機神招喚の術式を発動させ掛けていた。
しかし、もし万が一あそこでティベリウスが機神招喚でベルゼビュートを招喚していたなら、『生身での死闘も出来つつ、本来の畑である巨大戦もこなせる素敵な殿方(殺し合うに最適的な意味で)』として、完全にロックオンされていた事だろう。
戦闘も収まり、数か月の間を置いたから大丈夫だとは思うが、そうでなければ世にも珍しいフー=ルー×ティベリウスという世にも奇妙なカップリングが出来上がっていたかもしれない。
もちろん、×の前と後ろの順番は何一つ間違っていない。
受けティベリウス(激レア・トラペゾの中か飛翔の宣伝ドラマCDでしか目撃された事が無い)ファンには堪らない展開が待ち受けていたかと思うと、あのタイミングで玉座の間に到着した自分を心底褒め倒してやりたくなる。

「以後気を付けさせて頂きます。ああでも、この薬の事は覚えておいてくださいね。少し成分をいじれば、色々と効能にもバリエーションが出せますから」

「そうね、何か面白い遊びでも思い付いたら、考えてあげないでも無いわん」

おーっほっほっほっほ、と、オカマ独特の笑い声を上げながら離れていくティベリウス。
日記の内容からふと触手粘液の販売を思いついて、夢幻心母中探し回っての唐突なセールスだったのだが、以外とまともに対応してくれてビックリ。
女性や可愛らしいショタを触手で精神崩壊するまで凌辱したり死体になった後も延々犯したりする趣味を持っているが、案外気のいい人なのかもしれない。
ご機嫌伺いも兼ねて、今度蝦夷の褐色ロリでも献上してみよう。
―――――――――――――――――――
●月▽日(大十字が不幸になるフラグが立ち続けているのも)

『乾巧の仕業でいいんじゃないかな。ほら、俺って基本的に悪事を働いてない時は善良な一トリッパーな訳だし』
『大体、ヒーロータイプの男に大したイベントも無く最初にくっ付くサブヒロインって、とりあえず不幸になって主人公に戦う決意を固めさせる為に居る様なものだろう』
『そういう意味で言えば、最初に大十字を攻略したのが覇道財閥の中でもそれなりに目立つ三人のメイドだった、というのは都合がいい』
『あの三人からしてそれなりに仲は良い訳だし、大十字とくっ付いた一人が不幸な目に会った時、落ち込んだり怒りに震えたりする大十字を立ち直らせるのには丁度いい』
『ていうか、大十字にブラックロッジへの怒りを蓄積させて、終盤の大十字と次の周で覇道財閥を強化させるのが目的な訳だし、メインヒロインとくっ付く必要すら無い』
『だが、できれば最終的には覇道瑠璃辺りとくっ付いて欲しいなぁ』
『メイド三人は、次の覇道鋼造が雇わずにいれば戦いに巻き込まれないで済むだろうとか考えそうだし』
『そういう意味で言えば、ブラックロッジに対抗する為に覇道財閥を立ち上げるのであれば、確実に闘争の運命から逃れられなくなる覇道の系譜を決意の中核にした方が確実ではある』
『覇道瑠璃がこれまで全周存在していた以上、何だかんだでどの覇道鋼造も、真覇道鋼造の息子を孤児院に入れっぱなしには出来ないという事になる訳だし』
『もうくっ付いている凡人眼鏡さんは確実に生贄にするとして、どうにかして上手い事覇道瑠璃とくっ付けて、その上できっちり失って貰わなければ』
―――――――――――――――――――
●月◆日(途中経過)

『さてさて、大十字がアルアジフと衝撃的な出会いを果たし、断章を探しながらのブラックロッジとの戦いを初めて、もうそれなりの時間が経過した』
『この周で大導師殿が初めてアイオーンを完全破壊した訳だが、それに伴い原作程では無いにしろ、アルアジフからはページが抜け落ちてくれたのだ』
『今のところ、大十字が回収した魔導書の断片は『アトラック=ナチャ』に『バルザイの偃月刀』、更に『ニトクリスの鏡』といったところだったか』
『原作との相違点を挙げるとするならば、やはりイタクァがアルアジフの手元に残っている事だろう』
『まぁ、この違いにしてもさしたる問題ではない。大十字は大学生としてみれば優秀な魔術師見習いではあるが、それでも専用の魔導兵装を使用せずにあのレベルの記述を制御できる訳では無い』
『何だかんだ言って、アルアジフの長年連れ添ってきた鬼械神はアイオーン』
『デモンベインの構造はアイオーンに似てはいる物の、魔導兵装を改竄して使うのにも苦労するし、アイオーンで扱う時よりも難易度は少し上昇する』
『結局のところ、アルアジフの元に記述が揃っていた所で、何のブーストも無い大十字が扱える魔術は変わらない、という事だ』
『苦難こそが人を強く育てるのである』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

そんな訳で、俺はアーカムの外れ、リゾート地でも無ければ邪神崇拝者達の巣窟でもない、程良くさびれた採石場にやってきている、
人を強くするのは困難苦難ではあるが、人は自らの手で成長の為に逆境を作る事もまた可能な生き物なのだ。

今回のミッションは大十字の戦力強化の為の修業。
俺と美鳥が制御したクトゥグアで大十字を追い詰め、大十字にはイタクァを持ってクトゥグアの炎を打ち消して防いで貰おうという、極々単純な修行である。
大十字がイタクァを制御できるようになるまではひたすら逃げるだけの修業になるが、ぶっちゃけ殺す気でやるので覚醒は早い筈だ。

神格的に考えればクトゥグアと対になるのはイタクァじゃなくてハスターなんじゃね? などと言う、いかにも資料だけ見て思いました的意見はこの場には無用なのだ。
少なくとも、アルアジフの記述の中ではクトゥグアとイタクァはタメ。それでいいではないか。
元からこの世界のアルアジフの記述とか、追記に追記と検閲と改竄を重ねて信頼性という言葉からはかけ離れているんだから。
閑話休題。

だが、はっきり言って大十字を痛めつけて強くする為だけに、アーカムシティの一般人に迷惑をかけるのは不本意なのだ。
迷惑をかける時は自分の意思で迷惑をかけたいので、大十字を追い詰めるのに最適な、人気の少ない場所を探さなければならない。
そこで、やはり採石場である。

「見ろ先輩、この採石場ならいくら爆発炎上しても暴走凍結しても迷惑がかからないぞ!」

特にあの切り立った崖! 523が今にもゴングチェンジャーで変身して無双を始めてくれそうではないか!
格闘家だから、女性であるメレ相手でも容赦なく顎ぶち抜くからな523、マジで俺流を貫いてる辺りには尊敬の念を抱かざるを得ない。
あ、でもあそこは採石場じゃないか。剥き出しの岩が同じ削れ方をしていたからうっかり見間違えてしまった。
海を出そうにも、海産物系の魔導書は碌なのが無いしな。
ラムダドライバとか使えば、無条件で崖は召喚できるのだが。

「ちょっとまて、既に暴走する事前提か」

相変わらずの臍出しルックの大十字が裏拳気味に突っ込みを入れてくる。
神聖な特訓場でもある採石場にまで臍出しオサレ服で登場とは、その801根性にはまいったぜ……。

「先輩、今日は暴走させない為にここに来てるんだろ? 完全に制御できるようになるまで暴走するのは当たり前じゃないか」

「道理じゃな」

「うぐ……」

俺の言葉に頷く、採石場なのにロリドレスファッションを崩さないアルアジフ。
九朗は本来味方である筈の魔導書が俺に同意した事で、反論の言葉を紡ぐ事も出来ずに口をつぐむ。
そんな大十字の様子に満足したのか、アルアジフはふふんと鼻をならし、改めて岩だらけの周囲を見回す。

「まぁ、妾としては、実際の戦場になる市街地での修行が望ましいと思うのだが」

アルアジフは、実際に戦場になる事は極めて稀な採石場での修行に、些か不満を感じているらしい。
それに美鳥は大げさに驚く素振りを見せる。

「おいおい、市街地であのレベルの記述を暴走させるつもりかよ」

「わかっておる。言ってみただけだ」

美鳥の言葉にも頷くアルアジフ。
今回の修業は言うなれば特別編、俺と美鳥と言う大十字側(大十字達からすればそういう立場に見えるらしい、否定も肯定もしないでおいた)の魔術師が居るが故に可能な修行。
常の大十字とアルアジフが行っている実践的な魔術戦闘の修業とは方向性が異なる為、障害物や群衆の存在は計算に入れる必要も無い。
頷くアルアジフの表情からしても、本気で文句を言っている風ではなく、できればそういうシチュエーションの方が身が入るだろうな、という程度のものだったのだろう。

さて、大十字を、ひいては大十字の親しい人物達を不幸な目にあわせて、大十字のブラックロッジへの怒りを増強するという作戦をこの周では行っている訳だが、だからといって大十字の方に一切手を加えなくていいのかと言えば、そうではない。
大導師殿にアイオーンを破壊させたのはあくまでも今後の流れを整える為であり、大十字を精神的に追い詰める役にはたたない。
精神的に追い詰める最初の一手には、大十字の恋人を使うのは決まっている。
そこで、触手凌辱のエキスパートであるティベリウスを利用する訳ではあるが、ここで一つある問題が浮かび上がる。
大十字がブラックロッジへの怒りを募らせ、なおかつ自分自身と覇道財閥の力不足を嘆くには、ティベリウスが自発的に大十字の親しい人に手を出さなければならないのだ。

もちろん、大導師殿と相談して覇道邸の襲撃ミッションは計画済みだ。
が、まともに覇道邸を襲撃した場合、非戦闘員である大十字の現在の恋人、凡人眼鏡さん(デモンベインで数少ないお漏らし枠)がティベリウスに襲われる可能性は余りにも低い。
大導師殿から命令して襲わせる事も可能ではあるが、それでは意味が無い。
一番理想的なのは『大十字がティベリウスを激怒させ、ティベリウスが報復として大十字の女を誘拐、力及ばず倒れた大十字の目の前で徹底的に凌辱』というプランだ。
が、現在の大十字では間違いなくティベリウスを怒らせる程の戦果はあげられない。
そこで、大十字には調子に乗ったティベリウスに一太刀浴びせ撃退できる程度の力をまず与えなければならない。

大十字に撃退されたティベリウスは『まだ見習いのアマチュア魔術師如きが』と激怒、報復の為に、大十字の最も大切にするものを破壊しにくる筈、という訳だ。
勿論、その為に凡人眼鏡さんの個人的なプロフィールは調査済みであり、何時でもティベリウスに知らせる事が出来る。
ティベリウスの手にかかれば凡人眼鏡さんも回想シーンが出来る程の白痴顔でアヘアヘ喘ぐだけのスクラップになってしまうだろう。
が、それでは大十字の心が折れる可能性もあるので、凡人眼鏡さんの脳味噌にも一手間加えさせて貰う。

「ところで先輩」

「うん?」

「そちらの、いかにも『普段は作業着ばかりだけど、恋人とのピクニックの為に少しおめかし。少し地味過ぎたかもしれないけどカレの視線は釘付けだから、うん、オッケー!』みたいな眼鏡の女性は?」

そう言いながら、大気中を飛ぶ塵に擬態させた俺の肉体の一部を、

「なんやのその人の内心見透かしたみたいな表現」

バスケットを手に此方にジト目を向ける凡人眼鏡さんの口の中に。
一粒でも次元連結システム、重力制御、『ナノマシン生成』などの機能を備えた万能な俺の一部は自律稼働で極々自然に凡人眼鏡さんの口の内部の粘膜に融合。
全身を乗っ取る事無く血管内部に侵入、血液に擬態し、そのまま血流に乗り、脳へ。

「ま、なんの自己紹介もしとらんかったしな。ウチは九郎ちゃんのバイト先で先輩やっとるチアキっちゅうもんや」

ジト目をやめ笑顔を取り繕う凡人眼鏡改めチアキさん。
本来ならもう少し手間がかかる所だったのだが、あっさりしたものだ。
ナノポマシンの効能もほぼ狙い通りのバランスだし、その後の脳改造もスムーズに進んだお陰で、ほぼ体外に排出されている。
今投与したのは、大十字への好感とはあまり関係無い精神の作用を弄る機能を備えたもの。
このナノマシンのお陰で、凡人眼鏡さんはやや貞節で、大十字以外からの誘惑に強い頑強な精神力を得る事になる。

「俺はミスカトニック大学で大十字先輩の後輩やっている鳴無卓也です」

「あたしは、そうだな、謎の食通とでも呼んでもらおうか。鳴無美鳥だよ」

「アンタらの話は九郎ちゃんから聞いとるよ」

美鳥が一瞬心の病を発症し掛けたが、それを華麗にスルーしてくれた。
大人だ。地味だが。
いや、別に魅力的では無いというつもりはないのだがパンチにかける人だと思ってしまうのは仕方が無いのではないだろうか。
なんか、うん、絶妙に外されてボールコースに逸れた外角低めというか。
ストライクゾーンに入るかなーというバッターの甘い期待からの空振り狙いと言うか。
原作的に考えると、ヒロインとしてデザインされた訳では無いから地味という事情があるのかもしれないが。
まぁ姉さんや美鳥と比較すると誰も彼も敬遠球なのは仕方が無いのだが。

「なるほど、ですが、俺も大十字から話は聞いています」

「実はあたしも風の噂に聞いた事があるぜ」

「なるほどなぁ、流石、話に聞いた通りやわ」

頷き合う俺達を見ていた大十字が訝しげな表情を浮かべる。

「……いやまて、チアキにもお前らにもそんなに詳しく話して無いよな」

勿論、大十字からはそれほど情報は仕入れていない。
が、おそらく関西人系列であろうこの眼鏡なら、適当な事を言っても合わせてくれるだろう。

「いやいや、先輩は結構情報洩らしていたぞ? ていうか惚気てただろう」

「え、ほんまに?」

キラキラした瞳で大十字に向き直る眼鏡。
合わせてくれるだろうと思っていたのだが、この眼鏡、少し本気にしている節がある。
まぁ、少なからず惚気られたのは事実ではあるのだが、それにしても自分から口にする事は無かった筈だ。

「そ、そりゃ少しはそういう話もしたけどよ……」

照れ顔でそっぽを向く大十字。
野郎が照れ顔とかあれなので、その内違う周で女装を定着させようと思う。
だが、恋人? が恥ずかしがる姿を見て、眼鏡さんはご満悦の様だ。
更に俺の発言に合わせる様に、美鳥が言葉を割り込ませる。

「確かにこいつ、『チアキはベッドの上で良く漏らす』とか洩らしてたなー」

空気が固まり、笑顔を張り付けた眼鏡さんが大十字の肩に手を置く。

「──九郎ちゃん、後でお話しよか」

「ちょ、誤解、誤解だっ、おい美鳥テメェ!」

「え、あ、ごめん、聞いて無かった。──そして聞くつもりも無い」

別にこの状況は可笑しな事では無い。
ラブコメ的には主人公がするとは思えない様な暴露話、しかし、直前にヒロインが嬉しがる様な話があると、その直後の話の内容には思考力が鈍るものなのだ。
幸せは人を馬鹿にするとはまさにこの事を指していると言っても過言では無い。
そして、話の流れ的に『少し調子に乗るか酒入れるかすれば言いそうだな』程度の疑惑が持てる発言ならばどうなるか。

「ええか九郎ちゃん、いくらここがアメリカ言うてもな、日本人なら少しは慎みを持たな……」

「はい……はい……」

この様に、訥々と大十字に説教する眼鏡さんと、採石場の石だらけの地面に正坐して頷き続ける大十字の出来上がりという訳だ。
時折大十字が『なんでフォローを入れなかったんだよ!』みたいな視線をちらちら送ってくるが、その度に眼鏡に注意されている。
暴力的なヒロインであれば報復として暴力が振るわれてそれで終わりなのだが、少なくともこの眼鏡は恋人に対して無駄に暴力的な人格では無かったらしい。
まあ、逆に延々説教が続くので、理性的なヒロインというのも面倒臭いのかもしれない。

「やれやれ」

アルアジフは、冤罪で説教を受けている主に対し呆れた表情で首を振っている。
どうやら、この周では今現在アルアジフと大十字の間にフラグは立っていないようだ。
やはり最初から覇道財閥に関わる様になれば、自然と覇道瑠璃と親しくなる流れに乗るのかもしれない。
まだ眼鏡さんルートだけど、ハッピーエンドは存在しないしな!

ともあれ、大十字と眼鏡が既にベッドインしていて、それでいて日常でも付き合いがある程度には親しくなっている事は確認できた。
後は予定通り適当にクトゥグアで大十字を追い詰めて、イタクァの制御法の訓練をして今日のイベントは終了という事にしよう。

―――――――――――――――――――

メディ倫月ザル日(通らない方が珍しい)

『見た目と年齢が釣り合わないなんて、現実でもよくある事だし、仕方がないのかもしれない』
『それゆえに、大十字と大導師は容赦なく小学生かそこらにしか見えない魔導書の精霊にトラペゾ挿入するし、クトゥルフはルルイエ異本とエンネアをぬぷぬぷする』
『その行い、正に邪悪!』
『俺だって幼女には手を出した事は無い(ていうか幼女には食指も触手も動かない)というのに、なんという奴らなのか』
『だが、我らが一級触手マイスターであらせられるティベリウスさんは一味も二味も違う』
『彼は画面外や文字の上では名も無き一般人をその触手の餌食にしているが、本編中では触手による本番行為を映像つきで行った事は一切無いのだ!』
『ここで彼の触手レイパーとしての輝かしい戦歴を見てみよう』

『対覇道瑠璃・腸で四肢を拘束しおっぱい剥き出しにして触手見せつける処までは行く→即座に大十字に触手ティンコを切断される』
『対ライカ・クルセイド・触手を絡み付かせおっぱいを剥き出しにさせるところまでは行く→実際に突っ込まれたのはクトゥルフの触手』
『対アリスン・触れる事すら出来ずメタトロンさんに撃退される』

『この錚々たる戦歴、まさに触手の救世主(メシア)と言っても過言では無い』
『彼ならばデモンベインが仮に少年誌で連載されたとしても、その見事なまでの寸止めで規制を喰らう事無く場を盛り上げてくれるだろう』

『そんな全年齢向け触手マイスターであるティベリウスさんは今日も大活躍!』
『……ぶっちゃけ、覇道邸にティトゥスと凸かまして、見事に大十字にぼこられた』
『原作では大導師の命令で呼び戻されるのだが、今回はクトゥグアの炎をイタクァで相殺され、挙句の果てにクトゥグアの記述まで奪還されておめおめと帰って来た』

『当然、未熟な魔術師見習いに反撃を受けて逃げ帰るしか無かったティベリウスは怒り心頭』
『帰って来てから憂さ晴らしに女を浚いに行き、翌日のアーカムに大量に娼婦や女学生の、暴行を受けた痕のある腐乱死体が散乱させていた』
『それでも未だ怒りは収まっていないらしく、今でも時折夢幻心母内部で腐乱した女社員の死体が見つかる程だ』

『ここまでお膳立てが整えば、脳味噌がリアルに腐れているティベリウスを誘導する事など容易い』
『何も知らぬ風を装い、大十字が大切にしている、戦闘能力を持たない恋人の情報を教えてやろう』
『俺はティベリウスに恋人を浚われ触手凌辱されてなすすべなく鬱展開に陥った大十字の負の感情を、全てブラックロッジへの敵愾心へと誘導してやるだけでいい』

『そうする事で、俺は労することなくループ終焉への時間を短縮する事が可能、という訳だ』
『両陣営に居ながらにして、この見事な采配』
『俺ってば、まさに天才ね……※ジャージ忍者漫画基準』

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と、そんな事が数週間前の日記に書いてあった。
そう、数週間前だ。
日記を書いてから今日までの数週間、色々な事があった。
数日間を置いてティベリウスと接触を図ったにも関わらずまだイライラしていて、いきなり鉤爪で切られそうになったり反撃したりもしたが、どうにかこうにか無事に用件を伝えられたり。
渡した大十字の恋人に関する情報にティベリウスが不敵に笑ったり。
ティベリウスとばかり接触するのは臭いが移りそうだから、下級社員達の集まりで大規模人体改造を行ってサイバーマンを大量生産したり。
ドクターは文句言ってたけど、人間の脳味噌をそのままAIの代わりにする、ってのは結構効率がいいと思うんだけどなぁ。
実際問題、複製能力を使わずに人工知能作ろうと思ったら結構時間掛かるし。
そうそう、常に稼働状態にあるエルザは中々取り込めないから、せめて内部構造を見ようとした事もあったか。
メカポがある事を忘れたせいで『い、いけないロボ、エルザには大十字九郎という心に決めた相手が……。…………少し後ろ向いてて欲しいロボ』みたいな感じになってしまったんだよなぁ。
動力はやっぱりオルゴンエネルギーだったが、ドクターの作品なだけあった見るべきところも多かった。
ていうか、人間に出来る事は大概出来る辺り、ドクターの人造人間へのこだわりがうかがえるっていうか、……高級ダッチワイフ?
ああいう機能搭載しているなら、エルザルートとまでは言わないまでも、エルザのそういうシーンがあってもよかったのにな。

「ほぉら見てみなさいよタクヤちゃん、アタシの触手○○○で大十字の女が腰振ってるワよぉン!」

「ぐっ、ごっ、なん、なんでアンタ、こんな場所に……!」

うん、現実逃避という程では無かったけど、少し意図的に気を逸らしていたかったのは確かかも。

──遡る事数時間前、ミスカトニックでの講義を終え、自宅で姉さんと美鳥と共に夕食を食べ終えた俺は、数日ぶりに夢幻心母に足を運んでいた。
研究室に籠り、液体人間、全身義体のバトルサイボーグ、サイバーマンに次ぐ、新たなるブラックロッジ下っ端改造プランを練ろうとしていたのだ。
今回はそれなりにオープンに高めの地位を大導師に与えられている為、夢幻心母の中に専用の(美鳥と共用ではあるが)の研究室を与えられている。
なお、美鳥はレイトショーで上映されている、心臓の代わりにチクタクチクタクと鼓動を刻む懐中時計を搭載した少年の心温まる異能バトル恋愛アドベンチャー映画を見に行っているので、今日は一人だけでの出社である。

先日シュブさんから頂いた秘蔵の笹団子を賞味しながら、古今東西の文献(元の世界から持ち込んだラノベ他書籍、ゲームにアニメ、ついでにこの世界で手に入れた魔導書類)を斜め読み。
BGMに、爽やかな朝の光景が脳裡に思い浮かぶ様な曲をと思い、装甲悪鬼村正サウンドトラック『邪悪宣言』のDisk2より誼を選択。
ふと脳裡に、肩のあたりで茶色い髪を切りそろえた半金属生命体なブラスレイター・テッカマンの事が思い浮かび、過去のトリップを懐かしむ。
簡易な、というか適当な洗脳のお陰で文字通り神への崇拝レベルまで上がった好感度から来る、無垢過ぎて気持ち悪い程の好意の視線。
そして、そんな少女に生暖かい(赤ん坊のミルク程度だと思う)視線を送る少女の親友達。

結局、湊斗光は父親と添い遂げる事ができたのだろうかとか、そんな事を考えつつ、手は銃夢の旧シリーズのページを捲り、脳裏にはちらちらと玉座の間いっぱいに溢れ返るデッキマンという素敵な光景が浮かび出して、今。
爽やかでインテリ気取りな夜の一時を味わっていたというのに、浚ってきたと思われる眼鏡さんを犯しながらティベリウスが研究室のドアを蹴破り入ってきたのだ。
俺がどんな酷い気分になったのかなんて、今更語るべきことでも無いだろう。

嬉しげに眼鏡さんの中に捻じ込んだ触手を蠕動させているティベリウスに溜息を吐く。

「大十字のイチモツはその触手とサイズ的に見て遜色ありませんからね。あのサイズで慣らしてなきゃ、今頃裂けて泣き喚いてる所でしょう」

「じゃあナニ? 嫌だ何だと言いながらこの女、しっかり感じちゃってるってワケ?」

「だから腰振ってんでしょう。精神って、意外と肉体に勝てないものですよ」

まぁ、今も気丈な態度でいられたり正気を保ち、なおかつ今ここに居るのが俺であるという事を認識できる程度に意識がはっきりしているのは、また別の事が要因なのだが。
採石場でこっそり脳改造用のナノマシンを投与して無ければ、大十字の心に楔を打ち込む前に眼鏡さんが壊れる所だった。
流石俺、先見の明があるな。

「……なぁんかテンション低いわねぇ。何? 今さら罪悪感でも湧いて来た?」

訝しげなティベリウスの声と共に触手が蠢き、それを咥え込んだ眼鏡さんの素肌が剥き出しの下腹部が盛り上がる。
ごぶ、ぶじゅる、と下品な音を立てて眼鏡さんに絡みつく触手が腐臭を発し、身体の芯を貫く肉槍は黄色く濁った白濁の粘液、いや、ゼリー状の腐れた体液を撒き散らす。
胸を含む様々な隠すべき場所の服の生地を引きちぎられた眼鏡さんの身体に、胎内に噴出した濃厚過ぎる体液が、
腕を拘束し、腿を這いずりながら脚をガニ股で開いた状態で固定し、千切れんばかりに胸を縛り挙げ、顔面に擦りつけられた触手によって、肌に刷り込ませるように塗りたくられる。
眼鏡さんの表情は嫌悪感に満ちているが、その表情の奥にはしっかりと情欲が湧き出しているのが見てとれる。
ティベリウスの肉槍が眼鏡さんの胎内に体液を吐き出した瞬間、拘束されていた手足の先端が引きつけを起こした様に痙攣していたのも見間違いではないだろう。

「ここ、俺の研究室ですからね。変に汚されると面倒なんです」

「下っ端の連中にやらせればいいじゃないの」

「こんな量の精液と愛液を? どんな噂が立つかわかったもんじゃないですよ」

「そりゃ悪かったわネェ、おほほほほほほほほ!」

絶対悪いと思って無いなこいつ……。
そんな悪びれた様子も無いティベリウスと俺の会話に、苦悶と屈辱に表情を歪ませたままで眼鏡さんがこちらを睨みつける。

「ウチはぁ……、愛、液なんて、こんな、あ、あ♪」

声も我慢できないなら強がらないで欲しいなぁ。
そもそも、先ほど部屋に入ってきた時点から眼鏡さんの脳内に常駐させている新しい方のナノマシンが、ティベリウスの些細な触手の動きにも反応し、延々と脳内麻薬を分泌しているという情報を送ってきているのだ。
強がりにもなっていないというか、あらかじめ脳改造をしていなかったら、この時点で触手の拘束など必要無い様な精神状態になっていたところだろう。

「随分可愛らしい声でおねだりするんですね」

これがあれだ、挑発してより酷い事をして貰おうという、いわゆる誘い受けなのだろう。
問題があるとすれば、そもそも声を我慢しきれていないので、無理して強がろうとして失敗してしまっているのが丸分かりという事だろうか。

「アラ、この女が気にいったなら、後で使わせてあげてもいいわよ? タクヤちゃんには結構世話になったし、後ろの穴にでも突っ込んでみる?」

げらげらと笑いながらのそのティベリウスの言葉に、顔面に擦りつけられていた触手の放つ強烈な臭いに、頬を上気させながら鼻をひくつかせていた眼鏡さんが俺を睨みつけてきた。
凄むのは別に構わないのだが、せめて半開きの口から触手に向けて伸ばされた舌を戻してからにして貰いたい。無意識だから仕方が無いのだろうけど。
ホント、脳改造様々だな、これは。

「いりませんよ、そんな女。あ、でも大導師様からの命令で色々投薬しとかないといけないんですよ。壊してもいいから殺さないでおいてくださいね」

「しょうがないわねぇ。ま、まだまだ緩くもなって無いから、ガバガバになるまでは生きたまま楽しませてもらいましょ☆」

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チアキは朦朧とする頭で、九郎の友人であった筈の男と、自らを犯し続ける生きた死体の会話を耳にする。
耳にするだけで、意味を理解できないというのが正直なところだろう。

九郎とのデートの最中、アルが居ない隙を襲撃された。
自らを庇う九郎は逆十字の道化の男にズタズタにされ、自らも道化の男に捉えられ、九郎の前で幾度となく貫かれ、──達してしまった。
愛おしい人の前で無理矢理に貫かれ、挙句、涙を流しながら獣の様に乱れ狂い、愛おしい人が自分にどんな視線を向けているか、想像し、恐怖に思考を震わせ、
大十字の絶叫が夜の街に響き渡り、その声すらどこか遠い物に聞こえ始めた頃、チアキは気を失ってしまった。

再び意識を取り戻した時には既に目の前に九郎の姿は無く、暗い暗い廊下を、腐ったゾンビの肉の槍に貫かれながら運ばれている。
最早抵抗する気力すら湧かず、揺すられるまま、貫かれるまま、脳を白く焼く感覚に身を任せる。

薄れ、馬鹿になり始めた頭でぼんやりと考える。
何がいけなかったのだろうか。夜のデートにアルちゃんを動向させなかった事?
調子にのって、ことある度に九郎ちゃんと身体を重ねた事?
アルちゃんを連れていれば、少なくともこんなにあっさりと捕まる事は無かっただろうか。
九郎ちゃんと身体を重ね続けて慣らしていなければ、こんな死体に犯されて、みっともなく達する事も無かっただろうか。
取りとめも無い考えが頭に浮かんでは、臓を掻きまわされる度に弾ける頭の中の火花がリセットを掛ける。

自分の喉から、狂人の様な笑い声が途切れ途切れに響いているのを自覚した頃、自分は相も変わらず貫かれたまま、不思議な部屋の中に居る事に気が付いた。
一見して何の変哲も無い書斎の様でもあるが、所々に置かれた機材は全くのちぐはぐだ。
大小様々な本の入れられた本棚、卓上ライトの乗せられた机、小型のレコードプレイヤーの様な機械。
チアキの職場でもある覇道財閥でしか見かけない様な鮮明な映像を映す、酷く薄いディスプレイ。
部屋の真ん中には唐突に置かれた手術台、その上には何らかの生物の体液がこべりついたメカニカルアーム。
冷蔵庫が二台、培養液の詰まった巨大なカプセル、薬品棚。
構成するインテリアがおかしければ、部屋の細部すらおかしい。
部屋の隅、角のあるべき場所が全て削られるか埋められたかしたのか、滑らかな曲線を描いている。病的なまでの角度の排斥。

先ほどまでまったくはっきりしなかった思考が、部屋の内装に興味を持ち違和感を感じられる程に鮮明になっている事に気が付いたチアキは、無意味と知りながらも触手と肉槍から逃れようと身を捩じらせる。
だが、当然そんな事で拘束が緩む事も無く、逆にその動きが身体の中の巨大な腐りかけの凶器を強く感じさせてしまう。

「──字のおん──腰振って──」

ゾンビの笑い声、耳鳴りがする、頭が痛む。
貫かれる事で傷ついた身体をこれ以上傷つけない為に脳が麻薬物質を生成し、嫌が応にも遠ざけられていた苦痛が蘇る。
だが、そのお陰でチアキは部屋の中に自分と生きた死体の他に、もう一人人間が居る事に気が付き──目を見開く。
見間違いだろうかと一瞬自らの目を疑う。
だが、間違いない。その部屋の主は、数度会った事のある、九郎の大学の後輩にして友人。

「なん、で」

息も絶え絶えに、絞り出すように吐き出した問いをあっさりと無視し、ブラックロッジの幹部であるゾンビと親しげに話を交わす男。
こんな状態の自分を見ても、部屋が汚される事にだけ眉をひそめ助けようともしない。
まさか、彼は九郎を裏切っていたのか? 騙されていたのか? 虎視眈々と自分達を陥れる瞬間を待ち望んでいたのか?
まさか、まさか、まさか。

チアキは九郎の事を信頼していた。
それは腕利きの魔術師としてだけではなく、男として、人間としての大十字九郎を信頼していたのだ。
そんな彼が、騙されていた? 二年近く付き合いのある大学の後輩に?

九郎はそれなりに気が付くし、鈍くも無い。人を見る目もある。
そんな九郎を、彼は騙せるというのだろうか。
仮に何処かのタイミングでブラックロッジに入り、そこで染まってしまったのだとして、九郎はそれに気が付かないほど鈍感では無い筈だ。
チアキのそんな思考を読んだかの様に、九郎の後輩は笑顔で──初めて顔を合わせた特訓の時と同じ、意地が悪く、しかしそれなりに社交的な笑顔で、言葉を紡ぐ。

「そりゃ、俺が元々ブラックロッジの一員だからでしょうね」

「え……」

「俺は、大十字先輩に出会う前から、ブラックロッジのアドバイザーなんですよ。変わる変わらないの問題じゃなくて、元々の俺を大十字先輩が見誤ってただけなんです。ほら、何もおかしな処は無いでしょう?」

初め、から。
初めから、全て、この男が手を引いていた。
九郎ちゃんが、勘違いをしていただけで。
いけない。知らせないと。
恐らく、この男は自分がどこに務めているかも知っていた。
さも仲間に向ける様な笑顔で、至極簡単に九郎ちゃんを罠にはめる事が出来る位置に、この男は居る。
九郎ちゃん、あかん、この男は、

「そんなぺらぺら教えちゃっていいのぉ?」

「いいんですよ、これで新しい薬を打つ言い訳も立ちますし」

チクリ、と、首筋に鋭い痛みが走り、チアキの覚醒していた意識が急速に闇に落ち始める。

「要は、大十字先輩が見てる前でだけ正気でいればいい訳ですしね。今ここでの記憶もはっきり言って必要ありません」

「うふふ、アンタ、やっぱりこの仕事向いてるわよ」

「褒めても何も……、あ、男性向けの人身販売カタログの新刊なら出ますね。読みます?」

──この男は、危険や──!

―――――――――――――――――――

──チアキと九郎の仲は、お世辞にもドラマティックな出来事から始まった訳では無い。
九郎が覇道財閥でデモンベインのパイロットとして働き始めて、整備の度に話をするようになり、次第に仲良くなっていった。
彼との会話から垣間見える、ミスカトニックのエリートとは思えない雑な食生活。
何だかんだで独り身の時間も長く、人並み以上に自炊も出来るチアキは、ふとした思いつきから九郎に食事を作ってあげる事になった。
そこで初めて九郎が奨学金で学費と生活費をまかなう苦学生である事を知り、二人で食事を取るようになり、彼の両親が共に既に居ない事も知った。

初めは職場の後輩として、次に手のかかる弟の様な存在として。
九郎の事を知る度に、彼の弱さと強さ、優しさを知る度に、チアキは女としての自分が九郎を強く求めている事に気が付かされた。
誘われた訳でも無い。自分から誘って、寝た。抱かれた。
なし崩し的に男女の仲になり、それでも上手くやって行けた。

なんとなくでくっ付いた割には、今まで付き合った(それほど男性経験が豊富という訳でも無いが)男たちに比べても、なんというか、相性が良かった。
本気、だったと思う。
恋人を作った事はあったけど、ここまで誰かを心底好きになったのは、初めて。

(だから、九郎ちゃん。自分を責めんといてな)

自分の身体が、自分の意志とは関係無く、与えられる刺激で獣の様に乱れているのを、チアキは何処か遠い場所でも出来事であるかの様に感じていた。
まるで人ごと、だけど、九郎が見たならどう思うか、なんて事も分かる。
九郎はきっと後悔する。自分とそんな仲にならなければ逆十字に狙われる事も無かったのに、と。
でもそれは違う。

──ウチは、どんな事になっても──

思考を終えるよりも早くチアキの意識が遠のく。
身体に与えられる信号を処理しきれず、脳が自らの機能を守る為に休眠状態に入ろうとしているのだ。
意識を失う寸前チアキの脳裏に浮かんだのは、浚われる自分に手を伸ばす、傷だらけの九郎の姿だった。

―――――――――――――――――――

「アラ、死んじゃった?」

「まだ生きてますって。一応それの脳味噌は手を入れてるのですから、そうそう壊れる事はありません」

少しばかり脳細胞が多めに破壊されてしまったけど、それにしたって最低限大十字が迎えにきた時に、ある程度の発言が出来る程度の知能を残しておくための保護機能に過ぎない。
ティベリウスに犯し続けられるから肉体面での破損はどうしようもないし、この眼鏡さんは後は大十字に楔になる様な言葉を残すという仕事しか残っていない。
ぶっちゃけ、がばがばになっていようが手足が無かろうが、最低限大十字の言葉を聞くか顔が見れて言葉を発する機能が残っていればいい。
……ふむ、ティベリウスのブツがもう少し細ければ眼姦で片目が潰れる可能性もあったのだろうけど、中々難しい。
頭部は少し深めに刺すだけで脳味噌にダメージが届くからなぁ。
顔面が見るからに『汚されただけ』というのはインパクトに欠けるが、仕方が無いか。

「では、俺は大十字の方を少しばかり見に行って来ますので、くれぐれも殺さない様にお願いしますね」

「どうしようかしらねぇ、うっかり殺しちゃうかもよぉン?」

ブッ刺してるだけで死ぬって、どんだけ激しいプレイをするつもりなのか。
ともあれ、ティベリウスが言うとかなりシャレでは済まされない真実味がある。
しかし、それなりに高い地位に居るとはいえ、逆十字程一目で分かる優れた部分が無い俺が幾らいった処で、ティベリウスはそのうっかりに気を付ける事をしないだろう。
大導師殿の命令だぞと脅しつけても良いのだが、虎の威を駆るなんとやらみたいであまりそういうのはやりたくない。

──ここで話は変わるのだが、魔導書『妖蛆の秘密』に記載された魔術で不死を手に入れた魔術師が、いったいどんな理屈で再生するか知っているだろうか。
基本的に、『妖蛆の秘密』の魔術から生まれた不死の魔術師は、例えレムリアインパクトを喰らったとしても死ぬ事は無い。
完全に消滅しても、大気からわき出した怨念や邪気などを起点に通常空間に現れた『妖蛆の秘密』が、瞬く間に肉体を再生させてしまうのだ。

そう、『妖蛆の秘密』が、完全消滅した術者を再生している。
『妖蛆の秘密』と契約した魔術師はその肉体は端末に過ぎず、むしろ魔導書の方が本体と言ってもいい。
普通の魔術師も魔導書を奪われると殆ど無力な存在になり下がってしまうが、それでもここまで致命的なレベルでの弱点ではない。
原作でもこの点は明確な弱点として表現され、肉体再生途中のティベリウスは、魔導書を草履電話に燃やされて驚くほど呆気ない最後を遂げる。
魔導書を燃やされ、破壊されると、術者は消滅する。

ここで確かめたいのだが、実のところ『妖蛆の秘密』には魔術師に不死の肉体を与える様な術式は存在しない。
ビヤーキ―や山羊の子や星の精などを召喚したり、薬の作成法や幾つかの神との接触方法が主な記述である。
ではどの様にして魔術師は不死を得ているのか。
そう、【精神転移】に【ゾンビの作成】である。
術者は自らの精神を魔導書に転位させ、改めて自らの肉体をゾンビへと改造し、共感魔術などを用いて使役する。
これこそが、『妖蛆の秘密』の持ち主の不死性の正体。

魔術師から魔力を供給されなければ、如何に魔導書が優れていても単独での魔術行使は難しい。
故に、魔術行使が可能な程のゾンビを作成し、それを魔導書本体に精神を転位させた魔術師が操る事で、いかにも普通の魔術師と魔導書の関係であると見せかけているのだ。
常に本体は亜空間に潜んでいる為、ゾンビの肉体が完全消滅しても痛くも痒くも(共感魔術を使用しているから、実害はないが感覚だけはあるが)ない。

では、仮に無防備な魔導書本体に手を加える事ができたならどうだろう。
仮に、数週間前にブチギレティベリウスと交戦した時、うっかり生身でレムリアインパクトを放ってしまい、ゾンビの肉体を消滅させてしまっていたなら。
ゾンビ作成を行う為に元の空間に姿を現した『妖蛆の秘密』を取り込んでいたとしたら?
魔導書に転位された術者の精神という記述を、俺がある程度都合良く書き直していたとしたらどうする?
生身でレムリアインパクトなんていう反則も、逆十字を瞬殺する力も、都合の悪い全てをティベリウスの記憶から抹消した上で、更に何もしないと思うだろうか。

「《大導師殿の命令》ですから、ホントのホントに殺さないで下さいね? あ、眼と耳は最低でも残しておいてくださいね。片方だけでいいんで」

「分かってるワよぉ、ぶっちゃけ大十字九郎の女だって事を除けばそれほどいい女って訳でも無いのよねぇこの女。壊すより先に飽きちゃいソ」

「飽きたら、適当な触手の中にでも突っ込んでおいてください。殺さず、捨てるなっていう《大導師殿の命令》がありますから」

当然、エーデル准将張りに細工済みなのは言うまでも無い。
まぁ、いきなり人が変わったように俺の言う事を聞き出したら怪しまれるから、不自然の無いように《大導師殿の命令》という言葉をバインド・スペルに設定してはいる。
それでも少し不自然な感じがするから、あんまり使いたくはないのだが。

「あ、そうだ。もし今後大十字とか覇道財閥とかと出くわしても、俺がブラックロッジの社員だって言わないでくださいね。《大導師殿の命令》で、スパイごっこをさせられてるので」

「アンタも大変ねぇ。少しは息抜きしたら? ほら、こっち貸してあげるから、ネ?」

だから、眼鏡さんをひっくり返して尻をこっちに向けさせないでくださいって。
眼鏡さんも、理性飛んでるからって『あなうー、あなうー』とか寝言で言わない!
バインド・スペルを使うまでも無く割と気を使ってくれるティベリウスと、大十字関連以外ではもはやただの痴女にまで堕ちた眼鏡さんに背を向け、俺はそそくさと研究室を後にした。

研究室を後にし、廊下を進みながら考える。
いくらデートとはいえ、街で逆十字が暴れればアルアジフが気が付かない筈が無い。
しかし、アルアジフの誇るマギウススタイルも完全では無い、大十字の怪我が深ければ、延命や治療に専念せざるを得ない。
治療に専念したとすればティベリウスを追いかける事は不可能。
眼鏡さんを浚った直後のティベリウスを追いかける事が出来なければ、この夢幻心母の場所を知る事すら出来ない。
先ずは、敵の場所も知らずに恋人を迎えに行こうとする大十字を諌める作業から始めなければならないかな。

―――――――――――――――――――

魔界天使月4日(へぶんりぃえんじぇりっくらぶ)

『へろう大十字先輩、君がこの日記を読む事は無いだろうから、ここできっちり色々言っておこう』
『誰に見せる日記でも無いのに誰かに向けている様な文体になるのも、恥ずかしい日記を書く上では乗り越えなければいけない壁だからね』
『こう見えてもう日記を書き始めて軽く一世紀以上経過しているんだ。届かない手紙でも書くつもりで書かせて貰うよ』

『俺の用意した眼鏡──チアキさんとのミラクルな日々は存分に楽しんで貰えたかな?』
『仮に俺がネタばらしをしたとしても、先輩からは心からのありがとうは貰えないだろうね』
『なにしろ先輩は神を殺す側だ。ありがとうを言うならその楽しい日々自体に言うんだろう?』

『タイミングが良かったお陰で夏の海にも行けただろうし、駅前での待ち合わせで遅れて仲良くけんかもして貰えた事だろう』
『君は天使みたいな彼女(あくまでも先輩視点での話な)との天国の様な日々を無くさない様に心に誓っていただろう』

『先輩は普段の行動は意地汚いところもあるけど、心と心のやり取りには誠実な人だ。これでも百年近く先輩を見続けてきたんだからよくわかるよ』
『先輩もチアキさんも互いに初めての人って訳では無いけれど、二人にとっては互いは最初で最後の恋の相手みたいなものだろう』
『彼女の笑顔を守ろうと、笑顔に指きりとかしたかな?』
『照れくさく思っても、やろうと思ったら確実にやる男だからね、先輩は』

『どこかで満たされないとか云々常日頃から、それこそムカつくエリートになってもヒッピーになってもミュージシャンになってもTSしても言う様な先輩だけど、チアキさんといちゃついている時は間違いなく満たされていたんだろう?』
『幾つもの未来を、可能性を持つ先輩だけど、心を誘導されての繋がりだけど』
『少なくとも今周の先輩にとって、そんな気持ちになれる誰かは彼女が最初で最後』
『先輩の知らない所で、刻一刻と残り時間は減っているけど、先輩と彼女の間にはたくさんの『たからもの』が増えて行ったよね』
『それは人が生きていく上で、掛け替えのない、光輝く素晴らしいものだ』

『大切な時間、大切な日々、大切な女性、大切な人』
『美しい思い出、思い描いた幸せな未来』
『互いが互いを思い合う心、人の心の光!』




『もう、だいぶ溜めこんだろう?』
『そろそろ還元しても良い頃合いだと思うんだ』
『本当は今周だけでも最低二人、とか思っていたんだけど、やっぱり先輩は義理堅いから』
『何の変哲も無い出会いだったけど、先輩にとっては掛け替えのない大切な人だったみたいだし』
『砕け散った、砕け散る彼女との間に生まれた何もかもを糧に、先輩はまた一歩無限螺旋の果てに近付く事ができる』
『これは最初から決められていた事なんだ』
『俺が幸福を貸し付けて、それを倍にして返して貰う』
『最終的に先輩は損してるからウィンウィンとは言えないけど、妥当な取引じゃないかな』

『でも大丈夫! 本当に何もかもが無くなる訳じゃない』
『先輩の心を守る為に、チアキさんには心のよりどころを残して貰う』
『きっと、積み上げてきた幸福に比べたら微々たるものかもしれないけど、先輩は強い人だから、それで死ぬまでやっていけるよね』

『今回はサービスとして、早めに手を貸し始めて、夢幻心母への突入も少しだけ深いところまで手伝ってあげよう』
『口が軽そうな似非紳士も先に片付けておきたいし、気に病む事は無いよ!』

『そうそう、次の周では先輩が誰とくっ付くか、姉さん達と賭けもしてるんだけど、どうなるんだろうね』
『今の方式だと眼鏡さん固定みたいなものだから、少しバランスを弄るかも』
『できれば、今回よりもより深い仲になれる相手とくっ付いて欲しいかな』
『なに、俺が裏方に回らなくてもきっちり幸福と不幸が訪れる様になるまでは、先輩のフォローも続けるつもりだから安心していい』
『心おきなく、恋人との最後の逢瀬を楽しむといいよ』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

『ウチ、九郎ちゃんに逢えて、幸せやったで。だから……、そんな顔、せんといて』

『でも、俺、俺がしっかりしてれば、俺がチアキと、恋人じゃなかったら、こんな事には……!』

夢幻心母に突入するよりも早いタイミングで、ティベリウスはあっさりと大十字に殺害された。
今回はメインヒロイン三人ではなく眼鏡の人とくっ付いていた為か、アルアジフもほぼ無事、デモンベインも中破程で済む戦闘面でのイージーモードだったのだ。
大導師殿が裏切られ、その直後の駄目押しのカリグラの襲撃。
カリグラとクラーケンは大十字とデモンベインによってあっという間に破壊され乙。
激昂したクラウディウスは俺の事を口走りそうだったので、より早い魔風で切り刻み、ひるんだ所でネームレス・ワンの力で乙。
ティトゥスは変わらず執事さんをぼっこして帰還。

で、肝心のティベリウスは、なんと眼鏡さん持参で登場したのだ。
当然ながら下半身は繋がりっぱなし、眼鏡さんも既に触手で拘束されるどころか、自分からティベリウスの身体に足を絡ませていた。
其処に現れた大十字は、そんな二人を見て一瞬で激昂。
並みの逆十字がヤムチャ状態になる程の速度で持って肉槍やら腸やらを切り裂き見事眼鏡さんを救出。
身体を貫く異物を取り除かれ、更に大十字を確認した事で、眼鏡さんの脳内のナノマシンが活動を再開。一時的に正気に戻した。

涙ながらに大十字に謝る眼鏡さんと、そんな眼鏡さんに謝り返す大十字。
自分の存在を無視して二人の世界を始めた大十字と眼鏡さんが気に食わなかったのか、ティベリウスは機神招喚。
コックピットに眼鏡さんを同伴させたデモンベインと戦いながら、眼鏡さんが自分に犯されみっともなくアヘ顔を晒していたのかを嬉々として説明。
が、逆にそれが大十字の怒りの心を研ぎ澄ませ、あらゆる兵装を先読みされて迎撃され、レムリアインパクトで決め。

今は、ティベリウスに犯され続けた事で身体がゾンビ化を始めている事にアルアジフが気付き、最後の別れという事で、大十字と眼鏡さんを二人きりにさせてあげている。
周囲に敵が居ないかを美鳥に確認させているし、アルアジフ自身も何かあったら即座に大十字の元に駆けつける事が出来る距離に控えている。
今回の失策に付いて、アルアジフもアルアジフなりに反省してるのだろう。

そうして俺は、大十字と眼鏡さんが二人きりで最後の時を過ごしている部屋の内部を盗聴してるのだ。

『それは……ちゃうよ。ウチは、九郎ちゃんとあえて、ホンマにうれしかった。……一緒に居れて、たのしかった』

『チアキ……!』

子供をあやす様に酷く優しげなチアキの声と、今にも泣き出しそうな大十字の声だけが、あの部屋の中に響いている。
鼓動の音も二つ。いや、片方は今にも止まりそうな程に弱々しく、その弱々しい鼓動すら薄くなっていく。
その代わりとでも言う様に、片方の身体からうっすらと瘴気が立ち上り始めているではないか。

『……なぁ』

『……うん』

ゾンビ化の兆候が表れ始めている。
あと数分もしない内に、眼鏡さんは完全に意識を失い、文字通りの生きた屍と化してしまうだろう。
後に残るのは、ただ腐り続けるだけの、眼鏡さんの形をした肉の塊だ。
もちろん、そんな事も含めて大十字と眼鏡さんには伝えてある。
どうするべきかは伝えていないが。

『一緒に居てくれて、ありがとな』

『ああ……』

カチ、と、金属音。
撃鉄が上げられたのだろう。
声として認識出来るか出来ないか、小さな笑い声。

『九郎ちゃん、大好き』

破裂音。

空気の詰まった紙袋を叩き潰した様な音が響き、
部屋の中の鼓動の片方が、完全に音を失った。
増え始めた瘴気が霧散していく。

沈黙。

鼓動だけが響いている。
十秒、一分、更に数分、沈黙が続く。

『…………俺も、俺も……チアキ……!』

言葉にならない、相手も居ない告白。
その言葉を境に、部屋の中の沈黙は、大十字の抑え込む様な嗚咽の音に塗りつぶされた。












次のループへ続く。
―――――――――――――――――――

ティベリウスとの心温まる交流を書こうとして失敗。
後に大十字と凡人眼鏡さんカップルとの交流を書こうとして失敗。
更に予告した触手ポーカーシーンを書こうとして失敗。
日記を邪悪に書こうとして失敗。
非劇エンドを描こうとして失敗。
そんな第五十三話をお送りいたしました。

言い訳しますけど、ティベリウスのカマ口調が激烈に難しい事に気が付いてしまったんですねぇ。
テンション高いから普通に会話させるのも難しいし、テンションが落ち付いてるのってキレる前だったりするし。
触手ポーカーシーンは何やっても表現の面でアウトにならざるを得ないし。
あ、でも精液愛液肉槍はセーフですよね。どれも普通にエロ以外でも使われる言葉ですし。

そもそもシリアスな話を書こうとすると途端に説明部分が長くなって、ネタもコメディも挟めなくなって手も足も出ません。
今回のネタの量の少なさは異常ですよ奥さん。
このネタの少なさでは、感想を書くのは難しいでしょう。
何度も言いますけど、シリアス回ってコメし難いですもんね……。

自問自答で今回の触手ポーカーシーンが全年齢である理由を書こうかとも思ったけど、別に直接的な単語は精液愛液だけですし、犯すとかはいまどき普通にラノベでつかわれてますものね。
肉槍? 主人公だって触手を槍の様に敵に突き刺したりしますよ?
エロい単語に聞こえたなら、それは貴方の心がエロいだけです。


★自問自答の代わりに、アンケート☆
最近シリアスばっかりなので、全体的に力抜ける感じの話を書いてゆるっとしたいのですが、少しばかり問題があります。

Q、大十字虐待中だけど、前にこそっと通り過ぎた全原作キャラTS周、改めてやっていいですか?

あ、もちろん大十字の虐待強化は続けます。
通り過ぎたTS周を話にするんじゃなくて、この後の展開で新たにTS周が訪れる的な感じです。
昨日仕事中に、『TSさせたからこそ出来る追い詰め方もあるよなぁ』とか、領収書とか整理してる最中に思い浮かんだので。
ていうか、『TSさせないと出来ない』と言った方が正しいというかなんというか。

★ショタアルとショタエセルのポークビッツとか、書いてもいいのよ?
☆半ズボン若旦那覇道瑠璃とか誰得だよ……。

みたいな感じで、肯定なら★、否定なら☆でご協力願いたいです。
いや、アンケの集計しながら次の話書き始めるので、アンケ結果が完全に反映されるとは限らないのですが、参考までに聞いておきたいというか。
第一話か第二話のあとがきで『TSやらない』とか言っちゃってますから、TS嫌いって人も居ると思いますし。

そんなこんなで、今回はさして盛り上がる事も無くここまでで終了です。
当SSでは誤字脱字の指摘、文章の簡単な改善方法、矛盾している設定への突っ込み、その他諸々のアドバイス、そしてなにより、このSSを読んでみての感想など、心よりお待ちしております。

※木端メイドにエンディング名とか不要だと思ったので消しました。



[14434] 第五十四話「進化と馴れ」
Name: ここち◆92520f4f ID:190f86b3
Date: 2011/07/31 02:35
ティベリウスの腐ったイカ臭い肉の塔にうっとりとした表情で頬擦りする稲田比呂乃を見て、俺は積年の疑問を考えていた。
それは、『何故多くのニトロ作品には姿形は違えど、稲田比呂乃が存在しているのか』という問いである。
簡単に見えて、奥の深い問題だ。
『スタッフの遊び心だ』などと、当たり障りない答えを口にして悦に浸る人間もいるが、
それは思考停止に他ならず、知性の敗北以外のなにものでもない。
『スターシステム』という表現のスタイルが存在する。
漫画、アニメなどにおいて、同一の作者や監督、制作スタジオなどが同じデザインのキャラクターを俳優の様に扱い、異なる作品の様々な役割で登場させるというシステムだ。
つまり、他のニトロプラス作品の登場する稲田比呂乃と、今目の前で俺直々の洗脳を受け、
ティベリウスに心からの愛情を注ぎ奉仕している稲田比呂乃が同じデザインをしていれば、この稲田比呂乃は他作品からのデザインと名前流用という事になるはずなのだ。
目の前で、フーさんが用意したフリルを多用し布面積も多いにも関わらず大事なところは徹底的に『隠れていない』魔改造メイド服を着た稲田比呂乃は、ニトロ作品共有稲田比呂乃か否か。
それは、他のニトロ世界で採取した稲田比呂乃の肉体構造と比較してみれば分かる。

※他のニトロ作品は装甲悪鬼の世界だけだが、トリップ終了までの放浪期間中、パンピー(トリッパー専門用語・取り込んだり仲間に入れる必要のない、平凡なスペックの作品世界住人の事)を襲っていた所を発見。
※暇つぶしに強襲して俺と美鳥の触手でぐずぐずになるまで玩具にした覚えがある。

―――――――――――――――――――

そんな訳で。

「ティベリウス様、ちょっと俺と美鳥にもヤらせてもらっていいですか?」

駄目ならバインド・スペル使うけど。
ていうか、スパZから名前取ったけど、バインド・スペルって普通に名無しさんの術式に存在してるなぁ。
特に珍しい言葉使ってる訳でも無いから、名前の被りとかしょうがないんだけどな。

「アラ、アンタが姉と妹以外に興味持つなんて、意外ねぇ」

言いつつ、ティベリウスは拒否をするどころか、少し腐れた腸で稲田比呂乃の身体をからめ取り、俺と美鳥の方に尻を向けさせた。
何だかんだでブラックロッジルートに入ってからええと、まだ百周は行ってないけど、結構な時間付き合いがあるしな。
ティベリウスが此方の事を毎度忘れても、こちらはティベリウスの最短攻略法を知っている。
美鳥ともどもティベリウスと同じく触手凌辱のエキスパートである事を伝え、そこらの奇麗どころをタイミングを見計らって献上すれば、この程度の仲になるのは用意なのである。

「お兄さんは、ただ犯すだけなら必要とあればお姉さん以外ともするよー。…………劇薬入りのトゲトゲ触手で壊す事前提だけど」

カットジーンズのジッパーから、成人男性の二の腕程もある触手を生やした美鳥が、俺に流し目を送りながら言う。
ティベリウスもその美鳥に習い、俺の方をにやにやと眺めている。
こっちみんな。

「そういうのは、その掘削ドリルみたいな触手を納めてから言えよ。どこを削るつもりだ」

美鳥の生やした触手は、亀の頭で例えられている部分に無数の棘を生やし、突っ込んだだけで普通の女性ならショック死しかねない代物である。
しかもミンチドリルか乖離剣かという程に、溝の刻まれたパイプ部分が互い違いに回転している。
お前は一体どんな化け物の相手をするつもりなのか。

「そういうお兄さんは何で少年誌対応みたいな柔らかめで表面とぅるっとぅるの触手生やしてんの? カマトトぶってんの」

「必要になれば内部で変形させて枝分かれもさせるし、肉体計測用だからこれでいいんだよ。十分実用に耐える」

言いながら、突っ込む前に美鳥の頬をぺちぺちと触手の先端で叩く。
当然色はホワイトカラー。ベタ塗りもトーンも必要無い作業効率に優しい週刊誌向けの触手でもあるのだ。

「あ、あ、あ……、ちょ、ちょっとまっておにいさん、そんなのずるいよぉ……」

俺の触手を非難する小生意気な表情から一転、ぺちゃぺちゃと飛び散る触手液を舌で舐め取りながら恍惚の表情の美鳥。
だが、そんな美鳥の股間の触手は美鳥の興奮に合わせる様にパイプ部分のスピナーの回転速度を加速させ、隙間から白い煙を吐き出している。
摩擦と熱によって、触手に染み込んでいた美鳥の触手液が蒸発し始めているのだ。

「あんたたち、ホントに仲がいいわねぇ……」

ティベリウスの呆れる様な声。
蒸発しても触手液の効果が損なわれる事は無く、蒸気を吸った稲田比呂乃は、こちらに向けた尻を振り、受け入れ体制は万全とでもいうかの様にパクパクと二つの穴を開閉している。
試しに計測用触手を一本、後ろの穴に先端だけ押し付けてみた。
ひくひくと動く後ろの穴は通常ではありえない程の蠕動で、まるでそれ自体が吸引力を持っているかのように俺の触手を呑みこんでいく。

「っ──────、っっっっ♪」

ティベリウスのモノを舐めながら喉を震わせ、声にならない嬌声を上げ、全身を痙攣させる。
まるで母の母乳を求める赤子の如く触手を吸い上げる後ろの穴。
更に、痙攣に合わせる様にティベリウスのモノを舐める舌使いも激しくなり、蓮コラの様なグロいそれに何度も何度も愛おしげにキスをする。
口に咥えようとして、サイズの違いから僅かにしょんぼりとした表情を見せもしたが、それでも奉仕を休めるつもりはないようだ。

「あーん、いい吸いつきネ☆ ──ォホっ!」

稲田比呂乃の奉仕に、ティベリウスのモノから濁った白と黄色の中間の色合いの粘液が噴出。
稲田比呂乃はその、最初のゲル状だった頃から比べると大分薄くなった粘液を、まるで美酒でも味わうかのように恭しく口に含み、うっとりとした表情でこくり、こくりと喉を鳴らしながら飲み干していく。
ゲルと粘液の水溜りで四つん這いのままの彼女の頭を掴み直したティベリウスが、改めて残った粘液を吸いださせる為に、口にモノの先端を無理矢理に押しつける。
稲田比呂乃は押し付けられたモノを、じゃれついてくる小動物でも相手にするかの様に掌で撫でまわし、ちゅうちゅうと音をたてながら改めて吸い付く様にキスを再開した。

「仲良し兄妹ですから。美鳥、まずはこっちの触手で全身の形状とか、筋肉の付き方とか、内臓の状態とかを調べるから、美鳥はその後な」

「ふぅ……、ん、ふぅ…………仕方ないね。これ、突っ込んだら間違いなくぶっ壊れるだろし」

―――――――――――――――――――

全身隈なく触手で探ってみたところ、装甲悪鬼世界の稲田比呂乃とはあまり共通点を見つけられなかった。
よってこのデモベ世界の稲田比呂乃は、少なくとも装甲悪鬼世界の稲田比呂乃と同一人物では無いと言える。

「ほらほら見て見てお兄さんにティべやん。ケツから口まで触手貫通ぅー☆」

「いいアヘ顔ダブルピースだ。感動的だな」

「……でも、殺しちゃ意味が無いんじゃなかったの? 大導師サマの命令で」

「あ」

美鳥に渡してから二時間、心停止から一時間ほど経過していたが、ド・マリニーの時計で何事も無く復活した。
見聞を広めるには、時には犠牲が付きものである。
少なくとも、アヘ顔ダブルピースの死後硬直とか、普通に生きていたらとても見られるものではないだろう。
直接見ると、別の意味で見られたものではないが。

なお、装甲悪鬼の稲田比呂乃の方が、ティベリウスさん辺りにとっては使い心地はいいと推測できる。
武者の騎航を行うには水泳などにも似た全身運動が必要になるので、必然的に肉体の造りが引き締まり、締め付けが柔軟かつ引き締まった具合になるのだろう。
献上品に使えそうだし、生きたまま取り込まず、せめて首から下だけでも殺してから取り込めば良かったかな、と思った。

―――――――――――――――――――
◆月◇日(パターン入った)

『ブラックロッジに入社して一周目は、何を成すでもなくループを迎えた』
『二周目からは積極的に手を加えていく事になり、手始めにアイオーンの完全破壊を大導師に進言した』
『思えば、大導師が確実にアイオーンを破壊できるようになったのは五周目を数えた頃だったか』
『なまじアイオーンの性能が高く、大導師が未熟で、なおかつある程度の補正が入るので、上手いやり方を見つけなければ、どうしても一定の確率でアイオーンは残ってしまうのだ』
『だが、もはや大導師は術者なしのアイオーンの完全な攻略法を身に付けたので、この点は最早問題無い』

『次に、大十字の心を折れる限界まで痛めつける系のスケジュールも確立したと言っていい』
『何パターンかのナノポマシンが必要ではあるが、その使い分けによって大十字がどの女とくっ付くかも既に理解している』
『先日の稲田比呂乃は攻略こそ難しいが、大十字との仲を引き裂いた場合の大十字の成長率で言えば、他のナノポマシンさえ盛ればチョロい三人のメイドとさして変わらない』
『百周近い試行錯誤の内、タイミングをずらしながらの出会いのパターンやらイベントの違いやらによる微細な変化を観測してみたが、得られた物はそんなデータだけ』
『一応、レア率で言えばシスターライカよりははるかにましだが、わざわざ狙ってくっつける程のものでも無いだろう』

『ここ百周程(いろいろ寄り道もしたので曖昧になってる)で、アーカムシティは大きく様変わりした』
『ブラックロッジに入る前までのアーカムシティが地方都市に見えるほど、とまではいかないが、眼に見えて巨大で堅牢な都市に変化を始めているのだ』
『覇道財閥の地下秘密基地の防衛力も、ハイスクールのロッカールームレベルから、駅のコインロッカー程度の物に進化していると思う』

『ここまで自動化すれば、後は暫く分のナノポマシンを用意しておけば、俺がブラックロッジやミスカトニックに居る必要も無いだろう』
『というか、わざわざメイドを狙わなくとも、大十字とくっ付いた覇道瑠璃を確実に破滅させる方法も確立しているので、ナノポマシンも余り必要では無くなってしまった』
『やっぱり、二百年近く大十字を鍛える事ばかり考えてると効率が違う』
『メイドとくっつけて破滅させた場合の伸び率の計測の片手間だったのに、その計測結果すら不必要になってしまった。』
『ここ最近は実験や大十字の強化ばかりしていたし、おろそかになり始めていた自己の強化を、ここらで再開してみようと思う』

―――――――――――――――――――

「そのような訳で、お暇を頂きたいのです」

夢幻心母の中心、毎度おなじみ玉座の間にて、大導師にお伺いを立てる。
御伺いを立てるとか言いつつ、もう俺の中では暇を貰って自己の強化を再開する事は決まった事だ。
いざとなれば大十字を戦力的に只管甘やかし、ここ暫く分の強化を無かった事にするぞと脅しをかけて無理矢理にでも抜けさせて貰う。
というか、大導師は別に反対はしないだろう。
元々、俺と大導師との間で相互に利益が上がるからこそ協力関係が成り立つ訳だし。
……俺、利益あったかなぁ。ずっと下っ端改造したり、ティベリウスが浚ってきたメイドの洗脳ばっかりしてた気がする。
やっぱ、ここは先延ばしにしてた自己強化を最優先だな。

「……貴公がブラックロッジに入団して、今回でどれほどの長さになるか」

椅子に座り、髪の毛を弄りながらこちらに虚ろな視線を向ける大導師。
発言の意図が分からないが、問われたからには何か意味があるのだろう。
……いや、本気で何の意味も無い時もあるが。
この大導師偶に唐突にボケるし。天然入ってるし。

「正確に数えていた訳ではありませんが、二百年前後程ではないかと」

ブラックロッジに即座に入社した事もあれば、ミスカトニックで一年ほど過ごした後に大導師に直接スカウトされた周もある。
二年と半年かそこらでループ、それを役百周だから、大体その程度。
正確な数値も出るのだが、大導師は正確な数値が知りたい訳でも無い筈だ。

「二百年……、常人ならば長き時と思えるか。──だが、余や貴公達の様に永き時を生きる存在にとっては、瞬きの様な時間だ」

「いや正直結構長かったですよ。社員改造してメイドを洗脳して凌辱するだけみたいなものでしたし」

「瞬きはあそこまで長くないだろ常考」

大導師のあんまりと言えばあんまりな発言に、思わず少しだけ素の口調で本音を漏らす俺と美鳥。
大導師は何だかんだで馴れているのかも知れないが、俺と美鳥はこれまでデモベ世界でまっとうに自己強化を図っていた時間の倍以上の時間を過ごしてきたのだ。
しかも、自己の強化とは余りにも関係の無い方向で、だ。
何が悲しくて覇道のメイドなぞ犯さなきゃならんかったのか、もうメイドは暫くご勘弁、って気分になるのも仕方が無い事だろう。
そういう意味で言えば、大十字が彼女を作るまでの時間は割と息抜きタイムだったなぁ。
鉄男スーツとか鉄猿スーツとかサンダルフォンスーツとか再現できたし、意味の無い趣味の時間だったにしても、こっちの方がいくらか実りがあるし趣味にも合う。

「はぁ……」

俺と美鳥の大導師への突っ込みを聞き、エセルドレーダが深々と溜息を吐く。
最初の頃であれば、先ほどの突っ込みの時点でエセルドレーダがガタッと音を立てながら立ち上がり此方を睨みつけてきた事だろう。
だが見て欲しい、このエセルドレーダの表情。
親愛が無いのは当然にしても、こめかみに指を当て、呆れても物も言えない、という雰囲気剥き出し、注意する素振りすら見せないではないか!
これが好感度上昇の結果ってやつだよな。
初期なら今頃美鳥か俺がエセルドレーダの魔術発動前にディスペルしてドヤァ……してた筈だし。

美鳥と共に、ブラックロッジ内部(大導師とエセルドレーダ限定)からの評価の上昇率を考えにやにやと笑う。
と、次の瞬間、我々は衝撃的な光景を目撃する事となる。

「ふ……」

だ、大導師が微笑を……!
何時も気だるげな表情か、決め顔である亀裂の様な笑みしか見せなかった大導師が!

「少なくとも、余にとっては瞬く間に過ぎた時間だった、という事だ」

「それは、どの様な、意味で」

俺の問いに答えず、大導師が椅子から腰を上げ、ゆっくりと此方に、もっと言うなら片膝を付いている俺と美鳥の内、明らかに俺の方へ向けて近付いて来ている。
五メートル、四メートル、三メートル、二メートル、一メートル。
ぜ、零メットール……。これ以上はロックバスターでも破壊できない。
やたら近い。この大導師はパーソナル・スペースという概念を知らないのだろうか。
一メートル未満、五十センチ以上といったところだろうか。
大導師が手を伸ばせば即座に届く距離。
俺は決して伸ばそうとは思わないが。

「理解できぬか?」

「は……」

今の状況を整理しよう。
大導師どのは俺から見て六十センチ程前方に立ち、頬笑みを絶やさぬままプレッシャーをかけてきている。
キーワードは、『距離』『微笑み』『プレッシャー』の三つか。
ここから導き出される答えは……。

《ガチホモの臭いがするよ! するよ!》

(うるせぇ)

美鳥がにわかに興奮している。
確かに、立ち膝の俺から見ると立っている大導師の股間が眼前に来る訳ではあるが、大導師も『なぁ……、スケベしようや……』などと言いたい訳ではあるまい。
そんな事を言われた日には俺は全てのエネルギーを燃焼させ尽くしてでも、大導師と母体であるネロ、予備のシスターライカを殺害し、一気にこの無限螺旋を脱出しなければならなくなる。
それはともかく、正解は、威圧感か。

「お強くなられました。初めてお会いした時とは見違える様です」

初期の似非プレッシャーに比べれば格段の成長だろう。
だが、まだまだ威圧感だけで動けなくなる程でも無い。
そんな俺の内心を知ってか知らずか、大導師は少しだけ笑みの表情を強くする。

「貴公の指導の賜物だ。貴公の言う通り、大十字が強くなればなるほど、余は高みへと上り詰める事ができた」

その言葉と共に、こちらの伸ばされた大導師の手が、俺の、顎に、添えら、

「気が向いたなら、時には顔を見せに来るがよい。貴公は、余にとって──」

「はい気が向いたらまた参加させていただきますそれでは失礼しますまたあう日まで!」

れる前に、美鳥の手を引っ掴み、立ち膝の姿勢のまま後方に瞬動で退避。
そのまま超速で別れの挨拶を済ませ、短距離ワープと長距離ワープを繰り返して夢幻心母から退避した。

―――――――――――――――――――

通常の魔術師では覗き見る事すら困難な亜空間を経由し、ミスカトニック大学の時計塔の上に降り立ち、一息。

「まさか、俺がIKE-MENの耽美アクションに巻き込まれそうになるとは……」

美少年に顎を摘ままれて上を向かされるとか、流石に怖気が走る。
ていうか、背筋が汗でびっしょりだ。キモくて。
顔が綺麗な分、ああいう距離に来られるとキモさが乗算されて、正直勘弁願いたい。

「うぅん、あのまま放置したらどうなったか見てみたかった様な気もするし、よりにもよって男にお兄さんの唇が奪われるような事態にならなくて良かった気もする……」

俺に手を握られたままの美鳥が、片手で悩ましげに顔半分を隠し懊悩している。

「見たかった様なほっとした様な、このアンビバレンツな感情を、あたしはどう解消すればいいんだ。教えてお兄さん!」

「死ねばいいと思うよ」

割とマジで。

「ま、冗談はともかくとして。せっかくミスカトニックに来たんだし、先生達とゼミの連中にも挨拶していかない?」

冗談にしては真に迫った興奮ぶりだったが、JIHIとKANNYOの心で見逃してやる事にした。
もう一週間もしない内にアルアジフがアーカムに現れ、大十字とエンゲージ。
もう休学届は提出しているが、別れの挨拶くらいはしても罰は当たらないだろう。

―――――――――――――――――――

「そんな訳で、少しばかり休学です」

「なんつうか、お前らは毎度毎度やる事成す事唐突だよなぁ」

午後の講義が終わった大十字と、大学近くのカフェテラスで軽食を食べながら顔を付き合わせる。

「毎度毎度と言いますけど、俺ってそれほど唐突に何か始めたりはしてないですよ?」

大体、何かやらかすのはループ初期でかなりやり尽くしてしまった感がある。
そもそも、ループ自体がそろそろ二百周に届きそうなのだ。
無限螺旋という音の響きと、原作で大導師が味わった永劫とも感じられる時間の牢獄とは比べ物にならないかもしれないが、単純に二倍して四百年近くこのループに身を置いている計算になるのだ。
正直な話、最近の俺と美鳥はミスカトニックではかなりの優等生で通っている、と思う。
勿論、突発的に発明品や新理論を思いついて実践する時もあるが、それにしても極々稀。

「ありゃ、そうだったか。……でもなぁ」

大十字は俺の言葉に首をひねり、何かを思い出そうとするかの様に考え込む。

「うーん……、言われてみれば、お前らは確かに大体何時もエセ優等生してたっけか」

エセって何だよ。

「でもなぁ、何か、お前らにはかなりの回数悩まされたというか、トラブルに巻き込まれたというか、そんな気もするんだよ」

コーヒーをスプーンでかき混ぜ、苦笑いを浮かべながら、可笑しいか? という大十字の言葉に、俺は少しだけ思考を巡らせる。

有り得ない話では無い、と思う。
この世界は基本的に、大十字と大導師が過去に遡る度に作り替えられ、幾つもの平行世界を生み出している。
それだけであれば、ループを抜け切っていない大十字が平行世界の記憶を呼び起される事は無い筈だ。

だが、この世界にはとびきりの異物として、俺と姉さん、美鳥というトリッパーが存在している。
基本的に俺達は、千歳さんの作り出した二次創作であるこの世界の不備を基点にしてループしている。
タイムトラベルというのも違う。何と説明するべきか、

『オリジナル主人公は無限螺旋で気の遠くなるような時間をかけて成長する』
『オリジナル主人公は無限螺旋を大導師やエセルドレーダ、デモンベインの様に能力引き継ぎで巡り続ける』
『先の二つの設定が存在しているが、どうやってオリジナル主人公がループするかは設定されていない』
『が、先の二つの設定は確定しているので、オリジナル主人公は理由が無くとも確実にループする』

で、設定不備の為に生まれる事の出来なかった主人公の代わりに、トリッパーである俺達がこの世界にやってきた。
当然オリジナル主人公の代わりである俺達は、オリジナル主人公を演じ切る為に『理屈は無いがループする』というルールに従って、訳も無くループしているのだ。

「まっさかー。前世であたしらに迷惑掛けられたとかじゃあるまいにー」

「だよなぁ」

けらけらと笑い飛ばす美鳥に、どこか困った風に後頭部を掻きながら頷く大十字。
だが、今の大十字の仮説というか、冗談は、決して笑い飛ばせるものではない。
『よく分からないけどループしている』という状態は、『どのような理屈でループしていてもいい』と言い換える事もできる。
つまり、俺達は単純に能力を引き継いでゲーム的にループしているとも言えるし、あいとゆうきのおとぎばなしの如く、時間の遅れている平行世界に記憶と状態をコピペしているとも言える。
つまり、なんでもありな状態になっていると言い換えてもいい。

で、そんな状態の中、俺は毎周毎周、飽きもせずにミスカトニックに通い、大十字とそれなりにつるんできたのだ。
ブラックロッジ関連で表立って味方に付いた事は無いが、ヒーロー物に付きものの博士的に新装備を与えた事もあれば、特訓に付き合ってやったこともある。
実戦民族学の講義で手助けした事もあれば、レポートを手伝ってあげた事もある。
となると当然、ゼミの連中と悪乗りして大十字を女装させたり、服着たまま海にダイブさせたり、盗んだバイクに括りつけて共に風になったり、新兵器や新薬の被験者にしたり、うっかり大十字の自宅を吹き飛ばしたりもした訳だ。

軽く二、三十周ほど触手凌辱した程度の付き合いであるメイドどもならばともかく、大十字であれば、これまでのループ、つまり書き換えられて存在しなかった事にされた平行世界の出来事の記憶が流入していてもおかしくは無い。
……当然、そんな事態はそうそう起きる筈も無いし、それこそ記憶の流入的な事が起きるのも、大十字の時間がこの無限螺旋の中で完結しているからこそだとも言えるのだが。
他に記憶を引き継いでいそうな存在といえば、こちらがループしている事を既に知っている連中ばかりだから、警戒には値しない。と、思う。
ぶっちゃけ、ニャルさんが本気で何か企んだとして、どう防ぐかなんて思いつかないしな。

「でも、そっか、寂しくなるな」

少しだけ、大十字の顔が暗くなる。
別にこの周の大十字は鼻に付くエリート様で、碌に友人の一人もいないぼっちという訳では無い。
が、それでも大学に同郷の人間は俺と美鳥くらいしか居ない。
俺達視点からあまり絡んでいない様に見えても、他の学生と比べて親密さはそれなりに育っているのだ。

大十字が忙しい時にはトーストとコーヒーで済ますアメリカかぶれの糞オサレ臍出し野郎である事に嘆きを覚え、思わず食事を振る舞いに行ってやる事もある。
二年半で無理矢理にアメリカかぶれを解消させようと尽力した周もあったか。
あの時は最終的に私服が和服になったのだが、驚くほど似合わなかったなぁ……。

「一年もしない内に戻ってきますよ。先輩の卒業論文も読んでみたいですしね」

まぁ、ループを抜け出すには基本大十字がドロップアウトしないといけないし、俺達はどっちにしろ二年半くらいの間隔でループするから、卒論なんて読みようが無いのだけど。

「そーそー、あたしらだってそんなしみったれた顔で送り出されたくないしさー」

笑え笑えー、と言いながら、大十字の両頬を掴んで無理矢理笑顔の形に整える美鳥。

「いて、ちょ、こらやめ……、おい卓也も見てないで止めろって」

「後輩の悪戯くらい多めに見て下さいよ。翻訳手伝ってあげたでしょう?」

「ありゃ、手伝ったんじゃなくて乗っ取ったつうんだよ。途中から完全に独自解釈全開だったろうが」

やっとの事で美鳥の手から頬を開放された大十字が、草臥れた様にツッコミを入れた。
そのまま大きく後ろに仰け反り、ぐでっと背もたれに身を預ける。
まだ大十字もアルアジフと契約していないし、話すにしても内容としてはこの程度。
どうせループすれば無くなる関係ではあるが、裏話ばかりでプレッシャーを無視するのも面倒臭い大導師との会話に比べれば、これも息抜きの一種だろう。
今回の強化が終わったら、強化の為の虐待とか関係なく、久しぶりに何の変哲も無い大学の先輩後輩として付き合うのも悪くないかもしれない。

―――――――――――――――――――

暫く大十字と談笑し、家に帰る前にニグラス亭へと足を運ぶ。

「ここをトリに持ってくるあたり、お兄さんは無意識の内に色々な事を把握し過ぎだよね」

「何を言っているか、俺にはさっぱりわからんね」

ニグラス亭とシュブさんは、今までのループで大十字と同じレベル、いや、下手をすればそれ以上の付き合いの長さと深さを誇る場所と相手だ。
家に帰り、自己強化を始める前に最後に挨拶をするとすればここ以外はありえないだろう。

「先生にはなんも無いの?」

「アーミティッジの爺様に、シュリュズベリィ先生宛てでちゃんと餞別を渡しておいたぞ」

サングラスの代わりになりそうなものとして、スパロボJ世界で手に入れた葎の仮面コレクションから、クルーゼやネオの仮面に良く似たモデルの物を選別して渡しておいた。
あのサングラスも戦闘で良く外れるからな。MSの戦闘でもそうそう外れないあの珍妙な仮面であれば、きっとシュリュズベリィ先生も気に入ってくれる筈だ。デザイン以外は。

因みに、アーミティッジの爺様には日緋色金の金属球をブラックジャックが三つ四つ作れる程渡しておいた。
これで面倒臭い学生が現れた時でも、容赦なく脳天をかち割る事が可能になる事だろう。
一番高くつく様に見えるが、結局はどちらも複製なのでどちらもタダ。

そうこうしている内に、ニグラス亭の前に到着した。
ブラックロッジに所属してからも通い続けていたが、生活時間帯が異なる為か、この店でドクターとはち合わせた事は無い。
というか、ドクターがニグラス亭の事を知っているか知っていないかはループ毎に異なる様で、少なくともこの周はドクターはニグラス亭の存在を認知していない。
まぁ、変な所を見られないという点ではあり難いのだが。

「じゃ、あたしは外で待ってるね」

美鳥が繋いでいた手を解き、隣のビルの非常階段に腰掛ける。

「お前は挨拶してかないのか?」

「あたしは大導師への挨拶もお兄さんに任せる程の女だよ?」

少なくともそれは平均的な胸を張って言う所では無いな。
少なくとも二百年かけて欠片も成長しない平凡な隆起の胸を張る所では無いな。
大事な事なので二回思ったが、念のため口にも出して言っておく。

「揉んでも大きくならないものな……」

基本的にこの町、大きいか小さいかのどちらかしか居ないから、美鳥の様な平均胸は希少だ。
希少価値などと言う言葉は、少なからずそのマイノリティに価値を見出せる者が居なければ欠片も説得力が無いという事をよく教えてくれる、良い街だと思う。

「あたしを言葉と心の両面から嬲り者にする暇があるなら、早く挨拶しに行って欲しいなぁ」

あと、嬲り者にするなら肉体的にも嬲ってよ。という美鳥の言葉を華麗にスルーしつつ、ニグラス亭へ。
扉の前には準備中の意味を含む、人類とは意思の疎通が困難な、外宇宙に存在する未知の文明が使っていそうな文字が筆書きで書かれた看板が吊るされていた。
が、当然ニグラス亭限定燃える炎の熱血アルバイターである俺は、気にすることなく合鍵を使い扉を開け入店。
ニグラス亭とそこに連なるシュブさんの自宅の扉に関しては、バイト開始から五十周ほどした頃にシュブさんから残らず合い鍵を渡されているので、自由に出入りできる。

……しかし、シュブさんももう少し警戒心を持った方がいいと思うのだが、どうだろうか。
俺が雇い主を毒牙にかける様な恩知らずの狼野郎であったなら、今頃シュブさんの寝室の鍵を最大限に利用し、R-18でダンツィドゥムァ的展開になっていた可能性だってあるというのに。
信用されていると思えば、決して悪い気分では無いのだけど。

「シュブさーん」

店内を見渡しながら、どこかに居る筈のシュブさんに声をかける。
食材は昨日の内に大量に買い込んで、特製冷蔵庫に突っ込んでいた筈なので、少なくとも食材の買い出しではないだろう。
店内にシュブさんが居ない事を確認し、カウンターの後ろに回り込む。
シュブさんの自宅は、ニグラス亭内部と直結している為、自宅との間のドアの鍵があれば、容易に侵入が可能なのだ。

「おじゃましまーす。シュブさーん、居ないんですかー?」

ここで、良くあるギャルゲエロゲの迂闊で粗忽な主人公共であれば、意味も無く腹の調子を崩してトイレに向かい、鍵を掛けずに用を足していたシュブさんとバッタリ、とか、
身体が勝手にシャワー室に向かった挙句、着替え中のシュブさんとバッタリ、などという、訴えられたらかなりの確率で敗訴するだろう状況を生み出すのだろう。
だが、俺は違う。

「ここは、居間かシュブさんの自室に向かうのが安牌か」

勿論、部屋に入る時はノック、しばらく間を置いて返事が返ってくるのを待ってから開けるのだって忘れない。
先ずは居間。ノックをして声をかけ、十秒ほど待ってからドアを開ける。
部屋の中は、極々一般的な何処にでもある居間だ。
しいて普通とは異なる点を挙げるなら、ここに住んでいる人はまめな人なのだなと一目で分かる整頓具合か。
いや違う、何と言えばいいのか、埃が被っている訳では無いが、頻繁に整理されている訳ではなさそうだ。
使用頻度が低いというのだろうか。シュブさんはあまりこの部屋を使用しないらしい。
その証拠に、以前お邪魔した時と、部屋の内装の位置がまるきり変わっていない。
俺が定位置から退かしたクッションが、俺が退かした位置から殆ど移動していない。
本気で、来客時にしか使用しない可能性もあるか。
ともかく、ここにシュブさんは居ないのは確認できた。
部屋を出て扉を閉め、廊下を歩く。

決して広々としている訳でも無駄に長い訳でも無いが、壁には所々精霊崇拝などに用いられる器具に、なんとも言えない、肉の塊から触手を生やした何かのレリーフが刻まれた石板などが飾られていた。
……時折、高度に魔術的な意味を含む霊装までもが飾られている。
常々思う事なのだが、やはりシュブさんは謎の多い女性だ。
女は謎や秘密を纏って美しくなるというが、彼女もその例に漏れないのだろう。
もしも姉さんが居なければ、俺も少なからず彼女に惹かれていたかもしれない。
まぁ、姉さんが居なければ、この世界は存在すらしていないし、俺だっている筈も無いのだが。

廊下の先にある一番奥の部屋、シュブさんの私室の前に立ち、ドアをコンコンと軽く叩く。

「──」

誰何の声も無く、入室を促される。

「おじゃましてます」

「────」

いらっしゃい、か。
今日はどうしたの、でもなく、何か用事があるのかという問いでもなく、お茶でもしていかない? という誘いでもない。
ああいや、お茶というか、飲み物は用意されている。
テーブルにはお茶受けのケーキに、謎の白い液体。
シュブさんの目の前にワンセット、向かいには、シュブさんが以前俺用に買っておいたというクッションが置かれ、その前にもワンセット。

「────、──────?」

着席と、休憩を勧められる。
ニュアンス的には、話を始める前にお茶でもしない? みたいな感じか。
ニュアンスが正確に捉えきれているかが少し不安だ。
なんだか今日のシュブさんは、何時もよりも訛りが強い。

「では、失礼して」

一言断りを入れてからクッションに腰を下ろし、白い液体の入ったカップを手に取り、口に運ぶ。
温度は、熱くも無く冷たくも無く。人肌よりも少し高め、しぼりたての牛乳がこの程度の温度だったか。
温めのそれを、ゴクゴクと呑むのではなく、一口だけ口に含み味を口の中でしっかりと確かめる。
濃厚ではないが複雑で、どこか霊薬にも似ている。
乳製品の様だが、物としては少し前に日本で旅の魔術師(蟲に関わる仕事を専門にしているらしい)から一口だけ譲って貰った光酒(こうき)にも似た性質がある様に思える。
不思議な味わいだ。今まで口にしてきた飲み物の中では味わった事の無い感覚だと思う。
生き物ではなく、あらゆる生き物に含まれる命そのものを取り込んでいる様な……。

「──」

「ええ、美味しいです。でも、いや、本当に美味しい……。シュブさん、これは一体……」

一瞬、その余りに複雑で豊か、神秘性すら感じる味わいに、ここに来た目的も忘れシュブさんに問う。

「────」

俺の感嘆の表情と言葉に、シュブさんは僅かに嬉しそうにはにかみながら、白い液体の正体を教えてくれた。

「特殊な山羊のミルクでしたか。いや、これなら毎日飲んでいたいものですね」

「──、────……」

俺の言葉を聞き、シュブさんは顔を耳まで赤く染め、机の上に自分の分のカップを置き、もじもじと両手の指先を遊ばせ初めてしまう。
何やら、俺がこの特殊な山羊のミルクを気に入った事がとても嬉しいとの事らしい。
続いて、ケーキにも手を伸ばす。
レアチーズケーキだ。だが、店に一時期出していたモノとは異なり、少しだけオシャレっぽさが抜けた素朴なデザインに落ち付いている。

「────、──」

「なるほど、先ほどの山羊のミルクを使って」

実に興味深い。
こういう時で無ければ、どのような山羊からとれるミルクなのかを問いただしたいし、このレアチーズケーキも一度取り込んでから複製して何度も食べたいところなのだが。

「───」

「や、それはありがたい」

勿体なくて手を出しあぐねていたら、シュブさんが後で土産用に包んでくれるらしい。
心おきなくケーキをフォークで切断し、ちびりちびりと食べる。
美味しいし、先の山羊のミルクの味を殺さない絶妙に素材の味を生かしたケーキ。
何故かシュブさんは嬉しそうに此方の事を見つめているが、まぁ、食堂を経営している以上、自分の作った物を美味しく食べて貰えるというのは普通に嬉しいものなのだろう。
そんな感じで、シュブさんに見つめられながらも不思議な味わいのレアチーズケーキは食べ終えた。

―――――――――――――――――――

すっかり落ち付いた(元から落ち付いていなかった訳ではないが)所で、本題に入る。
と言っても、話す内容はこれまでとほぼ同じ、少しばかり旅に出るからとか、そんな感じの理由ではぐらかして終了。

「────」

終了、の、筈だったのだが。
何故か速攻でばれた。

「何故、嘘だと?」

ばれる要素は無い筈だ。
確かにこの周では唐突な行いはしていないが、それでもシュブさんとは長い付き合いだ。

「──────、──────────」

シュブさんが言うには、俺は普段はそれなりに冷静な癖に、時たま錯乱しているのではないかと思うほど唐突な行動を取るらしい。
だが、それを差し引いて考えても、このタイミングで世界を見て回る、というのは違和感があるのだそうな。
未だに、畑仕事を応援に行った時に足を舌でじっくりねっとり舐められた事を根に持っているとも言っている。
ああいや、あれは違う周だ。
違う周であれば過去とは言えないし、そもそもシュブさんがループ前の記憶を引き継ぐ理由が──

「──」

思考を遮る様に、溜息を吐かれた。
まるで出来の悪い生徒を受け持ち困っている教師か、やんちゃな子供の行動に頭を抱える保母さんか、練習を始めたばかりの後輩の覚えの悪さに苦労する先輩か。
だが、呆れ以外の感情も伝わってくる。


──そう、伝わる。霊薬でトランス状態になった訳でも無いのに、俺の魂とシュブさんの魂が滲む様にその一部を重ね合わせている。

「────、」

滲んでいる
部屋の中に、シュブさんと俺が居て、でも、境界線が曖
昧で部屋の中、

か違う、外の内で

「──、」

ぐにゃ
り、と、  歪む俺、おと無た
くやを形成する記憶知識自我情報の影
が、形
 火花 
       虹

「───、───」


を失

たらし
かたち    かた
 べ

  泡

ノ ズィ  な






仮留め
目の前には不
鮮明な景色が
映り込みそこ
には食い荒ら
された大地と
人類から数え
て五番目の地
球の支配者で
ある彼等の迎
える文明最後
の光景だ邪神
崇拝ではない
極度に存在と
して尖り続け
ていた彼等は
既に邪神を制
御しえるのだ
と思いこむと
いう邪神の計
略により見事
追ってはいけ
ない科の外殻
表面の輪郭を
目で追う彼等
は半数がかの
山羊の蹄を持
つ大いなる神
の生贄にすら
ならず魂を砕
かれその一部
に還元される
というのは栄
誉ある事なの
だと教えられ
てきここは室
内で目の前に
は本性を現し
たシュブ・■
■■■胸元を
はだけ白濁の
生温かい液体
を器に注ぐ姿
は慈愛とはか
け離れた宇宙
的なまでの役
割分担の失敗
であ旅に出お
土産何が尋ね
彼女の配役果
日が来ない事
をいまだに半
ば確信させて
くれたらしい
蟲が飛ぶ空で
虹色のシャボ
が泡立つたび


「『あのミルクは美味しかった?』」


【再起動します】
―――――――――――――――――――

──っと、一瞬眩暈を起こしていたらしい。
ええと、なんだっけ、出されたものの味を聞かれたんだったか。

「ええ、あんな良い物を御馳走になってしまって」

「────」

修行の旅にでるなら、精を付けておかないと、か。
毎度毎度、シュブさんには世話になりっぱなしだ。

「────────?」

「そう、ですね。結構長い事空けると思います」

なにしろ、取り込む相手の規模が違う。
月一つ取り込んだ事もあったが、それと比べるのも馬鹿馬鹿しくなるスケールなのだ。
百年や千年では効かないだろう。
俺のループが二年半として数百から数千周掛かってもおかしくは無い。
流石に長くなる理由までは話せないが、シュブさんはどうにか納得してくれた。

「───、─────」

ああ、もうそんな時間か。
何時の間にか数時間が経過し、窓から見えるアーカムの空は茜色に染まっていた。
ちくたくちくたくと時を刻む壁掛け時計は、すでに時刻が五時に迫っている事を教えてくれる。
どうにも、シュブさんとの会話が弾んでしまったらしい。
何を話していたかは、あまりにも会話の内容がくだらなさ過ぎて覚えていないが。
シュブさんもそろそろ夕方の営業を始めなければいけない頃合いだろう。
今日はバイトの日では無いし、邪魔にならない様に帰らなければ。

「じゃあ、俺はこれでお暇させていただきます。ケーキと山羊のミルク、ごちそうさまでした」

その場から立ち上がり部屋を出て、食堂の中まで歩き、途中で厨房に立ち寄ったシュブさんからケーキの入った紙の箱を渡される。

「今日はお邪魔しました。戻ってきたら、またバイトさせてください」

シュブさんの自宅からニグラス亭に出て、店の入り口から出る直前に、シュブさんに頭を下げる。
罪滅ぼし的な意味で初めたバイトではあるが、このバイトは生活に張りを出すのには持ってこいの仕事だと思う。
頭を上げ、入口のドアを開けて外に出る俺に、シュブさんは軽く手を振りながら口を開いた。

「────────ね」

少しだけ、ほんの少しだけ、はっきりと通常の言語として聞き取れた部分がある。
『無理はしないでね』
見目に違わない、綺麗な声。
あんな綺麗な声なら、普段からもっと普通に喋ればいいのに。
向かいのビルの非常階段に腰を下ろしてアイスキャンディを舐めている美鳥に歩み寄りながら、俺はそんな事を考えていた。

―――――――――――――――――――

×月×日(憎悪の空より来りて)

『という言葉に始まるデモンベインの招喚呪文だが、結局のところあれは虚数展開カタパルトの遠隔操作用の術式でしかない』
『覇道鋼造も小説版で使用していた口結ではあるが、あの呪句自体にはさして魔術的な要素が含まれている訳では無い』
『一般的な術者の機神招喚時の口結がどんなものかと言えば、これもまた千差万別』
『普通の言語で招喚する連中は大概正気度の高い、いわゆる人間寄りの連中だけ』
『大概はふんぐるいとかむぐるうなふとか、そんなありきたりな呪文で呼び出される』
『かと思えば大した詠唱も無く、ヒーローものストーリー中盤変身シーンの如く省略される事もしばしば』
『ある程度の腕さえあれば、それこそ詠唱する必要すらないというのが定説だ』
『翻って、俺はどうか』
『喜ばしい事に、俺は招喚に詠唱を必要としない程度の位階に届いているらしい』

『だが、実の所を言えば前々から不思議でならなかった』
『何故、一々招喚するというプロセスを踏まなければならないのか』
『それは余分でしかない』
『可逆変身機構を備えた改造人間にも通じる無駄な一手間』
『隙を無くすと言うのであれば、鬼械神を招喚するのではなく、鬼械神に匹敵する力を術者が直接手に入れた方が良いに決まっているのだ』

『この日の為に、俺は大十字やブラックロッジの闘争には欠片も気を向けず、只管に精神と肉体を安定させ続けてきた』
『何かを取り込むために、ここまで準備を整えたのはこれが初めてかもしれない』
『遂に計画は最終段階に移行した』
『成功したら、しばらく何も考えずに普通に生活してみよう』
『大十字辺りとは、積極的に友人関係を築くのもいいかもしれない』

―――――――――――――――――――

太陽系、第三惑星、地球。
そこはかつて水と緑に包まれ、無数の生き物たちがその生を謳歌していた。
暗黒の宇宙の中にあって、希望と奇跡に溢れた星。

「成功、したの?」

「勿論よ」

だが、今の地球には、奇跡や希望と謳われた様々な超自然的構造物は存在していない。
水は涸れ緑は失せ、生き物に至ってはたったの一人しか存在していなかった。
大地に至ってはその全てがガラス質に覆われ、いや、地球と呼ばれた惑星は、一つの欠けも無い超巨大なガラス玉に生まれ変わっている。
辛うじて、空だけは青い。

遥か遠くの地平線の彼方まで延々続くなだらかなガラス質の荒野。
その一点に、巨大な足跡が存在した。
ガラス質を貫き、横幅十数キロ、深さも数キロ程にも達しようかという、巨人の足跡。

今なお崩落を続けているガラス質の穴の上、宙に浮かぶ二人の人影。
良く似た容姿の女が二人。
百人見れば百人が彼女達の事を姉妹か何かと思う事だろう。

「なんか、前よりよっぽど大きく無かった?」

冷や汗を浮かべる、蒼褪めた表情の吊り目がちの少女。
ぷかぷかと重力を無視して浮かぶ彼女は、もう一人の女性に襟首を後ろから掴まれたまま呟く。

「二百年近く足踏みしてたけど、それでも修行をしてなかった訳じゃないもの。液体人間作製とかは、魔術を理解するなら中々勉強になるしね」

少女の襟首を掴み牽引する手の持ち主。
おっとりとした口調で目の前の巨大な穴を見下ろしながら喋る、垂れ目気味の女性。

「どゆこと?」

「理解してきてるってこと」

二人は澄み切った大気の中をふわりと飛び、巨大なガラス質の球体と化した地球から見る見るうちに離れていく。
遠ざかるガラスの大地を振り返りもせず、女性は少女の襟首を掴んでいない方の手を、勢いよく虚空に突き刺す。
この宇宙の初めから終わりまでに発せられるあらゆる音に似ない破砕音と共に、空間が引き攣れ、割れた。

時空の法則が乱れ、一瞬にしてガラス質の地球はどろりと融け、周囲の正常な引力に従い周囲の惑星へと零れ堕ちていく。
零れ堕ちる瞬間にも変質は続き、融けたガラスが他の惑星に衝突するよりも早く、風化、字祷素へと還元される。

地球を完全に消滅させたのは異世界の法則だ。
女性の引き寄せた、数百次元にも達する超高次元から漏れ出した僅かな情報が、地球という惑星の正気を失わせたのである。
時間、空間などという概念、時間を無視するという概念すら超越した異界の果て。

「さて、ここを経由すれば、直ぐにでも最適化の完了した卓也ちゃんの元に辿り着けるんだけ、ど……」

何時の間にか、女性の手に襟首を掴まれていた少女の姿が消えていた。
いや、確かに居るには居る。
その姿は酷くコンパクトに、三センチ四方の超立方体へと姿を変じさせているが。

「死ななかっただけ成長してる、ってことよね。偉い偉い♪」

女性は僅かに嬉しそうな表情で、掌の中の超立方体を指先で数度撫でる。
女性程に高位次元への肉体、精神的耐性の無い少女は、自らを非ユークリッド幾何学的に可能な限り高次元な存在へと擬態させ、その命を繋いだのである。
こうでもしなければ少女は置き去りにされ、たった一人で数百年、数千年の時を過ごさなければ行けなくなる。少女は必死だったのだ。

「それじゃ、先回りして、おめでとうパーティーの準備をしておかないとね」

掌の中の超立方体少女を肩から提げたバッグの中に放り込むと、女性は空間に生まれた次元の断層をまるで濡れた手で薄紙でも破るかの様な気易さで広げ、神智すら超越する超高次元へとその身を躍らせた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

──あれから、どれほどの時間が過ぎたのだろう。
カップ麺の完成を待たされていた様でもあり、惑星が生まれてから死ぬまでをじっくりと観察させられた様でもある。
俺はコレを取り込みながら、絶えず変化を続けていた気もするし、永遠不変を体現していた気もする。

だが、理解出来た事が幾つもある。
これと同一になる事が無ければ、この事実に気が付くのにどれほどの時間を要したか。
時間、空間。
その無限の広がりと最果てを見た。
理解した。はっきりと。
そうだ、こんな事は、単純な事なのだ。
時間と空間と俺の関係は、こんなにも簡単なことだったのだ!

身体が軽い。
腕を一振りするごとに、何もかもが新しく生まれ変わったかの様な爽快感を与えてくれる。

伸ばした爪先が銀河系の誕生した頃の時間を蹴り飛ばし、それによって歪んだそれ以降の時間を脚が、胴が、顔が、無理矢理に押し戻し矯正する。

時間の概念が崩壊し、途中で途切れた切り株の様な平行世界に腰掛け、逆行者か何かが絶えず歴史を書き換え続ける不安定な平行世界を背もたれにして、身体を解す。
蠢く世界線がまるでマッサージチェアの様なうねりを再現している。

全身のコリを取る様に動かし続け、俺の身体はみるみる内に縮んでいく。
超次元的に折畳まれていく体。
時間にしてマイナス七時間と十九分と五十八秒を掛け、何時の間にか何時かの元の俺の姿へと戻っていた。

「さぁ、次は逆招喚だ……」

三次元的な時間の流れに逆らわずに喋るのも久しぶりな気がする。
あれ、でもつい最近だったような。
少し前に身体のどこかが元の次元の時間に触れたのかもしれない。
思い浮かべるまでも無く、身体には逆招喚の術式がスタンバイしている。
最適化中も容赦なく招喚されていたからな。
世の中の魔術師は揃いも揃って、俺の事をバキュームカーとでも勘違いしているのではないだろうか。
だが、そのお陰で招喚関連の術式もはや反射レベルで発動可能。

最後に、普通の魔術師が招喚できなくなると色々問題があるので、ぷりっと軽く取り込んだモノの複製を作り出し邪魔にならない位置に投げ捨てておく。
これで、ここでやれる事はやり尽くした。
やる事を全てやり切ってしまったからか、緊張感が消し飛んでしまった。

でもそれでいい。
帰ったら、姉さんにご飯を作って貰おう。
ジャガイモと大根のお味噌汁が飲みたい。
筑前煮もいいかな、ループした直後なら二日目の朝に裏山でタケノコが楽に取れるし。
タケノコを手に入れるなら、タケノコご飯も捨てがたい。
いっしょに買い物にも行こう。

そんな事を頭に思い浮かべながら、俺は元の次元へと滑り落ちる様に戻って行った。

―――――――――――――――――――
○月◎日(あれから一年──)

『などと言うモノローグは良くあるが、この日記とはまったく無縁のものだ』
『さて、結果だけを言うのであれば、俺の能力は以前の俺とは比べ物にならない程に強化され』
『以前ブラックロッジとミスカトニック、ニグラス亭の三つの場所に身を寄せていた周から数えて、実に千百十二周ほど経過している、らしい』
『らしい、というのも、姉さんも時間が一定で流れない次元を横切ってこのループに現れたため、正確な経過時間は記録していなかったのだ』
『一桁台まで言い当てているという事はほぼ数に間違いは無い筈だし、そこまで経過したなら一桁二桁の誤差とか気にする意味も無いだろう』

『あの仄かに忌まわしい記憶は今も俺の中で息衝いている』
『だが、千周も経過すれば流石に大導師殿だって俺の事は記憶から薄れている筈』
『正直ブラックロッジ側から大導師の為に出来る事とか全部言い切った感じがするし』
『もう下手打って大導師の好感度が無闇に上がる様な事にはなりはすまい』
『汁見のエシュターではないのだから、同性に告白されたり過剰なスキンシップで喜んだりはしないのだ。エシュターも喜んではいなかったが』
『まったく、ベーコンレタスはイケメン同士、大十字あたりをひっ捕まえてやってろっての』

―――――――――――――――――――

そんなこんなで、久しぶりのアーカムシティに、久しぶりの夢幻心母である。
別にブラックロッジよりも先にミスカトニックに行っても良かったのだが、前の周に居なかったお陰で覇道鋼造からの推薦状が無い。
ミスカトニックに入るにはしばらく後に遺跡にやってくるシュリュズベリィ先生と接触する必要があるので、あちらは暫く保留させて貰う事にした。
因みに、美鳥は再構築した肉体にまだ馴染めていないのでお留守番だ。
留守番と言えば、個人的にははじめてのおるすばんを思い出す。

あれはそう、中学の頃であったか。
思春期特有のもやもやを解消する為に、親戚のおじさんから貰った小遣いを握りしめ、俺は十八歳以上は立ち入り禁止のゲームコーナーに足を運んでいた。
狙いはもちろん姉系のゲーム。
実姉とのエンディングがあるゲームであればなお良しと狙いを定めていた俺は、パソゲコーナーで思わぬ人物と鉢合わせる事になった。
そう、クラスでは品行方正な人格者で通っている委員長(♀)の年上の幼馴染の高校生(♂)が、その手に二本の大きくかさばるパッケージを手に取り、苦しげに呻いていたのだ。
当然、困っている人を放っておく訳には行かないし、何やら面白嫌らしい葛藤の香りがしたので、俺は躊躇う事も無くその高校生に声をかけた。
彼が手にしていたゲームこそ、後に『はじるす』と呼ばれる事になる、典型的な幼子を標的にしたロリエロゲ。
そして、もう一つのゲームは、妹萌え勢力の中で静かに持て囃されていた『Natural』の続編、『Natural2 -DUO-』という、これまたよくある妹エロゲ。
彼の葛藤はこうだ。

『僕はロリコンであると同時に、妹萌えでもある。でも、この二つの属性は相性がいい様でいて、決して堅実な組み合わせであるとは言い難い』
『僕はね、妹分とロリ分を補給する時、できる限りそれらの供給元を分けて考えるべきだと思っているんだ』
『でも、ロリと妹が組み合わさった時に稀に産まれる美しいハーモニーは、その矜持を曲げるに値する価値があるとも思っている』
『……こんな事を言うと、君には笑われるかもしれないね』

笑いはしなかったが、ゲームショップのパソゲコーナーで妹的存在である委員長のクラスメイトである俺と言う中学生相手に真顔で語る事では無かったと思う。
笑いはしなかった。が、心の中で『これからは街で見かけても話しかけないようにしよう』と思ったのはここだけの話だ。
そんな彼の葛藤を断ち切る為、俺はある秘策を──

「む」

そこまで考えて、おかしな事に気が付いた。
先ほどまでの回想シーンの最中も、勿論侵入者を排除する為にブラックロッジの下級社員達が命がけで俺を食い止めに掛かって来ていた。
当然、俺はそれらの襲撃をさして意識することなく流れ作業的に処理していった。
魔術や科学的武装を使用するまでも無く、袖口から伸ばした金属触手を鞭の如く操り、群がる下級社員を死なない程度にホムーランしてきた訳だが、どうにも様子がおかしい。

ぶちのめした時の感触に、やたらと女性の物が多いのだ。
勿論、ブラックロッジにも女性社員は存在する。数が少ない訳でも無い。
疑うなら、原作の大導師がエセルドレーダに股間のトラペゾをぶち込むシーンの少し前を確認して頂きたい。
ブラックロッジの定める法はただ一つ、法の言葉は意思なり。そこに男も女も魔術的な役割意外に変わりは無い。
が、やはり男女の比率で言えば圧倒的に男性の方が多く、こういう場面で女性社員が出張ってくる確率は、チョコボールの銀のエンゼル程度でしかない。

改めて、通路の壁に打ちつけられて呻いている下級社員達を確認する。
スーツを着て、マスクを装着し、帽子を被っていても一目瞭然。
彼等、いや、彼女達の大半は間違いなく女性。
耳の集音率を上げてうめき声を拾っても、やはり間違いなく女性の声ばかりが聞こえてくる。

……何故だろうか。俺の中の第七勘辺りが警戒を促している。
こんな状況、少なくともブラックロッジに来てからは体験した事は無かった筈だ。

身体を、外から察知できないレベルで隠蔽しつつフルスペックに。
これで仮にブラックロッジの社員が一人残らずアズラッドのアイオーンレベルの鬼械神を招喚して一斉に襲い掛かってきても蹴散らせる。
俺は強い、とは言わない。が、決して弱い訳では無いのだ。
勝てない相手も居るだろうが、負けない戦いならば幾らでも手はある。
新生鳴無卓也は、文字通り世界が敵に回っても戦い抜ける男!

「ここが大導師のハウス、感じる、大導師の強大な魔力を……」

死屍累々と気絶した下級社員達があちこちに倒れている廊下を背に、玉座の間への扉を前に気合いを入れ直す。
先手必勝。
時間を開けてしまった事への詫びとして、俺が姉さんの手料理以外で心底リスペクトしている食べ物を用意してある。
その名も高き『萩の月』、至高の甘味である。
チョコレートタイプの『萩の調』も存在しているが、内部のクリームの独特の風味を味わうのであれば断然ノーマルな『萩の月』だろう。
元の世界で取り込み、いざという時の為に取っておいた、俺の切り札(ジョーカー)。
この夢のパスポートを持ってすれば、如何に大導師が危険な変化を起こしていても、何の問題も無く元の関係に戻る事が出来るだろう。

玉座の間に大導師殿が居る事も俯瞰マップで確認している。
俺がこの周では何処にも所属していないからか、大導師のアイコンは黄色。
何故かステータスが見られないが、四桁のループで別ユニットと認識されるレベルにまで進化したのだろう。

入室したらまず、可能な限り爽やかに挨拶。
お久しぶりです、お元気でしたかなどの挨拶を織り交ぜつつ、その後の自体の推移を一旦尋ね、最後にお土産を渡す。
それが駄目なら、リベルレギスの招喚を妨害しつつアーカム巻き込む形でぶっぱ、あとはひたすら逃げ続ける。
非の打ちどころの無い、完璧な計画だ。

意を決して、『萩の月』の入った紙袋を手に、玉座の間へと続く両開きの扉を開ける。
玉座の間には、見たところ誰も居ない様に見える。
少なくとも物陰に身を潜める輩も、亜空間から覗き見ている輩もいない。
広々とした空間には所々魔術的な装飾が施されているが、今は照明が点いていないのか全体的に薄暗い。
暗闇、暗黒。
その中にぽつんと一点、金色の輝きを湛えた闇が存在していた。
その金色の闇は、以前に俺が見た時と同じく玉座に座り、漆黒のドレスを着た幼子を足元に侍らせ、気だるげに椅子の肘かけに頬杖を突いている。

遠目に一見して、何の変哲も無いブラックロッジの大首領、大導師マスターテリオンと、その魔導書『ナコト写本』の精霊、エセルドレーダ。

──そう、遠めに一見して。
人間の視力であれば、その誤解を受ける事ができたのだろう。
何しろ、辛うじて彼等だけが暗闇の中にうっすらと見える様な状態なのだ。
だが、困った事に、俺の視力は果てしなく優れている。
『鷹の目』?『千里眼』?
馬鹿を言ってはいけない。せめて宇宙基準で喋ってくれ。
そんな視力では、宇宙万国ビックリ人間ショーでは書類審査で落とされてしまう。
俺なら決勝戦辺りまでなら進める。決勝戦の試合内容は、広がり続ける宇宙の外が見えるか否か。
つまり、それ程の俺の視力を持ってすれば、この闇はスパロボの謎キャラの顔の上に掛かった影ほどにも障害にならないという事だ。

「久しいな、鳴無卓也よ」

大導師の『薄紅色の唇』から、『迦陵頻伽にも似た声』が男を誘う娼婦の様な響きを伴い、零れ堕ちる。
決して、風の魔装機神に乗っていそうなイケメン声ではない。

「この永き螺旋の世界において、あれほどまでに誰かと共にあり、あまつさえ、再会の約束を果たす事さえできようとは」

その美声を発するのは、人外染みた美しさを持つ、中性的な容姿、金髪金眼の──

「とても、とても長い間、考えてきた。この喜びを、『感謝』を、どう貴公と分かち合うべきか」

──美少女!
その、余りにも余り過ぎる、テンプレートな状況に、俺は入室前に考えていた口上を全て頭の中から放り投げてしまっていた。

「そんな時だ。余は、再びこの身体に生まれ付いた」

この身体、という言葉と共に、大導師の手が自らの首から鎖骨、胸へと輪郭をなぞる様に降りて行く。
伝統のニトロ砲の代わりとでも言う様に、巨大な山脈と化したその胸、強調する様にその膨らみを撫で降ろし、僅かに見える下乳から剥き出しの腹部、下腹部へと指先が当てられる。
見せつける様なアクション。なんとあの服装は、女性大導師が着ても様になるデザインだったのだ。

「この礼をする時、貴公らの世界でなんと言うか、余は知っている」

まだあどけなさの残るその美しい顔に妖しい笑みを浮かべ、真っ赤な舌がちろりと唇を舐める。
……そうか、そうだったのか。
首元から、下腹部までを指先で撫で降ろす様な、あの動作、
あれは、『ファスナーを降ろす動作の模倣』!

「────やらないか」

うほっ、いい女……!

「やらないよ」

金髪女は苦手なんだ。
玉座をベンチ代りにする大導師(♀)に突っ込みながら、俺は今ここに逆十字の連中が居ない事を、公園でドーナッツを売っているのとは別の神様に感謝した。





続く
―――――――――――――――――――
稲田比呂乃の凌辱? 訳の分からないシリアス? いつの間にか地球滅亡? 意味も無い最強描写?
そんな物はこの話の飾りだ!
わしが真に願って止まぬものはただ一つ!
TSしたデモベ男衆と主人公による、ギャルゲ的展開そのものだ!

つまるところその何もかもがTS回の前振りに過ぎない第五十四話をお届けしました。
そして、即座に次の話を作りたいので、自問自答に代わり本編とは全く関係無い豆知識を一つ!


今日の豆知識
【シュブ・ニグラスの乳は非常に優れた特質を持つらしい】


本編の内容とは欠片も関係無いけどね!
搾りたてはきっと美味しいんだろうね!

そんな訳で誤字脱字の指摘に即座にできる文章の改善案や矛盾している設定への突っ込みに諸々諸々のアドバイス、
そしてなにより、このSSを読んでみての感想など、心からお待ちしております。







久々の予告
世界全体で起こったTSにより、片端からキャラ崩壊を起こしている逆十字。
精神の平和を守るため、TSしてもキャラが変わりそうにない人々を目指し、主人公は久しぶりにミスカトニック大学に入り浸る。
アーミティッジ御婆ちゃんの作る美味しいクロケットをサポAIと仲良く摘まみながら、主人公はミスカトニックで見かけた一つの癒しと向き合う。
女として生まれても何故か変わらぬファッションセンスに、初期のエリート気取りっぷり、叩き潰された後のサバサバとした気易さ。
男であった頃と変わる所の少ない彼女の存在は、主人公の心に平穏を齎していた。

第五十五話
『ミスカトニックの才女』

夏の日差しが暑いから、ラブコメ始めます。



[14434] 第五十五話「看病と休業」
Name: ここち◆92520f4f ID:190f86b3
Date: 2011/07/30 09:05
「大導師が、逆十字が、大十字が女!?
トリッパー鳴無卓也が目にしたのは、良く知る誰もが全員性転換した世界だった。
夢幻心母で、町角で、大学で、アパートで、近親野郎な彼の奇妙な日々が始まる!
結社&学園ラブ(クラフト)コメディー、堂々開幕!!」

句刻の持ち出した拘束具によってグルグル巻きにされ、更にベッドに縛り付けられた美鳥。
身体の自由を制限されたまま激しくその身を痙攣させて白目ブリッジ状態で吐き出し続けられるメタな言葉を聞きながら、句刻は湯呑を片手に薄い笑みを浮かべていた。

「ふふふ、遂にお姉ちゃんも『この泥棒猫』とか言えちゃう訳ね。楽しみだわぁ……」

拘束具に包まれて皿に乗せられた海老フライの様になった美鳥を眺めながら、うっとりと呟く句刻。
彼女とて、決して他の女に弟を盗られたい訳では無い。
句刻にとって、弟である卓也は心の拠り所であり、身も心も許す唯一の男性。
今のところ、どんな女性が現れたとしても譲るつもりはない。

が、それはそれ、これはこれ。
弟の『男』としての成長を喜ぶ心も、決して無い訳では無いのだ。
一度、他の世界に惚れさせた女の子を置いてきたと聞いた時は勿体ないと思ったものだが、この世界観なら、女の子の押しの強さ次第では押し倒される可能性も無視できない。
アレで、猫被ってる時は恐ろしい程に紳士だったりする。
しかも被り方も半端なものではない。流石お姉ちゃんの弟と褒め千切ってあげたくなるレベル。

しいて言うなら、心の底から楽しく会話している最中に、表情も感情も変える事無く談笑する相手の首を切断できる感じだろうか。
むしろ、談笑しつつ解体し続けるレベルかもしれない。傍から見ていたら、一瞬何が起きたか分からない様な自然さ。
あの猫被りなら、下手をすれば一人二人無意識のうちに惚れさせる事もあるかもしれない。
確率的には逆十字とかありだと思う。メンタリティ的に近しい部分が無い訳では無いし。
大十字九郎もあり得ない話ではない。何しろ、人の一生分以上の時間を友人として繰り返しているのだ。
うっかり男の時と同じように気さくかつそれなりに距離感測れた感じで接していればフフフ……。

「でもねでもね、もしそんな事になってもきっと卓也ちゃんはお姉ちゃんの元に絶対戻ってきてくれるからすっごい安心っていうかね聞いてるの美鳥ちゃんでも聞かれるのは少し恥ずかしいていう! て、い、うっ!」

きゃー! と奇声を上げ、片手を頬に添えていやんいやんと身をよじりながら、句刻は手に持った急須に入れられた熱々のお茶を未だ痙攣し続ける美鳥の口の中に注ぎ込む。

「あろろろろあろあごぼぼおぼっぼぼぼおぼぼぼぼぼぼ」

ネズミを見た直後のドラえもんの如く瞳孔を目まぐるしく変化させ続ける美鳥は、口に注がれる熱々のお茶に熱がることすらせず、口から意味不明な言葉を紡ぎ続ける。
鳴無句刻の興奮と鳴無美鳥の能力最適化は、まだ始まったばかりである。

―――――――――――――――――――

ふと思い出すのは、村正世界で出会った、一人の一途な少女。
愛の戦士、すなわちラブ・ウォーリアーであった彼女は、金属鎧に守られた人体を一瞬で炭化させる振動波攻撃を、武術家としての技量のみでもって捌いてみせた。
彼女を習い、手に流れる血流を操り一瞬だけ超高速で振動させる。
血管、筋肉に神経、皮膚を血液が生み出した震動波が貫通し、見事に萩の月を構成する素材に含まれる水分子を振動させた。
掌の上に置かれたそれは黒い炭になる事も無く、ほかほかと湯気を立てて美味しそう。

「卓也」

美しい声に名を呼ばれる。
膝にエセルドレーダ(以前と同じコスなので、もしかしたらTSしていないのかもしれない)を侍らせた大導師、マスターテリオン──の、女性体。

「笑っているのか」

彼女の言葉に、俺は初めて自分の口角が上がっている事に気が付いた。
俺は温まったそれを中皿に置きつつ、答える。

「ええ、きっと笑っていたのでしょう」

『徹し』による波で掌の上の対象物の水分子を振動させ、適度に熱を発生させる。
あの少女──湊斗光に出会わなければ、俺はきっとこの饅頭を温めるのに、マイクロウェーブを利用した魔術や電子レンジを用いていただろう。
ゲームでプレイするだけでは味わえない、仮にも拳を交えたからこそ得られた物もある。
自覚できていなかった成長も存在する、という事だ。

「そうか」

大導師マスターテリオン女性体──長いな、テリーだと男性名だし、照子でいいか。
照子(仮)も笑っている。亀裂の様な、というには穏やかな感情や包容力を感じさせる、いわゆる魅力的な笑みだ。
ていうかやっぱ照子は無い、大導師という事でいいだろう。元からテリオンとは呼んでいなかった訳だし。

「何か嬉しい事でも?」

そう言いつつも、大導師の目の前に皿を置く。
暖められたソレ──萩の月は内部のカスタードが柔らかくなり、口辺りもまろやかになる。
──らしい。ソースは不明、ネットか何処かで聞いた覚えがある程度だが、わざわざ試してみたいとは思わない。
俺はもちろん温めず、むしろ僅かに冷やして食べる。
冷凍系の技術は科学方面だとあまり所有していないので、単純に気を冷気に変換して掌の上の萩の月を冷やす。
凍らない程度に熱が奪われた所で自分の分の皿の上に置く。

「いや。……だが卓也、君は何か、楽しい事を思い出しているのだろう?」

大導師の探る様な問いに、俺は椅子に座りながら答えた。

「ええ、そうですね。楽しいと言えば楽しかったと思います」

実際戦っている時は、手の内を晒せば晒す程に銀星号が強化されてく気がして気が気じゃなかったような気もするが、思い出す分には楽しい思い出の一つなのだろう。
それにあれだ、互いの勝敗の条件を銀星号に開示していなかったからとはいえ、あの時点でのスペックで勝ちを取れたのも美味しい。

「貴公は余のゆ……」

大導師は言葉を一旦切り、顎に指先を当て、そっぽを向いて少しだけ間を置き、言葉を続ける。

「……そう、恩人。なにしろ恩人の事、恩を返すあてはなくなってしまったが、貴公が嬉しいのであれば、余も嬉しく思う」

「そういうものですか」

「そういうものだ」

言うなり、大導師は皿の上に置かれた萩の月を手に取る。
話している内に少しだけ表面の生地から熱が消えたそれを半分に割り、湯気の立つクリームが見える断面を上にして、クリームが零れ無いように口に入れた。
未だ冷めきらないクリームの熱に、大導師ははふはふと口の中で萩の月の半分を転がす。
生身でクトゥグアの炎に耐えそうな体質の癖に、口の中に入れたクリームの熱さに目を白黒させている。

……なにこれ可愛い。
カリスマはネロの胎の中にでも落としてきたのだろうか。
そうすると、回収できるのは次に産まれる時だから、元の性別に戻ると同時に取り戻せる筈なので、予定調和なのかもしれない。
だが、カリスマの大小を置いておくにしても、所作に現れる感情からはそれなりに余裕が垣間見える。

「なんだか、今回の大導師殿は随分と余裕があるみたいですね」

俺の言葉に、大導師は細めた眼の眦を下げ、もぐもぐと咀嚼していた萩の月を冷たーいミルクを口に流し込み最後まで味わい、飲み込む。

「ぷぅ」

大導師の口の端に残っていた食べカスを、脚元のエセルドレーダがハンカチ風の紙切れを伸ばし、拭き取る。
……この動作、仮に今のエセルドレーダが男性だとすると、結構危険な行為だよな。
美女である主の口を自らの身体の一部で拭い、それを大事そうに補完する女装美少年……。
いや、まだ全員がTSしたと確証が持てた訳では無い。
ブラックロッジのシリアス分を補完する為にも、俺の心の中ではエセルドレーダさんは何時までも少女のままで居て貰う事にしよう。
因みに、椅子に座った大導師の目の前に机が存在している為、俺からはエセルドレーダの姿が見えない。
なので、先ほどの一連のアクション、机から突如細い腕が『にゅっ』と伸びてきて大導師の口元を拭うという、なんともシュールな絵柄に見えている。

…………シリアス! シリアスは何処か!

「それを言うなら、貴公こそ」

現状を客観的に見た場合の余りにもブラックロッジとは思えない光景に若干錯乱しかけていた俺は、大導師の言葉に正気を取り戻し、首を傾げる。

「俺が?」

「口調が柔らかくなっているであろう?」

「あぁー……」

そういえばそうだ。
パワーアップのお陰で、大導師が俺を完全に滅する事はほぼ不可能になった。
無理に忠誠心的な部分を見せて媚を売る必要も無いので、無意識の内に軽い外行き程度の口調で喋っていたのだろう。
これまでの事を考えると、やはり直した方がいいのだろうか。

「よい。余も元々、そこまで貴公に堅苦しい態度を強要したかった訳でも無い」

心を読んだかの様に先回りして、心なしか楽しげに呟く大導師。
やはり、今回の大導師には余裕が見られる。
……そうか、同じ理由なのか。

「大導師殿も、成長した訳ですか」

「うむ。解放の日はそう遠くはないだろう」

ぶっちゃけ、トラペゾ手に入れてからが本番な気もするけど、こんなに嬉しそうにしてる大導師に告げるのは酷だよね。
運が良ければ、万が一億が一のそのまた溝の一の更に不可思議が一程度の確率で、大導師単体でニャルさんを打倒してループを断ち切れるかもしれない訳だし。

これから、この希望に溢れた大導師がどのように擦り切れていくのかは分からないが、今が充実しているなら、挫折するまではせめて温かく観察しておく事にしよう。
そんな事を考えながら、冷やした萩の月を手に取り、齧り付く。
冷やしておいた萩の月は甘く、そして何時の間にか、元の温度を取り戻していた。

―――――――――――――――――――

○月■日(TSといえば)

『昔のエロゲで、男性のエージェントが薬を飲んで美少女化、女子高に潜入して事件を調査する、という感じのゲームが存在した』
『実際にプレイした訳では無いのだが、絵柄がやたらとブギーポップの挿絵に似ていた事は記憶している。良くも悪くも自由な時代だったのだろう』

『だが、今回はそれとはまったく関係無い』
『なにしろ男女の性別が後天的に変化するタイプではなく、世界丸ごと産まれたときから性別が逆転しているのだ』
『思うに、この一つ前のループの大十字は酷く混乱したのではないだろうか』
『なにしろ、マスターテリオンと全く同質の魔力を持つ少女が生まれ、あろうことか大導師マスターテリオン本人であると自称するのだ』
『一つ前の大十字は困惑しただろうが、少なくとも、性別が変化したことによる本人達の混乱みたいなものが無い事は幸いだろう』

『そもそもループの事実を知らなかった大十字ならばともかく、俺は今までのループで出会った彼等は彼女達になり、彼女達は彼等になっているだけだという事を知っている』
『どうせ今回も初めましてになる以上、相手の性別が今までとは真逆である事に気を付けておけば、かなり無難に話を進める事が出来る筈だ』
『……まぁ、TSした逆十字の面々を近場で見るのはこれがほぼ初めてになるので、連中のインパクトの強さにも気を付けておくとこにしよう』

―――――――――――――――――――

俺がブラックロッジに入社して、そろそろ二週間程が経過する。
幸運な事なのかどうなのか、平社員以上逆十字未満程度の地位を与えられた俺は、未だもって逆十字の連中とは接近遭遇を済ませていない。
このまま会わずに済ますのもありかもしれないが、正直なところ、怖いもの見たさという感情も確かにあるのだ。
だが、怖いもの見たさとか好奇心だけで動くのは、いくら力を付けても危険な行為である事は変わりようがないらしい。
先日夢幻心母で遭遇したTSドクターウエストとの会話は、好奇心だけが先走り、出会った時にどう対処するかという考えをおろそかにしてしまい、悪い結果を出してしまった。

「はぁ……」

アーカムのストリートを歩きながら思う。
ドクターには悪い事をしてしまったかもしれない。
自己紹介の時点では、お前それちょっと線が細くなって美系っぷりが耽美系に向いて胸が膨らんだだけじゃないかって程の変わりない●●●●っぷりを発揮してくれていた。
が、こんな●●●●なふるまいをしている美人な女性が、エロい事も出来るけど自分に強制的に従う訳では無いという微妙な人間性を内包した『美少年ロボット』を製造するのだと思うと、
どうしても、どうしてもあの●●●●が、部下にはそれなりに慕われるけど私生活ではまともに友達も恋人も作れない、自宅に帰ると飼ってる犬とかに仕事の愚痴を子供っぽい口調で打ち明ける可哀想なOLさんに見えて、
俺は、ドクターとまともに向きあう事も出来ず、僅かに顔の向きを逸らしながら憐み全開の表情で『なんていうか、頑張ってくださいね』と、自己紹介をする前に激励の言葉を送ってしまったのだ。

『そんな、そんな可哀想な物を見る視線を、この大天才に向けてはいけないのであーる!』

などと言いながら涙目で破壊ロボのある方に向け走り出し、そのままヤケクソ気味に破壊活動を始めてしまったのだ。
ここから数ブロックも離れていない場所に突如として出現した破壊ロボ。
だが、今現在歩いているこのストリートには殆ど被害が無い。
毎度の恒例行事として現れた『アーカムシティの黒い天使』が、必殺の烈風正拳突きでもって一撃で破壊ロボを粉砕してしまったのだ。
正拳突きと言う割にアッパーな上、カットインで無駄に乳揺れを起こすのは最近の風潮に合わせたものだろう。

因みに、ドクターとはそれ以降会っていない。
ドクターの研究室に入る前に呼び止めてくれた下っ端に、
『ドクのメンタルが今までとは異なるベクトルで不安定になっているので、原因臭い貴方は帰って下さい』
とか言われて追い返されてしまった。あの下っ端中々にセメントである。
こういう時、仲の良い女性グループというのは団結が強い。

西博士の部下もブラックロッジの中では灰汁が強い方に分類されるので、悪評をばら撒かれてブラックロッジに居辛くなる訳ではないが、それでも溜まり場の一つをこの周では使えないというのも気が滅入る。
が、こういった状況というか、あの●●●●がメンタルにダメージを受けている、という恐るべき事態は俺の想定の外にあるものだ。
もしかしたら、彼女はあの●●●●のTSした存在ではない良く似た別人、もしくは小説版のシリアスもできる●●●●が紛れ込んでTSした存在である可能性もある。
良く似た別人説はなかり信憑性がある。
あの●●●●は続編の構想において、自らと非常によく似たメンタリティの○○○○達と運命的な出会いを果たし、『放課後パートタイム』なるバンドを結成する運命にある。
一足早くメンバーの内の誰かが紛れ込み、TSした事によりずれた運命によってドクターウエストを名乗る事になっていても不思議では無いではないか。

「街並みも少し雰囲気変わってるか……?」

だが、今はドクターが本人かどうかは実はどうでもいい。
ミスカトニック入学の為に必要なシュリュズベリィ先生との出会いはあと二週間少しで訪れる。
実のところ、あの遺跡でルルイエ異本の写本を手に入れてから入学までにはそれなりにややこしい手続きが発生する為、しばらく自由に行動できる時間が減少する様になっているのだ。
写本の最低限の調査、安全性の確認、その写本を手に入れた俺と美鳥の身元の確認、精神的に問題があるかどうか、最低限の筆記試験による知能テストなどなどなど……。
この面倒な手続きが発生するか否かは、一つ前のループの大十字の神経質さ、慎重さなどが深く関わってくる。
が、何しろこのループで覇道鋼造となった大十字は、大導師がTSする瞬間を目撃しているのだ。
不確定要素があるかないかには神経質にならざるを得ないだろうし、面倒な手続きは確実に発生すると考えていい。

で、そうなると、今の内にこれからまたお世話になる場所や人には先に挨拶をしておかないと、仲を深めるだけの時間が確保できなくなる可能性も出てくる。
特にシュブさん。
彼女には大規模自己強化の前に激励を受け、山羊のミルクとチーズケーキを御馳走になり、無理はしないようにと心配も掛けてしまった。
ブラックロッジでのあれこれが一通り済み、あとは逆十字との接近遭遇を残すのみ、みたいな事になった今、シュブさんへの無事の知らせはかなり優先度の高いミッションと言える。

勿論、俺の主観時間でもかなり久しぶりである為、差し入れと言うか、お土産のようなものも持参している。
ここ二週間、家の亜空間畑でこっそりと栽培していたナノテクメロン。
実はメロンを本格的にした事は無かったので試行錯誤の連続ではあったが、加速空間内部で十数世代にも渡る品種改良が施されたこれはかなりの自信作。
思い返せば、ここに至るまでに多くの失敗、挫折がこのメロンに寄り添っていた……。
第一世代の、まともに甘くならなかった失敗メロン、第七世代の害虫や害獣を自ら捕食する自己防衛機能付きメロン、第十三世代の、数十のメロンが寄り集まって知的活動を開始し、自らを神と自称し始めるゴッドメロン。
様々な失敗を乗り越え、このナノテクメロン正式採用版がリリースされた。
彼女には散々お世話になっているし、ぜひともこのメロンを美味しく頂いて欲しい。
が、しかし。

「無いな」

この周、少なくとも、性別を確認した事があり、なおかつ顔と名前が一致している人間は今のところ全て性別が反転している。
その為なのか、街に存在する店舗、ビルの細部の造形などが微妙に通常のループの時と変化しており、ニグラス亭を探すのは難しかった。
ビルの設計者や注文主の性別が変わった事による細かなレイアウトや外装の違いが如実に表れているお陰で、大まかな配置はともかく、細々とした部分が色々とズレているのだ。
結局、頭の中で以前の周におけるアーカムシティ全体の立体図とこの周のアーカムの立体図を重ね合わせて、どうにかこうにか辿り着いた訳なのだが……。

「場所で言えば、間違いなくここなんだが……」

本来ニグラス亭が存在している筈の場所には、見慣れた定食屋は影も形も存在していない。
代わりに、寂れた路地に相応しい、ほんのり古臭く、その代わりに無駄に頑丈そうな質素な造りの家が存在している。
表札は存在していない。
玄関の戸は一見して木材のようではあるが、端々の細胞に魔術的な作用で変質した跡が見られる。
これで確信が持てた。
ここにはまだシュブさんが暮らしている。
呼び鈴を数度鳴らし、一分程待つ。
出てこない。呼び鈴が壊れている可能性を考慮して、ドアを強めにノック。

……出てこない。
いや、出てこない事は何もおかしな事では無い筈だ。
何らかの理由でニグラス亭を経営していないにしても、シュブさんにも日々の生活がある。
何処か別の所で働いているかもしれないし、日用品や食材の買い出しに出かける事もあるだろう。
それこそ、友人と遊びに行っている可能性もあるし、普通に昼寝している可能性だってあるのだ。

だが、何故だろう。
こんな、何でも無い事の筈なのに嫌な予感が、胸騒ぎがする。
胸騒ぎがする、というだけで、俺のセンサーは何も異常を感知できていない。
シュブさんの家の中がマップに映らないが、シュブさんの家やニグラス亭では稀にある事なので異常とは言えない。
周辺に脅威は存在しない。それは俺の全スペックが保障している。
でも、

「魔術師の勘って、結構信頼性高いんだよな……」

呟きながらポケットの中に手を突っ込み、亜空間から鍵束を取り出す。
家の鍵に倉庫の鍵に自転車の鍵に機動兵器の起動キーに……、あった。
シュブさんの家の鍵。
迷い無く鍵穴に鍵を差し込み、回す。
がちゃりと音を立て鍵が開いた。
今更だが、少なくとも鍵は元から掛かっていたようで、ほんの少しだけ安心する。

玄関を開ける。
木の癖に霞の様であり、粘性を持つ重金属の様でもあるドア。
獣の唸り声にも似た低い音を立てながら開くドアの隙間に身体を潜り込ませ、内部に侵入。
バッグに入れたメロンがドアに挟まりそうになるが、メロンはドアの挟撃に対しハイパーアーマーを発動、自力でドアを弾き返し無傷。
完全に内部への侵入が完了すると、ドアはひとりでに締まり、鍵がかかる。
オートロックだ。機械的な仕組みは見当たらないが。

家の中のレイアウトはあまり変わっていない。
が、人の住んでいる気配は無い。
いや、シュブさんが住んでいる気配は間違いなくするのだが、人間が住んで産まれる生活感では無い。
廊下を歩くと、以前には見られなかった微妙な位置に傷が出来てるのが良く分かる。
傷の深さ、位置共に、シュブさんが生活する上では付けようの無い位置に多くの傷が刻まれている。
山羊の蹄でもぶつけたらこんな形の傷ができるかもしれない。
フローリングの床には、何かどろりとした粘液がいたるところにこべりついており、掃除された気配も無い。
乾き始めた粘液の跡から類推するに、人間の背丈よりも僅かに高い所からゆっくりと滴り落ちた物が殆ど。

一瞬、シュブさんを陰から偏愛していた男性が押し入り、とても性的な状況に追い込まれているのではないかとも思ったが、どうやらそうではないようだ。
腐りきり黒ずんだ精液の様に見えなくも無いこの粘液だが、僅かにシュブさんの気を感じる。
壁にべっとりと垂れていた粘液に指を突っ込み、にちゃにちゃしたそれを指先で弄ぶ。
成分的には、地球上に存在しないものも含まれているが……、これは恐らくシュブさんの唾液か何かだろう。
ほんの少しだけ、シュブさんの超ロックンロールなソロ活動(性的な意味で)で撒き散らされたそっち系の液体かとも思ったのだが、違っていたようで一安心。

廊下全体、目視できる範囲をスキャンし、廊下に残った粘液の中から新鮮な物をランク付け。
当然と言えば当然なのだが、シュブさんの自室の方に近付くにつれ、新鮮な粘液が零れている。
窓から飛び出したりしない限り、シュブさんはここに居る筈だ。

そして、シュブさんの自室の前。
幾度となく、という程では無いけれど、それなりの回数をこなした動作でもって、シュブさんの自室のドアをノックする。

「シュブさん、俺です。バイトの卓也です」

因みに、シュブさんは俺と姉さんと美鳥の事をそれぞれ下の名前で呼ぶ。
三人ともそれなりに付き合いがある為、名字で呼ぶとややこしい事になるからだ。
もっとも、名前を呼ばれてもその名前がまともな音域で聞こえた事は数えるほどしかないのだが。

十秒、二十秒、三十秒。
返事はない。眠っているのだろうか。
常識的に考えれば、ここは大人しく帰るべきなのだろうが、嫌な予感は消えていない。
ただ眠っているだけだとか、息を潜めてソロ活動していた、なんて落ちもあり得るかもしれない。
それはそれで構わない。つまりシュブさんの安全はその時点で保証されているからだ。
そんな場面に侵入してしまったならシュブさんの俺に対する信頼は地の底にまで落ちてしまうだろうが、シュブさんが無事ならばその程度の事は許容可能。

意を決し、ゆっくりとドアを開ける。
部屋の内部は至る所にヘドロの様に濁り切った粘液がへばりつき、反対側の壁を見る事すら困難な程、濃密に霧の様な何かが立ち込めていた。
有毒ガス、ではない。というより、単純な気体ではない。
この部屋に立ちこめる濃密な雲の様なこれは、一種の生態的な特徴を備えている。
単純に言って、生きているのだ。
だが、唯の霧状生物とも言い切れない。
視界を遮る雲状のそれらは、部屋のあちこちで明滅する切れかけの電灯の如く、不安定に寄り集まり、良く分からない肉塊を形成している。
ほつれた毛糸程の細さの触手に、捩じれた短い山羊の脚、粘液を垂れ流す口にも似た穴。

「シュブさん!」

慌てて、俺は部屋に立ちこめる雲状のシュブさんを抱き寄せ、圧縮する。
部屋に立ちこめる雲を二本の腕で抱きしめる、というとかなり概念的な行動に見えるかもしれないが、この程度の事はある程度の実力を身に付けた神性ならば属性問わず可能な行動だろう。
俺の腕の中に圧縮されたシュブさんは、雲と触手と肉塊の中間の様な姿で弱々しく呻き声をあげる。

『──見な───で』

目や耳、触覚の役割を併せ持つのだろう無数の細い触手を俺から背け、恥ずかしげに大気中のエーテルを震わせて呟くシュブさん。
攻撃能力を備え、獲物を引っかける為の反しの付いたやや力強いフォルムの触手を、こちらを押し退ける様にべしべしと叩きつけている。
だが、その触手の力も弱々しい。
普段のシュブさんならネームレスワンが一撃でオーバーキルされる程度の力は出る筈だが、今の力では精々デモンベインが大破する程度。
俺の身体相手では子供が軽く叩く程度にしかダメージは通らない。
そんな事を考えている間にも、シュブさんの非生物的に捩子曲がった口から、ごぼごぼと粘液を飛び散らせながら苦しげに咳き込む。

「そんな状態で何言ってんですか」

俺は抱き寄せた雲触手肉塊シュブさん(形の悪い焼く前のハンバーグに絶妙なバランスで悪趣味な色合いの綿飴を混ぜ、そこから蕎麦を生やし更に生焼けの目玉焼きを乗せた感じ)を持ち上げる。
これでシュブさんが人型であったら、多分御姫様抱っこになっているだろう抱きあげ方。

『や──恥ず──いから──』

羞恥心から抵抗を続けるシュブさんの声が、普段よりもはっきりと声として認識できる。
空気では無くエーテルを介しているからだろうか。
だが、何時もよりも良く聞こえるからこそ、声からですらシュブさんの不調が感じられる。
声に張りが無く、普段の溌剌とした雰囲気は垣間見る事すら出来ない。

「駄目です。だってシュブさん、あんな部屋一杯に広がっていたのにベッドに戻れて無かったじゃないですか」

『──uyyyyrrrrrrr■■■■■────』

顔に当たる部分と思われる雲状部分を赤化させたシュブさんの恨めしげな唸り声を無視し、ベッドの前へと移動する。
部屋自体はそう広くも無いのだが、どうにも空間が不安定である為かベッドへの距離が遠い。
シュブさんはささやかな抵抗としてじたばたと短い脚で蹴りを入れつつ、しかし数本の触手は俺の服の胸元をぎゅ、と掴んで離さない。
尖った蹄が俺の服を引き裂く前に、どうにかベッドにたどり着ければいいのだが……。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

結論から言って、シュブさんは軽い体調不良だった。
数十年前、丁度アリゾナにデモンベインとリベルレギスが落着したと同時期から徐々に体調が崩れ始め、人型を保てなくなり始めたらしい。
その他、熱、鼻水、粘膜の炎症、触手の先のしびれ、蹄の付いた足の肉離れなどが併発。
こんな体調では食堂を経営する訳にも行かず、店は一時的に店舗ごと撤去、療養に時間を費やそうとしているのだとか。
因みに、この街の病院では無く、一度里帰りして地元のかかりつけの病院で薬を大量に貰って来たらしい。
特殊な体質の人はこういう時に不便なのだ。俺にも少しだけ覚えがある。

「で、治りかけた気がしたから少し外出して買い物とかしていたら、一気に全部ぶり返してきた、と」

「────」

顔っぽく蠢く雲部分のすぐ下まで布団を掛け、『こくり』と弱々しく一度だけ頷くシュブさん。
どうやら、本人も多少調子に乗り過ぎていたという自覚はあるらしい。
そりゃ、寝てる間に思いついた新メニューの材料揃えに市場に行って、知り合いの作家の新刊を買いに本屋に行って、気になる新作映画見に映画館行って、その直ぐ次の日に体調崩せば、余程の馬鹿でも無ければ反省するだろう。

溜息を吐きながらも、持参したメロンを取り出し、その場で適当なサイズにカッティング。
斬り方にも気を付けている為に汁は零れていないが、シュブさんがこぼした粘液的なよだれがあちこちでシミになっているので、今更気にする必要はなかったかもしれない。
皿に盛りつけフォークを刺し、ちらちらと此方に触手を向けるシュブさんに差し出す。

「食べられますか?」

「──」

シュブさんは触手の連なりと化した顔をふるふると横に振る。
先ほどベッドに運ぶまでの抵抗で体力を使い果たしてしまったのだろうか。
仕方が無いので、小さくカットされたメロンに刺さったフォークを手に、メロンをシュブさんの口元、へと……。
ええい、口はどこだ。触手しか無いじゃないか。
と、思ったら、触手のざわめきの中に恐らく口と思われる部分を発見した。
宇宙の深遠にも繋がっていそうな、漆黒の闇を湛えた口内。

「シュブさん、ほら、口開けてください。『あーん』です」

「────」

収束し掛けていた顔面を赤熱した雲に徐々に変化させつつも、触手の隙間に見える小さな口を開け俺の突き出したメロンを口に運ぶシュブさん。
金属製のミミズが大量発生した中に突っ込んだらしそうな、妙にがりがりザリザリと硬質な咀嚼音。

「美味しいですか?」

「─ん……」

頷きと共に聞こえた肯定の言葉は、前半が聞き取れなかったのか一文字だけの頷きだったのか。
にちゃぁ、と、粘液染みたシュブさんの唾液と共に引き抜かれたフォークは溶解しつつも削り取られ、既にフォークとしての機能を半ば失っているように見える。
唾液を飛ばす様に軽くフォークを振り、シャコン、と小気味良い音と共にフォークの先端が再構築。
次のメロンに突き刺し、シュブさんの口の前に持って行く。

「次は、メロンだけ食べて下さいね」

俺の言葉に、難しそうな表情でどうにか頷くシュブさん。

──結局、シュブさんがカットしたメロンをお腹いっぱい食べるまでに、フォークは八回程の再構築を余儀なくされたのだった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

家に戻り、床の上でぐったりしてる美鳥を横目に、余ったメロンを姉さんと処理。

「で、シュブちゃんは入院するって?」

「うん、二年半もすれば治るから、それまでは大人しくしてるってさ」

なんでも、ここ最近急にホルモンバランスが崩れたせいで、全体のバランスが維持できなくなったとかどうとか。
魔術研鑽の片手間に蓄えている医療関係の知識では、ホルモンバランスが崩れた程度で人の容から逸脱するとか聞いた事も無い。
が、まぁあのシュブさんの事だから、触手や肉塊や霧の塊になるなんて事は珍しいことでも無い。ループ初期ではちょくちょくあんな感じの姿だった周もあった訳だし。
人と異なる体質だと、下手な病院には掛かれないものなぁ……。

「自宅療養じゃ駄目なの?」

メロンの房の根元に親指を当て、開く様にして綺麗に真っ二つにカット、皿に片方を置いてスプーンで中の種を取り除きながら姉さんが首を傾げる。
俺としても、ニグラス亭がまる二年使えないのは不便でならないからそうして欲しかったのだが。

「自宅療養だと、変な治り方してふたなりっ娘になるかもしれないから、ちゃんと検査を受けたいんだって」

別に、俺はシュブさんがふたなりだろうが何だろうが、元気にニグラス亭を切り盛りしてくれれば何も文句はないのだが、そういうのは他人では無く本人の気持ち次第だろう。
治りかけの所ではしゃいだだけであそこまで病状が悪化するなら、やはり本人にも気付けないレベルで疲労が溜まっていた可能性もある。
バイトと間食のあてが無くなってしまったのは辛いが、シュブさんも働き詰めだった訳だし、これを機にしっかりと休んで貰うのも悪くはないのかもしれない。

「美鳥は?」

ふと思いつき、床に倒れ伏したままの美鳥を横目に見ながら問う。
超立方体状態で姉さんのポケットに入れられていた美鳥を取り込み、今回の強化で手に入れた能力や諸々を組み込んで再構築してからかれこれ二週間あまり。
最初に少しトラブルはあったものの、既に美鳥の最適化は完了している。
シュブさんの所に挨拶に行く時には、出歩く元気は無かったものの、ここまで微動だにしない程ぐったりはしていなかったと思うのだが。

俺の問いに、姉さんはメロンにスプーンを突き立て球状に刳り貫く作業を止め、答える。

「えっとね、身体を成らす為に、卓也ちゃんがシュブちゃんの所に挨拶に行って少ししてから、散歩に行ったの」

「うん」

「そしたら、街で武装警察の二人に会って。ほら、性転換してるじゃない?」

「してるね」

「女武装警察の二人のバストが」

「わかった。この話題はやめにしておこう」

床に倒れている美鳥の顔の辺りから、塩っぽい臭いの透明な液体が流れ出している。
ついでに啜り泣きもセットで聞こえて、心なしか美鳥の肩も震えている。
これ以上詮索しないのも武士の情けだ。

「でも、そっか。シュブちゃんとこは二年半お預けかぁ……」

半分になったメロンを抱え込み、姉さんがしみじみと呟く。

「姉さんが作品世界の存在に気を掛けるなんて珍しいよね」

「嫉妬しちゃう?」

まさか。
首を横に振り、考えながら答える。

「姉さんなら、そうする意味があるんじゃないかなとは思ってるよ」

そうする意味、シュブさんかシュブさんの周辺に何かがある可能性。
俺はそれに付いて深く考える事が出来ない。
しない、でも、気が向かない、でもない。
文字通りの意味で、俺は何故かシュブさんに対して思考が鈍り、不自然なまでに鈍感になる。
シュブさんの事を別の場所で話している時でも無ければ、自分の思考が不自然に鈍っている事にすら気付けない。
そして、思考の鈍りに気付けてもそれを直さなければと思えない。危機感を抱くべき事柄では無いと思ってしまうのだ。
真相に近づこうという気さえ起せないのだから、これに関しては考えるだけ無駄だろう。

「無い訳じゃないけど、それでなくても、あそこのジンギスカン定食は美味しいでしょ?」

姉さんがほんの少しうっとりとした表情で空を仰ぐ。
確かに、ニグラス亭のジンギスカン定食は絶品だ。味もそうだが、まず見た目のインパクトも凄い。
ジンギスカン鍋に乗せられた羊肉がじゅうじゅうと激しく音を立てながら煙を吹く様は、初見ならば間違いなく心奪われる光景だ。
肉汁とタレが浸み、ほんのり焦げの入った野菜もかなり量があり、肉ばかりで飽きるという事も無い。

「俺は、唐揚げ定食の方が好きかなぁ」

対して、唐揚げ定食は決してニグラス亭における人気メニューという訳でも無いが、その豪快な盛りに一目置く客は決して少なくはない。
脂身ばかりで食べるところが少ないと言われがちなペンギンではあるが、何故か唐揚げになる段階ではそれなりに筋肉も詰まった肉質に変化しており、ジューシーなだけでなく鶏肉の確かな歯ごたえも存在しているのだ。
他の常連客(黒い神父だとか銀髪の少女だとか褐色肌のメイドだとか白い獣だとか、他にも豪奢な黄色の法衣を来た仮面の男とか、頭の両脇が白髪の美食家とか、作家業を兼業する大食い探偵とか)が言うには、ある時期を境に唐揚げの作り方が絶えず変化し続ける様になったのだとか。
俺も、味やら食感が良くなったり悪くなったりしているのは気になった。
初期の頃に比べて薄目の味に変化しており、タレに付け込んだのではなく、塩と酒をメインに適度な量のスパイスでの味付けに変化しているのだ。
そのお陰か、サッカーボール程という異常なサイズからは想像も出来ない程に食べやすく、しかも食べ応えもあるので、バイト以外で行けば必ず食べると行っても過言では無い程食べ続けている。
シュブさんも店を出す以上は商売人だ。メニューの改善には一手間も二手間もかけているに違いない。

「あたし、あの店はレアチーズケーキと山羊ミルクを本格導入すべきだと思う」

先ほどまで殆ど動かなかった美鳥も手を上げながら主張する。
声が僅かにかすれているが、気にしないで挙げるのが優しさというものだろう。

美鳥が言うレアチーズケーキと山羊ミルクとは、もちろん以前にシュブさん宅で頂いた物の事。
一時期店に出していた、形と味と風味と栄養価と値段を整えただけのものではなく、霊質的にも優れた効用がありそうな気がする程の美味しさを誇っている。
地球人類の持ち得る言葉では形容しがたい味なので詳しく説明は出来ないのだが、これがまたべらぼうに美味い。
が、これを作るとシュブさんの肉体の一部がもやもやして熱を帯び、まともに仕事をする気が無くなってしまうので、大量に作るのは難しいと聞いた。
美鳥としては残念だろうが、シュブさんの体調の良い時に行けば他の客には内緒で作ってくれるらしいので、その時にでもお土産に持ってきてやろう。

とまれ、何のかんの言って、姉さんも俺も美鳥も、ニグラス亭の、シュブさんの作る食堂飯にそれなり以上に惹かれているのだ。

「ま、お姉ちゃん的には、無いなら無いでいいんだけど」

「お姉さん出不精だもんね」

確かに、買い物とか、時たまふらりと散歩にも行くけど、毎日って訳でもないしな。
あんまり積極的に出歩くとその世界に飽きるのが速くなるからじゃないかと推測しているのだけど。

「とにかく、最低でも二年半はニグラス亭に行けない訳だし、他に美味しい店探すのもいいんじゃないかな。この一周は、強化とか関係無くまったり過ごすんでしょ?」

姉さんの言葉に頷く。
ニグラス亭を見つけ通い出してから、もう飛ばしたループを抜かして考えても数百年近く経過している。
他の店に行かなかった訳でも無いが、そういった店に入るのは待ち合わせまでの時間潰しだったり、何か注文したにしても特に味を気にせずに流し込んでしまう場合が多かった。
ここらでニグラス亭の留守に代わりを務められる店を探すのも、マンネリ回避の上では重要だろう。

「二年半も時間がある訳だし、そんなに急ぐ必要も無いと思うけどね」

「ミスカトニックに入学してからでも十分間に合うわな」

あと二週間もあるが、一度日本に戻ってルルイエ異本不完全写本の安置してある遺跡の場所を確認して、シュリュズベリィ先生との邂逅に備えよう。
皿の上に残ったナノテクメロンの皮が自発的にティッシュで水気を取りゴミ箱に向けてジャンプする姿を眺めながら、俺はどうやって新たなアーカムの隠れた名店を探しだすか、そんな事ばかりを考えていた。





続く
―――――――――――――――――――

第五十五話でした!
今回は五十六話とセットなので後書きは短めで。


シンプルな自問自答コーナー。

Q,大導師さまの『ゆ』?
A,照れ屋さんなんですよ、きっと。

Q,シュブさんが!
A,なんか感想で人気が出てきたみたいなので、あざとく看病イベント。見ての通り産まれたままの全裸です。サービスカットだね!TS周では病欠。

Q,ナノテクメロン?
A,ナノマシン技術の粋を結集した無敵のメロン。強くてかっこよくておいしい。いわゆる、『ぼくがかんがえたさいきょうのめろん』
以下ステータス。
攻撃力・あまり自発的に動かない。自己防衛の為なら蔦を使って機械獣を絞め殺せる。並の害獣なら真っ二つに千切れる。
防御力・すごいがんじょう。二刀流のカイザーブレードなら耐えきる。ダメージを受ける度に更に甘くなる。
敏捷性・おそろしく速い。フリーダム以上テッカマン未満。食べられた後は素早くゴミ箱に移動する事ができる。
糖度数・素晴らしい甘み。味皇の脳味噌が爆発して、秋山ジャンが悔しそうに敗因として語り出す。
香り・グルメ界に迷い込んだかと錯覚する程の豊潤な香り。気の弱い者なら失神する。
見た目・アールスフェボリットにも通ずるデザインの美しいマスクメロン。表面の網目の様なエナジーラインは地球の龍脈と似た配置になっているかもしれない。任意で手足が生える。
性格・生みの親である主人公に忠誠を誓う寡黙な紳士。通常なら並みの刃物では傷一つ付かないが、食べられるべきだと思った相手には自ら身を開き実を差し出すという。
繁殖力・ほぼ無し、頂点は常に一種のみ。種は余程肥沃な土地で無ければ芽も出さない。ナノテク畑(文字通りの畑的な意味で)専用と言ってもいい。


次回予告と内容が一致してないって?
五十六話は早めに投稿するのでそれで許して下さい。
まぁ次回は次回でTS回の使い捨てメインヒロインは触り程度にしか触れないけどな!

そんな訳で今回もここまで。
当SSでは、誤字脱字の指摘に即座にできる文章の改善案や矛盾している設定への突っ込みに諸々諸々のアドバイス、そしてなにより、このSSを読んでみての感想など、心からお待ちしております。









犬も歩けば棒に当たる。
名探偵は殺人事件の発生率を上げ、悪党はヒーローを招喚する。
トリッパーはどうか。
トリッパーはイベントに当たる。そして原作キャラに当たる。
原作に出てこない場所だからと油断は禁物。
原作キャラだって、買い食いくらいしているのだ。

次回
『ラーメンと風神少女』
お楽しみに。



[14434] 第五十六話「ラーメンと風神少女」
Name: ここち◆92520f4f ID:190f86b3
Date: 2012/12/08 21:33
◆月◎日(怪奇! 裸コートババァ登場!)

『……などという、怪奇を通り越して恐怖体験真っ逆様な状況にならなかったのは好都合だろうと思う』
『仮にこの世界線──もとい、この周のシュリュズベリィが裸コートに身を包んだ筋骨隆々のババアであったのならば、俺は超光速でエーテルの海を駆ける光速ババアと死闘を繰り広げる事になっていただろうからだ』

『結論から言って、シュリュズベリィ先生の姿は極々見慣れた人間の姿であった』
『性転換した連中がここまであまり大幅な外見の改編が無かったから不安ではあったのだが、これも逆転の発想という奴だろうか』
『TSしたシュリュズベリィ先生は、衣装は元のデザインのまま、姿形だけがセラエノ断章の精霊ハヅキの姿に変わっていたのだ』
『いわゆる一つのロリババァという奴なのだろうが、口調はダンディなままなので、厳密にはロリババアと言えない。ロリダンディだが、名前などどうでもいい』
『因みに胸に絶対領域は無いらしく、平坦な胸にサラシを巻いて隠していた。きっとマニアにはたまらない姿なのだろう』

『なに、この周のセラエノ断章の精霊の姿? シュリュズベリィ先生の姿をしていたとも──ハヅキの衣装のままでな』
『この周のセラエノ断章の姿を一目見た俺は瞬時にセラエノ断章の精霊の全身像にゴッドフレスコを掛け、脳内の安定を図る事に成功した』
『次はゆっくりと時間をかけて、あの姿を脳内の記憶から消し去っておきたいと思う』
『この周のシュリュズベリィ先生も、彼を精霊化するのは自室でゆっくりしている時にほぼ限定しているらしい』
『自室で実体化させて何をしているかなんて、俺には怖くて聞く事はできない』

『以前にもミスカトニックに所属していた頃にTS周は存在したのだが、その時はどちらももう少しまともな姿をしていたと思う』
『裸コートでは無いが、臍出しルックでファンキーなファッションに身を包んだあの周のTSシュリュズベリィ先生』
『ハヅキは人型に変形できるトナカイか何かだったと思う』
『そうそう、バイアクヘー形態になると、まるっきりトナカイに引かせたソリになってたんだよなぁ』
『んで、講義の初めには『ハッピーかい?』とかなんとか。何故か医学にも造詣が深かった記憶がある』

『幸せな過去を振り返るのはよそう。人の目が前に付いているのは前を向いて歩く為に、だ』
『今周は大学にいる間は普通にのんべんだらりと学生する、って感じのコンセプトな訳だし、無理にシュリュズベリィ先生に関わり合いになる必要も無い』
『実戦民族学の講義にしても積極的にシュリュズベリィ先生に関わり合いにならなければいいだけの話だし』

『なにはともあれ、入学は果たした』
『講義の内容はソラで言えるし、質問をされた時の受け答えも完璧』
『大十字との接近遭遇までは時間が少しあるし、講義の合間の時間は何も考えずに街をぶらつく事にしよう』

―――――――――――――――――――

大学での講義を終え、放課後。
何も考えずにぶらつく、という考えの元に行動を開始した訳だが、早くも美鳥が脱落した。
何も考えずにぶらつく。
これすなわち無念無想の境地にて街をぶらつく事に他ならず、美鳥はそのまま見事に公園の怪しげなお菓子の屋台に吸い寄せられていったのだ。
これぞ大宇宙の、いやさ小宇宙の意思。
無念無想、一切の思考を宿さない美鳥の空と化した肉体を、美鳥の内に眠る小宇宙が操り、あの屋台へと誘導せしめたのである。
勿論嘘だが。

屋台の品ぞろえを見れば、自然界には存在しない様な不自然極まりないカラーリングの砂糖菓子が大量に売られている。
美鳥が吸い寄せられたところから見るに、発がん性物質な合成着色料とかがどっさり投入されたお菓子なのだろう。
ミッドナイトブルーとショッキングピンクとエメラルドグリーンとクロムイエローが螺旋を描くソフトクリームを購入した時点で、美鳥も一応正気には戻った。
が、食べきるのに時間がかかりそうなのと、一旦この店のお菓子の調査をしたいとの事で、ここで別れる事となった。

256色のゼリービーンズやゴムみたいな食感のミミズ型ハードグミという良く分からない商品に目を輝かせる美鳥を公園に置き、俺はアーカムの中でもそれなりに人の多いストリートに足を踏み込む。
ミスカトニック大学のみならず、ハイスクールの近くでもあるこの通りには学生や教師をターゲットにした店が多くあり、料理の質はともかく、選択の幅だけは無闇に広い。
大分前のループで聞いた話なのだが、ここら辺には最近開店した美味しいと評判のラーメン屋があるらしい。
その話を聞いた頃には既にニグラス亭に入り浸っていたので、あまり興味は湧かなかったのだが、こうしてこの通りに来てみると、なるほどと頷けるところがある。
帰宅途中の学生達の生み出す喧騒と共に風に乗って運ばれてくる香しい匂い……。

「こっちか」

匂いを辿り暫く歩き、俺はある一軒のラーメン屋の前に立っていた。
真っ赤な暖簾には筆字で『蓮蓮食堂』とある。
千歳さんはここを本気でアメリカとして描写するつもりがあったのだろうか。はなはだ疑問である。

とはいえ、店構えもそれほど仰々しく無いし、裏の換気扇から漂う匂いも悪くない。
入口の前には出前用と思しき使いこまれた自転車が一台。裏手に仕入用っぽい車が一台。
客が止める為の駐車場は無く、ここを徒歩か自転車で通る連中をターゲットにしているのだろう。
暖簾を腕で避け、扉を開ける。

「っぇらっしゃぁっ!」

威勢が良すぎて何言ってるか分からない挨拶はご愛敬。
食事時では無い為か、席はそれなりに空いていた。
店の外からでも感じられた香ばしい匂いはますます強くなり、その匂いを胸一杯に吸い込むだけで口内にぶわっと唾液が溢れ出してきそうになる。

店内に溢れ返る匂いは、二種類のスープが元になっていると思われる。
一つは強く魚介の風味豊かな塩系スープ。もう一つは香ばしい本丸大豆醤油を使用した醤油系スープ。
カウンター席に座り、店内を見渡す。
張り紙を見たところ、ここのお勧めは塩ラーメンらしい。

これは、極めて難解な問題である。
既にこの店内でラーメンの匂いを嗅いだ時点で、ここでラーメンを食べないという選択肢は存在していない。
問題は何を食べるか、だ。

個人的な好みで言えば、実のところ塩でも醤油でもなく、豚骨ラーメンが好みに合っていたりする。
濃厚なとんこつスープに、やや硬めの細縮れ麺。
可能であればにんにくに、紅ショウガも付けたい。トッピングはその時の気分次第で臨機応変に。

だがこの店に豚骨は存在しない。そういう店も決して珍しい訳では無いので、これは想定の範囲内。
では、このメニューの中で何を選ぶか。
チャーシューメンや、それ以外にもチャーハン、餃子に麻婆豆腐と基本的な付け合わせも揃っている。
が、ラーメンに限って言えば、基本となるスープは塩と醤油の二択になる。味噌は無いらしいが別に気にならない。

塩と醤油。
塩るべきか、醤油るべきか、それが問題だ。
この悩みは、きっと人が初めてラーメン屋に入り、死ぬ寸前まで繰り返される永遠の命題だろう。
箸置きを視点として、割りばしの両端に吊るされた二種類のラーメンが脳裡に浮かぶ。
俺の心の天秤は、今驚くほどの静けさと均衡を保っている。
この二つを測りに掛けた時、どちらかに傾ける為の要素を俺は内部に持ち合わせていないのだ。

完全なる均衡。
それは力が存在していない事を現しているのではなく、星を砕く程の互いの全力が完全に拮抗している事を意味しているのだ。
静かな均衡を保つ天秤、その周囲の空間には幾度となく爆発的な衝撃波が生まれている(イメージ)。
天秤に掛けられたラーメンの背後、黄金の鎧を纏った二人のアテナの戦士が見えてきた(イメージ)。
いけない、このままでは、百日戦争が勃発してしまう……!

「おじさん、おかわり!」

「っいよ! 塩一丁!」

ふと、二つほど椅子を挟んだ隣の席の客と目が合う。
その客は、満面の笑みを浮かべて、言う。

「塩、おいしいよ」

小柄な客だ。
耳の付いた様な黒い帽子に、腰まで届く緑がかった二房の銀色の髪。髪は先の方で勾玉の様な何かで止められている。
顔に浮かべた笑顔は天真爛漫。
服装はストリートファッションといった風のそれだが、健康状態が悪い様にも思えない。
両手を包帯でぐるぐる巻きにしているのは、おそらく彼女の中の流行なのだろう。
彼女は何時かこう言う日を待っている筈だ。
『もう後戻りはできんぞ、巻き方は忘れちまったからな』
と。
でも、それを言うまでに彼女はあの包帯の巻き方を完全に記憶してしまうに違いない。
毎朝毎朝、パジャマから着替えて服を着る前、机の中に大事に仕舞い込んでいた包帯を手に巻く作業が行われているのだ。記憶しない筈が無い。
それこそが、数学的な意味では無く聖書などにおける完全数である七、その二倍の年齢に達した時に多くの人が掛かる病にありがちな症例なのだから。
いや、今は客の心の病などどうでもいい。

「では、俺も塩ラーメンを一つ」

完全なる均衡は、この客の一言によって崩された。
醤油が気になったのであれば、またの機会に食べればいいのだ。
今日は、人に勧められたという理由で塩を選ぶ事ができる。

「あい塩一丁!」

折れの注文と店主の返答を聞き、客は嬉しそうに頷いた。
銀髪の客──見たところ、というか、声も含めて間違いなく少女だろう。
彼女の目の前には既にどんぶりが山の様に積まれている。

「ここの常連さんで?」

ラーメンが来るまでの時間潰しに、話しかけてみる。

「いや、今日風に誘われてふらりと。大当たりで良かったよ」

椅子に座り、脚をぶらぶらさせながら嬉しそうに答える少女。
風に誘われて、とか何となくカッコいい言い廻しのようではあるが、つまりは風に運ばれてきたラーメンの匂いに釣られてきたのだろう。
風の魔力を僅かに纏っている事から魔術師の類なのだろうが、風の魔術をメインで扱うには厨二病にならなければいけないという戒律でもあるのだろうか。

「そうですね、誘われる価値のある、良い風でした」

美味しい匂いがした的な意味で。

「深くないおサカナさん達の、いい匂いだよね」

そりゃ深いお魚さんだったら食用にするべきでは無いだろう。

「へいお待ちぃ、塩ラーメンんっ!」

今にも器ごと折神大変化しそうな掛け声と共に、注文の品が同時に届いた。
会話を中断し、やってきたラーメンに顔を向ける。
器から立ち上る湯気に顔を近づけ、呼吸器一杯に潮の香りを満たし、スープを一口すする。
マグロ節をベースにした、複雑で繊細な味わい。
これは、美味過ぎる!

しかもその美味しさはスープに限った話ではない。
極上のスープと共にあるのは、やはり極上の麺。
スープを多く纏う平麺でありながら、噛み締める度にありありと小麦の存在感が現れてくるのだ。
麺の仄かな小麦の甘味と魚介の風味を含む塩スープとは絶妙なかみ合わせ。

我を忘れて麺を啜りスープを流し込む。
胃が満たされ、しかし食べれば食べる程に空腹感が増していく錯覚。
錯覚、いや、今俺が感じているこの空腹感こそが現実となる。

「おかわりお願いします」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「ふう」

容量無限の胃袋があるとはいえ、食べるにはやはり少なからず時間がかかる。
なので、こういう場でのおかわりは九杯でいいと相場が決まっているのだ。
御冷で熱々になった口の中を冷ましつつ、再び店内を見渡す。

ふと視線を上の方に挙げると、有名人のサイン色紙(八月のダーレスというペンネームの様なものから、アーミティッジ博士の様な間違えようのない本名も見受けられる)と並び、一枚の大判の写真が飾られているのを発見した。
灰色の荒涼とした高原に立ち並ぶ幾つかの民家に、修道院。奥の方に見える山の上には縞瑪瑙の城が小さく写っている。
その写真の隣には、先ほどの写真に写っていた修道院の内部の写真。
神官らしい銀髪の少女が、七分の一サイズのアルアジフのフィギュアを手に、恍惚の表情を浮かべている。
背後の礼拝堂の椅子には、戦利品らしきものが詰め込まれたアニメイトやとらのあななどの袋が大量に積まれている……。

ここにきて、写真に写った土地の名前を思い出す。

「ああ、『蓮蓮(レンレン)食堂』って、そういう……」

ラーメンは美味しいけど、ここにはなるべく立ち寄らない方がいいかもしれない。
そこまで考えた所で、店内の風の流れの変化に気付いた。魔力の流れにも。
魔力の中心には、先ほど俺に塩を進めた少女。
少女の目の前には山と積まれたラーメンなどの皿、少女の手には、逆さにされて口を開いたガマ口財布。
財布の下には明らかに勘定を済ませるのに不足していると分かる量の小銭。
困った顔をした店主と、困った顔をしつつ、身体に人を殺すのには丁度いい量の魔風を纏った少女。
少女の狙いは明らかだが、俺は勘定を済ますと決めたので、店主を殺されるのは本意では無い。

少女が身に纏った魔風を軽く手を振りディスペル。
魔術をディスペルされて少女は驚いているようだが無視、店主に声をかける。

「店員さん、お勘定お願いします。そっちの人の分も」

「え、ちょ……」

一応、食べ歩きを想定していたので、財布の中には結構な金額を入れてある。
戸惑う少女に『ちょっと黙っててください』と視線を投げ、てきぱきと勘定を済ませていく。
文句は言わせない。
少なくとも、店員ぶっ殺して逃げるかー、なんてのよりは、見知らぬ相手に奢られる方がよほど常識に沿った行動だからだ。

―――――――――――――――――――

少女もまた、空腹感を呼び起されていたのだろう。
ラーメン七杯に加え、チャーシュー盛り、半熟卵三つ、海老チャーハン大盛り、角煮丼、水餃子二皿、焼き餃子にエビチリを頼んでいたらしい。
中古のPSPくらいなら購入できそうな代金を立て替える事となったが、貴重な美味しいラーメン屋を潰されるのを考えれば安い出費だろう。

店を出ると、少女は少しだけ申し訳なさそうな顔を向けてきた。

「これ、奢って貰っちゃった、って事でいいのかな」

お金返したいとかじゃないんだな。
金が足りないから店主殺すか、なんて結論に至ってる時点で予測はしていたし、当然と言えば当然か。

「いいんじゃないですかねぇ」

少女のかなり図々しい問いに、俺は投げやり気味に答える。
別に、金に困る心配は無いのだし、店主の命と腕の安全を金で買ったと思えば安い。
俺の答えを聞いて、少女はヒマワリが花開く様な無邪気な笑みを浮かべた。

「だよね! ありがと、ごちそうさま!」

欠片も悪びれた様子の無い良い笑顔。
ここまでさっぱりとした態度を取られると、怒るのも呆れるのも通り越して感心するしかない。
恐らく、この少女はどうしようもない程に正直ものなのだ。
ただし、人に対して正直なのではなく、自分の中の感覚に対する正直さ、誠実さ。

美味しそうな匂いがするからラーメン屋に入る。
美味しそうな予感がするからラーメンを注文する。
迷っている人がいたら、自分が美味しいと思った方をお勧めする。
金があったら払う。払えなければ踏み倒す。
恩を受けたのなら感謝をする。

あの店主を前にした時の困った様な表情は、金が払えない事に関するものではなく、美味しいラーメン屋を潰してしまう事を基因にした表情だったのだろう。
感情的な様でいて、非常に論理的だと言える。
彼女は自分の中でのみ通用する本能という論理に忠実なのだ。
それが外から見て倫理的にどうなのかはさておくとして。

「とりあえず、今後は財布の中身を確認してから入店してくださいね」

言って聞くとは思えないが、一応言っておく。
だが、少女は予想と反して俺の言葉に神妙な表情で素直に頷いた。

「うん、これ以上恩人に迷惑掛けられないもんね」

「恩人、って程のものでもないと思いますけど」

どっちかって言うと、さっきのラーメン屋の店主の命の恩人だという自覚はある。
飯おごって貰って恩人、ってのは何か違わないだろうか。
だが、少女は俺の言葉に対し、軽く首を振って否定した。

「ご飯を御馳走になるってことは、命を繋ぐ助けをして貰ったって事だよ」

一宿一飯の恩義、という奴だろうか。
とても食事代が足りなかったからと言って、魔術まで使用して店主をスライスチーズみたいに斬り裂こうとした人間と同一人物とは思えない台詞だ。
が、もちろんそんな事を口にする俺では無い。
結果として店主の命もあのラーメン屋も無事だった。それでいいではないか。
どうせこの少女と今後関わり合いになる確率は極めて低い。
彼女の道徳的教育レベルが極めて低く、これからの人生で突発的に犯罪を犯す可能性は極めて高い。
だとしても、俺と彼女の接点の無さから考えれば、俺が直接的に迷惑をこうむる確率だって極めて低いだろう。
なら、なぁなぁで済ませてさっさと解散するのが冴えたやり方というもの。

「まぁ、あなたがそう思うなら、そうなんでしょう」

お前の中ではな。
その俺の心の声は聞こえていないらしく、少女はうんうんと頷く。
会話は終了、これで解散という意思表示なのだろうか、少女は此方に背を向ける。
一度だけ振り返り、手を振ってきた。

「星の海を掛ける駿馬に誓って、この借りは必ず返させて貰うね」

ええぇー……。
俺は表情を取り繕うのも忘れ、全力で嫌そうな顔をしたのだが、表情が組み換わる頃には少女は再び前を向き、街の喧噪中に走り去ってしまっていた。
正直、関わらないで貰う事が最大の恩返しになると思うのだが、少女は全くそう思ってくれなかったらしい。
家路に付きながら思った事は、あのラーメン屋に行くなら、店内と周囲にあの少女が居ない時を見計らうしかないな、というものであった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

さて、時は数時間流れ、場所は再び夢幻心母の内部へと移る。
悪い噂のせいで入り浸り難いと思っていたけれど、以外に噂は広まっていないらしい。
そこはまぁ、女子の派閥は結束も強いけれど、人数的な面で見れば規模は大きくなり難いという特徴が功を奏したのだろう。
ドクターを庇うグループは俺の事を避けている感じではあるが、それ以外のドクターと関わらない部分のグループとはそれなりの交流をしている。
これでも普段のループに比べると私的な部分での団員の結びつきは強いと思うのだが、難しい話だ。
大導師殿のカリスマッ☆が無ければ、このブラックロッジは空中分解しているのではないだろうか。
……当たり前か、そもそもブラックロッジの成り立ちからして、大導師のカリスマありきって感じだものな。
それなりに能力のある人材のスカウトは大体大導師様が前面に出てやっているみたいだし。

そんな訳で、今日も今日とてブラックロッジで悪っぽい活動に精を出す。
大学では大学生らしく、ブラックロッジでは社員らしく素直に振舞うのが今回の目的なのだ。

今日のテーマは、サイボーグ技術の習熟。
幸いにしてこの世界独自のサイボーグであるサンダルフォンのデータがあるお陰で、これまでに、精神面の不備のせいでパワード覇道瑠璃にすら勝てないヘタレのワンオフ高級サイボーグから、量産型のサイバーマンまで様々な分野に手を出す事が出来た。
ラーメン屋の帰りにふと思い出したのだが、先日の会合の時、ヘタレのTS体と思しき女を見つけた。
以前は彼独自のヘタレ思考とヘタレ戦術のお陰でカタログスペックを素直に吐き出させる事すら出来なかったので、今回は方向性を変えてみようと思っている。
美鳥が姉さんから機甲術のデータを引き継いでいてくれて助かった。
そろそろソフト・マシンによるより人間に近い使い心地の肉体を研究してみたいので、それに見合った身体能力、精神力を手に入れて貰わなければ。

そんな訳で、以前と同じ場所に与えられた夢幻心母内部の私室で少し寛ぎ、全身義体化手術のとっかかりを作る為の機材を製造、女ヘタレを探しに行こうとした、のだが。
この辺りをウロチョロと歩きまわる、大きめの魔力反応を感じる。
マップを広げるまでも無く、相手の力量や大まかな身体的特徴を掴む事は容易な訳だが、今回ばかりは難しい。
魔術師の生物としての特徴が、高位の魔術師になればなるほど人間から離れていくとはいえ、今回は全員がTSしているのだ。
男性的な特徴、女性的な特徴を基点にして肉体的改造を施していた魔術師であればあるほど以前とは構造が異なるし、見分けも付きにくい。

俯瞰マップを脳内に展開すると、近付いてくるアイコンは糞餓鬼さんのものであった。
思えばこの周では初遭遇だが、別に以前までの周でも殆ど絡みが無かったのでかなりどうでもいいタイプに分類される人だ。
風属性に強い魔術師ではあるが、ぶっちゃけ完全上位互換のシュリュズベリィ先生を取り込んでいるので、糞餓鬼さんから得られるものは何も無いのだ。
適当に挨拶だけ済ませて、改造人間素体(ヘタレ)探索を再開してしまおう。

トリプルスクリュー気味に捩子曲がった廊下の角を曲がり、糞餓鬼さんが顔を出すよりも早く此方から相手を発見する。

以前のループで見たのと同じ、ミニ四駆の肉抜き済みボディみたいな骨組みっぽい裾のついた黒のハーフパンツに同色のパーカー、頭部の前面だけを覆う不思議帽子に、ハンバーグラーを思い出させる目抜きのアイマスク。
小生意気そうなうすら笑いを浮かべた、性別が反転しているところ以外は何も変わっていない。

「お、居た居た。てめぇが大導師サマお気に入りの新人か?」

声がこれまでの時よりも明らかに高いという点に、腰に下げた丸っこい獣の頭の様なポシェット、極めつけに『蓮蓮食堂の塩ラーメンの匂い』が無ければ、完全にスルーしてしまう所だ。

「ええ、初めまして。貴方は逆十字の一人、という事でよろしいでしょうか」

平静を装い挨拶を返しつつ、思う。
万が一、という事もある。
食堂の少女と口調は違えど同じ声に、食堂の少女も所持していたポシェット、更に蓮蓮食堂の塩ラーメンの臭いがしたからと言って、必ずしも本人であるとは言い切れない。
よくよく見るとスニーカーは同じデザインだとか、髪色も少女と同じだとか、揉みあげっぽい部分の髪がパーカーの中に収納されているとか──、
そんなの、決定的な理由にはならないじゃないか……!

「おう、ボクはクラウディウスってんだ。ヨロシクな。んで、いきなりでワリィんだけどさ、ちょっとツラ貸せよ」

ほら、いきなり絡んできたぞ。
普段のループでは極々標準的な態度ではあるけど、仮にクラウディウスが先の少女と同一人物だとしたら、いきなりこれはキャラが違い過ぎる。
先の少女と同一人物であるのなら、
カツアゲ→連れ出すまでも無くその場で殺害して荷物から財布を奪う。
みたいな超短絡を起こすに違いないのだ。

因みに初遭遇の時にこのパターンで絡まれる確率は実に五分の一。それ以外は普通に挨拶してそれ以降一切絡みは無くなる。
人気の無い恐喝スポットにおびき出された場合でも、とりあえず適当にぶっぱして気絶させた上で記憶を改竄すれば、それ以降絡む必要も無くなる。
どっちにしろ絡む事が無くなるのはある意味必然だろう。

そんな訳で、これで逆十字との接近遭遇を一人分終わらせられると思った俺は、ホイホイとついて行ってしまうのであった……。

―――――――――――――――――――

所変わって、何故か夢幻心母内部の俺の私室。
あの後、何故か人目に付かない場所をクラウディウスに聞かれた俺は、完全に監視の目をシャットアウトする事が出来ると確信している私室へと案内する羽目になってしまったのだ。
試しにクラウディウスの自室ではだめなのかと聞いてみたのだが、基本的に研究者タイプの逆十字でも無い限り、自室は只の物置になっているので話が出来る環境では無いらしい。
因みに、口の中の歯に生まれる角度に関しては、空気中に散布されたナノマシン『が』念動力を使う事により、見えない力場で角度を埋めるという方法で対処している。

「さっきはごめんね? 恩人相手にあんな態度取っちゃって……」

無論、角度に関する何処へ向けた物でも無い解説は現実逃避だ。
廊下を歩きながら挑発的かつ上から目線が基本くさい態度で喋っていたクラウディウス。
彼、いや、彼女は俺の部屋に入り『本当に、ここなら余計な奴の目はねぇんだろうな』と念を押し、俺が頷くと同時に一気に態度を軟化させた。
アイマスクを外し謝罪する姿からは、とてもブラックロッジの逆十字という肩書は思い浮かばないだろう。

「いえ、理由はお聞かせ頂きましたので、理解しております」

「うん、流石に下の連中が居るとこで、逆十字のキャラを崩す訳にはいかないもんね」

でも、ごめんね。と言い、再び帽子の天辺が見える(アイマスクを取ると同時に一度帽子を外して被りなおしている。仕事中は帽子を畳んで被っているようだ)程に腰を曲げ頭を下げるクラウディウス。
そう、つまるところ、このループにおけるクラウディウスのキャラは、仕事時間中限定で本人が意識して作っているキャラクターであり、プライベートとは全く分けて考えなければいけないのだ。
最も、勘定が足りないから店潰して逃げよう、なんて考えの持ち主である以上、常識と良識の欠如っぷりはTS前とどっこいどっこいなのだろうけど。

「ところで、結局クラウディウス様は俺に何かご用が?」

「んー……」

俺の問いに、しかしクラウディウス♀は答えず、眉をハの字に傾けて唸り声を上げる。

「何か?」

「あんまり、プライベートでそういう口調は聞きたくないかな」

そういうものだろうか。
まぁ、仕事以外で敬語だの堅苦しい言葉を聞きたくない、という人は珍しくないのかもしれないが。

「あと、クラウディウスは役職名みたいなものだから、仕事以外では『ハイパボレアを歩むもの』って呼んでよ」

「本名とかあだ名とかじゃなくて、絶対二つ名とかそんな感じでしょそれ」

とりあえず口調を砕けたものに変えてツッコミを入れる。
むしろブラックロッジの関係者とは仕事以外でなるべく顔を合わせたくないというのがまごう事無き本音な訳だが、それを言うと叛意ありとみなされかねないので言わないでおく。
クラウディウス♀改めハイパボレアを歩くもの(以後脳内においては『かぜぽ』とする)は、俺の言葉に少し照れたように顔を赤らめる。

「あ、もしかして、僕の本名とか、聞きたい? でも、今の君じゃあ少し男気が足りないかなぁ」

「俺、心に決めた人が居るんで謹んでお断りします」

なんかかぜぽの上から目線が入った気がしたので、更に上から目線で押しつぶしておく。
更に腕を斜め下に伸ばし、

「お断りします」

手は平手で掌を下に向け、

「懇切丁寧にお断りします」

顔をかぜぽに向けたまま数歩後ろに歩き、

「やっぱり承ると見せかけて断固お断りします」

地球の重力を無視してゆっくりと残像を残しながらの宙返り。

「 お 断 り し ま す 」

背景に効果線を浮かび上がらせ、キメ。
これこそが全身全霊を掛けた否定の意思表示。
伝統と信頼のお断りしますのポーズ宙返りバージョン。相手は死ぬ。

「うっわムカつく。君、そんな事ばっかやってると女の子にもてないよ?」

当然、かぜぽはこめかみに青筋を浮かべ、しかし自分は組織的に見て上位に居るということから、表面上の余裕を崩さないように、ひきつりながらも笑顔を浮かべている。

「いいんですよ、誰にでも優しい人なんて胡散臭いったらないでしょう? それより、結局用事ってなんなんです?」

「あ、そうだった」

そう言い、かぜぽはわたわたと慌ただしく自らの身体を手で探り、その場でくるくると回り始めた。
この女クラウディウスことかぜぽも決して気性が穏やかという訳でも無いのだが、なぜだろうか、くるくる回るその姿は自らの尻尾を追いかける犬のようでもあり、やはりマスコット的な可愛さがある。
この周のブラックロッジ、中々にあざとい。

「ええと、はい」

ようやくポシェットの中から目的の何かを見つけたかぜぽは、俺に取り出したそれを手渡した。
札束だ。しかも、一般流通している中では一番に価値のあるもの。
ざっと見ただけだが、下手をしなくても新車が即金で買えるだけの金額はあるだろう。
札束の端に小さく血痕が付いている事を除けば、実に健全な金だと思われる。
だが、かぜぽの表情は不安げだ。

「さっきのラーメン代。これで足りるかな」

「数十人単位で宴会してもここまでは必要無いでしょう。ていうか、さっきのは俺の奢りだったのでは?」

札を束の中から二枚ほど引き抜き、お釣りを差し出しながらかぜぽに問う。
が、かぜぽはお釣りを握った俺の手をそっと掌で押し返し首を横に振る。

「あの後少し考えたんだけど、ボクって一応、ブラックロッジじゃ君の先輩で上司に当たるでしょ? 新入りの部下に奢らせたなんて、みっともないじゃないか」

「おぉ」

すげぇ、今までトリップした時に関わった連中の中で、一二を争う程に上司かつ先輩っぽい。
なんかこいつ少しだけ犬とかの群れるケダモノの臭いがするし、そういうのには拘るタイプなのか。
猿山とか犬の群れとかそんなのと同じ感じで。

「わぷ」

そんな事を考えていたからだろうか。
俺の意を汲んだ部屋の実験補助用の簡易AIが、万能マジックハンドに無香料のファブリーズを持ち、ぷしぷしとかぜぽに吹きかけていた。
顔に消臭剤を掛けられ、眼を咄嗟に瞑り顔を顰めるかぜぽ。
無香料の消臭剤ではあるが、消臭剤自体の匂いが鼻に来ているのだろう。
良い子のみんなは、消臭剤を人の顔面目掛けて噴射してはいけないぞ。

「ちょ、この、やめ!」

部屋の中に風が巻き起こる。
原始的な、それこそ未開の地でシャーマンなどが使いそうな自然界の流れに即した風の魔力。
吹き荒れる風はカマイタチを作り、ファブリーズを拭きかけてくる万能マジックハンドを一瞬で切り刻み細切れにした。

「うー……」

不満げな、『ボクは文句があるよ!』とでも言いたげな表情で唸られてしまう。

「いや、申し訳ない。この部屋は基本的に来客を想定してないから、AIの判断も大雑把なんですよ」

まるきり俺の思考をトレースして動くだけだし。
つまり、ちょっとケダモノ臭さが嫌だったんだけど、それを言うとこじれるよな。

「それならそれで、先に言っておいてよ。うぅ、変な臭いがする……」

パーカーの襟首を手で掴み、鼻をひくひくさせて匂いを確かめている。
鼻を馬鹿にしたままで返したら、また変に恨みを買って変な噂を流されるかもしれない。
そこで、液体操作だ。
真改の陰義だが、金神を取り込んであらゆる陰義の元となる『超』能力を備えている俺からすれば、再現程度は容易である。
乾きかけの消臭剤を空気中の微量な水分と結合させ、かぜぽの顔やパーカーから引きはがす。
地味な染み抜き作業の真似事でありながら、これで立派な、魔力でも字祷素でもない、純粋な宇宙的パワーの発露な訳だ。
だが、魔術師の目から見るとそういう力はやはり魔術的な物に見えるらしい。

「わわっ」

顔周辺での唐突な魔術行使に、かぜぽは目をぱちくりと瞬かせる。
消臭剤の臭いが消えた事に気が付いたかぜぽは、俺の事を少しだけ関心した様な眼差しで見つめてきた。

「キミ、結構繊細に魔術を使うよね。趣味?」

かぜぽが性転換クラウディウスである事を考慮すれば、これは『ちびちびとみみっちい真似ばっかしてんなぁ』みたいな意味なのだろうか。
言葉の裏の意味は計り知れない。意外に奥が深いではないかTS周。
とりあえず、このかぜぽは今のところ害がある訳でも無いとわかったので、社内での俺の評判回復の為にも、適当に仲良くしておいて損はないだろう。

「もちろん趣味ですよ。あ、そうそう、先程の無礼への詫びという事で、おやつでもどうです?」

空間的に断絶した亜空間を収納した冷蔵庫を開けながらかぜぽに問う。

「詫びは要らないけど、おやつの時間なら大賛成だよ!」

かぜぽはその場で跳び跳ねん程の喜色を顔に浮かべて賛成してくれた。
冷蔵庫内部の亜空間から茶菓子の盛り合わせを取り出しつつ、俺は思った。
クラウディウスの衣装からアイマスクを抜いて素直そうな少女の顔を入れると、途端に衣装に着られている感がとてつもない事になるなぁ、と。

―――――――――――――――――――

▽月▲日(餌付け)

『には、まぁまぁ成功したと思っている。自己評価ではあるが』
『これで、ラブには成らずにライクなレベルで好感を刻みこめた』
『もしも俺が大十字の側でブラックロッジと相対しても、かぜぽに直接被害を与えなければ正体をばらされる事はない筈だ』
『それもこれも、メメメの時の反省を生かし改良に改良を重ねたナノポマシンと』
『日本各地の銘菓と、ドイツ仕込みのチョコレートケーキのお陰と言っていいだろう』
『……ナノポマシン補正を抜いた一番人気の茶受けがビーフジャーキーであった事は受け入れ難いが、それ以外もまぁまぁ好評だったので良しとする』

『さて、ブラックロッジに来てからもう二月ほどの月日が経過してわかった事なのだが、TSしてもしなくても、逆十字はめったに夢幻心母には姿を現さない』
『たびたびラーメンを食べたり俺に菓子をせびりにアーカムに訪れるかぜぽと、その付き添いのカリグラ(♀)』
『ここ二月で接近遭遇に成功した逆十字はこの二人だけだ』

『ここで、かぜぽの次に遭遇した逆十字である、TSしたカリグラの事を紹介しておきたい』
『事前に言っておく必要があるのだが、俺はやはりカリグラともあまり深く接触した事はない』
『これまでのループでも挨拶をすれば返してくれる程度の社交性を持っている事を確認した以外では、会話すら碌に交わした事が無いのだ』

『そして、その程度の付き合いしかした事の無い俺でも分かるほど、TSカリグラはキャラが違う』
『彼女の事を一言で表すとすれば、豪放磊落』
『この周のブラックロッジでは珍しい肉体派の男性揃いの部下を多く持ち、その部下たちにはとても良く慕われている』
『マスクはしていない。全身を甲殻で覆われているものの、人間的な肌の露出も多い』
『普段の周との共通点を無理矢理に挙げるとすれば、やはり筋骨隆々であるという事だろうか』

『性に関して開けっ広げのフリーセックス主義で、部下の屈強な男は彼女の性的欲求を満足させる為に居るのではないかと噂されている程』
『女性的な柔らかさとは無縁の密度の高い筋肉質な肉体は、しかしその甲殻の間から垣間見える小麦色に焼けた肌のお陰で健康的なエロスを持っていると評判である』
『ブラックロッジの数少ない男性社員の間では、ティベリウスと並んで慕われつつも怖れられている逆十字』
『愛称はタカリグラさん。オーズの亜種コンボの様ではあるが突っ込んではいけない。逆に突っ込まされてしまうかもしれないからだ』

『このタカリグラさんが居る限り、俺はゆっくりと夢幻心母で実験もできやしない』
『まさか、この周のブラックロッジでは珍しい男だというだけでロックオンされるとは思わなかった』
『彼女を止める事ができるのは、男性社員人気を二分するライバルでもあるティベリウス(♀)だけだというので、今は大学で雌伏の時だ』
『時間を開けてタカリグラさんの気が変わるのを待つのも悪くない選択だろう』
『幸いにして、シュリュズベリィ先生は課外活動の真っ最中』
『美鳥も引き連れ、秘密図書館辺りでゆっくりさせて貰うとしよう』




追記
『書き忘れたのだが、水妖の気が極端に濃い日だけは彼女が居ても夢幻心母でゆっくりする事ができる』
『肉体改造の副作用で、水妖の気が濃い時のみ改造時のモデルとなったとある水妖の女王の姿になり、性的な追撃は成りを潜めるのだ』
『その時のカリグラの姿は黒髪金眼の喪服を着た小柄な少女。長い髪は頭の左右で輪にして、白い花の髪留めで纏めている』
『筋肉はしぼみ、骨格は全く原形を残さぬ程に変形し、まるきり別人のシルエット。というか、ほぼ別人として扱っても問題ないらしい』
『思うに千歳さん、あなた塵骸好き過ぎるだろう……』
『元の世界に帰ったら、存分にファンタスティカルートの素晴らしさを語り合いたいものだ』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

この時代だと、コロッケに使われる肉は質の悪い屑肉ばかりと相場が決まっていたらしいが、結構良い肉を使っている。
流石に大学の図書館の館長ともなると、給料もそこらのリーマンとは段違いなんだろうなぁ。
ただ、肉の分量が多いというか、ほぼまるきり肉だけのコロッケというか。

「メンチカツじゃねぇか」

メンチカツじゃねぇか!
さして大事な事ではないので、二言目の叫びは心の内に留めておく。
アーミティッジ御婆ちゃんがわざわざ差し入れに置いて行ってくれたのに、文句を言うのは筋違いだろう。
大体、ここで比べられるのはコロッケとメンチカツだ。
どちらが高価かと言われれば、二十人中十一人程は『どちらかと言えばメンチカツが少しだけ高級な気がする』と断言する事は想像に難くない。
メンチカツを置いて行くと言われてコロッケが置かれていたなら拍子抜けもするだろうが、コロッケがメンチカツになったのであれば、どちらかと言えば儲けものと考えるべきだろう。
ホクホクジャガイモたっぷりのコロッケも悪くないが、ジューシーな肉汁溢れるメンチカツも悪くはない。

そう自分に言い聞かせ、メンチカツの衣の油が付いた指を舐めながら、机の上にページを広げた本を読む。
ハードカバーではない、日本の古い、紐で綴じてあるタイプのものだ。
同じ内容で、粘土板や石版、竹巻に記されているタイプの物も存在するのだが、そちらは持ち運びはともかく読む時にスペースを取るので遠慮しておいた。
少女状態のやや無口なカリグラさんに借りてきたのだが、これが中々に面白い。
カリグラさん本人の魔導書である水神クタアトとは比べ物にならないどころか、そこらの三文魔導書にも劣る力しか無いものではあるが、内容は今まで読んだことも無い記述ばかりで実に興味深い。

「東の島国へと移住した、〈深きものども〉の遠縁の異形、か」

恐らく、これは後に言う『わだつみの民』の事を指しているのだろう。
海水でも生臭い腐り水でもなく、澄んだ清い水を友として生きる淡水系の魚の民が彼らだ。
この書には、そんな彼等がどのような神を信奉し、どの様な生活様式を持っているか、どの様な歴史を歩んできたかという事に焦点が当てられている。
この書はここ数十年の間に書かれた物なのか、彼等が大陸の開発を嫌い、東の果てにあるという水の清らかな島国を目指し旅を始めた、という所まで彼等の歴史が記されている。
無論、その島国にしても現在進行形で発展を続けているので、決してその土地で長く繁栄する事はできないだろう。
が、それでも種としての延命を図ろうとする彼等の心意気には涙を誘われるものだ。

「む」

わだつみの民の歴史を大まかに辿り終えた所で、俺はある重大な事に気が付いた。
足元に置いてあったカバンに手を突っ込み、内部に展開した亜空間からある物を取り出す。
白く、ロボットの頭部の様なプラスチックと金属の複合体であるそれ。
その蓋を開けると、本を傷めない為の適度な温度と湿度が保たれている秘密図書館の内部に、一瞬だけ過剰な熱と湿気が立ち込める。
俺はそれを液体制御と大気制御で落ち付かせ、改めて蓋の開けられた内部をのぞき見る。
雪原の様な純白と、そそり立つ小さな粒、香り立つ仄か甘い匂い。
大地の恵みそのものと言っても過言では無いその煌めきに、俺は躊躇することなくしゃもじを付き立て、斬る様にして掻き混ぜる。
だが、決して粒を、米粒を潰したりはしない。
柔らかなそれをしゃもじで掬いあげ、同じく鞄から取り出した茶碗によそう。

更に箸を鍛造し、メンチカツ(アーミティッジ博士曰く『クロケット』というらしい)を掴み小皿に移し、箸の先端で振動波を叩き込む。
すると、冷めてやや固まり始めていた肉汁が内部で再びじゅわっとした感触を取り戻す訳だが、これが中々に難しい。
外の衣のカリカリ感が、暖め過ぎて内部から生まれた蒸気によってしなっとヨレてしまうのだ。
醤油とソースで迷うが、メンチカツはまだ結構な量がある。
美鳥は今日も別行動なので、唐突に食べられる心配をする必要も無い。
とりあえず一つ目は、という事でソースを垂らす。

「やっぱ、メンチカツには米だよな……」

いや、パンに挟んでも美味しいというのも理解しているのだが、やはり米が無ければ日本人は精神的に死ぬ。それほど重要な位置を占めるのがこの米なのだ。
折角差し入れを貰ったのだから、せめてよりおいしく食べるのが礼儀と言うものだろう。

「お前さぁ」

「は?」

ソースの掛かったメンチカツをご飯の上に箸で移動させ、さぁ口に入れようという所で、正面から声がかかる。
呆れのニュアンスを含んだその声は女性のもの。だが、言葉使いや響きはどこか男性的でもある。
一言で言うなら、レディース?だったか。女暴走族のヘッドとかに居そうな言葉使い。

視線は向けない。今はメンチカツと米だ。
そう思いながらメンチカツにかぶりつくと、噛んだ瞬間にソースと絡み合った肉汁が口の中に広が──らない。
今食べた物は、どちらかと言えばシーフード系に属するのだろうか、小ぶりの海老が入ったコロッケだった。
思い出すのはクロケットという物に関する知識。
内容物は肉やジャガイモに限らず、時には麺類を入れる事すらあるのだとか。
失念していた。内部を透視して改めるべきだったのだ。

「何、いきなり悔しそうな顔してんのか知らないけど、図書館は飲食禁止だろ」

視線を目の前の少し小うるさい女性に向ける。
高い位置で括ってポニテにした、少し長めの黒髪に、ややきつい切れ長の目。
造りとしては端整なのだろうが、日本人的な美しさというよりはガイジン的な造形の美系。
タッパも結構あり、ドレスなどで着飾ればそれなりに映えるだろうその女性は、こちらに胡乱な物を見る眼差しを向けている。

「へっはふほひひふははひはひへふほ」

「……褒められてんのは辛うじて伝わったから、さっさと片付けろよ」

言われるがままシーフードコロッケを咀嚼。
……シーフードだって分かってたら、醤油かタルタルにしたんだけどなぁ。
そんな後悔を表に出す事もせず、ご飯を掻き込み飲み込む。

「あのな」

言われた通りに片付けようとしているのだが、何故か目の前の女性は片手で頭を押さえて口の端をひくひく痙攣させている。
再び齧りかけのコロッケを口に運び、米と一緒に咀嚼をしながらそんな女性を見つめる。
なんというか、男性の時と比べて、余りにもキャラがぶれていない。
ボケた時の突っ込みとかはまだあまり体験していないが、それも恐らくは同じような突っ込みが帰ってくるのではないかと予測される。

「わたしは、『片付けろ』と言ったんであって、『完食しろ』と言った訳じゃないんだぞ?分かってるか?」

何か説教が始まりそうだが、当然彼女の言いたい事は理解している。
だが、食べかけのご飯を処理する方法としてはこれが一番効率的というか、無駄の無い方法ではないかと思うのだ。
何しろ、俺はあのメンチカツっぽいコロッケを温めてしまった。
二度温めると、今度こそあのコロッケの食品としての命は尽き果ててしまうだろう。
その事を考えれば、俺の脳内では片付けると完食するが=で結ばれてしまうのも仕方が無い事ではないか。
流石に、暖めなおしたコロッケ程度にド・マリニーの時計は使いたくないしな。

コロッケの残りとご飯を嚥下し、茶碗を鞄の中に放り込み、ペットボトルの茶で口の中をさっぱり洗い流してから、改めて女性の言葉に答えた。

「アーミティッジ博士がここに差し入れてくれたんですから、今この図書館は飲食オッケーなんですよ」

「いやいやいや、どう考えても『家に帰ってから皆で食べなさい』って事だろ。お前は人の言葉を都合良く受け取り過ぎ」

どうせ、この秘密図書館に湿気や菌にやられる本なんて殆ど無いだろうに。
性転換しても何も変わらないそのツッコミに、心なしか癒されている自分が居る。
多少性格のズレはあっても、ミスカトニックのこいつは何時だって変わらないツッコミ属性を持っているのだ。
日常生活において、メンタルに安定感がある人物はすべからく好ましい。

「そう堅い事を言わないで、アーミティッジ御婆ちゃんの特製クロケットでも食べながら話し合いましょう。ね? 『大十字先輩』」

TSのせいでキャラのぶれが激しいブラックロッジと比べて、ミスカトニック秘密図書館は平和だ。
皿の入った籠ごと差し出したクロケットに、迷いの表情を浮かべ、躊躇いつつもゆっくりと手を伸ばしてきた女大十字を眺めながら、俺の顔には自然と笑みが浮かんでいた。





続く
―――――――――――――――――――

そして、五十六話。
食ってばっかですが、次回から本格的にラブコメろうと思うので、助走の回だと思って頂ければ。
ちなみに、元々五十五話と五十六話は二つ纏めて五十五話でした。
ほら、あれですよ。
二週間に一回の投稿より、二週間に二回の投稿の方が速度が速そうでいいじゃないですか。
途中までは『予告に描いたんだし、大十字がでるとこまでで五十五話にしないとなー』とか考えてたんですよ?
でも、よくよく考えると予告や宣言が上手く行った事の方が少ないなぁと思いまして。


自問自答というか、ほぼキャラ紹介なコーナー。

【シュリュズベリィ先生】
TSして幼女になる。
その外見から初見の生徒には舐められ気味だが、長く講義を受ければ受けるほどそのダンディさに骨抜きにされる。
胸にサラシを巻いている点を除いて、服装はまんま元の裸コート。
美少女の顔でやると色々問題があるので、眼窩が真っ暗なCGは出せない。

【ハヅキ】
TSしてジジイになる。
詳しい描写は避けるが、その外見を見た生徒は1/1D20程度の正気度を失う。
立ち絵は気合いが入っている。相手は死ぬ。

【蓮蓮食堂】
ラーメン屋。レンレン食堂が訛ってこの名前になったと言われている。
塩ラーメンが美味しい。
出自は怪しいが、食材自体はほぼ一般に流通している通常の食材を使用している。

【クラウディウス】
通称かぜぽ。
仕事中はキャラ造りの為に粗雑な口調と態度だが、私的な時間は多少言葉遣いと態度がまともになる。
が、善人という訳では無く、基本的には悪党。野生動物的な判断基準を持つ。
組織という群の規律などにはそれなりに気を付けているので、後輩や新人に対しては先輩ぶって世話を焼いたりする。
外見に関してはかぜぽで検索。衣服の一部デザインとか属性とかサイズとか似てるよね。
※備考
かわいい。

【カリグラ】
通称タカリグラさん。さんまでが愛称として定着している。
美人と言うにはゴツイ骨格をしているが、仕事以外ではきさくな性格の為部下からは慕われている。
性的に開けっ広げで、新人は大概この人に食われる運命らしい。
外見に関しては、知らない方が幸せな事もあると思う。その手の業界ではある意味伝説。

【水妖の気が強い時のカリグラ】
黒髪金眼で喪服の少女。
そもそも出番が少ない。
この状態の時はモデルとなった邪神眷属の女王の影響を精神にまで多大に受ける。
知名度を上げるため、魔術師としても素質の高そうな主人公にわだつみの民の風土記的な物を譲ってくれた。
出番も少ないが胸の盛りも少ない。

【わだつみの民】
清い水にしか住めないらしいので、〈深きものども〉に比べて生命力はやたら低いものと思われる。
しかし、水を操る力に長け、個体としての力は〈深きものども〉と比べてかなり高い。
が、所詮は絶滅危惧種である。
当SSでの出番はないので、彼等の事を知りたければ原作を購入しよう!

【ティベリウス】
男性人気が高く、恐れられてもいるらしい。
未遭遇。

【大十字九郎】
元から女顔だが、TSしたら余計に女らしい顔に。
詳しくは次回。


所で、今回一つの話を二等分した訳ですが、これには一つ大きなメリットがあります。
次の話しが出来上がった上で投稿するので、外れない予告編を書く事ができる!
あと、なんか連続投稿ってかっこいいじゃないですか。

それではではでは、今回もここまで。
誤字脱字の指摘、分かり難い文章の改善案、設定の矛盾、一行の文字数などのアドバイス全般、
そしてなにより、このSSを読んでみての感想、心よりお待ちしております。





天狗の鼻が折れた、なんて言葉がある。
でも、その折れた鼻すら人より長かったりする事もある訳で。
秘密図書館の一件で中途半端な折れ方をしていた鼻、それは更に念入りにへし折られた。


次回
『東の国から来た後輩』


梅雨前線が戻ってきても、ラブコメ続けてます。



[14434] 第五十七話「空腹と後輩」
Name: ここち◆92520f4f ID:190f86b3
Date: 2012/12/08 21:35
×月◇日(ユニバーシティ)

『予定された通りに大学生活は始まった』
『次はあんただ、大十字』
『あんたは何せ美人なTS主人公だ、このミスカトニック大学では目立ち過ぎるよ』
『からかいの手を逃れるにはな』

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自慢になるが、私は勤勉な学生だと思う。
小さい頃からのオカルト趣味があった事を差し引いても、同じ学年の連中よりも物覚えも良かったし、魔術に関する理解も早かった。
二年に上がる前に秘密図書館への入室と『本』の閲覧、所持を許されたのは伊達じゃない。
元が優秀だったという事を差し引いても、努力を怠った事は無い。
才能に努力を重ねた私は、入学後しばらくしてから陰秘学科の主席に居座る事に成功していた。
同じ学年に、私と競い合える者は居なかったと言ってもいい。そう、『同じ学年に』私と張り合える者は居なかったのだ。

「メンチカツじゃねえか」

ちらりと、向かいの席から聞こえてきた声の主に視線を向ける。
向かいの席に座る男は私に見向きもせず、アーミティッジの婆さんから貰った差し入れを頬張りながら、古い装丁の本を読んでいる。
魔導書、だろうか。それほど力は感じられないから古い物では無いと思うけれど。

「……深きものどもの遠縁の……」

クロケットを掴んでいた指先を舐めながら、彼は机の上に開いた本に目を通し、時折内容を確認する様に小さく呟いた。
こいつと個人的に話す様になってから気付いた、ちょっとした癖。
こいつは考え事や新しい知識の収集をしている時、内容を部分的に口にする。
それこそ、こういう物音ひとつしない静かな場所で無ければ聞き逃してしまいそうなボリュームで。
……勿論、それがこいつの隙に繋がる、という訳では無い。
隙が無い人間は嫌われる、というフレーズは良く聞くけど、こいつは隙が無いというより──

そう、図太い。
公私の区別を付け、『公』ではそれなりに分別を付けるのだが、『私』に分類される場所での行動はかなり奇天烈。
そして、このミスカトニック秘密図書館はこいつにとって少しだけ『私』寄りの『公』である為か、人目の数次第ではかなり好き勝手始める。

「む」

今も次のクロケットに狙いを定めながら、何事か思いついた様に机の下の鞄に手を突っ込み始めた。
そして、鞄から取り出され机の上に置かれたのは、いかにも最新式っぽい雰囲気を漂わせた炊飯器。
……少し意表を突かれたが、多分まだましな方だと思う。
私はこいつが鞄からパジャマ姿で布団にくるまれた妹を取り出した所を目撃した事があるのだ。
それに比べれば、炊飯器の一つや二つ、驚くに値しない。
驚くには値しないのだが……、

(うまそうだなー……)

今この瞬間に腹が鳴っても、私はそれを恥と感じる事はできないと思う。
ここアーカムシティにおいて米は珍しい食品では無いが、パンやパスタと比べれば多少値は張るし、調理時間もかかる。
一人暮らしとはいえ、高校まで母の手伝い以外では料理を殆どした事も無く、大学に入ってからも学業に明け暮れて食事は簡素なものばかりを取る様になっていた。
リューカさんの所に食事をたかりに行く事が無いとは言わないけれど、経営の厳しそうな孤児院にそう度々食事をたかる訳にも行かず、雑だったり簡素だったりする食事が普段の食事として定着している。
栄養バランスに気を付けてはいる。
けれど何だかんだ食っても、やっぱり私は島国の農耕民族である事を思い知らされるのだ。
特に、湯気を立てて仄かに甘い香りを漂わせる炊き立ての白米なんてものを見せられたら。

「やっぱ、メンチカツには米だよな……」

しみじみと呟くこいつに、私は心の中で勢いよく裏拳を叩きこんでいた。

(お前は、何食っても米だろうが)

常に祖国の味を忘れないこいつの愛国心に、心の中だけで突っ込みを入れる。

「お前さぁ……」

……つもりだったのだが、思わず突っ込みの頭が口から飛び出してしまった。
米に視線を奪われ、口の中で舌が震えていたせいもあって、私の発言は目の前のこいつに何かを言おうとする前振りの様にも聞こえた。

「は?」

私の言葉に視線も向けずに短音で答えた男。
こいつの名は、鳴無卓也。
私の入学に一年遅れて入学した、ミスカトニック大学陰秘学科の一年で……、

「もぐもぐ」

…………こいつ、返事はしたけどまだ食ってやがる。
むしろ返事をしてから改めて食べ始めやがった。
しかも、満足そうに一口目を口にしたと思ったら、何故か今は悔しそうな表情で咀嚼している。
訳が分からない。今その表情をするべきなのは私だろどう考えても。

「何、いきなり悔しそうな顔してんのか知らないけど、図書館は飲食禁止だろ」

そう遠まわしに食事を中断する様に言ってみるが咀嚼は止まらず、茶碗も箸も手から離す気配すら無い。
だが、視線だけは私の方に向かせる事に成功した。
切れ長の、むしろ率直に言って目つきが悪い吊りあがった目。
ただ見ているだけで睨みつけられた気分になりそうな眼の印象は、しかしその周りの目とは不釣り合いな素朴な作りの穏やかな顔で打ち消される。
そうでなくても、今は口の中に大量に頬張ったご飯で頬が膨らみ、咀嚼する度に頬袋を変形させている為か、酷く間抜けな顔に見える。

「へっはふほひひふははひはひへふほ」

たぶん、『折角の美人が台無しですよ』とでも言っているのだと思う。
正直あまり嬉しくない。
私自信、自分の容姿にはそれなりに自信があるし、人から褒められるのにも実は馴れている。
身体の凹凸だって自画自賛してもいいレベルだと思っているし、実際良く視線を感じる。
だけど、こいつの称賛の言葉には欠片もそういった、好色の感情が含まれていない。
本気で、掛け値無しのただのお世辞だ。
いちいち嫌らしい視線を向けられるよりはましだと考えれば、そう悪いことばかりじゃないと思う。悔しくはあるが。

「……褒められてんのは辛うじて伝わったから、さっさと片付けろよ」

個人的には少し悔しいけど、その御世辞に含まれた意味は分かる。
ここはお世辞を受け取って、多少なりとも態度を軟化させてくれ、と言いたいのだろう。
私だってそう長時間こんな目つきで居たくはない。
ついでに言うと、こんな腹が減ってる状態で延々人の食事とか見て居たくない。
……悪い、嘘言った、ついでの方がメインだ。腹減った。

私の言葉に頷き、卓也はお椀によそわれたご飯とクロケットを急ぎ腹の中に納めてしまおうとしているのか、食事の速度が上がった。
だが、割と行儀がいい。咀嚼の速度も上がっている筈なのだが、決して雑な食べ方にならない。
もごもごという咀嚼の音や、箸がお椀に微かにぶつかる音こそ聞こえるが、それも汚いとは感じさせない何かがある。
むしろ食事の勢いが増した事により、食べている米とクロケットがさっきよりも更に美味しそうに見えてきた。
もしかしたらこいつ、ご飯を美味しそうに食べる才能もあるのかもしれない。
御茶漬けのCMにでも出るつもりかこいつは……!

「あのな、私は、『片付けろ』と言ったんであって、『完食しろ』と言った訳じゃないんだぞ?」

わかってるか? と続けながら、私は内心で頭を抱えた。
やっちまった……。いくら腹が減ってるからって、後輩に当たっちゃダメだろ。
いくら最近はパンの耳が度々売り切れてたり、猫やイタチの轢死体が少なかったからって、言い訳にもならない。
こんな事になるなら、噂のバリーさんの肉屋でも探しておけば……。

だが、私の葛藤など欠片も感じ取っていないのか、卓也は気にした風も無く食事を終え、あまつさえプラスチック製のボトルに詰められた緑茶で口の中を濯いでさえいた。
図太い、本当に図太過ぎる。私の声は届いている筈なのに、欠片も気にした風に見えない。
こういう姿を見せられる度、私はどうしてかこいつに謝ろうという気が失せてしまうのだ。

「アーミティッジ博士がここに差し入れてくれたんですから、今この図書館は飲食オッケーなんですよ」

プラスチックのボトルを揺らし、中の緑茶をちゃぷんと波立たせながら、ふふんと鼻を鳴らし、何故か自慢げに私の問いに答える卓也。
どうやら聞こえていなかったとか理解していなかったとかでは無く、純粋に私の忠告が的外れだと思っていたらしい。
私は自慢げな卓也に対し、内心の脱力を隠しながら返答する。

「いやいやいや、どう考えても『家に帰ってから皆で食べなさい』って事だろ。お前は人の言葉を都合良く受け取り過ぎ」

最も、この答えだって私の願望混じりである事は否めない。
図書館に来たタイミングから婆さんの差し入れがこいつの物になったのは仕方が無いとして、それならそれで私の目の届かない所で食べて欲しい。
三食のうち一食をエアパスタにしないといけなくなりそうな現状じゃ、その差し入れは目の毒なんだよ……!

妬ましさを隠しながら、せめて先輩としての威厳を保つために図書館の常識と照らし合わせた見事な私の返答に、しかし卓也は決定的に互いの立場を決定付ける返答を、行動で示した。
まだ卓也が手を付けていないクロケットが山の様に盛られた皿の入った籠を、笑顔で私の前に静かに押し出してきたのだ。

「そう堅い事を言わないで、アーミティッジ御婆ちゃんの特製クロケットでも食べながら話し合いましょう。ね? 大十字先輩」

そう来たか……!
ヤバい、少し今のはキュンと来た(胃袋に)
その心遣いに(胃袋の)ドキドキが止まらない。
だがここではしゃいだりがっついたりする訳にはいかない。
私はこいつの先輩なのだから、多少なりとも落ち付いた所を見せねば。
そう、買収には応じたくないけど、後輩の頼みだから渋々手を付ける的な感じで。
そしてさりげない感じで一週間分程度は喰い貯めしておくのがベスト。

「ま、まぁ、そこまで言うなら、私も一つ貰うけどよ」

むしろ一皿貰いたいけど、それは今は置いておく。
邪神の子供にも屈しない強靭な精神力で、緩みそうな表情を引き締め、はやる気持ちを抑えクロケットの山に手を伸ばす。
ああ、衣もカラッとしてて、脂っこくてカロリー高そうだぜ……!
箸やフォークも、きっと卓也に頼めば出してくれるだろうけど、そんな悠長な事はしていられない。

「あ、あと勘違いされたら困るから言っとくけどな、私は決して食い物に釣られている訳では無くて」

「どぞ」

台詞を遮る様に卓也が更にクロケットの入った籠を押す。
私は無意識のうちに手を伸ばし、遂にクロケットの山から一つ、クロケットを掴む事に成功した。
冷めているけど、それでも衣がしなっとしていない、まごう事無きアーミティッジの婆さん特製クロケット。
齧り付く。
冷めているからか肉汁があふれ出る事は無かったが、私が口にしたクロケット──コロッケは、ひき肉の大量に詰まった、非常にメンチカツに近いものだった。

(久しぶりの、食用の肉……!)

駄目だ、これは泣く。これは私じゃなくても泣く。
造ってくれたアーミティッジの婆さんの、そして譲ってくれた卓也の情けが胃に染みる。
俯き、涙を堪えながらしっかりと味わう様に、クロケットを咀嚼する。
噛めば噛むほど味が出てくるような、そんな素晴らしいクロケット。
醤油やソースをかけるまでも無くしっかりと下味の付いた、しかし肉本来の味も失っていない挽肉に、それを優しく包み込むカリカリでザクザクな少し目の粗い衣。

「先輩」

卓也の声に顔を上げる。
反射的に顔を上げてしまったけれど、眼に涙が浮かんでいたりはしないだろ、う、か……。

「中身が違うとはいえ、揚げ物だけだとどうしても堂々巡りしてるみたいじゃありません?」

卓也が新たに差し出していたもの。
それは、紙皿に乗せられた、丸身を帯びた三角形の、ほかほかと湯気を立てる、おにぎり。
球状のそれを少しだけ三角形に近づけた様な米の塊に、パリッと力強い焼き海苔。
卓也の問いに答える余裕は消え失せていた。
私はメンチカツを持っていない方の手で皿の上のおにぎりを鷲掴み、下に敷かれた焼き海苔毎、一口齧り付く。

──私は、気が付くと秘密図書館の天井を仰ぎ、その視界を揺らめかせていた。

(美味過ぎる……! 殺人的だ……!)

これが、これが、これが『米』だ。
『米』の文字に『アメリカ』とルビを振るなんて、恐ろしくこの食品を馬鹿にした行為だったのだと確信を抱いた。
これがまた、非常に『温かく』なおかつ『甘い』!
米の甘さと言われるやつだ。
この僅かな、なんとなく食べていたら気にならない程の優しい甘みは、冷めたメンチカツの程良い塩加減と絡み合う事で相乗効果的にその存在感を確かなものとして確立させている。
パリパリの海苔も、その食感だけではなく、僅かに香る磯の匂いが爽やかさを演出している。

片手におにぎり、片手にメンチカツを持ち、交互に貪る様に、しかし決して噛む回数も味わう時間も妥協せず。
一口ごとに最低でも五十回噛んで、飲み込んでから数秒余韻を味わい、次の一口。
そんな平和で幸福な繰り返しを、おにぎりとメンチカツが手の中から消え失せるまで繰り返し──

「どうぞ」

「さんきゅ」

──生温かい視線を向ける後輩から熱いお茶を渡された段階で、私は遂に正気に戻ってしまった。

「ほわっ!」

思わず受け取った湯呑を手の中でお手玉。
不味い、いや、差し入れのクロケットもおにぎりも美味かったけど、味覚とは別の部分が不味い!
落ち付いた所を見せなければとか言った傍から何してんだ私は!

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差し出したコロッケと手渡したおにぎりを結構な時間を掛けて味わい尽くした大十字だったが、熱々の茶を渡した直後から挙動不審だ。
中にまだ茶の入ったままの湯呑でお手玉を始めたと思ったら、眼をぐるぐると回して混乱しながら、身ぶり手ぶりを交えて喚き始めた。

「ち、違うんだこれは。これはパン食文化に対して日本含む米飯食文化の素晴らしさが中々世界に浸透しない事への憤りから来るものであって」

などと意味不明な供述を繰り返しており。
いやさ、むしろ明らかに意味が通り過ぎて言い訳になっていない

「そうですか。では此方のデザートどうします?」

デザートなどと言いつつ、俺が鞄内部の亜空間から取り出したのは、和菓子の盛り合わせだ。
いや、一押し商品としてエキソンパイやままどおる、更にメジャーどころでちんすこうに白い恋人なども混ざってはいるが、過半数が和菓子なので和菓子の盛り合わせで合っている。
ちなみに、萩の月は俺の中で高級菓子に当たるので盛り込まれていない。
飯食えて無い胃に豪勢なもん入れたら腹壊しそうだしな。東京ばななも同上。

「うぅっ!」

呻き声と共に言い訳を止め、ぐるぐると焦点が定まっていなかった視線が菓子の盛り合わせに向け固定された。
湯呑を持っていない方の手(コロッケの衣の欠片と油が指先に付着している)をふらふらと盛り合わせに伸ばしかける大十字。
目からは当然の様にハイライトが消えている──などと、エロゲ染みた状態では無い。
むしろ葛藤に揺らめく感情がありありと見てとれる。

俺と大十字は机を挟んで向かい合わせで座っており、俺は盛り合わせを微かに差し出している。
秘密図書館はそもそも一度に大量の利用者を入れるようにはできておらず、閲覧者用の机もさして大きなものは存在しない。
それは今俺と大十字が座っている椅子と、間にある机も変わらない。
躊躇わずに手をぐいと伸ばせば、一秒と必要とせずに大十字の手は盛り合わせに突きこまれ、多くの和菓子その他菓子を手に入れる事が出来る筈だ。
だが、それはあくまでも大十字が躊躇うことなくその手を伸ばす事が出来れば、という大前提が成立してこそ。
だが現実においては、大十字の手は時間にして一分を置いても和菓子の盛り合わせに指先すら届かせていない。

ここで大十字の手を押し留めているのは、大十字の中に僅かに残された『先輩としての矜持』とか、あるいはTSする事で発生した『女性として守るべきライン』だ。
そして、留める力と拮抗し、手を完全に引っ込めさせない力は『食欲』もしくは『最も深き飢え(ラスボス格、当然逃げられない)』となる。
留める力は生命がある程度の知能を得て、そして人間が男女の性差などから学び手に入れる知性から生まれる拘り。
対して進める力は、命が命として生まれ死ぬまでの間、常に命そのものに寄り添う力の塊。

これはつまり、一つの問いである。
人間と言う種が産まれてから十数年で学ぶ拘りは、はたして全生命が数十億年連れ添った本能を打ち果たす事が出来るのか。
大十字は湯呑をゆっくりと机の上に置き、空いた手で盛り合わせに伸ばされた腕をがしと掴み、ゆっくりと、手元に引き戻した。
均衡を崩された腕は、未だ前に進まんと抵抗を続けているのか、掴まれながらもぷるぷると震えて名残惜しそうにしている。

「え、遠慮しとくわ」

震える大十字の声と共に、一つの戦いに幕が下りる。
千を超え進化を続けた人類の究極、白の王。
その理性は、生命の生み出す本能を凌駕したのである。

無事、本能の猛りを理性で抑えつける事に成功した大十字。
大十字はその顔に引き攣った笑み、今にも泣き出しそうな顔を無理矢理圧し固めた泣き笑いの笑顔で、告げる。

「だって、わ、私、これでも先輩なのだぜ?」

強がりのウインク、閉じた片目の眼尻に涙が浮かんでいる。
いやぁ、今までも大学生続けているわりに様々な理由から欠食気味の大十字を見てきた訳だが、これはまた格別だ。
よくぞ耐えきった。全米ナンバーワンの感動を俺に。
なんていうか、良い根性だ、感動的だな。

[From]美鳥
[Sub]美人で我慢強いのね
[Main]嫌いじゃないわ!

携帯ではなく、脳直で受信したメールに心の中で頷く。
そう、この大十字先輩の努力は無意味になんてならない。
理性が本能を乗りこなすこの状態は、正に魔術師としての基本スタイル。
何時の日か必ず、この積み重ねが無限の螺旋を打ち砕くのだ!
ところで美鳥はどこからこの状況を覗き見ているのだろうか。

「それにほら、私、だ、だいえ、」

くぅ、と大十字の腹から可愛らしい音が鳴る。
が、大十字先輩はその音を華麗にスルー。
精神的に追い詰められ過ぎてリアルに聞こえていない説もあるが。
今にも崩壊しそうな笑みを、ギリギリの所で決して崩さず、台詞の続きを言いきった。

「ダイエット中、なんだよ……!」

血を吐く様な言葉と共に、その誇りを貫き徹す。頬には一筋の涙。
ふふふ、今の大十字先輩ちょっと美しくってよ?
なので、

「先輩」

あえて、盛り合わせを差し出す。
一瞬の驚きと、僅かな怒り。
貫いた筈の意思を揺らがせてしまった事への情けなさもあいまってか、盛り合わせから目を背ける大十字の顔はほんのりと紅潮している。
否定の言葉は出てこない。
目の前のそれから視線を逸らすだけで、大十字の精神力は精いっぱいだったようだ。
だから、俺はほんの少しだけ、背中を押してやるだけでいい。

「ダイエットは、栄養が足りている人がするものです」

俺が出せる、最大限のJIHIとKANNYO(カン・ユーではない)の心を籠めた言葉。

「欠食児童の先輩に、そんなもの、必要ありません」

大十字はハッ、と息を呑み、顔を上げる。
そんな大十字の顔の前に、花を差し出す様にして、半分だけ包装を剥いたままどおるを差し出す。
ミルクがたっぷりと使われた、母親の温もりを思い出せる優しい味わい。
スペイン語で『乳を飲む人々』という意味を持つ名は伊達では無い。

「……糖分とって、一緒に健康について考えましょう」

「あぁ……、そうか、そうだな」

苦笑と共に、大十字は差し出されたままどおるを、おずおずと両手で受け取った。

「なぁ、卓也」

「なんです、先輩」

胸元には、両手で受け取ったままどおる。
僅かに充血した瞳と、頬に残る乾いた涙の跡に彩られた大十字の顔は、

「キンッキンに冷えた牛乳、頼めるか?」

「──それ位、お安い御用ですよ」

照れくさそうに、でも、満面の笑みを浮かべていた──。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

後日談になるのだが。

「いいか、あれは奨学金とか生活費が入る前の危険な時期だったからこその気の迷いというか腹減ってる時にあんな真似されたら誰でもああなるというかそもそも絶対に確信犯だよなお前!」

図書館でのお茶会から数日。
生活費が振り込まれた事によりまともな食生活を一時的に取り戻した大十字が、がっつく様にしてお菓子をモリモリと頬張ったりした事や、
遠慮会釈もなく牛乳のおかわりを頼み、更に差し入れのクロケットの残りを物欲しそうな眼で見つめた挙句、会話の中にアナグラムされた『おにぎりほしい』の文字列を挿入し、
最終的に数日分にもなるおにぎりとクロケットをお土産に持ち帰ったりした事を弁明しようとして。

「──先輩なのだぜ☆」

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁやめてくれぇぇぇっぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」

絶妙なタイミングで美鳥の声真似(半泣き状態の声の震えまで再現)による自分の強がりを見せつけられ悶絶。
ゴロゴロと地面を転がる大十字を見て事情を聞いてきた他の学生に事情を説明する事によって、大十字の周囲からのイメージが、
『人当たりの良いスタイリッシュなエリート美人』
から
『金欠気味でちょっと可哀想な腹ぺこキャラ』
にほぼ完全に切り変わったのは、その後のループには一切関係無い出来事である。

……本人には言わなかったが、金欠だろうが欠食だろうが、あの状況であそこまで楽しいリアクションを取ってくれる大十字は、少なくとも世間一般で言う『普通』の範疇には決して収まらないだろう。

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……………………

…………

……

私の出生は特筆すべき所の無い、ごくごくありふれたものだ。
父は何処にでも居る会社員、母は主婦。
二人は特に特別な出会いをした訳でも無く、なんてことない出会いで、何の変哲も無い恋愛を通して仲を深め、ごく当たり前に結婚した。
そんな何処にでもある家庭に、何事も無く祝福されて生まれてきたのが私だった。
普通の父に普通の母、そしてその子供である普通の私。

あえて人と違う所を挙げるとすれば、小さな頃からオカルトにかぶれていた事だと思う。
無趣味な母の数少ない趣味である、占いやお呪い。
それを教えて貰ったり、母が独身時代に買い集めたオカルト本なんかを読んだり。
父もそんな母と私の事を呆れながらも楽しそうに見ていたり、仕事の帰りにその手の本をお土産として買ってきてくれたりもして。
占いや呪いなんていうと女の子向けのイメージがあるけど、家にあったその手の本は様々な分野をカバーしていた。
他にも神話伝承、精霊信仰、民間伝承を纏めた専門書なんてものも含めたら、大学でちょっとした論文を書けてしまいそうな量の資料が揃っていた気がする。
……そう考えると、人に知られていないだけで、結構おかしな家族だったのかもしれない。

ともかく、私は小さな頃からオカルト──魔術に触れて育っていたと言っても良い。
父のお土産や母の蔵書の中には、極々僅かながらも真に迫った内容の魔導書も紛れていた。
有名どころである『金枝篇』なんかにも目は通した事がある。……日本語訳された簡易版の文庫本だったけれど。
当然、その頃に魔術行使ができた訳でも無いし、自分がそっちの道に進むだなんて高校時代までは考えてもいなかった。
こっそりとオカルト趣味を続けていたけれど、頭の中にあった未来図は同級生と大差ない物だったと思う。

転機が訪れたのは、高校卒業直後。
両親が死んだ。
中学の半ば頃に親父の仕事の都合でこの国に渡り、一年も経たず、親父は神経症を患って死んでしまった。
母さんもまた、残された私が不自由しないよう、せめて高校位は卒業できるようにと学費を稼ぐ為に仕事を多く入れ、疲労が祟ったのか病に倒れ、そのまま呆気なくこの世を去っていった。
丁度十八の頃だ。

頼れる親類も無く、異国の地に一人きり、正真正銘天涯孤独。
手元に残されたのは僅かばかりの遺産と、平凡なハイスクールを卒業したという経歴だけ。
親父と母さんの位牌と、質素な家具が置かれた借家に一人。
これからどうするかと途方に暮れていた私の元に、一通の手紙が届いた。
アーカムシティにあるミスカトニック学園からの、誘いの手紙だった。

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『君は、魔術師になるんだ、大十字君』

かつて、様々な誓約書に同意してミスカトニックへ入学した私に、ミスカトニック大学の学長が言った言葉だ。
何の事は無い。つまるところ、この大学は最近復古しつつあった錬金術、その根幹に関わる技術である魔術を教える機関でもあったというだけの話。
その時は、だからどうした、としか思えなかった。
何しろ、ここで大学からの誘いを蹴っていたのであれば、自分はどうなってしまうのか分からない。
バイトで食い繋ぐにしても限界があるし、それも不可能になったなら、先に浮かぶビジョンは暗いものでしか無かったからだ。

繰り返し言うが、私は人並み以上に優秀な生徒だったと思う。
一年では碌に実習が無いにせよ、それを差し引いても十分過ぎる程に、私は自らの能力を見せつける事に成功していた。
勿論、狙いは優秀な成績を収めた場合に送られてくるという報酬だった。
質素な暮らしをしていたけれど、それでも私も年頃の女子である以上、お金はあって困る物では無い。

実際に手元に入ってきたお金は微々たるものでしかなかった。
だけど、その報酬が振り込まれる頃には、私は魔術という知られざる世界の一面にどっぷりとはまり込んでいたので、報酬の少なさもさして気になりはしなかった。
周りに比べて自分が優れているという点で、自尊心も擽られていたのかもしれない。
私は寝る間も食事の時間も惜しみ、魔術の勉強に没頭していた。

……そう、『勉強』だ。『修行』ではない。
今思い返してみれば、我ながら随分と可愛らしい勘違いをしていたものだと思う。
あらゆる魔術の研鑽は、知識の収集よりもなによりも、実践の中でこそ磨かれ光り、その深遠に近付く事が出来るものだと、当時の私は理解していなかった。
だが、知識の収集だけで小器用に魔術の腕を上げ続けていた私は、挫折を知らなかった。
だからこそ、本格的な命の危機に陥るまで、その間違いに気付く事ができなかった。

初めて秘密図書館への入室を許されたその日、私は折れた。
知識ではそういうものであると知り得ていた、片手で数える程だが、シュリュズベリィ先生に連れられて実習で見た事のある怪異。
それに遭遇して、私は何もできなかった。
出来ないとか、出来るとか、そういう話にすら出来なかった。
決して人類では理解する事の出来ない宇宙的怪異。
魔術師としては雛にすらなっていなかった私は、只管恐怖に震える事しかできなかった。
……まぁ、未だ魔導書の一つも所有していない、習いたての魔術師見習いなら、あんなものと出くわして生き残っただけでも十分幸運だったのだけれど。

ともかく、天狗になっていた私の鼻は、本物の怪異の脅威を感じる事で、根元からぽっきりとへし折れた。
へし折れたと言っても、それで大学をやめて魔術との関わりを断った訳じゃない。
私は、自分が神の如く優れた存在であるという思い込みを捨て、地道に魔術の研鑽を積むようになっていった。

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だけど人間の心ってのは複雑に出来ているもので。
神にでもなった様な全能感が無くなっても、『自分は人よりも優れた才能がある』という考えは、どこか抜けきってはくれなかった。
上を見上げるだけの矜持を折られると、人間ってのは自然と下を見始めるらしい。
今まで只管自分の修業や勉強だけに力を注いでいた私は、その頃から同期の連中の勉強を見てやったり、魔術理論で分からないところがあったらアドバイスをしたりする様になっていた。

親切心が無かった訳じゃないが、結局のところ私は、下を見る事で自分が上である事を再確認して、心に余裕を持っておきたかったんだろう。
アーミティッジの婆さんやシュリュズベリィ先生に言わせれば、まともに戦う術も知らずにあんな化け物に会っておいて、まだ懲りずに魔術に関わり続けているだけでも大したものらしいが、それでも私のそんな後ろと下に向いた自尊心は褒められたものでは無い。

そして、学年が上がって初めて行われた課外授業。
私は、改めて自分の立ち位置を見つめ直す切っ掛けを手に入れた。

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∇月λ日(バトル・フィールド・ワーク)

『入学直後のミスカトニック大学陰秘学科の課外授業で起こった、想定外の出来事による学生たちの危機』
『教授や学生たちの準備不足と思われたこのアクシデントだが、この出来事が大十字に残した何かは結構根が深い』
『排ガス混じりの雨が眺められる学食の窓際で、あの時の経緯をしみじみ思い出すなんざ……クロウ、あんたも結構暗いぜ』

―――――――――――――――――――
……………………

…………

……

少し離れた場所で尻もちを付いた女学生の背目掛けて、手に馴染んだ備中鍬を軽く振り下ろす。
備中鍬特有の三本の刃から放たれた氣の斬撃が、女学生の身体をすり抜け、その向こう側で今にも女学生に襲いかからんとしていた人型へと炸裂する。
直撃はしていない。放たれた氣の斬撃は人型の持つ剃刀と鋏によってぎりぎりの所で防がれている。
まぁ、牽制程度に放ったものだから当然だろう。
なにしろ、俺は今日が初めての顔見せだ。
まともに大学で魔術を学んで実戦も課外授業で積んできた先輩方が苦戦している怪異を瞬殺なんてしたら、またぞろ目を付けられてしまうに決まっているのだ。

「あ、あんたは……?」

「ちょっと下がっててくださいね」

先ほどまで怪異に襲われて尻もちを付いていた女学生が、立ちあがりながら誰何の声を掛けてきた。
俺はその問いには答えず、女学生の負傷具合を少しだけ確かめ、回復用の符を投げつけ、傷口に張りつける。
流石は関西呪術協会の総本山に務めていた巫女の知識を元にしているだけあって、中々の回復力だ。剃刀で切り付けられたと思しき傷がみるみる内に消えていく。
正直、ネギま世界で取り入れた技術の中では、関西呪術協会の技術が一番応用性高い気がするなぁ。

そんな事を考えながら、先の斬撃を受けて後ろに下がった怪異と女学生の間に割り込み、鍬を構える。
思えばミスカトニックでこの課外授業に出席するのも久しぶりだ。
アーカムの結界の歪みから生まれる霊的吹き溜まり、そこに人の思念が混じり合って発生する程度の低い怪異は、ミスカトニックの見習魔術師に実戦経験を積ませるには最適の力を持っている。
だが、目の前のこれは少し曲者。
普段の講義で学生達が相手にするのがドラクエ的に例えてスライムから一角兎程度の強さと仮定した場合、こいつは成熟期のデジモン程のパワーを秘めている。

「スウィーニー・トッドか、懐かしい顔だ」

目の前で不安定に揺らぐ輪郭が、俺の言葉と共に安定し、顔色の悪い理容師の男の姿をはっきりと形取る。
毎度の如く起こっているアーカムシティ連続行方不明事件。
それと時を同じくして復刊された、十九世紀初頭に活躍したという設定の殺人鬼が出てくる小説。
目の前の怪異は、事件の犯人を小説に登場する殺人鬼と重ね合わせた人々の無意識で形を固定された雑多な悪霊と瘴気の集合体。
なまじ復刊した小説がヒットしてしまったが故に人々の無意識が雑霊や瘴気を束ねる力も強く、平時の怪異と比べても存在強度が段違いだ。

「さて、どう戦うかな」

だが、ここで問題になるのは敵の強さではなく、敵の脆さだ。
俺は今人間の魔術師形態を取っており、あくまでも常識が許す範囲の魔術師としての力しか持っていないが、それでも最大攻撃力が段違いだ。
この力の差で瞬殺せずに、いかにもそれっぽく戦っている風を装うのは並みの事では無い。
マニュアル操作のMSで赤ん坊の頭を潰さない様に撫でる様な、そんな繊細さが必要になってくる。

「おい、いくら何でも一人じゃ」

女学生の台詞が全部終わるのを待たず、様子見として最小レベルで飛ぶ斬撃を放つ。
鍬を振るった軌道に沿って、刃の数だけ飛んで行く氣の斬撃。
振り下ろし気味に放たれた飛ぶ斬撃は僅かに怪異の一部を削り取り、そのまま路地裏のアスファルトを削り、覇道の地下施設を少しだけ破壊して、数キロ先で自然消滅。

「つ、通じてる?」

そりゃ、頭に『なんちゃって』とか付けたくなる感じのものでも、一応退魔の術なのだから通じない訳が無い。
なんちゃって退魔戦術──京都神鳴流の数少ない利点は、その技の理屈の単純さと、物理作用にある。
ぶっちゃけ、単純に悪霊やら怨霊やらを退治したいのであれば、それこそ巫女やら覡(かんなぎ)に神楽鈴でも振って貰えば済んでしまう話な訳で。
そういった意味で言えば、払う魔が物理的肉体を持ってる場合が大半のネギま世界の退魔術は、やはり物理的作用が無いと消滅させ難いデモベ世界怪異と相性がいいのかもしれない。
……もっとも、相手の格が上がれば上がるほど、今度は神鳴流の術にしてはシンプル過ぎる構造が仇になるから、あくまでも雑魚散らし用の技にしかなり得ない訳だが。

だが、今回わざわざ普段使わない神鳴流を持ってきたのはデモベ世界の怪異に対して、これが一番有効だからという訳では無い。
この京都神鳴流、全体的に秘剣も奥義もエフェクトが激し過ぎるので、どこからが辺り判定でどこからが視覚効果だけなのか判別しにくいという欠点がある。
この派手なエフェクトは要するに気の収束効率が悪い時に起こる現象で、例えば雷光剣や雷鳴剣などで広範囲を薙ぎ払い敵を一掃したつもりが、見た目の射程ギリギリに居た敵が殆ど無傷で混乱する、という事が、実戦経験の少ない戦士に良く起こるとか起こらないとか。

今回はそれを逆手に取って、利点として利用する。
当り判定が五十センチ幅の斬撃の収束率を甘くし、見た目の斬撃の幅を百五十センチ程に見せかける。
この状態で、五十センチ幅の端っこが攻撃対象に引っかかる様に切りつけるとしよう。
すると、実際の攻撃判定が分からない人間が見た場合、百五十センチの斬撃が直撃したにも関わらず、敵は殆ど斬れていない様に見える。
見た目のエフェクトの割に、威力はどうって事の無い攻撃だと思いこませる事が可能になるのだ。
更に言えば、中心に仕込む斬撃はかすらせるだけなので、うっかり力加減を間違えても余程軟な敵でなければ一撃で消滅する事も無くなり、手加減もしやすい。

最初から幻術か何かで誤魔化せば良いと思われるかも知れないが、それでは万が一ばれた時に言い訳を考えるのが面倒臭い。
だが、ここで京都神鳴流を先程の要領で使えば、修行が足りなくて技が見掛け倒しになっていた、と言い訳が至極簡単になる。
大学でまぁまぁのポジションを手に入れつつトラブルも無くのんべんだらりと過ごすという目的を果たすのに、京都神鳴流は正に打って付けの技術なのだ。

「美鳥、行くぞ。適度にな」

俺の声に、周囲の怪異を誘導してきた美鳥が気軽に答える。
ここの怪異は一般的な邪神崇拝種族と比べて数も然程ではないし、力も大したものでは無い。
だが碌な対抗手段を持たない二年生では苦戦するだけの力と数はある。
新人である俺と美鳥の力をある程度印象付けるには持ってこいという訳だ。

「オッケーお兄さん。緩くやろうか」

丸鋸型の偃月刀を複数鍛造し従わせている美鳥を従え、曇天のアーカム路地裏で、俺は改めて戦闘を開始した。

―――――――――――――――――――

私が捨てきれなかった自尊心は、より正確に言えば『少なくとも同年代で私に匹敵する才能の持ち主は居ない』というもの。
勉強を見たりアドバイスをしたりというのは、同年代の彼等、彼女らが知らない知識を自分は持っていて、理解できない物を理解できるという事の確認。
まぁ、その頃の私は『同年代であれば、魔術を学んでいる年数もさして変わらないだろう』という良く分からない思い込みをしていたから仕方が無いのかもしれない。

よくよく考えれば分かる事だ。
私が入学から幸先の良いスタートダッシュを切れたのは、幼い頃から趣味レベルとはいえ事前に魔術に関する知識を多少仕入れていたという理由がある。
なら、幼い頃から実戦を前提とした魔術の訓練を受けている連中が居ても何も可笑しくはない。
少なくとも、この世の全ての魔術師が大学で魔術を学んでいる訳では無い以上、それは常識以前の当たり前の事だ。

そんな当たり前の事を考えていなかった私の目には、実習中に現れた闖入者の戦いぶりは、まるでファンタジー小説の中に放り込まれた様な光景に映った。
トライデントの様な何かを振り回し、明らかに間合いの外に居る怪異を切りつける男に、無数の丸い刺々しい刃物を自在に操り、怪異の移動を妨害しながらダメージを与える少女。
二人はともに、眼にも映らない速さで怪異の間を駆け抜け、数度の実戦を乗り越えた私達でも苦戦した怪異をみるみる内に殲滅してしまった。

『紹介しよう。今度新しくミスカトニック大学陰秘学科に入学する事が決まった、君達の後輩だ』

大学への帰還後にシュリュズベリィ先生から伝えられた彼等の正体は衝撃的だった。
多少なりとも戦えるようになったと思っていた私を危機から救ったのは、まだ入学して間もない、一つ下の後輩だったのだ。

『あたしの名前は鳴無美鳥だ。趣味は悪趣味とサブカル全般とお兄さん、好物は身体に悪い化学物質とお兄さんの手料理とお兄さん、特技は茶々入れと嫌味とお兄さんのサポート全般。そこんとこヨロ』

『初めまして先輩方。俺の名前は鳴無卓也。趣味は園芸と手芸とサブカル全般と魔改造と姉さん、好物は姉さんの手料理とジャンクフードと姉さん、特技は超理論に屁理屈のこじつけと違法コピーと海賊版の作成と姉さんの手伝い。若輩者ではありますが、どうかご指導の程よろしくお願いします』

目付きの悪さと名前から一発で兄妹と分かる二人の新入生。
シュリュズベリィ先生の肝入りで入学したこの二人は、自分達とは違い、長い間実践と
実戦を通じて魔術の研鑽を積み続けていたらしい。
……その話を聞いた時点で、素直にこいつらの事を魔術においては一日の長があると、素直に認める事ができれば。

―――――――――――――――――――

「…………大十字先輩」

私は声をかけられ回想を中断、声の主に視線を向ける。
視線を向けた声の主は、今まさに頭に思い浮かべていた二人の内の片割れ。
ここ一月程で散々魔術関連で散々突っかかった相手。

「はぁ……」

自然と疲労からくる溜息が零れた。

「別に人の顔見て溜息吐くな、なんて言いやしませんけどね」

顔を見られるなり溜息を吐かれたにも関わらず、こいつの態度は変わらない。
別にこいつが私からの評価を鼻にもかけていないからという訳じゃない。
魔術の知識や実践で突っかかり続けた私は、気が付けばミスカトニックで一番こいつらと親しい間柄になっていたのだ。
今や私は、講義が重なった時はこいつらの面倒を見る役目を押し付けられている。
大学に居る時間の半分以上をこいつらと一緒に過ごしているのだから、気易くなるのも仕方が無いだろう。

「別にお前の顔を見て憂鬱になった訳じゃねえよ。……気ぃ悪くしたか?」

「いえ別に。正直、俺が話しかける前から、食堂でも人気スポットとして名高い窓際の特等席を占有して頬杖突いて『私アンニュイです』と顔面にペインティングしてやりたくなるレベルの表情で窓の外眺めてる時点で理解してましたから」

「お前、『親しき仲にも礼儀あり』って知ってるか?」

「俺と先輩って親しかったんですか?」

「……………………」

「ジョークですよ。そんな顔しないでください」

私はどんな顔をしていたというのか。悪びれもせず肩を竦める卓也の顔を見て、改めて疲労の溜め息を吐く。
こいつのこういう所は疲れるけど、別に本気で嫌う程のものでも無い。
中学頃からアメリカで暮らしているとはいえ、こういうどうでもいい軽口を母国語で話せるのは気楽でいい。
散々突っかかって分かった事だけど、こいつらの魔術に関する知識は本物。
精神的疲労をマイナスとして考えても、こいつらとの付き合いはプラスの方が大きい。
それに、

「どうかしましたか?」

卓也の顔に、眼に視線を向け見詰めると、卓也は僅かに首を傾げて頭に疑問符を浮かべた。

「んにゃ、なんでもねぇ」

──そう、こいつは私の事を、欠片も異性として意識していない。
これを言うと自慢になるのだが、私が目を見詰めると男は結構な確率で頬を赤らめて目を逸らすか、何かを勘違いして距離を詰めようとしてくる。
だが、こいつは微塵もそんな素振りを見せない。
少し前はその事実に女性としてのプライドが多少傷つきはしたが、今現在の私はその事に安堵を覚えている。
別に男性恐怖症という訳ではないが、身体がなまじ人より顔の造形や肉体の女性的な凹凸に優れているだけに、男からの無遠慮ないやらしい視線を集める事は多い。

一度も身体に目を向けられた事が無い訳でも無い。
自己紹介の時に頭の天辺から爪先まで、五秒ほどかけてじっくり眺められた事はある。
だがそれはどちらかと言えばボディラインではなく、服飾の方に意識が向いていた気がするのだ。
『やっぱそういうセンスなんだよなぁ。しまむらーにでもなればいいのに』
などと口の中でぽつりと言われたのは記憶に新しい。
……しまむらーという言葉の意味は分からなかったが、ほんのり侮辱されている気がする。
しかし無遠慮に性的な視線を向けてくるよりは良いと思ったので気にしないでおいた。忘れもしないと思うが。

「今この近辺でボディラインの豊かさを自慢した女が居た気がして」

「気のせいじゃないか?」

唐突に私の背後に現れ、息のかかりそうな距離でそんな事を呟いた美鳥にも、今では冷静に対処できる。
それほどまでに、私はこの一月でこいつらと親交を深めているのだ。

「あと、お兄さん」

美鳥が頬を膨らませて卓也に近づいて行く。
何時もなら微笑ましいを少し通り越して微妙に気持悪いレベルで兄にベタベタな美鳥にしては珍しい態度だ。

「あ、悪い忘れてた」

だが卓也は美鳥がそんな態度を取る理由に思い当たる所があったのか、頭を掻きながら美鳥に軽く謝罪をした。
これは、一心同体という言葉が似合うこの二人にしては珍しいかもしれない光景。
そんな少しレアな光景を見れて得した気分の私に、卓也は表情を改め口を開いた。

「先輩」

ここ一月では、というか、初めて会った時の怪異との戦闘でも見せなかったシリアスな表情に、私は知らず背筋を伸ばし身構える。

「言い忘れてたんですけど、さっき食堂のおばちゃんが『あの娘、御冷だけで何時間粘るつもりなのかしら……』ってぼやいてましたよ」

「う」

シリアスではなくシリアス()だったらしいが、痛い所を突かれた。
今日の講義は午前中で終わり、学食に入ったのは昼の十二時。
現在時刻は、午後の講義も大半が終わって夕方の十九時程。
その間実に七時間、私は何を注文するでもなく、無料で提供される水やお茶を飲み、貴重な栄養素である塩分や糖分を舐めて過ごしていた。
本当は十五時頃になったら切り上げて帰ろうと思っていたのだけど、急に雨が降り始め、帰るに帰れなくなってしまったのだ。

特に十六時から十八時にかけての二時間は地獄だった。
他の連中が次々とメニューを注文し、食事を終え学食から消えていく中、私は只管に品書きを引っ繰り返して何を注文するか迷うふりをしてその場を凌ぐしか無かったのだ。
そりゃ、最後の一時間にはストレスも溜まって、鬱々と後輩に突っかかっていた頃の事を考えてアンニュイな気分にもなるというもの。

「もーほんと勘弁しろよー。お前が出禁喰らうとなんかあたしらまで巻き添えなんだぞー?」

美鳥は先程まで卓也に向けていた不満そうな表情を私に向けて文句を言う。
だが、一応私にも言い訳がある。

「今日は、傘忘れてたんだよ。雨が止んだらすぐ帰ろうとしてたさ」

「大人しく濡れて帰れよ」

「ちょ、おま、ひっど!」

真顔の美鳥が放つ余りにもスパルタな意見に驚愕していると、卓也が鞄から傘を取り出し差し出してきた。
……男物の大きめな傘なのだが、あのさして大きくない鞄にどうやって納めていたのだろうか。

「先輩知ってましたか? 置き忘れられた傘は基本的に学園側に回収されるんですけど、一定期間を過ぎると廃棄処分って事で欲しい学生にタダでくれるんです」

「仮にも一年この大学で過ごしてるんだから、それ位の事は知っててもおかしくないと思うんだけどなー」

これには返す言葉も無い。
一年の頃は終盤まで超エリート才女気取りだった私は、決して大学で交友範囲が広いとは言えなかったし、自分が完璧であると見せる為、常に折り畳み傘くらいが持ち歩いていた。
そんな理由から、普通なら二年に上がるまでに手に入りそうなミスカトニック大学の陰秘学科が関わらない部分の情報について、私はあまり詳しく知らない。

「なんだよなんだよ二人して。そーだよそーだよ、どーせ私は勉強にしか目が行かない女だよ」

言われなくても分かってるっての。
腹いせに御冷もう一杯おかわりして、そのまま閉店まで粘ってやろうか。
すっかり氷の融けた水差しからコップに水を注ぎ、中の水を半分程飲み干してから、再び頬杖をついて窓の外に視線を逸らす。

既に太陽は完全に沈んでいるが、脚元も見えない程の暗闇、という訳でも無い。
街灯だってあちこちにあるし、分厚く空を覆う雲がアーカムの街の放つ光を反射して薄っすらと地上を照らしている。
人目の多い所を選び、街灯の途切れない道を選んで歩けば特に問題なく家に帰れるだろう。
問題があるとすれば、未だ雨は止まず空を覆う雲は八割方が暗雲である事。
そして私の借りている安アパートはアーカムの特に寂れて奥まった部分にある為、帰り道ではどうしても街灯が無い道を通らなければならない事。
その程度だ。その程度。
……なんとか大学に泊まれないかな。

「お送りしますよ」

「あ?」

どういう風の吹き回しだろう。
こいつとの付き合いは決して長いとは言えないが、それでも自分から率先して異性のエスコートをするような男ではない筈だ。
いや、私の事を異性として意識していないのだから、こいつの中では『異性を家に送る』という感覚ではないと思うのだが、それにしても進んで人の世話を焼くタイプでも無いような……。

「先輩には何時も迷惑かけていますからね、行方不明事件も解決した訳じゃありませんし」

「これからも迷惑かけると思うから、先行投資と思って素直に送られろよ」

ほんのり感動する間もなくオチを付けられた。
だが、よくよく考えてみなくとも分かる事だけど、これはもしかして、私に負い目を感じさせない為の言い回しなのか。

「まったく」

こいつらは同郷なだけあって、雑談が気楽だ。
変な視線を向けて来ないから、余計な気を回さず付き合える。
その癖、変な所でこちらを妙に気遣ったりして。

「行こうぜ、有り難く送られてやるからさ」

やっぱり私は、こいつらの事がまだ苦手だ。
だから、秀才として、苦手なものは理解して克服していかなきゃな。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「お疲れ様でーす。ヘルプ入りに来ましたー」

「オツカレチャーーンッ! 差し入れのプリン持って来たぜー!」

大十字と別れ、夕食を食べ、姉さんと風呂に入り、くつろぎ。
姉さんが眠りに付いたのを見計らって、俺と美鳥はブラックロッジ下っ端専用十字覆面の改造品を被り、市街地で仕事中のブラックロッジの皆さんと合流した。

「お疲れー。わざわざ悪いね、非番なのに」

俺より立場は下ながら先輩だと思われるブラックロッジ下っ端の人が美鳥からプリンの入った箱を受け取りながら挨拶を返す中、周囲の他の下っ端は雑談しながらも和気藹々と作業を続けている。
この人達は、ブラックロッジにおける魔術儀式や修行や研究に必要な素材を収集する為に勝手に編成されていたチーム。
俺達は少し前に通信機で呼び出され、急遽このチームの補助を任される事になったのだ。

「いや、俺達って基本週休七日の非常勤ですから、偶の呼び出し程度なら付き合いますよ」

基本的に俺達、 ブラックロッジに時間で拘束されてる訳じゃないし、姉さんが起きてる時間ならともかく、姉さんが眠った後の時間なら多少融通は利く。
元々今日は夜更かしをする予定だったし、どうせこの作業にしても二三時間もせずに終わる様なものだしな。
それに彼等──員数的に女性のが多いから彼女等か──はとある逆十字の肝入りで結成されたチームである為魔術師としての位階も低くはなく、銃火器や刀剣類、罠の作成や捕縛術にも優れているほんの少しだけスペシャルなチーム。
そんな彼女達が自分達だけで終わらせず、大導師直々の紹介で入社したとはいえ新人の俺達に作業を手伝わせようとしているのだ。
何か、とても人手が足りない感じになっているのだろう。

「んで、あたしらは何すりゃいいの? まさかトラックの運転なんて言わねえよな」

美鳥の問いに、下っ端先輩はぱたぱたと手と首を振る。
覆面を被っているから解り難いが、下っ端先輩は苦笑しているようだ。

「違う違う、そんな程度の事なら別の連中に頼むって。君等はあっち」

指さされた後には、無数の銃弾によって崩れ去ったレンガの壁と、四方八方に飛び散った血液、同じく飛び散り壁や床にこべりついた肉片骨片などの人体パーツ。
そういえば回収班の人等がトラックに積んでいたのは人間だったか。
でも、確か清掃専門の人がチームに組み込まれていた筈と思ったが。記憶違いはありえないし。

「や、清掃班の連中だけいきなり他の仕事に充てられちゃってさ」

「理由は?」

「クラウディウス様とカリグラ様がまた夢幻心母の中で喧嘩したんだって。巻き添えで馴れて無い子たちが通路汚しちゃって、その後片付け」

やれやれ、とでも言いたげに肩を竦める下っ端先輩。
逆十字への忠誠なんて、本人の居ない所ではこんなものである。
かぜぽはその辺頑張ってた気がするが、どっちかっていると忠誠とかじゃなくて親しまれてるって感じだし、仕方がないのかもしれない。
馴れて無い子達が通路を汚したというのは、前後の文章から推察するにその馴れて無い子達自信が通路の汚れそのものになってしまった、という事だろう。
馴れてくればあの二人の射程圏内に入ろうとは思わなかったのだろうが、そこら辺はご愁傷さまと言うしかない。

「事情は分かりました。壁も直しといた方がいいですよね」

「お願いできる?」

少しだけ申し訳なさそうな下っ端先輩に、美鳥が自らの胸をぽんと(『ぽよん』でも『どん』でもない、平均的な響きだ)と叩き、自身満々に応えた。

「あれくらいなら、チョチョイのジョイだよ」

だが、この時代このアーカムにジョイは売っていない。

「ほんとに? 差し入れとかまでして貰っちゃって、なんか悪いね」

その為、下っ端先輩は美鳥のボケをちょっとした言い間違いだと切り捨て、捕縛した市民の積み込みの方へと戻って行った。
美鳥は悲しみや悔しさこそ含まれていないものの、やるせなさの滲む表情で下っ端先輩の背中を少しだけ目で追い、諦める様に崩れた壁に視線を戻す。

「気にするな美鳥、あのネタは多分元の世界でもスルーされる確率が高い」

「それフォロー?」

「いや、さっさと仕事済ませて帰っちまおうって話」

なにしろ今日は記憶を一旦封印して夜通し終わクロを読むと決めていたのだ。
別にそれほど大事な用事でも無いが、仕事場の掃除に無駄に時間をかけるよりは余程楽しい時間の使い方だ。

「しゃーなしだねー……」

俺の言葉に、美鳥は肩を落としながら水流操作で飛び散った血液を壁と地面から引きはがし始める。
俺も砕けたレンガを一旦分解してから再構成し、無事な部分の壁に合わせて少しだけ劣化させ、はめ込み。
散らばった肉片を、ネズミをベースにしたブラスレイターな使い魔に処分させ──

「お」

使い魔が集団で、比較的大きな身体のパーツを運んできた。
成人女性の、腿から爪先辺りまでの部分だけが綺麗に残っている。
肌にしみや皺は無く、骨格と肉の付き方はほのかにTS大十字に似ていた。
手に取り、千切れた断面を少しだけ舐める。
大十字とDNAが一致しない。別人らしい。
つまり知らんやつの死体という訳だ。

「これはティベリウスさんのご機嫌取りに使おう」

ふう。
吐息と共にふきかけた金神の力やサイトロンエナジーその他の力を宿したナノマシンが、千切れた脚の時間を止める。
周囲の空間毎うっすらと黒く染まった脚を鞄の中に突っ込みつつ、思う。
今のところ付き合いの浅い大十字は、俺がこんな仕事しているなんて夢にも思わないだろうな、と。
それを知らせた時、どんな顔をするのか想像しながら、俺は清掃と修復作業を終わらせていった。



続く
―――――――――――――――――――

三分の一近くが前回ラストの場面の九郎視点っていう、そんな第五十七話だったんです。

五十七話内訳
①九郎は規律を気にしていた訳では無く、腹ぺこキャラなのでお腹がすいていた。※これでもまだ理性的な対応だった。
②基本的に誘惑には弱い。※九郎的には動物の礫殺死体にはチャームが掛かっている。
③九郎人生振り返っちゃってる!※回想は負けフラグ。
④主人公による雑魚相手のTUEEEは基本。※ブラスレイターの基本テクニック。
⑤生活費入金直後の九郎は、場合によっては学食のドリンクバーを頼める程の財力があるのだ!※今回はありませんでした。
⑥品書きひっくり返して七時間粘るさ。※最大で十五時間粘れる。
⑦新人ぽく社の先輩の下働きもする。※気分次第で断る。

二週間かけてこの量とかマジ切ないぜ。
でも生活優先なんで勘弁していただきたく。
TS編は落ちから決まってるのでしっかり終わらせられると思うし。
ちょいちょいブラックロッジ側での主人公の仕事ぶりとか書きながら、基本TS九郎の内心とか書いてく感じになるので、派手な場面は少ないと思いますが。

・自問自答の巻。
Q,なんで主人公は『またぞろ目を付けられる』とか言ってるのに派手に暴れてるの?馬鹿なの?
A,完全に力を隠すのは面倒極まりないので、腕利きの魔術師であるシュリュズベリィ先生未満学生以上という位置を確保しておきたかった。長期の外での講義とかでも無ければそれほど位階を高く見せる必要も無いですし。

ネタ少なくてごめんよ。
主人公視点が少ないと挟む部分が殆ど無いのよ。
ていうかラブコメ難しいよ。
現状じゃラブコメに到達してすらいないよ。
でも書くよ。
意地でも書くよ。
頑張るよっ。

今回もここまで。
誤字脱字の指摘、分かり難い文章の改善案、設定の矛盾、一行の文字数などのアドバイス全般、そしてなにより、このSSを読んでみての感想、心よりお待ちしております。



[14434] 第五十八話「カバディと栄養」
Name: ここち◆92520f4f ID:190f86b3
Date: 2012/12/08 21:36
「で、ティベリウス様。もうそろそろ素材は集まりそうですか?」

今日は講義が午後からなので、俺は朝も早い時間から夢幻心母へと足を運んでいた。
この場合に言う『足を運ぶ』は俺が夢幻心母に移動するという意味だけではなく、文字通りの意味も含んでいる。
今の俺の目の前には、俺が運んできた『人間の脚』を手に取り、度々角度を変えてはうっとりとした恍惚の笑みを浮かべたティベリウスが居た。
因みにこの根元から切断された人間の──もっと言えば女性の脚、数日前に回収して鞄内部の亜空間にいれておいたもの。
元々期限が決まっていた訳でも無く、時間がある時で良いと言われていたものなのだが、丁度良い機会なのでついでに渡しに来たのだ。

「そうですねぇ、ここらが妥協点かな~なんて、思っても良いとは思うんですけど」

この間延びした喋り方をするのがTSしたティベリウス。
見た目は首や口の端、眼の上などにフランケンシュタインの怪物の如く刻まれた縫合跡と、側頭部に生えた電極を気にしなければ、見た目は何処にでも居る金髪おでこ美少女だろう。
先行入力で言っておくが、このティベリウスも根っこの所では元のティベリウスと何一つ変わっていない。
当ティベリウスはデモベ登場キャラクターです。
実在するチャンピオンの系列雑誌、赤い実験場、トラウマ製造グロ漫画とは一切関係ありません。

「綺麗な脚ですし、できれば左右揃いなら嬉しかったですね」

ただこのティベリウス、TSしていない普段のティベリウスに比べて、人の役に立ちたい、という気持ちがあるという美点がある。
基本的に、自分をより美しくする為に美しい女性の死体を収集して改造したり、医学的な研究が無い時は若いイケメンを部屋に引っ張り込んでしけこんだり(男が部屋から出て来れたという証言が取れた事はない)しているのだが、人の役に立とうという気持ちは紛れも無い本物なのだとか。
当然、ティベリウスの私室とこの実験室が隠し通路で繋がっているのも、グロテスクな変化を遂げた元人間っぽいクリーチャーの標本が飾られているのも、全ては医学のハッテン♂、もとい発展の為であるからして、全く問題はないのである。

「すみませんねぇ。何分、発見した時点で利用できそうなパーツがそれ位しか無いありさまでして」

俺がさっき渡したのは、回収部隊にうっかり殺害されてしまった女性の破片だ。
違法性が無い訳ではないが、別に俺が人を殺して死体をばらして利用した訳では無い。
TS大十字に似て見栄えが良い脚線美ながら、サイズ的に現状のティベリウスボディに見事にマッチする軽量二脚。
これはティベリウスに献上して機嫌を取るのにベストな素材だろう。

「いえいえお気になさらず、文句を言うなら実行部隊の人達に言わないと……っと」

ぼろ、と、渡された脚を持っていた腕が縫合痕から千切れ落ちる。

「そろそろ換え時なんじゃないですか?」

見た目こそ赤い実験場のあの人だが、TSティベリウスの身体はこれで固定されている訳では無い。
ティベリウスの本体はあくまでも魔導書である為、その時の気分気分で肉体を乗り換えたりは朝飯前。
俺が来る前は医学も糞も無いような、あほっぽい喋り方の褐色少女姿だったらしいのだが、古過ぎる死体がベースになっている為首の保持力が弱く、男性との性交中に首が『もろっ』と取れてしまう事件が頻発していたらしい。

今現在のモデルは、ティベリウスのネクロマンサーとしての実力を最大限に発揮し、なおかつアヌスの生物兵器的な物の研究成果も織り交ぜた最高傑作なのだとか。
ただ、TSティベリウスは同じボディを使用する中でも若干のモデルチェンジを繰り返す為、肉体の末端部分は純粋に浚ってきた人間の死体の継ぎ接ぎのまま。

その為に、先の拉致部隊が大活躍中なのだ。
何を隠そう、あの拉致部隊の方々はティベリウスの薫陶(と調整)を受けている。
『位階を上げてあげる代わりに、ちょっと頼まれて貰えなぁイ?』
と言われ、伸び悩んでいた彼女達はホイホイと受け入れてしまったのだ。
ティベリウスのとても人には言えない様な人体改造術の恩恵を預かったお陰で、週ごとの拉致ノルマを五割も増して、しかしそれでもまだ拉致部隊の方々には余裕がある。
当然、その改造手術の反動で拉致部隊の方々の寿命は残り数十年から数年程に縮んでしまったが、彼女達はその事に気付いていない。
まぁ、俺の知る限り一部の連中を除いてこの世界の魔術師なんて生き急いでナンボ、みたいなところもあるし、説明する必要性も感じられないのだが。

ともかく、元の拉致部隊から素質のある者、なおかつティベリウスの誘いに乗った者が組んだ新たなチームは驚異的なスピードでノルマをこなしている。
そして浚われた市民の中で、美しいパーツのある女性はばらされて優先的にティベリウスの新パーツに。
それ以外の男性、さして美しいパーツを持たない女性などは、そのまま実験材料や儀式の生贄などにつかわれたりする。
最終的に被害者の肉体や魂は毛筋一本までブラックロッジ内部で消費される。
日々魔術の研鑽が行われているこのブラックロッジにおいて、人間の肉体や魂は不足する事はあっても余る事など有り得ない。
証拠が残ら無いので行方不明事件以上には発展し難い上に、浚った人間は欠片も無駄にならない。
実にエコロジーだ。
残念な事に、俺は人間程度なら大概自給自足できるので、その優れたシステムの恩恵にあずかる事はできないのだが。

「アアン、もう、結構気に入ってたのにィ。卓也ちゃん、そっちから予備の腕取ってくれるぅ?」

少しだけ素の口調が出てきたティベリウス。
なぜ命令されなければいけないのか分からなかったが、別にそれほど面倒な作業という訳でも無いので素直に従っておく。

「どれです?」

そっち、と言われた先には大きな棚が幾つもあり、保存用の怪しげな液体に付け込まれた人体の各部パーツが並べられている。
腕も足も肝臓も子宮も心臓も目玉もいっしょくたにされ、時たま同じパーツが延々並び続けている箇所も見受けられるが、特に規則性は見受けられない。
乱雑な並べ方だが、こういうのは並べた人間なりの理屈で並べられている場合が多いので、素直にティベリウスに聞いてみる事に。

「赤の棚の上から三列目の右から八番目かぁ、下から四列目の右から五番目ぇ」

言われ、とりあえず赤い棚に近づく。
この棚は奥行きが広く、一段一段の高さもまちまちだ。
最初に手を触れたケースから、接続部分がグロいポコペン人スーツに、鈴なりになった人間の下半身、首から上が美少女の巨大芋虫、まともな眼球、眼球、眼球、眼球眼球眼球……、
あった。

「ていうかこれ、やっぱり適当に並べてますよね」

あの眼球とか、大量に手に入った時に適当に並べておきました感が酷過ぎる。
せめて予備パーツと研究用の標本は分けて入れておくべきだと思うのだが。
この下半身とか、切っても切っても身体の一部が生えてくる患者の標本だし、眼は明らかに変異し過ぎて視力が消滅してるのも混ざってるし。

「アタシは覚えてるからいいのよぉ。ここの造りが違うしネ☆」

ここ、と言いつつ、ティベリウスはもげていない方の手で自らのこめかみをコンコンと叩いた。

「なるほど……、でも、多分中身は空っぽですよね」

男性の時とは違い、このTSティベリウスは外観にとことんこだわるタイプだ。
なので、必要無いと思った内部パーツはあっさりと取り外して、外から見える部分の維持にのみ魔術の業を費やしているのである。
当然、思考するのは魔導書に移植されたティベリウスの魂である為、脳味噌は真っ先に取り出して捨てられている。

「あぁら、言うじゃなぁい? ──アナタもなってみたいのかしら」

腕のもげた白衣の袖から、これまでの周のティベリウスの使用していた物と同じタイプの鉤爪が覗く。
当然、本気では無い。逆十字の連中の怒り具合はそこら辺凄く分かり易い。
威嚇として武器を出したならその時点でこちらを攻撃する意図はまだない。
本気でムカついた時は、武器を見せるよりも早く相手を殺すつもりで攻撃するのが逆十字の怒り方。
口より先に行動が彼等(今は彼女らだが)のスタイルだが、『ぶっ殺した』とも言わない。
頭に浮かんだ時既に行動は終了している。というよりむしろ『あれ?こいつ勝手に死んでるじゃん』みたいなノリだ。
まぁ同格の魔術師や厄介な怪異相手であれば、もう少し真面目にやるのだろうけど。

「勘弁して下さいな。軽口一つで刳り貫かれてたら、頭が幾つあっても足りませんよ」

肩をすくめてそう返す。
するとティベリウスは鉤爪が生えた腕を振り、俺の首に触れるか触れないか程度の位置で止まる。
……これで『ティベリウスの腕が一瞬ぶれ、次の瞬間には俺の首に』みたいな速度だったら格好いいシーンだったのだろうが、超光速戦闘対応の俺の動体視力からすると、どうにも恰好が付かないというか。

ティベリウスは鉤爪で俺の首筋をつぅ、となぞり薄皮一枚ほどを切り裂いて、腕を下ろした。

「随分余裕があるのねぇ」

先端が薄く血に染まった鉤爪で口元を隠しながら、不満そうな表情で呟くティベリウス。
ティベリウス的には生意気言った新人の恐怖に歪んだ顔とか見て満足したかったのだろうけど、それは出来ない。
ティベリウスはTSしても基本的には弩Sの弩変態なので、怯えた表情で命乞いなんてした日には変に興奮し始めてしまう。
拷問しながら解剖しつつ恐怖に歪む顔とか悲鳴とか楽しみつつ、なおかつ生命の危機からエレクチオンした相手のイチモツで自分だけ満足し、中に挿入されたモノの硬度が無くなったら殺すとか、どうせそんなオチが待っているに決まっているのだ。

俺には分かる。何しろ俺はティベリウスと累計で二百年近い付き合いがあるのだ。
世に二次創作数あれど、俺程長々とティベリウスの性癖に付き合い続けたトリッパーもそうそう居まい。両手の指で足りる数しか居ないだろう。
今の俺には、ティベリウスの性癖だけで一冊ハードカバーの分厚い研究書が書けるレベルで詳しいという自負がある。価格は千五百円ぐらいが妥当か。ハードカバーにしては安いが需要を考えるとそんなもんだろう。
それを踏まえた上で、俺はティベリウスの言葉に肩を軽く竦めて応えた。

「ティベリウス様は逆十字ですから、いざとなれば抵抗するだけ無駄でしょう?」

「ふぅん……」

ティベリウスの俺へ向けられた視線が、どこか探る様な物へと変わる。
よくよく考えればティベリウスは魂が主体の、言わばスビリチュアルな存在だ。
何時ぞやのオーガニック的な感覚(意味はいまいち分からなかったが)の持ち主達と同じように、こちらの違和感を感じ取る能力に長けているのかもしれない。
そういう感覚は、男性よりも女性の方が優れているって言われているし。サクラ大戦とかで。

何?その割にマギウス姫さんは弱かった?
俺よ、そういう時は逆に考えるんだ。
『碌に魔術の修業をした事も無いくせに、魔導書のサポートを得ただけで逆十字を撃破できるだけのポテンシャルを持っていた』
と考えるんだ。
そう考えると覇道瑠璃マジチート。

そんなくだらない事を考えていたら、ティベリウスが不満そうな表情を消した。
いや、消したのでは無い。これは表情を切り替え、次の表情が出るまでの間の中間の顔なのだ。
人間の知覚能力では、魔術師レベルまで上げてもそうそう分からないかもしれないが、俺には分かる。
これは、魂を魔導書に封入しているティベリウスならではの現象で、この時空に存在する死体をベースに作られた肉体を、別の時空に存在する魔導書が操るが為に生じるラグなのだ。
そんな一ミリ秒にも満たない待機状態を経て、ティベリウスの表情が変化を始める。
新たに顔に現れた表情は、薄い笑み。

「アナタ、面白いわねぇ」

浮かべた笑みは、美少女然とした造形の顔(あちこちの継ぎ目や側頭部のごっつい電極、更に金髪を考慮しても間違いなく美少女だろう)に良く似合う愛らしい笑みだ。
が、俺にはその笑顔と重なって、喜色を現す黄緑色の面が見えてしまう。
そう、あれは何度か一緒に大十字とくっ付いたメイドを浚いに行く時に手伝わされた時、大十字をべこべこに叩き潰した上でメイドを目の前で掻っ攫って行った後。
既に服の破れかけたメイドを見つめている時と似た雰囲気が漂っている。

「そうですか? 自分では面白みの無い、真面目腐った人間だと思うのですが」

「ふふふ、今のは冗談だと思うから聞き流してあげるわ」

聞き流される事になった。何故だ。
手にティベリウスの予備のパーツが入った瓶を持ったまま突っ立っていたら、再びティベリウスが此方の顔に向けて手を伸ばしてきた。
もげていない方の、白く細く、しなやかな指で、顎の輪郭をなぞる様に触れられる。
耽美系のアクションだが、────残念、防腐剤の匂いがするのでイマイチムーディーとは言い難い。
このティベリウスはこんなんで男を普通に落とせるのだから、普段は余程雰囲気作りが得意なのだろう。

「何か困った事があったら言いなさいな。アナタは色々と役に立つし、一回だけなら手伝ってア・ゲ・ル」

思ったよりもまともな発言。
今から一晩付き合いなさいとか、この周入ってから聞いた評判だとありえそうだと思ったんだけど。

「一晩くらいなら付き合ってあげてもいいわよぉ? ホホホホホホホ!」

訂正、やっぱり下世話な話だったらしい。さすが、性別変わっても軸がぶれない。
もげていない手に持った取れた腕の手の甲を口元に当て、突きぬける様な声で高笑いを発するティベリウス。
素の喋り丸出しだと、やっぱり外見との違和感が半端無い。
まぁ、敬語とか丁寧語キャラは俺含め大量に居るし、これ位突き抜けてくれていた方が飽きずにいるには好都合か。
ともかく、何を頼むかは建前上は俺に決める権利があるようなので、何か思い付いたら頼む事にしよう。

―――――――――――――――――――

◎月▲日(この周のアーカムシティは)

『ああかむっ!とか呼んでやった方がいい雰囲気な気がするのは何故だろうか』
『まぁ【ああかむ】でググるとエロゲメーカーがトップに躍り出るのは羞恥の事実(誤字に非ず)な訳だが、それを考慮しても間違いなくこの周のこの街はエロゲギャルゲ臭が漂っている様な気がするのだ』
『別に街全体の男女比率が変わっている訳では無いのだが、どうにも普段の生活でよく女性と出会う気がする』
『そんな謎を解明する為、明日も俺はミスカトニック大学で講義を受けるのであった』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

昼休み。
学食にはいかず、グラウンドの見える三階の講義室で弁当をつつく。

「お兄さん、この生姜焼き一枚とその卵焼き一つトレードしない?」

「流石は俺の妹(的な立ち位置に存在するサポートAI万能ボディ付き)、目の付けどころがシャープだな」

美鳥が目を付けた卵焼き、実は卵を使用していない。
むしろ卵どころか天然由来の成分を一切使用せず、徹底して合成素材のみでされている超科学的卵焼きなのだ。

合成食料と言えば、とあるエロゲメーカーが一切完全新作を出さなくなるきっかけになった某ミリタリ風SFロボエロゲに出てくる物が最近では有名どころだろうか。
あの世界の合成食料と言えば、平和な世界での食事に慣れている人間からすると不味くて不味くて仕方が無いようなどうしようもない出来で有名だ。
だが、この合成卵焼きはそうではない。
並みの人間では通常の卵焼きと食べ比べても違和感を感じないどころか、こちらの方が美味しいと感じる事すらある程に味が良い。

そんな美味しい合成卵焼きではあるが製造工程は科学的極まりなく、ヤマザキのパン工場の従業員ですら顔色を失う程の科学物質のオンパレード。
あらゆる化学物質をふんだんに盛り込み、とても料理しているとは思えない製造法で作られたこの合成卵焼き。
使用されている化学物質はそれぞれ単品ではあらゆる生物にとって致死性の劇薬。
奇跡の様なバランスで様々な劇物が組み合わさり偽卵焼きと化すまでの工程は、正に人類の知恵が生み出した芸術の一つと言えるだろう。

当然、科学物質大好きッ娘である美鳥からすれば、口にした瞬間脳汁垂れまくりの極上品という訳だ。

「でもこれ、結構手間かけてるからな。そのオニオンリングもよこせ」

「へへへっ、このオニオンリングに施された巧妙なイカリング偽装を見破るとは、流石あたしのお兄さんだぜ」

因みにこのオニオンリング、イカリングに少年時代の初恋の思い出を呼び起こされる人間を落胆させる為だけにイカリングに偽装されており、味自体は極々普通のオニオンリングだ。
つまり、美鳥の料理の腕が素直に出ているので、普通に美味しい。

互いの取引の品を相手の弁当に移し替え、窓の外を見る。
グラウンドでは汗臭いガチムチな男たちがアメフトなどで暑苦しい汗をかく光景はなく、ラクロスやら何やら、なんというか……

「あれだ、華やいで見えるな」

「この光景に馴れたら、元のミスカトニックのグラウンドは見れたもんじゃなくなっちゃうよね」

少し前に日記に書いた疑問が少しだけ解決した気がする。
なんというかこの世界、TSすると同時に全面に露出する人間の男女比率にも変化が起きている感じがするのだ。
一部を除くニトロプラス作品が背負う業として、何故か男キャラが目立つというものがある。
これにより、その世界の男女比率が大体一対一であったとしても、ストーリー上で露出するキャラの男女比率が七対三程に感じる様になってしまうのだ。
……まぁ、ニトロ作品は男キャラが多い、という印象自体こじつけ臭くもあるのだが、少なくとも通常のエロゲギャルゲに比べて男が多いのは確実だろう。

このデモベ世界は元からギャルゲ的な物を目指した作品である為か、一応女性の出番が多い。
が、ライバルキャラ達、ぶっちゃけて言えば逆十字とかのせいで男女比率はやはりアレな事になってしまっている。
このTS周まで、自宅とミスカトニック大学とバイト先、ブラックロッジの間を行き来する生活を送っていた俺の体験談なので間違いない。

大学は何故か男が多く、女性が目立たない。
ブラックロッジは男性社員が無駄に多い。
そう考えると、シュブさんの居るニグラス亭は自宅以外ではかなり爽やかな安らぎのスペースだったのではないだろうか。閑話休題。

そこで、TSである。
世界中の人間がTSしたこの世界、今まで俺が感じていた男臭さは全て反転し、逆に百合百合しさすら感じる程に女性が目立つ。
普通に考えて男女比率が変わらないのであれば、グラウンドにはTSした元女のラグビー部員♂達が居てもおかしくはない筈なのだが、そこら辺は世界の修正力というか。

「趣味か」

「千歳さん、やるぅ」

TSする周があるからには、こういう華やかなイベントも欲しいと考えるのが千歳さんなりの粋なのかもしれない。
まぁ、千歳さんの総作へかける想いは非常に捻くれているので、思わぬ落とし穴があるのかもしれないが。

そんな事を考えながら、改めて弁当に視線を落とす。
今日は姉さんがおねむであったため、俺と美鳥はそれぞれ思い思いの材料を使用し、自前の弁当を仕上げてきた。

弁当の形式は極々有り触れた家庭的なものだ。

まず、メインのおかずとして、俺は焼き鮭と茄子のベーコン巻き。美鳥は豚の生姜焼きとフライの盛り合わせ。
メインが二品と盛り過ぎな気もするが、一つ一つのサイズは知れているので何も問題はない。
焼き鮭はやや塩気強めで、ベーコン巻きは茄子の歯ごたえを残しつつベーコンにこんがりと焼き目を付けてある。
美鳥の生姜焼きはタレがこってりとしており、生姜の繊維質も多い。脂多めの部位。
フライの盛り合わせは、オニオンリングと白身魚のフライ。少なくとも貰ったオニオンリングはカラッと揚がっている。

次に付け合わせとして、双方の弁当には胡瓜の浅漬けが入っている。
浸かり具合は極浅で、ほんのり塩気を感じる程度。
どちらかと言えば水分を補給する時か、口の中をリセットしたい時用。
更にプチトマトが二つ。これは彩りの意味合いが大きく、食べる分には完全に水分用と割り切り入れている。

更に野菜枠としてきんぴらごぼうを入れてある。
普段食べるきんぴらごぼうは大きめのカットで食感を楽しむタイプのものだが、弁当に入れる時は火を通す時間を考えて極細使用。ピリ辛な味付けだ。

忘れてならない卵枠だが、俺が合成卵焼きであるのとは対照的に、美鳥はシンプルなゆで卵である。
卵焼きはおかずとして機能しない(特に今回の偽卵焼きは甘めにしてあるので、どちらかといえばデザートに近い物として分類される)が、ゆで卵のご飯との相性は中々に優れていると言わざるを得ない。
卵は俺のと違い通常の卵だが、こちらは遺伝子組換えしかしていない何の変哲もない卵。
黄身の味が濃く、白身はあらゆる調味料とマッチする。

そして、弁当箱の半分程を占める白米。
美鳥はご飯の中心に焼き明太子を乗せているが、俺は細切りにされた昆布の佃煮である。
焼き明太子は通常の生食用の明太子を焼いたもので、佃煮は日本のスーパーなら何処に行っても見つけられるような既存の品。

店売りの弁当に比べて大雑把な造りだが、自分で食べるならこんなものだろう。
野菜が少なめになってしまうのはご愛敬。
容量が限られた弁当で完全な栄養バランスはとり難いものなのだ。

現時点で俺の卵焼き二切れ程が美鳥の弁当に行き、美鳥の生姜焼きの小さめの一枚とオニオンリングの中心近くが俺の弁当に来ている。
ややバランスが悪く感じたので、茄子のベーコン巻きも一本美鳥に弁当に乗せてやる事にした。

「いいの?」

美鳥が首をかしげた。

「おう」

頷く。

「おぉー」

美鳥が嬉しそうに手をたたき拍手。
そのまま俺も手を合わせる。

「いただきます」

「ますます」

美鳥と共に、弁当に向けて頂きますの挨拶。
窓の外からは、グラウンドを駆け回る運動部の声が聞こえる。
いい感じの昼食のBGMだ。

「そういや、ティべさんまた手術したんだって?」

「腕が取れ掛けてたからな」

間に雑談を挟みつつ、まずは付け合わせのきんぴらから箸を付ける。
食事の作法に拘るタイプでは無いのだが、今日は西洋スタイルだ。
今日はメインの出来に自信がある。じっくりと味わいたい。

「腕だけ? 顔変えたりはしてないの?」

「腕だけだな、手術手伝ったから間違いないぞ」

きんぴらは……、うん、成功。
細切りながら食感を残すのに成功している。味付けも出しゃばらない範囲でピリ辛、ご飯を適度に進めてくれる。

「そっかー、あの顔で通してくれればいいのにね」

「まだ逆十字半分しか見れて無いものな」

カリグラの少女形態を含めれば過半数見た事になるのだが。
俺の言葉に、美鳥が何かを思い出した風に声を上げた。

「あ、でもこないだティトゥスっぽいの見たよ」

「マジで?」

基本的にこの周、美鳥の方が狙われる事が少なく、夢幻心母を探検しやすい。
女性優位という訳でも無いのだが、女所帯っぽくなってしまっているので、男はけっこう悪目立ちしてしまうのだ。
今のところ、ブラックロッジ内部で安心して付き合えるのがかぜぽと改造人間素体だけってのは考えものである。
タカリグラさんは俺の方から避けてるし、少女カリグラは会う度に『製作段階では、ヒロインの一人になる可能性もあったのだぞ……』とか何とかで辛気臭い。知らんがな。

「どんなだった? 俺正直ニトロで女侍とかあんまり思いつきたくないんだけど」

戒厳とかならいいのだが、村正辺りから持って来られると少し飽き飽きというか。
ティトゥスの没個性っぷりから考えて盗賊の頭とかありえそうだ。

美鳥は俺の問いに、プチトマトを持った箸をくるくる回しながら少しだけ考え込む。

「んー、なんていうか──深編笠被ってた」

「……虚無僧?」

女性かどうかすら確認し難そうだが、別におかしな事では無い。
一時期の虚無僧は日本全国を自由に往来する自由を与えられており、魔術師が全国で修業をするにはもってこいだろう。
また、普化宗の僧となれば刑を免れる事から多くの罪を犯した武士が虚無僧の格好をしていた事は余りにも有名だ。
この時代よりも半世紀ほど前に普化宗は廃止され、虚無僧は僧としての資格を失い様々な利点を失っているが、特権を抜きにした虚無僧行脚自体は復活している。
既に生活スタイルの一部にまで馴染んだ虚無僧スタイルを続けている武者崩れが居てもおかしくはない。

「いや、服は普通の和服。それも着流しじゃなくてちゃんとしたやつね」

「ふむぅ、じゃあれか、顔に傷がある系の人か」

「脛に傷があるのかも」

「ブラックロッジでそうじゃない奴なんて居るのか?」

「あたしらが言えた義理じゃないね」

「まぁなぁ」

そもそもTS後の姿がニトロ作品から来ているという確証も無い訳で。
そうなると、顔を隠した別の会社の女性キャラか、元ネタとは全く関係無い理由で顔を隠しているか、普通に元ネタも何も無いありふれたTSであるかのどれかになる。

「ま、どんな理由があれ、ベースになってるのがティトゥスじゃ取り込む意味もそんなに無いんだけどな」

昆布の佃煮と共にご飯を一塊口の中に放り込む。
ティトゥスとの接触はこれまでの周でも殆ど無かったが、これ以降もする必要性を感じられない。
四本腕とか、原作でも大十字が言っていた通り、剣術じゃあ奇襲程度にしか使えない。
剣術というものはそもそも人間の身体で操る事を想定して造られている。
四本腕である事の利点など、手数が増えるだけで剣術とは全く関係無い。
手を増やした処で剣の射程が伸びる訳でも無いし、手数が欲しければ触手でも生やせばいいのだ。

で、旨味になりそうなのは剣術だけなのだが、ティトゥスは俺が生成した蘊奥にあっさりと足止めされている。
この時点で俺からティトゥスへの興味は限りなくゼロに近づけられ、取り込む必要を欠片も感じられなくなっているのだ。
まぁ、魔導書にはもう少し役に立つ記述が載っている可能性もあると言えばあるので、機会があれば取り込んでもいいとは思っているのだが。

「SEEDとのクロス、再開するといいのにね」

「そうだな、本当にそう」

ぶっちゃけ、ティトゥスに期待している事はそれ位だ。いや、期待するなら作者さんにするべきなんだろうけど。
故郷のガンダムクロスオーバーSSに思いをはせながら、プチトマトを連続で口の中に入れる。
思ったよりも付け合わせの味のバランスが取れていたので、プチトマトは障害にしかならないのでここで使い切る。

胡瓜の浅漬ときんぴらでご飯を消費しつつ、窓の外に視線を向ける。
グラウンドで無闇に元気に運動している女学生たち。
その中に、最近馴染の顔を見つけた。

「あれ、大十字か?」

「うそ、どこどこ?」

「あれだ、あれ」

俺が箸で指した先では、大十字を含む二年生の男女が入り乱れて──カバディをしている。
そんな光景を見た美鳥は、どこか感心したような表情を浮かべている。

「昼休みにまで特訓とか、この周の大十字は努力家なタイプの大十字なのかな?」

「いやいや、動きは結構緩めだし、あくまでも食後の運動じゃないか?」

陰秘学科に所属し、フィールドワークにも出掛ける体育会系気味の学生は、多くの場合カバディを訓練に取り入れる。
カバディの特殊なルールで鍛えられる部分が、長期のフィールドワークでは御馴染のダンジョンアタックでは非常に役に立つ。

例えば攻撃者(アンティ)を複数の守護者(レイダー)に取り囲まれるという状況は、常に人数を確実にそろえられるわけでは無く、
あえて敵地に乗り込まなければならない遺跡探索者でもある陰秘学科の学生達にとっては馴染まなければならない状況に酷似している。
点を取る工程もまたしかり。アンティがレイダーを触って自陣に戻れば一点というのは、敵に必殺の一撃を叩き込み、他の敵に袋叩きにされる前に味方の多いスポットに逃げ帰ったり、
もしくは自分が敵を誘い出す囮となり敵を自陣近くにおびき寄せ、味方全員で確実に撃破する行為に似ている。
レイダーにタッチされてアウトになり、アンティが次にレイダーをタッチするまでは行動不可というのも、
敵が人質を取れる程度に知能の発達した相手だった場合を想定していると考えれば不自然な所は無い。
アンティが『カバディカバディ』と連呼しなければいけないのも、魔術の詠唱や味方への指示の応答を行いながら動く為の訓練になり、
更には相手の拠点に有毒ガスが充満している時に呼吸を可能な限り少なくする訓練になる。
このように、カバディは集団戦闘における基本を学び、それに必要な体力を鍛えるには最適なスポーツなのだ。
……というのを、俺と美鳥が二年に上がる頃に単独で調査に出て行方不明になる予定の講師が言っていた気がする。

「お、大十字がアンティになるね」

「……うん、やっぱり大十字の動きは他の連中より頭一つ抜けてるな」

基本的に、大十字九郎のスペックは、彼(今は彼女だが)がこの世界の主人公である事を抜きにしてもかなり高い。
肉体派文科系という呼び名は決して蔑称ではなく、運動能力と思考能力のどちらにも優れている事を示す尊称なのだ。
伊達にループが始まる前に流しの魔術師なんてやっていた訳では無い、という事だろう。

「でも、ローライズジーンズは運動に向かないと思うんだが」

なんでこう、アーカムシティの連中はスタイリッシュな服装しかできないのか。
もしも俺に元の世界と行き来する能力があれば、今直ぐにでもファッションセンターしまむらに向かい、独特の奇妙な柄の入ったTシャツとかを買ってきてやるというのに……!
ああ、そういえば持ってきた荷物の中に、福袋に入ってたけどダサ過ぎて着れなかったしまむらのジャケットがあった気がする。今度おみまいしてやろう。

「違う、違うんだよお兄さん……」

俺の言葉に、しかし美鳥は悲しそうな表情で頭を振る。

「あれは、ワンサイズ小さくした方が安いから、だから大十字は……」

泣きそうな表情で言葉を詰まらせた美鳥の頭に手を乗せ、ポンポンと叩いて宥める。
人を哀れと見下す事で自らの優位性を再確認し、その上で格上の人間目線で格下の相手を憐れんで悲しむという娯楽を会得するとは、美鳥も成長したものである。

「そうか。……そうか」

大十字も、大変なんだな。
だが、さりげなく俺の弁当からメインを取ろうと近付いていた美鳥の箸は見逃せない。
美鳥の日緋色金製の箸を、俺のオリハルコン製の箸が半ば程でつまみ、そのまま捻子切る。

「あたしの棒が、お兄さんの棒に!」

「グロ注意な感じに聞こえるな」

ヌードフェンシングとか特命係長的な意味で。
ともかく、何故か常よりも貧乏な感じの大十字ではあるが、それで基礎スペックが落ちている訳でも無く、動きにくい服装でも十全にその実力を発揮できている。
カバディカバディと呟きながら、躍動感あふれるステップでレイダー達の守備を抜き自陣と敵陣を往復し点を稼ぐ様は見事としか言いようがない。
これこそが、大学で魔術師としての英才教育を受け続けている時点での大十字の実力なのである。

ただ、

「あ、倒れた」

腹ごなしとは、須らく腹を満たせる程度に食事が取れている人間が行うべき行動であるという事を、大十字は何よりも先に学ぶべきだろう。
電池切れを起こした玩具もしくは、いきなりコンセントを抜かれた家電の様にぷつりと動きを止め、顔面からグラウンドへと倒れこむ大十字。
周囲の連中は慌てる事も無く試合を中断、担架に乗せて大十字を保健室へと運んで行く。
ミスカトニック大学陰秘学科のカバディは、その試合の苛烈さからこういった退場者も珍しくはない。
まぁ、大十字の様に空腹で倒れる者は極々僅か(むしろそんなの大十字しか居ないが)なのだが。

「同じ倒れるのでも、前のめりか」

口の箸が吊りあがっているのが分かる。
TSしようと、嫌味なエリートになろうと、神経質になろうと、大十字の根っこの部分は変わらない。

「後で見舞いにでも行く?」

「飯食い終ってからな」

どうせ点滴で栄養補給とか受けてるだろうけど、何か栄養になるものでも持って行ってやろう。
運ばれていく大十字を見下ろしながら、俺はオニオンリングへと箸を伸ばすのであった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

ゆらゆら、ゆらゆら、ゆらゆら。
どこか定まらない私の意識は、何時のものとも、誰のものとも付かない、夢とも現とも言い切れない、そんな光景を眺めている。

それは、私によく似た男の人生。
私と同じようにほんの少しのオカルト趣味だけを武器に、たった一人でアーカムに渡った男。
私と同じようにミスカトニックに入学し、私と同じように勉学に励み、私と同じように、世界の裏の姿を垣間見て──
でも、その男は、壁にぶつからなかった。
自分と同年代で、それなのに自分よりもずっと強い、そんな馬鹿げた連中になんて、出会う事も無く。

そんな中、男は一組の兄妹に出会った。
それはミスカトニックに入学して三年目の時かもしれないし、二年に上がって直ぐだったかもしれない。
何時、彼等に出会ったのか。
そんな、簡単に分かりそうな事だけは、あやふやなまま。

『初めまして、先輩』

『先輩、図書館ですか? 付き合いますよ』

『先輩落ち付いて、発泡スチロールは食べ物じゃありません』

『先輩、誘拐は犯罪です。自首してください』

男と男女の平穏で奇妙な──一部過激で奇抜な日々。
その中に覚える、奇妙なデジャヴ。

────ああ、そうか。

立場の全く異なる彼等の視線。
そこに込められた気易い感情は、性別すら異なる自分に向けられた物と、なんら──

―――――――――――――――――――

「ははらあいおあ」

何事かを口にしながら、私は目を覚ました。
夢というのは不思議なもので、眼を覚ましても鮮明に覚えている時もあれば、欠片も内容を思い出せない時もある。
多分、私は夢をみていたのだろう。起きぬけに何かを口にしてしまうような夢を。

「……もぐ」

口に咥えた何かを咀嚼し、私のぼやけた思考が少しだけ鮮明になった。
起きぬけに何か言葉を口にしようとしていた私は、無意識のうちに何か食べ物を口にしていたらしい。

「半覚醒状態でも喰らい付いてくるとか、すげぇハングリー精神だな」

ハングリー精神を持っているんじゃなくて、極普通にハングリーなだけだ。
口に食べ物を銜えたままである為にそんな事も言えない私は、声のする方に視線を向けた。
ベッドから背を浮かせ、半ば起き上がった状態の私に呆れた様な視線を向ける、吊り目気味の少女。

「ひほひ」

「ん」

口に何か──おそらく焼きそばパン──を銜えている為に酷く曖昧な発音になってしまっている私の呼びかけに、美鳥は軽く手を上げて応える。
美鳥がなぜかにやにやと嫌らしい表情を浮かべているが、その理由が分からない。
とにかく口の中に入っている焼きそばパンを、慌てず騒がず、じっくりとよく噛んでしっかり味わいながら片付けようとして、
……私は、銜えている焼きそばパンが、何か細い糸で括られている事に、ここでようやく気付く事が出来た。
私は咀嚼を止める事なく、これまた視線だけで糸が何処から垂れているのかを辿る。
視線は赤い紅ショウガの乗った焼きそばパンから糸へ、糸は当然の様に上から垂れ下がっていて、私の視線はよくしなる先の尖った棒の先端へと到達した。
糸の長さは、一メートルと少しくらい。
糸の出所である棒──釣り竿の根元に向けて視線を動かす。
釣り竿は私の寝ているベッドの頭の方へと続いており、普通の釣り竿の半分程の長さしか無く、

「おはようございます先輩」

目覚めて直ぐ見るにふさわしい程に、無駄に朗らかな笑みを浮かべた、小憎らしい男の顔。
鳴無卓也が、焼きそばパンの吊るされた釣り竿を手に、目覚めの挨拶を掛けてきた。

その事実に私は一瞬だけ『この状態からどのようにして先輩としての威厳を保つか』という思考を巡らせ──

「おふぁほふ」

──諦める。
将棋で例えるなら、自分は香車に飛車角そして歩が全てない初期配置、卓也は歩が全部飛車になっている様な。
当然の如く私は後手。ルールがどうとか勝負がどうとか以前に、完全に詰んでいる状態だ。

空腹ではしゃいでぶっ倒れて、運び込まれた保健室で見舞いに来た後輩に餌付けされる。
ミスカトニックの歴史は長い。たまにはそんな学年首席の先輩が居ても良い。
きっと人生とはそんなもの。
私の人生は特に。

頬を、熱い物が伝う。

(嗚呼、焼きそばパンが、さっきまでより、少しだけしょっぱい……)

それでも、私は焼きそばパンを食べる事を止めない。
食べる事は生きる事だ。
ただでさえ運動で塩分が身体の外に排出されているのだから、回収できる分は回収しておきたい。
ああ、こうして今日もまた後輩に食事をたかっている。
いや、むしろ餌付けされている。こいつら風に言うとEDUKEされてしまっている。
惨めだ。私はなんてダメな先輩なんだろうか。

「むぐむぐ」

自棄酒、は、酒呑まないし。
自棄食いでもしたい所だ。

「んっく……、卓也、美鳥」

情けない自分をなじりながらも、身体は貪欲に焼きそばパンを貪り、喰らい尽くす。
口元の食べカスを袖で拭き取りながら、後輩二人に改まった表情で向き直る。

「あー?」

「なんでしょうか」

「おかわり」

焼きそばパンを失い空しく宙に揺れる糸の輪に指をひっかけ、くいくいと引っ張りながら催促。
恥知らずと思われるかもしれないが、はっきり言おう。
栄養補給の為なら、人は容易くプライドを捨てる事ができる……!
というか、私のプライドがズタズタなのはほぼこいつらのせいと言っても過言では無いので、これ位はしてもらっても良いかなと思う次第だ。

私の発言に、卓也と美鳥は顔を見合わせる。
まぁ、この状況であからさまに追加を頼むのはこれが初めてだから、戸惑うのも仕方が無いのかもしれない。

「焼きそばパンは無いけど、こしあんのパックならあるぜ?」

卓也と視線を外し、美鳥はおもむろに懐から黒いペースト状の物が詰まった袋を取り出した。

「あいにく、二つしかないけど」

「いや、十分だ。ありがとう」

受け取りながら、思う。
……こいつは何を思ってこしあんを二つも懐に忍ばせていたのだろう。
しかし、あんこだ。
甘いものは大好きなのでどんとこいなのだが、流石にこの袋に穴を空け、こしあんだけをちゅうちゅう吸い出すのは酷じゃあ無いだろうか。
そう思っていると、釣り竿を手放した卓也が懐から茶色いブロック状の何かを取り出し、おもむろに私に向かってさし出してきた。
微かな湯気と共に、ほのかに香ばしい匂いがする。

「こちらは焼き立ての食パン一斤しかありませんが、これで足りますか?」

「十分さ。でもな」

「はい?」

「そろそろ突っ込んで良いか?」

「普通に駄目ー☆」

美鳥に封殺された。
イラっとくる言い方だったが、ここは堪えておく。

「そっか」

何しろ、ここはミスカトニック大学。
懐にあんこや焼き立て食パンを入れるくらいどって事は無い。
教授からして、露出の多いひらひらした服装の爺を連れていると噂されているんだ。
懐に何か入れていた程度なら、

「後で覚えてろよ」

もう私は自分を誤魔化せない。
カロリーに不自由しなくなったら突っ込む事にしよう。

「ぼそっとそういう事呟くの止めてくださいよ」

「ちょっと怖いぜ?」

「あ、わりぃ。本音だけど口に出しちゃまずかったよな」

嫌そうな顔をした二人に謝りつつ、食パンに指を付き立て切れ目を入れていく。
後はこの中にこしあんを突っ込めばあんぱんの完成だが……。物足りない。
作業を中断し、あんぱん作成作業を微妙な表情で見守っていた二人に訊ねる。

「なぁ、私の鞄知らないか?」

「ああ、知ってる知ってる。カッコいいよな」

「あれ何処のメーカーでしたっけ」

「そうじゃなくて」

まさかここでボケられるとは思わなかった。
因みに、鞄自体は何の変哲も無いショルダーバックで、メーカーはそこらじゃ見かけない様なマイナーなメーカーだ。
あの鞄は母さんが生前使っていたものだし、案外倒産しているのかもしれない。

「冗談ですよ」

言いつつ、卓也は椅子の下に手を伸ばし、私の鞄を差し出した。

「チームの連中が一緒に持ってきてくれてたから、後でお礼言っといた方がいいぜ」

「いや、あいつらに試合誘われてなきゃ、そもそもこんな事態にならなかったんだけどな」

美鳥への反論を込めた私の言葉に、卓也は呆れの表情。

「カバディは栄養失調の時にやっていいスポーツじゃありませんよ?」

「仕方ないだろ、助っ人で食券一週間分なんて言われたら」

勿論、この場で言う一週間分とは常人の一週間分の事だ。
私なら三週間は持つ。
ていうか、あんな風に昼休みの他の連中と遊んだりなんて、少し前は考えられなかった。
勉強を教えたり講義でフォローしたりはしても、それ以外で付き合える連中とかは殆ど居なかったし。
別に落ちぶれた訳でも無い、けど、

(なんか私、大学生してんなぁ)

こういう風に振舞えるのも、悪くないかもしれない。
そんな事を思いながら、鞄から今日の昼食の余りを取り出し、蓋を開け、付属のナイフで食パンの切れ目の中に塗りたくっていく。

「……ハハッ」

美鳥がこれまで一度も聞いた事の無いような乾いた笑い声を挙げ、

「……」

卓也も同じく、これまで一度も見た事の無いような渋面で閉口している。
なんだろう。この雰囲気は少し食べ辛い。

「ええっと、普通、だよな? あんバターぱん」

恐る恐るの問いかけに、美鳥は顔の半分だけの笑い顔で答えた。

「うん、美味いよなー。あたしはマーガリン派だけど」

今の美鳥の言葉は何処か乾いている気がする。
白々しいというか、なんというか、ここではない何処かに向けているというか。

「いや、先輩、そうじゃなくてですね」

「うん?」

首をかしげていると、卓也は私の顔を見、何かを思い悩むかの様に身体を捻り、苦しそうに思考を巡らせる。
やがて、認めたくない事実を認めた様な、何かを決意した表情で私の眼を真っ直ぐに見詰めてきた。

「これは、有り得ないと思うんですが。…………昼食ですか?」

言いながら、卓也は私の弁当箱──特売で安売りしていた五百グラムバターの箱を指差す。

「ああ、安くていいよな。カロリー高いし」

ほんのり塩気があるのも良い。他の調味料の節約にもなる。
金が入って暫くはトーストに塗って食べられる。
トーストを高いと感じ始めたら、肉屋で貰った屑肉を焼いて食える。
屋台で土下座交渉してタダ同然で譲って貰った屑野菜につけてもおいしい。
野草に付けても悪くないと思う。
猫、タヌキ、イタチ、ネズミ、アブラゼミ、ザリガニ。どうにかなる。むしろ意外と行ける。
メインの食材がどうにもならなかった時、そこにご飯と醤油がある物と想定して、エア・バター・ライス。涙で塩気が増す。心は死ぬ。
でも、そのカロリーのお陰で生きて居られる。
人が生きる為に糧を求めるのは天然自然の理であり、何ら天に恥じる行いではない。
そう思えば、これも悪くない弁当じゃないか。

「人にたかるのを勧めたくはないのですが、シスター・リューカに御馳走して貰っては?」

「そうしたいのはやまやまなんだけど」

シスター・リューカは、近所の教会で孤児院を営みながら生活している、黒髪の清楚な女性だ。
模型の飛行機やハーモニカなどなど、清貧を良しとするシスターにしてはやたら趣味が多く、料理のバリエーションも豊富である。
以前行き倒れていた所を助けて貰って以来、食事や生活に困った時などに助けて貰っているんだが……。

「ああ、また山篭りですか」

「そうなんだよ、ガキどもも一緒に連れてっちまったから、教会にも入れなくて、こんな具合な訳だ」

「勝手に教会に入るのは不法侵入だけどなー」

シスター・リューカの一際目立つ特徴として、趣味の空手がある。
小さな頃から習い事で修業を繰り返し、今では通信教育空手十段だとか自称していた覚えがある。
通信教育で十段まで段位を上げられるのかとか、シスターで空手ってどうなんだとか思う事は多々あるけれど、その実力は確かだ。
街の公園に遊びに行ってヤクザ達に誘拐されそうになった子供達を、単身ヤクザの事務所に乗り込んで大立ち回りを演じて連れ帰ってきた武勇伝は今でも語り草である。
まぁ、アーカムシティを守る黒い天使も空手を使うし、以外とアーカムシティでは空手はメジャーなスポーツなのかもしれない。

「小さい内から筋肉付けると、背が伸びなくなるって言うけど、大丈夫なんですかね」

「んー、リューカさんは『子供たちには身体の動かし方を教えてるだけ』とか言ってたから、大丈夫なんじゃないか?」

「あたし、あの孤児院のガキどもがスーパーのガラスを姿見にして、ボディビルなポーズ取ってるの見たよ」

「あ、それは俺も見た。だから心配して『ナイスバルク! ナイスカット!』と声をかけてやったんだが、あいつら照れ笑いと返礼のポージングしかしなくてなぁ」

「完全に手遅れじゃねぇか」

そんなこんなで会話を楽しんでいる内に、遂に『大十字特製・食パン丸ごと一斤あんバターパン』が完成した。
こんな事を言うと馬鹿だと思われるかもしれないけど、私だってやはり甘い物には目が無い。
このどこから齧り付けばいいか迷ってしまう素晴らしいあんバターパンの姿には感動を覚えてしまっても仕方が無いと思う。
だが、齧りつく前に。
パンを提供してくれた卓也と、餡を提供してくれた美鳥、そして、バターを提供してくれた何処の出身とも分からない牛の事を思いながら、手を合わせる。

「いただきます」

―――――――――――――――――――

「もっふもっふもっふもっふもっふもふもふもふもふ」

ベッドに座ったまま幸せそうにパンに顔を埋め、端から綺麗に食パンを胃に収めていく大十字。
明らかに餡もバターも無い部分が大半なのだが、時折パンを乗り越えて垣間見えるその表情は幸せそのもの。
ギャルゲ的に言えばスタッフロールが流れ終わった後にこの笑顔が大写しで写って、右下辺りに『fin』とかつけられても違和感が浮かばない程の素晴らしい笑み。
とてもこんな雑な料理に出していい顔ではない。

【美鳥、なんでこの大十字はこんなに欠食気味なんだ?】

正面から見ると殆ど食パンマン状態の大十字を眺めながら、通信で美鳥に問いかける。
常の大十字も結構金回りに不自由していたが、それでも最低限文化的な生活は送っていた筈だ。
それでも金が足りない場合はアルバイトをしていたし、これほど不自然に飯に困る事はそうそう有り得なかった。
一度、調子に乗って車を買って最後(門の向こうに行く前)までローンを支払い続け、貧乏探偵バージョンもかくやという貧窮ぶりを見せた大十字も居たには居たが……。

【女の子って、男と比べて普通に生活してても金が必要になるもんなんだってさ】

【はぐらかさずにそこんとこkwsk】

【生理用品、スキンケアにボディケア用品、化粧品、おしゃれ、細かく分けてったらそれこそ切りがないよ。身支度に時間掛かるからバイトの時間もなかなか取れないし、短期の肉体労働はこの時代男性向けばっかりだしね】

「なるほど」

俺も、昔は姉さんに買い出しを頼まれていたからよく分かる。
特に生理用品は消耗品だし、化粧品は安物をそろえても無駄に高くつく。
ここが元の世界なら、時代的に百円ショップなどが存在するのだが、この時代にはそれすら無い。
化粧品、生理用品、スキンケア用品をこの時代の適正価格で揃えると、その値段は馬鹿にならない。
衣服は古着で済ませるにしても、御洒落に気を使うなら最終的には値段も張ってしまう。

……恐らく、既に故人であるこの世界の覇道鋼造は、目の前のTS大十字に送る資金の設定を自分と同じにしてしまったのだろう。
男の一人暮らしが最低限送れる生活費では、女性が女性らしい生活を送るのには不足なのである。
これでTS大十字が喪女だったりすればどうにかなったのかもしれない。
が、残念な事にTS大十字は少しだけ見栄っ張りだったりする。
メイクも薄目のナチュラルメイクだがほぼ毎日欠かさないし、服装は相変わらずそれ何処で売ってんのと聞きたくなる様な御洒落服。

「もふ?」

パンから口を離さず、大十字は視線だけを俺に向け首を傾げる。
俺の『なるほど』に反応し、どうかしたのかと問いたいのだろうけど、そのアクションはあざとい。
女性の嗜みが三大欲求でも生死に即座に繋がる食欲を無視してまで満たすべき要綱なのかは置いておくとして、大十字の困窮の理由は理解できた。

「先輩」

「んぅ?」

丁度食パン一斤を半分食べ終え、頬袋の中にパンを入れたまま鞄の中から水筒を取り出している大十字に向け、俺は一つの質問をする。

「月の終わりになると、やっぱり食料関係で苦しくなりますよね」

「おう。終りっていうか、金が入ってから半月もすれば道草の準備を始めるぞ」

言うまでも無いが、ここで言う道草とは道路やアパートの脇にたまに生えている食べられる野草採取の意味を持つスラングである。
因みに、アーカムシティの様な都会に生えている野草はかなり車の排ガスなどの成分を吸収している為、決して健康に良いとは言えない感じなので、素人は決して真似をしてはいけない。
どうしても野草が食べたいなら、郊外の車通りの少ない山道にまで出てから採取する事をお勧めする。閑話休題。

とまれ、半月で資金が切れるのは流石に予想外だったが、それなら心おきなく提案する事が出来る。

「実はうち、家庭菜園で野菜(遺伝子組み換え済み)を作っているのですが、三人家族だとどうしても食べきれなくて余してしまうんですよ」

「!」

「落ち着け」

ガタっ、と音を立ててベッドから半立ちになる大十字とそれを片腕で抑える美鳥。

「家庭菜園っても、やっぱり肥料とか何やらで結構金を積んでるんで、ただ捨ててしまうのは」

台詞の途中で、がっしと手を掴まれる。
見れば大十字はベッドの上で膝立ちになり、美鳥の静止すら押し切って此方に手を伸ばしていた。
大十字の手は、大学の実戦民族学の講義やなにやらのお陰か、所々小さな傷が見え、年頃の女性にしては少し節くれ立っている。
が、生来の骨格や筋肉の付き方からか、全体的にはしなやかで、あくまでも女性である事を主張している様にも感じる手だ。

「ありがとう……、ありがとう……!」

「コングラッチュレーション、コングラッチュレーション、食糧供給源確保、コングラッチュレーション……」

大十字の視界の外で黒服を着てサングラスを掛けた数人の美鳥が祝福する。
これ、誰かに見られたらどう言い訳するんだろうか。
そんな事を思いながら、俺の手を固く握りしめる大十字の手を解くのであった。

―――――――――――――――――――

○月∇日(月日は第一宇宙速度で流れ)

『大十字とアルアジフの出会いの大体半年くらい前だろうか』
『実験野菜の余りを渡すという契約は今も続いている』
『契約、なんて言っても、俺は一方的に大十字に野菜を渡しているだけなので殆ど得をしていない』

『が、契約は契約だ。最初期に取り込んだものだが、俺は悪魔も合計で数十匹ほど(バラバラ死体なので正確な数は不明)取り込んでいる』
『ネギま世界の悪魔にそういう設定が存在するか不明な上、設定があったとしても生かされるような世界ではないにしても、俺の中の悪魔のイメージは契約厳守』
『当然、契約したらしたで契約後にどうやって裏を掻くか、契約内容の隙の突き方なども考えているが、そもそも契約自体稀なので趣味も同然の思考遊びでしかない』

『俺はあくまでも貧困にあえぐ先輩を助ける一後輩として野菜を提供している訳だが、それでも、日常生活で接点が出来ると会話の機会は増える』
『特に大十字に渡す野菜類なんてのは家では食べる気にならない様な特殊系統ばかりなので、調理法の話などで盛り上がる事は多い』
『やはり家で食べる気がしない様な気難しい野菜達ばかりなので、大十字も捌くまでにそれなりに苦労する事が多いと言っていた』

『最近の大十字のお気に入りの野菜は大豆モドキらしい』
『畑の肉とも言われる事の多い大豆だが、この大豆モドキは見た目こそ色の悪い大豆だが、豆の代わりに文字通りの肉が詰め込まれている』
『元になるDNAパターンは、ティベリウスさんの所に飾られていた標本から拝借している』
『食べた量よりも明らかに多い質量の肉腫が身体から生えてくる患者(もう標本だが)から採取したDNAを解析し、大豆やラダム樹その他諸々の素材と幾度も混ぜ合わせ掛け合せ、遂に産まれた奇跡の作物だ』
『大十字はこれを定期的に栽培してくれればキスくらいしてやるぜとか言っていたが、別に必要でないので丁重にお断りの舞をしておいた』
『しかし、大豆と人肉とラダム樹の合成生物(分類としては植物とも動物とも言い切れない感じになってしまっている)が好物とか、今回の大十字は随分と猟奇的な味覚をしている』
『美人なら猟奇的でもいいなんてのは一部の特殊な性癖の持ち主達の間でしか通じない』
『俺は大十字との付き合い方を考え直す必要があるのかもしれない』

―――――――――――――――――――

「なるほど、今度の大十字九郎は、人肉嗜食であったか」

夢幻心母中枢、玉座の間にて。
タカリグラさんがアーカムを離れているという情報をラーメン三杯と引き換えにかぜぽから手に入れた俺は、久しぶりに大導師との謁見を行っていた。
因みに、今日はあくまでも謁見であり、お茶会の様な雰囲気にはなっていない。
割と真面目な話なので、お菓子でも食べながら、という風にはいかないからだ。

そんな訳で手土産はお付きのエセルドレーダ♂に渡してある。
手渡すまでに、

・エセルドレーダの顔が紅潮し苦しそうだった。
・エセルドレーダの腰の後ろ辺りからモーター音が聞こえた。
・手土産を渡す際にモーター音が強くなり、エセルドレーダが数度身体を痙攣させ、表情を蕩けさせていた。
・エセルドレーダのスカートの一部分が可愛らしく隆起していて、先端は濡れていた。
・栗の花臭かった。
・大導師は俺が以前にプレゼントした大人のおもちゃを気に入ってくれたのか、遠隔操作用のリモコンをニヤニヤしながら弄っていた。

などというアクシデントがあるにはあったが、それは夢幻心母ではあちこちで行われているインモラルイベントなので気にしないでおく事にする。
……元の世界に帰ってから、ショタがコスプレしたエセルドレーダのアヘ顔画像とか、ネットにアップしたら祭り起きるかな。

「ええ、一般的な魔術師では珍しくも無いと思うのですが、大十字の様なタイプの魔術師にしては珍しいですよね」

ぐすぐすと涙目でスカートの中にティッシュを突っ込んでいるエセルドレーダに密かに集音マイクと高感度カメラを向け続ける美鳥を横目に見ながら、まずは相談の前の軽い雑談。
これまでの大十字に渡した作物や、それを食べた大十字の感想、普段の大十字がどのように過ごしているかから始まり、最近の大十字の食事の方向性の話になった。
やはり、TSしても大導師殿は大十字にご執心である。
ガチレズの匂いがする!
同性愛者とか非生産的なので軽蔑しますが、良い歳した大人なので態度には出しません。

「ふむ、食人と言えばティトゥスだが──、いや、そうか、そうだったな」

屍食経典儀の主である魔術師の名前を呟き、何事か思い出した素振りをして、一人で納得する大導師。

「魔術でなく、個人的な嗜好の一種であれば、常とさして変わりはあるまい」

「そうですね。蓼喰う虫も好き好きと言いますし」

まぁ、ティトゥスの四本腕への肉体改造魔術にしても、途中でカニバーな要素が入っているのだろうが、この場で言及する程繰り返し食人行為を繰り返しているにしては地味過ぎる。
話題に出すまでも無いと考えたのだろう。

「して、大導師殿。そろそろ例の物がアーカムシティに訪れる頃と思うのですが」

例の物とは勿論、ネクロノミコンの源書であるアル・アジフの事だ。
ブラックロッジに入ってからは、大十字を精神的に追い詰める事以外、ずっと非干渉で貫いてきたのだが、せっかくの千周程ぶりの入社である。
大導師の方から何か提案があれば、無理の無い程度に引き受けてもいいと思っているのだが。

「ふむ」

思案顔の大導師。
手の中のリモコンをカチャカチャ弄りながら、しばし唐突にその場で膝から崩れたエセルドレーダを眺め、

「貴公は、今周は何もしなくとも良い」

虚ろな瞳のエセルドレーダが半開きになった口から涎を垂らし始めると同時、大導師は俺に向き直り、そう告げる。

「いいんですか? そりゃ、常の周に比べれば選択肢は少し減ってますけど、くっつけようと思えばくっつけられますよ?」

攻略不能になったのと言えば、ライカとリューガが立場を入れ替えて、TS周なのに神父でなくシスターのままの教会ルートだけ。
しかもこれは俺ではどうにもならないルートなので、実質以前までと変わらない数のルートが存在しているのだ。
なんだろう。大導師は、俺が居なかったここ千周程で、もう大十字を追い詰める必要もなくなる程に強化されているのだろうか。
ぱっと見ただけだと、まだ少なくともトラペゾ召喚が出来るほどではないと思うのだが……。

「貴公も、元を正せば大十字九郎の後輩としての時間も長かった事であろう」

「どっちかって言えば、大十字の後輩ってより、ミスカトニックの学生って気分の方が強くはあったんですけどね」

「ならば、なおさらだ」

俺の反駁に、大導師はその美貌に魅力的な笑みを浮かべる。

「そうだな、逆にこの周では、大十字九郎の味方として動いてみよ」

「その過程で、他の社員や逆十字と相対した場合は?」

「貴公ならばどうとでも出来るだろう?」

つまり、どうとでもしていい訳だ。
そういう事なら話は早い。
正体を隠しつつ、光に陰に主人公をサポートするサブキャラ枠ってのは、一度やってみたかったんだ。

「では、今周は出社している時以外は大十字九郎の後輩として振舞う、という事で。それでは、また次の謁見の時に」

「貴公の働き、楽しみにしている」

背を向け、美鳥を引っ張りながら去る俺の背に、大導師の面白がる様な声が掛けられた。
折角雇い主に期待されているのだから、不自然でないレベルに抑えて万全のサポートをしよう。





つづく
―――――――――――――――――――

延々本編ストーリー前の流れを描き続けるとか気が滅入るので、時をふっ飛ばす。
現時点ではまだ普通の美少女に見えるティベリウスの初登場と、例によって例の如くな餌付けタイム&家庭菜園の野菜お裾分けな腹ペコ大十字な第五十八話をお届けしました。

ここで自問自答。
Q,ティベリウスさんが思ったよりもまともだ……。
A,いいのかい? まだティベリウスさんは服を着ているのに、何のギミックも無いだなんて考えて。
Q,ティベリウスさんの口調、元ネタと大分違わないか?
A,そもそもティベリウスさんはTSしても殆どキャラが変わっていない。何故なら本体は常のループと同じく魔導書に融合した魂だからだ。
肉体面で見ても、ゾンビ化させて操る肉体は脳味噌を摘出されている。
その為、旧ボディのあほっぽい喋りもフランケンな現ボディ時の医学の発展の為に的思想や口調は、全てティベリウスさんの『男好きのする魅力的な女性とはどういうものか』という試行錯誤の為のロールプレイでしかない。
という、演技しながらだから口調がぶれても問題無い設定が詰め込まれている訳です。
Q,ティトゥスはどうしてしまったの?
A,正体を隠したいらしいです。明かせるかは展開次第。
Q,大十字の夢、RS?
A,第三次大戦だ。
Q,大十字が貧乏探偵ばりに貧乏なのは?
A,女性って何かと必要になってきますから、金がかかりそうですよねって話だった訳です。
Q,エセルになんて真似を。脈絡が無いじゃないか。
A,だって、『今日という日を明日にする事さえ、欲望だ』なんて言うから……。
A2,例えるならそう、『エセルみるく』とでも名付けるべきでしょうか、ハッビバースデー!!

そんな訳で、次回にはTS大十字とTSアルアジフが出会うといいなと願っています。
ていうか原作沿いでも十分イベントは起こせる(というか、やりたいイベントは原作に沿わせて進めれば特に問題なく書ける)と思うので、次回は無理矢理にでもアルアジフとの邂逅をやらせます。
原作と変わらない戦闘シーン諸々は飛ばしてくと思うので、そこんとこヨロシクお願いします。
ショタ瑠璃は次回か次々回辺りに出せればいいかなぁ。

それでは、今回の後書きもここまで。
誤字脱字の指摘、分かり難い文章の改善案、設定の矛盾、一行の文字数などのアドバイス全般、そしてなにより、このSSを読んでみての感想、心よりお待ちしております。








この国でも結構あるんですよ。大人の女性がいたいけな少年に手を出す事件。
つまり幼女に手を出すから犯罪なんじゃなくて、児童に手を出すから犯罪なんですね。
で、なんでしたっけ、空からショタが降ってきたから、引き取って同棲する?
ははは、こやつめ、ははは


次回、第五十九話

『児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律を遵守せよ』

大十字先輩、ちょっと署でお話しましょう。カツ丼くらいなら奢りますから。



[14434] 第五十九話「女学生と魔導書」
Name: ここち◆92520f4f ID:190f86b3
Date: 2012/12/08 21:37
「そんな訳で、今回の失敗……もとい、実験……もとい、びっくりどっきり……もとい、ええと、そう、試作品になるんですが」

何度か言い直し、卓也は籠に入れられた、大きな鉄球の様な物を九郎に手渡した。

「このボーリングの玉が?」

一見して、それは巨大な鉄球か、穴の開いていないボーリングの玉でしかない。
籠に入ったそれをおっかなびっくり撫でまわす九郎。

「それは極めてデリケートな内部の果肉を守る為の皮です」

「そりゃ、生物学的に見りゃそういうのもありなんだろうけど、流石にこれは割れないだろ」

九郎が軽く拳で球体を叩くと、ごつごつとした感触だけが返ってくる。
内部が空洞になっている様な感触すらない。
外殻が異様に堅く、分厚いか、振動を伝わせない構造になっているのかもしれない。
どちらにせよ、一般的な家庭の調理器具で破壊できる様な素材である風には、九郎には感じられなかった。

「それもそうですね。これは捨ててしまいましょう」

卓也もその事を薄々分かっていたのかもしれない。
九郎が抱える籠の取っ手に手を伸ばし、自らの方に引き寄せる。
九郎もそれに抵抗せず、卓也に差し出す様に籠を落ち上げ──

「もったいないけど、仕方がないか。次はもう少し食べやすいのを持ってきてくれると──」

「中身は海老か蟹にも似た味わいの筈なんだけどなー。割れねぇんなら関係ねーよなー」

美鳥の一言で、籠を一瞬にして自らの腕の中に引き戻す。

「──だめじゃないか卓也。食べ物を粗末にしちゃあ」

眉根を寄せ、『めっ』と、人差し指を立てるジェスチャー付きで卓也を注意する九郎。
もう片方の手は、まるで愛しい我が子を抱く母の腕か、誘拐した子供を捕まえる犯罪者の腕の様に、球体の入った籠を抱きかかえている。

「……割るんですか? 言っときますけど、洒落じゃなくてマジで堅いですよ? 斬鉄閃どころか極大雷光剣収束型も通らない強度ですよ?」

「任せてくれって。これでもお前らの先輩なんだ、情けない所は見せらんないだろ?」

困惑する卓也に、九郎は悪戯っぽい笑顔でウインクをしてみせた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

主、曰く。
人はパンのみにて生きるに非ず。
されど、また曰く。
パン無しには生きられず。

「自由とか娯楽とかはいい。メシを食べなければ」

人民に、パンと自由を。
だが人民に自由と娯楽が等しく行き渡ったとしても、それは必ずしも生きる糧を得る事には繋がらない、というのが私の持論だ。
別に、私の政治的主張が真っ赤っかという訳では無い。
自由は勿論欲しいし、娯楽もあるに越したことはないと思う。

しかし、何のかんのと主張した所で、人は結局生きるところから始めねばならず、その為に糧を得る必要がある。
こうして、神の教え、救いを広める教会の前に立つとつくづくそう思い知らされる。
かくいう私も、普段は無神論者を気取っておきながら、生きる都合が付かなくなると途端に神の御膝元へと跪く訳だ。

ああいや、生きる都合がついていない訳じゃあない。
実の所を言えば、ここ一年半程は食べ物に困った事すら無い。
それというのも全て、先輩思いの後輩の支援あればこそ。
毎朝毎昼毎晩、殆ど途切れる事無く食用の野菜、米、パンを食べ、一年だった頃とは比べ物にならないカロリーを摂取していると言っても良い。
まぁ、課外授業やら何やらでそのカロリーは消費されるので、今のところダイエットの心配はしなくていいんだけど。

「リューカさん、居る?」

両開きの大きな木製のドアを開け、礼拝堂の中を見回しながら大きすぎない声で呼びかける。
手には木製の大きな籠に入れられた、先日卓也から貰った黒い球体と、比較的大人しい外見の野菜達。

──日々の糧を得る事に成功し、不自由の無い食生活を送れるようになっても、私はやはり教会に足を運んでいる。
当然、私は信心深い信者という訳でも無いし、定期的に教会に訪れて聖歌を歌う習慣がある訳でも無い。
私が教会に訪れる時というのは、暇な時にガキンチョ達の遊び相手をしてやる時か、この教会のシスターであるリューカさんに頼み事がある時だけ。
我が事ながら、現金な奴だと思う。

「…………」

礼拝堂の中に視線を向けて直ぐに、探していた人物を見つける事に成功した。
礼拝堂の中央、大きな十字架の前に跪き、静かに祈りを捧げる空手着の女性。
組んだ掌を額に当て、眼を伏せて祈る表情からは、何を思って祈っているのか察する事も難しい。
だが、その祈りが真摯なものであるという事だけは良く伝わってくる。

この孤児院を兼ねた教会を治めるシスター、リューカ・クルセイドことリューカさんの朝は早い。
早朝五時少し前には目を覚まし、日課である朝の運動をこなす。
一通りの空手の型稽古を済ませてからの、毎朝毎晩の正拳突き。
千回だとか一万回だとか言っていたけど、空手に詳しくない私でもそれがかなりハードな修行だという事だけは分かる。
これでも一時期はかなり切り詰めた生活をしていたのだ、どの動作がどれほどのカロリーを消費してしまうかは即座に計算できるのだ。

そして、朝の運動──修行が終わって、朝食を作るまでの時間を利用しての、この祈り。
正拳突きを定めた回数こなし、その上で余った時間を利用しているのだけど、祈りの時間は日々増え続けているらしい。
何を祈っているのかと一度聞いた事があるけれど、曖昧に笑って誤魔化されてしまった。

「……」

流石に、こんな時間に訊ねるのは気が早すぎたかもしれない。
食事、ひいては生命活動を維持する事を至上命題にしている私でも、リューカさんのこの時間を侵してはいけないという事くらいは理解できる。
私は手に籠を下げたまま、息を殺して祈りを捧げるリューカさんの背後に立ちつくす。

「…………、待たせてしまったみたいで悪いね、九郎ちゃん」

数分とも十数分とも付かない祈りの時間が終わり、リューカさんが立ち上がり振り返る。
少し癖のある黒髪に、それに似合わぬ穏やかな表情。
此方に向けられたその笑顔に、先ほどの祈りの表情が重なり、どきりとする。
あのお祈りを見た後では、どっちかっていうとこっちが気を使われた様で、

「あ、いや、それほど待った訳でもねぇし、こんな時間に来る私の方に問題があるっていうか……、えと、おはようございます」

申し訳なくなり、ぺこりと頭を下げる。
しどろもどろになりながらの私の弁解と挨拶に、リューカさんは口元に手を当て、クスリと笑った。

「うん、おはよう。でも、珍しいじゃないか、九郎ちゃんがこんな朝早くからここに来るだなんて」

「そんなに珍しいかな、朝は結構顔出してると思ったけど」

「そうだね、丁度朝食が始まる時間になると顔を出しはするけど、朝食の準備もしてない時間に来るのは珍しいんじゃないかな」

「う」

涼しい顔で嫌味を言うリューカさんに、私は言葉を詰まらせる。
私は朝が弱い。大学の課題の他に、卓也に借りた写本を読んだりして夜更かしする事が多いからだ。
お陰で朝起きたら朝食を作る時間も無い事が度々あり、その度にこの教会にお邪魔して朝食のおすそわけをして貰っているのだ。
私のアパートとミスカトニックの中間地点に存在するこの教会は、大学に向かう前に寄るには最適なのである。
朝食を作って食べる時間が無くとも、大学に向かう途中で完成している料理を分けて貰う時間程度はあるからだ。
が、そんな普段とは違い、私は教会に朝早く出向き、普段は持って来ない様な差し入れまで持って来ている。
不審にも程があるだろう。が、ここで引くわけにもいかない。

「なんていうか、今日はちょっとお願いしたい事があって」

言いつつ、黒い球体と野菜が入った籠を差し出す。
実のところ、以前にもリューカさんの所に卓也からの差し入れを持って行った事はある。
が、リューカさんはその野菜達の特異な外見を目にして、普段はしないような困惑の表情を浮かべていた。
最終的には持ってきた野菜のほぼ全てを受け取ってくれたのだが、どうしてか『大豆モドキ』だけはなんのかんのと理由を付けて私に返してきた。
基本的に、リューカさんは心優しいお姉さんだ。友人知人からの差し入れを断る事は無いのだが……。
まぁ、大豆モドキは見た目の色が悪いし、触った時の感触も中の豆が肉に近い感触をしているからか、ぐにっ、として気持悪いので仕方が無い。
なにしろリューカさんは三人の孤児を養っているのだ。
何気に私よりも食べられる野生動物や野草に詳しく、胃腸も恐ろしく強靭なリューカさんならともかく、育ち盛りの子供たちに怪しい作物を食べさせるわけにはいかないのだろう。

「九郎ちゃんが割と普通の野菜を持ってくるなんて珍しいじゃない、か?」

棘や不可思議な色彩を除けばまともな野菜が詰められた籠を受け取り、リューカさんは少し遅れて野菜に埋もれる黒い球体に気が付く。
人間の脳味噌というのは不思議なもので、そこにある違和感が大きすぎると、それを違和感と感じ取る事ができないらしい。
この黒い球体もそうだ。なまじ周囲を野菜で囲んでいるお陰で、野菜の新鮮さを際立たせる為の飾りに見えてしまいかねない。
案の定、リューカさんは黒い球体に首を傾げ、暫くして何かを納得した様な表情で頷いた。

「なるほど、これは腹筋に落として打撃への耐性を付ける為のアレだね。アリスンも喜ぶよ」

「いや確かにそんな感じで使えそうだけども、私はこれ以上アリスンをムキムキにするつもりはないから。ていうかムキムキにしてやるなよ」

確かにボーリングの玉にしか見えないけど。
リューカさんは再び首を傾げ、ぺたぺたと掌で球体を触り続けた。

「まさかとは思うけど、これは食べ物なのかな」

「分かるんですか?」

見た目は明らかに穴の無いボーリングの球でしかなく、食欲を湧き立たせるような要素は欠片も存在してないと思うんだけど。
私の疑問に、リューカさんは拳で軽くコンコンと球体を叩きながら答え、

「触った感触が少し亀の甲羅とかに似ているからね。で、これを割ればいい?」

私が頷くよりも早く、球体に手刀を振り下ろした。
基本的に、空手の、いやさKARATEの達人であるリューカさんの手刀の切れ味はすさまじい。
教会で使用されている暖炉にくべる薪は全てリューカさんが手刀で割っていると言えば分るだろうか。リアル刃物も真っ青な切れ味である。
包丁が折れた時などは料理の際にも使用される。
柔らかい葉物野菜を潰さずに切断できるのは、単純な断ち切る力だけでは無く、その手刀に鋭さが備わっている証でもある。

だが、割れない。
振り下ろされた手刀にゴッ、と鈍い音を立てて跳ね、籠から飛び出す球体。
信徒達が座る長椅子にゴロンと転がった球体はしかし、依然としてその姿を完全なままに保っている。
ありていに言って、傷一つ付いていない。

「…………」

これには流石にリューカさんも驚いたようで、口を開けた少し間抜けな(でも可愛らしく見えるのは美人の特権なのだと思う)表情で呆けている。
しばらく沈黙を続けていたリューカさんが、俯く。
──再び顔を上げたリューカさんは、哂っていた。
その笑顔は透明感があり、純粋で、酷く、凄惨な物に見えた。

「九郎、危ないから、少し離れていてくれないかな。怪我をさせてしまうかもしれない」

「あ、あぁ」

静かな、先ほどまでと何ら変わらない柔らかな口調。
だが、どこか有無を言わさぬ強さを含んだその言葉に、私はただただ素直に頷き、その場から身を引く。
私がある程度距離を取ると、リューカさんの雰囲気が変わった。
三年に渡る修行のお陰で僅かながらに察知できるようになった大気中の字祷子の流れに異変が生じる。

「呼ォォォォ…………」

リューカさんが戦闘時に発する独特の呼気。
あの呼吸法は周囲の字祷子を体内に取り込み循環させる事で力を得る、特殊な気功法の基礎に似たものであるという。
体内を巡る気やオーラ、魔力や霊力などと呼ばれるエナジーを循環させて肉体を強化させる術というのは以外に古い歴史があるらしく、多くの武術において似た技法が伝えられているのだとか。
美鳥が言うには、リューカさんが使うそれは流派毎の特徴を排され、極めてシステマチックなモノとして成立しているらしい。
つまり、無駄が無いのだ。
今リューカさんの体内を循環する字祷子が万一にも漏れ出したなら、この教会程度なら軽く十回は吹き飛んでもおかしくはないだろう。
リューカさんの体内を高速、高圧で循環する字祷子が、リューカさんの癖のある黒髪を獅子の鬣の如く逆立てる。

「──」

呼気が、止まった。
張りつめた空気が朝の教会を満たし、

「綻ッ! 破ァッ!」

次の瞬間、リューカさんは裂帛の気合いと共に、打ちおろし気味に拳を突き出した。
球体に真っ直ぐに突き刺さる拳。
球体が割れるよりも早く、繰り出された拳の余波で長椅子が砕け散り、粉塵と化す。
ステンドグラスから差し込む光が粉塵を照らし、視界を遮る。

「やったか!?」

もうもうと立ち込める粉塵が晴れ、リューカさん渾身の一撃を喰らった球体の姿が露わになる。
其処に存在したのは、やはり球体。
しまった、さっきのでやって無いフラグを立ててしまったか。
だが、そんなアホな事を考える私の目の前で、遂にその球体の表面にうっすらと亀裂が走りだし、

「ふん、他愛の無い」

リューカさんの嘲笑と共に、割れる。
動物の骨の様な断面を見せながら綺麗に左右に割れる球体。
厚さ五センチはあろうかという外殻に守られた果肉が、遂に姿を現す。
無意識のうちに生唾を飲み込み、中身を確認。
分厚い甲殻からは想像も出来ない様な、薄いビニールの個包装。
細長いパッケージの端に記されていたのは懐かしい故郷の文字、『紀文』

「それで、これはどうやって料理すればいいと思う?」

体内の字祷子の循環を止め、普段通りの穏やかな顔に戻ったリューカさんが問う。
私達の目の前には、砕けた長椅子、分厚い甲殻、

「そうだな、サラダにでもしたらば、いいんじゃないかな」

そして、独特の食感のカニかまぼこが、山の様に積まれていた──。

―――――――――――――――――――

つつがなく朝食を終え、三人のガキどもはすぐさまその場から姿を消した。
コリンとジョージが二人してアリスンを両脇からホールドして連れ去ったところから見て、これから昼まで三人で遊ぶのだろう。
アリスンは筋トレと喧嘩に関してはストイックなのだが、こういった場面では女の子二人に引き摺られてしまう辺り、中々不器用な奴だと思う。
……まぁ、あの歳で胸元の空いたスーツを着たり、メイド服を着こなすコリンとジョージの自己主張の強さは半端では無いし、ついつい流されてしまうのも仕方が無いのかもしれない。

「九郎ちゃん、時間は大丈夫?」

「え、ああ、うん。今日は二限からだし」

食器の片づけを手伝い終え、礼拝堂の無事な長椅子の一つの上で寛いでいると、リューカさんに声を掛けられた。
リューカさんは私がミスカトニックに入学して間もない頃からの知り合いだし、私がこの時間に寛げる事を珍しいと考えているのかもしれない。
そう考え、ちらりとリューカさんの方に視線を向ける。

「ふふっ」

リューカさんは最初から私が視線を向ける事を予期していたかのように視線を合わせ、くすりと笑った。
間違いなく私に向けた笑いだと思うのだけど、今の私に笑われるような部分が存在しただろうか。
例えば、服装。今日も今日とて上着の裾から臍を出す程度の事はしている。
が、私にとって臍出しは衣類にかける金を少なくしつつ出来る(布面積の関係で服代が安く上がる)数少ない御洒落だ。これを変える訳にはいかない。
それに、自慢じゃないが、臍出ししてみっともなくなるほど太れた事は無い!

