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[14338] 【ネタ】 降り頻る雨の中で (H×H 転生 オリ主 TS R-15 グロ)
Name: ブラストマイア◆e1a266bd ID:fa6fbbea
Date: 2010/03/07 04:48
どうもブラストマイアです。既に1作品投下しているのですが、萌えとほのぼのな話ばかり書いていたら欝と悲惨さが不足したらしく、じわじわと溜まってきたので投下してみます
もう片方とは違って凄惨で悲惨で欝要素の多めな作品となっております。閲覧の際にはご注意ください
また序盤は元男が男に異性としての好意を持ってしまう描写もございます。味付けであってメインではないですが、極端に苦手な方はご注意ください

この作品は
・HUNTER×HUNTERの二次創作です
・いわゆる転生ものです
・TSした主人公が登場します
・主人公は最強と言える程度に強くなります
・原作をそのままなぞる事はあまりいたしません。オリジナルが強めになると思われます


**注意**
・グロい表現が多数含まれます
・欝な話が含まれます
・原作のキャラクターが死ぬ可能性があります

以上の事に気をつけ、用法、容量を守って楽しくお楽しみください

***更新履歴***

11月29日 第二話追加
11月30日 第三話追加
12月01日 第四話追加
12月04日 第五話追加
12月06日 第六話、第七話追加
12月11日 さーて、ちょっくら更新しようかな→「フォーマットしてください」→な、なんだってー!?→使い魔ドラゴンと合わせると6話分が電子の海へ……orz

03月07日 なんとか書き直して第八話投稿



[14338] プロローグ
Name: ブラストマイア◆e1a266bd ID:fa6fbbea
Date: 2009/11/28 22:16


 一人の少女が森を歩いていた。
 顔立ちは整っているが病的に肌が白かった。肩をやや超えるセミロングの髪は色素の薄いプラチナブロンドで、年の頃は十に届くか否かというところ。
 一般に美少女と分類される容姿だが、血のような赤目を見れば神秘的なイメージよりも不気味さが先に立ってしまうだろう。この場が人を欺くために進化した猛獣たちさえ決して足を踏み入れない、とても危険な魔獣や獣たちが闊歩する場所である事も加味すれば尚更だ。
 ここは完全にデッドゾーン。知識がない者は勿論の事、熟知していても実力が不足している者が不用意に出歩けば、忽ちこの森に巣食う獣の腹の中である。


「はっ! こいつは幸先がいい……。おいガキ、動くんじゃねえ」


 乱暴な言葉と共に少女の行く手を塞いだのは、鍛え上げた筋肉を見せる中年の男だった。
 全身からは漲るような生命力を感じさせる。男の自信は確固たる物であり、その源は手に握られた刃渡り15cmを超える白銀の刃ではない。その軽い口調に込められた嘲りは経験と努力に裏打ちされたもの。その証拠にナイフを握る腕には無数のタコがあり、激しい訓練のほどを如実に表している。
 その手の武器は素人が相手を威圧するだけに振り翳すトゲではなく、実際に人の首を描き切りその命を摘み取る事が可能な牙だった。


「こんにちは、お兄さん。どうしたの?」


 ナイフを構える男とは違い、一方の少女はどこまでも普段通りだ。まるで天気の話題でも振られたように自然体をしており、乱暴な口調で言い放たれた警告だとか、光を反射する銀牙を目にしても、全く気にした様子はない。むしろ男を挑発するような笑みさえ浮かべている。
 ずぶの素人であれば自らの挑発が完全に無視された事に対し逆上し、ナイフを振りかざして襲いかかっていただろう。だが男は長年の経験から何かしらの危険を察知し、素早く周囲への警戒を強めた。
 そして十二分に感覚を働かせた結果、この付近には自分の害となるような凶暴な獣や魔獣も、少女を守るための大人も存在しない事を確認。一時的に神経を集中させ無表情になっていた男の顔に、再び軽薄な笑みが浮かぶ。


「時間稼ぎか……、無駄だぜ。お譲ちゃんを助けてくれるようなヒーローは、いねえ……。大人しくしていれば、楽に殺してやるよ、化け物のお譲ちゃん」


「あら、化け物だなんて心外ね、ハンターさん?」


 あくまでも軽く返した少女の風体は異様であった。子供ながら相当の美貌の持ち主であり、どこか薄ら寒いものを感じさせる。
 子供らしく薄い唇の奥には異常なまでに発達している犬歯が覗いていたし、目は心臓から噴き出した鮮血よりもなお赤く紅く、衣服から伸びる手足は対照的なまでに白い。この付近に住む特異な少数民族の事を知らない人間であれば、少女を吸血鬼のようだと評しただろう。あるいは遠くジャポンに生まれた者であれば、その幼くも妖艶さを感じさせる姿から妖怪の一種であると断言したかもしれない。

 しかし、男には少女の異常性について知識があった。
 この付近に存在する村の特異な風習、そしてその結果として齎された、怪異な村人達。
 ただの女の子さえこの様だと自分の目で確認して、男は隠しきれない嫌悪感を吐き捨てながら言った。


「化け物は化け物さ。何百年間も魔獣に女を差し出して犯させ、その血を取り込むなんざ、正気とは思えねえよ……。お譲ちゃんは知らないかもしれんが、な」


「それには同意するわね。何十種類か何百種類か知らないけれど、混ざりすぎていて私も自分の事がよくわからないもの」


 少女は左手を口に当ててクスクスと笑い、一歩距離を詰めた男などまるで無関係に振る舞う。
 どこまでも自然体である少女は異常極まりなく、男は警戒心を逆撫でする少女に対して一種異様な不気味さを感じた。

 目の前のこいつはまるで危機感を感じていない。俺が狩る者であり、こいつが狩られる者だというのに、恐怖や緊張といった物をなんら感じさせないのだ。
 これならば猛獣と対峙した方がよほどやりやすいと内心で愚痴をこぼし、しかし周囲へ警戒を続けながら異形の少女へと歩み寄っていく。
 靴の下から響いた枯れ葉を踏む音が嫌に大きく聞こえ、ただの少女を前にしているだけだというのに、現実離れした化け物と相対している気になってくる。彼は顔にこそ出さないまでも、金払いの良さに釣られてこんな仕事を受けてしまった事を後悔していた。

 彼は人体収集家に雇われたハンターであり、目の前の女の子のように異常な肉体を持つ人間のパーツを持ち帰るためにやってきたのだ。
 人間を殺すのは好きではないが、新米ハンターである彼には活用できるコネも権力も無い。持たざる者の道理として、自らの手を汚すしかなかった。
 それに、悲観する事ばかりではない。誰かから買い取れば差額で赤字が出るかもしれないが、自分でゲットすれば原価はタダ。飛行機代や準備費用で数十万ジェニー消費した事を除けば、得られる褒賞は全て利益へと姿を変えるのだ。

 一つにつき最低で5000万の報酬を受け取れる契約で、珍しい変異を起こしている部位を持ち帰れば億単位も夢ではない。信用を積み重ねればコネも得られるし、これは自分が偉大なハンターになるための第一歩である。彼は懐に入っている自信の元を再確認し、目の前のアレは少女の形をしているだけで人間とは言い難い。だからただ不気味なだけだ、と自らを奮い立たせた。


「恨みはねえが、これも依頼なんでな……。行くぜ!」


 言葉とともに精神を集中させ、垂れ流し状態になっていた自らの生命力、オーラを身に纏う。それだけで自分が数倍にも膨れ上がったように感じ、男は確固たる自信を持って足を踏み出した。
 少女までの距離を一歩で詰め、オーラによって強化された膂力でナイフを走らせる。研ぎ澄まされた刃は何の抵抗もなく、それこそ肉の一片さえ感じさせずに少女の首があった空間を薙ぎ払い、一瞬後にその異常さを知覚した男は驚愕に顔を歪ませた。


「念能力者だったんだね、美味しい美味しい」


「っ?! ば、化け物め!」


 自分の背後から聞こえてきた声に反応し、慌ててナイフをそちらへと向ける。
 完璧な一撃だった。万が一にも避けられるとは思えなかった。彼の額には焦りによって大粒の汗が浮かぶ。
 彼の背中から数メートルの距離を置いて、先ほどの少女が変わらない態度のまま佇んでいたが、彼は少女の口が血で赤く汚れている事に気付いて口元を歪めた。その血を見てナイフによる攻撃が命中していたのだと誤認して胸をなでおろし、跳ね上がっていた自らの心臓を落ちつけようとしたが


「恨みはないけど、お腹減ったから……。頂きます」


 それは勘違いだったし、何より彼は遅かった。
 少女の手には見覚えのあるナイフがあり、彼女が小さな口をモゴモゴと動かしながら食べている物が、すれ違いざまに食い千切られた自分の首筋の肉だと認識した時には手遅れだったのだ。少女は無力な柄ものではなく、相手を欺き狡猾に獲物を狙うハンターだったのである。
 食い破られた動脈から吹きあがる血飛沫を目の端で捉え、恐怖によって限界まで開かれた相貌に、真っ赤に染まった牙が視界を塞ぐ。

 右の米神に強い衝撃を感じながら、男の意識は二度と浮かびあがれない深淵へと落ちて行った。





[14338] 第一話
Name: ブラストマイア◆e1a266bd ID:fa6fbbea
Date: 2009/12/02 00:15
 自然界は弱肉強食。強い者が弱い者を殺して食べる行為はごく自然であり、少女ルー・アーヴィングが “食事” を行ったのも、彼女にすれば当たり前の行為。念能力者の肉や血液は生命力に満ちており、そうでない人間の何倍も美味しいのだ。ルーにとっては麻薬に等しく、無駄にする理由はなかった。
 まずは男の両足を一纏めにしてナイフを打ち込み、より食べ易いように木の上部へと固定する。
 男の体重などルーにとっては羽毛も同然だ。軽く突付いて落ちてこない事を確認し、逆さ吊りになった事で傷口から溢れ出した真紅の蜜を丁寧に舐め取る。ちょうど眼前にぶら下げられた首筋へと顔を埋め、口の端から除く鋭い犬歯を利用して肉を切り裂く。皮膚や筋肉組織を食い千切る音が周囲に響いた。
 ルーは女の子らしさとはまだ無縁な胸が血で汚れる事も構わず、母の胸を吸う赤子のように食事を続ける。


「ああ、もっと、もっと……」


 露出した骨を半ば無意識に噛み砕き、ゴリゴリと暴力的な音を響かせながら咀嚼する。砕いた骨を素手で抉り出し、恍惚と狂気が誘うままに骨髄をも貪った。
 飲み損ねた分の血液はルーの口を真っ赤に染めただけでは飽き足らず、赤い滝となった一部はズボンにまで達する。ルーは頭の冷静な部分で脱いでおけばよかったなあと後悔するが、一秒たりとも行為を止める事はない。どちらかといえば彼女は悪食であり、柔らかさや味などにはあまり頓着しない性質であるため、周囲の肉を食い漁って心臓や肺といった臓器が見え始めた頃にようやく人心地ついた。


「んー。もう少し紳士的……じゃなくて、淑女的な食事マナーを身につけるべきかな?」


 真っ赤になった口を離す。食欲が満たされて冷静になったルーは、赤いペンキを塗りたくったような自分の胸を見下ろして息を吐いた。
 漫画などでは“食事”の風景は血の一滴さえ付着しない綺麗なままの事が多いが、実際に血の滴る肉に口を突っ込んでいればこの有様だ。
 もう少し漫画などに登場する吸血鬼らしく、二つの穴を残すだけという風にする術はないのかと自問してみたものの、幼女が男の首筋を貪りながら興奮している様は変態的だなあという下らない考えしか浮かばなかったので、そもそも吸血鬼モドキでは無理なのかもしれない。
 ルーは自分の容姿が吸血鬼を思わせる風貌だと自覚していたが、噛み付くだけで他者を操ったり煙に変わったりコウモリを従えたりする事は不可能であると知っていた。なにせ過去にしっかりと試したのだ。間違いはない。

 ただ単に見た目が似ているだけであり、俗に言うそっくりさんか、天然のコスプレと言ったところである。唯一の類似点として血液は好きだけれども、彼らのように牙や爪から血を吸う事はできないし、思い込みによる自己暗示があったたからこそ血液フリークになったのだと思っている。
 例えばブラックコーヒーのように、人によってはただ苦いだけの物が好みだったりするのと同じだろう。蓼食う虫も好き好きと言うのだし。

 まあ吸血鬼であろうと食人鬼であろうと、どちらも人を襲う鬼には違いないので、化け物と言われれば否定はしないが。


「はあ。体を洗わないとな……。血がベタベタして、気持ち悪い」


 ルーは口の周りについた血液をなめとり、軽くジャンプして固定用のナイフを抜き取った。
 どさりと音を立てて落下した男の体を左肩に担ぎ、返り血が完全に乾いてしまう前にと足早に川を目指す。

 身長1メートル21センチの少女が2メートル近い男を担いで全力疾走する様は不可解な事この上ない。彼女だけが物理法則を軽視しているようにしか見えず、それも藪や茂みを通過する際にも恐ろしいほど無音なのだから、目だけではなく耳まで疑うに違いなかった。
 風のような足取りでやってきた川幅は30メートルほどで、深さは極端に落ち込んでいる場所を無視して大体5メートルほど。水はあまり冷たくないので泳ぐにはいい水温だし、一見すると静かな水面は平和そうだが、その下には凶暴な肉食魚だとか毒のある淡水エイだとかが潜んでいる事も多い危険地帯だ。たまに不注意なアマチュアがうっかり近づき、全身をカンディルに似た肉食魚に食らいつかれた挙句、骨になって転がったりしている。

 この魚の牙はナイフのように鋭い上に、噛み付く顎の力も魚とは思えないほど強く、手足の自由を奪う麻痺毒のオマケつき。一度でも喰らい付かれた犠牲者の末路は悲惨だ。逃げる事も許されないまま、生きたまま貪り食われることになる。その際に獲物はものすごい絶叫を響かせながら死んでいくので、悪魔の魚なんて仇名までつけられているようだった。
 なので、哀れな犠牲者の持ち物を狙うなら中々良いポイントである。上手くすれば持ち主のなくなった荷物が川辺に放置されている事も多い。
 プロハンターといえど全員が優秀ではないと言われればそれまでだが、魔獣でもないただの魚にやられてしまうとは情けなあとルーは思っている。


「カンディルじゃなくて、ここだとカンジェロか。前世の記憶もたまには邪魔だなあ……。念の事を覚えていたのは、嬉しかったけど」


 ルーは独り言をいいながらも上着とズボンを下ろして素っ裸になると、先の生物による危険など全く無視して水の中へと入る。
 川の中央付近以外は小さなルーでも余裕が届くほど浅いし、纏さえやっていればただの動物に害される危険はほぼ無いので気楽なものである。唯一の危険といえば、固体によっては2メートルを超える電気ウナギがうろついている事がある程度か。
 見渡す限り危険はなかったので、流れ落ちた血の臭いに釣られて不用意に近づいてきた魚を捕らえるという漁法に精を出すことにした。
 鋭く伸ばした爪をナイフ代わりにして腹を割き、内臓を取り出して焼き魚として食べるための下ごしらえをしておく。カンジェロは肉食性なのであまり神経質にならなくてもいいが、雑食性のコイに似た魚は小石や砂利などを飲み込んでいる事が多い。そのまま串に刺して焼いたりするとジャリジャリして食べられた物ではなくなるので、魚を獲るにしても注意が必要だ。後はしっかり焼かないと腹を下す。なにせ寄生虫も多いから。


「タラッタッタッタタン♪ タラッタッタッタタン♪」


 3分クッキングのテーマ曲を口ずさみながら男の死体を水の中へと引きずり込み、オーラを纏わせた人差し指のツメを走らせ、手際よく分解していく。
 内臓は時間がたつと周囲の肉まで巻き込んで腐敗するから大変だ。胃や腸はしっかり洗わないと内容物の臭いがキツイし、男性の象徴といったビジュアル的にあまり食べたくない部位もある。特に髪の毛などは美味しくないどころか、口に入っただけで違和感があるので嫌いだった。

 日本人だった頃のルーならば気色悪くて即座に嘔吐してしまいそうな解体行為も、今となっては日常の一環だから鼻歌を歌いながら出来るようになっている。
 生ぬるい生を過ごしてきた大学生と、常に生きるか死ぬかの密林で生き延びてきたルー・アーヴィング。どちらの人格が優先されるかなど、言わなくとも分かるようなものだろう。何割かは日本人だったころのメンタリティが影響しているし、知らない知識については大きく比重が偏るため、覚えのない知識が勝手に浮かび上がって来るなど不都合が多かったものの、どうにかこうにかルーという人格に混ざり合っていた。


「ってか、こんなカードで人生7回ぐらい遊んで暮らせるんだっけ? お金って、ある所にはあるんだねー」


 ルーは本日の戦利品の一つであるカードを持ち上げ、血で汚れてしまったハンターライセンスをしっかりと洗う。死体の胸ポケットから拝借した物だ。
 常日頃から荒事に足を突っ込んでいるハンターが持つ物だけって物凄く丈夫、故意に傷つけようとしなければ損なわれる事はまず無いので、最優良の換金アイテムである。強引に折りたたんでみても折り目一つつかなかったし、その辺の石で引っかいた程度では傷一つつかなかった。多少乱暴な洗い方をしても問題ない。
 手触りは前世で言う免許証に近いのだが、素材が何なのかは全く分からない不思議物体。今回ゲットしたカードの下の方には109990111262と書いてあるが、正直何の事だかさっぱりだった。


「早期にハンターライセンスに気付いてよかったよ。そうじゃなきゃ、死んでいたかもしれない……。できれば、未来も詳しく覚えておきたかったけど」


 ここがかつての記憶にあったHUNTER×HUNTERの世界だと知ったのは、狩りに出た際に父親がライセンスカードを持ち帰ったのが切っ掛け。人格がどうにか落ち着いた四歳の頃、嫌に見覚えのあるWとAを組み合わせた特徴的な模様に気付いて悶々となり、どうにも見覚えがあるなあと呻いていたら、両親からハンター教会やらハンター文字やらの存在を教えられて絶叫したのだ。

 それは同時に、自分に前世の記憶があると確信を持った時期でもある。


「このライセンスは隠しておこうかな……。もし村を出る事になった時、先立つ物が欲しいし……痛っ」


 人生設計に励んでいたルーだが自らの鋭い犬歯で舌を刺してしまって、地味な痛みに顔を顰めた。
 この癖はまだルーの自我意識がハッキリしていなかった頃からあり、ずっと治そう治そうと思っているのだが、5年近くも経った現在でさえよくやってしまう。今のように舌を刺してしまう事も結構あり、ばい菌が入るなあと密かな悩みになっていた。


「いっそ削るべきか……。神の似姿だとか、凄いとか言われても、全然まったく欠片も嬉しくないよ、これ」


 ルーはため息を吐いて唇を持ち上げ、錆びないようにと川辺に置いてあったナイフを鏡代りに覗き込んだ。
 小さな口の中で2センチに届かんばかりに伸びている犬歯は目立つので、少し口を開いただけでもすぐに分かる。サーベルタイガーなどは牙が長くなりすぎて絶滅してしまったという知識が囁くのもあり、あまりにも長くなりすぎたら困るなあと常々思っていた。
 いっそ町の歯医者にでも行って削ってもらおうか? しかし、これを削るとなれば相当痛いだろう……。ギュイイイインのガリガリガリガリのギャーーーーだ。
 ルーは甲高い音を立てて回転する悪魔の器具を思い出して身震いし、削ってもまた生えてきたら意味がないと気づいて諦めた。

 常識的に考えれば永久歯が何度も生えて来る事は無いだろうけれども、なにせ何百年もかけて何十種類もの魔獣の血を混ぜ込んでいるのが我が一族である。
 野生動物並に怪我の治りが早いのは当たり前だし、何年か前に村を出て行ってしまったようだが、両腕を翼に変化させられる人間だっていたのだから、歯ぐらい何度生え変わっても不思議ではない。

 これからも舌を刺し続けるのだと思うと憂鬱だ。気を紛らわすために食事を再開する。


「ああ、脳味噌美味しい……。念使いはお肉も血液も濃密で最高だねー……。この人って纏しかできないっぽいけど、大空だか天空だかの闘技場とか見てたらトンデモ技術があるって丸わかりになりそうだよね……? どうやって秘匿してるんだろう?」


 ルーは上部をパカッと開けた頭部を腕に抱え、伸ばした爪をスプーン変わりにしつつピンク色のプリンを口に運ぶ。

 念は一般には秘匿すべき存在になっているそうだが、何事にも例外という物はあるもの。ルーの所属している部族もその例外の一つだった。
 凶悪で凶暴な魔獣がゴロゴロしている森で生き残るためか、一族は強大な力を得て神に近づく事を命題としており、そのために何百年も前から魔獣と交わったりしている。種族の特徴として極自然に念を覚え活用している魔獣とも交わっていたお陰か、一族には念について高い才能を持つ者が多かった。
 それに、子供らは念を覚えるのとほぼ同時に森の中を遊びまわるのが常だ。この環境とて才能を伸ばすのに一役買っているのは間違いない。


「弟も念能力者になったし……、定期的に血を吸わせてくれないかなあ。……って、ガリッ? 何だこれ……。ああ、コンタクトレンズか」


 人間の頭に二つある珍味を堪能していたというのに、うっかり取り忘れたガラス片で不快な触感を味わったルーは、眉を寄せながら口内の破片を吐き捨てた。
 口直しにと柔らかい頬の肉を切り取って食べ、美味しい部分の食べ終わった頭部はもう用がないので遠くへと投げ捨てる。
 すると水面に触れるか否かの所で体長3メートル近い肉食魚が現れ、盛大に水飛沫を跳ね上げながら攫って行った。盛大な水しぶきが散る。
 体の横からムカデのような足を生やしている偉業の魚であり、並の人間なら容易く一飲みにしてしまいそうである。更に纏をしているこちらには近寄らないところを見ると、魚とはいえ馬鹿ではないようだ。経験豊富さと大きさから考えるとこの川の主かもしれない。
 珍しいものを見られたお礼に、と食用に適さない部位もまとめて投げ、公園で鳩に餌をあげる老人の気分を味わう。この魑魅魍魎が跋扈している森に住んでいると、一般人にとっては極めて危険だろう巨大な肉食魚でも癒し系だと思えるから不思議だった。

 日常的に、50センチほどあって異常に攻撃的なバッタなどを見慣れているからだろうか?


「やっぱり、鋭い獣になるとオーラが分かるんだねえ……」


 この森では生き残るためにもオーラを扱えるのは必須の技術だと信仰されていたため、ルーの村の住人で戦士ならば、ほぼ全て念能力者だった。
 毎年春になると継承の儀式という物があり、5歳になった子供は全て長老の下に集められて念の存在を教えられるのだ。

 その時は精神論と簡単な実演だけで、詳しいやり方などは15歳になって成人するまでに少しずつ、という感じであるが、それまでに念が使えなければ選別の儀式という名目で強制的に起こされる事になっている。つまりオーラを叩き込んで強引に念能力者にするというやつだ。
 ルーのような転生者なら 『簡単に念が覚えられる! 15歳になれば私も念能力者!』 という感じに好みそうな展開だが、その際の致死率はかなり高いのでおすすめしない。選別の儀式を受ける事になるのは10年かけても念が覚えられないような才能の無かったメンツであるし、起こす側の未熟さもあってか、10人のうち7人か8人は戻ってこられないのだから。


「まあ、そのお陰か私は念を使えるし、長い間選定を続けてきた祖先には感謝、かなあ……? この世界で才能がないとか、死亡フラグにしか思えないし」


 狂っている、と言われれば否定しない。ルーも自分自身がノーマルな人間だとは思っていなかった。
 目覚めたばかりの時でも村の異常な風習の大半を受け入れていたし、人が死ぬ瞬間を見ても驚いたり嫌悪感を覚えたりしたのは最初だけ。殺人に手を染めた時もそうだったし、今では念能力者を相手にしたマン・ハントこそ最も楽しい狩りであると思っている。


「けぷ……、御馳走様でした。残りは晩御飯かなー」


 美味しい部分を粗方食べつくして満足し、いい具合に持ち運びやすくなった人間の残骸をまとめる。
 ライセンスカードは後で隠しておくにしろ、さっさと村に持って帰って燻製肉に変えてもらわないと味が落ちてしまうのだ。ルーが確実に倒せると断言できるほど弱い念使いに遭遇できる確率はかなり低いので、せっかくの肉を損なう事は避けたかった。

 この村に住む異形の姿をした住人は人体収集家にとって垂涎のお宝らしく、よくこうやってハンターたちが寄ってくる。プロ、アマ問わず年に平均して30人ほどで、大半は念を覚えていない雑魚だから、それなりに熟練した念使いが多いこの村の大人達ならまず負けない。
 ルーは自分が世界から見てどの程度のレベルなのかは知らなかったが、今のところはさして苦も無く迎撃に成功していた。

 彼らの持ち込んだ武器やハンターライセンスはこの村の重要な資金源であり、周囲の山々が正式にこの村の物だと決まっているのは彼らのお陰だ。
 ご馳走にして歩く財布でもある雑魚ハンターたちには感謝の念が絶えない。敵であれ優秀だった者は尊敬されるが、その肉を体に取り入れる事によってその力を得られる、とも考えられているため、討ち取られたハンターたちはの肉はそれを仕留めた者の家族に半分、残りは村の皆に、と分けられるのが風習だった。
 二年前からルーも狩に出る事を許されたため、念使いを食べる機会は増えている。


「家事はイマイチ出来ないのに、人間を含めた獣の解体作業は一通りできる、ってのもなー」


 一般人からすれば人間を解体して食べる行為は残虐に映るのだろうが、そもそも彼らは不法侵入した上に、村人を殺してその一部を持ち去る事を目的とした凶悪犯である。一族の風習は文化的とは言えないが、実際に効果が出ているのだから、今更止めろと言われても止めないだろう。
 それに、人間となれば見境無く食い荒らす蛮族ではない。念をおぼえてもいない子供はまだしも大人は最低限の分別を持っているので、極めて稀ではあるが友好的な旅人がやってくれば歓迎するし、消耗品を売りに来る商人は有用だから手を出すな、という教育もなされていた。
 姿は多少変でもしっかりした人間であり、それを知ってか知らずか襲い掛かって、その結果食卓に並ぶ事になったハンターたちに文句を言われる筋合いは無い。


「まあ、狩を楽しんでいる私が言っても無駄か。健全な精神は健全な肉体に宿るっていうけど、殺人さえ楽しいものな」


 ルーの住む村ほど異形の人々が多い場所も他にないだろう。奇形という言葉では済まされないほどの異型がそこにはある。
 片方だけ異様に太く長い腕を持つお隣さんだとか、左手の爪が猛禽類のように発達している幼馴染とか。何百年も前から閉鎖的である村では、遺伝子の中に混ざった獣がより濃くなるように交配を続けているのだ。一歩でも神に近づくために。
 その結果として遺伝的な異常と思われる物を無数に発症させまくっており、ルーのように統一感ある異形は極めて珍しい程だった。
 割合で言うと極普通の姿に生まれる者が70%、指の形や目の色など多少の変化がある人が25%、残りの4.9%が腕や足など大きな変化をもつ人で、ルーのような複合的なのが0.1%というところ。
 詳しい出生率は知らないが、肺がなくて臍の緒を切られた瞬間に呼吸困難に陥って死んだり、形を成さないただの肉塊が生まれたりする事も多いらしい。