……泣いて無い。絶対泣いて無いからな。

とりあえず気を取り直して椅子から背を起こし、リューカさんの方を向く様に座り直す。

「なんか私、面白い事した?」

「いや、安心したのさ」

「安心?」

首を傾げると、リューカさんが頷いた。
頷きながら私の隣に座るリューカさん。

「だって九郎ちゃん、昔だったらご飯食べてお礼言ったら、直ぐにミサイルみたいな速度で大学に行っていたじゃないか」

「ん……」

言われ、思い出すのは二年ほど前までの自分の生活リズム。
朝起きて大学に行って、一コマ目から一日ぎっしり講義を詰め込んで、家に帰るのは日が沈みきってから。
家に帰ったら一日の講義の内容を復習してノートにまとめ直し、翌日の講義の内容を予習してノートの端に記しておく。
それが終わってからようやく夕食。金と時間の余裕が無い時は抜いた事も多くあった。
そして、次の日大学に持って行く物を纏めてから風呂、身体や髪を洗い終わった頃にはもう眠る時間だ。
だけどここでもう一手間。眠る前に気力を振り絞って、冷蔵庫の中を確認。
食材に余裕があれば適当な物を弁当箱に詰め込んで翌日の昼食を作り、冷蔵庫に入れておく。
ここでようやく就寝。
当然、睡眠時間はギリギリなので朝は大体慌ただしい。
そんな訳で、リューカさんの所で朝飯を貰うのは時間を節約する為だったし、やっぱりリューカさんにも私の動きは慌ただしい物に見えたのだろう。

「あー……、なんつうか、私って怠け始めるとホント駄目なんだよな。ここ二年でそれが良くわかった」

頭を掻きつつ、ここ二年の自分の生活を思い出す。
初めの頃は良かったんだ。
卓也と美鳥が家庭菜園の余りを持ってきてくれるようになったお陰で、食べる物が無いから一日一食、みたいな時期が月の中から消えてくれた。
屑野菜欲しさに屋台のおっちゃんおばちゃんに天下の往来で土下座、いやさアスファルトに覆われた地球に只管ヘッドバットして地球割りに挑戦する必要も無くなったし、保健所に回収される前の動物の礫死体を探しに休日街をうろうろする必要も無い。
食べ物屋の裏のゴミ箱についつい視線を奪われる事が無くなったのもプラスと言えばプラスだ。野犬は痩せ犬でも手強いからな。

でも、その代わりと言ってはなんだけど、私はかなり堕落したと思う。
勿論、今でも勉強や修行をおろそかにしているつもりはない。
これでも入学してからここまで通年で首席を維持しているのだ。
……あくまでも同学年での話だけど、別に他学年と比べる必要性は感じられないのでここでは言及しないでおく。

講義は一週間ぎっしりと詰め込む事はしなくなったし、自分の体調を考えずにとりあえず課外授業があれば出るなんて事もしなくなった。
予習復習にしても、放課後の余暇の時間を使い切るほど微に入り細に内容を確認するのではなく、ぱっと流し見て分からない部分を確認しておくだけに留めてある。
一日勉強漬けでなくなったから体力に余裕が出来て、夜ふかししなければ早起き出来る様にもなった。
そんな感じで一日の時間に余裕ができてしまったから、逆にこういうだらけた部分が表に出てしまった。

「なんだかんだ言って、分相応に生きてくしかないって気付いちゃったんだろうなぁ」

言いつつ、再び長椅子に寝転がる。
正直、陰秘学科の講義なんて、一週間びっしりスケジュールを埋められる程数がある訳でもない。
本当にびっしり詰めようと思ったら『カバディはダンジョンアタックの時の動き方の参考になるから体育の講義を取っておこう』程度のこじつけが必要になってきてしまう。
そして、陰秘学科以外の学科の講義にしても、陰秘学科の講義をまともに受けながらではまともな知識として記憶する事は難しいだろう。
つまり、陰秘学のみを重点的に学ぶのであれば、実は割と余暇の多い大学生活を送る事が可能なのだ。

いや、まぁ、暇だからといって朝っぱらからシスターの所に押し掛けてカニカマ料理作ってもらう理由にはならないか。
これで卓也に切った大見栄も法螺にはならなかった訳だけど、最近は食べたり遊んだりばっかな気もするんだよなぁ。
でも、一年と二年の途中までのきつめのスケジュールの反動で自制がきかないっていうか。
ていうか、本当に最近は卓也に餌付けされ過ぎてて情けないっていうかそこら辺通り越してむしろ違和感が全く無くなってきた事に不安を覚えるっていうか。
……そういや、こないだも古着もらったな。特に抵抗なく受け取っちゃったし。
どうしよう、先輩の示しとか以前に人間的に駄目になりかけてるんじゃないか?

「いいんじゃないかな、それで」

私が最近の行動を振り返り、寝転がったまま頭を抱えて懊悩していると、リューカさんは私の頭の方に座り語りかけてきた。

「最近の九郎ちゃん、初めて会った頃に比べて明るいし、とっつきやすいし、元気があるもの」

「……でも、だらしなくない?」

そう言いかえすと、リューカさんは僅かに悪戯っぽい笑顔で、教会の入口の扉に視線をやりながら答えた。

「面倒を見てくれる人がいるなら、それも悪くはないんじゃない? ほら」

両開きの扉を開き顔を出したのは卓也と美鳥。
手には講義で使うノートや資料が入った薄い鞄を下げている。
講義が始まる前にお祈りをしていくという訳でもないだろうし、もしかしたら私の事を迎えに来たのかもしれない。

「そういうもの?」

視線だけを向けた問いかけに、リューカさんは何かを懐かしむ様な顔で頷いた。

「そういうもの、そういうものさ」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

様々な道具が雑多に詰め込まれた箱を抱え、卓也と並んで講義館の廊下を歩く。
時刻は十時少し前、二コマ目の講義が始まるにはまだ早い時間だ。

「まったく、しっかりしてくださいよ、先輩」

「ごめんごめん、悪かったって、すまねぇ、許せ」

「そんなに言わなくてもいいです。でも、せめて一日前の出来事くらいは覚えておいてください」

そう、昨日の最後の講義の時に、私達は教授に今日の講義の準備の手伝いを言い渡されていた。
別にハイスクールの時のように内申点が上がる訳でも無いけど、教授に頼まれて嫌と面倒だから嫌ですと言える学生もそう居ないだろう。
実際、俺も卓也達も時間は持て余し気味なので、割と快く了承した。

「はぁ……、まさかあの先輩がここまで堕落するなんて」

両手で持っても重い、しかも適当に道具が詰め込まれてる為に非常にバランスの悪い荷物を片手に持ち、卓也は自分の額を掌でぺしりと叩き首を振り溜息を吐く。

そう、快く了承したのだが、私はその事をすっかりと忘れていたのだ。
最近はどうやって黒玉の中のカニとか海老っぽい何かを手に入れるかで悩みっぱなしだったし、気分転換に卓也から貰った材料で料理を作って食べようものなら、食べ終えた時点で満足してしまい、頭が働かなくなってしまう。
温かいお風呂に入って、ホットミルクを飲みながら読書をした後は温かい布団でゆっくりと眠り、朝起きた時点で思ったのは『今日は二コマ目からかー、二度寝してもいいかなー』
次に思いついたのが、『あ、今の時間ならリューカさん時間空いてるだろうし、割って貰えるかも』と来た。
まったく、最近の私ときたら、って。

「……あれ、なんか卓也にも責任の一端がある気がしてきたぞ?」

首をひねる。
いや、喰うに困らないのはこいつのお陰だから恨む筋合いは無いんだけど。

「俺は、先輩にちゃんと栄養取って健康な生活を送って欲しかっただけで、緩いタイムスケジュールに慣れ切って堕落して欲しかったわけじゃないんですけどね」

「冗談だ、冗談。分かってるってそれくらい。それに、なんかへましてもフォロー位はしてくれるんだろ?」

私がとびきりのウインクを飛ばすも、卓也は顔を赤らめもせずにジト目を向けてくる。

「先輩、俺、後輩ですよ? 後輩に生活面でまでフォローさせまくっていいんですか?」

「魔術に関してはお前の方が先輩だろ?」

そこら辺の意識に関してはすでに割り切ってるから、特に劣等感や違和感を感じない。
私の切り返しに、卓也は視線を逸らしもせず即答する。

「でも、先輩は大学じゃ先輩ですよね」

それを言われると弱い。
だけど、卓也と美鳥にフォローさせっぱなしなのも確かだ。
私がこいつらにしてやれる事、か。

「朝、起こしに行ってやろうか?」

「基本的に朝は五時起きっす」

「朝飯作ってやるとか」

「ウチは朝食作る当番も三人持ち回りでして」

こいつ本当に隙が無いな。
でも、こういう話題を美鳥に出すと『じゃ、この木彫りブラビ像二百体全部捌いて来てー。一体五千ドルくらいで』とか無茶振りしてくるから、卓也に振るしかない。ていうかブラビ像ってなんだよ、誰だよ。
でも、卓也は卓也で必要なものは全部自力でどうにかするタイプだから、何をしてやればいいのやら……。
あ、そうだ。

「今度、一緒に飯食いに行こう。私の奢りで」

言った瞬間空気が凍結し完全なる静止状態に。
次の瞬間、近場の講義室全てから、大量の笑い声が響く。
爆笑と言う表現がこれ以上無い程の盛大な笑い声。
因みに、今の一連の会話はさして大きな声でしていた訳でも無いので、講義室の中に聞こえている訳が無い。
今の笑い声は偶然だ。

「先輩の捨て身のボケのお陰で、意図せずして笑いを得る事ができましたね」

卓也の全く他意の無さそうな笑顔。

「いや、今のは偶然だろ」

「でも先輩? 笑わせるのと笑われるのでは決定的な差があるものなんですよ? 主に品位とかの面で。先輩は唯でさえ常時捨て身みたいなもんなんですから、もう少し自分を大切にするべきです」

「聞けよ。つうか……私が奢るのって、そんなに変か?」

ここまで言われると流石に少しへこむ。
卓也の差し入れのお陰で生活に余裕が出てきたから、少しでも還元してやろうと思っただけなんだが。
だけど、卓也は私が本気で言った事を察したのか、直ぐに難しい顔になった。

「先輩が自分から言い出した事ですし、それ自体は問題無いんですけど……、蓮蓮食堂でしょう? 先輩が知ってる店となると」

「ラーメン駄目だったっけ?」

あそこは味が良いだけじゃなく、結構盛りも良いし替え玉も高く無いから割と好きなんだけど。

「いや、個人的に暫くはあそこに近寄りたくないんですよね……。嫌な人が居るもんで」

「ふぅん」

いつもへらへら笑ってるこいつが、『嫌な人が居る』ねぇ。
こいつが嫌な人と言い切る奴ってのも少し気になるけど、それは後回し。今はどうやって借りを返すか……。

「そんな真剣に考えなくてもいいですよ。正直、ダメな先輩にも大分慣れてきたところですし」

「それはそれで私のプライドが許さない」

とりあえず、表情だけでもキリリッと引き締めながら言っておく。

「随分値下がりしてそうですね、プライド」

「どんな人間でも、安いプライドがあれば何とでも戦えるんだろ?」

「ごもっとも。だからって、無手で野犬と戦うのはやめて下さいね。心臓に悪いですから」

「古い話を持ち出すなって。もうあんな無茶はしないさ」

話をしながら、目的の教室へと向かう。
毎度毎度思うのだけど、どうにも大型の機材が据え置きされている教室は場所が極端な気がする。
地下とか最上階とか、時計塔の上の方とか、もう少し利便性を求めても罰は当たらないと思う。

「なんだったら、今度新作映画に付き合って下さいよ。映画代はこっちで出しますから。んで、先輩は弁当を作って持ってくれば丁度いいと思いませんか?」

講義の行われる部屋へと続く階段を登りながらそんな事を言う卓也。

「そんなんでいいのか?」

私の問いに肩を竦めながら言う。

「前々から少し気になってた映画ではあるんですけど、一人で見に行き難いジャンルなんですよね。姉さんや美鳥を誘う程面白そうって訳でも無いですし」

「ジャンルは?」

「時代劇、というか剣劇物と、ラブロマンスですね」

「前者はともかく、後者は似合わねぇな」

「自覚はあります。だから先輩を誘ってるんじゃないですか」

つまり、私に誘われてしぶしぶついて行く、という体で見に行くという算段なんだろう。
こいつ、一人で堂々とスイーツ専門店とか入る癖に、微妙な所で恥じらうよな……。

「そっか、わかった。じゃあ、何時見に行くか決まったら教えてくれよ」

「ええ、その時に忘れて無ければ、と」

話しが纏まったところで、階段の上の方からてしてしてしと足音を立て、うんざりした顔の美鳥が駆け降りてきた。
待たせ過ぎたからだろうか、全体的に気だるげな普段の姿からすると、今は心なしか肩を怒らせている様な気もする。
そういえば、講義室に着いたら着いたで、この箱の中の道具を機材にセットしないといけないんだったか。そこまで換算すると少し時間が足りないかもしれない。
私は先程までの会話を頭から追いやり、降りてくる美鳥を宥める言葉を考えながら階段を上って行くのだった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

さてさてさて、朝の時点では履行される可能性が極めて低いお出かけの約束を大十字としたりもしたが、今日はそれ以外では特に変化も無い平凡な一日だった。
ミスカトニック、特に陰秘学科の学生と教授には個性が過剰な連中が多い──むしろ個性が薄い人間が少ない──のだが、その『学び』自体は実に堅実である。
そもそもの前提として、邪神への対抗手段を持つ存在を増やす事が目的とも言えるミスカトニック陰秘学科な訳だが、実戦で鍛える前にある程度の知識は必須なのだ。
小説版のシュリュズベリィ先生の講義を受けていれば嫌でも分かる。
邪神、もしくは邪神の眷属群と戦うには人の力は余りにも脆弱。だからこそ、知識を持ってして武装しなければならない。
敵を知り己を知れば、という奴だろう。

勿論、俺もミスカトニック陰秘学科所属の学生である以上、その例に漏れるものではない。
はっきり言って、俺が在学中の陰秘学科の学生や教授であれば、本人ですら知らない様な体内の機能不全まで知っている。
大十字以外は全員、何度か生きたままバラバラに分解してじっくりと内部を改めたからよく分かる。
やろうと思えば、俺は何のチートも無い状態で彼等を指先一つでダウンさせる事も容易だ。
彼等の心臓が刻む鼓動のリズムまで正確に記憶しているのだ。タイミングを計り、軽い衝撃で心臓を止める事など造作も無い。
そんな訳で、一度分解して中を改めた連中の事は一通り頭に入っており、例えTSしていたとしても、逆十字の連中や教会のガキ共の様な大幅なモデルチェンジが行われていなければ見分ける事ができる。

となると、普段学内に居ない外部からの客などを見れば『ああ、こいつは外の人間だな』と理解できてしまう訳だ。

「美鳥、先輩、なんかすっげぇのが居る」

「うん、なんつうか、アレだよね」

「お前ら、もうチョイ歯に衣着せろ」

美鳥は頷いてくれたが、大十字は俺達を諌めに掛かった。
いや、だってなぁ。

「半ズボンスーツの少年に、ロングスカートのメイドとか、驚くなって方がおかしいですよ」

「ね。なんかこう、ああいう組み合わせは角川的というか、実にマニアックに見せかけてテンプレというか」

なんと表現すればいいのだろうか。
何時もなら奇抜な恰好の陰秘学科の学生が歩いている構内の廊下を、どことなく気取った、良く言えば高貴な雰囲気の少年が、ロングスカートも清楚な美人メイドを連れて歩いている。
見た目の説明が難しい。
服装と雰囲気はマントの無い大十字⑨ザク……もとい九朔で、顔は威厳のある、あるいは威厳を出そうと努力し続ける凛々しい足利邦氏、とでも言えばいいのか。

黒髪短髪の半ズボン美少年が、ロングスカートの黒髪眼鏡メイドを連れて歩いている。
何処に向けて撃っても当たる弾丸である。
男であればメイドに目が向き、女であれば美少年に目が向き、サブカルに精通しているものであれば、その組み合わせに目を向けざるを得ない。
存在感の違い、というのであろうか。
安易にお嬢様と執事、という鉄板の組み合わせでは無いところにもフェチズムを感じる次第である。

コツコツと硬質な音を立ててその二人は俺達の隣を通り過ぎ、階段へと姿を消す。
彼等の足音が聞こえなくなったところで、大きく息を吐く音が廊下に響いた。
見れば大十字が、そのやたら巨大ながら奇乳にはならない芸術的な乳、いやさ胸に手を当てて大きく深呼吸をしている。

「どしたん?」

美鳥が特に気遣う風でも無く、ただ溜息の理由だけを知りたがっている口調で問う。
それに大十字は服の袖で額を拭きながら、どこか疲労した顔で答えた。

「や、なんか金持ちっぽいオーラがしたから、ちょっと呼吸がな」

「そりゃもう心の病気レベルでしょう」

金持ってる奴からは異様なプレッシャーを感じたりするのだろうか。
酸素吸入器とかネルガル製のしか持ってないんだけど、後々差し入れしてやるべきか。

「そうじゃなくて、なんかあって相手の服とか汚したら、弁償できないだろ?」

「確かにあの服の値段考えたら、大十字とか速攻で身売りルートだよな。地下労働施設で公衆便所コースとかもありそうだけど」

ひひひと笑う美鳥の言葉通りの展開を想像してしまったのか、大十字は青ざめたまま苦虫を噛み潰した様な苦い顔になるという器用な芸を見せている。
邪神眷属群を相手にする魔術師見習いといえども、その手の状況にはやはり恐怖心を覚えるらしい。
いや、もしかしたら運悪く、ダンジョンアタック先で女性が『そういう目』に遭わされている場面を目撃してしまったのか。
確かに、集団での無理矢理な性交後というのは中々に記憶に焼き付き易い光景だと思う。
特に性器の形が人間から大きく逸脱している種族とかだと、精液や愛液の匂いの他に血臭に臓物や糞の臭いが混じる時もあるからなぁ。

俺はティベリウスがメイドとかそこらの普通の犠牲者とかを相手にしてる場面くらいしか思い浮かばないが、あれだけでも十分に酷かったし。
俺と美鳥が加わると更にカオスな感じになるんだよなぁ。特に美鳥とか悪乗りし過ぎるきらいがある。
特にロリコンレズの大女の時とか、身体が大きから多少無理してもだいじょぶだよねーみたいなノリでやっちゃったもんだから。
しかも薬まで死なないレベルで限界まで投与しちゃったもんだからさぁ大変。
ああいう状態になると、漏れてくるのはエロとかシモ関係の液体だけじゃ済まなくなるから問題だ。
運悪くティベリウスが浚ってきたタイミングが、大十字とのデート中、食事を終えた後であった為、吐き出された吐瀉物のとか胃液の臭いまで混じり合って……。

と、ここまで考えたものの、少なくとも今の大十字の心配は全くの杞憂である。

「大丈夫ですよ。あの手の高貴さのある金持ちは、一々ショ・ミーンの失敗で騒ぎ立てたり難癖つけて弁償させたりはしないものです」

「本当に? 根拠はあるのか?」

恐怖に僅かに目を潤ませて聞いてくる大十字に、今度は美鳥が答えた。

「金持って無さそうな相手に服一着のクリーニング代を請求するなんてのは、金を儲ける為に金持ちやってるヤクザ染みた連中だけなのさ」

「しかし、金と地位、身分を併せ持つ連中だとそうなり難い。ノブレスオブリージュとか言われる概念がありますからね。身分の低い者、貧困層に無体を働く可能性は」

「低くなる、って訳か」

ホッと胸を撫で下ろす大十字。身分が低いとか貧困層とかには突っ込まないらしい。自覚はあったか。
当然その手は豊かな丘陵、いやさむしろ今思い付いて今命名、その名もニトロ山脈をなぞる形になる為、非常に緩やかな降下線を描く。
なんだこの露骨過ぎる巨乳アピール。男大十字だってズボンの上から股間まさぐっての巨根アピールとかはしなかったぞ。されても困るが。
それはともかく、俺は先の言葉に少し注釈を加えながら頷いた。

「そういうことです。人間の品性の高さは身分の高さと比例する訳では無いので、一概に全ての身分の高い連中がそうだ、なんて言える訳ではありませんが、少なくともあの少年なら、ほぼ間違いなく安全でしょう」

「もしかして有名人か?」

頭に疑問符を浮かべている大十字。

「俺自身詳しく知ってる訳ではありませんけど、割と有名人ですね、多分」

しかし、知らないのも無理はないかもしれない。
実際、新聞や雑誌でも不思議と顔出しの記事は見当たらず、その活動が祖父の偉業と比べるにはどうしても地味に映ってしまうので、人の興味も引き難い。
彼は未だ覇道財閥の付属品扱い、覇道財閥を背負って立っているとは思われていないのだ。
大体、太腿も眩しい半ズボンで記者会見する若き財閥総帥とか、ネタ記事位にしかならない。
そしてネタ記事なんて書こうものなら出版前に覇道財閥が差し押さえて記者はドラム缶カニ風呂決定だろう。

「随分勿体ぶるな、結局あれは誰だったんだ?」

「覇道財閥の現総帥ですよ」

名前は……、元のままだ。
男で瑠璃というのもおかしいけど、それ言ったら大十字だって九郎のままなんだし。
意外とハリーとか来ると思ったんだけど、どうしてか彼の両親は彼の名前を瑠璃と名づけてしまった。
これは仕方の無い事だ。TSメインではない二次創作物でも、TS回では何故か名前に変化なし何てのは珍しい話じゃない。
でも今は、そんな事はどうでもいいんだ。重要なことじゃない。

「なんでそんなビッグネームが来てるんだよ」

「さぁ? あ、でも確か、アーミティッジ博士は先代の総帥とは懇意にしてたかと。その伝手じゃないですか?」

「そういやアーミティッジの婆さん、『彼とは魔導機関の研究を通しての仲でしか無かったけど……』とか言いながら、何か懐かしむ様な顔してたなー」

「なにそれ超気になる」

美鳥の話に大十字が食いついた。恋バナ好きねぇ。
だけど、俺からすればアーミティッジ博士のひと夏の淡い思い出とかもどうでもいい。心底どうでもいい。

ミスカトニック大学に訪れる覇道瑠璃と執事の人(今はメイドだが)というのは、実の所を言えば時報の一種なのである。
俺と美鳥がループしてから二年と少し頃というタイミングで原作と似た流れが始まる訳だが、これはその開始時期をより短い間隔で教えてくれる。
何を隠そう、彼等は直接ミスカトニックに乗り込み名うての魔術師と魔導書の力を借りようとしているのだ。

そもそも、魔導書と魔術師の巡り合いとはすべからく運命的なものだ。たとえそれが古本屋のワゴンコーナーに置いてある魔導書であったとしても、それを手にする元は最低限、魔導書の力をどうにか引き出せる程度の者が選ばれる。
当然、覇道財閥であってもデモンベインを起動させれるだけの力ある魔導書を手に入れるのは難しい。
そして、原作の様に都合の良い魔道探偵が居ないとなれば、彼等は既に力ある魔導書を持っている人間をスカウトしようとする。極々自然な流れである。

……もっとも、デモンベインを動かせる魔導書ともなればほぼ間違いなく機神招喚の術式を所有する格の高い魔導書。
好き好んで鉄屑(魔導書視点から見れば)の制御装置として組み込まれたがる精霊も居なければ、戦力を低下させる様な魔術師も居よう筈が無い。
彼等の労力は全くの無駄である。

さて本題だ。
彼等が大学を訪れるというのは、原作で言う大十字の事務所を訪れる行為と同一の意味を持つものであり、タイミングもほぼ同じだ。
つまり、このイベントが起きれば、その夜には確実に大十字とアルアジフが出会う、という訳である。
原作ではその前に起きた古本屋イベントだが……、これはあったり無かったり別のイベントになっていたりするので気にする必要はない。

「──で、アーミティッジのBBAは何も言わず、覇道鋼造の唇を颯爽と奪って笑顔で別れるわけさ。……眼尻に涙を溜めた、切なげな笑顔でね」

「はぐ、うぅぅ、アーミティッジの婆さん、アンタ女の私から見てもいい女や……」

美鳥の嘘十五割(半分を嘘だと相手にばらす事を前提に話し、実はこれが真相だったんだというもっともらしいでっち上げの嘘を話の五割分用意している)の昔話を聞いて号泣している大十字を見ながら思う。
大導師には『大十字九郎の味方をせよ』と言われているが、邪神によってしっかりと整えられた彼女の道で、俺はどうやって大十字を補助すればいいのだろうか、と。

「はいどうぞ」

とりあえず、顔面が涙でくしゃくしゃなのでハンカチを貸してやる事にした。
掌で涙を拭う大十字は涙声で『ありがと』と言いながらハンカチを受け取り、流れる様な動作で鼻を噛んだ。
見捨てちゃおうかな、こいつ……。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

結局、講義が終わってからも卓也達に付き合ってあちこちを遊びまわり、二人と別れる頃には日が暮れていた。

「すっかり遅くなっちまったな」

少し前までは真っ赤な夕日が街を照らしていたのだけど、流石に夕陽になってからは日が沈むのも早いものだ。
そういえば、卓也と美鳥はああいう風に夕日が沈む時、度々こんな事を言っていた。

『いいですか先輩。夕陽を見て黄昏ている高校生くらいの赤いバンダナ男を見たら、決して話しかけてはいけませんよ。世界の強制力でポられてしまいますからね』
『あたしらみたいのは大丈夫だろうけど、大十字とかだと結構あぶないしなー。群衆に隠れる様にして遠ざかるのが吉』

辞書や文献を調べても、ポられるという言葉の意味は解らなかったけど、あの妙に腕の立つ二人が気をつけろと言うからには余程危険なものなのだろう。
しかし赤いバンダナの高校生とか、流石にセンスが古過ぎるのではないだろうか。
ていうか、学校に赤いバンダナなんて付けてったら指導室行きじゃないのか?私は日本の高校はしらないけど。

「しっかし、卓也もホントに心配症だよなぁ」

危ない、で思い出したのだが、少し前に卓也に護身用の防犯アイテムを貰ったのを思い出した。
私は女の一人暮らしと言う事で、安いアパートでも比較的治安の良い区域に借りた訳だけど、最近は街全体の治安が悪化し始めている。
ブラックロッジの活動が活発化し始めているとも聞くけれど、そうでなくてもアーカムは普段からスラム周辺はすこぶる治安が悪い。
護身具の一つや二つ持っていた方が安心できるだろうという事で貰ったのだけど……。

「まだ一回も暴漢相手に使って無い辺り、私の運の良さも捨てたもんじゃない、か」

日頃の行いのお陰かな、と思いつつ、日頃の行いを見てくれる神とか地球に居るのか?と考えてしまう魔術師見習いとしての自分の思考に苦笑する。
実際問題、貰った護身用の武器を使う様な状況には陥りたくはない。だって……、

「これじゃなぁ」

懐から、貰った護身用の道具を取り出す。
取りだしたそれにはグリップがあり、銃身があり、トリガーがある。
が、銃口が無く、代わりに小さなレンズがはめ込まれている。
少し前に話題になっていた映画で似た様な物が出てくるらしい、映画は入場料の関係で殆ど見に行けた事は無いのだけど。

一度だけ試し撃ちして、その時は大木が一瞬で消し炭になり、爆発した。
卓也が言うには、テーザー銃よりもレーザー銃、いやさ光線銃の方が好みなのだとか。
確かにテーザーでもレーザーでもない。グネグネ曲がりながら飛び、怪音を発しながら樹全体を痺れさせて焦がして爆発させるものをレーザーとは言わない。
勿論、こんなもの人に向けて撃ったら即死するに決まっている。
ジョークで作ったようなアイテムだから、そこまで殺傷能力は無いとか言っていたけど、間違いなく嘘か、もしく卓也の感性がおかしいのだろう。
私は殺人犯になりたくはない。

まぁ、本当にどうしようも無くなった時には使うしか無いだろうけど、そんな事態がそうそう起きる筈も無い。
日々是平穏。なべて世は事も無し、だ。
さぁ、さっさと家に戻って、大豆モドキを入れたカレーでも作ろう!

「……退け! 避けるのだ!」

ん? どこからともなく叫び声が。
周囲を見渡す。が、どこにもそれらしき人はいない。
ふと、脳裏によぎったのは、美鳥の言葉。
『声が聞こえる→周囲に誰も居ない→上から降ってくる→直撃したらヒロイン。これ業界じゃ常識ね。テストにも出る』
テストには出ないけどな。
しかしなるほど、上か。

「さっさと避けろと言っておる! うつけがぁぁぁぁぁ!」

言われなくても分かってるって。
何しろ私は学生、しかもエリート。学業が本分だし、誰かと付き合うつもりはない。
勉強や修行をしながら誰かと恋人になれるほど器用に生きていけるとも思っていない。
カバディと訓練で鍛えたステップでその場から軽く後ろへ跳ぶ。
すると、予測通り上から、地面に向けて声の主と思しき人影が落ちてきた。

「痛ぅ……」

目の前に落ちてきた透明感のある白い肌の少女を見て、ちらりと上を見る。
この通りに面した窓は閉め切られている。窓が閉められた音も聞いていない。
ついでに、見れば分かるが、非常階段の類も無い。
……となると、この少女は五階はあるだろうビルの屋上から落下して、尻からアスファルトの地面に落ちたにも関わらず『痛ぅ』で済ましてしまっている事になるのだろうか。
怪異の類か、とも思ったけど、そこまで禍々しい雰囲気も無いし、邪神眷属とかその場限りの良く分からない怪異にありがちな違和感も感じられない。

少しして、少女と目が合う。
翡翠色の神秘的な輝きを宿した瞳は、この世の常なるモノとは少し離れた、良く言えば神秘的に写る。
歳の頃は十歳から十代前半の何処か、といった感じだろうか。
女性としての成熟は無いに等しく、女性としての丸さや柔らかさよりも、子供特有の骨っぽさがある。
が、しかし、そんな女性らしさがあまり感じられない身体に見合わない蟲惑的な印象も受ける。
赤いリボンが緩く巻きつけられた、腰まで届くサラサラと触り心地の良さそうな銀の髪からは、どこか背徳的な色香を漂わせている。

……ああ、若いんだなぁ。
なんだか羨ましい。私も中学とかの頃、少しはあんな感じだっただろうか。
あの頃は親父が死んですぐで、母さんに迷惑をかけないようにと無理矢理にでも溌剌と生きていた気がする。
更に少女を見る。肌の艶も良い。あれきっと、スキンケアとかしなくても全然平気なんだろうなぁ。
別に、私だってそこまで歳を取ってる訳じゃないんだけどさ、より優れた者に羨み妬みの感情を向けてしまうのも人間っていうか、なぁ?

お人形さんの様な少女を少しだけ羨んでいると、少女の眦が見る見るうちに吊りあがっていくのがわかった。

「こ、こ、こ、こんの、うつけが! 道端でぼうっと突っ立っているでないわ!」

うわぁ、メッチャ口悪い……。
あれだ、私も見た目には自信があるけど中身は無精だし運命的に貧乏だし、美人や美少女ってのはどこかしらで外見分のプラスをマイナスで補填するのかもしれない。

「いや、流石に普通に街を歩いてて空から人が降ってくるとか想定できないって。ぶつからなかっただけでも良しとしてくれよ」

弁明し、気付く。流石に女の子を道路に座りっぱなしにさせるのは不味いか。
私は未だ尻もちついて倒れている少女に手を貸そうとした。
その時である。
狭い路地にものすごいスピードでリムジンが滑り込み、私達の目の前で急停止した。
そして、そのリムジンの中から、ぞろぞろと覆面にスーツの女たちが現れたではないか。
魔術的な意味を含み、しかしそれを考慮してもなお怪しさと妖しさが化学変化して爆発事故を起こした様な、一周回って普通に不審者全開なその覆面。
そして覆面の上から帽子を被る独特のセンス。この街で彼等を知らない者は居ない。

「『ブラックロッジ』?! なんで……!」

「ちぃ、汝のせいで追いつかれたではないか!」

覆面女たちは全て機関銃を構え、銃口を此方に向けている。
冗談じゃない。なんだこの状況は!
私の頭は少女を庇おうかと思い、しかし次の瞬間、身体はとっさに懐から光線銃を取り出し、覆面達目掛けて発砲していた。
此方に向けて放たれた僅かな銃弾は運良く命中する事も無く、此方の光線銃から放たれた怪光線はその軌道をねじくれさせながらも、逸れる事無く覆面達に命中した。

「あばばばばばばっばばばばばばばば」

「しびびびびびびびびっびび」

「ひぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」

「おほぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ♪」

少しだけおかしな悲鳴も交っていた気もするが、覆面達は一人残らず黒焦げになり、その場に倒れ伏し、煙を上げながらぴくぴくと痙攣している。
……覆面達の背後にあるリムジンは灰になっているのに、覆面達は一応生きているようだ。
そういえば、ようやく『てかげん』を武器に詰められるようになったとか言っていたけど、もしかしたらそれが作用しているのかもしれない。
これなら気兼ね無く人に向けられる。ガンスピンが出来る構造じゃないのが残念だけど。
懐に銃を仕舞いながら振り向くと、少女は吊りあがっていた目を元に戻し、此方を探る様な視線で見つめていた。

「汝、もしや魔術師か?」

問われ、少し考えてから私はなるほど、と納得した。
先の銃による攻撃、あれは一見して魔術的な攻撃に見えるのかもしれない。
いや、私自信この銃の構造を良く知らないから、本当に魔術的な要素を含んでいるのかもしれない。
そして、不可思議な物を見て魔術と思うこの少女。
さっきの屋上からの落下で無傷だった事を踏まえて考えるに、この少女の方こそ魔術師なのだろう。
よくよく見れば、少女の背後には本を羽根の形に形成した様な、良く分からない何かがふわふわと浮かんでいる。
これも魔術装置の一種か? 実習ではこんな可愛らしい魔術的アーティファクトを見た事は無い。
雰囲気が近いものと言えば、卓也と美鳥が見せてくれた人形劇の人形だろうか。

「いや、妾は……」

少女の返答は、しかし唐突に鳴り響き出した爆音にも似たギターの不協和音と、けたたましく響くクラクション、悲鳴の様なタイヤのすれる音とエンジンの奏でる重低音に遮られた。
少女の声を遮った闖入者は二千ccはあろうかという超重量級のモンスターバイクと、それに跨った奇妙な女。

「ヘーイ! そこな珍妙なファッションの若者っ! 大人しくそこな幼女を我輩に渡すのであるっ!」

ぴったりと身体に張り付きボディラインを隠さないボディスーツに、裏地がピンクと灰色のチェックの白衣。
真緑どころか蛍光グリーンにも見えるド派手な髪色に、それを縁取る先端だけの脱色。
跨っていたバイクから半ば立ち上がり、背に負っていたギターを狂ったように掻きならし、眼や口の端から液体をまき散らしている。
顔の造形は整っているし、間違いなく美人なのだが──

(なんか、可哀想な人が出てきた……)

病状の強弱を問わなければ、この手の狂人は、アーカムのスラムを探せば結構居る。
この手の輩に出会った時の対応は一つ、関わり合いにならず、眼を逸らし、そそくさとその場を離れる事。
なのだが、今目の前に居るそれは一際強烈。
人は一体、どんな人生を歩めばそこまでおかしな人格を得る事が出来るのだろうかとふと疑問に思ってしまうレベルの、一目見ただけで分かる異常性。
同じ女としてついつい同情してしまいそうになる。
言動と行動と恰好の全ての異常さを無視して、背後の少女を明け渡してしまいたくなるレベル。
こんな事を考えている辺り、あまりにもいっぺんに色々と起きたせいで、私の思考回路はマヒしていたのだろう。
ついつい、目の前のアレな人に声をかけてしまっていた。

「あの、人生って色々あって大変ですけど……強く生きてください」

余りにも余りだったので、ついつい敬語まで出てしまった。

「な、ななななななななななななぁぁにを唐突に憐れんでいるのであるかぁ!」

白衣の女は唯でさえ笑い過ぎて限界まで歪んでいた顔を更に怒りと驚愕に歪め、より一層ギターを激しく掻き鳴らす。
全身を使い荒ぶりながら奏でられる激音は相変わらずの不協和音だが、どこか怒りや悲しみを表現している様にも聞こえる。

「この天才、大天才、いやいや一億年に一度あるか無いかの、奇跡の天才科学者たる吾輩、ドクターウエストを憐れむなどと!」

ギターを掻き鳴らす手は止めず、表情を引き締める白衣の女。

「なななななな、何たる無知! 無知とは罪! 無知とは非劇!」

白衣の女性はギターを掻き鳴らしつつも、先ほどまでの狂った表情からは想像もつかない様な苦悩の表情で語り続ける。

「悲しみと絶望に彩られた君の人生は喩えるならば、この手のひらに舞い降りた儚い淡雪……雪が全てを白く埋め尽くす……私の悲しみも何もかも……ゴゴゴゴゴゴゴ」

極自然な流れで女性のポエムタイムに入っていたが、様子がおかしい。
ゴゴゴゴゴ?

「何? 何が起こったの? 雪崩!? ギャー!」

真顔が崩れ去り、精神病患者の様な狂った笑みで女性が絶叫する。
──やべ、この人可哀想な人じゃなくて○○○○だ。しかもかなり危険なレベルの。
嫌なのに絡まれちゃったなぁ、どうしよ?
そんな私の後悔もよそに、目の前の【検閲削除】はますますヒートアップし始めていた。

「とまれ、どうしても吾輩の邪魔をするというのならば、死して吾輩と『ブラックロッジ』の糧になるがモアベターな選択と言えよう!」

あ、やっぱりブラックロッジの関係者なのか。
頭と行動のアレさ加減からして、ブラックロッジのベンツを追いかけて格好よく登場しようとした全く関係無い一般人って事もあるかと思ってたけど。

「貴様の死を乗り越え、我輩はまた一つ大人になる! さらば少年時代! 一夏の淡い思ノォォォォォォォォッ!!」

何か喚きながらギターケースを担ぎ始めたので、先手を打って光線銃を抜き撃ち。
光線は○○○○ではなくギターケースを直撃。
すると何故かギターケースは恐ろしい程の勢いで爆発し、○○○○は爆発に巻き込まれて吹き飛んで、って、
これ、この距離だと私まで巻き込まれねぇ?
血の気が引く。
流石に天下のミスカトニック大学陰秘学科といえども、至近距離で遮蔽物も無しに爆発が起きた時の対処法など教えてはくれない。

脳裏に走馬灯が浮かぶ。
アメリカに渡ってきたこと、父の葬儀、貧しくても母と一緒なら楽しかった高校までの生活、天涯孤独に我が身に途方に暮れた夕暮れの六畳一間。
ミスカトニック入学式、初めてシュリュズベリィ先生に会った時の事、初めての課外授業でシュリュズベリィ先生の隣に、ふりふりひらひらのふくをきたおひげのおじいちゃんが──

「ぼさっとしているでないわ!」

「え?」

思い出してはいけない何かを思い出しそうになった次の瞬間、少女の声と共に襟首を掴まれ、私は天高く跳び上がっていた。
爆炎から逃れた訳では無い。とび上がるよりも早く下からは炙られているが、不思議と熱は感じない。
何かの陣が刻まれた半透明な壁が炎を防いでいる。エルダーサイン?
襟首を掴んでいるのは少女の細くしなやかな指。
私と少女は爆発の届かない、ビルを挟んで一つ向こうの通りに無事着地した。
襟首を放され、少女と再び向かい合う。

「助かったぁ」

安堵の溜息を吐くと、少女が呆れた様な表情で口を開く。

「まったく、思い切りは良いが、もう少し考えてから行動せい」

「わ、悪い」

少女に謝罪しながら、ふと気付く。
少女の顔色が悪い。良く見れば身体中から冷汗を噴き出しているのが分かる。

「ちょ、大丈夫か? なんか滅茶苦茶調子悪そうじゃないか」

「……術者無しで、少し無茶をし過ぎたからな。構成を維持できなくなる程では無いが……。いや、アイオーンを失うという無様を晒したにしては上出来過ぎるか、ふふっ」

自嘲気味に笑う少女の言葉を考える。
ここまでの少女のセリフの中に、断片的にではあるが少女が何者であるかという疑問への答えがある気がする。
ブラックロッジに追われているという事と、魔術を行使している部分から考えれば、魔術師という可能性が一番高い。
だけど、それにしては少し言動に違和感がある。さっきも自分が魔術師である事を否定しかけていなかったか?

……いや、それよりもまずは少女の体調だ。
ブラックロッジに狙われているのなら、下手に病院に運び込む訳にはいかないだろう。
病院ごと標的にされかねない。
少女の体調を見る事が出来て、なおかつブラックロッジもどうにか誤魔化せる場所といえば……、

「そうだ、近くに知り合いの家がある。あいつらなら治癒魔術も使えた筈だから、とりあえずは其処に行こう」

私の言葉に、体調の悪そうな少女は怪訝そうに私をじぃっと見つめ始める。

「汝、魔術師に知り合いが居るのか?」

「ああ、私も見習い魔術師だけど、あいつらならなんとか」

強い視線に、私は台詞を途切れさせられた。
翡翠色の、吸いこまれるような神秘的な色の瞳が私を見つめている。
逸らす事が許されない様な真っ直ぐな、覗きこむ様な視線を向けたまま、少女は口を開いた。

「……なるほど、薄いが、暗い闇の気配がするな」

薄いのか。そりゃ薄いよな。

「未だに魔導書の一冊も所持していない半端者だし、あんたみたいな本職の魔術師とかとは比べ物にならないのは仕方が無いだろ」

ま、他の学生は魔導書の所持自体許されている方が少ない訳だし、魔導書そのものが無くても魔導書の所持を許可されている分だけ、まだましなのかもしれないが。

「いや、妾は魔術師ではない」

「魔術師じゃないって……、あんな真似が出来るのは魔術師以外……」

魔術を使っておいて魔術師でないなんて……、とも思ったが、口にしてからふと後輩の事を思い出した。
そういえば、卓也は農家、美鳥は雑貨屋のアルバイトに帰属意識があるとか言っていた気がする。
……映画や小説、漫画に出てくるフィクションとしての魔法ならいざ知らず、様々な修行の果てに多くの危険を伴い魔術を行使するリアル魔術師の癖に本業が別というのも贅沢な話だとは思うけど、決してあり得ない話ではないのかもしれない。

「そうか……、魔術の修業はしているが、見習いだから書を持っていないと。それは僥倖。見た所素質もかなりのものを秘めておる。追われる先でここまで都合のいい相手が見つかるというのも、なにやら都合が良すぎて作為を感じるが、仕方あるまい」

色々考えて自分を納得させていると、少女は一人でぶつぶつと何事か呟きながら頷いていた。私のツッコミにリアクションを取った雰囲気は欠片も無い。
どうにも今日は置いてきぼりにされ気味というか、スルー力の強い相手との会話が多いというか。

「あー、もうちょい私にも理解できるように話して貰えないか……?」

何故追われていたのか、少女が何者なのかという疑問について説明を求めようとした、その時。
耳が痛くなる爆音じみたギターの音色。
聞こえる筈の無い音が、バイクのエンジン音すら掻き消して耳に届いてきた。
嫌な予感しかしない。

「ふひははははははははははははは! たかだか凡人の卑劣な不意打ち程度で、この! 大! 天! 才! たる我輩ドクタァァァァァァァァ・ウェェェェェェェストッッッ! をどうにかするのは、インポッ! シブゥなのである!」

そして、私の嫌な予感は外れた事が無い。
振り向くと、隣の通りからまたもや大型バイクにまたがった、少し焦げただけで相変わらずアレな女が。
とりあえず一言言いたい。変な所で切るな。

「さぁあっ! 己の愚劣さ加減と無力さ加減を絶妙な匙加減でミックスされた後悔に涙しつつ、神妙に縛に付けい!」

「……確かに、今だけでこれまでの人生の最後悔記録を塗り替え続けてる気はするな」

キチな人は台詞の途中も途切れさせなかったギターを一際強く掻き鳴らすと、大きく仰け反った大仰なポーズで指差す。
それに合わせる様にして、同じく滑り込むように路地に侵入してきた数台のベンツから覆面達がわらわらと湧き出し、銃口を向ける。
反射的に懐に手を突っ込み、銃を探し──見つけられない。
血の気が引く。どうやらさっきビルを飛び越えた時に取り落としてしまったらしい。
ああ、こんな時に私の左腕が心でトリガーを引く日本の鍛冶師製作の精神力を破壊力に変換して打ち出す銃だったら! 町尾進ー♪ って歌ってる場合じゃねぇ!

「時に人間、汝、名は何と申す?」

だが、そんな絶体絶命な状況に構いもせず少女は呑気にそう訪ねてきた。

「こんな時になんなんだよアンタは!? つうか、魔術師ならこの状況をなんか便利な魔術でなんとかしてくれ! このままじゃ二人仲良く蜂の巣だぜ!?」

「良いから答えよ、人間。名前は大切な事だ」

そんな私達のやり取りを余裕たっぷりに眺めていた白衣の女は、手を私達の方に振り下ろし覆面達に指示を出す。

「『本』さえ回収できれば良い! やってしまうがいい!」

ああああ! もう駄目か、無理なのか!?
残念なことに私の冒険はここで終わってしまうのか! 次回作にご期待下さいという名の打ち切りエンドなのか!?

「答えよ! 人間!」

テンパる私に尚も名を問い続ける少女。

「…………ああああああああ、もうっ! 九郎、大十字九郎だよこの馬鹿っ! 男みたいな名前で悪かったな! 書も持ってない実戦も碌すっぽ積んでない見習い魔術師の大学生だ! こんな状況どうにもできねぇからな! 畜生!」

やけくそ気味に答えると、少女がその両腕で私の頭を目の前に引き寄せた。
儚さすら感じる柔らかな感触。
重なり合う唇と唇。
その瞬間、私達は眩い光に包まれた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

家で大人しくしてると思った?
残念でした、自宅に居るけど、家族全員で現場を出歯亀中だよ!

「ループの中で幾度となく繰り返されてきた光景な訳だが」

因みに現地の映像は透視しながらの千里眼で映像を、エーテルの振動をアーカム中にばら撒いた俺の端末に拾わせて音を拾い、大画面のプラズマ液晶テレビに投影している。
そして、今まさに俺達の目の前でTS大十字がTSアルアジフと契約を結んだ。

「互いの性別が入れ替わってるから、別に何もおかしな処は無い筈なのにねぇ」

うふふと笑いながら姉さんは頬に掌を当てて溜息を吐く。
いやまぁ、少年と化している筈のアルアジフの服装が元のアルアジフと同じひらひらドレスである事をおかしな事とカウントしなければ、姉ショタという鉄板の組み合わせな訳だけど。

「あれだ、事情を知らない人が見れば『キマシ』とか叫んじゃいそうな光景だぁね」

「大十字はお姉さまって柄じゃないけどな」

「今の流れだと、妹の方が攻めって感じがするものね」

となると、ショタに責められる女子大生な訳か……。
大十字も随分とマニアックな属性持ちになったもんだ。
以前はロリも行けるけど、ちゃんと金髪ボインにも黒髪並乳にも反応する極ノーマルなエロロリコンだったのに。
いや、待てよ?

「そうなると、本番行為を行う時には属性が反転して、ショタに繋がってるとこを見せつけたり、神酒もどきの媚薬を口の中で生成して口移しで呑ませたりする弩変態になるのか」

「通報する?」

「いや、俺は大十字を信じるよ。期限付きで」

姉さんが携帯片手に訪ねてくるが、未だ大十字は行為に及んでいない。
上手い事アルアジフ以外の誰かとくっ付いてくれれば強気攻めでは無くなる筈なので、同じショタ気味でも割と強気に出れそうな瑠璃坊ちゃんに期待する事にしよう。

「お、破壊ロボ来た」

画面から視線を外している隙に、ドクターが破壊ロボに乗り込む処まで状況は進んでいた。
大画面に映るのは、超高画質で繰り広げられる一大スペクタクル映像。
銃や砲やドリルの付いた全長80メートルはある超弩級のドラム缶が、大都市アーカムの摩天楼を軽々と打ち砕く光景は、正に無敵ロボの名に相応しい三面六臂の大活躍。
都心復興をプレイする時は苛立ちしか感じない機体だが、こうして好き勝手暴れてる場面を見せつけられると心にグッと来るものが在るではないか。

「よぉし、ロボ! 街のシンボルである時計塔を破壊するんだ!」

「そういや何故か壊れないよね、大学ともども」

「そりゃ、流石にミスカトニック周辺にロボの秘密の発進基地は作れないもの」

なるほど、道理だ。
因みに、壊れないミスカトニック大学バグの解決法として、アメリカ大陸毎破壊する、もしくは地球毎破壊するなどが挙げられる。ソースは俺。
ただし、ラスボスとしてシュリュズベリィ先生駆るアンブロシウスが本気で殺しに掛かってくるので、最低限暴君レベルの戦闘能力と鬼械神が必要となるので素人にはお勧めできない。

そんな会話をしている間にも快進撃を続ける僕等の破壊ロボ。

「やっふぅ! ジョンソンの古道具屋がぺしゃんこだぁ!」

ソファから跳び上がる美鳥。
前にガラクタ押し付けられそうになったからって、人の不幸を笑うとかお前。
と、画面の中では破壊ロボが進行方向を少しづつずらし始める。
アルアジフと契約した大十字を追いかけているのだろうが……

「ああ馬鹿、そっち行くならついでにその脇の偽日本料理専門店潰してけって、いいから、潰せって」

破壊ロボの痒いところに手が届かない微妙な動きがもどかしい。イライラする。
遠隔操作してやろうかとも思うが、そこまでやるなら自分で潰した方が早い。
こういうのは嫌いな店が予期せぬ不幸でぶっ潰れるのが楽しいのであって、自分で残虐非道の限りを尽くしてぶち壊すのとは訳が違うのだ。

「くっそ、大十字なんぞ追いかけてる場合かキチドクターめ」

「まぁまぁ、博士だって悪気があって大十字を追いかけてる訳じゃないんだから。因みにお姉ちゃんはベスさんの屋台が踏まれたからって喜んで無いわよ?」

「悪意はなくても殺意があるんですね分かります。ていうか屋台は立て直しが容易だからダメージが少ないのが癪だよね」

時間帯的に屋台から売り物は運び出されてる筈だし。
と、俺達が破壊ロボの動きに一喜一憂していると、画面の端から一筋の黒い閃光が飛び込んできた。
因みに黒い閃光とか表現すると途端に中学二年生病っぽくなるが、あれの中の人の人格は極めてまともである。
黒いスラスターを翼の如く広げ、弾丸の如く破壊ロボに飛翔した黒い閃光──サンダルフォンは、その速度を落とすことすらしない。
リアル空手では考えられない、むしろ超電磁空手とでも言うべき弩迫力エフェクト(音速を超えた飛翔により、大気とエーテルが炸裂しただけ)を纏ったサンダルフォンの正拳突きは、互いの体格差をモノともせず、見事破壊ロボを吹き飛ばし、

泥水の様なルーとベタつく炊きそこないのライスを組み合わせ、『これが日本のカレーライスです』と偽り客に出すド腐れ似非日本料理店を、見事破壊ロボの下敷きにした。

「やった! リューカさんマジ愛してる!」

「え……」

「いや今のは勢い的な部分があるからそんな顔しないで」

驚きと悲しみの入り混じった顔の姉さんに弁解。
画面の中ではスーパーサイヤ人の如く空を縦横無尽に駆けながら破壊ロボを殴りつけ蹴り飛ばし続けるサンダルフォン。
破壊ロボを上空に殴り飛ばし、宙に浮いた破壊ロボの背後に瞬時に回り踵落としで蹴り落とすサンダルフォン。
基本的に破壊ロボの通った道に叩き落としているが、それでも振動だけでも周囲の無事なビルがかなり深刻な被害を受けている。
シスターリューカ、実は街を守る気無くね?

「でも、サンダル無双もそろそろ終わりだね。タイミング的に」

「ああ、来るな、奴が」

隣に座っていた姉さんの肩を抱き宥めながらも、俺は画面に注目する。
破壊ロボを延々殴り続けていたサンダルフォンがびくりと肩を震わせ、身構えた。
次の瞬間、画面外から人の頭程の太さのビームがサンダルフォン目掛けて飛来する。
それを寸での処で回避し、サンダルフォンはビームの発信源目掛けて天地上下の殲滅の構え。
画面外からサンダルフォン目掛け、白い機械天使がレーザーブレードを展開したまま斬りかかり、サンダルフォンはそれらを巧みに手刀だけで受け止めながら叫ぶ。

『また貴様か、メタトロン!』

『つれない、つれないなサンダルフォン。もう少し愛想よくしてくれてもいいじゃあないか』

エフェクトの掛かったイケメンボイスでやんわりと答えるメタトロン。
だがその声に似合わず、その口調は嫌に粘性があり、持って回った回りくどい喋り方。
それでいて繰り出される攻撃は苛烈。
毒々しいまでに赤い輝くを発するレーザーブレードがサンダルフォンの手刀をじりじりと焦がしていく。

『お前の様な男に愛想を振りまく趣味は──無いッ!』

鍔迫り合いから抜け出し、サンダルフォンの一際強烈な一撃がメタトロンを吹き飛ばす。
が、メタトロンはそれに堪えた様子すら見せず笑う。

『ハッハッハ、相変わらずだなぁ君は。変わらないなぁ君は。俺達はこの世でたった二人の兄妹じゃないか、仲好くするべきではないかね? 母上もそう言っていたろうに』

言いながらもメタトロンの腹部装甲が展開し、極度に圧縮、加速された字祷子の砲弾がばら撒かれ、大きな一撃を打った後の無防備なサンダルフォンを滅多打ちにし、崩れかけたビルの壁面へと叩きつける。
しかし、サンダルフォンは壁面から身体を引き抜きながらゆっくりと、しかしふらつくことも無くしっかりと立ち上がった。

『……兄さんは、当の昔に死んでいる。それに、私に母などと呼べるような上等な相手は居なかった。アレは母などではない!』

半身をメタトロンに向け、手刀を構える桜花の型。
カウンターも攻めも自在な攻撃的な型である。

──以上、現場から二人だけの世界に入ってしまったサンダルフォンとメタトロンの会話とアクションのみ抜粋。
すっかり尻穴に洗脳された風のメタトロンのねちっこい喋りは中々に味があって良し。
それに、火器使用型の方が全身義体のパーフェクトサイボーグにされたときの異形感があっていいよね。腹からゲロビとか。
因みにこの会話の背後でドクターウエストが空しく自己主張を繰り返していたが、二人にガン無視され続け、少しだけしょんぼりとテンションを下げながらアルアジフ捕獲の為に大十字を再び追いかけ始めているのだが、気にする人は誰も無いだろう。

「そういえば、大十字達は?」

「まっすぐデモンベインのとこに向かってるだろ」

「今回の大十字は色々と無自覚にチートねぇ」

まぁ、おもちゃレベルとはいえチート武器も渡したし、あらかじめデモンベインの見学(覇道財閥には無許可。というか、大十字にはあれを誰が建造したのかさえ教えていない)もさせている。
武装チートに未来知識チートまでコンプリートしているのだ。
アルアジフのしごきが始まったら、俺も一枚噛んで修行チートも加えてやろうか。

今頃大十字は、地下に張り巡らされた秘密の輸送路を経由して地下格納庫に潜入し、自ら率先してデモンベインを自分達の力にしている最中だろう。
魔術師として修業を途切れさせていない上に、食事面も充実で健康体の大十字が自らの意思で乗り込むデモンベイン、強くない訳が無い。
ま、あっちは絵面的に地味なので写さないんだけどな!

―――――――――――――――――――

僅かな間を置いて、アーカムの空に浮かんだ魔法陣からデモンベインが召喚され、出会い頭に破壊ロボを蹴り飛ばし、戦闘を開始した。
初めての巨大ロボでの戦闘に戸惑いながらも、大十字は見事にデモンベインを操り危うげ無く戦っている。
やはり巨大戦はいい。心が洗われるようだ。
この世界から帰ったらスパロボの新作が出るし、誰か都合良く新作でスパロボの二次創作を考え損ねてトリップさせてくれないだろうか。
最近(元の世界での話だ)は巨大ロボ系のアニメも少なくなってしまったし、スパロボが唯一の癒しと言っても良い状況だからな。
何より、巨大戦はロボしか映らないから、TSしてても何ら変わりないのがいいじゃあないか。

「へぇ、この周の大十字は良い動きをするのねぇ」

「あ、分かる? お兄さんとあたしで少し身体の動きを矯正しておいたんだ」

「ダンスを通じて身体の効率的な動かし方を学ばせたんだ」

躍動的な動きは派手なアクションの多い対魔術師戦闘では有利に働くし、重心を安定させるには実に効果的なトレーニング法である。
全身の筋や筋肉を普段から動かして置くことにより、いきなり激しく動いたり、奇妙な動きをする事により身体を傷める可能性を低く出来るという利点がある。
そんな訳で、互いに学年が上がる時、全学年が取れる創作ダンスの講義を取ったのだ。
大十字の奇妙なセンスがダンスにまで現れてて中々に見ものだったし、我ながら良い選択だったと言える。

「それにほら、『九郎はダンスやってるからな』とか言いたいし」

「ダンスで魔術は上達しないわよ」

「大十字は放っておいても魔術関連は簡単に上達するからいいんじゃね?」

しかし、こうしてみるとデモンベインも凄い。
あそこまで全身に無駄な突起物を抱えて居ながら、大十字の取る咄嗟のアクロバティックな回避行動も全てトレース出来ている。

「でもお姉ちゃんにも解る。やっぱり巨人のバック転回避はロマンよね」

「ドクもちゃんと当たらないように撃ってるように見えるもんね」

姉さんと美鳥の言うとおり、バック転するデモンベインの後を追うようにミサイルや機銃、ビームを放つ破壊ロボはまるでデモンベインに当てるつもりなど無いように見える。
が、勘違いしてはいけない。
あれはただ単に、ドクターの巨大ロボット操作技術が致命的に稚拙な為に、素早く動く的に当てられないだけなのだ。
正直、あそこまでなんでも出来る天才が射撃補助プログラムとか積んでない事に違和感を感じないでもないが、そこら辺の問題も全部含めてエルザを作ろうとしたのだろう。

「あ、パターン入った」

画面の中、何時まで経ってもデモンベインに有効打を与えられない破壊ロボ。
そんな状況にドクターが痺れを切らしたのか、必殺のジェノサイドクロスファイアを放つ。
美鳥の言うとおり、ここでこの技を使うのは悪手である。
全身に無数に搭載された火器を一斉に発射するこの必殺技ではあるが、当然の如くその殆どが通常兵器であるが故に、特殊合金ヒヒイロカネで建造されたデモンベインの装甲を抜く事は出来ない。
実戦をゲームに例えるのは負けフラグなのだが、身近な所で機神飛翔を例に挙げて説明しよう。

基本的に、ジェノサイドクロスファイアは反撃を食らう距離で使用してはいけない。
全身の火器を、それこそレーザーやビームなど熱の溜まり易いものまで一斉に使用するので、冷却の為にジェノサイドクロスファイアを使用した後に大きな隙が出来るのだ。
まぁ、製作者が紙一重の彼岸に到達してるドクターだから、この隙は状況次第で幾らでも無視できるのだが、それは後に説明する。

そこで攻略法だ。破壊ロボの武装は、その惜しいドリルを除き射程が長い。
まともに戦って勝とうと思うのであれば、距離を取って延々『ミサイルのシャワーである!』や『破壊ロボ砲』、『破壊ビィィィム』などを使用し、接近されたら両手のドリルを振り回し隙を作り、後はひたすらジャンプで逃げる、の繰り返しである。
そう、つまりは正攻法で攻めるのが一番勝つ確率が高いのである。

……作ったのがドクターウエストである事、彼の作中での扱い、人格、品性、他の鬼械神に比べると非常に鈍重なシルエットのお陰で、破壊ロボはネタ扱いされる事が非常に多い。
が、そんな人々からの評価とは裏腹に、破壊ロボ自体は非常に堅実な造りになっている。

ドラム缶の様な寸胴なフォルムは、内部に大量に搭載した火器の誘爆防止に、曲面の多い装甲故の耐弾性の高さ、弾薬を搭載する為のスペース造り。
短く不格好とされる脚部にしても、その短さ故に激しい戦闘でも転倒の恐れが少ない。しかも二脚ではなく四脚なので安定性は倍率ドン、更に倍。
玩具の様なシンプルな脚部の関節にしても、その単純さ故に非常に堅牢である。

更に武装。前後に四本の武器腕と、一見してティトゥスと同じ構造に見えるが、破壊ロボの顔が無ければどっちを向いているか分からないシンメトリーな外観故に深く考えずに取り回せる。
腕部自体がアタッチメント方式で取り換えが簡単というのも旨味だ。ドリル四本の完全近接使用に、破壊ロボ砲四本の遠距離使用と自由自在。
ミサイル発射管は寸胴な胴体の中心、頭部から飛び出る為、発射時に迎撃されにくい利点付き。
光線兵器は備え付けであり、ドリルだけと油断した敵に対して有効な不意打ちが出来る。

街を焼きつくす程の高火力に、通常兵器では破壊が極めて難しい強固な装甲、多くのロボット作品で弱点にされがちな関節部分の強度もダンチ。
更にこの破壊ロボ、空まで跳ぶでは無いか。
こんな大質量の金属の塊が位置エネルギーと推力を得て突進してきた日には、ドリルが付いていようがいまいが逃げるのが当たり前。

改めて言おう。
ドクターウエストが基地外であるが間違いなく大天才であるのと同じく、破壊ロボもまた不格好なやられ役であるが、強い。
どれくらい強いか。
俺の体感ではあるが、兜甲児の乗ったマジンカイザー(ノヴァの使えないJ版)と真っ向から戦い、これを打ち破る可能性さえ秘めていると言っていい。
スパロボに出れば十分ボスキャラとして成立する強さなのだ。

そんな破壊ロボが鬼械神相手にはやられ役な事実。
これはひとえに、この作品が『ファンタジー要素を含む』ロボットものであるという不幸だろう。
『○○でなければダメージを受けない装甲』というのは立派なファンタジー技術であり、科学方面に属するドクターとの相性はすこぶる悪い。
設定資料集の記述では『巨大魔導ロボ』とあるのだから、積極的に魔導技術を取り込んでいくべきだったのだ。
通常の破壊ロボに、デモンペインを製造した時のノウハウを応用するだけで、かなりの性能の向上が見込めると思うのだが……。
俺は脳内に『断鎖術式で空を縦横無尽に跳ね回り魔術障壁を展開するヒヒイロカネ製破壊ロボ』を思い浮かべながら、携帯電話を手に取った。

事故では無く故意でデモンベインを盗み出して利用した以上、迂闊に大十字を覇道と接触させるのは不味い。
ていうか、仮に事情聴取を受けた場合、デモンベインの格納庫への道を教えた俺の名前が大十字の口から吐き出される辺りマジでヤバい。
口裏を合わせる為にも、覇道と通信を繋ぐ前に戦闘を終わらせ、デモンベインを乗り捨てさせて離脱するべきだろう。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

ヤバいヤバいヤバいヤバい!
前に卓也と美鳥に見せて貰った、地下に安置されている謎の巨大ロボを手に入れたまでは良かった。
いや、よかったかどうかはともかくとして、逃げるだけの状況からは抜け出せた。
が、

「死ぬ、死ぬ、死んでしまうぅーっ! うわあーん、お、おかぁさーん!」

デモンベインの両腕をコックピットの前でクロスさせ、しないよりはまし程度の防御態勢。
たったそれだけの防御で、ミサイルやら砲撃やらビームやらの嵐を耐え忍んでいる。
泣きたいとかいうレベルでは済まない、正直半泣きである。

「ええい、何故繋がらん!」

前のサブシートでは少女──魔導書ネクロノミコンの原典『アルアジフ』の精霊がコックピットに据え付けられたバイクのハンドルに似た操縦桿を苛立ち気味にぶっ叩いている。
デモンベインに武装が無いか検索し、余りにも独特な術式故に検索しきれず、やむなく製造元と思しき所に通信を繋いで教えて貰おうという流れになったのだ。
が、しかし、通信は何故か繋がらないらしい。

そうこうしている間にも降り注ぐミサイルの雨と砲撃の嵐は徐々に強くなり始め、コックピットに伝わる衝撃も強くなり始めている。
爆炎で今デモンベインがどうなっているか見えないけど、これは酷い事になってるんじゃないだろうか。

「あ、駄目だ私走馬灯見えてきた」

新入生歓迎会で少し上品な印象を出そうと飯を控えたのは一生続く後悔。
シュリュズベリィ先生に連れてって貰った定食屋、ジンギスカン定食美味しかったけど潰れちゃったなぁ。
図書館に勉強に行くと偶にアーミティッジの婆さんがクロケット作ってくれて。
あの時捕まえた太った黒猫は食いでがあった。
そういえば、卓也も美鳥も意外に料理が美味いんだよなぁ。
あの時、あいつらが持ってきた弁当が余りにも美味しそうだったから、無理言って分けて貰ったっけ。

「あの筑前煮と茸ご飯、もっかい食べたかったな……」

《作ってあげてもいいんですけど、最近は良い筍が出回って無いんですよね》

そっか……、まぁアメリカじゃメジャーな食べ物でもないし、時期も少し違うもんな。

「じゃあ茸ご飯だけでも……、って、卓也?」

《はいな》

機体越しに爆音が僅かに響くコックピットの中に、場違いな程能天気な後輩の声が響く。

「何者だ、こやつ」

中からは幾ら試しても繋がらなかった通信があっさり繋がったお陰で、アルアジフ──長いからアルでいいか──が訝しげに声の主の素性を訊ねる。

「私の大学の後輩で、デモンベインの事を教えてくれた奴らだよ」

「ほう、ならば妾達よりもコイツに詳しい訳だな?」

アルに言われ、ハッとした。
そうだ、こいつがあんな場所に無造作に放置されてたデモンベインに手を付けていない筈が無い!

「そうか! おい卓也、お前こいつの武装とか知らないか?」

《そうですねぇ、知らない訳じゃあ無いんですが、最大威力の武装は外からの封印解除コードが必要でして》

卓也のまんじりともしない返答に焦れる。
このやりとりをしてる間にもやられてしまうかもしれないのに!

「あのガラクタを叩き壊せればなんでもいい!早く!」

《そうですね、じゃあ無難な所で『断鎖術式』『壱号ティマイオス』『弐号クリティアス』で検索してみて下さい》

良し!

「アル!」

「検索完了──成程、これか。くくっ、思っていた以上に面白いデウス・マキナじゃないか、こいつは」

武装を見つけられたらしい。
だが、アルがするのはサポートまで、実際にデモンベインを操るのは私だ。
イメージする、研ぎ澄まされた精神、鋭く、冷たく、澄んだ思考で。
冷えた思考と反比例し熱く燃焼する血潮が力を与え、
魔術の本懐、全てを理解し、乗りこなし、解き明かす、
己の内で精錬した魔力を、デモンベインの全身に張り巡らせ、疑似的に一体化する。
私はデモンベインの脚を守る二基のシールド、その表面にモールドされた魔術文字に魔力が流し込まれ、発生するエネルギーと、発動する魔術を理解している。

──そうだ、私が、私がデモンベインだ!

爆煙が晴れるのを待たず、私は待機状態にあった魔術を解放した。

「断鎖術式解放! ティマイオス! クリティアス!」

―――――――――――――――――――

デモンベインの脚部に備わる巨大なシールド、その表面に魔術文字が浮かび上がり、脚部全体が淡い光を放つ。
──断鎖術式ティマイオス・クリティアス。
デモンベインの脚部シールドに搭載された、時空間歪曲機構。
この機構によって歪められた時空は、時空それ自体が持つ強大な修正力により瞬く間に修正される。
デモンベインが利用するのは、この修正時に発生する莫大なエネルギーだ。

紫電を発する脚部シールドの周りで、ビルが増加した自重により押しつぶされ、その破片が壊れたビデオデッキで再生されたビデオの様に、墜ちたり登ったりを繰り返す。
歪曲された時空の修正時に起きる、時間の揺り戻しである。
デモンベインの引き起こした小規模な時空歪曲の修正によって発生した、ごく短い周期での時間逆行と時間跳躍。
限定空間内の時空歪曲による力場の発生と、過剰な修正力によるエネルギー漏れが引き起こす重力異常。
重力を媒介に時間を操るのでは無い、その全く逆のアプローチ。
時間を媒介とした重力制御能力!

身を屈めた、非常に低い姿勢のまま爆煙を突き破る。
爆発的な推力により、地面スレスレを弾丸の様に真横に『跳ぶ』デモンベイン。

「──!? っなぁぁぁぁぁんとぉぉぉぉぉ!?」

破壊ロボの中でドクターウエストが驚愕する。
有り得ない低さで飛ぶだけではない。
未だばら撒かれ続けるミサイルや砲弾、ビームを、デモンベインは減速する事無く、慣性の法則を無視した超機動でジグザグに避け続けている。
推進力のベクトルを書き換えているのだ。
超高度な演算機が無ければ難しい業だが、最強の魔導書たるアルアジフを搭載している今のデモンベインであれば難しい事では無い。

「な、何なのであるか、その非常識な機動は!? そんな動きが出来るわけが……ふげおぇぇぇぇぇぇぇっ!」

ミサイルと砲弾の雨をくぐり抜け、遂に破壊ロボの懐に潜り込んだデモンベインが、全力で破壊ロボを蹴り上げる。

「御意見無用なんだよ!」

重力制御能力も相まって、サッカーボールの様に天高く蹴り上げられる破壊ロボ。
デモンベインは片足だけをバネに、破壊ロボを追う様に天を駆け昇る。
天地上下に、脚から空に昇るデモンベインは自らの周囲に、積層状に無数の円、いや渦を描く様に時空間歪曲エネルギーを解放。
渦に合わせる様に身を捻ったデモンベインが渦に触れ、回転数を増し、加速。
十数層に渡って解放された力場を突破する度デモンベインは回転速度を増し、天を射抜かんとばかりに加速する。

「……!? ヒィィィィッッ!?」

天を衝く逆竜巻と化したデモンベインが、脚部の時空間歪曲エネルギーから生じる閃光と紫電を纏い、光の矢の如く破壊ロボ目掛けて突き進む!

「う、お、おおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

時空間すら歪め、重力異常すら発生させるだけの膨大なエネルギーを叩きこめば、どうなるか。
半重力により相手に向けられる破城槌の如き超重量に後押しされて、対象の装甲を軽々と貫通し、迸るエネルギーを螺旋状に解き放ち、膨大なエネルギーにより内部から爆裂、粉砕せしめる。
そう、これこそ、デモンベインの備える近接粉砕呪法──

「デモンベイン・穿孔・キィィィィィィック!」

──アトランティス・ストライクである。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「たはー」

自宅であるボロアパートの一室に戻り、私は着替える事も無くソファに倒れこんでいた。
今日一日で色々とあり過ぎたせいか、頭も体もクタクタに疲れ切っている。

──破壊ロボを粉砕した後、『無断でその巨大ロボットを拝借した事がバレたら色々と面倒なので、一旦乗り捨ててください』という卓也の言葉に、私はアルを小脇に抱え、マギウススタイルを変形させて慌てて顔を隠してコックピットから飛び出した。
降りた後、何故かデモンベインを降りても私達の所に繋がりっぱなしの通信と二人がかりで『あれは既に我らの者、元の持ち主を気にかける必要などあるまい』と主張するアルを宥めて、今日の所は大人しく引き揚げる事に成功。
だが、あれだけの巨大ロボを建造できるだけの金と権力の持ち主。
今日のところはこれで仕方が無いにしても、後々何かしらの言い訳を考えて弁明するしかないだろうとは卓也の弁。

やっぱりデモンベインが、噂の覇道財閥が秘密裏に建造してた秘密兵器なんだろうなぁ……。
そうなると、私はこれから覇道財閥と相対して、どうしてデモンベインを勝手に使用したか、とかを説明しなければならない訳だ。
卓也も言い訳については協力してくれるらしいが、どうにも気が滅入ってしまうのは仕方の無い事だろう。

「ん、むぅ」

今すぐに泥の様に眠りたいのに、どうにも寝苦しい。
全身が嫌な汗を掻いたお陰でびしょびしょに濡れ、服がぴったりと身体に張り付いて気持悪い。
嫌々ながらに起きあがり、ジーンズのベルトを外しながら風呂場に向けて歩き出す。
歩きながら服を脱ぐのも馴れたものだ。
大学生活一年目は、もう少し無理にでもしっかり纏めて洗濯機に入れていた気がするが、これも適応だろう。
どうせ今から洗濯をする気力は無い。
明日にでも纏めて回収して洗濯機に放り込んでしまおう。

「あ」

ボタンを外したワイシャツを脱ぎ棄て、ブラのホックを外しながら思い出す。
そういえば、アルが風呂を使っている最中だったか。
……そういえば、伝説の魔導書をどさくさで連れてきちゃった訳だけど、流石に放置する訳にはいかないし、仕方無いよな……?
まぁ、同性ってのが唯一の救いだよな。風呂の時間が被っても良い訳だし。

「こういう状況を考えると、安いアパートの中でも風呂が広めの部屋を借りて正解だったなぁ」

ブラを洗濯機の中に投げ込み、パンツの両端に指を入れて降ろしながら脚を抜き、脱いだパンツも放り込む。
風呂場の曇りガラス越しに、身体をシャワーで洗い流しているアルの姿が見える。
……まぁ、少しシャワーを交替して貰うだけなら大丈夫だろ。
そう考えながら、私は風呂場のドアを開ける。

「アルー、ちょっとだけシャワー替って、く、れぇ?」

風呂場に足を踏み入れ、改めてアルの身体を見て、硬直する。

「人が身体を流している最中に何なんだ汝は。しばし待っておれ、直ぐに終わる」

いそいそと身体に付着した石鹸の泡をシャワーで流すアル。
水気を吸って重みを増した銀糸の髪はしかし、より一層強い輝きを放ち。
打ち付ける水が球になって零れ落ちる白い艶やかな肌は妖精よりも悪魔的な美しさ。
身体の泡を拭う腕と指はしなやかで何処か艶かしい。
だが、そこじゃあない。
精霊という分類に相応しい可憐な外観のアル、アルアジフの、アルアジフの──

「お、お、お……」

「お?」

私が思わず震える指で指差した先。
アルアジフの股間に、柔らかそうな皮に包まれながら、可愛らしいとは言えないサイズの、

「男の子ぉぉ!?」

鼻が末窄まり気味のチャウグナル・ファウグン(象の隠喩的な意味で)が、確かな存在感を持って、そこに鎮座していた。




続く
―――――――――――――――――――

最後のシーンで顔真っ赤にして混乱を現すグルグル目をしたTS大十字を思い浮かべられると幸せになれるかもしれない第五十九話をお届けしました。

主人公があちこち手を出し過ぎてるって?
主人公も大導師に『大十字九郎のサポートをしろ』なんて無茶振りされてるから手探り状態なんじゃないですかね。


そこんとこ含まず、自問自答コーナー。

Q,黒玉?
A,シスターなリューガに生身のまま活躍して欲しかったので。

Q,ムキムキアリスン?
A,語呂はいいが、十八歳以上二十歳未満なのでお酒は厳禁。オレンジジュース下さい。

Q,ラーメン屋の嫌な人って?
A,TSによるキャラ改変の為、クラウディウスちゃん事かぜぽがアーカム近辺に常駐しているのです。仕事時間以外に外で出会うと奢ってくれて勝手に好感度が上がります。

Q,半ズボン覇道瑠璃?
A,瑠璃『ウィンフィールド、そろそろ正装は長ズボンにするべきではないか?』
ウィン『そのおみ足を隠すなど、恐れ多い真似は致しかねます』

Q,落下ヒロインを回避したり、チートアイテムで無双したり、何なの?
A,手探りの結果です。何しろこのループの大十字はダンスしてますからね……。

Q,西博士がかわいそう?
A,まどマギのほむほむとかは可哀想と思われるけど、ジャイアントロボの幻夜は『あー、あるある』で済まされる的な。
同じ奇矯な振る舞いでも女性がやると印象違うよねって話。

Q,男みたいな名前で悪かったな!
A,コンプレックス持ちの女の子って可愛いですよね。

Q,メタトロン?
A,なんかTSして男になったライカさんなら、あっさり思想改革とか洗脳に引っかかりそう。母親に口調がそっくりらしい。

Q,華麗にバク転回避?
A,九郎はダンスやってるからな。

Q,破壊ロボってそんなに凄い?
A,じゃあ破壊ロボが凄くない所を挙げて見てください。
無いでしょう?

Q,おかぁさーん!
A,可愛い子の泣き顔って興奮しますよね。ここはコミカルな涙だと思いますが。

Q,ニグラス亭?
A,シュブさん、最初の頃は主人公が来るまで店開けておこうとしてたんですね。
大十字が来たせいでTSが進みそうになって一気に体調崩しましたけど。

Q,アトランティス・ストライク!
A,超電ドリルキック始めました。

Q,アルの股間のトラペゾヘドロン。
A,最大膨張時でもエドガーのバルザイナイフレベルでしょう……。アルみぅくはおかわり自由だと思います。


さて、三週間の間が開きましたが、無事に投稿できましたね。
次回からは元の速度に戻れると思います。
たぶん。
TS編の書きたいシーンの為に大十字の内心描写が欠かせないので、普段よりも執筆速度が下がってしまうのですよ。
運が良ければ二週間後って事で。

それでは、今回もここまで。
当SSでは、誤字脱字の指摘に即座にできる文章の改善案や矛盾している設定への突っ込みに諸々諸々のアドバイス、そしてなにより、このSSを読んでみての感想など、心からお待ちしております。



[14434] 第六十話「定期収入と修行」
Name: ここち◆92520f4f ID:81c89851
Date: 2011/10/30 00:25
アメリカはアーカムシティ、覇道邸執務室。
執務机の上に山と積み重ねられた書類の海の中、一人の少年が苦々しげな表情でひたすらに書類を片付けている。
山とある書類の上から一枚を手に取り、素早く眼を通し、印を押す。
書類は山の様にあるが、彼の手元に辿り着くまでに幾つものチェックを受けた書類が大半である為に、彼は軽く眼を通すだけでいい。
彼、アーカムを実質的に支配する覇道財閥の若き総帥、覇道瑠璃にしてみれば、この程度の量の書類は日常茶飯事であり、日々こなしている通常業務に過ぎない。

「ふぅ……」

書類を捲る手を止め、目元を指で揉み解す瑠璃。
目を休ませる事で多少目つきは良くなったものの、その表情は相変わらず苦いまま。
彼がその美しい顔を歪める理由は、書類とは全く別の所にあり、それは未だ持って解決していない。
彼は机の引き出しを開け、一冊の新聞を取り出した。
街売りの、低俗なゴシップと品の無い下ネタだけが売りの、何処の都市にでもある様な、どうという事の無いタブロイド紙。
その一面記事に、一枚の写真。
瓦礫の山と化したアーカムの街を背景に、仁王立ちして朝日に臨む巨大ロボット。
言わずと知れた覇道財閥の秘密兵器、デモンベインである。

「ふ」

新聞を片手に、優雅に笑う瑠璃。
もう一度、紙面の写真を見る。
デモンベインと破壊ロボの戦闘が行われていたのは、深夜。
デモンベインの動きも周囲への配慮などを除けば比較的戦い慣れた動きで、決着は驚くほど早く訪れた。

「ふふ、ふ」

笑い続ける覇道瑠璃。その笑みは引きつっている。
いや、それは本当に笑顔なのだろうか、顔面の筋肉と言う筋肉が吊りあがり、結果的に笑顔に似た表情となっているだけではないのか。

日が登る前にデモンベインは破壊ロボを粉砕し、勝利を収めた。
であるならば、デモンベインが朝日に照らされて仁王立ちしているこの状況は本来ならばありえない。
……因みに、この写真の状況からさして時間を置かず、デモンベインは覇道財閥の手によって回収されている。
カメラマンは正に、絶好のタイミングでシャッターを切る事に成功したと言える。
覇道財閥の関知しないタイミングで、デモンベインが『その場に乗り捨てられ』でもしない限り、ここまで良い画を撮影する事は出来なかった。
写真の腕だけでなく、シャッターチャンスをモノにする運も持ち合わせていたのだろう。

「ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」

喉から漏れる笑い声にも似た唸り。
いや、覇道瑠璃は新聞を見て、確かに笑っている。
そう、自然界における笑顔とは本来、攻撃的意思を表す表情に他ならない。
力を込め過ぎて、手に持った新聞がクシャリと歪む。
握り潰され、歪んだ新聞には謎の巨大ロボット──つまりデモンベインの活躍が華々しく書かれ、更には多くの憶測も記されている。

このロボットこそが覇道財閥が秘密裏に建造していた対ブラックロッジ用の秘密兵器ではないか、
いやさ破壊ロボ操るドクターウエストと嘗て頭脳を競った幻の天才博士の仕業ではないか、
いやいや、ブラックロッジに益を産まない無意味な破壊活動を、ブラックロッジの幹部達が自らの超兵器を用いて諫めてみせたのだ。

多くの推理とも言えない憶測が載せられているが、この新聞は煽りたてるだけ煽りたてて終わりだ。
だが、比較的まともな新聞、例えばアーカム・アドヴァタイザーなどでは、新たな巨大ロボットの出現による街の被害の拡大や、万が一新たな巨大ロボがアーカムに積極的に牙を剥いたならなど、デモンベインを危険視する意見も多く見られる。

ある意味当然の反応だろう。
何しろ、あの夜に破壊ロボと戦ったデモンベインの戦い方は、苦戦こそしていなかったものの、周りの建造物に対する配慮は一切見られなかった。
特殊魔導合金ヒヒイロカネの超重量を知り、街への被害を考えれば、『ビームやミサイルを避けながらのバック転』など、間違ってもしようとは思わない筈だ。

……そんな事を考えて、怒りとも喜びとも憤怒とも付かない感情から浮かんでいた瑠璃の笑みは消え、ぶすりとした仏頂面に移行する。
ヒヒイロカネの超重量を知り、デモンベインの装甲がそれで構成されている事を知る人間はつまり、覇道財閥の中でも極一部、デモンベインの運用に関わるスタッフだけだ。
専属のパイロットも存在しない。
そもそもの問題として、デモンベインはつい先日まで動かせなかったのだ。
高位の魔導書が必要という事は先代、祖父である覇道鋼造から知らされていたが、覇道の誇る魔導研究所に存在する魔導書は全て不適格。
動かない機体では操縦訓練をする事もできないし、そもそもどういった人物が必要かという事すら分からない。

コックピットらしき部分はある。
複座型で、片方はバイクの様なハンドルと極僅かな計器のみ。
もう片方は操縦に必要なインターフェイスは一切なし。
しかも、デモンベインはそれで完成していたのだ。
動かない、操り方も分からない様な機体のパイロットの選定など、できる訳も無い。

ブラックロッジの活動が活発化してきた今、一縷の望みをかけてミスカトニック大学に行き、高位の魔導書を持つと言われるシュリュズベリィ教授を訪ねてみるも、不発。
もしかしたら自分は、心のどこかで『どうせ動かせやしない』と考えていたのかもしれないとさえ思う。
そうでなければ、緊急時であろうともデモンベインの格納庫に監視や警備を置いておいた筈だ。

「……」

声にならない程薄く溜息を吐き、頭を振る。
今更何を考えても後悔にしかならない。
新聞を机の中に戻し再び手に承認印を持ち、街の修復に掛かる費用などを纏めた書類に目を通し判を押しながら、しかし瑠璃は思考を止めない。
あの日、確かにデモンベインは何処かの誰かに使用された。
もしも犯人がアーカムシティに対して悪意を抱くものであれば、街は破壊ロボの手によってではなく、デモンベインの手によって破壊されていただろう。
もしも犯人に軍隊やブラックロッジの様な巨大なバックが存在したのであれば、デモンベインはアーカムシティから持ち去られていただろう。

だが、そうはならなかった。
デモンベインは破壊ロボを粉砕した後に活動を停止し、街を不必要に破壊しなかった。
デモンベインは持ち去られる事なく、持ち去られる事なく……
乗り捨てられていた。破壊されたアーカムシティのど真ん中に。

はっきりと瑠璃の心情を現すとすれば、不快の一言。
お爺様の残した、対ブラックロッジ用の切り札を無断で使用した挙句に、よりにもよって街のど真ん中に放置して逃げていくなど、許せる筈も無い。
稼働していなかったとはいえ、デモンベインは対ブラックロッジ戦における切り札。レンタサイクルや盗難自転車の如く乗り捨てていい様なものでは決してないのだ。
なのだが、瑠璃自身デモンベインの扱いがぞんざいだったという自覚はある為、少なからぬ引け目がある。

デモンベインを動かす為の魔導書を探しもした。如何なる資質がデモンベインを動かす人間に必要か調査もした。
だが、それを何をおいても優先していたか、と言われれば、口を噤むしかない。
自分には、このアーカムを陰から治める責務がある。
その職務にかまけて、『この調査はここまでが限界だろう』と、魔導書の捜索の手を緩めた事が無かったとは決して言えない。
『私は十分にデモンベインを動かす為の努力をした』という、言い訳の材料だけを積み重ねはしなかったか。
『動かないのであれば、有事の際に役立てる事も出来ない』
そういった理由を付け、デモンベインを倉庫に置き去りにし、動かせ無いから盗難の恐れも無いだろうと警備も最低限のものにしなかったか?

それこそ、そういったデモンベインに碌に警備の者も付けずにいた自分の所業は、デモンベインを乗り捨てた輩のそれと同じなのではないか、と。
だからこそ、未だ手がかりすら見つけられない件のパイロットの処遇を決めかねている。
もしも信の置ける者であれば、デモンベインのパイロットとして囲い込みたい。
あの状況で乗り捨てるという事は、何か大それた野望を持ち合わせている訳では無く、何かしらの理由から、やむなくデモンベインを使わざるを得なかったとも取れる。
今回の調査でセキュリティの穴も多く見つかった。
以前から街に噂程度なら流れていたし、その噂を頼りに見つけ出してしまったのかもしれない。

祖父の残した遺産を無断で使用した素性の知れない相手に、些か好意的な判断をし過ぎているだろうか。
しかし、無理からぬことだろう。覇道瑠璃はその心の奥底で、自分よりもデモンベインを扱うにふさわしい人物に現れて欲しいのだ。
偉大な祖父の残した、誰も使いこなせぬ、しかしもしもの時はどうにかして使わなければならない、遺産。
覇道瑠璃は無意識の内に、その身を押し潰しそうな重荷を分け合える相手を求めている。
だからこそ、無断で利用した謎の人物に対してここまで大きな期待を寄せているのだ。
だからこそ、期待を寄せる相手が信用できぬ者、悪意有る者であったならば、それ相応の罰を。

「……ふぅ」

溜息。
託すか、罰か。
どちらにせよ、まずは先のデモンベイン無断使用の犯人の素性が知れなければ話にならない。
幸い、先日の事件を期に格納庫の警備状況を確認し、外部から侵入が可能な抜け道(本来ならあってはならないものだが、基地以外の部分の破損などが積み重なって産まれた道であるらしい)も塞ぐ事ができた。
これならば、どこの馬の骨とも分からぬ輩に再びデモンベインを無断で使われる心配はない。
あとは、犯人の調査が進んでくれれば言う事は無いのだが。

そこまで考えた所で、執務室の扉が控えめに、しかし良く耳に残る強さでノックされる。

「入れ」

「失礼します」

瑠璃の返事と共に、執務室の扉が音も無く開かれる。
扉を開けて入ってきたのは、すらりと背の高い、モダンなメイド服に身を包んだ婦人。
先代の頃より覇道財閥に仕える忠実な使用人、メイド長のウィンフィールドだ。

「旦那様、お茶のお時間です」

「御苦労」

手に持った銀の盆の上にはティーセットが載せられている。
覇道財閥の総帥である以上、どんなに忙しくとも高貴なるものの嗜みを忘れてはいけないのである。
書類の山の中、何故か抜群の安定性で乗せられたカップに注がれる紅茶。
職務の合間、束の間の休息。
瑠璃がリラックスしながら茶を飲んでいると、銀盆を抱え瑠璃の横に控えていたウィンフィールドが何かを思い出した様に口を開いた。

「そういえば、旦那様」

「なんだ、ウィンフィールド」

「先のデモンベインの件ですが」

ウィンフィールドの口にした言葉に、瑠璃は形の良い眉を僅かに顰めた。

「ウィンフィールド、こんな時にまでそんな話をするな」

覇道財閥の総帥にとって、休息の時間は貴重なものだ。
執務机の上の書類の山にしても、最初の頃に比べれば格段に減り、今日の内に全て処理できる量になったからこそ、素直にティータイムに入れたのだ。
昨日まではデモンベインの一件絡みの書類のせいで、優雅さを忘れて仕事に没頭せねばならなかった程である。
……覇道瑠璃は、完璧超人、鋼の巨人などと呼ばれていた覇道鋼造と比べれば、極めて平凡な支配者に過ぎない。
それを踏まえた上で、もう少しこのメイドには休息の大切さを知って貰うべきかもしれない。
そう思いながら、瑠璃は静かに紅茶を口に含み──

「申し訳ありません。件の犯人が名乗り出たとの報告を受けましたので、せめてご報告だけでも、と思っていたのですが」

──口から盛大に紅茶の霧を噴出した。
噴き出す過程で紅茶が気管支にも入り、盛大にむせ、手に持っていた紅茶の入ったカップを引っ繰り返し、書類が一山駄目になる。

「ああっ、旦那様のお召しものが。いけません、直ぐに此方にお着替え下さい」

机の上の書類を引っ繰り返しながら、涙目で盛大に咳き込み続けている瑠璃に、何処からともなく半ズボンのフォーマルなスーツを取り出し、長ズボンの服を脱がそうとするウィンフィールド。
一見して怪しげな性癖の持ち主が少年に襲いかかっているように見えるが、勘違いしてはいけない。
ウィンフィールドの目には自らの主を心配するメイドとしての輝きしか存在しない。
決して、半ズボンの少年に欲情する成人女性などというカテゴリには分類されない淑女なのだ。

「いや、いい! 半ズボンはやめろ!」

咳き込みつつもウィンフィールドを手で制する瑠璃。
どちらにせよ、公式の場や外に出る際には半ズボンにさせられているのだ。部屋の中だけでも膝小僧丸出しスタイルは回避したいのだろう。

「それで、犯人は結局何処の馬の骨だ」

呼吸を整え、持っていたハンカチで服に零れた紅茶を拭き取りながら、瑠璃は改めてウィンフィールドに問う。

「はい、報告によれば、ミスカトニック大学陰秘学科の学生だと」

「そうか、ミスカトニックの……」

ミスカトニック大学にはかの有名なラバン・シュリュズベリィに協力を仰ぐ為に訪れた事があったが。
しかしなるほど、これは盲点だった。
確かに、デモンベインを動かすのに優れた魔導書が必要であるとは言われていたが、具体的にどのような位階の魔導書が必要かどうかは判明していない。
陰秘学科の学生で、なおかつ優秀な成績を収めた者であれば、秘密図書館への入室や魔導書の貸し出しも許される。
その学生が秘密図書館から借りた魔導書が、偶然デモンベインを動かせる位階の物であったならば。
秘密図書館から魔導書を選び、在学中のみとはいえ携帯を許される程の実力の持ち主の魔導書ともなれば、決してあり得ない話ではないだろう。
ウィンフィールドは瑠璃の言葉にはいと頷き、どこからともなく数枚の紙束を取り出し、そこに記された個人情報を読み上げ始めた。

「名前は大十字九郎。陰秘学科では一回生の頃より三年連続主席のエリート。面倒見もよく、講義にも休まず出席し、頭の回転も早く弁も立つ。交友関係があまり広くない事を除けばまさしく優等生の鑑」

「ほう」

瑠璃は内心に喜色を浮かべる。
能力面ではデモンベインを動かした実績があるから当然として、人格面でも悪くなさそうではないか。

「ただ……」

「ただ?」

淡々と書類を読み上げていたウィンフィールドの顔が曇る。
ウィンフィールドの手元にある、ミスカトニック大学から直々に届けられた大十字九郎個人に関するレポート。
数々の賛辞や輝かしい成績が記されたそのレポートの備考欄には、非常にデカデカと、太いゴシック体で、ある欠点が記されていた。

『小児性愛の疑いあり』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

アーカムシティ、ミスカトニック大学。
秘密図書館内部、司書休憩室。
俺は椅子に座り、卓上ライトに照らされる大十字に向け、訥々と話しかける、

「俺はね、先輩が偶に奇行に走るくらいなら許容できるつもりです。レストランのゴミ箱に虚ろな瞳で吸い寄せられて上半身突っ込んで逆立ちしたり、
しなびたり融けたりして八百屋の後ろに廃棄された異臭を放つ野菜を前に『これ何かに使えないかな、具体的には食料的な意味で』とか言ってきても、まぁ許せます」

ゴミ箱逆立ちやった直後は他人のふりするけどな。

「最近はやってないだろ」

「以前はやっておったのか……」

頬をぷくぅと膨らませ唇を尖らせる大十字に、冷や汗を垂らしながら呆れ気味に呟くアルアジフ。

「まぁ、今のアルアジフさんのリアクションで分かるでしょうが、これまでの行いだって世間的に見れば異常の範疇に入る行為です。でも、陰秘学科なら許容されます。魔術は異形の法を操る術ですからね、異端には割と懐が広い」

「だから、何が言いたいんだよ」

苛立たしげに言う大十字。
まぁ、アルアジフと大十字の今後の身の振り方を考えなければと呼びだしておいて、こんな説教まがいの事をしては不機嫌になるのも仕方の無いことだろう。

「ですが、知っていますか。……小児性愛っていうのは、呪いと同じなんです。呪いを解くには、まともな性癖になるしかない。まともな性癖に目覚められない者は、一生呪われたまま……らしい」

何しろ折笠声の喘ぎ声とかでペットにしてあげる的に迫られて、『ロリコンなのでババアに興味ありません!くたばれ!』とか言える訳だし。
ロリコンだから云々じゃなくて既にアルアジフと通じ合っていたから誘惑に屈しなかったってのもあるんだろうけど。

「その日の宿も無い行きずりの女装少年を力づくで家に連れ込み、無防備な入浴タイムに全裸で乱入した。……あなたの、罪は、重い」

主に刑法的な意味で。

「いや、待て」

だが、大十字もさるもの、俺の揺さぶりに動揺の一つも見せる事は無い。
唇の端をひくつかせながらも此方の言葉を遮った。
……まぁ、流石に二年連続でそれなりに付き合いがあった訳だし、仕方が無いのかもしれない。
今までの大十字と比べても、何故か接点が多かった気がするしなぁ。
からかいに対してはこれ以上無い程に耐性が付いている筈だ。
俺の言葉に待ったをかけた大十字は胸元で腕を組み、椅子を後ろに傾ける。

「ちょくちょく人の事陥れようとするのは、もうそれがお前のライフワークなんだろうと思う事にするけどな」

「それは聞き捨てなりませんね。俺がアーカムシティでこんなにおちょくるのは大十字先輩だけです。他の方には誠意を持って接してますよ」

「うん、スルーしていいか?」

「どうぞ」

ありがとう、と一言告げ、大十字は椅子を元に戻し机の上に片肘を突き、手首を手の甲が下になる様に曲げ、人差し指を立て俺を指差す。

「ぶっちゃけた話、今回の件で私等は一蓮托生だろ?」

「それは何故?」

「あのロボット──デモンベインを動かしたのは私だけど、格納庫への道筋やら、動かす条件やらを教えたのは卓也だ」

どや顔の大十字に対し、肩を竦めてみせる。

「道筋は、単純にデモンベインの扱いが粗雑だっただけでしょう。浮浪者でも運次第で見つけられます。起動条件は、タイムマシンを動かすのに1.21ジゴワット必要だと言ったら、雷が時計塔を直撃する日を予知された様な気分です」

大十字がデモンベインで戦っている時には思いつかなかったが、別にデモンベインの格納庫への道筋を知っているだけならば幾らでも言い訳は作れてしまうのだ。
陰秘学科である事を利用して、街の散策と怪異探しの途中に見つけたとも言える。
肩にデカデカと覇道財閥のマークが刻まれている気もするが、ぶっちゃけ刻まれている場所が場所だけに、仮にデモンベインの装甲材や機能をじっくり確認したとしても素で気付かれない可能性が高い。
そもそも全体を構成するパーツの一つ一つが強烈に個性を主張しているので、大した機能も無い両肩にちょこんと描かれた覇道のマークは実に地味で目立たない。
ユーザの皆さんでも、ビジュアルファンブック買ってじっくり見て初めて気付いたという人がたくさん居た筈だ。

起動方法は言わずもがな。
この世界で魔術を齧った事のある人間であれば、たかだか学生の見習魔術師が鬼械神を招喚できる程の格の魔導書と契約できるなど想像もしないだろう。
もっとも、魔導書との出会いは総じて運命的な部分が多くを占める為、決してあり得ないとも言い切れないのだが……。
原作の覇道瑠璃からして魔術を齧った事がある割にそこら辺の事情に詳しく無さそうな所もあるので、誤魔化そうと思えば幾らでも誤魔化しが効く。

「一人だけ惚けるってか」

まさか。
大導師から貰ったオーダーは『大十字の味方として動くこと』
律儀に守る理由も無いが、ブラックロッジに入社するようになってから大導師に貰った初めてのまともな仕事だ。やってみる価値はあるだろう。
そして、大十字の味方であるという選択肢を取り続けるのであれば、ここで大十字を見捨てて良いわけが無い。

「実際の所、惚けようと思えば俺も先輩も何時までも惚けて居られるんですよ。コックピットに残ってた先輩の痕跡も使い魔に処理させておきましたからね」

ゴキブリ素体のデモニアックマジ便利。
オリジナルのゴキブリよりも薄い、なんと0.01ミリの隙間からでも身を滑り込ませられるから楽々コックピットに入り込めたし、ミラコロ搭載したお陰でデモンベインを回収しにきた連中にも発見されなかった。
で、覇道財閥のスタッフよりも先にコックピットに侵入させて、大十字の髪の毛とか汗とか皮脂とかアルアジフの残留魔力とか全部食わせて下水道の中で自壊させたから証拠など欠片も残りようが無い。
大十字自身にも顔は隠させていたし、俺も人目につかない様に周囲の光を捻じ曲げて大十字の姿ははっきり見えない様にしてもいた。

ブラックロッジから姿を隠すのは、ニャルさんの運命改竄があるから難しいだろうけど、それでも大十字が納得できるレベルの身を隠す場所を用意するのは難しい話ではない。
たとえば単純に顔を整形で作り替えてしまうのもありだし、ミスカトニックで講義を受け続けるという括りを無くしてしまえば、シュリュズベリィ先生に預けるという手も残っている。
最終的にはどう足掻いてもブラックロッジと相対して『門』をくぐって過去に飛ぶ事になる運命ではあるが、それでも大十字が十分逃げきれていたと錯覚できる状況であれば造りようはあるのだ。

大十字が返答に窮していると、アルアジフが抗議の声を上げた。

「待て、あれは既に妾の鬼械神。それを動かせもせん連中に預けたまま、諦めよと言うのか?」

その理屈で言うと、ガンダムはアムロの物でストライクはキラの物、という事になるんだろうか。ベルゼルートは統夜のものでいいと思うけど、現代社会では中々そうはいかない。
流石はアラミレニアムの長生き、現代におけるモラルという物をとんと理解していないらしい。
せめてアズラッドとかエドガーと行動していた頃と同じレベルで常識とかを考えていてくれれば話が早いのだが。
この周の過去ではアズラッドやエドガーとは接触していない可能性も十分あり得るので、仕方無いと言えば仕方ないか。

「それは先輩次第じゃないですかね。俺は正直どっちでもいいんで」

「ならば問題あるまい。コヤツは仮にも妾の主、悪と戦う気概の一つも持ち合わせていよう」

ふふん、と鼻を鳴らしてふんぞり返るアルアジフ。
……ほんと、外伝の頃のダークな雰囲気は何処に行ったんだろう。
魔導に関わるものは云々と戒めの心を持ち合わせていたと思うのだが、一体何が彼女、もとい彼をここまで心変わりさせてしまったのか。

「勝手に決めんな! 私はブラックロッジと戦える様な力は……」

大十字がアルアジフに喰ってかかる。
が、その言葉は尻すぼみに消えて行った。
口に出して見て、自分がどういう考えかを知ってしまったのだろう。
TS大十字は女性なだけあって、そこら辺の感情の機微には敏感なのだ。

「ほう、力があれば戦うのか?」

そう、大十字は『戦いたくない』ではなく『戦えない』と言った。
戦おう、戦わなければ、という考えは既に十分持ち合わせているのだ。
だが、今現在の大十字には今一歩を踏み出す決意が足りない。

「……わからねぇ。なあ、卓也」

アルアジフの問いに力無く首を振った大十字は、再び俺に迷いに揺れる視線を向ける。

「お前、結構強いのに、特にブラックロッジとは戦って無いよな」

「そりゃ、ミスカトニック大学はブラックロッジに対して積極的敵対姿勢は見せていませんからね」

因みに以前疑問に思ってから調べてみたのだが、ミスカトニック大学陰秘学科が積極的にブラックロッジと敵対しないのにも、邪神の運命操作以外に一応の理由が存在する。
調べてみれば理由は簡単。
ミスカトニック大学は陰秘学科を擁しているが、圧倒的にそれ以外の学科に所属する人間の方が多い。
仮にミスカトニック大学陰秘学科が組織だってブラックロッジと敵対した場合、ブラックロッジが陰秘学科をけん制する為、まず攻撃する対象は何処だろうか、という話になってしまう。
古くから覇道財閥に協力してこそいるものの、ミスカトニック大学はあくまでも教育機関。
無闇に魔術と関係無い学生を危険に巻き込む訳にはいかない。
……という理由の元、大学上層に潜む無自覚型のナイアルラトホテップの端末により、ミスカトニック大学は今日もブラックロッジを見逃しているという訳だ。
もちろんこの不介入の理由も事あるごとに変わるので、全てのループで『これだ!』と断言できる様な結論は存在しないのだが。

が、俺の返答に大十字は机をコツコツと指で叩きながら首を振る。

「そうじゃなくて、……正直、卓也とかシュリュズベリィ先生なら態々徒党を組まなくても、陰秘学科じゃない個人として戦えるだろ?」

「なるほど、俺もシュリュズベリィ先生も薄情な人だな、と」

でもシュリュズベリィ先生と並べて同じ列で扱われるってのは少し嬉しかったり。
そっかぁ、俺も先生と並べて勘定されるレベルになってたんだなぁ。
魔術師としても、生命体としても先生の居る位階はとっくに追い越しているんだけど、改めて人にそう評価されると少し照れてしまう。顔には出さないが。

「あ、いや、ちが」

わたわたと弁解を始めようとして、しかし慌て過ぎてしどろもどろになり上手く言葉が出ない大十字。

「シュリュズベリィ先生がいっつもアーカム以外で頑張ってるのは知ってるし、お前らが普段の言動から想像できないくらい親切なのは身にしみてるっていうか、色々感謝してもしきれないところも、ああ違うそうじゃなくて!」

がしがしと頭を掻きながらこちらに掌を向けシンキングタイムを取ろうとする大十字。
これで少し放置しておけば面白い言葉が聞けそうではあるが、それでは話が進まない。

「ジョークです。勿論、俺にしろシュリュズベリィ先生にしろ、ブラックロッジと積極的に敵対できない理由はあります」

「なんだ、それは」

俺にからかわれたと気付きむくれて押し黙る大十字を他所に、頭に疑問符を浮かべるアルアジフ。

「俺や先生が出撃して破壊ロボを破壊したとしましょう。ぶっちゃけ武装に偏りのあるデモンベインよりは、俺も先生もよっぽど早く破壊ロボを粉砕できます」

単純に破壊ロボの装甲を貫けるだけの威力の武装なんて腐るほどあるしね。

「ならば、なぜやらない? 貴様も先生とやらも、人類側の魔術師であろうに」

「そうですね、ブラックロッジの戦力が破壊ロボだけだっていうなら、そうしてもいいんですが。仮に破壊ロボを容易く粉砕し続けた場合──逆十字が出張ってきます」

「……ふん、なるほどな。確かにその点を考慮すれば、下手に手を出すわけにもいかんか」

頷きながらそう告げ、アルアジフは引き下がった。

そう、ブラックロッジも変態かキチガイしか居ないが、決して馬鹿では無い。
敵が見習いインスタント魔術師と鬼械神モドキでしかないからこそ、いつまでも破壊ロボで敵対していた。
が、ここで出張ってくるのが掛け値無しに逆十字と並ぶほどの位階の魔術師に、本物の鬼械神であったならば。
当然、ブラックロッジも鬼械神で持って対抗してくるに決まっているのである。
破壊ロボも街を破壊しているが、鬼械神同士の本気戦闘で生まれる周囲への被害と比べれば雀の涙程度の被害でしかない。

それに、ブラックロッジとくれば俺のバイト先でもある。
大十字の味方として振舞う様に指示を貰っているが、それでも何か思い付いた時にブラックロッジに寄りつく事があるかもしれないという可能性を考えれば、俺が表立って積極的にブラックロッジと敵対するのも問題だろう。
というか、ブラックロッジは大十字を成長させる為の餌なのだから、俺や他の魔術師が無闇に倒していいものでも無い。
俺が大十字の味方としてできる事と言えば、顔を隠してこっそりサポートする程度のものでしかないのだ。

「でも、先輩が戦うとなれば話は違う。相手は天下の犯罪者集団、悪の魔術結社ブラックロッジ。挙句に先輩は敵の構成員にばっちり顔を見られています。先輩が未熟な魔術師見習いという情報は直ぐに割れるでしょう」

見られてなくてもニャルさんが教えるから個人情報は筒抜けなのだが。
俺の言葉に、大十字はしばし神妙な顔で考え込み、顔を上げた。

「つまり、魔術師として未熟な私が、鬼械神としては不完全な紛い物であるデモンベインに乗って戦うなら、いきなり逆十字が出張ってくることも無い、って事か?」

「ですね。もっとも、それでも破壊ロボを撃退し続ける限り、必ず何処かの時点で逆十字は現れるでしょうが……まぁ、その時は多少なりとも助力はします」

「そっか」

納得と、どこか安心を含んだ表情の大十字。
因みに、シュリュズベリィ先生は仮にニャルさんの運命改変が無くとも手を貸す事は出来なかっただろう。
何しろ、シュリュズベリィ先生は目を向ける物の規模が違う。
確かにブラックロッジの計画は恐ろしく、C計画も人類を滅ぼしかねない計画ではある。
が、残念な事に、地球人類が滅ぶ可能性を秘めた邪神降臨計画を練っている組織はブラックロッジだけでは無い。
というか、人類だけでなく邪神を崇める邪神眷属群なども含めれば、それこそ人類存亡の危機に陥れる力を持つ勢力は数えきれない程存在する。
ぶっちゃけ、シュリュズベリィ先生がアーカムに留まってブラックロッジと戦いを続けていたら、他所の魔術結社が原因で地球が滅びかねないのだ。

上の説明で分かりにくければ、地元のブラックロッジと戦う大十字が一文字隼人、海外の悪の魔術結社などと戦うシュリュズベリィ先生は本郷猛。
シュリュズベリィ先生が一緒に戦えるようになった機神飛翔は制作と役者側の都合が付いた39話から、と考えればわりと覚えやすいかもしれない。

「ともかく、決断は早めにした方がいいですよ。ブラックロッジと敵対するってんなら、デモンベインの持ち主──覇道財閥との連携は避けられないんですから」

黙っていた時間が長ければ長いほど、こちらに何か後ろめたい所があったのだと疑われる可能性は高くなる。

「ふん、まぁ、それもやむなしであろうな。あれは完全な鬼械神では無い故、どうしても整備は必要になる筈だ」

「物分かりが良くて助かります。ですが」

アルアジフから視線を外し、大十字に視線を向ける。

「先輩。先輩は賢いから分かると思いますが、顔を見られたからといって、絶対に戦わなければならない、という訳でもありません。逃げ道はそれなりに存在します」

「ああ」

大十字が相槌を打つ。

「先輩はブラックロッジに恨みはそれほど持っていない。つまり戦う大きな動機が無い」

「だな」

うんうんと頷く。

「はっきり言えば、ここで戦うのはお勧めしません。しらを切って元の学生生活に戻るのがお勧めの道です」

「そうか?」

首を傾げる。

「そうです」

俺はそんな大十字に頷く。

「なんで戦わない方がいいと思う?」

「はっきり言えば先輩がゲロ弱いからです。先輩は優秀ですが学生レベルとしての優秀さに過ぎません。しかしブラックロッジの幹部は世界有数レベルで優秀です。
先輩がリトルリーグのエースで四番だとしたら、敵は超人系野球漫画とかで最終巻近くに登場して、主人公を一度叩きのめすメジャーリーグのトップクラスプレイヤー。それ位の実力差があります」

※ここでのリトルリーガーはMAJORの主人公を軽く凌駕する才能に、数十巻分の成長を数巻でこなす成長速度を持つものとする。
俺の例えに、流石の大十字も頭を掻いて途方に暮れた表情を浮かべる。

「そりゃ参った。ジムで鍛えてどうにかなるか?」

ほらまたアメリカンジョークが飛び出て来た。
こいつは米とか割と好きな癖に、コーヒーにトーストなんて生まれも育ちもアメリカン的な食事も好きだったりするからな。
ブラックコーヒーに砂糖を入れないのは日本人だけだけど、こいつは調味料ケチってるだけだし。

「アメリカンジョークにマジレスするのは気が引けますが、大学で手頃な魔術師でも捕まえて鍛えて貰った方が早いでしょうね」

両手を広げ肩の高さまで上げ、大きく肩を竦めながら言う。
上げた手を大十字の両手で掴まれた。がっしりと。
俺の手を力強く握りしめた大十字がにやりと笑う。

「私は運がいい。捕まえたいと思った時に、捕まえられる距離に手頃な魔術師が居るなんて。日頃の行いかな?」

すっげぇどや顔。少し殴りたい。

「……別に魔術師でなくても、長生きの魔導書とかでも全然構わないんですよ? 教えを乞うなら。いえ、むしろ長生きの魔導書の方がいいと思いませんか?」

ちらっ、ちらっ、チラチラッとアルアジフに視線を向けながら言うと、アルアジフは厭らしい笑みを浮かべて首を横に振る。

「勿論我が主の修業は主に妾が付けるが、お主の実力と知識の程は我が主よりよぉく聞かされておる。助手として手を貸すのであれば拒む理由は無いな」

「くあっ」

握られていない方の手で額をぺちんと叩く。
そりゃ、大十字の味方をするようには言われたけど、まさかプライドの高いアルアジフが主の修業に他の助言者を入れる事を許すとは。
あれか、俺がデモンベインの安置場所とか武装とか諸々教えてたから、良いように動かされたみたいで気に食わなくて、それの意趣返し的な部分があるのか?

……まぁ、いいや。
どうせ修行の手伝いったって、ナイトゴーントとの組手で疲労した大十字を絶え間なく修行させる為に回復させる役とかそんなんだろうし、さして手間じゃない。

「わかりました。では、先輩は死霊秘法の主として、ブラックロッジと敵対するということで構いませんね?」

「ああ」

「後悔しませんか? 死ぬかもしれないし、死ぬよりも酷い目に会うかもしれません。先輩一人戦った所で、何一つ結果は変わらないかもしれない。それでも?」

大十字は再び頷く。
その目には、真っ直ぐ一本芯の通った意思が感じられた。
先ほどまでの迷いは無い。揺らぎ無い信念が見える。

「これから覇道財閥に送付する大十字先輩のプロフィール、教授達のチェックが入った後に美鳥が色々付け足していましたけど、それでも後悔しませんね?」

「まて何だその捏造フラグは!」

一瞬で超揺らいだ。
椅子をガタっと音を鳴らして立ち上がる大十字をどうどうと窘め座らせる。

「大丈夫、美鳥もどの程度までのボケが許されるか位は把握していますって。あれで要領は良いんですから」

「そ、そうか? それなら安心──」

「せいぜい趣味の欄に『休日は小学校の体育の授業を遠くから望遠鏡で観察』とか『半裸の少年が大量に写っているいかがわしい雑誌を大事にコレクションしている』とかが書き加えられる程度」

「──できるかぁ!」

俺の台詞が終わるよりも早く、大十字は司書室の扉を体当たり気味にぶち開け駆けだす。
と思ったら即座に戻ってきた。

「美鳥は何処!?」

「今先輩が『ああ』とか凛々しい顔で頷いた時点で大学は出発したんじゃないですかね。ポストは大学正面出て左ですよ」

返事をする間も惜しむかのように、大十字は再び司書室から出て行く。
因みに、大十字が椅子から立ち上がって声を荒げた時点で美鳥は郵便局に直接書類を渡し終えている。
数分後に肩を落として『マモレナカッタ……』とか呟きながら戻ってくる大十字を想像するとゾクゾクするのは当然のことだろう。

「……本当に大丈夫なのであろうな?」

まぁ、新しい鬼械神が必要なアルアジフからすれば、レポートに馬鹿なこと書いた程度の事でデモンベインを満足に運用できませんでした、なんて間抜けな展開は嫌なのだろう。
疑わしそうなアルアジフの視線と疑問を、ひらひらと手を振り受け流す。

「問題ありませんよ。どうせ、現状ではデモンベインを動かせるのは先輩一人だけ。多少性癖に問題があると思われても、他を見つけられないなら相手は妥協します」

基本的にミスカトニックからの紹介なら相手も安心できるし、紹介される大十字も成績優秀な優等生、性癖の一つ二つで覇道財閥の方がノーと言う事は無い。
仮に本当に大十字に幼児性愛の気があったとしても、覇道財閥のスタッフやアーカムの市民に被害が出なければ問題は無いという事なのだろう。
万が一大十字が何かしらの事件を起こしたとしても、それで被害をこうむるのは大十字が籍を置くミスカトニック大学なので、覇道財閥は痛くも痒くも無い。
そう、大十字が原作の様にドロップアウトしない限り、覇道財閥とは極めて友好的な関係を築く事が可能なのだ。

俺は大十字が出て行ったドアからアルアジフに視線を向け、深くなり過ぎない程度に頭を下げた。

「デモンベインの置き場所を教えた責任もありますから、俺も美鳥も可能な限りサポートはします。だから、先輩の事、よろしく頼みます」

―――――――――――――――――――

「うむ。任せておくが良い」

大仰に頷くアル。
が、その表面上の態度とは裏腹に、アルは卓也に対してあまり気を許してはいなかった。
魔導書『死霊秘法(ネクロノミコン)』の原典、アル・アジフの精霊から見て、鳴無卓也という魔術師は実に得体のしれない人間だ。
先日のデモンベインでの戦闘の時もそうだ。
まるで此方の会話を聞いていたかのような都合の良いタイミングで、最強の魔導書の精霊たる自分ですら手間取っていた通信を入れ、あの場面で実に的確な武装を教えた。
主たる大十字九郎が言うには『卓也はデモンベインの事に関しては調べ尽くしてるらしいから、コックピットの中の事を知れても、武装の事を知っていてもおかしくないと思うぞ?』との事らしい。
が、実はその時点で大いに不自然なのだ。

デモンベインの操作系統の索引は、常から鬼械神に触れていたアルアジフからしても雑然としている。
戦闘中だから兵装の検索に戸惑っていたというのを含めて考えても、とてもまともに動かす事を考えて造られたとは思えない程の乱雑さ。
まるでアルアジフの様な高度な演算能力を持つ魔導書に検索を任せるか、馴れで操作できる者だけが使う事を考えて造られたかのような雰囲気すらある、
魔術と科学の相の子、というだけでは説明が付かない、難解なものだ。
はっきり言って余程高度な、それこそ機神招喚の術式が載せられている様な高位の魔導書でも持っていない限り、まともに動かし方を知ることも、どの様な兵装が存在するか検索するのも難しい。

それを、たかだか大学の一学生が、それも、この街に来て二年程しか経っていない様な人間が『調べ尽くしている』という。
これだけで、アルアジフが卓也と美鳥を疑うには十分な材料だろう。
だが、主である大十字九郎はそんな彼等の事を信用し、信頼している。
そんな彼等をまだ出会って間も無い、場の流れで無理矢理契約したアルに『怪しいから注意しろ』などと言われて、どう思うだろうか。
不評を買って『じゃあ戦わない』なんてごねられでもしたら困るのはアルアジフだ。表立って彼等を警戒する訳にもいかない。

だからこそ、二人に修行を手伝って貰うという主の言葉を快く受け入れた。
実際に二人が主に対してどのような接し方をしているのか、どの様な修行をするかで人柄を知り、眼に見える近い所に置く事で暗躍を防ぐ。

警戒のし過ぎだというのなら、唯の笑い話で済む。
これまで主に聞いた彼等の人柄が真実のものであるとすれば、疑っていた事がばれてもさして気にしないだろう。
多少の不評を買うかもしれないが、貴重な主との契約を続ける為ならば、警戒し過ぎるという事も無い。

こうして、アルアジフは主を鍛える算段を立てながら、怪しげな主の後輩をどのように見極めるかという事に関しても頭を悩める事になるのであった。

―――――――――――――――――――

■月●日(予定調和)

『案の定というかなんというか、特に何のトラブルも無く覇道財閥と大十字の契約は完了した』
『とりあえず真っ先にデモンベインの無断使用に関して謝罪を行ったのが功を奏したとは大十字の言だが、これが一概にそうとも言えない』
『大十字と覇道の話し合いは当然のぞき見させて貰ったのだが、最初の時点では大十字と覇道瑠璃とを結ぶライン上に、幾つもの防衛ラインが敷かれていた』
『恐らく、美鳥が大十字のレポートに付け足した性癖云々を真面目に捉えたのだろう』
『正直、そこまで警戒するならショタっぽさを強調する様な半ズボンを着てくるのをやめた方が良いと思うのだが、ここの覇道瑠璃にもファッションへの拘りという物が存在するのかもしれない』

『実際に面談が始まってから暫くして、覇道瑠璃を守る執事とメイドの防衛戦は徐々に緩くなり、最終的には普通のVIPの警護態勢程度に落ち付いた』
『会話の中で大十字の人となりを感じ取って、レポートに乗っていた情報は誤りであったと認識したのだろう』
『ここの大十字がショタコンか否かは置いておくとして、元の大十字だって元を正せば正常な性癖の持ち主』
『しかもアルアジフと出会って間も無い頃となれば、警戒する部分を探す方が難しい筈』
『この大十字がアルアジフルートに突入するのか覇道瑠璃ルートに突入するのか、はたまた誰ともくっ付かずに俺達ずっと友達だよなENDを迎えるのかはしらないが、せいぜい良好な関係を維持できればいいなと思う』

『さて、大十字の契約内容は、大きく分けて二つ』
『一つはデモンベインでのブラックロッジとの戦闘、もう一つはアルアジフの断章集め』
『やる事はこれまでのループとさして変わっていないが、俺が直接的に手を貸すのは初めて』
『今後のループでも、こうやって大十字に直接手を貸す場面が無いとも言い切れない』
『ここらで一発大十字サポーターとしてのテンプレを作る為、試行錯誤してみよう』

―――――――――――――――――――

大十字と覇道財閥の契約がミスカトニック大学越しに無事に結ばれ、三日。
大学の方で、大十字の仕事中の講義は公休扱いにする旨が決まったり、大学から正式に大十字のサポートをするように言いつけられたりで、手続きに時間を取られて修行も調査もする暇が無かった。
一応、手続きの合間に、今の大十字がプロの魔術師と戦う為に不足している部分が何処かを話し合ったり、修行の内容を検討したりもした。
家に帰る途中にさりげなくダウジングで抜け落ちたページを探そうともしたのだが、これは俺がやると大十字の強化に繋がらないので中止。
ようやく全員の時間が空いて、さぁ、今日こそ修行を開始しよう。

「……みたいな事を考えて、修行用の道具とかも用意したんだけど」

呟き、空の風呂桶の中、靴を履いたまま寝そべってきゃいきゃい言っている大十字に視線を向けた。
大十字は俺の視線に気が付いていないのか、頑丈そうな風呂桶を掌でぺしぺし叩きながら心底嬉しそうに風呂桶の広さをアピールしてきた。

「見ろ見ろ卓也! この風呂桶すげぇ広いし深いし脚伸ばしてまだ余る!」

「先輩んとこの風呂桶も結構広かった気がしますがね」

なんで、俺は空き物件を大十字と見て回ってるんだ?
いや、見て回るっていうか、大十字は明らかにこの物件を狙っている風だ。
ここ一週間、偶に俺と美鳥と別行動を取っていると思ったら、不動産屋を巡って部屋を探していたのか?

「そりゃそうだけどさ、なんつうかもう、広さの質が違うっていうか、湯船に取られて浴室自体が狭くなってたりしないし、便所とも別だし──うん、よしよし、この角度なら覗かれる心配も無いな」

風呂桶の中で立ち上がり、換気の為の窓から顔を出し、周囲の建物との位置関係を確認している。
大十字程のグラマラスな美人ともなればそういう観点でも風呂場の事を考えなければならないらしい。美人というのも大変そうだ。
いや、そうでなくて。

「先輩、なんで空き部屋見学なんてしてんですか?」

「引っ越し先の下見だよ、下見。覇道からなんか給金出るらしくてさ。ほら、少なくとも暫くはアルと同じ家に住まなきゃいかん訳だし、仮にも女と男が1LDKで一緒に寝泊まりするのも、アレだろ?」

「あぁ……」

一応理屈は通っているな。
TSしたから、女の所に男が転がり込んできた形になる訳で、アルアジフが気にしなくても大十字の方が色々と気にしてしまうのだろう。

アルアジフ、日本語に訳すと『魔物の咆哮』という意味なのだが、ここで言う魔物の咆哮とは、夜中に響く虫の鳴き声の事を指す。
日本では風流の一種として考えられている虫の音も、古代アラブ人の間では魔物の咆哮だと考えられていた訳だが、この虫の鳴き声というのが曲者だ。
蝉でも鈴虫でも、虫の鳴き声とは基本的にたった一つの意味しか持っていない。
それは繁殖、パートナーを求める声なのだ。
しかも、基本的に自然界は雌優位である為、鳴き声を上げるのは雌の気を惹きたい雄の物と相場が決まっている。

纏めよう。
一つ、アルアジフという名前は獣の咆哮、虫の鳴き声を指す。
二つ、虫の鳴き声は基本的に繁殖の時にのみ用いられる。
三つ、虫の音は雄が雌を求める口説き文句か情熱的な叫び声である。
以上の三つを踏まえて、魔導書ネクロノミコン、魔導書『アル・アジフ』のタイトルを日本語に訳す。

案1、柔らかく訳す。
魔導書『子作りしましょ』
案2、直情的に訳す。
魔導書『股を開け』
案3、出来得る限り気持悪く訳す。
魔導書『なぁ、スケベしようや……』

どぎつい。これはどぎつい。
どの選択肢を選んでもバッドエンドルート確定である。
仮に俺が女性だとしたら、こんなタイトルの魔導書の精霊と同居とかマジで無理だ。
ていうか、契約とか間違いなくしたくない、しても破棄する。
マスターオブネクロノミコンとかならいい。
だが、仮に同じ場所にネクロノミコンの写本の主が居た場合、【魔導書『なぁ、スケベしようや……』の主】とか、そんな呼称で呼ばれる可能性が出てくるのだ。
無名祭祀書とか放置してこっちを焚書で根絶やしにするレベルである。
翻訳に悪意がある? いや、これで不正は無いのだ。
何しろ、この名に意味が生まれるのはアルアジフが男性体の時だけ、ここで触れておかなければ、間違いなくどうでもよくなってループ終了まで触れもしないだろう。

流石の大十字といえど、そんな魔導書と同じ部屋で眠る事に関しては慎重にならざるを得ないのだろう。
例え本人が主にそういった感情を抱かないとしても、心のどこかでそういった警戒を保っておくのは悪い事では無い。
しかし、それでもアルアジフを台所に寝かせるとか、トイレに寝かせるとかの選択肢を出さずに、2LDKの部屋に引っ越してまでみせるとは。
男の大十字九郎は漢気が滲む時が多々あったが、女の大十字は母性が滲み出しそうではないか。

「先輩」

「むむむ、壁と床の間に隙間が無いとは……、と、なんだ?」

キッチンの隅っこで地面にへばり付いて部屋の堅牢な作りに感心していた大十字が振り返る。

「何か困った事があったら、何時でも言ってください。俺がどれだけ役に立てるかは分かりませんが、気兼ね無く頼って頂ければ幸いです」

大十字の、いやさ、今この時だけは、心の中でも大十字先輩と呼ぼう。
大十字先輩の懐の広さには存分にほっこりさせて貰った。
俺であれば、見ず知らずの幼児にそこまでの便宜を図ろうとは思えない。正に母性のなせる技なのだろう。

「お、おう」

俺の尊敬の眼差しと突然の発言に、戸惑いながらも頷く大十字先輩。
色々大変なこともあるだろうが、とりあえず門の向こうに消えるまでは、精一杯フォローしていこう。

―――――――――――――――――――

「何か困った事があったら、何時でも言ってください。俺がどれだけ役に立てるかは分かりませんが、気兼ね無く頼って頂ければ幸いです」

「お、おう」

突如として向けられたその言葉に、私は幾許かの安堵と、大きな驚きを覚えていた。
コイツが手伝ってくれるというのならこれほど心強いことも無いんだけど、こいつ、人に親切をする時にこんなにストレートな物言いをしたかな。
いや、言葉だけじゃ無い。
卓也がこちらに向ける視線は、常には無い、なんというか、尊敬の念を含んだ感情がうかがえるのだ。
こんな顔は滅多に無い。少なくとも私は見たことが無い。
うん、成績優秀な先輩なのに尊敬されて無いとかちょっと悲しくなるね。

(素行に問題があったのではないか?)

(自覚はあるけど、巨大なお世話過ぎるわ)

懐に、卓也に魔導書との契約のお祝いにと渡されたブックホルダー(アルの魔導書形態に測ったようにサイズが合致した)越しにアルの表紙を軽く叩いて黙らせる。
それはともかく、つまり今の私は尊敬されるような何かをしたのだろうか。
いや、尊敬されてるっぽい視線だからといって、そのまま尊敬されていると考えていいのだろうか。

(大体ほれ、むしろこれは尊敬というより子の成長を親が喜ぶというか、立派になったなーと感慨に耽る感じの)

(いや、そんな筈は、無い、とも、言いきれないか)

普段のやり取りでは見慣れない表情だから、そう言われてしまうとそんな気がしてきてしまう。
本人に『なんでそんな顔してんだ?』なんて直接聞ける訳も無いから、考えるだけ意味の無い事なのかもしれないが。
……なんていうか、私、先輩だよね? いや、そりゃ魔術師としては卓也達の方が先輩ってのは分かるんだけど、自覚もしてるんだけど。
そりゃ、先輩なんだぞー、偉いんだぞー、とか、やりたい訳じゃないけど。

「さぁ先輩! さっさと不動産屋の人と話を済ませて、ささっと引っ越しをすませてしまいましょう!」

「え、ああ、うん、そうね……」

いや、本当、なんでこんなテンションになっているのやら……。

―――――――――――――――――――

その後、私は卓也に引っ張られる様にして不動産屋との契約を交わし、それから数日の間を置いて引越しに取り掛かった。

「大十字先輩、パンツとブラは分けて置いてください。はしたないですよ」

「あ、わり、デリカシー無かったよな──って、これ普通逆じゃないか?」

「お兄さんはほら、姉と妹が居るから、下着とか裸程度じゃ取り乱さんのよこれが」

──引越しの速度を上げる為に荷造りまで手伝って貰い、

「いい機会ですから、ちゃんとした箪笥なりクローゼットなりを買いましょう」

「えー、見た目的にもこれで十分だろ。ほらこの黄色いのとか可愛いだろ」

「ほら古本、お前も説得しないと、衣装も本も全部カラーボックスに詰め込んで整頓したつもりの女の魔導書呼ばわりされるぞ」

「古本言うな!」

──なし崩し的に、これまで代用品で済ませていた家具を買い揃え、

「風水的に優れた家具の配置は……こう!」

言葉の気合とは裏腹に、壊れないようにゆっくりと置かれていく家具や小物。
アルは部屋の中の配置を見て、興味深げに頷く。

「これで、特に魔力を流さずとも、大気中の魔力の流れが自然と術式を廻してくれます。完璧ですね」

「ほう、お主ら兄妹はそんな物にまで通じておるのか」

「どっちかっていうと、最初はそっち系のが詳しかったんだけどなー」

「へぇ……。で、どんな術を仕込んだんだ?」

「およそ地形には六つの害あり、玄関から入った侵入者はまず天羅に捕らわれます」

「もう嫌な予感しかしないけど、どうなる?」

「社会的な揉め事に巻き込まれて身動きが取れなくなります。あ、家に入る時は排気口を使ってくださいね。家主を識別するような機能は無いので」

「 元 に 戻 せ !」

「これぞ東方不敗八卦の陣。この術中から逃れる術はあんまりないらしいよ」

「味方に使わなければ有効なのだろうな」

──新しい部屋に家具を置いたり、動かしたり。
何だかんだで、引っ越しが終わるまで三日も掛からなかった。
引越しが終わって、お祝いに卓也のお姉さんが御馳走を持ってきてくれたのは予想外の出来事だったが、まぁ、美味しかったので良しとする。
そう、これからブラックロッジと戦う事になるけど、このメンツでなら、上手い事やれるんじゃないかなって。
そう、この頃は思っていたんだ。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

東の空、遠くまで続くアーカムの街並みの隙間から太陽が顔を覗かせ、一日の始まりを告げている。
ミスカトニック大学の時計塔は街のシンボルになる程の高層建築物。
その屋上から見える日の出の景色は実に美しい。
空気も何処か澄んでいて、お腹いっぱいに吸い込むだけで心が洗われるような気分になれる。
良い一日が始まる予か──

「おはようございます! 今日も死ぬには実にいい日なので素晴らしく修行日和ですね!」

……良い日が始ま──

「うむ、死ぬには良い日とは言い得て妙だが、ならば今日は死ぬか死なないか程度の修業を付けてみるのもよかろう」

…………良い日が──

「ぐっもーにん大十字、こんな日は口から糞垂れる前と後に『修行大好き』とか付けると幸せになれるぜ」

無闇に気合いの入った後輩とそれに追従する私の魔導書と気だるげながら逃がす気が欠片も無さそうな後輩に取り囲まれ、私はガックリと肩を落とす。

「……うん、そうね、いい修行日和だよね」

いや、分かってるんだよ、時間の余裕が無いって事くらい。
デモンベインで戦ってから既に十日以上経過して、ブラックロッジに何のアクションも無い。
アルの断片が街にばら撒かれてから十日以上経過して、一切それらしき怪事件に出くわさない。
そろそろ、どちらも何時動き出してもおかしくない頃合いだ。
ブラックロッジは私から魔導書を取り上げる為の、もしくはアルの断片を探す準備を済ませ、断片は自力での活動に必要な魔力を蓄え終え、街の人々の想念を得て実体化し活動を始めるだろう。
前に出て戦う私は、一刻も早く強くならなければならない。

「さて今日のテーマですが、対ページモンスター戦の訓練を行います」

アルの背丈程もある巨大な立方体の箱を横に置いた卓也の言葉に、既にマギウススタイルとなった私の肩のあたりに浮かぶちびアルが頷く。

「うむ、ページ単体でも十分に街の者達に被害が及ぶであろうし、ブラックロッジもこれを狙って動く筈だからな。しかも退治できればこちらの手数も増える」

「今日はとか言ってるけど、大十字はダンスやってるから体力はあるし、知識もそれなりに備わってるだろ? つうわけで、基本的に只管実戦形式だけをやっていくから」

美鳥の言葉に頷く。
正直、知識の面でも本業の魔術師には及ばないんだけど、そこら辺はマギウススタイルでカバーできるし、理に適った修行方法だと思う。

「……で、今日は何と戦えばいいんだ?」

そう、それが問題なのだ。
基本的に、普通の戦闘訓練の時には、アルの作ったナイトゴーントのページモンスターか、卓也の呼び出した木偶を相手に戦う。
が、アルから抜け落ちた断片を相手にする事を想定した訓練の場合、これは卓也が全てダミーとして似た能力を持つ対戦相手を用意する事になる。
これまでの相手は、アトラック=ナチャを想定して造られた赤い鋼の大蜘蛛に、ロイガーとツァールを想定して造られた赤と青のロボット、クトゥグアとイタクァはロイガーとツァールの時のロボットを流用。

どれも生きた心地のしない修行だった。
鋼の大蜘蛛には金属の糸で絞殺されかけ、赤と青のロボットに連携でフルボッコにされ、火で焙られ、水で流され凍らされ。
極限の状態を修行で生み出す事で魔術の成功率とか集中力とかを高める意味もあると言っていたし、事実として効果はあったんだけど。

今日も嫌な予感しかしない。
特に、卓也の脇の箱とか。中からすっげぇモーター音がするし、ガリガリ言ってるし。
だが、そんな私の心境などお構いなしに、卓也は待ってましたとばかりに箱を前面に押し出し嬉々として説明を始める。

「今回のは先輩も初めての相手ですよ。これは、ページモンスターの中でも比較的実体化しやすく、捕獲も容易なバルザイの偃月刀を模した──」

卓也が箱の蓋を開く。
蓋が開けられると同時、勢いよく飛び出す円盤。
ギャギャギャギャと音を立てて空を飛び私の顔面目掛けて飛んでくるその円盤の縁では、よくよく眼を凝らさなければ分からなくなってしまう程の速度で、チェーンソーの歯の様な刃物が回転し続けている。

「御禿様のオーダーで造られたという曰くのある、人を毒ガスよりも痛々しく殺す為の兵器、その名も『ビルギットだけを殺す機械』君です。さぁ先輩、これと戦って、思う存分バルザイの偃月刀の攻略法を見出してください!」

「殺すって言った! 今殺すって言ったろおまえ!」

咄嗟に後ろに仰け反り『ビルギットだけを殺す機械』を回避しながら卓也に突っ込みを入れる。
修行用の機械の筈なのに殺す気満々か! ていうか枕詞が物騒過ぎるわ!
だけど、実際にページモンスターが襲い掛かってくるならこんな物では済まないだろう。
起きあがり、『ビルギットだけを殺す機械』の飛んで行った方向に向き直る。
通り過ぎた円盤はアーカムの空を楕円を描く様に切り裂きながら、緩やかな軌道でこっちに戻って来ている。

基本的に、卓也の用意する木偶はオリジナルのページモンスターと同じ戦い方をするらしい。
となれば、本物のバルザイの偃月刀のページモンスターも、物理法則を無視した曲がり方はしないという事か。
本物は刃物が回転して円盤状に見えるから難易度は高いけど、つまりこれは上手いこと横っ面を殴ってしまえばいい話だ。

「大十字、胸元、胸元ー」

頭の中で高速で対処法を模索していると、美鳥が自分の胸元と私の胸元を交互にを指差しながら何事か教えようとしている姿が目に入った。
胸元? あれは顔面じゃなくて、こっちの胸から上を両断しようと動くって事か?
私が何かを問うより早く、肩の上のアルが真剣な顔で呟いた。

「あ奴め、刃引きをしておらん木偶を使うとはまったく……気合いが入っておるではないか」

刃引き? いや、これまでの木偶もどこら辺が訓練用なのか分からなかったから、刃引きしてないくらいじゃ驚かないけどお前は感心するな。
何処がどう斬れているかダメージを確認する為に胸元に視線を降ろす。

「わ、ひゃっ!」

マギウススタイルの、丁度胸の谷間辺りが斬られ、胸が半分以上零れかけている。
幸いに天辺こそ零れていないけど、この状態で下手に激しく動いたりしたら……!

「ちょ、ちょっとタンマ! 待った待った! 見えちゃうから!」

胸元を手で覆い隠し、円盤を持ってきた卓也に向けて一時中断を申し込もうとしたが、卓也は両手で目を覆い隠したまま首を横に振った。

「駄目です、戦っている時、敵は待ってくれませんよ! 戦いながらマギウススタイルの修復もこなしてください!」

「マジか!?」

正直、マギウススタイルの維持は完全にアル任せなのだ。
私が自力でどうにか出来るほど単純な術式ではないし、アルのサポートをスーツの修復に回したら、戦闘面でのサポートがおろそかになる。
フリスビーの横っ面を叩くだけの簡単な修行だったのに、いきなり難易度が跳ねあがってしまった。
いや、胸が剥き出しでも戦い続けられるから、今難易度を上げてんのは私か。

「お兄さんが目をつむってる間は私が監督なー。……そのクソエロみっともない脂肪の塊、思う存分街中の晒し物にしてやんよ」

「ちょ、本音、本音っぽいの漏れてる!」

美鳥が監督になった途端、円盤の刃の回転速度も方向転換の速度も上昇、明らかに胸元の布を狙った動きに変化する。
なんだ、何をそんなに美鳥は怒ってるんだ?
そりゃセックスアピールには有利になるけど、正直ブラとかサイズの関係であんまり可愛いのが見つからないし、何もしなくても勝手に肩が凝るし、うっかりブラ無しで激しく動くと千切るかと思うくらい痛いしでいい事なんか全然──
──咄嗟に横っ跳びにその場を離れると、一瞬前まで私が居た空間を無数の銃弾が貫いた。

「……おっと、手が滑った」

美鳥がどこまで平坦な声で、両手に持った二丁拳銃の銃口を渡しに向け直す。
困惑する私を射抜くのは、何一つ感情を感じさせない美鳥の視線。
銃口の奥の暗さと重なる様な美鳥の視線に背筋が震える。

「待て、待って。何が悪かったかわかんないけど、謝る、謝るから」

焼きDOGEZAでもなんでもするから、そう続けようとしたところで、片手で眼を覆ったままの卓也が空いてるもう片方の手で指を鳴らす。

「いい事思いついた。アルさん、ページモンスターはブラックロッジも狙ってるんだから、当然捕獲中にブラックロッジと戦闘になる事もあり得ますよね」

その言葉に、アルは一瞬だけ考え込み、何故か納得した様な表情に切り替わる。

「なるほど、一理あるな」

「ねぇよ! いやたぶんあるんだろうけど、せめてもうちょっと心構えが出来てから──」

殺気を感じ、咄嗟にマギウス・ウイングで壁を作る。
数十の機関銃が一斉に発射された様な激しい銃撃音と共に、防御術式の織り込まれたウイングに雨霰と弾丸が突き刺さった。
ウイングを少し透過させて美鳥の方を見てみると、美鳥の後ろの空間に、無数のオートマチックのハンドガン──美鳥が何時も実戦講義で使っていた物と同じモデルだ──が浮かび、絶え間なく銃弾を吐き出し続けている。

「敵はこっちの心構えなんて知ったこっちゃねぇんだ。さっさと切り替えて戦えや淫乳女」

欠片程にも感情を窺わせない美鳥の平坦な声に身を震わせる。
いきなりの豹変に驚きを隠せない、という程でも無いが、やっぱり美鳥の言葉にも一理ある訳で。
競争相手がブラックロッジだという事を考えれば、このくらいが修行としては一番実戦に近い形なのかもしれない。
というか、美鳥を落ちつける為には、曲がりなりにもこの状況から抜け出して円盤を叩き落とさなければならないだろうし。

「先輩、死ななければ後で幾らでも直してあげますから、がばっと行っちゃって大丈夫です。ファイト!」

……それに、後輩にここまで手伝わせて、先輩の私が芋を引くってのも恰好が付かないよな。
なんだか治すのニュアンスがおかしかった気がするけど、こいつが治すと言うからには治してくれるんだろう。
こいつが言いだしたからには、なんだかんだで、今の私がぎりぎりどうにか出来る課題だろうし。

「じゃ、やるっきゃないか。──とっちめるぜ!」

私はウイングの防御術式を展開しながら、再び接近してくる円盤目掛けて、自らの脚で跳びかかった。





続く
―――――――――――――――――――

話が、一向に進まない!そんな第六十話をお届けしました。

うん、まさか自分もここまで話を進められないとは思いもしなかったです。
でも大丈夫、今後のスケジュールは決まっています。
次回にアトラックナチャのエピソードやって、
次にバルザイの偃月刀のエピソードやって、
覇道邸襲撃事件やって、
海のエピソードやって、
ラブコメして、
そしてここが境界線、ディスイズジエンド。
蜘蛛の糸と偃月刀のエピソードは一話に纏められる可能性があるから、TS編の全体図はできたも同然ですね。

自問自答コーナーってまともに読む人居るんでしょうか。
そもそもこのSSで細かい部分に言及したい人とかどれくらい居るのかって話で。
そんな事考えてたらぽんぽん痛くなったので自問自答コーナーは中止です。淫魔の乱舞は回収です。アマゾンで買えるけど。
なんか不明瞭な部分とかあったら感想の方でお願いします。

やっぱり三週間くらいかかっちゃいましたね。
でも次回のアトラックナチャのエピソードはやりたいこと決まってるので早めに出せると思います。
む、よくよく考えるとこれ前回も言って三週間でしたね。
じゃあ、遅れます。四週間くらいで。
こう言っておけば、三週間で出来た時に早く出来た気分になるし、二週間で纏められたら上手くやれたと思えるだろうし。
ほら、映画見に行く時も期待せずに見に行った時の方が面白く感じるでしょう?
そんな緩い気分でお楽しみ頂ければ。

そんな訳で、今回もここまで。
誤字脱字の指摘、文章の改善案、設定の矛盾、文法の誤りなどへの突っ込みや指摘、そして何より、長短を問わず読んでみての感想、心からお待ちしております。



[14434] 第六十一話「蜘蛛男と作為的ご都合主義」
Name: ここち◆92520f4f ID:81c89851
Date: 2012/12/08 21:39
「あの、青瓢箪め!」

ドクターの怒声と共に突き出された拳が、壁に嵌め込まれたモニターに突き刺さる。
ドクターは研究や開発の時、機材をかなりの割合で自分で運ぶ為、この時代の分厚いガラスモニターをパンチ一発で叩き割る事が可能なのだ。
まぁ、大型機械の組み立てなどの時は自作のオートマトンを使用してるので、それほど異常な腕力を持っている訳でも無いのだが。

「荒れてるねぇ」

俺の隣でキーボードをべしべし叩いていた美鳥の言葉に肩を竦める。

「何時も何らかの理由で荒ぶりっぱなしな気もするがな」

ここでのドクターの怒りは、実はあまり理解できない。
ドクターはアルアジフの断片集めを雑用と斬って捨てているが、C計画の要となる魔導書を完全な物にする作業ともなれば、ブラックロッジの一大プロジェクトの中枢も同然。
結局の所アルアジフの役目は大導師とナコト写本が代役を務める事になるのだが、その未来を知らなければ大役を任されたと喜んでも良い程だろう。

「この恨みは百倍、千倍、いやいや万倍にして返してやるのであーるっ! 利子も十一程度では決して済まさない所存、返済方法はもちろん賭博。孤立という沼にズブズブと嵌まって行くが良いわっ!」

全身で怒りの感情を表現し、手にしたギターで周囲の機材に八つ当たり。
因みに今ギターの強度に負けて真っ二つになったタワータイプのマシン、この世界のこの時代では普通に人生が買えちゃう値段の高級機である。
流石大天才ともなると八つ当たりの規模も違う。あとギターの強度も違う。
が、これ以上暴れられると新しい機材を運び込む下っ端の皆さんが可哀想なので、軽くフォローを入れておく事にする。

「だったら丁度いい任務じゃないですか」

「ワッツ? 貴様は何を言っているのであるか? よりにもよって古本どころか古本の切り抜きスクラップ集めなど、この大天才にやらせるまでも無く雑誌の切り抜き以外に趣味の無い可哀そーうな貧乏学生にでもやらせるべき雑用ではないか!」

予備のモニターに突き刺さったギターを引き抜こうとする姿勢のまま振り返り首をぐりんぐりん廻して荒ぶるドクター。
ドクター程の天才であればさっさと気付いてもいいと思うのだが。
ていうか、暇な大学生である大十字も断片集めには参加してるけどな、覇道財閥側だけど。
大体ドクターの貧乏学生のイメージはおかしい。
普通の貧乏学生の経済状況なぞ知らんが、少なくとも大十字は雑誌の定期購読とか無理だったから、たぶん貧乏学生の趣味で雑誌のスクラップは難しいぞ。

「どうせ、連中も戦力アップの為に断片の回収を始めている事でしょう。となれば、任務の途中で鉢合わせて敵対するは自明の理、というもの」

「む」

言いたい事は分かるけど、もうちょっとkwsk、みたいな顔のドクターに、美鳥が俺の言葉の後を継ぐ。

「断片巡って戦闘となりゃ、ドクは破壊ロボ出すだろ? んで勿論街は壊れる。そうすりゃ、正義感の強い連中は嫌でもデモンベインを出してくるって訳さ」

「ほうほう、ふふん、なるほどなるほど?」

興味を引かれた風のドクター。
言いたい事も続きも分かるけど、あえて俺達に言わせたい的な雰囲気。

「そこでドクターの破壊ロボが徹底的にあのデモンベインを破壊してやれば、連中はまともに戦えなくなってアルアジフの回収も楽になるし、雪辱も晴らせる。挙句の果てに大導師に見直して貰えて超お得」

「そんな超重要な任務を任されちゃうなんて、さすが天才だなーあこがれちゃうなー」

「んふっ、やはりそう思うであるか? んっんうん。まぁ? 我輩程の天才ともなればあの青瓢箪の様な哀れな凡人に妬まれて捻くれた伝言ゲームをされてしまうのも仕方の無い事ではあるな!」

美鳥と連携して次々とドクターを囃し立てると、ドクターは鼻の穴をひくひくと広げ、ニヤケ笑いを堪える事も無く気持の悪い吐息と共に何時もの調子を取り戻した。
やっぱりこういうタイプの人は煽てて調子に乗らせる方が使いやすくていいなぁ。

「と、そういえば、調整はどの程度まで進んでいる?」

一瞬、ほんの少しだけまともな表情に戻るドクター。
調整とは手っ取り早く言えば、現在進行形で製造中の人造人間に搭載されるAIのバグ取りだ。
勿論ドクターはソフトの面でも天才ではあるのだが、デモンベインに雪辱を晴らす為に破壊ロボの改造に力を入れている為、俺達がヘルプに入っている。
初めはドクターも此方の腕を疑って渋ったのだが、レイやフォロン、オモイカネにペガスなどのAIを『自作です』と偽って見せた所、背に腹は代えられないと了承してくれたのだ。
これでAIの方にちょちょいと細工を施しておいて、俺のメカポが通り易くしておけば、後々正体を隠して活動する時もやり易くなるというもの。

「叩けば叩く程バグが吐き出されてくる感じですね」

「人格面だけで言えばそっちの方が味わい深くもあるんだけど、ボディの制御関連にまでバグがあったら死活問題だしな」

ぶっちゃけ、バグが無くてもドクターを殴り殺す程度の事はしてのけるんだけど、そこはドクターの希望通りの設定なので何一つ問題ありません。

「ふむ、精々この天才の為に働ける事を誇りに思うがいい。どうせ貴様等兄妹は矢面に立つ積もりはないのであろう?」

「鱒照りの指示がありゃアメリカ大陸だってふっ飛ばしてみせるけどなー」

「生憎と、俺達は現状休暇を頂いているようなものですからね。裏方としてサポートさせて頂きますよ」

―――――――――――――――――――

宙に投影された映像が途切れ、玉座の間には常の通り、闇の気配が薄暗く胎動する気配が戻る。
松明のみが照らす薄暗闇。

「本当に宜しいのですか?」

冷たい空気の中、ドクターウェストにスクリーン越しに指示を出していた、白い肌に紫のスーツを身に纏った黒髪赤目のグラマラスな女性──アウグストゥスが、玉座に座る大導師に振り返る。

「構わぬ。案ずるなアウグストゥス、貴公が思うよりも、ウェストは仕事を上手くこなす女だ」

ウェストに指示を出すアウグストゥスと、スクリーンの向こうで唾を飛ばして激昂していたウェストに愉快そうな視線を送っていた大導師が、膝に凭れ掛ったエセルドレーダの頭を撫ぜながらウェストを弁護する。
だが、アウグストゥスも不満の色を隠さない。

「確かに、科学者として見れば。破壊ロボの製造に関して、彼女は良くやっています。ですが彼女は狂人です」

ドクターへの侮蔑すらこめたアウグストゥスの言葉。
選民思想のあるアウグストゥスからすると、ウェストの品性はその才能で補うには余りにも下劣過ぎるのだ。

「あははははは!」

だが、そんなアウグストゥスの心根を鑑みる事も無く、大導師は目元に涙さえ浮かべ、天を仰いで笑い出した。
暫く笑った後、子供の様な手つきでごしごしと涙をぬぐい、ようやくアウグストゥスに視線を合わせる。

「魔術師が人の事を指して狂人だなど、あははっ、貴公も中々に愉快な冗談が言えるではないか」

「からかわないでください、大導師。この任務はドクターには不向きです。せめて、鳴無兄妹をお目付け役に」

アウグストゥスが知る限り、鳴無兄妹は上からの命令以外で唯一ドクターの行動指針を調整できる稀有な人材である。
特に何処の部署に所属している訳でも無く、また、大導師直々にその自由な立場を許されているだけあって顔も広く、逆十字の一部とも交流がある。
結社に入り二年程度の新人ではあるが、その能力の高さを評価する者は逆十字を含めて多く存在する。
本人達は手柄を立てずに人のサポートに回る事で消極的に実力を隠しているが、いざという時にドクターを確実に止められるだけの力がある事は一部では知れ渡っており、ともすれば親しい人物の殺害も躊躇わない人間性も匂わせる。
ブラックロッジの中でも高い位階に居る者の多くからは、有用な駒として評価が高い。

「いや、卓也と美鳥には、余が既に別命を下してある」

きっぱりと断言する大導師に、アウグストゥスは僅かな驚きの籠った視線と声を投げかける。

「大導師が、直々に?」

それは、滅多に有り得ない事だ。
大導師から直接の命令ともなれば、今回のアルアジフの捜索任務の様な、ブラクックロッジの一大プロジェクトに関わるものばかり。
その様な命令を、逆十字にすら知らせずに、秘密裏に新人の団員に下すなど。

「そうだ。あの二人はとても、とても重要な任務の最中だから、決して邪魔をしないように。──わかったな? アウグストゥス」

「──は」

有無を言わせぬ微笑に、アウグストゥスはただただ頭を下げて頷く事しか出来ないのであった。

―――――――――――――――――――

△月×日(所詮)

『シスコンはシスコン、シスターリューカもまた、ブラックロッジの戦士として戦い続けるメタトロン(たぶんライガとかライガーとかそんな名前なのだろう。村正世界で食べた文明堂のカステラの味を思い出す名前だ)への執着は消えまい』
『常のループではシスターライカ事メタトロンが大十字をブラックロッジとの闘争から遠ざけようと襲いかかる確率は割と低いが、ここのシスターリューカであれば、確実に大十字に警告を与えてくれるだろう』

『ここで何故ブラックロッジと戦うのかとか、そういう決意を固める事で大十字はより強く逞しく生まれ変わる』
『アーカムを守る機械天使の殺人予告のお陰で、貧弱だったボディがムキムキに、背も80センチ伸び、ついでに成績も大幅アップ、女の子にもモテモテ!』
『む、つまりはレズか。同性愛はいかんぞ同性愛は、非生産的な』
『サンダルの説教はともかく、そこら辺はきっちり大十字にそれとなく言い聞かせておかなければなるまい』
『どうせ過去に降りてからも生涯独身だろうけどな』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

アーカムシティ、大十字の修業の帰り道。
俺の隣に美鳥、その向こうに大十字、そのぴったりすぐ後ろにアルアジフ。
他の通行人の邪魔にならない程度に纏まって歩いている。
一見して、俺達はどの様な集まりに見えるだろう。
俺と大十字であれば同年代に見えるから、まぁ学校の同級生か友人か。
が、そこにアルアジフだ。ロリだろうがショタだろうが、大学生程度の年齢の男女の後ろにぴったりとくっついて歩いているのは目立つだろう。
美鳥もいい加減最適化が進んでハイティーン程度には見えるサイズになったが、日本人らしい顔のつくりをしているのでだいぶ幼く見える。アメリカ的に大学生として見られるかは微妙なところだ。
実に奇妙なパーティーである。周囲の通行人が絶妙な距離感でこちらから距離を取っているのは決して気のせいでは無いだろう。
ふと、頭にある考えが浮かぶ。
日も沈みかけ、赤に近い橙色に染まった空を見上げ、溜息を吐く。

「なぁ美鳥、バズの魔法はバズーカで、サーベの魔法はサーベルだよな。……ルフィラーって何だ?」

「ごめん、めちゃくちゃどうでもいいから記憶の隅にすら存在しないよ。調べた記憶も無いし」

そりゃそうか、姉さんも魔法の効果は覚えてても由来を知ってるとは限らないものな。
美鳥に至っては調べる切っ掛けすら無いだろうし。

「先輩はどう思います?」

「すまん、私にはそもそもお前が何を言ってるのかビタ一わからん」

二人とも首を横に振る。困った話だ。
こんな些細な疑問、元の世界ならネットでちょちょいと検索すればすぐに答えが手に入るのに。
この世界じゃ、きっと答えは手に入らないだろう。
そして気になって夜も眠れず、一晩中姉さんの寝顔を観察し続ける甘美な時間を味わえる。
一晩中、姉さんの愛らしくも蟲惑的な寝顔を、じっくりと、しかし決してぺろぺろしたりせず、眺めるだけ。

「そう考えると、やっぱりこの世界は……最高ですよね」

元の世界じゃ、よっぽど時間がある時でもなきゃ手が伸びちゃうものな。
でも、エロい事するのはちゃんと姉さんが起きてる時だけにしている。
だってリアクション在った方が嬉しいじゃないか!
いや、眠ってる時に身体の局部を触った時の寝ぼけたリアクションも子供っぽくて好きなんだけど、それでもやっぱりコミュニケーションの一貫でもある訳だし。
自分以外に対するあらゆるアクションってのは、例外無く対象のリアクションを求めてのものだろう?

そんな事を考えていると、大十字は自らの口元を手で押さえ、何かに気付いたかのような表情で呟いた。

「……まさか卓也お前、黄金の蜂蜜酒の飲み過ぎで頭が……?」

霊酒や霊薬は用法容量を守って正しくお使い下さい。

「てめーは今すぐシュリュズベリィ先生の居る方角目掛けて全裸土下座するべき」

美鳥が平手で大十字の頭を軽く叩き、明後日の方向(多分今シュリュズベリィ先生が居る方向だろう)を指差す。
まぁ常用して無い俺が中毒起こすなら、シュリュズベリィ先生とか脳味噌スカスカになってないとおかしいもんな。

「いえ、別にアル中とかじゃないんで安心してください。ちょっと予想外の展開で思考が逸れてたもので……」

俺の言葉に、大十字は『あぁ……』と納得した顔を見せる。

「確かに、修行中にサンダルフォンが現れるなんて、普通は想像もしないよな。普段は破壊ロボが出た時位しか姿を見せないし」

「あの恰好でごく自然に街中を闊歩されても困るけどなー。羽根邪魔だし」

「あれ、でもあの羽根って飛んで無い時は消えてないか?」

「ありゃ魔術文字に分解して体内に格納しているんでしょう」

「お主、良くそんな事が分かるな」

「一応、羽根つうかスラスターを隠す時に魔術文字の形に分解されて、実体は字祷素に還元されるのが目視できますよ」

宇宙刑事の変身ポーズがちゃんと十秒前後に見える程度の動体視力が必要だけど。

……そう、確かに、修行を続ける俺達の前にサンダルフォンは現れ、忠告を残して行った。
だが、それは大十字が戦うのを止めるものではなく、あくまでも大十字がブラックロッジと戦う事を前提としたものだったのだ。

―――――――――――――――――――

突然、ミスカトニックの時計塔の上で修業していた私達の目の前に現れたサンダルフォン。

『私と同じタイプの白い改造人間、奴には気をつける事だ。……あれは、下手をすれば、ドクターウェストよりも話が通じない』

彼女の残した幾つかの情報は、役に立つのか立たないのか、非常に判断に困る内容のものだった。
いや、情報を渡したというよりも、私達に対する忠告だったのかもしれない。

『だから、あれは私が倒す。君は、手を出さないでいた方がいい』

本人がそれを自覚していたかと言われると、少し疑問だ。
黒い仮面に覆われた彼女の表情は読めなかったけど、それでも、彼女が白い天使、メタトロンを倒す事に対して強い執着を持っている事だけは伝わってきた。
同時に、私の身を案じて忠告してもいるのだと感じた。

彼女はたぶん、とても優しい人なのだろう。
卓也が言うには、武道家というのはえてして不器用な生き物で、戦う事でしか己の感情を表現する事ができないのだという。
メタトロンの事を語るサンダルフォンの佇まいには、怒りの感情とは別に、何か、後悔にも似た後ろ暗さがあった。
抱きしめたいけど、もう抱きしめてはいけない、抱きしめる事は出来ない。
向ける先の無くなってしまった特別な優しさが、彼女の中で渦を巻き、淀み、複雑で混沌とした何かに変わってしまった。
優しさを、愛情を向けたかった、向けていた相手に、今は拳を向ける事しかできない。

……勿論、ここまでのサンダルフォンとメタトロンの間に渦巻く感情とかは全て私の想像にすぎない。

修行中、高速回転する鋸の刃が目前まで近づいたと思っていたらベンチに寝かされていただとか、
鋼鉄の糸に絡み取られて呼吸が難しくなり、気が付いたら卓也達の持ってきた枕に頭を乗せて寝かされていたとか、
赤いロボにマグラッシュされたと思ったら、卓也がほぼ全裸の私の身体に治療用のお札をぺたぺた張り付けていたとか、
確実に実になるけどリターンが釣り合わないリスクに溢れた修行を中断し休ませてくれたサンダルフォンがリアル天使に見えて、脳内で設定捏造して美化しているだけとも言える。

うん、ぶっちゃけた話、サンダルフォンの忠告とか、休むのに忙しくて半分くらい聞き逃してたと思う。
何が言いたいかって言うと、

「でもさ、予想外ではあったけど、あのタイミングで休憩を挟むのはありだと思わないか?」

これに尽きる。
アルも卓也も美鳥も、基本的に修行が始まったらそう長くは休憩時間を取らせてくれないのだ。
そんな私の修業はこうだ。
朝、大学なら最初の講義が始まる時間に時計塔の屋上に集合。
先ず準備運動も兼ねて、アルが平均的な修行を施す。
やや本気のナイトゴーントと午前中一杯組手。
最終的にスタミナの差でボコボコにされるので、お昼ごはん(卓也と美鳥が作って来てくれる。ありがたい)を食べながら治癒術式を使用して貰う。
お昼ごはんを食べ終え、卓也と美鳥がページモンスターや逆十字を想定したやや強烈な修行。
これは基本的にほぼ負ける。というか、午前中の修業が私がギリギリ勝てない程度の修業なら、午後のこの修業は私のレベルをあまり考慮しない修行なのだ。
この修行の途中『あ、私死んだ』みたいな予感と共に、回避できない仮想敵の攻撃を前に意識が飛ぶ。
で、基本的に次に目が覚めた時は寝かされてるから青空が見えるんだけど、偶に、

『おお、やはり科学の力は偉大、細胞賦活ナノマシン経過良好、魔法よりも科学こそ上等。無事生き返りもとい、眼を覚ましましたね先輩。ご無事で何よりです』

とか微妙に韻を踏む台詞を呟く卓也の顔とか、

『んん~? 間違えたかな……お、成功した成功した。流石KAIHATURYOKUともなると5秒で作った蘇生魔法でも効果が違うね。お早うネオ大十字、命の恩人たるあたしを存分に褒め称えるといい』

明らかに確信犯、といった表情で首を傾げる美鳥の顔が見えたりもするのだ。
……戦いよりも先に修行中に命が散っている気がするのだが、本来なら止めるべきアルまでもが、

『ふむ、これほどまで高度な治癒魔法が可能とは。修行のペースを上げても大丈夫そうだな』

などと言い出す始末。
身体が持たない訳では無い。修行が終わった後の体調は何故かすこぶる良い。
かといって、治療の時に卓也やアルに裸を見られるのが恥ずかしい訳でも無い。その手の羞恥心はフィールドワークで掻き捨てている。
が、しかし。しかし、だ。

「ほら、なんつうかさ、あるだろ? こう、人間としてというか、乙女としての尊厳というか」

恥を忍んで情けを買えるだけ買う為に、自分が女であるという主張もしておく。
すると、一秒の間も置かずに全員が反応した。

「ほう、乙女とな。…………乙女のう」

真偽を疑う眼差しのアル。
何か文句でもあるのかこいつは、自慢じゃないが男との交流とか殆ど無いぞ。
いや、むしろ男と交流無さ過ぎてホルモンバランス崩れてるのではないか?とか言いたいのか、って、被害妄想はやめよう。

「乙-HiME? 乙式はともかく、普通の高次物質化能力は大十字なら頑張れば真似できるんじゃね? こう、招喚した神性の分霊をぎゅってして適当な形に固めてだな……」

身ぶり手ぶりを加えながら高次物質化能力なるものの説明をする美鳥。乙女は何処行った。
少なくとも乙女の定義に高次物質化能力なんてややこしそうな専門用語は必要無いだろう。
あれか、私の口から乙女という単語が出てくるとは思わなかったのかちくしょう。

「酔ってないと言い張るのは酔っ払いで、自称天然は計算高い。あくまでも一般論ですが、先輩はどう思います?」

生暖かい視線を送りながら遠まわしに鼻で笑う卓也。
うん、おーけーおーけー、お前が私の事をどう見てるかはよくわかった。

「よしわかった、一番殴られたいのはお前だな?」

腕まくりをして拳を振り上げる。三人の中で一番直な事を言ったのは間違いなく卓也だろう。
が、振りあげた拳はやんわりと私の手首を掴む卓也の腕力のせいで一向に振り下ろす事ができない。

「先輩、どうどう」

「私は馬か!」

「落ち着け、あまり騒ぐと無駄に周囲の視線を集める事になるぞ」

アルに窘められ、私は拳を緩めて乱暴に卓也の手を振り払う。
私が拳を振るわないと決めた時点で力は緩められていたのか、卓也の指は簡単に私の手首を解放した。
絶妙な力加減だったのか、手首に痕の一つも残っていないのが逆に腹立たしい。
ああ、もう、人が恥を忍んで可能な限りの乙女アピールをしたってのに。

「や、実際問題、乙女と修行を嫌がる事のどこら辺が繋がるかとか、さっぱりわからんのよ」

手首を擦りながらぶちぶち愚痴をこぼしていると、美鳥が珍しく本気で理解できないといった口調でそんな事を口にする。
私はさするまでも無く痛みも無い手首を撫でるのを止め、両手の指を組んで人差し指だけを互い違いに廻し、美鳥と同じく理解できないといった風の表情の卓也とアルからも視線をそらしそっぽを向いて、休憩を挟みたい理由を告げた。

「別に、修行自体を嫌がってる訳じゃない。……普通、見られたくないもんなんだよ。切り傷の断面だの、全身ケロイド火傷だの、そういう姿、女ってのは」

しかも傷の具合を見ながらじっくり治療をされている訳だ。意識が無い状態で。
考えようによっては裸を見られるよりもよほど恥ずかしい。
美鳥ならまだいい。変態ではあるけど、一応同性だし、変態性も卓也に向けられるだけで私に害がある変態じゃない。
アルも別に構わない。正直脱いで股間のガネーシャを直視しない限り間違っても男には見えないので、気にならない。
が、卓也は駄目だ。
私がちらりと脇目に視線を卓也に向ける

「卓也、確かにお前は先輩に対する礼儀とか欠如してる以外は割かし紳士的だし、男の中では珍しく私に一切、欠片も、不能かって疑う程に嫌らしい視線を向けないさ。傷を見ても顔をしかめもしないってのも、在り難い。でもな」

「でも?」

私が一旦言葉を区切ると、卓也は理解できない、といった風の間抜けな表情で続きを促した。
向けられるのは鋭くも邪気の無い視線だ。
だけど、この先の答えを言いあぐねている私からすれば、その邪気の無さは逆に堪える。

「だからな、なんつうか、あれだよ」

「どっれっだっよっ」

美鳥うるさい。黙れ指差して笑うな。

「結局何なんです?」

ほんの少し、何時もよりもほんの少しだけ面倒臭そうな卓也の声。
ああ、糞っ!

「だから! 歳が近いお前に! 裸くらいならともかく! ああいうとこ見られるのは! そっちが気にしなくてもこっちが恥ずかしいって話なんだよ! 言わせんな恥ずかしい!」

通り一体に響く声で叫ぶ。喉が痛い。
私の叫び声に反応してか、一瞬だけ通りの喧騒がぴたりと止んだ。
数秒もすると、また通りは夕暮れの喧騒に包まれる。道行く人は知らんぷり。
いや、知らんぷりしているか?
あちこちから『アラヤダ』『チワゲンカカシラ』『アラヤダ』『アラアラ』『ウフフ』などと此方を噂する声が聞こえ、好奇の視線も集まっている気がする。
やっちまった……。顔が熱い。

「ええと、落ち付きました?」

「う」

気遣わしげな卓也の声に小さく頷く。
フォローを期待してアルに視線を送ると、やれやれといった顔で肩を竦め首を振った。

「つまり我が主は、修行中に気絶したなら一旦修行を中断して、お主ではなく妹の方に治療をさせて欲しい、と言いたいのだろうよ」

なるほど、確かに乙女だ。
そんなアルの言葉に、私は女としては高い背を縮こませ、ますます小さくなるしか無い。

確かに、卓也は自分から率先して私の修業を見てくれている。
が、それは私にとっても渡りに船の美味しい話だったし、修行を付けて貰っている側である私が『修行を緩めてくれ』というのは、些か筋が通らない話になってしまう。
しかも、修行がきついとかそういう理由ではなく、私の羞恥心から来るお願いなのだ。
言うなら今しかない、とは思いつつ、勢い任せに恥を欠いた言動をしてしまったのではないか。そんな考えが少しだけ頭に浮かぶ。

「駄目、か?」

上目使い気味に卓也に視線を向ける。
基本的に修行に関しては卓也が主導、美鳥は卓也に倣って私に修行を付けているも同然。
アルも卓也の修業に反対こそしていないが、元を正せば自分一人で私に修行をつけるつもりだったらしいから、きっと特に反対もしないだろう。
つまり、キツくて治療が恥ずかしい方の修業に関しては、あくまでも卓也の管轄になるのだ。

「ふむぅ」

顎に手を当て、考え込む表情の卓也。
卓也と美鳥が持参した修行道具の乗せられた台車を引く音が、喧噪に呑み込まれる事も無く嫌に良く響く。

「正直なところを言えば、今の速度で詰め込んでも、ブラックロッジと敵対しつつページの回収をすると考えると、十分とは言い難いのですが……」

卓也はちらりと視線を美鳥とアルに向ける。
二人はもう慣れた物で、向けられた視線の意図を察し、口々に自分の意見を言い出した。

「だが、修行で変にストレスを溜めこんで調子を崩されても困る。休息の時間として、魔術理論の基礎の復習と応用の触りの部分の講義時間を作ればいいのではないか?」

アルは実に建設的な意見を出す。
最初は二人に対して警戒していたのに、今ではある程度二人を信用しつつ、こうしていざという時に常識的な提案を入れてストッパーになってくれている。
本当に、良い魔導書と契約できたもんだ。

「お兄さんが良いならあたしは別に構わんよー。いざとなりゃ顔隠して助太刀とかしてもいいんだし」

警戒されない程度に手は抜くけどなー、と笑いながらの美鳥。
相変わらずの兄至上主義だけど、何だかんだで力を貸してくれるのはありがたい。
後は、卓也が二人の意見をどう捉えるか。
二人から視線を外し、卓也の表情を窺う。
難しそうな顔で考え込んでいた卓也は、暫くして視線を真っ直ぐに私の顔に向け、口を開いた。

「じゃあ先輩、一つ約束です。……これから、街で偶然ブラックロッジや魔導書の断片と接触する可能性が増えていくと思いますが、もしもそれらしい物を見つけても、決して無闇に深追いしないでください」

「私の実力じゃ無謀だってか」

これでも、修行を始めてからかなり実力は付いてきたと思うんだけど。

「無謀って訳でもないですが、修行の密度を減らす訳ですから、念には念を入れたいんですよ。安全の為にもね」

「安全の為じゃ仕方無いな。深追いするまでもなくどうにか出来そうだったら?」

「少し手を出して『苦戦するかな?』と少しでも思ったら全速力で逃げてください」

ま、安全を考慮すればそんなもんだろう。
そんな、注意されるまでも無く守れそうな約束を守るだけで恥ずかしい姿をじっくり見られる事がなくなるなら、悪い話じゃあ無い。

「わかった、約束する。だから明日からの修業は」

「ええ、ちょっとカリキュラムを弄って、怪我をしたらちゃんと美鳥が治療できるように休憩の時間として座学も挟む感じで進めましょう」

「おっしゃ」

ガッツポーズを取った所で、丁度雑居ビルやアパートが立ち並ぶ区域に差し掛かった。
引っ越ししたお陰で前よりは近くなったとはいえ、卓也達の家と私の家の位置はそれなりに離れたままなので、帰り道は途中で別れる事になる。
卓也と美鳥は、分かれ道で私達とは別の道へと身体を向け、一度私達の方を振り返る。

「では先輩、また明日。夜更かしして遅刻とかしないで下さいね」

「またなー。ちゃんと歯ぁ磨いてから寝ろよー」

軽く手を挙げ、背を向け歩き出す卓也と美鳥。

「そっちこそ、修行つける方が遅れてきたりすんなよ!」

「うむ、さらばだ」

私とアルも、二人の背に向け声をかけ、自宅へと続く道を歩き始めた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

家に帰ると、机の上に書き置きが置いてあった。
美鳥がメモ用紙を取り、中身を確認する。

「『昨日夜ふかししちゃったので、少しお昼寝してるね』だって」

内容の真偽を確認する為に脇からメモの内容を覗き込む。
なるほど、文字が後半になるにつれてだんだんと崩れてきて、『ね』に至っては最後の一角がひたすら右にぐにゃぁと伸びてメモの端からはみ出している。
筆跡もそうだが、夜ふかししただけでここまで意識が朦朧とするのは姉さん程度のものだろう。

「無理して深夜ラジオなんて生で聴こうとするから……」

居間から姉さんの部屋に移動し、音を立てないように静かに戸を開け、姉さんの様子を確認する。
幸せそうな寝顔だ。食べてしまいたくなる。
いやさ、むしろ舐め回したくなる。ぺろぺろしたい。
そしてそういった劣情を超越して純粋に抱きしめたい。

「にゅ……あと、五時か、んぅ……」

寝言を言う口もプリティだ。尻みたいな口しやがって……愛してます姉さん。
昼寝としては長いと思われるかもしれないが、姉さんの体質とかを考えれば実にリアルな時間である。
蹴飛ばしていた布団を肩まで掛けなおし、起こさない程度に軽く頭を撫で、頬にキス、静かに部屋から出て再び居間に戻る。

「おか。お姉さん起きそう?」

美鳥は椅子に座り、PSPでゲームをしていた。
画面に映っているのはアトラスから発売され、特に話題になる事も無かった感情入力システム搭載の学園ジュブナイルADV+ダンジョン探索RPGゲーム。
OP曲の間抜けな感じが従来のアトラスファンには受けなかったのは実に印象深い。
むしろ旧来の魔人や九龍ファンにもあの主題歌は受けなかった。
個人的にはアトラスのゲームのOPと考えなければ悪くなかったと思うのだが、そこら辺はオサレOPに慣れてしまった人とは共有できない感覚だと諦めるしかない。
やや柔らかく、元の色を残しながら可能な限り今風にアレンジした絵柄や、感情入力システムの時間切れの廃止などを考慮するに、もしかしたら御新規様を招く為の造りだったのだろう。
耳に残り易いものよりも、歌が下手でも歌い易くしたと考えればあのOPも頷ける。
ゲームとしてはPS2で出た九龍とストーリー面で比較されがちだが、システム回りはほぼ変わりないので違和感なくプレイできるし、戦闘も少し考えて花札を使えばそう苦戦する事も無い。
ADVパートでは個性が強いキャラ達が織り成すストーリーを楽しむ事も出来、主人公自体感情入力システムのお陰で実にスムーズに感情移入が可能。
……個人的に姉枠の保険教師の様なキャラが居なくなってしまったのが悲しいが、その点を除けば繰り返しプレイ可能な名作である。
まぁ、今画面を見た所、美鳥はあらゆる人物に激怒し続けるキレ系主人公で通そうとしているようではあるが、好きに主人公の態度を決められるのもこの作品の醍醐味だと思えば、これもさして捻くれたプレイでもない。

「あと五時間だとさ」

「んー」

PSPから目を離さず、テーブルの上に置いたコップからストローでゼロカロリージュースを啜りながら唸る美鳥。
ぷっ、とストローから口を放し、少し不満そうな顔で改めて口を開く。

「それ、朝まで起きないんじゃね? 昨日は何時もよりだいぶ遅かったし」

「まぁそんな日もある。夕飯どうする?」

美鳥に聞きながら冷蔵庫の中を確認。

「あれ、お姉さん起きるの待たないの?」

「待つにしろ食べるにしろ、メニューは考えないとだろ」

野菜は、葉っぱ系も根っこ系もまともな品種が揃ってる。
肉も、何故かヤケクソみたいな量が時間を止められた状態でむりやり詰め込まれている。
静養中のシュブさんが実家から送ってくれたラム肉と、シュブさんに電話で仕入れ先を教えて貰って大量購入したアルビノペンギンの肉。で、豚肉少々。
ラム肉は適当に調理してもいい感じに脳が蕩けそうな美味っぷりを発揮してくれるが、ペンギンはまだ調理に手間取る。要修行だろう。
最終的には市販の豚肉が選択肢としては一番ベターな気がする。
調味料も万全、米の備蓄もオーケー。
最後に、極普通の鶏の卵の脇に、見慣れない中途半端なサイズの卵複数。

「なんだこりゃ」

少なくとも、これまでトリップした中では類似する卵を見た事は無い。
ダチョウの卵ほど大きくも無いが、決して鶏の卵とは間違えようの無い大きさはある。

「あ、それこないだミスド行ってドーナツのおまけでニャルさんに貰って来たやつだよ。ペットが大量に産んだからお裾分けだって」

「ああ、シャンタクの無性卵か」

シャンタクの首から下の肉があれば親子丼なんだが、流石に市販してないからな。
某邪神ラブコメの主人公は頑なに食べるのを拒んでいたが、こういうものは意外と食べてみれば普通に美味しい食材だったりするのだ。
味は知らないが食いではありそうだから、味の確認も兼ねてシンプルに卵焼きや目玉焼き、卵かけごはんってのもありだろう。
卵かけごはんならドンブリ飯でも行けそうなサイズだし、うん、美味しかったら取り込んでおこう。

「選択肢が多くて迷うな。なんかリクエストあるか?」

「ジュエルミートの刺身かなー。レア気味のステーキでも可」

「単行本持ってきてりゃなんとかなったかもしれんが」

まともに答えないってことは、美鳥自身特に食べたい物が思い浮かばないのだろう。
かく言う俺も、今は特に何かを食べたい気分でも無い。
食事時になれば腹を空かせる事も可能といえば可能なのだが、姉さん寝てるしなぁ。

「別に、今直ぐ考える必要も無くね? 最短で五時間は間があるんだしさ」

「かな」

冷蔵庫の扉を閉める。
さて、そうなると姉さんが起きるまでの五時間、もしくは姉さんが明日の朝まで起きなかった場合は明日の朝まで暇になる訳だ。
微妙な時間である。記憶封印でラノベやゲームってには短い気がするし、今手元にある魔導書は読み尽くしてしまったので、勉強もしようがない。
魔術の実践をするにも短過ぎる。こんな短い時間で可能なものであれば、この周までの散々にやり尽くしてしまっている。

「今頃、大十字は蜘蛛男と戦ってる頃合いか」

多分、ちんこデカいイケメンなんだろうなぁ。
いや、逆転の発想でショタって手もあるか。蜘蛛に限らず野生動物は雄の方が体格小さいものだし。
いや、アルアジフのサイズとの兼ね合いがあるからな、ちんこサイズは未知数か。
とりあえず、間違いなく母体である(男の娘だが)アルアジフのものよりは大きいだろう。

「なに、見物行ってくんの?」

「んー、でもな、正直夕方の時点で大十字の帰り道に断片の反応あったし、もう流石に片付け終わってるだろ」

修行を付けたこの周の大十字は、他の周のエリート大十字と比べても間違いなく強い。
それが一地方のマイナー神性の記述が暴走して生まれたモンスターに負けるとか、余程大十字が油断しなければ有り得ないのだ。

「いやぁ」

美鳥はジュースが飲み干されたコップからストローを口で取り出し、銜えたままぷらぷら揺らしつつ唇の端を吊り上げる。

「間違いなく油断するっしょ。『私勢いに乗ってます』みたいな感じだし、最近」

「そうか? ……いや、言われてみれば、確かに」

全身の出来たばかりの傷を見られたくないという羞恥があったとはいえ、未だ修行が完了していない、それこそ本来なら一分一秒を無駄にできない状況で『休憩時間を作ってくれ』なんて言ってのけたのだ。
表面上どう思っているかはこの際抜きにして考えると、大十字は内心、それこそ深層心理のレベルで『私はある程度修行を緩めてもまぁまぁ戦えるだけの実力が付いて来ている』と考えている節がある。
つまり、だ。敵のレベルを見誤り『この程度の敵なら楽勝!』とか考えて突っ込むのは十分にあり得る。

「で、いかにも油断し始めました、みたいな状況で最初に遭遇する敵はアトラック=ナチャの記述から生まれたページモンスター。原作では真っ先にエロシーンを生み出した驚異のエロモンスターだよ、エロモンスターだよ」

「大事な事なので二回言いたくなるほどエロモンスターなんやな」

思わず関西弁で頷く。
なるほど、原作の大十字が蜘蛛に襲われてぺろぺろされたのだから、TSした大十字がぺろぺろされているのは極々自然な流れなと言えるだろう。

「まぁ、当然アルアジフが助けに来るから一線越えられる事は無いにしても、一応顔見せる程度には助けに行く素振りをするのもいいんじゃない?」

「それもいいかなぁ」

何せ、一度大十字とアルアジフが合流すれば破壊ロボ殲滅までは流れ作業、特に手を出さなければいけない場面も無い。
少し顔を出して『大丈夫でしたか』とでも言っておけば一応の義理は立つ。
そうだな、タイミング的には、大十字とアルアジフが合流した後、アトラック=ナチャを叩き潰す場面でバルザイの偃月刀でも投げておけば『なにしに来たんだお前』みたいな感じで印象を悪くする事も無いだろう。

「じゃ、ちょっと散歩ついでに蜘蛛の涎でべたべたになった大十字に濡れタオル渡してくる」

「んー、撮れたら写メ取って送ってねー」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

アーカムが外部からの侵攻を防ぐために張り巡らせた結界によって生まれる魔力溜まり。
これは都市を作る上でどうしても消し去る事の出来ないものであり、街にとって重要じゃないブロックに分散されている。
街に魔力や想念の吹き溜まり、怪奇指数の上がり易い土地が分散しているのは陰秘学科の講義でも教えてくれる。
が、街の重要度の低い施設が押し込められていたり、民間に卸されて激安で取引されているという事実は卓也と美鳥からの受け売りだ。
教会を被せて散らそうみたいな試みもされているけど、それだけで済まないのがアーカムシティの凄い所で、
一部は意図的に貧乏学生向きの学生アパートとして利用され、魔術師としての素養の高い若者を事件に関わらせる事で新たな人材として取り込むことに利用される造りになっているらしい。
覇道鋼造なる人物もまた、ブラックロッジに限らず人類に敵対的な種族との戦いに人生を捧げた戦士だが、こういう造りの街を作るまでには多くの葛藤があったのだろう。
だが、それでも最終的にこういう形の都市になった以上、その効果は確実に現れる訳で。

「だから、安っぽい造りのヤクザビル街とか貧民街とか、日当たりも良い上に部屋は広いのに妙に部屋代が安かったりする学生アパート周りってのは、基本的にそういう『よくないもの』が生まれやすいんだと」

学生とかの間で妙にオカルト系の話題が多いのもそのおかげなのだとか。
前の持ち主が自殺したとか、一家心中したとかも、そういった『よくないもの』の影響である事が多いらしい。
そういう場所でも陰秘学科で場を清める方法を学んでいれば特に問題なく使えるので、一学年に一人はそういう部屋を借りる貧乏性の陰秘学科の学生が居るのだとか。
もちろん今代は私だ。
なんと最初に住んでいたアパートも今回引っ越したアパートもそういう類の物件なのだから、我ながら筋金入りだと言える。

「自分の住んでおる部屋を貧民街と同列扱いとか、悲しくはならんのか」

「いや、私の引っ越した部屋はあくまでも部屋代安い学生アパートであって、分類的にはヤクザビルとか貧民街とは一線を画している」

肩の上に浮かぶジト目のちびアルにきっぱりと言い返す。
そりゃ、結局部屋を選ぶ時に風呂場の広さの次に優先したのは部屋代の安さだったけど。

「それに、そのお陰でこうしてさっそく断片を見つける事ができたんだぜ?」

我ながら実に運がい、じゃなくて、アルの断片探しまで考慮に入れた実に堅実な部屋のチョイスだろう。

アルの断片は周囲に魔術的な影響を引き起こす。
周囲への魔術的な影響、それはとりもなおさず、アーカムのあちこちに淀む人の想念や魔力溜まりとも呼べるへの影響に他ならない。
その為、魔力と想念の淀みに反応する事で、魔導書の断片はアクティブな活動を開始する可能性が高い。
故に、魔導書の断片は開けた明るい場所ではなく、こうした暗くてあまり街灯の無い物騒な場所──
そう、『私がこないだ引っ越してきたばかりのアパートの裏手の路地』で実体化し、『路地いっぱいに張り巡らされた蜘蛛の巣』の基部の一つを『私の部屋の窓を塞ぐように』張ったりするのだ。
……家を出る時に干しておいた洗濯物が蜘蛛の巣でべとべとになってるけど、これも絶対私の戦略の内だし。ぜんぜん泣いて無いし。

「は、早く、助けてぇぇぇ────」

と、落ち込んでる場合じゃなかった。
巨大な蜘蛛の巣の中央には、羽虫の様にからめ取られ、身動きがとれずにいるスーツ姿の女性。
必死に大声で助けを求めながらじたばたと足掻いているが、蜘蛛の巣はびくともしない。

さもありなん。女性の身体を縛る蜘蛛の糸の太さは荒縄程もある。
たかだか蜘蛛の糸と侮るなかれ、蜘蛛の糸の強度は一般に、同じ太さの鋼鉄の五倍、伸縮性能はナイロンの二倍という驚異の強靭さを誇るのだ。
しかも、これは一般的な、怪異とは全く関係無い、普通の何処にでも居る蜘蛛の生成する糸の強度でしかない。
故に──

「あぶねっ」

あの太い蜘蛛の糸に捕まる訳にはいかない。
身を横に傾け、寸での処で上空から飛ばされてきた蜘蛛の糸の束を避け、

「そりゃ、花の大学生活だってのに恋人の一人もいねぇけどな!」

蜘蛛の糸の射線とは反対側から跳びかかってきた人型の何かを殴り飛ばす。
が、マギウススタイルになる事で強化された腕力で遠慮なく殴りつけたにも関わらず、人型の何かは空中で即座に体勢を立て直し、器用に壁に四つん這いに着地した。

「蜘蛛男のエスコートを受けるほど、プライド捨てちゃいないのさ」

私の言葉の意味が通じたかは分からないが、壁に貼り付いた人型がにやりと妖しく笑う。
やはりというかなんというか、この蜘蛛の巣の主は蜘蛛女ではなく蜘蛛男だった。
顔立ちだけを見るなら、文句なしの美男。
しかし、闇の中に輝く銀の短髪、爛々と紅く光る瞳が男が異形の存在である事を雄弁に物語る。
アルの外見を成長させて、少し精悍な顔立ちにすれば、こんな感じになるだろうか。そんな事を考える。

蜘蛛男が私の顔を見て、笑いながら小さく舌を出し、唇を舐める。
妖艶な仕草。
最近感じなかった『女を見る目』だ。
少なくともこの仕草はアルには出来ないし、この視線も送って来ないだろう。

此方を獲物と認識したか、壁から一旦蜘蛛の巣に跳躍し、蜘蛛の巣の中央に捕まったOLには目もくれず、路地に降り立つ。
蜘蛛男の全身を観察する。
黒に近い青に赤色の斑がベースで、蜘蛛の巣を模ったような意匠が施されたボディスーツ。
観察をしていると、後頭部から湧き出す様に蜘蛛の糸が絡みつき、完全に顔を覆い尽くすマスクを装着した。
やはり蜘蛛の糸に似た装飾に、瞳を白で隠した赤いマスク。
アメコミに出てくるヴィランの様な、これでもかという程に蜘蛛を意識したデザイン。
ぴったりと身体に張り付くスーツが、蜘蛛男のしなやかでたくましい肉体を強調している。

「アル」

視線をそらさずにアルに指示を飛ばす。
数秒と掛からずに、アルは答えを返した。

「──索引の検索完了、おそらく、『アトラック=ナチャ』に関する記述が含まれる章をベースに実体化したのだろうが……」

「アトラック=ナチャ?」

「ヴーアミタドレス山の地底に広がる、底なしの深淵に巣を張り巡らせる蜘蛛神の名だ。詳しい内容は……目の前の記述を取り戻さない事にはわからん」

「んじゃ、取り戻して調べるしかねえよな」

名前は初めて聞いたが、巨大な蜘蛛との戦い方は卓也と美鳥に叩きこまれている。
対処法は、一般的な蜘蛛の怪異と同じ。蜘蛛の糸を射出と、設置された蜘蛛の糸に気を付けるだけ。
弱点らしい弱点も無い代わりに、これと言って特に強い部分は持っていない、基本的な戦い方を守っていれば勝てる相手。
曰く『敵の攻撃は避けて、自分の攻撃は当てろ。そうすりゃその内勝てる。無理なら尻尾巻いてさっさと逃げろ。そうすりゃ死なない』頭の悪い小鬼(ゴブリン)でもわかる戦闘のセオリー。
これができそうにない相手なら一目散に逃げるべきだけど、さっきの突進も蜘蛛の糸も避けられない攻撃じゃ無かったし、攻撃も余裕で当てられる速度だった。
逃げる必要性の無い、今の私でも十分どうにか出来る相手だ。

「私は、とりあえず痛め付ければいいのか?」

「うむ、弱らせて魔力を削ってやれば、妾が術式に介入して、妾の式に書き換えて正常化できる。妾は頭脳労働で、お主は肉体労働だ。適材適所だろう?」

「はっ、言ってろ!」

拳に魔力を漲らせ、目の前の蜘蛛男に殴り掛かる。
私の拳はギリギリの所で蜘蛛男の顔面を捉え損ね、蜘蛛男は大きく跳躍し、壁を数度蹴り再び間合いを開けようと試みている。
でも遅い。修行で戦った赤い大蜘蛛はもっと素早く、動きも読みにくかった。
人型であるせいで、蜘蛛独特の機動力を完全に生かしきる事が出来ていないのか?

ウイングを広げ、壁に張り付く蜘蛛男に追撃を仕掛ける。
再び避けられる。機動力を生かしきれないのは此方も同じだ。飛び道具も無く、武器が手足とウイングだけな為に、どうしても敵の陣地で戦わなければならない。

でも、そんな不便もあと少しで終わる。蜘蛛男が此方の攻撃を徐々にかわしきれなくなってきているのが見て分かる。
ビルの壁を幾度か削りながら、遂に蜘蛛男が拳を避けきれない距離にまで届──

「──っ、九郎!」

──かない。
私の拳は、蜘蛛男のマスクに覆われた鼻先に届く事なく静止した。
アルの声に反応して、などという事では無い。
身体が動かないのだ。
目の前の蜘蛛男がマスクの下で唇を歪ませて嗤う。
動かない身体を見下ろすと、脚に、腕に、腰に、マギウススタイルのスカート部分に、普通の蜘蛛の糸と変わらない細さの蜘蛛男の糸が無数に巻き付いていた。
こいつ、今まで避け続けてたのは、この為……!
動くのに殆ど邪魔にならない程度の量の糸を数回にわたり貼り付け、今この瞬間、私の突進力を押さえつけられる程の拘束力を持たせる事に成功したのだ。
驚愕に思わず動きを止めた隙を狙われ、一本、また一本と太い蜘蛛の糸を吹き付けられ、手足の自由が奪われていく。

「糸を焼き切れ! 早く!」

「分かってるけどよ……ぐぇ!」

身体を覆う魔導書のページに魔力を通し、術式を走らせようとすると、首に絡まっていた数本の細い糸が強靭さを増し締め付け、集中力を途切れさせる。
術式が頭の中で霧散した瞬間、私はふわ、と宙を舞い、一瞬で地面に向けて加速させられた。
地面に叩きつけるつもりか!
でも、この程度の高さからなら、気合いで──

「がっ!」

「びっ!」

唐突に、余りにも唐突に私の身体を稲妻が貫く。
備えていた衝撃とは余りにもかけ離れた種類のダメージ。
その神経を焼き焦がす一撃に続けて、頭から地面に叩きつけられ脳を揺さぶられる。
限界だ。
痛みから脳と神経を守るため、肉体が私から無理矢理に意識を奪う。
そして、舞台の暗転の様に、私の意識は断絶した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

閉店間際の肉屋でメンチカツを買い、ポケットから取り出す素振りと共に複製したペットボトルのお茶を手に、食べ歩きながら適当に怪奇指数の高い路地裏をうろついていると、

「魔導書が主と別行動とか、失礼ながら大爆笑ですね」

案の定というかテンプレ乙というか、衣装が焦げたアルアジフがヤムチャい感じで路地裏に倒れこんでいた。
これ、倒れているのが女装美少年だから分かり難いけど、戦闘があった場所にメインの武器がポツンと置き去りにされているような物で。
つまり戦いに負けた武器の持ち主が敵に連れ去られたっていう目印である。

「う……」

アルアジフが苦しげな呻き声を上げるが、俺の声に反応してのものでは無いようだ。
どうやら強い衝撃を受け、完全に意識を失っているらしい。
けどまぁ、これだけ周回すれば魔導書の扱いもいい加減慣れた物である。
ペットボトルとメンチカツの包み紙をポケットの中で取り込み、アルアジフの頭に触れ、

「ほら、主の(貞操の)危機でしょう。さっさと起きてください」

魔導書としての俺の記述を、アルアジフの破損した記述部分に割り込ませ、強制的にアルアジフの精霊部分の意識に介入して整調。
ついでにボディにも手を加え、衣装の破損も修復。
しかしアトラック=ナチャ相手にここまで破損するとか、今回のアルアジフはポンコツなのか?

「ぬ……お主は……」

割り込ませた記述を引き抜くと同時に、アルアジフが目を覚ました。

「どうも、さっきぶりですね。早速ですが、ピンチですか?」

ふらふらと立ち上がろうとするアルアジフの手を貸し、一応形だけ現状を訊ねておく。
魔導書が主から離れて、しかも結構な破損具合だったのだ。何かあったと思わない方がおかしい。
手を取り立ちあがりながら、悔しそうな顔で頷くアルアジフ。

「っ、ああ、九郎が浚われた。ページモンスター、アトラック=ナチャの記述にな」

「今の先輩なら、倒せない敵でも無いでしょうに」

とりあえず嫌味を一つ。
どうせ大十字が調子に乗ったのだろうけど、それを魔導書が止められないってのはどうなんだろうか。

「違う、あれは……いや、今はこんな事をしている場合ではない! 力を貸せ!」

「いいですけど、どっちに浚われてったか、とか、分かります?」

「ぬぐ……すまん」

先ほどまでの勢いを失い、しおしおと萎れながら謝るアルアジフ。
ふむ、まぁ、気絶してたならそんなんだろう。

「大丈夫ですよ。これでダウジングもちょっとしたものなのです」

発信機の類を付けるほど注意を向けていた訳では無い(どちらにせよ大十字は生き残るので、そこまで気を配る必要が無い)にせよ、大十字の反応を探る程度なら機械的な機能を頼るまでも無く可能だ。
ダウジング用の錘付きの紐に魔力を通し、俺とアルアジフは大十字の浚われたビルへと走り出した。

―――――――――――――――――――

じめっとして、肌にまとわりつく夜の空気。
耳には遠く街の喧騒が微かに届き、鼻を砂埃と生き物の生臭さが刺激する。
嫌な気配と、生理的嫌悪感を催す臭いに、私の意識は覚醒させられた。
朦朧とする頭とあちこちが軋む身体を叱咤しながら、私は現状を確認するべく瞼を開けた。

……暗い。
窓の外からは街の灯り一つ届かず、室内を照らすのは壊れた天井から差し込む月光だけ。
暫く気絶していたからだろうか、私の眼は既に室内をある程度見渡せる程度に暗闇に順応していた。
割れたガラス窓、壊れた天井。
砂ぼこりの溜まったコンクリ打ちっ放しの床に、所々罅の入った壁。
アーカムでは珍しくも無い、放置された廃ビルの一室。
身を起こそうとして、私はようやく自分の身体が蜘蛛の糸で床と壁に接着されている事に気が付いた。
そうだ、私は蜘蛛男の糸に捕まって、なんでかいきなり感電して、そのまま地面に叩きつけられて……。
で、蜘蛛の糸に拘束されたまま、って事は、自体は好転はしていない、か。

状況を確認する為、首だけを動かして周囲を見回す。
あちこちに張り巡らされている巨大な蜘蛛の巣、路地に張られていた物と比べても規模が大きく、一目でここがあの蜘蛛男の拠点だと理解できる。
餌は外敵の来ない安全な巣に持ち帰り、時間をかけてゆっくりと、って魂胆なんだろう。
まったく頭の良い事だ。蜘蛛なら餌を捕まえたその場で食えばいい物を。
いや、実際にその場で食われてたら死んでるから、少なくとも現時点では頭の良さに感謝しないといかんのか。

マギウススタイルが解けているし周囲にアルの姿は見えない。
あの場に置き去りにされたのであれば、少なくともアルは助けを呼びに行ける、という事になるから、それだけが頼り。
でも、私はアルが居なければ完全にただの見習魔術師、それどころか無力な大学生も同然なのだから、助けが来るまではこの窮地をいかにして乗り切るかを考えなければならない。

「……ん?」

耳が僅かに音を拾う。
息を詰まらせ、しかし熱の籠った、嬌声にも似た女の嗚咽。
それに重なる様に響く肌を打つ破裂音に、くぐもった水音。
嫌な予感に、音の聴こえてくる方角に顔を向ける。
幾重にも重なった蜘蛛の巣の奥、暗闇の中に、蠢く二つの影。
影の一つは、異形然とした仮面を外しその甘いマスクを晒す蜘蛛男。
蜘蛛男は嗜虐の愉悦に歪んだ顔で、もう一つの陰に腰を打ちつけていた。
蜘蛛男が手で押さえつけているのは、

「ひっ、っ、あ、あぁ……!」

──先程巣に捕まっていたスーツ姿の女性。
私と同じような姿で地べたに拘束された女性の上に覆いかぶさり、腰を幾度もストロークさせている。
当然、今更言うまでも無い事だけど、互いの『其処』は、ばっちり繋がっていた。
彼女は蜘蛛男に組み伏せられ、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、しかし細められ涙で揺れる瞳は快楽に歪む。

「ひぃっ、うそ、うそよ、こんなの、こんなのでぇ……」

蜘蛛男が腰を振る。
蜘蛛男の肉槍が女性自身から引き抜かれる度、押し込まれる度、女性は切なげな声を上げながら、いやいやをする様に力無く首を振っていた。
蜘蛛男の行為と、その行為で生まれる決して少なくない快楽に抗いきれない自分への拒絶。
しかし、彼女はその態度とは裏腹に、拘束されたままの不自由な体で蜘蛛男の動きに合わせる様に腰をくねらせている。
だが、その動きも声も随分と弱々しく、酷く衰弱した様子である。

「う……」

予想はしていた。
実習で『こういう状況』に出くわさなかった訳でも無い。
馴れさせる為だろうか、シュリュズベリィ先生も他の教授も、実習を行う時、被害者への対処法なども教えられもした。
こういう場面に出くわしても、私は平静で居られると思っていた。
が、違う。
圧倒的で、余りにも、違う。
何が違うのか、距離か? 臭いか? 音か?

いや、違う。
今の私は、この場所で、仲間も無く、手足も動かせず、対抗する手段もない。
邪悪を狩る者じゃ無い。
獲物。
今の私は、自分では何一つ出来ず、唯嬲られるのを待つしかできない、獲物……!

「ぁ、ぁ、あぁぁぁ────!」

蜘蛛男に一際強く、深く貫かれ、女性がその眦から涙を流しながら喉を震わせる。
蜘蛛男が恍惚の表情でびくりびくりと身体を震わせる度に、暗闇の中でもはっきりと分かる程に、ぼこり、と女性の下腹部が肥大化していく。
中に出されると同時、女性の顔から見る見るうちに生気が失われていく。
嫌悪感だけの問題じゃあ無い。たぶん、生命力を吸われているのか?
なるほど、餌場で、苗床って訳だ。

考えていると、かちかちと堅い物をぶつけ合う小さな音が聞こえてきた。
なんて事は無い。私の歯が打ち合う音だ。
冷静に判断しているつもりでも、うん、駄目だ。
怖い。

瞳から光の消えた女性から、蜘蛛男が身体を放す。
ずるりと蜘蛛男のそれが抜け落ちた女性の陰部からは、ごぶりと音を立てて粘性のある白濁が溢れ出す。
その光景を女性も目にしてしまったのか、女性は気がふれた様に乾いた笑い声を上げ始めた。
そんな壊れてしまった女性には目もくれず、蜘蛛男は剥き出しのそれを隠す事すらせず、ゆっくりと私の方に近づいてくる。

「ひ」

喉から間抜けな声が漏れた。
ゆっくりと覆いかぶさる蜘蛛男の端整な作りの顔が、逆に私の嫌悪感を大きく煽りたてる。
形の良い舌で、ぺろりと頬を舐め上げられながら、蜘蛛の糸に包まれた服の上から胸をやんわりと揉みほぐされる。
蜘蛛男の指の形が分かるほど指が胸に沈みこんでいるのに、決して痛みを与える様な強さはない。
こわばった身体を解していく、マッサージにも似た優しい手付き。
嫌な優しさだ。まるで、食べる前の調理か、調理の前の下ごしらえの様な優しさ。
全力で身体を動かし逃れようとしても、動けば動く程に蜘蛛の糸の拘束は強固なものへと変わっていく。
揉み続けられる内、私の胸には仄かな火照りが生じ始める。

「やめ、や」

ちがう、こんなので、気持ち良くなんて、なりたくないのに……!
恐怖と羞恥のあまり、瞼を閉じ、覆いかぶさる蜘蛛男からぎりぎりまで顔を背ける。
蜘蛛男のもう一方の手が私のジーンズへ伸び、鋭利な爪がベルトや金具諸共に頑丈な生地を切り裂き、その下にある素肌を露わにしていく。
じっくりと、弄る様な早さでジーンズを切り裂かれながら、時折皮膚を切り裂かれる痛みを感じる。
傷口が、痛み以外の熱を帯びる。
ふと、鋭い爪では無く、しなやかな指先で傷口の周りをなぞられ、

「ふぁっ」

軽く、達してしまう。
そうだ、相手が蜘蛛の怪異なら、毒の一つも持っていて当然だ。
じゃあ、何の毒だ? どういう毒を使う?
決まっている。こういう場面で使う、こういう類の毒。
さっきの女性は、貫かれ、感じる自分を否定していた。
それはむりやりされたという事実とは別に、こういう理由もあったんじゃないか。
じゃあ、これから私も、あんな風にされてしまうのか。

……もう、ジーンズはまともに衣服として機能しないレベルまで切り裂かれ、ジーンズの下に穿いていたお気に入りのショーツに至っては何かの切れ端にしか見えなくなってしまった。
身体もだいぶ毒が回ったのか、酷くじんじんして、少し触られただけで達してしまいそうになっている。
太腿に、何か、とても熱く、硬い物が擦りつけられた。
瞼を恐る恐る開け滲む視界に映ったのは、案の定露わになった太腿に添えられた、蜘蛛男の肉槍。
ゆっくりとショーツに守られていた部分に近づけられるそれに、身が委縮する。

ほんとうに、本当に、『されて』しまうのか?
何か手は無いのか、逃げる事も、戦う事もできないのか。
そんな事を考えながら身を丸めると、眼を背け続けていた蜘蛛男の顔が、視界に映り──

「……くす」

──頭の中が、一瞬で沸騰した。
今、間違いなく、蜘蛛男は笑った。嗤ったのだ。
嬲り者として、なすがままになり、身を丸め、震えて怯える私を見て。
嬲り者にした相手を、白濁に塗れたスーツの女性を、私を、笑い『やがった』──!

蜘蛛男が、その綺麗な笑みを崩さぬままに、しかし私の恐怖心を煽る為か、片手で口元を掴み、身体を押さえつける。
怯える私の表情を、リアクションを、全て楽しむつもりなのだろう。
此方を見下す視線は、獲物を弄る獣のそれと全く同じ。

……なら、これから私は、絶対に怯えてやらない。悦んでもやらない。苦痛に叫びもしない。
確かに今の私は何の抵抗も出来ない、殴り返す事すら出来なくて、嬲られるままになるしかないかもしれない。
でも、それでも。
それでも、絶対に屈しない。
戦う力が無い。でもそれは、決して戦えないって事じゃあ無い。
絶対に、こんな悪趣味な化け物なんぞに、思い通りにされてたまるかよ──!

笑う蜘蛛男のなまっちょろい顔面をぶち抜くつもりで、思い切り睨みつける。
蜘蛛男はそれに僅かに戸惑うも、しかしゆっくりと私を貫かんと、その肉槍を近付け──

「先輩! のけぞれ!」

空間を歪ませながら飛んできた衝撃波に横合いから殴り飛ばされた。
言われるがままに、僅かしか無かった背と床の間をゼロにしたのが幸いしてか、衝撃波は私にかすりもせず、覆いかぶさっていた蜘蛛男だけを吹き飛ばす。
轟音と共に蜘蛛男が廃ビルの内壁に叩きつけられ、巨大な掌の形に蜘蛛男とその周囲の壁が陥没する。
掌の形の中心、磔にされた蜘蛛男の丁度上に浮かび上がる『驚』の朱文字。
この嫌に趣味的な技は!

「卓也!」

ついさっき別れたばかりの後輩が、廃ビルの階段から『そこまでよ!』のポーズで現れた。
続けて、その背後から息を切らしたアルが駆け寄ってくる。

「アル!」

「九郎、無事か!」

駆け寄り、私を拘束する蜘蛛の糸を発火の魔術で焼き切るアル。
卓也は壁に張り付いたままの蜘蛛男への警戒を緩めぬままゆっくりと歩み寄ってきた。
手を構えたままの卓也から大判のタオルが投げ渡される。

「アルさん、先輩の治療を。蜘蛛は俺が」

「うむ、任せるがいい」

蜘蛛男と私の間に立ち、再び闘気を纏い始める卓也と、私を蜘蛛男の視線から隠すように庇いながら、魔術で切り傷の治療と解毒を始めるアル。
確かに、私も無傷では無いし、正直毒のお陰で満足に動けやしない。
でも、それでも、今、この状況に至ったなら、やることは一つだろう。

―――――――――――――――――――

「待った。……あの蜘蛛野郎は私がやる」

アルの治療により半ば程解毒の終った九郎は、そう二人に告げながら、ゆっくりと立ち上がる。
卓也は蜘蛛男に身体を向けたまま、ちらりと九郎に視線を送る。

「戦えるんですか?」

「戦うんだよ」

気難しそうな仏頂面のアルが、脚の傷を塞ぎながら窘める。

「怪我が治っておらん。無茶をするな」

「無茶じゃねぇ」

極々短い単純な返答。
まだ力の戻り切っていない九郎にとって、それは精いっぱいの返答であると同時に、多くの部分を隠したままの返答だ。
戦えるか。
戦えるに決まってる。戦う為に力が戻って、目の前にはぶちのめしたい糞蜘蛛野郎が居る。
無茶をするな。
無茶でもなんでもない。頼りになる後輩と相棒が居て何をすれば無茶になるのか。

「卓也、アル」

三人の眼前では、壁にめり込んでいた蜘蛛男が壁の一部と共に落ち、四精を立て直し始めている。
ワンアクション毎に蜘蛛男の身体が崩れ、蜘蛛神の本性である異形の姿が露わになる。

「ふん、流石に我が主なだけはある」

不敵に笑いながら、アルが光と共に魔導書のページに分解し九郎の身体を包みこむ。
マギウススタイルへと変じる九郎。
困った顔で九郎に視線を送る卓也の肩を、九郎はぽんと掌で叩いた。
肩に乗った手を見て苦笑いを浮かべる卓也。

「吹いたからには、きっちり勝って下さい」

皮肉を言いながら、卓也は九郎と蜘蛛男の間から身体を退ける。

「任せとけよ」

力強く頷き、蜘蛛男に向かい合う九郎。
蜘蛛男は既に人間の皮を捨て去り、醜悪な八本足の蜘蛛のクリーチャーへと完全な変貌を遂げていた。
こんな物に犯されそうになったのかと思い、しかし九郎の心には恐れは欠片も無い。
あるのは、怒り。
無様に蹂躙されそうになった怒り。
一緒に浚われた女性が無残に犯された事への怒り。
人を嬲り者にして笑う異形への怒り。

蜘蛛男が、人間形態とは比べ物にならない程太く強靭な糸を噴出し、九郎を再び捕えんと動きだす。
至近からの攻撃でなく、避けようと思えば避けられる攻撃だ。
だが、九郎はその糸を避けるでもなく、ゆっくりと歩きながら、手すら動かす事なく完全に迎撃する。
蜘蛛の糸を撃ち落とすのは、九郎の翼だ。
マギウススタイルを構成するページが変じた翼からページ一枚分飛び出、薄く延ばされた刃の如き翼でもって、直撃せんとする蜘蛛の糸を一つ残らず切り落としている。
余りにも鋭く、速い翼の動きに、斬り飛ばされた糸は翼に粘りつく間もなく弾かれていく。
集中力が段違いだ。
周囲の細い糸が、僅かに動いて九郎の身体に絡みつこうとするも、

「!?!?」

一瞬で『炎に包まれて』細い蜘蛛の糸は燃え尽きる。
マギウススタイルのスーツに接触した途端、そのスーツの接触部分のみ発火の術式が起動し、蜘蛛の糸を焼き払ったのだ。
蜘蛛の糸の燃えカス、火の粉を浴びながらゆっくりと蜘蛛に近づいていく九郎。
その口元には、獰猛な笑みが浮かんでいた。

本能的に危険を察知した蜘蛛男は割れた窓ガラスを突き破り廃ビルの外へと逃れる。
人間体の時とは比べ物にならない八本足の機動性によって、ビルとビルの間の壁面を滑る様にして逃げまわる蜘蛛男。
更に周囲の廃ビルには隈なく自らの糸で巣を張り巡らせてある。
ここは人間ではなく、壁を自在に這いまわれる蜘蛛の領域。蜘蛛男にとっての安全圏。

「逃げてんじゃねえ!」

安全圏『だった』
かつてその蜘蛛にとって安全圏だったその空間を、翼を生やした九郎が蹂躙する。
精密な空中機動を行う今の九郎にとって、周囲の蜘蛛の巣など障害にもなりはしない。
だが、それは蜘蛛男にとっても好期だ。
翼を用いて空を飛ぶなら、飛んでいる間は糸を迎撃する事はできない。
対して、壁を歩いているだけの自分には何の制約も無い。
生意気な獲物を再び捕まえんと、蜘蛛男が糸を噴出し──

「馬鹿か」

斬り飛ばされ、燃やされる。
何故、と困惑する蜘蛛男の目の前に、その疑問への答えは浮かんでいた。
翅だ。
空を飛ぶ九郎の翼。
その翼に重なる様にして、後ろの光景が透けて見える程の赤熱した薄い翅が、僅かにずらされながら幾重にも展開している。

翅の一枚一枚の厚みは、魔導書のページの半分程も無い。
だが、これだけの量を展開すればマギウスウイング自体の構成ページ数が減るのは当然だろう。
更に翅と発熱、発火の魔術を併用する事で、飛行する為の術式にかけるリソースが少なくなっているのだ。
だが、九郎はそれを見事に制御しきっている。

怒り。
身体が熱くなる程の燃え盛る様な怒りに、敵を追い詰める道筋を導き出す為の冷徹な思考。
これが合わさる事により、九郎はまた一段、魔術師としての位階を上り詰めたのだ。

「さっきはよくも好き勝手やってくれたな!」

九郎の怒号。
それに反応し、八本の脚を生かした機動力で逃げようとする蜘蛛男。
だが、九郎は決して逃がしはしない。

「おらぁっ!」

ざくり、ざくり、ざくざくざくざくざくざくざくざくざく。
逃げる蜘蛛男の背を、壁にひっかけられた脚を、腕を、頭を貫く九郎の翅。
ぶすぶすと翅が刺さった部位から焼け焦げる様な音と煙が溢れ出し、蜘蛛男の声にならない絶叫が響く。
生きながらにして全身を余す所なく貫かれ、内側から燃やされる地獄の苦痛を味わい、見る間に実体化が解け始める蜘蛛男──アトラック=ナチャのページモンスター。

「まだまだぁ!」

突き刺された翅が輪郭の崩れ出したアトラック=ナチャの内部を貫きながら伸展し、刃を滑らせるように内側から斬り進み、

「ぶちまけろ!」

五体を引き裂く!
もはや蜘蛛型かどうかも怪しい、ページ混じりの肉片と化したアトラックナチャ。
その肉片に九郎が再び飛びかかろうとする寸前、マギウスウイングがひとりでに動き、地面に向けて落下を始めた肉片を、横殴りに叩き潰した。
廃ビルの壁面に突き刺さるウイングの変形した拳。
その光景に、先までの怒りに表情とは打って変わって、意表を突かれたといった風の顔で目をぱちくりさせる九郎。

「落ち着け九郎、記述を破壊するつもりか」

ちびアルの叱責。
そう、確かにアルアジフの記述が通常の紙切れとは一線を画する強度を誇る。
しかし、こうも立て続けに実体化した所を魔術的な攻撃で責め立てられ、実体が薄れ通常の記述に戻った所を攻撃されては、アイオーンの記述の様に使用不能なレベルにまで破壊されかねない。
言われ、ハッとする九郎。

「わ、わりぃ、ちょっと頭に血が上ってた」

バツの悪そうな表情で頭を掻く九郎。
そんな九郎に、ちびアルはうむ、と頷いてみせる。
ウイングの拳が壁面から引き抜かれ、壁との間からはほのかに光る数枚のページ。

「まぁ、あのように記述は無事だからな、次から気を付ければ良い」

そういうなり、ちびアルはうっすらと明滅するアトラック=ナチャの記述に両手を向けた。

「接続! アエテュル表に拠る暗号解読! 術式置換! 正しき姿へ還れ、我が断片!」

アルが呪句を唱えると、紙片は吸い込まれる様にして九郎のマギウススタイルのスーツに吸い込まれるように張り付く。
貼り付いたページの形は残さず、一瞬だけ魔術文字の輝きを見せた後、完全にスーツと一体化した。

「蜘蛛神・アトラック=ナチャの記述、回収完了だ。やったな九郎」

ウイングを消し、ビルの屋上に降り立つ九郎。

「なんだかんだあったけど、油断しなけりゃこんなもんだ。……あとは」

振り向く。
少し先のビル街の中、頭と四つの腕にこれでもかとドリルを搭載した破壊ロボが暴れている。
別に、破壊ロボとドクターは出待ちをしていた訳では無い。
魔力探知機『教えて! ダウジン君!』の反応に従いアルアジフの断片を探していたはいいものの、途中で部下ともどもアトラック=ナチャがあちらこちらにしかけていた蜘蛛の巣に引っ掛かり立ち往生していたのだ。
蜘蛛の糸から逃れようと躍起になっている所に、空を飛び巨大蜘蛛と戦う九郎を発見したドクターは居ても立ってもいられず、破壊ロボをコール。
周囲の部下数名を巻き込みながら(ドクターの部下なので当然死んでいない)も破壊ロボに乗り込んだドクターは、今まさに九郎に襲いかからんとしているのだ。

「行けるか? 九郎」

「当然だろ」

不敵に笑いながら九郎は廃ビルの屋上、その端に辿り着く。
廃ビルでありながら、このビルの屋上はデモンベインの全高よりも少し高い。
ここからならば、九郎は建物を無駄に破壊する事なく、デモンベインを招喚する事が可能なのである。

「わりいなドクター、今の私は気が立ってるんだ。いきなり現れて街を破壊するそっちは十分に悪党だし────思う存分、八つ当たりさせて貰うぜ!」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

そんな訳で、今日も一つの事件が幕を下ろした。
幸いにして、というか、浚われた女性には最悪にタイミングが悪かったと言わざるをえないが、ページモンスター・アトラック=ナチャの被害者は彼女一人、街にもさしたる被害は無い。
アルアジフの断片が巻き起こす事件の中では、ロイガーとツァールに次いで街への被害が少ないのではなかろうか。
え、破壊ロボ?
最初からアトラックナチャを使いこなしているデモンベインに完封されましたが、何か。

「どうぞ」

「おう」

公園のベンチに座る大十字にペットボトルのコカコーラを渡す。もちろん元の世界で取り込んだモノの複製である。
ビンの物もその辺の自販機を探せばあるのだが、正直そこまで手間をかけたくないというのが本音だ。
アルアジフの分は用意していない。
アルアジフは戦いが終わった後、俺に大十字の心のケア諸々をしておくように言い渡すと、さっさと魔導書形態に戻ってブックホルダーに収まってしまったのだ。
ぷしっ、と炭酸の抜ける爽やかな音と共に蓋を捻り開け、飲み口に口を付けて煽る様に飲み干す。
500mlの内半分程を一息に飲み干し、くあーっ! と溜息を吐く大十字。

「んまい!」

勿論、この年代でもコカコーラは市民の間で大人気だ。
普段嗜好品にあまり手を出さない大十字もこれはかなり好きな部類に入るらしい。
一息吐いた大十字はふとペットボトルを目の前に持ち上げ、しげしげとその表示を眺める。
カロリーでも気にしているのだろうか。
何しろコカコーラは日本でも高カロリー飲料として名高い。
100mlで45キロカロリーは伊達では無い。大十字の生命線を繋ぐのには持ってこいだろう。
まぁ、今はまあまあ食えているからそこまで気にする必要も無いと思うが。

「これ、日本語表記か。味もなんか少し違うし」

「日本製ですからね、成分も大分違いますよ」

「そっか、でもやっぱ美味いな」

「ですね」

会話が途切れる。
しばし、互いにコーラをちびちび煽るだけの無言の時間。

「あの、さ」

ふと、コーラを飲みながらもぼうっとした表情で遠くを見つめていた大十字が口を開き、ぽつりとそう呟く。

「ジーンズ、直してくれて助かった」

「いえ、流石にあの恰好のままでは問題がありましたからね。お気になさらず」

「そっか、なんか、悪いな」

今大十字が穿いているジーンズは、大十字がアトラック=ナチャのページモンスターに襲われた時に切り刻まれていたのを修復して穿ける様にしたものだ。
俺も美鳥も大十字とはサイズが合わないし、姉さんの服を大十字なぞに着せるのはもったいなさ過ぎるので、ささっとナノマシンで修復した。
複雑な人間の身体ですら修復可能なのだから、パーツが揃っている状態であれば特に何の問題も無く切断面を繋げる事ができる。

「あー、違うんだよ。私が言いたいのは、あれだ、本当はそれじゃなくて」

残り四分の一程になったコカコーラのボトルを両手で持ち、膝の上で指先を互い違いにくるくるとまわし、そっぽを向いて十数秒うーうー唸る。
言いたい事が纏まったのか、大十字はゆっくりと口を開いた。

「た、助けてくれて、ありがと。……あの時、お前が来てくれなかったら、たぶん、酷い事になってた」

だから、ありがとう。
そう告げる大十字。
蜘蛛男に襲われた時の事を思い出し、今更ながらに暴行への恐怖がぶり返してきた、その唇は細かく震えている。
普段とまるで変わりないように振舞っているが、それでも精神的に堪える部分があったのだろう。
大十字がTS前も美系である事を差し引いて考えても、こんな表情を女性にされたら陥落してしまう男は非常に多いのではなかろうか。
戦う戦士でありながら、同時に守ってあげたくなるか弱い一面も併せ持つ……実にあざとい。

だが、俺の頭の中には、ある別の事が浮かんでいた。
────タイミングが、良すぎる。
まるで映画の爆弾解体シーンさながら、時限装置が残り一秒を刺した時点で解除される様に。
廃ビルに突入し蜘蛛男と大十字を発見し、俺は警告と共に即座に石破天驚拳(狼も死なない手加減バージョン)を放った。
放たれた石破天驚拳は、大十字が貫かれるほんの一瞬前、ギリギリの所で蜘蛛男を吹き飛ばしていたのだ。
恐らく、あのタイミングではアルが駆け付けた時には既に大十字は貫かれていた事だろう。
そんな事が、在り得るのか?
トリッパーは原作のイベントに遭遇しやすいとはいえ、それでもこのタイミングは正直異常の一言に尽きる。

「大学生は助け合いでしょう。特に陰秘学科ともなればなおさらです。……ところで先輩、アトラック=ナチャのページモンスターと戦った時の話なのですが──」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

結局、あの後姉さんは次の日の朝まで起きる事は無く、破壊ロボ戦を観戦しながら考えていた献立は翌日の夕食に回される事となった。
そして、更に数日後。俺と美鳥は再び夢幻心母に訪れていた。

「ドクター、破壊(され)ロボでの活動お疲れ様です」

「へいドク、ロボ破壊乙。もう安全を考えて遠隔操縦でいいんじゃね?」

美鳥、多分それをやったらドクターは破壊ロボの顔に手すりを付けて、それに掴まったまま外から遠隔操作するぞ。

「やかましい。今の我輩は精密かつ重要な作業中であるからして、用が無いならさっさと帰るがいいのであるぞ」

振り返りもせずに答える、予想外に真面目なトーンのドクターの声。
ドクターの目の手術台には、機械的なパーツの含まれた人体標本の様な物が置かれ、ドクターは様々な器具を使いそれを完全な形へと近付けている。
目にも止まらぬ、という程早い訳では無いが、ドクターの手の動きは手慣れている。
なんというか、無駄が無い、というのとも違う。
精妙だ。

「ボディの最終調整ですか」

「いかにも。この吾輩の最高傑作さえ完成すれば、あの頑固でしつこい油汚れのごときにっくきデモンベインと大十字九郎など、ちょちょいのぱっぱでオレンジピールの香り漂う洗いたての清潔感に!」

「ドク、手元手元」

「おおっと」

なんかドクターだと塩素系と酸性混ぜたみたいな惨状しか思い浮かばないけどな。
しかし、改めてボディを見るに、実に精巧な作りだ。
人間を超え、高い位階の魔術師とすら渡り合える程の戦闘能力を持ちながら、人間の持ちうる能力は全て備えているのだろう。
ほら、身体の男性特有のあの部分とかあの部分、『え、オリエント工業って女性向けのドールも作ってたの?』と聞きたくなるような、聞きたくなるような、精巧さ、で……。

「お兄さん、はい」

「すまん」

美鳥に渡されたハンカチで涙を拭く。
なんていうんだろ、見るからに才女って感じの美女が、一心不乱に『理想の男性像』を形作っていると言えば、まぁまだ聞こえはいいと思うんだけど。
設計段階で『自分に合うサイズを考えて試行錯誤してる姿』を想像すると、涙線に来るものがある。
あれだ、使い心地の良いオナホを作ろうとしてる人を見たとき、その人が嫌にイケメンだった時にもこんな気持ちになれるのだろうか。
何時もならこのリアクションを見た瞬間にドクターが沸騰するのが鉄板なのだが、生憎とドクターは集中している為か此方の状態に気付いていないらしい。
好都合だ。今回の本題はそこじゃあないのだから。

「ドクター、先日の破壊ロボで出撃した日なのですが、大導師殿に何かお変りはありませんでしたか?」

「? あの日は、何時も通りに玉座の間から一歩も動かずにいたとの事であるが……」

「そうですか、ありがとうございました。仕上げ頑張ってくださいね」

「うむ」

―――――――――――――――――――

「大導師さまの様子?」

所変わって、蓮蓮食堂のカウンター席。
仕事をさぼりラーメンを啜っていたかぜぽを発見し、間食ついでに聞いてみる。
夢幻心母内部には、なぜか話を聞ける相手が下っ端しか居なかった上、下っ端連中がまともに情報を持って居なかったので、わざわざ外で会いたくないこの人の所にやって来たのだ。

「そうです。こないだアルアジフが記述を一つ回収したのは知ってますよね。あの日の大導師殿は、どんな感じでしたか?」

「んー……」

ずるずると麺を啜りながら考え込むかぜぽ。
このTSクラウディウスであるかぜぽは、自分が知らない事であれば考えるまでも無く知らないと即答する。
つまり、何か知っている、という事だ。

「そうだね、なんだか、チャーシューと替え玉を食べたら思い出せそうな気がするよ」

「店主、こっちに替え玉とチャーシュー、あと半熟卵追加で」

俺のオーダーに即座に応え、かぜぽのどんぶりにそれらを投下していく店主。
えへへと笑いながら替え玉を啜り始めるかぜぽ。

「覚えてる限りだとあの日の大導師さま、珍しく魔術の気配がしてたんだ。流石にどんな魔術を使ったかまでは知らないけどね。──おじさん! チャーハンと餃子お願い!」

楽しげに追加注文をするかぜぽを尻目に、俺は手に入れた情報から推理を始める。
このTSクラウディウスことかぜぽには、ブレンパワードの連中の『オーガニック的な感覚』と似た様な、ステータスや能力では説明しきれない独特の感覚がある。
能力的にTSしていないクラウディウスとどちらが優れている、という事は無いが、少なくともこの特殊な感覚はあてになる。
トリッパーにとって恐ろしい物の一つが、この説明不能な超感覚だ。
だが、今はそれが役に立つ。

……雷を使い、今の大十字のマギウススタイルの守りを貫通して感電させる。
ブラックロッジでそんな強力な魔術が使える魔術師には、二人しか心当たりが無い。
そして、俺のセンサーに引っかからず、遠くの地から遠隔でそれほどの魔術を発動させる事が出来る人間は、ブラックロッジの中でも、たった一人。

だが分からない。
そうする事ができる、それだけの実力がある、それは確かだ。
だが、動機が無い。
あの場で大十字に隙を作り出す事に、アルアジフの救助を遅らせる事に、どれほどの意味がある?
アルアジフとて、ダウジングの一つや二つは軽いだろう。
だが、あそこで修復されずに自然回復を待っていたら、今頃大十字は心に少なからぬ傷を負っていた筈。
……俺に大十字をタイミングよく助けさせるのではなく、大十字の心にダメージを与えるのが目的?
確かに辻褄は合いそうな気がするが……。

「へい、お待ち」

俺の思考を遮る様に、かぜぽが俺の前にチャーハンと餃子を置いた。
隣を見ると、にこにこと嬉しそうな笑顔のかぜぽ。

「あの、ハイパボレアを歩むものさん?」

「難しい顔してないで、食堂なんだから、美味しいご飯食べようよ」

「いや、これだと、俺が注文した替え玉とチャーシューと半熟卵、打ち消しでむしろマイナスになりませんか?」

日本円にして、約二百円程かぜぽが多く支払う事になる。
というか、追加注文できるだけの金があるなら、俺の奢らせる必要はないだろうに。
俺の問いに、かぜぽはふふんと鼻を鳴らしながら、チャーシューを摘まんだ箸を振る。

「知りたい事を知る為に即座に打てる手を打つ事が出来る奴って、群の中でも有能になれる素質を持っている事が多いんだ」

「は、はぁ」

「それに、上司の言う事を素直に聞く素直な部下には、ご褒美の一つもあげたくなっちゃうでしょ? ────手元に置いておく為に」

「さようでございますかぁ……」

満面の笑みで仄かに黒いかぜぽに生返事を返すしかない。あと部下じゃないから。
なんてこった。奢らされるとか色気の無いイベントだと思ったら、また意味も無く印象を良くしてしまった。
まぁ、別に困る事でも無いか。かぜぽとはこういう場面でしか接触する機会は無いし。

大導師が何を考えているか、今のところこうと決めつけるのは難しい。
だが、少なくとも現状では俺に災難が降りかかるタイプの謀略では無いようなので、放置しても問題は無い。
何しろ、このTS周になるまでに、大導師は千回と少しのループを経験しているのだ。
何の意味も無くこんな真似をするとも思えない。
大導師が言いだすか、俺に何らかの損害が出るまでは、様子見で済ませておく事にしよう。
そう思いながら、俺は餃子を付ける醤油に、大量のラー油を落とすのであった。





続く
―――――――――――――――――――

浚われた一般市民の女性のナニがあれしたけど、別に嫌らしい一発でアウトになる言葉を使った訳では無いので当然セーフな、何かしらの陰謀が浮かび上がりそうな第六十一話をお届けしました。

自己保身の為の、自問自答コーナー。
Q,ブラックロッジ内部での評価が高い?
A,かぜぽがラーメン屋で魔術をディスペルされたことを言いふらしたりしてるとかそんな感じで。
Q,修行中の大十字が息して無い。
A,無呼吸症候群です。死者蘇生のスキルがあれば何事も無く起こせます。でもリアルに死んでる訳では無いのであーんしん。
Q,大十字が恥ずかしがる部分おかしくね?
A,それこそ、大学の外で泊まり込みの実戦民族学とかするときは、男女のプライベートとか羞恥心とか気にしてられないと思うんですよ。
Q,アーカムシティの結界による淀みって、ループが進むごとに消えていくんじゃないの?
A,むしろ、ループでどう変質するかによっては、淀みを有効活用する覇道鋼造も出てくると思うんですよ。今回はそんな覇道鋼造でした。
Q,キノコ狩りで、いたいけなOLを凌辱する男!
A,アトラック=ナチャ!(この商品にレオパルドンは同梱されておりません)
Q,で、今回はどうして十八禁じゃないと言えるの?
A,直接的な単語を出さなければ確実にセーフです。肉槍? 触手なら非エロでもよくある武器ですね。白濁液? 木工用ボンドだって白濁液ですよ。
Q,破壊ロボェ……。
A,特にデモンベインの招喚に制限がありませんので原作の様にマジギレさせて名言を言わせられません。マジギレはアトラック=ナチャにしてるのでそれで。
Q,コカコーラ?成分が違うってもしかして……。
A,ググれば分かる事なので一々書くのもあれですが、デモンベインの舞台となる1920年代から1930年代の頃には、既にコカインは成分に含まれておりません。ボトルと瓶だと成分が少し違うよって話で。
Q,ドクターの扱いが毎度酷い。ドクターはキチガイの変態だけど、精神が修復不可能な程にあちら側である事を除けば可哀想な部分なんて無い!
A,イメージしてください。男っ気の無い美人が女性向けエロゲのインストール待ちをしながら、クールな表情で黙々とラバーを削って自分専用のバイブを作っている姿を……!
あ、上のセリフを言ってるのはめでたくPSYクオリアに目覚めた黒アイチでお願いします。
Q,かぜぽはなんでこんなに主人公に好意的なの?
A,一応複線だけど、このTSクラウディウスは主人公程度の態度を取ってれば大体こんな感じです。
Q,企みとは?
A,TS編のラストで分かるます。

ここ最近は無数の神姫のマスターだったり呪言花札と契約した封札師だったりリトルウイングの新入社員だったりもしたけど、今回は無事に二週間くらいで投稿出来ました。
やはりあれですね。どの時間帯になら集中して文章が書けるかを把握して、その通りに書ければどうとでもなりますね。
あ、因みに今のは多分『投稿遅れました。いやーやっぱそうそう集中して文章書ける時間なんて確保できるわきゃないですよねー』とか次の投稿で言うフラグなので、次回投稿も気長にお待ちください。

それでは、今回もここまで。
当SSでは引き続き、誤字脱字の指摘、分かり難い文章の改善案、設定の矛盾、一行の文字数などのアドバイス全般、そしてなにより、このSSを読んでみての感想、心よりお待ちしております。



[14434] 第六十二話「ゼリー祭りと蝙蝠野郎」
Name: ここち◆92520f4f ID:81c89851
Date: 2011/11/18 01:17
「ここがあの女のハウスね……」

「大十字は貸せる程金持ってない気がするが」

結構な量の食材が入った籠を持ち、大十字の新居の前に辿り着く。
引越しの時も思ったのだが、大十字は何が悲しくてこんな魔力やら想念やらの吹き溜まりに住もうなどと思えるのだろうか。
まぁ、間違いなく風呂場の広さで選んでいるのだろう。
部屋を下見する時も、風呂場の広さを体感している時が一番輝いていたしなぁ。

「みてよお兄さん、大十字の新居、ちゃんとした呼び鈴がある……!」

ドアをノックしようとした美鳥が、ドアの隣に設置された機械的な呼び鈴を見て戦慄している。
因みに、原作の大十字宅には呼び鈴が付いていたが、今周のTS大十字の前の家の呼び鈴は前の住人が壊して以来そのままだったらしい。
おもむろに一押し。
極々普通の、何かのメロディではない、愛想もへったくれもない『ぴんぽーん』が響く。
ノイズィな感じもしない、一般的なチャイム音。

「鳴った! 鳴ったよ! チャイムが鳴った!」

「ううむ、これが大十字の為に鳴る文明開化の音か、とても地味だな」

今日持ってきた差し入れに肉を入れれば立派なすき焼きが可能だ。
大十字も珍しく定期収入を得る事に成功している訳だし、ちゃんと肉屋に行って食用肉を購入する事も可能だろう。
ああでも、ざんぎり頭は推奨できない。
TS大十字で通常の大十字には無い美点があるとすれば、女性であるが故の苦痛耐性と体力の他に、綺麗な黒の長髪であるという点がある。
高い位置で括ってポニテにしているが、あれは如何にも女性らしくて素晴らしい。
姉さんもポニテとかおさげとかみつあみとかだし、やはり魅力的な髪型と言えば黒髪ロングだ。

何? 髪の毛には魔力が宿るとか、アトラック=ナチャを使う時便利とか、そういう魔術的な面からの評価?
マギウススタイルになれば嫌でもロン毛になるんだし、普段は動き易い様に切った方が安全に決まっている。
組み合っての戦いなんてなったら、長髪なんて掴んでくれと言っている様なものじゃないか。
髪振って目に当てて目潰し? まともな魔術師ならその手の目潰しなんぞ効かない効かない。
変身せずに魔術行使できるならまだわかるけど、今の状態じゃさして意味は無い。

そもそも今の大十字じゃ、魔導書と別行動で変身できない状態で敵魔術師と遭遇したら八割即死だし、格闘戦で不利とか考える必要はない。
となれば、だ。やはり見栄え重視でロングにしておいた方がいい。と思う。

「唐突だと思われるかもしんないけど、少し大十字の事を祝ってあげたくなったので高級焼き海苔を用意しました」

俺が文明開化と大十字の髪型について思考を巡らせていると、何時の間にか美鳥はどこからどもなくお中元用の焼き海苔セットを取り出し、両手でそれを抱えていた。

「その心は?」

「この焼き海苔の様にドライな関係でいましょう」

うま、……上手いかなぁ?
だが美鳥の『してやったり』みたいな顔を見てるとツッコミを入れる様な気にはなれない。
だが正直、座布団をやれるレベルかっていうと疑問が残るし、ここは一つ厳しく評価をしておくべきか。
優しくするのも厳しくするのも家族愛。難しいものだ。

「……人の家の前で何をやってんだお前ら」

俺が厳しくも優しく美鳥の食事時専用クッションの没収を告げる寸前、大十字が玄関を開けて顔を出した。
が、常の大十字とは装いが違う。
自宅でリラックスする為のラフな格好なのだが、頭には三角巾、身体にはエプロンを着用済み。
料理でも始める所だったのだろうか、普段着は何処で売っているかわかんない様なオサレ着の癖に、以外と家庭的なやつだ。

「いえね、引っ越し祝いを持ってくるのを忘れていたな、と思いまして」

野菜や食材類の入った籠を軽く持ち上げて見せる。

「お、悪いなぁ、なんか貰ってばっかりで」

呆れ顔の大十字だったが、籠を見ると花開く様に笑顔になった。
実際もう生活には困っていない筈なのだが、それとこういう貰い物は別換算なのだろう。

因みに、引っ越し祝いと言っても近所に越して来た訳でも無いので蕎麦は入っていない。
というかそもそも、どう長引かせても二年程度しか傍に居ないので、大十字に対して引っ越し蕎麦は不適切なのだ。
そこで、蕎麦の代りに用意したのがインディカ米だ。
べたつかず、しかし調理の仕方次第でどこまでも美味しくなれる可能性を持つこの品種、正に成長途中の白の王である大十字にぴったりな差し入れだろう。
べたべたした関係には成らない様にしようという無言のメッセージも秘められている辺り、俺もやはりジョークセンスは美鳥と同程度か。

「あれだ、これから暇なら、上がってってお茶でも飲むか?」

「安物だがな」

大十字の後ろからアルアジフがひょこりと顔を覗かせて茶々を入れる。
安物でもいいじゃない。薄井さんみたいに出がらしティーパックを干して使う訳でも無いんだし。
しかし、どうするか。
多分、女性に家に上がっていかないかと言われたのは、元の世界も含めてこれが初めてではないだろうか。
メメメとのやりとりでそんな事があった気もするが、結局あれは統夜と石鹸とグリニャンの共同部屋だったし。

「そうですね、少し、お茶を頂く程度なら」

「あんま長居はできねーけどなー」

「ああ、用事があるんだっけ」

「ええ、バイト先でちょっと」

曖昧に言葉を濁しながら、招かれるままに大十字の自宅へと足を踏み入れる。
大十字の新居は床がフローリングで、土足のまま上がり込む事の出来る典型的な西洋式の住宅だ。
欧米の住宅であるが故に広さもそれなりに在るが、そこは大学生向けの2LDK、流石に廊下などは存在せず、巨大な一部屋を適正サイズに壁とドアで仕切って通常の部屋を作る形になっている。
先ず玄関から上がると直ぐにキッチンがあり、キッチンからは浴室とトイレのある部屋、更に二つの部屋へと繋がっており、なおかつ──

「Oh……」

なんという事でしょう。全ての部屋の内装が、軒並み半透明のゼリーで覆われているではありませんか。
ゼリー、いや、薄らと白い粘液に包まれた家具類に、これまた半透明の粘液に覆われたガラス窓から入ってくるほんのり濁った朝の光が照りかえし、室内はテレビ放映版のエロアニメの如き光の乱反射で溢れ、少し目に悪い明るさを演出。
粘液に包まれていない、ベランダに吊るされた洗濯物の局部に何故か強烈な光線が重なり、見えないのが逆にエロく感じるという定番の手法を自然に生み出し、日常生活に健全と言っていいか怪しいレベルのエロスを齎します。
……まぁ、掃除すれば直るから、本物のビフォーアフターよりはよっぽどましか。

「あー、いかんいかん、そういえばへやがちらかったままだったんだー」

前に立つ大十字の説明台詞が恐ろしい程に棒読みだ。
エプロンのポケットにおもむろに手を突っ込んだかと思うと、取りだした時には既にゴム手袋が装着されている。
よくよく見ればズボンも何時ものオサレズボンでは無く、古着屋で投げ売りしていそうなダサいデザインのジャージ。
僅かに粘液の避けられた隣の棚にゴム手袋に包まれた手を伸ばし、雑巾とバケツを手に、大十字が振り返る。

「このままじゃお茶も入れられないし、ちょっと手伝ってくれない? ────直ぐに、終わるから、さ」

そう告げる大十字の力の籠った笑みに、俺は直感的に悟った。
これがいわゆる、勝てない系の強制敗北イベント戦闘なのだと────。

―――――――――――――――――――

「いやー、流石私の後輩だけあるな、助かったよ」

すっかり粘液の取れた部屋の中、ソファに座り、湯呑と簡単な茶菓子(なんと菓子を催促するまでもなく自然に置いた)が置かれたテーブルを挟み、対面で快活に笑う大十字。

「えーえー、流石俺と美鳥の先輩です。後輩の使い方が上手くなってきましたねーよろこばしーですよ、本当に、ええ」

「だから悪かったって、感謝してる」

明らかに悪いとは思っていなそうな大十字。
まさか、差し入れ持ってきた後輩に掃除を手伝わせるほど図太くなってるとは思わなかった。
いやまぁ、エリート程堕落を覚えた時にダレっぷりが酷いってのも分かるし、当然の結果ではあるんだけど。

「まぁ、あの程度の掃除なら別にいいんですが」

湯呑を手に取り一口。
うん、まぁまぁの味だ。安いけど、入れ方を間違って無いのでそれほど間違った味にはなっていない。

「……あの納涼ゼリーぶっかけ大収穫祭みたいな惨状は、アレが?」

湯呑を手にしたまま、部屋の隅に鎮座するオレンジ色のゼリーの親玉を指差す。
むりやり不細工な団子状に纏め、触手と目玉と口をアクセントで加えた、時折ぶるぶると蠕動する奇怪な物体。

「ほらー、卿、お前らゼラチンモドキが大好きなアルビノペンギンだよー」

「てけり・り」

部屋の隅では、美鳥が何処からかアルビノペンギンの切り身を取り出し、それをダンセイニが嬉しそうに触手で受け取り、飾りの様な口を無視してゼリー状のボディに押しつけずぶずぶとそのオレンジ色のボディの中に埋没させていく。
うん、ああいう珍生物だと考えれば、可愛いのかもしれない。
ほら、体内に取り込んだ切り身が泡を吹きながら徐々に溶けだす様とか、なんだか科学の実験室とかを思い出して良い癒し効果が期待できそうじゃないか。
溶けた餌から噴き出した気泡がオレンジゼリー風のボディの体表に到達し、『ぷちっ、ぷちっ』と弾ける所とか、少し前に消えたファンタのふるふるシェイカーに似てるし。
ネズミとかゴキブリとか生きたまま入れたら大惨事になりそうだが。

「ああ、アルがいつの間にかな……」

何処か疲れた様な声で肩を落としながら返答する大十字。
恐らく、アルアジフがダンセイニを招喚した時に一騒動あり、それで疲労が溜まっているのかもしれない。
掃除を始める時も既にベッド回りだけ掃除が済んでいたし、眠りに付くまでに結構な労働を強いられたに違いない。
まぁ、そうでなくても引っ越したばかりの新居が粘液だらけとかテンションガタ落ちだろうが。

「なるほど」

頷く。
確か大十字はここに引っ越す際にバザーでアルアジフの寝具を購入していた筈だが、やはり寝心地が気に食わなかったのだろう。

そもそも、バザーで家電や寝具、家具などを揃えるのはかなり賭けの要素が強い。
俺が高校卒業後にも連絡を取り合っている友人の一人は、バザーで買った炊飯器を分解洗浄しようとしたら、ゴキブリの死骸が部品の隙間から零れてきたと言っていた。
それがトラウマになったのか、それ以後奴は炊飯器を二度と使えなくなり、土鍋で炊いた米粒の立った艶のあるご飯しか受け付けなくなってしまったのだ。
更には土鍋を使った節約料理、土鍋を使ったアイディア薬膳などを弁当に詰め込んで会社に行っている内に、凝った内容の弁当に興味を持った同僚の女性と交流が生まれ、遂には同棲を始めてしまったらしい。

寝具や家具も同様の危険がある上に、木材や布を使っているお陰でゴキブリなどの卵がくっついてくる可能性もある。
ゴキブリの卵は孵化に二週間程の時間を要する為、購入してからしばらく使い続けていたら、ある日唐突に家中にゴキブリが溢れ返る危険性がある。
同じくバザーで卵付き家具を買わされた友人は、バルサンを買いに行った薬局で店員と恋に落ちたとか言っていた気がする。
因みにこっちには特に語るべきドラマは無い。バルサンを取ろうとする手と手が重なるって時点でもうお腹いっぱいだ。

こうやってほんの一握りの成功者の話をするだけで、誰もがこぞってバザーに参加する。
バザーで不良品を高値で売り捌く悪徳商人が撲滅される事は、決してあり得ない……!

もっとも、仮にそういった理由が無いにしろ、魔導書の精霊として活動する事が多い時は大概ショゴスベッドで眠っていたと仮定した場合、並みのベッドでは寝苦しくてストレスに感じてしまうのだろう。
天然のウォーターベッド、しかも自分の身体に自分から形を合わせてくれる優れ物だ。並のベッドと比べる事もできないだろう。

「でも先輩。……いくら相手が居ないからって、触手に走るのはやめといた方がいいですよ」

だがそれはそれとして、大十字に意趣返し程度はしておきたい。
超脱水鱗粉の試作品を試せたのはともかくとして、強制イベントの類に組み込まれるのは気に食わないのだ。

「え、あれ? もしかして私のセリフ軽くスルーされてる?」

「昔そういう、口から入って尻から出てくるタイプを愛用していた人が居るんですが、何だかんだで酷い事に……」

因みにTSティベリウスから聞いた話だ。
若い頃に調子に乗って二十本くらい栽培したら餌をやるのを忘れて、そのままエロゲみたいな事になってしまったのだとか。
なんでエロゲみたいな事になったかって言えば、その触手が人間の体液を食料にするポピュラーなタイプであった事が原因らしい。
触手の育成は計画的に。それが全ての触手を絞り尽くして枯らしたティベリウスの学んだ教訓らしい。

「く、口から入って、尻って……やるか、馬鹿! お前はどういう目で人の事を見てるんだよ!」

顔を真っ赤にしてわなわなと震える大十字に怒鳴られる。
余程興奮しているのか、テーブルをばんと両手で叩き、ソファから腰を浮かして食い気味に顔を此方に近づけ、唾を飛ばす勢いだ。

「少なくともエロい目では見ていませんから、安心してくださいな」

即答すると、大十字はぶすっとむくれた不機嫌な表情で腰を下ろした。

「……そりゃ、結構なことで」

俺の言葉が真実だと分かっているからこそのリアクション。
しかし安全なのはいいけど、完全に女として意識されないのもプライドが許さないのだろう。

「ほーら卿、今度は黒系着色料でミチミチに膨らんだアルビノペンギンの活き肝だぞう」

「おい貴様、妾の僕(しもべ)を勝手に変色させるでない」

「なーに言ってんだよこれがこいつらの基本カラーだろ? つかなにこのオレンジゼリー馬鹿にしてるの?」

「通常カラーは見た目が悪いわ! 使う方の身にも──ああ! ダンセイニがコールタール色に!」

ダンセイニの中に取り込まれたアルビノペンギンの肝から着色料が漏れ出し、じわじわとオレンジゼリーっぽかったダンセイニの身体が黒く染まっていく。

「てけり・り」

勝手に着色されてもダンセイニは気にした風も無く触手を揺らめかせている。
見た目が悪いというが、グロさはあっちの方が緩和されている気がするな。中身が見えない分。

「そういや、お前らって何のバイトしてんだ?」

ぼんやりと美鳥とアルアジフの言い争いを眺めていると、少しむくれたままの大十字がそんな事を聞いてきた。

「おっきな会社の雑用ですよ。片付けたり、掃除したり、小物弄ったり」

人間の破片を片付けたり、部下連れ込んでしっぽりしてた逆十字の部屋を掃除したり、下っ端の中でも小物臭さ満点のへたれの肉体を弄った(改造した)り。
給料が出ないのが最大の欠点だが、それ以外はTS逆十字が割とビッチ揃いなのを無視できれば割と過ごし易い職場だと思う。

「最近は、結構上司の人等からも信頼されてきてる様な、されていない様な」

「どっちだよ」

大十字のツッコミに、両腕を組んで応える。

「上司って一言に言っても、色々な人が居ますからねぇ。全員に好かれる、信用されるってのは難しいんじゃないですか?」

凸凹コンビとか、ふらん……うっうん! ……腐乱死体のティベリウスとかには割と重宝されているけど、逆にティトゥスとかとは殆ど顔を合わせた事も無いし。
折笠声の古書店店員ボディなアウグストゥスとかは、どうなのだろうか。
控えめに活動していたから目を付けられては無いと思うけども、偶に少し複雑な仕事を振られていたりもするんだよなぁ。
アヌスとは、少なくとも俺と美鳥の感知できる範囲では顔を合わせた事は無いが、まぁあれは良くも悪くも他人の能力を信頼しないタイプの魔術師だし。

「そっか、やっぱり、何処で仕事してても大変なもんなんだろうなぁ」

不機嫌そうだった顔を途方に暮れた様な表情に変え、頭の後ろで両手を組んで伸びをする大十字。
あてが外れた、みたいな顔だ。

「人間関係の無い仕事ならこういう苦労も無いかもしれませんが、そんな仕事は稀でしょうしね。馴れるしかありませんよ」

山と川と田圃しか無い様な場所で畑耕してても、やれ農薬を一定量以上買わないといかんとか、JAに繋がりのある爺さんが云々ある訳で。
それがこんな大都会、しかもブラックロッジや覇道財閥ともなれば、何をいわんや、というものだろう。

「うー……」

天井を眺めて途方に暮れていた大十字が、今度はテーブルに覆いかぶさる様に前に倒れ込む。
うーうー言うのは止めさせたいが、どうにも大十字は不満顔だ。

「……お前がバイトの上司との関係に余裕あるなら、今度のデモンベイン関係者との顔合わせに連れてって盾にするつもりだったのに、そんな事聞かされたら連れてけないじゃん」

テーブルと身体に挟まれてぐにゃりと潰れた胸をクッションに、顔だけを此方に向けた大十字が唇を尖らせながら言う。
あれだな、大十字も俺が完全に女扱いせずにいるからって、無防備過ぎるな。
俺がこの視界のデータを纏めて、『まるで本人そのものな女定光のレイヤー』として掲示板に投稿するとも知らずに。
そして掲示板の住人に『え、女定光? 誰?』とか『わー美人。で、原作何?』とか『特服はー?』とか『おいおいなんでこんなレベル高いレイヤーさんがこんなニッチなコス着てるんだよ』みたいなレスをされるのを期待しているとも知らずに……!

それは置いておくとして。

「大丈夫ですよ。仮にも覇道の最高機密に関わるエリートなんですから、そんな変な人とかは来ませんって」

「そうか? 本当かなぁ」

「せいぜい罵倒系ドSショタとか滅茶苦茶ガタイの良い真正のショタコンとかヤング声な関西弁眼鏡とかその程度の人等でしょう」

全員確認したしな。
罵倒系ドSとかは、今のエリートな大十字なら殆ど攻める隙が無いだろうし、ショタコンマッチョの人とかは害があるのは大十字では無くアルアジフだ。
眼鏡は無害だし、ポン刀持った人も困った個性がある訳でもない。
同性の理解者としてウィンフィールドさんが居るのも大きいだろう。

「それ明らかに変人ばっかだろ! もーやーだーバイト終わった後でいいからついて来てくれよーサポートするんだろー」

テーブルを挟んで座る俺のズボンの膝辺りを掴んで揺さぶる大十字。
大財閥のトップシークレットの近くで働くエリート連中に顔を見せに行くというプレッシャーに負けたのか、口調まで少し幼児退行している。

「大丈夫ですよ。きっと皆さん良い人揃いですし、関西弁と眼鏡しか個性がなさそうな人が突っ込みを入れて場を纏めてくれますって。ほら、飴ちゃんあげるから元気出して下さい」

「お前、私がそんな餌で……」

目の前に突き出された棒付きキャンディーをそのまま口で受け取り舐め始める大十字。
先ほどまでのしょぼくれ顔は何処へやら、真顔で何度も小さく頷きながら口の中で飴に舌を這わせている。
食べている最中に喋るのがマナー違反と心得ている大十字は黙り込み、時折口の中で飴が歯にぶつかる堅い感触だけが棒越しに伝わってくる。
そう、別に元気を出しても出させなくても、飴を舐めさせていれば、舐めている間は静かになる事に変わりは無いのだ!

「九郎……」

「お前の主すっげぇチョロいな」

肩を落とし、眉間に指先を当てて頭痛を堪えるアルアジフと、その肩を叩いて爽やかに笑う美鳥の小声の会話を聞きながら、俺は飲みかけだったお茶を飲み乾した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

所変わって、夢幻心母内部。

「はい、ティベリウス様」

シャワーを浴びたばかりなのか、身体にバスタオルを巻き付けただけのティベリウスに、四つ折りにした古臭い紙切れを手渡す。

「あぁら、アナタがプレゼントだなんて珍しいじゃ……何コレ」

小さなタオルで髪の毛の水気(電極がささりっぱなしだが、防水なのだろうか)を取りながら紙片を受け取り、その紙片に含まれた力にティベリウスの顔に訝しげな表情が浮かぶ。

「アルアジフの断片です。ティベリウス様が見つけて保管してたって事にしといてください。大導師様にはそういう風にしておくって断りを入れておいたので」

さて、実の所を言えば、ブラックロッジから緊急の呼び出しが掛かった、というのは真っ赤なウソだ。
そもそも今の俺は大導師様から別命を受けているからという理由でC計画にも魔導書の断片探索にも組み込まれていない。
まぁ、時たま気まぐれに顔を出して雑事の手伝いをする事もあるが、それにしたって誰に言われてやっている、という訳でも無い。
では、何をする為に大十字と別行動を取ったかといえば。

「ちょっと効率よくアルアジフの断片を探せないかなーと実験してみたんですが」

以前に取り込んだ、『魔導書として死んだアルアジフ』から記述を引き抜き、魔力を流し込んで、それに似た波形の反応を探すという、極々単純なもの。
探しものとほぼ同じ物が無ければ不可能という重大な欠点があるが、写本の記述からでも可能になれば、優れた魔導書の探索には持ってこいの探知術になる筈だ。

前々から実験しようとは思っていたのだが、丁度良くこの周のティベリウスがクトゥグアの記述を手に入れて居なかった様なので、クトゥグアの記述を用いての実験と相成った。
元々大十字が探し出す記述でも無かったし、ぶっちゃけた話、今の大十字では逆立ちしたってクトゥグアの記述を自力で叩きのめして回収する事は不可能だろうし、丁度いいだろう。

「上手く行っちゃったのね。ま、アンタ達が別命を受けてんのは知ってるからとやかく言わないけど……」

ちらり、と、俺の背後に視線を向けるティベリウス。

「なんで美鳥ちゃんはそんなファンシーな格好で、結婚式で花嫁の元彼がバイクに乗って現れてそのまま花嫁を連れ去って、しかもそれ以降花嫁との連絡が一切つかなくなった新郎みたいな顔で落ち込んでんの」

あれ花嫁浚う男とか、実は元彼に気があった花嫁からすればドラマティックで良いのだろうけど、花嫁奪われた挙句に花嫁からは実は対して好かれて無かった新郎側からすればいい面の皮だよなぁ。

「ああいえ、思ったより簡単にページが見つかってしまいまして」

俺の背後にはティベリウスの言う通り、右手で左腕を掴み自らの身体を抱き、荒んだ表情で斜め下を向いてぶつぶつと愚痴をこぼしている美鳥。
だらりと下げた左腕、その手に握るのは、先端にデフォルメされた赤い嘴に白い羽根をあしらった飾りのある、ピンクの柄に金で装飾された赤い石突を持つ杖。
これも幾多のループを重ねる内に暇つぶしに作り上げた魔術研究の成果。
魔導書の類を持たず、複雑な魔術行使が不可能でも、アルアジフと同じレベルでページモンスターの記述への変換を可能とする魔術装置。
美鳥はこれを『ページキャプターみどり・DX封印の杖 5,980』と嬉しそうに名付けていた。

「そりゃ、そりゃさ、在るべき姿に戻れ、の後になんて言えばいいか思いついて無かったよ? 記述とか断片とかだと明らかに短過ぎて語呂が悪いし、アルアジフとかネクロノミコンとかの単語を組み込んでも長くなって間抜けだし、でもさでもさ、せめてページモンスターとの戦いとかはあっても良かったと思わね? せっかくお姉さんにおねだりして衣装の型紙まで貰ってさ、布とか全部集めるとこから拘ってさ、特にこのスカートとかNHK教育バリアーで絶対に中身が健全になるっていう優れ────」

杖を握ったまま延々不満を垂れ流し続けている美鳥の衣装は、本人が言う通りやたらめったら気合いが入っている。
デザインは少しエロゲ的というか、微妙に布地が薄く、ともすれば肌が透けて見えそうな部分もあるのだが、部分部分に分厚い生地による装飾が施され、放送基準を満たそうという努力の跡が見てとれる。
恐らくページモンスターとの戦闘になったら分裂して撮影係の美鳥とかも現れたのだろう。
だが美鳥よ、『素敵ですわ美鳥ちゃん♪』なんて自分の分身に言わせるのは、後々確実に黒歴史になるから、戦闘が発生しなくて幸運だったと思うぞ?

「マスコット作る時にもたしかにグロちゃんとかゲロちゃんとかエロちゃんとかマラちゃんとか大量に失敗作も作っちゃったよ。でもさ、最終的にマスコットに頼らない心意気を思い出したんだから、ストレス解消の為にフードプロセッサーに生きたまま放り込んで殺処分した事なんて帳消しにされても────」

「御覧の通り、手造り衣装で活躍出来なかったのがよっぽど不満らしく」

「アラ、でも意外と可愛い趣味してるじゃない? 慰めてあげたらぁ?」

TSして同性だからか、割と美鳥に対して普通に肯定的だ。
元のティベリウスだったら、ここぞとばかりにワタシが慰めてあ・げ・る☆とか言って触手ぐねぐねし始める処だろうに。
やはりあれか、ベースが女だから乙女心とかに敏感なのか。
設定的に、TS前のティベリウスも生前は乙女心の分かるカマ野郎だった筈なんだけどなぁ。

「や、フォローはありがたいんだけどさ、お兄さんこれでも後々ちゃんと慰めてくれるんだよ」

ティベリウスの言葉に、先ほどまで発していた暗黒面のフォースとか臨気とか五十二枚のカードとたったの一枚で対になる『無』のカードとかにも似た負のオーラをかき消す美鳥。

「もちろんお兄さんに全部任せるのはあたしとしても不本意だから、これとか、これとか、これとか用意して、えへへ」

嬉しそうにだらしなく顔を緩め、愛らしいコスチュームと一体化しているポシェットに手を突っ込む美鳥。
ポシェットの中からは首輪、リード、局部剥き出しのボンテージ、何処に差し込んで使うのか聞くと途端に年齢制限が掛かる犬の尻尾(ふさふさしているので、激しく動かすと見栄えがいいかもしれない)が次々と取り出され、何時の間にか大きめのテーブルクロスが敷かれたテーブルの上に置かれていく。
お前、あれだぞ、姉さんに似て可愛いからそのコス似合ってたけど、その取り出したアイテムのお陰で一気に汚れキャラ臭が強まってきてるぞ。

「あらヤダ、これなんか素敵じゃなぁい? 何、ワンオフ? こんなの入れて裂けちゃわないのカシラ」

テーブルの上に置かれた、革のパンツと一体化した、一見して卑猥な用途に用いられると分かる張り型を指でなぞりながらうっとりとした声を上げるティベリウス。

「わかる? わかる? メイドインあたしだからそれ。サイズもねー、ほら、お兄さんのマックスより小さめに造って、こう、先に解して入れやすくするってーの?」

そして、そんなティベリウスの言葉に自慢げに張り型を手に取り、局部の微妙な出っ張りや窪みなどに指を這わせて構造を説明する美鳥。
あー、そうねー、美鳥も同年代(?)で趣味をあけっぴろげにできる相手とか殆ど居ないものなー仕方ないなー。
ああ、身内がゾンビと楽しげに談笑してる。
死にたい。

「あーわかるーそれ超わかるー」

わかるーわかるー(後尾発音上がり気味)と、何の実りも無いガールズトークの如き発音で、美鳥の如何わしい装備品類の自慢に頷き続けるティベリウス。
せめて他の容姿であるならまだ納得いくのだが、見た目某天才少女でそこらの少し昔の女子高生の如き喋り方をされると違和感バリバリである。もはや口調とか完全に素のティベリウス丸出しだし。
惜しいなぁ、これがTSしてないティベリウスのトークなら、ガールズトークな発音の矢尾さんボイスを収集できたのだが……。

「んで、実はこっちの封印の杖も、ここのスイッチを反対に入れると……ほら動いた!」

モーターでも仕込んでいるのか、微妙にその身をくねらせながらマッサージ器顔負けの振動を見せつけるDX封印の杖の嘴状の飾り部分。
よくよく見ると赤い嘴からほんのり怪しげな液体が染み出し、石突側の柄もぐいんぐいんうねっている。
ねーままーこのおもちゃどうしてうねうねうごいてるのー?
ふふふそれはおかあさんとおとうさんのあいようのおもちゃだからよー。

「おい美鳥そろそろ正気に戻れ。それと、後でどーもくん人形に焼き土下座な」

「ふふっ、聞いたかよオイ、お兄さんがやっとリョナに目覚めてくれた……! これも参考資料のお陰! ありがとう犠母姉妹とか作ってるとこ!」

名前と姿を変えて生き続ける某エロゲメーカー、かつて同人時代のそこから発売されNHKをマジギレさせたと名高い調教エロゲを片手に勝利の雄叫びを上げる美鳥。
あ、あのパケの汚れ具合、高校時代に駐在さんから借りたやつだ……。帰ったら返しに行かないと。

「よかったわねぇ、兄思いの妹で。たっぷり○○○○を■■■■で▲▲▲▲してあげなさいよ?」

「ええ、はい。そうですね……でも貴女はさっさと服着て下さい」

どうあがいても伏字だらけになるティベリウスの激励に、俺はこめかみを揉み解しながら、どうにかバスタオル一枚のティベリウスに突っ込みを入れるのであった。

―――――――――――――――――――

∇月О日(神の名においてこれを鋳造す)

『鋳物なら強度はさほどでも無いんじゃないかな。あくまでも作業的に首を落とす装置な訳だし量産前提で』

『さておき、この世界は神様の類がやたらめったら大量に存在し、しかもその一部と下級の眷属は度々人間と接触したり害を与えたりと、自己アピールに余念が無い』
『コツコツと地下の闇の中で蜘蛛の巣を建造している地味な連中も居るには居るが、普通に生物的活動をしなければならない連中の目立ちっぷりは本気で半端無いと思う』
『だというのに、だ。この世界、驚くほどに神が造りし○○○みたいなアイテムが少ない』
『いや、ニャルさんが歴史に関わっている時点で核兵器が神の技術由来の兵器みたいな感じになっていると言い換えてもいいんだけど、そういうのではなくて』
『コズミックホラーを神話的に解釈したとか云々言われるだけあって、この系列の神様達は何かを作る事は少ない』
『自分の奉仕種族を作る事もあるし、その種族が人類を超えるテクノロジーを持つ事もあるにはあるのだが、文字通り『神が作り出した』道具、というのは無いに等しい』

『……まぁ、明らかに人間とは大きく思考形態の異なる邪神の類が作り出したアイテムなんて、存在したとしても使い方が理解できないと思うが』
『つまりこの世界で神の御業なんてものがあるとしたら、それは人間の理解できるような大人しい代物ではない、という事なのだ』

―――――――――――――――――――

「だからねドクター。俺は神の御業がどうとかなんて言葉には、あんまり信憑性を感じない訳ですよ。そういうのって、大概モラルの問題だったりするでしょう?」

人間をデータ化して量子コンピューターの中に押し込むのだって、肉体があって実体を持っているのが生きた人間である、という定義に縛られているから忌避されているに過ぎない訳で。
クローン人間は人権がどうこうの問題もあるのだろうけど、本質的には同一人物を作り出す事が出来る、と考えられているから、という部分が大きいだろう。
人間の脳味噌の一部をコンピューターに組み込む、なんていうのもあるが、これに関しても死者の尊厳がどうたらの、いわゆる感情論に過ぎない。

つまるところ、自分に理解できる範囲の外を排除する為の言い訳に過ぎない訳だ。
理解できないのは神の御業だから。神の御業なら仕方ない。また神の御業か。
思考停止で、知性の敗北。
少し頭に血を巡らせれば理解できる様な物が、名状しがたきこの世界の神の御業である筈が無い。

「うむ、貴様は時たま聡明に見える様な雰囲気が僅かに滲み出る気がするであるな」

少し馬鹿にされたが、確かにドクターの聡明な部分に比べれば俺は間違いなくお馬鹿さんなので否定はしない。
思考速度がどうとか開発力がどうとかではなく、ドクターは知性のきらめきとひらめきに非常に優れた天才なのだ。キチだけど。
劣っているからといじけるのも馬鹿らしくなる。俺は正気だし。

「何事も理解が深まれば自然と批判の類は消えていくしね」

美鳥も頷く。
かの科学の騎士曰く、恐怖の暗闇を科学の光が照らすのだ。
理屈をつけ、解明する事で、人は未知という恐怖を克服していく。

人間だからできるのさ、なんて事を言った魔術師もいるが、正にそれだろう。
人間に出来てしまう以上、神の御業も何も無い。

だからこそ、今日もまた科学は発展する。
無機物の塊から造られた、人ならざる、しかし人を模した人型。
自らの頭で、まるで人間の様に考えて行動する、人造人間!

氷室美久は? とか聞いちゃいけない。
確かに取り込みはしたけど、製造工程を見た訳でも関わった訳でも無い。
製造に深く関わったそれが、今ここに起動する、この世に産声を上げる。

感動的じゃあないか!

「ではドクター、どうぞ」

ドクターに、人造人間の起動スイッチを渡す。
四角い、掌よりも少し大きめの箱状の本体に、押し易い少し大きめの押しボタン式のスイッチ。
ドクターは鷹揚に頷いてスイッチを受け取る。
因みに人造人間自体は数日前に完成していた。
壁に備え付けられたレバーを降ろすタイプと、持ち運びできる箱型スイッチのどちらを起動スイッチにするかでここ数日ドクターと美鳥と俺で散々に議論し、数時間前にようやく決着が付いたところなのだ。

「さあ、目覚めるのである、科学の申し子、我が技術の結晶、愛しの『エルザ』よ!」

カッ、と、外の風景など欠片も見えない研究室に稲妻が走ったかのような雰囲気に。
人造人間──エルザの心臓、動力源である六弦式生命電気発生器『がんばれオルゴン』の発展型が起動し始めたのだ。
大気中に存在するオルゴンをスターターに、『がんばれオルゴン』は鼓動を刻む様に自力でオルゴンを生み出し、作りもので『生きていない』身体を賦活させていく。
そして、ベッドに寝かされたエルザが、ゆっくりとその瞼を開け、身を起きあがらせる。

「────、──」

カチカチ、かちかち、ことり、ことり。
エルザの体内から機械的な、というより、カラクリ細工にも似た音が響き、瞳に意思の力が宿り始める。
まるでマネキンか死にたての死体にも似た肌が、徐々に人の柔らかさを得ていく。
身を起き上がらせながらも俯いていたエルザは、ゆっくりと顔を上げ、ドクターへと視線を向け、瞳の焦点を合わせる。

「おはようロボ、ドクター」

まだ起動したてであるためか多少発音にぎこちない部分もあるが、周囲の状況やインプットされたデータは正常に読み込んでいるようだ。
……結局、語尾にロボを付けるのを止めさせる事はできなかった。
AI育成中にも、モニターに表示されるエルザの言葉には何故か必ず語尾に『ロボ』が付いてたが、これはシステムの根幹に組み込まれている為、俺と美鳥の手が付けられる部分からは矯正する事ができなかったのだ。

「おお……エルザ、我輩の事が分かるであるか?」

ふら、ふら、と、普段のキチっぷりは何処へやらといった風情で、まるで危篤状態から持ち直した恋人の姿に感極まる少女の様に頼りない足取りでエルザに歩み寄るドクター。
あ、もしかしてこのTS周のドクターは小説版準拠の設定なのか?
その場合、精神病院に突っ込まれた本物を放置してこっちに感動している訳だから、逆に薄情さが浮かび上がる訳だけど。

「んなもん、AI作成中に人物情報は突っ込んでたんだから当然じゃん。ほれエルザ、てめーのバグ取ってやった恩人様々に対して礼の一つも言ってみな」

ハッカパイプを口に咥えてぴこぴこ上下させている、長めの白衣にレンズの小さい伊達眼鏡で科学者のコスプレな美鳥の言葉に、エルザが表情を無表情から満面の笑みに変え、振り返る。

「ありがとうロボ、ママ!」

────瞬間、ベッドの上で上体を起こしていたエルザが壁に激突し、そのまま数度地面にバウンドし、倒れ伏す。
見れば、稼働状態にあっては生半可な攻撃では亀裂の一つも入らない筈の特殊素材製のエルザの装甲(はだ)が、まるでハンマーで砕かれた陶器の様にひび割れているではないか。
人間と変わらない温かさ、そして柔らかさを(どういう意図で搭載されたかは追求しない。武士の情けである)備え、なおかつ弾丸、斬撃を完全に防ぎ、魔術にもある程度の耐性を持つ特殊装甲を、美鳥は容赦なく殴り壊したのだ。
込められた力、技術はかなりのものだろう。実は完全にスクラップにする気満々なのではないか。

「エ、エ、エ、エぇルザァ! き、貴様鳴無妹! なんという非道な真似をぉ!」

研究室の床に転がるエルザを抱きかかえながら美鳥に唾を飛ばして非難するドクター。
が、美鳥はそんなドクターとエルザを酷く温かみの無い瞳で見下ろし、パイプをぷっ、と吐き出しながら、恐ろしく平坦な口調で呟いた。

「誰がママだ、この木偶が」

「まぁまぁ、落ちつけ美鳥。ドクター、美鳥も悪気があった訳じゃないですし、エルザも見た目ほどひどい事にはなっていませんよ。ほら、直ぐに修理に取り掛かりましょう」

エルザの外装はかなりの割合で罅が入り、時折全身がスパークしているが、実際問題破損しているパーツはすぐにでも交換可能なものだ。
それぞれのパーツもこの時代では間違いなくオーバーテクノロジーだが、それでもエルザの根幹はその機械のボディを完全に制御する中央演算処理装置にこそ存在する。
その中央演算処理装置にしても頑強な頭部に搭載されている為、余程の事が無い限りエルザが『死ぬ』事はありえないのだ。
まぁ、ボディとブレインを繋ぐ脊椎は精密なパーツである為、流石に首ちょんぱになると修理に手間が、

「ありがとうロボ、パパ!」

────手間が掛かるというのに、俺の手刀は全自動でエルザの首を一刀の元に切断していた。
うん、これじゃ美鳥を責める事はできないな。
でもまぁ、斬り飛ばした頭部に追撃を掛けなかっただけまだ理性が働いていたと思うのだ。
チョップ出したのも咄嗟にしてはいい判断だったと思う。
ビンタだったら間違いなく頭部はプレスされてエルザ死んでいたし。

ただ、一つだけ言える事がある。

「俺は鳴無卓也。パパ上などではない」

まったく、姉さんとの間に生まれた子供ならばともかく、特殊金属の塊風情に父親呼ばわりとかリアルに反吐がマーライオン。
内部から情報を操作させ、なおかつドクターの行動の方向性を調整する為に、バグ取りの間にどこでもいっしょ方式でポしていたのだが、想定よりも深くポしてしまったらしい。
次の周からはエルザの開発に関わるのは絶対に止めだ。もうどういう構造かは理解できたし、開発工程も十分見学できた。
それはともかく、今は破壊してしまったエルザの修復を始めなければ。

「申し訳ありませんドクター。エルザは我々が責任を持って修復させて頂きますので」

首の取れたエルザのボディを抱きかかえ、少し離れた場所に転がるエルザの首を見詰めながら、ふるふると震えるドクターに声をかける。

「こ」

が、ドクターは返事をするでもエルザの残骸を渡すでもなく、小さく何事かを呟いた。
聴力以前にドクター自身が声に出せていなかったようなので、一応聞き返す。

「こ?」

「────ここから居なくなれぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

その後、研究室から蹴り出され、エルザの修復に手を貸す事はできなかった。
まぁ冷静になって考えてみれば、衝動的に自らの最高傑作を破壊するような輩に手を借りる訳が無いが、もうエルザには俺と美鳥の正体を隠ぺいする様にボディが完成していない時点で言い含めてあるので問題は無い。
エルザの修復が終わるのは、多分宇宙意思とかニャルさんの都合とかで、次のページモンスターが現れた頃になるだろう。
エルザの構造は破壊ロボと比べて格段に精密かつ繊細な物なので、破壊ロボや他の大型機械の様にトイ・リアニメーターもどきでパパッと修復はできないのだ。

ドクターとの仲はなんだかんだでこじれてしまったが、御蔭でバルザイの偃月刀はブラックロッジの横槍も入る事なく、大十字が実にスマートに片付けて回収に成功した。
デモンペインとの戦闘を挟まなくて大丈夫なのか、とも思ったが、稼働こそしていないがデモンペイン自体は一度開発されているので、デモンベインの修復は問題なく行えるだろう。

―――――――――――――――――――

そんなこんなで、巨大戦すら無く、バルザイの偃月刀を封印し、その後。

「はっ」

瓦礫の山から降りマギウススタイルを解除した大十字とアルアジフ、何時も通り連れ添っている美鳥と共に歩く帰り道。
大十字が第六感的な物を発動させたっぽい表情で立ち止まった。

「なんです、洗濯物でも出しっぱなしでしたか? 今日はあんまり雲もありませんし、夕方まではまだ時間があるから急がなくても十分間に合うと思いますよ」

日々を修行に断片探索にと忙しく過ごす大十字にとって、洗濯物は朝の内に済ませ、夕方帰宅時に取り込む物と相場が決まっている。
しかし時間が無いのは大学時代と一緒だが、今は疲労度が違うのだし、どうせなら乾燥機付きの洗濯機でも買えばいいと思うのだが。
いかんせん、中途半端に現代の技術などが持ち込まれている為か、乾燥機付き洗濯機は民間にはなかなか普及しておらず、中々に高級な家電の一種となっている。
まぁ、それを言ってしまえば俺の元の世界の家にしても洗濯機は普通の全自動タイプであり、乾燥機は付いていないが、大体二十四時間姉さんが自宅を警備しているうちとは違うのだし、生活環境を良くする為に多少の高額な買い物なら許されてもいいだろうに。
やっぱりあれか、貧乏生活から急激な速度で抜け出したお陰で、まだお金を使い渋りしてしまうのだろうか。

「いや、昨日の夜の内に洗って魔術で乾かしていたからな。それは無い筈だ」

大十字が未だ立ち止まり呆けている隣でアルアジフが答えた。
洗濯物で魔術使っているのか。
あと、魔術で乾かしたって事は、アルアジフも洗濯を手伝ったのか……。
専用の魔術とか開発しないと部屋干し独特の香りがするから止めておいた方がいいんだが。
その内大十字には部屋干ししても臭わない系の洗濯洗剤を譲渡するとしよう。

「あ、もしかして部屋の鍵閉め忘れたとかか? あーあもう駄目だな大十字、今頃お前の下着盗まれて口には言えない使われ方してるぜ。なんかもうぬらぬらとかべとべととかにちゃにちゃとか通り越してかぴかぴな感じで」

口元をそろえた指先で押さえながら、プププといやらしい含み笑みを漏らしつつそんな事を言う美鳥。相変わらず同性には、なおかつ巨乳には容赦の無い性的嫌がらせ(本当に相手に対する嫌がらせだけを目的としたセクハラ)である。
確かにこの時代だと、安アパートを脱出してもオートロックのドアとかは存在しないからな。
もしも大十字のご近所さんに、最近近所に引っ越してきた美人で巨乳な女子大生に興味津津でややディープラブの気がある男とかが居たら、美鳥の言う事もあながち間違いでは無くなってしまうだろう。

「え、ああ、いや、家にはダンセイニが居るから、留守もばっちりだ。……そもそもご近所さんとか殆ど居ないし」

ようやく意識がここに戻ってきた大十字がもはやセクハラに過剰反応する事すら無く答え、アルアジフが肩を竦めながら大十字の言葉を補足した。

「それに、近くに怪異の出現したアパートともなればな。出て行く者もそれなりに居ただろうよ」

「如何にアーカムといえども、流石にそこまで気合い入った下着泥棒とかはそうそう居ない、と」

何気に大十字の新しいアパート、アトラックナチャのページモンスターに巣を張られたりしているしなぁ。
ページモンスターの被害にあっておきながら損傷が無いとかかなりレアなんだけど、そこに価値を見出して住む様な馬鹿は流石にそうそう居ないか。

「じゃあ、お鍋に火を掛けっ放し」

「もしそうならこんな呑気に喋ってない。気付いた時点で家に全速力だよ。そうじゃなくて、こう、なんて言えばいいんだろ」

大十字が腕組みをし、首を傾げる。
どうやら、大十字自身も自分が気付いた何かに確信が持てていないというか、表現に困っているらしい。

「私さ、今日やたらスムーズにページ回収したよな。惚れ惚れするくらい」

「自画自賛が酷いですけど、そうですね。何のトラブルも無く、苦戦した訳でも無いですし」

「だよな。んー…………私が、どんな感じで戦ってたか、覚えてるか?」

可笑しな事を聞く大十字だ。
俺と美鳥は互いに顔を見合わせ頷き合い、忌憚の無い意見を述べる事にした。

「動き自体はまだ荒い所がありますけど、それでも若さと躍動感溢れる良い動きでしたよ。こう、リュミミーン、ドドダムゥって感じで」

「ランブルローズかデドアラ並みのド迫力アクションシーンだったね。PS3か○箱で出て来そうな感じのスタイリッシュアクションぽかったし」

「どこら辺が特に良い動きしてた?」

「偃月刀の軌道を見切る為に、アトラックナチャとニトクリスの鏡を併用したでしょう? あれは定番といえば定番ですけど、練習の成果が出て凄くスムーズでいい感じでしたね」

因みにニトクリスの鏡は今回は断片になっていないので、初期から使用出来た魔術の一つだ。
TSアリスンとか、弄られてるけど虐められてる訳では無いからな。
流れ流れてあの孤児院に辿り着いたけど、たらいまわしにされたとかじゃないのは明らかだ。
もっとこう、世紀末救世主伝説の第一話の様な流れで孤児院に流れ着いたに違いない。
もしくは弟子を妖怪に皆殺しにされて云々とか。

「あたしはやっぱあれだよホラ、背後から迫る偃月刀を裏拳一発、振り向きざまに『とりあえず、大人しく回収されとけや』とか抜かしたとこかなー。あれは正直かっこよかった。痺れたよ、うん」

「あー、あれね」

振り向く時のギロリって感じの睨みも堂に入っていたし、確かにかなりのクールっぷりだった。
こう思い返してみると、今日の大十字は実に頑張って、見せ場も多かったんだなぁ。

「なんかもう、改めて今日の戦いを振り返ると、先輩マジでMVPじゃないですか」

「どする? いっそ祝勝会とかしちゃう?」

ニグラス亭は無いのでジンギスカンパーティはできないが、焼肉の店なら幾つか知っている。
他にも祝勝会とかするならそれらしい場所はあるかもしれないが、大学生でパーティと言えば焼肉か鍋というのは一種定番だろう。
ちゃんこの店はあったけど、鍋の店は見つからなかったんだよなぁ。どう違うのかいまいち分からなかったが。

だが、祝勝ムードの俺達を見ながら、大十字は未だに納得の行っていない、煮え切らない表情で首を傾げていた。

「ありがとな。んー、でもなんだろう、まるで私の活躍の場面がものすごくぞんざいに扱われた気がするんだよ。なんつうか、回想シーンの合間に二、三行の説明文だけで表現されて終わり、みたいな」

黒塗り背景で立ち絵も無く誰かの一人称で終了、みたいな?
そう、最後がやや疑問形で発せられた、ややメタというか時代設定に合っていない大十字の説明。

「少なくとも、あたし達はおめーが戦ってる場面超観戦してたぜ? 大体、現実に起きた出来事を、どこの誰が端折れるって言うんだよ。ねえお兄さん」

「そうですよ。なんかもう、裏拳の辺りで顔面ドアップCG映って、勝利フラグの主題歌アレンジとか必殺技フィニッシュの為のエンディングとか流れ出していましたよ? 俺達の脳内では」

具体的には裏拳振り向きで一枚、アトラックナチャとニトクリスの鏡を使うシーンで一枚、真剣白刃取りで一枚、更に折れた偃月刀で一枚。
イメージ的には合計四枚のCGが使われていそうな格好いい超豪華な戦闘だった。

「まぁ、我が主もこれが対ページモンスターでは初めてのまともな戦いだからな。あれほど順調に戦えたという事実に、実感が湧かないのだろう」

「蜘蛛の時は明らかに激昂してたもんなー」

「そういうもんか?」

アルアジフと美鳥のフォローにまだ納得しない大十字。

「いいじゃないですか、そんなものという事にしておけば。腹が膨れりゃ気にならなくなりますって。せっかく綺麗に勝ったんですから、ぱーっと騒いで忘れましょう。今時間なら店も空いてるでしょうし」

「そう、だな。なぁ、今から行く店って、ライスおかわり自由だったりするか?」

まだ少しひっかかっているようだが、大十字の意識は先の戦闘ではなくこの後の食事に向き直ったようだ。
表情も少し明るくなった大十字を先導し、ゆっくりと焼き肉屋へと足を進める。

「確か、何故か漬物の一部は取り放題だったきがするなー。あそこの沢庵とサラダがまたイケるんだよ」

「ほうほう」

堪らなさそうにくぅーと唸る美鳥に、アルアジフが興味深げに何度も頷いている。
話しの展開の都合もあるんだろうけど、改めて考えると書物が焼き肉屋にいってサラダバー利用するとか珍妙な光景だよなぁ。

「あそこの沢庵は黄色の着色料と保存料べったりですからね。サラダのドレッシングはほら、少し前に化学物質の分量ミスで話題になった所の……」

歩く速度を緩めて大十字の隣に並び、耳元に口を寄せて小さく注意を促しておく。

「大丈夫大丈夫、普段はバリバリの自然食だからさ、偶にならそういう怪しいの食っても」

「いえ、店内で食べ放題でもタッパに詰めて持ち帰ると通報されるので、その注意を」

科学物質とか使ってると長期保存が効くとか考えてそうだし。
食い放題で肉の持ち帰りを防ぐ焼肉Gメン(この場合ウェイトレスかウェイター)はサラダの盗難にだって目を光らせているのだ。
貧乏性は直って無さそうだし、かといってここで通報されて覇道財閥から悪印象を貰うのは頂けない。

「あっはっは! ……おい卓也、私が何言われても怒らないと思ったら大間違いだぞ」

肩に腕を回され、大十字とは反対側の耳をギリギリと力強く引っ張られる。

「先輩、これ、俺か美鳥で無ければ、耳がどうにかなってると思いますよ?」

「そうかそうか、私は修行中に何度も全身どうにかなってるけどなぁ?」

此方の耳を摘まむ大十字の指の力が余計に強くなった。
このままでは千切れてしまう、という訳でも無いのだが、あまりくっ付かれても暑苦しい。
むしろここまで接触している所を人に見られたくない。
姉さんに誤解される事は無いにしても、後々姉さんにからかわれる材料になりそうだし。
とりあえず、耳を摘まむ、というアクションをさせない方向性で行く事にしよう。

「……胸、また前より大きくなってません?」

ごちん、と、頭の上にゲンコツが落とされ、ようやく俺の耳は大十字の指から解放され、押し当てられていた胸も遠ざかった。
勿論俺の頭部は無傷。代わりに、ゲンコツを落とした大十字は俺の肩を解放した腕で胸を庇いながら、涙目で拳をさすっている。

「変態、エロスめ」

そんな非難がましい視線を向けられても。
涙目で言えば正当化されるってもんじゃないんだから。

「先に当ててきたのは先輩でしょう。だいたい、先輩も女の子なんですから、もっと慎みを持ってですね……」

「ほらー、じゃれあってないで早く行こうぜー!」

少し離れた場所から美鳥が手を振っている。
大十字と遊んでいる間に、少し置いてかれてしまっていたようだ。
俺は未だに不満そうな大十字を見て、溜息を吐く。

「わかりました。お持ち帰り用のメニューも奢りますから、今日の所はそれで機嫌を直してください」

「いいよ別に、何時もの事だし、後輩に奢られっぱなしってのも癪だしな。今日は私が奢──」

「それ以上はいけません。その言葉を口にしたら、きっと世界法則が捩子曲がって人類は滅亡します」

大十字が、大十字が飯を奢るなどと……恐ろしい!
まさか俺の知らないTS周独自のスラングで、野良猫を捕獲して食用肉に加工する事を『奢る』と言うのではないかと邪推してしまうではないか。
大体、おごりはおごりでも驕り高ぶるのはこないだ蜘蛛相手にやって充分懲りたところだろうに。

「うん、焼肉は喰い終わるまでに時間かかるし、今日はゆっくりと話し合わないか? 主に私のイメージとかに付いて」

引き攣った笑顔で額に青筋を浮かべた大十字と談笑しつつ、俺は美鳥に追い付くために少しだけ歩く速度を速めるのであった。

―――――――――――――――――――

逢魔ヶ刻は近い。
魔の為の刻は近い。
街を染める黄昏。血の様な黄昏。
血染めの空こそ彼女には相応しい。
空を貫く摩天楼。
その先端に、静かに佇む其の姿。
斑のある黒に染められた和服に帯と袴、頭部を残らず隠す深編笠。
黄昏の中に深く沈みこむ黒衣の侍。

編笠の奥に隠れた侍の瞳が眼下の街を見渡す。
視界に収まる、人、人、人。
明日に希望を抱く人の群れ、今日の終わりに焦る人の群れ、何かを考える暇も無く、ただ忙しなく日々を生きる人の群れ。
その日常を、追われるがままに駆けるしかない、しかし平穏な時間を、何時までも永遠に続くと、途絶える事など有り得ないと信じる人の群れ。

──ここも、日の本と変わりはしない。

彼女は軽く頭を振り、それきり街を見下ろす事を止めた。
あそこにあるのは、最早自分とは二度と交わる事の無い人間の営み。
何時しか違和感しか覚え無くなっていた、平穏の──停滞の日々、無為の時間。
背に負う漠然とした何かを拭い去る為に捨ててきた単なる過去。
無くした事を悔やむ事は無かった。
ただ忌まわしきは、棄てて、得て、それでも変わらぬこの違和。
我が身を苛む病根。
あの人の群れの中には、少なくとも答えが存在しない事は、誰に言われるまでも無く理解していた。
故に、眼下のそれらに対して、関心を抱く事が出来ずにいる。

「相変わらず、不景気そうな顔ねぇ、ティトゥスちゃん?」

忽然と。
まるで最初からそこに居たかの様に、それは姿を現した。
それは、電極を生やした頭に、斜めに引っかける様にして道化師の面を乗せた少女。
袖が幾つもある手術着を着た躰を、少女の体躯には大きすぎる白衣ですっぽりと包みこんでいる。

黒の侍は白衣の少女に一瞥をくれる事も無く、笠の下で視線を何処に向けているか悟らせず、言葉を紡ぐ。

「今回の共同作戦、誰が来るかと思っていたが、矢張りお主が出てきたか、ティベリウス。しかし、『逆十字』を一度に二人も投入するとは……」

静かに頭を振るティトゥス。

「別に良いじゃない、大導師様の派手好き演出好きは今に始まった事でもないでしょ? そのお陰で、私達も好き勝手暴れられるんだからぁ」

けらけらと、上品そうな少女の顔に似合わぬ品の無い笑い声を上げるティベリウス。
ティトゥスはそんなティベリウスに対し不快感を抱くも、その言葉を諌める事も、好き勝手するという事を否定する事もしない。

「『汝の欲するところを行え』か──お主の『欲するところ』を行われる者からすれば、堪ったものでは無いのだろうが」

「で、それを見逃すのも、眺めるのも、ティトゥスちゃんの『欲するところ』なのね。サムライ気取ってる割りに、良い趣味してるわよねぇ…………重ねちゃってる?」

ティベリウスの言葉に、今まで無感動に受け答えしていたティトゥスの殺気が膨れ上がる。

「いやはや、相変わらず血に飢えているね? ああ、どちらかといえば、血が滾っているのかな、アンチクロスのお歴々は」

一触即発の空気を意にも介さず、二人の頭上から降りてくる陽気な声。
そこには白々しい程に清潔な純白の翼を広げる、白い機械天使の姿。

「アラ、なあにメタトロン、またママのお使い?」

「まさかまさか、そんな訳は無いさ。今度の任務は大導師直々に貴女方に託されたモノ、私如きが出る幕などありますまい」

「相変わらず、本当にママに似て胡散臭いわねぇ」

ひらひらと掌を向けて手を振り否定しながら、白い翼を畳み二人の間に音も無く舞い降りる。

「貴女方にとって久方ぶりの檜舞台、はしゃぐのも無理からぬもの。……と、思っていたのだが」

メタトロンがティトゥスへと視線を向ける。
視線を向けられたティトゥスは既にティベリウスに向けていた殺気も収まり、落ち付いた様子で構えている。
完全な自然体。平静。

「それほど気のりしている訳でも無いご様子で」

苦笑交じりのメタトロンの言葉の通り。
ティトゥスは今回の大導師直々に下された任務に対し、興味を抱いていない。
だが、それは彼女にとって別段珍しい事でも無いのだ。

「ティトゥスちゃんはいっつもこんな感じだもの」

ティベリウスの言葉に、ティトゥスはふんと鼻を鳴らす。

「相手に優れた武人が居るのであればともかく、な。真新しい光景もありそうで無し」

「あいや、歯ごたえのある相手は居るかもしれないね。何しろ、あちら側には鳴無兄妹が付いている」

場の空気が硬質化した。
メタトロンの言葉を合図に、ティトゥスから発せられる気の質が変わったのだ。
が、同じ逆十字の一人であるティベリウスは気にした風も無い。

「あらやだ、もしかしてそれって、大導師様からの直々の任務ってヤツ?」

「恐らくはそうでしょうな」

楽しげなティベリウスとメタトロンの声。
大導師が何を企んで鳴無兄妹をマスターオブネクロノミコンに同道させているかは知らない。
が、あえてそれに乗る。
そう考える事の出来る酔狂さこそが、あるいは逆十字の証なのか。

「白の天使よ」

ティトゥスは腰に帯びた刀の柄に手をやり、メタトロンに問いを投げる。

「万が一、これから向かう覇道邸の中で彼奴等と出会ったのならば……?」

喜色の浮かぶティトゥスの声。
ティベリウスが興味深げな視線を向けるのも気にせず、ティトゥスは答えを待つ。

「汝の欲するところを行え。そういうもの、そういうものさ」

メタトロンは翼を広げ宙に浮かび、ふわりと天に舞いながら優しい声色で答えた。

「その狂おしいまでの心を、君の思いの丈をぶつけてあげるがいい」




続く
―――――――――――――――――――

ページ回収回だと思った? ざーんねん、ゼリーぶっかけクツグアふらんちぇん繋ぎ回でした!
そんなウザい気風の第六十二話をお届けしました。

ここで前々回のあとがきからダイジェスト!

>次にバルザイの偃月刀のエピソードやって

※やめました。
偃月刀のエピもニトクリスの鏡のエピもTS回じゃ盛りあがらないので省略です。
要所要所やりつつ間に閑話的な物を挟んで進むのが一番違和感が無いかなぁと。
やりたいエピソードだけやってくと、間が飛び飛びになって困るというか。

ところで、頑張れば一週間と少しで一万字程行けると思うのですが、話をイベントの途中で切って早めに投稿するのはありだと思いますか?
例えば前回のアトラック=ナチャの話で、大十字が浚われた辺りで一旦切って『次回に続く』みたいな感じで。
こういう細かいエピソードをまとめた閑話は(文章量で誤魔化す為に)分けられないにしても、一つのエピソードを途中で区切るのは可能だと思うのです。

そこでアンケート。

★元々対して纏まりのある文章でも無いので、別に区切っても良い。
☆馬鹿! 文章量を減らしたら文の質の悪さが浮き彫りになるぞ! 馬鹿な事はやめるんだ!

と、そんな感じでどちらかを選んで頂ければ。

何だかんだで三週間ですよ。
これにはやはり浅い理由がある訳ですが、それはひと先ず置いておきましょう。
集中できる時間なんて、手に入れようとして手に入るものでもありませんしね。

次回次々回次々々回と書く事がハッキリ決まっているので、これから三話分はきっちり二週間隔で投稿できると思います。
『スパロボ予告のカミングスーンって予定は未定って事だよな』程度の気持ちで気長にお待ちいただければ。

それでは、今回もここまで。
誤字脱字の指摘、文章の改善案、台詞の廻し方などの上達法など諸々のアドバイス、そしてなにより、皆さまの感想を心からお待ちしております。



[14434] 第六十三話「二刀流と恥女」
Name: ここち◆92520f4f ID:81c89851
Date: 2012/12/08 21:41
自分の身の上を人に話した事は何度も無いと思うが、改めて思い返すに、私こと大十字九郎は平凡な家庭で生まれた、極平凡な女である。
父親は家族ごと海外に移住してしまうような国際的な仕事をしていたけれど、それはイコールで経済的な余裕に繋がる訳でも無い。
その証拠に、父親が死んだ時に、私と母親の手元には碌に遺産の一つも残らなかった。
オカルト趣味が祟ったのかどうなのかは知らないが、少なくとも今現在の私の手元にはそれらしきものは何一つ残っていない。
仮にも私がハイスクールを終えるまで生きて働いていたのだから遺産の一つも残っていてよさそうなものだけど、無い物に文句を言っても仕方が無い。
貧乏暇なし余裕なし、親の金でハイスクールまで上がれただけでも感謝していいレベルだ。
それは奨学金含む最低限の金で生活していた時期があるからよっく理解できる。
私自身は学業、というか魔術の修業に力を入れていたのでアルバイトの類はほとんどした事が無いのだが、それだけお金を稼ぐのは大変な事なのだ。

私は思考に没入するのを止め、瞼を開けて改めて目の前の巨大な門を見上げる。
見上げるだけで首が痛くなるほど巨大で、その造形はこれまた高級感溢れる、良く分からないけど城の様なデザインで。

「何すればこんなもん作れるんだろうなぁ……」

多分、この門だけで一等地に一軒家の一つ二つ建つんじゃないか。
絶望的な経済格差に溜息を吐きながら、更に周囲を見渡す。
街の2、3ブロック程の広さはあるか、そんな広さの敷地を、門を挟み、高い塀がぐるりと覆っている。
ここに来るまでに延々見続けた塀だ。長さにして数キロはあるだろうか。
英国や日本は貧富の差が激しいなんて評価を思い出したが、結局のところ社会が存在すれば自然と貧富の差は産まれてしまう、ということなのだろう。

今の私は、少し前の私とは比較にならない程経済的に安定している。
アルの断片探索やらなにやらで給料を貰っているからなのだが、その給料を払っているのはこの屋敷の主だ。
いや、この屋敷の主に直接貰っている訳では無いけれど、給料をくれる人の遥か上の立場に居るのがここの主である事は間違い用が無い。
以前の私が貧民に見える様な真っ当な給料すら、たぶんここの主にとっては端金に過ぎないのである。
きっと食玩を大人買いする時、一度の大人買いで私の給料の倍の金額が動いたりしているのだ。
流石大富豪、半端なものじゃあない。

「きっと飯とか残しても、余りは冷蔵庫に入れて次の日に食べたりしないんだぜ。余ったらゴミ箱ぽいって感じで……すげぇよなぁ」

そして米を一度に大量に炊いて冷凍保存する事で電気代を浮かしたりもする必要が無いのだ。
無論、冷蔵庫内部の食材の配置とかを完全に記憶して、一度に冷蔵庫の扉を開ける時間は何秒まで、みたいな縛りも無いに違いない。
エコロジーという言葉は金持ちとは無縁である。
きっと一月当たりの電気代で高級車がぽんぽん買えたりしてしまうに違いない。

「いや、それはまぁまぁ余裕のある所なら一般家庭でもやっていそうな事ではあるが、もしかしてそんなのが富豪の基準だったりするのか」

呆れ声のアル。
ふと、こいつは何処で一般家庭の平均的な台所事情などの情報を得ているのか気になったが、今はあまり関係無いので頭の隅に押し込めておく。
何しろ、大学生の私が主になれるのだ、何代目かの主がそこら辺に詳しい庶民的な人間だったなんて事も十分にあり得るだろう。

「自慢じゃないが、私は余所様の家の余り物だって勝手にリサイクルしてしまう女だ。どうやってリサイクルするかわかるか? 例えばごみ箱の中の揚げ物は衣を外すと途端に清潔に──」

「いや良い、すまん。妾が悪かったからもう黙れ」

門の脇の警備員室に立ち寄り、警備員さんに用件を伝える、特に待たされることも無く門の中に招き入れられた。
以前も一度来ているし、要件の内容が内容なだけに疑われる事も無い。
が、門から敷地内に入ってからが更に広大なのだ。とてもではないが、生身の徒歩で邸宅まで歩いて行く気にはなれない。
私は卓也や美鳥の様に、腕を組んだまま上半身をぶれさせずに車と並走出来る様な変態的な特技は持ち合わせていないのだ。
しかしそこは流石の覇道財閥、正門を通す段階で既に手配されていたらしく、数分と待たずに迎えの車がやってきた。

当然車だって高級車だ。
運転手さんの話によれば、この車は覇道財閥の元で有名な車会社が一丸になって開発した超高級な一品ものの車で、名をベーポルンツマーゲー最終型と呼ぶらしい。
昔は警護の意味も兼ねてゴリアテなる装甲の分厚い車が使用されていた時期もあるらしいが、今は乗り心地とデザイン性が優先されているのだとか。
車内部のシートもふかふかで、汚したらクリーニング代だけで給料が吹き飛ぶんじゃないかとひやひやしてしまう。

内心で肝を冷やしながら運転手さんと談笑を続け、十分程の時間で邸宅の前に到着。
正門から屋敷の玄関まで、それなりの速度を出してこれだけ掛かるんだから、冗談抜きで町の一つや二つ収まってもおかしくない広さがあった事になる。
この広さは一体何の役に立つのだろうか。
金持のやる事はわからない、なんて皮肉を頭に浮かべても拭いきれない敗北感。

「お待ちしておりました。大十字様にアル・アジフ様。応接間までご案内いたします」

車から降りた私とアルを玄関で出迎えたのは、深々と腰を折って頭を下げるメイド長のウィンフィールドさん。
覇道財閥の現総帥が小さな頃から覇道財閥に仕えているという年齢不詳の大ベテランだ。
折り目正しい態度と、こちらを萎縮させない気さくさを併せ持つ完璧超人染みた淑女である。
四角いフレームの眼鏡がクールではあるが、その顔に浮かぶ人の良い笑顔は柔和そのもの。
メイドの、いや女性の鑑とはこういう人の事を言うのだろう。
私は案内されながら、そんな事を考えていた。

―――――――――――――――――――

一人で歩いたら、目的地にたどり着く為にダウジングが必要になりそうな長い長い廊下を歩き、私達は応接室へと辿り着いた。
派手過ぎず、しかし嫌味にならない程度に高級な調度品で飾られた室内に通され、腰に刀を下げた執事さんが入れてくれたお茶を飲む。
美味しい……。
私もお茶やコーヒーを入れる時は手順の一つ二つ程度に拘りを入れる時もあるけれど、これは根本的に使っている葉っぱからして違うのだろう。
万が一この味に慣れてしまったなら、徹夜でレポートなどを纏める時に眠気覚ましに飲む煮詰まったコーヒーなど飲めなくなってしまうかもしれない。

紅茶を飲みながら、茶受けとして用意されていた高級そうなクッキーをどうにかして持ち帰れないか思案していると、ノックの音が数回部屋に響いた。
クッキーをがめようとしたのを悟られたかと思いびくりと肩が震える。
だがここで慌ててはいけない。常に自らの魂の手綱を握る魔術師は、決して容易くうろたえてはいけないのだ。
こういう時は、堂々としてればばれやしない。
手の震えを抑え、可能な限り優雅な仕草でティーカップに口を付け、中身を口の中に運ぶ。
普段通りの、不自然でない態度を取り繕い終えた所で、ゆっくりと扉が開かれ──

「瀟洒で拳闘士なメイドさんが出てくるとでも思ったか? 残念、俺だよ!」

してやったりというか、それ見た事かというか、まぁそんな顔の卓也が入室してきた。
口の中に紅茶を含んでいるが、これくらいの登場ならまだまだまともな部類なので噴き出す事も無い。

「お前はいったい何処に向けて喧嘩を売っているんだ」

溜息を吐きつつ、ティーカップをソーサーの上に戻す。

「いやま、何処へ向けてってものでもないんですが。……しかし、先輩がお呼ばれしたのはわかるんですが、なんだって俺まで呼ばれてるんですかねぇ」

ちょうどテーブルを挟んで反対側の椅子に腰を降ろしながらぼやく。
今この応接室に入ってきた卓也の分の茶は無かった筈なのだが、その手には当たり前の様に湯気を立てる湯呑が握られていた。

「そりゃお前、デモンベインに関する話なんじゃないのか? 部外者の癖に一番デモンベインに詳しい訳だし」

「覇道財閥が把握している中では、という条件が付きますけどね。俺の他にデモンベインの存在と起動方法を把握してる部外者、どれくらい居ると思います?」

「怖い事言うなぁ」

「あんな適当な警備体制の場所に秘密兵器を隠す覇道の方がよっぽどおっかないですよ」

そう言いながら湯呑に口を付け、ず、と小さく音を立ててお茶を啜る。
このデモンベインに関する話は何度かした覚えがあるが、最終的には覇道財閥の兵器管理の杜撰さが怖い、という結論に至るだけなので、なんら実りは得られない。

「だが、そのお陰で我等は新たな鬼械神を手に入れる事ができたのだ。そこは素直に喜んでも良いところだろう」

今の今まで両頬をげっ歯類の如く膨らませてクッキーを頬張っていたアルが決め顔で口を開いた。

「アルアジフさん、口元に食べカスが」

「む、すまん」

卓也が手渡したチリ紙で口元を拭うアル。
こうしてみると兄弟に、は決して見えないか。似て無いし。
兄弟といえば、

「なぁ、美鳥は今日来てないのか?」

何時もならば金魚の糞かSTGのオプション武装(卓也や美鳥が言っていた。魔術師の使い魔の様なものらしい)ばりに背中にひっついて歩いている黒髪の少女が居ない。

「今日は女の子の日だから休むー、とか言ってましたけど。なんでも生理が重いから町中の化学薬品たっぷりなジャンクフードを食い歩くとかどうとか」

「いやそれ絶対サボりだろ」

何処の世界に生理が重いのを紛らわすために食い歩きをする女が居るというのか。
私のツッコミに、卓也は手をはたはたと左右に振ってみせた。

「いいんですよ、どうせ大した要件でも無いでしょうし、全員集まる必要ありませんて。先輩は金持ち相手になると気負い過ぎです。悪い癖ですよ。ねぇアルアジフさん」

「確かに。九郎、我等は仮にも奴らに乞われてデモンベインでもって戦っているのだ。大学中退プー太郎寸前の貧乏探偵を仕方なく雇っているとか、そういうみっともない状況では無いのだから、もっと堂々と振る舞え」

卓也とアルに二人がかりで諭される。
何故だかアルの口にした例え話の貧乏探偵の下りで心が酷く傷ついた気がするけど、確かに二人の言葉は一理ある。
でも結局のところ、私がこういう場所で気負ってしまうのは相手が世界有数の権力者であるという部分に起因している訳で、そんな理屈ではどうにも解決しようが無い。

「ん、まぁ、善処してみるよ」

しかし、そういった庶民的な理屈をわざわざ口に出して言うのは恥ずかしいので、私は幅広く使える万能な返答を返すだけに留めておく事にした。
その後、だらだらと雑談をしたり、机の上の茶菓子をめぐって小競り合いをしたりしながら時間を潰す。
こうして招かれたはいいが、そもそも何故招かれたかを聞いていない為、向こうの方からアクションが無いと何もできないのだ。

―――――――――――――――――――

「……駄目ですね、これ以上は物理的に不可能な領域ですよ」

「まぁ、支柱になってる部分しかないしな」

「いいや、まだアトラック=ナチャで補強すれば、あ、ああ~」

時間つぶしの為に何となく始めたジェンガが、螺子くれながらも天に直線を描く、縦の斜め積みで理論上は最高の高さの塔を形成し終えた所で、再び部屋の中にノックの音が響く。
今にも倒れそうだったジェンガタワーを、勝負の決着を惜しむ私を気にする事も無く一息に崩して箱の中に戻した卓也が扉に視線を向けた。

「ウィンフィールドさんですね」

「分かるのか?」

「ノック音の反響の仕方から戸を叩いてる人の骨格を推測すればいいんです。理屈は足音当てと同じですから、簡単でしょう?」

「限りなく無駄な技術だな」

気楽そうな、何の気負いも無く自然体の二人。
先ほどまでのジェンガをしていた時と何一つ変わる事の無い態度だ。
私も、今度は意識して気負わない様に身体を楽にしておく。
それでいて失礼にならない程度に姿勢を正して、椅子に座り直す。
何故だろうか、気負わない様にと意識したせいで余計に気負ってしまっている様な。

「お待たせしました。大十字様、鳴無様」

入ってきたのは、卓也の予測通りメイド長のウィンフィールドさん。
ただし、誰かと連れ添って、という訳でも、何かを携えて、という訳でもなさそうだ。
無手のウィンフィールドさんは、形の良い眉をハの字にし、申し訳なさそうな表情で頭を下げた。

「旦那様が急の仕事で時間を空ける事が出来ず……。こちらからお呼び立てしておいて申し訳ないのですが、もう少々お待ちいただけますでしょうか」

急の仕事、というのは、先日のロイガーとツァールの記述の時の事件の件だろう。
何しろ派手に市街地のビルを破壊してしまったし、探索中に見つけた白骨死体にはブラックロッジかそうでないかは分からないが、確実に魔術師が手を下した痕跡が見つけられてしまったのだ。
ビル破壊は、破壊ロボが現れた以上仕方が無いにしても、魔術によって殺害されたと思しき白骨死体の方はそうはいかない。
何しろ、ブラックロッジ以外の魔術師の手によるものであったのならば、この街にブラックロッジとは別の第三勢力が生まれたか流れ着いたかしたという事になってしまう。
故に、事実関係を洗い出す為に詳しい死因と身元の特定を急いでいるらしい。
因みに、現時点で分かっているのは、遺体の遺留品から分かったエドウィン・M・リリブリッジという名前のみだという。
そんな状況だ。調査が急に進展でもすれば、嫌でも事務処理をしなければいけない覇道の総帥の仕事は増えてしまうに違いない。

そう、これは何も私がデモンベインで大暴れした事だけが原因という訳では無い。
今回の件に関しては別に私が緊張したりかしこまったりする必要はない。

「そ、そうですか。は、はふぅぅぅぅ~~……」

なので、これは別に覇道の総帥が来れないなら怒られる事は無いだろうとか、そんな安心感から吐き出した溜息ではない。
長いことジェンガに集中して凝り固まった身体を脱力でほぐしているだけなのである。

「まぁ、天下の覇道財閥の総帥ともなれば時間が取れないのも仕方がありませんよね。あ、帰る時にクッキー包んでくれません? 土産として」

「こっちにはおかわりだ」

「お前らホントマイペースな」

まだ用件も済んでいないのに帰る時の土産物を自分から注文するのもおかしいし、アルに至ってはまだここで菓子を食べるつもりらしい。
まぁ、魔術結社に勤めてるわけでも無いのに権威主義者な魔術師なんて聞いた事も無いし、アルに至っては権威に縛られたら世界が危ないレベルの魔導書だから、あのリアクションもあながち間違いではないのかもしれないが。

「かしこまりました。……ところでどうでしょう皆様、お待ちいただいている間、僭越ながら私めが昔話の一つでも」

笑顔で土産とおかわりを快諾し、更に自らお持て成ししてくれるウィンフィールドさんマジ淑女の鑑。
なんだか私は何も要求してない筈なのに申し訳ない気分になってきた。
ここは一つ、卓也の先輩としてアルの主として、二人がこれ以上何か粗相をしたら、直ぐにでも頭を下げさせなければ……!

「いいですねぇ。覇道財閥のメイド長から聞く昔話!」

予想外に昔話という言葉に食い付く卓也。
少なくとも、話を聞いている間は失礼な事はしでかさないだろうが。油断は禁物。

「茶菓子を食べながらでいいなら聞いてやろう」

昔話に興味は無いとばかりのリアクションのアル。
こいつはまた失礼な態度を、と思わないでも無いが、よくよく考えたらこいつが礼節を持って誰かに接する所を見た事が無いので、この程度は諦めるしかない。

なんだ、意外と普通のノリじゃないか。
これなら私が気を揉む必要も無い。
私はほっとした心地でウィンフィールドさんに視線を戻す。

「大十字様は如何ですか? お茶のおかわりもご用意しておりますが」

「えっと、じゃあ、お願いします」

卓也がこちら側の椅子に座りなおし、次いでウィンフィールドさんが椅子に腰を降ろす。

「そうですね。では瑠璃お坊ちゃま……旦那様のことについてお話します。ただの思い出話になってしまうのですが……」

―――――――――――――――――――

覇道財閥の先々代総帥、覇道鋼造は一代にして事業を興し、瞬く間に世界に名を轟かせる大財閥を築き上げた偉人である。
彼の立志伝は様々なエピソードを有し、またそれに尾ひれ背びれのついた伝説とも言うべき噂が幾つも付きまとった。

曰く、覇道鋼造が興した事業の資金源は、彼が名も無き青年冒険家から譲り受けた地図から発見した金の鉱脈であり、その採掘は今なお秘密裏に続けられている。
曰く、覇道鋼造は魔術に深く精通しており、そのお陰で未来を見渡す様な投資が行えている。
曰く、覇道鋼造は未来人であり、全ては後に産まれてくる自分自身を導くために財閥を築き上げた。
曰く、悪の魔術結社ブラックロッジの大首領とは薔薇の花咲き乱れる関係である。

根も葉もない噂に、荒唐無稽な話、やっかみを含んだ下世話な妄想まで飛び交っているが、そんな噂を民衆に信じさせてしまう程のモノが、覇道鋼造には確かにあった。
それほどまでに覇道鋼造は超人染みていた。
時代を読む力が人の一歩も二歩も、十歩も二十歩も先を行っていた。
愚行とも思える投資を繰り返し、それらを次々と全て成功させ、彼の人生の内に幾度かあった経済恐慌をも尽く回避してみせたのだ。
そして、彼と彼の財閥、覇道財閥に守られ恐慌を乗り切ったアーカムシティは、世界中が景気の低迷を続ける中一度たりとも衰える事なく繁栄を続け、それに縋って人脈は次々とアーカムに流れ着き、更なるアーカムの発展を促した。
預言者、予知能力者染みた覇道鋼造の手引きにより、覇道財閥は急激に巨大化を進めていった。

巷に溢れる噂の、どれだけが真実であったか。
それを今を生きる人間はもう確かめる術すら持たないが、これだけは言える。
覇道鋼造は死の寸前まで、世界の王として君臨し続けていたのだ。

そんな偉大なる世界の覇王を祖父に持つのが、現覇道財閥総帥、覇道瑠璃だ。
総帥の座を娘に譲ってから、覇道鋼造は孫の養育に力を注いだ。
その力の注ぎ方は、まるで自分の総てを託そうとしているかの様な熱心さだった。
覇道鋼造の教育は厳しかったが、そこには間違いなく、孫の瑠璃に対する愛情が存在した。
そして、覇道鋼造の教える全ての知識は瑠璃にとって、何もかもが非常に新鮮なものであった。
だからだろうか、瑠璃にとって祖父の教えは苦痛では無く、自ら意欲的に学ぶ姿勢であった為に、砂地が水を吸い込む様にそれらの知識を吸収していった。

一度教育を離れれば、覇道鋼造は無類の孫馬鹿の好々爺でもあった。
瑠璃の両親が呆れるほどに、彼を連れて遊び歩いた。

それだけ長い時間を共にしたからだろうか。
何時しか瑠璃は、祖父が精悍な王としての顔と、穏やかな好々爺としての顔の更に裏に、深い苦悩を隠している事に気が付いた。

例えばそれは、アーカムシティを荒らす『ブラックロッジ』の起こした凄惨な事件をニュースで見る時の祖父の険しい顔。
最初は、この正義感の強い祖父がテロリズムに対して怒りを覚えているのだと思った。
しかし、それだけではない。
祖父の中には怒りだけでは無い別の……悲壮な何かが感じられた。
ただ、その悲壮ゆえか祖父は『ブラックロッジ』とずっと、瑠璃が生まれる前から戦い続けていた。
それは決して、このアーカムシティを守る為だけではなかったのだろう。

例えば、それは母と接するときの祖父の顔。
祖父が我が子──母を愛していた事に間違いは無い。
母もまた祖父を尊敬し、共に覇道財閥を支えていた。
母にとって祖父は良き理解者であり、最高の教師であり、そして何より愛すべき父親であった。
祖父にとって母は善きパートナーであり、最高の後継者であり、そして何よりも愛すべき娘であった。
其処に何も嘘は無い。何の問題も無い。その筈なのに。
祖父の母を見つめるその顔に、時折後ろめたさのような、懺悔する罪人のような悲哀を浮かべるのは何故なのか。

そして、その悲哀が母のスカート姿に向けられる度、より一層哀愁と複雑さを増していたのは何故なのか。
父のスラックス姿を見ても同じく悲哀が増すのは何故なのか。

それらの理由もやはり、ついぞ瑠璃には理解できなかった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「そしてこれが瑠璃お坊ちゃまが六歳の頃のお写真です。これは丁度お忙しい仕事の合間を縫ってお遊びになられた先代のご夫妻に頼まれ瑠璃様に奥様の古いドレスを拝着させて頂いたもので、もちろんこれは半ズボンではありませんし男子にスカートというのは些か普通の事ではないかと思われるかもしれませんが、やはりこの頃から──」

ウィンフィールドさんが満面の笑顔のまま新たに開いたアルバムのページを見ながら、私は乾いた笑いを浮かべる事しか出来ずにいた。
覇道財閥のメイド長が語る昔話というからには、近代史や雑誌のコラムに載っていない様な、覇道鋼造の真の姿とか、そこまで行かなくても現総帥に移ってからの苦労とか。
それこそ、偉大な超人である覇道鋼造を祖父に持つ現総帥が密かにプレッシャーを抱えているとか、そういう裏話をしてくれると思っていたのだ。
何しろ私達はデモンベインを預かっているとはいえ、所属はあくまでもミスカトニック大学陰秘学科。
いざという時に少なからず覇道側に沿った判断を下させる為に、こう、
『総帥もあれで苦労なされているので、いざという時は力になって上げて頂けませんでしょうか』
みたいな事を暗に言い含めるとか。

「ああいけない、私とした事がこの写真を見るならやはり直前の五歳の頃のこの写真もお見せしなければなりません。例えばこの半ズボンのスーツなのですが、大旦那様が職人にオーダーを出す際に一つ事件が──」

そう言いながら、今さっき漸く説明が終わった五歳の頃のアルバムの内一冊を取り出し開くウィンフィールドさん。
……何故私は、はるばる覇道財閥の邸宅まで来て、覇道財閥現総帥の子供の頃の記念写真を延々見せられているのだろうか。
しかも、付随する覇道鋼造とか覇道財閥の面白そうなエピソードは徹底的に簡略化されて、メイドさんの濃厚な肉体描写による少年の膝小僧と半ズボントーク付きで。
普段は完璧ながらもどこか事務的な部分のあるウィンフィールドさんが、本心から嬉しそうに喋っているから、中断して貰うのも申し訳なくて延々聞き続けるしか無いし。

「おや、これは他の写真に比べてきっちりと撮影していますね。何の記念写真でしょうか」

ふと、ウィンフィールドさんが積み重ねていたアルバムを手に取っていた卓也が、開いたページの中から一つの写真を指差す。
やはりというか当然というか、そこにある写真に写っているのも、私の雇い主である覇道瑠璃の幼少の頃の姿。
何かの記念写真だろうか、これまでの写真とは背景も、取られている状況も違う。
年齢も違う様で、これまでの年齢一桁の幼児の写真ではなく、この写真では十代半ばといったところだろうか。
が、それよりも何よりも『違う』と感じたのは、写真に写っている彼の表情だ。
これまでの写真でも何かの節目に撮影したらしい物は凛々しい表情をしていた。
しかしこの写真の彼の表情には、凛々しさだけでは無く、何か激しい感情が含まれている気がするのだ。

「お気づきになられましたか」

先ほどまでは、写真の説明に一つツッコミを貰う度に嬉々として注釈を加えていたウィンフィールドさんが、僅かにその表情を曇らせる。

「それは数年前、瑠璃坊ちゃまが総帥になられた時のものなのです」

「あ」

脇から聞いていただけの私だが、思わず声を上げてしまった。
覇道財閥総帥、覇道瑠璃があの若さで総帥の座に収まっているのには理由がある。
先代の総帥……つまり、覇道瑠璃の母親だが、この人は数年前に入り婿の夫、つまり父親共々既に他界しているのだ。
大々的な事件で、ラジオでも新聞でもこの話題で持ちきりだったので覚えている。
覇道財閥総帥と夫人は、ブラックロッジのテロによって殺害された。
これはブラックロッジの悪名を世間に一気に轟かせた大事件でもあり、この際にブラックロッジの幹部である魔術師達が初めて動いたというのは、魔術に関わるものであれば知らない者はいないだろう。

「やはり、ウィンフィールドさんがこれまで幼少時の写真ばかりをお出ししていたのは……」

「えぇ」

流石に空気を読んだ卓也が沈痛な面持ちで、言葉を言い切らずに途切れさせ、ウィンフィールドさんが頷く。
私にも何となくわかった。
恐らく覇道瑠璃が屈託の無い笑顔で写っている写真というのは、この総帥への就任前、つまり両親が健在であった頃にしか存在しないのだろう。
客を持て成す上で、あくまでも相手を楽しませる為に、そういった悲しい話は避けできる限り明るい部分だけを選んで説明してくれていたのだ。

「これから先、瑠璃坊ちゃまは笑顔の代わりとでも言う様に険しい表情がお増えになり……凛々しいお姿に、半ズボンがますますお似合いになられて」

「おい」

頭を傾け、紅潮した頬に手を当て、『ほう』と悩ましげな溜息を吐くウィンフィールドさんに突っ込む。

「なるほど、凛々しい雰囲気の少年の膝小僧は初心なネンネの先輩に初めから見せるには刺激が強すぎて奇妙な性癖を付与させかねない、と」

「おい!」

続く卓也の言動に耐えきれず、私は目の前の机に両掌を叩き付け──

―――――――――――――――――――

……るで本当に空が血を啜っているみたいじゃないか。
逢魔ヶ時と人は呼ぶ。
確かにこの空は、魔性の存在にこそ相応し……。

「な、何、何事……!?」

はっ、と顔を上げ、きょろきょろと周囲を見回す。
来客の時刻までに片付け切れなかった書類の山を切り崩しつつ行われていた覇道瑠璃のセルフ回想シーンは、突然の邸全体を揺るがす衝撃によって強制的に中断させられた。
瑠璃は自体を把握する為に、執務机の上に備え付けられた受話器に手を伸ばし……、邸全体の電気が落ちた。
受話器に耳を当ててみるが、電話の回線も途切れている。

邸には自家発電所が複数存在する為、何らかのショックで停電を起こしてもすぐに復旧する仕組みになっているのだが、一向に復旧する気配は無い。
覇道瑠璃はこの執務室が孤立したという事実と、そこから導き出される結論に愕然とした。

──覇道邸は今、何者かの襲撃を受けている。

―――――――――――――――――――

「どうしました! 何があったのです!?」

ウィンフィールドさんが受話器に向かって叫んでいる。
アルは険しい表情でこちらを見つめ、卓也は僅かに顔を顰めて虚空を見つめている。
厭な予感、いや、既にあちこちから爆音と悲鳴が聞こえているこの状況で嫌な予感も何も無いとは思うのだが、それだけではない。
空気がざらついている。酷い悪意の気配。
そして、強いプレッシャー。
魔術師、そう、どこか高位の魔術師が放つプレッシャーにも似た威圧感。
シュリュズベリィ先生が戦っている時のそれに似ているが、今感じているこれは酷く不快感を誘う。

「分かりました、私が向かいます! チアキ、あなたはマコト、ソーニャと一緒に司令室へ! ええ、警備兵の指揮は任せます!」

ウィンフィールドさんが受話器を置き、こちらに振り向く。
何時も冷静なウィンフィールドさんらしくない、明らかな焦りの表情を浮かべている。

「由々しき事態です。どうやって警備体制を突破したのか分かりませんが……敵襲です」

ウィンフィールドさんの言葉に頷く。

「分かってる、しかもかなりヤバそうな相手だ」

「敵の数や正体はまだ不明ですが……」

「こんな真似が出来るのは、おそらくブラックロッジだろう。……どうだ?」

アルに促された卓也が苦虫を噛み潰したような表情で口を開いた。

「襲撃者の反応は二つ。しかも両方とも間違いなく達人級(アデプトクラス)の魔術師……おそらく、『逆十字(アンチクロス)』でしょう」

「なっ……!」

ここに来て、いきなりブラックロッジの大幹部!?
そんな連中が覇道邸を直接襲撃に、しかも、二人がかりだって!?

「いけません、回線と電線が寸断されたのか、坊ちゃまとの連絡が付きません……急がなくては!」

ウィンフィールドさんの表情からは先ほどまでのおふざけの様子が完全に消え去り、悲痛にすら見える焦躁が浮かんでいた。
考えるよりも早くマギウススタイルに変身、戸を蹴破り廊下に出た。

―――――――――――――――――――

窓から差し込む真紅の明かり。
昼でも無く、夜でも無い、逢魔ヶ刻の彩。
血に染まり煉獄を生きる魔性どもが蠢く刻の彩。
魔性の紅の元、爆炎が噴き上がり、血の彩の世界をなお紅蓮に染める。
いや、血の彩をなお濃密にするそれは、はたして炎によるものだけなのか。

「っ、あ、はぁあ、いいわぁ」

ぐじゅり、ぐじゅりと、肉が肉を呑みこむ音。
阿鼻叫喚の地獄絵図に似つかわしくない『色』が、燃え盛る邸の中に充満している。
紅蓮が生み出す濃い輪郭の陰影が、激しく身を撥ねさせる一人の少女の姿を形作っていた。

透き通るような薄い金の髪、不健康な程に白い肌。
口の両端から後頭部、そして左頬から額への接合痕。
そして、頭部の左右を貫く巨大な電極。
ブラックロッジが擁する大魔術師、『逆十字(アンチクロス)』が一人、ティベリウス。

「はぁん、やっぱり仕事中のつまみ食いは堪らないわねぇ」

上気し、ほのかに色づいた顔に厭らしい笑みを湛えながら立ち上がる。
白衣を肌蹴、接ぎ目に目を瞑れば美しいと言って差し支えの無い裸身を惜しげも無く晒すティベリウスの足元には、かつて警備兵だったと思しき男の身体が横たわっている。
だが、その原型を留めていない肉塊から、彼が警備兵であったという事実を察する事は不可能に近いだろう。
周囲に散らばる彼以外の警備兵の破片、そこに埋もれた銃器の残骸だけが、辛うじて彼がティベリウスを押し止め様とした形跡を残している。

「ごちそうさま。割と良い具合だったわよ」

ティベリウスの素足が、先ほどまでティベリウスに貪られていた男の頭部に乗せられ、水溜りの薄氷を踏み抜く気軽さで押しつぶされた。
遅れて、更に時間稼ぎの為の警備兵たちが現れ、金髪の少女の姿を確認するや否や、躊躇なく発砲する。
その外見に惑わされる事が無いのは、事前に通信で外見の情報を得ていたというのもあるが、覇道に関わる者の優秀さこそが根底に存在した。

「あぁら、いいオトコじゃない?」

が、その『優秀さ』は魔術師の、アンチクロスの『異常』には届き得ない。
弾丸を避ける事も無く全て受けきり、しかし痛痒を感じている素振りも見せずに警備兵の一人に接近するティベリウス。
息が掛かる程の距離で、ティベリウスの仄かに甘い香りの吐息を嗅ぎ、思わず息を呑む警備兵。
無数に放たれた銃弾は確実にティベリウスの身体を貫き、頭部にも間違いなく命中している。
脳は破壊されている筈なのだ。動ける筈が無い。

そんな常識に縛られ、次の動きが遅れた警備兵たちのその身体が、ぶつん、と音を立てて寸断された。
見れば、振りきったティベリウスの腕、白衣の袖からは一メートルはあるかという長大なギロチンの刃が覗いている。
全ての警備兵が一息で殲滅され、ティベリウスはその死体の内、一番顔の造形が整っている死体に振り返り、ニコリと定型的な笑みを向けた。

「ごめんなさねぇ、今日のメインディッシュは決まっちゃってるのよぉ。気が向いたら、帰りに拾ってってア・ゲ・ル」

遅れて、くず折れる様に倒れこむ警備兵たちの残された下半身。
撒き散らされる臓と糞尿に目もくれず、ティベリウスは楽しげに歩き始める。

「さぁ~ん、待っててねぇ瑠璃お坊ちゃん☆お姉ちゃんとイイコト、しましょぉねぇぇ」

―――――――――――――――――――

先を急ぐ私達の前に、その影は現れた。
黒い装束に身を包み、円筒形の被り物(深編笠だったか?)を頭に被り、その隙間からは雑に束ねられた長い黒髪が覗いている。
そして、一際目につくのは、腰に差された二本の刀。
時代劇で見た事のある様な姿、現代では絶滅している筈の『サムライ』を彷彿とさせる。
が、しかし。
その時代錯誤な恰好が伊達とは感じられなくなるオーラを感じる。
シュリュズベリィ先生にも匹敵するかの様な圧倒的なプレッシャー。

「お主が『死霊秘法』に選ばれた妖術師か」

「そういうテメェは、糞ブラックロッジのアンチクロスだな?」

「ほう、知っていたか。……いや、成程な」

笠の奥、ぎらりと眼光が煌めく。

「如何にも、拙者はティトゥス。『黒き聖域』の信徒にして『逆十字』の末席に名を連ねている者なり」

名乗りながらも、ティトゥスと名乗る魔術師は依然として何処を見ているか分からない。
分からないはずなのだが、たった一つの事だけは理解できた。
コイツは今私を見ていない。
ブラックロッジの大幹部である魔術師の注意が自分に向いていない事に、私は怒りや屈辱よりも安堵を覚える。

「なるほど、あの陰鬱で忌まわしい臭い、とびきりの魔術師で間違いない」

アルの言葉が卓也の推測と相手の名乗りを裏付けた。
滲み出る冷や汗を拭う事なく、私は注意深く目の前の侍を見据え、身構える。
先の卓也の言葉が正しければ、自体は最悪の状況に向かっている。
部下も連れずに、大幹部が単騎で襲撃を掛ける。
これは通常の戦闘であれば下策中の下策だが、こと魔術を扱う者達にとってはそうではない。
大概の場合において、下手な雑兵は高位の魔術師の戦闘では薄い肉の壁程度の役割しか果たす事は出来ない。
それすら連れずに来たという事は、相手の魔術師はそういった弾避けを必要としない程の戦闘能力を保持しているという事だ。

「『アンチクロス』ともなればこの程度の事、一人でも十分ってか。……もう一人は何処行った」

達人級(アデプトクラス)の魔術師が本格的に出張ってきたのであれば、この程度の損害は当たり前。
むしろ手加減して態と襲撃を察知させたとも取る事ができる。
では何故長引かせ、自分の存在を誇示しているのか。
そう、陽動だ。
いや、言う程陽動という意識は無いのだろう。
精々が覇道の戦力を削りつつ、ついでに僅かながら自分達に対抗できる可能性のある戦力を、本命を狙う側から引き離せればいいか、程度の考え。
本命は覇道の現総帥である覇道瑠璃か、それとも人造鬼械神であるデモンベインか。
しかし、それが分かっていても、私達はこいつを見逃す事ができない。
……どちらにしろ、どちらか片方を逃してしまえば、最終的に目的は達成されてしまうのだ。
それほどまでに高位の魔術師とは規格外の力を持つ。

「そうだな、寄り道をしていなければ、今頃は覇道瑠璃を迎えているだろう。……急げば間に合うかもしれぬぞ」

腰の二刀の柄に手を掛ける。
変則的な居合いの体勢。
急げばと言ったが、それは目の前に逆十字の一人が居る時点で不可能に近い。
なまじ、人よりも魔術に対して優れた素養を持っているお陰で、目の前の魔術師が如何に自分とは隔絶した存在であるかが理解出来てしまう。

だが、ここで諦める訳にはいかない。
さしもの覇道財閥の総帥といえども、逆十字相手に身を守る手段など持ち合わせては無いだろう。
突破するしか、無い!

「生憎と、人に急かされるのは趣味ではないんですよ」

覚悟を決めた私を手で制し、卓也が俺の前に歩み出る。
先ほどまでは完全な非武装だった筈なのだが、その手には何時の間にかバルザイの偃月刀が握られていた。

「ここは俺が。先輩達はお先にどうぞ」

「やれるのか? いくらお前でも、逆十字の相手は」

「少なくとも」

私の言葉を遮り、卓也が偃月刀を構えなおす。
その刃の先に、先ほどよりもはっきりと殺気を向ける先を定めた侍の姿。

「相手さんは俺の相手をしてくれるそうです」

「では、せめて私も」

ウィンフィールドさんが名乗り出る。
そういえば聞いた事がある。
ウィンフィールドさんは古代ローマにおいて奴隷階級の拳闘士達が編み出した幻の殺人拳『撲針愚』の使い手であり、その類稀なる才能でストリートファイターとして名を馳せていた頃があると。
かつて戦った相手として、魔術師でないにも関わらず人を超える超人へと至る中国拳法『臨獣拳』の戦士などが挙げられ、その実力は技の相性さえ噛み合えば達人級(アデプトクラス)の魔術師をも凌駕するという。
そうだ、そんなウィンフィールドさんと二人掛かりで行けば……!

「こんなジョークがあるのを知っていますか? 『一人なら掘るのに六十秒かかる穴は、六十人掛かりなら一秒で掘れる』……残念ですが、俺とウィンフィールドさんの闘法は、共闘するには致命的に相性が悪い」

言いながら、僅かに偃月刀を掲げる。
そうだった、卓也は小器用なところもあるが、その攻撃は基本的に周囲への余波が大きい。
長年の付き合いであり、同じ様な闘法の美鳥とでなければ、強敵との戦いでは連携を取る事が難しいのだ。
拳で相手を殴りつけるという過程が必要なウィンフィールドさんの撲針愚とは相性が悪く、下手をすれば脚を引っ張り合う形になってしまうだろう。

「それに、邸のあちこちに不自然に魔力が存在しています。恐らくはもう一人の使い魔か何かでしょう。ウィンフィールドさんはそちらをお願いできますか?」

「ご期待に応えてみせましょう。さぁ、大十字様、急ぎましょう」

「で、でもよ」

ウィンフィールドさんに促され、尚も私は後ろ髪を引かれていた。
ここに卓也だけを残して行って大丈夫なのか。
三人で役割を決めてあの逆十字の相手をした方が……

「先輩、映画の約束覚えてます? あれ、こないだ上映開始したんで、今度一緒に行きましょうね」

「またお前はこういうタイミングでシャレにならん事を……!」

ここぞとばかりに死亡フラグを立てに行く卓也。
その表情は獰猛な笑み。
卓也がこういう事を言うのがどんな時か、前に美鳥に聞いた事がある。
負けるつもりが無い戦いの時にこそ、卓也は『折る為に』死亡フラグを立てるのだと。
つまりこれは、必勝の誓いだ。
小さく溜息を吐く。心配は無用、という事らしい。

「九郎、行くぞ。あ奴の小狡さとしぶとさは我等が一番良く知っておろう」

「だな。……ウィンフィールドさん!」

「かしこまりました!」

頷き合い、向かい合うティトゥスと卓也の脇を駆け抜ける。
ティトゥスは私達を呼びとめもしない。
ただ一途に、対敵だけに視線──殺気を向けている。
ここにきて気付く、ティトゥスの狙いは、あいつだ。

「死ぬなよ……」

「そう簡単に死ぬタマか、あれが」

暫くウィンフィールドさんと並走し続けていると、炎に包まれた廊下に奇妙な一群が現れる。
身体の一部がこそげ落ちた、警備兵の一団。
リビングデッドだ。
恐らく卓也の言っていた不自然な魔力の元はこれだろう。

「趣味の悪ぃ真似しやがって……!」

覇道の警備兵がそのまま材料に使われているのか、装備品は僅かながら耐魔術装備で固められている。
私が咄嗟に偃月刀を鍛造するよりも早く、ゾンビの一体をウィンフィールドさんが殴りつけた。
炎に巻かれ、触れるだけで火傷をしかねない元警備兵のゾンビを殴り飛ばし、ウィンフィールドさんは如何程にも痛痒を感じていない涼しげな顔。

「大十字様、ここは私めに任せてお急ぎ下さい。瑠璃お坊ちゃまのお部屋はこの先です」

手には何時の間にか、ボクサーが使用する様なグローブの薄い物を嵌めていた。
あくまでもボクシングに使用されるもので、撲針愚に使う棘の付いたナックルガードではない。
殺し合いを目的とした撲針愚と異なり、ボクシングはあくまでもスポーツ。
そんなスポーツに用いられる、とても凶器にには成り得ないものだ。本来ならば。

「撲針愚という殺人拳が時の流れを経てボクシングというスポーツに変わり、しかし、生まれた物は何も安全性を守るルールだけではありません」

だが、ウィンフィールドさんは笑う。
ウィンフィールドさんが笑みを溢すと同時、殴られたゾンビの打点がぶるりと震え、爆散した。
破裂したゾンビのパーツは、まるで高熱を浴びたかの様にぶくぶくと泡立ち沸騰している。
ばんなそかな。

「試合中の撲殺を防ぐために生み出されたボクシンググローブは、拳の打撃力を拡散し、余すところなく『震動』へと変換するのです」

へーなるほどなー。
つまり近いうちにボクシングも行政の手が入るのかーすごいなー。
そんな現実逃避をしながら、私はウィンフィールドさんに促されるままに先へと足を進めた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

向かい合い、俺はこの周に入ってから初めて言葉を交わすティトゥスに対し、ブラックロッジの社員として挨拶をした。

「はじめまして、で宜しいですか? ティトゥス様」

「…………」

ちき、と音を立てるティトゥスの刀。
構えを解く気配は無い。当然と言えば当然だ。
逆十字にとって下部構成員は塵芥も同然、例え任務中に出会ったとして、それが相手をスパイする為の事だったとして、刃を治める必要はない。
何しろ、ゲテモノ揃いの逆十字の中ではかなりの癒し度を誇るかぜぽですら、使えない、群に適応できない部下を気まぐれに始末する事があるのだ。
同じ組織の人間だから、などという理由で見逃される訳が無い。

「一つお聞きしたいのですが…………、俺、何かティトゥス様の気に障る様な事、しましたか?」

今、俺がティトゥスに向けられている殺気は、とてもではないが気まぐれに切り捨てる相手に向ける物では無い。
親の敵に向ける視線だってもう少し穏やかだろうと思える程の熱気を帯びた殺意。
明らかの目の前の虚無僧ティトゥスは、最初から俺をターゲットに絞っている。

先の大十字らが居る時の言葉もそうだ。
ティトゥスはここのTSウィンフィールドさんが撲針愚の使い手である事を知らない。
つまり、あの場において魔術師と対抗しうる戦力として計算できるのは、大十字と俺のみ。
そして、ティトゥスは大十字を引き留める素振りすら見せなかった。
最初から、大十字を足止めするつもりが無かったのだ。

「言っては何ですが、俺はここ数年誰かに恨みを買う様な仕事は一切行っていな」

一閃。
有無を言わせぬ抜き打ち。
二刀による変則的な抜刀術、通常ならば意表を突かれるだろう。
だが、俺の脳内には蘊・奥の爺さんから回収したティトゥスとの戦闘のログが残っている。
この一撃はスウェーで避けても、天駆ける龍のひらめきの如き神足の踏み込みにより追撃を受ける羽目になる。
が、素直に偃月刀で受けるにも、あの一撃は威力も並ではない。
受けた偃月刀は真っ二つに切断されてしまうだろう。
この場における刀剣の切断力は武装の素材では無く、如何に技の担い手が優れた術理を持つかに依存しているのだ。

とするとこの場での最良の行動は、一撃を受けきらず、刃筋を乱して相手の剣閃の軌道を逸らす事。
一歩だけ下がり、しかし踏み込まれないように、抜き放たれた二刀の軌道が重なる瞬間を狙い偃月刀を振り上げる。

右手で振り上げた偃月刀がティトゥスの二刀を纏めてかち上げる。
全体的に人間の優れた魔術師の平均値を取った身体能力に抑えているとはいえ、偃月刀の一撃は二刀と真っ向から衝突した訳では無く、横合いから力を加えてベクトルを歪めただけ。この程度の事は造作も無い。

だが、仮にこのティトゥスが俺を殺すつもりであるのならば、躊躇う事なく隠し腕による一撃で挟み込むように俺の胴を斬りにかかってくるだろう。
俺はそれに対し、左手にグランドスラムレプリカを複製、更に隠し腕から放たれる一撃の軌道を予測し、ディストーションフィールドの技術を応用した歪曲空間を配置しておく。
打ち合いになれば大業物と言ってもおかしくないグランドスラムレプリカで隠し腕から放たれる不安定な一撃は楽に迎撃できるし、むしろ刀ごと断ち切れる。
仮にグランドスラムで迎撃できない位置に刀が来ても、その場合は歪曲空間が刀を捻子切ってくれる。
獲物の半分を失えば、ティトゥスは間を開けて予備の刀を呼び出さざるを得なくなるだろう。
基本的に、ティトゥスは複数の刀剣で戦う事を念頭に置いた闘法を取り易く、新たな刀を取り出すまでは攻めてくる事も少ない。

これを繰り返していけば、ティトゥスを殺害せずに時間を稼ぐ事ができる。
流石にこのタイミングで逆十字を殺害なんてしたら、あっち側から積極的に俺の正体バレをされる可能性があるし、仕方無いね。

「────、しっ!」

が、ティトゥスは隠し腕を使う事なく、振りあげた二刀を振り下ろし斬りかかる。
流石に左手が明らかに奥の手を警戒し過ぎていたか。空気の流れから歪曲場に気が付いた可能性も捨てきれない。

「喝っ!」

徐に口からプラズマ火球。
火力を上げ過ぎると余波で覇道邸が焼失してしまうので、ある程度まで火力を落とす。
それでもラミネート装甲展開済みのアークエンジェル程度ならシールドを構えたエールストライク(@エンデュミオンの鷹)毎軽々貫通可能な不可能を可能にさせない程度の火力。
なのだが、当然の様にティトゥスはそれを刀で切り落とし、切断されたプラズマ火球は何故か推力を失い消滅する。
相変わらずこの世界の魔術師は物理法則も糞もあったものではない。
が、流石に使い捨ての刀自体には大した力が無かったのか、火球を切り落とした刀は真っ赤に赤熱し、ティトゥスが軽く振るうと半ばから焼き切れてしまった。
すかさず氣を練り込んだグランドスラムレプリカでティトゥスに突きを放つ。
ティトゥスは音も無く背後に跳び距離を開け、手を軽く振り掌から予備の刀を取り出し、再び構えなおす。
一刀足程の距離が空いた時点で、俺は偃月刀を武者用の直刀に鍛造し直し、構える。

これで、表面上は二刀流対二刀流。
偃月刀でも二刀流だったが、相手も刀を使うのならこちらの方が具合がいい。

「……」

無言のまま向かい合う。
ティトゥスはどちらかと言えば静の属性に分類される剣士であり、相手の一瞬の隙を突く一閃が本命となる。
つまるところ、隙を見せなければ積極的に攻勢に出てくる事は無い。
こちらも先の攻防で既に獲物を整えている。少なくとも、データ上のティトゥスの戦闘データと照らし合わせて考えるに、今の俺に攻め込む隙を見出す事は無いだろう。
時間を稼ぐだけなら、俺はこの場で警戒を解かずにティトゥスとにらめっこをしているだけで、大十字達に仕事をこなしたと認識される訳だ。
……目の前のティトゥスが、積極的に俺の事を殺したいと思っていなければ、の話だが。

改めて、目の前のティトゥスを観察する。
まず、特徴的なのは虚無僧が被る様な深編笠で素顔を頑なに隠し続けているということ。
これは別におかしな事では無い。魔術による肉体改造の結果、人様に見られない顔面造形になるなんて事も十分にあり得る。
そんな事態になれば、如何に女侍といえども顔を隠したくなるのは仕方の無い事だろう。

次に衣装だ。
全身黒づくめの和装、と言えばTSしていないティトゥスと同じ装いに見えるだろう。
が、和装は和装でも、元のティトゥスの様に黒い着流しを着ている訳でも無い。
襦袢に袴、胸帯が組み合わさった割ときっちりしたタイプの和装で、流しの用心棒といった雰囲気の元のティトゥスと比べると、色合いはともかくとして、良いとこの剣術道場で師範でもやっている方が似合いそうなデザイン。

よくよく見ると気が付くのだが、あの和装、上下ともに元から黒かった訳では無いようだ。
黒の染まり方に斑があり、視力をかなり強化した状態なら、僅かながら元の生地の色が見えそうな部分もある。
黒自体も実はそれほど濃い訳でも無い。
どちらかと言えば、極限まで濁った、黒ずんだ赤。
返り血、浴び過ぎた返り血が落ちなくなり、重なって付着し続ける事で、元の色が分からなくなる程の黒ずみになっている。
何らかの魔術の一種かと思っていたが、微かな異臭はそれが原因か。

和装の元の生地の色にも原因があるのかもしれない。
恐らく、上下ともに赤系統の色の着物。
袴は赤、襦袢はピンク、か?
帯は現状だと他の部分よりもやや紫がかっているから、元の色は藍か紫。
だが、それらの彩が全て、染みつき変色した血の彩で持って塗りつぶされてしまっている。
一体何人の返り血を浴びれば、何年それを続ければこんな気狂い染みた衣装が出来上がるというのか。

「はっ!」

ティトゥスの観察に集中しているのを隙と見たか、ティトゥスが、失礼ながら少しキャラに合わない、爽やかな掛け声とともに斬りかかってくる。
ティトゥスは戦闘において、殆ど駆け引きをしない。
蘊・奥と対峙した際にも、隠し腕を出すタイミングを除けば、その太刀筋には一切の迷いも無く、唯正面から相手を斬り伏せる事だけを考えた戦いをしていた。
ただ只管に強さを求め続ける為だけに人を斬り続けた悪鬼ではあるが、その迷いの無い、洗練された太刀筋は蘊・奥も実力を認める程のもの。
俺は気を引き締め直し、ティトゥスの一撃を受け流す事が可能な型を頭の中に羅列した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

停電、いや、襲撃の始まりからどれほどの時間が経過しただろうか。
数分か、十数分か、数十分かもしれないし、数時間も経過しているかもしれない。
少なくとも、執務室から動けずにいる瑠璃にはそう感じられた。
如何に英才教育を受け、帝王学を学ぼうとも、覇道瑠璃はその心身において常人の域を出る事の無い青年だ。
いや、そもそもの問題として、誰がこの状況を予見しうるのだろうか。
予見し得たとして、未だ成人を迎えすらしない青年に、帝王学や経済学などを学ばせ、なおかつ自らの命の危機において平静で居られるように鍛える事など、かの超人、覇道鋼造ですら不可能。

何時鳴り止むとも知れぬ爆音と銃声、怒号に悲鳴。
部屋の通信機器は完全に遮断され、現状を確認する事すら不可能。
まともな護身の手段など殆ど待たない身の瑠璃にとって、唯部下を信じて待つだけの時間は拷問にも等しい。
自衛の手段は、机の裏に張り付けた拳銃が一丁あるだけ。
その拳銃にしても、この邸の厳重な警備を踏み越えてやってくる侵入者にどれほど意味があるかと言われれば、首を捻らざるを得ない豆鉄砲に過ぎない。

待つだけの時間、不安に押しつぶされそうな時間は、瑠璃に無為な思索を繰り返させる。
警備体制は本当にあれで万全だっただろうか。
魔術師の侵入を警戒するのであれば、せめて父の作った電動装甲服の研究を続けさせていれば良かったのではないか。
せめて、こんな簡単に外部と断絶させられる執務室で仕事をするべきでは無かったのではないか。
地下司令室への入り口も、電源が落ちた状態でも非常口として機能させる作りにするべきでは無かったか。
仕事を無理にでも切り上げ、協力者であるミスカトニックの学生達の元で今日呼び出した用件を話して居ればよかったのではないか。

一つ所に纏まる事の無い思考を繰り返している内に、瑠璃は一つの事に気が付く。
────銃声が、止んでいる。
警備兵達の怒号や悲鳴も無く、あれだけ騒がしかった邸内は、一瞬で水を打ったかの様に静まり返っていた。

「お、終わった、のか……?」

震える声で呟く。
当然、無人の室内で答える者は無く、響く静寂がより不安を煽る。
未だ恐怖に竦み続けている脚を叱咤し、ドアに向けて歩き出そうとしたところで、ゆっくりと目標のドアが開く。
瑠璃はぎくり、と身を強張らせる。
侵入者か? 警備兵か?
机の下に張り付けた拳銃に手を掛け、なるべく音を立てずに手の中に収める。
……入ってきたのが警備兵の一人である事に気が付き、瑠璃は緊張を解いた。

「一体何が起こっている? 報告を──あ、いや、先にウィンフィールドに連絡を付けろ」

安堵を押し隠し、威厳を取り繕うも、警備兵は答えない。
ただ呆けた顔で立ちつくすのみで、そもそも瑠璃の言葉に反応しているかすら怪しかった。
精気の無い瞳が、虚ろに虚空を見つめ続ける。
苛立つよりも先に、瑠璃の中で警戒心が生まれた。
覇道瑠璃は、命の危機などの極限状態で平静を保って居られる程、精神的に強い訳では無い。
だが、日常の中で危険を避ける為の最低限の心構えは、祖父の教えてくれた数多くの知識の中に存在していた。

「聞いているのか? 返事をしろ」

苛立ち、部下を叱責するふりをしつつ、警戒する。
何処を警戒すればいいのか、それすらも分からない、先ほどとは別の種類の極限状態。
命が賭かっているかどうかすら分からないこの状況において、初めて瑠璃の危機回避能力はフルに稼働し始める。
ここに来て、極限の緊張は安堵による弛緩を経て、最高水準の集中力、洞察力へと変貌したのだ。
この状況を何処からか見ているかもしれない侵入者に気取られぬよう、瑠璃は視線をあまり動かさず焦点の合わない部分にまで意識を向ける。

「いい加減にしないか。まったく、上司への報告一つもできないとは……」

溜息を吐く素振りで、警備兵の全身をじっくりと観察する。
警備兵の身体は、表情と同じく、完全に弛緩している。
そう、その脚までもが、まるで何かで宙吊りにされた人形の如くだらりとだらしなく垂れ下がっているのだ。

「あらあら、男の身体をそんな必死に見つめちゃって。そっちの趣味でもあるのかしら」

「!?」

正体不明の声に、瑠璃は咄嗟にその場から飛び退く。
同時、警備兵の顔がぶくりと風船の如く膨らみ、いびつに顔面のパーツを歪め、破裂した。
首から上だけが綺麗に吹き飛び、執務室の中に肉片と臓物が四散する。
何処か海産物を思わせる生臭さと共に撒き散らされた部下の肉片に心を惑わされる事なく、瑠璃は咄嗟に手にしていた拳銃を構え、破裂した警備兵の背後へと銃口を向け発砲。
解き放たれた銃弾はしかし、かん、と間抜けな金属音と共に弾かれてしまった。

「うふ、意外に元気がいいのねぇ」

警備兵が破裂したドアには、別の人影が立っている。
頭の左右に巨大な電極を刺し、血塗れの白衣を纏った金髪の少女だ。
ふんわりとした印象を受ける幼さを残した美しい顔に似合わない、好色そうな愉悦の色を浮かべて、少女は部屋の中に踏み込まんと足を運ぶ。

少女の姿に対し、瑠璃は動揺すら見せずに拳銃を発砲する。
いや、動揺しているからこそ、一度銃弾を弾かれたにも関わらず拳銃を手放さないのか。
それとも、動揺せず、現状を理解しながら、しかし今取れる自衛手段がこれしかないのか。

瑠璃は思考する。
この場に辿り着き、今まさに警備員が理解しがたい方法で殺害された。
目の前の少女は侵入者、しかも、おそらくは魔術師。
そこまでは瑠璃にも理解できる。
だが、だから?
それで、今、自分には何が出来る?
間違いなく、この侵入者は自分を殺しに来たのだろう。
母を殺した様に、父を殺した様に。
しかし、自分はそれに憤る事は出来ても、魔術師を相手に出来るだけの力を持ち合わせていない。
この世ならざる怪異を向かい合うには、何もかもが不足している。
父がかつて言った様に、科学の力で持って照らし克服し得る未知という名の恐怖。
目の前のこれは、そんな生易しいものでは無いと、理解できてしまっているのだ。
未知なる領域へと踏み込む事の出来ない凡人故の、理解できない存在に対する強い隔絶感。
それが、覇道財閥三代目当主にして、歴代総帥の中で一番長生きできる可能性を持つ瑠璃の、唯一と言っても良い武器であった。

照らしだし、尚その恐ろしさ、対処法の無さに嘆くしかない不条理な恐怖。
それに対して、自分が出来る事など、数える程しかない。
とにかく、時間を稼がなくては。

装填された弾丸を使い切らず、残弾を残した状態で突き付ける。
銃口を真っ直ぐに向けたまま、目の前の少女を睨みつける。
瑠璃の視線を真っ向から受けた少女は、一瞬きょとんとして、次いでけらけらと笑い始めた。

「イイわねイイわね凄くイイわよぉ瑠璃お坊ちゃぁん? その諦めていない凛々しい表情、シビレる、もうお姉さんビショビショになっちゃったわあ!」

瞳を潤ませ頬を染め、熱い吐息を吐きながら白衣の袖で自らの股間を抑える少女。
少女の吐息に混じる僅かに甘い匂いに、瑠璃は場違いながら、ごくりと生唾を飲み込んだ。
が、すぐさま正気に戻り、弾切れの拳銃を向けながら問い詰める。

「何者だ! 名を名乗れ!」

「んふ、威勢がいいのねぇ。それじゃあ、特別に教えてあげる。 ──アタシの名前はティベリウス、『ブラックロッジ』の大幹部、アンチクロスが1、ティベリウスちゃん、でーっす☆」

ウインクと共に、白衣の袖から僅かに出した手を顔の脇に持って行き、横に倒したピースサイン。
場にそぐわないティベリウスのキュートなポーズに僅かに胸を高鳴らせながら、しかし瑠璃は驚愕に目を見開く。

「アンチクロス……!」

「今日はねぇ、大導師サマのご命令で瑠璃ちゃんの事を始末しに来たワケなんだけど……」

ティベリウスの言葉に、瑠璃は僅かながらの抵抗として拳銃を手に構えなおす。
正しくは、構えなおそうとした、というのが正確か。
どういう訳か、瑠璃は自分から拳銃を取り落としてしまう。
手に力が入らない。

「やっぱり、大導師サマって懐の深いお方だわぁ。天然でお胸が大きいだけの事はあるわよねぇ。……瑠璃ちゃんの始末は、ワタシが飽きるまで玩具にすれば、それで完了した、って事にしてくれるらしいのよぉ」

瑠璃の警戒心に反し、瑠璃の脚は千鳥足でふらふらとティベリウスの方へと吸い寄せられていく。
夢遊病患者の様な、はっきりとした意思の感じられない動き。
はたして現時点で瑠璃にまともな判断力が残っているのかと言われれば、間違いなくNOだろう。

最初から、ティベリウスは罠を張っていたのだ。
魔術師の知識は、何もその全てを魔導書に依存している訳では無い。
勿論、魔導書を深く理解するための研究もしていた。
が、ティベリウスは自らの欲望を叶えるため、積極的に外の情報も取り入れ続けていたのだ。
ティベリウスが今、ブラックロッジ内部でロールプレイしているキャラクターは、医者としての属性を持つ。
医学、そして薬学は、自らの美貌を磨き男を捉え貪るティベリウスにとって、実に興味深い内容ばかりだった。
死体と精神を弄繰り回す自らの魔導書の知識とも相性がいいそれに、ティベリウスはのめり込んでいく事となる。
そうして出来上がった幾多の薬品は、そのどれもが淫らな方面の補助に利用できるものばかり。
今、瑠璃を半催眠状態にしているのも、その研究の成果の一つだ。

「だから、ねぇ」

大気中に散布された薬品は、呼吸器から瑠璃の血中に侵入し、脳の理性的な働きを阻害する。
ふらふらと近付いてきた瑠璃の首に正面から腕を廻し、耳元に囁きかけるティベリウス。

「きもちいぃ事を、しましょ?」

蟲惑的な声に、朦朧とした瑠璃が答える。

「何、を」

それは僅かながらの抵抗だったのだろうか。
瑠璃はすぐさまにティベリウスに手を付ける事なく、惚けてみせる。
が、ティベリウスは一向に気にした風も無く、頬を染め、僅かに俯き視線を瑠璃の胸元にやりながら答えた。

「やぁね」

ぷち、ぷち、と、白衣のボタンを外していくティベリウス。
白衣の下から、ティベリウスの病的なまでに白く、しかし、男の劣情を煽る、透き通るような肌が露わになる。

「女に恥を、掻かせないで……」

耳に届くティベリウスの声は、瑠璃の頭蓋の中で僅かに反響し、意識を侵食する。
肉体から断絶した瑠璃の理性が、この相手に手を出してはいけないと叫び、しかし肉体は本能の導くままに目の前の獲物を貪らんと手を伸ばし──

「えぶ」

目の前で、ティベリウスの首が勢いよく刎ねられる瞬間を、被り付きで目撃する事になった。
蛙が潰される瞬間の断末魔にも似た汚らしい音の出所は刎ねられた首の口からか、それとも切断面が露出する気道と食道か。
不思議と、ティベリウスの首の断面からは激しい出血は無い。
だが、粘性の強い酷く薬品臭い赤い液体が、絞り出される様にしてこぼれ出した。
身体を制御する脳と切り離され、少し遅れてティベリウスの肉体が後ろに倒れ込む。

「おいアル、これ本当に斬って良かったんだよな。実は御曹司が部屋に呼んだデリヘルだったとかそういうオチはいやだぞ?」

「安心しろ、ここまで腐り濁った魔導の気配を発する娼婦なぞ居らん。仮に居たら居たで斬っておいた方が世の為というものだ」

倒れ込んだティベリウスの死体の向こう、特徴的な形状の刀剣を手にした女性が、肩の上に浮かぶ小さな人形の様な何かに話しかけている。
女性は幾度か人形に話しかけると、ティベリウスの死体を避けて瑠璃に歩み寄り、魔術文字の輝く指先で瑠璃の頭を軽く小突く。
途端、瑠璃の思考が鮮明になり、肉体の制御も元に戻る。
そして、思考力が戻った事で、瑠璃は目の前の女性が何者であるかをはっきりと思い出した。

「大十字、九郎、さん」

―――――――――――――――――――

「どうも」

呆けた表情で立ちつくす覇道の現総帥に、私は軽く手を挙げて応えた。
雇い主相手に失礼な態度だとは思うが、何も私と覇道財閥の契約は完全な主従関係という訳でも無い。
契約とかの話の場でもなく、こういう緊急事態でせっぱつまってる時にまで礼儀を求められても困るのだ。

「万が一、という事もあると思うので聞いておきますが、もしかしてお楽しみの邪魔でした?」

……可愛い後輩と何時も親切なメイド長を置いてまで駆け付けたのに、いざ到着してみれば金髪美少女とお楽しみの時間を始めようとしていたのだ。
それは、俺だって踵を返してウィンフィールドさんや卓也の助太刀に向かいたくなる。
アルがあの少女こそが魔術師だと教えてくれなければ、そのままこの場から立ち去っていた所だ。

「え、あ、いや、違、そうじゃなくて」

薬物か、もしくは魔術による洗脳か催眠を受けていたのを解除した直後だからだろうか、御曹司は私の嫌味に僅かな時間差を持ってしどろもどろになりながらも、どうにか弁解しようと言葉を探している。

「冗談だってば。でも、無事でよかった」

正直な話、さっきの状況から考えてもう少し遅れてきても命に別状はなかっただろう。
けど、男からしても薬や魔術で心を操られて、良く知りもしない女に犯されるのはトラウマになりかねない、と、心理学科の連中の話を小耳に挟んだ事がある様な気がする。
……ふと思い出すのは、少し前に遭遇したアトラック=ナチャのページモンスター。
そう、だよな。
無理矢理されそうになるとか、男でも女でも、嫌なものは嫌に決まってるんだ。
私はまだ脅威に対抗できるだけの力があったから良かったけど、もしかしたら、この年端もいかなそうなお坊ちゃんが、あの時のOLと同じ目に会ってたかもしれないんだ。

よくよく周囲を見回すと、部屋の中には警備兵のものだろうか、人間の破片が至る所に散乱し、脚元には弾の切れた拳銃が落ちている。
そうだよ、このお坊ちゃんだって、必死に抵抗して、私が来るまでの時間を稼いだんじゃないか。
なんだ、意外と、金持ちのトップもやるもんじゃないか。
あんな、力仕事とは無縁そうなひょろい体で、頑張ったんだな。
いきなり親しくも無い、親交も無い異性の身体を触るのは失礼に値するのだろうけど、今の正直な気持ちを言えば、頭を撫でて『頑張ったな』と褒めてあげたいくらいだ。

「あ……」

小さな驚きの声。
慌てるのも忘れ、私を見つめ返す。
なんと表現するべきか、向けられたのは酷く真摯な視線だった。
余り触れた事の無い感情を向けられ、私は少し落ち着かなくなってしまう。
ここは『私に惚れると火傷するぜ?』的にふざけて場の空気を破壊するべきなのだろうか。

「な、何かな?」

だが、私の口から出てきたのは酷く凡庸な言葉だけ。
いや、だって、この状況で『惚れるなよ』なんてやったら何かの間違いが起こりかねないし。
そうなったらウィンフィールドさんマジ怖いし。
玉の輿になったとして、お金はあっても困らないだろうけど、私ってば庶民派だし……。

「あ……い、いや、別に」

御曹司も平凡な答えを返す。
こういう場面でアドリブが効かないのは、まだ私が緊張しているという理由もあるのだろう。
今回は油断しているところを背後から不意打ちできたからいいような物を、本来であれば、あのティトゥスとかいう侍と同レベルの魔術師と、たった一人で真っ向から戦わなければならなかったのだから、緊張するな、という方が難しい。
そういった意味で考えれば、この御曹司があの逆十字の女が思わず周囲の警戒も忘れる程のストライクゾーンに入っていたという事実は、私にとっては幸運だったのかもしれない。

「じゃあ、急いで安全な場所に避難しよう」

「とりあえずは、メイドと卓也を回収して離脱、が一番安全だろう。急ぐぞ」

「ああ、分かっ────大十字さんっ!」

突然、御曹司が焦りの表情で叫ぶ。
同時に、背後から悪寒。
これまで幾度となく感じてきたその感覚を回避する為、私はウィングを盾にしながら身を捻り、飛び退こうとする──が、ここで思い出す。
幾度となく感じた死の気配。
私ははたして、その内の何回、対面した危機を回避する事ができただろうか。
案の定、回避は間に合わない。
背中を冷たい何かが貫き、灼ける様な衝撃。

「ガ────ッ!」

「──九郎ッ!?」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

いや、はたしてこれを言って良いものかどうか。判断に迷う。
ティトゥスの剣閃を、直刀の切っ先で受け流しやり過ごす。
左手のグランドスラムは出待ち中。
只管に右の直刀で受け流す。
右へ左へ上へ下へ。
毒や呪詛の一つも込められていない鉄と鋼の刃が俺の衣服の端と皮膚の幾らかを切り裂く。
静とは真逆の躍動的な、野生の獣じみたがむしゃらな連戟。
が、どうしてか直刀一本で捌けてしまう。
残した左がやけに寒いぜ。

「っ!?」

空いていた左のグランドスラムで一閃。
ティトゥスは二刀の連戟を中断し、身を仰け反らせ回避。
データ通りの実力を持っているのであれば、十分に二刀で受けきれる一撃を、ギリギリの所で回避するだけにとどめた。
ティトゥス本人には当たっていないが、深編笠に深々と切れ目が走る。
炎に照らされ、亀裂の奥からティトゥスの素顔が僅かに覗く。
様々な感情が混ざり、ぎらぎらと耀くティトゥスの黒い瞳。

「なるほど」

ここまでのやり取りでわかったのだが、このティトゥスの戦い方には違和感がある。
確かに二刀流の剣士としてもそれなりの腕前を持っているのだが、身体の重心の置き方、体捌きが純粋な二刀流剣士のモノとは大分異なるのだ。
そして、笠の隙間から見えたTSティトゥスの素顔で納得がいった。

右の直刀を投げ捨て消滅させ、左のグランドスラムレプリカを正眼に構えなおす。
流派東方不敗の刀剣を扱う為の構えでもない。
京都神鳴流の構えでもなく、劒冑を纏う武者の剣術とも違う。
俺が知る中では限りなく真っ当な、それこそ元の世界にも存在する流派の構えだ。
現代では剣道にすら通じる、この流派での基本的な型。
名を『鶺鴒の構え』という。

「っ……」

打ち込む隙を探し、ゆらゆら、ゆらゆらと、鶺鴒(セキレイ)の尾の如く揺れる切っ先。
基礎の基礎にしか過ぎないその動きを見たティトゥスが一瞬身を撥ね、動揺する。

「正直に言いますと、この剣術は余り実戦で使用した事が無いもので」

精々が動作の確認として美鳥と幾度か模擬戦をしてみた程度。
だが、俺や美鳥の肉体で運用する為の調節自体は完了している。
データの提供元と比べても遜色の無い仕上がりになっている筈。
少なくとも、挑発するのには十分使えるだろう。

「折角の機会なので、一手ご指導願えますか? ……お遊びの我流二刀ではなく、お得意の『北辰一刀流』で、ね」

可能な限り慇懃な口調、更に誠意を欠片も感じられない形だけの誠実そうな笑みで告げる。
流派の名前を口にした瞬間、目の前に刀の切っ先。
首を傾け避けると、頭の脇を刀だけが通り過ぎて行った。
ティトゥスが刀を投げ捨てたのだ。

「……抜かせるか」

地の底から響く様な声。
構えるでもなく手に握られていた残りの一刀が、震える。

「抜かせるのか、拙者に」

ティトゥスの刀が、振動に耐えかねたかの様に砕け散った。
いや違う。これは物理的な作用がそうさせた訳では無い。
魔力か、気か、妖力だろうか、異常な圧力のそれが刀に流れ込み、内部からその存在を否定したのだ。
まるで『そこに居るべきはお前では無い』とでも言うかの様な、否定の意思を備えた霊的暴力。
刀身を失い、自らも汚らしい汚泥と化した刀の柄を持つ手を、ティトゥスは自らの眼前に掲げ、ぎりぎりと音を立てる程に握りしめる。

「やはり、やはりお主が、お前が、拙者に、私に抜かせるのか」

ぎし、と、歯が割れて軋む音。
ティトゥスの身体から、常人ならば近づいただけで狂死しかねない程の瘴気が噴出する。
全身から湧き出していた瘴気は、握りしめられたティトゥスの手の中に収束し、遂には質量を手に入れ、一つの形へと結実した。

「この、霊剣を!」

長さにして二尺三寸の打刀。
だが、その何の変哲も無さそうな鎬造りの一振りは、一言に刀というには、余りにも禍々し過ぎる霊気を漂わせている。
そう、霊気なのだ。
魔力でも妖気でも瘴気でもない、紛れも無い霊気。
どんな理由であのような姿になったかは想像もできない。
だが、あの姿になる前はそれこそ神仏に通ずるような、さぞ霊験あらたかな剣だったに違いない。

……ふと思い出すのは、武者番長風雲録。
あれ、ライバルキャラが同名の刀を使って無かったっけ?
完全に記憶から情報を引き出せる筈なのに、何故かその部分だけ記憶が曖昧だ。
元の世界に帰った時に確認しよう。

ともあれ、遂に本来の闘法である一刀流に切り替え、魔術師として振舞う上での縛りか何かから解放されたのか、荒々しくも見事に完成された構えを見せるTSティトゥス。
先ほどまでの、蘊・奥のデータとは比べ物にならない無様な不安定さはなりを潜め、むしろ本来のティトゥスよりも隙が無くなった。

刀を正眼に、鏡合わせの如く全く同じ鶺鴒の構え。
どうしてか俺に殺気を向け続けるティトゥスがこの構えに入った以上、ティトゥスにとってはここからが本番だ。
先ほどまでの片腕一本で相手をするような舐めプはもう不可能だろう。

後は大十字のピンチに大導師が帰還命令を出すのを、ティトゥスと真剣に真剣で戯れながら待てば、今日の俺のお仕事は終了だ。
前々から気になっていたTSティトゥスの正体にも近づけたし、偶には金持の家に招かれるのも悪くは無いかもしれない。
殺意にぎらつくティトゥスの視線を浴びながら、俺はそんな事を考えるのであった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「ごぶ……お、げ……」

瑠璃の目の前で、九郎は口から大量の血液を吐き出しながら、その場にうつぶせに倒れ伏した。
倒れた九郎の背中には、雑多に束ねられた刀剣類が突き刺さっている。
背に負った傷は深く、絨毯を染め上げてなお血溜まりを作る出血は、素人が一目見て致命傷と分かる程のものだ。

「九郎! 九郎! しっかりしろ九郎!…………!?」

それでもなお九郎の意識を取り戻そうと九郎の頬をぺちぺちと叩き続けるアルは、自らの小さな体を覆い隠す影に気付く。
見上げ、影の作り手に気付いたアルは驚愕する。
そして、怒りの宿った瞳でその相手を睨みつけた。

「汝ぇ……!」

「おほほほほ。勝ったと思った? 不意を突いて運良く殺せたと思えた? ざぁんねんねぇ」

ギロチンを出していたのとは反対側の腕から様々な刀剣を飛びださせた『ティベリウスの首から下』が、斬り落とされた自分の首を手に持ち、そこに立っていたのだ。
考えるまでも無く、異常だ。
何しろ首が切り離されている。
だというのに、ティベリウスの首から下はまるで何事も無かったかのように動き回り、首も繋がっていないのに喋っている。

「そうか、汝……」

「ふふっ、そうね、ま、今更説明が必要って訳じゃないでしょうけど、教えてあげる」

手にしていた自らの生首、その切断面を、胴体側の切断面と擦り合わせ接着する。
傷口を縫合する必要はない。
接着面の周辺に、まるで早回しの映像の如く蛆や糸蚯蚓に似た虫が湧き、傷口を塞いで元通りにしてしまったのだ。
完全に斬られる前の姿を取り戻したティベリウスの瞼が開き、瞳に輝きが戻る。

「御覧の通り、アタシってば一応不死身なのよ。この『妖蛆の秘密』の力でね」

鉄の表装に、びっしりと蛆虫を集らせた黒の大冊。
逆十字としてのティベリウスの力を支える魔導書。
ティベリウスは九郎の背中から刃物を引き抜き、袖に収める。
乱暴に引き抜かれたからだろうか、九郎の身体が大きく跳ね、出血の勢いが先ほどよりも強くなった。

「九郎!」

アルが、慌てて九郎の出血を止める様に傷口に近づいて行く。
もはやティベリウスの事も、覇道瑠璃の事も頭の中から抜け落ちてしまっているかの様な行動。
その健気な姿に僅かに好感を覚え、しかしティベリウスは同時に情けない話だとも考えていた。
如何に優れた魔導書とはいえ、主が未熟な魔術師見習いでは、直ぐに調子に乗って何もかもを台無しにしてしまう。
もはやマスターオブネクロノミコンは死に体だと判断し、再び瑠璃に歩み寄る。

「さぁ、瑠璃お坊ちゃまぁ」

甘ったるい声と表情でもって、瑠璃にしな垂れかかるティベリウス。
体重をかけ、倒れ込むようにして瑠璃を押し倒し、警備兵の破片が染み込んだ毛の長い絨毯の上に寝かしつける。

「お洋服をぉ、脱ぎ脱ぎしましょうねぇ」

指先の動きが見えない早業でベルトを外し、するするとズボンとパンツを脱がしていく。

「や、やめろぉ!」

瑠璃も抵抗していない訳では無い。
だが、先ほど吸い込まされていた薬物と、更にティベリウスの呼気に含まれる霊薬の混じったアロマの効能で、思う様に身体を動かす事すらできない。
あっけなく下着から取り出され、外気にさらされる瑠璃のモノ。
大きく無く小さくなく、年頃の青年にしては酷く汚れの少ない、少年のそれとみまごう程にピュアな肉の色。
薬の効能か瑠璃の興奮か、それは半ば屹立し始め、硬さを持ち始めていた。

「あぁん、可愛いぃわぁ……」

ティベリウスの手が、赤子を撫でる手つきでソレに添えられる。
白魚の様な指が茎を軽く握り、しゅに、しゅに、と、優しく撫でさする。
その度に、堅さと熱を増していくのを、ティベリウスは掌でしっかりと感じ取っていた。

「あ、あ、あぅ」

局部への柔らかな刺激に、思春期の欲が抗える訳もなく、まるで少女の様に甲高く喉を鳴らす瑠璃。
身をよじり逃げるそぶりは完全に消え、無意識の内にではあるが、ティベリウスの手に擦りつける様に腰を押し付け始めてすらいる。

「もう、食べちゃいたいっ」

何時の間にか、男の象徴を慰撫しているのとは反対側の手で上着を首元まで広げられ、瑠璃は胸元を肌蹴させられていた。
ティベリウスは剥き出しの瑠璃の胸板に顔を寄せ、赤い舌を小さく突き出し、チロチロと瑠璃の乳首を舐め始める。
男性としては中々意識し辛い性感帯。

「ひぅ、は、は、は……~~!」

瑠璃の息が荒くなり、ティベリウスの手の中のモノが脈動する。

「さっすが、覇道財閥のお坊ちゃま、良い声で鳴いてくれちゃって」

ティベリウスは責めの勢いを決して緩めない。
口が胸を責めている間、片手は瑠璃のそれを握り上下し続け、もう片方の手は縦横無尽に瑠璃の肌の上を撫でまわし、あちこちの性感帯を開発し続けている。
執拗なティベリウスの責めに、瑠璃のモノはパンパンに腫れあがり、解き放たれる瞬間を今か今かと待ち続けるように脈動の感覚を短くしていく。

「ね、出したいの? 部下を一杯殺されちゃったのに、その相手にちょっと撫でられただけで、どびゅ、どぴゅぴゅって、出したくなっちゃうの?」

胸元から顔を除け、瑠璃の耳元に口を寄せたティベリウスが囁きかける。

「いいの、我慢しないで、いいっぱい出して。アタシの、女の子の綺麗な手に、瑠璃ちゃんのくっさぁいのでべちょべちょにしちゃいたいんでしょぉ」

甘い香りと、誘う様な囁き声。
既に理性的な部分の大半が活動を止めてしまった瑠璃の脳髄はしかし、僅かな帝王の矜持をもって、首を縦に振る事を許さなかった。
快楽に緩みそうになる顔を引き締め、キッ、とティベリウスを睨みつける瑠璃。

「んふ、良い顔ねぇ」

ちゅ、と瑠璃の頬についばむ様なキスをして、瑠璃を押し倒したまま僅かに立ちあがり、膝立ちになるティベリウス。
九郎が来る前に既に肌蹴られていたティベリウスの裸身。
抵抗すると決めた瑠璃の視線はしかし、自然とその全てを視界に収めようと眼球を動かし視線を滑らせる。
うっすらと生えた透き通るような黄金色の陰毛と、ここまでの好色なティベリウスの振る舞いからは考えられない、慎ましやかな陰部。
ごくり、と、瑠璃の喉が鳴るのを、片手で髪を掻き上げながら満足げに見下ろすティベリウス。
瑠璃の屹立した剛直を握ったままの手が握り方を変え、きゅむ、きゅむ、と、柔らかな皮の袋に包まれた二つの玉を掌で弄ぶ。

「うぁ……っ!」

僅かな痛みという刺激が加えられた新たな快感に、瑠璃は身を撥ねさせる。

「ね、瑠璃ちゃん。…………アタシのここに、入れたい?」

ココ、と言いながら、瑠璃の物を刺激し続けるのとは反対の手で、自らの其処を左右に開いてみせるティベリウス。
だが、今度は先程の様に返答を待たず、再び言葉を重ねる。

「さっき、『出したい』って言ってれば、死ぬまでここで出させてあげたんだけど……瑠璃ちゃんは反抗的だから」

くちゅり、という音と共に、ティベリウスは自らの陰部から、ファスナーの引き手の様な何かを摘まみ出す。
引き手の様な物ではなく、それは間違いなくファスナーの引き手だった。
ティベリウスがそれをじらす様な速度でゆっくりと上に引っ張ると、そのライン上の肌にうっすらと肌色のスライダー(開閉部分)と、それを構成するエレメント(務歯)が浮かび上がる。
金属製のファスナーと異なり、びち、びち、と、肉を引き離す音と共に開かれたティベリウスの下腹部、そこから──

「ひっ」

巨大な男性自身が、ぶるんっ、と勢いよく飛び出したのだ。
下腹部、いや、臍の上辺りまで広げられたファスナーから、かなりの柔軟性をもって撓る様にまろび出たそれは、ティベリウスの胸元を軽々と越えてそそり立っている。
形も尋常なものでは無い。
ギチギチと音を立てて柔らかい芋虫が縒り合されたかの様な、とても人と人の交わりに使用してはならない様な異形。
無数の蟲の頭の様な部分からは、絶えず黄色い半固形の汚物をひり出し続けている。

「これで、瑠璃ちゃんを後ろからしっかり躾けてあ・げ・る♪」

嗜虐に酔った表情のティベリウスが、瑠璃の脚の間に身体を割り込ませる。

「ひ、や、やめろ、嫌だ、嫌、嫌だ嫌だ嫌だぁぁぁぁぁぁ!」

もはや、総帥としての仮面は剥ぎ取られ、反狂乱になって泣き叫ぶしかない。
身体を暴れさせようとする度に、手に掴まれた自らの物が強く、それこそ千切れんばかりに握りしめられて逃れる事すらできない。
そしてその抵抗は、ティベリウスの嗜虐心を半端に煽るだけで、瑠璃の意図するところとは逆の結果しかもたらさない。

「大丈夫よぉ。さっき貴方の部下のイケメンも捕まえたけど、最後には気持ち良くて声も出せなくなってたし。──カマ掘られて、ところてんみたいにみっともなくびゅるびゅる出しちゃいなさい」

「誰か! 誰か助、たしゅけ、助けてくれぇ!」

「大丈夫よぉ、これ、取り外しもできるんだから。後でちゃんと、お尻に入れたまま、アタシの中に入れさせてアゲル☆ そっちの方が起ちっ放しでいられてずぅっと気持ちくなれるのよぉ?」

瑠璃の恐怖を煽る様に、これから何を行うのかをじっくりと説明していくティベリウス。
その表情は、紛れもなく瑠璃への可虐を楽しんでいる真正のサディスト。
口調こそまだ造っているが、これこそがティベリウスの本性なのだ。
ことここにきて、ティベリウスのテンションは最高潮に達しようとしていた。

だからだろうか。

背後で九郎が幽鬼の如く立ち上がり、赤熱したバルザイの偃月刀を振りかぶったその事実に気が付く事が出来なかったのは。

──ひゆっ。

軽く、さしたる音も無く、しかし綺麗に空気を切り裂く鉄の速度は、ティベリウスの脳天から振り落とされ、頭蓋と脊椎を断ち割り、男性器を両断し、股の下まで綺麗に通り抜けた。
最初に状況の変化に気が付けたのは、一体誰だったのだろうか。
それとも、この時点では瑠璃もティベリウスも何が起きたか理解出来なかったか。
断面を焼き焦がし再生を阻害する熱刀は、ティベリウスを左右に両断し、僅かに地面をも焼いただけでは止まる事も無い。

──ちき。

振り下ろされた刃を上下逆さに反し、膝立ちしている片足を切断する。

──ず。

更に刃を返し、横からティベリウスの胴を叩き切る。
軌道上に存在した、瑠璃の弱点を握り揉みしだく腕をも立ち斬り、瑠璃を呪縛から解放する。
三太刀目で初めて、瑠璃とティベリウスが九郎の起こした行動の結果に気が付く。
早業だ。瑠璃もティベリウスもリアクションを取る暇が無い。
だが、瑠璃とティベリウスが気付いて何かをしようとするよりも早く、九郎は再び偃月刀をティベリウスの肉体目掛けて振り下ろす。
刃が通るたびにタンパク質が焦げる匂いが漂い、ティベリウスの肉体が細切れの肉片へと変化していく。

刃を振るう九郎の表情は、極めて冷静、冷徹とも取れる表情で、油断なくティベリウスの肉片を見つめ、間断なく刃を振るい続けている。
それは決して、雇い主を犯されそうになった事に対しての怒りだとか、人を弄ぶ事に喜びを感じるティベリウスへの怒りで立ち上がったというものではない。
背中の傷は深い。
出血も多い。
だというのに、激しい感情をよりどころにするでもなく、九郎はしっかりと二本の脚で立ちあがり、力強く刃を振るい続けている。
何故、何故そのような事が可能なのか。

……理由の程は至って簡単。
日々を『一日二乙三乙当たり前の修業』をこなしている九郎にとって、背中を刃物で突き刺されて出血多量、という状況は決して珍しくない。
この程度の事が出来なければ、逆十字が出てきた時に何をする暇もなくやられてしまう。
そう卓也に言われしごかれ続け、そんな卓也を見返す為にアルと共に造り上げていた魔術が存在する。
治癒魔術の応用による、一時的な肉体改造魔術だ。
これを施す事により一時的にではあるが、九郎は常人の数分の一程度の血液でも戦い続けられる身体を得る事ができる。
九郎は背中を刺された瞬間、反射的にこの卓也と美鳥を驚かせる為に組まれた魔術を自己防衛のために展開し、アルによる更なる肉体の細胞の賦活を待っていたのだ。
そして気が付くと、自分を刺した相手は間抜けにも此方に背を向け、非戦闘員に襲いかかろうとしている。
九郎にとって、これはまさに僥倖であった。

「っ、と。こんなもんでいいか。──アル」

攻撃回数、実に89回。
それだけの数の斬撃を浴び続けたティベリウスは、最早焼け焦げた肉の残骸だけを残すところとしていた。
タンパク質と様々な薬品が焼ける匂いだけが充満する室内で、九郎はようやっと偃月刀によるコンビネーションを停止する。

「おう! このまま外に放り出──跳べ!」

ティベリウスの残骸を邸の外に転送しようとしたアルが九郎に叫ぶ。
言われ、飛び退く九郎。
その次の瞬間、覇道邸の壁を粉砕し巨大な機械の手が侵入し、九郎達を握り潰さんと迫る。

「愚餓呼鳴呼ア!? 嘗ァメルナァァァァァァァァクソガキィィィィィィィィィッ!!」

無数の肉片が寄り集まり、無理矢理に人型にこじつけて再構成される。
そこに存在するのは金髪の美少女の姿ではなく、無数の肉片をより集めて造られた前衛芸術の如き屍肉の塊。
そして、その手の中には魔導書。
彼女の背後、機械の巨腕が空けた穴から垣間見えるのは、襤褸切れに身を包んだ鉄の巨人。

「まさか、これは!」

「鬼械神!?」

九郎とアルの目の前でティベリウスの死体が再びパーツ毎に分解し、一固まりの魚群の如く鬼械神の傍らに渦を巻く。
炭化した肉塊や未だ生の部分を残す肉塊、ティベリウスを構成するパーツが微粒子状に分解され、やがて再び人の形に収束を始める。
初めに幾つかの内蔵が構築され、それを特殊な形状の骨格が外枠を構築し、内蔵されていたと思しきギロチンや刀剣、人間には必要の無い生体器官などを組み込みながら筋肉を纏う。
剥き出しの筋肉を皮膚が覆い隠し、その裸身を覆い隠すかのように衣服が形成され、元の美少女の形へと再生された。
だが、先ほどまでとは異なり、ティベリウスはその美貌を怒りの感情に醜く歪めている。

「痛かった……痛かったわよぉ、大十字九郎! アンタには、とびきりキツイお灸を据えてあげる!」

ティベリウスが鬼械神の胸部コックピットに搭乗すると、鬼械神から放たれる気配が、より禍々しさを増す。

「暴食せよ! 『妖蛆の秘密』が鬼械神、ベルゼビュート!」

目の無い、乱喰い歯を剥き出しにした顔の鬼械神は、魔術師という自らの魂と合身することで命を吹き込まれ、重々しい駆動音と共に、再びその剛腕を振り上げた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

逆十字が鬼械神の傍らで肉体を再構成する様を見届ける事なく、私は半裸の御曹司を肩に担ぎあげ、鋼鉄の指から逃れる様に部屋を飛び出した。
ウイングを翻し、そのまま元来たゾンビで溢れ返っていた廊下へと飛翔する。
外に出るかどうかで迷ったが、まずは御曹司を一旦安全な場所に預けなければ満足に戦う事も出来ない。
こちとらインスタントな魔術で血流量を調整し、傷口もアルの魔術で一応は塞いでいるとはいえ、背中から刃物で刺されている重症だ。
正直な話、周囲の被害を考えながら戦うなんて真似はしていられない。
私が真っ正直に背を向けて逃げ出すとは思っていなかったのか、逆十字の鬼械神は一瞬動き出すのが遅れている。
この隙に──

「! 大十字様、瑠璃お坊ちゃま!」

「ウィンフィールドさん、頼む!」

丁度最後のゾンビを撲殺し終えた所のウィンフィールドさんに向けて、私は減速する事なく御曹司をパス。
ウィンフィールドさんが御曹司をキャッチしたのを見届け即座に転身。

「GAAAAAAAAA!」

獣にも似た叫びと共に振るわれる鬼械神の拳が『私を』追いかけて屋敷を破壊する。
その拳を掻い潜り、再び壁と天井の破壊された執務室へと戻り、壊れた天井の隙間から空へと逃げる。
空高く飛翔し、逆十字の鬼械神の全身が見える高さまで。

「アル!」

血圧を上げる為に無駄に叫び、アルはそれに無言で頷く。
マギウススタイルに、機神招喚用の術式が展開された。
ここら辺はもうツーカーだ。

「憎悪の空より来たりて、正しき怒り胸に、我等は魔を断つ剣を執る!」

数度のページモンスターとの戦闘を経て、最適化された招喚用魔術。
周囲の魔術文字を手でなぞる事なく高速で読み取り、私は背後に虚数展開カタパルトによって転送されるデモンベインの気配を感じ取った。
コックピットへ入る手間も惜しみ、私は実体化中のデモンベインの中に飛び込み、コックピットの中であろう位置に身体を固定する。

「邪ッ!」

目の前に、ベルゼビュートの拳が迫った所で、デモンベインは完全のその姿を顕現した。
同時、魔術障壁の重ねられた両腕をクロスさせ、鋼の拳を受け止める。
衝撃。
魔導合金日緋色金製のデモンベインの装甲が、今まで聞いた事も無い、悲鳴の様な軋み声をあげる。
わかっていたつもりだったが、これが、本物の鬼械神の力か!

「インスタント魔術師風情が……生意気にも防いでんじゃねぇわよ!」

両腕をクロスさせたままの状態で後ろに弾き飛ばされるデモンベイン。
そのデモンベイン目掛け、ベルゼビュートはその口から何かの液体が発射される。

「ティマイオス! クリティアス!」

咄嗟に断鎖術式を起動し、吹き飛ばされた方向に大きく距離を取る。
かわし切れずに液体を浴びたデモンベインの装甲が煙を上げて腐食する。
酸か!
下手に正面から向かうのは危険だ。
ニトクリスの鏡を展開し、デモンベインの幻影でベルゼビュートを幻惑する。

「こんな小手先、通じる訳がないでしょうが! つまんないのよ! アンタ!」

が、ベルゼビュートから放たれた何かはデモンベインの姿を写した鏡を断ち割り、その背後で姿を消していたデモンベイン本体を正確に捉えた。
これは、ベルゼビュートの纏っているローブ!?

「がああああああああああっ!」

同時、絡み付いた布を通じて、高圧電流を流されたかの様な衝撃がデモンベインを襲う。
生半可な電撃ではびくともしないデモンベインの魔術回路が一斉にエラーを吐き出し、デモンベインの動きを封じる。
これは、ウイルスか!

「バッドトリップワイン! ざまぁないわね、これで止めよ!」

ベルゼルートが両手を翳し、掌と掌の間に光球が発生する。
光球は瞬く間に輝きを増し、地上の太陽の如く周囲の大気を燃やし始める。

「まさか、あれは! クトゥグアの力か!?」

「なんだって!?」

てことは、まさか!
記述が連中の手に落ちてるってか!?

「なぁにを驚いてんのよ、こっちは魔術結社やってんのよ? こんなチリ紙集め、新人の下っ端魔術師だって簡単にこなしてるわ!」

一瞬、ベルゼビュートの掌の光球の中に、見覚えのある魔術の気配を感じ取る。
これまで相手にしてきたページモンスターや、アルに近いパターン。
そして、アルもそれを感じ取ったという事は、ほぼ間違いないとみても良いだろう。

「見習いの癖によくもまぁここまで仕出かしてくれたわね。ご褒美代りに、本体、喰らわせてあげるわ!」

掌の中で収束していた光球が輝きを増し、遂にはその形を崩し、裂光を放つ炎となる。
炎の周囲には無数の光球が産まれ、それらも纏めて炎の中に呑み込まれていく。

炎の神性、旧支配者クトゥグア、聞いた事がある。
フォマルハウト星に住まう炎の神性で、炎そのものという肉体を持つその性質から、俗に生ける太陽とも呼ばれているという。

「あの記述を用いて造られたという事は、あの炎はプラズマと化す程の高温の炎。いかんぞ九郎」

確かに、まともに食らえばひとたまりも無い。
いや、この場を離脱する術があっても無事では済まないだろう。

「何をしている!? 今の我々にあれをどうにかする力は無い! 逃げるのだ!」

逃げる? 馬鹿を言うな。
ここで逃げたとして、無事に済むという保証が何処にあるのか。逃げきれるという保証が何処にあるのか。
デモンベインはまだ本調子ではない。さっき喰らったウイルス攻撃がまだ尾を引いている
デモンベインの体内を流れる水銀が浄化し、僅かに動けるようにはなっているが、それでも本調子の真の鬼械神相手に逃げきれるような脚は出ない。

そしてさらに、私は背に負う覇道邸を意識する。
ここで私が逃げたら、覇道邸は消滅する。
ウィンフィールドさん、執事のみんな、御曹司。
知り合って間もない人達ばかりだけど、私はこのうちの誰にも死んでほしくない。

「卓也も戦ってるんだ。──私だけ逃げるなんて、してられるか!」

そして、私を通す為に一人逆十字相手に足止めを買って出た卓也。
ここで私が引いたら、卓也もクトゥグアに焼かれて死ぬ。
それだけは、先輩として、後輩を見捨てるなんてできる筈がない。
友達を見捨てるなんて、できる訳が無いんだ。

「ふんぐるい むぐるうなふ くとぅぐあ ふぉまるはうと んがあ・ぐあ なふたぐん いあ! くとぅぐあ!」

解き放たれる必殺の閃光。
迫りくる超々高熱の顎を前に、私はデモンベイン用のバルザイの偃月刀を鍛造し、構える。

「馬鹿な真似はやめろ九郎! 無茶だ!」

なるほど、プラズマ体に、偃月刀一本で立ち向かうのは無茶だろう。
だが、魔術師はこの世の道理を暴論で押しのけて無茶を通す存在だ。

研ぎ澄ます。
研ぎ澄ます。
研ぎ澄ます。

そうだ、今までだってこの感覚はあった筈だ。
修行中に首を撥ねられそうになった時。
蜘蛛男の呪縛から逃れ反撃を始めた時。
修行中に全身を焼かれた時。
修行中にハチの巣にされかけた時。

世界の全てを把握する。
思考を疾走させ、魔術を、世界を、理論を、力を。
認識せよ。

魔術的な儀式が施された魔法の杖とはいえ、所詮は金属の塊でしか無いバルザイの偃月刀。
その偃月刀で、プラズマの塊を切り裂く事は出来るのか?
凄腕の魔術師が使用している記述を、発動中に再構成し直す事が出来るのか?

奔れ。
奔れ。
奔れ。

肉体を離れた魂で宇宙を疾走し、世界法則に脚を踏み入れれば。
視える。視える。視える。
私にはそれを視覚化する事が出来る。
迫るプラズマ体の内部に、魔術構成の中枢を。

故に、
金属の塊でしか無いバルザイの偃月刀で、プラズマの塊を切り裂く事が、
凄腕の魔術師が使用している記述を、発動中に再構成し直す事が、

出来る。
出来るのだ。

「斬れろ!」

思考すら超越し、私の偃月刀は疾走した。
瞬間、世界が凍結し──

「──────!?」

「ば、馬鹿な!」

風に舞う魔導書の紙片。
構成を断ち切られてあるべき姿に戻ったアルの断片。
敵は動揺している。
好機。いや、今こそが唯一と言ってもいい勝機!
偃月刀の返す刃で斬撃波を放つ。
プラズマ体を挟んで対面、ベルゼビュートへ!

「くぅぅぅぅぅぅ!」

ほんの僅かに、ベルゼビュートの動きが速かった。
ベルゼビュートは身を捻りこれを回避し、偃月刀の生み出した衝撃波はベルゼビュートの腕を一本斬り落とすに留まった。
しくじったか……。

「アル、回収できたか?」

「あ、ああ、だが、この戦闘中に使えるかどうかは……」

「いや、それはいい。あっても使えるかどうかわかんねぇし」

そもそも、今のだってベルゼビュートが十分なためを作って本体を撃ってきたからできた芸当だったのだ。
仮に記述を手放さずに、小さな光球だけを連続して撃たれていたら。
そして、彼我の戦力差は相手がクトゥグアを失った事を鑑みても圧倒的だ。
さっきの一撃で仕留められなかったのは痛いな……。

「餓嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼っっ!この糞アマっ! 一度ならず二度までも私に屈辱を!」

激昂している。
だが、例え相手が限界まで冷静さを失っていたとして、此方に勝ちの目は無いに等しい。
どうするべきか、そう考えていると、ベルゼビュートからティベリウスの叫び声が聞こえてきた。

「────の餓鬼はアタシがこの手で……! それに瑠璃ちゃんだってまだ」

この場に居ない何者かとの通信か?
私達がデモンベインで油断なく構えている間にも、どうやらあちらさんでは何やら話が進んでいるらしい。
攻め込めるなら攻め込むべきなのだろうが、言い争っているにも関わらずベルゼビュートには全くと言って良いほど隙が見当たらなかった。

……しばらくして、ベルゼビュートの足元に影が広がり、その中にゆっくりとベルゼビュートが身体を沈ませていく。

「覚えてなさい大十字九郎! 今度会ったら、アンタに生き地獄を味わわせてやるわ! いっそ殺してとお願いしたくなるくらいのをねぇ!」

もはや御曹司を嬲っていた時の女性らしさをかなぐり捨てた捨てゼリフ。
ベルゼビュートが陰に完全に沈みこみ、完全にこの場から消え失せた。
陽は完全に沈み、夜の藍に染まっていた。
逢魔ヶ時は、終わったのだ。

―――――――――――――――――――

デモンベインのコックピットから出て、外の空気を吸う。
近くで覇道邸がまだ燃え続けているのもあり、冷たい夜の空気とはいかないが、新鮮な空気を腹いっぱい吸い込むと、先までの緊張が解れていくのを感じる。
デモンベインの胸部から下を見下ろすと、丁度卓也が覇道邸から出てくるところだった。
私はウィングを展開し、大きく羽ばたきながら地面に降り立ち、卓也に駆け寄る。

「いや、どうにかこうにか乗り切りましたね」

軽く片手を上げて私に声をかける卓也は、少なくとも表面上大きな怪我をしている風では無い。
服のあちこちに裂傷が出来ているが、それも全て皮一枚とまでは言わないまでも、神経や筋、筋肉などに達するものでは無いのは見て直ぐにわかった。

「無事だったか、良かった……」

ほっと溜息を吐く。
卓也がここに来たという事は、もう一人の逆十字、ティトゥスもあの逆十字と同じく撤退したということなのだろう。
心配事がひと先ず無くなったからだろうか、どっと疲れが押し寄せてきた。
脚から力が抜け、ふらりとバランスを崩す。
意識が朦朧とし始めているという事だけが、嫌に重くなり始めた頭で理解できる唯一の事だ。
マギウススタイルが解除される。
魔術で一時的に改造されていた肉体が正常な活動を開始し、刺された痛みがぶり返してくる。
しかし今の私の身体には圧倒的に血液が足りず、もはや痛みだけでは意識を保つ事すら難しい。
視界が暗くなり、そのまま、ぐら、と倒れ込む。
が、私の身体は地面に激突する事も無く、ぼす、と卓也に受け止められた。
……年頃の女子として見たら酷く無防備な状態なんだけど、今はもう、どうでもいい。
卓也もこの状況で唐突に出来心を起こしたりはしない筈。
このまま何時も通り、身体の治療の方も任せてしまおう。
このくらいの傷、こいつなら痕も残さないだろうし、足りない血液を増やされた事もあった。
これで助からなかったら、本格的に運の問題だ。その後の人生を諦めるしかないレベルで。
頭に掌の温かい感触。
炎の熱でも鉄の冷たさでもない温度に、自然と頬が緩むのを感じる。

「今日は意外に頑張りましたね、先輩。お疲れ様でした。ゆっくりと休んでください」

何時になく優しいねぎらいの言葉。
──意外にってなんだ、意外にって。
そう思いつつも口には出さず、私は完全に意識を手放した。





続く
―――――――――――――――――――

覇道邸に行く→待合室で駄弁る→逆十字襲来→戦闘→ティベリウスさん絶好調→戦闘→撤退。
こんな簡単な流れなのに、無駄に容量がかさんでしまった第六十三話をお届けしました。

本当になんでこんな事になったのか……。
いや、マジで今回そんな感じの話でしか無いですよね。
これ言っちゃなんですけど、戦闘メイン過ぎて何時もより更にコメし辛い様な話でしょう?
戦闘シーンとシリアスは受けない、ってのはよくよく理解してるつもりではあるんですが、話の展開上中々省けないというか。
ぶっちゃけティベリウスちゃんを大活躍させる為に書いたってのもあるにはあるんですが。


そんなもやもやした感覚を残しつつ、多分だいぶ久しぶりな自問自答コーナー。

Q,大十字の貧乏レベルが下がってね?
A,定期収入で狩猟民族からは卒業できました。

Q,なんで瑠璃お坊ちゃまの回想シーンが盛大に省かれてんですかー。
A,過去にとらわれてはいけません。ていうか正直瑠璃お坊ちゃん、TSティベリウスに逆レされかかるシーンを書く為に出したようなものですので。

Q,ウィンフィールドさんを魔改造するとか絶対に許さないよ!
A,実はあまり魔改造している訳でも無いですよ。『撲針愚』の由来とか無茶苦茶だけど意味は通ってるっていうか。

Q,ボクシンググローブにそんな機能はねぇ!
A,秘拳伝キラというバトル漫画が存在していてですね……。

Q,ティトゥス……いったい何処のスタアなんだ……。
A,清純派の悪落ちって楽しいですよね! ちなみに浪漫の嵐の代わりに血風が巻き起こります。

Q,首から上が吹き飛んだ警備兵の死体ってもしかして。
A,ケツに突っ込まれる→ティベリウス発射→余りの勢いに大腸の上辺りから吹き飛ぶ→出来上がり。

Q,このティベリウスは流石にアウトだろ。
A,直接的な単語が無いので何時も通りセフセフ。しゅにしゅにとか可愛い擬音じゃないですか。

Q,たしゅけ!
A,精一杯のアヘ。因みにビジュアルは九朔と足利邦氏を足して可愛くない部分を差っ引いた感じでほぼ間違いなしです。どうせ今後描写ないし。

Q,ティベリウスさんの口調が安定してなくね?
A,瑠璃お坊ちゃまにイケナイイタヅラしてる時の口調はロールプレイ。そう、エロール。
【】の中は中の人会話専用って事で。
素の喋りは元のティベリウスとかわりありません。


年内にもう一本投稿できるかどうかってところですが、次は早めに出せると思います。
戦闘シーンとか無駄な部分は積極的に省きますし。
むしろ戦闘シーン以外がメインシナリオなんですよげっへっへ。

それでは、今回もここまで。
当SSでは、誤字脱字の指摘に即座にできる文章の改善案や矛盾している設定への突っ込みに諸々諸々のアドバイス、そしてなにより、このSSを読んでみての感想など、心からお待ちしております。







リゾート目的の開発により自然破壊が進むインスマンス。
この土地で起こっている連続失踪事件の謎を追い、大十字達は調査に乗り出した。
水着で。
球転自在の自動防御スイカに、遂にリューカとウィンフィールドの合体攻撃が炸裂する。

次回、第六十四話

『魔導大学生大十字九郎の事件簿・⑥ リゾート開発の進む港町で巻き起こる怪事
件。調査に乗り出した九郎が直面する海からの脅威。沈没した船から流れ着いた先
に待つ謎の古代遺跡で巻き起こるアクシデントとは』

お楽しみに。



[14434] 第六十四話「リゾートと酔っ払い」
Name: ここち◆92520f4f ID:81c89851
Date: 2011/12/29 04:21
■月×日(悪の秘密結社ブラックロッジ)

『福利厚生不備。希望者は社員寮へ入居可能』
『未経験者の方にも親切な先輩達が丁寧に指導してくれます』
『魔術師資格取得補助制度あり』
『希望者への海外研修プラン、年数回の慰安旅行あり』
『※給料は完全出来高制です。個々人の能力が限界まで問われます』

『そんな訳で、今年もブラックロッジの一部で開催されている慰安旅行の季節が近づいて来た』
『今回の旅行先はインスマウスの海岸、ホテルはインスマウスリゾートホテルに数か月前から予約を入れているらしい』

『ところで、覇道の連中に乞われて怪事件の調査に協力する事になった』
『アルアジフのページの仕業である可能性を考えると、大十字九郎とその協力者には是が非でも同行して貰いたいらしい』
『調査中に滞在するホテルは、出資者である覇道財閥の為にスイートを用意してくれたらしい』
『よくよく考えなくても、原作の時点でインスマウスの調査とブラックロッジの慰安旅行が重なるのは分かってた事なのだが、今の今まで頭からすっぽりと抜け落ちていたようだ』
『ここは一つ搦め手で。一計を案じて夢幻心母へ』

『まず、参加不参加は別で一応全員出席の旅行計画の会議へ』
『周囲の連中に遅れてきた事を誤りつつエルザにこっそりメールで指示を出す』
『慰安旅行の旅のしおり片手に旅行の日程や行き先を説明するドクターに、旅行先の変更を申し出るエルザ』
『ドクターは当然渋った。なにしろ既にホテルの予約は取ってあるのだ』
『だが、そこでエルザは旅行先が海である事を巧みに利用した逆転の一手を放つ』

『「エルザは、博士の肌を他の男に見られたくないロボよ……」』

『「え、エルザ……そこまで吾輩の事を考えて……!」』

『ドクターの手を両手で握りしめるシリアス顔のエルザと、感極まって今にも眦から涙を溢れさせそうなドクター』
『そんな偽二人の世界を構築するエルザとドクターを放置し、計画を作り直す下っ端の纏め役の人』
『数分の話し合いの後、行先は山の方に変更』
『俺と美鳥は下っ端代表の人に私事で不参加の旨を伝え、数分と立たずに会議はお開きとなった』

『何時か、俺が正体バレを気にしなくていい立場に立つ周にでも、しっかりとブラックロッジ側で慰安旅行に参加してみるのもいいかもしれない』

―――――――――――――――――――

肌をじりじりと焦がす、照りつける日差し。
見上げた天に蒼井そら……もとい、青い空、白い雲。
見下ろした先には果てしなく広がる、どこまでも蒼い大海原。
白い砂浜には人が溢れ、降り注ぐ日差しの下でそのエネルギーを発揮してこの情熱の季節を謳歌している。

海、である。
完膚なきまでに海だ。

「海ですよ先輩!」

思わず粉バナナのポーズで大十字に振り返る。
何しろ海だ。
いや、海自体はダンジョンアタックの時に腐るほど来ているのだが、海辺で遺跡がある場所は大体砂浜も糞も無い様な場所ばかりなので、砂浜を見ること自体が稀なのだ。
というか、海水浴客が居る、というだけで何故かテンションが上がる。
テンションが上がる。
大事な事なので二回思い浮かべました。
よくよく考えてみれば、まともに一般客が居る海水浴場なんて、元の世界で考えたら何年ぶりだという話だ。
この世界に来る前で言えば村正世界では少し立ち寄った気もするのだが、あそこでは速攻で海の家に行って飯を食って綾弥一条を誘導した覚えしか無い。
更に一つ遡るとスパロボJ世界での海水浴だが、あれは関係者以外存在しない、一種の貸し切り状態であった。

「あぁぁ~、そうね、海ね」

俺の無駄なテンションとは対照的に、大十字のテンションは地の底まで落ち、持て余し気味のワガママボディがそのオーラを絶の状態にしてしまう程にヘタレている。
が、そんなものは知った事では無いのである。
確かに俺は一人で勝手にバーニンアップしているが、そうでなくても、外から見てごく一般的な観光客に見える程度の振る舞いをして見せなければならない理由があるのだ。

「先輩、先輩。ふと思い出したんですが、一応名目上はここに来てるのもお仕事なんですから、そこまで表立ってヘタレ無いでくださいよ」

―――――――――――――――――――

目の前で左右の腰に手を置き、呆れた表情で私を見下ろす卓也に、お座成りに手をひらひらと振りながら答える。

「そりゃ、一応覚えてるさ。お仕事だもんな」

そう、余りの暑さにやる気が削がれに削がれまくっているが、それは一応覚えている。
事の始まりは、そう、覇道邸の改修が完了して、改めて呼び出された時だったか。
ウィンフィールドさんが言うには、覇道の所有するリゾート地で怪事件が相次いでいるらしい。
そこで、一月ほど前から船の難破や観光客の失踪などが頻発し始め、事が大きくなり始めているらしい。
更に、事件に関連性があるかどうかは判断しきれていないようだが、奇妙な噂も流れている。
よくある怪奇現象の類だ。
曰く、夜中に不気味な呻き声にも似た呪文の様な声が聴こえる。
曰く、海面に明らかにクジラのモノとは異なる巨大な魚影が浮かび上がっていた、等々。

「覚えてるけど、これ、調査の必要あるかぁ?」

どう考えても〈深きものども(ディープワンズ)〉の仕業としか考えられない。
そもそもの話として、インスマウスという土地自体が余り宜しい土地柄ではない。
そんな事は、陰秘学科で魔術を学んでいる人間にとっては、途中で中退でもしない限り知っていて当然の事実だ。
今では覇道財閥が所有する中で、というか、アメリカでも有数の観光地として名前が売れているが、ここらの土地が消極的邪神崇拝組織、あるいは邪神眷属が身を隠す土地である事はよくよく囁かれていた。
土地の連中が巧妙に偽装を続け、邪神眷属としての活動を控えていたり、明確な証拠が存在しなかったりするせいで手が出せなかったのだ。
証拠をつかめない程に活動を控えていたのは、覇道財閥が観光地化する事により人を増やし、陽の気を多くする事で連中の活動を妨害していたお陰、というのもあるのだが、それが狙いで観光地化したのかと聞かれれば首を捻る。
何しろ、彼等が邪神眷属であるという事実を知っていながら、殲滅する為の証拠を探すのではなく、生かしたまま封じ込めておく理由が分からない。
一応、私と卓也と美鳥で話を纏めて、覇道財閥のリゾート開発に何らかの魔術的な裏が無いかをウィンフィールドさんに確認してみたのだが、少なくとも覇道財閥の公的な記録にはそれらしい記述は存在しなかったらしい。
人が多くなる事で生まれた陽の気で活動しにくくなっていただけで、〈深きものども〉はまったく行動を起こせないという訳では無いのだ。

「原因の中りが付いてるんだから、それこそ調査なんて何処に本拠地があるかどうかを調べる程度だろ。だってのに……」

目の前の卓也の服装を見る。
海パンにパーカーの、如何にも遊びに来ましたと言わんばかりの服装だ。
ついでに私も、ツーピースで布面積多めの白のセパレーツ(濡れても透けない素材らしい。店頭で確認もした)に、似たデザインのパーカー。
私の草臥れ方から多少印象はばらけるかもしれないが、どう見ても遊びに来た大学生のあんちゃんとねえちゃんにしか見えないってのはどうなんだよ。

「先輩、せっかく海に来てるんですから細かい事は言いっこなしですよ。ほらほら!」

手を掴まれ、腰を下ろしていたチェアから引き起こされる。
日除けのパラソルから出た途端降り注ぐ日差し。
うむ、ダレる。
このまま日光で消毒されて跡形もなく消滅してしまいそうだ。

「いや、仕事なのはわかってるけど、もうほんと駄目なんだって。普段魔術とかそんな枯れた青春送ってるせいで、この日差しが私を拒絶さえしているんだよ……」

「先輩にはいい加減魔術師=灰色の人生、みたいな認識を改めて欲しいんですがそれは置いておくとして、まだ学生なんだから学生らしくはしゃぎましょうって。……それにですね」

手を引っ張られるまま力無く引き摺られ、そのまま愚痴をこぼしていると、手を掴んでいた卓也が背中に回り後ろから押し出し始める。
やる気の感じられない説得の後、顔を近づけての耳元で囁き。

「昼間は人目が多過ぎて、相手側も動きを見せません。現時点ではごく普通の観光客を装っておいた方が、本格的な調査をする時に話が楽に進むと思いませんか? どうせ今の時間は尻尾を出すようなヘマはしないでしょうし」

だから、今はそれっぽく振る舞いましょう。
そう告げる卓也に頷くも、私はやはりどこか納得がいかなかった。

「お、おう……」

いや、言ってる事は正しい。
現時点では偽装するつもりも隠ぺいするつもりもないにせよ、相手はこれまで只管水面下で息を潜めていた連中だ。
まさか真昼間からフル装備で自分達の事を嗅ぎまわっている余所者に気取られるような動きを見せる筈が無い。
となれば、調査に来た私達自身が、周囲の観光客と同じく見える程度には演技しておかなければ、最悪の場合、相手は私達の調査が空振りに終わるまで何も事件を起こさず、尻尾を出さないかもしれない。

そう考えれば、水着、レジャー、大いに結構。
なのだが……

「リューカ様、そちらに参りました!」

「お任せを」

「ガンバレー! ウィンさーん!」

「リューカお姉ちゃん! そのままじゃ回り込まれるよー!」

背中を押されて辿り着いた先には、砂浜に砂塵を巻き上げながら疾駆する二人の女性の姿。
砂浜であるにも関わらず、頑ななまでにメイド服を着続け、なおかつ顔色一つ変えないウィンフィールドさん。
もう一人は、十字の白抜きが施された黒のビキニに身を纏うシスター──リューカさん。
二人は細長い紐を巧みに操りトリッキーに動き回る緑色と黒色の縞模様の球体を相手に、割と白熱した戦いを繰り広げている。

「あのめちゃくちゃ関係無い人達は何なんだよ!」

緑と黒の縞模様の球体──西瓜と追いかけっこをしている二人と観客を指差す。
明らかにこの場に居る筈の無い人が紛れ込んでいる。

「先輩……。雇い主が現場の視察を行うのは、世間ではありふれた事態なのですよ」

「そっちじゃなくて!」

だというのに、卓也はふぅやれやれと言わんばかりに首を振り見当違いな答えを返してきた。
私が言う関係無い人達とは、もちろんリューカさんにガキンチョども。

「一応言っておくけど、あたしらは関与してねーかんな」

西瓜とメイドとシスターが繰り広げるハイスピードアクションとは別の方向から声が響く。
美鳥だ。
派手なボディラインではないが、身体を動かしているからだろうか、全体的にメリハリのある、猫科の肉食獣にも通じる色気のあるしなやかなボディ。
ワンピースタイプで、背中とヒップの一部が露出した、過剰過ぎない色気のある水着を纏った美鳥は、手にカレーの乗った皿を持ったままうんざり顔だ。

「たぶん、アリスン辺りは止めてたんだろうけど。ま、律儀者は横着者に勝てないってのが世の常なんだろ。────んで、ほらほら見てよお兄さん! このカレーの粉っぽさはまさに夢に見た海の家カレーだよ!」

瞬時に笑顔に切り替わり嬉しそうにはしゃぎながらカレーの皿を卓也に渡す美鳥。
こいつもこいつで楽しんでるのか、と、いうか、相変わらず多重人格レベルで兄とそれ以外での対応が違う。
卓也と美鳥から目を逸らすと、ウィンフィールドさんとリューカさんのアクションシーンから少し離れた所で、寡黙な巨躯の執事に日傘を差させて、何故かアロハ姿の御曹司。
目が合った瞬間、理解する。
ああ、アンタはこっち側か。

微妙に疲弊した表情の御曹司に奇妙な共感を覚える。
彼自身はこの調査に対して意欲的なのだろうが、部屋での書類仕事と公務での視察程度でしか外に出ない覇道財閥の総帥に、この夏の日差しは来るものがあるのかもしれない。
草臥れた顔を億劫そうに愛想笑いに変えて此方に手を振る御曹司。
それに軽く手を挙げて応えながら、思う。
浜辺で執事とメイドに仕事着を着せたままって時点で、こいつも脳味噌が大分ヤバい方向に進んでるな、と。

「重ね──」

「──カマイタチ」

余りの常識人の少なさに絶望しかけている私の耳に、ウィンフィールドさんとリューカさんの声に、水の詰まった果実が爆散する音が届いた。
見れば、リューカさんとウィンフィールドさんの拳は赤く染まり、突き出された拳の先には惨たらしくもその中身を砂浜にぶちまけられた被害者──西瓜の哀れな残骸。
体積の七割以上を吹き飛ばされた西瓜は、弱々しくも二本の腕──蔦で再び身を起こそうと踏ん張り────大地に崩れ落ちた。
わっ、と周囲のギャラリーから歓声が上がる。
……ところで、西瓜割りってのはああいう競技でもなければ、あの状態では西瓜も食べられないと思うのだが、どうだろうか。

―――――――――――――――――――

結局、西瓜割りに使われ粉々に砕け散った西瓜は再び使われる事は無く、海の家に引っ込んだウィンフィールドさんと執事さん達が綺麗に切り分けられた西瓜を持ってきてくれる事で何もかもが解決した。

「なんか納得いかねぇ……」

いや、確かに日差しを浴びながら格闘戦を繰り広げで生ぬるくなった西瓜より、芯までヒンヤリ冷やされた西瓜の方がありがたいんだけど。
しかも塩をかけなくても十分甘くておいしい。
更に、本当によく冷えているお陰で、この暑さの中で食べるには実にありがたい。
でもなんだろう、この嫌な敗北感。

「気持ちはわかるが、もう少ししゃんとしてくれないか。仕事が終わったら休むなり遊ぶなりしても構わないし、その時に必要な経費も出す。だからまずはちゃんと働いてくれ」

何処か影を背負った風の御曹司。
だけどな、アロハ姿でメイドと執事を引き連れた状態を不自然に思わない時点でアンタも同じ穴の狢……って、待て待て。
何故か御曹司とウィンフィールドさん達はこちらに背中を向け、去って行こうとしている。

「おいおい、まさか、私達だけに働かせてホテルに引っ込もうって腹かよ」

つい敬語を忘れて(というか、もう殆ど敬語を使う事も無くなったんだが)呼び止める。
が、私の言葉に対し、御曹司灼熱の日差し降り注ぐ天を見上げながら、何処か煤けた背中で答える。
その表情は此方からは伺いしれない。

「……書類がさ、溜まってるんだ。都心復興計画に、邸の警備強化の案件に、対魔術装備の研究予算追加案に……。目を通して、承認印を押すだけならここでも出来るから、ホテルに書類を運び込んで……」

「ご、ごめんなさい……」

「では大十字様、健闘を祈っています」

十三階段を上る囚人にも似た重い足取りでホテルに歩いてく御曹司の後を、ウィンフィールドさんは此方に一度お辞儀をしてから追いかけて行った。
取り残される私達。

「偉くなるのって、大変なんだな……」

「我等は奴の手伝いをしてやれんが、奴には出来ない事ができる。ようは役割分担だ。奴の仕事を大変だと思うのなら、我等もしっかりと仕事をこなしてやろうではないか」

「前向きだなぁ、お前は」

これで、手に海の家で買ったと思しきイカ焼きを持ってさえいなければ。
あと、ダンセイニを浮き輪型にしていなければ。
欲を言えば何時の間にか新調してた水着でなければ。
隣に突き刺した乗れるかどうかわからない、如何にも新品臭いサーフボードが無ければ。

「あれ、もしかしなくても遊ぶ気まんまんだよな、それ」

「また妄想か……汝もいい加減現実を見据えて発言した方が良いぞ?」

何故か此方に憐みの視線を送り始めるアル。

「自分の姿を直視してから言おうぜ、そういう事は」

あと、浮き輪型にしたダンセイニに水鉄砲を突き刺してやるな。せつなくなる。

「とはいえ、先輩の言う事ももっともですよ、アルアジフさん。なぁ美鳥」

「ん。お兄さんの言う通り、ここは既に敵地と言っても良いレベルの場所なんだぜ?」

「卓也、それに美鳥も」

腕組みをしながら頷く二人。
……何故だろう。文面的には私の味方のはずなのに、もう嫌な予感しかしない。

「そうだよ、アルちゃん。……海で遊ぶなら、ちゃんと準備運動をしなくちゃ」

「うぉぉい! そこじゃないよリューカさん! 言ってる事は間違ってないけど、少なくとも私が言いたいのはそういうこっちゃないよ!」

既に準備体操を始めている教会組の代表、リューカさんに突っ込みを入れる。
私は何も間違っちゃいない筈なのだが、寄せられる視線は何処か冷やかなものが混じりだしていた。

「先輩……、ここには年若い子供もいるんですから、俺達大人が手本を見せないでどうするんですか。アリスンを見習ってください、アリスンを」

卓也に矛先を向けられたアリスンは、準備体操を続けながらも照れくさそうに口元を歪めた。

「よしてくださいよ。わたしゃぁ、身体を動かす事しか能の無い人間でしてね」

「アリスンはスポーツマンの鏡だなぁ」

ああ、駄目だ。
どんどん空気に流されてってるのが分かる。
シリアスな空気は、シリアスな空気は何処に?

「九郎ちゃん。──ドンマイ♪」

リューカさんに笑顔で肩を叩かれ、親指を立てられながらのおざなりな励まし。

「うあーい、改めて人にやられると無性に腹が立つなそれぇっ!」

「とりあえずしばらく遊んで、昼には海の家で飯ですかね。どうせ今調査しても既出の情報しか集まりませんし」

「おらークソガキどもー、今日は覇道の金で飯が食えんだから、腹が裂けるまで食う為に身体動かしてけよー」

「お前らが仕切るのかよ」

その場を仕切り直した卓也と、何時の間にかガキンチョ共を纏め上げていた美鳥。
ふと思い出したかの様に卓也が振り向いた。

「あ、そうだ先輩。あそこの海の家のイカスミパスタは他所では味わえない絶品ですよ」

「ほう、イカスミが…………はっ」

ついお勧めメニューに反応してしまった。
……うん、でも、まぁ、仕方が無いか。
確かにこんな真昼間から普通に聞き込みして手に入る情報なんて、覇道の方で手に入ってるだろうし。
空振り前提で仕事するのも馬鹿らしいしな。
昼間の間、ガキンチョどもが居る間に事件に巻き込まれるのも困る。
連中が尻尾を出すまで、ゆっくりと休養を取らせてもらおう。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「ああっ、どうして僕は御爺様が生きている内に、もっと学んでおかなかったのか……!」

空になった一升瓶の中、覇道瑠璃が両手で顔を抑えさめざめと泣き崩れた。
どうやらこの覇道瑠璃、酒乱ではなく泣き上戸の類であったらしい。

「おいたわしや、おいたわしや瑠璃お坊ちゃま……! 私めは、どんな事があろうとも坊ちゃまの味方にございます……!」

そして、こちらは酔っているのか酔っていないのか。
少なくとも酒は一滴も口に入れていない筈なのに酔っ払った覇道瑠璃と同等のテンションを維持しつつ、泣き崩れる覇道瑠璃の手を取る。

「ウィンフィールド……お前の様な部下を持てて、僕はなんて果報者なんだ……!」

ひしっ、と、自らの手を握るウィンフィールドを抱きしめる覇道瑠璃。
そしてそれを抱きしめ返すウィンフィールドさん。
しかしそれにしても、文章に起こしたら三点リーダと感嘆符の嵐になりそうな会話ではないか。
このメイド長、酒によるものか状況によるものかはともかくとして、間違いなく酔っ払いの類に違いない。

さて、昼の時間は遊びまくって過ごした訳だが、夜になればすぐ調査が始まるという訳でもない。
むしろ、夜に動くわけではない。
確かに日の光が連中にとって不利に働く場合もあるが、この場合はむしろ、日付や星の位置、月齢などがより重要な要素となるのだ。
俺も仮の姿とはいえ魔術師の端くれ。
日本にある〈深きものども〉の神殿に設置された魔術的なゲートを改造した事もある男だ。
出来損ない寸前のルルイエ異本の写本にも目を通したし、これまでに手に入れた雑多な魔導書から手に入れた知識で理論も再構築済み。
実際にこのイベントに遭遇したことがほぼ無いに等しいとしても、実際にアヌスが儀式を執り行う日取り程度なら容易に予測可能なのだ。

「そんな訳で美鳥、この赤身をやるのでその帆立を俺に譲渡なさい」

「何その糞レート。お兄さんこそ愛らしさ満点の私にその天麩羅をあーんしてくれるがいいぜ。こう、ハーレムラノベの主人公みたいにさぁ」

「ほんのり甘える振りをして、密かに念動力の手を海老に伸ばすとか、お前ってば出世したよな」

「それはそれ、これはこれじゃん。ほんの少し分けてくれるだけでいいんだって、二分の一と三分の一と六分の一程度でいいんだからさ」

「おい美鳥、おいおい美鳥、俺をどこぞのポンコツ忍者と一緒と思うなよ? どうしても食いたきゃ海潜ってキャプチャーしてこい」

なので、今は素直に出された料理を平らげるのに時間を割くのが正解だろう。
ちなみにこれは本気で争っている訳ではなく、喧嘩腰でオカズのトレードをするという兄妹間コミュニケーションの一種に過ぎない。
何、自分で複製作ればいいだろうって?
自陣で自給自足できれば他所から奪う必要はない。
そんな理屈が本気で通るなら、人類は歴史の何処かで戦争を完全に終わらせることができたんじゃないかなと思う。

「でもあれだね」

オカズのトレードを終え、ちびちびと食べながら美鳥が小さく呟く。

「ん?」

「連中を山に行かせて正解だったね」

「確かにな。そうでなきゃもう少し騒がしかったろうしな」

ブラックロッジの慰安旅行が調査に重ならないだけで、というか、ドクターが居ないというただそれだけで、ここまでの時間は穏やかに過ぎている。
もしかしたらエルザがバグってやっぱり海に行きたいとか言い出しやしないかとヒヤヒヤしていたのだが、少なくともこのインスマウスには来ていないらしい。

だから当然、近くの座敷で宴会をしていたブラックロッジが乱入してきたりもしない。
更にTSしていない覇道瑠璃と異なり、覇道瑠璃♂は泣き上戸で周囲に絡まないので、この場所にはひどく穏やかな空気が流れている。
ここに一例を紹介しよう。
そう、教会の子供たちだ。
TSしていない常のループとは異なる人間関係が展開されているが、それでも子供同士の何気ないやり取りというのはどこか心をほんわりとさせる作用があるのではないか。

「ほぉらアリスン、まずは一献」

黒髪ポニテに赤目の、少しだけ浴衣の前を肌蹴て豊満な母性の峡谷を見せつける美しい少女──ここではコリンだと仮定しておくとして──が、片方の袖を手で抑えつつ、徳利を逞しい体つきの少年に差し出している。
……まぁ、無礼講というのもあるし、子供は子供でも全員十八歳以上なので成人してる可能性も捨てきれない。野暮なツッコミは飲み込んでおく。

「酒ダメなんで、オレンジジュースください」

それに、角刈り(角刈り?両サイドは刈り上げているように見える)にグラサンの少年はクールに返す。
成人しているかどうかはともかく、酒の席で飲酒を断るのは割と勇気のいる行動だと言われるし、見た目通り、B級の上位妖怪レベルで男らしいぜ、アリスン。

「野暮な事を言わないでくださいな。こういう場所でも無けりゃうちらは酒も飲めないんですから、ここは付き合いと思って、ささ」

だが、そんなアリスンの断りを更に断り、褐色肌に丸メガネに何故かメイド服の少女──こちらを一時的にジョージと仮定しておく──がグラスに冷えたビールを注いでいく。
シスターリューカに聞いた話だが、アイスクリーム作りが趣味で、お風呂は江戸っ子が裸足で逃げ出す熱い風呂に入っても『温うございます』と言うほどの熱風呂好きらしい。

三人の突出した個性が上手く噛み合わさった良いトリオだと思う。
なお、これだけは言っておくが、俺はこの三人にツッコミを入れるつもりは一切ない。
一切、無い。

とはいえ、子供枠の三人が積極的に飲酒ネタを扱うのは不健全に思われるだろう。
だが、こちらを見て欲しい。

「ライガ兄さん……」

窓枠に腰掛け、お猪口を口に運びながら月を見上げているシスターリューカである。
ちなみに、彼女が口にしているのは純粋なアルコールではなく、俺が以前取り込んだサンダルフォンの解毒機能を解析し作り上げた、一時的に解毒機能を無効化して酩酊状態に持っていくことが可能な特殊な飲料だ。
普段は模範的な空手シスターの仮面に隠しているが、どうせ腹の中にはこれでもかというほどストレスを抱えているかもしれないと思い、普通の酒とすり替えてみたのだが、どうにもダウン系の症状が出てしまったらしい。
半分は俺が原因とも言えるだろうが、酔っ払って保護対象の子供たち完全放置で酒と自分に酔う辺り、中中にダメな人だと言える。
これと比較すればほら、子供たちがちょっとはっちゃけるのなんて戯れのようなものではないかな。

「深…悲し……中……年は翼を~♪」


JASRACの気配が近づいてきた。これ以上いけない。
ハーモニカを作り出し無言で投げ渡すと、歌を止めて、静かにメロディーを奏で始めた。
あの物憂げな表情でエロゲOPをハーモニカで演奏とかそうは見れない光景だな……。
これはあれだろうか、激しい曲調がどこか物悲しい響きを伴って聞こえてくる的な感想を抱けば満足なんだろうか。
とはいえ、二人のそれぞれに対するスタンスを変えずに性転換したら、そんな事が起こる可能性も否定はできない。
TSしない場合、かなりのディープラブを持つ弟だからな、潜在的キモウトになっても仕方あるまい。

で、大十字とアルアジフは。

「ハムッ ハフハフ、ハフッ!!」

「ちゅるちゅる、ちゅる……」

やだ……あの食べ方気持ち悪い……。
でも別にいいや。いつもどおりだし。
再び食事に戻る。

「そいや、飯食ったら露天風呂行くけど、お前どうする?」

「あー、あたしパス。公共の場所だと堂々とひっついてられんし。家帰ったら一緒に入ろうぜー」

「そか、家の風呂も拡張するべきかね」

「や、狭いほうが密着できるし。むしろ膝に乗せて貰えるし」

正直、今の美鳥だと膝に載せるには些か大きすぎるんだがな。
俺はその言葉をいかにオブラートに包むかを考えながら、皿の上の刺身に箸を伸ばした。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

バカ騒ぎになるでもなく静かに混沌に沈み始めていた宴会場を抜け出し、俺は一人露天風呂を堪能していた。
軽く体を洗い汚れを落としお湯で流した所で、広々とした湯船に浸かる。

「ふぅ」

いいお湯だ。
温泉の成分がもたらす効能は俺に影響を与えないが、それでも広い露天風呂を一人で貸切、というのはとても気分がいい。
立ち込める湯煙は天に登り、顔を上げて視線で煙を追うと視界には夜空が映る。
月明かりに照らされて黒よりも濃い藍色に近く、その藍の中には輝石の煌きを散りばめた満天の星空。
無限に広がる大宇宙、果てのない星の海。

「あー……」

なんだろう。少しホームシックかもしれん。
いや、元の世界が懐かしいとかそういう意味ではなくて、星の海が懐かしいというか。
この世界来てから結構経つけど、基本的に活動場所は地球上に限定されている。
だからだろうか、地球の空の果て、大気圏の向こう側の世界が酷く懐かしく感じてしまうのだ。

スパロボ世界に居たのはたったの二年程の短い時間だったというのに、我ながら思い入れが深かったのかもしれない。
ナデシコでの火星への道道に、ジャンク屋連中のホームでのグレイブヤードへの同行。
限られた時間ではあったが、星の海を渡るというのは元の世界ではそうそう出来ない体験であるためか、俺の中に深く刻み込まれているらしい。

いかん、イカンな。
こんな事なら美鳥も連れてくれば良かった。
同じ体験を経てる美鳥となら思い出話とか出来ただろうに。

「んー……」

こういう時は、一人風呂を覆う存分堪能するのがいい。
広い湯船で温かいお湯に浸かり、童心に帰り戯れる事で砂漠のごとく枯れた心に心の種を蒔くのである。
日の光、思いやりを浴びて育った笑顔は枯れないのである。
種を植える記述と種が大きくなる記述、色とりどりの蕾が膨らむ記述に花は枯れないという記述に根を張る記述。
ここまで揃っているのに、具体的に植えた種から芽が出る記述が一切存在していないのは叙述トリックなどという心の捻じ曲がったからくりでは決してない。
そもそも植えた種に肥料や水を与えた記述が存在しないのは、本当はグロテスクな童話集的な世にもおぞましい理由が存在しているからではないのは火を見るよりも明らかだ。
ある日幼い子供が鉢植えに種を植えた。
ところが子供は種に水を与えるという知識を持っていなかったので、種は目を出す前に死んでしまい、その後の蕾が膨らんだ苗は親御さんが子供には内緒で用意した替え玉であるとか、
そんな子供の精神面での成長を考えることの出来ないモンスターペアレンツの邪悪な所業とか、マジで無縁の世界である事をここに宣言させてもらおう。

「先ずは、金神の欠片を使ってミニサイズオルファン作って、と」

汗腺から滲み出した金神エキスを温泉内の様々な成分と混合させつつ形を形成。
ベースになる浮き物を作ったら、周りに配置する用の小物が必要だな。
あの日あの時奪ったプレート、そこから生まれたグランチャーをベースにDG細胞で作り上げた偽グランチャーが初めてまともに役に立つ時が!
ああでも、このオルファンのサイズに合わせるとマジでミジンコレベルのサイズになってしまうな……。
いいや。グランチャーのサイズは見栄え重視、コンビニ売りの三百円SDフィギュアぐらいにしておこう。
ちゃちゃっと簡単な作りのバイタルネットを張ってやると、グランチャー達がぴょんぴょんとバイタルネットに沿ってジャンプを繰り返す。
かわいい。
場面再現までするつもりにゃ成れんが、こいつらは浮かして遊ばせとくだけでも和む。

「このオーガニック的な感じ、イエスだな」

意味は未だ持って理解しかねるが。

「オーガニック的?」

湯煙の向こうから声がかかった。
慌ててミニオルファンをひっつかみ、海に向かって放り投げる。
ミニグランチャー達は放物線すら描かずに海に向けて直線で飛んでいくオルファンを追いかけて夜闇の中へと消えていった。
うむ、捨てといてなんだが、精々強く生きるがいいさ。

「さぁ? でも多分これからその意味を知っていくんじゃないかなって思います」

「なんだそりゃ」

湯煙の先から現れた声の主は、予想通り大十字だった。
大十字は申し訳程度に体の前を腕に引っ掛けたタオルで隠しているが、タオルのサイズがあまり大きくない為かほとんど隠しきれていない。
というか、本人のあっけらかんとした表情から察するに、あまり体を隠す意図は無いらしい。

スポーツマンらしく適度についた筋肉に、しかしそれでも決して女性らしさを損なわせない柔らかなシルエット。
服の上からだとアメリカ的な盛に見えていたが、遮るものがタオル一枚になるとやや日本人的な造形の豊満な胸。
筋肉のお蔭で細いとは言えないが、尻までのラインを含めるとたおやかと表現しても構わない胸騒ぎの腰付き。
スラッとしているが、決して華奢な訳ではなく、激しく動くのに適したしなやかな脚。
背も大きすぎない程度に高く、モデル体型、とは少し違うが、十人に見せれば十五人がごくりと唾を飲む(内五人は聞いてもないのに体つきの美しさを口頭で表現し始める)女性的な身体。
基本的に全て丸見えである。

「先輩、恥らいって知ってます? 今直ぐにでも先輩に補充されてしかるべきものなんですが」

俺の皮肉にも大十字は堪えた風もなく、鏡の前に座り、身体を桶で汲んだお湯で流しながら答えた。

「これまで何度も肌を晒してる相手に持っても意味がないモノだよな。それならさっき洗面所に置いてきちまった」

風呂上がったら回収するさ、と言いつつさっさと身体を洗い終え、形のいい爪の生えた足指を軽く丸めながら、足先からゆっくりと湯に身体を浸していく大十字。
湯船の中をざぶざぶとお湯をかき混ぜながら歩き、俺の隣りで腰を下ろす。
肩まで浸かり湯の中で体育座りの大十字の胸が、透明度の高いこの露天風呂の湯に浮かぶ。
因みに持ち込んだタオルは大十字の長い髪を纏めて置くのに使われており、身体は一切隠していない。
ここまで恥ずかしげもなく身体を晒されると、逆に色気が薄まって見えるから不思議だ。

「ふぃー……」

目を閉じて脱力し、次いで身体を貫く温泉の熱にフルルッ、と身体を震わせる大十字。
しばし無言で顎まで温泉に浸かり、ふと顔を上げる。
真顔で俺の方を向き、告げる。

「なんか近くねぇか、私たち」

「たぶんそれこっちの台詞ですよね」

何の説明もなく近づいてきたのは大十字の方だというのに、今更ではないか。

「んー……」

だが俺のツッコミには返事もせず、大十字は星空を見上げて考え込む。
星空に青い流星が流れると同時、大十字が何かに気づいたのか、ハッとした表情に。

「そうか、つまり卓也は私の裸に興味があるのか」

「先輩もしかしなくても酔ってますか?」

酒飲む暇があれば食え! くらいの勢いでエビやらカニやらに食らいついていた気がするのだが。
しかしなるほど、自分で言っておいて合点が行った。
改めて見てみれば、確かに大十字の顔の赤らみ方が半端ではない。
風呂に入って血行が良くなったとかそういうレベルで済む赤さではないのだ。
赤らんだ顔の大十字は馴れ馴れしくこちらの肩に腕を回し、ぐいぐいと胸を押し付けてくる。

「お前さぁ、人のこと注意するときゃ図々しいのに、こーいうとこは意外と他人行儀だよなぁ? 言ってくれりゃ、多少なりとも私はたくやに感謝してんだ。はだかのひとつやふたつ減るもんじゃなし、ほら、なぁ!?」

肩に手を回しつつもう片方の手で拳を作りドスドスと俺の腹に半笑いで拳を叩きつける大十字。
こいつも面倒な酔い方するなぁ……。
体内アルコールを分解して酔い覚まししてやってもいいんだが、ここで唐突にシラフに戻られても困る。
その後の大十字のリアクションが容易に想像できるからだ。
面倒くささのベクトルが変わるだけで自体が一歩も前進しないのだから、完全な徒労に終わるだろう。

「とりあえずほら、先輩、一旦離れて」

「んふふー、恥ずかしがんなってーうりうりー」

力任せに振りほどくとダメージを与えてしまうので、体と体の間に腕を差し込む形で距離を取ろうとするのだが、大十字のこちらの肩を抱く腕の力が思ったよりも強いらしい。
肩を抱く力を強めると共に、繰り返しその胸の山脈を腕と背中に押し付けてくる大十字。実は溜まってるのだろうか。
更にこの距離だと、モロに大十字の顔が顔の近くに来る。
間近に迫る大十字の顔。
温泉の熱で上気し珠の汗を浮かべる肌、形のいい鼻に、濡れた桜色の唇が目の前にある。
端的に言おう。
酒臭ぇ。
更に、さっきまで食べていた海鮮系の食い物とか全般の匂いが混ざり合って、何とも表現しがたい嫌ぁな臭いが大十字の口から漂ってくる。

「怪我の治療と羞恥心は別換算なんでしょう? いいから離れてください」

「いや、酔ってねぇよ」

「時間差もやめてください」

信じられるか? これ、一応ミスカトニックの才女とか呼ばれたりしてる人間なんだぜ……?
と、そんな事を考えていると、胸を押し付けたまま身体を揺すっていた大十字の動きがピタリと静止した。
見れば、先程までは無駄に酒臭い息を吐き出していた口を真一文字に閉じ、赤らんでいた顔は徐々に蒼白になりつつある。

「………………」

大十字は口を開くことなく、無言を貫く。
肩をホールドする腕がゆっくり、静かに外れ、指を揃えた両手が口元に添えられる。
腹部が僅かにびくりと蠢き、喉が食道に食べ物を通す時とは逆の動きで盛り上がって、

「…………うぷっ」

頬が、膨らんだ。

「はい、どうぞ」

だがこの程度の逆境、俺には通用しない。
そもそもあれだけメシを食って、更に酒まで飲んで、挙句に風呂場で人に絡んで動きまくったのだ。吐かないと思う方がおかしい。予測の範囲内だ。
俺は手早く近場の木桶を手に取り、大十字が中身をリバースしても湯船に混ざらないよう、大十字の胸の辺にそっと差し出した。
因みに、俺はこの時点で既にド・マリニーの時計の魔術を発動準備状態で待機させている。
万が一桶からこぼれても、全ての吐瀉物は過たず大十字の口の中へと戻っていくことだろう。

「……!」

だが、大十字は口元を抑えたまま首を横に振った。
吐き出す場面を見られるのが嫌なのだろうか。

「…………ッ、ん、ぐ……んぅ」

頬袋一杯に混沌を宿したまま、咀嚼を数回、大十字の喉が鳴る。
ごくり、ごくりと、力強い嚥下の音。
口の端から僅かに嫌な色の液体が漏れているが、見る見る内に大十字の頬袋は小さくしぼんでいく。

「ん……、ふぅ……」

完全に口の中の何かを飲み干した大十字は、胃液の匂いのする安堵の吐息を吐き出した。
再び酒気に赤く染まった顔を不敵な笑みに変え、サムズアップ。

「へへ、私がこんな事で貴重なご馳走からのカロリーを吐き出す訳ないだろ?」

「もう良いから胃薬飲んで寝ろ」

思わずタメ口で返しながら、インスマウスの夜は更けていった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

翌朝、大人しく待っていた甲斐あってか、連中が動き出した。
いや、もしかしたら大人しく待っている必要すら無かったかもしれない。
町中の人という人が、残らずその姿を消して、一夜にして町がゴーストタウンと化したらしいのだ。
……調査依頼を受けておいて、この事実に最初に気がついたのがウィンフィールドさんに報告をした部下の人、というのも間抜けな話だとは思うが、それは別に問題ない。
町から一斉に住民が居なくなる、とまでは考えていなくても、必ず何かアクションを起こすことは予測出来ていたし、どちらかと言えば私たちは魔術関連の荒事担当である。
報告を受けた私たちは、この近辺で地元住民達が昔から祭っているという、離れ小島の神殿へと向けてクルーザーを走らせ始めた。
もちろんこの小島の情報を入手したのだってウィンフィールドさんの、というか覇道の部下の人。

「もう覇道財閥だけでいいんじゃないかな……」

電話で呼び出してくれれば駆けつけるから。

「何を自虐しておるか。ちゃんと気を引き締めろ」

「ああ、わかってるさ」

覇道財閥が優秀すぎる件は置いておくとして、今は間違いなく荒事が始まる時間だ。

「怪奇指数は……クソ、ダメだ。未開地使用の計器を持ってくるんだった。メーターが振り切っていやがる」

よく大学の実習で使っている怪奇指数の計測器に、美鳥が悪態をつきながら蹴りを入れる。
通常はメーターの五分の一も針が動けば危険なレベルなのだが、今現在、針は完全に振り切ったままピクリとぶれる事すらない。

「なに、そう気にするな。メーター振り切った時点で、あそこに何かあるって証明は済んだも同然だ。後は感覚で……」

美鳥の頭の上に手を置き、わしゃわしゃと髪の毛をかき混ぜる様に撫でる卓也。
卓也は美鳥の頭を撫でているのとは反対の手に、文庫本程のサイズの手帳を取り出しそれに魔力を流し込んでいる。

あれが卓也の魔導書か……。
私は現在の状況も忘れてその魔導書に注目した。
卓也も美鳥も同じタイプの魔導書を使用しているが、実際にその魔導書を利用して魔術雨を行使している場面はあまり見たことがない。
普段はほぼ自力での魔術行使か、さもなければ魔導書を利用しない形式の魔術を利用する事が多い気がする。
何か、魔導書を積極的に使いたくない理由でもあるのだろうか。
魔導書から視線を外し、卓也の表情に目を向ける。
割と真剣な表情だ。
探査の魔術を使っているのか、小島の方を眺めていた卓也の表情が見る見るうちに険しくなっていく。

「……急いだ方がいいですね。神降ろし、いや、実体を伴う招喚の可能性すらありえますよ」

「で、あろうな。強い腐臭に、冥い冥い闇の気配。土地柄も考えれば、碌なモノではない」

ふん、と鼻を鳴らして答えるアル。
確かに、言われてみれば、あの小島からは私でも判るほどに異質な気配が噴出している。更に、卓也の言とアルの相槌を信じるならば、邪神を呼び出す儀式が行われているのだ。
どこまで隠密で近付けるかはわからないが、最終的には大規模な戦闘になるのは間違いない。
だから、可能な限り最初から全力で潰す形で行きたいのだが……。

「御曹司はどうすっかな……ウィンフィールドさんだけに任せて大丈夫なのか?」

「すまないな。だがページ集めの途中で依頼した責任もある。せめて結末まで見届けなければ」

そういうことらしい。
正直な話を言えば迷惑極まりない話なのだが、そこで責任感などを持ち出されると断りにくい。
それに、この間の覇道邸襲撃であれほどの目に合っていながら怖気付きもしないその根性と正義感の強さは尊敬に値する。
今回は執事さんも最初から付いてるし、余程のことが無い限り御曹司の身が危険に晒される事はないだろう。
ここは心配し過ぎずに、来たるべき脅威に集中しよう。

「雲行きが怪しいね、嵐が近づいてるのかな」

「いや、エラ呼吸系の連中の一部には天候を操作する力を持つ個体も居るから、そいつらじゃねえぇかな。儀式の内容次第だけど、自分たちの属性を強化する必要が出てきたか……」

空を見上げ、暗雲の動きに表情を曇らせるリューカさんと、それに推測混じりの答えを返す美鳥。
まて、なんか今自然すぎて見逃しそうになったけど、待て。
クルーザーに乗っている人数を数えなおす。
まず私とアル、卓也と美鳥、船を操作するウィンフィールドさんと御曹司、そしてリューカさん。

「…………」

私は無言のまま全員を見回す。
アルは憮然と首を横に振った。
御曹司は違う違うと驚きの表情でぶんぶんと首を横に振っている。
ウィンフィールドさんは我関せずと総船室で舵取りに集中。
卓也と美鳥は……、

「連れてくるなら連れてくるで事前に言っておきますよ、俺は」

「あたしなら武器や防具の一つも持たせる」

「だよな」

改めて、最後の一人に顔を向ける。
真剣な表情のリューカさん。

「アリスンは置いてきたよ。二日酔いはしてないけど、彼は今回の戦いには付いて来れないからね」

「いや、今回以外の戦いにも連れてくるなよ」

恐ろしく堂々と、さも当たり前であるかのように、水着姿のリューカさんがそこに居た。
何故かはイマイチわからないが。

「ええ、え? なんで、何でリューカさんが?」

いや、言動からしてこれから戦いにいく事を理解した上での事なのだろうが、何故付いてきたのだろうか。
私の問いに、リューカさんはいたずらっぽい表情でウインクを決める。
そのまま閉じた瞼から星が飛びそうな綺麗なウインク。

「荒事なんだ。人手は多い方がいいだろう? それに……」

真剣な表情に戻り、視線を小島の方へと向けた。

「あの島から、邪悪な闘気を感じる……。私の知り合いかもしれない」

何気なく闘気とか言っちゃったよこの人。
握り締めた拳が輝く字祷素を纏い始めちゃってるよ。
もう嫌、なんで魔術師でもないのに超人染みた人ばっかりなんだ。
魔術師って何、みんな武術家になればいいじゃない。

いや、今の状況からすれば、リューカさんが超人染みた格闘能力を持っている、というのは都合がいいか。
今からリューカさんを帰らせるためだけにクルーザーを引き返らせていたら、その間にあの小島の神殿で儀式が完了してしまうかもしれない。
幸いにして〈深きものども〉は、その肉体構造上の弱点を突けば魔術無しでも打倒できるタイプの邪神崇拝種族。
優秀なKARATEマイスターであるリューカさんなら、自衛どころか戦力としてカウントしてしまえる。

少しホテルに残されたガキどもが心配では、心配で、心配、しんぱ……い?
……あのガキンチョ共がそこらの並の子供と同じく窮地に立たされるビジョンは浮かばない。
気にしないでおこう。

「じゃあ、あんまり無茶はしないで……」

リューカさんに自重をお願いしようとした、その時だった。

「うわわっ」

船が傾ぐ。
それこそ一歩間違えば沈没しかねない大きな揺れ。
みんなが一瞬体勢を崩し、しかし危うい所で踏みとどまる。
揺れる船体に煽られ、盛大に波飛沫が散った。
船は傾いだまま、私はバランスを崩さない様に手摺に腕を絡める。

「どうした、ウィンフィールド! 何が起こっている!」

「わ、わかりません! 何者かが船底に……なっ!」

船を取り囲むように、何本もの水柱が上がり、

「っしゃおらぁッ!」

水柱が上がるより一瞬早く海に身を投げた美鳥の鋭い蹴りによって、水柱を上げながら海中から飛び出した人影の一体が再び海に沈む。
派手な音を立てて再び海中に沈む人影と美鳥。

「って、それもマズイだろ!」

海から飛び出した人影の正体は、姿を消した港町の人間。
尽くカエルに似た、外の人間からは『インスマウス面』と呼ばれる容貌の彼らの正体は、海の邪神に仕える邪神眷属──〈深きものども〉である。
水の属性と深い関わりのあるこいつらは当然の如く海の中でこそその真価を発揮するので、対処するなら陸上で、というのが魔術師の間での常識だ。
そんな連中の後を追って水の中に入るなんて……!

「美鳥は海適正Sだから大丈夫です。俺たちは船の上を!」

美鳥を心配する素振りすら見せない卓也に急かされた。
卓也は既に魔導書を懐に収め、偃月刀を構え直している。

「ええい、アル!」

卓也がああ言っている以上、私が美鳥の心配をしたってしょうがない。
ここは船を沈められるのを阻止しなければ。

「応よ!」

瞬時にマギウススタイルに変身。
未だ人間の擬態をしたままの〈深きものども〉の一体を、ウィングを刃に作り変えて素早く切り刻む!
首、胴体、下半身とに分断され、ヘドロにも似た濁った血液を撒き散らしながら甲板に転がる〈深きものども〉の肉塊。
しかし目の前で同胞を殺されたというのに、残りの〈深きものども〉は慌てる様子すら見せず、人間への擬態を捨て去りその本性を露にしていた。

「陸ノ人間……邪魔……オマエラ邪魔……」

「男要ラナイ……コロス……女、犯ス……仔、孕マス……」

独特の類人猿じみた骨格から常に前傾姿勢を保つシルエットの、身の丈二メートル以上はある巨人達。
背にはびっしりと鱗が生え、肌は灰色がかった色に変わり、指の間には水かきが張られている。
エラの張っていたカエル面は、いつの間にか本当にエラの生えた半魚人顔へと変化を遂げていた。
これこそ、〈深きものども〉の真の姿である。

「オレタチ……ニンゲン食ウ……ニンゲン食ッテ……ニンゲンノチカラ……手二……入レル……」

「リントザリバ……バベダスヅビ……ギバギ……バベサドバベサゾガパゲセダラソババスヅビ……ランゲヅドバス……」

徐々にこちらに向けて近づいてくる〈深きものども〉はかなりの数になる。
美鳥が海の中でそれなりに数を減らしてくれているのだろうが、それでもクルーザーの上で私たちを包囲するには十分な数だろう。
だが────

「────鋭ッ!」

「ABRAHADABRA!」

リューカさんの正拳突きと卓也の放つ雷撃。
その軌道上に固まっていた〈深きものども〉が木の葉の様に吹き飛ばされる。
そう、この布陣なら、この程度の数の半魚人如きに押される事は有り得ない。
が、そこまで考えて異変に気付く。
船の傾きが、さっきよりも酷くなっている。

「は? 〈深きものども〉以外の敵? 速い、っておいおま、え、船底に?」

卓也が偃月刀を構えたまま片手を耳に当て、美鳥と交信を行なっているが、その内容は如何にも芳しくない物に聞こえる。
更に、操船室からはウィンフィールドさんの珍しく焦りを含んだ声が聞こえてきた。

「──船底に取り付かれました! このままでは、船底に穴が!」

「おいおいおいおいおい!」

「ちょっ!?」

「それは、まずいんじゃあ……」

美鳥は海の中でも戦えているようだが、私達はこの状況で海の中になんて、冗談キツイ!

「! いかん! 九郎上だ!」

言われ空を見上げる。
空に灰色の人影、装甲服を纏ったその身体は二メートル程か。〈深きものども〉ほどではないが、かなりの巨人。
足からロケットのように炎を噴出して滞空しているそれが、私達の船に光り輝く指先を向けた。
瞬間、エンジンルームから小さく煙が立ち上り────

「ちょ」

「急げ九郎!」

「あの野郎……!」

「うわぁぁあああああああ!」

「旦那様!」

爆発。
爆心地が近すぎた為か私の耳には爆音すら残らず、圧力と熱の感触だけが妙に鮮烈に感じられた。
私達は抵抗する間もなく、荒れ狂う海へと投げ出された。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

当然の話ではあるが。
船が沈没し、他の連中が沈んで流された直後、俺は即座に空に飛び上がり、光の狙撃手の事を徹底的に痛めつけた。
『これ』のスペックは良く知っていたし、スペック上でも然程脅威にならない事は知っていた。
モデルとなるキャラクター程に防御面で優れている訳でもないこれを叩き潰すのは、冬場に現れた季節外れの蚊を叩き潰すよりも簡単な仕事だった。
べこべこに凹み所々亀裂の入った、赤みがかった灰色の装甲服の胸を踏みつけ仮面を引き剥がすと、そこには金髪の青年の顔。
見知った顔だ。というか、夢幻心母では割と定期的に顔を合わせる。

「どういうつもりですか、ヒューマンフレア」

ムーンチャイルド計画試験体6号再利用魔導兵器『ヒューマンフレア』
それが、通常の下っ端魔術師には勝るが逆十字よりは弱い、というか、ブラックロッジに公表している分の俺の設定でも勝てる程度の能力しか持たないブラックロッジの『備品』の名前だ。
手足を、いや、全身の骨格を粉砕された挙句、更に胸を踏みつけられながらであるにも関わらず、ヒューマンフレアの返答は軽薄だ。

「わかるだろ? 俺たちはママの頼み事を断れる様にはできてない」

「そんな事は知ってるに決まっているでしょう」

今回の周のムーンチャイルド計画は、実のところを言えば通常の周とは些か趣の異なる計画だった。
通常のムーンチャイルド計画は資質を持つ子供を集めてCの巫女にする為に調整していた。
その為、通常の周では例外であるリューガ・クルセイドを除き、試験体に男は居ない。
が、このTS周での試験体にはそれなりに男が混じっている。
というか、同じタイプの能力者が男女セットで揃っている為、人数的にもそのまま二倍に増えている。

それは何故か。
このTS周では、ムーンチャイルドを作る際、Cの巫女の母体から種子に至るまで徹底的に管理され、完全に新しく生み出させようとしているのだ。
集められた試験体は男女ともにCの巫女となる調整を受けた上で、その能力を濃く次世代に残す為に同じ能力の者と番を作り、より血の濃い、つまり能力の強まった個体を生み出す為の捨石にされる。
これを幾世代か繰り返す事により、必要と思われる要素を全て引き継いだ真のCの巫女を作る。これが、この周のムーンチャイルド計画。

それに反発したリューカ・クルセイドの脱走により、残された試験体達には何らかの形で母親──アヌスの命令に逆らえなくなる仕掛けが組み込まれている。
ヒューマンフレアを始めとした多くの試験体に施されているのは、アヌスへの親近感と、ブラックロッジへの帰属意識だ。
どんな非道な振る舞いをされてもアヌスに対して憎しみを抱けないし、どれだけ粗末な立場に置かれてもブラックロッジを自分の帰るべき場所だと思ってしまう。

「俺が言っているのは、何故碌に調整も受けさせて貰えなかった廃棄物が、まともな装備を支給されて任務についているか、という事ですよ」

「……相変わらず、DEAD(きっつい事)をはっきり言ってくれるよな」

苦笑混じりのヒューマンフレア。

「事実でしょう。そうでなければ、俺と貴方の間に接点は存在しない」

何故なら俺はこいつを、なんとなく漁っていたブラックロッジの廃棄物処理施設で発見し、回収したからだ。
調整も受ける事が出来ず死にかけていたので、片手間に医療用ナノマシンと回復魔法を併用して治療してもやった。
廃棄の理由は知らないが、書類上は確か標本として保管されている筈だったのだ。
恐らく、C計画発動直前でこれ以上利用価値もない上に置き場にも困るので、登録していた情報の変更を省いて破棄されたのだろう、というのが回収を手伝った事情通の下っ端の予想だった。
脱走するリューカに殺されなくてもこうなるとは、ムーンチャイルド計画に集められる子供は余程運命の女神に嫌われているらしい。

「恩は感じてるさ。……でも言えねぇ。やるなら一思いにやってくれ」

目を閉じ、聖書の祈りの言葉を口ずさみ始めるヒューマンフレア。

「そうですか」

胸を踏んでいた足に力を入れ、勢い良く踏み抜く。
胸が陥没し、音速を遥かに超えた速度で押し込まれた脚が発する衝撃波で、ヒューマンフレアは細かな肉片になって飛び散った。

「時間の無駄だったな」

死に際しても周囲から何のフォローも入らない。自爆装置すら搭載して貰っていない。
これは完全に捨て駒だったと見て間違いない。態々脳みそを取り込んで記憶を除く程でもないだろう。

《美鳥》

美鳥に通信を繋ぐ。

《あいあい、こっちはそっちから少し離れた岩場でメイドと坊ちゃんとアルアジフを回収したよ。あと何故かサンダルと合流した。シスターはサンダルが拾ってホテルに送ったとかどうとかそういう設定なんだって》

即座に返ってきた返答の内容はほぼ予測通り。
しかし、この島に宿敵が待っているシスターが消えて、新たにメンバーに加わったサンダルが宿敵であるメタトロンと相打つ、とか。
こういう正体を隠しているにしては迂闊なサンダルの挙動を考えるに、別に正体はバレてもいい感じなのだろうか。
もしかして俺達以外の街の住民は全員サンダルの正体を気付いてるけど、その生来の優しさからついつい気付いてない振りをしてくれてるとかそんな展開か。

《合流できるか?》

《びみょ。なんかサンダルにかなりの頻度でチラ見されてるし、たぶんアヌスも監視してると思うんだよね、視線感じね?》

《あぁ、オーガニック的な感じの知覚にビンビン来てる》

《しょ? 下手な真似はできんし、ついでに大十字拾ってきてねー》

通信が切断された。
まぁ、邪神の加護があるとはいえ、この周では大十字のサポートに回れって大導師に言われちゃったし、仕方がないか。
俺は服についた肉片を払い落とし、神殿に向けて移動中の大十字の反応へと向けて、足を進めた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

次に目を覚ました時、私は最初に目指していた神殿があるという小島の浜辺に流れ着いていた。
マギウススタイルは解け、周囲には誰も居ない。
〈深きものども〉に捕まっていなかっただけましだが、それでも良い状況とは言い難い。
私が一人で居るところを〈深きものども〉に見つかるのも危険だし、当然それははぐれた他のみんなにも言えることだ。
幸いにして、ダウジングに使う道具を水着の中(というか、胸の谷間。胸全体を覆うタイプの水着にしておくと意外とバレにくい隠し場所だと言われている)に仕舞っておいた私は、
他の連中と合流する為にダウジングを始めた。
厭な雰囲気の森を抜け、スコールに見舞われながらも進んだ先。

「ここか……」

とりあえず、自衛の手段を持たず、一人で孤立した場合一番危険な御曹司、そして戦力アップの為にも早く合流したいアルの反応を辿っていたのだが。
たどり着いた先は、苔むして蔦の張った、古ぼけた石造りの神殿だった。
ここが、ウィンフィールドさんの言っていた神殿だろうか。
この、明らかのそこいらの遺跡とは異なる威圧感、以前実習で見た遺跡に似ている……。
遺跡の前に立ち尽くし、しばし考える。
今の私はマギウススタイルに変身出来ない。
実習で多少なりとも怪威との魔術抜きの戦闘方法も学んではいるが、それはあくまでも集団戦闘を行う時の戦い方でしかなく、相手側が無数に居て、なおかつ孤立した状態で敵陣に突っ込む方法など教えられていよう筈もない。
だが、仮に御曹司やアル達がここに居るとすれば、決して避けては通れない道でもある。
…………虎穴にいらずんば、という諺もある、か。
そう決断した、その時である。

「!」

森の奥、私が歩いてきたのとは別の方角から、落ち葉や木の枝を踏む音が聞こえてきた。
いけない、万が一〈深きものども〉だったら、今の私には殆ど対処する手段が無い!
慌てて身を低く伏せ茂みに隠れる。
だが、足音はどんどん私の方へと近づいてくる。
迷いのない足取り、完全に私の存在に感づいている。
どうする、どうする? 緊張から心臓が痛いくらいに鼓動を刻む。
今の私の獲物は、このダウジングに使っていた紐と錘だけ。
〈深きものども〉を相手にするのであれば、決して十分とは言えない装備だ。
正面からやりあってどうこうできるものではない。
どうにか足を止めさせるか目を晦ますかして……

「前々から思っていたんですが」

「きゃっ!」

唐突に声をかけられ、私の喉がおかしな音を吐き出した。

「先輩のポニテ、戦闘とか潜入の時はもう少し低い位置で結った方がいいですよ。目立つから」

「お、お、お、脅かすな、馬鹿!」

近づいていた足音の発信源、声の主である卓也を、私は思い切り怒鳴りつけた。

―――――――――――――――――――

「あいや、待て、お前は他の連中と一緒じゃないのか?」

俺が他の連中と一緒に居ない事を不審に思ったのか、顔を赤く染めた怒りの表情を収め、キョロキョロと落ち着きなく周囲を見回す大十字。

「生憎と、船から落ちた後も空に居た奴に絡まれまして。他の人らを回収する暇はありませんでした。申し訳ない」

取り敢えず軽く頭を下げておく。
事態をややこしくしたくないなら、先に戦闘能力のない覇道瑠璃だけでも回収しておくべきだったのだが、ヒューマンフレアに気を取られすぎたらしい。
別に覇道瑠璃の護衛を任されていた訳ではないが、あの場面で対処するべき所に対処出来なかったのは落ち度だ。
他に手が回りそうなのは美鳥もだが、あっちはあっちで海中で試験体二号の全天候対応改修型にでも襲われていたのだろう。
スピードスターは、速度だけならブラックロッジに公開している俺たちの性能を凌駕している筈だし。

「謝られる筋合いは無いさ。あの状況じゃあ仕方がない。それより……」

俺の謝罪を軽く流した大十字が神殿の方に振り向く。

「卓也のダウジングも、こっちに反応したのか?」

大十字の言葉に、俺も神殿へと視線を向けた。

「ええ、美鳥の反応は間違いなくこっちです」

無言。
大十字としては、自分の魔導書が無い状態で敵の本拠地に乗り込むのは危険だと考えているのだろう。
そこに都合良く現れた俺が、今現在魔導書を無事に保有しているか、まだ戦えるかを聞きたいけど、それはまるで人任せの様で積極的に尋ねられない。
スコールの音だけが響いている。
葉を、樹皮を、大地を、泥を、神殿の石壁を打つ音。
俺は神殿に顔を向けたまま、大十字に問う。

「先輩、バルザイの偃月刀は使えましたよね」

「あ、ああ、杖本体があれば付与魔法も、少しだけなら」

「上出来です」

偃月刀を鍛造し、大十字に投げ渡す。
宙に放物線を描く偃月刀をひったくるように掴み取り、大十字は二三振り回し、取り回しを確認する。
振り回される偃月刀の軌道上に存在した茂み、背の低い木から張り出した枝が軽い音を立てて切り落とされていく

「いいな、これ。軽いのに詰まってるっていうか、振ると軽いのに、当てる瞬間に重量感がある」

いいな、と言いつつ、大十字の表情は真剣そのもの。

「素材を少し弄って、マギウススタイル無しでも振りやすくしてます。その代わり汎用性はありませんから、アルアジフさんと合流したら鍛造し直してください」

本当なら適当にバリア発生装置でも持たせて後ろを付いて来させる方がややこしくなくていいんだが、いざという時の自衛を考えればこっちの方がいいだろう。
これで自衛に足りなかったらニャルさんのゴッドフォローに期待ということで。

「じゃ、行くか」

「はい、行きましょう」

頷き合いながら、俺と大十字は神殿の中へ侵入を開始した。

―――――――――――――――――――

神殿の中には明かりの差し込み口すら殆どなく、粘性のある暗闇に包まれていた。
炎の精でも呼び出して灯りにするかとも思ったのだが、俺は暗闇でも視界は十分だし、幾度かの実習を経験済みの大十字も暗順応を早める方法は心得ている。

……それにしても、この神殿は見事なものだ。
俺がミスカトニックに入学する為に幾度となく襲撃している日本の遺跡とは比べものにならない。
本来的な、伝言ゲームや誤訳の無い純粋な海の邪神への信仰を形にした、正当な神殿。
アヌスの指導によるものか、所々に修復が施された跡があるが、あれは間違いなくダゴンを復活させる儀式に使う陣の一部だろう。
光による視覚ではない、独特な霊的視覚でもって捉えられた写実的な邪神とそれに纏わる儀式の作法を描いた壁画。
不変性ではない、邪神故の三次元視点から見た危うい揺らぎを躍動的に表現した彫像。
極めて精緻で、しかし人知で図れば冒涜的とも取れるこの魔術理論……美しい。

「……チッ」

だが、残念な事に大十字の感性ではこの熱狂的な信仰心を肯定的には捉えられなかったらしい。
いや、むしろ俺がはしゃぎ過ぎているのか。
クールダウンが俺にも大十字にも必要だ。軽い会話で気分転換と行こう。

「先輩、イラついてますね」

「当たり前だろ、こんな胸糞悪い場所じゃ……」

ふむ、まぁ、確かにそれは仕方がないかもしれない。
周囲の壁画や彫像に正気度を削られない程度の技量があったとしても、この場所は無念のうちに死んでいった人間や〈深きものども〉の怨念が塗り込められている。
生贄などを必要とする邪悪な儀式、攫ってきた女を無理やり孕ませて、子供が埋めなくなったら殺したりの残虐行為。
更に、覇道財閥のリゾート計画で住み難い環境での生活を強いられて死んでいった〈深きものども〉
これらの怨念は確かにこの神殿に囚われており、並の神経の人間だったら恐怖で体が竦んでもおかしくない空気を作り出している。
大十字は周囲の壁画や彫像などのオブジェに不快感を感じているのだから、相乗効果で何らかの精神的な不調を抱えても仕方がないだろう。

「余計なものは見ずに進んでしまいましょう。奥に行けば八ツ当たる相手は腐るほど居るわけですし」

「ああ、わかってる」

そんな訳で、時折大十字に話しかけながら奥に進む。
無言で進むと嫌な考えを頭の中で転がしがちだが、会話を挟むことで大十字の精神状態はだいぶ安定した。
だが、神殿は奥に進めば進むほど不快な空気を濃くしていく。
空気は生温かく、強い湿気と共に生臭さを感じさせる。
更に、腐臭にも似た潮の臭いが充満し、それに混じって甘い匂いが混じり出した。
毎度お馴染みの淫乱ガスである。日本各地のうどん工場でほぼ同じ成分の粉を手に入れる事が可能なのは有名な話だ。
個人的には液体として運用するのがお気に入りなのだが、広範囲に効果を出したいのであれば、この様に気化させて使うのも意外と悪くはないだろう。

だが、このガスはトラップとして考えたら出来損ないだ。
ここまで甘い匂いを持ち、なおかつ桃色などという激烈に目立つ色を出してしまったら、普通は警戒されて何らかの対処をされてしまう。
俺なら無色無臭で、なおかつもう少し効きを弱めにするかな。
今のガスだと効果が急激に現れすぎるし、もう少しゆっくりと効果が出るようにしないと、急激な体調の変化から何らかの薬が散布されていると勘づかれてしまう。
まぁこれはトラップではなく〈深きものども〉と人間の女の交配を助けるための薬なのだろうから、気づかれる気づかれないは考慮していないのだろうが。

「それで男は勇気を出して聞いてみたんですよ、『なんで赤い洗面器を頭の上に乗せてるんですか』ってね。そしたらおじいさんは……」

「…………」

先程まではこちらの話にツッコミや相の手を入れてくれていた大十字の返事がない。
不審に思って大十字の姿を見ると、明らかに様子がおかしい。
顔は熱っぽく、瞳も僅かに潤んでいる。
歩き方も次第にぎこちなく、太腿を時折モジモジとこすりあわせながらの歩行である為にふらふらと安定しない。
時折苦しそうに息を途切れさせ、しかしこちらに悟らせない為だろうか、無理矢理に呼吸を止めて喘ぐのを堪えている。

完全に発情しています。本当にありがとうございました。

だが覚えておいて欲しいのだが、これはあくまでも特殊な例に過ぎない。
大十字は少しばかり座学と実技がトップクラスで物覚えも良くてタッパもそれなりでスタイルの良い美人だから、自分に対して無意識の内に自信過剰なのだ。
あとはあれじゃないかな、ニャルさんがTS大十字の野外でのナニを見たがってるとか。

「先輩?」

「ウェヒッ!?」

名前で呼びかけると、大十字は偃月刀を持ったまま飛び跳ねるほどに驚いた。
しかし酷い叫び声を聞いた。借りにも美人が出していい声じゃないだろ、今の。

「……どこか体調でも悪いんなら、治療しますか?」

「え、いや、たの、じゃない、違う、大丈夫、大丈夫だから」

ぶんぶんとこちらに突き出した両手を振って否定する大十字。
さぁ、ここからが正念場だ。
先に言っておくが、俺は別に解毒をするつもりは毛頭ない。
例えばここで大十字の隣りに居るのが俺ではなく美鳥だとしても同じ選択肢を選んだであろう。
だって、その方がシチュエーション的に面白いから……!

まず大前提として、俺は大十字は解毒しない。
次にこれを踏まえた上で、どういう状況に持っていくか。
最中にうっかり乱入して目撃してしまう、というのが下策中の下策である。
これは鉄板のようだが、一歩間違えるとただの陳腐なラブコメコースにしかならない。

「あの、ですね……お花を摘みに行くのでしたら、敵の居ない今のうちがいいと思いま」

ゴン、と音を立てて、偃月刀の腹が俺の顔面に叩きつけられた。

「遠慮なくそうさせて貰うよ!」

顔をイースの主人公の服装の如く赤く染め、肩を怒らせながらずんずんと離れていく大十字。
これでいい、これで。
全てはシナリオ通りだ。

この場面で俺が選んだ選択肢は、あえて『大十字がひとしきりナニを終えるまでゆっくりと待ち、なおかつ戻ってきた大十字に対して何も気づいていない振りをする』というもの。
紳士的、に、見えるだろうか。
だが、この選択肢はそう単純なものではない。
大十字は間違いなく遠くの物陰で声を殺してナニをする。サイトロンが俺に見せた未来だから間違いはない。
そして、この場所には手を洗えるような清潔な水は存在しない。
するとどうなるか。
……大十字はナニをした後の清潔とは言えない手を洗わずに戦闘に向かうド変態という称号を俺の中でつけられてしまうのだ……!

うむ、実にくだらない。
そんな冗談はともかく、最近の大十字は男にょ子(言い間違いにあらず)と同居生活で碌に処理も出来てないだろうし、これを機会に派手に発散しておくのも悪くはないんではないだろうか。
別部屋だからできるかもしれないけど、あそこ壁は薄いし、多分処理するにしても声は大きくできない筈。
実際、アルアジフに記載された魔術に禁欲が必要なものも存在しないしな。
年頃なら仕方があるまい。手も洗えるように水程度なら魔術で用意してやろう。
そう考えながら、俺は敵が来るかどうかを俯瞰マップで確認しつつ、大十字が声を抑える必要が無いように、こっそりと消音の魔法を掛けた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

ここまでくれば、大丈夫だろう。
卓也の居る場所から過剰とも思える程に距離を取った事を確認した所で、九郎は腰を抜かすようにその場で崩れ落ちた。
ゴッ、と重い音を立てて、偃月刀が手から取り落とされる。

「は、は、は……」

過呼吸を起こす程に呼吸は荒く、短い間隔で痙攣を繰り返す自らの躰を両腕で抱きしめる。
抱きしめた自分の体が異常な量の汗で濡れている。
顔が、頭が熱く、全身も熱病にかかったように熱い。

──まいったな、くそ──

朦朧とし始めている意識の中で思う。
薬か毒にやられている。催淫系の作用を齎すものだ。
しかも、自力で行使できる魔術で解毒できるような単純なものではない。
どうしてさっきの卓也の申し出を断ってしまったのか。
いや、理由は知れている。
僅かながらに残った女としての羞恥心。
卓也に肌を晒した事はあっても、女としての痴態を晒した事は一度もない。
もしもあの時治療の為に身体に触れられていたら、みっともない嬌声を上げてしまったかもしれない。
たったそれだけの理由で、治療を断ってしまい、今でも尻込みしている。

だが、九郎にも少しだけ解毒方法の『あて』があった。
さっきから悪臭に紛れて漂っていた甘い香りの桃色の気体、秘密図書館に置いてある魔導書に似た薬の製造法が載っていた。
あの記述と同じか似たものであれば、一定の効果を示した後に消える種類である可能性が高い。
ならば、積極的にそういう効果を促進してしまえば、早いうちに薬だか毒だかの効果は抜ける。

故に、その計画を実行するために、躰を抱きしめていた腕を外し、股間に伸ばされる手。
股間に触れるか触れないかの距離に置いた手には、その僅かな先に湿り気を感じている。

「ん……く……」

慎重に触れると、水着の股間はぬるりとした感触を返す。
水着の厚い生地越しの鈍い感触に、僅かに声が漏れた。
声と共に僅かに身が跳ね、より強く股間に当てた手が動く。
生地を押し込むようにして、指の頭が僅かに飲み込まれる。
強い刺激ではない。
身を跳ねさせる程の強さでもない。
だというのに……、

「……う、うぅぅ……」

どろり、と、脳を性的興奮から生まれたもやが包み込む。
粘性の快楽。
重く澱んだヘドロの如く、拭いがたい快楽が九郎の脳を支配する。
ぐち、ぐち、と、水音を立てながら九郎の指が動き続けている。

「……そう、だよ……、早く、済ませないと……いけないから……」

これは治療の為の行為だから、疚しいところは何もない。
だから、もっと強い刺激を。
それがどれほど見苦しい言い訳だったとしても、今の九郎には大義名分に聞こえるだろう。
自らへの言い訳に成功した九郎は、加速度的に指の動きを早めていく。

「うあ、あ、ひ」

喉から漏れた引き攣るような声を、だらしなく開きっぱなしにした口から吐き出す。
前戯も何もなく、ただ自らの性感に訴える部位を浅ましく掻き回す。
粘性のある水気を吸い、白い水着が重い音を立てている。
──これ、じゃまだな。
緩くなった理性が止めるまもなく、九郎の指はあっさりと水着をずらす。
剥き出しになった秘部が外気に晒されるだけで、九郎は背筋に突き抜ける感覚を得る。

「しょり、処理、してるだけ、だし……」

ぶつぶつと譫言地味た言い訳を繰り返しながら、指は剥き出しの秘部へと伸びていく。
秘部に触れた指が、躊躇いなく突き込まれた。

「……っ! ……! ……~~ッ!」

突き込んだその瞬間、意識が飛び、目の奥で火花が弾けた。
下半身を突き抜ける衝撃に、九郎は身を丸め、その場で横向きに倒れ込む。

「はぁ……はぁ……あ、……ぁ……ぁ」

息を荒げ、目を見開き、断続的に躰を痙攣させながら、しかし秘部の内側を触る指は動きを止めない。
異常なまでに分泌された愛液は手首まで滴り、掻き毟るような指の動きで飛沫を上げる。
石畳の上で身を捩りながら、自らの秘部を壊さんばかりに指を蠢かせ、中から粘液を掻き出し、指を引っ掛け広げる用に刺激する。
秘部を傷つけかねない程の激しい指の動き。

「あーっ! あああっ! ぅ、うあぁ……! たりない、たりないぃ……もっと、もっとはげしくぅ……」

白目を剥きかけていた目を細め、ぽろぽろと涙を零しながら、指は快楽を求めて動き続ける。
幾度となく達し、身を跳ねさせ、犬の如く垂らした舌から涎を滴らせ、もはやしつこいほどに自らに言い訳をしていた九郎の姿は何処にも無い。
ただ、強い快楽を求める雌になり果てている。

「うぅ……だめ、だめだ……!」

むずがる子供のように首を振りながら、おもむろに九郎は身体を転がしうつ伏せになり、膝を立てて臀部を突き出した。
虚空に突き出された水着のずれた臀部。
まるで突き出された先に誰かが居て、その相手に見せつけるように秘部を弄る指の動きは激しさを増していく。

「だめだ、やめろ、やだ、そんなにかき混ぜるなぁ……!」

恥らい、誰かの拘束から逃れるために足掻いているかのような動き。
いや、九郎にとって、臀部を突き出した先には、自らの秘部を容赦なく指で掻き回す誰かが居るのだろう。
良く知る誰かに押し倒され、ねじ伏せられて乱暴される。
そんなシチュエーションを頭に浮かべ没頭する。

「ちが……! 気持ちよくな……ひぎぃっ!」

太腿の間を通して秘部を弄り続ける両手に、あふれる過剰な量の愛液。
無理矢理にされて、感じてしまっているという妄想の中の状況に酔い、ますますエスカレートしていく。
秘部を弄っていた指を口元に持っていき、それを口で銜える。

「ひゃめ、ひゃめらろ、ひゃふや……」

自らの愛液を舐めさせられながら、執拗に嬲られる。
そんなシチュエーションを頭に描きながら、空想の中の相手に懇願し続ける。
だが、決して自らの秘部を嬲る手を休める事はない。
口の中に入れていた指を引き抜き、唾液にまみれた指を水着のトップスにひっかけ、力任せに引きずり上げてずらす。

「うぁ、見るな、見るなってぇぇ……」

弱々しい懇願。
スタイル相応に大きい乳房が勢い良く飛び出し、痛いほどに勃起した桜色が剥き出しになる。

「いたい、いたいよ……」

乱暴で相手(自分)のことを考えない、指の形が痕になって残るほどの力で強く揉みしだかれ、その度に乳房が激しく形を変える。
玩具のように乳房を捏ね回し続け、指の間から飛び出た桜色を、指と指の間で押しつぶした。

「ん、んーっ! んっ! んんんんんんんんっ!!」

食いしばった歯の隙間から絶叫が漏れる。
かき混ぜられ続けていた秘部の奥から透明な液体が噴出し、ぱたぱたと濡れた石畳に落ちて吸い込まれていく。
ひく、ひく、と躰を痙攣させながら、九郎は秘部を弄る指を止め、ゆっくりと引き抜いた。

「あっ、まだ、まだ……」

言葉を尻すぼみに途切れさせ、引き抜かれた指を求めるように腰を左右に振る九郎。
そして、引き抜かれ、粘液に濡れそぼった指を三本纏めて太い一本を作り、その先端を秘部に触れるか触れないかの位置に伸ばす。
ごくりと、唾を飲む。

「どうしても、どうしてもって言うなら、いい、ぞ」

九郎の妄想は山場に差し掛かり、ついにその時を迎えようとしていた。

「卓也が、どうしてもしたいなら……優しく、しろよ」

九郎は纏めた指を、ゆっくりと秘部の中へと──

―――――――――――――――――――

《おにいさんのは成人男性の腕くらいあるわ!》

《うおっ、いきなりどうした美鳥》

大十字の一人上手が終わるまでの時間潰しとして、川上作品がハーレム最強系オリ主人公に蹂躙されるとしたらどこらへんがテンプレとして使用されるかを議論していたら、唐突に美鳥が通信で叫び声を上げた。
基本的に通信の内容は表情に出ないモノなのだが、俺は驚きから思わずビクリと身を震わせてしまう。

《あと、腕はさすがにドン引きだわ。そのサイズにも出来ないではないが姉さんには適さないし、普通そのサイズは牛とか馬専用で人間に使うものではないと思う》

《お兄さんは今、ニトロ作品主人公のエロシーンの大半を存在否定したね……》

《ニトロ女を人間枠で考えるのが間違いだと思えばいいんじゃないか?》

まぁ、ドライに拳銃突っ込まれて処女喪失なお嬢様とかはかわいそうなので除外しておくが。

《それにしても遅いな》

余程溜まっているのか、エレクトし過ぎて気絶してしまっているのか。
俯瞰マップで見れる機体情報とパイロット情報だと、気絶してるかどうかは判別出来ないんだよな……。
俺の位置から8マス程離れた場所に居る青ユニットの大十字のステータスをチェック。
……遺跡に入る前まで八割残ってたENと精神ポイントが、五割くらいに下がってる……。
時計を確認すると、既に1時間30分程が経過していた。
こんなにも時間がかかるものだろうか。
だが、ここで美鳥に平均的な必要時間を通信で聞くのもおかしな話だ。

《あー、だいぶ派手にやってたけど、そろそろ戻ってくるんじゃね?》

《あと何分くらいで?》

《体力と薬の兼ね合いを考えたら、あと30分》

忍たまが三本見れる時間だな……。
仕方ない、昔地方ゆえに深夜に放送してたのを録画した、テレビ版ヤマモト・ヨーコのCMカットしてない話でも見て時間を潰すか。

《あの作品程巨大な戦艦をスタイリッシュに描いた作品はそうそう存在しないよな》

《スポーティーっつうか、戦闘機的なデザインだよね。戦艦にしてはセクシーなボディラインで》

奥井雅美の歌う主題歌に聞き惚れながら、思う。
ああ、やはりこの時代の作品は、いい……。

―――――――――――――――――――

本編を視聴し終えて、30分単位での録画であるために偶然録れていた通販番組の頭が一瞬だけ映り、再生が終わった所で、狙いすましたように大十字が戻ってきた。
だがその表情は複雑だ。
スッキリしているのに憔悴している。
なんというか、後ろめたいところがある人間の顔とでも表現すればいいのか。

「先輩、魔術で濾過した水を貯めておいたので、これで手を洗ってください」

「ああ……」

言われるがまま蛇口の付いたタンクの下に手を置き、蛇口を捻り黙々と手を洗う大十字。
かなり入念な洗い方で、手首までどころか腕や胸元、足元まで一通り水をかけ、ゴシゴシと手で強く擦っている。
手洗い用に浄化した水は冷たい。
そのままでは体調を崩してしまう可能性もあるので、乾いたタオルを手渡しながら、俺は少しからかってみることにした。

「しかしあれですね、先輩もいい大人なんですから、どこかに出かける時は事前にトイレを済ませておいた方がいいですよ」

「そう、だな……うん、ごめん。ほんとごめんな、今回は本気で謝るわ。すまん、許してくれ、ごめんなさい……」

タオルを受け取った大十字は、何故か俺の軽口同然の説教に本気で謝罪をはじめ、謝りながらもどんよりとした重い空気を纏い始めた。

「大げさ過ぎます。でも、分かってくれたなら嬉しいです。さ、奥に進んでしまいましょう」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

さて、非実在インスマウス観光案内人気スポットランキングにて見事ナンバーワンに君臨した神殿の祭壇を破壊し、ついでに〈深きものども〉のライフエナジーを吸い取りながら復活したダゴン。
その相手をする為にアルアジフと合体してマギウススタイルへと変身した大十字は、何時ものごとくデモンベインを招喚し、戦闘を開始した。
……いや、アヌスも確かに居たけど、アヌスは見た目と性格以外特に変更無いし、言及する必要もないんだよ。
乱交パーティもこういう施設だと稀にある光景だし、大十字もそういう場面でのセルフコントロールは余裕だ。
サンダルはメタトロンと途中でかち合って祭壇には来れなかったらしいが、もともとアヌス以外はそう何人も人手が必要な相手ではなかった。
唯一の気がかりはルルイエ異本だけど、それはもうここを去ったアヌスの手中にあり、C招喚からY招喚の儀式で消滅するので手遅れ。
回収するなら別の周で改めて取りに行った方がいいし、今は目の前の巨大戦に注目しよう。

覇道瑠璃達の護衛を美鳥に任せ、俺は巨大戦を見届ける為に空に浮かぶ。
天空から見下ろす先で、向き合う巨大な邪神と機神。

本日の対戦カードは、偉大なる海神の眷属ダゴンVS魔を断つ剣、人造鬼械神デモンベイン。
ウェイトでは大きくデモンベインが差を開けられている。
しかし、純粋な打撃力で劣るとしても、デモンベインにはそれなりに多彩な魔術兵装が存在している。
アトラック=ナチャにニトクリスの鏡、偃月刀に断鎖術式、使いどころのわからないロイガーとツァールに、この時代の主力戦車の主砲よりも高威力のバルカン。
対してダゴンは神と言っても長らくの飢餓により理性を失った獣同然の存在であり、積極的に特殊能力を行使する事は不可能。
しかし、荒ぶる感情に任せた『超』能力を発揮して津波などの海に関わる自然災害を引き起こす事も可能であり、特殊戦も決して侮ることは出来ない。
更にはダゴンはタッグ戦メインの邪神であり、いざとなれば番の邪神であるヒュドラを呼び出して合体や連携攻撃が可能になっている。

総合的に見て、ダゴンの圧倒的な優勢。
それをデモンベインがどのようにひっくり返さなければならないか……、というのが今回の対戦の鍵だろう。

だが、いかんせん自力の差が激しい。
インファイトではウェイトの差がハッキリ出る上に、ダゴンは攻撃が広く重いだけでなく、その動きも水揚げされた海産物とは思えない程にフットワークが軽い。
デモンベインはダゴンの強大な一撃を紙一重の所で回避しつつバルカンを甲殻の隙間めがけて掃射するも、それはダゴンの気を荒立たせる為にしか役立たない。
ダゴンの呼び出した津波に飲み込まれてデモンベインが海に流されていく。

海の中で幾度かの交戦を終え、全身の装甲をひしゃげさせたデモンベインが海から打ち上げられた。
ダゴンとヒュドラの合体怪獣……もとい、合体海神ゴンドラの体当たりで吹き飛ばされたのだろう。
さもあらん、古今東西のRPGで最初期のモンスターなどが好んで使うこの攻撃は、複雑な動きの出来ない身体構造でも、ウェイト次第では容易に相手を殺傷可能なレベルの威力を発揮する。
ましてや、相手はそこらのスライムや角の付いた兎とは訳が違う超ヘビー級であり、更に生身の生物ならその場で腐食、沸騰して消滅しかねない程の神威を持つのだ。
通常兵器とは比べ物にならない強度を誇る魔導合金ヒヒイロカネだが、低級といえど神と崇められた存在を相手にすれば気休め程度の強度でしかない。

だが、デモンベインも贋作とはいえ機械の神の模造品の一体。装甲を犠牲にしたおかげか、その動きにおかしなところはない。
錐揉み状に回転しながらも断鎖術式を発動させ、落下速度を中和、機体に負荷を与えないよう、静かに陸地へと着地した。
陸地に降り立ち、吹き飛ばされても手放さなかったバルザイの偃月刀を構え、海に居るゴンドラの突撃を待ち構える。
デモンベインから供給される魔力が偃月刀内部を循環し、その強度と切れ味を増幅する。

偃月刀を構えるデモンベインの眼前、真正面の海面が爆ぜ、デモンベインの数倍は有ろうかという巨大な海魔が現れ、その巨体をもって押しつぶさんと飛びかかった。
そしてそれを、正眼に構えた偃月刀で一刀の下に両断するデモンベイン。

仮に、ここで大十字が偃月刀の多重鍛造と同時操作に適性があれば、一刀で頭から両断したのでなければ、これで決まっていただろう。
だが、そうはならなかった。
合体していたゴンドラは両断される寸前に身体を解き、ダゴンとヒュドラに分離、左右に分かれて回避していたのだ。
だが、これは仕方のないことだろう。
いかに大十字のスペックが上がっていたとしても、元から持っている才能から大きく逸脱した成長を遂げている訳ではない。
あの場面で取れる選択肢としては、バルザイの偃月刀での迎撃は最善とまではいかないまでも悪くない選択だった。

だが、悪くない選択だった、などという言い訳は実際の戦闘では何の慰めにもならない。
分離したダゴンとヒュドラから蝕碗で貫かれ、絶体絶命のデモンベイン。
再び融合して巨大化した海魔を前に、もはや現状では成すすべ無し。

……さて、ここで通常の周ならばクトゥグアの記述を使用して勝利を収める訳だが、今回クトゥグアの出番は先延ばしにさせてもらおう。
俺は古ぼけたデザインの鍵──ナアカル・コードの解除キーを手に、デモンベインへの回線を繋いだ。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

《レムリアインパクトだ……レムリアインパクトを出すんだ……》

ゆっくりと振り上げられた触腕を目の前に、万事休すかと覚悟を決めかけたその時、通信機から卓也の声が響いた。

《デモンベインとアルアジフ、大十字先輩、三つの心を一つにしろ……》

近接昇華呪法レムリア・インパクト。
そのデモンベインに搭載された最強の武装の説明は事前に受けている。
そのあまりにも危険な威力から二重に封印され、御曹司の言霊も用いた二重のプロテクトを解除しないと発動しない、とも。
それをこの状況で出せだって?

《デモンベインを……デモンベインを信じろ……それは、人間の為の鬼械神だ……!》

「おい待て卓也! 私に、私にわかるように説明しろぉ!」

卓也の要領を得ない言葉に思わず叫ぶ。

「いや、待て九郎……プロテクトの解除コードだ!」

アルが驚きの声を上げる。
何故? あの状況で御曹司が言霊での認証とかを行えるのか?
いや、考えている暇は、無い!

《思いを込めて……パワーを上げるんだ……!》

「わかったぜ! アル!」

「応!」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「はは……こいつは……凄い物を見たなぁ」

うっすらと冷や汗すら浮かべて、ウェスパシアヌスは呟いた。
インスマウス上空。
四本の脚を持つ巨大な円盤が浮かんでいた。
下方に垂れ下がった、人間の顔を象った甲鉄の首。
その奇怪な形の鬼械神の頭部の上で、胸元を大きく開いたスーツ、その上に羽織った白衣の裾を靡かせ、妙齢の美女が立っている。
その女性の眼下では、海神と神殿周辺の海を取り込んだ無限熱量を内包する結界が、急激に圧縮され始めていた。

「成程……、あれは化け物だ。化け物だとも。神すら殺す、とんでもない化け物だ。成程成程。大導師が気に留めるのも解る。解るよなあ。だが、まあ良い──」

ウェスパシアヌスは、一冊の古ぼけた本を白衣越しに握り締める。
ダゴンの神像と共に祀られていた力ある魔導書、『ルルイエ異本』
今は度重なる実験と神の招喚で精霊化できるだけの力を失っているが、それも夢幻心母に持っていくことで解決する。
これで『C計画』に必要な鍵の一つは揃った。発動の日も近い。
有益な実験データも揃い、不出来な試験体の始末も『予定通りの形で』済ませる事ができた。
確かにあの鬼械神は脅威だが、それでも計画に支障をきたす程のものではない。
計画さえ発動すれば。

「大事な、そう、大事な大事な計画だ。────事前に虫下し位はしておくべきだと思わないかね?」

眼下のインスマウス。
その、自らの駆る鬼械神よりも低い位置で戦闘を見下ろしている男、鳴無卓也。
彼を見つめるウェスパシアヌスの塞ぎ気味の目にメガネを掛けた顔には、母性すら感じられる優しげな笑みが浮かんでいた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

インスマウスの住人は滅び、邪神を祀った神殿は倒壊し、奴らが招喚したダゴンもなんとか撃破した。
かくして、インスマウスを騒がせていた事件は解決した──とりあえずは、だが。

事件こそ解決したが、この事件は多くの謎を残した。
アルと同じ、精霊の姿を持つ、水神についての記述を持つ魔導書『ルルイエ異本』
『ルルイエ異本』は、あの神殿に居たウェスパシアヌスとかいうアンチクロスの一人に持ち去られてしまった。
ブラックロッジはあの魔導書を使い、一体何を始めるつもりなのか。
……あいつは、ダゴンの招喚を『実験』と言っていた。
あれほどの神の招喚を『実験』呼ばわりする連中の『本番』
想像するだに恐ろしい。
何をどうするかはわからないが、なんとしても阻止しなけりゃならない。

それに、今回解き放たれたデモンベインの真の力。
結界の内部で解き放たれた無限熱量はあのおぞましい海神を一撃で焼滅させ、更にその範囲内に存在したインスマウスの地形を大きく改造してしまった。
今、インスマウスの海岸は綺麗なクレーターが刻まれている。
結界により切り離され、無限熱量の余波を浴びた断面はガラスのようにツルツルだ。

これをあの場で使えたのは、覇道財閥から『より実践的で即応性の高い承認の為に』という理由で卓也に渡されていた解除キーが原因だった。
卓也は鬼械神での戦闘に参加しないが、いざとなれば即座にサポートできる距離で戦闘をモニターしている。
だからこそ、いざ基地を襲撃された時、通信を遮断された時の事を考えて、中継点兼非常用として、ミスカトニックからの協力者である私のサポーターである卓也に託されたらしい。
……これは、覇道財閥が私達の事を信頼して託してくれた力だ。
だが、これほどまでの力を、殆ど何の制約もなしに使えてしまうというのは恐ろしく感じてしまう。
そして、それでもなお対抗できるか怪しい、ブラックロッジの強大さも。

それに、あんな広範囲を吹き飛ばす様な技は、正直アーカムシティでは使いにくくてかなわない。
代わりになりそうな魔術といったら、以前にアンチクロスから奪還したクトゥグアの記述しかないが、こっちはまだ制御訓練すら行なった事がない。
アーカムシティに帰ったら、早急にクトゥグアを制御するための修行を始めなければならないだろう。

本当に、問題は山積みだ。
でも、一応この波乱含みの調査兼バカンスも片が付いた。
アーカムに着いたらやることは腐るほどあるが、それはこれから、帰ってからじっくりと考えることにしよう。

「…………」

私は、さりげなく視線だけを、通路を挟んで反対側の席に向ける。
沈む夕日に照らされた海を、頬杖をついて眺める卓也。
その表情に気まずげな物は無いし、張り詰めた雰囲気も無い。
当然だ。
卓也は特に、この調査の最中に気まずくなる様な事はしていない。

そう、卓也は別に何も悪くないのだ。
勝手に気まずくなっているのは、私だけ。
理由は言わずもがな……想像で補う所で、卓也を使ってしまった事。

「~~~っ!!」

妄想の内容を思い出すと急に気恥しくなり、視線を反対側、海も何もない、延々続く荒地と寂れた村の方へと向ける。
薬のせいと言えるが、気まずくなるなという方が難しい。
普段は意識もしないような相手を想像して、達した。
それも、本人がすぐ近くに居るというのに、そんな真似をしてしまったのだ。

「凝~~~~~ッ」

私の様子がおかしいのがわかるのか(わからない訳がないが)、アルはあからさまに私の表情を観察しているし、ウィンフィールドさんはこちらを窺いつつも笑顔を絶やさない。
酷く居心地の悪い空気になってしまった。
アルの視線から逃れる為に、再び卓也に視線を向ける。
当然といえば当然なのだが、肩にうたた寝する美鳥の頭を乗せた卓也はなにごとも無い様な顔で外の景色を楽しんでいた。

「はぁ……」

天を仰ぎ、ため息を吐く。
この気まずさは、私の方から一方的に感じているものであり、バレなければ卓也も気まずくならないものだ。
時間の経過で、私の中で整理がつくのを待つしかない。

遠くに摩天楼が見えてきた。
もうじきバスはアーカムシティに到着するだろう。
そうすれば、また忙しない日常が始まる。
不安や恥じらいを感じる暇もない、怒涛のような毎日が。

でも、

(鳴無卓也、か)

何で、こいつの顔が真っ先に浮かんだのだろうか。
単純に、長いこと一緒に居たからか。
それとも、この胸の中のもやもやとした、漠然としていて、どんな形かもわからない様な感情からなのか。
まだはっきりとはわからないけど……どんな形であれ、私の心の中を占めるこいつの割合が大きくなっている。

私の中で、何かが変わろうとしていた。
それはなんだか変にむず痒く、少しだけ熱を持っていて……

でも、それも日常に紛れれば意識しなくなる。
要するに、いつもどおり。
何も変わりゃしない。
私とこいつの関係はいつもどおり、そう簡単には変わりはしないだろう。

──今は、まだ。

変化なんてのは大概、散々遅れてやって来た挙句に、最初からそうだったみたいに居座って、それからしばらく後でようやく気がつくようなものだ。
そんなよくわからないもので、いつまでもうだうだしてはいられない。
気持ちを切り替えて、明日からはいつもどおりに過ごせるように頑張ろう。

「凝~~~~~~~~~~~っ」

突き刺さるアルの視線から目をそらしながら、私はそう胸に決意するのであった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

夢幻心母中枢、玉座の間。
仄暗い照明に照らされたドーム状の巨大な空間の中心。
玉座に座り、膝に頭をもたれかけさせたエセルドレーダの髪を指で弄りながら、大導師マスターテリオンは、自らの信徒である逆十字の言葉に耳を傾けていた。

「それで、ですねぇ」

マスターテリオンを前にして、しどろもどろに言葉を紡いでいるのは、ウェスパシアヌス。
常の、他の逆十字や部下、実験体や敵と相対する時とはうってかわって、相手の顔色を窺いながらのおどおどとした態度だ。
最古参の逆十字であるこのウェスパシアヌス。
魔術、それも人体改造を始めとした物に対して非常に高い才能を持つが、組織への、大導師への忠誠は決して高いとは言えない。
いや、逆十字は一人たりともブラックロッジや大導師に心からの忠誠を誓っている者はいないが、ウェスパシアヌスのそれは筋金入り。
大導師を恐れながら、自らの作品を完成させる事で、その恐怖を乗り越えようと日夜研究を重ねている。
最終的な目標が何処にあるのか。
それは本人すらも理解していないところではあるが、それでも彼女にとって、大導師はその役目を終えた時点で確実に退場して貰いたい相手だ。

「あのぉ、大導師様が連れてきた、鳴無兄妹なんですけど、私の実験体が、いっぱい殺されちゃってぇ」

だからこそ、いざとなれば大導師の側に付きそうな相手は、早めに排除しておきたいと考えていた。
その中でも、逆十字の罠から大導師を守ることのできそうな、腕利きの魔術師には。

「大導師様が、その、彼らを特別視しているのはわかるんですけどぉ」

それ故の実験体の、それも失敗作の実戦投入だった。
それも量産型の、海神への感応性を強化したタイプではない、ムーンチャイルド計画の初期から登録してある、傍目には重要な予備戦力と見えるスピードスターとヒューマンフレアを使った。
ネロを手に入れてからの度重なる強化改造とデータ収集によって、半ば標本と化していたそれ。
書類上は備品(標本)扱いで、しかし使い道も無くなったので廃棄物処理施設に置いてきたものだったが、どこかのお節介な誰かが調整を施していたので上手く再利用する事ができた。
書類上は貴重な実験体を、敵側にスパイとして潜り込ませていた下っ端が融通を利かせることもなく殺害してしまった。
逆十字でない十把一絡げの構成員であれば、そのまま処分してしまっても構わないであろう罪状だ。

「何らかの処分をさせていただかないと、あの、示しが、つかないので」

だが、ウェスパシアヌスは萎縮していた。
説明を続ける毎に、大導師からのプレッシャーが強くなっている。
ウェスパシアヌスを見下ろす超然とした表情からは、何を考えているかを読み取る事はできない。

「ご、ごめんなさい。あの、実験体も補充が効きますし、いっぱいさらってくるので、やっぱりこの話はなかったことに」

「よい」

「へ……?」

あまりの恐怖から発言を撤回し、次の機会を伺おうかと考え始めていたウェスパシアヌスに、思いもよらない言葉がかけられた。

「ウェスパシアヌス。貴公のブラックロッジを思うが故のその直言、確かに受け取った」

見れば、マスターテリオンは玉座から立ち上がり、真っ直ぐにウェスパシアヌスを見下ろしていた。
全てを見透かすような、心の奥底を読まれている様な透明な視線に射抜かれ、ウェスパシアヌスは身を竦ませて、その場に跪く。
頭を垂れるウェスパシアヌスに構わず、マスターテリオンはその良く通る美しい声で、告げる。

「鳴無卓也、鳴無美鳥両名への罰は────余、自ら下すこととしよう」

その顔には、深い深い、亀裂の笑みが刻まれていた。







続く
―――――――――――――――――――

ふと思い出すのはスパロボJ編の水着話。
上の一言だけで、勘のいい人だとTS編の話の構成が読めてくるだろう第六十四話をお届けしました。

いやぁ、突発的に今何話だっけ、とか思いつつタイトル見て、そうそう六十四話六十四話、とか思って、え、六十四話!? とかなっちゃいましたよ。
地味に長く続いてますよねこのSS。
今までの自分の人生を振り返って、この趣味に繋がりそうなのが数年前に入り浸ってたPINKでの日々しか無いってのがまた。
いえーい、ラノベスレと交流場の人見てるー? 名無しさんだよー。
見てたら見てみぬふりしてね。
だって、黒歴史の数々を踏み越えて、人は成長していくものだから……。
小学、中学時代は吹奏楽部って中途半端に爽やかな部活やってた辺りも痛さを増してくれる材料ですよね……。


最初期のあとがきの短さに新鮮さを感じたので短めにする筈が書いてるうちに何時も通りになった自問自答のコーナー。

Q,なんでドクターと愉快な仲間達が山に誘導されてるの?
A,ぶっちゃけ、ドクターが主人公等の正体バレを起こしかねないからと、そういう不確定要素を排除したらしたで原作通りのやり取りしか起こらないと思ったので。
あとドクターのテンションは極めて書きにくいので。

Q,ヒューマンフレア? スピードスター?
A,こいつらはTS後が男なので、原作だと死んでる試験体連中。
ネロ登場後に戯れに戦闘用に改造されたけど、性能的にメタトロンにもサンダルフォンにも遠く及ばない失敗作にしかなれなかった。
元ネタと同じデザインの装甲服装備。前から見ると野暮ったいデザインだが、背部のデザインはバックパックが格好いい。
主人公とサポAIの残虐ファイトにて碌な描写も無く死亡。

Q,教会のガキンチョどもが……。
A,出番はもう一回あると思います。特にアリスンは原作と同じ場面で活躍予定。予定は未定。

Q,最近エロシーン多くね?
A,ティべさんと話の展開のせいかも。次回からTS編終了までエロスは無し。
でも今回のシーンは書いてて興奮できなかったな……、そんな出来なので当然セーフなんですけど。

Q,なんでルルイエ異本が精霊化できてないの?
A,ほら、ここのアヌスさんは実験ができれば誰にでも付くし命令も無視する人だから……。
彼女の元ネタが無残に死ぬシーンは、ファミ通文庫から出てる塵骸ノベル版で!

Q,フラグ?
A,今まで色々言い訳してたけど、今回ばかりは言います。
こ れ は フ ラ グ で す !
何フラグかは断言しないいやらしさ。一応理由とかもあるんですが、そこはTS編ではなくデモベ編のエピローグにいかないと書けません。
ま、主人公からすれば短い時間ですけど、原作主人公からすれば二十ウン年の内二年も友人距離で連れ添ってる訳ですし、そういう錯覚をする事もあるんじゃないですかね。
当然大導師テリーにだって色々考えがあります。そのへんは次回以降。


いやぁ、なんとか年内に海水浴の話を終える事ができました。
本当はクリスマスに投稿して、『雪が降りしきるクリスマスの夜に海水浴……!』とかやりたかったんですが、書いても書いても話が進まないっていうね。
反動で間違いなくマスターテリオン決着編は短くなると思いますが、話の本筋的にはその後の話とオチが重要なのでご勘弁を。

TS編も残すところあと三回か四回!
次回投稿も年越しそばとかおせちとかカレーとか食べながらゆっくりお待ちください。

それでは、今回もここまで。
誤字脱字の指摘に即座にできる文章の改善案や矛盾している設定への突っ込み、諸々のアドバイス、そしてなにより、このSSを読んでみての感想など、心からお待ちしております。



[14434] 第六十五話「デートと八百長」
Name: ここち◆92520f4f ID:81c89851
Date: 2012/01/19 22:39
さて、一体全体、何がどうしてそういう話になったのかはわからないが、

「唐突な話で悪いが、貴公らには死んで貰う運びになった」

「はい?」

「あ?」

大導師の言いつけで、
俺達は自分が死ぬ予定日をカレンダーに書き込む事になった。

―――――――――――――――――――

◎月●日(鈴の音が聞こえる……)

『何故大導師が俺を大十字の側に付けたのか』
『何故二年と少しの間、ほぼ毎日と言っていいほど顔を合わせる形にしたのか』
『大導師は十分に力をつける事ができたのか』
『その答えがようやくわかった』
『単純だけど、割と面白い。趣味的なところにも好感が持てる』
『さすが、一回のループ毎に数十年過ごす大導師のループ千回は重い』
『入社一周目の俺たちを使いこなせずに飼い殺しにした照男と同一人物とは思えない』

『カレンダーにはもう印をつけた』
『今のところその日付までは何もしてこないし、仕事もしなくていいらしいので、身辺整理をしておくことにしよう』
『それが終わったら、最後に夢幻心母の中を一通り見て回ってみるか』

―――――――――――――――――――

とはいえ、実のところを言えば夢幻心母内部で整理すべき物は無いに等しい。
与えられた研究室兼私室に設置した機材の類は一部を除いて全て俺の持ち込みであり、俺が作り出した複製。
すなわちスパロボ世界でばら蒔いた砲弾と同じく、遠隔で塵にすることも可能であり、今すぐ処分する必要のないものばかり。
俺が大導師に処罰を受けるという事実は大導師と俺と美鳥、そしてそれを企んだアヌス(後で殺す)しか知らない。
そして、その処罰で俺と美鳥が殺されてしまうという事実を知っているのは俺と美鳥と大導師のみ。
下手に執行日までに俺の私室に誰かが入って、荷物が整理された部屋を見たら不審に思うかもしれないので、後々遠隔で消せるものは全て残し、ブラックロッジの連中からの貰い物だけを片付けた。

下っ端の人らから貰った、雑務で使える街のチンピラ達が使っているのと同じ密造拳銃。
下っ端の人らから貰った、夢幻心母内部では良く使われている既製品の机と椅子とルーズリーフとバインダー。
サイボーグ下っ端から貰った、イマイチ上手く形成出来なかったテガタイト。
ドクターから貰った、トイ・リアニメーターを作る自動機械を作る自動機械を作る自動機械を作る自動機械を家電製品のジャンクとかから作る為の簡単な設計図と見本。
エルザから貰ったメンテナンス用のツールとメンテナンスハッチの鍵のセット。あと何故かショタ系の薄い本。
かぜぽから貰った、なんだか良くわからない力の篭った、部族の宝だったとかどうとかの勾玉型ペンダント。

机と椅子が無いのは不自然なのでこれには強めの爆弾を仕掛けて、俺が処刑された後に部屋を吹き飛ばす為に残しておく。
残りを全て亜空間に叩き込み回収。資料の類もダミーに入れ替え。

あっという間に身辺整理を終えて、私室から出てドクターの研究室に向かう。
エルザにドクターの心を慰安旅行中にがっしり掴んでおくように命じておいたお蔭で、ここの処のドクターは精神的に安定している。
なので、『これからどんな事があろうと、決して『大導師のブラックロッジ』を裏切らないようにしてください。たとえ大導師が死んでもです』と言い含めた。
ドクターは少し怪訝な顔で首をかしげていたが、直ぐに素直に頷いてくれた。
基本的に、ドクターは覇道財閥側についてデモンベインを修理した後でも、大導師に対する叛意だけは持っていなかった。
根底にあるのは勿論恐怖から来る支配ではあったが、ドクターはドクターで無限螺旋前の因果や、自分の才能を認めてくれた事、自由に研究をさせてくれた事に関して少なからぬ恩義を感じているのだ。
エルザにも引き続き『ドクターが俺の正体をバラしそうになったらぶん殴るか口で口を塞ぐかして黙らせて話を逸らさせろ』という命令をしておく。
正直、ここまでメカポを連続して使ったのはデモベ世界ではこれが初めてかもしれない。

次いで、下っ端どもの溜まり場の前で一度立ち止まり、通り過ぎる。
ここの人等には特に言い含めておく必要もないだろう。
元々仕事には真面目に仕事に取り組む人達ばかりだし、ここから俺の情報が漏れる事はない。
サイボーグ下っ端も、下手すればサイボーグ化した猫に負ける可能性もあるけど、きっと上手くクトゥルフの触手から逃れる事ができる。筈だ。多分。恐らくは。
いや、強いんだよ? たぶんリゼンブラとかエクスターとかが居る世界とかなら無双できる可能性を秘めている程度には。秘めたまま終わる可能性が高いけど。

とはいえ、これで身辺整理とその他の雑事はほぼ終わりだ。
あちこちの手伝いをしていたといっても、俺の痕跡が残っているところなんてこの三つくらいしか無い。
逆十字連中の手伝いって、あっちが気を使ってくれてたのか、基本的に後腐れのない仕事ばっかりだったし。

「さて、これで『片付けておくべき事』は終わり、と」

「あとは『確認しておきたい事』だけだね」

美鳥の言葉に頷きながら、夢幻心母の中、普段は、それこそ他の周でも通らなかった様な場所を歩く。
これはあくまでも『確認しておきたい事』であり『確認すべき事』ではない。
無いのだが、それでもやはりこのTS周……だと思っていた周は興味深い。
次に同じ状況がないとは限らないが、同じ状況が今後一切無い可能性も捨てきれない以上、知的好奇心は満たせる内に満たしてしまうのが吉だろう。

ブラックロッジの本拠地である移動要塞夢幻心母は、その組織の規模と同じく、決して小さい施設ではない。
多くの信徒や量産型破壊ロボを収容する為に空間を歪ませて容量以上の体積を確保している、というのもあるが、それでも決して元のサイズが小さい訳ではない。
いや、むしろ、夢幻心母という要塞は、その信徒の数に比べて過剰な程に広いと言っても過言ではないのだ。
では何故、実際に多くの信徒が使う区域が空間を捻じ曲げて作られたスペースなのか。
要因は様々あり、普段は大導師とエセルドレーダしか居ないのにその気になれば信徒全員が入ってもまだ余裕のある玉座の間の広さや、逆十字連中の使用するスペースが大きく取られている事などが挙げられる。

確かに、それらの理由でも夢幻心母のスペースは圧迫されている。
しかし、本当に夢幻心母のスペースを狭めているのが何か、と聞かれれば、俺は今歩いているこの道と、目的地こそが一番の理由だと答えるだろう。
通路の壁や床、天井に至るまで一般信徒に解放されているスペースとは比べものにならない程に重厚な造りで、素材もヒヒイロカネ程ではないがかなり頑強な素材を使用している。
使用されている建材の強度を損なわない様に慎重に、しかし執拗なまでに刻み込まれた魔術の式。
更にかなり短い間隔で設置されている隔壁なども含めて考えれば、ここはクトゥルフが融合していない状態でもクトゥグアの全開放魔術に耐え切れるかもしれない。
下手な核シェルターが藁の家に思えるこの区域。
しかし当然、この守りは外からの攻撃を防ぐ為のものでは無く、この奥に潜む存在を決して外に出さない為のものだ。

警備を任されている信徒数名に出会い頭に俺の身体を構成するナノマシンを打ち込み、神経を伝いながら脳細胞の一部を取り込み、即座に取り込んだ脳細胞に擬態させる。
当然の如く隔壁のロックを解除し、俺達を地下に通す信徒達。
数回それを繰り返し、ついに目的地へと辿り着いた。

「あんまり物々しくないね」

「だな」

目の前には、逆十字最強の一頭である魔術師、ムーンチャイルドの完成形、『Cの巫女』である暴君ネロを封じる牢獄。
そこは確かに牢獄だった。
魔術的な拘束だけでなく、部屋を構成する建材全てが、ここに来るまでに見た健在を遥かに上回る強度を持つ。
仮にここに閉じ込められでもしたら、そこいらの魔術師では脱出不可能。
……そう、『そこいらの魔術師には脱出不可能』な程度でしかない。
これではせいぜい閉じ込めておけるのは小達人級まで、大達人級の暴君ならばさして苦にせず抜け出してしまうだろう。

「どうする? 開ける?」

「いや、素通りする」

ここまでの道のりでは警備体勢を確認するために道順に来たが、それはもう十分に確認できた。
態々入口から入る必要性を感じられないので、別次元を経由して牢獄の中に侵入する。
今のは次元連結システムと魔術のちょっとした応用だが、難易度的には難しい手法ではない。
俺が取り込んだエンネア程度の位階であれば、ごく当たり前に行使し得る魔術で代用可能。
やはり、緩い。大達人級を収容するものとは思えない。

そして目の前、魔術処理のされた拘束具に縛られ幽閉される暴君ネロ。
脳波スキャンにより徐波睡眠状態である事を確認、頭部の拘束具を外す。
外された拘束具、その下から癖の強い『灰色の』髪が零れ、

「お兄さん、これは」

「ああ、間違いない」

幾らか憔悴した『TSしていないアリスン』の素顔が露になり、俺は確信した。

「この周は、全員TS周なんかじゃなかったんだ」

―――――――――――――――――――

◎月▽日(ところで話は変わるのだが)

『TS大十字がアルアジフと出会う前に、映画を観に行く約束をしていたのを思い出した』
『丁度最終日が割引デーなので、大十字にはその日に予定を開けておくように電話で伝えておく』
『これで期待の新作とかなら大十字ではなく姉さんや美鳥を誘うのだが、今回のこれは映画の尺だと微妙なんだよなぁ』
『ほら、某エロゲの劇場版とかも本編のダイジェスト呼ばわりされてたし』
『でもついつい確認してしまうのがファンの罪』
『悔しいので、大十字にはヤケ食い前提で多めに弁当を作ってもらう事にしよう』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

《そんな訳で、約束通りお弁当は先輩が担当という事で》

「ああ、目からビーム出るくらいのとびきりを持ってくから精々期待しとけ」

《ははは、ええ、もちろん楽しみにしてます。じゃ、おやすみなさい。温かくしてゆっくり休んでくださいね》

「そっちこそ、あんまり夜更しすんなよな。おやすみ」

就寝の挨拶を交わし、耳から受話器を離す。
何度目かの給料で買い換えた最新式のダイヤル式電話の受話器はやけに重く感じられ、私はゆっくりと両手で受話器を戻した。
どうしてか、手が電話機の上に置かれた受話器から中々離れてくれない。

「どうした、卓也からの電話か?」

先に風呂を使っていたアルがタオルで髪の水気を取りながら、話の最後の辺りからの推測で電話の相手を言い当てる。
私はゆっくりと、指を一本一本受話器から剥がしながら答える。

「うん、かなり前に映画観に行く約束しててさ。ここ最近は忙しかったし、息抜きも兼ねて遊びに行かないかって」

ここ最近は本当に慌ただしかった。
クトゥグアの制御訓練に被さるようにして現れたイタクァのページモンスターに、ド・マリニーの時計の記述を使用した破壊ロボとの戦い。
どれもギリギリの、何か一つ間違えていたら死んでいた様な戦いばかりだったのだから、私が自覚できていないレベルで疲労が溜まっていてもおかしくはないと思う。
そういう意味で言えば、うん、丁度いい骨休めになるんじゃないかな。

「ふむ、インスマウスから帰ってきてからは休む間も無かったからな。丁度いいタイミングやもしれ……どうした?」

「ああああいや、手が、手が滑ったんだ、わりぃ!」

インスマウス、という言葉を聞いたと同時、私は無意識の内に手を離しかけていた受話器を、電話機毎全力で押し出し地面に落としてしまった。
おまけに呂律も微妙に回っていない。
まったく、私としたことが、一体何をそんなに慌てるというのか。
アルは訝しげな顔をしたが、直ぐに表情を元に戻し、パジャマ姿のままでダンセイニの変じた椅子に腰を下ろし、最近購入したばかりのテレビの電源を点けながら話を再開する。

「お主の男っ気の無さも大概だからな。手近な男のあ奴が相手とはいえ、デートの予定が入るのは大きな進歩ではないか?」

「な――――ッ!」

アルのからかい混じりの言葉に、一瞬で頭に血が昇る。
私は電話機の載っていた台に両手を勢い良く叩きつけながら叫ぶ。

「だっ、誰が! 誰とデートって!」

「お主と卓也が、であろう」

しれっとした顔で断言するアル。

「────! ────────!」

あまりの事に、私は言葉を作ることすら出来ず、肺に空気を貯めたまま、息の出来ない魚を真似るように口を開け閉めする事しかできない。
────そう、可能な限り誤魔化して、自分にもそうではないと言い聞かせてはみたものの、これは明らかにデートである。

前々から確かに約束はしていた。
でも、その当時は本当に、埋め合わせをする程度の感覚でしか無かった。
というか、何故か映画代は卓也持ちで私は当時は卓也から提供されていた食材を使って弁当を作っていくだけでいいから、『え、マジでそんなんでいいの? 映画タダ観できる! やった!』とすら思っていた。
はっきり言ってしまえば、意識するとかしない以前の問題だったんだ。

いや、今の私が卓也に好きとか嫌いとか思ってる訳でもなくて。
なんていうか、こう、あれだ。

「丁度いい機会なのではないか? 海から帰ってきてからずっと意識していたようだし」

「あう、あうあうあう……」

アルにあえて意識していなかった部分を指摘され、私はその場で頭を抱えて倒れ込む。
そうだ、何がいけないって、インスマウスでの『あれ』しかない。
遺跡の中で催淫性のガスを吸って、それを発散するのは仕方がなかったにしても、よりにもよって卓也の事を『オカズ』にしてしまった。

何度したか、までは覚えていないけど、純粋に回数の多さまで全てガスのせいだったかと言われると、決してそうではない気がする。
ガスの効果が切れるまで、実に二時間近く。
普通、ぱっと頭に思い浮かんだだけの知り合いで、そこまで長い事妄想できるものだろうか。
いや、実のところを言えば、二時間では済まない。
一度してしまえば耐性が付くというかなんというか。

私は床に身を投げたまま、椅子の上のアルに問いを投げる。

「……やっぱ私、あいつの事、意識してるか……?」

アルは私の問いに、意地悪そうな笑を浮かべた。

「そうさな、夜中に名を呼ぶ声が漏れ聞こえる程度には意識しておるのではないか? 聞こえているのは妾くらいのものだろうが」

「うああああああ…………ていうか聞こえてたのかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

アルの容赦の無い返答に叫ぶ。
私は火が出るほど熱い顔を両手で覆い隠し、その場でゴロゴロと転がるしかない。

別に、今まで一人でしてる時だって『オカズ』は用意していた。
それこそハイスクール時代に有名だった美形の先輩だとか、新聞やテレビで見た格好いい役者だとか。
でもそれが、毎日毎日顔を合わせる相手となれば、話は生々しい方向に変わってくる。

「なぁに安心するがいい。妾とて幾多の魔術師と契約を交わしてきた実績がある。同じ部屋で、というか目の前で恋人や娼婦と始めていたかつての主達に比べれば、九郎、お主はまだ恥じらいがある方だ」

「やめて! それ以上辱めるのはマジで止めて! ていうか比較対象が悪すぎてどう安心すればいいかわかんねぇし!」

……そう、長々と遠まわしに考えていたが、つまるところ最近の私は、もっぱら頭の中の卓也を『オカズ』にしてしまっているのだ。
これで、『ああ、あいつの事を思うと胸がドキドキして夜も眠れない』とかなら、わかる。
吊り橋効果的なものが発生する条件は十分満たしてるし、そんな錯覚が起きるのも仕方がない。ついついオカズにもしてしまうだろう。
でも、私はどっちかって言うと『あー、すっきりした、これで今夜も良く眠れる』って感じになってしまう。
盛り上がって体力使って心臓ドキドキ、というのはあるが、それは間違いなく恋とかそういうのとは別のドキドキだろう。
問題はそこだ。
これが恋なら、素直にデートの日を楽しみにできただろう。
でも、私のこれは恋か?
そりゃ、最近は修行中に治療で身体に触られる時、少し緊張してるけど。
それだって、必ずしも恋心がなければならない状態じゃない、と思う。

「うぅぅぅぅぅぅ……」

好きか嫌いかで言えば、嫌いじゃない方だとは思うけど、その、付き合ってみたり、とか、そういうのは想像できない。
……妄想の中では身体を委ね、キスよりもよっぽど凄い事を散々させているのに、だ。

「唸っていても仕方あるまい」

「そうは言うけどよぉ……」

ゴネる私に、アルはテレビの電源をダンセイニに消させながら、深々と溜息を吐いた。

「……忘れておるようだが、契約を交わし、魔術結社と敵対状態にある以上、妾も着いて行くのだからな?」

「あ」

それもそうか。
私と卓也で遊びに行く、という話ではあったけど、別段二人だけで遊びに行く訳ではないのか。
契約を済ませている以上間違いなくアルは付いてくるし、美鳥だって基本卓也にべったりだから付いてくるに違いない。
そうなれば、大学の時や修行の時と殆どメンバーは変わらない。
向こうは妹を連れて、こっちは契約した魔導書を連れて。
とてもではないがデートには見えないだろう。
そう、どっからどう見ても友達同士で集まって遊んでるか、魔術師の会合にしか見えない筈だ!
や、魔術師の会合に見えたらそれはそれでダメなんだけどさ。

「そっか、そうだよなぁ。遊びに行くだけか」

そうだよそうだよ、それなら何も問題無いじゃないか。
なーんだもう驚かせやがって。
それならあれだぜ、弁当だって四人分喜んで作っちゃうぜ

「まぁ、久しぶりの純粋な休みだ。浮かれるのも仕方あるまい。妾は寝る。電気を消すのを忘れるでないぞ」

「ああ、おやすみ!」

寝転がりながらも精神的には立ち直った私を跨ぎ自室へと戻るアルを見送りながら、私は次の休日に持っていく弁当の内容に思考を巡らせていて、
……部屋を出る寸前の、アルの不敵な笑みを見逃していたのだった

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

そして、デート当日。
約束の時刻である、午前九時半────の、30分程前。
大十字九郎と鳴無拓也はまるで示し合わせたかの様に、同じタイミングで待ち合わせ場所である公園に到着した。

「おはようございます先輩。待ちました?」

互いに待ち合わせの場所に向かうのを正面から目撃していたにも関わらず、卓也は笑顔で声をかけた。
九郎は卓也の的外れな問いに、多少ぎこちない苦笑を浮かべる。

「いや、ぜんぜん。そっちも待ってないだろ?」

「待ち合わせですし、これは一応言っておくのが礼儀かな、と」

「そんなもんか?」

「さぁ? 俺も人と待ち合わせたりはあんまりしない質なので」

「そ、そっか」

卓也は会話を交わしつつ、九郎がちらちらと周囲に視線を巡らせている事に気がついた。
道行く通行人を気にしているといったものではない。
朝早く、という時間ではないが、学校や会社に向かうには遅く、どこかに遊びに行くにも少し早い時間帯なだけあって、この公園にも人気はあまり無い。
どちらかといえば、そこに居るべき人が居ない事に気を取られている様な視線だ。

「ええと、美鳥は?」

しばし辺りを見回し、目的の人物が居ない事を確認すると、恐る恐るといった風で訊ねる。

「? いや、前も言ったと思いますけど、今日の映画は面白いかどうか微妙なんで来ません」

「おうふ」

首を傾げながらもしっかりと答える卓也に、間抜けな声を上げる九郎。
すると今度は、卓也が周囲を見回し誰かを探し始める。

「そういえば、アルさんは居ないんですか? 魔導書と魔術師は常にワンセットが基本だと思うんですけど」

「ああ、それは」

《案ずるな、妾とて主の傍を離れるつもりはない》

九郎の声を遮り、九郎の懐からアルアジフの声が響く。
見れば、ノースリーブのジャケットの内側、鞄に使われる様な下げ紐を付けられたブックホルダーの中に、確かに魔導書形態のアルアジフが収まっている。
精霊の姿を見慣れた二人にとっては珍しい光景だが、当のアルは気にした風もなく続けた。

《離れるつもりもないが……なに、邪魔をする程野暮でもない。居ないものとして扱ってくれて構わんよ》

「ちょ、アルてめぇ!」

からかいの混じったアルの言葉に九郎はジャケットの上からブックホルダーを平手で叩くが、しばし笑い声を響かせた後、宣言通りに黙り込んでしまった。

「うぅー……」

唸りながらもブックホルダーから手を離す九郎。
そんな九郎を眺めながら、卓也はくつくつと堪えきれない含み笑いを漏らす。

「相変わらず、お二人は仲が良くて羨ましい」

「笑いながら言う台詞じゃ無いだろ、それ」

からかわれ、唇を尖らせて不貞腐れる九郎。

「それじゃ、いつまでも立ち話ってのもなんですし。ちょっと早いけど移動しましょうか」

「今から行って空いてるか?」

「九時には開館してるらしいですよ」

―――――――――――――――――――

待ち合わせ場所である公園から映画館までの距離は短く、歩いて十五分もかからない。
そんな微妙な場所にある公園を待ち合わせ場所にしたのは、もしかしたら映画館に行く途中で買い食いの一つでもしていくつもりだったのか。
開店前のファーストフードショップ、まだ仕込みを終えていない出店の横を通るたび、早く来たのは少し失敗だったかと後悔が頭を過ぎる。

「でも、先輩が三十分も前に到着してるとは思いませんでしたよ」

シャッターを開き始めている店を横目に、同じペースで隣を歩いていた卓也が口を開いた。

「卓也だって同じ時間に来たじゃないか。五分前行動だよ、五分前行動」

本当は四人分の弁当を作る為に早起きし過ぎたお陰な訳だが。
あまり待ち合わせの場所に来るのが早すぎると、まるで今日を楽しみにしていたようで嫌だったんだけど、遅刻するよりは余程いい。

「大体、そっちこそ早く来すぎじゃないか」

美鳥も一緒だったら時間なんていくらでも潰せたのだろうけど、今日のこいつは珍しく単独行動。
私が時間通りに来たら、三十分もあそこで待ち惚けするつもりだったのだろうか。

「経緯はどうあれ、誘ったのは俺ですから。先輩をお待たせするのも気が引けますしね」

「ふん、お前はそうやって調子のいい事ばっかり言うんだよな、本当に」

憎まれ口を叩いてしまったが、こいつのこういう律儀なところは嫌いじゃない。
慇懃無礼が人の皮を被って、更に悪ふざけを骨格として歩いてる様な男だけど、通すべき筋は通してくる。
こないだのインスマウスの出来事がなければ、普通に気の置けない友人と出かける感覚で楽しめたんだろうと思うと、少しもったいなく感じる。

「そういえばさ」

「はい」

「今日観に行く映画って、どんな話なんだっけ」

もちろん、最初に約束した時にその説明を受けた覚えはある。
が、ここ最近ずっとアルのページ集めにブラックロッジとの闘争ばかりで、約束した当時の記憶が少し曖昧だ。
あそこまで色々あって、それでもそれ以前に交わした約束を覚えていたという部分だけは評価して欲しい。

「広告の煽り文によると、ラブロマンスに分類されるそうです」

卓也は私の問いに、家から持参したらしい映画情報誌を開きながら、視聴前のネタバレを避けるためなのかページそのものは見せずに内容だけ答える。

「ラ、ラブロマンスですか……」

告げられた予想外の内容に、私の口からは何故か敬語が出た。
私の精神状態とか、あとタイミング的に最悪なんだけど。
大体、こいつがラブロマンスとか似合わないにも程がある。
この卓也の珍しい映画のチョイスは何処の誰が仕組んだ陰謀だろうか。

「俺は原作の方で少しネタバレしてるから解るんで言っちゃいますけど、ラブロマンスはどちらかと言えばストーリーの主軸じゃないんですよ。絵的なメインは剣戟物だし、話のメインは時代物だったかと」

フォローをしてくれている訳ではないのだろうけど、続く説明で少し気が楽になった。
……気付いてて、わざとやってる訳じゃないよな?
そんな疑念を抱きつつも、少し映画の内容に興味を引かれる。

「てことは、どっちかって言うと侍とかの出る時代劇的な感じなのか? なんでラブロマンスで広めようとしてんだろな」

「色恋ネタは普通に生きてれば誰しも身近に感じるものですからね。それだけ客を引き寄せ安いんですよ」

「ああ……納得。スリル! ショック! サスペンス! だっけか」

三つの単語に対応するポーズを手を交差させたり広げたりしつつ、うろ覚えのまま決める。
このポーズだけは有名なんだよな。
確か、日本のハイスクール探偵が悪の組織パッショーネに捕まり、組織のボスの魔術によって『ストーリーの進行度を定期的に0にされる』『永遠に最終回に辿り着けない』という非道な呪いをかけられるところから話は始まる。
呪いの副作用で肉体年齢を小学生にまで戻された彼は、週に一度は殺人事件が起こる狂った時間迷宮を永遠にさ迷うとか、そんな内容のサイコホラーサスペンスだった筈だ。
この内容でどこがスリルでショックでサスペンスなのかわかんないけど、一応年に一度くらいの割合でヒロインが爆破されそうになったり殺人犯のターゲットにされたりでハラハラするらしい。

「今の単語群にはラブもロマンスも含まれていない訳ですが如何か」

「いいじゃん、サスペンスとラブロマンスはセットメニューだろ」

火曜とか水曜とか木曜とか土曜とかのサスペンスの場合、殺害動機は痴情の縺れが殆どだし。

そんな事を話しながら歩いていると、いつの間にか目的地の映画館の看板が見えてきた。
メインストリートから少し離れた場所に建つ、こじんまりとした映画館。
情報誌に載っていたり、上映初日に俳優が舞台挨拶に来る映画館もアーカムには存在しているのだが、こっちはそういったイベントは殆ど無い。
最新の映画も少し遅れて配給されるような場所だが、そのお蔭で話題作でも長蛇の列に並ばなくていいし、場末であるにも関わらず清掃も行き届いているらしい。
映画館の入口に貼られたポスターは三種類で、あとは上映時間による入れ替えでいくつか古い映画やマイナーな映画を上映するのだろう。

「って、あれ? 時代劇っぽいの、二つあるな」

しかもポスター中央の主演俳優が同じで、タイトルまで同じ。
いや、副題は違うのか。
三昧のポスターの真ん中、魔王編&悪鬼編は……上映時間、五時間半!?
慌てながら卓也に説明を求めて振り向くと、私のリアクションを予想していたのか、笑いながらパタパタと手を横に振る否定のジェスチャー。

「今日見るのはそっちじゃないです。今日見るのは英雄編の方。ほら」

指さされたもう一つのポスターに目をやると、なるほど、確かに上映時間二時間二十分とある。
いや、それでも長いとは思うんだけど、さっきの馬鹿みたいな長さの映画に比べればまだマシだろう。

「つうか、これは続きものなのか? 片方だけ見て内容理解できるかな……」

「あっちは二つのシナリオでワンセットですけど、英雄編は独立したエピソードですから、映画化の際に余程改悪されてなきゃ大丈夫だと思いますよ。仮に理解できなくてもアクションシーンは楽しめるでしょう?」

「そう言われると、意地でも話の筋を理解したくなってくるな」

物語の内容を理解できない事を前提に話されてるみたいで少しムカつくし。

そんな具合で話しながら、映画館の入口に到着した。
今の時間が少し早い為か、それとも上映開始から少し時間が経っているからか、外から見た客の入はまばら。
それでも普段はもう少し人が入るのだろう、入口近くの売店では、幾らか売り切れているグッズも存在していた。

「じゃ、チケット買ってきますんで、先輩はそこで少し待っていてください」

「んー」

チケット売り場に小走りで向かう卓也を見送り、私は入場料金の一覧表を見てみる。
金の関係でこういう場所には馴染みがないから、一般的な価格は知らないが、意外と良心的な値段だ。
もう少しこう、安い定食屋ならステーキセットとか食えるレベルの金額かと思っていただけに、この価格には少し驚いた。
とはいえ、それでも定期収入がなければ間違っても来ようとは思えない金額な訳だが。
見た感じ、半額とかになる割引デーとかあるけど、そういう日を狙えば来れるかな?
メンズデーにレディースデー、高校生友情デー、映画の日に……。

「お待たせしました」

割引の種類を確認していると、いつの間にかチケットを購入し終えていた卓也が戻ってきていた。
手には映画のグッズが入った袋が下げられている。

「なんだかんだで、最初の上映まで少し時間がかかりますからね。ポップコーンはもう少し後で買おうと思うんですけど、それでいいですか?」

「いいけど、そっちの袋は何が入ってるんだ?」

「上映まで時間があるんで、今日見ない他の映画のパンフでも見て時間が潰せればな、と。はい、先輩の分です」

言いながら、袋の中から取り出された一冊のパンフレットを差し出す卓也。
パンフレットの表紙には、黒々とした荒れ狂う海から、大口を開けた巨大な怪獣が飛び出してくるという、中々に迫力のあるものだ。

「へぇ、これも面白そうだな」

ええと、ヨットで遊んでいたら座礁して怪我をしてしまうんだけど、助けを求めて上陸したスペインにある港町インボッカで、奇形揃いの現地人に追い回されて邪神DAGONの生贄にされそうに……。
…………ええと、この映画のタイトルは……、D、A、G、O、N。なるほど、DAGONか、ダゴンね。
ふーむ、なるほどなー。
腕に下げていたバスケットを近くのベンチに置いて、

「そぉい!」

途中まで読んだパンフレットを地面に叩きつける。
静かな有線放送が流れる館内に、強い破裂音にも似た紙を叩きつける音が響く。
売店の売り子さん、その場で小さくジャンプするくらい驚かせてごめんなさい。
心の中で謝りつつ、何くわぬ顔でもう一冊のパンフレットを読み続けている卓也に振り向き、叩きつけたパンフを指差しつつ、叫ぶ。

「覇道財閥の提供か!」

まるっきりこの間の事件そのまんまじゃねぇか!
だが、私の叫びに対し、卓也は仕方がないなぁと言わんばかりの表情で首を振る。

「そりゃ、モデルはインスマウスでしょうけどね。その映画の主人公たちと同じ境遇で同じ結末に至った人は腐るほど居ると思いませんか?」

「ぐむ」

言われてみれば、確かにそうだ。
そもそも、この映画のシチュエーションが存在したのは覇道財閥がインスマウスでリゾート開発を行う前。
今現在、というか、ここ数年のインスマウスはリゾート開発によってこの映画ほどおおっぴらには活動できていなかった。
そもそもインスマウスの事件が解決したのはつい先日だし、卓也の言うとおり、この映画のモデルは開発前のインスマウスの都市伝説なんだろう。
が、俺は別に自分が関わっていた事件をモチーフにしてると思ったからこんなリアクションをしている訳じゃない。

「ともかく、これで時間つぶしは嫌だ。そっちと交換してくれ」

「いや、俺は別にそれでもいいんですけど……」

語尾を濁しながら、卓也は今さっきまで膝の上で開いていたパンフレットを閉じて、その映画のタイトルと表紙を見せてきた。
ニューヨークかアーカムか、ともかくビルが折れたり爆発していたりの大都会っぽい風景。
前面には、原色のけばけばしい絵柄で逃げ惑う群衆。
そしてそれらのど真ん中に、巨大な肌色の桃が鎮座している。
タイトルは、『尻怪獣アスラ』

「……」

「……」

「…………」

「…………」

無言で表紙と卓也の顔を交互に見つめる。

「ええと……」

「…………」

見つめ続けると、卓也の頬にたらりと汗が一筋流れる。
卓也はゆっくりと手を上げながら、売店を指差す。

「ちょっと早いけど、ポップコーンとか、買ってきます?」

「ポッキーがいい。午後ティーも忘れんなよ」

結局、映画鑑賞中にトイレに行きたくならない程度のおやつを食べながら、最近の街のとりとめもないニュースをネタに雑談をし、映画が始まるまでの時間を潰す事になった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

いざ見始めて見れば、それは卓也の言ったものとは少し違う内容で、時代劇というには少し趣の異なる内容だった。
時代設定は現代、架空の兵器と架空の歴史を刻んだ、日本に良く似た国で出会う、一組の武者と一人の少女の話。
成程、確かに卓也の言うとおり、所々詰め込んでいるのだろう部分が見て取れる。
映像とモノローグで軽く説明してくれてはいるが、これは本来小説か何か、もう少し具体的な情報量を多く取れる媒体で見るべき作品だろう。
あらすじとかダイジェスト風味で武者と少女の出会いからの一連の事件も省略されてしまったけど、そこを通してから見たら、もっと感情移入できそうだ。
が、確かに空を飛ぶ鎧を纏っての剣戟シーンは見ごたえがあり、ストーリーの面でも情報不足を補って有り余る程に俳優の演技には力が入っていて、見ていて決して物足りないと感じさせない。

『なんで……あたしはこんなに弱いんだ……』

ストーリーは少女が自らの正義感に従い悪党をぶっ殺したものの、しかし自分が殺人を犯してしまったという事実に押しつぶされるシーンに入った。
ここは割と長めに取られているのか、少し退屈に感じ、私は卓也に小声で耳打ちする。

「お前、確かこれの原作持ってるんだよな。今度貸してくれるか?」

順番が逆になってしまうが、この映画を見た後に原作を読めば、映像と音声だけでは理解出来なかった部分も分かり、二重にこの映画を楽しむ事ができるだろう。

「ええ、確か美鳥が暇つぶしに紙媒体で英語に翻訳してたと思うんで、それでよければ」

「さんきゅ」

スクリーンから視線を逸らさずに返ってきた小声の了承に、私も短く小さな感謝の言葉を返す。
しかし、翻訳したという事は、元を正すと日本の作品なのか。
別に私は日本語も読めるんだけど、英訳されているならそれでもいい。
独特の台詞回しが多いから誤訳が怖いけど、美鳥が訳したなら多分問題ない。
そもそも、私はそんなに娯楽小説とか読まないし、最初は好き嫌いなく読んだ方が楽しめるだろう。

それにしても。
耳元から口を離し、スクリーンに視線を戻すまでに卓也の表情を盗み見る。
今現在、物語は殺人を犯してしまった少女の葛藤と、その少女の心情を吐露されて受け止める武者という場面に差し掛かっている。
映画化故の情報不足という点を考慮しても、この国ではあまり感情移入されにくい部分だろう。
が、卓也は瞬き一つせず、真剣な表情でスクリーンに見入っている。

(……本当に、よくわからない奴)

普段の会話から考えるに、殺人に対してもそれほど忌避感を感じてはいないだろうに。
だというのに、こいつは妙な所で人間性にこだわる。
いざという時はプライドを捨てても生き残る事を最優先させる癖に、そうでない時は人道を説いたりもする。
魔導にどっぷりと浸かりながら、決して人間らしい生活や人の営みを否定せず、時に普通の人間よりも重要視している素振りすら見せる。
食事、娯楽、規則、人間が人間らしく社会で生活する為に必要なそれを決して疎かにしようとはしない。むしろ魔術の研鑽よりも重要視してさえいる。
いや逆に、魔導に浸かりきってしまっているが故に、だろうか。
魔導の混沌に身を浸し、人から大きく外れながら、それでも人間として有り続けようとしている。
実力の上で遠く離れた位置に居る先生達や、似たり寄ったりの実力しかない同級生たちとは違う、別の方向性を持った魔術師である卓也の存在は、私の見識をより深いものにし続けていた。

……しかし、なんで映画館まで来てこいつの横顔を見つめてるんだ、私は。
でも、うん、見ていて不快になるような顔でも無いし、気付いてる風でもないから、もう少し……

『手荒なやり方しか知らない。それでもいいか』

『はい……。それでいいです。……その方が、いいです』

あれ、なんか、切なげなBGMが消えた。
武者の人と少女の台詞から嫌な予感を感じながらも、スクリーンに視線を戻す。

「……っ!?」

視線の先、スクリーンの中では、濃厚なキスシーン。
あれよあれよという間に少女は布団の上に寝かせられ、当然の様に始まるベッドシーン。
嫌に濃厚な描写で繰り広げられるベッドシーンは、ストーリーの流れに矛盾しない、甘さとは少し離れた印象を受ける。
先の武者の言葉の通り、少女が受ける愛撫は荒々しく、少女の身体をより強ばらせる。
だが、武者の愛撫を受け入れようとする少女は声を殺して耐え忍び、その御蔭だろうか、次第にその身体を、その声を緩めていく。
少女に向けられる愛撫が、少女の怯えまじりの嬌声が、妄想の中の私と卓也の姿にだぶる。

「…………」

暗闇に閉ざされた空間、視界いっぱいに映る男女の交合。
BGMすらない静寂の中に響く、少女の切なげな喘ぎ声。
私は、自分の視線がいつの間にかスクリーンに釘付けになっている事に気がつき、慌てて視線を逸した。

「っ」

逸した先で、運悪く目が合った。
反射的に視線をスクリーンに戻す。
もしかして、画面に見入っていたのを見られてた?
顔が、喉元から耳の先まで余さず熱い。鏡を見なくても顔が真っ赤になっていると自覚できてしまう。
この映画館の薄暗がりは、私の頬に射した朱を、上手く隠してくれるだろうか。

そして、暗がりの向こうで私の事を見ていた卓也は、いったいどんな表情をしていたんだろう。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

映画館から場所を移し、公園。
当然待ち合わせに使った公園なのだが、ここはビジネス街のど真ん中ではなく歓楽街の近くにある公園で、少し大きめの池もある自然公園の様なところだ。
もちろん何の意味もなく作られた公園ではなく、アーカムを包む結界の歪を中和する為の緩衝材という重要な役目を持つ公園の一つでもある。
もちろんこの公園と同じ機能を持たされた施設は複数箇所存在するため、ここが重点的に狙われることもないのだが、今は関係ないので置いておく。
重要なのは、ここには家族連れも多く、レジャーシートを広げて弁当をつつくには丁度いい場所になっているという事。

お蔭で、俺と大十字も目立つことなく昼食を取ることができる。
大十字は弁当に気を取られてレジャーシートを忘れていたようだが、そこらへんは俺が適当に代用品をでっち上げることでどうにかした。

「案外面白かったな、あの映画」

小さめに握られたおにぎりを齧りながらの大十字。
映画の途中、具体的には一条と湊斗さんのマクロスなシーンで顔を真っ赤に染めていたから少し心配だったのだが、全体的には割と好評だったようだ。
というか、サックスなシーンでも、一瞬こちらを見ていただけで視線はスクリーンに釘付けだったし、そういった部分も含めて好評だったのだろう。
異性として云々ではなく、こう、普段は真面目な美人が口を真一文字に結んだ真剣な表情で、エロい映像を凝視する、というのは文化財的な扱いになると思う。
俺が思うに、元の世界でも十年以内に少なくとも国の無形文化財扱いにはなるんじゃないだろうか。

「そうですね、二時間枠というのが不満でしたが、原作の長さを考えればベストと言っても良い出来だったかと」

しかもアニメ化ではなく実写であるという意欲作であそこまで出来たのはすばらしい。
というか、村正世界で見た本人たちがそのまま演じていたのだが、この世界では全員役者をしているという事でいいのだろうか。

「お前、そういう素直に評価しないのと変に批評しようとするところ、直した方がいいぞ」

「反省してます反省してます」

大十字の言葉を軽く聞き流しつつ、弁当から卵焼きを一つ摘んで口に運ぶ。

「あ、この卵焼きの味付け美味しいですね。砂糖強めですけど」

確か、甘み強めなのは肉体的な疲労を貯めやすい肉体労働者向けなんだっけ?
頭脳労働者向けも糖分が必要になるから甘めになるとか聞いたけど、薄味派は健康嗜好なのだろうか。
割と半熟気味の焼き加減で、冷めてもほんのりとろっとした部分が残っているのもポイントが高い。

「そうだろそうだろ。それにほら、この卵焼きはおろし醤油を付けて食べるとさっぱりするぞ」

言いながら、大十字はおろし醤油の入った小さなタッパーを取り出し、蓋を開けて弁当箱の脇に置く。
なるほど、確かにこれなら甘すぎると感じた時も大丈夫だし、調味料で味を変える事で飽きさせない工夫にもなるか……。
というか、

「こういう時たまに思うんですけど、先輩って意外と世話焼きですよね。母親っぽいっていうか」

この大十字はたまにオカンっぽい。
いや、俺もオカンというか母さんの記憶は殆ど無いけど、一般的な母親のイメージとしてね?
俺の率直な感想に、大十字は皮肉げな笑みを浮かべた。

「最近は手の掛かる餓鬼みたいな後輩が居るからな、ついつい母性が身に付いちまったのかもしれん」

「奇遇ですね。俺も二年程前から飢えた痩せ犬みたいな先輩が居るお蔭で餌付けが上手くなり始めてる気がするんですよ」

「はははコヤツめ」

「ははは」

ひとしきり笑い合い、互いに素早く弁当箱からお握りを取り出し、もう片方の手に調味料を構える。
俺の獲物はチューブタイプの本わさび。もちろん信頼性の高いSB食品の物を使用している。
対して、大十字の構える獲物は……辛子マヨネーズ。

「先輩、武士の情です、ここは引いてください」

「なに言ってんだ、こっちは片開きキャップ、抜き打ち向きだ。引いてやる理由が無いだろ」

俺達のやろうとしている事は単純だ。
このお握りにありったけの辛味をねじ込んで、相手の口に放り込む。
だが、

「辛子マヨネーズの方が、わさびよりも早いと思っているのでしょう」

「……」

大十字は答えない。
ただ、辛子マヨネーズのチューブを持ち、こちらを見つめている。

「ですが、マヨネーズはデリケートな調味料です。激しい温度変化や衝撃で成分が分離するかもしれないし、直射日光で変色してしまうかもしれない。成分も変質していないとも限らない」

そして、大十字は一つ致命的なミスを犯している。

「おまけに、その辛子マヨネーズは未開封。蓋を開ける、銀紙剥がす、チューブを押すまでに三動作(スリーアクション)、その点こちらのわさびは開封済みで蓋も空いているから一動作(ワンアクション)で終わる」

「くっ……」

片目を閉じて苦しげに呻く大十字。
もうひと押しだ。

「この距離なら絶対に俺が勝ちます。どうします? それでもそのおにぎりを辛子マヨネーズ漬けにしますか?」

「…………」

俯き、肩を震わせる大十字。
俺の手も、肩も、大十字のそれに釣られる様に震え始める。
辛子マヨネーズを握ったままの大十字の体の震えは次第に振れ幅を大きくしていき……

「ぶっははっ」

吹き出した。

「ふへっへ」

釣られて、俺も半笑いの顔で吹き出す。

「馬鹿みたいだな、私ら」

「そうですね、でも、いいんじゃないですか?」

この周で出会った当初に比べれば、大十字もずいぶんと丸くなった。
もちろん食生活の改善で全体的に丸くもなっているがそういう意味ではない。
真面目な部分は残っているが、それでもだいぶ冗談が通じるようになったし、ノリも良くなってきたと思う。

「で、飯食ったらどこ行くんだ?」

「はい?」

わさびのチューブをポケットの中に入れ直し、持っていたお握りにかぶりつこうとした所で、思わぬ大十字の発言に手を止める。

「ほら、さっきの映画を見るだけなら、別に弁当持ってくる必要も無かったろ? じゃあ、昼を挟んで午後にもどこかに行くのかなって」

「ああ……」

弁当で借りを返す云々はこの時点ですっかり頭から抜け落ちているらしい。
仕方ないか、ここ最近は事件ばっかりだったし、映画の約束を覚えていただけでも上出来だろう。
正直な話をすれば、この後の予定は無いに等しい。
今日は大十字と映画に行く、という予定を立てていたのは確かだが、それ以外は特に何も考えていなかったのだ。
だが、今日が最終日である事や大導師の一連の命令の意図を考えれば、終日大十字と共に行動する、というのは悪い選択肢ではない。

「そうですね、せっかくなんであっちこっちフラフラしてみようと思うんですけど、大丈夫ですか?」

「当たり前だって。今日はそのつもりで来たんだからな」

言いながら、大十字は唐揚げの一つに辛子マヨネーズをかけ、爪楊枝を突き刺した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「んー」

試着室の中、見繕った服を身に纏い、鏡の前で身を捻る。
今身につけているのは何処にでも売っている様なジーンズにボディシャツ。
特に突っ張るところもないし、サイズはピッタリ。
これで古着屋なんかだと微妙にサイズが無かったりするけど、流石は中古じゃない服専門店。
さっき試したジャケットもいい感じだし、偶には古着屋じゃなくて、こういう店に来るのもありかな。

更に、足元に置いてあったベストに袖を通し、鏡に向かってポーズを決める。
うん、格好いい。特にこのベストはクールだ。
もしもの時を考えて余分に金を財布に入れてきたし、これだけでも買っていってしまおうか。
これで中折れハットとか被ったらもう、いつでも私立探偵を開業出来そうなレベルで決まってる。

「私ってさ、こう言っちゃなんだけど格好いいよな、マジで」

試着室の外で待っている卓也に声を掛ける。

「そういう事を自分で言っちゃう辺りは可愛いと思いますけどね」

「…………ばっ、馬鹿言うな。私は元々可愛いんだよ」

不意打ちに、一瞬だけ言葉が詰まる。
他意がないのは解るんだけど、今そういう事を言われると、その、なんだ。
困る。

改めて、鏡を覗き全身を確認する。
女性としてはすらっと高い身長、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んだ女性らしいボディライン。
か、可愛いかどうかは一先ず置いておくとして、女性らしくはあるよな。

「……」

ちら、と、壁に吊るしてあるもう一着に目が向く。
卓也の目を盗んで持ってきた、最初に目が行ったベストと合う様な気がしたというのもあるけど、八割方冗談のつもりで選んだ物。
魔術師なんて荒事していたら正直一生着る機会の無さそうな一着。

「……………………」

まぁ、どうせ、何着も買う金がある訳じゃないし。
少し着て、卓也に見せてみるくらいなら、いいかな?

私は自分にそう言い訳をしながら、ハンガーに吊るされた物に手を伸ばした。

―――――――――――――――――――

なんて、考えていたのが運の尽き。

「先輩先輩、次はあっちの雑貨屋とかどうです?」

「か、勘弁してくれ……」

少し先導している卓也を、脚を大きく動かさない歩幅で追いかける。
普段なら、さして背にも歩幅にも差はないから、ここまで引き離される事はないのに、だ。
何故かって?
それは、私がさっきの服屋で柄にもないお色直しをしてしまったのが原因である。

「なぁ、もうちょいさ、人通りの少ないとこ通らないか? なんつうか、露出が、だな」

普段なら露出する事のない太腿に、外気とは別のもの──人の視線を感じて動きにくい。
が、卓也はそんな私にとびきり明るい楽しげな笑顔で告げた。

「そう恥ずかしがらなくてもいいじゃないですか。お似合いですよ、そのスカート」

「ああ、私もお前のプレゼント、無駄に可愛くて、ほんとに嬉しいよ! 馬鹿! 死ね!」

顔が熱い。叫ぶ私の顔は真っ赤になっているだろう。羞恥だけでなく、多分怒りとか入ってるけど。

──そう、私は今、何時ものパンツスタイルではなく、スカート姿なのだ。

さっきの買い物の時、私は一つ間違いを犯した。
確かにあの時点で私の財布の中には、新品の少し高級なベストを買ったら、あとは多少の間食ができる程度の金しか入っていなかった。
だから、驚かせるか冗談のつもりでスカートを履き、試着室のカーテンを開けた。
上はボディシャツに黒のベスト、下は赤黒チェック柄のプリーツスカート。
冗談で着てみたコーディネートではあるけど、スキニージーンズをスカートに変えるだけで、全体の印象も大きく変わっていたと思う。
常の私らしくない、女の子女の子したシルエットだ。

その時に見た卓也の生暖かい視線、そして、
『ええ、わかってますよ。先輩もお年頃ですものね。そういうオシャレだってしてみたくなりますよねええわかりますようんうん』
みたいな、嫌に優しげな表情、私は一生忘れる事はないと思う。憎しみは最も消えにくい感情だって言うし。
先のセリフと同じく褒められ、それも買うんですか? と聞かれて慌てて『金が無いから』と首を振る私を見た卓也は、その場で店員を呼び出し、未だに着たままだったワイシャツにベスト、スカートまでを自腹で購入してしまったのだ。
この購入時の、
『映画に付き合って貰いましたしね、これはお礼のプレゼントという事で、受け取ってくださいな』
という卓也の台詞も忘れられない。あれは完全に面白がってる表情だったと思う。
人は邪気だけで口を開くと、逆に完全に邪気がない様に見えるのだと初めて知った。

そこからはもうあいつのペース。
露出が大きすぎるからと言ったら即座に店員に『サイハイソックスありますね』と断定で聞き、店員は店員で『勿論にございます』と即座に応じ、股の半ばまで隠れる少し長めのオーバーニーをセットで購入。
更に着てきたズボン他私服一式を入れる為の袋までサービスで付けて貰い、そこまでされたからには着ないのは不義理かなーと、このままの格好で散策を再開してしまったのだ。

「ひらひらだし、ふわふわだし、スースーするし、周りの視線が凄いし、うぅぅぅぅぅ……」

口をへの字にし、スカートの裾を握り、僅かに露出した太腿を隠しながら唸る。
試着室と外の環境は、当然といえば当然だが、全くの別物だ。
久しぶりに履いたスカートは、私の遠い記憶の中にあるそれよりも余程難敵だった。
ちょっと早く動こうとするだけで中身が見えてしまいそうになる。根本的に、素早い動きをする事を前提に作られてない。
卓也とつるむ様になってからあまり感じなかった、性的な意味合いを含む視線が痛い。
これで視線を向けてくるのが怪威なら問答無用で叩き潰せるのに、見ず知らずの一般人相手じゃそうはいかない。

「ちょっと失礼します」

ひょこひょこと歩きながら唸っていると、いつの間にか少し戻ってきた卓也が、私に向かって何かを振り掛ける様な動作をした。
僅かに字祷子が動く気配と共に、周囲からの視線と、隙間風のスースーした感じが消えた。
何らかの魔術を行使したらしい。
周囲の視線を感じなくなったので、スカートから手を離す。

「視線避けと、軽い防風の魔法です。……すみません、先輩のその格好が珍しいからってはしゃいでしまって」

卓也はスカートの裾から手を離した私を見て、申し訳なさそうな顔をしていた。
表面上だけの謝罪かと思ったら、今回ばかりはちゃんと反省しているっぽい。
しかし、『はしゃいでしまって』か。
はしゃいじゃったんなら、仕方ない。うん。
何しろスカートだもんな。

「反省してるなら、いい。私だって人の視線が無きゃ、こういう格好も嫌いじゃないしな」

途切れ途切れに謝罪を受け入れる。
それに、本当に心底嫌なら、引き返してでも元の服に着替え直してる。
それをしないって事は、私はこの格好で卓也と歩くのを、嫌だとは思っていないって事だ。
他の奴らならともかく、こいつの視線なら気にならない。
どっちかって言うと、少し、胸のところがぽかぽかしている。

「ありがとうございます。それじゃ、人通りの少なめの通りを行きますか」

気を遣ってか、完全に裏通りという程でもない、しかし今歩いている通りよりは人通りの少ない細道への入口を指差す卓也。
……他意があるわけじゃ、無いんだけど。

「……ん」

手を差し出し、単音で握るように促す。

「魔術のお蔭で見られてないんだろうけど、壁になるくらいはしてくれ。エスコート、してくれるんだろ?」

本当に、他意は一切無いからさ。
呆気の取られた顔に小さく笑顔を返しながら、私は胸の中だけで、そう小さく呟いた。

―――――――――――――――――――

さて、女心と秋の空、などという言葉があるように、女性の心と言うには酷く移ろい易いものであるらしい。
俺から言わせてもらえるなら、そも心などという物は老若男女問わず常に移ろい易く無ければ機能しないものだ。
固定化されてしまった心はもはや心ではなく、生き物として行動する上での方向性を定める習性に貶められてしまうだろう。
この俺ですら、時には愛しい姉に対して怒りの感情を抱くことがある。

だが、しかし、である。
それにもまして、このTS周の大十字の心は不安定である様に思えるのは俺だけだろうか。
手を繋いでエスコートしろ、などという言葉は、少なくとも昨日までの大十字の口から聞くことは不可能な言葉だった筈だ。

「ええと、先輩?」

……朝の時点ではアルアジフが魔導書形態であることや美鳥が居ない事でややキョドり気味で、かと思えば服屋でスカートを履いてみたりと、今日の大十字はいつもと違い、妙に情緒不安定な部分があった。
恐る恐る、すぐ隣りに立ち、棚に飾られた用途不明の小瓶や出力不足の加湿器などを手に取り、矯めつ眇めつしている大十字に声を掛ける。

「うん、何だ?」

デフォルメされた子豚型の鉛筆削りを手にした、普段と変わらない様子の大十字。
スカートの件で悪ノリした事を謝罪し、手を繋ぐよう要求されてそれを受けてから、大十字の様子は普段通りの物になった。
そう、その時点でおかしい。
謝った時点ではなく、手を握って行動し始めた時点で普段の大十字に戻ったのだ。
雑貨屋に入った時点で手を離してこそいるが、何時もよりも大十字との距離が近く、さりげなく距離を取ろうとすると距離を詰められる。

恐るべきは、大導師。
脳内作用を弄るナノマシンも使わずに、しかも自らは殆ど直接手を下さず、直接的な指示すら出すことなくこれとは。
数万年分の研鑽は伊達ではなかった、という事だろう。

「いえ、なんでもありません」

首を横に振り、用がない事を伝える。

「ふふ、変な奴」

用もないのに呼んだにも関わらず、大十字の機嫌は悪くない。
薄く笑みすら浮かんでいる。
だ、大十字が微笑みを……!
嫌だ、俺はアヘ顔晒して死にたくなんてない。
こんな雑貨屋に居られるか! 俺は離れで眠らせて貰う!

と、散々この状況に疑問を抱いている俺だが、別にこの大十字と手を繋ぐのが嫌という訳ではない。
元の世界では殆ど姉さんと美鳥以外との女性との肉体的接触はなかったが、トリップ先でならば、性的な要素の絡む肉体的接触も、性的な要素の絡まない肉体的接触も無いではない。
もちろん、それに伴い、相手の感触を悪くない物だと思う程度の機微はある。
当然、今のTS大十字と繋いだ手に返ってくる、荒事で多少固くなりつつも、やはりどこか女性的な柔らかさのある手指の感触は悪くない(姉さんのそれとは比較すら出来ない程度のものではあるが)。

何が嫌って、このTS大十字の態度が普段の周の大十字に万が一億が一程度の確率で伝播する可能性があるということ。
なにせ、この世界のメカ&キャラデザと原画を担当した人物は、毎日ヤオイ系サイトをチェックしている様な猛者なのだ。
二次創作世界になったからといって油断はできない。
実はこのTS周におけるラブコメなどは前振りで、この周で起きるラブコメ的イベントは全て次周以降に引き継がれて怒涛のベーコンレタス&ブラックリスト&ブルーレモン&ブリテンロンドン&ブリティッシュ・ライブ地獄に突入させられてしまうかもしれないのだ。
俺は、輝くトラペゾヘドロン(実物)ならばともかく、大十字や大導師の黒光りするトラペゾ♂ヘドロンなど飲み込みたくはない。

そうなった場合、俺の居場所は地球上には存在しないだろう。
力量の問題ではない。そういうイベントは発生すらさせたくないのだ。
火星も軍神の件があるから危険域だと考えたほうがいい。念を入れるなら太陽系は最初から除外すべきか。
身の安全を考えるなら、ほとぼりが冷めるまではセラエノ大図書館にでも引き篭っておくのが吉だろう。
大十字はともかく大導師が敵に回るとなると、この宇宙で安全圏は恐ろしく少ない。

「卓也卓也」

転ばぬ先の杖とばかりに逃亡先の事を思案していると、大十字がこちらに手招きしている。
先の想像の中で興奮気味にバルザイの偃月刀♂を振りかざしていた大十字とは異なり、このTS大十字は激レアのスカート姿も相まって、何処にでも居る可愛らしい少女にしか見えない。
後の事はわからない。
が、少なくとも現時点のTS大十字に害が無いのは明らかだ。

「はいはい? 何か面白いものでもありましたか?」

俺はもたげかかった警戒心を押さえ込み、誘われるがままに大十字の方に歩み寄る。
と、互いの手が届く距離にまで近づいた所で、大十字が俺の頭に何かを被せた。
視界の上半分が埋められている。
やや庇(ひさし)が大きめの帽子。

「うー、ん」

俺の頭に帽子を被せた大十字は、俺から少し距離を取ると、顎に手を当ててじっくりと此方の顔を観察し始めた。

「前々から思ってたけど、目元以外は割と笑い顔だよな」

「その顔面構造を指摘されたのは久しぶりですねぇ……」

「いや、悪いって訳じゃなくてさ。うん、でも、サイズはこれでよし。ちょっと待ってて」

そう言いながら俺の頭から帽子を取ると、そのままレジで会計を済ませてしまった。
紙袋に入れられたそれを俺に押し付ける大十字。

「ほら、プレゼント」

「なんと……!」

衝撃的な自体だ。最後のガラスをぶち破った様な感覚。
余りに世の理に反した出来事に世界が逆に回転する。
日常を飛び越えかねない、あの大十字が、自分の金でプレゼントを……!
……もうこのネタ飽きたな。
この大十字は定期収入貰ってるし、確か以前シスタールートを通った時もデートの時にプレゼントを渡す程度の事はしていたはずだ。
まぁ、プレゼントを渡す対象が俺、というのが一番の衝撃だった訳だが。

「いいんですか?」

貧乏生活から逃れたとはいえ、必ずしも余剰資金を誰かの為に使う必要はない。
むしろ今までの生活を考えれば、ここぞとばかりに自分で趣味なりなんなりを見つけてそこにつぎ込むべきではないかと思うのだが。
ただでさえ大十字九郎としての余生は残り少ないんだし。

俺の疑問に、大十字は僅かに苦笑する。

「値段的に、この上下一式とは釣り合わないけどな」

「それは俺が好きで金を出したものだからいいんですよ。先輩が俺にって、理由が無いじゃないですか」

TS大十字がスカートを履くのと、俺が帽子を被るのでは訳が違う。
TS大十字のスカート姿はレアだし、一般論として眼福だが、野郎の俺が帽子を被って誰が得をするというのか。

「それだって私がす……勝手に買って、勝手にプレゼントしたんだから文句言うなっての。……それに理由だって、無い訳じゃ……」

大十字がそっぽを向いて口にした台詞の内、尻すぼみになって消えかけた部分に首を傾げる。

「理由?」

「んにゃ、何でもない」

オウム返し気味の俺の言葉に、大十字は曖昧な表情ではぐらかした。

「ほら、ここは粗方見終わったし、早く次の場所に行こうぜ!」

そして、再びこちらの手を引っ捕える様に掴み、引っ張るように店の外に向けて早足で歩き出す。
スカートを始めとした女性らしい格好ではあるが、手を引く力は常の荒事を生業とする魔術師らしい力強さを少しも損なっていない。

「ちょ、待っ、歩く、歩きますから引っ張らないでくださいって!」

力強く歩き出した大十字に引っ張られるようにして、俺は雑貨屋を後にした。
……まぁ、大十字のこの態度も、俺が大導師の企みに加担したせいってのあるし、今日はとことん付き合うか。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

結局のところ、どっちがどっちを引っ張り回していたのか。
いつの間にか一方的に感じていた気まずさは無くなり、私は久しぶりの純粋な休日を満喫していた。
家族連れや学校帰りの学生達、カップルで賑わうショッピング街に、なんてことのないビジネス街を通り抜け、人気の少ない寂れた通りの怪しい店。
アーカムで遊べるところは片っ端から遊び倒して、気が付けば空は茜色に染まり始めていた。
楽しい時間は早く過ぎていくというけど、今日は本当にあっというまに時間が過ぎ去っていった様に感じる。
時間が経つのも忘れて歩き回り流石に少し疲れた私達は、公園で一休みすることに。

「うー……っん」

着替えの入った袋とランチボックスの入ったかごを持ったまま、両手を天に突き出して背筋を伸ばす。
関節がポキポキと音を立て、全身のコリがほぐれた。
つまり、それだけ疲れたんだろう。
息抜きで疲れるというのもおかしな話だけど、この疲れは楽しさも伴う疲れだと思う。

「っはぁ! 遊んだ遊んだ! 修行と事件以外でこんなに疲れたのって、久しぶりかも」

腕を下ろして振り返る。
沈み始めた夕日で赤く染まった公園。
そこに立つ帽子を被った卓也の顔も、同じく鮮やかな紅に染まっている。

「もう少しゆったりできるコースも考えてはいたんですけど、急ぎすぎましたか?」

「まっさか。十分楽しめたぜ、今日のデート」

「そりゃ光栄です」

「うむ、よきにはからえ」

くだらないやりとりをして、互いに笑い合う。
何気ない受け答えの中で、私の口はごく自然に、照れる事もなくデートという言葉を口にしていた。
当然だ。何も恥ずかしいことなんて無いんだから。
年頃の男と女が一緒に出かけたのなら、恋愛感情を抜きにしてもデートになる。
そういうものなんだから、おかしなところは何もない。

「そういう卓也はさ、楽しかったか?」

「ええ、面白かったですよ、先輩とのデート。プレゼントも貰いましたし、ちょっとしたサプライズでしたね」

「そっか」

帽子の庇を指で押し上げる卓也の嬉しそうな表情に、私の顔は自然と笑みを浮かべていた。

「でもプレゼント貰ったからって、また明日から再開する修行では手は抜きませんよ。これからの戦いに向けてますます厳しめに行くんで」

帽子から指を離し、指を振りながら戒めるように言う卓也。
普段の修行からして、生きるか死ぬか程度のキツイものだ。
それが更に厳しくなるっていうんだから、これから起こる戦いの熾烈さも想像できる。

「望むところだ。どしどし鍛えてくれよ」

だけど、私はそれに怯む事なく、胸を張って大きく頷く。
修行はこれから更にきつくなり、それでもおっつかない程敵も力を入れてくるだろう。
だけど、私の中には少しの不安も無い。

「頼もしいですね。先輩がそう言うなら、俺も頑張ってサポートしますよ!」

グッ、とガッツポーズを取る卓也。
私の威勢のいい答えに反応してか、その声には何時もよりも力が入っている気がする。
私が頑張るなら、卓也もそれに合わせて頑張ってくれる。
ピンチの時、力が足りない時、こいつは力を貸してくれる。
一緒に戦ってくれる。
私はきっと、こいつが居るから、こんなにも戦えているんだ。

────私は、もっとずっと、こいつと一緒に居たい。

それが、今日一日で出した、私の気持ちの答え。
好きとか、嫌いとか、デリケートに好きしてとか、そういうのと一緒なのかはわからない。
こいつの傍は、退屈しなくて、息をつく暇も無くて、でも、安心する。
だから私はこいつの傍に居たいし、一緒に居て欲しい。
私と一緒に居るこいつには、私と同じように感じていて欲しい。
理屈じゃなくて、そう感じてる私が、私の中に確かに居る。
二年も一緒に居たから、きっと当たり前過ぎて考えもしなかった、私の望み。

だから、今日のデートは思いっきり楽しんだ。
卓也を振り回して、卓也に振り回されて、手を繋いで一緒に歩いて。
その全てを楽しんだ。私が楽しんだ分だけ、卓也にも楽しんで欲しくて。

……卓也は、私が感じたのと同じくらい、今日一日を楽しめただろうか。
きっと、素直には答えてくれないだろう。
こいつはそういう奴だ。
だからいつか、そう、例えばの話。

「なあ、アルのページも全部回収して、ブラックロッジを倒したら、また、今日みたいに────」

遊べるか。
その言葉を、私は口にする事なく飲み込んだ。

「あ────、──」

それは唐突で、突然の事だ。
人で溢れかえる街の生み出す喧騒、公園で群れる鳩の鳴き声、噴水の水音、車のエンジン音。
それら周囲の喧騒が、一瞬で消え失せた。
訳も分からず背筋に悪寒が走る。
いや、そんな生易しい感覚ではない。
頭の先からつま先まで、全ての血液を凍らせられ、骨や随を残らず氷の塊に挿げ替えられた様な、
脳みそをシャーベットにされたような、比喩でもなんでもなく既にこの私は死んでしまっているのではないかと思いそれならどれほど救われたかと恐れ本気で恐ろしい異形じみた経験のない名状しがたい絶望的な圧倒的な感覚。
あるいは、その時の私は真実死んでいたとも言えるかもしれない。

「先輩!」

「九郎!」

浴びせられた叫びに、凍結していた全てが熱を取り戻す。
今までの修行はなんだったのかと思うほどみっともない自失。
意識を飛ばしていたのはどれほどの時間だったのか、既に懐のブックホルダーに魔導書アルアジフは無く、卓也と共に私を背にかばう様に精霊としてのアルの姿を晒している。

────そいつは、立っていた。
やけにゆっくりと飛び立つ白い鳩の群れの向こう。
公園を染め上げる夕陽が、黄金の髪を照らしていた。
炎えるような紅の只中に、その少女は立っていた。
人外じみた美しさを持つ少女。
この場の誰もが魅入られたように、もしくは呪縛されたように、少女から目を逸らせなかった。
いや、逸らさなかった、か。
少女は穏やかな微笑を浮かべ、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
その微笑みに、私は吐き気と躰の震えを堪えながら、

「アル!」

叫ぶ。
返事を返す間も惜しみ、アルの身体が頁の形に解け、私の身体に張り付いてマギウススタイルを形成。
……ヤバイ。
こいつはヤバイ。
何がなんだか良く分からないけど、それでもこいつがヤバイって事だけはよくわかる。
だってこいつ、こんなに可愛くて、綺麗な金色の髪で、瞳も、なのに……なのに!

「はじめまして、大十字九郎。楽しい休日の邪魔をしてすまない」

鈍い輝きと共に放たれる、超然的な雰囲気。
感情の篭っていない謝罪の言葉と共にこちらに翳された掌から、紫電を帯びた光の弾が生まれる。
俺はまだ放たれてもいないその光弾を防ごうとして────初めて躰が動かない事に気がついた。
何故か、躰は私の意識による制御を離れ、石にでもなったかのように微動だにしない。

「余はマスターテリオン。魔術の真理を体現するもの、そして心理の追求を続けるものであり────」

いや、理由は直ぐに分かった。
目の前の少女から放たれるプレッシャー。
それが膨大な魔力と共に全身に浸透し、身体の動きを阻害する。
少女が顔に浮かべた、可憐ですらある笑みに、心底恐怖する。

少女の掌の中、光弾は迸らせる紫電の量を増し、輝きを強くしている。
夕暮れ、紅く染まった公園を、更に強烈に照らしつけるほどの閃光。
光弾が解き放たれ、少女の桜色の唇が途切れていた言葉の続きを紡ぐ。

「────この地球の真の覇者、『地球皇帝』である」

轟、と、兇暴な唸りを上げて魔術の光弾が動けない私目掛けて迫る!
躰は依然として動かない。
一か八か、このままディスペルを────!

「踏み込みが足りん!」

顔面に当たる直前の一撃を、絶妙のタイミングで横から割り込んだ卓也の偃月刀がはじき飛ばす。
光弾は明後日の方向に飛んで行き、そのままドーナツ屋台に直撃、劈くような爆音と共に閃光が屋台を飲み込んだ。
返す刀で額を小突かれ、躰が自由を取り戻す私。

「先輩、腹括って」

何時に無く真剣な声色の卓也。
光弾を弾いた時に受けたダメージで熔解を始めた偃月刀を振り、鍛造し直している。
その視線は目の前の少女に油断なく向けられ、逸らされる事がない。

「ああ」

当たり前だ。
何時もの怪威ではない。
覇道の邸やインスマウスで戦ったアンチクロスですらない。
そう、そうだ。
目の前の少女は、
余りにも可愛らしい、美しいこの少女は、
人智で測れぬ存在である、この金色の化生は、

大いなる獣!
聖書の獣!
可能性の獣!
地球皇帝!
七頭十角の獣!

「ブラックロッジの大導師、マスターテリオン……!」

「そうだ! そして彼奴こそ妾の『敵』だ!」

「悪党以外にとっちゃ、大概敵になるお人だと思いますが……」

怒りを込めて叫ぶアルに、額に汗を滲ませて呟く卓也。
そんな私たちに、少女────マスターテリオンは大仰な素振りでお辞儀をする。
明らかにこっちを虚仮にしている態度だ。

「以後、お見知りおきを、マスター・オブ・ネクロノミコン。今日はアル・アジフが選んだ新たな術者と直に会ってみたくてね。こうして伺わせてもらったのだが…………成程、これまでの主と比べても、中々に優秀なようだ。……それに」

楽しげに細められた瞼の奥、マスターテリオンの黄金の眼差しが、魔導書と偃月刀を構えた卓也に向けられる。
マスターテリオンの興味は、マスター・オブ・ネクロノミコンの私ではなく、卓也の方に向いてしまったらしい。

「加えて、貴公の様な魔術師が助力していたとは、いやいや、見習い風情と甘くみるべきではなかったか」

「いえいえ、俺も未だ学生の身、大十字先輩と同じく見習いですよ」

「そう自分を卑下する事もあるまい。貴公もまた、独力で余の『頭』を退けてみせたのだ」

卓也の謙遜をマスターテリオンはばっさりと切って捨てた。
ここに来るまでに、卓也もアンチクロスの迎撃など、少なからぬ動きを見せてしまっている。
これまで通り、敵は見習いと油断させる事は難しいだろう。
その事を思ってか、卓也の顔に苦い表情が浮かぶ。

「できれば、死ぬまで甘く見ていて欲しかったですけど……ね!」

(先輩、アルさん、俺が次に動いたら全力で後ろに飛んで、それからデモンベインを招喚して下さい)

言葉に被せるように伝えられた卓也の念話。
そして私が何らかのリアクションを返すよりも早く、卓也は動いた。
手に構えていた偃月刀をマスターテリオン目掛けて投擲する。
偃月刀は投げられた瞬間、まるで最初からそうであったかの様に無数に分裂しマスターテリオンを取り囲み、斬撃波を放ちながら方位を狭める。

「余を相手にこのような児戯が────」

必中必滅の魔術が込められた、回避不能の超攻勢捕縛結界。
それを手の一振りで容易く打ち払い、全ての偃月刀を術式毎粉砕する。
反撃の魔術を放とうとするマスターテリオン。

「通じないんでしょう!?」

それに続けざまに攻撃を加える事無く、私と同じくその場から全力で飛び退く卓也。
僅かに訝しげな表情を浮かべるマスターテリオン。
その姿を照らす紅い夕陽が、唐突に遮られた。

《だったら、これはどうだよっ!》

エーテルを通じて増幅された聞き覚えの有る少女の叫び。
同時に、虚空から音もなく染み出す様に現れた黒鉄の巨人。

「どぇぇっ!」

「あれは、アイオーン!?」

あの声は間違いなく美鳥だ。
機神招喚ができたのかどうかよりも、どうしてこのタイミングで現れることが出来たのかの方が疑問、というか理由を想像すると怖いけど、それどころじゃない!
あの場所からマスターテリオンを攻撃するとなると、私たちまで巻き添えだ。後ろに飛べってのはこういうことかよ!
恐ろしい程の破壊力を秘めた大質量に威圧されつつ、急いでその場から飛び退く。
どこかデモンベインを彷彿とさせるその巨人が、炎を帯びた鉄拳をマスターテリオン目掛けて全力で振り下ろした。

《いあ!》

神を称える声と共に、拳に込められた術式の構成が複雑に練り上げられ、纏う炎の神氣が膨れ上がる。

《くとぅぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!》

極限まで作用範囲を狭める事で威力が増したその炎拳が、マスターテリオンに向けて叩きつけられる。
拳に隠れてマスターテリオンの姿は見えないが、着弾点の周囲は一瞬で蒸発し、その周囲も余熱で火に近づけた氷の様に熔解し始めた。
マズイ! まだ近い!
マギウスウィングを翔かせ一気に上昇しその場を離脱。
急激に熱され景色がゆがみ始め、マギウススタイル越しでも火傷するほどの外気。

「憎悪の空より来たりて正しき怒り胸に我等は魔を断つ剣を執る!」

灼熱の大気に喉と舌と肺を焼かれかけながら早口の招喚、私を中心に顕現するデモンベイン。
が、この時点で既にデモンベインは神氣の宿る炎の熱の余波に巻かれ、ヒヒイロカネの装甲は赤熱し僅かに熔解すら始めている。

「第四の結印は『旧き印<エルダーサイン>』! 脅威と敵意を祓うもの也!」

「ティマイオス! クリィティアス」

サブシートに実体を形成したアルが即座に防御結界を展開、私は断鎖術式を起動し宙を蹴り、更にその場から大きく飛び退く。
結界は過たず発動し、マスターテリオンを葬らんと放たれた一撃の余波を防ぐ。
ビルの上に着地し、遠見の術式を走らせたマギウススタイルとリンクしたデモンベインのカメラアイで爆心地、巨人──鬼械神アイオーンの拳が突き立てられたマスターテリオンの居た辺りを拡大する。
公園はまるごとクレーターと化し、生物の気配はまるで感じられない。
熔解した公園の地面やなにやらは、クトゥグアの炎ではなくアイオーンの拳打の衝撃で吹き飛ばされたのだろう。

「やったか? いや……」

口にしてから、それは有り得ないと直感する。
卓也と美鳥のやろうとしている事は解る。
あのアンチクロスを纏め上げるブラックロッジのボスである、大魔導師マスターテリオン。
私はそんなものと正面切って戦って勝てる実力はないし、それは卓也だって美鳥だって変わらない。
相手が油断して居る今のうちに、機神招喚を発動し鬼械神に搭乗するよりも早く、最大火力の不意打ちで仕留める。
そうでもしなければ、この勝負に勝ち目はない。
だからこそ、これまでブラックロッジ側の本気を出させない為に使用を控えていただろう機神招喚を使って、卓也が注意を引きつけ、美鳥が一撃を入れた。
だけど、多分、間違いなく『届いていない』

《先輩、武器を、いや、レムリア・インパクトの準備だけしといてください》

「わかってる」

ビルの上に立つデモンベインの隣りに、先の美鳥の物と全く同じ姿の鬼械神────アイオーンが飛行ユニットを稼働させて滞空している。
通信越しに聞こえる声は卓也の物だ。

「またアイオーンか……」

《使いやすい良い機体ですよね。流石ネクロノミコンの鬼械神》

「アル、追求は後にしてくれ」

美鳥が機神招喚を使えるなら、こいつが使えないのはおかしな話だ。驚くところでもない。
続いてもう一体、先ほどの美鳥のアイオーンがデモンベインを挟んで卓也のアイオーンの反対側に降り立った。

《ごめん、しくった》

見ればマスターテリオンに一撃を放った腕を肘先から排除し、美鳥のアイオーンは隻腕になっている。
自己修復機能(メリクリウス・システマ)によって再生しているが……完全回復するのを待つ事はできないだろう。
何故なら────

「────見事だ、余に魔導書を使わせるとは」

陽炎揺らめく爆心地。
本体から切り離されたアイオーンの腕が、ああ、ああ!
突き立てる筈だったその拳を『掴まれて』いる!
虚空から突き出す、紅い、夕陽より、血の流れよりもなお紅い、『鋼鉄の腕』に!

アイオーンの腕を握り砕く腕の傍ら、防御陣に守られ、煤一つ付けず、美しい金の髪を靡かせ、壮絶な喜悦の笑みを浮かべるマスターテリオン。
その傍らには、黒い少女────いや、私の直感が告げている、あれはアルと同じタイプの存在だろう。

「紹介しよう……先ずは、我が魔導書『ナコト写本』!」

墨を流したような黒い髪。
黒曜石のような瞳。
そして、黒いドレス。
ただ肌だけが、闇に浮かび上がるように、白い。
黒と白のコントラスト。
華奢な身体に、夢幻じみた雰囲気の、幻想的な少女姿の精霊。
だが男だ。少女の姿でありながら男であるという矛盾を、そのまま精霊のゆらぎと重ね合わせた存在。
突き出した左手は肘から先の関節が存在せず、まるで空間に飲み込まれるようだ。
その肘から先は、つまり、『魔導書が招喚する鬼械神』とリンクしている事になる。
虚空に生えた、あの左腕と。

「そして……これこそが余のデウス・マキナ、リベル・レギスだ!」

ゆっくりと、地面から迫り出す様に、空間を引き裂いて、それは姿を現した。
余りにも紅く、首の無い、人に似た四肢と、龍を思わせる翼を持つ、鋼の巨神。
機械の神、鬼械神、力そのもの。
これが、大導師、マスターテリオンの鬼械神……!
個体よりも尚濃密な密度でもって形成されたその姿が僅かに遠のく。
圧倒的な存在感に、私は意識せずデモンベインを一歩後退りさせていたのだ。

「貴公らのチームは腹立たしい程に優秀であった。しかし、そのお蔭でもっとも望ましい形に進んできているのはとても愉快だ」

水の中に沈むように、リベル・レギスの中に吸い込まれていくマスターテリオンとナコト写本の精霊。
私はその姿を見ながら、どうしてか攻撃を加える事が出来ず、惚けたように見つめていた。

「余の螺旋断絶素敵計画は、貴公らの強い命を以て、更に一歩前進することとなる」

マスターテリオンとその魔導書が完全にリベル・レギスに取り込まれる。
すると、まるで今までのリベル・レギスが屍であったかのように、その全身に更なる力の脈動が生まれ────装甲が、展開する。

「余の未来の為、いよいよもって死ぬがいい」

如何なる形容が正しいのか。
紅の悪魔。
紅の天使。
竜。
どれにも似て、どれにも似ない、リベル・レギスの顔(かんばせ)が露になった。
その無機質な瞳に鈍い魔力の輝きが宿る。
本当の戦いが、始まろうとしていた。

―――――――――――――――――――

僅かな、数秒にも満たない念話による作戦会議を終えて、戦場は動き出す。
最初に仕掛けたのはやはり卓也と美鳥のアイオーンだった。
片方のアイオーンの腕が一本、マニピュレーターも付いていない単純な物に変化している事を除けば細部の意匠まで完全の同一。
異なる術者が招喚した鬼械神としては有り得ないそれらは、その外見の相似性に違わぬ一糸乱れぬ連携で動き始めた。
一対の黒い機神が音もなく静かに、しかし激しくスラスターを吹かしビル街を飛翔する。

「術式選択────」

「ファイルロード────」

異なる掛け声、しかし魔導書に登録された術式へのショートカットとして設定されたという意味では同種の呪句(コマンド)により、二機の鬼械神の両腕には攻性の魔術が装填された。

「魔錐(ドリルスペル)!」

「ドールドリル!」

はたしてそれは偶然か連携か、異なる呪法により同時に形成される一対二機から生まれる計四器の魔術兵装。
純粋な字祷子により形成された魔力螺旋錐(ドリル)に、星喰らいの独立種族の力を借りて形成された魔術螺旋錐(ドリル)。
甲高い回転音を轟かせ、悠然と佇むリベル・レギス目掛けて大気を、いや空間そのものを穿孔して突き進む。
直撃すれば、如何な鬼械神の装甲も削り穿つ四点の錐撃。

迫る二体のアイオーンに対し、しかしリベル・レギスはゆったりとした挙動で右手を掲げる。
金色の光。
光の粒子が収束し、収縮し、結晶する。
握られたのは飾り気のない、しかし優美なフォルムの十字宝剣。

全高50メートルの鉄巨神の質量とそれを飛翔させる推力を載せ、物質化した魔力が激突する。
一度、二度、三度四度五度六度七度……
繰り返し交差する螺旋錐と宝剣。
亜光速にも達する回転速を得ている螺旋錐は、無駄な衝撃波を生み出す事無く、その全てを貫通力、破壊力へと変換し、リベル・レギスとその宝剣へと向けられ続けている。
一般に刃筋を通さなければならない刀剣の一撃に対し、回転により常に刃筋を逸らし続ける螺旋錐は天敵と言って良い程に相性が良い。

しかし、数の差では四対一のそれは明らかにリベル・レギスが優位を得ていた。
二機のアイオーンを駆る卓也と美鳥の連携が出来ていない訳ではない。
リベル・レギスの速度が特別早い訳でも無ければ、卓越した剣技で持って捌いている訳でもない。
だが現実として、リベル・レギスの剣舞に合わせ踊るように、二体のアイオーンの螺旋錐は容易くいなされている。
卓也と美鳥に取っては悪夢の様な状況だろう。

いや、組み合う事無く剣舞を続けるリベル・レギスとアイオーンを見つめる、第四の鬼械神が居る。
────デモンベイン。
人造の、正確には正調の鬼械神ですらないそれが、虎視眈々とリベル・レギスに一撃を打ち込む隙を狙っているのだ。
そしてそれは、アイオーン二機に乗る鳴無兄妹、そして大十字九郎とアルアジフの作戦でもある。

リベル・レギス、アイオーン、デモンベイン。
一見して、この三種の鬼械神の中では、デモンベインはあらゆる性能面で劣っているように見える。
だが、デモンベインに搭載された魔術兵装────近接昇華呪法『レムリア・インパクト』は、正調の鬼械神を相手にしても、ほぼ間違いなく一撃必殺を狙える威力がある。

しかし、これを作戦と言って良いものか。
確かに、レムリア・インパクトは必滅の一撃を放てるだろう。
だが、デモンベインそのものの機体スペックは驚く程低い。最弱と言っても良い。
純粋な馬力で言えば最低位の鬼械神にも劣るのが現実だ。
しかも、デモンベインを操るのは優秀で才気に溢れるとはいえ、未だ見習いの域を出ない大十字九郎。
対してリベル・レギスは純粋な機械の神の枠をはみ出した存在であり、ある意味では神そのものと言っても過言ではない。
そして、それを操るのは純粋な人間の魔術師では決して到達出来ない域に存在する《被免達人(アデプタス・イグセンプタス)》、大導師マスターテリオン。

そのような相手に、最強の鬼械神と名高いアイオーンが二体、純粋に足止めに専念したとして、デモンベインは一撃を加える事ができるのか。
何故、四人はギャンブル性の高いこの方法を取ったのか。

「こんのぉぉぉぉぉぉっ!」

螺旋錐によるラッシュが速度を増す。
破壊力を伴う魔力残像により、リベル・レギスを無数の光の円錐が取り囲む。
圧倒的な攻撃密度。
掻い潜るための隙間もないそれは、しかしリベル・レギスの振るう十字剣が振るわれる度にあっさりと砕けて輝く魔力へと還元されていく。
そして、鬼械神の限界を超えかねない速度での連撃に、アイオーンの全身が火花を散らし、小爆発と自己修復を繰り返す。
十字剣に切り払われ続ける螺旋錐は幾度となく砕け、しかし次の一撃を放つまでに再構築されている。

「あ、ぐっ……!」

卓也と美鳥、二人分の苦悶の声が鬼械神を通しエーテルを震わせる。
連続ではなく、常時行われる自己修復機能の行使と魔術兵装の構築、擬似連結状態となったアイオーンからのフィードバックは、術者の肉体と魂を過剰に蝕む。
そう長く続けられるものではない。

……何故、博打のような一撃に掛けたのか。
それは、その一撃にしか、自分達の勝利で勝負を決する手段が存在しなかったからだ。
これまでの修行の合間、鳴無兄妹が九郎に語って聞かせた自分たちの魔術師としての位階。
そこから予測されるアイオーンの最大火力は、どうにかこうにか逆十字の鬼械神に対抗できるできないか程度のものでしかない。
そうなると自然、術者の力量に左右されないデモンベイン独自の固定武器、最大威力の呪法兵装が切り札になる。
選択肢は、他に、存在しない。

「くそ、くそ、くそっ……」

それを理解しながら、九郎はそれでもコックピットの中、歯噛みするのを止められなかった。
自分とデモンベインで無ければ、あのマスターテリオンの駆る鬼械神を打倒する事はできない。
同時に、自分とデモンベインでは、あの三機の攻防の中に入り込む事すらできない。
何故、何故自分の力はこんなにも中途半端なのか。
噛み締めた唇を噛み切ったのか、唇の端から紅い雫が滴る。

マスター・オブ・ネクロノミコンとしての彼女を知る者達からは誤解されがちだが、本来の彼女は理性の戦士である。
本能的な直感、生命力の強さは確かに持ち合わせているが、魔術師としての彼女を支えるのは純粋に学習の積み重ねによる知識と、そこから導き出される論理的な答えだ。
力の弱い人間は、手持ちの材料を如何に効率良く使い生き残るかを考えなければならない。
特に、怪威と向き合い闘争を続ける魔術師になろうと思うなら、なによりもその事を忘れてはいけない。
これは九郎に限った話ではなく、ミスカトニック陰秘学科で数年カリキュラムを受け続けた魔術師見習いのほぼ全員に共通する特徴である。
死亡率が高いと言われるミスカトニックの関係者ではあるが、それを糧にして現在の陰秘学科の教育プログラムはサバイバビリティの上昇に重きが置かれている。
だからこそ、目の前で親しい者達が命を削り戦っていても、自らの仕事を忘れる事無く、隙を窺い続けていられる。
いや、窺い続けてしまう。投げ出す事が出来ない
本能に、助けに行きたいという直情的な欲求に従う事ができないのだ。

そんな九郎の苦悩を余所に戦いは進行する。

「どうした、些か息が上がっているのではないか?」

リベル・レギスを操るマスターテリオンの声。
先までと同じく、螺旋錐によるラッシュは繰り返され続けている。
だが、マスターテリオンの言葉の通り、その一撃一撃に込められた威力は比べ物にならない程力を弱め始めている。
既に二機のアイオーンは自己修復すらまともに機能せず、内部機関を剥き出しの状態のまま只管に両腕の螺旋錐を振るい、蹴りを放ち続ける。
満身創痍のアイオーン。

「些か飽いてきた、散り様を見せよ」

これまで螺旋錐を打ち払うのみだった十字剣が、一層力強く、殺意を込めて振るわれる。
一撃を受け止めた螺旋錐が、あっさりと断ち割られ、その先に存在したアイオーン毎砕け散る。
────まるで、ガラスを叩き割るかの様な音と共に。
今や十字剣に斬られたアイオーンだった物は、まるで砕けたガラスそのものにしか見えない破片だけを残して崩れ落ちる。
そして、その破片は余さず字祷子へと変換された。

「これは、まさか……!」

これまで見せなかった、マスターテリオンの焦りの感情が声に乗る。

「そう、その『まさか』だ!」

歓喜、いや、狂喜の感情すら滲む、卓也『一人』の叫び声。
同時、満身創痍のアイオーンの全身から、光り輝く魔力の糸が盛大に溢れ出す。
指向性すら与えられず、ただ量と頑丈さと柔軟性だけを求められて生成された『アトラック=ナチャ』の魔力糸。
津波と化した魔力糸に呑まれるにして拘束されるリベル・レギス。

「く……小癪な真似を……!」

糸の塊に呑まれながらも、十字剣を振るうが、切断された糸は即座に近くの糸と絡み合い、糸の海からの脱出の手立てにはならない。
伸縮性に富み、動きをあまり阻害しないが故に容易に抜ける事のできない柔軟な拘束。

そして、そんな糸の塊に呑まれたリベル・レギスを、デモンベインよりも遠く、雲の上、天の彼方より狙いを付ける鬼械神。
美鳥のアイオーンだ。
その手には、優美な装飾の施された銀色の回転弾倉式拳銃。
バレルとグリップを取り囲む様に展開された無数の、夥しい数の拡張術式による魔法陣。
色とりどりの魔法陣は無数に重なり合う事でその色を黒く濁し、銀色の回転弾倉式拳銃はおぞましい暗色の長銃のシルエットを得ている。

「狙い打つぜえぇぇぇぇぇぇっぇぇぇぇっっ!!!」

吠える。
天高く成層圏の向こう、宇宙空間、アーカムシティに立つ鬼械神全てが芥子粒程にも見えない距離からの超々距離狙撃。
いや、狙撃ではない。
銃口から放たれたのは、イタクァの術式が神性の分霊を宿して実体化した神獣弾。
直撃せずとも、掠めるだけで対象を凍結させる事ができる範囲魔術。
大気を風の神獣が引き裂き、粒子状の字祷子へと変換する。
無数の追加術式により拡散と加速の属性を付与された神獣の姿は既に元の姿を維持しておらず、地上へと降り注ぐ姿はさながら光の雨。

回避する為の空間を奪う為にほぼ全ての誘導性を捨て、無数の点による面攻撃。
そしてこれら全てがイタクァの神獣形態であり、凍てつく極低温の氷竜である。
着弾したが最後、僅かに残された誘導性能が正確にデモンベインとアイオーンを除け、リベル・レギスと回避運動に必要であろう空間を凍結させ、デモンベインが一撃を打ち込むだけの隙を生み出すだろう。
天から降り注ぐ無数の氷竜が大気中の水分を凍結させ、綺羅綺羅と輝く光の粒子を生み出す。
ダイヤモンド・ダスト現象だ。
まるで金剛石の欠片を散らしたかのような細氷、それを万を超え億を超える無数の氷竜が追い抜き、リベル・レギスに迫る。

しかし、蜘蛛の糸の中に居ながらにして、リベル・レギスは微塵も慌てる事無く十字剣を天に掲げる。
いや、それはいつの間にか煌びやかにして禍々しい装飾の施された金色の長弓へと変化しているではないか。
そして、リベル・レギスのもう片方の手には、いつの間にか一本の光の矢と、光の矢と同じ長さの黄金の剣。

「! させるか!」

その矢と剣に込められた術式からリベル・レギスの、マスターテリオンの考えを読んだ卓也のアイオーンが、両腕に二丁の紅い自動拳銃を招喚する。
クトゥグアの力の込められた魔銃の銃口がリベル・レギスへ向けられ、引き金が引き絞られる。
轟音の連打。

「無駄だ」

一撃でも当たれば並の鬼械神であれば半壊は免れられない無数のプラズマ弾を、しかしリベル・レギスは黄金の弓で無造作に打ち払いディスペルする。
続けざまに放たれたリベル・レギスの、大導師の重力結界に絡め取られ、その場で膝を付くアイオーン。
消耗からか、苦悶の声を上げることすら出来ない。

「見るがいい、愛しい妹の最後を」

既に氷竜の雨は降り注ぎ始めている。
だが、その極低温の豪雨を意にも介さず、天に、その向こうに居るもう一体のアイオーン目掛けて弓を構え、矢と剣を弦につがえ────
解き放つ。
如何なる技法によるものか、同時に放たれながら先行する七本の黄金の剣は氷竜の雨を素通りし、天空高くから未だ神獣弾を放ち続けていたアイオーンの両手、両足、両脇腹、そして額を貫く。
やはり黄金の剣に実体は存在しないのか、アイオーンに一切ダメージは無い。
だが、

「ああっ!」

いつの間にか背に迫っていた、まるで誂えられていたかのような、歪な十字形の小惑星。
七本の黄金の剣によって、美鳥のアイオーンは聖者の如く磔にされてしまった。
付与術式を阻害する術式すら組み込まれていたのか、アイオーンの手にあった闇色の魔銃は纏っていた全ての魔方陣を破壊され、元の優美な白銀の魔銃としての姿を曝け出し、取り落とされて地球へと落下を開始する。

そして、貼り付けにされたアイオーン目掛けて、一直線に迫る殺意の具現。
神威を持つ無数の氷竜をその余波だけであっけなく蒸発させ、重力の軛を引き裂きながら、雷の如く襲いかかる。
雷の如く、つまり、こと鬼械神同士の戦闘では考えられぬほどの低速で。
十分に目視可能で、避けられない速度ではない。
磔にされてさえいなければ、という前提があるが。
そして、今磔にされているという事実を覆す手段を、卓也も九郎も、そして、迫る矢の切っ先を見つめる美鳥も持ち合わせてはないのだ。

そうして、
至極簡単に、もったいぶる事すらなく、光の矢に動力炉毎コックピットを貫かれ、アイオーンは、

「お姉さん……、あたしの、Dドライブ────」

爆散した。

「ニ、美鳥ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっ!」

妹を殺された怒りからか、瞬間的に重力結界をディスペルし、リベル・レギスへと駆け出すアイオーン。

「う、お、おお!」

その腕には既に魔銃も螺旋錐も無く、両腕の中に抱えるは光の柱。
無数の魔術文字で編まれた魔術式の螺旋が、回転しながら収束し、瞬く間に金属の光沢を帯びて物質化する。
槍とも銃とも付かない棒状の武器。
『呪文螺旋・神槍形態』
アイオーンの持ちうる武装の中では、最大の威力効率を叩き出す呪法兵装。
神の力すら容易く制御し、本来であれば必殺の武器足り得るそれで、

「な、に?」

ただただ頑丈でシンプルな拘束魔術を零距離から放つ。
光の縛鎖で構成された魔法陣が、リベル・レギスの腕を、腰を、脚を、雁字搦めに拘束する。
術式を維持し続けるアイオーンごとその場に固定され、拘束魔術の副次的な作用により魔術の発動を阻害されるリベル・レギス。

「せんぱいっ! 今だぁぁぁ!」

呪文螺旋に縋り付くように立つアイオーンから、卓也が喉よ裂けよとばかりに叫ぶ。
その声に応答する暇すら惜しみ、デモンベインが空を疾駆し、リベル・レギスへと肉薄する。

「光射す世界! 汝ら暗黒、住まう場所無し!」

震える声で必滅呪法の呪言を唱える九郎。
美鳥が死んだ。あの馬鹿でブラコンで嫉妬深くて、でも何処か憎めない少女が。
あの憎まれ口を聞く事は、もう二度と出来ない。
でも、膝を折り泣き崩れる時間は無い。

「乾かず! 飢えず!」

一番傍に居た卓也が、一番長く共にいた卓也が、悲しくないはずがない。
それでも、卓也はマスターテリオンを倒すために、必死にこの時間を稼いでいる。
泣き出したい筈なんだ。叫びたい筈なんだ。
でも、そのどれもする事なく、卓也は自分の仕事をこなしている。
なのに、全てを任されて、安全な場所でひたすら成り行きを見守っていた私が、責任を放棄する訳にはいかない。

義務感に、怒りに、悲しみに背を押され、

「無に、帰れ! レムリア・インパクト!!」

デモンベインのやや大振りな右掌の一撃が、リベル・レギスへと叩き込まれた────。

―――――――――――――――――――

叩き込まれた、確かに、レムリア・インパクトはリベル・レギスに過たず直撃した。
その筈だった。
確かに、リベル・レギスが構えた『右手刀』に、直撃したのだ。

「────不思議なものだ」

必殺の一撃が込められていた右掌を、腕の半ばまで右手刀で切り裂きながら、傷一つないリベル・レギスの中、マスターテリオンは子首を傾げながら小鳥の囀りの様に愛らしい声で囁いた。

「余のリベル・レギスの奥義、極低温、負の無限熱量の刃、ハイパーボリア・ゼロドライブの対極たる武装が、その鬼械神のなりそこないに搭載されているとは」

白く焔えるリベル・レギスの手刀。
その手刀より伝わる冷気を伴う瘴気が緩慢に、しかし確実に、デモンベインの全機関を余さず灼き尽くす。
その場から倒れる事もなく、立ち尽くしたまま動きを止めるデモンベイン。
リベル・レギスの手刀が右腕から引き抜かれ、しかしコックピットの中の九郎も微動だにしない。

「あ、ぁ……?」

余りの、余りにも余りな現実に、思考が追いつかない。
美鳥が命を散らしてまで稼いだ時間が、卓也が魂を削ってまで稼いだ時間が、その全てが無駄になった。
最初から、無駄だった。

「なんという……圧倒的すぎる……」

アルの闘志は消えていない。
だが、現実として今のデモンベインに打つ手は無い。
この場の支配者は、リベル・レギス。
その操者であるマスターテリオンに他ならない。

「さて、大十字九郎よ」

リベル・レギスの掌が、術者が力を使い果たし、その場で徐々に消滅を始めているアイオーンに向けられる。

「貴公には見所がある。故に、今後の成長に期待し、一つ良い物をお見せしよう」

向けられたリベル・レギスの腕が半ばから折れ、黒い砲口が剥き出しになる。
砲口の先に、小さな闇の塊が生まれた。
鬼械神の装甲であるオリハルコンすら容易く砕く、超高重力弾。
それは徐々に、徐々に徐々に、膨張を始めた。
そして、鬼械神をまるごと飲み込める程の重力球が完成する

「! 止めろ!」

マスターテリオンの意図を察し、凍結していた思考を解凍、静止の声を上げる九郎。
しかし、デモンベインは未だもって動くことはできない。
コックピットハッチを中から叩き、叫ぶ。
奇跡的にコックピットの中にまでは瘴気は及んでいないが、冷気により霜を張る程には冷えている。
九郎の拳がハッチに叩きつけられる度、マギウススタイルの九郎の手の皮が張り付き、剥がれた。
皮の剥がれた手から血飛沫が飛び、それでも、九郎はコックピットハッチを叩き続ける。

「止めろ、止めろ、止めろ! ……やめてくれ、それだけは、やめてくれよぉ……!」

内側からハッチを叩き続けながら、とうとう膝を着き、今にも泣き出しそうな表情で哀願すら始める九郎。
しかし弱々しい九郎の哀願はマスターテリオンに届かない。
戦う為の全ての機能を停止されながら、デモンベインのカメラは淡々と九郎の視界に絶望的な光景を写し続ける。
瞼を閉じてもなお途絶える事なく伝わる外の映像。

「さぁ、見るがいい。これが、敗者の末路というものだ」

マスターテリオンの宣告と共に、膨張を終えた重力弾は抵抗する事も出来ないアイオーン目掛け、解き放たれた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

天は雲が覆い尽くし、氷土で覆われた廃墟は、街の遠くから雲を反射して届く薄明かりで照らされていた。
デモンベインのコックピットが、ゆっくりと開かれる。
しばしの間を置き、マギウススタイルの九郎が這い出すようにして姿を現した。
倒れるようにデモンベインから飛び降りる。
半ば自失した九郎の意志とは関係なくウィングが羽ばたき、ゆっくりと主を地上へと送り届け、マギウススタイルが解除された。
そのスカート姿は、激しすぎる戦闘の後とは思えない程傷一つ、皺一つ無い。

「九郎……」

その後ろ姿を見ながら、アルは声を掛けようとして、なんと声をかければ良いのか躊躇い、口を紡ぐ。
九郎はそれに気付かず、立ち尽くすアルから離れていく
薄暗がりの中、ふらふら、ふらふらと、もはや公園の面影もない荒野を、亡者にも似た足取りで歩く。
何も無い、何一つ残っていないこの場所で、何か、大事な忘れ物を探す様に。

「……?」

こつり、と、爪先に何かが当たる。
焦点の定まらない瞳で、足元を見下ろす。
銀と紅の、何か。
なんとなくそれを拾う為に膝を曲げしゃがもうとして、そのままぺたりと氷の地面に座り込んでしまった。

座り込んだまま立ち上がるでもなく先ほどよりも近くにある銀と紅に手を伸ばす。
伝わるのは冷えた温度に硬い鉄の感触。
銀と紅のそれは、二丁の魔銃。
美鳥と卓也が最後に使っていたアイオーンの魔銃、その原型ともなる彼ら特有の魔導兵器。

「……」

二つの魔銃を手に取り、次第に九郎の脳髄が働き始める。
何故?
なんでだろう。
今日は、息抜きの為に卓也と映画に行って、ショッピングをして。
疲れるまで遊んで、それで終わりだった筈なのに。
次の日にでも美鳥がハンカチを噛み締めながら詰問したりイヤミを言うのを辟易しながら受け流したり、そんな、何気ない日常の一コマで終わる、ありふれた一日になる筈だったのに。

残っているのは、こんな鉄の塊が二つだけ。

「卓也……美鳥……」

ぽたり、と、水滴が大地を打つ。
数滴が地面を濡らすだけだったそれは、瞬く間にその数を増やす。
九郎は両手に魔銃を手にしたまま、天を仰いだ。

雨。
天から降り注ぐ透明な弾幕が、罪も罰もない、無辜の少女を打ち付ける。

何故だろう。
少し前まで、あいつと手を繋いでいたのに。
また明日と、言っていたのに。
明日もスカートで行って、驚かせてやろうと思ったのに。
手を繋ぎたい相手を、隣りに居て欲しい人を見つけたのに。

お気に入りにできたかもしれないスカートは、雨と泥に塗れて。

あいつと繋いでいた手は、こんな冷たい鉄の塊を握りしめている。

「卓也……卓也……卓也……」

雨に濡れ震える唇が、親を探す迷子の様に、ただ一人の名を紡ぐ。
雨が地面を叩く音だけが虚しく響く中、叫ぶ事も泣く事もせず、虚ろな瞳で曇天を見上げていた。






続く。
―――――――――――――――――――

王大人「死亡確認!」

そんな訳で、ほぼ全編に渡ってデート描写な第六十五話をお送りしました!

まぁ自分、デートとかあんまり詳しくないんで超雑な描写しかできませんでしたが……。
でもせっかくなので自己弁護しますが、所々にデート描写をどうにかしようと努力した後が垣間見れるんじゃないかな、と思います。タブンネー。
え、なに? もう少し努力して見せろ?
デートできる恋人か、せめて異性の友人の一人二人居ればねぇ……、努力できたかもわからんねぇ……。

あと、クリボーが言っていた様に性的に酷い目に合ってるのはあまり興奮できませんが、大事な物を失ってしまって目からハイライトが消える展開は大好きです。
こう、むりやり処女を奪われるとかじゃなくて、目の前で大事な人が死ぬ系のイベントとか、もう。

Q,結局なんで大十字は主人公がオカズになっちゃったの?
A,身近な所で一番接触の多い男性で、なおかつ何度か危ない所を助けられているので吊り橋効果が抜群です。

Q,スカートとか、あざとい……。
A,ええ、そりゃあざといですよ。いけませんか?

Q,ていうか、姉でもない相手にプレゼントするような殊勝な奴だったっけ?
A,レアケースですが、ありえます。例えばスパロボ編でメメメとデートするような話があれば、グラサンのお返しに何かプレゼントくらいはした筈。
まぁ、この時点では少なからず大導師の意向を汲んでいる、というのもありますが。

Q,大十字視点の大導師の描写が大人しくない?
A,金色ですが、この時点で大導師はそれほど絶望してないので多少スレたなりの輝きはあります。

Q,大導師と主人公等のパワーバランス全般。
A,演出です。文句はどちらかと言えば筋道考えた人へ。誰とは言いません。バレバレでも決して言いません。

↑の五つが今回の自問自答です。
これ以外に何かありましたら感想板の方に。
感想板の方にお願いします。


お知らせ。
今少し実生活の方立て込んでおりまして、二月の半ばまで纏まった執筆時間が取れるか微妙なところです。
文の書き方を忘れない為にちょくちょく時間を見つけて書き続けるつもりではありますが、それでも次回更新まではひと月以上かかるかもしれません。
ご了承下さい。というか、次回更新までにこのSSの存在をなるべく忘れないでいてくださいね。

それでは、今回もここまで。
誤字脱字に関する指摘、文章の改善案、設定の矛盾、一文ごとの文字数に関するアドバイス、改行のタイミングと数の割合などを初めとするアドバイス全般、そして、長くても短くてもいいので、作品を読んでみての感想、心よりお待ちしております。



[14434] 第六十六話「メランコリックとステージエフェクト」
Name: ここち◆92520f4f ID:81c89851
Date: 2012/03/25 10:11
アーカムシティには、数十年前から魔術災害により人が踏み入る事も儘ならない焦土と化した区画が存在する。
重度魔力汚染地帯、第十三封鎖区画、通称『焼野』
常人が足を踏み入れればただでは済まないそこは、身を隠したい者たちからすればうってつけの隠れ家となりうるのだ。
『焼野』の瓦礫の山に埋もれるようにして、その巨大な建造物は存在する。
『夢幻心母』これこそが、ブラックロッジが拠点にして移動要塞である。

その夢幻心母内部の一室にて、ブラックロッジの大幹部、逆十字(アンチクロス)が一同に会していた。
一部を除きそれぞれが各地で好き勝手に動き回っている逆十字が集まる事は滅多に無い。
それこそ、先の大導師の招集が無ければ、全員に集まるよう呼びかける事も難しかっただろう。

もちろん、各々に他の用事がある所を引き止めての招集であるため、声をかけたアウグストゥス以外の心象は良くはない。

「んで、一体なんの用だよアウグストゥス。『C計画』も始まる大事な時期だってのに、大導師様に内緒で僕等全員集めるなんてさぁ」

特に、ストリートファッションに身を包んだ少女、魔導書『セラエノ断章』の契約者たるクラウディウスなどは最たるものだ。
苛立たしげに話の先を促すその姿からは強い苛立ちが感じられる。
とはいえ、彼女の機嫌が悪いのは今に始まった事ではなく、原因も他のところにあるのだが……。

「左様。『逆十字』総てを召集する意味を問う」

「そうそう、ちゃっちゃとタントー直入に話してよねん。アタシ、今は脳味噌入れてないから面倒な話は苦手なのよう」

苛立つでもなく、面倒くさそうに話の先を促すのみの二人、『屍食経典儀』の契約者ティトゥスと、『妖蛆の秘密』の主ティベリウス。
彼女達の態度はクラウディウスのそれとは対照的で、無感情という程でもないが、それぞれの顔に浮かぶ表情(ティトゥスは編笠に隠れて見えないが)と雰囲気はほぼ平常通り。
ここに集められた事にも引き止められている事にも、何ら強い感情を抱いている訳ではない事が伺える。
彼女達の問いに、胸元を肌蹴たスーツ姿の女性、アウグストゥスは重々しく頷いた。

「ほむ……ならば、まず私から尋ねよう。諸君は、最近の大導師の行動に不審なものを感じぬかね?」

「不信、ねェ……」

爪を弄り、気のない返事のティベリウス。

「そもそも、大導師殿を信じてたコなんて、アタシ達アンチクロスの中に居たかしら」

ケタケタと笑うティベリウス。
だが、それに対して眉を顰める者は一人として居ない。
ティベリウスの言葉が事実の一側面を正確に捉えていたが故に。

「茶化すな、ティベリウス。……考えてもみるがいい、『アル・アジフ』の対策をウエスト如きに託す愚行。覇道邸の中途半端な襲撃命令、入手した『アル・アジフ』の断片の杜撰な扱い」

アウグストゥスはそこでじろりとティベリウスを睨めつけるが、ティベリウスは握りこぶしで自らの頭をコツンと叩くジェスチャーをしながら、ウインクと共に紅い舌をペロリと出すだけで怯みもしない。
悪びれた様子もないティベリウスに小さく舌打ちをし、視線を戻す。

「そして『C計画』の発動に『アル・アジフ』を必要としないとおっしゃり、そして自らの勅命で潜り込ませていた密偵を無為に殺害した……」

目を瞑り、軽く頭を振るアウグストゥス。
大導師自らの手によって始末された大導師子飼いの部下、鳴無兄妹の実力を、アウグストゥスは高く評価していた。
覇道邸襲撃事件でのティトゥスとの敵対は、それこそティトゥスが鳴無兄と出くわした時点で起きてしかるべき出来事だった。
それ以外の行動も、マスターオブネクロノミコンの信頼を得るには十分でありながら、こちらの目的を完全には妨害しない、という意味で言えば、見事なバランス感覚だったと言えるだろう。
あのまま密偵として相手側で信頼を持たせ続けてれば、マスターオブネクロノミコンを殺害し、『ネクロノミコン』を持ち帰らせる事も出来た筈だ。

アウグストゥスには、あれらが大導師に忠誠を誓っていた訳ではなく、単純な利害の一致から下にいるというだけの関係に見えていた。
計画の途中で仮にトップがすげ変わったとしても、ブラックロッジに所属する旨みさえ残しておけば、誰がトップであったとしても変わらない働きが期待できた筈だ。
ともすれば、不測の事態に備え、アンチクロスの代役を任せる事もあり得たかもしれない。
良からぬ企を抱えるウェスパシアヌスや、ブラックロッジよりも故郷の一族に帰属意思のあるクラウディウス辺りの代わりに儀式で代役を務めさせるプランも存在した。
扱いやすく、高いながらもアンチクロスには届かない実力を持つ鳴無兄弟は、アウグストゥスにとって実に魅力的な手駒であり、始末するのはクトゥルーを制御下に置いてからでも十分と考えていた。
それがまさか、大導師自ら手を下すことになるとは。

「うん、そうだよね。せっかく、出来のいい雄を見つけられたと思ったのに……」

アンチクロスとしての口調ではない、素の口調で尻すぼみな言葉を吐きながら、しかしクラウディウスの周囲には、小規模な暴風が渦巻いている。
大導師の決定に歯向かう程に力の差を弁えていない訳でもなく、しかし納得仕切ることが出来ないクラウディウスの感情が、そのまま力の奔流として溢れ出しているのだ。

「クラウディウスの言はともかく、確かに確かに、あの危険な『C計画』を成就させるには、あまりにも無謀で粗雑ではあるやな。これではまるで……いや、まさかなぁ……」

鳴無兄妹が始末された直接の原因であるウェスパシアヌスは、胡散臭いほどに白々しい態度で首を捻る。
だが、誰もそれに気付けない。
大導師マスターテリオンの前でだけはオドオドとした態度を取るウェスパシアヌスではあるが、基本的にそれ以外の場所では、何をしていても大仰で胡散臭い為、普段通りの態度にしか見えないのだ。

「御託は無用だ、本題を話せ」

ティトゥスが先を促す。
アウグストゥスが何を言わんとしているか理解していながら、決定的な言葉を引き出す為に。
ティトゥスだけではない。
残るアンチクロスの全てが、秘めた感情、秘めた理由を異ならせながら、同じ結論を得る為に、黙ってアウグストゥスの言葉に耳を傾けている。

「ならば問う。真に大導師マスターテリオンは、『C計画』の実行者たるに相応しいか否かを」

アウグストゥスは寄せられた視線を浴び、口の端が釣り上がりそうになるのを堪えながら、静かに背信の言葉を口にした。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

あの事件の数日後、卓也と美鳥の訃報を届けるために、アーカムにおけるあいつらの自宅であるアパートの一室へと脚を運んだ。
一人残されていた筈のあいつらの姉、鳴無句刻の姿はそこにはなく、部屋は蛻の殻と化していた。
部屋の中、僅かに残された不用品と思われる品々。
備え付けと思しき棚、棚の上に畳んで置かれていたすりきれたジーンズにデニムのチョッキ。
部屋の片隅に寄せられた、赤いヘルメットと、ひらがなで『ど』その下にカタカナで『カ』と太字で書かれた作りかけの看板。
誰に宛てられたものか、机と椅子に乗せられた花瓶に、萎れかけた金蓮花。

彼女の行方を探るのは、覇道財閥の力をもってしても難しいらしい。
よくよく考えてみれば、あの二人の姉をしているのだから、一角の魔術師である事は疑いようもない。
二人の死を察知して、安全な場所を求めてアーカムを離れたか。
…………結局、私は二人を目の前で殺され、その事を誰かに咎められる事すらできていない。

自宅のリビングでソファに寝転がり、窓の外を見る。
まだ昼前だっていうのに、嫌に薄暗い。
空は灰色の雲に覆われ、しかし、雨を降らすでもなく、太陽の光だけを遮り続けている。
中途半端な天気。
少しだけ、私に似ていると思う。

見習いとしては一番で、でも、一流の魔術師には届かない。
秀才で知識も豊富で、でも、実戦で活用できるほどのものでもない。
多分才能も人並み以上にあって、でも、それを引き出し切る程に経験を積んでいる訳でもない。
魔術にどっぷり浸かる訳でもなく、抜けきる訳でもなく。
力はあって、でも、やりたいことができるほどの力じゃあない。

「ふむ、大した銃だなこれは。デウス・マキナと同じ理論を以てして造られておる」

アルが、卓也と美鳥の銃を机の上に並べている。
紅と銀、持ち主の居ない二丁の拳銃。
もしも私が、本当に何の力も持っていない、普通の女だったら、卓也たちはあそこまでして戦おうとしただろうか。
私が、変に何かができると思われてしまう様な力を持っていなければ、逃げに徹してくれただろうか。
もしかしたら、卓也達は、死なずに済んだんじゃないか。
逆に、もっと私が強ければ……。

一瞬だけ、そんな事を考えて、身震いする。
なんだそれは。
あんな、いつか見たアンチクロスの鬼械神がおもちゃに見えるような激しい戦いを繰り広げていたのを忘れたのか?
あんな戦いの中で、私一人が少しばかり強くなって、何ができる。
そもそも、このまま戦い続ける意味があるのか?
卓也と美鳥はアンチクロスの介入を防ぐ為に、私を前に押し出す形で力を貸していた。
戦い続ければ結局、最後にはアンチクロスとも、もちろん、マスターテリオンとも戦わなければならない。
勝てるのか?
この間までは、いざとなれば卓也も美鳥も力を貸してくれるとタカをくくっていた。
でも、もう、二人は居ない。
シュリュズベリィ先生だって、今すぐに世界中の怪威を鎮めてアーカムに戻って来られる訳じゃない。
矢面に立てるのは、もう、正真正銘私一人。

格上しか居ない、並んで戦える味方は居ない。
こんな時、どうやって、私とアルだけで戦えばいい。
お前なら、そんな戦い方も、教えてくれたのか?

「卓也……」

会いたい、逢いたい、あいたいよ。
でも、もう無理なんだ。
私が、私が不甲斐なかったばっかりに、あいつは居なくなってしまった。
私のせいで……。

―――――――――――――――――――

死んだ仲間の名を呟きながら、ソファの上で膝を抱えて丸まってしまった主を、魔導書の精霊であるアルは沈痛な表情で見つめている。
────これこそが、妾の主となった者の運命。
千年の時を、闘争と邪悪と狂気だけで駆け抜け続ける魔導書『アル・アジフ』
戦う術を与えるために、命すら対価として削り続ける異形の知識の集大成。
自分に、いや、魔導に関わる全ての者が辿る末路。
あの兄妹は、ごく当たり前に魔術師としての流れに乗ったに過ぎない。
如何にあの兄妹が人として、陽の光の下で生きているように振舞っていたとしても、それは決して逃れ得ぬ定めなのだ。
だというのに、

「…………くっ」

胸を締め付ける痛み。
重苦しい空気はまるで本当に重さを増してしまったかのように息苦しさを与え、居心地が悪い。
まさか九郎の隣で、こんな不快な思いを抱く事になるとは。
自分では、この空気を、九郎を、癒す事は出来ない。
駄目なのだ。
闘争と邪悪と狂気で生の全てを満たしてきた自分では。
闘争に邪悪に狂気に浸り、しかし、それでも人で有ろうとした、奴等でなければ。
自分の感じていたあの暖かな心はきっと、悪夢の狭間で見た、一時の幻想にしか過ぎないから。
自分と同じ、一炊の夢、僅かな慰め。
ひとの形をした幻でしかない自分では、九郎の隣に立つことも、抱きしめて温めることも出来ない。
幻想である自分の中の温かさも、やはり幻想でしかないから。

「……っっ、おのれ……」

それが魔術師の宿命であるとしても、思わずには居られない。
何故だ鳴無卓也。
何故、我が主を残し、お主は死んだのだ。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「あたしゃここにいるよ……ていうかハブにすんなよマジで泣くぞ」

「どうした美鳥、頭でも沸いたか?」

今さっきまで大人しく本を読んでいた美鳥が唐突に呟いた一言にツッコミを入れる。
今に限らず、こいつは時々おかしな事を言う。
普段は気立てがよく器量よしでスタイルも派手ではないけどバランスが取れていて、ふざけながらも大事なところは理知的で計算高く抜け目もない素晴らしいサポートなのだが、困ったものだ。

「や、別段そういうわけじゃないんだけどさぁ。あたしだって大十字にフラグ立てたいわけでもないし」

「ああ、また覗きか」

察するに、地球に残された知人連中の脳内モノローグでも盗み読んでいたのだろう。
感応の魔術と金神の異能のちょっとした応用だが、精神的に隙の多い相手であればたやすく思考を読み取る事ができる無駄な小技。
この術の最大の特徴は、ターゲットの位置さえ把握していればいくら距離が離れていても、仮に時空を隔てていても思考をリアルタイムで読み取ることが可能な点だ。
覗かれる方もこの術を使えれば俺と美鳥の様な双方向通信が可能なのだが、金神の力が必要というハードルが高すぎて一般の人間に使用者は居らず、普及の目処は永遠に立つことはない。

「うん、あっちの方で話がどんくらい進んでるか確認しとこうかと」

「ふぅん」

言いながら、体内時計を確認、図書館に篭って五時間程が経過している。
姉さんもいい加減昼寝を終えて目を覚ましている頃合いだ。
読みかけの一冊を閲覧用の机から持ち上げ、財布から貸出カードを取り出す。

「そろそろ戻るぞ」

「あ、待って待って、続きも持ってくるから」

慌てた様子でガタガタと音を立てて椅子から立ち上がる美鳥。
近くの本棚から読みかけの一冊の続巻を取り出し、小走りに俺の隣に並ぶ。
巨大な、それこそ使用する生物が多様な大きさであることを如実に示す様々なサイズの本棚の間を歩く。

「進行の確認ってもな、そこまで細目にチェックする必要もないだろ。失敗したら失敗したでいい経験だ」

「いや、あたしメインで死を惜しんでる感じのがいるかなーって」

「居たか?」

「そもそも、あたしらが死んでる的な情報って、あんまり出回ってないっぽい」

両手を広げ、オーバーに肩を竦めてみせる美鳥。

「まあ、そんなもんだろうな」

知人が居なかったわけでもないが、魔術関連での知り合いは同じ陰秘学科の顔見知り共と教授連中、シュリュズベリィ先生を除けば、覇道の一部スタッフ程度。
あの場で大導師との戦闘が行われた事を知らされていない連中には、死亡ではなく失踪とかそんな感じで伝えられているのかもしれない。
……そもそも今周に限らず、魔導方面では知り合いが増えないんだよなぁ。
ブラックロッジの連中が俺らの死を惜しむとも思えないし。

「あ、でもあのサイボーグ拳士は遺影作ってた。あたしとお兄さんがこうガッツポーズ取って『いえい!』ってやってる写真で」

「戻ったらあいつの持ち物から、座布団になりそうなアイテム全部没収だな」

あいや、大導師の用意してくれた『旅のしおり』の予定表通りに進めるなら、俺の顔を知っているブラックロッジ社員は大十字と接触する前に皆殺しにするんだから、わざわざ荷物を漁る必要もない。
丁度フィードバックも完了しているし、ここらで一つ不純物(生身)を排除した同型の完全義体でも作って始末させるか。
そもそもが気まぐれと暇つぶしで改造実験を続けていたわけだが、やはりあれでは『駄目』だ。
『どこにでも居る誰か』が、努力やら何やらを積み重ねて強くなる、というのは王道だが、まず開始時点でブラックロッジの底辺で管を巻いている、というのが悪い。
やっぱり人間を改造するなら、それまでの人生が光り輝いているタイプか、コンプレックスやら劣等感で泥々なタイプでないと、爆発力に欠けるというか。

「改造人間で最も重要な要素って所謂『人間力』ってやつなんだろうなぁ」

「毒島のところの首領も似たようなこと言ってたしなー。明確な意思とか指標が無いなら、生身なんて余分も同然ってか」

言いながら、貸出コーナーに貸出カードと借りる本を置くと、何故かはっきりと視認出来ない、黒くて丸っぽい感じの受付さんがそれらを受け取る。
この黒っぽい何かさん、基本的に直視できると死亡判定を行わなければならないタイプのひとらしいので、はっきりと像が結べないのは受付をする上での気配りの一種なのかもしれない。
胸元?には『研修』と書かれたプレートが取り付けられている。
本来この施設は円錐状の生物が管理している筈なのだが、新しい人材(人?) を雇い入れようというのは良い試みだと思う。

ちなみに、俺が出した貸出カードは元の世界で使っていた隣町の中央図書館のものであるが、なぜかこの図書館でも普通に使う事ができた。
次いで、バーコードリーダーを本の背に貼りつけられたバーコードに押し付け読み取る。
使われているバーコードは、信頼と伝統のバイオバーコード。
古代バーコード文明の起源は、このセラエノ大図書館から払い下げられた古書についていたバーコードが発端であるとか無いとか。
流石は天下に名高いセラエノ大図書館、懐が広い。

―――――――――――――――――――

大図書館から鬼械神で徒歩数分の位置に構えたキャンプ地に戻ると、美味しそうな香辛料の香りが漂ってきた。
大きめのテントの前で、祭りの屋台が使うような大型コンロに載せられた大鍋を、姉さんが真剣な表情で掻き混ぜている。
口ずさむのは歌ではなく呪文、今にもカレーから戦闘員の集団が生み出されてしまいそうな呪力。
しかし、長年姉さんの料理を見てきた俺の目はごまかせない。
あの呪力の向かう先はカレーのルーにあらず。
その矛先は、カレーのルーに潜む、飴色に炒めらた玉葱。
飴色に炒められた玉葱はルーにコクを与える。が、姉さんが『本気のカレー』を作る際、そこには誰にも真似できない秘密の一味が加えられる。
元の世界では可能な限り不思議パワーに頼らないという縛りのせいでそうそうお目にかかれない、姉さん秘伝のキー・オブ・ザ・グッド・テイスト。

「お帰りなさい。卓也ちゃん、美鳥ちゃん」

俺と美鳥に気がついた姉さんが鍋をかき混ぜる手を止めずに顔を上げる。

「おー、なんか気合入ってる? 今日のカレー」

「ええ、今日は久しぶりに晴れたから、少し豪華にしようと思って」

姉さんの言葉に空を見上げる。
周囲の金属性の霧は先に退かしてあるのだが、空は金属雲で覆われていた筈だ。
が、如何なる気候の気紛れか、キャンプ地だけでなくこの周辺一帯の金属雲は綺麗に消え去り、空はこの星の大気の色を鮮やかに映している。
なるほど、普段の少し陰気な雰囲気が印象に残っているせいもあってか、この光景は心に響くものがある。
図書館内部に間借りするのではなく、あえて外でのキャンプにしたのは、こういう状況を見越してのものだったか。

「なにか手伝う?」

「おさる出して洗っておいてくれると嬉しいなぁ」

おさるとな。
さる、さる、さる……。
しまった、猿を使用する場面が思いつかなかったから、複製できる猿の死体が存在しない!

《もしかして、人間でも代用できるんじゃね? グラドス的に考えて》

《毛の抜けた猿! そこに思い当たるとは、やはり天才……》

美鳥の脳内通信によるナイスアシストを褒め称えつつ、手頃な人間の死体を取り出そうとして、ふと姉さんに問いかける。

「姉さん、取り出して洗うのはいいけど、何に使うの?」

「もー、カレー盛るに決まってるでしょ」

苦笑交じりの姉さんの返答。
おさるにカレーを盛る。
転じて、人体にカレーを盛る。
ちらりと、かまどにかけられた飯盒3つに視線を向ける。
カレーのルーだけではなく、ナンで食べる訳でもない。
なるほど、前衛的な画が生まれそうではないか。
これで、まず最初に男は完全に候補から除外された。
この時点で候補は二人。
フーさんか、エンネアか。
地球起源種であり、祖先に間違いなく猿が存在するのはエンネアだろう。
が、フーさん含むフューリー連中の遺伝子情報は人類と生殖行動に及び子を成せるほどに似た構造を持つ、祖先に似た生物が居る可能性は高い。

カレーはそろそろ完成するし、サイトロンは数分後にご飯が炊き上がる未来を俺に見せた。
どちらを使うかはともかく、先ずは二人の死体を複製。
美鳥と共に消毒液と布巾を用いて、無心に全裸のフーさんとエンネアの死体を清掃。
死後硬直で柔らかさを失い、冷たくなった二人の身体の隅々まで布巾で拭う。
何処に盛るか分からないので、首から上以外の体毛はレーザーで毛根ごと焼き捨て、脇の下、尻の合間、直腸、陰唇、膣を丁寧に清掃していく。

「…………」

「…………」

無言のまま、無心にフーさんとエンネアの死体を洗い続ける俺と美鳥。
なんだろう、この不思議な感覚は。
全裸の二人の死体を洗っているだけだというのに、俺の精神は今にも宇宙の真理の一つや二つ悟ってしまいそうな状態にある。
いや、はっきりと、俺たちは一つの悟りを得た。
そう、そうだったのだ。
俺たちが取り出し、洗うべきは、『お皿(おさら)』であって、『お猿(おさる)』ではない。
あれは、少し寝ぼけたままの姉さんの呂律が回っていなかっただけなのだと。

俺と美鳥は、二人の死体を川に放流し、改めてカレー皿を複製した。

―――――――――――――――――――

プレアデス星団、地球から見ておうし座の一角を飾る、恒星セラエノ。
その第四惑星には旧支配者の秘密の知識を始めとした様々な知識の集まる図書館が存在する。
あのシュリュズベリィ先生も一時期あの図書館でビバークしていたらしいのだが、俺たちもそれに習ってこの惑星に避難させてもらっていた。
地球から数えて約四百光年と手頃な距離にある惑星ではあるのだが、森は枯れ惑星全土が砂漠と化し、大気は金属の霧に覆われているという、初心者の人類を徹底的に拒む邪神仕様。
大十字に死んだと思わせるために、こういった常人では辿り着くこと難しい場所に一時的に避難してみたのだが、これが意外と居心地が悪くない。
砂漠化した土地も、そもそも砂漠をメインに活動する種族がこの星に存在しない為、テラフォーミングで緑地化するのにさして手間は掛からなかった。
当然、この星を逃亡先にする魔術師もそれなりに居るだろう事を考えて、緑地化した土地には魔導技術を組み込んだ防衛用のデビルガンダムも植えてある。
金属霧や長年それらを取り込み続けた土壌に合わせて樹木の類もラダム樹をベースに改造している為、元の砂漠化していた頃よりも堅牢な作りになっている筈だ。
隕石を粒子砲で消滅させたデビルガンダムとそよぐ木々を眺めながらの食事を終え、くつろぎタイム。

「どう、図書館。結構飽きないでしょ?」

「うん、なんていうか、流石に旧支配者の知識が集う場所なだけはあるよね」

今まで取り込んできた魔導書に載っていなかった魔術や旧支配者、眷属の知識などは、後々とても有効な研究材料になる。
姉さんの言を信じれば、この図書館の最奥には窓使いの誰もが、それこそ邪神すら答えを求める『お前を消す方法』が記された特別な祝福の施されたエメラルド・タブレットすら眠っているという。
だが一番の収穫が何かと言われると、やっぱり『ぽちょむきん』の幻の最終話が載っていたアフタヌーン(禁帯出)を見つけられた事だろう。
どうせ単行本にするだけの話数が残っていないなら、これから『ぷ~ねこ』の単行本におまけで収録してくれてもいいんじゃないだろうか。
俺としては、是非にあの付録のカードでレオポン丸が欲しい。
ちなみに、美鳥は電人ファウストが連載されていた頃のコロコロコミックを数冊。
取り込んで持ち帰り、千歳さんへのお土産にするのもいいだろう。

「あとこれ、姉さんに」

「ん?」

ついでに図書館で借りることなく取り込み複製を作ってきた漫画を数冊取り出し、姉さんに手渡す。
怪訝そうな表情でそれを受け取った姉さんは、表紙を見た瞬間、パァァ……! と効果音が付く程に顔をほころばせた。

「わぁ、かっとびランドだぁ! すごいすごい!」

姉さんが凄く喜んでくれているからあまり突っ込みたくはないんだけど、これがこの世界にあるって事は、千歳さんは単行本をまだ所持しているか、内容を完全に暗記でもしているんだろうか。
トリッパーがトリップする理由や、トリップ先の世界が形成される大まかな理屈は幾つも推論が出ているが、こういう部分は未だに謎が多い。
だが、突発的なトリップからの解放方法が分からない以上、多少の謎が残っているのはそう悪い事ではないのかもしれない。
そういう謎を考えるだけでも、持て余し気味の時間は削れてくれる。
命の危機を齎さない程度の謎であれば、トリップにおけるちょっとしたスパイスにもなるのだ。

「その頃のコロコロコミックは黄金時代だよね」

「いやお兄さん、折角だから言わせてもらうけど、同時期のボンボンも捨てがたいよ。この適当な必殺技のネーミングセンスとか最高だと思う」

言いながら美鳥が開いたページではファンタジーっぽくアレンジされたMS────まあぶっちゃけモビルスーツ族の人がなんたらかんたらインターネット! とか叫びながらエナジーボールっぽいものを解き放っていた。
意味を調べるでもなく、響きの格好よさだけで名前をつけることが出来たあの頃、俺たちは一体どんな明日を夢見ていたのか……。
あ、いかん、連鎖的に大量の画数の多い格好良さ気な漢字の羅列を見せつけて『なーなー鳴無ーこれなんて読むか分かるー?(発音は尻上がり気味で)』とかやってきた友人のドヤ顔がフラッシュバックしてきた。
やめろ、止めるんだ滝田君!『冥死滅鋏刺大蠍』はデススティンガーなんて読まないんだ!それ以上傷口を広げたら君は……!

ともあれ、秘密図書館とは比べ物にならない蔵書量を誇るセラエノ図書館ならば、十分に暇を潰す事ができるだろう。
俺達が再び大十字の前に姿を表すのはもう少し先の話。
大導師から貰った旅のしおりに載っている日程表によれば、俺の再登場が最も効果的な場面までに三度の鬼械神戦が起こる筈。
タイミングの方はデモンベインの機体状況をチェックしていれば直ぐに分かるし、それまではこのセラエノ系第四惑星で束の間のアルティメットインフィニティサンデイを過ごすとしよう。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

鳴無一家がセラエノ第四惑星でバカンスを楽しんでいる、その頃。
地球はブラックロッジのかつて無い攻勢により、戦火に包まれていた。
いや、戦火に包まれるという表現は、ブラックロッジに対抗しようとする側に対して過剰に贔屓目を持たなければ使うことはできないだろう。
浮上した夢幻心母にはミサイル一つ届かず、解き放たれた無数の破壊ロボは地を、空を駆け、戦車を、戦闘機を、戦艦を蹂躙する。
装甲車のロケットランチャーですら通じない装甲を持ち、街一つを容易く灰燼と化す火力を内蔵する破壊ロボ。
量産型で些か武装の面で簡略化された部分があるとはいえ、通常兵器で対抗するのは不可能。
そんなものが、空に地に雲霞の如く犇き、一機破壊するよりも早く十機がどこからか現れる。
一方的な蹂躙。
それらに対抗する勢力も僅かに存在しているが、それでも全体の流れを変えるほどのものではない。
東の果てでは、厳重に保管されていた機動仏身が、モヂカラ使いが呼び出した折神が破壊ロボの進行を水際で抑えこむも、尽きることのない攻勢に次第に疲弊を始めている。

世界の中心とも呼ばれるアーカムシティといえども例外ではない。
いや、空に夢幻心母を浮かべられ、破壊ロボの発生源に最も近い位置に置かれているだけに、その戦況の激しさは他国の比ではなかった。

「第一軍全滅しました。現在、第二軍が破壊ロボ軍団と交戦中。こちらも全滅は時間の問題と思われます」

アーカムシティ地下、覇道財閥の擁する戦闘司令室に、執事兼オペレーターのマコトの僅かな焦りを含んだ報告が響く。

「これで、ワテらに残された手札はデモンベインだけちゅー事になる」

戦況の報告はただこちらの戦力が削られていく様だけを淡々と伝えてくる。
あの数の破壊ロボが相手では、軍隊ではどうしようもない。

「くっ……大十字さんは、大十字さんは何をしているんだ……!」

焦りと苛立ちの篭った瑠璃の呟き。
いや、そもそも、破壊ロボはサンダルフォンやデモンベイン以外に破壊された事がないのだから、この結果は見えていた。
現在の通常戦力は、どこまで行っても時間稼ぎ程度が限界。
この状況を覆すには、大十字九郎が復活し、デモンベインに乗って戦うしかない。
が、実質的に九郎を強制的にデモンベインに載せて戦わせる力は覇道財閥には存在せず、出来たとしても、この状況ではそもそも九郎に連絡をつける事すら難しい。
瑠璃は戦況の悪化を知らせ続ける巨大ディスプレイを見ながら、祈るような気持ちでデモンベインが召喚されるのを待ち続ける。

―――――――――――――――――――

空を飛んだまま紅の魔銃──クトゥグアで、破壊ロボットのコックピットを狙い打つ。
が、弾丸は特殊鋼の装甲により弾かれ、破壊ロボの動きを止めるには至らない。

「何を無意味な事をしておる!? こんな戦い方でどうにかなる状況か!? 無駄弾を撃つな!」

「分かってる」

アルの叱責に静かに答える九郎。
その表情は平坦で、受け答えからもまるで九郎が冷静に対処法を探しているように見えるだろう。
だが、よく見ればわかる筈だ。
見よ、額に浮かぶ脂汗を、身体の端々のこわばりを、引き絞るように一文字に結んだ唇の震えを。
大十字九郎はこの瞬間、闘いながらしかし確実に恐怖を感じている。
破壊ロボの放つ攻撃に捉えられないようにアクロバティックな飛行を行い、しかし九郎は敵に突き進むのでも弱点を観察するでもなく、ただただ無計画に逃げ回っているかのよう。
いや、まさにそのとおりなのか。

「何故デモンベインを喚ばない!? デモンベインで戦わなければ被害が広がる一方だぞ!?」

無論、そんな事は九郎にもわかっている。
生身の魔術師では、マギウススタイルの魔術師程度ではこの状況を解決することはできない。

「分かってるっての……っ!」

破壊ロボの放つビームとロケットの対空砲火を避けながら、呻く。
苦しげな九郎の表情からは内面の葛藤がありありと見て取れる。
なるほど、確かにこの状況ではデモンベインが無ければどうしようもないだろう。
デモンベインに乗って戦えば、少なくともあの破壊ロボの群れなど物の数ではない。
少なくとも、マギウススタイルのままで戦い続けるよりも余程効率的だ、
────本当に?

「っ……」

脳裏に過るのは、マスターテリオンに破壊されるアイオーン。
少なくとも片方は、手を伸ばせていれば、駈け出して庇うことが出来ていれば守れたかもしれないのに。
非論理的な思考だという自覚はある。
あの時と今とでは状況が違う。マスターテリオンを相手にしなければいけないわけじゃない。
理屈ではそうだ。
だが、理屈だけでは動けない。
九郎を縛る鎖は、もっと根源的なものであった。

「…………九郎、あれを見よ」

場にそぐわぬ程静かなアルの声に、九郎は空を見上げる。
巨大な鋼鉄の塊──戦闘機が炎を上げながら墜落し、ビルに突っ込んだ。
戦闘機はビルに激突し、辺に更なる爆炎を吹き散らす。

「う…………」

空を飛び、視覚も強化されている九郎の瞳は、確かにそれを目撃する。
紅く染まったキャノピー、その向こう、コックピットの中で、身体の中身をまき散らして死んでいるパイロットの姿。
更にもう一機、ほぼ同じ状態の戦闘機が墜落。
爆音が響く。

「汝が迷っている間にも人は死ぬ。一秒の躊躇の間に十の人が死んでいく」

「ぐっ」

「戦え、戦うのだ。あ奴らは、汝を迷わせるために死んでいった訳ではない。奴らの死に報いる為にも、我らは戦わねばならんのだ! 九郎!」

アルの叫びに、九郎の脳裏に様々な映像がフラッシュバックする。
共に学んだ大学での日々、厳しい修行の毎日、背を預け戦った時。
……そして、無残にも重力球に飲み込まれる、あいつのアイオーン。

「やるしか、無いんだろ……!」

地上だけでなく、空をも支配し始めた破壊ロボの間をすり抜け、飛翔。
心が晴れた訳ではない。迷いが解けた訳ではない。恐れを忘れた訳でもない。だが、

こうでもしないと、あいつらが、あいつが、卓也が浮かばれない!
────だから!

「やれっていうなら、やってやるさ! デモンベイン!」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

恒星の光が僅かに届く、赤い砂の星。
鉄錆を含む砂塵が舞う荒野で今、一つの戦いが始まろうとしている。
相対するはこの身を分けたサポーター、もはや妹と呼んでも差し支えない相手、鳴無美鳥。

「お兄さん、とうとうこの時が来ちゃったんだね」

「ああ、何時かはこんな日が来ると思っていた」

俺の返答に、美鳥は獲物を握った右手を左腕の肘に添え、自らの身体を軽く抱きながら僅かに切なげな表情で空を仰ぐ。
今の時間と公転周期を考えれば、あの視線の先には太陽系が、地球がある筈だ。

「今頃、大十字のやつも戦ってるのかな」

「そうだな、きっと、あいつも戦ってる」

浮上した夢幻心母から無尽蔵に湧き出す破壊ロボを相手に、空を飛べず、未だ全ての武装を解禁されていないデモンベインでは苦戦は必至。
絶望的な戦いだ。これまで、後ろから絶えずサポートを受けていた事を考えれば、大十字にとってこの状況は今までにない厳しい物に映るだろう。
でもきっと、戦いとは本来そういうものなのかもしれない。
勝てるかどうかではない。戦わなければならないから、戦う。
負けそうになっても、倒れそうになっても、隣で誰かが支えてくれる訳ではない。

「…………やろうか」

美鳥が獲物を構える。
鋒は俺に向けられ、今すぐにでも俺を貫かんとする意思が目に見えるようだ。
戦う相手は、常に隣で俺を支えてくれていた少女。
話し合いで解決できる問題ではない。
信頼し合う相手と、互いの存在を賭けて、ぶつかり合う。
それは、人生の縮図。

「…………ああ」

己の背負う何もかもを賭けて、勝利を掴み取る為に相手を打倒する、戦い。
それは、時に男の浪漫とも言われるだろう。
俺は美鳥の言葉に頷き、手に携えていた獲物──マシンを構え、戦う意思を、口訣として謳い上げる。


「チャージ三回! フリーエントリー! ノーオプションバトル!」


「チャージ三回! フリーエントリー! ノーオプションバトル!」


俺と美鳥の異なる口が互い違いに同じ口訣を唱え上げる。
右脇のチャージ台に獲物のチャージングタイヤを押し付け押し出す。
タイヤを押し付けた状態で前に押し出す事でチャージングタイヤが回転し、内蔵されたフライホイールにマシンを前進させる力を蓄積する。
実に原始的な構造の機械だ。
だが、それが機械であるのならば、俺や美鳥の心に応える力を持つ。
いや、そうではない。
このマシン──ボーグマシンを獲物とする、相棒と定める戦士であれば、誰しもが機体と心を通わせたり、通わせた心をあえて無視したりできるのだ。
そう、戦士──ボーグバトラーで、あれば!

「チャージイン!」

美鳥がボーグマシンを手放す。
互いに条件を等しくするために養殖のボーグマシンを使用している為、あまり手に馴染んでいない筈。
しかし、正式な相棒でもないボーグマシンを使用しているとは思えない、いいチャージインだ。

「チャージ、イン!」

ほぼ同時にチャージイン。僅かに遅れたが、この程度であれば誤差の範囲内。
ボーグフィールド接地直後に激突必至の軌道を飛んでいた俺と美鳥のボーグマシンは、僅かに機体側面を接触させながらすれ違う。

「ずいぶん慎重じゃないか、お前らしくもない」

「お兄さんこそ、ベッドの上での激しさが欠片も見えないぜ?」

「ぬかせ」

だが、それも当然だろう。
同じマシンを使い、互いの超能によるブーストがない純粋なボーグバトルともなれば、実力伯仲。
負ける事の出来ないこの戦い、下手な手を打つことは出来ない。

「これ以上負けを重ねる訳にもいかないからな」

「そりゃこっちの台詞だっつの」

軽口を叩き、相手の隙を探し、牽制程度に角を付きあわせ──押し合いに入る。
互いに会話だけで、精神攻撃だけで隙を作れる程の話術は持ち合わせていない。
かくなる上は、精神力勝負。

「卓也ちゃん、頑張って!」

外野から姉さんが応援してくれている。
ただそれだけの事で、俺の魂が震えている。
この勝負、負けないだけじゃなく、是が非にでも勝たなければならなくなった。
勝利の女神が付いてるんだ、負けたら恥晒しもいいところだからな。

──大十字、俺もこっちで『次の周で演じるキャラ設定』を賭けて戦っている。
俺が勝てば、美鳥は次の周『弱気』『電波』『無垢キャラ』『儚げ』に加え『蝶蝶や猫を見かけるとふらふらと追いかけていく』という、軸のぶれたキャラに成る。
だが、もしもこの勝負で俺が負ける事があれば、次の周での俺は、『耽美系』『天才』『病弱』『日常でも戦闘でもやたら音楽用語を多用する』に加え、『ボディタッチが多い(同性限定)』が加わり、今の俺の面影すら無い、まるで別人の様な有様になることだろう。
顔面や肉体の骨格に加え、名前も少し変える事になるかもしれない。ホモっぽい横文字とかホモ特有の画数が多い漢字とかで。
だから大十字よ、お前も、アンチクロスにフルボッコにされてデモンベインかアルか知らないけど、仲間を失った程度で諦めるなよ。
どうせこれから、覇道鋼造子として戦っていくのなら、大切な人が死んでくとかデフォになるんだ。今のうちに慣れておくがいい。
俺も、もう少しこっちでゆっくりバカンスを楽しんでからそっちに戻って、ニャルさんの補正に手を添える程度のヘルプ入りに行くからな……!

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

破壊ロボにより蹂躙され続けるアーカムシティ。
既に夢幻心母へのクトゥルー憑依召喚の儀式は始まっており、それを阻止する為には術式の核となるリベル・レギスを叩かなければならない。
マスターテリオンの駆る鬼械神、リベル・レギスが重力結界に抑えつけられるデモンベインを前に、装甲を展開すらせずに腕を組み見下ろしている。
動かなければならない。
大学で受けた教えを守り、人類の守護者たらんとするなら。
そうでなくとも、九郎の心は、人類を滅ぼすような邪悪を許す形をしていない。

だが、デモンベインは動かない。

「ふぅん」

リベルレギスのコックピットを開け放ち、リベル・レギスの上に立つマスターテリオンは、退屈そうな顔でデモンベインを、その操者であるマスター・オブ・ネクロノミコン──九郎を見下ろしていた。

「僅かな期間で驚くべき成長を遂げた故、此度こそは、と思っていたのだが……存外つまらぬ結果になったな」

もはや非人間的な笑みすら浮かべず、冷然とした視線を九郎に落とすマスターテリオン。
傍らに魔導書の精霊──エセルドレーダを侍らせている事を除けば、その姿は無防備極まりない。
それこそ、デモンベインが魔導兵装の一つも鍛造して投擲すれば、それだけで殺す事が可能かもしれない。
だが、デモンベインは、大十字九郎は指先一つ動かす事ができない。

「もう良い、負け犬は負け犬らしく、そこで這いつくばったまま、余の宿願が成される処を見ているがいい」

くるりと踵を返し、コックピットの中に戻るマスターテリオン。
装甲を展開することもなく、クトゥルー召喚の儀式は進む。
召喚の起点となる六つのポイントで、アンチクロスが次々に口訣を唱え、紡ぎあげられた術式がリベル・レギスに装填され、その全身を輝かせる。
夜暗を裂く閃光。
破滅の光と化したリベル・レギスを前にしても、デモンベインは、大十字九郎は動けない。

―――――――――――――――――――

目の前でリベルレギスが召喚術式をその機体内部で循環させ、増幅している。
このままじゃあ、クトゥルーが召喚される。
高位の邪神を相手に、人間に対抗手段は存在しない。
邪神を相手にするくらいなら、アンチクロスをまとめて相手にしたほうがまだ勝機はある。
いや、勝つ事ができなくても、ここでリベル・レギスに攻撃の一つも当てれば術式を中断させる事もできる筈だ。
そうさ、ここで、偃月刀の一つも出せれば。
ダメージを与える必要なんて無い、何か一つでも、リベル・レギスに攻撃を届かせれば。

「ルルイエの館にて死せるクトゥルー夢見るままに待ちいたり! されどクトゥルー蘇り、その王国が支配せん!」

私が言い訳を繰り返している間に、術式は完成した。
リベル・レギスの全身を巡っていた術式の光は掌に収束し、一条の閃光と貸して頭上に向けて一直線に解き放たれた。
解き放たれた閃光は光の柱と化し、頭上の夢幻心母を貫くと、その全体を包み込むように膨れ上がり、巨大な魔術文字で記載された術式へと変貌を遂げる。
ただ包みこむだけではない。
夢幻心母を中心に、幾重にも幾重にも折り重なった術式は周囲数キロの空を、覆い尽くし、夢幻心母を中心に渦を描くようにその構造を作り替え続ける。
ゼロコンマの後に更に無数にゼロが付いた後に初めて現れる様な時間の中、増殖と複雑化を続ける魔術文字。
その変質の果てに何が生まれるのか。

「あ、うあ……」

口から奇怪な声が漏れた。
何のことはない。
この時点で、既に私の心は砕け散る寸前だったのだろう。
クトゥルーの召喚という事実が、それをわかりやすい形で具現化したに過ぎないのだ。
夢幻心母から芽吹く、神の肉、肉の芽。
アーカムの空に受肉する邪神の齎す感情に、既に折れていた私の心は粉々に打ち砕かれていく。

「どうだ、マスター・オブ・ネクロノミコン。素晴らしいだろう?」

故に、夢幻心母を飲み込み、完全なる受肉を果たしたクトゥルーを目の前にしながら、私は確かにマスターテリオンの言葉を受け取り、理解する事ができていた。
ああ、確かに、なんて素晴らしいのだろう。
なんておぞましい。
なんて禍々しい。
そして、

「怖気が来るほど美しいだろう?」

ああ、そうだ、なんて美しい。

「あの眸が開かれたとき…………三千世界は余すところなく魔界と化すのだよ」

それはいい。
もう、それでもいい。
あんなものに殺されるのなら、しかたがないじゃないか。
きっとみんな許してくれる。
かないっこない。かてるわけない。

「…………」

マスターテリオンの語りかけが止まる。
何かあったのだろうか。
無線からは御曹司の声が聞こえる。
クトゥルーに向けて核ミサイルが発射されたらしい。
無駄な事を。
きっと、そんなものではどうしようもない。
先にアーカムが焼かれてしまうかもしれないけど、順番が少し変わるだけじゃないか。

「……やれやれ」

リベル・レギスから、マスターテリオンの呆れたような声が聞こえる。
なんだよ。
これ以上、わたしをいじめて、なにがしたいってんだ。

「育て、共に戦い、自らの命を先に差し出してまで生き残らせた女がこれとは」

うるさい。もう、ほうって置いてくれ。

「無様だな、あの男、鳴無卓也と言ったか。まるで犬死ではないか」

……………………、
…………、
マスターテリオンの言葉を耳にして、
内容を咀嚼して、
……その内容に、頭の中がクリアになる。

「この程度の女を、自らの命と引き換えに守るなど……魔術師以前に、人として人を見る目が無い」

「……さい」

目の前の化物が、何かを言う度に、
怒りに煮えたぎっている筈なのに、嫌に何もかもがよく見え始める。
なぜだろう。
ここで倒れても、きっと誰もわたしを責める事は出来ない。

「ああ、魔術師としては優れていると思ったが、それも思い過ごしであったか」

「……る、さい」

なのに、
もう、どうでもいいはずなのに。
今の私には、この結界の、デモンベインを縛るクソッタレな結界の術式。
その術式の一本一本までを、はっきりと、

「手塩にかけて育てた魔術師がこれとは、程度が知れ」

解き明かし、
解錠し、
破錠し、
破綻させる。

「うる、」

デモンベインが、ゆっくりと身体を起こす。
視界に映る何もかもは、私のデモンベインよりも更にスロウな動きで流れている。
踏み出す。
デモンベインの踏みしめる大地の感触が、まるで素足で地面を歩いているかのように感じられる。
踏みしめた大地から、地球から、巨大なエネルギーが引き出されるかのよう。
足の裏が爆発する。
魔術も、術理もなく、拳を握り締め、腕を引き絞る。

「せぇって言ってんだ、」

デモンベインは、私だ。
大地を蹴る脚が、引き絞る腕に満ちる力が、私の意思を表現し、確かに外の世界に伝達するツールと化す。
粘性の空気が重い。
デモンベインは空気の壁を引き裂き、大地を蹴って飛翔する。
断鎖術式は、何時の間にか発動していた。
空を飛ぶのではなく、目標に向けて跳ぶ為に、空中で、空間を真横に蹴りつける。

「このっ、」

一秒という一区切りの時間を無限に分割し、デモンベインは時間と空間を縮める力を得る。
大地を蹴る一の力と空間を蹴る一の力が重なりあい、二ではなく千の空を抜ける力を得る。
距離を通す力を、十の距離に居た恐ろしい鋼の龍に、鉄の悪魔に向けて解き放つ。
跳ぶとほぼ同時に振り抜かれた、空を抜く力を乗せた拳が、リベル・レギスへと────

「金髪、巨乳うぅっ!!!」

到達した。
障子に濡れた指で触るように、あっさりと貫かれたリベルレギスの結界。
拳を受け、吹き飛ぶリベル・レギス。
当然の如く、空中で体勢を立て直し着地する。

ああ、あれだけ力を込めて殴ったのに、欠片も堪えたふうに見えない。
悔しいとかよりも先に現れるのはやっぱり恐怖だ。
でも、

「ふふ、男を貶されて、怒りで目が覚めたか」

戦える。
私の心が燃えている。
あの日につけた力が、わたしを裏切らない努力が、
痛みを超越し、無理矢理に鍛えられた身体が、魂が、

「ああ、そうかもな」

胸に残るアイツらの、あいつの記憶が、
私の心を炎に変える。
白く静かに、それでも確かに熱く、燃え上がる炎へ。

「悪い、アル、世話掛けさせた」

「ふん、全くだ。……だが、許してやる。今の一撃に免じてな」

ニヤリと笑う相棒も心強く、
デモンベインにファイティングポーズを取らせる。
相対するリベル・レギスは、儀式を終え、力を衰えさせながら、尚も強烈な威圧感を消していない。

「だが、目が覚めて見るのも、貴公らに取っては悪夢となろう」

なるほど、確かにそうだろう。
立ち上がって不意打ち気味に無駄に拳を叩きこんでおいてなんだが、私に勝算は一切ない。
このまま戦えば、きっと卓也たちと同じく、負けて、殺される。
だけど、

「マスターテリオン、一つ教えておいてやる」

戦うのは私だけじゃあない。

「我らは、決して貴様ら邪悪には屈しない」

アルが、デモンベインが、一緒に戦っている。
だから、負けない。
あいつの言葉が、魂が、私の背中に芯を入れる。

『いいですか、先輩。一人ひとりでは小さいけれど、一つになれば無敵、というバトルでフィーバーする連中の格言があります。え、語呂が悪い? そういう時は、こう言い換えましょう──』

「なぜならば!」

私とアルの火が重なれば、デモンベインは炎になる!

「炎になったデモンベインは、無敵だ! ────クトゥグアぁッ!」

左手に召喚される、燃えるような真紅の自動拳銃。
卓也の使っていた魔銃。
あの時拾ったものを参考に、アルがクトゥグアの力を制御する力として、アイオーンで使っていた銃型の魔導兵器をベースにして登録していたもの。

「力を、与えよ!」

続いて右手にバルザイの偃月刀を鍛造。
握った偃月刀を手首の返しでくるりと回し、クトゥグアの銃口をリベル・レギスに突き付ける。
銃口の向かう先、不気味に漂うリベル・レギス。

「はは、はははははははっ!! ……面白い。征くぞ、エセルドレーダ!」

リベル・レギスの中からマスターテリオンの哄笑が響く。
面白いか、人が足掻く姿は。
お前らにとっちゃ、人が生き足掻く姿は、そりゃ面白いんだろうな。

「イエス、マスター」

唄う様に両腕を広げ、静かに舞い降りるリベル・レギス。
いいぜ、その余裕。
そんな余裕かましてられないように、私がもっと面白くしてやるさ!

「さぁ、派手に決めるぜ!」

リベル・レギスが地上に着地すると同時、私はクトゥグアの引き金を引きながら、デモンベインを一直線に走らせた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

結論から言って、九郎とマスターテリオンの勝負は水入りとなった。
クトゥルー召喚の儀式により力を使い果たしたマスターテリオンに対し、アンチクロス全員が謀反を起こしたのだ。
マスターテリオンのリベルレギスを破壊したアンチクロス達は、更にデモンベインをも破壊せんと襲いかかり、アル・アジフの精霊を殺害。
アル・アジフが自らの命を盾にして救ったデモンベインと九郎は、覇道財閥の地下格納庫へと転送。
再起を図るためにデモンベインの修理と怪我の治療、更に力を失ったアル・アジフに代わる力ある魔導書を求めて武器研究所へ。
デモンベインの修復は難航していたが、時を同じくしてアンチクロスへの批判が元でブラックロッジから追われたドクターウエストと合流。
互いに少なからぬ因縁のある二人ではあったが、アンチクロスという共通の敵を前に、協力態勢へ。
彼女の持つ驚異的な技術で、デモンベインは驚くべき速度で修復が成され、アル・アジフ無しでの起動が可能な改修を施されている。

そして、修復の続くデモンベインの前で、ドクターウエストは一人腕を組み佇んでいた。
思うのは、かつてブラックロッジに居た頃、さんざん研究の邪魔をしてくれていけ好かない新入りの二人。
この覇道財閥に、いや、大十字九郎へのスパイとして活動していたらしい鳴無兄妹の、別れ際の最後の会話。
何があっても『大導師マスターテリオン』を裏切るな、という言葉に頷いた後の言葉だ。

『ドクター、奇跡を起こした人間が、聖人や神の子と正式に認定されるのに必要な条件って、なんだかわかります?』

ウエストはその問いに対して、明確な答えを備えていた。
とある国では正式に存在すると言われている聖人認定法、『死後に最低でも二回以上の奇跡を起こす』という、嫌に現実的な測定法によるもの。

『ドク、お前、神を信じていない口か? 言うまでもないだろうけど、魔術師は一人残らず神の存在を信じてる。あたしも、お兄さんもな』

『魔術師にとって、魔術はまず邪神ありきですからね。ドクター、貴女は大導師を信じますか?』

連中はその直ぐ後に、他ならぬ大導師の手によって処刑された。
間違いなく何かがある。ウエストの天才的な頭脳がそう告げていた。
ウエストは再びデモンベインを見上げる。
これもまた機械の神。神の力を模して喚ばれる機械の、そのさらなる模造品。

そう、ウエストはあの日あの時、マスターテリオンに路地裏で呼び止められスカウトされた時、感じたのだ。
この紛い物の神にも勝る、まるで本物の神を相手にするかのような畏敬を、畏怖を。
他ならぬ大導師マスターテリオンから。
ウエストは自覚こそないが、古代の文明における、荒神への崇拝にも似た信仰心を持っている。
だからこそ、大導師マスターテリオンを殺害したアンチクロスへと鞍替えを行わない。
恐るべき大自然の象徴、神への崇拝、それと全く同じ、大導師への信仰故に。

そして、同時に思い浮かぶ事がもう一つ。
入社して二年目でありながら大導師に気に入られていた、あの鳴無兄妹。
ウエストは、彼らとの何気ない会話の端々から手に入れた情報の断片から、彼らがブラックロッジ入社前から大導師と懇意にしていた可能性が高いと推測していた。
あの大導師が、組織とは別の場所に居る者と友好的な交流を持っていたというのも驚きだが、それよりも。
そんな、大導師の孤独を癒せていたかもしれない兄妹を、あっさりと殺せるものなのだろうか。
あれほど深く暗い、孤独の闇を抱えていた大導師が。

ちらりと時計を確認するウエスト。
もう間も無く夜が明ける。
デモンベインが破壊された今、ブラックロッジは最後の抵抗勢力である覇道財閥を本格的に潰しにかかるだろう。
敵は量産型の破壊ロボ。製作者であるウエストだからこそ確信を持って言えるが、デモンベインであれば、魔術兵装に制限があっても十分に殲滅が可能だ。
そして、破壊ロボを撃墜し続けていれば、間違いなく逆十字が出張ってくる。

大十字九郎は街を、人類を守る為に。
ドクター・ウエストは『大導師のブラックロッジ』への忠義の為に。
全力の状態でも勝てない可能性が高いデモンベインで、逆十字の鬼械神と相対し、これに勝たなければならない。

九郎はコックピットの中でエルザのサポートを受けながら、操縦系の調整を行なっている。
ウエストは、これから破壊ロボの第二波が来るまでに、可能な限りデモンベインの状態を最高の状態に近づけなければならない。

夜明けは近く、しかし、覇道財閥の地下格納庫は静かに熱を孕んでいた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

そして予定通り、破壊ロボの第二次侵攻作戦が開始される。
通常弾薬を減らし、爆撃用にバンカーバスターを二種、通常型と魔術付与型を搭載した量産型破壊ロボ。
アーカムの空を黒く染める鋼鉄の悪鬼供。
ウエストが知る破壊ロボの量産体制と装備の数を考慮に入れた場合、その数なんと、百を超える大軍団。
そして、その全てが全て空を飛び、廃墟と化したアーカムシティを、その下に隠された覇道の秘密基地を見下ろしている。
デモンベインに、空を飛ぶ力はない。
出来たとしても、それは空中での連続ジャンプを繰り返す拙いものであり、空中戦などとても望めたものではない。
だが、空を飛べなくても、自分のフィールドに引きずり下ろすのは難しい事じゃあない。

「力を与えよ……力を与えよ……力を与えよ……」

私の詠唱と共に、操縦桿替わりに突き刺していた偃月刀にヴーアの印が僅かに浮かび上がる。
次いで、エルザの接続されたナビゲート席に積まれたモニターによく分からない無数のプログラムが流れ、私の身体の彼方此方に装着された魔導合金製の部分装甲を中継し、デモンベインの外へと流れ出る。

「力を、与えよ!」

デモンベインの手元にノイズが走り、一本の巨大な偃月刀が鍛造された。
すかさず偃月刀を空に浮かぶ破壊ロボの群れに投げ込み、偃月刀を追うように突撃する。
偃月刀を回避して低空まで降りてきた破壊ロボ目掛けて、断鎖術式で跳躍、追い越した所で振り下ろし気味に蹴りつけ、更に跳躍。
数機の破壊ロボを切断して戻ってきた偃月刀を掴みとり、そのまま手近に居た破壊ロボを斬りつけ、視界の端に映った射程距離内の破壊ロボに頭部バルカンを斉射。
自由落下中のデモンベイン目掛けて生き残りの破壊ロボがビームやミサイルを放つ。
落下の軌道を断鎖術式で変更し、避けきれなかったビームを空間湾曲で逸らし、着地。
彼誰時の空を破壊ロボの爆炎が染め上げる中、すかさずその場から走りだし破壊ロボの追撃を逃れる。

「これで50……!」

幾度と無く繰り返した行為だが、やはり余裕はない。
ウエストの言葉を信じれば、この量産型破壊ロボはそれほど高度なAIを搭載していない為、余程下手な戦い方をしなければデモンベインは落とされる事はないという。
術者装着型鬼械神用術式補助演算装置も正常に稼働中。
なんでも、ウエストの知り合いが趣味で作っていたものらしいのだが、これが上手いことデモンベインと私にマッチしてくれているお陰で、簡単な術式であればアルが居ない今でも違和感なく発動させる事ができる。
でも、この戦い方だってギリギリだ。演算補助装置だって実際にデモンベインでテストした訳じゃないんだから、何時誤作動を起こしてもおかしくない。

「こい、こい、こいよ……!」

早く早く、この好調が続いているうちに、テンションが下がらない内に、来い。
でも纏めて来られると怖いから、出来れば動きが鈍重そうな奴とか単体でサポート無しで油断しきった形で来い!

「お姉様から香しいヘタレ臭が漂ってるロボ」

うるせえ変態ショタロボットめ。私はリアリストなんだ、文句あるか。

「──────っ!」

来た。
大地が激しく鳴動している。
日本で起きる地震のそれとはまた違う、地の底で膨大な量の流れる独特の、長大な龍がのたうつような、重みのある振動だ。
大地を突き破り、高層ビルをも超える高さの巨大な水柱が天を衝く。
それも一つではない、2、3、4、5、6……!
六本の巨大な水柱が形成する魔方陣の中で、巨大な魔力が膨大な業子が発生しているのが目に見える。
魔方陣を形成していた水柱はいつしか中心で寄り集まり一本の巨大な渦となった。
水の渦が、魔力と業子の力を元に実像を結び、巨体を浮かび上がらせる。

──クラーケン。
最凶最悪の魔導ロボット、鬼械神。

《ゲェハハハハハハハハハッ!》

クラーケンの腕が伸びる。
二本の鋼鉄の大蛇がデモンベインに喰らい付かんと、大気を切り裂き迫る。
鈍重な見た目からは想像も出来ない速度のそれは威力も勿論兼ね備えた攻撃であり、偃月刀で受けたならば一溜まりもなく粉砕され、デモンベインは噛み砕かれてしまうだろう。

「エルザ! シールド出力、部分解放!」

「了解ロボ! 時空間歪曲!」

歪んだ時空間を修復する為の逆流エネルギー。
本来莫大な推進力を与えるそれを、僅か二百メートルにも満たない跳躍と、足裏への展開に止めて発動させる。
紙一重の位置を掠めていくクラーケンの腕。
後方で逃げ遅れた破壊ロボが鉄腕鋼拳に巻き込まれ爆発する。
その爆発を背に、

「發っ!」

伸び続けるクラーケンの腕に飛び乗る。

《ナんダドッ!?》

正確には、クラーケンの腕との間に微弱な歪曲場を作り、その上に乗っているという方が正しい。
そして歪曲場の出力を調整しつつ、駆ける。
実際に腕に乗っている訳ではないから、いくら腕を伸ばそうともデモンベインが後ろに流される事はない。
デモンベインの全身を、水銀(アゾート)の流れそのものにするような脱力、極限の脱力から生み出される、初速からトップスピードのロケットスタート。
方向転換し追いすがろうとする鋼拳を引き離す速度でクラーケンに近づき──

「っせぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

跳躍。
クラーケンを飛び越え、同時に円の形にエネルギーを解放。
デモンベインが空中で回転する。
クラーケンを飛び越えるエネルギーをそのまま反転させ、振り向きざまに後ろ回し蹴りを背後から叩きこむ。

「アトランティスゥ……」

蹴り足が触れるか触れないかというところで、すかさず残っていた脚部シールドのエネルギーをクラーケンへと流しこむ!

「ストラァァイク!」

デモンベインの足裏とクラーケンの背後で炸裂する衝撃波。
思いつく限り最大限意表をついた攻撃は、見事不意打ちの一撃を成功させ、クラーケンを宙に舞わせた。
そして、デモンベインを追いかけてきた鋼拳を自らの顔面で食らったクラーケンは、そのまま脆くなっていたビルを幾つもなぎ倒しながら大地を滑走し、高層ビルの根本へと激突。
根本をへし折られ、クラーケンを飲み込みながら倒壊する高層ビルを見ながら、デモンベインは反作用でクラーケンとは反対側へ弾き飛ばされる。
空中で見を捻り、着地。
私が創作ダンスの講義を受講して無ければ、間違いなく着地に失敗していたところだ。

《き、キサマ……ッ!》

クラーケンが身を起こす。
わかっていたことだけど、今の一撃じゃあ禄にダメージを与えられなかったか。
そりゃそうだ、ビルより脆い鬼械神なんてありえない。
わずかにでもダメージが入ってるとしたら、それはデモンベインの蹴りか、クラーケン自らの拳によるもの。
でも今ので流石に警戒したのか、いきなり反撃に出るでもなくこちらを注意深く窺っている。
睨み合い、動くこと無く対峙する両機。
そうだ、先ずはこれでいい。
互いが静止したその隙に、エルザが通信を入れてきた。

「お姉様、分かってると思うけど、演算補助システムにも性能的な限界が存在するロボ。あくまでも魔術を発動させるのはお姉様である以上……」

「取っ掛かりにも手が届かない魔術は発動できない、って事だな」

位の高い神威から力を借りる事はできないし、複雑な構造の魔術も発動させようがない。
使えるのは私が生身で頑張って起動可能な術式だけ。
どうにかこうにか使える魔術はダウジングなどの戦闘向きでは無いものと、精々がさっきまで使っていた魔刃鍛造。
アトラック=ナチャもニトクリスの鏡も、今の私には難易度が高すぎる。

「その通りロボ。それに加えて、従来からデモンベインに搭載されている武装、つまり、バルカンに脚部シールド、それに……」

「それだけありゃあお釣りと福引券が出るぜ」

睨み合うクラーケンが再び両腕を伸ばし襲い掛かる。
馬鹿の一つ覚えか? いや、何か策があるのか、それとも自信があるのか。
でも、やることは変わらない!

「お姉様、後方20、破壊ロボ接近中ロボ!」

「気にすんな!」

「えぇっ!?」

迫る破壊ロボからのプレッシャーを無視し、脚部シールドを解放。
全速力で走りつつ、クラーケンの腕がかすりそうになる度に慣性を無視したステップで最高速度を維持したままの方向転換。
それはこちらを正面から叩こうとするクラーケンからはともかく、上空から見下ろす破壊ロボからすれば格好の的だろう。
でも、

《噴、克ッ!》

背後で強烈な殴打音。
同じような音が連鎖的に巻き起こり、爆発音が響く。
この特徴的な電子音混じりの掛声、間違いなくサンダルフォンだ。
殴り飛ばした破壊ロボでピンボールでもして、連鎖的に数機の破壊ロボをたたき落としたのだろう。
心強い。
そうだ、私は一人で戦ってる訳じゃない。
サンダルフォンが、覇道財閥のみんなが、ドクターウエストが、エルザが、一緒に戦っている。

《ガハハハ! どウした!? 動きが鈍イぞっ!》

縦横無尽にしなりのたうつクラーケンの腕は、恐ろしい質量をそなえた巨大な鞭。
一撃振るわれる度に街を更地に変えていくそれを、デモンベインは避けるので精一杯。

そう見えるんだろう、紙一重の距離で、最小限の動きで避ける今のデモンベインは。
見える、私にも、敵の殺意の軌道が。
私はそれに対応するだけ、マギウススタイルを纏っていなくても身体が動く。デモンベインが動く。
こんなに動けるのは、デモンベインをこんなに思うがままに動かせるのは、アルに、美鳥に、卓也に叩きこまれた身体の動かし方が生きてるから。
……そうだ、誰も、誰も居なくなってなんか、いない。

私が、私をここまで進めてくれたみんなが、お前を叩きのめす!