「久しぶりにネットとかがやってみたいんだよな……。ずっとこの村にいたら、誰か適当な男と結婚させられそうだし……。でもそうなると、好物:人肉ってのが不味いんだよねー。無意識だった頃に変な補正でもかかったのかな……。いや、たしかに念能力者のは美味しいんだけど……」


 はっきり言って、肉自体が美味という事はない。ハンターは筋肉が発達していて肉が固い事が多く、前世でいつも食べていた牛や豚と比べれば数段劣っている。近い感覚でいえばスーパーで半額シールを貼られた揚句に回収され忘れて賞味期限が切れた安い鶏肉、程度の味だ。
 筋張っているし固いし味付けは岩塩だけなのだから、こんな物が美味しいわけがない。家族らも敵を倒しその肉を食らうという行為を特別だと教えられているからこそ喜んでいるだけで、肉としてはイノシシやシカの方が美味だと言っていた。

 ルーとしてはあまり考えたくなかったが、その理由に心当たりはある。おそらく念能力が勝手に 『発』 を作り出しているのだろう。自分の念ながら頭痛が絶えなかった。

 何故ならルーはまだ9歳の少女なのである。ある程度は肉体に依存するからオーラの量も少ないし、今能力を作っても持て余す可能性が非常に高い。
 強化系だとか変化形だとか、そういう系統別に伸ばす方法など村には伝わっていないし、そもそも系統という物さえ彼らは知らなかった。ルーも前世の記憶がなければ分からなかっただろうから文句は言えないが、強化、変化、操作、具現化、放出、特質、という6系統があった事を覚えている程度である。
 コップに水を入れて行う水見式を試した事はあっても、どうなれば自分の系統が判別できるのかを忘れていたため、ほぼ無意味だ。
 上辺だけ知っていても、肝心な所がすっぽり抜けていては話にならない。

 今までにも何人かのハンターと対峙した際、知っていそうな相手ならば両手両足を切断した後で “聞いて” みた事もあるのだが、正式に訓練を受けた人間ではなかったようで望んだ知識は得られなかった。引きずり出した腸で首輪を作ってやったのに言わなかったのだから、本気で知らないのだろう。
 やはり最低でも、系統を抑えつつ発を持っているクラスにならないとダメかもしれない。村でははっきりと区別されていないので、わからなかったのだ。


「系統さえ分からんのに能力とか……。どんな肉でも美味しく食べられる程度の能力、なんて発現したら泣いちゃうよ? マジで」


 ぼやきながら水面に浮かんでいる葉を両手で包み、大量のオーラを流し込む。
 長年の訓練によってそれなりに力強いオーラを練れるようになったが、結果は初めて行った時と変わらない。葉っぱが出鱈目に成長して歪な形になりながら大きくなる、という訳の分からない物のままだ。
 なんというか意味不明である。イメージ的には成長させているのだから成長能力の強化という事で強化系なのか、それとも具現化なのか、葉を弄っているのだから操作なのか。強化は水の量がどうにかなるのだったと記憶していたのだけれども勘違いだったのか、それとも本当に強化以外の何かなのだろうか? 磨りガラスを通したようにハッキリしない記憶を探っても、曖昧すぎて望む情報は思い出せなかった。

 イメージとしては自分であれこれ考えて能力を作るより、日々の生活の中で自然に能力が出来上がっていた、という方が強くなりそうではあるが、無意識に任せっぱなしにするのも怖い。それでは完全な博打になってしまい、闘技場にいた能力を失敗した人のように、使いこなすまでには多大な訓練を必要とする上にイマイチ強くもない、という訳の分からない物を作ってしまうのではないかと危惧する。


「とにかく、村に帰るか……」


 ルーは大きく溜息を吐いた。
 滅茶苦茶に成長を遂げた葉を川の流れに任せ、両手や顔にはねた血を丁寧に洗い落としてから川を出る。



[14338] 第二話
Name: ブラストマイア◆e1a266bd ID:fa6fbbea
Date: 2009/11/29 20:25


 ルーの居住地であるウィールグ村は、こういう村に対して固定観念を持つよそ者にとっては意外かもしれないが、けっこう近代的で文化的である。
 強者を食べてその力を取り込むという風習があるように、便利な物、優れた物は認めて吸収するだけの柔軟さと強かさを備えているのだ。

 竪穴式住居のような家も少数あるが、近くの岩山から岩石を運んでくると言うトレーニング方法があるため、それを建築材料として活用できる。
 それなりの実力者の家はログハウスのような作りになっている事も多く、一見すれば避暑地か何かだと思えるかもしれない。少数民族にありがちな 「お払いで病気を治そう」 とか 「雨が降らないから生贄を捧げよう」 という前時代的な思想だって消えている。
 前者は念の存在があるので少々遅れていたが、数十年前に疫病が蔓延した際に薬が有用である事は学習済みだそうだ。

 今では有志の人間が町に出て医学を学ぶという風習もあり、闘争を好まない性分であるとか、15歳で受ける餞別の儀式が嫌だというのなら、そういう補助要員に回る事も出来る。村人ならば誰でも小学校でやる程度の教育は受けているので、勉強が好きなら更に学んで医者になるのもいいだろう、村全体で購入する物をまとめる会計士(?)になるおもいい。手先が器用なら儀式で使うアイテムを製作する職人や、土いじりが好きならば畑や家畜の管理人になるのもありだ。

 昔はまた違ったらしいが、今は職業選択の自由というか、そんなようなものがある。
 自ら望まなければ究極には至れず、半端な心で挑む事は先人への冒涜うんぬんという理由らしい。

 ルーも含め、体を鍛えより神に近づくのを目的とした 『戦士』 には彼らを守る義務もあるので、弱いからと差別するのは厳禁。お互いに力を合わせ助け合わねば生きていけなかった環境もあってか、身内での争いはご法度になっている。
 それに戦士は軍人のようなイメージであり、強ければ長になれるという訳でもない。勿論、最も強い人間には 『戦士長』 なんて役職が与えられ、限りなく神に近い存在として尊敬されるし発言力だって高い。村人の将来なりたい職業№1に輝き続けており、尊敬の的。ただ政治に首を突っ込む事は役割ではない、とそういう事だ。荒事に限っては族長以上の権限を持ち、戦士は戦士長の言葉に従う。将軍というか切り込み体長というか、そんな感じである。


「変に近代的だよね、うちの村は……。さすがに電気までは通ってないけど」


 パソコンや掃除機といった物こそ無いものの、蝋燭やランプならばどんな家でも揃っているし、ルーの自宅のキッチンに至ってはガスボンベを利用したコンロさえあった。元はハンターが傭兵を雇って数十人がかりで攻め込んできた時の戦利品らしいが、これを見たら一部の学者などは目を回しそうだ。
 ただし、村にはガス屋さんなどいう便利な物は存在していないので、ルーの父が定期的に近くの町までガスボンベを買いに行っている。
 まあ、近く、とはいってもここは辺境のド田舎。直線距離でも250キロ以上はあるうえに、整備された道なんてものは存在していない森の中を延々と走る事になるのだから、鍛え上げたハンターでさえ1日で往復するのは困難だろう。
 しかしルーの父親は母親にベタ惚れなので、この程度のハードルは問題の内に入らないらしい。障害が多いほど燃えるというやつだろうか。行きはまだしも帰りは重い荷物があるというのに、その気になれば日帰りも可能だと言うのだから尋常ではないスタミナである。
 どうやら長距離を移動するタイプの魔獣の血が発現しており、恐ろしく強靭な心肺機能を有しているらしく、持続力だけなら村一番。ルーが抱いている15歳までの目標の一つが買い出し付いて行く事だ。行きだけならたまに同伴するが、帰りは流石に厳しい。


「よお、ルゥ! 相変わらず小さいな、お前は! ちっとは強くなったか?」


「……おはよう、ロプス。相変わらずでかいわね……体も、声も」


 背後から近づいてきた気配を察知して耳を塞いでいたルーだが、容赦なく両手を貫通する大音量の前に、危うくノックダウンされかけた。
 耳が良過ぎるのも考え物である。キンキンと頭の中を反響する大音量を振り払い、顔を顰めながらも言葉を返した。


「はっは! 男ってのは、デカくて強くねえとな!」


 ルーの前に立つロプスという男を表すのには、見上げるような巨人という言葉が最もよく似合うだろう。なにせ彼の身長は2メートルを優に超えており、ルーの倍近い身長がある。
 山のようにそそり立つ力こぶの大きさは尋常でではなし、その肉体を包む衣服もまた凄い。彼が成人を迎えた際に念さえ使わず素手で仕留めたという巨大な大角熊の毛皮を利用しているだけあって、死してなお凄まじい生命力を感じさせる一品だ。ロプスの肉体と合わせると視覚的な圧力はかなりのものだった。

 ロプスは水見式など必要ないほど分かりやすい強化系能力者であり、オーラを纏ってのガチンコ殴り合いでの戦闘ではルーなんて足元にも及ばない戦闘力を持つ。肉体にしてもボディビルダーが裸足で逃げ出すような筋肉をしているし、小口径の弾丸では絶状態の彼の皮膚を傷つける事さえ難しい。熊などの獣を仕留めるにはライフルやマグナムといった大口径の拳銃が必要になるが、オーラを纏い本気になったロプスを殺そうとしたらバルカン砲でも足りなさそうだった。
 肉の鎧による恩恵は防御力だけではなく、当然ながら攻撃力もずば抜けている。
 彼の両腕はゴリラ系の魔獣の血を発現させた事によって異常なまでに発達しており、銃を指で挟み潰したり、ナイフをデコピンで圧し折ったり、と素のままでも半端ではない。下手な念能力者など素手で殴り殺してしまうだろう。


「……私も、ロプスみたいな力が欲しかったなー。小細工じゃなくて」


 ルーはない物ねだりだと思っていても、ついつい口から出てしまう言葉を抑えられなかった。

 ロプスは肉体も強くて念の才能もあって、村でも最も有力な次代の戦士長候補だ。それも歴代最強ではないかと噂されている。
 ルーとは地力となる肉体の強さにかなりの差があるし、オーラの器用さにおいてはルーに分があるものの、一度に出せるオーラ量は圧倒的にロプスの方が勝っている。小数点以下の細かい制御など行えずとも、ただ全力で巨腕を思い切り叩きつければ、それだけで一撃必殺になってしまうだろう。
 ルーが大きなリスクの代わりに攻防力を飛躍的に上昇させる硬で攻撃したとして、ロプスにしてみれば全力で堅をするだけで防げる程度の物にしかならない。


「ルゥが俺みたいになったら? そりゃ……、目に入っただけで俺の負けだな。絶対に笑っちまうよ!」


 なにを言い出すかと眉をひそめたルーだったが、彼のガチムチボディの上に今の自分の顔が乗ったのを想像して納得した。
 アメコミで出てくるような筋肉超人タイプの体に、可愛い着せ替え人形を思わせる顔が乗っかったら、それはもうギャグにしか見えないだろう。
 前衛芸術にしても先取りしすぎというか、新しさだけに固執してとんでもない方向に進んでいる。


「強くはなりたいけど、そんなになるのは、ちょっと……」


 最初こそ女の子である事に戸惑いを覚えた事はあったものの、人格が統合してからは髪の毛の手入れだとか態度だとかは最低限気を使うようにしている。言葉遣いだって他人がいる時は意識して丁寧に、と、それなりに女の子なライフを送っているルーは嫌そうな顔をした。
 かつての世界では自分の容姿と体系にコンプレックスを持っていたという記憶も後押ししてか、今の体を少なからず気に入っている部分もあり、そんな子供の悪夢に出てくるような状態になるまで鍛えるのはごめんだ。


「ルゥは素早いからな、そっちを伸ばせばどうだ? ……そうだ、久々に手合わせをするか! ルゥとやると、いい訓練になるからな! いくぜ!」


「別にいいですけど……って、相変わらず人の話を……!」


 返事をする前にズンズンと歩いて行ってしまうロプスの背を見て、ルーは彼って絶対強化系だよねとため息を吐く。
 強引だなあと思いつつも、彼を嫌っていない自分がいる事に気付いて肩を竦めた。






 二人は村の東側、森を大きく切り開いて作られた訓練場の一角に立っていた。
 訓練場とはいえだだっ広いスペースがある程度で、最低限の区切りがある以外は何もない。的が欲しいなら自分で作れと言うわけだ。
 なにせここの住人は異常が通常であるからして、材料に鋼鉄でも使わないとすぐにスクラップになってしまうのである。

 ロプスと向かい合ったルーは両目を閉じて意識を集中させる。体内のオーラを淀みなく流し、その時を目指して限界まで溜め込み、一気に放出した。
 全身から蒸気のごとく噴出すオーラの力強さは満足の行くものだったが、目の前で獣のような咆哮を上げている男と比べると、幾分か見劣りする事は否めない。


「むぅ、半分にも届かないとは……。頑張っているのになあ」


 ぼやいたルーの前で、ロプスは蒸気機関車のように力強いオーラを全身から吹き上げている。
 その迫力たるや物凄く、数メートルの距離を置いてもビリビリと全身が震えるような圧迫感があった。