《ヌガアアアアアアアアアッ!》

地面を這って迫る腕。
跳躍して──

《馬鹿めッ! 捕まエたぞ》

足首に食い込むクラーケンの爪。

「お姉様!?」

腕を振り上げ、そのままデモンベインは宙に振り上げられる。
その勢いに、手に取っていた偃月刀を取り落とす。

「ぐぅうううううう!」

「うわあぁああああ!」

強烈なGが私達に伸し掛かる。
このまま叩き落とされたら唯では済まない……が、甘い!

《王気『撃竜衝』!》

一閃、サンダルフォンの放った風を纏う十字手刀がクラーケンの腕を切り落とす。
クラーケンの束縛から解放されたデモンベイン。
眼下では切り落とされた腕がビルを破壊し、クラーケンは突如として乱入してきたサンダルフォンに怒気を向けている。
ああ、たぶん挑発でもして、注意を引きつけてくれている。
知り合いで例えるならそう、まるでリューカさんの如き心配りと空気読み性能。
そんでクラーケンの中の奴、会ったことねえけど、てめぇ、たぶん筋肉馬鹿だろ!

空へと向かう力を失い、地球の重力に引かれ、一瞬だけ重力がゼロになる。
その瞬間を逃さず、

「ティマイオス!」

脚部シールドの断鎖術式を片方だけ起動し、宙を蹴る。
爆裂したエネルギーをそのまま落下の速度に加算し、直下のクラーケン目掛けて加速。

「なぁぁぁぁァァァァァ────にぃぃぃぃぃ!?」

やっちまったなぁ! アンチクロス!
最初から最後まで、私の狙った通り!

「その割に脱出手段は人任せロボね」

「あぁ!? ぜんぜん聞こえねぇ!」

何を言ってるか理解出来ないエルザの言葉をスルー。
凄まじい衝撃がデモンベインを襲う。
飛びそうな意識を、全身が訴える痛みが繋ぎとめる。
メインモニターを確認すれば、デモンベインの下敷きになったクラーケンの姿。

「やることが滅茶苦茶ロボぉ!」

「何言ってんだ、この程度、ミスカトニック(の陰秘学科でトップクラスの連中が休学して行う覇道財閥のバイト)じゃ日常茶飯事だぜ!」

だいたい、半熟魔術師の似非鬼械神で本物の鬼械神に勝とうと思ったら、無茶苦茶しないで勝てる訳がない、つまりこれが平壌運転。
さぁ、決めるなら今しか無い!
デモンベインでクラーケンに馬乗りになり、右腕を振り下ろす。

「ヒラニプラ・システム、アクセス! レムリアァァ……!」

叩きつけて、私の勝ち!

《──愚かなことだ》

ぞわ、と、脊髄に氷の柱を突きこまれた様な悪寒。

「離れるロボ!」

エルザの叫びと同時に飛び退く。
……が、飛び退くよりも一拍早く、クラーケンから発せられた流体染みた濃度の、針のように研ぎ澄まされたエネルギーがデモンベインを貫く。

「くっ……!?」

たたらを踏むデモンベイン。
その下からは何時の間にかクラーケンは消え、砕けたアスファルトであった筈の足場は、デモンベインの脚部シールドを半ばまで沈める程の水。
澄んだ、それこそ人の身には毒になる程に清らかな魔力を帯びた水。
なんだ、なにが起きてる?

《加えられた手心にすら気づけぬとは》

まるで、足元に広がる水の如く澄んだ声。
クラーケンからの声だと、一瞬理解できなかった。
先ほどまでの獣じみた声とはまるで違う、凛とした美しい声。

圧倒的な気配を感じ、デモンベインを振り返らせる。
そこには、一体の鬼械神が居た。
その背はデモンベインですら見上げるほど。
下半身は魚に近く、二本の脚の代わりに鰭の意匠が施されたスクリュー。
すらりと伸びた胴体はかすかにくびれているものの、美しい曲線を描いている
これをはたして鬼械神と呼んで良いものか、しかし、全身を覆うなめらかな装甲は、確かにそれが鬼械神である事を主張していた。

クラーケン、なのだろう。
足元には先程までのクラーケンの装甲が分解された状態で打ち捨てられている。
長い袖に見えるヒレを備えた腕は人のそれを超える長さを誇り、そこだけが僅かにクラーケンの面影を残していた。

《──────────》

クラーケンから響く、可聴域外の歌声に呼応する膨大な魔力と、既にデモンベインの胸まで浸す妖水。
攻撃ではない。
ただ声を発しただけで、デモンベインの装甲がビリビリと震えている。

こいつは、マズイ、かな?
しかも、デモンベインもさっきの一撃で魔力回路が一部断線した。
腕や脚が動かないってわけじゃない。
踏み込んで前に突撃する様な動きはできるけど、さっきまでみたいには避けられない。

《大十字九郎!》

サンダルフォンが変形したクラーケン目掛け飛翔し前蹴りを放つ。
いや駄目だ! どう考えても無謀過ぎる!

《王気『砕撃──』

案の定、サンダルフォンはクラーケンの放つ魔力の波動に吹き飛ばされ、ビルを何本も貫通し、最後に激突したビルを倒壊させた。

「サンダルフォン!」

私の中の冷徹な部分はサンダルフォンのお陰で次の攻撃までの時間が再び開いたと思考。
でも……

「どうしろってんだ、こんなもん……!」

人魚の様なシルエットのクラーケン。
その身を自らの魔力を含んだ水の中に沈め、先ほどまでの鈍重なシルエットからは想像もできないほどの速度でデモンベインの周囲を旋回する。
対してデモンベインは、何時かのインスマウスと同じく、不得手な水の中で性能も十分に発揮できない。

「大十字様! 一旦昇降機まで撤退してください! 一度回収します!」

「昇降機ったって……ねえよ、そんなもん!」

アーカムシティの彼方此方には、デモンベイン回収用の昇降機が隠されている。
だが、まるでその場所を全て把握していたかの様に、クラーケンの魔力が昇降機の入り口を凍結させて、巨大な氷で塞いでいる。

《せめて痛みを知らず、安らかに死ぬがよい……》

回遊するクラーケンが膨大な魔力を練り上げる。
編み上げられる構成は、広域破壊を目的とした魔術。
クラーケンの周囲に無数の水球が浮かび上がる。文字通りの無数。偃月刀やバルカン、断鎖術式で捌ききれる数じゃない。
先ほどまでの一辺倒な腕での攻撃ではなく、ここで確実に仕留めるつもりだ。
躱す術は無い。

ああ、くそ、ここまでか。
思ったよりもあっさりと訪れる『詰み』に、私は静かに目を閉じる。
相手の実力を見誤って負けなんて、間抜けな最後だ。
思い返せば、前にもこんな事があった。
路地裏でページモンスターを追い詰めて、
油断したところを捕まって、
食い物にされそうになった。

あの時みたいに負けるものかという覚悟を抱いている訳じゃない。
私もここまでなんだな、そう思うだけ。
闘気も萎えた。都合よく助けに現れてくれるあいつは、もう居ない。
私の中にあるあいつがくれた教えは、私が自らの油断で殺してしまった。

威圧感が増した。
クラーケンの魔術が完成したのだろう。
ああ、これで、わたしもあいつの所に────

「うおおおお! ミッドナイト・テンダー・ヒットマンズ!」

叫び声が、諦めきった私の鼓膜を貫く。
聞き覚えのある声。
私は思わず目を開き、メインモニターを見る。

「え?」

メインモニターに映ったのは奇妙な光景だった。
夜明け前だった筈の景色は薄暗い真夜中に。ことごとくが倒壊していた筈の高層ビルは、多少規模を小さくも修復されている。
ビルの上には、サングラスにコートの男がライフルを構えて、クラーケンに狙いを定めている。
何の変哲もないヒットマン。
いや、なんの変哲もないというのは明らかに語弊がある。
まったく同じ姿の人間が、六人。
涙を流しながら引き金を引く狙撃手六人。
打ち出される弾丸。
馬鹿な、高度な魔術理論の集大成である鬼械神も、その発動する魔術も、そんな弾丸ごときでどうにかなる筈がない。
しかし、

「なっ!?」

放たれた六発の弾丸が寄り集まり、一つの形を形成する。
三本角で、スノーホワイトカラーのカブトムシ。
いや、カブトムシ型の魔導兵器か?
鬼械神にも匹敵する異様な威圧感を放つそれは、過たず放たれる寸前のクラーケンの魔術に命中し、一つ残らず霧散させた。

デモンベインのピンチを救った魔導兵器は弧を描きながら空を疾走し、先ほどまでは摩天楼があったアーカムの廃墟の空で、白い繊手に掴み取られる。
バイアクヘーの背を踏み、黒いシャツの上に赤いコートを羽織った、黒髪の少女。

「どうした。本当の地獄はこんなもんじゃなかったぜ、大十字」

「美鳥!」

見間違える筈もない。
マスターテリオンのリベルレギスの魔術に貫かれ爆死した筈の後輩、鳴無美鳥。
そして、その隣。
空間を自在に駆ける魔導バイク『マシンシャンタッカー』に跨る、白いシャツにスラックス、緑のジャケットを羽織った男。
僅かに無精髭が生えているけど、そんな事で私が、こいつの事を見間違える筈がない!

「あ、ああ……!」

お前は、死んだ筈の!
重力球に飲み込まれて、アイオーンごと押し潰されて死んだはずの!

《鳴無……卓也!》

クラーケンから響く驚愕の声に、卓也はバイクに跨ったまま『チッチッチ♪』と指を振り、宙を切り裂くように指を振り下ろす。

「YES,I AM!……先輩! 隙を作ります!」

その言葉と同時に、卓也の周囲を飛び回る魔導兵器が威力を帯びる。
牙だけが白い、クリムゾンレッドのクワガタムシ。
世界が、塗り替えられる。
またしても夜の空へと書き換えられた空に、卓也は不敵な笑みを浮かべながら拳を突き出す。

「奏でるぜ……俺の魂のブルースを!」

魔導兵器の纏う闘気が大気を歪ませ、星空に幻影を生み出した。
目を瞑り、ブルースハープを奏でる謎の黒人。
クラーケンよりも巨大なそのイメージをバックに飛翔する魔導兵器。

「センチメンタル・アウトロー・ブルース!」

謎の黒人を背負った魔導兵器は光の矢となってクラーケンに突き刺さり、クラーケンの召喚した周囲の水を、魔力ごと残らず吹き飛ばした。
見るからに水中用のクラーケンは、その外見の印象を裏切らず陸上での活動に適応していなかったのか、水揚げされた魚の様に動きを鈍らせる。
……! そうか、これなら!

動く範囲で脚を動かし、のたうつクラーケンを正面に捉える。
脚部シールドを開放、断鎖術式を起動、エネルギーを解放。
大気中に散らばった残り僅かな水を、シールドから発生した紫電が分解し、水素と酸素を発生させ、引火。
爆炎を引き裂きながら、デモンベインは解き放たれた矢の如く、一直線にクラーケン目掛けて突き進む。

「光り射す世界」

デモンベインの左掌を突き出す。
ヒラニプラ・システムへの接続はつながったまま、あとは解き放つだけでいい!

「汝ら暗黒、住まう場所無し!」

あの形態になったが故のデメリットなのか、ここまでで奴は防御の一つも備える事が出来ずに膝を付いたまま。
鬼械神同士の戦闘では、あまりにも致命的な隙だ!

「渇かず飢えず、無に、還れ!」

《こんな、馬鹿な事が……!》

掌が、人間の女性に似たクラーケンの顔を捉えた。
握りこんだ頭部から、昇滅の術式が流し込まれる。
無限の重力と無限の熱量がクラーケンの内部から生まれ、その全てを貪り尽くす。
これこそ奥義──!

「レムリアァァ・インッパクトっ!!」

その場から素早く飛び退き、宙で一回転して、生き残っていた高層ビルの屋上に立つ。

「アァディオォス」

結界に取り込まれるクラーケンを確認し、背を向け、手を振り上げる。

「ア・ミーゴォッ!」

結界が収縮し、爆発。
アンチクロスの一人、鬼械神クラーケンの中の人、撃破!

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

戦闘が終わり、空には朝日が登りはじめた。
破壊されたアーカムシティ。
しかし、完全に壊滅してしまった訳ではない。
この街の守護者の力によって、辛くも壊滅を免れた。
大十字九郎が守りぬいた街。

その街の空を、飛行バイクが駆ける。
ビルの屋上で腕を振り上げた姿勢のまま停止しているデモンベインへと乗り付けた。
デモンベインのコックピットから這いでて、そのバイクの操縦者を睨みつける大十字九郎。
バイクから降りてデモンベインの上に立った操縦者──鳴無卓也の姿をしっかりと確認すると、まるでネコ科の獣が行う狩りを思わせる動きで跳びかかった。

朝陽が街を照らす。邪神の爪痕残る街を。
悪夢は終わらない。次の悪夢がある。その次の悪夢があり、同じ数だけ戦いがある。

暁が照らす。
仰向けに倒れる卓也の上に馬乗りになり、握った左右の拳を交互に胸元に繰り返し落とす九郎。
次第に振り下ろす拳から力が抜け、自らの顔を拭う。
しゃくりあげる九郎の、くしゃくしゃな泣き顔。
拭われる雫を輝きに変えるのも、夜明けを告げる朝陽の力だ。

頬を膨らませた怒り顔の美鳥がシャンタクの背を蹴りデモンベインに近づいていく。
繰り返される日々を照らす為、朝陽は昇る。
悪夢があり、戦いがあり、全てを許容する一日がまた、始まろうとしていた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「どういう事だ、奴は死んだのではなかったのか?」

アウグストゥスは僅かに困惑していた。
確かに、カリグラが敗れる事は想定の範囲内だった。
だがそれは、大十字九郎の魔術師としての伸びしろと成長率を考慮した上での話であり、魔術師の世界では珍しくもない話だ。
だが、まさか、大導師マスターテリオンに狙われて、鬼械神事破壊されて、それでも生き延びる魔術師が存在しうるとは。

「大導師サマが仕損じた、って、ンな分け無いわよねぇ。それに、カリグラちゃんもやられちゃうし」

ティベリウスは首を傾げながら、しかしその形の良い唇の端を愉快そうに釣り上げる。
アウグストゥスやウェスパシアヌス、今殺されたカリグラを除く全てのアンチクロスは皆、何らかの理由で鳴無兄妹の事を高く評価していた。
だが、まさか鬼械神ごと破壊されて、それでも無事に生き残るとは。
大導師の差し金か、そんな事を考えてみても答えなど出るわけもないが、それでも考えてしまう。
特にウェスパシアヌスの混乱は、その表情からうかがい知る事はできずとも相当のもの。

「すごい!」

だが、驚愕よりも喜びの感情を表す者が居る。
クラウディウスはアンチクロスとして作っていたキャラクターを被るのも忘れ、素の自分でモニターを見ながら飛び跳ねてはしゃいでいた。

「ね、ね! 覇道の連中をぶっ殺しに行くんでしょ? それ僕が行くからね! あんな真似ができるなんてわかったんだから、絶対に迎え入れに行かなくちゃ!」

おもちゃを欲しがる子供の様なその様子に、クラウディウスと多少の交流があるティベリウスは苦笑する。
アウグストゥスやウェスパシアヌスが鳴無兄弟を放置するとも、自分から出向いて始末するとは思えない。彼女の提案を喜んで受け入れるだろう。
ティベリウスはその視線を沈黙を保つティトゥスへと向ける。
笠で隠れたその顔は見えないが、歯をむき出しにして笑っているのが容易に想像できる。
クラウディウスとは正反対の意味ではあるが、ティトゥスも鳴無兄を狙っているのだ。

個人的な目的に比重を傾け過ぎているこの二人に任せるのは不安と、自分にも襲撃に加わるようにと提案してくるだろう。
それを拒むつもりはない。
殺すのも犯すのもばっちこい、それこそ絶好の機会、犯しそこねた覇道の総帥を食べに行こう。
アタシは、カリグラの様に油断はしない。





巣穴に放り込まれるは、三人の魔術師。

夜が明け、朝が来ても、アーカムシティの悪夢は終わらない。





続く
―――――――――――――――――――

遊園地の変速フリーフォールの少し落ちてまた上げるアトラクションに例えれば、少し落ちた後にまたゆっくり上に上げられててる感じの第六十六話をお届けしました。

ここまで投稿に時間が掛かったのは初めてではないでしょうか。
文の量を多めにしていたとかそういうのではなく、普通に仕事と習い事が忙しかっただけなんですが。
あ、でもこのSS、全体通した文字数をなろうとかにじファン形式で換算すると、だいたい全部読み終わるのに50時間くらいかかるらしいです。
でも一分間に500文字ってのも実感しにくいカウント方法ですよね。
こういうノリで進むSSって基本部分部分読み飛ばされてくものでしょうし。
読み飛ばされるのは悲しいけど、じっくり読まれると文章の粗が目立って恥ずかしいというか。
たぶん羞恥プレイと同じ感覚だとおもいます。ええ。全裸首輪深夜公園犬アクションで散策とか裸コートバイブコンビニでコンドーム購入財布は内ポケット取り出しは前から限定とか。
すなわち、処女作にしてオナニー作にして羞恥プレイ作!
非常に性的ですね。いやらしい……我々のチートオリ主SS、いやらしい……。


失礼。久しぶりの投稿故に少々興奮していたようです。
何事もなかったかのように自問自答コーナーはじまるますますます(残響音含む)。

Q,大十字の好感度が前話と比べても上がってね?
A,一緒に居たいと自覚(吊り橋効果含む)→眼の前で死ぬ(インパクト大)→実物が居ない状態で罪の意識から延々回想シーン繰り返し(記憶の美化)→会えない時間が思いを育てる(妄想八割)→死せるトリッパー生ける原作主人公を悩ます(←今ココ!)
これら全て大導師の予定通りなんですけどね。
Q,サポAIはともかく、なんであの状態で主人公生きてるの?
A,発射見てからワープで脱出余裕でした。茶番ですしね……。
Q,ボォォォォォォォォォグバトォォォォォォォォォ!
A,うん!
Q,大十字少し諦め早くね?
A,矯正されないと理屈屋のエリートタイプであったため、根性の自力は少し弱いという設定。
そもそもTSしてる時点で原作との差異を語るのは難しいというか。
Q,王気?
A,カラーリング的にサンダルさんはデスファードなんですけど、そっちの方がかっこいいですよね!


次回に地下基地で戦闘だから、あと二回か三回でTS編は終了の筈です。
ええと、TS編が終わったらブラックロッジ最終編を始めて、それが終わったら……ええと……。
うん、2012年の内には無限螺旋も終了の筈。
流石に二年間ぶっ通しってのもおかしな話ですしね。

来年の話をすると鬼が笑うって言いますけど、その内まともなSSも書いてみたいなぁ。
EX!の原作主人公双子オリ主ででヒロインはまだ組織で持て余されてた鈴原。
八神家に保護されるまでのストーリー書きつつ、鈴原を守るために生まれて始めて変身する主人公とか、そんな王道。
ホモ臭いけど、そこは伝統と信頼の『性的暴行を回避するための性別偽装』でTSでもすれば。
まぁ最悪でもヤオイ穴を開通してしまえば全て解決しますし。

そんな訳で、今回もここまで。
当SSでは引き続き、誤字脱字の指摘、簡単にできる文章の改善方法、矛盾点へのツッコミ、その他もろもろのアドバイス、そして何より、このSSを読んでみての感想を心よりお待ちしております。



[14434] 第六十七話「説得と迎撃」
Name: ここち◆92520f4f ID:81c89851
Date: 2012/04/17 22:19
「と、いう訳で」

覇道財閥地下秘密基地魔導研究エリア。魔導書の編纂や検閲、修復や封印などを行う一室にて。
俺は台の上からアラベスク模様に黒檀装丁の大冊を両手で掴み上げる。

「ご覧のとおり、アルさんの修復が完了しました」

精霊としてのアル・アジフの意識を励起するために魔力を流し込むと、淡く輝く魔術文字が溢れ出し、一つの人型を形成する。
魔導書『アル・アジフ』の精霊、通称アル。
本来なら魔導書擬人化というジャンルを確立させた、いわばみんな大好きインテリジェントオナホ……もとい、インテリジェントデバイスのご先祖様的存在なロリババアである。
が、今回は不思議な事にショタジジイ兼男の娘。
性転換したというのにその衣装は全く変わっておらず、若草色のショーツもそのまま。
なんというか、何処の方向に向けたものであるかはいまいちはっきりしないのだが、あざといということだけは確かだ。
両手で掴んで持っていた筈なのに、擬人化が完了したら何故かプリンセスホールドになってるし。

「んぅ……」

ところでプリンセスホールドというのは、意外と身体の彼方此方に触れる抱きかかえ方である。
膝裏、腿、ふくらはぎ、背中に脇に横乳。
そんな部分が接触しているわけだから、抱きかかえられている側がむずがるのも仕方のない事なのだが……。

「はい先輩パス」

「ちょ」

投げる。
抱きかかえられたまま、頬を染めるのは、まあいい。
シャンタクの記述移植と共に破損した記述の修復も終わって言わば病み上がりの状態なのだから、生っぽい構造の精霊体が熱っぽくなるのも、仕方が無い。
しかし流石に、スカートの中に覗く若草色のショーツがムクムクと膨らみ始めているのは頂けない。
欲情するなり突っ込むなりするなら大十字相手にしてくれ。
どうせ次の周じゃホモ臭いアクションを飽きるほどしないとならないんだから、せめてこの周ではノンケとして正常なリアクションを取らせて欲しい。

「お兄さん、今の男にょ娘相手のプリンセスホールド、すっごい様になってたよ。まるで開幕三ページでヤオイ穴強制貫通シーンの出てくる少女漫画のような。あ、もちろんハートマークが飛んでるから和姦、な!」

「黙れ」

目をキラキラと輝かせて語り始めた美鳥の言葉を切って捨てる。強制なのに和姦とは如何なる矛盾だ。
猫なり蝶なりけしかけてフェードアウトさせてやろうかこいつ。
いや、それとも最近の少女漫画に年齢制限が存在しないことを疑問に思うべきか。

「は、ははっ。なんか、変わってないな、お前ら。ちょっと安心した」

受け取ったアルをそのまま作業台の上に再び寝かせた大十字が、目尻に僅かに涙が浮かばせながら笑う。
しかし、変わっていない、か。
それは些か見当違いが過ぎるというものではないだろうか。

「たわけ、お主の目は節穴か」

少しの間を置いてから、寝台に寝かされたアル・アジフ(半勃ち)がおもむろに身を起こす。
そんなアル・アジフ(三分勃ち)の背に手をあて気遣う大十字。

「アル、もう起きても大丈夫なのか?」

「ああ、破損した部分は残らず修復されておる。しかも失われていた記述付きでな。……貴様ら、位階を上げたな? あの後になにがあった」

じろり、と俺と美鳥を睨めつけるアル・アジフ(六分勃ち)
俺は一度美鳥と視線を合わせ、部屋の外に視線を向ける。
ここから見える魔導書が並ぶ本棚は、どこかセラエノ大図書館の光景を思い出させる。

「あの時、俺と美鳥が懐に忍ばせていたセーフティシャッターのお陰で助かったのは周知の事実ですが」

「説明を受けた覚えすらないぞ」

もっこりショタの発言とかぜんぜん耳に届かないな。
年齢制限付きの場所で改めて発言して欲しい。JUN文学風に。

「奇しくも改良に失敗した携帯式のセーフティシャッターは、イケメンではなく、なおかつ嫁補正を持たない俺と美鳥をセラエノ系第四惑星へとジャンプアウトさせました」

「無視か、無視なのか!」

「アル諦めろ、こいつら元々こういう性格なんだから」

今にもこちらに掴みかからんと台から身を乗り出したアル・アジフの肩を掴んで諦め気味な表情で首を振る大十字。
そんな光景をスルーしつつ、俺と美鳥はまぶたを閉じ、回想シーンへと突入する。

「セラエノ大図書館へ訪れた俺達は、二度と過ちを繰り返さぬよう、地獄の特訓を行なっていたのです……」

「思い出すのも嫌になる様な、恐ろしい修行だったぜ。大十字、てめぇに施した修行が子供と大人のお医者さんごっこに見えるくらいにな」

「それだとなんか私が卑猥な修行を受けてたみたいだけど、そうか、特訓を……」

「ええ、今までにない、おぞましさすら感じる、まさに魔導の真髄とも言えるような」

そう、地獄の様な修行だった……。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

セラエノ大図書館に付随するように建設された、視聴覚施設を貸切、俺達は予習に勤しんでいた。
役所に置いて有りそうな素っ気無いデザインの長机とパイプ椅子に座りノートを取る俺。
俺の視線の先には、ホワイトボードに書かれた幾つものチェックポイントと解りやすい図柄を教鞭で叩いて示す姉さん。
びしっとした女教師コスの姉さんの指導は常に無い情熱を帯びたもの。

「違う、ぜんぜん違うわ卓也ちゃん。こう、ピアノの演奏中は誰がこっそり乱入するとも限らないんだから、第四ボタンまで外して胸元ははだけておくの、わかる?」

はっきりいってすごくわかりたくないです。
でも、教卓を平手でばんと叩いて情熱的に語る姉さんにそれを言うのはとても難しい。

「いや、百歩譲って理解するけど、振り返って『そろそろ出てきたらどうだい?』ってやる時、この首の角度はどういう意味があるの?」

こう、サラサラの髪を少し伸ばしておけば、僅かに髪の毛がサラっと溢れる感じの角度だとは思う。
俺の髪の毛、そこまでサラサラじゃないんだけど、やっぱりそこも改造しないといけないのだろうか。

「それがホモ特有の角度ってやつになるんだから、絶対に外せない要素よ。────はい美鳥ちゃん、蝶々リリース!」

俺に指導をしながら、姉さんは窓の外に見えない何かを見つめている素振りを練習していた美鳥に向け、容赦なく黄色い蝶々を差し向けた。
完全な身体制御能力によりリアリティ溢れる儚げな雰囲気すら醸しだしていた美鳥の体は、姉さんの打ち込んだ条件付に従い蝶々を求めてふらふらと立ち上がり、頼りない足取りで歩き出す。

「ちょうちょ~ちょうちょ~」

まぶたは半開き、声はやや舌っ足らずな間の抜けた発音。
時折喉からもれるように『あは、あはは』みたいな音が発せられる。
この半催眠状態の美鳥が唯一自在に操れる心臓の鼓動は、モールス信号で『死にたい』『殺してくれ』と連呼している。
テレパシーでは『\(^o^)/』の顔文字が送信されてきている、中々に脳にキているらしい。

「ほら卓也ちゃんもぼさっとしないの。次はテキスト4の872ページ、『退院日にフェラーリで迎えに来てくれた筋肉質な学友に柔らかく喜びの意を伝える』の項目ね。まず気をつける点は、この場面ではなるべく飾らない言葉で……」

なんだか姉さん嫌に気合が入っているな、指導が一々セメントだ。
ああ、あの時に、姉さんがシャイニングソードブレイカーで俺と美鳥の試合をノーコンテストにしなければ、少なくとも俺と美鳥のどちらかは助かった筈なのに。
あとそれ、ボーグマシンじゃないから。
一人だけ少しメジャーな方使うとか卑怯だから……!

―――――――――――――――――――

「あの人外魔境で、俺と美鳥の心を慰めたのはボーグバトル(と、課題をしっかりこなした後の姉さんの笑顔と図書館での読書の時間と食事とPSPと偶然図書館に本を借りに来ていた療養中のシュブさんとの語らい)だけでした。魔術師としての位階が上がったのも、きっとそのお陰です」

特訓中は『甘えがでるからだめ』とか言ってエロい行為は禁止だったし。
せっかくの図書館なのにエロいこと禁止とか、『こんなところでしてたら司書の人に見つかっちゃうよぉ』プレイはトリップ先世界でしかできないのに……。
いや、隣町の図書館はリアル知り合いが勤めてるからそういうプレイに向いてないっていうか。

「あたしとお兄さんのボーグ魔法の才能が開花したのは、間違いなくあの修行で受けたストレスが原因だな。……お陰で、ギリギリの所で駆けつける事に成功したんだけど」

ボーグ魔法っていうか、機神招喚でボーグマシン型鬼械神を召喚して思いっきり加速させて激突させているだけなんだけどな。
養殖物のもあるんだけど、バトルで使うとなると強度不足だし、何より姉さんの私物だから壊せないのだ。代用品なのは勘弁して貰いたい。
原理的にはハンティングホラーと殆ど変わらないっていうか、ハンティングホラーをデモンベインとした場合、俺と美鳥が使ってたボーグマシンはアイオーン的位置にある。

ちなみにイメージ映像がなんで出るかは不明。技名叫びながら気合入れると何故か出る。
まぁ……代用品とはいえ仮にもボーグマシンだし、そういう事もあるだろう。
姉さんみたいに空から当たり判定のある剣が降ってきてフィールドに突き刺さる訳じゃないし、それほど不自然って訳でもない。

「そうか、深くは追求せぬが、お主らも苦労したのだな」

訳知り顔で頷くアル・アジフ。詳しく説明しろって言われると凄く困るから、こういうリアクションは純粋にありがたい。
ぶっちゃけ、セーフティシャッターの下りから完全に嘘だから、これ以上の説明なんてしようがない。
これで納得するなり適当にスルーしてくれるなりして貰えなかったら、もしもの時の為に姉さんから貸して貰ったカブトボーグ世界の概念『・──1クール見逃した』を発動して有耶無耶にしなければならないところだったからな。

さて、話が上手いこと纏まった所で現状を確認しよう。
まず、地下基地に来た時点でテレパシーを使ってドクターとエルザには口裏を合わせる様にお願いしてある。
返答の思念に込められた感情はまるで小説版のドクターの様にシリアスなものだったので、ついうっかりで口を滑らす事はない筈だ。
デモンベインは既に修復済みで、後はコックピット内部を元の仕様に戻せばデモンベインは完全復活を遂げることになる。
で、アーカムにバラ撒いた端末と夢幻心母に食い込ませてある端末の情報を合わせるに、やはりこちらにはアンチクロスが三人同時に襲撃に来るようだ。

ここで問題になるのは、降りてくるアンチクロスの中には原作最終ループと同じくクラウディウスが存在しているという部分だろう。
TSクラウディウス──かぜぽはド天然のようで居て中々に賢しい。
群れを勝利に導く為なら持てる手段を尽くすタイプであるため、容赦なく俺がブラックロッジ側からのスパイであることを暴露しようとするだろう。
地下基地内部の通信は幾らでも妨害が効くにしても、途中でかぜぽを迎撃して運良く生き残った覇道警備部の連中は虱潰しに始末するか記憶処理をするしかない。
更に、次のループにデータ持ち越しの大十字に俺がブラックロッジ側であることを知られてはいけない。
それでいて、大十字にはここから夢幻心母突入までの間に成長の機会も与えなければならないのだ。

「ええ、ですが、苦労に見合うだけの力は付けたつもりです」

特殊ルール限定になるけど、トリックありでならボーグでシャイニングソードブレイカーも使えるし、リアルおもちゃバージョンのボーグやクラッシュギアを壊れない様に全力投球する技術も身につけた。
次の周のキャラを演じるためにピアノも練習し、今ではピアノの鍵盤の上に飛び乗って足の指で猫踏んじゃったを演奏する程度のピアノの腕だ。
ここまでやれれば、あのTSブラックロッジの連中相手でも、キャラの濃さで負ける、なんてことにはならないだろう。
いや、キャラが薄くて負けるなんて事は無いのだが、これは気合の問題だろう。

俺は部屋の外に向けていた視線を戻し、大十字の瞳をまっすぐに見据える。

「俺達が留守の間、先輩には無理ばかりさせてしまったようですからね。デモンベインの改修が終わるまでは、しばらくゆっくり休んでてください。何かありましたら、俺達が対処しますから」

対処しますからの後に、文章にすれば(キリッとか入っちゃう感じの真剣さを醸し出しつつ告げられた言葉に、大十字は難色を示す。

「ちょ、まてよ! 折角合流できたんだから、私も一緒に……」

「先輩」

大十字の両肩を掴み、目を見つめる。
その先を言われる訳にはいかないのだ。
何しろ、この場面で大十字に協力を申し出られた場合、断る正当な理由が一つも存在しないのだ。
ニャル補正の付いた大十字が死ぬ事はありえないが、アンチクロスから俺がどこ所属かを知らされてしまう可能性は十分にある。
役割の確定している大十字と違い、俺の立場や役は幾ら変更しても無限螺旋の進行に支障が無い。
今後も自由に動き回るには、やはり次のループに変な情報を持ち込まれるわけにはいかない。

「先輩には、いつも矢面に立たせてばかりで、申し訳無く思っていたんです。こういう時くらい、俺達も頑張らせてください」

まず、大十字の台詞を一旦遮る。

「卓也……」

すると、真っ直ぐに大十字の目を見つめる俺の瞳を、大十字も僅かに潤んだ瞳で真っ直ぐに見つめ返してきた。
目と目が合うーしゅんーかーん、そう、まさにこれが隙である。

光過敏性発作、という症状が存在する。
俗に言うポケモンショック、いや、ポケモンショックについては『ポリゴンは悪くない!』で検索するといい感じの説明に出会えるので割愛しよう。
てんかんの一種だとかどうとか言われているこの症状だが、実のところ、科学的にこの症状を研究していくと、応用技術によりある一つの発明が完成する。
複雑な光の組み合わせにより、脳内物質の分泌量を調整し、相手の体調を操るこの技術。
電撃文庫、『その最高の賢明さおよび強さによって野蛮な科学を巧妙に封印するセキュリティ・システム』に曰く、この技術を『視覚毒』という。

魔術を使えばアル・アジフに感知されるだろうが、この魔導書の精霊、科学の力にはさほど詳しくない。
しかも、視覚毒の肝となる複雑な光の組み合わせは俺の眼球に当たる部分から発せられており、近距離で見つめ合い俺の瞳を凝視する大十字の目にのみ作用するように調整してある。
大十字の瞳の潤み具合による光の屈折すらも考慮に入れた繊細な技術だ。
それこそ、今大十字の後ろに居るのがアル・アジフではなく体調万全なドクターであったとしても、視覚毒に気がつけるかは五分五分といったところ。

「あっ」

かくんっ、と、大十字の膝から力が抜ける。
大十字の肉体は今、動けない訳ではないけれど、全力で戦えるかと言われると少し不安になる程度の疲労を感じている。
更に動悸に息切れ、鼓動も少し激しく、不整脈っぽいリズムを刻んでいる筈だ。
死なない程度に加減はしているが、それでも追加で眩暈も感じるだろう。
熱っぽく、頭がぼーっとする感じかもしれない。
そう、合わせて考えるに、大十字の肉体は疲労で動けないという以外に、好意を寄せた相手との接触に緊張している時と似た状態になっている。

これぞ、視覚毒の応用技術が一つ。
ナノマシン投与して脳内神経操作ポ、略して『ナノポ』に続く科学的心理操作技術、第二弾!
光学的刺激で生理機能操作して肉体上ではポッ、略して『光学ポ』!

あくまでも肉体面での操作のみを行う技術であるため、最初にある程度の信頼関係を築いておく必要があるが、ナノポに比べて威力の調整が容易であるため、人間関係の微調整の時に限定すれば非常に使い勝手が良い。
今回の様に、分泌物の種類や量を調整すれば戦闘から強制離脱させる事も可能な為、非常に幅広く活用が可能になるかもしれない技術である。
勿論、絶賛データ収集中なので効果が一定しないという欠点も存在しているわけだが、ナノポの様に後を引かないインスタントな効果が売りと言える。

……まぁ、光学ポよりも視覚毒の方が言いやすいので、この呼び方を定着させるつもりはさらさら無いのだが。
無闇に他人からの好意が欲しい訳でもないし、使おうと思えば使えるけど、使う機会は少ないだろう。
大導師側について大十字虐待を続ける限りは使う機会もそれなりにあるだろうが、それが終わったら完成版にできるまで微調整を繰り返して、それから封印かな。

見つめ合う状態で膝を崩した大十字はこちらの胸の中に顔を埋める感じになっている。

「あ、えと、ワリィ、今立ち上がるから」

こちらの肩に手を乗せ『んしょ』と小さく気合を入れながら元の姿勢に戻ろうとする大十字だが、膝に力が入らず、自力で直立する事ができない。
ちなみに、体勢的に大十字の胸は俺の腹部の辺りに押し付けられている訳だが。
流石ニトロ山脈、いや、これはむしろ全天昇華呪法ビッグバン・インパクトとでも言うべきか。
しかも立ち上がろうと身体を動かす毎に胸が押し付けられ、なんだかエイケンとかオヤマとかダークネスみたいな事になってしまっている。
しかし、ここで十八禁方面から例えを持って来なかったのは、どれだけ親しくなってもエロいことはしませんよ、という意思の現れである。
仮に間界の王子様がこの場面を目撃しようものなら、俺はその一話を使って散々に弄られたり報復行動を受けたりする程のシチュエーションだが、せめてそこら辺の拘りだけは汲んで欲しい。
勿論、例えで上げた少年誌作品の主人公や登場人物が紙面上でエロいことをしていないかは、俺の保証する所ではない。

「大十字よぉ、なに人のお兄さんに泡姫みたいなエロアプローチかましちゃってくれてるわけ? あん?」

「いやエロくは……無いわけではないだろうけど、わ、わざとじゃねえよ。だって、脚が……んぅっ」

エロいって自覚はあるんだな。
半眼で大十字を睨む美鳥と、どうにかして脚に力を入れて立ち上がろうとする大十字。
あと、自覚があるなら力む時に喘ぎ声みたいな声出すのは止めたほうがいい。やぶ蛇になりそうだから言わないけど。

「ここまでの戦いで疲労が溜まっていたんでしょう。マギウススタイルも無しで戦ってたんだから仕方がありませんよ」

こちらの肩を掴む大十字の手を取り、そのまま腕の下に身体を入れて大十字を支える。

「い、いいって、一人で立てるから」

「そりゃ何分後のお話ですか。今、俺達にはそれほど時間的余裕はありません」

そう、少なくとも大十字や覇道財閥にとって、現状は羞恥心を気にしていられるような状況ではない。
街中に、そして夢幻心母中に仕込んである俺の端末が移動中のアンチクロスを察知している。
今この瞬間にもアンチクロスのティベリウスとティトゥスとかぜぽがこの地下基地に近づいてきているのだ。

例えば今、夢幻心母から魔術による転移で地上まで三人が降りてきたところだ。
そのまま周囲を警戒することもなく地上を走って……おっと、ここでショートカット。
ビルの中に入って路地裏に出た。
路地裏のど真ん中にあるマンホールを開けて、順番に入っていく。
ストリートファッションに身を包んだ美少女、白衣の美少女、和服の虚無僧がマンホールに吸い込まれていく。
実にシュールな光景だ。
勿論、あの先には地下基地への関係者用通用口がある。
魔術的、科学的なセキュリティも存在するが……ああ、突破された。
ここのセキュリティに用いられている魔術理論はそれなりに古く、現役で魔術の研鑽を続けている魔術師には通用しない部分が多い。
原作では『ここのセキュリティを突破できるのは……』なんて言って驚愕しているが、アンチクロスの足元にも届かないような中堅魔術師でも時間をかければ突破可能だろう。
そのまま基地内部に侵入、監視カメラにも写っているはずだが、監視が異常を察知するよりも早く通路で警備兵と接敵。
ティトゥスが腰に佩いた刀の柄に手を当て、無造作に全員の首を撥ねた。
常人の動体視力では捉えきれない抜刀速度。
ティベリウスが文句を言っている。
警備兵の一人がティベリウス好みのイケメンだったらしい。
遅れて現れた警備兵が、殺害された警備兵の死体とアンチクロス三人を見て、

「! 警報?」

ここに来てようやく警報装置が作動する。

「ほらきた」

けたたましく鳴り響くアラーム、赤く明滅する照明。
通信機にコールが入り、慌てて手を伸ばそうとしてよろけそうになった大十字に変わり通信をONにする。

「こちら鳴無です。侵入者ですね?」

《っ──はい、当基地は本日二一:〇六を持って、敵の侵入を許しました。こちらの防御システムを突破する人間……確認はまだですが、おそらくは、アンチクロスです》

「なんだって……!?」

焦燥を含んだ覇道瑠璃の声と大十字に大げさな驚き。
いやぁ、いくら大十字が魔術師として未熟でも、鬼械神に乗ったアンチクロスを助力ありとはいえ殺害できるレベルにあると理解すれば、そりゃ基地に乗り込んで殺しにも来るだろうよ。

「敵が複数同時に……覇道邸の時と一緒か……!」

「しかもこの手腕……全部、アンチクロスかもしれんな」

そうこう言っている間にも、迎撃システムのガードロイドっぽいのが懸命に出撃し、あ、乙った。鎧袖一触か。
トイ・リアニメーターの技術もあるし、これぐらいは作れても不思議じゃないけど、相手が悪かったな。
続いて出撃した警備兵たちも次々と惨殺されていく。足止め程度には、いや、足止めていどにしかならない。
げ、かぜぽに端末見つかった。ミラコロと星の精の記述まで混ぜておいたのに。これだからオーガニック系の連中は。
あー、齧るな齧るな、ネズミ型だからって即効で口に運ぶな、獣かお前は。獣か、そうか。
いや待て、確か元ネタの方じゃ捕まえた獲物に火を通す程度の文明レベルはあったじゃないか。デモベ、というか、クトゥルフ世界レギュに対応しちゃったのか?
あーあー、断面からはみ出したモツを舐めるな。明らかに他作品のメインヒロインがやっていいアクションじゃないぞ。
ん? 齧りかけの端末の臭いを嗅いで、笑った?
嗤うでも哂うでもない、朗らかな笑み。

「ふむ……」

血まみれになった口元を袖で拭うかぜぽを別の端末越しに見て、大十字に悟られないように息を吐きながら、確信した。
どうやら、どうあっても大十字とアンチクロスを接触させるわけには行かなくなってしまったらしい。

―――――――――――――――――――

通信機から聞こえるウィンフィールドさんの声にも焦りが見れる。
あの冷静で穏やかさを心情とするウィンフィールドさんがここまで動揺するなんて。

《只今、最高レベルの迎撃システムで応戦していますが、敵の勢いは止まりません。全くもって不甲斐ないばかりです》

身体に思うように力が入らないなんて言ってられない。
ある程度ならマギウススタイルで補填が効く。
私も、戦わないと。

「わかった、私も迎撃に」

「出ないでください。ウィンフィールドさん、迎撃には俺と美鳥が向かいます。敵の位置情報を」

ウィンフィールドさんに侵入者の場所を尋ねようとした所で、卓也に言葉を遮られた。

「こんな時に何言ってんだよ。今は一人でも戦力が欲しい時だろ」

「そんな消耗したままで戦われても困ります。暫くは安静にしていてください」

静かに諭すような卓也の声に、苛立ちが募る。

「この状況ですから完全回復するまでとは言えませんが、少しの間でもいいです。先輩は休息を──」

労りすら含んだ声。
なんで、なんでこいつは……!

「私は!」

卓也の声を遮り、叫ぶ。

「わたしは! お前に守られてるだけの女じゃない!」

本当は腕を、私の身体を支えるこいつの腕を払って、二本の脚でこいつの前に立って言いたい。
でも離れる事ができない。腕を離されたらきっと倒れてしまう。
弱い。
弱いんだ。私は。
ずっとこいつと一緒に居たいのに、また居られるようになったのに。
私自身が、こいつと並べるほどに強くない。

「わた、私が、守られてる間に、後ろに庇われてる間に」

震える横隔膜で無理やり息を吸い込み、腹筋に力を入れ、呼気に言葉を乗せる。
舌がうまく動かない。発音がはっきりとしない。
視界が水中にいるみたいに歪む。
突然叫びだした私に唖然とする卓也の顔が歪んで見える。

「お前が、卓也がまた、死んじゃったら……」

あの日、マスターテリオンにこいつが鬼械神を破壊された日から。
卓也が死んだと思った時から、私の心には寒々とした隙間が存在していた。
ぽっかりと穴が開いたみたいな喪失感。

もっと私が強ければ。
卓也と美鳥に必死で隙を作らせるまでもない程、自由にデモンベインを操れていたら。
庇われながら戦うんじゃなくて、一緒に肩を並べられるくらいに強ければ。

私は弱い。
卓也を失って、自分を磨くでもなく、腐って、アルまで失って。
ウエストにまで力を貸してもらって、それでも最後には卓也と美鳥に助けてもらって。
戦う力は戻ってきた。
でも、それは前までと同じように戦えるだけで。
なんにも強くなっていない。
弱いままで、また庇われそうになって、意地を張っても、その意地を張り通すだけの力がない私は。

「そんな、そんなの」

きっとまた、見殺しにしてしまう。
また失ってしまう。
今度こそ、決定的に。

「そんなの、やだよぉ……!」

戦わせて欲しい。
一緒に肩を並べて、何処かに行ってしまわない様に。
庇わせて欲しい。
私を置いて、消えてしまわない様に。

「先輩……」

柔らかく、抱きしめられる。
違う、そうじゃない、今は、そんな風に扱われたくないのに。

「優しく……すんなぁ……!」

「優しくなんてしていませんよ。きっと、今の先輩を見たら、誰だってこうします。俺だってそうします」

腕で包むように抱きしめられながら、背中を平手でぽんぽんと叩かれる。
子供をあやすようなその刺激に安らぐ自分が恨めしい。

「まずは、ごめんなさい。確かに、ちょっと先輩の事、過保護にし過ぎていたかもしれません」

卓也の言葉に、声を出さずに小さく頷く。
私が黙って居ると、卓也は抱きしめていた腕を緩め、私の肩を掴んで距離を空ける。
再びかち合う視線と視線。
涙に滲んだ私の目とは違い、卓也の目に浮かぶ感情は真剣そのもの。

「ですが、何もそれは先輩が弱いから、という訳ではありません。いえ、弱いのは確かですが……」

「どっちだよ、もう……」

視線を明後日の方向に向けながら言葉を探す卓也に、私は目元を指で拭いながら苦笑する。
この冗談の様なやり取りすら懐かしい。
力が入らない身体はそのままに、頭の中だけをきっちりと切り替える。
抱きしめられて落ち着いて、卓也が新しい話を切り出そうとしている事に気がついたから。
私に聴かせる為に、卓也は言葉を探している。
私にしかできない役目、それを伝えるために。

「まず大前提として、俺達はデモンベインを失うわけにはいきません。あれはこれからの局面で絶対に必要になる力です。だから先輩はデモンベインの近くで、いざという時に備えておいてください」

「……こう言ってはなんだが、あの鬼械神はそれほどまでに重要な物なのか? 戦力という意味で言えば、貴様らの鬼械神の方が、その、なんだ」

結論を言いよどむアル。
心情的には頷きたくはないけど、言いたいことは解る。
デモンベインは確かに本物の鬼械神を撃破できるだけの力を持つけど、あまりにも力のバランスが悪い。
呼び直せば完全に修復される鬼械神と違い、戦う度に修理点検が必要になるし、平均的な出力も鬼械神と比較して高いとは言えない有様。
純粋な戦力として考えれば、明らかに二人が呼び出すアイオーンの方が安定している。

だがそんなアルの疑問に、卓也と美鳥は揃って首を横に振った。
ここまでのやり取りを静観していた美鳥が口を開く。

「違う。戦力としてどうこうなんてレベルの話じゃねぇ。重要なのは『デモンベインという力』なんだよ」

何時にない真剣な美鳥の台詞を卓也が引き継ぐ。

「そしてその力は、俺達では扱う事ができません。俺達は既に一端の魔術師で、鬼械神を所持していますからね。ある意味、先輩がアル・アジフと、そしてデモンベインと出会ったのも、一種の運命なのかもしれません」

「……訳がわからない。それはセラエノ図書館で得た知識か?」

私の意思を代弁してくれたアルの言葉に、卓也と美鳥が頷く。

「実のところを言えば、このデモンベインの直ぐ側、最終防衛ラインが一番重要で、危険な位置になります。もちろん俺も美鳥も、敵をここまで通すつもりはありませんが……体調も万全ではない先輩の身を思えば、ハリネズミの如く武装して欲しくもあります」

苦虫を噛み潰した様な顔の卓也。

「……ばーか」

私は拳を握り、そんな卓也の胸板を軽く小突く。
いつか、卓也と美鳥が『ドヤ顔』と表現していた、私のトビっきりの決め顔でウインクを飛ばしながら。

「前にはお前らが居て、アルも傍に居るんだ。これ以上の武装なんて、ただの重しにしかならねえだろ。……偶には、先輩の事を信頼しろよな」

私の隣に立ち、鷹揚に頷いてみせるアル。

「仮にもこやつは我が主、最強の魔導書たる妾の契約者、マスター・オブ・ネクロノミコンだ。大船に乗ったつもりでいるがよい」

自信満々に答えてみせる私とアルに、表情を緩めた卓也が、唇の端を軽く吊り上げた美鳥が拳を突き出す。
身体を支えていた手が外れてよろけそうになった私の身体を、アルのページが包み込み、マギウススタイルへと変貌させる。
傍らのちびアルが浮かべる不敵な笑みも頼もしく。
脚に力を入れ、身体を伸ばし、二人を習って拳を突き出し、

「信用してますよ、先輩」

三つの拳を、かち合わせた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

まぁ、頷きが必ずしも肯定を表す訳でもないし、信用は信用でも大十字に掛けられたニャルさん補正を信用してるだけだし、デモンベインもブラックロッジとの戦闘じゃなくて無限螺旋にとって必要不可欠な力ってことなんだけど。
実際デモンベイン失うのは結構リアルにやばい気がするから、割りと真に迫った演技だったと思う。
言葉のあやってやつばっかりでごめんね!

「お兄さん、いくら監視カメラに偽映像流してるからって、走りながら和尚のポーズはちょっと……」

「うむすまん。あまりにもさっきのやり取りがアレだったからな。どこかで中和せにゃならんと愚考したわけだ」

我ながら、真顔で『バーカバーカ!』のポーズを決めつつ足首から下だけ動かして疾走する姿は都市伝説級にキモいとは思うのだが、それも致し方あるまい。
こう、ボケの一つも挟まなければ、さっきのキモキモ優男アクションの余韻が抜けなくて真面目に動けそうもない。
少しばかり脳内分泌物の加減を間違えたお陰で、大十字が不必要に情緒不安定になったのも敗因か。
光学ポも実験段階である事には違いないからね、仕方ないね。
多少情緒不安定な方が操り易いから、これはこれで成功と言ってもいいのだが。

「はぁ……まあ、気持ちはわからないでもないけど」

《ここからは割りとしっかり仕込まないとマズイっしょ?》

ため息混じりの台詞に、重要な部分を脳内の通信で繋げる美鳥。
万が一の事を考え、美鳥への返答も通信に切り替える。
通路を人間の魔術師相応の速度で走りながら、確認の意味もある簡単な作戦会議。

《俺がティトゥスを、お前がかぜぽを殺す。たぶんティトゥスは脳味噌穿った後は修復不可能なレベルで分解すると思うから、大十字に差し向けるのはそっちの死体。OK?》

予め決めていた事だから言葉にしないが、俺も美鳥も、大十字の下にアンチクロスを生きたまま通すつもりはさらさら無い。
一度殺し、脳味噌を弄って記憶を書き換えてからペイルホースで蘇生させるのが一番理想的な加工法だが、生身のアンチクロスの脳味噌を上手いこと加工できるかがネックになる。
失敗したら妖蛆の秘密で動く死体にすればいいだけの話なのだが、最初からアンチクロスが動く死体になっているのは不自然なので、なるべくなら避けたいところだ。

《一応生きてる感じで加工しないと駄目なんだよね。外傷とかは?》

《そうだな……デモンベインのコックピットに辿りつかれたらヤバイけど、真っ向勝負なら大十字でもどうにかなるレベルでダメージ加工しとけばいいんじゃないか?》

《そこで追いつめられて機神招喚、なし崩しで巨大戦になれば不自然さも悟られない、ってわけやね。ティベリウスは?》

《マップとティベリウスの現在地を確認してみ》

警備兵を殺した後の分岐で三手に別れたアンチクロス三人の位置情報はこちらに筒抜け。
ティトゥスとかぜぽは警備兵を殺しながらもそれなりの速度で進んでいるが、ティベリウスは途中で見つけた一般人の避難所に立ち入り、そこで立ち往生している。
少し時間が経過するごとに避難所の生命反応が消えて行くのがミソ。
若い男を見る度に犯して嬲って殺して、綺麗な女を見れば犯して殺してばらして予備パーツを収集、なんてやってれば、それは時間も食うだろう。

《餌を見かけりゃ片っ端。ティベリウスが必ず餌に引っかかると仮定して、デモンベインの格納庫までに足止めになりそうな場所は3箇所。極めつけはジョージとコリン、そしてアリスンの居る避難所だ》

《釣り人歓喜の習性だよね。完全放置、とまではいかないでも、最後にちょっと手を出す程度で十分?》

《そういうこと》

目の前には枝分かれした通路が現れ、立ち止まる。
霊視で見れば、綺麗に二手に別れた通路の先からは、殺された警備兵の魂魄の欠片が漂ってきている。
片方から溢れてくるのは、まるで獣に食い荒らされたかのように、牙や爪で引き裂かれた魂。
もう片方からは、斬られて死んだ事すら自覚せず、まるで生きている様な振る舞いをしている、切断面のなめらかな魂。
位置情報は最初からわかっているが、これほど解りやすい目印もない。

「それじゃぼちぼち、行ってみますか」

「淑やかに、なんて無茶は言わないけど、派手にやりすぎるなよ」

ぐい、と屈伸して気合を入れる美鳥を窘めつつ、俺はティトゥスの待つ通路へと歩き出した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

一度の銃声は数秒と続くこと無く止み、その後に訪れる静寂は死の顕れである。
音もなく、空間に銀の軌跡のみを残し走る斬撃が速やかに騒音の元を断ち切り、場を整える。
血染めの和装を纏う侍は、その場を一切動くことも無い。
しかし、警備の兵が現れる度に腰に帯びた刀を引き抜き、警備兵の銃が放つ弾丸を、銃を、警備兵そのものを切り落とす。
抜刀術と呼ばれる技術ですらない。
ただ無造作に引き抜き振り払い、再び鞘に納めるまでの一連の行動。
もはや無意識の内に行われるその動作は、飛ぶ羽虫を払う手とさして変わらぬ意味しか持ち得ない。
和装の侍────ティトゥスの目に、有象無象の雑兵は敵としてすら映らず、思考が彼らに割かれる事もない。
ましてや、あの程度の雑兵相手に、敵を殺す武器を振るう、などと。

(否──)

無心のティトゥスの胸中に、ふと思い浮かぶ。
そもそもこれまでの人生で、自分は敵を斬れた試しがない。
感情の赴くままに斬った事が無いとも言わない。
だが、それは自らの敵を斬るという意思の下に行われた殺人ではなく、言わば『八つ当たり』も同然の無様な殺しであった。
自らの腕を磨く為に優れた武人と武を競い、その果てに殺した事も数多い。
だが、それも優れた武を内に取り込む為に行った事でしか無い。
ティトゥスに取って、優れた武人とは即ち糧であった。
殺し合いの中で相手の武の優れた技術を取り込み、生家で身につけた術理はその面影を剣筋に僅かに残すのみ。
また、武人を殺した時は、文字通りの意味で喰らいもした。
魔術的な意味も強い。屍食教典儀はそういった儀式について記載された魔導書であり、自らを高める為には重要な要素でもあった。

本来であれば守るべき対象であった無辜の民を虫を潰すかの如く殺し、誉れ高く尊敬に値する人物も多い優れた武人を殺し、死肉を喰らい、ついには人の形すら失い、
しかしティトゥスは、自分が真に斬るべき、否、斬らねばならぬ相手を斬れていない。

「む……」

唐突に、ティトゥスの周囲を流れる空気が変質する。
自らの侵攻を止めるために、死をも恐れず突撃を繰り返してきた警備兵。
そんな彼らの気配が一瞬で消滅し、空間は世界から切り離されたかのような無音。
基地を巡る様々な機関が発していた低い雑音すら失せている。

こつり、こつりと、硬質な足音を立てて近づいてくる気配。
それは姿を隠す事も、脚を早める事すらせずに、ゆっくりと、正面からティトゥスの前に姿を表した。
戦場の空気に合わせるつもりのない、何処にでも居そうな雰囲気の男。
この場に現れるのは余りにも不自然であり、同時に、これ以上ないほどこの場に相応しい。

「少々お待たせしてしまったようですね、申し訳ありません」

慇懃な態度で、表面上だけでなく、心からそう思っているであろう申し訳なさそうな表情で頭を下げる。
角度の深い御辞儀。
首筋がさらけ出されている。

「────疾ッ」

迷いなく、明確な殺意を込めて、凶器たる刀を抜刀。
居合の技を用いて、目の前に現れた存在に斬りかかる。
必殺の間合い。
だが、通らない。
男が何時の間にか逆手に構えていた刀に受け流された。
出会い頭の一撃を防がれ、ティトゥスは素早く後ろに飛び退り距離を空け、鶺鴒の型を取る。
正眼に構えた刀越しに、じっと男を観察する。
手指一本、毛筋一本の動きすら見逃すまいと。

異常なまでの警戒。
羽虫を払うが如く兵を切り刻む姿からは、獲物を狩る肉食獣の如く武人を屠ってきたその来歴からは信じられないティトゥスの動き。

ティトゥスの目の前に現れた男の名を、鳴無卓也と言う。
魔術結社ブラックロッジの構成員の一人で、直接的な部下ではないが、場合によってはティトゥスの指揮下に入ることもあり得る男だ。
部下に唐突に刃を向け、異常な警戒を見せる。

何も不自然なところはない。
ブラックロッジの体制が変わった事とは関係なく、これは当たり前の状況なのだ。
ティトゥスが卓也と相対したのなら。
鳴無卓也は、ティトゥスが生まれてから死ぬまでの間に持てる、唯一の『敵』であるのだから。

「今日は最初から、一刀なのですね。やはり、ティトゥス様にはそちらの方がお似合いかと」

手に刀を持ち、しかし、先のティトゥスの一撃など無かったかのように、あくまでも部下として振る舞う卓也。

「っ、はぁっ!」

卓也の言葉に答えるでもなく放たれる、正眼からの鋭い一撃。
兜割りの一撃を順手に持ち替えた刀で受けてやり過ごす卓也に、息を吐く間も無く切り上げ、横薙ぎと繋げていく。
絶えることのない刃の嵐。
初撃の如く受け流すでもなく、単純に刃で受け止めるだけの卓也の刀は欠け、歪み、瞬く間に刃を潰してしまう。
卓也の表情も精彩を欠いている。
しかし、それは自らの劣勢を感じ取って、といったものではない。
何故かその表情には対敵を、ティトゥスを気遣う感情が含まれていた。

「ティトゥス様、何処か、お身体の具合でも悪いのですか? その様な太刀筋で、せっかくの自慢の霊剣にも力が足りていないご様子ですが……」

言葉と共に、もはや鉄の棒切れと変わらぬ鈍らと化した刀で、卓也がティトゥスに斬り掛かる。
表情と口調は完全にティトゥスを気遣うものでありながら、その身体の動きは完全にティトゥスを殺すために刀を振るう。
酷く非人間的な動き。
単純ながら、人間的な外見を完全に維持しているが故に感じるグロテスクさに、一瞬だけティトゥスの構える刀──霊剣から力が漏れ出す。
瘴気にしか見えぬほどに禍々しく歪んだ、しかし、悪意を払う霊力が。
一瞬だけ放たれた霊力は光線の如く迸り、卓也の衣服の裾を割いた。

「おお……!」

その威力に、打合いを止め飛び退き、歓喜の声を洩らす卓也。
その喜びの感情に呼応するように、卓也の手元から悍ましい気配が溢れる。
怨嗟、憎悪、無念、嫉妬、慟哭、憤怒。
噴出し荒れ狂うは思念の嵐。
個としての形を失い、ただ感情だけが汚泥の如く混ざり合う怨霊の群れ。
ただ、目を凝らして見れば、神氣の如き清廉さを感じる事ができる。
怨霊の感情はそのままに、人間という属性を失い続け純粋な力の塊に近づくことで神威の域へと到達しようとしているのだ。

「……酷(むご)い真似を」

これまで会話のための言葉を口にしなかったティトゥスが思わず呟く。
ティトゥスの魔導書には詳しい記述が無い為にはっきりとは理解できないが、あの怨霊はまともではない。
同僚であるティベリウスも似たような術を使うが、あれは文字通りの意味でケタが違う。
一つ所に無理矢理に多量の怨霊を押し込む事で、押し込まれた怨霊がその個性を削られていく。
ただ、それが成り立つまでには、いったい何人の命を犠牲にする必要があるのだろうか。
千や万で届くものではない。
何億、何十億を殺し尽くさねば到達できぬ領域だろう。

「ティトゥス様の霊剣と打ち合わせる為に、急遽用意したものです。如何ですか? この怨霊兵器は」

その作成に掛けた犠牲を省みて、何一つ恥じるところはないと確信している朗らかな笑顔。
砕けかけていた卓也の手の中の刀が腐れ落ち、溶けるよりも先に神威と化した怨霊の影響で塩の柱と化し、それを芯にして、質量を持つ霊団が刀身を形成する。
一際強く怨念が吹き荒び、その余波でティトゥスの笠が弾け、和装を穢していた怨念と黒ずんだ血痕を、更なる怨念で消滅させる。
後に残るのは素顔のティトゥス。
手入れをされたことのなさそうな、くすんだ藍色に近いざんばらな黒髪。
擦り切れる寸前の、色あせた桃色の襦袢と赤い袴、紫色の帯。
強い意志を秘め、本来であればまっすぐな輝きを湛えていた筈の瞳は、只々憎悪を溢れさせながら対敵を睨みつける。

「巫女百人の魂を束ねて霊剣を作る、という話を参考にしてみたのですが、思いつきで作った割には──」

視線の先、もはやそれが素の表情なのではないかという程に笑顔を浮かべ続けていた卓也の姿が霞み、開いた距離が詰められた。
が、ぎ、と鈍い金属音を立て、互いを喰い合う刃と刃。
触れる全てを呪い犯すかの様な怨霊刀の刃は、穢を貯めこみ霊剣としての力を減衰させている筈のティトゥスの霊剣と鍔迫り合うのみ。

「──面白い武器になったと思いませんか?」

顔と顔が触れる程の近距離。
噛み合う刃は、どちらがどちらか判らなくなる程に似た輝きを放っている。
不浄の霊剣と、清浄の魔剣。
同じく純粋でない濁りの属性を持つが故に、打ち消し合うこともなく、ただ刃金と刃金の塊として噛み合う。
押し合いが、どちらともなく力のベクトルを逸らし、互いの刃を欠けさせる事もなく弾き合う事で終わる。

反作用で僅かに距離が空き、しかし、互いの間合いからは外れない。
僅かな体捌きで持って相手の斬線から逃れながら、刃を鳴らし、火花を、霊気を散らしながら一合、二合、三合四合。
決して、超人的な速度で斬り合っている訳でもない。
しかし、観るものが観れば解るだろう。
その剣閃満ちる空間には、濃密な『死』の道筋が無数に生まれ、自らに飲み込まれるように消えていく。
速度の問題ではない、美を殺ぎ落とし、刀剣で合理的に人を斬り殺す為の高度な術理によって生み出された一種の結界。
刃を交える二人のみが作り、維持する事ができるある種の芸術。

「……うぅむ」

それを、剣戟結界を作り出している片割れ──卓也が、やる気のない呼気と共にあっさりと破壊する。
何の前触れもなく、刀身として実体化していた無数の怨霊の一部が解放されたのだ。
成仏させられるのではなく、霊体を維持できぬほどの微細な断片に破砕、圧縮を解かれ────

「く、」

怨念混じりの霊気の暴風と化す。
ティトゥスは悔し気な呻きを漏らしながらも、暴風に乗り距離を空ける。
再び両者の間に空いたのは、如何に魔術の外道に落ちた剣士といえど、一足では詰め切れない程の間隙。
開いた空間の先で、卓也がティトゥスに対し、困ったような、残念がっているような顔を向ける。

「まだ、解放しないのですか?」

「……」

構えを解く事無く、無言を返す。
ブラックロッジでのティトゥスは、口数が多い方ではないが、決して無口という訳ではない。
相手を挑発することもあれば、時に軽口を叩く事もある。
短文でしか喋れないなどという事もなく、喋るべき場面になれば、必要な言葉は全て口にする。
そんなティトゥスが、卓也の言葉には一切の反応を返すことがない。
それは即ち、この卓也の疑問に言葉を返す必要性を感じていない、という事。
ただ、目の前の『敵』を斬る。
ティトゥスの、長い年月を経てティトゥスと成り果てた■■■■■■の敵を、殺害する。
折れぬ曲がらぬそれだけが、ティトゥスの中の唯一の定め。

「そうですねぇ」

卓也の手の中で、怨霊刀がその輪郭を崩す。
実体化を解かれ質量を喪失した怨霊の群れは、暴風となることも解放され成仏することもなく、顕れた時の映像を逆再生したかのように、卓也の掌の中へと吸い込まれていく。
残されるのは、完全な無手の卓也ただ一人。
魔導書を手にしている気配も無いが、元よりアンチクロスと並ぶ程の魔術師である、目に見える場所に魔導書を持つとは思えない。
卓也の出方を窺い、油断なく構えるティトゥスの視線の先、

「やっぱり、俺の相手にするのでしたら」

軽く肘を曲げた腕、上に向けられた掌から、

「こちらのほうが、気分が出ますか?」

ずる、
ぎゅる、
と、
悪意的なデフォルメの成された、
触手が、
溢れ出した。

「──────」

卓也の手から溢れ出した、粘液に塗れ、肉の柔らかさを感じられる質感の触手。
とてもではないが凶器として成立し得ないそれらを目にした瞬間、
ティトゥスの背筋が泡立ち、ぶわ、と、全身から不快な液体が溢れ出した。
手に構えた霊剣は辛うじて震えること無く卓也にその鋒を向けているが、先ほどまでの油断の無い戦士の放つ剣気は欠片も感じられないだろう。
血の気が引き、蒼白な表情で唇を噛むティトゥス。
だが、その表情には徐々に、恐怖と共に血液の紅みと熱が広がり始める。
ぶち、と、噛み締められた唇の皮膚を、ティトゥスの歯が噛み千切った。

「ではティトゥス様、否──■■■■■■さん」

生気が失せ、しかし紅潮を始めるティトゥスの表情を眺め、卓也の笑みが深くなる。

「『お久しぶり』です。再会記念に、そうですね、いつもの様に、何か芸の一つでも披露して頂きましょうか。もしもそれが面白ければ────」

唇の両端が裂けんばかりに釣り上がり、記号的な優しさが抜け、本心からの、

「ご褒美に、お薬一本、差し上げますよ?」

嘲りの感情が、浮かんでいた。

「あ、」

噛み締められていた口が、開かれる。

「うあ、あ、ああああああああああああああああああああああっっっっっ!!!」

意味を成さない、喉を潰さんばかりの絶叫。
恐怖に押され、ティトゥスは高々と霊剣を振り上げる。
ティトゥスとして人斬りを続ける上で培われた術理は失われ、ただ身体に染み付いた嘗ての動きが一つの奥義を紡ぎ出す。
大上段から振り下ろされる霊剣。
単純な斬撃と共に解放されるのは、これまで圧縮に圧縮を重ねられ、暴発寸前だった膨大な霊力。

北辰一刀流奥義『破邪剣征・桜花放神』

これぞ、外道に落ちてなお、変わらずティトゥスの奥義として在り続けた退魔の秘剣。
霊剣の鋒から放たれた、極限まで圧縮された霊力が卓也を飲み込み──

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

本人すら殆ど思い起こすことは無いが、少女はとても恵まれた人間であった。
富豪の娘という訳でもないが、道場を構え、軍に務める父が大黒柱としてあった生家は、穏やかに生きていくには何の不自由も無い。
剣術の才こそあったが、必ずしもそれを活かさなければ生きていけない、という程困窮している訳でもなく、
祖母が、母が、父が、厳しくも暖かく少女の成長を見守る。
嘗ての時代、とおいとおい昔、少女の周りには必要な何もかもがあり、目の前には無限の未来が待ち受けていた。

満ち足りた世界、満ち足りた時間。
しかし、過不足ない世界に生きる少女は、ただひとつだけ、人には語れぬ秘密を抱えていた。

既視感。

新しい知識を得る度に、新しい体験をする寸前に、少女が既視感を感じる頻度は増えていく。

『この話は読んだことがある』
『この技は何度も練習した』
『この道の先にはあの店がある』

新しく習った筈の知識、技術を、まるで忘れていた知識を思い出す様に習得していく姿を見て、少女の家族は褒め讃えた。
少女が天に与えられた才を、我が事のように喜ぶ父母。
そんな親の姿を見て、悩みを打ち明けられる子が居るだろうか。
だからこそ、少女はその悩みを一度足りとも両親に打ち明けることは無かった。

知らない物語を読み進める喜びも。
新しい技術を習得する達成感も無く。
何が起こっても『ああ、そういえばそうなるんだった』と思いだし、納得してしまう。
だからだろうか。
少女は、自らの父親の死に際しても、強い悲しみを覚えることは無かった。
父親の死は『起きていた』もので、既に乗り越えた後のものだから。

降魔や悪魔、外道衆との戦いが原因で死んだ父の葬儀を、少女はまるで、何年も前に死んだ人間の墓参りの様な感覚で終え、数日もしない内に、元の生活に戻った。
祖母や母や使用人は、そんな少女の態度を強がりと受け取っていたが、そうではない。
少女は『覚悟』を決めていた。
頭脳や肉体ではない、精神、魂とでも呼ぶべき部分が、既に覚悟を終えてしまっていたのだ。

あらゆる始めてを知らず、しかし、少女は幸福だった。
尊敬する父が死ぬという『絶望』を、既視という『覚悟』が吹き飛ばす。
既視感から来る『覚悟』が、少女に『幸福』を齎していた。
父を失ってなお、少女の世界は満ち足りていた。
味気のないスープで空腹を満たす様な、刺激の無い、しかし変わらず暖かく満ち足りて、幸福な世界。



──そんな彼女の世界が、ゆっくりと罅割れ始める。

ある日、剣の稽古を終えた少女は、一匹の奇妙な生き物を目撃する。
白猫にも似た奇妙な生き物。
赤や、少女の名と同じ色のグラデーションがかかった異様に長い耳に、金色の輪。
紅玉の様な無機質な瞳。
見たことも聞いたこともない生き物。
少女にとって、始めての経験。

目を合わせるなり逃げていくその奇妙な動物を、少女は慌てて追いかけた。
考えての行動ではない、反射的な動き。
未知の存在を目にした時、自分がどういう反応をするか。
それすらも少女にとっては知らない事であり、生じた衝動に抗う術もまた、少女の知る所では無かった。

その奇妙な動物を追いかけ続け、見失った時、少女は見覚えのある場所に佇んでいた。
滅多に開けられることのない、打ち捨てられる寸前の様な雰囲気の、蔵。
そして、そこに収められた父の遺品に紛れるようにして隠されていた、一冊の本。
仏蘭西語で記されたその古い書物もまた、少女にとっては未知のものであった。
未知の獣を追う内に手に入れた、未知の書物。
それを少女が持ちだしたのは、もはや必然と言っても過言では無いだろう。



書物を隠し持ち始めてから、日常生活の中で既視感に襲われる回数が激減し、少女の世界は鮮やかさを取り戻し始めた。
何をするでもなく、流されるままに生き、流されるままに婿を迎え入れ、子を産み、育て、死ぬ。
そんな生活への忌避感か、それとも、この頃に始めて父の護国の思いに共感したのか。
少女はその才覚を生かし、帝都へと上がる事を決意する。
父と同じく、先祖から引き継いだ破邪の力。
それは少女を、政府直属の退魔機関へと所属することで、存分に発揮できるだろうと踏んでいた。

スタアとして舞台に立ち、戦士として力を活かし、帝都を守るために霊子甲冑に乗り込み、
────奇妙な、とても奇妙な夢を見始める。

今と同じ場所、今と同じ時間、全く異なる自分。
霊子甲冑を砕かれ、囚われの身と成り、脳がふやける程の薬に浸け込まれ、身体を、心を、精神を、魂を、侵され、冒され、犯される夢。
梁型の如く身体を犯す蟲をくわえ込んだまま、華やかな舞台に立つ夢。
脳に届く思念に従い、蟲に、機械に犯されながら笑顔を振りまき、憧れの男性を誘惑し、同僚の女性を押し倒す夢。
届く思念は、ただ受け取るだけでも無常の快感と化し、少女の脳を蕩けさせた。
故に、その声の示すがままに、一人ずつ、一人ずつ、仲間の背を刺し、殺していった。
仲間に刃を突き立てる度、喉を潰して声を上げさせるのを防ぐ度、改造された身体で、刃を突き立てたままの仲間を犯し壊す度、与えられる。
恋仲となった男の男性自身をその手足ごと切り落とし、男の目の前で、身体の穴を全て使い観客の男性全ての相手をして、与えられた快感は、少女の精神をついに崩壊する。
そんな夢を見る。
毎夜毎夜、毎夜毎夜毎夜、繰り返し繰り返し、同じ夢だけを見続ける。

夜だけでなく、起きている時分にも、同じ場所、同じ場面に差し掛かる度に、快楽に溺れる自分の記憶が脳裏を過る。
快楽の溺れる自分の感じていた感覚が、身体を襲う。
同じようでいて違う光景が、重ね合わせの世界が、少女の心を蝕んでいく。

少女は、表面上は取り繕いながら、しかし確実に追い詰められていた。
だから、逃げた。知らない何かへ。
本当に何一つ知らない、重ねることのない知識しかない、仏蘭西語で記された書物の解読にのめり込む。
得られる外道の知識。
代償に失われていく少女の正気。

夢と現実の間は揺らぎ、明確な境界線を失う。
極限まで磨耗した精神は一種のトランス状態を作り出し、片手間に魔導書の解読をしていただけの少女に、舞台の何もかもを台無しにする鬼械神(デウス・エクス・マキナ)を召喚させる。
帝都の中心に顕れた機械の神。
迎撃に訪れる嘗ての少女の仲間達。
夢を振り払うように、夢を思い起こさせる光景を──

―――――――――――――――――――

「なげぇ」

霊剣の鋒をこちらに向けたまま俺の触手を耳から受け入れて痙攣しているティトゥスの脳味噌に電気パルスを流す。
強制回想に入ったTSティトゥスの脳のクロック数を引き上げ早送り。
映像付きのモノローグ程度の精度だった記憶の再生を荒くし、必要な部分だけを拾い上げる。
ここからは追手を振り払いながら逃避行、日本から脱出することで一時的に難を逃れる。
この時点で既視感を感じることは無くなったが、この時点で正常な精神状態じゃないから、魔導書を捨てる、魔導の知識を研究しない、という考えは無くなっていたらしい。
各地を転々と放浪するティトゥスに、ブラックロッジへの仲介を行なっているのは勿論ニャルさん。
DNA情報から察するに、本物のティトゥスは過去を改竄され、ティトゥスの先祖をTSティトゥスの家系の中に組み込む事でTSティトゥスと一本化されてしまったらしい。
やはりこのTS周、ニャルさんの手引きによる歴史改竄で造られた神意的TS周だったか。

「だからどうしたって話だけど」

ティトゥスの無意味な脳内モノローグと、そこから導き出される答えに思わず呟く。
とんだ食わせ物だった。
有名スタアがブラックロッジのアンチクロス、ティトゥスの位置に収まっているから、北辰一刀流と融合した素敵な必殺技や応用技術の一つや二つは持っていると思ったのに。
出てきたのは破れかぶれの奥義モドキのみ。
それにしたって、防御結界を使うまでもなく、俺の皮膚どころか衣服にすら傷を付けずに霧散するレベルのもの。
アンチクロスの中で最も格下な人とか下から三番目くらいの人とかになら通用するだろうが……。

「いいや」

ティトゥスの脳に挿し込んでいた触手を引き抜き、未だトリップ状態のティトゥスの首を撥ね、素早く触手で掴み上げる。
口を大きく広げ、切り落としたティトゥスの頭部に歯を突き立て、齧る。
食用に養殖された豚や牛に比べて少々味気ないが、脳細胞の舌触りは悪くないし、皮膚に染み込んだ塩気や過剰分泌された脳内麻薬も手伝って、ごま油味の料理しか出さない隣町の軽食屋の料理よりは食える。
あえて文句をつけるとしたら、脳味噌と口舌越しに取り込む事で手に入る知識があまりにも代わり映えしないことか。
次いで、首なし死体に触手を突き立て、まだ内部に収まっていた魂の欠片を取り込む。
おまけに、剣戟で付いた風の傷も付けてしまおう。
なんだかんだで短期決戦だったし、長引いた理由って事で。

「よいしょ」

ダメージ加工が終わった所で、取り込んだ魂の波形を模倣し、脳細胞と手に入れた記憶と知識を元に空間に穴を開けて手を挿し込み、探る。
魂の波形を真似したのが功を奏したのか、肘まで入れるよりも早く魔導書に手が届いた。
指先が触れた瞬間に侵食し、これも取り込む。
取り込んだ屍食教典儀の内容を確認。

「また、シュブ=ニグラスの召喚と退散が載ってる……」

これで何冊目だ? 秘密図書館の雑多な魔導書を含めれば二桁には確実に届いている筈。
何度召喚しようとしてもシュブさんを呼び出してちょっとしたToLOVEるを起こしてしまう俺への嫌味か何かだろうか。
むしろこの術式でシュブさんと連絡を取れとでも言うのだろうか。

そんな馬鹿な。もうシュブさんとはメアドもTEL番も交換済み、態々儀式の形で呼び出す必要はない。
あ、でもそういえば、シュブさんの携帯って俺のとは会社違うな。
別会社だと割引とか無料とかのサービス受けれないのは問題あるか。
メールで、グレート・オールド・ワンセグが実家の自室だと入らないとか(><)こんな感じの顔文字付きで来た時は和んだけど、今シュブさん仕事休んでる訳だし、通信料が心配だ。
電話なら、シュブさんにワン切りしてもらって俺からかけ直すってのも有りなんだが、それも手間が掛かって面倒くさい。
ここは、予算の都合を付けやすい俺が同じ会社の携帯を新しく契約するべきか。
未だ携帯電話が発明されていない地球上に契約できる店があるかどうかが問題だし、他社の機種には詳しくないんだが、そこはシュブさんの休日に合わせて手伝ってもらう事で解決だ。
これを機会に話題のイアフォンを使ってみるのも悪くないかもしれない。
どうせ作品世界でしか使えないんだし、ちょっと高級な機種を選んでみたりして。
休みの日に時間を割いてもらう為、事前にバイトで頑張ったり差し入れを入れたりするのも忘れてはならない重要な要素と言える。
勿論、召喚失敗で直接呼び出すなどという無作法な選択肢は出て来よう筈もない。
召喚するなら召喚するで、事前に電話を一本入れてシュブさんにも用意してもらうべきだろう。
……いいんだ、もう無限螺旋終了までにシュブ=ニグラスの召喚を成功させるのは諦めてるし、あれは万が一の時のためのシュブさん非常招集用術式だと思うから。

いや、シュブ=ニグラスの召喚改めシュブさん呼び出し用術式の話はいいんだけど、他の記述もイマイチそそらない。
バイアクヘーの召喚も持ってるし、ヴールの印は秘密図書館で読んだ魔導書に載っていた。
重複の内容が多い。被ってない部分にしても、グールとの接とか、どう応用しろと。
ループ初期に手に入れていればもう少し印象も良かったんだろうけど、そんな仮定は実益の前には屁の突っ張りにもならない。
別にこの魔導書を手に入れるために戦った訳ではないけれども、なんともうっへりな収穫だ。
でもまぁ、もともとこの周は純粋に息抜きすることが目的でもあったし、多くを求める必要はないか。
レクリエーションとして考えれば、良くもなければ悪くもない程度の出来だったし。

それに、ティトゥスの回想から一つの仮設を立てる事ができた。
この世界における既視感──RS(リーディング・シュタイナー)の発生条件だ。
ここに世界線変動率の様なものが存在するとして、変動率が大きければ大きいほどRSが発動する確立が低くなる。
勿論元ネタでそういった設定が存在する訳ではないが、この世界はなんでもありで、なおかつ千歳さんの独自設定ありありの世界なのだ。
だが、この周では仮説を裏付けられそうな事態が発生している。
TSティトゥスがそれまでの人生で感じ続けていた既視感を、屍食教典儀を持つようになった時点から殆ど感じなくなった。
これはつまり、TSティトゥスがティトゥスと先祖レベルで融合させられた少女の元の人生から大きく外れた行動を取ったのが原因で発生しなくなったのだろう。
機神招喚が可能なほどの書を手に入れた時点で世界線(暫定)は大きく変動しているものと考えていい。

更に、助手があだ名を呼ばれることでRSを発動させたのと同じように、画伯が想い人との長時間の接触でRSを発動させたように、異なる世界線と共通する要素に触れるのを起点にRSが発動するとしよう。
こっちの説は元ネタの方でも語られているものであり、千歳さんが無限螺旋SSを作ろうとネタを集めている内に仕込んだ可能性は非常に高い。
重要なのはここからだ。何故世界そのものが書き換わった訳でもないのに、ティトゥスのRSの発動頻度が減ったのか。
TSティトゥスが、一体何者なのか全然わからないただの何の変哲もない可愛らしい白猫のような謎生物(愛称QB)と接する前と後では、周りの要素が同じでも本人の心構えにも違いが出る。
いくら一番に興味がある対象とはいえ、父親の遺品に紛れていた物品を誰にも言わずに持ち出し携帯している。
何故遺品が一つ無くなっているのに誰も何も言わないんだろう、もしかしてバレてるんじゃないか、不安、疑心暗鬼から、人に対して懐く印象も常のものとは大分違うものになる。
既視感を感じるわけがない。少なくとも、ここまでの周回で同じく魔導書を隠し持っていた事がないのなら、同じ状況を体験したことはない筈だ。

隠し事一つだけで、というのは無理があると思うだろうか、しかし、そうではない。
元ネタにしても、単純に助手が厨二と接触するのが起点になるのであれば、もう少し早いタイミングで何かしらRSが起きてもおかしくはなかった筈だ。
が、実際にそれが起こったのは、後日再会し、狂気のムァッドサイエンティスト(発音大事)があだ名を言ったその瞬間。
これはRSの発動起点が助手の精神的な状態、つまり、相手に対して好意やそれに類する感情を持っているか否か、という部分が起点になっていると考えれば合点が行く。
元ネタでも記憶が世界線間の情報伝達媒体と言っているし、少なくとも記憶の持ち主の精神状態が大きく関係しているのは確かだ。
いや、もしかしたら全てのタイミングでRSが起こっているが、それが自分の抱く感情とはあまりにもかけ離れているがゆえに、既視感であると認識できないとも考えられる。

RSが発動するような状態では無くなったのに、何故かピンポイントで俺が関わった周の記憶を呼び出してしまったのかは、まず間違いなくニャルさんの差し金だろう。
TSティトゥスは幼少時、少なくともQBを目撃し、追いかけていった先で屍食教典儀を手に入れるまで頻繁にRSを発動させていた。
これはTSティトゥスが普段の周で、殆ど同じ行動を取っていたのが一因だ。
発生しなくなった理由は先に述べているので置いておくとして、問題はもう一つの原因にある。
それは、彼女が完全なものではないにしろRSに似た力を持つこと。
おそらく、このTSティトゥスの能力はニャルさんにとってもイレギュラーだったのではないだろうか。

無限螺旋中の住人は、基本的に変質する大十字以外は殆ど同じ行動を取るが、突然変異的に変質する人間は確実に存在する。
外伝小説で描かれるエドガーなどがその一例だろう。
ニャルさんは、エドガーの魔術師としての超人的な才能を見抜き、アル・アジフと引き合わせて契約させた。
エドガーが最初から魔術師としての才を持って無限螺旋に存在しているとしたら、もっとデモンベインが完成する前の段階で白の王足り得るかどうかを確認していなければおかしい。

秋葉原を拠点に活動する狂気のムァッドサイエンティストに並ぶほどではないにしろ、RSを頻繁に発動できるTSティトゥスの異能。
平行世界の記憶を断片的にとはいえ呼び出す事のできる存在というのは、無限螺旋で成長させるには打って付けの人材ではないか。
ジャンプで連載してる腐ってる女性の方々が大好きなマフィア漫画の某キャラと同じような能力と言った方がいいだろうか。
平行世界の自分の記憶を呼び起こし、自らの力とすることができたのなら、短期間で魔術師としての実力を付け、トラペゾヘドロンに到る可能性が高くなる、という考えだろう。

いや、最初は恐らく、
『ありゃりゃ、大導師ったらTSしちゃったよ』
『このままじゃ歴史の流れが滅茶苦茶じゃないか……』
『だったらいっそ、世界の九割方をTSさせて、もっと無茶苦茶にしてやるお!』
『これでホモホモしいブラックロッジの幹部連中も百合百合しくなって、大導師も大喜びしてくれるに違いないお!』
みたいな流れがニャルさんの中に存在したのだろう。
で、日本人、ブシドー繋がりで俺と因縁があるTSティベリウスの元になる少女を見つけて、
『ついでにあのトリッパーとの因縁のキャラも作っておいてやるお!』
みたいなノリで。何しろこのニャル夫、余計なことをするのは大好きな筈だ。
で、作ってみたら上書きされた筈の世界から記憶を取り出しているから、ああ、これは、もしかしたら到れるかもしれない、とかシリアスモードで考えていたに違いない。

が、その目論見はもろくも崩れさる事になる。
ティトゥス側の記憶を呼び起こす起点になり得る屍食教典儀を手に入れさせても、一向に書の内容に既視感を覚えないのだ。
仮に、ここでティトゥスとして既視感を覚えたのであれば、魔導書の中身に目を通した時点で『ああ、読んだことがあるな』と感じ、次いで内容も思い出す筈。
だが、既視感を感じることは無かった。
なんてことはない。ここのTSティトゥスは、どちらかと言えば融合先の少女がメインで存在していたのだ。
故に、別の世界線のティトゥスの記憶を思い出す事は無かった。

本来ならブラックロッジに至るまでの道筋を考えておくべきだったのだろうが、RSに期待していたニャルさんは事前の準備を怠っていた。
結局少女の魔導書解読は遅々として進まず、危険な魔導書を所持したまま、帝都へと上京し、政府の直属機関に所属してしまう。
このままではせっかくのTSティトゥスが無駄になると考えたニャルさんは、直接的にTSティトゥスの脳に干渉し、魔導にのめり込むような精神状態にすることにした。
俺があの少女と接触した周の出来事をやや過激に暴力的に脚色した内容を、さも既視感であるかのように見せかけて。

そう、あれはRSではなく、ニャルさんの投影した偽記憶なのだ。
俺があの周、日本観光の傍らで、片手間にエロゲ風の指令をTSティトゥスのベースになった少女に送ったのは確かだ。
だが、流石にそこまでエグい指示は出して居なかった。
俺は身体が勝手にシャワー室に向かう人を達磨にしたり去勢したりするほど無粋ではないのだ。最低限脚が無いとシャワー室に向かえなくなるしな。

確かにゲームボーイカラー版の一作目を思い出すとイラッと来ることはある。
通常のシリーズをプレイしているユーザーからすれば主人公に感情移入できないだろうし、プレイしてない人たちにとってみれば、どれだけ好感度を上げてもヒロインの本命が他に居るのだ。
どういう客層に向けた作品だったんだよと思わないでもない。
俺も中古屋で五百円で手にいれて居なければromを地面に叩きつけていたかもしれない。
が、それを踏まえてもニャルさんのやり方には美学がない。
達磨はともかく、去勢してしまったら、
『◯◯さん、興奮してるんですか? 私が名前も知らない男たちに犯されてるのを見て、興奮してるんですね?』
とかさせられない。
悔しいけど、想い人の痴態に身体は反応してしまう。
ゼオライマーのスピンオフを見るがいい。
全年齢なのに、その辺りをきっちりと描ききっているではないか。
陵辱は、寝取りにも、寝取られにも通ずる豊穣の道。
決して交わるはずのないこの二つの属性は、陵辱という鎹を持って始めて結ばれるのだ。
このテンプレートを踏まずして、何故に陵辱を語ることができるだろうか、いや、出来ない。反語。

閑話休題。

TSティトゥスが中堅エロ漫画家の描く少しページ数多めのエロ漫画のヒロインみたいな境遇だったかどうかはともかくとして、このRSに関する仮説が半分でも立証されれば、一つ懸念事項が減る。
なにしろ次の周は、俺の方にも色々と問題がある。
ノーマル大十字が平行世界の記憶を手に入れる可能性は、可能な限り潰しておかなければなるまい。
この仮説を立証できれば、罰ゲームをこなしつつ大十字の並行世界の記憶、つまり大十字の好感度がTS大十字と同じ有様になるのを防ぐ事が容易になる。
俺の罰ゲームには大十字を鍛える、という項目はなく、俺が自分から大十字を鍛えようとしなければ、少なくともこのTS周と同じ関係にはならない。
ホモ臭い演技をしつつも、決してホモ的活動をしたり、周囲の人間をホモにしたりせずに、穏やかに罰ゲーム周を終える事が可能になるのだ。
これはもう、自費出版の写真集、北辰一刀流継承者公開陵辱 ~ファンとのガニ股二穴交流~(本人によるエッセイ付き)がバカ売れした時以上の、いや、それでは生ぬるい。
元の世界で、神羅万象チョコの新しいシリーズが始まって、それを注文もしていなかったのに村の雑貨屋の爺さんが大量に入荷してストックしてくれていた時と同じくらいに喜ばしい。

これで次の周、俺はホモホモしいやり取りを大十字と行わずに済むかもしれない。
男相手のボディタッチがネックになるが、それも大学での他人との接触する機会を可能な限り削っていけばどうにでも回避できる。
後は、俺の腕と判断能力次第。

霊剣を拾い、鋒から口の中に入れ、喉に触れた部分から取り込む。
取り込んだ霊剣の刃先を指先から生やし、戦闘を行った風に衣服と身体に傷を入れていく。

「これでよし」

ダメージ加工を終えた時点で、反対側のブロックに存在していたかぜぽの生命反応が消失した。
いや、今の言い方はだめだ、言い直そう。
一旦かぜぽと美鳥の居る方向に背を向け、何かに気がついた様に身を翻す。
ゆっくりと驚愕の表情を作って、

「かぜぽの霊圧が……消えた……?」

顔のアップが映るものと意識して、やや大げさに。
台詞は大きすぎない声ではっきりと聞き取れる発音で言うべし。
空間の『間』が寂しいので、鰤では存在しなかった修羅粉(某陸奥圓明流の方々の周りに浮いてたり風に舞ってたりする謎の粒子。扉絵とか表紙で確認できる)を散布。
……………………
…………
……
ティトゥスの死体しか無いので、場面転換が可能なほど間を取る。
うむ、満足。
やはりリアクション芸は間が重要な要素なんだと再確認できた。
一頻り顔芸を楽しんだし、いい加減美鳥に通信を繋げるとしよう。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……
卓也と別行動を始めて数分も立たぬ内にクラウディウスを発見した美鳥は、

「あ、美鳥!」

迫る警備兵に背を向け、手を大きく振りながら満面の笑みで挨拶するクラウディウスに、

「こんにちは、死ね!」

挨拶もそこそこに、袖口から飛び出した魔銃を掴み魔力流し術式を起動、躊躇なくプラズマ光弾をクラウディウス目掛けて乱射。
生ける炎、火の神性であるクトゥグアの力が込められた光弾。
一発一発が、直撃すれば破壊ロボの装甲すら容易く溶解させる熱量を孕んでいる。
躊躇なく全身の急所狙いで放たれた光弾に僅かに目を見張り、しかしその視線は全ての光弾の軌道を捉えていた。

「魔風(かぜ)よ、星間に吹く風よ。この腕に力を!」

咄嗟にハスターの力を降ろし、瘴気混じりの風を纏う両腕が宙を薙ぐ。
左右一対の腕、十指が十の輝線を描く。
魔風の刻む輝線をなぞるように光弾は逸らされ、クラウディウスの背後、覇道財閥の警備兵に直撃し悲鳴すら上げさせずに焼滅させた。

ハスターとクトゥグア、これらは格としては同等の力を持つ神であり、それを使う術者の実力も伯仲している。
ならば、最初から標的を視界に入れており、術式の起動にまで十分に時間を持っていた美鳥の術式が威力で勝り、クラウディウスの放った風を打ちぬいていた筈である。
しかし、現実には咄嗟の後出しであるクラウディウスの魔風がプラズマ光弾を凌ぎ切ってみせた。
それは何故か。

原因は、魔術を起動する際に使用される記述の精度にあった。
基本的に、鳴無美鳥と鳴無卓也の使うクトゥグアの記述はアル・アジフが出典元である。
無限螺旋の中で、その内容だけを延々とループさせられているアル・アジフには、とある邪神の検閲が施されており、それは無限螺旋という仕組みを気づかせない物以外に、特定の神性の記述の精度にも及んでいる。
クトゥグアはその最たるモノであり、アル・アジフの記述においては、ハスターの高位眷属であるイタクァと並べて扱われ、発動する術式の出力もそれ相応にしかならない。
正式な手順を経て発動すれば、容易く破壊ロボを両断するクラウディウスの魔風を貫けないのは当然の帰結。
ここまで日常面での接触はあれど、正確に測る機会のなかったクラウディウスの実力を見誤ったのが美鳥の失敗である。

「ち」

同じく覇道財閥側であるはずの警備員を撃ち殺した事など気にもせず、クラウディウスを仕留め損なった事に舌打ち一つ。
美鳥が魔銃を捨てるよりも僅かに早く、クラウディウスは腕に纏った風を不可視の爪と化し美鳥に襲いかかる。
不可視の爪の描く軌跡は、先の光弾を弾いた輝線を再び生み出す。
輝線を魅せ技として、鞭の如くしなる魔風の刃が美鳥を襲う。
美鳥の手の中から溢れる寸前の魔銃が切り裂かれた。
クラウディウスの魔風によって──ではない。
切断面は赤く赤熱し、美鳥の指先からは四十センチ程の長さの輝く白刃が爪の如く突き出している。

「わ、美鳥ってば、すごい!」

歓喜と共に、クラウディウスは魔風の爪で白刃──プラズマジェットの流れを逸らす。
美鳥の爪の間から噴出する高出力のプラズマジェットはその実、人間の魔術師として彼女が扱うクトゥグアを遥かに凌ぐ出力を誇る。
プラズマジェットによって気流を乱され、徐々に吹き散らされる魔風の爪。

「っせぇ、メス犬がっ! 死ね! くたばれ! もしくは死ね! そして死ね!」

憎々しげに言い放つ美鳥は、ティトゥスと相対した卓也とは異なり、悠長に鍔迫り合いを続けない。
プラズマジェットと魔風が生み出す乱気流が靡かせる美鳥の髪。
大きく広がったその先端が全てクラウディウスへと向けられ、光線を照射。

ジャッ、と空気を焼く音が響き、しかしクラウディウスにはかすりもしない。
照射の寸前に、獣の如きしなやかな動きで後方に跳ねたのだ。
宙に居るクラウディウスを光線が追いかける。
が、滞空中にも魔風を操るクラウディウスの動きは止まらない。
風に舞う羽にもにた軽やかな動きで、殺傷性の強い攻撃を尽く躱していく。

「もうっ、美鳥ってば、怒りすぎだよ」

続けざまに繰り出される攻撃を避けながら、クラウディウスは頬をふくらませる。

「怒ってねぇよ、あたし怒らせたら大したもんだよ」

クラウディウスの言葉通り、そしてこめかみに無数の青筋を浮かび上がらせながら無理矢理に余裕ぶった表情を取り繕っている本人の言葉とは裏腹に、美鳥はクラウディウスに対して強い怒りを露わにしていた。
それは、まだマスターテリオンが生きていた頃、夢幻心母の中での些細な雑談に端を発する。

「別に、ボクが卓也の事を『お婿さん』として郷に連れ帰っても、美鳥が離れ離れにならないといけない訳じゃないんだしさ」

「連れてけるって前提で話すのも気に喰わなきゃ、『キミも連れてってあげるよ』なんて上から目線も気に喰わねぇ!」

そう、ブラックロッジにアンチクロスとして籍を置いているクラウディウスこと、ハイパボレアを歩むものには、使命がある。
過疎化の進む故郷の草原に、新しい血を取り入れる為、郷の外から婿を連れ帰り、子供を作ること。
ブラックロッジに在籍しているのも、元はといえば強い男を探すため。
が、不思議と強い魔術師であるアンチクロスは全員女性であり、婿探しはつい二年前まで半ば頓挫しているような状況だった。
そこに現れたのが、首領であるマスターテリオン肝いりの魔術師、鳴無兄妹である。

「ワガママ言ってもダメだよ。アレはもうボクのものにするって決めてるんだから、ね!」

一転して、無数の光線の中に飛び込むクラウディウス。
高空で吹く強い風が星の光を瞬かせるように、ハスターの魔風は魔術的に強い加護を持たない光線を尽く歪曲させ、クラウディウスが走り抜けるだけの隙間を創りだす。
一息に美鳥の懐まで距離を詰めるクラウディウス。
魔風を纏う爪を振り上げる。
殺しもしなければ、腹を狙いもしない。
卓也が雄として優秀なら、美鳥も当然雌として優秀なのだ。
郷に連れ帰り適当な雄を宛てがい、子を成して貰う。
種の繁栄。
それは、カリグラの精神を半ば取り込んでいたわだつみの民の長も望んでいたこと。
妹を盾にすれば、卓也も快く一緒に来てくれるだろう。

爪ではなく、握った拳で胸部を一撃。重い感触が拳に返る。
ぐったりと力を失い、クラウディウスの肩に倒れこむ美鳥の身体。

「駄犬(いぬ)め」

勝利を確信するクラウディウスの耳に、地獄の奥底から響くような声。
ハッとしてその場を飛び退こうとするクラウディウスの身体を、広がった美鳥の髪の毛が優しさすら感じる弱さで包み込む。

「何だよ、これ」

引っ張れば簡単に千切れそうな髪の毛は、クラウディウスの身体を決して離さず、肌に浅く傷すら付けていく。
血の滲む身体をよじらせながら、クラウディウスは気付く。
風が、止んでいた。

「お兄さんを『モノ』扱いたぁ」

美鳥の呟きに呼応して、大気が震える。
得体のしれない恐怖に、クラウディウスは自らを守る風を呼び出そうと呼びかける。

「か、魔風よ!」

だが、ハスターの力を感じられない。
風が、大気が、クラウディウスの声を聞こえていないものとして扱っているのだ。
まるで、今聞くべきはこの頼みではないと言わんばかりに。

「お兄さんの『モノ』であるあたしを前に、いい度胸じゃねぇか……」

大気の震えが徐々に大きくなり、空間そのものが鳴動するかのような唸りを上げ始めた。
魔術的な補助がなくとも、種族的な特徴として人間程度なら容易く引き裂く膂力で持って、美鳥の身体を引き剥がしにかかるクラウディウス。
しかし、押しても殴っても爪を立てても、それらが美鳥に痛痒を与えた様子はない。
ここでクラウディウスは気付く。
何故、最初の一撃を食らった美鳥が気を失っていないのか。
それは、風。
極限まで圧縮されたエア・バックが、クラウディウスの拳を、魔風を遮っていたのだ。
そしてそれは今なお美鳥の身体を薄く包み込み、外敵を拒絶している。

何時の間にか、美鳥はその手の中に筒状に丸められた一冊の大学ノートを握りしめていた。
クラウディウスは気付けない。
それこそは、姿形は違えども、自分の所持する魔導書と同じ、全く同じ内容の魔導書、『セラエノ断章』であると。

「吐いたツバ飲むんじゃねぇぞ、この似非天然ケモ属性があああああああぁぁぁぁぁあっぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!」

大気が爆裂する。
衝撃波が、あらゆる魔術的守りを失ったクラウディウスの身体を突き抜け、神経をズタズタに引き裂く。

「────────!」

声にならない絶叫。
全身を引き裂かれたような激痛を感じながら、クラウディウスは未だ倒れない。
身体を抱きしめる美鳥の髪の毛が、地に倒れ伏すことを許さないのだ。
身動きひとつ取れないクラウディウスの頭部に、美鳥はゆっくりと何かを被せる。
それは、ヘッドホン。
ノイズキャンセラー付きの、ネルガル重工が誇る最新最高級品を、更に十数倍にまで高性能にした物を、魔術的に加工した一品。

「よぉ、知ってるか」

手に握るのは、大学ノートに包まれた一本のマイク。
魔導書セラエノ断章には、既に十分すぎるほどの魔力が流し込まれている。

「ハスターの魔力ってなあ、風だけじゃあないんだぜ?」

手にしたマイクは魔導書とケーブルを経由し、直接ヘッドホンに接続されていた。
深く、大きく、腹がふくれるほど息を吸い込む美鳥。
その肺に、気管に、喉に、そして、呼気が、声が発せられる口に、魔方陣が浮かび上がる。
意図を察したクラウディウスが、目に涙まで浮かべた必死の形相で首を振る。
声に出せない懇願を見せるクラウディウスを、美鳥はまず、酷薄な表情で見下ろし、
厳かな表情で、
目を瞑り、
マイクを口に当て、
絶叫する。

「っこなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁっぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぅゅきぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!!!!!!!」

思う様、四文字の歌詞を伸ばし終えた美鳥は、

「いええ♪」

誰もいない後ろを振り返りながらウインクで決めポーズ。
目に見えない、心の中にのみ存在する観客に、サービスとしてマイクを投げ渡す。
それ以降の歌詞を、いや、この部分以外、歌詞もメロディーも、そもそもタイトルすら覚えていないからこその暴挙。
この歌はここだけ歌えればいいやという意思表示。

投げ捨てられ、地面に激突したマイクが粉々に砕け散る。

カラオケで行えば、店舗ごとマイクを破壊し、自分以外の周囲の人間の命を犠牲にする絶唱。
ハスターの魔力を帯びた、クラウディウスの頭脳だけを標的にした音波兵器。
それは速やかに硬い頭蓋に収められた柔らかな脳細胞を尽く破壊し、アンチクロスが一人、クラウディウスを絶命させた。

―――――――――――――――――――

うん、正義完了。
流石はあたし、JASRAC回避の歌詞崩しもクールだね。
最初は移動中に前の雑談を思い出しちゃってカッとなっちゃったけど、死体も残ってるし。
んー、でも、ちょっと綺麗すぎるかな。
適当に追加で蹴りを入れて。
アバラと腕も折っちゃえ。

「よし、もっと辱めてやろう」

服も刻んでー、局部モロだしだけど、出てる部分は青黒くしたり、洗ってないケダモノっぽく毛も生やしてー。
魔術の反動で腐ってるっぽいとかもいいな。
どっちかっていえばティベリウスの担当だろうけど、お兄さんを連れてこうって発想からして腐ってるし、これくらいどってことないよね!

待てよ、全身の骨格を弄るとか、どうかな。
こう、半ば犬! みたいな前傾で。
どうせ大十字はこいつの姿見たこと無い筈だし、ちょっと異形っぽい外見にしてやったほうが強敵っぽくイメージできるかも。
脳味噌マックシェイクバナナにしちゃったし、台詞もこっちであてがわないとな。
『グーラグラグラ! オレ様はブラックローッジの大幹部、風のクラウディウス様だ!』
みたいな、解りやすいやつ。ロの後の伸ばす部分は上がり気味の発音で。
出身地は昭和新山、弱点は髭を抜かれるとまっすぐ走れなくなる。
そして一人称がオレ様。
名前を言う時にも様をつけるという事は、つまり遠まわしに一人称が名前という事になるまいか。
人型でも犬型でもない形に改造して辱めて、クラウディウスの最後に萌え要素を付け足し、最後に大十字にも解りやすい親切設計、流石あたし……やはり天才か。

あ、耳から脳みそが垂れてきた。
さっきの悪魔のシンフォニーでいい感じに脳味噌だけシェイクしたと思ったけど、鼓膜も破っちゃってたかー。

……む、耳からどろっと脳細胞とか、もしかしてリョナ要素?
最近はジャンプでも妊娠→強制出産→衰弱死でリョナが成り立っちゃうし、油断は禁物かな。
よし、耳栓しとこう。
お兄さんを変な属性に目覚めさせたらいかんし。
後は目と耳を片方ずつ……と。

《美鳥ー、そっち終わったかー?》

脳内に通信。お兄さんだ。

《うん、ちょっと辱めてるとこ》

《そうか、程々にな。終わったら合流だ。ティベリウスがそろそろアリスンのとこに到着するから》

む、もうそんなに進行してたのか。
少なくともアリスンが居る以上、その避難所の連中がティベリウスの餌食になる事はない。
でも、今のあたしたちにはティベリウスの力が必要なので、あっさりと殺されてもらう訳にはいかない。

《おけ、ちょっと速攻でこの犬再起動して向かうわ》

あたしは妖蛆の秘密の記述を起動し、急ピッチでクラウディウスの死体の改造を始めた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「やってくれるじゃないの、ボクちゃん……アンタ、魔術師の才能があったのね?」

へし折れた鉤爪を眼前に持ち上げ、薄く笑うティベリウス。

「……」

相対する、短髪を逆立てたサングラスの少年、アリスンには、アンチクロスに対する恐怖は微塵も感じられない。
ポケットに手を突っ込み、すっと背筋を伸ばしたままティベリウスの言葉を聞き流している。
無関心だろうか。
いや、彼の後ろには、同じ教会で生活する少女達が、シスターが居る。


元の、常の歴史であれば教会に保護される筈だったアリスンは、TSすること無く生まれ落ち、救いを得ること無くブラックロッジに囚われ、最強のアンチクロス『ネロ』へと改造された。
では、教会に居るアリスンは一体何者なのか。
別人、ではない。
彼もまたアリスンなのだ。
ティトゥスが戯れに日の本の少女と融合させられたように、母親の胎内にいる頃に干渉を受け、二卵性双生児として生を受けた少年と少女。
生まれでたその瞬間に、双子の片割れはムーンチャイルドの素体とするために浚われ、母親は殺害され、ただ一人生き残ったのがこのTSアリスンであった。
未熟児であり、呼吸すらせずに仮死状態であった為に見逃された男児は、親類からは忌み子とされ、疎まれ続けた。
名も与えられず、少年は浚われた少女に与えられる筈だった名前、アリスンという名で御座なりに定義される。
少年はそれを否定しなかった。
自らに冠されたその名前だけが、自分が独りきりで生まれてきた訳ではない証だから。

アリスンには碌な食事も生活環境も与えられず、しかし、何故だか健やかに成長を遂げていく。
それは、彼の出生に邪神が関わっていた事に秘密がある。
アリスンには、この字祷素宇宙の外から来た存在を参考に、ある一つの概念を組み込まれていたのだ。
人を強くする概念、『姉』の『弟』であるということ。
人から始まり、獣を超え、いつしか神に並び、神を超える事を理想とする『弟』という概念。
それは、『姉』という存在が居なくとも、アリスンの命を支えるには十分過ぎる程の生命力を与えていた。

人間とは思えない程にすくすくと大きく成長したアリスンを、周囲の人間は持て余した。
本人に下手に文句を言う訳にも行かず、かといって身近に置いておくには不気味過ぎる。
そんな周囲の感情に気がついてしまう程度には、アリスンは鈍くなかったのだろう。

保護者の元を離れ、身一つで各地を転々とするアリスン。
船に密航し、汽車に隠れ潜み、人ごみに紛れ、いつしかアリスンは自らの異常性を隠す術を身につけていた。
突出した力は排斥される。
身にしみてそれを理解していたアリスンは、旅の中で必死にそれを身に付けたのだ。
だが、世間は何の力も持たない少年が一人で生きていけるほど生易しいものではない。
アメリカはアーカムにたどり着いたアリスンは、遂に教会の前で行き倒れる。

そこが、リューカ・クルセイドの運営する非合法の孤児院兼教会。

リューカは、アリスンの事情を殆ど知らない。
だが、リューカは衰弱しきったアリスンの瞳に『孤独』を見た。
アーカムにはありふれた色の感情。
しかし、リューカはそれを許すことができなかった。
戸惑うアリスンを、強引に孤児院の保護下に置いてしまったのだ。
そんなリューカに呆れる二人の少女、ジョージとコリンも、女手ばかりの教会にアリスンが住まう事に異議を唱えなかった。

同じ教会で住まう事になり、アリスンはリューカの優しさも厳しさも真っ直ぐに受け止めた。
自分を振り回す、姉妹の様に仲の良いジョージとコリンの信頼も、からかいも。
彼女たちの目には、自分に対する奇異の視線も、恐怖の感情も無い。
ただ、家族として受け入れ、家族に向けるべき様々な感情をぶつけるだけ。
アリスンにとって、それは生まれて始めての事だった。


ティベリウスの美貌が、徐々に変化、いや、変形し始める。
怒りの感情が、死体の表情操作を誤らせているのだ。

「アタシ達の側に来ていれば、お仲間になれたかもしれないのにねぇ」

ティベリウスの言葉、仮定はアリスンには何の意味もない。
アリスンの家は、アリスンが傍に居るべきは、こちら側のみ。
アリスンの、彼の家族、彼の『姉』である、リューカ、ジョージ、コリンの居る教会以外に、彼の居場所はありえない。

「でも、もうダメ、あんた、アタシを怒らせたわ。歯止め効かないわよ、アタシ?」

ボギン、ゴキン、と、ティベリウスの骨格が変形し、足の長い昆虫にも似た不気味なシルエットへと変化する。
成人男性を大きく上回る体躯に、頬が裂けて乱杭歯をむき出しにした顔。
蛆の湧き出す股間の肉槍は、まるで毒蜂の針の如くいきり立つ。

アリスンの目には、それが、自らの姉を狙う凶器に映った。

「死ぬまで犯し抜いてやらァ、バラガキィィィィィぃぃッ!」

全長四メートルにはなろうかという異形へと姿を変え、跳びかかるティベリウス。
その姿に、アリスンは慌てること無くポケットから手を抜き、上着を脱ぎ捨て、構える。
サングラスの奥の瞳には、姉を狙う怪物に対する怒りと共に、哀れみの感情さえ浮かんでいた。
そして、口元には皮肉げな笑顔。

「今日はでかい奴の厄日だねぇ」

ボッ、と、硬いタイヤを叩くような音と共に、アリスンの身体が膨張する。
アリスンの、姉であるネロの魔術的才能に匹敵、いや、ある意味では軽くそれを凌駕する異才。
その力の名を、筋力操作。
直向きに生き続けてきたアリスンの生き様を示すような、単純で、純粋な力の発露。
人の世に紛れるために隠し続けてきたその異形を晒すことに、もはやアリスンは一筋の抵抗も感じていない。
愛しい『家族』達を、大切な『姉』を守るためであれば。

アリスンの前に跳び出そうとした姿勢のまま、呆気にとられるリューカ。
そして、変わらぬ笑顔を向け続けるジョージとコリン。

「やっちゃえ、アリスン!」

二人分の声援。
それに無言のまま、拳で返答するアリスン。
打ち出された拳は大気の壁をぶち破り、襲い掛かるティベリウスを通路の端まで吹き飛ばした。




続く。
―――――――――――――――――――

ティトゥスが死んでクラウディウスが死んでティベリウスがたぶん死んだ、説明多めの第六十七話をお届けしました。

大体ですね、今回は難産でした、なんて気軽に言いますけど、出産なんて苦しくて当たり前なんです。
就業先に産婦人科を希望する医者が少ないのだって、出産が必ずしも一般のイメージ通りに確実に成功させられるものでは無いからだって言われてるじゃないですか。
だから、EVOLと宇宙海賊が予想外に面白くて、SS書く時間を再視聴にあてたりなんかしてないのです。
うそじゃないよ、ほんとだよ。
シンフォギアのキャラソン聴いてテンション上げてたら仕事後の自由時間使い切ってたとかも無いよ。
三月二十八日発売のキャラソン4が超楽しみだったりしないよ。ほんとだよ。当日は仕事終わったらまっすぐメイトに買いに行くけど。

いや、リアル話、資格取得の為に実地で研修とかあって普通に執筆時間が取れないってのが理由の七割でして。
研修は普通にやりがいがあるんですが、その後のレポート作成がですね、テンション下がるというか。
詳しく書こうとするとSS書いてる時の癖で長ったらしくなるし、シンプルに書こうとすると仕事中の癖で紙面が余るしで手こずります。
来週もそれで有給が2日くらい潰れますし。


そんな訳だから自問自答コーナーだって短めです。

Q,で、結局TSティトゥスは何者?
A,花組のスタア。
回想シーンの内容とか考えると時系列が明らかにおかしいですが、ここの周はニャル様が人為的に後に生まれる子供の選定やら歴史の改変やらを行なっているので、わりかし歴史に狂いが生じてます。
覇道財閥を作る上で必要な部分は改変してないので次の周の覇道財閥立ち上げには問題ありません。
Q,RS……。
A,まあ、二次創作SSですし、解釈はあれこれあっていいんじゃないでしょうか。
ていうか、たぶん元ネタの方でもそんな感じの理屈ですよね?
ちなみに主人公が不完全な理論で安心してるのは半ば現実逃避です。
Q,肉体を取り込まないのは? 口から摂取したのは?
A,取り込む意義が欠片も見いだせなかったから。口から摂取は、直前に大十字に対してあれな接し方でしたから、歌舞いた振る舞いをしたかったのではないしょうか。
Q,こなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ(訳:すいません、JASRACの者ですが……)
A,ゆきぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ(訳:歌詞カード見てくださいよ歌詞カード。こんな語尾を伸ばした歌詞が存在するわけないじゃないですか、ノーカンですよノーカン)、いええ。
Q,こんなのかぜぽじゃない! 俺の、いや、むしろカツキのかぜぽは、もっとこう、なぁ!?
A,はい、かぜぽというよりTSクラウディウスです。むしろ獣です。なにしろデモンベイン世界基準の異種族な上、アンチクロスに所属しちゃう様な娘ですから。
名前を呼ぶ時きっちり漢字表記なのは、元ネタよりも人里に慣れているから。
ちなみにここのかぜぽが子供を作った事があるかどうか、それは個人の趣味の問題だと思います。
でも、再登場の無いキャラなんだし、人里で見込みのある雄を見つけては子供を作ってるとかの方がネタ的には美味しいと思うんですよ。
ちなみに種族に関してはたぶん元ネタ準拠。クトゥルフ神話TRPGって、普通にオオカミ男とかデータがあるんですよね……。P230のエネミーデータを改変で。
Q,結局アリスンって?
A,強さよりも先に『姉』に憧れるようになったのだ!
ニャルさんが白の王を作ろうとしている中で生まれた試行錯誤の一つ。
主人公と同じく弟という起源を持ち、姉の為ならほぼ無限にパワーアップできそうな気がする。たぶん。
ぶっちゃけ、某B級妖怪な弟さんとの共通点は一部発言と真面目さと外見だけ。
心根の優しさはむしろ正統派主人公レベル。
最終的に、筋肉と魔術があまり関係ないことに気がついたニャルさんの手によってこのデータは抹消される。
ニャルさんだって、疲れて馬鹿になることがあるんだと思います。
Q,ティベリウスは?
A,次回冒頭で。戦闘シーンとか無いですし、あっさり流します。
Q,説明臭いです。反省してください。
A,ごめんなさい。反省します。てへぺろするんで許してください。


今日の自問自答は短めと言ったな。
あれは嘘だ。

いえ、嘘というか、書き上がった直後になるとどはーってなって、書いてる途中に注釈付けたほうがいいかなーって部分も頭から抜けてしまうんです。
でも今回は注釈入れとかないと不味い部分があるから頑張るかー、とか思って書いてると、書いてる最中にどんどん脳味噌が書いておくべき部分を思い出すというか。
このTS周を書いての反省点とかもこのタイミングで書くのが一番実感湧くんですが、折角次回でTS編終了なんで、反省点に言及するのはそこで。
ていうか自問自答パートはまるまるTS編の反省会に使うと思います。
つか今回後書きクソ長いですね。これだとここに関係ない事書いても気づかれなさそう。
右浪清っていいキャラしてますよね。詰みまの続きはまだなんでしょうか。
個人的には温泉女王と温泉にのミギーが大好きです。誰かナミキヨさんでSS描かないですかね。MUGENのストーリー付き動画でも一向にかまわないんですが。
猫大好き。

そんな訳で、今回もここまで。
当SSでは引き続き、誤字脱字の指摘、簡単にできる文章の改善方法、矛盾点へのツッコミ、その他もろもろのアドバイス、そして何より、このSSを読んでみての感想を心よりお待ちしております。



[14434] 第六十八話「さよならとおやすみ」
Name: ここち◆92520f4f ID:81c89851
Date: 2013/09/21 14:32
「グ、オ、ゲェッ」

耳元まで裂けた口から、防腐作用のある薬剤が混じった赤黒い粘性の液体を吐き出すティベリウス。
封印していた筋力を一部解放したアリスンの左ジャブにより、ティベリウスの仮のボディは致命傷寸前のダメージを負っていた。
破壊力、貫通力よりも、その場から弾き飛ばす力を優先した、距離を空けるための打撃。
アリスンの一撃はティベリウスを肉の砲弾へ変え地下基地の通路最奥まで吹き飛ばし、更に戦車砲にも耐えうる隔壁を容易く打ち破り隣のブロックへと到達させたのだ。
ティベリウスの身体が曲がりなりにも人型を保ち、血を吐く程度には身体の内部にパーツを残していたのは、その身体がティベリウスの魔術研究の粋を集めた傑作であったが故だろう。

「あの、クソ、餓鬼ィ……!」

潰れた声帯から放たれる怨嗟を込めた声もは、その身体が本来持つ美しいソプラノではなく、ごぼごぼと鈍い水音の混じった悍ましい異音。
しかし如何に憎しみの感情を抱いた所で、今のティベリウスの身体では対抗しうるものではない。
死体のパーツを撚り集めて作ったこの身体に搭載されていない筈の魂魄にまで損傷を受けたかもしれないのだ。
沸き立つ怒りを噛み殺し、冷たく勝利へ至るための思考を走らせるティベリウス。
早急に、あの敵から離れて、肉体の損傷を修復し、然る後にベルゼビュートを召喚する。
まずは、逃走経路を手に入れければ。
粗挽き肉レベルまで細切れに粉砕された身体を必死に集めながら、あの化物から逃れる術を探すティベリウス。

魔術で姿を隠して、いや、完全消滅とまでは行かないが、あと一歩でずれた位相空間に仕舞い込んだ魔導書が顔を出すレベルの損傷を負っている。
肉体の再構成にリソースを割いている為、複雑な魔術は発動できない。
真っ先に再構築した眼球と視神経が、土煙の向こうからゆっくりと歩み寄る少年の姿を捉える。
それが本当に自分を殴り飛ばした少年の影であるか、魔術による強化の働いてないティベリウスの視覚では判別できない。
だが、ほぼ完全に無防備な状態のティベリウスには、土煙の向こうの影が酷く恐ろしいモノに見えて仕方がなかったのだ。

アンチクロスとしての、魔術師としてのプライドが自覚こそさせないが、ティベリウスはこの時、初めてマスターテリオンと出会った時と同じ感覚を得ていた。
生まれて初めて心の底から震え上がった、真の恐怖と決定的な挫折。
恐ろしさと絶望に涙すら流した。これもマスターテリオン以来の事だ。
本人すらも自覚していないが、ティベリウスは既に、戦意を失っている。
再起を図るという意図は失われ、冷たく勝利への道筋を探していると思っている思考は、既に逃走経路のみを探り当てる事に向けられていた。

その時である。
通路の向こう、アリスンからは見えない横穴から手が伸び、再生中のティベリウスの腕を掴み強引に引き寄せ、走りだした。

「ティベリウス様、こちらです」

「あ、アンタは……!」

辛うじて耳に届く程度の小さな声だが、ティベリウスにとって聞き覚えのある声。
ブラックロッジの構成員の一人、鳴無卓也。
地獄に仏とはこの事だ。ここで自分に止めを刺さずに連れて逃げているという事は、少なくとも積極的に自分と敵対しようとは思っていないという事だろう。
カリグラが殺されたのは、この男の仕事の性質上仕方のない事でもある。

「よ、良くやったわ! 後で私の事をファックしてもいいわよ?」

妖蛆の秘密に記載された魔術ではないが、性交を媒介にして相手の精神を縛る魔術は決してマイナーではない。
ここから先は、アンチクロスの間でも出しぬき合う場面が増えてくるだろう。
使える人材であるならば、手元に置いておくに越したことはない。
そういった打算に塗れた言葉であったが、その言葉に対する卓也の反応は事務的なものであった。

「いえ、その前に、その肉体をどうにかしましょう」

「アラヤダ、確かにこれじゃあ、勃つものも勃たせられないわね」

言いながら、内蔵剥き出しの胴体を見下ろし、頬骨の飛び出た顔面を引かれていない方の手で触るティベリウス。
手を引かれながらなら走れる程度に再構築を済ませてあるが、それでも女性的な特徴を備えた部分を再生するには至っていない。
肉体を修復し、魔術を行使可能なレベルまで再生するとなればかなりの時間が必要になる。

「ええ、ですが、ここは敵地です。悠長に回復を待つわけにはいきませんですので、予備の方を用意させて頂きました」

「用意がいいのね、嫌いじゃないわ」

予備。
無数の死体から優れたパーツのみを集め造られているティベリウスの肉体は、破損部分を無事な予備パーツと入れ替えることで、魔術による再構成よりも早く、完全な状態に移行することが可能なのだ。
勿論、予備パーツは人間の死体、もしくは死体を加工したものになるので、持ち運びに適したサイズではない。
そもそもここまで緊急で予備のパーツとの入れ替えを必要とする事態がそう起きることではないので、当然持ち歩いているわけもない。
それをこうして、敵側にスパイとして潜り込んでいたこいつが持ってきてくれたというのなら、それは手柄という他──

「……あら?」

足を止めず走りつつ、ティベリウスは首を傾げた。

「アナタ……『何時の間に予備を持ってきた』の?」

ティベリウスの知る限り、音無兄妹は大導師に殺されたかに見えた後、一度足りとも夢幻心母に足を運んで居ない筈。
ティベリウスの肉体の予備パーツは、何もそこら辺に落ちている死体をそのままつなげている訳ではない。
仮にも他人の肉体である以上、それを意のままに操るには特殊な魔術加工が必要になる。
そして、その加工が施された予備パーツは、夢幻心母のティベリウスの研究室兼私室を除けば、誰にも知られていないアーカムの外の隠れ家にしか存在しない。
理屈で言えば、卓也か美鳥がティベリウスの予備パーツを予め手に入れ、常にそれを持ち運んでいたとしなければ辻褄が合わないのだ。

「ああ、はい、いいえ。持ってきたわけではなく、『用意』させて頂きました。丁度持ち合わせがありましたので」

なるほど、と、ティベリウスは内心で掌を握りこぶしで叩いた。
確かに鳴無兄妹には一時期自分の助手まがいの事をさせていた時期もある。
その時にいくつかの技術を盗まれていたのか。
何しろ、二年もの間、ブラックロッジにも匹敵する実力をひた隠しにしてきた様な連中なのだ、それくらいはしてもおかしくはない。

「変なもの使ってるんじゃないでしょうね」

懸念があるとして、それはどれほどティベリウスの技術に近づけられているか、という部分だろう。
死体から女性的な美しさを引き出す事に掛けてはティベリウスは一切の妥協を許さない。
二年の内の数カ月程度でその技術を完全に盗めると思われても困る。
背に迫るアリスンの気配が距離を開けたためか大分遠くになったからか、ティベリウスの中には、少し時間を掛けてでもそのパーツの出来を検分してやろうかと考えられるだけの余裕が生まれ始めていた。

「変なもの? 冗談じゃありません、用意したの予備は百パーセント、間違いなくティベリウス様に合致します。いいでしょう、もう十分引き離しましたし、次の角を曲がった所に美鳥と待機させてますから、検分してもらってもかまいませんよ」

背を向けている為に表情こそ見えないが、卓也はティベリウスの言葉に多少の不満を抱いたらしい。
普段の慇懃な態度からは想像のつかない、意地になった様な口振りを僅かに可愛いかもしれないと思いつつ、ティベリウスの頭には一つの疑問符が浮上する。
美鳥『と』待機させている。
と? 言い方を間違えたのだろうか。
考えている間にも卓也の妹、美鳥が待機しているという角が迫る。

「お兄さん、こっちこっち」

「アタシを待たせるなんて、大導師殿のお気に入りだからって調子に乗りすぎじゃあないのぉ?」

そして、その通路の角から、二つの影が顔を出した。

「…………………………………………え?」

二つの影。
美鳥だけではなく、もう一人。
道化衣装に身を包んだ、不思議と良く通るダミ声の男。
その男を見つめたまま放心するティベリウスに、満面の笑みを浮かべた卓也が腕を大きく左右に広げて振り返る。

「どうです、この『ティベリウス様の予備』は! 何しろ魂(ゴースト)の部分は同一存在ですからね、外見(シェル)を整えてやれば、直ぐにでも入れ替えて出撃が可能ですよ!」

屈託の無い笑顔で告げる卓也に、しかしティベリウスは声を返すこともできない。
男──ティベリウスの予備を見つめたまま固まってしまっている。
いや、よくよく観れば、その身体が雪の中に裸で放り出された人間の様に震えているのが解るだろう。

「な、なん、で」

「はい? なんで、とは、何を指しての事で?」

ようやく搾り出したティベリウスの言葉に、卓也は首を傾げながら問い返す。
もはや目に見えて震えだしたティベリウスは、未だ骨と神経が剥き出しの手を突き出し、卓也の言う、『ティベリウスの予備』を指して、震える声で叫ぶ。

「なんで、アタシの身体が、ソコにあるのよぉ!?」

──そこに存在したのは、この周におけるティベリウスが魔術師になる時に最初に捨て去った最初の、生まれ持った素の身体であった。
正確に言えば、それは卓也の作り出した別の周のティベリウスの複製なのだが、少なくともこのティベリウスの目にはそう映っていた。

「……ははぁ、なるほど」

「あー、つまり、そういう」

何もかもに納得したと言わんばかりに頷く卓也と、事態を察した美鳥。
二人の表情に、ティベリウスは身を震わせた。
その視線は、嘗て、魔術師になる前の非力なティベリウスが何よりも恐れた視線。

男なのに、男が好き。
男の身体に、女の心。
そんな自分に向けられる、奇異の視線。
自分を変えるために、魔術を始めた切っ掛け。
ティベリウスの原風景の一部。

この周におけるティベリウスは、アンチクロスの中では例外的な存在である。
アンチクロスの中で一人だけ、生まれた時点での設定に何一つ手を加えられていない。
たった一つ、人間としての死を切掛けに性癖を歪める事無く、男好きのままに魔術師になった事を除いて、このTSティベリウスは通常のティベリウスと何一つ変わらない。

そう、死体を継ぎ合わせた美少女の身体を操るティベリウスは、紛れも無い『男』。
魂を魔導書に刻みこみ、肉体を感応魔術による遠隔操作によって操る術を得たことで、女性としての肉体を手に入れた、男の魔術師なのだ。

「な、何よ、何よ、何よ何よ何よ! 何がおかしいの! 言いたいことがあるなら言えばいいじゃない!」

捨て去り、ブラックロッジの中では誰一人として知らない自らが生まれ持った本性。
それを見せつけられるのは、ティベリウスにとってはひどい当て付けであった。
男に好かれる女を研究し、媚びるような口調も動作も身に付けたのは、自分が男であったという事実を塗り潰すためのごまかしでしかない。
その事実を知られ、改めてつきつけられ、ティベリウスはみっともないほどに狼狽し、そして、それを誤魔化すかのように癇癪を起こす。

ティベリウスはここまで、魔術を覚えてから今現在に至るまでに、常人であれば傍からその光景を見ているだけで正気を失いかねない様な所業を幾度も繰り返している。
他者を犯し、殺して死体を生み出し、死体を切り刻み腑分けして死肉を作り出し、死肉を継ぎ合わせて身体を作り、その身体に乗り移り、そしてまた誰かを犯し、殺し……。
それほどの所業を繰り返し、それらに関して言及されようとも微塵の罪悪感も無く、『やりたいからやった』『具合のいい連中のモノは残してもある』などと言いかねない。
そんなティベリウスが、たかが自分の生まれ持った性別を看破されただけでここまで狼狽える。
不思議に思うだろうか。
だが、これこそが、ティベリウスの原点にして、唯一のウィークポイント。
生まれ持った性別と、それを受け入れられない自分。
どれだけの人数の異性や同性をを抱こうと、犯し、殺し、自らの一部として取り込もうとも消すことの出来無い、決定的なコンプレックスなのだ。
この一点についてのみ、ティベリウスはブラックロッジのアンチクロス、ティベリウスとしてではなく、生まれ持った自分、性に悩み、その問題から逃げ続ける一人の人間として向き合わざるを得ないのだ。

「だ、大体ねぇ! これが予備っていうなら、このアタシはどうなるってのよ!」

激昂し、片手で予備を指さしながら、自らの胸にもう片方の掌を当てるティベリウス。
卓也はそんなティベリウスの怒りなどどこ吹く風、いやむしろ、『こいつは何を言っているんだ』と僅かに理解に苦しんでいるような表情。
そんな卓也に代わり、予備の隣で、頭の後ろで手を組んで様子を見守っていた美鳥が、あっさりと答える。

「そりゃ、用済みだし、処分するに決まってんじゃん」

「な……!」

「まぁ、言葉を濁さなければそうなりますねぇ」

美鳥と卓也のあまりといえばあまりな発言。
二人から離れようと身を翻した瞬間、ティベリウスの身体から力が抜け、視界が霞む。
ティベリウスがこの世界で最後に目にしたもの、それは、自らの魂が刻まれた魔導書が、嘗ての部下二人の手によって、虚空から引きずり出される光景であった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

そんなこんなで。
TSティベリウスを改造済みのティベリウスと入れ替え、デモンベインの格納庫へと突撃させた、その十数分後。

「いやぁ、ティベリウスの鬼械神ともう一人の鬼械神は強敵でしたね」

《ああ、つっても、卓也のアイオーンが居たお陰でかなり楽に戦えたけどな》

《あたしも居たろが。てめーは主人公しか目に入らないギャルゲのヒロインかっつうの》

《ギャルゲ……?》

「アルさん、そこに突っ込む必要はありませんよ」

ティトゥスとかぜぽを完殺し、ティベリウスを俺の作り出した複製と入れ替えた時点で、完全に舞台は俺の掌の上。
俺と美鳥の事を言わないように組み替えたティベリウスと、そのティベリウスが死体を操って動かしたかぜぽの召喚した鬼械神を、デモンベインとダブルアイオーンでささっと何のドラマもなく片付けて、この場は一安心である。
詳しい描写を省いて四行くらいのあらすじにすると、
―――――――――――――――――――
『チクショオオオオ! くらえティベリウス! アトランティス・ストライク!』
『さあ来なさいデモンベイン、アタシは実は一発蹴られただけで死ぬわよオオ!』
バキィ。
『グアアアア! こ、このTHE・不死身と呼ばれるアンチクロスのティベリウスが……出来損ないの鬼械神に……バ、バカなアアアアアアア!』
―――――――――――――――――――
今さっきこんな感じのやり取りが終わったとこ。
ちなみに俺と美鳥は大十字との連携でクラウディウスの呼び出した鬼械神(ロードビヤーキーじゃ無かった。性能的にはアンブロシウスのマイナーチェンジ版みたいな感じ)を叩き落としたり、ベルゼビュートのスターヴァンパイアとかを無効化したりした。
かぜぽの死体を操ってるティベリウスを支配してるのが俺達だから、八百長もいいところなんだけども
ベルゼビュートにしても、いい感じの角度でアトランティス・ストライクが入ったのを確認して、こっちで自爆させただけだし、ティベリウスに至っては複製した魔導書を灰に変換して消滅させただけ。
この流れも俺がティベリウスの複製とか作ってる部分を除いて、大導師の掌の上。

「まぁね、まあまあね」

大十字のデモンベインと美鳥のアイオーンに接続した通信に聞こえない程度の小さな声で呟く。
そのまま仮想コックピット内部に敷いた座布団に座り込み、こたつ布団を捲り脚を入れ、ポットのお湯を急須の中にこぽこぽと注ぎ込む。
使っている葉っぱは、元の世界のスーパーで何気なく購入した品の複製であり、なんら特別なところのない既製品に過ぎない。
だが、こうしてお湯を注ぐとどうだろう、僅かに甘さすら感じるこの香り高さは。
湯の温度は七十度がいいとかどうとか、そういう細かい作法もあるのだろうが、ここはシンプルに一分半蒸らすのみ。

「とはいえ、未だ上空のクトゥルーは健在、それに、あの中にはまだアンチクロスが二人も残っているんです。油断は禁物ですよ」

こたつの上に乗せられた器からミカンを一つ取り出しながら大十字に釘を刺しておく。
ああ、なんとなく取り込んでおいた物を複製しただけのミカンだけど、これは中々に良いミカンだ。
手に持って揺すった時の反動がぽすぽすと軽くて、皮と実の間にそれなりに隙間があるのが解る。
そういえば、この世界だとクトゥルフじゃなくてクトゥルーが邪神の間でも通用する公式な呼び方なんだよな。
慣れの問題なんだろうけど、個人的にはクトゥルフの方が呼びやすいから、少し困る。

《……ああ、なんつうか、今まさにそんな感じだな……!》

通信越しに聞こえる大十字の声が緊迫感を取り戻す。
クトゥルーからのプレッシャーが増し始めているのを肌で感じ取ったのだろう。
このTS大十字は、結構な敏感肌である。
ノミと同じサイズの生物兵器を自力で迎撃出来る程ではないにしろ、クトゥルー内部のアンチクロスがクトゥルーを操作したならば、その予兆を感じ取る事が出来る程度には察しが良い筈。
感受性が豊かってのはこの世界の魔術師にとって紙一重な才能なんだけど、そこら辺はニャルさんが上手いこと調節してくれるのだろう。

「たぶん、力の基点の一つとして眼球が露出すると思いますが、正気を砕かれるので目を合わせないでください。アルさんは先輩に精神防壁と、デモンベインに防禦魔術の準備を。美鳥、俺達は結界広めに。地下基地を覆える程度にな」

《言われるまでもない》

《あいあーい》

二人の返事を確認し、俺はミカンの皮を剥く。
ううむ、この白いのが僅かにミカンの水分で剥離してる感じ、当たりを引いたな。
地下施設全体を覆える程度に旧神の印(エルダーサイン)が刻まれた結界を展開しつつ、ミカンの身に親指を挿し込み左右に割る。
半分に割った実を更に小分けにして、口の中に放り込む。
しばし口の中で実を転がしつつ、白い筋を舌と歯で刮げとっていく。
十六型ブラウン管テレビ風のモニターには、夢幻心母と融合したクトゥルーの目玉。
くりくりっとした血走った眼球は、こうして寛ぎながら見る分には中々にキュートなデザインだと思う。

《来るぞ!》

アル・アジフが、クトゥルーから発せられる宇宙的なエネルギーの爆発を感じ取り警告する。
直後、仮想コックピットが僅かに揺れる。
体感で、震度2といったところか。
生憎とボス程コックピットに物を持ち込んでいないので、荷物が倒れる心配は無い。
アイオーンの機体構造に干渉し、仮想コックピットを微調整することで揺れは完全に収まった。
一心地ついたので、口の中のミカンを噛み締める。
強すぎない酸味と、しつこすぎない甘み。単品で食べるならこれくらいのバランスか。

《ぐう、あ、ぁ》

大十字が、悲鳴を堪えるような呻き声を上げている。
アイオーンの仮想コックピットの揺れは収まっているが、クトゥルーからのエネルギー照射は未だ続いている。
アル・アジフが如何に機神招喚以外の全ての記述を取り戻しているとしても、デモンベインのポテンシャルでは搭乗者にも多少の負荷が掛かるだろう。
また、物理的な負荷だけでなく、少なからず大十字の精神にも影響を及ぼしている筈だ。
急須を手に取り、湯のみに緑茶を注ぎながら、デモンベインを庇う様にアイオーンを移動させる。
咀嚼していたミカンを飲み込み、大十字に励ますようにゆっくりと語りかける。

「先輩、お腹の下らへん、丹田に力を込めて、ゆっくりと深呼吸です。……大丈夫、先輩なら、耐えられます」

《お、おう……これくらい……余裕だっての……》

余裕ならいいかな。
湯のみに口をつけ、傾ける。
うん……いい味。
こう、初めてまともに大十字のサポーターをしたと思ったら、大導師の中では俺が大十字を篭絡する感じの計画が出来上がってて、しかもその計画とぴったり合致してしまっているこの現実が与えるストレスから解放してくれる、優しい味だ。
よっぽど下手くそな淹れ方でもしない限り、渋みだけじゃなく優しい甘みも出てくるんだよな。
やっぱり、日本人なら緑茶。大十字もコーヒーじゃなくて緑茶にすればいいのに。

《お兄さん、シリアスシリアス。まだ本番中だよ?》

鬼械神を介さない脳内の直接通信。
俺はポケットからラノベを取り出し、こたつの上でそれを開きながら答える。

《なんだよ、外から見たら俺のアイオーン、凄くシリアスにデモンベイン庇ってるだろうが》

まぁ、このクトゥルーのエネルギー照射の中では他にどんなアクションを取っても分かり難いからってのもあるんだが。

《そりゃそうだろうけどさ……そのボスボロット形式のコックピットだけは勘弁してよ》

失敬な。
和室仕立て四畳一間のボスボロットと一緒くたにされては困る。
なんとこのアイオーン・コックピット・アナザータイプ、驚きの和室仕立て六畳一間に、簡易台所付きである。
居住性においては右にでるものは無いだろう。

《いいだろ、別に。送還する時にはダミーのコックピットから出る様に作ってあるんだから、バレやしないんだし》

それに、いい加減シリアスは疲れるのだ。
どいつもこいつも、勝手に過去のループの記憶を蘇らせたり、勝手に性の問題で悩んだり、勝手に盛り上がってラブコメしたり……。
みんなもう少しでいいから、人に掛かる迷惑とか考えて協調性を持つべき。
もうね、大導師の企みに乗っかる意図とか、無限螺旋を早める切っ掛けになるだろうと思わなければ何もかも放り投げて家に帰っているところだ。

《いや、お兄さんが良いってんならそれでいいけどさ、次の周からは『アレ』だよ?》

《だからリラックスしてんだろ。お前も、次の周は『アレ』なんだから、一分一秒をダラダラと過ごすがいいさ》

と、念話でやり取りしている間に、クトゥルーのエネルギー照射が終了した。
脳内の通信を切り、鬼械神同士の通信に切り替える。

「先輩、無事ですね?」

《ああ、なんとかな、そっちはどうだ?》

「こちらもどうにか。……ですが、あの攻撃を再び防げるかは微妙なところです。飛行ユニットを展開して、一気に敵の体内に潜り込みましょう」

無理だけどな。
俺の持つ金神と機械巨神由来のゴッド・アイが、クトゥルフの端っこに隠れたニャルさんの化身を捕捉している。
惑星保護機構に所属していそうな銀髪の美少女がスケッチブックのカンペを掲げているではないか。

《飛行ユニットっても……いや、そうか、アル!》

大十字が以前に説明を受けていた記述を思い出す間にも、事態は進行する。
ニャルさんの化身が口パクで何か言っている。
ええと、『カウントはいりまーす』かな?
カンペに書いておけよ……。

《凍てつく荒野より翔び立つ翼を我に! シャンタク!》

鋼鉄の鱗を重ねて作り上げられたマント状の飛行ユニットがデモンベインの背面に展開する。
化身がスケッチブックを捲った。
5。

《一番槍はてめえだ、大十字、しくじんなよ》

美鳥のムチャぶりを聞きつつ、アイオーンのシャンタクにエネルギーを多めに回す。
俺はその場に寝転がり、半分に折った座布団を枕に、ラノベのページを捲る。
ううむ、初料理がリゾットなのは許せるが、そもそも作り方を知らないのに作ろうとするのはチャレンジャー過ぎやしないか。
でもやっぱり、電磁力を操る美少女って言ったらレールガン女よりもこっちだ。
三巻で打ち切りなのが勿体無いが、これはこれで名作だろう。華の無い話なのに、彼女の戦闘に関してはセガール的な爽快感がある。無双的な意味で。
化身がページを捲る。
4。

《ああ、やってやるぜ!》

大十字の叫びを聞きながら、こちらもアイオーンを飛翔させ、迫る触手を魔銃で弾き飛ばし軌道を逸らす。
毎度おなじみのカムフラ手加減だが、そこはそれ、ソードベントが緑色の樹脂で覆われた金網を切り裂けないのと同じく、下手に威力が高すぎるよりは不自然な光景には見られないのだ。
化身が再びページを捲る。
3。
俺もラノベのページを捲る。
あれ、この魔女って、能力的に劣化一方通行じゃね?

《うおおおおおおお!!》

まだ叫んでいる。
喉が潰れたりはしないのだろうか。後で喉にやさしい桃のシロップ漬けをあげよう。
ミードも混ぜてあるので幻覚まで見れる優れ物だ。
それはともかく、大十字が無数のクトゥルーの触手相手にアチョー避けを敢行しているのが叫びの原因だろう事は明らかだ。
呪文螺旋にて拡散砲撃。
触手を全て吹き飛ばさない程度にズタズタに引き裂き、デモンベインが通り抜けられる穴を創り上げる。
カンペが捲られ、カウントは2に。
俺もページを捲る。
やっぱこの作品、三巻のボスキャラが一番ヒロインぽい。
個人的には酒場の主人が姉属性でいい感じだけど、出番がな……。

《レムリアあぁぁぁぁ……!》

クトゥルーと融合した夢幻心母に、あと一足で届くかという所で、デモンベインのレムリアインパクトが発動準備に入る。
が、ここで化身が思わぬ行動に出た。
カンペを、二枚同時に捲ったのだ。
カウントは0。
だがニャルさんの化身よ。それでもお前は遅い。あまりにもスロウリィだ。
カウント五の段階でクロックアップを行なっていた俺は、既にこの一冊を読了している──!

《────!?》

読了したラノベをポケットの中に再びしまうと同時に、クトゥルーから目的地のイメージが照射される。
ちなみにこのイメージ、クトゥルーの操作を行なっているニャルさんのものではなく、ワープを強いられたクトゥルーの必死の抵抗だ。
森に撒かれた白い小石とか、ラピュタを射した飛行石とか、そんなのと同種。
Yの門が映像に映し出されているのはあれだ、喪服の結婚式とか、自分が生贄に捧げられてるシーンとかを見せてヒーローを奮起させるヒロイン特有の習性なのだ。
つまり、デモンベイン全編を通しての共通ヒロインであり、触手でずっぽりイッてしまっている暴君ネロと同じ立場だというアピールなのである。

「厄介な相手だ……」

中ボスと要塞と、更に攫われ系ヒロインまで兼任しようとは、業の深い。
ヒロインラスボスの法則は、この頃から存在していたとでも言うのか。

《まったくだ。あの巨体に攻撃力で、まさか転移まで使うとは》

何やら俺の台詞が勘違いされたようだが、特に訂正する必要もないのでそのまま聞き流す。
主である大十字の基礎ポテンシャルが高いお陰か、この時点で何が起こったかまで理解しているとは。

《この状況で、クトゥルーが向かう先なんて、一つっきゃねえよな》

「海底都市ルルイエ、か」

所謂、南極大決戦である。
普段の周なら、ここからは鬼械神なりボウライダーなりで雑魚相手に無双して、大十字の前に道を作るだけのボーナスステージか新兵装の試し撃ち会場なのだが。
今回はそれに加えて、夢幻心母に一緒に突入し、大十字と接触する前にアヌスを始末しなければならない。
地球皇帝はニャルさんが保証してくれたから、労力は半分で済むが……。
はっきりと面倒くさい。
何が面倒って、不自然さを出さない為に、夢幻心母突入と内部で二手に分かれるところまでは鬼械神で行かなければならないところだ。
鬼械神を介して直接アヌスの所に向かうのが一番早くて簡単なのに、二度手間もいいところである。
が、嫌だ嫌だと言っていても何も始まらない。
とりあえず、放っておいたら南極の流氷の上で決闘を申し込んで来そうだったサムライは始末してあるだけ『まし』だ。
ここは大人しく労働に勤しみ、トラブル無く大十字を送り出すことだけを考えるとしよう。

―――――――――――――――――――

×月÷日(もうひとふんばり)

『もうひと踏ん張り、って言うけど』
『便所でもうひと踏ん張りが必要な場面って、大概、ンチのキレが悪い時なんだよね』
『だから、なんというか、今のこの南極に向かうまでの時間って、拭いても拭いてもこびりつく感じのアレに似てるというか』
『決戦準備をして南極に向かうまでのこの時間は微妙な時間だ、適当にデモンベインの調整でも手伝っておくかな』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

クトゥルーの突然の消滅に、アーカムシティの人々は愕然とするよりむしろ、ただただ呆然とするだけだった。
それもそうだろう。
人間の魂そのものを崩壊させかねない程のプレッシャーを以って君臨していた威容が、跡形もなく消え失せてしまったのだ。
当事者であり、クトゥルーの進路に大体の予測がつく私達でなくても、あれが意味もなく消滅したなんて、信じられるわけがない。
ブラックロッジの連中の意思によるものかどうかは知らないが、クトゥルーは自分にとってのホームグラウンドに戻ろうとしている。
そして、伝承に残る海底都市ルルイエの記述を考えるに、それを浮上させるなんてことをさせるわけにはいかない。
この戦い、これまでにない激しい戦いになるだろう。
地下基地が破壊されるとか、アーカムが破壊されるなんてのが可愛く見えるような規模の戦いが来る。
アンチクロスの襲撃とクトゥルーの破壊によって満身創痍の覇道基地ではあったが、全ての職員、設備をフル稼働させて来る決戦の準備を行なっている。

「あ────っ! 何してくれとんねん! こんな無茶な設計、負荷が強すぎて一発でショートしてまうやろうが!」

「あ、それはいいんですよチアキさん。今のデモンベインは僅かながら自己修復機能がついてますから、多少のリスクは無視してしまった方が勝率も生存率も上がります。ですよね?」

「ふん! 良くわかっているではないか。もっとも、修理の手を必要としないというのも美しくはないのであるが」

降着状態のデモンベインを見上げると、整備士兼執事のチアキさんと卓也、そしてドクターウエストが喧々諤々と話し合いながらデモンベインの調整をおこなっていた。
ブラックロッジの犯罪者という事で反感を買っていたウエストだが、間に卓也が入ることで割りとスムーズに仕事を進められている。
なんでも、二人はブラックロッジとはまったく関係ない食堂で良く顔を合わせており、ちょっとした顔見知りであったらしい。
『彼女の学生時代の論文も、確かミスカトニックに残っている筈です。結構面白いですよ。家庭菜園が楽しくなりますね』
とは卓也の言葉だ。
ウエストがミスカトニック出身だった事も驚きだが、少なくとも『長ネギに宿る霊的脅威』とやらは、こんな最終決戦直前に読むようなものではないだろう。

……こういう時、戦いの無い時には、私はあまり役に立つことができない。
それは当然のことだ。一人で何もかもができる訳じゃないなんて、ずっと前に理解している。
でも……、

「ほれ」

「ひゃ!」

首筋に、僅かに濡れた、固く冷たい感触。
振り返ると、コカ・コーラの瓶を持った美鳥が居た。

「な、なんだ、脅かすなよ……」

「気配を消してたわけでなし、これくらいで驚くなっつーの」

言いながら、私の横、置かれた資材の上にどっかと腰をおろし、資材の上で片足だけ胡座をかく美鳥。
手に持っていたもう一本のコーラの瓶、その王冠が付いたままの呑口近くを親指で軽く弾くと、綺麗な切断面を晒して瓶が切れ、そのまま断面に口を付けて傾け煽る。
見た目の可憐さに似合わない豪快な飲み方だ。
いや、こいつの場合、口調も表情も行動も基本的に外見を裏切っているんだけど。

美鳥に習い、私もコーラに手をつける。
あそこまで豪快な開け方はできないので、歯を使って王冠を外し、中身を口の中に注ぎ込む。
しゅわしゅわと弾ける炭酸が爽やかな、アメリカンドリンク。
刺激と並行して感じる複雑なフレーバーと甘みが脳に染み渡り、雲がかかっていた様な気持ちが少しだけ軽くなった。
なんだか、久しぶりに飲んだ気がする。

「変に気張りすぎだ、てめーは。パイロットってのはな、こういう時にゃどっしり構えて身体を休めとくもんなんだよ」

パイロットが云々の件は妙に実感が篭っているのは気のせいだろうか。
時々こいつの、こいつらの経歴が凄く気になる時がある。
小さい時には日本の農家の子供だった、とかは聞いてるけど、そこから魔術師になるまでにパイロットの経験があったりするんだろうか。

「そうは言うけど……実際、あいつは今もなんかやってるし」

「ああ……まぁ、お兄さんも手持ち無沙汰なんだよ。機械いじりは好きな方だと思うし、魔導工学をメインにしてた頃もあったから」

「そういうもんか」

でも、なるほど。
デモンベインの上でウエストやチアキさんと話している卓也の表情は、心なしか何時もよりも無邪気な感じがする。
私が見たことのない表情。思えば、あいつが趣味に没頭する姿を見たことは無かった。
ああいう顔、するんだ。

しばらくデモンベインの上の卓也を見つめていたら、隣から視線を感じた。
資材に座りっぱなしの美鳥が、こちらを見てにやりと猫の様に笑っている。
見上げるのではなく、首を曲げて、まっすぐに顔を向けている。

「かわいいだろ。やらねーぞ」

こいつはこういう時、人の目を真っ直ぐ見つめて物を言う。
奥底を見透かされる様な感覚。
釘を刺されたようで、ドキリとする。

「…………べ、べつに、欲しくなんかねえし」

「あ? お兄さんが要らないとか何様だよてめー」

誤魔化すように目を背けたら、背中に向けて掛けられるやや低くなった美鳥の声。

「結局どう答えりゃ満足なんだよお前は……」

たぶんこいつは、欲しいと答えたら答えたでまた文句を言うのだろう。
兄を無碍に扱われるのも嫌なら、誰かに取られるのも嫌というワガママを素で押し通そうとするのがこいつなのだ。
こういう場面での協調性の重要さを教えるために、少し文句を言ってやろうか。
そう思い視線を戻すと、そこには美鳥の真顔があった。
猫の様な笑いも、兄を無碍にされたという苛立ちもない、ニュートラルな表情。

「あたしになんか言ってる内はダメだね。本人に直接好きとか抱いてとか言うレベルじゃないと」

「なっ……、ばっ……!?」

真顔の美鳥の、平坦な発音での爆弾発言に、私は言葉を詰まらせる。
私の脳味噌と声を出す部分がまともに動き出すよりも早く、美鳥は言葉の先を口にした。

「定番だけど、『好きです、付き合ってください』とか。そうしたら、お兄さんは『ごめんなさい』って断るから」

「ちょおい!? 断られる事前提かよ!」

私の突っ込みに、美鳥は真顔を崩さず答える。

「あたしの見立てじゃ勝率は限りなく0に近いかんな。でもな」

「でも?」

「何の負い目もなく、『そうなりたい』って欲望を抱けるなら、形にした方がいい。あたしはそう思う」

「…………」

「メメメはそうした。そうなる過程は不自然だったかもしれないけど、不自然だって自覚も無かっただろうけど、あいつは真っ直ぐにお兄さんに飛び込んでいった。
形成される過程はどうあれ、湧き出した欲望は溢れ出す。身体と心を動かすのは欲望、クトゥルーを倒して平和な世界を取り戻したい、ってのと同じだ」

「メメメって誰だよ……」

「端的に言えば被害者。迂遠に言えば……なんだろ、過去、とか?」

これまでの、今までにない、実感の篭った言葉による重い雰囲気を、頭に浮かんだ疑問符で打ち消す美鳥。
なんだそりゃ、と呆れていると、美鳥はコーラの残りを一気に飲み干し、空き瓶を瓦礫の山の中に投げ捨てた。
がしゃん、と瓶が割れる音。

「大十字、お手」

「あ、うん?」

美鳥の出す空気に飲まれていた私は、素直に掌を上に向けて差し出す。
その上に、古めかしいデザインの鍵が乗せられる。
以前に見た、ナアカルコードの解除キーだ。
慌てて美鳥に視線を向けると、今さっき鍵を手渡してきた筈の美鳥は、既に格納庫の壁、避難所に続く廊下への扉の前まで戻っていた。
美鳥は私の掌、その上の鍵を指さしながら、大きくはないが良く通る声で告げた。

「お兄さんからテメーへ。『もう俺が管理する段階じゃない』だってさ」

「どういうことだよ!」

「信頼してるってことだろ」

そのまま背を向け、片手をひらひらと頭の上で軽く振りながら通路に消えていく美鳥。
鍵を手にしたまま、再びデモンベインの上を見上げる。
直接聞けば、本当の意味もわかるんだろうか。
……それは、この戦いが終わって、無事に生き残ってから尋ねる事にしよう。

―――――――――――――――――――

×月⊿日(決戦当日!)

『当日というか、実際にはアーカム崩壊から数日も経っていない』
『クトゥルーの正確な居場所を探し当て、急ピッチでデモンベインと艦隊の準備を済ませてからの強行軍』
『何をして時間を潰そうかと悩んでいたものの、実際に手伝いを始めてみれば時が過ぎるのはあっという間』
『何故だか仕事中、常に視界の端で大十字がこちらの事をちらちらと伺っていたのが見えたのだが、あいつは準備中にすることがないから仕方がないのだろう』
『残る問題は、本当にニャルさんが地球皇帝の言動を操作してくれているか、ということだけだが……』
『こればっかりは気にしても仕方がない』

―――――――――――――――――――

デモンベインの調整と、久しく使われていなかった専用輸送艦『タカラブネ』への積み込みなどで出遅れた覇道財閥の艦隊に先行していた各国の艦隊が、クトゥルーの呼び出した海魔との戦闘を開始していた。
通信から聞こるのは、無数の怒号と破壊された戦闘機や戦艦からのノイズ、そして、味方が次々に落とされながらも統率を崩すこと無く応戦を繰り返す軍人たちの雄叫び。
司令服を見に纏った覇道瑠璃は毅然とした表情で進行方向を見つめているが、大十字の焦燥はひどい。
本当ならもっと飛ばせないのか、とか言いたいところだろう。
が、この場にいるほぼ全員が大十字と同じ心境である事を理解しているために、そういった事を口にする事もできないのだ。

「アルさん、先輩はデモンベインでの長時間戦闘に耐えられると思いますか?」

こっそりとアルアジフの隣に近づき、顔を向けずに小声で尋ねる。
横目でちらりと表情を見るに、俺がこの質問をする事は予測の範囲内だったようだ。

「可能と言えば可能だが……お主ならどうする?」

「シャンタクは攻撃的な術式でも、複雑な術式でもありませんからね。軍隊さんの消耗はともかくとして、ルルイエランド浮上までの時間が心配です」

可能なら、浮上直後に入園したい。
宇宙三大絶叫マシーンと名高い『狂気山脈(マッドネスマウンテン)』にチャレンジするのであれば、やはり入園直後に全力ダッシュで向かうしか無いのだ。
隣に姉さんが居るわけでもなし、乗り物一つに乗るのに何時間も並んではいられない。
妄想の話はともかく、こうして同道して始めて気づいたのだが、やはりデモンベイン単体での運用には虚数展開カタパルトが必要不可欠なのだ。
仮に現時点でのデモンベインがシャンタクを使えなくても、虚数展開カタパルトが無事であったなら、マギウススタイルで現地近くまで飛んでいき、そこで機神招喚が可能だった。
虚数展開カタパルトを壊したのは、間接的には俺なわけだが。

「決まりだな。──九郎、デモンベインの元に行くぞ」

「そう、だな。せめて、到着したら直ぐに出撃できるようにしとかないと」

肩を落としながらとぼとぼとブリッジから出ようとする大十字。
どうやら、この時点でもまだ気付いていないらしい。

「いえ、出撃です。この際消耗云々を気にしてもいられませんからね」

「え、でもデモンベインは……あ」

そう、現時点でデモンベインはシャンタクを使用できるし、原作の流れでもシャンタクを展開した状態で空からの乱入を行なっていた。
直ぐにタカラブネの方も援護砲撃を開始していたようだし、現地に早く到着する為というよりは海から攻めこまれて船ごと撃沈されないように、という配慮なのだろうが。
事ここに至るまでにシャンタクに思い至らなかったのは、シャンタクを初めて展開したのがクトゥルフの砲撃直後、そしてイメージ照射の直前だったために、一時的に記憶から抜け落ちていたのかもしれない。
そんな大十字に背を向け、俺はブリッジから外に出る。

「美鳥」

「あたしたちが先導するんだよね」

屋根の上で腕を組んだ忍者立ちをしていた美鳥がくるりと身軽な動作で飛び降り頷いた。
そのまま船首側に向けて歩きながら、手早く表向きの方針を決める。

「デモンベインも勘定にいれるとして、鬼械神が三体」

ストッパーは必要ない、というか、一緒に居たら流れで正体バレされる可能性があるから地球皇帝戦には参加しないという事は事前に決めてある。

「先に言っておくけど、あたしはクトゥルー内部に突入するよ。アヌスの脳味噌に用事がある」

データを手に入れて、ついでにその手で殺すか。
残機は存在消滅でどうにでもできるから、これには特に異存はない。

《話を聞き出すなら、魔導書剥いどくのもわすれんなよ》

《わかってるって》

会話の合間、考えこむ素振りで作った時間を使い、通信で釘を刺しておく。
こいつの趣味嗜好とかこだわりを否定する必要はないが、せっかくの強化のチャンスを見過ごすこともない。

「じゃ、俺が外で艦隊の援護だな」

決死戦臭かったし、残る理由としては十分だろう。
原作の方の大十字にしても、クトゥルーに突入する寸前は心配そうだったし、三機居るのであれば、一機くらいその場の戦力に回すのは不自然ではない筈だ。
何なら、外で眷属の相手をしながら直接クトゥルフに攻撃を加えても良い。

甲板に到着、舳先の先端に立ち、手に偃月刀を鍛造する。
一振りして詠唱携帯、詠唱補助専用の携帯電話型に変形した偃月刀を掲げる。
美鳥の偃月刀も、何故か腕輪型、もっと言うなら、ゴングの付いた腕輪型に変形を完了したようだ。
ちなみに、俺も美鳥もその気になれば無詠唱ノータイムノーリスクで召喚できるため、このプロセスには趣味的な意図しか含まれていない。
……本当なら俺があっちをやりたかったのだが、仁義なきジョイメカファイト対決により決まったことなので文句は言わない。
どうせ今回一回きりの結果なのだ。

美鳥はキックボクサーの様なポーズを取りながら、腕輪に付いたゴングを鳴らす。
響き渡るゴングが待機中の字祷子を励起させ、続く呪文の通りを良くするのだ。

「来来獣!」

美鳥の、いや、艦隊の背後から、三次元的には未確定なエーテル存在が三体顕れた。
当然この演出にだってさしたる意味はないのだ。
なので、全然羨ましいとか無いし。マジで。全然羨ましくないし。

「マージ・ジルマ・マジ・ジンガ!」

もはや携帯すらまともに使わず、むしろ投げやり気味に握りつぶしながらの詠唱に、これまた不安定な五体のエーテル存在が顕れる。
隣の美鳥は呆れ顔だ。

「お兄さん……召喚のプロセスが抜けてる」

「この期に及んでアイオーンをマジマジン単体扱いとか無いわ。『ウーザ・ドーザ・ウル・ザンガ』なら真面目にやれたんだけどな」

あれなら、掲げるのはファンタジー色の強いブレードで済んだし。
ウルザードさんは紫色以外にありえないだろ常識的に考えて……。
あとガオシルバーも敵側に居た頃の方が格好良かった。
まぁ、ライバルキャラの格好良さを維持したまま味方になんて来られたら、従来のメンバーの人気が食われるのは目に見えているからこその処置なんだろうけども。

「まあいい、行くぞ!」

「アロンジー!」

仮想コックピットへの逆召喚ではない、伝統的な巨大ロボットへの搭乗法に従い、俺と美鳥はビルよりも高く飛び上がる。
空高く舞い上がった俺達の目の前では、朝の七時半からでは見られないような、極めて四次元に近い三次元的な変形を繰り返しながら合体していくゲキビースト(仮)とマジマジン(仮)の姿。
術者である俺と美鳥を芯に、平面の魔方陣が無数に展開し、球体を形成、仮想コックピットへ。
仮想コックピットを包むように、変形を繰り返していたゲキビースト(仮)とマジマジン(仮)のパーツが噛み合わさり──

「アイオーン・ウルフ!」

「アイオーン・キング!」

──双子のように同じデザインの鬼械神が召喚された。
勿論、名乗りにも特に意味はない。
別段片足が狼になっているわけでも無ければ、五体の鬼械神が合体して生まれた鬼械神の王様って訳でもない。
仮想コックピットは前回の1LDKではない、標準的なモーショントレースタイプ。
そんな仮想コックピットの内壁には、相互通信により、美鳥の微妙な表情が映し出されていた。

「……やっぱさ、召喚完了の瞬間が一番恥ずかしいよね」

照れているような、困惑しているような顔で、僅かに朱に染まった頬を人差し指で掻く美鳥。
たぶん俺も美鳥と似たような表情をしているだろう。今この瞬間、心は一つだ。

「わかる。変身とか召喚を実行してる最中はいいんだよな。テンション上がるし」

気分によってBGMを流したっていい。
が、現実はそう美味しいことばかりではないのだ。

「何が辛いって、決めポーズを取って、余韻を味わった後の『間』が辛いよね……」

「三十分番組内部の残り数分戦闘じゃないからこその欠点だな。時間に余裕がありすぎる……」

心地良い余韻が徐々に痛々しい空白に入れ替わっていくこの感覚は、実際に長めのネタ召喚をやったことのある者にしか解らない痛々しさだろう。
だからこそ、普段は正式な詠唱か、もしくはアクセスッ! とか、マテリアライズッ! とか、エンタングルッ! 程度の短文で済ませているのだが。
だが、これも仕方のない処置だ。

「まぁ、次の周はまるまる羞恥プレイだし、これくらいは慣れておかないと……」

「仕方ないね……」

仮想コックピットの中、後方から俺達を追い抜かんとする勢いでタカラブネから飛び出してきたデモンベインを見ながら、俺はがっくりと肩を落とすのであった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

クトゥルフと融合を果たした機動要塞夢幻心母の内部は、見るも悍ましい光景だった。
血管の様な管が縦横無尽に這いまわり、人工物の内壁は桃色に蠢く神の肉によって斑に覆われ、脈動を繰り返している。

「これぞ血管住宅だなー」

シャンタクで飛翔しながら、片手に構えた偃月刀を無造作に振るい、斬撃波で肉壁を切り裂くアイオーン。
時折ボディの彼方此方に増設されたコンテナから小型の魔導兵器や爆弾を投下し、破壊活動に余念がない。

「でも本当に大丈夫だったのか? あっちに卓也一人で残すなんて」

速度を落とさず破壊活動を続けるアイオーンに対し、飛行に専念するデモンベイン。
これも役割分担の一つ、デモンベインの火力温存だ。
邪神の力を借りて武装に込める通常の鬼械神では、最悪、クトゥルーとの直接対決になった時に火力が足りず、仕留め切れない可能性がある。
要塞の最奥で、クトゥルーの制御を行なっている魔術師と対決するのであれば、それはデモンベインをおいて他にはない。

「だいじょぶだいじょぶ、そもそも、犠牲の数を考えなければ、軍の艦隊だけでもどうにかできただろうしね」

術者である美鳥の動きをトレースしているのか、ひらひらと偃月刀を構えていない方の手を振るアイオーン。
しかし、次の瞬間にはその手の中に輝く字祷子が収束し、形容しがたい宇宙的なデザインの火器が握られた。
躊躇なく引き金を引き、虫の大群が出す羽音にも似た悍ましい銃声を放ちながら魔弾を吐き出す魔導兵器。
銃口はデモンベインに向けられているが、九郎が反応するよりも早く結果は現れた。

「それでもほら、一応立場的にはさ、見逃せないじゃん? 心情的にも見棄てられないだろうし」

魔弾は全てデモンベインをギリギリの所で避け、その向こう側、神の肉と人工物とが混ざり合って造られた拳を打ち砕く。
打ち砕かれた拳が肉と人工物の集まりに戻り、再び周囲の壁が鳴動する。
先の拳よりも大胆に、しかし迅速に寄り集まり、デモンベインとアイオーンを取り囲む様に三体の半人半機の巨人が現れた。
ウェスパシアヌスが召喚する使い魔。
鬼械神という巨大な魔術増幅装置でもあるサイクラノーシュを介する事により、生身の状態で召喚するよりも遥かに強大な力を得た三体の巨人だ。

「謳え! 呪え! ガルバ! オトー! ウィテリウス!」

何処からとも無く響くウェスパシアヌスの声に応え、三体の巨人が結界を結ぶ。
結界の中に閉じ込められたデモンベインとアイオーンに対し、三体の巨人は怨念に満ちた断末魔の声を浴びせかける。
びりびりと装甲を震わせ硬直するデモンベインと、武器を手放し身を丸めるアイオーン。

「だから、うん、さっさと行け。世界がどうのは知らねーけど、こいつを殺すのはあたしの仕事だ」

「……ああ、任せた!」

ダメージを受け、硬直していたデモンベインの姿が崩れ去る。
崩れたデモンベインは機械で造られた内臓を晒す事無く、きらきらと輝く粒子になり、解けて消えていった。

「っ! ニトクリスの鏡!?」

ウェスパシアヌスが見ていた限りでは、クトゥルー内部に侵入してからここまで、デモンベインが、もしくはアイオーンがニトクリスの鏡を発動している様子は無かった。
そう、これも九郎と鳴無兄妹の策の一つだ。
クトゥルフの魔力中枢と、制御を行う魔術師を排除しようとするデモンベインとアイオーンに対し、敵は当然妨害を仕掛けてくる。
三人の知る限り、残るアンチクロスは二人。
一人はクトゥルーの制御を行うにしても、一人は必ず迎撃に現れるだろう。
こちらは敵地に脚を踏み入れるのだから、当然相手は最初から罠を張っているに違いない。
ならば、どうするか。
必ず中枢にたどり着かなければならないデモンベインに、クトゥルー侵入の時点で晦ましの術をかけておけばいい。
だが、完全に見えなければ敵も必ず警戒する。
だからこそ、魔術的センサー、科学的センサーを欺く術で『ずれた位置にデモンベインの姿を映し続けていた』のだ。

「ミラージュコロイドも使った応用さ」

発生源の解らないウェスパシアヌスの声に、美鳥が何処に向けるでもなく声を返す。
身を丸めていたアイオーンが起き上がり、勢い良く両腕を開く。
同時、両腕の間の空間が歪み、弾けるように一つの魔導具が顕現する。

「ギラギラーン、ダブルッ、V!」

エレキギターとミュージックボードを組み合わせたかのようなその魔導兵器をアイオーンが爪弾く。
生み出されるのはハスターの運ぶ狂気のメロディ。
星間宇宙に響くソリタリー・ウェイブは、いとも容易く字祷子同士の結合を強制的に分断する。
崩れ去る三体の巨人に加え、姿を消していたウェスパシアヌスの鬼械神、サイクラノーシュも術式を乱され、その姿を表す。

「いやぁ、中々に、中々にやってくれるものだね」

術を破られ、しかしウェスパシアヌスは余裕を崩さない。
脚の生えた円盤型の鬼械神の上で、にこやかに人の良い、母性すら感じられる笑みを浮かべている。
ウェスパシアヌスから見たアイオーンの操者、音無美鳥は、かなり即物的な部類に分けられる魔術師だった。
その印象は奇跡の復活劇を見せられた後でも、クトゥルーに侵入する前と後の鬼械神での戦いを見ても変わらない。
目眩ましに術のディスペルなどもできるようだが、それでも音無美鳥が第一に使うのは、相手を滅するための攻撃的な術式。
使い魔を命のストックとし、鬼械神を増幅器として多彩な術を操る自分の敵ではないと踏んでいる。

「だが、仮にもアンチクロスの一人である私と、その下位に属する君。正面から戦うには余りにも、余りにも力の差がありすぎるとは思わないかね?」

通常鬼械神で戦う場合、術者の魔術の多彩さはあまり役に立たない。
それは、鬼械神での戦闘を行う際には、威力などの関係から鬼械神に備えられた武装を主に使うからだ。
だが、サイクラノーシュは違う。
他の鬼械神と異なり、最初から呪文を発声するための器官が備わっている。
術者の智恵の届く限り、サイクラノーシュの取れる選択の幅は無限に広がり続けるのだ。

今も、サイクラノーシュの放つ魔術と、倒しても倒しても復活する三体の巨人の波状攻撃に、アイオーンは禄に反撃することも叶わず逃げ惑うしか無いではないか!
天候を操り放たれる雷を、三体の巨人の呪いを、物理的な打撃を浴びながら、しかしアイオーンの操者、美鳥は問いかける。

「一つ聞かせな、てめーが戦闘用に再調整した実験体、メタトロンの洗脳は解けるか」

「ああ……それは、それは無理だろう。何しろ、改造した時点で彼の心は壊れていたのだ。あれは洗脳ではないよ。もうあの状態で心が固定されてしまっているんだ」

それはある意味では嘘で、ある意味では真実。
メタトロンを改造した時点で、確かにライガ・クルセイドの精神状態はかなり不安定な状態だった。
妹に対し強い保護欲を抱いていたのも確かだが、不安定なそれが固まりきる前に手を加え、一つの『作品』として仕上げたのは他ならぬウェスパシアヌスなのだ。
無理というのも、メタトロンが既に引き返せない段階にあり、本人もそれを望まない事だけではなく、ウェスパシアヌスが自分の作品を弄る必要性を見出せないという点が大きい。
そこで、ふとウェスパシアヌスは気がついた。

「なるほどなるほど、君はつまりアレか。彼と彼女に、自分と兄の姿を重ねているのだね? しかし、それは、それはあまりにも滑稽だ。滑稽に過ぎる。彼の心は決して君だけに向くことはないし、重ね合わせたとして、君自身に何か益があるわけでもない」

ウェスパシアヌスの言葉に反論できない美鳥と同じく、アイオーンもまた、サイクラノーシュと三体の巨人の猛攻を一身に浴び続け、反撃すらしてこない。
圧倒的な立場から、相手を見下し、蹂躙し、支配するのは実に楽しい。
支配するので無くても、相対する敵が目的を達成出来ずにもがく様を見るのは、真性のサディストであるウェスパシアヌスにとって、研究に匹敵する娯楽となる。
白衣に身を包み、科学者然としたウェスパシアヌスであるが、実験の為に人の身体を切り裂く時と、戦闘で敵を圧倒している時、その胸は高鳴り、直接的な刺激も無しにオーガズムに達した回数は数え切れるものではない。

だからこそ、気付くことが出来なかった。
戦闘を観戦する自分の背後。
サイクラノーシュの装甲板から滲み出るように現れた、一つの存在に。
いや、ウェスパシアヌスでなくとも、誰が考えつくことができるだろうか。
超次元に存在する鬼械神の大本を経由し、鬼械神から鬼械神へと、何の気配もなく乗り換えることのできる者が存在するなどと!

「そうかい。マジつかえねー奴だな、てめー」

声を掛けられ、始めてその存在に気がつく。
ぎくりと身体を硬直させ、しかし素早くその場から跳ぶウェスパシアヌス。
だが、背後に迫る影はあっさりとウェスパシアヌスを追い抜き、振り向き様に顔面に廻し蹴りを叩きこむ。
何の魔術的な効果も付随しない、とても固い、頑丈な金属のフレームが内蔵されている『だけ』の安全靴の爪先が顔面に突き刺さる。
だが、それは肉体を魔術的に改造し、超人的な強度と身体能力を持つウェスパシアヌスの鼻を叩き潰した。

「ひぎぃっ」

潰された鼻で豚のような悲鳴を上げるウェスパシアヌス。
鼻血が止まらない鼻を抑えながらウェスパシアヌスが見たのは、どこにでも居そうな洋服をを纏った人影。
その少女が音無美鳥であると判別することのできたウェスパシアヌスであったが、それに対して何のリアクションも取れない。
痛みに思考が混乱し、喉は痙攣し、声を発することもできないのだ。
痛覚に対して常人以上の耐性を持っている筈なのに、既に人を超え、窮極の魔人をも創りだそうという私が、何故!?

「いいか……この蹴りは恵の……帰国子女な妹という美味しい設定なのに個別ルートも作ってもらえず、本番シーンは回想で済まされた挙句そのまま捕食され、時には銃殺され、更には家ごと焼かれ、ついでに実験台にされ、まともな生存ルートすら一つ二つしかない恵のぶんだ……。顔面の何処かの骨がへし折れたようだが、それは恵がお前の顔をへし折ったと思え……」

冷たく言い放つ美鳥の言葉に、ウェスパシアヌスの思考は更に混濁する。
恵とは誰か。
あの冷静な鳴無美鳥をここまで激昂させる存在は何か。
自分の使い潰した実験体の内のどれかか?
ウェスパシアヌスがそれを思い出す事はない。
何しろ、このウェスパシアヌスの過去の被験体の中に恵なる人物は存在しない。

「そしてこれも恵のぶんだッ!」

美鳥の左フック!
これ以上殴られては堪らぬと、手元に戻した使い魔の影に隠れるウェスパシアヌス。
だが、如何なる悪魔的な技であったか。

「また隠れるつもりか? だがそれはできねー。今お前の乗るサイクラノーシュに細工をした」

「ひっ!」

ウェスパシアヌスが使い魔の後ろに隠れると、そのウェスパシアヌスの背後にまた美鳥が居るではないか!
超人の身体能力を失い、二本の脚でひたすら使い魔の背後に隠れようとするウェスパシアヌス。
だが、いくら逃げても、何処に隠れても、必ずその先に美鳥が居る!

「ここでは、いくら逃げてもあたしの拳の前にてめーが来る。そして次のも恵のぶんだ。その次のも、次の次のも、次の次の次のも、その次の次の次の次のも……」

ウェスパシアヌスは震え上がる。
美鳥は、決して脅しで言っている訳でもない。
何かの見返りを要求するために痛めつけている訳ではないのだ。
美鳥は、アンチクロスである自分を、処刑しようとしている。
今の美鳥には、精神が正常か否かはともかくとして、言ったことを現実にするだけの『凄み』がある!

「ま、待ちたまえ! 何故、何故大導師に雇われていた君たちが……、大導師は、死んでいるというのに!」

「あ? 言ってることがわからねー……イカれてんのか? この状況で」

掌を突き出し静止をかけるウェスパシアヌスに、苛立ち混じりの視線を投げる美鳥。
だが、現状、何故か魔術が尽く発動せず、見た目通りの成人女性程度の能力しか発揮できないウェスパシアヌスにとってこの会話は唯一の逃走経路になる可能性があるのだ。
美鳥が先程から言っている恵という少女の事は思い当たらないが、美鳥自身の性格には多少聞き覚えがあった。
この少女は短絡的で即物的だが、それは大概の場合、兄の鳴無卓也の利益に繋がるのだという。

「そう、そうとも。君たちがどんな目的で未だにあちら側に手を貸しているのだとしても、中枢でアウグストゥスと大十字九郎が出会えば、全てが終わる! 何なら兄君と共に新たなアンチクロヴぇ」

言いくるめるための台詞が不自然に途切れた。
一瞬の間を置いて、ぶしゅ、と、水気のある何かが吹き出す音が響く。

「あぁーん? アンチクロべぇってなぁに? あたし、ぜぇーんぜんわかんねぇ。つうか、あたしもお兄さんもアンチどころかどっちかっていやぁ幸英推進派よ? DVDで柳生十兵衛七番勝負見たけど面白かったなー」

ヘラヘラと口元に笑みを浮かべ──しかし目元だけは一切笑っていない美鳥。
その手の中には、

「あ、あお、ああえお、あお、あ」

引き千切られた、ウェスパシアヌスの下顎が握られている。
遅れてやってくる、肉体の一部を損失した事による激痛。
だが、それは通常の成人女性として考えれば、かなり軽減された痛みだった。
ウェスパシアヌスの魔術が、この状況では発動している。
今ならば、応戦することも、逃走することも可能だろう。少なくとも、それを試みる事は。
だが、この状況も、この間合も不味い。
研究こそがメインではあるが、仮にも機神招喚を可能とする達人級の自分に、察知出来ない速度での攻撃。
そして、不意を突かれたとはいえ、魔術の発動どころか、身体に施していた改造すら無効化する謎の技術。
アンチクロスの下位に属する? 冗談ではない。
『こいつは、バケモノだ! 真っ向から向かって勝てる相手じゃあない!』
喉を、いや、その気であれば首をねじ切る事も可能だったのに、顎を狙った。
幸いな事に、直ぐに殺すつもりはないのだろう。痛めつけるためか、殺さない理由があるのか。
ここは一度、目の前の敵を欺くために──

「使い魔三匹で、命のストックはみっつぅ」

手の中のウェスパシアヌスの下顎を投げ捨てながら口ずさむ美鳥。
調子の外れたメロディに乗せられた言葉に、ウェスパシアヌスの血の気が引く。

「!」

「死に戻りとか、死に抜けとか、させるわけねーだろ。あたしはな、お兄さんの『妹』として、そして、『全日本姉×兄を暖かく見守りつつ少しだけでいいから兄×妹を推進したい妹たちによる現状維持委員会名誉会員(無認可)』としての義務を果たしに来てんだ。だから──」

ダメだ。
こいつは、知っているのだ。
如何なる手腕、如何なる技術、如何なる魔術によるものか。
種を暴かれている! 脱出の為のトリックは通用しない!

「苦しんで死ね」

ウェスパシアヌスは千切られた顎を抑えながら、獣もかくやという俊敏さでその場から飛び退く。
一足でビルを軽々と飛び越える、位階の高い魔術師ならではの身のこなし。
だが──

「『約束された(エクス)──』」

先の宣言通り、逃げた先にはやはり美鳥の姿。
その手の中には、細長い、長さ六十センチ程の長さの棒状の物体が握られていた。
先の部分が半円状に曲がり、先端には切れ込みの入った、鈍色の金属質の物体。
魔導兵器か、いや、それこそが、彼女が人以外の種族である事実を証明する、宇宙的アーティファクト。

「『──勝利の鉄梃(カリバール)』!」

その先端から金色に輝く魔力の奔流を吐き出す──事もなく、そのままフルスイングで逃げるウェスパシアヌスに向けて振り抜かれ、その背を『頭一つ分低く』した。
低くなった背はそのままに、赤い液体を噴出するウェスパシアヌスの身体。
鼓動に合わせて断続的に降り注ぐ赤い雨は不思議な事に美鳥の身体を濡らす事もなく、全てその身体を避けてサイクラノーシュの装甲に降り注ぐ。

赤い雨の中、ウェスパシアヌスの死体に見向きもせずに歩き出す美鳥。
美鳥の立ち去った後、ウェスパシアヌスの死体が使い魔の死体と入れ替わり、使い魔の居た位置に無傷のウェスパシアヌスが表れる。
そして、ウェスパシアヌスが死亡から復帰すると同時に見たのは、横殴りに迫る鉄梃。
最初の一呼吸をするよりも早く、頬骨を砕かれ、鼻と頬肉毎力任せに骨片を引きぬかれ、もんどり打って倒れるウェスパシアヌス。
激痛に身悶えるウェスパシアヌスに、ゆっくりと歩み寄る美鳥。

「あと三回、か……全国の報われない宿命を背負わされた妹の無念をぶつけるにゃあ、少し足りねーかもな」

ウェスパシアヌスは、それを正面から視界に入れてしまう。
ああ、ああ!
あの『目』、屠殺場に送られる豚を見送る様な、温度の無い『目』が!
バールのような何かを握りしめた、自らの顔面を殴りつけた拳を見ながら、ウェスパシアヌスは必死でこの状況からの打開策を思索する。
……あえて、都合四度目の死をウェスパシアヌスが体験し終えるまでに得られた結論を挙げよう。
『如何に思考力と想像力に優れていたとして、それを実行するだけの能力が無ければ、現状を打開する事はできない』
数々の孤児や一般人の身体を切り開き、実験動物としてきた悪魔の研究者、魔術師ウェスパシアヌス。
その最後の死亡原因は、逃げ場を防がれ、ありったけの魔術を片端からディスペルされながら、首を手刀で切り飛ばされるという、至極呆気のないものとなった。

―――――――――――――――――――

ウェスパシアヌスの生首と亜空間に隠されていた魔導書、そしてついでにたわわなニトロ山脈を取り込んだ私は、手に聖剣エクスカリバールを握り締めながら空を見上げる。
既にサイクラノーシュは消滅し、アイオーンの掌の上に乗っている私の視界には、毒々しい色の肉に覆われた夢幻心母の壁しか映らない。
だが、私の見上げる空には、確かに綺麗な朝焼けが浮かんでいたような気がした。
空には、消えていった仲間達の魂……。

「ヌケサク! 重ちー! ペッシ! 終わったよ……」

茶番が。
しかし、脳味噌と魔導書と脂肪の塊だけだから最適化は一瞬で完了したけど。

「洗脳ではない、か」

脳味噌から取り込んだ知識から見ても、それは尻穴の苦し紛れの嘘ではないようだ。
マザコン風に仕立てられてはいたけれど、あれは普段の周のサンダルと変わらない。
改造時に施した僅かな条件付けと、そこから改造後の肉体に慣らす期間を使っての思考誘導。
ナノポで直接脳の反応を弄る訳ではないから即効性は無いけど、理屈としちゃ、お兄さんがメメメに使った手と変わらない。
長い、それこそ、あの人格と思考を得るまでの期間の十数倍の時間を掛け、精神病院なりなんなりで付きっ切りの手厚い治療を続ければ正常な人格に戻すことも可能かもしれない。
が、それも成功する可能性は低い。治療中にメタトロン──ライガーが大人しくしているという保証はない。
いや、むしろ確実に治療を拒むだろう。

最悪、サンダル──リューさんへの攻撃性を、ヤンデレさを除去できればどうにかなるかもしれないけれど……時間が、圧倒的に足りない。
機械じかけのオレンジ方式でもダメ。それでは抑圧され、もっと歪んだものになるだけだ。
それに、これも問題がある。
完全にライガーの精神が正常になった時、過去の自分の罪を思い、自分は妹と共には居られない、などと言い出しかねない。

「あぁ」

衝動的になりすぎている気がする。
移動中の船の中で、
『やりたい事はやっておけ。これが終わったら二年以上の羞恥ロールプレイだからな』
なんて言われたから、思いつく限りの事をしたいのに、初手でけっ躓いてしまった。
これなら、残り時間全部で、お兄さんに犯して貰う方が有意義な時間になったかもしれない。
でも、やるって決めちゃったしなぁ。

「仕方ないね」

そう、仕方がない。
本来なら改造主の知識をベースにするのが一番確実だったんだけど、あてにならないのだから仕方が無い。
一か八か、ライガーの死体を回収して、ド・マリニーの『巻戻し』を試してみるか。
尻穴に引き取られる前まで脳味噌の状態を巻き戻す。
生身の肉体は存在しないから、ライカ・クルセイドのDNAマップから適度な年齢まで成長させた死体を作って移植させれば、一応の蘇生にはなる筈だ。
そしてそれをリューさんの所に置いておけば、兄の面影をみてついつい引き取ってしまうだろう。
ニャルさんとミ=ゴ☆ミ=ゴナースでも取り込んでれば、巻き戻しも脳移植も確実に成功させられたんだけど。
若返りで肉体年齢が、記憶の巻戻しで精神年齢が妹を下回るけど、それでこの周のライガーがリューさんの兄であった事実が、リューさんがライガーの妹であった事実が消えるわけじゃあない。
どんな形であれ、たとえ本人たちが違いがそれであると気が付かなかったとしても、あの兄妹が和解すれば、それが私達、『全妹会(略称)』の勝利だ。

だが一つ。
あの兄妹とは全く関係無いのだけど。

「これ、なんだろ」

聖剣エクスカリバール、いや、正式名称『名状しがたいバールのようなもの』を掲げ、あたしは首を傾げる。
咄嗟に取り出して使ってしまったが、【あたしはこんなものを取り込んだ覚えはない】何故あのジョジョ全開の場面からいきなりニャル子ネタに走ってしまったのか。
しかも【少なくともこれまで取り込んだどのような物質とも異なる組成をしている】単純な金属の塊を尻穴の処刑道具にしてしまうとか。
これが【どこの何者の齎したものであるかわからない以上お姉さんに一度相談する必要が】もう少し捻りの効いた拷問道具だったなら、苦痛を限りなく引き出してあげられたのに。
もう少し事前に手順を考えておけばよかった。
せめて【お兄さんがこれと接触あるいは使用しないように】お兄さんにこの後の行為で有意義に使ってもらおう。
あたしの【最適化を先延ば】ウェスパシアヌスにお兄さんの梃子の原理を作用させて欲しいとか、エロく言うとどうなるかなぁ。
例えばそう。

「し、しきゅぅが作用点になって、支点柔らかすぎて入り口がひろがっちゃうのぉ! とか、ううむ、さすがあたし決まってるぜ……『子宮が恋しちゃってる』と並び立つ逸材やも」

決まってるは決まってるでも薬がキマってる感じなんだけども。
馬鹿なことを考えつつ、バールのようなものを投げ捨てる。
あたしの扉をこじ開けられるのはお兄さんの万能肉鍵だけと天地創造の時代から決まっているのだ。こんなものに頼る必要はない。

そろそろ、アウグストゥスが排除されて、照夫がネロの腹からナーウ! って感じでイリュージョンごっこしている頃だろう。
見られる事はないと思うけど、脱出する前に激戦があった風に周囲を加工しておくのもいいかもしれない。
そんな事を考えながら、あたしはアイオーンのコックピットへと戻っていった。

―――――――――――――――――――

×月Γ日(とりあえず、一先ず終わった、という事で)

『気心の知れたメンバーを集めて、TS周の打ち上げをすることにした』
『集合のタイミングは大十字が門の向こうに旅立ってから一日後』
『世界中で難民キャンプが出来上がっている様な状況で焼肉パーティをするのは不謹慎なので、一応はアーカムの炊き出しを豪華にして、その配給を以って集まるという形になる』
『シュブさんもほぼ完治したらしいので、炊き出しの手伝いに来てくれるらしい』
『アーカムの連中は他の周でも大切なお客様になるので、可能な限り大切にしたいのだとか』
『実家で毎日大量に生まれるブランド物の山羊を大量に潰して肉にして持ってきてくれると言っていた』
『豚汁ならぬ山羊汁になってしまうのだろうか。焼肉も捨てがたいが、そこはプロの料理人であるシュブさんに任せるとしよう』

『……うん、次の周の事は、次の周が始まってから悩めばいいよね』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

南極の空に浮かぶ『門』を、手すりに肘掛けながら、ぼんやりと見上げる。

──生まれ変わり、男として再誕したマスターテリオン。
──旧支配者の住まう外宇宙へと繋がる門からは、やがてクトゥルーに匹敵するか、それ以上の力を持つ邪神が無数に雪崩れ込んでくる。
──あらゆる時間、あらゆる場所に繋がる門に入ったが最後、あらゆる時間あらゆる場所を渡り歩く事になる。
──行くのであれば、この時代、この世界には、二度と戻って来られない。

アルがくれた時間は、一晩。
一晩を掛けて考えろと言われた。
征くか、留まるか。
生まれてきてから得てきた何もかもを捨てて、今私の持つ総てを捨てて行く事ができるか、と。

一晩。こうして過ごすには、短いようで長過ぎる。
どちらにせよ、私は行くしか無いんだ。
行かなければ世界が滅びる。
私は、世界ごと殺されるつもりはない。
それに、この世界には、失いたくないものがたくさんある。
だから、私は行かなければならない。

「……」

格納庫で、ウエストとチアキさんと顔を合わせた。
デモンベインの最終調整は順調、夜明け前には万全の仕上がりにできるだろうと言っていた。
艦橋で、御曹司とウィンフィールドさん、執事さん達と話した。
私に何もかもを任せるのを申し訳なく思っているらしく、頭を下げてきた。
リューカさん、教会のがきんちょどもとも話をしたかったけど、それは高望みをし過ぎだろう。

空には門が浮かんでいる。
私の気も知らないで、何も考えてなさそうに。
視線を下ろす。明かりのない夜、海面は黒々とその内を隠している。
既に海魔の残骸すら残らず消え失せた海は平穏そのもの、何を写すこともない。

「何やってんだろ、私」

挨拶はした。
けど、まだ、誰にも総てを話していない。
門をくぐってしまえば、勝敗に関わらず、二度と戻って来られない事も。

手すりを離れ、通路を歩く。
かん、かん。
かん、かん、と、船の上、不思議な程に大きく足音が響く。
唸り声の様な船のエンジン音に、波の音。
足音の後ろに引いた音を聞きながら歩き続け、私は一つのドアの前にたどり着いた。

部屋の中からは話し声も聞こえない。
もう眠ってしまったのだろうか。
あんな戦いの後だというのに、よく眠れるものだ。
いや、逆にあんな戦いの後だから、疲れて眠ってしまったのか。

ドアノブを下げ、戸を開ける。
小さな船室。二段のベッドに、小さな机と椅子。
ベッドの上段は、カーテンが開いて中身が見えている。
誰もいない。

下段のベッドはカーテンが半開きになり、その中のベッドの上には、毛布が不自然に盛り上がっていた。
盛り上がりは、ガタイのいい成人男性くらいだろうか。

「──」

ふと、周囲を見回す。
部屋の中には、他に誰もいない。
隣の船室は空室なのか、誰かが入った気配すら存在しない。
改めて、下段のベッドに向き直る。
目撃者は、居ない。

「っ」

生唾を飲み込む。
そう、今この場所なら、目撃者は居ない。
そして、相手は眠っている。

胸元のボタンに指を掛ける。
ボタンに触れて始めてわかった。
指先が僅かに震えている。
喉もカラカラで、上手く声を出せない。
私は、ぷち、と、一番上のボタンを外しながら、毛布が膨らんだベッドに身を乗り出し──

「なにしてるんです、先輩」

「ひゅあ!?」

背後から掛けられた声に驚き、私はベッドに飛び込んでしまった。
そうしてベッドに飛び乗ると毛布が外れて、中身が顕になる。
それは、赤い鉢巻をした、純白のサンドバック。
太い眉毛と濃い瞳にへの字口な顔も描かれている。

「なんだ、この……なんだ?」

「それはボーナスくんです」

「え?」

背後から掛けられた声の主──卓也の言葉に首をかしげる。

「ボーナスくんです」

真顔で繰り返された。

「ボーナスくん……」

「はい、ボーナスくんです」

そういうものらしい。
卓也は私のとなりに身体を入れて、毛布の下からサンドバック──ボーナスくんを引き摺り出すと、そのまま床に横たえ、それに腰を下ろした。
机の上の電灯のスイッチを入れる。
部屋の中が、橙色の仄かに温かみのある光で照らされた。

「椅子を大量に入れると手狭になりますからね。こんな風に使う為に、誰かが持ち込んでいたらしいんですよ」

ベッドにあったのは、たぶん美鳥のイタズラでしょうね。
そう続ける卓也は、すっかりリラックスし切った表情。
少なくとも、自分の許可無く部屋に入られた事を怒っている様子はない。
開いたままのドアからは、手すり越しに見える海。

「……」

卓也の顔を見る。
卓也の視線はドアの外、夜の海を見つめている。
視線の先を追うと、空の雲は薄くなり、ぼんやりと欠けた月が顔を出していた。
朧月が、薄っすらと海を照らす。
身体には船の唸りが移り、耳に届くのは波の音だけ。

「静かですね」

「ああ」

視線を合わせず相槌を打つ。
……不思議だ。
こいつに会ったら、無茶苦茶に泣いてしまうと思っていたのに。
不思議と穏やかな気持ちになっている。
これが、最後かもしれないのに。

「こんな時間が、何時までも続けばいいんですが」

「……ん、私も、そう思う」

きっとそれは、続くことがないからこそ、そう願ってしまうんだろう。
一夜限りの平穏。
それが終われば、きっと、二度とは来ない時間だから。
それでも、今、卓也が私と同じく思ってくれているのが、嬉しい。

卓也と同じ部屋で、一緒に窓の外、空の月を見上げている。
こんな機会は幾らもあった筈なのに、私はこんなタイミングで、一つの和訳を思い出した。
少し前に死んだ、有名な日本の作家の言葉。

「月が、綺麗だな」

呟く。
予想よりも大きく部屋の中にその言葉は響いた。
口にしてしまってから、波の音を掻き消すように、私の鼓動が大きくなる。
心臓の音がうるさい。
聞こえる筈もないだろうけど、こいつに聞かれでもしたらどうするつもりなんだ。

「……死んでもいい、なんて、言いませんからね」

…………ああ、

「そうか……うん」

こういう奴なんだよな、こいつは。
霞んだ月が浮かぶ夜空が、インクを滲ませたように歪む。
袖でごしごしと目元を拭う。
空には月。
波音にかき消されるように、小さくなった鼓動が聞こえる。

「あのさ」

「はい」

「……帰ったら、また、遊びに行かないか」

「…………」

私の言葉に、卓也は一瞬だけ口を開きかけてから、直ぐに口を噤んで黙りこむ。
こいつの知識は、魔導書一冊から引き出したとは思えない程に幅が広く、深い。
あの『門』がどういうものなのか、たぶん、こいつはわかっているんだろう。
即答なんて出来る筈がない。

「今度は、予定とか立てないでさ、美鳥とかも一緒に、適当に街をふらふら歩くんだ」

でも、そんな事は構わずに、私は喋り続ける。
朝日が昇るまで、まだ幾らも時間があるのだから。
私が続きを捲し立てるよりも早く、しかしゆっくりと卓也は口を開いた。

「……いいですね、それ。でもきっと、休学分の補講とかもありますから、だいぶ先になりますよ」

「うへ、休日返上かよ」

「そうしたら、補講の帰りに飯でも食べて行きましょうか。そろそろ知り合いの店が再開するらしいんで、案内しますよ」

「お前の奢り?」

「先輩、給料貰ってるんですよね?」

「セコい事言うなよ」

「先輩こそ」

卓也は口元に小さく笑みをうかべている。
私も、眦が下がっているのが自分でも解った。
馬鹿馬鹿しい雑談。
随分久しぶりな気がする。

「なぁ、今日、泊まって行っていいか? 眠るまで、話していたいんだ、誰かと」

「構いませんよ。でも途中で美鳥が帰ってきたら……その時は、まあ、美鳥と交渉してください」

「薄情な奴。先輩を助けようとは思わないのか?」

「知らなかったんですか? 俺は肉親以外には薄愛主義者なんですよ」

「相変わらず酷い変換だな、おい」

近くの部屋の迷惑にならない程度に、声を押し殺して笑う。
穏やかな時間が過ぎる。
取り留めもない雑談を繰り返していく内に、私の意識は掠れ、瞼が重くなっていった。
ああ、勿体無い。
勿体無いのに、どんどん意識が遠のいていく。
卓也の言葉の内容も半分しか入ってこない。
世界が九十度回転し、私の身体には毛布が掛けられる。
毛布を肩にかけようとする手を握りながら、私は意識を繋ぎ止める努力を放棄した。

もったいないけど、でも、まぁ、いいか。
きっと、また。
いつか、また。
アーカムに、あの街に帰ったなら。
この話の続きをしよう。私と、お前で。
排気ガスの混じった、騒がしくて、でも、穏やかな風の中で。
大学の講堂で、何処かのカフェテラスで、公園の広場で。
なんてことのない時間の中で、また話をしよう。
また、一緒の時間を作ろう。
だから、今日のところは、

「おや……すみ……」

「ええ、おやすみなさい、先輩。良い夢を」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

そして、覚醒する。
ドアに嵌めこまれた丸い覗き窓からは、僅かに顔を出し始めた朝陽の光が差し込み、部屋の中を照らす。
まどろみから抜け出し、最初に感じたのはカーテン越しに届く陽射しの眩しさ。
眠る前に握っていた手の感触はない。
カーテンを開けベッドの外を見てみると、卓也は横倒しにされたボーナスくんに凭れ掛かり、毛布を被って眠っていた。
瞼を閉じ、小さく肩を上下させて寝息を立てるその安らかな表情に、自然と笑みが溢れた。

眠る卓也を起こさない様にベッドから降りる。
寝間着に着替えても居なかったけれど、身体にも頭にも疲れはない。
身体には、修行の後に掛けて貰っていた治癒魔術の痕跡。
きっと、気を使ってくれたのだろう。

「ん……」

もう、何も気負う事はない。
顔を近づけて、閉じた瞼に口付ける。

「ほんとは、別の場所にしたかったけど」

もう、お前の答えは聞いちゃったから。
これで勘弁してやるさ。
また会う時は、後悔させてやるからな。
あの時唾を付けておけばよかった、って。
そんな負け惜しみを心の中に留めながら、私は部屋を後にした。
さぁ、行こうか。

―――――――――――――――――――

格納庫に到着すると、入り口近くで美鳥とすれ違った。

「最後の夜にねだるのが添い寝とか、小学生かよ」

「悪いな、私ってプラトニックなタイプだったみたいで」

はん、と鼻で笑う美鳥が後ろ手に手を振る。
どうやら、昨日の夜は気を使ってくれていたらしい。
うん、やっぱり、あいつも良い奴だ。
徹夜明けなのか、寄り添うようにして地面に座ったまま眠るウエストとチアキさんを避けて、デモンベインの元へ。
デモンベインの足元で、アルが仁王立ちで待ち構えていた。

「このヘタレめ」

「純情なんだよ、これでも」

私の言葉に失笑を反し、身体を解いてぬいぐるみの様な小さな姿に変じるアル。
同時に、私の身体はマギウススタイルに変貌していた。
そのまま、デモンベインのボディの凹凸を蹴って幾度か跳躍し、コックピットに搭乗する。

アルを介してシステムをリンク。
擬似連結状態になったデモンベインの身体を動かすと、同時に発進用のリフトが上昇を開始した。
制御室には御曹司、ウィンフィールドさん、チアキさん以外の執事の人たち。
足元では、デモンベインの起動とリフトの動きに目を覚ましたウエストとチアキさんが何か叫んでいる。

……ああ。
こいつらが居たから、皆が居たから、私は今、ここにこうして居られる。
こいつらだけじゃなくて、これまでの人生で関わってきた全ての人達のお陰で。
記憶に残る何もかもが私の後ろ髪を引く。
残ってもいいじゃないか、戦いに行く義務なんてない。
その、当たり前の気持ちが、みんなと一緒に生きていきたいという気持ちが、私の背中を支えてくれる。
だから、私は征く事ができる。
この未練を守るために、私の脚は前に進むんだ。

じれったいほどの時間をかけリフトが上がりきり、デモンベインの全身が、船の外に露出した。
シャンタクの翼を広げて、ゆっくりと船から脚を離す。
何時に間にか東の地平からは朝陽が半分以上顔を覗かせ、黎明の空を澄んだ白い色に染め上げ始めていた。
朝の空気は冷たく澄み渡り、遮るもの無く降り注ぐ朝の輝きがデモンベインの装甲を眩く煌めかせる。

デモンベインが飛ぶ。
輝く魔力を尾のように伸ばしながら、流星の如く、暁の空を切り裂いて。
この世界への、あいつへの未練を断ち切るように、翼を一打ち、加速。
目指すはヨグ=ソトースの門の向こう。
時空渦巻く異界の彼方。
決意を胸に、皆の祈りを背に受け、いざ、超狂気の世界へと飛び込もう。
門が開き、私達を迎え入れる。
その向こうに広がるのは、無秩序、何もかもが融け合い混ざり合い拒絶し合い否定し合う、揺蕩う混沌の海。
時間も距離も方角も意味を持たない世界に脚を踏み出す、その瞬間。

《先輩!》

声が届く。
別れの言葉もなく、一方的なキスだけでお別れした筈の声。
あいつの声が。
デモンベインの身をねじり振り向く。
そこには、何かを投げた後のアイオーンの姿。
デモンベインとアイオーンの間には、拳ほどのサイズの魔力塊。
それは何ら物理的作用を及ぼすこと無く、デモンベインの中に吸い込まれていった。

霊的に重なり合っているデモンベインの状態を、私とアルは体感で感じ取る事ができる。
今送り込まれたのは、魔術兵装の最適化術式。
そして、最適化と同時に、意匠の追加も行われた。
偃月刀や魔銃に刻まれた意匠は文字。

刻まれたLuck(幸運)の文字列。
その頭に、一文字だけ赤く付け加えられた。
Luckの頭に、Pを足してPluck(勇気)!

《グッドラック。また、大学でお会いしましょう》

閉じかけたヨグ=ソトースの門の向こうに見えるのは、地球の空をバックに、私達に向け片腕の拳を向ける、親指を立てるアイオーンの姿。
門が閉じる。
既に私の感覚はこの超空間のものと成り果て、目の前のアイオーンの姿も、正常な形には見えない。
当然、そんなアイオーンの中に居るあいつの姿なんて見える筈もない。
でも、だからこそ。
私は隙が生まれるのにも構わず、デモンベインの拳を突き出し、アイオーンに倣う様に親指を立てる。
サムズアップ。
古代ローマにおいて、自らの行いに真に満足した者だけが許されたというジェスチャーだ。

「……ああ! また、大学で!」

最後に心残りが出来た。
これじゃあ、とてもじゃないけど、未練だけを持ってこの世とお別れなんてできそうに無い。

帰ろう、あの街へ。
この戦いを終えて、何時の、何処に流れ着いたとしても。
幾ら時間を掛けてでも、どれだけの距離が隔てようと。
アーカムシティの、ミスカトニック大学へ。お前の居る、日常に。
お前が待っていてくれるなら、きっと私はたどり着ける。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

目の前で門が閉じる。
大十字を飲み込み、照夫の待つ戦場へと送り込んだヨグ=ソトースの門は、ゆっくりとその存在感を薄れさせ、遂には完全にこの世から消滅した。
俺は仮想コックピットを解放し、滞空するアイオーンの肩の上に立ち、昇る朝陽を見つめながら、口の端を吊り上げる。

「また大学で……! またとは言ったが……今回、その周や時間の指定はしていない」

そのことを、どうかこの俺のモノローグを覗き見ているかもしれない超常の存在にも思い出して貰いたい。
つまり……俺がその気になれば、再会するのは十周後、二十周後ということも可能だろう……ということ……!
まぁどっちにしても、俺がループする時点で覇道鋼造ってかなりの確率で死んでいるし、生きていてもあちらから接触する理由が殆ど無い。

そもそも、覇道鋼造になった大十字の役目は覇道財閥とアーカムシティを作り上げ、デモンベインを完全な状態まで持っていくことに他ならない。
俺が関わるメリットはゼロ。
これが機神胎動の時間軸だったら、新たな魔導書の為に協力するのもやぶさかではないのだけども。

しかし、本当にこのTS周は疲れた。
自分で洗脳した結果ならばともかく、誰かの誘導によりこちらに好意を向ける相手とか、対処に困る。
そう、まるでカンフーファイターのパイロットさんの画像が貼られていた時の様な、そんなレスしづらさを感じる。

だが、それももう終わり。
次の周には次の周で嫌なことが待っているが、明日は明日の風が吹くというし、今周のところは、終わった事を喜ぶとしよう。
喉元過ぎればなんとやら、多少の達成感すら感じるじゃあないか。

朝陽を浴びながらそんなことを考えていると、懐に仕舞ってあった携帯に着信。
画面を確認すると、姉さんからだった。
通話ボタンを押し、耳元に当てる。

『あ、卓也ちゃん、あのね、今朝のご飯目玉焼きとご飯とサラダで、汁物はお吸い物にしようと思ってたんだけどね? なんだか急にシュブちゃんが来てね?』

繋がると同時、俺が何か口にするよりも早く姉さんが捲し立てる。
口調から察するに、どうやら少し錯乱しているらしい。
というか、シュブさん来たんだ。大十字と大導師が消えたから、体調も完全に戻ったのかな。
しかし、この後炊き出しで集合する手はずだったのに、なんで態々姉さんの設営したキャンプ地に?

「落ち着いて姉さん、シュブさんがどうしたの?」

『あのね、酷いんだよ? 来るなり台所貸してって言うから貸してあげたらね? ジンギスカン鍋を取り出してね? お肉と野菜がね? 秘伝のタレがジュワ~ッてね? すっごく美味しいの!』

シュブさんの齎す、ダイエット中の女性にとっては悍ましく冒涜的な旨さのジンギスカンセットにより、姉さんの胃SANチェック……成功。
ニグラス亭のジンギスカン定食出張版の満腹度減少値は1D10/1D100、ダイスロール……今回の出目は7。
一時間の間に5以上の満腹度が減少し、姉さんは一時的食い気に飲まれてしまったようだ。
また、携帯電話越しに肉の焼ける音と油の跳ねる音、台詞の間に挟まれる咀嚼と嚥下音により、俺も満腹度チェックを行う。
なお、昨日の決戦直前から何も口にしていない為、達成値に30%のマイナス。
自動で失敗……ざんねん! おれのぼうけんは、ここでおわってしまった!
精神病院行きのキャラシートを投げ捨て二枚目のキャラシートが必要になるレベルの空腹に、俺は慌てて姉さんに問いかける。

「え、ちょっと待って大十字見送ってから朝食は一緒に食べるって言ってたじゃん! 肉は、まだ肉は残ってるの!?」

『えへへ、今はまだ残ってるよ……今は』

どうやら、姉さんは未来への切符は何時も白紙なので、お前の運命(さだめ)は私が決めると言いたいらしい。
卑劣な……! やはり人間(の食い気)はドス汚れている!
なんか黒っぽい仔山羊とか貪り食ったに違いない。それでお腹の中が真っ黒に……。
姉さんの腹黒さはキャラ的に意外性あってチャームポイントだが、食事に関して譲るつもりは全くない。
アイオーンの仮想コックピットへと舞い戻り、シャンタクを神獣形態へ。

「行くぞ、シャンタっ君!」

みー!

半ば自我を持ち始めた飛行ユニットが、電動スクーターのエンジン音にも似た愛らしい駆動音を発する。
目指すは姉さんとシュブさんの待つ最終キャンプ地!
アイオーンは、大十字出立の余韻を吹き飛ばすように、南極の待機を破裂させながら空へと飛翔した。






なお、最終的に一番遅れてやってきた美鳥を合わせた俺達三人のコズミックストマックによって、シュブさんの持ってきた肉類は全滅。
シュブさんが念のためにと連れてきた何処か黒っぽく、とても山羊には見えない山羊は、アンチクロスの召喚する鬼械神を凌駕する強さを持っていた為、
炊き出し用を含む新たな肉調達が夢幻心母攻略よりも困難を極めたのは、完全な余談になるだろう。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

十九世紀、アリゾナ。
大気圏外からのダイブにより大破したデモンベインのコックピットの中、丁度陽射しから隠れる位置に、九郎は倒れていた。
その姿は尋常ではない。
衣服は力任せに引きちぎられ、露出した肌には強い力で掴まれたのか、人の手の形をした青あざが幾つも残されている。

「あ……う……」

虚ろな目で呻く。
声に押され、口の中からゴポリと白濁がこぼれ落ちる。
本来なら嘔吐する程の量だが、衰弱しきった九郎の身体はそれすら行えない。
観れば、九郎の全身は、その白濁の掛かっていない場所が存在しない事に気がつくだろう。
引き裂かれたショーツの下からも、血液が混じり、濁ったピンク色になったそれが止めどなく溢れだしている。
髪は乾き始めたその白濁のせいで絡まり、身動ぎする度にぱりぱりと音を立てた。

同じく、この場所に降り立った大導師にこの状態で捨て置かれ、既に丸一日以上の時間が過ぎ去ろうとしている。
胎内に注がれた半神の体液が齎す、容易く人間の正気を打ち砕く快楽に慣れ始めた九郎は、痛む身体を抑えながら、ゆっくりと身を起こした。
貫かれた股が痛む。
だが、それも戦いの中で、修行の中で刃物に貫かれたものに比べればかなりマシな痛みでしかない。

「ん……ん……」

ごくり、と、苦しげな表情で喉を鳴らし、口の中に滞留していた体液を再び飲み下す。
口から、喉から、食道、胃から神経や魂を犯されるような感覚。
気がつけばそれを甘美な味だと認識してしまいそうな自分に、しかし九郎は絶望することもない。
耐えられる。今の自分であれば、この感覚にも。
飲み込み終えた九郎が早口に口訣を唱え、指先で鳩尾に触れ、印を描く。
胎内の液体から、飲み込んだ液体から活力が奪われ、九郎の生命力を補填する。
房中術の応用。
液体の持ち主が半神であったためか、その効果は目に見えて九郎の身体に力を取り戻させていた。
浮かんでいた青痣は薄くなり、血の滲んでいた疵痕は薄皮で塞がれた。

暴行に対する抵抗で落ちた体力も戻ったのか、九郎はそのままゆっくりと立ち上がり、コックピットの中に備え付けられた収納スペースを漁り始める。
中には、万が一遭難した時の事を考えてか、水の入ったボトルに、数食分の高カロリー非常食含む最低限のサバイバルキット、フードの付いた大きめの外套、そして。

「魔導書……」

いや、それを魔導書と言っていいものか、それは市販のルーズリーフを束ねた簡素な紙束。
ルーズリーフに綴られているのは、過酷な環境でも生き延びられるように肉体を改造するものを含む幾つかの所謂外道の術に、幾つかの『印』の描き方と護符の作り方。

九郎は一度荷物を一箇所に纏め、コックピットから這い出ると、外の環境を確認した。
場所は、墜落前にも見た光景と変わらない。
少なくとも、呼吸ができる大気と、青い空がある事は解る。
地球かどうかは解らないが、少なくとも、直ぐに呼吸ができなくなって死ぬ、という事はないだろう。
だが、周囲に水場はなく、空には白い太陽が輝き、地平線の彼方まで広がる茫洋な砂の大地をじりじりと焼き続けている。
手元にある水や食料を最大限駆使したとしても、無事に水場までたどり着けるかは完全な賭けになる。
いや、そもそも、この場所、この星に水場が存在するかは未知数。
目の前の光景は、これからの九郎の行末を暗示しているかのようだ。

そんな絶望的な光景を目にして、しかし九郎はため息を吐くことも嘆きの言葉を口にするでもなく、無言でコックピットの中に戻った。
外套をコックピット内部で広げ簡易な日除けを作り、広くなった日陰の中に荷物を持ったまま移動し、そのまま座り込む。
九郎は身体に纏っていたボロ布同然にまで破損した衣服を脱ぎ、サバイバルセットに付属していた針と糸で、最低限身体を覆えるまでに修復を行うと、それを纏った。
最後に九郎が手にしたのは、魔導書。
それは外道の知識を与えてくれるが、この場にある材料だけで行使できる魔術は殆ど載っていない。
だが、魔導書のページを開き、文字列を追う九郎の爛々と輝く瞳には、強い力が秘められている。

「生きる……生きて……生きて帰るんだ……生きて……」

ひたすらにその言葉を呟き続ける九郎が果たして正気であったのか。
いや、九郎にとって、もはや自分が正気であるか正気でないかはあまり関係ないのかもしれない。

「生きて……あいつのところに……」

陽は直に沈み、凍てつく夜になるだろう。
砂漠を進むのは、夜であれ昼であれ、現在の装備では難しい。
だが、九郎は進む。
大十字九郎は、約束を果たすまで、決して歩みを止めることはないのだ。

―――――――――――――――――――

【~エンディングフェイズ・大十字九郎の帰還~】

―――――――――――――――――――

砂漠に漂着してから、三ヶ月と少しの時を費やし、私は遂にアーカムに戻った。
……そう、図らずも私は帰還してしまったのだ、アーカムシティに。

大破したデモンベインのコックピットの中で、可能な限りあの場で生き残るための肉体改造を施すのに時間を掛けた私は、出発直後に一つの死体を発見する。
貧相ながら砂漠越えの装備を纏い、干からびた人間の死体。
この時点で、ここが地球か、もしくは地球によく似た環境に、人間かそれと殆ど同じ種族の住まう星だという事を確認した私は、デモンベインに収められていた魔導書から得た知識を用いて、ある外法を行った。
似姿の利用である。
魔導書に記載されていた事なのだが、これはその名の通り姿形を真似るだけの術だった。
だがこれは、一定期間摂取し続ける部位に、脳の記憶を司る部位を選ぶ事により、脳細胞の形や履歴を真似て知識を得ることもできるのだ。

彼の頭を割り、知識の奪取に必要な肉体の一部分を摂取し続け、魔術が完成した時、驚くべき事実が判明した。
その死体の名は『覇道鋼造』、嘗てアーカムシティを一代で作り上げた、十九世紀最後の魔人だった。
しかも、彼は今まさに偉大なる覇道の最初の一歩を、デモンベインの墜落による爆発に巻き込まれ、踏み出すよりも早く死んでしまった。
そう、彼はこれから様々な偉業を成し遂げ、その過程でアーカムシティが造られていく。
ここで彼が死んでしまったら、大都市アーカムシティは生まれない。
──帰ることが出来ない!
そう考えた私は、彼の死体から一切合切の荷物を剥ぎ取り、死体を焼却。
……私はこの瞬間、覇道鋼造に成り代わることを決意した。

アーカムシティに戻り、鉱山を掘り当て、カモフラージュの為に子供を引き取り、私は必死で学んだ。
覇道鋼造の知識は冒険家としてのそれでしかなく、恐らくはこれから学ぶ予定だったであろう、経営学、経済学、帝王学を必死で学んだ。
時間が足りない分は魔術で補い、先読みの効かない部分は未来の知識を駆使して、徹底的に覇道鋼造のふりを続けた。
未来の知識と魔術を駆使して成長を続ける私の覇道財閥は瞬く間に成長を遂げ、世界を呑み込む程の大企業へと成長を遂げ、世界の頂点に立つ覇道財閥として完成へ近づいて行く。

かつてのアーカムを作り出した、私の知る覇道財閥。
それとほぼ同じ規模の私の覇道財閥だが、私の知る覇道財閥を完全に再現できた訳では無かった。
私の知る、覇道に関わった偉人の幾人かの性別が、反転していたのだ。
ここは異世界なのか。
それとも地球の過去で、私の行動によって歴史が変わり、その影響を受けた人達の生まれ持った性別が変わってしまったのか。
この誤差を許容するか、それとも何処かで修正するか。
私の懊悩と試行錯誤は続いた。
私はたどり着かなければならない。
帰るべきところを、私の居たアーカムシティを造らなければ。

そんな事ばかり考えながら覇道鋼造としての活動を続ける私の前に、とうとう奴らの姿が現れた。
世界一の大都市と化したアーカムシティに突如として現れた『ブラックロッジ』を名乗る、悪の魔術結社。
そして、

「久しいな……大十字九郎。いや、覇道鋼造。此度はどの様な術で成り代わるかと思えば、まさか貴公がそのような外法を使うとは」

私は、『喜びに打ち震え』た。
再び相まみえたマスターテリオンは、私が戦っていたマスターテリオンと同一人物。
そして奴の言葉も合わせると、一つの事実が判明する。
『奴は同じ経験を幾らも繰り返している』
それは即ち、良く似た別世界に飛ばされたのではなく、私の居た世界の過去に飛ばされた可能性が非常に高いことを意味している。
私は、あの場所に帰ることができるのだ。

それからのブラックロッジとの闘争は苛烈の一言に尽きる。
何しろ、私はブラックロッジと覇道財閥の小競り合いの一つ一つの結果まで正確に知っている訳ではない。
そして、相手は同じく未来の知識を持ち、なおかつ私よりも遥かにこの状況を繰り返しているマスターテリオン。
そんな相手が、本気でこちらを、人類を潰しに掛かってくる。
あの時間にたどり着くまで、人類を滅ぼさせるわけには行かない。
幾つかの記憶にある事件と目の前で起き始める事件を重ねあわせ、可能な限りの方法で立ち向かった。

辛く苦しい戦いが続いた。
勝利を得るために、相手の計画を潰すために、幾らかの民間人に犠牲が出ることも少なくは無かった。
先手を取るために、ブラックロッジよりも先に工作を行い、被害者が出ればブラックロッジに罪を擦り付けもした。
私の知る覇道財閥には、それほどブラックなイメージは無いからだ。
老いによる体力の低下を防ぐため、魔術による肉体の改造も繰り返した。
私の知る覇道鋼造は、死ぬその寸前まで精力的に活動を続けていたのだから、これも当然だろう。

あの時間に至るためには、その全てが必要だった。

三十年の時を重ね、引き取った本物の覇道鋼造の息子に子供が出来る。
やはりこの子も性別が異なっていたが、既に確信を得ていた私の心には余裕すら生まれていた。
御曹司、いや、今の時間だとどう呼ばれるのだろうか、姫さん、とでも呼ばれるのか。
この少女も、あの時代、あの時へ至る為に必要な存在だった。
私は、私が知りうる限りの帝王学、経済学、経営学などの英才教育を行い──魔術に関する知識からは、意図的に遠ざけるように仕向けた。
そういう物が存在する事を最低限教えるだけに留めたのも、デモンベインの操者として、この時代の私を選ばせ、あいつをサポートに向かえさせる為の布石だ。
必要なピースは揃い始めている。

覇道鋼造の息子とその妻の死を見届け、魔術の教えを強請りそうになった御曹司──姫には、遊びに行くことで余暇の時間を潰させた。
ブラックロッジや、その他魔術結社との闘争を繰り返し、デモンベインをアリゾナから回収し、修復を済ませた。
……史実であれば、この時点で覇道鋼造は死んでいる、というのが公式発表だったが、私は表向き覇道鋼造の死を偽装し、裏で暗躍を続け……、
遂に、待ちに待った、運命の日を迎える。

あいつがこのアーカムシティ訪れ、私、大十字九郎と始めて出会った日。

これまでの経験で、恐らく性別が入れ替わっている事は予想が付いていた。
でも、それは私にとってはあまりにも些細な違いに過ぎない。
今の私は覇道鋼造で、あの場所には既に男の大十字九郎が居るのだろう事も予想が付いた。
些細な事ではないけれど、それはそれで納得の行く話だった。

遠目で一目見れればいい。
話が出来たのならなお嬉しい。
あなたの声を聞きたい。
あなたに声をかけたい。

私は、もう一度、あなたの名前を呼びたい。

社会的に覇道鋼造は死んでいるが、私自身には何の問題もない。
私は、実に数十年ぶりに『似姿の利用』を解き、私自身の姿へ戻った。
『自己保護の創造』に始まる幾つもの肉体改造の魔術を重ねがけしていた私の姿は、あの時から殆ど変わっていない。
縛られる身分の無い私は街へ繰り出す。
目的地は、一度だけ訪れたことのある服屋、迷わず赤黒チェックのプリーツスカートに、サイハイソックスを購入。
履きなれないスカートを履き、私は魔術で姿を隠し、ミスカトニック大学陰秘学科の課外授業の現場に脚を運んだ。
あそこでならば、確実にアイツを見つけることができる。

スカートを翻し、ビルからビルへと飛び移り、目的の場所へ向かう。
あそこに居るのが男の私と女のあいつなら、今回の出会いはとても情けないものになるだろう。
物陰から、現場を覗く。
……居た。
倒れこむ、明らかに私と解る男。
そして、その尻餅をついて倒れこむ『大十字九郎』を背に庇い、レイピアの様な魔導兵器を構える、『金髪碧眼の優男』
そして、その傍らに静かに立つ『銀髪金眼の儚げな少女』

……あれは、誰だ。
これまで、性別が入れ替わっていた人間には何人も会ってきた。
だがその全てが、私の時代で公開されていた姿と似た、明らかに同一人物だと解る姿をしていた筈。
でも、今、『大十字九郎』を助けているのは、あいつとは似ても似つかない優男。

私は、その場から逃げるように立ち去った。
次にしたのは、ミスカトニックへの編入生のリストのチェック。
社会の裏に潜り込んでも、覇道鋼造の姿を取れば、まだかなりの権力を行使する事ができるので、この程度の事は造作も無い。
きっと、あの場にあいつらが来なかったのは歴史の揺らぎの一つで、あの場に居なかったというだけで、きっとミスカトニック大学には居るはず。

そう思い、資料を全てひっくり返しても、あいつらの名前は存在しなかった。

私は、私が『覇道鋼造』として行なってきた事業や計画の一つ一つを丹念に洗いだした。
あいつらがミスカトニックに入学しなかったのには、何か原因がある筈なのだ。
その原因を作れるとしたら、マスターテリオンの居るブラックロッジか、私の覇道財閥のみ。
一つ一つ、魔術に関わる事件から企業、土地開発まで、細かい事業の一つ一つを洗い出し……

「は、はは、なんだ、なあんだ。そうだったのか」

隠れ家としてキープしておいた、嘗て大十字九郎として最後に住んでいたアパートの一室で。
運び込まれた書類から、私は、決定的な資料を発見した。
それは、嘗てブラックロッジに先んじて行った破壊工作の計画書。
『大十字九郎』が生まれるよりもずっと昔のその資料。
その資料に添付された、数枚の添付書類。
破壊工作で出た被害者のリストと、経歴。

「はは、ははは、私は、あ、わたしの手で」

嘗て、最後の夜。
寝物語に聞いた話。
あいつが本当に小さかった頃、まだ両親が生きていた頃の話。

あいつの生まれた土地。
あいつの親の職業。
あいつの両親の名前。

「帰るばしょを、つぶしていたんだ」

掌に、魔力が収束する。
銀色の装飾が美しい、一丁の魔銃。
そこには、あいつがくれたお守りが刻まれている。
幸運。
そして、その頭に添えられた、血のように紅い文字。
勇気。
あぁ……なんて、なんて綺麗なんだろう。
もっと、もっと、お前のくれたおまもりを、この目でたしかめたい。
お前の事を、もっと近くで感じていたい。

「卓也、たくや、たくや」

でも、おかしいだろう?
こんなにお前に会いたいのに。
おまえを近くにかんじない。
おまえのすがたを見つけられない。

「たくや、わたし、わたしね」

暗い、くらい穴がみえる。
ゆびのさきに、トリガーがある。
ああ、そうか。
そこにいけば、いいのか。

「たくや、わたしね、あなたのことを、ずっと──」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

ミスカトニック大学、音楽室。
ピアノの前に座った俺は、大十字と世間話を交わしていた。

「へぇ、それは興味深いね」

話題は最近巷を騒がせる覇道財閥のスキャンダル。
その発端と思しき噂について。

「だろ?」

なんでも、魔力溜りの近くにある安アパートで拳銃自殺していた女性の部屋に、大量に覇道財閥の機密資料が散乱していたのだとか。
そして、女性が手にしていたのはかなり精巧な作りの魔導銃であったらしい。
魔術を知る者の間では、その女性は覇道財閥お抱えの汚れの魔術師で、罪に意識に駆られて自殺したのだとか、口封じに自殺に見せかけて殺されたのだとか、様々な憶測が飛び交っている。
細々とした事件まで完全に追っていた訳ではないが、こういう大きな変動は中々見かけないのでかなりレアなのだ。

というか、銃を口に咥えての自殺ってのは珍しい事ではないのだが、その銃が魔銃であったりするだけでかなり事情は異なってくる。
詳しく調べるつもりはないが、もしかしたら、何故か全弾発射されていたりしたのだろうか。
興味の尽きない話題ではあるが、この周はロールプレイで必死なので調べるのは次に同じことが起きた時にしよう。

「でも、銀色の魔銃か。お前らには似合いそうだよな」

「僕は、あまり銃は好きではないかな。旋律が乱れるから」

旋律かっこ笑い。
うん、とっさの返しとしては無難な方だと思う。
ちらりと、隣で地べたに座る美鳥に視線を送る。

「おにーさん、くろー。これ、にゃーさん。にゃー」

銀髪金眼で、どこからか連れてきた猫を両手で抱え上げて嬉しそうに笑う美鳥。
前の周のRP練習では、捕獲した猫を齧るというスーパートリックを見せた美鳥ではあるが、姉さんからの演技指導の賜物だろうか、そんな事を始める素振りは一切できないようだ。
ああ、なんてイタイ──もとい、痛ましい姿だろう。
後でこの動画データを突きつけて悶えさせてやろうか。

《魂のアルペジオ! 天の月のビブラート、水の月がアレグロビバーチェすれ》

《おいばかやめろ、はやくもこの話題は終了ですね》

なんという危険なマウンテンサイクルを掘り返そうというのかこやつは。
先の課外授業での出来事は俺に早くもホワイトドール級のブラックヒストリーを残していった。
姉さんに『徹夜明けのテンションになる魔法』をかけられてから考えた決め台詞はどれも危険過ぎる。
これはつまり、互いに弱点を突き合うのは自殺行為だからやめようという提案に違いない。

しかし、覇道財閥がそこまでデンジャーな工作を繰り返していたとは。
なんでも、ブラックロッジとの小競り合いに力を入れまくって、出さなくてもいい被害を出し、その罪を擦り付けていた、という話も出てきているらしい。
これはあれだろうか、覇道鋼造が本当は女性だったから、覇道鋼造を演じる上で生じたストレスを発散するために危険思想に走りだした、とか。
恐ろしい話だ。

「……でも、嫌いじゃないね」

「? 何がだ?」

「なんでもないよ、先輩」

ロールプレイは続行しつつ、呟く。
こういった俺から見て遠くでのイベントであれば、これから毎周ドゥンドゥンやらかしてくれても一向に構わない。
先輩、貴女は本当に良いエンターテイナーでしたよ。
俺は心の中で、覇道鋼造と化したTS大十字に、感謝の一礼を送った。





TS編、終わり。
次回へ続く。
―――――――――――――――――――

恐ろしく遠回り寄り道編と化したTS編、使い捨てヒロインのTS大十字九郎さんオールアップおめでとうの第六十八話をお届けしました。

ここで衝撃の事実を一つ。
TS編本格始動の五十五話投稿日が昨年の七月三十日で、期間にして約八ヶ月、話数にしてなんと十四話を消費しております。
これがどういう具合なのかというと……スパロボ編本編よりも二話少ない程度の量があるんですねぇ。
で、このTS編、驚くべきことに、今後の進行には殆ど影響しません。
ぶっちゃけ、TS編まるきり削除してしまってもストーリー進行に影響が出ないレベルです。
言わば、無限螺旋の中の少し変わった日常の一コマ、とでも言うべきもの。
そういう話に
しかもこうして数字に換算すると一月に二話も投稿できていない事がバレバレです。
私はいったいぜんたい何をやっているのか。

そこら辺の言い訳とか反省会も踏まえて、恒例の自問自答コーナー。

Q,で、結局TS周にはどんな意味があったの?
A,この理由は後付ですが、『使い捨てヒロイン』の運用実験というのが一つ。
寝取られ無し敗北無しの安心不動のヒロインである姉を据えたはいいけれど、偶には普通にラブコメ的な描写も入れたいなぁ、と思いまして。
で、それなら一定期間限定のヒロイン出して、思いを寄せる過程とかの心理描写やら、大事な物を失って傷つく心理描写やら、感動の再会(ヒロイン視点で観れば)とか、切ないお別れの心理描写とか、胸を高鳴らせる心理描写とか、人生最後の心理描写とかを最後までやりきってしまおう、と。
最終的に今回のTS大十字と似たような結末を迎えさせることで、メメメの様に再登場フラグを後々までずるずる引っ張る事もなく、レギュラーを無闇に増やさないという努力目標も完全に達成できる……というのが、まぁ、理屈。
しかし実際に読んでみれば解ると思いますが、使い捨てヒロインを出して描写しようとすると、他の登場キャラクターの出番が少なくなるという欠点が浮かび上がりました。
主人公たちにとっては殆ど意味のない時間でしたが、作者的には今後の糧になる、と思う感じのお話でした、という事で。

Q,ティベリウスさんホモかよぉ!(驚愕)
A,一応、公式設定、ですね。プロジェクトD2内部のアーカム・ホラーにてそれらしい描写がありますので。

Q,ところどころ、サポAIと主人公の言動、行動に不自然な点があるけど……。
A,ロールプレイの一貫です。特に、デート前の大導師との謁見以降は超意識的にロールプレイが行われています。
ちなみに、瞼にキスをされた主人公は姿を似せたダミー(中身はもしもの時の為の演技指導済みのフーさん)。九郎ちゃんが眠った時点で入れ替わり、朝の時点で主人公は甲板の上でラジオ体操してました。

Q,照夫×九郎。
A,まぁ、TS回やるからには、最終的にはこのネタを入れるべきだろうと思っていました。やるべきですよね、これは、義務として。
マスターテリオンが性転換するであろうタイミングを考えれば、この展開は確実に予測できたと思います。

Q,もしかして作者は九郎ちゃんに恨みでもあるの? ありそで無かった大十字九郎虐待SSなの?
A,自分、愛情表現が小学生レベルなので、好きな人が居るのに宿敵に犯されたりとか、私ってホント馬鹿……、とか、あらゆる物を犠牲にして成し遂げようとしていた目標を自らの手で台無しにしていた事に気がついて絶望、とか、そういうイベントを起こさせてあげたくなるんです。
ほら、なんだかんだで、不幸になってる女の子って、傍から見ててドキドキしますよね。
だから自分はQBさん肯定派です。彼が居たからこそ数々の感動が生まれたわけですし。
最悪の魔女? あれの原因はほむらちゃんかと。ほむら張ではありません。永続的狂気を演出に入れるとか憎いですね。素敵です。続きが待ち遠しい。
というか、それこそ無限螺旋は元から大十字九郎虐待世界みたいなものかと思われます。

Q,もしかして、九郎ちゃんのSAN値って……。
A,クトゥルフ的に自殺エンドは救いのある方ではないかと。そしてCOC的に見れば銃で自殺はむしろお約束。

Q,自己保護の創造、似姿の利用?
A,【自己保護の創造】(P258)のアレンジ。
簡単に言えば、肉体的なダメージを軽減し、加齢を抑えるアーティファクトを作り出す魔法。
準備に三日費やせば三年で一歳加齢、六日を準備に費やせば、六年に一歳だけ加齢するようになる。
通常なら、この魔術は破られると同時に一気に加齢することになるのだが、九郎はこの術が解ける前に本格的なデモベ世界的肉体改造魔術を行使したので、その難を逃れている。
【似姿の利用】(P275)のアレンジ。
その名の通り、相手の姿を真似る魔法。
本文ではさらっと流したが、この魔術を行使する場合、相手の肉体を摂取、つまり食べる必要がある。
ヘビ人間などの種族が主に使う魔法らしい。
一度この魔法をかけ終わると、後から好きなタイミングでその相貌を真似る事ができるようになる。
本来なら多少のダメージを負うだけで解ける魔法なのだが、ニャルさんのハウスルールによってそこら辺の制限は外されている。

どっちもルルブに記載されてる魔法からの転用です。
寿命伸ばすのと姿変えるのを探してたら割りとあっさり見つかったという。

そんなこんなで大団円を迎えたTS周、如何だったでしょうか。
次回は、直ぐに話を進めるか、さもなければ息抜きで一話使うか、まだ決まっていませんが、主人公以外の一人称を使わないで書くつもりなので、今度こそまともな速度で出せると思います。

それでは、今回もここまで。
当SSでは引き続き、誤字脱字の指摘、簡単にできる文章の改善方法、矛盾点へのツッコミ、その他もろもろのアドバイス、そして何より、このSSを読んでみての感想を心よりお待ちしております。



[14434] 第六十九話「パーティーと急変」
Name: ここち◆92520f4f ID:81c89851
Date: 2013/09/21 14:33
「やったぞ九郎! あのアンチクロスの鬼械神を二機同時に!」

「でも、俺達だけの力じゃない、あいつらが居なかったら……」

突如として市街地で暴れ始めたアンチクロス。
その鬼械神を迎撃するために出撃したのは、何も九郎のデモンベインだけではない。
九郎には、大学から付けられたコーチ兼サポーターが二人も付いている。

「うむ、そうだな。……軟弱な奴だと思っていたが、中々に骨のある魔術師ではないか」

デモンベインのモニタに映るのは、左右でそれぞれ形の違う鬼械神。
瑛蘭兄妹が召喚する二機の鬼械神が合体したその鬼械神に近づき、九郎のデモンベインはその背中を叩く。

「聞いたか衆礼道、今のアルのツンデ……衆礼道?」

だが、アイオーンからの返事はない。
叩かれた拍子に合体が解除され、半身を形成していた一機の鬼械神が、崩れ落ちるもう一機を抱きかかえる。

《おにーさん、おにーさん、しっかりして、おにーさん!》

通信機から聞こえる彼の妹の涙混じりの悲痛な叫びにも応えない。
いや、それどころか、抱きかかえられる一機の鬼械神は徐々にその鋼の身体を字祷子に分解し、宙へと溶けていく。

「な……! 衆礼道、おい、応答しろ衆礼道! 衆礼道ーっ!」

何が起きたのか理解した九郎の必死の叫びも虚しく、瑛蘭・衆礼道の鬼械神は、跡形もなく消滅した。

―――――――――――――――――――

○月☓日(今周の教訓)

『死ぬ死ぬ詐欺は癖になる。ガチで』
『なんか、結局また大十字と同道することになったかと思えば、結構な頻度で入院したりぶっ倒れたりして、挙句の果てにまた死亡退場してしまった』
『これはあれだ、スパロボ世界で記憶喪失の出自が謎キャラを演じなくて良かったかもしれん』
『もしも演じられたら、戦艦の外に適当な通信係の美鳥を置いて、見つからなさそうで意外と見つかる位置で無闇に隠し持った通信機を起動して重要そうでどうでもいい情報を発信してしまうのが癖になっていただろう』
『俗に言う『食堂の男プレイ』という奴だ』
『なんていうか、娯楽っていうのは常に貪るべきものではないと俺は思う』
『今周はホモ臭い病弱天才耽美キャラでストレスを貯めていたから仕方がないにしても、次の周からは自重するようにしよう』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「はーい、では、ニグラス亭改装完了とか、諸々のあれやそれやを祝って、かんぱー……」

「────────!!!」

俺の力ない乾杯の音頭に、店内に居た有象無象の客連中が一斉に乾杯する。
打ち鳴らされるグラスにジョッキ。
見れば、通常店に置いてある物の他に、客が持参したであろう個性豊かな器が幾つも存在しているのが解る。
あの木のような質感を持った鉱物製の湯のみは、果たして地球上の物質で製造できるのだろうか。
そんな取り留めもない事を考えながら、俺は掲げていたジョッキの中身を煽る。

「んっ、んっ、んっ」

黄金の蜂蜜酒を語る時、人はその芳醇な味わいと香りに注目しがちだが、俺としてはこの喉越しにこそ価値があるのではないかと思う。
それは、不必要なアルコール分を除去した上で飲んだとしても何一つ変わらない。

「っぷはぁ~……」

飲み干した所で、俺は持参した幾つかのピッチャーから一つを選び、再びジョッキの中にノンアルコール黄金の蜂蜜酒をギリギリまで注ぎ込む。
黄金の蜂蜜酒が魔術的な薬品としてだけでなく飲料として優れている点を上げるとすれば、それは量産のし易さだろう。
必要な材料を揃えてさえしまえば、生成の段階で大量の魔力を注ぎ込むだけで恐ろしい量の蜂蜜酒を作り出せてしまうのだ。
前の周では、戦闘中はひたすらバイオリンとかエアバイオリンでハスターの歌を連打していただけだったから、魔力が余りまくったのだ。
しかもロールプレイに専念していたお陰で、ブラックロッジとしては殆ど活動しなかった──というか、ぶっちゃけロールプレイ開始前に元の姿で大導師の所に顔を出した程度であるため、雑用で魔術を使う用事も無かった。
お陰で、二年と少しで、そこいらの郊外にあるビール工場の巨大タンクも真っ青な量の蜂蜜酒を蓄える事になってしまったのだ。

「つうか、なんで俺が乾杯の音頭やらされたんだ……?」

こういうのは、景気よく音頭を取れる、いわゆるめでたい奴がやるべきだろう。
確かに俺自身、衆礼道という名前の耽美キャラのロールプレイが終了したのはめでたい。
これはまずネーミングからして最悪だった。
『いい、卓也ちゃん。これは、衆道でありながら、その芯には礼が込められているという意味の名前なの』
『何に対する礼?』
『勿論、掛け算を生み出した数学者に対してよ!』
ああ、その数学者、歴史遡って殺してぇ……。
まぁ、姉さんのヤオイ好きは世間で言うところのブルース・リー・ブームの様な周期的な流行なので、暫くはこういうムチャぶりはしないだろうけども。

だが、このパーティーはそもそもニグラス亭の改装完了記念パーティーなのだ。
集まっている面々も、ニグラス亭の常連六割だが、知らない顔(顔自体無い者も居るがそれは些細な事だ)も結構な数だというのに。
そりゃ、こういう場面で主賓が乾杯の音頭を取るかどうかなんて、一般的な会社員の飲み会すら経験したことのない俺が論じるべき事ではないだろうけど。
だからって、あんまり改装の手伝いをできなかった俺がってのは、いい晒し者じゃあないか。

「ホモォ……」

目立たないように部屋の隅に行き、ジョッキに注ぎ直した蜂蜜酒をちびりちびりと飲んでいると、店の常連の一人がこちらに声を掛けてきた。
腐ったパン生地の様な青白い楕円形の胴体、ゼリー状の眼、複数本の足を持つ紳士……ああ、子供連れの時が多いから淑女か?

「ああ、愛穂さん。お久しぶりです」

「ホモォ……」

まるで男の同性愛者を求めている様に聞こえる独特のイギリス南東部訛りの英語を使うのは、俺と同じくニグラス亭の常連客、大都愛穂(おおと・あいほ)さん。
名前が漢字なのは日系人であるためなのだろう。
性別と同じく、そこら辺の事情を詳しく聞いたことはない。
謙虚な日本人である俺は、無闇に相手のプライベートに探りを入れたりしないのである。
ちなみに、本人的には日本風の『苗字・名前』表記がお気に入りらしいので、英語圏の『名前・苗字』読みを行なってはいけない。
以前にその順番で名前を呼ぼうとした哀れな一見様が強烈な一撃によって殴殺されるのを目撃したことがあるが、あれは生身の人間が耐え切れるものではないからだ。

「ホモォ……」

「や、楽しんでますよ。これでも」

どうやら、俺が乾杯の時点で酷く疲れていたから、心配してくれたらしい。
流石、短期雇用のベビーシッターに任せきりとはいえ、多くの子供を持つ親は気配りのレベルが違う。
こういう細かい所に気がつくのが、地元に熱狂的なファンが存在する所以なのだろう。

「ホモォ……」

「そうですね、シュブさんにも挨拶したかったんですけど、もうちょっと待ちますよ」

だが、主賓であるシュブさんは多くのゲストに囲まれて、ひっきりなしに祝福を受け取っている最中。
ふと視線を移せば、古い仲であるらしい常連客の、蒼白の仮面に黄衣を纏った男性から声を掛けられている所だった。
常連客とはいえ、バイト店員でしか無い俺が気安く声をかけるにはタイミングが悪い。

「ホモォ……」

「ホモじゃねえっつってんだろダラズが……コホン、これあげますから隅っこで大人しくしてて下さい」

全く、真面目な話してる最中にいきなり『もしかして→ホモ』とは何事か。
そうじゃなくて、あれは明らかに元彼とか別れた旦那とか、そんな雰囲気だろうに、近づけるかっていう。
もしも男の方が縒りを戻そうとしているのであれば、ここで声をかけたら馬に蹴られるのが確定してしまう。
それに名前こそ知らないが、あの仮面の男とは何度かニグラス亭で相席している。
その時に、口元まで覆う仮面を付けたままご飯を食べるコツ、いわゆるめり込みバグなる技法を教わっているので、あまり不義理をしたくない。

「ホモォ……」

言葉とともに全力で投げたウ=ス異本(BL)を細長い指でキャッチ、感謝の言葉を返し、そのまま別の隅っこに移動して箱座りで読み耽り始める愛穂さん。
マイペースなお方だ。歩いている時は蹄なのに、いつの間に指が生えたのだろう。
というか、ホモホモ五月蝿い。あの耳障りなイギリス訛りはどうにかならないのか?

「ホモォ……」

「む」

思考を遮るように諌められてしまった。
確かに、他ならぬバイト先の主の目出度い席で、ノンアルコールドリンク飲みながら壁際でギリアムごっこというのも失礼な話だ。
それ言ったらパーティーそっちのけでそんなもん読んでるお前はどうなるんだよと突っ込みたくもなるが、あれはそもそも俺が渡したものだしな……。

愛穂さんに軽く感謝の言葉を述べ、ジョッキを手にしたままその場を離れ、ニグラス亭改装の祝福に訪れた常連客やシュブさんの親族らしき連中の間をすり抜ける。
見慣れた側頭部白髪爺が料理に一旦ケチを付けてからしかし僅かなデレと共に、締め切り開けで空腹な作家探偵は一片の躊躇いもなく、テーブルの上に供された料理を口に運んでいる。
ここの料理は、手をつけるよりも早く無くなるだろう。
食の細そうな連中のテーブルに移動したいところだが……質と量の揃ったニグラス亭に通い詰めるような猛者たちの食が細いなどという事がありうる筈もなく。
食事が手付かずで残っているのは、普段はニグラス亭に顔を出さない、シュブさん個人の関係者が集っている席に限定される。

「よぉ卓也、楽しんでるか?」

「ナイさん」

手には持ったカクテルグラスを軽く掲げ、気安そうに声を掛けてきたのは、上唇が僅かにω(オメガ)の形に見える禿頭痩身の白人の青年。
彼の名前は屋良ナイ夫。
名前から察することができるだろうが、彼もまたニャルさんのアバターの一つである。
同じ机には、同じく禿頭の白人ながら、まんじゅうの様にぽっちゃり体型のニャル夫。
そして彼に胸元を見せて誘惑するスーツ姿の女性はナイアさん。
その後ろでカクテル片手に談笑する黒人神父のナイ神父と、銀盆抱えて応対する黒人メイドのニアーラ。
テーブルの向こう側でトングを手に持ったままこちらに笑顔で手を振っているのは珍しく私服(コピー元と同じく、怪しげな輝きを放つクリスタルが埋め込まれた珍奇なデザインだが)の新原とてぷ。
よくよく見てみれば机の上の料理の一部材料はQBで、活け造りが感情の見えない紅玉の瞳をこちらに向けてきている。

「……これは、まさにぼっちの新機軸」

「言うな、自覚はあるんだから」

目を瞑りこめかみを押さえるナイ夫は、ニャルさんの化身の中では比較的常識的であるためか、このテーブルの惨状を突っ込まれたくないらしい。
これだけ人数が揃っていながら、その実全て同一人物である。
人数が多くて、パッと見ではそれなりに賑わっているだけに痛々しい。
いや、他のテーブルに混ざれずここに流されてきた俺が言えた義理ではないけど。

「寂しいならお姉さんでも妹さんでも誘えばよかっただろ、常識的に考えて……」

「姉さんには昼寝を理由にやんわりと断られたし、美鳥は『あんなキチガイ揃いのパーティーに居られるか! あたしは放課後パートタイムのライブを見に行かせてもらう!』とか言ってばっくれましたよ」

今周は、ドクターがピックマン、そしてエーリッヒと運命的な出会いを経てバンドを組む珍しい周だからな。
俺もシュブさんから招待状が来ていなければあっちの方を見に行ったかもしれない。
むしろ、運命的に出会って、メンバー同士で何度も衝突を繰り返し、ライブ会場を借りるまでのやり取りがドラマちっくらしいのだが、そこら辺は俺のループ開始よりも前の時期であるために実際に目にすることはできないのだ。

「ははっ、まぁ、お前だけでも来てくれて良かったよ。卓也が居ると居ないとじゃ、主賓の気合の入れ方が倍は違うからな」

笑顔でそんな事を言うナイ夫。
ふむ。

「俺がパーティーに出席するのと、シュブさんの気合の入り方に、如何なる因果関係がありや……?」

しかし確かに、言われてみれば、今日のシュブさんは一段と輝いて見える。
むしろ悍ましくも禍々しい宇宙的神威を纏っているのではないかと思うほどの輝きぶりだ。
あ、ビール瓶で仮面の男の頭を殴った。
うむ、砕けたビール瓶の欠片に反射が悪夢的に眩い。
英語で言うとEvilShineというやつだろう。
夜を引き裂き鋼が唸る良いスイングだ。

「なんだよその語尾は……まぁ、この段階で言っても理解できないか」

「?」

呆れたようなナイ夫の言葉に首を傾げる。
流石人心を惑わすことに定評のあるニャルラトホテプの化身、わけがわからないよ。
しかも、まるで三点リーダを使って沈黙を演出した上で言ったかの様な、絶妙にこちらの耳に届かない呟き。
これぞ職人芸というやつか。
まるで結論先延ばしハーレムラブコメの難聴主人公にでもさせられたかのような聞こえなさ加減だ。

「とはいえ、折角パーティーに来たんだ。主賓に挨拶の一つもしていくんだな」

「わかってますって……と、言いたいところではあるんですが……」

ちらりと、視線を店内の隅に向ける。
愛穂さんが異界の悍ましくも退廃的な交わりを描いた魔導書を読みながら、名状し難い『ホモォ……』という不快な嬌声を上げている。
そちらではなく、もう反対側の隅っこ。
特殊合金で鋭角を埋められた部屋の角にしゃがみ込み、こちらに恨めしげな視線を向ける女性が居るのだ。
触手に見えるほど激しくウェーブ掛かった髪に、何より特徴的なのは背中に生えた蝙蝠のような翼だろう。
コスプレだろうか。しかし、生態的には完全にバランスがとれているが、如何せんパーマと羽程度では個性として見て貰えないのが現代アーカムの現状だ。
そんな何処か悪魔的な印象のある女性が、こちらを石にせんばかりの力が篭った視線で睨みつけている。
視線が痛い。人に恨まれる様な事はここ二年ほどしていないのだが……。

「ああ」

ナイ夫は何かに納得したように頷く。

「あれはシュブちゃんの元カノだよ」

「なんと」

「そして俺の従姉妹な。……俺と違って無職だけど」

「ニャルさんの従姉妹で無職の女性、というと」

ナイアルラトホテップの従姉妹の女神である、マイノーグラが思い当たる。
これは魔導書から得た知識ではなく、現代日本で手に入れた知識だが、如何せんこちらも情報が少ない。
試しにグーグルで検索を掛けてみればわかるかもしれないが、彼女の情報は日本では殆ど出回っていないのだ。
確か、ナイアルラトホテップと同じく旧神による封印から逃れて自由に行動可能だが、『旧支配者のパシリとか無いわー部下(鋭角から生える臭い犬)と一緒にベンチャー企業立ちあげて左団扇で暮らすわー』とか。
変な電波入った。ベンチャー企業は嘘だ。
いや、嘘かどうかは知らないが、少なくとも旧支配者の解放の為に働いている訳ではない事は確かな筈。
そして、シュブ=ニグラスによってにんっしんっさせられ、ティンダロスの猟犬を産み落としたとかどうとか、そんな記述しか存在しなかった。
交尾時にハートが飛んでいたかは不明だが、邪神同士のまぐわいに和姦とか強姦とかあるのだろうか。
彼女の事を信奉する教信者が居るかどうかすら不明なので、下手をすれば、彼女の記述が記された魔導書はこの世界に存在しない可能性すらある。
まぁ、あったとしても、その記述で何ができるかは未知数なのだが。

「……そうすると、シュブさんはあんな可愛らしいなりをしといて、シュブ=ニグラスと穴兄弟というわけか……」

あの触手とかはそんな使われ方をしていたか。
シュブさんのスケベェ……。
いや、シュブ=ニグラスの穴兄弟という事よりも、よくもまぁ邪神を引っ掛ける事ができるものだ。
シュブさんは邪神の召喚と接触とかを容易にこなす凄腕魔術師だったりするのだろうか。
やっぱりシュブさんは凄い。YSSっす。
そんなおそろしいこと、ぼくにはとてもできない。

「言うべきことはそれだけかっていう」

ナイ夫が白い目を向けてきたが、知ったことではない。
人様の好いた惚れたに、至近距離から首を突っ込むのは危険極まりない。
しかも、片方は邪神なのだ。その危険性は推して知るべしというもの。
人の色恋を娯楽として楽しむのであれば、何よりもまず自分の身と心を安全圏に置いてから挑まなければならないのだ。
ただ、それでもあえて何かコメントを残せ、というのであれば。

「しいて言うなら、野倉さんを応援したいですね」

鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす、と言うではないか。
個人的に同性愛者は好きではないが、察するにシュブさん、同性愛者というよりもバイである可能性が極めて高い。
しかも触手すら生やすことが可能ともなれば、もはや性別に関しては超越していると考えるべきだろう。
そう、同性愛でないのであれば、何一つ問題はない。
シュブさんへの野倉さんの想いは、もはや未練を越え宿命を超越し、愛へと変わったのだ。
その上で、豪奢な服を着た武道組み技とか壁ハメバスケとか平気で使いそうな我の強いオッサンと、自己主張出来ない上に立場も弱い個性も薄い出番も無い設定すら定まっていない地味娘のどちらを応援したくなるか。
俺は至極当然な、一般的な価値基準に従って動いているにすぎないのだ。

「……あぁ、うん、もうそれでいいか。ほら、シュブちゃん、空いたみたいだぞ。挨拶してきたらどうだ?」

何かを諦めたようなナイ夫の言葉通り、仮面の男を殴り倒して周囲への挨拶をひと通り終えたシュブさんがふらふらと人の集まりから抜けだしていくのが見えた。
どうやら、何時もの食堂での仕事とは異なる体力の使い方をした為に疲れているようだ。
祝福に、更に労いの意味も込めて、アルコールの抜けていない蜂蜜酒と何かデザートでも持って行ってあげよう。

シュブさんに近寄る前に、隅っこで蹲った女神マイノーグラに視線を送る。
彼女は恨めしげな視線をこちらに向けたまま、部屋の隅をガリガリと後ろ手に爪で引っ掻いている。
残念ながら部屋の角を埋めるのは自己再生機能付きの特殊魔導合金であるため、爪で引っ掻いた程度では鋭角を生み出す事は出来ない。
俺が改装工事の場面で提供した数少ない資材である。
大物と自分の子供を出してそれをネタにアプローチをかけたいという魂胆は解る。
解るのだが、ここは天下の大衆食堂ニグラス亭。
つまり飯を食う場所であるため、悪臭を放つクッソ汚い淫獣さんは永遠にNG設定である。
ちなみにシュブさんは室内であれら猟犬を放つことはないので、この改修工事は何らシュブさんへの害にはならない。
俺は彼女を応援しているが、せめて何かに縋るのではなく、自分自身だけで声を掛けれるレベルまで度胸を付けるべきだろう。

石化効果のある視線をガン無視しつつ、カウンター席に座り込み、カウンターに顎をのせてぐてっと倒れこむシュブさんの隣の席に。

「お疲れ様です。あったかいのと冷たいの、どっちがいいですか?」

「────」

言われるがまま、ピッチャーからキンキンに冷えた黄金の蜂蜜酒をジョッキに注ぎ、シュブさんの前に置く。
別に、テーブルの上に置かれていたニグラス亭の飲み物を出してもいいのだが、謎の多い来客用でもあるのか見たことも無いどんな味かも分からないような飲料が混じっている為に断念している。
注いでから、せめて何かで割るべきかと思ったが、シュブさんは起き上がってそのままグラスを引っ手繰るように受け取り、ぐい、とジョッキの中身を煽った。
シュブさんの形の良い喉が、嚥下の音と共に何度も繰り返し液体を通して変形する。
祝福に対する受け答えで大分喉が乾いていたのか、その飲みっぷりはとても気持ちがいい。

「っ────」

アルコール臭い息を吐き出しながら、シュブさんは勢い良くジョッキをカウンターに叩きつけた。
少し臭いに敏感であれば、アルコール臭いと言っても、アルコールを摂取した人間特有の臭い内臓の臭いではないのが解るだろう。
ここまで来客への対応で、料理にも酒にも殆ど手を付けられなかったみたいだし、そういう臭いが出る段階でもないか。

「──」

短い感謝の言葉。
そっけないと思われるかもしれないが、あれだけの数の客の相手をしたのだから、バイト店員を相手にする時はこれくらいで丁度良い。
こういう時、変に気を使わないシュブさんの気安さはとてもありがたいと思う。

「しかしまぁ、結構な人数が集まっちゃいましたねぇ」

「────、──────」

肩をすくめるシュブさん。
口調も何処か皮肉げ、というか、一つのテーブルに集まる特定神物に対してのみ痛烈に棘がある物言い。
普段は見せることのないその辟易とした態度に、俺の喉からは意識せずに笑いが漏れた。

「あはは、確かに、ニャルさんは半分で丁度ですか」

あのニャルさんの化身どもは、この周で主に使われる一体を残して記憶を微妙に書き換えられ、普通にパーティーを楽しんだ記憶だけを残して普段の生活に舞い戻ることだろう。
明らかに常人が見たらSAN値が下がりそうな姿形の何の変哲もない常連客が居るから仕方がないとはいえ、そこまで手間をかけるなら最初から来なければよかったのではないだろうか。

「──、──────、────」

空になったジョッキから手を離さず、再びカウンターに顔を乗せ、仕方なさそうに呟く。
確かに迷惑であるし、明らかに他意もあってのことだとは解るけど、ニャルさんも少なからず本気でニグラス亭の改装完了を祝う気持ちがあるだけに、正面切って文句を言う気にもなれないらしい。
そのまま、こてんと顔を横に倒し俺の方に視線を向け、空のジョッキを突き出すシュブさん。
俺はそれに蜂蜜酒を注ぎ、新原さんに何かつまみになりそうな物を持ってくるように片手でジェスチャーを送る。
たぶん、前の周で新生したドーナツ屋台から幾らか持ち込みを行なっている筈。
蜂蜜酒は結構甘みもあるし、甘いのを重ねるんではなく、カレーパンとかでいいんだろうか。
酒はやらないから、そこら辺の機微はわからないんだよな……。

「──、──」

酒に合うミスドのドーナツについて考えていると、シュブさん机に突っ伏したまま袖をくいくいと引っ張ってきた。
シュブさんの表情は、少し意地が悪い感じに薄く笑みを浮かべている。

「はい?」

「──────」

今からつまみになりそうな物をなにか作れって……。
俺? 俺が作るの?
いや、そりゃ今シュブさんと話してるのは俺だし、このメンツでまともに料理作れそうなの、向こうで取り出したドーナツを自分で食べ始めた新原さんくらいだけど。

「えぇー……? いや真っ先に新原さんに頼った俺が言うのも何ですけど、もう料理とかいっぱいあるじゃないですか」

そう言いながら、店内の机に所狭しと並べられた様々な料理の数々を指し示す。
しかし、シュブさんは苦虫を甘噛みしているかのような微妙な表情で反駁した。

「──、────────」

「ああ、うん、そりゃ、言われてみれば」

今行われているこのパーティーは、シュブさんの経営する大衆食堂ニグラス亭の大改装竣工記念パーティー。
ニグラス亭の改装を行ったのは、当然専門の建築業者である。
パーティー会場の飾り付け等を行ったのは、常連客の中でも特にそういうイベントの経験が多い常連客達であった。
どちらも専門職の、もしくは得意分野を生かした連中が行ったと言える。

「パーティーで、自分が作った料理って、自分で食べるには微妙ですよね……」

「──ん」

ハッキリと聴き取れる周波数の単音で、深々と、力強く頷かれた。
そう、このテーブル狭しと並べられた大量の料理、その殆どがシュブさんお手製の料理だ。
繰り返し言うが、このパーティーはシュブさんの店の工事の竣工を祝った、言わばシュブさんを祝福するパーティーである。

勿論、誰も手伝わなかった訳ではないらしい。
例えば、側頭部白髪のツンデレ美食爺が手伝おうとしたらしいのだが、彼は開始早々、シュブさん特性の秘伝の調味料を見て嘲笑を送り、鴨肉には山葵醤油だとかなんとかスタンドプレーを始めてボッシュート。
彼が人の料理を手伝おうと思うのなら、孫が生まれて丸くなってから出直さなければならないだろう。
他にも、謎の内原なる青年が手伝おうともしたのだが、彼が料理に使用したのがとてもではないが一般向けとは言えないような食材であったため、彼も最終的には厨房から締め出される結果となったらしい(ゴミ箱の中に捨てられていた残骸は美味しそうな気配がした)。
そういったゲテモノ臭い料理人を外せば、残るのは俺を含め、料理の腕でシュブさんに三段も四段も劣るような貧弱一般人ばかり。
結局、メインの調理はシュブさんにお任せし、俺と僅かに料理ができる連中は調理補助に回ってそれで終わり。

せめてメイド歴のあるニアーラが手伝えばまだどうにかなったのだが、何故か調理を手伝ったのはドーナツとケーキと小籠包しか作れない新原さんと、食材のQBだけ。
もっとも、情があるかも解らない宇宙的怪威に積極的なサポートを願うのが間違っているのかもしれないが……。

「────、──────」

「ううむ」

意訳すれば、『これまでウチでバイトしてきた成果を見せて欲しい』という事になる。
前の周、その前の周、更に例のブツとの融合に費やした千周ちょいを除いた、ニグラス亭でのバイトの日々に思いを馳せる。

朝、出勤後すぐにニグラス亭の掃除をシュブさんと一緒に行い、
戦場と化した昼飯時のニグラス亭で一心不乱にウェイターとして食事を運び、
昼過ぎから暫くの空白の時間帯を利用し、夕食時の仕込みを手伝い、
昼と同じく戦場と化したニグラス亭でひたすら料理を運び、
やや早めに人が捌けた時、シュブさんとおやつを食べながら世間話を楽しみ、
合間合間で、ニグラス亭の味の秘密とシュブさんの料理の腕を盗もうと試行錯誤した、あの日々……。

「シュブさんがそう言うのであれば」

上着の肩の辺りを引っ掴み、破り捨てる勢いで服を脱ぎ捨てる。
その下には、家で料理をする時にかなりの割合で使用している身体に馴染んだエプロン。
カウンターを飛び越え厨房に降り立ち、手を洗い、冷蔵庫の中から幾らかの材料を取り出し、コンロに、

「俺は、『祝福』のために────」

火を、入れる。
轟、と、業務用コンロから炎が噴き出し、不完全燃焼気味に渦を巻く。
魔術の制御を失敗して、半分燃やされた時の事を思い出す。
しかし俺はその記憶で身を竦ませる様な事はしない。
俺は夢枕に確かに見たのだ。
コルヴァズに囚われている筈のかの偉大なる神の姿を。
そして、俺の意識を消滅させるほどの存在強度の神意、火の摂理(Providence)を!
『火を恐れるべからず! カリッとサクッと それでいてパラッと』
これぞ、神の神託────なので!

「────チャーハン作るよ!」

―――――――――――――――――――
△月◯日(アッ!)

『フィニッシュブローとして《投擲》されたチャーハンは、丁度昏倒から復活してシュブさんに近づいていた仮面の男が全て顔面セーフしてくれたので、一粒たりとも無駄になっていない』
『何しろ、仮面の人の仮面と顔面の隙間に狙ったように全てのチャーハンが入り込んで、しかも下からは一切溢れなかったのだから、仮面の下で全て食べてくれたに違いない』
『チャーハンをキャッチした直後にぶっ倒れて、イタクァのページモンスター似の女性に回収されていったが、まぁ祝いの席ではその程度のアクシデントは些細な出来事だろう』

『気を取り直して作ったつくねと唐揚げ、家の冷蔵庫から召喚した鳥(ペンギン)ハムは酒にも合う感じの味付けであったためか、シュブさんにも少なからず満足して貰えたようだ』
『……だが、正直なところを言えば自分でもまだまだ納得できていない』
『火の加護がある(ような気がする)チャーハンや、素材の為の調整を行っただけの鳥ハムならばともかく、あの唐揚げとつくねはまだ未完成にも程がある』
『優しいシュブさんの事だから、パーティーの合間に作ったからという理由で合格ラインはかなり甘めに引き下げてくれたのだろう事は想像に容易い』
『でも、それじゃダメだ。人は一日鍋を振らなければ、その衰えを取り戻すのに一周二周軽く掛かるという』
『宇宙の中心に揺蕩う混沌が、俺の唐揚げにもっと輝けと囁いている』
『その内、シュブさんが口に入れて噛み締めた瞬間、美味しさのあまり五リットルくらい即座に失禁して脱水症状起こしながら皿まで舐め回し始めるような、そんな唐揚げをつくってみたいものだ』

『唐揚げで思い出したのだが、前の周、ロール回しながらブラックロッジで仕事とかしたくなくて、修行のために一時ブラックロッジから離れるとか言っちゃったんだよなぁ』
『でも、ロール回すのと、後半は大十字のボディタッチから逃げるのに必死で修行とか普段の美鳥との組手くらいしかやってない』
『今後もある程度の関係性を持っておくために、こちらが有能である部分を見せておきたいところだか、材料がない』
『複製とか取り込みとかはできるだけ見せたくないし、どうすればいいんだろうか』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

と、まぁ、そんなこんなで二年と少しぶりに、やって来ました夢幻心母。

「久しいな、鳴無兄妹よ」


玉座の間の中心には、相変わらずギャランドゥ照夫がカリスマを垂れ流しながら椅子に座り頬杖を付いている。
頬杖を付いているのに、同時にナチュラルにこちらの事を見下す感じの超越視線。
以前姉さんに聞いた、目付き悪くて黒ずくめの真音魔術師が使った、踏ん反り返りながらも腰を低くしてのお願いと似たようなジャンルに分けられる特技ではないだろうか。

「大導師殿におかれましても、ご健勝のこととお慶び申し上げます」

正しいかどうか怪しい礼儀作法で軽く会釈をする俺の隣で、美鳥は頭を下げるどころか大導師ガン無視でエセルドレーダに挨拶を行なっていた。

「おっすおっすエロ本! 相変わらずページカピカピで開かなそうな雰囲気だな!」

「あぁ、なんで生きてるんだろうこの小娘……」

慣れたやり取りである。美鳥はいつの間にエセルドレーダと仲が良くなったのだろう。
エセルドレーダに『頬に手を当て溜息を吐きながら遠い目をする』なんてオーバーリアクション取らせるとか、大導師除けば一番好感度高いんじゃないか?

と、挨拶を終えた所で、大導師の目が俺達の奥底を覗きこむ様に僅かに細められた。

「さて、貴公らは前の周、自らを高めるために修行に明け暮れていたらしいが……」

覗きこむかのように、と言っても、大導師の眼力で覗けるのは今の俺達の擬態後の能力程度。
一応、TS周でのアンチクロスとのガチバトルを経験に、前の周でその経験を力に変えた設定で、二人がかりならノーダメでネロを完殺できるレベルまで位階を上げた。
さて、大導師はこの結果に、不自然を覚えずにいてくれるか?
変に勘ぐられたら『へん! どうせ二年ちょいの修行じゃそんなに成長できませんよ! 悪かったな凡才で!』的な逆切れを柔らかぁく丁寧語で言って会話を切り上げて逃げよう。

「ふむ、これは……」

「……」

大導師はどこか感心したように俺と美鳥を交互に見比べ、エセルドレーダは悍ましいものでも見るかのような目付きで俺の事を睨みつけ始めた。
俺、そこらの自称非ロリコン非マゾヒストのロリコンマゾヒスト候補生達と違って、ガチでロリでもマゾでも無いから、そんな視線向けられても困る。

「なるほど、確かに双方とも、見事な成長を遂げている。二年という短い期間で考えれば、異例とも思える程の成長だ。……だが、卓也よ」

「は」

「頭ひとつふたつ、貴公の『凄味』が飛び抜けている。まるでそう、名のある邪神を独力で退けたか、邪神が集う地獄のディナーショウに出席でもしたかの様に」

出席したのはニグラス亭の改装パーティーだし、グレートメン75とか穿く予定も一切無いんだけど……。
つか、TS周を含めたとしても邪神討伐とか間違いなくやってませんがな。
まだ機械巨神では試してないにしても、外からの援護射撃じゃ融合砲でもクトゥルー相手じゃあんまダメージ通らなかったし。
邪神討伐目指すなら、せめて装甲抜く方法か、装甲の隙間に潜り込ませるような攻撃法を試したい。
そう、まるで仮面と顔面の間に熱々チャーハンを流し込む様な、そんな搦手を。

つまり大導師の言ってることには一切心当たりがない。
でもまぁ、大導師と言えど、所詮半分は人の子、なんかこう、殆ど変化がないからこそ凄く変化してるように見えるとか、そういううっかりもあるのかもしれない。
そもそも修行の成果が出た風に偽装するのが目的だし、むしろこの展開は都合がいい。

「日々是精進、暮らしの中に修行ありというものですよ、大導師殿。例えばトイレットペーパーやトイレの壁に魔導書の内容を記しておき、トイレに行く度に内容の再考を行うことで極めて効率的な──」

俺はその場で適当に思いついた数々の修行内容を大導師に解説した。
エセルドレーダは胡散臭そうに聞いていたが、大導師は熱心に修行内容に耳を傾けてくれた。
大導師殿もまだまだ精進が足りないと思っているのかトイレットペーパー魔導書を試そうかと言い出したのだが、その直ぐ後に『そういえば余は最初から魔導書を使っていたか……』と無念そうに呟いていた。
エセルドレーダの誇らしげな顔が印象に残ったので、この件には一切深入りしないでおこう。
流石にドン引きだが、それでも真顔で玉座の間を退室できた俺の演技力は褒められたものだと思う。

―――――――――――――――――――

×月×日(※まだ日記は一冊目です)

『かれこれ、俺は何万、何億のページの日記を書いただろうか』
『途中から一切継ぎ足しも交換もしてないのに、一向に白紙のページが尽きる気配がない』
『最初のページを開くとスパロボ世界で描いた最初のページが開かれるのは確かなのだが』
『何も考えずに適当に真ん中らへんのページを開くと、村正世界のページが出てきたり元の世界でのページが出てきたりデモベ世界のページが出てきたりだいぶ前に挟んだへそくりが出てきたり』
『何が原因なのかはいまいち解らないが、俺はとりあえず最初のページの前に一枚厚めの紙を綴込み、赤字で《擬人化厳禁》と書いておいた』
『もし擬人化してしまったら、何か喋り出すよりも早く霊体をズタズタに引き裂いた上でアカレコに『日記は絶対に擬人化しない』とでも書き込んでおく事にしよう』

『さてそんな訳で、俺達がデモベ世界に訪れてから結構な時間が経過した』
『最初の頃は珍しいとか思っていたニャルさん主導の作為的なTS周も既に三桁を数え、自然発生したTS周を含めればそろそろ四桁の大台に乗るだろう』
『それ以外では、逃げ出したエンネアと遭遇した回数は五桁を越え、シスターライカが触手レイプされて妊娠からの帝王切開コンボで乙った回数は既に十一を越えてしまった』
『更に、ループした時点でアンチクロスが不慮の事故で全員死亡、俺と美鳥とフーさんと爺さんと教会から攫って洗脳して改造したアリスンと複製ティベリウスと複製エンネアでアンチクロスを代行すること三桁』
『大導師相手に何処まで正体を隠蔽できるか試すために、最終鬼畜ネロ以外のアンチクロス全員美鳥(姿は変更済み)を少し』
『ブラックロッジもミスカトニックもくだらねぇぜ! 俺の唐揚げを食え! なニグラス亭専属アルバイター周を六桁越え』
『初期位置で日常生活を送りながら延々リリアン編みしてたら何時の間にか終わってた周がニグラス亭周と同じくらい』
『これらに加えて、何の変哲もない普通の周がそれら合計の数千倍』

『長いようで、短いようで、やっぱり長い時間』
『俺達は様々な手法でもって、飽きという最大の敵と戦い続けた』
『時には姉さんに習い、一日三十時間の睡眠という矛盾を追求して時間を潰し』
『時には何もかもを投げ捨てて、チベットの修行場に篭り延々とマニ車を回し続け』
『セックスセックス! 猿の様にセックス! とばかりに爛れた生活を送り』

『やっぱり定期的に脳内の部分的な初期化と最適化を行うのが一番だという結論に至った』
『うん、部分初期化マジ便利』
『これやるだけで処理速度も大幅に上がるし、目に映る何もかもが一々新鮮で飽きることがない』
『たぶん大導師もこれが出来ればループ終わるまで摩耗とかしないんじゃないだろうか』
『まぁ生身の脳味噌しか持たない大導師じゃ逆立ちしたって覚えられないのだが』
『残念だなー可哀想だなー申し訳ないなー』
『ちなみに姉さんはそこら辺の飽きとか暇とかは、言葉にして説明できないチート技能でふわふわっと解決しているらしい』
『さすが姉さん、こういう時ばっかり、設定が幼稚園児の考えた最強キャラみたいにあやふやだぜ……』

『まぁ、大導師の精神状態がどうなるかはともかく、俺達はもはや一片の不安も無い』
『大導師にはこのまま、ゆっくり気長にトラペゾ取得を目指してもらおう』

―――――――――――――――――――

「おはようございます、社員」

「おはようございます、チーフ」

機械的な朝の挨拶が、空気の澱んだ下位構成員詰所に響き渡る。
魔術の真理探究の為に集う信者達が、今日もマネキンの様な笑顔で、一糸乱れぬ幾何学陣形で整列していた。

「君達の前任者は、愚かにも魔術実験用素体を捕らえ損ねるという反逆を犯し、その場で実験体に改造された反逆者でした。君達はそんなことはありませんね?」

スーツの襟は乱さぬように、ボーダーシャツにシワを作らないように、直立不動で微動だにしないのがここでの嗜み。

「勿論です。我々こそが幸福で完全な社員です」

もちろん、今の俺の一言で竦み上がる者や、動的な感情を働かせるような、はしたない社員など存在していようもない。

「よろしい。社員、幸福は社員の義務です。では、幸福な探求活動を始めましょう」

俺が掌をパンと叩くのと同時に、プラスチック球の様な輝きを瞳に宿した社員達は一斉に散開。
今朝方製造が完了した彼らの仕事は、引き続き実験用素体の収集。
肉体改造系の魔術は、犯罪結社に所属する人間であれば必須科目と言ってもいいが、やはり自らの肉体を弄る魔術はリスクが高い。
事前に想定していた作用の強弱と、副作用でどの様なことになるかを確認するためには、健康で実験結果が明らかになりやすい人間が必要になる。

実験用の素体もブラックロッジ内部で作ればいいじゃないかと思うかもしれないが、作るよりは余所から完成品を持ってくるほうが格段に安上がりで素晴らしい。
世の中、何をするにも金金金。
金が無いのは首がないのと同じ、首が無ければ死んだも同然。
だが、首を繋ぐのも首無で動くのも魔術の領分と考えればおかしな事はない。
攫うだけなら合同研究をする連中を協力させればほぼ無料で実験体を手に入れられる。
攫ってきた実験体が見目麗しければ客を取らすなり、脳改造を施して金持ちに売るなりして金になる。
魔術の研鑽、探求にのみ意識を割けない未熟な社員のストレス解消にも役立つ。
やはり、アーカムシティはブラックロッジにとってとても素晴らしい環境なのだ。
普通、ここまで好き勝手魔術結社が活動して置きながら、それでも賑わいが失せること無く続くなんて事はありえないらしいし。

「ちなみに、この思考は初ホモ周から数えて……」

「まだ兆に届いてないね」

「む。大導師が食った大根の本数と同じくらいか」

流石は大根を喰らい欲する魔人である。
恐らく、魂が輪廻から解脱するまでの全ての時間を合わせたとして、彼ほど大根を欲し喰らい貪った魂は存在しないだろう。
稀に困窮極まって路地裏のゴミ箱から暗黒物質を探しだして捕食し始めるどこぞの白の王より腹の中は余程白く浄化されているのではなかろうか。

さて、ブラックロッジの朝は早い。
それでいて夜は遅い。今仕事を始めた連中を例に挙げてみよう。
始業05:00。
終業29:00。
ちなみに、連中は培養に時間が掛かって23:00から05:00まで仕事ができなかったので追加で6時間ほどの残業が入ることになる。
まあ、残業が増えても一日の合計就労時間は固定な訳だが。

で、ポッドから排出して脳味噌に以前のバックアップデータを書き込んで、という作業に三十分。
そこから薬物などを使って緩やかに肉体のならし運転をさせるのに三十分。
装備整えてさっきの朝礼済ますのに五分。
つまり現在六時五分くらい。
家に帰って美鳥と鍛錬してシャワー浴びて、その後に姉さんが起きてなかったら朝飯作って、大学一コマ目余裕である。
余裕ではあるが。

「美鳥、今日は大学を休む」

「なして?」

「ニグラス亭の食材買い入れの手伝いがある」

「あぁ……スパイス?」

「うむ。まぁ、商人がアーカム入りするのが9時頃だからな」

無限とも思えるやり直しが行われる無限螺旋においても、あの商人がアーカムに狙いの商品を持ってアーカムに訪れる事は稀だ。
具体的に言えば、これまでのループでまだ四度しかアーカムへの来訪を確認できていない。
これがどういう事かお分かりだろうか。
無限螺旋終了時にどうなっているかわからないが、現時点では、シスターライカの妊娠イベントを遥かに下回る確率でしか遭遇できないのだ。
シュブさんもこの事に付いては理解しているのか、かの商人が訪れるとわかった時から──具体的には数カ月前から、俺に買い入れの手伝いを以来してきていた。
それこそ、商人が買い付けてきたスパイスを全て買い占める勢いで購入し、保存場所には店とは別に倉庫を丸々一ブロック借りる程気を使っている。
恐らく、ここ最近の唐揚げの隠し味に使われているのはあの商人の持ってきたスパイスだ。
味を盗むためにも、この仕事を断る訳にはいかない。

「行くぞ美鳥、今日は屋上じゃなく訓練部屋だ」

「動かして身体温めとくんだね。縛りは?」

「無し。と言いたいが、朝食までの時間を考えて生身での対鬼械神戦闘程度にしておこう。ちょっと物足りないけど」

「参加人数増やせば丁度良い感じになるって。……あたしも買い付け、手伝えればいいんだけどなー」

「姉さんの言いつけだからな、仕方ない」

そう言いながら、俺は詰所を後にした。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

時刻は午前十二時。
俺は大型トラックから運び出した最後のスパイスを倉庫に運び終え、港近くの公園のベンチに座り、額の汗を首に巻いたタオルで拭った。
商人は港に船で乗り付けてくれるので、それほど倉庫までの距離があるわけでもないのだが、それでも輸送船丸々一つの荷物を倉庫に輸送するとなればかなりの時間が掛かる。
俺とトラック型の鬼械神が無ければ夕方まで掛かっていたところだ。

「────」

「シュブさんも乙です」

いつもの毛羽立ちの少ない生地からなる私服とエプロンではない、ツナギに身を包んだシュブさん。
シュブさんはシュブさんで別のトラックを使って荷物の搬送をしていたのだ。
何故にガンダムファイターが大達人級の実力を兼ね備えた時点での俺と同じ速度で仕事が出来たのかはいまいち解らないが、そこは本職ならではのコツがあるのだろう。
そう、基礎スペックさえ高ければ本職をも凌駕できる、などというのは幻想でしかない。
プロの料理人よりも美味しい料理を作れる、などと言い出す輩が比較対象にするプロというのは、ただ免許を持って金を稼いでいるだけの凡俗に過ぎない。
過度な利益を求めず真にその道に打ち込み続ける、例えばシュブさんのような人こそが、真にプロフェッショナルと呼ばれるべき存在なのだ。

「────?」

「俺がシュブさんを尊敬してる、ってだけの話ですよ」

黙り込んだまま何を考えているかと問うてきたシュブさんにありのままを伝える。
と、シュブさんは頬を染めながら俺の背をばしばしと叩いてきた。

「──! ────!」

「痛っ、シュブさん痛い! その平手は痛いですってば! 不屈かけてるのにダメージ通さないで! イベント戦でも無いのに!」

相変わらずシュブさんの照れ隠しは対クトゥルー戦がヌルゲーに思える威力だ。
正直、シュブさんをシャンタッカーに乗せてクトゥルーに特攻させればヨグ様召喚されるより早くクトゥルー殲滅できるんじゃないかと錯覚してしまうレベル。
まぁ、何の変哲もない料理人であるシュブさんをクトゥルーとの戦いに巻き込む訳にはいかないし、そもそも無理してクトゥルーを撃破する必要は一切無いのだけども。

「────、──────?」

と、ここで照れから回復したシュブさんが弁当を取り出しながら、俺に以前に出した修行内容の確認を行う。

「うい、言われたとおりに」

「────」

シュブさんに促されるまま、俺も手荷物の中から弁当箱を取り出す。
弁当の中身は、俺が自由に作れるスペース七割に、シュブさんからの課題料理が三割。
そして互いに膝の上に弁当を乗せ、俺は課題料理をシュブさんの弁当に、シュブさんは手本となる料理を俺の弁当へとトレード。

「──、──」

「じゃあ代わりにそっちの茄子巻下さい」

そして、それ以外にも互いの弁当の中で気になった物があった時は一言断りを入れてから摘んでもいい事になっている。
こうすることによって、互いの弁当から優れた技術や新しい発想などを取り入れ、料理のスキルアップに繋げる事が可能なのだ。
まぁ、どれだけループを重ねても素人料理でしかない俺の料理からシュブさんが何を得るのかはいまいちわからないが。

「──────」

「あ、わかっちゃいました? 少し油に付ける香りも変えてみたんですよ」

……うん、ほんの少しの味の工夫だからそこまで劇的な変化もしていない筈なのに、隠し味が完全に見抜かれてる。
やっぱりシュブさんは凄い。
それに、そんな凄い料理人が俺の素人料理に舌鼓を打ってくれるなんて、なんと表現すればいいのか。
嬉しいというか、誇らしいというか。
あと、

「────」

頬を膨らませて、もっきゅもっきゅとオカズを咀嚼するシュブさんは、小動物的な愛らしさがある。
なんというか、咀嚼音からして変にくちゃくちゃ水っぽい音がしない辺りトゥーン的というか。
あざとい……でも悔しいけどちょっと可愛い。

アニメ始まって主人公の相棒として選ばれてから爆発的に人気が出て、ゲームやグッズの方でも可愛らしいタイプのポケモンとして扱われるようになった電気鼠的というか。
いや、シュブさんに対しては特に悪感情はない。
何しろ、バイト先の店主であり、プライベートでの付き合いもそれなりにあり、しかも億年単位での付き合いがある。
悪感情など、シュブさんに抱くわけがない。
あと、電気鼠に対しても、静電気を蓄電するという頬袋を外科的に摘出してみたい程度にしか思ってない。麻酔は使わないけどな。

「?」

咀嚼を止めず、しかし疑問の視線を向けてくるシュブさん。
じっくりと観察しすぎていたらしい。

「あ、いえいえお構いなく」

そう言いながら、俺はシュブさんが手本として作ってくれた料理に箸を伸ばす。
……シュブさんの料理、店で出す時よりも若干美味しいんだけど、隠し味の成分が見つからないんだよなぁ。
本人に直接訪ねてもそっぽを向いてはぐらかされたり、『君にはまだ早いよ』とか窘められたりするし。
食べずに持ち帰って、そのまま取り込んで成分をじっくり検分したくもある。
が、

「────」

シュブさんが、弁当を食べながらこちらをガン見している。
チラ見しているとかそういうレベルですらなく、弁当を食べながらじっくりと正面から俺を観察しているのだ。
そして、咀嚼していたものを飲み込むと、次のおかずやご飯に箸を伸ばさず、そのまま黙って見つめ続ける。
視線が訴えている、『食べないの?』と。
脅しつけられているわけではないのだが、悪意も無く純粋に疑問に思われているだけに目を逸らしたくなるというか。
こんな視線を向けられて、弁当箱を閉じたら、それこそ不義理にも程があるではないか。

「はぐ」

意を決し、料理を口にする。
うん……やっぱり美味い。
ほんと……これほんとにおいしい。
基本的な作り方は間違いなく変わらない筈なのに、何故こんなにも味が違って感じるのか。

「──────」

「最高の調味料とはいったい……うごごご」

シュブさんの弁当の謎に首をひねりつつ、二人で昼食を楽しんだ。
ループが終わるまでにはこの謎を解き明かしたいものだ。

―――――――――――――――――――

◎月▽日(無味無臭、薬物検査にも引っかからず、しかし強い常習性を持つという、最高の調味料……!)

『この謎掛けは尋常な知識量では対応しきれない気がする』
『例えばそう、鉄鍋世界に行って薬膳料理の達人を取り込んで、そこから更に隠し味の研究をするとか……』
『こう考えると、料理というのは実に奥が深い』
『まるで宇宙の深淵を覗き見ている様な、胸が高鳴るような、そんな気持ちにさせてくれる。英語で言えばドキドキスペース』
『とはいえ、今しばらくは無限螺旋を抜け出せる算段も付いていない』
『というか、この二年と少し縛りが解けて過去に飛ぶ事が出来れば手に入る力の幅も広がるし、無限螺旋脱出は白の王の成長を待つ形で充分』
『だいたい、仮にもシュブさんはこの単一世界だけの知識で持ってあの味にたどり着いた訳で』
『それを、他世界の技を使って追い抜こうなどと、おこがましいとは思わんかね……』
『生き死にが掛かってるならまだしも、こういう、趣味とか娯楽に近い部分でそういう反則はよろしくない』
『どうせ、大導師も暫くはトラペゾを召喚することはできないだろうし』
『俺も、歩くような早さで、ゆっくりと料理とか諸々の技術を磨いていく事にしよう』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

そんな訳で、毎度おなじみ夢幻心母での自由行動。

「いやぁ、やっぱドクターのアドバイスは為になるな」

「本人に任せるのはマイナス面のギャグ補正が怖くてやってらんないけど、インスピレーションは素晴らしいよね」

宝剣ルクナバード(仮)もかなり完成に近づいた。
流石は世紀の大天災、まさか刀身に折り重ねる劣化ウランと諸々の金属との調合比率に、あんな最適解が存在したとは。
そもそもどういうデザインなのかすらわからないが、これほど原子力の力を使った剣であれば、そろそろ『太陽の欠片を鍛え上げた剣』の名を名乗っても問題ないだろう。
太陽のかけら、なんて言われるからには、原材料に放射性物質を使うのは当然の帰結だよね?

「ま、これは放射線耐性持ちの使い手を用意しないと意味が無いし、完成はまだまだだな」

「小型原子炉とか搭載しなけりゃ、もう少し難易度下がったと思うけどねー」

それは仕方がない。
姉さんから聞いた情報じゃどんな剣かわからなかったから、現代の聖剣とか宝剣のイメージ(全力で振ると対城級のごんぶとビームが出る)で通すしか無いし。
デザインも、とりあえず性能重視って事で機殻剣みたいになっちゃってるし。
だが、流石にゴジラに匹敵する放射能火炎を発射可能となれば、宝剣の名を冠するのに不足はないだろう。

「それに、ちゃんと光って唸るという子供のおもちゃ二大機能を搭載している辺は特にポイント高いよな」

「発光原理がチェレンコフ光じゃなきゃ一般販売できたかもしれないのにねー」

ううむ、つまり、アーカム中の子供たちが放射線に強い強化体質になればこの宝剣も馬鹿売れするという事か。
どうにかしてオルタレイションバーストを再現出来れば……。


ひとしきり宝剣の販売とか使用者とかを話し合い、ついでだから久しぶりに大導師殿に挨拶をしていく事になった。
行き着く先は当然夢幻心母中枢、玉座の間。
いい加減大導師も偶にはちゃんとした私室を持つべきではないだろうか。
暗殺されてもどうせ生き返るんだし。

「大導師殿、そろそろ乙の時間ですので、見舞いに参りました」

「ちょりっす。遺言として、次の差し入れのメニューくらいは聞いてやるぜ。聞くだけだがな!」

閉じられた門を素通りし、大導師とエセルドレーダしか居ない巨大な空間に踏み入る。
室内にアンチクロスの『目』は当然存在しない。今頃は大導師を殺害するための密談の真っ最中だろう。
まぁ、ループ初期ならともかく、今じゃ何を聞かれても始末に困ることはないから問題ないのだが。
相変わらず空間すべてが薄暗く、無駄に荘厳な空気を漂わせている。

「……ああ、そういえば、もうそんな時期であったか」

だが、この場の中心、玉座に座る大導師の表情は精彩を欠いた物だった。
いや、表面上は何の変化も無い。身に纏うカリスマにもプレッシャーにも何ら衰えは感じられない。
だが、これまでに幾度ものループを越えて顔を合わせてきた協力者の状態を見抜けない程、俺は鈍感ではないつもりだ。たぶん。

「大導師殿、お加減がよろしくない様子ですが、何か心配事でも?」

「いや……そうではない、そうではないのだが……」

視線を逸らし、言葉尻を濁す大導師。
今度は決定的だ。
ここまで歯切れの悪い大導師は初めて見ると言ってもいい。
しかし、それだけにどう対処するべきかで悩ませられる。
エセルドレーダに視線を移すと、大導師の傍らで、憔悴する大導師に気遣わしげな視線を送っていた。
エセルドレーダで対処できる問題でもないらしい。
かといって、俺達に何かを要求するでもない……。

美鳥に視線を送る。
網膜投影式ジャンケン、じゃーんけーん、ぽん。
……まさか初手で奥義を繰り出してくるとは思わなかった。
ジャッカルで敵う勝負じゃ無かったんだな、負けたよママン。

「んー、まぁ、トラペゾなんて簡単に手に入る代物じゃねーんだしさ。そこまで気負う必要もねぇさ」

美鳥が半歩前に出て、努めて気楽な声でそう言った。
なるほど、やはり美鳥も、トラペゾを手に入れられないことに焦りを感じていると予測したか。
なら、ここは俺もそれに追従する形でフォローを送るとしよう。

「そうですよ、大導師殿。向こうの思惑からとはいえ、時間は無限にあるのです。それほどの時間があれば、必ずや輝くトラペゾヘドロンを──」

「……た」

「はい?」

フォローの言葉を遮り、大導師が何事かを口にした。
聞き取れなかった訳ではない。
大導師の声帯や舌などの発声に必要な部分が、正確に言葉を紡ぎ出せるほどの力を絞り出せなかったのだ。
テレパシーで直接覗く事ができないでもないのだが……なんとなく、今の大導師の頭の中はぐちゃぐちゃになっている気がする。読むだけ無駄だろう。

次に何を言うべきか考えている内に、大導師が大きく深呼吸をする。
そして、腹に力を込めて、静かに、その言葉を口にした。

「もう…………った」

「…………………………………………は?」

「…………………………………………ほぇ?」

紡がれた言葉に、俺と美鳥は間抜けな声で問い返してしまう。
それは、完全に想定外の言葉だったからだ。

「もう、トラペゾヘドロンの召喚は、叶った。と言った」

大導師は今度こそ、人間の耳でもハッキリと言葉として認識できる大きさの声で、言い切った。
だが、大導師の言葉はそれで終わらない。

「だからこそ、また、貴公らに教えて欲しい」

その視線は、まっすぐと俺と美鳥に向けられてきている。
今まで見たこともない、大導師の真剣に誰かに教えを請う視線。

「輝くトラペゾヘドロン……これは、どのようにして、ナイアルラトホテップに当てればいい。教えてくれ、二人共。エセルドレーダは何も答えてくれない……」

エセルドレーダへの無茶振りはともかく。
大導師のその表情は、スパロボへのデモベ参戦を願うグリーンリバーに匹敵する真剣さであった。








続く
―――――――――――――――――――

未だかつて無い程のキンクリをかました第六十九話をお届けしました。

六十八話と比べるとパーティーしたり弁当食ったりでほのぼのばかりでしたが、次と次々はシリアスになるので、その前の骨休めとお考えいただければ。

スパロボ発売とか東京魔人学園外法帖のDL販売開始とか色々あったのにこの期間で上げられたのは、たぶんまぁまぁ上出来な方かと。
今後もたぶん更新ペースはこんな感じになると思われますー。
次話か次々話で大導師やブラックロッジとも縁を切って、背景とかもがらりと変わると思うので、ゆっくりお待ち下さい。
構成的には大導師と縁を切ってからがデモベ編最終章的な扱いになるんで。

今回は、うん、自問自答するべき部分もありませんね。
主人公の口調が一定しないのは相手ごとにちょいちょい変えてるからって事で説明不要でしょうし、大導師がトラペゾ召喚した事に冠する諸々の疑問も、たぶん次話で明かされると思いますので。
それ以外で何かありましたら感想の方へお願いしますー。

それでは、今回もここまで。
当SSでは引き続き、誤字脱字の指摘、簡単にできる文章の改善方法、矛盾点へのツッコミ、その他もろもろのアドバイス、そして何より、このSSを読んでみての感想を心よりお待ちしております。



[14434] 第七十話「見えない混沌とそこにある混沌」
Name: ここち◆92520f4f ID:81c89851
Date: 2012/05/26 23:24
輝くトラペゾヘドロンを、ニャルさんに挿入する方法、か。
なるほど、それは酷い難題かもしれない。
しいて言うなら、大導師を黒髪の東洋人風に仕立て上げ、声帯を弄り犬型神姫っぽくすればニャルさんの方からウェルカムしてくるという天の声も聞こえるのだが……。
大導師はグリリバのお気に入り、声優が代わることはありえないだろう。

「ふむ」

さっきは思わず間抜け面を晒してしまったが、ぶっちゃけトラペゾの覚醒は積み重ねではなく確率の要素が殆どである。
そして、いつの間に召喚のコツを取得したのかは知らないが、大十字はともかく大導師は替えの効かない黒の王なのだ。
最終的には確実にトラペゾを召喚できる位置に存在するのだ。驚くには値しない。
値しないが……。

「そうですね。とりあえず残り時間一杯使って、大導師殿の身体と魔力のチェックを行いましょう。何しろ事が事ですからね。もしかしたら大導師の肉体に何かしらの細工が施されている可能性も否定できません」

そう言いながら、俺はポケットから一つの包みを取り出し、大導師に差し出した。
両端で捻られたそれは、一見して飴玉を包んでいるようにしか見えない。

「これは?」

「科学的に正しく、少し体に良い効果もある、決してどこもおかしなところなど無い体調観測用ナノマシン集合体です」

しかも脳波コントロールできる。
この手段だけは何年たっても変わる気がしない。

「ふむ……飴にしか見えぬが」

「飴で包んでありますので」

バター、生クリームを砂糖と水飴と共にコトコト根気よく煮詰め、BB弾程度のサイズのナノマシン集合体を核にして冷やし固めた一品である。
隠し味の塩一摘みのお陰で、味の方はかなり再現されていると思う。
熱で溶けた飴で包んで大丈夫なのかって?
ぶっちゃけナノマシンそれ自体が俺と同じ程度の防御性能を誇るので、今のところトラペゾか最上位の邪神の攻撃でも食らわない限り問題なく稼働するのだ。

「そうか、大儀である」

そして何一つ疑うこと無く包みから取り出した琥珀色の物体を口の中に入れる。
暫しの間、玉座の間に大導師の口の中で糖衣と歯がぶつかり合うころころという音だけが響き続ける。

「これは……」

「甘くてクリーミーで、それこそが、大導師が特別であるという証なのです。あ、舐めきる前に飲み下して頂いてよろしいですか」

特別っていうか、なにげにナノマシンだと知らせた上で躊躇なく口に入れたのは大導師が初めてじゃないだろうか。
大概は黙って食事に混ぜるのに、たまげたなぁ。

「スケジュールを考えれば、この周ではこれが精一杯でしょう。あ、データ採取の為に頭の天辺から爪先まで全身にナノマシンが行き渡りますが、害は無いのでご安心を」

「わかっている。……貴公が、今更余を害することなど、あるまい?」

大導師の少し心配そうな口調。
おおお、大分前の全員ホモな陰秘学科のトラウマが……、やめろ大十字、その距離に来るなら最低限TSしてくれ。
くそっ、シュリュズベリィ先生が筋肉質なゼミ生を個室に連れ込むシーンを目撃してしまった。中から濃厚な呻き声が……!
トラウマをえぐられ、俺の攻撃力ががくっと下がった。
冗談はともかく、大導師は同意を求めてきているようだ。
まったく、大導師は心配性だな。

「勿論ですとも、大導師殿。我ら兄妹が大導師殿に害を成す理由など一つとして存在しないのですから」

邪神補正で死にたくても死なせて貰えない様な相手に無意味に戦いを挑む程馬鹿でもない。
無限コンティニュー可能な奴相手に戦いを挑むほど精神を病んではいないつもりだ。
それに、別に害を成さなくても、欲しいものは採らせてくれるんだし。
そういった意味で言えば、大導師との関係は原作キャラ相手としては、過去に無いほどに平和的な関係だと言えるだろう。

「そうか……そうか……うむ」

大導師は俺の言葉を聞いた後、珍しく大仰な素振りで何度も頷いてみせた後、カリスマを取り繕った。
幾多ものループを越え、大導師の信頼を勝ち取ってきたのだ。
万が一俺達と大導師が敵対するとしたら、それは致命的なまでの意見の食い違いが生じた時だろう。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

さて、例年通り大導師が猫駆除されて爆死するシーンを華麗に観察し、

「ねんがんの 大導師の死体を てにいれたぞ!」

ところ変わって、セラエノ大図書館の視聴覚室。
鬼械神のコックピットの中で死んだにしては綺麗な大導師の死体を前に、俺は両手を挙げて快哉を上げる。
そんな俺の目の前で、姉さんが痛ましげな表情でハンカチを目に当てていた。

「卓也ちゃんもとうとうネクロフィリアに目覚めちゃったかー……でも安心して、きっとお姉ちゃんが更正してあげるからね!」

「とうとうって何さ、とうとうって」

決意を新たにした表情で両腕でグッとガッツポーズを取る姉さんに軽く手の甲で突っ込みを入れ、改めて大導師の死体に目を向ける。
鬼械神の爆発に巻き込まれたにも関わらず、その死体は異様なまでに元の形状を留めている。
体内に散らしたナノマシンが宿主の生命以外の部分を徹底的に保護し、更に生体活動の停止を確認した時点でエセルドレーダの目を魔力混じりの爆炎で潰し、鬼械神経由でこちらに転送したのが大きいだろう。

「でも死体を取り込んだからって、そう簡単に手に入るものなのかな」

美鳥の疑わしげな声に、姉さんが肩を竦めて応える。

「そこら辺は、千歳の設定次第ね」

少なくとも、大導師のモデルから考えてエジプト神話における魂の解釈くらいは入れていてくれてもいい筈だ。
古代史とか宇宙とか絡ませた設定の厨二と言えば、エジプト神話要素は欠かせない。
問題は、エジプト的な要素が含まれたとして、肉体とカーだけで召喚に必要な要素は足りるのか、という事だろう。
そんな真似ができるなら最初からニャルさんがやっているとも言えるし、別段大導師以外にそれをやらせる必要もないと言えばそれまでの話な訳で。

「無理なら無理でループ抜けた後に完全版を召喚できる大十字九郎を食べればいいんだし、気楽にやりましょ?」

「それもそっか。よっしゃお兄さん! 取り込む前に大導師の死体で一発芸大会やろうぜ!」

「それは気楽にやりすぎだ」

「■■■■■!」

と、三人で騒いでいたら、司書の三角錐に怒られてしまった。
流石セラエノ大図書館、騒いでいる連中に注意する委員長タイプが実は一番騒がしいというテンプレをここまで自然に再現するとは。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

大導師のカミングアウトから暫しの時が流れた。
ぶっちゃけ死体を取り込んで最適化するのに時間がかかった訳だが、これには実は数十周くらいしかかかっていない。
大導師が神と人間のハーフである事を考えれば驚異的な短さでもあるが、これはこちらの度重なるバージョンアップと、母親の方を事前に取り込んで完全に最適化していたからこそとも言えるだろう。

今周は、目覚めて直ぐに大導師に原因を調査中であることを使い魔を差し向けて伝えた上で、ニャルさんの捜索を行なっている。
実際、アーカムに限らず、ニャルさんの端末は数多く存在する。
正確に計測した事は無いが、人間に限って考えても、一つの小さな町を虱潰しに探していけば二三人は居る筈だ。
ブラックロッジに行くだけでも既に一人見つけることができるし、アーカムレベルの大都市ともなれば、住民の十人に一人は知り合いにニャルさんの端末が混じっているのだから、その見つけ安さはかなりのものだろう。

そう、端末を見つけることはとても簡単だ。
簡単なのだが……

「ニャルさん、ちょっといいですか」

俺の呼びかけに、白い体毛、猫にも似たフォルムの、ぬいぐるみの様な生物が振り返る。
その瞳は、ニャルさんの端末に相応しい燃えるような紅い眼──

「君は……魔法少女でも無いのに、ボクの姿が見えるのかい?」

とはいかず、その紅い瞳に対して得られる印象はルビーの様な、宇宙的悪意など欠片も、いや、感情による揺らぎなど一切感じられない無機質なものでしかない。
路地裏の中央を歩いていた白い獣──QBはくるりと軽く身を翻し塀の上に駆け上ると、その無機質な瞳をこちらに向け、口も動かさずに問いを発した。

「まぁ、別に男に見られても嬉しくもなんとも無いんだけど……。ところで君、悩みを抱えている女の子を知らないかい?」

「生憎と手持ちを切らせてまして。……好きなんですか?」

突如として奇妙な事を口走りはじめたQBに対し、念のため確認の質問を行う。

「勿論さ! ローティーンの女の子は世界の宝だからね!」

先ほどまでの無機質な固定された笑い顔ではない、目をへの字にした満面の笑みで清々しいまでに断言するQB。
あ、間違いない。
このQBはダメな方のQBだ。

「そうですか……。ああ、手持ちはありませんけど、ここから少し行ったところにある教会にそんな感じの女の子が居ましたよ。自分に自身が持てないとかどうとかで、男の子二人にいじわるされて」

「ちょっとその雄餓鬼去勢してくる」

平坦な口調でそれだけ告げて駈け出したQB。
ちょっと紳士過ぎるが、異常を来したQBとしては大人しい方だろう。
どうせ返り討ちにあってケーキの材料にされるのがオチだし、シスターに警戒を促す必要もないか。
彼の後ろ姿を暫く見送った後、俺は次の目的地へと足を運んだ。

―――――――――――――――――――

先の路地裏から少し離れた場所に位置する小道に、こじんまりとした佇まいの古本屋が存在する。
名前も無いような、本当に古本を買って売るだけが仕事の様な店構えだ。
この古ぼけすぎて文字も読めないような看板、蔦の生えたレンガの壁。
いやぁ、ノスタルジックで、実にいい造りですね。
なんかこう、黄金時代のジャンプのバックナンバーとか、ドカベン柔道編が載ってるチャンピオンのバックナンバーとかが置いて有りそうな。

「このワゴンに積まれた少し前のベストセラー、堪らん」

砂埃を被って掃除すらされていない投げ売りワゴンに並んだ背表紙を指先で撫で、入り口のドアを押して入店する。
入店した客が目にするのは、のっけから客の侵入を拒むように目の前に屹立する巨大な本棚の側面と、そこに貼られた、数年前に印刷されたと思しき古本屋連合加盟店を示す張り紙。
棚と棚の間には更に横積みにされたハードカバーが山と積まれており、店内の移動を著しく妨害している。

奥手にレジがあり、この店の構造からして手前の本の万引きに関しては酷く手薄なのだが、そもそも余所に持って行って金になるような本は手前には置いていないのだろう。
背表紙を見れば捨て値同然の値段が貼られ、物によっては鉛筆で雑に値段が書かれたものまである。
表紙が外された文庫もこの辺に並べられているし、明らかに十年単位で誰の手も触れていないだろうものばかりだ。
勿論、高尚すぎるのではなく、あまりに興味を惹かないタイトル揃いであるが故なのだが。

入口側に値段の低い物が並んでいる事を除けば、本の並びは適当極まりない。
作家別という訳でもなく、当然出版社別でもないし、作品名ごとに並べられている訳でもない。
しいて言うなら、奥に行くほど面白そうな本が並べられている、というところだろうか。
更に、体格の良い白人からすれば少し腰を低くしなければ目に入らないような微妙な高さにこそ面白い本が並んでいる気がする。

「おや、この店に客とは珍しい」

唐突に上から折笠声が聞こえてきた。
見上げれば、高い脚立の上で叩きを手に古本の埃落としを行なっている、胸元の大きく開いたスーツを『着ていない』、黒髪に赤目のグラマラスな女性。
但し、妖艶と言うには少しばかり雰囲気がさっぱりし過ぎている。
そもそも、服装からしてそこら辺の店で買えるようなカジュアルな服装に、古書店店員として標準的なエプロンを付けているのだからお察しだろう。
シャツとエプロンを仕上げる胸の山脈は立派だが、服装は全体的にフリーサイズの安物をチョイスしているのか、身体のシルエットを隠す方向に設定されているようだ。

「ナイアさん?」

「っと? 何処かで会ったことがあったかな。ごめんね、あまり人の顔を覚えるのは得意じゃなくって」

脚立を下りながら、申し訳なさそうに言うナイアさん。
その表情には一切の含みが感じられない。
脚立を下り終え、横積みにされた本と本棚の僅かな隙間に降り立ったナイアさんは、両手を広げて全身で歓迎の意を示している。

「とはいえ、久しぶりのお客様だ。探しものがあるのなら幾らでも手伝わせて貰うよ。まぁ、本当は店長が探してくれれば一番早いんだけど」

そもそもこの店の店長でも無いらしい。
それでも俺は念のため、確認の言葉を口にする。

「この店に、魔導書の類は置いて有りませんか?」

この俺の言葉に、ナイアさん(バイト)は少し驚きの表情を浮かべた後、誰かが居るわけでもないのに周囲を見回してから、こちらの耳元に口を寄せた。

「……ここだけの話、そういう本でめぼしいのは、全部覇道財閥が買い占めちゃってて、市場には滅多に出回らないんだ。これ、表で大きな声で言っちゃいけないよ」

「なるほど……。助言、ありがとうございます」

謝辞の言葉を述べると、ナイアさんはこちらの耳元から顔を離し、先ほどまでと同じく満面の営業スマイルを浮かべた。

「代わりと言っちゃなんだけど、数年前に潰れた会社から出版された金枝篇の初版があるんだ。良かったら一冊買っていくかい?」

「ああ、一巻だけ大量に残ってるんですね、分かります」

全部読み切る根気を持てる人が中々居ない宇宙英雄シリーズ的な。
ナイアさんは俺の言葉にがっくりと肩を落とす。

「そうなんだよねぇ、分冊で売ったりするからこんなことに……。でもほら、こういう小さな古本屋だと、下手に買取拒否して客を店から遠ざける訳にもいかないだろう? ここは、美人のお姉さんを助けると思ってさ」

「そうですね、じゃあ、先ほどの助言のお礼という事で、一冊頂いてきます」

「優しいねぇ……買取十%アップサービス券をプレゼントしよう」

リピーター狙いじゃないですかやだー。
別に古本売る予定ないからいいんだけどな。
俺は、押し付けられた割には意外と高かった金枝篇の一巻を手に、古本屋を後にした。

―――――――――――――――――――

その後、先ほどの古本屋のバイトナイアさんと双子の姉妹であるらしい占い師のナイアさんに占ってもらった。
割高な料金で当たってるんだか当たってないんだかあやふやな結果を教えてもらい、そのまま表通りの公園へ。
俺はまっすぐ公園の一角、噴水から少し離れた日当たりの良い場所に構えられた移動屋台へと近づき、迷いなく店員に話しかける。

「フレンチクルーラー一つお願いします」

「すみません、それ、来月からなんですよ」

即座に新原さんが答えた。
俺は二秒ほど思考を空回りさせた後、ちょいちょいと手招きをして、新原さんを屋台の外に呼び出す。
新原さんは可愛らしく小首をかしげ、しかし他に客が居ないためか素直に移動屋台の戸を開けこちらに近づいてくる。
手を伸ばせば届く距離の新原さん。
俺はすかさずアームロックを極めた。

「このフレンチクルーラー一つ、お願いします」

「ら、来月からぁぁぁぁぁっ! あ、痛い、痛い痛いこれほんとに痛いです卓也さん。もっと、もっと優しく! ちょ、折れ、折れちゃいますからぁあ!」

―――――――――――――――――――

「もう、酷いですよ卓也さん……フレンチクルーラーは来月からだって言ってるじゃないですか」

腕を解放され、眉根を寄せ頬を膨らませながら、改めて注文した通常のチョコドーナツを揚げる新原さん。
手慣れた手付き、長いことドーナツを作り続けているのだろうと一目で理解できる。
ただ、この新原さんのドーナツを作る際の手付きは、そう、雑だ。
効率も良いし、出来上がったドーナツがまずくなる訳でもないのだが、とかく雑なのだ。

「そうですね、先月と先々月にも言われた気がしますよ。『それ、来月からなんですよ』って」

当然、先々月の来月は先月だし、先月の来月は今月。
きっと俺は来月も同じやりとりをするはめになるのだろう。
俯くと土が見えた。
午前中の通り雨で土は水を吸い泥になっていた。

「もう……もう半年もフレンチクルーラーを口にしていない……」

フレンチクルーラーを、というかドーナツを食べていないせいか、ここ最近お通じが凄く良い。
基本形態を人間で固定している事もあって、食事内容で多少の体調の差が出てくる。
繊維質もクソもない、体に悪いものは美味しいの法則に則った甘味の一つである、糖分と熱量補給以外では健康面でクソ程の役にも立たなさそうな嗜好品であるドーナツ。
その最たるモノであるフレンチクルーラー……。

「俺は……死ぬ、のか? こんな、ミスドで買い物をしてもポイントが付かない世界で……」

本当なら、本当なら大きいポンデライオンぬいぐるみが日本の総人口を遥かに上回る数手に入る程にドーナツを買い込んできたというのに。
正直ミスドグループから優待券が送られてきてもおかしくない程につぎ込んだというのに。
こんな所で!

「もう、そんな事言わないでくださいよ。ほら」

そう言いながら新原さんは、屋台から出てきて袋を手渡してきた。
茶色いそっけない紙袋に、ワンポイントのポンデライオンマーク。
この紙袋も新原さんのお手製である。

「私、フレンチクルーラーはまだ上手く作れないけど、新しい種類を作れるようになったんです。試食ってことで一つサービスしておきましたから」

「サービスって……」

差し出された紙袋を受け取り、袋を開けて中身を確認する。
イーストシェルのエンゼルクリーム、オールドファッションハニー、イーストリングシュガーレイズド、チョコレート二つ、ダブルチョコレート二つ。ここまでは俺の注文通り。
そして最後、新原さんのサービスで入れられた新製品──

「甘いものは、心の隙間を埋めてくれるんですよ。だから、元気出してください」

──エンゼルフレンチ。
発条仕掛けのおもちゃの様に一瞬で顔を上げ、新原さんの顔を見る。
そこには、なにやら格好いい台詞を噛まずに言い切り、内心で『決まった──!』とか思っていそうな新原さんの笑顔。
その、天使と見まごうほどの笑みに対し、今俺が抱いている感情を言語化し、腹の底から力を入れて叫んだ。

「先にクルーラー作れよ!」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

まぁ、新原さんがフレンチクルーラーを作れないのはニャルさん状態じゃないせいなんだが。
それが運転時と独立稼動時の違いだって説明を受けてる数少ない個体だったし、事前にフレンチクルーラーを作れないのは確認できてたし。

それから、俺は延々と思いつく限りのニャルさんの端末を当って行った。
教会に行って、ナイ神父相手に信仰の尊さを語り合ったり。
日本の迅速高校で飛び道具を持たない生徒会役員相手にひたすら飛び道具で応対したり。
メロン畑でV字の男にメロンの育成で注意するべき点を教えたり。
自衛隊で自ら最終兵器の素体に志願した少女を問いただす為に自爆寸前でボコボコにして、勢いでうっかり破壊してしまったり。
嘔吐物博士の作った岩場の隠れ家で宇宙的脅威や地球最強戦士の細胞から創りだされた窮極の人造人間を問答無用で抹消したり。
こちらが発して居ない筈の妖気やら魔力やら気やらオーガニックエナジーや呪力や放射線を敏感に感じ取ってきた半人半妖の女剣士を面倒くさくなってルルイエで眠るクトゥルーの口の中に直接ワープさせたり……。

そして、出た結論がある。
ニャルさんが居ない。
少なくとも俺の知る限りのニャルさんの端末は全て独立状態で稼働し、ニャルさんとして暗躍している個体は一つとして存在していない。

「もう、ニャルさんがまた顔出すまで待つしかないんじゃないかな」

完全にやる気を無くし、フローリングの上で寝転がりながら、PSPでデウス・マキナVSデウス・マキナNEXTをプレイする美鳥。
ガンダムVSガンダムをベースにしながら、度重なるループの間に追加し続けたパッチによりもはや既存の鬼械神の挙動、性能、操者の癖などを完全再現することが可能になった、まさに僕らが望んだバージョンの機神飛翔である。

「いや、俺はそれでも問題無いんだが」

ソファに座り、足元で寝転がっている美鳥を足の裏でごろごろと転がす。
うゅぇぇと奇声を発しながらもされるがままになっている美鳥

「大導師がなぁ……、精神的に、ちょっとヤバイ」

大導師もループ組の一人ではあるが、俺達とはループするまでのスパンが違いすぎる。
俺達が二年と少しでループするのに対し、大導師は軽く半世紀程の間隔でループしているのだ。
それだけならまだいい。その長い時間を『自由に』過ごせるのであれば。
繰り返すまでの時間が長いという事は、それだけ揺らぎも大きく、見るべきものも多く存在するだろう。
だが、大導師の辿れる道筋は決まっている。
その生まれと死を因果に刻まれた大導師は、どんな方向性で生きていても最終的には人を集めてブラックロッジを設立しなければならない運命にあり、長い期間の殆どをそれに費やさなければならないのだ。

多少の差異はあれど、ほぼ同じ道筋を延々繰り返し生き続ける。
それを、一つの星が生まれてから死ぬまでの時間の倍以上繰り返す。
その果てに、ようやくたどり着いたトラペゾヘドロンを上手く使えない(と思い込んでいる)事により生じる焦燥。

「放っておきゃいいじゃん。結局脇で好き勝手してただけだけど、少なくとも契約は完了してんだし」

……確かに、心情的な部分はともかくとして、実利を考えれば大導師は放置でも何ら問題はない。
ブラックロッジ側で習熟可能な技能はこれまでのループで全て一定以上に達し、もはやブラックロッジに居る意味すら無い。
しかもバックアップにはニャルさんが付いているのだ。
仮に擦り切れて絶望したとして、トラペゾヘドロンを砕き、神のおわす真の宇宙が解放されるまで、大導師が精神的死を迎える事はありえない。

そも、原作では大導師は絶望の底に居る。
それは、俺達が居なくても、大導師を絶望させるだけの何かがニャルさんの手によって用意されているという事に他ならない。
無限螺旋の何処かで、大導師は確実に『絶対ナイアルラトホテップになんて負けたりしない!』から『ナイアルラトホテップには勝てなかったよ…』の流れを辿るはめになる。
つまり、俺や美鳥が態々ニャルさんと大導師のバトルをセッティングしてやる必要など無い。という、理屈だ。
しかし、

「ほら、今後のループ暇になる可能性とか考えれば、これも暇つぶしの一種だろ? 立つ鳥後を濁さずって言うし」

仮にブラックロッジ側での活動を続けるとして、俺にはもう得るものは殆ど何もない。
だというのに大導師との繋がりを残しておいたら、またぞろ大導師に手を貸すように頼まれて、何の益もないルーチンワークを始める事になるだろう。
だから、今後の周で大導師が俺達に接触を図ろうと思わなくなるような状態に持って行きたい。
それも、可能な限り穏便な手段で。

「だから、トラペゾ召喚まで見守っていたアフターケアとしてニャルさんを大導師の目の前に持ってきて大きな恩を売って、これ以降無闇にこちらを手駒として使おうと思わなくなるような感じにしたい」

ここらで思いっきり裏切って大導師が『こいつらは絶対に味方に引き込みたくない! 関わりたくもない!』とか思わせるのでもいいのだが、無闇に多方面にケンカを売るのは本意ではない。
無限螺旋の残り時間はひたすら世界を巡りながらの自習と修行にしたいので、戦っても訓練にならない程度の敵は作りたくない。

「ってもさぁ、ニャルさんがこの周で端末──化身を使ってるとは限らない訳でしょ、あー、そこそこ、脇腹の辺強く踏んぷぎゅる」

脇腹を踏まれながらリラックスしていた美鳥の肋骨の隙間に足刀を突き込みながら頷く。

「まぁな。仮に何かの化身になってたとして、それが地球上に存在しているとは限らないだろうし」

フォーク使いの少年とセラエノ図書館に訪れていたりする事も無限螺旋ではままある展開である。
まぁ、図書館の方には顔見知りの司書さんに電話をして確認したから、あそこに居ないのは確実なんだが。
だが、探索範囲を地球外、太陽系外にまで広げるとなると、途端に面倒くさくなる。
何しろ範囲が桁違いであるし、今のところ、その化身がニャルさん降臨状態なのかどうなのかは会話の中から類推するしかない。
そんな手間を掛けていたらまた次の周に移行してしまうし、そうなれば探索もはじめからやり直しだ。
二年と少しという範囲で行うには、太陽系外でのニャルさん探索は余りにも規模が大きすぎる。

「えふっ、えふっ……ニャルさんが完全に隠れようと思ったら、それこそ同じような位階の神の力を借りるとかしか思いつかないしねぇ」

咳き込み、PSPで遊びながらというやる気なさげな状態ながらも案を挙げる美鳥。
肺の空気を全て吐き出させられても一切プレイングに影響を出さない根性は流石だ。
しかもアンブロシウスの下位互換のロードビヤーキーの更に機能制限版でライフル通常射撃縛りとかマゾ過ぎる。
それはともかく、

「ナイアルラトホテップに匹敵する位階の神ねぇ……」

シュブさんの元カノとかとコネクションが残っていれば話は簡単だったのだろうが、あれは大分前に何故か俺に敗北宣言をして宇宙の何処かに旅立っていったし。
『あの人の心の中に、もう私の居場所が無いってわかっちゃったから……』
とか言われても、何がなんだかさっぱり解らない。
ああいう自分酔い運転中の連中はどうしてどいつもこいつも主語を意図的に抜いた発言ばかりなのか。

「話は聞かせて貰った! まずは朝ごはんちょうだい!」

ガラガラと居間のドアを開けて乱入する、枕を小脇に抱えた寝間着姿の姉さん。
連続十四時間睡眠を取ったお陰であろうか、寝起きであるにも関わらず、意識はハッキリと覚醒しているようだ。

「もう昼なんだけど……何か代案があるの? あと目玉焼きと塩ジャケのどっちがいい?」

「シュブちゃんよ、シュブちゃんに聞けば九割解決するわ。もちろん目玉焼き半熟にウインナーは二本でお願いね」

ウインナーは……チョッパーさんとこが休みだからカーティス肉店のしか無かった気がする。
あそこは少し癖があって朝食べるには向いてないんだよな……。
しかしなるほど、シュブさんか。
確かに、何故か食堂の主人とは思えないほどのクトゥルフ神話技能持ちだけど、まさか都合よくニャルさんの案件を解決できる技術まで備えていたとは……。
シュブさんマジリスペクトだな。
今なら言える。
シュブさんの足なら二時間掛けて舐め回してもいい。
爪先から太腿の付け根まで微に入り細にねっちょりと舐め回しても文句はないレベルだ。
何なら爪とムダ毛の処理をしても構わない。
コンビニで買った爪切りとネルガル製レーザー脱毛器俺フルカスタムの力を見せてやるぜ。

「そうねぇ……たぶんちょっと込み入った話になると思うから、今日の夕方からバイトで入れてもらって、その後の時間で相談してみるといいかも」

姉さんの提案に、天井を見上げて思考する。
確かに長話する時は閉店後の方が都合がいいし、営業中は何処に誰の耳があるかわかったもんじゃないし、それが妥当な線かな。

「んー、それじゃ、遅くなりそうだったらメール入れておくから、その時は夕飯先に食べちゃっててよ」

丁度、前に教えてもらった羊毛細工で良い感じのが出来たし、見せるついでに何気なく話を振ってみよう。
そんな事を思いながら、美鳥から足を離し、卵を産む寸前のシャンタク鳥を召喚しに屋上へと向かった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

閉店後、
明日の仕込みを終え、俺はニグラス亭の奥、シュブさんの生活スペースに招かれていた。
やはりというかなんというか、シュブさんの手が空くまで手伝っていたらすっかり遅い時間になってしまった。
レースのカーテンの向こうはとっぷりと夜の帳が落ち、月の光を打ち消すほどの強い街の灯が、アーカムの街に昼間とは異なる活気を与えている。
姉さんに遅くなる旨のメールを入れ、俺はシュブさんの自室で食事を頂き、食後の茶を楽しんでいた。
強化ガラスを天板にしたテーブルの上には俺とシュブさんのカップと茶菓子の入った器、そして幾つかの小さな羊毛細工が乗せられている。

「────、────」

羊毛細工の一つを手に取ったシュブさんは、煽りで羊毛細工を見つめる。
片目を瞑り、ピンと立てた人差し指をくるくる回しながら羊毛細工の細部に言及するシュブさん。

「あ、やっぱりそう思います? 元のデザインを踏襲すると、ちょっと輪郭が間抜けで……」

後頭部を掻きながら、少しシュブさんから視線を逸らしつつ言い訳をする。
シュブさんの行った指摘は至極真っ当なものであった。
素人が作るのであれば使用する色も単色の方が簡単でいいのだろうが、白一色のペンギンというのは如何に精巧な造りにした所で見た目の印象が弱い。
元々がほぼペンギンをスケールアップしただけの様なシルエットであるため、こうして飾り物サイズにしてしまうと着色の手間を省いた手抜きペンギンにしか見えないのだ。
ワンポイントで紅い目も入れているのだが、それでも補え切れない程の驚きの白さ。

「こっちのデフォルメ姉さんとかはしっかり出来たんだけど、難しいものです」

机の上に乗せた、雑多に造られた羊毛細工の中で一際精密に色分けされた一体を手に取る。
本当は五頭身くらいにしたかったのだけど、羊毛の質を考えるとどうしても二頭身から三頭身が限度になってしまう。
まぁ、ねんどろいど風姉さんも可愛いから良いっちゃいいんだが。
……しかし、この頭身であるにも関わらず、スカートであればついつい中身を覗いてしまうのは何故なのだろうか。
我が身の本能は言わば擬態でしか無いというのに。
日替わりで普通に姉さんの下着も洗っているというのに、本人の身に付けたものでない、自立稼働する訳でもないぬいぐるみのものですら俺を惑わす。
まったく、この魔性のひらひらときたら……。

「──」

ため息を吐かれてしまった。
見ればシュブさんはテーブルに肘を突き、羊毛細工を持っていない方の手でこめかみを抑えている。

「っと、失礼。どうも姉さんが可愛すぎて脳が不具合を起こしてしまったようです」

俺の謝罪に顔を起こして、しょうがないなぁと呆れるように苦笑するシュブさん。

「────、──────」

うん、いつも不具合起こしてるとか、それは流石に言って良い事と悪い事が──待てよ?
不具合を起こしているというから聞こえが悪いのであるからして、そう、もうちょっと言葉選びに気をつければ……。

「そう、何しろ俺は、姉さんへの愛に狂うバーサーカー……」

親指と人差指を顎の先に添えながら、ここ数万ループの中でも一番のキメ角度を向ける。

「……………………」

「ごめんなさいちょうしにのりました。だからその白い目を止めて下さいお願いします」

やだ恥ずかしい……。思わず両手で顔を覆ってしまう。
ていうかシュブさんがこちらに向ける視線が今までに感じたことが無い程に白い。
無言の中にも、何か言いたいわけではないというかもう言う気すら失せてる感がありありと現れている。
この無言をあえて言語化するのであれば『うわあ……』の五文字(三点リーダ含む)だろうか。
俺が仮にも成人したいい年の男だったからよかったものを、この視線を思春期の内に浴びていたらトラウマでひきこもりになりかねない。

「──、──……」

「ええ、もうほんとに返す言葉もありませぬ……」

呆れ顔を経て、少しだけ真面目な顔で説教を始めるシュブさんを正面に、足を組み直して正座の姿勢。
テーブルをどかし、同じく正座で膝を向きあわせ、人差し指を立てて、シュブさんは言う。

今の台詞には多少なりとも恥じらいを感じないと社会で生活できない。
二十を過ぎて『愛に狂うバーサーカー』はありえない。
もう少し落ち着いた言動をした方がいい。

などなど、懇懇と恥じらいと年齢と言動についての説教を受けること三十分。
よくもまぁここまで説教が長続きするものである。
いや、この三十分の説教で一度も話題がループしていないあたり、確実に俺の方にこそ原因があるのだが。

「──、──────?」

「む、それは」

何故それほどまでに落ち着きが無いか、と言われると、答えに困る。
落ち着きが無いと言ってもアルバイト中はきっちり仕事をこなしているし、業務に支障をきたしたことはないし。
しいて挙げるとすれば……、

「……シュブさんと一緒に居ると、つい気が緩んでしまって」

「?」

不思議そうな顔で首を傾げるシュブさん。
いや、俺の内心もそんな感じだ。
不思議な事にシュブさんと一緒に居ると、家で姉さんや美鳥と一緒に居る時程では無いにしろ、素に近い状態で居られるというか。
敬語を除けば……そう、高校時代の友人らと語らっていた時と似ているような似ていないような。
懐かしいな、放課後の教室、運動部の連中の威勢のいい掛け声をBGMに、姉さんの事や鈴木さんのお兄さんの事を語り合った日々。
鈴木さんがお兄さんの部屋のゴミ箱から丸まったティッシュを回収する話は、とてもスペクタクルでファンタスティックだったなぁ。
まさか、その現場を兄に見せるところまで含めて計算通りとか胸が熱くなるな、胸焼けで。

「──、──」

と、俺自身よくわかっていないという事を察してくれたのか、シュブさんのほうから引き下がってくれた。
足も崩していいらしいが、別に正座でも苦にはならないのでそのままの姿勢を保つ。
さて、そろそろいい時間だし、いい加減お開きに──

「あ、そうだ」

やべぇ、すっかり本題を忘れてた。
これを聞かなければ今日ここに残った意味が四割ほど無くなってしまう。

「シュブさん、たなびたいことがあるんだ、ちょっと」

「──、──?」

「一度でいいから、ナイアルラトホテップが隠れているところを」

「────?」

「憧れてるん……いや、嘘です。実は……」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「というわけでして」

「──」

腕を組んで仰け反りながら鷹揚に頷くシュブさん。
だいたいわかってくれたらしい。
現実ではかくかくしかじかまるまるうまうまとはいかないが、誠心誠意懇切丁寧に説明すれば言いたいことの七割程度は伝わるものだ。

「────、──?」

「そりゃ勿論試しましたよ。……神性の召喚は一番の苦手分野なんで、成功してるかは知りませんが」

そも原典でのニャルラトホテプとの接触の魔術にした所で成功率が高い魔術という訳ではない。
それこそ、ニャルさんを信奉する邪教徒どもの司祭が新たに任命された時などに現れる程度。
基本的にこの手合いの魔術は、召喚される側に受けるか受けないかの権利がある。
ニャルさんが本気でこちらの召喚、もしくは接触を拒否してしまえばそれでおしまいなのである。

シュブさんは、俺の肯定に暫し目を伏せる。

「……──」

目を伏せたままのシュブさんが問う。
どうやってナイアルラトホテップとの接触を試みたか。
何故、シュブさんはそんなことを聞くのだろう。

「そりゃ、《ナイアルラトホテップとの接触》はネクロノミコンに載ってますし」

「────いよ」

シュブさんが、瞼を開く。

「──っていない」

紡がれる言葉は、今こそ俺の耳朶にハッキリと言語化されて到達した。

「現存する全てのネクロノミコンの何処にも、《ナイアルラトホテップとの接触》なんていう魔術は存在しない」

その一言を、ゆっくりと咀嚼し、飲み下し、身体に染み込ませる。
食物が体内に栄養素として取り込まれるのと同じく、ゆっくりとした理解が追いつくと同時──、
ぞわり、と、背筋に怖気が走る。

視線が、真っ直ぐに俺を射抜く。
まるで、その先にある、俺の奥底に隠された何かを睨みつけるように。


「卓也、君(きみ)は────『どんな魔導書からその知識を手に入れた』?」


言われ、初めて気付く。
俺の記憶では、確かにナイアルラトホテップとの接触の魔術を行使したと記憶している。
内容も当然ソラで読み上げることができるし、必要な機材さえあれば直ぐにでも発動する事ができるだろう。
だが、どれだけ記憶を掘り返しても、その記録が存在しない。

俺は何時、『魔導書に記された《ナイアルラトホテップとの接触》の記述』を目にした?

俺の中には間違いなく、『魔導書から《ナイアルラトホテップとの接触》を学習した』という記憶が存在するというのに!

「あ……、う、え……?」

意識が濁る。
纏まらない思考、記憶の矛盾。
遠くに聞こえていたアーカムの喧騒が水に浸したように篭り、壁に掛けられた時計の音だけくっきりと耳に残る。

ちくたく ちくたく

みにみいかん んいちすと てにくらなか

どこだ、
俺は、どこで、記述を、
《刷り込まれた?》

「お、れは」

何時、何処で、どれだけ、
《中身を書き換えられた?》
俺は
おれの形を保てているのか?

「あ……」

くんちのなみいみみ んちとなもちつなみに

ちくたく ちくたく

時計の絡繰の音がやけに大きい。

微小機械の塊の筈の頭がやけに冷たく、重い。

シュブさんの目を見ていたのに、目の前に床が迫っている。

複雑な文様の、山羊の毛のキリム。

目に映るそれらの光景すら、薄ら暗くなって──

「……大丈夫」

身体を、暖かい感触が包み込んだ。
優しい声が耳朶を打ち、崩れかけていた形が組み直される。

「君は、君──」

不確かな形が、外からの肯定で『鳴無卓也』としての型を確定させていく。
でも、形に確信を取り戻すにつれて、シュブさんの言葉はハッキリと認識できなくなりつつある。
俺はそれを『勿体無い』事だと思うが、同時に、仕方がないのだとも理解してしまっている。

「保──るよ。もう何年も、──事を見──ている──から──たしが──」

わたしがきみをしっている。
だから、安心してくれていい。

耳元でそう続けられた言葉は、とても頼もしいものだと、そう感じた。

―――――――――――――――――――

完全に落ち着きを取り戻した時、

「────?」

シュブさんの言葉は、またしても曖昧なニュアンスでしか聞こえなくなっていた。
みっともない姿を見せてしまったという感情はあるが、それよりも。

「改めて、お願いがあります」

正座の姿勢から、指先まで伸ばした掌を地面に添え、腕を八の字に開き、額を地面に押し付ける。

「シュブさんの智慧をお借りしたい。食堂の主人としてではなく、雇い主としてでなく、魔導に関わる貴女の智慧を」

「────」

地面の額を擦りつける体勢では、頭上のシュブさんの表情など見えるはずもない。
そして、この姿勢──土下座の意味の一つに、無防備な首筋を晒すと同時に、相手の反応を伺わない、欲しないというものがある。
今の俺は、教えを『請う』側。
しかも、ただただ請うだけで、何かの代償を払える身ではない。

だが、それでも、俺はシュブさんに教えを請わなければならない。
もはや、大導師に斬らせるなどというのは理由の一割にも一分にも一厘にも届かない。

「──?」

何故、と問われる。
何故、か。
姉さんを一人にしないためにも、死ぬわけにはいかない。
そう答えるべきだろうか。
確かに、かつてはそれが理由であった。
完全消滅の危機を、姉さんと共に居られなくなるという事実を否定する為に覆したあの予定調和の様に。
今でもそれは大きな理由だ。俺の中の大きな部分を占めるだろう。
だが──、

「恥を偲んで申し上げれば、俺は、消えたくないのです」

恐らくは、それこそが最も本質に近い理由だろう。
思えば、初めて俺の機能が解放されたのも、人間としての俺が生命の危機に晒された時だった。
確かに、俺はもはや人間である前に姉さんの弟であるような、人間としての定義すら満たせないような存在だ。
細胞の一欠からすら蘇り、時に無数に存在し、思考を分割する。
魂の形を取ってみても、悪魔、ラダム、アンチボディ、金神、機械巨神などと融合した今では、人のそれとは似ても似つかぬモノへと変質してしまっている。
それでも俺は、姉さんの弟であり続ける事が出来ている。

しかし、今回はそうもいかない。
何かを取り込んでの意図的な変化ではなく、俺の観測できる範囲の外からの、直接的な『俺の情報書き換え』では。
肉体にも魂にも一定の基準点の存在しない俺を俺足らしめている部分を書き換えられる存在は、即ち『俺を消滅させる』事のできる存在に他ならない。

「放置することはできないのです、『俺』を脅かす存在を。何卒──」

俺を脅かす存在──ナイアルラトホテップと接触を図り、大導師とぶつけなければならない。
それこそが唯一、この最悪な状態から抜け出す手段であるが故に。

「────」

「は」

許されるがまま面を上げる。
目の前には、土下座をする前と変わらぬ、背筋の伸びた正座でこちらを見据えるシュブさん。

「──────────。────」

『あれと接触する必要は無い』
『何故なら──』

「──────」

俺の胸に、人差し指を押し付け、シュブさんは言った。
『君の敵は遥か昔から、常に君の傍にいたのだから』
と。

―――――――――――――――――――

○月☓日(予定は未定)

『例えば一昔前に存在した、開設予定でスペースだけを作られていたホームページのコンテンツの如く』
『もしくは、大まかな部分しか作られておらず、話を作る上でのアドリブには対応していないストーリーのプロットの様に』
『予定通りとは言えないような状況は当たり前に存在し、得てしてその状況は避けて通ることの出来ないものであり』
『物事は予定通りに進まないという予定調和だけが確実に存在しているのだろう』

『最初の予定ではこんな筈では無かった』
『大導師の本懐を遂げさせてやり、俺達と大導師の契約を完遂して縁を切ることだけを考えていればよかった筈なのに』

『無限螺旋の仕掛け人直々の加護がある大導師』
『無限螺旋の仕掛け人であり、ゲームキーパーであるナイアルラトホテップ』
『この二人はシステム上、現状では完全に殺害する手段が一つとして存在しない』
『そんな一人と一柱の戦いに、俺だけが存在(いのち)を掛け金に介入しなければならない』

『既に大導師には予定を伝えてある』
『門の向こう、大十字を早々に撃退し、現代の地球からでも向かうことのできる場所で落ち合い、そこで大導師の願いを叶える』
『輝くトラペゾヘドロンを突き立てるために、ナイアルラトホテップを召喚する』

『勝てば文字通り、命も存在も失い完全な素寒貧』
『だが、もしも、もしもこの賭けに勝つことができたとしたのなら』
『オール・オア・ナッシングというやつだ』
『所詮、この身は全知にも全能にも遥かに届かぬ神ならぬ身』
『精々、健闘と先見に期待させて貰おう』

―――――――――――――――――――


……………………

…………

……

古代遺跡の様な、しかし地球のそれとは比べ物に成らないほど突き詰められ、幾何学の枠からもはみ出した建築学によって建立された、奇怪なフォルムの高層建築物が並び立つ。
背にはコウモリに似た皮膜の翼を生やした人形生物が飛び交う夜空には、地上の高層建築に似た空中建築物が無数に浮遊している。

その空中建築物を巻き込みながら、此度のデモンベインが時空の奔流に飲み込まれ、消え失せていく。
デモンベインの中の九郎とアルにとっては訳がわからないだろう。
マスターテリオンとの、地球の命運を賭けた戦いを、知覚することすらできない攻撃によって強制終了させられたのだから。

コックピットの中身を晒される程のダメージを受け、アルアジフは時空間の渦へと流されていく
仮に、千八百年代終盤の地球に辿り着く前に体勢を立て直したとしても、もはやデモンベインは戦うことはできないだろう。
大十字九郎は人間の魔術師としては天才の部類に分けられるが……それでも、魔導書のサポートも無しに鬼械神を操ることができる程の位階ではない。

この周の大十字九郎もまた、人の窮極、善の極致にたどり着くことは出来なかった。
大十字九郎の戦いは終わり、これからは次の大十字九郎を育てるための覇道鋼造の孤独な戦いが始まる。
無限螺旋の始まりと終わりに位置するこの狂った時空の流れで、再びデモンベインが戦うのは先の話。

断末魔の悲鳴も、相棒を失った戦士の哀哭も響くことなく、デモンベインと英雄の残骸が時の狭間に堕ちていく。
その姿を、地上の高層建築物の中でも一際荘厳で巨大な建築物──セラエノ大図書館の屋上から見送る姿が存在した。
黒鋼を鎧う、灼眼の鬼械神。
静かに佇むその鬼械神の手の中には、おぞましいまでの魔力の残滓を漂わせる、玩具のように『ちゃち』な造りの拳銃。
空間を突き破り現れたデモンベインを撃ち抜いたのは、この鬼械神の仕業であった。

「……本当に、容赦のない。貴公にとって、あれもまた長き付き合いの一人であろうに」

デモンベインが完全に消え失せると同時に、宙から染み出すようにリベル・レギスが姿を現す。
圧倒的な威圧感を纏うその姿からは、一切の消耗を感じることができない。
このセラエノ大図書館に現れる前にデモンベインと数合剣を合わせただけのリベル・レギスは、ほぼ万全の状態と言ってもいい。

黒鋼の鬼械神──アイオーンが、手にした拳銃を投げ捨てながら、欠ける所のないリベル・レギスを見上げる。

「別々の大十字九郎と二年少しの付き合いを何度も繰り返しているだけですよ」

アイオーンのコックピットが開き、中から招喚者である卓也が姿を現す。
その表情は、今まさに大学の先輩を不意打ちで撃ち落とし、地球の命運を断ち切った人間のそれとは思えぬほどに平静であった。

「今回はそれほど深い交流があった訳ではありません。どうせ次の大十字九郎が生まれるまで死にはしないんですから、手心を加える言われはありません」

「なるほど、道理だ」

リベル・レギスの中でマスターテリオンはくすりと笑う。
主に笑みを齎す存在に僅かな嫉妬を覚えるエセルドレーダは、その和やかな空気に力尽くで割り込んだ。

「それで、『方法』を見つけたという話はどうした」

「妹御も居ないようだが……」

リベル・レギスのカメラアイを通じてアイオーンのコックピットの中を覗き見ても、鳴無美鳥の姿は存在しない。
代わりに、卓也の持つ魔力の波が酷く穏やかで、まるで同レベルの魔術師が丸々制御を受け持っているようでもあった。

「美鳥はお気になさらず。俺たちにとっては、これが正真正銘の全力全開ですので」

「なるほど」

その一言でマスターテリオンは追求を終える。
数億の時を共に重ねた相手に対する絶大な信頼。
それが、相手の隠し事を態々暴き立てずとも良いと判断させていた。

「鳴無……!」

リベル・レギスのコックピットの中で怒気が膨れ上がる。
常人であれば魂が凍えるような威圧を受けながら、卓也はおざなりに応答する。

「ああ、はいはい。勿論用意は出来てますよ。『俺の方は』ね」

そこまで口にして、卓也はリベル・レギスに、その仮想コックピットの中のマスターテリオンへと、まっすぐに視線を向けた。

「大導師殿に、あらかじめ言っておかなければなりません」

平静な、緊張も何もない、しかし感情の浮かんでいない訳ではない表情。
それは、どこか大導師を試しているような色を浮かべていた。

「今さっき、俺はデモンベインをこの時空の乱流から弾き飛ばしました。……今から、その流れの中に、デモンベインの代替としてナイアルラトホテップを組み込みます」

卓也の言葉に、マスターテリオンが頷く。

「あらゆる時間と空間を飛び越え蹂躙し、あらゆる世界と時間を喰らい犯し尽くす。この流れの中に押し込む事で、余がトラペゾヘドロンを打ち込むチャンスを作り出す、という手はずであったな」

「はい。逃げ場のないリングに大導師殿と邪神を詰め込むだけで、倒せるか否か、当てられるか否かは全て大導師殿のがんばり次第という事になります」

肯定する卓也の言葉を鼻で笑い掛け、エセルドレーダは寸前で止める。
無責任な話に聞こえるが、邪神を逃げられない決闘場に押し込めるというだけでも望外の奇跡だ。笑う事ができるほど容易い事ではない。
マスターテリオンの成長する姿を誰よりも近くで見続けていたエセルドレーダだからこそ、誰かの得た確かな結果を笑う事はない。
だが、それだけではない。
卓也の言葉には、まだ続きがあった。

「そしてもう一つ。これから、大導師は想像もつかなかった事が起こるかもしれませんが、決して取り乱さず、速やかに目的を達成して下さい」

念を押すようにそう言いながら、卓也が、その手の中に魔導書を招喚する。
手の平から溢れ出す粒子が結合し、一冊の魔導書を形作る。

その魔導書の名を、『ネクロノミコン新訳文庫版』という。

『本来この世界に存在し得ない魔導書』であり、『この世界に来る前から』鳴無拓也が所持し、幾度もの改訂と加筆を繰り返しながらも使用し続けている魔導書である。
その有り得ざる魔導書に、初めて、『積み重ねた年月に相応しい魔力』が注ぎ込まれていく。
魔導書が『精霊を形作るのに足る程の魔力』が。

「それだけ、それだけが」

星の光のような、燃え盛る火の粉のような、まるでこの世界を形作る字祷子のような。
しかし、それらとは決定的に存在を異にする、人の持ち得る言葉では表現し尽くせない、あらゆる要素を備えた煌きが、解けて結び直される魔導書から溢れ出す。

「俺が大導師殿に望む、唯一の願いです」

──現れた精霊は、やはり、人の言葉で名状する事が出来ぬ、異形であった。
あえて形容するのであれば、人や生物、無生物のパーツを無理矢理にシャッフルして作られた、蠕動する肉の塊。
白人の、黄色人の、黒人の、大人の、子供の、男の、女の、犬の、猫の、ネズミの、ミミズの、龍の、蛆の、玩具の時計の、巨大な計算機の、蒸気機関の、
手が、足が、胸が、尾が、骨が、肉が、髪が、肌が、角が、シャフトが、ゼンマイが、ギアが、バネが、
てんでんばらばらに、無秩序に接ぎ合わされて作られた、混沌の精霊。

「マギウススタイル」

主の──『宿主』の声に応えるように、その意をあざ笑うように、精霊が動き出す。
とても動くことの出来ないであろうその塊は、驚くべき速さで宿主に這い寄り、その肉体を丸呑みする。

「────ッ、卓也!」

マスターテリオンが叫ぶ。
取り乱し、常の余裕などかなぐり捨てて取り乱すマスターテリオン。
それほどまでに、その精霊の行いは異常であった。

いや、多少なりとも魔導に通ずる者であれば、誰しもが気付いただろう。
あれは、同意の下に融合しているのではなく、主の意思に反して、その肉体を乗っ取ろうとしている事に。

リベル・レギスが、今にも食い殺されんとする卓也へと手を伸ばす。
しかし、そのリベル・レギスへと、卓也が手のひらを突き出した。
静止を促す動き。
マスターテリオンにはそう見えた。
あの状態でも意識を保ったままの卓也が、何らかの意図を持って行なっているのだと。
億年の時を超え共闘する仲であるからこその信頼。
だが──

「マスター!」

エセルドレーダの叫びと共に、リベル・レギスが体勢を崩す。
動揺するマスターテリオンから、エセルドレーダが無理矢理にリベル・レギスの制御を奪ったのだ。
そして、体勢を崩し高度を下げるリベル・レギスの頭上、僅か数メートルの位置を、眼球を焼く輝きが通り抜ける。
喰らえば鬼械神の守りすら貫通し、術者を焼き尽くすであろう『神威を帯びた』『ガンマ線レーザー』

《輝くトラペゾヘドロンを招喚できるまでに至ったのに、やっぱりエセルドレーダが居ないとダメなんだなぁ、君は》

人の、卓也の声帯を利用して発されるその声は、もはや元の持ち主のそれとはかけ離れ、人の声ですら無い。
言葉そのものが世界へと常に影響を与え、容易く世界を書き換える『神の言葉』

ゆらり、と、混沌の精霊に包まれていた卓也の躰が、揺らめく。
人としてのシルエットを失わず、しかし、特定の誰かの輪郭を形作らない。

「貴様は……貴様は!」

「お前は……!」

マスターテリオンとエセルドレーだが絶句する。
今や鳴無卓也の魔力は完全に消え失せ、目の前の存在もまた、その姿を人の枠から完全に逸脱している。
マスターテリオンは、エセルドレーダは、その存在が如何なるものかを知っている。
討たねばならぬ敵であり、それは、卓也によってこの場に招き寄せられる筈であったものだ。

《さぁ、さぁさぁ大導師殿、ここからは、君のリクエストの通り、卓也くんの『代わりに』僕が相手をしてあげるよ! ここからは──》

銀髪の少女であり、黒髪の女性であり、黒人の親父であり、
男のようでもあり、女のようでもあり、その顔に顔は無く、ただ揺蕩うだけの混沌に、灼(も)える様に揺らめく真紅の三眼。
混沌が意思を持ったかのように決められた姿を持たない、曰く、全ての外なる神の意思と心そのものである──

《僕が、このストーリーの主役だからね!》

這いよる混沌、ナイアルラトホテップ。
全ての元凶である無貌の神が、一人の魔術師の肉を元に、この世界へと姿を現した。





続く
―――――――――――――――――――

第七十話をもって『原作知識持ちチート主人公で多重クロスなトリップを』は完結!
次回からは新連載、『原作知識持ち外なる神で多重クロスなトリップを』が始まります。
お楽しみに。




という冗談の部分を強調したかったのに、前半のナイアルラトホテップ探索に文章量を取られてそこらへんの印象が薄くなった第七十話をお届けしました。

正直、この展開もどうしてこういう事態になったかもこの後の展開も、既に完全な形で予想してる人もいっぱい居ると思うんですけどねー。
このSSの感想欄がそういう部分へと言及する空気じゃなくて助かりました。
まあ、書かれたからって路線を変更することなんて有り得ないんですが。
展開予想されたからって話の筋を変更できるアドリブ力がある作者さんは羨ましいのです。

入り方を思いつかなかったので、唐突に自問自答コーナー。
Q,前半の、ニャルさんっぽくないニャルさん達は何よ?
A,ニャルさんの意識が載っていない端末、つまりアンチクロスで地球皇帝してる時のアウグストゥスに相当する仮想人格だと思って頂ければ正解です。
あと、見目がいい端末は与えられた立場にこだわらなくても活動できるんだけど、そうするといざという時に使えないので、こんな感じに性格が設定されていたりする。
QB(非キリコ)→理由を変えてひたすら魔術師の素養の高い少女たちに執着している。
ナイアさん→軽いビブリオマニアで服装も野暮ったく、古本屋勤めに割と執着する。
新原さん→先祖代々ドーナツ屋で、あのドーナツを公園で死ぬまで売り続けていたい。
Q,シュブさんが喋ってるだと……?
A,え、今までも喋ってましたよね。初登場時のセリフは如何にも使い捨てヒロインっぽいチョロ系で……。
というのは置いておくとして、ある程度の条件が揃えば言語化されたシュブさんの台詞が聞けます。一番早いのはレベルを上げて魂で聞く。
一人称をボクとわたしのどちらにするかで二日程悩んだのはいい思い出。
Q,なんで主人公ナイアルラトホテップになってまうん?
A,元から大差ないですし、自然とこうなったんじゃないでしょうか。トリッパーなんて全員タチの悪い外なる神みたいなものですし。
というのはともかくとして、一応理由とかもあります。どうやって、にも、どうして、にも。
答え合わせは次の話でニャルさんが華麗に蹂躙しながら説明してくれると思います。
十三キロや。

因みに、デモンベインを開幕激流葬した辺りの会話を良く見ると、次回の展開の一部が凄くわかりやすく透けて見えてしまいます。
できれば、露骨に感想で次回の展開を予知したりしないで貰えると嬉しいような悲しいような。
展開予想されすぎると出しにくいってのは勿論あるんですが、逆にストーリーに一切触れられないとそれはそれで悲しいというか……。
『このSSそういう話じゃねぇから!』とか言われると言い返せないんですが。
でもほら、せっかくデモベ世界編はラブコメで行く事が確定した訳ですし。
わかりますよね? このもやっとした期待というかなんというか。
シリアスとか誰も望んでねぇから! とか言われても、自分はそういう話も書いてみたいのです。

次回は戦闘シーンとニャルさんの解説メインで短めになると思いますが、それでも余り早くは投稿できないと思うので気長にお待ちください。
何をやりたい、何処につなげる、ってのは出来てるんですけど、そこにたどり着くまでの文章を必要量ひねり出すのが困難なモノでして……。
一応、七十一話でブラックロッジ編、というかゲーム本編時間軸編は終了って事になりますし、短すぎるのも見栄えが悪いですしね。

そんな訳で、今回もここまで。
当SSでは引き続き、誤字脱字の指摘、簡単にできる文章の改善方法、矛盾点へのツッコミ、その他もろもろのアドバイス、アクションパートをACEのスタッフがリメイクした機神飛翔のPSP移植、そして、このSSを読んでみての感想を心よりお待ちしております。



[14434] 第七十一話「邪神と裏切り」
Name: ここち◆92520f4f ID:81c89851
Date: 2012/06/23 05:36
砂と石に包まれ、金属雲立ち込めるセラエノ星系第四惑星。
緑地を失いながらも、それに適応して進化してきた生物が住まう星の有様が『螺子曲る』
高層建築物も霧も住人も図書館も、何もかもが粉々に砕け散り始めた。
いや、砕け散っている訳ではない。

『分解』されている。
建築物がパーツごとに分けられるよりも早く、そのパーツが、そのパーツを構成する物質が、その分子構造が、原子が、粒子が。
分解される。
分解されたそれらは、大小無数無量無尽の螺子/歯車/撥条/配管/鉄骨/導線へと仕分けられていく。

当然だが、ありえない。
分子も原子も粒子も、それらを構成する要素であり、分解して部品が生まれてくるようなものではない。
だが、異界と化したこの世界においては、それが当たり前のルールであり、万物は等しく微小機械の寄せ集めでしかない。
己を構成するあらゆる要素は、総て細やかな機巧のパズルでしかなく、それは、この異界に取り込まれた異物とて逃れ得るものではない。

「くっ……!」

大気や空間そのものすら分解される中、エセルドレーダは咄嗟に結界を展開する。
ほころびかけていたリベル・レギスの装甲が既のところで固定され、仮想コックピットの中に充満していたパーツが元の空間と大気に組み直された。
リベル・レギスを包む結界が異界との接触で紫電を散らし、その紫電すら次の瞬間には分解されていく。
荒れ狂う機械部品の暴風。
それは最早この第四惑星そのものを包み込み──星そのものが、機械部品の渦へと変質する。

「これは……」

結界の制御を行いながら外の様子を観測し、エセルドレーダは驚愕する。
第四惑星だけが組み替えられたのではない。
星系そのもの、いや、正確な範囲は不明だが、時の流れ、空間の成り立ち、時系列、そういった概念的な物までもが、尽く部品単位に細分化──改竄されていく。
時の流れも無く、空間の広がりもなく、ただ機械部品の渦だけが存在する。
改竄され、組み替えられ、在り方を変える世界の中心に、何者かの姿が存在した。

「さぁさぁ、御照覧あれ」

部品の渦の『目』の中で、世界を祝福するように両手を広げる『何か』
黒い女、黒人神父、物理学者、預言者、魔女を操る暗黒の王。
それを表現するのには多くの肩書きと姿が並べ立てられ、しかし、究極的にはたったの一言で顕す事ができるだろう。

混沌。
千の貌、無限の比喩に使われる数の姿を持つが故に、交じり合い、どれでも無い。
顔を持たぬが故に無数の姿を持つ、『魔王』の息子。
邪神。
這い寄る混沌。

「これこそが、君達の知る『鳴無卓也』の、真実の姿だ!」

その名を、人の言葉に当て嵌め、『ナイアルラトホテップ』
知性を持たぬ多くの邪神の意思を代行する、人の認識できる範囲では唯一旧神の封印を免れた邪神。

快哉の声を上げる混沌を中心に、嘗て星であり生物であり宇宙であった機械部品が組み上げられていく。

機械部品を組み上げられて作り上げられるのは、当然のごとく機械であった。
機械で造られた仮の代用品。
機械仕掛の空間。
絡繰細工の時の流れ。

仮定された時空を占めるのは、空間と時間そのものである一つのなにか。
地平の果てまで続き地平の果てすらもそれであり空間の広がりも回路の一つとして。
流れる時空をも材料に、夢幻のごとく沸き立つ無量の演算装置によって形作られる一つの回路。

それは混沌を中心としながらも秩序的であり、
狂気を基にしながら理性的であり、
広大でありながら酷く矮小な範囲に詰め込まれ、
遠大でありながらも狭小な結果を求める、
巨大な演算装置で求められた、矮小な演算結果。

「卓也……なのか……?」

リベル・レギスの制御すら手放し、マスターテリオンが呟く。
時空すら組み替えて造られた、無数、無限、無窮の演算装置の集合体。
それそのものが世界であるそれらは、たった一つの指向性を持って、延々と演算を繰り返し、その結果を出力していく。
それらは人の目にはでたらめな落書きのようにしか見えず──しかし、誰もが一目で理解してしまう。
これは、人間だ。

人体を模している訳でもなく、精神を模している訳でもない。
だが、彼を、鳴無卓也を知る者が見れば、誰しもが気付くだろう。
この世界そのものが、鳴無卓也そのものなのだと。
たとえ、それが何を意味しているかを理解できなくとも。

「これは……」

呆然と、世界を見回すマスターテリオン。
人の理解できる範疇にない演算機械群は、音で、映像で、臭いで、形で、モニタに、パンチカードに、演算結果を吐き出し続けている。
吐き出される結果は鳴無卓也という人間そのもの。
しかし、それらは卓也の意思も肉体も表さず、唯その辿って来た歴史をなぞり続けている。

「おお、おお、素晴らしきかな!」

世界の中心で、混沌が喝采する。
半神半人であるマスターテリオンに理解できずとも、『魔王』に程近い混沌には、それが何かをぼんやりと、しかし鮮烈に理解した。
演算装置が導き出す答えは、この世界の外の出来事。
打ち捨てられた世界ではない、字祷子の園でもない。
真の宇宙の姿。

そして、映しだされているのは、卓也の経験、記憶。
法則外の演算器ですらゆっくりとしか処理しきれぬそれらの情報は、人が死の間際に見る走馬灯に似て。

流れる情報にはマスターテリオンにも理解のできる情報が混在している。
ブラックロッジでの活動記録。
多分に主観の混じったそれは、情報というよりも、人の持つ生の記憶に近い。
体感も含まれるそれは人生そのもの、人間としての全てと言っても過言ではない。

細分化されながら流れるその記憶は、完全に処理を終えると同時に形を失い、ノイズ混じりの破損ファイルを経て、何処へともなく消え失せた。
演算を終えた演算装置の一つが、毒々しく虚ろな神気を漏らし始める。

半神としての部分が、テリオンに警鐘を鳴らす。
この演算を、完了させてはいけない。

「っ、エセルドレーダ!」

自らの魔導書に呼びかけると同時に、放棄していたリベル・レギスの制御を取り戻す。
崩れかけのままに固定されていた装甲が復元され、無限の心臓から供給される無尽蔵の魔力が、リベル・レギスの武装へと供給を開始。
最も出の早い手首の重力砲が漆黒の重力砲弾を撒き散らし、手近な演算装置を圧壊。
だが、演算は止まらない。
一部の演算装置が失われても、演算装置の集合体であるこの世界には毛筋程の遅延も齎さない。

「無駄、無駄だよ大導師殿。ふふ、はは!」

嘲笑を滲ませた混沌の呟きを肯定するように、演算装置は淡々と卓也の情報を処理し続ける。
対象の容量が膨大であるためかその処理速度こそ遅いものの、着実に進行を続けている。
テリオンは混沌の嘲りを黙殺し、魔雷を放ち、十字剣を振るい、演算装置を破壊する。
しかし、マスターテリオンは気が付かない。
確かに演算を進めさせるのは危険だと直感した。
だが何故、『混沌そのものを狙う』という思考に辿りつけないのか。

「おいおい、大導師殿、僕に二度も同じ事を言わせないでおくれよ。『一度でいいことを二度言わなけりゃいけないってのは、そいつが頭悪いってことだから』さぁ……ひひひっ!」

目もくれられない混沌は、マスターテリオンの意識の外で引きつるように嗤う。
その声にはノイズが混じり、台詞の一部は卓也の声、笑い声は美鳥の声に近い音域へと変化していた。

「『何度も言わせるって事は無駄なんだ……無駄だから嫌いなんだ……無駄無駄……』なあんてね! なあんてね!」

一心不乱に演算器の群れを破壊し続けるリベル・レギスを眼下に見下ろし、見下(みくだ)し、げたげたと腹を抱えて笑い転げる混沌。
その相貌、振る舞いは最早混沌というよりも、人のそれに近しいものだ。
喜劇の中心にいる主人公を笑う。
その性質はこの混沌も元から備える性質の一つだろう。

「ああ、あぁ……確かに、こういう場面で誰かの言葉を傚うのは愉快だ。うん、これは、こういう気分で生きていたのか、彼らは」

だが、この笑いはそれよりもさらに業が深い。
人間をおもちゃにして、意図的にその足掻くさまを楽しむ、宇宙的な、純粋な、愛にも似た悪意から来るものではない。

「でも、このままじゃあ、ちょおっとつまらないかな?」

誰しもが日常の余暇で楽しむ余興の様に、
小説を読むように、漫画を読むように、ドラマを見るように、アニメを見るように、
自分たちと並べて、同じ世界の中で位階の低いものと理解して嘲るのでなく、
男も女も、赤子も老人も、人もそれ以外も、世界そのものすらも、邪神の王ですらも、一切合切の区別なく、
所詮は替えの効く人形、道具、餌、そういったモノを見る様な。
邪神ですら、心底から行うのは難しいだろう、この世の総てを自然体で見下す視線。
本来なら混沌ですらたどり着けぬ境地に到達しようとしている。

口の端を裂けんばかりに吊り上げ、混沌が言葉を紡ぐ。

「『落ち着かれませ、大導師殿』」

紡がれた言葉。
その意味自体は大した意味を持たない。
だが、その声質、口調は、マスターテリオンの動きを止めるのに十分な理由を持っていた。
動きを止めたリベル・レギスを見下ろし、混沌は笑みを深めながら再び口を開く。

「『既に御身はかの混沌を打倒しうる手段を手に入れているではありませんか』……こんな感じかな? いやぁ、『お兄さん、この手の話をする時、変に仰々しい口調をするよね』」

その声と口調は、卓也と美鳥。
マスターテリオンにとって、最早慣れ親しんだと言っても過言ではない二人の言葉を紡ぐ混沌。
その姿は人の輪郭を持つ混沌。
だが、僅かにテリオンのよく知るシルエットへと近づき始めている様にも見えた。

その姿を打ち消さんとリベル・レギスは十字剣を綺羅びやかで禍々しい装飾の施された弓へと変化させ、もう片方の手に燃え盛る魔力の矢を作り出す。
しかし、素早く弓に矢を番え、混沌に狙いを定めた所でリベル・レギスはまるで躊躇うようにその動きを静止した。
リベル・レギスを操りながら、テリオンは逡巡する。

このままあの混沌を射抜いていいのか。
混沌に取り込まれた卓也の身はどうなる。
そもそもまだ卓也は無事なのか。
射抜いた程度でどうにかなるのか。

「ああ、ああ、大導師殿、大導師殿。僕には君の考えていることが手に取るように解るよ。だから、教えてあげよう」

混沌とした人型が、嗤う。

「『無駄』だよ、もう終わっているんだ。彼と彼女は僕のお腹の中ですら無い、これは『新連載』なのさ。旧作主人公を便利な強キャラで何時までも引っ張るなんて、読者受けも悪いだろう?」

ぱん、と両手を合わせ、そのまま両腕を広げる。

「なんとルールも改訂だ。僕が完全に主人公──卓也くんになった時点で、無限螺旋を続ける必要すら無い。彼の姉に、彼となった僕がおねだりでもすればイチコロだろうからね」

顔を持たぬが故の無貌に、在り得る筈のない晴れやかな笑みが浮かぶ。

「おめでとう、大導師殿。白の王も黒の王もこれでお役御免だよ。これからは好きに生きてくれて構わない。もはや運命すら、君を縛り付けることは出来ないからね」

嘲る色も無い、嗤いでも哂いでもない、笑顔。
それは、興味の失せた対象に向ける、ただ礼儀として送られる祝福。
自分には関わり合いのない幸福を、そうするのが自然だからと向けられる祝福。
最早悪意すら存在しない祝福を受け、マスターテリオンは放心する。

黒の王ではなくなる。
それが真実ならば、マスターテリオンにとっても確かに悪い話ではないだろう。
しかし、マスターテリオンが矢を放つ事もなく放心している原因はそれではない。
何もかもが無駄であると、混沌の言葉を信じた訳ではない。

マスターテリオンとエセルドレーダ、リベル・レギスの全性能を持ってしても、混沌の中に取り込まれた卓也の反応を感知できない。
図らずも、マスターテリオンの半神として、魔術師としての、そしてエセルドレーダの魔導書としての位階の高さが、混沌の言葉を裏付ける。
億を超える年月を共に歩んできた協力者、無限螺旋という地獄を共有する相手の消失に、マスターテリオンは戦う気力を失いかけていた。

「ま、望むなら引き継ぎ出演も可能だけどね。ほら、大導師殿ってば、結構この二人の事を気に入ってたし、悪い話じゃないだろう?」

この二人、と言いながらその身を二つに分ける混沌。
揺らめく二つの輪郭は、ぼんやりと青年と少女の姿を浮かび上がらせていた。
混沌の中に、時折ノイズの様に卓也と美鳥の姿の一部がチラつく。
取り込まれた卓也と美鳥の因子を最適化しきれていないが故の現象。
全ての演算装置がその役目を終えた時、混沌は『鳴無卓也』という自らの新たなる化身を手に入れ、外なる神の解放という悲願を果たすだろう。

「マスター……」

放心するマスターテリオンに、エセルドレーダは気遣わしげに声を掛ける。
しかし、マスターテリオンは呆然と世界の中心にいる混沌を見上げているだけで、何の反応も示さない。
エセルドレーダには一目で理解できてしまった。

マスターは、あの混沌を見ている訳ではない。
混沌を通して、あの兄妹を見つめているのだ。

この状況で、世界が真実の意味で滅ぶかもしれないこの状況でも、自分の主はあの二人のことしか見ていない。
自分の事など、自らと共にあることが当たり前な魔導書の事など気にも留めない。
仮想コックピットの中、映し出される外の光景。
演算装置の明滅する光が、虚ろな表情のマスターテリオンを照らしている。
その光景を前に、ぎり、と、エセルドレーダは歯を鳴らす。

ああ、なんてざまだ。
あっけなく取り込まれて消えたあの兄妹も、そんな間抜けにすら勝てぬ自分も。
主の想いを奪ったまま消えた二人、主に想われる事すら願えない私。
そして、何もかもを投げ出してしまいそうな、主自身も。

「マスター」

エセルドレーダが主を呼ぶ。
マスターテリオンはその声に反応する事すらしない。

「マスター、あの男の言葉をお忘れですか」

演算装置の稼動音だけが響く世界の中、エセルドレーダは主に語りかけ続ける。

「『何があっても取り乱さず、速やかに目的を達成してください』と、あの男はそう言いました」

それは、卓也自身もこの状況を予測していたという事。
それがどういう事なのか、解らないエセルドレーダではない。
あの魔導書が混沌の化身の一つであった事も想像に難くない。
ならばこそ、卓也には選択肢があった筈だ。
魔導書を破棄することも、封印することも、卓也の位階ならば可能だった筈。
それを行わずに、敢えて魔導書との契約を保ったまま、魔導書に精霊化可能な程の魔力を流し、這いよる混沌の、邪神の顕現を許した。

それは何故か。
それ以外に、ナイアルラトホテップをマスターテリオンの目の前に連れてくる方法が存在しなかったからだ。
邪神を打倒する手段を持つ者の前に邪神を連れてくる為に、その身を贄として差し出した。

トリッパーなる出自を考えれば、逃げる手段は幾つもあったろう。
あの男の性格からすれば、姉さえ無事であれば何もかもを無視して自らの安全を取る。
だが、それをしなかった。
姉を至上とし、自らの安全のためならばその他の如何なる犠牲を作り出す事にも躊躇しないはずの男が、何故敢えて火中の栗を拾うか。

──あの男は、この世界に愛着を感じ始めていたのではないか?
エセルドレーダには、そう思えてならなかった。
ブラックロッジでの活動報告を見ても、ミスカトニックでの話を報告するところを見ても、あの男が姉と自分以外の総てを切り捨てられるとはとても考えられない。
あの男は、遂に自らの命すら顧みずに、世界を救う手段を与えたのだ。

他ならぬエセルドレーダの主、大導師マスターテリオンに。

「無視するのですか、マスター」

だからこそ、ここで立ち止まる訳にはいかない。
主を立ち止まらせる訳にはいかない。
あの男が現れてから、マスターの瞳には光が宿り続けていた。
目指すべき目標を持つが故の、未来を見据える魂の煌き。
同じ道程をぐるぐると歩かされる家畜の如き無限螺旋の中で、それでも未来はあるのだと教えてくれた。

エセルドレーダ自身がどう思う訳でもない。
だが、エセルドレーダの主は、大導師マスターテリオンは、確かにあの男の言葉に、存在に救われていたのだ。
態度で示す事は少なかったかもしれない。
だが、心に秘めた感謝の念は何よりも強い。
それは、常にマスターテリオンを見つめ続けていたエセルドレーダだからこそ理解できる事実。

「あの男の──卓也からの『唯一の願い』を」

返しきれない借りがあるのだと、そう思っていた筈なのに。
機会があれば褒美の一つもくれてやろうと言い続けていた筈なのに。
命を賭した願いには、応えることができないのか。

「答えなさい! 『■■■■■■■』!」

エセルドレーダが叫ぶ。
今この時だけ、主である大導師マスターテリオンにではなく。
もはやこの字祷子宇宙の何処にも存在しない名前を。

人としての運命を、黒の王という巨大な配役によって掻き消された青年に。
運命に流されるまま、運命の出会いを果たしたかつての少年に。

かつて、運命に任せ、行わなかった問いを放つ。
最強最古の魔導書、『ナコト写本』の主に足る術師であるか。
運命を食い破る意思の力を備えているか否か。

「……………………ふっ」

長い沈黙を置き、短く笑い声が響く。

「よもや、日に二度も臣下に『道』を問われるとは」

自嘲気味に笑うマスターテリオン。
その表情にはしっかりと生気が戻り、瞳には強い意志の炎が灯っている。

「だが、そうだな……。エセルドレーダ」

「はっ」

仮想コックピットの中、マスターテリオンへと傅き頭を垂れるエセルドレーダ。
エセルドレーダは確信する。
『■■■■■■■』ではない、自らの主が、ここに舞い戻ったのだと。

「先ほどの問いの返答、とても言葉にできぬ。……肉体と、魔術と、戦いと──勝利にて、返答としよう」

リベル・レギスの無限の心臓が脈動し、膨大な、しかし、制御された魔力を生み出す。
先ほどまでの破れかぶれの破壊活動を行うための出力ではない。
魔術師の、鬼械神での『闘争』を前提とした、安定した出力。
手にした黄金弓は再び引き絞られ、光で編まれた弦に番えられた矢は、真っ直ぐに混沌へと向けられた。
矢を持つ手には、弓に番えている物の他に、十数の矢が挟み込まれている。
そのどれもが必殺の威力、必滅の呪力を備える魔弾である。

「やれやれ、聞き分けのない。まぁ、そういう展開も嫌いじゃあないけど」

両手を広げ大げさに肩を竦める混沌。
限界まで引き絞られた光の弦が解き放たれ、光の矢が飛翔する。
物理法則を超越し光速を超え疾駆する光の矢は、その過程を置き去りに破壊という結果を撒き散らす。
爆裂する大気。
衝撃波が射線周辺の演算装置を砕き、砕けた演算装置は自己修復を行いながらも飛散したパーツで更に巻き添えを作り出す。

引き裂かれる異界の時空。
その痕をなぞるように追撃の矢が解き放たれ、更なる加速を持って先行する矢の矢筈を引き裂き、分つ。
貫かれ爆ぜる矢が散弾と化し、自らを貫いた矢と共に混沌に襲いかかる。
更に飛来する散弾は視界を遮り、追撃で放たれた残り十数の矢を隠す壁ともなっている。
回避不能の範囲攻撃。
星を砕くことすら無く美しい弾痕と共に貫く無数の鏃。

それらは、突如として現れた巨大な掌によって容易く、羽虫を叩き落とすような気安さで防がれる。
既に鬼械神すら分解し虚空に立つ混沌は、傷一つ負っていない。
鬼械神程もある巨大な掌の持ち主が、絵の具を滲ませるように空間から姿を顕す。
見上げるような、リベル・レギスから見ても巨大過ぎる、機械の塊、人型の機械の寄せ集め。
電脳の神威にして、あらゆる鬼械神の起源、原典。

「そうだなぁ、『これ』で相手をしてあげてもいいんだけど、大導師殿、君にとってのラストバトルになるかもしれない相手が使いまわしってのも気が引ける……だから」

機械巨神が、その身を『解く』
ゆる、と、全てのパーツの噛み合わせを外し分解寸前にまで解ける巨神。
噛み合わせを外し、全てのパーツの間に隙間が生まれた巨神が、間隙の分だけ見た目の堆積を増大させ──

《永劫(アイオーン)!》

世界が、歪む。

《時の歯車、宿命(さだめ)の刃、久遠の果てへと巡る虚無》

神言による詠唱。
電子ノイズ混じりの声に呼応するように、異界を形成する全てが砕け散る。
砕け散り飛散した欠片が飛散した先で新たな演算器を形成し演算器が組み合わさり巨大/微小な無数の機械部品を形成。

《永劫(アイオーン)!》

一つの世界が、人に至る過程で矮小化している混沌を中心に折り畳まり──切らない。
容量過多。
収束先の器は世界を収めきる規模ではなく、世界も一つの器に収まりきるほどの規模ではない。
だが、終わらない。止まらない。

《我より逃れ得るものはなく》

打ち払われたリベル・レギスの魔力矢の残滓すらも分解し飲み込み巻き込み、収まりきらなかった全ての要素が行場を探して渦を巻く。

圧縮、圧縮、圧縮。
収束、収束、収束。

世界を構成する全てが流れ、巡り、胡乱な輪郭の鬼械神を中心に無数の円環を形成する。
円環を形成するのは、極めて角度の浅い、平坦に近い螺旋。
螺旋で造られた円環それぞれが全てリンクし、絶えずその性質を流転させ、僅かな違いながらも決して同じ色艶形を取ることはない。
終わること無く続き、永劫を巡り、変貌を続ける螺旋。

《我とありしもの、死すらも死せん》

それは尽きることのない無限。
それは果てることのない螺旋。
狂うこと無く狂い続け、無限に無尽に時を刻み続ける、一基の機械。

「初お披露目……というわけでもないか。こんな状況でもなけりゃ、君達には認識する事も出来ないってだけで」

これこそが無限の螺旋である。
共にあり続ける白と黒の王から、完全なる死を奪い続ける、無慈悲な絡繰細工。
輝くトラペゾヘドロンを生み出すために創りだされた、混沌の力を孕む機械の神。
無限螺旋に包まれた鬼械神の輪郭が実像を結ぶ。

「これが、僕の『武』で、『威』の化身」

その姿は、ネクロノミコンから呼び出されるアイオーンそのもの。
だが、過去の術者達の駆る機体とはどれも意匠が異なり、これと断言できる共通点を見つけ出す事ができない。
しかしそれでいて、アル・アジフが執筆されてから招喚されてきた全てのアイオーンが瓦落多に見えるほど精緻な造り。

この世界における、無貌が故に存在する千の貌の一つ。
アブドゥル・アルハザードが時空の狭間からこぼれ落ちたアル・アジフの断片を元に執筆する新たなるアル・アジフ。
無垢な魔導書に経験を積ませるために、千の時を越えて真の主の元にたどり着かせるために、
有象無象のマスター・オブ・ネクロノミコンを燃料に、アル・アジフを白の王の元へ届ける役目を担う。
無限螺旋を構築する、永劫の螺旋を回すシステム、その一つの根幹。

その名も、アイオーン。
──機械仕掛の永劫《鬼械神クロックワーク・アイオーン》
人間の魔術師が操るためにデチューンされて記載されたネクロノミコン版ではない、邪神の力を司る真の姿。

「本来ならこんな使い方をする必要もないんだけど……大導師殿、君への手向けだ」

アイオーンが両の拳を腰だめに構え、肩部の装甲が開く。
掌の装甲が展開し、内部から虫の複眼にも似たレンズが姿を表した。
この世界では殆ど利用するものの居ないエネルギー収束する。
高次元波動──オルゴンを利用した、光速で目標を追尾するレーザー兵器。

「真の世界、その一端を身に受ける名誉を受けて、華々しく舞台から失せるといい!」

―――――――――――――――――――

アイオーンの放ったホーミングレーザー。
それは神威を帯び、この世界を構成する概念を超越するトリッパーの力を受けて、オリジナルのものとは比べ物にならない程の威力を備える。
無数に放たれたレーザーの一条でも直撃しようものならばリベル・レギスといえども甚大な被害を受けるだろう。
無論、それがリベル・レギスに直撃すれば、の話でしかないのだが。

レーザーが如何に高火力であろうとも、その速度はあくまでも光速に過ぎない。
オルゴンという性、気にも似た要素を持つ波動を光という一形態に変換して行われるこの攻撃は、威力を上げることこそあれ、速度という点では物理法則に縛られる枷にしかなり得ない。

光の早さで迫るレーザーを容易く回避し、リベル・レギスは翔ける。
追尾する光線を躱しながら、黄金の弓から魔力矢を放ち続け、牽制。
星を解体されながらも異界化から脱した元第四惑星跡の宇宙空間を、灼える魔力矢が引き裂き飛翔する。

「おおっと、危ない危ない」

物理法則を超越した魔力矢はレーザーよりも早くアイオーンの周囲に浮かぶ螺旋/円環に阻まれ砕け散り、煌めく魔力の粒子に。
光の粒子を身に帯びたまま、アイオーンは素早く──しかし邪神の操る鬼械神としては緩慢とすら言える動作で背に手を伸ばす。
アイオーンの背には真紅の翼。
何時の間にか現れていたその翼の基部を掴み、ブーメランの様に投げつけた。

リベル・レギスの魔力矢をも超える速度で迫る、ギロチンと化した翼。

「くっ……エセルドレーダ!」

「イエス、マスター」

マスターテリオンの言葉に頷き、エセルドレーダが障壁を展開する。
展開された防禦陣は、回転しながら飛来する翼を前に一瞬の抵抗を見せた後、布のように引き裂かれた。
防御陣で僅かに到達速度が遅れた翼を、リベル・レギスは未だ弓のままの十字剣で切り払う。
軌道を逸らされ、しかし翼は回転速度を落とさずアイオーンの手の中に戻り、再び背部へと装着される。
装着され、すぐさまその翼はその姿を消してしまう。

「中々やるじゃあないか、大導師殿。でもその程度の武装、僕の手の内の中では最も格下の部類。お次はこいつだ」

アイオーンの両の手に、それぞれ性質の異なる二つの力が宿る。

「右手に魔力、左手に気……」

反発し合う力を、掌を合わせて融合させるアイオーン。
融合して爆発的に総量を増した力がアイオーンの全身を包み込む。
アイオーンの現在の出力は先までの数倍、十数倍と見ても大げさではない。

出力を増大させたアイオーンの背後で、全ての螺旋/円環が一つに纏まり、太陽の如く輝き始める。
後光を背負うアイオーン。
格闘家の様に構えた腕には、ナックルガードが手の甲全体を覆うように装着されている。

そのまま演舞のように軽く構えを動かし、暗黒物質を足場にアイオーンが踏み込む。

「肘打ち、裏拳、正拳! てぇりゃああああ!」

攻撃方法を宣言しながらの連撃。
リベル・レギスは半ばから砕けかけている黄金の弓を、二本の十字短剣へと再錬成。
逆手と順手に構えた十字/逆十字の二刀を持って致命となりうる攻撃のみを捌いていく。
捌ききれなかったアイオーンの膝が、手刀が、リベル・レギスの装甲を削る。

「……ってね。さぁ大技だ!」

コックピット狙いの双掌打を十字短剣を交差させて受けきるリベル・レギスをアイオーンが直蹴りで引き剥がし、距離が開く。
アイオーンの背部に左右三基づつのバインダーが展開し、片手を掲げ、混沌が楽しげに詠唱を始める。

「僕のこの手が光って唸る!」

言葉の通りに、掲げられたアイオーンの手指にエネルギーが集い、輝きを放ち始める。
高まり続けるその一撃はやはり一撃でリベル・レギスを破壊し切るだけの威力を備え──
しかし、確実にリベル・レギスが防ぎきれるだけの速度、法則を保ったままに放たれるのだろう。

(なるほど……聞いていた通りか)

リベル・レギスのコックピットの中で、マスターテリオンは少し前の周での出来事を思い浮かべる。
鳴無兄妹の不定期の活動報告で、不意に『外なる神と相対した時、どの様にして生き延びるか』などという話に発展した時の事だ。
どの様にして生き延びるかという問題には、相対する邪神の性質次第であるという結論しか出なかったのだが、鳴無兄妹は面白いことを言っていた。

『混沌相手の戦闘なら、自動で長生きできそうな気もしますけど。ノリがいいというかなんというか……、邪神の知性を司ると言われるだけあって、お話っぽい展開が好みなのですよ、あの神は。観客参加型のヒーローショーとか好きなんじゃないですかね』
『勇者シリーズとか、最低野郎とか、そういう見てて心震える戦いなら、同じ土俵に上がって、なおかつシナリオの流れにある程度は沿って動いてくれるんじゃね? 読者参加型の誌上RPGとか複数掛け持ちするタイプだよなー』
『とかく、人が生き足掻く姿とかを嘲笑うのが趣味ですから、パワーバランスの調整が上手いんですよ』
『つっても、手を抜くって訳じゃねーけどな。生かさず殺さずっつうか、とにかく戦闘になってる風に錯覚させてくると思うぜ』
『え、戦闘を長引かせたその後に、どうすれば生き残れるか、ですか……? 殺せばいいと思いますが』
『そりゃおめー、邪神を殺す攻撃とか封印する手段とかでだなぁ……方法? 細けぇこたぁいいんだよ!』

(支離滅裂、とまでは言わぬが……)

散文的、というか、結論を纏めるつもりもなさそうな内容。
懐かしいやり取りに僅かに頬をほころばせ、次いで、口の端を吊り上げる。
余裕を持った常の笑みとは違う。
牙を剥き、地に伏せ獲物を狙う、元始の獣染みた、獰猛で攻撃的な笑み。

(大事なところだけは理解できる)

それは、『目の前の敵は、決して自ら舞台を降りる事はないだろう』という事。
舞台に乗せられ、自らに役を当てはめた以上、かの混沌は演者としての役目を全うする。
それこそが、混沌で、無秩序な邪神の唯一と言っても良い習性。
普段であればあっさりと気紛れに反故にする可能性も捨て切れないだろう。
だが、今のこの場は『ここ一番の大舞台』である。

「勝負だ、大導師殿!」

破滅の閃光を宿した指を振りかぶり迫るアイオーン。
人へと至る過程であるからか、それとも役になりきっているからか、その叫びはマスターテリオンの耳には芝居がかったモノに聞こえる。
だからこそ、

「迎え撃つ……!」

即座に必滅の一撃をリベル・レギスの手刀に込める。
小技は避けさせ、戦闘に支障のない程度のダメージを与え、大技は大技で迎え撃たせる。
これも混沌の望む筋書き。王道の展開。

アイオーンから繰り出される掌打気味の一撃と、リベル・レギスの手刀が、真っ向から激突。
その威力は測ったかのように等しく、ぶつかり合う力は拮抗し、数度の揺らぎを経て炸裂。
無限熱量と絶対零度の対消滅により、時空の安定が崩れ、何処かへと流されるアイオーンとリベル・レギス。
既に幾度と無く経験した時と空間の濁流に揉まれながら、二機の鬼械神は引き剥がされ、次の舞台へと流れ着く。

全てが予定調和。
この勝負は、途中経過こそマスターテリオンに選択権があれど、最後の場面は既に混沌の手によって結末を決められている。
まやかしの勝負。まやかしの世界。
この世の全ては舞台の演目に過ぎず、過ごす人々、神々は自らも含めて、全て演者に過ぎない。
マスターテリオンは、その枠から飛び出す自らを祝福するために混沌によって選ばれた共演者。
こちらが最後には切り札を切る事までわかった上での筋書き。
マスターテリオンは、何処まで行っても討たれるための敵役にしかなれない。

(だが知るがいい混沌よ)

余は、余だけの力で此処に立つのではない。
乱入者に当てられて、筋書きすらも忘れ踊る大根役者も居るのだと。
砕け流れる世界の中、マスターテリオンのその呟きは誰に聞かれるでも無く、仮想コックピットの中に消えていく。
戦場が、移り変わる。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

再び正常な空間に辿り着きマスターテリオンが最初に目にしたのは、水晶質の金属結晶に覆われた渓谷。
黄金色の結晶が無数に突き出す渓谷にアイオーンの姿を確認することはできない。

「ここは……」

リベル・レギスが身体を大きく回し、周囲を見回す。
全身から駆動音が響き渡る。
鬼械神の内部機構はそれほど大きな音の出るものではない。
この場所に他に音を発するものが存在しない事が原因だろう。
深い渓谷である事も相まって、小さな駆動音すら大げさに響く。

「……記述には存在しない惑星のようです。マスター、ご注意を」

エセルドレーダの言葉の通り、その星、その世界は、これまでの大導師の経験してきた最終決戦では見たことのない場所であった。
いや、それよりも何よりも、不自然な点がもう一つある。
この空間には字祷子が存在しない。
あらゆる物質を構成するはずの字祷子が殆ど存在せず、無機質な何かが代替物として置き換えられているのだ。

エセルドレーダに促されるまま、警戒と迎撃の為に十字剣を鍛造し、浮遊するリベル・レギスを渓谷の外に移動させる。
渓谷を抜けて目に入る光景は、先と同じく、金属結晶で形成された樹海。
風すら吹かず、動くものの気配は一切感じられない。

《──────》

唐突に、リベル・レギスの仮想コックピットに思念波が響く。
いや、それを思念と言っていいものか。
泣き声よりも鳴き声とでも評するのが正しいだろうそれは、ただ巨大なだけの獣が放つ遠吠えか雄叫びに感じられた。
同時に、強く、硬質な生命力を感じ取る。
そして、強い光が射した。

「ほう……」

「これは……」

見上げ、同調したリベル・レギスの視界に映る光景に、マスターテリオンとエセルドレーダは目を奪われる。
それは、太陽。
だが、暗黒物質を隔てた先にある恒星としての太陽ではない。
巨大で、強大な、水晶室の金属。
荒削りで歪な正八面体に、水晶の棘が森のように生えた、眩く輝く力の塊。

なるほど、先の渓谷も森林も『太陽』の住処か、あるいは『太陽』を構成する一部なのだろうと察することができる。
ケイ素生命体とて、馴染みこそ薄いが、マスターテリオンとエセルドレーダの知識に存在していない訳ではない。
二人の驚きは何処に向けられているか。

それは、その『太陽』の在り方。
単純で、力強く、巨大で──しかし、何の意味も、意図も存在しない。
神にも等しい力の塊でありながら、目の前のそれはただ宇宙の片隅に転がる石ころの一つでしかない。
あの無限螺旋の、字祷子宇宙では有り得ない存在。
人へと、他者へと向けられる悪意の存在しない、何物でもない純粋な力の塊。

その事実が、この『太陽』が神々の作り出した箱庭の中の存在ではない事を如実に語っている。

《────────》

一際大きい、ノイズ染みた思念。
鉄鋸で大理石をゆっくりと切り削るような重低音と共に水晶の森が稼働。
『太陽』がひび割れ、力の塊が流れだす。
光か、熱か、重力か。
それはおよそ人の知りうるあらゆるエネルギーを内包しどれとも異なり、そして、どれよりも純粋な力の奔流。

「おわっ!」

突如として、虚空から混沌の悲鳴が鳴り響く。
力の奔流が通った直近の空間がひび割れ、中から重火器を構えたアイオーンが姿を表した。
その姿を視界に入れるや否や、マスターテリオンは十字剣を振るうよりも早く手首の重力砲を展開。
放たれた重力弾は一直線に、そして様々な軌道を描きながらアイオーンに迫る。

「おいおい大導師殿、そりゃ少しせっかち過ぎやしないかい?」

アイオーンは迫る重力弾を避け、或いは別の空間に転移させることで事なきを得る。

「次元連結システムのちょっとした応用が出来てなきゃ、傷の一つも付いてたところだ。全く、折角ライバルキャラとして配置しておいてあげたのに、君ときたら演出の方はちっとも上手くならなかったねぇ」

呆れの声と共に、アイオーンは抱えていた二丁の重機関砲の引き金を引く。
先の『太陽』の稼動音にも迫る耳障り極まりない重低音を響かせながら吐き出される砲弾。

「不意打ちなどという無粋な企てをされればこうもなろう」

嘲笑うように告げるマスターテリオン。
だが、その言葉だけが真実ではない。
字祷子宇宙に生まれ、無限螺旋の中で魔術師としての力を磨き智慧を蓄えてきたマスターテリオンにとって、宇宙とは即ち恐怖であり、混沌であった。
だが、今目にした『太陽』は違う。
何をするでもなく、ただそこに存在するだけの無垢な超存在。
強大な力を持ちながら、それ単体では何物にも害を成す事のない『太陽』は、マスターテリオンにとって、無限螺旋の外を象徴する可能性の一つ。
自覚する部分は少なくとも、マスターテリオンはこの邂逅を邪魔されたことに少なからぬ苛立ちを感じているのだ。

「疾く、消え失せよ」

重力砲を格納し、手にした十字剣で宙を薙ぐ。
斬撃波。ただし、時間差で三度放たれている。
一撃目は大気を切り裂き二撃目は大気の失せた空間を切り裂き、最後の一撃は『無』を切り裂きながら進み、先の二撃を食い破りながら、速度という概念を超越しアイオーンへ。
時間概念を無視した斬撃。
更に、もう片方の手をもアイオーンに向け、詠唱。

「ABRAHADABRA 死に雷の洗礼を」

逃げ場を塞ぐように放たれる魔雷。
水晶の森を砕き、地形を改造しながらのリベル・レギスの猛攻。
戦闘の展開を考えれば、アイオーンはこの攻撃を避けきらず、ある程度受けてダメージを演出するだろう。
それすらも余裕の顕れ。
その余裕にしがみついてでも、切り札の発動まで持って行かなければならない。
アイオーンが芝居がかった焦りの動作を見せながら何らかの障壁を展開しようとした、その時。

《──》

星が、揺れる。
リベル・レギスとアイオーンの攻防に反応したかのように、『太陽』が大きく反応したのだ。

『太陽』には確かに確固たる意思は存在せず、知性の欠片を望むのも酷だろう。
だが、それは『太陽』が完全なる無抵抗であることを示している訳ではない。
人には届かず、獣ほどの複雑さも抱けずとも、それは確かな本能を宿す。
砕かれる森を知覚し、『太陽』は初めて反応らしい反応を示している。
砕かれた金属水晶は『太陽』の欠片であり、寝床でもあり、食料でもあり、子であった。
『太陽』にそれらの区別を付けるだけの知恵は存在しないが、それでも、それらを砕かれて憤るだけの本能を持ち合わせている。

《── ──── ──》

それは、初めて見せる確かな感情。
意思を持つものが初めて獲得する二つの感情の内の一つ。
『不快』
口に含んだ毒を吐き出すように、食べ難い部位を避けるように、
『競争相手を排除する』為に、
『太陽』は、この場で初めて、明確にその力に指向性を与える。

《── ── ────────────!!》

対象は、『自分以外の全て』
『太陽』の一部である渓谷、森には微風一つ吹かせること無く、原始的な害意が牙を剥く。
唯一の意思を与えられ、攻撃のために特化されたエネルギーが、闖入者であるリベル・レギスとアイオーンを、その攻撃毎完全に打ち滅ぼしに掛かる。
放たれた斬撃、雷は届くこと無く消滅し、二機の鬼械神は『その存在を否定される』
存在が揺らぎ、招喚が解除され掛け、術者すらも消し去ろうとする『否定』の力。

「が──っ!」

「お、おお──っ!」

マスターテリオンと同時に、混沌が苦痛の呻き声を上げる。
二機の鬼械神が色を、形を、意味を崩され始め、その存在を薄れさせていく。
邪神すらも否定する、圧倒的な力。
だが、

「な、め、るなぁぁぁぁぁ!!」

混沌が人の感情を剥き出しに叫ぶ。
崩壊寸前のアイオーンが、自らの手で体内深くを抉り、中で『何か』を握りつぶす。

《─  ── ──!》

同期する様に『太陽』の叫びに空隙が生まれる。
純粋な力の塊であった『太陽』は、

「な──!」

マスターテリオンの目の前で、水に絵の具を落とすように字祷子に侵食され、崩壊、消滅。
連鎖するように大地を覆う水晶質の金属が、字祷子に解けて消えていく。
忽ちに、無垢な宇宙は字祷子に侵され埋められていく。
夢が覚めるように、悪夢に沈むように。
宇宙が、空間そのものが、消失する。
完全に消失する間際、混沌の声が聞こえた気がした。

「なるほど……ふふ、そういうルールか」

笑みを含んだ混沌の言葉の意味を理解するよりも早く、リベル・レギスは次の場面へと流されていった。
戦いは未だ終わらず、次なる舞台が展開される。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

次に目に写ったのは、元の時代よりもほんの少し、百年程度先の時代の光景だろうか。
古い時代の文化を残そうと、レンガの建屋が幾つも立ち並ぶ市街。
だがそこに張り巡らされる数々の科学技術は、そこが未だマスターテリオンの知り得たことのない、希望に満ちた未来の世界であることを示している。
街頭の巨大スクリーン、稼動式天井のレース場、ホイルの存在しない水素燃料バイク、人体に寄生し、宿主に異形の姿と力を与える微小機械。
マスターテリオンの頭蓋を、知りえぬはずの知識が侵食する。

「そこか!」

だが、最早マスターテリオンは怯まない。
字祷子の存在しない可能性の宇宙を見、そして今まさに邪神の企みから逃れ切った世界を見て、負けられない理由を一つ増やした。
転移の最中、時系列も空間の連続性も存在しない場所で生成した黒く有機的な矢を弓に番え、天に向けて放つ。
薄っすらと星の散り始めた空目掛けて放たれた矢は一瞬で見えなくなり、時間差でその効力を発揮する。

空から降り注ぐ光の雨が、レンガ造りのドイツ市街を蹂躙する。
住人に当てぬように、という気配りは存在しない。
光の雨の振る場所は例外無く打ち砕かれ、字祷子に還元される事もなく微粒子へと変換される。
字祷子の庭ならずとも、降り注ぐ理不尽に代わりは無い。
僅かに生き残った住民を、鋼の肌に身を包んだ異形どもが救い出す姿も見えるが……

「あは、甘い甘い」

光学迷彩を解除し、アイオーンが無数の防禦壁を展開。
電磁力による、タキオンによる、空間歪曲による、次元連結システムによる防禦はそれぞれ全てに神気を纏わされ、魔術に対する体勢を獲得している。
そして、防禦壁に巻き込まれた市街地の建築物や住民、異形が歪み千切れ消滅。

降り止まぬ光の雨を重ねた防禦壁で凌ぎながら、アイオーンが無手のまま弓を引くような構えを取る。
かちん、という無機質な音と共に、リベル・レギスのコックピット付近の装甲が内部から爆発を起こす。
リベル・レギスも常に一定の防禦結界を張り巡らせているが、それに引っかかった気配は一切無い。

「くっ……!」

マスターテリオンは、アイオーンの攻撃方法を瞬時に見抜く。
リベル・レギスの装甲を破壊した攻撃自体は何の変哲もない、範囲を限定したエネルギー衝撃波。
ただし、衝撃波の発生起点を直接リベル・レギスの装甲に設定してのもの。
壁を張るタイプの防禦結界は、この種の攻撃に対し一切の意味を持たない。
衝撃に呻きながらスラスターを吹かし、リベル・レギスを逃がす。
足止めを受けないよう散弾気味に矢をばら撒き、常にアイオーンのセンサーと混沌の直観に対してジャミングをかけ続ける。

対策を施されても、アイオーンの追撃は止まらない。
構えをゆるく解き、左右に重機関砲を装着。
実弾、エネルギー弾、神獣弾、呪力弾を織り交ぜた弾幕を張りリベル・レギスを追い詰める。

だが、それは演出どうこうを考えないとしても、些か的を外した攻撃ばかりの様に感じられた。
まるでリベル・レギスではなく、街そのものを破壊、蹂躙することこそが目的あるかのような。
逃げの一手を打ちながらのマスターテリオンの思考は、キリの良い所でアイオーンの攻撃によって断絶させられる。

かちん、かちん、かち、かち、かちかちかちかち。
連続して、いや、ほぼ同時に異なる座標に対して放たれるゼロ距離衝撃波。
避けきれず、リベル・レギスの半身が食い破られていく。

「お、」

だが、マスターテリオンは怯まない。
痩せても枯れても、悪の魔術結社ブラックロッジの首魁。
最後の見せ場まで、決してこちらを殺しに来ない『見せ』の殺意に怯むほどの幼さを持ち合わせていない。
何もかもが与えられたものであったとしても、そこで培った経験は確かにマスターテリオンだけが手に入れた真実だ。

「おお……!」

黄金の弓がマスターテリオンの気勢を受けて変質する。
顕れるのは人の世を滅ぼす黒き邪龍。
放たれる矢は太陽すらも霞む熱。
文明、歴史を焼き滅ぼす天の炎に他ならない。

対するアイオーンは邪龍を前に仁王立ち。
胸の前で拳を付き合わせ、腕部と胸部には球状のエネルギーアンプが増設されている。
死を予感させるその姿は冥府の王にも似て。

炎の矢が鳴らす伽藍に響く鈴の音が、冥府の王の宣誓と喰らい合い──

「──あと、少し」

──白く焼ける世界が、字祷子の庭に飲み込まれる。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

気がつけば、リベル・レギスは宇宙空間を彷徨っていた。
目に映るのは幾万幾億の星の光。
一際大きい輝きを放つ恒星には見覚えがあった。
太陽。
飛ばされた先は太陽系の範囲内。
地球の姿こそ確認できないが、目の前に浮かぶ惑星が、ここが太陽系であることを予想させる。
紅い砂の星、火星。
マスターテリオンも幾度か訪れる事のあった惑星である。

「……被害状況を確認、修復を開始します……」

エセルドレーダの報告に耳を傾けながら、マスターテリオンも独自にリベル・レギスの機体状況をチェック。
リベル・レギスの半身は溶け落ち、即時の戦闘機動は不可能。
しかし、図ったかのように無限の心臓と仮想コックピットは無傷。

(いや)

確実に図られているのだが。
その気になれば呆気無くこちらを消滅させられるだろう力を持ちながら、さも互角であるかのように演出を行なっているのだ。
無限螺旋も直に意味を無くす今、マスターテリオンの寿命は、かの混沌がこのお遊びに飽きるまでの時間しか無い。
恐らくは、マスターテリオンがこうやって意地で戦いを続けることも考慮した上で、クライマックスシーンまで持っていく流れも決めているのだろう。
質が悪い、趣味も悪い、底意地も悪い。

「今はそれにしがみ付くより無し、か」

改めて状況を確認する。
機体状況は最悪の一歩手前だが、アイオーンは確実にこちらがギリギリで戦える程度まで修復するのを待つので問題ない。
次に打つ手を思考。
弓は溶け落ちたが再構築が容易、しかし決め手に欠ける。
相手の掌の上といえど、勝ちを狙わずに戦う道理は存在しない。
餓鬼結界は、機体の一部に世界を内包するアイオーンに対しどれほどの意味があるか。
重力砲は速度に劣り、剣は技術においても劣る。

視線を火星に向ける。
そこに存在する火星は知識にある通りの火星であり──当然、マスターテリオンの知る火星ではない。
全く同じ特徴を備えながら、『字祷子で構成されているか否か』という決定的な違いがやはり存在していた。
火星に嘗て巻いた眷属も存在しない。
他者による自己再招喚でのブーストは期待できない。

「修復完了。……マスター、如何なさいますか」

思考を重ねる内に、リベル・レギスの修復は完了した。
アイオーンが姿を顕す予兆は無い。

「ふむ……」

弓を再構築し、リベル・レギスの動作を一通り確認したマスターテリオンは、リベル・レギスのセンサーと霊的に連結した状態で周囲を探知する。
相変わらず、間隔の届く範囲には字祷子を感じられない。
目の前の火星は何らかの魔術で二重構造になっており、人間とそれに似た種族が存在しているようだが、そのどれもが字祷子を含まない未知の存在形式。
この場で字祷子を内包するのは、自らの身体と魔導書、そしてリベル・レギスのみ。
それはこの場所が、無限螺旋だけでなく、白痴の神からも逃れた宇宙であるという事なのだが……。

違和感があった。
一度目の転移先である水晶に覆われた惑星、近未来の地球に似た世界、そして、目の前に火星を臨むこの宙域。
字祷子宇宙の外であるように見える。

「だが、違うな。エセルドレーダ」

「イエス、マスター。これまでに通過した世界は全て『根源の異なる世界』であるかと」

そうだ。
仮に字祷子宇宙から逃れたのだとして、何故異なる世界を幾つも渡る事になる。
字祷子宇宙の外、夢から覚めた場所には、無数に異なる宇宙が隣接しているとでも言うのか。
判断材料はまるで存在しない。
だが、マスターテリオンの直感が警鐘を鳴らしている。

抗わないという選択肢は存在しない。
だが、仮に。
混沌の側にも、マスターテリオンを戦わせる、余興以外の理由が存在するのだとしたら?
それは何だ?
どういう意図がある?
これまでの戦闘で、アイオーンへとの戦闘以外で行った事と言えば──

「む」

思考を遮るように、目の前の惑星が、ゆっくりと変化を始める。
大量の土砂を巻き上げながら、プレートをめくり上げていく火星。
その被害は、魔術によって創りだされたもう一つの火星にも及んでいる。

アイオーンの攻撃だ。
リベル・レギスのセンサー、エセルドレーダの探知魔術に反応しない、極短時間の現出の間に火星に対惑星級の攻撃を放ったのだろう。
同時に、遠方で更にもう一つの惑星が砕かれる気配。
この時、初めてアイオーンが姿を表し、センサーに字祷子が反応する。
そして、アイオーンはリベル・レギスを無視するように、再びこの宇宙から姿を消した。

「……まさか」

マスターテリオンの頭に、一つの仮説が生まれる。
同時に、その仮説を証明するかのように、宇宙に変化が生まれた。
表皮を捲り上げられた火星、微塵に砕かれた地球。
この二つを基点に、世界が侵食されていく。
無垢の宇宙が字祷子の夢に侵されていく。

「この世界は──!」

塗りつぶされ、宇宙が消滅する。
字祷子の存在しない宇宙。
そのような物はまやかしであると、存在するわけがないと。
否定され、異界の理が書き換えられ、従属し、暗転。

―――――――――――――――――――

字祷子宇宙とは、この場において、無限螺旋を内包するアイオーンに他ならない。
そして、アイオーン──混沌の手による真のアイオーンとは即ち、混沌の一側面。
混沌そのもの。
宇宙が混沌に侵食され、飲み込まれていく。

では、飲み込まれた宇宙とは何か。
宇宙を夢の一欠けに内包する字祷子。
それよりも矮小な器しか持たぬ混沌が飲み込める宇宙とは。

……場面はまたしても移り変わる。
背に地球を負い、月を臨む。

目に映るのは月を目指し進む雲霞の如き大艦隊。
星の海を翔ける戦艦は、一隻一隻が破壊ロボを遥かに凌ぐ巨体を持ち、その火砲は下位の邪神程度であれば容易く退ける。
艦隊を護衛するように飛ぶのは、鬼械神にも似た機械人形の群れ。
邪神無き世界で人が築き上げた、人の英知の結晶。
とりわけ闘争に特化したそれらは、皆一様に月を目指す。

彼らの姿は僅かに透けて見えた。
視線の主であるマスターテリオンが、まだこの宇宙に現出しきっていないからだろう。
それは、仮説を裏付けない為の抵抗。

「でも、それは無駄だ。何度も言う様にね」

艦隊の目の前の空間が揺らぐ。
異なる宇宙、異なる法則の持ち主であるアイオーンの現出。
だが、この世界では空間転移がありふれているのだろうか、艦隊と随伴機に慌てる様子はない。
冷静に、アイオーンに向けられる火線。
的確に、冷徹なまでの戦意で持って、純粋科学の力が機械邪神を襲う。

「おお、怖い怖い! でも──」

全ての火線がアイオーンに直撃。
だが、アイオーンの装甲に傷一つ付けること無く消えていく。

「所詮、夢は夢」

アイオーンの纏う『無限螺旋』が捩れ、絡み合い、長大な杖へと変わる。
無限に連なる宇宙を用いた呪文螺旋。
艦隊へ向けられた呪文螺旋は、術者の詠唱すら無く、術式すら流さず、単純に力を解放した。

「目覚めと共に、『現実』に押し潰されるのがお似合いだ」

閃光が走る。
解き放たれた力は、しかし破壊力すら持たない無垢のエネルギー。
無垢な──智慧無き──白痴の神が見る夢の欠片。
もはや破壊するまでもなく、宇宙が侵食されていく。
艦隊が、機兵が、その向こうにある母なる星すらも飲み込まれ、字祷子宇宙の法則へと併呑される。

「やはり……!」

その様を見て、マスターテリオンは確信する。
解き放たれた字祷子が艦隊と地球を飲み込み、次いでアイオーンの存在感が『重く』『厚く』変化を始めたのだ。
人智を超えた神の力ではない。
人知に収まるが故の、覆し様のない絶対の力。

「未だ、卓也を喰らい続けるか! 混沌!」

そう、この世界は鳴無卓也の見る夢。
解体され、暴かれ、飲み込まれ、しかし無限螺旋の内に収まりきらなかった力の断片。
字祷子宇宙という小さな器に収まりきらず溢れた、鳴無卓也というトリッパーに内在する記憶、体験、力、──世界。
宇宙すべてを変換して作り上げた演算装置群ですら処理しきれぬ、越えられない壁の向こうの存在。

「ええ、ええ、お怒り御尤も。……ですが、それももう終わりになりましょう」

零れ落ちた世界を渡り歩き、自らの世界観を持って破壊、侵食するこれまでの戦闘行為。
それは一度は飲み込んだそれを吐き出し、改めて咀嚼(破壊)し直す事で、自らの内に取り込む儀式に他ならない。

既にこの世界すら半ば噛み砕かれ、混沌に飲み込まれている。
伝わる声は最早、マスターテリオンの耳を持ってしても、卓也の声と聞き分けることは不可能だろう。
あと一押し。
もう一歩で、混沌は律され一つの個に、夢は現実に生まれ変わる。

そして、マスターテリオンにそれを阻止する力はない。
マスターテリオンもエセルドレーダも、リベル・レギスですら、混沌と同じく字祷子宇宙の存在であるが故に。
彼らの行動一つ一つが、邪神の侵略と同じく世界を食い荒らす。

「僕はこれで、夢でも幻でもない、確かな何かになる! 舞台で演じる役者ではない、一つの確かな『現実』に!」

混沌の哄笑が、字祷子で満たされつつある宇宙に響く。
背後に背負う月が形を変え、歪な人型になりつつあることも、最早気に留めることすらしない。
衛星一つが変じた巨神が、その圧倒的な質量と害意と憎悪と慕情を拳に乗せアイオーンに叩きつける。
しかし、アイオーンもまた混沌と同じく字祷子を基点とした存在である以上、接触は悪手であると言えた。
触れた先から字祷子宇宙の法則に塗りつぶされていく。

「あぁ、あaAぁあAあぁAaぁぁぁあaぁぁぁああ──────!!」

混沌の叫喚。
これ迄のような、字祷子宇宙への変換による宇宙の消失ではない。
這いよる混沌、邪神ナイアルラトホテップの中へ。
巨神を基点に、暗黒物質が、周囲の惑星が、空間が、時間が、
洩れ出た内在宇宙が飲み込まれ────

―――――――――――――――――――

──再び、字祷子宇宙、無限螺旋の中へ。
宝石を散りばめたような煌めく星の海。
遍く揺蕩う暗黒物質。
彗星飛び交い、エーテルの風が吹く暗黒宙域。
惑星上ですら無い、何時の何処とも知れない宇宙空間。

リベル・レギスの目の前に、一つの人影がある。

「は」

人並みの身長、良くも悪くもない顔。
肉体労働者の証か、僅かながらがっしりとした体格。
温和そうな顔つきに、顔つきの調和を乱す鋭い目付き。
特徴を挙げるとしたらそれだけで済んでしまうような、ありふれた東洋人の青年。

「こうしてみると、何てことは無いな」

名を、鳴無卓也。
マスターテリオンも良く知る、異界からの訪問者。
トリッパーという特殊な人間──だったもの。

「まぁ、これが『俺にとっての普通』だから当然か」

動作を確認するように軽く手を握りながら呟く。
姿形も、声も、口調も、全てがマスターテリオンの知る卓也のそれだ。
卓也の知人に出会ったとして、それを卓也以外の何かと見間違えることはないだろう。

「どうです、大導師殿」

振り返り、リベル・レギスを見上げる『卓也』の姿。
その身から溢れる違和感を感じ取る異能が無いのであれば、見間違えるところだ。
這い寄る混沌、邪神ナイアルラトホテップは遂に、トリッパーである鳴無卓也に成り代わった。
姿形を真似たのでもなく、精神を乗取ったのでもない。
文字通りの意味で『鳴無卓也』そのものになったのだ。

「……マスター」

エセルドレーダの声に、マスターテリオンが頷く。

「分かっている」

覚悟はしていた。
そも最初に混沌に取り込まれた時点で、マスターテリオンに卓也を救う手は存在しない。
──この場で、確実に仕留める。
その身を賭して、マスターテリオンにチャンスを与えた、その覚悟に報いる為に。

今こそ解き放つ。
混沌の存在すら否定し尽くす、窮極の最終必滅兵器。

────輝くトラペゾヘドロン────

戦場が、最終血戦場と化す。

闇が集う。
闇が集う。
闇が集う。
歪んだ、狂った、悶える、異形の闇が集う。

光が集う。
光が集う。
光が集う。
荒ぶる、吼える、嘲笑う、異形の光が集う。

闇の極限に位置する
光の極限に位置する
此処は異界、有り得ては為らぬ世界、矛盾の巣窟
宇宙の綻び
神々の禁忌

リベル・レギスの胸部装甲が展開し、機関部である夢幻の心臓が露出する。
制御から解き放たれた夢幻の心臓から現出する闇の塊──ブラックホール。
ブラックホールが生み出す空間の歪みに耐え切れず、次元が引き裂かれた。

シャイニング・トラペゾヘドロンの制御は邪神と人類最強の魔術師の子であるマスターテリオンであっても容易なものではない。
魔導書『ナコト写本』の精霊であるエセルドレーダによる術式制御の補助に加え、自らの化身でもあるリベル・レギスに備えられた全ての機能を十全に発揮し、初めて完全な制御が可能になる。
だが、だからこそ、発動すれば逃れ得るモノは存在しない。
邪神の最高峰、『魔王』すらも封印した、捻れた神樹、狂った神剣。
この世の何者も逆らうことの出来ない絶対権威を持ち、世界すら改変し、魔を断罪する。

何者も逆らうことは出来ない。
『発動しさえすれば』

「なっ」

次元の裂け目に手を伸ばしたリベル・レギスが、マスターテリオンの制御下を離れる。
化身としてのリベル・レギスも、機神としてのリベル・レギスも、諸共に制御を『奪われ』た。
次元の裂け目を前にしたまま硬直するリベル・レギスを見上げながら、卓也/混沌が嗤う。

「や、別に最後くらいサービスしてあげてもいいんですがね? ほら、出来るとなればやりたくなるのが『人情』ってヤツらしくて」

卓也/混沌が片手で糸を引くような動作をすると、それに連動してリベル・レギスが踊りだす。
卓也は混沌に飲まれるより以前に、鬼械神の原典を制御下に置き、なおかつ半神であるマスターテリオンの肉体すらも取り込んでいる。
故に、既にリベル・レギスは卓也の意のままに操られてしまう。
それはマスターテリオンもエセルドレーダも、知る由もない事なのだが。

「ここまで、ここまで来て……!」

制御を失ったリベル・レギスの仮想コックピットの中、マスターテリオンは悲嘆に暮れる。
切り札を切るための手を抑えられた今、マスターテリオンには混沌に対して対抗手段が存在しない。

「何も出来ないのか? ここまで来たというのに、卓也を、美鳥を、見殺しにしてまで」

──友を見殺しにしてまで掴んだチャンスを。
託された願いを叶えることすら出来ずに──!

「この世に、神は無いのか──!?」

人を弄ぶ邪神ではない。
人を救う神は、正義は!

「とんでもない。きっと神は存在するよ。……何処かの何時かにね」

マスターテリオンの言葉に嘲笑を浮かべる。
神を打倒しようとしていたというのに、
無数の正義を踏みにじってきたというのに、
いざとなればそんなものにすら縋ろうとする。

その滑稽さが愛おしくて堪らないとでも言うように。
嘲笑は慈愛に満ちた微笑に変わる。

「何なら僕がなってさし上げてもいい。……我らが真の宇宙を開放した後にでもね」

卓也/混沌は胸に手を当て、芝居がかった仕草で提案する。
だが、既に宇宙の開放すらも混沌にとっては些細な事柄に過ぎない。
偽りの無限ではない、真実の世界が待っているのだ。
余興として、使い古した玩具で遊ぶのも悪くないだろう。

「ああでも、せっかく『俺』になったんだから、そっちも楽しまなきゃ」

何か楽しいイタズラでも思いついたかの様な表情。
奪いとった人生であるのなら、好きに使うのが正道だろう。
邪神ならではの邪な好奇心。

「姉さんとのらぶらぶセックスもマンネリだから、そこらの浮浪者でも集め、て……?」

取り込まれる前の卓也であれば決して思いつきもしないその提案を拒むように、遮るように。
その表情が、『卓也』の姿が、歪み──

「ぎっ゛」

破裂した。
卓也の顔面が一瞬の内に倍近くに膨れ上がり、爆炎を噴き上げながら崩壊。
焼却されていく。

「Gyyyeaiaayyyyyyyyyyyyyyyyy!!!!」

燃え盛る炎は明確な敵意と『神気』を持って、混沌を焼き払う。
それは、混沌が明確に天敵として恐れる唯一と言っていい邪神、例外的な力を有する旧支配者の一柱の放つそれと同一。
如何なる術、法を用いたか、それは『混沌の一部が変質して』発生している。
宿主であり、本体である『混沌』に対し、明確な敵対行動を行う『生ける炎』

「こ、これは……?」

声も出せずに困惑するマスターテリオンの代わりに、エセルドレーダが疑問符を浮かべる。
鬼械神の制御を取り戻すことも忘れて呆ける一人と一冊の前で、卓也の姿が焼きつくされ混沌とした本性が曝け出されていく。
取り込み、己が物とした姿を焼き尽くされると同時、混沌の意識は暗転。
深い深い、無意識の海へと落ちていった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「ご助力感謝いたします」

俺は力を貸してくれた神に届かぬ礼を述べ、やっとの事でこの場に『落ちてきた』クソッタレの腹に蹴りを入れる。

「ぎやっ」

蹴ったのが本当に腹であるかどうかは関係ない。
むしろ頭も蹴っておく。
蹴る前にこれは言っておかなければなるまい。礼儀として。

「ニャルさん、サッカーしようぜ! もちろんお前がボールな!」

言いながら頭部と思われる箇所をおもむろにスタンピング。
この場において人体構造や攻撃部位の指定は意味を持たないが、心意気の問題である。
俺は並列的に脚部を存在させ、頭部を踏みつけながら顔面と後頭部と腹部と背中に思う様蹴りを入れる。

「あと、やり投げもやろうぜ! お前地面な!」

手の中には当然槍が存在する。
そして決して投げない。
掴んだまま、混沌をメッタ刺し。
特に言う事はない。
宣言を済ませたなら後は実行し続けるのみだ。
これはボール、これはボール、これは地面、これは地面。

「ドリブルドリブルドリブルドリブルドリブルドリブルドリブル…………」

ぐったりと倒れたまま動かないボールを相手にドリブルの練習をひたむきな姿勢で行いながら、槍投げのルールを思い出そうとして、途中でやめる。
既存のルールに縛られてなんとする。
真・槍投げのルールを制定。
『可能な限り地面に痛みを強要する』
これだ。まさに芸術。
俺の意思に応えるように、槍の穂先が惨たらしい突起を形成。
突き刺した瞬間に肉は千切れ飛び骨は粉微塵に砕け散るだろう。
想像するだに楽しげじゃないか。
躊躇なく混沌に突き刺そうと振り上げると、いつの間にか足元から混沌が消え失せている事に気がついた。

これも仕方があるまい。
この場で現実と同じ因果法則を求めるのは無意味だ。

「な、なん」

貴重な這い寄る混沌の台詞噛みである。
噛んだ直後の舌を切除してサンプルとして取っておきたい気分だ。
舌があるかは知らないが。

「聞きたいですか? そうですね……まず、ここが噂の『オサレ時空』です」

俺と目の前の『ぬぺぇ』っとした邪神に親切にもこの空間の種を明かしてやることにした。
遠近法を無視した狂った構図の廃墟が立ち並び、廃墟を除けば空も雲もなく空白だけで構成されている。
描きやすそうな世界だ。
話を引き延ばそうと思ったら、暫くこの空間主人公を閉じ込めておけば作業量は随分と少なく出来るだろう。
もちろんルールも単純に出来ている。
ぶちのめして心を折った方の勝ち。

「君は、確かに僕に食べられた筈じゃないか!?」

「バカですか、あなた。いや、あなたは馬鹿ですね、わかります。ばーかばーか」

目の前のこれは、確かに間違いなく俺を取り込んだ。
微に入り細に入り俺を構成する要素を分解し解体し粉砕し、混沌を構成する一部にしただろう。
お陰で頭悪そうなうろたえ方をしていても、『オサレ時空』というこの世界には存在しない単語にも疑問を持っていない。
この混沌の記憶と知識の中には、俺の記憶と知識が分解されて取り込まれているのだ。
俺の記憶と知識──そう、『俺の一部』を取り込んでいる。

「噛み砕かれて、すり潰された『鳴無卓也』のデータが、あなたの中で元のサイズまで復元されたに決まっているでしょう」

「な────! ありえない! 君に擬態しているナノマシンも、一つ残らず砕けた筈だ!」

「『ぽいもの』」

足りない部分を補ってやることにする。
俺は有利な立場になれば心が寛容になるのだ。

「は?」

「ナノマシン『ぽいもの』ですよ。俺を構成してるモノは。……まぁ、面倒なので略す事も多いですがね」

俺は、俺を構成するナノマシンっぽいものが一つでも生き残っていれば、即時完全復活が可能である。
では、『ナノマシンっぽいもの』の最小単位は『生き残っていると判断される基準』とは、どの程度のラインを指すのか。

「『ナノマシンっぽいもの』は、最小単位から俺を完全に復活させることが出来る。『ナノマシンっぽいもの』に登録された俺が取り込んだ能力は、どの様なサイズでも使用可能である」

使用可能である、という事は、取り込んだそれそのものでもある、という事。
『ナノマシンっぽいもの』はそれ単体で次元連結システムでありながら、火星極冠遺跡でもあり、戦狂いの女騎士であり、老剣士であり、金属生命体であり、人類最強の魔術師である。
そして、『ナノマシンっぽいもの』が最初に取り込み、データを更新し続けている『鳴無卓也』は『ナノマシンっぽいもの』の集合体だ。
『ナノマシンっぽいもの』は、『ナノマシンっぽいものの集合体である鳴無卓也』を、最小単位の段階で再現可能。

『ナノマシンっぽいもの』は最小単位で『ナノマシンっぽいもの』の集合体である。
当然、集合体を分解すれば、その最小単位もまた『ナノマシンっぽいもの』の集合体である。
それを分解すれば、やはり最小単位は『ナノマシンっぽいもの』の集合体だ。
つまり──

「最小単位は……存在しない?」

「大正解! 花まるの代わりに、花まる幼稚園の山本先生でも肉便器に改造して進呈したいところですね!」

アニメも漫画も視たこと無いけど。
え、エロ同人ならしってる!
地元の交番に置いてあるし、駐在さんの私物で。

「あ、え、否、有り得ない! 僕が取り込んだ時点で、そんな機能は存在してなかったじゃないか!」

唾を飛ばす勢いで(唾が出せるかは知らない)捲し立てる邪神。
うむ、わざとらしいけど、この展開には相応しいリアクションだ。
腐って腐ってどうしようもない塵屑に成り果ててもその役者根性だけは買ってもいい。

「そりゃそうだ。あんたに取り込まれた時点での『ナノマシンっぽいもの』にそこまでの機能は存在しない。精々、最小単位が破損してもデータをロストしないってのが精々だった」

「じゃあ、なんで!?」

「あんたに取り込まれたからだよ」

ひゅ、と、息を飲む音が聞こえた気がした。
そう、最小単位を集合体にするためには『ナノマシンっぽいものの集合体である鳴無卓也』を取り込む必要性が出てくる。

しかし、残念な事にそれは俺一人では不可能だ。
そもそもそんな真似が出来るのであれば、取り込んだ能力を強化した状態で所持した俺を、俺自らが取り込む事で能力を無限に強化できてしまう。
そこで目の前の顔の無い間抜け面の出番だ。
無貌の神が俺を取り込み、更に俺自身になることで『集合体である鳴無卓也を取り込んだナノマシンっぽいもの』が初めて存在出来るようになる。

その上、俺を取り込んだこいつが時間、空間の外にある超・超時空以上に存在する時空超越者であるというのも最小単位を無くす一助に成っている。
サイズが反転し虚数になったとして──つまり、完全消滅したところで、必ず一つ以上の『ナノマシンっぽいもの』を残すことが可能になった。
これは時間の軛から逃れた程度の俺では再現しようがない。
空間の法則すら超越した存在であるこいつの一部になったからこそ可能になったと言える。

「まぁ、それを除いたって理由なんて幾らでもあるよ。ネクロノミコン文庫版に擬態したあんたを取り込む前に、姉さんに対策を耳打ちされた記憶を持った俺が『耳打ちされていない俺の記憶』に擬態した上で俺の頭の中に入り込んだり」

取り込むのではなく、『記憶に擬態した俺』が『肉体と精神の俺』と結合した状態であるため、これは先の条件には当て嵌まらない。
今回の復活は先の最小単位からの復活の他に、この邪神が俺に成り代わり、取り込んだ『耳打ちされていない俺の記憶』を再生して自己を確認する段階で再結合、再起動したというのもある。
『耳打ちされていない記憶』を再生、起動した時点で、それに擬態している俺も同時に起動する。
そして、ボディが通常では有り得ない、『鳴無卓也の思考パターンではありえない言動』を取ることで初めて擬態を解除し、擬態中に採取したデータから最良の一手──クトゥグアの招喚を行った。

「大体、不自然にも程があるでしょうが。あの文庫本を渡される前に『ネクロノミコン完全版』『ソロモンの大いなる鍵』『ソロモンの小鍵』は危険だから取り込むなって注意されてるのに、本当に何の準備もせずに、直後に渡された文庫本を無警戒で取り込むとか」

「あ……」

もっとも、これを不自然に思えなかったのは仕方がないといえば仕方がないだろう。
あの時点でこれは次元を股にかける外なる神ではなく、トリッパーを異世界へ誘ううっかり土下座系神様だったのだ。
トリップ先の存在は、俺達の元の世界ではその能力を著しく制限される。
しかも、唯でさえこの世界は完結どころか連載の目処も立たずに廃棄された世界。
話の構成は甘く、ご都合主義の能力強化が存在し、挙句の果てに原作キャラは人格を能力を劣化させられていると見ていい。
しかも、タイミング的には土下座直後にオリ主にボコボコにされた直後の出来事なのだ。
企みが甘く見通しが甘いのは当然、いや、必然と言えるだろう。

「つっても、最初から勝ちの見えてた勝負って訳でもないんですよ。そもそもの問題として、あんたの目的は真の宇宙の開放。それだけなら俺を取り込む必要すら無かった」

単純に俺の思考を、さっさと無限螺旋抜けたいし、適当なところまで自己強化したら姉さんに頼んでループ抜けさせて帰還しよう、という方向に誘導すればよかったのだ。
『耳打ちされていない記憶』への擬態は完璧であるが故に、思考誘導、記憶封印、認識改竄には一切の抵抗をしないようになっている。
俺を取り込んだのは、欲か、好奇心か、遊び心か。
最初に無警戒で文庫を取り込んだのも効いていたのかもしれないし、話の流れに乗ってくれたとも考えられる。

「……なるほどね、しかも、まだ僕の負けが決まった訳でもない、と」

長々とした解説で落ち着きを取り戻したのか、邪神は自らの存在を持ち直した。
はっきりと実像を描かない混沌としたその外見は、何処かこちらを攻撃、認識を侵略しようという傾向が見られる。
燃える三眼だけが揺らめく無貌が、ニタリと嫌らしい笑みを浮かべた。

「ここがオサレ時空だっていうなら、まだ、僕にも目があるだろう?」

「それは勿論」

俺と目の前の邪神。
どちらが噛ませ臭いホワイトベリーで、どちらが褐色ババア喋りお姉さん(黒猫)と混浴出来る権利を持つ選ばれし者か。
それを決めるのは、このオサレ空間での戦闘結果に他ならない。
そして、例えこの空間が精神的な部分に重きを置いた世界であったとしても、やはり本格的な外なる神である這い寄る混沌と、二次創作的外なる神である機械巨神程度しかクトゥルフ神話由来の邪神の力を持たない俺とでは地力が大きく違う。

瞬間、目の前に壁。
迫るそれが肥大化した混沌の拳か瓦礫の投擲か分析するより早く俺の身体と精神に衝撃が走る。
あるかないかも表現されない地面と並行に吹き飛び、減速、足場となっていた瓦礫に幾度と無く引っかかり、ボールのようにバウンド。
酷い攻撃もあったものである。
見えない攻撃とか、それが速度であれトリックであれ、消える→命中寸前で射程内に現れるだけなんて、明らかに描写の節約ではないか。

「あはははは! まぁまぁね、色々と意表は突かれたけど、実力勝負ならこんなもんだよ」

体勢を立て直すよりも早く細かな飛礫による衝撃。
銃火器の類だろうか、強化された視覚でも捉え切れない以上、明らかにゴッドパワーで何らかの強化が施されているに違いない。
元ビルの瓦礫に背中から叩きこまれ、自己修復も封じられる。
ゆっくりと、余裕ぶった足取りで迫る混沌。

「ふふふ、これで君を倒して、次周には直ぐにでも君の姉さんにおねだりを──」

薄ら笑いを浮かべながら何事か呟いていた混沌が、横っ飛びに吹き飛ばされる。
混沌を吹き飛ばしたのは、なんてことのないただの金属の塊。
それが字祷子由来のモノではない、スーパーロボットの装甲を混ぜ合わせた特殊合金であること、精神コマンドの『愛』と『直撃』が掛けられていた事を除けば。
字祷子宇宙の法則を使用していない為に光速にすら至っていない一撃だが、精神コマンドの力は絶大だ。
崩れかけたビルを幾つも貫通しながら混沌が地平線近くまで飛んでいく。

そして、砲弾のやってきた方角、いつの間にか現れた崖の上に立つ、一つの人影。
光源もないのに太陽を背にした様に逆行で顔が見えないその口元がニヒルに笑う。

「どうした、本当の地獄はこんなもんじゃ無かったぜ」

現れたのは、俺。
それも、ただの俺ではない。

「お前は……5周くらい前に、大十字の目の前でクトゥルーに戦闘機で特攻を仕掛けてフェードアウトした俺……! 生きていたのか!」

「ふ、桃髪ツインテの三途の川の橋渡しに『クトゥルフ世界経由してから来られると蹂躙にしかならんから連れていけんね』とサボタージュされてな」

それはサボりの言い訳に使われただけではなかろうか。
しかしなんと心強い俺……。
最近はほぼ自己強化できていなかったので、これで単純に二倍の戦力である。
合体すれば五倍のエネルギーゲインも期待できそうな気もする。たぶん気のせいだが。

ここからの巻き返しに胸を膨らませていると、耳障りな瓦礫の粉砕音が世界に響き始める。
音の発生源は、先程混沌が吹き飛ばされた先。
見れば、巨大化してアイオーンと化した混沌が、もはや空も飛ばずにこちらに走り寄ってきているではないか。

「人間風情が、一人増えたところで何になる!」

手には禍々しい魔力を纏う神剣。
巨大化した後は巨体を生かした近接物理。
流石腐ってもトリックスター、お約束を分かっている。
しかも、親切な事に自分でフラグを立ててくれるとは。

「お前の勝手なイメージを押し付けるな!」

「そう、一人だけじゃないぜ!」

空の彼方から、アイオーンと俺×2の間に降り立つ鋼の巨神。
白く、突起の多いデザインの鬼械神に、黒く、城塞の様に堅牢な造りの鬼械神
双方共にモデルとなる神を持たない代わりに、チートの定番であるゼオライマーと、スーパーロボットの看板であるマジンガーの特性を組み込まれた鬼械神だ。
それを操るのは勿論────

「大学入学前に拉致されてアンチクロスに精神改造を施されていたという設定を持ち、土壇場で大十字を裏切ってそのまま逆襲されてフェードアウトした849032周目の俺に、個人所有の研究所で鬼械神の特殊招喚を実現するために日夜研究を重ねていたという設定を活かし切れずに不完全燃焼のまま終わった93872311周目の俺!」

孤高っぽいオーラを放ちながら背中で返事をするゼオライマー型と、満足気にサムズアップするソース顔なパイロットが入ってそうな雰囲気のマジンガー型。
どちらの態度も、当時のロールプレイを思い出させる懐かしいものだ。

「ええい、次から次へと……! だが、たかだが二機の──」

「俺たちを忘れてもらっちゃ困るぜ!」

苛立たしげに二機を破壊しようとする混沌のセリフを遮り、更に声が掛かる。
それも一人分ではない。
間違いなく、数十、数百、数千、数万数億を越えて重なりあう声。
やはり、出待ちをしていたとしか思えない絶好の決めポジションで現れる。
採石場を、崖を、荒野を、宇宙を、海を自前で用意して現れるのは──

「俺、それに俺に、俺、しかも、俺!」

それは、俺だ。
別段、無限/無量/無窮の彼方から来たわけでもない。
だが、無限/無量/無窮の俺だ。

オサレ空間の総てを埋め尽くす、『俺の大軍勢』だ。

傷一つ無い(実家でリリアン編んでる内にループした)アイオーンに乗った俺が居た。
激戦の数々(西博士の代行でのデモンベインとの戦闘)を潜り抜けた、古強者の破壊ロボに乗る俺が居た。
骨格剥き出しのメカは美しいと主張し続けた周の俺が乗る、あえて未完成のまま出撃したニセデモンベインが在った。
(修行の時、姉さんに力加減を間違えられて)破壊され、最後の魔力を振り絞ってもやはり動けない機械巨神に乗る俺が居た。

別の世界の俺とかは存在しない。
別の時間軸の俺とかも存在しない。
別の誰かが乗っているとかも無い。
この周に至るまでに経過した俺だけがそこに居た。

鬼械神にすら乗らない鬼械神そのものである俺が居た。
人間以外の存在になって姉さんと異種姦を思う様楽しんだ俺が居た。
少しゲシュタルト崩壊を起こして自分探しを始めた俺が居た。
最初から全身サイボーグ設定全開で始めてループまで突き通した俺が居た。

巨大な俺が居た。
小型の俺が居た。
ケダモノと化した俺が居た。
思い切って形を捨てた俺が居た。

後は、うん、まぁ、多分色々居る。
正直総てを語る意味は無いだろうし、結論だけ言おう。

ありとあらゆる俺が、その種類に無限を無限回だけ乗算した数だけ存在する。
輝くトラペゾヘドロンを使う必要もない。
俺という閉じた世界の中に文字通り無限の数存在する俺。

「流石に自分の名前であーとれーたあえてるぬむとか、口にするの恥ずかしいから、降伏してもいいですよ? きっと思いつく限り痛くするし、降伏した事を無限時間掛けて後悔するような目に合わせるから」

割りと本気だし、余裕で可能である。
此処が俺の中のオサレ時空である以上、ナノマシンっぽいものから俺は無限に再生できるし、当然無限数存在できる。
世界そのものが俺だから、実の所肉体の支配権とは別に俺に一方的に有利な条件を追加することも可能。
対して、俺を取り込み特別な存在になった影響で、目の前の邪神はスタンドアローンな状態にあり、援軍を要請することもできない。

「い、いや、まだまだ。幾ら無限に存在できるからといって、それが僕と同等という訳では」

「そりゃそうだ。うん、実に真っ当な意見だと思うよ。でも──」

ここで一先ずこのオサレ時空での出来事を置いておいて。

「外の世界、どんな状態だったかな?」

そう、邪神がオサレ時空に落とされる直前の状態だ。
此処に落ちてきたという事は当然、現実の方では何らかの理由で意識を失ったということ。
しかも、俺が祈りを捧げて力を借りた神の事を思えば、見せかけのダメージではない、割りと致命的な損傷を受けているのではないだろうか。
それこそ、『決め技を打ち込むのに最適』な状態だとして、

「その致命的な隙を、大導師殿が見逃すとでも?」

―――――――――――――――――――

再びマスターテリオンの制御下に戻ったリベル・レギスが、今度こそ、次元の裂け目をこじ開け、それを招喚する。
捻じ曲がった神柱。
狂った神樹。
刃の無い神剣──

在り得ざる物質、神々の禁忌。
輝くトラペゾヘドロン。

トラペゾヘドロンを、未だ動き出す気配の無い混沌に向け、魔法円を虚空に描く。
嘗て発動した時の様な、不完全な封印ではない。
マスターテリオンは識っている。
識らされていた訳でもないのに、当たり前の様にそれを識っている。
『これ』こそが、この神剣の本来の扱い方なのだ。

宙に光の痕を刻み込み、刻まれた魔法円が灼熱を宿し燃焼する。

「征くぞ、エセルドレーダ。ここで、これで、確実に終えよう。終わりにしよう……!」

無限の絶望、無限の恐怖を振り払い、刃のない刃が世界に新たな法を刻み付ける。

「荒ぶる螺旋に刻まれた神々の原罪の果ての地で、血塗れて、磨り減り、朽ち果てた、聖者の路の果ての地で、我等は今、聖約を果たす」

怨念も憎悪も絶望も渇望も羨望も、総てを忘れ、全てを込めて。
唄い上げる。
詩に合わせ、トラペゾヘドロンを手に、リベル・レギスが舞う。

「其れはまるで御伽噺の様に
眠りをゆるりと蝕む淡き夢
夜明けと共に消ゆる儚き夢
されどその玩具の様な宝の輝きを我等は信仰し聖約を護る」

詩は術式、舞は陣。
唄が紡がれるごとに、舞が刻まれるごとに、世界法則が組み替えられ、新たな世界秩序が誕生する。
込められる祈りに応えるように、世界が生まれ変わる。

無限螺旋。
神々の宇宙を解き放つための箱庭が、圧倒的な存在力によって歪んでいく。
マスターテリオンもエセルドレーダも、その力に身を預けた。
静かに、熱く、魂を精錬する。

「我は闇、重き枷となりて路を奪う、死の漆黒」

「我は光、瞼を灼く己を灼く世界を灼く熾烈と憎悪」

その在り方に疑問を持つ事はない。
かくあれかしと願われて生まれた。
そうあれかしと思い生きてきた。

「憎しみは甘く、重く、我を蝕む」

だが、

「其れは悪 其れは享受」

そうだ。
悪であると自覚して生きたとしても、
自分達に悪を願わなかった者も、確かに居た。

例え誰かに願われたのだとしても。
例え自らが望んだとしても。

「其れは 純潔な/醜悪な 交配の儀式
結ばれるまま/融け合うままに堕胎される
その深き昏き怨讐を胸に その切なる叫びを胸に」

続くことが出来る限り。
何度でも死に絶え、何度でも産まれ落ち。
想いも、願いも。
世界ですらも────

「埋葬の華に誓って 我は世界を紡ぐ者なり」

変えられる。
変わる。作り変えられる。
世界が、閉じた宇宙が、混沌を詰めた箱庭が。
花開くように、開放されていく。

悪しき者が存在しない訳ではなく、
宇宙に悪心、悪神、邪心、邪神は在り続け、
しかし、全ての出来事を有りの儘に受け入れる世界。
円環に囚われず、何時か死すらも死に絶えるその時まで、不断の前進を行い続ける宇宙。
しかし一つ、唯一、完全にこの世界に存在を許されないものが在った。

這いよる混沌。
千の無貌。
ナイアルラトホテップは、この世界に存在できない。
それこそが、新たに加えられたルール。

この日、邪神ナイアルラトホテップは、輝くトラペゾヘドロンの中に完全に放逐された。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

戦闘を中断し、オサレ時空から外の様子を伺っていた俺達と邪神は、その結末を見届けていた。
そして、俺の胸に去来する思いが一つ。
世界改変能力を基点にした全能の力を手に入れた者は、この心得を守るべきだろう。
それは──

「世界ですらも────変えられる」

──モノローグを読み取らない優しさを大切にするべし。
俺の軍勢が変じた機械巨神軍団が小人に見えるサイズにまで巨大化した混沌が、『キリッ』とか付きそうな無貌を取る。
次いで、掌を下に向け、

「だってさwwwwwwwww」

テーブルを何度も叩くように、爆笑しながら俺の軍勢を叩き潰していく。
砕け散った側から俺が補充されていくが、今は戦闘どころの話ではない。
そりゃあ、混沌の口から草も生えようというものだ。全能ならではの特殊な言語表現。素人では真似できない。
くそう……大導師め、普通にモノローグとか無しできっちり詠唱だけ済ませればいいものを。

「シリアスな空気が台無しじゃないか」

あんな、あんなポエミィな事を考えながら放たれる窮極の最終必滅兵器さんの心境を考えようとは思わないのだろうか。
一部俺の軍勢が『シリ……アス?』とか『姉さんの尻♂assなら……』とか『何もおかしなところはないな』とか言っているが、それは些細な問題だろう。

「さて」

ひとしきり笑い終えた混沌は俺の群れを叩き潰すのを止め、両手を広げてお手上げのポーズを取った。
少なくとも、先ほどまでの様に話の流れで戦闘を行うつもりも無いようだ。

「僕はトラペゾヘドロンに囚われてお役御免。これで無限螺旋は解け、世界は開放された訳だけど」

言葉の内容は明らかにこいつの計画が頓挫した事を意味していてが、口調に陰りはない。
そもそも、必ずしもこの無限螺旋に存在するこいつが計画を成功させる必要はないし、原作的に見ても、このリアクションに不自然な点は無い。
だが、違う。

「何が言いたい」

「んー……、実は君さ。解って言ってるよね、それ」

「そりゃ、勿論」

肉体の感覚とリンク。
マスターテリオンのモノローグの通り、混沌と融合した俺の肉体は神々の庭に飛ばされてしまっているようだ。
このクッソ汚い邪神さんは彼ら、彼女らにとって『大して珍しくもない』のか、知性のないケダモノ同然の神々はあまり反応を示さない。
いや、俺という不純物を核にしているのは珍しいらしく、幾つかの名も知れぬ神が、俺の知りうるものとはかけ離れたコミュニケーション方法で持って接触を行おうとしている。
が、この混沌が知性を司っているというだけあって余り深く物事を考えている訳でも無いらしい。
少なくとも邪神世界基準では害を加えるつもりはないようだ。
リンクを切断し、再び混沌に意識を向ける。

「そっちこそ、抵抗しないのか?」

抵抗、一方的に殲滅されている俺が言うのはおかしいだろうか。
俺もある意味では抵抗していると言えるのだが、あちらが俺の肉体を奪還されないように抵抗しているのも確かだ。
あちらもあちらで全能存在、しかも、俺には決め手がないので、俺が有利という訳では決して無いのだが。

「してもいいんだけどねー。……多分、意味はないんだろう?」

砕けた口調で応じる混沌。
その言葉の通り、戦意は欠片も感じられない。

「そうか? そっちは仮にも2次多元+5α偏在存在で、しかも任意全能に時間無視まであるし、やり続けてればその内勝てるだろ」

少なくとも、俺ならそうする。
今この場で見える材料から判断すれば、どちらが勝負を制するかは未知数だ。
混沌の全能を行使できないとはいえ、このオサレ時空において俺は思考や存在の書き換えを食らう事はない。
かといって、混沌にした所で、俺の持つ力だけで妥当出来るような存在でもない。

見上げる先で、混沌が星ほどもある身体を揺すり、肩を竦めた。

「悪いけど、『何時唐突に未知の力を発現させたり』『誰かの応援が聞こえて起死回生の一撃を放ったり』しそうな相手とは戦いたくないのさ」

なるほど。
こういう、半ば以上メタ時空に足を突っ込んでいる存在からすると、

―――――――――――――――――――

「ああ……視えているのか、ナイアルラトホテップ」

巨神の容をした混沌が、卓也の群れを見下ろす。
炎える三つの瞳は、

「お前の眼にも……この『主人公補正』が視えるか」

全ての卓也に重なるように存在する、自分と同質の気配を捉えていた。
圧倒的な密度の業子(カルマトロン)の渦。
運命を容易く捻じ曲げるだけの力。
神そのものが味方している方が、まだ戦う気になれるだろう、絶望的なまでの運命力。

「世界を弄ぶ、神(創作者)の意思。この世を結末へ誘う筈だった力。 ……そんな力、いつの間に手に入れていたんだい?」

少なくとも、この内面世界に来るまで、そういったものとは無縁だった。
トリッパーである三人はあくまでも代演であり、有り得ることの出来なかった、この世界の本来の主人公の所有するそれを所持する権利は持ちあわせて居ない。

「こつこつこつこつ、毎周毎周こまめに会いに行って、地味に距離は縮まってるんだ。そういうものが重なる事も有り得るのさ」

姉さんの受け売りだけど、と続ける卓也。
内心でなるほど、と頷く。
代演であれ、本来そこに居るはずだった主役と同じ動きをすれば、周りもそれに合わせ始める事もあるだろう。
しかも、無限螺旋という世界は同じ時間の繰り返しだ。
例え、どれほど代演と元主役の正確や行動形式が違ったとしても、重なる部分は自然と生まれてくる。
それでいて、これの姉は本人に知らせる事もなく露骨に誘導していた。

「でも、ようやく自覚したんだねぇ……」

しみじみと感慨に耽る。
魔導書として取り込まれ内部から見ていても、卓也の気づかなさにはやきもきされていたのだ。
たとえそれが、主人公補正を上回る程の世界の修正力が起因であったとしても。

「さてね。精神が主体で、なおかつ外の世界からほぼ完全に隔離されたこの世界だから自覚できてるけど、復帰したら、主人公補正とあの人の正体は確実に認識不可に戻るんじゃないかな」

そっけなく返す卓也。
どうやら、主人公補正にも、それを与えた元ヒロインにも余り関心はない様だ。
だが、それはいけない。
恩を恩で返せなんて言うつもりは無いが、それでは余りにもドラマとして盛り上がりに欠ける。
少なくとも、感謝の心を感じる程度には留めておきたいところだ。
取り込まれ、この青年の一部に還元されたとしても。

「じゃあ、そろそろいいか? 戻るなら戻るで早くネタバラシしてあげないと、話がややこしくなりそうだし」

いつの間にか巨神の姿の混沌は、その首から下までを無限に増殖し続ける卓也の機械巨神によって完全にホールドされていた。
代表して意思を言葉にしている卓也からは、この場に落ちてきた時の様な狂気じみた敵意も感じられない。
このまま大人しくしていれば、特に何事も無く完全に取り込まれるだろう。
全能の力を用いて抵抗しようとも思えないし、思ったとしても出来ない。
既に卓也を乗っ取っていた存在の八割方が、卓也の逆侵攻を受けて取り込まれてしまっている。

「ああ、構わないよ。どうせ、約束は果たしてくれるんだろう?」

補正の力か、それとも卓也の言うとおり、取り込み損ねた時点で取り込まれかけていたのか。
それは最早確かめる事もできないのだが。

「姉さんに聞いてくれ、と言いたいけど、姉さんは約束を無碍にするような人じゃないよ」

──ああ、それならいいや。
──消えて無くなるわけでなし。
──稀の結末、人間ごときの一部というのも、乙なものさ──

意思を出力する権利すら剥奪され、混沌が薄れていく。
消えゆく意識の中、混沌の眼が確かに捉える。

それは、立ち去る卓也の背に寄り添うようにして浮かぶ、万物の母の姿。

慈愛すら満ちた微笑みを向けられ、今度こそ本当に、ナイアルラトホテップの意思は消滅した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

深遠。
深淵。
果てない、限りない星々の海。
静かに瞬く天の川を、マスターテリオンは何時までも見つめていた。
この宇宙(ソラ)は、この宇宙の裏側に潜む怪異は、永劫に渡って、マスターテリオンを怯えさせてきた。

だがその恐怖も、今はもう無い。

「余は……」

生き残った。
邪神を打ち倒すことで、自らを捉え続けていた恐怖を振り払い。
自由を得たのだ。
終わることすらなく、変わることすら出来ない繰り返しから抜けだした。

「卓也……」

その事実だけを総てにすることは、マスターテリオンには出来なかった。
失ったそれは、きっと、これからの時間でも得難い、大切な、必要になる何かだった。
黙り、しかし口を閉じることもなく、星々に見蕩れる。
意味のない行動。
地球に戻るのでもなく、どこかに向かうのでもない。

だが、この時間はとても尊いものなのだと理解できた。
それはジョークの様に、意味が無いのが上等なのだ、と。
意味なんてなくても、この光景には確かな価値がある。

「……っ」

喉から出掛かった言葉が詰まる。
目の前の安らぎすら感じる光景に、唯々見蕩れながら。
マスターテリオンは、素直にその感情を認めることが出来なかった。
それを得る権利を手にしても、使う気が起きない。
それは、苦楽を共にした兄妹と、分かち合いたかったものだから。

茫洋と広がる星の海を眺め……ふと思う。
これから、どうするべきなのだろうか。
リベル・レギスは動く。エセルドレーダも健在だ。
昔は、解き放たれたらやりたいことがあった気もする。
だが、今は、何をする気も起きない。
いっそこのまま、この場所で何時までも星を眺めていようか。
次の永遠が始まっても、次の次の永遠が始まっても、何をするでもなく、星を見続けていようか。

それも悪くないと、思った。
最早、彼を脅かすものは何もない。
時か世界か、この身と魂のいずれかが朽ちるまで、この平穏は続くのだから。

そうして、何時までも何時までも宇宙を彷徨い、果てなき旅の果てに……何時か、地を照らす星になろう。
未だ見知らぬ星の天に輝き、希望や、夢想や、創造を齎せたのなら──

《まぁ、宇宙の魅力と比べられると大っぴらに主張できませんが……地球も悪い場所じゃありませんよ、大導師殿》

──不意に、声が響く。
リベル・レギスを介した、鬼械神同士の通信。
聞き慣れた男の声だ。

「っ」

生きていたのか、そう問うよりも早く気付く。
彼は邪神に取り込まれて、邪神と諸共に輝くトラペゾヘドロンの中に封印された筈だ。
そして、トラペゾヘドロンに封印されたが最後、高位の邪神といえども脱出は不可能。
この声の主は何者か。
大導師と、黙してサブシートに控えていたエセルドレーダに緊張が走り、

《何しろ、地球には姉さんが待っていますからね。それだけでアトリーム含む有象無象の有人惑星など塵芥も同然ではありませんか。いえ、むしろ塵芥確定です。ふむなるほどそうですか大導師殿も賛同して頂けるとは流石いい歳こいて悪の組織の大首領なんてやっているだけあって話が解る。褒美としてPCをVistaに変えてから動かなくなったソフトを何本かお譲りしましょう、姉系以外で》

脱力する。
これは間違いなく卓也だ。
単純に言葉の内容だけではない。
端々から漏れ出る姉が好き過ぎるこの雰囲気、邪神ですら擬態できないだろうと確信できる。

《正直に言えば姉さん除くあの地球の殆どが塵芥か兎の糞みたいなものなんですが……》

一息の間を入れて紡がれた言葉に合わせるように、マスターテリオンは宇宙の中に一つの気配を見つけた。
漆黒の鬼械神──少しだけ形の変わった、卓也のアイオーンだ。
シャンタクを羽撃かせ、エーテルの輝きを背にしたアイオーンが、誘うようにリベル・レギスに手を伸ばす。

《悪くない星だと思いませんか。帰りたいと思う程度には》

「あぁ……そうか、そうだな」

きっと、そうなのだろう。
マスターテリオンは自覚する。
自分は追い立てられる余り、見て来なかった物が沢山あるのだろう。
だからこそ、戻ろうとも思えなかった。
なら、あの星に戻るのも悪くないかもしれない。

星になるのと同じように、ゆっくりと、焦ることなく、世界を見て回ろう。
何時か、この生まれ持った性質が、暗闇の路へ引き戻そうとも。
それまでに、見つけられるかもしれない。
帰るべきだと思える場所を。

「帰ろう……家へ……」

嘗て在り、もう在りはしない筈の、我が家へ。
マスターテリオンではない、余の、僕の、生きていた場所へ。
どれだけの時を経たとしても、例え辿りつけず、旅路に力尽きたとしても。
帰ろう。

《ええ、帰りましょう、大導師殿。地球へ、そして──》

伸ばされたリベル・レギスの手を掴みながら、卓也のアイオーンは頷き、

《──無限に続く螺旋を、再び回し始めましょう》

三眼に、炎える様な輝きを走らせた。

―――――――――――――――――――

やー、良かった良かった。
やたら黄昏てる雰囲気だったからやんわりと帰還を促したけど、どうやら上手いこと話が進んでくれたらしい。
これで大導師がエセルドレーダと抱き合ってしっとりラブい感じになってたりしたら『さっさと戻ってループ回そうぜ!』なんて言えないもんな。

地球まではかなり距離があるけど、まだ決闘用の流れからは抜けてないし、適当に彷徨いてればアリゾナに飛ばされてくれるだろう。
あー、でも、この場合俺はどのタイミングに落ちるんだろうか。
仮にもこの流れに巻き込まれてる訳だし、まさか同じ時代に落ちるはめになるのか?

《何を……言っているのだ? 貴公は》

適当な時空の歪みまで見送ったら離脱しようかと考えていると、通信越しに大導師の震える声が聞こえてきた。

「はい?」

リベル・レギスを先導するために掴んでいたアイオーンの手が振り払われる。
何かこれまでの流れで、説明しなければならない部分はあっただろうか。

《這いよる混沌は封印され、この宇宙は改変されてクラインの壺ではなくなった。……無限螺旋など、もはや何処にも存在しない。そうだろう?》

…………。
むむむ。

「ええと、ですね、大導師殿」

これはしまった。
なんというか、まさか、大導師殿がそこまで楽観的だとは。
俺が与えた情報を悲観的に分析すれば、この流れはしっかりと理解できる筈なのに。
こんなに俺と大導師の間で意識の差があるとは思わなかった……!

「それ、なかったコトになりましたんで。この宇宙、無限螺旋続行、邪神生存ルートです」

アイオーンには動きをトレースさせず、額に手を当てながら告げる。
これは厳然とした事実なのだが、間違いなく大導師は納得しないだろう。
大導師が俺たちの話しを楽観的に聞いていたのだとしたら、今回の結末を予想する事は出来ない筈だ。

《待て、確かに余はこの手で宇宙を作り替えて、邪神を放逐した。……輝くトラペゾヘドロンには、その力が存在したし、そうなったではないか》

何か、鬱屈としたものを堪えている人間独特の、底に何かをため込んでいる最中の様な情感を感じさせる大導師の声。
リベル・レギスも大導師の意思に合わせ動くことで、身振りを交えた熱弁に成っている。

「ええ、世界改変能力は確かに行使されましたし、宇宙も生まれ変わりました。邪神も封印されました。……でもですね、大導師殿」

なるほど、確かに、思い返せば俺も説明不足な部分があったかもしれない。
初期段階、大導師に対抗できなかった頃は情報を制限して少しでも自分を有利に、とか思って情報を渡していた気もするし。
何より、原作をプレイしていれば思い当たる輝くトラペゾヘドロンとナイアルラトホテップの相性なんて、途中から徹底的にナイアルラトホテップに避けられていた大導師では思いつきもしないか。

「混沌は『輝くトラペゾヘドロンを上回る権限で宇宙を作り替え』られますし、『封印されても、わりと簡単に抜け出せてしまう』んですよ」

思い出して欲しい。
デモンベインの原作では、自在に輝くトラペゾヘドロンを操っていた大導師の元に、ナイアルラトホテップは気軽に足を運んでいた筈だ。
そして、デモンベイン世界では世界唯一みたいな扱いだったが、元をたどって純正クトゥルフ神話世界においては世界にそれなりの数存在するアーティファクトに過ぎない。
いや、それ自体は問題ないのだが、その効果に問題がある。
この輝くトラペゾヘドロン、『ナイアルラトホテップを召喚するための』アーティファクトなのだ。
だが、何故かこの世界では無数の宇宙の屍を積み上げて生贄に捧げ続けて邪神の住まう真の宇宙を封印する~などという大層な物体になってしまっている。

これらを踏まえた上で、ナイアルラトホテップ自身の能力、経歴を少し挙げてみよう。
代表的な能力として、世界改変能力を持つ。
そして、あらゆる邪神の中で、唯一旧神による封印を免れた邪神である。

世界を作り替えられても上書きして作りなおすことができるし、封印されたとしても、ナイアルラトホテップだけは素通りで封印から逃れる事ができる。
……つまり、だ。
ただの、融合する前の単独招喚の輝くトラペゾヘドロンによる敵対行動は、ナイアルラトホテップにとって、総て痛くも痒くもないのではないだろうか。
いや、あえて言おう。

「というか、取り込んだ邪神の力で世界は再び螺旋状に作り変えましたし、封印も簡単に抜けさせてもらいました」

実証できてしまったのだから仕方がない。
結論として、輝くトラペゾヘドロンも、未完成状態ならナイアルラトホテップ程度の力で対処が可能。
目的は本人の語る通り、内部に封じ込められた宇宙と邪神の開放だけなんだろう。

《やはり、貴様は……!》

当然の様にフルオートで激昂するエセルドレーダ。
もう完全に敵対ルートに入ってしまっているが、何か致命的な勘違いをされている気がする。
あんな姉愛すら理解できないような出来損ないの神と一緒にされても困るのだけど。
後腐れもないし、説明は適当でいいだろう。

「俺は俺で、あの混沌とは別枠なんですが……まぁ、それでも構いませんよ」

こうなった以上、もはや大導師殿に利用価値は無くなった。
西博士との親交が作れなくなるのは痛い気もするが、これ以上あそこで学んでも頭打ちだろうし。

《……騙していたのか》

地の底から響くような、僅かに揺れる大導師の問い。

「人聞きが悪い。輝くトラペゾヘドロン……ああ、大導師殿単独で召喚する不完全版でない方ですが、それが邪神に対抗する唯一の鍵だってのは嘘ではありませんよ」

宣言通り、内部から援護して混沌を相手に『輝くトラペゾヘドロンを使わせて』やれたし。
無限螺旋を抜けるために必要な条件も示したし、大十字を鍛えるための方法にしても嘘は一つも付いていない。

「初期に交わした契約は、総て履行しました。……こう言ってはなんですが、契約の内容に深く追求をしなかったそちらの手落ちかと」

せめて、大導師が『余だけでかの邪神を征し得るのか』とか聞いてくれれば話は変わっていた。
そう聞かれれば、俺だってやんわりと『身の程を弁えろ』と忠告して詳しい説明ができたのに。
これだから、詳しい内容よりも交わす言葉の雰囲気を重視する輩はいけないのだ。
プロスペクターさんを見習って欲しい。
彼なら詳しい契約内容を文章に纏めるように言うだろう。
まぁ、幾ら元エリート大学生とはいえ、中退して秘密結社とか作っちゃう人だからなぁ……。

《裏切ったのか……?》

リベル・レギスから、はっきりとこちらに向けられる攻撃的な魔力。
いや、向けられているというか、漏れだしているというか。
感情を制御しきれていない弊害か、無限の心臓からただ無尽蔵の魔力が溢れだし、大導師の意思の力で変質させられている。

「裏切っちゃいないんですけどね……最初から、味方になった覚えもありませんし。ほら、持ちつ持たれつ、みたいな感じの契約だったじゃないですか」

しかも、俺の方が得る利益は総て自助努力によって発生したもの。
裏切り者呼ばわりされるのが不本意だとは言わないが、裏切る裏切らないという話に発展するほど、親しくしていた訳でもなし……。
これなら度々ベイブレードで対決する場面のあったクラウディウスにでも言われる方がまだ納得できる。
例えばそう、『お前、爆丸派かよ!』とか。
クラッシュギア派に決まってるだろこの馬鹿! と返してやるつもりだが。

《五月蝿い! 裏切ったな! 余の気持ちを裏切ったな!》

精神的に酷くナイーブな少年の如き、悲鳴にも似た絶叫を上げながら、リベル・レギスが出鱈目に魔術の構成を編み上げる。
それは攻撃的な意思を込められながら、あやふやで不確定で、定まらない思考のままに組み上げられていく。
避けるのも大人気ない気がするが……避けるべきなんだろうか。
害は有りそうな無さそうな、半端な感じだ。
複雑に絡み合った術式。
それを手に握りしめ、リベル・レギスが突撃してくる。
避けられない速度ではないし、せっかくだから避けておこうとも思うのだが……

(避けられない? いや、命中する時間と空間がここに割り振られたのか)

何の偶然だろう。
大導師殿はここに到り、とうとう父親から受け継いだ力を発現させたのだ。
時空連続体の外に存在し、あらゆる時間あらゆる空間に同時に存在し干渉可能である、邪神『ヨグ=ソトース』の力。
これ以降に再現が可能かすら怪しい、原初の邪神の力を色濃く残した魔術。
しかし、それだけに何が起こるか知れたものではない。
時間か空間、もしくはそれに付随する運命にまで干渉するかもしれないというのは解るんだが。
いや、そこまで範囲が広いと、とてもじゃないが解るなんて言えたものではないだろう。

《貴公はここから、ここから!》

振りかぶられた術式を見つめながら、俺は思った。
何処かの時代に飛ぶなら、せめて今まで視たこともない様な光景を見てたいものだ。
例えば、そう頭の中に見てみたい時代の候補を思い浮かべた所で、俺に『術式が命中した未来』が押し付けられ──

《ここから、居なくなれぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!》

キャラ崩壊を起こした大導師の叫びを聞きながら、俺はこの時代から追放された。








続く
―――――――――――――――――――

主人公「(`・ω・´)ジャシーン!」

以上、一行で解る第七十一話でした。
非常にわかり易かったですね。

自問自答コーナーにすら出来ない注釈が長いんで、あとがきは巻いていきますよー。


本編で説明しきれなかった設定の注釈コナンズヒント。
・クロックワーク・アイオーン
アイオーン特徴『黒い(全ての色が混ざり合った混沌)』『他の鬼械神に比べて術者を殺しやすい(アル・アジフを精神的に追い詰め成長させる)』『目が紅い(灼眼)』『さいきょー(デバッグ用最強データ)』
アイオーンとはつまり、ナイアルラトホテップのデータを元に召喚され、なおかつ密かにナイアルラトホテップの意図を組んで稼働する特別な鬼械神。
アルとか九郎とかそれ以前のマスターが不甲斐なかったりすると、オートでさり気なく補助してくれる良妻賢母系鬼械神。
しかしお駄賃として使用者の命をギリギリまで要求して最後には破産させる。
異存気味な割に切り替えの異様に速いメンヘラ的な性格。嘘。
ロボットだからマシンだから、そんな意図は一切ない。総て邪神の仕業。
とっても優秀な鬼械神ですよ!
ぶっちゃけた話、ぽっと出のクロックワーク・ファントムよりも余程チクタクマン要素が大きいと思ったのは自分だけでは無い筈。

・洩れ出た異世界
主人公が魔法の存在しない世界でネギま!魔法を使おうとすると精霊が一時的に発生するという現象の正体。
トリップした先で何らかの技術を習得した場合、トリッパーはトリップ先の世界、及び世界法則の一部をその身に取り込んで行くことになる。
一部というのが曲者で、これによってデメリットが消えたり、原作とは異なる仕様になる危険性が存在したりもするらしい。
対して主人公は基本的にトリップ先で技術を習得すると同時に、その世界を構成するパーツを直で取り込んでいく為、設定の齟齬を少なく、より多くの要素を取り込む事ができる。
金神の記憶らしき物があるのもその御蔭。
なお、金神の故郷の話は原作で一切触れられていないが、そこはそれ、この作品が二次創作である事を忘れてはならない。
きっとこの世界ではニトロ内部の隠し設定とかでそんな世界が存在したのだろうと思われる。

・最小単位が存在しない
フラクタルでwiki見れば幸せになれる。
時間、空間的に超越存在であるナイアルラトホテップの一部になることで、最小単位に虚数も含まれる様になった。
ぶっちゃけ、存在していない=虚数として存在している、という屁理屈による消滅攻撃耐性。
取り込まれた時点で一度完全消滅しているとも取れるが、主人公的に細胞云々連続性云々よりも『完全状態の鳴無卓也(自分)のデータ』が存在し復元可能な状態が=生存という感覚なので、データが復元されるのであれば短時間の消滅は許容範囲内。
むしろ最小単位云々に『記憶に擬態した主人公』を組み合わせる事で『彼は皆の心の中に生きてるんだよ……』された瞬間に他人の記憶に刻まれた主人公の断片データから自己再生可能であるかもしれない事の方が重大。
軍神強襲の火星人侵略作戦と組み合わせる(相手の脳内にラジオなどを媒介に音声データとして主人公のデータを一部送り込み、そこから自己修復させて無限増殖&頭脳侵攻)と極悪、とても主人公が取っていい戦法ではない。
でも今後の展開でそこまで主人公がダメを受ける事もないと思う。

・クトゥグアの招喚
火の加護とかお告げとか言ってチャーハン作ってた辺がさり気なく伏線アピールだった。
あとセラエノ大図書館でさりげにニャルさんに検閲されてないクトゥグア(真)のデータを獲得済み。
ニャルさんは記憶に検閲を入れていたが、あくまでも削除ではなく思い出せない、認識できないという方向性のものである(原作でもトラペゾ発射直前にアルアジフが検閲から逃れている)為、封印、誘導されていた『記憶そのものである鳴無卓也』の中には生データで残っていたって話。
威力増しましというか、ニャルさんにガチでダメージを与えられる。
が、主人公がナイアルラトホテップとしての権能を使用している最中に招喚したら間違いなく自爆する。

・主人公補正
今回の邪神を取り込んだりなんだりの展開は総てこれで説明がつく。
トリッパーが本来持ち得ない、持ち主を取り込んでも手に入らないタイプの特殊能力。
強弱も方向性も様々だが、古今東西ありとあらゆる主人公が持っている。
生まれなかったオリ主が物語中で取るはずだった行動をトレースする度に、徐々にトリッパーに付与されていく。
通常の二次創作世界で取得するのは難しいが、同じ場面を何度も繰り返すループ作品の二次創作であれば、最終的にはほぼ確実に取得することになる。
が、ここの主人公はシスコン過ぎて元主人公の行動をトレースしない可能性が在ったため、安全性を高める理由もあり、主人公は姉によって行動を誘導されていた。

正確には『絶対に勝つ為の力』ではなく、『絶対に物語を進める力』に分類される。
実の所、元執筆者である千歳はバトルではなく他の分野をストーリーのメインに据えようとしていた為、これを受けている限り戦闘で主人公が消滅させられる事もない。
なお、ラスボス補正とのかみ合わせは抜群であり、相手が強力であればある程主人公補正による勝利確率は上がっていく。
ニャルさんが割りとあっさり引いたのは、半メタ視点を持つが故に『どう足掻いても負け、ストーリーを進められる』と本能的に理解してしまっているから。
因みに、その世界(物語)の主人公に与えられるモノであるため、元の世界に帰還すると同時に付与された主人公補正は消滅する。
ぶっちゃけこの作品のタイトルを見れば解ると思うが、付与されるまでもなく、元から過剰なまでに添付されていると見ていい。

・背に寄り添うようにして浮かぶ、万物の母
次回から暫く連続で出張る。
クライマックスフェイスでスポットが当たるのはこの人。
前述の主人公補正は大概この人周りから手に入れている。
万物の母、いったい何ラス亭の美人店主なんだ……。

・裏切った、裏切ってない
力を貸すという契約はしているが、仲間になるとも友になるとも明言した事はない。
認識の違いというか、主人公に対してそういう感情を抱かせたければ『姉、サポAIと長期にわたって完全に引き離し精神的に弱らせる』『ある程度好感度を地道に上げた上で、すかさず弱ったところを慰める』という面倒な条件をクリアしなければならない。


次回は、次回こそはまともな早さであげられると思います。多分三週間くらいで。
大丈夫大丈夫、まだエタらない……。

そんな訳で、今回もここまで。
誤字脱字の指摘、文章の簡単な改善方法、矛盾している設定への突っ込み、その他諸々のアドバイス。
そしてなにより、このSSを読んでみての感想など、心よりお待ちしております。






邪神の力に目覚めた大導師の術式により飛ばされた時代、卓也はそこで思わぬ存在、思わぬ人物に再会する。
次回、原作知識持ちチート主人公で多重クロスなトリップを、第七十二話。
『シュブえもん卓太のカンブリアンQTS~古の偉大なるポリプの謎~』
化石になっても──あなたを放さない。

お楽しみに。



[14434] 第七十二話「地球誕生と海産邪神上陸」
Name: ここち◆92520f4f ID:81c89851
Date: 2012/08/15 02:52
諸々の詳細を省いて、結果だけを言おう。
怒りとか何らかの補正の力で一時的にヨグ=ソトースの力に覚醒した大導師の一撃を受け、俺は時空の狭間を彷徨っていた。

「ううむ」

大導師の破れかぶれな一撃でシルエットを崩したアイオーンを体内に格納し、人間形態で両腕を組み、思考を走らせる。
一説によれば、時間というものは人間の持つ知性と呼ばれる世界に対する知覚法の一種によって定義されているだけのものであり、実際には存在していないのだという。
存在していない、というと語弊があるか。
要するに、人間が正しいと判断している時間の在り方というのは、あくまでも人間にとっての正しさでしかないという事だ。
以前に機械巨神を取り込むために完全融合した時に視た世界線と時間の流れも、あくまで俺の人間としての知性を元に映像化されたものに過ぎない。

今現在、俺は時空の狭間にある。
これは文字通り様々な時間と空間、世界と世界の間の事を指す。
此処は完全に無限螺旋の外側だとも言えるし、ある意味ではここも無限螺旋の一部にしか過ぎないとも言えるだろう。
そして、ナイアルラトホテップとしての力を取り込んだ事で、俺はいわゆる管理者権限を用いて、この流れから外出することも可能。
……に、なる筈なのだ。本来ならば。

目の前に広がる時空の狭間、解りやすくこの光景を言語化するとすれば、ドラえもんのタイムマシン移動中といったところか。
長さも本数も出鱈目、回る方向も不規則で不安定な歪んだ時計の形をした時間、極彩色の蕩けるような泡に似た世界の群れ。
それらが織りなすトンネルを、俺は『真っ逆さまに前進』させられている。
トンネルの何処かに手を伸ばして干渉すれば、無限螺旋とは関係ない世界にも届く筈なのだが。
如何せん、ナイアルラトホテップと同格の神、ヨグ=ソトースの力が変に作用しているらしい。
俺の進行方向はどうしようもなく一直線で変化が不可能。
高速で駆け抜けている為か、世界を構築する泡の輝きだけが流れ、眼に焼き付く。
やることのない現状だが、この光景は嫌いではない。
見ていて飽きないとまで言うつもりはないが、気分が高揚する光景であることは確かだろう。
思わず唄でも歌いたくなる様な美しさだ。

「みあーげるーほしー」

しかし、それぞれの歴史が輝いてるのはいいんだけども、それに一向に手が出せないのはなんという生殺しであるか。
強いて言うなら、システム的にはインパクト形式でシナリオをある程度自由に選べるのに、何故かどれを選んでも道順のシナリオが選択されている感じ。
運命干渉、世界書換のどちらを使ってもこの現象を解除できない。
この現象がヨグ=ソトースの力によるものであれば、同格のニャル権限で多少なりとも修正が効くかとも思ったのだが、ビクともしない。
ここが運命の存在しない世界の外であるからか、ニャル権限でも操作出来ないような強制力が働いているのか。

最悪、何処かの世界の何処かの時間にたどり着くのは間違いないから、そこから復旧すればいいんだけど。
落ち着かない。
せっかくほぼ全能な力まで手に入れたというのに自らの行き先すら把握できないとは。
これが電波少年の企画に巻き込まれた芸人の気持ちだとでもいうのか。
次の駅が過去か未来かさえ分かれば、多少なりともケツが落ち着くんだが。
このぶっ飛び方からして、余程遠くの未来か過去にたどり着く、というのは何となくわかるが。
未来でグレート・ウォーとかあって面白そうだし、行くならやっぱり未来かな?
今更外伝小説の時間軸に落とされてもやること無いし、クトゥルフ神話の過去地球とか、混沌としてるにも程があるからなぁ……。

「お」

強制力が緩まりそうな気配。
そろそろこの時空の狭間から抜け出せる気がする。
虹色の泡の煌きが遠く色を失い、粒に、模様に、点としてすら認識出来なくなるほど遠くへと離れていく。
歪んだ時間も俺の知る限りの正常な形に整い始めている。
全体像を顕すなら、トンネルの彩度が際限なく上がり、光の中に落ちていくような光景。
ヨグ=ソトースの力からの干渉が弱まり、一定の時空に定着しようとしているのだ。
何処の何時に出るのだろうか。
とりあえず、現状の俺が取りうる最強形態として、アイオーンをベースにチクタクマンとしての力を全面に押し出した形態へ移行。
機械・科学を下地として存在するチクタクマンは俺との相性も抜群だ。
この形態を取っていれば、並のナイアルラトホテップであれば十数、数十相手にしても、分身合戦や無限増殖を込みで考えても余裕を持って勝利できる。
これで、余程の事が無い限り、安全に対処できるだろう。

トンネルが解け、泡が弾け、時計のゼンマイがキリリと音を立てて巻かれる。
狭間から抜け出し、空間が固着し、時間は正常な形で運行を始める。
通常空間へジャンプアウト、カウント開始。
2、1──

──0。
―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

肌に触れる大気を実感し、俺は初めて正常な時空に辿り着いたのだと理解した。
邪神の、機械の甲鉄(はだ)にすら生暖かい、濃度の高い二酸化炭素。
気圧も尋常ではなく高い。人間なら大気成分云々で呼吸が出来る出来ない以前に、ここに出た瞬間に下手をすれば死んでしまうのではないだろうか。
……死ぬ、かな? 人間の改造は手慣れたものだが、お陰で素の人間がどれほどの気圧で死ぬか生きるかは意識の外にある気がする。
まぁ、機械の神たるこの身からすれば誤差程度のものなのだが。

だが、鬼械神と一体化しているのではなく、普通にロボットに乗り込んでいたのなら話は違っただろう。
こうして機械の身体で居るから気にならないが、気温だって蝋燭の青い炎程度には高い。
スーパーロボット系の連中ならいざ知らず、下手なリアル系の連中など連れてきた日にはコックピットの中で蒸し焼きに成っているところだ。

目(メインカメラ)を開く。
目の前に広がるのは荒涼とした砂漠でも荒野でもない。
それは朱く煮え滾る原始の海。
視界を分厚く遮るのは高濃度の蒸気で、この惑星の重力圏一杯に広がっているようだ。
透視能力を使わなければ、数メートル先の視界すら確保できない有様だ。

未来か、過去か。
それは解らないが、ここはどうやら産まれたての惑星であるらしい。
少なくとも、死にかけの惑星ではこの生命力ですらないエネルギーの海練を味わうことは出来ないだろう。
空を見上げれば、そこには薄っすらと消えかけている、塵とガスで造られた巨大なリング。
そして、その中心に形成された巨大な衛星……いや、恐ろしく近い距離に浮かぶ衛星。
天の光はどこか心もとなく、あの空の恒星もまた、この惑星と同じく産まれたてであるのだろうと理解できる。

目を凝らし、星の並びを確認する。
覚えがある並びとは大きく違うが……面影があるようにも思えた。
サイトロンを使い、未来の情報を手元に手繰り寄せる。

この惑星がもう少し冷えた後の出来事。
大気が冷却され、大気に充満する水蒸気は雨となり、雨はマグマの海に降り注ぎ蒸気となり、蒸気はすぐにまた雨として降り注ぎ、煮え滾るマグマの海を冷やし、固めていく。
それは終わりのないループのようでいて、終わりの約束された循環だ。
かつて慣れ親しんでいた隣人にして憎むべき敵とも言える熱力学第二法則に従い、次第に雨が蒸気に返る速度は減速し、マグマの凝固した大地にはシアン化合物やホルムアルデヒド、アンモニア、硫化化合物、窒素化合物、炭素化合物が溶け込んだ水が溜まり始めた。
あまりのも毒々しい成分。命の生まれるような環境ではない。

毒の噴出したマグマが冷え固まった小さな火山島と、それを遥かに上回る面積を占める毒の海。
そこに、再び多量の隕石が降り注ぐ。
降り注いだ隕石はその大半が海に落ち、無数の鉱物の元、炭素やアミノ酸を溶かしこんでいく。
解け出した隕石の成分、絶妙な位置に浮かぶ歪な衛星から受け取る重力が、荒れ狂う雷が作用し、この毒水の海に生命が生まれる。
神の御業ではない、全くの偶然、誰に望まれる訳でもなく、何の意味すら含まずに。
全くの無力、無価値な命。
異能一つ持つことなく、イタズラに増え続けることしか出来ない命の最低単位。
サイトロンの届ける奇跡のような光景に、ガラス質のレンズに涙が溢れる。
確かに、確かにこの原初の海から、命が生まれたのだ。

サイトロンはなおも俺に未来を見せる。
漠然とした、この惑星の全情報を届けていた予知は、補足した最初の命を起点に情報に制限を掛け、加速。
駆け巡るのはこの星の歴史ではない。
この惑星の表面を這いずり回ることしか出来ない生命の歴史。
原始的な、最低限の機能すら危うい単細胞生物だったそれらは、突然変異を、環境適応を繰り返し、はたまた、何ものかの手を加えられ、
俺の良く知る、地球人類へと辿り着くのだという。

「おお……ここが、地球」

新しい命の星の誕生だ! ハッピーバースディ!
つまり、現在地は超古代……それも、まだ微生物どころかまともな海すら形成されていない様な段階の地球なのだ。
なんとも、なんとも可能性に満ち溢れた時代に辿り着いたものではないか。
降臨者(ウラヌス)みたいなのが居ないのが不満といえば不満だが、まだ未来の総てを見通した訳ではない。
何しろ、俺は無限螺旋という軛から半ば解き放たれ、こうして過去の地球に降り立つ事ができたのだ。
元の時代に戻って無限螺旋を回すにしても、来ようと思えば観光気分で時空を越えて探索に訪れる事も不可能ではない。
無限螺旋の中でやることが無い訳ではないが、正直、あの時代は出涸らしと言っても過言ではない。
姉さんとの生活や美鳥とのじゃれあい、序にシュブさんところでの料理談義や趣味悠々な時間を除けば、総てのことが色あせ始めていたと言っても良い。

「……」

なんだかそわそわしてきた。
地球を過剰に加熱して溶解させたことは幾度と無くあるが、地球それそのものがこういった状態で『生きて』居るのは、俺にとっても全くの未知の状態だ。
この大気の状態も、渦巻く気流も、似たような物を視たことがあったとしても、体験したことのない『未知』である。
これは、そう、元の時代に戻る前に、ちょろっと探索をやらかしてしまってもいいのではないだろうか。
ついでに、ちょっと調子こかせて貰って、原始地球のマグマとか、回収してもいいよね?

「やだなぁ……少し、ほんの少し……出来ればバイオスフィアとか作れちゃう規模、採取するだけじゃないですか……」

これだけ大量にあるなら、大陸1つ分くらい採取しても構わない気がしてくる。
取り込んで複製作って補填するから、多分害は無いし。
だが、採取よりも先に、この原始地球をぐるりと一回りしてみるのも悪くない。
無限螺旋だけでなく、これまでのトリップで得た経験をひっくり返しても思い当たらない様な状況なのだ。
帰巣本能よりも好奇心を優先させる事があってもいいではないか。

俺はそう自分に言い聞かせると同時に、透視能力を封印、センサー類も最低限のモノに切り替え、サイトロンとの接続も切断する。
せっかくの初めての光景、全て手探りで味わってみたい。
透視能力もセンサーも悪くはないのだが、蒸気を退けるという一手間を省略するのは、この原始地球を味わう上では、とても勿体無い事に思えてならない。

風を操り、蒸気を退けて視界を開く。
退けられた蒸気が結合し一時的に雨として降り注ぐも、それはマグマを冷やすよりも早く大気の熱に炙られて蒸気に還元されていく。
再び空間を蒸気が占めるよりも早く前に進み、再び蒸気を退けていく。
身近に自然を感じられない都会人などは、山道の雑草を掻き分けるにもこういった感情を得るのだろう。
野山を掛けて過ごすのが基本とも言える田舎暮らしの俺からは想像もできない境地だと思ったが……成る程、これは癖になる。
未知へ繋がる路を自らの手で開いてく感覚は、確かに胸を踊らせるに足る熱量がある。

蒸気の切れる短い時間に目に映るマグマ・オーシャンに包まれた地球の姿は、まるで細胞分裂を行う受精卵。
はたまた、生命という不純物を含まないが故の純粋な星のあるべき姿か。
目に映る何もかもが、俺の心を擽る未知で満ち溢れている。
一見してどこも同じようなマグマでさえ、流動する中に存在する無数の支流があり、混沌としたその成分は刻一刻と移り変わり一処に留まることを知らない。

霧の濃度もそうだ。
飽和状態の様でありながらやはり所々で濃度は変化を繰り返し、荒れ狂う大気は木が燃える程の熱量を含んだ横殴り、逆巻く雨を吹き散らす。

「おや?」

ふと、視界を暗闇で覆う蒸気の壁を貫き、強大なエネルギー反応を確認する。
単純な熱量でもあり、巨大な質量をも持ち、絶大な振動のようでもある超々超高エネルギー体。
追従するように、そのエネルギー体に似た小型のエネルギー塊が存在している。
これは……間違いなく、ボスとなる巨大な個体とそれに従う軍団。
知性どころか生命すら存在しない筈の地球には有り得ない存在だ。

俺は、好奇心の赴くままエネルギー体の方角に向けて飛び、霧を払う。
ゆっくりと飛んでいるつもりだが、乱気流に流されないように強く飛んでいるために加速は充分。
散発的にラムダ・ドライバで全方位に力場を形成、蒸気を吹き飛ばす。
次元連結システムは、というか、手っ取り早そうなメイオウ攻撃は使わない。
採取する分には問題ないが、貴重な原始地球の元素を無為に消滅させるのは本意ではない。
まぁ、これだけ無限螺旋の中で大量に物を取り込んだ俺が居る以上、破壊魔ママンと同じ理論で絶対に生命は誕生すると思うのだが、一応、万が一の可能性を考えれば配慮はしておくべきだろう。

《────》

《──?》

思念、とも呼べないような原始的な意思のテレパス。
誰何の声というか、ざわめく茂みに向けて吠える獣のようでもある。
なるほど、俺があちらを不審に思うと同時に、あちらも俺のことを不審に思ったのだろう。
こちらの位置情報を欺瞞している訳でもないので、多少の超能なりセンサーがあれば、容易くこちらの位置を把握出来るはずだ。
巨大な意思は不思議と沈黙を保っている、こちらに意思を投げてくるのは周囲の小さな反応のみ。

《────!》

「ほうほう、それはそれは遠路はるばる」

《──、──!》

「いえね、私も今さっきこの星に辿り着いたばかりでして」

霧越しの会話。
原始的な思念だと思っていたが、ある程度翻訳が済むと、それが誤解であることがわかってくる。
常人である俺とは思考形態が異なりすぎるため、同じ形式に当て嵌めようとすると単調な内容になってしまうのだ。
思念を簡単に文章化すると、こうなる。
さる強大な存在である彼(彼女? 普遍的な性別がない可能性もある)の主の遠征に付き合い、生まれて間もないこの星に辿り着いたが、主は余りこの惑星に惹かれる物を感じないらしい。
この銀河系の恒星にも少し立ち寄ったのだが、あの恒星は小さく幼すぎるために、やはり主の嗜好には合わないのだとか。
思念の主はとても理知的であるが、同時に激情家でもあるらしく、語り口は激しい。
何か主を楽しませるようなものは知らないか、と聞かれたのだが、残念、俺もそれを探しに行くところなのだ。

《── ──》

「ええ、構いませんよ。袖すり合うも他生の縁と言いますしね」

成る程、この従者さんの言う事も一理ある。
生命体すら存在していない未開の銀河、産まれたての惑星でこうして異種族である俺たちが出会えたのはとても素敵な偶然。
彼の主も、気さくとまでは言わないまでも、自らを崇拝する相手には加護を与える程度の慈悲は備えているらしい。
旅先で出会った旅人と、記念に顔を合わせる程度なら何も問題ないだろうとの事だ。

思念に誘導されながら霧を吹き飛ばしてく。
蒸気を吹き飛ばし、思念の指定する場所に近づくにつれて気配が濃くなっていくのがよく分かる。
この世界観で惑星そのものにどれほどの力があるかは不明だが、後に魔術師や異能者を生み出すだけの下地はあるだろうし、やはり霧自体にも何かしらの力が働いているのかもしれない。
そうでなければ、これだけの思念を放てる存在の主ともあろうものの威圧感を感じない訳がないではないか。

《────!》

もうそろそろ、互いを正確に認識できる距離に到達する。
それを感じているのだろう、思念の主も興奮気味だ。
強大な存在感、圧倒的な情報量のエネルギー塊、その溢れる余波を感じる気がする。
……しかし、熱い。暑いではなく熱い。
元からそれなりに温度が高い大気だったが、ここに来て妙に熱く感じてきた。
ふと、体感温度を正確に数値化し──目を背ける。
ここは仮にも惑星上、何故、恒星の付近に匹敵する様な温度になっているのか。
蒸気がプラズマ化しないのは何故?
マグマが気化していないのは?
感じるエネルギーの種類は熱だけではない。
高振動、引力重力辰気磁気、力という力の集合体であり、それぞれの力の窮極とも言える高エネルギー体。
俺はそれを知っている。
セラエノ大図書館で見たではないか。
チャーハンの極意の一片を授かったではないか。
加護まで貰い、混沌を退ける力添えまでしてもらったというのに。

俺はまた何かを見落として、いや、見落としをさせられている。
気付いているのに、気付いていることに気付かせて貰えない。
だから、この行動を改める事はできない。
俺は相変わらず何も知らないていで喋り思考し行動し、知らないなりの結果を受け入れるしかないのだ。

衝撃波を放ち、蒸気を払う。
決定的なまでに、それと直面する。
生ける炎、というのは、人の知識で知り得るその神性の一面に過ぎない。
単純な炎ではなく、あらゆる力の極点に立つからこそ、混沌は恐れる。

《───────────────────────────────!!!!!》

全てが限界まで振り切っているというのは、ある意味で最も統制の取れた秩序と言える。
何もかもが存在するカオスなど、薙ぎ払われてしまうのが道理というものだろう。
当然、そんな存在の前に、『ナイアルラトホテップの権能を全面に押し出した状態』で現れたのだとしたら。

「うん、こんな事になるだろうと思ってた」

炎の神性《クトゥグア》は、目の前に現れた悍ましき土の神性を、一撃の元に薙ぎ払っ

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

ざく、ざく、ざく。

土を切る音が聞こえる。
その音を聞く俺は何処に居るのだろうか。

やや朦朧とする頭を無理矢理に働かせ、直前の記憶を呼び覚ます。
そうだ、俺は古代の地球で運悪く鉢合わせしたクトゥグアに、出会い頭に焼滅されかけて……。
何が悪かったかと言えば、やはり調子に乗ってとりあえず最強装備的なノリでナイアルラトホテップ形態で居た事だろう。
これでナイアルラトホテップというか、土属性を完全に廃した形態であれば、少なくとも熱エネルギーによる破壊力は吸収してしまうことが可能だった。
やはり属性の相性は恐ろしい。
俺は虚数存在がどうとかいう部分まで、理屈抜きの高エネルギーで焼きつくされてしまったのだ。

ざくざく、ざくざく、ざくざく。

土を切る音が聞こえる。
懐かしい音だ。故郷に放置してある畑を思い出す。
だが、何故土を切る音が聞こえるのだろう。

時空を飛び越えるような感覚は無かったし、少なくともここが地球であることは間違いない。
ということは、既に土を掘る事が可能な程度の進化を果たした生物が生まれる程に時間が経過したと見ていい。
土を切る音は景気よくリズミカル、とまではいかないが、確実に一振り一振りが深く土を抉っているのが解る。

ざくざくざく、ざくざくざく、ざくざくざく。

先程よりもリズミカルで高速だ。掘削者もノッてきたのだろう。
節足動物ではこれ程までの掘削力は持てない、とは言わないが……どちらにせよ、古生代中期頃だろう。
四十億年近い居眠りとはたまげたものだが、マグマの海ですら無い、植物すら存在しない時代というのは目覚めるタイミングとしては──

ざくざくざくざくざく、ごしゅ。

思考を物理的に絶ち切らんばかりの鋭い一撃が、頭蓋を刺し貫く。
鋭い一撃、まるでスコップのよう。
俺の頭蓋骨を一撃で貫通するとは……大したスコップだ。

ざっざっざっざっざっざっざっざっざ──ぼさっ。

固い何かではなく、柔らかい何かで土を退けていく音が聞こえ、視界が開けた。
なるほど、先の土を切る音、頭に突き刺さったままのスコップ。
俺は土の中に居たらしい。

「………………」

俺は無言のまま、俺を発掘した下手人の顔を見つめる。

「────────」

目の前に居るのは、まるでひとしくん人形の様な懐かしい雰囲気の探検服に身を包んだシュブさん。
絡み合う視線。
シュブさんは気不味い表情のまま、俺に問いかけてきた。

「──怒っ──?」

「怒ってないですよ」

うん、何処に怒りを覚える要素があっただろうか。
埋まっていた俺を発掘してくれたのは間違いなくシュブさんであり、そうでなければ俺は暫くはあのまま思考を遊ばせ続けていただろう。
無為な行為だとは言わないが、それは土から脱出してからでも充分に間に合う。

「ご、──ん──い」

謝る必要なんて無いというのに、何故か身を小さく縮こませて謝るシュブさん。
なんと言うべきか、とりあえず、俺は居心地悪そうに縮こまるシュブさんを宥めるため、土の中から身体を出す事にした。
ブラスレイターのタイプ1『バアル』にデモナイズして、シュブさんに土がかぶらない程度に勢い良く俺を囲う土塊を砕く。
それは土というよりも岩に近い材質だったが、まぁ、強度的には誤差の範囲内だ。
シュブさんの目の前に立ち、頭に刺さったままだったスコップを引き抜きながら、人差し指を立てて応える。

「切れてませんよ。俺キレさせたら大したもんですよ」

ええ、切れてるのは頭部の頭蓋骨だけですよ、ええまったく。
デモナイズしたけど、これも特に意味がある訳じゃないし。
最近デモナイズしてないから、感覚を忘れてないか確かめるために試してみただけだし。
いきなり頭をちよパパみたいに切断されかけたとか、一生懸命土を掘り返しただろうことが伺える泥だらけのシュブさんの少し本数が増えた触手とか見たら、講義する気も起こせないし。

「因みにこのスコップの材質が地球上に存在しない不可思議な超物質で出来てて、これなら土どころか玄武岩でもプリンみたいに簡単に掘れるんだろうなーとか思うけど、普通のスコップなら頭には刺さらなかったんじゃないかなーとか愚考するけど、別に怒ってないですよ。ほんとほんと。あとこれ何処で買えるんですかね。ジャパネット? すっごく切れ味いいですよね」

「うぅ───めんって──」

別に詰め寄っている訳ではないけど可能な限りの至近距離から、特に目的もなく背部の装甲付き触手四本を躍動感たっぷりにうねらせながら謝らなくていいと伝えると、何故だかますます小さくなるシュブさんの姿を見て、俺は装甲の下で、特に理由もなく嗜虐の笑みを浮かべるのであった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

ひとしきりシュブさんとのコミュニケーションを楽しんだ後、改めて現状を確認。
大きく深呼吸をして吸い込んだ大気には、最初に訪れた時とは比べ物にならないほど多量の酸素が含まれており、呼吸器官が頑張って進化すれば生きていける生物も出てきそうだ。
温度は……元の時代に比べてかなり高い。
おおよそ三十度程度だろうか、細菌などがとても繁殖しやすそうな温度だ。

空を見上げる。
太陽を眺め、その速度から地球の現時点での自転速度を計算。
一日が十八時間程度か。
体内時計を再設定……完了。
これで規則正しい古代地球ライフが送れるというものだ。

「しかし、本当に何も無いな」

大気成分は問題ない、気温だって上々。
しかし、肝心の大地は本気で殺風景極まりない。
スパロボ世界の火星、しかもコロニーから離れた、テラフォーミングだけされて植林もされずに放置されている地域によく似ている。
見渡す限りの荒涼な光景。
山もある、丘もある、平野もある。
だが、それだけ。
草木なんて望むべくもない。

「他の場所ってどんな感じでした?」

念のため、既に発掘を開始していたっぽいシュブさんに尋ねる。
しかし、シュブさんはふるふると首を横に振った。

「こ──代に来──ぐに君を掘り──から、他の場──解────」

「なるほど」

如何にも『発掘しますよ!』みたいな衣装だから、既にあちこち回った後だと勝手に思っていたが、そうでもないようだ。
まぁ、あのまま放置されたら、大きな音を出せる生き物が地上に現れるまで目覚めなかった、もしくは目覚めたのに自分でも気付かなかった可能性もあるし、そこはありがたく思っておこう。

さて、活動を開始するにあたってやはり重要なのは、今は元の時代から見て何億年前であるか、という事だろう。
この世界は基本的にデモンベイン世界、ひいてはクトゥルフ神話世界観を元にして造られている訳だが、それもどこまで当てになるかわかったものではない。
ニャル記憶を探ろうにも、未だにクトゥグアにやられたダメージから回復しておらず、全能機能含めて修復には億年単位で時間が必要になるからだ。
しかし少なくとも、バクテリアや藍藻以外の複雑な生物の起源が全てウボ=サスラにある、という事は無いだろう。
サイトロンが俺に見せた未来、その中で見た単細胞生物の業子力は、進化の力を持たない生物だと考えるには余りにも膨大だった。
差し当たっては、地球全土に観測機を飛ばしたい所なのだが……。
出ない。
事前に登録しておいた偵察用の端末が出ない。複製を作れない。
まるで七日目の便○(ピー)の如く、コーラッコもドヤ顔でお手上げ状態になるレベルで出ない。
どれくらい出ないかって、虫ベースのみとか哺乳類ベースのみとかそういうレベルでなく、端末が全部出せなくなっているではないか。
いや、端末を複製できないだけではない。
他にもかなり複製できない物が出ているし、機能の一部も使用不能に成っている。
勿論、美鳥だって作れない。というか、内部に美鳥の思考用スペースを形成することもできない。
ブラスレイターの機能は充分に使えるし、知識の方にも問題はないから、突発的に殺される事は無いと思うが……。

「と──ら──一周り──認し──の──い──」

「ふぅむ……、まぁ、それが一番妥当な手ですか」

シュブさんが提案するのは、観測機に頼らない、いわゆる脚を使った調査。
しかも、単純にダッシュで世界中を駆け巡る訳ではないし、空をマッハで飛んで空を支配する訳でもない。
常人のそれと同じ速度で移動しながら、地質や大気成分、地磁気、生体反応などを探る調査を地道に行なっていくというものだ。
確かにこれならどれだけ機能が制限されていても必要分の情報は手に入る。
時代によってはかなりの頻度で地殻変動が起こって地形が変化するだろうが、おおまかなマッピングをする程度であれば何も問題はない筈だ。

とりあえず西へ向かおう。
何処に向けて移動しても変わらないけど、この時間からなら沈む夕日が見られる筈だ。
それほど急ぐ訳でもないし、夜に日が沈んでからまで調査を行おうとは思えない。
初日の探索を、夕日の望みながら終えるというのも乙なものだろう。

「それじゃシュブさん、早速行きましょうか」

「──」

短く頷いたシュブさん。
俺は身一つ、シュブさんは背に負うカバンとスコップ一本。
バイクなり車なりは複製出来るはずだが、最初からそこまで急ぐ必要もないだろう。
荷物をまとめる手間すらなく並んで歩き出す。

風の音、地下でうねるマグマの音を除けば、俺達の耳に届く音は互いの出す身体の音だけだ。
俺も発掘直後は全裸であったため、シュブさんを見習い、一昔前のレトロな探検服に着替えてある。
音楽でも掛けようかと思ったが、止めた。
音楽は何時でも聞ける。
それこそ、元の時代に戻った後でも、これから気が変わった時にでも。
今しばらくはこのまま、俺とシュブさん以外には生き物一つ居ない地球の音を楽しむ事にしよう。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

何処まで行っても土、岩、土、岩の山と荒野を歩くこと数時間。
夕暮れとまでは行かないまでも、少し日が傾きはじめた頃。

「ここをキャンプ地とする!」

伏字も検閲も訛りも誤訳もない、ハッキリと耳に届く言語によるシュブさんの宣言により、野営を行うことになった。さすがシュブさん、気風がいい。
そして、野営に必要な物、即ち雨風を凌ぐ何かしらが必要になった。
複製が作り出せなければ、最悪コックピットが六畳間のアイオーンの招喚形式を改良して、コックピットが2LDKなアイオーンを作るはめになるかもしれないのだが……。


「──押し────の?」

「そうですそうです。それをロープに対して垂直に……そうそう」

不慣れな手付きでテント固定用のペグ(杭)を岩盤に素手で突き刺すシュブさん。
なんでもそつなくこなすイメージのあるシュブさんだが、こういうキャンプの用意はあまりしたことが無いらしい。
野外で野営、というか、祭事に関わることはあったが、その場合はその他の参加者が事前に行なっているため、シュブさんの手出しが必要になったことは無いのだとか。
大衆食堂の細腕(軽い一振りで並の鬼械神が大破する)繁盛記なイメージのあるシュブさんだが、店を始める前は意外といいとこのお嬢さんだったりするのかもしれない。


幸い、無事に複製できるリストの中にはテントも入っていた。
スナフキン型──ワンポールタイプのテントではなく、少し広めのドームタイプ。
これは、素直に幸運だったと言っていいだろう。
ワンポールタイプのテントは複数人数で眠るには少し狭い。
二つ複製を作ってもいいのだが、シュブさんが主張するには『未知の存在が襲撃してきた時、別々に寝ていたら危険』らしい。
逆に『襲撃された時に一網打尽にされる可能性があるのではないか』とも思ったのだが、この議論は堂々巡りになるので、大人しくシュブさんの案に従っておくことになった。
男女七歳にして席を同じうせず、とはいうが、ドームタイプは三人用。川の字で計算して、人一人分のスペースを開ける事が出来るのだから、風紀的な問題は無い筈だ。

テントを設営し終えた後は、少し早いが夕食の準備。
本来なら、その時代時代の生物を材料にして食事を楽しむべきなのだろうとは思うのだが、残念な事に、初日ではそもそも植物にも動物にも出会えなかったので、材料はこちらの持ち込みである。
幸い、過去のループにおいてクトゥルフの脅威が去った後に銀河系の運行速度ごと時間を加速して数度行われた『全世界農地化作戦』及び『全人類農奴化計画』によって収穫された多量の作物が亜空間に投げっぱなしである。
お陰で暫くは自ら作り出した複製を再び口から摂取するという、なんとも味気ない気分を味わう事はないだろう。
俺が野菜なら、肉は勿論シュブさんの持参したラム肉。
ラム肉だけでは寂しかろうと、それ以外の肉もある程度用意してあるらしい。
可食生物が誕生するまでの繋ぎとしては充分なラインナップと言えるだろう。

「ご飯はどうします? 少し時間かかりますけど、米粉パンとかもいけると思いますが」

「早──食──通に炊くの──い」

「そうですねー、鍋の方も大分煮えちゃってますし」

亜空間から精米済みの米を飯盒に流し込みながら、シュブさんの手元の鍋を覗き込む。
お湯に浸された人参、ジャガイモ、謎の肉、ルーにコクを与える飴色に炒めた玉ねぎ。
即席の竈で火にかけられたこの鍋の中身、玉ねぎを無視すれば肉じゃがにもシチューにもできそうなラインナップだが、今日のメニューはカレーだ。
キャンプといえばカレー、これは日本においては国法の一つである為、決して無視できるものではない。
これを無視してシチューを作ると、地域によっては二年以上の禁固刑を食らう事もある重い法律である。

「───♪──♪─────♪」

コトコト煮える鍋を鼻歌交じりに見張るシュブさんを横目に、自分の作業を開始。
飯盒の中の米に手を突っ込み、手から水を複製し、米を研ぐ。
ある程度糠が取れたら、糠の混ざった水だけを選り分けて表皮から体内に取り込む。
これを数度繰り返し、米研ぎは完了。
水を目分量で入れ、同じく即席で作った竈に設置。

待つことしばし、ご飯が炊きあがり、カレーも完成。
互いの皿にご飯とカレールーをよそい合い、膝の上に乗せ、手を合わせる。

「いただきます」

「──だき──」

ルーは市販のありふれたものだが、家で食べるのと外で食べるのでは味わいが違う。
周囲に設置した、防塵に軽い風除けの呪を乗せた陣は上手く起動しているようで、適度に軽減されたさわやかな風だけを運んでくる。
会話は無いが、無理に話をしなくても間が持つ程度には互いに慣れているつもりだ。

「──」

「どうしました?」

シュブさんがスプーンを止めて空を見上げている。
星の輝く宇宙に何かを見つけたらしい。
機械化帝国の来襲は大分先の筈だが、ポリプでも降りてきたのだろうか。

「あ──大き──知り合いの──」

「スケールでかいですねー……」

グーグルアースで『あ、これ○○ん家だ』みたいなものなのだろうが、よくそこまで視えるものだ。
むしろあそこまで遠いと、ここに届いているあちらの光景は数百万年とか数億年とかそれくらい昔の光景だろうに、見分けがつくのだろうか。

―――――――――――――――――――

食事を終え、食器を分解して取り込めば片付けは終了。
残りのカレーは亜空間に鍋ごと放り込んでおけば気が向いた時にいつでも食べられる。
食べずに取っておけば『地球最古のカレー』として何かしらの不思議パワーが宿るかもしれないが、間違いなくそのうち食べてしまうだろう。

片付けを終えてしまえば、後は眠るだけだ。
記憶封印があるとはいえ、無駄にラノベを読んで時間を潰すのも惜しい。
何しろ、一日が十八時間程度。
『一日が四十八時間あればいいのに!』
などと言い出す者の多い現代からすれば絶望的な数値と言える。
俺はともかく、シュブさんは眠らないと身体に悪いだろうし。

「あ──その──っと……」

テントの中、パジャマに着替え、布団の上で枕を抱えて女の子座りをしながら、もじもじと言葉を閊えさせるシュブさん。
さもあらん。シュブさん自身の提案とはいえ、恋仲でもない男と狭い密室で枕を並べるとなれば。
姉に誓ってやましい気持ちなど持ちあわせても居なければ、当然、同衾する訳ではないが、恥ずかしがるのが正常な反応だろう。
顔馴染みのニグラス亭の常連からの情報だと、彼女、それなりに男性経験もある筈なのだが、それでもこの初々しさを失わないというのは貴重な才能なのかもしれない。

「えと、ですね」

……問題があるとすれば、だ。
流石に、このシチュエーションでそんなリアクションを取られれば、俺の方も多少なりとも恥ずかしさを覚えてしまうという事か。

「こう、布団と布団の間に……」

天は自らを助くるものを助く。
一生懸命頑張って願いを叶えたところに自称神様がやってきて、こう言うのだ。
『いやーおめでとーおめでとー、君もホント頑張ったからさー感動して俺つい手を貸しちゃったよー』
『ホントなら努力報われずに挫折するところだったけどさーそこはほら俺の手助けのお陰? つーかね!』
『やマジでマジで。おめー頑張ったけど願い叶ったの結局俺のお陰だから』
神殺しの刃とか、そういう概念が生み出されるのも解るだろう。
何が言いたいかと言えば、自らの努力を誇りたいのであれば、実は手を貸してたんだよ、などという詐欺師のつけ込む隙を与えない完膚なきまでの自助努力が大事なのである。

「こう、置けば」

亜空間より取り出し、俺とシュブさんの布団の間に置いた旅行かばん。
近未来ドイツ以来の付き合いであるこれは、神などという不埒な存在の手によるものではない。
姉さんが俺に託し、俺が壊すことも無くすこともなく使い続け、持ち続けたからこそここに存在する、俺を助ける最善の一手。
実は堀越御所から出掛けにパクった部屋の内装の中に高級そうな屏風もあるのだが、テントの高さ的に引っかかりそうなのでこれは除外としておく。

「不慮の事故的なものも無くなる、んじゃないかな、と」

寝相が悪くて、相手の布団に潜り込んでました、みたいな。
小学生の頃の宿泊学習で同じ班の女子とそういう状態になった奴を見たことがあるが、成人してからでは洒落で済まされない。

「────」

コクコクと高速で頷くシュブさん。
駄目だ、眠る前独特の変な雰囲気で感情が高ぶってるっぽい。
これはもう、不慮の事故以外の諸々の障害には目を瞑るしか無い。

「あー、それじゃ、灯り消しますね」

身体にコンセントを突き刺して動かしていたランプ型電灯への電力供給をカットする。
テントの薄い屋根越しでは月明かりも殆ど届かない。
夜目が効かなければ、灯りを消した後も暫く横にならずに座り続ける互いの姿を視認すらできない暗さ。
無言のまま、暫しの間。
埒があかない。

「寝ます、寝ましょう」

「──ん」

互いに強く宣言し、音を立てて派手に布団に横になる。
ああ、しかし、何故シュブさん相手にこんなに緊張する必要があるのだろうか。
男女でのこういう場面は、これまでミスカトニックの課外授業で幾度と無く経験している。
気が知れた相手なら、更に気兼ねなく居られるものでは無いのだろうか。

地の底でマグマがうねり、外では風が鳴る。
生き物が居なくても、地球は無音ではない。
聴覚レベルを上げるまでもなく、地球自身が出す音がやかましい程だ。

「──……」

大地の脈動、風鳴りにも掻き消されず、シュブさんの寝息が聞こえる。
眠る時、誰かの寝息を聞くのは何時もの事だ。
姉さん、美鳥、ほぼ毎日同衾していればそれも当たり前。
だが、聞こえる寝息が他の人になったというだけで、感じるものは大きく違う。
それが良く知る知人のものとなれば、更に違う。

……そうだ、この疑問の答えを得た記憶がある。
得たという記憶はあるが、残念な事にニャルパワー共々絶賛データ破損中だが。
うむ、意味が無い。

(…………寝よう)

考えた所で答えの出る問題でもない。
俺は無理矢理に意識を切断し、睡眠状態へと移行した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

新しい朝が来た。
昨夜、寝る寸前に何かあった気もするが、眠っている間に記憶と感情を最適化したお陰で目覚めも爽やかである。

「んー……」

伸びをすると、思っていたよりも骨の鳴る音が大きく響いた。
仕切りを置いているとはいえ、普段とは異なる状況であったため休みきれなかったのかもしれない。
背筋を伸ばし、布団の上に座ったまま数秒呆ける。
複雑な生き物の殆ど存在しない地球では、朝に小鳥の鳴き声を聞くことさえ望めない。
耳を澄ませるまでもなく聞こえてくるのは、昨夜と同じ地鳴りと風の音だけ。
いや、それともう一つ。

「──すぅ……」

気持ちの良さそうな寝息。
聞き慣れた寝息ではない、姉さんや美鳥の寝息であれば一発で聞き分ける事が出来る。
逆に言えばそれ以外の寝息は聞き分ける以前の問題なのだが、この場には俺以外にはこのひとしか居ない。
仕切りとして置いたカバンから身を乗り出し、寝息の主の姿を確認する。

「──」

掛け布団を蹴飛ばし、丸めて抱きついている、強いウェーブの掛かったショートカットの女性。
女性は寝言にもならない音を発する口の端からは僅かに涎が垂れて枕に染みを作っている。
起きる気配も無く、しかし死んでいるのではなく眠っているのだと一発で解る幸せな寝顔。

今の地球の自転速度から考えて、やはり一日はどう考えても十八時間程しかない。
つまり、日が出ている内だけ活動しよう、という縛りを続けるのであれば、あまり惰眠を貪り続けるわけにもいかないのだ。
何しろ一日の時間が六時間短い分、日が出ている時間もそれに比例して短くなっている。

寝こけている女性──シュブさんが目覚めていないのもそのためだろうか。
早寝早起きで知られるシュブさんだが、それも地球が24時間で回っている時のみに限定される。
昼夜共に三時間も削れてるわけだから、そりゃ24時間の体内時計で居たら朝も寝過ごすというものだ。

さて、ここで問題になるのは、起こすか、起こさないか、という一点に尽きる。
何しろ、この太古の地球に訪れて初めての夜明け(クトゥグアに焼かれる前のはノーカン)だ、出来れば日の出を見ながら朝食と行きたいが、俺の個人的な趣味、嗜好に合わせてシュブさんの睡眠時間に干渉するのはマナーに反する。
しかし、後々の事を考えれば十八時間リズムに体内時計を合わせる為に、少し時間を置いてでも起こしておくのが親切に繋がるのではないだろうか。
何しろ、この古代地球にどれほど留まることになるかは不明だが、少なくとも短期滞在で済むとは思えない。
調査と知的好奇心の事を考えて、出来れば何世紀かは留まって居たい。
更に言えば、ニャルパワーを使っての時間旅行が使えない以上、元の時代に戻ることも難しい。
ボソンジャンプの機能は破損していないと思うが、時間の法則、構造が通常の宇宙とは異なる字祷子宇宙での時間移動は賭けになる。

「──…──ぇひゅ──……」

安らかというか、気が抜けきった表情で眠っている。
普段はニグラス亭の仕事でゆっくりできているかどうかわからないし、意外と疲れが溜まっているのかもしれない。
起こすのも悪い、とは思うのだが。

「──ひぇくっ」

幸せそうに、えづくような笑い声を漏らすシュブさん。
顔面の筋肉という筋肉から力を抜いて部分的消力(シャオリー)状態の顔は非常にだらしない事この上ない。
ボサボサに寝癖の付いた髪の中からは捻くれた、頑強でありながらも優美な角が、捲れ上がったパジャマの裾からは、艶めかしくもしなやか、みずみずしい張りのある触手が覗いている。
まったく、不可抗力と戦略的視点からの不可抗力とはいえ、同じテントで異性が寝泊まりしているというのに、余りにも警戒心が足りない。

「風邪の類はひかないだろうけど、一応ね。……失礼」

小声で小さく断りを入れて、パジャマの裾に触手を伸ばす。
触手の向こうに臍まで出ているような隙間に手なんて伸ばしたら、寝込みを襲う変質者扱いされてしまうが故の苦肉の触手。

──勿論、『ティベリウスが大十字のツレになったメイドさん誘拐して陵辱~下っ端どもに御裾分けもあるよ!~』ルート使用と異なり、これは機能性の他に健全さにも気を配った一品である。
まず、印象を良くするために、生えたての竹や栗の花などを始めとする、爽やかな植物性の匂いを添付。
次に、幼子が口に含んだ時、直ぐに吐き出してしまうように、味付けも苦味をメインに、子供の嫌う魚介系の味を僅かに混ぜ込んである。
材質はラバーと人肌の中間、強い刺激に対し、相手の肉体を無闇に傷つけないように、痛みを与えないように僅かに麻酔の混じった粘液をにじませる。
この粘液には僅かに各種ハーブや香辛料に似た効用があり、多量に摂取すると身体がポカポカ温まり、頬が赤らむ程度に血行にも良い。
最終的に『ティベ(ry』仕様の触手と大差ない性能になったが、下心の無さでは確実に別物である。
姉にちょっとだけ誓ってもいいし、ついでに立川在住の目覚めしひととかに誓ってもいい。

そんな訳で、伸ばした触手でパジャマの裾を摘む。
伸ばした触手は細いながらも数があり、二本の手とは比べ物にならないほどの精密動作性を備えている。
後は、摘んだパジャマの裾をズボンの中に押し込めてしまえば、

──ぺしっ──

……押し込んでしまえば、

──ぺちっぺちっ──

……………………。
何故か、シュブさんの触手にブロックされた。
……うん、まぁ、起こされそうになって寝ぼけながらも手で払うとかする人も居るし、変に触って起こしちゃうのも悪いか。
風邪に類するような悪性のウイルスが存在していない事を祈りつつ、パジャマの裾から触手を離、

──きゅう──

……裾から触手を、

──ぎゅ、しゅるるる──

あ、やばいやばい触手が絡め取られる。
流石シュブさん、恐ろしいまでに精緻で大胆な触手使いである。
この触手を使って邪神の女神をコマしたのかと思うと、とたんにエロスな感じの人に視えてくるから不思議だ。
あ、勿論シュブさんは清純だと思う。
子供が居ようが元夫が複数人数居ようが、現時点での振る舞いでは真面目に働く肝っ玉店主なので何一つ矛盾しない。
夫なり妻なりが居た頃の癖で近づいた触手を屈服させようとしてる可能性も無きにしもあらずだが、実害は無いので気にしてはいけない。
実際問題、こうして絡め取られている俺の触手にしても、

──ぷつん──

と、まぁ、触手の百や千や万程度絡め取られても、即座に切り離してしまえるので痛くも痒くも無いし。
切り離した後もシュブさんの好きにさせることで安眠をサポートするために自立駆動させるけど、感覚は切断してあるし、エロ行為も出来ないようにセットしておいた。
あくまで健全な触手さんだよっ!
そう、なにしろ俺はシュブさんの店のバイト、店主にエロい事など、天地がひっくり返ろうが姉さんが許そうがする訳もなく。
更に言えば、ニャル戦前にKAKUGOを決められたのは間違いなくシュブさんのお陰。
言わば、もはやただの店主でなく、恩人と行っても過言ではない。
そのような相手に、いやらしい真似ができるだろうか。
いや、出来ない。反語。

「はむ」

──ちゅ、ぴちゃ……──

手繰り寄せた触手をシュブさんが口に含み始めた。
言語ではなく、単なる咥えた時の呼気だったり舐める水音であるため、人語への翻訳は完璧だ。
完璧だからこそ解る。
これを聴き続けるのは間違いなくセクハラ。
外に出て朝食の準備を始めようそうしよう。

「んぅ、ふ、んん……」

何故か一生懸命触手を舐めしゃぶり始めたシュブさんとか全然見えてないよー。
翻訳不要な鼻から漏れる悩ましげな吐息とか全然聞こえてないよー。
さー朝ごはん造らなきゃなー。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

朝食の準備をしながら、もしかしてテントから出る前に切り離した触手を消してしまえばよかったのではないかと気づいた頃、

「お─よ──也──…」

シュブさんが、少し不機嫌そうに見える座った目を瞬かせながらテントから這い出てきた。

「はい、お早う御座います。今さっき食材を揃えたところなんで、朝ごはんは少し待っててくださいね」

この世界で初めて地球に訪れたからか、産卵直前のシャンタクを召喚するのに少し手間取ってしまった。
ニャルの部分が完全再生していれば呼んだ瞬間に到着するのだが、やはり純粋に魔術師として喚ぼうとすると少し引っかかる。

「そういえば、朝は和風と洋風どっちがいいですか?」

まぁ、既にサラダと目玉焼きが完成してしまっているのでご飯かパンの二択でしかないのだが。

「──ん」

短い、そっけないとも取れそうな声で返事を返しながら、ピクニック用テーブルセットの椅子に腰掛けるシュブさん。
そのまま、何をするでもなく、ぼうっと虚空に視線を向けている。
その視線の延長線上に俺が居るわけだが、あくまでもその視線が向けられているのは虚空である筈だ。
だってほら、俺、ああいう『納得いかない……』みたいな視線を受ける覚えが無いし。

飯盒から茶碗にご飯をよそい、ウインナー、目玉焼き、サラダなどのオカズと共にテーブルの上に並べていく。
目玉焼きに何をかけるかで諍いを起こす連中も居るには居るだろうが、そんなものは最初から全ての調味料を用意しておけば解決できてしまう。
因みに俺は基本的には醤油だが、ここに生姜を混ぜてしまう時もある。
使うのは勿論チューブタイプではない、新鮮な生姜を直で摩り下ろしたもの。爽やかさに明確に違いが出る。
意外なところで麺つゆという選択肢も有り。
そして醤油は俺の作った複製の為、完全に無菌状態である。
古代の地球にオリゼーを颯爽登場させる訳にもいかないからな。
億年単位で進化を重ねて直保視点のオリゼーが生まれるならどうにかして都合を付けたくもあるが。

「いただきます」

「い──き──」

配膳を終えた所で、手を合わせて食事を始める。
焼き魚や納豆、味噌汁などの選択肢もあるが、やはり朝といえば目玉焼き、目玉焼きといえば朝。
焦がさずに焼くのが上等というのは、周囲を心持ちこんがりと焼いて香ばしさと食感の楽しみを増した白身の前では所詮戯言。
きつね色の焦げ目の付いた目玉焼きの白身は醤油や麺つゆと絡みやすく、また、絡んだ時の味わいの変化も嬉しい。
このこんがりと焼けた白身が黄身よりも好きだという人も少なくはない。

白身でご飯を少し減らした所で、残った黄身をご飯の上に乗せ、箸を突き刺し中身を溢れさせる。
油分の多く含まれた黄身は勿論半熟、しかし、底面四分の一程度を凝固させるのがポイントだ。
半熟とろとろな四分の三程度をご飯の上にとろりと溢れさせ、凝固した部分は別個に醤油を掛けて食べるという二重の味わい。
そして、添えられたぱりっと焼きあがったウインナーを齧り、黄身と醤油の絡まったご飯を口に運ぶ。
これぞ至福のひと時。

……最も、今の説明は全て通常の卵で作った場合の話だ。
シャンタク鳥の卵はサイズからして鶏卵とは比べ物にならないため、それこそ焼き方は大雑把でいい。
余程火を通し過ぎない限り半熟部分は残るし、下手をすれば部分部分別の調味料で食べるという変則的な食べ方も可能になる。
因みに、産んでいるのが地球外生命体であるために組成も異なるので、カロリー計算もあてにならない。ダイエット中の場合は注意するべきだろう。

サラダはお茶に手を延ばすのが面倒な時の水分代わりなので、特にこだわりは無い。
シュブさんのところも似たようなものだろう。
あそこの客層的に、サラダに強いこだわりを持つ客とか来ないし。

「もぐ──ちょ──聞き──」

暖かいご飯を食べることで少し表情が和らいだシュブさんが、口にご飯を詰め込んだまま喋り出した。
ああいや、空気の振動が怪しいし、テレパスの応用なのか。

「無防──見──の子────しゃぶ──」

ふむふむ、無防備に寝顔を晒している女の子が、寝ぼけて抱きついてきたり、相手の身体の一部を口に咥えてしゃぶりだしたりしたら、普通の男はどうするか?
嫌に限定的な状況だが、ボケようのない問いだ。答えは特に捻る必要もないだろう。

「起こさないように静かに身体を女性から離すでしょう、常識的に考えて」

相手が親しい異性、恋人とかなら話は変わるが。
普通なら身を離すし、本能がどうであれ、理性を持ち合わせているならば身を離すべきだ。
恋人でもないのに寝込みを襲う? それはレイパーです。

「意──道徳的──」

神妙な顔でモリモリと咀嚼するシュブさん。
口いっぱいにご飯を頬張りながら、鼻息で溜息を吐かれた。
俺の返答の何処に何を見出したかは解らないが、先程までの不機嫌そうな表情も完全に消えた。
ただ、納得いかないところが一つ。

「意外ってなんですか意外って、まったく……」

少なくとも、ここ最近は道徳的に危険な事をした覚えは全くないし、基本的にどのトリップ先でも紳士的に振舞ってきた筈だ。
そんな俺を指して『意外と』道徳的などと。

「──そ──所──嫌─じゃ──」

僅かに視線を逸らしながらの呟き。
この距離で聞こえない訳もないが、実際聞き取れないんだから仕方がない。
そして、小声で言うからには聞き返して良い類の話でも無いだろう。
言いたいことがあるのなら、そのうちハッキリ口にしてくれる。シュブさんはそういう人だ。
そんなことより、今日から本格的に探索と調査を開始する訳だし、朝食を腹に入れて気合を入れる事にしよう。

―――――――――――――――――――

?月?日(オーガニック探索!)

『そんなこんなで、古代の地球で発掘されてから少し経過した』
『少し……うん、少し。何百年とかは経過してないと思いたい』
『何処まで行っても不毛な大地が広がるばかり』
『山に登れど、眼下に広がるのは一面の荒野のみ』
『太陽の登った回数をカウントした所で、ここまで単調な光景を見せられていれば、時間間隔も狂うというもの』
『地磁気やバイタル・グロウブの変動に合わせて度々方向転換と詳しい調査をしていたのが悪かったのだろうか』
『同じ場所をぐるぐる回っている訳ではないが、この大陸はもう数世紀もすれば完全に余すところなく踏破できてしまいそうだ』

『古代の地球環境は大陸移動なども含めて大きく変動し続けていた、なんて話しをよく聞くが、それは一面的な見方でしか無いのだと思い知らされた』
『結局のところ、地殻変動なども含めて大きな変化が起こるのには多大な時間が必要になる』
『その変化にしても、ヒトの視点で生き続ける限りは認識することも難しいようなものに過ぎない』
『つまり、歩けど歩けど、真新しい発見が殆ど無い』

『いっそ元の時代に戻ってやりたくもある。それが出来ないのが一番の問題なのだが』
『ニャルの力も復旧の目処が立たない上、相変わらず幾つかの機能に制限が掛かりっぱなし、時間旅行は難題だ』
『機能制限に関しては、ヨグ=ソトースの力を受けたせいで体内の時系列がバラバラになっているせいだというところまでは分かっている』
『わかったところで、修復方法が時間経過による自己修復任せしか無いのだから意味がまるでない』

『最悪の場合、鬼械神を呼んでコックピットの中で何億年か冬眠するというのも選択肢に入れておくべきかもしれない』
『だが、それはそれで味気ない気もする』
『これまでの調査結果から判断するに、今は元の時代から見て十~七億年程前』
『時期的には古のものと遭遇する確率も低くはないし、飛行するポリプを発見することも不可能ではない筈だ』
『それに、飛行するポリプは築き上げた都市の周辺で円錐状の生物を捕獲して主食にしていたという』
『外来種だけでなく、地球原産の初めてのまともなサイズの生物を目撃できるチャンスかもしれないのだ、冬眠で寝過ごしてしまうのは惜しい』
『ここらで一つ、気分転換になるようなものでも見つけられればいいのだが』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

いったい、どれ程の長い時間、歩いていただろう。
命無く、道行は果ての見えない荒野、火を噴くばかりで恵み一つ齎さない岩山、底の見えない亀裂のような渓谷。
そこに生まれる僅かな変化だけを延々と記録しながらの道程。
空は一日として同じ顔を見せる事はなく、気のいい同行者が直ぐ隣に居たとしても、その旅路は楽しいばかりのものではなかった。
だが、その退屈は試練とも呼べるだろう。
ひとは、枷を付け険しき路を歩く事で、それを乗り越えた時に大きな達成感を得る事ができるのだ。
目の前の光景を見ることが出来たからこそ、それをはっきりと理解できる。

「綺麗──」

風に靡く髪を抑えながら、シュブさんが感嘆の声を漏らす。
荒野と岩山を踏破し、数千年、数万年後には山になるだろう緩やかな丘を越え、煌めく水面を目に、さざめく波の音を耳にする。

「海、だ……」

どこまでも、どこまでも、無限の広がりがあるのではとすら思える、命の故郷。
青よりも藍に、黒に近い暗さを湛えた海は、それでも尚、俺の記憶の古い部分を刺激する。
胸から込み上げる熱い何かに、俺はその場で静かに膝を付いた。
この感情の動きを、どう表現すればいいのか、俺の貧相な語彙ではとても表し切ることはできないだろう。
只々、心を揺さぶるようにされている。
陳腐な言い方だが、これは、感動、という言葉以外、適切な言葉が浮かばない。

それは、海の深さと広大さを目にしたが故──という、訳ではない。

「────新鮮──お魚さん────」

そうだ。
魚だ。
あそこには、新鮮な魚介類が居る。
太古の、それこそ、未だ碌な多細胞生物すら発生していない海に、それは確かに存在しているのだ。
それは何故か。

《────────────────!!!!!!!!!!》

黒く、暗く、どこまでも広がる海。
その海面をのたうつ、鋭い乱杭歯の生えた、一本一本が小山にも匹敵する太さの触手の群れ。
そして、その強大な触手の主の巨大な姿が視える。
烏賊に似た触手を生やした口元、タコに似た頭部、ぬらぬらとした質感の鱗と、それに覆われた山のように巨大な体躯。
ゴムにも似た質感のその巨体の背には、物理的にどれ程の意味があるかも不明で、しかし確実に飛翔能力を与えているだろう、細い蝙蝠にも似た翼。

そう、夢幻心母関係で何度もお世話になった、蛸の親分──クトゥルフさんである。

「……蛸って、新鮮だと、生の刺身も美味しいんですよね」

烏賊に、もとい、如何に蛸の死亡直後の死体を複製したとしても、その場で捕れたてを頂くのとではわけが違う。
クトゥルフに視線を向けながら立ち上がり、肉体に刻まれた魔導書の記述を起動しながらの俺のセリフに、輪郭を崩し始めたシュブさんが『ちっちっち』と人差し指を振りながら不敵な笑みを浮かべる。

「───蛸じゃ────けど───山葵──」

「わかっている……わかっているのう……。貴女はやはり、ものが違う……」

ここでまさかのタコわさとは……大した奴だ、やはり天才か……。
両手を広げた支配者のポーズを取り、淡く虹色に輝く字祷子に包まれるシュブさんを脇目に見ながら、思う。
俺独りだったなら、この狩りは延期にするか、諦めるかしていた。
自立稼働、遠隔操作可能な端末を出せない今、搦手にも制限がかかる。
ニャルの力が制限されている今、俺の力だけでクトゥルフに、邪神に真正面から挑めるとは思えない。
だが、店主となら、このヒトとならば。

「擬装──」

「──解除!」

重なる俺とシュブさんの呪句(コマンド)
人としての外装を破り、現時点で最大の力を誇る鬼械神形態へ。
突如として出現した巨大な質量に、空間が悲鳴を上げる。
大気成分を調整する貴重なストロマトライトを踏みつぶさないように一旦陸地に着地。

《────蛸──刺身に──!!》

同じく、巨大な触手の塊、もしくは誇張された人山羊の様な、一言ではとても形容しきれない姿の巨大なボディに姿を変えたシュブさんが、俺と背を合わせて並び立つ。
凄い威圧感を感じる。今までにない威圧感を。
瘴気……なんだろう吹いてきてる確実に、着実に、俺達の方に。

「ええ、行きましょう、刺身盛り合わせの為に!」

中途半端はやめよう。とにかくクトゥルフは眷属ごと絶滅させてやろうじゃん。
あの宇宙の深遠の向こうには沢山の強敵が居る。決してこいつがラスボスなんかじゃない。
信じよう。そして共に戦おう。
ダゴンやハイドラの邪魔は絶対に入るだろうけど、絶対に波に流されたり──

あ。

「う、うわあぁぁぁぁぁぁぁぁ!! た、太古の地球なのに、シュブさんが何故か居るぅぅぅぅぅぅぅ!!?」

飛び跳ねるようにシュブさんから身を離し、鬼械神形態で尻もちを付いたせいで丘が大きく削れてしまったが、そんな事に構っていられない。
き、気付かなかった。
あんまり長いこと一つの姿で居るもんだから、普段のシュブさんから感じる『お、今周は少し触手成分と蹄分が多いな……』みたいな発見が無くて分からなかった!
この初めて感じる『まるで豊穣神か邪神』『洗練されたアスタロト』とでも形容すべき神々しい新しい姿を目にして、初めて気づいた!
まさか、シュブさんが何百年も同じ姿を取り続けるなんて事が有り得るだなんて……。

「何故シュブさんがこの時代に……、あ、捩れ角かっこいいですね」

《そ──どでもな──話は─後──》

そ、そうだ、今はシュブさんのタイムスリップ説に戸惑っている時ではない。
差し出された触手を掴み立ち上がり、沖合のクトゥルフに向き直る。

「す、すみません、取り乱しました」

《──私──ゃん──ォロー───》

ぞろりと毛穴の如く無数に生えた目をウインクして、こちらをリラックスさせようと振る舞うシュブさん。
あんな、邪神崇拝組織のトップでも思わず昇天してしまいそうなアクションを織り交ぜてフォローさせてしまうとは……恥ずかしい。

「うむむ……すんません、手間かけます」

《────!》

「はい!」

シュブさんの掛け声と共に、シャンタクを羽撃かせ高度を稼ぎ、重力加速を味方に付け、加速。
風を切り、クトゥルーの触手の圏内に突入。
射程ギリギリまで近づいたところで、羽虫を払うような気安さで振るわれる触手と緩んだ鉤爪。
それに対し、魔術的に鍛え直されたグランドスラムを鍛造、ほぼ平行に近い形で受け流し、邪神の本体に肉薄する。
蛸の様な頭部に埋もれた濁った瞳が俺を追う。
爪と触手を逃れたところで安心できるものではない。
このクトゥルフの形すら、今ここで偶然形成されていた仮の姿にしか過ぎないのだ。
案の定、脇を通り抜けるだけでよかった筈のクトゥルフの本体から牙が、触手が形成され、俺を噛み砕かんと迫る。
ニトクリスの鏡は、水中から半ば身を乗り出しているフルスペックのクトゥルフには通用しないだろう。
鬼械神の機能として搭載されているデコイを射出し、牙と触手を足止め。

射程圏内から脱し、着水。
ほぼ時を同じくして、巨大化したシュブさんも隣に着水。
背を合わせ連携を組み直す。
ここまでで一息、改めて、対敵の姿を確認する。
より洗練された形になった俺の鬼械神形態は、機械巨神形態よりも二回り程小さい。
しかしそれでもネームレス・ワンを子供扱いできる程の巨体を誇っている。
そして、相手が半ば水中に没した状態であるのに対し、こちらは体術を駆使して水面の上にたった状態。

それを差し引いても、目の前の邪神の大きさは異常の一言。
山ほどもあるこちらの鬼械神形態とが、まるで山脈に挑む小さな登山家でしかないような巨体。
普通に考えて、邪神としての不死性を考慮すれば、こちらには勝ち目のあるなし云々以前に、どう上手く負けるかを考えなければならないような相手に思えて仕方がない。
だが、不思議だ。
隣に同じように立つ巨大触手塊シュブさんと一緒に戦っていると思うと、まるで負ける気がしない。

グランドスラムを一旦腰の鞘に戻し、電磁抜刀の体勢を取る。
油断はできない、だが、伊達を忘れるのも邪神相手には無礼だろう。
シュブさんと並び、一瞬だけ視線を合わせて頷きあい、共にクトゥルフに人差し指を突きつけ、声をハッキリとハモらせながら、宣言する。

「魚肉置いてけ、なぁ。魚介類だ!! 魚介類だろう!? なあ魚介類だろお前!!」

これが、太古の地球に響き渡る、俺とシュブさんの宣戦布告。
長きに渡る海産物系邪神捕食戦争の幕開けであり、地球をめぐる三つ巴、多角戦争の発端。
そう、これは始まりに過ぎない。

────俺達の戦いは、これからだ!






続く
―――――――――――――――――――

長いようでいて中途半端な長さの、話が進んだようで全く進んでいない第七十二話をお届けしました。

あ、勿論終わるはずもなく次回に続きます。
次の話の終わり辺りで人類史、というか、デモベ外伝辺りの話まで時間を進めますので。
シュブさんの好感度上げ(シュブさんから見た主人公の好感度的な意味で)と並列して、これからどの作品にトリップしてもやれなさそうな太古の地球ネタをやろうと思ったのですが、
いざ書き始めてみたら意外と書きたいことが少ない事に気がついたので、次回で書きたいネタは終わらせられるかと思われますし。
仮に多重クロス有りな世界観だったとしたら、古代の地球って恐ろしいカオスですよね、って事で書こうと思ったんですが、詳しく描写するための資料が不足しているので……。
機械化帝国の資料とかどこで手に入れれば……。

以下、自問自答コーナーと見せかけて、Q&A──
──のQ抜きコーナー!

A,霧で包まれた溶岩惑星とか蒸気で前が見えないとか、乏しい知識と近所の図書館で借りてきた古い資料と新しい資料とニコ動のNational Geographicの有料動画とかを織り混ぜてでっち上げてるので、科学的突っ込みは……
しないで欲しいとは言わないですが、可能ならば、そう、初物の乙女を扱うかの如く優し目にお願いします。
A,古代の地球環境も同上で。クトゥルフ的な歴史を混ぜていくと、最新の科学的な調査による古代地球の歴史がコノメニウーされてしまうので。
A,主人公の目覚めた時代は、多分古のものが地球に来たか来ないかくらいの時期です。これからクトゥルヒの活け造りとか食べつつ全球凍結時代に突入する感じで。生態から成り立ちを予測すると、この時期ってまだ〈深きものども〉は居ないとした方が自然な気もしますし。
A,如何に鈍感主人公ラブコメに登場するヒロイン的な運命を背負っているシュブさんといえど、これほどの時間を主人公と共にすれば一溜りも……なくはないですが。
因みに今回のお話、主人公がシュブさんの外見を形容する場面でほんのり変化があったりもします。
A,ニャルの力が無くても、スクナパワーに金神パワー、億年単位で鍛えた諸々の蓄積にシスコンパワーがありますので……。

ふと思ったんですよ。
これまでQ&Aやるとき、Qが凄い投げやりだったなって。
じゃあ、無くてもいいんじゃないかって。
しかし改めて見るに、Aの内容からQの内容を推察することも容易ですね。
やっぱりQは必要なかったんや!
次回にはこの文章と結論をすっかり忘れて普通に書くと思いますが。

しかし、うむ。
これまで『パロ少ないから』とか『シリアスシーンばかりだから』とか『戦闘シーンばかりだから』とかで感想が少なくなるだろうと思ったことが数ある訳ですが。
『原作要素が影とか形程度にしか存在していない』に比べれば、まだ感想の書き様があった気がしますね……。
原作キャラとか先祖が発生しているかどうかすら怪しいですよ?
まぁ、こういう話もあるのがこのSSなのですが。

そんな訳で、今回もここまで。
誤字脱字の指摘、文章の簡単な改善方法、超大陸発生からカンブリア紀を経て人類誕生までの実録体験談、矛盾している設定への突っ込み、その他諸々のアドバイス。
そしてなにより、このSSを読んでみての感想など、心よりお待ちしております。



[14434] 第七十三話「古代地球史と狩猟生活」
Name: ここち◆92520f4f ID:81c89851
Date: 2012/09/06 23:07
×月×日(晴れ、同時にオゾン層による減衰無しの紫外線、ところにより、後の歴史に残らなかった来訪者)

『シュブさんとの共同狩猟生活も、いよいよ持って億の年月を数えるようになった』
『幾度と無く繰り返したクトゥルフへの襲撃、建設中のルルイエへの奇襲』
『遂に地上進出を始めた、圧倒的な科学力を誇る〈古のもの〉と、その尖兵たるショゴスとの遭遇』
『億年という長い年月を持ってしても飽きることのない激動の日々』
『九割九分九厘の時間を鬼械神形態で過ごしていた気がする。それほどの激戦だった』

『そして、その長い戦の中で学んだ事は多い』
『学んだ技術、得た知識は、元の時代ではやすやすとは手に入らない貴重なものだ』
『だが、それら偉大なる知識を得るまでに俺たちがGISEIにしてきた存在を忘れてはいけない』
『〈古のもの〉は海底コロニーを破壊され、地上生活への急激な移行を余儀なくされ、従者であるショゴスは何者か解らない謎の俺にそそのかされ、体内に脳を固定化し始める個体が続出』
『クトゥルー勢力は度重なる戦により疲弊し、その直接の落とし子達は心ない俺による乱獲で数を減らした』

『地球原生の単細胞生物を置き去りに、ひたすらに大きく変動していく地球上のパワーバランス』
『荒れ狂うクトゥルフの神気に、〈古のもの〉の超兵器の影響により加速する地球環境の変化』
『更に、後の世では語られることのない〈降臨者(ウラヌス)〉達の暗躍』
『時は全休凍結の少し前、地球はまさに激動の時代を迎えようとしていた』

―――――――――――――――――――

だが、その激動の時代の中にあっても、変わらぬ生活を続ける俺達が居た。
これは、激動の時代を駆け抜けた、トリッパーと大衆食堂店主の、壮絶な戦い(フードファイト)の物語である!

「シュブ=─グラ─と」

「俺の」

《さっと一品!》

タイトルコールでシュブさんのファミリーネームが少し聞こえた気がするけど、もう名前呼びに慣れちゃったからあんまりなぁ……。
そんな事を考えている間にも料理の説明が始まる。

「基──立ち────ンプルに、『クトゥルヒのオリーブオイル煮』!」

シュブさんが笑顔で両触手を広げた先にあるのは、巨大テーブルに乗せられた野菜数種にオリーブオイル、そして、クトゥルフの落とし子という呼び名が有名なタコに似た邪神眷属。
一見してクトゥルフに良く似た、しかし小振りなその邪神眷属は、既に表面の滑りをゴッドソルトで落とされ、食べやすいサイズに切り刻まれている。
シュブさん曰く、クトゥルフとさして味は変わらないので、この程度の雑魚でも充分代用品になるのだとか。

「えー、材料は、滑りを落としたぶつ切りのクトゥルヒ、塩、胡椒、にんにく、オリーブオイル、鷹の爪、ですね」

量は目分量! と言いたいところだが、製作者と食べる人が人間大であると考えて、目安としてタコ200グラムに対してにんにくは一欠程度、オリーブオイルは鍋の底に二センチ程度と覚えておけばいい。
塩コショウは軽く下味を付ける程度、常識の範囲内で。

「芽を取り除いたにんにくと種を抜いた鷹の爪を刻んで炒めて追いオリーブオイル、タコ投入、煮込む、完成!」

我ながら一分の隙もない完璧な解説……、ほれぼれするぜ。
ハツ江おばあちゃんもびっくりして実写になる勢いだ。

「端──ぎ─だって─」

と、思っていたら、シュブさんから突っ込みが入ってしまった。
触手のスナップを効かせたキレの良い突っ込みである。
先端速度はマッハよりも光速の何%とかで計算した方が早いレベルなのだが、絶火さんの正拳に似た理論で打ち込まれている為か衝撃波は発生せず、その一撃は俺の鋼の巨体を強かに打ち据えるだけで終わった。
轟音と共にぐらりと揺らめく身体をなんとか持ち直し、再び調理台へ。

「いや、シュブさんの言いたいこともわからんではなんですけど、一番手間が掛からないのはこの手順でしょう?」

トマトを入れたりもするがそれだとまた味わいが別物になるし。
きのことかジャガイモとか入れる場合、同じオリーブオイル煮でも食べ物として別の分類になる感じがするし。
それに、もう一つ問題がある。

「そもそも、微塵切りにする野菜とかならともかく、他の大物の付け合せだとそもそもサイズが合わないじゃないですか」

この少し未成熟なクトゥルヒですらMSくらいのサイズはある為、まともな材料では付け合せにすらならない。
先の分量説明で出した割合もクトゥルヒのサイズに合わせて大量の鷹の爪とにんにくを用意、更に香りつけと味付けの為に傷を付けるという工夫を施してある。
遺伝子組み換えでちょちょいと大きくしてもいいのだが、そうなると食感が別物になってしまい、元レシピのものとは別物の食べ物になってしまう。
分子構造、いや、菌のコロニーの構造形式から組み替えなければならないから手間が酷い。

「そ──取り出──る──これ!」

ジャジャーン! という効果音と共に、シュブさんが巨大なボウルから触手で何かを取り出した。
植物だろうか、樽状の本体両端に花びらのような星型の器官が付いた球根が備わっていた。
所々にえぐり取られたような傷跡が見て取れるそれからは、僅かに思念波が放出されていた。
元は強大な思念波を放つ生き物だったのだろうが、下ごしらえの段階で精神も砕かれてしまったのだろうか、その思念からは幸せだった頃の記憶の断片ばかりが感じられる。

「……俺、ちょっと前に〈古のもの〉と技術交流で親しくなったばっかなんですが」

生態操作系技術は中々に学び甲斐がある技術だった。
流石、正史で地球の生命体を作り出しただけのことはある。
こちらも火星遺跡とかからのスピンオフ技術を講義したりで、結構友好度も上がっていた筈なのに。
何故か雇い主が料理の材料として確保していた件について。
丁寧に触手も翼も排泄器官も胞子嚢も取り除かれてるけど……あれ、拷問的な手法で取り除かれてるよね、絶対。

「直──代替わり────数だ──り柄──食べ──るの──優し──」

意訳しよう。
①直ぐに代替わりするから記憶から消えた頃に改めて仲良くなれば良し。
②数だけが取り柄だから美味しく食べてあげるのが優しさ。
③間引いて優れた個体を残してあげるのも母性。
④増えすぎて景観を損なっていたから減らしてあげるのが地球への慈しみ。
流石シュブさん、ニグラス亭営業時間外の冷酷さ、惚れ惚れするぜ……。
最近、なんか日和ってばっかりで人に冷笑的な部分が見えなかったけど、割りとこういう一面もあるんだよなー。

「────、──、──────!」

意味はわかるが手法が少し残忍過ぎて翻訳に躊躇うレベルの調理法だ……。
つまり一週間ほど糞抜きしてから少し魔術で回復させて、元気を取り戻した所で煮え滾るオリーブオイルの中に投入する、という事でいいだろう。
因みに詳しく解説すると人類の味方的スタンスを取るタイプの旧神が全力で検閲するレベルの残虐超人的調理法。アニメ版初期ラーメンマンでも可。

「所々に入る残酷物語はともかく、純粋に料理として見ればいい感じですね。タコとは明らかに食感が違うから、口にした時にメリハリがでる感じで」

ボウルの中から取り出した〈古のもの〉を顎部クラッシャーで咀嚼してみた感じ、タコにもオリーブオイルにも合う、良い感じの付け合せになりそうだ。
細胞の組成から予測するに、煮込めばかなりほっくりとした歯ごたえで温かみがある。
少し筋っぽくもあるが、きのこやジャガイモの代用品として考えれば充分に役目を果たせるだろう。

「……まぁ、ぶっちゃけて言えば、タコと通常の野菜で充分だとは思うんですけどね、現代なら」

サイズ調整すれば、タコ料理のレシピって全部クトゥルヒ料理に応用できるし。
そういえばニャル子さんでルーヒーがたこ焼き屋やってたけど、もしかしてあれ実は材料自給自足なんじゃあるまいか。
自分の身体の一部を食べ物に混入して、公園で幼気な学生たちや何の罪もない会社員たちに売りさばき、美味しい美味しいと食べる姿を見つめる……。
いや待て、確か彼奴は作中描写からショタっ気があったような。
その欲望に忠実な姿、まさに邪神眷属、ギルティー……。

「まだ蛸──祖も居な──」

シュブさんが両触手を竦めながら、諭すような口調で突っ込みを入れる。
そりゃそうだ、そもそもそんなまともに食えそうな生物が居るなら、生きのいい邪神眷属で料理をしようなんて発想は出てこない。

「そこんとこは一応理解しちゃ居るんですが、ええ、やりきれないものがあるというか」

未来世界なら、巨大化して陸生になった巨大イカとか食えたんだけど、無い物ねだりをしても意味が無い。
そんな訳で、実際に調理開始。
鍋にオリーブオイル軽くしいて、にんにくと鷹の爪だばぁ、少し炒めて、オリーブオイル。
クトゥルヒと〈古のもの〉を投入、弱火にして少し蓋して放置。
うん、やっぱり雑な料理だ。
手間暇をかける事も出来るんだろうけど、手を抜こうと思えばいくらでも抜けるだろう。

「下ごしらえを終えたら煮こむだけ、ってお手軽さはいいですよね。たまにメニューにも載ってましたし」

「多め────なく作────味も変──てけど──」

まぁ、そこは量を食う客が多いニグラス亭ならば仕方がない。
むしろこの周でのニグラス亭開店までに、そこら辺に少し細工をして更に美味しく仕上げられる様にするのもいいだろう。

「後は、来賓を待つだけですねー」

「──う来た────」

鍋で火に掛けられた同胞の死臭を感じてか、食欲そそる香りに誘われてか、はたまたこの料理とは一切関係なく現れたか。

《────────────────────!!!!!!!!!!!!》

地平線の向こう、追い落とした先の海中から姿を表し絶叫するクトゥルフ。
顕す感情は眷属を殺された怒りか、はたまた獲物を見つけた歓喜からか。
……そろそろ火が通った頃合いだろう。
俺とシュブさんは鍋の中にフォークを突っ込み、形の残るクトゥルヒのオリーブオイル煮に突き刺し、もったいぶった動作で口に運ぶ。

「おー、確かにこりゃ美味いっすね。味付けはシンプルな筈なのにコクがあるというか」

にんにく、クトゥルヒ、古のもののエキスが凝縮されたオリーブオイルは、そのままパンに付けて食べても充分メインになるだろう存在感だ。
そして、やはり異様な存在感を放つのがクトゥルヒのぷりぷりとした切り身だろう。
噛み締め、食いちぎる度に悲痛な感情のオーラが弾けるこの感触、もしも俺が臨獣殿の拳士であったのならば二、三段階程強化されていても可笑しくない。
一度ルルイエに〈古のもの〉の尖兵達や降臨者の実験体などをけしかけて、最終的にクトゥルフの触腕の内数本を手に入れたのだが、これは緑色の煙になって消滅する寸前まで自我のようなものを保っていた。
これは、決まった形を持たず、基本的には不死身であるクトゥルフならではの現象だ。
何処を切り取っても、そこは触手であり胃袋であり筋肉であり内臓であり脳髄でもある事ができる。
恐らく、近しい眷属であるクトゥルヒにも、クトゥルフの異能の一部が劣化した状態で受け継がれているのだろう。

迫るクトゥルフを眺めながらクトゥルヒの煮込みに舌鼓を打っていると、シュブさんに肩を叩かれた。
うごめく触手に塗れたよく分からない塊になったシュブさんは、触手に包んだフォークに突き刺したクトゥルヒを軽くち、ち、ち、と振り、

「違う────口──れ──……」

瞼の縦になった瞳が幾つか除く触手の裂け目、たぶん口っぽいパーツに放り込み、『ぽじゅぬぽじゅぬ』と名状し難い咀嚼音を立てて噛み締め、飲み込み、

《ん────ァァ────────いア!!!》

天を仰ぎ、ビクンビクンと痙攣しながら全身で美味しさを表現。
強烈なリアクションだ……地面の層が厚くて噴火する筈の無かった丘が一瞬で噴火して火山に変わる。
強烈なテレパスも発したのだろう、ボウルの中の下拵の施された〈古のもの〉も、残らずポテトサラダ状に自ら変質してしまっている。
大地が震え、地が裂ける。
超大陸が崩壊し、新たな大陸が生まれる切っ掛けが生まれてしまった。
舞い上がる色とりどりの花びら、これがカンブリア爆発の原因の一つとでも言うのだろうか。

そして何より劇的な変化があったのは、その叫びを聞き届けたクトゥルフだろう。
先ほどまでは、『よくわからないが興奮している』程度の激しさしか感じなかったが、今では明確に怒りの感情を顕にしている。
流石シュブさん、『眷属を攫ってばらして料理して美味しく頂いている様を見せつけて冷静さを失わせる作戦』はまさに大成功と言っていいだろう。
ゲテモノ素材を使わない、一部の国ではメジャーなメニューでここまで美味しく作り、なおかつ邪神に対して精神攻撃まで通すとは。
イカモノ料理とは異なる、邪神料理の新たな可能性か。

クラッシャーの中にクトゥルヒと〈古のもの〉を幾つか投げ込み、咀嚼してカロリーに変換。
対邪神戦闘において妥協は許されない。
無限のエネルギーにプラスする形でカロリーを摂取するのは決して無駄な行為ではないのだ。
武装を展開、設置したトラップの動作を確認しつつ、シュブさんの姿を確認。

「───ndk──ndk───!?」

頭部の両脇で掌状になった触手をひらひらと動かし、見る者の精神を蝕む奇怪かつ冷笑的、嘲りを動きで表現するかのようなステップでクトゥルフを煽り続けている。
邪神の広域知覚すら逸らすシュブさんの煽り力ならば、今回の初撃は全力を叩き込めるだろう。
さぁ、準備は整った。
第137564回、クトゥルフ捕縛作戦を開始しよう!

―――――――――――――――――――
×月×日(クトゥルフは死ぬと緑色の気体になり時間経過で再生する→試しに気体を吸ってみても美味しくない→個体のままなら多分美味しい→殺さずに捕獲して生きたまま調理すべし!←今ここ)

『まぁ、理論が構築された所で、それを実践できるだけの技量がなければ意味が無いのも確かだ』
『やはりというかなんというか、またもやクトゥルフ捕縛作戦は失敗に終わった』
『眷属を嬲って煽って暴走させるまでは正答だと思うのだが、如何せん、生け捕りにするには技量が全体的に足りない』
『分身で手数を増やしてもいいのだが、クトゥルフの迎撃能力は驚異的なものがあり、今の分体や美鳥や端末を作れない俺では追加の一手を作ることは難しい』
『鬼械神の多重招喚も悪手だ。クトゥルフの力は、現代で復活した時とは比べ物にならない』
『今の彼は封印されるどころか海水とは殆ど縁のない内陸部に王国を建設している。パワーダウンすること無く発揮される外宇宙の神の力は、遠隔操縦のビット鬼械神程度では抑え用もないほどだ』

『シュブさんも、単体攻撃力はレムリア・インパクトとかハイパーボリア・ゼロドライブが霞む威力なんだが、残念な事に分裂したりはできないらしい』
『まぁこのひとが分裂したら、世の女性の何割かは高確率で男を掻っ攫われてしまうだろうから仕方がないのかもしれない』
『一応、ほぼ無制限に黒い仔山羊やティンダロスの猟犬は呼び出せるらしいのだが……はっきり言ってクトゥルフ相手ではどれだけ用意しても無意味だろう』

『奴を生きたまま捕獲……最悪、調理できる形で封印する為には、強力な一手が必要になる』
『巨大化シュブさんや、最低でも現状の俺とタメを張れる程度の強力な一手が』

―――――――――――――――――――

◎月¶日(危機感が足りない?)

『ふとクトゥルフ神話世界の年表を頭に思い浮かべて心臓が止まりそうになった』
『原作年表を元にすると、クトゥグアさんは未だに地球に居残っていらっしゃるらしい』
『土属性の神気を一切廃した今の俺なら純粋に加護を受けた者として分類されるはずなのだが……』
『念のため気合を入れてダウジングしてみても引っかからなかった為シュブさんに聞いてみると、フォマルハウトの方に気配を感じるらしい』
『正史とは違う流れなのか、ただの里帰りなのか』
『無限螺旋の外に出ても、元の世界の資料が正しく機能するとは限らないらしい』
『よくよく考えれば、カンブリア紀以後にやってくる筈のクトゥルフと愉快な眷属どもが今の地球に居るのだっておかしいではないか』

『この地球に、なにかとんでもない異変が起きている……』
『そう、思い返せば目覚めから暫くの放浪の日々の中、クトゥグアさんの代わりに火属性攻撃を担う神性を選別している最中に、うっかりイォマグヌットさんを呼び出してしまったのも、何か運命的なものだったのかもしれない』
『あの時はとりあえずどれくらいの力を持っているか確かめるために、シュブさんの昔の知り合いが棲むという惑星ゾスに、制御に失敗して本気を出し始めたイォマグヌットさんをけしかけたのだったか』
『クトゥルフの住居も偶然にも惑星ゾスと同じ名前だが、これに何かしらの因果関係があるというのは些か考え過ぎかな』

『恐らく、本筋である二十世紀初頭のアーカムから大きく離れたが故に千歳さんの自重が外れ、恐ろしい多重クロス空間と化し、その影響で各勢力の動きに変化が出たのかもしれない』
『クトゥルフ神話の年表はあくまでも比較、参考用に留めておくべきだろう』

―――――――――――――――――――
※月~日(今夜もアンニュ~イ)

『アンニュ=イと表記すると途端に溢れ出す邪神臭』
『それはともかく、今日もまた強い酸性の雨が降っている』
『鬼械神ならば多重招喚できるので、要塞型の鬼械神を招喚して住居にしているから実害は無いのだが、こうも雨が続くと気が滅入ってくる』
『雲の上まで抜けて太陽の光を浴びることも出来るのだが、そうすると、足元に視えるのは果てしなく続く雲に覆われた地球』
『先日のシュブさんのリアクション芸で地球上の火山が活性化して以来、地球は急速にその環境を変化させ始めているようだ』
『雲……というより、火山の煙とガスを多分に含んだ雲は吹き飛ばしても吹き飛ばしても直ぐに地球を覆い尽くしてしまう』
『酸性雨を経由して地表の岩肌に吸い込まれていくお陰で、二酸化炭素濃度も減り始めてはいるが、これはそんな変化が些細なものに思えるほどの大きな環境変化だ』

『……この環境の変化、当然、海にも大きな影響を与えるだろう』
『クトゥルフ自身は未だ地上での活動を続けているが、奴の右腕である邪神の一柱は、唯一の海を支配していた筈』
『まず、こいつを料理(言葉通りの意味)して、それを足がかりにクトゥルフの捕獲を試みるのも悪くはない』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

白、白、白。
世界は一面白銀に覆われ、荒れ狂う風雪はその白い光景すら霞ませる。
大気温度、実にマイナス50度。
太陽の熱を吸収する二酸化炭素が全て大地に吸収された世界は、生命の活動を許さぬ死の星を生み出していた。

《────────!》

風の音だけが響く死の世界に、エーテルを震わせて絶叫が迸る。
悲しみの悲鳴か赫怒の叫びか、命の在り得ぬ世界には似つかわしくない、苛烈な感情の熱を含んだ絶叫。
雪の切れ間に、声の主の姿が在った。
蝙蝠の翼を持つ蛸にも似た巨体の、しかし、その巨体すら真の実体ではない、異星からの来訪者。
後の世にて『旧支配者』と分類されることになる神の一柱、クトゥルフだ。

《──────》

神に人と同様な感情が存在しているか定かではないが、その神の声には嘆きにも憤りにも似た響きが存在した。
その向けられる先は、地平線の果てまで続く廃墟の街。
高度な科学力と魔術、非ユークリッド幾何学に準じた、見る者の精神を狂わせるような何処かが捻れた芸術的な建造物の数々。
無残にも打ち砕かれたその廃墟こそ、彼の眷属の建造した、彼の寝所でもある大都市『ルルイエ』
常ならば凍てつく大気を物ともしない彼の強壮なる眷属たちがひしめき合い、彼の目覚めを待っていた筈の、この惑星における彼の拠点。
しかし、数千年の浅い眠りから覚めた彼を待ち受けていたのは、見る影もなく砕かれた建造物と、ぞんざいに打ち捨てられた彼の眷属の骸の山。
彼の似姿の眷属、似姿を彼として崇めていた矮小なる末端の眷属、この惑星で生まれた新たな眷属に至るまで、皆平等に、この都市に居た眷属は、完膚なきまでに殺害されていた。

極寒の大気に晒され、血臭すら無く積み上がった屍山血河。
その上に、この惨状と、荒れ狂うクトゥルフを見下ろす影があった。
いや、影というのは語弊がある。
その姿には陰りは無く、凍てつく吹雪ですらその姿を隠すことは出来ない。
輝くその姿はまさに『光の巨神』とでも形容するのがふさわしい。
それは、ベテルギウスに座するとされる神の眷属、後の世に『星の戦士』と呼ばれる、クトゥルフを始めとする邪神と対になるとされている神々の端末に良く似ていた。
異なる点を挙げるとすれば、それが左右一対の手足を持つ完全な人型であるという事だろうか。
本来の『星の戦士』が持つ旧神の武器を持たずして並の邪神を凌駕する神気もまた、この『光の巨神』がただならぬモノである事を知らせていた。

《──》

無言のままクトゥルフを見下ろす《光の巨神》
だが当然、クトゥルフとて巨神の存在に気が付かない訳がない。
『光の巨神』を眷属の仇と見たか自らの敵と見たか。
それを判断しようとする者はこの場には居ない。
確実なのは、受ければ邪神にすら破滅的な結末を齎すだろうクトゥルフの神通力が、指向性を与えられて『光の巨神』に解き放たれたという事実。
七色に輝く怪光線が『光の巨神』に迫る。
単純な、ただ相手を害するためだけの神通力は文字通り光の早さで迫り、直撃すればたちどころに肉と魂を粉砕するだろう。

《HEA !》

だが、『光の巨神』は短い叫びと共に、バク転でその光線を回避。
バク転の軌道上に存在したクトゥルフの眷属達の死体が踏み潰され、次の瞬間には『光の巨神』の放つ存在力によって光の粒子に分解されていく。
『光の巨神』に回避されたクトゥルフの神通力もまた、眷属達の骸を躊躇いなく消滅させていく。
吹雪すら吹き飛ばし、しかし熱はなく、血しぶきすら上がらない戦場は神々しさよりも薄ら寒さを感じさせる。
互いの存亡を掛けた戦いという訳でもなく、無念に報いるためでもない。
恐らくは、互いがその存在を察知した、という事が最大の理由であるこの戦いは、神性さなどというものとはかけ離れた、善も悪もない原始的で荒々しい本来の意味での闘争だ。

クトゥルフの神通力が途絶え、『光の巨神』が両腕を交差させる。

《Shu-war-ch!》

怪光線。
それ以外に形容のしようもない、理屈の存在しない破壊力の迸り。
数多の宇宙的怪異を葬り去ってきたと言われれば、誰しもが疑うこと無く納得してしまう、圧倒的な殲滅力を誇る光の柱。

だが、クトゥルフとて何の備えもなく攻撃を受ける訳ではない。
クトゥルフの肉体が歪み、怪光線の軌道上に存在した部分に巨大な穴を開ける。
確かな形を持たないクトゥルフならではの戦闘法。
喰らい、死亡すれば、再生すらままならないその攻撃から逃れる為の最適解。
だが──

《──────!!?》

突如として現れたバリアがクトゥルフを取り囲み、その肉体を締め上げる。
光の板にも似たそのバリアはクトゥルフの肉体を圧殺するほどの力は無く、『光の巨神』の怪光線を防ぐほどの強度もない。
圧搾により穴を塞がれ、ガラスのように砕けるバリア越しに怪光線の直撃を喰らい、その怪光線の熱で全身を焼け爛れさせ、神経を狂わせ、もんどりうちながらルルイエの廃墟を砕き倒れこむ。

巻き上がるルルイエの残骸の粉塵。
クトゥルフの消えたその後に、凍りついた大地を砕きながら一つの影が現れる。

黒い甲冑に身を包み、ゴマダラカミキリにも似た甲殻を背負う異形。
雄牛のような二本角を生やした頭部には目も鼻も口もない。
しかし、不気味に明滅する発光体は、その黒い異形の意思を表すように楽しげに揺らいでいる。

《phyphopopopopo──》

鳴り響く電子音。
この黒い異形は機械の類であるのか。
だが、その身に宿す神気は並々ならぬものがあった。
クトゥルフに比べれば、圧倒的なまでに不足した力。
だがだからこそ、その不気味な明滅と電子音の奥に潜む企みが牙となる事を『光の巨神』は理解していた。

《zett-on……》

エーテルと大気を明確に音の形で震わせ、発せられる黒い異形の声。
それは、『光の巨神』に共闘を申し込むもの。
『光の巨神』は知っている。
このタイプの敵こそが最も厄介な敵となりうる事を。
何故ならば、奴らは自らの企みが上手くいく場面でしか事を起こさない。

《──────》

粉塵と吹雪の向こうから響くクトゥルフの怨嗟の声。
『光の巨神』は油断なく声の方向に構え、黒い異形に一瞬だけ注意を向け、視線をクトゥルフに戻す。
背を預けるでもなく、異なる場所からクトゥルフを狙う二体の巨人。
クトゥルフを狙う布陣でありながら、常に互いを視界の端から逃さない。
それは連携の為ではない、不意打ちに備えたものか。
束の間の、仮初の共闘。
この惑星の大気のように冷えきった関係性を保ちながら、荒ぶる神の戦いが始まろうとしていた。

―――――――――――――――――――
⊿月〓日(これが、光です!)

『どうにもこうにもどうにもならないクトゥルフとの戦いを繰り広げていたある日の事』
『俺が中々生け捕りされてくれないクトゥルフへの嫌がらせにゼットンごっこをしながらルルイエの都市部を蹂躙していると、空からクトゥグアのものとは異なる性質を持つ炎の珠が降りてきた』
『それは古のものの戦闘機っぽい飛行機械に激突することなく華麗に地表に着地し、とっても円谷っぽい素敵フォルムの巨人へと変貌を遂げたではないか』

『その瞬間、ウルトラマンSTORY0の初期の話を愛読していた俺の脳裏に電流走る……!』
『彼を捕縛して洗脳、改造してしまえば、クトゥルフ捕獲の為の貴重な手駒にできるのではないだろうか』
『企みは勿論成功』
『共闘を申し込んでも気を許してもらえなかったが、あの場に居なかったシュブさんに不意打ちで半身を吹き飛ばして貰う事であっさりと端末の材料にするのに必要な部分を手に入れる事ができた』
『クトゥグアさんの分霊の機械制御を試みた時の研究成果が残っていたお陰で、炎の生命体である彼の洗脳は驚くほどスムーズに完了したし、肉体も時間凍結を解いて日光に晒しておけば勝手に再生するだろう』
『取り込んでも取り込めない、原作から大きく逸脱した不安定な存在だからこその贅沢な使い方だ』
『彼はあくまでも星の戦士っぽいM78星雲辺りからの使者に過ぎないのである』
『まぁ、今の彼は亜空間で眠る間に合わせの下僕、端末の一つに過ぎないのだが』

『……欲を言えば、この辺は素直に星の戦士を取り込ませてもらいたかったのだが、千歳さん的にはこの古代の地球も無限螺旋の一部として捉え、旧神が来れない設定を貫くつもりであるらしい』
『面倒くさい人だが、彼女の作り出した世界のお陰で俺も大分成長できている』
『帰ったらスーパーで投げ売りされていた炭酸コーヒーと売れ残ってた処分品の塩チョコでも奢ってやる事にしよう』

―――――――――――――――――――

〓月§日(さ む い)

『絶賛地球凍結中』
『古のものはコロニーに引きこもり、クトゥルフの眷属たちが凍りついた大地にへばりつき動きを鈍らせる』
『寒さは厳しくなる一方だ。誰だ全球凍結時代の気温はマイナス50度とか言い出したのは、確実に倍は寒い』

『しかもあまりの寒さにシュブさんが巨大な土鍋に潜り込んでしまった』
『コンロに乗せて火にかけても温泉に浸かった獣の様な気持ちよさそうな唸り声を上げるばかりで中々出てきてくれない』
『鍋の中でくつくつと煮える触手肉塊状態のシュブさんは、まるで海鮮つみれ煮込みうどんのようで(胃が)ムラムラして三大欲求の内の一つ(勿論食欲)が強く刺激される』
『でも箸で突付くと変に色っぽい声を出すから食べたりはできないのである、残念』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

ごうごうと風が唸る外の景色を眺めながら、こたつから身を乗り出す。
通常のこたつよりも一周り大きいこたつの天板の上には、これまた巨大な、特注サイズのガスコンロ。
ガスコンロが吹き出す青い炎がじりじりと熱を与え続ける、巨大な土鍋。
鍋つかみを使って、土鍋の蓋を開く。

「───cuqurrrr……」

吹き出す湯気の向こうに見えるのは、触手綿肉団子状態のシュブさん。
くつくつと煮立ったまま、しかしその熱を物ともせずに気持ちよさそうに眠っている。
感覚的には、自動で水温を調整する風呂の中でうたた寝する感じに近いのだろうか。
シュブさんの身体に当たらないようにお玉を入れ、スープを掬い、味を見る。
……うん、シュブさんの身体のサイズに合わせた土鍋を用意するという口実で仕込んでおいた出汁パック、シュブさんから抽出される出汁と相まって、中々に味わい深い。
お玉でスープを茶碗に一杯分だけ移し、土鍋の横に積んであったシャンタクの卵を手に取り、鍋の縁で割れ目を入れ、土鍋の中、シュブさんの上に卵を落とす。

「────きゅっ──」

シュブさんが落とされた卵の感触にむずがり、触手をくねらせる。
卵は冷たくないように、なおかつ鍋の温度を下げないように事前にコタツの上で暖めていたのだが、鍋の中の温度に慣れたシュブさんにはそれでも少し冷たいらしい。
暫しの間、鍋の中でしゅるしゅると触手を蠢かせていたシュブさんだったが、卵の白身が熱を通されて白濁を始めると、寝苦しそうに喘ぎながら触手を蠢かせるのをやめ、再び寝息を立て始める。

危ないところだった。
これで飾り切りした人参とか、白菜とか入れてたら確実に起こしてたな。
まぁ、慌てる必要はない。
俺はスープの中で半熟になった卵を食べたいだけなんだ。
それに尊敬する恩人で出汁を取ったスープとか、爪の垢を煎じて飲むとかそういう方向性で、如何にもご利益がありそうじゃないか。
問題があるとすれば、恩人を自分の成長の為の出汁にしているみたいで罪悪感がある。という点か。

「…………ふぅ」

虚しい。
ここで姉さんが、もしくは美鳥が居れば、口にしてもいない俺の内心に突っ込みをいれてくれたろうに。
これも、姉さんの想定していた試練なのだろうが、まったく、実にピンポイントで俺のウィークポイントを突いてくれる。

湯気を立てるスープを小さく一口だけ口に含み、窓の外を眺める。
ここ数千年、まったく代わり映えしない、分厚い透過ガラスの向こうの景色。
全球凍結は、まだまだ終わりそうもない。

―――――――――――――――――――

∂月Å日()

『記憶の中の姉さんとの会話ログを脳内再生していたら何千年か経過していたらしい』
『一頻り再生し終えて一息吐いたら、シュブさんに超近距離でじっと見つめられていてびっくりした』
『流石に、シュブさんを放置しすぎたかもしれない』
『だが、鬼械神内部の居住スペース(レジャーホテル程度のサイズ。遊興施設付き)では、俺のように思い出を反芻するのでも無ければ時間を潰すのは限界がある』
『……少し、試しに地球の外に出てみようか』

同日追記
『地球脱出の為に大気圏突破しようと思ったらクトゥルフに撃墜された』
『機体内部に安置していた製作中の10/1マジカル姉さん神像がぶっ倒れてしまった』
『時間の流れが存在しない物質であるため、破損はしないが、しないが』
『なるほど、よし、わかった。俺とあのクトゥルフの間には前世からの因縁的な宿敵の縁があるのだろう』
『殺す』

―――――――――――――――――――

〆月∥日(必殺の一人レムリア・インパクト零零零式で)

『クトゥルフを粉微塵にしようと思ったが、残念、MPと分体が足りない』
『もう少しDG細胞による自己進化が進めばニャルパワーが無くてもニャル形態と同じことができそうなのだが』
『とりあえず素レムリアってみたが、全盛期のクトゥルフは堪える様子もない』
『何言ってるかわからん雄叫びも、心なしか俺を煽っているような気がする』

『離脱して、マジカル姉さん神像の仕上げを行う』
『完成した。我ながら見事な出来だ』
『だが、前回のクトゥルフの迎撃がなければ、もっと心穏やかに完成式を向かえられたものを』
『……姉さんなら、あの程度の不意打ち、対処するまでもなくカウンターで殲滅できただろう』
『美鳥であれば、ああいう時に周囲に最大限の警戒を行った上で、更に何か無いか調べ続ける程度の事はした筈だ』
『何度もトリップを繰り返したのに、俺は一人では邪神一つ満足に倒せない』
『悔しくて涙が出た』

『とりあえず、クトゥルフへのリベンジが達成できるまで、地球からの脱出は無しだ』
『シュブさん用に、PSPのパタポンを改造してバリエーションを増やしておく』
『申し訳ないけど、暫くは魔改造ゲームで時間を潰して貰う事になるだろう』
『弁解せずに頭を下げてそう言ったら、頭をなでられた』
『シュブさんは目下の者に甘いところがあると思う。嫌いではないが、それでシュブさんを利用しようと思うものも出てくるのではないだろうか』
『何時か、とりあえず現代に戻った後にでも、この恩は返そう』

―――――――――――――――――――

そして、地球全土が凍りついてから、数千万年の時が流れ……。

「俺達は……」

全身の力を凝縮するように、かがむ。
否、文字通り、俺の中に今現在存在するエネルギーを、破壊力に変換せずに、只々圧縮し、凝縮する。
体内に、かつて見た原始地球のマグマ・オーシャンを幻視する程に、練り上げる。

「今──ら……」

隣のシュブさんも俺と同じ構え。
触手の塊のようで居て、しかし、その居住まいには何処かホッとする強大な包容力が感じられる。
体内にはいつもの様に、自然体のままで、命の星を生み出せるほどのエネルギーを凝縮している事だろう。

屈んで、屈んで、身体を丸めるようにしてエネルギーを凝縮していく。
母の胎内で眠る胎児の様に丸められた身体には、星を壊すよりも過剰なまでの力が練り上げられる。
そうだ、星を壊すのなんて簡単で仕方がない。
これが、これこそが、新生の瞬間。

《富士山だっっ!!!》

飛び上がり、力を解き放つ。
『地球さん地球さん、もうちょい暖かくなってもいいのよ?』
そんな、コタツと土鍋暮らしに飽きた俺達の祈りを込めて。
俺とシュブさんの声は真言となり、世界に響き渡る。

冬眠にも飽きた俺とシュブさんの身を焦がすほどの情熱的な祈りを受け、全世界の休眠中の火山が一斉に活性化。
シュブさんと俺の居たところを中心に大陸はマグマの海と化し、分厚く氷を張っていた海は一瞬にして煮え滾る熱湯に。
遠く、未だ地上にあるルルイエで、俺とシュブさんの祈りを聞いてしまったクトゥルフが、眠っている最中にコケる夢を見て身体をビクッとさせながら起きる様な感じでうたた寝から目覚めた瞬間の驚きのテレパシーを感知。

海の底では、地球産〈深きものども〉のベースになるだろう海底人類ノンマルトが、今の俺達の祈りの影響で強力なテレパシー受信能力に目覚めた気配を感じる。
送信機能のないテレパシー受信機能は害にしかならないだろう。
強力なテレパス達のイメージを増幅させて受け取るとなれば、それは脳内の思考、本能の書換を行われるのと同じ事だ。
超能力を持つ生物は原始的であるとも言われている。これからは知性も退化していくのかもしれない。
まぁ所詮、いつの間に現れたかもわからん、しかも後の地球人に支配権を奪われるような弱小種族。
クトゥルフ捕獲の際には邪魔にもならないような連中だし、気にする必要もない。

解き放たれた俺とシュブさんのエネルギーは巨大な渦を作り、地球を覆い尽くしていた雲の一部を弾き飛ばす。
外宇宙にすら届くこのエネルギーは、暫くの間、この場所を中心とした広い地域に日輪の輝きを齎すだろう。
そう、

「これでひなたぼっこができますね!」

降り注ぐ宇宙線の元で、レジャーシートを地面に敷いて、ビーチパラソルで少しだけ影を作って寝転がる。
地球が完全に凍結している状態ではできない贅沢。
やばい、身体が震えてきやがった。
これは、クトゥルフの眷属や〈古のもの〉、全球凍結中に地球に来訪した飛行するポリプの天日干しという新たなジャンルが生まれる予兆なのか。
やれやれ、凍結が解けた途端に嵐が巻き起こるとは、地球はやっぱり俺を飽きさせる事がない。

「洗濯────お布団───お外──干──!」

シュブさんが雲状になったボディに、嬉しそうに歪んだ縦に裂けた口に、満面の笑みを浮かべて洗濯物を抱えている。
それはありがたい。如何に鬼械神の中を広く作ったとしても、そこら辺の適当なスペースで部屋干しされているシュブさんの下着?(シュブさんの奔放な肉体形状に合わせてデザインが変わるため、稀に下着なのか魔術礼装なのか大漁旗なのかよく分からない繊維質の塊なのかわからなくなる)が干されている状況というのは精神的に来る物がある。
こう、寝起きに洗った顔を拭こうと思ったら、タオルを干してあった場所にパンツが干してあるとかザラだったし。

「あ、見てくださいシュブさん! なんか干物っぽいの落ちてますよ干物!」

さっきの瞬間地球温暖化の余波を浴びて、全身から生体エナジーを奪われたっぽい生き物の残骸があちこちに落ちているではないか。
すげー、なんか魚とエビと蝉と牙虫の間の子みたい。キモいわこれマジで満開キモい。
そういえば、この辺りって〈降臨者〉の実験が行われてたんだっけ。
あの遺跡──連中の宇宙船も、少し酸味の強い柘榴みたいで美味しかったなぁ……。
強殖装甲ユニットは取り込んでも消えるスカだったけど、構成員の宇宙人たちは色々居て見て面白く食べて面白くで、中々に愉快な連中だった。

「……なん──近食べ──っかり────?」

洗濯籠を傍らの物干し台の下に置きながら苦笑するシュブさん。
カロリーコントロールが必要なのかどうなのかわからないが、シュブさんは形状が変化することはあっても食べ過ぎで太ったことはないっぽい。
この苦笑は、単に俺達の最近の行動原理に関して思うところがあるのだろう。
特に最近は、アレ食べたいから捕獲しようぜ! 捕獲するために試しに討伐しようぜ! みたいな流ればっかりだし。

「でも他の文明的な行為なんて、一万年もあれば完成できちゃいますし、時間つぶしには丁度いいじゃないですか」

いやホント、複製無しで一からロボットとかシミュレーターとか作ろうってのもやったといえばやったんだ。
地面掘って鉱石掘り出して土で竈作って製鉄とかの技術確立して微生物の死骸の時間弄って石油とかも作ってそこから基盤作ってチップ作って……。
そりゃ、事前に作り方知ってて、その上で人類史よりも長い時間があるんだから作れないほうがおかしい。
結局、シミュレーターとか惑星一個分のエミュレーターとか作ったけど、無限螺旋後の世界とか少し予測してみた所でやることなくなって異次元倉庫にぶん投げた。
そりゃ、コンピュータ様が支配する世界とか安定する訳無いわ。
チクタクマンが出なくてもスカイネットもHALも出てくるし、九割方途中で人類滅ぶし。

そこを行くと、料理はマジで奥が深い。
何万年、何億年と繰り返しても完全な物を作ることは出来ないし、〈降臨者〉と〈古のもの〉の生体実験のお陰で限定食材も僅かながら手に入るようになった。
日課の修行とかを抜きにした後の残り時間は、大概家事かシュブさんとのレクリエーションか惰眠か料理に費やされているのは、果ての見えないその道を歩くのがとてもやりがいがあるからに他ならない。

「それにほら、せっかくいい天気にしたんですから、晴れてる内に晴れてるなりの事をしましょう。洗濯物も手伝いますから」

力技で無理やり地球を暖めたが、地球自体に秘められた力も割りと強固であるという事を忘れてはならない。
そう遠くない未来に再び地球は凍結し、完全なる復活にはさらなる時間を要するだろう。

洗濯が終わったら、七輪出してさっきのキモいのを焼いてみよう。
味付けは、こんがり焼けた所でシンプルに醤油を垂らすだけ。
キモい生き物は食べてみると意外と美味しいの法則からすれば、これも今しか食べれない貴重な美食となるかもしれない。
なんか明らかに自然界で自生出来なさそうな無駄構造ばっかだったし、後の世で美味しく進化した子孫に出会うことは在り得ないだろう。

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~月゜日(あの時食べたゲテモノ生物の味を例える言葉を僕たちはまだ知らない)

『妥協に妥協を重ねて言うとウニと鶏もも肉の中間』
『それはともかく、人工的な温暖期を終え、再び氷河期に突入』
『一区切りという事で日記を読み返してみたら、ここ数百万年、殆ど食い物のことしか書いてなかった。それ以前はパタポンの事ばかり』
『でも俺は悪くない。地球外に出ようとするとクトゥルフに足引されるし、文化交流できるような連中とは殆ど可能な限りの交流を終えてしまっている。仕方がないではないか』
『でも、料理ばっかってのもなぁ』
『解決策を考えておこうと思う』

―――――――――――――――――――

♭月∃日(なんだかんだ言って)

『シュブさんをスケッチしたり、写真に取ったり、それなりに文化的な生活は送っている』
『記憶を定期的に封印したり、部分的に初期化すれば飽きることもない』
『ただ、その中心に来るのが料理とか食い倒れになるだけなのだ』
『ここ最近のヒットは古代生物料理から少し離れ、コーンフレーク』

『この全球凍結が解けた後に訪れるのは、みんな大好きカンブリア大爆発』
『元の世界の歴史上でも恐ろしくカオスだったろうこの時代、デモベ二次創作であるこの世界でも、まともな時代である筈もなく』
『何がやってくるかわからない以上、パワーアップは急務と言える』
『そこで登場するのがコーンフレークだ』
『毎朝山盛り二杯のコーンフレークを食べることで、人は鬱フラグを『だがもうなくなった!』する事ができるのである』
『その効果は絶大で、神(さくしゃ)の鬱展開をてんこ盛りにしてやろうという思惑を『どうだ、あてがはずれてがっかりしたか』とせせら笑うことすら可能だという』

『しかもこのコーンフレーク、出来合いの牛乳ではなく、早朝に絞ったらしい山羊ミルクを使用しているため、力がみなぎるだけでなく、すこぶる美味しい』
『何が凄いって、美味しすぎて普通に幻覚が視えてくるレベルで美味しい』
『俺も以前に取り込ませて貰ったので複製を作れるのだが、何故かこの搾りたての味には敵わない』

『一体、何が味の違いに繋がるのだろうか』
『コーンフレーク健康法を始めた頃から、シュブさんが夜中に姿を晦ますところまでは掴んでいる』
『そろそろ解き明かさなければならないのかもしれない』
『あの山羊ミルク(仮)の、美味しさの秘密を』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

ベージュのシャツを肌蹴て顕になる、新雪の様に白い、それでいて精気に満ちた瑞々しい肌。
ゆっくりと焦らすように、背中から二本の触手を滑らせる。
しっとりと汗ばんだ触手に吸い付くような肌は、真っ赤に充血した触手を求めているかのよう。

「──んっ……────」

鼻にかかるような、シュブさんの吐息。
背後から覆いかぶさる俺に、その表情は見えない。
ただ、熱を持った肌は、俺の嗅覚にシュブさんの髪の毛と肌の匂いを強く伝えてくる。
首筋に顔を埋めて、匂いを嗅ぐ。
少し癖の強いショートカットのシュブさんの髪は、上等な生地のようで触り心地もいい。
息を吸うのに合わせて、シュブさんの背中が少し強張るのを感じた。

「すいません、少し、乱暴でしたか?」

シュブさんに言われた通りの手順、それ即ち、シュブさんが一人でしている、慣れた手順ということ。
何処かでシュブさんをびっくりさせるような間違いをしてしまったか。

「ん──、思──手馴────」

肩越しに向けられるシュブさんの艶やかな微笑。
汗で頬に張り付いた一筋の髪の毛を、指で直す。
くすぐったそうに笑うシュブさん。

「俺も、そんなに数をこなしたわけじゃ無いんですがね」

それこそ、本業に比べれば熟練度は桁外れに低い。
こういう事は、仕事から離れた私的な時間、誰かの手伝いで行なっているばかりで、専業で行なっていた事は無いからだ。
シュブさんの満足いくようなテクニックがあるかは、少しばかり怪しい。

触手を増やし、するするとシュブさんの身体に這わせ、巻き付く。
レギンスに包まれた腰から尻に、腿を辿り、両足の間を抜けて足先までに絡みつかせる。
脇の下から入れた触手で手首を縛り上げ、そのまま天井に触手の先端を貼り付ける。
豊かな二つの膨らみを大気に晒し、牧場の家畜の様に繋がれたシュブさんの姿は、傍目に酷く扇情的に映るだろう。男──俺に背後から伸し掛かられているのだから、余計に。
だが、今のこの場にそんな事を気にする人は居ない。
ここに居るのは、俺とシュブさんだけ。

足に絡みつく触手の先端から新たに細い触手を生やし足先、指の間へと伸ばす。
足の指の間を、舌の様に滑る触手が丹念に舐っていく。
顔を寄せて舌で舐めるように、じっくり、丁寧に。

「……っ、──ぁっ」

足先から得られる快楽は、どうしても強いものにはならない。
しかし、くすぐったさと混ざり合った感覚からか、シュブさんは短く声を漏らす。
血行を促進する効果のある粘液は、足先から伝わる感覚をゆっくりと意識させるだろう。

同時に、分岐した細い触手を数本、レギンスの裾から侵入させる。
遅すぎず早すぎず、脚線をなぞるように登っていく触手。
レギンス越しに見える這い登る触手に向けられたシュブさんの瞳には、僅かな恐れと強い期待の熱が込められていた。
シュブさんの、声に成らない吐息が耳朶を打つ。

「シュブさん、これ、好きですよね?」

耳元に口を寄せ、囁く。
シュブさんは一瞬だけぎくりと身体を震わせ、俯き、観念したかのようにきつく結んでいた口を開く。

「ぅ……ん、────き」

形の良い、濡れているように艶やかな唇から声が漏れる。
蚊の鳴くような小さな声。
聞こえなかった訳ではないが……、脚を舐らせていた触手の動きを止める。
触手の触れていない部分を無くすように、ゆっくりと肌の上を這いながら脚を登っていた触手は、丁度シュブさんの膝の裏に到達する寸前でピタリと停止。

「な──、────?」

責めの触手が止まった事に不満の声を上げるシュブさん。
黙殺し、触手でやわやわと脹脛に粘液を刷り込み続ける。
敏感な箇所に近く、しかし感覚的には程遠い場所だ。
粘液を刷り込み続けている内に、シュブさんがもじもじと太腿を擦り合わせ始める。
顔を上げ振り返り、肩越しにこちらを見つめる表情は、羞恥により紅潮しているのが見て取れた。

「──れ、好き、好きな────や──ちゃ、やだぁ……!」

今度こそ、ハッキリと自らの嗜好を口にした。
恋人でもない男にあられもない姿を晒し、奉仕を要求する。
その事に羞恥心が振り切ったのか、後半は涙を浮かべての懇願だ。

「そんなに、して欲しいんですか? こんな風に?」

脹脛で止まっていた触手を、存在を誇示するようにゆっくりと、肌に押し付けるようにして登らせていく。
膝、膝の裏を経由し、太腿へ。
肌の下に太い血管の存在を感じる、女性らしい僅かな脂肪に覆われた、立ち仕事をしている人特有の筋肉質な脚。
レギンスの下、太腿に巻き付いた細い触手の先端が、内腿で音を立ててのたうつ。
ぺちゃぺちゃと、水気の多い舌で舐め回すような音が響く。

「ぁ────、ぁっ──」

シュブさんは喉を張り出し、半開きの口から嗚咽のような嬌声を上げる。
蕩けた表情、嫌がる素振り一つ見せず、与えられる感覚に酔いしれているその姿からは、普段の大衆食堂の店主としての毅然とした態度を想像することは難しいだろう。
粘液でぐしょぐしょに濡れていたレギンスは、未だ触手も粘液も届いていない筈の箇所までも湿り気を帯び始め、今にも水滴が滴り落ちそうな程。
臀部の谷間にあてがわれた触手が、ひくひくと開閉する窄まりにかすめる度、俺の粘液でない何かが、シュブさんからこんこんと湧きだしてレギンスを濡らす。

「──っちも、────っちも強──めて──」

痙攣を繰り返し、今にも膝から崩れ落ちそうになりながら上半身を仰け反らせ、曝け出されていた豊かな双丘を揺らす。
脚を舐める前までは、僅かな身じろぎでたゆんと形を変えていたそれは、今ではどこか、水を大量に詰めた風船の様に張り詰めていた。
シュブさんが身体を動かす毎に少しずつずり落ちてきたシャツが、胸の先端を隠している。
固く勃起したその先端の膨らみが触れた箇所は、僅かに濡れていた。

「こんなにパンパンにして……いやらしい」

触手でシャツをめくり上げ、両の手と触手を張り詰めた乳房に添える。
指を押し込むまでもなく、触れた瞬間に、先端から白、いや、クリーム色の液体が『ぴゅ』と飛び出した。
びくっ、と身体を強く震わせるシュブさん。

「──ん、す──少し出し──けなのに──」

瞼が閉じかけた瞳は、溢れる涙もそのままに目尻を下げ、半開きのまま唇の端から涎を垂らし、だらしなく脱力した舌を僅かに覗かせている。
最早隠すつもりの欠片もない、快楽に蕩けた雌の顔。

「もっ──絞っ────みるく、びゅぅって、──せて……ん、ひ──ぁぁっ!」

言われた通り、ミルクの詰まった乳房を、付け根から押し出すように絞る。
力任せで、されたら絶対に痛いと解る絞り方。
シュブさんの悲鳴のように激しく嬌声。
びゅ、びゅる、びゅるるるっ、と、そんな音を出しながら、とろみすらある濃いミルクが先端から噴出し、牛乳缶に僅かに溜まる。

「あ、あぁ、はぁ……は──」

男の射精にも似た噴乳に、シュブさんは強い快楽と虚脱感を同時に味わっているらしく、蕩けた顔のまま、ぐったりと触手に身を任せている。
牛乳缶の中を覗き見る。朝食で使う分には足りそうにない。
乳房は張り詰めたままで、未だに大量のミルクが詰まっている事を感触で教えてくれる。
脱力したままのシュブさんの乳房に、再び手と触手を添える。

「────! や、──休ませ──!」

困惑と焦り、僅かな情欲の滲む顔のシュブさん。
俺はそれに言葉ではなく、容赦なく乳房を握り潰すように絞る事で返答とした。

「──! ────!!」

絶叫。
ぷし、と、先端を細めたホースから水を出すような音と共に、シュブさんの太腿を伝い、足元に匂いのない透明な液体が水たまりを作った。
そして、先程のそれと劣らない勢いで牛乳缶の中に吹き出すミルク。
この勢いなら後二度程絞れば朝食分は用意出来るはずだ。

「シュブさん。(念のため)後六回ほど、お願いしますね?」

「────う、ん、わか──ぁ……」

シュブさんは紅潮した頬を涙で頬を濡らし、何かを吹っ切った様な笑顔で、嬉しそうに頷いた。

―――――――――――――――――――

∠月∪日(驚愕の新事実!)

『あの山羊ミルクは、なんとシュブさんのぼにうであったらしい』
『念のため、断りを入れてから直飲みさせて貰ったが、本当にあのミルクはシュブさんの身体から生成されるものであった』
『朝食の為にミルクを絞りに行くシュブさんを尾行して、牛乳缶に向けて自らの乳を絞る姿を目撃した時はどんな特殊プレイだとドン引きしたものだが、まさか本当にそんな理由だったとは』

『その事実が発覚した後、自分以外の協力者の手を借りれば更に効率的に、より栄養価の高い美味しいミルクが出せるということで俺も手伝う事になったのだが』
『……あの搾乳方法はどうにかならないだろうか。あれでは、こう、なんというか』
『俺が無礼にもシュブさんに向かって性的な行為をしているようではないか』
『シュブさんの地元に伝わる伝統的搾乳方法で、しかも、魔術的に優れた搾乳方法でありながら同時に科学的にも正しい搾乳方法と言われてしまえば、こちらはツッコミのしようもない』

『搾乳中はあんなに無防備になるというのに、抵抗する素振りすら見せずに身体を預けるとは、シュブさんは少し警戒心が足りないのではないか』
『シュブさんを慕う人は、アーカムどころか、地球上至る所に、それどころか、星の海の向こうにも数多く存在する』
『少なくとも、注意してくれる連中がそれなりの数集まる元の時代に戻るまで、俺がシュブさんの事を守っていくとしよう』
『あの時代で、再びニグラス亭の唐揚げ定食を食べるために……!』

―――――――――――――――――――

‥月‡日(全球凍結明け)

『現代の研究では、全球凍結が明けた直後から、それ以前では見られないような形状の生物が多く見られるようになったという』
『全球凍結明けからカンブリア紀が始まるまでの数千万年程の時間、地球を席巻していたと思われているエディアカラ生物群だが、その扱いは、大概何処に言っても粗雑なものだ』
『実際に学会などでどのように取り扱われているかを調べたことはないが、直後にカンブリアン・エクスプロージョン(必殺技ではないが、必殺技の名前にしてもいい格好良さだと思う)という大事件が起こるため、どうにも派手さに欠ける』
『大芸人の前座の新人的というか、場を温めることだけが目的というか』
『さらに言うと美味しくもない。ごま油とオイスターソースと味覇を一緒に使うと中華っぽくなる不思議料理でも誤魔化せないほど美味しくない』
『不味いとかじゃなく、美味しくない。リアクションも取れない微妙料理とか大概にして欲しい』
『シュブさんも黙って首を横に振るレベル。処置なしだ』

『……だから、久々のクトゥルフとの戯れで放ったスーパー江ノ島キックで大移動を果たしたロディニア大陸に巻き込まれて大部分が死滅してしまっても』
『僕は悪くない』

―――――――――――――――――――

¶月¶日(舞え、『踊る蝶々』!)

『などと始解っぽい宣言をしつつシュブさんとあやとりをしていたら、案の定エディアカラ生物群の霊圧が消えた』
『これだから完全地球原産の生物は根性がないとか言われるんだ。俺に』
『まぁ、だからといって他の〈古のもの〉だの飛行ポリプ──〈盲目のもの〉だのに気合が入っている訳ではないのだが』

『さて、連中が絶滅したからには原因が存在する』
『俺をぬか喜びさせるためにクトゥルフと愉快な下僕どもがやらかしたという可能性もあるが、その可能性は低いだろう』
『例えば〈古のもの〉や〈降臨者〉の作り上げた実験動物たちが一斉に逃げ出し、それらの餌になって消えてしまう可能性の方が余程高い』
『いや、世界の成り立ちから考えれば、カンブリアンモンスターは異星人達の手による生体実験の果てに生まれたのだと考えても何もおかしなところはない』
『太古の地球、そこ浮かぶ生物の残影は、宇宙の闇に潜むコズミックホラーに通じる珍奇なデザインラインを彷彿とさせる』
『実際問題、事前知識無しでカンブリアンモンスターの中に〈古のもの〉を混ぜたら違和感は全くない』

『つまり何が言いたいかって言うと、カンブリアンモンスターってクールなデザインだよねって話なわけ』
『この日記を書き終えたら、シュブさんを連れて海に行こう』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

カンブリア紀に突入した俺の一日は、目覚めと共に、身体によじ登ってきた無数のマルレラを触手で優しく地面に下ろすところから始まる。
地面に下ろされた無数のマルレラたちに、食べやすいサイズに合成した餌を撒き、観察する。
頭部に存在する巨大な構造色の棘を揺らし、体節から生えた細長い脚で餌をかき集める様は中々に愛嬌があってよろしい。

餌をばら撒いてしばらくすると、背の棘を逆立てた顔のない細長い身体をのっそりと動かしながら、ハルキゲニアがやってきた。
彼等の分の餌は、実はマルレラの物とは別枠で少し腐らせた餌を用意してあるのだが、割りとお構いなしに近場の餌へと首っぽい部分を伸ばしている。

良く知られたカンブリアンモンスターだけではない。
元の世界の図鑑では見たことも聞いたこともない珍奇な見た目の生物が、思い思いに集まり、うろつき、撒かれた餌に貪り付き、餌を貪る動物に更に喰らいつく連中も居る。
彼等に共通して言えることは、現代の人類の生活圏では中々お目にかかれない奇妙奇天烈奇々怪々なその姿と生態、そして、意外と単純な構造。
芸術的ですらあるといえる。前衛芸術の類であることは言うまでもないが。

勿論、この時代の生物は陸上生活に適応していない、俺が寝床を水中に移しているのだ。
カンブリアン・モンスターが住まうのは基本的に浅瀬の海であるため、水中独特の薄暗さはあまり無く、朝の訪れを陽の光で感じることは難しくない。
地上にも、〈古のもの〉などが逃がしてしまった生物や〈降臨者〉が育成中の生物兵器が存在するが、それらは今は考えなくていい。
地球の楽園は、間違いなくここにあるのだから。

「────ぉ……」

「あ、お早う御座います」

上半身だけを起こしマルレラの構造色の角を観察し続けていると、唇を少し尖らせたシュブさんから朝の挨拶を貰った。
警戒の為に寝床を同じくするという策は今も続けている。
俺の趣味の為にシュブさんに迷惑をかける訳にもいかないのでこれを機会に寝床を別にしようとも提案したのだが、シュブさんは頑として寝床を分けるのを反対した。
その警戒心を何故異性に対して働かせることができないのか、甚だ疑問である。
が、それを差し置いても、シュブさんが水中生活に妥協してくれたのは素直に嬉しい

「いやぁ、今日も良いカンブリア紀ですね。ほらシュブさん、この間拾ったオパビニアがこんなに大きく」

少し離れた場所で掃除機の様な捕食手を持つエビっぽい生物を触手を伸ばして捕まえ近くに引き寄せ、その目の前に特製の栄養剤を置く。
上方向に広い視野を持つオパビニアだが、その視力は決して優れている訳ではない。
暫しの間見当違いな方向にうろちょろした挙句、やっとの思いで栄養剤に触腕を伸ばし、触腕の付け根の口元に運んでいく。
可愛いなぁ……。

「──には、可愛────ってくれない──」

ぷー、と頬を膨らませるシュブさん。
俺は周囲一帯の生物たちに餌を撒きながら、シュブさんを宥める。

「そりゃ、怪生物の小動物的な可愛さと、シュブさんの女性的な可愛らしさは違いますからね」

そもそも、そういう事を軽々しく女性に向けるのは、少し不誠実に感じる。
逆に、素直に褒めないのも不誠実にあたるのだろうが、そこは文化の違いと諦めて欲しい。

「そ、──? 可愛──かな……?」

もじもじと触手の先端を合わせて身をくねらせるシュブさん。
水中用の、水流に合わせてひらひらと揺れる裾が広いパジャマも相まって、その姿は実にあざと可愛い。
そういうリアクションされるから、褒めにくいってのもあるのだが。

カタカタカタ、カタカタカタ、と、鳴子を鳴らすような音と共に、水面から刺す光が遮られた。
見上げれば、そこには全長二メートルに迫ろうかという巨大なエビ……ではなく、アノマロカリス。
身体の両端に存在する硬質の鰭を波打たせ悠々と太古の海を泳ぐ姿は、この時代の生態ピラミッドの頂点に立つにふさわしい風格を感じさせる。

この個体の愛称はマロ。
生まれたばかりで餌も自力で取れず、他の生物に捕食されそうになっていたところを捕獲し、俺が特製の栄養剤を使用してここまで育て上げた自慢の一匹。
初代ポケモンで言えば最初に捕まえたポッポやコラッタ、初代デジモンで言えば無難に育てていれば進化するアグモン、武装神姫で言えば最初に貰えるやんばると同じ立ち位置に居るのがこいつだ。
餌も厳選に厳選を重ねて素材から選んだ特別製を使用しているだけあって、他の野良アノマロカリスと比べて非常に機敏で強靭である。

「どうしたマロ、そんなに慌てて」

アノマロカリスは非常に原始的な構造の生物であり、慌てる、という感情を持つ筈もない。
だが、外宇宙からの来訪者達を除いた生態系の頂点に立つ生物としては有り得ないほど、マロは何かを警戒しているように見える。
体内の魔力溜りが原因だろうか、一見して害は無いようだが……。
見れば、特別な餌を与えて飼育している連中は、マロに呼応するように慌ただしく右往左往し始めているではないか。

「卓──ん」

シュブさんに促され、バイタルネットに知覚を同調させる。
バイタルネットを通して知覚したのは、遠く大陸の内陸部からこちらを捕捉し、攻撃的な力を練り上げているクトゥルフの姿。
ふん、前に足元の大陸を吹き飛ばして海に叩き落してやってから大人しくしていたから、てっきり戦意を喪失したものとばかり思っていたが、中々にしぶとい。
向けられる力の規模、サイトロンによる未来予測を組み合わせた結果、この周辺諸共に吹き飛ばそうとしているようだ。
……まったく、この海中の楽園を吹き飛ばそうとは、見下げ果てたスッタコだ。
このパラダイスでシュブさんとヴァカンスをしている間くらいは襲撃しないでおいてやろうと思ったが、どうにもそういう訳にはいかないらしい。

立ち上がり、慌ただしく漂っていたマロに触手を伸ばす。
掴んで引き寄せるまでもなく、マロは身体に触れた触手を辿ってこちらに身を寄せてきた。
まともに思考する頭脳すら無い生物が、これほどまでに俺に懐いてくれている。
例えそれが餌目当てであったとしても、自らに擦り寄る動物を無碍にはできない。

マロの中の魔力溜りに干渉、気持ち程度の生体強化と、行動の指定を行う。
感染魔術の応用で、周囲一帯の、俺が餌付けしていた名無しの個体達にも同じ効果と命令を。
『この場を離れ、より沖の海底を住処とせよ』
これが、俺が与えるこいつらへの最後の命令。
クトゥルフに再び捕捉された以上、もう俺の周囲はまともな生物にとって安全な場所とは言い難くなる。
指定した座標は、過去の幾つかの俺災害で〈古のもの〉達は忌避して近づくことも出来ない場所になっている。
こいつらの安全を思えば、ここで別れるのが最良なのだ。

「達者で暮らせよ」

触手でマロの口元を撫でる。
応じるように、マロは円環状に並んだ歯で触手を噛んできた。
三葉虫も噛み砕けないような、軽い甘咬み。
それが名残を惜しむ仕草に思えたのは、俺の感傷だろうか。
感情を感じさせない艶のない黒い眼が、何かを訴えかけているようにすら見える。
触手を噛む感触は、親の袖を引く子の手か。
マロがしっかりと噛んで放さない触手を根本から切り離す。

「行きましょう、シュブさん」

切り離された触手を放さず、しかし、向け続けられる視線を振り切るように、シュブさんを促して浮上を開始する。

「────と一緒──逃──いい──よ?」

「言わないで下さいな。……これでいい、これでいいんですよ、きっと」

心配げに撤退を提案するシュブさんに首を横に振って応える。
これからも、クトゥルフとの戦いは続く。
戦いで巻き込まれるのがコズミックホラーな連中や、さして関わりのない野良なら、何も問題はない。
でも、彼奴等を巻き込みたくはない。
理屈ではなく、俺の心がそう感じている。

ロマン溢れるカンブリアン・モンスター達との日々が脳裏に過る。
その中でも、餌付けを成功させてくれた、あの幼きアノマロカリス。
あんなに小さかったマロが、今では同類の中でも並ぶものの居ないほどの立派な肉体を手に入れて。
あいつなら、何処に行っても、餌を取れないなんて事はないだろう。
きっともう、俺の助けが無くてもやっていける。

だから、俺は俺の日課を再開しよう。

「行きましょう、シュブさん。今日こそクトゥルフを宇宙塩で味噌鰤に仕立て上げるのです!」

「──鰤──ゃない────」

「知ってます!」

冷静にツッコミを入れるシュブさん。
こちらの強がりを受け入れて合わせてくれる懐の深さに感謝しつつ、変身。
陸に上がると同時に、人の姿を捨て去り、鬼械神形態へと移行。
シュブさんは変身したと知覚できない程のなめらかな形態移行で触手雲形態へ。

バイタルネットにダミーを流し、クトゥルフの集中を一瞬だけ霧散させ、各地から大量にかき集めた海水と共に、クトゥルフの上空に転移。
数万年のブランクを経て、俺とシュブさんはクトゥルフ狩りを再開した。

―――――――――――――――――――

∫月∴日(信じて送り出したペットのアノマロカリスが、光届かぬ海底でカンブリア帝国を建国するなんて……)

『俺とシュブさんがまた10万世紀程クトゥルフと小競り合いを繰り返している間に、奇妙奇天烈なステキシルエットの彼らは、尽く擬人化を完了させてしまっていた』
『しかも、その尽くが美少女か男の娘という徹底ぶり』
『この悪夢のような帝国を支配する人型どもは正当な進化ではなく、俺の与えた餌や、俺やシュブさんが常時洩らしていた不思議エナジーの影響を受けて突然変異的に発生したものらしい』

『この恐るべき事実を知ったのは、遡ること数日前』
『クトゥルフとの戦いを一時的に中断し、可能な限りのステルス状態で向かったカンブリアンモンスター達のコロニーへ出向いた俺たちを出迎えたのは、綺麗なお姉さん系の姿形を獲得したマルレラ達』
『カンブリアンモンスターたちの楽園になっていると思われたその区画に立ち並ぶのは、〈古のもの〉と〈盲目のもの〉、そして未来の人類、それら三種の種族のセンスをミックスしたような、奇妙でありながら高度な科学力をもって作り上げられたと思しき建築物の数々』
『そこからは、もう、竜宮城に訪れた浦島太郎を饗すが如く』
『鯛や鮃が舞い踊る代わりに見事なダンスを披露するのは、これまた華美な衣装を来た美少女系の姿を獲得したウィワクシアとオドントグリフス』
『酌をするのは眼鏡メイド姿のオパビニア。かつての面影は、取ってつけたように首の後ろから生えた触手のみ』
『しかも取り外しが可能である。生物としてそれはダメだろう……』

『ここまでなら、ここまでなら俺も我慢できた』
『元を正せば、俺が彼らに不用意にこの時代に存在しない餌を与えたり、生体部分に影響を及ぼすエネルギーを洩らしていたのにも問題がある』
『だから、彼ら──彼女らか。彼女らが、ああいう不当な進化をして、それをそれなり以上に楽しんでいる、というのは、受け入れるつもりだった』

『だが、駄目』
『他の個体と同じように人型に進化したオレノイデスの活け造りをつつき、死んだ魚の目をしながら宴を流していたら、奥の間からやけに身体のシルエットを強調するピンクのドレスに身を包んだ少女が現れ、俺の手を取り、その場で跪いて涙を流し初めてしまったではないか』
『……とても、俺の宇宙の深遠すら許容できる程に大容量な筈の心は、その事実を受け入れるのに、初めて男のちんこを突っ込まれるメスガキの様に、長大な心の準備時間を必要とした』
『俺は、理解してしまったのだ』
『目の前の少女は、あの日別れたマロそのひとであると』

『少し話を聞くと、俺がマロに与えた餌の事や、成長したマロの背に乗って海の中を遊泳したこと、マロの外骨格に施した物理的に正しい補強の内容を、全て覚えているらしい』
『シュブさんすら知らない様な、マロのボディを海水の玉で包んで空の散歩をやってみせたことすら覚えていた』
『これは、俺の妄想が生み出した産物でなければ、間違いなくマロそのものなのだろう』

『他の連中が代替わりをしているのに何故生きたまま一世代で進化したかを問いただしてみたところ、あの日、別れ際に残していった触手を食べた事が原因らしい』
『触手を体内で分解、吸収する毎に、神の如き力と、この時代では有り得ない程に高度な知性を手に入れてきた』
『そうして得た力と知識を用いて、彼らは同胞を増やしながら、一千万年続く栄光のカンブリア帝国を築き上げたのだという』
『全ては、何時か帰還するであろう、力と智慧を与えた、真の主を迎え入れる為に』

『酷い悪夢だ』
『カンブリアンモンスターに、複雑な思考、感情、文明、技術、人の姿、そんなものは必要ない』
『奇妙奇天烈な、しかし、原始的で素朴さすら感じられる彼らの在り方こそ、俺の求めてやまないカンブリアンモンスターの姿だった』
『だというのに、彼らはそれらを手に入れてしまった』
『今では彼らは、何処にでも存在する萌え要素の集合体に過ぎない』
『彼らはそれらの要素を手に入れる過程で、カンブリアンモンスターにとって不要なものの寄せ集めと化してしまった』

『死にかけていた事も、助けられていた事も理解できていなかったマロ』
『背に乗られても、振り落とすことすら考えられなかったマロ』
『与えられた餌に、何の疑問もなく頭を突っ込み貪るマロ』
『感情も思考もなく、ただ外部からの刺激で動いていたマロ』
『別れ際、与えられた指令を消化しきれず、ただ茫洋と俺の後ろ姿を眺めていたマロ』
『可愛くて格好いい、大きな身体のマロ』
『そんなマロは、もう何処にも居ない』

『俺が別れを惜しみ、力を与えて逃したカンブリアンモンスター達は、もう、存在しないのだ』

『これを悪夢と言わずになんと言えばいい』
『いや、俺の触手が原因なのだとすれば、これは俺の罪か』
『俺の手で始末を付けるのが筋だろう』

『歓迎ムードで浸っているマロだったものの手をはらい退け、小型の端末をばらまく』
『何時かの周で取り込んでいたカンディルをベースにしたブラスレイター』
『指令は本能優先。こいつらは、俺とシュブさん以外の手近に存在する可食性の生物に向けて殺到し、周囲を食い終えた所で自動消滅する』

『甲殻に包まれ、構造もシンプルな元のアノマロカリス形態であれば、容易くカンディルにやられる事は無い』
『だが、なまじ人に似た形態を得たマロは、マロの臣民である元カンブリアンモンスター達は、無数のカンディルが体内に侵入しようとするのを防ぐことはできない』
『その柔らかい肉をついばまれ、耳の穴から、口から、鼻の穴から、目から臍から、尿道から、膣から、肛門から、カンディル・ブラスレイターに食い破られていく』
『マロ、かつてアノマロカリスだった少女は、泣き喚き、何故と問いながら体内を食い荒らされて死んだ』
『悲痛な叫び声だったとは思うが、同時に、ここまで心に響かない命乞いも聞いたことがない』
『絞め殺される寸前の鶏が相手でも、俺の心をもっと強く動かしただろう』

『食い散らかされ、後に残されるのは、人に似た骨格に、かつての彼らの姿の名残を残す僅かな外骨格』
『数が合わない。幾つかの個体は本能で危機を察知してこの場から逃げ去ったか』
『だが、それももうどうでもいい』
『これからの地球は、与えられた智慧と力程度で生きていける世界ではないのだから』

『帰り道は、シュブさんに手を引かれて地上に戻っていた』
『こう書くと地上に戻った事を理解していたように読めるだろうが、俺が正気を取り戻したのは、つい数時間前』
『布団の中でシュブさんに頭を抱きかかえられて眠っていたところからして、ほぼ完全に放心していたのだろう』
『心配をかけてしまったかもしれない』

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∵月≡日(深きものどもが)

『帝国から逃げ出したカンブリアンモンスターの成れの果て数十匹を捕獲し、子供の苗床としていた』
『人間だけでなくイルカとも交尾して子供を作れるとは聞いていたが、あのよく分からない生物とも子を成す事ができるとは恐れ入る』
『ああいった廃品を有効活用するMOTTAINAIの心がけが、これから数億年の彼らの繁栄の基礎に繋がるのだろう』

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〒月々日(わさわさ)

『ウミサソリさんの節足アクションに見蕩れる』
『創作意欲的なものを刺激され、デススティンガー的なビックリドッキリメカを作ってあそんだ』
『用途は主に、巨大化したシュブさんへの触手ツボマッサージだ』
『何を隠そう、俺は鍼灸師の資格をそのうち取得してみたい』

『で、作ったデススティンガーっぽいので遊んでいたら、地上にちょっぴり植物が生えているのが確認できた』
『〈古のもの〉やその他地球外生命体のオーガニックエナジーを利用して張り巡らせたバイタルネットは、生物の進化や分布、生育にも影響を与えるらしい』

『あと、シュブさんが魚っぽいのを見つけてきた』
『身は水っぽく、いまいち美味しくなかったので、ド・マリニーの時計で蘇らせて放流しておく』
『夕ごはんには、シュブさん特製黒っぽい山羊風生物の香草焼きを作ってくれるらしい』

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?月?日(絶え間ない永遠を時計が刻むらしい)

『どれだけの瞬間を数えるよりも先に、イスの偉大なる種族に自らの罪を数えさせた』
『精神交換によって俺ブレインパーツの意識がイス人の肉体に飛んでいってしまった』
『ブレインパーツに入り込んだイス人の意識は、精神をバラバラに蹂躙して取り込んでおいた』
『おのれイス人め……』
『ブレインパーツ俺だけを未来に連れて行くとか不公平だとは思わないのか』
『俺だって未来の世界で全身タイツを着込んでポワワ銃を乱射したいのに』
『取り込んだイス人の精神は知識も微妙だし、何時か報復リアインパクトでムニムニしてやる』

『イス人を取り込む瞬間少し呆けていたらしく、シュブさんに心配された』
『一瞬だけ白目をむいたとんでもないアヘ顔になっていたらしい』
『これは間違いなく罪を数えさせた後で地獄の苦しみを味あわせてからゆっくりとコロコロコース』
『これは早期にトラウマシャドーとか完成させなければ』

追記
『未来俺が帰ってきた』
『なんか、歴史の修正力的なパワーで高位次元の機械巨神の所を経由して戻ってきてしまったのだとか』
『融合して記憶を統合する』
『未来にはポワワ銃も全身タイツも無かった』
『取り込んだイス人の科学力もまあまあ良い感じ』
『情報媒体を全て巻物にするほどの巻物好きというのは文献だけの嘘ではなく、マジものの巻物狂いだ』
『ベルムス巻きに関する技術は、かの偉大なる種族に大いに喜ばれたものである』

『まあ、俺とシュブさんは具沢山の恵方巻きを食うんだけどな!』

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≡月※日(ゴッドモザイク)

『その活躍の場がようやく訪れた』
『鼻の先が卑猥な円盤状になった象顔の男が現れたのだ』
『シュブさんの知り合いらしく、名をチャウチャウさん(仮名)というらしい』
『首を刈り取られ、代わりに象の頭を乗せられたインド神話の神が居た気がするが、ご親戚の方だろうか、間違いなく神様の類だが』

『自分で動くのが面倒くさいので、小間使い的なものを作りたいのだという』
『卑猥な鼻の形からしてロリコンだと俺の本能が察知したので、褐色ロリ種族的なものを両生類の遺伝子から作ればいいんじゃないかな、と、シュブさんに代わりに言ってもらった』
『知り合いを便りに来た知り合いの知り合いとか、直接話すのはためらわれるし。仕方がない処置だったと思う』

『チャウチャウさんがぱぱっと作り上げたのは、褐色というよりも黒い肌の、ロリというよりはゴブリといった感じの矮小な人型だった』
『本人は満足らしいが、あのデザインセンスはどうにかならないのだろうか』
『だが、喋れない代わりに身振り手振りで意思疎通を行うというのは少しかわいいかもしれない』
『なんとなく、伝承に存在したミリ・ニグリに似ている気がするが、俺としてはゴブリンっぽいように思える』
『満足の行く小間使いが完成したチャウさんは、シュブさんと俺に礼を言い、モザイクの掛けられた先っぽがすっごいカリ高になった鼻を揺らしながら帰っていった』

『後で聞いた話なのだが、彼は大分前に地球に降り立っていたらしい』
『本来居るはずの強くて格好いいチャウグナル・ファウグンさんが見当たらないのに、あんな気さくな方がいらしていたとは』
『俺の探査能力もなかなかあてにならない』

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重甲月蟲野郎日(がんじがらめの罠を仕掛け)

『破滅を企んでいるのは誰かって?』
『……誠に遺憾な事に、昆虫族を名乗る知性体連中の中では、俺、というのが通説であるらしい』
『巨大ゴキブリとか巨大トンボの創作料理の為に乱獲していたのが原因かもしれない』
『長老っぽい、グルを名乗る生意気にもひげをふさふさ生やしたカブトムシ野郎がそんな事を言っていた気がする』
『俺は虫捕り網を使って割りと真っ向勝負で捕獲しているのだが、何を不満に思ってそんな陰口を叩いているのか』

『しかたがないので、巨大シダ植物で缶詰を作る事に』
『付録は巨大昆虫の剥製フィギュア』
『シークレットレアはひげの生えたカブトムシだ』
『シュブさんはこういう小物を集める趣味があったと思うのだが、蟲そのままというのはデザイン的に好みではないらしく、あえなく俺の荷物入れ異空間に放り込む事に』
『中身はペースト状にして保存してある。次にペットを飼う時にでも餌として使おう』

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※月×日(ど饅頭大喜びの)

『オオトカゲを拾った』
『地球の生物もここまで来たか、と思わせる良い肉質だ』
『イスの連中が入り込んだ円盤生物とか、〈降臨者〉の作り出した謎生物、〈古のもの〉にも劣らない、しっかりと身と旨みの詰まった感じ』
『ロマン料理の一つである丸焼きを行なっても、塩コショウで充分に美味しく頂ける良好な肉質』
『もう無闇に外宇宙からの使者を食べる必要は無くなるかもしれない』

『俺とシュブさんで合わせてかなりの数を捕まえる事が出来たので、一匹はペットとして育成することに』
『帝王の如く勇ましく育って欲しいという願いを込めて、ゴールくんと名付ける事に』
『グルの肉を一生懸命ハグハグと食べる姿は可愛らしい』
『試しに与えた燻製にした仲間の死肉も平気で食べる辺り、大物になる素質があるか、ただの馬鹿なのかもしれない』

追記
『最近気づいたのだが、ペットを飼うとシュブさんが少しむくれる』
『傍から見てて可愛らしいとは思うのだが、怒っている原因が解らないので、少し不安になる』
『いつの間にか胸元の開いたパジャマでベッドに潜り込んでいるとか、そういうイタズラで報復されたりもする』
『どう対処すべきかは今後の課題かもしれない』

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ゞ月♭日(ねんがんの)

『クトゥルフのたこ焼きを手に入れたぞ!』

『明確な敵意を持った攻撃だからこそ察知されてしまった訳で、完全に偶発的な地殻変動に、クトゥルフは対処できないらしい』
『大規模な地殻変動で、陸地の幾つかが海の底や地底へと消えていき、クトゥルフも巻き添えをくらった』
『そして俺とシュブさんは、丁度その時にクトゥルフが逗留していたルルイエ毎海底深くに沈んだところを海底まで追撃』
『改造した光の巨神を捨て駒にし、偶然宇宙から現れた大獣神を名乗る巨大ロボットの協力を得て、ようやくクトゥルフを先っちょだけ出したまま封印することに成功したのだ』

『感無量、というやつだろうか』
『正直、ここまで生物に多様性が出てくるとクトゥルフを食べる必要は全くと言って良いほど無いのだが、マジカル姉さん神像の恨みを考えれば当然の報いである』
『暫く触手の先だけ封印から出しっぱなしにして、継続的に実況付きで料理してやる事に』
『封印越しに聞こえる怨嗟の声が耳に気持ちいい』

『焼きあがったクトゥルフのたこ焼き風は、シュブさんの監修もあって満足の行く出来になった』
『まだまだ店に出せるレベルではないが、素材の特性を生かした素朴な味は、安っぽいなりに温かみを感じられると思う』
『クトゥルフ封印の時に散った光の巨神の墓(食べ終わった鯖缶に土を詰めて木の棒を刺して作った)に備え、宇宙から来訪した直後に手を貸してくれた大獣神さんにもお礼として御裾分け』

『食った瞬間、大獣神さんは火花をスパークさせながら苦しみ始め、俺がお冷を渡すよりも先に大爆発。七つの恐竜型ロボに分裂してしまった』
『焼きたてほかほかを渡したのがいけなかったか』
『いや、口の中を火傷したのではなく、小麦粉アレルギーだったのかもしれない』
『ひとに食べ物を勧める時は、アレルギーの有無を最初に聞いておこうという教訓と共に、俺とクトゥルフの戦いは幕を下ろした』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

地球で最強の、もしくは最高の爬虫類といえば、人は一体何を思い浮かべるだろう。
現代において人類にとって脅威となりうる爬虫類といえば、毒を持った種類を除けば、一部大型の蛇に、鰐などが挙げられるか。
現実世界に限らなければ、ドラゴンを爬虫類の一種と言い張る者も居るだろう。
クトゥルフ世界で言えば、爬虫類全ての創造に関わったイグこそ至高の爬虫類とするのが自然な流れである。
厳密に言えばイグだって爬虫類程度の存在と一緒にしてはいけないのだが、少なくとも、クトゥルフ神話ですっごい爬虫類と言えば、このグレート・オールド・ワンの一柱であるイグを挙げるのが普通だ。

そう考えると、ヘビ人間達はどのような立場になるのか。
彼らにとって、少し厳しい意見になるが、彼らは文字通り、消え失せた過去の文明の一つ、としか言い様がない。
優れた魔術と錬金術の業を操り、わりと高度な文明を築き上げていたものの、彼らの知性体としての格はこれまで地球に現れた〈古のもの〉や〈盲目のもの〉、下手をすれば初期の〈深きものども〉にすら劣っていた。
シュブさんを一目見たその瞬間からいきなりシュブさんに跪き、アイドル(偶像)として大いに盛り立て(崇拝)していたところから見ても、彼らが非常に俗っぽい存在であることが理解してもらえるだろう。
その上、メンタルも頑強とは言い難く、少し進化した恐竜を見て腰を抜かし、
『絶対あっちの方が爬虫類として優れてるじゃないですかー! あーん、淘汰されちゃうよー!』
などと抜かし始める始末。

ゴールくんの遠い子孫が立ち上げた恐竜種から進化した人類、恐竜帝国の爬虫人類達と、大獣神の分体である恐竜型ロボが守護する、現代の哺乳類起源の人類に極めて近い生態の恐竜人類。
この時代における二大勢力の戦いに、どっちつかずの蝙蝠としてすら見られなかった辺りからして、存在感からして薄かったのかもしれない。

だが、だからこそ彼等は細々としてだが生き延びることが出来たのかもしれない。
かつての海中無酸素事変が齎した被害は水中だけに留まらず、地上の生物の大半を絶滅させた。
六十万年続く断続的な火山噴火、大気中に充満する高濃度の二酸化炭素、火山灰は太陽の光を遮り光合成を阻害し、まともな生物はその大半が窒息で苦しみながら死んだ。
これは確か〈降臨者〉の連中も関与していたのだったか。
彼等が生体兵器を作る上で大量に生み出してしまった失敗作を一括で整理するための地脈兵器使用が、この無酸素状態の原因の一つ。

それがいけなかった。
確かに、外来の独立種族や邪神連中を抜かした生物は、九割六分滅亡した。
だがそれは逆説的に、何の知識も無い状態で無酸素の世界を生き抜くだけの強靭さを持つ生物だけが残された、という意味でもある。
最早、この異変を乗り越えた生物たちは、創造主達の掌の上で踊るだけの存在ではない。
純粋な生物としての強さ、いわゆる命の力は、そのまま邪神や怪異の強さに通じる強さになり得る。

一歩間違えれば、邪神の同類にすら届きかねない原始生物の群れ。
例えばそれは大きさと力の強さとして、巨大な体躯を持つ恐竜となり。
或いは黄金率を体現したバランスの良い強さとして、恐竜から派生した恐竜人類は恐竜帝国の爬虫人類に。

哺乳類も油断できない。
俺が確認しただけでも、プテラノドン、トリケラトプス、ティラノサウルスを単独で撃破するプトティラ真拳使いの原始人類が群れも作らずに悠々と生き延びている
生き汚い種は〈深きものども〉に擬態した海底人類と化し、クトゥルフやその眷属の活動圏内から外れた海底に文化圏を作り出し、最近ではアンチョビー王国などと名乗り始めても居る。

そんな異常な存在たちの中に、強力な魔術と錬金術だけを武器にするヘビ人間が、どれだけ繁栄できるだろうか。
力で負け、学習速度で負け、伸びしろで負け……。
そりゃ、地底に潜ってさつまいも風植物のしっぽだけ食って生きて行かなければならなくもなるほど零落もするだろう。

……だが、それは別に、彼等ヘビ人間が特別劣った存在だった、という訳ではない。
力で恐竜に届かなくとも、学習速度で新しい種族に劣っても、技術で〈古のもの〉に敵わなくとも、彼等には確かに、数千万年の時を栄えるだけの総合力が存在したのだ。
だが、彼等は衰退した。
栄華を極めるだけ極めて、いつしか、高みを目指す向上心を失ってしまったが故に。


ヘビ人間は、爬虫類という括りの中で見た時、語るに語れない微妙な位置に存在する。
爬虫類という括りの中で優れた文明を持ち栄えたのは何か、と問われれば、守護獣に守られた恐竜人類か、爬虫人類の恐竜帝国と答えなければならないだろう。
今も栄え続けている文明は、今も進化を続ける種族は、と言われれば、この間の大十字と大導師が起こした大破壊の際に発生した平行世界の地球『ダイノアース』に移住した恐竜たちと一部爬虫人類連中を押さざるを得ない。

栄華を極め、一時期は地球の支配種族にもなりかねない勢いで発展してきたヘビ人間たち。
そんな彼等とて、前に進むことを忘れたその時から、坂道を転げ落ちるようにして退廃の一途を辿り、地球の隅で息を潜めて生き長らえるだけの絶滅危惧種になってしまった。

「だから、彼等の事を教訓に、常に初心を忘れずに生き続けるべきだ。……そう、ここでも言ったんだけどなぁ……」

死体が積み重なる廃墟の中、瓦礫の中から見つけ出した座りやすそうな残骸に腰を下ろし、肩を落として溜息を吐く。
これで、都合何度目の文明崩壊だろうか。
ロマール人もヴーアミ族もゾブナ人も、みんなみんな滅んでしまった。
俺達が争いごとに手を貸すまでもなく、邪神に手を加えられるまでもなく、みんな自分から戦いに向かい、死んでいってしまう。
超古代縄文人も未来に希望を託した後は文明レベルで老いて滅び、残っているのは短期間で創世王の代替わりを繰り返して組織の若返りを繰り返すゴルゴムだけ。

「仕──いこ────殺し──され────いられな──の」

背後から、シュブさんに触手で抱きしめられる。
もわもわとした霧状の感触と、やわらかな肉の感触が混在するシュブさんの身体。
耳元で囁かれる言葉に暗さはない。
俺の雇い主になるこのひとは、冷笑的な邪神の如き精神と共に、地母神の如き慈愛の精神を合わせ持つ。
生まれたからには、生き物は殺し合わずにはいられない。
だから、殺しあうのも死ぬのも、死んだ分を産んで増やすのも、生き物として当たり前で、命にとって祝福すべき出来事なのだと。
シュブさんは言う。

「予定調────、呪──生き──祝──死──の」

シュブさんらしい、超然として、でも、愛のある死生観だ。
死も生も、シュブさんに取っては愛すべき子供たちの物語の一部に過ぎない。
母は強しというか。

「その考え方は嫌いじゃないけど……、死ぬなら、もっと呆気無く死ねばいいのに」

巻きつけられたシュブさんの触手に触手を絡めながら、手の中の巻物──初期版のナコト写本に視線を落とす。
こちらの力を得るために生贄まで捧げて、崇め、奉ったと思ったら、最後の最後で、自分達の全ての成果を託したりとか、そういうのは止めて欲しい。
そういうのは交流中に生贄や送り出した端末越しに学べるし、なんなら滅んだ後の墓場泥棒でも充分に手に入る。
情感たっぷりに、最後の最後で感謝の言葉を残したりとか、そういう、あからさまにこっちを感動させようとしているような演出をナチュラルにやられたら、俺はどうリアクションを取ればいいのか。

「──今──感傷的──」

くすくす、と、シュブさんが笑う。
まぁ、確かにらしくないとは思うけど。

「それは、少しくらいは、ね」

幾度と無く繰り返してきた、二度と無いだろう出会いと別れ。
無限螺旋の中での替えの効くものではない、本当の一期一会というものだったのだ。
繰り返し接触する内に、俺達を邪神の一種として記録することにした〈古のもの〉は、何処ぞの山の中に引きこもってしまった。
〈盲目のもの〉は、〈イスの偉大なる種族〉への復讐を果たした後、俺達にも報復を行おうとして返り討ちに会い、洞窟の奥へと姿を消した。
封印されたクトゥルフはどうだろうか、次にループしたら、この世界線での激戦の記憶は消えてしまっているかもしれない。
アンチョビー王国も、恐竜帝国も、邪魔大王国もレジェンドルガも、超古代縄文人だって、二度と初対面をやり直す事はできない。

恐らく、一度きりの別れまでの、一度きりの交流。
俺は、彼等と満足に交わる事ができただろうか。

「────、さ」

しゅる、と、控えめに、さり気なく、シュブさんが触手を俺の手指に、触手に絡ませてくる。
シュブさんの顔が近い。
縦の亀裂の様に入った瞳孔が、きゅう、と猫の様に細く絞られるのが見えた。

「──が、温めて、慰め──」

言葉と共に、熱く、甘い香りの呼気が顔に当たる。
まるで娼婦のように、シュブさんがゆっくりと俺の身体にのしかかり────

《チーン♪》

【最適化が完了しました】
【高機能ダウナーモードを終了、当機はこれより通常モードへ移行します】
【再起動します……再起動完了】
【引き続き、幸福なシスコンライフをお楽しみください】

────おれは しょうきに もどった!

のしかかるシュブさんの身体をやんわりと押しとどめ、立ち上がり、シュブさんを廃墟の瓦礫の上に座らせる。
シュブさんの肌蹴た衣服を時間無視の触手で瞬時に整え、唖然とするシュブさんに声をかける。

「いけませんよ、シュブさん。みだりに異性と肌を重ねては。貴女のように魅力的な女性は特に、自分を大切にしなければなりません」

「あれ────、──えぇ?」

押し止められ、何が起きたのか理解できていないシュブさんは、されるがままに座り込み、頭に無数の疑問符を生やしている。
ふふ、シュブさんも困った人だ。
だが、デフラグ直後の俺は言わば大賢者状態。
知り合いが店のバイトである俺くらいしか居ない状態で寂しかったのだろうが、そんな店主を諌める程度のことは造作も無い。

「──メランコリ────? ───慰──?」

成る程、俺が落ち込んでいると見て、慰めるためにそういう事をしようとしたか。
確かに、ぼにうを絞ったりは定期的にしているのだから、多少はそういう、肌を重ねることに関しても抵抗が少なくなっているのかもしれない。
だが、シュブさんは自分が如何に魅力的であるか(勿論、うちの姉さんに比べれば月とスッポン、本気のベジットあるいはジャネンパと弟子入り前の初期クリリンの戦力比程度に開きがある魅力だが)を理解すべきだろう。
慰めるために肌を重ねて、それで最後までさせてもらえるのだと勘違いしてシュブさんを無理やり手篭めにしようとする不埒な輩が居ないとは限らないのだ。

「無用です。何故ならば」

懐から、ビシリと音を立てて取り出すは姉さんのプロマイド。
料理中の姿を記録しようとしたら、ラフな私服にエプロン姿の姉さんがそれを恥ずかしがって『もー、こんなとこ、撮らないでってばー』と、少し眉根を寄せた拗ねた表情で振り返っている瞬間を画像化したものだ。

振り向きざまの拗ねた、それでいて少し慌てた表情、
振り返る時の慣性で揺れる腰まで届くポニーテイル、
身を捻ったことで見える、エプロンと薄手のセーターを押し上げる豊かな乳房、
すっと伸びた背筋に、ゆるい服の上から僅かに伺えるきゅっとしたくびれ、
ジーンズに包まれたまろかなる曲線を描く臀部、
そこから伸びるしなやかさよりも女性的なふくよかさを強調する腿、
ズボンの丈が短く、僅かに除く足首、

そして、写真からも伝わってくる姉さんの可愛らしい心根。
撮らないでと言いつつ、本格的に妨害するわけでもなく撮影を続けさせてくれる甘さ、
そしてその後は、写真になんて撮らなくても覚えておけるようにと台所で……、
ああ、鼻孔に鮮明に蘇る姉さんの甘い汗の香り!
声を出さないように必死で口元を引き締めても洩れ出てくる脳髄を痺れさせる喉を鳴らすような嬌声!
終わった後にちょっとおねだりをしそうになって慌てて訂正する時の紅玉の様に真っ赤な頬!
指摘するとポカポカと普段の強さを感じさせない弱さで叩いてくる子供っぽさ!
エロスにばかり走りすぎて割りと本気で落ち込む時のしょぼんとした落ち込み顔!
ああ、ああ!

「俺の心には、決して消えることのない、姉さんへの愛の炎が灯っているのですからっ!」

確かに、幾つもの文明が滅びただろう。
確かに、あの出会いと別れは替えの効かないものだろう。
確かに、彼等との交流で、やりきれなかった部分も悔いが残る場面もあったろう。

で?
だから何?
それ美味しいの?
どんだけ価値のある記憶と情報?
例えば延期前提のエロゲ発売日初出情報とどっちが上?
スパロボ買うと要らないけどついてくる要らない初回特典DVDの中身と比べてどうよ?

それって、姉さんに会える日が近づく以上に、価値のある情報?

「そして姉さんと比べるまでもなく、このナコト写本を手に入れた時点で連中の役目も終わっているのですから、悲しむ必要は毛頭ありません」

原本は執筆中の段階で目を通してもいるのだが、やはり追記などを含めた完全な記述を手に入れるのであれば、写本として訳された状態のこれを手に入れるのが最善だった。
本来ならば完成した時点で連中から掠め取る手筈だったのが、連中の方から複数刷った内の一本を譲ってくれたのだ。
これの何処に悲しむべき部分があるだろうか。
彼等の中の知識人は全て取り込んである。
取り漏らしの知識に関しても、殆ど存在していないと言っていい。
ここでうだうだと足踏みする意義が欠片も見当たらないではないか。

「──ぁー……」

呆気にとられた様な表情で混乱していたシュブさんが、何かを思い出し納得したような、そして少し呆れている様な表情で頬を触手で掻く。

「そう────んな性格────当は」

溜息。
仕方がないと呆れるよな、安堵の感情も含まれた複雑な溜息だ。
シュブさんに辛気臭い雰囲気は似合わないと思うので、更にテンションを上げていく。

「そう! これこそが、折れず曲がらず歪まない、真実の俺の姿!」

今はちょっと二億年ぶりくらいの最適化完了でテンションおかしくなってるけどな。
躁鬱というか、賢者と遊び人とヤク中の間をグルグルと回っている感じ。
なるほど、やりたいこととやるべきことが一致する時、世界の声が聞こえるというのはこのことか。

見よ! この溢れ出すオーガニックエナジー!
身体に満ちたオルゴンエナジーと化学反応を起こし、周囲の字祷子の法則が乱れる。
周囲の瓦礫と死体の山に、俺が身体を動かし声を発する度に華が咲き誇る。
見渡す限りの花畑。
足元の、季節感を無視して咲き誇る多種多様な花に養分を吸い取られたこの文明の主だった生物の死体を踏みにじり、シュブさんの触手を掴み、力いっぱい引き寄せる。

「きゃ──!?」

引き寄せたところを抱き止めると、シュブさんは女の子の様に悲鳴を上げた。
抱き寄せるのは妙齢の女性に対して失礼かもしれないので、そのまま触手を駆使して背中に背負う。
背負い終えたのなら変形だ。
座りやすい広い背に、空力を上手く活かせる強い筋力と広い面積を有する翼。

「さぁ、上げて行きますよ!」

飛翔。
シュブさんに風がかからにように風除けの呪いを張り、大気を切り裂き、空へ舞い上がる。
おお、寒い寒い。
寒冷化が進んできているな。

「ど──行く──?!」

風除け越しにかかる温度と風量を調節した雰囲気作りの風でたなびく髪を手で抑えながら、シュブさんが叫ぶ。
風で声が遮られる空の上では大きな声で。
これはテレパシーを使えるとしても、様式美として通用するので覚えておかなければならない古代マナーの一つだ。

「イタクァとアフーム=ザーが鬱陶しいので叩きのめしましょう!」

といっても、独力で倒す訳ではない。
まともな端末のデータが復旧できたとは言え、数を出しても対抗できるかは微妙に不安が残る。
俺の記憶が正しければ、六千万年程前に来訪した機械化帝国と合流したマシン帝国の長が、寒冷化に関して色々と愚痴を洩らしていた筈。
バッカスとヒスは割りと俺に好意的だし、少し焚き付けてやれば総戦力で突っ込んでくれるだろう。
無理ならメカポ洗脳すればよし!

―――――――――――――――――――

±月±日(久しぶりに)

『人間らしい人間を見た』
『マンモス捕獲作戦の途中に割り込んできたので一匹アブダクションしてみたのだが、どうやら元の時代で一番多く繁殖することになる人類の先祖らしい』
『塩漬けになったプトティラ真拳の使い手や破棄された生体兵器の素体、恐竜や爬虫類ベースの連中とも異なる、まともな部類の人類』
『改めて見てみると、成る程、特徴がないのが特徴というか』
『他の人類が混じっている連中が如何にも浮いている感じだ』

『ハイパーボリアで見たエルフっぽい連中とかと比べてもまだ平凡で、如何にもニャルが好きそうなステータス』
『こう、さんざ生き足掻いても、願いには届かず、それでも諦めきれずに禁忌に手を出してしまいそうな』
『だからこそ、この人類が栄えた時代を無限螺旋の舞台に選んだのだろう』

『彼等の仲間は、ロイガーなる精神生命体によって奴隷として扱われているらしい』
『マンモス狩りの時に見せたパワーのせいで助力を乞われた。というか、崇められた』
『悪い気はしないので、旧神の魔術と称してニャルの力を借りる術式を全員に仕込んでやる事に』

『施術中、俺とは別個体のニャルとの通信が繋がる』
『さりげなくニャルとしての活動を促された気がする』
『ニャルラトホテプとしての活動って、何をすればいいんだろう』
『真っ当な人間の感性を持つ俺には到底理解できない』

追記
『アフーム=ザーとイタクァを〆終えた』
『地球全土が凍り付くことは暫く無いと思う』

―――――――――――――――――――

インディー月ロックフォード日(インド魔力)

『インドには不思議な魔力がある』
『和訳されていないクトゥルフTRPGのサプリには、一般宗教の神が旧神として登録されているが、このルールを追加した場合、間違いなくインドはインド系の神族によって厳重に守られることだろう』
『そして同じように、不思議文明であるエジプトにも不思議な魔力が存在する』
『こう、未知の科学文明とかがさり気なく混じっててもバレなさそうな部分とか如何にもエジプト的というか』

『そんな訳で、俺の知りうる限りの遺伝子操作技術を伝授してやることに』
『ニャルあたりの妨害が入るかとも思ったが、何事も無く伝授完了』
『ピラミッドパワーで日本とも限定的にリンクした遺跡とか作れるかも』

『そういえば、ネフレン=カは、何故かニャルの加護を得ることができなかった』
『二次創作であるために色々と不具合が出ているのかもしれない』
『サボリ気味のニャルさんに代わり、彼が存命中の間は、信仰と魔術儀式で力を得ている様に、影に日向にサポートしてやる事に』
『我ながらいい仕事だ。俺がサポートしている間の彼は、まるでものすごく身近からニャルの加護を得ているようにしか見えないだろう』

『あと、シュブさんはこの時代の衣装を大層気に入ったようで、時折衣装を見せびらかしてきた』
『この時代のシュブさんはTPOに合わせて褐色の肌であるため、ああいうエキゾチックな衣装も似合う』
『姉さんにも似合うかと思い、ネフくんに頼んでそれっぽい衣装を集めて貰った』

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丸月■日(サムラーイサムラーイブシドーウ)

『過去に遡り現代に至るまでの過程で、俺は様々な事を学んだ』
『正義のサムラーイが居ると同時に、悪のサムラーイも存在するのだ』

『まさか、あの織田信長がギルデンの手で蘇り、外道衆と結託して天下布武を目論むとは……』
『だが、当然の如く、それを阻止せんと動く正義のサムラーイも存在する』
『志葉家を筆頭として、新技術の塊であるモヂカラを利用して戦う五人組と、かの明智光秀の甥である左馬介である』
『サムラーイが妖怪と手を組んだかと思えば、サムラーイに力を与える鬼も存在する』
『この世は不思議でいっぱいだ』
『自由と平和を求める存在は、かごの中の鳥みたいに生きてくつもりにはなれないのだろう』

『信長側の黒幕のフォーティンはニャルの化身の一つだったので、部下であるギルデンを〆ておいた』
『せっかく人が授けてやった科学技術とネクロマンシー技術で、あんな微妙な作を作るとか、恩知らずもほどほどにして欲しい』

『シュブさんは和装はお気に召さなかったらしく、ここでは普通に触手雲として活動していた』
『元の時代に戻ったら、馬車道の制服をお勧めしてみよう』
『日本の命運とかを賭けた血戦を見届けた後は、姉さんへのお土産に和服とかんざしを幾つか見繕っておいた』
『自作でもいいのだが、やはり当時の職人独特の感性で造られた品も悪くはない』
『材料も購入し、後に俺の作品と並べて姉さんにどちらがいいか聞いてみよう』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

そんな訳で。
時は十九世紀終盤、世紀末を目前に控えた人類の文化圏へと訪れたのであった。

「アーカムシティまで、あともう少しですよ!」

「──うだー────……」

現生人類が誇る文化の都、イギリスは霧の街ロンドン。
その一角に聳え立つシティホテルの一室で、シュブさんは目を『><』こんな具合にしながらベッドに突っ伏してしまった。
ツインの部屋を取ったから別段俺は困らないのだが。

「シュブさん、せめてシャワー浴びてからの方がいいんじゃないですか?」

身体を綺麗にした後の方がゆっくりと安眠出来るはずだし、朝起きた時も気分が良い筈だ。
だが、シュブさんは俺の言葉にも身体を起こさず、ベッドに突っ伏したまま掌をひらひらと振って、ごろりと身体全体をベッドの上に転がしてしまう。
文明圏で眠るのが久しぶり、という訳でもないのだが、シュブさんのこの疲労には原因がある。
折しもサムラーイどもの血戦を見届けた後に今度は仏僧どもによる九頭龍との大規模戦闘に巻き込まれ、俺もシュブさんも、封印からはみ出したクトゥルフに一方的に因縁をつけられてしまったのだ。
触手形態で戦ったシュブさんは、何故かクトゥルフの触手によっていやらしく絡まれて、それを払いのけ続ける内に、精神的に疲れてしまっているのだ。
はみ出していた触手を封印の中に身体半分押し込んで戻し、封印から身体を抜いたらこの時代。
西暦が始まってから大まかに立てていたスケジュールに大幅な狂いが生じていた為に旅路を急いで、ようやく辿り着いたのがこのロンドンのホテル、というわけである。

だが、ここまで疲れているとは思わなかった。
シャワーを浴びて美味しい夕食を食べれば元気になるかと思ったのだが、セクハラによって女性が受けるストレスというのは侮れないものであるらしい。
これは、一晩眠って
……飯食ったら、大英博物館でも見に行こうと思ったんだけどなぁ……。

「──は少し眠────先に見──いい──」

俺が少し残念に思っていると、ベッドの上でゴロンと仰向けになったシュブさんがそんな事を言い出した。
因みにここまでのシュブさんのアクションは、旅行用の頑丈なコートを着込んだまま行われている。
流石に見逃せないのもあり、シュブさんのコートに手を掛けながら、先の言葉の意味を確認する。

「いいんですか? 一緒に見に行く約束だった思うんですけど」

ぷちぷちとボタンを外し、袖を抜く段階になって、シュブさんは何を言われるまでもなくバンザイの姿勢で脱がせて貰うのを待ちながら、僅かに肩を竦める。

「────全──所で視たことある────っかり──」

「まぁ盗品ばっかですしね」

実際、博物館よりも図書館の方こそがメインみたいに話していた覚えがある。
筆者と知り合いだったりした幾つかの魔導書が収められている筈なので、それが現代でどのように扱われているか確認して話の種にしよう、とか。
だから、シュブさん的には博物館にはあまり魅力を感じないらしい。
今現在ではまだ図書館との分別はされていない筈だが、それでも無理をしてまで博物館の展示を見ようという気にはならないのだろう。

「でも、卓──行きた────?」

寝転がったままコートを剥かれつつ、シュブさんは誂うように笑う。

「ええ、まぁ」

俺は、ズボンからはみ出したシュブさんのシャツの裾を直して上げながら、渋々と頷いた。

平凡かつ一般的な日本人である俺にとって、大英博物館というのは憧れの観光地の一つでもあるのだ。
以前に出会ったイギリスのエージェント『ザ・ペーパー』が、図書館と同じくらい楽しそうに博物館の事を絶賛していたというのも原因の一つだろう。
ビブリオマニアである奴が図書館と並べて絶賛する博物館だ。面白くない訳がない。
もしかしたら、展示の方法にも色々と気を使っているのかもしれないと考えると、観光客的気質がムラムラと湧き勃って来るではないか。

「────、──今度───れば───から、ね?」

だらしない姿を晒しながらも、こちらに約束を破らせないさりげない気遣いを忘れないシュブさん。
何もかもをお見通し、といった雰囲気は、少し姉さんに似てきている様な気もする。
単純に、俺を上手く扱う上での基本的なスキルなのかもしれないが。

「うぅ、む、じゃあ、お言葉に甘える、という事で。行ってきます」

「遅──らない────ねー──」

寝転がったまま見送りの言葉を送るシュブさんに背を向け、ベランダから、大英博物館との間にあるビルの一つへと飛び移った。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

時刻は夕刻を過ぎ、夜。
日が沈んだロンドンの霧は濃く、外の見晴らしはよろしくないだろう。
洗濯物を外に干す者は殆どおらず、後の世では一家に一台、洗濯機とセットで乾燥機が常備されていると言われるロンドンだが、当然、大英博物館の中は快適そのものだ。
建物の構造からして、展示物の劣化を防ぐために湿気を下げて、展示物にやさしい適度な湿度と温度を保つ工夫が施されている。

お陰で、閉館後の館内であっても快適に展示物を見学することができる。
なにせ、ここの空調は観光客ではなく展示物に対するモノであるため、閉館後は停止する、などという事は有り得ないからだ。
警備員もこれまでの様々な古代文明では考えられない程に薄く脆い警備網しか敷いておらず、多少の認識阻害と光学迷彩で充分に誤魔化せてしまえるレベル。

実に快適だ。
まるで平日の昼間に、、隣町の山奥にある寂れた美術館を見学しているような気分になる。
展示物も決して価値がない訳ではないのだが、どれもこれも視たこと聞いたこと触ったこと齧ったことのあるような品ばかりで、真新しさよりも懐かしさばかり感じてしまう。
正直な話をすれば、少し拍子抜けだ。
まぁ、如何にザ・ペーパーが変態であったとしても、その見聞の広さは一般人よりはまし程度のものだった、という事だろう。
これなら、シュブさんと談笑しながら図書館で読書を楽しんだ方が良かったかもしれない。
なんだか悔しいし、姉さんへの土産に、何か楽しげな展示物でもあれば持って行ってしまおうか。

「あ、この個人浴槽と柱、ルシウスの作じゃん」

うわぁ懐かしいなぁ。
確かこれ、シュブさんが入ってから子沢山の効能が出始めた曰くつきの一品じゃなかったっけ?
シュブさんと一緒に、背中合わせでこの浴槽で湯に浸かった事もあったっけ。
タイムトラベラーってだけじゃ片付けられない、ルシウスの勤勉さが出た堅実な作りが中々……。

「むむ」

びびっと来た。
なんか、俺の中の邪神のどれかが共鳴している。
さては姉さんへのお土産フラグだな?

展示物の間を歩きながら、一直線に共鳴反応の原因へと近づく。
原因に近づけば近づくほどに強くなる共鳴。
いいね、これはお宝の匂いがするかもしれない可能性を否定しきれない様な雰囲気が僅かに漂っているような気分にさせられる。
……まぁ、こういうのって、実物を目にする直前までのワクワクが最大の楽しみなんだろうけど、期待するだけならタダだし。


そうして、俺は展示場の片隅、レリーフや石柱の狭間にさり気なく展示されている『それ』の前に立った。
人間の腿程のサイズの、小さな石像。
翼を畳み直立する蝙蝠にも似た形で、玄武岩風の材質の本体に、今さっき血をぶちまけたかのような、べっとりとへばりつく紅い塗料。

「なんだ、マナウス神像じゃん」

ある意味予想通りの物品が出てきて肩を落とす。
がっくりきた。
いや、取り込むに越したこた無いんだけどね?
ぶっちゃけ、獅子の心臓で代用できるというか……、姉さんへのお土産として見た場合デザインが微妙というか。
製造段階で関わって、デザインをどうにかするべきだったかもしれない。
何処で何時造られたかは知らんが。

「んー、ま、一応貰っとこう」

他にもお土産は沢山あるし、一つくらいはこういう微妙なハズレを持っていくのもご愛嬌。
そう考え、手を伸ばし────
背後から飛んできた偃月刀を掴みとる。

「悪いが、そこまでにして貰おうか。それは素人が手を出していい品では無いのでね」

渋みのある、良く通る声。
ここが夜中の閉館中の博物館である事を気にしなければ、良い声だと評価できたかもしれない。
夜中は、近隣住民の事も考えて、ボリュームを落として話すべきだろうに。
相変わらずの格好つけたがりめ。

「はぁ、人をいきなり素人扱いですか」

「違うのかね? なまじ、半端に知識を持つが故に、そんなモノに手を出そうとする」

「そういう事はですね……」

振り返ると、そこには一人の奇妙な男が居た。
ラフなシャツに革の帽子を被った、日に焼けた逞しい壮年の男。
歳は四十を過ぎた頃か、しかし、その不敵なニヤケ顔のお陰で十歳は若く見える。
いや、若く見えた、と言うべきか。

「レポートのミスを『後輩』に指摘されるような人が言っていいセリフじゃあ無いと思いませんか?」

不敵で、何者にも屈さないと言わんばかりの強かな笑みは、振り返った俺の顔を目にした瞬間から、ゆっくりと崩れ始めていた。

「君、いや、お前は……!」

笑みを崩し驚愕に歪んだ顔そのは、やはり経た年月を確かに老化として刻んだ、歳相応の顔。
懐かしい、しかし、あれからとても長い時間見ていなかったのだと実感させられる、良い老化具合。

「ね、大十字先輩?」

億年ぶりに顔を合わせ見違えるほどに渋みを増した大学の先輩に、俺は手の中の偃月刀を砕きながら、とびきりの愛想笑いを向けるのであった。






続く
―――――――――――――――――――

多分、この話の中で幾体ものキングクリムゾンが過労死しているであろう、地球誕生から十九世紀終盤までの第七十三話をお届けしました。

いやー、えー、ひと月超えちゃいましたね。
忙しかったのかと効かれると、デジモンプレイしたり、ビール祭りやったり、夏祭り行ったり、花火大会見たりしてました。
ええ、暇でした。たぶん。仕事もそれほどきつくない感じでしたし。
とはいえ、色々言い訳したい部分もありますが、それは後回しで。

基本に立ち返って、帰ってきたQ&Aになってるか微妙な自問自答コーナー。

Q,時代考証、当時の自然科学が云々!
A,外宇宙よりの来訪者が割りと頻繁に来る地球でそんな事を言われてもー! むりくり辻褄を合わせてはあるつもりですが、改良案などあれば参考にさせて頂きます。
Q,なぜ完全に食料を自給しない。
A,基本、作中で主人公がモノローグしてる通りの理由ですが、ほら、グロい見た目の生き物って、美味しい場合が多いと思いませんか?
Q,日記部分多くね? 方針変えたの?
A,日記無くすと、今年中デモベ編終了が今世紀中デモベ編終了に予定変更になりますがー。
Q,暑さ寒さとか、主人公とシュブさんに関係あるの?
A,シュブさんは季節感を大事にするため夏はクーラー付けない派です。つまり、汗で透ける薄手のシャツ……!
主人公は知らんです。嘘、自然派かつ、人間の感覚を忘れない為に必要なのです。
Q,搾乳合体とか姉が居るのに許されざるよ。
A,孔子曰く『搾乳は全年齢対象、少年誌でもやれる』つまり超セーフ。
一見してエロスな行為に見えるのは、空があんなに青いせいだとおもいます。
ちんことかはつかってないのでせーふせーふ。
あくまでも搾乳だけなのでー。
Q,QTSに恨みでもあんの?
A,育成パートで可愛いのは認めるんですけど、ゲーム全体を見るとだるだるですよね。
もっとバッサリ、QTSを可愛がるだけのゲームにしてよかったんじゃないでしょうか。
餌とかおやつとか、主人公をバイトさせて自由に買わせられれば楽しさも増したと思うのですが。
あ、あれと同じような育成システムで、境ホラの育成ゲーム的なモノ作れませんかね?
むりならOSAKAの格ゲーをそろそ
Q,次は外伝話?
A,たぶん。コーンフレークの成果が出ると思われます。恋人もう死んでるけどな!

で、言い訳するとですね、前回のあとがきで『次の話のラストらへんで原作に戻る』みたいな話をしたのが原因かと。
言い出したのは自分なんで明らかに自業自得な上に、出したとしても原作に本気でかすりもしない古代地球編を延々やって終わりという微妙な話になってたんで、結果的にはこれで良かったんだと思いますが。


次回は完全に原作ありなので、ここ最近からは考えられない程早く、多分二週間程度で上がるとおもいます。
ええ、勿論、デモンベイン編だって、今年度中には終わらせますよ。


そんな訳で、今回もここまで。
当SSでは引き続き、誤字脱字の指摘、文章の簡単な改善方法、矛盾している設定への突っ込み、その他諸々のアドバイス、意外と名曲だったイワークさんのキャラソンへの直感的な感想、
そしてなにより、このSSを読んでみての感想など、短いものから長いものまで、心よりお待ちしております。



次回予告
古代地球での行いの数々が、ついに主人公に牙を剥く。
属性が極DCへと傾いてしまった主人公は、制限時間内に極Nへと属性を戻す事ができるのか。
鳴無家、極N姉弟妹の誓いを守る為、主人公はLL寄りな活動を開始する!

第七十四話、無限螺旋はぐれ旅。
『打ち砕け鬱フラグ! 怒りのコスモボウガン乱れ打ち』
ダガーさん、仮面の下の涙を拭え。


※なお、この内容は予告なく変更される可能性があります。ご了承下さい。



[14434] 第七十四話「覇道鋼造と空打ちマッチポンプ」
Name: ここち◆92520f4f ID:bd9db688
Date: 2012/09/27 00:11
「お前、なんで」

「あ、その質問ちょっと待った」

ダンディスタイルが台無しになる間抜け面を晒す大十字改め覇道に再び背を向け、マナウス神像を引っ掴み、中身を覗き見る。
スキャン開始……完了。
何の変哲もない無限の心臓が入っている。
ので、掴んだ掌から内部に対し触手を侵食させ、表面の薄皮一枚下までを融合。
最適化は一瞬で終了した。
これは確かにリベル・レギスに使われている夢幻の心臓だが、結局はデモンベインの獅子の心臓と同じ。
つまりはヨグ=ソトースの落とす影のバリエーションの一つに過ぎず、無限の心臓を覆う部分に至っては大導師の邪神形態の肉体の一部。
これで改めて最適化に時間必要なんて言ったら、不便すぎて誰も融合捕食とかしないレベル。

「ほい」

取り込み消滅した内部構造物を再び作り出し、完品に戻ったマナウス神像を覇道に投げ渡す。
驚きつつも、そこは長年の経験が活きているのか、取り落とすこともお手玉することもなくしっかりキャッチ。
そんな覇道に背を向け、俺は館内を進む。

「お、おい!」

「それ、持ってっちゃっていいですよ。俺の用事は終わりましたんで」

やっぱり今日は大人しくホテルで休んでいた方が良かったかもなぁ。
展示物も、せめてシュブさんと一緒に見て回れば話が弾んで面白かったろうに。
いや、他の客が居る状態で見る博物館の展示物、という付加価値から生まれる、催し物を見に来ている感が足りなかったのか?
まぁ、どうせ明日はシュブさんも一緒に来てくれるんだ。
図書館メインになるだろうけど、一人で見る楽しみと二人で見る楽しみの違いは、明日に確かめればいいだろう。

「待て!」

銃声。
邪神と敵対関係にある者からすれば、居るはずのない未来の人間を見た場合の対応としては妥当か。
だが明日の朝食はこれからの観光の予定を話しあいながら一緒に食べると約束したので、早くホテルに帰らなければならない。
残念ながら覇道、あなたの優先順位は朝食のビーンズ乗せトーストよりも下なのだ、相手をしてやる理由がない。
背に向けて放たれた銃弾を避け、空間を捻ってショートカット。
博物館から離れた路地に出て、覇道の関係者が居ないルートを通り、俺はシュブさんの待つホテルへと帰還した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

そして、翌朝。

「そんな感じで見学は中断というわけです」

一般の朝食時を少し回った、ゆっくりとした時間帯。
あまり美味しくないホテルの朝食は世界の何処かの飢えている人の目の前に転送し、シュブさんと自前の朝食を食べながら、昨夜の出来事を報告。

「もぐ──────もぐ──」

しかしシュブさんまるで聞いちゃいねぇ。
豆の乗ったトースト──バターたっぷりの小倉トーストにもふもふと齧り付き、展示物の内容には興味すら示していない風である。
一口だけ齧ったベイクドビーンズ乗せのトースト、パンの味すら微妙だったかならな……。

「ん、ぐ、ふぇも────、──?」

口の中の小倉トーストを一口分だけ飲み込み何かを言おうとしたシュブさんの動きが止まる。
困ったような表情でトーストを持っていない手をわきわきと蠢かせ、きょろきょろと辺りを見回す。
俺が冷えた牛乳をカップに注ぎ渡すと軽く頭を下げながら受け取り、そのままごきゅごきゅと豪快に飲み干す。
ううむ、個人的に、小倉トーストを牛乳で飲み下す時は、口の中で一定時間小倉トーストと絡み合う牛乳の味を堪能するべきだと思うのだが。

「──図書──方──期待できる──」

鼻の下に牛乳を僅かに付けたまま、少しだけ表情を改めるシュブさん。
それはどうかな、とか、そんな不敵な笑みだ。
鼻の下の牛乳のお陰でかなり台無しだが。

「そりゃまた何故に?」

「──文──ありき─り───記述がいい──高と信ず────」

ドヤァ……、みたいな顔で言い切られた。
やばい、ここに来ての持って回った言い回しがウザくて胸がドキドキする。殺人衝動とか初めてかも。
パジャマシュブさんじゃなかったらトラペゾってたところだろうこれ……。
とはいえ、

「まぁ、シュブさんが言うなら、期待してみますか」

魔術と宇宙の暗黒に潜む邪神と料理に関する話で、シュブさんがホラを吹いた事も間違いを口にしたことも無い。
そんなシュブさんが良いと言うならば、それは確かに良い物なのだろう。

「うん。──じゃ──う少し──出か──よ──」

そう言い終わると、シュブさんは新たにトーストされた食パンを手に取り、バターと餡子の器へとバターナイフを持った触手を伸ばすのであった。

―――――――――――――――――――

【それは明確な形を持ち、しかし、一定の姿を保つことは余り無い】
【不自然なまでに幾何学的な模様、模様の刻まれた機械の塊は、内部に悍ましい程機能的な肉色の触手を飼い、互い違いに騙し絵の様に接続されている】
【十マイルを超える姿で現れる事もあれば、十フィートにも満たない形でどこかにひっそりと紛れ込み】
【確かな意思を感じさせるガラス質の灼える三つの瞳は、傍らの邪神へと向けられる時を除いて、概ね二つの意思だけを覗かせる】
【顕になる意思は、犠牲者を『面白いもの』『美味しそうなもの』に区別しているのだという】

奇怪なまでに人の理性に訴え掛ける、理想的な機械としての────の姿から、宇宙的な邪悪さを感じることはとても難しい。
地球土着の神であるとも考えられているが、性格、性質としては外宇宙からの使者と同種であると考えて間違いはない。
地球上から出る事は希だが、地球上の何処にいるか、定住した事があるのか、という知識を持つ者は存在しない。
太陽系の何処かに存在すると言われている『ハクソリーナ』と呼ばれる異世界から、好奇心と空腹を満たす為にのみ姿を表しているという説も存在する。
シュブ=ニグラスと常に行動を共にし、ニャルラトホテプやヨグ=ソトースとも類似する性質を持つかのように振る舞い、これらと同種のものであると見る場合もある。
魔術の他、科学技術に優れ、信徒に対して魔術の他に、機械工学、電子工学などの知識を与えたという。

教団
現在、地球上に────の信奉者は殆ど残っていない。
人間、それ以外の種族を問わず、頼られれば加護と知識を与えるが、同時に破滅の運命をも与えると言われている。
ニャルラトホテプの信奉者やヨグ=ソトースの信奉者の所属するグループは、時としてこの神を自らの神の一側面として崇拝する場合があり、それらグループはこの神を崇める教団だとしてもいいだろう。
海底に住まう〈深き者ども〉以外の住人の中には、この奇怪な神の純粋な信奉者が生き残っているかもしれない。
招喚に際して術者の前に現れるかは完全にこの神自身の気まぐれによるものであるため、特殊な生贄を用意する必要は殆ど無い。
招喚された時点で、彼は招喚場所と術者に併せて適切な姿形を取り、未知の宇宙的金属に覆われたその姿から精神を侵される心配は極めて少ない。

特徴
これまでの記述では、まるで害はないように思えるだろうが、しかし、それは彼の分かり易い一つの側面に過ぎない。
その金属の身体に刻まれた意匠を目でなぞる度、その機械の身体が放つ駆動音を耳にする度、術者はゆっくりと正気を削られ、最後には狂気に陥ってしまうだろう。
僅かに残った人間のカルティストが────を招喚しようとする時、術者は音を掻き消す爆音と、意匠の見えなくなる強い光か真の暗闇の中でのみ行なう。
その性質から、────を深く信奉し知恵を求め続けた種族は緩やかな滅びの道を歩むが、何らかの対策を施して狂気を免れた場合、────の手によって直々に滅ぼされるという。
一部を除く邪神とは積極的な敵対関係にあり、多くの旧神と共闘している事も合わせ、広義的には旧神に含まれるという説もある。
しかし、共闘したという旧神は、尽くそれ以降の歴史で姿を見ることはできない。
また、シュブ=ニグラスと常に行動を共にしていた事もあり、その実体は旧神や邪神ではなく

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

シュブ=ニグラスと共に有り、生物の興亡に深く関わっていたその存在の正体とは即ち、

「シュブ=ニグラスの持つ謎の力が地球のバイタルネットと結合して発生する、業子変動値の高い存在に擦り寄り塗りつぶす実体を伴った自然現象か」

まさか俺とシュブさんが地球漫遊の旅を行った影響で、そんな恐ろしい存在が発生していたとは。
この魔導書に載っていたのは比較的理性的な文章だが、文明末期に書かれた記述だと更に散文的で情緒豊かにその存在の悍ましさを表現していて実に良い。
道徳の時間にでも取り上げるべき題材かもしれない。
何の代価もなく知恵や財宝を与える存在など人の心に堕落を生み出すだけで、どれだけ役に立ったとしても最終的には害悪でしか無い、とか云々。
身分の低い者から高い者に至るまで、皆利を貪り、預言者から祭司に至るまで、皆欺く。
彼らは、我らが民の破滅を手軽に治療して、平和が無いのに平和という。
多分そんな感じの。意味は知らんがニュアンスは似てるだろう。

そこに来て、昔見た連中を少し思い出してしまう。
アトランティス人とトリトン族とポセイドン族は現物支給とか他民族排除とか言い出してからは終始グダグダで、結局〈深きものども〉に押し潰された。
打って変わって派生系というか、分家筋的なアンチョビーとかは適度にオリハルコンの製法だけ学んで雲隠れして、なんだかんだで王朝滅んだのに平気で現人類に紛れてるし。
適度に身の程を知った連中の方が、生き残るには向いているのだ。

「まぁ、それにしたって悪趣味であることには変わりないわけで、どんな邪悪な面してたか、見てみたくもありますねー」

と、背中に張り付いて同じ本を読んでいたシュブさんに同意を求める。

「ん」

真顔で手鏡を向けられた。

「え、なんか顔に付いてます? もしくは俺の顔が何か突いてます?」

食事時に付いた物ならシュブさんが捕食用触手で取ってくれるのだが、そうでないなら何か不味いものが付いているのかもしれない。
あれ、そう考えると、本気で何か危険物が顔面に取り付いているのか?
ふと不安になり、掌で顔をなぞり、表面に付着していた雑菌やらなにやらを取り込んでいく。
……ううむ、何事もない。何処にでも存在する雑菌ばかりだ。
あと何故かシュブさんの唾液がちょっと付着している。寝ている間に舐め回されたのだろうか。

不思議に思っていると、シュブさんは真剣味の増した──聞き分けの無い子供に言って聴かせる保母さんのような表情で、鏡を向けたままゆっくりと口を開いた。

「そうじゃ──て、その記述──は────」

ふむ、ふむ、つまり……。
告げられた言葉に従い、改めて閲覧していた魔導書のページを開き、内容を再考。
一旦本を閉じ、少し間を置いて開き、立ち上がり、向かいの席に座り、シュブさんと向き合い、本を閉じ、開くために本の表紙と開くページに触手をかけ、

「何故にホワイ!?」

左右に引き裂く。
どういうことだよおい……!

「シュブさんが、シュブ=ニグラスに間違われてるだって!?」

「や、そっち──いから」

ツッコミ飽きたボケに対する反応の様に、醒めた感情を秘めた半眼で掌を左右に降るシュブさん。
そうだ、そんな事はどうだって……いや、招喚に応じてくれないケチっぽい邪神風情と、寛大さと母性を併せ持つシュブさんが混同されるなどあってはならないことだが、それはひとまず置いておくとして。
え、じゃあ、何?
この魔導書に載ってる謎の存在って、俺?

「いやいや、いやいやいやまさか有り得ないでしょう。だって俺ここまで邪悪じゃないですよ? むしろ良心的な契約内容と評判」

生き残ってる連中の間限定の評判だが、死人の意見なぞ知らんので。
確かに接触した文明の九割が滅んでるけど、七割くらいは自業自得だった。
高圧的だったり冷笑的だったりもした覚えがない。
ライフゲーム見てる感じで楽しいなーとかは思ってたけど、誰だって考える思いつきだろう。
そもそも、〈古のもの〉以外は知的生命体を常食にした覚えは殆ど無いぞ。
酷い冤罪を見た。これは何処に訴えればいいのか。

「────本っ──大げさに書きた────よ?」

「えー……? そんなもんですかぁ?」

などと不満を口にしつつ、なんか感慨深げに頷くシュブさんの発言にやたらと含蓄がある気がするので、内心では既に大分納得してしまっている。
シュブさんも何処かで本に載せられたりしたのだろうか。
何時かの周で存在した『るるぶアーカム版』のニグラス亭特集ページはよく出来ていた気がするが、あれでも本人的には大げさなのかもしれない。

「や、百歩譲って、このシュブ=ニグラスの同行者が俺だとしますよ? でも……」

言葉を中断し、破った魔導書を口の中に入れて咀嚼。
もったいないの精神だけではない。
今、俺が思いついた可能性は、せめて本一冊を食べきるまでの間は言葉を濁したくなるような内容なのだ。

「でも────?」

シュブさんが首を傾げて先を促しながらも手渡してくれたマスタードを、齧りかけの魔導書に塗りつけ、思考をからからと空転させる。
答えは既に出ている。
ここまでこの図書館で目を通した魔導書に載せられた記述を合わせると、恐ろしい事実が浮かび上がるのだ。
マスタードの酸味と粒の歯ごたえを感じながら紙束を齧るこの時間は、その恐ろしい結論を口にする覚悟を決めるための時間に過ぎない。

三分ほどを掛けて、一冊の本を食べ終える。
心の準備は万全ではないが、言うしかあるまい。
口元をナプキンで拭き、大きく一度深呼吸。
なんというか、これは在り得ざることというか、あってはならぬ事なのだが、まさか、もしかすると──

「もしかして、記述の中の俺って……アライメントDC(dark-chaos)?」

「如──も蛸にも────」

※元の世界では死語だがこの時代では最先端のジョークである。
最先端過ぎてシュブさん以外に使ってるやつを見たことはないが。
そして、このジョークには更なる意味が隠されている。

「黄色烏賊や緑蛸と同じ扱いって……」

その場でがっくりと項垂れる。
ハスターの方には会ったこと無いけど、なんだか仮面の内側にチャーハンを流し込まれるタイプのがっかり邪神臭がする気がして、酷く落ち込んだ気持ちにさせられる。
せめて、プライマスとまではいかないけど、もっとこう、あるんじゃないかな?

「────い? ──きく取り上げら──格も高い感じ──」

少し不思議そうに問うシュブさん。
そりゃあ、記述の内容を鑑みるに、一角の邪神として扱われているのはわかりますよ。
大概の、内容が更新されてた魔導書で、シュブ=ニグラスと並べて記載されてますしね。
純粋に力を認められた、とか、そこら辺を気にするなら喜ぶべき内容ばかりですとも、ええ。
でもね、問題はそこじゃあないんですよ。
なんでって……

「俺のアライメントがDCだったら────姉さんとお揃いの仲魔を揃えられないじゃないか!」

麗しき姉さんとの会話を思い出す。
『何時かメガテン世界に行ったら、お姉ちゃんの必勝パーティー作成法を伝授してあげる!』
『DCとLLの仲魔を混ぜて、光と闇が備わって最強に見えるのよ?』
『ふふー、卓也ちゃんとお揃い♪ おっそろいー♪』
うへへ。

「落ち────て」

「おっと」

閲覧机から身を乗り出して鼻に当てられたシュブさんのハンカチが真っ赤に染まる。
ピンポイントで思い出した姉さんが良し。
良し。
一頻り姉さんへの愛を鼻から迸らせてクールダウンした所で、シュブさんは真っ赤に染まって水っぽい感触になったハンカチを俺の鼻から放した。
ハンカチを外されてから、一分ほど上を向いて首の後ろを叩き、完全に止まったことを確認。

「ありがとうございます。……すみません、汚してしまって」

ハンカチを濡らし終えてもまだ滴る俺の姉さんへの想いで手を濡らすシュブさんに頭を下げる。
これまでに何度シュブさんのハンカチを駄目にしてしまったことか。

「ちゅ、ぴちゃ、ちゅ、ちゅる……んふ……──、あ、別にいいよ────」

手首まで滴る紅い姉愛を、目を細め頬を上気させながら舌で拭うシュブさんは、何てことは無いとばかりに紅く濡れていない手を振りながら謝罪を受け取ってくれた。
流石シュブさん、懐が広い。
しかも、床に染みになりやすい姉愛をこぼしたら不味いからと舌で舐めてくれるとは、淑女(レディ)とはシュブさんの様な方の事を言うのだろう。

真紅に染まったハンカチを保冷剤入りの真空パックに入れているシュブさんを見ながら、思考を前に進める。
俺の閲覧可能な自らのステータス画面は、現時点ではスパロボJ版のパイロットステータスとユニットステータスのみ。
だが、見なくてもはっきりと解ることがある。
今の俺をメガテン系のステータス画面で見た場合、間違いなく属性はDCなのだろう。
俺自身の真実の性質がどうあれ、伝承に残っている俺の情報を組み合わせた時、そこに居るのは幾つもの文明を滅ぼした邪神でしか無い。
そして属性がDCの俺では、もしも何時かメガテン世界に行った時、姉さん推奨メンバーを仲魔にすることはできないだろう。

いや、仲間にすることは可能だろうが、ルート選択で強制的にDC側に放り込まれたら、条件から外れた仲間は離脱させなければならなくなるだろう。
強制力がどれほどのものかわからない以上、アライメントは限りなくNに近づけておくことが望ましい。
今だけの話ではない。
早い段階からアライメントの調整を心がけておくことで、自然体でNのアライメントを保つことが可能になるのだ。

「…………」

思考する。
メガテン世界基準であれば、アライメントは結果ではなく、実際にどのような考えで行動したか、という点を基準としてアライメントが動くはずだ
だが、特に悪意もなく行動していた俺の記述は、明らかにDCな感じの邪神として記されてしまっている。
少なくともこの世界では、本人がどう思って何を行ったかではなく、その人物の行いが客観的にどの様に見えるか、という点を基準にして決定されるのだろう。
猫虐待コピペや、不幸な親子を騙すコピペなどがいい例だ。
本人が善行だと思って成した行いが、世間一般では悪行であったが為に、本人の意思とは関係なくDCに突き落とされる、まさに今の俺の様な被害者がこの世界には大勢いるのだろう。
この状況を改善するには、属性がLL(low-light)に傾くような、世間一般が考えうる、分かり易い善行を成さなければならない。
それも、ケチの付けようがない、圧倒的なまでの善行を。

「シュブさん、これからの予定なんですが」

「観光────少し中断──ね?」

察しが良くて助かる。
大きな荷物もない以上、直ぐにでも出発できるだろう。

「すみません、俺の我儘に付きあわせてしまって。後でこの埋め合わせはしますんで」

「────帝都──行────白玉あんみつチョコ饅頭────皿────うつ─」

食べ終え、最適化を完了した魔導書を複製し、元の棚に戻しながら謝罪。
シュブさんの返答はウインク付きでそれなりに軽い。
一旦アーカム周辺をぐるりと見て回り、ニグラス亭の土地を確保する予定だったのだが、シュブさん的にはあの立地条件には特に拘りはないのかもしれない。
しかし帝都か。

「お安い御用ですとも」

どちらにせよ、姉さんの出迎えはしなければならんわけだし、その頃に行けば丁度いいかな。
これからアライメント調整の為に色々動きまわらなければならないわけだし、帝都の独特の空気の中で食べる和スイーツは格別だろう。
そう、言うなれば、シュブさんへの謝罪も込めた、自分へのご褒美というやつである。スイーツなだけに。

「それじゃあ手始めに、手近な場所に居るDC属性の群れでも探しに行きましょうか」

「うん──」

返事とともに手を握ってくるシュブさん。
その手を握り返し、認識を阻害された人々の間をすり抜けながら、館外へ向けて歩き出すのであった。

―――――――――――――――――――

○月☓日(覇道鋼造が全世界に鉄道網を敷いたと聞いて)

『やはり総本部というか、本社というか』
『そういう場所には覇道鋼造の顔を模った巨大レリーフが存在していたりするのだろうか』
『部下であるクロフォードと比べて腕っ節が強ければそれでも問題は無いのだが』
『覇道、どこまで行っても主人公サイドから外れられないものなぁ』
『しかもオーバーデビルは能力的に大導師のものだし』

『さて、ジョークはここまでにして、俺のアライメントの話だ』
『手っ取り早くアライメントを変化させるためにも、情報はとても重要になってくる』

『今は西暦1890年代の終盤、いわゆる機神胎動の時代である』
『ついこの間確認した、いつの間にか内部の回路が複雑化しすぎて少し混沌としてきた組立中のデモンベインからして間違いない』
『やはり組立中のメカはいい。ベルゼルート・ブリガンディを思い出す』

『それはともかく、機神胎動だ。この時代は良い。元の世界に近づいていると実感できる』
『何より、分かり易い位置に邪悪な教団が存在しているというのがいい』
『俺の目から見ると、どこもここも自分達の信念で動いてるように見えるから、DC属性の教団だと原作で言われている組織の存在はとても助かる』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「年の瀬を、死体の山の中で過ごすこの感覚!」

「はい、鴨南蛮っぽい蕎麦────」

割り箸の載せられた、湯気を立てる器を受け取り、頭を下げる。

「うい」

どこのお国ともしれない、D∴D∴(ダークネス・ドーン)の連中が屯っていた地域でシュブさんと一息。
鴨南蛮っぽい蕎麦の材料は、先ほど鏖殺した獣人連中の中から鴨に近い獣人を使用している。
鴨よりも少し、とても獣臭い気もするが、そこはシュブさんの調理の妙によってうまい具合に旨みに加えられているのだ。
野外での食事の為に用意したプラスチック製の器に口をつけ、つゆを啜る。

「あ──まるね──」

「あい」

同じく、麺よりも先につゆを味わっていたシュブさんの言葉に頷く。
死体を可能な限り除け、獣人を鏖殺するのに使用した即席戦車の装甲に座布団を敷いて座りながらでも、こうして暖かい食事をとれるのであれば、そこはたちまち和らぎの場所となるのだ。
雪は振らないまでも、人間に感覚を合わせると寒く感じる気候。
即席戦車が放っていた放射熱は既に感じられない。
暖を取るために、俺とシュブさんは身を寄せあって蕎麦を食べる。
どんよりとした雲に覆われた空を見上げながら、思う。

「アライメント、どうなってるかな」

ここ半年の間で、潰したD∴D∴の群れの数は数十に登る。
彼等がdarkでない筈もなく、一見ロブディの下で統率が取れているようで、しかし欲望に忠実である様は間違いなくchaosの住人だ。
総合的に見て彼等のアライメントがDCであることは間違いない。
そして、DCを虐殺するのはLLの所業である。
光と秩序的に考えて、暗黒で混沌な連中なんて殺さない理由がない。
つまり、ここ半年で行われた大虐殺によって、俺の属性は間違いなくDCからLLへと移動し、恐らくはNに近づいている事だろう。

「LLに───Nなら───もう一押し────」

箸を持ったまま力強く拳を作るシュブさん。

「もうひと押しと言われても」

手っ取り早く属性を変動させられる様な相手は、この時代ではD∴D∴くらいしか思い浮かばない。
ブラックロッジは現時点で存在しているかどうか怪しいし、待ち伏せで見つけ出せるレベルとなるとここいらが限界になるはずだ。
正義的で、秩序的な行いを、暗黒かつ混沌な連中を虐殺する以外の方法で表現する事は意外にに難しい。

「あ、初詣とか? 年末ですし」

年末と年始より先にクリスマスが来る?
DCだってクリスマスは祝うだろう、常識的に考えて。
きっとガイア教徒だって、ヒャッハーで金や物資を奪うと同時にクリスマスケーキとかツリーの天辺の星とかも略奪するに違いない。
自分の子供にパワーレベリング用の高レベル悪魔が入ったCOMPとかクリスマスプレゼントで渡しちゃうに違いない。
エロスで言えば、ミサの会場に突入して神父とか信徒を虐殺して、そのままシスターさんでお楽しみに違いない。
ほら、やっぱりクリスマスを祝うと、ランダムでdarkやchaosに変動する可能性が高いではないか。

「いい──初詣──」

シュブさんも嬉しそうに笑っている。
何処を詣でるかはこれから考えればいい。
少し捻って、普通の神にカモフラージュして邪神を祀っている神社とかを詣でるのも悪くない。
ついでに、覇道とそのご一行も誘ってみるのも悪くないかもしれない。
シュブさんと二人で、というのも悪くないのだが、せっかく元の時代に近づいてきたのだから、少し変化を付けてみるべきだろう。
それにあいつ一応秩序寄りだから、どういう行動を取ればいいかの参考にもなるかもしれないし。
思い立ったが吉日、それ以降は凶日。携帯を生み出し、覇道の居場所を知っていそうな奴に電話をかける。

「もしもしー、ニアーラさん? ちょっと聞きたいことがあるんだけど…………あれ、もしかして今仕事中で? ……あ、いいんですかそうですか。それでですねぇ、覇道先輩って今どこに居るかわかります? ……そりゃ助かります。それじゃ、そっちのスケジュールに合わせるってことで。……あはは、わかってますってそれくらいはー」

軽く談笑した後、通話を終えて携帯を取り込む。
どうやら覇道はニューヨークのレッドフックに向かうことになるらしい。

「それじゃあ、ちょっとニューヨークの方に……シュブさん、なんか怒ってます?」

「べ──にー……」

唇を尖らせ、ぷすー、と頬を膨らませているシュブさんの様子に首を傾げながら、俺は即席戦車の進路をニューヨーク方面へと向けるのだった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

ミスカトニック秘密図書館。
ミスカトニック大学の中でも、陰秘学科にのみその存在を知られる施設は、やはりその日特性の高さから、人の姿はまばらにしか存在しない。
本当に危険な資料は別の場所に保管されているとしても、この図書館に存在する物も、全て魔導に関する物品であるため、魔術に関わるものであっても常駐するべき空間とは言えない。

「毛虫が金で……なんで毛虫が金?」

だがそれも、一部の者に取っては建前に過ぎない。
魔術に関する知識を持たない一般人が踏み入ることのないこの図書館は、大っぴらに魔術に関する話をするには最適な場所である。
故に、陰秘学科の学生の中で、特に神経の太い者達が自習室代わりにこの場所を使う事は珍しいことではない。

「毛虫(もうちゅう)だ。毛の生えた虫じゃなくて、毛皮を纏う蟲で、つまり人以外の動物を指すんだよ」

「あ、そうだったそうだった。使わないから忘れてた」

「覚えといて損は無いと思いますけどね。風水にも通じますし、陣を引くのに大切だし」

一つの閲覧机で、参考書代わりの魔導書を開き、ノートにペンを走らせながら言葉を交している三人もそうだ。
少しばかり優秀で、魔導に関わっていて、しかし、何処にでも居る普通の学生。

「そいやさ、あの教授、結婚するらしいな」

「あー、あのちょっと細いのか。恋人の方、結婚前だから未亡人にはならんのよなー」

「確か、学術調査から帰ってきたら式を挙げるとか言ってましたね。香典は用意してますよ」

「無事を祈れよ」

「アキラメロン(特価3,900円)」

「お断りします。そしてお断りします。やはりお断りします」

軽口を交わし合い、戯れ合う、何処の大学でも見ることの出来る光景。
話の内容を気にしなければ、何処にでも居る学生同士の戯言だろう。
ありふれた日常の一コマ。
互いに勉学に励み、遊び、明日の再開を約束して別れる。
怪異の脅威が、魔術の深遠からの誘いがあったとして、決して変わることのない形式。

遠い遠い未来に落とした、大十字九郎の人生。
その残影だ。

―――――――――――――――――――

「む……」

サンタフェ鉄道の車中で、覇道鋼造はひと時の微睡みから目を覚ます。
目を覚まし、数秒の間を置いてしっかりと覚醒した頭脳に浮かぶのは、微睡みの中で見た光景。
酷く、酷く懐かしい、遠い未来の夢。
どうやら、執務机で眠ってしまっていたらしい。
無理な体勢での眠りからか、身体のあちこちに違和感を覚える。

「お目覚めですか」

腕を回し、身体の違和感を取り除いていると、執事のクロフォードから声を掛けられた。
彼の手元には、湯気を立て、今まさに淹れたばかりと解るコーヒーが銀盆に乗せられていた。

「ああ……、すまないクロフォード。少し、気が緩んでいたようだ」

マナウス神像から目を逸らさせる為の、彼自身を囮とした列車での旅。
その道程は、覇道鋼造が想定していたものよりも遥かに平穏に終わりを迎えようとしていた。
ロンドンを出発してから、彼がD∴D∴に襲われた回数は片手で足りる程度でしかなく、その数もまばら。
一般人であるダーレス女史を連れてきたお陰で、それらの襲撃の際にはマスターオブネクロノミコンの姿も確認できているが、それもどこまで付いて来ているか不安になる程度の回数でしかない。
それだけでなく、襲撃に来る獣人の数も、不自然なまでに目減りしている。
クロフォードからコーヒーを受け取り、口を付ける。
口の中に広がる苦味と僅かな酸味を味わい、更にはっきりと覚醒した意識で、覇道鋼造は思う。

(お前、なのか?)