 ルーだって念を齧っただけの使い手ならば圧倒できるだけの技量がある。ライセンスなしのアマチュアまで含めれば10人以上のハンターを屠ってきたし、同年代なら比肩しうる者がいない自分の実力は結構自信があったのだが、彼を前にすると無意味な物のように思えて仕方が無かった。
 絶対的なオーラ量の差を前に、羨ましいなと臍を噛む。ロプスのほうが倍近く生きているのだし、自分が行っているのと同じかそれ以上の訓練をしているのだろうとは知っているものの、卑しくも心中に湧き上がる嫉妬の念は消せなかった。


「ハッハ! ま、修行だ、修行!」


 豪快に笑う彼に追いつきたいなあと思いつつも、ルーは全身を覆うオーラ量を半分ほどにまで落とした。
 ロプスもそれを見て練を弱め、先ほどのやり取りで計った二人の差を大まかに再現する。

  念能力者のパンチやキックは極めて強力であり、優れた強化系の能力者であればオーラだけで岩をも砕く事が出来る。人間の範疇を逸脱しているとしか思えない圧倒的なパワーは大地を揺るがせ、周囲の自然を著しく傷つけるため、全力でやりあうのは特殊な時のみと決まっていた。
 こうすれば万が一の際でも練をすれば致命傷を避けられるし、少ないオーラを効率的に使用する訓練にもなる。ついでに周囲の被害も減るのでいい事尽くめだし、多少骨が折れたり砕けたりはするかもしれないが、頭が潰れなければ死ぬ事はほぼありえない。


「おうし! いつでも来い!」


 ルーは一回り大きい程度にオーラを落としたロプスと向かい合ったまま、お互いに動くタイミングを計りあう。
 暫く睨み合った後でもロプスは隙を見せない。じりじりと時間だけが過ぎていった。

 戦いをスタートさせる権利は弱者側、つまり今回だとルーにあるので、まず行うべき事は如何に不意を突いて彼の視界から消えるか、である。
 今迄の経験上、正面からは突破不可能だと分かっている。必然的に死角からの攻撃を行う以外にない。ロプスは百戦錬磨であり、ルーの作戦など百も承知だろうが、それでもどうにかしなければ勝機はないのである。


「ッ!」


 ルーは刹那の隙を突いて地面に足を踏み下ろし、周囲を砂煙で覆った。お互いに手の内は知り尽くしている仲だ。煙幕は彼と戦う時の常套手段。
 いつものように両足へとオーラを集め、即座にその場から離脱すると、直後に振り下ろされたロプスの拳が轟音を響かせた。いくら力を抑えているとはいえ、生身の肉体でも重機のような馬鹿力を持つ彼だ。直撃を食らえば星になってしまう。
 翻弄すべく全身を覆うオーラを隠で消しつつ、足にオーラを集めながら飛びまわる。常人には絶対に認識できない高速機動なのだが、やはりロプスには通じない。


(なんで意識はこっちに固定なのさ! 円を行っている訳でもないのに!)


 砂埃の動きなどから直観的にルーの位置を補足しているのだろう。野生の獣顔負けの感性を働かせている彼に対し、ルーは内心で盛大に愚痴を吐く。
 この移動法が本領を発揮するのは、木や茂みなどの障害物や足場が多い森の中なのだ。三次元的に空間を生かし、相手が追い切れなくなったのを見計らって死角を突くのがルーのやり方だ。無防備な空中に身を晒すのはリスクが大きすぎるし、平べったい場所ではどうしても限界があった。
 右へ左へ前へ後ろへ。必死に攪乱しているのに、現状ではただ体力とオーラを消費する愚策になってしまう。


「こなくそっ!」


 ロプスが自信満々の笑みを浮かべている事に気づき、無策で突撃……する瞬間に急停止。地面を思い切り蹴りつけて砂埃を立ち上げて目隠しにした。
 顔のすぐ脇を通過していく巨大な拳に、髪の毛が数本巻き込まれて宙を舞う。間一髪だったと冷や汗が背筋を伝うが、今は無視。可能な限り静かに、しかし素早く死角へと移動。隠の状態のまま忍び寄り、無防備に思えるロプスの右脇腹へとパンチを見舞った。


「捕まえたぜ!」


 相手が常人なら上半身ごと吹き飛ばすような気概だったが、ルーは岩のような皮膚の感触から自分の攻撃が届かなかった事を知った。
 トラバサミのような彼の指が硬くルーの拳を拘束しており、それを理解するとほぼ同時に右腕を基点して体を縮めながら跳ね上げ、脱出するために両足で彼の腕を蹴りつける。
 拘束が緩んだ一瞬の隙に腕を引くが、ロプスもタダでは逃がしてくれない。流で両足にオーラを集中させたため、防御の薄くなった右腕がボキリと音を立てて握り潰された。脳内を痛みがノイズとなって走る。今は傷の分析だけに留め、脱出の反動で回転している体を瞬時に立て直し、迫ってくる巨椀を左手で受け流す。


「馬鹿力めー! 人の骨を木の枝みたいに!」


 どうやら人差し指の根元辺りの骨が折れたらしく、上手く力が入らない。相変わらずのパワーだった。
 残像を残しながら乱れ飛ぶ巨大な掌を回避し、熊さえも蹴り殺す大木のような足を避け、死に神の鎌も真っ青なラリアットから体を逸らす。
 最初からは分かってはいた事であるが、こちらの攻撃は当たってもほぼ無効化される事が決定事項で、相手の攻撃は食らうと致命的になる可能性が高い。面白くない展開だった。


「ハッハッハ! 相変わらず素早しっこいな、ルゥは!


 笑いながらパンチを繰り出してくるロプスを睨み付け、腕が伸びきる瞬間を狙って蹴りを入れたが、折れるどこか跳ね返されてしまった。鉄骨を蹴ったような感触に心中で溜息を吐き、やはりというか全く効果が無かった事に軽く苛立つ。
 前の知識からすると、日本軍の悲しき戦車チハたんvsタイガー戦車というところか。無茶もいいところだ。
 ルーの知る限りだと自分は強化系から遠い位置にあるらしく、こういう殴り合いは向いていないらしい。攻撃を加える事自体は難しくないのだが、ダメージを与えるのは厳しかった。


 それからは攻撃を避けながらタイミングを見計らって反撃、という流れが延々と続いたが、戦闘開始から10分が経過したところでガッチリと捕まってしまった。もがいてみても鋼鉄より頑丈な拘束具が緩む気配はなく、ゲームセットだと諦めて堅を中止する。
 これで0勝15敗だ。やったぜ! という風に勝ち誇っているロプスの顔が憎い。ルーは自分の胴体を覆っている馬鹿でかい掌を眺め、ツルペタだとしても乙女の胸まで鷲掴みにする男はモテないぞ、と文句を言って心中を誤魔化した。
 決して彼の溌剌とした笑顔に女の子なハートが反応したとか、そういう事では決してない。


「まさか、ここまで時間を食うとは思わなかったぞ。ヒヤリとされた事も何度かあるし、ルゥも強くなってるな!」


 あれだけの力を見せておいて、終わってみれば真顔で褒めてくるのだから困る。やっと落ち着き始めていた心臓が少しビートを上げた。


「ま、まあ、私だって修行してるからね! ……それと、いい加減に離すように!」


 前の記憶によるとツンデレだのフラグだのという言葉が乱舞しているが、全力で無視する。いつの間にか脳内に乙女回路が作られているようだった。
 やっと地面に足がついたルーは、心のどこかであのまま持ち帰られてもいいかなと思っていた自分がいた事に気づいて頭を振る。
 ルーの男としての記憶が全力で拒否しているし、まだ女の子の日も来ていない。だから今なら生でやり放題……ではなく、結婚を前提に……でもない。混乱中の自分の頭を落ち着かせようと叩いたところ、骨が折れているのを忘れていて猛烈に痛かった。


「……どうした?」


 右手もズキズキと響くが、馬鹿じゃないのか? という視線がまた痛い。混乱の方はどうにかなったのだが、気が緩んでいたので十秒近く悶絶するはめになった。


「な、なんでもないよ! なんでも……」


 うっすらと目に涙を浮かべながら右手を抑え、骨を正しい位置に戻してから大量のオーラで覆う。
 爪を伸ばすのと似た要領で骨の成長を強くイメージし、折れた骨の癒着を促すのだ。1時間もあれば日常生活に問題ない手度にはくっ付くだろう。

 治療の間にロプスと今の手合わせについて問題点を語り合う。基本的に言葉より拳で語り会う仲の二人だが、口に出す事で得られる物も多い。
 まずルーがロプスの改善点であるスピードと細かいオーラの制御について話し、ロプスには 『砂埃を使った煙幕はいいが、やはりルーには攻撃力が不足している』 と指摘されてしまった。
 いくら安全な手合わせといえども事故はあるし、バクチになりすぎる硬で攻撃を行うのは危険だ。模擬選でさえ骨折しているのだから実戦では言うまでもないし、オーラ量の底上げと肉体の強化が急務だろう。


「うし! また、そのうちやろうぜ! ちっとは強くなっとけよ!」


「む……。今度は、こっちが骨の一本ぐらい折れるようになってやりますよ!」


 豪快に笑うロプスを見送り、ルーは気合を入れて森へ向かった。






[14338] 第三話
Name: ブラストマイア◆e1a266bd ID:fa6fbbea
Date: 2009/11/30 20:43

 数日後。骨折を完治させたルーは村から5キロほど離れた、自分専用の訓練場に来ていた。
 太い木の枝に座り込み、絶の状態を維持したまま大きく息を吸って、ゆるやかに吐き出しながら意識を集中させる。

 やがて一匹の虫が木々の向こうから飛んできた。羽音の大きさからするとコガネトゲアブだ。
 鋭い産卵管を利用して獲物の皮膚の下に卵を産みつけるタイプの危険な虫であり、数え切れないほどの病原菌を運んでいるので、刺されれば命に関る。
 ルーはそれを理解していながらもじっと動かず、皮膚に接触する直前まで絶を続け、虫と皮膚との距離が限りなくゼロに近づいた瞬間、一気に全身の精孔を開く。


「練!」


 両手を打ち鳴らすように声に出し、全身から水蒸気爆発を起こしたようにオーラを噴出させる。その圧力で不敬な虫は粉々に吹き飛んだ。
 オーラを周囲に発散するのはカロリーを無駄にしているようで好きではないが、練を続けてオーラを空っぽにしないと最大値は伸びてくれない。オーラを外から取り込めればこんな苦労は必要ないのになあと呻き、空気中に霧散していく自分の生命力を見て勿体無く思う。
 子供の体という事もあってか、延々と大量のオーラを練り続けるのはかなり厳しい。このスタミナ不足も頭が痛い問題だろう。
 体感時間で1時間ほどオーラを吹き出し続けた頃には疲労感を覚え始めており、オーラ切れで倒れる前に次の修行に入る。


「よし、次ー」


 堅の状態を維持したまま両方の指先にオーラを集め、左右に4割ずつ振り分ける。
 その状態で揃えていた指をパッと離し、親指を除いた4本それぞれに1割ずつになっている事を確認。くっ付けたり離したりを繰り返し、オーラの反射神経というべきものを鍛えていく。ノルマである1000回を達成するまでに2分ほどかかった。
 今度は両の人差し指に4割超ずつ集め、中指、薬指、小指、親指、手全体、手首、二の腕、肘、と移動させる流の訓練だ。最初はカタツムリが這うような速度でしか出来なかったのに、今では体を動かしながらでも一瞬で狙った部位に流ができるようになっている。常人には見る事さえ叶わない不思議パワーを自分が使えるというのは快感で、やった分だけ成長を確認できるのがまた楽しい。


「しかし、円ってどうやればいいんだろう……。体からオーラを離すって感覚が、いまいち理解できんなあ」


 ルーは無意識的に犬歯に舌を這わせると、足先に下ろしたオーラの塊をグルグルと移動させながら呟いた。
 村では応用技は秘伝扱いになっているらしく、早くても成人年齢である15歳まで待たなければ教えてもらえない。流や硬、堅や周についてはおぼろげな記憶があったのと、村を襲ってきたハンター達が使っていた事から習得する事ができていたが、円のように感覚的に分かりにくい物はどう鍛えていいのか分からなかった。
 主人公らがやっていた記憶もないし、そうなると原作では訓練法が登場していないのかもしれない。ならばお手上げだ。
 絶や隠は獲物を追いかけている内に自然と覚えていたし、何か切っ掛けさえあれば円だって習得で競うではあるのだが。何にしろ今は出来ない。

 大人しくあと6年間待つべきか、それとも自分なりに訓練してみるか、主人公が使ってないなら必要ないと諦めるか……。ルーは頭を悩ませる。
 覚えたいのに6年も待つのは面倒だし、下手に訓練して取り返しのつかない変な癖をつけてしまったら元も子もない。
 諦めるのは悔しいので嫌……となれば、本来なら15歳以降に受けられる 『成神の試練』 を先に受けてしまうのがいいだろう。これは村から30キロ以上はなれた場所にある祠に連れて行かれ、自分だけを頼りに森の中で1カ月の間生き残るという試練であり、一人前の戦士として認められるための儀式でもある。

 途中で村に戻ってくると失敗扱いであるし、村の外で村人に発見された場合は試練の一環として攻撃を受けるので、森の奥深くで過ごす事が求められる。これを受ける事によって正式に一族の大人として認められ、本来は秘匿されていたはずの応用技だとかを教えてもらえるのだ。
 基礎を怠らないようにという先人の知恵なのかもしれないが、既に基礎ならば早々負けはしない、と思っているルーにはありがた迷惑である。森には厄介な獣も多く存在しているし、一般人には厳しいだろうけれども、24時間ずっと纏を続けられる念能力者ならさして難しい事ではない。それどころかこの試練中は狩りで自由に獲物をとる事が許されているので、無駄にしなければ好きな物を好きなだけ食べられるし、小旅行という気分である。