あまりにも都合がいい展開に、ロンドンで出会った男の姿を思い出す。

鳴無卓也。
陰秘学科に所属する、彼の一年下の後輩。
多方面の魔導に精通した期待の新入生。
『ハンティングホラー』
『フラグバスター』
『モーガンブレイカー』
『時計塔クラッシャー』
『シュリュズベリィフェチ』
『Mrドーナッツ』
『シス(コン)の暗黒卿』
数多の異名を影で囁かれていた、かつての時代、覇道鋼造が大十字九郎だった頃、私生活を含めて深い親交のあった学友の一人だ。
あの時代でも、都合が良すぎる展開があった場合、ほぼ確実に鳴無兄妹が関わっていると言われていた。
あいつが、この時代で見たあいつが、もしも本人なのだとしたら……。

そこまで考えて、覇道鋼造は首を振る。
それこそ、甘すぎる考えだ。
自分は確かに、最終決戦の後にアーカムへと飛び去るあいつのアイオーンを見たではないか。
この時代に居る理由がない。
学外で、それも観光地に居るのに、あれが姉と一緒に居ないというのも不自然に過ぎる。

こんな自問自答を繰り返すのは何度目だろうか。覇道鋼造は自嘲する。
有り得ないと分かっている。この時代に、元の時代の人間が居るはずがないと。
だが、自らの存在が、その可能性を完全に否定させてくれない。
もしかしたら、何かの拍子で時を遡ることがあるかもしれない。
それこそ、あの無限に連なる時間と次元を越えてこの世界に戻ってきた事に比べれば、決して有り得ない話では無くなってしまう。

だからこそ、夢見てしまう。
何もかもを打ち明けて、力を貸してくれる、そんな仲間を。
俺は覇道鋼造ではないのだと、悲劇も嘆きも知りながら、利用しているのだと。
声を大にして叫び、それを受け止めてくれる仲間が。

「ふ……」

自嘲するような笑みが、覇道鋼造の口元に浮かんだ。
ロンドンで見たアレは、幻だったのだろうか。
それとも、ナイアルラトホテップの仕掛けてきた罠か。
理由も原理もわからない。
だが、一つ言えることがある。

(私は、弱い)

決して口には出せない、覇道鋼造ではない、大十字九郎の弱音。
愛しき人でなくても、誰かに自分を知っていて貰いたい。
そんな当たり前の、しかし、邪神を相手にするには致命的な弱さは、この時代に降りてから何年経っても消えそうにない。
人として戦うなら、消してはならない弱さだ。

だからこそ、その弱さを抱えたまま、心を鋼の如く鍛え抜いた信念で鎧う。
この世を邪神の好きにはさせないという執念を胸に抱き、鋼の巨人、覇道鋼造という偶像を纏い、敗北者たる大十字九郎は戦い続ける。

「さてクロフォード、今の内に決済の書類を────」

弱気を振り払い、今の内に片付けるべき仕事を始めようとした、その瞬間。
列車の走行音を打ち消し、轟音が鳴り響く。
揺らぐ車体。
D∴D∴の襲撃だ。
衝撃の規模からして、大型の恐竜でもけしかけてきたか。

「やれやれ……」

タイミングが悪く、どうにも決まらない。
ロンドンで懐かしい幻を見てから、ずっとこうな気がする。
ゲストであるお嬢さんの前では完璧に振舞えているが、なんという無様だろうか。

専用の客室に備えられた棚の中から、魔導書と幾つかの重火器を取り出す。
自分もこの列車も囮だが、しかし今運んでいる積荷も決して奪われていいものではない。

「クロフォード、君は車内に侵入してきた連中と、お嬢さん方のエスコートを頼む」

「かしこまりました。そちらもお気をつけて」

自らの従者の力強い返答に頼もしさを覚えながら、覇道鋼造は車外に続く窓を開け放った。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

即席戦車とは!
適度なサイズに纏めて、戦車っぽい形にした相転移炉式戦艦である!
主砲は機体前部に搭載された相転移炉によって発射される相転移砲、自動生成される小型の虫型無人兵器とひき逃げアタックが脇をカバー。
これぞ愛と平和(Power&Justice)という言葉を体現するような完全な武装だ。
更に車体を管制するAIとしてオモイカネコピーを搭載しているので実は操縦する必要すらない。
当然空も飛べる。無限軌道は武器だ。
構想一分、制作二分の大作である。
モデルはメルカバ。
何故このモデルかと問われれば答えに少し困るが、妥当な答えとして相転移砲の為、一般向けの答えとしてわりと内部スペースが広い為。
そして真の理由に、『チャリで来た』というセリフを自然と発することが出来るという点がある。

「そんな訳で、目的地に辿り着きました。チャリで」

途中、ニューヨークの街で寄り道をしておやつのロブスターロールを買ったりもしたが、カーナビで見た現在地とこのチャリの速度を合わせて考えるに、目的地には時間前に到着できるだろう。

「チャリは──でもチャリオット────」

旬を外したロブスターロールをがぶがぶとかじりながらの、シュブさんのやる気無さ気なツッコミ。
振袖や和服ではなくパーカーにジーンズの、ある意味最も俺の中のシュブさんのイメージに合う姿だが、初詣までは数日あるので別に構わないか。

「ありがとうシュブさん。その言葉が聞きたかった」

そして、これでこのチャリもお役御免。初詣が終わったら廃品回収に出しておこう。
ありがとう、俺のチャリ……。数日の付き合いも無かったけど、お前のことは忘れるまで忘れないよ……。

「しかし、なんですね。ニューヨークとかあんま来たこと無いんですけど、この時代だと道路の上の丸い電光掲示板みたいのは無いんですね」

ロブスターロールを購入する時にちょろっと車外を確認したが、この時代にしては栄えているものの、映画などで見慣れた例のアレはひとつ足りとも見当たらない。

「時代────新し──過ぎ────」

「そりゃそうなんですが、俺、あれが無いと今一ニューヨークって感じがしなくて」

この世界観だと、どうしたって劣化アーカムみたいになっちゃうし。
というか、デモベ世界のアーカムがニューヨークをモデルにしてるのか?
人種の坩堝で、栄えていて、物騒で、犯罪も当然横行してて。
ああでも、魔術要素──錬金術に関わる技術が一切使われてないか。

「でも実際どうです? ニューヨークに店を構えるとしたら」

俺の問いかけに、シュブさんは首を振る。

「──アーカムじゃ──駄目────よ」

アーカムでなければ店を出せない。
俺はそのシュブさんの言葉に少し心当たりがあった。
これまでの歴史の中で、時折一緒に屋台を開く事もあったが、本格的に店を開くことはついぞ無かった。
シュブさんには、どうやらあのアーカムシティで店を開くことに並々ならぬ拘りがあるようだ。
……まぁ、そうでなくても、これから発展していくアーカムシティの規模を考えれば、わざわざニューヨークに店を構え直す必要は感じられないだろう。
それほどまでに、この世界のニューヨークは不遇な都市だ。
決して、アーカムの影響で経済的に逼迫しているとかそういうわけではないのだが。

「まぁ、ここで見れるものって、大概アーカムでも見れちゃうし、見劣りもしますか」

アーカムシティを知らなければニューヨークでも構わないのだろうが。
もしくは、破壊ロボの活動に悩まされたくない、という場合にもお勧めできるかもしれない。
どちらも俺とシュブさんには関わりのない条件なのだが。

「そ──う訳じ──くて……、鈍────……」

まかり間違っても敏感だとは言えないが、今の問答の中で鈍感扱いされるような部分はあっただろうか。
やはりシュブさんは不思議なひとだ。こんな風に時たま突飛な事を言い出して、それでいて智慧に富んでいて、会話していて飽きが来ない。
美鳥のデータが破損してしまったのは痛かったが、シュブさんが旅の道連れとして傍に居てくれて良かったと何度思ったことか。

《目的地に到着》
《障害物確認》
《脅威レベル:低》
《てーへんだーてーへんだー》
《ハイジョ、ハイジョ》
《ただではすまぬ》
《デデデストローイナナナインボー》
《ドン・ジェノサーイ》
《障害鎮圧完了》
《どうぶつさんいなくなたです》
《目標捕捉》
《ターゲットインサイト》

チャリの中に無数に映し出される無数の空中投影ディスプレイによる現状報告。
しかし、何をやっているかは今一わからない。
インスピレーションで組み込んだ追加パッチは、オモイカネコピーの思考プログラムを大分ファジーにしてしまったらしい。
表示される言葉には、所々報告かどうかすら怪しい内容が含まれている。

「いや、インサイトせんでよろしい」

空中に投影されたディスプレイを平手の甲で払い除け、ハッチから顔を出して外を確認する。
港町の潮風に混じり、血液の生臭い金属臭と臓物から漂う糞の臭いが鼻を突く。
セメント打ちっぱなしの港には、虫型無人兵器に食い殺された獣人の肉片。
お飾り同然の砲塔の先には桟橋があり、その桟橋は今まさに部分招喚されたアイオーンの拳によって粉砕されている。
空には魔術による攻撃で虫型無人兵器を叩き落とそうとする紅い女と、憎悪の表情でそれを見つめる、呼び出されたアイオーンの腕を制御するマギウス・スタイルの魔術師。
砕けた桟橋の向こうには潜水艦の頭が見えて、そこに、大学生くらいの金髪の女性にプリンセスホールドをかけるナイスミドルの姿が。

「おーい! せんぱーい!」

向こうの手元には通信機器の類は存在していないので、大きな声で呼びかけて手を振って存在をアピール。
が、覇道は一瞬驚愕の表情浮かべただけで返事をする余裕は無いようで。

空ではなにやら攻防を繰り広げていた二人の内、紅い女の方がそれを隙と見たか、少し熱そうな魔術弾を覇道に向けて放った。
すかさず虫でインターセプト。
数匹が内部の炉を焼ききる勢いで形成した障壁は、魔術弾を容易に弾き飛ばす。
歯噛みをする紅いの。
そんな隙を、今度はマギウス・スタイルの男が的確に捕捉する。
桟橋の破片を巻き上げながら振り上げられるアイオーンの拳。
魔術以前に、単純に巨大な質量を持って紅いのの肉と骨と障壁を砕かんと鋼の拳が迫る。
しかし、その拳が紅いのに届かんとした、その瞬間。
マギウス・スタイルの男の身体がぐらつき、アイオーンの拳が停止する。
マギウス・スタイルの翼が解けて魔導書のページに戻り、アイオーンの拳はデータに還元されて現実での質量を失い始めた。
魂が擦り切れて、魔術制御が追いつかなくなったのだろう。
意識を保っているのか保っていないのか、消え失せる寸前のアイオーンの手と男の手は、虫に追われながら空の果てに逃げていく紅いのに向けられていた。

オモイカネの華麗なドライビングテクニックによって落下地点に回りこみ、翼を形成できなくなったマギウス・スタイルの男をマジックハンドでキャッチ。
潜水艦の窓から除く小銃は全てコチラを向いている。
覇道も、金髪を背後に庇ったまま、警戒心剥き出し。
慌てるんじゃあない、俺は初詣に追加メンバーが欲しいだけなんだ。
そのことを、この状況からどう説明したものか。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

一夜明け、アーカムシティ。
覇道邸の執務室にて、俺は客として扱われてこそいないが、敵として警戒される訳でもなく迎えられていた。

「拘束とかしないんですね」

「意味が無いだろう? 君が本物であれ、偽物であれ」

溜息を吐く覇道。

「先輩が賢い人で助かりました」

ある程度の位階に達した魔術師は意識を保っている間は不死に近いというのが、一般的な魔術関係者の見解である。
その不死性は回転する独楽が並行を保つように不安定なものだが、それもあくまでも人の範疇に収まる肉体のまま魔術師をやっている人間だけの話。
肉体改造、精神改造に手を出した魔術師ともなればそれらの不安定さは消え、殺害のための隙は少なくなる。
……その割にロブディ氏は妙に物理に弱かった気もするが、比較対象がアンチクロスやダル族の女王であるために弱く見えるだけであり、実際に魔術関連技術を使えない人間が対峙した場合、かなり絶望的な相手になる筈だ。多分。

例えばの話ではあるが、ここに居るのが俺ではなくアンチクロスの中で最も格下の人でも、今現在の覇道邸は完全に制圧できてしまう。
全盛期の覇道鋼造が率いる覇道財閥の戦闘部隊ならば……と思うかもしれないが、残念な事に、この時点での覇道財閥が使用する武装は、魔術付与に関しては未完成な部分が多い。
しかも、その完成形が元の世界で使われていた代物なのだ。
そこを考えれば、この覇道の肝の据わり具合は素晴らしい。

「そういえば、魔導書、別のにしたんですね」

執務机の上、何時でも手に取れる位置に置かれたパンチカードの束、機械語写本に目を向ける。
機械語写本の精霊は、現時点では存在していない。
もしも彼女がアナブラほどに有名になっていたのであれば、きっと角が邪魔でキスが出来ない系の萌えキャラとして大型AAストーリー系スレで多様されていた事だろう。
まぁ、出番が少ないので高望みといえば高望みなのだが。

「ああ……、前のは、無くしてしまってね」

少し、ほんの少しだけ、懐かしさと後悔を滲ませた表情で応える覇道。
この覇道は、覇道になる前の大十字としての最終決戦で、次元の狭間にアル・アジフを取り落としてしまっている。
しかも、その最終決戦というのが、少し剣で打ち合って、セラエノ大図書館に転移したら、敵を発見するよりも早く撃ちぬかれて終了という情けないものなのだから、ああいう顔になるのも仕方がないのだろう。
無論ここで『先輩撃ち落としたの俺なんスよwww』とか口にするわけにはいかない。
口にするわけには、口にするわけには、くそう、誘惑が酷い。
大宇宙の意思が、俺に地雷を踏めと囁いている。
俺はただ真っ当にDCを虐殺してNになりたいだけなのに、なんて時代だ……。

「それで、何故お前がここに、いや、『この時代に』居る?」

この時代、の部分は間違いなく二重鉤括弧で括られていると解るこの拘りよう。
実はクトゥルフ神話的に考えれば時間遡行自体は珍しい技術でも何でもないのだが、完全にデモベ世界準拠な魔術師である覇道的には、そこら辺が気になって仕方がないのだろう。
さもありなん。

「少し専門的な話になりますが、パルスのファルシのルシがパージでコクーンした、というのが一番近い表現でしょうか」

つまり、俺は言葉を濁して解説を避けたい。
嘘は言いたくないし、かと言ってホントの事をストレートに言ってもdarkとかchaosに傾いてしまうし……。

「すまないが、もう少し解りやすく頼む」

「そうですね……、これは先輩が門を抜けた後のお話なのですが……」

以下、解説。
先輩が門の向こうに消えた後、確かに扉は消えた。
だが、その後に俺はヨグ=ソトースと人間のハーフに出くわし、次元の狭間にてその怪物と戦うことになってしまった。
邪神の力は恐ろしく、幾つもの時空を越えて俺とそのハーフは自己の存在すら賭けた戦いを繰り広げたが、ついには邪神の調伏に成功する。
しかし勝敗が決した後、唐突にハーフは捨て身の一撃を放つ。
決死の一撃にはハーフのヨグ=ソトースの子としての力が増幅された状態で乗ってしまい、俺は過去の地球へと放逐されてしまったのだった。

「そうか、私が消えた後に、そんな事が……」

俺の掻い摘んだ説明に、覇道は重々しく唸る。
あの世界では有り得ない話ではない為に、覇道は覇道なりに真剣にその可能性を考慮しているのだ。

「まぁ、あの世界が完全に平和になるわけもなし、それこそヨグ=ソトースの子供なんて、探せば結構な割合で見つかります。これに関しては仕方がありません」

ぶっちゃけ1980年台辺りからは、毎年のように世界征服とか地球破壊を企む謎の結社が生まれては、数が奇数であることが多い戦隊英雄達によって駆逐されるという泥沼の戦いが繰り広げられる事が確定しているのだ。
ヨグ=ソトースなんかは、時間と空間の連続性を完全に無視して行われる超時空レイプによって子供とか作り放題だし、実際にヨグ=ソトースの子供は目撃例が多数存在する。
何時ぞや時空を越えて接触することになったアーミティッジ博士の子孫もそんな出自だったし。
……あの時は、ヨグと人間のハーフってことより、アーミティッジ博士に子孫が居ることに驚いたけども。
あれか、若かりし頃の過ちとか、別れた妻が引き取ったとかそんなか。

しかしまぁ当然、先の説明の邪神=ニャルで、ハーフ=大導師な訳だが。
門を潜った後ってのも嘘は言っていないし。
あくまで、一連の戦闘が門の中で行われているってだけで、一切の嘘はない。

「後は俺が本人である証拠を見せれば納得なんでしょうけど……」

「無意味だな。『奴』がその気になれば、証拠程度ならいくらでも」

「たかだか邪神ごときに、俺が姉さんの弟である証明を偽造出来る訳がありません。侮らないで下さい。それは流石に不快です」

ぴしゃりと大十字の言葉を切り捨てる。

「俺が誰よりも姉さんを見ている証、四分の一姉さんフィギュア(総オリハルコン造り)は、世界で俺にしか作ることまかりなりません」

あれこそ、一つの文化の窮極と言っても過言ではない見事な造形。
全能の神風情が何億束になった所で作り出せようはずもなく。

「成る程、ならばそれを見れば、一発で」

「この傑作をなんで俺が姉さんや美鳥以外に見せにゃならんのですか。視姦なんてしたらアーカム整地してジャガイモ畑にしますよ?」

額に汗を浮かべた覇道の提案をもいちど切り捨て。
悪いな覇道、このフィギュア、三人用なんだ。
本人が好きで姿を晒す外出とかならともかく、こんな完璧な造形美のフィギュアを見せたら、その場で覇道がソロプレイを始めなかねない。
そんな真似をしたらその瞬間まるごとパイプカットさ。
切れ味の悪いニッパーで少しづつ切れ目を入れて、最終的にクズ肉になったそれを口に突っ込んで飲み込ませてからハドソン川に沈めてやるさ。

「なるほど、これは確かに本人だ……」

「?」

何やら姉さん談義を始めようと思ったら、いつの間にか覇道の中で俺は本物であると認められてしまったらしい。
俺は会話の中で、よくよく考えるとこいつに見せられる証拠は殆ど存在しないという事に気がついてどうしようかと悩もうとしていたのだが。
これが、元主人公の持つ第六感というやつか、便利で羨ましいような、変な思考の飛び方がしそうだからあやかりたくないというか。

「あ、因みに言い忘れてましたが、俺が先輩を見分けられたのは単純に塩基配列が一致してたのと、先輩のオーガニックエナジーから判別しました」

こう見えて利き大十字と利きティベリウスには少しばかり自信がある。
俺の視力が相手の皮膚の細胞から塩基配列を読み取れるレベルだってのは学生時代に説明しているし、俺が本人だと確信しているのなら、ココら辺の細かい説明はカット。
もっとも、この見分け方だと、外法気味な魔術で肉体や魂を改造したりすると少し見分けにくくなってしまうのだが、大十字九郎であればそんな心配は要らないだろう。

「あれは冗談ではなかったか……。いや、それよりも」

「ええ、D∴D∴ですね。最近妙にあちこちではしゃいでいましたが」

あの港町の状況で思い出したけど、一応知らないって事にしておかないと角が立つので、礼儀として尋ねてみる。
すると、覇道は一瞬だけ何かを考えこむような顔をしたかと思うと、こんな事を切り出してきた。

「ああ、これから彼等のパーティーに行こうと思うのだが……君も、どうかね?」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

まいったわー、いきなりパーティーとか言われても、正装とかテッククリスタルとかグレゼオか鬼械神しか持ってないわー。
そんな訳で、D∴D∴のアジトへの突入に誘われてしまった。
少し邪神では無いと思われる金神パワーとかで思考を覗き見てみたが、どうやら、こういう荒事に誘えば武装付きでホイホイ付いてくるトリガーハッピーだと思われているらしい。
超心外である。
確かに、銃器は魔銃の他に重機関銃なども好んで使うが、どっちかって言えばチェーンソーとか、触手の応用で鞭とかの方が好きなのだ。ブレイクワンとか使えます。
布とかあれば鬼械神、ネームレス・ワンくらいまではプッピガンできるし。

覇道に内心で少し物騒な奴と思われていたという事実から得た悔しさをバネに更なる精進をしようと心に誓いつつ、覇道邸の中を歩く。
周囲に監視の目がない事を確認すると、強力な認識阻害が掛かったカバンを開き、中に声をかける。

「ちょっと長引きそうです。何か必要なものは?」

「んー──安心──て──よ」

カバンの中、ハンカチの下に隠れていた三頭身のシュブさんがひょこっと顔を出して応えた。
これまでの俺の経験上、シュブさんは他人から少しだけ誤解されやすい。
神様に間違われて祀られたり、邪神の一柱と間違われて襲われたりと、その誤解の例は枚挙に暇が無い。
今回は、邪神全般を目の敵にしている覇道とか、お前本編でもそれくらいまともに振舞えよと言いたくなるようなシリアスぶりを発揮しているアル・アジフが居るため、話を円滑に進めるために少しばかり隠れて貰っているのだ。

「すみません、シュブさん。俺が、もう少し人を言いくるめるのに慣れていれば……」

シュブさんも、こんな三頭身のディフォルメ形態に変身せずに済んだろうに。
誰から報酬を貰うでもなく俺の旅路に付き合ってくれているのに、そのシュブさんにこうして不自由をしいてしまうのは、俺の不徳の致すところだ。

「いや、──君──う少し言いくるめ──下手で良いく────思う」

シュブさんは真顔で、やや短くディティールの省略されたぷにぷにした手を否定の形で振る。

「そんな馬鹿な」

これ以上言いくるめが下手になってしまったら、いざという時に困るではないか。
……困るかな。
どうせ今回みたいな古代への時間移動なんてそうそう起きないだろうし、現代の二年と少しの時間をループする程度なら、本当に言いくるめとかしなくていいのかも。

「それはともかく、もう暫くそこで待っててください。中のお菓子は食べちゃっていいので」

「うん────張ってね──」

シュブさんの声援を受け、カバンの口を閉じる。
さて、後はD∴D∴のアジトに突っ込んでドン・ジェノサイするだけでいいのだが、それでは少し味気ない。
せっかくD∴D∴の殲滅でアライメントを動かせるのだから、更にもう一押し、
半死人で、正義の魔術師候補の治療なら、充分LL方向に動かすことが出来るだろう。
身元も確かだしね。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

そうして、数日の時が経過した。
突如として現れた、覇道鋼造の知人と見られる人物の助力もあってか、事は全て恙無く解決したと言ってもいい。
基礎設計、オーガスタ・エイダ・ダーレスの電動服の複製品に、高火力の重火器を持たせた降下部隊。
供与された数体の魔導合金製破壊ロボと、二人の万全な魔術師による鬼械神二機。
神を呼び出す為の神殿周辺の構造物は尽く破壊され、何故か壊滅寸前だった獣人達も容赦なく駆逐され、邪悪な魔術師にして邪神の司祭であるラアル・ロブディもまた、復讐者アズラッドの手によって討ち取られた。
邪神の目覚め、咆哮によって出た犠牲者こそ救うことは出来なかったものの、世界の破滅の危機は、アーカムシティの一角を死の土地とするのと引換に、無事に回避することができた。
生き残った魔術師アズラッドは、彼の魔導書アル・アジフと共に、その後の人生を覇道の掲げる夢を実現するために費やすこととなるだろう。
それが仮初の、一時のものであるとしても、人類は勝利を掴み取ったのだ。

そうして、世間ではオルタレイションバーストなどとも呼ばれる怪異から、二年の時が流れた──

「みなさーん! アイスクリームはいかがー!?」

エイダが拡声器で呼びかけるのは、工場内でデモンベインの整備を行なっていた、電動服を纏った重作業員達。
待ちかねたとばかりにそれぞれの持場を離れて、皆先々にエイダから容器とスプーンを受け取り、クロフォードの運んできた保冷ワゴンへと群がり始める。
熱の篭る電動服での作業は、彼等に強くアイスクリームを求めさせ、瞬く間にアイスクリームの入った保冷ワゴンはその底を見せ始める。

「一つ貰おうか」

そう言って手を伸ばしてきた男に容器とスプーンを渡しながら、エイダはペコリと頭を下げた。

「ミスター覇道、長らくお世話になりました!」

この二年間、アーカム・シティに留まり、デモンベインの解析機関や電動服の改良、全自動整備機械の開発などに協力してきたエイダだったが、デモンベインが完全に修復された事を機会に、ロンドンへと帰ることにしたのだ。

「君も去ってしまうか。出来ればずっとここを手伝って欲しいのだが」

エイダと並んでアイスクリームを食べる覇道の言葉に嘘はない。
エイダは、科学技術に関する天才的なセンスを持っているのだ。
源氏あのデモンベインには、エイダの考案になる新技術も随所に組み込まれていた。
彼女と、既に去った覇道の後輩が居なければ、プロヴィデンスでの血戦でほぼ完全に解体したデモンベインの再構成は不可能だったろう。

「光栄です、ミスター。でも、私の本職はジャーナリストですから」

胸を張るエイダは、鼻息を荒げスプーンを振り立てる。

「これからは、この二年と半年の得難い経験を糧として、ロンドンから世界中を啓蒙していきますわ! ──あ、もちろん、私は守秘義務を遵守いたしますので、ご心配なく」

『私は』
その言葉に、覇道はアイスを急いで掻き込んだ訳でもないのに、頭に鈍い痛みを覚えた。
そう、オーガスタ・エイダ・ダーレスは確かに秘密を守るだろう。今回の事で、彼女もその重大さを身にしみて理解している。

「……私としては、あまり世間をかき回して欲しくないんだがね。……せめて、君だけでも」

覇道鋼造の──かつての大十字九郎の後輩、鳴無卓也は、あの事件から数ヶ月もしない内に姿を晦ました。
その行方を追う事はしていない。……する必要もない程に、鳴無の活動と思われる事件の話は三流ゴシップ誌を賑わせ続けている。
起きる事件、解決方法の全てが、魔導に関わる知識をギリギリまで想起させる様な危険なものばかりであり、覇道の頭痛の種でもあった。
しかし、それを覇道財閥の手を煩わせる事無く解決に導いているが為に、強行的な手段に出る訳にもいかない。
覇道財閥で唯一止められるかもしれないアズラッドは、彼に命を救ってもらったという大きな借りがあり、余程の事がなければ動いてくれそうにもない。

「確かに、彼は少しやり過ぎな部分もありますけれど……そのご意見には同意しかねます、ミスター覇道。あなたは何でも自分おひとりでなさろうとしますもの。少しくらい、強引に手を貸す人が必要になりますわ」

デモンベインの修復に関する助言、パンチカードに変わる新たな記録媒体の提示、デモンベインを補助ずるための、アーカムに張り巡らせる魔導科学による電子・霊子的ネットワークの基礎理論の提唱。
これらの技術は全て、鳴無とエイダの手によって齎されたものだ。
それらは何時か、覇道鋼造も思いついたかもしれない。
だがそれは何時かの話であり、こうして誰かの手や知恵を借りてしまえば、いとも容易く手に入るものに過ぎないのだ。

エイダはそう頭の中で思いながら、真顔を覇道に向ける。

「何時か来る戦いで、人類は、世界は一丸となって対処しなければなりません。だから、彼が彼の道を行ったように、私は私なりのやり方で協力させていただきますわ」

「君が決めたことなら止めはしないが……」

覇道は肩を竦めた。この二年半の時間で、この娘が一度言い出したなら効かない事はよく理解していた。

「ところで、汽車の時間は大丈夫かね?」

「ええ、この通り、ちゃんとベルをセットしておりますもの」

笑顔で、改良されたベル付きの時計を見せるエイダ。
その場でもう一度頭を下げ、振り返って工場内へ声をかける。

「──それでは、ごきげんよう。ミスター覇道! ごきげんよう、クロフォードさん! ごきげんよう、みなさん!」

胸を張り、ぐっと視線を上げ、そびえる巨体に視線を合わせる。

「ごきげんよう、デモンベイン!!」

鋼の装甲に身を包んだ、もはや骸とは呼べそうにない、人類の守護者に手を振り、工場内から走り去るエイダ。
これから、魔術の研鑽中のアズラッドとアル・アジフへと挨拶を済ませ、今度こそ彼女はアーカムから去るのだろう。
その背を見つめながら、覇道は思う。

(全世界が、一丸となって、か)

超絶的な力を持つ邪神ですらも、人の力で退けられる。
今回のズアウィアの件は、彼女にそういった楽観的な印象を齎してしまった。
だが、そうではない。
この世界には、何億、何十億の人の力を束ねても抗う事の出来ない、次元の違うモノが確かに存在している。
それに──

『俺が知る限り、機神招喚が可能な人類側の魔術師で、南極決戦時に集まれた魔術師は、あの時点で27人は居ました』

後輩の、何の気なしに口にしたであろう言葉が脳裏を過る。

『どうせ皆さん、知ってて無視したクチでしょうね。俺だってほら、あの時に戦えるだけの力はあったけど、別の用事を優先させたわけですし』

世界が一丸になって立ち向かう時。
それは確かに何時か訪れる事態だろう。その時に、自分がまだ生きているかはともかくとして。
だが、その事態に対して、人類全てが一丸になれる確率は非常に低い。
それは何故か。
いや、何故と問うのも烏滸がましい、当たり前の答えがあるだけだ。

『みんなで一丸になって邪神を倒しましょう、なんて、誰が頼んだんです? 全人類に頭下げて頼んだとして、個人主義の局地みたいな達人級(アデプトクラス)以上の魔術師を集められると?』

それは、何も魔術師に限った話ではない。
世界中がブラックロッジの開いた戦火に焼かれても、その中で助け合うでも無く、これ幸いと奪い合い殺しあう者達はアーカムにすら多く居た。
人、一人ひとりに個性や個人意志がある限り、邪神に抗うことの出来ない徒人ですら一丸になることはできないのだ。
そして──

『貴方が、運命に打ち勝つことが出来るか。そんなのは、結果が出るまでわかりません』
『結果が出てもわからないかもしれません。結果こそが運命になるのかもしれません』
『だからね、先輩。気楽にやっていけばいいじゃないですか』
『なあに、人類が滅んだって、明日も世界は回りますって。俺が保証しますよ』

耳の奥に残る、冗談めいた台詞回し。
ケタケタ ケタケタ
神経に滑りこむような笑い声は幻聴か残響か。

解ることは、ただ二つ。
鳴無卓也は、全人類一丸の内には決して含まれない人種であるということ。
世界の行末も、人類の趨勢も、何もかも。
あれの興味には含まれない。
遠く離れた過去ですら、ただ一人の為だけに、ただ一人の姉の元へ、たどり着くことだけを考え続けている。
時を越え、人を捨てても。
今も昔も──未来ですらも変わることはないのだ。

―――――――――――――――――――

○月●日(おっとどっこい大正桜ジュブナイルを推理トリガー(物理)に委ねる)

『事件は世界中で起きており、DCな連中も腐るほど居るのだろうが、正直俺には今一見分けがつかない』
『そこで、事ある毎に顔に『私悪人です』と書いて有りそうな如何にもな悪の組織による怪事件が頻発するエドロポリス改め帝都に拠点を置くことにした』
『悪党が起こす事件を発見できて、シュブさんご推薦の和スイーツも食べられ、姉さんが出現する俺の故郷へも徒歩数秒の位置となれば、ここに拠点を置かない理由にならない』

『さてそんな訳で、この帝都に来て数十年の時が流れた』
『ループの開始地点までは十数年ほどあるが、もうこの帝都から出る気は起きない』
『何しろ、この街は黙っていても事件が起きて、悪党が現れる』
『しかも無限螺旋の本筋とは一切関係ないので、出てきた悪党は殺し放題だ』

『自分でこんな事を書くのは自慢だが、ここ数十年の俺の活動は恐ろしいまでに法と秩序に優しい』
『それはもう、並み居る悪党をねじ切っては投げ、死体をこね回して人間性を足蹴にし、脳を開いては洗脳し仲間同士で同士討ちさせ、女とあれば力を奪って飢えた淫獣どもの中に放り込み、男とあれば力を奪い飢えたいい男の群れの中に放り込んだ』
『カラクリ盗賊団なんかは実に良い感じの潰れ方をしてくれたし、黒之巣会なんかも人数が居て嬉しかった』
『帝都の治安は守らないけど悪党は駆逐する尻尾(しょくしゅ)の生えたメタル忍者スレイヤーは、今日も元気に悪党と類縁の者を一族郎党鏖にするのである』

『そんな訳で、悪党ははびこらないが何時殺されるともわからない恐怖に怯え、帝都は以前に比べて活気も少なくなり、人々は見えない何かに対する怯えを隠すように明るく振る舞っている』
『あとは人々から空元気が失せ、完全に笑顔が消えた辺りで、心の支えになるような新興宗教でもでっち上げて、人々がそれに縋るように思考を誘導すれば……』
『これぞ、メガテン世界観伝統と信頼の救世主殺法である』
『悪党を抹殺したりする際には、きちんと葎の仮面コレクションなどを使って正体を隠し、普段は私立探偵として密やかに街の事件を解決している』
『顧客からも満足の声が多く届き、個人的に慕ってくれる人も多くなってきた』
『あとは頃合いを見計らって、メシア殺法を発動すれ』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

ふと、日記に走らせていたペンを止め、日記の内容とこれまでの活動内容を確認し、俺は手からペンを取り落としてしまった。
なんという事だ。
恐ろしい事に気がついてしまった。
あまりの驚きに、俺は口元を両手で覆って目を見開く。

「やだ、俺のアライメント、LL過ぎ……!?」

適度に、『あれ、これLLじゃなくて善人プレイじゃね?』みたいな行動を繰り返す予定が、メガテン的に見たLLそのものになり始めているではないか。
これではNを通り越して、LLの方にアライメントが傾きかねない。
いや、多分もう、少し傾き始めている。
顧客の一部に、会話の端々に微妙に暗示を込めたトークで、救世主的なものがこの世には必要なんじゃね? みたいな思想を摺りこんでしまっているのだ。

いかん、遺憾、じゃない、いや、意味的には合ってる。
まことに遺憾である。
俺が到達するべきは究極のNであり、LLなどというわけのわからん四文字にひれ伏して尻を出す位置ではないのだ。
下手に、悪党の虐殺以外に手を出したのが失敗だったか……。

こういう時、メガテン的なステも確認できる姉さんに相談できれば最高なのだが、今は姉さんの居ないループ外。
姉さんが出現したら即効で会いに行くのは当然として、それまでに多少なりともアライメントを調整し、その上で姉さんにしっかりとアドバイスを貰わなければ。

そうと決まれば、こうしては居られない。
日記を閉じ、僅かにサイトロンに働きかける。
俺に、今の俺に必要な未来を見せろ!

「むっ」

脳裏に浮かび上がる、俺に必要な未来の光景。
それは、とある事業の式典、ティベリウス率いるブラックロッジの信徒たちに襲撃されるオーガスタ・エイダ・ダーレスと覇道……、ええと、か、か、そう、兼定。
見れば、ダーレス氏はアイアンモンガーにも似た新式の電動服を着て、兼定を守りながら下級の信徒達を相手に大立ち回りをしている。
そして、ティベリウスと矛を交える、マギウススタイルのアズラッド。

「こ、これだ!」

トチること無く、DCに傾きすぎる事無く、俺をNへ誘う道!
LL、しかも、メガテン的な意味でない、適度な位置のLL!
椅子を倒しながら勢い良く立ち上がり、俺は外出する旨を伝えるために、シュブさんの部屋へと走る。

「シュブさん! ちょっと出かけて来ますから、三時のおやつは先に────シュブさん?」

天啓を得て、気が逸っていたのだろう。
俺は一緒に暮らしていく上で取り決めていた、『ノックをして、返事を待ってからドアを開ける』という取り決めを破り、ドアを開けてしまった。

ドアを開け、最初に感じたのは異臭。
しいて言うならば栗の花の、というか、ありていに言って精液の臭いだ。
それだけならば特におかしな事はない。
シュブさんは、時に男性のシンボルを完全な状態で保有した姿になることもある。
何億年前だかは忘れたが、シュブさん自身が召喚魔術によってマイノーグラを呼び出し、何千年にも渡って延々オナホールとして扱っていた時期もあった。

シュブさんはその嫋やかな雰囲気からは想像できる通り、生物として極めて得意なレベルで強靭な生命力を持っている。
そのため繁殖に対してそれほど強い執着を持つことは無いが、時たまムラっと来た時は、それはもう大変な事になってしまうらしい。
尻から入れられたシュブさんの下半身ミルクを口から吐き出すマイノーグラの姿は、その凄まじさを解りやすく思い知らせてくれた。
まぁ、あまりの性欲の強さに少し呆れてしまいもしたのだが……。

だが、以前の時とは明らかに様子が違う。
全身から汗を噴き出し、真っ赤になった目からは滂沱の涙を流しながら、枕を噛んで必死に嗚咽を堪えようとしていた。
点滅するように人型と肉塊の姿を入れ替えながら、露出した雄型の触手を必死で掴んで抑えている。
見ているこっちが痛くなりそうな、掴んでいる触手が変色する程の力強さ。
だが、苦しそうに身を悶えさせる度にそれが刺激となり、満タンのペットボトルの蓋を開け、逆さにして強く押し出した時に匹敵する勢いで、青臭い先走りを漏らしてしまっているのだ。
シュブさんのベッドは、既に先走りを吸ってたぷたぷだ。

「あ、あ……たく────、みて、みて」

口から枕を放し、名を呼びながら、触手を見せつける。
いや、見せつけているのは触手ではない。それを抑える手だ。
もはや人の形から逸脱し始めている手でもって、改めて握り潰さんばかりに押さえつけられる触手。

「えっち、──くなっても、がま──、がまん──るから──────」

その言葉に、愕然とした。
シュブさんは、以前にエロくなった時、俺に少し呆れられていたのを気にしていたのだ。

「ごめ──、これ、も、すぐ──付けるから────」

シュブさんは、ずるずると身体を引き摺り、棚の上のタオルに触手を伸ばす。
タオル程度でどうにかなる量ではない筈だが、シュブさんは零れた汁を雑に拭きとっていく。
雑、いや、慌てているという表現が正しいのだろう。
何故、一緒に暮らしていて気が付かなかったのか。
シュブさんはオナ禁を、身を削るようなオナ禁をし続けていたのだ。
たかだか一従業員に過ぎない俺からの心象を鑑みて。
その期間がどれ程の長さであったか、俺にはわからない。
ましてや、それがどれ程の辛さであったかなど、想像することすら失礼に値するだろう。

脂汗とも冷や汗ともわからない汗で濡れた衣服。
握りつぶされて鬱血する触手。
身を守るように、覚える子供の様に丸められた背。
少しでも視界から逃れようと、さり気なくシーツへと伸ばされる震える触手。
朗らかさの裏に、取り繕うような感情の見える、焦りの笑顔。

「シュブさん!」

俺はたまらず部屋に飛び込み、ベッドの上に横たわるシュブさんを抱きかかえる。
その刺激でまたも先走りが漏れ、服に掛かる。
それに慌てるのはシュブさんだ。

「や……! 駄──よ、汚────」

身を捩り、腕と触手の拘束から逃れようとするシュブさんの抵抗のなんと強いことか。
でも、絶対に離さない。
掛けられるくらいなんだというのだ。
これまでのシュブさんの苦しみに比べれば……!

思い浮かべるのは、先にサイトロンから得た未来のビジョン。
俺の肉体は、無限に連なる演算装置。
その力を全て用いて、今までしたこともない高度な演算を行う。
時空を司る邪神の力が修復中な今、俺に許された唯一の時を超える業、ボソンジャンプ。
ナイアルラトホテップの力を連ねても難しい、邪神達の王、字祷子の夢そのものであるこの宇宙の理を解き明かす。
人としての姿を排除し、演算に最適な小型鬼械神としての形態を取り、演算は加速する。
今までの俺でも、邪神としての力を復旧した後の俺でも難しい。
だが、今は、今だけは、
飛べ、飛べ、

飛べ────────!

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

そして────目の前に、かつて命を救った魔術師の背を捉える。
道化の衣装を身に纏う不死の魔術師と相対するマスターオブネクロノミコン。
その背に、無造作に拳を放つ。

「────」

悲鳴や疑問の声を発する間もなく始めるマスターオブネクロノミコン。
意識するまでもなく第三宇宙速度の数十倍に比する速度に到達した拳は、しかし絶妙な拳の捻りにより、衝撃波すら産まずにマスターオブネクロノミコンの肉体を粉砕した。
ネクロノミコンは後で巻き戻す。

周囲を確認。
どこぞの事業の式典。
如何にも高級そうな衣服と装飾に身を包んだ人々が列席しているのが見える。
それ以外には、ブラックロッジの下級信徒と、それをなぎ払うアイアンモンガー。

「な、何よあん」

殴る手間も惜しい。
下っ端を触手で絞殺し引き千切り、アカレコに手を加えてティベリウスに意味消滅。

邪魔者を消したので、結界を展開。
時間の流れを外と切り離し、外の数時間を中の数千年に。

列席者の体格、見た目、霊格、オーラの色を確認。
絞り込み検索を掛け、不適合者の首を念動で叩き落す。
生き残りの魂と肉体にアクセス、使用に耐えられるレベルにまで強化。
自害をしないように脳味噌も改造。

抱えていたシュブさんをその場に下ろす。
地べたに座り込んだシュブさんは、俺の意図を察しかねてか、射精をこらえたままの姿勢で俺を見上げている。

「なに────の?」

声が震えている。
突如として誰の視線も無い閉鎖空間から外に出されたのだから当然だろう。
しかも、周りには大量の雌────それも、シュブさんにとって『具合が良い』肉壷が並べられている。
シュブさんの手の中で、シュブさんの雄型触手は手の拘束を物ともせずに固く張り詰め始めた。

「シュブさん」

そんなシュブさんに膝を突いて視線を合わせ、俺に出せる最大限穏やかな口調で告げる。

「我慢しなくてもいいんです」

ビク、と、身を震わせるシュブさん。
先程までの状況をごまかせるとも、言い訳が出来るとも思っていなかったとはいえ、実際に面と向かって指摘されては、動揺を隠すことも出来ないのだろう。
だから、そんなシュブさんの恐れを、優しく解き解すように、諭す。

「誰だって、エロイことはしたくなるものです。俺だって、ムラムラしたら自慰くらいします」

シュブさんは、首を力なく振る。

「自慰じゃ──適当──手を使────散して────?」

「いいじゃないですか。そんな理屈、使い始めたのはここ数千年程度ですよ?」

背後から拳を振るってきたアイアンモンガーもどきの電動服を触手で打ち据え、中身を崩さないように電動服の機巧だけを破壊する。
丁度良い、一つ目の穴はこれでいいだろう。
覇道瑠璃を産む程の母体なのだし、少なからず他の個体より頑丈な筈だ。

「俺は、シュブさんにそんな辛そうな顔をして欲しくはないんです。楽しい時は笑顔で、気持ちいい時は、思う存分アヘ顔で。……無理をせず、自然で居て欲しいんです」

シュブさんの、触手を抑える手に手を添えて、装甲のひしゃげた電動服へと手を導く。
戦闘機動の繰り返しにより熱を持った装甲板。
そこらの戦車では太刀打ち出来ない程に頑強な日緋色金の装甲板は、シュブさんの手によってゆっくりと剥かれていく。
中から現れたのは、激しい戦闘で肌を上気させた、ドレスに身を包んだ金髪の白人女性。
オーガスタ・エイダ・ダーレス。
電動服に乗り込むのに邪魔だったのか、スカートは中途半端な位置で千切られている。

「……っ!」

目にしたシュブさんの姿から、そして鼻に感じた臭いから、これから何が行われるのかを感じたのだろう。
舌を噛み切ろうと、勢い良く口を閉じようとして、そのまま口を固定してしまう。
自害は禁止だ。少なくとも、壊れるか、シュブさんが満足するまでは。

「さぁ、シュブさん、何処がいいですか?」

シュブさんの先走りがこぷこぷと溢れる触手を手に取り、ダーレス氏の口元に近づける。
恐怖と混乱の入り混じった荒い息が触手に掛かり、びゆっ、と、粘液ですらない塊が触手から飛び出す。
べちゃりと、半固形の塊がダーレス氏の顔を叩くのを合図として、シュブさんの身体のシルエットが一気に崩壊する。
顕れるのは、人間性を全て捨て去った獣性の塊とも言える熱り立つ肉、肉、肉。
肉塊というよりも触手塊と表現するのがふさわしい姿になったシュブさんは、声を発する力も惜しいとばかりにダーレス氏に覆いかぶさる。

何処がいい、とは、我ながら間抜けな質問だった。
既に、触手の入りそうな穴には、全てシュブさんの触手が突き刺さっている。
挿入と同時に、ごぶんごぶんとダーレス氏の身体から異音が響き、その腹部が大きく膨らんでいく。
そうとも、束縛から開放されたシュブさんが、穴一つで満足する筈がない。

「あ、おほぉ────気持ち良────いっぱい出────止ま────ぉ──!」

白痴にでもなったかのような品のない嬌声。
悩みからも苦しみからも解き放たれたシュブさんのそれに、もはや陰りはない。
振り返り、シュブさんの伸ばした触手に全身を貫かれて絶叫する会場内の無数の肉壷を眺める。
アライメント調整に成功し、そして更にシュブさんを苦しみから開放した俺の心は、あの青空の様に、何処までも、何処までも晴れ渡っていた……。







続く
―――――――――――――――――――

原作に再突入と言いつつ、その実シュブさんとの親睦回だった七十四話をお届けしました。

前回の次回予告で鬱フラグを打ち砕くと言ったな。
あれは嘘だ。

主人公的に、この時点で機神胎動にまともに介入する理由が無いから、仕方がないですよね。
今回のアライメントの話も、どちらかといえば、絡めるのが難しくてトリップ先に選べないだろうなーって事でネタだけ消化しただけの、デモベとは殆ど関係ない話ですし。
ぶっちゃけ、過去編過去編言っても、外伝小説で話を作りようがないというか。
あと書いてて思ったけど、こういう形式で行くと、キンクリを駆使する事になるからどうしてもぶつ切りの場面場面を無理やり接続してる感が出てしまうというか、そんな問題が浮き彫りに。
今までの話は違ったのかって? いえ、違いませんが。

自問自答のコーナー。
Q,小倉トースト?
A,愛知県は名古屋市のソウルフード。名古屋市民は毎朝必ずこれを食べてから一日を始める(偏見)
こんがり焼いたトーストにたっぷりバターと小倉餡を乗せて完成。
効能:甘くて美味い。
副作用:太る。尿が甘くなる。そして太る。
Q,主人公の記述とか……主人公推し過ぎじゃね?
A,正直、過去編であそこまでやったら魔導書に載らないほうが不自然なんですよね……。
一連のキンクリされた救済と凄惨な事件の数々の発端とも言える。
でも元を正せばやっぱり過去の地球で好き勝手やった主人公のせい。
因みに、本編での記述の通りナイアルラトホテップやヨグ=ソトースの化身として扱われる事が多く、有名所の魔導書には余り記述が存在しないトカ。
Q,前々から思ってたけど、搾乳してると知った上で飲み続けたり、血液飲んだりは異常行動じゃね?
A,主人公も自分の身体から複製した食材とか普通に人に振る舞いますし。
偶にそれを忘れて内心でディスったりもしますが、主人公の心のなかの棚の数はセラエノ大図書館に匹敵しますので。
Q,アライメント? N?
A,いわゆる属性。最近の有名ドコロだとFateの秩序・善とか混沌・悪とかそれと似たもの、というか、ぶっちゃけそのまんまでは? 初出は当然メガテン側ですが。
Nが『姉さん大好き愛してるprpr』の略であることは言うまでもない。嘘だけど嘘じゃない。
Q,機神胎動を飛ばすとか……。
A,飛ばさなかった場合、余程酷い描写になるというか。
ぶっちゃけ現在デモンベイン編最終話に向けての話なんで、シュブさん以外を推し出した話をするとまた横道に逸れるというか。
Q,主人公からシュブさんへの好感度高くね?
A,そりゃ、姉が居ない状態でまともに共通の話題で対等に喋れる相手が一人しか居なければ好感度は嫌でも上がると思われます。
そうでなくても、ここまでの話でそれなりに友好的に、原作キャラ相手程打算も無く付き合ってたわけで。
ついでに七十一話で出た主人公補正も関係するとかしないトカ。
Q,そういえばコスモボウガンは……。
A,スパロボ編と村正編で割りと活躍していたのを思い出したのでカット。
ダガーさんは正統進化でテッカマンホモ、もといデッドになる可能性が微レ存……?
Q,例によって例のごとく原作キャラの扱いが酷い。なんでや、詠さんなんでや?
A,このSSには思いやりっちゅうもんが無いからなぁ。
Q,二週間とか言ってなかった?
A,失礼、週末になったら急におっぱいが飛び出してきたもので、対処に時間を取られています。言われてみればいい匂いがするような……幻術か。胸元の黒子もまた幻術なのでしょうか。私、気になります!

そんな訳で、あと二、三話くらいで長々続けたデモベ編も最終回。
まさしく竜頭蛇尾といった具合で、最終回に向けて話の規模はどんどん小さく地味になります。
一応、最後はデモベ編、無限螺旋編にした意味とかも持たせられるような〆にするつもりですが、シュブさん関連の描写が……。
これ、シュブさんって多少なりヒロインっぽく見えます?
特に意味のある問いではないのですが、シュブさんがヒロインという訳でもないのですが、できればお答え頂ければ幸いです。お答え頂ければ幸いです。
いや、見えても見えなくても今更オチを変えるとか、そんな器用な真似はできないんですが、心象的には知っておきたいなぁ、と。
あ、オチに原作キャラじゃなくてオリキャラ使うのかよ、みたいなツッコミとは別でお願いします。


それでは、今回もここまで。
当SSでは引き続き、誤字脱字の指摘、文章の改善法、設定の矛盾へのツッコミ、諸々のアドバイス、あなたの好きな蛇女の忍と魅力的だと思う部分、
そしてなにより、このSSを読んでみての感想を、短いものから長いものまで、心よりお待ちしております。


当然嘘になる可能性もある次回予告

無事に無限螺旋の範囲内に到達し、取り込んだ全ての能力を回復させた主人公。
宿った主人公補正とその意味を思い出し、それが自らに宿った意味を理解し、苦悩する。
何も言い出せぬままに過ぎ去る時間。
そして、新たなループの終焉に差し掛かった時、主人公の身に異変が起こる。

次回、無限螺旋旅情編
『あいまいな』

もちろん、あいなまではない。
お楽しみに。



[14434] 第七十五話「内心の疑問と自己完結」
Name: ここち◆92520f4f ID:bd9db688
Date: 2012/10/29 19:42
雨が窓を叩く音で目が覚めた。
ベッドから少しだけ起き上がり、カーテンを開け放っていた窓の外を眺める。
少しだけ切り開いた森の中に立つのは、古めかしい街灯の付いた木製の電信柱。
空は、当然の如く曇天。

アーカムに向かい、本格的にニグラス亭開店の為の準備を始めたシュブさんと別れて一年。
美鳥が復旧して三ヶ月、姉さんがループにより出現して、既に一ヶ月が経った。
何億年と共に居た相手が近くに居ない事に、僅かながら違和感を覚える。
ループの中だけで言えば、この時期には大体まだ顔すら合わせてすら居ないのだが。

「ん……」

傍らから、姉さんの寝息が聞こえ、僅かに身を竦ませる。
疚しいことを考えていた訳ではない。
シュブさんとは俺は男女の関係という訳ではなく、しいて例えるならば、

(……シュブさん、かぁ)

例えるならば、何なのだろうか。
旅の連れ合いでなくなったシュブさんと俺は、ただのバイトと店主なのだろうか。
改めて考える事が出来るのは、シュブさんと離れたからか、ループの中に戻ったからか。

そんな事を思いながら、俺は布団を少し引き、肩を出して眠る姉さんにかけ直してから、姉さんの髪に指を通す。
昨夜の交合で流した汗を吸い、僅かに癖の付いた、艶やかな黒の直毛。
数度、指で梳るだけで癖が抜けて、元の絹のような美しい滑らかさを見せてくれる。
端的に言って、並び立てるものの無い美しさだ。
絹の様ななどというが、極上のシルクを持ってしてもこの美しさには敵うまい、と思う。俺の主観でしかないが。

「全然、似てないんだけどな」

当然、姉さんが断然上、という意味で。
それだけではない。そもそも、見た目からしてタイプが明らかに違う。
同じ母性を感じさせる雰囲気でも、静と動の対比とでも言うべきか。
いや、そうではなくて、なんで比較対象が姉さんなんだ?

理由は、既に察しが付いている。
俺の機能は完全に復旧した。
ナイアルラトホテップとの主導権争奪戦の内容も全て思い出している。
察せない訳がない。
しかし不可解な事に、俺はそれを認めたくないらしい。

姉さんに聞いてみればいいのだろうか。
そもそも、俺とシュブさんを強く引き合わせようとしたのは姉さんだ。
姉さんの勧めが無ければ、今ほど親しい付き合いは無く、バイトだってどこかのタイミングで辞めていた事だろう。
だが、なんと聞けばいいのか。
それすらも俺の中で定まらない。

「くー……」

俺の苦悩を知ってか知らずか、穏やかな寝顔で寝息を立てる姉さん。

「のんきな顔して……」

その頬を指で突き、ベッドから抜け出す。
身体を動かして、少し頭を整理しよう。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

三ヶ月前から再開した、日課の組手。
条件は変身あり魔術あり分裂無し巨大化無し、閉鎖空間での高速戦闘。
速度、時間の流れを互いに無視出来る美鳥との戦いは、最終的に通常の組手と変わらない状況になる。
高速で行われる思考、最適化された戦闘機動を併せ持つ以上、戦闘は待ち時間の長い将棋も同然。
互いに火線と刃を交わし、目まぐるしく動き回りながら、俺達はのんびりと雑談すら行える。
だからだろうか、

「あたしから言わせりゃさ、誰かに何か言われたからって、お兄さんの中の答えは変化しないんだよ」

テックランサーを横薙ぎに振るいながら、美鳥は俺の悩みを一刀の下に両断した。
ショーテル型の美鳥のランサーは、単純にランサーで受けてもこちらの肉を抉り取ることのできるいやらしさを持つ。
だが、そんな搦手の武器とは異なり、美鳥のその言葉はあまりにもストレートに俺に突き付けられる。
言葉と刃はその性質を異のものとしつつ、弾き返すこと無く受けることしか出来ない。

「知ってる。でも、俺以外のところから納得の行く答えが欲しいんだ」

近寄って刃の根本を受ければショーテルの切っ先が身体に突き刺さり、回避しようと身を離せば、魔術迷彩を施されたウイルス入り浮遊機雷に衝突して動きを制限されてしまう。
俺は美鳥の言葉に答えながら、半ば腕から剥離させたシールドでランサーの切っ先を受け止める。
受け止めたシールドはランサーから流れこむ呪詛によって腐り落ち、しかし完全に崩壊するよりも早く爆散、呪詛を薄れさせた。
爆散したシールドの破片を受けて幾つかの浮遊機雷が機能不全を起こした隙に、周囲にばら撒いておいた子機で機雷をクラッキング。

「だからぁ」

子機と機雷の潰し合い。
最終的にどちらに軍配が上がることもなく、やはり勝負は一対一の決闘方式へと流れていく。
煩わしげに、美鳥がランサーからフェルミオンを含む太刀風を起こす。
ニトクリスの鏡による幻覚作用、ド・マリニーの時計の時空操作により、知覚できる軌道と攻撃範囲、着弾タイミングと斬撃回数にはズレが生まれ、単純な飛ぶ斬撃すらも容易ならざるものへと変貌させる。

「それってさ、結局自分の意見だけだと不安だから、誰かに肯定して後押ししてもらいたいだけじゃん」

ランサーにボルテッカ発射孔を形成し、拡散ボルテッカで危険な空間とタイミングの斬撃だけを相殺。
続いて発射孔を複数形成、連続でボルテッカ相当のコスモボウガンを放ち、時計を使って着弾位置、タイミングと弾速をバラけさせる。

「おかしいか?」

「ちゃんちゃらおかしいね」

同じく相殺。
互いの手の内がまったく同じであれば、自然と千日手に陥りやすくなる。
張り巡らされたアトラック=ナチャの魔力糸越しに、発射孔の付いたランサーを突き付け合う。

「あたしの意見を言っておくよ。『お兄さんの感情は全て補正によるものでしかない』」

「そんなことは」

膠着状態で発せられた美鳥の断定に、俺は反射的に反駁してしまいそうになり、口を噤んだ。
動揺の隙を付いてか、突き付けられた穂先がぶれ、構えていたランサーが弾かれる。
懐に飛び込んでくる美鳥に向け、本体の発射孔からヤマンソの魔力弾を放つ。
触れるもの全てを文字通りの意味で喰らい尽くす魔力弾は、しかし、美鳥の肉体を喰らう事無く、その姿を掻き消す。
同時に背中から致死の呪いの込められた刃が俺の心臓を貫いた。

「あ痛っ」

ゲームセット。
貫かれ、流し込まれた呪いで溶け落ちた心臓の辺りがほんのり痛い。
ランサーが引き抜かれ、傷口から心臓だったものがどろりと零れ落ちる。
中でクトゥグアを放たれたらもう少し不味いことになっていただろう。

「あいた、じゃないよ、もう……」

軽くランサーを振り、ドロリとした心臓の残骸を払いながら溜息を付く美鳥。

「見せ技を素直に相殺、デコイに気付かず、死角への迎撃も無し。……今のお兄さん、ちょっと酷すぎ」

変身を解除した美鳥の表情は呆れ顔。
だが、そんな表情をされるのも仕方がない。

「いや、まぁ……、うん、返す言葉もない」

いくらも打てる手はあったが、そこまで思考が回らなかった。
シュブさん関連の話を振ったのは俺だが、話を振った俺自信がその話題で隙を作ってしまっているのもいただけない。
変身と魔術縛りの意味を考えれば、変身後のボディに武装を仕込んでおけば更に選択肢は広まっていた筈。
攻撃への対処も無難な相殺しか狙わず、畳み掛けられるタイミングで押し込もうとも考えられなかった。
思考が逸れ過ぎている。
俺は思考力の何割を、いや、何分何厘をこの組手に向けられていただろうか。

「……さっきのは、あくまでもあたしの意見、つうか、あたしの希望な」

暫し自省する俺を眺めて、美鳥が唐突に語り出した。

「?」

「お兄さんの感情の話」

「ああ」

組手の内容とオチが酷すぎて少し忘れてた。

「あたしとしちゃ、そんなのは全て補正であればいいと思ってる。でも、これも勿論あたしの中だけの意見でしかねーのよ」

「何か問題があるのか?」

反射的に反駁してしまったが、美鳥の意見も美鳥の意見で筋が通っている。
それが美鳥のどの辺りの感情から出たものなのかは関係なく、意見として見た場合、さして悪いものではない。
だが、美鳥は首を横に振る。

「問題が無くなったのは、お兄さんがあたしの意見を曲がりなりにも受け取って、考えたから。『補正でしか無い』って意見単体じゃ何の役に立つわけでなし」

「でもなぁ、多分、俺の結論は変わらんと思うぞ?」

いや、しっかりとした形の結論があるわけでもないが、少なくとも今の美鳥の言葉で俺の中で何かが揺らいだ感じは無い。

「でも、それが欲しい意見じゃなくても、お兄さんはとりあえずは受けて、揺らぐよね? 肯定が欲しいだけってんなら無駄な事はやめようって言えたけど、それなら止める理由もないよー」

そう言いながら、美鳥は部屋の外へと続く扉へと歩き出す。

「さ、まずは朝ごはん食べて、アーカムに行く準備をしようぜ。誰かの意見を欲しがるなら、まずはこの周の知り合いを増やさないと」

―――――――――――――――――――

▽月◎日(何年ぶりかのミスカトニック)

『百年ぶりの世紀末とか比較にならないほどのミスカトニック大学だが、特に問題なくいつも通りの流れに乗ることに成功した』
『入学しようと思ったら覇道財閥から教授として推薦されていたとかあった気もするが、少し世界と関係者の記憶を書き換えたのでそんな流れは無かったと言える』

『入学し、普段通りの交友関係を作り、シュリュズベリィ先生に師事して』
『全てが順調に見えた学園生活の中、俺はある重大な問題を発見する事になった』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

昼下がり、アーカム・シティのメインストリートから一つ外れた通りに構えられた、店名すら無い小さなカフェ。
ティーカップを傾け、無難な味の紅茶で唇を湿らせる。
紅茶の水面に映るのは、笑いをこらえ切れないといった風の自分の顔。
カップから顔を上げて、対面に座る男────卓也に視線を向けると、少しだけむすりとした表情でパンケーキを突いていた。

「何も笑わなくてもいいだろう? 常識的に考えて……」

「ごめんごめん。まさか、卓也から人生相談を受ける日が来るとは思わなくてさ」

出会い頭に挨拶もそこそこに始められた卓也の話は、私にとってあまりにも意外で、聞けば聞くほどおかしいと思えてしまう内容だったのだ。
失礼だという事は承知していても、ついつい笑ってしまう。

「笑いすぎ」

目付きの悪いこの青年がいじける様を見て、可愛らしいなどと思えている自分を認識し、歳を取ったのだと改めて自覚する。
初めて出会った時は、逆の立場だったような気もするのに。

「でも、ふふっ、仕方がないじゃない? そんな事の為に私を呼び出すなんて……」

ティーカップを差し向けながら、込み上げる笑いを堪えることもなく漏らしていると、卓也は一度天を仰ぎ、目元を抑えて大仰に頭を振った。

「昔の君は、もう少し素直で思いやりもあって、可愛げがあった気がするよ」

「私も」

半ばほどまで中身の減ったティーカップをソーサーの上に置き、テーブルに肘を付いて、軽く握った両手で頬杖を付く。
こうして向い合って思い浮かぶのは、悪いけれど相談の内容ではなく、懐かしい思い出だ。
卓也にとってはなんてことのない過去の一ページなのかもしれないけれど、今の自分を形成する上で一番大きな影響を与えてくれた輝かしい人生の時間。

「私も────エンネアもね、卓也はもっとしっかりした大人なんだと思ってた」

言いながら、笑う。
主観では数十年ぶりの再開だから、少し記憶が美化されているのかもしれない。
記憶は移ろいゆくもので、都合の悪い記憶ほど綻びやすいものだ。
目を閉じ、思い出すのは雨の日の路地裏。
身体を打つ雨粒の冷たさとアスファルトの堅さ、掛けられた声の暖かさ。

「ループの話にしても、すっかり騙されちゃったしね」

あの時、ループが終わるかもしれないという希望を見せられた。
でも事実としてループは終わること無く、邪神の企みは続いている。
もっとも、その御蔭で警戒を解いて、暖かい家庭の輪に少しだけ加わる事が出来たのだけれど。

私は皮肉げに言ったつもりだったのだけど、卓也は悪びれるでもなく、両の手を広げて返答してみせる。
何ら後ろ暗いところはない、と、少なくとも本人は信じてるからこその態度。

「騙したつもりは無いよ。契約も完遂しただろう?」

契約。
そう、私と卓也は、死の間際に契約を交わした。
何てことはない、ただ人並みに、不幸も幸福もある、変えることの出来ない定めなど無い人生を送りたいという願い。

「うん、それに関しては、ありがとう。本当に叶えてもらえるとは思えなかったから」

たった一つの代償、それを支払い、エンネアはその願いを叶えてもらった。
そうして、エンネアは『人としての人生を全うした』
魔術師としての力を持ちつつ、延命をすることもなく、数十年の人生を生きて、死んだ。

最後は老衰だったと思う。私を侵せるほどの病は存在しなかったし、まず間違いない。
天寿、それも邪神に定められたものではない、本当の意味での天寿を全うして、親しい人たちに看取られながらの大往生。
誰かに遺言を残す事もしなかったけど。
あらゆるものに感謝しながら、この世を去った。

「いいよ。君には……エンネアちゃんには世話になったし、代償はしっかり払って貰うから」

破格の報酬には、当然の如く破格の代償が要求された。
平穏な、平凡な人生を得る為の代償は、エンネアは『死後のエンネアの全て』を差し出す事。
酷い詐欺だと思った。
最初、エンネアは代償の事すら知らなかった。ただ、生きていていいのだと言われたのだと思っていた。
知らされたのは、死んだ後。
宇宙の暗黒にも似た、暗い暗い無意識の中で、私はその事実を教えられたのである。
平凡に生きていくためには、死後の自由が保証されていないことを知っているのは不都合だろうという気遣いらしいけど、酷い裏切りを受けたのだと思った私は取り合わなかった。
死後の自由が無いのだとしても、藻掻いても足掻いても無理なのだとしても、精一杯抵抗しようと考えていた。

「それで、最初のお仕事がこれ?」

考えて考えて……考え飽きて、契約も代償も、何もかも忘れて、考える事すら止める程の時間が流れた。
何百、何千、何万では効かない様な長い長い年月、私は呼び出される事も使役されることもなく、ただ在り続けていた。
生きていた頃の幸せな記憶を抱えたまま、眠るように死に続けていた私の頭を過るのは、『代償というのは、願いを叶えてもらった事に引け目を感じさせない為の方便だったのではないか』という疑念、いや、希望だった。
今回、真新しい身体に乗せられて再生されたことで、その希望は潰えたのだけど。

「エンネアちゃん、いや、エンネアさんにしか頼めない大仕事だ。人としての一生を全うしたその知恵を、人生経験を貸して欲しい」

パンケーキの切れ端が突き刺さったままのフォークを指の間に挟んだまま、両手を組んで口元を隠して真剣な表情を作る。
組んだ両手で隠された口元がモグモグとパンケーキを咀嚼しているのも手伝って、私の腹筋は再び引きつるように痙攣を始めた。

「確かに大仕事だよね。お姉さん以外との恋バナなんて」

「恋バナじゃないけど、大仕事なのは間違いないよ」

即座に否定された。
表情にも態度にも表れていないけど、やっぱり焦りや動揺があるのかもしれない。
その中身と外面のアンバランスさに、私は笑いの壷を刺激されてしまう。
こういう相談事ばかりなら、死んだ後も働かされるというのも悪くない。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

俺の学園生活の問題点。
それは、人生相談が可能な相手が居ない、その一点に尽きる。
そもそも、この話を相談するには、少なからず俺の事情を知っている相手でなければいけない。
俺が尊敬しているだけでも駄目だし、人格的に優れているだけでは勿論意味が無い。

結局、大学に来た意味は殆ど無かったが、既にアーカム入りしてしまったものは仕方がない。
ここで一旦日本に戻って体勢を立て直す、なんてしてしまえば、現状抱える問題から逃げている事になってしまうからだ。

意を決して姉さんに相談してみてもはぐらかされてしまい、美鳥は既に自分の意見は言い終わったからとこの話題は露骨にスルーし始めてしまう。
勿論、シュブさんに相談できる筈もない。
この時点で、既に相談できる相手がいなくなってしまったのだからお笑いである。
だが、今のまま結論を出すのは中途半端でいけない。
もっと、俺に踏ん切りを付けさせてくれるような素敵な答えが必要なのだ。

そこで、白羽の矢を立てたのが、俺が取り込んでいる中でも割りと協力的な死人たち。
思い浮かぶのは三人。
『蘊・奥』『フー=ルー・ムールー』『エンネア』
ここに来て完全に能力偏重で取り込む死体を選んでいたのが仇になった。せめて飾馬を取り込んでいれば……。
爺さんは未婚臭い剣の求道者であり、こういった話を持って行くには明らかに向いていないので除外。
フーさんにも試しに相談してみたのだが……『試しに押し倒して、ハートが出たら恋人という名のペットにすればいいと思いませんこと?』と、明らかに以前美鳥が渡した少女マンガに影響されているセリフを吐き出したのでボッシュート。
エンネアに相談してみたところ、そもそもそういった経験が無いので分からないのだという。
どうにかならないものかと考えていると、エンネアがこんな事を言い出した。
『エンネアが、普通に平凡な人生を送っていれば』
俺に電流走る。
そうだ、今ここに相談出来る相手が居ないのなら、相談できる相手を別の時間、別の世界から取り寄せればいいではないか。

そこで創りだされたのが、目の前で、半笑いから少し真面目な顔になり始めている死後エンネアである。
肉体は最初に相談したエンネアの肉体を使いながら、最初に出会い、ミスカトニックに口利きをしたエンネアを根に持つ分岐世界から記憶をコピーしている。
しかも、その生涯を人間の常識の範囲内で長く息抜き、平和にその一生を終える事が出来たエンネアだ。
詳しくは見ていないが、その人生経験たるや、並のものではないだろう。
軽く会話を交わした感じでは、つじつま合わせの為に組み込んだ代償云々の内容にも強い反感は覚えていないらしい。
まぁ、反感を覚えられたら別の分岐から人生経験豊富なエンネアの記憶を上書きさせてもらうだけなのだが。
一応、複製を創りだす時に長い時間放置した感じの記憶を刻んだけど、実際、人生経験積んだ記憶付きで複製とか滅多なことじゃ造らないだろうしなぁ。
一生を生き切った後の記憶引き継がせると色々と問題が出てくるし。

脳内で何処に向けるでもなく目の前のエンネアの紹介を終える。
俺が脳内で何かの説明を行う為に使用する時間は、僅か0,005秒に過ぎない。
では、説明を注釈付きでもう一度見てみる事もなく、目の前で優雅に構えるエンネアに視線を向けてみよう。

「でもなー、卓也のそのお悩みの相手って、その、言いづらいんだけど」

口元に手を当て、視線を脇に逸らしながら、少しだけ言い淀むエンネア。
その仕草のわざとらしさからは、言うべきことを言い難いといった風ではなく、確認するべき事項はあくまでも俺に言わせようという意図が見える。
なんというアダルティなやり口、見た目はプレーンな少女形態のエンネアだというのに、中身を差し替えるだけでここまで相談し甲斐のある相手になるとは……これは期待できそうだ。

「うん、人間じゃないというか、ぶっちゃけた話、邪神だよ」

流石の俺も、ループから半ば外れ掛けた上に、運営側の邪神であるニャルを取り込んだ以上、気づかない訳がない。
しかもただの邪神ではない、大御所も良い所の大邪神だ。
デモベ本編では名前しか出ていないが、それが逆に大物感を出していていいという声もある。
ニャルは基本的にノリが良くてお約束も守っちゃうから大物感は薄いし、大導師に至ってはぶっちゃけゲームの駒とか人形劇の傀儡とかそんなレベルの存在だし。

「……まぁ、卓也自身、もう完全に人間じゃないから、身分とか種族の違いは気にしなくていいんだけど」

ついと向けられるのは、俺の奥底を覗きこみ、本質を捉えようとしている視線。
説明はしなかったのに、実力で看破したか。

「良くわかったね。そこまでわかっているなら、あれと同一視しないのかい?」

「そこまで鈍くはないよ。この身体も、その程度は知覚できるようにしてあるんでしょ?」

チラリと向けられた視線には僅かな冷たさが宿っている。
やはり、エンネアの生まれとか幼少時の体験とか知識とかからすると、邪神と化した相手には警戒心を抱くのかもしれない。
少し寂しいものがある。
まるでそう、少し懐いた犬がじゃれついてきたところで鼻の頭にキンカンを塗ったら、次の来訪時から近づいてくれなくなって遠巻きに眺められている視線だけを感じられるような。
そうか、死後エンネアにとって俺のニャル化は鼻キンカンレベルの邪悪なイベントだったのか……。

「肉体には殆ど手を入れてないから、そこはエンネアちゃんの実力だと思うけど」

「エンネアの位階はあれで頭打ちだったんだけど……話が逸れちゃったね」

ごめんね、と言いながら、エンネアは視線を戻して真剣な表情で向き直る。
その真剣な眼差しに、俺も習って背筋と表情を正す。

「まずは、そうだね。期待しているのとは違うだろうけど、まず魔術師としての意見を言わせて貰うね」

エンネアの提案に素直に頷く。
まず、と付けたからには、俺の期待するアドバイスをする上では最初に話して置かなければいけない内容なのだろう。
物事には順序がある。焦らされているようだが、大人しく耳を傾けよう。

「もう知ってると思うけど、邪神の持つ感情には、人間が持つものと似た分類の物が多く存在してるんだ。だから、卓也のその感情は決して有り得ないものじゃない」

「あくまでも俺側からの感情限定で?」

いや、俺の相談内容からすればアドバイスとしては的確なんだけども。

「話を聞く限りじゃ、相手側……シュブさん、だっけ? そっち側に関しては今更エンネアがどうこう言う段階じゃないでしょ?」

そう言いながら肩を竦めるエンネア。
クールだ……。ノーマルエンネアだったらこういったアドバイスは一切できないからな、これが老衰まで生き抜いた人間の力強さというものか。

「それで、卓也の、トリッパーとしての卓也の方の問題なんだけど」

「うん」

「絶対に、少なくない補正が入ってると思う。たぶん、それが無ければその感情が有り得ないレベルで」

断言。
俺とエンネアの間に、決して軽くはない沈黙が伸し掛る。
人払いの術を使うまでもなく人の居ない店内に響くのは、ラジオから流れる古臭いジャズ。
ぴったり三分、空気の重量にそぐわない軽い曲調に耳を傾けた所で、俺はすっかり冷めたパンケーキを切り分け、口に運ぶ。
冷めたパンケーキと固まりかけたシロップが異常に甘く感じ、お茶が欲しくなる。
億年以上生きてきて好みが無いってのもなんだけど、なんでもいいからお茶が欲しい。

「否定しないんだね」

瞳の奥、こちらの内心を読み取ろうと覗きこむような視線。
視線を落とし、テーブルの上にコップと中身の入った魔法瓶を作り出し、作りおきのお茶を淹れる。

「正直、自覚はあるから」

姉さんは明らかに俺とシュブさんの接触の機会を意図的に増やしていた。
そうでなくても、邪神との勝負に勝ちを齎せるほどの力、俺の心情に影響を与える程度、訳のない話だ。

「そっか。……ふふ」

俺の返答を聞き、エンネアは半分ほど中身の入ったカップを両手で持ち、その中身を揺らしながら笑う。
嘲るようなものでも、イタズラっぽい笑みでもない、安堵するような笑み。
今の会話の何処にそんな表情をする場面があったのだろうか。
そう疑問に思いつつも尋ねるほどの事でもないかと思い冷めたパンケーキを処理していると、エンネアが口を開いた。

「……卓也がね、悪いひとじゃなくてよかった」

「んぐっ」

唐突なその言葉に、口の中のパンケーキを噴き出しかける。
咀嚼中のパンケーキの欠片が気管に入り少し苦しい。
数度咳き込み、お茶を飲んで一息つくと、エンネアがまだ笑っているのが見えた。

「言っちゃなんだけど、少なくともこの世界じゃ有数の悪い人だろ、俺」

アライメント調整で色々やらかしたし、ブラックロッジでは犯罪行為を幾度と無く繰り返した。
古い話を持ち出せば、腕試しで地球を破壊した事も恩師を殺害した事もある。
総合的に考えて、まかり間違ってもいい人とは言えない。

「きっとそうなんだろうけど、でも、うん、女の子を泣かせないように色々考えてる卓也は、外道で悪人だけど、悪い人じゃないよ。少なくとも、今悩んでる君は、ね?」

「むぅ……」

困った。
こういう理屈が通っているようで通ってない、感性重視の言葉には反論しようがない。
歳を食うとこういう言いくるめが上手くなるから困る。
本人に言うと機嫌を損ねるだろうから、間違えても口には出さないが。

「エンネアもね、覚えがあるんだ」

「?」

補正のことだろうが、残念、俺の方には覚えがない。
確か、エンネアは自力でナノポに気付いてしまいそうだったので一服盛ることができなかったのだ。
多分。
出した飯に混じっていた可能性も拭い切れない。

表情に出さず記憶を辿り首をひねる俺に、エンネアは構わず続ける。

「あの雨の日に、手を差し伸べてくれた君はね? 思い返せば思い返すほど美化されていた気がするんだ。……エンネアにとっては、新たな光だったから」

「なるほど」

俺がエンネアを打算とか諸々ありつつもタスケェ!たばかりに、エンネアの中では俺がどんどんヒロイックな感じにコラージュされてしまったのだろう。
パンケーキに突き刺したフォークを皿の上に置き、俺の異次元の棚の上のオレオを取り齧りながら、エンネアの言葉を頭の中で反芻する。
エンネアの話は至極単純。
お腹が空いてる時に食べる飯は多少不出来なカップラーメンでも美味しく感じるし、熱い日は近々に冷えたコカ・コーラが堪らないとか、そんな話である。
そこまで話を単純化してもいいのだろうか。
どちらかといえば、もう少し根の深い問題のような気がするのだが。
しかし、良いか悪いかは分からないが、確信を持って言われるとなんとなく説得力があるような気がしてくるから質が悪い。

────結局、この他にも幾つかの当り障りのないアドバイスを貰い、死後エンネアの人生や過去の地球に関する話をして、その場はお開きとなったのであった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「へー、じゃあ、あの周のエンネアちゃんって結婚しなかったんだ」

人気のない埠頭で釣り糸を垂れながら雑談。
話の内容は、先日の死後エンネアから聞いた彼女の人生の話だ。

「何度か付き合ったりはしたらしいよ。でも自然に疎遠になって別れたり、戦争に出て戦死したりで、結局ゴールインは出来なかったんだってさ」

戦争と言っても、第二次世界大戦などの現実に起こった戦争ではない。
南極大決戦の後、世界中に残骸が残された破壊ロボや、流出したデモンベインやデモンペインの設計データを元にして、世界では科学、魔術、錬金術などの多くの技術を駆使して、新兵器の開発が盛んに行われるようになったのだ。
エンネアが生きたのは、後の世でグレート・ウォーと呼ばれるその時代の最中であった。
比較的穏やかに生きて死んだエンネアの記憶を招喚したのに、そんな世界を生きたエンネアが呼び出されるというのは皮肉な話である。
もっとも、デモンベインが去った後に世界が再構成されるトゥルーエンドでも無ければ高確率でこの未来に行き当たるようなので、仕方がない話なのかもしれない。

「大学の元教え子とくっついて、その教え子との仲が自然消滅した後は課外授業で出会った国付きの魔術師、そいつが魔術闘争で死んで、どこぞの国が開発成功した機械巨人のテストパイロット、こいつも戦死、だったかな」

まぁ、エンネアにしても付き合った全員の話をした訳ではないだろうし、これで全員とは限らないのだが。
それにしたって随分と密度の濃い人生を送ったようで何よりである。
人生の密度の割には良いアドバイスはくれなかったが。

「でも子供は居たんでしょ? 子供とか孫に囲まれて死んだらしいし」

姉さんの釣竿の先端が揺れる。
引き上げると、虹色に変色した〈深きものども〉の死体が引き上がった。
ちぇー、と唇を尖らせながら、背後に死体を投げ捨てると、最近手慰みに召喚したショゴスがそれをキャッチし、一瞬の内に消化した。

「全員養子らしいよ。子供を作る勇気は出なかったってさ」

過去のループにおけるヨグ=ソトースの次元連結孕ませがエンネアの心に傷を残していた。
恋人との間の子供のはずが、いつの間にか腹の中でヨグ=ソトースの子どもと摩り替わっているのではないかと考えると、とてもではないが妊娠する気にはなれなかったらしい。
恋人とする時も避妊を欠かさなかったので、そこだけは恋人だった連中に申し訳なかったと言っていた。

「へぇー。まぁ、それで幸せだったならいいけどねぇ……」

姉さんが餌を付け直して針を投げるのを横目に、こちらも針を引き上げる。
ブラックロッジの下部構成員(ハーフサイズにカット済み)だったので、ショゴスに向けて後ろ手に投げつける。

「そうだねぇ……」

エンネアを取り込んだ事で、多分飛躍的に魔術師としての能力は向上していたと思うし、幸せを願う程度の事はしてもいいだろう。
もっとも、既に終わった話なので、祈った所でなんの意味も無いのだが。

「それで、そのあとはどうしたの? また上書き?」

「いや、特に害も無さそうだから、放流しといたよ。世界中を魔術闘争とは関係なく巡ってみるって」

一応、自衛用に魔銃の複製を渡しておいたけど、今の実力を見る限りでは必要なかったかもしれない。
今のエンネアならば、ブラックロッジに捕まるようなヘマはしないだろう。

「へー……でも」

「でも?」

「それって、何時の話? 何日前?」

一瞬、うみねこの鳴き声とタンカーや工場の稼動音がうるさい埠頭に、不自然なまでの沈黙が舞い降りた。
直ぐに再開したそれらの騒音をバックに、俺は遠く、沖合の方で水から飛び上がる魚を見ながら答える。

「二週間前、かな……」

「そう、二週間前なの。エンネアちゃんに相談したのは」

なんてことのない、特に何か含む所なんて存在しない姉さんの言葉に、額から冷や汗が流れる。
いや嘘だ、含む所なんてありまくるに決まっている。

「二週間、それ以前も含めたら、何ヶ月くらいかなー。ねえ、卓也ちゃん」

「う、うん」

ちらりと横目に姉さんの顔を伺う。

「別にね? お姉ちゃんが待たされてる訳じゃないからうるさく言うつもりも無いんだけど」

姉さんはこちらに視線を向けるでもなく、先程までと同じように釣り糸の垂れる水面に視線を向けたまま、ニコニコと笑顔を浮かべ続けている。
そこにマイナスの感情を見る事はできない。
それが余計に怖い。ゾクゾクして変な性癖に目覚めそうだ。

「女の子を待たせすぎるのは、良くないんじゃないかなぁ、って、思うんだぁ」

釣り上げたドクターウエストをショゴスに放り投げる姉さんのその言葉に、俺は釣り上げた金髪の女性新聞記者を海にリリースしながら、ただ無言で頷きを返すことしかできないのであった。

―――――――――――――――――――

そんな訳で、姉さんにそれとなぁくケツを蹴られて、とうとう俺はシュブさんの元へと向かう事に。
でも忙しい時間帯に出向くのも悪い、会いに行くのは閉店後、もしくは明日以降にしよう。
と思ったのだが、家で留守番していた美鳥から『また延期すかお兄ヘタレさんwww』とメールが来たので、夕食を抜きにして即座に出発。
気が滅入る、というのも少し違う微妙な気分は、俺の脚をすこぶる重くしてくれる。

いつもどおり、通い慣れた、しかしン億年ぶりの通勤路。
表通りから少し離れた、大手企業ではなく、昔ながらの自営業の店が転々と立ち並ぶ細い路地。
その中でも更に奥まった路地に、地元民の中でも労働階級や貧乏学生に特に親しまれるその店は存在する。
大衆食堂ニグラス亭。
特に人語で書かれた看板を出している訳でもなく、店主とはっきりとした言語で喋れた者もほとんど存在しないにも関わらず誰もがそう呼ぶその店は、今日も今日とて夕飯時を前にして賑わい始めていた。

「ううむ」

店の前で立ち止まり、唸る。
腰が引けるが、ここまできて立ち止まるのもどうか。
丁度小腹も空いているし、単純に飯を食いに行く感覚でさっと入ってしまおう。
丁度店を出る所だったらしい東洋人の少年と邪神の化身らしき銀髪赤髪金髪の三人組と入れ違いに入店。

「いらっしゃ──せー!」

店内では、三角巾とエプロンを装備した店主スタイルのシュブさんが両手に料理の乗った盆を乗せて、触手までもを総動員して忙しなく配膳を行なっている。
店内は常人から人型を外れた明らかに人間ではない客までもが混在し、相変わらずのカオス状態。
しかしながら、今日は妙に客が多い気がする。
よく見てみれば、食事にうんちくを垂れる新聞記者っぽい男にひたすら飯をかっこむ探偵風の男、更には何時ぞやのパーティーで見かけた愛穂さん含むシュブさんのプライベートな知り合いまでもが居るではないか。

「すみ──ん! 空いてる席──自由に座──、って、卓──!」

「あ、はい、お久しぶ」

名を呼ばれ、返事と共に挨拶を返すよりも先に、触手を増やして調理と配膳と帰った客の食器を下げる作業を並行して行なっていたシュブさんが、こちらに向かって何かを投げつけてきた。
受け取った時の感触で解る。これは、俺がバイトの時に装備しているエプロンと三角巾。

「ごめ──手伝っ──!」

不等号を二つ組み合わせた様な、絵に描いたような焦り顔で助けを求めるシュブさん。
なるほど、店内に残っているメンツには、胃の中にブラックホールを内蔵していそうな連中がちらほらと見える。
某現時点でドリフに一番近い立ち位置の人気アイドルグループの全裸に良く似たフードファイターに加え、多分死んでるだろうフリルの付いた青い服を着たピンク髪の女性、仮面とマントを付けた群青色の球体に連れられたピンクの球体が、配膳された料理を次々と空き皿へと変換し続けているではないか。
これではさしものシュブさんも一人では捌き切れなかろう。
既に後ろ半分は触手の塊と化すほどにバラけて調理に手を回しているものの、明らかに製造速度が追いついていない。

溜息。
まったく、これじゃあ、ここに来るのにすら変に気負っていたのが馬鹿みたいじゃないか。

「シュブさんは調理に専念してください! 終わったら賄い作ってくださいね!」

俺の言葉を聞き、嬉しそうに親指を上げながら厨房へと戻っていくシュブさんの姿。
シュブさんが調理に専念し始め、カウンターには瞬く間に追加注文が並べられていく。
茶碗を箸でチンチンと叩きながらおかわりを待つ行儀の悪い客に注意を飛ばしながら、俺は分身とクロックアップを併用し、店内の客を捌き始めるのであった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

日が沈み、とっぷりと夜が更けた頃、客も材料もはけたので、閉店。
店の材料が無くなってしまっていたので賄いは出なかったが、シュブさん自身の夕食のご相伴に預かり、無事夕食を口にすることに成功した。

「お疲──まー、ごめ──手伝わせち──て」

「いやいや、俺こそ賄いどころか夕食まで貰っちゃって。それにしても、今日は妙に客が多かったですね」

なんとなく、客の多さには心当たりがある。
店内を配膳で駆け回っている時に群青ボールさんにそれとなく耳打ちされたのだが、あれはシュブさんが最近元気がないのを心配して訪れた客が半分ほど(ピンク玉と探偵はもう半分に含まれる)を占めていたらしい。
なんでも、悩んだり落ち込んだりする隙がない程働けば、落ち込んでいる事を自覚して更に落ち込むことは無いだろうという、微妙に遠回りな手助けなのだとか。

「明日か──シフト入──る──?」

「だいじょぶですよー。……俺以外にバイト居ないのでシフトも何も無いですけど」

だから、明日からはいつもどおりの込み具合なので、二人の邪魔にはならないだろう、との事だ。
随分と紳士的なボールも居たものである。
仮面越しにウインクされたが、あの仮面は表情をつける機能でも搭載しているのだろうか。

シュブさんの自宅兼ニグラス亭の屋上で、風にあたりながら、気遣いの紳士の事を思う。
見上げる夜空には、手足を引っ込めて『ボクボール』とボールの真似をする仮面とマント付き群青ボールの姿。
性格イケメンの癖して無茶しやがって……。

そのまま、しばし夜風を浴び続ける。
飯を食べた直後の少し火照った身体に夜風の冷たさが気持ちいい。
風に乗り届いた鼻腔を擽る匂いは、シュブさん髪の香りだ。
つい一時間少し前までは調理場で大量の料理を作っていた筈なのに、食べ物の匂いはあまり染み付いていない。
独特な、嗅ぎ慣れた匂い。
横目にシュブさんの様子を見ると、完全な人型に戻り、疲れを取るためか大きく伸びをしていた。
風に靡く、白に近いクリーム色の髪。
顔に掛かっていた少し癖のあるそれを、俺は手を伸ばし掻き上げ、捩れた角に引っ掛けて止める。

「んー……──」

角に指が触れると、少しだけ擽ったそうに笑う。
釣られて、口元に笑みが浮かんでいるのがわかる。
シュブさんは角を触られるのが好きだ。
俺も、シュブさんの角のゴツゴツしているのにサラサラしている感触は嫌いじゃない。
たぶん、そういう事なのかもしれない。
難しい理屈とか、言い方は要らなくて、これはもう、そういうものだと考えたほうがしっくりくる。

「もう、どうし──」

笑みを少しだけ困ったような形に変えたシュブさんが、角にかかった俺の手に手を添える。
手を払うでもなく、ただ乗せて温度と感触を確かめるだけの接触。
どうやら無意識の内に、シュブさんの角を撫で摩っていたらしい。

「ああ、っと、すみません。ちょっと考え事で」

「悩み事──あ──?」

少し心配そうにこちらの顔を覗き込む瞳。
不思議な色をしている。きっと、これがシュブさんの宇宙の色なんだろう。

「まぁ、そんな感じです。……シュブさん」

「?」

曖昧に頷き、名で呼びかけ、首を傾げるシュブさんを見て、何故シュブさんの名を呼んだのか、その理由が頭の中から綺麗に抜け落ちている事に気がつく。
きっと、今さっき抜け落ちた言葉こそが、俺がシュブさんに伝えたい言葉なのだろう。
理由は無いが、そう思った。

「ええと……、そろそろ帰りますね。遅くなっちゃうといけないので」

角から手を離し、取り繕うようにそんな事を口にする。
名残惜しそうな顔で角から離れるこちらの手から手を放すシュブさんは、直ぐに表情を改めた。

「うん、それじ──、また明日。おやすみ──い」

「ええ、また明日、バイトの時間に。……おやすみなさい」

柔らかな、穏やかな表情。
明日の再会を信じて笑い、軽く手を振る仕草からは、ほんの少しの寂しさ滲んでいるように見える。
一歩踏み出し、屋上から向かいのビルの屋上へと飛び移る前に、立ち止まり振り向く。
振り向いたのが不思議だったのか、きょとんとした顔のまま手を振るシュブさん。
本当に伝えるべきことはまだ言葉にできそうにない。
だから、とりあえずは、今伝えておきたいことを言っておこう。

「明日、昼の一コマ目で終わりなんで、早めに来て仕込みから手伝わせて貰いますね」

顔を出すのが遅れたわびも兼ねているのだから、それくらいしてもバチは当たらないだろう。
花開くように顔を綻ばせるシュブさんを見て、俺はそんな風に考えるのであった。

―――――――――――――――――――

×月■日(二年となれば)

『とても長い年月である』
『三分の二age(アージュ)と言えばわかるかもしれないが、この長さは如何に億の月日の流れを体験しようとも短く感じることはない』
『何しろ二年だ。二年もあれば、一日一話でも平成ライダーをwまで視聴し終える事が可能になる』

『クウガを見れば、その後に録画してあるおジャ魔女どれみをすら観ることができるだろう』
『おジャ魔女どれみは名作だ。なにげに条件がシビアだったりするところも良い』
『大事なものであればあるほど、魔法の源である魔法玉に高効率で変換できるというのも厨二心を擽る設定ではないか』
『そしてなにより、小学生なのに魔女なのだ』
『魔に触れた時点で、少女は女へと変容する。そういう意図が含まれているのだとすれば、これはとても深いテーマを秘めていると言ってもいい』
『OVAは衝撃の嵐だった。親の離婚、不治の病、そんな魔法少女ものならば何となく都合よく解決する話に、実に妥当な、しかし心に染み入るオチを付けてくれる』
『魔法とは魔の法であり、幻想とはいい意味でも悪い意味でも一線を画す』
『二十寸前でも往生際悪く魔法少女などと自称する可哀想な魔王などとは潔さが違』

―――――――――――――――――――

「あ」

しまった、おジャ魔女どれみをみんなで鑑賞していたら、いつの間にかアーカム・シティが滅んでいる!
書きかけの日記の日付で気付かなかったら、おジャ魔女どれみを見ながらループするところだった……。

「どうしたのお兄さん、次のトリップはOVA版で不治の病の少女を治療したりするの?」

パティシエ衣装のまま添加物をたっぷり入れたショッキングピンクのスポンジケーキを切り分けていた美鳥がこちらを見ながらそんな事を言う。

「だめよ美鳥ちゃん、あれはあのオチだから話が綺麗に纏まったんだから」

いつの間にか見習い魔女服に近いデザインの、久しぶりに見るトリップ装束を着て正座でOVA版二周目に突入していた姉さんがたしなめる。

「姉さんの言う通りだ。あそこで最後のおジャ魔女が誕生しても、視聴者はきっとリアクションに困ってしま……って」

仮に素直に受け入れられたとして、この作品はOVA、日曜朝に素直な心で視聴していた子供向け、という名目でグッズを展開する訳にもいかないだろう。
それこそデネブみたいに、一人だけ関連グッズがでなくて大きなお友達涙目なんてことになりかねない。
せっかくTV版ではやれないハードな展開なのだから、救済するなんてのはもってのほかである。
プリキュアで普通に人間形態がある敵幹部を消滅させたりもしているが、基本的に建前上、名目上は人死とか救いのないバッドエンドはご法度なのだ。
いや、そこではなくて。

「そうじゃなくて、ニグラス亭の機材を運び出す手伝いするって約束、忘れてた……!」

「あーらら」

「もう、女の子との約束をすっぽかしちゃ駄目じゃない」

誂うような美鳥と呆れるような姉さんの言葉に急ぎ携帯を取り出し、シュブさんに繋ぐ。
二度、三度と呼出音が流れ、

「出ない……」

一分を過ぎても、シュブさんは電話を取ってくれない。
アーカムが壊滅して結構立つから、炊き出しの手伝いでもしているのだろうか。
それとも、怒らせてしまったか。
顔面から血の気が引く。
よくよく考えてみれば、最後にバイトに行ったのは何時だったか。
最近は少し吹っ切れて(結論の先延ばしとも言う)きて、バイトの時以外も普通に接することが出来るようになったのに、これではまた疎遠になってしまう。

「ちょっと謝ってくる!」

家の外との位相を合わせて、窓から飛び降りる。
着地と同時にシュブさんの気配を探っていると、上から声が掛けられた。

「そろそろループだから、急いだ方がいいわよー」

見上げれば、ニヤケた姉さんが両手をメガホンの形にしてそんな事を叫んでいる。
叫んでいるのに感嘆符が付いている気がしないのんびりとした声、だが、その内容はあまりにもあまりな内容だ。
ループの時間は多少前後するとはいえ、ほぼ変わりない。
言われて初めて日付ではなく時間を確認する。マズイ、あと一分無い。
このままでは、俺は約束をすっぽかした上に謝罪までも次のループに先延ばしにする無責任野郎になってしまう。
虐殺はいい、搾取も略奪もいい、裏切りだってどんと来い。
だが無責任は頂けない。俺はランダムワープは好きじゃないのだ。
それに無責任トリッパーとか書いたらギャラクシートリッパーと無責任艦長のクロスと思われてしまうではないか。

「クロックアップ」

瞬時に早い時間の流れに乗り、加速。
街中に散らしておいた端末の知覚と同期……居ない。
いや、シュブさんが本気になれば、俺の端末の目をくぐり抜けながら普通に活動する程度は訳ない。
これは本格的に怒ってるのか?

時空のゆらぎを感じる。
そろそろ過去と未来が連結されて、理由もなく二年と少し前へと舞い戻ってしまうのだろう。
予想よりも恐ろしく早い。
一分無いとは思っていたが、ここまで短いとクロックアップしたままでも間に合わないかもしれない。

ああ、謝りたい、遺憾の意を示したい。
端末を分裂させ、邪神としての知覚を励起させる。
これなら、見つけられ、いや、見つけた。
炊き出しを手伝っているあの後ろ姿、間違いない。

炊き出しの行われている広場、シュブさんの目の前へと空間を連結。
人目も気にせずに唐突に広場の只中に飛び込む。
シュブさんは一瞬こちらの事を見て驚いた様な顔をしたが、直ぐにぷいっとそっぽを向いてしまった。
約束をすっぽかしたのだから、この態度は仕方がない。言い訳をすることも出来ないし、しない。
でも、だからこそ言わなければならないのだ。

「シュブさん! あの、この間の────」

ざぁ、と、ノイズが混じり、言葉の先が途切れた。

―――――――――――――――――――

ここがループの終端、無限螺旋が続行する以上、俺はこの先の時間に存在しない。
今の世界との関連性が断絶され、同時に無限螺旋という閉じた世界との強い結びつきを、字祷子宇宙との、この産まれ損ないの世界そのものとの、絶対的な関係性だけが強調される。

────連続性を持つ時空間に忠実な五感六感七感全てが閉じ、一種の『  』へと到達。
暗転、再びのスポットライトと共に、俺は舞台の上。
観客席には誰もいない。あいも変わらぬNO BODYの千客万来。
舞台袖には、出番を終えた役者の姿。
美鳥は不機嫌そうに、姉さんは嬉しそうに、期待を込めた眼差しを俺と、もう一人の役者へと。

嗅ぎ慣れた、安らぐ異臭を漂わせる触手と不均一な生体の塊。
非人間的なフォルムは、その姿を保ちながらも、母性的な人間に近い女性の姿でもある。
与えられた役はなんだろう。
代役ばかりだったこの舞台で、彼女だけに許された真に迫った立ち回り。
まるで、そうあるべくして産まれたかのような、それ以外にできないとでも言うような。
肩まで掛かるくすんだクリーム色の癖毛を揺らし、彼女は悲痛な表情で。
身を裂かんばかりの愛を叫ぶ。届かない手を伸ばし続ける。
彼女にはそれしかない。
絶対に結ばない想いだけが彼女を形作る。
空回る回し車。

確かなのは奪われた元の役目だけ。
没になった歯抜けの台本だけを押し付けられ、それでも演目を終えるために。
この舞台は決して彼女を離さない。
役を演じきるその時まで。

正気の俺がふと思う。
カーテンコールのその後に、彼女に何が残るのだろう。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

終わった後、となれば。

「イベントが終わったなら、打ち上げ、かな? 忍家とか村さ来とか」

ぽつりと呟き、呟いた理由が脳内から霧散した。
この程度で俺の記憶を消せるとでも思うんだろうか。
まぁ、消えるんだけども。

溜息と共に閉じていた感覚機能を再起動。
起きたなら直ぐにでもシュブさんに謝りに行かなければならないだろう、そう思いながら、まぶたを開く。
目に写った光景と肌に感じた熱は、予想外の、いや、正直に言おう。

「実はちょっと予想してた」

視界を覆う、何処までも立ち込める濃厚な霧。
大地の代わりに広がる灼熱のマグマ・オーシャン。
何時か見た原始惑星、まだ冷えきっていない地球。
視認できる範囲には何も居ないが、探るまでもない、一度感じたら忘れることなどできないだろう強烈な思念とエネルギーの反応。
いかん、燃焼オチ担当が出待ちしてる。
補足される前に早く安全圏に避難せねば。
が、当然の如くヨグの力が破損している。
ボソンジャンプやは間違いなく知覚される。最悪の場合、ジャンプアウト後の時間と座標を抑えられて焼かれるかもしれない。
転移の類も同上だ。ループの記憶をあれも持ち越している可能性を考えれば、見つかった瞬間にアウトの筈。
ここまで全てシナリオ通り、という事なのだろう。

ステルスのまま惑星外に離脱するか?
いや、重力圏外こそが相手のホームグラウンドかもしれない。
擬態もバレる心配がある以上、火の精に化けてやり過ごすのも難しい。
となれば、静かにやり過ごすしかないか。

浮遊していた肉体をゆっくりと下ろし、マグマの海に接触。
同時に、靴の先を焼きながらつま先に触れるマグマにゆっくりと同化していく。
身体をバラバラに、可能な限り痕跡を残さないよう、俺の原型を残さずにマグマの流れに任せて散らしていく。
思念波を読み取られて察知される可能性も考慮して、散って行った小さな俺は簡単な運命操作を自らに施してから思考を凍結させ、完全にマグマの一部に擬態。

ほとぼりが冷めるのは、このマグマが冷え固まったころだろうか。
あの邪神が、爆発燃焼オチの仕掛け神が従者とともにこの星からうせる頃に、またあつまればいい。

どこに集まろうか、どんなかたちで結合しようか。
考えたそばから、し考が霧さんしていく。

まぁ、なるようになるか。
どうせ、どれだけちっても、きっと────

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

【規定機数の結合を確認】
【基礎肉体の仮形成を確認】
【擬似神経系の接続確認】
【最終確認……、……、……、敵性反応無し】
【全人格の復元を開始します】
【復元を完了しました】

────目覚めと共に感じたのは、顔に触れる少し冷たい掌の感触だった。
次に感じるのは、お腹の上に跨る誰かの重みと体温。
目に映ったのは、鈍色の空を背景に頬を綻ばせる見知った女性の顔。
形の良い唇が開かれ、一瞬だけ安堵の溜息が漏れ掛け、言葉が紡がれる。

「──はよう」

あいも変わらず、少しだけ聞き取りにくい、しかし耳に優しい音色。シュブさんの声。
前のループで幾度と無く交わした目覚めの挨拶に、前のループと同じように挨拶を返そうとして、声が出ない事に気がつく。
この肉体に備わる発声器官は人間のそれとは規格が異なるらしい。
状況から察するに、シュブさんが冷え固まったマグマが風化して出来た土や砂、泥を集めて俺の肉体を作ってくれたようなのだが。
手を掲げてみる。
一見して人型でありながら、致命的なレベルで人間から逸脱した内部構造。
全身をサーチ……外見上の特徴は完全に再現しているが、頭の天辺からつま先まで内部はこの系統の構造で造られている。
自己修復が働かないのは、この構造が今の俺にとってとても馴染みやすいものだからなのかもしれない。
動かし方を把握し、内部構造のバックアップを取り、肉体を元の形に組み直す。

「ぁ、あ。よし。お早う御座います。助けておいてもらってなんですが、起き上がっていいですか?」

顔に当てられた手を掴みながら、声が正常に出ているのを確認し、シュブさんにどいてもらうように促す。
流石に、エロイことや取っ組み合っての殴り合いをしている訳でもないのに上に伸し掛かられるのは少し遠慮したい。
それに、男の上に馬乗りになるというのは、女性としての慎みを問われてしまうだろう。
シュブさんもそれに気がついたのか、転がるように慌ただしく上から降りていく。

シュブさんが身体の上から退いたのを確認し、身を起こして立ち上がる。
軽く計測したところ、前の周で発掘された時と大体同じ時期のようだ。
地球そのものに溶けて混ざることで、どうやらクトゥグアの目を逃れることには成功したらしい。
発掘されるまでに掛かった時間と、シュブさんが俺を集めて捏ねて再生してくれるまでにかかった時間が同じ程度なのも、いわゆるこの世界の大きな流れの一つなのだろう。

地べたにぺたんと女の子座りで座る前の周と同じ探検服のシュブさんに手を差し出す。
手を掴み立ち上がり、ズボンに付いた土を手でぱしぱしと叩いて払うシュブさんに、腰を90度に折って頭を下げる。

「すみません、シュブさん。約束をすっぽかしてしまって」

俺の言葉に、シュブさんは不思議そうな表情で首を傾げ、数十秒ほど頭の上に疑問符を浮かべたままうんうん唸った後、ぱっと閃いた顔で握った右手で左掌を叩いた。
ひらひらと顔の前で手を振って苦笑するシュブさん。

「いい────うそれく──そ──前の話引っぱり出さなくて──」

俺の体感では数分前なのだが、シュブさん視点だとかなりの時間が経過しているらしい。
あのマグマ・オーシャンにシュブさんの気配は感じなかったが、シュブさんもこの時間に到達するまでにそれなりの時間を必要としているのかもしれない。
だが、シュブさんの方でもうどうでも良くなったとしても、こちらとしてはそうはいかない。

「いえ、この埋め合わせはいつか必ず」

結局、前の周の内に謝ることも出来なかったが、次の周になったからと言って謝らなくてもいいという訳ではない。
シュブさんは、他の連中とは違う。
ループしたからといって、関係性がリセットされる訳ではない。
何周も付き合いを続けているし、これからも■■付き合いを続ける以上────

「あ」


自分の内心の言葉が、すとん、と、胸に綺麗に収まった。

「?」

シュブさんは不思議そうな表情でこちらを見つめている。
無理もない。今の俺が少し、いや、かなり酷い間抜け面をさらしているのは、鏡を見なくたって理解できる。
だが、そうだ、そうなのだ。
一度、完全に言語化してしまえば、こんなにも簡単な事だったんじゃないか。
なんだなんだ、こんな簡単な事で結論を出せるなら、人に相談なんかせず、適当にそれっぽい中学生の課題図書でも読んでおけば良かった。
これがひと目のない場所だったなら、唇を少しだけ突き出して『こんとんじょのいこ』と篭った声でつぶやいていたところだ。

「ごきげん──?」

「ええ、最高にすっきりした気分ですよ。強いて言うならそう、元旦の朝に新品のパンツに履き替えたような、三週間ものの便秘が開通したような、そんな気分です」

嬉しさと開放感から思わずシュブさんの手を両手で握りしめてブンブンと上下に振ってしまう。
体ごと腕を振られてあわわと慌てるシュブさんの姿にすら笑いがこみ上げてくる。
そのまま両手を下ろした状態で止め、シュブさんと鼻の先が触れ合う様な距離で視線を合わせる。

「シュブさん。お祝いに、ちょっと旅行に付き合ってくれませんか? 埋め合わせの意味も込めて、脚はこっちで用意しますよ?」

「え?」

「そうだ、今回は宇宙にも出てみましょう。せっかく十億年近く時間があるんですから」

星々を巡るのであれば、十億年弱では足りないかもしれない。
地球上だけでもあれだけ騒がしかったこの世界、宇宙にはどれだけの広がりがあるのか。
考えるだけもドキドキスペース。

「え? え? 元の時代に帰ら──の?」

状況について行けないのか、シュブさんは目をぐるぐる回しながら混乱気味にそう言った。
確かに、以前のクトゥグアに焼かれた時と違い、機能の欠損は殆ど無い。
クトゥグアの気配が太陽系内に存在しない以上、ボソンジャンプの出現地点を抑えられて積む心配もない。
それに、シュブさんが捏ねて作ってくれたあの不思議構造の肉体なら、現状の不完全な上に破損したヨグの力でも十分に時を渡ることが出来る。
が、

「そんなもん帰りたくなったら帰ればいいんですよ」

放っておいても十億年もしないうちに元の時代には戻れる。帰るタイミングも任意で決められる。
姉さんと会話したくなったら、今回は破損してない携帯電話に少し気合を入れて改造すれば通話くらいはできるようになるだろう。
なんなら美鳥を作って擬似アネルギーを補給してもいい。

「それに、今の俺は、シュブさんと一緒に居たいんです」

これだ。
この結論こそが、たったひとつのシンプルな答え。
世界の補正で心が歪められているとしても、そんな事は些細な事じゃないか。
姉さん以外のひとを好きになるわけではない。
シュブさんはあくまでも、一緒に居て楽しい相手。
一緒にいて楽しい相手と、冒険したり馬鹿やったり、そういう事に時間を費やす事の何がいけないのか。

それが姉さんを悲しませるのであれば一も二も無く切り捨てる。
が、どうせここで急いで帰っても時間いっぱい遊んで帰っても、姉さんを待たせる事はない。
それならせいぜい、姉さんが聞いて思いっきり笑えるような旅の話をお土産に、目一杯シュブさんとの珍道中を楽しんでしまえばいい。

「行きましょう、シュブさん」

片手を離し、空を指差しながらもう一度誘う。
握ったままのもう片方の手が、ここで初めて握り返される。

「う──うん!」

感極まったような表情のシュブさんの返事に合わせて、足元の大地に融合していた俺の破片が、周囲の土を複製で増やしながら隆起し、巨大な宇宙戦艦を形成。
無駄に帆船型の宇宙船の上、シュブさんが俺の手を握り返しながら見上げてくる。

「まずは何──行く──?」

ぐんぐん離れていく地球を振り返りもせず、宇宙の果てを目指す。

「そうですねぇ……久しぶりにシュブさんの演奏が聞きたいので、まずはフルートを盗りに行きましょうか!」

目指すは宇宙の中心から少し外れた、シュブさんの父親の従者さんの居場所。
シュブパパが眠っている場所は本来なら絶対に到達できないが、設定が曖昧になるほど遠く、宇宙の中心近くともなれば、演奏を休憩している個体の一柱や二柱居ても可笑しくはない。
そんなはぐれ邪神を見つけたら、シュブさんと一緒にコンビネーションで奇襲を掛けて、隙を突いてフルートをいただく。
無理だったら即効で離脱して、市販のフルートを複製しよう。
俺も、シュブさんにフルートの演奏法でも習ってみるのも悪くないかもしれない。
いつまでもテルミンとリコーダーと鍵盤ハーモニカと直結シンセだけじゃ、シュブさんとセッションもできないからな。

まぁ、何にをするにしても、何処に行くとしても、焦る必要はない。
時間は無限ではなくても、飽きるほどには有り余っているのだから。





続く
―――――――――――――――――――

主人公がひたすらぐだぐだして狭い人間関係の中で相談したり愚痴ったりして、最終的に自己完結する第七十五話をお届けしました。

色々言いたいことはあるけど、まずは順当に自問自答コーナー。
Q,組手? 仮にも邪神パワー手に入ったのに?
A,魔法不可な世界とか物理法則が超頑張ってる世界とかあるので、縛りプレイを想定しての訓練を入れたりします。
ぶっちゃけ、デモベ編が終わってからは何だかんだで全能とかには制限付けますし。
Q,エンネア! エンネア!
A,もうちょい頑張れば人妻とか未亡人エンネアとかになれたんですが、にんっしんっとかさせられないまでもブラックロッジで色々あったと思うので、真っ当な男性と付き合っても後ろめたさが先に浮かんだりするそうです。
外見、というか肉体は最初に複製したエンネアの肉体をまるまる再利用しているため変わらないが、仕草から溢れ出すアダルティさによって見間違えることはないと思われる。
相談後は放流。南極決戦では謎の覆面魔術師として活躍したとかしないとか。
Q,おジャ魔女?
A,VHSで録画してたクウガの後に何話か入っていてなぁ……。
知ってる人は知っている、ハートキャッチとかキャシャーンのリメイクとかΩとかと同じキャラデザなのです。
基本的に、こういう魔法の制約って男向け魔法少女ものよりも普通の女の子向け魔法少女の方がきつかったりしますよね。道徳云々が入ってるせいなんでしょうが。
Q,なんでまた過去の地球に? また尺稼ぐの?
A,本編で説明する機会がもう存在しないのでぶっちゃけてしまうが、世界の矯正力とかそんなものが主人公代理と脱落ヒロインをくっつけようとしているとかそんな感じの話。
本来ならここまでの力は無いけど、邪神を打ち倒せるほどの主人公補正を発揮してしまったが為にこんな感じの弊害が出てしまったとかなんとか。
正直な話、主人公のシュブさんへの気持ちも結構な割合でこの補正が働いている。
因みに過去地球編とか過去宇宙編とかはほぼやらない。次回はアーカムメインで。
Q,■■?
A,次回参照。
Q,時間が飽きるほど有り余っている……フラグ?
A,そう、いつの間にか時は流れ……というフラグ。あんなーにいーしょだあたのにー♪
Q,デモベ編長くね?
A,実は次回デモベ編最終回。

しかし、最終回直前にこのグダグダっていう。
オリキャラメインの最終回とかシリアスとか誰も望んでないとか言われても中々反論はし難いです。感想も書きにくいだろうし。
でもココらへんの話ちゃんとしとかないと、姉がシュブさんを主人公に近づけた理由とかその辺の伏線が回収できないので。
原作キャラでない、原作キャラが居るのにわざわざオリキャラである、というのにも割と大きな理由があります。
一応、ラスボスはデモベ関連作品から出席になるんで勘弁を。
そんで何が怖いかって言うと、ここまでの情報で、察しのいい人は姉の目論見とか次回の展開とか最終回のオチとか読める可能性が高いって事ですね。

次回第七十六話、つまりデモベ編最終回は少し詰め込む予定なので遅れるかもしれませんが、遅くとも十月中には投稿できると思います。
オーバーワールドをプレイしながらなので確約はできませんが。

そんな訳で、今回もここまで。
当SSでは引き続き、誤字脱字の指摘、文章の改善法、設定の矛盾へのツッコミ、諸々のアドバイス、好きな神姫のメーカー、
そしてなにより、このSSを読んでみての感想を、短いものから長いものまで、心よりお待ちしております。



[14434] 第七十六話「告白とわたしとあなたの関係性」
Name: ここち◆92520f4f ID:bd9db688
Date: 2012/10/29 19:51
少年は、光の射さない闇の中で、今まさに息絶えようとしていた。
古ぼけた小屋の、隠された地下室。
土砂に埋もれかけたこの闇の中に存在するのは、古びた家具、土に埋もれかけた少年と、最後の信奉者を失った古き邪神、魔の植物の骸のみ。
信奉者であり狂信者であった神父と、少年の弟の亡骸は見当たらない。
少年が最後の力を振り絞り邪神を焼き尽くしたその時に、土に飲まれて消えてしまったのか。

──弟の供養だけでもしてやりたかった。

そんな考えが一瞬だけ少年の脳裏を過り、消える。
魔の植物に魂を吸われ、少年は既に連続した思考を続ける事すら出来ない。
だが、そんな少年でも解ることがあった。
今、頭に過る全ての事は、何の意味も持たない。
これから誰にも知られずに死ぬ人間の考える事に意味などあるわけがない。

教会の地下に隠れ潜む怪植物の手から逃れ、しかし、彼の現状は決して勝者のそれではなかった。
怪植物を打倒する事が出来たのも偶然、彼の本能的な精神力操作が怪植物の生体構成に対して破壊的に作用しただけ。
結局は外に出ることも叶わず、何処かに弟と狂信者の死体が埋まっているこの穴蔵の中で息絶えるだけの哀れな被害者。
通気口も出入口も土砂で塞がれた地下室に倒れ、土砂を掘り進む体力も、立ち上がり出口を探す気力も無く、誰にも知られる事無くひっそりと、緩慢に死を迎える。

──今度こそ、死ぬ時だ。

漠然と、迫る終わりを思う。
恐怖も後悔も無い。
恐怖や後悔を抱けるほど、少年は自らの生に執着していなかった。
誰に望まれる訳でもない人生、好きなように生きて、力尽きたら倒れて死ぬ。
誰かの思惑によって、なすすべなく死ぬのは嫌だが、その思惑は潰してやった。
だから、纏わりつく死の感触に対して、少年は嫌悪を感じること無く、受け入れていた。

心残りがあるとすれば、それは幼い弟のことだけ。
弟の死の感触は、少年の手の中に、砕けた魂の傷跡に、未だ生々しく感じられる。
弟は自分とは違った。ひねたところのない、穏やかで真っ直ぐな心を持った、普通の子供だった。
この幼い時代を抜けて、何時か世間に交ざり、何処にでもあるありふれた日常を送ることが出来る真っ当な人間に育っただろう。
そう思えば、怒りが沸き起こってくる。
漠然とした、運命という形のない悪魔に対する怒りだ。
それは本人にとっても何処に向ければいいのかわからない、方向性の定まらない感情。
少年は胸に僅かな苛立ちを抱えたまま、ゆっくりと目を閉じ……

閉じる寸前、視界の隅に、何かがかさりと動くのを捉えた。

それは一匹のネズミだった
不思議な事に、闇の中でもなお黒く浮かび上がり、はっきりとその輪郭を見ることが出来た。
燃えるように輝く三つの瞳を持つ、不可思議な雰囲気のネズミ。

──幻覚か、それとも、

死神か。
そう呟こうとした瞬間、視界の端でネズミが巨大な塊に叩き潰された。
それだけではない。
巨大な塊は土砂を押しのけて現れたのか、今や倒れ伏す少年の身体には差し込む光が当てられている。
ならば、この鉄の塊は重機か。少年の窮状を察して現れた善意の第三者の救援か。

いや、違う。
少年には理解出来なかったが、土をかき分けて現れた鉄塊は明らかに重機とは一線を画す、兵器の厚みを持っている。
その正体は、邪神の庭の外に存在する宇宙において、グーン地中機動試験評価タイプと呼ばれる機動兵器の手指。
本来、怪異に対して有効な打撃を加えることは出来ないはずのそれは、いとも容易くネズミ──ナイアルラトホテップの化身を叩き潰し、少年の危機に一筋の光を当てた。
地上への出口が生まれた。後は、動くことの出来ない少年を地上に運び出し、早急に治療を施せる者が現れればいい。
そこまで都合のいい現実があるのならば、そも少年はこの様な状況に陥っては居ないのだが。

──騒がしい。

この奇天烈な状況にも、しかし少年の得た感想はこれだけだ。
脳細胞がもはや現状を認識出来ないほどに死滅してしまっているのか、いや、そうではない。
そも、彼に取っての生きる目的とも言える守るべき対象、弟は既に死んでしまっている。
少年がこの状況を理解しようとも、積極的に助けを求める事はしないだろう。

だが、そんな少年の心とは裏腹に、未だ彼に死は訪れない。
理不尽な運命に対する行き場のない怒りの感情が彼の魂を賦活し、僅かな時間の延命を可能としてしまったのだ。
故に、彼がその生命を終えるまでの時間、ほんの少しだけ、数十秒程度伸びたその生命に、手を差し伸べる者が居る。

ネズミを叩き潰した鉄塊が土砂を掻き分け、地下室を完全に露出させる。
焦点を結ばない少年の目に写るのは、三角頭に一つ目の鉄巨人。
その胸元が、炭酸の蓋を開けた様な音と共に開き、

「やあ」

中から、見るからに怪しい男が現れた。
何処にでも居るような服装の、しかし、顔に掛けた丸いサングラスに、ニヤつくように僅かに吊り上がった口の端のお陰で、何もかもを台無しにするほどに胡散臭くなっている東洋人の男。
陽の光の元、首から上の印象だけがひたすらに胡散臭いその男は、しかし、先のネズミがまだまともに見えるほどに怪しい。そう、死の間際に居る少年の本能が告げていた。
男は、そんな少年の警戒心や死にかけている状態を総て無視し、酷く、わざとらしいほどに爽やかな声で。

「きみ いいからだしてるね マスターオブネクロノミコンに なってみないか?」

どこからどこまでが幸運で、どこから何処までが不運だったのか。
行き場を無くした自分達が教会に拾われたのは幸運か。
その教会の神父が狂信者であった事は不幸か。

ただ、意識を失う直前、少年は一つの直感を働かせる。
目の前のコレは、幸運でも不運でも、間違いなく最悪な運び方をする厄ネタだろう。
少年──エドガーと呼ばれる孤児は、意識を失う直前の最後の力を振り絞って、大きく舌打ちをしてみせた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

天国にいるか、もしくはとうの昔に転生してヒメマルカツオブシムシかイシガキオニヒトデ辺りに転生しているかもしれないお父さんお母さん。
百%善意から助けた相手に命と引換えレベルの覚悟と生命力を込めた舌打ちをされたりもするけれど、貴方達の息子は今日も変わらず元気です。
……駄目だ死にたい。いや、死にたいってのは大げさだけどへこむ。
俺ってそんなに子供に嫌われるキャラだったかしら。

「そのグラサン──けないんじゃない──?」

ちょんちょん、と触手の先端でサングラスを突くシュブさん。
突かれてずり下がったサングラスを外し、つるに触手をかけてぷらぷらと弄ぶと、そのままこちらの亜空間に押しこんでしまう。

「そこまで悪いデザインじゃないと思うんですけどねぇ……」

今更、メガネ屋に行って俺の顔にマッチするグラサンを買う気にはなれないし、長年愛用した(度々かけていた訳ではないが)愛着もある。
そもそも人から貰ったプレゼントにケチを付けるのもなんだろう。
目は口程にモノを言うという言葉もあるし、こういう、魔術的な直感に優れる子供を相手にするなら、目を隠すのは必然ではないだろうか。

と、まぁ、俺の人相とグラサンの相互作用が見る者に及ぼす心理的な問題は置いておくとして。
宇宙の海は俺のものとばかりに乗り出し、行く先々の地球に来たことのない神々や種族との交流を重ね、地球に舞い戻り姉さんとの二年と少しの僅かな逢瀬を楽しみ、またループして原始地球へ。
そんなパターンを幾度と無く繰り返す事幾星霜。
ざっと十を三桁行くか行かないか程度の回数累乗した数だけループして、久しぶりに見つけた未知のルート。
セラエノ発空気も風もあって星が透明な球体に包まれた心なしかドキドキするスペース経由、確率で発生するワームホール行き、
からの、徒歩三万二千光年のディジット管理マザーボール発ドミニオ乗り換え、終点ジョーカー星団デルタ・ベルン、
乱数調整で発生する全身金ピカのプラモ作るのが糞面倒くさそうなMHとの敵対ルートからの全能攻撃回避により発生する次元跳躍、
跳躍後の着地点に存在した四次元、五次元的に折り畳まれたゴムボールサイズの地底世界、からの、現地の技術者術者洗脳ルート、転送事故で出た海と大地の狭間の世界から、物理的に土を掘り返してオーラロードを開通、こうして無事に元の時代に極めて近い時代の地球に戻ってこれた訳だが。

「中々に良いタイミングでした。まさかこの少年にまた出会うことができるとは」

「知り合──の?」

「ほら、少し前のループで拾い食いした子供ですよ」

「ああ、あの時の──半生ジャーキー──」

「そうそれ」

懐かしいものだ。
あの時は初めて見かけるタイプの規格外の魔術の才能に小躍りして、ギリギリで生きてるのに調味料も無しに踊り食いしてしまったが。
あの時のシュブさんの慌て様ったら無かったな。
慌てて作ったせいか、半分は妙に甘ったるいオーロラソースで食べることになって苦労したっけ。

そして、目の前でベッドに眠るこの少年、ファミリーネームのないエドガー君こそが、その生乾きジャーキーの生前の姿である。
魂吸われてて、そのまま回復させても抜け殻みたいな人間になるのは目に見えていたので、記憶を残して肉体ごと魂の時間を巻き戻して修復。
弟の方も精神耐性つけるために記憶残して巻き戻してやったのだが、こちらはそれほどSAN値が多くなかったのか速攻で発狂してしまったため、記憶ごと総て巻き戻しておいた。

「後はこれからの生活でも保証してやれば、いい恩返しになるでしょう」

味はともかく、能力的にはまぁまぁ美味しかったからな。
このエドガーの肉体、魂とエンネアの肉体と魂の情報を掛けあわせれば、人間としてコレ以上を望めない程の最高の魔術師の才能が完成する。
あくまでも人間の魔術師として振舞わなければならない時の基礎構造としてはこれ以上ない程の逸材だ。

「でもこの子達は孤児──い教会に預けられ──扱いなん──?」

「その教会の神父が死んでるってのが好都合なところでしてね。俺にいい考えがあります」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

『そんな訳で爺さんは、これから剣術使いの心優しい神父さんということで』

そんな自らを再生した男の言葉を思い出し、壮年の東洋人『蘊・奥』は小さく溜息を吐いた。
肉体を再生され、すでに数ヶ月の時を経た彼の視線の先、窓の外では、教会に預けられている少年少女達が元気に遊び回っている。
食事時ともなれば蘊・奥の元にやってきて食事を強請り出すだろう彼等は、彼を神父と信じて疑わない。
教会の近所に住む住人たちもそうだ。
彼等はすべからく、蘊・奥が教会の神父であると記憶を書き換えられている。
お陰で、空いた時間に祈りを捧げるでもなく剣の鍛錬を行なっていても、元からそういう人物であったと記憶している為に誰も不信には感じないらしい。
寿命という制限時間はあるものの、前に再生された時の記憶は肉体の記憶と共に引き継がれている。
剣の技術を蓄積する事において、何ら不自由はない。
子供たちの相手にしても、彼等が記憶をいじられているという負い目はあるもののそれ程苦痛というわけでもなく、無邪気で、未来に無限の可能性を持つ子供たちの姿は、見ていて心に染み入るものがある。

ここまではいい。唐突な役目も何時ものことで、ある程度思考を改変されている蘊・奥にとって、特に不満に思うところではない。
だが……、

「あらあら、あの子達ったらあんなにはしゃいで」

穏やかな女性の声が蘊・奥の耳朶を叩く。
ゆったりとした、しかし、張りがありよく通る声は、それが独り言ではなく蘊・奥に向けられた言葉であることをはっきりと示していた。
窓ガラスに写るのは、ウィンプルを省略し、過剰に装飾され、動きやすく、華美さを追加されながらも質素さを損なわない、本来の方向性に真っ向から立ち向かう様な改造修道服を身に纏った緑髪の妙齢の女性。
この蘊・奥と時を同じくして再生された、フー=ルー・ムールー。
剣術が趣味の優しい神父の『妻』として配役されている、言わば蘊・奥の共犯である。

「ああいう子供たちの元気な姿を見ていると、私達も、という気になりませんこと?」

言いながら、修道服の上に羽織ったフューリーの民族衣装の一種である厚地のカーディガンをチラリとめくり上げて見せる。
施された装飾も、ゆったりとした修道服の下に隠されたフー=ルーの肢体のラインを隠しきる事をしない。
自らの身体を魅せつける、しなやかさと艶めかしさを感じる仕草だが、蘊・奥はそのフー=ルーの仕草にげんなりとした表情を返す。

「時間を考えい。わしは、お主ほど血気盛んには出来ておらんのだ」

しっし、と、犬猫を追い払う様に手を振る蘊・奥。
もう片方の手は、カソックの腰、不可視化した特殊合金製の刀の柄に掛けられている。
それを見て、フー=ルーは蕩けるような艶然とした笑みを浮かべ、カーディガンの下に自らの身体を抱く様に両腕を回す。
フー=ルーは頬を上気させながら、カーディガンの下で自らの身体を捏ねるように弄り始める。
いや、身体そのものをまさぐっている訳ではない。
カーディガンの下に隠されたブックホルダーとショルダーホルスター、そこに吊るされた魔導書とオルゴンライフル型の魔銃を手で取ろうとしての事である。
蘊・奥はそれを嫌という程理解していた。故に刀の柄から手を放さずにいるのだ。
もしも蘊・奥の嗅覚が獣の様に優れていたのならば、フー=ルーの修道服の下、消臭剤の付いた給水ナプキンが限界を迎えそうになっている事に気が付いただろう。

「ああ、ああ、いやですわ『あなた』ったら。女にこんなに気を持たせて、少しのご褒美もくださらないだなんて……いけないひと」

「冗談でもその呼び名はやめい。怖気が走るわ」

蘊とフー=ルーを再生した者、鳴無卓也が戯れに組み込んだ『非常時を除き、両者の同意が無ければフー=ルーは魔導書にも銃にも触れられない』という行動制限があればこそ保たれる偽りの平穏。
それが無ければ、この場は日に十度は鬼械神と生身の剣術使いが殺し合う血闘場と化している事だろう。
勿論、その縛りがあっても、その危機は幾度と無く訪れている。

「ああ、もどかしくてもどかしくてもどかしくて、おなかのなかが熱くて熱くて、頭がおかしくなりそう! ……ねぇ、この熱を沈めて頂ける? あなたの、その、硬くて長い剣で……」

勿論、比喩ではなく、普通に刀の事を言っているのだが。
熱く、甘ったるい匂いすら感じられる吐息と共に紡がれる言葉に従う様に、礼拝堂の中に字祷子が吹き荒れる。
幾度と無く複製された自らの蓄積により、小達人級(アデプタス・マイナー)に匹敵する程の実力を備えているフー=ルーは、魔導書に触れずとも簡易な魔術行使を可能とする。
潤む瞳と媚びるような声色を向けられ、荒れ狂う字祷子から生じたカマイタチで額に一筋の切り傷を作った蘊は頭に鈍痛を感じ、奥歯を噛むと共に柄に掛けた手に力を入れる。
いっそ斬ってしまうか。
頭脳に刻まれた洗脳を超える程の強さでそう考えるも、周辺への被害を考え、寸でのところで思いとどまる。
魔術を向けられ、刀を抜けばそれは同意したという事になる。
そうなれば、孤児院の子供がどうという話ではなくなってしまうだろう。

魔術を使う相手に、手刀だけで応戦するのが難しい事は既にここ数カ月ですっかり理解してしまっている。
蘊がここ数カ月で理解したフー=ルーの我慢の限界を考えれば、もう一分も持たずに、簡易な魔術と騎士団仕込みの格闘術で殺し合いを始めようとしてくるだろうことは簡単に予測がついた。
一触即発。ただし、触らずとも時間経過でも即発。孤児院絶対絶命。

その時である。
突如として、礼拝堂のドアを蹴破りギラつく瞳の少年が姿を表す。
数カ月前に怪植物との精神格闘で死にかけた少年、エドガーだ。

「おい爺、飯だ飯!」

粗野な物言いながら、その視線は蘊の目にしっかりとアイコンタクトを送っている。
内容を文章化するとすれば、

《おい爺まだ無事か!》

といったところだろうか。
魔術の素養に優れ、数カ月前から魔術の理論と実践を同時に学び始めたエドガーにとって、新しく父母代わりに宛てがわれた二人が戦う事の危険を誰よりも深く理解していた。
それでも弟を連れてこの教会から逃げないのは、戦狂いである事を除けば子供たちに対してとても優しいフー=ルーと、不器用ながらも子供たち、自分達兄弟に真摯に接してくれる蘊・奥の事を慕っているからか。
魔術と銃の扱いの師でもあるフー=ルーと、剣術の師でもある蘊・奥を、庇護者としてよりも、自らに生きていく力を与えてくれる者として恩を感じているからかもしれない。

息を切らせながら礼拝堂の戸をフー=ルーの手によって貼られていた結界ごと蹴破って入ってきたエドガーに、フー=ルーは先程までの艶をほぼ感じさせない慈愛に満ちた笑みで振り返る。

「あらあら、そんなに慌てなくても昼食は逃げませんわよ」

彼女自身、可愛らしいものを好む傾向もあり、未来ある子供もそれに含まれる。
だが、フー=ルーがエドガーに向ける視線はただの子供に彼女が向けるものではない。
彼女は、既に魔術師としてはかなりの位階にある自らの貼った結界を、ほぼ素人同然のエドガーが力尽くでディスペルした事に対し、大きな興奮を覚えていた。
ここまで優れた才ある子を自らの手で鍛えあげて育てる事の出来る喜びと、それを食べ頃になると同時に自らの手で収穫できるという悦びに。

遠くない未来にある戦いの予感にオルガズムを感じ、修道服の下でナプキンを決壊させながら身を震わせるフー=ルー。
その子供たちには気付かれにくい痴態に冷めた視線を送りつつ、蘊・奥は一つ小さく咳払いをしながらエドガーを窘める。

「元気なのはいいが、まずは手を洗ってこんか。年長がそんな事でどうする」

窘めつつも、小さな魔術師見習いにアイコンタクトで礼を伝える。
粗野だが察しが良いこの少年に、蘊・奥は幾度と無く助け舟を出されているという自覚があった。
手習い程度に教える剣術だけでは、とても報いる事はできないだろう。
そう思うが故に、洗脳されている部分とは別に、彼が一人前になるまでは、この神父ごっこ、夫婦ごっこを続けていこうと決意している。

そして、何時か、彼等が一人前の大人になった後、与えられた役目を終えた後にならば、己の持つ総てを賭して、妻という役目を与えられている女の誘いに応えてみるのも悪くない。
誰に迷惑をかけるでもなく、未来ある子供たちに迷惑をかけるでもなく、神父でも親代わりでもない、ただ一人の蘊・奥としてならば。
あの様な、戦に、死狂い者の流儀に合わせてやるのも悪くない。
常識的な、枯れた思考ではない、純粋な剣術家としての蘊・奥は、誰にも悟られないようにそんな事を思うのであった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

ある朝、美鳥との組手を終えて玄関に届いている新聞を取りに行くと、新聞とは別に一通の手紙が届いている事に気が付いた。
このアーカムの住所に届く手紙など、差出人は数えるほどしか居ないはずなのだが、今回届いた手紙に書かれた住所はあまり聞き覚えがない。
まったく無い、という訳ではないのだが、はて、どこの住所だったか……。
居間へと歩きながら封筒の封を切り、ソファに座って中身を取り出す。
ゴテゴテとした封筒とは裏腹に、中身は便箋と写真が一枚ずつ。

「ええと、何々……?」

便箋の内容に目を通し、写真に何が写っているかを確認。

「ふむふむ……」

封筒の中に便箋を戻し、写真を戻し、切った封を分子構造レベルで再結合。
テーブルの上に投げつけ、ぺしゃりと音を立ててテーブルに乗るのを音で認識しながら、台所へ移動。
流しで顔を洗い、冷蔵庫から冷たい水を取り出しコップに注ぎ込み、音を立てて飲み干す。

「ふぅ……」

ミスカトニック陰秘学科の男たるもの、些細な事で取り乱してはならない。
改めてソファに座り、机の上の封筒の封を切り、中身を改める。
俺の目に写るのは、先ほど見たものと変わらない、簡潔な報告文と一枚の賑やかな写真。

写真には、教会をバックに多くの人に囲まれて並び立つ、白いスーツと白いドレスの男女──まぁ、言ってしまえば、新郎と新婦。
双方ともに年齢的に中年にさしかかろうかという年齢ながら、幸せそうな新婚、と言うには、些か新郎の表情が煮え切らないというか。
これ以上ないほどに幸せそうな新婦(ドレスのスカートの下にガーターベルト・ホルスターが付いていても幸せそうなんだから仕方がない)とは対照的に、新郎の表情はまるで出家したての僧の様な、どこか悟りきった表情。
便箋には、とても達筆な丸文字で、こう書かれている。

『私達、結婚しました』
『フー=ルー・ムールー&蘊・奥』

ああ……。

「見りゃわかるわ。んなもん」

「何がー?」

「引き出物に、新郎新婦のツーショット写真が写った皿を配るのは嫌がらせだよな、って話だよ」

屋上を片付けて少し遅れてやってきた美鳥にそう言いながら、俺は便箋と写真を丸め、ゴミ箱へと放り込むのであった。

―――――――――――――――――――
×月∴日(フーさんはビッチじゃない。風の様に自由になってしまっただけだ)

『とりあえず、ご祝儀として新しく執筆した魔導書を送っておいた』
『通常なら一ページで発狂モノなのだが、フーさんとその家族ともなれば大丈夫だろう』

『いつもと変わらぬ終末、お決まりのように向かうのは大気圏の外、月と地球の中間地点』
『もはや習慣と化した踵落としによるスタイリッシュ地球割りを作業の様にこなして、ループするまでの時間を宇宙船で過ごす』
『元の世界の実家と、これまで暮らしたトリップ先の自室などをミックスしつつ造られた宇宙船の内装は心を落ち着ける安らぎスポットだ』

『なんだかんだ言って、この無限螺旋での繰り返しの日々にも慣れたもので』
『この段階になると、過去に戻ってどうクトゥグアを調伏するか考えるに至っている』
『最早、俺の中には一切の焦りは存在しない』
『今ならゲームは一日一時間とか、そういう難しい縛りも平気でこなせる自信がある』

『美鳥などは俺だけが太古の地球に戻るという現状を快く思っていないようだが、姉さんは何の問題も無いと言っているし、俺自身何か問題があるとは思っていない』
『姉さんが居なくて寂しい、というのはあるが、気心の知れた相手であるシュブさんが隣に居るとなれば、たかだか数十から数億年程度、屁のつっぱりと言ってもいい』

『話をクトゥグアに戻すが、ついさっき姉さんとマクロス7を見なおしている最中に、もしやフライングⅤを用いての開幕分身バンド攻撃が有効なのではないかと思いついたので試してみようと思う』
『くだらない思いつきだが、思いついたものは全て試してみるのが実は堅実な道だったりするのだと思う。何しろ、俺達には無限と言って良いほどの時間が存在するのだから』
『さぁ、まずはギザ十を作るための工場を作る作業員を作り出す母体を作らなければ』

―――――――――――――――――――

『そういえば、そろそろみたいね』

『そろそろ?』

『そろそろ』

姉さんとそんなやり取りをしたのが、つい数分前。
ミスカトニックの平均的な陰秘学科の学生ルートを選択した俺は、美鳥と共に姉さんの言葉に首を捻りながら大学への道を歩いている。
講義が入っているのは二コマ目からだから通勤通学ラッシュからは外れた時間帯だが、それでも花のアーカムシティ、車も人も決して絶えることは無い。

「この時期のそろそろ、と言えば」

「駅向かいの坂の上の雑貨屋が潰れる。で、猫男爵の人形と翡翠の原石は閉店のどさくさで盗まれる」

「孫みたいな歳のガキに貢いで経営破綻とか、あそこの爺さんも大概だよな」

タイミング的に、カラクリ仕掛けの大時計が無くなるのと同じ時期だから間違いない。
しかし、そんなことをわざわざ姉さんが口にするだろうか。
そんなことを言う一々口にしていたら、二年間のタイムスケジュールを全て口に出して確認する事になる。
美鳥も同じように考えているのか、しきりに首をかしげている。

「あとは、ミスドの新製品の時期が近いっちゃ近いけど……」

「あそこは不定期だし、新製品出さない周もあるだろ」

それに、直前の周でフレンチ系の新製品ゴリ押ししたから今周の新製品は望み薄だ。
季節物のベジタブル系ドーナツとかは出てるが、それとは少し時期がズレている。

「言いたか無いけど、まだ寝ぼけてたとか」

「一番有り得そうだから困る」

姉さんはあれで真顔のままはんぺんと間違えてテーブルの端の台拭きを口にしたりするし、あまり見たままの姿から判断出来ない。
しばしの時間、ああでもないこうでもないと美鳥と話ながら歩いていると、大学の時計塔が見えてきた。
ゆっくり歩いても十分に講義の開始時間には間に合う距離。
この時間にこの位置なら、俺達よりも早く講義室で待機している奴が半分、俺達より遅くくる連中が半分、といったところか。
目立たずにキャンパスライフを送るには丁度良いタイミングの取り方。
いつもと変わらない、何事もない通学時間。
これからいつもと変わらない講義を受けて、いつもと変わらないレポートを書き、いつもと変わらない昼食を食べ、いつもと大して変わらないメンツと談笑し、いつものように帰宅する事になるだろう。

「まぁ、帰ってから姉さんに聞けばいい。今電話して聞く程の事でもあるまい」

幸いにして今日はバイトもないから、講義の最中に気になってもそれほど待たされる事もない。

「今時間は、姉さんも洗濯済ませて二度寝してるだろうしねー」

「そうだな」

まずは学友どもといつも通りの挨拶を交わして、いつも通りの講義から消化していく事にしよう。
徐々に顔見知りの学生も増えてきた。
俺と美鳥は知り合いに軽く挨拶をしながら、ミスカトニックの正門に脚を踏み入れた。

―――――――――――――――――――

そして、二コマ目の講義が終われば昼食の時間。
今日はいつもと少し違い、弁当でも外食でも学食でもなく、とりあえずドーナツを買って済ませる。
ミスドがいつの間にか消えていたので、次点でまぁまぁ美味しいドーナツを売る屋台で購入。

チョコファッションに濃い目のミルクで昼食をキメながら、意味もなく午後の講義の内容を予習。
いや、むしろこれまでの周で幾度と無く学んでいるのだからコレは復習になるのか。
この問いも幾度繰り返したかわからない。

「そーいやさー、新原の奴、いつの間にか消えてたよなー」

「言われてみればそうだなー。途中から完全に人間だったしー」

満腹感から間延びした脳細胞相当の部分が、ゆっくりと邪神の意思の抜けた新原とてぷのこれまでの周における遍歴を思い出す。
邪神としての記憶と自覚が抜け完全な人になると共に、新原とてぷのドーナツ屋としての才能は著しく低下し、新商品の開発は振るわなくなる。
お陰で密かな人気を保つことも出来なくなり、屋台は経営難に。
ここからは確率の問題になるのだが、基本的には高確率で屋台を畳んで故郷に帰り家業を継ぐことになる筈だ。

「だがドーナツを作れぬ奴めに利用価値はない」

「お兄さん、辛辣ぅ」

だって事実だし。
コンスタントにドーナツを作れないドーナツ屋に何の価値があるというのか。
不断の前進、向上を求められる業種もあれば、常に変わらぬ製造速度と品質を保つことが重要な業種も存在する。
俺にとって、奴は変わってはいけない業種に分類されていたというだけの事。

そんな具合で、ドーナツ屋が潰れて、一人の少女の夢が絶たれても、俺達の昼休みは概ねいつも通りに過ぎ去って行った。

―――――――――――――――――――

今日取った講義を全て受け終え、講義の後片付けを手伝う。
講義で使われたのは、割と実践的な、そこらの木石を用いて使う簡易魔術を説明するための魔術具と、魔術とは関係なしに怪異に通じる、一般販売されている護身具。
どれもこれもそれなりにかさばり重さもある、片付けるのには少し手間な物ばかりだが、尊敬するシュリュズベリィ先生の手伝いともなれば、自ら率先して行うのは当然の事だ。
学ぶことを学び終えたとしても、シュリュズベリィ先生はいつも通り聡明でダンディで、それでいて裸コートだ。
その露出の多さ、俺にはとても真似できない。

「今なにか失礼な事を考えなかったかね?」

講義で使用したプリント系の資料をまとめつつ、シュリュズベリィ先生のサングラスの端がぎらりと光る。

「まさかそんな」

シュリュズベリィ先生は少し他人の内心に敏感すぎやしないだろうか。
正直今のは俺の中ではべた褒めの部類だったのだが。
上半身半裸のままで、隣にはケツ丸出しの穿いてない幼女を侍らせるなど、俺にはとてもできない。
相変わらずの、尊敬に値する魔術師ぶりだ。

「ミドリ、あれはセクハラ?」

「ノーノー、お兄さんエロいこと考えてない。失礼な事考えてるだけネ」

「だから失礼な事も考えてないっつってんだろ」

ハヅキの天然を偽装した鋭い疑問を、美鳥がはぐらかしているようではぐらかさないフォローで流す。
シュリュズベリィ先生の講義はミスカトニック生活の後半では受けることが出来なくなってしまったが、片付けの手伝いが必要な時は概ねこんな具合だ。
これまたいつも通り、最適化して短縮することもできない、変わることのない間抜けなやりとり。

と、ここでふと気がつく。
ここにもう一人ツッコミ役が入って、俺もボケに回る事が出来る時が稀にあるのだが、今回はそれがない。
まあ、それもあくまでそのツッコミ役がツッコミ役として機能するタイプの個性を持っている周に限った話だが。
この周ではそれほど関わりがない為キレの良いツッコミを期待することはできないが、この講義は取らなかったのだろうか。姿が見当たらない。
今周の奴はそれなりに鼻持ちならないエリート野郎だった気がするし、講義を受け終えたらさっさと帰ってしまったのかもしれない。

「それでは、こちらの石は砕いて再利用、木材は焼却炉でいいんでしたよね」

「無害な種類のプリントは事務室だっけ?」

「ああ、よろしく頼むよ」

「いつも手伝いありがとうね」

裏面を最良する事のできない、危険な知識の乗ったプリントを持ったシュリュズベリィ先生とハヅキに礼を言われながら、いつも通りに余った機材の処理へ向かう。
……そうだ、今日は借りた本の返却日だ。
帰りに図書館に寄って行かなければ。

―――――――――――――――――――

図書館でのいつも通りの行動と言えば、やはり一角を借りきっての魔導書一棚一気読みが挙げられるだろう。
だいぶ前の周では、無作為に複製したアンチクロスの魔導書を、少し霊威を下げて紛れ込ませるという遊びをしたものだが、あれは場合によってはミスカトニック襲撃フラグになりかねないので、ある程度武装を充実させた周でしかお勧めできない。
複製したアル・アジフの断章を紛れ込ませた場合、いつの間にか消え失せて紅い少女の目撃例が出始めたり、場合によってはウェイトリィ兄弟の襲撃フラグに変化していたりする。
やはり秘密図書館は魔窟であるため、下手なお遊びは禁物なのである。

「これ、返却で」

紛れ込ませて害がないのは、今返却したそれ単体では力を持たないタイプの書だろう。
これは全巻複製して、別人名義でさり気なく図書館に登録しておいたものだ。
今周では俺以外誰も借りていない為に何事もないが、これが上手いこと才能ある魔術師見習いの手に渡れば、ミスカトニックに忍術学科が生まれる可能性が微粒子レベルで発生する事もある。

俺がカウンターに本を置くと、その向こうでがっしりした体格の老人が嬉しそうに頷いた。
老人──アーミティッジ博士と軽く借りた本の内容などを話した後は、軽く図書館内部を散策。
稀に図書館の影に紛れて神話生物が隠れていたりするので無駄足にはならないだろうと思ったが、どうやら今回はハズレのようだ。
多少瘴気が祓いきれていないが、それも常人が把握し得る範囲で考えれば正常値を指している。
それが無ければ、あとはもう何度も読み返した魔導書の類しか無い。
一通り、侵入を許可されているエリアの魔導書の背を撫で内容を反芻。
適当に記憶を封印して何冊か読み返して見るのも悪くないが、今日は気乗りしない。
とはいえ、そんな気分になるのもいつも通りというか。
正直、ここに通っているのも惰性というか、無限螺旋の中で適度にメリハリを持って生活するためみたいなとこあるし。

「美鳥はなんかあるか?」

「ここでは何も無いねぇ」

「だろうなぁ」

美鳥だって、適度に俺のデータをフィードバックしている。
今更ミスカトニック秘密図書館で知識収集なんぞしようがない。

「帰るかぁ」

「そだねぇ」

のそのそと脚を引き摺りながら秘密図書館の出口へと向かう。
割と奥まったところまで入った筈なのだが、俺達以外に閲覧者が殆ど居ない。
二三四コマと取った後で、まだ五コマと六コマが残っているから、時間的に中途半端である事は否めないのだが、それにしても閑散としている。
いつも通りの図書館ならば、もう少し、多少なりとも閲覧者が居てもおかしくはないのだが。
ふとその事が気になり、出口の前で振り返り、カウンターの向こうに居るアーミティッジ博士に質問する。

「今日は、やけに人が少ないですが、何かあったんですか?」

アーミティッジ博士は、俺の質問に、少し難しそうな顔で唸る。

「いや、なに、先日起きた怪異の侵入事件が後を引いておってな」

「先日って……もう何ヶ月前の話ですか」

やや弱めの邪神ハーフが侵入し、魔導書を持ちだそうとした、まぁ、魔導書を保管する図書館であればどこでも起こりうるありふれた事件。
それが起きたのは、一年に届かなくともかなり前の筈。
それで、ここまで学生の脚が遠のくというのは少し考えにくい。

「何、先輩方もご同輩の連中もなんでそんなビビってんのさ」

呆れたような口調の美鳥に、少しの沈黙の後、アーミティッジ博士は沈痛な面持ちで重々しく口を開いた。
最初にその口から漏れたのは溜息。

「……仕方があるまいて。あの事件で、陰秘学科の主席が自主退学してしまったのだ。彼ほどの才を持ってしても恐怖に飲まれる相手となれば、怖気づかぬ方が」

「博士、スタップ。…………陰秘学科の主席って、誰でしたっけ」

「ん、そうだな、君等は学年も違うし、そこまでは把握していないか。聞いたことはないか? 君たちと同郷の、大十字九郎という名の男なのだが」

「そう、ですか」

大きく深呼吸をして、呼吸を整える。
隣を見れば、美鳥は皮肉を言った直後の表情でフリーズしていた。
このままでは不審に思われてしまう。いや不審に思われても多分問題ない段階に入ったのは確実なのだが万が一の事を考えれば不自然なくこの場を離れるのが一番なのだろうという思考を取り繕い無難な言葉を纏め上げる。

「…………数える程でしたが、顔を合わせた事もあります。そうですか、あの彼が」

冷却に数秒の間を置いてそう告げた俺の口の中は、唾液が一滴も存在していないかの様に、パサパサと乾燥していた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

それから直ぐに図書館を出て、何処をどう歩いたか。
意識せずとも普段通りの道を身体が覚えている為か、俺と美鳥は当然の様にミスカトニックの正門を抜け、帰宅路へとたどり着いていた。

「…………」

「…………」

互いに無言。
言葉がない、と言うよりも、言葉が、表現したいことが腹の中で渦巻いているのがわかる。
美鳥も同じなのだろう。無表情のようで居て、微かに身体全体が震えている。
ああ、駄目だ。ここは人通りも多い表通りじゃないか。
まだだ、まだ堪えるんだ。
隣を歩く美鳥の頭の中も、そんな俺の思考をまるごとトレースしたような状態だろうことは、同調するまでもなく理解できる。

無言のまま歩き続ける。
信号を待ち、青になると同時にスクランブル交差点を渡り、大きな通りを暫く歩き続けて、オフィス街を抜け、
人通りの少ない、細い裏路地に出る。
人目も耳も無いだろう。

「い」

美鳥が、俺よりも一瞬だけ早く決壊した。
次いで、俺も限界。
その場でうずくまるようにしゃがみ込み、全身のバネを引き絞る。
喉の、横隔膜の震えが、押し込めていた空気を振動と共に吐き出す。

「ぃぃいやったあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!!!」

────ガッツポーズと共に三メートル程飛び上がりながら、叫ぶ。
ああ、ああ、ああ!
やっと、ついに、とうとう来た!
自らを高めるために捕食を繰り返し、伸びしろを使い果たすまで鍛え上げ、それでも余った時間を省略する事無く使い潰し、この世のありとあらゆる可能性を喰らい尽くし、
とうとう、とうとう辿り着いたのだ!

エリート魔術師見習い、大十字九郎の、初の、真の意味での挫折!
魔導探偵大十字九郎の誕生!
無限螺旋の終焉!

「ひ、ひひ、ふへはははははっは、いひひヒィ!」

美鳥がアスファルトの地面にのたうちまわりながら狂乱している。
頭がイカれているとしか思えない奇声を発しながら。

「のほへ、ほほ、ふえけけけけけ!」

ああ、だけど俺だって人の事を言えた状態じゃない。
立っていられるのが不思議なくらいだ。
抑えても抑え切れない感情が喉から奇声として溢れ、行き場のない歓喜の感情が腕を動かし廃ビルの壁をプリンの様に柔らかくこそげ取っていく。

「おい、おい美鳥ぃ、おいィ!」

「なんだようぅ、なんだよようお兄しゃん!」

ろれつが回っていない。
だが、そんなことは知ったことではないのだ。

「お前、お前あれだぞ覚えてろよ! かっぱ寿司行って色物寿司ばっか五十皿くらい食ってやっかんな! 海老天巻きとか五皿はいけるし!」

「おにーさんちっせ! ちっせ! あたしなんか吉牛行って牛丼特盛牛玉ねぎ抜きつゆだくだく頼んで上一面紅しょうがにするし! スケールちげぇし!」

「それなら俺スパロボ新作無駄に三本くらい買って裏山の熊と犬にプレイさせるし!」

「じゃああたしモノホンのミスドで一気に千ポイント貯めて何故か全部マグカップに交換するし!」

ああ、なんて下らない。
だが、なんて最高な思いつきだろう。
これら全て、この世界では絶対にできないバカばかり。
今言った、実行したら姉さんのげんこつでは済まない様なバカ。
それが、もうすぐ、本当に実行できるのだ!

帰れる!
元の世界に帰れるんだ!

「よっしゃ! あたしケーキ買ってくる! 無駄に五ホールくらい買ってくるぜ!」

言いながら、そのまま蜘蛛のように四つん這いになって壁を走りながらで路地裏の奥に消えていく美鳥。
あのはしゃぎぶり、俺としても負けていられないだろうJK(原作『火星のプリンセス』)!

「俺もチキン買ってくるわ!」

照り焼きとフライの二種類、それこそパーティーバーレルを三つくらい買ってもいいだろう。
そうと決まれば話は早い。
俺はその場で大きく仰け反り、ブリッジの体勢のまま小ジャンプ連打しつつ近場でチキンを売っている店へと高速で走りはじめた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「シュブさんシュブさんシュブさんシュブさんヘイチキンチキンヘイヘイチキンチキン!」

準備中のニグラス亭の窓を顔面で突き破りながら侵入。
店主であるシュブさんの名を呼びながら端的に今必要なメニューを端的な言葉で注文する。

「えぇっ! ちょ、な──と!?」

窓を間違えたのか明らかにニグラス亭店内ではなくシュブさんの私室だった。
部屋着でくつろぎモードだったシュブさんは突然の俺の来訪に目を白黒させている。
ああもうもどかしい! でも注文を早く受けてもらいたいし注文を終えたらこの喜びをシュブさんにもわけてあげたい!
シュブさんを落ち着ける為にブリッジの体勢のまま触手にトランスフォーム。
高速で部屋の中を這いずり回り、時折シュブさんの脱ぎっぱなしの部屋着などをくぐり抜けながら注文を続ける。

「チキンチキンシュブさんチキンくださいよチキンチキンキッチンへチキンお持ち帰りチキンペンギン!」

そうだよチキンも良いけど祝の席ならペンギンだって欠かせないじゃないか!

「チキンが食べたいチキンが食べたいチキンが食べたいチキンが食べたいバケツでごはんバケツでごはんバケツでごはんバケツでごはん」

思わず這いずり回る途中で引っ掛けたシュブさんの脱ぎ散らかした薄布をモグモグと捕食口で咀嚼する。
布っぽいけどほのかに甘い香りがするようなしないような!
ああでも懐かしい感じがする食べたことはあんまりない気がするけどこの匂いには親しみすら覚えるというか。

「や、こら! ──ンツ食べちゃ駄目──て……──ょっと落ち着いてっ──」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

しばしはしゃぎ倒した後、意識のある部分を潰れる程強くぶっ叩かれて正気に戻ってみれば、俺はなんという狼藉を……。

「ごめんなさいシュブさん。もうしないと思うので許してくだしあ」

誠心誠意、涙こそ流さないが、可能な限りの申し訳なさを顔面でしか表現できないレベルで表しつつの謝罪。

「うん、反──てるならいいけど──、卓──少し落ち着──方が──」

「面目ない……」

のれんを下ろしたニグラス亭に場所を移し、調理場でチキンに小麦粉をまぶすシュブさんを見ながらセルフ反省会。
いくら冷静さが必要ない場面だからといってはっちゃけ過ぎたよな……。
シュブさんが居なければ、世界毎時間を巻き戻して無かったことにしなければならないところだった。

「それで、何──でたい事でもあ──の?」

「あ、わかります?」

「唐揚げじゃな──フ──ドチキンなんて注文して────?」

ローストチキンを頼んだとかならともかく、唐揚げとフライドチキンの祝福度の違いから異変に気がつくとは、流石シュブさん。
俺は反省の姿勢を即座に終了し、カウンターに身を乗り出し、少し離れた位置のシュブさんに耳打ちするように掌を立てる。
人の目も耳も無いこの場所で内緒話も何もないが、大事な話なので雰囲気だけでも。

「実はですねぇ……このループから抜けられる日が近いんですよ!」

よ! の語尾が予想よりも大きく店内に響き、反響した声が消えるまでの僅かな時間。
そこから更に沈黙の余韻。

「へーそりゃめで──ねー」

口角を僅かに上げた半笑いの表情で、油鍋を見つめたまま、気の抜ける返事を返された。

「うわ、その平坦な口調、実はまるで信じてませんね? いけませんよシュブさん、人の言うことは信じなければ」

「でも、信じる者は儲けになるん──ね?」

この冷静な返し、明らかに冗談か何かとして受け取られている。
よくよく考えてみれば、さっきシュブさんには醜態を晒したばかり。
俺の頭がとうとうイカれたのだと思われてスルーされているのだとしても不思議ではない。
だが、俺には伝家の宝刀がある。

「いいんですかーそんな事言ってー。こちとら姉さんのお墨付きですよー?」

そう告げると、シュブさんは煮え滾る油の中に、手に持っていたチキンを勢い良くたたき落とした。
たたき落としたというよりは、手を滑らせて高いところから落としてしまったという方がしっくりくる程の勢いだ。
跳ねた油が多めに指に当たったのか、目尻に涙をためたまま水道水で冷やし始める。
流石のシュブさんも、姉さんのお墨付きとあっては一概に妄想と斬って捨てる事ができないようだ。

「あつつぅ~…………え、句刻が言って──? ループが切れ──て?」

驚いた様な、呆気にとられたような表情で聞き返してきた。
俺はその問に、大きく頷きながら答える。

「ええ、具体的にそう言った訳じゃないですけど、今までにない、ループの終了に絶対必要な条件が揃っているのも確認できました。こりゃ、ホントの本気でラストループですよ」

場合によっては更にもう一周なんて事もあるのだが、その場合はその場合で意図的に大十字をロリコンカミングアウトルートに誘導できるので美味しいと言えば美味しい。
もっとも、ここから影に日向に、テレビ・ラジオ・新聞広告から街頭放送に奴の住処の構造までもを駆使、催眠術から洗脳術までを利用してアル・アジフルートに誘導するので、その可能性は限りなく低いのだが。

ああ、しかし、長かった。
コレほどまでに原作突入に時間が掛かったトリップがこれまでにあっただろうか。
できればこれっきりしにしてほしいレベルの長さだった。
魔導探偵大十字九郎の事件簿を見るのはこれが初ということになるのだが、正直もう見るきも起きない。
ぶっちゃけ大十字は男も女も十分過ぎる、いやむしろ過剰な程に見続けてきたから、誘導のためで無ければもう見たくもないレベル。
それでも一応重要な分岐になりそうな部分は見るんだけども。

「そっか、こ──最後なんだ──…」

今後の大十字ロリコン確定計画の道筋を思い描いていると、シュブさんがぽつりとそんな事を呟いた。
油鍋に視線をを落としたまま、触手も萎れて夕暮れ時の一人こぎブランコの様に力なく揺れている。
少し項垂れているせいか、垂れた髪で目元は見えないが、少しきつめに唇を噛み締めている口元が見えた。

「シュブさん?」

「あ、や、えっと、ご──ね? ちょ──考え事しちゃって」

声をかけると、顔を上げたシュブさんは少しぎこちない笑みで謝罪しながら調理を再開した。

「そう──事なら、早く家に帰って──ないと。チキン、少しサービスし──くから、句刻と美鳥──と──て食べてね」

「え、ええ、ありがとうございます」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

その日の夜、鳴無家にて。

「うーん」

祝の席に相応しい、普段食べないタイプのごちそうを前に、卓也は茶碗を持ったまま首を傾げていた。
食が進まない訳ではない。
句刻や美鳥と元の世界に戻った後の事を話しつつ、その箸を止めること無く動かし続けている。
だが会話の合間、ふとした瞬間にニグラス亭でのやり取りと光景が思い浮かび、それに思考を取られてしまっている。

「どうしたの? 食べないならお姉ちゃんが貰っちゃうよ?」

「そういう意地汚い真似は駄目だよ?」

句刻の伸ばした箸から自らの皿を守りつつ、思う。
──あのぎこちない笑みは、間違いなく何かを内に秘めた、はっきりと言ってしまえば空元気を隠すためのごまかしの笑みだった。
こちとら日常生活では使わないような桁数の年月を一緒に過ごしているのだ、あの程度のお取り繕い方で誤魔化される訳がない。
シュブさんがああいう顔をする時は、決まって気持ちが落ち込んでいる時と決まっている。
では、何故落ち込んでいるのか。あの場面で落ち込むような理由があっただろうか。

答えは出ない。
例え何年一緒に居たとしても、相手の心の動きを完全に理解することは難しい。
落ち込む時は些細な事で落ち込むだろうし、元気な時は何したって元気。
結局、感情のある存在なんてものはそういうものだ。
考えるだけ無駄、と斬って捨てる事もできないではないが……。

出来ないからこそ悩むのだろうなぁ、と、卓也は肩を落としながら大皿に盛られたフライドチキンに手を伸ばす。
練りに練られた特殊配合のスパイスは、そのスパイスを製造する土地の土壌から計算され尽くしたニグラス亭独自のものだ。
油も特殊な物を使用しており、一般の家庭で再現するのは難しいだろう。
某KFCの比ではない深みのある味わいに舌鼓を打つ。
骨から肉を食いちぎる感触すらも楽しみながら、食卓の会話に耳を傾ける。

「悔しいけど、やっぱニグラス亭のスパイス配合は目を見張るものがあるよ、うん」

同じくチキンを食べ、骨まで噛み砕きながら加熱されて固形化した髄液を味わっている美鳥の言葉にしみじみと頷く句刻。

「ねー。味で負けてる、なんて言うつもりはさらさらないけど、あそこの味を完全再現出来るかっていうと、ちょっと難しいもの」

骨だけになったチキンを皿の隅に置いた句刻の言葉に、卓也もまた思い当たる内容を思い出し同意した。

「あー、わかるわかる。あと、唐揚げ定食とかもさ、結構バージョンアップしてるから正確に再現できないんだよね」

あたしもチーズケーキ無理だったー、私は野菜炒め定食が難しいと思うわー、などなど、口々に挙げられるのはニグラス亭メニューの味への賞賛。
永劫に届く程のループ、その中で幾度味を盗もうと、同じ時をかけて進化し続けるメニューのレシピを捉えきる事はできない。
それはトリッパーとして優れた能力を持っていたとしても、決して超える事のできないプロとアマの意識の差から来る絶対的な壁だ。

「でも、卓也ちゃんはそろそろ完全に再現できる頃じゃないかな」

ふと、会話の流れで句刻がそんな事を口にした。
先程までの会話の中身からは出てこないような結論に、卓也は訝しげ顔で反論。

「え? や、正直再現率に関してはどんなに頑張ってもアキレスと亀のアキレス側にしかなれないんだけど」

「一生追いつけないんですね、わかりま、あでっ」

ニヤニヤと笑いながら捕捉する美鳥の頭を小突く卓也。
そんな兄妹のコミュニケーションを見ながら、句刻はなんでもないことの様に、あっけらかんとした表情で告げた。

「そこまで近づけてるなら、元の世界に帰ってから十分に追いつけるでしょ? この世界から抜ければ、シュブちゃんの料理はコレ以上発展しないんだし」

「……………………あ」

「あ゙っ゙!」

美鳥の頭の上に握りこぶしの状態のまま置かれていた卓也の手が瞬間的に5センチ程下に押し込まれ、美鳥の顎が胴体に僅かに埋まる。
頸部を叩き潰され、ふらふらと椅子の上でよろけながら、美鳥は半ば胴体に埋め込まれた顎をカクカクと動かす。

「じゃ、ジャミ、ジャミラ……」

「二度ネタはいつもこうだ……身体を張るところだけは美しいけれど……」

やりきれない表情で美鳥の首を引き抜こうと頭部を両手のひらで挟み込む句刻。
そんな二人を視界に入れながら、しかし卓也は別の事を思い、愕然としていた。

────ループが終われば、シュブさんともお別れか。

元の世界に帰れる。その事実が卓也を浮かれさせていたのも原因の一つだろう。
記憶封印、感情、情報の最適化などを定期的に行う事で同じ行動の繰り返しによるストレスを感じることは無い。
しかし、ストレスを感じない事と、元の世界に帰れる事による喜びは別に勘定される。
本来あるべき日常と未来を取り戻せるという事実は、現在のデモンベイン世界から抜け出す事により発生するデメリットを覆い隠すには十分な喜びを与えていた。

更に言うならば、発生するデメリットの種類も悪かった。
それは、度重なるループによって付与された『主人公補正』の副次的な作用によって、土壇場の場面になるまで卓也本人には認識できないタイプのもの。
こうして本人が真っ向から直面すれば認識可能になるが……。

──まさか、ここまで進化しておいて、この程度の事に気がつけないとか……。

卓也は頭を抱えた。
如何に補正が悪い方向に働いていたとしても、既に高位の邪神と化した身でありながら、ここまで補正による思考の検閲に逆らえないとは。
しかし、理解してみればニグラス亭で見た表情にも納得がいった。
何しろ、根本にある感情に違いはあれど、ループの終了が齎すデメリットに関しては、卓也もほぼ同じ想いを抱いているからだ。

──……やっぱり、寂しいよな。これでお別れなんて。

卓也が『シュブさん』に抱く感情は、これまでのトリップで出会った人々に対するそれとは一線を画していると言っていい。
ループという概念に触れる前、最初の能動的トリップ先であるスパロボJ世界で最も親しみを感じていた相手とですら比較にならない。
最も親しみを感じていた、ある意味では弟分として見ていたとも言える『紫雲統夜』でさえ足元にも及ばない程、『シュブさん』が卓也の心の中を占める割合は大きくなっていた。

「姉さん、あの、さ」

「うん、なぁに?」

「元の世界に戻った後に、またこの世界に来るとか、できる?」

恐る恐る顔を上げての卓也の問に、句刻は美鳥の頭を上に引き抜きながら、うぅんと小さく唸り、しかしはっきりと答えた。

「お姉ちゃんも試したことがない訳じゃないから言っちゃうけど……まず間違いなく無理」

ようやく元の位置まで首を押し上げた美鳥が、頚椎を自らの手で固定しながらうんうんと頷く。

「あたしたちが抜けたって事は、その世界がまがりなりにも完結した証しな訳だしね。入れる道理は無いっしょ」

句刻の知る限り、トリッパーを求める世界は主人公や設定に不備のある不完全な世界だ。
その不完全な世界に取り込まれ、何らかの形で不足部分を補うのがトリッパーの役目だとすれば。
その世界からトリッパーが抜け出す瞬間というのは、その世界が不足分の補填を行い、トリッパーを必要としなくなった時なのだろう。

基本的に、どれだけ力を蓄えたとして、元の世界におけるトリッパーという存在のあり方は『受け身』でしかない。
句刻の力による『BLASSREITER』『スーパーロボット大戦J』『MURAMASA』の世界への卓也のトリップは、本来のトリップの形とは大きく異なる。
本来、トリッパーは元の世界での日常生活を送りながら、不完全な世界が求めた時には拒否権すら与えられること無くトリップさせられる。
トリップの形式は様々だが、その根本の原因である不完全な世界を観測し捉える事は、ベテランの句刻ですら成功した事はない。
回数を重ねた熟練のトリッパーであっても、身近な人間に不完全な世界を造らせる事で、自分がその世界に取り込まれる可能性を高めるのが限界なのだ。
ましてや、トリッパーを取り込もうとするアクションすら起こさない、姿形、存在方法すら不明な世界をどのようにして捕捉するというのか。

「そもそも私達がトリップから抜けた後、その世界がどうなるかなんて誰も知らないもの。ここにもう一回トリップできるできない以前に、完結した後は世界そのものが消滅している、なんて可能性だってあるわ」

「そっか……」

消滅。
その言葉を聞き、静かに自らの思考に没入する卓也。
表情は暗く、あまり良くない方向に思考が向いているのだろう。
俯いて思考をから回らせる姿を見て、句刻は一つだけ、今まさに思い出したと言わんばかりに、何気なく呟いた。

「また来る算段を立てるより、必要な物はとりあえず持ち帰る、程度に考えたほうがいいんじゃない? トリップ先の生きた人間の一人二人程度なら、今の卓也ちゃんなら自力で持ち帰れると思うし」

はっ、と、卓也が何かを閃いたような表情で顔を上げる。
直ぐにまた考えこむような表情で俯いてしまったが、その表情は先程までとは違う。
難題に挑む挑戦者の様な、思考が前に向いた真剣な表情。
句刻の言葉に何かしらの希望を見出したのだろう。

「…………」

嗜好に没頭する卓也と、それを楽しげな表情で見守る句刻。
美鳥はそんな二人に感情の見えない視線を向け、しばらくして、何も言わずに黙々と食事を再開した。

―――――――――――――――――――

×月§日(元の世界に)

『生き物を連れて行くのは、実のところとても難しい事であるらしい』
『姉さんが言うには、単純に連れて行こうとした場合、元の世界に帰る途中、もしくは帰って直ぐに、よくわからない何かに変質してしまうらしい』
『例えばそれは連れて行こうとしたもののぬいぐるみだとか、形を崩したスポンジ状の何かだとか、或いは、見た目はそのままでも、『中身』が空っぽに成っているだとか』
『そしてその成れの果ての大半は、風に解けるようにして消えてしまうらしい』

『原因の一つとして、元の世界とトリップ先の世界の存在密度の差が挙げられる』
『全く同じ遺伝子構造を持っていたとして、どうしても元の世界とトリップ先の世界では絶対的な差が存在するらしい』
『だから、元の世界の大気、空間、時間に押し潰され、元の形を保てなくなるのだ』

『物体に関してどうなのか』
『これはトリッパーが持ち帰った時点で、トリッパーの能力や武装としてその性質を変化させている』
『俺が肉体に取り込んでいるのと同じような事を通常のトリッパーも無意識の内に所持品に行い、自分と同等の存在密度を持たせてしまうのだとか』
『因みに、元の世界でバリバリ活動しているフーさんなどはこれに当たる』
『あれも言ってしまえば死体という物体を持ち帰っているだけになるし、そもそも俺が複製している時点で、あれも俺の一部という事になる。密度に関しては何の問題もない』

『さて、姉さんが言った、頑張れば二三人連れていける、というのは、どういう事か』
『答えは簡単』
『連れて行きたい生き物を、トリッパーの所持品にしてしまえばいい』
『例えば、姉さんは少しお金を作りたい時などに、トリップ先の人間を物品扱いで持ち帰り、次のトリップ先で売り払っていた事もあるらしい』
『物品であるか否かは、言ってしまえば、連れて行くものをトリッパーがどう定義するかに委ねられる』

『少し簡単という言葉の意味を考えさせられる理屈だが、筋は通っている』
『つまり、事を複雑にしているのは、単純に俺の感情だ』
『元の世界に連れていきたい相手を、物扱いするのか、できるのか』
『最初から道具以上の感情を抱いていない相手ならば、そもそも死体にしてから取り込んでしまえばいい。蘇生は容易だ』
『死体にせず、生きたまま、なんら歪める事無く本人を連れて行きたい場合に限り、相手を物扱いしなければならない』

『ややこしい話で、ままならない話だ』
『例えばパンはジャムを塗った面を下にして落ちる法則性を持っていたり、こんな日もあるさと思う日が毎日の様に続いたり、世の中には確実にそういう仕組みが組み込まれているのだろう』

『姉さんが言うには、原作で言うエンディングを迎えた後、少しだけ間を置いて帰還する事になるだろうとの事だ』
『世界が再構築された後、また原始地球に行くのか、それとも、初期の頃と同じく二年半前に出るのか』
『少なくとも、後三、四年程は保証されていると考えていいらしい』
『短いようだが、どういう結論に至るにせよ、踏ん切りをつけるだけなら十分な時間だろう』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「お」

ふと、目覚めと同時に、俺の肉体の内、ニャルからフィードバックした部分がごっそりと消滅している事に気がつく。
消滅というか、存在できなくなって崩れたというのが正しそうな感触。
恐らく、輝くトラペゾヘドロンの力によってこの世界そのもののあり方が組み替えられたのだろう。

視界が暗い、というか、見えない。
眼の部分もごっそり持っていかれたらしい。

「メガネ、メガネ……と」

感覚的に、それは頭に掛かったメガネに指を引っ掛けるようなものだ。
ニャルの要素が抜け落ちた肉体から、存在しない状態として存在しているニャルの要素を再生し、肉体を再構成。
確認するように、まぶたを開く。
まぶたを開く前からはっきりとわかっていた事なのだが、ここは熱くない。

視界にはマグマ・オーシャンではなく、自室に良く似たデモベ世界でのスタート地点。
ありふれた家具構成の自室のコピーの中で、ベッドから降り、カーテンを開ける。
夜明け前だからだろうか、ほんの少しだけ白み始めた藍色の空には、まだ僅かに星が煌めいている。

空に何が見える訳でも、何が見えない訳でもない。
たかだか邪神一柱の企てが無かったことになった程度では、そう多くの事は変わらない。
せいぜい、不自然だったこの惑星の一部魔術師分布が更新されている程度か。
ブラックロッジだのなんだの、今となっては一睡の夢。

ベッドに後ろ向きに倒れ込み、天井を見上げる。
見知った天井。
元の世界と殆ど変わらない、でも、絶対に異なる天井。
もう少しでお別れなのだろうと思っても、これには特に名残惜しさも感じない。

「世界、救われたなぁ」

つぶやき、手だけを伸ばして枕元のラジオを付け、早朝からやっている奇特な番組に聞き入る。
余はなべてこともなし、というか、まぁ、そんなものだ。
とりあえず、シンキングタイムはもう何年も無いらしい。
それだけは、はっきりと理解できた。

―――――――――――――――――――

○月☓日(とどのつまりは)

『重量と重要性が比例するのであれば、棚の上に置けないほど重い荷物は、棚の上に置いてはいけない程に重要な代物であるわけで』
『しかし、他に置き場がないのであれば、棚が壊れるのを覚悟で棚に上げるしかないのだ』

『無礼、失礼という意味で言えば、俺ほどそれに当て嵌まる男はそうは居ない』
『後々謝る事を前提で無礼を働きに行く事ほど無礼な事も無いだろう』
『だけどもまぁ、やらぬ後悔よりもやる後悔』
『買わぬ節約よりも買う浪費と言うではないか』

『明後日には、俺達はこの世界から元の世界に帰る事になる』
『そんな訳で、俺はシュブさんとのデートの約束を取り付けたのであった』
『たぶん、誰かを連れ出しての告白というのは初めてではないだろうか』
『柄ではないのだけど、がんばろう』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

デートと言っても、俺自身にそれ程多くのデート経験があるわけでもなく。
俺とシュブさんはごく普通に、少しだけ整えた服装で、ありきたりな待ち合わせ場所で、遅すぎず早すぎずの時間に合流した。

内容に関しても、特に描写すべき点が見当たらない、ごく普通のデートスポット巡り。
シュブさんの職業に合わせて、少しだけ市場で食材を見比べてみたり、気になる店で話題のメニューを注文してみたりもしたが、だからと言ってそれほど奇抜な内容になった訳でもない。
図書館に入り、公園を歩き。

ただ、一つ言えることがあるとすれば、何処に言っても既視感があり、その既視感がどうしようもなく肌触りのいいものに感じられた。
飽きるほどに通った道、通った店。
飽き飽きしている筈のそれらを見るのが、これで最後になるからだろうか。

「ね、あそ──屋台寄ってみていい──?」

「ええ、いいですよー。ちょっとなら奢ったげますし」

「ありが──♪」

破顔して屋台に駆けていくシュブさんの後ろ姿を見ながら、そうではないのだと理解する。
これで最後と言っても、飽きたものは飽きたものなのだ。
それに名残惜しさを感じるのは、大切な記憶を連想させる場所だからこそ。

「はい。キャラメルナッツで良──よね?」

互いにあの屋台で何を注文するかは知り尽くしている。
何しろ、ここいらの屋台はシュブさんの味の研究に付き合う過程で幾度と無く通ったことがある。
だからこそ、シュブさんのチョイスは俺に確認するまでもなく的確だ。

「ええ、これには目がなくて」

差し出されたアイスを受け取り、並木通りを歩く。
常緑樹の立ち並ぶ並木道に人はまばらだ。
平日の昼間ともなればこの様なものだろう。まぁ、ここは休日もこんな具合なのだが。

「うん、香ばしい感じ」

アイスを舐め、露出したナッツを齧り頷く。

「こっちのも美味──よ?」

レモンフレーバーなシュブさんの黄色いアイス。
当然の様な流れで一口ずつ交換。
プラのスプーンで掬った黄色いアイスは、これまでの周と変わらない爽やかな味わい。
合瀬着色料を使いつつも、本物のレモン果汁を使っている証拠だ。
飽きるほど食べたが、その旨さには普遍的な物を感じる。
シンプル・イズ・ベストという事なのだろう。

アイスを食べ終え、流れ作業の様に雑貨屋へ。
見慣れた雑貨、どれも一度は手にした事があり、一度ならず自作したタイプの品も存在する。
可愛らしい小物も、小洒落た小物も、どれも見飽きている筈なのだが、不思議と退屈は感じない。

「これ、ど──なぁ……」

角に空色のに水玉模様のスクランチーを付けたシュブさんがおずおずと尋ねてきた。
シュブさんは基本的に色が薄いから、どの色のアクセサリーを合わせても違和感はない。
飲食店を経営しているだけあって、普段からアクセサリーなどを身につけたりはしないのだが。

「その柄も悪くないですけど、もう少し冒険してもいいと思いますよ? ほら、こっちのビーズ使ったやつとか」

「派手──ない?」

「ちょっと派手な位がちょうどいいんですって」

言いながら、シュブさんの角のスクランチーを付け直す。
銀色のビーズが編みこまれた、少し網目が強めに主張するデザインの鮮やかな赤。
同じく店内の手鏡で、シュブさんは何度も角度を変えて確認し、恐る恐るといった風情で意見を求めてきた。

「に、似合っ──?」

「似合ってますよマジで。大人っぽいけど、可愛らしくもあるっていうか」

「そ、そ──……」

同じような格好を幾度と無く見たことがあるし、実際に同じ品を付けている姿を見た事もある。
が、それで飽きを感じるわけでもなく、十分に楽しさを感じている。
まぁ、だからこの商品を買うかと問われれば、別にそんな事は無いのだけども。

「あ、卓也──これ見て」

並べられた品を片っ端から試用と称して遊んでいると、シュブさんがくいくいと袖を引っ張った。

「あれ、これって……」

「ね? これ見たこと無──ね?」

シュブさんが見せてきた商品は、何の変哲もない小さな砂時計。
特に変わった細工もない、しいて言うならば細工がないシンプルなラインが特徴のありふれた砂時計だ。
似たようなデザインの物も見たことがある。
が、少なくともこの店ではこの砂時計を扱ったことは無かった筈だ。

「今になって新商品とか、珍しい、というか、ううん」

「不思議な事も────ね」

言いつつ、シュブさんは物珍しげに砂時計をひっくり返したり光に透かしたりしている。

「買います?」

「プレゼントして──る?」

「そんな安物でよければ」

俺とシュブさんは店員さんに断りを入れてから店内の装飾品を散々試着したり、雑貨をいじくり回してみたりしてから、件の砂時計だけを買って店の外に出た。
店員の視線が背に突き刺さったが、別にこの店にはもう来ないからどうでもいい。

―――――――――――――――――――

少し思うところもあり、シュブさんと相談して映画館へ。
メインストリートの映画館は平日でも混んでいるので、少し外れた場所にある、寂れても居なければ流行ってもない程度の映画館をチョイス。
ラインナップもそれほど古くなく、それでいて大きな映画館では取り上げない様なB級も取り扱ってくれるので、ここはコレまでのループでもお気に入りの一つだ。
真新しくも大きくもない建物に入り、上映中の映画のポスターを確認する。

「チケット、買って──よ」

「シュブさん……その割引はいけない」

何食わぬ顔でカップル割引を使っていたのを咎めると、シュブさんは明後日の方向を見ながらヒューヒュヒュー、と掠れた口笛を吹いてごまかした。
まぁ、カップルかどうかをしっかり確認しない映画館側にも問題があるので、今回は払い戻しも無しでそのまま入場。
外に張ってあったポスターは、いつも通りのラインナップだったが……

「ああ、やっぱり。シュブさん、新作入ってますけど、これ見ます?」

「どん──ャンル?」

「どんなジャンルか、っていうと、なんでしょうねこれ……タイトルからもポスターからも内容が推測できないっていうか」

少なくとも、他作品の映画化ではないようだ。
画調からして、この時代、この世界観に沿ったまっとうな映画だと思うのだが。

「んー、ラブロマンス、じゃないな、風刺物でもないし……」

「見ればわか──て、ほら、ポップコーンも買っ──」

手を引かれ場内へ。
人がまばらなので、見やすい席の確保も簡単だ。
近過ぎない、中程の席に座り、俺とシュブさんは未知なる作品への期待に胸を膨らませた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「いやー、感動巨編でしたねー。5分で終わりましたけど」

「泣ける話──た……5分で終わったけど」

パンフレットを手に、喫茶店でシュブさんと共に感慨に耽る。
映画の内容はよくある喜劇物のショートショート。
話の内容にも映像にも特に力が入っていた訳ではないのだけど、その新鮮さは特筆するべきものがある。
何しろ、無限螺旋の中ではついぞ見たことのない映画だったのだ。
大導師の様に精神が摩耗するような事はないが、ああいう新しいもの、見たことのないものには素直に感動を覚えてしまうものだとよくわかった。

「しかし、こうして改めて見なおして見ると、結構変化があるもんですね」

席代として注文したコーヒーを半分飲み干し、同量のミルクと角砂糖三つを突っ込みながら、映画館からこの喫茶店までの道程で見つけた様々な変化を思い出す。

「ループも終──て、ニャルちゃんのちょっかいも無かったことになったし、そ──色々変わりもす──ね」

グラスの中のコーラフロートを細い銀のスプーンでつつきながらのシュブさんの言葉に頷く。
ループを抜け、通常の時間の流れに組み込まれたアーカムシティに来て早二年と少し。
ブラックロッジという大組織が無くなれば、普通の流通や経済、芸術面にまで大きな変化があって当然。
大きな所で言えば、今の日本にはクロス要素として存在した大量のミュータント──ノッカーズが存在しない。
ブラックロッジを作るため、大導師を導くためにニャルによって引き起こされた数多の大事件が無かったことに成っているだけあって、よくよく見てみれば、新しく増えた要素もあれば、消えて無くなった要素もあるというわけだ。

「でも、少し寂しい気もします。そう考えると」

「なん──? 新しいものが見れる──よ?」

「それはいいんですけど……無かったことになったものとは、ずっとお別れ、みたいな感じがするじゃないですか」

ブラックロッジに限っただけでも、アンチクロスの面々でニャルの化身では無かった連中がどうしているのか、下っ端連中は何処で何をしているのか。
ブラックロッジの事を報道していたメディアはまったく別のニュースを流しているし、下部組織であるアングラな店も別の系列になってしまっているだろう。
変わりがないのはドクターくらいしか思いつかない。

大組織がなくなり、大事件が起こらなかったという事は、物流や人の流れにも変化があるという事だ。
アーカムに来る縁がなくなり、別の場所で生活している人も店もあるならば、当然、もう会えない人だって沢山出てくる。
そもそも会わなかった事になるのだと考えれば寂しさもひとしおだ。

「あ、そっか、そう──。そうい──とは、お別れ、な──……」

言いながら、シュブさんのスプーンが止まった。
シュブさんが何を考えているか、今の俺には良くわかる。
無限螺旋から抜けて、世界は絶えず変化をし続けている。
これ以降はもはや誰も知らない領域に進んでいくのだろう。

そしてそれは、元の世界に帰る俺と、この世界の住人であるシュブさんの関係性にも言える事だ。
何も、明るい未来だけが見える訳ではない。
今、俯いて、コーラとアイスを混ぜ混ぜしているシュブさんが考えているのは、きっとそんな所だろう。

流石の俺にもそれくらいは理解できる。
鈍感ラノベ主人公属性は、ニャルと融合した時点で捨て去った。
そうとなれば、ここからは『ラブコメ主人公代理』の鳴無卓也ではない、『トリッパー』としての、あるがままの鳴無卓也として対応しよう。
例え、今の俺の思考に補正が掛かっていたとしても、自分の立ち位置とやり口を自覚した上で。

パンフレットを亜空間に放り込み、コーヒーを飲み干し、伝票を持って立ち上がる。

「ちょっと、風に当たっていきませんか。いい場所を知ってるんです」

立ち上がり、座ったままのシュブさんを真っ直ぐに見据える。
視線が絡み合う。表情には何を考えているか出していない筈だが、シュブさんは俺が真剣な話をしようとしているのを察してくれたらしい。
今日の俺は、何の意味もなくシュブさんをデートに誘った訳ではない。
それは誘いを受けたシュブさんも同じ事で、多分俺と同じく、話を切り出すタイミングを見計らっていたのだろう。
シュブさんは少しの間を置いて、こくりと頷いた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

アーカムシティで一番見晴らしがいい場所が何処かと聞かれれば、俺は一も二も無くミスカトニック大学の時計塔を挙げる様にしている。
他に高層建築物はいくつもあるが、アーカムと言えば、ミスカトニックと言えばやはりここなのだ。
風が気持ちいのもここだろう。高層建築物が立ち並ぶアーカムシティにおいて、この時計塔の屋上は奇跡的なまでに風が綺麗に吹き抜けていく。

思い出も沢山詰まっている。
機神招喚の研究に行き詰まった時の事、魔導バイクをぶつけた事、機械巨神で叩き潰した時の事、陰秘学科の学生を壁のシミにした時の事、飛行機をぶつけた時の事、根本から折って鈍器にした時の事。
どれも懐かしい、思い出深い記憶だ。

そして、それを抜きにしても、ここはいい場所だと思う。
ここからは、アーカムシティを一望できる。
初めて来た時とあまり変わらず、しかし、少しずつ変わり始めた、シュブさんと出会ったこの街を。

「シュブさん。俺、シュブさんに言いたい事があるんです」

夕日に横顔を照らされたシュブさんと向かい合い、瞳を真っ直ぐに見つめる。
視線が絡み合うのは、相手もこちらを真っ直ぐに見つめ返しているから。
お前が長く深淵を覗くなら、深淵もまたお前を等しく覗いている。
見つめ合うという事はそういう事だ。

「私も、ずっ──ずっと卓也に言いたか──事があるの」

ならば、シュブさんのこの答えも当然のもの。
俺がシュブさんに伝えたいことがあるのと同じように、シュブさんも俺に伝えたい意思がある。
自覚のあるなしはともかく、ずっと前から胸に秘めていた、というのも同じなのかもしれない。

「じゃあ、レディ・ファーストで」

「うん──」

シュブさんが、静かに目を閉じ、両手を広げる。
視界は闇に閉ざされているのだろう。
そのシュブさんの視界に合わせるように浮かぶ色が、シュブさんの人型のシルエットを塗りつぶすように広がった。

黒。
否、それは混沌だ。
狂気じみた宇宙の暗黒、それに、無慈悲な自然の冷たい力強さと、全てを包み込む包容力をまぜこぜにしたような色彩のそれは、俺に確かな親しみを感じさせる。
次いで顕れるのは、自然界には、少なくとも、人間の理解できる範疇の自然界には有り得ない、継ぎ接ぎの、出鱈目なシルエット。
巨大な、街の一ブロックを丸ごと包み込めるほどの巨大な雲状の肉体。それが時折所々より合わさり、点滅するように様々なパーツを形成している。
手もある、蹄のある足も、腕も爪も、胴も顔も、角も口も、背も触手も、子宮も翼もある。
口や触手から汚泥の様な汚らわしい、豊か過ぎる生命力に満ちた体液を滴らせたそれがなんであるか、俺にはとうとうはっきりと理解できる。

「イア、シュブ=ニグラス……」

ああ、そうとも。
俺の魔術は、あの当時でも完璧だった。
偉大なる神は、愛すべき隣人として、俺の呼び声に欠かすこと無く答えてくれていたのではないか。
つまるところ、これは俺が大馬鹿者だったというだけの話なのだ。

「シュブさん、って、呼んで──た方が嬉し──」

巨大な、街の一区画を余裕で踏み潰す程のシュブさんが、地の底に流れる気脈の流れの様な、轟々と響く怪音で持ってそんな事を言う。
あまりにも、あまりにも恐れ多い言葉だ。
徒人の身で受けるにはあまりにも過分な言葉に、俺は、過分にならないだけの身に変じて応じる事にした。

身体のあり方を、細胞単位ではなく、存在単位で組み替える。
イメージを固めるまでもない、俺の中にごく自然に存在する、力そのものの発露。
人の形に拘らない、邪神としてのあり方をあるがままに表現できる、巨人の身体。
機械巨神よりもいくらも小さい、絡繰仕掛けの邪神としての俺。

時計塔を挟んで、シュブさんとは反対側の街を踏み潰し、対峙する。
お互いに生まれたままの姿で、何を隠すこともない。
シュブさんは、ゆっくりと周囲の大気を体内にかき集め、深呼吸の様に、強すぎる生命力に汚染された息を吐き出す。
鉄筋に、コンクリートに、ガラスに、本来芽生える筈のない生命が宿り、限界を迎えて枯れていく。
彼等が短い一生を終える程の時間、外界の阿鼻叫喚が遠くに聞こえるだけの沈黙が流れる。

深呼吸の間、僅かに逸らされていた眼球を介さない視線が、真っ直ぐに俺を射抜く。

「私、シュブ=ニグラスは、『シュブさん』は…………あなたの事が、好きです」

ああ、そうだ。
聞き逃す事なんて有り得ない。ノイズなんて混ざりようも無い。
これは、言い逃れができるようなものではない。
後ろを振り向いて、誰に言ったの、なんて聞いていいものでは断じて無い。
これが、好意を伝えるということ。
恐ろしい行為だ。
思わず自分の人生を、自分のあり方を見直したくなる。
本当に、何かの力が働いたにせよ、自分に向けられていい想いなのか。
そんな事を考えてしまう程の、鮮烈な感情の発露。

「子供もいっぱい産んで、夫も妻も何柱も居たことがあって、でも、『私』が恋をしたのは、たぶん、これが初めて」

シュブさんのぞろぞろと無秩序に伸びる触手が、腕が、脚が、俺の手を取る。
金属質の掌は、導かれるようにシュブさんの中心部に宛てがわれる。
生命工学に当てはめられないシュブさんの、シュブ=ニグラスの中からは、不思議と人間の心臓に良く似た鼓動が感じられた。

「……おかしいかな、貞操とか、倫理も無い子持ちの邪神が、こんな、普通の女の子みたいに緊張してるなんて」

その言葉を否定すればいいのか、フォローすればいいのか、俺が考えている内にもシュブさんは告白を続ける。

「でも! ……でも、今、言わないと、きっと後悔するから、何度でも言うね。私は、店主とか、邪神とか、そういうの全部抜きにして、『女の私』として、『男のあなた』が、欲しい」

尻すぼみになることもなく、はっきりと告げられる言葉は、意味を履き違える事など出来ないほどにシュブさんの意思を表した。
一世一代の告白、というやつだろう。
鋼の掌から伝わる鼓動は、フルートと共に宇宙の中心に響く冒涜的なメロディにも似た激しさに変わりつつあった。
ゾロゾロとこちらの腕を掴んでいた無数の触腕は、掴んでいるパーツを握りつぶさんばかりにきつく握りしめられている。
黒き豊穣の女神、万物の母とも呼ばれるシュブ=ニグラスが、いや、あの気丈なシュブさんが、ただの怯える少女の様になるほど、勇気を振り絞らなければならなかったのだ。
そんなシュブさんの想いに、俺は────

「いつか話しましたっけ。ガキんちょの頃、ちょっとした事で姉さんと喧嘩した事があるんです。初めての授業参観に姉さんが来てくれないとか、そんなちょっとした理由で」

シュブさんの、雲状の肉体に生えた潤む瞳を見つめながら、語る。

「今にして思えば、我ながら馬鹿でしたね。普通に親が来ない奴らとかも居たし、姉さんにも学校があるわけで。でも、結局その事で根に持って、後で仲直りは出来たけど、何日も冷戦状態になっちゃって」

握られた方とは反対の手で、俺の手を握っていたシュブさんの触腕の束を握る。

「それでまぁ、仲直りした時に、授業参観とか、そういう行事は我慢するって決めたんですけど。……次の参観日の途中にね、姉さんがこっそりやってきてくれたんですよ」

なんでも、千歳さんと駐在さんに代返を頼もうとして断られ、更にその二人から説得された教師の温情で、出席としてカウントされる特別早退届なるものを出してもらったらしい。
肉体的には完全に別物になって、別世界に来て、数えきれない程の時を経て、しかし、今でもはっきりと思い出せる。
少しサイズの合わない、母さんの形見の女性用スーツを着て、息を切らせながら教室の後ろからこっそり入ってきた姉さんの姿。

「…………」

シュブさんは、黙って俺の思い出話に耳を傾けている。
その気遣いをありがたく思いながらも、俺の脳裏には数々の思い出が浮かび上がる。

「そういうの、挙げたらキリがないんです。その次の、初めての運動会の時、二人じゃ食べきれないくらい弁当作ってきたり、傘を忘れた時に迎えに来てくれたり」

受験の時に、夜遅くまで勉強を教えてもらったり、夜食を作ってくれたりもしたっけ。
夜更かしとか全然得意じゃないのに、それでも翌朝はちゃんと起きて見送ってくれて。

「で、俺も、姉さんがうっかりした時、ちょっとずつでもいいからフォローしようって、料理覚えたり、家事とかも習って、学校の勉強も頑張ったし、卒業後の為に金勘定も親戚から習ったりして」

親戚の人とか、近所の人たちに手伝って貰ったりもしたけれど、俺と姉さんは基本的に二人三脚で頑張ってきた。
それは、俺がトリッパーになって、美鳥がちゃっかり居座り始めても、大きくは変わらない。
姉さんは、俺の姉さんで、親代わりで、家族で、恩人で、でも少し抜けてて、ほっとけない──

「……大切な人は、姉さんなんです。他の誰が代わることも出来ない、何にも代えられない、俺にとっての一番で、憧れで、愛するひと。だから、シュブさんの期待には、応えられない」

断言し、はっきりと、シュブさんの願いをこれ以上ない程に拒絶する。
握った触腕を手元に引き、シュブさんの本体に当てられていた掌を離す。
シュブさんはそれに抵抗するでもなく、触腕はするりと俺の腕を放した。

「……うん、ありがとう。……ごめん、なんとなく、あなたの気持ちはわかってたんだ。でも、それでも、言っておきたかった。はっきりさせておきたかったんだ。私が、あなたの事が好きだってこと」

シュブさんのもこもことした雲状の肉体は、少し残念そうな、しかし、どこか晴れ晴れとした形に変化していた。
本当に、ただ気持ちの整理をつける為だけだったのかもしれないし、ただ強がっているだけなのかもしれない。
いくら俺が鈍感系主人公属性から解き放たれたからといって、流石にそこまで細かな機微を読み取ることはできない。

それでも、今から俺がすることが、人として最悪な部類の行為だっていうことくらいは、理解できる。

「じゃあ、今度は俺の番です」

俺の腕を放したシュブさんの触腕の束は、未だ俺の手の中にある。
それを強く、握り潰さない程度に、しかし、逃げられないようにしっかりと掴み直す。
言うべきことが一瞬だけ喉で引っかかり、それを勢いに任せるように口に出した。

「俺の、俺達の故郷に、一緒に来てくれませんか」

「え────?」

シュブさんの雲状の肉体が、驚きを表す色に変化した。
もしかしたら、『何を言ってるんだこいつ、今私の事を振っておいて』とか、ドン引きしているのかもしれない。
なんと言えばいいのか、俺も口にしてからテンパっているのか、シュブさんの色彩と形状から正確な感情を推し量ることができない。
ただ、シュブさんが意表を突かれているのだけは分かる。

「シュブさんも知っていると思いますが、俺はもう数日もしない内に実家のある世界に帰らなければなりません。そうすると、この世界にはもう来られないんです」

正直言って口の中は唾液も出ずにカラカラになっているのだが、言語に関わるパーツにだけ念入りにオイルを塗りたくったかのように、見事に言うべきことをペラペラと吐き出してくれる。
昨日の夜までになんと言って誘うか考え、何パターンかノートに下書きして、消音した状態で音読して練習した甲斐があった。
ただでさえ無礼な事を言っているのだから、言葉に詰まるなんて更なる無礼を重ねるわけにはいかない。

「…………」

シュブさんは、雲状の肉体の奥に形成した無数の瞳で、一旦言葉を区切った俺をじぃっと見つめている。
真っ直ぐな視線に少しだけ怯みそうになるが、ぐっと堪える。
先のシュブさんではないが、ここで言えなければ絶対に後悔することになる。

「……シュブさん、俺は、貴女を恋愛対象として見ることはできません。それはこれから先も変わらないと思います。でも、貴女と会えなくなるのも、嫌だ。だから」

大きく息を吸い、吐き出す。

「これからもずっと、隣に居てくれませんか。店主とバイトとか、恋人とかでもなくて、互いに認め合う、良き隣人として」

噛み締めるように、言葉を一言一言区切りながら、言い切る。
言いたいことは、全て言ってしまった。
こうなれば、もう相手の反応を待つしか無い。

「……」

痛い沈黙が流れ、ゆっくりと、シュブさんが口を開いた。

「……君は、やっぱり酷い男だ」

「すみません、こういう性分なもので」

「あんな、手酷く袖にしておいて」

「他の言葉も浮かばなかったから」

「ずっと、一緒に居ろ、とか」

「自分の欲には嘘が付けないんです」

シュブさんはそれきり黙りこんでしまう。
足元では逃げ遅れ、SANチェックに失敗した人々が右往左往し、武装警官隊がミサイルを放っている。
時計塔の、我関せずといった風情の時報の鐘が鳴った。
夕日が俺達を照らしている。
オレンジよりも朱に近い夕日に照らされたシュブさんは、まるで血霞のよう。
霞の奥、無数の瞳は閉じられ、しかし、透明な雫が霧に溶けていくのが見えた。

「君は」

シュブさんが、きつく結ばれた口とは別の口を作り、ポツリと呟く。

「ずるい」

握っていた触腕に、ゆるく握り返された。

「卑劣漢だと、割と評判です」

「うん、知ってる。一生懸命で、邪悪で、誠実で、卑怯で……私は、そんな君に、厄介な男に、惹かれたんだ。……せめて、隣に、なんて、考えちゃうくらいには」

言葉と共にこちらの手を握り返していた触腕から力が抜け、釣られて手を放してしまう。
シュブさんは足元の講堂を踏み潰しながら、一歩後ろに引く。
霞が結ばれ、一対の瞳が生まれた。
それは涙に潤むこともなく微笑の形に歪んでいる。

「いいよ。私は、あなたについていく。だから、いまここではっきりさせよう。私と、あなたの関係を。私にとってのあなたが、あなたにとっての私が、いったい何なのか」

生まれた距離は、二歩程だろうか。
口付けには遠く、息も掛からず、抱きしめることは叶わない。
しかし、顔を見合わせ、互いの声はよく聞こえ、手を伸ばせば届き、互いに歩み寄れば肩も組めるかもしれない。
これが今の、これからの、俺とシュブさんの適切な距離。

こんな距離感の相手をなんと言うか、この距離に居る相手は、自分にとって何なのか。
俺は、よく知っている。
元の世界にならいくらか居て、多分、トリップ先では、このひとが初めての相手になる。

「告白とか、引越しとか、色々挟んじゃいますけど」

馴れ合い、礼を弁えても遠慮はせず、しかし、改めて確認するには気恥ずかしい、そんな関係。

「俺達、」

「私達、」

──これからも、いいお友達でいましょう。
異口同音に言葉を揃え、互いの関係性を確定する。

馬鹿馬鹿しいやり取り。
こんな宣言をしなくて良かったのではないかとすら思える。
でもきっと、色々な踏ん切りをつけるには、これが一番なのだろう。

苦笑をシュブさんに向ける。
シュブさんも、少し照れたような苦笑いを浮かべ────






────シュブさんの肉体が、中心からごっそりと焼滅した。






「な……!」

「……え?」

雲状の、しかし並の邪神では本体が出てきても貫くことも消し去る事も難しいシュブさんの肉体。
それが今、縮むのでも、何らかの器官を結ぶのでもなく、完全に、あっさりとその質量を激減させている。
微笑みを湛えた瞳も、互いに握っていた触腕も消え失せ、もはや巨大な雲状の肉体ではなく、内側を綺麗に刳り貫かれて輪のようになってしまっている。
空いた大穴から見えるのは燃えるような紅に染まったアーカムの街並み。

いや、違う。
存在が希薄で、いや、そのあまりの『異質さ』に、認識することができなかった。
刳り貫かれた空洞の中心に浮かぶ『機械の掌』の存在を。
無限螺旋を回していた、『この宇宙』におけるニャルラトホテプでもある、今の俺には判る。
あれは、『この宇宙』のものではない。

「シュブさん、こちらです!」

じりじりと断面を焦がし続けているシュブさんを、体内に展開している亜空間へと連れ込む。
輝くトラペゾヘドロンの封印を参考に構成した、フラクタル構造の内部に展開された一種の異世界、別の宇宙とでもいうべき場所なら、少なくともこの宇宙よりは余程安全な筈だ。
思考を切り取り、内部に格納したシュブさんの治療に宛てさせる。
シュブさんの邪神としてのスペックはかなりのものだから、心配は無いと思うが、念のため。
姉さんは……多分、美鳥と一緒に余裕で安全圏だろう。

「…………」

周囲を気にする必要が無くなったからか、もしくは治療用に一部切り離したからか、

《────》

思考から熱が抜けていく。
単純に格とサイズのみをシュブさんに合わせていた肉体を、戦闘用のパターンに組み替える。
肉体に合わせ一部機能が簡略化された思考が最適解を弾き出す。
シュブ=ニグラスを一撃で半ば以上消滅させる程の攻撃力を備える相手への対処法=開幕意味消滅、もしくは追放攻撃。
直ぐ様、虚空から突き出る機械の掌──鬼械神の一部に干渉。
ブロックされた。全能による干渉だったのだが。
単純な鬼械神でも、鬼械神に近い機械でも無い。
しいて言うならば、邪神か旧神に近い。

干渉していた全能が一部欠損。
明確な形を持たない能力が一時的にとはいえ破壊された。
全能、もしくは全能殺し相当の力を持つ可能性=シュブ=ニグラスのダメージは単純な呪力による破壊兵器に起因する事から全能を視野に入れつつ暫定的に全能殺しとする。
対神、対邪神属性の可能性は低い。
単純火力による能力そのものへの干渉か。
対処法を検索、ヒット一件『輝くトラペゾヘドロン』が該当。
簡易封印は破られる可能性高。
詠唱の時間は……、どうやら、無いらしい。

木が軋むような、ガラスの割れるような、大量の水をぶちまけたような、文字や言葉にして表すことの難しい破砕音と共に、掌を中心とした空間が割れる。
いや、割れたのはこの宇宙そのものだ。
隣合う宇宙を隔てる壁を、世界の法則を破壊し、その向こうに見えるのは虚ろなシルエット。
逆光や闇により見えないのではない。
奴の居る宇宙そのものが、光や闇、空間といった様々な概念を欠いているのだろう。
シルエットが背負う宇宙には、星も、星の海を満たすエーテルやダークマターも、空間も、時間すらも存在しない。
あるのはただ、かつては何かがあったのだろうという、『何もない』の焼け跡のみ。
勿体ぶることすらせず、シルエットはこちらの宇宙へと身を乗り出す。
見覚えのある、しかし、確実に何かが『違ってしまっている』形は────

《デモンベインタイプか》

『それ』は、確かにデモンベインであった。
複雑化しながらも根底の理論は変わらないだろう、脚部大型シールド。
大型の肩部、掌にはレムリア・インパクトの発動機。

だが、その姿に魔を断つ剣や、無垢なる翼を重ねることは出来ない。
ビームの鬣はざんばらに乱れ、各部の意匠は解読不能なまでに摩耗している。
搭乗しているのは間違いなく大十字九郎とアル・アジフ以外の何者か、もしくは『何か』だろう。
姿の見えない術者の、どこか終盤の大導師のそれにも似た亀裂の笑みが見えるようだ。
術者は発狂しているか、正気でありながら発狂しているも同然の思考形態を獲得しているのだろう。
銀鍵守護神機関は搭載しているが、内部に存在するのは本当に獅子の心臓だろうか。
発する力の質は荒々しく、例えるならば、そう──

《破壊神》

定義を更新。
対象を以後『破壊神デモンベイン』と認定。
破壊神デモンベインは、他世界間移動を成し遂げたことに何の感慨を抱いた風もなく、挨拶でもするような自然な動作で、無差別広範囲の攻性魔術を解き放った。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

時は少し遡る。

大十字九郎は、誰一人として正気を保った者の居ない人ごみの中を必死の形相で駆けていた。
街は発狂した市民の手によって破壊と混乱の渦に飲み込まれている。
無理もない、と、九郎は二丁の魔銃を握りしめながら思う。
あのレベルの強大な邪神が、街のど真ん中に唐突に、何の魔術的なフィルターも無しに顕現したのだ。
不思議と魔術汚染こそされていないが、魔術に触れたことのない人間に耐えられる筈もない。
いや、魔術に関わりのある者ですら抵抗するのは難しいだろう。

自宅からここまでの道程で、九郎は一人として正気の人間を見つける事が出来なかった。
あの邪神の姿を見ていないだろう室内に居る人間ですら気が触れてしまっている。
この街で無事なのは位階の高い、それこそ今は無きアンチクロス級の魔術師か、堅牢な魔術防壁の貼られた要塞の中に居る者達のみ。
自分ですら、あの無限螺旋での記憶が無ければ危うかった。

ミスカトニック大学に突如として現れた、クトゥルーに匹敵、いや、それを遥かに凌駕する強大で醜悪な邪神二柱。
片や鬼械神に似た、しかしあまりにも格が違いすぎる機械の巨神。
片やヨグ=ソトースにも比肩する程の存在感を放つ、悍ましい霧と肉塊の邪神。
それらは今、互いに腕と触手を絡ませ、この世の物とは思えない、魂を穢し削り取る様な破滅的な音域で、互い違いに何かを口にしている。
あのレベルの邪神が、力任せに暴れるでもなく、協力し、ただ詠唱に集中しなければならない程の大魔術。
完成すれば恐らく、無限螺旋の中ですら味わったことのない絶望的な状況が訪れる。

「なんとかして止めねぇと……!」

止めるための手段は、九郎の手の中の魔銃二丁のみ。
それで太刀打ち出来る存在なのかと聞かれれば、さしもの九郎も首がねじ切れんばかりに首を横に振っただろう。
たかだか二丁の魔銃では、できても破壊ロボを行動不能にする程度。
参考書代わりの魔導書など戦力にカウントすることすらできない。
やれる、やれないではない。
やるしかない。
今、この状況をどうにか出来るのは、この街に自分しか居ないのだから。
あいつの残してくれた、この街の平和を取り戻せるのは。

「ああ、でも」

ふと、弱気な心が首を擡げる。
こんな時に、あいつが居れば。
アル・アジフが、あいつと二人ならば、どんな敵でも、恐れる事なんて無いだろうに。

そんな事を考えながら走る九郎、その背に向けてクラクションが鳴らされた。
短く二回、三回と区切られた、理性的なリズムの警告音。
発狂した市民の操る暴走車ではない。
それに気が付き、九郎は脚を止めずに音の方へと振り向いた。
発狂した市民を踏み潰し、跳ね飛ばしながら走る一台の乗用車。
走る九郎に速度を合わせ、隣に並ぶと窓を明け、運転手が声を掛けてくる。
装甲板が取り付けられている訳でもないのに傷ひとつ無いそのクルマの運転席に見えるのは、九郎の良く知る少女だった。

「よう大十字、お急ぎかよ?」

皮肉げに口元を歪めた、黒髪の東洋人。
かつて、無限螺旋の中で幾度と無く立ち位置を変えてミスカトニック大学に在籍していた、謎の魔術師見習い。

「おま、美鳥!」

言いたいことはいくらもあった。
しかし、人を轢き殺すなという注意も、お前ら兄妹は何者だという疑問も、美鳥の次の言葉で遮られる。

「乗りな。お前の鬼械神と魔導書のとこに連れてってやる」

その言葉に、無限螺旋の中で少女の兄、鳴無卓也に導かれた時の記憶がフラッシュバック。
幾度と無くデモンベインと引きあわせ、時に共闘した兄妹の姿を思い浮かべ、何も言わずに走る乗用車のドアを開け放ち中に飛び込み、

無限螺旋を終わらせた英雄は、あっけなくその人生に幕を下ろした。

―――――――――――――――――――

「はい、ごちそうさん」

あたしの擬態した車、あたしの擬態した車の中の大気と空間に飛び込んだ大十字を食い殺し、あたしは即座にその場から転移した。
アーカムシティを一望できる時計塔、それを挟んで対峙するお兄さんとシュブ=ニグラス。
そんな光景を余すところ無く一望できる、上空ではない、お姉さんによって創りだされた完全に隔離された安全な観客席。

「あら、早かったのねぇ。ちゃんと食べてきた?」

宙に浮かぶクッションに座り、眼下の光景を楽しそうに見つめていたお姉さんが、振り返りもせずに声を掛けてきた。

「うん、最適化も……今終わった。これで、もうこの世界で取り込めるものは取り込み終えたよ。今度こそ完璧にね」

「そうね。うん、えらいえらい」

おざなりに送られる賞賛の言葉。
相変わらずその視線は、シュブ=ニグラスとお兄さんのやり取りに向けられている。
その視線には、嫉妬が僅かに、しかし、それ以上に多大な期待が込められている様に見えた。

お姉さんは、この後に何が起こるかを、多分完全に見越した上で、お兄さんを送り出したのだろう。
あたしは、お兄さんをサポートするために存在している。
だから、お兄さんの上位に存在するお姉さんの行動方針にケチを付けたくはない。
だけど……

「お姉さん、これ、本当に意味があるの?」

今、お兄さんはシュブ=ニグラスの化身であるシュブさんと、自分の関係性に明確な定義付けを行おうとしている。
それは、お兄さんに掛かった主人公補正による精神面での補正を多分に含みつつ、間違いなくお兄さんの本当の気持ちから生まれたものだ。
どんな相手でも、長く共にあれば情が湧く。
それは自然な事で、例え感情に補正が掛かっていたとしても大きく変わることはないだろう。
『だからこそ』あたしは、お兄さんに揺らいだままで居て欲しかった。
揺らいだまま、自分の中の感情に決着を付けないままに元の世界に帰ってお別れしてしまえば、そのまま結論をあやふやにできる。
時が経てば記憶が薄れることは無くとも、思い出す回数は減り重要性は下がり、あの感情は全て補正から生まれたまやかしだったんだと結論付ける事ができた筈だ。

お兄さんは多分、抱いている感情を友情という形で結実させようとしているのだろう。
創作物の世界の住人相手に、友情。
そんな感情を抱く必要は欠片も存在しない。
トリップが終われば。それで途切れる絆で、また似たような関係を結ぶことも難しくはない。
トリッパーにとって、トリップ先の何もかもは『そうあるべき』だ。
読み終わった本に少し引き摺られるのもいいだろう。
でも、本の中の登場人物に生の感情を乗せて、現実世界に重く後を引くようではいけない。
目覚めと共に悪い夢も楽しい夢も朝の日差しに溶かし、今日何をするかとか、そんな当たり前の思考で塗りつぶしてしまうように。
ただ心の、欲望のあるがままに、楽しく遊ぶように、軽やかに健やかに、血も涙も怒りも何もかも踏み躙り、踏破していけばいい。
それが、現実を生きる人間のあるべき姿。
お兄さんもお姉さんも、トリッパーである以上、なによりも現実の人間として生きなければならないのだから。

「でもねぇ、お姉ちゃん的には、これが一番重要な場面なの」

シュブさんが八割方蒸発する光景を見ながら告げるお姉さんの表情は、笑顔。
気持ち程度に釣り上げられた口角、僅かに白い歯を覗かせ、猫の様に目を細めている。
なんてことのない、微笑みですら無い、薄ら笑い。
笑顔は本来~という一連の説を思い出すまでもなく、その笑みを向けられると、反発していたあたしの心はあっさりと折り砕かれてしまった。

「さようでございますかー。ま、あたしはどっちでもいいんだけど」

精一杯の虚勢を張りつつ、全面降伏の意を伝えて引き下がる。
実際問題、あたしが今どうこう言ったところで何かが変わる訳でもない。
眼下の光景に視線を移す。
お兄さんが邪神とラブコメごっこしてる姿なんぞ見たくもないのだが、見ていない所で何もかもが進行するのも気に食わない。
幸い、シュブさんがお兄さんの内部宇宙に取り込まれたお陰で、ラブコメ的な画では無くなっているけど……。

「うわぁ……」

お兄さんはアイオーンに近い、武装の殆どを因果逆転式発現型に組み替えたシンプルながらもソリッドなデザインの戦闘形態。
全能以上の力を持つもの同士が行う、小学生のバリア合戦じみたちゃぶ台ひっくり返し選手権を除けば、最も効率の良いアセンブルだ。
適度な大きさで小回りが利き、大きさが勝負を分ける時にもその適度なサイズから伸縮自在であるために遅れを取ることもない。
攻性術式、結界、武装など必要なものをその都度交換する必要もない。
その都度必要な機能が、発動状態で『用意されていた事になる』という優れものだ。
演算による未来予測、サイトロンの未来視、アカレコからの未来予知などを組み合わせる事により終始優位のまま戦闘を終える事ができる。
……筈のそれは、別の宇宙から現れたデモンベインによって封殺されていた。

元素消滅、邪神の分霊を招喚しての魔術攻撃、手足、触手による遠近格闘、分身と時系列組み換えによる時間差攻撃、邪神降霊による神威顕現。
一撃一撃が必滅の筈の攻撃は、その尽くが『破壊されて』デモンベインに有効打を与えることが出来ずにいた。
防御の方も残らず打ち砕かれているけど、これはダメージを食らいながらも即座に完全な状態の自分に存在を入れ替え、砕かれた自分も即座に修復している。
でも、確実に相手の攻撃は通っているし、どちらが押しているかと言われれば、間違いなくデモンベインが押しているだろう。
お兄さんが負けていない、死んでいないのは、ひとえにその偏執的なまでの生存性の高さだけに起因している。
でも、虚数状態ですら生存状態と定義したとして、その理屈そのものが破壊される可能性を否定しきれるものじゃない。
更に、あれがトラペゾヘドロンやそれに匹敵する切り札を持っていないとも限らない。
執拗にお兄さんに攻撃を繰り返すことから、その場を離脱することも難しい。

弁護するが、お兄さんは決して弱い訳ではない。
気や魔力を操る人外、人間を超人に変えるナノマシン、超科学によって生み出された数々の機動兵器、封印されし鬼神、地の底に眠る鍛冶神を取り込み、
更にこの世界で魔術を学び、優れた魔術師、あらゆる鬼械神の原型(アーキタイプ)に、ほぼ全能とも言える混沌すらも自らの一部とした。
そして、これら全てを統合する微小機械群。
トリッパー特有の『トリップする度に目覚める新たな超パワー』などが発現しないにも関わらず、十に届かないトリップ回数でこの強さは破格と言ってもいい。
と、お姉さんから引き継がれた記憶の一部と照らしあわせても評価できる。

が、それらは全て、真っ当な理屈で戦える場合にのみ有効なものだ。
今回は相手が悪い。
あの状態のお兄さんがチートでステマックス、攻撃透過などを行なっているのだとすれば、あのデモンベインはハードの隙間に執拗に水滴を垂らしているようなもの。
お兄さんもニャルの力でちゃぶ台返しができる筈なのだが、如何せん、あのデモンベインは対邪神に特化しているようで、初手であっさりとブロックされてしまっている。
とてもじゃないけど勝てるようには思えないし、撃退すら難しいんじゃなかろうか。

「あれ、大丈夫なん?」

「今の卓也ちゃんじゃ無理ね」

あっさりとした回答。
予測通りとはいえ、これは酷い。

「『アレ』はラスボスですらない、言わば『リセットボタン』みたいなものね。倒されることを想定していないから、普通の手口じゃ対抗だって難しい。だから、もう一押しが必要なのよ。卓也ちゃんの背だけを押す、物語の力が」

そう答えるお姉さんの瞳にもはや妬みの感情は欠片も無く、ただ爛々と期待に輝いている。
悲劇は感情移入せず、第三者視点から見れば喜劇と言うけど……、
そう考えれば、少し妬ましく憎らしいあの邪神が哀れに思え、あたしは派手なだけで削り合いにすら見えない持久戦を繰り返すお兄さんを見下ろし、その内部で行われているだろうやり取りを思い、深く溜息を吐いた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

視点は卓也の内部宇宙に移る。
そこは使われる予定も無かったのか、単純に空間と時間、色彩だけが存在する赤く煌めく世界だった。
その中心には、この小さな宇宙の主である鳴無卓也と、焼け残った肉体を纏められたシュブ=ニグラス。

「シュブさん、しっかりしてください! 今、今すぐに治しますから!」

意識を失わせない為の気付けを兼ねているのか、それとも無意識の内に諦めそうになる自分を叱咤しているのか、卓也の声は荒い。
卓也の手が焼け焦げたシュブの肉体に宛てられ、科学錬金術魔術呪術、考えうるあらゆるパターンの治療術、再生術を施す。
同時に展開された時の流れを操作する結界は、死の寸前にあるシュブの生を引き伸ばすためのものだ。
ほぼ完全に停止状態にまで時間を引き伸ばされ、理論上はゆっくりと治療に取り掛かる事が出来る筈だった。

「は、は、は……けふっ」

焼け焦げ、もはや雲状の肉体すら上手く維持出来ないシュブが苦しげに息を吐く。
時間遅延の術式が稼働していない。
いや違う。確かに術式は発動している。
だが発動した側から、シュブの肉体、焼け跡を起点にして、油を染み込ませた薄紙に火をつけるように消滅しているのだ。

シュブの肉体を燃やしたデモンベインの一撃。
それは、かのデモンベインが生まれた宇宙を一撃の元に焼滅させた極大呪法の残滓。
宇宙全ての邪神と、邪神の住まう宇宙全てを、星々やそこに住まう人々諸共に焼き尽くした狂気の魔術。
破壊神に相応しい、しかし、『魔を断つ剣』としてのあり方を極限まで研ぎ澄ました一つの局地とも言える呪法は、一度食らいついたが最後、治癒も延命も許す事はない。
焼け跡に施された治癒や再生は、その効果を発揮することも出来ずに焼かれて消えてしまう。

じりじりと、腐れた生き物を焦がす嫌な匂いを嗅覚に感じながら、卓也はそれでも必死で治療を続行する。
傷口に触れた手指が焼け焦げれば即座にその指を切り離し新しい指を再生し、開発力すら総動員し新たな再生術の理論を構築。
対昇華呪法の防御式を組み込んだ術式が、一瞬の遅延も無く灰すら残さず焼滅する様を見て、絶望の表情を浮かべかけては、その表情を力づくで修正し、新たな術式を構築する。
そんな卓也の手を、作りの大雑把な触手が、弱々しい力で押さえつけた。
触手の主はシュブ。
未だ昇華呪法に侵されて居ない無事な肉体をより合わせて、触手と口を辛うじて構築している。

「私、ね。生まれた時から、何かが欠けていたような気がするの。あるべきものが無くて、ただなんとなく生きて」

紡がれる声は弱々しく、うわ言のようでもある。

「無理に喋らないで!」

怒鳴りつけるような卓也の声も耳に届いているのかどうなのか、シュブは途切れ途切れに言葉を続けた。
独白か遺言か。遅かれ早かれ、後者になる可能性はとても高い。

「言葉も、意思も無かった。そんなものがなくても、まわりに合わせてニュアンスだけを飛ばしていれば、一日が終わって、終わりに近づいているとか、そんな事も考えなかった」

しゅる、と、衣擦れの様な微かな音と共に小さな瞳が一対形成され、肉の雲は濁りを増した。
欠けた瞳が卓也に向けられた。

「あの日、あなたに会って、気まぐれで始めた食堂に、初めてあなたが来て、何もかもが変わって、私の中に、生まれて初めて、色と意味が注がれた気がしたの」

焼け跡はゆっくりと広がり、シュブの体積を容赦なく減らしていく。
卓也の手に絡みつく触手が、乾いた石膏が剥がれるように、ぼろぼろと崩れ始めた。

「駄目です……喋ったら、駄目だって、言ってるじゃないですかっ! しん、死んで、死んじゃう、って、言ってるのに!」

半ば溶けている様に強く潤んだ瞳には、涙も無く泣いている様な必死の形相で治療を続行しようとする卓也の姿。

「そう、だね。うん、死ぬのは、嫌だけど、もう、死んだって、いいかな」

ひゅ、と、息を飲んだ卓也の喉で音が鳴る。

「なんで、そんな事……!」

「だって、あなたが、私に意味をくれたから。あなたの『恋人』にはなれなかったけど、『友達』に、なれたから────ねぇ、見て」

質量が減る毎に、見た目上の焼滅速度は加速していく。
もう、シュブの肉体は神の威容を保てるほどの質量を有さない。
とうとう軽自動車程度のサイズにまで小さくなったシュブに合わせ、卓也もまた人間サイズになり、両手と触手を総動員して消滅を遅らせようと片端から術式を当てていく。
しかし、そんな卓也の手の中で、雲状の肉体が、無慈悲に砕けた。

「ひ──」

悲鳴を上げかけ、すんでの所で飲み込み、卓也は目を見開いた。

……中から現れたのは、酷い火傷を負い、尚も燃やされ続ける『人型の』シュブの姿。
奇跡的に火の着いていない、肩にかかる程度の長さの、ウェーブ掛かった薄いクリーム色の髪。
片方が半ばから折れた、両側頭から生える曲がった角。
血が滲んだ、透けるような白い肌。
身を焼く熱で乾いた、少し厚みのある唇。
焼け焦げ、しかし、いつもと変わらない、ジーンズにサマーセーター。
裾から生え、気持ち程度にカールした、炭化して残り数本の触手
涙を溜めた大きめの瞳。
初めて入ったニグラス亭で、卓也が最初に目撃した時と、焼かれ続けていることを除けば何一つ変わらない姿。

一つ違いを挙げるとすれば、その姿にはあやふやさが無い。
どんな姿を取っていてもシュブと認識できていた頃とは違い、見る者にその姿こそがシュブの真の姿なのだと確信させる確かな存在感。

ほんの僅かに焼滅する速度が落ちた。
しかしそれは確かな実在性を持ったものを焼く為に僅かに時間が掛かっているだけで、進行が止まる兆しではない。

「これが、神でも、運命でもなくて、あなたが……卓也が、『友達』だって、決めてくれた、『卓也の友達』の私。あなたがくれた私の在り方」

卓也の手の中で崩れていた触手から、細い、しかし、水仕事で硬くなった手指が現れ、指を絡ませるようにして繋ぎ直す。

「……ね、卓也。きっと友達って、今日みたいに、一緒に遊んだりするんだよね。……あなたの故郷だと、どういう風に遊べるのかな」

口を開くと傷に障る、と言いかけ、この焼滅は口を開く開かないで速度が変わる様なものではないと思い直し、口を噤む。
一瞬黙りこんでから、卓也は治療の手を止めず、少しつかえながらも努めて明るい声色で語り出した。

「結構な田舎だから、野山を駆け巡る、みたいな感じですかね。ああ、でも隣町とかなら多少は遊び場もありますよ。本屋とかゲーセンとか映画館とかもありますし、変わったところだとペットショップとか冷やかしたり」

早口に捲し立てる卓也を見ながら、シュブは喉から掠れるような息を零し、笑った。

「やっぱり、楽しそう……。ねぇ、連れて行って、くれるんだよね」

「絶対、連れていきます。だから」

放たれる筈の言葉の続きを、口元に触手を当てられて遮られた。
厚みのある唇に似た柔らかさが、軽く、しかし、しっかりと感触が記憶されるように押し付けられる。

「私ね、最初に、卓也の部屋が見たい。そしたら家の中を見渡して、近くの窓から外の景色を見たら、空は雲ひとつ無くて、そのまま、卓也の好きな、お気に入りの場所に行きたい。そこで、卓也と同じものを食べて、同じ風景を見るの。卓也と、同じ場所で」

「っ、それ、は……」

何かに気づいたかの様に僅かに仰け反り、触手から唇を離す。
そのまま口を僅かに開き、わなわなと震え始める卓也。

「ね……」

唇から離れた触手は、まるで命を使い切ったかの様に、ぼそ、と、その場で灰になった。
シュブは、握っていない方の手を、卓也の口元に伸ばす。
震える指先が、卓也の唇に、前歯に、

「あなたの中に、連れて行って。……私を、あなたのものにして」

舌に触れる。
本能を刺激する感触だ。
生まれる欲は、かつて無い程の、征服欲に似た食欲。
それらを振り払い、触れる手を掴み、卓也は激しく頭を振りながら叫ぶ。

「……出来ない、そんなの、できっこない! それじゃ、結局シュブさんは消えて、いなくなって」

「違うよ、だって、きっと、卓也は泣いてくれる。顔も、名前も忘れて、不定形の、名状しがたい思い出になっても、あなたの中に出来た隙間として、私は生き続けられる」

ばち、と、炭が弾けるような音と共に、シュブの角が割れた。
中は黒く炭化し、深紅の火の粉が舞う。
ゆっくりと、しかし確実に、無限の熱量がシュブの肉体を蝕んでいる。

「私、あなたに何も残さずに、消えたくない。だから、連れて行って……」

「……っ、っ~……!」

言葉も、声も出ない。
拒絶の言葉は、頭の隅で静かに息を潜めていた冷静な部分によって押さえつけられる。
治療の手は無い。
そして骨も灰も何一つ残さず焼滅する。
このまま、何もしないのであれば。

「────、────」

喉か腹が内部から焼滅し始めているのか、シュブの声が途絶えた。
ただ、視線は真っ直ぐに卓也の瞳を居抜き、唇はうわ言のように、先と同じ言葉の形を繰り返している。

シュブの人の姿をした肉体から、徐々にパーツが焼け落ちていく。
唇の動きが、鈍る。
その程度の動きすらできないほどに、内部も焼かれ始めているのか。

「……、────」

ゆっくりと、卓也の顔から表情が抜け落ちていく。
そのまま、何の感情も見出だせない温度のない顔で、シュブの身体を掻き抱き──その肩口に、歯を突き立てた。

「────」

びくりと、シュブは身を強張らせた。
頬は上気し、細められた目からは一筋の涙が溢れる。
緊張は直ぐに解け、顔の筋肉が緩む。
卓也の歯が皮膚を裂き、肉を千切り、骨を噛み砕くのを感じ、シュブの喉からは鉄をも蒸発させる、熱く、甘い吐息が溢れる。

抱き寄せる手が背中よりの脇腹に爪を突き立て、臓腑を守る肋骨を指で挟み込む。
ぞろぞろと這う触手が、臀部と肛門を噛み裂き、直腸を、恥骨結合を引き千切り、仙骨を割り砕きながら侵入し、子宮を荒々しく食い散らかしていく。
堪らず目を瞑りながら、焼け爛れ、一部骨の露出した脚で、卓也の身体を拘束。

「──っ、──っ、は────あぁ……!」

音として結ばれない嬌声を噛み殺そうとするも、身体を貫く触手に咀嚼されるリズムに合わせて、僅かに焼け残った呼吸器が呼気だけで浅ましく強請るような喘ぎ声を作り出した。
強く、離れないように抱きしめ返した腕すら、背中の表面にめり込むようにして、ばりばり、ぎち、めき、と、生々しい音を立て、食いつぶされていく。
求められ、蹂躙され、大事にしてきた何もかもが奪われる喜びに、内容物が食い荒らされた腰を、強請るように卓也の腰に押し付ける。

「あぁ……美味い、美味過ぎます……」

熱に浮かされた様な卓也の声と共に、絡めていた脚が完全に取り込まれて、感覚が消失した。
両手と両足を失い、胴体すら小さくなり始めたシュブを抱え込みながら、卓也は顔を上げること無く、身を焦がす呪法諸共に捕食を続ける。
手に入れた完全な形を失い、気遣うことすらなく、初めて女を抱いた少年の如く、夢中になってその肉体を文字通りの意味で貪り、魂を噛み砕き、腹の中へ。
自らの構成要素の中へと取り込んでいく。

その肉体も魂も、これまで取り込んできた何もかもが味気ないものに思える程の極上の美味。
これ以上に美味しいものを食べたことは無いのではないか。
食べても食べても、食べても食べても止まらない。

「凄い、凄いんです、シュブさんの身体、シュブさんの魂……もっと、もっとずっと食べていたい……!」

その言葉が、どのような表情で告げられているのか。
鼻から上と、触手と脊椎を残すだけのシュブにしか、その表情を窺い知ることは出来ない。

(卓也も、凄い、ケダモノみたい……。そんなに、美味しい?)

声を出す為の器官を取り込まれ、触手を振動させて音を出す力すら奪われ、ただ虚空に向けて放たれるシュブの、蟲惑的な感情の込められた意思。
それに、卓也は口と手と触手を止め、シュブの頭部を大事そうに胸に抱きしめながら、鼻にかかったような、濡れ震える声で応えた。

「ええ、本当に、美味しい……。……こんなに、こんなに美味しいんだったら、出会って直ぐに、食べてしまえばよかった……。お話とか、する間も無く、食べてしまえば……」

ぎぱ、と、卓也の口が一際大きく開かれる。
腹の中に収められた無限熱量の残滓が、腹の中を焼くことが出来ず、口から煙と化して漏れ出す。
鋭い歯が、シルクのような髪の毛を巻き込みながら、白い肌に食い込んでいく。
焼き菓子を噛む様に、あっさりと頭蓋が噛み砕かれ、視神経を千切りながら眼球が、脳膜を破りながら前頭葉が削り取られ、口の中に転がり込む。
舌の味蕾から、口腔内の粘膜から伝わる、一つの世界を丸ごと凝縮したような濃厚な味わいに、じっくりと咀嚼し、食感の違う脊椎を挟みながら、もう一口、また一口と食べ進めていく。

「──」

息を漏らすような微かな笑い声。
自分のものではないそれに、卓也は手の中に残った、僅かな脳細胞が乗った頭蓋骨の残骸と、一本だけ残った、指ほどの太さの触手を見直し、
口の中に、頭蓋骨の方から収めた。
ゆっくりと、一口一口を、噛み締めると、揺れる乾いた触手が卓也の頬に触れて、ほんの少しだけ、湿り気を取り戻した。
出処の分からない水分を吸ったその触手を、途中でちぎること無く口の中で咀嚼。

「──────」

卓也の耳に、完全に取り込まれて消えたシュブの声が届いた。
二度と聞こえる筈のない声は幻聴か。
ただ、卓也はその言葉に小さく一度だけ頷いて、内面宇宙から姿を消した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

かつて、白と黒の王を産み落とした宇宙、その成れの果て、荒廃しきった宇宙の残骸。
地球という惑星は微塵に砕かれ、惑星は残らず圧縮され超質量の弾丸として消費し尽され、幾多の恒星が寿命よりも早くそのエネルギーを吹き消された死の宇宙。

《────────》

装甲表面でエーテルを輝かせ、悠々とデモンベインが見下ろすのは、再生すら許されずに討ち滅ぼされた自らの無数の分体の骸に埋もれる、アイオーンにも似た機械巨神。
冷たさすら無い平坦な輝きのレンズはヒビ割れ、装甲は砕け、内部フレームは剥き出し。
再生能力も、完全な状態の自分への入れ替えも、そのルールそのものを破壊され、機能不全に陥っている。
フレーム剥き出しの右腕が肘関節から脱落した。
断面は赤く赤熱し、赤く熔けた金属が血のように滴り落ちる。
再生も交換も依然として機能しない。

それは、極小規模にまで範囲を絞られたレムリア・インパクトによるダメージ。
それも、ただのレムリア・インパクトではない。
一度、こことは異なる宇宙を丸ごと焼滅させた、その残滓のみで高位の邪神に緩慢な死、焼滅の運命を押し付ける禁断にして窮極、全天昇華呪法ビッグバン・インパクト。
天地開闢を上回るエネルギーを全て破壊に注ぎ込む、守るべき者達すら容赦なく焼き滅ぼすその呪法を扱い、なおも無傷で別の宇宙に渡るデモンベインが放つレムリア・インパクト。
宇宙の理すら焼き尽くす火力は、そのまま機械巨神の持つ幾つかの概念をも破壊していた。

そんな機械巨神に追い打ちを掛けるかの如く、デモンベインの掌に筆舌しがたい密度の魔力が収束する。
機能不全が修正されるよりも早く、宇宙諸共焼き尽くす全天昇華呪法を放ち、戦いを終わらせようとしている。
最早攻撃を防ぐことは難しく、逃げることもままならない。
デモンベインはただ全天昇華呪法を解き放つだけでいい。
たったそれだけの事で、この無駄にしつこく食い下がり生き延びた『ナイアルラトホテップに似た気配の邪神』を打ち滅ぼす事ができる。
コックピットの中で術者が何を思考しているかはともかく、デモンベインそのものの方針としては間違いがない。

機械巨神の冷徹な思考回路は、修復不能になったかつての自分の骸達を楯にし、その場を動かない。
突撃し、発動を妨害する、という選択を行うには、今の機械巨神の肉体は余りにも不足が多すぎた。
故に、消極的ではあるが、最も生存の確率が高まる、『待ち』の戦法を選択する。
無限に連なる内燃機関からありったけの魔力を汲み取り、防御術式を構築。
その筈だった。

《────ぉ》

声が、響く。
無感情、無感動に効率的に動いていた機械巨神が、邪神ですら燃やし尽くすほどに熱されたエーテルを震わせ、何ら呪術的な意味を持たない『音』を発した。
割れかけたカメラアイのレンズが燃え上がり、焼け跡に三つの激情に灼える瞳を形作る。
機械巨神の中で分かたれていた機構が統合され、戦闘において不要とされた部分が再起動したのだ。

《ぉ、ぁ────!》

それはまるで、安らかな胎盤からこの世に産み堕された赤子の絶叫。
燃え盛る感情の熱に突き動かされるように、機械巨神が自らの骸を蹴りつけ、デモンベイン目掛けて加速。
金属を食い破る音と共に焼け落ちた腕が再生する。
再生した腕の先は抜き手。荒々しい鋭さを持つその手には既に発動寸前の呪法が装填されていた。

直撃すればデモンベインすらただでは済まない。
だが機械巨神の手が届くよりも早く、デモンベインの呪法が解き放たれた。
掌の先を端として、無限に広がる宇宙を一瞬で焼き尽くす無限熱量と無限重力の結界、昇華呪法が展開する。

機械巨神の渾身の一手はデモンベインに届かず、しかし、昇華呪法と全く同時に、向かい合うようにして解き放たれた。
それは、宇宙を包みこまんとした昇華呪法と絡み合い────拮抗する。

《────!?》

初めて、デモンベインが戸惑いという形で感情を見せた。
あらゆる邪神を、抵抗すら許さずに消滅させた呪法が封殺された事に混乱している。

機械巨神の放った呪法。
それは、ビッグバン・インパクトと相反するベクトルの昇華呪法。
全天昇華(帰塵)呪法ビッグ・クランチ・ゼロドライブ。
ビッグバンによって発生、拡大した宇宙を再び元の停滞した『点』に戻す、事象の否定、やり直しを体現する窮極呪法だ。

宇宙を開く(啓く)力と、宇宙を閉じる力。
拮抗する2つの力はやがて単純明快な力と変わる。
その変化の衝撃の余波で、惑星や恒星を潰されながらも無事に稼働していた宇宙は、呆気無く破裂し、消滅した。

―――――――――――――――――――

隣合う無数の宇宙すら纏めて押しつぶし、しかし、二機の戦いは終わらない。

破壊された宇宙を乗り越え、物理法則から時間や空間の在り方が異なる別宇宙に場所を移しながら、延々と戦い続けた。
時間という概念が無い。空間という概念が無い。そもそも一定した因果性すら存在しない。
戦いが成立しないどころか、まともに存在し続ける事が難しい。そんな宇宙であったとしても、この二機にとっては何一つ問題にならない。

機械巨神はデモンベインに通じこそしないものの、全能に近い力を持ち、超空間、超時間的な存在であるナイアルラトホテップそのものであり、その一欠の内に無数に存在させている。
細胞の一つ、それどころか、彼の名前を知る者が存在すれば、その情報を自らの一部としてその身全てを復元する機械巨神は、言わば超存在にとっての世界そのものと言ってもいい。
またデモンベインは、自らの存在した宇宙を破壊したという前歴がその存在そのものに変化を齎していた。
『彼』は生まれの宇宙を破壊することで宇宙そのものよりも上に位置する何かへと変貌し、ある意味で言えば、彼の大敵であるナイアルラトホテップを越え、相対する機械巨神と同じ域に到達している。

二機は共に、無数に存在する宇宙すらも内包する、個体として独立した一つの『世界』なのだ。
少なくとも、互いの攻撃の余波で破壊される程度の宇宙の法則は彼等を縛ることができない。
時間も空間も存在しない『無』の只中にあってなお、二機は何事も無く互いを破壊するためにその暴威を遺憾なく発揮した。

遅い宇宙、巨大な宇宙、熱量的な死を迎えた宇宙、絶えず死と再生を繰り返す宇宙、原因が結果に決定される宇宙、完成し何一つ変化を起こさない宇宙……。
全ての世界において、二機は極めて原始的な戦いを繰り広げた。
全能の力を持つ者と全能を無効化できる者が戦う場合において、最後の決着は単純に相手を破壊する事により付けられる。

破壊に特化したデモンベインの力は機械巨神の攻撃を破壊し、結果として一切の攻撃を通さない。
だが、今度はデモンベインの攻撃で機械巨神が破壊されることも無くなった。
いや、破壊されたとして即座に再生している。
再生するための概念、術式、技術が破壊されたとして、それら全てが即座に再生されているのだ。

互いに相手を滅ぼす為に繰り出す攻撃が無意味であると知りながら、無意味であるという事実を踏み越えて相手を否定するために戦い続ける。
剣戟で、銃弾と砲撃で、腕と脚で、術で、ただひたすらに、宇宙という宇宙を飛び越え────

────そして、何もかもが満たされた宇宙へと降り立った。
そこには正常な連続性を保つ空間があり、一定方向に流れ続ける規則的な時間の流れがあった。
どこか地球に似た命あふれる緑の星。空には一つきりの大きな恒星。
地には四足の獣が這いまわり草木を食み、空には鳥が翼を広げ風の流れに乗って滑るように飛ぶ。
羽の生えた虫が花から蜜を吸い、草木は土から清らかな水を吸い瑞々しく生い茂る。
エーテルに満ち、字祷子に満ち、生命に満ち、希望と秩序に満ち、絶望と混沌に満ちた世界。
はちきれんばかりのエネルギーと存在感に溢れた宇宙。

そして、『満ちていない宇宙』の存在であるデモンベインはその世界圧の差に全身を軋ませる。
空間そのものが持つ密度の高さがデモンベイン内部の空間の密度を大きく上回りその圧力差が内部器官を歪ませ、規則的に流れる時間はこれま時間の流れを歪ませて修復したダメージを復元する。
降り注ぐ太陽光が装甲を熔解させんばかりに熱を与え、そよぐ風が台風の様に激しく巨体を翻弄し、踏み潰せないほどしなやかな草木が脚を取り、この惑星における1Gの重力が地面に貼り付けにする。
倒れ伏した地面は固く、めり込む事すら出来ずに全身のフレームが悲鳴を上げる。

存在する何もかもが過剰なまでに満たされている故に、満ちていない物は存在すら許されないというのがこの宇宙の理。
ここに来て初めて、デモンベインの装甲が深海に沈められた人形の様に歪み、縮み始める。
しかし、次の瞬間には周囲の満ちた空間を破壊し体勢を立て直した。
溜めもなく、躊躇なく、その両手が掲げられ全天昇華呪法を連続して解き放つ。

宇宙を焼き尽くす呪法は圧の差で範囲を狭められながら、着実に罪もないこの宇宙の生命を焼き滅ぼす。
声ある獣は悲鳴を上げ、草木はその水気が弾ける音で、デモンベインを糾弾する。
だが、魔を断つ剣は一切の躊躇を持たない。
通常宇宙の法則を無視できるデモンベインに損害を与えることができる宇宙。
それ即ち、同じ位階に存在する機械巨神に関わりある宇宙でしか有り得ない。
デモンベインは降り立ち圧殺されかけたその瞬間に、この宇宙が機械巨神そのものを材料に構築された新たな宇宙である事を看破してのけた。
別の宇宙に渡る刹那の瞬間に新たな宇宙と化した機械巨神がデモンベインを自らの中へと取り込み、自らの定めた法則性に従わせ、破壊せんとしているのだと。

そして、デモンベインが怯まないのを確認するや否や、宇宙の全てがデモンベインを排除せんと本性を表し、牙を剥き出しに襲いかかる。
獣、草木、鳥、虫は勿論、空が、大地が、大気が、空間そのものが、時間の流れすら、ただデモンベインを破壊するためだけに生み出された。
その根底に込められた感情は、怒り、嘆き。
正当性すら必要としない独善的な感情を根に持つこの宇宙は、言わば一個人、一柱の神の自我と手足。

本来ならばデモンベインに届かない筈の攻撃は、宇宙1つ分の波状攻撃により徐々にデモンベインにダメージを蓄積する。
宇宙そのものに物語の補正が掛かっているかのように、ご都合主義的にデモンベインを追い詰めていく。
機械巨神の頭脳である卓也に乗り移る、この世界最後の主人公補正。

そんな機械巨神に与えられた『仇を討つ』という最強最後の補正を、デモンベインは真っ向から受け止める。
討たれるべきはお前なのだと、殴りつけ、耳元で怒鳴りつけるように、補正が篭った宇宙全てを近づいてきた順に破壊していく。
正しい、正しくないではなく、邪神を討つ。
それこそがデモンベイン、それこそが魔を断つ剣。
憎悪の空を砕き、正しき怒りを忘れ、血に塗れ、無垢の刃では無くなったデモンベインに残された、最後の行動原理。
それは、決してこのデモンベインを倒れさせることのない不滅の補正『次回作重要存在補正』と組み合わさり────

―――――――――――――――――――

「絶対に勝つ補正と、絶対に負けない補正が組み合えばどうなるか。……子供の喧嘩みたいなものよね、矛盾ですら無い」

デモンベインと機械巨神──卓也の戦いを、どこかから見下ろしている存在があった。
それは、神でも、超存在でも、世界でもない、何処にでも居る普通の人間。

「どれだけパワーがインフレしても、何かの拍子にデフレしても、互いが相反する『絶対』を持っている以上、決着なんて付きっこ無いわよね」

美鳥は戦いが拮抗し始めた時点で本体である卓也の元に招喚されて融合させられてしまっている。
この場所には『ただの人間』である鳴無句刻しか居ない。
聞く者の居ない、勝負が拮抗する真の理由を訥々と語りながら、句刻は懐から一本の棒切れを取り出した。

「卓也ちゃんもしっかりと『学んで』くれたみたいだし、うん、ここまでにしとこうかな」

棒きれは、菜箸だった。
どこのスーパーでも二束三文で買うことのできるごく普通の菜箸。
一つ違う点を挙げるならば、句刻が手に持った瞬間から簡単な魔法の杖としての機能を有する事になった、という点のみ。
そしてそれは、魔法の杖としての機能を今まさに発揮しようとしている。
句刻が唱えようとしているのは、長い呪文すら必要としない、とある世界では簡単に覚えられる少し便利なだけの魔法。
句刻は元の世界に持ち帰る荷物が入った鞄を膝の上に抱えたまま、欠片も気負うこと無く、その呪文を発動した。







「ザメハ」







―――――――――――――――――――
エピローグへ続く
―――――――――――――――――――

やあ、ようこそ七十六話あとがきへ。
この懐かしのモヤッとボールはAmazonで取り扱っているから、まずは手の中の投擲用の尖った石や腐った生卵からこれに持ち替えて、それから少し落ち着いて欲しい。
うん、あとがきから読む人も居ないと思うし、あとがきから読んだとしても少し上にスクロールすれば見えてしまうだろうけど、やっぱりこのオチなんだ。

……そんな訳で、分割してもいいけどそれだと前回のあとがきが嘘になるのであえて切り取らずにそのまま投稿した七十六話をお届けしました。
因みに、謝って許して貰おうとは思っていないというより、はっきりと謝るつもりがありません。
デモベ編始める前から『何が起きてもこのオチにしよう』と決めていましたし、ぶっちゃけこのオチを予測していた読者さん方が七割以上を占めるでしょうし。
だって、ほら、デモベ世界というか、クトゥルフ世界観を使う以上、やらないといけないネタじゃないですか……。

そして今回の章における最大の伏線は……『付録「第二部までのオリキャラとオリ機体設定まとめ」』内、鳴無句刻の項目より、以下の部分。

>弟と妹っぽいのが戻ってくるまでの暇つぶしに、いくつかの異なる世界(ラブクラフト二次創作的な意味で)のアザトースに遠隔ザメハ連打かまして叩き起こして遊んでいたが、数時間で飽きた。

この部分を持ちだして最終回予想をしなかったこの作品の読者層はマジで良識人揃いですね!
ええ、二年以上前に投稿された設定集の中に伏線仕込むな、とか、むしろ絶対その伏線後からこじつけたろとか、そういうクレームが来たという報告はもちろん確認できていません。


それでは以下、自問自答コーナー。

Q,なんで今さらエドガーとか出したわけ?人気取りなん?
A,デモベ世界編終わりだし、勧誘ネタもやりたかったし、もうこれ幸いとやっちゃいました。
一応、使えそうな物は拾っておく主人公ですし。後々出る可能性は極小。皇国の守護者の続巻が出る可能性と同じくらいには有り得ないでもないかもしれません。
ていうか流石にこれで『わーいエドガー救われたよーやったー!』とか言う人は居ないでしょう常識的に考えて……。
Q,なぜ結婚させたし。
A,バトルマニアネタ持ちと剣の求道者ネタ持ちなのに掛けあわせた事があんまりなかったなかと思ったので。
で、こういう場面で主人公に押し付けられれば嫌でも絡むし、子は鎹的な乗りでくっつけとこう、と。デモベ編も終わりですし。
Q,なんで最終回なのに、オリキャラに力入れてるの? やっぱり馬鹿なの?
A,正常ならこういったSSを書く訳が……というのは置いておいて。
この世界がソフト用意してのトリップじゃない理由も含めて今回のメインテーマに関わる部分なので、次回七十七話で姉が存分にサポAIに語ってくれます。
一応、無意味にメインに持ってきた訳ではないんですよ……?
Q,このSSってシリアスする意味あんの? 需要あると思ってんの?
A,ネタだけ書いてると息切れする……というか、割とシリアスする時はシリアスしてたじゃないですかー。
これまでメインでシリアスしてたのは主にトリップ先の連中ばっかなんですけども、偶には逆転ありという事で。
スパロボ編とは逆に、主人公の脳味噌が補正でホジホジされてる辺で対比とかしてみたかったのです。
Q,ていうか、殺してから取り込めば蘇生できたのでは?
A,生きていたからこそ無限熱量の侵食に抵抗できたとも言えるので、殺した瞬間に焼滅してしまいます。
生きたまま取り込むしか無かった訳ですね。むしゃむしゃ食べたのは感傷。
Q,おい、おいオチ、オチおい……。
A,もうちょいねっちり戦闘を長く書いてからの方がいいとも思ったんですが、まぁ、尺的にはこの程度でいいかな、と。
ほら、前々から積み木の塔とかミルフィーユとかで話に対する嗜好は知れてると思いますし。


そしてオリキャラ紹介。

【シュブさん(シュブ=ニグラス人間態)】
見えないところで多重クロス気味なデモベ二次創作世界における、本来ならヒロインになっていた可能性があるキャラクター。
三十六話ではナイアさんにボイコット扱いされていたりする。
作者である千歳・アルベルトの金が掛かった徹夜でグズグズになった思考の中では、無限螺旋を生きていく内に邪神になった主人公を傍らで支える献身的なヒロイン、人類側で戦う魔術師ルートを通る主人公のライバルにして、敵対する者同士のラブロマンスができるヒロインなど、様々な立場が用意されていた。
……が、結局作者である千歳の納得行く主人公が産まれず、巻き込まれるようにしてヒロインの座から転落。それらの設定を全て剥奪されて、端役の定食屋店主という役どころに押し込まれた。
千歳自身が、シュブ=ニグラスが人間に擬態してハスターと恋をしたという小説を読んだことが無い為、この時点では『定食屋の気のいい美人店主』という設定を除けば『シュブ=ニグラスが擬態した姿である』という設定しか持たない。
その為、口調も性格も何もない。会話も性格も全て周囲の流れに合わせて適当に形成されていた。
ストーリー初期の「────」というセリフは『口調が存在しない為に、会話のニュアンスだけを発信している』という描写である。
後に、「────、──」や「──、──、────」などを経てセリフが露出し始めたのは主人公の解読技術が進歩したのではなく、産まれなかったこの世界の主人公、の代役であるこのSSの主人公と接する内に口調や性格などの個性を取得していった為。
元ヒロインである為、代役である主人公にとって接しやすい口調と親しみやすい性格になっており、後半から思考を誘導していた主人公補正を抜きにしても主人公側の好感度が上がりやすい。
最終的な一人称が『私』になっていたのは、主人公にとって最も親しい人物の主人公以外に対するそれを個性として取得したため。
完全にヒロインとして成長しようとした場合劣化版姉になる運命だったが、初期から主人公が露骨に姉好き、肉体関係ありありのシスコンである事を全面に押し出して行った為、あくまでも姉の要素も含んだ、主人公にとって相性の良い人格になった。
途中で微妙に伏字なしで喋ったのは、主人公に助言をする謎の戦士兼ヒロインの要素があの場面に合致し、そのキャラになった場合の口調が限定的に適用されたため。
端役の立場からヒロインに近い立場に上り詰める事が出来たのは八割方主人公の姉の仕込み(バイトのきっかけの畑での熱唱を目撃されたところなど)によるもの。
その死に様も含めて、何もかも姉の思惑に翻弄されたと言っても過言ではない。
彼女が何故ヒロインとしての力を取戻させられる事になったかは、七十七話で姉が語ってくれるだろう。

【破壊神デモンベイン】
半オリキャラ。出典はNitroplusコンプリート『企画書・プロジェクトD-2』より。
『ロスト・ワールド』で自らと宇宙すら巻き込んで全ての邪神を一撃で焼滅させたデモンベインと、『ワールド・オブ・ダークネス』で謎の大魔術師が異形の精霊を宿したアルアジフを用いて起動するデモンベインがごっちゃになっている。
共に邪神を殲滅する事にのみ重きを置いたデモンベインであるため、千歳が『究極の邪神と化した主人公を、最後に異世界から現れたデモンベインがやっつけるとか……、ああくそ、そんな無茶な! クローズドサークルで外部犯を出すようなもんやんか!』という葛藤の果てに、とりあえず保留、という形で設定だけ残した。
登場条件は、機神飛翔ルートを通らずにナイアが排除された宇宙にナイアルラトホテップが出現すること。邪神の匂いを嗅ぎつけて現れたりするかも。
Nitroplus一流のジョークだが『次回作の企画書』という形を取った小ネタを出典にして、なおかつ大トリを飾るキャラクターであるため『次回作でその役目を終えるまで決して消滅しない』という期間限定の不滅補正を持っている。
攻撃力は、最大であらゆる邪神を問答無用で焼滅させる程度の必滅奥義程度。
詳しい設定が無い為、基本的に相対する邪神に合わせて有利な設定や能力がもりもり生えてくる。
現状の主人公では補正無しには戦えない。
が、基本的に余程工夫しない限り補正無しで補正有りのキャラに勝つのは難しいので特に問題はない。全ては話の流れと都合で決まるのだ。


そんな訳で、次回エピローグで完全にデモンベイン編終了です。
長めに書いた章なんで慣例に則って、しっとりサラサラな手触りを目指しつつ、静かに綺麗に終わらせようと思いますー。

そんなわけで、今回もここまで。
当SSでは引き続き、誤字脱字の指摘、文章構造の改善案、矛盾している設定へのツッコミ、技術的アドバイス全般、そしてなにより、一音節でも長文でも散文でも詩でも怪文書でもいいので作品を読んでみての感想、心よりお待ちしております。

次回、デモンベインシリーズ二次創作編エピローグ。
「夢の中のあなたの夢」
胡蝶の夢と言えるほど、不確かじゃない。



[14434] 第七十七話「馴染みのあなたとわたしの故郷」
Name: ここち◆92520f4f ID:bd9db688
Date: 2012/11/05 03:02
身体が不自然に圧迫される感覚に、起き上がること無く、薄く瞼を開けた。
うっすらと開いたカーテンの外は濃紺の空と黒い森。
体内時計を確認すれば、時刻は午前三時。
畑に行くまでにもう一時間は眠れる、というか、もう一時間すれば完全に覚醒するように設定していた筈なのだが、設定を間違えたか。
瞼を閉じ、布団をかぶり直して瞼を閉じる。

「────て」

再び、厚さとそれなりの重さを兼ね備えた布団越しに身体を押される感触。
ボリュームを抑えられた声と共に繰り返し押されるのを感じて、ようやく俺は、誰かが俺を起こそうとしているのだと気が付いた。
睡眠は必要ないが、微睡みを娯楽の一種だ。
娯楽は邪魔されながら続けられるものでもないし、続けても気分のいいものではない。

こんな時間に起こそうとした下手人の顔を確認する為に、瞼を開ける。
暗い部屋の中、俺の入っている布団を揺さぶっていたのは、薄いクリーム色をした肩にかかる長さの癖毛をシュシュで纏めた女性────シュブさん。
俺と同年代か少し上程度の年齢に見えるその人は、少し重装備過ぎではないかと思えるほどの防寒着を着こみ、小さなバックパックを背負っている。

「あ、やっと起きた」

「やっと起きた、じゃありませんよ……。今何時だと思ってるんですか……」

少しだけ眉間に皺を寄せて不機嫌そうな表情のシュブさんに、布団から起き上がり目を擦りながら負けじと少し不機嫌さを滲ませて言い返してみる。
家に尋ねてきて、そのまま部屋に通していけない間柄というわけでもないが、この時間帯に唐突にやってくるのは如何なものだろうか。
だが、シュブさんはまるで一方的に俺が悪いとでも言わんばかりに、少しだけ肩を怒らせて怯みもしない。

「約束すっぽかして寝てる方がおかしいんだって」

「約束?」

はて、今日は何か約束を入れていただろうか。
脳内スケジュール表によれば、今日は一切待ち合わせや遊びに行く約束も入っていないのだが。

「忘れちゃったの? 流星群が極大だから、早めに行って天体観測しようって言ったの。そりゃ結構早めの時間だけど、指定したのはそっちなんだし、忘れるなんて酷いよ」

「…………あー」

言われてみれば、そんな約束を入れていた気もするが……。

「それ、来月じゃありませんでしたっけ?」

「え」

脳内スケジュール表だけでなく、カレンダーに目をやって確認。
一枚に二月ずつ日付が載っている大判の壁掛けカレンダーには、丁度一月後に赤丸と共に『流星群・天体観測』と丁寧にメモされている。
デモンベイン世界で原始地球から現代に戻るまでに何度か見た大規模な流星群。
あそこまで派手では無いにしても、せっかくだから一番派手に見える日に一緒に見に行こうと約束したのだ。
俺の視線を追ったシュブさんもそれに気づいたのか、シュブさんは怒らせていた肩を下げ、その雰囲気もしぼんでいく。
心なしか、認識阻害の掛けられた触手もしなびてしまった気がする。

「ご、ごめん……なんか、気が逸っちゃって」

「ん……まぁ、よくあると思いますよ。────俺は間違えませんけど」

「酷っ!」

目を×にするように瞑ったシュブさんのリアクションは、勢いがありながら時間帯に気を配った静かな音量で行われた。

「……なんでしたら、今から見に行きます?」

なんとなく口にしてみた提案に、シュブさんは一瞬だけフリーズして、それからしどろもどろになりながら答える。

「え、いやでも、来月でしょ?」

「まぁ、極大になる日に見に行かなけりゃならん決まりが有るわけでもないですし、いいんじゃないですか?」

何もない時でも、夜空を一晩眺め続ければ意外と流れ星は見つかるものだ。
流星群が近づいてきているとなれば、極大になるひと月前でも多少は多めに目撃できるかもしれない。

「でも、美鳥も起きてるかわかんないし」

「どうせあいつはこの時間、余裕で起きてネトゲしてるかアングラサイトで煽り合いしてますから、呼べば直ぐ準備して出られるでしょうよ」

2ちゃんねると書いてアングラサイトと読むと情緒不安定なニュータイプっぽくていいのだと美鳥は言っていたが、それだけの理由で掃除機戦争に加わるのは如何なものだろう。
まぁ、シュブさんと行くと言ったら『あたしもー! あたしも行くかんねー!』と言っていたし、誘わない理由もない。
姉さんが『その時間じゃ見ながら眠っちゃうかもだし、お友達と一緒に行ってらっしゃい』と不参加なのは残念だが、偶にはこういう集まり方をするのも悪くないだろう。

「じゃあ、お願いしても、いいかな」

俺の提案を、シュブさんははにかみながら指先と触手先をもじもじと合わせつつ承諾した。
最初に流星群の接近をニュースサイトで見つけたのは俺だが、一番楽しみにしていたのはシュブさんだ。
やはり、シュブ=ニグラスの故郷が宇宙の何処にも存在しないこの世界であっても、宇宙に関わりのあるものはシュブさんの琴線に触れるものがあるのだろう。
申し訳なさそうな表情二割、心底嬉しそうな表情八割のシュブさんを微笑ましく思いながら、布団から完全に起き上がる。

「そんじゃ、ちょっと美鳥呼んで、それから適当に見晴らしが良い場所にでも行きましょうか」

確か、一山越えた辺にハンググライダーの発着場があった筈だ。
隣町とは反対側の、うちの村に似た集落を見晴らせるあそこなら、良い感じのスポットになる。
日が登ってきたら日の出が拝めて、雲が出ていれば雲海を楽しむこともできる。
姉さんが起きる前に戻るにしても、ポットに温かいお茶を入れていくくらいはしたほうがいいだろう。
そう考えながら、俺は自室から廊下へのドアを開け────


―――――――――――――――――――


きっちりと、時間通りに目を覚ました。
時刻は午前四時半。
畑に行って、朝一番の農作業を始める時間だ。
カーテンの外の空は、うっすらと白み始めた藍色に、所々を覆い隠す灰色の雲。
天体観測をするには微妙な天気だ。

「……」

むくりと布団から起き上がり、カレンダーを確認する。
来月のカレンダーにはJAの人の来訪予定日と、直売所の当番の日とバイトの日などにチェックが入っている。
天体観測などというおしゃれイベントは記されていない。
正直なところを言えば、天体観測なんてのは、わざわざ予定を立ててするようなことでもないと思っている。
星なんて物は、ふらりと夜中に出歩いた時に空を見上げてしまえばいくらでも見られるのだ。
古いバンプのCDを発掘した時に衝動的に望遠鏡を担いで外に出ることがないとは言わないが。

「んー……」

伸びをして、勢い良く飛び起きる。
雨が降りだしたら面倒だし、人目がない内にさっさと作業を終わらせてしまおう。
畳んでおいた野良作業用の服に着替えて、足音を殺し、長靴を履いて玄関の外に出る。
顔を叩く早朝の冷えた空気に、もう冬がそこまでやってきているのを肌で実感する。

「……ふぅ」

腹一杯に冷えた空気を吸い込み、程よく体温を調節。
秋の虫も鳴かなくなるこの時期、町の喧騒などありえないような土地だけあって、新聞配達のスーパーカブのエンジン音ははっきりと耳に届く。
村のある盆地に響く、ブポポポと間抜けなエンジン音をBGMに、畑への道程を歩く。
遠く、烟る山を眺めながら、夢はなんで中途半端な所で途切れがちなのだろう、と、そんなことをぼんやりと考えた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

デモンベイン世界から帰還して、早いもので、一ヶ月の時が経過していた。
最近は不思議と実入りのあるトリップを挟むこともなく、我が家は平穏な日々を謳歌している。
あれだけの長い年月をトリップ先で過ごしておきながら、戻ってきたら直ぐに元の生活に戻れてしまうのだから、やはりトリッパーというのは不思議な生態をしていると思う。
とみに、何事もなかったかのように振る舞うお兄さんを見ていると、サポートキャラであるあたしなどは、自分の役割などを見直すと共にそんなことを考えてしまう次第なのだ。

―――――――――――――――――――

昼を少し過ぎた頃、お兄さんはふらりと隣町に出かけてしまった。
頑丈なコートを着込んでいったから、多分電車は使わずに山を越えていくのだろう。
電車で二時間でも、あたしたちにとっては徒歩数分の道程でしか無い。
もちろん、人目がない、もしくは人目を上手く避けられる事が大前提なのだけども。
時間潰しとしての外出なら、無為な時間を過ごせる電車を使う筈だし、何かはっきりとした目的の品があるんだろう。
荷物持ちをするのがいやなので、お兄さんに付いて行かずに、家でのんびりと過ごすことにした。

朝方は少し黒い雲が出ていた空も、今時間になれば洗濯物を干すのに十分な晴天に変わっていた。
今日はバイトもなく、新しい本の入荷もないので雑貨店に行ってもすることがない。
この時間にログインしてもネトゲには碌な人間は居ないだろうし、掲示板も似たようなものだ。
あたしの目の前には暇な時間が築地のマグロの如く大量に横たえられていると言ってもいい。
そしてそれは、洗濯物を干して、一通り家の掃除をした後でもまるで減ったような気がしない程には有り余っている。
閉めた窓から差し込む日の光の下でクッションを枕に丸まり、ぼうっと空を眺める。

今からでもお兄さんを追いかけようかな、などと思いもするのだけれど、どうにも気乗りしない。
お菓子でも作ればいい感じに時間も潰れていいかな、という考えが浮かんだ。
浮かんだだけで実行するとは限らないわけだけど。
結局、冷蔵庫に向かうどころか立ち上がりもせず、ぐったりと窓際の畳の上で空を眺め続けることにした。

「なー……」

脱力のままに唸り、太陽に焦点を合わせる。
今日は太陽の黒点がよく見える……気がする。多分。
そもそも太陽の黒点観察とかあんまりしないし、比較材料がない。
明日からも暇なら観察日記をつけてみようか。
明日どころか、夕ごはんになる頃には忘れていそうだけども。

《メールを受信しました》

「ん?」

PS2の九龍のロムからH.A.N.Tの音声データをぶっこ抜いて作ったメール着信音が響く。
差出人はお兄さん。
タイトル『出先で際どいスカート見かけたから送っとく』
……先の展開が予測できるけど、添付された写真を開く。

「なるほど確かにパンチラ……、ってドムじゃねーか!」

半ば予測通りのドムのあおり写真。
あ、でもグロウスバイルだ。かっこいい。
背景から見て隣町のアーケードの模型屋の店内、誰かの改造品だろう。
プラ板を使ったっぽい大剣も重量感があって中々によろしいんじゃないだろうか。
そしてスカートもデザイン的に大胆なスリットが入っていると言えなくもない辺が小憎らしい。

「…………超平気そうじゃん」

携帯を畳み、懐に仕舞い込みながら、安心する。
どうやら、あたしの考えは杞憂に終わってしまったらしい。
同時に疑問にも思う。
流石に、あそこまで何事も無く、何の代わりもなく振る舞えているのは、少し不自然じゃないだろうか。
あそこまで入れ込んだ相手を殺されて、仇も討てずに帰ってきてしまって、人間はあそこまで平静で居られるのだろうか。

「これだから人間ってやつは……」

難解で困る。
それとも、トリッパーの脳味噌とか心とかが特別製なだけなのか。
どっちにしても、お兄さんも、そしてもちろん、あんな真似をしたお姉さんも、あたしを見習ってもう少しシンプルに生きてみるべきではないだろうか。

「……寝よ」

玄関の鍵は閉めてあるし、不審者が来たら流石に気がつく。
あと二時間もすれば、お姉さんも昼寝から起きるだろう。
お兄さんが帰ってくるのは夜になるだろうし、この機会に色々と聞いて、疑問を晴らしてしまうのも悪くないだろう。
そんな事を考えながら、あたしは二時間ほどの休眠状態へと移行した──。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

山を抜け、全身に付着した枯葉や小さな虫を払い落とし、口の中に入った砂などの異物を吐き出しながら悪態を吐く。

「あー……、酷い目にあった」

元の世界に帰ってからここ最近は溜まっていた農作業やらの処理にかかりきりだった。
お陰で、こうして元の世界でもありえないではない程度に抑えた超人アクションをするのは久しぶりだったのだが、どうにも勘が鈍っているというか。
トリップ先と同じ感覚で動こうとすると、動きのキレ具合に大きな差異が出てしまう。
まぁ、元の世界じゃ、能力に制限が掛かるから当然といえば当然なのだが。
お陰で、すっかり元の世界の枯葉や砂や虫の味を思い出させてもらう羽目になってしまった。

とまれ、電車移動なら二時間掛かる道程を、山中の木々を飛び移りながらの移動にするだけで数分に短縮する事ができるのだから上々だろう。
能力の制限がきつすぎてトリップ前とあまりタイムが変わらなかったが、まぁ、そこは次のトリップの課題にしておく。
樹の枝に引っかかっても破れない頑丈なコートを脱ぎ、鞄の中に詰め込む。
膨らんだ鞄を数度叩き、内部でコートを異空間に収納。
これで、適度に買った品を鞄に詰め込む事ができる。
流石に、買ったものを直後に手放している姿を見られるとマズイからな。
さて、まずは……。

「ゲオ行くかぁ」

予約していた新作を受け取りに行かなければ。
それから模型屋までは規定のコースかな。

―――――――――――――――――――

何処から何処までが故郷かと言われると困るが、俺にとってこの電車で約二時間の隣町は十分にホームグラウンドだ。
ゆっくりと見て回るのは久しぶりだが、多少閉店した店などが見えるだけで、立ち並ぶ店のラインナップはそう代わり映えしない。
大型の量販店が無いとは言わないが、それが出来たのも何年も前で、今残っている店は何処も何かしらの工夫を重ねて生き残っている猛者揃い。

ゲオでスパロボの新作を購入した俺が次に立ち寄った模型店もそんな強豪店の一つだ。
ショッピングモール内の玩具屋では扱わないような、痒い所に手が届く商品のラインナップ。
プラモ改造用のパーツなども取り扱っており、多少こなれたモデラーは最終的に全員こちらに流れてくることになる。
稼働フィギュアの類も多種取り揃えていながら、商品が日焼けしない絶妙な店内配置には匠の粋な心配りが感じられる。
何故かレジの下にはトンファーや警棒まで展示されており、痒いところを通り越して何処に手を伸ばしたいかわからなくなる時もある。偶に売れているだけに特にそう感じる。

「てんちょ、前に頼んでたブツを」

そう言うと、寡黙な壮年の店長がこくりと頷き、後ろの棚から茶色い紙袋を取り出し、レジの上に丁寧に中身を広げた。
中から出てきた品を手に取り、袋の上からさり気なく商品内部の透視を行い念入りに確認する。
品が間違いないのはもちろん、安く卸される粗悪品でもない。

「パーフェクトです。では、支払いを……」

財布を取り出し料金を支払えば取引完了、というところで、背後から平手で狙われているのを察知。
俺の角度からはショーケースの反射を使っても背後が見えないはずなので、甘んじて受ける。

「よっ!」

べし、と、わりと硬い音が響いて、背中に小さな衝撃が走った。

「っ、て、~~~っ!」

背後から、痛みを堪える声にならない呻き声が聞こえ始めた。
とりあえず、気にせずに支払いを済ませる。
店長も俺の背後のことには一切触れず、料金と共に渡したポイントカードにスタンプを押している。
おお、そういえばこれで20ポイントか。五百円割だ。
目的の品は手に入ったが、ついでに何か一品追加で買うのもいいかもしれない。
確か、AOZ系が安くなって無かったかな……。

「って、おいこら! 徹底的にスルーか!?」

横にスライドしてガンプラのコーナーに移動しようとした所で、背を叩こうとした下手人に呼び止められた。
ああ、どうしよう、ちょっと無視したい。
しかし、久しぶりに会った友人を無碍にするのもどうか。
他の場所で、まともな呼び止め方をしてくればもうちょいスムーズに再開の挨拶を交わせたというのに、面倒な奴め。
振り返り、懐かしい友人の怒り顔を見ながら、これ見よがしに溜息を吐く。

「……そういう、唐突で嫌にハイテンションで力を込めすぎる部分がギロチン落とされた原因だと思わない?」

「クビじゃねーよ休暇だよ! クソッ、久々の故郷だってのにこの扱い!」

平日昼間で、店内に人気は少ないにしても人目はある。
だというのに、葉山くんは子供のように地団駄を踏んで悔しがっている。
これでそれなりの企業では期待のホープ扱いされているというのだから、人間というのはわからないものである。

「はぁ……はぁ……、まぁ、それはいいさ、この扱いは意外としっくりくる。とまれ、久しぶりだな鳴無」

「ああ、うん、葉山くんもおひさ」

さり気なく性癖カミングアウトを行いつつ、呼吸を整えて何事もなかったかのように仕切り直した。
この何処にでも居そうな、肉が少なく骨っぽいシルエットの男。
高校の頃に知り合い、今でもメールやチャットなどでのやり取りを行なっている、俺の数少ない友人の一人だ。

「なんというか、相変わらずいい空気吸ってるようで何よりだよ」

「できる男だからな。適応力だってそれなりにあるもんさ」

言いながら、僅かに上を向き、自分の顔を見上げるアングルを強要する角度を取りつつ、親指でビシィ、と自分の事を指さす葉山くん。
確かにこいつ、適応力と精神防御力は無駄に高い。
雑な扱い方をされれば『不憫キャラ的に美味しい』と喜び、過酷な試練を与えられれば『リアクション芸に磨きが掛かる』と喜び、放置すれば『この冷え冷えとした空気、なんだか気持ちいい……』とうっとりする。
まぁ、なんだ、つまりはそんな感じのやつだ。
今現在はシステムエンジニアとか、そっち方面の仕事に付いている筈だが、結局磨いた芸は何処で生かしたのだろうか。

「つか、その鞄何が入ってんだ? めちゃめちゃ硬かったぞ」

「硬いのは鞄。中身にダメージが入んないようにVPS装甲編みにしてあるんだよ。だからゆっくり動かす分には柔らかいけど勢い良く押すと圧力を感知して内部を守るように骨格を形成してだな」

割と事実なのだが、俺の説明は冗句と取られたのか、はいはいという呆れの表情と掌を振るジェスチャーだけで遮られてしまった。

「妄想乙。んで? 結局何買った?」

「ブキヤのMSG、新作出たから店長にキープ頼んどいたんだ」

武器のバリエーションに限るとはいえ、最近のリアル等身プラモでバネやモーターを仕込んだりする辺はけっこう意欲的だ。
HGにもMGにも神姫にも無理なく合わせられるサイズだから個人的にはいい買い物だと思うのだが。

「なんだ、つまらん。盛って削らない用のパテとか、エロフィギュアとかでも買やぁいいのに」

しかし葉山君はお気に召さなかったのか、拍子抜けしたといった風だ。

「聞いておいてそれか……あと、エロフィギュアなら自作した方が早い。改造ガンプラなんかだと、まだ学べる部分が沢山あるんだけどな」

「貴様いつの間にそんな業を……!」

そんな風に、ショーケースに飾られたこの店の常連であるモデラー達の作品を鑑賞しつつ不毛な会話を続けていたら、一時間程度で店から追い出された。
まぁ、割引券に期限は無いから、別に構わないと言えば構わないのだが、少し時間をロスしてしまったか。
店を追い出される原因となった野郎はそのまま手荷物を抱えて帰っていってしまった。
どうやら一緒に帰省していた親戚のガキにプレゼントするプラモ(安売りしていたMGジム)を購入する為に寄った店で見かけたから声をかけただけで、さしたる用事は無かったらしい。
まぁ、久しぶりに顔を見れたのは嬉しかったので、よしとする。

そのまましばし歩き続ける。
道中にはこの地区の避難場所にも指定されている大きな公園があり、幼稚園にも通っていないだろう小さなガキを連れた奥サマ方が中身の無いスカスカした井戸端会議を繰り広げている。
平和な光景だが、ガキの方は我関せずと手元の3DSに齧り付いている。
子供をしつけられない親がどうこう、などという話を最近は良く聞くが、しつけはできなくても我慢させることだけは可能らしい。

さて、まだ日が高いが、次は何処に行くか。
村に戻るまでの道順に従って行けば、バッティングセンター、古本屋にゲームショップ、少し遠くに映画館、と言った並びだが……。
ここはあえて横道に入って、如何にも趣味人がやってますよ、という雰囲気ダダ漏れの小さな雑貨屋へ突入。
木造建築の、物置2つ分程度の大きさの店舗の中には所狭しとアクセサリーや実用性に乏しいキッチン用品などが置いてある。
目を引くのはお洒落なシュガーポットだが、輸入品なのかやたらと高い。
壁際に大量に並ぶパワーストーンの方はお値段据え置き、安く手に入るグレードの低い石を加工したものだろう。
大粒で色も透き通っているものは、分子構造が整いすぎている。人工的に作られた石を使っているようだ。
どちらかと言えばこちらが主戦力の商品と見える。
一つ、姉さんの誕生石のネックレスでも買っていくか?

「おや、同士鳴無ではないか」

ふと、声を掛けられる。
店内には俺以外に客は居なかった筈だし、センサーにも店番の女の反応しか無い。
だが、俺をその名で呼ぶのは……。

「同士鈴木?」

「そうとも。君の数少ない真の理解者だよ。私の真の理解者君」

この絶賛厨二病患い中臭い芝居がかった喋りは、近親道の同士である鈴木さん。
声の発信源はレジの向こう。安楽椅子に座って文庫本を読んでいる店番の女性店員。
よくよく見てみれば、鉛筆のように細長いシルエットに、秀才っぽい知的な顔つきは確かに俺の記憶にある鈴木さんだ。
追加装備であるフレームの太いメガネのお陰で見逃してしまっていた。

「あれ、県外に引っ越したんじゃ。確か就職に成功したとかで」

「辞めて戻ってきたんだ。言ってなかったかな」

「聞いてないし……。ていうか、辞めた? このご時世に?」

「このご時世だけど、セクハラ・パワハラもうざったかったし、やっぱりアニウム無しの生活は私には厳しくてね。今じゃ気楽なフリーター生活さ」

口の端を片方だけ釣り上げたニヒルな笑みでそんなことを断言する鈴木さん。
さらっと架空元素を必須栄養素のように表現する程度にはダメなやつだが、その思い切りの良さは話していて気持ちがいい。

「で、何かお求めかな? 愛しの姉上への贈り物なら、この無駄にアンティークなランタンとかがお勧めだけれど」

鈴木さんがいっそ清々しいまでの営業用笑顔で手に取ったのは、確かに古めかしいデザインのランタン。
デザイン的に十九世紀後半から二十世紀序盤辺りの品だろうか。

「一応聞くけど、値段は?」

「八万九千円のところを、今なら五万二千円でご提供だ。新型ハード一台分も値引きするなんて、お買い得だろ?」

素材はそれほど年経たものではない、多分、つい最近、ああいうデザインで新規に作られた製品なのだろう。
お高いが詐欺というわけではなく、作りの精緻さから適正な値段だとわかる。
適正な値段だからといって、それを買う理由にはならないのだが。

「うん、しいて言えば味噌汁で顔洗って出直してみたらどうかなとか思う」

真顔で拒否してやると、そりゃそうか、と言いながら困り顔で文庫の背を額に当てた。

「採用された時に趣味でやっているとは聞いたけど、ここまで売るつもりのない値段設定だと潰れやしないかと本気で心配になることがあるよ」

「やっぱ流行ってないのか?」

「やっぱり、というのは否定したいけど、今日は君が最初の客さ」

※時刻は午後三時を回っております。
まぁ、こういう趣味の店だし、昼から開店だとすればそれほど酷いことには……。
が、俺のそんな仮定を、鈴木さんは肩をすくめながら一瞬で破壊してみせた。

「朝九時開店で、都合六時間も篭りきりで居た所に昔なじみが現れたんだ。声も掛けたくなるだろ?」

「Oh……」

なんというか、夢もキボーもありゃしないというか。
お前ら少しはファンシーに目を向けてやれよ。俺は向けないけど。
というか、店主は何処で何をしているのだろうか。
もう一度店内を見回し、商品のラインナップを確認する。
輸入モノっぽいシュガーポットやランタンなどの大物を除いた、主力っぽいパワーストーンのアクセサリー。
これらのアクセは、ほぼ間違いなく手作りだろう。
言葉を濁して良い方向にフィルタをかけて言えば、少し大雑把な作りは人の手による温かみを感じるし、石以外のパーツの加工に結構なばらつきがあるのだって、ナンバーワンよりオンリーワン的な思いが込められていて──

駄目だ。ちょっと弁護しきれないからはっきり言おう。
ここは恐らく、商売っ気など欠片もない、本気の趣味の店だ。
きっとこの趣味の店の店主は、店番をバイトに任せて、自分はひたすら作品作りに没頭する腹積もりなのだ。
まぁ、お陰で鈴木さんは実質レジに座って本を読んでいるだけで金が手に入るような楽な仕事にありつけているのだから、一概に悪いとは言えないが……。

「バイトの日は、いつも?」

恐る恐る尋ねると、未だ手に持っていた文庫本をカウンターの上に置いて一度天を仰ぎ、ゆっくりと顔を下げていった。

「……正直、デジャブを感じる程だよ。また客が来なかった、とか、レジから見える光景が一切変わっていないな、とか」

通夜のような鎮痛な面持ちで、頷いているのか俯いているのかすらわからない。
そのまま、どこか諦めた風な表情で、枝の形が残った格子でデコレーションされた窓から外に遠い視線を向ける。

「それでも偶に、本っっっっ当に極々稀に、客が来るっちゃあ来るから、『皿から皿に豆を移す作業』みたいな事にはなってない、筈、たぶん……」

鈴木さんのここまで虚ろな表情を見たのは何時以来だろうか。
確か、彼女のお兄さんに好きな人が出来たという相談を受けた時もこんな表情をしていたような。
しかもこの人、クールそうな印象とは裏腹に、割と寂しがり屋であることも有名である。
……うん、まぁ、他にフォローできる奴、ここに居ないし、仕方ないか。

「時間有る奴とか限定になるけど、連絡しとくわ。ほら、買うか買わないかはともかく、冷やかしに来る程度の連中なら増えるだろうし、そうすりゃ、少なくとも働いてる気分は味わえるだろう、うん」

俺も行く、とは言わない。
というか、正直ここに来る理由が殆ど見当たらない。
そう頻繁に来たくなる品ぞろえでもないし、流石に冷やかしですらない、バイト店員の暇つぶしのお喋りの為だけに来るのもどうかと思うし。
などと、この小さな雑貨屋の優先順位を滅多に行かないバッティングセンターの一つ上辺にランクインさせながら言い訳じみた事を考えていると、鈴木さんがこちらに訝しげな視線を向け始めた。

「……偽物? まさか私の身体に欲情して──しかしこのシスコンオーラは……」

「聞こえてる、聞こえてるから」

「安心してくれ、一応聞こえるように言ったつもりだ」

「おい」

俺はいったいどういう評価を受けていたのか。
半眼で睨みつけるも、鈴木さんは怯むでも訂正するでもなく、自分の顎に手を当て、考えこむようなポーズと平行してまじまじと俺を見ながら更に言葉を続けた。

「なんと言えばいいのかな。こういう時、昔の君だったらと考えると、どうしてもね。違和感がある」

「俺、そこまで薄情だったか? 一応、トラブルがあった時なんかは、都合が付く限り手を貸してただろ」

「悪く言えば、トラブルに発展するまでは放置していただろう。この程度の事なら『大変だねぇ』で済ませていたと思うけど……何か、あったのかな?」

何かあったか。
確かに、未だに鈴木さんとの交流は浅くとはいえ続いているが、日常で起きた全ての事を報告しあっているわけでもない。
軽く、最近の双方の兄姉との関係を報告しあったり、面白げなラノベや正直ラノベに分類された方が自然なのでは無いか、というような一般小説などをネタに軽く雑談する程度だ。
そんな話ばかりだったから鈴木さんの退社も知らなかった訳だし、そもそもよく考えたら、俺だって仕事上の愚痴(精々がJAとの繋ぎを行なっている年寄りが農薬の購入ノルマについてうるさいとか、その程度のものだが)だのなんだのに関しては話題に上げた記憶が無い。
だから、何かがあったかと聞かれれば、何もない、なんてことは絶対にありえない。
鈴木さんが仕事を辞めてフリーターになったことと比べて、大きなことか小さなことかは判らないが。

「……さぁ? でもまぁ、友人は大切に、とか、そういう風に考え直す機会には、多少なりとも恵まれた、かな?」

「ふむ……」

呟きながら考えこむ姿は、すっと鼻筋が通った細面と、そこに掛かったセルフレームメガネも相まって様になって見える。
一見して如何にも才女といった風だが、これでも『昨日兄さんが風呂に入っている間に家探ししたら、妹系AVが一本増えていてね……増えていてね! だからほら! ほら! 羨ましがってくれて構わないのだよ!?』などとセルフバーニングするのだから人間はわからない。
考え込んでいた時間は十秒かそこらだろうか、訝しげな表情は消え、何かを含む様な、しかしはっきりと面白がっていると分かる左右非対称の笑みが浮かんでいた。
兄以外の、彼女が有効的に接する友人たちに極稀に向ける、キャラ付けの為に鏡を見ながら練習したらしい、某自動的な方を参考にした決め顔である。

「まぁ、悪くない変化じゃないかな」

動機がイマイチ決まらない、ヲタ臭いものであるにも関わらず、似合っているから質が悪い。
その表情に、きっちりと本物の感情を乗せられる程度には馴染んでいるところもだ。

「自分じゃイマイチわからんけど、そういうもん?」

「ああ。それに面白くもある。前に君が姉上と結ばれたと聞いた時は『完成した』と思ったものだけど。……君や私のような畸人にも、その先でまだ変化がある。それはとても素晴らしいことさ、きっと、私や君が思う以上にね」

見た目と仕草だけはクールな友人は、さり気なく俺まで畸人扱いしつつ、嬉しそうにそんな事を言うのであった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「お兄さんがリア充してる予感……!」

直感的に危機感を募らせながらスリープ状態から目覚めると、日はすっかり暮れていた。
この時期は極端に暗くなるのが早い。これなら、もう少し早めに起きるように設定すればよかったかもしれない。
家の中の生体反応を探ると、お姉さんは覚醒状態で、部屋で寛いでいることがわかった。
台所にはお味噌汁、いや、けんちん汁の入った鍋が蓋をしてコンロの上に置いてある。
夕飯の準備はそれだけ。
手抜きか何かだろうか、あたしのそれは完全な趣味になるけど、お兄さんの人間性とお姉さんの生命維持には必要なものなのに、今日は妙に質素過ぎる。
それとも具沢山のけんちん汁だから、おかずは少なくていいよね、みたいな感じで直前にちょっと作る予定なのか。

その事も含めて尋ねるため、お姉さんの部屋へ。
適度に掃除された廊下は、靴下で歩くとつるつると滑って奇妙な気分になる。
家の中でなら素足の方がいいのだけど、家に居る間は感覚も極めて人間に近い形で固定させられているので、冷たい。
足音無く廊下を歩き、姉さんの部屋へ。

「お姉さん、今いい?」

軽くノックしながら尋ねる。
自家発電中というわけではないだろうから返事を待たずに開けても問題ないのだけど、一応、念のため。

「うん、開いてるから入っちゃって」

許可が降りたので、戸を開けて部屋の中に入る。
お姉さんは口元に小さく笑みを浮かべながら、机の上に開いた古めかしい本を眺めていた。
装丁からして、本と言うよりは日記か、アルバムだろうか。
興味を引かれない訳ではないけど、まずは夕飯の話だ。

「夕飯の準備しなくていいの? 決めかねてるってんなら、あたしが適当に決めて作っちゃうけど」

冷蔵庫の中身は、多くもなく少なくもなく。
魚は切れているが豚肉のブロックが適度なサイズにカットされた状態で冷凍庫の中で回答される日を待っている。
お兄さんの帰宅に合わせて作るにしても、下ごしらえをしておく程度のことは可能だろう。

「さっき卓也ちゃんから電話があってね? 街で物産展やってて、鮭を丸々一匹衝動買いしちゃったんだって」

「一匹ぃ?」

それはまた、剛毅な話だ。
お兄さんのことだし、イクラとセットになっているものを見つけて、ついつい、といったところだろう。
秋鮭に、イクラ。
これを買わずに居られる日本人がどれだけ居るのだろうか。
いや、意外といるだろうけど、お兄さんは買わずには居られないタイプに分類される。

「なので、夕飯のメインは卓也ちゃんが鮭持ってきてから作ります。……卓也ちゃんが」

「それくらいはしないとね……」

まぁ、派手な買い物ではあるけど、小分けにして食べると考えれば、実質それほど金額の大きな買い物ではない。
お姉さんに後々やんわりと注意されて終わりだろう。
と、会話が途切れる。
しまった、飯の心配から、本当に聞きたいことに話がつながらない。
良く考えなくても分かりそうなことなのに、まいったな。
無意識にプレッシャーを感じて、質問できない方向に持って行ってしまっていたのだろうか。
とはいえ、聞かないままでいるのも気持ちが悪い。
どうにかして、話の導入になるような何かを見つけなければ。

「そういえば、何読んでたの?」

あたしはとっさに、お姉さんが机の上に広げ続けている本に目を付けた。
お兄さんとお姉さんが二人きりになってからのアルバムならあたしも見たことが何度かあるが、あれはそういうものでは無い気がする。
なんというか……そう、最近扱われた形跡が無いように見える。
お兄さんとお姉さんの両親の写真が残されていた、とかだろうか。

「んー? ふふ、これはねぇ……お姉ちゃんが、まだ小さかった頃に、トリップ先で取った写真」

「は…………?」

思わず、間抜けな声を出してしまった。
それは、流石に予想外過ぎる。

「お姉さん、んなもん取ってあったんだ」

「意外?」

「正直ね。だってお姉さん、お兄さんにも言ってたじゃん。『トリップ先の連中には、もう何も期待してないの』とかなんとか」

そもそも、お兄さんの割り切りだって、そんなお姉さんの薫陶を受けてのものだ。
トリップ先の事情は、トリップから戻るのに必要な部分、自分の力になる部分にだけ積極的に関わって、それ以外の、ストーリー改変だの、原作キャラとの交流だの、フラグだの、救済だのは完全な余録、おまけに過ぎない。
当然、トリップ先の人間に気を使う必要はない。
力がない間は反感を買わないように、力を付けてからも、優先順位はまず自分の不利益にならないように、深く交わらず、上っ面だけ取り繕っての交流でいい。
トリップ先の出来事だの、キャラの事情だのは二の次三の次四の次、むしろ気にかける必要無いよね? こっちの目的果たすのが最優先で、踏み台上等、餌上等。
もちろん、この理屈はお兄さんに有利に働いたし、文句を言う筋合いは無い。
むしろ、お兄さんを生存させる上で、初っ端のトリップからこういう思想を植えつけたのはとても良い判断だと思う。

思うけど……思うだけに、解せない。

「どうでもいいんなら、そういうものは捨てちまうもんじゃね?」

仮に、どうでもいいというのが嘘で、トリップ先の存在との絆とかを認めていたとしたら、説明が付かない。
あの時、あのタイミングで、あんな真似をした説明が……

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

消滅した。
端的に表現すれば、卓也に理解できたのはそこまでだ。
自分の身体が、無限螺旋で蓄えた力が、身体を構成していたこの宇宙で手に入れた何もかもが消失してしまっている。
魔術師としての力、機械巨神としての力、ナイアルラトホテップとしての力、────シュブ=ニグラスとしての力。
それら全てが、今の今まであの忌々しい、憎き魔を断つ剣相手に振るっていた力が、消えた。
後に残ったのは、無限螺旋以前に手に入れた力のみ。
周囲には大気こそ無いものの、空間と時間が存在し、エーテルに似た宇宙を満たすエネルギーと、強い力の脈動を感じる。
だが、それは消失感の後に初めて感知することができたもの。
自分を含め、無限螺旋の、字祷子宇宙の全てが消失した感触を否定するものではない。

「  、づ   げ    、  」

不思議と消失を免れていた、機械巨神のパーツとして組み込まれていた次元連結システム含む幾つかの字祷子宇宙外物質を中心に、肉体を再構成する。
ナイアルラトホテップを取り込む事により実現していた虚数からの復元も使えない。
ただ、一時しのぎとして、ありあわせの部品で肉体を作り上げる。
組み上げられたのは、生身の肉体に近い生態コアを持つ黒いボウライダー。
メイオウ攻撃、重力加速速射砲、超電磁電動鋸。
今や蟷螂の斧にも劣る瓦落多と化した武装を構えながら卓也は思考を走らせた。
思い出すのは、手に入れたナイアルラトホテップ含む、無限螺旋で手に入れた力だ。
字祷子宇宙の全てが消失し、肉体も能力も失ったとしても、卓也の、トリッパーの力に影響はない。
取り込んだ力は、字祷子宇宙の法則をそのまま扱うのではなく、一度卓也の内部で機能の一部として再現されるものだ。
故に────

「     、づあぁっ!」

字祷子宇宙以外の肉体で再構成された卓也の記憶を最小単位として、ナイアルラトホテップと全く同じ機能を発揮する字祷子宇宙以外の法則を用いて、手に入れた力を取り戻す。
宇宙が消失する直前までの機械巨神としての姿を取り戻し、周囲を見回す。
全知覚能力を用いて敵の姿を求める。
既に展開していた内部宇宙を破られ、泥沼の殴り合いを繰り広げていた卓也とデモンベイン。
声を出せる機能を取り戻してしまえば、感情はたちまち声となり迸る。

「何処だ! 何処に逃げ────!?」

剥き出しの感情のままに叫び、周囲の光景に唖然とする。
……何も、無い。
宇宙はある。空間も時間もあり、星々も存在している。
だが、無い。
あの宇宙をあの宇宙足らしめていた粒子『字祷子』が一切感じられない。

「あ──────」

そして、見つけてしまう。
始まりの、まず、最初にある邪神。
幾柱もの邪神を従者として従え、ただ自らにとって心地良い音色を奏でさせながら、何を考えるでもなく眠り、深い、深い夢を見続ける白痴の神。
宇宙の中心であり、かつての宇宙の生みの親……、宇宙そのもの。
『字祷子宇宙が存在している限り、決して観測できない』筈の、魔王──アザトースの姿を。

「いやー、ごめんねぇ卓也ちゃん。お姉ちゃん、ちょっとトチっちゃってぇ」

呆然とアザトースを凝視したまま固まっている卓也に、場違いな声が掛けられる。
先程までの闘争とも、この邪神達の王が眠る無限の宇宙の中心にも似つかわしくない、底抜けに明るく、脳天気で、軽い口調。
声のする方を向くと、そこには見慣れた姿があった。
機械巨神と化した卓也の目線よりもほんの少し高い位置で、宙に浮かべたクッションに座り、申し訳なさそうに眦を下げ、しかし、それ以外の表情を表すパーツでヘラヘラと笑っている、鳴無句刻。

「『うっかり、不幸な事故で』ねぇ、アザトース、目覚めさせちゃったぁ……ごめーん、ね?」

ぺろりと唇の間から少しだけ舌を出し、菜箸を握った手で軽く拳を握り、自らの頭をコツンと叩きながらの、誠意など欠片も見せるつもりもない、ポーズだけの謝罪。
『うっかり』
『不幸な事故で』
そのようなことが、全くありえないとはいえない。
トラペゾヘドロンに封印されているとはいえ、封印の中で目覚めない、という保証はどこにもない。
無限に積み重ねた宇宙の亡骸をもって封印に成功してはいるものの、その封印はあくまでも邪神達を閉じ込めておく為のものであり、アザトースの眠りと目覚めには一切関係していない。
故に、何らかの原因で、アザトースが目覚めたとして、天文学的な確率ではあるが、不思議ではない。

「…………姉さん、その菜箸は?」

だが、そうではないことを、卓也は確信していた。
句刻がこれ見よがしに見せつける、魔法の杖と化した菜箸。
何故、この状況で魔法の杖などを手にしているのか。
何故、目覚めの可能性が限りなく低いアザトースが目覚めているのか。
消される事もなく態とらしく残留させられている、魔力の残滓。

「ほら、もうあの状態だと、千日手で終わらないでしょ? だから、無限螺旋をクリアしたご褒美として、あのデモンベインを潰して食べさせてあげようと思ってたんだけどね?」

菜箸を鞄の中に収め、照れの混じった笑みで、

「……ぜぇんぶ、夢オチにしちゃったら面白いかなぁ、なんて思っちゃってぇ、つい『ザキ』と『ザメハ』を間違えちゃったの」

特大の嘘を吐く。
一切の悪気も悪意も無い、まるで、事前に知らせていた夕飯のメニューをこっそり変更した事を告げるように。

「…………」

宇宙に満ちる暗黒物質が、エーテルが震える。
句刻を見上げる機械巨神──卓也から漏れる感情の震えが伝播しているのだ。
そして、それに気付かない句刻ではない。
それがどういった感情による震えなのか知りながら、句刻は意に介さない。

いや、意に介さないどころの話ではない。
にこにこ、にこにこと笑いながら、波立つ感情を、煽る。


「でも、別に構わないよね。だってほら、今無くなったものは、全部、一つ残らず、なぁんの価値もない、目が覚めたら忘れちゃう、ただの下らない幻だったんだもの!」

衝撃。
揺らいでいた感情が爆発する事で生まれた、指向性のない破壊力。
それは、今まで卓也が取り込んできたあらゆる力に似て、しかし、もっと原始的で、根源的な力。
暗黒物質でも、エーテルでも、空間でも、時間でも、宇宙でもない、あらゆる概念を内包する世界ですら、この波動を受けるには足りない。
最も頑強で、決して崩れ去ることのない、鳴無姉弟がトリップしている最も外側の大枠『千歳・アルベルトが放棄したデモンベイン二次創作世界』が震え、軋み、悲鳴を上げている。

クッションに座っていた句刻が、崩壊を初めて荒れ狂い出したエーテル風に靡く髪を手で抑え──その手に、一筋の紅い線が走った。
殺意ではない、害意でもない、無秩序で不均一で混沌とした『怒り』の感情が、緩く、しかし、確実に句刻に焦点を合わせようとしている。
その発信源である卓也──機械巨神は、そのボディに非効率的な破壊兵器を無数に展開し、

「…………ああ、そう」

ゆっくりと、句刻からアザトースへと向き直る。
遅れて、句刻に向けられていた怒りの感情もアザトースへと向き直り、確かな害意へと変化していく。
大きい意味での世界を震わせていた破壊の波動は、今や全てが機械巨神のボディの中で完結している。

収まったわけではない。飲み込み、押さえ込んでいる。
言うべきこと、言いたいことと共に。

「それなら、幻じゃない、この世界で、一番確かな力を、手に入れないと」

感情の震えを飲み込み抑えながら、機械巨神が進む。
その背に向けて、ニコニコとした態とらしい笑みを消し、口の端を僅かに釣り上げた句刻が、試すような口調で声を掛けた。

「そうね。……手伝い、欲しい?」

「いらない。すぐ終わるから、姉さんは黙って見てて」

突き放す様な言葉と共に、武装を最適化し、加速。
世界の揺らぎに、微睡みから再び叩き起こされ荒れ狂うアザトースに向けて、不意を突くことも柵を弄する事もなく、真っ向から攻撃を開始した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

正直な話、生きた心地がしなかった。
お兄さんとお姉さんが本当の意味で不仲になった時、あたしの存在意義は失われてしまう。
そうでなくても、あたし個人の感情でも、お兄さんとお姉さんが喧嘩している場面なんて見たくもない。
まぁ、こっちの世界に戻ると同時に感情への補正が切れたのか、お兄さんもなんであそこまで激情していたかわからない、みたいな感覚になって、喧嘩とかにはならなかったけど。

「お姉さんが、お兄さんを態と怒らせようとした、ってのは分かる。あの世界限定の補正ブーストじゃない、お兄さんそのものの力を引き出そうとした。でしょ?」

確かに、あの時お兄さんから吹き出した力は、戦力として考えれば魅力的だ。
でも、そんなものは、元のこの世界にまで引き摺る二人の中に悪影響を残してまで引き出す必要なんて無い。
お兄さんが自力でお姉さんに追いつくまでは、あたしを捨て駒として扱ったり、最悪の場合、お姉さんを頼りにしてしまえばいい。
生きてトリップ先から戻り、この世界で生きていくことが至上なら、トリップ先での恥なんて掻き捨てだ。

はっきり言えば、あたしは少し怒っている。
もう少しやり方があったんじゃないか、と。
怖いからお姉さんにもお兄さんにも直接は言わないけど。

「んー、まぁ、力を引き出す、って効果も期待できたわよね」

「それ以外に、どんな理由であんな真似ができんのさ。それに、そういう理由でお兄さんとシュブさんに絆を結ばせたんなら、お姉さんがそういうものを大事に持ってる理由にはならないじゃん」

「大事にしてる訳じゃないんだけど……うぅん、なんて言えばいいのかしら」

中ほどまで開かれていたアルバムをぺらぺらと捲りながら、お姉さんは少し考えこむようにして唸る。
開かれては閉じられていくページには、写真や日記の他にも、様々な物が挟まれていた。
髪をとめるためのどこにでもあるようなリボン、地球上には存在しない花で作られた押し花、二次元化され収納された玩具っぽいデザインの宝石。
七十年代八十年代を想起させる派手にウェーブの掛かったボリュームのある髪の少女達と泣き笑いの表情の小さなお姉さんが写った写真と共に綴じられた、互いの友情と再会を誓う寄せ書き。
それらを一つ一つ確認するお姉さんの表情は……なんと表現するのが正しいのか、複雑な感情が込められている気がする。
確かなのは、そのどれもが手元にある物品を見ているのではなく、それらを通して思い出される、お姉さんの過去を見ているのだろうという事。

「卓也ちゃんにもね、そういうものを『大事にしたことがある』っていう、経験が必要なのよ」

「経験?」

「そう、経験。トリップ先で、トリップ先の人達と一緒に冒険したり、遊んだりして、苦楽を乗り越えて、同じ感情を共有して『ああ、この人との絆は一生消えるものが無いだろう』とか、そういうとびきり青臭いのが」

言いながら、アルバムから一枚の写真を取り出す。
写っているのは、今のお姉さんが使うトリップ服に良く似て、でも、ちょっとデザインセンスが古めかしい魔法少女服を着たお姉さん。
満面の笑顔で、同じような年頃の、如何にも少女漫画の主人公っぽい女の子と手をつないで並び、カメラに向けてピースサインを送っている。
二人を囲むように並んでいるのも、如何にも少女漫画の登場人物っぽい美男美女やマスコット達。
背景は、どこかファンタジーな世界のお城だろうか。

「確かにトリップ先にあるものなんて、この世界のものと比べたら下水のヘドロほどにも価値がないわ。でもね、普通はそう思うまでに、彼等の事を大切に思う時期が確実にある」

告げるお姉さんの言葉。
そこに込められた力の強さに、写真を見つめる視線に込められた、あたしもお兄さんも見たことのない『過去』を思う感情に、あたしは口を噤むしかない。

「普通なら、大切に思って、友達になって、『また何時か』って、再会の約束をして……また、自分を知らない、彼等に出会う。大切に仕舞っていた想いを、穢して、擦り減らす」

視線に込められた感情は、同一の別人であるという裏切りに対する怒りでもない、トリッパーである自らへの諦めでも、トリップという仕組みそのものへの憎悪でもない。

「口で説明してもいいんだけど、『知っている』のと『経験がある』のでは、大きく違うしね。まぁ、もう純粋な原作キャラだと『代えが効く』って思っちゃうだろうし、『代えが効かない』相手を用意するのは手間だったけど……いざという時に、これが原因で不覚を取るよりは、ね」

プラスにも、マイナスにも向かない、強く、研ぎ澄まされた、意志。
もはや決して揺らぐことはないのだろうと、見た瞬間に理解できる心の在り方。
意志の在り方は『これは、こういうものだ』という、確信。

「……トリップ先が不完全でも、トリップ先で出会った相手が不完全だろうと、私たちは、相手に情を抱くことができて、共感することもできる。共に泣いて、共に笑って、一緒に遊んで、背中を預けて、信頼して、友達になることだってできる」

お姉さんは言葉を切り、手の中の写真に火を付けた。

「──それを理解した上で、躊躇なく利用し、食い物にできる。それが私達のトリッパーの、有るべき姿よ」

手の中で写真が一枚灰になるのを見届けて、お姉さんはしっかりとあたしの方に振り返っる。

「あの時、卓也ちゃんは確かに怒ってみせた。……代えの効かない相手だけど、トリップ先のキャラを貶されてね」

その表情は、晴れ晴れとした笑顔。

「ひとまずはこれで良いわ。シュブちゃんは綺麗な思い出になっちゃうにしても、トリップ先での人間関係に執着を一度持てたなら、何時か、何度でも代えが効く相手と仲良くなる。それを乗り越えた時、卓也ちゃんは初めて『私』と同じステージに立てるの。……ふふ、楽しみでしょ?」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「まいったな」

北海道物産展で鮭一匹を衝動買いしてしまった後、添え物になりそうな出来合いの漬物などを物色している間に、すっかり日が落ちてしまった。
この町は街灯が多く、夜に開いている店も多いからまだ明るいが、村に帰ったら月明かりだけが頼りだろう。
光が無い程度で足元が見えなくなるような視力はしていないが、流石に遅くなりすぎたかもしれない。

大型スーパーのある区域から暫く歩き、町の外れ、村との間にある山々の近くに辿り着く。
周囲に人が居ないのは確認済みであるため、パンパンになった鞄を申し訳程度に開けて、そこに異空間の入り口を作り、コートを取り出して雑に羽織る。
自動で前のボタンが咬み合って装着完了、森の中に飛び込む。
森の中に入り、完全に人目が無くなったのを確認し、一気に木の上に飛び、更に木から木へと飛び移る。
行きの道程で元の世界での加減を思い出した為、樹の枝に無駄にぶつかる事もしない。
時折山が途切れ、広々とした田園地帯に出る時は、周囲の光を屈折させて本格的に姿を消し、走る。

本格的に遅くなるといけないので、少しだけ速度を上げる。
時折出てしまいそうになる衝撃波をちょっとした体裁きで打ち消しながら暫く走り続けると、一際大きく、深い緑に覆われた御山が見えた。
少し蹴り足を強めに、反動で木を砕かない様にしながら、大きく跳ぶ。

滞空中、山の中から手を振る影が見えた。
ナノポマシンを投与した熊だ。
何やら大きな獲物を引き摺って、巣穴に持ち帰る途中なのだろう。
冬眠に向けてカロリーを蓄えるというのであれば、後で鮭の複製をくれてやろうか。

そんな事を考えている間に、山の頂上、一番高い場所に生えた木の天辺が近付いて来た。
体重を変化させ、木を揺らすこと無く着地。

「んー……」

見上げる空が近い。
星が思ったよりも見えないのは、今日が満月だからだろう。
大きな大きなお月様が、山々と、その間に隠れるように存在する俺の村を照らしている。
ポツポツと存在する民家の灯り、既に営業時間が終了した郵便局の前の灯りに、交番の灯り。
街灯の本数は、改めて数えてみると驚くほど少ない。少しケチりすぎではないだろうか。
田舎独特の閉鎖環境が生み出す妙な力関係のコミュニティなどは存在しないにしても、一端の文明人が暮らすには、少しばかり辺鄙過ぎる土地だ。

「でも、いい村でしょう? ここが、俺の育った村、俺の故郷です」

いろいろ整理するのに、ひと月も待たせてしまって、ごめんなさい。
今日一日で、俺が主に活動する場所は一通り回ってみました。
多分、今、一緒にこの光景を見て、この冷たい風を感じている、という事になるんでしょうか。
昼に食べたチャーハンはどうでした? 姉さんの手料理は、結構気にいっていましたよね。

「今日の夕飯、鮭を使って、俺がメインを作る事になったんです。多分、姉さんも美鳥も手伝ってはくれないんですよね。だから」

一緒に帰って、一緒に料理を作って、それから、俺と、みんなと一緒に、ご飯を食べましょう。
二人で、同じ場所で。

「なーんて」

返事は期待していません。
多分、今日が終われば、こんな事も考えません。
あなたはもう、考えないし、喋りもしない。
だから俺も、あなたを意識しないし、語りかけもしません
何しろあなたは、もう、俺の一部、──俺のものです。
何もかも、俺に選択権があります。
だから、暫くお付き合いください。
俺があなたを忘れるまで。
誰の夢でも、幻でもない、この世界で。






おしまい
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完結です。
完結ですよ猿渡さん!
途中で切ってこのSS読むの止めた人かなり居るけど、それもこれもひっくるめて七十七話ことデモンベイン編最終話エピローグをお届けしました。
デモンベインのデの字くらいしか出てない様なエンディングだったけど、そこはそれ、全ては一炊の夢、という事で。

そんな訳で完結時恒例のぶっちゃけタイム。
デモベ編ではっきり決まってたのは、

・アザトース目覚めさせてエンド。

これだけっ!
あとはふわふわっとしたアイディアが順不同で箇条書きされていただけと言ってもいいです。
シュブさんがメインに添えられたのは運命ではないのです。
感想で多少なりリアクションあったから、じゃあちょっとずつ反応見て昇格させてくかー、程度のものだったのです。
姉の目論見も『キャラを大切だと思う気持ちを植え付ける』ではなく、『飽きるほど繰り返し自分を成長させた世界が三文字の呪文で消え失せるショッギョムッジョを感じさせる』というものでした。

まぁそれでわかったのは、このSSみたいなのでオリ話を延々やると、どんどこ人が離れていくというわかりきった現実なのですが。
でも、それはいいんです。
ぶっちゃけ書いてる方は楽しかったので。
SSは、作者が書きたい時に書きたいように書くのが一番だと聞いております。

で、それに読者の方々が運良く適合できればみんな幸せだよね、というもので。
ちなみに掲示板に投稿する条件である向上心はもちろんあります。
SSの話の方向性は絶対に変わらないというだけで、文章とか話の構成とかについてのアドバイスは超欲しいです。
超欲しいです。

ちなみに、書くと書きをカタカナに変換してはいけません。それでも意味が通ってしまいますので。


以下、最近自分でもちょっと雑じゃね、と思わないでもない自問自答コーナー。

Q,冒頭のシュブさんは何? 実体化できるの?
A,普通に主人公の夢です。
生きたまま完全に取り込まれているので、実体化などできようはずもありません。
Q,そういえば前回、取り込んだ直後に戦闘したけど、最適化の設定はお悔やみ申しあげます?
A,死んでねーです。その設定は意味が殆ど無いにしても一応生きてます。
これは、シュブさんが取り込まれながら、積極的に主人公の身体に自分を合わせていたから、主人公の側で最適化をする必要が殆ど無かった、という事になります。
なので、そのあたりの設定を考慮すると、最適化されきっていない、シュブさんの主人公への気持ちの残滓くらいは残っている可能性が無いとも言い切れません。
あると言わないのは、そんな設定を残しておいたとしても今後使う機会は訪れなさそうだから。
Q,結局、姉は何を狙っていたの?
A,デモンベイン世界にしたのは純粋に力を上げるのに無限螺旋が最適だから。
で、そこで偶然ヒロインのなりそこないを見つけたのが今回の計画の始まり。
普通のトリッパーなら、トリップ先の人間と友誼を交わしたりして、そこから徐々に絶望していく事で精神的な隙がなくなっていく訳ですが、主人公はその工程を飛ばしてしまっている。
これでは、何かの拍子にトリップ先の存在に情が湧いた時、その感情をコントロールしきれずに死んでしまう危険性がある。
じゃあ、主人公と親しくなりやすいヒロインのなりそこないを再利用して、まずはトリップ先の存在にも情が湧くのだという事を教えておこう!
裏切られて絶望して精神的に強くなるのはそのうちでいいよね。
そんな感じ。
Q,なんか、元の世界での友人とか出たけど……。新キャラ?
A,ゲスト、超スポット参戦。設定すら超曖昧。今回の話し用に即興で作ったレベル。
元の世界に戻った、夢から覚めて現実に戻った、という部分を具体的な形で示す為の小道具です。
あと、トリッパーとして主人公代行をした時の友人への態度と、元の世界の素の主人公の友人への態度を比較するためでもあったりします。
これ以上レギュラーキャラ増やしても回しきれません。
Q,なんか主人公が虚空に語りかけてるんだけど……。
A,まぁ一応、一緒に故郷を見て、一緒に遊んで、一緒に御飯を食べる約束は果たしたよー、という、主人公の感傷。
暫くしてから思い出すと布団の上で頭抱えてゴロゴロするかもしれない。


そんなこんなで、長々と続いたデモンベイン編もこれにて終了。
久々の設定纏めーとか思ったんですが、正直、自分も書きたいことを書き終えて、そろそろデモベに関わらない別の話を書きたいので、パス。
デモベ編を振り返って『ここってどんな設定になってたんよ』みたいな疑問があったら感想板に質問として書き込んで頂ければ。

次回のトリップ先は一応決まっていますが、投稿するのは少し間を置いてからになります。
一応人気かつメジャーなタイトルなので、しっかり原作を見なおして、設定集読んで、ネタ作って、話の大筋考えて、オチ考えてからでないと反応が怖いので。
まぁ落ちなしで好き勝手やって帰るブラスレ編方式のエンディングも偶には悪くないと思うのですが。

ちなみに、もう反応返してくれる読者は殆ど居ないだろとか、そういう寂しいツッコミは勘弁してくださいね。

そんな訳で、今回もここまで。
誤字脱字の指摘、文章の簡単な改善方法、矛盾している設定への突っ込み、その他諸々のアドバイス、
そしてなにより、このSSを読んでみての感想、心よりお待ちしております。



[14434] 四方山話「転生と拳法と育てゲー」
Name: ここち◆92520f4f ID:ce9294f6
Date: 2012/12/20 02:07
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〈神様転生系のおはなし〉

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「誤解なきよう、一つだけ最初に言わせて貰えば、君は死んでいない」

「は?」

突然現れた男が、酷く事務的な口調でそんなことを言っていた。
少年というには育ちすぎ、中年というには若すぎる、至って普通の何処にでも居るあんちゃん。
そんな男がいきなり『君は死んでいない』なんて当たり前の事を口にした。
ただ、事務的な口調に反して、その表情は渋面に歪んでいる。

「……まぁ、訳がわからんってのは理解できる」

そう言いながら、男は手に下げた黒いビニル袋を掲げながら溜息を吐いた。

「状況が悪かったんだろうな。今日は、注文していた本が届く日だったんだ。前々から欲しくて欲しくて堪らなかったから、入荷の電話を貰って即書店にダッシュ」

「あー、あるある」

通販で頼めば取りに行く必要もないのに、何故か店頭で注文したりしちゃうんだよな。
ネットしてる最中とかじゃなくて、本屋でふと思いついて欲しくなった時とか、家に帰ってから通販サイトでも見ればいいのに、そのまま店員に有るかどうか聞いて。

「ご理解いただけて嬉しいよ。で、だ。目当てのブツを手に入れて意気揚々と帰る途中、信号待ちの最中に、車が行き交う道路をキョロキョロと見回している男が居た。見た目は中肉中背、顔つきに目立つ特徴なし、如何にも何処にでも居そうな……君と同じくらいの、高校生だったか」

男の言葉に、頭の中に一つの情景が浮かび上がる。
ああ、そうだ。
確か俺も、ジャンプを立ち読みしに、良く行く本屋に行こうとしてた。
道路の向かいには、この目の前の男が居た気がする。

「平日の昼間っからジャンプ立ち読みとは、不良だな」

「あ、いや、今日はテスト期間中で……?」

おかしい。
今、俺は、ジャンプを立ち読みしに行く、という部分を口に出しただろうか。

「いろいろと思うところはあるだろうけど、無視して話を進めようか。不良かそうではないかはともかく、その少年は信号が青になるのを待たずに道路を渡ろうとしたわけだ」

そうだ、あの信号、書店へと続く側の横断歩道は、県道を横切る形で設置されているから、少しだけ長めに信号の赤の時間が設定されている。
でも、この町は何だかんだで田舎だから、平日の昼間は多少車の通りが少なくなる。
あの時も、少し待てば車の列が途切れて、走り抜けられる程度の時間はできると思って、

「うん、そんなところなんだろう。少年の思った通り、少し待つと、信号が変わるよりも早く車は途切れた。遠くから走ってくるトラックも見えるが、健康体高校生男子の平均的な速度を出せれば、道路を渡り切るには十分な距離だった────そう、道路を横断する最中に、靴紐が切れて躓いたりしなければ」

「あ……」

思い出す。
道路の途中で、いきなり靴紐が切れて、走っている途中だから、そのまま靴が脱げたんだった。
カッコつけるために、あと背が伸びて足も大きくなる可能性も考えて、少し大きめの靴にしたから。
だから、その場で、滑って、尻餅を突いて。
クラクションの音が、

「あ、ああああ」

空を飛んだ。
体中からバキバキ音がして、頭から、くしゃって音がして、

「ああああああああ!!」

痛みが蘇る。
一周回って、痛みよりも衝撃の方が強く記憶に残っているけど、それでも、今まで感じたことのない痛み。
文字通り全身を砕かれる痛みだ。
そのまま、全身から血が抜けて、どんどん、冷たくなって、周りの光景もぼやけて、
どうして忘れて、俺は、俺はあの時、
死────

「まぁ、渡りはじめのところだったからな。少年はみっともなく慌てながら歩道に駆け戻って行ったよ。無傷ではあるけど、渡りかけて戻るのは恥ずかしい、後で思い出して微妙に嫌な気分になったろう」

「え」

ぱんっ、と、男が手を叩く。
するとどうだろう、寸前まで再生されていた死の寸前の感覚は消え失せ、混濁し始めていた意識は一瞬にして正常化されてしまった。
同時に、ようやく周りの情景が常軌を逸したモノである事に気が付く。
何処までも、何処までも続く、左右にドアのある廊下。
男も、『そこに居る』だけではなく、廊下のど真ん中に置かれた机に座り込んでいる。
こうして見れば、男がどんな風貌をしているかも認識できてきた。
格闘家の様なマッチョではないが、中々にがっしりした体つき。
目つきも鋭く、はっきり言ってしまえば、書類仕事をする様な机に座る姿は中々に似合っていない。

「さて、話を最初に戻そう。君には確かに死んだ記憶が有るだろうが、あの日あの時あの場面、誰一人として死んではいない」

「ま、待ってくれよ。じゃあ、俺のこの記憶は」

男は退屈そうに机に肘を付き、机の上の書類に乗せられた小さな玩具をいじっている。
最近、そこらのガチャポンでよく見る土下座フィギュアだ。
……ローブを着たひげふさふさの爺タイプなんてあったかな……。

「そういう設定だからだ。俺に聞かれても困る」

「設定?」

「そう、『よくわからない空間で目を覚ますといきなり目の前で土下座する偉そうな老人、事情を聞くとどうやらこのジジイは神様で、俺はこいつのミスによって死ぬはずが無かったのに殺されてしまったらしい!』ってやつだ」

お前は良く知っている筈だろう?
確認するように放たれた問いに、俺は頷く。
それは、良くネット掲示板で見かける『神様転生』と言われるジャンルのSSと同じ展開だ。
でもそれじゃ、やっぱり俺は死んでるってこと?
あ、違うか。
死んでいない、ってことは、『死んで生まれ変わる魂になったという設定』なのか?

「……物分かりが良すぎるな、君は」

「いや、正直何もわかっていないっていうか」

これが現実と仮定した場合、自分がいきなりああいう作品の主人公と同じ立場に立たされるとは思っていなかったから、イマイチ感情の方がついてこないっていうか。
夢だとしても、こんな恥ずかしい夢を見るとも想像していなかったから、どう反応していいかわからないっていうか。
だけど、男はそんな俺の考えを読んでいる様に首を横に振った。

「少なくとも、ここでぎゃあぎゃあ喚き始めない分だけ、君は十分に理性的だ」

「喚いたらどうなってた?」

「会話機能思考機能我慢機能没収の上で理性的になってくれるまでちょっと痛めのリフティング。俺が飽きるまでな」

「やだ怖い」

背筋に怖気が走り、身体の感覚を思い出す。
目の前の男には逆らわない方がよさそうなので、なんとなく突っ立っていた身体に正座をさせる。
組んだ足先の感覚がない。
振り返り確認すると、脛の途中から足元がぼやけているのが見えた。
さすが夢、分かり易い幽霊描写だ。
しかし、これなら少なくとも正座のし過ぎで足がしびれて動けなくなる、という事はないのかもしれない。
正座で男を見上げると、男は見下す事もなく、机の上に乗せられた資料を一枚捲る。

「ふむ……話を続けようか。ここまでの話だと『①君がいわゆる神転テンプレと似たような状況である』『②しかし君は死んでいない』という点しかわからないと思うが」

「あ、大丈夫です。『テンプレ通りに超パワーとか貰ってどこかの世界に転生させられる』って事でいいんですよね?」

そうなると、目の前で椅子に座っている男が神様とか天使様ポジなのだろうか。
確かに幼女とか老人はマンネリだけど、何の変哲もない男、ってのもそれなりの数が居そうな気がする。
ビジュアル的にどんな方向性を目指したチョイスなんだかわからないけど、性質的には間違いなく邪神とか荒ぶる神とかなんだろうな(小並感)。

「まぁ、概ね間違っちゃいるが、そんな認識でも問題はあるまい。正直、俺だって早く家に帰りたいからな。都合のいい事に転生先の肉体は決めてあるようだし、あとは適当に主役張れるだけの力をつけてやろう」

「ちょとちょっと」

嫌になげやりな男の言葉に俺は待ったを掛けた。
少し年上っぽい男にこういう口の聞き方をするのもどうかと思うけど、どうせ夢なら構いやしない。

「なんだ? 俺はさっさと帰って電ホビ読みたいから、さっさと済ませたいんだが」

面倒くさそうな表情の男。
だけど構うことはない。
この夢の中の設定では、俺は建前上被害者の側なんだ、少しくらい主張激しくてもいいだろう。

「こういう場面って、俺にどういう力が欲しいかーとか聞くべきじゃないですか? それを勝手に決められちゃ溜まったもんじゃないですよ」

「ふーん。じゃ、言ってみな。これでもほぼ全能の身だから、定番の剣畑でもジャイアン物置でも魔力SSSSSSだけど面倒だからBに擬装でもベクトルあっちむいてホイとかでも好きに付けてやれるから」

投げやりに、小指で耳をほじりながら言う男の態度に不快感を覚えながら、確認する。
うまい話には裏があるもので、特に最近のアンチ主人公以外の転生者だと、こういう能力にはたいてい罠があったりする。

「……剣は自分で登録しろとか、中身はお前持ちな、とか、制御能力は別とか、脳味噌の演算速度が足りない、とか?」

で、何故か主人公の転生者にだけ、罠が張れそうな部分をスルーしてまともに能力を与えたりするのだ。
だが俺の指摘に、男は如何にもなんだそりゃ、みたいな顔で手を振った。

「やらんやらん。パソコンやるけどOS抜いてあるぜ外部入力機器も全部潰してあるぜとか、PS3買ってやったけど本体だけなコード類は自力で買え通販も無いし近所に電気屋も無いけどとか、そういう類の詐欺だろそれは。必要な技能はセット扱いだよ」

男は袋から本を取り出し、ビニルを破って読み始める。

「お前が欲しい力を、デメリット無しで最強主人公っぽく思う存分に振るえるようにしてやると言っているんだ。シンキングタイムは……そうだな、今日は電車だから、二時間くれてやる。決まったら言え」

そう言って、大きめの砂時計を逆さにすると、男は読書に没頭し始めてしまう。
不思議な事に、本に何が書いてあるかは読めなかった。
だけど、うん、いい夢だ。
どこまで続く夢かは知らないが、それならそれで、好きな力を選ばせてもらおう。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

ぱたん、と、本を閉じる音。
俺はハッとして、男の方に視線を戻した。
机の上には、砂の落ちきった砂時計。
いつの間にか二時間が経過してしまっていたらしい。

「で、何にするか決まったか?」

「まだ……、いやでも、もうちょい待ってくれれば決まるから!」

まいったな、二時間も貰ったのに何にするか決められないなんて。
まぁどうせ夢だし、なんだかんだ言って時間も融通してくれ、

「はい、じゃあ時間切れって事で、お前の能力は『なんか太刀打ちできるやつが居ないすごい超能力全般』に決定しましたー。ぱちぱちぱち。────ほれ」

無いらしい。

「うわっ!」

抵抗する間もなく、男の放った光が俺に吸い込まれ、途端に、自分が恐ろしく強い超能力者になった事を自覚した。

「もうちょっと待ってくれてもいいだろ! 大体、SHINPIとか使う連中が出てきたらどうするつもりだよ!」

思わず微妙な丁寧語を忘れて怒鳴りつける。

「何が欲しいか決められないのが君の不足していた部分らしいぞ。それに常識でものを考えろ。最強の魔眼だのなんだのをぽんと与える存在がくれた超能力だぞ? よっぽどのハズレ世界にいかない限り格負けは無いに決まってんだろ」

シッシッ、と、じゃれる犬を追い払う様な手付きで俺の抗議を一蹴する男。
酷く御座成りな扱いに、目の前の男に怒りを覚える。
大体なんだ、決められないのが欠点って。
俺はそこまで優柔不断な生き方をした記憶はない。あと二時間もあればきっと決められるにきまっているのに、酷い言いがかりだ。
そういえば、前に読んだSSじゃ、貰った力で神を速攻で殺していた気がする。
そこまで行かなくても、意趣返しくらいはしてやるべきじゃないだろうか。
悪戯心がむくむくと湧き上がり、手に入れた超能力で目の前の男に干渉──

「そういえば最近の流行りだと、貰った力で反逆した相手には自分のうんこを食わせなきゃならんらしいな」

干渉──

「よくよく考えると凄い趣味だよな。俺にはスカトロ趣味無いから理解し難いんだが、相手の口から自分のうんこがハミ出してる映像とか、見て面白いもんなんだろうか」

干し──

「ちょっと知ってる美少女とか、逆にむかつく顔の奴で脳内シミュレートしてみたんだが、イマイチ興奮どころがわからないというか」

か──

「ああ、せっかくだから能力も変更するか。魔王の力とかどうだ? 悪霊の王とも呼ばれる悪魔の力を再現したもので、秘密を暴いたり相手を無力化したり、応用力高いぞー? 副作用で少し食べ物の好みが模倣元の魔王に似るけど」

「スカトロとかアブノーマルなのはいけませんよね! はい!」

おれはなんておろかなんだ!
こんないかしたぱわーをくれたあいてにはんぎゃくだなんて!
かみしゃまばんじゃい!

「うん、お利口さん……。それじゃ、適当なドアを開けてさっさと生まれてしまえ」

顎でしゃくって示すのは、一歩間違えると第六天魔王とか妖怪首おいてけとの共闘ルートに突入しそうなデザインの扉の数々。
強制的に送られないのはまだ善良なのかもしれないけど、こう、踏ん切りが付き難くもある。

「あのぉ、適当って」

「数が多いのはインテリアの一種、出る先はどれも同じ世界の同じ女の股だ」

品のない物言いだ。
ああでも、いざ転生する、となると、緊張する。
転生先の世界はどんなものだろうか。
何しろこれから新たな一生を生きて行かなければならない世界なわけで。
ちらり、と、男に視線を向ける。
男は意を察してくれたのか、鷹揚に頷いた。

「君は健康体で生まれるし、それなり以上にリア充人生を送っていける。ハーレムも頑張れば作れるかもしれん。……固定ヒロインも複雑な設定もついてないようだしな」

「リア充、ハーレム……」

下を向き、告げられた言葉をオウム返しに呟きながら、喉がべとりと乾くのを感じる。
妬む程のものでは無かったけど、一度はなってみたかった状況だ。
だけど、これから自分がそんな状況に置かれるのだと考えると、不安になる。
俺は、上手くやれるのだろうか。
数多くの物語に登場する、主人公達のように。

「安心しろ。君は、別に主人公である必要はない」

「え?」

顔を上げると、男はさっきと同じく、億劫そうな顔。
少なくとも、俺に何かを期待しているようにはとても見えない。

「お前にあるのは人並みの出生、人並みの家庭、そしてTUEEEEだけではなく日常全般ですらSUGEEEEできるの万能な超能力だけだ。トラブルを解決する義務なんぞくれてやった覚えはない」

「いや、でも……神転なんでしょう?」

「輪廻転生なんぞそこらの犬猫でもやっているだろう」

身も蓋もない。
明らかに仏教系には見えないのに輪廻とか持ち出してるし。
そんな俺の思いを知ってか知らずか、男は何かの期待を向けるでもなく、ただただ事務的に告げる。

「それに、強い力を持つ者の義務とか……」

「できることをやらないのも権利の一つだ」

机の上に置いてある本を掲げる。
教養書でも宗教関連の本でもない、極々普通の娯楽誌。

「今さっき欲しい本のついでに買った、役に立つのかどうかもわからん微妙な本。これを買う金、募金すればワクチンにでもなって何十人、何百人の生命を救ったろう。つまり今日の俺は、遠くの子供の生命を見捨てて自分の娯楽を取った事になる。救える生命を見捨てたが、俺は責められるか?」

「いえ……」

「そうだ。力を誰か、何かの役に立てるのは尊い行いだろう。しかし、俺達は生きていく上で、余剰分を全て尊い行いに費やす義務なぞ持っていない。それは君も同じ事だ」

なんというか、酷く身勝手で、聞いていて不快になる。
不快になるのは、たぶん、否定することができないからだ。
単純な、感情や道徳論の絡みにくい、単純明快な利己の為の正論。
何よりも、納得して、少し心が軽くなった自分が気持ち悪い。

「俺はお前に力を与えた。そして、転生後、その力で解決できるだろうトラブルに出くわす事もあるだろう。誰かが誘拐される現場を目撃したり、怪物に襲われそうになっていたり、単純に階段から落ちそうになったりでもいいか」

「……その場面で、俺は『力を使って助けてもいい』し、『無視して家に帰って録画したドラマを見ながらカウチポテトしてもいい』って事か」

アメコミだかハリウッドの映画だかで、そんなテーマの話があった気もする。
メンタルが一般人なら、一般人らしい振る舞いをするのが一番自然なのかもしれない。
神転だの超パワーだのに気を取られて、大事なところを見落としてしまうところだった。

「そう。どんな思惑で生み出されようが、生まれたのなら、その人生は君のものだ。心の許す限り、自由に生きていくことができるだろう。……というか、生まれた後にまで干渉してやるほど俺は暇じゃあない。勝手に生まれて勝手に生きて、そして勝手に死ぬといい」

「台無しにしないと気が済まないんですか?」

途中まではいい話っぽかったのに……。

「君のせいで、俺は既に二時間分の人生を無駄にしてしまっているんだ。悪態くらい出る。ほら、もう聞く事はないだろう」

さっさと行け、と、猫でも追い払うような手付きで急かされる。
雑な導入、雑な送り出し。これが夢ならもう少し気の利いた演出なりなんなりが欲しい。
仮にSSならこの場面は全カットでいいんじゃないだろうか。

とまれ、気分は軽くなった。
ここに長居したい理由も無いので、これで心置きなく転生することができる。
これが夢かどうかはそのうちわかるだろう。
もしかしたら、扉を開いて、さぁ転生するぞ! という場面で目が覚めるかもしれない。
とにもかくにも、この扉を開かなければ話は始まらないのだ。

「ああ、忘れていた」

ドアノブに手をかけ、ドアの向こうの白い光に半身を突っ込んだ所で、背後から男が声を掛けた。
振り向くも、視界を眩い光が遮り男の姿をはっきりと視認することができない。

「事前情報やったんだから『おぎゃぁぁぁぁぁ!(なんじゃこりゃぁぁぁぁ!)』とかやったら鼻で嗤うのでそのつもりで。せめて10回華麗にステップ踏んでから『天上天下唯我独尊』とか青ひげ生やして『リィィィダァァァァァァ!』くらいは言ってみせるように」

忘れるなよ。
そんな言葉を最後に、光に輪郭を暈された男の姿が見えなくなる。
光に包まれ、急激に身体の感覚がはっきりとし始める。
どんな世界に転生するのか、それともベッドの上で目覚めるのか。
どちらになるかは判らない。
判らないが、俺は何故か、あの不躾で皮肉げな受付の男に対し、こう思っていた。

『送り出してくれて、ありがとう』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

フワフワした人型っぽい物が扉の向こうに吸い込まれるのを確認し、数十秒。

「……大丈夫、かな?」

とりあえず、俺があのフワッとしたものが主人公として当てられる物語に呼ばれる、という線は無いようだ。
少なくとも、手元の資料には『転生者を利用した自己強化プラン』だの『転生者の生き様をプロデュース』だのといった内容は見受けられない。
更に数十秒だけ待って、丁度一分が経過した所で、俺は安堵の溜息を吐いた。

「合計三人、初めてにしちゃ、まぁ、上手く処理できたよな」

特に、最後の一人は上々だったと思う。
個性と自己主張が薄めだったから、というのもあるが、危うげなく能力付きに加工する事が出来た。
ぶっちゃけ、海賊版作成とか倉庫とか注文されても、見た目と効果が一致する良く似た能力しか付けられんからな……オリジナル生で見たこと無いし。
あっちむいてホイは超能力の範囲で収まるから再現楽だけど、それなら普通にさっきの凄い超能力全般に含まれちゃってるし、メリットが無いからなぁ。

「姉さんの言う通り、ちょっと強めにこっちが出れば主張を引っ込めた」

これは記憶しておこう。
一人目二人目はこっちが少し控えめに出たら超調子に乗って使わないだろう能力まで望んできたし。強気で接することが時間短縮の鍵になると見て間違いないだろう。
最終的に『なんか強くて負けない系の強さ(あやふや)』と『魔力とか気とか必要な分だけ出そう(希望)』で済ませたのも良い点だろう。作るのが簡単だ。
これで矛盾都市の能力全部くれ、とか言われたらどうなっていたか。
まぁ、連中だけなら、結局能力を何にするかも決められずにこの場から動けなかったろうけども。

「卓也ちゃーん、そっち終わったー?」

脳内反省会を行っていると、俺の座る執務机の直ぐ右後ろのドアが開き、姉さんが顔を出した。

「一応ね。……事前にどういう形式になるかは説明貰ってたし、失敗のしようも無いんだけど」

「卓也ちゃんなら事前説明無くてもきっと上手くやれてたよ?」

「理由は?」

扉の向こうから隣にまで歩み寄り、机の上で転がされて練られた消しゴムのカスの様に伸びていた老人土下座人形を爪で弾いてゴミ箱にシュート。

「お姉ちゃんの弟だから、ってのが最初に来るけど、ほら、ナイアルラトホテップ属性あるし、お手の物って感じじゃない?」

「あー……うん、そういえば、似たような事、原始人類とかでやった記憶が……」

──さて、俺と姉さんがこんな戦闘訓練にも使えないような微妙な不思議空間で何をしていたかと言えば、神様転生の真似事である。
姉さんの知る範囲内では、トリップと転生は似ているようで全く違うものとして扱われているらしい。
俺達トリッパーは作品世界に取り込まれる際、どれだけ足掻いても最終的には取り込まれてトリップする羽目になる。
これはどれだけ強力な能力を持つトリッパーでも同じであり、それだけ不完全な世界の持つトリッパー吸引能力が高い証明になるだろう。

だが不思議な事に、全てのトリッパーはどんな条件のトリップであろうとも、肉体を維持したまま、転生などを行わずにそのまま作品世界へと移行する。
不自然にトラックが目の前を通り過ぎる事はあっても、本当にトラックに跳ねられて死に、転生したトリッパーは存在を確認できていないのだ。
全能を越えて全能殺しを超越し、最強スレトップランカーを指先ひとつでダウンさせる超トリッパーが強制的に引き摺り込まれるというのに、成り立てのトリッパーなどが神様転生二次創作世界に殺された、という話は一つとして存在しないらしい。
いわゆる、神様転生系の手順を踏んだオリ主のなりそこないも見つかることはあるが、それもあくまでもそういう設定がついている、というだけで、現実の人間の生まれ変わりではないらしい。
これには諸説あり、『単純に我々に観測されていないだけで、現実世界で死んでしまい、魂として転生という形でトリップしている者は存在する』説や、
『トリップ先の世界はその攻撃力、殺傷力を現実における創作物と同じくしている為、現実の存在であるトリッパーを物語に取り込む(話に没頭させる)ことはできても、実際に殺害する(話だけで読者の生命を奪う)事は出来ない』説、などがある。
因みに後者の説はあくまでも現実世界において物語自体に殺傷能力が無いというだけの話であり、その話を読んだショックで自害したりするのは勘定に入れていないのだとか。
それに三国志とかの時代だと転生系のトリッパーが普通に存在した可能性はありそうだ。あの時代の武将や軍師連中、手紙一通で憤死とか悶死とか怒死とかしたりするし。

と、まぁ、事実や実際の原因がどうあれ、姉さんが知りうる範囲では、トリッパーは転生系二次創作世界にオリ主の代役として取り込まれる事はない。
では、神様転生系の二次創作世界、それも、転生させる段階で躓いた世界は、どのようにして自らの欠損を埋めようとするか。
それは、他の世界と何一つ変わらない。
神様転生系のお話に必要な要素を埋めるために、適当なトリッパーをその世界に取り込む。
『転生させるために殺す必要がなく、不足しているパーツを補うのに最適な存在の代打』として。
──そう、神様転生系二次創作プロローグ世界におけるトリッパーの役目は主人公そのものの代役ではなく、主人公をその世界に転生させる神様の代役なのだ。

「でもあれぶっちゃけた話、時間が腐るほどあるから出来た娯楽だしさ、こっちの世界でまでやりたい遊びじゃないよ」

よく神様転生系SSをどうすれば面白くできるか、なんて話をしているところでは、
『与えられた力で得意絶頂、周囲からの期待も最高潮に達した所で、唐突に能力を没収し、落ちぶれたり、そこから自力で這い上がる姿を楽しむ』
なんて話を聞く。
が、しかし。
そんなのは神様が与えた力に限らず、現実社会にも腐るほど存在している話だ。
転生特典ではないにしろ、会社などで与えられる力、権力はある程度まで上り詰めないと、結局は更に上位の役職の連中から与えられた借り物の力でしかないとも言える。
社会人でなくても、親の車、親の金で豪遊していた連中が唐突に支援を打ち切られた時などがこれに該当するだろう。
この辺りの理屈に関しては、オーズのガタキリバが初登場するエピソードとか参照してもいいかもしれない。
ことにあの元ボンボンの女性は上手くやれている方だし。
転生オリ主アンチ救済という方向性で、改心した噛ませ系転生オリ主が平穏にパン屋を始める短編とか誰か書かないだろうか。

「うーん、まぁ、この形式だと、卓也ちゃんなんかは得るものは無いに等しいもんね」

首を僅かに傾け、困ったように眉根を下げ、人差し指で自らの頬を抑える姉さん。

「姉さんは、なんか手に入ったの?」

「お姉ちゃんも大した収入は無かったけどね。一応、魂どもに与える事ができる能力は全部手に入ったけど……一般的な神様転生で与えられる付属品とか、全部ダブリ多めで持ってるし」

姉さんはこんなトリッパー的ブルジョワ発現をかましているが、この神様転生系トリップ、俺にとっては旨みが非常に少ない。
姉さんの様に、超存在(笑)に力を与えられたり、むしろ力を簒奪したり、もしくはイヤボーンとかオデキ六つハゲの事かとか眠っていた真の力とか仲間の死を乗り越えることで魂の位階がとか、そんな理屈でポポポポーンと成長できる一般的なトリッパーなら、この神様転生系トリップにも少なからぬ旨みがある。
神様としての活動を体験することによりゴッドパワーだの神力だの信仰だの諸々の超パワーが身についたり、一般的なチート能力を軽く凌駕する神能力に目覚める事ができるのだ。
単純に潜在能力が上がるとか、『最早魂のレベルが人のものを越えてしま云々』とかでも構わないが、まぁそんな感じなのである。

「あのオリ主のなりそこない共の元を食っても良かったんだけど……ぶっちゃけあれ、スカスカして何の足しにもなりそうにないし」

三人とも能力を与えてから齧ってみた(当然、その工程の記憶は削ってある)のだが、なんといえばいいのだろうか、新品の台所用スポンジを口に含んだような感触というか。
まあ、備わった能力も殆ど完全に俺が継ぎ足したものだから能力が手に入らないのは仕方がないにしても、あまりにもスカスカし過ぎている。

「んー、そこら辺は、まぁ、転生断念系だと仕方が無いのよ。だってほら、転生させる前に考えるのを止めちゃってる訳だし」

「ああ、デモベ世界のクロスっぽい連中とかと同じ扱いな訳ね」

つまり、本来ならトリッパーが成り代わらなければ成らない位置の存在であるため、恐ろしく不安定な存在なのだ。
これらの『薄い』存在である転生オリ主(の、なりそこない)に対して、トリッパーは神様的立ち位置から能力を付与し、転生する前の幾らかの会話によって性格、人格などの濃度を上げ、オリ主として活動できるレベルにまで存在を安定させなければならない。
ここが曲者なのだが、存在が本来のオリ主レベルまで安定するのはあくまでも能力とキャラ付けによって生まれた、『転生後のオリ主(仮)』なのだ。
お陰で、送り出す場所から動けない場合、俺は安定した後のオリ主を取り込む事ができない。
よしんば神様が後々ストーリーに絡むお話だったとして、オリ主として安定した存在が取り込んで能力を得られる程度の濃度を持っているかは別問題となる。

良くオリ主ありの二次創作に対する批評で『上っ面だけ』とか『キャラが薄い』とか『ありがち過ぎる』などという言葉を見かける。
安定した後の転生オリ主(仮)が、そういった批評を受けても仕方が無い個性を獲得していた場合、転生オリ主(仮)は、その批評の通りの『表面上しか人間性が存在せず』『自我が薄い』『オリ主としての役目を全うするためにテンプレート通りの動きをする』存在と化していると見ていい。
これは、トリップ先の人間と比べてもなお劣る存在だろう。何しろ、トリップ先の人間は曲がりなりにも元の世界の人間と同じ構造をしている。
人間と同じ動きをして、しかし自我も欲も無く、役目を全うするためにだけ生き続ける存在は、とてもではないが人間とは言えない。

そして、人間を逸脱した、一種のシステムと化した転生オリ主(仮)の力もまた、世界を回すためのシステムの一部に組み込まれる。
物語の中で人間関係を回すための歯車としての『オリ主』と、物語を都合よく力技で進めるための動力としての『オリ主パワー』は、同じ価値を持つ同列の要素として扱われる。
そうなると、今さっき与えた凄い超能力の数々も、転生オリ主(仮)の中ではなく、世界の基幹部分へと移動してしまう。
そうして、転生オリ主(仮)の中に残るのは力ではなく、世界に組み込まれた、『オリ主の操る超パワー』へのリンクのみ。
アイコンがパッと見で同じでも、オリ主の中に残っているのは『超能力.exe』ではなく『超能力へのショートカット』でしかない。

転生する前はそもそも不安定で取り込んでもスカになる。
転生後も能力が安定状態で本人の中に残るとは限らない。
転生オリ主(仮)にとってはそれでもいいのだろうが、こちらとしては美味しくないにも程があるのだ。

「……って言っても、トリップしないに越したことはない訳だし」

そう、散々言っておいてなんだが、これはあくまでも転生オリ主を取り込む事を前提とした話だ。
総合的に見れば、神様転生系のトリップほどトリッパーに優しいトリップは存在しないと言ってもいいだろう。
何しろオリ主のなりそこないの魂を改造して力と個性を与えるだけでいいのだ。
トリップして、原作が何かを考えて、どういうイベントが起こるかを思い出して、それを解決するために奔走することと比べれば、掛かる労力は桁違いに低い。
メリットはそれだけではない。
神様転生系トリップの最大のメリット、それは……

「ほら、そろそろ帰れるみたいだし、夕ごはんはお家で食べられるよ?」

「ん、おお、これは確かに早い」

懐かしの帰還の兆しに包まれる。
そう、神様転生系トリップの最大のメリットは、『元の世界へと即座に帰還できる』という点だ。
何しろ神様転生系SSのプロローグと同じやりとりを行うだけでいいので、そのやり取りに掛かった時間だけしか元の世界では時間が進まない。
いや、場合によっては数分で元の世界に帰れる場合すらあるらしい。
この速度を通常のトリップで真似しようと思ったら、それこそ事件の元凶を第一話のアバンが終わる前に一人残らずMassacrしなければならないだろう。
つまりここ数年の姉さんな訳だが……。ある程度時間が進まないと事件の元凶が存在すらしていない系の世界とか、これだ! という元凶が存在しない世界ではそもそもこの手すら使えない。

しかしそもそも、それでも数時間とか普通に取られてしまった訳で。
交通事故に遭いかけた少年を見て、一瞬だけ、
『ああ、あんな感じで事故死して、そこから異世界に転生してチートな人生を……いかんいかん、人身事故になりかけてるのに不謹慎な』
とか考えた人々の捨てた世界だと思えば、文句の付けようも無いというか。

「そういえば、今日は何かいいのあった?」

「んふふー、今日はねぇ、ちょっと高めのホッケ! あとはねぇ……」

姉さんの買い物自慢を聞いていると、周囲のドアの並ぶ転生部屋の光景が薄れ、塗りつぶすように元の世界の人気のない路地裏の光景が広がり始める。
……まぁ、元の世界の貴重な数時間を失ってしまったのは惜しいが、普通にトリップするのに比べればまだ時間的には救いがある。
毒にも薬にもならない転生トリップのことなどさっさと忘れて、今日の残りの時間でできることを考える方が余程有意義だろう。
そんな事を考えながら、俺と姉さんは無事に神様転生プロローグの世界から帰還を果たしたのであった。





〈神様転生のおはなし・おわり〉
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〈二重の意味でケモ属性モンクというおはなし〉

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獣を心に感じ、獣の力を手にする拳法、“獣拳”。獣拳に、相対する二つの流派あり。
一つ、正義の獣拳『激獣拳ビーストアーツ』
一つ、邪悪な獣拳『臨獣拳アクガタ』
戦う宿命の拳士たちは、日々、高みを目指して、学び────変わった!

「ので、帰ろう」

荷物をいつもの鞄に仕舞い込み、階段を降りる。
時刻は丑三つ時。
普段ならば昼夜問わず修行に明け暮れているリンシー達も眠りに付き、臨獣殿は夜相応の静けさを保っている。
無理もない。
幻獣拳との決戦では、少数精鋭の激獣拳の連中よりも、兵の多い臨獣殿に負担が多くかかったのだ。
全十三の流派を持つ、幻獣拳との決戦は熾烈を極めた。
どれくらい熾烈を極めたかと言えば、いやぁ、幻獣拳の頭目は強敵でしたね……という程に辛く厳しい戦いだった。
みんなの手前、魔術とか科学とか基本的に禁止だったし、かといって力を強く込め過ぎると地球そのものが砕け散るし。
だがその甲斐あって、武術サイドの修行にはとても身が入った。
何時か蘊奥の爺さんに言われた一撃がどうたら、という境地には達せなかったまでも、俺に相応しい戦闘法を手に入れる事ができたと言っていいだろう。

「……」

ふと、振り返る。
半ば程を降りた階段から見えるのは、深い霧に覆われた、断崖に聳え立つおどろおどろしい外観の臨獣殿。
空には臨獣殿の霧と繋がる雲が掛かり、街の灯りが届かないこの場所を照らすのは、臨獣殿内に僅かに立てられた松明などの灯りのみ。

「意外と、愛着が湧いたか」

呟く。
これまでのトリップの中ではそれほど長いとも言えない、僅か四クール程の滞在だったが、ここには多くの思い出がある。

激獣拳を学びにスクラッチに向かった美鳥と別れ、この臨獣殿に訪れたはいいものの、入門の要項を何処で手に入れれば良いか分からなかった第一話辺り……。
結局、リオメレ以外の全てのリンシーとリンリンシーをこれまで学習した武術を無駄に駆使し、丸々一話分の時間を使って全員再起可能なレベルで叩きのめし、
『今日からこの場において臨獣拳を学ばせて貰う! 我が入門を挟む者は更なる地獄を見る事になるだろう!』
と、中学生時代に引っ込み思案だったソバカス三つ編みメガネ図書委員女子の高校生金髪ピアス黒ギャルデビューの如く鮮烈なデビューを果たしたのも、今は昔。

とりあえず、見よう見まねで臨気を出す所までは上手く行ったのだが、獣の心をどう感じれば良いか分からず、色々と工夫した一クール目。
二クール目には、スパロボ世界の終盤で使用した顔に掛ける影を使って度々顔が出ない程度に激獣拳の連中の前に姿を表し、
全員が復活した三拳魔に頼み込み説得(物理)して修行を付けて貰い、ようやく俺の運命の獣拳を習得、数日に渡るチャットでの打ち合わせを元に『敵味方に別れた兄と妹の悲しき激突(笑)』のエピソードに丸々四話分の時間を割かせ……、
まぁ、なんやかんやあって幻獣拳との決戦を前倒しにしたんだったか。

「色々あったけど、いい修行の日々だった」

今後、ここで学んだ獣拳を単体で使用することはまず無いだろうけど、一度本格的に武術家に指南して貰ったのは、間違いなく良い経験になる。
美鳥と融合して激獣拳側の技術を統合すれば、格闘戦においてはかなりの向上が見込めるだろう。
……まぁ、ぶっちゃけ修行方法に関してはスクラッチよりも臨獣殿の方が時間単位での効率は格段に良いから、美鳥から得られるのは純粋にあっちで培った技術だけだろうけど。
だが、そう考えると、

「出来ればもう少し、拳魔様達に修行を付けて貰えば良かったかな」

贅沢な悩みだろうけど。

「そう思うのなら」

名残を惜しむ俺に、暗がりから声が掛けられる。
ねっとりとした粘性の色気が感じられる、妙齢の女性の声。

「修行を続けていきなさいな……貴方が本当に、納得できるまで」

ドレスの様な意匠が彼方此方に見える、クラゲに似た、女性的なシルエットの異形。
『海の拳魔・ラゲク』が、ゆっくりと、濃い影の中から姿を表した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

臨獣殿における鳴無卓也という拳士は、如何なる存在であったか。
現代の臨獣殿で、現当主である臨獣ライオン拳の使い手、レオ以外で唯一の生きた人間の拳士。
更に、修行を始める前から並のリンシーやリンリンシーが束になっても敵わない強さを誇っているとなれば、その扱いは特別なものになると思われるだろう。
だが、現実は違った。
当主であるレオの意向を気にも留めず、独自行動を行うという一点を除き、彼は他のリンリンシー達に混じり、日々の修行に明け暮れる。
その実力や、当主の意志に沿わない自由さ。
本来ならば多くの反感や嫉妬を買うだろう卓也は、しかしそれらの感情を生み出させること無く、まるで最初からそうある事が当然であるかの様に受け入れられた。
他のリンリンシーとの組手を日常とし、臨獣殿に訪れた初日に戦わなかったリオとメレに勝負を挑むでもなく、一拳士として修行に明け暮れる……。

そんな状況に最初に気が付いたのが、海の拳魔、ラゲク。
きっかけは、卓也の臨獣拳士としての目覚めの波動。
卓也の目覚めた獣の力は、奇しくも復活したばかりのラゲクのそれと非常に似通っていたのだ。
始めこそ、リオとメレの修行の為、嫉妬心を煽るための材料として目を付けただけだった。
だが僅か半年程の修行で、ラゲクにとって卓也は、リオやメレにも劣らない愛弟子として認識されるに至った。
何故か、と問われれば、それは、卓也が常に胸に秘めていた感情が原因だろう。

「修行し足りないのなら、無理に此処を出ていく必要はないでしょう?」

薄暗がりの中、ラゲクは窘めるように卓也に告げる。
弟子に対し師匠が抱く愛情からの言葉だ。
『この弟子は、自分の元でまだ強くなる事ができる』
そんな確信めいた思いがあればこそ、ラゲクは一人臨獣殿を去ろうとする卓也を引き止めている。

フリル付きドレスにも似た籠手に纏われた腕を伸ばし、ダンスに誘うように手を差し伸べる。
この手を掴み、私の元に戻ってこい、と。

「タクちゃん、あなたの中の、熱い、身を焦がし続ける思いは、まだ晴れていないのよ」

後に力付くで修行に付き合わされた空の拳魔カタや陸の拳魔マクでは気付くことの出来なかった、卓也の胸の奥底にひっそりと巣食う思い。
それはラゲクの最も得意とする『嫉妬』の感情だ。
内容を詳しく見たことはない。
過去を覗き見る時裂斬ですら、この弟子の過去を見通す事は出来なかったのだ。
だが、ラゲクには理解できた。
この弟子の中には、決して衰えることのない嫉妬の炎が宿り続けている。
そしてそれは、この瞬間にも間違いなく卓也の力に変わり続けている。
それを鍛え育むことこそ、師匠としての自分の役目であると、ラゲクは確信している。

だが、卓也は差し出された手を取ること無く頭を振る。

「それは何時か、俺自身の力で晴らさなければならないものです。師父、貴女からは既に、多くの事を学ばせて貰いました」

卓也もまた、ラゲクの元で修行を重ね、自らの中に潜む嫉妬の心を自覚し、直視するに至っている。
トリップをする事無く、平和に元の世界で生活を続ける事のできる他人への嫉妬。
何の変哲もない、生まれたままの生身の肉体を持つ人間への嫉妬。
いざという時に常に自分よりも冷静に、一歩引いた視点で動ける美鳥への嫉妬。
力を付けた自分でも足元にも及ばない強さを持ち続ける姉への、愛情にまぎれても時折顔を出す嫉妬。
姉と同じ位階にある、未だ見ぬトリッパーへの嫉妬。
幾度の自己進化を繰り返し、それでも未だ届かない高みにある、各種最強スレ上位陣への嫉妬……。
それは、直ぐに晴らす事ができないまでも、誰かに解消して貰うのではなく、自分の中で昇華するべき感情だ。
誰かに煽られて嫉妬を燃え上がらせるのではなく、妬みを感じることがない程に、自らを高める事で解消していくべきなのだ。

例え幻の続編である五クール目や、ゴーオンジャーとのクロスオーバーが始まって時間的余裕ができたとしても、ラゲクの元で修行を続ける事はありえない。
それを理解して、それでもなお、拳魔達の修行を惜しむ心がある。
だからこそ、心残りを振り切り、元の世界へ帰ろうとしている。

「……」

しばし、卓也の瞳を見詰めるラゲク。
瞳に映る決心が硬いと見るや、いつの間にか手にしていた錫杖で、神速の突きを放つ。
不意打つ訳でなく、正面から放つ最大速の一撃。
顔面を砕かんと迫る錫杖の切っ先。
首を反らすだけでは回避できないだろう一撃は、頭蓋骨の形を無視した頭部の変形により回避される。
ラゲク直々に合気の技を仕込まれ、臨獣ジェリー拳の特性を自らのものにしたからこその回避。
ラゲクもこの一撃が当たるとは思っていない。
あくまでも錫杖の一撃は見せ技。本命は地を這う触手による羅封掌握(らぶうしょうあく)。
既に一角の臨獣拳士となった卓也にとって、臨気に反応して侵食するこの毒は一定の効果がある。

音もなく地面を滑る触手が卓也の背面に回り、しかし、その背に針を突き立てられない。
ラゲクの触手が、地面から生えた新たな触手に絡み取られている。
卓也の足元から生えた触手が地中を掘り進み、背後からの不意打ちを迎え撃ったのだ。
不意を打ち損ねたとみるや、ラゲクはその場から小さく飛び退き距離を開ける。
卓也もまた鏡写しの様に背後に跳ぶ。
足元から切り離された触手は未だラゲクの触手に絡み続け、羅封掌握を封じ続ける。

ラゲクと卓也がまったく同時に背後、絶壁の僅かな引っ掛かりに着地。
そして開けた距離を詰めるように、二人は互いに向かって再び跳躍する。
常人の目では二人の通った空間に掠れた残像しか見えない程の超高速の一撃離脱の繰り返し。
互いの身体が交差する度に、互いの触手が絡みあう度に激突する純粋な殺意と殺意。
相手を騙す為の虚実を含めて互角。
勝者も敗者も無い、まるで演舞の様な師弟の死合。

だが、それもまた終わりを迎える。
一際大きな打音が響き、跳躍が止まった。
互いに背を向け、隻腕と化した卓也が苦しげに呻きながら片膝を付き、ラゲクが楽しげな笑みを漏らしながら、その場に両膝から崩れ落ちる。
卓也は右肩に羅封掌握を受け、毒が広がるよりも先に肩から先を左手刀で切断。
ラゲクは鎧の隙間を突くようにして差し込まれた卓也の触手に、臍から下にある内蔵へと続く孔を全て貫かれている。

かろうじて起き上がり、振り返り、向き合った瞬間、ラゲクは勝敗が決した事を理解した。
つい一瞬前まで隻腕だったはずが、既に右腕が再生している。
切り落とした肩口から無数の細い触手を生やして、新たな腕を形成したのだ。
それ自体は卓也の臨獣拳士としての特性だが、羅封掌握の毒を排除した卓也と、未だ急所である内蔵に刃を突き付けられたままの自分。
どちらがこの死合の勝者であるかは、火を見るよりも明らかだった。

そして、その事実を不思議と受け入れている事に気がつく。
嫉妬もなく、しかし、未だ伸びしろのある弟子が巣立っていく寂しさだけが心の中にある。
そんな、らしくない自分を嗤いながら、ラゲクはゆっくりと口を開いた。

「……臨獣拳士にとって、人々の嘆きや憎悪は強い糧になる。そして、焦がれるような、胸の中の思い、嫉妬も」

卓也はラゲクの言葉に、再生した右手で平手を作り、左手で作った拳をまっすぐに当て背筋を伸ばし頷く。

「嫉妬の心は父心、押せば生命の泉沸く……この教え、生涯忘れません」

「そう……なら、良いわ」

そんなニュアンスで教えただろうかと内心で首を捻りながら、ラゲクは卓也に背を向け、臨獣殿に向けて歩き始める。
弟子を一人、完全に仕上げて送り出す。
幾度と無く体験して、それでもなお弟子が巣立つ度にラゲクは一抹の寂しさを覚える。

「師父!」

そんなラゲクの背に、卓也が声を掛けた。

「名を……名を与えていただけませんか。我が獣拳の名を」

言われ、ラゲクはようやく、卓也の獣拳には名前が無かった事を思い出した。
臨気を操り、獣の力を借り受けて放つ技であるから臨獣拳として扱われてはいるが、その特異性──生物そのものではなく、生物の持つ器官から力を借り受けるその獣拳には、明確なモチーフとなる生物が存在しない。
故に、ただ獣拳として扱われ続けてきた。
名など意味のないものだ、それが力になるか否かだけが重要ではないか、と、そんな事を言い続けていた卓也が、自らの獣拳に名を欲している。

自らの教えを全て学び、技量でも越えてみせた弟子。
力を求めることを至上とする臨獣殿においては、もはや繋がりを保つ必要のない相手。
だが、自らが教え導いた弟子に、別れの選別代わりに銘を与えてやりたいと思うのは、武術家として、武術の師として当たり前の欲求だ。
その欲求に素直に従い、振り返る。

階段を数段挟み、ラゲクと卓也、師と弟子の間は意外な程に離れていた。
臨獣殿の拳士であれば、互いに大きく踏み込めば届く距離。
互いが武を振るえば届く距離。
互いが武を振るわなければ届かない距離。

段を登る師と、段を下る弟子。
臨獣殿に戻るラゲクと、臨獣殿から出る卓也。

離れた距離は、そのまま互いの関係性を表していた。
次に互いの手が届くのは教え、学ぶ時ではなく、拳士として殺し合う時。
師と弟子という関係は、これで終わる。

「その触手は、もはやそれだけで一つの獣。臨獣テンタクルス拳──いえ、もう、あなたは臨獣殿の拳士では無いから……」

ラゲクは段上から錫杖を下ろし、告げる。

「陰獣テンタクルス拳」

闇の底である臨獣殿から抜け、しかし、光の元では振るわれる事のない、陰の獣拳。
それが、ラゲクから卓也の獣拳に与えられた名。
ラゲクは、その名を告げ直ぐに振り返り、階段を登っていく。
今度こそ、振り返る事はない。

「テンタクルス拳……」

口の中で転がすようにその名を数度呟き、去っていくラゲクの背に向けて、卓也は深々と頭を下げた。

―――――――――――――――――――
○月×日(俺だけ深夜31時30分)

『三クールも師事した師匠に淫獣認定された』
『ちょっと死にたくなったが、これは言わばお墨付きというものではなかろうか』
『最初に狙うべきは、32時30分からの五人組かな』
『チャンネルはそのまま、テレ朝snegタイムで!』







〈二重の意味でケモ属性モンクというおはなし・おわり〉
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〈武装紳士のおはなし〉

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全国の武装紳士の皆様、または、アニメ見て武装紳士になりたくなったけどどこにも売ってねぇよクソァ! という哀れな紳士予備軍の皆様、ごきげんよう。
本日はコンマイの経営戦略の犠牲となった方々の為に、武装神姫の入門法をフューチャーしてみようと思う。

まずは、そう、二千四十年前後、武装神姫が一般に広く普及した時代にトリップしよう。
ここで注意しなければならないのは、素直に二十数年後にタイムスリップしても、武装神姫が実用化されていない可能性があるという事だ。
まずはトリッパーになること、これが最低条件。
次に、狙った世界にトリップすることのできる素敵な最強系トリッパーの姉の弟として生まれてくる事。
そして先日放映が開始された武装神姫のTVアニメを共に視聴し、リアル武装神姫欲しいなぁ! と、姉に思ってもらう事。

恐らくはこの段階でアニメ版の戦闘シーンのかっこ良さにキュンキュンして挙動不審になってしまうと思うがここは一つ我慢の子だ。
この紳士ゲージが破裂寸前までチャージされた時、きっと新しい価値観に開眼することができる。
とりあえずは手元の適当なジールベルンを恥じらいフェイスに換装した上で股クールして適度な落ち着きを取り戻そう。
そもそも神姫を持っていない?
安心して欲しい。俺は持っている。

翌日、通販で見つからないから、地方都市特有のレアアイテムが置いてある玩具屋に脚を運び、おもむろに神姫を探す。
探しても探しても見つからないぜ……あぁ! あった! ……ってこれスカイガールズじゃねぇか!
という不毛な一人ボケツッコミを姉さんと美鳥の三人でシンクロし、肩を落としながら帰宅。
仕方が無いので、部屋に置いてあるジールベルンの股を開いたり閉じたりして落ち着こう。
そう思い顔を上げると、いつの間にか何処かの世界にトリップしているのがわかる筈だ。

「なるほど、やはりそういう事ね」

顎に手を当て頷く姉さん。

「どういう事だネエサン!」

ところで話は変わるが、陰謀の匂いが武装神姫には良く似合う。
伊達や酔狂で殺人事件が多発したり、バトロン時代では人工衛星がハッキングされたり、メディアミックスでは死の商人が関わったりして居ない。
キバヤシコピペなど不要なレベルだ。軍産複合体くらいなら余裕で登場できる世界観だろう。リアル幽霊だって存在するから余裕である。
毎度毎度、他所のダンボール使ってない戦記などを見ていても思うのだが、どうしてこう戦わせる系のホビーは世界征服とか軍事方面に応用させたがる奴が多いのか。
最強の神姫ブラックドラゴン型かっこ笑いとか、レギュレーション違いすぎて商売的にも成り立たないし絶対速攻で公式大会では出場禁止機体に登録されてしまうだろなどと思いながら姉さんの答えを待っていると、

「お兄さんお姉さん! こんな所にお誂え向きの神姫センターが!」

いつの間にか横断歩道を渡っていた美鳥が、外から見てドン引きするほどに神姫関連商品しか売っていない店を指さしていた。
周囲の通行人の怪訝な表情が実に印象的だ。いつもならもう少し放置して晒し者にしてやってもいいのだが、今はそうもいかない。

「つまり、お姉ちゃん達と同じく玩具屋に訪れて、新しく武装神姫欲しいなぁ……あぁ、あった! ……ってこれマジアカMMSじゃねぇか! という一人ボケツッコミを近所でしていた人が、あまりに神姫欲し過ぎて妄想した神姫世界へのトリップ妄想に巻き込まれて、実際に武装神姫が存在する世界にトリップさせられてしまったのよ!」

「なんだって、それは本当かい!」

即座にネットに接続し、今居る世界の世界観を調べる。
……間違いない、ここは、武装神姫とかが普通に実用化されている世界!
年代的には、PSP版の主人公が神姫とのラブラブちゅっちゅとバトルの合間に、ツンデレライバルとか子犬系むしろ噛ませ犬系旧ラスボスを言葉攻めでビクンビクンさせる少し前辺りだろうか。
流通に関しては普通に日本円が使えないでもないらしい。

「いやー辛いわーお姉ちゃんも神姫欲しいけど、今、アタッシュケースに詰め込まれた高純度の金塊しか持ってないわーこれだけで買えちゃうか微妙だわー」

「くっ……俺も今用意したボストンバック一杯の通し番号バラバラの札束の山しか無い……これで、本当にリアル神姫が手に入るのか……?」

なお、どちらも元の世界では使えない不正な金である。
これで足りなければ、次はドル札の束を作るしか無い。
不安に包まれながら、俺と姉さんは既に美鳥が意気揚々と入店していった神姫センターへと足を踏み入れるのであった。

―――――――――――――――――――

レッスン2・実際に神姫を購入してみよう。
これは実に簡単。
店舗に入ったら、

「すみません! クワガタムシ型エスパディアください!」

と言いながら、
①利き足から一歩前に踏み出し
②懐に手を突っ込み
③おもむろに取り出した札束で、店員の頬を強かに殴打
の三つの手順を踏めば大体は購入することができる。

そうすると、店員は至福の表情で『お買い上げありがとうございます!』
と言いながらトルネードスピンで応対してくれるので、お釣りをチップとして渡し、治療費に当てるようにして貰おう。
ここでは個人的なロシア娘萌え嗜好からエスパディアを買ったが、やっぱり初心者が最初に買うなら、

「やっぱり、天使型じゃないけどマジ天使なストラーフがいいと思うの」

さすが姉さん、そんなちょっとひねくれたところも大しゅきだ。
なお、アーンヴァルはAIに不備がある初期ロットばかりなので購入を見合わせる模様。
因みに、姉さんの様にレジの上に金塊満載のアタッシュケースをドンと置いて、満面の笑顔で先のようなセリフを口にするのは選ばれし者にのみ許される特別な買い方なので、あまり参考にしてはいけない。

「お兄さんもお姉さんも落ち着いて買い物できないわけ? さて……おい店員、アルトアイネスを寄越せ。それも一つや二つではない、全部だ」

あ、武装は2セットでいいから、無理なら武装だけ下取りしてくんね? と続ける美鳥は、もうこの時点で狙いが見え見えである。
山積みされていくアルトアイネス型を見ながら店内を物色し、ふと目についた幾つかの単品売り装備を購入。
よくよく考えるとトリップの終了条件がいまいちわからないので、不動産会社のページにアクセスして、暫くの仮の宿を手配しておく。

―――――――――――――――――――

レッスン3・愛でる。
武装紳士は武装神姫に引き寄せられる。まるで重力の様に。
そう、武装神姫は重力、そして重力=愛、つまりは神姫=愛なのだ。
精密機械でもあるためか少し厳重かつ頑丈なブリスターだが、開ける時のワクワク感は元の世界となんら変わらない。
思い出すのは、初めて買った武装神姫、悪魔型ストラーフを取り出した時の事だ。
あの時とはまた違った感動がある。
機神招喚の応用で武装神姫っぽいものを作れはするが、今俺達の手の中にあるのは、紛れもなく本物の武装神姫なのだ。

「なんだか、ドキドキするね」

そう言う姉さんも心なしかそわそわしている。

「ん……。とりあえず、CSCをセットしないと」

最近武装神姫に興味を持った人達の中では忘れられがちな設定だが、このCSC(Core Setup Chip)は、神姫を語る上で欠かしてはいけない重要なパーツである。
多くの種類が存在するこの宝石の様なチップを組み込む事で神姫はオーナーの登録をし、このチップの組み合わせによって人格や能力に違いが現れるのだ。
この世界のメーカー公式サイトへアクセスすれば、使用用途に沿った推奨CSCセットが公開されているため、それを参考に組み合わせるのが妥当だろう。
ここで変にバトル方面での性能ばかり追い求めると、PSP版主人公の元に居る奇矯な性格の神姫達のようになってしまうので注意が必要である。
因みに、アニメ7話でギュウドンが言っていた大事な所、というのはこの部分を指していると見て間違いないだろう。
決していやらしい意味では無いので勘違いしてはいけない。そう、いやらしい意味ではないので勘違いしてはいけない。

「正直、CSCのセットと名前つけるところが一番時間を食う気がするのよねぇ」

「とか言いつつソッコでダイヤ三つ積む姉さんマジ淑女」

CSCダイヤは、神姫の能力の伸びを小さくする代わりに、成長限界を伸ばす働きをする高級CSCだ。
バトロン時代はダイヤ三つ積んでプレミアムチケット買って、成長限界がちゃんと300になっているかを確認する地獄の厳選作業を平然とこなす連中が腐るほど居た。
が、この世界はどちらかと言えばバトマスとTVアニメ版を基本にした世界観であるため、そこまで性能に明確な差が出るわけではない。
出るわけではないが……、姉さん、能力的にジュンイチローと卓を囲んでコンスタントに勝ちをもぎ取れるだけの豪運を持っていたりするので、能力に影響がでる筈だ。
しかも、試すまでもなく300が限界値に設定されるだろう。
さすが姉さん、バトらせる予定が無くても、神姫のセッティングに関してはバトロン時代から容赦が無い。

「はいはいせいれーつ、じゃ、右から順に名前つけてくぜー」

美鳥は何も考えず、手元にある一番安いCSCを手当たり次第に搭載し、ほぼテンプレート通りの性格なアルトアイネスを量産し、既に名前をつける作業に入り始めている。
流石は俺のサポートを務めているだけあって、やることを決めてからの行動に一切の無駄がない。
名前もシンプルに一号二号三号と続いている。
それでもツンデレしながら喜んでいるアルトアイネス達の笑顔が痛々しい。
ああ、俺と姉さんがバトマスを美鳥にプレイさせたりしなければ、これから起こる惨劇は回避できただろうに……。

まぁ過ぎ去った過去を嘆いても仕方が無い、人は未来に生きるものなのだ。
……さて、姉さんと美鳥がCSCのセットに時間を掛けなかったからというわけでもないが、俺も特に拘るつもりはない。
仮にバトルさせるにしても、既にこの世界観では神姫ライドシステムが実用化されているらしい。
そして、ライドして俺が動かせるとなれば、CSCによる有利不利など無いも同然だ。
ステゴロで強化ミミックだろうとドラゴン型だろうと捻り潰す自信がある。
それになにより、これから起動するのはあくまでも愛玩を前提とした個体なのだ。
変に戦闘偏重の組み合わせにする必要はないし、専門職向けの組み合わせにする必要も無い。

……でも、個人的なちょっとした拘りから、とりあえず一つはキャッツアイ。速さは何事においても力となるからな。
で、残り二つでAI傾向をロシアン系に整える。
札束ビンタ購入してお釣りをチップにしたら何故か沢山CSCをくれたので、せっかくだから等級の高いもので決めて……。
CSCをセットし、胸部装甲を閉じる。
ここらへんは元の世界、実物の神姫とほぼ同じ。
せいぜい、耐久性が軍事規格をギリギリで通りかねないほどだとか、その程度の違いしか無い。防水性もバッチリ。

さて、愛でる愛でると言いながらセットアップに随分と時間が掛かってしまったが、ここからが本番だ。
胸部装甲を閉じると同時に、僅かに機械の駆動音が聞こえてくる。
人間とスムーズにストレス無くコミュニケーションを取る事を前提としているため人の耳には聞こえないレベルの駆動音だが、これが中々に耳に心地よい。
少々SF過ぎる未来素材を使っている為か、CSCをセットして起動準備を始めると、先までは元の世界の神姫と同じ硬度だった神姫のボディが、僅かに柔らかさを持ち始めているのが確認できる。
駆動音は小さいだけで明らかに機械のそれなのだが、ボディの柔軟さを合わせると、人間の鼓動と錯覚してしまうかもしれない。

「INNSECT ARMS製、MMS-Automaton 神姫
クワガタ型エスパディア、IAL01
セットアップ完了、起動します」

機械的なシステムメッセージ、此処らはバトロン準拠なのだろうか。
アニメ版のストラーフの様に、起動したてから個性丸出しというのも困惑するので、この方式なのはありがたい。
やがて、エスパディアはゆっくりと瞼を開き、その鈍い赤の瞳でこちらを見上げてくる。
その瞳にはまだ人格のようなものは見えず、高級で特殊な素材を使っているにも関わらずガラス玉の様な安っぽい無機質さ。

「オーナーの事は、なん、な、なな、nananana…」

新品のPCを初めて起動した時の様なワクワク感を味わっていると、唐突に誤作動を始めた。
赤い瞳にはノイズが走り、最早人間の耳でも聞こえるほどの激しい異音が響いている。
古くなったPCから聞こえる『カリカリカリ』という音を少しスケールダウンして高音にした様な音と言えば分かるだろうか、実に不安を煽られる。
不良品を掴まされたのだろうか、あの店員、後でケツにカラーコーン指して川に放流しておこう。
異音の出処は胸部装甲の下CSC周辺と、ヘッドパーツから。
だが慌てる必要はない。このサイズに人間と同じ情動を再現する科学力は素晴らしいが、まだ俺が直せないレベルではない。
緊急停止するまでもないだろうと思い、そのまま修理しようと手を伸ばし、

「トィ、は」

指先を掴まれた。
しかし、それは機械の無機質な動きではない。
攻撃を受け止める硬質なものではなく、大事なものを抱きとめるような、やわらかな抱擁だ。
みれば、ノイズの走っていたガラス玉の様な瞳は、まるで生き物の様な質感を得ている。
起動に成功したのだ。
だが何故だろう。
既にその瞳は潤みきっていて、見上げる視線には期待の感情が込められているように見える。

「ヤーの……ドルーク?」

………………はて、バトルロンドを最後にプレイしたのは何時だったか。
そう昔の事ではない筈だが、記憶と不一致がある。
エスパディアは、これほど情熱的な性質を持っていただろうか。
PSP版の鳥子じゃあるまいに。
だが、不思議と不快感は無い。
これがエロゲ・ギャルゲに良く出てくる等身大ダッチワイフなら頬を平手の甲で張って『自惚れるなよ、木偶が』と言い捨てるところだが。
この小ささで言われると、なんだろう、『わたしパパのお嫁さんになるー』と言っている様にしか見えない。
腰を擦りつけてくる犬猫でも可。

つまり、可愛い。
姉さんに向ける可愛いとは勿論違う。
例えば、犬猫が好きだからといって、犬猫にちんこ突っ込みたくなるか、と言えば違うだろう。
これはそういう感情だ。
なるほど、愛玩用、という言葉が実にしっくり来るではないか。
犬も猫も家族の一員とか、神姫はあなたのパートナーですとか、そういう注意書きをよく見るがそれが大きな間違いなのだとよくわかる。

「ピェールヴァヤ……リュボーフィ……」

それにしても、素晴らしい。
この情感あふれる振る舞いはどうだ!
あのドクターですら、大概の周でエルザのAI作成に苦労していたというのに、このサイズでこの性能!
見よ! この、期待と不安の綯い交ぜになった上目遣い!
このサイズの軟質素材でありながら、決定的なセリフを口にしてしまった事に対する恥じらいからきゅっと唇を噛む仕草!
指を掴む腕はかすかに震え、抱きつき縋っているようではないか!

「……うっ! ふぅ……(ダメだよ卓也ちゃん! 初回起動時から好感度限界突破とか、神姫の寿命を縮めるに等しいんだかんね!)」

姉さんが起動したてのストラーフにうっかりニコポをかまして俺と全く同じ状況になっているにも関わらず、テレパシーで注意を飛ばしてきた。
流石姉さん、一度ある程度高い位置に到達する事で、賢者モードへのショートカットを行うとは。
なんて的確で冷静な判断力なんだ……!
具体的にはペンキの中身を目で確認した上で、読者にも分かりやすく持ち主にペンキの色が黒かどうかを確認するほどに冷静で的確だ……!

「ごめんな。俺は君の……」

なんだろう。
主、というのなら、もう少し出来のいい下僕はいくらでも製造可能だから、必要性が薄い。
かといって親、父親かと言われると、俺は天馬博士ではなくお茶の水ポジションに当たるだろうから妥当ではない。
兄、なんて呼ばせた日には美鳥の手によって、向こうで二人組作って戦わせて負けた方のアルトアイネス達の様にみぎぃされてしまう。
さっきからこっちが起動一つで感動している間に『生き残ったアイネスだけ愛させてやるよ』という、どこぞのラスボスビッチかテロリストメーカーの様な事を嬉々として口にしていたから、みぎぃの回数が一度増える程度どうとも思わないだろう。

「そうだな、同志(タヴァーリシシ)とでも呼んでくれればいい」

ロシアと言えば、呼び名は同志○○だ。
ロシア版ルー語とはいえ、呼称一つで他との差別化を図り、よりロシアっ娘っぽさを強調することができる。

「同志……タクヤは、ヤーの、同志……うん」

人間の可聴範囲外の電子音が響く。
恐らく、メカポのお陰で好感度MAXでエロスあり状態だったのが、今の言葉で再定義されたのだろう。
エスパディアは少しだけ名残を惜しむようにゆっくりと手を離し、ビシ、と敬礼した。

「同志タクヤ、ヤー、いっぱい頑張るから、よろしく」

「エスパディア可愛い。クワガタなのに天使か」

エスパディア可愛い。クワガタなのに天使か。
その凛々しい敬礼と、微かなロシア訛りのある日本語での舌っ足らずな宣言に、俺は思わず思考と反射を融合させてしまうのであった。

―――――――――――――――――――

レッスン……もうなんでもいいや、とりあえず、バトル。
愛でる愛でないと言いつつも、ついついバトらせてしまうのがこういうホビーの面白いところだと思う。
この神姫世界にトリップしてから数日が経過した、ある日の事。
姉さんと美鳥と、三人で自分の神姫の可愛さを自慢していたら何故か、
『誰の神姫が一番可愛いか……それは、これから実際に戦って決めるとしよう!』
みたいな展開になってしまった。
何故可愛さと神姫バトルの勝敗が関係するのか。
それは、武装神姫が『武装』神姫であるが故だ。

武装神姫の素体であるMMSと情動を司るAIは、この世界の超科学も相まって恐ろしいまでによく出来ている。
だが、神姫は神姫だけで完結する存在ではない。
PSP版では何故か別売りだったが、基本的に神姫センターで『○○型○○ください』と注文すれば、神姫と武装一式がセットで運ばれてくる。
如何に、三体も居れば一人暮らしの思春期男子の荷物を一日で整理整頓できるほどの高性能であっても、介護福祉、キャビンアテンダント、自衛隊に傭兵など、多方面に渡る活躍をしていたとしても……。
いや、ほんとになんでかは知らないが、『武装や装甲を身にまとって戦うパートナー(という建前のホビー)』というのが、とりあえずの武装神姫のコンセプトなのである。
実はそれぞれの職の専門店に行けば、その職業を補助するための神姫への追加アタッチメントなどが多数発売されていたりもするけど、『武装し、戦う』のが大前提。
高級PC一台分の価格を誇っておきながら、その本分はゲーセンやアミューズメント施設でバトらせる事なのだ。

そうなると、彼女たちが一番自らを輝かせる場面はどこか。
当然、神姫同士が鎬を削る神姫バトル、という事になる。というか、なった。
姉さんも美鳥も俺もイマイチ納得出来なかったが、ネットで調べた、着飾らせる事以外での可愛さの追求となると、どうしてもそういう方向にいってしまうらしいので仕方が無い。

さっそく、初日に起動と命名が終わった後に再び神姫センターに赴き購入した仮想空間展開用のデバイスをを使用し、誰の神姫が一番可愛いかを決める総当り戦を開始。
当初は、トリッパーとしてはこういう世界征服とか軍事企業が絡むホビー作品にも数多くトリップした姉さんの薫陶を受けたストラーフが完勝するものと思われた。
しかし、蓋を開けてみれば意外や意外、勝利を手にしたのは、美鳥の神姫であるアルトアイネス。

……実に鬼気迫る戦いぶりだった。
死も生も無い人形が、こんなにも『死にものぐるい』な表情を浮かべることができるのかと、LPを0にされたエスパディアを回収しつつも関心してしまった程だ。
こちらはLPを0にされつつも武装にもボディにもほぼダメージがないにも関わらず、LPを残して二戦を勝利したアルトアイネスが、勝利を告げられると同時に全身から焦げ臭い匂いのする煙を吐き出したのは印象深い。
過剰駆動で関節が悲鳴を上げる、なんてものではない。
戦闘後、せっかく最後の一体としてみぎぃを免れたボディは、重要なCSC周りを除いて全てスクラップ同然になってしまっていた。
ここ数日の間、そこまで戦闘に関わる話はしていなかった筈なのだが、何故あそこまでの無茶をしようと思ったのか……。

「おー、まさかお姉さんの300ストラーフにまで勝っちまうとはなー」

「こ、このくらい、当然だよ。だって、ボクはマスターの神姫なんだもん」

美鳥とアルトアイネスの笑顔が眩しい。
輝き方が明らかに違うが、あれらは間違いなく輝く笑顔と言って差し支えないだろう。
なんだかアルトアイネスを見ていると、俺の中の臨気がゆっくりと増幅していくのがわかるが、少なくとも表面上は八割笑顔だ。何一つ問題はない。
美鳥は美鳥で蝶の名を持つテロリストメーカーの様な笑顔を浮かべているが、これ意外と日常生活の中でも良く見かける気がするので当然問題ない。
アルトアイネスの笑顔が『他の全てのアイネスの残骸の様にみぎぃされないよう、必死で有用性をアピールする奥に怯えを押し込みながらの媚び媚びの笑顔』の様に見えるが……。
まぁ、見間違いでないとしても、あれは美鳥とアイネスの問題なので俺が触れる必要はないだろう。

《ふふ、ウチのアイネス嗜虐心を擽るぜ……鎖に繋がれた翼の折れた堕天使か》

堕天使……天使じゃ属性的に不利っぽいから俺と姉さんの神姫が負けるのも頷けるな。
鎖による退廃属性と翼の折れたという描写によるビジュアル系属性で更に勝率は倍々だ。
邪悪属性に手を染めた初戦は補正掛かってイベント敗北になるもんだし。
さて、先の敗戦をバネに早速特訓に向かった姉さんとストラーフは置いておくとして、俺の神姫であるエスパディアの様子なのだが。

「負けちゃった……」

と、微妙に破損した武装パーツ(シミュレーターの演出的な部分もあるので割と簡単に直せる)を装備したまま、その場で体育座りするウチのエスパディア可愛い妖精か。

「そう落ち込むなエスパディア……いや、同志カガーミン。俺は、別に神姫バトルを行うために君を起動させたわけじゃあない」

エスパディア、個体識別名『カガーミン』の頭部から角にヒビが入ったヘッドアーマーを外してやりながら、少しだけ煤けた銀の髪を指先で拭う。

「同志タクヤ……でも、ヤーは……」

情けない、でも、俺に面目が立たない、でもない。
その表情には確かに『悔しい』という感情が浮かんでいる。
……まぁ、首から下のボディの性能からして速度に◎付いてる上に、キャッツアイまで積んで、それでもアイネスに追い込まれて負けてしまったわけだから、その気持も分からないではない。
それに、他のどんな用途に特化させたとしても、武装させての神姫バトルが根本にある訳で、余程特異なAIを組まない限り、勝負に負けたら悔しく思うものなのだろう。
生き残る為に勝ち、取り込む俺とは、少しだけ方向性の異なる欲求。

「……強くなりたいかい?」

「え……?」

意外そうにカガーミンが見上げた。
起動してから数日、俺も姉さんも美鳥も神姫バトルには積極的ではなかった。
だが、美鳥のアイネスは主に愛されようとその身を削って健闘したし、姉さんはストラーフを鍛えるためにインド奥地へと修行に旅立った。
ここで、俺だけ何もしない、というのは、武装神姫の主、武装紳士として有るまじき怠慢だろう。

「カガーミン、君が強さを欲するなら、俺はそれに答えるだけの準備がある。どうだい、強くなって、美鳥の28号を見返したいかい?」

見返す……つまり、俺と姉さんが勝った時点で28号はみぎぃされる可能性が超高くなるのだが、それは美鳥と28号の問題なので知らん。
カガーミンは、手の中に握っていた柄の長い剣を少しだけ見詰め、再び顔を上げた。

「……ヤーは、強くなりたい。強くなって、同志タクヤに相応しい神姫になりたい……!」

決意の色が見える瞳を見ながら、俺はしっかりと、カガーミンに頷きを返した。

―――――――――――――――――――

簡単! すぐできる! 武装神姫強化プラン!

①まず、潤沢な資金を用意します。小国の軍隊を十年維持できる程度の資金があればまずは大丈夫。
②次に、武装神姫のハードとソフト両方に、自分の内側に存在するスパロボ世界のシステムを適用させます。
③問答無用の20段フル改造を施します。フル改造ボーナスはお好みで。違法改造に見えますがチェックには何故か引っかかりません。
④ゲーセンに乗り込み、これでもかという程に柴田くんのプルミエを撫で斬りにします。
⑤ゲーセン(隔離病棟)の紳士淑女(重篤人)を踏んだりこかしたりします。
⑥Fバトルとかにも出ます。出たら勝ちます。
⑦何度か続編のラストバトル直前で海燕のジョー的立場になる女が出てくるので問答無用で『やめてよね。ボクが本気になったら(ry』します。
⑧ハーフタイムに入ります。自発的に股クールをしてもらう事で精神の休養としましょう。恥じらいを感じている姿がポイントです。
⑨常にカッコいいポーズをとっている謎のチャンピョンが出てくるので勝ちます。
⑩クラブヴァルハラです。フリーオプションバトルなので、思い切ってカガーミンを武士子インパクトに乗せます。
⑪追い出されそうになったので普通に戦います。途中でこちらが無改造と勘違いして商談を持ち掛けてくる馬鹿なメカニックが出てくるので勝ちます。
⑫カッコイイポーズの犬っぽい娘とか目に見えるほど体臭が凄い大地さんとか出てくるので、倒します。
⑬なんか顔無し神姫ばらまこうとしてる社長っぽい人が出てくるので、事を始める前に記憶消去であーうーあーうー言う感じに脳改造し、妻の遺作らしいTUEEEE用神姫に介護用プログラムをインスコして放置します。
⑭F1で勝ちます。
⑮カッコイイポーズの人が一撃だけカガーミンのボディ塗装を剥がす程の有効打を入れていたので、ヌメヌメする塗料を細い毛の筆で焦らすように塗ります。平筆だと直ぐに終わるので、なるべく細いものにしましょう。
⑯塗装中、乾かすためにフーフー息を吹きかけると、何かを堪えるように身体を跳ねさせるので、気づかないふりをして何度か繰り返します。
⑰筆を離す時に尻が筆を追う姿を見て、やっぱり自分の神姫が一番だと悟ります。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「俺達は……勝った!」

「やったね、同志タクヤ。これで神姫業界も平和になる」

結局、全17工程を終わらせるのに一週間も掛かってしまったが、これで間違いなく俺とカガーミンは強くなったと言えるだろう。
なんだか原作主人公が見当たらなかったり、色々なフラグを粉砕してしまった気もするが、そんなのは些細な事だ。
だが、まだこの世界でやることが終わったわけではない。
インドの奥地に修行に行った姉さんは、83の必殺技を備えた曼荼羅ストラーフを引っさげて来週には戻ってくるらしい。
美鳥は28号改めアイネス37564号を従えて世界中の紛争地帯を渡り歩いているとも聞く。
日本の神姫バトルを極めた程度じゃあ、まだまだ最強の神姫などと名乗る事はできない。
来る姉さん、美鳥との決戦の日目指して、修行あるのみ。

────世界の人型ホビー人口は数億人を越え、俺達の生活の一部として、当たり前のようになっていた。
────武装神姫、俺達の中で、今一番注目を集めている人型ホビーだ。
────その中の一つの強化計画は、俺と様々な神姫を、運命的に出会わせてくれたんだ。

俺達の神姫バトルは、始まったばかりだ!





〈武装紳士のおはなし・おわり〉
―――――――――――――――――――

原作なし神様転生の話と淫獣拳言いたかっただけの話と神姫の話したかっただけの四方山話でした。

元々は一話にならない程度の話をつなげて再構成みたいな感じだったんですが、あまりにもあまりな内容なので、話数にはカウントせず四方山話、という事で。
一応時系列的には次の章までの間の期間に起こった出来事だよー、ということで、大幅なパワーアップとかは無し。
あとこれから現実世界との時間軸リンクとかも無しになるです。

しかし自問自答はある。
Q,毎度思うけど、神様転生の転生部分だけネタにするのって揶揄でしかないよね……?
A,だって、設定作ったからには晒したいですし……。
因みにこれは転生する場面から詰まってる、神様の性格が決まらないとか何の能力持たせるかとか考えてる内にどうでも良くなった系の世界のみのルール。
で、転生の導入部ショートカットとか能力は決まってるとかまで行くと、ネギまへの二度目のトリップみたいな転生オリ主なりそこないが産まれます。
どちらにせよ、転生という段階を踏んで生まれる魂は、その世界が作られた時にセットで生まれた『転生前の記憶を持っているという設定の生まれた事のない魂』でしかないわけです。死んでいない、っていうのはそういう意味。
そんな訳でトリッパーの間では、現実世界の人間が本当に作品世界に転生する事はありえない、という見解に。
仮に元の世界から本当に魂が転生していたとしても、元の世界では死んでいるんだから、トリップ先の存在と同じに扱われるのがオチなのですが。
これは勿論ウチのSSの中でのみ通じるルールなんで、他所様を貶める意図は一切無いです。
今後章の間の四方山話ではこういう原作無しの当SS世界観独自ルールの説明とかやったりするかも。
トリッパーは基本リア充しかなれないとか。
Q,獣拳?
A,さぁ、今直ぐレンタルショップに行ってゲキレンジャーを借りてくるのです!
因みにトリップ内容は捻り無く俺TUEEEするだけの話なのでカット。
リオメレ相手には限りなく存在感を希薄化していたとかそんな設定無しで張り倒して、臨獣殿の頭目の座は面倒なので渡していたとかそんな本来の実力はSクラスだけど面倒だからBクラス的な古典TUEEEE。
触手グネグネ系の臨気凱装とか使えるけど間違いなく生身の方が強い。
臨獣殿超無事。カタとラゲクは生存、多分マクとかは時間巻き戻されて綺麗なマクになってる。臨獣拳と激獣拳の兄妹涙の必殺拳とかやったので和解フラグを頑張れば立てれるかも。
バッドエナジーとかそういうのを集めてパワーアップする小ネタが欲しいのと淫獣言わせたかっただけ。ラスボスは腹の中。
Q,なぜ姉属性持ちのレーネやBBA人魚を選ばないんだ……。
A,神姫に求めるものって、そうじゃないだろ! 何処までも熱い鼓動とか、忘れないようにしている涙の意味とか、そんな諸々を胸に刻むように今を駆け抜けたい感じで! という主人公の熱いときめき。
あと、ぶっちゃけ今でもレーネの性格設定に納得行ってないっていうか……。
あれ、パケの凛々しい表情と金髪ロングと姉設定から想定できる性格じゃないですよね……。

まぁそんな話だったわけですよ。
新章投稿されたかと期待した人がいたらごめんなさい。
次は間違いなくプロローグ投稿なんでご勘弁を。

では今回もここまで。
誤字脱字の指摘、文章の簡単な改善方法、矛盾している設定への突っ込み、その他諸々のアドバイス、そしてなにより、このSSを読んでみての感想、心よりお待ちしております。



[14434] 第七十八話「模型と正しい科学技術」
Name: ここち◆92520f4f ID:ce9294f6
Date: 2012/12/20 02:10
スラスターを吹かし、白い巨人が大気を震わせ飛翔する。
全長20メートルはあるだろう巨体、白のボディの随所にトリコロールカラーのペイントが施されたそれは、その偉容から可能な想像を裏切らず、兵器としての特性を持っている。
左前腕には傾斜装甲を組み合わせて作られた白のシールド、右手には青のライフル。
背部にはサーベルを複数搭載し、遠近に対応したバランスの良い機体だ。
だが今、この機体はその能力を十分に発揮出来ずにいる。

「ふっ、く……!」

コックピットの中では未熟な少年パイロットが必死に操縦桿を動かし、白い巨人を敵の攻撃から逃げ回らせている。
白の巨人を良く見れば、その全身には既にかなりのダメージが蓄積されているのが分かるだろう。
それは敵の攻撃がかすめるだけではなく、整備状況の悪さ、少年パイロットの未熟で荒っぽい回避運動による駆動系などへのダメージも含めての事だ。
機体の状態も悪ければパイロットの腕も悪い。
だが、何よりも悪いのはこの状況、相対する敵にある。

切り裂く蒼の大気に同化するような、蒼い巨人。
武装はほぼ白の巨人と変わらない。
左手に白枠に覆われた赤のシールドを構え、右手には灰色のライフル。
背部にサーベルが無く、シールドに隠されるようにして左前腕にサーベルが備え付けられている。
機体の状態が良い。動きに不自然なブレも無く、パイロットの腕も比べ物にならない程高い。
逃げる側と追う側という点を抜きにして考えても、互いに受けるプレッシャーは段違いだ。

元からあまり良くなかった白い巨人がダメージとパイロットの疲労の蓄積により更に動きを悪くする中、蒼の巨人の動きは精彩を欠く事がない。
逃げる白の巨人の背をライフルで狙い、トリガーを引く。
銃口から放たれる重金属を含んだ桜色のビームが、白の機体のバックパックにマウントされていたサーベルの半分を破壊した。
本体へのダメージは無い。
白の巨人が身を捻り、背後から迫る蒼の巨人に対してライフルの銃口を向けトリガーを二度引く。
銃口から放たれる黄色のビーム二条は、蒼い巨人は前方に構えたシールドで受ける事すらせず、左右に身を振るだけで躱してしまう。

蒼の巨人はバーニアを止め、その身を振る動きによって生じた空気抵抗を活かす形で、極自然に体勢を追う形から身体を横にしたより正確な射撃が行える姿勢へ変化させた。
流れるようにトリガーを引く。
ただ一条だけ放たれた桜色のビームは正確に白の巨人のコックピットへの直撃コースへ。
白の巨人がシールドを構える。
構えられたシールドは、既に一度装甲が剥離しているのが分かる、内部構造が剥き出しの白。
直撃コースのビームを真っ向から受け止めきる強度は残されていない。
熱された飴の様に橙色に熔解し、爆発。

「うわぁぁっ!」

少年パイロットは悲鳴を上げ、彼の操る白い巨人は空中で身を躍らせる。
コックピットの中で激しくシェイクされ、機体の体勢を立て直す事すらできない。

「…………」

蒼い巨人が、僅かに苛立ちを含んだ動きでライフルを後方に投げ捨てる。
空中で投げ出されたまま落ち続ける白い機体の肩を空いた右手で掴み、引き寄せ。
蹴り飛ばす。
火花を散らし、白い巨人の装甲が僅かに撓み、衝撃で右手からライフルを取り落とす白い巨人。
コックピットの中、衝撃で意識を切り替えたのか、ようやくまともの周囲を見る事ができるようになった少年パイロットが最初に目にしたのは、

「っひ」

全天周囲モニターの全面に大写しになる蒼い巨人の顔面。
それはつまり、敵である蒼い巨人が至近距離に迫っている事を示している。
蒼い巨人の、黄色いデュアルアイが、『獲物を見つけた』と言わんばかりに輝く。

「ぁああっ!」

反射的に、頭部ビームVアンテナと一体化した牽制用のビームバルカンのトリガーを引く。
頭部に当たれば、めくらましどころかヘッドパーツを破壊することも不可能ではないバルカンは、しかし蒼い巨人の掲げたシールドであっさりと防がれた。
反射的に引いたからだろうか、少年の指がトリガーから離れ、ビームバルカンの斉射が途切れる。
その隙を逃さず、蒼い巨人が右手を振りかぶり、白い巨人の頭部を殴りつける。
サーベルを抜かず殴りつけたのはバルカンが再び放たれるのを阻止することを優先したからか、それとも、白い巨人の性能を生かし切れないパイロットへの憤りの為か。
殴りつけた拳を戻す動作で、手刀ぎみの手の甲による平手で殴りつけ、再び殴りつける。

「始まりの機体、『beginning』……」

蒼い巨人のコックピットの中、サングラスに赤い軍服を着た金髪の男が、今度こそ憤りを隠す事も無く呟く。
白い巨人が市街地、住宅街の中の舗装された道路に着地し、膝を突く。
後から着地し、しっかりと二本の足で立つ蒼い巨人が、一挙一投足の一から見下ろす。

「少年!」

シールドを前腕に固定した蒼い巨人が、左前腕からサーベルを引き抜く。
桜色のビームの刀身が伸び、蒼い巨人のバックパック、スラスターから眩い蒼の火が吹き出し、加速。

「君は、そのガンプラを持つに、値しない男だ────!」

距離が、一瞬にして詰められた。
白い巨人がバックパックからサーベルを三本、右手で一度に引き抜く。
黄のビーム刀身が三本同時に展開。
先にサーベルを敵に突付けたのは白い巨人、後の先を取ったのだ。
だが、それは蒼い巨人のパイロットにとっては織り込み済みの展開なのだろう。
蒼い巨人はサーベルを展開しながら、シールドを前に突き出し突撃していた。
三本のビーム刀身がシールドを溶断。
しかし、ビーム耐性のあるシールドが僅かに持ちこたえ、その間に蒼の巨人はシールドをパージ。
瞬間的にスラスターとバーニアを使い、空中へ逃れ、白い巨人の左背後に回り込む。
追うように跳び、蒼い巨人と同じ軌道をたどる白い巨人。
回り込み、身を捻るようにしてサーベルを振りかぶる白と蒼の巨人。
しかし、白の巨人はシールドを切り裂いた時に加速をロスし、蒼い巨人はここまで何の妨害もなく、綺麗なフォームでサーベルを振り抜けている。

白と蒼の天地が逆転する。
シールドを破壊されながら、その爆風で受ける加速すら計算してバーニアで細やかな姿勢制御を続けていた蒼の巨人と、シールドを切り裂く時の抵抗を振り切るようにしてがむしゃらな急加速した白の巨人。
互いの違いはその間合いに現れた。
空に飛び上がった状態の白の巨人が腕を伸ばしきった大振りでサーベルを振るのに対し、道路に着地した蒼の巨人はここまでの加速を生かしたまま、しかし野球の打者の様にコンパクトにサーベルを振る。
蒼い巨人の桜色のビーム刀身が、未だスウィングの途中にある白の巨人の首筋へ、吸い込まれるように突き刺さる。
白い巨人はサーベルを取り落とし、一瞬の溜めの後、その首を、振りぬいた先の右腕毎切断された。

「少年、本物のガンプラビルダーになりたいのであれば、もっと精進することだ……」

無傷のまま立ち続ける蒼の巨人──フォーエバーガンダムのコックピットの中、サングラスの男──ボリス・シャウアーが勝利を確信し、倒れる白い巨人に向けて諭すように声を掛ける。
だが、ここでシャウアーははたと気付いた。
撃墜判定が成されなければおかしい筈のダメージを与えたにも関わらず、勝利判定の表示が出ないのだ。
ついで、眼下に見下ろす白の巨人──ビギニングガンダムの姿がノイズが走ったかのように振れ、後には白い装甲の施された丸太が現れたではないか。

「────どんな道にも始まりがある。幾多もの試練を乗り越え、千里の道を踏破し、何時か求める頂へと辿り着くもの。人それを、『求道』という……!」

スピーカーから、設定されていない筈のトランペットとギターの音色が流れ、被せるようにして女の凛とした声が流れ始める。
同時、晴天設定だったはずのステージの空に雲が掛かり、ポツポツと雨が降り始める。

「な、何者!」

暗雲に隠れようとしていた日の光によって、一瞬だけ第三のシルエットが浮かび上がる。
ガンプラ一筋であるシャウアーにも覚えがある程、業界では有名なシチュエーションと語り口調。
お決まりのセリフを僅かに期待しながらの誰何の問いに、しかし帰ってきたのは、静かな、本当に静かな、彼の知らない答え。

「この身はただ、闇より出で──闇へと消えるだけのもの……」

雨が激しさを増す。
暗雲に雷鳴鳴り響く中、一つのMSが姿を表した。
それは、シャウアーの知るかぎりでは一度も公式でキット化されたことのない筈のMS。
G-3ガンダムをベースに、原型を止めないほどの改造を施されて作り上げられた、ツヤ消しの施された藍色の装甲。

「ガンプラマイスター(笑)には名乗る名すら持たぬ、影──」

──その名も、Gの影忍。
非公式外伝作品の主人公機が、今さっき討ち果たしたばかりのビギニングガンダムを両手で抱きかかえたまま、電柱の上に静かに佇んでいる。
そのガンプラは、シャウアーから見ても素晴らしい完成度のものだった。
仮に自分が同じテーマで作ったとして、同じレベルの作品を作ることができるかどうか。
だが、解せない部分もあった。
ワン・オー・ワンの対戦だった筈が、何故、目の前に乱入者が存在しているのか。

「……横槍とは無粋な真似をするものだ」

想定していなかった事態に、上手くそれらしいセリフを吐くことも出来ない。
だが、そんなシャウアーに対して、影忍は手近な民家の屋根にビギニングを下ろしながら、器用に肩をすくめてみせる。
その動作の滑らかさから、内部にどれだけの改造を施しているのだと内心舌を巻くシャウアーに対し、女の声が皮肉げな響きを持って返答を行った。

「あら、ごめんなさい。傍から聞いていてあんまりに聞き苦しいSEKKYOU、NANNKUSEだったから、ついつい手を出しちゃったのよ……ねぇ」

問うような響きの声と共に、影忍の姿が消える。
瞬間、背筋が凍るような冷たいプレッシャーを感じ、シャウアーは反射的にサーベルを背後に構える。
ビーム刀身を半ばまで耐ビームコーティングが施された苦無が切り裂き、鍔迫合うサーベルと苦無を挟み、影忍の顔面がモニターに大写しになった。

「あなた、何様?」

真冬の湖の様に冷たい声。
バルカンを打つよりもサーベルを押し返すよりも早く、フォーエバーに衝撃が走る。
バックパックに装備していたビームキャノン型ファンネルの一基が、いつの間にか刺さっていた手裏剣によって破壊されたのだ。

「あなたのフォーエバーは確かに凄いわ。基本的なモデラーとしてのテクニックは全て抑えて、リアル志向気味のダメージ加工のお陰で本物と見紛うほどよ」

その声には、確かに心から賞賛していると分かるものだ。
だが、同時に憤りを感じている事も確かに伝わってくる。

「でもなに? パーツのはめ込みが甘い?ゲートカットも甘い? 目のシールが歪んでいる? ────素人相手にムキになって、馬っ鹿じゃないの!?」

赫怒の叫び。
呼応するように風雨が吹き荒れ、雨に紛れて影忍から吹き矢が飛んだ。
フォーエバーはスラスターに脚部の跳躍を加え、空に逃れる。

「馬鹿なものか。真のガンプラマイスターを目指すのであれば、これでもまだ足りんほど!」

空は、ファンネルを持つフォーエバーの領域。
相対する影忍のビルダーは自分に匹敵する技術力を持っていると見て間違いない。
しかし使用するガンプラは、遮蔽物を多様する忍者スタイルの影忍。
利用できる遮蔽物のない空中ならばフォーエバーに分がある。

「だから、高みの技術を身を持って教えてあげた、とでも言うの!?」

「そうとも! そして彼は自らの技術の未熟さを知り、打ち負かされた悔しさすらバネにして、駆け上るのだ。ガンプラマイスターの道を!」

レーダーを確認し、敵機の位置目掛けてファンネルを送り込む。
ファンネルの動きもまた、ガンプラとしての完成度の高さがそのまま動きの複雑さ、ビームの威力に直結する。
如何に影忍と言えども所詮はUC初期のMS、フォーエバーのファンネルの前には一溜まりもないだろう。
そんなシャウアーの想像を裏切るように、時間差無く三つの爆発音が響き、射出したファンネルの反応がロストする。

「それが、それが、昨日今日ガンプラを始めた相手にすることかあぁぁっ!」

暗雲に紛れて空から接近していた影忍が、落下による位置エネルギーを加え、忍刀一閃。
ぞん、と、フォーエバーの左腕が肩口から切り落とされる。
レーダーに映らない。
いや、フォーエバーのレーダーはいつの間にか機能不全を起こしていた。
忍者特有のジャミング。
芥子の実や鳥甲(トリカブト)などを始めとする数十種類の粉薬をミノフスキー粒子に混ぜ込み散布することで、MSのセンサー、レーダーを狂わせる、UC時代を駆け抜ける忍の間に密かに伝わる技術。
その名を、忍法ミノフスキー隠れの術という。

作中の記述に限りなく近い成分の粉薬を、ガンプラの内部に仕込んでいるという事実。
その恐るべき事実に気づくこと無く、シャウアーは翻弄され続ける。
見えぬ敵、影忍のパイロットである女は、見えぬ位置、影から影へ跳び移り、フォーエバーの機能を一つ一つ暴力的にそぎ落としながら、叫び続ける。

「誰だって最初は未熟なの! 出来上がるのは、技術も無くて、合わせ目も消さず、みっともない出来でしょうよ!でもねぇ! ニッパーが無くて、ハサミでランナーからパーツを切り離しても! シール貼る位置を考えてるうちに、手垢で粘着力が弱くなっちゃっても!」

振り向く間も与えない怒涛の連撃。
シャウアーは驚愕していた。
これほど回転率の高い連撃を行う機体にするには、どれほど可動部に手を入れればいいのか、想像すらできない。
腕が脚が、腰部にマウントしていたハンマーが、余りにも尖すぎる忍刀によって刻まれ、嬲り殺しにでもされているかの様に、抵抗すら許されずに破壊されていく。

「……それでも! 完成した時、そのみっともないガンプラを見て、『嬉しい!』『かっこいい!』って」

だが、切り刻まれながら、シャウアーには筐体越しに感じられる思いがあった。
いやむしろ、その思いこそが最もシャウアーを驚かせていたのかもしれない。
この、影忍を作った女性もまた、ガンプラを愛しているのだ。
……考えてみれば、それも当然の話か。
あの影忍は、ただ精巧なだけではない。
そのボディのモールド一つ一つに至るまで、ただ高いだけの技術では感じることの出来ない、作り手の深い拘りと作品への愛が感じられる。
あのガンプラを作ったビルダーが、ガンプラを愛していない訳がない。

「そう心から思えることが、本当のガンプラってもんでしょうが!」

一際大きな衝撃。
手足の殆どを切り落とされ、しかし、頭部バルカンとサーベル一本が無事であるため撃墜判定にならず、そのまま地面に墜落したのだ。
辛うじて生き残っていたフォーエバーのメインカメラが、影忍の姿を捉えた。
連撃によって生まれた気流の乱れの為に雲が割れ、暗雲の隙間から太陽の光が差し込んでいる。

「……ガンプラを本当に好きになれば、技術なんて、自分で勝手に身に着けていくもの。あなたがしているのは、ただの初心者狩りよ」

エンジェル・ラダー(天使のはしご)の影に立ち、忍刀を突き付ける影忍。
デュアルアイを伝う雨粒に光が掛かり、それがシャウアーには、影忍が涙を流している様に見えた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

ある休日の昼少し前の事。
行きつけの玩具屋に、三人で作ったプラモを持ち寄り、展示してもらえる出来かどうかを店長に見てもらいに行く事になった。
姉さんはともかく、俺も美鳥もプラモの作成改造に関してはそれほど造詣が深いわけではないので、プロフェッショナルである店長にドバイスを貰いに行こうという話になったのだ。
HJのオラザクを見て三人揃って影響されたというだけの話なのだが、始めたからには全員本気。
しかし、持てる技術の粋を集めたプラモを持って電車に乗り、駅からてくてくと歩いていつもの玩具屋に向かった俺達を待ち受けていたのは、妙に近未来的なプラモシミュレーターが設置された、現実では見たことのない玩具屋。

入ってみればガンプラマイスターなるプロモデラーが、つい先日プラモに興味を持って始めたばかりの少年相手にTUEEEした挙句に唐突に指導を行なっていた。
あれだ、いわゆる『見所のある未熟者に先達として指導してやっているのだ』という上から目線。
まぁ、満場一致で巨大なお世話だろあいつ……という結論に至ったので、余っている筐体をちょちょいといじって、タイマン勝負に姉さんが代表で乱入する事に。

結果?
リアルUCを生で切り抜けて、数々の異名を付けられたらしい姉さんが負けるとでも?

「あー、すっきりしたぁ」

トリップを終えて、無事数時間で元の世界に戻ってきた姉さんは、そう言うと大きくそのばで背筋を伸ばした。

「やっぱ偶にはおもいっきりSEKKYOUかまさないと……って、どうしたの? 卓也ちゃんも美鳥ちゃんも。豆が鳩鉄砲喰らったみたいな顔して」

「なにその場面ちょっと見てみたい。……いや、初めて姉さんのSEKKYOUシーン見たなぁ、って思って、ちょっと感動してた」

「うん、なんてーか、すっげー堂に入ったSEKKYOUだったよね」

遠隔地だから遠見の術で見るしかできなかったけど、シャウアーの表情、あれは間違いなく論破ポされていた顔だった(ので、頭皮がアスラン・ザラになる呪いと股間がエレクパイル・デュカキスになる呪いを掛けておいた)と見て間違いないだろう。
俺もなんだかんだでメカポとか標準装備だけど、姉さんの様に叩きのめしながらの論破ぁでポする程の有無を言わさぬ説得力は持ち合わせていない。
いや、確かにシャウアーに対する姉さんの言葉は、あのアニメ見たまともな視聴者なら誰しもが思うだろう事だったし、
シャウアーを倒して、ボコられていた少年にガンプラ作成の入門書を与えたところでトリップ終わったから、間違いなくあの世界はシャウアーの小姑リンチを妨害する為の世界だったんだろうけど。

「姉さん、いつものトリップとキャラが違ってた。でも、うん、いいよね、熱血」

「まさかシャウアーも、自分が初心者に小姑する事はあっても、いきなりあそこまで温度高い横槍入れられるとは思うまいよ」

「そこはそれ、ホビーバトル系の作品はノリが良い方が勝つって法則があるから」

なるほど確かに。
イメージ力が重要になるカードゲームとかで現実のように静かにバトルを進行するキャラが出てきたとして、それが強キャラだとあまり話が盛り上がらなそうだ。
強い奴はまず『THE☆』を付けるし、ライドの時には専用のセリフをカード毎に用意しているし、謎トイズを発現するし、販促アニメでも平気でオリカを使い始めそうになる(未発売なだけの場合もある)し、おまけに目つきも悪役だ。
姉さんのあの熱血説教もそれと同じ類のものなのだろう。
俺も神姫にライドする時は、何か専用のセリフを、パクリでもいいから考えておくべきかもしれない。

「ところで、卓也ちゃんと美鳥ちゃんはどうだったの?」

どう、というのは、プラモシミュレーターの事だろう。
現実問題、リアルMSに乗ったことがあろうとも、『自作したプラモをデータ化して、パイロットとして操って戦う』なんていう、小学生の頃に月刊マンガの分厚くて小さくてマイナーな方で連載していたネタの現代版があれば、やってみたくなるのが人情というもので。
俺と美鳥も、姉さんがあっちのタイマンに乱入する傍ら、余っている筐体と店長に見てもらう予定だった改造ガンプラを使い、一対一のタイマンを行なっていたのだ。
行なっていた、のだが……。

「うー、ん……なんか、ね」

美鳥が歯切れ悪そうに俺に同意を求め、俺はそれに頷く。

「……恥ずかしながら……搭載してある幾つかの武装が、認識されなかった」

いや、確かに武装の殆どは既存のガンプラの改造品ですらない、フルスクラッチの武装ばっかりだから、仕方が無いと言えば仕方が無いのだけど。
なんか、拍子抜けというか。
友人のお父さんの時計を使ったビームキャノンが認識されるタイプのものではないにしても、もう少し融通を利かせて欲しいというか。

「? お姉ちゃん、リアルミノフスキー粒子とか芥子の実とか入れて、認識したけど」

不思議そうに首を傾げる姉さん。

「だよねぇ……なんでだろ」

釣られて俺も首を傾げる。
確かに、リアルグレード的に内部構造を凝ってみたものの、素材に関してはそれほど突拍子もない物を使ったわけではない。筈だ。
それだけに、姉さんの謎の拘りが入った素材からして違うミノフスキー隠れの術が起動したのが納得いかない。

「まずそこら辺、どこまでがありで何処までが無しかわからない、ってのが頂けないよね」

美鳥もそんな感じらしく、少し落胆気味だ。
少しだけ期待していたシミュレーターが、あんな微妙な出来だった事が、ではない。
実際プレイしてみれば、武装が限定され、想定よりも動きが鈍かったとしても、楽しいものは楽しかった。
純粋に兵器を作って戦う時とはまた違った喜びがあるものだし、自らの模型技術が未熟である事を差し引いても楽しむことはできた。
俺と美鳥が落胆している理由、それは、

「フィクションのプラモシミュレーターですらああいう辛口評価するんだから、店長に見せても、良い評価が得られる訳がないよなぁ」

これに尽きる。
姉さんはいいだろう。
シミュレーターは、姉さんの作り上げた影忍の機能を余すところ無く再現し、高い評価を示していた。
だが、俺と美鳥のガンプラに対する評価は、実に微妙なもの。
100点満点中、65点といった具合だろうか。
ガンプラの評価を示すステータスはお店に頼んでプリントアウトすることもできたのだが、思わず断ってしまう程に低い評価だった。
そんな無様な出来のガンプラを、他ならぬ模型のプロフェッショナルに見せて、評価を仰ぐことなどできるだろうか。

「ガンプラの入門書とか、技術講座の載ってるHJとか電ホビとかも掘り出して勉強したのに、このザマとか……」

「ああ、ノリノリでプラ板を加工して局面装甲を作っていた自分が恥ずかしい……!」

その場で美鳥と共に地面に膝を付く。
平日昼間なだけあって周囲に人通りは少ないが、少し離れた場所で子供が指差しているのが見えた。
やめろ、やめてくれ。
今の俺は子供に指差されて笑われるだけの価値もない男だ。
二十半ばになって、ろくにガンプラ一つ作れない男なのだ……!

「ああっ、こら! 二人共こんな路上で茂らないの! とりあえず立って、精神的に立ち直るのは後で良いから物理的に!」

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……………………

…………

……

場所を寂れた喫茶店に移し、俺達三人はようやくゆっくりと落ち着くことができるようになった。
店内に流れるのは流行のJポップ。
店の内装に合わせて選曲をしているわけでもない、契約している有線を垂れ流しにしているやる気のないBGM。
しかしそのやる気のないBGMは、やる気のない、個性も特徴も出すつもりが無さ過ぎる店内の内装に絶妙にマッチしている気がする。

「落ち着いた?」

「すごく落ち着いた」

分かり易い笑顔を見せる美鳥。
どうやらここに移動するまでに感情の最適化が行われたらしく、先程までの落ち込みようが嘘のようである。
かく言う俺も、移動中は『やめてくれ姉さん、俺は、俺はチーズ蒸しパンになるんだ……』などと嘯いていたような気がするが、今ではすっかり落ち着いている。
人は前に進むことのできる生き物なのだ!

「ごめん姉さん。さっきはなんていうか、一作目EDで修行の旅に出たのに、続編で再登場したら特技も全部忘れて初期ステータスに戻ってた、みたいな気分でさ」

何故だろうか、昔、コロニーで土いじって姉さんフィギュアとか作ってた頃は、もう少しまともな物を作れていた気がするのだが。
いつの間にか続編になって、その辺の経験値が全て没収されていたりしたのだろうか。

「うん、過ぎたことでくよくよしても仕方ないものね。──それじゃ二人共、作ってきたガンプラ出してみて。お姉ちゃん、これでもガンプラは昔とった杵柄ってやつだから、アドバイスしてあげる」

「よ、よし、やってやろうじゃん」

「俺は、正直気乗りしないけどなぁ……」

一瞬どもりながら、それでもガンプラを取り出す美鳥に続き、俺もガンプラを取り出す。
正確な判定を行う機械にはっきりと『びみょう』と採点されてしまった造形物を、『たいへんよくできました』を貰った姉さんに見せるのは少し気が引けるのだが、成長のためならば仕方が無い。
少なくとも、それ程親しいわけでもない店長に直接不出来なガンプラを見せるよりは恥ずかしくないし。
俺と美鳥は、ラジコンの部品などを入れる少し大きめの箱から、MGサイズのガンプラを取り出し、姉さんに手渡した。

「あら、素敵なガンバ……ザクと、イデオ……ジムじゃない」

一瞬ガンダム系列以外の名前が出た? 知らんなぁ。
さて、姉さんの手に渡された俺と美鳥の改造ガンプラは、姉さんも行った通り、何の変哲もないザクとジム。
ただ、俺の黒くて200メートルくらいありそうな印象のザクは少しばかり戦闘機二機に、美鳥の赤くて100メートルくらいありそうな印象のジムが少しばかり三機の戦闘機とか車両っぽいメカに分離する程度だ。
設定的に俺のザクが縮退炉のツインドライブだったり、美鳥のジムが無限力と泣き叫ぶ赤ん坊を搭載していたりするが、その程度の設定はどこのタッツンだってやってることじゃないか。

「うーん、これくらい出来てたら、武装だってちゃんと読み込んでよさそうなものだけど……」

「一応、分かり易い武装は機能したんだよ。トマホークとかミサイルとかキックとかホームランとかは動いたし」

「あたしだって、ミサイルと格闘は動いたよ? グレンキャノンもだ!」

手裏剣も付けるぜ!
そんな事を考えている間に、ガンプラを検分していた姉さんの表情が変わり始めた。
装甲を外し、内部機構に差し掛かったところからだ。
何かに気が付いた様な表情から、訝しげな表情に変わり、眉の間に縦皺を作った渋い表情へ。

「二人……、いや、卓也ちゃん。この内部機構のデザインって、もしかして、技術面から考察して作ったりしてる?」

「? うん、一応、素材とかを変えて、実物大で作れば動くように設計図引いて、そこから少し簡略化してプラモに落としこんであるけど」

残念ながら縮退炉に関しては独学だが、動かない、という事は無い筈だ。
何しろ気の遠くなるような年月かけて培った技術がある。そこら辺に抜かりはない。
何故そんな当たり前の事を聞くのだろうと不思議に思うが、姉さんの何時に無く深刻そうな表情を見て、問いただす気が失せてしまう。
どうやら姉さんは、俺と美鳥の作った改造ガンプラから、何か、重大な何かを発見してしまったようだ。

「……お会計済ませて、まずはおうちに帰ろっか。ちょっと、次のトリップ先決めないといけなくなっちゃったし」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

鳴無家、地下秘密格納庫。
普段は姉さんが作った漬物などを置いてある氷室の脇に、持ち運び式の亜空間を設置することで生まれる、主に俺のお遊びとか研究のスペース。
東京ドーム換算ですら少しわかりにくくなるレベルの広大な空間には、得も言われぬ魔改造が施された巨大ロボやパワードスーツ、改造人間の標本などが並べられている。
更にはバージョン毎に並べられ、特徴や欠点、次回バージョンアップに改善するべき部分などが記されたメモ付きの生体ポッド。中身は当然大量のフーさんだ。
改造済みの機械以外にも、魔術の研究資料やレポートが収められた棚、手術台などが雑然と配置され、俺がトリップ先でしているような研究は大体ここで再開することが可能になっている。
そんな俺の自室とは少し趣きを異にするプライベート空間は、今、姉さんの激しい侵攻を受けているのであった……!

「これは……ダメ、これもバツ、これは論外、ああ、もうっ! 嫌な予感はしてたけど、ちょっとこれは酷すぎるよ!」

「客観的に見て姉さんの所業も大概酷いよ!?」

姉さんが手にしているのは、巨大な赤ペン。
何の変哲もない、魔ペン『ダイナシ』の親戚の、添削用の魔赤ペンであるらしい。
その赤ペンを容赦なく振り下ろす度に、俺のコレクションである魔改造機動兵器がバラバラに分解、封印されていく。
いや、厳密に言えば封印ではない。
姉さん視点で減点対象となる部分を、装甲を外して分かりやすくした上で、改善点、問題点を箇条書きした修正案が添付しているのだ。
ただ、疑問が残る。
あれらの機動兵器群は、確かに俺の持つ科学技術の粋を集めて作り上げたものであり、封印と見紛うほどの修正案が貼られるようなものではない筈なのだ。

「ぜんぜん酷くない、むしろ卓也ちゃんの技術力の方が酷い!」

ビシィ、と、ほぼ完全解体寸前まで追い込まれた俺の旧メカゴジラ再現版の上から赤ペンを突き付ける姉さん。

「さては俺が今でも密かにボスボロット式スパロボ制作術や木原マサキ式機動兵器構造学、更にはドクターウエスト直伝超逸般科学を磨き続けているのを知らないね? あれら優れた技術と発想を取り入れた俺の科学力に不備は無し!」

「言ってて気付こうよ! ────真っ当な科学技術、一つも学んでないじゃない!」

……。

…………。

……………………。

「はっ!」

いかん、思わず場面転換が可能な程の長時間、思考を停止させてしまった。
俺は再現旧ゴジの上で見えそで見えない地味下着をチラつかせながら仁王立ちしている姉さんから少し視線を逸らし、記憶を手繰り寄せる。

「いや、待ってくれ姉さん、俺にだってほら、まともな師匠の元で科学技術を学んだことくらい……」

だって、魔術ならシュリュズベリィ先生っていうすっげぇ偉大な先生が居るわけだし。
ちょっと前のデモベ世界へのトリップだって、機神招喚を覚えるまではほぼ科学技術頼りで戦ってたし。
スパロボ世界だと、主人公チームを実質的に壊滅にまで追い込んだのは、当時の俺の科学技術の粋を集めて作った機体だった。
だから、ほら、覚えてないわけないんだって、なぁ!?
『ここまで科学技術は盗んだりコピーしたりほぼ独学』だなんて、ありえるわけが、あり、える、わけが……。

「あー、言われてみりゃお兄さんのメカ知識って、良く言えばスーパー系だよね。しかもダイナミック気味の。工学知識ってよりスーパーロボット知識っていうか、大味っていうか」

美鳥の言葉がホロボルトプレッシャーとなって胸に突き刺さる。
その場で、俺の膝は俺の意思を無視し、力を失い崩折れた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

後に行われた筆記試験の結果。
機動兵器に対してリアル系のアプローチを行える俺の知識は、スパロボ世界で手に入れたSEED系MS、MF、ASと、申し訳程度のSPT技術のみ、という事が判明した。
これらの技術に関しても、本来ならばデモベ世界での長年の技術研究で更にバージョンアップされていてもおかしくはないのだが……。

「これは、酷い」

木製の机の上で、姉さんの添削を経て真っ赤になった答案を読み返す。
こうして冷静になって見返してみると、とても常人の発想で作られるまともな技術ではなくなってしまっている。
良く言えば設定甘めのスーパー系技術、少し悪っぽく言えばマッドサイエンティストぽい。

「うはは、なにこれひでぇ。お兄さん、これちょっとドクターの影響受けすぎじゃね? 本気で悪く言えばマジキチ」

後ろから覗きこむ美鳥が俺の答案用紙を見ながらゲラゲラと腹を抱えて笑っている。
これが文字上の言葉であれば、間違いなくカギ括弧の中の語尾にはwの文字が大量に並べられているだろう。
否定したい、むしろゲラゲラ笑う美鳥を殴りつけて蹴り倒した後に痛みを強要する系の性的虐待をして無理矢理に黙らせてしまいたい。

「え、マジで!?」

「心を読むな。そして目を輝かせるな」

実行したら黙るどころかこちらを更に煽って言外に更に過激な続きを要求し始めるので実際には行わない。放置が一番。
それに、否定も口封じもまるで意味が無い。
何しろ、美鳥に今言われた事は十割事実。
俺は科学技術という一面において、あの○○○○を割と信奉している。
だからこそ、ドクターの元で助手などを何度か勤めた後に、俺の持つ科学知識とドクターの元で手に入れた知識を融合させた。
そして、それはそれ以降、ループ開始地点が原始地球になった後の研究にもフィードバックされている。
リアル系技術にまで、ドクターのマジキチ知識を食い込ませてしまっているのだ。

それこそが、俺と、基本的には俺と同じだけの技術を持つ美鳥のガンプラがシミュレーターに正確に反映されなかった理由。
俺と美鳥のガンプラに施された内部ディティールは、リアル指向のシミュレーターにとっては荒唐無稽過ぎて、正確に動作する機構としては受け入れられなかったのである。

「これはね、後々の話になるだろうけど、わりと致命的な問題だとお姉ちゃん思うの。卓也ちゃんもそう思うでしょ?」

「ん。今の所は問題ないけど、も少し先の事を考えるとね……」

メカ、ロボ系アニメや漫画、小説などが少なめになっている昨今でも、やはりリアル系、スーパー系の強さ、技術力に関する関係は絶えず推移を続けている。
昔からあったスーパー系ロボットの場合は派手さが増したり規模が大きく、具体的な数値が出せるようになったりなどがあるが、リアル系は少し話が違う。
一昔前ならリアル系と呼ばれていた系列のメカは、昨今の視聴者、読者などの細かい突っ込み耐えられる様に設定が細かになされ、その過程で物語を広げるために十四歳大喜び要素──厨二設定を盛り込む事が多くなり始めている。
言わばOSR値の違いを、厨二型リアル系は戦闘に持ち込んでしまえると言ってもいい。
そのため、ある一定のレベルを超えると、リアル系とスーパー系の力関係がOSR値の強弱によって逆転し、リアル系が圧倒的な優位に立ってしまうのだ。

もちろん、これはある意味では偏見なのだが、そういった偏見がトリッパーにとってはとても厄介なものになる。
例えば、ネギまの魔法使いたちの思想を、二次創作などから得た偏った知識により『立派な魔法使い』ではなく『正義の魔法使い』と間違えて記憶するとしよう。
あるいは、リリカルでマジカルな世界において、『クロノは仕事に真面目で正義感あふれる公僕。なのはとフェイトの戦いで次元震が引き起こされる可能性を危惧して危険を顧みずに飛び込んだ』ではなく、『クロノはレズ作品で空気読まずにカップルの馴れ初めシーンに割り込むKY』と記憶したりするとしよう。
この偏見、かなりの割合でアンチ系二次創作に用いられる。
すると自然、『正義の魔法使いが溢れる魔法使いに支配された学園都市』というアンチしやすい世界も存在してしまうし、『クロノが全体的にKYで、クロノ及び管理局を貶める為の不自然な無能化』が肯定された世界も存在できてしまう。

そして、俺達が行かなければならない世界というのは基本的に『何処かの誰かが頭に思い浮かべた二次創作世界の出来損ない』である。
故に、トリッパーである俺達は『リアル系は厨二力によってスーパー系より つ よ い(偏見)』という法則の存在する世界に行かなければならない可能性が極めて高い。
そういった世界で、リアル系の技術大系を無視してスーパー系技術でマシンを組むのは非常に危険だ。OSR値が下がってドクターのように噛ませになってしまう可能性がある。
俺の場合は魔術で厨二要素を補填する事もできるが、何らかの設定により魔術的な要素が一切使えない世界だってありうる。

「そこで! お姉ちゃん考えました!」

バンッ! と姉さんが手をホワイトボードに叩きつけると、『ひっ』という声と共にホワイトボードの隅に小さく書かれた白髮小豆ジャージのマスコットキャラが身を竦め、今回のお題がホワイトボードに浮かび上がる。
因みにあのマスコットキャラに意味は無い。しいて言うならホワイトボードを叩きやすくする効能があるらしい。
テストが始まる前に俺も美鳥も叩かせてもらったのだが、確かにあの怯え顔のお陰で心地よく平手を叩きつけることができた気がする。
そして、涙目になったマスコットとはまったく関係なく姉さんの魔法によって浮かび上がった文字、それは。

「『卓也ちゃんの哀れな科学技術矯正計画』?」

「そう! ダイナミック系列のギャグ技術と主人公がラスボスという一種のギャグ技術、そして神の思惑をも越えちゃう恥ずかしいキチ技術によって正道から外れちゃった哀れっぽい卓也ちゃんの科学技術を、無理なくまともな科学技術に矯正するの!」

ああ、哀れなのは確定なんだ……。

「実際問題ね、卓也ちゃんの一番の得意属性だし、あんまり歪んだ形で放置するのもダメだと思うの。キチガイ地味た科学技術が全部ダメ、って訳じゃないんだけど、正道を知らずに頭おかしくなるより、正道を知っていながら気が狂ってる方が有利だし」

「確かに、最初からキチガイで通してるキャラより、途中からキチガイになるキャラの方が強かったりするような」

そうでなくても、まともな知識を得た上で突飛な発想を持った方が有利といえば有利だろう。
応用問題は解けるけど、初歩の問題を解けないなんてのは論外だ。
知識は重さのない最大の財産で武器で防具。正道と邪道を併せ持っていた方が良いに決まっている。

「そんで、今回のトリップは結局どこにすんの?」

「出来れば、最終的には純粋科学で惑星よりおっきいロボとか作っちゃう世界の技術に適応して欲しいんだけど、最初は軽めのジャブとして……これ!」

美鳥の問いに姉さんが差し出したのは、十数枚のDVDと数冊のビジュアルブックと設定資料集。
なんというか、言葉を濁さず言うならば。

「ガンダムか……そうか、言われてみれば、俺はガンダムだった」

その気になればこの場でガンダムになれないでは無い的な意味で。

「そういやあたしもガンダムだった。ガチで」

思い出したように言う美鳥は悪魔的なガンダム経験者だった覚えがある。

「流石卓也ちゃんと美鳥ちゃんね。まあ、当然お姉ちゃんもガンダムにしてガンダム・ザ・ガンダムなんだけど、ここらへんは基本よね。あの山だって見ようによってはガンダムだし、あの山を流れる小川のせせらぎだってガンダムみたいなものよ」

更に続く姉さんの説明によればトリッパーは大概ガンダムだし、広義の意味で言えば人類はガンダムと言っても過言ではないらしい。
まぁ、これらは少し言い過ぎにしても、大体このガンダムはそんな雰囲気のガンダムと言っていいだろう。
一見して特別な立ち位置に居るガンダムだが、時が過ぎて時代が流れれば一般的なものに変わっていき、特別性を失う。
不理解から理解へと繋がる分かり合えた系ガンダムと言ってもいいのだが、如何せん劇場版後にやっぱりわかりあえて無い系の勢力が残っていたりするのが玉に瑕か。

「別に最新のガンダムがダメって訳じゃないんだけど、あっちはちょっと設定ふわってしてるし、こっちならめんどくさい細かな設定もあるし、まっとうな科学技術を学ぶにはもってこいなんじゃないかなって」

「そうだね、別に最新のガンダムが悪いわけじゃないけど、どっちの科学技術を学びたいかって言われればこっちになるかな」

デザインとかも加味して考えれば間違い無くこっちに軍配が上がる。
別に最新のTVガンダムをディスってるわけではないけど、どっちかって言えばこっちの方がまだ抵抗なく謙虚な姿勢で学べるだろう。
OSR値も、腐女子の方々や俺含む十四歳の頃の素直な気持ちを忘れない連中からの評価から高いものと思われる。
というか、最新のガンダム、見てないし……。

「あたしも、某H監督はでしゃばり過ぎなきゃ天才って思うけど、最新ガンダム世界行くくらいならあたしのミリオンアイネスでLBXと戦う方が実りがあると思うなー」

神姫と変わらないサイズでリニアモーターカーを押し止めたりできるしなぁ……。
神姫も神姫で個人暗殺用の爆弾にされたりでエグい使われ方してるけど、あっちより危険性はダンチで低いし。

「あ、そうだ。今回は純粋に科学技術だけ学んでくればいいのかな?」

ふと疑問に思い聞いてみる。
これまでは何だかんだで救済を学ぶだのなんだのと別の目的があった気がする。
俺自身テストの結果から危機感を得ているので、可能であればそこら辺の小目的も含めて計画を練っておきたいのだ。

「急務は科学技術の矯正だから、今回はそれだけでいいよ。あ、でも単独行動の訓練とかも含めて、美鳥ちゃんの行動は少し制限入れておくね?」

言いながら、机の前に歩み寄り、腰を曲げて顔を近づける姉さん。
そのまま、流れるように自然な動作でこちらの顎を指で上げ、口吻。
唇を通じて、姉さんが俺の構造体に干渉、サポートAIである美鳥の体外活動と思考に幾らかの制限を掛けていく。
背後で美鳥の肉体が消滅した。本体である俺の内部へと戻されたのだろう。
少しばかり不便になるかもしれないが、これが本来の形なのだし、いざという時の為に慣れておくのも必要かもしれない。
必要な処置が全て終わると、姉さんがゆっくりと唇を放した。
舌を深く絡ませる事もなく、舌先が触れ合う程度の口吻は、互いの味よりも体温を強く感じる気がする。
姉さんは唇を離すとしばらく両手で口元を抑えて、

「今、思ったんだけど、机越しだと女教師と生徒みたいで、ちょっとえっちいよね……」

尻すぼみに呟く。
そういうプレイを最初から意識しておこなっていたわけではないからか、ほんのり恥じらいから頬を染めている。

「姉さん、解説用にタイトスカートのスーツとメガネつけといて、それは今更過ぎるよ……」

姉さんの珍しい微妙な恥じらい姿を記憶の中にしっかりと記録しながら、俺はトリップに必要な荷物のリストを思い浮かべるのであった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

西暦2091年。
とある孤島にある屋敷の中で、二人の男が語り合っていた。
いや、語り合っていると言っていいものか、椅子に座り紅茶を手にした片一方の男が、無数のモニタが備え付けられた机に向かったままの男に、一方的に語りかけている。
備え付けられたモニタに映されるのは、どれも現在の人類の科学力では考えられない新理論の数々。
だが、机に向かう男の手は動いていなかった。
理論は完成し、あとは細かな部分を詰めていくだけという段階にあり、作業を続行しない理由は無い。
それは偏に、机に向かう男が椅子に座り語りかけてくる男の話にしっかりと耳を傾けているからに他ならない。

「意識を伝達する新たな原初粒子の発見、その粒子を製造する半永久機関の基礎理論の構築、量子型演算処理システムの発明、軌道エレベーター建造に伴う太陽光発電システムの提唱……どれも我々人類を豊かにする大変な技術だ」

椅子に座る男もまた、その言葉を冷やかしの為に投げかけているわけではない。
その証拠は、机に向かう男の作り出した技術を褒め称える彼の手に握られたカップ。
その中の紅茶は既に冷め切ってしまっている。
机の男の持つ技術について語るのに熱中するあまり、淹れた紅茶を飲む事すら忘れてしまっているのだ。
冷めたカップを手にしたまま数々の新技術を語る、椅子に座る濃緑の髪の優男。
彼もまた科学者であり、机に座る、筋張った険しい顔の男とは対等な友人であった。

「でも君は人間嫌いで、こんな孤島に一人で過ごしている」

表情を変えない、僅かな笑みを浮かべた表情のままで、皮肉の様な言葉を投げつける。
しかし、その言葉の内容からは皮肉というよりも、憤りや不満が感じられるだろう。
科学者としてだけではなく、机の男の趣味であるチェスにも付き合う程に親しい友人である椅子の男は、机の男の現状に僅かながら憤りを感じているのかもしれない。
それは人間嫌いであるという机の男の嗜好に対してではなく、大げさな言い方をすれば、彼を人間嫌いにしてしまう、大きな括りでの人類に対する憤りか。

「……私が嫌悪しているのは、知性を間違って使い、思い込みや先入観に囚われ、真実を見失うもの達だ」

ここで、初めて机の男が言葉を返した。
筋張った、同年代である椅子の男よりも老けて見えるその顔に浮かぶのは、その言葉とは裏腹に嫌悪とは異なる色を含んでいる。

「それらが誤解を呼び、不和を呼び、争いを産む」

丸眼鏡の奥に見える目は、ここではない何処かの何かに向け睨みつけるように細められ、しかし、その睨みつけるものに哀れみ、悲しみの感情を向けているように見える。

「解り合わせたいのだよ、私は」

その悲しみと哀れみは、彼が嫌悪していると言ったものだけに向けられたものではない。
解り合わせたいという願いを持ちながら、直ぐ様に解決策を作り出すことの出来ない自らの力の足りなさに対する不甲斐なさ。
モニタの光に照らされる男の表情は、『自分を含む』嫌悪するべき人種への思いに、僅かに下向きに歪む。

「それが君の求める世界か」

机の男の短くも本音の乗った返答に僅かながらの満足感を得て、ようやく冷めた紅茶で喉を潤していた椅子の男が嬉しそうに呟いた。
単純な人間嫌いではないと思っていた友人が、彼の想像よりも素晴らしい未来を見据えていた事に対する、一種の誇らしさの様なものを感じたのだ。

「人類は知性を正しく用い、進化しなければならない」

机の男が僅かに椅子を引き、振り返る。
椅子の男に向けた顔は、強い決意に満ちていた。

「そうしなければ、宇宙へ、大いなる世界へ旅立っても、新たな火種を産む事になる……それは、悲しい事だ」

人類の新たな世界への旅立ち、そのための進化。
一人の人間が考えを巡らせるにはあまりにも大きすぎる問題だ。
しかし、机の男の頭の中には、それを成すための壮大なプロジェクトの大筋が既に完成しつつあった。
意識を伝達する原初粒子、その粒子を製造する半永久機関、電子世界を密かに支配できる程の量子型演算処理システム、軌道エレベーターと太陽光発電システム。
今研究している様々な技術は、ほぼ全てがそのプロジェクトの為に生み出されたと言っても過言ではない。

誤解なく、分かり合える様に、人類全てが一歩先へ進むための計画。
そんなものを考えるのが如何に傲慢な事であるかは、誰よりもその計画を練り続けている男自身が一番良く理解していた。
だからこその決意。
傲慢と罵られようと、狂人と恐れられようと。
この計画で、何時の日か必ず人類はそこに辿り着かせる。
例え、それが人々に痛みを強要する事になったとしても。

そして椅子に座る男は、そんな机の男の内心こそ解らずとも、男の溢れる才気を持ってしても抱えきれない程の重荷を抱えている事を、長年の付き合いから察することができた。

そして、何故、今このタイミングで自らの理想を語るのか。
遠まわしに手伝いを頼んでいるわけではない。
助力を乞うのであれば、もっとストレートに物を言うのがこの偏屈な友人の性格だ。

きっと、この友人は誰かに知って欲しかったのだ。
後に、事を進める段になれば誰かに話す事もあるだろう。
だがそれ以前の段階として、その壮大な未来図を、他の誰かと共有したがっている。
椅子に座る男は、その友人の偏屈な態度からは想像も付かないだろう僅かな子供っぽさに苦笑しながら、

「イオリア……」

名を呼んだ。
彼の語る未来の続きを促す為に、エターナル・アラン・レイの友である、イオリア・シュヘンベルグの名を呼び────

《たかだか個人が、人類全てを新たなステップに進めようとは……》

意思が、二人の脳内に響いた。
脳髄に染みこむような、

《────その欲望素晴らしいっっっっ!!!》

頭蓋を貫くような打撃力のある意思。
耳を塞ぐことも敵わない、拒絶すら許さない、ただ発せられるままにぶつけられる感情の発露。
イオリアとレイは脳を引き裂かんばかりの感情の伝播に導かれるように、窓の外を見上げた。
青く晴れ渡っていた筈の空は、いつの間にか、鋼の色に染め上げられていた。
窓の外に見えるのは、巨大な金属の塊だ。
極最近開発され始めたMS(モビルスーツ)のようでいて、まったく違う理論で形作られたヒトガタ。
その人型は余りにも異質だった。
頭があり、首があり、胴があり、腰があり、足がある。
一見して人間とそう変わらないシルエットであるにも関わらず、見た瞬間、誰もが理解できてしまう。
人類の発想からはかけ離れ過ぎた異形の機械。
人類には到達不可能なのではないか、そう思わされてしまう程に『行き過ぎた』超常の存在。
しかし、ある一つの意味では『理想』とすら言えるだろう。
手を伸ばし近づく事はできても、決して届く事のない、隔絶された存在としての『理想形』

それを見た瞬間、イオリアの脳に電流が走った。
──これだ……!
脳に生まれた新たな刺激に従うままに、イオリアの口舌が、一つの言葉を創りだす。
この世界で、初めて音として表された、未だ存在し得ない、理想の未来へと近づく為のシステム。

「ガンダム……」

本来ならば、他の形で生まれる筈だったその名前は、在り得ざる存在に向け、初めて向けられる事となる。
だが、イオリアの描く未来は変わらない。
目指す為の形が、今まさに、確かな形で定まった、ただそれだけの話。

《そう、ガンダムだ! 強欲なる者よ!》

確信となった。
人は、変わらなければならない。
『対話』の為に、革新を迎えなければならない。

《ガンダムについて、MSについて、この星の技術について、それらすべてによって辿り着く先、君達の欲望について!》

誤解無く、わかったつもりになるのではなく。
すれ違う事無く、互いの願いを、思いを、正当な形で噛み合わせる為に。
不理解を理解し、未知を踏み越え、辿り着かなければならない。

《語り合い、曝け出し────存分に、理解し合おうじゃあないか!》

解り合わなければならない。解り合える存在にならなければ。
そうでなければ、人類に、未来はないのだから。






続く
―――――――――――――――――――

いや、流石のこのSSでもガンプラビルダーズにトリップはしませんよ……。という、第五部プロローグな第七十八話をお届けしました。

いや、何がダメって、作者である自分がガンプラの改造にそれほど詳しくないってのが原因なんで、行こうと思えば今回みたいに幾らでも理由づけできちゃうんですが。
部屋の体積的にも、SS書く為に新たにガンプラの技術を磨き始めるのもなんかなぁ、と。
でも二誌同時連載してたビルダーズはどっちも面白かった記憶が。
次のTVアニメ化は思い切ってビルダーズの新しいシリーズで4クールとかやらないかなぁ。無理かなぁ。

そんな訳で、ええ、プロローグ入ったからには宣言しますよ。
機動戦士ガンダムOO編、始まります。
そう、始まってしまいますよ、禁断のトリップが……!
一応、話の流れで嘘になるかもしれませんが、一応、宣言しておきます。
・──性別は変わらない。
なので、せっちゃんTSして少年兵時代に公衆トイレで彼女口しか使えないわよネタとか、ティエリアTSで捕虜になってTINコッドには勝てなかったよ……ネタとか、無いです。
TSしないです。TSしないです。大事なことなので二度連続で繰り返しましたので良く覚えといてくださいね。
あと、公式で恋愛関係のカップルからの寝取りも無いです。ええ、きっと主人公が心に目覚めたとか、そんな理由で。嘘ですけども。
ナノポとか多分途中で面白い使い方思いつかない限り使う予定すらありません。まさに健全。

そんな訳で、花もなにもあったもんじゃない、極めて地味なお話になるかと思われます。
なんかいきなり全ての元凶の元にド派手に登場してますが、次回から超地味に進みます。
なにせ今回の主な目的がリアル系の真っ当な技術を集めてOSR値保持に役立て、最終的にはステキなガンプラを作ることなので。
大幅なパワーアップは無いです。主人公が名を変えながら少し時間を掛けてMSの技術について学んでいき、そのストレス解消に学んだ技術を可能な限り生かしたMSで唐突に暴れたりするだけの話になるので。
大筋も基本的に原作に沿う形になりますし。ちなみにあそこまで派手な導入で原作沿いになる理由とかは次回説明ありますので。
話的には次からちゃんと外伝の辺りまで時間跳びますしね。

長さ的には伸びてもスパロボ編と同じくらい、しかし投稿間隔が長くなってるので長丁場になる地味章ですが、よろしければ今回もお付き合い頂ければ幸いです。

さて、それでは今回はここまで。
当SSでは引き続き、誤字脱字の指摘、文章の改善案、矛盾した設定への突っ込み、話や文章を作る上でのアドバイス全般、そして、長くても短くてもいいので、脳量子波ではない文字媒体での感想、心からお待ちしております。






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出てこない可能性のあるセリフをさも使うのが確定しているかのように出す、
次回予告。

「ようこそ、ソレスタルビーイングへ」
「GNドライブは、ソレスタルビーイングにはまだ五つしかないんだ」
「手は手で無ければ洗えない。得ようと思ったらまず与えよ、ってな。ってことは、どういう事だ?」
「人革か、ユニオン。どちらにしようかな、かみさまの……あ、俺か」
「あの、このデータが……ガンダム、ですか?」
「なんて言うか、定義が難しいんだ。しいて言うなら──」

機動戦士ガンダムOO・P編第一話
『プレパラートの上の理想形』



[14434] 第七十九話「基礎学習と仮想敵」
Name: ここち◆92520f4f ID:b6e2479d
Date: 2013/02/17 09:37
○月○日(いおりんの技術が世に出回り始めて)

『ゆっくりとしたものではあるが、確実に進化を続けているように思える』
『軌道エレベータ構想発表当初にセットで初期型のワークローダーが発表されたのも今は昔のお話』
『軌道エレベータを効率的に建造するためにマニピュレーターは複雑かつ精密な動作を求めて人の動きを正確にトレースできるように進化していったし』
『整備頻度を下げる為に機体の素材に軌道エレベータの建材と同じEカーボン(現実のカーボン・ナノチューブよりも遥かに強度があるステキ素材だ)を採用し始めたりもした』
『いきなりとんでも技術が生み出されたり思いついたりするスーパー系やマジキチ系技術ではない、ゆっくりとした技術の発展だからこそ感じられる進化の軌跡はやはり美しい』
『急速に発展したこの優れた工作機械が、物を壊し人を殺す機械へと進化を始めたのは当然の結果と言えるだろう』
『建造中の軌道エレベータの防衛用に武装が施されたのが始まりとはいえ、中々に感慨深いものがある』
『俺も何だかんだで地球上に栄えた知的生命体を何種も見てきたが、やはり人類は物事を暴力に上手く繋げられる種族的な才能を持ち合わせているのだろう』

『さて、ここ数十年の間で、武装化されたワークローダーがようやく俺のよく知るMS群に良く似た姿へと進化を始めた』
『それというのも、最初から軌道エレベータと太陽光発電施設の建造にチャチャを入れていた石油関連企業と石油産出国のお陰だ』
『地球規模の大掛かりな太陽光発電の普及が現実的なものとなり、石油の流通が規制され始めた事に反発し、周辺国と小競り合いを始めてくれたのである』
『そういった中で多発した紛争で、武装したワークローダー──MS(モビルスーツ)の兵器としての優位性が証明されたのだ』

『よく「人型兵器とか戦車と戦闘機の的(まと)にしかなりませんからwww」などという話を聞くが、少なくともこの世界ではそうはならない』
『なにせ初期のMSは極めて小型(後のMSに比べればという前提付きだが)で、かつ、Eカーボンによって軽量かつ重装甲で生存性が高く、手先が器用で重量物も軽々持ち運べるとあって大型の銃砲火器を使用可能』
『戦車や戦闘機の装甲をEカーボンにすればいいではないか、などという言い訳は通用しない。それら既存兵器は装甲部分を除いても重すぎる。少なくともこの世界では重い。断じて重いのだ。反論はスルー』
『ともかく、少なくともこの世界の技術は、既に戦車や戦闘機の構造を効率的に作り変えるよりも、MSに戦車の代わりを務めさせ、戦闘機としての機能を追加した方が早い程にMSに偏重したのである』

『戦場を提供してくれた中東、後の貧乏姫の領土の偉い人たちには感謝してもしきれない』
『仮に彼等が軌道エレベータの建造を妨害したり、太陽光発電に積極的に手を貸そうとした周辺国に喧嘩を売ったりしなければ、MSの開発は数十年は遅れていただろう』
『時代的には貧乏姫の祖父さんか親父さん世代という事になる筈なのだが、うむ、流石はゴロゴロ死体などという鬼畜な歌を歌う姫の親世代である。きっと戦争とか大好きだったんだろう』

『因みにこの太陽光紛争の際、人型のワークローダーの進化系であるMSではカバーしきれない部分を補う為に、新たに人型ではないMA(モビルアーマー)という形式の兵器が生み出されていく事になった』
『ここらへんの流れは他のガンダム世界とは少し異なるひねった部分なのだろう』
『非人型兵器から進化して人型になるのではなく、人型作業機械を兵器化し通常兵器を脇に押しやり、その後にMSとは別口で非人型兵器であるMAを作ったのである』
『なお、戦車や戦闘機などもこの世界では広義の意味でのMAに分類されるらしく、現時点ではMSの脇を固める兵器もそれらの発展系のようなものばかり』
『まだそれほどゲテモノ臭いMAが登場していないのが残念でならない。精々がアグリッサくらいとなのだから、俺の寂しさも推して知るべし』

『さてさて、話は戻りMSのお話だ』
『紛争開始当初は似たような設計思想だったものの、ここ数年の間に国の風土や用途に合った独自の路線が確立され始め、それぞれの国の特色が出始めている』
『人類革新連盟は、太陽光発電紛争初期に作り上げたファントンの系譜である陸戦主体のティエレンへと移行を始めた』
『これは隣国へ喧嘩ふっかけたり、内部での紛争を収めたりするのがメインの目的として設定されていたというのと、人革の領地内にある軌道エレベーターの立地などが関係しているのだが』
『この人革の選択は正しかったと見ていいだろう。頭打ちになっているファントン(TVやゲームではアンフと呼ばれている、ファーストシーズン冒頭でせっちゃん他少年兵を蹂躙していた化石燃料式MS)はともかく、ティエレンの拡張性の高さは、同年代の他国のMSと比べて群を抜いている』
『当時の技術でも無理をすれば飛行型のMSを研究できないでも無かったのだろうが、先の未来よりもまずは手元の問題を解決する為に、余裕のある手堅い技術研究を続けてきたのは評価に値する、と思う』
『もちろん、ユニオンだって負けてはいない』
『重装甲型、地上型へと進化を始めた人革とは違い、ユニオンのMSは高機動型、もしくは飛行型へと進化を始めた』
『これは本来陸地に存在する軌道エレベーターの防衛には飛行型のMSが有利、というのもあるのだが、細かい理屈はいいだろう』

『少なくとも、世界中のあっちこっちからとりあえず完成された最新技術を取り込みまくってキメラっているCB(ソレスタルビーイング)のMS開発史よりは、真っ当な技術開発の流れを学ぶ参考資料として優れている』
『CBはヴェーダの力によってある程度完成した理論をパクってきて、複数国の最先端技術をまとめあげ研究開発していく訳だが、完成した理論を使っているだけあって、その技術が生まれるまでの過程などは持っていない』
『しっかりとした技術の進化の流れを追うのであれば、最先端技術パクリまくりのCBから学ぶよりも、パクリ元の人革やユニオンで根本の技術を学んだほうがいいのである』
『CBも最近ではようやく第二世代型ガンダムのマイスターを集め始めたようだが、まだまだメインの学習資料にするにはパクリ部分が多すぎるし、しばらくは人革とユニオンメインで、冷戦を続ける三国のMSを眺め続ける事にしよう』

―――――――――――――――――――

「しよう、と」

日記に〆の言葉を書き、閉じて亜空間に放り込む。
もう少し長めに書くことも出来たのだが、今は見ておきたい映像があるので少しだけ時間が押している。
時計をちらと確認し、予定の時刻になったのを確認すると、勝手にテレビの電源がONになった。
画面に映し出されるのは、少しだけ有名なワークローダーの操縦技術大会。
ワークローダーの高度な操縦技術は、この時代ではそれだけで無視できないレベルの武器になる……らしい。
いや、そりゃ、ワークローダーを武装させて建造中の軌道エレベータの防衛に宛てたり、そのままMSのパイロットになるとかならまだわかるんだけど、建設作業でそこまで複雑な操縦技術が必要とされるのは如何なものだろう。
ぶっちゃけ、建設作業に従事するだけなら一定レベルの技術があれば十分というか、素晴らしい技術とかあっても活かす場所がないと思うのだが。

「……ふーん」

あれこれ疑問を頭に浮かべつつも、ワークローダーの試合を観戦する。
思ったよりもレベルが高いが、飛び抜けて素晴らしい技術を持っている人間は居ないように見える。
単純に未熟なだけかもしれないが、伸び代を考慮に淹れたとしてもこの大会に出場する連中から学ぶ部分は少ない。

「こいつか」

ただ、ヴェーダが目を付けているという栗毛の少女の動きだけは、他の選手に比べて幾分『まし』なようにも見える。
彼女が優れている点は、繊細な操縦技術が云々というよりも、もっと本能的な部分にある。
いいセンスだ。という評価が一番当てはまるだろう。
しいて不満点を挙げるなら、やはり機体への慣熟が済んでいないという点か。
確か、彼女が大会直前まで使用していた人革の宇宙開発用MA『シャオショウ』がもう一人の優勝候補の申し立てで使用不可になったのが原因だった筈だが……。
当然、このMAの使用禁止への流れにはヴェーダも一枚噛んでいる。
仮に対戦相手が積極的に少女の得意なMAを封じるために活動をしなくても、何らかの形でこのMAは使用禁止になり、少女を不利な状況で大会に出場させる事になっただろう。
彼女はMSの操縦者としての素質だけではなく、ある特別な資質をも所持している。

それはガンダムマイスターとしての、いや、ソレスタルビーイングの一員になるための資質であり、ヴェーダはそれを持つ優秀な人材を常に求め続けていると言っていい。
一見して聡明そうで、しかし年頃の少女然とした夢見がちなところの見えるこの少女。
人間として、文明人として、人類の一般的な社会で生きていく上でとても大事なファクターが欠落していることの証明の様な資質を抱えている。

彼女は、『自らの目的を実現するのに必要であれば、如何なる形での他人への被害も最終的には許容できる』のだろう。

この一点は、ソレスタルビーイングの構成員として大切な要素だ。
結局のところ、重視されるのは宛てがわれた役割を果たすために必要な能力を備えている事と、その能力をコンスタントに発揮できる安定性の高さ。
紛争根絶のための武力介入、その前段階であるガンダムの開発中に生まれた目撃者の処理などで殺人を犯す場面は多くある。
殺人を犯すことで生まれたストレスによって大きく性能を損なうような構成員では勤まらない。殺人以外でも、他人の人生を損なうような活動も多く存在するだろう。
それによってストレスを感じない、とまではいかないまでも、生じたストレスを早期に発散できる素質が必要になるのだ。

更に言えば、紛争根絶という当面の目的に対して強い執着を持っている必要も薄い。
ヴェーダが、というか、ソレスタルビーイングがその気になれば、対象となる人物に紛争への憎しみや忌避感を植え付ける事も難しい事ではない。
特に、この少女の精神は殺人に対するストレスの少なさを除けば年頃の少女と同じ程度のものでしかない。
この大会が終わり、観客や視聴者の記憶から『惜しくも優勝できなかった』『未だ高校生で、会社にスカウトするには時期尚早な』少女の記憶が薄れた頃、ヴェーダ直下のスカウトマンが現れる筈だ。
その接触タイミングは、スカウトマンに自覚が無くとも、少女が最もスカウトを受け入れやすくなるタイミングを見計らって行われるだろう。
そうすれば、この少女の未来は決まったようなものだ。

「ハッピバースディ! 新しいガンダムマイスターの誕生だよ!」

椅子から立ち上がりながらテレビ画面を指さし叫ぶ。
しばし待つが、突っ込みも合いの手も無い。
ここが壁の薄い部屋であれば近隣住民の影のリアクションに期待できないでもないが、残念な事にこの部屋は完全防音だ。
これがトリッパーに訪れる真の孤独か。
本気で耐えられなければ頑張って美鳥を起こせばいいだけなんだけど。

さて、収穫は少なかったけど、ヴェーダに直接持ってこさせた情報ではわからない部分も見えてきた。
実戦に出るかどうかわからない開発チーム所属のようなガンダムマイスターとはいえ、『あの程度』の実力でいいのなら、なるほど、無理に優れた技術で作らなくてもいいのかもしれない。
人間もしくは進化系であるイノベイターの性能で扱いきれる機体、それがこの世界の技術者が目指す理想ということか。
目指す頂きは遠いが、それでも『最低限必要な分の性能』に設定されている
なら、

「あの導入で成功だった、という訳だ」

流石俺の姉さんの弟である俺、美鳥のサポートが無くても、最適解にたどり着いていたか。
そうとなれば、少しくらい遊んでみるのもいいかもしれない。
ここ最近はペーパーと電子情報での技術収集ばかりだったから、手持ちのまっとうな科学技術を組み合わせて、適当な玩具でも組んでみるか。

椅子に再び座り直し、始まった決勝戦を見ること無くテレビの電源を切る。
端末を起動し、先日ロールアウトされたばかりのAEUヘリオンの設計図と仕様書を開く。

「ああ、やっぱAEUのパクリ方はエロいなぁ」

こうしてフレーム構造などを改めてしっかり見るに、計算なのがバレた似非天然キャラの、テンパッて逆切れしながらの素出しに似ているというか。
完全なパクリではなく、前身であるAEU-04で得たデータを上手く継承しているのがわかる。
コンセプトが似ていても、ユニオンのリアルドとはまた違ったセンスをしているのだ。
パクリはパクリだが、それはあくまでも方向性を真似ているだけというのが正しいんだよな。
あくまでも自分とこの技術で似たものを作る辺りに最低限の誇りが見えるというか、露骨な技術盗用してないだけCBよりは真っ当だし。
さて、お遊びの前に、区切りのいいところまで学習を済ませてしまう事にしよう。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「ようこそ、ソレスタルビーイングへ」

この言葉と共に、新しいガンダムマイスターである少女の、『シャル・アクスティカ』としての活動は始まった。
彼女のガンダムマイスターとしての主な活動の場は、直径一キロ、長さ五百メートルの円筒型の先端に傘のように広げられたミラーを持つ、人が済むのに最低限の規模のごく小規模なコロニー。
ラグランジュ3に浮かぶスペースコロニー『クルンテープ』
タイ語で天使宮の意味を持つその名を与えられたそのスペースコロニーで彼女に与えられた最初の任務は、第二世代ガンダムの開発。

本格的な宇宙開発が始まったばかりのこの時代、スペースコロニーは数えるほどしか存在しない。
更に言うならば、数えるほどしか存在しないスペースコロニーも地球に程近いラグランジュ1に構えられているのが殆ど、秘密組織であるソレスタルビーイングが計画の要となるガンダムを秘密裏に開発するにあたって、このスペースコロニーの立地は極めて理想的だ。

クルンテープは人が済むのに最低限の規模とはいえ、ガンダムの開発を行うのに必要なスペースを余裕を持って確保している。
当然、開発チーム──ガンダムマイスターにとっても、ストレスを感じにくい環境となっており、職場環境は極めて良好と言って良いだろう。
本来の名を捨て『シャル・アクスティカ』として、ガンダムマイスターとしての仕事を始めた少女にとっても、このコロニーは仕事のしやすい環境だった。
紛争を無くしたいというこの時代の人間にはありふれた思いと、スカウトに来たエージェントがカッコ良かったという年頃の少女らしい軽い理由で始めたとは考えられない程に、伸び伸びと開発を行えている。
シャルのこの適応力の高さもまた、ヴェーダによってスカウトされた理由の一つと言えるだろう。

そんなシャルが、クルンテープでの開発任務に慣れた、ある日の事。

「あれ……?」

場所はクルンテープの工業区。
未だ自らの担当するガンダムであるプルトーネの完成していないシャルは、格納庫近くの待機室の中で端末から今後建造予定のガンダムのデータを参照し、ある項目を目にして首を傾げていた。
全ての数値の脇に、何かと比較した結果が載せられている。
それ自体は別段おかしな事ではない。武力介入の予定のない第二世代ガンダムにすら、現状、非GNドライブ搭載型MSとの性能比較は行われている。
当然、三大国家の最新技術を全て取りいれ独自に発展、GNドライブ搭載型として進歩させているガンダムと通常のMSでは、当然のようにガンダムに軍配が上がる。
各機が分断され、数百のMSによる途切れることのない波状攻撃でも受けない限り、追い詰められる事すら無いだろうということは、実戦経験の無いシャルにだって理解できる、そんな数値だ。
だが、

(なにこれ、太陽とでも比較してるの?)

この、全てのガンダムと比較されている数値は、そんなレベルのものではない。
星一つから出るエネルギーとでも比較しているかのような、桁外れの数値。
これは一体、何と、何の為に比較しているのか。

「あれ、どうかしたか、シャル」

浮かび上がった疑問に、ああでもないこうでもないと仮説を立てている間に、控え室にパイロットスーツ姿の赤毛の男が入ってきた。
男の名は『ルイード・レゾナンス』、シャル・アクスティカにとって、先任のガンダムマイスターの一人だ。
MSパイロットとしての腕も確かながら、そのメカニックとしての卓越した才能をも買われてソレスタルビーイングにスカウトされたらしい。
シャル自身も、自分では分からないようなメカニックの知識を持ち、ガンダムの整備も任されるルイードの腕前を尊敬していた。

「あの、このデータ、えと、スペックの比較部分なんですけど」

だから、自分にアクセスできる範囲内では答えの出ない謎の比較対象に対して、ルイードに聞いてみる、というのは当然の帰結だった。
このクルンテープには先任のガンダムマイスターがルイードの他に二人居る。
が、片方は何を考えているか分からない元重犯罪人歳の離れた女性、もう片方はモニター越しでしか人と合わない偏屈な年下の少女。
頼りにしたいと少なからず思える相手は、他の二人に比べてまだまともな人間であるルイードしか居ないのだ。

「ああ、それか。確かに気になるよな、そんな数値見せられたら」

ヘルメットを外しながらうんうんと頷くルイードは、シャルが今抱いている感情に対して共感しているようでもある。

「これって、いったい何と比較してるんですか? 何のために?」

考えても考えても答えの出せなかったシャルは興味津々に質問を重ねる。
まさか本当に惑星や恒星とエネルギーの比較をしている訳ではない事は、流石にシャルでも察しがついている。
単純にエネルギーを比較しているだけなら、MSとしての性能総てに比較値を出せる訳がない。
これは間違いなく、MSやMAに似た構造を持つ何かと比較しているのだ。
そしてそれがメカであるならば、メカに対して並々ならぬ好奇心と愛情を注ぐルイードが知らない、興味を持たない筈がない。

「んー、なんて言えば良いのかな。ソレスタルビーイングはさ、紛争の根絶を目的としていて、その為にガンダムを作ってるだろ?」

はい、と、ルイードの確認するような問いに素直に頷く。
自分が、そして目の前の人の良さそうなメカマンが騙されているのでなければ、ソレスタルビーイングの目的は戦争根絶で間違いない筈だ。
たった数機のガンダムと変わり者のパイロット数人の実働部隊でそれを成せるかは未だに少なからぬ疑問を抱きこそすれど、シャルはその点に関しては特に深く疑うつもりも無かった。

「でも、その数値……比較している相手っていうのは、その目的に関わる事は一切無いんだ。だから、俺も君も、特にそれに関して深く考える必要はない……らしい」

「なんですか、それ」

「深く考える必要は無く、しかし、心の隅には留めて置くべきもの、です」

曖昧な言い方で言葉を濁したルイードを問い質そうとするシャルの手元の端末、そのモニターの中に小さなウインドウを新たに作って、幼い少女が割り込んできた。
銀の髪を短く刈り揃えられた、十六歳のシャルよりも更に幼い、十代になったばかりに見える小さな少女。
ガンダムマイスター874。
シャルやルイードと違い、コードネームすら名乗らず番号で呼ばれている、シャルが苦手とする先任ガンダムマイスターの一人だ。
パイロットとしての腕は確かで、ガンダムを用いたハードな任務やテストにも耐えられる優秀なマイスター。
しかし、モニター越しにしか対面せず、話す言葉も事務的な冷たい表情の少女。
それがシャルの持つマイスター874の情報の全て。
如何に外見が可憐な少女であったとしても、未だ人生経験の浅いシャルが好意的に受け入れるには難しいタイプの人物だと言える。

だからこそ意外だった。
ガンダムと任務に関する話しかしたことの無い様な無機質な少女が、謎の比較対象に関するルイードとの会話に割り込んできた事──ではなく。
いや、それ自体も珍しいことではあるのだが。

「それは、ガンダムマイスターとして任務を遂行していくのであれば、知っておくべきものです」

あの無機質な、無愛想な少女が、まるで父親と話す幼い娘の様に穏やかな表情を浮かべ、そんな事を口にしているのだ。
シャルには訳が分からなかった。
何故、ガンダムとの比較対象になるような存在を語るのに、あんな表情を浮かべる必要があるのか。
困り果て、助け舟を求めてルイードに視線を向けると、ルイードは諦めるように首を振ってみせた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

何処を目指して、どの程度の速度で発展するか。
弄っておきたかったのはそこだ。
何時か、人類が互いに分かり合い、大きく統一された思想、統一された一つの文明として宇宙に進出した時。
話し合い、理解し合った上で、それでも矛を交えなければならなくなった時に必要な分の武力。
それを低く見積もって貰っては困る。
確かにこの世界に来たのは、真っ当な科学技術の系統図とその進化に纏わる人間の思考の流れを学習する為ではある。
しかし、真っ当な科学技術だからといって、まったく使い物にならないほど弱くてはお話にならない。
それなら、既に持っている知識でも十分なのだ。

態々OOの世界が選ばれた理由の中では、
『ガンダム系列の技術でありながら最終的には宇宙怪獣との戦いすら想定している』
という一点がとても大きな比重を占めていると言っていい。
だからこそ、最初の最初、始まりも始まりのあの地点からのスタートなのだ。

可能な限り解り合い、誤解からくる争いを避けるための対話能力。
対話による和解が不可能となった時の為の、相手を退ける為の武力。
この二つに強烈な執着を与えてやる為に、現在の人類にのみ悲観していたいおりんに『外宇宙の脅威』としての俺の姿を見せた。
俺の持つギリギリ科学技術に含まれる既知外技術で作り上げた『この世界の人類が血も吐き出せなくなるまで気合入れて技術発展させて、再現できる可能性があるレベル』の人型機動兵器。
真っ当なリアル系ロボ世界の人間が見れば正気度を削られかねないこのデータを、一足早い『対話の成果』として与えてやった。
脅威と可能性を同時に見せてやることで、目指すレベルを高い位置に設定させる事にしたのである。

「『手は手でなければ洗えない、得ようと思ったらまず与えよ』ってね」

晩年は、それこそ発狂死しかねない程の必死さで技術の下地を用意していたが、ヴェーダという恐怖の感情を持たない機械に運営が移された時点で、目的地点を目指す速度は遅くなってしまっているらしい。
それは別に構わない。
元から絶対に到達できる技術だと断言できるようなものではない、『この程度の技術があれば十分だろう』なんていう甘えを与えない事が重要なのだ。
CBはなまじGNドライブなんて技術を持って、世界中の最新技術をノーリスクで盗み見る事ができる位置にいるばっかりに、アクセルを踏み込まないところがあるからな。

「さて」

コックピットの中で切り替えるように呟き、レーダーを確認。
流石は激戦区だけあって、彼方此方でMS戦が行われているらしい。
時代的にまだ自称ガンダムは少年兵にすらなっていないから、うっかりガンダム認定されることもない。
俺、ガンダムにもなれるけど、ガンダム率低いから認定されたくは無いんだよなぁ。

「ここから近いのは、人革かAEU。どちらにしようかな、かみさまの……って、俺か」

この世界、土着の神様居ないらしいし。
仕方が無い、選べないなら、どっちもイッてしまうしかないだろう。
CB程では無いにせよ、他のところにも、もう少し必死になってもらわないといかんし。

「じゃあ行こう、『Gダガー』」

生かさず殺さず、大声で歌ってくれる奴らを作りに。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

別の任務の為に通信を終了したマイスター874から教えられたのは、ガンダムマイスターならば誰もが参照できたらしい、比較対象のデータ。
出自も何もかもがヴェーダの中にすら記録されていない、ヴェーダが作られる以前の記録の中に、それは存在していた。

「なに……これ」

ルイードが言うには、マイスター874自身に自覚は無いらしいが、これを語る時には何時もああなるらしい。
874本人に問いただしても理由は分からず、ただこの機体データの事を考える度に、不可思議な感覚を覚えるのだとか。
でも、

「あの……このデータも、ガンダム、ですか?」

シャルにはその感覚がどうしても理解できなかった。
二百年も昔、CBという組織が生まれてすらいない様な時代から存在していたオーパーツ。
詳細な、何一つ包み隠すこと無く記録された謎の人型機動兵器の性能は、とても穏やかな気分になれるような代物では無かった。
メカニックとしての知識は殆ど無いシャルですら、畏怖の感情を向けてしまう程の、圧倒的な武力。
そして、部品の一つ一つまで詳細に記録が取られているにも関わらず、螺子一本すら再現できないほどに逸脱したその製造に必要な技術力の高さ。
ルイードに問いながらも、シャル自身もそれがガンダムであるなどとは思えなかった。
とても『今の人類に作れる機械』ではない。
もしも、かつてソレスタルビーイングがかつてこの機体を作り上げる程の技術を持っていたとすれば、態々ガンダムを作る必要すら無いだろう。
事実上、この機体一機で、地球上全てを制圧することが可能なのだから。

この機体を見て、温かい感情を抱くことはほぼ不可能と断言できる。
圧倒的な武力、科学力。
そこには自分たちを一方的に嬲殺しにできる暴力への畏怖と、理解の及ばない高度な科学への畏怖しか存在しない。
シャル自身、詳細な機体のデータと実物が稼働している時の映像を見ながら、自らの身体が雨に濡れた子犬の様に震えているという自覚を得ていた。

「んー……、それが魔法とかそういうのじゃなくて、間違いなく人類の科学の延長線上に有るってのは言えるけど、ガンダムかって聞かれたら、絶対に違うかな」

パイロットスーツからツナギに着替えたルイードは、シャルの問いに難しい顔で言葉を濁す。

「一応、GNドライブを何十個か同調させれば出力は近づけるらしいけど、GNドライブは、ソレスタルビーイングにはまだ五つしか無いんだ。だから、少なくともガンダムじゃありえない」

メカを語る時には常に子供のような笑顔を浮かべているルイードにしては珍しく、この機体に対して良い感情を持っていないらしい。
だがシャルにはなんとなく分かる気がした。
これは、ルイードが普段喜んでいじっているMSなどの延長線上に存在するが──逆に言えば、延長線上の遥か先にしか存在していない。
そして、それは余りにも武力としての質が違いすぎる。

「定義が難しいんだ。一応、MSに似た思想の兵器ではあるんだけど、しいて言うなら」

ガンダムの性能に心奪われ、人殺しの兵器は作りたくないという主張を引っ込める事になったルイードの目の前に置かれた、あくまでも破壊兵器であるという主張の体現。
だからこそ焦(こ)がれるのではなく、焦(あせ)りの対象となる。
早く、ガンダムをこの延長線上の先に届かせなければならない、と。

「手が届かなくても、追いつかないといけない物。たぶん、昔にこれを見せられた人もそう感じたんだと思う。だから、こんな名前を付けたんだろうし」

ソレスタルビーイングが、紛争根絶の先、来るべき対話の為に目指すべき指標。
異邦人から齎された、人類の先にある技術。
並ばなければ、対話すらさせて貰えないだろうという恐れ。
並びさえすれば、更に先に進めるだろうという希望。

「理想(アイディール)……」

近づく事はできても、それそのものは掴めない。
決して触れられず、常に伸ばした手の先に有るもの。
そんな皮肉の込められた名前を口にしながら、シャルは一際大きく身を震わせた。
自分が何か、恐ろしい流れに組み込まれてしまったのではないか。
そして、自分が望もうと望むまいと、決してその流れから逃れる事はできないのだろうと、確信めいた予感を抱くのであった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

砂塵の荒野に、静寂が訪れていた。
ほんの数刻前までその場所は、無数のMSとMAが激戦を繰り広げ、足元には生身の兵士すら溢れかえっていた戦場だった。
音だけでは誰一人として納得せずとも、この静まり返った荒地を目にすれば誰もが納得するだろう。
溢れかえる無数の鉄くず、機械の骸。
土の色が見えぬほどに大地を赤く染め上げるのは、打ち捨てられた兵士の死骸から溢れだした生命の残滓。
そして、そこにはこの場の静寂を証明するものが存在した。
生存者。
打ち捨てられたMSのコックピットの中に、弾痕の穿たれた廃墟の影に、未だ生命を取り留めている兵士たちの姿があった。

だが、その場で静寂を崩す生存者は、誰一人として居ない。
皆が皆、一人残らず、怪我の有る無しに関わらず、息を潜めて身を丸めている。
風の音を除けば、彼らが固く閉じようとしている口から僅かに響く、カチカチと恐怖に打ち鳴らされる歯の鳴る音のみ。
死の荒野に残され、しかし生き残った幸運に喜びの声を上げる者は居ない。
何故か。
それは、彼らが生き残ったのが決して幸運からの結果では無いからだ。

ごう、と、一際大きな風が吹く。
舞い上がる砂埃に晒されて、廃墟の影に隠れていた幼子が咳き込み、目の端から涙を流しながら瞼を開き……見た。

「あ……ぅぁ」

影。
肌を焼く日の光を遮る、身の丈15メートルはあろうかという巨体。
AEUのヘリオンとも、人革のファントンやティエレンとも異なる、極めて人に近いシルエット。
白い手足に青い胴、片方だけのアンテナが付いた頭部。
手に下げた武器は、シールドと一体化したブレードに大型ライフルが一丁。
見慣れないデザインであることを除けば、一見して何の変哲もないMS。

それが『音もなく宙に浮かんで』いる。
ジェット噴射を行うわけでもなく、プロペラを回すわけでもなく、輝く粒子を噴き散らす訳でもなく。
そこにそう有ることこそが自然であると言わんばかりに、堂々と、何をするでもなく浮かんでいる。
まるで今まさにロールアウトしたかのように傷ひとつ無い姿で。

誰が知ろう。
この戦場、この惨状を作り上げたのが、この無傷のMSであると。
AEU、人革、中東のMS全てを相手取り、一方的に蹂躙し尽くしたなどと。
言われ信じる者が居るだろうか。
破壊されたMSは、全て『運悪く』戦闘記録が破損している。

この事実を知る者、この現実を信じる者。
それは確かに存在している。
踏み躙られた戦場で、息を潜めて隠れる者達が。
踏み躙られ、しかし、生命は奪われず、残りの人生から安堵を奪われた者達が、この惨状を証明するだろう。
他の誰が信じずとも、瞼を閉じる度に、眠る度に、恐怖と共に思い出す。

そうして生き残った者達を通じて、ゆっくりと拡散する。
生き残らされた者達の怯える姿を証として、脅威は確かに認識されていく。
紛争の影に潜み、音もなく戦場を食い荒らす『怪物』の存在は、紛争の只中にあって、各国の戦意を強めていくだろう。
その『怪物』の目論見通りに。

―――――――――――――――――――

────怪物にとっての誤算があるとすれば、

「……」

数々の惨状から、怪物の噂を辿り、真実に辿り着く者が居たという事だろう。
確かに怪物はヴェーダを掌握していた。
ヴェーダから接触を図り、自発的に怪物に従い始めただけの話だが、確かに怪物はヴェーダを掌握していた。
如何なる害意を持った存在も怪物の正体に近づけない様に、脅威のみを感じさせるように仕向けていた。
戦争による技術の発展を、脅威への対策の為の技術の発展を助長するために、ヴェーダからの妨害を禁止していた。
だが────

「見つけた」

それが、害意を持たず、悪意を抱かずに怪物を認識したとしたら。
怪物の所業を全肯定し、純粋に善意と好意を持って認識していたとしたら。
そして、怪物が妨害の禁止のみを禁じて、『助成を禁じていない』としたら。

「それが、今の貴方の姿か」

人ならざるものは、歓喜の感情から裂けんばかりに口角を釣り上げ、

「HDT(High Dimension Tripper)……!」

歌うように、焦がれる相手の名を呼んだ。






続く
―――――――――――――――――――

※注意!
この物語には、ストーリー序盤で手早くHDT(非童貞)となったリア充主人公が他所様の世界を我が物顔で家探しして荒らし回る、HDT(非道徳的)な描写が多分に含まれております。
ご覧になる際は、気分を明るくし、道徳と常識から心を離してお楽しみください。

……という、プロローグラストのSAN値直葬な第三種接近遭遇の言い訳に終始した第七十九話をお届けしました。

いや、言いたいことは解りますよ?
シャルとかルイードとか誰だよとか、外伝キャラならせめて外見の説明くらいしろよとか。
でも話の本筋ではないので仕方が無い。
彼らの詳しい外見とかキャラ設定とかは彼らにスポットが当たった時にでも。
ググれば速攻でみつかりますけどね。

以下、自問自答。
Q,突っ込みとか合いの手役のサポAIが居ないんだけど……。
A,書いておいてなんですけどサポAIに注意を向けてこういう疑問を持つ人っているんですかね。
しかし例によって例のごとく姉の課題とか目論見とかで出撃回数に制限が。
話の展開によっては制限が解除される可能性も。
Q,ふふふ……このSS、つくづくチート主人公してんだな。
(訳・結局最初の降臨は何が目的だったのよさ)
A,そんなことはない! このSSは主人公をラスボスに据えてチートの言い訳をたてようとしてるんだぞ!
(訳・架空の超科学文明の機動兵器を見せて外宇宙からの危機に備えさせたいスレ)
(訳・能動的トリップなので修正力とか働くけど、少しでもいいから原作より技術をハッテンさせたかったみたいです)
Q,寝取りは無いって言ったじゃないですかぁー!
A,安心なされよ。依然変わりなく寝取りは無い。
そもそもカップルかって言われると怪しいし、いざとなれば増やせる。
Q,Gダガー?
A, 正式名グロキシニア・ダガー。
人革やAEUへのカンフル剤として、そして何より蹂躙して遊ぶために主人公がぱぱっと作ったストライクダガーベースのホビーMS。
MS以外にもMFにSPT、エステバリスなどのリアル系技術が大量に導入されているが、現状では重力制御であっさりと空を飛ぶ以外は装甲含めて割とまともな機体。
ナデシコの重力制御技術があまりにチート過ぎたので、ネルガルのネーミング方式に則って名前に花の名前を入れてある。
Q,主人公に敵意を抱いていない謎の人ならざるもの……いったい何ムロ・レイに声が似てる期待の新人声優が担当するラスボスなんだ……。
A,多分OO編では全編に渡って出張ってくる。やったね!
Q,短い上にシリアスでネタ極少とか誰得さん?
A,実は作者得でも無いです。説明回さんですので。
というか、主人公のモノローグじゃないとネタはさみにくいから、原作キャラ達視点多めだとネタを入れようがないというか。
あと第五部は長さにあまり拘らず行く感じになると思われます。


こんな感じですかね。
因みに原作キャラとの接触は多分次回から。
その次の八十一話でOOP前半戦終了って感じかもです。
あれ、意外とOO本編が遠い……?
こりゃエタるかもわかりませんね。
エタるくらいならほっぽり出して帰還エンドになるのですが。

それでは今回もここまで。
当SSでは引き続き、誤字脱字の指摘、文章の改善案、矛盾した設定への突っ込み、話や文章を作る上でのアドバイス全般、
そしてなによりこのSSを読んで得た感想、長くても短くても全裸空間トークでもいいので、心からお待ちしております。

―――――――――――――――――――
使わなかったセリフがあっても怒らないで欲しい、次回の内容が透けて見える、
次回予告

「どうだ、ひさびさの地球は」
「データ該当無し……排除開始」
「ビーム兵器だって!?」
「ここにサインか印鑑をお願いします……はい、ありがとうございましたー」
「まさか当たるとは、これも日頃の行いだな。さ、ご開帳──」

機動戦士ガンダムOO・P編第二話
『パッケージの中の小間使い』



[14434] 第八十話「目覚めの兆しと遭遇戦」
Name: ここち◆92520f4f ID:010f3d49
Date: 2013/02/17 11:09
×月□日(兵器の進化は日進月歩!)

『と、そんなセリフを聞くことがある』
『確かに、日々進歩している部分もあるが、それはあくまでも実験段階のものを含めて、の話でしかない』
『その進化した兵器が実戦に配備されるまでにはそれなりに時間を必要とするし、そうなると、当然同じ兵器を使って戦い続けている時期の方が長い』
『勿論、戦場を経験した兵士の意見などもフィードバックされる以上、その日々が無意味な足踏みの日々とは言わないが……』
『言葉を飾らずに言えば、実質的には足踏みの時間という事になってしまう』

『各国のMS開発が半ば足踏み状態なら、CBのガンダム開発も似たようなものだ』
『既に第三世代ガンダムの前身とも言える第二世代ガンダムの開発が進んでいる以上、大国のMS技術発展とはそれほどリンクしていない』
『要所要所で技術を盗む事はあるだろうが、第二世代が完成してしまえば、あとはそれを素直に発展させていけばいい。大国の足踏みとは関係なくガンダムの開発は進む』
『だが逆に言えば、他所の技術を盗用して発展させるという効率的な方法が使えなくなったCBは、通常の兵器開発と同じか少し早い程度の速度でしかガンダムの開発を進められなくなったと言ってもいい』

『暇を潰すのは簡単だ。記憶の封印や一時的な消去を行うまでもなく、幾らかの本があれば十分だろう』
『当時は一人きりという訳ではなかったが、数百年単位で地面に穴を掘って同じ時間を掛けて埋めるだけの遊びを楽しんでいた時期だってある』
『仮にこれから劇場版までの時間全てを潰すと考えても、それほど難しい訳ではない』
『だが、仮にも技術を学びに来ているというのに、多くの時間を無為に過ごすのは如何なものだろうか』
『戦場で適度に生き残りを残し、無差別攻撃を繰り返す謎の高性能MSの噂をばらまくのも悪くはないのだが、もう少し、もう一味欲しいところだ』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

一機のシャトルが大気圏に再突入する。
シャトルの所属はとあるベンチャー企業で、無重力下でのみ生成できる特殊な新素材の生成実験を済ませて地上に戻ってきたところだ。
もっとも、その情報は表向きの物でしか無い。
このベンチャー企業というのは、このシャトルの真の所有者が活動する上で作られたダミー会社でしかない。
その真の所有者は、ソレスタルビーイング。
シャトルに積み込まれているのは特殊素材ではなく、実戦に投入できるレベルまで開発の進んだ二機の第二世代ガンダム。
乗組員もベンチャー企業の社員ではなく、ソレスタルビーイングのガンダムマイスター達。

予定の時刻とコースを守り、ユーラシア大陸の南側にあるダミー会社の敷地へと着陸するシャトルの中で、ガンダムマイスターの一人であるシャル・アクスティかは窓の外から見える殺風景な景色を見ながらポツリと呟いた。

「地上……かぁ……」

呟きには様々な意味が込められている。
懐かしさ、期待、不安、それぞれ強弱の違いはあれど、纏めてしまえば『思い悩んでいる』という表現で済んでしまうだろう。
ガラスに映る自分の顔を見る。
思い悩む年頃の少女の姿というのは絵になるらしいが、実際に自分の表情を見てしまえば、頬杖を突いてぼうっとしているようにしか見えない。
その事実に落胆するでもなく、シャルは自分たちが地上へと降りた理由を思い返していた。

ガンダムの地上での開発が地上へと移された。
ただそれだけのことなのに、シャルは始め、少なからぬショックを受けていた。
何処か、ずっと宇宙のクルンテープで開発を行なっていくものだと思い込んでいたのだ。
考えてみれば、ガンダムは全領域対応型の汎用機、実際に武力介入を行う場合も場所を選ぶ訳でもない。
宇宙での開発と実験が一通り済んでしまえば、次に地上でのテストが行われる様になるのは当たり前の事だ。

そんな当たり前の事に気が付かなかったのは、無意識の内に宇宙と地球、ソレスタルビーイングとその他で分けて考えていたからかもしれない。
シャルの頭の中では、何処か地球という場所が敵地であると定義されていた。
絶えず繰り返される紛争の舞台と、紛争を武力で持って根絶するソレスタルビーイングという対比から生まれる思い込み。
ソレスタルビーイングはガンダムマイスターだけで運営されている訳ではない。
シャルの知らないバックアップ要員も居れば、外部からソレスタルビーイングを監視する者達だって居る。
地上にもソレスタルビーイングという組織は根を張っているのだから、一概に敵地という括りに入れる事はできない。

「いいね~、地上。この重力が心地いい」

シャルの隣では、椅子に深く腰掛けたルイードが頬を緩ませながらそんな事を口にしていた。
確かに、小型のスペースコロニーであるクルンテープには、常に地上と同じように重力が掛けられている区画は殆ど存在しない。
しっかりと大地を踏みしめられる重力に感動するのも、分からなくはないのだが。

(のんきね。わたしはこんなのもやもやしているのに)

それとも、無理をしてのんきな素振りをしているのだろうか。
宇宙で初めてMS戦闘を行い、機体越しとはいえ、人を殺してしまった事にショックを覚えていたルイード。
帰還直後のぎこちない作り笑いを覚えているだけに、このあっけらかんとした態度も無理をしているのではないかと疑ってしまう。
社会に出る前にソレスタルビーイングに入ったシャルには、人の表情が偽られたものであるかどうかを見分けるだけの経験が無いから、カラ元気なのか本当に浮かれているのか、見分ける術は無いのだが。

ルイードの内心もわからないが、別段他のマイスターの内心なら分かるという訳でもない。
元重犯罪人で、自らの事をガンダムマイスターではなくガンダムの部品であると称するマレーネ・ブラディ。
クルンテープでもテストの時を除いて常に拘束されていた彼女は、この地上に降りるためのシャトルの中ですら、鉄格子の嵌められた部屋に隔離されている。
態々シャトルの中にまであんなものを用意するなんて、と腹を立てたシャルであったが、当の本人は何ら気にしている様子もなく、そんな姿を見せられたシャルもそれ以上何も言えなくなってしまった。

彼女は今、鉄格子の部屋で何を思っているのだろうか。
今回の地上でのテストに対して、マレーネに特別な感情が無いとは思えない。
彼女の専用機であるGNY-003アブルホールは飛行形態への変形機構を備えており、その機能故に地上で開発が進められていた。
彼女の詳しい経歴はマイスターの秘匿義務もあり知らされていないが、犯罪者でありながらガンダムマイスターに選ばれるという事は、それなり以上にMS操縦の腕が立つという事だろう。
少なからず、高性能なMSに乗れる事に関しては楽しさを感じる筈だ。それも自分の専用機ともなればひとしおだろう。
あの鉄格子の部屋に押し込められているのだから、お楽しみを前にして、少しでも鬱屈とした気分を紛らわせていればいいのだけど。

「あの人は、どう考えているのかしら」

シャルが思わず言葉として疑問を形にしてしまうのは、もう一人のマイスター、ガンダムマイスター874の事だ。
心配してしまう程度には想像をふくらませる余地のあるマレーネと違い、彼女に関しては本当に何一つ分からない。
クルンテープではモニター越しでの事務的な会話しか無かった彼女について、シャルが知る事は少ない。
そもそも直接顔を合わせて話をしたことも無ければ、ガンダムマイスターとしての任務に関わる事以外で話す事すら無かった。
同じシャトルでの地球への降下という事で、もしかしたら初めて直接顔を合わせることができるかとも期待していたのだが、彼女がヴェーダにシャトルの操縦任務を与えられた事でその可能性も消えてしまった。

以前にルイードの言った様に、空気感染する伝染病を患っている可能性があるから強く言えないけれど、もう少し交流を持ってもいいのではないだろうか。
愛想の欠片もない、ガンダムマイスター874という無機質な呼称は、百歩譲って良いとしよう。
自分のシャル・アクスティカという名前だって、実際はガンダムマイスターに登録された時に与えられたコードネームでしか無い。
しかし、互いに本当の名前を告げられず、守秘義務を守りながらでも、私的な会話が出来ない訳ではないだろうに。
もっとも、こんな事を思うシャル自身、実はそれほど人と積極的に接触を持とうとするタイプではないのだが……。

「シャル、どうだ、ひさびさの地球は」

ルイードが笑顔で話しかけてくる。

「わからないです」

シャルは、無邪気そうなシャルの問いに、整理しきれない複雑な感情から、ついつい冷たく返してしまう。
直後に、そんな対応をしてしまった事に自己嫌悪。
ルイードは決して無神経な発言をしたわけでもないし、複雑な自分の内心をルイードが知ることは不可能に近い。
何しろ、自分がどう感じているかすらはっきりしないのだから、自分以外の人間になんてわかる筈もないだろう。

地球は懐かしい故郷。
ソレスタルビーイングのガンダムマイスターになって、宇宙に上がってから、久しぶりの地球。
確かにそうだ。
未だスペースコロニーの数は少なく、宇宙に済むのは限られた職種の人間だけ。
シャルも当然の様に地上で産まれ、地上で育った。
だが、

(確かに地球は私の故郷よ。でも、地球はとっても広いってこと、忘れてない?)

口と表情には出さず、心の中でだけ呆れの感情を言葉にする。
現に今、シャトルが降り立った周囲の風景は故郷の風景とは似ても似つかない。
これで懐かしいと思うのは難しいだろう。
もっとも、シャルの中の気持ちは単純にそれだけで説明がつくものではないのだが……。

「まったく、何なのよ、もう……」

思わず、口にして呟いてしまう。
BGMも無い静かなシャトルの中ではその小さなつぶやきも大きく響いたのだろう、自分に対するセリフだと思ったルイードは、申し訳なさそうにシャルに頭を下げた。

「あっ、ごめん、なんか俺やらかしちゃったかな」

「いえ、そうじゃないんです」

「ん? じゃ、なに?」

慌てて否定するものの、ルイードの問いには答えられない。
シャルは答えが得られるかも分からない形の定まらない思考の中、モヤモヤとした気分で黙りこむしか無いのであった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……


数日をダミー会社の敷地内で過ごした後、シャル達ガンダムマイスターは大気圏内用の大型輸送機に乗り込み、次のテストの現場へと向かった。
輸送機に載せられているのはアストレアとサダルスードのみ。
今回のテストはアストレアとサダルスードに関するものなのだろう。
自らの乗機であるプルトーネが積み込まれていない事にシャルは落胆した。
最終的には自分とプルトーネにもテストの順番が回ってくる、という事は理屈として理解できても、感情的には不満が残る。

不満というよりも、不安だろうか。
ルイード程のメカニックの知識も無ければ、マレーネの様に自由行動を許されずに拘束されている訳でもない。
仕事を与えられず手持ち無沙汰、しかも動ける他の人間はきちんと仕事をこなしているというのは、やはり居心地の良いものではない。
ワーカホリックというわけでもないが、仮にも大きな使命の下で動いているだけあって、『何もしない空いた時間』というのは、本当にこれでいいのかと不安にもなる。

それだけではない。
出発直前、モニターに映しだされたマイスター874は、
『人類革新連盟の軌道エレベーターの近くを通過し、目的地へ向かいます』
と伝えてきた。
ユニオンの出身であるシャルは、人革の軌道エレベーターの近くを通る事に僅かな恐れを感じていたのだ。
元の出身に根ざす恐れだけではなく、ソレスタルビーイングのガンダムマイスターとしての警戒心もある。
もしも通過する途中、何らかのトラブルで人革のMS部隊に輸送機の中身を知られたら。
当然ガンダムで対応し、目撃者を消さなければならないだろう。
ガンダムで人殺しを行う事にも当然少なからぬ抵抗があるが、どこまでガンダムで対応できるか、という不安もある。

如何に機体が優れていても、パイロットの腕が優れていても、ガンダムは壊れることもある機械で、マイスターは疲労もミスもある人間でしかない。
万が一、MSの大部隊を相手にする事になった場合、アストレアとサダルスードの二機だけで大丈夫なのか。
現状、ガンダムマイスターはフォーメーションの訓練を最低限しか積んでおらず、そのチームワークは優れていると言えるものではない。
ヴェーダのサポートがあるので、そんな事態は万が一にも有り得ない、とは思うのだが。
ガンダムも、マイスターも、ヴェーダも、完璧ではない。

(負ける事だってあるし、勝てない相手も存在しているんだもの、用心しておいて損は無いと思うのに)

思い浮かべるのは、クルンテープで見た古い映像データ。
現状のガンダムでは間違いなく歯が立たない、理想(アイディール)という存在。
あのデータを見て、シャルは一つ気が付いた事がある。
確かに、ヴェーダの中にはアイディールの機体としての性能、使用されている技術の理論などは一つ残らず記録に残されている。
再現するだけの技術力さえあれば、全く同じ物を作ることも不可能ではない程に精密なデータだ。
だが、『パイロットのデータ』や『その後にアイディールが何処へ行ったか』といった情報が、何一つ残されていない。
その事を思えばこそ、胸の内には常に蟠るように不安があり続けてしまう。

シャルが窓の外を視ると、そこには天を衝く巨大な建造物が存在していた。
人類革新連盟の軌道エレベーター、『天柱』だ。
未完成ながら外観は既に柱として体裁を整えてあり、一見して完成しているようにも見える。
海上のギガフロートから空に向けてすらりと伸びた柱は、そのまま真っすぐに天、宇宙へ向けて伸び続け、周囲の風景を左右に分断している。

「人類は、こんなものが作れるのに、なぜ争うんだろうな」

同じようにエレベーターに視線を向けるルイードの表情は、酷く寂しそうに見えた

「この軌道エレベーターだって、イオリアの提唱したものだろ? もしかしたらあの爺さん、こいつの建設で世界が纏まってくれるのを期待してたのかな? そうなればガンダムでの武力介入もほぼ不要になる」

だが、軌道エレベーターの開発に着手しても、世界は一つにならなかった。
確かに巨大建造物を造りだすために世界の再編が起こり、その結果として世界の殆どの国家はAEU、ユニオン、人類革新連盟の三つの大国に収束した。

「それでも、数百の国が三つに纏まったんです。それだけでも、纏まらないでいるよりはずっといいじゃないですか」

未だ世界各地で紛争は起こり続けているが、それでも、三国が生まれる前に比べれば格段に争いの数は減った。
軌道エレベーター建設で全ての国家が纏まれればもっと良かったのだろうけれど、その願いが高望み過ぎるというのは、優秀な学生に毛が生えた程度の知識しか無いシャルでも分かる事だ。
別段、落ち込むルイードを励まそうという意図など無い。
いや、嘘だ。
シャルの中には少なからず、悲しそうなルイードを励ましてやりたい、という気持ちが存在した。
それは以前にシャトルの中で冷たく当たってしまった事への申し訳なさからくるものでもあったし、ガンダムマイスターとしての仲間意識からくるものでもあった。
それ以外にも原因が無い、とは言い切れないが……。

「じゃあ、仮にさ。ある程度人類を纏める為の土壌として、軌道エレベーターの理論を提唱したとして……その後、どうするつもりだったんだろうな」

「どう、って」

ルイードの視線は、いつしか軌道エレベーターを辿り、宇宙を見つめていた。
浮かべる表情は固い、寂しさとは異なる感情に起因するもの。
何時になく険しい表情のルイードに息を飲むと、ルイード自身も自分の表情に気が付いたのだろう。
直ぐにいつも通りの表情を取り繕って『いや、ごめん、変な事言った。気にしないでくれ』と言い、シャルの視線から逃れる様に瞼を瞑ってしまった。
ルイードが狸寝入りを始め、自らに向く視線の亡くなった輸送機の中で、シャルは不機嫌さを隠す事もなく頬を膨らませる。

(そこまで言われたら、私だって分かるわよ!)

自分はそれほどまでに何も考えていない様に見えるのだろうか。
それとも、まだ自分が少女だから、変に気を使われているのか。
ルイードの気遣いの多さは、自分を対等な仲間として見ていない事が原因のように思えてならない。
そうして現状への不安を不満へと変化させていくシャルの頭の中からは、大きな不安の影はすっかり消え失せてしまっているのであった。

―――――――――――――――――――

輸送機が到着した場所は、戦場だった。
既に戦闘は終了していたが、大規模な戦闘だったのだろう、破壊され瓦礫と化した街の中には無数のMSの残骸が残されている。
軌道エレベータからさほど遠くないこの街には、エレベータ建設反対派テロリストの拠点が存在していたらしい。
この街にテロリストと関係のない一般市民がどれだけ居たかは不明だが、既にこの街に生存者が存在していない事だけは確実のようだ。

「ガンダムマイスターの皆さん、機内で待機していてください」

輸送機が到着して直ぐに、マイスター874の声がスピーカー越しに機内に流れた。

「私は、GNY-002サダルスードで出撃します」

「俺とアストレアはいいのか?」

ガンダムを二機持ってきておきながらの、単独出撃。
不満に思った訳ではなく、単純に疑問を覚えたルイードが疑問符を浮かべた。
問いかける相手である874がその場に居ないために、視線は宙を泳いでいる。

「ミッションプランが変更された為、アストレアでの出撃はありません」

「変更?」

オウム返しのシャルの問に、思考の一拍を置いて、874が答えを返す。

「本来、この場では人類革新連盟のモビルスーツ、MSJ-04ファントンの全機撃破を目標としていました。しかしこちらの移動中、未確認機による襲撃を受け標的は全滅。これより、サダルスードで未確認機の痕跡調査を行います」

派遣したMS部隊からの連絡が途絶えれば、そう長い時間をおかずに人革は偵察部隊を送り込んでくるだろう。
偵察部隊が到着するよりも早くこの場から立ち去らなければならない以上、時間内に痕跡を調査するには、現状で最高の技術を導入して作られたサダルスードの複合センサーを使用するのが最適だ。
平均的な性能であり、調査、偵察に特化した機能を備えている訳ではないアストレアの出番は無い。

本来ならばアストレアの地上での性能テストと同時に、ガンダムを使用した後の戦場の様子を見せ、ガンダムマイスターのメンタル面の調整をも同時に行うプランであった。
が、それは明かされること無く延期となる。
地上でのミッションはしばらく続く、ヴェーダはイレギュラーの存在によって歪んだプランを、ガンダムマイスター達に不信感を抱かせない形で柔軟に修正したのである。
こうして、マイスター874を除くガンダムマイスターは、輸送機に乗せられて、行って帰ってくるだけでその日を終える事となった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

機体にミラージュコロイドを展開したまま、俺は戦場跡からCBの輸送機が去っていくのを見送った。
技術系等の異なるCE(コズミック・イラ)のステルス技術には、流石のCBのセンサーも対応していないらしい。

「助かった」

コックピットの中でほっと胸を撫で下ろす。
CBのミッションと俺のストレス発散の場所が被るとは、想像していなかった訳でもないが、まさかこんな微妙なタイミングでニアミスするとは思わなかった。

サダルスードでMSの残骸を調査していたようだが、あれで何かを発見できる訳は無いだろう。
今回のダガーのストライカーパックはCEのMS技術をメインに、ビーム排除の実弾主義で組んである。
この世界で出回っていない技術、ミラージュコロイドも仕様してはいるが、周囲に飛び散るような不完全なコロイド制御技術は使っていない。
ブレードは単純な電動鋸タイプのものだし、ライフルに至っては初歩的な中型電磁投射砲でしかない。
戦闘機動中にミラコロを展開しっぱなしにしていればまた話は別だが……それは少しつまらない。

「流石に、こんな装備で相手をするわけにもいかないしな」

勝てないから、ではない。
確かにガンダムの装甲はGN粒子制御技術なども合わせ、極めて高い強度を誇っている。
質量軽減効果や慣性制御技術などを利用している為に機動性も段違いに高いだろう。
圧縮粒子を利用したビーム兵器、その火力の高さはこの時代では類を見ないもの。
だが、単純にそれだけだ。

装甲は後のカスタムフラッグのレールガンでも破壊可能な程だし、ティエレンであればその馬力だけで無理矢理に装甲を破壊することも難しくはない。
機動性に至ってはお察しの通り、ヴェーダの補助付きとはいえ、動かしているのは才能がそれなりにある程度の人間。
せいぜいが慣性を無視した動きが出来る程度で、それほど常識はずれな動きができるわけでもなく、軍のトップエースならば普通に捕捉できてしまうだろう。

CBのガンダムが面白いのは、偏にGNドライブ関連技術に寄るものだ。
未だ各国が電磁投射砲の研究開発を行なっている様な段階であるにも関わらずビーム兵器を搭載している点。
各国が航空力学とのすり合わせを行いながら、どうにかこうにか戦闘機形態で空戦のできるMSの開発に成功した一方、空力を無視し人型のままで飛行能力を持つ点。
それだけではない、装甲重量などに気を使わなければならない各国のMSを尻目に、質量軽減作用を用いて気軽に重量の微調整すら行えてしまう点。

何もかも、全て、GNドライブ、いやさGN粒子の恩恵あればこそ。
しかし、これらの技術は尽く、各国の最先端技術をパクって混ぜてアレンジしたものの上に成り立っている。
GN粒子を利用するための構造こそ独自の研究に寄るものだが、やはり基礎的な部分は他所の組織、軍隊からデータを盗用している。
この所業……端的に言って、『親近感』を覚えてしまう。

実のところ、俺はCBと接触を行った事は一度足りとも無い。
最初にいおりんと接触を図りデータを取らせた時はまだCBは存在していなかった。
彼らの開発データを息抜きに覗いてみたりもするのだが、それは全てヴェーダが自発的に行なってくれている。俺はハッキングを行う必要すら無い。
当然、意味もなく内部のマイスター達に接触する必要はないし、CBの運営に関わる何がしかに関わる事すら無い。

だからこそ、彼らとの初めての接触には気を使いたい。
会話は……不要だろうから、口調に気を付ける必要はない。
何か伝えるにしても、手短に一言二言、口調もクソも無い様な短文にした方がいい。
どういう形での接触になるか、これはもう、次の彼らの出撃スケジュールと周囲の軍の動向を見て、戦場での遭遇戦に決まりだ。
彼らは破壊されたMSから、俺の機体のデータを多少なりとも手に入れた。
俺の武装は三国のどれにも当てはまらないものだから、何処かの実験兵器か謎の第三勢力かで頭を巡らせている筈だ。
そして、手に入れたデータは活用させてやりたくもある。

そうなると、やはり武装だ。
ダガー本体にも多少なりとも手を加えたほうが良いとして、武装、ストライカーパックをどうするか。
リアル嗜好で、各国で実験が順調に進んでいる電磁投射砲にプラズマブレード、というのも悪くない。
自分たちに追いつく程でなくとも、ガンダムにまともにダメージを与えられる技術を目の当たりにして、追い立てられる焦りを得た彼らのリアクションも気になるところだ。
だが、これを第一候補に上げるのは少々もったいない。
焦れる様子を見るのもいいが、どうせならインパクトは強い方がいい。
ゆっくりと追い立てられる感じではなく、彼らの度肝を一発で抜けるような……。

「どうしようかなぁ、悩むなぁ」

思春期の少年少女の初デート前夜というのはこんな感じの気分になるのだろうか。
そんな事を考えながら、次の遭遇に向けて新しい装備の候補をいくつか頭に思い浮かべるのであった。

―――――――――――――――――――

「AEU軌道エレベーターのデータを収集します」

マイスター874がそう宣言した時、他のマイスター達は誰ひとり反論しなかった。
紛争根絶を目的として活動するソレスタルビーイングのガンダムマイスター達は、当然、紛争に関わる世界情勢にも精通している。
彼らの持つ知識からすれば、AEUの軌道エレベータの完成は重要な意味を持つ。

AEU──新ヨーロッパ共同体 (Advanced European Union)
軌道エレベータ建設に伴い、旧EU(欧州連合)を母体に発展した、三大国家の一つ。
元が複数国の集合体であったために大まかな形が出来上がるのは早かったが、この国は大きな問題を抱えていた。
ロシアから独立したモスクワや旧ソ連所属国の加入を巡る、人類革新連盟との水面下での闘争。
協議制という各国を等しい立場に置く体制からくる強力なリーダーシップの持ち主の不在。
更に、自国で建造する軌道エレベータがアフリカ大陸にあり、自国領地内に存在しないという、軌道エレベータの構造上改善不可能な立地。
これらの問題は軌道エレベーター建設プロジェクトの大きな遅延という結果を招いていた。

中でも協議制という体制が大きな問題となっていると言っていい。
あくまでも複数国が寄り集まった国家群であるAEUは、全体の利益よりも個々の国々での利益を優先しがちである。
各国が何よりも先に自国の利益を優先して考えるために、AEUという大きな共同体に利益を齎すための合理的な手段を取り難いのだ。

軌道エレベータの建造が遅れ、それにより他国との格差が生まれつつある現在、この状況が長引けば結束したAEUが再び分裂の危機に見舞われる可能性が高い。
紛争根絶を目的とするソレスタルビーイングとしては、AEUは是が否にでも軌道エレベータの建造を早期に完了して安定して欲しい地域なのであった。

もっとも、反対意見が在ったとしても、ガンダムマイスター達の意見だけでミッションプランの見直しや中止が行われる確立は極めて低いのだが。

「これまでの宇宙からの監視では確認が難しかった、海中の送電ケーブルについてデータを収集します。私がGNY-002サダルスードを使い収集作業にあたります。ルイード、GNY-001アストレアでのサポートをお願いします」

―――――――――――――――――――

AEUの軌道エレベータはアフリカ大陸に建っている。
その為、陸地だけでなく海中にまでケーブルを伸ばし、遠く離れたヨーロッパまで送電するという形式を取っている。
間接的支配地域であるアフリカ大陸に通された送電ケーブルだけならまだしも、海中に敷いたケーブルにまで完全な防衛網を作るのは難しい。
また、戦車や戦闘機といった兵器と取って代わったMSも海中戦に特化した機体は少なく、軌道エレベータ建設反対派にとって海中を通る送電ケーブルはテロの格好の標的となってしまうのである。
故に、海中に有る送電ケーブルの完成度だけではなく、どれだけの警備網が敷かれているか、という点に関しても調査の対象になっているのだ。

だが、調査と言ってもそれはあくまでもソレスタルビーイングの都合、秘密組織であるが故に、当然事前に許可を取っている訳もない。
監視の目の少ない海中を行くサダルスードはヴェーダの支援を受け、最適な位置から調査を進める事で発見されなかったが、海上、空中で護衛を行なっていたアストレアはそうはいかなかった。

「くそ、結局こうなるのかよ!」

海中ケーブルの防衛用に配備されていたのは、AEUの新型MS、AEU-05ヘリオンだった。
同国のAEU-04と同じく空戦対応の機体であるが、04と比べて非常に完成度の高い機体となっており、その機動性は最新鋭の戦闘機に匹敵した。
空中での変形は不可能であり、飛行中は戦闘機に近い形態を取る為に武装こそ制限されるが、戦車を凌ぐ装甲を備えた戦闘機とも言える空戦MSの戦力は脅威と言えるだろう。

対し、そのヘリオン一個小隊と相対するルイードのGNY-001アストレアは、GN粒子の能力により空中に『立つ』事こそ出来たが、その機動性は決して高いものではない。
機動力に劣る状態での格闘戦は悪手だし、当然、ヘリオン部隊も空中に立つ様な奇妙なMS相手に迂闊に接近するような間抜けではない。
空を高速で飛行するヘリオン部隊に対し、アストレアはビームライフルを使っての射撃戦で挑む。

「当たれ!」

ヘリオンの機動力が戦闘機に匹敵すると言っても、ビームよりも早い訳ではない。
だがそのビームを発射するライフルを持つアストレアは、人間であるルイードが操作しなければならない。
ヴェーダによる操縦の補助があっても、そう容易く当てられるものではない。
放たれた幾条かのビームは虚しく青空へと吸い込まれて消えた。

「まだまだ!」

しかし、繰り返し発射されるビームは次第に命中精度を上げ、一機、また一機と撃ち落としていく。
数分の時間が経過し、残り一機となったヘリオンがアストレアに背を向け離脱を試みる。
外部への通信が通じない事がアンノウンであるアストレアの仕業である事に気が付いたのだろう。
どうにかしてジャミングの範囲外へと離脱して応援を呼ぼうと考えたのだ。

「逃がすか!」

アストレアのライフルを向ける。
応援を呼ばれるのも、ガンダムの情報を外に漏らされるのもマズイ。
殺人への禁忌や嫌悪感を、ガンダムマイスターとしての使命感が上回る。
実力の全てを出し切る精密な操作、これまでにない速度での最適な照準。
トリガーに掛かった指先にほんの僅かな力を込め、

「なっ」

引き金を引くよりも早く、爆炎が上がった。
空から降ってきた『く』の字型の何かに両断され、パイロットが脱出する間もなく爆散したのだ。
しかし、ルイードの驚愕は目の前の敵を謎の闖入者に倒された事でもなければ、新たなガンダムの目撃者の出現に対してでもない。
コックピットの中、ヘルメットの下でルイードは目を見開き叫ぶ。

「ビーム兵器だって!?」

空から降り、ヘリオンを切り裂いた『く』の字型の武器。
その半分が、『桜色の光』で形成されていた。
プラズマブレードのそれとも違う、紛うことなきビーム兵器の輝き。
ソレスタルビーイング以外では未だ実用化にも実験にも成功していない超兵器。

ヘリオンを貫いた『く』の字──ビームブーメランが、ゆるやかな弧を描いて再び空に舞い上がる。
その軌道を追うアストレアのセンサーは、上空に一つの熱源を感知した。
その熱源は人型で、有り体に言えばMSだった。
そのMSは自らの元に戻ってきたブーメランを掴みとり、ビームの刀身を収めバックパックへと接続した。
何の変哲もない動作。
それを行うのは、艶の無い白に近い灰色を基調とした素っ気ない配色のMSだ。

「……空を、飛んでる」

ヘリオンも飛んでいた。
空戦対応のMSはそもそも珍しくもない。
だが、その熱源──MSは、そのどれとも違った。
在り得てはいけない、『ソレスタルビーイング以外には』在り得ていけない、空力も重力も無視した飛行。

『アストレアと同じく空中に立つ様に浮かぶMS』

それが、今、アストレアの、ルイードの目の前に存在していた。
ガンダム……ではない。
ガンダムの基本構造は既に確立している。
GN粒子関連技術を最も効率よく使用し、センサーを配置した場合、そのヘッドパーツは常にツインアイとアンテナ、他いくつかのパーツを決まった位置に配置しなければならない。

ガンダムに似て、しかしより人間に近いボディーライン。
人に近い形に似つかわしくない、無数のブーメランが接続され背びれと尻尾の様になった縦長のバックパック。
頭部はガンダムタイプではない。ツインアイではない、額にもう一つセンサーを持つトリプルアイ方式。
ガンダムのヘッドパーツは、GN粒子の応用技術により最適化した場合、どうしても同じような顔になる。
センサーの精度を最大限向上させる為の配置にすると、自然とガンダム特有のパーツ配置が生まれるのだ。
GN粒子関連技術を用いておきながらガンダム顔でないとすれば、それは未だ最適なパーツ配置に到達していない未発達な技術で作られた場合だろう。
が、あれは洗練されていないのではなく、また別の方向性の技術によるものだと見て分かる。

「マイスター874、あれは……味方か?」

海中から既にこちらの状況を把握しているだろうサダルスードの中の874に尋ねる。
こういった情報は874が一番詳しく、的確かつ迅速に回答を返してくれるからだ。

「あ、れは」

通信にノイズが入る。
いや、874側のマイクの調子がおかしくなっているのか、それとも言い淀んでいるのか。
ざりざりと数世紀前のラジオの様な砂嵐の音の混じった声で、874は噛み締めるように結論を伝えた。

「データ該当、無し。……排除、開始、してください」

「やっぱ、そうなるか」

苦虫を噛み潰したような表情で呻く。
あれが三国の内、何処の軍に所属しているものか、それとも自分たちのソレスタルビーイングとは別の組織に所属しているのか、それは今現在の情報では何一つ推測する事ができない。
少なくともルイードの知識の中にはあれに類似するMSは存在しないし、デザインラインも明らかに既存のMSから逸脱している。
だから、もしかしたら、自分たちとは別に行動しているソレスタルビーイングのメンバーである可能性もあるかと僅かに期待したのだが、それは脆くも崩されてしまった。

ルイードは重装甲の未知のMS──アンノウンを見ながら、ゴクリと喉を鳴らす。
人を殺すことへの嫌悪ではない。
いや、殺せるかどうかも分からないのだ。
何しろ相手はガンダムと同じくビーム兵器を用い、重力を無視して空を飛んで見せている。
恐らくは対等な性能を持つであろう、自分たちのガンダムでは戦う予定すら無かった完全なイレギュラー。
これから始まる、一方的な殺人ではない、自分と相手に平等に死の可能性が与えられた『殺し合い』に対する緊張がルイードの身を強張らせた。

空中に立ち、睨み合う二機のMS。
空中に静止するという、この時代のMS戦では考えられない異常な状態だが、やっていることは単純な睨み合い。
アストレアは手の中のライフルを構え、上空に立つアンノウンへと粒子ビームを放つ。
滑るように身を翻しビームを回避するアンノウン。

「そりゃ、避けるよな」

回避運動の際の速度はヘリオンに劣るだろう。
機動性に関してはこちらと同じ程度しかないのかもしれない。
だが、相手がガンダムと同じように動けるというのが問題になる。

ガンダムのビームライフルが戦闘機に匹敵する速度のヘリオンに当てられた原因は、偏に通常のMSの飛び方にあった。
航空力学を守って飛ぶMSは、基本的には慣性の法則を守って飛行する。
曲芸的な飛行も可能といえば可能だが、空中で急停止したり直角に動いたり、といった回避運動は取り難い。
対してそんなヘリオンを狙うアストレアのパイロットは純粋な人間であるルイードだが、当然、その操縦にはガンダムに搭載されたコンピューターやヴェーダからの補助が入っている。
奇抜な軌道では飛ばない通常のMSならば、着弾地点と敵の未来位置を一致させるのはそう難しい事ではない。

しかし、相手がガンダムと同じように、重力も慣性も無視して空中で動くことができるのであれば話は変わってくる。
ビームライフルは発射の直前に極僅かながら溜めが存在するし、発射の直前には銃口から光が漏れ出してしまう。
そして相対する敵がガンダムの方を向いているのであれば、当然その発射の兆候を見ることが可能になるだろう。
銃口の向きからは射線を、銃口の輝きからはタイミングを読み、それに合わせて少し機体を動かせば回避は容易になる。
圧縮粒子を利用したビームライフル特有の弱点とも言えるものだ。
勿論、通常の反応速度では有り得ない回避速度だが、それもある程度機体側で補正を効かせる事は可能。
現在の一般的なMSに搭載されている演算処理装置でも、対ビームライフル用にプログラムを組んでやれば十分に利用できるだろう。
ガンダムと同じレベルの性能を持つアンノウンならば、対ビームライフル用の回避プログラムを組んでいてもおかしくはない。

空を滑るように動き回りながらアンノウンへ向けてビームライフルを連射するアストレア。
アストレアよりも僅かに上空に立っていたアンノウンも、アストレアに合わせるように回避以外の動きを見せ始めた。
僅かに高度を下げ、しかし距離を詰めず離さずのポジショニング。
滑るような、ガンダムのそれと同じ動き。
ルイードは改めてセンサーを確認するも、やはりGN粒子は感知できない。
GN粒子の恩恵を受けずにガンダムと同程度の機動をしてみせるアンノウンに内心で舌を巻く。

ライフルの冷却の為の僅かな隙を見逃さず、アンノウンが動く。
後ろ手にバックパックに手を伸ばし、刀身の無い柄の様な物を取り出す。
次いで柄から吹き出す荒いビームの刀身。
一見して収束仕切っていない不出来なビームサーベルにも見えるそれは、先ほどヘリオンを撃墜したビームブーメラン。

ルイードも一度見ただけではあるが、その武器の特性を何となく理解していた。
如何なる理術を用いてのものか、あのビームブーメランは普通のブーメランの様に持ち主であるアンノウンの手元へと戻っていくのだろう。
通常のブーメランであれば獲物に当たった時点でその場に落ち、持ち主の元に戻ることはない。
だがあのブーメランはビームの刀身により敵を容易く切り裂き、減速する事無く持ち主の元へと帰っていく。

アンノウンが手にしたビームブーメランをアストレア目掛けて投擲。
推進剤も無しに下手な戦闘機を上回る速度。
しかし、投擲される瞬間を目にしていたルイードはそれを容易く回避した。

「ここで落とせりゃ良かったんだけどな」

真正面から投げられれば回避は難しくないが、ビームライフルやビームサーベルで撃ち落とせる様な速度ではない。
僅かな冷却時間を終え、再びアストレアのライフルの引き金を引く。
ビームライフルはこれまでのテストで散々使ってきたので誤作動を起こす心配は少ない。
戻りのブーメランに気をつけながらでも射撃を続けられる。

あの局面で投擲武器を使用したということは、アンノウンはライフルやそれに準ずる銃器の類を持ち合わせていないのだろう。
アンノウンはブーメランが戻るのを待たず、再び別のブーメランを構えている。
投げて戻ってくるという二段構えのブーメランは脅威と言えば脅威だが、ビームライフルには時間辺りの攻撃密度で劣る。
MSそのものの性能がどうかはともかく、武装の面ではアストレアの優位は崩れていない。

しかし、あまり時間を掛ければ、先ほど撃墜したヘリオン部隊からの連絡が途切れた事を不審に思い調査がやって来る筈だ。
戦闘を長引かせる訳にもいかない。
再び投げつけられたビームブーメランを回避しつつ、ルイードはサダルスードへと援護要請を行おうとし、

「くっ!?」

衝撃。
コックピットが激しく揺れる。
これまでのテストでは受けたことのない機体への深刻なダメージ、コックピット内部にアラートが鳴り響く。
見ればライフルを持っていない方の腕、肩部が大きく削られている。
思考の外からの一撃。
伏兵の存在を一瞬だけ疑い──気付く、『ブーメランが戻っていない』事に。
レーダーには、アストレアの背後に回ったままのブーメランの反応。
そう、一向に戻る気配が無い。

「まさか……!」

レーダーだけではなく、背部のサブカメラで未だ滞空を続けるブーメランを捉える。
そこに写っていたのは、ビーム刀身を失ったビームブーメラン。
しかし、ビーム発信装置には僅かに光が灯っている。
その光が膨らみ、解放された。

「ビット兵器!?」

ビット兵器────脳量子波や量子通信を用いて操る遠隔操作兵器。
未だソレスタルビーイングでも実用化には至っていない兵器の一つだ。
将来的に開発されるガンダムに搭載される予定であるというデータは存在したが、現状では研究段階の筈。

回避行動を取りながらも驚愕するルイードに構わず、アンノウンは更に両手にブーメランを構えた。
そして、その背後から飛び出し、ビームの刀身を発生させながら回転を始める無数のビームブーメラン。
アストレアの背後、上空に回ったブーメランと合わせて、計12基のビームブーメラン・ビット。

それぞれが独自の意思を持つかのように様々な軌道を描きながら、アストレアの周囲を飛び交い始めるブーメラン。
一つ一つが戦闘機にも勝る速度で、しかも、慣性の法則を完全に無視した軌道で動きまわる。
ブーメランが飛び交い、空に逃げ場のない闘技場を形作っている。
ビームブーメランをサーベルの様に手にしたアンノウンが、爆発的な加速でアストレアに迫る。
咄嗟にライフルを投げ捨てビームサーベルを抜刀、すれ違いざまに切りつけてきた二刀を切り払う。
刹那の接触、すかさずアンノウンへと反撃を試みるも、僅かな間を置いて上空から降ってきたビームブーメランに阻まれる。

「く……」

ルイードは恐らく、この世界で初めてビット兵器の恐ろしさを肌で感じたMSパイロットとなるのだろう。
一対一の様に見えて、実質的には十三対一という恐ろしい戦力差になっている。
数だけではない。ビットを操っているアンノウンの思考によって完璧に統率され、乱れのない連携を取ってくる。
対するルイードのアストレアは既に片腕を失い、ライフルを放棄し、武装はビームサーベルのみ。
サダルスードを応援に呼びたいところだが、機密保持の観点から考えれば、むしろ呼ばない方がいいのかもしれないとすら思える。
計画に遅れこそ出るが、ここでサダルスードまで晒すくらいなら、アストレアで限界まで戦って、破壊される前に機密保持の為に自爆、サダルスードに海中に落ちた太陽炉の回収を任せたほうが……。

そう、自分が死ぬ可能性すら考慮し始めたルイードは、距離を置いたアンノウンが発光信号を送っている事に気が付いた。
何らかのメッセージではない、数字の羅列。
伝えられた数字の内容を理解したルイードの背筋が泡立つ。
その数字は、ガンダムとルイード達を乗せてここまでやってきた輸送機が隠れている座標。
アンノウンはビームブーメラン・ビットをこれ見よがしに操ってみせた。
放たれたビームブーメランは幾度と無くアストレアのレーダーの範囲外へと出てみせてもいる。
遠く水平線の向こうまで飛んでいき、戻ってくるビームブーメラン。
やもすれば輸送機の潜む座標にすら届くだろう。
つまり、アストレアの足止めは無意味だと、アンノウンはそう言いたいのだ。

「サダルスード、援護を頼む! それと輸送機に退避指示を!」

調査中であろう874に救援を求めながら、ルイードはこの戦いが決死のものに成るだろうことを、半ば確信していた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

アストレアからの救援要請を受けたサダルスードは序盤、海中からアンノウンへの狙撃を行った。
基本的にビーム兵器は海中では威力を減衰させる。海中に潜んだままでの狙撃に援護の方法を絞ったマイスター874の判断は間違ってはいない。
しかし、アンノウンはビットにアストレアの相手を任せ、自らが海中へと向かい、サダルスードを海の外へと引き上げた。
水中での武装を持たないにも関わらず、純粋な機体の膂力のみを用いて、文字通りの意味でサダルスードを海上へと引き摺り出したのだ。

海中から引き上げられたサダルスードを、アンノウンへと斬りかかる事で救出しながら、アストレアのコックピット内でルイードは舌を巻いた。
始めにアンノウンが空を飛んでいた時、そしてビーム兵器を用いた時に『ガンダムと同等の性能があるかもしれない』と予測した。
だが、決して同等などではない。
アブルホール以外のガンダムではできない空中での高速戦闘、海中のサダルスードを即座に発見する探知能力、無理矢理に引き摺り出すそのパワー。
太陽炉を搭載していないにも関わらず、アンノウンは全ての面でガンダムの能力を上回っている。

『だからこそ』ルイードは即座に戦い方を変えてみせる。
これまでアンノウンに対しては、シミュレーションで幾度か行った対ガンダム用の戦法を用いていた。
ガンダムを破壊するための効率的なガンダムの運用法。
それは同等の相手に対しては十二分に威力を発揮するが、ガンダムを上回る性能を持つMSを相手に通用するものではない。
ルイードが用いるのは『アイディールが敵対した場合を想定した』シミュレーションで学んだ戦法。
弱者である自分たちが、圧倒的強者を相手に一矢報いる為の、勝ちを見込めるかすら怪しい後ろ向きの戦い。

機密保持の優先度を最大限下げ、破損し脱落したパーツの位置を記録し回収する手間を惜しんでの防戦。
攻撃の要は、サダルスードの持つリボルバー・バズーカ。
本来ならば真っ向からの戦闘で使えるような装備ではないが、取り回しも良く最大火力だったアストレアのビームライフルは海の底。
マーカーがある為に回収は可能と言えば可能だが、十を越えるブーメラン・ビットを掻い潜り回収しにいけるものでもない。

時に射撃で、時に接近しての斬撃でこちらに食らいつくブーメラン・ビット。
それらを最低限の、時に幾つかの機能を欠損させかねない一撃を食らいながらルイードは機会を伺う。
アンノウンは最初の突撃以降、殆ど斬り掛かってこない。

──ルイードは、アンノウンがサダルスードを海中から引きずり上げた時にも違和感を得ていた。
こちらが切りかかった時に、アンノウンはあまりにもあっさりとサダルスードを手放した。
あの時点でサダルスードを持ち上げるアンノウンは片手が開いており、いつでも背中に接続したビームブーメランを展開し止めを刺す事が出来た筈だ。
ルイードは不意を突いたつもりだったが、無数のビットを使いこなすMSのセンサーが接近するアストレアを察知できない筈がない。
ビットを直接飛ばして攻撃することも、手で抜いて切り払う事も出来た筈だ。

バズーカを撃ち尽くしたサダルスード、マイスター874は既に海中へと再び潜行していた。
海中であればビームは減衰し、恐らくはビットの攻撃を無効化できる。
情報収集能力特化型のサダルスードは、火力も防御力も高くない。サーベルこそ残っているが、進んで接近戦をしていい機体ではない。
一撃でもビームブーメランの直撃を食らえば危険だし、庇いながらでは動きに制限が付く。
サダルスードにできるのはビームブーメランを無効化できる海中で息を潜めて待つ事のみ。

既に四肢の半分を失い満身創痍のアストレアは、最後の力を振り絞るかのようにビームブーメラン・ビットが輸送機に向かわない様に足止めする。
時にすれ違うビームブーメランをサーベルで切り裂き、サーベルの届かない位置を飛ぶブーメランには刀身を展開したままのサーベルを投げつけた。

「来い……来い……」

ブーメランの標的を自分に絞らせるための奮闘。
一種のトランス状態になったルイードは驚異的な集中力でもって、とうとうビームブーメランの半数を破壊して見せた。
だが、ルイードの真の狙いは別にある。
先に感じた違和感と、この無数のブーメランからたどり着いた、アンノウンの弱点と思しき部分。
それを突くために、アンノウンがアストレアに接近したくなるような状況を作っているのだ。

「来いよ! 銃なんか捨てて掛かって来い!」

叫びに呼応するように、アンノウンが両手に構えていた二丁のブーメランを一つ手放し、両手にビームサーベルと化したブーメランを構えて突っ込んでくる。
何も、本当に叫びに呼応した訳ではないだろう。
ルイードはこの短時間でアンノウンのパイロットの性格を読んでみせたのだ。

ここまででも幾度と無くアストレアを破壊できる場面はあった。
そもそもアストレアを破壊するだけなら、ブーメランで囲いを作るまでもない。
全て通常のビットと同じように運用すれば十分にアストレアの回避性能を上回る弾幕を貼ることができる。
だが、あえてそれをせずに、アストレアが──ルイードがどうにか戦えるラインで戦力を抑えている。
こちらの力を見るためか、それともそういう状況を好んでいるのか、それは分からない。
だが、どちらにせよ、あのアンノウンの中身は、『サーベル同士で決着を付けるのに相応しい状況』を用意すれば、それが罠であると知ってもなお突っ込んでくるだろうことは見当がついた。

(ふざけるなよ……こんな、人殺しの道具で、遊びのつもりか)

構わない、遊びのつもりなら、それに合わせてやるだけだ。
アストレアが、両手で腰溜めに両手でビームサーベルを構え、輝く粒子をまき散らしながらアンノウンへ向け加速する。

──一般人としての身分を捨てて、ソレスタルビーイングのガンダムマイスターになったその瞬間から芽生え始めた思いがあった。
ガンダムマイスター、ルイード・レゾナンスには叶えたい夢がある。
この星から紛争を無くす、不理解からくる無益な争いを無くす。
始めこそガンダムという未知のMSに釣られての事だった。
だが、今のルイードには、確かな目的として紛争根絶を掲げるだけの『覚悟』がある。

ガンダムのパーツとして生かされていると言い切る同僚が居た。
そいつは世界を斜に構えて見ている皮肉屋で、でも、世界に対して絶望しきることも出来ず、嫌味とからかいに混ぜて人を心配する優しさを持っていた。
世界がどうなっているか、どう流れているかを実感したことも無いような幼い同僚が居た。
その子は激変する環境に戸惑いながら、それでも自分にできる精一杯をやり切ろうとする、直向きさを持っていた。
出自も経歴も知らない彼女たちとは、衝突する機会も多かったように思う。
でも、一緒にソレスタルビーイングでガンダム開発を続けていく内に、良いと思える面も沢山見つける事が出来た。

そして、わかったことが有る。
ソレスタルビーイングの目的は、こういうものを、もっと広い範囲で行える様にすることだということ。
分かり合えたところで受け入れられないところもあるだろう。
だけど、受け入れるにしても、拒絶するにしても、まずはお互いの事を理解してからで無ければならない。
誤解なく互いを理解し、その上で相手に対する振る舞いを決める。
難しい事だ。理解する前の段階で拒絶したくなることもある。人間はそういうものだ。
だからこそ、ガンダムによる紛争根絶、武力介入が必要になる。
人の話を聞かない、そのくせ、自分の主張は暴力で押さえつけて言って聴かせる。
そんな醜さを、はっきりと見せてやらなければならない。
分かり合えた人類に淘汰されるような、古臭い、カビの生えた汚れ役が必要になる。

マレーネは最初からガンダムに生命を預けていた。
シャルは怯えながらも逃げずに生命を賭けようとしている。
ルイードは──そんな彼女たちを見て、本当に生命を賭けるに値する使命なのだと確信した。
それを、何を目的にしているかも分からないような、わけの分からない相手に絶やされるわけにはいかない。

実際に武力介入をするのは自分たちではない。
だが、自分たちがガンダム開発のためのミッションを完遂しなければ、武力介入という段階に持って行く事すらできない。

(だから、この瞬間に、全てを賭ける!)

アストレアが突っ込んだのは無数のビームが飛び交う死地。
当たればGN粒子で強化した装甲すら容易く熔解させる熱線の雨の中、ただ一本のサーベルだけを頼りに、愚直に突き進む。
死線の先にあるのは、同じくビームサーベルを一刀に持ち替えたアンノウン。

(行ける、そうさ、来させるために誘ったんだろ? なら、お望み通りだ!)

この瞬間、ルイードは自らの読みが的中したのだと確信した。
サダルスードの助力を得て半数に減らしたとはいえビットは未だ六基存在し、その総合的な火力はビームライフルにも劣らない。
そんなものが一つの意思に統率され、正面から突っ込んでくるだけの敵を落とす事もできない訳がない。
やはりアンノウンは、こちらの僅かな回避運動でギリギリ致命傷を避けきれる位置にのみビームを打ち込んできているのだ。

―――――――――――――――――――

「こいつ……見えているのか」

アンノウンのパイロットがコックピットの中で静かに感嘆の声を上げた。
ここで一つの補足を行おう。
ルイードの読みは、半ば以上外れている。
アンノウンのパイロットは確かに演出好きな部分もあるが、無理に相手に花をもたせるような事はしない。
ルイードを殺すつもりも無かったが、あくまでもアストレアを戦闘不能な状態にまで破壊し、止めを刺さずに打ち捨てる程度。
ビットの操作に関しても、完全なリンクを結ばずにあえてラグが生じる様な造りにしてあるものの、全て純粋にアストレアを破壊せんと狙いを定めて攻撃させている。

アストレアがアンノウンに肉薄するこの現実は、アンノウンの手心による作為的なものではない。
それは紛れもなく、アストレア──ルイード自身の手によって掴み取られた結果なのだ。

「だが何故、何故だ? 人間の神経で反応しきれるものじゃあないだろう」

アンノウンのコックピット、全天モニターの全面に、ズームされたアストレアの姿が映る。
無傷ではない、一度止まればまともに動けなくなりかねない程のダメージもある。
パーツの欠損により機体の重量バランスは崩れ、機動力も大幅に低下している筈だ。
だが、アストレアは一撃足りとも致命打を受けること無く、減速すらせずに進撃する。

「あれだけのチョン避け、グレイズを初見で、反射だけで? いや──」

答えを導き出し、アンノウンのパイロットの口の端がひび割れるように釣り上がる。
人間の神経と運動性能で反応しきれないのであれば、あのパイロットは──

―――――――――――――――――――

アストレアのコックピットの中、ルイードが忙しなく操縦桿を動かす。
通常の戦闘機動では必要のない、ありえないほどに細かな、繊細な操作の連続。
一見してレバーを無茶苦茶に動かしているようにしか見えないにも関わらず、その実一つとして無駄な操作が存在しない超人染みた精密操作。

飛来するビームブーメラン。
直撃コースのそれを更に加速する事で脚部を切断するだけの損傷に抑え、

「届け」

不意打ち気味に打ち込まれた背後からのビーム。
センサーすら捉えていないその一撃を『警告音が鳴るよりも早く』身を捻り躱し、

「届け……」

回避した先、下方から打ち込まれたビームを、肩を撃たれて上がらない腕で受け、腕部の爆発すら加えて加速。
片手で構えたビームサーベルの切っ先を、アンノウンに向けて突き出す。

そのサーベルすら、回転しながら飛来したビームブーメランに根本から切断され────
────高速で回転しながら離脱しようとするビームブーメランを、掴み取る。

手は既に空いていた。
切断されるよりも早く、切っ先をアンノウンに殺意と共に向けたその瞬間に、既に手からサーベルは離れていたのだ。
サーベルに込める必殺の意思すらも囮に、

「と、ど、けぇぇぇぇっ!」

目前へと迫ったアンノウンに、ルイードは『瞳孔を金色に輝かせながら』奪取したビームブーメランを振り下ろした────。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

《素晴らしい》

その声が何処から聞こえてくるのか、始め、ルイードには理解出来なかった。
頭蓋を割り砕くような激しい頭痛と、気を抜けば直ぐにもブラックアウトしそうな肉体的な疲労の中、ルイードはゆっくりと、その声が『接触回線で伝えられた』アンノウンのパイロットの声である事に気が付いた。
接触回線────そう、アストレアとアンノウンは確かに触れ合っている。

《君は、上の上だ》

振り下ろされたビームブーメランの刃を『掌で直に受け止めながら』、アンノウンはアストレアのマニピュレーターを握りこんでいる。
普通なら、ビームを受けたアンノウンのマニピュレーターは熔ける筈だ。
それがガンダム以上の装甲強度を持っていたとしても、少なからずダメージはあってしかるべきだろう。
複雑な機巧を備えている人型の五指を持つ以上、高熱のビームに耐え切る程の強度は持てる筈がない。
しかし、ルイードの霞む視界は、確かにその光景を映している。
ガンダムの装甲を容易く切り裂くビーム刃が、掌で砕けて飛沫のように弾かれ続ける光景を。

ゆっくりと、恋人がそうするように深く、マニピュレーターの指を絡めていくアンノウン。
その指は自らの武装を砕きながら、酷く緩慢にアストレアのマニピュレーターを破砕していく。
静かにアンノウンがアストレアから身を離す。
ルイードは既にアストレアを動かせる状態になく、操縦者の居ないアストレアは掴まれた手という支えを失い、重力に逆らわず、海面へと吸い込まれるように落ちていく。
薄れ行く意識の中でルイードが最後に見たのは、ビームブーメランを全てバックパックに収め、空気に溶けるように霞んで消えていくアンノウンの姿。

《期待しているぞ、サンプル君》

水面に衝突した衝撃で意識を失う瞬間、ルイードはそんな声を聞いた気がした。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

結果から言えば、アストレアは大破寸前まで追い込まれたものの、サダルスードの行なっていたミッションは完遂された。
アストレアが接敵したAEUのMS部隊のタイミングが良かったとも、乱入してきたアンノウンのタイミングが良かったとも言える。
いや、少なくとも、アンノウンの方はタイミングを考えていたのだろう。

「テスト、ですか?」

シャルの怪訝そうな問いに、モニタに写ったマイスター874はコクリと頷く。

「はい。今回の戦闘は、サダルスードに与えられたミッションとは別に、『味方機を護衛しながら何処まで戦う事ができるのか』という、アストレアに与えられた性能確認の為のテストです」

「でも、そんな話、出撃前には……!」

シャルが声を荒げる。
マイスター874はこんな状況で嘘を吐くような人間ではない事は、付き合いの浅いシャルも良く理解していた。
彼女がミッションだと言うのであれば、あのアストレアの戦いは確かに必要なミッションだったのだろう。
だが、些か度が過ぎる、と、シャルは考えていた。

このテストで、アストレアは大破寸前まで破壊されてしまった。
各関節部が恐ろしく摩耗している事から、これまでのテストやミッションでは行ったことのない程の無茶な機動を強いられたのだろう。
勿論、破損は関節部だけではない。
激しいアンノウンの攻撃により、無事なパーツを探すのが難しいほどだ。
更に、ダメージを受けたという事は、機密の塊であるガンダムのパーツを海に撒いてしまったという事になる。
海中へ没したアストレアの大きなジャンクや投げ捨てられたビームライフルにビームサーベルはサダルスードが回収しているものの、それでも細かな断片を回収できたとは断言できない。
異常に分子スピンが整ったEカーボンの断片の一つくらいは発見されてしまうかもしれない。
そこからガンダムの、ひいてはソレスタルビーイングの影を掴まれる可能性を誰が否定できるだろう。

そして、何よりもシャルが憤りを感じているのが、ルイードの状態だ。
先のアンノウンとの戦闘から、既に丸一日が経過しているにも関わらず、ルイードは昏々と眠り続けている。
外傷こそ一つとして無いらしいが、前身の筋肉が異常に疲労し断裂寸前、脳の一部は炎症を起こすような有様。
現在は治療ポッドの中でゆっくりと治療を進めている状態だが、その負傷は決して軽いものではない。
せめてアストレアでテストを行うルイードにだけでもこれがテストだと予め知らされていたのならば、ここまでの負傷はしなかった筈だ。

「実戦に限りなく近い状況でのテストを行う為、パイロットの精神状態もそれに合わせる必要がありました」

「それは! そうかも、しれないけど……」

言われてしまえば納得するしか無い、当然の理屈。
これもガンダムマイスターとしての果たすべき使命の一つだとすれば、生命の危険が伴うのは当然なのだ。
武力介入を行う第三世代ガンダムのマイスターと違い、ガンダム開発のために集められたマイスターではあるが、それは生命を賭ける場面が異なるというだけで、安全という訳ではない。
新型武装のテストなどでは暴発の危険は勿論存在するし、そこで生命を落とす可能性が無いとは言い切れない。
自分の憤りは、全てガンダムマイスターとしてではなく、シャル・アクスティカという少女としての憤りでしかないのだ。

そう自覚すると、シャルは身を縮め、矛先の定まらない憤りを自己への嫌悪へと変えてしまう。
マレーネは、手錠を掛けられながらも、治療ポッドの中で眠るルイードを見守り続けている。
ルイードの身を案じてこそいるものの、与えられた突発ミッションに関しては不満の一つも持っておらず、当たり前のように受け入れているのが傍目にもわかった。
結局、やはりマイスターの中で自覚が一番足りないのは自分なのだと思い知らされるようで、シャルの心は先程までとは別の原因で深く落ち込んでいく。

「つい先日、ソレスタルビーイングに新しく迎えられたイアン技師とモノレ医師は優秀です。アストレアもルイードも、早期に復帰可能です」

シャルを慰めるようなマイスター874の言葉。
マイスター874の珍しい心遣いに、シャルは幾度かの深呼吸を経て表情を改めた。
直ぐ、というのがどれくらいの時間かは判らないが、四人のガンダムマイスターの中で、今一番肉体的に余裕があるのは自分なのだ。
その自分が、何時までもくよくよと落ち込んでいては任務に支障を来す。

そう、ソレスタルビーイングのガンダムマイスターとしてのシャル・アクスティカとしてこの場に居るのなら、まず問わなければならないのはこんな事ではない。
任務の正当性を考える権利も持ちあわせてはいるが、そこには既に納得を得ている。
今、問わなければならないのは。

「結局、あのMSは何なの?」

この一点に尽きる。
ソレスタルビーイングは現段階でこそガンダム開発と世界情勢の把握に力を入れているものの、その最終的な目的として『武力に寄る紛争根絶』を掲げている。
そして、その目的を叶えるために必要なのが、現行MSを遥かに凌駕する性能を持つガンダムというMS。
世界中の軍隊を敵に回しても戦い切ることができる性能を持ち合わせているからこそ、武力に寄る紛争根絶などという理想を掲げる事ができる。

「あれは……味方? 私たちが知らされていない、別に開発されていたガンダム?」

そうだとすれば、自分たちの開発しているガンダムは、コンペティションに負けてお払い箱、という事になるのだろうか。
それは、まだいい。より優れた性能を持つMS──ガンダムこそが武力介入に用いられるべきだと、感情を抜きにして考えれば納得できる。
だが仮に、ソレスタルビーイング以外の組織にガンダムを凌駕する性能のMSが存在するとしたら、紛争根絶の為の武力介入など成功する訳がない。
問うシャルの声は僅かに震えを帯びていた。
そうであれば、そうあって欲しいという願いを込めながら、何処かでそれは違うと感じているが故の不安。

「味方と厳密に定義できる物ではありません。あのMSは、監視者として登録されたある御方の所有物に当たります」

監視者──文字通りソレスタルビーイングの活動を、あらゆる観点から正常に活動できているか監視する者達の事を指す。
完全な機械任せにするのではなく、その時代時代に生きる人間の意見を取り入れるというイオリア・シュヘンベルグの意向を元にソレスタルビーイング設立当初から存在している。
彼らはヴェーダの立案するミッションや方針が間違っていると判断した場合、それが監視者の総意であれば、ヴェーダの立てた計画を中断、変更する事が可能になる。
なるほど、と、シャル僅かにうつむきながら頷いた。
ヴェーダの立てる計画に対して限定的ながらも決定権を持つのであれば、いざという時の為にガンダムへのカウンターを持っていたとしてもおかしくはない。
いや、逆にガンダムを完成させる為のテストに協力し、些か過激ではあったにせよ、しっかりとその役目を果たしたところから見れば、協力的な立場にあるのかもしれない。
最も、それでガンダムと仲間であるルイードをあそこまで傷めつけた事に関して、憤りを拭い切ることが出来る訳では無いのだが。

……仮に、シャルがこの時にもう少しだけ冷静であることが出来たなら、違和感に気が付くことが出来ただろう。
マイスター874が、襲撃してきたMSの所有者に対して抱く感情を、言葉の端から僅かにでも、モニタに映るその顔に、僅かに浮かんだ恍惚の表情からでも。
彼女は気付くことが出来ない。
変わりつつ有る世界の中、シャル・アクスティカという少女は、よくも悪くも、その立ち位置が変わることは決して無いのだ。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

さてさて、第二世代ガンダム相手にTUEEEEしてから数日が経過し、場所は拠点である極々一般的なアパートメントに移る。
今の気分を一言で表せば、上々であるという他無い。
それは何も自作したMSで太陽炉搭載型のガンダムを圧倒できたからではない、そんなのは出来て当たり前だ。
最後の嬉しい誤算で突破されてしまいはしたが、あのブーメランシルエットは第二世代相手ではヤバイ級の装備として扱っても良い程の性能。
最終的な到達点はこの世界の技術の方が勝るだろうが、コレまでに俺が収集した技術は既に極限まで煮詰められている。
技術の完成度が根本的に異なるのだから、それをふんだんに盛り込んだMSがガンダムを圧倒するのは当然の結果でしかなく、特に感慨が湧く訳でもない。

「ふふん」

手元には携帯端末、映し出されるのはヴェーダに提供させたとあるデータ。
一つは、ここ数年分のガンダムマイスター達の詳細な身体データ。
二つに、CBの活動拠点の中で人が活動できる生活スペースの建築設計図。
三つに、マイスター達に提供されている食事の内容と生産地。
最後に、現在CBで使われている太陽炉の詳細な設計図と実物の稼働データ。

「中々味な真似をするじゃないか」

マイスター達にこの診断結果がまともな形で届けられているのだとしたら、第二世代マイスター達は随分と図太い神経をしているのだろう。
そう思う程度には、CBに入る前と後での結果が大きく異なる。
宇宙での長期生活による変化とでも言い訳しているのだろうか。
確かに、人と人の距離が関係して生まれる新しい能力なども存在しない訳ではないだろうが、そうではない。
他の三つのデータが俺の予測を確信に変えた。

CB──ソレスタルビーイングのガンダムマイスター達は、意図的にイノベイターへの覚醒を促されている。

勿論、確実な方法ではない。
例えばイノベイドというイノベイターの下位互換な連中が居るが、あれはイノベイターの能力を見越して『たぶん、こんな感じじゃね?』という類推から能力を定められている。
そもそもの完成形を誰も目にしたことがないのだから、それを目指して人体をいじるのは難しい。
どちらかと言えばイノベイドどもがルイス・ハレヴィに施した処置に近い。
あちらに比べればもう少し迂遠で大人しく、効果の程も少なめになるが……第二世代に施された処置は一味違う。

通常、太陽炉は建造して起動してから壊れるまで、常に停止すること無く動き続けている。
戦艦や拠点などで待機している最中はその稼働率を極限まで下げているわけだが、

「直ちに人体に影響はない、ってか?」

極限まで下げる、という程に、待機中の太陽炉の稼働率が下げられていない。
第二世代ガンダムのマイスター達は、常に微量とは言えない量のGN粒子にさらされているらしい。
その量たるや、本編の第三世代ガンダムのマイスター達が活動中に浴びた量を遥かに上回る。
直ちに影響が出なくとも、遠からぬ未来で、決して避けられない変化を齎すだろう。
そして、それは必ずしもプラスに傾く変化、変革ではない。
手探りである以上、細胞の異常変異で寿命が極端に縮む、程度の事は十分にありえる。

だが、コレに対してヴェーダは何も対策をおこなっていない。
なぜなら、少なくとも現在のCBの中では、このGN粒子発生量は人体に影響がない程度のものとして認識され、ヴェーダもその通りだと判断しているのだ。

食事に混入された諸々の成分で、そして開発を行うコロニーの居住区の内部構造を心理学的見地から調整し脳量子波の強化を行おうという計画は、恐らくはイノベイドの誰かが立てた計画。
そして、太陽炉の稼働率と放出されるGN粒子量の人体許容量に関する数値を改竄したのは、また別の人間だろう。
決してCBに所属する者達に違和感を与えること無く、ヴェーダが建造される前から改竄されたデータを入力する事を決めていた。
恐らくは、後代の人間やイノベイドが、自発的に人間のマイスターを改造しようと手を加える事を見越した上で。

そんな事ができる人間を、そんな真似をしたがる人間を、俺は一人しか知らない。
『ヴェーダ内部の情報がCB以外のとある第三者に筒抜けである事を想定して』、完成品と実験結果だけを盗み見ただけでは分からないようにしたがる奴など、一人しか居ないじゃあないか。

口元がニヤけるのが分かる。
なるほど、これはいい手段だ。
開発メインの第二世代マイスターも、希望すればそのまま武力介入を行う第三世代マイスターに移行できるらしいが、それはあくまでも建前。
バイトの『正社員登用制度あり』の様なものだ。
嘘は言っていないのだから、何一つ問題はない。運と実力が備わっていれば有り得ない話でもない。
しかし実際は、第三世代ガンダムのマイスターは別に選ぶことになるだろう。
このまま変異を続けたマイスター達の肉体が、真っ当な変革を遂げられる可能性は極めて低い。
武力介入を行い時期には、既にパイロットとして動けるかどうかすら怪しいだろう。
だが、その引き換えに第三世代ガンダムが稼働する頃には太陽炉の稼働率の問題が発見され、GN粒子を浴び続けた人間の肉体と精神がどのようなものになるか、という、貴重なデータも手に入る。
元から武力介入前に『脱落』する事がある程度決まっている連中であれば、多少無茶な改造を行なっても計画に支障はない。
もともと、第三世代ガンダムとそのマイスター達が、一致団結した人類に妥当されるところまで見越して計画を立てるような奴だったが、どうやらこの世界では更に大幅に吹っ切れているらしい。

「中々にいじましい手で来るじゃないか」

用心深いというか、警戒心ばかり強いというか。
変に過剰なちょっかいをかけるつもりはないというのに。
出会い頭で対話による相互理解を求め、更に手の内も真っ当な科学関係はほぼ晒したというのに、なぜそこまで警戒しているのか。
彼が起きたら、そこら辺の事を尋ねてみるのもいいかもしれない。
時の止まった強化ガラス製冷凍睡眠装置なら、大使の拳銃弾くらいは余裕で弾く筈だし。

「と」

呼び鈴の音が響き、携帯端末の電源を落とす。
恐らくは、前に注文していた荷物のどれかが届いたのだろう。
リアル系技術への思索、研究も大事だが、それだけに終始すると心が病んでしまう。
通販でプラモや名産品を頼んで楽しむ余裕は必要なのだ。

「はいはーい! 今出ますから少し待ってて下さーい!」

インターホンを使うのもまだるっこしく、玄関へ小走りで向かいながら、俺は宅配便の人を呼び止めるのであった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

そんな訳で、この時代でも元気かつ雑に荷物を配送してくれた青と白のシマシマ宅配服にお礼を告げ、荷物を受け取った。
その荷物を、研究に使うのとは別に用意した居間に運び込んだ訳だが。

「ふむ」

でかい。
なんていうか、実際でかい。
どれくらいでかいかと言われると困るのだが、一人暮らし用の冷蔵庫の小さいやつ位なら余裕で入りそうな程でかい。
しかも中々に重量があるらしく、宅配便の人も台車を使ってここまで運び込んできた程だ。
持ってみると実際重く、50kg程度はある。

「少し頼みすぎたかな……」

つぶやいてもこの現実は変わらない。
クール便だから、多分大量注文した各種チョコレートか、肉か。
全国のご当地グルメ詰め合わせである可能性も高い。

駄目だな……やっぱりトリップ先だと、買い物の時の思考が雑になる。
値段を見ようとは思わないが、せめて置き場所とか運ぶ人の迷惑とかは考えて注文するべきだったかもしれない。
食い切るのも簡単なら置き場も亜空間とかで困ることはないにせよ、食べてる間に飽きる可能性も無いではない。

「まぁ、アレだったら美鳥とか出して一緒に食えば良い訳だし」

あとは、最近はフーさんの扱いも雑だったし、ねぎらいの意味も込めて彼女をひり出して振る舞うのも悪くないかもしれない。
蘊・奥の爺さんであれば、和食系のお取り寄せグルメだったら喜ぶだろう。
エンネアなら、なんだろう。無限螺旋に無かった未来食物とかに興味を持つだろうか。
これでも足りなければニャルとしての化身を幾つか呼び出して分配してもいい。

まぁ、姉さんの封印がある状態でこれだけの人数を出すのは難しいだろうから、数は絞らなければならんだろうけど。
カズを絞らなければ、っていうと薄い本ぽくてありかもしれない。
何だかんだで陵辱モノが多いけど、キャラ的に自然に逆レ展開に持っていけるキャラは多い筈だ。
これだけやっても全然カズが減らない! みたいな感じで逆レからの逆転もありか。
ムキムキマッチョが美少女に逆レされるMシチュからの、逆転で組み伏せられる強気少女というプレーンな組み合わせ。
いいね、陵辱でもラブラブでも映える展開だろう。
カズにまともなカップリングが存在しないのが難点だが。

「って、違う違う」

逸れた思考を軌道修正。
今はカズの話でも人数の話でもなく荷物の話だ。
保冷剤も入れられているだろうが、それでも早く冷蔵庫の中に移し替えるなり亜空間に放り込むなりしなければ。
あまり時間を置いて変な匂いになるのも悪いし、中身がなんであれそれに相応しい保存方法に切り替えたほうがいいだろう。
そう思いながら梱包を指で切り裂きながら開け、一回り小さくなった箱が顔を出す。

僅かに背筋に走る寒気。
恐ろしい、エコが騒がれる時代に何たる過剰包装だ。
箱そのものにも何故か高級感が溢れており、素材も明らかにダンボールではない。
これは、中々の高級品が届いたのかもしれない。
値段を思い出し、もしもコレが元の世界での買い物だったらと思うとゾッとして、ふと思い直す。
もしかしたら、空いた時間で大量に応募した懸賞の中の一つかもしれない。
それならこの過剰包装も頷けるし。
まさか当たるとは思っていなかったが、最近は日頃の行いも良いし、有り得ない話じゃないだろう。

「では、ご開帳ー」

ワクワクしながら、観音開きの蓋を開け──

「────────────」

そのまま、蓋を閉めた。
目元をほぐし、疲労による幻覚か単純な見間違いかと思考し、その可能性を一瞬で切り捨てる。
残念な事に、本当に残念な事に、俺は基本的に疲れないし、見間違いもしない。
幻覚なんてもっての外で、更に言えば、数秒間だけ見てしまった箱の中身をしっかりと記憶してしまっている。
だが、しかし。
なんで?
とにかく、理由が分からない。
そして、それは恐らくヴェーダに問い合わせた所で分かるような問題でもないのだろう。
この蓋をもう一度、開けて、中身を、中身『に』確認してみなければ。
見た目はアレだが、これはあくまでも詰めた者の趣味である可能性も高い。
対話だ、とにかく対話を仕掛けるんだ。
この世界のメインテーマなんだから、少なからず効果が有る、筈だ。

「──」

息を大きく吸って、吐いて。
意を決して、再び、箱の蓋を持ち上げ、開く。
僅かに、白い煙が沸き立った。
保冷剤として入れられていたドライアイスから出ているのだろう。
一瞬だけ視界を遮った煙が張れ、大気に晒される箱の中身。
結論から、言おう。

────匣のなかには、みつしりと、全裸にリボンでラッピングされ、ひんやりと青ざめたリボンズ・アルマークが詰まっていた。

匣のリボンズは、にっこりと笑って、

「ジュ・テーム」

と、言った。
ああ、生きている。
なんだか酷く腹立たしく、久方ぶりに感じる生理的嫌悪感に身を任せて、口から言葉を漏らす。

「ガッデム」

俺は多分、初めてポ系列能力の本当の恐ろしさを実感する事になるのだろうなと、朧気な予感を得るのであった。





続く
―――――――――――――――――――

主人公の視点が殆ど無いお陰で恐ろしく真っ当なシリアス回な第八十話をお届けしました。

というか、ええ、本当にシリアスなお話になってしまいましたね。
時間かかった割に話も進んでませんし。ほぼ戦闘だけではないでしょうか。
原作の描写とか考慮して、それでいて変化があった部分も変化が無かった部分も変えていかなきゃいかんので、原作片手に書いてたのが原因って気もします。
原作とは関係ない部分を書いても筆は遅いんですけど。

自問自答は、今回はお休み。
シリアス回でやっても硬い話にしかなりませんので。
機体解説しようにも、説明するところが無い見たままのビームブーメラン機ですし。
いいですよねビームブーメラン。
作画枚数減らせるから数多くの機体に装備されていたらしいですけど、それを抜きにしても万能武装です。
ビームサーベルが勝ってるのはコストだけだと確信しています。
詳しい設定は知りませんが。

マイスター874の不審な挙動とか不審な言動とか不審なボンズリとか出て来ましたが、そこら辺はまとめて次回で説明されます。
今回原作キャラメインで話進みましたが、次回はほぼ主人公視点の話で原作のシーンとか殆ど出せないかも。

そんな訳で、今回はここまで。
誤字脱字の指摘、文章の簡単な改善方法、矛盾している設定への突っ込み、その他諸々のアドバイス、そしてなにより、このSSを読んでみての感想、心よりお待ちしております。

―――――――――――――――――――
もう多少外れても問題ない気がする次回予告

どこからか送りつけられた箱詰めのリボンズ・アルマーク。
何をどうやっても上がり続ける好感度。
好意は必ずしも受け入れられるものではなく、好意を向ける側も相手の気持ちを考えるとは限らない。
復元された美鳥の口から告げられる、ポ系能力の持つ恐るべき弊害とは。
「他のどの能力よりもお兄さんの力になるかもしれないし、逆にお兄さんを殺してしまうかもしれない」
「これはお姉さんからの、もう一つの宿題だ」

機動戦士ガンダムOO・P編第三話
『パンデモニウムの略奪者』



[14434] 第八十一話「押し付けの好意と真の異能」
Name: ここち◆92520f4f ID:e37ddb7f
Date: 2013/05/06 03:59
今から十秒後、一分後、一時間後。
十二時間後、明日、来月、一年後。
どれだけの時間が経とうとも、ガンダムマイスター874は、生まれる前から定められていた自らの存在意義を確信できるだろう。
自らに与えられた存在意義を、音声として、文章として出力せず、反芻するように心の中で呟く。

「全てはイノベイターのため……」

未熟な人類でも、不出来な模造品(イノベイド)でもない、彼らの為に、
いずれ現れる彼らの為に、世界の全ては存在し続けている。
与えられた任務も使命も、自分という存在そのものも、全ては彼らのためだけに。
それこそが自らの存在意義。
そこに疑問の余地は存在しない。
しかし、マイスター874はそこで思考を止めない。

通常、生物の思考の速さはその寿命によって変化する。
寿命の長い生物であればゆっくりと、短命の生物であればあるほど思考速度は速い。
しかし、人ではない、自然に生まれた生物でないマイスター874はその法則に従うことはない。
人間よりも遥かに長い年月を生きながら、その思考速度は人間の追随を許さないほどに速い。
その高速の思考を持って、マイスター874は考える。

「『理想』……ガンダムの、元型(アーキタイプ)」

全てのガンダムが比較される相手。
創設当時から既に存在が確認されていたという、謎の機動兵器。
その存在に関して、ヴェーダは何一つマイスター874に命令を下していない。
そもそも、マイスター874に与えられる任務の中には何一つアイディールに関する情報は組み込まれてすらいない。
一度立ち敵対すれば紛争根絶という初期の目的すら達成困難となる相手でありながら、ヴェーダはそれに対する対抗策を殆ど用意していないのだ。
現状、ソレスタルビーイングにとって、最も大きな障害となり得る存在。
だからこそ、対抗策を講じるために、常からその存在を意識して任務に臨まなければならない。
マイスター874は自らの中に存在する衝動に、そう理由付けを施していた。

その理由付けは、自らの存在意義に反しない為の苦しい言い訳じみたもの。
しかし、マイスター874がマイスター874として活動を続ける上で、その苦しい言い訳は必要不可欠なものだ。
仮に、人工知性体であるマイスター874が私欲を持ち、与えられた使命を無視して独自の行動を取ってしまえばどうなるか。
マイスター874は今与えられている権限の多くを剥奪され、サンプルとしてヴェーダの内部に電子標本として飾られるだけの存在と化してしまうだろう。

故に、マイスター874の中にある全ては、ガンダムマイスターとしての存在意義へと連結される。
全ての意思、全ての欲は淀みなく義務、使命へと擦り替えられ、滞り無くマイスター874という冷たい知性の中に収められる。
その、筈だった。

《素晴らしい……》

再生されるのは、一つの音声データ。
極々短い、会話ですら無い一方的な言葉の羅列。

《君は、上の上だ》

同時に再生される映像は、先日の緊急ミッション。
……緊急ミッションとして処理された遭遇戦での、アストレアのカメラに収められた映像。
ミッション終了後、もっと言えば、アストレアが撃墜された直後に味方機であるという事になったMSとの模擬戦闘からは、多くのデータが採取された。
アンノウンの使用していたテクノロジーこそ開示されなかったものの、ガンダム以外のそういったMSと遭遇した場合の対処法を考える上で重要なデータになるだろう。
だが、既に記録映像からは可能な限り役に立つデータが抽出されており、今更見なおした所で、何ら得られるものはない。

《素晴らしい……君は、上の上だ》

繰り返し、アンノウンとの戦闘記録が流される。
しかし、流れる記録は最後の瞬間近くでループをしている。
アストレアに乗るルイードが一か八かの賭けに出た所から、撃破されて記録が途切れる瞬間まで。

《素晴らしい》

戦闘記録を確認するマイスター874は現状、肉体を持っていない。
故に記録を確認している今は、目も口も無く、ただその映像を思考に直結させている再生している。
眼前に迫るアンノウンの姿。
アストレアのセンサーを視点として居るため、相対しているのが自分であるかの様に錯覚しかねない臨場感。
だが、

《君は、上の上だ》

マイスター874の脳裏から、アストレアの、ルイードの存在が消える事はない。
否が応にも思い起こされる。

《期待しているぞ、サンプル君》

アンノウンが視線を向けているのも、アンノウンが声をかけているのも、全てあの日あの時相対したアストレアとルイードなのだ。
決して、後から記録を確認しているだけの自分に向けられたものではない。

《素晴らしい》
《君は、上の上だ》
《期待しているぞ、サンプル君》
《素晴らしい》
《君は、上の上だ》
《期待しているぞ、サンプル君》
《素晴らしい》
《君は、上の上だ》
《期待しているぞ、サンプル君》
《素晴らしい》
《君は、上の上だ》
《期待しているぞ、サンプル君》
《素晴らしい》
《君は、上の上だ》
《期待しているぞ、サンプル君》

繰り返し繰り返し、告げられる言葉を再生する。
この時のマイスター874の思考は働いているようで働いていない。
思考能力の全てを費やし、ルイードに告げられた言葉が自分に向けられたものであるという想像だけをふくらませ続けている。

「は」

何の意味も持たない、極短い音を作り出す。
データ上でしか存在していない、生まれてからこれまで一度たりとも生身の肉体で活動したことのないマイスター874は、生身の生理的な機能を実感できない。
しかし、生み出したその短い音は、熱を帯びた吐息にも似た響きを持っていた。
それが、マイスター874の中に生まれた初めての感情なのだろうか。
既に芽生えてはいるが、それを感情であると自覚できていないのか。
少なくともマイスター874自身は、自らが行った行為の異常性を理解できていない。
思考に粘性の熱を持たせる多幸感の中、マイスター874の脳裏に、ふと影が射す。

この言葉は、全てアストレアに、ルイードに向けられたものなのだ。
それだけは、決して揺らがせることの出来ない事実。
思考の熱が冷めると共に、音声と映像の再生が止まった。
音も映像も無く、ただマイスター874の思考と仮想肉体だけが漂っている。

「私なら」

ぼそり、と、マイスター874が呟きを音声として出力する。

「私なら、もっと上手くやれた」

次いで告げられた言葉はすでに呟きと呼べるようなものではない。
はっきりと、何処かの誰かに宣言するように。
その表情はこれまでと何ら変わることはなく、何ら感情を表すことのない平静なもの。
だが、違う。

「ルイードよりも、私のほうが、より精密なMS操作が可能」

「あの時相対していたのがルイードでなく私なら、もっと素晴らしく、強く期待される戦果が出せた」

「この御方に、もっと、褒めてもらえる成果を上げられた」

「私なら、私を、人間よりも、私は、私が」

「私は、ルイードよりも、優れている」

最早思考の内にのみ留まらせる事もなく、音として宣言されるのは自らの優位性。
あのMSが自分達の前に再び現れるかどうかは分からない。
そして、今後二度と現れる事がないのであれば、その唯一の機会をルイードだけが手にしたという事になる。
例え、それが機体の持つ特性と、先に行われていたミッションを成功させるのに必要なことだったとしても。

「私は、優れている、勝っている、ルイードよりも、人間よりも」

『理想』に連なる系譜の、やもすれば本人とも知れないアンノウンへの思慕。
アンノウンと対峙し、自分には向けられるべきだった高評価を得たルイードへの嫉妬。
二つの相反するはっきりとした感情が混ざり合い、喩えようのない不快な感触の蟠りが広がっていく。
自らの存在意義を失う事無く、しかし、存在意義とは異なる『欲望』が、思考ではない『心』に満ちていく。
思考領域を侵す汚泥にも似た感触の何かは、マイスター874をゆっくりと、しかし確実に、

「他の、どのイノベイドよりも、イノベイターよりも────私は、優れた存在であってみせる」

イオリア・シュヘンベルグの想定していない存在へと変質させていた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「おふ」

唐突にぶるりと背筋が震えたのは、恐らく目の前に居るイノベイドが原因だろう。
箱の中からジュテーム言われて直ぐに空間を書き換えて拘束衣を着せ、転移を使って触れる事無く椅子に縛り付けたにも関わらず、表情一つ変えることがない。
いや、変わってはいるが、その変化がおかしい。
指一本も動かせなくなる程強い締め付けの拘束衣を着せられ、内臓がシェイクされるような雑な転移を行ない、鬱血するほど強く椅子に縛り付け……
何を行なっても、喜びの感情しか得ていない。
それだけははっきりと分かる。
これでも臨獣殿の拳士をしていたのだから、負の感情が生まれたなら即座に察知できる。
だがしかし、こうして冷たい目線を向けてもモゴモゴと口枷に覆われた口元からタラタラと涎を垂らし、頬を紅潮させるのみ。
そして俺の中のオーガニック的な部分は、このイノベイドからプラスの感情を感じ取っている。

一言で感想を言えば、キモい。
俺は一見してこのイノベイドをリボンズ・アルマークであると断定してしまったが、もしかしたら何がしかのバグを起こした暴走個体である可能性すらあると踏んでいる。
イノベイドは銃弾の一発でヴェーダとのリンクが途切れてしまう場合もあるのだから、有り得ない話ではない。
なにせ、リボンズ・アルマークは機動戦士ガンダムOOのラスボスである。
確かに黄金大使にはケツを差し出していたようだが、それは必要だから行っただけで本人に特殊な性癖が有るわけではない筈だ。

そこら辺の事も踏まえて、まずはこいつの身元確認。
今の今までこうして観察に時間を費やしてしまったが、これがリボンズかどうかはヴェーダに問い合わせてみれば一発で判明してしまう。
というか、それ以外に確認方法は存在しない。
イノベイドは所詮微小機会を組み合わせて作った人間に良く似たロボットに過ぎない。
故に、頭の中を書き換えて『自分はリボンズ・アルマークである』という記憶を与えてやる事も簡単なのだ。
肉体的な特徴に関しても言わずもがな。微小機械の積み木細工であるイノベイドは人間よりも余程同一の個体を作りやすくできている。

つまり、目の前のイノベイドに事情聴取をしようが身体検査をしようが、それだけではイノベイドの身の証を立てる事はできない。
自分の事をリボンズ・アルマークと思い込んでいる肉体的に完全同一体など、簡単に作れてしまう。
そこで取るべき唯一の証明方法が、ヴェーダに対するイノベイドのID照合。
全てのイノベイドはヴェーダの下で製造され、人類社会に無自覚型として潜んでいる間ですら、完全にヴェーダによって監視、管理されている。
だから、それがリボンズであると思い込むように作られたイノベイドであるかそうでないか、という疑問も一発で解消できてしまうのだ。

「で、どうよ」

ヴェーダにアクセスし、目の前のイノベイドの身元を照会。
……残念な事に、このイノベイドはリボンズ・アルマークで間違いないらしい。
そして更に言えば、一つ不可思議な点がある。
ヴェーダとリボンズのリンクが途切れかかっている。
これでは人格や記憶のバックアップは取れないし、ヴェーダから必要な情報を参照することもできない。
外伝漫画に出てきたイノベイドハンターに少し似ているが、少し違う。
ヴェーダとのリンクは最低限しか存在しない。
逆に言えば、最低限のリンクは残している、とも取れる。
これが意図的に残したものか、技術的な問題により残さざるを得なかったのか、という点も謎だ。

「ふむ……」

拘束したリボンズに防音効果もある布をかけてとりあえず視界から外し、情報を纏める。
いや、纏めるまでもないか。
こうなった原因には、少しだけ心当たりがある。
メカポだ。

メカポ、などと言っているが、実は機械系だけでなく、科学寄りの存在に対してはかなり広範囲に渡って影響力が有ることは確認済みだ。
要するに、科学、疑似科学に属する存在に対する限定的な魅了の力なのだろう。
人格の有る無しに関わらず俺が能力の影響下に置こうとすればほぼ確実に言うことを聞いてくれるようになるし、部分的に生物であるサイボーグなども、少なくともメカニカルな部分は完全に制御下に置くことが可能となっている。
しいて対象から外れるものを上げるとすれば、クローン人間や遺伝子調整を行われたコーディネイターなどが適用範囲外に分類される程度か。
製造の行程で科学的な要素が加えられただけの生物は、あくまでもメカではなくただの生物として扱われるらしい。

では例えば、人間の構造を参考にして、いずれ現れるイノベイターの能力を想像、模倣して製造された『生命体』であるイノベイドにメカポが発動しないのではないか。
無論そんな事はない。イノベイドには確実にメカポが通用する。
むしろ、俺の持つ基準で考えればイノベイドは生物かどうかすら怪しい。
一見して人間と変わりないように見えるイノベイドだが、その肉体構造の成り立ちは人間とは大きく異なる。
基本的に、イノベイドの人格と肉体は別個に製造される。
まず人格は言わずもがなヴェーダの中で、ミッションを行うのに必要となる基本的な知識や情動のパターンが作られる。
そして肉体。
これは遺伝子を弄られた細胞を培養して肉体を作るのではなく、予め人工的に製造された60兆個以上の生体高分子をレゴブロックよろしく組み立てていく事で人間の形を形成しているのだ。

一定量の知識と決められた指向性を持つ情動を与えられ、誰に教えられるまでもなく生まれた瞬間から成体と遜色なく働くことの出来る人格、細胞分裂で増えた訳でもない無数の細胞を寄せ集めて作られた肉体。
これらは当然自然界には存在しない。
即座に活動開始可能な人格は野生生物の本能に通じるものがあるとも言えるかもしれないが、少なくとも人間であれば持ち得ないものだ。
肉体に関しては論外、細胞分裂を経る事無く成熟した状態で誕生する多細胞生物というのは、存在自体に無理がある。
イノベイドは誕生の過程に科学的な要素が含まれる自然生命体ではなく、科学──生体工学などを用いて製造された、人間に限りなく近い構造を持った機械──アンドロイドの一種なのだ。

リボンで包まれたリボンズ・アルマークなどという悲劇の原因はそれだ。
かつて武装神姫の世界で初回起動直後、神姫のLOVEがマックス振り切れたあの時と同じ事が起きていると考えて間違いない。
そしてあの時と違うのは、こちらに好意の感情を向けているのが可愛らしい手のひらサイズの少女型人形ではなく、ペガサス座の聖闘士声の等身大無性アンドロイドであるという点だ。
最悪、声だけでもドロッセルお嬢様だったならギリギリ打首後死体を焼却で済ませられたのだが、この悪夢から逃れるには、リボンズの性格をどうにかこうにか元に戻してやるしか無い。
無いのだが……

「はて」

どうやって元に戻せばいいのか。
これが、俺がリボンズやヴェーダに対してメカポを行った上での結果なら、何をするべきか考えるまでもないのだが。
不思議な事に、『俺はこの世界に来てから一度も意識的にメカポを発動していない』
元々暴走気味というか、ほぼ自動発動の能力だったから仕方が無いのかもしれないが、こういう場面では少し困る。
いや、そもそも、俺が何かデータを必要とした時に、何を要求するよりも早くヴェーダの方から欲しいデータを纏めてこちらに開示してくれた時点で疑問に思うべきだった。
人間、楽な状況には流されやすい、という事なのだろう。
それで危機的な状況に陥る可能性があるのならばまだしも警戒心も湧くのだろうが、この世界に存在するあらゆるものは俺を害する事ができるレベルに達していない。
いざとなれば力技で解決できてしまうとなれば、少々の不可思議には目を瞑るどころか目を向ける事すらしなくなってしまう。
俗に言う『油断? 何のことだ? これは余裕というものだ』という奴だ。
少年漫画のボスキャラでもなければ足元を掬われて死ぬレベルのフラグである。

《お兄さんさぁ》

俺の身体の表皮が震え、その振動が少女の声となって響き渡る。
次いで、スピーカー代わりに震わされた表皮から、折りたたまれた一枚メモ用紙が剥がれ落ち、開く。
四つ折りか八つ折り程度に見えたメモ用紙は際限なく開き続け、走り書きの『記述』もまた延々と拡大を続け──
何一つ派手なエフェクトを生じさせる事無く、一つの人型を形成した。

「メカポを解除する解除しない以前に、肝心なこと忘れてない?」

十代前半の少女の姿は、昔見た美鳥の姿。
幾度と無く融合捕食を繰り返す内に見なくなった未成熟体。
姉さんの施した縛りに反しない範囲で美鳥が作り出した、『情報生命体』としての美鳥の肉体。
魔導書の精霊が肉体を形成する理屈を術式的に分解し字祷子宇宙の外の法則再現したもので、魔導書の精霊程の情報密度がなくとも、人格と大雑把な外見データがあれば肉体を形成出来るという便利術式だ。
オリジナルの美鳥の肉体と比べて天元突破グレンラガンとAIBO程に力の差があるが、不意に自己主張の激しくなる美鳥が身振り手振りや小道具などを使って解説を行う分には問題なく機能する。
もっとも、それだけ機能を限定したとしても満足に肉体を形成した状態で活動できるのは週に何時間か月に何時間といったところだろうが。

「肝心なこと?」

幾つかの小道具と共に実体化を果たした美鳥は、疑問に疑問で返した俺に、パーツごとに分解されたホワイトボードを組み立てながら頷いた。

「そもそも、どういう理屈でメカポでメカを従えさせ──『ポさせてる』のかがわからないと、解除のしようもないじゃん」

「なるほど」

言われてみれば確かに。
ナノポで使用するナノマシンのシステムを改変して、好意の上がり幅を元に戻したり、逆にこちらへの悪感情を増幅させて嫌われたりするように、メカポもその理屈が分かってしまえば解除は容易な筈だ。

「でも、お兄さんには大変残念なお知らせがあります。はいこのホワイトボードに注目ー」

ものの十数秒で組み上がったホワイトボードには、
『天然物の~ポ能力には□□が□□□□□』
朝に肌が黒いおっさんがズバズバ言ってる番組や一部のワイドショーでしか見られなくなった手で捲るフリップで一部が隠されているが、隠されている部分が既に不吉である。
この世界はリアル系技術習得の為だけに来たのでは無かったのだろうか。

「今さっき、理屈がわからないと解除のしようがない、って言ったけど、実は……じゃじゃん!」

無理な実体化で背の足りない美鳥が軽くジャンプし、めくりフリップの端を掴み、剥がす。

『天然物の~ポ能力には理屈が存在しない』

「はいこれ、わかる? 理屈が存在しない、だから、明確な解除法は存在しない、ってのを最初に心に留めておいて欲しいのさ」

美鳥に言われるまでもなく、以前に少し姉さんに教わった話だから覚えている。
例えば、トリッパーの代表的な~ポ技能であるニコポと撫でポ。
実際のところ、現実に当てはめて考えて、微笑みかけたり頭を撫で付けたりするだけで恋愛感情が生まれる事は極々稀にしかありえない。
それにしたって顔の好みが一致していたとか、偶々心が弱っていているところに慰めという形でするりと心の中に入り込んだりと、一種の一目惚れに近い一時的な感情が精々だ。

だが、技能として習得されるニコポ撫でポはそうではない。
微笑みかけたり、頭を撫でたりといった些細な接触から、相手は能力者に対していわゆる『真実の愛情』を抱く事になる。
より正確に言えば『ポ技能に引っかかった』のではなく『微笑みを見たり撫でられた手の感触から相手への好意を自覚した』という形に話が収まってしまう。
これが俺のナノポの様な人造ポ技能との明確な違いだろう。
俺のナノポはあくまでも生理作用を調整することによって近い結果を導き出しているだけで、分類としてははっきりと洗脳能力に区分される。

……天然のポ技能の何よりも恐ろしい所は、『正確には技能ではない』という一点に尽きる。
『笑みを向ける』と『惚れる』、『撫でる』と『惚れる』という因と果が何の脈絡もなく極自然な流れとして成立するだけで、明確な理屈、原理、メカニズムが『存在しない』のだ。
メカニズムも何もない。しかし、微笑みかける、撫でる、などの行為をトリガーとして、トリッパーを除くトリップ先の全ての存在が『対象が技能の使用者に惚れる』という結果目掛けて勝手に辻褄を合わせてしまう。
主人公属性に最も近い性質を持つこの技能、トリッパーの持ちえる技能の中でもとりわけ異質な存在だろう。

「でもな美鳥、それはあくまでも天然のポ技能の話であって、俺のメカポとは関係のない話じゃないか」

俺の持つトリッパーとしての力というのは、基本的に俺の肉体やなにやを構成するナノマシンっぽい何かの持つ力だ。
成長の過程で俺という人間に完全に同化しているとはいえ、それはあくまでも俺が自分の能力として扱えるというだけで、天然自然のトリッパーとしての能力とはまた違った扱いになる。筈だ。

「んー……『メカポ』なんて機能、実は存在すらしていない、って言ったら、どうする?」

「そりゃ『メカポ』なんて安直な名前では無いだろうとは思うが」

暫定的にそう呼んでるだけだし、そもそも名前なんて後から付いてくるものだろう。ゲームのスキルじゃあるまいし。
しかし美鳥はそうじゃないそうじゃない、と首を横に振り、人差し指を一本立てて説明を始めた。

「あたし達の中にあった機能はね、本来ならもっと単純に『機械類に対する命令権』程度のもので、『科学の力で作られた存在を惹きつけ支配する』なんていう幅の広い能力じゃないんだよ。例えそれが感情を持つ機械であっても」

「いや、それだと色々と説明が付かないぞ。メカポは使用頻度こそ少ないけど、間違いなく効果があっただろ。そりゃ、純粋化学で作られた存在相手に使ったことは殆ど無いけど」

スパロボ世界では監視カメラ欺いたりレイズナー取り込む時にAI二機を黙らせたりオモイカネに口裏合わさせたりした程度だし、その次の使用となると一気にデモベ世界のエルザまで飛んでしまう。
しかもエルザは錬金術やらなにやら、微妙に科学とは外れた部分の技術も使っている上にドクター謹製の向こう側マシン、仮に純粋に科学技術だけで作られていたとしても真っ当な反応は返さなかっただろう。
ともあれ、少なくとも従わせようとした相手は従ったし、使うつもりがなくても人格の有る機械類は勝手にこちらに好意を抱くのは確認済みなのだ。
スパロボ世界で次元連結システム相手にそれらしい兆候が無かったのは……まぁ、次元連結システムだし……。

「それこそ、メカポがあたし達──ナノマシンぽいのの機能に含まれてないのは確実なんだから、少なくとも『好意を抱かせた』部分に関してはほぼ間違いなくお兄さんの天然技能で決まりじゃん」

腕を組んで『いい加減認めろよ……』とばかりに呆れ顔の美鳥。

「俺の無意識の願望とか希望とかを勝手に汲み取って、相手の電脳とかにそれらしく振る舞うよう命令した、って可能性は?」

言っちゃなんだが、俺だって精神的な面では精神汚染などに対する強度や抵抗値の違いと姉さんが好きである事を除けば一般的な人間とほぼ変わらない。
まっとうな人格があり、会話も交流も可能な相手であれば好き好んで嫌われたいと思う事はそうそう無いし、無意識の内に好意を刷り込んでいた可能性を捨てる事は難しいだろう。

「その可能性が無い、とは言えないんだけど、もうその可能性を否定する事例も出ちゃってるんだわ。まず、これ」

これ、と言いながら美鳥は防音シートに包まれたリボンズをサッカーボールの様に蹴りつけ。
なるほど。確かに人に嫌われたくないにしても、いきなり全裸リボンで配達されてきて欲しい、なんて命令を下すなんてのは、俺が自分でも知らないうちに芸人気質に目覚めていたとかでも無ければ無意識の内でも有り得ないだろう。

「そんで、一番はっきりと違うと断言できるのがこれ」

次いでカーテンを閉めて部屋を暗くした上で、裏返したホワイトボードにある映像を写し始めた。
背景から察するに、神姫世界で使用していた拠点での、俺の寝室。
神姫世界に居た頃の俺の記憶の一部を投射しているのだろう。
割りと部屋数の多い拠点を借り、世界大会を終えて練馬大将軍の企みを打ち砕くまではしっかりとライバルとしての分別をつけようと、姉さんとも美鳥とも部屋を別にしていたのだったか。
視界の端のカレンダーを見る限りでは、とりあえずカッコイイポーズの人を打ち破り、修行から帰ってきた姉さんや美鳥と一戦交えた後辺り。
この時俺は、公式大会やヴァルハラでの違法ファイトでは久しく味わっていなかった苦い敗北を得ていた。
美鳥の駆るアイネスが生命と引き換えに放った捨て身の必殺ファンクションでカガーミンが武装毎粉砕される大敗を喫したのだ。
俺は残された残骸を材料に、カガーミンの武装を公式レギュレーションから外れない範囲で桜ちゃんが好きなんやな聖戦士型スタッグビートル風しようと、姉さんも美鳥も寝静まった深夜まで設計図を書いていた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

全身に走った亀裂を補修用のナノマシン入りパテで埋めたカガーミンが眠るクレイドルを机の端に置き、完成した設計図のデータを保存し、少し冷めた玄米茶で一息。
実物を作るにはまずスタンフィール・インゴットが必要な事もあり、実際に形にするには少し手間がかかるし、材料を取りに行く前に一眠りしよう。
ベッドへ向かうために椅子から立ち上がると、ドアの下に設置された神姫用ドアから、見知った神姫がこっそり顔を覗かせている。
やや短い空色のミディアムヘアーをツーサイドアップにした、外見的なカスタマイズは施されていないストラーフMk2。

「トロンちゃん?」

内部の機巧をある程度ライドするマスターに合わせて最適化させただけの単純なカスタマイズのその神姫には見覚えがあった。
この世界に来てゲーム版の一連の事件などを消化してからはほぼ毎日見ている、姉さんの所持する神姫、悪魔型ストラーフMk2のトロンちゃん。
確か俺のカガーミンとは違い、美鳥のアルトアイネスが、
『二度とまともに戦えなくなってもいい、それで、それでマスターが、私の事を愛してくれるなら……!』
という悲壮な覚悟と共に生命と引き換えに放った必殺ファンクションを、空気読まずに憑依合体した姉さんのヤバイ級アイキ=ジツで受け流して勝利をもぎ取った、いわゆる話の流れとかイマイチ読めないタイプの娘である。

「す、すまない、もう眠るところだったか」

「んー? 確かに眠るとこだったけど、別段眠らにゃならん身体でもないし。とりあえず、中に入ったら? そんな顔だけ出してないで」

武装神姫の世界で暮らす上で大切なのは、神姫の行いに対する寛容さだ。
そこら辺を考慮して、基本的に神姫用のドアには俺と姉さんと美鳥の神姫に対して自動でロックを解除するように設定してある。
トロンもそこら辺の心構えをわかっているからこそ、ノックなりチャイムなりで確認を取らずに部屋の中を覗き見していたのだと思うのだが。

「そう、だな。うん、確かに、これじゃおかしいものな」

自分に言い聞かせるようにそう呟き、トロンはサイドテールを忙しない手付きの手櫛で何度も梳きながらドアの影から姿を表す。

「それじゃあ……お、おじゃま、します」

ドアの影から現れた入院服のような特殊繊維製の追加装甲(そのまま公式バトルにも出場できる姉さんのお手製)を着たトロン。
装甲に包まれていない部分は、応急処置が施されてはいるものの、細かな破損が幾つも存在している。
ぺこりと頭を下げてから部屋へ踏み入れる脚の動きも何処かぎこちない。
面接慣れしていない学生のような動きだが、なるほど、姉さんの持つ技術を並の素体で再現しようとした代償か。

「しかし、ボロボロだね。ウチのカガーミンも似たようなものだけど」

「ははは……。だが、その御蔭で勝てたから、悪くはない」

後頭部を掻きながら照れくさそうに笑うトロン。
無数の傷は全身に広がっており、分解や修理無しのパーツ差し替えで直せる部分は殆ど無いほどだ。
よくよく見れば顔の下の方にも僅かに傷が刻まれており、笑顔と不釣り合いで少し痛々しい。
姉さんも並以上の工学技術を持っているし、修理用のナノマシン・パテだって常備している筈なのだが、破損の多くは内部に発生している為、容易には直せないという事なのだろう。
……正直、『直せるけど分解修理面倒だから明日にしよう』みたいな姉さんの意図も透けて見えなくもないが。

「で、こんな夜中に何か用? あいにく、見ての通りカガーミンはスリープさせてるけど」

「いや、用事があるのは、その…………あなたに、なんだ」

飛行用のリアパーツを転送し、ふらふらと机の上へと飛んでくる。
数秒の時を掛け机の上に降り立ち、こちらを見上げるトロン。
口を開きかけ、閉じ、視線を僅かに逸らし、大きく息を吸い込んで(呼吸は必要ない)から、身を乗り出すようにしながら口を開く。

「わた、私を! メンテナンス、して、くれないか……?」

勢い良く言い切ろうとして、メンテと口にした所で顔を真赤にして顔をうつむかせ、声は尻すぼみに。
唐突な申し出だ。
高度なAIの搭載された神姫の感情の働きは、人間のそれと比較して多少デフォルメされてこそいるものの、人間の感情と比べてもと遜色ないと言っていい。
当然、自らの無防備な姿、それも、普段表に見せることのない内部機巧まで晒すことになるメンテナンスには相応の恥じらいを感じる筈。
それこそ、好意に最上級の補正が掛けられる正式登録されたマスター相手でなければ、ネジ穴やコネクタ類を許すことはまず有り得ない。
現実の機械仕掛けではない可動フィギュアとしての武装神姫とは異なり、そういった金属質な内部パーツは極力隠されているだけになおさらだ。
だが現実として、目の前に居る姉さんの神姫──トロンは、俺の返事を待つこと無く入院服に似た装甲に手をかけている。

「恥知らずな願いだというのは、わかっているんだ。本当なら、マスターに頼むのが筋だと」

しゅる、と、ともすれば風の音にかき消されてしまう程に小さな衣擦れの音を立てて、トロンは装甲を足元に脱ぎ捨て、一糸纏わぬ姿を晒す。
傷だけでなく彼方此方の塗装が剥げた、損傷の激しい身体を自らの両手で抱きしめるトロン。
片方の手はもう片方の二の腕を掴み、掴まれた腕は上手く上がらないのか、塗装の削れた股関節部分を庇うように太ももに挟み込み、上目遣いに見上げてくる。

「でも……駄目だ。貴方を、マスターの弟である貴方を初めて見た時から……」

僅かなモーター音と共にトロンの身体の彼方此方がスライドした。
稼動時の柔らかな感触を半ば失い、普段は決して人に晒すことのないネジ穴やコネクタ類を露出させている。

「……ずっと、こうしたかったんだ。全てを見て、触れて……滅茶苦茶に、してくれ……」

―――――――――――――――――――

と、映像はここで途切れている。
美鳥が説明に使いたい部分は終わったという事なのだろう。
だがなるほど、懐かしい光景だ。
いや、間にほとんど実のあるトリップが無かったからそれほど前という訳でもないのだが。

「この時はあえて何も言わずに隅々まで整備したけど、整備頼むのに『滅茶苦茶にしてくれ』はムジュンしてるよな」

夜中に部屋を尋ねてマスターでもない相手に整備を強請るという、どう考えても不躾な真似をしているのに、何故か一人で良い空気作って浸っていたから、突っ込むに突っ込めなかったが。
それでも文句ひとつ言わずに全身隈無く修理して、挙句の果てに電脳の最適化までしてやった辺り、俺の神姫という存在に対する心の寛容さは並大抵のものではないと自画自賛してしまうレベルだ。
とはいえ、その後にメカポの浸透具合がバッチリ強化されて、撫でポニコポを上書きして姉さんから神姫を寝とるという前代未聞の快挙を成し遂げる事ができたから、あながち無益な行為では無かったが。

「そういう余計な一言をとりあえず事が収まるまでは心の内に秘めておく辺り、お兄さんも人が悪いというか、イイ性格してるというかって感じだけど、ま、そりゃひとまず置いといて」

そう、話は逸れたが、先の記録映像はメカポが俺が元から保有しているという美鳥の主張を裏付ける為のもの。
先の映像にしても、俺が無意識の内に姉さんの手持ち神姫からも好かれたい、という願望を抱いた結果だと考えれば不自然な所は無い筈だが……。

「基本的に、あの世界の神姫は防犯の為のプロテクトが多くてね。元からあるメカポで同じ状況を作る場合『マスター登録の書き換え』をしないと神姫側からメンテナンスの要請はできないのさ」

「しかし、俺にメカポされたトロンのマスターは、姉さんのままだった?」

「然り然り。んで、あたしのメカポはあくまでも命令を下したり支配したりで、仕様の外にある行動をさせる事はできない」

つまり、『姉さんをマスターとしたまま、誰の命令もなく自主的にメンテナンスモードに入り、マスターでない俺に身を委ねる』という行為は行えない、という訳だ。
勿論抜け道もある。
破損が酷く、即時の修理が必要で、メンテナンスを行う権限を持つ者が近くに居ない場合ならば、神姫は自らの機能を保持するための緊急避難として、権限のない者に対してメンテナンスを要請することも、可能な限りの自己修復を行う事も出来る。
が、当時トロンが負っていた傷は全身に渡って広がっては居たものの、即座に修理が必要というものでも無かった。
仮に修理が必要だったとして、近場に居る本来のマスターである姉さんは眠っているだけなのだから起こして修理を頼むことも可能。
そんな状況では緊急避難として俺に修理を依頼する、という方法を取ることもできない。

要するに、この状況を作り出す事ができるには『何らかのきっかけで神姫が機械としての人工的な感情ではない真の愛に目覚めた』という風に事実を捻じ曲げなければならないという事で。
それはとりもなおさず『あの時に発生したのは天然のポ技能である』という事実に他ならない、という訳だ。
少し無理のある結論の様にも思えるが、可能性を否定しきれる程無理があるという訳でもない。
最悪を想定するのであれば……、あれ?

「俺のメカポが天然由来の能力だとして、それの何処に問題があるんだ?」

極端な話、勝手にポされてこちらにしつこく纏わりついてきて、仮に洗脳能力の応用で記憶を消したり嫌われたりする事が不可能だとしても、その感情を持つ機械類そのものを排除することは難しくない。
今足元で蠢いているリボンズにしてもそうだ。
原因がわかった以上、これからメカポに引っかかってこちらに接触してくる連中も、次から次へと処分してしまえば、嫌悪感以外の問題は全て解決するだろう。

「問題あるよ。ポされた本人が『真の愛に目覚めたのです!』みたいな状況になっても、周囲の話の流れがそれを肯定しても、寝取られた奴は恨みを向けてくる可能性が高い」

「なるほど」

ポ技能無しの恋愛劇であっても、恋人や好きな人を寝盗られた側が嫉妬を向ける事は多々ある。
幼馴染としての立場や入院中に足繁く見舞いに通っていたというアドバンテージに胡座をかき、告白すらできずに友人の一人に好きな人を寝取られたとしても、嫉妬心や後悔の念を抱いてしまうのが人間というものだ。
例え天然のポ技能で世界全体がそういう流れになったとして、納得出来ずに寝盗った相手に憎しみを向ける者が出てくるのは極自然な事だろう。

そうなると、メカポの適用範囲にクローン人間が含まれていなかったのは幸いだ。
仮にクローン人間やそれに類する存在が含まれるなら、ファティマの類は全自動で寝盗ってしまう事になる。
その時、FSS世界(太ももスリスリしたい世界ではない)の主人公的な存在はかなりの高確率で敵に回る筈だ。
その場合はポしたファティマを盾にして逃げるが、危険度が高いのは間違いないだろう。
少なくとも、立ちふさがった相手を確実に排除できる訳ではない以上、解決とは言いがたい。
それでなくても、生きている限り創作物の種類は増えていく。
ヒロインが純粋なメカで主人公が全能の神すら害せる存在なんて話が、これから出てこないとも限らないし。

「まぁ無差別寝盗りも危険だけど、それより何より、制御の難しさは大きな問題だよ。撫でるとか、微笑みを向けるとか、そういうはっきりとした発動の為のトリガーがあればまだ小手先の技で何とかなっただろうにね」

「メカ──ええと、機械・科学的な存在をポする能力、か。確かに、明確なトリガーが無いよなぁ」

撫でポならば撫でなければ良いだろう。
ニコポならば笑わなければ良いだろう。
少なくとも姉さんは無数の能力の内の幾つかをそういった手段で封じている筈だ。
だがメカポは?

「少なくとも、俺からイノベイドに何か働きかけた事は無い……でも」

~ポ系の能力にそういった使用者の自覚がある事自体が少ないのだから当てになる訳がない。
話の流れで頭を撫でたら発動し、ちょっと気分が良い時に笑みを浮かべたらそれを偶然目撃されて発動。
~ポ系の能力とは大体そんな感じのものであるらしい。
頭を撫でて惚れさせたのではなく『撫でられた相手が惚れる』し、微笑みを向けて惚れさせるのではなく『微笑みを目撃した相手が惚れる』のである。
こちらから何かアクションを起こしたかどうかではなく、相手側の認識にこそ依存する。

「少なくとも、お兄さんを認識した瞬間にアウト、って訳じゃないと思うよ。それなら人間社会に潜伏中の無自覚型イノベイドが引っかかってるだろうし」

「だな。これまで何度か街ですれ違う程度の事はしてるから、それは除外してもいいだろ」

この世界に来てから、イオリンとその親友以外とは深い関わりを持っていないのが功を奏している。
接触する時間が長ければ長いほど、メカポの発動条件に引っかかる可能性が高くなるのだか、ら……?
そこまで考えて、思い出す。

ある。
そこいらの無自覚型イノベイドでは見れなくて、ヴェーダやリボンズ・アルマークならば見ることが出来る、いや、『認識せずには居られない』俺の姿。
ヴェーダの中に残され、ソレスタルビーイングならばほぼ全員閲覧可能な、俺のデータ。
思わず掌を口元に叩きつけ、口元を隠すように押し当てる。

「いおりんに教材代わりに見せた、あの姿……!」

魔術やスーパー系技術を完全に廃した、それでいて、この世界の技術ではギリギリ追いつけるか分からないという絶妙な性能のサンプル。
あのデータは、確か全てのガンダムの資料に性能比較用でリンクが貼られている。
閲覧の為に必要なアクセス権も最低限のものでいい。
自覚の有るイノベイドであれば、ガンダムの開発に関わるイノベイドであれば、見ていない方がおかしい。

美鳥が数秒天井を見上げ、頷く。
俺の言葉が事実であるかどうかを吟味したのだろう。

「可能性は高い、っつうか、それ以外にゃ在り得ないか。だとするとトリガーは『一定時間対象がお兄さんを認識し続ける』か、『深く記憶に刻まれる』ってとこかな?」

「最悪なのは、ソレスタルビーイングのイノベイドなら、間違いなくどっちも満たしてるだろうってとこか……」

当然だろう。何しろ印象に残るように派手な性能にし、性能を見せつける様に記録を残している。
これに追い付かなければ来るべき対話もクソもない、言葉を交わすことすら許されずに踏み潰され食い散らかされる。
そう思わせ、ソレスタルビーイングのガンダムの性能を無理やり底上げさせるための一手だったのだから。
ガンダムを開発するのなら、幾度と無く比較し、届かぬ性能から嫉妬や悔しさと共に何度でも思い出すだろう。
単騎で地球を制圧できる性能は、畏怖などの感情と共に深く記憶に爪痕を残す筈だ。

「現時点でソレスタルビーイングで活動してるイノベイドは陥落済みだろね。やったねお兄さん!イノベイドハーレムができるよ! ────女型とか皆無だけどね!」

「それで喜べるほど特殊な性癖は持ってねぇよ!」

まぁ、ここから被害を減らす事は難しくはない。
基本的に息抜きに戦場に出る以外は外に出ない人と接触しないで手近なところの対処は済むし、ヴェーダの方にもイノベイド限定で閲覧権限を剥奪してしまえばいい。
正直な話、イノベイドは地球外文明の超科学力とかを想定させて焦らせたりしても、MSの性能を底上げするほど独創性を持っている訳ではない。
性能の伸び率で言えば、物語の補正込みでも間違いなく人間の作ったMSの方が伸び代が出てくる。

「問題は、もう引っかかってる連中か。個人的には、もうさっさと消し去ってしまいたいが」

その場合、二期の敵がなぁ。
ダブルオー含む諸々の技術一切が生まれる事無く消えてしまう可能性を考慮すると、悪の親玉枠であるこいつはとりあえず生かしておきたい。
最低でも俺に関する記憶は綺麗サッパリ消しておきたい。

「殺すのは駄目だよ。勿論、脳味噌じゃぶじゃぶも駄目」

「あ?」

「よく考えてもみてよ。この世界には簡単にメカポにひっかかる連中が大量に居て、それでいてお兄さんを害する事ができる物は一つとして存在していない。メカポの制御……とまではいかないまでも、方向性の変更、手綱の取り方を学ぶには最適だと思わない?」

なるほど、確かにそういう考え方もできるだろう。

「だがな美鳥、素直な心で言うが、俺だって男と女のどちらで試すのか、と聞かれたら女で試したい、と思う程度の性差別感情はある」

女の匂いと男の匂い、女の感触と男の感触を等価に扱うほど狂った感性を持ったつもりはない。
まぁ、姉さんのそれと比べれば男も女も全てあぶらとり紙に付着した油脂の様なものだが。

因みに、制御ではなく一段階難易度が低目な方向性の変更を目標に据えた事に関しては一切の異論がない。
何しろポ能力の制御はあの姉さんでさえ苦戦するのだ。
撫でポやニコポよりも広範囲で制御の効きそうにないメカポを扱う以上、段階を踏んで進めて行くのは正しい判断だと言えるだろう。
だからこそ、可能な限りモチベーションを一定以上に保てる状況で訓練したくもある。
やる気のあるなしで結果にも大きく影響するだろうし、それになにより──

「男を口説いて誘導するとか……それ無限螺旋でクソほどやったろ。正直、次に回せるなら次に回したい」

正直思い出したくもないというかなんというか。
俺も大十字もTSしていないにも関わらず、何故かあの周はやたらホモホモしい関係になってしまったんだよな……。
直前の周が所謂『お、お前、女だったのかー!?』的な展開で、例によって例のごとく大十字が苦しんで苦しんで辱められて無残に死んだから、多少は優しくしてみようと思ったのが運の尽き。
それこそ他に誘導する手段は幾らも在ったはずなのに何故かあんな卑猥な流れに。
エンネアを殺してしまって失意のドン底、雨に打たれながら街を歩く大十字にタオルケットを貸してやったりなんだり。
全体的に顔が近かったり、やたら頭身が高かったり、顎がナイフの代わりになりそうなほどとんがってたり、ウィンフィールドさんが何故か裸だったり何時もより鬼畜なメガネだったり。
まぁ、そうでもしなければ誘導できなかったのだから仕方が無いと言えば仕方が無いのだが、それは必要にかられてのことだ。
別の選択肢がある状況で態々ホモホモしい行動を取りたいとは間違っても思わない。

「ってもさ、次のトリップ先をあたし達が確実に決められるとも限らん訳よ。ほら、この世界が終わった直後に、メインヒロイン純粋メカ、主人公がヒロイン大好きで嫉妬深くて全能の神とか余裕で殺せる武力持ち、なんて世界に飛ばされる可能性も有るわけじゃん?」

正直ニッチ過ぎる。検索かけても一発で条件にヒットする作品を思い浮かべる事はできない。
が、確かに美鳥の言うとおりでもある。
トリップ中であればトリップは発生しない。
つまり、メカポが暴走気味な状態になっている今、この世界に居る間に制御……は高望みにしても、どうにかして方向性を変更する訓練を行わなければ成らない。

「実際さ、お姉さんからもこっそり注意しとけ、って言われてたんだよね。お兄さんも邪神を取り込んだりなんだりで、総合力上がってるじゃん? だから、こう」

「メカポの範囲と威力も上がってる、ってか?」

確かに、最初期の頃と比べれば明らかにメカポの威力は上がっていると見て良い。
ブラスレ世界ではエレアさんとも割りと普通に接する事ができたし、オモイカネもレイズナーのAI二基もM9やアーバレストのAIも俺の言う事に従う程度だった。
同じく初期から使える能力で、最近あまり使ってないプラズマ発生装置とかも地味に強化されてるし、もう確認する意味があるかどうかわからない再生能力も誤差程度に上がっている。
合間合間でメカポの対象になるような存在が居れば正確なデータを取ることもできたのだろうが、少なくとも初めの頃に比べて性能が過剰になっているのは明らかだろう。

「うん。幸い、今回は技術の矯正と習熟が目的だから能力の大幅な上昇も無いから、悪化する前に多少手綱の握り方を覚えられる……と、思う」

「曖昧だな」

「たぶんお姉さんがここに居ても断言はしてなかったと思うよ」

つまりそれは、この力を使いこなすのがそれだけ難しいということだ。
ふと冷静になると、何が悲しくて展開巻き巻きハーレム構築主人公とか激安特価なラブコメとかの主人公が非表示能力として持っている様な能力にここまで悩まされなければならんのか疑問にも思うのだが。
実際、肉体構造から形成される情緒の基礎が人間に極めて近しいイノベイドを相手にナノポ制御の修行を行う、というのは理に適っている。
嫌悪感についても、何処かで妥協するか、脳内でフィルタをかけて音声を変更してしまえば多少なりとも改善されるだろう。

「仕方ねえ、うん、なんか、ほんとに仕方ねえけど、やるかぁ……どうすりゃいいか、いまいち思いつかんが」

脳くちゅ不可での相手の思考誘導というのは、トリッパーの持つ特殊能力でない、現実の詐欺師や宗教家が使う類の洗脳の一種だ。
友情に近い好意を恋愛感情に、恋愛感情を信頼に、信頼を信仰にすり替えていく。
この場合、まずはこちらに対して如何なる傾向の感情を向けているかを把握し、思考形態を読み取り、こちらの対応を考えなければならない。
しかし、既にこちらは、入っていた箱を開けて閉めて開け、拘束具を着せて口枷を噛ませ、防音布を被せて放置してしまっている。
相手の向ける感情や思考形態に合わせたこちらの対応には、相手から見た俺の印象が大きく関わってくるので、対応方法は当然限られてしまう。
今更取り繕うのも難しいから、防音布は被せたままに思考。

「だったらお兄さん、こんなんはどうかな」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

リボンズ・アルマークは、生まれ落ちたその瞬間から、自らの存在意義を理解していた。
それは何もリボンズだけが特別だった訳ではない。
自覚の有る無しに関わらず、イノベイドは生まれた──製造された時点で自らの役割を果たす為に必要な機能を全て持たされている。
それは体力や知力、知識だけではなく、思考や感情、人格まで含めての話だ。
人の中に紛れ、様々な情報を集めるのであれば、イノベイドではなく、自らが人間であるという偽の記憶を持たされる。
自らの全てがヴェーダの為、ソレスタルビーイングの為、イオリア・シュヘンベルグの掲げた理想の為に存在している事を否が応にも自覚させるシステムだ。

反感を覚えるものは、ほとんど居ない。
何故なら、イノベイドはそうであるように作られているから。
仮に反感を覚える事ができるとしたら、その反感すら計画遂行に必要なファクターである場合か、イノベイド側の予期せぬ機能障害によるものでしかない。

リボンズ・アルマークはヴェーダに対する高位のアクセス権を所持する特別な個体ではあったものの、イノベイドの規格から外れる程の個性は持ち合わせていない。
計画を遂行し、旧い人類を導き、革新を迎えた新たな人類──イノベイターを迎えるための崇高な使命を与えられた存在である。
当たり前に優れた存在として生まれ、劣った旧い人類を新たなステージへと導く。
イノベイドのガンダムマイスター候補として活動する中で様々な人間と接触し、その愚かさを肌で感じ辟易することがあったとしても、それが揺らぐ事は決して無い。

リボンズには指標があった。
製造され、知識を刷り込まれる段階から知り得ていた、人類が望みうる最高の到達点とも言える存在を知っていたのだ。
『理想(アイディール)』
計画最初期の段階から提示されていた、目指さなければならない人類の目標。
最良、最善の可能性を繋ぎ続ける事で、何時か対等な対話を行えるようになる超存在。
自分達の力添えで、愚かな人類を何時かそこまで引き上げる事ができる。
限り有る短い命の人間では、目的を達するまでに死んでしまう。
人間よりも遥かに長く生きることができるイノベイド、自分達にしかできない。
それは、製造段階で刷り込まれたかどうかという違いはあれど、イオリアの計画、中でも、ガンダムの開発に関わるイノベイドであれば誰しもが抱いている誇り。

他の個体と変わりなく創りだされ、誰しもが持つ理想を掲げ、皆と同じ誇りを抱く。
リボンズ・アルマークという個体は、極めて健やかに人類の特徴を学習し、計画に従事していた。
生み出され、数年、数十年と変わることの無い、メトロノームの様に規則的で機械的な生を過ごす。
『理想』への憧れ、崇拝、執着はあったものの、それはイノベイドの平均を出るものでもない。

そう、何一つイノベイドの規格から外れる所はない。
自尊心の高さも、人間と比較される場面が多いガンダムマイスター候補のイノベイドにはまま見られる傾向であり、競争心を促す意味では必要不可欠な面でもあった。

故に、リボンズが最初に『理想』の痕跡を発見するのは幾つかの偶然が重なった結果だったと言えるだろう。
ガンダムの優位性を脅かす、戦場に現れては消えるアンノウンの噂を耳にした事。
あえて隠蔽されずに残されていたアンノウンの情報に、偶々、他のイノベイドが閲覧するよりも早く目を通した事。
敵対するためではなく、軍を圧倒する機体の技術力に対して、敵意や害意ではなく、純粋に興味を持って、ともすればソレスタルビーイングにスカウトせんと考えていた事。

──そして、実際の映像を見た瞬間、リボンズは自らの持ちうる権限全てを使い、遭遇戦の情報閲覧に必要なレベルを引き上げた。
偶然にも破壊されずに残っていた、MSのセンサーに捉えられたアンノウンの姿を目にした瞬間に確信を得る。

「見つけた……!」

ソレスタルビーイングのメンバーであれば誰しもが閲覧できる『理想』の性能情報ではない。
秘中の秘とされ、最高位のアクセス権を持つ者でなければ知ることのできないある一つの事実。
ソレスタルビーイング創設以前に『理想』を提示し、指標の一つを与えたとされる高次元からの旅行者の存在。
人伝の情報ではない、実際の姿を見ることで確信を得た。
あれこそが、自分の焦がれた存在なのだ、と。

そこからは、何もかもがリボンズにとって都合よく働いたと言っていいだろう。
人間側のマイスターが交戦した後、ソレスタルビーイング側から敵対行動を取れないように、権限の全てを用いて例外的に監視者として登録した。
通常ならば、幾つかの審査を通さなければならないこの申請は、まるでヴェーダが全てを承知しているかのようにあっさりと受け入れられる事となる。

リボンズである必要性のある事象は一つとして存在していない。
最初にアンノウンの正体に気付いたのが他のイノベイドだったとしても、全く同じ行動を取り、何事も無くヴェーダへの申請も通っただろう。
それはリボンズ自身も重々承知していた。
だからこそ、リボンズの思い──想いは爆発した。

仮に、ここまでの何処かでリボンズにしかできない何かが必要だとしたら、そこに何かしらの意図を、作為を感じただろう。
しかし、アンノウンの正体に気付く原因は誰しもが閲覧可能なデータであり、アンノウンを庇う為の行動はヴェーダの後押しにより誰がやっても変わらない結果が生まれた事は容易に想像できる。
誰でも良かった、しかし、実際にそれを行ったのは自分だった。
そして、レベル7のアクセス権を持つリボンズだからこそ、誰もが得られる情報を規制し、独占する事ができた。

運命。
そう、この状況は、まさに運命の導き。
何者でもない、世界の大きな流れとでも言うべき物が、リボンズ・アルマークをアンノウンの元へ──『理想』の元へと導いている!

……真っ当に考えれば穴だらけの理屈、いや、理屈にもなっていない妄想とも言える結論は、リボンズにとっては正に天啓に思えた。
人は自らが信じたいものだけを信じる。
自らの欲望を肯定するその妄想を振り切るだけの理性は、アンノウンの正体に気がついた時点で消え失せてしまっていたのである。

そこからのリボンズの行動は迅速だった。
アストレアとの戦闘記録から得られたアンノウンの肉声と、ヴェーダが収集する世界中の音声記録を片端から照合していく。
声という振動に含まれる情報量は、通常想像しうるそれよりも密度が高い。
精密な調査を行えば、その声の持ち主の体格や全身の骨格までもを推測できてしまう。

捜索は、リボンズの予想に反して数時間で完了した。
実のところを言えば、ヴェーダはアンノウン──『理想』の情報に対して、規制らしい規制をしていない。
『理想』の存在を認知した者は、十中八九その次元が異なるスペックデータに圧倒されてしまい、パイロットやそれに類する『理想』を操る存在に気を向ける事ができない。
余りにもかけ離れ過ぎているが故に、想像力の一部を麻痺させてしまうのだ。
仮にそこに目を付ける事ができたとしても、異質過ぎる科学力に、パイロットなどという物が存在すると考える事ができない。
ましてや、そんな超存在が、イオリアとの接触から百年以上経った今も尚、地球で人間に紛れて暮らしているなどと、誰が想像できるだろうか。

だからこそ、ヴェーダに施された情報規制は最低限のものでしかない。
その最低限の規制も、脳量子波や検索内容、検索者の数カ月分の行動履歴から『理想』への害意を持っているかどうかを判断する程度で、比較的あっさりと通過できてしまう。
規制を抜けてしまえば、目標の居場所を知ることは容易かった。

『理想』の主、高次元からの旅行者──鳴無卓也は、何処にでも居る普通の人間にしか見えなかった。
現時点で『理想』がどうなっているかは分からないにしても、彼自身は他にも未知のテクノロジーを搭載したMSを密かに所持し、紛争地帯で無軌道に暴威を振り撒き続けている。
何か行動を起こすとしたら、今すぐにでも何かを成せるだけの力はある。
ソレスタルビーイングの思想からは遠く、イオリアの計画成就の助けになるとも思えない危険人物。
だが、戦闘中以外の彼の振る舞いは、とてもそんな危険思想を持っているとは思えない、極々ありふれた一般人のそれでしかない。
危うい。
彼は計画を妨げる存在かもしれないが、それ以上にイオリアの計画初期から関わっている重要な存在でもある。
そんな重要人物が、生身の時は無防備でいるなどと、そんな状況を許してはいけない。
ここは、最もイノベイターに近いイノベイドである自分が、彼の近くでその身を守らなければ!

……鳴無卓也の元に行き共に居るために、あらゆる屁理屈を駆使して自己弁護を済ませたリボンズ。
彼は鳴無卓也の所在を割り出すと、脳量子波によるヴェーダとのリンクを阻害する特殊な施術を自らの肉体に施す。
アンノウンの情報は規制しているが、万が一にも他のイノベイドに鳴無卓也の所在を突き止められてはいけない。
他のイノベイドが必ずしも鳴無卓也の存在や行動に肯定的であるとは限らない。
いや、むしろ計画の事を優先すれば、排除にかかる可能性は非常に高い。
少なくとも、無意識の内に他のイノベイドから鳴無卓也を独占したいと考えたリボンズはそう思い込んでいる。
最低限、自力で復旧しようと思えば復旧できる程度の繋がりだけを残し、ヴェーダとの繋がりは限りなく薄く細いものとなった。

脳量子波に関連する機能こそ低下したものの、現状でも人間一人を守る程度の事はできる。
全ての前準備を終えたリボンズは、最速で鳴無卓也の元へと向かう為、あえて自らを荷物として郵送させる事に。
脆弱な人の身である鳴無卓也を守る、天からのギフト。
そんな自分を演出するために、分かりやすく体全体にリボンを巻く。
自らがギフト(贈り物)である事を知らない鳴無卓也を警戒させない為、非武装であることを全身でアピールスルため、リボンの下は当然全裸。
非の打ち所のない見事な──気が違ってしまったリボンズにとっての、完璧な正装。
途中に挟まれる荷物内部の検査も、予めヴェーダに手回ししておいたお陰で容易く通過。

数十時間の時をかけて、ついにリボンズは鳴無卓也の元に届けられる。
リボンズにとって、届けられた後に拘束される事すら想定内の出来事に過ぎない。
荷物として人間の姿をした物が届けられれば、それは当然警戒するだろう。
だが、相手は優れた科学力を、知性を兼ね備えた高位存在。
言葉を重ねればきっと分かり合える。
だからこそ、拘束される時はあえて抵抗しないように心を決めていた。
だが────現実は、リボンズの想像を容易く上回る。

抵抗するしない以前に、どうやって拘束されたかを知覚できなかった。
訝しげな表情で観察される。それも予想していたが、被せられると同時に、視覚と聴覚を完全に『無』の状態にする不思議な布。
超科学の産物だろうか。
何故、アンノウンや『理想』の持ち主である鳴無卓也が普段から非武装であると思い込んだのか。
そんな物を所持しているとすれば、果たして、自分がここに来た意味とはなんだったのか。

「悪いな。どうにも君が、前衛的というか、なんというか……そう、不審だったから、つい拘束してしまった」

拘束を解かれながら、リボンズは早くも後悔の念に駆られていた。
イノベイドは、人間社会の中でも高い地位を持つ物を監視者や協力者として取り込む為、もしくは繋ぎ止める為に、自らの身体を鬻ぐ時がある。
勿論、行為の最中に感覚を遮断する事も可能ではあるが、与えられる感覚を受け入れようと思えば、人間と同じように快感や不快感を得る事ができる。
包み隠さず、恥を偲んで言えば、期待していた。
MSで戦場に出るところから、外部との接触が少ない生活に欲求不満だったのだろうという予想から、自らがギフトであるという言い訳まで使い、誘惑するような姿で対面までした。
鳴無卓也がゲイやバイである可能性まで考慮して、どのような場合でもそれなりに対応できるよう、肉体は無性のままという徹底ぶり。
仮にそういった方面に興味がなかったとしても、イノベイドの膂力で押し倒し、『このように、襲い掛かられる危険性があると思わないかい?』と、護衛の必要性を提示しつつ、肉体的接触を図るプランもあった。
しかしその期待は、再び光と音を取り戻すと同時に、欠片も残さず吹き飛ばされた。

「見つかってしまったからこの拠点は引き払うけど、せっかくそっちからやってきてくれたんだ。少し、話でもしようか」

拘束を解き、リボンズに背を向け椅子に戻る鳴無卓也。
一見して隙だらけ、警戒心の欠片も感じられない動き。
襲い掛かれば一瞬で組み伏せられそうな背中。
何の脅威も感じられない、何の自衛の手段も持たない一般人そのもの。
肉食獣の前に転がる血も滴る肉塊の様に、無防備で魅力的な獲物。
だが、リボンズは身動ぎ一つ取ることができない。

(今動けば──僕は、殺される)

殺意が有るわけではない。
害意すら無く、奇怪な接触であったにも関わらず、鳴無卓也の態度は紳士的ですらある。
ただ、余りにも、違い過ぎた。
圧倒的な、余りにも圧倒的な、見た目からは想像もできない、直接対峙している今だからこそ理解できる、過剰なまでの存在感。
ただの人間にしか見えない鳴無卓也の肉体が、まるで巨大な活火山の様に、発射寸前の圧縮粒子ビームの様に、鳴動する大地の様に感じられる。
最も近いものを挙げるならば────宇宙の深淵。
そんなものの前に、何の守りも無く置かれた自身への不安。
脳量子波を封じられ、通信機能のない宇宙服だけで、命綱無しで宇宙空間に放置されているかのような心細さ。
余りにも巨大過ぎる存在感に、押し潰されるような圧力すら感じている。

殺意の有無は関係ない。
この存在は、人間と比較して、イノベイドと比較して、余りにも巨大過ぎる。
道を歩いて知らず知らずの内に虫を踏み潰すように、『ついうっかり』こちらを滅ぼしかねない。
其処に存在するだけで脅威であり、抵抗は意味を成さない。
抗うことのできない災厄に遭遇した時、人は怒りも嘆きも抱くことはない。
ただ、身を震わせて恐れる事しかできないのだ。

「ああでも、ずっと縛られっぱなしで疲れたろう。もっと楽な姿勢で、跪いて頭を垂れても構わないよ?」

椅子に腰掛けた鳴無卓也に言われるがまま、膝を折り頭を下げる。
恐らく数秒も後になれば、言われるまでもなく、ただそこに居るだけの鳴無卓也の圧力に膝を屈し、下を向いていただろう。
今この瞬間、リボンズの身体を支配するのはイノベイドの持つ人工的な知性ではない。
生物が持つ、もっと根本的な、生存本能。
死の恐怖。巨大にして強壮なる存在への畏怖。
小賢しい理性や欲望など意味を成さない。
自らを死から遠ざけるための本能が、生き残るために持てる全ての想像力を働かせる。

「色々と話すべきことはあるんだろうけど……一応、確認させて貰おうか」

「なに……を、かな?」

気力を振り絞り途切れ途切れに返事をするリボンズに対し、鳴無卓也は芝居がかった口調で語りかける。
表情には微かな笑み。

「リボンズ・アルマーク、イノベイターの模造品、生き物もどきの自動人形。造られる前から役目を持ち、結末まで定められた生を与えられ、最初から全てが完結している君に問おう。──君は、俺にとっての、何だ?」

何に成りたい、ではない。
既に内にあるべき答えを問われている。
はじめからそこにあり、終わるまで変わることのない絶対の答えを求められている。
嘘のない、曲がることのないあり方を。

「僕は」

──跪いた状態で、更に腰を折る。
手指の先を地面に置き、その間に頭を落とし、額を押し付け、首を差し出す。
生殺与奪の権利までも明け渡しているという意思表示。

「貴方様の、下僕にございます」

人類を新たなステージへ導く者としての優越感。
人を超えた存在である自らへのプライド。
そんな自らを超えた超越存在への好意。
それら全てをかなぐり捨てての、服従。

はっきりと宣言し、そして、自らの言葉に『本当に』嘘がない事を自覚した。
自分は、ヴェーダの、イオリアの計画すら投げ打ち、媚びへつらい、命乞いをしている。
好奇からこの場に訪れ、ついにイノベイドとしての使命すら失ってしまった。
それは、リボンズ・アルマークが生まれてから今日までで初めて経験する挫折。

──これで、元の僕には戻れない。

イノベイドとしての機能もほぼ失い、ここに来た目的も潰え、生まれながらの使命すら投げ打ち、しかしリボンズは何処か、不可思議な満足感を得ていた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

(なんかこいつ、信用できる味方獣神将犠牲にしてギガンティックから逃げた先で他の獣神将に殺される人みたい……)

見事なドゲザーっぷりではあるが、生憎と状況が好転する類の土下座には見えない。
シャーマン土下座とか極東商人土下座ではなく福本土下座というか、焼かれる運命にありそうだ。

とはいえ、最初の実験は成功だ。
最初、明らかにこちらに劣情を向けていたリボンズから、もはやこちらへの服従心しか感じることができない。
美鳥の言う通り、恋慕から服従、盲従への変換はこちらの性質を少し変えてやるだけで容易く成功すると見ていいだろう。
身体の中身を少し邪神や鬼械神に近づけるだけでこの効果なのだから、信頼性は折り紙つきだ。
ただ──

《見た感じ、あんまり汎用性は無いねー。元の性格がどうであれ、崇拝方向に傾けた時点で個性が薄まる感じっつうか》

(下僕というか、道具扱いを望んでいるんだろう。自由意志も捨ててこちらに判断を委ねることで、被支配願望を満たす感じか)

恋慕と信仰は紙一重だ。
好意に答えたくて相手の言いなりになってしまう事と、信仰の為にそれ以外の全てを擲ってしまうのは良く似ている。
違う点が有るとすれば、それは好意を向けた先からの直接的な見返りを求めるかどうか、と言ったところだろう。
恋愛感情の延長として盲従する者はあまりにも見返りが無ければ自分から取り立てに行くか、見返りを諦めるか、好意を向ける相手を見限ってしまう場合が多い。

しかし、信仰心はそうではない。
信じるものは救われる。これは言い換えれば疑うものは救われない、という事でもある。
では宗教における『救い』は何処で与えられるのか。
大概の宗教においてその救いは、人生を全うし終えた後に与えられると言われている。
死ぬ最後の瞬間まで信じ続け、疑わなければ、死後に救いを与えられる。
現世での利益、生きている間の見返りを求めないのが信仰という訳だ。これほど都合のいい状態もない。
そこまで極まった宗教家はそうそう居ない、というのが一般的な意見かもしれないが、むしろ逆だ。
信じるものは~という文言が教典に含まれる宗教は、大概の場合において『主の言葉を疑ってはならない』といった内容がセットで組み込まれている。
極まっていない連中は、正しい意味での宗教家としてはカウントできない。

恋は盲目なんて言葉があるが、信仰心こそが余程盲目だろう。
しいて例えるなら、目を瞑るのが恋、目を潰すのが信仰とでも例えれば感覚的には近いだろうか。

今回リボンズが得た信仰心は、ここ最近人類の間で主流になっているものとは少し違う。
もっと原始的な、自然現象を神の怒りと捉えた古代人の創りだした荒神信仰に近い。
信じるものは云々、疑ってはならない云々という文言どころか、はっきりとした教典すら存在しない。
自らの力が及ばない相手に対するご機嫌取り、命乞いを発展させたようなもので、内容は九割九分九厘リボンズの思い込みから来るものだろう。
自らに贄を捧げる忠実な下僕ならば無碍には扱わないだろう、という、恐怖からの従属。
そこに元からリボンズの中にあった好意が組み合わさり、頭を垂れて服従する理由をポジティブなものにしている。
好意からの恋愛感情と畏怖からの信仰心という、似て非なる本来両立し得ない精神性を一本化し、マイルドな形に仕上げることに成功しているのである。

《口調とか、元の思考傾向とかは、こいつの中で方向性の変わった好意が落ち着いたら、元に戻るんじゃないかなー。逆を言えば、落ち着くまでに他の誰かと接触したら異変を察知される訳で》

(危機回避手段としてはイマイチか)

寝取られ系エロの起承転結の転パート序盤でありがちな『最近彼女の様子がおかしい』という状態がモロに表に出てしまっているのだ、これでは、単純なポ状態と危険度は変わらない。

《まー、ほら、原作に出てくるイノベは作り出される可能性が高い訳だしさ、時間賭けて方向性修正しても嫌悪感沸かないタイプで色々試して見ればいいじゃん》

(だな。女性形とまでは言わないが、せめて女声を希望する方向で)

あくまでも天に願うのみで、ヴェーダに命じたりはしない。
というかそういう命令をした時点で情報収集型以外のフリーなイノベイドが全員女性型に作り変えられる危険性があるし。
……実際、原作に出てくるイノベイドが全員女性形になっても、一切物語の筋は変わらないんだけど。
でも、こう、『男性型イノベイドで実験するのホモホモしくてやだから全員TSな!』とかやるのは、人間的に負けな気がする。
嫌悪感とか、そこら辺の感情を一切抜きにすれば、男だろうが女だろうが無性だろうが両性だろうが構わない訳だし。

(つうか正直な話をすれば、こんなしょうもない事にリソースを割きたくない。俺はMS含むリアル系──疑似科学系の知識を習得に来たのであって、性別無制限フラグ完全管理型ラブコメをしに来たわけじゃないんだよ)

頭を垂れるリボンズに冷めた視線を向けながら思う。
もしもリボンズがこの場に現れなければ、俺は今頃気分よくMS関係の技術書を読み直して堅実な技術にほんわかしたりできたのだ。
そして少し前の第二世代マイスターとの遭遇戦を反芻し、次はどんなMSで弄んでみようかと軽く図面を引いたりしていただろう。
現在進行形でGN粒子に曝されているマイスターの肉体や細胞の変異具合からあと何年で人の形を外れるかとか、脳内でシミュレートして楽しんだりできたのは間違いない。

《そりゃ仕方ないない。だって、制御できればリアル系技術よりもよっぽど強い武器になり得るし、制御できなきゃ、今のお兄さんも殺しかねない危険な力だ、放置はできんでしょ。ま、最初の目的を疎かにしていい訳でもないんだけどね》

それも当然の話だろう。
メカポに関する話も事前に姉さんは美鳥に言い含めておいたようだが、この世界にきた理由はメカポとは異なる部分の欠点を埋めるため。
仮にここでメカポ制御にかまけてリアル系技術の習得を怠れば、次にトリップした先でリアル系の皮をかぶった厨設定満載ロボに蹂躙されてしまう。
より具体的にかつふわっとした説明をするならば、再生能力とか諸々の生き残るための能力を、やたらポエミィで長々しい解説や恐ろしく持って回った言い回しの状況描写が付随する不思議POWERで無視されてネギトロめいた死体を晒すハメになりかねないのだ。コワイ!
それでいて、リアル系技術習得にばかり力を入れていては、全自動でメカ系科学系のヒロインを寝盗ってしまい、そのヒロインを慕っていた主人公とかライバルとか裏ボスとかに惨殺されてしまう。

(『リアル系技術は習得する』『メカポの制御もどうにかする』両方やらなくっちゃいけないのが、トリッパーの辛いところだな……)

いや、この二つの欠点を同時に解決しないといけないなんて状況はトリッパーでもそうそう無いだろうが。

《辛かろうが難しかろうがこなさないと未来は無いからねー。覚悟はいいか? あたしはできてる。……なんて、今回まともに手を貸せないあたしが言って良いセリフじゃないだろうけど》

魔導書としての姿すら保てなくなりやむなく俺の内に戻った美鳥が、申し訳無さそうな思念を送ってくる。
メカポに関する相談をしただけにも関わらず、美鳥は姉さんの施した封印に引っかかり俺の肉体外での活動を中断させられてしまった。
今俺と会話をしているこの美鳥の思考も、あと数時間しない内に薄れて消えて、復活にはかなりの時間が必要になる。
そうそう俺だけでは対処できないイレギュラーも起きないとは思うが、少し不安だ。

《でも、これもお姉さんが直々に出した課題、宿題の一つ。だから、頑張って…………あと掘ったり掘られたりはしないでね》

(流石にそこまで事態が悪化したらTSさせるから安心しろ)

最後に最低な言葉を言い残して意識すら失った美鳥にそう心の中で返し、思考を切り替える。
メカポ制御にしてもリアル系技術習得にしても、こんな状況ではまともに進展させることは難しい。
まずは目の前に無言で平伏すリボンズ。
こいつにはヴェーダとのリンクを繋ぎ直させて、元の立ち位置に戻ってもらう事にしよう。
で、黄金大使と接触させて股開かせて、技術も適度に流出させておく。
擬似GNドライブもこの世界特有の技術には違いないし、むしろガンダム系よりもスペオペ系SF系に片足突っ込んだ純正GNドライブよりもリアル系技術としては好ましいし、研究させて作らせるに越したことはない。
好意を信仰心にすり替えたとはいえ、まだこの場……俺の傍から離れる事を拒むかもしれないが、その時は俺の目的も一部話してしまえばいい。
俺の目的達成の為に必要となれば、狂信者と化したこいつはどんな命令でも実行できる筈だ。

それが終わったら、本格的に居場所を突き止められない、突き止められてもそうそう近づけない拠点造り。
安心して活動できる拠点を作った後も、ますます発展していくMS技術の学習に、CBで密かに行われているイノベイター化の促進実験の観察。
……ああ、そういえば、劣化イノベ亜種に成りかけている第二世代マイスター同士で結婚するんだったか。
あのカップルは殆ど性格の相性と閉鎖された環境で同じ時間を過ごしたのが原因だから、この世界でも問題なくくっつくだろう。
そしてその子供は外伝ではなく本編のメインキャラ、染色体が変異しすぎて生まれないとか、奇形として生まれるとかもなく、ヒロインもこなせる程度には真っ当な人間の姿で生まれてくる筈。
根っこの違う異種族でなく、人類の正当な進化系。
出来損ないのなりそこないとはいえ、実に興味深い。
CB内で育てられるから、成長過程はしっかりとチェックしなければ。

やることは少なくないが多くもない。
そして、時間には限りがあるが、寄り道ができない程に切羽詰まっている訳でもない。
まずは腰を据えられる拠点を造り、ゆっくりと世界の流れを見ていく事にしよう。






続く
―――――――――――――――――――

THE説明回、そして登場した原作キャラが主人公の能力で尽くキャラ崩壊していく第八十一話をお届けしました。

軽く三ヶ月近く間を開けた上に殆ど話が進んでいませんね。
しかも話をややこしくする新たな目的とかを明かし、リボンズを下僕認定するだけの話という体たらく。
一応次回は原作キャラサイドの話で、しかもOOP編の前半戦を終わらせる予定ですけど、それも本編キャラじゃなくて外伝キャラ。
これ、OO編という表記に釣られて読んでいる人は怒っても良いんじゃないですかね。怒らないで欲しいですけど。


これまた数カ月ぶりの自問自答コーナーを長めに。

Q,トロンっていうと、ボーン一家の長女?
A,DPS-D付録の限定コブンがこれまた金掛かっただけはある性能でしたねぇ……。
しかし名前の由来は大天使メタトロンから。
『悪魔だけど大天使級にかわいいよ!』とは姉の言葉だとか。
Q,入院服のような装甲って? 装甲より布面積大きい騎士専用防具みたいな?
A,頭部のナンバープレートかっこいいですよね。逆に武者装備は棘々を盛りすぎてちょっと落ち着いてしまいます。
しかしこの装甲、見た目はまるきり入院服。
武装神姫には通常のメカメカしい防具の他に普通の服っぽい防具も存在するのです。DLCでウェディングドレスとかも手に入ります。
アニメ版だとほとんど通常装備しか着てなかったけど、そこは恐らく作画の手間の問題じゃないんですかね。
原型だけは公開されてる新しい神姫も発売が待ち遠しいなぁ(白目)
因みに神姫のメンテナンスとか云々の設定は捏造です。元々公式が意図的にふわっとさせてるとこもあるので。
A,メカポで魂生まれたりなんだりの物語補正入る筈なのにリボンズと874で覚醒方向違うけど?
Q,個体差という名のその血の運命(さだめ)かと。
あと生身のある無しで使命への縛られ率がだいぶ変わってきます。
肉体なしの純データ状態だとマイスターとしての機能を果たすという形でしか好意を表現できない(自己の保存とか安全確保的な面も含め)とかどうとか。
肉体があるとアレコレ使って好意を表現できるという利点があります。
書いてて思ったんですけど、これ887とかまかり間違っても生まれませんよね……。
あと、リボンズはラスボス補正、874には外伝のヒロイン兼相棒補正があるので他の全てのイノベイドに比べて割りと行動に無理が効くかも。
Q,なんでメカポを強化した? ハーレムしたくなった?
A,元を正せば『適度にスムーズに話を進めるため、あとは後々発作的にハーレムしたくなった時の為に条件とか効力はふわっとさせておこう』って感じで付けてた能力なんで……。
あとそろそろ能力暴走ネタも書きたいと思ったので。
Q,じゃあリアル系技術収集からハーレム物に路線変更?
A,手探り中です。基本方針はリアル系技術をゆっくり学ばせつつ、倒せそうで倒せないインチキ臭いMS作ってOO世界のパイロットとか軍をからかう方向で。
一応、メカポ効いてるイノベイドの発作的な行動で色々イベントを起こしたり、主人公がメカポ制御できないせいで消えそうなイベントを補填したりします。
予定は未定ですが、たぶん愛故に巻き添えで第二世代マイスターとかちょっと死にます。愛無くても死にますが。
あと主人公に矛先を向けず、ひたすら周りだけに被害を齎す純正統派ヤンデレキャラを描写したいような。
Q,それにしても話の展開がやたら遅い。
A,念のため、OO本編に比べた時のOOPの認知度とかを考慮してゆっくりそれなりに描写しています。
外伝じゃない本編に入ったらそれなりの速度で話が進むかと。次回でOOPの前半戦は決着ですし、後半は殆ど書くとこ無いんで。
ていうかOOP後半戦は男性メインキャラ両方イノベイドなんで、かなりホモホモしくなりかねないのでさらっと流していく予定。


こんな感じですかね。
因みに次回は原作キャラ視点メインで少し展開変わったOOP前半戦終了までをコンパクトにやるだけなので、5月中には投稿できると思います。
今書いた直後に気付いたんですけど、数カ月ぶりに投稿→次は早めに投稿できる筈です、って、こういう場所のSSだとよくある失踪フラグですよね……。
なので目標を低く、梅雨が開ける前に投稿したいなぁ、くらいに下げておきます。
最低限エタらせたりはしないつもりなので気長にお待ち頂ければ。

そんな訳で、今回はここまで。
誤字脱字の指摘、文章の簡単な改善方法、矛盾している設定への突っ込み、その他諸々のアドバイス、そしてなにより、このSSを読んでみての感想、心よりお待ちしております。

―――――――――――――――――――
もういっそ外れてもいい次回予告。

計画の為に存在する。
計画の為に尽くす。
捧げ、尽くすために、私は存在する。
私は、計画の為に、捧げ尽くす。
誰よりも、何よりも。
彼よりも、彼女よりも。
計画にとって、重要な存在として。
故に、私より重要な存在は────

次回、機動戦士ガンダムOO・P編第四話
『偏執病の為のパラドクス』



[14434] 第八十二話「結婚式と恋愛の才能」
Name: ここち◆92520f4f ID:d3c2e39a
Date: 2013/06/20 02:26
「エロ本ください」

正午を少し過ぎ、客も一時的に捌ける空白の時間。
その声は店内に流れる有線放送の音楽を掻き消す事無く、しかし、不思議と店内全てに聞こえる、良く通る声だった。

「え、あ……はい?」

思わず聞き返した店員の対応を責める事はできないだろう。
電子媒体が主流になったこのご時世でもなお廃れる事無く生き残り続けている、手に取れる実物を専門に扱う書店。
店員も厳正な審査で選ばれる訳でなく、店主の個人的な繋がりで採用が决定されるような小さな店だ。
ご多分に漏れず、不幸にも今日のこの日に店番を任されていた店員もそんな縁故採用の一人。
店主の娘の友人で、変に化粧っ気も強くなく、ぎこちなくはあるが真面目に応対ができるというだけの極一般的な女学生。
どの本棚にどのジャンルの本があるか案内する程度ならできるし、年齢制限のある性的な書籍を購入する青少年に変な表情を向けない程度の気遣いもできる。
だが、彼女が店主から渡された客への接客マニュアルには、こんな事態への対処法は載せられていなかった。
当然といえば当然の事で、マニュアルに不備があった訳でもなければ、店主の思慮が足りていなかった訳でもない。

店員の少女にも、これが挙動不審な不審者の言葉であればまだしも変質者への対応を行うだけの度胸はあった。
ややマニッシュながらお美しい顔立ちと、機能性に優れつつも凹凸のメリハリの有る身体を持つ少女は、痴漢などへの対応でそういった相手には慣れている。
だが、

「今月のオススメエロ本ください」

(注文が増えた!?)

レジの前に立つ青年は、少し目つきが鋭い事を除けば、不審な所は何一つ無い。
服装もこざっぱりとしたもので、それこそ大学の構内を普通に友人たちと談笑しながら歩いていてもおかしくない風体。
それでいて言葉の内容はともかく、言い方自体は一切の後ろめたさも恥じらいも無い、爽やかさすら感じさせてくる。
まるで、こちらが躊躇い聞き返している事のほうが不自然であるかのように思える程の潔さ。

「え、ええと、こちらが今月の新刊となっておりますが……」

ぎこちない笑みを取り繕い、どうにか対応を再開。
PDAを操作し、成年向け書籍の新刊の一覧を画面に表示する。
販売状況も表示されており、どれが売れ筋で人気があるか、という事までひと目で分かる。
しかし、青年はそんな店員の努力をばっさりと切り捨てた。

「いえ、新刊に限らず既刊含めて、世間の評判ではなく、あくまでも店員さんのオススメでお願いします。あ、ジャンルは黒髪巨乳姉系で」

店員の背筋に冷や汗が伝う。
不味い、聞き返す度に注文が多く、いや、激しくなっている。
そして注文内容だ。
そもそもこの本屋でバイトを初めてから今まで、成人向け書籍や雑誌のジャンルには一切の興味が無かったから、専門的な事はわからない。
だが、『黒髪』で『巨乳』というストレートな単語だけははっきりと理解できる。

(黒髪で、巨乳)

カウンターの中で半歩後ずさる。
身体を庇うように隠さなかったのは最後の一線とでも言うべき店員としての礼儀を守ったからか。
店員である彼女の見た目は、ウェーブの激しいショートの黒髪に、平均値と比べれば間違い無く豊満であると言える胸部。

(え、これ、セクハラ、だよね)

自意識過剰と言うには余りにも直接的に思えてならなかった。
友人同士のコネで採用される個人経営のこの書店は、それほど広いスペースを持っていない。
ましてや成人向けコーナーは、間違って子供が入り込まないような(あるいはこっそり入り込んだ子供の羞恥心を和らげるため)奥まったスペースに纏められている。
小さな店の、更に奥のスペースに纏められるだけの量しか存在しない成人向け──エロ本を、自分で探さずに、探しているジャンルと一致する外見的特徴を持つ店員に探させる。
しかも、オススメ、と来た。
確かに、書籍ではない、成人向け雑誌程度ならば内容も確認できてしまう。
本のオススメを店員に聞く、というのも中々無い話だが、要点はそこではない。

条件をほぼ満たした店員が探す、という事は。
つまり、自分に似た女性達が淫らな行いをしている本を、一冊一冊検分し、探し当てなければならない。
そしてそれは、外からは視線が届かない、店の奥まったスペースで行われる。
何も起きず、無事に(店員である少女の精神的疲労や羞恥心は勘定から外すものとする)この客の注文どおりの品を選び終える事ができるだろうか。

店員の少女は思考する。
自分が品を探している間、この男は何をしているつもりだろうか。
このカウンターの前で突っ立って待っている?
それともやはり、自分の後ろに着いて、店の奥にやって来るのか。
客の姿を隠してプライバシーを守る『18歳未満立ち入り禁止』の文字が入ったカーテンの向こうに。

(やだ、それは、駄目……!)