「うちの村って、けっこう理論的なんだよな……。早くから念の存在を教え、15歳までは延々と基礎をやらせ、それから応用を教えるって」


 昔にテレビで見た、精神論以外は何の意味もないバンジージャンプをする部族とかと比べると、わが村は実に理にかなっている。

 いくら力を欲したとはいえ魔獣と性的な交わりを持つのは凄まじい発想だが、魔獣の血を引き入れなければここまで念能力が一般化する事もなかっただろう。元は村の周囲に生息していた魔獣の技だったようだし、念に対して高い才能を持つ者が圧倒的に多いのはこれが理由だ。
 漫画で見るのと実際に目にするのでは違いすぎて分からないが、村の大人なら原作初期に出てきた念能力者よりは強いはず。少なくとも応用技を知っていて鍛えているし、発を覚えている者が数人がかりで当たれば、ヒソカに殺された分身を作る人だって無傷で倒せるだろうと思っている。

 戦士は念を覚えられなければ選別されるというのも、この森の中では念能力者でもなければ生きていきにくい、という背景を考えると納得できた。
 鋭い産卵管を持ち皮膚の奥に何百も卵を植え付けるハエ、耳や目や肛門といった人体に存在する穴という穴から侵入して血肉を食い荒らすヒル、踏むと猛烈に胞子を飛ばして肺の中から侵略を企むキノコ、万単位の群れを作り常に移動を続ける軍隊アリならぬ軍隊ハチ、などなど危険生物が多いのだ。今も体長2メートルほどの蛇が枝に擬態しつつルーの事を狙っているが、あれに噛まれると体長5メートルオーバーのフォレストタイガーでも数秒で麻痺する。

 ハンター試験に合格したプロハンターとて、うかつに足を踏み入れれば命の保証はない。この森は猛烈に死が近い場所なのだ。
 その証拠にルーの散歩コースにはよく人骨が転がっているし、新鮮なうちはいいものの、たまに骨に残った肉が腐敗して猛烈な臭いを発しているグロテスクな物体も見かける。ウジで表面が真っ白になっている姿は本気で気色悪いから嫌いだった。

 何よりの問題は、そういうのは懐を漁っても硬貨しか得られない事。
 腐汁のついたお札はほぼ間違いなく使用不能なため、泣く泣く破棄していた。


「とりあえず、ハンターの人の肉が無くなるまでは村にいよう……。あ、この蛇美味いわ」


 念で防御していれば蛇ごときの牙は通らない。猛毒を持つ蛇だったが、数秒後には食材へと姿を変えていた。
 無造作に手を伸ばしたルーは捕獲した蛇の頭を素早く切り落とし、軽く切れ目を入れてから引き摺り下ろすようにして一気に皮を剥いたのだ。ヘビ肉の味はさほどではないが、食べるまでに手間が殆どかからないところが良い。近場にある川で洗って口に運ぶと、なかなか美味であった。骨は取っていないが、念で自分の歯を強化すればコリコリと歯ごたえを感じる程度でしかない。

 おやつも食べて満足したので、今日はこの辺で村に戻る。






 ウィールグに帰ってきたルーは特に当ても無く、たまにすれ違う知り合いと軽く挨拶を交わしながら歩いていた。

 今ルーが考えているのは、自分の体の事だ。

 鍛えれば普通の人間だって何十トンと動かせるようになるのがハンターハンターの世界である。原作で描かれているシビアな世界観を反映してか、肉体においても念においても才能の有無は極めて顕著な物になっていた。
 その経験に基づけば、才能の無い人間は努力しても無駄である。普通の人間が1年かけて学ぶ事だとしても天才なら1ヶ月で終わらせるし、主人公になれるクラスの才があれば1週間かからない。武術に人生を捧げた老人がレベル100まで己を磨いたとしても、たった1年で200まで成長できる化け物も居る。
 その辺りは現実よりも差が顕著なだけにより厳しい。原作でもハンター試験に合格したのは子供ばかりで、大人が殆ど居なかった事もこれに由来する。


「姿形を自由に変えられたら、ライセンス取り放題だよな……って、ん?」


 相変わらず犬歯を舐める癖を行っていたルーは、上顎に何か違和感を覚えて首を傾げた。
 何かの変異かもしれない。舌の上を水の粒が走っていったと言うか、唾液が沸くはずのない場所から水が出てきたように感じたのだ。
 壁に掛けてある鏡の前に立って唇を持ち上げ、牙をむき出してみる。見た目的には変わったように思えないのに、何だろうか。


「うわ、何だこれ……。毒か?」


 犬歯の上あたりに力を込めると、両の牙からポタポタと水が落ちるのが見えた。
 何かの冗談だろうと口中に沸いた唾を残らず飲み下し、改めてもう一度試してみたが、やはり浸水は止まらない。指で拭ってみると軽い粘り気があった。


「いやいや、まさか、ねえ……。強烈な麻痺毒を持った魔獣や獣って多く居るけど、発現しちゃったのか……?」


 まさか自分の牙から分泌された毒で死なないよね、と多大な不安を感じながら家を飛び出し、こういった現象に詳しいはずの医療系担当者の家へと向かった。
 ノックもそこそこに中に飛び込み、額から角を生やした青年と向かい合う。


「おや、ルーが慌てているなんて、珍しいね。どうしたんだい?」


「ユーニさん! それが……歯から、毒のような物が出るようになりまして」


 落ち着いた態度の彼はユーニコ・モノーケスという名前で、他者の怪我を治す念能力を持っているために村一番の名医と評判だ。
 白衣姿が村で一番似合っている青年で、医者だけに頭も良く、念能力を過信せず医学書などから知識を吸収する事を厭わない性格をしているため、念を使わない分野についても町医者顔負けの知識がある。
 病気や怪我の時には村の誰よりも非常に頼りになるお医者様なのだけれども、額から伸びている角はかなり鋭い上に10センチ近くあり、たまに患者をよく見ようとし過ぎて角を刺してしまうのが珠に瑕だった。


「毒だって……? その症状が現れたのは、何時の話だい?」


「ついさっきですから、10分も経ってないと思います」


 普通の病院ならば精神科に案内されるような内容であるが、この村では背中から羽が生えてきたとか、指が二股になり始めたとか、頭から尻尾が生えてきた、などと世界でも珍しい症状を訴える患者の巣窟である。本職の医者でも慌てふためくような事態を前にしても、彼には少しも同様は見られなかった。
 彼はルーを落ち着かせながら椅子へと誘い、煮沸消毒を行ったゴム製の手袋を嵌め、歯科のようにじっくりとルーの歯を観察する。

「なるほど、たしかに歯の先端から出ているようだね……。成長してから毒をもつ魔獣といえば、この付近だとヘビと人の特徴が混ざったマン・パイソンだから、その辺りの影響かな?」


「……うぇ、あれですか」


 ルーは彼の手が引っ込んだのを確認してから、口を閉じて大きく顔を顰めた。

 マン・パイソンは極めて狡猾な性格をしている魔獣の一種で、石を削って作った槍や弓矢などを使う他、枝や草で偽装した落とし穴などのトラップを作れるまでに知能が高い魔獣だ。多少鍛えただけの人間では到底及ばないほどの力を持つ、天然のハンター。
 体は人間に近く2本の腕と足を持っているが、その一方でヘビとしての特長も色濃く持っている。頭を含めて全身は鈍く光を反射する鱗に覆われているし、間接の稼動領域も信じられないぐらいに広いため、人間では骨を砕かない限り入れないような狭い場所にまで進入する事まで可能。人間としての視界だけでなくサーモグラフィーのように熱も感知できるらしく、暗闇は彼らの縄張りだ。

 成体になるまでは特定の住処を持たず、5~8体ほどの群れを作って森の中を移動しながら生活している。毒牙はあるが生まれてから数年は毒を持たない。
 その理由として子供の体では自らの持つ強力な毒に耐えられないからだと言われており、筋肉毒、出血毒、神経毒、など複数の毒を使い分け、そのどれもが猛毒だ。彼らの持つ槍や鏃にも毒が塗られている事が殆どで、肉も食べるが仕留めた相手の血を啜る事を最も好む、極めて危険な魔獣である。

 かつて纏を覚えて調子に乗っていたルーを集団で追い回した魔獣でもあり、ルーは未だに彼らの事を嫌っていた。


「見ただけじゃあ判別のしようがないな……。サンプルが欲しいから、この容器の中に出してもらえるかい?」


「あ、はい……」


 自分の皮膚が鱗まみれになる悪夢に頭を抱えていたルーは、彼の言葉で我に返った。手渡された2本の試験管を牙に当てる。
 毒らしき物は出そうと思えばかなりの勢いで出せるようで、ガラスの壁を絶え間なく流れる川は緩やかに試験管を満たしていく。ほどなくして2センチほどの水位に達し、ユーニにそれぐらいで十分だと言われた後も、毒の方はまだまだ搾り出せそうだった。
 牙の付け根にあるだろう毒袋の容量はかなり大きいのかもしれない。食事の際には毒を周囲に振りまかないように注意しよう、と心中で決意する。


「よし。じゃあ僕はこれを調べておくから、明日か明後日になったら来てよ」


 ユーニは試験管を受け取るや否や目を輝かせ、怪しい器具を満載した個室に引っ込んでしまった。
 彼は研究者肌な部分があるので、未知の毒とくれば食指が動いたのだろう。さっそく研究を開始しているようで、部屋の中からはガチャガチャとガラス製品がぶつかる音が聞こえてくる。
 相変わらずだなあと額を押さえたルーは、自分がまた牙を舐めている事に気付いて苦笑した。
 ドアから漏れる強烈な薬品の臭いも嫌になってきたし、記憶によると自分の舌を噛んで死んだ毒蛇も居るという都市伝説を聞いたことがある。そんなものを証明するために命をかける気には全くならなかったため、今日は大人しくしておこうと決める。




 結論から言えば、ルーはやり遂げた笑顔を振りまく青年に 『幾らでも舌を噛んで大丈夫! もう耐性が出来ているみたいだね』 と太鼓判を貰った。

 ただそれにたどり着くまでには山あり谷あり、もっとサンプルを寄越せとか血を調べたいから腕を出せとかに始まり、内臓を見たいからちょっと切り開いていいかい? 大丈夫、ちゃんと戻すから……。なんて台詞まで吐かれる有様である。
 当然拒否すると同時に突っ込みを入れておいたルーだったが、角のある青年の顔はかなり本気だった。生まれが違っていたらマッドサイエンティストになっていたのかもしれない。村で医者をやっているより、そっちのほうが似合っているとルーは思う。

 そのマッドな彼曰く、毒を出せるようになったのは肉体が成熟したからで、近いうちに生理も来るだろう、という聞きたくない話も教えられた。
 生理が来れば妊娠できると判明するので許婚が決定する時期でもある。この村では結婚相手を親が決める事が多いし、誰かから求婚されるにしても基本的に女性側は受け身だ。肉体が成長すれば自ずとオーラ量も増えてくれるのだが、あまり嬉しくはない。

 変に知識があるせいで生理とは嫌な物だという認識が強かったし、妊娠する事にはまだ恐怖がある。
 今はトイレなどの時ぐらいしか性別を意識するような機会はないものの、二次的成長が始まれば嫌でも意識する場面が多々出てくるだろう。そうなれば落ち着いていた人格にも齟齬が出るかもしれず、ルーは女の子には慣れていても女性には慣れていないので、お嫁さんになると思うと落ち着かないのだ。
 異性を意識するとあの単純でガサツで強引な男が浮かんでしまうのが気に入らなかったし、まだ“異性”とそういう行為に及ぶ気にはなれなかった。


「って、私はなにを……。記憶によると、乙女回路? なんか嫌だなあ……」


 まさかそんな筈は無いと断じるものの、無意識のうちに頬が赤らんでしまうが憎らしい。これが体は正直という奴だろうか。
 ルーからすればロプスみたいなガサツで暑苦しくて体を鍛える事しか頭に無い鈍感男は門前払いにして然るべきだったが、村には彼より強い男も居ない事だし、念や体術については確かに優れている。ルーだって女子グループの中では最強ではないかと言われており、ユーニ辺りならお似合いの二人だなんて言いそうだった。

 ロプスがもう少し乙女心というものを理解し、花束の一つと真摯なプロポーズがあれば、まあ、付き合ってやるくらいは、考えないでもないのだが……。


「うわああ! やめやめ! 何を考えているんだ、私はっ!」


 頬どころか顔を真っ赤にしたルーはブンブンと首を振る。元の肌が白過ぎるため、トマトのごとく真っ赤になってしまった。
 肩を超えるまでに伸びている髪がバサバサと目や口に侵入を試み、それでも自分の想像が恥ずかしすぎて首が止まらない。オーラ量を増やすための訓練中だというのに堅が解けそうになった。全身から噴出しているオーラは乱れた精神状態を象徴するごとく、湯気のように空気中へと溶けていく。

 普段から大人ぶっているルーではあるが、普段から目を背けている部分を自覚してしまうと弱い。特に自認したくない性的な部分を攻められるともう駄目だ。途端にクールぶっては居られなくなり、ただの女の子になってしまう。
 ユーニにはこのギャップが面白いだの可愛いだのと言われていたが、ルーからすれば萌えキャラになる気なんて欠片も無い。どうにか耐性をつけようと頑張っているルーではあるものの、結果はご覧の有様である。
 自分の妄想に身悶えしながら追い詰められ、終いには枝からまっ逆さまに落っこちた。





[14338] 第四話
Name: ブラストマイア◆e1a266bd ID:fa6fbbea
Date: 2009/12/01 20:46

 それから数ヵ月後。
 ルーは一般よりも数年も早く早期に儀式を受ける事を申し出たが、周囲も彼女の実力を知っていたので止められる事は無かった。
 本来の時期とズレてしまっているので単独での儀式になるし、季節も冬の終わりとやや厳しい条件。通常は春にその歳15歳になる子供を集めて一斉にスタートするため、ルーの場合はかなり難易度が上昇していると思っていいだろうが、元より念さえ覚えていればさして難しくないのだ。心配する声はほぼ皆無である。

 周囲には高さ数十メートルに及ぶ巨木が乱立しており、昼間だというのに光さえ届かない。日焼けを嫌うルーにはいい環境だった。
 祭壇と呼ばれているのは巨大な岩である。苔に覆われているそれはどこからどう見てもただの岩だが、上方部が平行に削られていてベッドのようになっていた。
 どことなく不気味な雰囲気を感じるのは、過去に「花嫁」と呼ばれる役割の女性が魔獣に犯されるためにここに放置され、その大半が巨大すぎるペニスに突き殺されたり、精根尽き果てた後に食い殺されたりしたりしていたためだろう。数十年前に発生した流行病による影響から人口が減り、その煽りを受けて最近ではめっきり行われていないようだが、この岩は果たしてどれほどの量の血を吸ったのか。全体が僅かに赤みを帯びているように思う。


「村を出る時、長老が何かと心配してたが……まあ、ルゥは長老のお気に入りだからな。顔も可愛いし、怪我しないように気をつけろよ!」


 わざわざこんな場所まで見送りに来てくれたロプスに対し、ルーは照れ隠しを含めた苦笑いを返した。
 この試練を受ける者が戦士に送り出されるのは通例だが、道中で格式ばった祈祷や手順がある面倒な役だ。ロプスはわざわざそれに志願し、普段は使わない頭を総動員してまで儀式の手法を覚えてくれた。


「……ちょっと前に怪我をさせた本人が、何を言うか。……ふん、でも、ありがとうとは言っておくわよ。ちょっと行ってくるわ」


 というのも彼との模擬線にて顔面に蹴りを入れる代わりに手痛いカウンターを食らってしまい、ちょっとした怪我をしたのだ。
 ユーニコの技術と治癒能力でも内臓までも即座に完璧にするのは不可能で、そのため体調が万全になるまで儀式が遅れてしまった事を気にしたらしい。本人はライバルなのだから見送ってやりたいなどと言っていたものの、そのお陰でロプスはともかくルーは何となく気まずい雰囲気を感じてしまい、余計な心労を味わう事になってしまった。

 今も赤くなっている頬を隠すのに忙しく、本来は厳粛とした表情で聞くべき呪文を完全に聞き逃してしまっている。
 ぶっきらぼうな言い方であっても、お礼を言うのも大変だった。


「ああ、ルゥ!」


 足早に森の奥へと逃げようとしたルーは、何故か珍しく強張っているロプスの声に足を止めた。
 周囲からは危険な獣やハンターの気配はしないのだが、この男が緊張するとなればかなりの異常事態だ。


「あー、その、な……。お、俺の許嫁は、お前になったからな! だ、だから、無事に儀式を終えて……。絶対に帰ってこいよ! 待ってるからな!」


 極めて単純な頭の構造をしていて常に大声ではっきりと物を言うロプスが、こんなにも躊躇いを見せるのを、ルーは初めて聞いた。
 そんな彼が何度も言葉を切りながら口に出したのは、何処からどう聞いてもプロポーズだ。ルーはあまりに突然だったので彼の顔をまじまじと見てしまい、無骨な顔に浮かぶ似合わない照れ笑いを知覚して、瞬間湯沸かし器のように湯気を吐いた。


「え? あ、ちょ、ちょっと!」


 場の沈黙に耐えられなくなったのか、ロプスは木をなぎ倒しながらも恐ろしい速度で走り去っていく。
 その大きな背中を見るだけでも、よほど空気の読めない奴でなければ照れている事が分かるぐらい純朴な反応。ルーは試験一日目にして最大の危機を迎えていた。頭が沸騰しそうなほど混乱しており、茹でダコも真っ青に見えるほど肌が赤い。思わず頬に手をあてたルーはその熱さに自分で驚いてしまい、ロプスと同じように障害物のことごとくを抉りながら走りだす。


「もう! ロプスのアホー! こんな時に言わないでよ! あー! 恥ずかしいし恥ずかしい恥ずかしい……!


 ここでほぼ同じ反応を返すあたり、二人は根本的な部分で似ているのだろう。
 ユーニが見ていれば「グッジョブ!」と渾身のガッツポーズをされそうなほどのパニックに陥り、ルーは30キロ先にある崖から落ちるまで走り続けた。


 40メートル近い距離を落下した揚句に冷水に突っ込み、ひとしき流された後でやっと正気に戻ったルーは、濡れた洋服を岩に打ち付けて乾かしながら文句を言う。
 たしかに試験の間はお互いに顔を合わせられないから、冷静になって考える時間があるにはある。村で顔を会わせてしまい、気まずい雰囲気を味合わないためにはいいかもしれない。だからといって、神聖な儀式を邪魔するようなこのタイミングで言わなくとも良いのではないか。お蔭で一日目からスカイダイビングとスキューバダイビングの両方を経験するはめになってしまい、この日のためにフォレストウルフの毛皮を縫い合わせて作った服はビショビショだ。

 それに告白をするなら雰囲気は何より大切だし、気を利かせてプレゼントの一つでも持って来るべきだとルーは思っている。気取った言葉で愛を囁くなんて真似はロプスには無理だろうから仕方がないけれども、もう少しロマンチックにというか、そんな状態でも心臓が破裂しそうになった自分が情けないというか。


「うわぁぁぁ! 静まれ私の血潮! ドキドキしなくていいの! 相手はロプスなんだし……! あぁぁぁ、もう! また恥ずかしくなってきた!」


 濡れた下着が皮膚に張り付いて気持ちが悪いのに、妙に意識してしまって脱げないのだ。
 上はまだしもパンツの方に至っては、先ほどから手をかけてはロプスの姿を蔵してしまい頭をぶんぶんと振り回し、落ち着いて脱ごうとしてはまた緊張して……というループである。周囲10キロに人間はいないだろうと頭では理解していても、なんというか感情の整理がつかなかった。
 まだ10歳のルーがそんな事を考えるのは早いだとか、下の毛すら生えていないツルペタなんだから初潮が来るのはまだ先だろうとか、でも最近胸がほんの少しだけ膨らんだような気がするだとか、だとするとロプスに押し倒される日はそう遠くないんじゃないかとか、三つ指ついて美味しく頂かれるべきかなとか、初めては痛いって聞くけど漫画の中だし気持ちいいかもしれないとか、ロプスの事は嫌いじゃないけどもう少しプラトニックな関係で居たいとか、もういっそ殺してくれと言わんばかりに恥ずかしい想像が脳裏を全力疾走しているのである。

 そりゃあ訓練の後の汗の香りに頬を赤らめた経験はある。全身から発されている男のオーラに惹かれた事もある。ギリシア彫刻も真っ青の肉体美に頬擦りしたくなったという絶対の秘密だって抱えている。しかしルーはまだ10歳であり、いかに前世の知識があって大人びているとはいえ、重ねて言うが10歳なのだ。殿方と伽を行うのはちょっとばかり早いんじゃないかな、キチガイピエロじゃないけど青い果実は熟してから食べるべき、だからもう少し待つべきだよ、なんて思うのは決して間違いではないだろう。誰だってそうする。私だってそうする。

 決してロリはアナルが正義だとかいう妄言を実行される気はないし、他人ならまだしも自分がそんな異常性癖を抱えるのは絶対に嫌だった。だって病みつきになったらどうしてくれる。責任を取られてしまっても困るから口には出さないものの、なんというか、その、とにかく恥ずかしいのだ。この止まらない妄想だって死ぬほど恥ずかしい。湧き出る根源に大岩を突っ込んでロープでグルグル巻きにしてやりたいのだが、生憎とその程度では止まってくれそうになかった。


「むぅぅぅ! ロプスの馬鹿! 私はクールキャラなんだ! こんな萌えキャラじゃないんだよ!」


 第一話でハンターの男を翻弄した私のカリスマがだだ漏れ状態! 特質系って個人主義とかカリスマ持ちとかだよね! 決してお馬鹿キャラじゃないよね! と受信してはいけない電波から得た情報を垂れ流し、ついでに容姿からイメージされるであろう一種隔絶した雰囲気までもぶち壊しながら、ルーは延々と身悶えする。

 メラニンがほぼ存在していないルーの肌は降り注ぐ太陽光に焼かれて不味い事になっているし、かつてないほどのペースでオーラが全身から迸っているので、このまま放置すると肉食獣の巣窟の中で燃料切れを起こしてぶっ倒れる事になるのだが、そんな些細な事は今のルーの耳には入らない。もう地球育ちの某野菜人がスーパーを通り越してハイパーになってしまうのでは、という程の量を全身から噴き出し続け、倒れる直前に冷静に戻って一人凹む。


 ……という感じに波乱万丈で始まった試験は、初日こそパンツ一丁で命を迸らせる幼女というシュールな図が展開されたものの、それ以降は概ね問題なく進んだ。
 全身を焼く鬱陶しい光が届きにくい森の中を探索し、発見した洞窟を自分の住処と決めたのだ。そこにはルーが来るまでは家主であった体長3メートルほどのグリズリーが寝ており、生命と家の権利書を奪われまいと襲いかかってきたが、今は干し肉として洞窟の奥にぶら下がっている。味はまあまあ。

 ルーは拠点を発見してから数日の間はずっとそこで過ごし、疲労の回復と日焼けの治療に勤しむ事にしていた。
 体力が低下したまま動き回るのは良くない。いくら念能力者が高い生命力を持っているとはいえ、無茶をやれば反動が来るし、体にも悪い。幸いにも食事には困らなかったので、剥ぎ取った毛皮に包まって眠ってばかりいた。
 その夢の中にまでロプスが出てきたのは辟易したが、今のところはどうにか自制することに成功している。
 ダイナマイトのようなパワーを持つ念能力者が不用意に暴れると、洞窟などでは天井が落ちてきて生き埋めになる可能性があるのだ。このところあの男の事ばかり考えている自分を自覚し、苛立ちを発散すべくトレーニングに励む。


「しかし、なんで私みたいな子供がこんな大きい岩を担いだまま普通に歩けるんだろう……。やっぱこの世界、どこかおかしいよねぇ……」


 今のように300キロはありそうな岩を担いだままスクワットをしたり、それを背中に乗せたまま腕立て伏をしたり、ともかく負荷をかけての訓練を繰り返す。
 ともかく時間がある限り体を虐めるというスポーツ医学も真っ青な行動ではあるが、どこぞの格闘漫画に出てくる薬物に頼りまくっていた噛み付きファイターのごとく、鍛えれば鍛えただけ強くなるのがこの世界だ。そもそも現代日本における何の役に立つのか分からない勉強と、疲れるけど楽しい遊び(運動)なら後者のほうが好きだったし、1時間勉強するのと1時間体を鍛えるのでは跳ね返ってくる満足感が違う。今では筋肉痛に快感を覚えるようになってしまっていた。


「うーん、岩が上手く背中に乗らない……。1ヶ月は何しようと自由だし、30キロぐらいあるリストバンドと200キロぐらいある服でも探そうかな……」


 原作では主人公らが大きい門を開けるために、とんでもなく重い服を着て訓練していた事を思い出した。あのように常に着ていられる重りさえあればそれはもう捗るだろうが、それがどこにあったのかは覚えていない。ゾなんとか家だったか?
 ここがハンターハンターの世界だとは覚えていても、最後に単行本や二次創作を読んだのはもう10年以上も前の事だ。一応メモは取ってあったので原作の大まかな流れは知っていたが、これは忘れないだろう、と油断していて忘れてしまった記憶も多い。
 原作に関わらなければいけないとも思っていなかったし、念についての興味が先行していて、昔はそっちを思い出すのに精一杯だったのだ。

 流れとしてはまずハンター試験でマラソンして、お寿司を作って、塔を攻略して、島で戦って、受かって、ゾなんとか家に行って、天空闘技場で念を覚え、ヨークシンシティで9月1日に開催されるオークションに参加し、グリードランドだったかのゲームに参加して、ゲームマスターだとか爆弾魔だかと戦うなど何だかんだあってクリアし、キメラアントと戦っている最中に休載地獄に陥った事は覚えている。
 原作に絡む気はあまり無いが、いつキメラアントが大発生するのかは知りたかった。王やその取り巻きクラスが来る可能性は限りなく低いと思っているものの、比較的弱い方の蟻だって十二分に強いだろう。作中でもかなりの使い手である盗賊団だって怪我をしていたし、村が襲われれば不味い事になりそうである。

 自他共に認めるハンターハンターヲタクな友人がこの世界に来ていれば、いろいろと有用な情報を……例えば大多数の人間によって考察された蟻の弱点とか……を得られそうだが、生憎と名前ぐらいしか思い出せなかった。
 なぜ名前だけ覚えているかといえば、今の自分の名前とそいつの苗字を組み合わせると、日本でそれなりに有名だった芸人の名前になるのだ。非常に下らない理由だが、忘れられないのだから仕方が無い。