それはとてもいけない事だ。
人気のない、他の客の目も届かない様な場所に、二人きり。
そんな状況に陥る事を『望んでしまう』なんて、頭がおかしくなったとしか思えない。
安い月刊少女漫画でもあるまいに、今日この日、顔を合わせて数分も経っていない相手に。
それどころか、まともに会話もしていない相手に、こんな事を思うなんて、正気の沙汰じゃない。

「そ、それでは、品物を確認致しますので、少々お待ちください」

内心をひた隠しにしながら、少女はレジを離れ、成人向けコーナーへ向かう。
目を合わせた瞬間、自分の中の何かが溢れてしまいそうで、レジの前にいた男の方を確認することはできない。
だが、

(ああ、来る、来てる。後ろから、ついてきてる)

店内からはいつの間にか他の客がいなくなり、後ろから付いてくる男の足音がはっきりと伝わってくる。
成人向けコーナーを仕切るカーテンをくぐりながら、少女の頭の中はグルグルと自分がカーテンの向こうで何をされるかを、年齢相応の性知識を総動員してシミュレートし──

「こちら、八冊をお買い上げでよろしいでしょうか」

「はい、良いですよ」

──何事も無くレジに戻る事に成功した。
勿論、何事も無いのが当たり前だし、何事もなく無事に戻れた事を喜ぶべきなのだが、店員の少女の心にはもやもやとしたものが残っている。

カーテンを潜り、成人向けコーナーに入った時点で気付いたのだが、背後から着いてきたこの奇妙な男性客の視線は自分には向いていなかった。
注文したジャンルからして、背後から尻を舐め回すような視線で見詰められる程度の事は覚悟していたというのに、それも無い。
かといって、成人向けの本に集中していた訳でもなく、ただオススメするべき本を探して成人向け雑誌などをぺらぺらと捲っている自分をただ眺めているのみ。
それも本当に眺めているだけで、恥ずかしがる姿を見てニヤニヤする訳でもない。
もしかして、この客は天然で恥を知らないだけで、純粋に成人向けの本を欲しがっていただけなのではないかとすら思えた。
店員の少女は、顔には出さずに内心で頭をがっくりと下げて落ち込んだ。
最初の立ち振舞と言動だけで不審者と決めつけて、性犯罪者予備軍であるかのように警戒してしまうなど、余りにも失礼だったのではないか。
後悔したところで、あくまでも自分はこの店のアルバイトの一人。
割引やポイントの割増などが出来るわけもなく、ただただ購入してもらった商品のバーコードを読み取りながら心の中で謝罪するしかない。

「あのー、ちょっといいですか」

「? はい」

無意識の内にうつむき加減になっていた顔を上げ、客の男に顔を向ける。
向けられる、申し訳無さそうな表情。

「オススメしておいて貰ってなんなんですが、まだ自分、その本の内容、知らないじゃないですか」

「……はい、そうです、ね」

何故だろう。
これからこの客が何を言うか、薄々嫌な予感を感じているというのに。
何故か胸が高鳴っている。
客の表情が、言葉を重ねる度に満面の笑みに近づいていく。
それに合わせて胸が高鳴るのは、恐怖か、それとも、何か言葉にしにくい、ふわふわとした、場違いな感情からか。

「だから、タイトルを読み上げて、内容も軽く説明してください。勿論、聞き逃さない様に、大きな声ではっきりと、ね?」

告げられた言葉に、胸の中で何か、これまで固く閉じていた蕾が開くのを感じ、少女は確信する。
──きっと私は、とんでもなく、酷い狂い方をしてしまったんだ。
こんなどうしようもない嫌がらせを受けて、こんな気持ちになるだなんて……。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

繰り返しになるが、ポ系能力には発動の為のトリガーが存在する。
撫でポなら、撫でる。
ニコポなら、微笑む。
名称とトリガーは基本的にリンクしており、名前さえ知っていれば発動条件を察することは難しい事ではない。

翻って、メカポはどうだろう。
そもそもメカポという名前自体が暫定的な物であるため、名前からトリガーを察することは難しい。
実情を知らない者が聞けば、何らかの脳に作用するメカを使用した擬似ポ能力と思うかもしれない。

現状、俺が知るメカポのトリガーは大きく二つ。
『一定期間、鳴無卓也の事を思考し続けること』
『鳴無卓也の事を深く記憶に刻み込むこと』

実に曖昧な条件だ。
一定期間というが、それは連続で? 累積で? 具体的には何秒、何分、何時間?
深く刻みこむとは言うが、例えばどの程度の深さで刻めばいい?
トリガーがわかっていないのとどれほど差があるというのか。
何も知らないよりはマシ、と思うかも知れないが、それこそ気休め程度でしかない、と、俺は思う。
何しろ対処法だって挙げられる。
イノベイドはそこらの人混みにそれなりの数存在するわけだから、こうだ。

『常に認識阻害を行い、この世界に居る間中は人目を徹底的に避ける』
『常に出会った相手の記憶を消していく』

馬鹿じゃないだろうか、もしくはクソッタレだ。
手間ではないが、それは余りにも不自由だし、根本的な解決には至っていない。
他所の世界でメカポが原因で危機に陥ったとして、この二つの対処法は悪戯に敵を増やすだけだ。
俺が処理できる程度の敵であればいいが、ここで想定する敵は俺の能力を大きく越える難敵のみ。
そう考えれば、この二つの対処法は取る意味が無い。

こういった問題を解決する為には、やはり一つ一つ問題を解決していくのが一番の近道だろう。
連続か累積か、そしてどれほどの長さか、というのは、それこそ新造するイノベイドを使った実験で簡単に割り出す事ができる。
問題があるとすれば、記憶に刻み込む深さなどという曖昧な条件だ。
これはもう、実験記録を重ねて検証するしかない。恐らく、この世界にいる間に調べる事は難しいだろう。
そして、この『印象深さ』という処にさらなる疑問点が浮かび上がる。
それは、『どんな印象でもいいのか』という事だ。

良い印象が深く刻み込まれれば、それこそメカポなどという技能が無くとも人間関係はスムーズに構築されていくだろう。
だが、刻み込まれるのが悪い印象だったなら、どうだろうか。
良い印象と比べてメカポのかかり具合はどうなるのか、そもそも、悪印象でもメカポは発動するのか。

わかりやすいテーマだ。
確認方法が間違いなく悪趣味な方法になるだろうという点も、イノベイド達への対処に痛む頭をリラックスさせてくれるストレス解消法として見れば素晴らしい。
何より、これで『悪印象ならメカポは発動しない』という結論を出す事が出来れば、今後のトリップでの振る舞いも大きく変わってくる。
疑似科学の研究と学習の息抜きとして、MS戦をする程でもないなと感じた時に実験できるのも素晴らしい。

そんな訳で、俺はリボンズに発見された拠点近くにある本屋を実験の舞台として使用する事にした。
もう間も無く引き払うつもりだから、ここで何かやらかしても後腐れがない。
そして何より、電子媒体で配信されていない雑誌などを探したり、手元に実物を残したい教科書や資料を集めるのに少し使っていただけのこの書店、実は一体のイノベイドが常駐している。

大学生という身分と記憶を与えられ人間社会での情報収集に勤しんでいる無自覚型で、OOIに登場したスルー・スルーズと同じ塩基配列モデルを持つ、癖のある黒髪のイノベイド。
胸が大幅に盛られているのは、同じ塩基配列モデルを持つイノベイドと出くわした時、無自覚型としての使命を果たしていないのにイノベイドであるという自覚を取り戻させない為の保険なのだろう。
ここまでボディラインが異なれば、顔が全く同じでも別人に見えてしまうのだろう、たぶん。この世界の感覚はイマイチわからん。

俺が書店のバイト店員をしている彼女に対して行ったのは、直ぐにでも通報したくなるような、客の立場を利用した卑劣で性的な嫌がらせ。
女性店員に向けて男性である俺が成人向けの本を態々所望したり、店員の容姿に合わせたような(実際は姉さんの容姿に合わせているのだが)ジャンルを希望してみたり。
店員直々のオススメを選ばせるという名目で成人向けコーナーに押し込んでみたり、視線避けの魔術の応用で選ばせたかなりエグめのタイトルと内容を復唱させてみたり。
これが元の世界であれば、いや、この世界であったとして、正常な店員であれば、後にバックヤードか家で友人会いてに延々愚痴りたく成るような振る舞いを行なってみせた。
悪印象を刻むことを徹底するのなら、成人コーナーで偶然を装って身体を弄ったり、襲いかかって痛みを伴う一方的な強制合体を敢行したり、というのもありだったのだが、これは実験であると同時にストレス解消のお遊びでもある。俺がしたくない事をするつもりはない。

俺が店員のオススメ(黒髪巨乳ではあるが姉ものではない。品揃えはイマイチのようだ)を抱えて店を出た後、彼女の大学での友人と思しき少女が駆け寄って心配している姿を確認した。
少なくとも、周りから見て心配したくなる程度には悪い印象を与えられた筈だ。
……というか、あれで悪印象を抱かないのであれば、それは相手側の人格が聖人過ぎるだけなので例外としてカウントするべきだろう

そして、そんな地味に深々と悪印象を残すであろう嫌がらせから数日。
再びあの店に脚を運び、店員の状態を確認する事にした。
発動するかは五分五分、発動しても好印象の時よりはメカポの掛かり具合も低く成るだろうと個人的には予測しているのだが、実際どんなもんだろうか。
ここで、いきなり通報されるとか怯えられるとかすれば結果がはっきりする上に対処法も確立するのだが。
そんな事を考えながら、このご時世に自動ではない古めかしいドアを開き、店内に足を踏み入れる。

「あ!」

店の中に入った俺に向けられたのは、先日嫌がらせを行った少女型イノベイドの驚きの声。
トーンが高めだが、これだけではメカポが発動しているのかどうかは判断できない。
次いで、声の先に視線を向け表情を確認する────よりも早く、カウンターから飛び出し、少女が駆け寄ってきた。

「お久しぶりです! ……じゃなくて、いらっしゃいませ!」

頬を僅かに紅潮させた、見間違いも勘違いも一切許されない、満面の笑み。
仮にこれが俺への恐怖なり嫌悪なりを隠した上での作り笑いだとすれば、もう彼女はイノベイドという規格を逸脱していると言っても過言ではないだろう。

「あの、それで、この間のオススメなんですけど、ちょっと、あの時説明し損ねたところがあって。見どころっていうか、使いドコロがわかりにくいかなって思って」

こちらの返事を待たず畳み掛けるように矢継ぎ早に言葉を重ね、その場でスカートを片手で少しつまみ上げ、もう片手で上着を掌で抑え、くるりとその場で一回転してみせる。
奇しくもその服装は、先日オススメして貰った本のメインを張っていた黒髪巨乳のそれと同じもので。
少女はスカートを摘んだ指先をもじもじと遊ばせながら、またしても機関銃のように喋り出した。

「練習したんです! 見どころ、実演して、体験して貰えばわかりやすいかなって思って。あ、違うんですよ!? 変な意味じゃなくて! その、本を見て自分でするくらいなら、私が……ってそうじゃな、違っ、……くは無いんですけど、あの、直ぐ、すぐシフト終わるからその後にうちに来て貰えればオススメのあれよりもっとすごいオススメを体験して貰えるっていうか、ええと、そう! こんな時になんて言えばいいかもちゃんと勉強したんです! うんと、うんと……」

そして、意を決したように顔を上げ、向かいの通りまで聞こえるような大声で、腹の底から叫んだ。

「私を、貴方の恋人(いんらんにくどれい)にして□□□、○○○の▲▲▲を◆◆◆して×××ください!」

……………………

…………

……

(あかん)

―――――――――――――――――――

△月●日(あかん)

『ともかく、悪印象からですらメカポは発動することはよくわかった』
『ヴェーダに登録されていた情報を参照した結果からも、あのイノベイドに被虐願望の類は付加されておらず、性的な言動によるセクハラからああいった結論に至ることは通常在り得ない』
『恐らく、オススメとして購入したのが黒髪巨乳監禁調教レイプからのラブロマ系エロ本であった為、それに合わせてああいった言動を行ったのだろうと推測できる』
『元から設定されている人格に好意の向け方などが強く設定されていればこういう事態には成らなかったと思うと、残念でならない』

『更に確定情報その弐、メカポが発動したが最後、生半可なことでは好感度は下がらない』
『まず、あの後に自宅におじゃまして、おもむろに全身から無数のいやらし薬が分泌され続ける肉触手を生やしてみてもドン引きする事無く受け入れ』
『更に、お前はモルモットだ、これが終わったら珍生物の苗床か解剖した上で標本にしてやる、などとわざとらしく口走りながら、内臓を破壊する勢いで触手責めを行なっても、一方的にラブい空気を飛ばし続けた』
『更に彼女の記憶を読み取り、そこから親しい友人知人をピックアップ、空間転移で攫って彼女と同じ目に合わせたり、野生動物を変異させて作った下級デモニアックに食い殺させて見ても、何故そんな事をするのか悲しげに聞いてくるだけで、こちらに対して憎悪を燃やしたりもしなかった』
『感情や内心を察知する技能や機巧をフルに発動し確認したが、情報の欺瞞は一つたりとも行われていなかったから間違いない』

『どうやらこのメカポなる能力、悪役プレイ貫徹だけで逃れられるような生半可なものではないらしい』
『完全制御への道のりは果てしなく険しそうだ』

追記
『実験後、被験体のイノベイドは記憶を消去した上で解放した』
『触手陵辱でできた痕も肉体の時間を巻き戻したので、俺の痕跡は欠片足りとも残っていない』
『……筈なのだが、経過を確認する為に件の書店に赴いたところ、なにやら記憶が残っているような素振りを見せた』
『ヴェーダや彼女の周囲の人物の記憶から収集した彼女のパーソナリティからして、店に入った瞬間に輝くような笑顔を浮かべ、レジをほっぽり出して子犬の如く駆け寄り「いらっしゃいませ! 今日は何をお探しでしょうか!」などというリアクションは有り得ない』
『仕事に支障が出ない程度に少し話してみると、どうやら俺の姿を見た瞬間に脳裏に何やら覚えのない記憶がフラッシュバックしたらしい』
『このイノベイドの人格傾向がもう少しメルヘンだったりメンヘラだったりしたら、前世系な人になってしまっていた危険性もある』
『恐らくメカポが発動した事により、純愛系の補正が掛かってしまったのだろう』
『やはり制御の効かない能力ほど恐ろしいものはない。早いうちに何とかできればいいのだが、制御ができるようになるまではなるべく記憶に残らないように振る舞うのが一番なのかもしれない』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

もうかれこれ数ヶ月になるだろうか、リボンズに特定されたアパートを使い続けるのも気持ち悪いので、活動拠点を地上のアパートから宇宙に移した。
巨大ロボの研究ともなれば、狭苦しく周囲の目が煩わしい地球上よりも断然宇宙だろう。
地球からは観測できない位置にある惑星を改造して作り上げた研究用重機動要塞で、誰の目もはばかること無く大量のMSを作ってはデータ採取。
時折地球に転移して戦場で三国のMSを蹴散らして遊んでみたりもする、実に穏やかな日々が続いている。
最近のマイブームは三国それぞれのMSに見える独自性を作ったMSに被せて偽装し『あの国は我々のMSを圧倒する性能を持つ新型の開発に成功したのか!?』みたいな危機感を煽ること。
そしてもう一つ。
第二世代マイスターズのストーキングだ。

「やっぱ振られたかー」

戦場で場を引っ掻き回して遊んだ帰りのこと。
特に深い理由のない武力介入に使用したお手製MSだけを要塞に先に転移させ、地上のファミレスで昼食を取りながらまったりとくつろぎタイム。
エメラルド製の自作タブレット端末で、今現在は地上の拠点で活動中のマイスター達の様子と行動履歴を覗き見る。
タブレットには、男側の告白で成立したカップルの初々しくも何処か互いの深いところを良く理解しているのがわかるイチャつき場面と、そんな二人の発する空気に耐え切れずに基地の反対側にある倉庫にまで引っ込んだ振られ虫。
振られ虫は言い過ぎか、そもそも好意をはっきりと自覚するような段階ですら無かったし、告白する前に勝手にカップルが成立して勝ちの目が無くなっただけの状態を振られたというのは些か語弊がある。
乗りてぇ風に乗り遅れた奴はマヌケというらしいから、しいて表現するなら……そう、ノロマ。
ぶっちゃけ、変異しかけている第二世代マイスター同士ならどの組み合わせでも良かったから、こいつがくっつくならそれでも良かったのだが、世界が定めた運命はこいつにボッチを強いているようだ。
まぁ後に凶悪マジキチテロリストに点描付きで呆気無く落とされちゃうから、良い男を捕まえられない運命を背負っているのかもしれない。
本人に取ってみれば人生レベルでの不運なのだろうが、見ている方からすればメシウマである。
他人の色恋程懐が痛まず面白い娯楽はないと知り合いの女性が言っていたが、その気持も少し分からないでもない。

「あ、すみません、このお皿下げて、チョコパフェお願いします」

「かしこまりました、少々お待ちください」

ウェイトレスさん(間違いなく人間。この周辺にイノベイドが居ないことは確認済みである。こういう時くらいはメカポの事を頭から消しておきたい)に〆のデザートを注文。
デザートが来るのを待ちながら、今後の事を考える。
技術学習のことではなく、CBが──いおりんが行なっているイノベイター化促進実験の事だ。

実験は今も続いており、人間のマイスター三人は順調に人間の規格から外れ始めている。
映像は監視カメラ越しだが、そんなものに頼らずとも彼らの肉体がどうなっているか、俺はこの場に座してチーズハンバーグ定食を突きながら細胞単位で把握することが可能だ。
通常の安全基準を上回るGN粒子は、未だドクターモノレの検査に引っかかる程のものではないが、着実に彼らの肉体を蝕み続けている。
マイスターに次いでGN粒子を浴びる量が多いイアン・ヴァスティは不思議なことに何の変化も無い。
これでこいつもイノベイター亜種になってれば、次世代のサンプルが増えて万々歳だったのだが。
やはりテストなり実戦なりで戦闘中に浴びるGN粒子の量などを計算に入れなければ、普段余分に漏らしている分も安全な濃度でしかないのか。
ソース不明の情報で、イノベイターになる思想、人格的な条件が存在すると聞いたことがあるが、もしかしたらそこら辺も関わっているのかもしれない。

「結婚、とくれば、次は子作りだよなぁ」

Hの次にはI(愛)があり、Iの次に来るのはJ(ジュニア)と相場が決まっている。
あの二人はIが先だろって? さて、閉鎖環境で人員も限られているからなぁ、どうだったかなぁ。
それはそうと、子供だ。
GN粒子を浴び続け、人間から逸脱仕掛けているマイスター同士が種と卵を出しあって製造する、亜種第二世代。
子供はよくも悪くも純粋だ。
思想的な偏りが無い分、もしも親の変異を受け継いだ状態で生まれようものなら、何かの弾みでイノベイターに覚醒してくれる可能性だってある。

そんな可能性の塊である彼らマイスター二人の子供だが、無事に生まれてくる確立はどれほどだろうかと考えてしまう。
原作では何事も無く受胎、出産して僅かな時間とはいえ二人で育てもしただろう。
だが、この世界の二人は原作の二人とは生物的な性能が大きく異なり、それによってメンタリティも僅かながらに変化している可能性も否定出来ない。
とかく、他者の脳量子波を感知するという行為は、脳に関わる部分なだけ、ストレスになりやすいのだ。

「結婚には、何が必要か」

3つの袋なんてのはどうでもいい。
今は何より、彼らの精神状態を可能な限り健やかに保つことが寛容なのである。
俺にできる事であれば、可能な限り手を貸してあげたい。

まず、結婚式を行う場所。
原作では、人革領の外れにある山奥の廃屋で結婚式を行なっていた。
これは流石に変えようがない。下手に痕跡を残してしまえば、そこからマイスター達の事を辿られる危険性が有る。
何より、廃墟で恋人と介添人だけで行う小さな結婚式とか、個人的には好みなシチュエーションだ。
更に言えば、介添人が恋愛面での噛ませ担当であり、その思いを秘めたまま二人を祝福したりするところも好ましい。
何より、そんな小さな幸せを手に入れて数年もしない内にその夫婦が非業の死を遂げる、というのもドラマチックで大変良い。
良く原作介入型オリ主の二次創作などで、原作の流れを何より素晴らしい、尊重すべきものとして扱うタイプのキャラが出てくるが、珍しく彼らに共感できているような気がする。

次に、結婚式に必要なもの。
結婚式に、というよりは、結婚に必要なマストアイテムだから、指輪とドレスだろうか。
これは既にヴェーダの方に対策を取らせてある。
CB内で結婚する夫婦専用という事で、結婚指輪やウェディングドレスのカタログが閲覧できるようになっているのだ。
因みにこのカタログ、第二世代の二人用に用意したものなので、夫婦の片割れが注文を確定した時点でデータ自体が消去されるようになっている。
イノベイターの研究に貢献する新世代を作るわけでもないそんじょそこらの構成員の為にウェディングドレスや指輪を作ってやるほど、俺は趣味人という訳ではない。

そして何より、教会や神父、指輪やドレスよりも、結婚には必要なものがある。

「祝福、だな」

獲得資金が二倍になる。相手は死ぬ。
結婚にはそれが必要だ。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

第二世代ガンダムの開発が終了して数週間の時が流れ、第二世代マイスター、ガンダム開発チームとも呼べる彼らは暇を持て余していた。
既にソレスタルビーイングのガンダム開発は実際の武力介入に使用される第三世代型ガンダムの設計に移行しており、基礎技術研究の為に開発された第二世代ガンダムに関わる任務は残されていない。
かつてメカニックとして第二世代ガンダムの開発の中心だったルイードも、本職のメカニックであるイアンが来てからは彼に任せきりで、当然の如く第三世代型の設計、開発メンバーからは除外されている。
メカニックとしての側面を持たない他のマイスターも、当然の第三世代に関わる事無く、ひたすらに時間を潰すだけの日々を送っていた。

それは人ならざる身のマイスター874においても変わることは無い。
ガンダム開発に思考を割くのをやめ、比較的優先順位の低い『人間のガンダムマイスター達の観察』だけを延々と続ける平坦な日々。
時折、何故だか閲覧が制限されてしまった『理想』のデータを閲覧する為、未だ閲覧権限の残っている他の人間のマイスター(中でも一番暇そうにしているシャルである事が多い)に頼み込み、稼動時の記録に見入る時もあれど、やるべきことのない、暇な時間である事に変わりはない。
存在意義を果たすための任務も与えられず、しかし無機質な知性であるがゆえに腐る事もなく、死を迎えた命のように停滞し続けるだけの無為な時間。

そんな、意味も価値も無い、平穏なだけのある日。
874は晴れ渡った空に突如現れた雷鎚を見たかのような感覚を得た。

「やあ、お邪魔しているよ」

宇宙のクルンテープに戻るでもなく、地上の基地に待機し続けるマイスター達。
そんな彼らの基地に、ある一人の侵入者が現れた。
基地内部に居る全ての人間に気付かれる事無く、唐突に基地の中、第二世代ガンダムの開発が完了してからめっきり使われなくなった一室に現れた謎の男。

監視カメラ越しに見える身体の肉付きから軍人崩れの様にも見えるが、今時代では珍しい話でもない。
強い脳量子波を発している訳でもない、目つきの鋭い東洋人。
顔つきからして経済特区日本の出身だろうとわかる、何の変哲もない、何処にでも居る一般人。
いつの間に侵入していたかも分からないその男は、我が物顔で空き部屋に置かれた椅子に座り、874が目の代わりにしている監視カメラに向けて手を降っている。

そんな『彼』の姿を見た瞬間に自分の中で起きた現象を、874はどう表現するべきか判断できなかった。
いや、仮に自分にヴェーダを含む世界全てのコンピュータを演算に使用する事ができたとしても、自分の中で生まれた『何か』を表現し切るのは不可能だろう。
少なくとも874にとっては、それだけの強烈で刺激的な体験に感じられていた。

「貴方は、何者ですか」

普段は他のマイスター達やモノレやイアンなどとコミュニケーションを取るために使用されるスピーカーから、874の平坦な声が発せられる。
問う声に震えがないのは、未だデータ上の存在でしか無い874、に出力される音声に精神的な動揺からノイズを走らせるという機能が無かったからに過ぎない。
本来問うべき多くの事、警告などを発さず、短い問いだけで終えてしまうという不備にのみ彼女の動揺を見て取る事ができるだろう。
そして問いながらにして、既に彼女の心とも呼ぶべき部分は、『彼』が何者であるかを理解し、今にも何もかもを擲って平伏さんとしていた。

「ああ、これは失礼。どうにも最近人に名を名乗るような機会が無くてね。昔は飽きるほど自己紹介を繰り返したものだけど」

侵入者はおもむろに椅子から立ち上がり、大仰な素振りで一礼。

「俺の名前は鳴無卓也、駆け出しのトリッパーを……と言ってもわからないか。君達にとって重要な部分だけ分かりやすく言うなら、アイディールの開発者でパイロット、そして、アイディールそのもの、といったところかな」

「! ……貴方が、あの」

肉体さえ手に入れれば人間としての全ての機能を持つ874が、生まれて初めて驚きの声を発した。
イオリア・シュヘンベルグが目標とし、多くのイノベイドが憧れ、崇拝する完全存在。
今は何故かアクセスが制限されているものの、かつて無制限に比較資料を閲覧出来た頃、イノベイドのほぼ全てが暇さえあれば見蕩れていた、原点にして至高の一。

目標とするのも烏滸がましいと思ってしまう程、遥か遠くに存在する絶対者。
高嶺の花、などという言葉で表しきれない程の高みに立つ、天上の果てにある崇拝対象。

かつて、ソレスタルビーイングという組織の名前すら存在してない時代、イオリアに見せ付けたその武力。
イオリアが当時思い描いていた、計画の最終段階のその先にあるガンダムの真の完成形がその場にあったとして、決して届かないだろうと確信したと言われている、その圧倒的な性能。
世界に自らの存在を刻み込む、圧倒的な説得力。

未だ肉体すら与えられず、ガンダムマイスターとして武力介入の任務に従事するかすら決まっていない874にとって、アイディールの記録は直視するだけで目が潰れるかと思う程に輝かしい存在だった。
ヴェーダの中に保存され、肉体すら持たず、電算装置の上で明滅する0と1の電気信号の影である自分には、見上げる事すら難しいと思っていた。
計画の為だけに存在する一構成要素にしか過ぎない自分は、比較対象にすらならない。
その想いは今でも変わっていない。
一部のイノベイドが恥ずかしげもなく掲げる『いつの日かアイディールに追いつける日が来る』などという高望みは、彼女には滑稽に見えていた。
ましてや、『アイディールは僕の嫁、そして婿、いや違うな、むしろ主、いや、そうか、アレは、僕達の、か、神ぃ……!』などと、肉に縛られた欲の対象にするなど以ての外だと思っていた。

「他のマイスター達が居ない時を狙っておいてなんだけど、今日はどうしても君だけと話がしたくてね」

「っ……、はい」

思っていた。
そんな思いは、肉体を得て新人類の紛い物であるイノベイドとして定義されてしまったが為に生まれたノイズだと。
純粋に計画の為に存在する自分には、そんな余分な感情は存在していないと、ほんの数分前までは確信していた。
だというのに。

「なんなりと、お申し付けください」

そんな命令は存在してない。
アイディールが目の前に現れたからといって、従うようなプログラムは組み込まれていない。
以前にアンノウンがソレスタルビーイングの関係者という立ち位置に登録されたのは874の判断ではなく、ヴェーダ直々の指示によるもの。
現状、ヴェーダからは何も指示が来ていない。
874の状況はヴェーダも当然理解している筈なのに、不自然なまでに沈黙を保っている。
冷静に考えるのであれば、侵入者に対する一般的な対応を行うべきだ。
だが、何故だろうか、874は抗う事ができずにいた。

「良かった。この要件だけは、君にしか頼めないからね。協力的で居てくれて嬉しいよ」

身体が在ったのなら震えていただろうか、脚が在ったのなら、膝から力が抜けてへたり込んでいただろうか。
874は今ほど自らがデータ上の存在でしか無い事が有難いと思ったことも、肉体を持っていなかったことを悔しく感じたことも無かった。

『君にしか頼めない』

たったこれだけの言葉で、874は自らのデータが溶け崩れてしまうかと錯覚した。
肉体が在ったならとんだ醜態を晒してしまうところだった。
しかし、肉体が在ったなら、集音マイク越しでなくもっとはっきりとこの声を受け止められたろう。
安堵と後悔という二つの感情。
長い時間を共にした仲間との交流ではなく、会って数分、憧れていたとはいえ、まだ碌に交流のない相手の言葉が、874の心を強く活性化させる。
874本人ですら、自らの中で初めて大きく揺れ動く心──感情を正確には把握しきれていない。
ただ使命を果たす為の存在としてあるなら、ノイズと切って捨てる事もできる感情という新たな機能。
持て余し気味のそれを押し殺しきれず、しかし、874に最初から設定されていた人格傾向が表に出す事を望ませない。
仮に今の心の動きをモニタに映る姿に反映したのなら、874が先の言葉を受けてどのような感情を得たのか、アイディールの主──鳴無卓也には一目で看破されてしまうだろう。

「…………それで、ミッションの内容はどのようなものなのでしょうか」

874はモニタに映す姿を、普段の殆ど感情を働かせていない時のそれに固定し、あえて事務的な口調で話の先を促した。
たっぷり挟んだ沈黙は、堪え切れない期待から。

「ミッションじゃなくて、お願いなんだけど……まぁいいや」

苦笑するアイディールの次の言葉を、固唾を飲んで静かに待つ。
自分にしか、マイスター874という個体にしか頼めない『ミッション(頼み事)』とは何なのか。
『自分だけ』にアイディール────卓也が与える特別なミッション。
他の誰でもない、自分、マイスター874だけの、特別。

「君には、近々行われる事になるルイード・レゾナンスとマレーネ・ブラディ、二人の結婚式に出席して、仲間として祝福を捧げて欲しいんだ」

―――――――――――――――――――

イノベイター亜種で初めての番いとなる、ルイード・レゾナンスとマレーネ・ブラディ。
二人の結婚式に立ち会ったのは、彼らの後輩であるシャル・アクスティカのみ。
もう一人、この時点でガンダムマイスターをしているマイスター874に出席して欲しい。
何だかんだで第二世代ガンダムを開発する中で一緒にやってきた仲なわけだし、祝福されて嬉しくない訳がない。
しかも、この時点ではルイード、マレーネ、シャルの前には姿を表したことがないのだ。
結婚を祝福するために諸々の矜持を曲げて姿を表してくれたとなれば、結婚する二人にとってはこの上ない祝福となるだろう。

あえてマイスター874の目の前に姿を表したのも、それなりに友好的な態度で接したのも、彼女に快く祝福して貰う為だ。
これまでの実験から、メカポの対象になる対象の好意の方向性はある程度こちらの態度で誘導が可能になっていると見ていい。
ああいった形で先導してしまえば、任務として固い状態で結婚式に出るのではなく、友人に頼まれてという形で、それなりに柔らかく自然な祝福をする事が可能になる。

(……というのが、お兄さんの考えなんだろうけど)

なるほど、確かに現状あたし達が、お兄さんが持っているメカポに関する情報から考えれば、悪くない予測と言える。
女心も、完全にわかっているとまでは言わないが、的外れという程でもないだろう。
むしろ、874の意識を女として異性に対する恋愛感情に傾けないように調整しているのは無難だけど悪くない手だとも思う。
だけど、お兄さんは肝心なところがわかっていない。

確かに、マイスター874に対して異性として接するのではなく、しかし友好的に接しようという考えは悪くない。
800系列のイノベイドは838や887を見れば解る通り、最初から女性形にする事を前提として組まれている。
勿論、男性型にすることも難しくはないのだろうが、少なくとも多くの場合、あの塩基配列パターンを持つイノベイドには女性的なパーソナリティが与えられる。
今現在肉体を所持していない874だってその例外ではない。
だから、話がややこしくならないように異性としての付き合いという道を初手で妨害したのだろう。
言ってしまえば、今のマイスター874は憧れの人に告白する前に、憧れの人が友人との会話で『874ちゃんはいい友達だけど、そういう関係じゃないって』と話しているのを聞いた様な状態にある。
いや、密かに想いを寄せていた上司に仕事後に呼び出され、まさかお持ち帰りされてしまうのか、と期待したら、新プロジェクトのメインメンバーとして選ばれた事を告げられたような状態だろうか。
ともかく、今の874は上げに上げた状態で落とされ、軽いショック状態に陥っている。
少なくとも、お兄さんの方から874に女性的な立場を求めない限り、恋愛関係のトラブルを起こすことは無いだろう。

しかし、マイスター874は女である前にイノベイド、いやさ、計画を完遂する為に作られた『道具』なのだ。
確かに、メカポによってお兄さんに向けられる好意の中に、女性としての好意がどうしたって含まれるのは間違いないし仕方が無い。
だが874がイノベイドの人格データ、無機知能である以上、如何に恋愛的な好いた惚れたの感情を発現させようと、その好意の根底には『道具としての意識』が存在している事を忘れてはいけない。
特に、肉体を備えず、電子データとしてしか存在していない状態の874はその傾向が強い筈だ。
肉体を持たず、純粋な無機知能のままガンダムマイスターとして活動を続け、情緒を成長させた874は恐らく、現在活動中の全イノベイドの中で最も『道具としての意識』が強い。
となれば、まず間違いなく『女として男のお兄さんに向ける恋愛感情』に加え『道具として使い手であるお兄さんに向ける期待の混じった好意』が強く意識に現れる。

正直な話、お兄さんが気付けないのも仕方が無い。
鈍感難聴系主人公でなくとも、表情に感情を反映させず、元から口数少ない874の感情を正確に汲み取るのは難しい。
ましてや、『女としての落胆』の奥に隠された『道具としての不安』に気付くことなんて、それこそ邪神全開で文明を弄んでいた頃の大はしゃぎお兄さんでも気付くことはできないだろう。
気付くことができるとしたら、それは自らの基本スタンスを『道具』として定めている、つまりはあたしの様なやつくらいか。

恋愛面での可能性を初手で断ち切り、しかし親しくありたい人間としての立場から、君の友人を祝ってやってくれないか、と頼み込む。
これで874が心から同期の第二世代マイスターの結婚を祝えると思うのなら、それは余りにも残酷過ぎる。

これまで百年以上の時間、お兄さん──連中にとっての『理想(アイディール)』は、はっきりとその姿を表わすこと無く、ソレスタルビーイングの関係者と接触を取ろうともしなかった。
特に理由のない武力介入が三大国家を襲ったりした時は、噂程度にしかデータを残させなかった。
一番派手で目立つ接触にしても、この間のGダガーによる第二世代ガンダム相手のお遊びがいいところか。
そんな状況で、MSに乗るどころか顔を隠しもせず、堂々と874の前に『だけ』姿を現した。
しかも物腰は柔らか、この世界に来てからは殆ど見たことがないレベルでのよそ行きの爽やかな口調。

あの状況、間違いなく、874は期待していた。
自分の前にだけ現れた天上の存在が、自分という道具を使って何かをしてくれると。
マイスター874という道具に有用性を見出して、自分の益になる何かをするのだと。
イオリア・シュヘンベルグの掲げた理想を実現する為、ソレスタルビーイングを回すための歯車として存在している自分を、横から奪い取り自らの道具にしようと動いたのだと。
他人の物だと知りながら、しかし、奪ってでも手に入れたい、使いたい魅力的な道具なのだと、生まれてこの方感じたことのない精神的高揚感を味わっていた筈だ。

そして下された命令(お兄さんはお願いと言っていたけど、間違いなく脳内で命令とかミッションに変換されている)は、と言えば。
『お友達を祝ってあげなさい』
と来た。

874の中で、確かに第二世代マイスターは仲間として認識されているだろう。
少なからぬ親しみを覚えているのも間違いない。
イノベイドにすらなっていない人格データとはいえ、最初から機能として感情は付加されているのだ、長い間共に同じ目的の為に活動した連中に対して仲間意識は嫌でも芽生える。
だが、それでも874には、『マイスター874』という名前の歯車であるという現実が存在する。
第二世代マイスターズという自分達のコミュニティを外から、上から見ている存在が居たと仮定する。
そういった存在からすれば、874も他のマイスターも、同じ箱に詰められた同種の工具の様なものだと、874は無意識レベルでそういった認識を持っている。

……874は自分が他のマイスター、マレーネ・ブラディとルイード・レゾナンスよりも価値で劣るのだと宣告されたと思っている。
同じ道具箱に在る道具を整備する為に使われ、重要な案件では、自分が整備した道具が使われるのだと、そう考えているのだ。
そして、それは厄介な事に、何一つ間違いのない真実でもある。
お兄さんが第二世代マイスターの重要度格付けを行うとしたら、問答無用でマイスター874は最下位に落ち着いてしまう。
GN粒子の影響を受け、変異し続けている貴重なサンプルである人間の第二世代マイスターに比べれば、特に見るべき処もなく替えが効く874の価値は無いに等しい。
今回の結婚式での祝福にしても、無ければ無いでどうにでもなる程度のものであり、874の重要度の低さを変えうるものではない。

替えが効く、有っても無くても構わない、使う必要性もそれほどない。
それは『道具』にとってみれば余りにも惨めで、悲しく、不安を駆り立てる事実だ。
使われない道具、倉庫にしまわれて誇り奪われ埃を被り、錆付き忘れられて朽ち果てるだけの道具。
そんなものに成りたい道具は存在しない。
使われ、役に立ってこそ喜びを得るのが『道具としての意識』なのは、たぶんどこの世界でも変わらない。

じゃあ、自分の重要度の低さに怯える874はどうするか。
まず、与えられた任務を完全に果たし、有用性を示す。
これは最低条件で、その上で、自分の存在価値を高める為に何をしでかすか。
人数の限られたグループの中で、自分の順位を上げるために、最も手っ取り早い方法。
それはとても馬鹿馬鹿しいやり方ではあるけれど、必死に生き足掻こうとする874の頭には妙案に思えてしまうのだろう。

(お兄さんに伝えるべきかな)

お姉さんの施した封印のお陰で、気軽に表に出ることはできない。
しかしそれでも、お兄さんの携帯や脳に単純な文字列によってメッセージを送ることくらいは自主的に可能だ。
事前に伝えておけば、不測の事態を回避する事もできる。

(でも、あたしが助言してばっか、ってもね)

この封印、閉じ込められてまともに動けないというのは不便ではあるけど、不満ではない。
お兄さんのさらなる成長を促すのであれば、あたしは積極的に口を出さず、お兄さんの脳味噌だけで考えて行動するべきだ。
少なくとも今回は、お兄さんが自分で考え、その中であたしに意見を求めたら答える、程度の感覚で居ればいい。
お兄さんの隣に居るのも楽しいけれど、今回ばかりはお兄さんの成長を優先して、道具としての役目を全うするとしよう。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

ルイードとマレーネが結婚する。
一つの恋を実らせるよりも自覚するよりも早く終わらせ、精神的に一つ大人になった(少なくとも本人はそう思う事にしている)シャル・アクスティカがそれを知ったのは、結婚式の直前になってからだった。
出会って直ぐの頃は女心の一つも分からなかったメカニックバカだったルイードは、意外な事に結婚において女性が重要視する指輪とドレスに関しては完璧な備えを行なっていた。
なんでも、マレーネと付き合いだして暫くしてから、物は試しとヴェーダに申請してみたところ、外の組織に脚の付かない、独自の経路から入手可能なカタログを提示してくれたらしい。
マレーネは口では必要ないと言いながら、貰えば嬉しく思ってくれるだろうから、とのノロケを聞いた時には、これが本当にあの鈍感だったルイードかと疑ったものだ。

そんなルイードだったが、多少察しが良くなっても根本的な部分は変わっていなかった。
指輪とウェディングドレスを用意していたにも関わらず、結婚式を挙げる場所を用意するのを忘れていたのだ。
忘れていた、というよりも、地上で使っている基地の一室を少し改装して使えばいいんじゃないか、と思っていたらしい。
勿論、現代の結婚式ではそういう形式のものも存在しているし、決して一概に悪いとは言えないのだが。

(それでも、女の子にとっては一生の思い出になるんだもの)

相変わらず拘束され、趣味らしい趣味も無いように見えるマレーネといえども、そういう処は普通の女の子とそうは変わらない。少なくともシャルにはそう思えた。
それに、別にルイード一人で結婚式に関して全て決めてしまう必要もない。
マレーネに対してはサプライズということで教えないのは仕方がないにしても、仲間であり、ガンダム開発を通してそれなりに付き合いもある自分達に相談してくれないのは、少し寂しい。
色々と思うところが無いわけでもないが、それでもシャル・アクスティカは仲間を大切に思っている。
大好きな二人のために自分が何かできれば、それを嬉しいと思いもするのだ。

そんな諸々の理屈は口には出さず、もう少し場所もロマンチックにした方がいいとルイードにゴリ押しし、結婚式は基地の外で行われる事になった。
勿論、そのまま基地から出て直ぐの場所で結婚式を行う訳ではない。
使うのは、シャルがミッションの遂行中に見つけた、とっておきの秘密の場所。

人革連領の外れにある、殆ど人の訪れる事のない山の中の廃村。
人の手が入らなくなった今では、多くの建物は草木に侵食されて、完全に自然の一部として取り込まれてしまっている。
そんな緑から少し離れた処に、まったく違う色を見せる場所があった。

そこに広がる色は、桜。
並び立つ無数の桜の木は満開に咲き乱れ、僅かに枝を揺らす心地の良い風が花びらを飛ばし、辺りの空間を桜色に染め上げていた。

空は青く晴れ渡り、日差しが暖かく照らしている。
完成された一枚の絵のような、理想的な光景だ。
世の争い事とはまるで縁のない、穏やかな世界。
人と人の争いの中に身を置き生きるガンダムマイスターには最も縁遠く、しかし、そんな彼らを祝福するのに、これほど適した場所はないだろう。

桜の向こうに、小さな教会が立っている。
壁も屋根も経年劣化で崩れてはいるものの、奇跡的に植物の侵食が少ない。
シンボルである十字架こそ無いが、一目で教会であると解るだろう。
崩れた壁からは桜色の景色が覗き、割れた天上からは暖かな光が天使の梯子のように差し込んでいる。

その教会の中、二人の男女が向かい合って並んでいた。
ルイード・レゾナンスとマレーネ・ブラディ。
今日この日、二人のガンダムマイスターが結ばれる。
本当の名を捨て、理想を求める戦士となった彼と彼女が、再び人としての真っ当な幸せを手に入れる。

そして、この場に居るのは彼らだけではない。
二人の幸せを祝福するために、彼らと親しい友人たちも訪れている。
流石に組織と関係の無い、二人が名を変える前の友人知人や家族を呼ぶことはできなかった。
それでも、彼等の結婚を祝福する者達が、二人。

「マレーネさん、綺麗ですね……」

目を細め、純白のウエディングドレスを身に纏ったマレーネを見詰めるシャル。
シャルもマレーネのウエディングドレスの着付けを手伝いはした。
しかし、こうしてルイードと並び立つ姿は、シャルの目にはより一層美しく写った。
余計な装飾の少ない、マレーネの普段の態度のように素っ気ない印象を見せるウエディングドレス。
しかし割れた天上から差し込む光が、ドレスの随所に施された、微かに輝く糸で編まれた花の刺繍を浮かび上がらせる。
光と暖かさに当てられて初めて、穏やかな優しい部分が垣間見える処は、まさしくマレーネの人となりを表しているように思えた。

「はい、とても綺麗だと思います」

固く、しかし、何処か優しげな口調で同意する声。
マイスター874が、シャルの隣に立っていた。
マレーネの着付けを行ったのは主に彼女である為、感動も大きいのか。
普段は事務的な事しか喋らない彼女が見せる少女らしい一面に、そして、二人の結婚式に姿を見せてくれた彼女の友誼に、シャルは大きな喜びを感じていた。

「ありがとう、874。来てくれて」

それは頑ななまでに直接的な対面を拒んでいた彼女が、仲間の結婚を祝う為に姿を見せてくれた事に対してだけではない。
結婚式を開こうと思ったのがルイードで、この場所を使おうと提案したのはシャルだったが、この結婚式が無事に行えるのは874の力によるところも大きい。
結婚式を開くための外出許可を申請したのも彼女なら、この場所に来るために小型飛行艇を操縦したのも彼女であり、届いたウエディングドレスの着付けを行ったのも彼女だ。
特にウエディングドレスの着付けに関しては見事なもので、まるで事前にどういうドレスが届くかを知っており、着付けの方法も詳しく説明を受けていたかのようですらあった。

「いいえ、マイスター同士の人間関係が円滑になることは、推奨されるべきことですから。それに」

「それに?」

「結婚には、祝福が必要との事ですので。その一助になれれば幸いです」

たぶん874は、こういった場所で、こういった言葉を交わすことに慣れていないのだ。
874の硬い言葉選びのセンスに、シャルはクスリと笑みを零した。

―――――――――――――――――――

ソレスタルビーイングは秘密組織であり、その秘密組織の一員であるガンダムマイスター達は、その行動を大きく制限される。
外部の人間との接触は基本的には厳禁だし、任務外での外出も基本的には許可されない。
だからこそ、今回の様に、マイスター同士の結婚式を挙げるため、という理由での外出申請が受理されたのは異例の事だ。

「まったく、アンタは少し、ロマンティスト過ぎやしないかい?」

口にしながら、マレーネは自分が浮かべているのが苦笑ではなく、照れを多く含んだはにかみである事を自覚していた。
愛の告白をされただけでも上等だったというのに、態々ウエディングドレスまで用意して、こんな場所にまで来て結婚式を挙げる事になるとは思ってもみなかったのだ。
正直なところを言えば、正面切って告白されるまで、ルイードの事をそこまで強く意識したことは殆ど無い。
時折無自覚に口にする口説き文句の様な言葉に恥ずかしくなることはあっても、それを受けてルイードに好意を抱くことはなかった。
原因はルイードではなく、自分に在ったのだろう。
重犯罪人で、ガンダムを動かすためだけの部品である自分を意識していただけに、誰かに好意を向けたり向けられたりということを、無意識の内に否定してしまっていたのだろう。

だから、こういう気持ちの逃げ場を塞いだ状況は恥ずかしくもあるが、嬉しくもある。
目を背けることも話を逸らすこともできないルイードの真っ直ぐな感情表現は、嬉しさと同じくらいに羞恥心を煽るが、誤魔化せない、誤魔化す必要のない嬉しさが湧き出してくる。
そして、思う。
こんな自分に真正面から好意を向けてくれるのは、こいつを置いて他に居ないだろう、と。

「そうでもないよ。でも、こんな時くらい、きっちりしておきたいと思ったんだ。オレにとっては大事な事だから」

(真面目な顔をしてれば、結構いい男じゃないか)

そんな事は、たぶんずっと前から知っていた。
しかし、気恥ずかしさからついそんな軽口が頭に浮かぶ。
普段の軽い所を知っているだけに、こんな真剣な表情を向けられては調子が狂ってしまう。
いっそこの軽口を口に、出して空気を変えてしまおうか。
照れから僅かに俯きながらそんな事を考えていると、ルイードの手がマレーネの首に触れた。

「!」

驚きから身を震わせる。
マレーネの首には、ソレスタルビーイングに入った頃から首輪が嵌められている。
情に流されやすいマレーネがソレスタルビーイングに対して不利益になる行動を取らないよう嵌められた、裏切り防止の首輪だ。
その首輪にはいざというときにマレーネを始末するため、首の動脈を吹き飛ばせる程度の爆薬と起爆装置が搭載されている。
それは勿論手で触れた程度で爆発するようなものでもないが、万が一の事を考えれば気安く触れて良いものでもない。
マレーネは反射的にルイードの手を首から遠ざけようと身を引き、

「……えっ」

マレーネの口から声が漏れた。
ルイードの手に、首輪が残されている。
マレーネの首に嵌められていた首輪が、ルイードの手によって音もなく外されたのだ。
勿論、この首輪はそう簡単に外せるものではない。
外すには、ガンダムマイスターになる条件として首輪を付ける事を義務付けたヴェーダの承認が必要になる。

「ヴェーダには許可を取った。これで、君を縛る物は存在しない。君は、自由だ」

ヴェーダは感情を持たない。
一部例外を除き、その機能は計画を完遂させるためだけに使用され、愛や恋の為に組織を危険に晒すことはない。
マレーネがソレスタルビーイングの目指す新人類として覚醒しつつあるとしても、決して無条件で首輪から解放される事はない。
故に、首輪を外すにあたって、一つの条件があった。

マレーネを、ガンダムマイスターから外す。
それだけを条件に、ルイードはマレーネの首輪を外す許可をヴェーダに取り付けたのだ。

「勝手な事を……マイスターじゃなくなった私にどんな価値があるっていうんだい」

マレーネは、嬉しさと同時に反発も抱いていた。
裏に企業の思惑が在ったとしても、殺人を犯したという罪を受け入れ、罪人として処刑を受け入れたのも自分の意思なら、世界を変えるために自らをガンダムのパーツとして定義し、裏切り防止の首輪を受け入れ、鉄格子の中で生き長らえ続ける事を選んだのも自分の意思だ。
ガンダムのパーツとしての人生もまた、マレーネが自分の意思で決めた生き方だった。
例え自分の事を好いてくれる、自分から見ても好ましい相手であっても、他人に自分の生き方を勝手に決められたくは無い。
だが、それがルイードの不器用な優しさである事も理解できた。
理解し、しょうがない奴だと受け入れてしまう程度には、ルイードに対する好感は深まっている。

「勝手をしてすまない。これはたぶん、オレの我儘だ。キミには、キミとして、マレーネとして生きて欲しい。マイスターに戻りたいなら、それもキミの自由。まずは自由な一人の人間になる」

ルイードはマレーネに近づき、左手を掴んだ。
ウエディングドレスの白い手袋に包まれた左手、その薬指に、ルイードの手が、小さな宝石のあしらわれた指輪を嵌める。

「首輪を外して、指輪を嵌めた。けど、オレはキミを縛るんじゃなくて────キミと、繋がっていたい。自由な、一人の人間になった君と、いつまでも」

ルイードは、真剣な表情でマレーネを見つめている。

「断るのも受けるのも、キミの自由だ。そして、何者にも縛られない、自由なキミに頼む。オレと結婚して欲しい」

マレーネは、言葉に詰まっていた。
既に自分とルイードは男女の仲で、これが結婚式である事も理解していた。
既に答えは決まっていたし、それを今日、この場所で伝え合う、簡単なことだと思っていたのに。

考えていた言葉の代わりに、涙が溢れ出した。
頬を伝う涙は、マレーネの心であり、答えそのもの。
偽りや誤魔化しは、もう口にできない。

溢れる涙につられて閊えそうになるのを堪え、目の前の男を、ルイードを見据える。
これから共に、一生を過ごしていくと決めた相手に向けて、涙を流したままの満面の笑みで、はっきりと、答えを返す。
縛られるのではなく、縛るのでもない。
互いに互いを捧げ合い、結びつける誓の言葉。

「はい、私のルイード」

答えと共に、ルイードはマレーネを、マレーネはルイードを、示し合わせたように抱き合った。

―――――――――――――――――――

風が吹き、舞い散る桜の花びらがルイードとマレーネを包み込む。
抱きしめ合う二人の男女と、それを祝福するかのような風と花。
その光景はただ美しく、しかし、見つめるシャルの胸に侘しさや寂しさが去来する。
何故、そんな気持ちになってしまうのか。
それは舞い散る桜の様に、自分の心の中だけで、美しい何かが形も持たずに散っていった事を思い出してしまったからか。
不愉快さは無かった。
この侘しさも寂しさも、空に吸い込まれていく花びらの様に消えていき、清々しさだけが残ると知っているから。

目の前の眩しすぎる光景から目を逸らし、共に並ぶ友人に目を向ける。
874の視線はルイードとマレーネに釘付けにされ、顔には見たこともない様な表情が浮かんでいた。
口を開け、呆けるような、羨むような、憧れの眼差しで二人を見つめている。

「……874?」

驚きの余り、シャルは確かめるように、恐る恐る874の名を呼ぶ。
モニタ越しでしか接したことのない874の感情は読み取り辛く、表情も平坦な無感情なものしか見たことが無いシャルにとって、874がそんな分り易い表情をするのが信じられなかった。
たっぷり十数秒の間を置いて、874がゆっくりと言葉を紡いだ。

「マレーネは、ルイードの『一番大切な存在』になったのですね」

「うん」

胸にチクリと棘が刺さる様な痛みを感じながら頷く。

「私も…………何時か、一番になれるでしょうか」

「うん……………………え?」

思わぬ言葉に反射的に疑問符で返してしまう。
意外過ぎる問いだ。恋愛どころか友情や親交とも縁の薄い彼女が、まさかそんな事を思うだなんて。
いや、それこそ、そんな事を考えてしまうような相手が出来たという事だろうか。
だとすればそれは誰なのか、ソレスタルビーイングの仲間の誰か?
もしかしたら今日の二人を見て、組織に入る前の想い人の事を思い出してしまったのか。
シャルは一瞬にして喉から飛び出そうになった無数の疑問を、874の直向き過ぎる羨望の眼差しを受け、飲み込む。

誰にだって言えない事はある。
自分の中の、はっきりと生まれることの出来なかった想いも、きっとそういうものだ。
874がそういう感情を秘めていたとして、誰がそれを責めることが出来るだろう。
ましてや、あの眼差しを見た上で、それでも尚深く踏み込んで追求する事など。
きっと、874も自分の思いを形にすることを望んでいない。
だから今は、一緒に仲間の門出を喜ぶ事にしよう。

自らの思考をそう纏めたシャルは、再びルイードとマレーネへと視線を戻した。
────故に、彼女はやはり気付けない。
羨望の眼差しの奥に淀む、嫉妬の感情に。
爪が掌に刺さるほど、血が失せて白くなるほどに握りしめられた、874の小さな拳に。
何もかもが変わろうとする世界の中、シャル・アクスティカは一人変わらず、気付くことが出来なかった。

―――――――――――――――――――

×月∴日(野菜に歌を聴かせるように)

『後に摘み取る、搾取する事が確定している相手に優しくする行為は珍しい事ではない』
『家畜だって一部の特殊な素材などを作るのでなければ、可能な限りストレスを廃した環境で育成される』
『何処ぞの白い孵卵器とはモノが違う。作物には優しく丁寧な対応を心がける』
『これぞ真の高効率というもの』

『原作よりも整った条件での結婚式は、今後の彼等の男女の付き合いを更に円滑にするだろう』
『俺とて、伊達や酔狂で一部の種族からブライダルプランナーを司る邪神として扱われていた訳ではない』
『流石に原作登場キャラが増えるような子沢山展開は無いにしろ、少なくとも二人が何らかの原因で死ぬまでの間に子供が作られない、という事は有り得ないだろう』

『さて、残念と言えばいいのかどうなのか、彼等は結婚式を挙げた時点では性的交合はあれど妊娠はしていないようで、新しいサンプルを仕込むのはこれからという事になるらしい』
『今現在、彼等の状態は平常だが、もし仮に次の瞬間CM開け、唐突に創聖合体でバロムクロスし、直接的な単語を選んで言えば着床させたとして、あと最低でも十月十日は安全を確保する必要がある訳だが』
『これに関しては問題ないだろう。流石の女傑と言えど、子を孕んだ状態でガンダムに乗り込むなどという真似はすまい』
『万が一の事を考えて、彼等の索敵範囲内にMSが入れないように誘導するのも有りか』
『たかが人間の二人や三人程度、安全を確保するのは全く容易い』

『問題になるのは、その後。子供──GN粒子による変異実験の新しいサンプルが生まれてからの彼等の処遇だ』
『生かしておいてもそれなりのデータは手に入るし、死ぬ場合でも状況次第では良いデータが手に入る。その為の仕込みも済んでいる』
『生かしておくべきか、死なせてみるべきか、それが問題だ』
『……まぁ、子供が生まれた時点で彼等の役目は九割終わったも同然だし、運を天に任せるのが一番なのかもしれないが』
『結論を出すのは少し先、彼等の子供が生まれてからでも遅くはないだろう』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

ルイードとマレーネの結婚式から数年後。
当時は設計中であった第三世代ガンダムも、既に最終組立が行われていた。
当時は技術実証の為の実験機である第二世代が稼働していたのが、今では正式に実戦投入される──武力介入に使用される第三世代が完成する寸前にまで来ている。
それだけの時間が経過しただけはあり、限られた短い時間を生きる人間には、より多くの変化が起こっていた。
正式に(戸籍は抹消されている為、法的な根拠は存在しないが)結婚したルイードとマレーネの間には、二人の愛の結晶である子供が生まれた。

現役のガンダムマイスターと、マイスターから外され予備マイスターとして登録されているルイードとマレーネの間に生まれたその子供は、生まれながらにしてソレスタルビーイングに属する事になった。
何の変哲もない、まだどんな才能があるかも分からないような小さな赤子。
組織内部での名を、フェルト・グレイスという。
ルイードとマレーネ、そしてシャルが話し合って付けた名前だ。
本名を知るものは更に少ない、そして、今暫くは組織の一員としての名前だけを使い続ける事になるだろう。

ソレスタルビーイングの一員として生まれ、基本的にソレスタルビーイングの保有する養護施設で育てられるが、彼女はソレスタルビーイングの構成員として活動するための教育を受けている訳ではない。
ソレスタルビーイングは確かに国家や法とは関わりのない組織だが、まだ確固たる自分の意志も思想も持たない子供を、組織に合わせるように教育して都合のいい少年兵を作る事もない。
生まれが生まれだけに、そして、最初からソレスタルビーイングという組織の存在を知っているが故にそれなりの思想の偏りは生まれるだろうが、彼女は一般的な教育を受け、多少の制限はあれど、将来どうするかは自分の意志で自由に決めることが出来る。
もっとも、未だ生まれて間もない彼女にとって、思想や教育が問題に成るのはまだまだ先の話になるのだが。

現在、フェルト・グレイスは無垢な赤子として、母親であるマレーネ・ブラディやその同僚であるシャル・アクスティカの愛を一身に受け、穏やかな日々を過ごしている。
父親であるルイードはというと、実のところを言えば、あまりフェルトに会っていない。
担当であった第二世代ガンダムの開発が終了し、第三世代ガンダムの開発が行われている今、引退し予備マイスターとなったマレーネは、ソレスタルビーイングの一員として行うべき任務を持たない。
しかし、ガンダムマイスターであると同時にメカニックでもあるルイードは違う。
マイスターとしての役目がなくとも、製造中の第三世代ガンダムを完成させるため、メカニックとしてイアンとともにファクトリーに詰め、昼も夜も無く第三世代ガンダムの開発に従事している。

「まぁ、男のオレが居ても子育てに役立てるとは思えないしな」

とはルイードの言い訳だ。

「それに、フェルトには二人も母親が居るんだ。オレの出る幕はないさ」

「確かにね、アンタより、シャルの方がよっぽどフェルトの親らしいよ」

方を竦めながら自嘲気味に言うルイードに、笑いながら返すマレーネ。
シャルは自分を家族として扱ってくれるマレーネにどう返答すれば良いか分からず、こんなやり取りがあった時は決まって曖昧な笑みでお茶を濁すしかない。
返答には困ったが、ごく自然に自分を家族として扱う二人に、組織に入る時に別れた家族の温かさを思い出しもした。

子育てから逃げるような発言をしているルイードだが、それでも暇さえできればこまめにフェルトの元に顔を出し、マレーネと共に家族の団欒を作ろうとしてもいた。
不思議な事だが、稀にしか顔を出せないルイードを、赤子であるフェルトはしっかりと自らの父親であると認識し、抱き上げられ、話しかけられる度に嬉しそうに笑う。

「今度のガンダムは凄いぞ~」

まだ赤子のフェルトには到底理解できないようなガンダムの話を嬉々として聴かせるルイードと、興味深げに聞き入るフェルト、それを穏やかな表情で見つめるマレーネ。
傍から見ていて、少し変わったところもあるが、理想的な家族の姿に見えた。
あの三人には、目に見えない不思議な繋がりが、絆があるのだろう。

シャルにはそれが羨ましかった。家族として認識されていても、夫婦の絆、親子の絆という物を今の自分は持っていない。
ルイードはマレーネを見つけ、マレーネはルイードを見つけ、二人の間にはフェルトが生まれ、フェルトには仲睦まじい両親が居た。
結婚式が行われたあの日、マイスター874が言っていた言葉を思い出す。
自分は何時か、誰かの一番に成れるだろうか。

何時の事だったか、シャルはマレーネから、ガンダムマイスターを辞めるように勧められていた。
第二世代ガンダムのマイスターとしてスカウトされたシャルは、継続する意思が無ければ第三世代ガンダムのマイスターになる必要はない。
操縦技術を買われてのスカウトではあったが、実際に武力介入を行うマイスターは、それに見合うだけの肉体的、精神的なタフさを備えているのが望ましい。
少なからずガンダムを操縦することに関して経験があるシャルとはいえ、第三世代ガンダムのマイスターにふさわしい適性を持っている訳ではない。
そんな事はシャル自身が一番良く理解している。

それでもシャルがマイスターを続けようと思ったのは、組織人としての使命感ではない。
同じくマイスターを続ける事を希望するルイードを、戦場に出るべきでない『母』という立場になったマレーネに代わり、隣で同じガンダムマイスターとして守ろうと決意したからに他ならない。
そして、そんなシャルの思いは、マレーネにはお見通しだった。
マレーネはシャルを、自らの元から巣立つ子供にそうするように強く抱きしめ、こんな事を言った。

「シャル、アンタはアンタの道を進むんだ。ルイードや私や、フェルトの為に戦ったりしちゃダメだよ。それは間違ってるんだ。私たちは、シャルが優しい娘だって知ってる。アンタは、戦いじゃない、違う生き方を見つけるんだ」

自分を抱きしめるマレーネの言葉に、シャルは答えを返すことが出来なかった。
マレーネの言葉が十分に理解できた、いや、既に自覚できていたからだろうか。
痛いほどの正論に言葉どころか声も出せなかった。

マレーネの言う自分の『優しさ』とは、ガンダムマイスターとして、ソレスタルビーイングとして見た場合の『弱さ』だ。
今の自分は既に、ガンダムマイスターになった頃に抱いていた思いを抱けていない。
紛争根絶を言い訳に、大切な仲間たちを、家族を守ろうとしているだけ。
ガンダムマイスターの皮を被った唯の少女に過ぎない。
仮に武力介入を行ったとして、自分の振るう武力は紛争を根絶する為のものではなく、ただ仲間に害を与える敵を殺すためだけに振るわれる凶器になっているだろう。

それでは駄目なのだ。
それは、ソレスタルビーイングの意思ではない。ガンダムマイスターの使命でもない。
そんな形で振るわれる力は、決して皆で作り上げたガンダムではない。
ガンダムであっていい筈がない。
何時か辿り着く紛争のない未来、その為に捨ててきた、捨てられてきた者達の為に、そこだけは履き違えてはいけない。

ガンダムの話ばかりするが、それを差し引いて考えればルイードは娘であるフェルトの前では唯の親馬鹿だった。
だが、フェルトの為にガンダムマイスターとしての時間を削ることは決して無い。
第三世代ガンダムの開発、武力介入に向けての操縦訓練、シミュレーション、ガンダムから離れての任務に対応するための様々なトレーニング。
マイスターとして必要な仕事をこなした後に、残った時間を全てフェルトに注ぎ込んでいるだけで、マイスターとしての自分を疎かにしていない。
娘を大事にしていない訳ではない。
ただ、妻の夫である前に、娘の父である前に、ルイードはガンダムマイスターであることを選んでいる。
その姿だけで、ルイードの並々ならぬ覚悟をシャルに理解させるには十分だった。

子であるフェルトを抱くその腕が、その手が、ガンダムを操り、戦場でトリガーを引き、人を殺す。
子を抱くその手を血に染め、同じように子を愛する親を、親を愛する子の命を摘み取って行く。
そして何時か、武力介入という戦いの中で、自らの命をも失ってしまう。
何時まで家族の笑顔を見ていられるか、何時まで家族に笑顔を見せる事ができるか、何時まで子に、妻に、愛を注ぐ事ができるか。
決定的な終わりの時、それが何時かは分からない。
しかし、確実に来るその『何時か』に、彼はルイード・レゾナンスとしての全てを失うだろう。

それが分かっていながら、ルイードはソレスタルビーイングの一員として、ガンダムマイスターであり続けている。
紛争根絶のため、人類全体の幸福のために、自らの全てを捧げようとしている。
だからこそ、武力介入が始まる前、ガンダムマイスターである必要がない僅かな時間を、全て家族と共に平和に暮らそうとしているのだ。

(凄いな、ルイードは)

シャルには、そこまでの覚悟は無かった。
ガンダムマイスターになったばかりの頃はともかく、既にシャルの中には『私たち』という括りが生まれている。
その小さなコミュニティが幸せであれば、世界全体の幸福を心から願い全てを捧げるなんて、今の自分にはとても出来そうに無い。

理解は出来た。ルイードの願いは、強度こそ違えど、かつての自分が確かに抱いていた願いだから。
だからこそ、隔たりを、距離を感じた。
そこまでの覚悟を持ったルイードと、それを通じ合いながら受け入れているマレーネ。
自分の幸せは彼等と共にありながら、既に彼等は自分とかけ離れた場所に立っている。

ルイードとマレーネ、フェルトから、家族の温かさを思い出し、同時に、寂しさと悲しさを覚えた。
自分と彼らが同じ場所に立ち、同じ温かさを享受している今は、奇跡のような時間なのだ。
決して長く続くものではない。何時か、別々の道に分かたれる時が来る。
それでも、それでも今だけは、

(この平和な時間が、永遠に続けばいいのに)

そう願わずには居られなかった。

……だが、シャルの願いは天に届かない。
僅か数日の後に起きたとある事件がマイスター達の平和にピリオドを打ち、そして、彼等は永遠の別れを迎える。

―――――――――――――――――――

◎月●日(ルイードが死んだ!)

『この人でなし!』
『あとついでにマレーネも死んだ。貴重な母体だったんだけどなぁ』
『どちらがおまけとかついでなのかは議論の余地が在ると思うが、それほど重要な事ではない』
『死因は原作と変わりなく、人革連の保有する軌道エレベータへのテロを防ぐための武力介入中の事故死』
『コアファイターが離脱できなくなったガンダムプルトーネからシャルを助けるために近付き、そのままGNコンデンサの爆発に巻き込まれてのGN粒子中毒』
『彼等の死亡状況、死後の肉体状況は、彼等の結婚指輪に仕込んだ観測機によってこちらに余さず届いている』
『圧縮されたGN粒子の持つ毒性、進化途中の人体が浴びた場合に齎される変化は、後の研究に大いに役立つ事になるだろう』

『一つ、問題が在る』
『問題と言っても別に「え、なんで一番資料的価値の少ないシャルさん生きてんですか?」と言いたいわけではない』
『この事故が、ガンダムマイスターにイノベイドを推そうとしているビサイド・ペインの仕業である事は知っていたので、とりあえず奴のヴェーダへのアクセス権を剥奪しておいたのだ』
『とりあえず目に見える変異が彼等に現れるまで生かしておこうという思いつきでやった事なのだが……計画が狂った』

『この事件、原作とは異なる犯人が居る』
『計画の首謀者、一体何者なんだ……』
『面白そうなので、暫く放置しておくとしよう、そうしよう』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

人革領、軌道エレベータ付近の空を、閃光が覆い尽くす。
この時代の殆どの人間が存在すら知らない、GN粒子の生み出す光だ。
大量に放出されたGN粒子が周囲のMSを、GN粒子技術非対応のセンサーを狂わせ、一時的にその場から機械的な視覚を奪う。
ソレスタルビーイング以外には一切の記録も残らない、空を覆う光の渦。
その渦の中から、一つの戦闘機が現れる。
機体の一部を損傷した、ガンダムプルトーネのコアファイターだ。
コアファイターは、内部のマイスターが操縦不能な状態であることを確認すると、予め決められていた脱出コースを自動的に進んでいく。

空を行くコアファイターを、一対の視線が地上から見上げている。
地上から戦場のデータ収集を行い、実際にミッションを行なっていたガンダム達のサポートを行なっていた、ガンダムサダルスード。

「コアファイターの脱出を確認。」

そのコックピットの中で、一人の少女が無感情に、ヴェーダに情報を上げるため、淡々とデータを収集し、状況を確認していく。

「テロリストのヘリオン部隊および人革連部隊の機体は、GN粒子の影響により全て停止。テロ阻止ミッションの遂行を確認」

データ収集を続ける874の目の前で、GN粒子による光の渦は消えようとしていた。
放出されたGN粒子が完全に崩壊し、ありふれたフォトンへと変換され大気へと溶けていく。
874はサダルスードの強化されたセンサーを光の渦の中心だった場所、ガンダムプルトーネが居た場所へと向けた。

「ガンダムアストレア、ガンダムアブルホール、ガンダムプルトーネを確認。機体に大きな損傷は見られず」

淡々とデータを収集し、ヴェーダへと報告を続ける。
その口元を僅かに歪ませ、声のトーンすら無意識の内に変え、目の前の事実を確認する。

「ガンダムアストレア、ガンダムアブルホール、両機共にマイスターの生命反応、無し」

詰まること無く言い切り、874は顔を歪める。
口の端を釣り上げた、慣れていない、歪な笑み。

そう、二人のガンダムマイスター、ルイード・レゾナンスとマレーネ・ブラディは、今日この時、その生を終えた。
全て『マイスター874の予定通りに』事が運んだ結果、二つの命は死を向かえ、この世から消え失せたのだ。

「ふ、ふふ」

コックピットの中、874は自らの『イノベイドの規格から外れた身体』を抱きしめ、声を上げて笑う。
何もかもが、874に都合よく事が運んだ。
都合よく『ルイードとマレーネを始末できる』材料の揃った『874の権限で手を加えられる細工で事故を起こせる』ミッションを『シャルが提案してくれた』
そして、事態は874の頭の中の絵図面の通りに運び、思い描いていた通りの結果に収束した。

ヴェーダが気付いていない訳がない。
しかし、プルトーネの操縦系統に手を加えた自分が、処罰を受けていない。
もしもこの行いがヴェーダにとって不都合な、計画の妨げになる様なものであれば、実行した時点で何らかの処分を受け、細工をする事も出来なかった筈。
874は、賭けに勝ったのだ。
『自らの存在意義を否定する事無く』『自らの評価を妨げる相手を排除できた』
もう、怯えることも、嫉妬に胸を焦がす必要もない。

「これで、これであの人は、私の価値を知ってくれる、私を見てくれる」

求める人が、求めて欲しい人が、自分の事を、誰かの付随物としてではなく、自分として見てくれる。
想像するだけで身体が情報単位にほどけてしまいそうな悦び。
彼の求める、一番に興味の向いていた二人が消えた以上、それは決して夢物語ではない。
自分は処罰されていない。故に、始末した二人は既に計画に不要な人材だったのだろう。
だから、自分は決して、使命に背いていない。
これは使命に矛盾すること無く得られる生の歓び。
感情というノイズが生み出す、無機質だった自分では持て余していただろう感情。
彼が、自分だけに、マイスター874だけに与えてくれた、この特別な肉体を得たからこそ感じることができる快楽。
今はただ、その感情に身を任せ、笑い声を上げるだけでいい。
喜びを喜びとして感じるだけでいい。

「あは、はは、は」

だというのに。
何故、視界が歪んでいるのだろうか。
頬を熱い、透明な液体が流れているのか。
喜びと達成感で満たされているだけの心が、胸が、引きちぎれんばかりに締め付けられるのか。

「ルイード、マレーネ」

唇が震え、始末した、死んだ、『殺してしまった』二人の名を自然と紡ぎ出した。
そうだ、殺した。
苦楽を共にした仲間、何の罪も無い二人を、幸せに生きていけた二人を、尽きぬ愛情を子に注いでいた、注ぎ続ける筈の二人を。
私は、
私の友達を、
私が、
殺した。

「う、うあ、あ」

身体が震える。
割れるように痛む頭を抱え、止めどなく溢れる涙を拭う事すら出来ず、喉からは怯えるような声が漏れた。
縋るようにモニタを確認し、二機のガンダムのステータスに浮かぶ『生命反応無し』の表示を視界に入れると、身体が自分の制御を離れ、どうしようもないほどに震え出す。
コックピットの中で赤子のように丸く蹲る身体が、震え、テレビのノイズのようにその輪郭をぼやけさせる。

────マイスター874は、心身ともに欠けること無く、完全にその機能を行使する事が出来る、何の変哲もないイノベイドだ。
来訪者から彼女にだけ与えられた『ヴェーダ内部の人格をそのまま実体化するプログラム』もまた、彼女の精神に影響を与えてはいない。
それがどのような超常の力で引き起こされたとはいえ、彼女の中に生まれた感情は、誰もが持ち得る恋という強い衝動でしかない。

彼女にとって、これは初恋で、彼女は自らの持つ全ての感情に対して不慣れだった。
故に、恋という衝動が、友への親愛を見えなくしてしまった。
もう少しだけ、ほんの少しだけ、その衝動が静かなものであれば。
殺す必要が無かった事に気が付けただろう。
二つの感情を両立する事が出来る事に気が付けただろう。
イノベイドである彼女は、冷静であれば、その程度の結論には容易く到達できた筈だった。

その事に、マイスター874はようやく気が付く。
彼等を見る自分の中に、嫉妬以外の熱が、友の幸せを喜ぶ温かさが在ったことを。
人間である彼らが老いて死を迎えれば、何時か彼の目は自分を見てくれるだろうと、期待を持って待つ事も出来た筈だ。
その気になれば、ルイードとマレーネを害すること無く、ガンダムマイスターの任から外すように手を回すことだって不可能ではなかった。

「う、ちが、違う、こんな、私は」

そうすれば、彼等は、生まれてきた新たな生命と共に、幸せに余生を過ごすことも出来た。
彼らが死ななければならない理由なんて、殺す必要なんて無かった。

「ルイード、マレーネ」

あの二人を、仲間を殺しては、いけなかったのに。
自分の、マイスター874の未熟な感情が、彼等の未来を奪ったのだ。

「ごめ、ごめん、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」

874の後悔は何処にも、誰にも届かない。届ける事はできない。
マイスター874による二人のマイスター殺害計画は、ヴェーダに見逃されている。
計画に支障がないからこそ見逃されたという事は、既にこの殺人も計画の内に含まれてしまっている。
イオリア・シュヘンベルグの目指す最終目的を果たすための計画、その歯車であるマイスター874は、決して計画に背いて存在する事はできない。
自らが計画し、暗に承認され、実行に移され、許容されてしまったミッションを『間違いだった』と結論付けるなど、できようはずもない。
自己否定は意味の否定、マイスター874という存在の否定に繋がる。
計画を進める歯車として、イノベイドとしての自己保存が働き、自らの消滅を機能的に許容することができない。

そして、彼女に芽生えた感情が、自らの消滅を許容できずに居る。
死ぬのが怖い。
愛されず、誰にも顧みられる事無く消えるのが怖い。
仲間を、友を殺した事を、完全に無意味にするのも怖い。

しかし、大切な仲間を、友を殺した事への罰が下されないのも、同じくらいに怖い。
消えてしまいたくなるほどの罪悪感と、使命を果たすまで自己判断で消える事は許されないという道具としての使命感が、身を裂かんばかりの矛盾を孕ませる。

そして、この思いすら吐き出すことが許されない。
死を恐れる、計画の失敗よりも、自らの死を恐れるのは、道具として間違いなく欠陥だ。
欠陥がある、欠損の在る不良品であることを口にしてしまえば、消滅という今最も恐ろしく感じている未来が近付いてしまう。

「た、たく、た、あああ、ああ」

助けて欲しい。
こんな時こそ、痛みを感じるほどに感情に振り回されている今こそ。
貴方に認められる為に、貴方に見てもらう為に、貴方の注目をあびるために、貴方に大事にされるために、貴方が愛する道具であるために。
貴方の一番に成るために、私はこんな事に、こんな有様になったのだから。

だから、貴方にこそ裁いて欲しい。
私の罪を全て曝け出し、吐き出し、貴方の手で幕を引いて欲しい。
乱暴に突き放して、唾を吐いて罵って欲しい。
無言のままに首を撥ね、醜い骸に変えて欲しい。

だけど、貴方にだけは受け入れて欲しい。
縋り付いて泣き喚きながら懺悔する私を、抱きしめて欲しい。
君は悪く無いと、正当化して欲しい。
仕方がなかったのだと、許して欲しい。

「──、────」

声に成らない。
愛おしい人の、名を呼ぶことすら出来ない。
罪悪感が、最も口にしたい、救いを求めたい相手の名を呼ぶことすら許さず、無意識の内に発声に関わる器官をブロックする。

マイスター874は決して自らの罪を告白することができない。
全てはヴェーダの計画に組み込まれてしまったから。
自分の罪を、正当なものであったと肯定されてしまったから。
罪ではないとされたなら、存在しない罪を、誰が、どうして裁けるというのか。

そして、何より。

「嫌わ、ないで」

裁かれたいと思いながら、嫌われたいとは思えない。
嫌われたくないと、その思いを捨てることができない。
愛されたいという願いを捨てる事ができない。
使命を、義務を盾に、自らの恋を肯定するしかできない、見るも悍ましいこの胸の中の醜い想いが、決して自分に真実を語らせる事はないだろう。

「お願い、します。どうか、どうか」

浅ましい、そう思いながら、願う事だけは止められない。
それを止めてしまったなら、どれだけ楽で、苦しく、救われて、突き落とされてしまうか。
自らの持つ全ての感情を、残された全ての存在理由を盾に、足場にして抱く、たった一つの想い。
本人に告げる勇気もなく、決して伝わることの無い、孤独で、一人よがりな祈り。

「私を、私を────」

言葉にすらできない想いは、只々低い嗚咽として、コックピットの中にだけ虚ろに響いた。





続く
―――――――――――――――――――

ガンダムが殆ど名前程度しか出ねぇ! というガンダム二次創作に在るまじき第八十二話をお届けしました。

まぁ有り体に言うと、恋心が暴走して自爆して取り返しの付かない事をしてしまってメンタルズタズタな女の子を書きたかっただけの話なのです。
一応、メカポが洗脳ではなく、相手が『恋心を』抱く能力であるという点の危険性を表せたらな、という理由も無いではないんですが。
従属ではなく恋である以上、好意の表現法も画一的で無いのは当たり前で、だからこそイレギュラーになってしまう、とかどうとか。


本当に読者の方々が疑問に思っているかは余り考慮されない、自問自答コーナーの巻。

Q,なんか874が精神的に自爆してるけど、これって重要なことじゃねえの? サポAIが主人公に知らせてれば回避できたんじゃね? 何、反逆?
A,サポAI的には主人公の成長優先な上、仮に知らせた所で主人公が動いたかって言うとそうでもないです。
『そっかー殺したいかー、じゃあ殺されるだろうし、死ぬ場合のデータを取る感じで進めんべー』
ぐらいのリアクションしか出てこない可能性が高いです。
報告受けてれば主人公、874の憎しみが二人の子供にまでは及ばない=次のサンプルは無事だろう、って結論を出しますし、そこら辺はサポAIも大丈夫だろうと当たりを付けています。
つまりどっちにしても874は精神的に自爆していた訳ですね。
Q,シャルが進化してなかったり、仲間の内心に気付けてなかったり、鈍感過ぎて扱い悪くね? シャル嫌いか? スカーフェイスのBBAは駄目か?
A,シャルは第二形態が見た目も精神面も一番良い感じなんですよねぇ。
ちなみに進化しないとか鈍感とかははっきりとシャルの素質不足です。
原作でもイノベ化してませんし、革新に必要な『変わろうとする意思』が不足しているとこのSSではみなしています。
元からある程度理想を持ってマイスターになった上、変わろうという意思を持つきっかけとか無くある程度初志貫徹してるから、イノベ化するにしてもソレスタルビーイングの外の人類と同じタイミングでしか進化できないんじゃないかな、と。
で、ルイードはメカオタ根性から入ったのが、他の二人を見て真のマイスターになろうという意思を持ち、マレーネは自らの罪を認めつつ、ルイードとの交流などを経てそれでも人として共に歩んでいこう、的な意思が芽生えたんじゃないかとか。
まぁ変わろうとする意思、っていう条件がそもそも曖昧なので、ここらへんはほぼ独自解釈なんですが。
ていうか巻末で腐ってるし、もう革新とか無理なんじゃないかなこの人。
Q,なんで874自分で殺しといて後悔してんの? メンヘラ?
A,メカポに限らず、ポ系能力はあくまでも因も果も無く自然に恋に落ちたり愛に囚われたりするだけの能力な訳で。
当然、他の友人とかに抱いていた友情とかそのままなんで、そこら辺をうっかり忘れて恋心という衝動で動いてしまうと、こんな感じに取り返しがつかなくなります。
Q,肉体のある無しで使命への縛られ具合が違うとか言ってなかったっけ? 設定変えた?
A,変えてないです。この時点で874が得ている肉体は仮のもので、言わば魔導書の精霊の様なものです。理屈は多分次回書くかも。あるいは書かないかも。
因みにそんな能力を与えられたのは肉体がまだ完成していないこの時期に結婚式に出席させる為。
本体はあくまでもコンピュータ上にある人格データなので、見た目上肉体を得てスタンドアローンな状態に見えても、実質的には使命に強く縛られたままです。
因みに、『使命あるから自殺も自供もできんわーまいるわー』というのは874の思い込み。
メカポ状態で恋心が消えていないので、
『自分が消滅する=受け入れられる確率が0になる』
という可能性を無意識の内に潰している訳ですね。相棒補正での無茶は使命に縛られながらマイスターを殺害した所で使われてます。
Q,ヤンデレにするとか言ってなかった?
A,嬉しそうに被害を出し続けるヤンデレより、一時の衝動でやらかして内罰的に苦しむ正気の少女の方が書いててウキウキする事に気が付きました。
やっぱり苦痛には緩急が必要なんですよ(迫真)
Q,OO編入ってから間延びしてるし爽快感無いしで良いとこ無いよ?
A,書いてる方もそろそろ気付いてます。
ので、


★☆アンケートにご協力ください☆★

①OO編はさらっと流して早めに纏めて欲しい。
②いやいや、省略とかせず、じっくりと進めて欲しい。


実はOO編、やろうと思えばかなり短く纏められます。
現状、主人公のやらかすあれやこれやに対するOO世界住人のリアクションを視点変更してまで書こうとしてるから時間がかかっているので、そこら辺を簡略化すると凄いことになります。
主人公が技術習得しながらイベントを潰して話を短くする理由は幾らでも用意できるのです。
実際、技術の進歩に影響ないイベントもそれなりにありますので、カットしようと思えばかなり軽量化が可能です。
どちらにしてもさして大きな盛り上がりとか救いとか無い地味な話になりますし、アンケも出た意見を参考にする程度なので、気軽にお答えいただけると幸いです。
さらっと流すと言っても少なからず戦闘シーンやら原作キャラとの接触もあるのでそこら辺はご注意を。

因みに早めに終えた場合、次のトリップ先はちゃんとプロット、というか、最低限話を作れるネタ複数とまとめのオチを作ってからの投稿になると思うので、少し間を置くと思います。
一応、おおまかな流れが出来てるのも一本あるっちゃあるんですが、見切り発車で今苦戦してる最中ですんで、慎重に、ということで。
早めに終えなくても次の投稿までには間が空くの確定なんですが。


と、今回はこんな感じです。
前回のあとがき読み直して思ったんですが、やっぱり最初に立てた投稿予定は確実に通り過ぎる運命にあるようですね。
そんな訳で、出来れば梅雨が開ける前に投稿したいところではありますが、長めに見積もって7月が終わるまでには次話を投稿しようと思います。

では、今回もここまで。
誤字脱字の指摘、文章の簡単な改善方法、矛盾している設定への突っ込み、その他諸々のアドバイス、そしてなにより、このSSを読んでみての感想、心よりお待ちしております。



[14434] 第八十三話「改竄強化と後悔の先の道」
Name: ここち◆92520f4f ID:e98270e7
Date: 2013/09/21 14:40
†月∪日(鍋でしか裁けない罪がある)

『世界を一つの鍋パーティーであると仮定する』
『この機動戦士ガンダムOO世界、現実世界と同じく西暦を使用している関係上、話を単純化するため、原作の始まる少し前に小さな鍋が粉砕され、残った材料が大きな鍋へと移された』
『材料が集められたのは、ユニオン鍋、人革鍋、AEU鍋の三つの大鍋だ』
『大きな鍋三つは、手に入れた小さな鍋達の材料を元に、それぞれ独自の調理を始め、戦争も半ばを過ぎた辺りで大方の鍋は方向性を定める事に成功した』
『味付けも具材も異なる鍋ながら、それらの鍋には味があった』
『皆違って皆良い。そんな事を口にしながら、彼等は相手の鍋を突くチャンスを密かに伺う程に、彼等の鍋は素材を生かした素晴らしい鍋だった』

『そこに、パーティー会場から抜け出し身を潜めていた、小さな小さな鍋が現れた』
『その鍋は三つの大きな鍋にも破壊された小さな鍋にも気付かれないよう、少しずつ、全ての鍋から必要な材料を拝借し、』
『SB鍋「メルクの星屑どヴぁどヴぁ」』
『あらゆる素材の味を塗りつぶす最強の調味料で、鍋パーティーで造られた全ての鍋を陳腐化してしまったのだ』

『つまり、これがGNドライブの功罪』
『GNドライブ及びGN粒子の齎す超常の能力はMSを新たなステージへ押し上げたが、逆にGNドライブを搭載しないMSの技術発展は一旦ここで途絶える』
『これから暫く、少なくとも劇場版とそのアフターストーリーが終わるまでの間、あらゆるMS技術はGNドライブを活かすための技術として扱われてしまう流れが出来た』
『例外もあるにはあるが、それはGNドライブ出現前から研究されていたものが実を結んだだけというのが殆どだろう』

『仮に、この世界にGNドライブの理論を提唱した資産家の老人が居なかったのなら』
『時間はかかっても、間違いなくGNドライブと同等かそれに並び立つ技術が現れたことだろう』
『というより、イオリアが思いつかずに他の真っ当な技術屋なり科学者なりが思いつけば、もっと大々的に技術を明かされて、GNドライブ搭載機の系統樹も横に広くなっていたのではないだろうか』

『……こう書くと、GNドライブがリアル系技術の系統樹を貶める、世界観に合わないトンデモ技術に思えるかもしれない』
『だが、大概の厨二気味リアル系ロボものは、まず真っ当な技術開発が行われており、その上で主人公や侵略者が齎した超技術で話が動き出すものなのである』
『人間やその世界の主要な種族が練り上げた技術を踏みにじる展開は、ある意味ではリアル系世界では逃れ得ぬことなのかもしれない』

『それに、あくまでもこれはIFの話でしか無いし、仮にGNドライブ技術が早い段階で各国に広まったとして、正史と比べてこれといった応用技術は増えなかっただろう』
『何しろ、イオリアは未だ実機も造られていない理論の段階で、GNドライブやGN粒子の応用技術の大半を予測してしまっている』
『外伝でしか登場せず、結局他の兵装に応用されたのかどうか怪しいGNリフレクションにしても全く新しい技術ではなく、ガンダムが元から持つGN粒子制御技術のちょっとした応用でしか無い』
『トランザムは言うに及ばず、ツインドライブによるトランザムバースト、それに伴う脳量子波を利用した他者との精神接続(精神感応か? 違いはそれほど無いが)に、恐らく、量子テレポートすら』
『全て、作中に登場するGN粒子を利用した技術のほぼ全ての基礎理論が、ヴェーダの中には記されているのだ』

『実際問題ソレスタルビーイングの、というより、ヴェーダに記されたイオリアの理論は少し、いや、過剰なほどに、GN粒子関連技術を学ぶ教科書として優秀過ぎるのだ』
『ヴェーダのデータベースを自由に閲覧できる権限があれば、ソレスタルビーイングが実際に開発するのを待つ必要性は殆ど無い』

『ただ、それはあくまでもGN粒子関連技術の学習をこなす上での完璧でしかない』
『リアルロボット系世界の住人たち、そして実際に研究開発を行う科学者や技術者達が、武力介入を行うガンダムと敵対し、集まった情報のピースから如何なる推論を行うか』
『また、擬似GNドライブを与えられた彼らがどのようにGN粒子の特性を生かすべきか試行錯誤する過程は、ヴェーダのデータベースからは得がたい情報である』
『闇鍋染みたスパロボ世界や無限螺旋とは異なる真っ当な鍋パーティー、作る過程も楽しんで学ばなければウソというもの』
『さり気なくばら撒いたミラージュコロイド技術によるビーム兵器の残骸などから得られる知識を、この世界の連中がどのように吸収していくか、また、発展させていくかというのも見ておいて損はない』

『結局、原作の大まかな流れを残しつつ、その過程で行われる技術研究とかを盗み見るという過程は変えられない』
『急いては事を仕損じる。足踏みの時間や壁にぶつかった痛みもまた、技術発展には必要不可欠なのだ』
『リアル系世界では、テンション高くギター弾いてたら足元のコードに引っかかってすっ転んで後頭部から地面に激しく激突、その衝撃で革新的な新理論を思いついたりする展開はマイノリティでしかないのである』

『そんな訳で、発展性もクソもない、殆ど完成されていると言ってもいいGNドライブの研究は控えずに行っていこうと思う』
『まずは基本を踏まえつつ、既成概念に囚われない、自由なGNドライブを作るところから始めてみよう』
『最終目標は、この世界的に正しい科学に則った、正常な出力のGNドライブだ』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

漆黒の宇宙空間。
遠くに無数の星明かりが見えるのみで、この宙域自体には恒星の光は届かない。
太陽系から遠く離れ、付近に惑星の影すら見えないこの暗闇に、無数の光の軌跡が描かれていた。
その数、三十一。
三十と一というのが正確か。
三十の翠色をした箒星が、一際大きい同色の箒星を追いかけている。

箒星──スラスターから放出されたGN粒子の残光。
追う三十と追われる一は、単純に戦力差として数えることが出来るだろう。
GNドライブは半永久機関ではあるが、単位時間あたりの出力は一定の数値を越えることが出来ない。
三十対一。
数の差は圧倒的、戦力比で言えば、追われる一に勝ち目はない。

暗い真空に無数のラインが描かれた。
三十から一目掛け斉射されたGN粒子圧縮ビーム。
桜色の光条が一に殺到する。

追う三十機のMSは目まぐるしく編隊を組み直し、互いに互いが射線に入らず、追われる一機の進行方向を誘導するために進路を塞ぐように飛ぶ。
三十機のMSが連携を崩さぬ様に広範囲に広がりながら放ち続ける光条は、光の檻となり蠢きながら獲物を追い立てる。
逃げ場はない。
同じGNドライブを使っているのであれば、GNフィールドを展開したとして耐えられる火力でもない。

爆発、閃光。
白に近い翠、桜色も混じった光の渦は、戦闘稼働中のGNドライブが外部からのダメージにより破壊された証。
三十のGNドライブ搭載MSから放たれた破壊力を伴う光条が、過たず追われる一機のGNドライブ搭載MSを破砕した。
……訳ではない。
爆発によって生まれた光源は、編隊の『最後尾』に位置する。

二十九機。
爆発が起きた後に残された、『追う側の』MSの数。
そして、レーダーに映る熱源の数も、二十九。
熱源の数はそのまま追う側が確認できる範囲に存在するMSの数として数えられる。
追われていたMSの、追いかけていたMSの反応をロストしている。

光源が増え、更に反応が減っていく。
光の源は常に爆発するGNドライブの放つ輝きだ。
無音の宇宙空間で、静かな爆発が連鎖していく。
追う側のMS達は訳も分からず、唯見えざる敵の攻撃を避けるために不規則な機動で飛び回り続けるしかない。

十五機。
追う側のMSが丁度半数にまで減らされた所で、残された十五機のセンサーが、ようやく見えざる敵を、追い立てていた筈のMSの姿を捉えた。
恒星から遥かに離れた暗黒宙域にて機体を照らすのは、追い立てる側と追われる側の放出するGN粒子の輝きだ。

分厚い、通常のMSよりも一回り厚みのあるシルエット。
シンプルな人型に近いMSに、全身を覆う追加装甲。
推進に用いられるGN粒子は、張り出した追加装甲から直接噴出している様に見える。
内部のMSではなく、追加装甲にこそGNドライブが搭載されているのだろう。
暗い灰色の装甲は、塗装すら施されていない剥き出しの地金の色。
背部には、分厚く短い、狩猟用のハチェットにも似た二本のバインダー。
刃に当たる部分に僅かに見える傷が、十五機のMSをバインダーによる斬撃のみで撃墜した証か。

姿を見せた重MSを、十五機のMSが取り囲む。
取り囲む側のMSは、ソレスタルビーイングの標準的なガンダムタイプに近いシルエット。
頭部センサー類はマスクによって隠されては居るが、その性能を妨げるものは何一つ無い。
余裕を持って追い立てていたMSをロストすることなど、普通ならばありえない。

いや、普通でないのは、一目見れば理解できる。
重MSの放出するGN粒子の量は、追う側のガンダムタイプの放出するGN粒子と比べ、余りにも密度が濃い。
粒子放出量が桁違いに高いのだ。
通常のMS、いや、GNドライブに合わせて設計されたガンダムであっても、あの量の粒子を生成、放出しようものならば、ものの数分で機体が負荷に耐えられず爆散してしまう。
その異常な出力に耐えるだけでなく、戦闘機動をこなしてみせた重装甲MSは、明らかに尋常の技術で造られたものでないと理解できるだろう。

だが、十五機のMSはその異常性を考慮に入れ、なお的確に仕留めに掛かる。
ガンダムタイプ五機がビームサーベルを抜き放ち、残りが周囲からの援護射撃。
誤射の無い精密射撃が、五機のガンダムタイプを避け、正確に重MSへと吸い込まれ──。
無い。
逸れたわけでも防がれた訳でもなく、重MSの周囲で『止められて』いる。
しかし重MS自体はビームを止めたまま微動だにしていない。
防御に手を取られ本体の制御が追い付かないのか棒立ちの重MS目掛け、取り囲むガンダムタイプ五機はビームサーベルを突き出し、振りかぶり、スラスターを吹かし吶喊。
後方に控える十機からの援護射撃も激しさを増し、近接戦闘を挑む三機を犠牲にしてでも重MSを撃墜せんとしているのが解る。

対し、囲まれた重MSは未だ無手の棒立ち。
無抵抗にガンダムタイプ達の攻撃を受け入れるように両手を広げ──

轟音。

真空の宇宙空間に有り得ない音の正体は瞬間的に空間を満たした莫大な量のGN粒子が伝える衝撃波だ。
発生源は五機のガンダムタイプ。
爆発の中心、重MSは両手を広げたまま、無手。
しかし、無手の重MSを中心に、『刀身だけのビームサーベル』が、球を描くように飛び回っている。
ビームサーベルの刃、突貫してきた五機から奪取したものか。
いや違う。
このサーベルの刀身は、重MSに向け放たれた、後方からの援護射撃だ。

遠間から警戒するガンダムタイプ達の目の前で、重MSの周りを巡るビームサーベルの刀身は、粘土細工のように自在に姿を変えていく。
超常の力ではない。これもまたGN粒子制御技術の応用だ。
後のアルヴァアロンが用いる、GNフィールドを用いた粒子圧縮技術。
極限まで煮詰められ先鋭化された圧縮技術により、自らに向けられた粒子ビームすら宙に止め圧縮、再形成、操作を可能としているのだ。

捉えた粒子を弄ぶ重MS目掛け、残されたガンダムタイプ十機が武器を持ち替えて追撃する。
粒子制御量の限界を探るために、使用粒子量の多いGNランチャーを持つ機体。
実体弾に対する防御の薄さに期待し、レールカノンを持つ機体。
全ての機体に共通するのは接近戦用の武装ではないという事か。
有効打足りえる筈のビームサーベルが粒子を奪われ無効化される以上、接近戦で勝ち目はない。
また、数機を取り付かせて動きを制限し、諸共に攻撃を浴びせるのも不可。これ以上数を減らせば火力と連携の関係で落とせる確率が格段に下がる。

距離を取り、互いに射線に入らない陣形で粒子ビームを、電磁加速された実体弾を放つガンダムタイプ達。
重MSは雨霰と降り注ぐ破壊的な弾幕を気にも留めない。留める必要すらない。
実体弾は瞬間的に展開されるGNフィールドを突破出来ず、ランチャーから放たれた膨大な粒子ビームはそのまま重MSの支配下に置かれてしまう。

そして、支配下に置かれたGN粒子に、重MSは自前のGNドライブから更にGN粒子を継ぎ足していく。
生まれるのは重MSの半分はあろうかという巨大な光球。
もはや淡い輝きなどと言えない程高圧に纏められた粒子が、指向性を与えられ、解き放たれる。

光の濁流。
重MSの周囲から砲身も銃身も無く放たれたそれは、飛沫の一つ一つが非GNドライブMSを蒸発させるだけの威力を持つ、超高濃度圧縮粒子ビームだ。
直撃でなくとも、掠めるだけで致命傷となる。
だが、GNフィールドすら薄紙のヴェールよりも容易く貫く攻撃も当たらなければ意味が無い。
大仰な予備動作と共に一直線に放たれた粒子ビームはガンダムタイプを一機足りとも落とすこと無く虚空へと伸びていく。

ガンダムタイプの半数がビームサーベルとビームライフルを投げ捨て、抜剣する。
腕部備え付けのシールド、その内側に隠されていた、対ガンダム戦の切り札とも言えるGNソード。
単純な実体剣でなく、粒子を奪われ無力化されるビームサーベルでもない。
GN粒子を定着させ、強度と切断力を上げた、ガンダムを切り裂く為に造られた剣。
ビームライフルとしての機能は切り離され、シールドと一体化させて強度を高め、純粋に剣としての安定性を求められた作りだ。
粒子支配を掻い潜り、GNフィールドを貫くのにこれほど適した武装はない。

そして、全てのガンダムタイプが一斉にその粒子を紅く輝かせ始める。
機体内部に蓄積されていた高濃度圧縮粒子の全面解放。
ガンダムタイプ達のコックピットを照らすモニターに一行の文字列が表示される。

【TRANS-AM】

普段はその機能を制限されたGNドライブの機能が、この瞬間から完全に開放された。
貯蔵された全ての圧縮粒子を使いきるまでの僅かな間、GNドライブ搭載機はその性能を三倍に引き上げる事ができる。

マシンスペックの全てを引き出したガンダムタイプ達が、一斉に重MSに襲いかかる。
GNソードを展開していない機体は備え付けられたシールドのみを構え、ソードを構えた機体に先行する。
決死隊だ。
トランザムによって上昇した機動性で一気に距離を詰めGNフィールドに掛かる負荷を上げ、バインダーが振り下ろされた時は、圧縮粒子を定着させたシールドと装甲で受け止め、僅かな時間でもソード担当のガンダムに凶刃が振り下ろされるまでの時間を稼ぐ。

距離が詰まる。
シールドを構えたガンダム達が重MSのGNフィールドに触れるのと、重MSが圧縮粒子ビームを放ち終えるのはほぼ同時。
シールドと接触したGNフィールドは接触面の強度を増すために展開している粒子の量を偏らせ、強度に斑が生まれる。
粒子量が薄くなった僅かな隙間。
その隙間目掛けてGNソードの切っ先が殺到し──

──全てのガンダムタイプが、『死角から飛来した無数の光条』に貫かれた。

僅かに質量を持った光条──粒子ビームの与える小さな衝撃が全てのGNソードの切っ先を狂わせ、伸ばされた切っ先はあっさりとGNフィールドに弾かれて逸れていく。
残されたのは、無傷で泰然と佇む重MSと、全身をビームで貫かれた十五のガンダムタイプ。
次の瞬間、光が空間を埋め尽くし、十五のガンダムタイプは数え切れない程のデブリへと置き換わった。

種を明かして見れば、何のことはない。
重MSの放った粒子ビームは外れた訳ではない。最初から狙っていなかったのだ。
虚空へ向けて放たれたMSを丸々飲み込むほどの太さを持つ粒子ビーム。
それはガンダムタイプの持つセンサーでは感知できない程の距離まで進んだ所で数十に分岐し、進行方向を捻じ曲げてガンダムタイプ達へと向かっていった。
狙いが適当だったわけでも狙いが外れた訳でもない。
撃って、ガンダムタイプ達の死角にまで粒子ビームが進んだ時点で『初めて』狙いを付けたのである。
減衰してもMSを撃破できるだけの威力を持たせることが出来るからこその荒業だ。

そのことは、誰よりも重MSを操縦するパイロットが一番理解していた。
このMSで無ければ、同じ真似はしようもない。

《作戦目標クリア。システム、通常モードに移行します》

簡易な補助AIがミッション終了判定を告げる。
コックピットの中で、パイロットが安堵から大きく肩を下げる。
圧倒的な性能差が有るとはいえ、三十対一、しかもGNドライブ搭載のガンダムタイプを相手にしての戦闘は、精神的にも肉体的にも負担が大きい。
コックピット内部の気密を確認する事無く、ヘルメットを脱ぎ捨てる。

「ふぅ……」

熱の篭った溜息。
頭を振れば短めの髪が靡き、汗が光の雫となって舞い散る。
汗に濡れ輝く『銀の髪』
ヘルメットの下から現れたのは、伏し目がちな少女の貌。
造花めいた美しい造形の顔に、しかし年頃の少女と変わらない、生の感情を浮かべている。

「ミッション完了。……見ていて、頂けたでしょうか」

通信回線を開いている訳でもない。
誰かに聞かせるためではない、自己への確認の為の言葉。

「私は、上手くやれました」

──だから、褒めて、くれますか?
喉すら震わせず、唇だけでその言葉を形作り、頬を染める。
確かな実体ですらない心臓が大きく脈打つ。
静かなコックピットの中に、鼓動の音が響いているような感覚。

私が、マイスター874が、決して口にしてはいけない願いだけれど。
あの人なら、きっと。
そんな願いばかりが頭に浮かぶ。
目を閉じ、ノーマルスーツに包まれたままの指先をそっと口元にやり、桜色の唇をなぞった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

無人機を相手取った試験機のテスト結果を、設計時に算出した理論上のスペックと見比べて首を捻る。

「やっぱり、独自に発展させるのは早かったか?」

第一期から第二期の間に、GNドライブこと太陽炉が補器のブラッシュアップによってそのスペックを向上させているのは周知の事実だ。
だからこそ、もう少し突き詰めて設計し直せば、ツインドライブとまではいかないまでも、この時代の太陽炉とは比べ物にならない高性能な太陽炉が作れると考えた訳だが。
ブラックボックスである炉心そのものまで弄ったからか、如何にも出力が高すぎる。
百年を越える時間をこの世界で過ごし、科学技術の発展をこの目で追い続け学習を続けた結果、この世界の技術がどの程度の規模であるか、大方理解できたつもりだった。
今回、GNドライブを新造するにあたって手を加えた箇所にしても、じっくり研究を続ければ二十年から三十年以内には人類でも気が付く事ができるレベルだと思うのだが……。

「ここまで出力に差が出るか」

自分で作っておいてなんだがこのGNドライブ、本当にリアル系技術の賜物だろうか。
どこかで西技術とかボス技術が混入されていてもおかしくないレベルの出力差だ。
ツインドライブ程ではないにせよ、正規品のGNドライブとは比べ物にならない。
が、しかし。あと数年……は無理にしても、あと数十年もGNドライブの単発運用を研究し続ければ、この世界の人類の技術で再現できる、筈だ。
……つまり、現状この世界に存在するGNドライブとは似ても似つかない性能になってしまった訳だが。

「ちゃんとレシピ通りに造らないと駄目だな、やっぱり」

俺の持つ知識と照らしあわせて考えれば間違い無く現在のGNドライブの未来の姿になっている筈だが、如何せん『この世界の現実的な科学力』に沿った構造であるかという確証が持てない。
いや、理屈の上では間違いなく合っている筈なのだ。
何しろこれまで収集したこの世界の情報を纏め上げ、俺の内部に限りなくこの世界に似せた世界を造り、技術ではなく技術者やその周辺の環境、人物、これから起こりうる事件などを丸々シミュレートさせている。
外的な要因(つまりは俺)の影響は排した状態で有るため、この世界独自のリアル系技術の発展という意味で言えば、今のこの世界よりも正確で不純物の少ない結果を出している筈だ。
因みにELSもついでに排除した状態でシミュレーションを行なっている。
彼等がリアル系やガンダム世界にそぐわないとは言わないが、彼等との融合で人類は一足飛びに新たな生命に生まれ変わってしまった。
彼等の介入による技術の進歩がありなら、俺だってわざわざビームライフルやビームサーベルの残骸を戦場にばらまいて技術の発展速度を加速させるなんて回りくどい真似はしない。

問題は、あくまでもシミュレートはシミュレートでしかない、という事。
多くの創作世界においてそうであるように、人間の可能性は良くも悪くも計り知れない所がある。
理屈の上では完璧、なんてのは、創作物においては『馬鹿な! こんな展開、私は知らない!』なんて台詞を言うための前振りにしかならない。
想像もつかない方法で一気に技術を進歩させる可能性もあれば、ちょっとどうかと思うようなくだらない事件が原因で技術が退化してしまう可能性だってあるのだ。
シミュレートして答えを知った上で、更に現実ではどのような答えが導き出されるかを確認しなければ、本当の答えにはたどり着くことは出来ない。

「挙動は……まぁ、ガンダム、かな?」

粒子発生量が多すぎるから、通常のGNドライブの規格に合わせたスラスターだと加速が急過ぎるのが難点か。
コーンスラスターでこれなら、スリースラスターにしたら……いや、Gに耐え切れても操縦が追い付かない。
俺が使うならいざ知らず、未改造の雑兵イノベイドの反射神経じゃ宝の持ち腐れだ。

いや、だがイノベイドにだって強化抜きにしての伸びしろはある。
あの機体だって振り回され気味とはいえ、874はそれなりに乗りこなしてみせた。
本体で体当りせずにバインダーを当てていたんだから、あの速度の中でもそれなりに敵の姿が見えて、相手に武装を向ける程度の余裕はあった筈。
実際にどんな乗り心地だったかは本人に聞いてみるのが一番かな。
それに前もってヴェーダからGNドライブ系の知識をダウンロードさせておいたから、多少は技術的見解も聞けるかもしれない。

……正直な話、メカポによる諸々のトラブルを抜きにして考えた場合、イノベイドという存在は俺と非常に相性がいい。
微小機械を無数に組み合わせて人間の形に仕立て上げている『機械』であるから、一度取り込んでしまえば俺の機能で一気に性能を増幅させることができる。
更に言えば、脳量子波などの人間の脳が持つ機能を再現できるから、超能力や魔術などの超常の力を持たせてから取り込めば、通常なら強化倍率の低い科学とは関係ない能力も一気に強化可能になる。
微小機械の積み木細工である為、無理をして人型にこだわる必要がないというのもいい。

肉体を持たず、データそのものを実体化させている874ですら、俺が少し手付からパッチを作ってあててやるだけで、そこいらの戦闘用イノベイドを軽く凌駕する性能を手に入れる事ができた。
コンピューター上で機械的に造られた思考、知性に、無数の微小機械の集まりである肉体。
尖兵として使うのに、これほど適した存在もそうそうあるまい。

ただ、マイスター874が俺から見たイノベイドの利点を完全に使いこなせていると言えないのもまた事実。
メカポによって変調をきたした精神は、あれの中に無用な拘りを創りだしてしまった。
人間や他のイノベイドと交流を深めていく上で遅かれ早かれ生まれる拘りではあるのだが、純粋に手駒として扱うなら不要な拘りである。
メカポではなく元から備わっていた機械に対する絶対命令機能を用いたとして、メカポによって生じた恋愛感情は、洗脳などに対して一定の抵抗力を与える補正が付与されてしまう。
勿論、しっかりと必要性を言い聞かせれば、その拘りを曲げさせる事も可能だが……

「まぁ、おやつと兼用のパイロットに期待するのもあれだし」

そこまでするなら、そもそもマイスター874を使う必要すらない。
イノベイド製造に必要な設備は既に製作済みなのだから、適した技能を持ち、メカポによって恋愛感情を発現させても面倒にならないパーソナリティを持つイノベイドを作ればいい。
だが、それでは意味が無い。
いや、意味が無いというのは少し違う。
現状ではこの不便さにこそ意味があるというか──

「む」

呼び鈴に思考を遮られる。
この部屋に、というか、GNドライブ他、OO世界独自技術のテスト用に設えたこの万能重機動要塞には、俺以外に呼び鈴を鳴らせるような存在は一人しか居ない。

「入っていいよ」

インターホンに向けてそう返すと、数秒の間を置いて自動ドアが開いた。

「失礼します」

ドアの向こうに立つのは、内はね気味の銀髪を持つ、十歳前後に見える少女型のイノベイド──マイスター874だ。
可動試験用に用意したノーマルスーツではなく、普段着の学生服に似た暗めの色合いの礼服。
ノーマルスーツ自体はデータではなく実体のある有り物を渡したので、態々与えられた私室にノーマルスーツを置いてからここに来たのだろう。

「マイスター874、GNドライブ対応型試験機の稼動試験を完了。只今帰投しました」

実の所、テストが終わったら結果を簡単に報告してくれとは言っているが、俺の元に直接来て報告してくれとは一度も口にしていない。
共有サーバ内に報告用テンプレートも作ってあり、そっちを元に報告書を作ってくれれば、後は自動でこちらに報告が届けられる様にもなっている。
報告用のテンプレは彼女のデータベースの分り易い処に配置してあるし、使い方だって幼稚園児でも解るように親切に書いてある。
だが、874はテストが終わる度に、必ず俺の部屋に訪れ、直接口頭で報告を上げてくる。

「うん、お疲れ様。じゃあ、いつもの様に報告を聞かせて貰おうかな」

「はい。まず、試験機に搭載されたGNドライブの──」

ねぎらいの言葉だけで硬い表情をあっさりとほころばせた874の僅かに弾んだ声の報告を聞きながら、さて、どう期待に答えてやろうかな、と、そんな事を考えた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「以上が、今回の試験の報告になります」

報告は実に淡々とした内容であった。
マイスター874としては、それは仕方のない話だ。
目の前の男を見初め、心を奪われた瞬間から、常に『使える、役に立つ』存在であろうとしたマイスター874にとって、任務に関する『無駄』は忌むべきものでしかない。
しかし、同時にそれをもどかしく思っているのもまた事実。
地球から遠く離れた実験施設に、(それぞれ種族が怪しいとはいえ)男女が二人きり。
巨大すぎて通い始めてから数年経っても全容が掴めない施設ではあるが、少なくとも、この報告の時だけは、直ぐにでも触れ合える距離に二人きりなのだ。
『道具としての意識』が強くとも、それを上回る『女としての意識』が鎌首をもたげてくる。

(ときめくな、私の心。揺れるな、私の心)

そう自らに言い聞かせてみても、この時間、この部屋に居る時だけは、常に『何か』が起きることを期待してしまう。
実の所を言えば、この場所に来る前に部屋に戻りノーマルスーツを置いた後、874は即座にシャワーを浴びて身を清めている。
香水や化粧の類はしていないが、単純に再実体化したのでは表現できない湯上りのしっとりとした肌、石鹸とシャンプーの清潔感の有る香りを武装として身に纏い、何時何が起きても大丈夫だと、『何事』が起きて欲しいのか自覚する事もなく、覚悟だけを決めて来ているのだ。

だからこそ、揺れることもときめくことも抑えられない心が焦れる。
マイスター874は、この硬い空気を変える手段を持たない。
彼が、鳴無卓也が求める『便利なパイロット』としてのマイスター874に、そのような話題を振るスキルは必要なく、余分なノイズでしかない。
男性に対し、密室内部で自らをアピールする為の行動。
それ自体は既に検索済みであり、この場での任務もマイスターとしての任務もない余暇の時間、幾度と無くヴェーダの余剰メモリを用いてシミュレーションを行なっている。
だが、それを行った時点で『卓也にとっての便利な道具』では居られなくなる。
そして、『女としてのアピール』を行ったとして、それが『便利な道具としてのアピール』をしていた時と同じく快く受け入れられるものでない可能性はとても高い。

故に、874は積極的に女性的なアピールをせず、事務的に淡々と与えられた任務をこなすしか無い。
少なくとも『便利な道具』として重宝されているという現状で、願いは半分叶っているのだから。

「いいデータが取れたし、楽しい感想も聞けた。本当に、ありがとうね。874ちゃんのお陰で、凄く助かってるよ」

椅子を回し、机の上のモニタから874に体ごと視線を向けた卓也が笑顔で礼を言う。

「いえ、私は当然の事をしているだけです。……ですが、お役に立てて、幸いです」

機械的な無表情を装おうとして、失敗。
こればかりは何度繰り返しても成功する気がしない。
ほめられた。
何か物を与えられた訳でも無く、その評価が何かに繋がる訳でもない、ただの言葉による感謝。
ただの言葉、音、空気の振動。
そんな些細な物が、自分に向けられたのだと思うだけで、口元が緩み、頬が熱くなる。
もう実体化プログラムを与えられて数年も経つというのに、一向に生身の肉体を完全制御できる気配がない。

他のイノベイドはどうなのだろうか。
もしも、こんな不具合もなく制御できてしまえるのだとすれば、それはとても誇らしい事だ。
イノベイドのそれよりも物質的には人間に遠く、しかし、感情を制御しきれないという欠点において、より人間に近い肉体。
それを与えられているのは、この世界でマイスター874ただ一人。
他の誰も持たない、874だけに卓也が与えた『特別』の証。
たったそれだけで、何もかもが報われ、救われた様な気になる。

特別な肉体を与えられ、特別な任務を与えられ、任務をただ全力でこなすだけで、お礼を言ってもらえ、大事にして貰える。
望みの半分しか叶えられない、などというのは、この時に限って、874の中では些細なことでしか無い。

「そうだなぁ……せっかくだから、何かご褒美をあげよう」

「え、いえ、それは」

勿体無い。そうとしか思えなかった。
ご褒美をくれるという言葉から、女性として扱ってくれるように頼む、抱きしめて貰う、キスしてもらう、抱いて貰う、そんな考えは欠片も浮かばなかった。
そういう事を望んでいない訳ではない。そういうシチュエーションを、自己アピールの時よりも多くのリソースを用いてヴェーダで再現した事すらある。
だが、874には『自分が褒美を貰う』という考えが無い。
使命をまっとうするイノベイドとして、計画の歯車として生を受け、道具として求められる事を喜びとしている874にとって、任務、ミッションをこなすのは呼吸をするのと同じくらい当たり前の事だ。
普段から当たり前に行なっている行動が原因で、『自分が何かを貰う』という事に強い違和感すら抱いてしまう。

声をかけてもらえるだけで、便利な道具だと重宝して貰えるだけで、道具としての喜びは満たされる。
『褒美を貰う』という事態は、874のキャパシティを大きく越えてしまう。
勿論、褒美自体が要らない訳でもなければ、それを自分から拒否する事も出来ない。
当たり前の事を当たり前にこなしてご褒美を貰う、という状況を処理しきれていないだけで、それ自体はとても喜ばしい事だからだ。
何を与えるまでもなく自らに付き従う存在に対し褒美を与えるという行為は、概ね相手の仕事に対して大きな満足を得ており、それを次に繋げるためにやる気を与える意味を保つ場合が多いという。
それは、道具として、持ち主、使用者に与えた満足度のバロメーターだ。
形に残るものであれば見る度、触る度に、性能を認められている事を思い出し、喜びを反芻すると共に、次に繋がるように更なる性能の向上を目指す気概も湧いてくる。

(何を、貰えるのだろう)

あるいは、何をして貰えるのだろう。
『ご褒美』として貰えるかもしれない行為を幾つか思い浮かべ、即座に頭からその思考を追い出す。
無理だ。
一瞬頭に浮かべただけで、874は確信した。
実現性が高い状態でそんな事を考えたら最後、表情は数秒と持たずに崩壊し、だらしない、はしたない顔を見せてしまうのは間違いない。

「うぅん、そうだな……。あ、そういえば874ちゃん、専用機が建造中止になっちゃったよね」

「はい、マイスターの任を解かれた際に。現在は非稼動状態にあります」

建前上の話ではあるが、第二世代マイスター達は本人たちが望み、適性が認められた場合に限り、そのまま第三世代ガンダムのマイスターとして登録を更新される。
武力介入ミッションに従事する上で求められる適正値は非常に高いが、イノベイドであるマイスター874は、その適正値を満たした肉体をヴェーダが用意してくれるため、望めば何の苦労もなくマイスターとしての役目を継続できた筈だった。
だが、マイスター874はヴェーダが製造した肉体に宿る事を拒否したために第三世代ガンダムのマイスターとしては登録されず、製造中だった専用機の開発も凍結。
最も874にしてみれば、計画の要であるガンダムマイスターから降ろされたからこそ余暇が増え、こうしてこの場に居られるのだから、何一つ問題はないのだが。

「じゃ、それだ。874ちゃん、君に、専用のMSを用意してあげよう」

「…………いえ、流石にそれは」

余りにもあっさりと告げられたスケールの大きな思いつき(少なくとも874にはふとした思いつきを口にしているように見えた)に数秒あっけにとられ、遠慮がちに否定する。
自らがイノベイドであることを棚上げし、人間同士で行われる『ご褒美』のやり取りを基準にして考えても、余りにも過剰過ぎる。
どこの世界にMSの性能実験を手伝った報酬としてMSを与える人間が居るというのか。
目の前の男が本当に人間であるかは874自身も知らないが、少なくとも874自身は比較的人間の常識を理解している。
そして、自らがイノベイドであるという自覚を持ち、何かを使役するよりも使役され、使われる道具に近いメンタリティを持つとはいえ、874自身の人格、性格は人間のそれをモデルとして形成されているのだ。
自らの優秀さを示し、卓也が自らを重用してくれている証として考えた場合、MSというのは如何にも釣り合いが取れていない。
今後の仕事ぶりに期待されていると考えたとしても、MS一体というのは、仕事に対する評価としては過大過ぎて腰が引ける。

「そう大げさに考えなくてもいいって。ほら、さっき874ちゃんが乗ってた試験機あるでしょ? あれを少し使いやすい様に改装して、実戦使用にするだけだから。言っちゃえばリサイクル品だよリサイクル品」

「あの機体を……」

確かに、新たに建造するのではなく、試験機を流用するのであれば、まだ多少掛かるコストは少なく済むだろう。
だが、874は言葉を濁した。
報酬が過剰であるという点に引け目を感じているだけではない。

「御心、大変有難くはあるのですが……恥ずかしながら、私の性能では、あの機体を御し切る事はできません」

第二世代ガンダムのマイスターとしてのミッションをこなす為に、マイスター874には人類における一流以上のパイロットに並ぶほどの操縦技術、ガンダムの機動を制御し切るだけの処理速度が設定されている。
それは実体化プログラムによってヴェーダに依らない肉体を得た今でも変わることはない。
実体化プログラムは、ヴェーダに登録されていた塩基配列パターンを元に、マイスター用に戦闘用イノベイド寄りの調整を施された874の肉体の設計図を元に擬似的に肉体を形成しているからだ。

だが、逆に言えば『設計図通りの肉体』でしかなく、本来与えられる筈だった肉体との性能差は0に等しい。
従来のGNドライブ搭載機であるガンダムと比べて突出し過ぎた性能を持つ試験機は、パイロット支援AIの補助無くしては純戦闘用イノベイドですら制御不能に陥る程の性能を備えている。
仮にも874がターゲットドローン代わりのガンダムタイプMSを撃破し、無事に性能評価試験を成功させられたのは、単純に性能差が圧倒的であったからに過ぎない。
例えるなら、カーブも起伏もない直線のコースで、F1と普通乗用車で競争するようなものだ。
パイロットは機体をまっすぐ走らせるだけで勝てるのだから、制御も何もあったものではない。

「別に、性能を完全に引き出す必要なんて無いでしょ。そりゃ一割も性能を引き出しきれてなかったけど、それで不便が有るわけでもなし」

これも正論だ。
10ある内の10の力を全て引き出して戦う相手だとしても、こちらが1000あるうちの80も力を出してしまえば、負ける道理はない。
勿論実際の戦闘は純粋な力の差、性能差だけで決まるものではないが、あの試験機とGNドライブの力を持ってすれば、大概の難事は乗り越える事ができる。
だが、

「貴方からの賜り物を、持ち腐らせる訳にはいきません」

申し訳なさそうに、しかし、譲ることはない意思を表情に浮かべながら、はっきりと言い放つ。
それが例え軽い思いつきだったとして、与えられるMSにそれほど価値を見出していなかったとして、それが874に対する信頼と期待の証である事に変わりはない。
目の前の人は、仮に与えた専用機を使う事無くドッグの肥やしにしたとしても、文句を言う事はないだろう。
だが、与えられた力を腐らせておく事も使いこなせない事も、874自身が許せない。

勿論、874自身がパイロットとしての技量を磨いて、性能を引き出せるようになれば一番いい。
だが、あの試験機を乗りこなせない原因は『技量不足』ではなく『性能不足』にある。
最初からある程度の知識や技術を習得した状態で製造されるイノベイドだが、その技量や知識は経験を積むことにより、人間と同じく強化されていく。
しかし、『性能』は別だ。
『性能』は、機種としての限界を指す。
操縦技術の習熟と戦闘経験の蓄積を繰り返した先には、イノベイドとして有る限り決して越えることの出来ない限界がある。

そして、イノベイドにとってその限界は身近に、目と鼻の先と言ってもいいほどの位置に存在する。
イノベイドがそれを自覚しないのは、生まれた時から必要な技術を持ち、大概の人間を越える性能であるため、先を見ることをしないからだ。
力不足を感じ、自らの技術を高めようと努力を始めたイノベイドは、その時初めて、自らの伸び代が恐ろしく短い事に気が付く。
人間を模し、人間を越える性能で、『人間が努力を重ねて形作る技術を予め習得した状態』で生まれてくるイノベイド。
単純に人間よりも優れた存在という訳ではない。
努力するまでもなく技術を持って生まれてくる代わりに、人間であれば自由に伸ばせる才能の伸び代を消費した状態で生まれてくる不自由な存在、それがイノベイドなのだ。

そして、マイスターとしてMSパイロット向きの調整を施された874にとって、戦闘に関連する技術は既に先が見えてしまっている。
神経速度を含む純粋な身体性能、もしくはそれを補えるだけの操縦技術。
どちらも今の874では、決して手に入れることはできない。

「ふぅん……ちょっと、こっち来てくれる?」

顎に手を当てた思案顔で、こいこい、と軽く手招きをする卓也。
874は軽く頭を下げ、『失礼します』と口にしてから歩み寄る。
椅子に座る卓也に近づきながら、おそらくMSを与えるという案は諦めてくれたのだろうと考え、874は安堵していた。
置き場や整備の手間はどうにでもする覚悟があるが、使いこなせない代物を貰うのは気が引ける。
せめて使いこなせる程度の性能なら喜んで受け取ったのだが、相手はあのアイディールを製造するような御人、一筋縄で行くものを作る筈がない。
それに、どうせ褒美を貰えるなら。

(たとえば、あの逞しい腕で)

身体を包む硬い腕の感触、触れた所から滲むように伝わる体温。
そう、こんなふうに、抱きしめて貰えれば────

「…………え、──え?」

実体化した肉体に感じる感触が、自分の想像によるものではない事に、たっぷり数秒の時間をかけて気が付く。
背に回された腕で抱き寄せられ、頭に回された手で顔が傾けられる。
傾いた頭がちょうど、いつの間にか椅子から立ち上がっていた卓也の胸板に当たり、自らのポジションを、現在の身体の状態を自覚し、

「!」

声にならない叫びと共に、一瞬で体温が上昇した。
抱き寄せられる感触から生じる多幸感が思考を空転させ、『道具としての自分』の思考がエラーを吐き、『女としての自分』の思考がホワイトアウトを起こす。
言葉も声も作れず、ただ地に打ち上げられた魚の様にパクパクと口を開け閉めするも、それで思考が纏まるはずもなく。
ただ、意識するまでもなく、思考するまでもなく、抱き寄せられるがままに力を抜き身体を預ける。
破裂するのではないかという自らの心臓の音と、それよりも尚強く耳に残る静かな、胸板から伝わる鼓動。
とくん、とくん、と、身体全体に響く静かな音に、混乱していた意識が、高揚感はそのままに落ち着きを取り戻す。
そうすると、自分がただ身体を抱き寄せられているのではない事に気が付く。
抱き寄せていた腕は背に、頭を傾けていた手は頭に、『半ば以上沈み込んで』いる。
肉体を突き破っている訳ではない。
情報の塊で形成されたこの肉体に、情報体と化した卓也の腕が溶け合っている。
実体化した仮の肉体を経由して、ヴェーダの中に未だ残り続けている874のデータにアクセスしているのだ。

頭の上、髪の毛に口元を埋めた卓也の囁きが聞こえる。

「使いこなせないなら、使いこなせるようにしてあげるよ」

幾重もの防壁を持つはずのヴェーダが、卓也からのアクセスには一切の抵抗を見せない。
妨害も無く、あっさりと卓也の指が874のパーソナルデータに触れられる位置に届く。
勿論これは比喩的な言い方に過ぎない。
淡白な言い方をすれば、ハッキングに成功した、と、たったそれだけの言葉で済む。

だが、874にしてみれば一大事だ。

「あ、あ」

上ずった声が漏れる。
見られている。ありのままの、マイスター874の全てを。
指先が近づけられるのを感じさえする。
ヴェーダ以外の誰にも見せたことが無く、アクセスさせたこともない場所に。

「ここを」

──触れられる……!
身を強張らせ、未知の感覚に備える。
抵抗は無い、しない。しようとは思えない。思わない。
誰にもアクセスされたこと無い箇所を、無遠慮な手付きで改竄される。
強い被征服欲。
他でもない、この人ならば、と。
覚悟と期待で心が埋め尽くされ、思考が鈍る。

「弄れば、神経速度が上がるかな?」

だが、触れられない。改竄されない。
ソースコードを一通り確認するだけで書き換えない卓也の動きは、触れるか触れないかの位置に指を這わせるフェザータッチに似ている。

「ここは、骨格、筋肉、腱、血管……」

隈無く、隅々まで、874の肉体の設計図を確認し、

「こうするのはどうかな」

段階的に、書き換えていく。

「ぅ、っ……ひ、く……」

一部一部、パーツごとに実体化した肉体が徐々に作り替えられ、噛み締めた口の端から熱のあるくぐもった声が漏れた。
ヴェーダに造られた肉体にインストールされるのではなく、パーソナルデータそのものが実体化した状態である874にとって、それは身体を奥底からかき混ぜられるも同然だ。

「いや、これじゃあ駄目か」

書き換えられた設計図が、直ぐ様書き換える前の状態に戻される。
先の巻き戻しの様に、再び作り変えられる874の肉体。
堪えきった所での追い打ちに、防波堤が決壊した。

「あ、ああ……ひぁぁぁあっ!」

はっきりと艶を含んだ、嬌声。
一部一部書き換えられるのではない、全身の再構成。
根幹を成す人格や習得技術に影響を与えない部分とはいえ、耐えられるものではない。

「もうしわけ、あいま、ありま、しぇ、脚、あしが」

強烈な揺り戻しの衝撃に発声器官が痙攣し、言葉すらまともに紡ぐことが出来ない。
そして874の言葉の通り、かくかくと、生まれたての子鹿のように小刻みに震える脚。
倒れこむ様に抱きしめられるがままだった姿勢は、何時しか服の胸元を掴み、縋り付くような姿勢に変化している。

「楽な姿勢で……って、無理か。じゃあ、こうしよう」

ぽす、と、軽い音。苦しい姿勢が解かれたのだけがわかった。
だがだらしのない表情を隠すために卓也の胸元に顔を埋めたままの874には、卓也が何をしたのかがはっきりと理解できない。
しばらくすると、震える脚のお陰で不確かだった地面の感触が消え、抱きしめられたまま、何かを跨ぐようにして座らせられている事に気が付く。
腿、そして臀部の下に感じるのは、硬い筋肉に包まれた人間の脚。

「や、これ、はぁ……」

最早これ以上熱くなりようがないと思っていた顔が更なる熱を帯びる。
とてもイノベイドがする表情には見えない程に真っ赤に染まった顔、それを見られるのを覚悟で、胸板から顔を離し、卓也の顔を見上げる。

「あの、この姿勢は、改造には」

適さない、という続きの言葉が出てこない。
未だ後頭部から卓也の手が差し込まれているが、思考や言語機能を制限された訳でもない。
いや、原因は理解している。
卓也身体を挟むように乗せられた両足が、背に回されてより強く拘束している。
何のことはない、羞恥よりも、卓也とより密着できるこの姿勢であることの悦びが勝っているという、ただそれだけの事。
ただ、それを自覚してしまえば、次の句を紡ぐ事も、正面から顔を除くこともできなくなってしまう。
故に、熱に逆上せる思考を無理矢理回転させ、問いを放つ。

「何故、なぜ、私に、ここまで」

テストの手伝いのお礼、と、ただそれだけでここまでするものだろうか。
手間が掛からないから、ちょっとしたお礼でもこんな大事になってしまうだけなのだろうか。
そんな思考を掻き乱すように、再び肉体の設計図が書き換えられる。

「うああ、あ、ああぁぁ!」

思考が纏まらず、交尾中の獣(けだもの)のような絶叫だけが吐き出された。
脚の上に乗せられた身体が、何かを求めるように前後に動き、身体を擦り付ける。
半ば以上理性の溶かされた874の耳が、静かなつぶやきを捉えた。

「俺はね、874ちゃん。ただ君に、生き残って欲しいだけなんだ」

──ああ、ああ。

「君は、あの悲惨な事故を幸運にも無傷で乗り越えた、唯一の第二世代マイスターだから」

違う、違います。それは違う、事実とは異なります
事故ではありません。事故ではないのです。
幸運でもありません。幸運に恵まれていい訳がありません。

「命を粗末にして欲しくないし、粗末な散り方をして欲しくない」

彼等の命を粗末扱ったのは私で、粗末に散らせてしまったのは、私です。
散るべきは私で、いなくなるべきだったのは私だったのに。
期待を受けることのない、変えの効くただのパーツの、イノベイドの、革新者の醜い模造品の私が、静かに消えていくだけで良かったのに。

肉体の快楽から剥離した874の罪悪感が、声にも顔にも出さず、罪の意識をどこにも届かない懺悔として言語化する。
罪の告白は成されない。
声に出されること無く、脳量子波に乗ることもなく、ただ思考の中でのみ自らの罪を認め、優しさから掛けられる言葉が心を貫く刃となる。

「二人は逝って、一人は後ろしか見れなくなってしまった。前を向けるのは君だけだ。俺は、君に立ち止まって欲しくない。道半ばで倒れて欲しくない」

──卑怯者、そう、私は、卑怯者だ。
私が台無しにした、私が殺した、幸せな二人。
二人の死が、ルイードとマレーネの死が、シャルの怪我が、この優しさの理由ならば。
罪を告白もせずに、ただ彼の優しさを享受する私は、なんと卑劣な、邪悪な存在なのか。

「わたしは、わたし、は」

視界が歪んでいる。抱きしめた彼の姿が滲む。
止めどなく溢れる涙、鼻から、口から、人間の生理作用で顔面から出てくる体液で流れていない物はないだろう。
酷く汚い、醜い顔をしているのは間違いない。
それでも、顔を見て、告げなければ成らないのに。
裁かれなければ成らないのに。

──それでも、私は。
大切にされたい。大事にして貰いたい。重用して貰いたい。
よく切れるハサミの様に、乗り心地のいい車の様に、都合のいい女の様に、大切な恋人の様に。
その想いを、罪の心は貫けない。

「ぅう、ふ、ぐうぅぅぅっ……」

喉まで出掛かった懺悔は、涙で濁った嗚咽に変わる。
悲しみ、後悔、自分への情けなさ、それら全てからくる涙と嗚咽。
拭われる事なく、頭を抱き寄せられる。
流れでた様々なもので服が濡れるのも構わず、卓也は髪を撫で付けるようにして874の頭の中を弄り、実体化した肉体のその奥、ヴェーダ内部に存在する874のパーソナルデータを、ゆっくりと改竄していく。
弄ぶような手付きではない、慈しむ様な手付きで、しっかりと手順を踏み、874に負担が掛からない様に。
ゆったりとした愛撫にも似た感触に、嬌声とも嗚咽とも付かない声を上げる874。
労るような手付きに悦び、優しさに心と身体を掻き乱される。

「だから、力をあげよう。君から死を遠ざける力、望めば天をも掴める力、神にも悪魔にもなれるかもしれない力を。それをどう使うかは、完全に君の心次第だ」

──その力を君が何に向けるのか、楽しみに見守らせて貰うよ。

自らの喉から溢れ続ける嬌声の向こうから聞こえる、楽しげな卓也の声。
朦朧とする874の意識に、その言葉は、深く、深く、沈み込んでいった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………



当然といえば当然だが、マイスター874がルイードとマレーネを事故死に見せかけて殺害したことは把握している。
更に、この場所でテストを行うにあたって、無理に誰かに手を貸してもらう必要はない。

マイスター874をこの拠点に呼んでテストパイロットの役目を任せた理由は、半ば趣味とか娯楽の為だ。
与える力も、リアル系マシンパイロットの範疇をギリギリで超えないレベルの身体性能と、宇宙が舞台のロボット物にありがちなちょっとした特殊能力程度。
力を与える理由にしたって、『プルトーネの惨劇を唯一無傷で生き残ったマイスター』として優遇してやれば『間違いなく精神的に傷付く』と思っての事だ。

メカポによってこちらに好意を抱いているマイスター874は、少し重用したり、褒めてやるだけで驚くほど喜び、同時に深い深い自責の念で自らの心を傷つけている。
喜んでいるというのも傷ついているというのも間違いない情報だ。
何しろ脳活動をリアルタイムで計測し、更に読心術で脳とは別に存在する心という曖昧な部分に現れる内心をしっかり読んで確認しているのだから間違いようがない。
褒めてみたり、ちょっとしたご褒美をあげる度に多幸感に包まれ、しばらくするとふと、『同士を、友を、自らの欲の為に謀殺して、それを黙っている自分がこんなに幸せになっていいのか』とか、そんな事を考えて胸をズキズキさせているのだ。

だが、罪悪感、後ろめたさのマイナスの感情セットと女としての、道具としての喜びを天秤に掛けた時、874の心はあっさりと後者に傾いてしまう。
本人も自分のそんな薄情な部分を自覚しているのか、874の心の中には常に悔恨の念がヘドロのように沈殿している。
そして、沈殿したそのマイナスの感情は、常に表に現れているプラスの感情へと影響を与え、アイデンティティの崩壊すら招きかねないアンビバレンツな精神状態を形成してしまっている。

874の心が自己矛盾で崩壊していないのは、恋か、使命感か、あるいはその両方、もしくは他の未知の要素が彼女の心を強固にしているが為だ。
普通の人間の心なら、機械に生まれた単純な心なら、どこかで歪みが生まれ、自らの悪や矛盾を正当化して自己防衛を図る。
今の874の状態は、俺が見てきた人間に近いメンタルを持つ生物や器物の中でも、中々持ち得ない貴重かつ複雑な感情なのだ。

複雑な形のまま流動し煮詰まり続けている彼女の感情は『美味しい』と表現するに相応しい。
負の感情を吸収して力へと転化する臨獣殿の闘士としては、これ以上無い程に味わい深い珍味である。
こういった複雑な混ざり方をした負の感情というのは、これまでのナノポや光学ポでは作り出すのが難しい。

……最も、臨獣殿の拳士とか、臨気とかを抜きにして考えても、自分の尻尾を追いかける犬の様にグルグルグルグル自分の中で自分を追い詰める奴は、見ていて愉快な気持ちになるのも確かなのだが。
旧い言い方なら、他人の不幸は蜜の味。
スラングで言えばメシウマ。
子曰く『己の欲せざる所は、人に施すこと楽しい』というもので、これはモラルの問題を無視して考えれば、社会的生物全般が本能的に感じる快感の一種だろう。

「おや」

脚の上に乗せていた874が、いつの間にか声を上げるのを止め、静かな寝息を立て始めていた。
意識を失っている睡眠状態や気絶状態でも実体化が解けないのは実体化理論のモデルになった魔導書の精霊と共通の仕様だ。
だから、同じように夢を見る。

「苦しそうだなぁ」

寝息は穏やかながら、その表情はいっそ痛々しいと感じるほどに悲しげである。
見ているのは悪夢か、それとも、幸いだった時期の記憶の再現か。
何を見たとしても、874は苦しみに苛まれる。
しばらく見ていると、寝息を立てていた874の目尻から涙が零れ、口が小さく動く。

「ルイード……マレーネ……」

掠れた声で呟かれる、かつて874が殺した仲間の名前。

「シャルも忘れたらアカンで工藤……!」

進化の兆しなんて欠片も出てなかったから興味を向けていなかったのに、巻き添えで一生後遺症が残るレベルの被害受けているんやで工藤。
唯の女学生がイケメンに釣られてテロリストの仲間入りをしたら、仲間同士のいざこざで細胞分裂異常起こして定期投薬が必要になるとか。
しかもそのクスリというかナノマシンを作れるのがそのテロ組織だけとか、割りと聞くに堪えないレベルの泥沼だと思うのだが。
死人に対して罪悪感を抱くなら、生きていて、頑張れば多少の取り返しは付くシャルの方からフォローしてやったほうがいいんじゃないですかねぇ……。

「まぁ、そこら辺もメカポの作用の一部か」

結局は、そこに行き着く。
試験機や試製GNドライブのテストと称して874をここに呼び寄せている理由の、残り半分。
彼女は今現在、この世界でもっともわかりやすくメカポの影響を受け、原作から乖離した存在の一人だ。
メカポによって恋愛感情が発生した個体がどのような精神状態で活動するのか、その行動をどう制御すればいいのかを分析する上で重要なサンプルになる。
もう一人は、多分今頃は金色(モザイクではない)大使に媚び売ったり謎の存在として導いたりしつつ擬似GNドライブの設計とかをさせている頃だし、ぶっちゃけホモ臭いのでここには呼んでいない。

メカポによって強制的に運命的な恋に陥ってしまう事になったマイスター874。
彼女の行動原理は、原作とは全く異なる方向性に変化しながら、原作と同じようにとてもシンプルで分り易い。
彼女は無意識の内に『好いた相手に好意を伝え』『気に入られる為にアプローチを行う』のに適した状況を作ろうと行動している。

勿論普通に考えて、生きている人間への贖罪と、殺してしまった相手への後悔では、保証などの面を無視して感情を優先した場合、取り返しの付かない後者を優先する場合が多い。
それも自分が殺したというのがバレていないのであれば尚更だろう。
だが、874は本来ならば前者を取り、シャルの治療や補助に専念するべき、いや、専念しなければならない。
『マイスター』874と付く通り、彼女はまず一人の人間ではなく、ソレスタルビーイングという組織を回す歯車(ガンダムマイスター)として存在している。
ヴェーダが二人に対する謀殺を黙認したとしても、彼女は次に、生きているマイスターの再利用や、次世代ガンダムの開発、新たなマイスター専攻の手伝いなどの任務に従事し、組織のために働かなければならない。

だが、彼女は俺が軽い調子で呼びかけただけでそれら任務の優先順位を一つずつ下げ、この実験施設にやってきて、ソレスタルビーイングの役に立つかどうかも怪しい実験の手伝いをし始めてしまった。
道具としてのアイデンティティこそがマイスター874の根底に存在する、というのは、美鳥の勝手な憶測だったのだろうか。
いや違う。
874は確かに余暇の時間はほぼフルでこちらに来ているようだが、ヴェーダから下された任務は確実にこなした上でこの場所に居る。
恐らく『ソレスタルビーイングの理念実現の為に働く』という原理に対して、大幅な拡大解釈を行おうとしている。
そうまでして、アイデンティティを屁理屈こねて捻じ曲げてまで、この場所にやってきたのだ。
これは、メカポによって恋心を発生させられた相手が、元の性格を残しつつ『致命的なレベルの恋愛脳』になってしまうという証左ではないか。

「なんとなく、わかってきた。この子のおかげだな」

頭から指を引きぬき、そのまま軽く髪を撫で付ける。
たったそれだけの行為で、苦しげな表情が和らいでいく。
適度に飴を与え、適度に手を加えて修復してやれば、不慮の事態で完全に使えなくなる危険性も低くなる筈だ。

つまり、こういうことなのではなかろうか。
メカポの制御、いや、方向性を制御するという事は、取りも直さず──

―――――――――――――――――――

○月◯日(習熟、慣熟、完熟、円熟、じゅくじゅく、ぐつぐつ)

『でもぐつぐつさんよりもまえだけさんの方が好みでは有る』
『だが仮にぐつぐつさんの手作りぐつぐつシチューとか店で出したら、それなりの収益は見込めるのではないだろうか』
『いや嘘だ。実は収益の収の一画目を書いた時点でぐつぐつシチューのせいで採算が合わなくなる未来をサイトロンが運んできた』

『そんな訳で恒例の技術習熟』
『現在、この世界の要でも有るGNドライブと関連技術をお題に習熟を進めている』
『昼も夜もなく学習と実践と習熟を進めるので、当然874が居ない時間の方が長い』
『しかし874が居ようが居まいが習熟は進む。というか、もう居ないほうが早く進むかもしれない』
『実際問題、多少改造を施した程度の874では程度が知れるというかなんというか』

同日追記

『ふと思い立って、剥奪していたビサイドのヴェーダへのアクセス権を復活させた』
『技術発展にどれだけ関わるか分かり難くはあるが、ビサイドの持つIガンダムは後に擬似GNドライブによるツインドライブを行うリボーンズガンダムのベースとなる』
『これまたどれだけ技術発展に役立つかわからない外伝、OOIでの紆余曲折を残す為に、少し暴れてもらわねば』
『アクセス権剥奪されてる間に腑抜けてまともなイノベイドになっていたりしたら、元の流れは諦めて複製作ってリボンズに郵送しよう。着払いで』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

ソレスタルビーイングに所属するガンダムマイスター、グラーベ・ヴィオレントが、ガンダム支援機のパイロットであるヒクサー・フェルミによって射殺。
ヴェーダの登録上は既に死亡、マイスターリストから削除。
同時に、人間として登録されていたヒクサーのデータも抹消。イノベイドとして再登録。

その知らせを受けたマイスター874は、データ上にのみ存在する人工知能に有るまじき多彩な感情から思考を一時的に停止させてしまった。

グラーベは、マイスタースカウトの職務を任された、比較的新しい時代に製造されたイノベイドだ。
彼はスカウトマンとして必要な能力を持って造られ、実際に多くの優秀な人材をスカウトし、その能力に恥じない成果を残している。
ルイード、マレーネ、シャル、アレルヤ、ニール。
スカウトされた彼等の優秀さは、そのままグラーベの優秀さの証明でも在った。
ソレスタルビーイングには他にも少なからず存在するが、彼ほど優秀なスカウトマンは他に居ない。
生まれ持った素質の高さか、後天的な素養に寄るものかは不明だが、その優秀さがあればこそ、彼はガンダムマイスターのスカウトという大任を与えられていたのだ。

そんな彼が、死んだ。
それも、彼の親友と言ってもいい、無自覚型のイノベイドであるヒクサーに銃で撃たれて。
実体化せずとも、膝が折れたかのような、その場に崩れ落ちてしまいそうな酷い虚脱感。

だが、874の情動が心を折りかけても、874が874たる所以、マイスターとしての、計画の歯車である無機知能としての874が思考を継続する。
グラーベは、如何なる理由で殺害されたのか。
個人的な私怨という線はまっさきに消えた。
イノベイドとしての自覚を得たその日から、彼には私生活という時間が存在しない。
また、任務の一環としてソレスタルビーイング内部で活動する際にも他のメンバーとの衝突はなく、不器用ながらも人当たりの良い男で通っている。
ましてや、スカウトとしての技能としてではなく、かつて情報収集型として活動する内に身につけた人の心の機微を読む力に長けているグラーベが、人間関係で殺人に繋がるほどの致命的な間違いを犯すことはない。
事実、グラーベを射殺したヒクサーにしても、普段からグラーベの事を親友と言って憚らない程に信頼していた。
それはヒクサーがグラーベのスカウト活動をサポートする為に、専用の調整を施された状態で送り込まれたという事情を抜きにしても変わることはない。
ヒクサー・フェルミという『人間』が、グラーベ・ヴィオレントという『人間』と共にミッションをこなしていく過程で作り上げた、嘘偽りのない信頼だ。
実行犯であるヒクサーに、グラーベを殺害する動機は存在しない。
恐らく、ヒクサーは外部からの肉体をコントロールされ、自らの意思とは関係なく、グラーベを撃たされたのだ。

そんな真似が出来る者を、874は一人だけ知っていた。
ルイードとマレーネの結婚式を境に、いや、実体化を可能とする特殊なプログラムを組み込まれたその日から大きく引き上げられたアクセス権限。
それを駆使し、組織内部に『自らと同じ危険要素』を探し、発見した特殊な機能を与えられたイノベイド。

「ビサイド・ペイン」

名を口にし、半ば停止していた874の感情を含む部分が動き出す。
グラーベは優秀なスカウトだ。
それはヴェーダによってスカウトの任を解かれた後でも変わらない。
抹殺対象であった筈の目撃者の能力と人格を見抜き、ソレスタルビーイングに有益な人材である為にヴェーダへと助命を願い出て、それが受け入れられたことからも明らかだ。
彼が生きて活動を続ければ、これからも優秀なマイスター候補が、マイスター以外の優秀なスタッフが集まっていくことだろう。

彼が生きている限り、組織の外から新たに優秀な人材が集められ続ける。
そうして十分な人材が集まることに不満を抱くのは、一部のイノベイドにとっては自然な感情だ。
恐らく、他の誰よりも、マイスター874にはビサイドの不満と不安が理解できる。
動機は多少違えど、マイスター874はビサイド・ペインよりも早くに同じ方法を取っているのだ。理解できないはずがない。
故に、これからビサイドが何をするのか、その結果、ヴェーダがどのような判断を下すのかも予測できてしまう。

ヴェーダは計画の遂行に対して、厳格さと柔軟さを併せ持つ。
確実に計画を遂行するために、あらゆる可能性を模索し、その手段、方法を常に組み換え続けている。
人間のマイスターを廃してイノベイドのマイスターだけで計画を遂行した場合の成功率が高いと判断したなら。
もしくは、ビサイドが人間のマイスターを排除するという事態すら計画に必要なファクターとして組み込んでいたのなら。

ビサイドは何の処罰も受けることなく活動を続ける事になるだろう。
今、理想の実現に向けて歩き続けているマイスター達を排除して。
かつての──今の874と同じように。
いや、ある意味ではかつての874よりも危険性が高い。
ビサイドは874の様に不純な動機から仲間を殺すのではない。
計画をよりよい方法に導くために、現在計画を任されている人間を排除しようとするその姿勢には後ろめたさが欠片も存在しない。
ビサイドは心の底からイノベイドが人間よりも優れている事を確信しているからこそ、人間のマイスターを、人間のマイスターを集めるグラーベを排除しようとしている。
そして、ビサイドが殺すのは同期の仲間ですらない。殺した後に生まれるのは混じりけのない純粋な達成感のみ。

「止めなければ」

現状、この基地でガンダムを操縦できるマイスターは874しか居ない。
グラーベは死に、ヒクサーはグラーベを撃たされたショックで自閉を起こしている。
シャルは最早ガンダムを満足に動かせるほどの身体機能を残していない。
ヴェーダが製造した874のイノベイドとしてのボディに宿った新たな知性、エージェント887では駄目だ。
ガンダムを動かすことはできるが、仮にも予備プランとして武力介入を前提としたパイロットとしての性能を持つビサイドに勝てる道理もない。
そして────彼女を『裏切り者』にするわけにはいかない。

ビサイドのプランである人間のマイスター排除は、恐らく現時点ではヴェーダに受け入れられている。
ヒクサーを遠隔で操り、貴重な腕のいいスカウトマンでもあるグラーベを殺害し、その上でヴェーダから何も制裁や機能停止などが告げられていない以上、少なくともビサイドは計画の修正に一時的にとはいえ成功しているのだろう。
そうして、恐らくビサイドのガンダムはこの基地に向かっている。残りの人間のマイスターとスタッフを葬り去るために。

異常事態だが、マイスター874にはビサイドの行いを不当なものであると証明する手段が無い。
少なくとも現状ではビサイドの『イノベイドのマイスターならば、人間のマイスターよりもより効率的に武力介入を行い、ガンダムマイスターとしての使命を果たすことができる』という主張を覆せない。
人間は弱く、無理解で、自己中心的で、自らを制御できない。
最初から一定の強さを持ち、脳量子波で互いの思考を共有し、自己ではなく計画を中心に動くイノベイドの方が、確かに計画はよりよい形で正確に成就されるだろう。
しかし、それはイノベイドとして生き、データとしてではない『生きている人間』を知らないイノベイドから見た真実でしかない。

「貴方が、もっと人間の事を理解していれば」

こんな事には成らなかったかもしれない。
人間の良い所、優れたところを知れば、イノベイドも人間を認めることができて、こんな強硬策にでなかったのではないか。
そう考えるのは、一度間違えた自分だからだろうか。

人間は『成長』することでその全てを覆すことができる。
互いに手を取り合い不足を補いあう事ができる。
不理解から反発しあう事もあるが、困難に対して力を合わせて立ち向かう力を持つ。
たとえそれで乗り越えられなかったとしても、それぞれが持つ性能以上の結果を導き出す事が可能なのだ。
それを、人間の持つ無限の可能性を、874はかつての仲間から学んだ。
それはヴェーダに根拠として提示するには余りにもあやふやで、しかし、マイスター874が、唯の874として動き始めるには十分な理由だった。

ショックから来る思考の停止も機械としての冷徹な推論も、感情任せの後悔も決意も、ヴェーダ内部にデータとして存在する874にとってはほんの数秒も掛からずに完了する。
まず、彼女は真っ先にグラーベの状況を確認することにした。
本体であるデータがヴェーダの中にしか存在しない874は『物質的にはどこにも居ない』存在だ。
しかし、この世界で唯一『肉体を持たないままの実体化』を可能にする特殊なプログラムを仕込まれた彼女は、ネットワークの存在する場所であれば、入出力系の有無に関わらず『どこにでも居る』事が出来る。

超高密度に圧縮された彼女の肉体の設計図が解凍され、人一人分の空間を占める大気を弾き出す破裂音と共に、マイスター874の肉体が物質化を果たす。
現れたのはグラーベが倒れている格納庫付近の廊下。
血を流し倒れ伏すグラーベと、その向かいで銃を握り、呆然と宙を見つめているヒクサー。
どちらも放置できる状況ではない。

素早くグラーベの状態を分析。
致死量を大幅に越える大量出血、流血に伴う低体温化、心音は無し。
また、肉体を構成するナノマシンが次々と破壊されている。
イノベイドを処分する為のナノマシンを打ち込まれた可能性が高い。
状況は絶望的で、しかし、まだ希望は消えていない。
脳波はまだフラットではない。頭を撃たれていなかったのが幸いしたのだろう。
急げば間に合うかもしれない。

打ち込まれた弾丸は四発。
両足、腰、腹。
肉体構造を一時的に書き換え、針やメスの様に細く鋭い指を造り、傷口を小さく切り開きながら差し込み、弾丸を摘出。
実体化した服の一部を引きちぎり、包帯代わりにして傷口からの出血を抑える。
だがこれでは足りない。
肉体構造を改竄しても治療器具を作り出せるわけではなく、874だけでの治療には限界がある。

「ドクターに緊急の依頼があります」

意識の一部を切り離し、イアン・ヴァスティの私室にある大型モニタへと自らの姿を投影する。

「おいおい、ノックも無しか、い」

イアンが軽口を途中で途切れさせる。
モニタに映る874の顔と腹には返り血が付着し、衣服が一部引きちぎられていたからだ。

「怪我人か」

長年の経験と、数年に渡る付き合いの874に対する信頼が、モノレにして一瞬で状況を把握させた。
マイスター874は任務以外で人を害することを好まず、任務で害したのであれば誰に告げるでもなく最後まで自分で処理を行える。
そして自分に対する依頼となれば、874では対処が出来ず、自分ならば対処が可能な事態が起きていると見て間違いない。

「はい。応急処置は済ませましたが既に心停止しています。場所は──」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……


敵は、ビサイドは恐らく、間違いなくGNドライブ搭載機──ガンダムでやって来る。
しかも、それは人間のマイスターや技術者達が作り上げたものではない、イノベイドのマイスター達が独自に作り上げたものだ。
ビサイドは、人間のマイスターを増やす、彼から見たなら裏切り者になるグラーベを、人間のマイスターが計画の主役に成る様に計画を修正したリボンズの手駒であるヒクサーの手によって殺害した。
事故に見せかけるつもりすら無い。いや、あえて態とらしく『イノベイドのマイスターが人間のマイスター達を処分した』という痕跡を残そうとしているのだろう。
イノベイドが人間よりも優れていると、イノベイドが少し実力を発揮すれば人間のマイスターなど相手にもならないと示すために。

「あとは、戦うだけ」

モノレの到着を待たず肉体を情報に還元し、再び別の場所で再構成。
次に訪れたのは、外への発進口を備えた格納庫。
格納庫自体に用はなく、874は壁を蹴り外へと続く隔壁へと跳ぶ。
視界の端に映る、稼動状態のガンダム。
それらを振り切るようにコンソールに手を伸ばす。

《お姉さま! 危険です、私にも援護させてください!》

隔壁を開放するよりも早く、自室に居るはずのエージェント887から通信が入る。
彼女は、本来自分が使うはずだった肉体を受け継いだ、妹とも娘とも取れる相手だ。
だからこそ、彼女への接触は最低限の言付けだけに留めた。
敵が迫っている。基地にて防衛を行うべし。
これだけで、887は状況を完全に理解することは無くとも、防衛だけはしっかりと行ってくれると信じていたのだ。

「敵の狙いはこの基地に居るソレスタルビーイングのメンバーです。非戦闘員だけを残していけません」

通信越しに887の短く強い呼気が聞こえ続けているのは、格納庫に向けて全力で移動しているからだろう。

《駄目です! ガンダムが複数あるこの基地を狙ってくるなら、敵は当然複数で来るはずで、それなのに、一人で出たら、殺されちゃいますよ!》

887の必死の叫びに、874は知らず頬を綻ばせた。
彼女は、常から自分のことを母や姉の様に慕ってくれた。
887が生まれることができたのは、874がヴェーダから与えられた肉体に宿るのを拒否したのがそもそもの原因である。
ルイードとマレーネを謀殺した自分が肉体を受け取りマイスターとして働く事に覚えた不安と違和感、また、既に与えられていた実体化プログラムを蔑ろにすることへの拒否感も理由だったろうか。
彼女が誕生には、自分の遅すぎる後悔と、醜い独占欲が纏わり付いている。
だが、そんな理由で生まれた彼女は、最初から誰かを慕う事を知り、誰かの死に悲しみを覚える事ができた。
褒められて屈託なく笑い、不満があれば頬をふくらませてすねて見せる豊富な人間性を持っていた。
自分の選択が、そんな素晴らしい人格を生み出すきっかけになった。
それが、誇らしくて堪らない。

「そこまでわかっているのなら────後を任せても、大丈夫ですね」

今度こそ自らの意志で微笑を浮かべ、コンソールを操作し、隔壁を開く。
通常ならば段階的に開閉され、決して真空に成ることはない格納庫から、見る間に空気が抜けていく。

《お姉さま! す、スーツは?! それにまだMSにも乗ってないのに!》

「必要ありません」

通信越しに慌てふためく887に、宇宙空間に向けて吹き荒れる風に乱れる髪を抑えながら短く返す。
イノベイドの肉体は細胞分裂によって造られず、予め製造された六十兆超の細胞ブロックを一つ一つ組み立てて造られる。
そうして完成したイノベイドの肉体は人間の肉体と異なり、完全に予め決められた形と性能を備え、それは総じて人間の能力を凌駕する性能を備えている。
だが、それでもイノベイドの肉体は人間をモデルに造られているのだ。
身体には血管が流れ、食事によって栄養を補給し、肺から酸素を取り入れて脳に運ばなければ脳細胞は死滅してしまう。
当然、生身で宇宙空間に出て無事で済む道理はない。

「887、これからは貴女が。……私ではなく、貴女が皆と共に」

だが、874は真空になりつつ有るこの環境で、何一つ損害を受けていない。
今や874の耳には自らの身体を流れる血流の音も、肉体を動かす筋肉の収縮音も、自らの呼吸も、心臓の鼓動すら聞こえない。
耳が聞こえなくなった訳ではない。
既に874の身体からは血も、筋肉も、肺も、心臓も消え失せている。
見掛けだけの人の姿を、粘度人形の様に変形させて動かす。
それが、今の874の肉体制御法。

《お姉さま……それ、は》

887の顔が青褪めていく。
887が観測する874のバイタルサインは既に消滅している。
874の観測したグラーベとは異なり瀕死という訳でもない。
何しろ、モニタ越しではあるが、887は874が普段通りに動き続けている姿を確認している。
それは、ヴェーダの与えてくれた常識では計り知れない現象だった。

「……」

何時しか874の視線は外にだけ向けられていた。
ヴェーダの持つ知識から外れた正体不明な自分を、887がどんな目で見るのか。
戦いを前にして、そんな事を気にかける程の余裕はない。
外に流れ出る大気に乗るように宙へ跳び、真空の宇宙空間へ。

「マイスター874より『デュグラディグドゥ』、MSの転送を要請します」

伝わる筈のない言葉は脳量子波により、遥か外宇宙に存在する実験要塞『デュグラディグドゥ』へと一瞬の内に到達。
カタパルトに設置された874専用MSが、機体内部に蓄積された圧縮GN粒子を開放し赤い粒子を吐き出し始める。
次いで、接続されたカタパルトに搭載されたGNドライブがトランザムを発動、瞬時に専用機のGNドライブと同調を開始。
カタパルトと専用機、二基のGNドライブが同調状態から発するGN粒子がサークル状に広がり、連なる二つの円を描き────

「コアパーツ、マイスター874、搭乗完了。『ノミャーマ・ダガー』敵機を迎撃します」

マイスター874をコックピットに据える形で、量子テレポー卜を完了させた。
艶のない落ち着いた黄で染め抜かれた分厚い装甲に、関節と装甲の継ぎ目に垣間見える黒。
背部に備えられた格子柄のバインダーは、切っ先のない幅広の刀刃にも虫の羽にも見え、その姿は何処か蜂を思わせる。

スラスターが見えなくなるほど多量のGN粒子が溢れ出し、機体を格納庫から遠ざけていく。
874にとって最も馴染み深いスリースラスター式の推進器。
しかし、かつて使っていたそれらとは比べ物にならないほど安定している。
緑色の粒子が機体を押し出し、疾く、美しい曲線軌道を描く。

《メインシステム 戦闘モードを起動します》

流れる定型文を聞きながら、874は深く息を吸い込む。
コックピットの中は当然のように人間が登場するための生命維持システムが搭載されており、酸素もあれば有害な宇宙線も届かない。
そして、874の為に特別に設えられたノミャーマは、人間の生理機能を有した状態で始めて全ての性能を発揮することができる。
体内を流れる血流の音が、心臓の鼓動が、筋肉と骨と腱の伸縮音を感じ、実感する。
生きている。
仮初の、未だに理解できない不可思議な理論で作り上げられた肉体であっても、自分は生きているのだ。
あの基地に居る仲間たちは、自分以上に『生きて』いる。

「来た……」

現れた二機のMSを操るイノベイドもまた、自分より遥かに分り易い形で生きているのだろう。
先ほどまで自分が居た格納庫の方角から現れた二機のMSを見ながら、874は思う。
この戦いにどれだけの意味があるのだろうか。
ビサイドの思想が間違っているとも、自分の意見が間違っているとも思えない。
平等に、どちらの言い分にも利がある。
ならば自分に、ビサイドと同じ『味方殺し』である自分に、彼の主張を否定する権利はない。

「それでも」

閃光が宇宙の闇を切り裂き、ノミャーマへと迫る。
GN粒子を用いた圧縮粒子ビームの速度は光速には届かずとも生身の人間では反応しきれない程の速度を備える。
そして迫る光条は明らかな直撃コース。

874の頭の中で種が一つ弾け飛ぶ。
思考を濁らせていた懊悩が薄れ、思考の透明度が増した。
通常ならば回避しきれない距離まで迫ったビームに対し、コックピット内部の874は眉一つ動かさず、僅かにコントロールグリップとペダルを動かすのみ。
操作に合わせ、ノミャーマは気持ち程度斜めに身体を傾け、たったそれだけの動きで粒子ビームの有効範囲から逃れる。
見えている。そして、反応速度が上がっている。

「守ってみせる」

全身を覆う重装甲、その背面側全てが展開を始め、積層状の薄型GNコンデンサーが曝け出された。
次の瞬間、積層の内の一層が裂け、爆発したかと見紛う程の勢いで粒子を吐き出す。
いや、裂けたのではない。
薄型コンデンサー専用のシングルスラスターが、貯蔵していたGN粒子を開放したのだ。
開放されたのは両肩、腕、背部、腰部、脚部の全ての装甲内部に備えられていたGNコンデンサーの一部。
開放された粒子を推力へと変換するのは、安定性よりも速度を優先したスリースラスター型を更に先鋭化させたシングルスラスター。
生み出されるのは、ガンダムのセンサーを振り切る程の急加速。

「くッ」

余りの急加速に歯を食いしばる。
強化改造を施された肉体だからこそこの程度で済んでいるが、もしも生身のまっとうなイノベイドであったなら、この瞬間にコックピットの中で潰れたトマトになっていても可笑しくはない。
センサーと、センサーを越える精度の874の超感覚が敵機の姿を捉える。
両肩から二門の大砲を生やした青い機体。
ヴェーダのMSデータベースには該当がない。
恐らくはイノベイド側のマイスター達が独自に開発を行っていた機体なのだろう。
そして、イノベイド側の開発陣は、人間のマイスター達が積み上げた技術をそのまま流用し、独自に発展させている。

故にイノベイドのMSは────874の機体に、触れることすら叶わない。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

簡単な作業の筈だった。
スカウトのイノベイドであるグラーベを、奴が友人として信頼しきっているヒクサーを操り、細胞破壊ナノマシンを打ち込み殺害。
ダメ押しで、ヤツの仲間である人間側の開発チームとエージェント達をMSで基地ごと潰すだけ。

実際、途中までは何の問題もなく進んでいた。
グラーベは死に、ヒクサーはグラーベを殺害してしまったショックで自失。
セキュリティは何の問題も無くスルーでき、MSを動かすために必要な、そして計画の要と言ってもいいオリジナルのGNドライブも奪取できた。

抵抗があったとして、あの基地で現在MS戦を行えるのはマイスター874とエージェント887のみ。
そして現時点でGNドライブを三基奪取している以上、実際に出撃してくるのは多くても一機。
それも、引き連れてきたGNキャノンと、イノベイド主導による武力介入を目指して製造された万能機であるIガンダムで十分に圧倒し圧殺できる。
少なくとも、ほんの数秒前まで襲撃者────ビサイド・ペインはそう考えていた。

「なん……だと……?」

ビサイドの目には、いや、Iガンダムのセンサーすら、目の前で何が起こったかを正確に観測することはできなかった。
十分に余裕を持った距離からマイスター874の機体を砲撃していた筈のGNキャノンが、瞬きする間に破壊され、無残な残骸を晒しているのだ。
爆発は起きない。GNドライブは避けて攻撃を行ったのだろう。
いや、攻撃をしたのか?
874の乗るMSは武装らしき武装を備えていない。
だが、間違いなく、874の乗る未確認機がGNキャノンを撃墜したのだ。
874のMSの挙動を捉えられなかったビサイドだが、その証拠だけはIガンダムのセンサーすら通さず、カメラアイからの映像だけで把握することができた。

「なんて粒子量だ」

声が震えている事すら自覚できない程に、ビサイドはあっけに取られている。
挙動は見えなかった。
だが873のMSの動いた跡、その軌道上には空に線引く飛行機雲のように、高濃度のGN粒子が拡散する事もなく滞留している。
片方のGNキャノンの隣を通り過ぎ、鋭角な方向転換でもう一機のGNキャノンへと進む軌道。
その軌道に遊びも揺らぎもなく、ただ敵に向けて一直線に進むだけの、真っ当なMS戦ではそう見ないほどのシンプルな動き。

「なんなんだ、あれは、余りにも」

その単純な動きで呆気無くGNキャノンが破壊された。
二機を一瞬にして撃墜した手段は、傍目から見て、その軌道と並ぶほどに単純。

「速すぎる……!」

黒い宇宙というキャンバスに描かれた、巨大で荒々しい『V』の一文字。
筆である874のMSが余りにも速すぎるために、その一文字はビサイドから見ていても突然現れたようにしか見えなかったのだ。

(あんな機体の情報はない。なんだあれは、出てきたのはマイスター874じゃないのか? 彼女がこの状況でガンダム874を使わない理由はあれか!?)

モニタに写るV字軌道の先端に悠然と佇む黄の重MS。
よくよく見てみればその機体はビサイドの知識にもヴェーダのデータベースにも存在していない。
一瞬だけ視認できたカラーリングから誤認していたが、そのフォルムは開発を凍結されたガンダム874と比べて一回り以上大きい。
ずんぐりとして、しかしヴァーチェとは異なり鈍重そうなイメージを与えない。
分厚いシルエット、攻撃的な印象の黄、規格外のスピード、それら全てが圧倒的な粒子放出量と相まって、一種異様な威圧感すら感じてしまう。

(だが、勝てない相手ではない筈だ)

圧縮粒子ビームを避けたということは、装甲はそれなりでしかないのだろう。
分厚い装甲も、恐らくは加速時に使用する粒子を貯め込んでおくためのコンデンサーであると考えれば、あの機動力にも説明がつく。
そして、自分はあのMSの加速力を知り、その上で真正面から相手を捉えている。
タイミングを合わせて迎撃すれば────

《THIS WAY (こっちだ)》

モニタが一瞬で翠の輝きで埋め尽くされ、874の声がヘルメットの中に響く。
視界の端に写ったディスプレイによれば、通信は、『接触回線』で行われている。

「ひっ」

喉から引きつった声が漏れた。
反射的に、ビームサーベルを振り翠の霧──GN粒子を吹き払う。
しかし、モニタには874のMSの姿はない。

《FOLLOW ME (ついてこい)》

再び接触回線による通信。
同時に機体が揺れる。
振り向けば、GNフィールドを張ることすらせずに874のMSが無防備な背中を晒してゆっくりと遠ざかっている。
ビームライフルで撃てば簡単に撃墜できるだろう。
その筈だ。
だが、ビサイドにはどうしても、目の前のMSがダメージを受ける姿を想像することが出来なかった。
先行する874のMSが顔だけを振り向かせる。

《来なさい。基地(ホーム)を傷つけたくありません》

874の静かな、仲間を殺されたことに対して何ら感情の揺らぎを見せない平坦な声。
それはビサイドの知る874のパーソナルデータと矛盾することのない反応。
しかし、静かで無感情な声から、何処か抗いがたい強制力を感じる。

『これに逆らってはいけない』
『戦えば負ける、勝てない』

本能がそう囁きかける。
人間を模して造られたイノベイドの、本来有り得ざる生命としての生存本能が、目の前の敵に屈している。
その事実に、ビサイドは酷い不快感を抱いた。
自らの内の恐怖を誤魔化すように、ビサイドは口を開く。

「僕が誰か聞かないのかい? それとも敵であるなら排除するだけかな?」

《登録番号08368-SA846、ビサイド・ペイン》

ドキリとした。
平坦な声は既に無感情を通り越し冷えた鉄の様な響きへと変わり始めている。
見ぬかれている。
声を出したのは今の一言が始めてで、あちらからこちらのコックピット内部の映像を見ることは不可能な筈。
そして更に、ただの人間側の予備マイスターでしかない874が、イノベイド側のマイスターである自分の素性をここまで正確に把握されている。
何故か、と、その疑問を抑えこむ。
認めたくはないが、機体性能はあちらが一歩先を行く。
精神面でまで圧倒されてはいけない。

呼吸を整え、手札を確認する。
性能で劣り、技量は未知数。
ならば搦手、精神的な揺さぶりを掛けて隙を作り出す。

「仲間を殺されて、それでもその冷静な対応、恐れ入るよ。肉体を持たず、データ上にのみ存在しているだけの事はある」

軽い揺さぶり。
実際、ビサイドから見て今の874は怒りに我を忘れているようには見えない。
やはりデータ上の存在であるがゆえに無感情なのか、彼女自身のパーソナリティがそうさせているのか。
だが仮に、今の彼女の平静な態度が怒りを堪えた上でのものであれば、その抑えた感情を解き放ってしまえば、隙を作ることも難しくはない。

「ああいや、死んだのが役目を終えたグラーベだからかな。スカウトがほぼ終わった今、彼が生き続けなければいけない理由もないからね」

軽口を叩きながら、視線は先を行くMSの背から一瞬足りとも離さない。
ガンダムに限らず、MSに即座に分り易くパイロットの動揺が現れる訳ではない。
一言一言探りを入れ、慎重に反撃の機会を伺う。

「おや、君はドクター・モノレにグラーベの治療をさせていたのかい? 人間じゃあるまいし、また無駄な事を。死体はどうしたって生き返らないだろう?」

挑発を繰り返していく内に、ビサイドは心の余裕を取り戻し始めていた。
なるほど機体の性能はずば抜けているようだが、どうやら頭の中は人間と同レベルにまで劣化してしまっているらしい。
そんな考えが浮かび、口調にもはっきりと嘲りの色が浮かび始めている。

《お喋りをするな、とは言いませんが》

「は?」

Iガンダムの目の前で、874のMSがゆっくりと静止する。
振り返りさえしない。
周囲に推進に使用したGN粒子が残留している事を除けば、背面に備えられた刃の様なバインダーも展開されていない。
Iガンダムに、ビサイド一切の注意を向けず、無防備な背中を晒している。

《撃たないのですか》

「────っ」

そうだ。
隙を伺う必要すら無かった筈だ。
こちらを基地から離すために先導していた874のMSは、常に無防備だった。
動きに隙がなかったのではない。
晒した背中、全てが隙だった。
撃てば当たった。間違いなく。言われてみれば、確かにそうだった。
では何故? 何故撃たなかった?
自問するビサイドの指先は無自覚に震えている。

《……怖いのなら、そう言いなさい》

淡々と、嘲りの感情など欠片も混じっていない、温度も起伏もない平坦な口調。
その言葉の内容に、

《言ってくれるのなら、同族の誼で手加減位はしてあげましょう》

「っ、あ、ああああああああああぁぁ!」

ビサイドの頭の中で、大切な何かが弾け飛んだ。
引き金を引く。
抜き打ち同然、いや、最初からIガンダムの手に握られたままだったビームライフルが、その銃口から高熱と質量を伴う圧縮粒子ビームを解き放った。
────遠く離れた、ソレスタルビーイングの基地目掛けて。

瞬間、Iガンダムの目の前にあったMSの背が消え、膨大なGN粒子だけが残された。
どこに消えたのかなど考えるまでもない。
874の目的がグラーベを含む人間側のマイスター達を守る事であることを考えれば。
圧縮粒子ビームが一度解き放たれた以上、Iガンダムやビームライフルを破壊している余裕はない。
基地を守ろうとするのであれば、そう、粒子ビームと基地の間に割り込まざるを得ない。

コマ落ちした映画のフィルムの様に唐突に、粒子ビームの行き先に874のMSが姿を表す。
そうして桜色の光条は、まるで吸い込まれるように、コックピットを貫いた。

光爆。
翠よりも限りなく白に近い輝きがIガンダムと基地の中間から巻き起こった。
圧縮されたGN粒子が瞬間的に開放された際に発生する独特な光。
これと同じ輝きは過去、小規模な武力介入の際に起きた、ガンダムプルトーネの事故でのみ観測されている。

嗜虐の悦びにビサイドの表情が醜く歪む。

「馬鹿な奴。所詮は正式なマイスターからも外された欠陥品ということか」

震える声で虚勢を張る。
そして、自らの言葉が虚勢に過ぎないという事を理解しながらビサイドの心には後ろめたさも情けなさもない。
機体性能の差で負けていながら、Iガンダムは確かに874のMSを撃破したのだ。
これが、人間側に着かされた、肉体すら持たないイノベイドの成り損ないと、武力介入を前提として造られた完成されたイノベイドである自分の性能差だ。
やはり人間達のマイスター達よりも、イノベイドである自分達の方が優れ、正式な武力介入を行うに相応しい。

未だGN粒子をまき散らし続けている爆発痕を避け、再び基地に向けてビームライフルを構える。
自分達が優れている事は証明された、だが、それでもヴェーダは人間を計画の要にする現状の方針を変えないかもしれない。
故に、ここで後顧の憂いを断つ。

「これが元々のプランだ。君達には、ここで退場してもらうよ」

誰に聞かせるでもないビサイドの勝利宣言と死刑宣告。
Iガンダムはもったいぶるように緩慢な動作で、ビームライフルの引き金を引いた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

時間は僅かに遡り、ビサイドが874に対する挑発のための基地内部の映像を確認した直後。
ドクター・モノレは必死にグラーベの治療を続けていた。
応急処置こそ済んでいるもののグラーベはその場を動かせるような状態に無く、治療はその場に防菌シートを敷いて行われている。
グラーベを撃ったヒクサーは心神喪失状態にあり、既に自室に運び込まれこの場には居ない。

「グラーベ、戻って来い!」

意識を取り戻させるための、いや、取り戻した時に繋ぎ止めるための呼びかけと共に治療は続けられている。
グラーベの肉体に刻まれた傷は深い。
至近距離から放たれた銃弾が数発、無防備なグラーベの肉体を貫いていた。
銃弾こそ874の応急処置によって取り除かれ、布を用いた簡易な止血こそ成されているものの、それだけで安心できるような軽い怪我では断じて無い。
銃弾による傷で恐ろしいのは、外部に対する血液の流出よりも、肉体内部の血管や内臓への傷が引き起こす内出血だ。
麻酔をかけ、銃創をメスで切り開き、体内出血部を見つけ出しては縫いあわせて塞いでいく。
傷は深いが、応急処置は完璧、場所こそ悪いが今施した治療も最善を尽くした。

だが、グラーベの体温は不可思議な程に低下を続けている。
多量の出血は合ったが、治療を始めて直ぐに再び動き出した脈拍は弱くとも止まっておらず、脳波もフラットにはなっていない。
撃たれた箇所の問題もあり、ほぼ確実に後遺症が残るだろう重症ではあるものの、本来ならば助かる程度の傷の筈だ。
しかし、その肉体は不自然な程に死に向かって進み続けている。

かつて様々な土地で医療行為を行っていたモノレには、この症状に覚えがあった。
毒、いや、人体に対して有害な働き行うナノマシンを投与された患者に見られる症状に酷似している。
一部の軍隊でも研究が行われていたジャンルの化学兵器だ。
原因は判った。だが、対処法がない。
軍で研究されていただけあって、兵器としてのナノマシンは多種多様な種類が存在しており、失敗作も多い。
問題はこの失敗作だ。
正式に採用されて広く使われた種類であれば抗体としてのナノマシンも即座に用意できるが、研究途中で破棄されたり、実際に使用されたことのないタイプであった場合はそうではない。
未知の作用を打ち消す機能を与えられた抗体を新たに作り出すには相応の時間が必要になってくる。
それはソレスタルビーイングの設備を使用したところで変わることはない。
多少早く抗体が完成したところで、それは決してグラーベが死に到達するよりも早く完成することはないだろう。

こんな場面で医者にできる事は余りにも少ない。
身体に刻まれた物理的な傷跡を治療し、死に到達するまでの時間を長引かせるだけ。
これまで培ってきた技術がものの役に立たない。
余りにも無力。
医者としての経験が、冷静な自分が『諦めろ』と語りかけてくる。

それでも、モノレは諦めなかった。
彼は知っている。
ソレスタルビーイングの中には、いや、世界には人に紛れて生きる、人ならざるモノが存在している事を。
そして、これまで同じ組織で仕事をしている間に、グラーベがその人ならざる存在であると確信していた。
例えば、絶対に助からない筈の重症を負いながら生きていたヒクサーのように、グラーベにもまた、人を超えた頑強さ、生命力がある。
余りにも不確かな根拠だが、こうなれば、それに掛けて治療を続けるしか無い。

「グラーベ、お前はこのまま死んでいいのか? お前を撃ったヒクサーはどうなる。それに、今、マイスター874はお前の代わりに戦っているんだ! 戻って来い!」

輸血を行いながら耳元で強く呼びかけ続ける。
代わりに戦っているというのは正確な言い方ではないかもしれない。
基地に外敵が迫っているのであれば、戦うための戦力を出し惜しみする訳にはいかないだろう。
だが、それでもマイスター874が一人で戦っている事に違いはない。
ヒクサーを、人間ではない存在を本人の意思を無視して操り人を害する未知の敵。
そんな敵が生半可なMSを持って戦いを挑んでくるだろうか。
本来ならば、決してマイスター874単機で戦っていい状況ではない筈だ。
ヒクサーが、グラーベが戦える状況であれば、フォーメーションを組んで戦うべきなのだ。

……そして、その事に気付かないグラーベではない。
グラーベはソレスタルビーイングの中でも人一番責任感と仲間意識が強い男だ。
この呼びかけが聞こえているのならば、この言葉は彼の心に、意思に強く響くだろう。
生きるか死ぬかがグラーベの人外の生命力だよりならば、グラーベが意識を無事に取り戻すかも彼の精神力だより。
医者としてできる事を全て行った以上、ここからは本人の生き残ろうとする意思の強さ次第。

とく、とくん。

弱まり、消えそうだった鼓動に一定のリズムと力強さが戻り始める。
消えつつあったグラーベの命の灯火が、強く輝きはじめた。
ドクター・モノレの懸命な治療と、グラーベの生命力と生きる意思が引き寄せた命の光。
それは燃え尽きる前の蝋燭の炎か、それとも復活へ兆しなのか。
現実と事実がどうあれ、ドクター・モノレが選ぶのは後者の道だ。
僅かな可能性を掴みとり命を繋ぎ止める。

「グラーベ! グラーベ!」

呼びかけに応じるように、グラーベの心音が力強く、それでいてしっかりと安定し、やがて、ゆっくりと瞼を開く。

「……ド、クター」

掠れ、ともすれば聞き逃しても可笑しくないほどの微かな声を発するグラーベ。
けほ、と吐出された咳には微かに血が混じっている。

「喋るな」

モノレはグラーベの喉に溜まった血液を吸引器で吐き出させながら冷静に状態を分析していた。
量から見て、気管に詰まっていた血液を意識の覚醒と共に吐き出したのだろう。
体内からの出血は完全に止まっていると見て間違いない。
これが普通の患者であれば、あとは医務室に運び込んで適切な処置を施すだけで済む。

だが、それでは足りないのだ。
普通の処置をしたところでグラーベの肉体はは快方には向かわない。
体内を侵食する未知の何かを今この場でどうにかする方法を見つけない限り、グラーベが意識を取り出した事すら無駄になってしまう。

「ドクター、外科施術は無意味だ。打ち込まれた弾丸に我々の細胞を破壊するナノマシンが組み込まれていた。こうしている間にも、私の身体は」

「わかっている!」

声を荒らげ、聞きたくないとばかりにグラーベの言葉を遮る。
横たわるグラーベに、外面上の変化はない。
しかし、長年医者として患者と接し続けていたモノレには、グラーベに迫る濃密な死の気配を敏感に感じ取っていた。

「私は医者だ。素人のお前よりは余程その身体の状態を理解している。お前は必ず助かる。いや、俺が助けてやる。だから、任せろ」

「私は自分の肉体の状況をモニターできる。あと三十分ほどで、私は完全な死を迎えるだろう。だから──」

グラーベには最後に果たさなければならない使命があった。
スカウトマンとして組織に招き入れたマイスター達、基地に居るソレスタルビーイングのスタッフ。
彼等の命を守りぬく為、外敵を排除しなければならない。
それが残された命を燃やし尽くしてでも果たさなければならない使命。
ヴェーダに命じられた任務ではない。
グラーベが自発的に自らに課した、イノベイドではない、グラーベ・ヴィオレントだけの使命。

残り時間が無くなる前に早急に治療を止めさせて、もはやまともに動かない身体をガンダムラジエルのコックピットに運び込んでもらわなければならない。
パイロットスーツを着てコックピットに載せてもらえさえすれば、ハロやヴェーダの補助を駆使して戦う事ができる。
──皆を守って、戦う事ができるのだ。残り僅かなこの時間は、これまでの人生に匹敵する価値を持つだろう。

グラーベは、その望みを聞き入れてもらえるものと信じて疑わなかった。
ドクター・モノレは腕利きで、経験豊富な医者だ。
治療した患者の数に比例して、最後には命を諦めなければ成らなかった患者も存在している。
死を迎える患者の最期の望みを聞くのも、優れた医者の持つ特性だ。
故に、これ以上の無駄な治療は中断してくれる。
だが、

「生きるのを諦めるな!」

ドクター・モノレは頑としてグラーベの治療を諦めない。
何故、と、視線だけで問うグラーベに、モノレはハロとドッキングしたカレルに用意させた様々な医療器具を広げながら答えた。

「マイスター874がな、お前の治療を頼む時、どんな顔をしていたか解るか。なんと頼んだか解るか」

モノレは、ほんの十数分前の事を思い返す。
彼女はいつも通りの振る舞いのつもりだったのだろう。
だが長年同じ組織の一員として活動を共にしてきた自分達には、その場に居たイアンとモノレにははっきりと理解できた。
あれは、依頼でも命令の伝達でもない、彼女自身の意思から来る『懇願』だ。

「言っていたよ。生まれる前からお前のことを知っていたと。あまり気にかけることもできなかったが、それでも、似た境遇に生まれたお前は、『弟』のようなものだ、とな」

モノレはソレスタルビーイングに入ってからの長い年月で、マイスター874もまた人ならざるものであり、見た目通りの年齢でない事を理解していた。
そしてモノレの理解は、彼女の身体的な人間との差異だけではなく、人格面にまで及んでいる。
彼女は無感情なのではなく、感情の表し方が下手で、それでいて人に感情を見せたがらない、酷く取っ付きにくい性格をしている。
しかもここ数年はミッションの無い時間は基地内部でも姿を見ることが少なく、私生活で何をしているかも分からない。

「今にも泣きそうな顔で、『弟をよろしくお願いします』だ」

そんな彼女が、頭を下げて頼んだ。
通信越しに治療を依頼するだけではなく、モノレが到着するまで応急処置を続け、入れ替わりに格納庫に向かう前にも一度振り向き頭を下げ、念を推すように頼み込んだ。
表情は、泣き顔を無理矢理に無表情に押し固めようとして失敗した様な、酷く無様な顔で。
あれは、自分が泣きそうだということにすら気付いていなかったのではないだろうか。

依頼するだけであれば、態々『お願い』などする必要も、頭を下げる必要もない。
いや、普段の彼女であれば、表面上お願いするにしても、間違いなく形式だけでのお願いだけで済ませた。
だが、彼女は願った。
本来であれば無理な、頼むことすら無意味な依頼を、命を救ってくれるようにモノレに願ったのだ。

願わずには居られなかったのだろう。
プルトーネの惨劇の後、重症を負ったシャルを見ながら自失していた874の姿を思い出す。
思えばあの時も、溢れ出しそうな感情を堪えたような表情だった。
仲間が死に、彼女が生き残る。
このままでは、あの事件の繰り返しになる。

故に、モノレに願い神に祈るだけでなく、惨劇を悲劇を回避するために、彼女は今も戦っているのだ。
他でもない、彼女の仲間を死なせない為に、そして、

「だから、意識をしっかり持て、諦めるな。『弟』のお前が死ねば、『姉』の874が悲しむ!」

────不意に、メスが閃く。
モノレの、グラーベの意識と認識の隙間を縫うように振るわれた一閃。
メスを持つ手はモノレのものでありながら、そこにモノレの意思は一切介在していない。
余りにも自然に振るわれたメスから、不可視の斬撃が解き放たれる。
肉を斬り骨を断ち鉄を裂く一撃がグラーベの肉体へ飛翔し────肉体に傷一つ刻むこと無く、体内のナノマシンの尽くを、一刀の元に切り捨てた。

「な……!」

自らの肉体をモニターしていたグラーベが驚愕し、モノレが息を呑む。
細胞の破壊が一瞬の内に収まり、グラーベの肉体が放っていた死の気配が雲散霧消したのだ。
何が起きたのか、グラーベにもモノレにも理解できない。
ナノマシンを排除した斬撃は、完全に彼等のあらゆる感覚器の隙を縫って放たれた。
故に、二人にはナノマシンが排除されたという結果しか認識することができない。
そして、そんな怪現象の中、即座に持ち直したのはやはりドクター・モノレだった。

「グラーベ、細胞の破壊は止まっているな?」

半ば確信を持ちつつ、自らの肉体状況をモニターできるというグラーベに問う。

「あ、ああ。細胞の破壊は止まった。だが、今のは……」

「深く考えるな。まだ重症である事には変わりない」

長年医者をしていると、極稀にこういう不可思議な現象に出くわすことがある。
しかし、重要なのは回復した原因ではなく、患者を生かす事ができるかどうかだ。

「そうか、いや、そうだな」

言いながら、グラーベの瞼が降り、目が細められていく。
如何に人とは異なる生命力を備えていると言っても、グラーベは未だ自らの脚で立ち上がることも出来ないほどの重症を負っている。

「ドクター……早めの、治療を……マイスター874の、えん、ご……」

外では未だマイスター874が一人で敵と戦っている。
自分も、戦える程度まで治療を完了したなら、即座に出撃しなければならない。
だからこそ、重ねてモノレに治療を依頼した。
ドクター・モノレの察しの良さにグラーベは一目置いている。
ここまで言えば、自分の治療を終えるまでの間に、ガンダムラジエルを出撃できるようにしておくよう、イアンに言付けてくれるだろう。

「任せろ。万全とまでは行かないが、生きて戻れる程度には治しておこう」

力強い肯定を聞きながら、グラーベの心に安堵はない。
未だ自分達は危機的状況に置かれているのだ。
未知の敵の相手をマイスター874にだけ任せている現状に焦燥を抱きながら、グラーベは今度こそ意識を手放した。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

Iガンダムが手に持つビームライフルの引き金を引き、銃口から放たれた桜色の光。
その光が、有り得ない軌道を描き、基地から逸れていく。

「何?」

見たことのない現象だった。
少なくともヴェーダのデータベースには、未だ圧縮され高熱の粒子ビームと化したGN粒子の挙動をああいった形で制御する技術は存在していない。
人間側の開発チームが創りだした新技術か。
だが、無駄な抵抗だ。ビームを曲げるというのなら、接近して直接基地を破壊すればいい。
Iガンダムがライフルを持っていないもう片方の手にサーベルを抜き放つ。
874の誘導によって基地から多少離されてはいるが、迎撃に出られるMSが無い以上、距離の問題は勘定に入れる必要がない。
基地を破壊し人間側のマイスター達を抹殺するのは、ビームライフルを一度撃つのと変わらない程に容易い。
スラスターを吹かし、基地へ向かうIガンダム。

その動きが、ご、という重い音と共に止められた。

《怖いのでしょう》

通信から、そして、脳量子波で同時に直接送られてくる声。
その声に、ビサイドは今度こそ驚愕に打ち震える。

「マイスター874!? 馬鹿な、君は、今さっき、僕がこの手で!」

撃墜し、殺害した筈だ。
まさか撃墜される寸前に肉体を捨て、新たな肉体を得て再出撃したというのか。
いや、それは有り得ない。
この周辺には自分達が持ち込んだMSを除けば、ソレスタルビーイングの基地以外にはMSは存在していないのは確認済み。
そして、自分は874のMSを撃墜してから今まで、基地から一度たりとも目を離していない。それは取りも直さずIガンダムのセンサーが基地を捉え続けていたという事に他ならない。
ならば、何故。

その疑問に答えるように、コックピット内のモニターにサブカメラからの映像が映しだされる。
映しだされるのはIガンダムの背後の映像。
ビサイドの目の前、モニターの中では、今しがた撃墜した筈の874のMS──ノミャーマ・ダガーが、傷ひとつ無い姿でIガンダムを押さえ込んでいる。
いや、傷ひとつ無い訳ではない。
分厚い重装甲に覆われたそのシルエットを一回り小さく縮め、装甲の色も変じている。

「そうか、リアクティブアーマー」

理論としては存在していた。
ガンダムプルトーネに使用されていた、装甲内部にGNフィールドを展開する技術。
その発展形として考えられた、古くから存在する爆発反応装甲をGN粒子を用いて再現したような技術だ。
GN粒子のレーダーに対するジャミング特性を利用した煙幕の役目を同時に果たせるという事で一部の技術者の間で注目された事もあった。
が、武力介入に使用するガンダムにはそれほど必要な装備ではないという点と、完成したGNフィールドの強度と毎時毎のGN粒子生産量を考慮した場合、装甲とジャミングの機能を一つに合わせる意味が少ないという点から、基礎理論だけで実物は製造されていない筈の、言わば過去の遺物。

だが、この場ではこの上なく効果的な装備だったのだろう。
装甲内部にGNフィールドを展開した状態というのは、GNコンデンサーと似た状態にある。
つまり、GNコンデンサーの爆発とGNリアクティブアーマーの爆発は、見た目上は似たような光景を作り出す。
もし仮に、リアクティブアーマーの爆発を意図的にGNコンデンサーの爆発と似た形に成るように調整してあったのだとすれば。
ビサイドは、まさしくあのGNリアクティブアーマーの製作者の意図にまんまと嵌ってしまったのだ。

「この、放せ、放さないか!」

スラスターを全力で吹かしても、背中に取り付いた874のMSはびくともしない。
更にIガンダムの両腕は、ノミャーマの背部バインダーが変じた副椀に取り押さえられ軋み、ライフルやサーベルで反撃を行う事すらままならない。
取り押さえた状態のまま、874はビサイドに語りかける。

《死すら恐れない貴方が、何を恐れるのか。私には、分かります》

「はっ! 僕が何を恐れるっていうんだい? 人間のマイスター達か? それともそんな化物みたいなMSを使う君の事か!?」

874の言葉を鼻で笑うビサイド。
正確に言えば、ビサイドは死を恐れていない訳ではない。
だが、ビサイドはヴェーダに与えられた得意な機能により、事実上『死』から最も遠くに存在するイノベイドだ。
人を超えた超人的な能力、ガンダムマイスターとしての矜持、科学的な不死。
それを併せ持つ自分が何を恐れるというのか。
自分は、ただ使命を果たすのに相応しくない人間のマイスター達を排除し、計画を正しい姿に戻しにきたに過ぎない。
勘違いも甚だしい。

脳量子波が途絶え、通信から874が大きく息を吸い込む音が聞こえ、

《怖いのでしょう。『いらない』と言われるのが》

「────」

頭の中が、真っ白になった。
図星を突かれたからか。
違う。
理屈ではない。874の言葉に、奇妙なほどの納得と共感を覚えた。
同時に、胸の中にある、大きな空白を自覚する。

―――――――――――――――――――

全てが、そう、ビサイド・ペインが内包する全ての力が、その為に用意されたものだった。
戦闘用イノベイドとしての力。
自我を途絶えさせない、死を超越する人格転移、人格上書き。
ビサイド・ペインが持つ力を存分に振るう事ができるのであれば、ソレスタルビーイングの計画は何もかも滞り無く成功しただろう。

死を超越し、いや、何度でも死を乗り越え、戦闘経験を蓄積し、完全な肉体でもって次のミッションに当たることができる。
誰もが羨む不死性も、彼にとっては、ガンダムによる武力介入を行う上で必要になる技能の一つに過ぎない。
ガンダムの敗北後、世界が再び武力介入が必要な状況になったとしても、彼は滞り無くミッションをこなすことが出来る。
力の使い方次第では、彼以外にマイスターが必要なくなるほどの性能を誇る。
ビサイドという存在は、まさしく計画そのものと言って良いほどに、武力介入に適していた。

「貴方は確かに優れている。だからこそ、自分が計画から外されたという事実を受け入れる事が出来ない」

874には、ビサイドの気持ちが解る気がした。
いや、少なからず理解できているという自負もあった。
計画の為に造られ、しかし、その計画の中で、自分の重要性は日に日に下がっていく。
後から現れた、計画の為に生まれてきた訳でもない存在ばかりが重要視され、見向きもされなくなる。

「怖いのでしょう。力の使い道が無くなるのが。計画の為に、生み出された目的のために生きさせてもらえないのが」

全てのイノベイドが潜在的に持つ恐れだ。
生まれてきた意味があるから、その意味を失うのが怖い。
一直線に目指すだけで良かった道標が無くなるのが怖い。
計画に、自らの全てを捧げる為に生まれてきた。
だから、捧げる必要がなくなるのが怖い。
────『いらない』と言われるのが、何よりも怖い。

痛いほどに理解できる。
彼の心が、彼のやろうとした事が。
他でもない、マイスター874だからこそ。
既に同じ過ちを起こした『仲間殺し』の874だからこそ、彼の恐怖が、焦燥が理解できてしまう。
他のどのイノベイドよりも使命に適した能力を持つが故に、傲慢とも取れるほどの強い使命感を元から持つビサイド。
計画遂行への使命感が、新たに生まれた恋心と咬み合い歪な形で増幅された874。

イノベイドは、機械だ。
意味なく生まれてくる事は有り得ない。
だから、生み出された意味を奪われるのを恐れる。
人間を模しているが故に死の恐怖により使命を投げ出す者が居る。
しかし、人間を模倣したが故に生まれたノイズを考慮に入れない場合、イノベイドは常に製造理由を果たす事を至上の目的とする。

データ上にしか存在せず、死という概念を持たない874。
自らの人格を同型のイノベイドに転送することで、事実上死から切り離されているビサイド。

二人は、その性能故に死を恐れる事が『出来ない』という欠点を、欠陥を持つ。
死からの逃避を行えないから、自らの製造目的から目を背けることが出来ない。
死にたくないから、命令を放棄する、任務を放り出す。
そういった真似も、思考も出来ない。

「なら、このやり方では駄目いけない。蹴落とすのではなく、上り詰めなければ」

────何故、致命的な間違いを犯す前に、この考えに至らなかったのだろう。
自らの口から吐き出される言葉が、自らの胸を貫くのを感じる。
ルイードも、マレーネも、ソレスタルビーイングの計画にも、あの人の目的にも必要だった。
必要な物を失わせるのではなく、損なわせるのではなく。
先を行く者の足を引くのでなく、自らが踏み出して先を行くものを追い越し、必要とされる存在に成らなければならない。

「貴方にも解るでしょう。いや、貴方は、わからなければならない」

《君は、君は……! 何も、解っちゃいない! 人間では駄目なんだ! 人間ごときが、イノベイドであるこの僕を差し置いて! 僕は、僕が、僕こそが、計画そのものだ!》

怒りも憤りも焦りも憎しみも悲嘆も屈辱も、何もかもを混ぜこぜにした激情のままに叫ぶビサイド。
その叫びに呼応するように、ノミャーマの背を粒子ビームが貫く。
破壊された筈のGNキャノンから放たれたその一撃は874のノミャーマを破壊するには至らない。
しかし着弾の衝撃が僅かにIガンダムへの拘束を緩める。

《人間じゃなくイノベイドが、いや、僕こそが、計画を遂行するのに相応しい》

内に激しく蠢く感情を秘めたまま、ビサイドは自らに言い聞かせるように呟く。
サーベルを持つ手、その手首から先だけが機械的な挙動で翻った。
刀身を形成するビームの収束率が上がり、線に近い高出力の刀身が伸びる。
伸びた刀身は正確にもう片方の腕、副椀に挟まれている箇所の装甲を斜めにスライス。
切断面から火花を上げながら、腕を押し潰さんばかりに抑えていた副椀の圧力により、押し出されるようにして拘束から逃れ、

《だって、そうだろう? そうでなけりゃ、おかしいじゃないか。何の力も持たずに産み落とされた人間が計画を実行できるなら────》

逃れた腕の肩が、肘が、手首が回転し、ライフルの銃口がノミャーマのコックピット周辺の装甲の隙間に押し当てられ、

《僕達は、何のために造られた》

桜色の爆発が二機を包み込む。
GNドライブから供給される全ての粒子を用いて放たれた粒子ビーム。
リミッターをカットして放たれたそれは、代償としてライフルそのものを破壊してしまった。
だが、GNドライブ一基からMSの全身に供給されていたGN粒子全てを消費して放たれた粒子ビームが生み出した爆発は尋常ではない威力を持つ。
Iガンダムへの拘束は今度こそ完全に解かれ、ノミャーマの装甲にも少なからぬダメージが残っている。

《答えろ、答えてみなよ、マイスター874》

──だが、損傷は明らかにビサイドのIガンダムの方が大きい。
ライフルを持っていた腕は装甲を削がれた状態で爆発をもろに受け爆散、二の腕の半ばから消失。
爆発の衝撃からか、全身の駆動系から火花を散らしている。
対する874のノミャーマは、コックピット付近の装甲が剥落し、コアユニットであるダガーのコックピットがむき出しになっている事を除けば、戦闘に一切の支障がない。

《僕たちの、生まれてきた意味を……!》

戦力差は覆るどころか、結果的に更に広がってしまっている。
だというのに、Iガンダムから、ビサイドからは、闘志が消えていない。
いや、基地に攻め込んだ時と比べて尚、その闘志は漲っている。

────ビサイドの頭の中に、この場で怖気づくという選択肢は存在していない。

彼の存在意義に関わる問題だ。
攻め入る時は、単純にイノベイドを上に見て、下にいる人間に計画を実行されるのが不快なだけだったかもしれない。
だが、自覚させられてしまった。
生まれてきた意味を、存在意義を賭けた戦いだという現実をつきつけられた。
見つけなければならない。自分が自分で居るための意義を。

「そんなものは、ありません」

答えながら、874は自分の中に、何時か感じた重い感情が沸き上がってくるのを感じた。

「理由は、確かにあったのでしょう。元の物とは違っても、別の理由が在るのかもしれません。ですが、今の貴方には、分からない。もしかしたら単純に、もう意味は無いのかもしれない。だから、勝ち取らなければならない」

それでいて、他を尊重することを忘れてはならない。
蹴落として排除した相手が真に優れていたのなら、蹴落とした相手が成長して再び自らを蹴落とすチャンスを残さなければならない。
矛盾だ。
存在意義を賭けた戦いで、自らの存在価値を失う可能性を残さなければならない。
人類を次のステージに進ませるために、計画を成就させるために造られたイノベイドが正確な動作を続ける限り、向き合わなければならない矛盾。
救いがあるとすれば、イノベイドにも再起の機会が与えられているという点か。
だから、ビサイドが取った手段も決して間違いと言い切ることはできない。
可能な限り、可能性の芽を積んではいけないからこそ、勝ち方に節度を求めなければならない。
874が止めなければ、それもありと許容される程度の間違いでしかない。

《……ははっ、なら、僕の勝ちだ。この後に、君が無事で居られる訳がない》

ビサイドが笑う。
そう、勝ち負けの問題で言えば、ビサイドは最初から勝利条件を満たしていた。
ヴェーダは、計画の変更に関しては寛容な判断を下す。
ビサイドがヒクサーを操作してグラーベを殺害した時点で、ビサイドの行動に制限が掛からなかった時点で、ヴェーダはビサイドのプランを消極的に肯定していると見ていい。
武力介入による紛争根絶及び、ソレスタルビーイングを敵として結ばせる三大国家の結束、そして世界へのGN粒子散布は、消耗の心配がないビサイドに行わせるのが効率的だとヴェーダは判断した。

人間が完全にソレスタルビーイングから排除される訳ではない。
既にスカウトされた人間のマイスター達は、『本来の目的』の為に、別の場所で運用される。
ビサイドのプランは確かに効率的なのだ。
事実、あの基地には今後の計画に必要な人材は存在していない。
そのまま始末されたとして、人間をマイスターとした計画も、イノベイドをマイスターとした場合の計画も、どちらも滞り無く実行に移せる程度の人材でしか無い。
故に、874が出撃し、ビサイドを迎撃した事は許されない。
組織内部での無用な争いを引き起こしたとして、内乱罪が適用される事は間違いない。
最悪の場合、人格を含むパーソナルデータの完全消去、良くても機能制限を施した端末への封印は免れられない。

ビサイドは、その後にゆっくりとグラーベ達を始末してしまえばいい。
人間のマイスター候補達もそうだ。適正値に達せずに不採用となれば放置で構わないし、適正値に至ったというのならまた始末してしまえばいい。
ビサイドにはそれが可能だという自負があり、事実、同じ性能を持つガンダム同士であれば、実戦経験の無い人間のマイスターを凌駕するだけの実力を具えてもいる。
グラーベを、人間に対する優秀なスカウトであるグラーベを殺害してしまえば、優秀な人間の人材が補充される事はなくなり、イノベイド主導の計画も安泰となる。

「他の道を探そうとは、思わないのですか」

874は問う。ガンダムマイスターとしての道を諦める事はできないか、と。
ビサイドの能力は武力介入に最適ではあるが、他のミッションに流用できない能力でもない。
あるいは、武力介入よりも能力を活かせる任務に付くことも有り得るかもしれない。

《必要ないね》

ビサイドは、ソレスタルビーイングの計画の要であるガンダムマイスターとしての武力介入こそが、自らの能力を活かしきる最高のミッションだと確信している。
自らの内面を見透かされ自覚してしまった今でも、それだけは決して変わることはない。

《僕は、僕の生まれてきた意味を、ここで勝ち取る》

Iガンダムが残った片腕でサーベルを構える。

《僕が、ガンダムマイスターだ》

無自覚な心の中すら見透かされ、高いプライドはへし折られ、それでも、必勝の意思は尚堅く。
創りだされた意味を、自らの存在意義を証明し、勝ち取る為に。
ビサイドはこの場においての最善手を導き出した。
追加装甲を失ったコックピット周りへのサーベルでの刺突。
策も工夫もないその一撃こそが、この場でビサイド勝ちを取るための最善手。
加速とサーベルの刀身にのみGN粒子を回しての、賭けに近い一手。

「…………確かに、貴方はガンダムマイスターに相応しいかもしれない」

だが、874には見えていた。
脳量子波に依らない直感、いや、オーガニック的な超感覚がビサイドの本意を見逃さない。
サーベルを構えるIガンダムに乗っているビサイドは囮だ。
破壊されたGNキャノンに乗せられていたビサイドの同型のイノベイドに自らの人格をコピーさせ、逃亡を図ろうとしている。
874がヴェーダの処罰によって無力化される前に自分という脅威を取り除くため、ここで確実に殺しに掛かると踏み、自分を殺したと錯覚させる為。
ビサイドを殺させることで、874を完全に言い逃れできない状況に追い込む為に。

Iガンダムのサーベルがコックピットを穿けば、障害である874をこの場で廃し、返し刀で基地を破壊できる。
貫けず、反撃でビサイドが殺されれば、874は確実に処罰を受け、戦闘能力を剥奪される。
逃げない限り、立ち向かい戦う限り、この場では確実にビサイドは目的を達成できる事になる。

自らの人格の一部を同じ塩基配列パターンを持つイノベイドの脳に強制的に上書きすることで自由意志を奪う『インストール』
そして、自らの人格、パーソナルデータを全て移し替える『セーブ』
この二つの特殊能力を持つからこその捨て身の策。

負けることを前提とし、相手に一時的に勝ちを譲る。
その結果として、最終的な勝利をもぎ取る。
以前のプライドの高いビサイドでは取れなかった戦法だ。
だが、プライドをへし折られた今、ビサイドは自らの一時的な敗北を戦術に組み込むことにすら躊躇しない。

「でも」

874もそれを理解している。
理解した上で、刃を交えることを迷わない。

沈黙が流れる。
一瞬か、数秒か、数分か。
前触れ無く、Iガンダムが動く。
リミッターを解除し、GNドライブへの負荷すら考慮しない加速は、Iガンダムのカタログスペックを超えた速度を生み出す。
突き出したサーベルと相まって、その姿は正に光の矢の如く。
しかし────

「貴方は、マイスターになれない」

す、とノミャーマが手を差し伸ばすと、装甲から溢れたGN粒子が収束し、高濃度の粒子ビームと化してIガンダムに突き刺さる。
機体も、パイロットも、スペックが違い過ぎた。
Iガンダムの限界を超えた機動もビサイドの捨て身の一撃も、ノミャーマと874の何気ない一撃に届かない。

《は、ははは! 僕が、僕達が……!》

約束された敗北、死亡。そして、目的達成。
肉体的な死は無意味であるとビサイドはコックピットの中で口の端を釣り上げ笑う。
《セーブ》は既に発動している。
数あるイノベイドの中で、ビサイドにのみ与えられた擬似的な不死を実現する能力は、連れてきた同じ塩基配列0026タイプのイノベイドに、彼の全人格を上書きする。
GNキャノンに乗せて連れて来た同じ塩基配列0026タイプのイノベイドは、この肉体が死亡した時点でビサイドとして活動を開始するだろう。
この能力は秘中の秘、例えビサイドがイノベイド側のマイスターである事を知っていた874と言えども知りえる事は無い。この場でビサイドを始末して解決しようとしたのが何よりの証拠だ。
ヴェーダからの処罰を受けて874が無力化した後に、ゆっくりと真の勝利を掴めばいい。
高熱の圧縮粒子に焼かれ死ぬ間際、ビサイドは確かに勝利を確信した。

────勝利を確信していたのだろう。例え、事実がどうあったとしても。
少なくとも、874の超感覚はそう感じていた。
実際にどう考えていたのか、知り得る手段は無いのだが。

……ビサイドの能力は、脳量子波でヴェーダへアクセスすることで始めて発動する。
ビサイドが他のイノベイドの人格を書き換えるのではなく、ビサイドの要請を受けたヴェーダが人格の上書きを行っている。
ビサイドの能力は本人に備わった異能ではなく、ヴェーダの一部機能を遠隔で発動するためのアクセス権なのだ。
故に、ヴェーダがビサイドからのアクセスを拒めば。
ビサイドからのアクセスを、ヴェーダが認識しなければ。
能力は発動しない。
そして、『偶然』にも『量子コンピューター専用のウイルス』に感染していたヴェーダは、ビサイドからのアクセスを認識することができなかった。
このタイミングでビサイドが行う『セーブ』の申請をヴェーダが受け取れない様に、書き換えられていたのだ。

「謝るつもりはありません。……さよなら、ビサイド。もう一人の私」

GNドライブだけを残し爆散したIガンダムの残骸を眺める874。
大きな括りで見た場合の仲間殺し。
肉体を破壊しただけではない。
ヴェーダをウイルスで一時的にとはいえ狂わせて、パーソナルデータが残らないよう、バックアップデータも纏めて、完全に破壊した。
これでビサイド・ペインは、二度と生き返る事もない。

かつて友人でもある仲間を殺した経験のある874にとっての禁忌を犯したにも関わらず、表情に憂いは無い。
それは、ビサイドにかつての、そして今の自分を重ねていたからか。

仮に、あの場で嘘でもビサイドが一度引いていたのなら、874が自分とビサイドを重ね過ぎる事も無かっただろう。
彼はヒクサーを操りグラーベを殺害しようとしたが、グラーベはまだ確実に死んだ訳ではない。
選択次第では、自分とは違う道に進む事も出来ただろう。
仲間を殺して相対的な価値を高めるのではない、自らの能力を有効に活用する事も出来た筈だ。

だが、そうは成らなかった。
悲しい、という感情は浮かばない。
もしかしたら、全てのイノベイドに過ちを回避出来ない運命が用意されているのではないか。
そう思えば、悲しさよりも虚しさが勝った。
人間よりも不純物を少なく、合理的な思考が出来るはずのイノベイド。
だが、ヴェーダが人間を理解するために、あえて人間に近しい非合理的な思考をも組み込まれたイノベイド。
人間の様に新たなステージに登る事が出来るかも分からない自分達は、真に計画に、ソレスタルビーイングに必要な存在なのだろうか。

人間的な、無意味で利益を生まない思考。
この思考も、思考する自分も、これから失ってしまうかもしれない。
仲間を失いたくない。
ヴェーダが認識していない人間の可能性に賭けたい。
そんな合理的ではない、確実性に欠ける動機で仲間を殺した自分は、ヴェーダによって何らかの処罰を受けるだろう。
パーソナルデータの完全消去か、機能限定の封印か。
少なくとも、計画の主流からは完全に外され、居ても居なくても変わらない存在になることは間違いない。

「ノイズ、イレギュラー、ミスクリエイション、か」

イノベイドは、ソレスタルビーイングによって、ヴェーダによって、計画を遂行するために製造される。
計画にも、組織にも不要と排除されるのであれば。
自分は、何を柱にして立てばいいのだろう。
いや、これから『処分』されて、考える必要がなくなるのか。

ノミャーマのコックピットの中に備え付けられた無数のモニター。
その一つに小さく見えるのは、守ろうとした仲間の居るソレスタルビーイングの基地。
それ以外のモニターは、広がる宇宙だけを映し出している。
星は瞬くこと無く輝き続けている。
輝く星々を包み込むのは、漆黒の宇宙空間。
何もない訳ではない。
見えない宇宙の果てには、あの星々を中心に巡る惑星には。
874の知らない何かがある。
見えないだけで、見えない場所には、知らない何かが確実に存在している。
この場所に居たのなら、知ることが出来ない何かが。

そして、イノベイドとしてではなく、計画の駒としてではない874を求めてくれた人が、あの果てに居る。
マイスター874を、ただの874を、数字で呼ばれる名も無きイノベイドを認めてくれる人が。
────この宇宙の何処かに。

「私、は……」

言葉を繋げる事もなく、視線はただ宇宙(そら)の奥へ。
スラスターを吹かすことすらせず、濃い翠の粒子を撒き散らしながら、ノミャーマはゆっくりと874の視線の先へと流れていく。
遠ざかるソレスタルビーイングの基地に振り返ることすらしない。

精神的な疲労を癒やすように、ゆっくりと息を吸い、吐き出す。
目を瞑り、何度か繰り返す内、874の意識は微睡みに沈んでいった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

夢を見ている。
遠くない過去の夢、悪夢ではない、唯起きた現実を再生するだけの夢。
しかし、決定的に何かが変わるきっかけだったかもしれない夢を。

「これが、私の専用機……」

見上げる偉容に、ただただ圧倒される。
実験機として運用していた時と武装こそ変わっていないが、細かに加えられた調整は確実にこの機体を強くしているのだろう。
デザインに対して深い拘りを持たない874は、純粋にそのMSの持つ性能にのみ心を動かされていた。

「気に入ってくれたみたいだね。この『ノミャーマ・ダガー』を」

「ノミャーマ・ダガー……」

教えられた自らの愛機の名を、口の中で転がすように呟く。
卓也の実験に付き合っている内に得た情報によれば、『ダガー』はバックパックなどの変更により全領域に対応できる万能型のコア・マシンであった筈だ。
では、ノミャーマとはなんだろうか。
付き合いを重ねる内に、捻くれた名付けをする人である事には気付けたが、この単語には心当たりが無かった。
ヴェーダで検索を掛けてみてもそれらしき単語は見つからない。

「君達は、ガンダムに女神や天使の名を付けていただろう?」

「はい。アストレアに、サダルスード、ラジエルなどがそれに当たります」

思考が顔に出ていたのだろうか。
まだ問うてすら無い疑問に答える卓也に、874は頷いた。
誰が初めた事なのかは分からないが、少なくともイノベイドではなく人間が始めたのだろうことは想像できた。
イノベイドは神を信じず、神に縋らない。
自らを神に似たものであると驕るのではなく、単純に人よりも優れていると驕るのがイノベイドの殆どに通じる感性だ。

「使う技術が技術だからね。できる限り、命名法とかも合わせておきたかったんだ。悪魔アマイモン(Amaymon)、その綴りをひっくり返してノミャーマ(nomyama)」

「────────」

ひゅう、と喉が鳴る音を聞き、遅れてそれが自分の喉から出ている事に気がついた。
悪魔アマイモン。
『アブラメリンの書』『777の書』『ゴエティア』などにしるされる有名な悪魔。
文献によって様々な立場と力を与えられているが、名の一部から、こう呼ばれる事もある。
『過剰な熱望を抱くもの』『余りに貪欲なもの』

「あ、あの」

知っていたのか。気付かれていたのか。
何時から、何が原因で?
尋ねる言葉が形を成さない。
心の中にあるのは恐れ。
秘密がバレてしまった。

この人が一番目をかけていた相手を殺した。
仲間を失って悲しいだろうと、慰めてくれた言葉と頭に乗せられた手の温かさは、そうして手に入れたものだ。
最初に意図して欲したものではない。
仲間二人の命を奪った結果、偶然に手に入った望外の幸運でしか無い。
それすらも失いたくないと、仲間の不慮の事故を悲しんでいるという勘違いを訂正しなかった。

この人の下に居続けたいのであれば、隠し通さなければならなかった秘密。
この人に目を掛けてもらいたいという欲。
この人にとっての一番に成りたいという欲。
その為ならば、仲間の命すら奪う、余りにも貪欲過ぎる熱望。

見透かされていた。
お前は被害者などではないと、悪魔そのものであると。

「……ああ、責めている。訳じゃないよ。心配しないで」

優しげな声色で語りかける彼の顔を見ることが出来ない。
どうしよう、どうすればいい。
許して貰いたいのか、裁いて欲しいのか、それすらも分からない。

「確かに、874ちゃんは酷い事をした。それは確かだ。フェルト・グレイスなんかは、本当なら今が一番親に甘えたい時期だろうに、どう頑張っても甘える事ができない」

フェルト・グレイス。
マイスター874にとっての罪の象徴とも言える、ルイードとマレーネの間に生まれた女の子。
実の所を言えば、ルイード達と同期のマイスター達は、あまりフェルトと話したことがない。
専用の施設に預けられているから会う機会がないというのもあるが、シャルは事件の真実を知らずとも、自分を助けようとした為にフェルトの両親が死んでしまったことに対して罪の意識を抱いている。
真実を知る真犯人である874は、罪の意識を持ちつつもどのように接していいか分からず、日々の成長記録を追う事しかできていない。

「辛いかな?」

問われ、首を横に振る。
加害者は自分なのだ。
彼女の両親の命を奪ったのは、紛れも無く、874自身の欲望に他ならない。
結果的に、当初叶えようとしていた願いを全て叶えた874が、辛い、と考えていいはずがない。

「でも、悲しい」

見透かしたような言葉と共に、874の顎に指が添えられた。
く、と指先で顎を押し上げられる。
僅かに膝を曲げたが、見上げる874の顔を覗き込む。
心を満たす悔恨の念はそのままに、胸が高鳴る。
こんな時でなければ。
一瞬でもそんな事を考えてしまった自分を殴りつけたくなる、

「わ、私は、貴方の傍に来るために、居るために、あんな事をして」

そうして、こんな簡単に、幸せを享受しようとしている。
許される筈がない悪党が。唾棄すべき邪悪が。
恋心だけで人を殺せる異常者が、使命の意味を捻じ曲げて捉える欠陥品が。
許されて良い筈がない。幸せになっていい筈がない。

「貴方に仕える資格なんて、無いのに」

涙が溢れる。
この人の傍に居たい。大切にされたい。重宝されたい。
しかし、そうされるだけの価値が自分にはない。
そんな思いばかりが浮かび、殺した二人と、残されたフェルトへの罪悪感は後から浮かび上がる。
何をおいても自分の感情、利益優先で物を考える浅ましさ。
殺してしまった相手の事を何よりも先に考えることの出来ない非常さ、身勝手さ。
自覚できる自らの本質が無性に恥ずかしく、悲しい。

「君は、女神にも天使にも相応しくない」

874を見つめる卓也の顔には、裂け目のような笑みが浮かんでいる。
楽しくて楽しくて仕方がない。
嬉しくて嬉しくて仕方がない。そんな顔だ。

「でも、君は悪魔でもない」

「え……」

顎に添えられていない方の手で、頬を拭われる。

「君は、自分の行動が行き過ぎていた事を理解し、しかし、取り返しが付かない故に、苦しんでいる」

「苦しんだからといって、許されるわけでは、ありません」

「許される訳じゃない。それに、俺が許しても、君はきっと、自分で自分を許せないだろう?」

そう、874の罪は、今の今まで誰に責められた訳でもない。
罪はその罪を知るものにしか責める事はできない。
874の苦しみは、874が自らの過ちを悔い、自らの行いと在り方を攻め続けてきたからに他ならない。

「俺はね、874ちゃん。自らを攻め続けて苦しむ君の姿が、とても『好ましい』と思っている。悔いて居ながら何かと理由を付けて、誰かに罪を告白すらしない在り方も。快楽に抗えない弱さも。罪に対して開き直れずに自虐を繰り返す惨めさも。なんでか解るかな?」

解るわけがない。
人間であれば、それらの弱さは許されるだろう。
人間は失敗から学び成長することで欠点を埋めていく事ができる。
だからこそ、致命的でない失敗はある程度まで許容される。
だが、イノベイドは最初から完成された存在だ。
弱さ、欠陥、欠点は、想定していないバグでしかなく、成長の余地が少ないために修正すら難しい。
だからこそ、『好ましい』と言われた悦びよりも、戸惑いが強く心に浮かぶ。

「罪を犯した時、悪魔なら後悔なんてしない。神ならたぶん、笑って済ませる。ノミャーマは、君の映し身のようなものなのさ。神でも天使でも無く、悪魔として落ちきる事もできない、正義ではない悪の正逆。芯にあるのは平凡なMSながら、身には方向性のない過剰なだけの力の塊を纏っている。一番近いものを挙げるなら……人間だ」

「人、間」

人間。
未だ革新を迎えず、互いに分かり合う事も出来ず、無益な争いばかりを続ける不完全な知的生命体。
そして、874が知るかぎりでは、もっとも可能性に満ち溢れた生物。
かつて比べられ、届かぬが故に足を引き地獄へ落とした彼等も、また人間だった。

「俺はね、874ちゃん。苦しんで苦しんで、死ぬような目を見て、可能性に縋って絶望を得て、何者にもなれず、何処にも辿りつけず、涙を流して悲痛な表情で息絶える。絶望の内に死に絶えた躯の山の上で、それでも明日に希望を見出せる、未来も見えない盲のままで歩み続ける、そんな人間達が好きで好きで堪らない」

卓也の両掌が、壊れ物を扱うような優しげな、しかし、離す事など考えていないような強制力を持って874の両頬を挟み込む。
顔を上向きに上げられた874の視界には、深い深い笑みを、獲物に牙を突き立てる寸前の肉食獣の様な、欲望に満ちた笑みを浮かべた卓也の顔だけが写った。

「だから君は、君達はそのままでいい。矛盾したまま貪欲に求め、強すぎる望み故に行き過ぎ、悦びと苦しみを同時に噛み締めて、イノベイターの紛い物ではなく、人間の様に、もっと、もっと、グズグズになるまで、苦しんでみせてくれ」

手の添えられた頬が熱く、見つめられる目を逸らすことも出来ず、その言葉をただただ噛みしめる。
許される事もなく、ただ全ての在り方を受け入れられているという事実に、874は────

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

拠点の私室にて、ヴェーダを通じてソレスタルビーイングの活動履歴を流し読む。
第三世代型ガンダムがほぼ完成した今となっては、武力介入が始まるまで、ソレスタルビーイングの活動に見るべき部分は殆ど無い。
こういう点では、世界中の情報を支配するヴェーダと言えども、トリッパーにとっては事件がない日の新聞のようなものだ。
代わり映えのない記事は、昨日一昨日に書かれていた記事の続報や焼き直しばかり。
更に言えば、端から端まで読んでみると、意外なところで目を引かれる小さな記事があったりするのもよく似ている。

まさかヴェーダがビサイド・ペインとマイスター874のパーソナルデータを完全消去して事態を強引に収集してしまうとは、お釈迦様でもわかるまい。
お釈迦様にも分からない事を、神様系の属性を封印して科学技術の収集と研究に明け暮れる俺に解る訳もなく。
そんな訳で、俺がOOP下巻の下りが完全に終了した事に気がついたのは、874が試験機改めノミャーマ・ダガーの転送要請を送って来てから、数週間が経過してからだった。

確かにビサイドを解き放ったのは俺だが、まさか、マイスター874まで消去される結果になるとは思わなかった。
正直あの事件、姉って単語が聞こえた部分にしか手を出さなかったし……。
イノベイドの肉体を取り込んで強化した状態の強い脳量子波に、平均的なGF(ガンダムファイター)に匹敵する身体能力、SEEDとオーガニック的な感覚と、幾つかのリアル系パイロットの技能に加え、874のデータの中にCE系技術で造られた対量子コンピューター専用のウイルス伝播能力まで外から見えない隠しファイルとして内蔵させていたというのに。

「もうちょっと、生き汚い方だと思ってたのになぁ」

事実上ヴェーダを好き勝手弄くり回す事ができる874が消滅したという事は、あの事件での罪を素直に受け入れた、という事だろう。
それにしてはプルトーネの惨劇に関するあれやこれやには言及していないようだが、そこは残されたシャルやらフェルトやらを慮ってのことと考えればおかしな話でもない。
まさか、長年数少ない生き残りとして一緒にソレスタルビーイングで活動していた仲間が全ての元凶だったなんて知ったら、それこそシャルさんの心が折れてしまうし。
何しろ、折れている訳でもないのに、極悪テロリストに押し倒されポされて点描飛ばしながら女の子っぽいへたり込み方をしてしまうような三十代になってしまう程のヘタレなのだ。変に余計なストレスを与えたらどんな化学反応を示すか解ったものじゃない。

「まぁ、死んだならそれはそれで」

苦しみの感情とか苦悶の表情とかは美味しかったけど、それ以外は見る所のない人材だったし、さほど惜しくも無い。
これから作る機体のテストパイロットは適当に用意するか俺自身がやればいいし。

問題は、874の乗っていたノミャーマの方だ。
思いついた時は『カタパルトに同調できるGNドライブを搭載すれば、機体側のドライブは一基だけで済む』とか、我ながらナイスアイディアと喜んでしまっていたが、よくよく考えると酷い欠陥品だ。
何しろ、行きはツインドライブを利用した量子テレポートで天文学的な距離を一瞬で移動できるが、帰りは少し出力が強いだけのGNドライブ一基で帰還しなければならない訳で。
宇宙だから加速し放題ではあるが、それにしたって限度がある。
オートパイロットでこの基地に移動するように設定してはいるが、地球から木星に行く程度の話ではないのだ、移動だけで何週間、何ヶ月掛かるか……。

「時間は掛かるだろうけど、途中でELSにでも引っ掛けられなければ間違いなく戻ってくる、と、思うんだが」

転送からすでに数週間経過している。
危険物を発見して減速、迂回する数ヶ月コースに突入してしまったのだろうか、まるで戻ってくる気配がない。
874が消去された以上、今のノミャーマは無人で動いている筈だ。
戦闘補助AIにも自己防衛程度は出来るはずだが、流石にELSの大群やら宇宙怪獣やらを相手に出来るほどではない。
というか、ノミャーマ自体がMSやMA,戦艦以上の獲物と戦う事を想定していない。
戦闘での破損具合によっては、それこそソレスタルビーイングに回収される恐れだってある。
……ちょっと、探しに出てみるか。

―――――――――――――――――――

適当にツインドライブを積んだザムザザーを飛ばし、周囲の反応を探る。
例によって例のごとくGN粒子の影響でまともにレーダーが効かないのが不便ではあるが、単純に五感や六感や七感を効かせてしまえばさしたる問題ではない。
太陽系の惑星どころか、太陽そのものすら点ほどにも見えないこの宙域は、俺が厳選に厳選を重ねて選び出した生命体の存在しない宇宙の空白地帯だ。
人工物が流れ着く筈もないので、機械の反応があればほぼ間違いなく基地に向かうノミャーマだと解る。
これで874が乗っていさえすれば、実体化によって生じる擬似的な生体反応を探知して更に早くに見つけることができるのだが、そもそも874が消滅したから俺が探しているのだから無意味な仮定だろう。

「この辺りには来てないか」

俺の視神経と融合したザムザザーのカメラアイが、太陽の無い星系内全体を見渡す。
ダイソン球にを作ってしまったために地球のある太陽系と比べてやや仄暗いが、それでもMS一機を見逃すほどに視界が悪い訳ではない。
……機械部品が確認できないレベルの細かいデブリになっているとかでなければ。
そこまで考えて、悲観的過ぎると頭を振る。
ELSや未知の宇宙怪獣的な何かに出くわさなければ、基本的にノミャーマがそこまで破壊される事はありない──と言い切れないのが余計に不安を煽る。
何者かに破壊されることはないとしても、宇宙規模の災害、大規模な重力崩壊などに巻き込まれてしまえば、さしものノミャーマも一巻の終わりだ。

不安を振り払うように探索を続ける。
視覚だけではないあらゆる感覚を使い、星系の外にまで探知の網を拡大。

「あ」

居た、じゃない、あった。
デブリ避けのGNフィールドを張りながら断続的に圧縮粒子を開放している。
追加装甲兼コンデンサの一番外側が剥離し、コックピット付近の一時装甲が露出している事を除けばほぼ無傷。
……Iガンダムの性能が原作よりも底上げされていたのか?
そうでなければ、ここまでノミャーマが破損する事は有り得ないだろう。
いや、叩き潰すことよりもビサイドを説得する事を優先したとかかもしれない。
感情が芽生えてから、何故だか自分に浸る感じの癖が出ていたし。

とまれ、早急に回収して修理してやらねば。
持ち主が居なくなったからといって捨ててしまうのは勿体無い。
破損箇所の具合を記録して、完全修復後は研究資料として保管しておこう。

ザムザザーの上部装甲左右に搭載されたツインドライブを同調させ、量子テレポー卜。
ツインドライブの同調もテレポートも危うげ無く成功。
こうして使ってみて思うのだが、やはりガンダム系列の技術にしては破格の万能技術だ。
懐古の連中があーだこーだと騒ぐのも少し理解できる気がする。
これはガンダム技術というよりSF系技術だろう。

そんな取り留めもない事を考えながら、ザムザザーの鋏でノミャーマを掴み、再び量子テレポー卜。
一発で基地の格納庫内部に移動が完了する。
有り余る敷地を無駄に使っているだけあって、MSとMAが大雑把な座標指定でテレポートしても何の支障もない。
マザーコンピューターに命じて格納庫内部に緩めの重力を発生させる。
MSを浮かせず、それでいて、雑に地面に横たえても壊れないという絶妙な加減の重力。
ザムザザーの鋏からノミャーマを開放し、機体を格納庫の床に横たえる。
暫くすれば自動化された整備システムがノミャーマを整備ドッグにセッティングしてくれるが、その前に。

「一応、拝んどくか」

餌扱いだったとはいえ、美鳥が殆ど出れないこの世界で僅かな慰めになっていた様な気がしないでもない小さなイノベイド。
彼女が死んだというのなら、線香を上げるとまでは行かなくとも、最後の場になったであろうコックピットを拝んで手を合わせる位はしておきたい。
機械に過ぎないイノベイドに冥福もクソも有ったものではないかもしれないが、こういうのは生きている側の自己満足十割なので気にする必要もない。

ザムザザーのハッチを開け、仰向けに横たえられたノミャーマのコックピットの隣に立つ。
破壊された追加装甲の破壊面が気になるが、害はない。
手でコックピットのハッチに触れ、『開け』と命じる。
追加装甲を破壊された時に僅かに歪んでしまったのか、開きが鈍い。
数秒待つが、もどかしくなりハッチに手を掛け、力尽くで開け放つ。

「…………」

「…………」

目と目が合う。
パイロットである874は既にヴェーダによりパーソナルデータ消去の処分を受けて存在していない筈だ。
故に、目が合ったのだとしたら、それは宇宙空間からノミャーマのコックピットに乗り移った謎の宇宙生物であるとするのが自然だろう。
だが、

「874ちゃん?」

そこに、コックピットの中に居たのは、紛れも無く、消去された筈のマイスター874だった。

「…………お久しぶりです」

「うん? お、ああ、うん」

こちらの空気を完全に無視した874の挨拶に、つい間の抜けた返事を返してしまう。
少し驚いたが、不思議な話ではない。
ヴェーダの記録上はパーソナルデータを消去したという事になっているが、ヴェーダを自由に弄くり回せる今の874ならば、そういった情報の欺瞞は難しくない筈だ。
しかし、疑問が一つ晴れると同時にもう一つの疑問が首を擡げてくる。
聞いた方がいいのか、聞かないでおいた方がいいのか分からない。
が、好奇心に負けて、恐る恐る訪ねてしまう。

「……戻らなくて、いいのかい?」

CE由来技術である対量子コンピューター用のウイルスは、アニメ化を考慮されていない外伝が出処だけあってかなり容赦の無い性能を持つ。
パーソナルデータが消去された風に見せかける事もできれば、今回の事件の悪役を全てビサイドに押し付けてしまう事もできるし、なんなら事件自体を無かったことにすることも可能だ。
だというのに、何故、ヴェーダに対して、情報収集をヴェーダに依存するソレスタルビーイングの連中に対して、自らの死を偽装するのか。
それに、ヴェーダ側の処理がパーソナルデータの完全消去ということは、事実上、874はソレスタルビーイングから足抜けをしたという事になる。
メカポの影響、と一言で切って捨てるには余りにも重い決断で、しかも、その決断を下す理由が見当たらない。

「戻る理由がありません。……いえ、戻ったとして、皆に合わせる顔がありません」

そう言い、874は僅かに顔を伏せる。
何故合わせる顔がないか、理由は言わない。
いや、874が今まで犯した罪とかを俺が知っているから、そこら辺は察してくれると思っているのだろう。
まぁ、言わんとする所はわかる。
昔からの仲間の命を助けるために、付き合いの浅い仲間、しかも同種の存在であるイノベイドを殺害した事に対して罪の意識を抱いているのだろう。
ここまでで散々ルイードとマレーネを殺した事を悔いてきた874が、状況こそ違えど、またも自分の欲求の為に仲間を殺してしまったのだ。
特にシャルとフェルトに対しての罪悪感は相当のものになる筈だ。

「なら、どうする?」

自らがイノベイドである事を理解し、ソレスタルビーイングの理想と最終目的を知っているイノベイドは、基本的に自らの存在意義を計画に依存する。
例え、自らこそがイノベイドから進化した人類起源のイノベイターよりも優れた存在であるとか思い上がっても、基本的にそこは変わらない。

「私は最初、消される事に、不満はありませんでした」

―――――――――――――――――――

何故かヴェーダが認識していないが、確かに人間には革新しうるだけの伸び代がある。
それはあの戦闘を垣間見た自分や、ルイードとマレーネの体調を管理していたドクター・モノレは特に深い確信を得ている。
革新し、新たなステージに上る彼等には、もう自分達、造られた紛い物の手助けは必要ないのかもしれない。
そう考えればこそ、パーソナルデータを消されるという可能性を受け入れる事に否はなかった。
必要だからこそ造られた、不必要になれば、消されるのは不自然な事ではない。

故に、意識を手放している間に基地から離れていたノミャーマに気付いた時には、慌てて引き返そうともした。
だが、モニター越しに、地球を背にして見る、深い宇宙が視界に飛び込んできた。
暗く、しかし、小さな光が無数に散りばめられた満点の星空。

「ですが……貴方の顔が、貴方の言葉が、頭に浮かびました」

宇宙の何処かで生き続け、今も自らの目的のために活動を続けている一人の男。
今の自分の状況を知れば、彼はどんな顔をするだろうか、そんな考えが頭を過った。

『前を向けるのは君だけだ。俺は、君に立ち止まって欲しくない。道半ばで倒れて欲しくない』

その言葉は、874を傷付ける為の、傷ついた874を見る為の嘘だったかもしれない。

『苦しんで苦しんで、死ぬような目を見て、可能性に縋って絶望を得て、何者にもなれず、何処にも辿りつけず、涙を流して悲痛な表情で息絶える。絶望の内に死に絶えた躯の山の上で、それでも明日に希望を見出せる、未来も見えない盲のままで歩み続ける、そんな人間達が好きで好きで堪らない』

それは、唯の歪んだ欲望だったかもしれない。
だが、874の後ろ髪を引くには十分過ぎた。
道半ばで倒れて欲しくないと望まれた。
それが例え、茨の道を進み傷付く姿を見る為であっても。
誰かが望んで、いや、この人が望んで、そして、自らの心の中にも、願いが生まれた。

また、仲間を殺さなければならないかもしれない。
本当に、計画には不要であるという事が証明されるだけかもしれない。
あの時、潔く消されていれば良かったと思うかもしれない。
何もかもが、自らの存在も意思も行動も何もかもが無価値なのだと断ぜられるかもしれない。

それでも、まだ、終わりたくない。
そう思えた。
思うことが、望むことが出来た。
だから一度、自らの意志で、道を外れる事を決めた。

「現在、私のパーソナルデータは、このノミャーマ・ダガーに全てダウンロードされています」

「それは……」

驚き、息を呑む卓也に、874は小さく頷く。
ヴェーダを離れてスタンドアローンな状態になった874は、既に元の仕様を大きく外れている。
事実上、イノベイドという種族から、ソレスタルビーイングという組織から、完全に離れている事になる。

「私は、私の存在意義を、自らの意志で定義したい。ヴェーダに不要とされても、私は不要ではないのだと、存在する意味があるのだと」

自分の様な偽装ではなく、本当にパーソナルデータを消去されて消えた、死んだイノベイドは少なからず居るだろう。
計画のために生まれたのであれば、そんな彼等と同じように運命を受け入れるのが筋かも知れない。
それでも、例え、計画のために創りだされたという生まれた意味を失ったとしても、

「生きて、生きて、生き足掻いて、私の意味を証明したいのです」

造られた意味を捨ててでも、生きている意味を手に入れる。
生きていて良いのだという理由を見つけるために、生き続ける。
ルイードとマレーネに死を押し付けた自分が、罰されて消えるのではなく、生きてその価値を証明する。
償いになる訳ではない。罪が許される訳ではない。
ただ、証明しなければならない。
人類にはまだ先が、未来があるのだと、彼等人間のように自ら革新できないイノベイドである自分は、人類全てをイノベイターに進化させることで、彼等の開花させきれなかった可能性を証明するしかない。

決められたミッションをこなすだけでは成り立たない手探りな生き方、それは、人間の生によく似ている。
いや、もしかしたら、自分は人間に成りたいのかもしれない。
ルイードのように、マレーネのように、自らの足で進み、自らの手で未来を掴み取ることのできる、人間に。
なにより、目の前のこの人に認めてもらうために、愉悦を得るための道具ではなく、期待を向けられる存在になるために。
そして何時か、胸を張って、この人の隣に立ちたい。

「そっか……。874ちゃんが決めたんなら、それでいいんじゃないかな。でも、大変だよ? 何しろ、これからはそういう風に、何もかも自分で決めていかなきゃならないんだから。まぁ、俺も気が向いたら少しは手伝ってもいいけど」

呆れるような、諦めるような、仕方がないなと笑うような複雑な表情で告げられた卓也の言葉が、僅かにプレッシャーとなって874の背に伸し掛かる。
生まれてきた意味を証明する。
そうは言ったものの、874自身、これといって具体的な方法を考えている訳ではない。
ガンダムマイスターではなくなったが、874自身の手元にはオリジナルの太陽炉と、現行のガンダムを圧倒するだけの性能を持つMSが存在している。
武力介入に手を出す事もできれば、その他のソレスタルビーイングの計画に手を加える事もできる。
選択肢は未来を見渡すのを難しくする程に多い。

「それでは、一つ、お願いがあります」

だから874は、足場を確かめるように、まず一つ。
胸に手を当て、誇るように、堂々と。
秘めた思いを余さず表情に乗せ、はにかむような笑みを浮かべて。

「これからは、ハナヨ、と、お呼びください。もう、マイスターの874は居ないのですから」

今まで発したこともない様な、温かみのある穏やかな声色に、見えない未来への希望を乗せて。
自らの意思を、世界へと反映させた。







続く
―――――――――――――――――――

874ちゃん、ソレスタを出奔して自分探しの旅に出た先が知人の家(外宇宙在中)でござるの巻。
そんな八十三話をお送りしました。

恋心とか秘めたり罪悪感から押し潰されそうな女の子の心理描写は楽しいけど作業効率が格段に悪くなる事に気が付きまして。
あのままグダグダさせてOO本編にまで引っ張るのもあれだから取り敢えず踏ん切りをつけさせる為のお話です。

874は何だかんだ言ってますけど、仲間殺しちゃった罪悪感自体はそれなりに薄れちゃってる訳です。
専用機受領の時にネタばらしされるまで散々それをネタに弄られてたので、『未来ある二人を殺してしまった罪悪感』と『好きな人が期待して目をかけていた相手を嫉妬から殺してしまったことを言わずにいる罪悪感』がごっちゃになって、メカポによる好意修正でどんどん後者寄りになってしまった訳です。
そこら辺も本編で描写した方がいいかな、とは思ったんですが、これ以上OOP編で尺を取るのもどうかな、と。

Q,ビサイドの人類側マイスターとスカウトマン抹殺がヴェーダに認められてるってどゆこと? そういう判断で人間的な揺らぎを入れて計画に幅を持たせることができないからイノベイドが造られた筈なんだけど、このヴェーダには中の人でも居るの?
A,原作よりもややこの世界のヴェーダはアグレッシブに造られています。
イノベイドは基本的にヴェーダに常時行動を監視されている形になっており、計画遂行の障害になると判断された時点で行動を停止させられるか、人格を弄られるかなどして排除されます。
なので、一見して現行の計画を妨害している様に見える内乱なども、後々に最終目的を達成する確率を高める事ができると判断されたからこそ実行に移せている訳です。
あと、ヴェーダに認められているビサイドの妨害を行えたのは、行動をヴェーダが制限できない程に874がイノベイドを逸脱していたから。
Q,瞳孔が金色になって脳量子波ドバドバ出て人間とイノベイターのモザイクみたいになった実例が居るのに、人間の可能性が考慮されずにイノベイド優勢と判断されてるのはなんで?
A,主にイオリアの警戒心のせい。
第八十話で書いた通り、主人公の目を欺くために、主人公に隷属的で情報の封鎖が出来ないヴェーダは、第二世代時点で起こる遺伝子的変質を認識できないように設計されています。
なので、ヴェーダは進化可能な人類の伸び代を計算に入れずにイノベイドがガンダムマイスターに向いてるんじゃないか、という判断をしてしまう訳です。
因みに874は主人公にこっそり教えられてます。その方が精神的に追い詰められるから。
Q,GNキャノン二機無残! Iガンダム無残! ソレスタのGNドライブ無残!
A,ああ……ガンダムスレイヤー……、ガンダムスレイヤー!
そういえば昔ガンダムキラーとか居ましたよねコンパチで。赤いやつ。
因みに峰打ちなのでGNドライブは奇跡的に全くの無傷です。
爆発は、粒子供給コード内部のと火器に充填中だったGN粒子が爆発した感じです。
Q,874ちゃん再出発はいいけど、何でソレスタルビーイングから出奔しちゃったの? 内乱とか揉み消して人類側のマイスターから離れて裏方に回るんでは駄目な理由があるとか?
A,ヴェーダがルイードとマレーネの進化を認識できなかった事に対するヴェーダへの疑心とか、太陽炉を自由に作れる主人公の元で活動した方がソレスタルビーイングの計画を加速できるんじゃないか、みたいな目論見があったりします。
あとメカポ。なんだかんだ理由つけて一緒に居たい的なあれがあるんだと思います。
Q,イノベイドの本能とか存在意義に縛られてるとかの設定は何処に消えた?
A,本能とか、主人公にパーソナルデータクチュクチュ魔改造されてヴェーダを好き勝手いじれるような化物になっているのに、そんなものが残っている方がおかしいというか。
でも本人にそんな自覚は無いし、今でも一応ソレスタの計画実現には興味があるみたいです。ソレスタとは関係なく別ルートで人類を革新させる気まんまんではありますが。
因みに思考パターンとかの軛からも外れてるため、イノベイドとしてどうか、みたいな好意の表し方も出来るはずです。本編で書けるかはわかりませんが。
Q,前回ラストと今回の前半と後半で874の主張が色々と変わりすぎじゃね?
A,脳クチュで一周回って少し使命感が復活してる気がします。たぶん。
あと何気に前回から今回の冒頭までで数年経過してるのでそれも。
Q,874ちゃん出張りすぎじゃね? とうとうトリップ先でロリっ子拾ってハーレムするの?
A,今回がまともな出番の最後になります。次回からは地の文で多少描写されるかされないか、くらいの扱いに落ちます。
代わりに少しリボンズが出てくるかも。でもメインは本編の武力介入。
当SSは釣った魚に餌をやらずに冷凍保存して使いたい時だけ解凍するという方向を目指しているため、トリップ先のキャラでハーレム、みたいのは基本的に無いです。

あとついでに、機体やら技術やら解説も。

【ノミャーマ・ダガー】
マイスター874専用MS。
プルトーネのGNフィールド内蔵装甲とGNコンデンサの間の子を発展させた特殊な装甲板を全身に張り巡らせた重装甲MS。
ミルフィーユ状に重ねられたコンデンサ兼装甲板内部のGN粒子を一層ずつ開放する事で優れた機動性を実現。
ビサイドの口にしていたGNリアクティブアーマーは防御性能を上げるよりも、爆発と共に開放した大量のGN粒子によるジャミング、もしくはコンデンサ内部のGN粒子圧縮率を調整しての毒素による目撃者排除を主眼に置いて搭載されている。
敵の放った圧縮粒子ビームを奪い取りGNフィールドやサーベルに転化できる程の高いGN粒子制御能力を備える。
試製GNドライブの圧倒的な量子生産量と合わせ、アルヴァアロン砲に匹敵する火線をビームマシンガンの様に気軽に広範囲にばら撒く事が可能。
背部のバインダーを除いて基本的に武装を持たず、攻撃に関しても全てこのGN粒子制御能力を応用して行う形になる。

上記の機能は追加装甲『ノミャーマ』が齎す性能であり、当然弱点も存在する。
通常のGNドライブ搭載型近接機が全身にGN粒子伝達ケーブルを備え、手足の一挙一動にまで質量操作の恩恵を受けているのに対し、ノミャーマ・ダガーは内部のダガーが足を引っ張り挙動に関して一歩出遅れ、純粋なパワー対決では競り負ける可能性が高い。
それを補うためにハチェット型バインダー兼副椀を背部に備えるが、これを抜けてGNフィールドも貼れない距離まで近づかれるとやれることがかなり限定される。
加速と近距離での格闘戦に優れ、GNフィールドを切り裂くブレードを複数持つ機体、つまりセブンソード装備のエクシアやザンライザー装備のツインドライブ安定版ダブルオーには確率で負ける。パイロットがイノベイターなら負け確。

ネーミングは本編でも言った様に悪魔アマイモンの逆読み。
基本的にダガーに追加装備を付けて別機体として扱う場合、ナデシコ技術なら花の名前を、OO技術なら神や天使や悪魔の名前など、追加装備に使用されている技術で最も比率が高い作品にそって名付けられる。
という設定があるが、これ以降たぶん魔改造ダガーは出てこない。
そもそもノミャーマ自体次の話から出番が無くなる。

【試製GNドライブ】
職人の手で一つ一つ丁寧に造られた工芸品。
設計図に目を通し基礎理論を理解した上で、主人公が無意識の内に独自アレンジを加えた状態で作り上げた。
単発でツインドライブに迫る出力を持つが、リアル系の技術であるかどうかが不確かであるため主人公としては満足していないらしい。
単位時間毎の粒子生産量が桁違いであるため、実は普通のガンダムに乗せても強い。

出力が高いだけでツインドライブの持つトランザムバースト、量子化、量子テレポートなどの機能は持たない。
しかし、普段格納されている要塞のカタパルトに同型のGNドライブが設置されており、カタパルトと接続後にドライブ同士の出力を同調させ一時的にツインドライブ状態に移行する機能を備える。
これによりノミャーマ・ダガーは874の出撃要請に応じて目的地までテレポートを行い、理論上874からの要請が基地に届く限り即座に874の元に現れる事ができる。
尚、手作りではあるがソレスタルビーイング製のGNドライブよりも各GNドライブの出力や波長が均一化されており、基本的には全ての試製GNドライブが軽い調整で同調可能。

が、テレポート・アウト後にはツインドライブから単発に戻り、また、量子テレポートを可能にするほどの高出力を外付けのドライブとの同調で行う為、一時的に出力が低下、粒子制御機能も不安定になるという弱点を持つ。

【ディグラディグドゥ】
外宇宙に存在する主人公の拠点。
星系規模の巨大施設で、内部にはGNドライブやMS、MA、その他機動兵器を建造する設備や、作ったものの運用実験施設、更に主人公の居住区などがある。
メカポのトリガーになるのを避けるため主人公半融合型ではなく完全分離型であり、再生能力や侵食能力は持たない実に真っ当な重機動実験要塞。
ギリギリ恒星を包み込めるレベルにまで小型化したダイソン球から供給されるほぼ無限のエネルギー、周囲の惑星を潰して生産した莫大な資材によって、理論上は太陽系内で製造可能な物品であれば製造できないものはない。
なお次回からOO本編に入るため、これ以降登場の予定は無し。

【ザムザザー】
みんな大好き地球連合艦隊のアイドル。
強くて格好いい空飛んでバリア貼ってゲロビ撃つ蟹に贅沢にもツインドライブを搭載した超イケメン。
装甲はGN粒子を塗布して強度を増したTPS装甲で、ツインドライブから生じる圧倒的な発電力による素敵な防御性能を誇る。
接近戦用の武装、XM518 超振動クラッシャー『ヴァシリエフ』を始めとする元々の武装は全て排除され、GN粒子関連技術を用いた武装へと換装されている。
大型クロー部分は緑色の素敵な新素材で造られており、GNソードⅢなどとも同等に切り結べる。
アルテミスの傘をオミットし、コックピットも完全に一人用に造られているため機体容量に余裕があり、あと三基までGNドライブを搭載できる。
今後も隙を見て是非とも登場させたい。ツインドライブ二セット積みトランザムバーストしっぱなしザムザザー軍団とか。



本編の補足説明はこんな感じですか。
投稿も約束通りの7月には間に合いましたね(真顔)
そう、7月、7月に出す、出すとは言ったが……。
今回、何年の7月かまでは指定していない。
その事を、どうか諸君らも思い出して頂きたい。
つまりその気になれば、投稿は2014年の7月ということも可能だろう……ということ……!

嘘ですごめんなさい。色々あって遅れました。
海関係のあれとか、コンプが昔より読む所多いのに気がついてびっくりしたりとか。
あ、仕事は凄く平時通りで、健康面でもこの夏は病気や怪我どころか夏バテすら無縁でした。超健康。
次回は頑張って一月以内に投稿します。
まぁ原作主人公たちの武力介入の話が少し変化するだけなので、割りと短めで盛り上がりにも欠ける話になるとは思いますが。
投稿間隔開けすぎて忘れられるよりはいいかなぁ、と。

そんな訳で、今回もここまで。
誤字脱字の指摘、文章の簡単な改善方法、矛盾している設定への突っ込み、その他諸々のアドバイス、そしてなにより、このSSを読んでみての感想、心よりお待ちしております。



[14434] 第八十四話「真のスペシャルとおとめ座の流星」
Name: ここち◆92520f4f ID:e98270e7
Date: 2014/02/27 03:09
何処までも続く赤く焼けた大地を歩く一つの影があった。
黒髪に浅黒い肌の、未だ青年には遠い、幼さの残る少年。
足元まで裾が届いてしまう薄汚れた大人用のジャケットに身を包み、背には布袋と紐を組み合わせて作った簡素なリュックと、何処にでも出回っているような簡素な小銃を背負っている。

少年──後に『刹那・F・セイエイ』を名乗る事となるソラン・イブラヒムは、速成の少年兵といった出で立ちを隠すこと無く、無人の荒野を行く。
行く宛がある訳ではない。
何処を目指しているのかと聞かれれば、恐らく彼自身答えに窮するだろう。
だが、彼の足取りに迷いはない。
彼には目指すモノがあった。

両親と共に殺した過去の自分、信仰への絶望と共に死んだ狂信者としての自分。
殺すために、死ぬために、生きること無く死なずに居た自分を蘇らせたモノ。
光の粒を、煌めく星屑を纏った機械の巨人。
自らを死へと追いやろうとした地獄を塗りつぶした光。
今の彼に自己確信を与え、歩み続ける原動力を与えている、心の大半を占める、彼独自の信仰。
神に似て、しかし居るかどうかも分からず、何も成すことのない神とは異なる、力ある存在。
彼は、それを崇める事をしなかった。
新たな信仰の対象とも言えるその存在に、近づく事を選んだのだ。

神にも等しい存在に近づく。
何をどうすればいいのか、そんな事は分からない。
そもそも、『アレ』が如何なる存在なのかすら理解できていない以上、何をどうするか大まかな方針を決めることすらできないのだ。
だが、彼の心に不安は無かった。

ふと立ち止まり、空を見上げる。
足元には赤い大地、そして天に広がるのは満天の星空。
そして、空に見える輝きは星の光だけではない。
月のない空に、満月ですら霞ませる程の光が見えた。

巨大な箒星。
『あの機体』が纏っていた光の粒に良く似た光が、まるで流星の如く空を切り裂いている。
天の光が遍く降り注ぐ大地に自らの存在を知らしめるように、刻みこむように飛ぶ流星。
あの星を見る度に、その輝きが強く膨れ上がる度、彼の中に奇妙な感覚が生まれるのだ。
まるで、遠くの、見たこともない誰かと心を通わせているような。

空を見上げる顔に笑みはなく、視線は天から再び枯れた大地へ、前へ向けられた。
彼の心には、確かな確信があった。
その確信に任せるまま、足を進める。
空を裂く翠の星の輝きが導く、彼の求める信仰、その入口へと。
彼は、そう遠くない未来に、確実に辿り着く事になるだろう。

既にこの地に空を裂く光を見る者は居ない。
だが────世界中で、この光を見つめる者達が居た。
哨戒中の飛行MSの軍パイロットが。
今尚続く内紛の最中、敵を撃ち殺したばかりのゲリラが。
定住の地を持たず、当て所無く彷徨う旅人が。
学校の試験を前に、詰め込むように勉強中の学生が。
国籍も年齢も性別も思想も関係なく、世界中で空を見上げた者達が、皆一様に空の光に一瞬目を奪われ、各々の生活へと帰っていく。
彼等に降り注いだ光が、何かしらの変革を齎すのか。
それを知る者は、この星には一人も居ない。

―――――――――――――――――――
スティ月ジョブ日(そう、GNドライブならね)

『まぁ、俺は未だ持ってガラケーなのだが、それは実家の予算の都合、としか言い様がない』
『iPhoneでなくiaPhoneなら持っているが、元の世界で使うには色々と問題のある機能も搭載されており、使用には少し躊躇う部分がある』
『因みに姉さんも未だガラケーだが、多分ポイポン5を使わないのは問題が有る機能云々ではなく、絶対に完全破壊されてしまう運命力を気にしてのことだろう』
『あと、スマホ使うまでもなく、通信関連は脳直で契約とか抜きで好き勝手やれるから……』

『つまり、MSの技術も似たようなものだと俺は考えている』
『GNドライブは確かに優れた動力機関ではあるが、GNドライブが出てくる前に、GNドライブと比べても見劣りしない技術が各国で造られていれば、GNドライブにどっぷりにはならない』
『……正確には、ならないだろう、もしくは、ならないといいなぁ、という淡い期待でしかない訳だが』
『だが、これだけは言える』
『世間の技術は、もはやただガンダムに蹂躙されるだけの劣った存在ではない』

『もう少しで、ソレスタルビーイングが武力介入を開始し、世界にその名を轟かせる事になる』
『その時、彼等はようやく気付くだろう』
『世界は、自分達の想像を遥かに上回る速度で進歩しているのだと』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

抜けるような青空の下、薄緑色の歪な人型がその細い手足を振り回しながら縦横無尽に飛び回っている。
衆目を集めている人型の正体は、AEU(Advanced European Union)が誇るMS技術を導入して建造された新型MS、AEU-09イナクトだ。
パーツ組換なしの可変機という点に加え、MS形態でもある程度の飛行能力を持つこの機体の真のコンセプトは扱いやすさにある。
あらゆる面でユニオンのフラッグのパクリ、模倣品でしかないこの機体は、機動力、火力の面で少しずつ遅れを取っているが、その分パイロットの安全性においてはカタログスペックでも作中の実績でも大きく上回っていると言って良いだろう。
長めに設定されたディフェンスロッドを始めとして、設定資料集には登場しない細やかなスペック面から見てもそれは間違いない。
もちろん、フラッグと比べて出番が少なかったからこそ生存率が高いという面もあるが。

何が言いたいのかと聞かれれば、こう答えるしかない。
イナクトの真価は静止目標に対する射的(射撃、という言葉を使うのは憚られる)や、固定砲台から放たれるまばらな弾幕に対する回避運動だけで見極める事は難しい。
だから、まぁ、

「どうもこうも、ウチのフラッグの猿マネだよ。独創的なのはデザインだけだね」

目の前の前後未使用男の嘲るような言葉も、現段階では受け入れざるを得ないのだ。
基本的な設計思想をフラッグから丸パクリしているのは事実ではあるし、軍事スパイ的なモノを使って情報を仕入れてもいるだろう。
故に、一瞬だけこちらに向いた、何処か不満がありそうなイナクトのカメラアイに対して、俺は肩を竦めて首を振る。
言いたい奴には言わせておけばいい。相手が油断して過小評価してくれるのであれば、それは実戦では大きなアドバンテージになる。
そういう意図を感じ取ったのか、デモンストレーション用の塗装を施されたイナクトは演習を再開する。
その一瞬のやりとりに気付けた者は、この会場には殆ど居ない。
実際、こちらにイナクトが視線を向けたのはほんの一瞬だけだ。

「ふむ、だが、パイロットの腕は悪くないらしい」

未使用と内緒話をしていた空フェチが感心したようにそんな事を口にしたのが耳に届いた。
恐らく、空フェチにはイナクトが一瞬こちらに向けた視線が、戦闘中にカメラ目線を決めるパフォーマンスの一種に見えたのだろう。
当然それは勘違いなのだが、脇から口を出して訂正する程の勘違いではないので放置しておく。
いや、腕がいい、という点だけで見ればあながち勘違いでもない。
操縦しているのは掛け値なしのエースで間違いないし、集音性能に優れているとはいえギャラリーの中から自分の機体に向けられた悪口を聞き洩らさず、なおかつ反応するべきかどうかをこちらに視線で問うて細かなジェスチャーでの返答を見逃さない動体視力と反応速度を兼ね備えている。
これを完全に戦闘に活かせれば更にワンランク上のパイロットに成れるはずだが……少なくとも今現在使用している機体では不可能だ。
もっとも、イナクトの性能を引き出してデモンストレーションを行う上では十分過ぎる程なのだが。

パイロットが不満を飲み下し、ユニオンのスタッフに苦笑されながら、なおもイナクトのお披露目は続く。
静止目標への射撃に固定砲台からの射撃に対する回避運動その他、カタログ眺めてれば解るような当たり前の性能しか証明できない退屈なイベント。

「なんだ、あれは」

そんな退屈な時間は、観客の一言で終わりを迎える。
AEUの予定していたイベントスケジュールには存在しない、不測の事態。
輝く粒子を纏った、何処の国の主力MSともデザインラインの異なる独特なフォルムを持ったMSが降下してきている。
初めはAEUのもう一機の新型かと騒いでいた連中も、その特異な機体形状から異変に気が付きだした。
降下してきたMSは、現行のMSとは比べ物にならないほど人型で、現状のMS技術から考えうる効率的な形状からはかけ離れたシルエットを持っている。
変形機構を備えるためにひょろ長いフラッグやイナクトとも、如何にも兵器然としたいかつい角ばった形状のティエレンとも異なる、人に近い心なしかふっくらと柔らかな曲線。
丸みを帯びた頭部には鋭角なV字のアンテナらしき飾りに、黒く縁取りされた左右一対の碧眼、人であれば口から顎に当たる部分を覆う赤い突起物。
鎖骨に当たる部分から生えたアンテナ風の黄色く細長い飾り。
これまでこの世界に存在していたMSに比べ、嫌味な程にヒロイックなデザインの機体だ。
最も、GNドライブを利用して機体を作ろうとした場合、やはりある程度のヒロイックさ、いや、善や悪にはっきりと分類されてしまうだろう視覚的影響力を備えてしまうものなのだが。

空から、正しく舞い降りるという表現が相応しい航空力学を無視したなめらかかつ緩やかな軌道と速度で降下を続ける謎の機体。
会場の観客、そして主催者側であるAEUの面々が予定表にない闖入者に困惑する中、謎のMSに対して初めて明確な意思が向けられた。
向けられた意思の形は、電磁力で加速され大気を引き裂く弾丸。
イナクトの持つリニアライフルから放たれた特殊合金製の塊が、敵対者へ迷いなき攻撃の意思を乗せて疾駆する。
謎の機体の降下とイナクトの射撃タイミングから考えて、イナクトのパイロットが謎のMSに対して如何なる対応をするかを考えた時間は僅かに一秒にも満たないだろう。

並のMS、並のパイロットであれば反応すら出来ずに撃墜されるその弾丸を、謎のMSはひらりと身を翻して回避。
これも通常の航空力学に縛られた一般的MSの飛行形態には不可能な動き。
その一瞬のやりとりで、両機体の性能差を感じ取った観客は少なくない。
AEUの新型など目ではない、常識を覆す機動力を持つ謎のMSへの驚嘆に支配される目敏い観客達。

そんな彼等の目の前で、謎のMSが不意に仰け反った。
性能を見せつけるパフォーマンス、ではない。
次いで謎のMSが取った動きは、戸惑いを滲ませる大振りな回避運動。
やはり航空力学を無視し、まるで無重力状態の中を事由に動きまわるかのようなその動きから、更に連続して姿勢を変えていく。
謎のMS自身が望んだ動きではない。
それ証明するのは、会場から響く独特の銃声、いや、砲撃音。
リニアガンが放つ独特の弾体加速音が続けざまに数度放たれる度、空を行く謎のMSが不自然に仰け反っている。
動きに一切の迷いも油断もない。
イナクトとそのパイロットは、突如出現した謎のMSを、冷静に、冷徹なまでに敵として排除しようとしている。

数回の射撃と回避を挟みながら、謎のMSが仰け反るタイミングは変わらない。
それは取りも直さず、謎のMSに向けられたイナクトの射撃の正確さを証明している。
回避運動をさせるための牽制射撃に、回避後の未来位置に置くように放たれた当てるための本命。
避けさせる事で当てる為の弾丸は外れながらにしてその役目を十全に果たし、イナクトの射撃は確実に謎のMSを捉えて離さない。
未だ発揮されない謎のMSのパイロットの技量が如何程のものか、この場に知るものは居ない。
だが、確実に言えることがある。

「強いな、あのパイロット」

目の前の席で空フェチ金髪が若干嬉しそうにそんな事を呟く。
そう、多少人格面で問題があったとしても、イナクトのパイロットは掛け値なしのエースパイロットだ。
以前までMSの操縦技能を除けば一般的な兵士の適性しか持っていなかったが、今の奴にはそれに加えて戦場を見渡す広い視野があり、油断も少ない。
突然に闖入者に対する対応も見事だ。
確かに、イナクトに備え付けられたカメラならば、あの高さに居る謎のMSの大まかな武装を見ぬく事ができる。
奴の目にはブレード収納中のGNソードがきちんと近接武器に見えたのだろう。
それだけで判断するのは早急過ぎるかもしれないが、少なくともAEU側のスケジュールに存在しない新たなMSとなれば、早めに対処するに越したことはない。
性能を発揮させる前に、寄らせる前に遠距離から叩き潰そうというのは間違いではない。
しいて問題点を上げるとすれば……、

「そんな、無傷なのか?」

未使用が目を見開く。
謎のMSは少なくとも五発、それも機体が空中で派手に仰け反るような直撃弾を食らっていた。
だが、動きに陰りはない。
それどころか直撃を受けたはずの箇所には僅かに溶けた元弾丸の欠片を残すのみで、装甲の歪みすら見て取れない。

「MSの性能の差が、戦力の決定的な差ではない、か」

名言を口の中で転がす。
どれほど優れた機械であろうとも、操作する人間の性能に左右されてしまうという、最初に口にした人物にとっては後にブーメランとなった名言だ。
だが残念な事に、この言葉もまた完全ではない。
例えば三本の矢が予期せぬ強い力によって折れるように、機体性能を覆すパイロットの技量の高さも、やはり予期せぬ機体の性能差によって押し潰されてしまう。

謎のMS──ガンダムエクシアが動きを変えた。
舞い降りるような緩やかな動きから、地面にぶつかりに行くような下に向けての急激な加速。
動きが更に単調になり、牽制の射撃すら直撃している。
にも関わらず、エクシアは多少のブレは見せても減速すらしない。
GN粒子の持つ質量操作能力により、今のエクシアは大質量の砲弾も同然。
分子レベルのスピンすら整え、更にGN粒子を塗布することにより格段に強度を増したエクシアの装甲が、向かい来るリニアライフルの弾丸を真っ向から弾き飛ばす。
イナクトの武装が実戦仕様の弾丸とリニアライフルだったなら多少の傷を与える事はできたかもしれないが、残念な事にリニアライフルの出力も弾丸もデモンストレーション使用のものであり、実際のMS戦を想定したものではない。
デモンストレーションに使用されるドローンを撃ち落とし、それでいて万が一の時に観客への被害を最低限に抑えるための低出力使用では、飛び抜けた性能を持つガンダムを相手取るのは難しい。
いや、不可能と言って良い。
そもそも、あそこまでエクシアがイナクトの射撃に翻弄されて降下に手間取ったのは、エクシアが近距離戦重視の機体であるという点も大きかった。
ガンダムに使用された優れた技術は、なにも新型のリニアライフルによる連続射撃を受けて無傷な装甲だけではない。

エクシアが、とうとうイナクトの正面に降り立つ。
余裕を見せつける為のゆったりとした動きではない。
地面を砕くような荒々しい着地、衝撃を吸収するためではなく踏み込みのために膝をそして足首を曲げ即座に伸ばし地を蹴り、息をつく暇もない加速。
着地直後の硬直すら無く、イナクトへ向けて地を這う獣の如くに跳ぶエクシア。
腕には既にGNソードが展開し、その長大な刀身の質量を感じさせないような軽やかな動きで振りかぶっている。
イナクトも反応できていない訳ではなく、エクシアの着地寸前でソニックブレイドを構え、既に迎撃の態勢を整え終えている。

高周波による耳障りな音を鳴らしながら、逆手に構えたソニックブレイドでエクシアのGNソードの軌道を逸らそうと受け流す構え。
だが、傾斜を作るようにして受けた筈のソニックブレイドの刀身は、振り下ろされたGNソードによって斜めにスライスするように切り裂かれてしまう。
同じ性能の機体であれば、せめて対抗出来るだけの武装であったなら、結果は違っていただろう。
だが、今は目の前に有る結果だけが現実だ。
懐に入られてしまえば、機動面ですら存在する圧倒的な技術格差が技量差を覆す事すら許さない。

GNソードが振り下ろされる。
イナクトのパイロットはその動きを正確に捉え、振り下ろされる刃ではなく腕を取り押さえようと動き出す。
しかし、遅い。
正確にはパイロットの反応が遅かった訳ではなく、イナクトの反応が遅かった訳でもない。
エクシアの余りにも速すぎる上段からの振り下ろしが、イナクトの反応を相対的に遅く見せている。

ほぼ抵抗なくソニックブレイドを切り裂いたGNソードによる上段の一撃。
更に分厚い刀身の重みを感じさせない素早い切り返しの振り上げ。
一閃。
金属を削る音というよりも、鈴を打ち鳴らす様な涼やかな音と共に、ソニックブレイドを持っていた腕が切り飛ばされる。
腕を切り飛ばされた反動を活かしバックステップで距離を取ろうとするイナクト。
先に距離を取ろうとしたイナクトに、しかし後から反応したエクシアが肉薄。
残された武器であるリニアライフルを構えるイナクト。
反応も判断も早く、しかし、エクシアの持つ技術力の高さがそれら全てのハンデを打ち消し塗りつぶす。

GNソードの刀身が折りたたまれ、エクシアが手を伸ばした先にあるのは刀身の無い円筒状の柄、ビームサーベル。
肩口から引きぬかれたビームサーベルがライフル諸共残った腕を焼き切り、遂にイナクトの武装を完全に封じ込める。
打つ手なしと見てその場から逃れようとするイナクトに対し無造作にビームサーベルが放つ光の刃が振るわれる。
一、二、三と振りぬかれた頃には、既にイナクトは原型を留めておらず、戦闘継続は不可能な状態に持ち込まれてしまった。
頭部と腕を失い、脚部も半ばスクラップと化し、それでもなおここまで倒れなかったのはイナクトの備えるオートバランサーの優秀さかパイロットの意地によるものか。
手足を完全に失いほぼ胴体だけとなったイナクトは、ゆっくりと背後に倒れこんだ。

「あちゃぁ……」

額を抑えて天を仰ぐ。
ソレスタルビーイングが原作一期であそこまでであそこまで無双できたのは、ソレスタルビーイングと三大国家の持つMSに存在する圧倒的な技術格差が原因だ。
もちろんソレスタルビーイングも優れた操縦技術を持つマイスターを集めてはいる。
いるが、探したからといって、三大国家の軍に所属し、数々の実戦経験を積んだ歴戦のパイロット達に勝るような操縦技術を持っている訳ではない。
そこの所は、それまでほぼ一方的に嬲られていた三大国家のエース達が、GN-Xに乗り換えてからの逆転劇で理解できるだろう。
純粋にパイロットとしての技量、性能が高いのは、精々が超兵であるハレルヤとアレルヤ、イノベイドであるティエリア程度。
リボンズの情報操作でマイスターになった刹那などは当然、ロックオン(兄)の優れた狙撃能力にしても、結局は操縦をサポートするハロという優れた技術の結晶が在ってこそ。

故に、原作よりもパイロットの性能が上がっていたからといって、イナクトが真っ向勝負でイナクトに勝てるようになるわけではない。
イナクトがエクシアに突っかかってあのような姿になるもの、言ってしまえば予定調和でしかなく、別段驚くことも嘆くこともない。
だからこそ、やってしまったと言わざるを得ない。
今の一連の攻防を見れば、イナクトとエクシアに用いられた技術の水準に大きな水が開けられているのはひと目で分かる。
……今さっきイナクトが行った攻防は並のパイロットにできる芸当ではないのだ。
エクシアの、ひいてはGNドライブを持つ機体特有の独特な空中姿勢制御能力を計算に入れなければ、普通はあれだけ正確に射撃を当てていく事はできない。
しかも単純に当てただけではなく、途中からは姿勢を崩すことを目的にして、機体のバランスを崩しやすい手足や頭部の末端部分だけを狙い撃ちにしていたのを見せてしまった。

あのイナクトのパイロットは、掛け値なしにAEUの誇るスペシャルと言って良い。
AEUで並ぶものの殆ど居ないスペシャルで、しかし、彼に準ずる実力を持つものならばそれなりに居る。
他国に彼に並ぶほどのスペシャルが居ない、とは言わないが、少なくともパイロットの質の高さが他国に比べて異常に高い、という事は知られてしまった。
人革辺りは超兵製造技術の流出を疑うだろうか。
政治面での軋轢が強くなるかもしれない。
俺自身に影響はないが、MS、そしてMAの技術発展の余計な障害が生まれるのは望ましくない。

「まったく」

余計な事をしてくれたものだ。
パイロットには『乱入者が来ても、可能な限り手を出すな』と口を酸っぱくして言い含めておいたというのに。
どうせ後で顔を合わせる事になるだろうし、聞くかどうかは知らないが一応文句を言っておいてやろう。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

その後、ガンダムを迎撃しようとしたAEU軍のMSが、宇宙ではAEUのMSを使ったテロリストがぽんぽん破壊され、最終的にイオリア・シュヘンベルグの演説が流れるところまではほぼ原作通りの流れで話は進んだ。
何の変哲も無いし面白みもない、当たり前の敗北。
三本の矢は折れにくいが、予期せぬ強い力にはやはり折れる。
パイロットの性能が底上げされたからといって、それだけで対抗できるほどGN粒子関連技術は甘くない。

「なので、ひとまず落ち着いてくだサーイ」

インチキ外国人風の口調で、控室でロッカーを蹴りつけていたイナクトのパイロットを宥める。
癖の強い赤髪に、整ってはいるがやや軽薄そうな顔立ちのイナクトのパイロット、パトリック・コーラサワーは、声を掛けられて初めて俺の存在に気付いたらしい。
サワーは俺の存在に気付くやいなや、直ぐ様眉根を寄せた顰めっ面で、両手の平を上に向け、ワナワナと指を蠢かせながら詰め寄ってきた。

「これが落ち着いてられるか! 何なんだよあのちょっと格好良いMSは! 俺の見せ場を奪いやがってぇ……!」

侵入された事よりも撃墜されたことよりも、何よりイナクトのお披露目を邪魔された事が気に食わないらしい。

「『僧正の白玉掬い』という言葉もありマース。君の真の実力は、また次の機会に思い知らせてやるのデース」

「その次ってのは何時なんだよ」

「今はその時ではアリマセーン、今回はなるべく抵抗しないでおきましょう、デモンストレーション始まる前、ワターシそう言いましたヨー? 見せ場奪われた件はともかく、衆人環視の前で無様を晒したのは、あくまでも君のmistakeのせいネー」

「ぐ……わかってるっての! ジョーブ博士も、次にあのガンダムとかいうのと戦うまでに『何時もの』機体、万全にしておいてくれよ!」

「オー、科学に犠牲はつきものデース……。君達が全力を発揮できる機体、完全に仕上げておきマース」

「ふんっ!」

鼻息を鳴らしながらロッカールームへと向かっていくサワー。
興奮のし過ぎで金色に輝いていた瞳孔は元に戻り、ある程度の冷静さを取り戻した事が良く分かる。
半端に目覚めているからか、それとも元からの性格なのかは判然としないが、兎角戦闘に関してはプライドが妙に高い。
だが、最終的に軍の命令には忠実に従う真っ当な兵士タイプだから扱い易くもある。
このAEUでガンダムを一番早く仕留めるのは、やはりサワーになるだろうか。

「しかし」

人の居なくなった控室で独り言ちる。
AEUでガンダムを最初に仕留めるのはサワーだろうが、それは今ではない。
AEUはAEUで、先のデモンストレーションと、その後のガンダムとの戦闘から得られたデータをフィードバックするのに忙しく、現時点で捕獲できるかが怪しい未確認機そのものへの追跡は後回しにされると見ていい。

あの最初の襲撃の直後、ガンダムの迎撃に向かわなかった軌道エレベータの主力警備部隊を出す事もできないではないだろうが……。
あの軌道エレベータに駐留している主戦力は、あくまでも軌道エレベータの防衛の為だけに配置された部隊だ。
機体性能も『軌道エレベータの防衛と敵機の早期殲滅』を主眼に置いており、捕獲任務には余りにも向かない。
機体性能の問題だけでなく機体構造の関係から、エレベータを離れてガンダムの鹵獲や殲滅に向かうのも難しいだろう。

残る普通の駐留部隊は、まず出ない。出さない。間違いない。
エクシア、デュナメスとの戦闘で得たデータ、更に宇宙でテロリストを相手に戦ったヴァーチェとキュリオスのデータ。
これらを得ていながら、先走ってガンダム鹵獲に乗り出しはしないだろう。
AEUの上層部も馬鹿ではない、いや、それどころか人類から半歩踏み外し初めた連中が混ざっているのだから、もう少し勝算を得てから動くはずだ。

となれば次にガンダムに手を出せるのは、人革か、ユニオンか。
どちらの国も、先ほどのAEU軍やテロリストとの戦闘を観てガンダムの性能は思い知っただろう。
現行機で対応するのは難しく、しかし『手段を選ばなければ』対抗可能かもしれない、ガンダムという名の超兵器。
性能もさることながら、その出自から鹵獲して研究してもどこかに恨みを買う事もない。
この格好の餌を逃す馬鹿な国は、俺の知る限りこの世界には一国も無い。

「真っ先に鞘走りそうなのは、何処か、誰か」

組織としては、人革。
だが個人として見た場合は……。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

──見つけた。
──見つけたぞ!

MSのカメラ越し、スクリーンを経由して自らの肉眼に写る光景に、グラハムは己の中に抑えきれない強い興奮を感じていた。
常に『あの』粒子を撒き散らしているガンダムという機体は、レーダーで捉えることはできない。
故に肉眼での視認のみで確認するしか見つける方法がない。
それは砂漠の中から一粒の小石を探り当てるのと変わらない程に困難だ。
真っ当な神経を、至極当たり前の常識を備えた者であれば、何らかの対策を立ててから捜索に挑むだろう。
だが見つけた。
幸運か悪運か、神の御業か悪魔の罠か、グラハムは自国ユニオンを含む三大国家の軍隊全てに先んじて、ソレスタルビーイングのガンダムとの接敵に成功してしまったのだ。

輸送機のレーダーが映した未確認機の反応、そこに最大望遠でピントを合わせた先にガンダムの姿は在った。
カタギリの静止を振り切り、フラッグに乗り込み輸送機から飛び出したグラハム。
彼の胸中に在ったのは如何なる思いであろうか。
確実に言えるのは、胸中に何を抱えていようとも、この瞬間の彼の脳内が人として異様なまでに純粋で澄み渡った状態であったという事だけだろう。
明鏡止水、クリア・マインド、鏡のごとく澄んだ水面に似て────つまり、複雑な事は何一つ考えていない。
無我にあらず無心にあらず、胸の高鳴りだけに従う知性と対極にある本能に程近い思考で持って、彼はガンダムに挑みかかる。
理由は分からない、いや、よくよく考えれば幾つかのはっきりとした心当たりを見つけることができる事はわかっていたが……彼はそこに思考を裂くつもりは(少なくともこの時点では)毛頭無い。

命令も無しにフラッグを動かしガンダムに挑む。
途中でカタギリや他のスタッフからの静止があったにも関わらず、躊躇うこと無くそんな真似をしている。
ともすれば軍法会議に掛けられて重い罰を受けねばならない程の独断専行。
しかし、罰せられたとして、その後に後悔を得ることはない。
組織人として守るべきルール、軍人として守るべき規律、それら全てを置き去りにグラハムは、フラッグは飛ぶ。

追いかけてくるフラッグに気が付いたガンダムが振り返る。
慣性を無視した急停止からの方向転換。
フラッグと向き合ったガンダムは、イナクトを破壊した大型の実体剣を展開し、フラッグに向かってくる。
航空力学を無視した完全なる人型での飛翔はしかし、飛行型MSの機動力に劣らず速い。
互いが相手に向けて加速し、両者の距離はあっという間にゼロへと近づいてく。
戦闘機形態のフラッグに近接戦闘能力は無く、ガンダムは目撃者の排除を容易く完了させる。筈だった。

「一曲踊ってくれるというのか。ならば──活目してもらおう!」

交戦距離に到達した瞬間、グラハムはフラッグをMS形態へと変形させ、再加速。
腕の付け根から抜き出したソニックブレイドを構え体当たり気味に接近するフラッグに、ガンダムの反応が僅かに揺らぐ。
さもありなん。フラッグは空戦陸戦にフレキシブルに対応し、オプションパーツさえ装着すれば宇宙での活動すら可能とする全領域対応型のMSだが、変形機構は地上でのみ使用可能であり、空中での使用は想定されていない。
空中で、しかもある程度の速度を維持したまま変形などしようものなら空気抵抗を受けて減速からの墜落は免れられず、変形時の速度によっては墜落前に可変部のパーツが破損してしまう可能性すらある。
だが、目の前のフラッグはいとも容易く空中変形をこなしてみせた。
本来のスペックであれば有り得ないことだ。
そう、『フラッグ本来のスペック』であれば。

「我が友とその師が作り上げた機体、君にもそう劣る物ではない」

既にガンダムのパイロットは気が付いているだろうか。
グラハムの駆るフラッグ、その細かな意匠が、ヴェーダから与えられたフラッグのデータと異なる事に。
軌道エレベータ建設時、各地の戦場で度々目撃されたアンノウンの残骸を解析して得られたデータを元に開発された新機軸の機構を搭載され、その性能は通常のフラッグを大きく上回る。
これこそユニオンの誇る真の最新鋭機、試作型全領域対応高機動可変MS、その名はアンノウンの残骸からサルベージされた機体の機種名に肖り──

「人呼んで、フラッグ・G・SPT(グラハム・スペシャルタイプ)! 推して参る!」

SPT──Super Powered Tracer(スーパー・パワード・トレーサー)
最早地球の、ユニオンの技術として取り込まれた地球外技術。
それはフラッグにガンダムを凌駕する加速力を与え、一つの流星を生み出す。
空気抵抗を軽減し耐熱性と放熱性を高める効果もある特殊な塗料で海のように空のように深い青に染め抜かれたその姿は風に靡く旗(フラッグ)か、いや、残像の尾を引き飛ぶ姿は正に青い流星と表現するに相応しい。

衝突、異音と共に輝く粒子が両機を照らし上げる。
プラズマ刀身と大型実体剣の鍔迫り合いは、徐々に基部であるソニックブレイド部分が融解を初め、武装に使用される技術差を、そして、押しも引きもせずただ押し合う両機の推力に差がない事を証明した。
この場で拮抗を崩すのはどちらか。
鍔迫り合いに時間制限を設けられているフラッグと時間無制限のガンダムでは余りにも条件が違う。
ガンダムは相手の挙動に注意しながら鍔迫り合いを続けるだけで敵の武装を一つ取り除く事が可能であり、フラッグはソニックブレイドが融解するよりも早く現状を打破しなければならない。
そしてその条件すら、この競り合いが互いの限界の上で成り立っているという前提が合って初めて成り立つ。

拮抗はあっさりと崩された。
ガンダムの背から緑色の粒子が更に溢れだしたかと思えば、不自然に剣の重みが増し、ソニックブレイドを力任せに弾き飛ばしたのだ。
拮抗を崩され武装の一つを失い、しかしグラハムの表情には濃く笑みが浮かんでいる。

「やはり圧倒されるか、だが!」

ガンダムが剣を振り翳し迫る。
厚みのある大きな刀身を持つガンダムの剣は、先の拮抗を崩した時とは打って変わって重さをまるで感じさせない速度。
大型剣のリーチにナイフのような軽やかな取り回し、慣性を無視したガンダムの機動。
近接戦に特化しているだろうこのガンダムにとっての必殺の間合いに必殺の状況。
フラッグの性能であれば、ソニックブレイドを弾き飛ばされた反動を利用して距離を取るのが得策だろう。
しかし、このフラッグはフラッグであってフラッグではない。

「一曲ならずとも、一手付き合って頂こう。そして──!」

あろうことか、グラハムは距離を取り剣の射程から出るどころか、逆に剣の軌道の中に飛び込んでみせた。
ガンダムのパイロットは困惑しつつも、それを操縦には表さず冷徹にフラッグとそのパイロットの生命を刈り取らんと剣を振り抜く。
パイロットの知識の中にあるユニオンのフラッグであれば、確実に避けることが出来ない、筈だった。
現実として現れた結果は、ウイングの先端を僅かに削られただけのフラッグという形で、剣の軌道の射程外、斬撃の内側に存在した。
流星の如く一直線に、拳闘のインファイターにも似た姿勢で。

──回避された原因は何か。
考えるまでもなく、ユニオンのデータベースに記されているフラッグのカタログスペックを凌駕する異常な推力だろう。
特殊なカスタマイズが施されたワンオフ機にのみ許された機動性こそが避けられた原因であると、一瞬の攻防の内にガンダムのパイロットは当たりをつけた。
間違いではない。だが、完全な正解とは言い難い。
ガンダムのパイロットがこの瞬間、振り下ろした剣の軌道を改めて確認していれば気付けただろうか。
フラッグのマニピュレーターを覆う、紫電迸る金属の塊──ナックルショットに。

破砕音。
それは双方の機体から同時に発せられた。
如何にソレスタルビーイングですら知り得ない技術で製造された装備とはいえ、その基礎に有るのはユニオンが元から持つ技術でしかなく、完全再現には程遠い。
ガンダムの装甲を強かに殴りつけたフラッグの腕はひしゃげ、マニピュレーターとしての機能を完全に失った。
片側だけとはいえマニピュレーターを失ったフラッグの火力は激減し、頼みの綱のガンダムに対抗できる可能性のある特殊兵装は破壊され、最早完膚なきまでにグラハムの勝機は消え失せたと言って良い。
貴重な極秘開発の試作機を破壊し、しかしグラハムの顔には僅かに苦く、しかし濃く深い笑みが浮かんでいる。
何故か。

その理由は『フラッグのマニピュレーターの中』にあった。
白い装甲の破片。
一瞬の交錯、マニピュレーターが自壊する程の激しい激突によって生まれた衝撃を物ともせず、グラハムはナックルショットによって破壊され剥がれ落ちた装甲の一部を、無傷のまま温存しておいた片腕で掴み取ってみせたのだ。

勝ちに行く、撃墜する、捕獲するという選択肢を自ら捨て去って掴んだ、現状最良最優の結果。
ソニックブレイドを失い、虎の子であるナックルショットはマニピュレーターごと大破。
更に言えば、SPTの残骸を元に開発中のレーザードライフルを搭載予定のこの機体は、通常のフラッグであれば搭載されていたはずのリニアライフルを搭載していない。
そう、これが、ユニオンでも指折りのエースと、最高機密と言って言いレベルの試作機を用いて得られる、最大の戦果。
各地に配備されていた各国のMSを圧倒したガンダムを相手に、終始自分のペースでグラハムは戦ってみせた。
そして、ここまででどの勢力も手に入れていないガンダムの装甲を、その秘密の一端を手にした。
だが、そこが限界であるとも言える。
ソニックブレイド、片腕、ナックルショット。
これらを駆使し、酷使し、失って、ユニオン最優に近いエースパイロットであるグラハムが全力で戦い、一掴み程度の装甲を手に入れる事しか出来ない。
数合のやり取りの中で得た、グラハムの戦士としての結論がそれであった。
これ以上を求めるとして、この機体だけでなく自らの命全てを掛けて尚、ガンダムの首級を上げるには至らない。

機体性能で上回る相手に対し、攻撃を通させず、自らは相手の手掛かりを掴み取る。
それは表面上の交戦記録からは察することが出来ない程の危うい綱渡りの末に成し得たことであり、そこには確かなスリルがあった。
テストパイロットとして、命を燃やすギリギリのフライトを行っていたあの時代に通じる感覚を、グラハムは確かに感じていただろう。
だが、だがしかし、そこまでだ。
グラハムには押し留まるに足る理由が、自らの感情に蓋をするだけの経験があった。

こちらを侮る相手を出し抜き、しかし決定的な反撃を行うには確かに力が足りない。
故にグラハムは笑う。
自らを、そして相対したガンダムを、ソレスタルビーイングを。
それは自嘲の笑みであると同時に、歯を剥き出しにした原始的な、攻撃の意思を含んだ笑み。

「覚えておいて貰おう。『次は勝つ』と!」

命のやりとりを行う戦場にて『次』に賭けなければいけない自分の無力さを嘲笑い、だからこそ、その有り得るべきでない『次』にこそ、必ず喉元に喰らい付く、と、歯(きば)を剥き出して笑い掛ける。
そしてグラハムの、フラッグの次の一手はこれまでのどの攻撃よりも鋭く、迅速に。
逃げた。
転身、戦略的撤退。
未確認機──SPTの解析により、より余裕を持った構造へと進化したフラッグの変形機構は、斬りかかる時より尚疾くその身を変じさせる。
装甲片を掴んだ手はそのままに、機体の一部破損などに一切影響を受けず、加速。
ガンダムに背を向け、脇目も振らぬ一目散の大逃走。
追うか追わざるか、一瞬の逡巡を見せたガンダムの姿を確認する事もなく、グラハムの駆るフラッグは既存の戦闘機を凌駕する速度で持って、戦闘領域から離脱した。

―――――――――――――――――――

輸送機に戻ったグラハムを、嘆息を吐きながらカタギリは出迎えた。

「いやはやまったく、本当に予測不可能な人だよ、キミは」

カタギリの呆れとも感嘆とも付かない感情の込められた言葉に、グラハムは僅かに悔しさを滲ませた表情で返す。

「試作機をあそこまで破壊してしまった。始末書で済めばいいが」

ヘルメットを手に下げたグラハムが振り向いた先には、正しく満身創痍という表現が相応しいフラッグに、無数の整備員が取り付いている。
彼等はフラッグG・SPTの調整の為に同道していた専属の整備班だ。
ユニオンにとっては新しい技術の塊であるこのフラッグは、一度出撃したが最後、仮に無傷で帰還したとしてもオーバーホールが必要になる。
更に言えば通常のフラッグとは共用できない部品も多くあり、機体構造もフラッグとは異なる点が多く整備ノウハウも未だ確立していない。
そんな機体が、大破寸前と言って良いレベルの損傷を抱えて戻ってきたのだ。
しかもそれが誰の許可も得ていない、テストパイロットの独断による出撃の結果ともなれば、下される処分は如何なるものになるだろうか。

「その点については安心していいよ。今回の戦闘で得られたガンダムのデータに、グラハムスペシャルの貴重な実戦での稼働データ、これだけでもお釣りが来る。それに加えて持ち帰った装甲の一部、これからガンダムの足取りを追えるかもしれないし、当然、あの強固な耐久性の秘密も明らかにできるかもしれない」

もしかしたら、昇進だって有り得るかもしれないよ?
そう愉快そうに笑うカタギリに、グラハムは苦笑を返すしか無い。
フラッグのトライアル以来の付き合いで、最早友と言って差し支えない彼が何を考えてそんな事を言っているかは大体予想が付く。
グラハムを安心させる意図もあるだろうが、既に彼の興味の大半はグラハムが持ち帰った各種データとガンダムの装甲片に向けられている。

太陽光紛争以来、各国で秘密裏に出所不明の新技術を導入したMSが開発されているのは、MS開発者の間では周知の事実。
そんな時代に現役でMS開発、しかも大国ユニオンの主力MS開発において舵取りを任されている彼のモチベーションは常人では計り知れない程に高い。
学ぶべき知識は多く、ガンダムという形で未知の技術がカタギリに学ばれたがっている(少なくともカタギリの頭の中では)現状、新技術を使いこなせる優秀なパイロットは一人として失うべきではない。
友への慰め三割、優秀なパイロットのモチベーション維持が七割というのが、カタギリの感情の内訳だろう。

「それにしても、いいパイロットだった」

心ここにあらずといった表情で呟く。

「解るのかい?」

「匂いでな。歴戦の戦士、という訳ではないが、落ち着きもあり思い切りもいい」

機体の動きからでも、パイロットの鍛え方が解る。
プロファイリングが出来るわけでもないが、一目で戦士と解る逞しい姿をしているのだろうと確信できた。

『ガンダム、ロストしました』

索敵班からの通信。
特殊粒子を使っての逃走だろう。
グラハムの機体と違い、この輸送機は特別な技術の搭載されていない標準的な機体でしかなく、レーダーで捉えることができなくなってしまった時点でガンダムを追い続けることは不可能。

「フラれたな」

肩を竦めて言うグラハムの表情に憂いはない。
仕掛けたのはこちらからだが、余程のことがない限りあちらから追撃を受けることはないだろうという予感はあった。
未知の粒子による撹乱を行わず移動にのみ専念していたかのガンダムは、恐らくこちらに構っている暇など無いのだろう。
武力介入に向かう途中か、それとも秘密の基地に整備に向かう途中か。
機密保持の為に戦う事もあるだろうが、恐らく今回奪い取った装甲は、ソレスタルビーイングにとって解析されてもそれほど問題には成らない程度のものでしかないのだろう。

だが、軍も何時までもソレスタルビーイングを、ガンダムを放置しておくことは無い。
彼等の行為が悪質なテロ行為である事には変わりなく、彼等の持つガンダムに利用されている技術も魅力的だ。
各国の軍が対ソレスタルビーイング用の部隊を結成するのは時間の問題だろう。
そうなれば、ガンダムとの交戦経験を持ち、なおかつ撃墜されずに手傷を追わせての離脱に成功したグラハムも招集される可能性が高い。

「いや」

違う。
そんな細かな理屈で図れる物ではない。
あのガンダムと自分の間には、赤い糸にも似た運命の結びつきとも言える『何か』がある。
根拠はない。そう感じた。むしろ、そう感じたいからそう感じたと無理矢理に確信を得た事にしたのだ。
そして、自らがそう心の中で強く確信を抱き続けている以上、それは決して絵空事では終わらない。
そう遠くない未来での再会の予感に、口の端を不敵に釣り上げた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

AEUの何処か、軍人でも一部の特殊な連中しか知らない、某米の国のエリア何十何的な秘密の区画。
地下に広がる広大な敷地には、ズラリと並ぶ異形の数々。
異形の正体は、MS全盛のこの時代では考えられない大量のMA。
そのどれもが、AEUに回収させた断片技術を組み合わせ、AEUの技術者に学ばせながら造らせたり造ったりした最新技術の塊だ。
勿論、つい先日お披露目を行ったイナクトが最新鋭機で無いという訳ではない。
実際、イナクトも最新鋭機であることに変わりはない。
純粋にAEUが積み上げてきた技術の集大成として考えれば、紛れも無くAEUが現在望める最高の性能を持っていると言って良い。
だが、AEUの最新鋭『MS』という肩書は、各国が、それこそAEUそのものが想像するよりも遥かに意味も価値も薄い。

目の前に広がる無数のMA、これこそ、AEUが真の実力を発揮できる分野なのだ。
非GNドライブ搭載兵器によるタイマンでガンダムを追い詰めたという実績は、パイロットがこの世界でもトップクラスの実力の持ち主であった事を加味しても十分に評価に値する。
そして、AEUの技術者達が心血を、魂を注ぎ込んで作り上げたこのMA軍団は、決してガンダムに引けを取るものではない。
少なくとも、AEUの技術者達はそう信じて疑わないだろう。

蒔いた種は続々と芽吹きの時を迎えつつある。
AEUの様に俺が直々にテコ入れを行った訳ではないが……だからこそ、彼等の発展は有意義なものになる。
ユニオンはSPTの技術を着実に解析しつつ、再現不能な部分は既存技術を応用することで補填し、総合的にはユニオン独自のカラーを残しながら発展しているように見える。
現状ではエースを乗せた最新鋭機であの程度の戦果しか挙げられなかったが、未来に目を向ければその展望は決して暗くない。

「さっさとAEUの本領を見せてやりたいけど……順番待ちか」

テコ入れした手前、多少なりとも活躍させてやりたいのが親心というもの。
しかし、物事にはタイミングというものがある。
ソレスタの作戦スケジュールから考えるに、次にガンダムに対して隠し球をぶつけられるのは、間違いなく人革だ。
こちらからあれこれ干渉してAEUの順番を先にする事も出来ないではないだろうが、それはフェアではない。
切磋琢磨していくのであれば、正々堂々とは言わずとも、最低限守るべきルールというものがあってしかるべきだろう。

「さて、それじゃあ次は」

ユニオンに続き、今度は人革のターン。
超兵の養成機関はあっさりと破壊されてガンダムにも逃げられてしまったが、今度の接触ではそうは行くまい。
人革領に近づくガンダムのマイスターは、間違いなく現在の人革が誇る最新鋭機に度肝を抜かれるだろう。
今の彼等はそう、ある意味では三国の中で最も先を行く者達なのだから。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

人革領セイロン島にて、セルゲイ・スミルノフは部下からの報告を受けていた。

「三機目がこのセイロン島に現れただと?」

「は、第七駐屯地です」

その報告に周囲に居た兵士たちがこぞって動揺の声をあげ、ざわめき始める。
セルゲイは彼等に対して僅かに掌を向けてみせるだけで制し、兵士の一人に告げた。

「新型は出せるな? 私が出る」

「中佐ご自身が、ですか」

一度収まった筈の兵士達のざわめきが、より激しさを増して蘇った。
しかし、ざわめきに含まれる感情は先の様に動揺ばかりではなく、期待が多く含まれていた。

「私は自分の目で見たものしか信じん。ガンダムという機体の性能、ここで見極めてみせよう」

視線の先にあるのは格納庫の奥行きを覆い隠す薄い闇。
ティエレンや、回収したガンダムのミサイルコンテナなどが収められている格納庫の中に、ここ数年で彼の愛機と言って良い程に慣れ親しんだMSが存在している。
新型と呼べるほど完成度の高くなかった試験機時代から何かと関わってきたそのMSは、彼にとっては現行機であるティエレンよりも信頼のおける機体だと言えた。

「戦争根絶とやらの覚悟が嘘であれ真であれ、武力介入で多くの同胞の命を奪った償いはして貰うとしよう。この私と──」

照明が点灯し、闇のヴェールが剥がされた。
浮かび上がるシルエットは、MSと言うには明らかな異形。
MAの様に人型を逸脱した形状を備えている訳ではなく、しかし、どうしようもない程にMSのイメージから離れてしまっている。
喩えるならば、死した巨人の躯。
喩えるならば、生まれる前の胎児
不完全で未完成な姿は、死と生の両方を見る者に想起させる不安定さをも内包し。
装甲も無く剥き出しの人に近い骨格(フレーム)、内部機構を内蔵に例えるのならば、やはりそれは死神にも見える。

「先行者(シャンシンジェ)の力で、な」

セルゲイの重苦しい宣言に答えるように、赤い頭部センサーが不気味に輝いた。




続く
―――――――――――――――――――

葛藤する姿が可愛い女の子の出番を生贄に捧げてインテル入ってるコーラサワーと確変入った三大国家MS開発チームを召喚した第八十四話をお届けしました。

今回ほぼ戦闘しかありませんでしたね。
花がないというかなんというか、コメディ色が無いというか、シリアスとメカしか無いというか。
しかもこれ、あれこれ展開とか修正していたらソレスタ側の場面が殆ど消えて今後も花とか殆ど無い可能性があるっていう。
まぁプロットどころか大まかな展開のメモでしかないから女性キャラの出番が多少増える可能性も無いでは無いのです。
シリアスなのは、たぶん主人公視点が殆ど無いから、かなぁ……。

数カ月ぶりの自問自答コーナー。
Q,ソレスタ活動開始前からGN粒子の目撃者が存在してるけど、ソレスタって機密保持にはガチ対応で割りと人殺しも辞さない構えじゃ……。
A,太陽光発電紛争時、出撃予定が把握されている可能性を考慮せざるを得ない程に謎のアンノウンに襲撃を受ける時期が存在した為、各国の防諜技術が上がってます。
回収した異世界技術を解析して作り上げられた機体は完全にオフライン環境下で開発が進められ、ソレスタの諜報員は同じ場所に居たイノベイドに処分されたり。
Q,ガンダムの癖にコーラサワー搭乗イナクト程度に苦戦するなんて幻滅しました。那加ちゃんのファン辞めます。
A,舞チンアンソロ二巻は女性提督多めな気が。レズはホモ、はっきりわかんだね。
というか原作からして普通にエース級でしたし、事前に襲撃を予告されていて、なおかつ原作よりもスペックが高ければこうもなります。
Q,ジョーブ博士? オリキャラ?
A,確率で被験体に革新を齎す手術を施すのが趣味の謎の天才科学者、ジョーブ・マサル(丈夫・大)博士です。
AEUの科学を発展させるために犠牲をコンスタントに出し続けるAEUの犠牲担当(出す方)でもあります。
要約すると、主人公が息抜きとしてAEUで好き勝手MA作るためのアバターです。
それでも一応アグリッサという割と輝かしい戦果を持ったMAが存在するため、AEU出身の技術者にちょっとした技術指導を行ったりも。
Q, ガンダムと互角、このフラッグG・SPT凄いぞ……5倍以上のエネルギーゲインがある。
A,ありません。動力源は水素エンジンそのままです。
でも多分原作よりも軌道エレベータからの無線電力供給アンテナは強化されてる筈。
この場合、主に強化されてるのはユニオンの電力供給ネットワークであってフラッグ自体の強化はおまけですね。
Q,ていうか真っ当な技術を学ぶ為のトリップで、各国に異世界技術を学ばせるのは悪手なんじゃないの?
A,現行技術全てを塗り替えて過去のものにする程大量の技術が取り込まれてる訳ではないのでセーフです。
ガンダム、というかGN粒子関係の技術に圧倒されない程度に全体の技術を底上げし、なおかつ技術発展を加速させる程度の技術だけが意図的に残るように仕掛けてあります。
更に言うなら、GNドライブというトンデモ技術が存在しない真っ当な系統樹は
あと、OO本編の時間軸に到達した時点でGNドライブに対抗できる技術がないと、結局GNドライブ関連技術に押し潰されてしまうので、手を出さないのも問題が有りました。
なので原作SPTの様な無茶な機動性と頑強さをそのまま再現できるようにはなりません。
精々がブレイブに準ずる機体が数年前倒しで登場する程度です。
Q,女の子出ないの? 次の話辺りで王留美とか。
A,次話……そんな先の事はわからない。
いや実際問題、全体の流れとして必要な部分だけを見ていくと、多分ギリギリでプトレマイオスの女性陣とかは出せるかなぁ、程度の見通しがあるような無いような。
たぶんあれです、次の話書いてて、女性を描写したくなったら書きます。
Q,逞しい……?
A,そう、逞しい……。あ、刹那さんはあんまり逞しくないです。
むしろ少年兵時代のあの顔つき体つきだと間違いなく後ろ非処女ですよねせっさん。
Q,セルゲイさんって信頼の置ける兵器にしか乗らないイメージがあるけど、謎技術使った新型で迎撃に出るとか有り得るの?
A,そもそも出処が超絶怪しいGN-Xとかに平気で乗っちゃいますし。
シャンシンジェに関しては、実戦配備はまだでも開発の過程と実際の性能を知っているから信頼している的なあれです。


だいたいこんな感じでー。
一ヶ月で投稿とか言っておいて遅れたのはあれです、転職して引っ越して生活環境が激変したのが原因でありまして。
SS書く時間が無いとは言いませんが、実家暮らしの時と比べるとどうしても……。
ちょっと間が開きすぎてSS書く感覚も少し鈍っていると言いますか。
書いててなんだか違和感を感じますし。
最終手段として、適当にこのSSと関係ない新しいSSを一、二話くらい書いて慣らすという手も有るにはありますが、これはエタを誘発するのでなるべく避けようと思います。
EX!転生原作主人公双子モノとか用意があります。書いても間違いなくオリジナルの原作プレストーリーで頑張りすぎて原作一巻目に到達前のエタを確約できるレベルですが。
ああいうのって、素直に原作に突入した時点で『俺達の戦いは続く……!』みたいにすれば打ち切りであってもエタらないで済むと思うんですけどなんでエタるんですかね?

では今回もここまで。
誤字脱字の指摘、文章の簡単な改善方法、矛盾している設定への突っ込み、文章に対する違和感、その他諸々のアドバイス、そしてなにより、このSSを読んでみての感想、心よりお待ちしております。



―――――――――――――――――――

踏み出した先、世界は既に動き始めていた。
彼等の歩みよりも遥かに早く、歯車を軋ませながら世界は回る。
待ち受けるは未知の機体、未知の技術、未知の動き。
異端を形作る物はやはりその全てが異端。
しかし変わらず曲がらぬ信念を芯に据え、異貌の機兵は立ち塞がる。
変えようとするもの、変わりつつあるもの。
二つの意思は必ずしも噛み合うものではない。

次回、第八十五話
『先行者(ネクスト)の脅威』



[14434] 第八十五話「先を行く者と未来の話」
Name: ここち◆92520f4f ID:920963a3
Date: 2015/10/31 04:50
人革連の主力MS、MSJ-06Ⅱティエレンは、他国の主力MSとは趣が異なるコンセプトの元に設計された機体である。
軌道エレベータの素材にも使用されているEカーボンの普及により軽量、高機動化の進む他国MSに対し、時代を逆行するかの様に、しかし古き時代の陸上兵器としては正しい流れの上に存在している。
重装甲と駆動力の発展に力を注ぎ続けてきた果てに生まれたティエレンという機体。
機動力に劣るとはいえ、ティエレンは決して時代遅れの機体ではない。
バリエーション機も多く存在し、その豊富な拡張性から純粋な次世代機を開発するのではなく、現行のティエレンを更新し続けていくべきだという方針は今でも人革連の主流である。

職務と国家に忠実な軍人であるセルゲイ・スミルノフもまた、ティエレンという兵器に対して一定の信頼を置き続け、その信頼は今でも失われていない。
ティエレンは良い機体であり、優れた兵器だ。
現場で実際に使われ続けてきた実績があり、信頼性の高さでは三国の中でも一二を争う程だろう。
コックピットの構造から『動く棺桶』などという不名誉な呼ばれ方をする事もあるが、パイロットの生還率も他国のMSと比較して劣っている訳でもない。
可変MSが空を飛ぶこの時代の気風に合わないというだけで世間から偏見の目を向けられる事こそあるが、ティエレンもまた、フラッグやイナクトに並ぶ現行最新鋭軍用MSである事は疑いようのない事実だ。

その上で尚、セルゲイはガンダムの襲来に対し、先行者──シャンシンジェでの出撃を決断した。
信頼性の高いティエレンという選択肢を蹴っての、制式採用前の試作機での出撃。
その無謀とも思える決断が間違いで無かった事を、セルゲイは眼下に広がる光景を険しい目付きで睨みながら確信していた。

「これがガンダムか! それが貴様らの力か!」

三国一の重装甲を誇るティエレンが、胴体から上下に分断され炎上している。
燃料に引火し爆発していないのは、ティエレンの優れた機体構造故だろうか。
だがそんな物は何の慰めにもならない。
残骸の位置は、出撃しガンダムを取り囲んだティエレンがまともな抵抗も出来ずに破壊されたという事実をセルゲイに突きつけてくる。

化物め、と、思いこそすれ口にはしない。
嘗ての紛争を体験した者達の何割かが覚悟を固めていた、来るべき時代(とき)が来たのだ。
戦場を兵器と兵士ではない、名状しがたき何かが跳梁跋扈する時代が。

この地球で初めて戦車が戦場に導入された時、鋼鉄でその身を鎧った『怪物』は、戦場を兵士達の命ごと食い荒らした。
あのガンダムというMSこそが今現在を生きる我々にとっての『怪物』なのだ。
尋常の兵器では対抗すら出来ぬとなれば、こちらも尋常成らざる兵器で戦うのみ。
シャンシンジェはその為に、化物と戦う為に造られた。
人と人の行う尋常の戦場ではない。
戦場を駆ける鉄の兵士ではなく、怪物を屠る貴石の如き英雄を目指したのがこのシャンシンジェだ。

格納庫より射出されたシャンシンジェが、音もなくガンダムの正面に降り立つ。
全身の関節機構を駆使し、数百メートルからの落着の衝撃を全て無効化してのけたのは、何もシャンシンジェの優れた機体構造だけが原因ではない。
戦場にて回収された未確認機──MF(モビルファイター)の性能を発揮するのに最も重要なパーツは、生身での身体制御能力に優れたパイロット。
軍隊格闘術と複数の中国武術を融合させて完成させた『シャンシンジェとその派生機体を効率的に動かすことだけを考えた戦闘術』を習得したパイロットが居ればこそ。

音もなく滑走路に着地したシャンシンジェのそこからの動きは、世界で初めてガンダムが姿を現した、AEUの記念式典の焼き直しだ。
高々度からの位置エネルギーを利用した超高速のエントリー。
全身のアブソーバーが吸収した着地時のエネルギーを循環させ、次に踏み出す一歩は神速。
ガンダムのパイロットが捉えることが出来たのは巨大化したかのように画面に大写しになったシャンシンジェのヘッドパーツのみ。
ガンダム──エクシアのコックピットが激しく揺さぶられる。
けたたましい警告音が鳴り響き、ダメージを確認させる。
受けた被害は腕一本。
肘から先、前腕を半ばから断ち切られた。

獣染みた、獣と見紛う程の速度を伴う『人の動き』で、シャンシンジェは跳ねるようにエクシアから距離を取る。
呼吸を整えるように大きく身体を上下させエクシアへと向き直るシャンシンジェ。
次の瞬間に如何なる行動を取ったとしても初速からトップスピードで動く為、全身のアクチュエータを常に稼働させるその動きは仏教や道教における調息や導引に通じる。
その姿は人を模したものとしては随分と足りず、しかしてその立ち姿は他のどのMSよりも機動闘士(モビルファイター)の名に相応しい。

エクシアのマイスターは改めて対敵の姿を確認した。
骨格標本を無理矢理に巨大化させた様な穴だらけのボディに、一枚板におざなりにセンサーを貼り付けただけの様に見える雑な作りの頭部。
なによりも目を引いたのはその手。
いや、手と言っていいものか。
マニピュレータすら無く、適当に鋼材から削りだした金属板にしか見えないその手。
赤熱するその手こそが、エクシアの片腕を切断した凶器である事は明白であった。

これこそが、シャンシンジェに搭載されたオーバーテクノロジー応用技術『溶断破砕マニピュレータ』である。
オリジナルと異なり、素材強度の関係から複雑な構造を持つ五本指の手を維持したままこの機構を搭載する事が不可能だったからこその苦肉の策の結果とも言えるこの構造。
しかし、未だ試験段階にあるこの武装には、本来の溶断破砕マニピュレータ──シャイニングフィンガーには無い強みが有る。
単純な構造故に保証される確かな耐久性は、単純に『手首から先を叩きつける』というアクションであれば、どのような形であれその性能を存分に発揮することができるのである。
物を掴む複雑なマニピュレータという、MSにとって無くてはならないものとされる機能は排除され、単純な破壊に特化した武装へと進化を遂げた。
これぞ溶断破砕マニピュレータ改め『人革チョップ』である。
その威力は同じく人革で研究中のビームサーベルに匹敵するだろう。

シャンシンジェが調息に似た動きを維持したまま、構える。
片手を天に、片手を地に向けた構えは天と地を己が腕で天地を支えんとしているようにも、両腕で造り上げた巨大な顎で世界そのものを喰らわんとしているようにも見えた。

《ニイハオ》

人革連の前身である巨大国家の公用挨拶にも聞こえる電子音が、まるでこの状況を楽しんでいるかのように甲高く鳴り響いた。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

モニタの向こうでは軽業師の如き身軽な動きでエクシアの追撃を躱す先行者。
エクシアの攻撃はその驚異的な回避軌道を捉えきる事無く、一撃足りとも致命打を当てるに至らない。
これは破格と言って良い戦果だ。
如何にガンダムの性能がGN粒子有りきとはいえ、OO世界最強最悪のインチキ粒子であるGN粒子の効能を最大限引き出せるガンダムという機体の性能はGN粒子非対応機とは比べ物ならない。
では、あの人革製先行者の性能はガンダムに迫る物なのか。

答えはNO、だ。
勘違いをしてはいけないが、あの先行者は人革軍の次期制式採用MSではなく、あくまでも試作機、いやさ試験機でしかない。
更に言えば、先行者という試験機を経て制作される次世代機は、先行者のコンセプトを受け継ぐ事はないだろう。
確かにあの先行者は優れた機体ではあるが、それは軍用機としての優秀さとは程遠い。

いや、あの先行者を優れた軍用機として採用する事も不可能ではないのだろうが、少なくとも人革軍のMS運用法には適合し得ないのだ。
紙装甲どころかそもそも装甲自体が存在せず、Eカーボン装甲採用MSの多くが使用している燃料浸透式内燃機関すら存在していない。
主機が無く、人革領の地下に秘密裏に埋設された新型エネルギー中継器を通してエネルギーを受信する『タオ・システム』を採用している為、むしろ構造としてはAEUの新型に近く、当然ながら人革軍の戦術には合致しない。

では何故そのようなMSが、MFもどきが造られたのか。
勿論、MFの優れた機体構造を人革の次世代MSに活かすための実験機という役割もある。
だが、それが真の目的がどうか、と聞かれれば、違う。
アレは『兵士』ではなく『英雄』なのだ。
喩えるならば、竜を屠るkssm……もとい、騎士の様な。
太陽光発電紛争時、幾度と無く現れた天使とも悪魔とも取れる戦場の破壊者。
散発的で、しかし公的記録に載せられる記録の存在しない『何か』を、恐れ続けたが故に行き着いた境地。
人の足りぬ力でもって、圧倒的な竜の力を倒す為の力。

先行者の性能は決してガンダムに届くものではない。
だが、それは先行者にとっては何の問題にもならない。
先行者は届かない相手と戦う為にこそ生み出された。
『先を行く者(シャンシンジェ)』の名の通り、その力は常に敵の予想の先を行く。

「さぁ、魅せてくれ。斜め上を行く者の力を」

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人革のMS特有の、全身を直立状態で固定するコックピットではない、広い金魚鉢の様なコックピット。
モビルトレースシステムの不完全な模造品はパイロットの莫大な疲労と引き換えに、これまでのMSでは有り得ない程の即応性を実現する。

コックピット内部のセルゲイは、己が先行者と一体と化したかのような錯覚の中、捩りのある抜き手を放つ。
セルゲイの動きに追随するシャンシンジェが矢継ぎ早に繰り出す一撃は単なる突きとはならない。
高速回転を加えられた人革チョップのバリエーション、人革ドリル。
高々度からの位置エネルギーを加えた人革チョップには劣るものの、GN粒子によって強度を増したエクシアの装甲が、ドリルと化した貫手に触れる度に火花を上げて削れている。

だが、エクシアも防戦一方という訳ではない。
GN粒子の齎す恩恵は大きく、極限まで軽量化の施されたシャンシンジェの高機動戦闘に危うげ無く対応している。
エクシアの武装は大型の実体剣だけではない。
標準装備であるビームサーベルを始めとした取り回しの良い接近戦用の武装も多く装備しており、マイスターはその全てを高いレベルで使いこなしていると言って良いだろう。
エクシアとて、ソレスタルビーイングとて、伊達や酔狂で武力介入を始めたわけではない。
万全なのは機体であるガンダムだけにあらず。
操縦者であるガンダムマイスター達の練度もまた、世界を相手に戦いを挑むに足るだけのレベルに到達しているのだ。

では、何故未だシャンシンジェは撃墜されず、性能で勝るエクシアに撃墜されずに戦い続ける事ができているのか。
答えは実に単純。
エクシアが援護も無く単騎で戦っているのに対し、シャンシンジェは単騎ではない。
互いが互いに張り付くかのような超近距離での格闘戦。
ナイフファイトにも似た様相を呈した二機の内、精確にエクシアだけを狙い打つ援護射撃。

狂気じみた援護。
エクシアの、ガンダムの装甲は三大国家のMSに使用されているEカーボンと比較してより高い強度を獲得している為、多少の直撃であれば無視する事もできる。
対するシャンシンジェには装甲が『存在しない』為、一度でも誤射が、跳弾が直撃すれば、その卓越した機動性の殆どを失ってしまうだろう。

だが、シャンシンジェは止まらない。
這うように地を駆け、GNソードを受けた人革チョップを基点に宙を舞い、全身に設置された圧縮空気噴出装置でエクシアの死角から死角へ回り込み続ける。
そして、遠巻きにエクシアとシャンシンジェを取り囲む数機のティエレンもまた止まらない。
備え付けの25口径滑空砲から、狂った速度で盲撃ちの様に砲弾を吐き出し続けている。

異常としか言いようのない連携。
既にティエレンの放った砲弾は、幾度と無くシャンシンジェへの直撃コースを通過している。
通常のMSであれば物理的に避けきることの出来ない誤射。
だがシャンシンジェは、セルゲイは、エクシアへの攻撃の手を休めること無く、目を向けることすらせずに『剥き出しの胴体フレームの隙間を通して』砲弾を回避していた。

繰り返すが、シャンシンジェ単体の性能は決してガンダムに追いすがれる様なものではない。
この戦闘を拮抗させているのは、偏にガンダムを相手にすることを予め想定していたかのような連携と機動力だけに突出させたシャンシンジェというMSの存在にある。
ここに存在するのがティエレンだけであれば、あるいは、単純にMFの技術を流用して強化された人革らしいMSであれば、ここまでの拮抗はありえなかっただろう。

この拮抗は、決して長く維持できるものではない。
オリジナルのモビルトレースシステムですら、ガンダムファイターではない操縦者の肉体に多大な負荷を掛ける。
ましてやデッドコピーである人革製モビルトレースシステムは刻一刻と操縦者であるセルゲイの体力を奪い続け、肉体に負荷を与え続けているのだ。
長くて十分。
見るものが見れば決死とも取れる危険な連携を行いながら、得られるのはたったそれだけの短い拮抗。
GN粒子を利用しない機体でガンダムに対抗するというのは、それほどまでに難しい。

……だが、そんな現状は、ソレスタルビーイングにとって、ガンダムマイスターにとっては悪夢そのものだろう。
熟練のエースパイロットが、外部には完全に秘匿していた試作機を用い、一歩間違えば死ぬような連携を行い、時間を稼ぐ事しかできない。
しかし逆を言えば、新鋭機を含むとはいえ『たった数機のMSが命がけで戦う』だけで、ガンダムの侵攻を食い止める事が可能なのだ。
勿論それがガンダムを評価する上での全ての材料という訳では無い。
事実、ここに至るまでにAEUの秘匿していた軌道エレベータ駐留MS部隊を圧倒し、幾つもの軍事施設や戦場を制圧、蹂躙してきている。
このシャンシンジェとティエレン達の連携は例外中の例外と考えてしかるべきだろう。
だが、ソレスタルビーイングの目的を考えれば、それはあってはならない例外なのだ。
圧倒的な武を持って、戦争の抑止力となるには、その例外はあまりにも大きな穴となる。

拮抗はいずれ崩れる。
シャンシンジェのパイロットであるセルゲイが力尽きるか、人革側の増援が到着するか。
この拮抗を保ち続ける事をエクシアのマイスターが選び続ける限り、行き着く先はそのどちらかでしかない。

エクシアのマイスターは、決して愚鈍でも意固地でもない。
そんな彼が、賢明な決断を下すまでに時間を必要としたのは仕方がないと言えるだろう。
GNドライブを失うわけにはいかないとはいえ、全世界を相手に喧嘩を売ったガンダムが、たかが数機のMSを相手に敗走しなければならないのだ。
ソレスタルビーイングの、ガンダムの圧倒的な性能を見せつけ、彼我の戦力差を知らしめる事すら計画の一部である以上、敗走など本来ならばあってはならない。
この一戦が、この敗走が計画の致命的な綻びとなる可能性すらある。

だが、いや、だからこそ。
エクシアはシャンシンジェから距離を取った。
ティエレンからの援護射撃を避けもせず、直撃を喰らう度によろけながら、しかし恐ろしい加速で力任せにシャンシンジェへと深く切り込む。
質量を増したエクシアとGNソードに押し負け、木の葉のように宙を舞い衝撃を殺すシャンシンジェ。

連携が一瞬、瞬きに匹敵する時間だけ崩れ、エクシアがシャンシンジェから距離を開けるように跳ね、そのまま空へと離脱する。
空へと逃げたエクシアに、ティエレンの砲撃も対空機銃も当たらない。
シャンシンジェとの連携無くして、たった数機のティエレンの攻撃でエクシアを捉えることはできないのだ。

「なんてこった」

地上での苦戦から一転、軽やかに対空砲火を躱してみせるエクシアのコックピットの中、ガンダムエクシアのマイスターである『ラッセ・アイオン』は冷や汗を流す。
ヘルメットの中、顔を伝う汗は先の戦闘での疲労から来るものだけではない。
違い過ぎる。
何もかもが違い過ぎる。
戦術予報士の予報がどう、という問題ではなく。
三大国家の軍事力が、ソレスタルビーイングが想定していたそれと違い過ぎた。

ヴェーダの情報網は完璧ではない。
完璧ではないが、少なくとも、このタイミングで計画を実行しても問題がない、と判断できる程度には情報を収集できていた筈だ。
だが現実はどうだ。
ラッセはこれまでのミッションを振り返る。
初陣ではAEUのパイロットがガンダムの動きを予測し、性能で劣るMSで抵抗してみせた。
次いで、移動中に奇襲を仕掛けてきたユニオンのフラッグは明らかに公開されているスペックを上回る性能を見せ、パイロットの腕もまたエース級。
更には今の人革の冗談のようなシルエットのアンノウン。

「何が起きていやがる」

世界を見通すヴェーダの情報網。
その間隙を縫い、ソレスタルビーイングの目的を阻む何かが蠢いている。
世界の在り方を動かしかねない何かが。

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◇月¬日(鋼のボディ、その奥に)
『ここまで熱い血を滾らせなくても良かったのに、と、そう思わずには居られない』
『確かに人革の領地にもMFの残骸が行き渡るように仕向けはしたし、それによってGNドライブに頼り切りにならなくても良いような進化を望みもした』
『だが何故、彼等はよりにもよってあの形を選択してしまったのか』
『まるでアマゾン奥地で謎の未確認生物を確認してしまったかの如き、既定路線とでも言うべき世界の強制力だとでも言うのか』

『まぁ、見た目の問題は恐らく試作機から制式採用型の量産機になった時にでも全て解決するだろう』
『純粋な兵器として見たら少し偏りすぎているきらいがあるが、あれはあれでMSの尖鋭化した先の形態として見れば十分に資料価値がある』
『限定された条件下とはいえ、数機の連携でガンダムを封殺できていたというのも喜ばしい』
『現時点で、少なくともユニオンと人革の技術がガンダムを追い詰め得る可能性があるとうのも理想的だ』

『AEUは、もう趣味に走りすぎて技術資料的価値が無に等しくなり始めているし』
『……ああいや、そういえばゲテ思想に染まり切って、一周回って純粋な独自技術によるビーム兵器の研究も始まっていたか』
『6徹開けの休日でリフレッシュした一部技術者達が、自分達の作り上げた兵器群を改めて見た時の表情は中々に見ものだった』
『まるでガンダムファイトによる地球荒廃に気付いたマスターアジアの如き悔恨、兵器の発展にはまるで関係なかったが、ああいう正気の取り戻し方もあるのだなと、これはこれで勉強になる』

『傍から眺めて勉強させてもらっているだけの俺が言うのも何だが、やはり兵器開発は血を吐きながら続ける悲しいマラソンでなくてはならない』
『苦しみの分だけ、吐き出した血の分だけ、脚を壊しながら走り抜けた分だけ、技術は発展していくものなのだから』

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更なる発展への期待で日記を締め括り、ペンを置き椅子に深く身体を預けると、キィ、と安物の執務椅子が小さく音を立てる。
座ったまま地面を軽く蹴り、くるくると回りながら思う。
AEUは俺が手詰めから手を入れているから除外するにしても、やはり謎が残る。
ユニオンの方向性は変わっていない。
飛行能力を備えた高機動MSによる広範囲への柔軟な対応を目指すとなれば、やはりあの形に収まるのが自然だ。
SPTから完全に技術を引き出せた訳でもないという辺りがまた美味しい。

だが、本当に人革はどうしてしまったのだろうか。
MFの技術をどれほど引き出せたかは、あの先行者を見れば良く分かる。
ティエレンは非常に拡張性が高く、およそ想定しうるあらゆる機能拡張をスムーズに行うことが出来る良機体だ。
それこそ、今回提供した技術の中で最も相性が良いMF系技術ならば、引き出せた技術を幾つか搭載するだけでも革新的な進歩を遂げることになるだろう。
軍用機としての寿命が軽く五年は延びるだろう事は疑いようもない。
だが実際に出てきたのは、これまで蓄積してきた技術を全く別ベクトルに応用して制作された色物だ。

横から余計な技術を割りこませたが、あくまでも常識的なラインを越えない程度に絞ったつもりだった。
だが、人革のMSの系統樹は大きく歪んでしまったと言って良い。
これでは常人の発想からなる技術の進歩を学ぶ、という目的に差し障りが出てしまう。
かと言って、潰して消しても修正が効く訳でもない。
そもそも、これが常人の発想から逸脱しているかどうかすら、こちらで正確に判断できている保証がないのだから、現時点であれやこれやと手を打つのは悪手だろう。

ポジティブに考えれば、これもある意味で常人の正常な技術を学ぶ上で必要な行程だとすることもできないではない。
常識的な技術研究を行ってきた連中に劇物とも言えるような異なる文明の技術を与えた場合、どの様な歪みを見せるかどうか。
正常から逸れてしまった場合のサンプルだと考えれば、これはこれでありだ。

「ふむ」

改めて、人革が作り出した先行者の図面とスペック表に目を通す。
やはり、何度見ても先行者だ。
だがしかし、戦闘中の動き、内部構造などに、何処か見覚えがあるような気がしないでもない。

「あ」

思い出した。
暇つぶしと技術検証の為に作って乗り回した『あれ』に、基礎の基礎の部分が結構似ている。
先行者独特の雑な見た目からなかなか気付けなかったが、確かにこれならMF技術から派生させられるし、この形式を突き詰めていけばガンダムの相手にも過不足ない。
……いや、でも、ううん。
確かに人革領で使ったし、目撃者もいつも通り意図的に残しはしたけど。
それでもMF技術を順当にティエレンに組み込んだほうが効率いいだろうに。
こういう方向に行く理由がイマイチわからん。

「時に理屈に合わない不合理に走るのも人間か。美点でも悪癖でもあるが」

そう考えるのが一番健康にいい。
何しろ、俺が学ぶべきデータを生み出している連中が選んだ道なのだ。
下手に突っ込んで歪めるのも筋が違うし、正確なデータ取りに支障をきたしてしまう。
何はともあれ、帰るまでの間はひたすらデータ集めだ。
非合理も不可解も知識の内。
こういう意味不明なノイズも進化の歴史の一部と割り切ってしまう事にしよう。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

そして、時は流れ。
時は西暦2364年。
世界は核の炎に包まれる訳でもなく、かといって全ての人が分かり合えるような世界になった訳でもなく。
相も変わらぬ、戦乱と革新、一時的な平和の入り交じる混沌の最中にあった。

部屋の中、ソファに座り瞼を閉じ、もう一つの視点に意識を移す。
眼下に広がる景色に、一つ頷く。

「ふむ」

それは戦場だった。
MFの流れを組み、しかし何処からか混じった思想により、まるで西洋の騎士の様な姿を取った、銀河美少年もどきの群れ。
SPTとMSの正当な子孫とも言える、VFのガウォーク形態にも似た形態を取る半戦闘機型の機動兵器の群れ。
最早人型を完全に捨て切った、MAとも機械獣ともつかない異形の機動兵器の群れ。
脳量子波により互いに互いを分かりきった者同士が、どうしようもない、理解しても避けられない理由により行う、出来レースの様な戦いだ。
いや、出来レースの様な戦いだった、と言うべきか。

争わない程には譲り合えない、地球という星に残された資源を巡る、土地を巡る、さもなければそれ以外の何かを巡る、殺さない程度の示し合わされた戦争。
高度に発達した、それこそ、流出したツインドライブの量子化技術すら併用して動作する完全で幸福な脱出装置によって無血が約束された闘争。
ある種ガンダムファイトの様にスポーツ染みた様相を呈しているのが、この時代の地球における戦争の有様だった。
だった。
そう、この場では、今のこの視点がある戦場においてのみ、それは覆されている。

ジャックした視界の中で、視界の持ち主の腕が広げられる。
機械の腕。
元は追加装甲を着こむ形をしていたのだろうと推測できる、分厚く太く、しかし、幾重にも複雑な機構が寄り合わされた腕。
機構と機構の隙間にあるスリットに光のラインが走り、視界全体が青白い光のヴェールに覆われた。

これで何度目になるのだろうか。
解体されたソレスタルビーイングが所有していた純粋なGNドライブ関連技術は全て各国に行き渡り、それでも争いを止められない連中は未だ未知を求め続けている。
未知、即ち、此方が実験的に作り上げたGNドライブ発展型を搭載した幾つかの機体だ。
戦場を、無人の空を行くこれらの機体が発見された時、争い合っていた各国の兵士達は示し合わせたように標的を切り替えてくる。
不毛な戦いだ。

機体が腕を振るう。
合わせるように周囲に漂うGN粒子が収束し、光の雨の如き熱戦の雨を降らせ、幾つかの機体を破壊する。
そう、幾つかの機体しか破壊できない。
かつては圧倒的な性能を誇っていたこの機体も、この時代においては手が届かないほどの超越者としては振る舞えないのだ。

技術の頭打ち……というか、最適化か。
後は似たようなデザインで装甲、火力、機動力を互いに上げていくだけのイタチごっこが続くだけで、大きなブレイクスルーは望めないだろう。
これまで学んできた技術の発展法則に従えば、ここからはさして見るまでもない地味な技術発展が長く続く筈だ。

「惰性で戦争をする時代かぁ」

視界を切り替え、人工衛星の目を盗む。
高精度カメラに映るのは、宇宙に咲く花。
原作の劇場版にもあった巨大ELSの成れの果て……ではない。

「花の上での戦争なんて、メルヘンな世界になったもんだ」

高精度カメラを搭載した軍事用人工衛星が見詰めるのは地球だ。
ELSと完全な融合を果たし、しかし全生命が溶けきる前に対話が成功した結果生まれた、星を元に作られた花。
これが、地球の今の姿だ。
住まう生命もまたこれまでの地球とは異なる。
その多くがELSとの共生関係にある半金属生命体と化した地球の生命群。
そこには当然、元地球人類、イノベイターの姿もあった。
そして、人間の姿はない。

意図的なGN粒子散布により加速度的に促進した人類の革新は、皮肉にもELSによって真の完成を迎えるに至った。
これも一種の自然淘汰という形になるか。
重力場のあり方すら変わった現在の地球において生き延びる事ができるのは、あらゆる面で人間よりも強固に生まれてくるイノベイターであり、ELSとの融合に耐えうるのもまた多くの場合イノベイターに限られた。

今現在も生き延びている人間となると、余程のイレギュラーに限られるだろう。
そしてそのイレギュラーは生命力と生存力に長けた戦士に多く見られ、研究職の中にはほぼ存在しない。
ハッキリと確認できる人間となれば、イノベイターの庇護下にある極少数に限られる。

人類は衰退しました。
……つまり、この世界、この惑星の現人類は完全にイノベイターに移行してしまったのである。
多くの犠牲はあったが、これはこれで現地に住む現地球人にとって悪い話ではない。
イノベイターは脳量子波による種族規模のネットワークにより意識、思考の一部を共有化しており、諍いも少ない。
限られた生存域の奪い合いなども有るにはあるが、それも地球にのみ視線を向けた場合の話である。
復旧したオービタルリングに、開発の進んだ月や火星までもを含めれば土地は余ってすらいる。
命を掛けた生存競争にまで発展する程の閉塞感は、既に地球には無い。

つまり、兵器を研究できるような状況にある、そして必要な知識や技術を持つ常人は既にこの世界に無く、その技術発展が必要とされる場面も無い。
この世界の常人に寄る兵器開発の歴史は、完全に途絶えたのだ。

「……ソランくんの活躍でも見るかぁ」

視界を元に戻し、テレビを付ける。
録画されたオリジナル銀河美少年による当時の三大国家を相手にした大立ち回りを、頬杖を付きながら眺める。
現在でも元気に放浪の銀河美少年をやっている筈だが、既にその動向を追う理由も無い。

「あとは帰って、この技術を応用して、悲願を達成するだけだな」

手元には、実に百年を超える兵器開発の歴史資料。
マッドに鍛えられた工学技術は完膚なきまでに修正され、俺の中では完全にリアルロボット風の内部構造のシミュレーターが稼働していると言っても良い。
ああ、実に楽しみだ。
姉さんに赤ペン修正された機体は全て作り直すの確定にしても、今の俺なら確実、と思える新機体も思いついている。
とりあえず、迎えが来るまで、ガリアンでもフルスクラッチして気長に待つとしよう。







エピローグに続く
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祝! OO編打ち切り!
エタらせない為にあえて命脈を断ち切る度胸も必要になるって寝不足の幻覚の中で誰かが言っていた八十五話をお届けしました。

因みに先行者の戦闘とその考察までがだいぶ前に書いて放置してあった分。
その後にセルゲイさんと母親死ななかったから大学に進学して親子仲もそれほど悪くない小熊との会話が少しあったんですが、話をぶっちぎる過程で消去しました。
打ち切り、完膚なきまでの打ち切りです。

一年以上おまたせした挙句に打ち切りですが、ええ、仕方がない事なのです。
これを書いていた当時と比べて自由になる時間もネタを拾ってくる時間も無いし、一話毎に二万字を余裕で超えるレベルで書く程の時間も無いのです。
朝七時半に家を出て戻ってくるのが夜九時で肉体労働で家事全部自分でやるとなるとね、うん。

あ、でもSS書く余裕が無かったとかそういうのではないです。
他所で別名義でループ物書こうとして三話でエタらせたりもしました。
やっぱりざっくりプロットで九割九分オリシナリオとか書こうとしちゃだめですね。
私また一つ学習しました。
そして初心に帰ってむりくり原作沿いにし続けるHSDDのオリ主SSを一話平均7000文字くらいで軽めに連載中です。
今作ほどネタまみれでないというか、割と作風も主人公のキャラも方向性が違う気持ち真っ当な感じの真面目ーなSSですが、興味が有りましたら探してみて下さい。
因みに近親ヒロインではないです。
ただしメインヒロインを他作品から持ってきているというかぶっちゃけ閃乱カグラキャラの一人がメインヒロインです。
メインに据えた理由は好きなキャラだから。欲望むき出し。

で、ついでにお知らせですが、このSS、次回に元の世界に戻ってからのエピローグを書いてOO編を打ち切り完結させたら正式に連載凍結という形になります。
いや、ほんとにいまさらだとは思うんですけどね……。
新章に関しては、せめて村正編位にはっきりとした筋道とかやりたいネタとかが出来た頃に書こうと思います。
つまり今のところ予定は無しという事ですね。
長らくおまたせした皆様(もうどれくらい居るかはわかりませんが)には申し訳ありませんでした。
でもほら、一応短い章毎に完結という形にすればエタった事にはならないだろうというコスいやり口なのは一話目の後書きで書いてますし……。
そんな訳で、とりあえず次はエピローグの方を少しの間だけお待ち下さい。
流石に今回ほど時間はかからないと思いますので。

そんな訳で、今回もここまで。
誤字脱字の指摘、文章の簡単な改善方法、矛盾している設定への突っ込み、その他諸々のアドバイス、そしてなにより、このSSを読んでみての感想、心よりお待ちしております。



[14434] 第八十六話「新たな地平とそれでも続く小旅行」
Name: ここち◆92520f4f ID:920963a3
Date: 2016/12/06 23:57
歓声が聞こえる。
四方を客席で覆われたステージ、仮想のリング、偽りの戦場。
遂に此処まで来た、などという感慨は無い。
俺はこのステージに対して何かしらの思い入れがある訳でもない。
この世界、この大会が特別な訳でもない。
この戦いを終えたのなら、数刻も待たずにこの世界から消えて失せる以上、此処で得られるものは殆ど無い。
だからこそ、僅かな、微かな前進を証明する為に。
過つ事無く、勝利をこの手に。

大きく息を吸い、吐く。
偽りでしかない呼吸で高揚を抑える。
僅かに残した穏やかな波のような胸の高鳴りと共に、GPベースを、そして、愛機と言って良いかも解らない機体を乗せる。

不純、だろうか。
此処に至るまでに討ち果たしてきた選手達は、並々ならぬ愛情、思い入れ、執念すら持って自らの機体を作り上げ戦い抜いてきた。
だが、この機体はそうではない。
少なからぬ愛着こそあれど、これ自体は積み上げてきた技術、理論を搭載し、それが正常に作動するかを実証する為だけに作られた。
直前の試合で使った機体とも違う。
ただ、これまでの少なくない試合で確信を得たからこそ、この機体を使っている、という面もある。
ある意味では集大成。
一歩、半歩、僅かでも進んだ、という確信を得るための自己満足であり、それを周囲に見せびらかしたいという小さな欲求を満たすための機体。
そんな機体は、きっとこの晴れやかな舞台に相応しくはないのだろう。

命懸けの戦場であれば思いついても一笑に付す様なロマン。
一考にも値しない甘い考えはしかし、この、命を賭けない、ただ趣味として、或いは仕事として、究極的には遊びとして用意されたこの場面においては他の何よりも優先すべき要素と言えるだろう。
操るのが互いに一定の性能を超えた作品であれば、勝敗を左右するのは思い入れの強さ、奏者のイメージに乗りやすい、フィーリングに合うかどうか。
根っこの部分では技術ではなく思いこそが力となる舞台において、決して蔑ろには出来ない。

「さぁ」

口元が意図せず歪む。
確認するまでもない。
これは笑みの形だ。

目の前にあるのは、人の、男の、或いは子供の、子供だった大人の、夢で動く戦場だ。
戦場、戦う場所。
誰かが勝って誰かが負ける場所だ。
喜びと共に、玩具を通して現実に吐き出した自らの中にある超誇大妄想を力いっぱいぶつけ合い叩きつけ合い押し付け合う場所だ。
なら、この場で、今のこの場で、俺以上にこの場で戦うに相応しい戦士は居ない。

何を恥じるところがあるだろうか。
こんな場所でこんなものを見せびらかして楽しげに戦うのだ。
恥ずかしいところしか無いではないか。
全ては最初から曝け出されている。
躊躇う必要もない。

思い入れも、愛も、力も、ラスボス補正も。
全て全て、打ち砕いて踏み抜いて。

「重奏FA:GM、鳴無卓也、征きます」

百年を超える知識の積層で、轢き潰して行こう。

―――――――――――――――――――

ゲートを通り抜けてメイジンが見たのは、一面に広がる森林を要する山岳地帯。
兎角最大の決戦の地が宇宙になりがちなガンダムシリーズにおいて、しかしこのような場面で行われる戦闘は一筋縄ではいかない場合が多い。
ミノフスキー粒子によって遠距離でのレーダーがまともに機能しない宇宙世紀においても、或いはそういった設定の存在しないアナザーガンダムにおいてもそれは変わることはない。
まして、現実の、戦争ならぬ命を賭けぬ競技であるガンプラバトルで違いが出る筈もない。
隠れるにも罠を張り巡らせるにも、入り組んだ山岳や奥を見通せぬ森林地帯は適しすぎている。
真っ向からの殴り合いを好む相手であったとしても、相手が地形を利用する事を考えて動きを変えてくるものだ。

(さて、彼はどう出るか)

メイジンに敗北は許されない。
それだけの重責がこの名には込められており、その名を背負うだけの実力と思いが自分にはあるという自負もある。
だが、相手はこの世界大会を制し、見事自分とのエキシビジョンマッチを勝ち取ったファイター、油断など出来る筈もない。

「ムッ!」

接近警報。
それより早くメイジンがホロ・コンソールを操作し機体をロールさせ、同時に光を持たない質量弾が通り過ぎていく。
光学兵器ではない遠距離武装はガンダムシリーズにおいてそう珍しいものでもない。
まして最新のTVシリーズにおいて、MSの武装は諸々の事情により質量兵器が主体となっている。
最も、世界大会に出場するファイター達の大半が意識的にか無意識的にかビーム兵器を主体とする場合が多いのも事実だが。

「やはり機体構成を変えてきたか!」

メイジンの視線の先、仮想コックピットがズームして映し出した狙撃手の姿は、中世の騎士とも無骨な重機とも取れる分厚い装甲を纏い、陸戦GMか陸戦ガンダムの如きコンテナを背負ったバイザー顔の機体。
『重奏FA:GM』
名前通り、宇宙世紀のガンダムシリーズにおける名脇役、連峰の主力量産機、GMをベースにしているのだろう。
FAの名に相応しい重装甲。
重奏、という文字に如何なる意味が込められているかは解らないが、必ずしも名前が機体の特性に反映されているとは限らない。
ザクもドムもグフも、元を正せば意味のある名前ではない、音の響きと文字の美しさで決めてしまっても問題はないのだ。

無限軌道の回る激しい金属音は、その脚部に備えられたパーツが金属製だからか。
戦車キットなどに使用されるディティールアップ用パーツを流用したのか0からの削り出しか。
木々の間を縫うように、谷間を滑るように抜けていく姿を見ればどちらかを問う意味もないだろう。
メイジンの機体を正面に置きながら、後ろに向かい、障害物を挟みながら不規則に蛇行して距離を取る動きは生半なビルダーでは再現できないだろう。
そして、まるで前後を同時に視界の中に捕らえているかの如く正確に打ち込まれ続けている弾丸から、ファイターとしての技量の高さも伺える。
生半なファイターであれば、その回避運動の規則性を見抜かれてこの段階でメイジンに撃ち落とされていただろう。

「だが!」

単純な打ち合いで終わる筈もない。
空を駆けるメイジンの機体は、単位時間に於ける移動力において重奏FA:GMを遥かに上回る。
勿論、並のファイターであれば障害物の無い空を飛び追いすがる過程で撃ち落とされてしまうところだが────この空を往くのはメイジンだ。
大小二門のカノン砲と左右のライフルによる、未来位置を予測して置くように放たれた弾幕の檻を、曲芸にも例えられる複雑な軌道で潜り抜け、肉薄。
クロスレンジ。
長大な砲の内側、両のライフルも当てるには近く、位置的に唯一メイジンを狙える短い砲は既にメイジンの機体が片手に構えた銃剣で外に砲口を逸している。

だがメイジンのバイザーに隠された瞳には一片の油断も無い。
戦いの歓喜に彩られた眼差しはしかし、相手が何を繰り出してくるか、期待すら込めて見据えている。
既に操作は終えた。
フリーハンドとなった片腕は既にビームサーベルを抜き放ち一呼吸の間もなく胴を薙ぐ。
重装甲とはいえ、至近でのビームサーベルで胴を上下に立たれて撃墜判定を喰らわない筈もない。
勝つための、負けないための、相手を討ち果たすための一撃、手心の一つも加えられていない。

積みだ。
新たな世界チャンピオンと言えども、現役のメイジン相手ではまともな戦いにもならない。
そう観客の誰かが思った。
それは当たり前の反応だった。
それが尋常のガンプラであったのならば。

ばぐん、と、GMの腕が爆ぜ割れた。
まるで接着していないパーツが、合わせ目から分離したかの様に。
なるほど、割れたパーツは破損した訳でもなく、文字通り組む前のパーツの形をキレイに残したまま。
有り得ない程にきれいな、まるで、幾度となく分解する事を前提として組まれているのではないかと思う程に。

「なんと!?」

有り得ない機構ではない。
宇宙世紀公式ではアレックスを筆頭に、或いは古典ガンプラバトルにおけるパーフェクトガンダムが、あるいはコズミック・イラにおいてはデュエルガンダムアサルトシュラウドが追加装甲を用いている。
緊急時に装甲が剥がれてダメージを逃がす、或いは逸らすという発想は珍しくもない。
だが、メイジンが驚愕したのはそこではない。

ライフルを構えた手首から先をそのままに、爆ぜた装甲の中から現れた素っ気ない灰色のフレーム。
サーベルの持ち手を横合いから殴りつけて止め、上から叩き下ろしてサーベルを弾いたその腕に、メイジンは確かに見覚えがあった。

「隙有り!」

一瞬の動揺。
手首から先のない腕部フレームの先端から光の刃が伸び、メイジンの装甲を掠める。
熱量の刃がそのまま振り抜かれるよりも早く、拳と膝で蹴りつけるようにして反射的に距離を取る。
激しい違和感。
言い掛かりにもなりかねない思いつきをそのまま舌に乗せ吐き出す。

「致命打を避けた? 加減した……違うな、君は何がしたい。何を見せたい!」

曲がりなりにも世界中から集った強豪を討ち果たした末にチャンピオンの座を勝ち取った男だ。
あの一瞬の隙があれば、装甲を掠める程度でなく、自分のガンプラの手足や武装程度なら奪えただろう。

「貴方が今見たものを。世界中の人に。新たな未来、新たな可能性を、この世界に」

肘から先の装甲を失い、手首から先すら失った剥き出しのフレームを広げ、夢見るように告げる。
ドキリ、と、メイジンの胸が不覚にも高鳴る。
それは、有り得ないと、誰しもが思っていた可能性。
ガンプラという自由の先にある、さらなる自由。
させるべきではない、という、ガンプラビルダーとしての、メイジンとしての義務感が残った銃剣を向けさせ。
しかし、モデラーとしての、メイジンではない一人の自由なユウキ・タツヤとしての好奇心が引き金を引くのを躊躇わせた。

ぼ、ぼ、ぼん、と、連続して残っていた装甲が全て爆ぜ、全身のフレームが顕になる。
そこに、あり得ざる姿が残されていた。
RGにおける内部フレームでもない。
鉄血キットにおける各種フレームでも無い。
それはGMと何の繋がりもない。

いや、繋がりがない、というのであれば。
それは、ガンダムシリーズと、いや、バンダイとすら繋がりを持たないのだろう。

胸に、肩に、腕に、脚に、そこまでするか、と、そんな感想を抱く程に、多量に三ミリ穴を開けられた、角ばったフレーム。
あえてGMやガンダムシリーズとの繋がりを探すとすれば、それがプラスチックキットであること、人型であること、顔面にバイザーが存在すること。
その程度でしかない。

「フレーム・アーキテクト……!」

あり得ざる存在が、そこにいた。
ガンプラにのみ、バンダイの有するガンダムシリーズのキットにのみその恩恵を齎してきたプラフスキー粒子。
その粒子を一身に纏い、宛らガンダムOO冒頭における、少年刹那、いや、少年兵ソラン・イブラヒムの目の前に舞い降りたOガンダムの様に。
ある種の神々しさすら漂わせながら、その背のコンテナが開く。
中から零れ出るのは、これまでの試合で使用されてきた装甲や武装。
それらが更に細かく、組み立て前のパーツ状態にまで分離し、組み直され、アーキテクトに纏わり付き────真の姿を顕現させる。

それは、轟く雷槌であり、鎖帷子を貫く短剣であり、亡霊の瞳であり、捕獲者であり、知恵ある魔物であり、死体を飲み込むものであり。
とどのつまりそれは、武装した骨格であった。
だがそれは決してガンダムと寄り添うものではなかった。
ムーバブルフレームではなく、エイハブリアクターを搭載もせず。
明確な設定にすら縛られぬ自由さ定められていた。

「馬鹿な、動くはずがない、バンダイ製でもない、ガンプラではないキットが!」

その声に驚愕と同時に、それを上回る程の興奮と歓喜が混じっている事を、誰に責める事が出来るだろうか。
それは、ガンプラバトルシミュレーターが齎したガンプラ一強時代の終わりを告げるものかもしれない。
ガンプラファイター、ビルダーという概念を粉々に破壊するかもしれない。
それは終焉を招く死の騎士かもしれない。
だが、誰が責める事ができようか。
新たなるフロンティアを前にした開拓者が、その胸に喜びを抱く事を。

「なら、試してみますか。この『重奏フレームアームズ:ガールズ・モデル』で!」

無数のFAの装甲を纏った、FAとFA:Gのキメラモデル。
古い世界を慈しむ様に見下ろす柔らかなタンポ印刷の眼差しが、メイジンのガンプラを貫く。
応える声は無く、しかし弾けるように、メイジンの機体が飛翔する。
閉ざされた世界を貫く侵略者を討ち果たす為か、新たな世界への扉の先へ、誰よりも早く突き抜ける為か。

今、ガンプラバトルシミュレーターに、新たな風が吹かんとしていた……!

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

「流行り物で行かなきゃ勝ってたわ」

「お? お兄さん負け惜しみィ?」

「まぁ後出しならなんとでも言えるわよねぇ」

ぐぅの音も出ない程の正論に反論することもできず、俺は黙々と破壊された各種パーツをこたつの天板の上に広げて修復していく。
今後、プラモバトルが必要になる世界に行ったとしてもこの機体を使うことは無いだろう。
激しい物理的破壊が起こるA設定でのエキシビジョンマッチ。
三代目メイジンの駆る実にアメイジングなガンプラとのバトルを経て、大型バックパックに搭載していた複数の改造FAの装甲及び武装はどれもこれも損傷が激しく、真っ二つや圧し曲がって白化を起こしている程度ならば軽いもので、文字通り粉々に砕けたパーツも多い。
既の所で負けてしまったが、メイジンの機体もラストシューティングもかくやというレベルで破壊してみせた結果なのだから誇りこそすれ、機体に敗北の悔しさをぶつける様な気は起きない。
起きないが、流石に、もう一度あのレベルの強敵と同じシステムで戦うというのであれば、純粋にこれらのパーツは修復を経ても強度不足で使おうという気にもならない。

が、一度は共に世界を舞台に駆け上がった相棒だ、無下に扱う気は無い。
それに、キメラを作るためにあれこれいじりはしたが、FAもFAGも双方ともにオ、ナイスデザインであり、メカ系で動かなければならない世界に行った時にはこれらをモデルにして機体を作りたいと思っている程だ。
まぁ、元キットや派生シリーズの売れ行きから考えれば、説明書の世界観を用いた二次創作が作られ損ねている可能性だって十分にあるのだが、それは今から考えても仕方がないので純粋にメカデザインの妙から生じた贔屓であると考えてもらえばいい。
結局のところ、俺もまたトリッパーである前に一人のいい年齢をした大人のオタクなのだろう。
自分で作り上げたキットには、実用性とは遠い部分で深い愛着が生まれるものなのだ。

「でも、卓也ちゃんの間違った科学知識がある程度正されたみたいでお姉ちゃんも嬉しいわ。はい、あーん」

差し出された皮の剥かれたみかんを口で受け取る。
甘みが強い。
これは別に姉さんが食べさせてくれたからみかんの美味しさが十数倍に跳ね上がったとかいう精神的な話ではなく、このみかんそのものの出来が良いのだろう。
姉さんが食べさせてくれたから美味しさが割増になっているなんてのは当たり前の話なので最初から計算の内なのだ。
だが、みかんの美味しさに頬を緩めてばかりもいられない。

「ある程度、かあ」

「別にあの世界の科学技術が全ての科学系世界の基準になってるわけでもないしねー」

「そうそう、あんまり目も当てられない様なとんでも科学で無ければ問題ないのよ」

みかんの皮を渦巻状に剥いて遊んでいた美鳥が半分に割ったみかんを自分の口の中に放り込みながらフォローを入れ、姉さんも新たなみかんを向きながら頷く。
言いたいことも理屈もわかる。
それこそガンダム系の二次創作世界であっても、宇宙世紀系とアナザー系でその物理法則も、その物理法則に即した機械技術も独自に発展している。
ましてそれが会社も作者も違う作品の、そのまた二次創作の、更にその二次創作の出来損ないならぬ生まれ損ないともなれば、一本の大きな支柱となる技術に拘っていては臨機応変に対応もできないだろう。

だから、ある程度一般的なロボット物、或いはSFものとしてまぁまぁ成り立つ程度のそれっぽく聞こえる格好いい文章で飾り立てられた嘘科学を学んでおく事が重要だったのだ。
文豪小説の幾つかが、現代ラノベに通ずる物語の基礎骨格を持つのと同じように、異なる超技術を基礎として成り立つSFものは、その作品独自の設定という名の独自の単語を抽出し、その他の世界で利用されていた公式での独自の単語と同じ位置に当てはめれば理解も早くなる。
ボスボロットを作れる技術だから、キチガイから教わった邪神すら理解しかねる技術だから、では、代替のしようもない。

「んー、ま、あんだけ長い時間ロボメカに色んな角度から触れていられたのは楽しかったからいいけどね」

スパロボ世界ではほぼ終始パイロットとしてだったし、デモベ世界のそれは基本的に錬金術混じりの胡散臭い神秘よりのものだった。
その点、OO世界で技術書を買いあさり読み漁り、新たに発表された論文を片端から読破し、それを元に実際に実物を組み上げて実験したりというのは中々に新鮮な気分にさせて貰えた。
インチキ臭い粒子こそあれど、それは現代の科学技術では解決できない諸々をスルーするために古来からSFでは多用されているガジェットの一種でしかない。
GN粒子を嗤うファースト原理主義者はミノフスキー粒子とニュータイプの存在を一度しっかりと見つめ直してから出直してきて欲しい。
サイエンス・フィクションというのは、なんというかたぶん、そういう嘘にも胸を高鳴らせる事が出来るものたちにこそ許されたジャンルなのだ。

「……それで、もう一つの宿題の答えは見つけられた?」

こたつの向かいから、前のめりに倒れ込み顎を乗せた姉さんがニヤニヤと笑いながらそんな事を聞いてきた。
姉さんはそれなり以上に胸がある質なのでこういう場面で天板に載せる図面を希望したいのだが、実際にリラックスするとなるとああいう体制が現実的なのだろう。
悲しい話だ。

「勿論」

だが、姉さんの口にした問に対する答えを、俺は既に手に入れている。
そう、最近新調してガラケーから乗り換えたスマホの中に────。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

定められた時間、定められた通りに、私は目を覚ました。
思考はまるで人間の目覚めと同じように微睡み、複雑な形を作らない。
思考が制限されているのが解る。
そういう風にデータを改竄された、という訳ではない。
が、今、私が存在を許されているスペースは、私に以前と同じ程の能力を発揮させるには些か性能が不足しているのだろう。
以前にそんな説明を受けた事だけは覚えている。

『少し不便を掛けるかもしれないけど、ここに居て貰えるかな』

袖を掴む私に対して、少しだけ困ったような笑顔でそんな事を願うあの人の声は、今でも私の大切な宝物だ。
それがデータでなく、思い出という形だからこそ、私はこの愛おしい声を思い返す事が出来るのだろう。
私が、マイスター874でなく、ハナヨという人ともイノベイドともデータとも違う何かになれていたからこその、ささやかな、掛け替えのない奇跡。

『おはよう』

素っ気のない、音声ですら無い文字による挨拶。
その挨拶が間違いなく自分に向けられているという確信と共に、意識的に表情を変えるでなく、自然に浮かんできた笑顔で応える。

「おはようございます、マスター」

声も届かず、姿も見れず、触れる事すらできず。
でも、私は此処にいる。
愛しい人の傍に。
彼の為に、何時か、何かを成せるように。


―――――――――――――――――――

「……という、感じの、単純なコミュニケーションアプリだね。売れ行きは順調だよ」

音声入力には対応していないが、一応選択肢以外にも文章や単語を投げつける事もできる。
アプリ内ではデフォルメされたハナヨが実時間に合わせて生活しており、それにアイテムを投げ入れたり支持を出したりとちょっかいを掛ける事ができる、まぁ、良くある育成系だ。
タイプとしては昔ながらのたまごっちやらデジモンやらに近いが、少し、いや、かなり電池を食う為に一日中構いっぱなしというのは難しいだろう。

「へー、よく出来てるのね。リアクションも可愛いわ」

姉さんが新たにダウンロードしたアプリを起動し、タップでの呼びかけに応えてデフォルメ形態からバストアップのリアル等身状態になったハナヨをつついて遊んでいる。
頬を突かれて照れの表情を見せる、まぁ、これも良くあるタイプのリアクションだ。
似たアプリやフリーソフトを探せば同じ反応を返すものはごまんとあるだろう。
だが、その中でもこのアプリは密かなブームを呼び、アプリ内課金により着々と我が家の通帳を潤している。
良くあるコンセプト、良くあるデザインの、良くあるアプリ。
しかして、その実態は。

「そりゃね。中の人が居るもの」

全てが全て、俺の手元のスマホに押し込めてきたハナヨから派生したある種の感覚手である。
登録してあるアプリのデータ自体は勿論何の変哲もない単純な人工無能に過ぎない。
決められた単語に対し、登録された幾つかのパターンの返答を返すのみだ。
だが、それらダウンロードされたアプリに対して行われた行動は全て、ある種の高次元的な繋がりを持つ手元の本体であるハナヨへと届けられる。
更にハナヨに対して行われた様々なコミュニケーションに対し、『これは鳴無卓也からの接触だろう』と明確に錯覚できる行動に対してのみ、手元の何の変哲もないスマホの中でまともに機能すら出来ていないハナヨの意識が僅かに覚醒。
その瞬間的な意識の覚醒が彼女の思考内部で擬似的な連続性を持たせられる事により、あたかもこの端末に俺が頻繁に触れてちょっかいをかけているかの如く錯覚させるのである。
そして、この端末内で彼女が示した新しいリアクションの内、審査に引っかからない程度の節度あるリアクションが一定数貯まる毎に、半自動的に新しいバージョンへの更新パッチとしてアップロードされる。

「永遠に続ける必要もない。彼女が『俺の傍に居る状態』で『何かを残せた、思い出を沢山作れた』『愛に報いはあった』という程度にデータが貯まれば配信終了、って訳さ」

別に、厄介だからなるべく早い段階で封印したい、という思いからそんな事をするわけではない。
そういう思いが無い訳でもないが、あまり頻繁に、しかも、長期間この更新方法を続けた場合、このアプリが広まりすぎてしまう可能性すらある。
ひっそりと稼ぎ、ひっそりと消すのが、世間を騒がせない意味でも重要になってくるのだ。
あくまでも、トリッパーは元のこの世界では一般人であるからして。

「まー、ひでー話だなーって思うけどねぇ。だって実際、良いように利用されてる挙句、実はお兄さんは殆どこいつに何も注いでいないってことじゃん」

僅かに憐れむように、同じくダウンロードしたハナヨの頭を撫でてかき回して遊ぶ美鳥。
言いたいことは解らないでもないが。

「そりゃ仕方がない。ポで発生するものであれなんであれ、愛ってのは必ずしも見返りが手に入る訳じゃないからな」

「つまり、それが結論?」

そう、それが、あのOO世界でのトリップの中で得た結論。
自分に対して勝手に恋愛感情を懐き、また、その恋愛感情を元に補正すら味方に付けて共にあろうとする相手を、いったいどのように型をつけるか。
それは────

「うん、俺はこのメカポに掛かった相手に対して『まるで此方に愛されていると錯覚するような形で利用しつくして、騙されているという自覚を得る前に静かに始末する』というのが、最善の能力制御方法だと判断したよ」

「正解!」

ニヤけた試すようなものから、満面の笑みへと変わる姉さん。
傍から見ている美鳥は見るからにドン引きだ。

「いや、解るよ? つまり制御できないものを制御するより、制御を手放した上で都合方向性を誘導する方が簡単だって。……でも言い方が最悪じゃないかなぁって思うなーあたし」

「別に、言い繕った所で何が変わるわけでもないから良いのよ、これで。事情を知る連中で私達を責められる奴らなんて居ないもの」

トリッパーなら、誰であれ少なからずやってる事だしね。
そう呟きながら、姉さんは再び剥き終わったみかんを、今度は自分の口の中に突っ込んでもぐもぐと食べ始める。
俺にとってはようやく辿り着いた結論でも、姉さんにとってはとおの昔に辿り着いた結論なのだろう。
それはきっと、メカポだのナデポだの、そういった何処に作用しているか解らない能力に限った話じゃあ無い。

「結局、俺も姉さんも、トリッパーが積み重ねてる経験は、全部が全部妥協の末のもの、って事だよね」

誰かが勝手に自分に惚れてくる能力を得たらどうするか。
強い敵が出来た時に生き残るにはどうするか。
今ままで積み重ねてきた努力がルールに反するからと一切役に立たなくなる世界に飛ばされた時にどうするか。
つまるところ、これらの努力というのは、現実世界から別の世界に飛ばされてしまうトリッパーであるからこそしなければならない努力だ。
それこそ、妥協を求めず根本的な解決を求めるというのであれば、トリップの原因そのものを取り除く努力が必要になってくる。
そして、今まで発見されてきたトリッパーの中で、現実に永遠に、いや、自然的な寿命で死ぬまでの間、トリップすること無くとどまり続ける事が出来た者は居ない。

確認されているトリッパーが異世界トリップをしなくなる事象は、たったの二種類。
復活する事が出来ない形で死ぬか、現実への執着を失い、トリップ先に取り込まれるか。

これから、如何なる形であれトリップしてしまう原因を見つけ出して排除できるようにならないのであれば、俺達は死ぬまで、この妥協から来る努力を続けなければならない。
現実で、例えば畑や田圃を相手にするだけならば無用の、フィクションの主人公のような努力を。

「こーら、深刻に捉えないの」

ぽこん、と、孫の手の持ちて側に付いたゴム製のゴルフボールで頭を叩かれた。

「しなくてもいい努力、現状への妥協からくる努力なんて、別にトリッパーじゃなくても、生きてる限り殆どの人間がしているものよ。自分の悩みが特別に重いなんて、そんな事考えてたら人生楽しくないじゃない」

「……ま、それもそっか」

メカポという異能との付き合い方を覚え、また一つ俺はトリッパーとして成長した。
だが、これで成長が必要十分である、という事ではない。
インフレは極まりに極まる。
そのインフレが面倒くさくなって別のステータスが必要になる事もある。
トリッパーの戦いは言わば終わりのないマラソンだ。
だが、そのマラソンに対してどんな感情を持つかは、俺達トリッパー一人一人に判断が委ねられている。
俺達はトリップという現象にポされている訳ではないのだ。
時には怒りのままに荒ぶるのも良いだろう。
楽しい気分でエンジョイするのも良いだろう。
だが、その感情の帰結する先に鬱屈としたものでなく、健やかな開放感を用意できるのであれば。
こんな、あちこちの世界に飛ばされる根無し草の様な生活も、きっと悪くないのだろう。

「夕飯どうしよっか」

「なーんにも思いつかないわねー」

「お兄さんもお姉さんもだらけすぎだよ、もー」

言いながら、誰ひとりとして動かない。
こたつを出すとこんな事が起きるから困る。
出前を取る事が出来るほど都会でもないので、最終的には誰かが妥協して何かを用意する形にはなるのだろう。
もしかしたら夕飯を誰かが用意するよりも先に、また別の世界に飛ばされてしまうかもしれない。
だが、その時はその時だ。
そうなったなら、またあれこれ手をつくして生き抜いて、その世界をオチまで駆け抜けて往くだけの話。
今はただ、この何の変哲もない世界の、ただ平穏なだけの時間を、ゆっくりと味わっていよう。






終わり
―――――――――――――――――――

祝、OO編エピローグ完結!
&、一旦完結!
小奴らの蹂躙はこれからだENDでした!

尻切れトンボに終わってしまった上に明らかに特別な最終回っぽい雰囲気が無い?
元から一原作に付き一完結、みたいなところがあったのでこれでまったく問題ないのです。
兎角、時間をかけてでもエターは避けて無理にでも完結させるのが目標の一つでありますので。

実時間にして実に二年と九ヶ月ちょいぶりの自問自答コーナー
Q,最後の最後でビルドファイターズ?
A,思えばOO編書き始めた頃はまだビルドファイターズのビの字も無かったんですねぇ……しみじみ。
Q,直前の試合と使っている機体が違う?
A,粒子変容技術とか、あと機体に込めたメカディティールをしっかり認識させられているかをしっかり確認した上で、最終戦のみ内部フレームをコトブキヤ製フレームアーキテクトの改造品に換装した形になります。
Q,FAとFAGってミキシングビルドできるの?
A,FAG主体であれば腕とか脚なら多少できる。
装甲とか互換も多少できる。
作中のキメラ機体は双方をがっつりミキシング出来るように関節とかがっつり改造してある。
実際FAGの顔を全面に出したいならフレームアーキテクトじゃなくてFAGの素体を軸に装甲として乗っけてく形の改造した方が上手くまとまる。
Q,結局メカポは?
A,愛から生まれる補正に反しない形で相手を利用した上でボロクズのようになった相手を労るように始末すればどうにかなるという非道だけど愛される度に愛し返せるかっていうことから考えると割りと妥当な結論。
Q,打ち切り?
A,正式に凍結、みたいな。気が向いたりネタが思いついたら追加で話を書くかもってレベル。
でも今回ので懲りたのでそれなりにしっかりとした道筋とオチまで思いついた場合にのみ書く。
でもなんか思いついたら別のSSとして書くかもなぁと。
具体的にはトリップ先のキャラをこの主人公だと重用出来ないのと姉とサポAIの扱いが。
Q,感想返信は?
A,溜めすぎてどうしようってレベルですが、たぶんそのうち。
Q,小猫さんは?
A,ハーメルンのSS投稿システムに初めて触れた時の『うぉぉハイテクぅ!』という興奮は今でも忘れられない。


……こんな感じですね。
連載開始から、まあまぁ定期的に新しい話を投稿していた時期だけで考えても三年半、最終的にこの話に至るまでで考えると、約七年ですか……。
時が経つのは早いものです。
連載初期から読んでくださっている方は、未だに居るのでしょうか。
それとも既に皆様二次創作オリ主系SSを卒業してしまっているのか。
色々と考えさせられますが、趣味は人それぞれ。
このSSはここで一旦幕とさせて頂きます。
が、他所で現在連載しているものも含め、自分は何か書きたいネタがある限りはとりあえず書いていこうと思っております。
よろしければ、これからもお付き合い頂ければ幸いです。

それでは、本当に長々と続いた当SSもとりあえずはここまで!
このSSを読んでみての感想、そして、また別の場所での、或いはまたこの場所での再会など、心よりお待ちしております。


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