「そうだ、ロプスと一緒にハンター試験でも受けてみようかな? ハンターサイトなら、他に転生者がいないか調べられそうだし」


 そういえば死ぬ直前、友人の中でも特に仲の良かったそいつと一緒に国内旅行をしていたんだったよなあ、と思い出す。
 移動は二人とも中古で買ったバイクだったはずで、どこか海沿いの道路を一緒に走らせていたら、急なカーブを曲がりきれなかったのか異常な挙動をした大型トラックに進路を塞がれ、全力でブレーキを踏むも巨大なコンテナが自分に向けて倒れこんできて……というのが最後の記憶だ。
 ハッキリした自我が無かった頃は単なる悪夢だと思っており、真に遺憾ながら、お漏らしして泣き喚いた思い出があった。非常に恥ずかしい記憶ではあるが、赤子の頃から自意識があればオムツプレイとか授乳プレイという最悪なイベントが延々続くので、それよりはマシだと自分を慰める。


 そして儀式の終了も後2日と迫った時、雨粒を感じて空を見上げたルーの目に、遠くから上がるどす黒い煙が飛び込んできた。






 まるで純朴すぎる男女がやるような痴態を披露してしまったロプスは、土壇場で躊躇うという自分らしくない行動をしてしまった事に苛立ちのようなものを感じ、その大きな手で頭をガリガリと掻いた。

 自分がルゥを気に入っているのは事実である。普段は性別を感じさせない、それこそ中性的な男だと言われれば納得できるような行動をする事もあるくせに、たまにゾッとするほど色っぽい表情を見せるあの少女は、自分の力に絶対な自信を持つロプスが唯一認めているといってもいい存在だ。
 あんなに小さいのにロプスを除いた村の誰よりも力をつけていたし、オーラ量についても同年代の少年少女と比べると多過ぎるほど。ロプスは今のところルゥとの模擬選では勝利を死守し続けているものの、成長期に入って急激な伸びを見せている彼女に敗北を喫する日は消して遠くはないだろうと思っていた。
 多数の場数を踏んだ彼であるからこそ、必勝の難しさを知っている。あそこまで精密なオーラのコントロールを行えるのは才能の証であろうし、僅か10歳にして応用技をほぼ完璧にマスターしているだなんて冗談だとしか思えない。自分でさえ堅や凝に気づいたのは13歳の時であったし、曲がりなりにも熟練するまでには数ヶ月もかかったのだから。

 しかしそれでも、今なら……今ならまだ、自分の方が強い。

 それに、ルゥが聞いたら怒るかも知れないが……。好きな女の子を守るのは、男の役目だろう?

 ルゥには自分の子を育んでもらうという大事な使命があるのだし、できることなら傷ついて欲しくなかった。その為に模擬線でわざと大怪我をさせたのは愚かしい矛盾かもしれないが、後で何と言われてもいいから、ロプスは初恋の少女を守りたかったのだ。
 この無茶を通すために必死で修行を重ね、血反吐にまみれながらも戦士長の座に着いた。今はまだ若さゆえに補佐という立ち位置ではあるが、それでも儀式の時期をずらすという位の無茶は通す事は出来た。それだけ出来れば十分だった。

 だから、ルゥはこの戦いに参加できない。元より子を育てるべき女性は待機というのが基本方針であり、ならばひとり遠く離れた場所に居る彼女が発見される可能性も低いと思われたため、この村に暴力の嵐が来て血の雨が降ろうとも、ルゥが危険に晒される事は無いのだ。
 儀式の日に送り出してからずっと、強引に戦いから遠ざけてしまった事を気に病んでいたロプスだったが、ついに覚悟を決めた。


「近くに、悪魔のような力を秘めたハンターどもがやってくる。恐らく、今の我らでは対処しきれないだろう……。
 ロプスよ、本当に良かったのか? この事実を隠したとすれば、あの娘はお前を恨むだろう。一人生き延びるよりも、正面から闘って死を望む、勇敢な娘だから」


 長老の言葉には攻めるような声色は無い。ただ新しい戦士長が迷わぬよう、確かめるような響きがあった。
 その言葉を聞いたロプスは即座に首を横に振る。彼の眼には燃え盛るような固い決意が見えた。


「もう決めた事だ……。なにより、惚れた女一人守れずして、何が戦士か。俺はこの村が好きだ。絶対に守ってみせる」


 彼の眼前に座る老人の念能力は未来における大きな事件を予言する物。その的中率は決して100%ではないが、大きな事件であるほど外れる事も無い。
 良くても村は滅茶苦茶になるだろう。悪くすれば戦士たちは皆殺しにされるのだろう。村を捨てて逃げ出すのが一番賢い方法なのだろう。

 だが、既に予言の内容は村全体に行き渡っているというのに、この村を捨てて逃げようだなんて考えの持ち主は一人たりとも居なかった。
 この村は全員にとって特別な場所だ。今を生きるためにここを出て行ったとして、これからもずっと逃げ続けるわけにはいかない。ここは揺り籠であり、同時に墓場でもある。ここ以外に帰るべき所など無いのだから。

 我等はここで生まれ、森で生き、ここで死ぬ。

 既に女子供や老人など戦闘力に劣る村人たちは、全て村の中央にある食料保存用の地下倉庫へと避難が完了していた。
 この日のために村人全員が優に2週間は過ごせるだけの食料を貯蓄しており、周囲を戦士が囲んで防戦する手筈だ。20人以上の熟練した能力者によって守られており、よほどの使い手でなければ突破は不可能と思われた。


「……長ッ! グロッチの奴が斥候から戻ってきません……! 恐らくは」


 警戒に当たっているグループのリーダーが飛び込んできた。ドアが壁に叩きつけられて轟音を立てるが、ここにそれを攻める者は居ない。
 これ以上の被害を避けるべく斥候たちを呼び戻すように命令が飛び、男たちは慌しく動き始める。

 一気に騒がしさを増した部屋の中、ロプスは戦いの時が始まった事を知った。



[14338] 第五話
Name: ブラストマイア◆e1a266bd ID:fa6fbbea
Date: 2009/12/04 03:25


 暗い森の中。この奥に居るだろう“化け物”の“駆除”を依頼された一行は、愚かにも村から離れていた男を仕留めた。
 事前の情報通り念能力は覚えているようだったが、そのレベルはさほど高くない。このハンターハンターの世界に稀有な才能を持った存在として生れ落ち、狩り人として合法的に殺人を犯しながら念能力を鍛えた3人にとっては、この程度ならば容易い相手であった。
 リーダーであるヨコヤマは己の右の頬にある傷を撫でると、邪悪な笑みを浮かべたまま死体へと近寄り、迷彩柄の服から刃渡り20センチはあろうかというコンバットナイフを取り出した。他人を傷つける事をまるで気にせず、猛禽類のように発達している死体の左腕を根元から切り落とす。
 滝のように血を流すそれを掲げて鼻を鳴らし、汚らわしいとばかりに残った死体を蹴り飛ばすと、後ろに控えているサポートメンバー……彼らの間での呼び方は「奴隷」……へと無造作に放り投げた。


「アナ! 保管しとけよ! 落としやがったら、ただじゃおかねえからな!」


 アナと呼ばれた少女は胸に飛び込んできた肉の塊に打たれて息を詰まらせ、ひっくり返って高等部を強打したが、それでも落とすまいと必死に抱きとめる。
 まだ幼さの残る血飛沫がつき、少女は上げそうになった悲鳴をかみ殺した。不用意に叫んだりすると、彼女を虐める事を愉悦としているサクジョーの注意を引くからだ。まだ暖かいそれに震えながらもアナは後ろへ引っ込んでいき、その無様な姿を見たヨコヤマ達は揃って蔑みの視線を送った。


「ハッ! いつ見ても鈍い奴だ。役立たずめ」
「違いねえ! なんたってアナだからな。ただの穴ぼこだ」
「おいおい、その穴ぼこを一番利用しているお前が言うなよ、サクジョー」


 幸先よく獲物をゲットして上機嫌な彼らはゲラゲラと笑い声を上げながら嘲笑し、重い荷物を背負わされて転びそうになっている奴隷一号へと蹴りを入れた。
 たまらず膝を落としたそれを罵倒し、更に蹴りつけ、無理やりに立たせて歩かせる。まったくもっていつも通りの行動である。
 奴隷たちはある程度の頑丈さを求められ、纏だけは強引に覚えさせられているものの、鍛えていないので常人とほぼ変わらない。これは万が一にも反抗できないようにする措置であると同時に、頑丈さを上げて奴隷としての利便性を高めるためであり、暴力を好む彼らにとっては優秀な玩具だった。


 3人はまだ20歳にも満たない若者だったが、そこらに居るマフィアなど歯牙にもかけないほど強烈な悪意を身に秘めた人間であった。
 前世の時点でも万引きによって潰した店の数を仲間で自慢しあうような性質の悪さであり、この世界に生まれ変わって絶大な暴力を手に入れてからは水を得た魚のように悪意を振り着続けている。何かの偶然なのかとある孤児院で揃って覚醒した彼らは、持ち前の狡賢さを発揮してたちまちの内にヒエラルキーのトップへとのし上ると、施設内でも集団で暴行や恐喝といった犯罪に手を染め、ある程度の力をつけ脱走してからは強盗も殺人も何でもやった。

 念を覚えていた彼らは向かうところ敵なしであり、地元に巣食っていたマフィアの一員となってからは、利益がいいからと薬物の販売にまで手を出した。その手口は幼い子供を薬漬けにしてバイヤーに仕立て上げ、警察が嗅ぎ付ければ簡単に生贄として差し出すという悪質極まりない手法であった。
 治安を守るべき彼らのトップはコミュニティーと散々に癒着しており、捕まえた子供こそが真犯人であるかのように重罪人にされ、時にはその父親や母親もいいスケープゴートとして活用された。

 その内に使われる立場というものに嫌気がさした3人は、武器である念を最大限に生かしながらハンターライセンスを取得。金のためなら何でもやるハンターとして動き出し、無意識にしろ意図的にしろ悲劇を振りまきながら各地を放浪している。
 またライセンスを生かして会社も設立し、事業は貿易行と名乗っておきながら、その実は麻薬取引と人身売買であった。今彼らの後ろに居る奴隷もそうやって手に入れたものであり、特にサクジョーのお気に入りであるアナなどは、真面目な会社員であった父親を薬とギャンブルに溺れさせて強引に手に入れたのである。
 頻繁に強姦されているために体中にアザがある彼女は、持ち主であるサクジョーの暇潰しという理由だけで体を売らされる事も度々あった。


「にしても、人体収集家って奴の気が知れねえな。こんなゲテモノのどこがいいんだか」


 10歳前後の未熟な少女を最も好むシンジは、殺るにしても犯るにしてもメスガキがいい、と茶化しながら笑う。
 奴隷の中には彼専用の女も多数存在し、ほぼ使い捨てのように扱われていた。

 やがて先ほどの男を拷問して得た情報によって“狩場”が近づいてきた事を知り、後ろに居る一人に持たせていた組み立て式の発射台を奪い取ると、猛毒のガスや高性能爆薬が詰まった弾をごろごろと並べる。どれも強力な物で、一部の国では条約によって使用が禁止されている物までもが含まれていた。
 
 念能力者とはいえ人間なので、どれほどのオーラを纏っていても炎や毒や電気などへの耐性は上がらない。ゴム鉄砲と対戦車ライフル、同じ量の念を込めるのならどちらが強くなるかは一目瞭然だろう。元来強力な破壊力を持つそれらは、遠距離から敵を一方的にいたぶるには最高だ。
 シンジは放出系の能力者であり、その能力 『姿無き爆撃機(リトルボーイ)』 は念を込めた弾の威力や効力を強化するほか多少の誘導性を持ち、最初の一発は炸裂した場所で自動的に円を展開、その内部にガスを留め拡散を防ぐ作用もあるため、生物に対しては非常に効果的だった。

 組み上げられた発射台に、彼自ら調合した毒を封入してある砲弾を装填し、ボシュッという短い発射音を残して飛んでいったそれを期待を込めて見送る。
 やがて遠くで破裂音が引き、毒ガスで苦しむ村人の苦しみ感じ取ったのか、シンジの顔に悪魔じみた表情が浮かんだ。




 夜空を切り裂いて飛来した一発の砲弾によって、村は地獄と化していた。
 空気よりやや重い毒ガスは白い闇となって村を覆い、まず換気口を通じて戦闘力のない者たちが隠れている地下に充満したのだ。
 多くの母が子を守ろうと必死で抱きかかえたが、ガスによって異常な痙攣を繰り返す両腕は、彼女が守ろうとした赤子をその手で絞め殺させた。父親は体を矢のように反り返らせながら胃の内容物を吐き出し、苦悶の表情のまま自らの喉を掻き毟り、深く肉に突き刺さった爪が剥げ落ちようとも手を止める事はない。

 この世の終末を思わせるような光景であるが、地上は更に酷い状況に陥っていた。

 猛毒のガスに犯された人間が篝火に激突し、生きた松明となって転げまわり、やがて動かなくなる。尋常でない動きで全身を痙攣しながら胃の内容物を全て吐き出し、苦悶の声を上げながら陸上で溺れる人間が続発する。なまじ生命力の高い戦士はすぐに死ぬ事が出来ず、地獄の釜の底から響かせるような呻きを上げ続けた。
 一部の毒に対する抵抗力が高かった者だけが対応に動く事を許され、眩暈や吐き気に耐えながらも戦友を助けようと必死で呼びかけるが、専門の病院にさえあるか怪しいような解毒剤が用意できるはずもない。念能力者によって強化されたガスは悪辣で、死に瀕しながらも妻や子供の無事を祈る戦友に対し、安らかに眠らせてやる事すら不可能だった。


「チック! リオール! 畜生! 畜生! なんだってんだ!」


 戦士の一人が涙を流しながら叫ぶ。彼はロプスによって後ろから羽交い締めにされながらも、友を助けるべく毒ガスの中に飛び込もうとしていた。
 普段の彼は温厚そのもの、酒瓶を片手に朗らかな笑顔を浮かべてばかりいるので、ロプスはその男の顔が憎悪に歪むのを初めて見た。


「落ち着け! 全員で動いたら不味い! まずは……」


 言い切られる前に、響き渡る爆音と撒き散らされる炎。
 混乱している彼らには知る由もないが、風上に当たる村の北東側から飛来するリトルボーイがその真価を発揮したのである。
 元にされた名前ほどの破壊力はないものの、事前の円によってある程度の配置などは把握されており、念を込められ威力の増幅された榴弾や、探知の念が込められた照明弾、全く念が篭っていない撹乱用の焼夷弾、次々に村へ飛び込んでくる。村には爆炎と血飛沫で様々な色の花が咲き乱れた。

 普段からリーダーによって統率され動く事が多い戦士たちにとって、前戦士長であるオニットの頭上で爆発した一発はあまりに致命的なものであった。
 弾け飛ぶ彼の脳漿と共に指令系統は崩壊し、村は恐怖と絶叫が支配する混沌の場へと堕ちていく。
 何よりもメンタリティが重要な念使い同士の戦いにおいて、もはや勝負は決まったようなものだ。


「誇りは! やつらに、戦士としての誇りはないのか! こんな手を使いやがって!」


 自らの腕を振りほどいて駈け出したあの男が、榴弾の直撃を受けて大地に転がるのを見た。
 ロプスは悔しさのあまり、自分の目に涙が浮かぶのを感じる。
 ウィールグ村の戦士たちは皆強靭であり戦い慣れしていたが、主に剣や槍、弓などを使用している彼らに現代兵器の詳しい知識などは備わっていない。それに円が解けた事による毒ガスの広範囲への流出や、全くの未知である遠距離からの砲撃という攻撃方法が加わり、その実力の万分の一さえ発揮する事ができなかった。

 いかな能力者であれ生物という枠組みから逃れる事は不可能である。全身が炎に包まれれば大火傷を負うし、酸素を奪われ呼吸ができなければ窒息してしまう。
 どれほどオーラがあって力が強かろうとも、生物的な弱点への攻撃の前には全くと言っていいほど意味をなさなかったのだ。
 念能力は使用者のイメージに強く影響を受ける。多少皮膚が溶けようとも山のごとく構える者と、指先に感じる熱さにさえ恐怖している者では、耐えられる熱さに業火とマッチほども違いが出る。正面からであれば耐えられる攻撃でも、恐怖で逃げている最中に背中に食らえば、致命傷になりえる。


「俺は……俺は村を守るんだ! ルゥを守るんだぁぁ!」


 ロプスは全身からオーラを漲らせ、拳が壊れるほど強く握り締めながら吠えた。
 再び飛来した悪魔の子を一歩も引かずに睨み据え、落下地点に素早く回り込むと、オーラを集中させた右腕で薙ぎ払った。
 念によって強化された爆発は恐ろしい威力を秘めている。鉄さえ溶かすような熱が彼の腕の表皮を剥ぎ取り、多大な苦痛をロプスへ与えるが、筋肉が露出して両腕が真っ赤になろうともその行動を止める事はない。1発、2発、3発、次々に襲ってくるそれをただ殴り飛ばし続ける。

 それは周囲への被害を防ぐには効果的な方法であったが、全てを自分のオーラで受けきるなど狂気の沙汰だ。
 10を超えた時には指は僅かな肉を残すだけの骨となり、あれほどの剛腕が見るも無残なまでに肉を剥ぎ取られていた。
 それでも彼は手を止めない。
 守るべき者は死に絶え、仲間は屍となり、村には火の手が上がっている。

 それでも、まだ村はここにあった。

 遠くにはルゥと模擬選をした広場が見える。あいつの頭を撫でてやった通りが見える。ガキの頃に転んで泣いた場所がある。おふくろと歩いた道がある。
 多少燃えてはいても、皆の家はまだ形を残している。まだ村はここにあるのだ。手を止めるわけには行かない。

 馬鹿な事だとは分かっている。余力を使い尽くしてしまうなんて、大馬鹿だとわかっている。でも止められないのだ。ここには思い出が多すぎた。
 自分の腕がなくなる代わりに、村がほんの少しだけ傷つかないのなら、何を躊躇う必要がある? そう、何もないではないか。我等はここで生まれ、森で生き、ここで死ぬ。

 だが、頭のどこか冷静な部分がこう囁いた。「もう村はおしまいだ。お前も分かっているんだろ?」それを聞き入れる訳にはいかない。
 約束したのだ。あいつに告白したとき、俺がハンターどもを追い払って、何事もなかったように迎えてやるのだと。そしたらルゥが「私も戦いたかったのに!」と言ってくるだろうから、いつものように頭を撫でて茶化してやればいいのだ。それで何もかも元通りではないか。


「ああ? まだ生きてる奴がいたのか」


 いつしか砲撃は止み、彼の前に男が立っていた。
 酷い怪我のために集中力を欠いていたとはいえ、易々と自分の間合いに入って来られたのは初めての経験である。
 ロプスは体からオーラを搾り出して集め、頬に傷のある邪悪なオーラを纏っている男を睨み吸えた。直感的にこいつが村を襲った相手の一員である事に気づき、その男の手に仲間の肉体の一部があるのを見て反射的に腕を振り上げたが、あっけないほど簡単に受け止められた。

 ついに得た復讐の機会だというのに、消耗しきったその体では立っている事さえ難しい。
 オーラの篭った蹴りを食らい、轟音を立てながら焼け落ちた家の壁に背が当たる。
 燃え尽き炭化したそれが背中の肉を焼いてジュージューという音をたてたが、ロプスにはもう体のどこが焼けているのかさえ分らなかった。


「チッ、損傷が酷すぎるな。これじゃ売り物にならん……。余計な手間をかけさせやがって」


 男の腕から伸びるオーラの刃が自分の胸に突き立つのを感じた。
 一際大きな熱さが胸を割り裂いて侵入してくる。

 明らかな致命傷だが、ロプスにとってはそんなチンケな刃などより、自分らを単なる金になる息もとしか思っていない事にこそ大きな衝撃を受けた。
 彼の中で戦士の誇りが崩れる音を聞き、この程度の奴らにこの村が負けたのだと思うと、体の傷とさえ比べ物にならないほどの絶望と虚無感がロプスを包む。

 すぐにでも立ち上がって、あの不埒な者どもを一人残らず皆殺しにしてやりたい。戦士の誇りを見せ付けてやりたい。
 だが、言う事を聞かない体は、ただ友人や家族の遺体を切り刻む彼らの姿を眺めるばかりであった。
 もはや動かすべき指もなく、かけなしの命はすべて血液となって流れ出すばかりだ。あまりにも惨めだった。


 こいつらは……! こいつらは、俺らが単なる金にしか見えていないのか! 畜生! 畜生! 畜生っ!!!


 彼の頬に無念の涙が伝う。
 その執念は凄まじく、ハンターたちがロプスに対し、傷が酷過ぎて金にならないという理由で不良品の扱いを下した後も、まだ生きていた。
 やがて両腕の血は凝固し、垂れ下がった肉片は腐敗を始め、村の上空にハゲタカの群れがやってくる。貪欲なスカベンジャーであるそれらや、ハイエナのような猛獣、知性さえないはずの昆虫も数え切れないほど村に集まったが、ロプスの全身から発される怨念に気圧され、ただの一匹も村に入る事は出来なかった。

 恐るべき執念で行き続け、彼が死んだのは村が襲撃されて15時間後。
 異常を察知したルーが息を切らせながらやってきて、ほんの僅かに言葉を交わした後で、やっと死ねた。







 ルーが思うに、ウィールグ村はあまりいい場所ではなかった。
 だってパソコンや漫画、雑誌などという、前世でお世話になったアイテムは全くと言っていいほどないし、食事だって記憶の中の物と比べると数段は劣るのだ。
 それにガサツで女心の分らない幼馴染は居るし、マッドな一角の医者も居るし、やる事がないから体を鍛えてばかりで、誰も彼も皆単純で、見た目がユーモラスな癖に優しくて、それに比べると下らない知識ばかりある自分が醜く思えて、それでも愛してくれる両親がいて、皆皆大好きで。

 だから、その光景を見たときは何かの冗談だと思った。

 ルーが知らない内に変わり者の映画監督が来て、村の皆はお人よしだから全面的に協力する事になって、ちょっと本気でやり過ぎてしまってスプラッタな光景になったのだ、と信じたかった。自分さえ騙せないような最低の嘘だったけれども、それでも信じていたかった。

 体の一部を切り落とされるか抉り出された死体が村中に散乱し、猛烈な鉄臭さを漂わせている現実を受け入れたくなかった。
 口の辺りからしているガチガチという不快な音が、自分の歯が激しく打ち鳴らされる音だと気付きなくはなかった。

 全力疾走してきたために熱かった体から血の気が引き、凍死しそうになるほど全身が冷えていく。
 脳は現状を理解する事を放棄し、ルーは悲壮な呻きを上げ涙を零しながら村を歩きまわる。まるで幼子が母を求めるように徘徊を続け、燃え尽きた家を見ては泣き、炭と化した同輩を見ては喚き、ついに村の中央部で婚約者と再会した。

 ロプスは酷い有様だった。
 全身の皮膚を剥ぎ取られて赤い肉が露出している有様で、衣服だった物の一部が皮膚と同化して張り付いていた。
 彼の特徴でもあった両腕は長細い棒状の骨付き肉と化しており、時折ルーの紙をくしゃくしゃにした指は一本も残っておらず、それどころか二の腕から先がどこにも見当たらなかった。
 何かの鉄片が左目に食い込んでいて眼球が無残に抉られており、いつも豪快に笑っていた相貌は残らずこそげ落ちていて、いつも見上げていた全身からは炭化した肉の匂いを撒き散らし、明らかに生きている事が不自然と断言できるほどの重症で、それなのにいつもと同じように笑おうとしていた。


「あ、ぁ……。ル、ゥ……。おか、え、り……」


 ロプスが口を動かすと炭化していた頬の肉がパラパラと落ち、無くなっていた右の頬から僅かに空気が漏れる音がする。
 あれほどルーの耳を攻撃し、頭痛の種にだってなりかねなかった彼の声は、今では一匹の蚊が鳴くよりもずっとずっと小さかった。
 反射的に手を伸ばそうとしたルーは、触れてしまった場所から彼の体が崩れていく事に気づき、慌てて手を引っ込める。
 ほんの1か月前まではルーが全力で殴ってもビクともしなかったのに、今は抱擁を交わす事さえ許されなかった。


「あ、あぁ……ああぁぁっ!」


 声に成らない声が漏れる。 「何があったの?」 「どうしてこんな事が?」 「大丈夫?」 「死なないで」 「いやだ」 「助けて」 言いたい事は山ほどあったのに、どれも言葉になってくれない。どうしようもなく役立たずの口は小さな呻きを漏らすばかりで、千億の言葉のうちたった一つさえ伝えられなかった。
 ロプスは狼狽するルーを優しい微笑みで受け止めてくれ、仕方がない奴だとなあとばかりに小さく息を吐き、そして最も残酷な言葉を贈る。


「俺、を……食べ……く、れ……。……の、中、で……生き……。時間、ない……早……」


 俺を食べてくれ。ルーの中で生き続けたいんだ……。彼はそう言っていた。
 一瞬の忘我の後でその意味に気付いたルーは年を忘れ、駄々っ子のように大きく頭を振り、ただでさえ赤い目を更に充血させながら拒否する。
 両目からは涙が滝のように流れ落ち、赤子の時に流さなかった分を纏めて絞り出していた。


「そ、そんなの嫌だよ! 私、ろ、ロプスのこと大好きだもん! そんなのっ……!」


 ああ、言っちゃったな、認めたくなかったのにな。普段のルーなら顔を赤くして誤魔化してしまうような本心も、この時だけは驚くほど簡単に言えていた。
 しかしもう遅い。あまりにも遅すぎたのだ。
 もう少しだけ早く素直になれていれば、そして私がもう少し強ければ……。ルーの心が後悔で埋め尽くされる。 

 少女が細い首を動かすたびに光の粒が舞い飛び、その一滴を口に含んだロプスの体は永遠の潤いを貰ったかのように力強さを増す。絶対に動かないだろうと彼自身でさえ確信していた腕が自然に持ち上がり、少女の頬から涙を拭おうとして……抉れた腕の先端が当たり、血の跡を残すだけに終わった。
 それを見たロプスは、俺というやつは最後の最後まで締まらない奴だなあと笑い、最後の力が抜けて腕が落ちる。


「あああ! 嫌、ロプス! 行かないでっ……嫌ぁぁぁ!」


 ロプスの生を繋いでいた僅かばかりのオーラが解け、ロウソクの火は掠れて消えかけている。彼はヒトからモノへと急速に変わりつつあった。
 このままでは彼が遠くへ行ってしまう。反射的に自らのオーラで彼の体を包むが、既にそんな小手先の治療ではどうしようもない致命傷だ。
 全ての理性を置き去りにしたルーはロプスの体に抱きつき、恐ろしく冷たいその温度に恐怖を感じる。
 千代に乱れた思考は極限の混乱と平静を混ぜ合わせ、愛しい人を放したくないという暴走が加わり、ルーは彼の遺言を実行する事にした。


「嫌だ! ロプス、ロプスまだ行かないで! 私、私が……!」


 鋭い牙の覗く口を大きく開け、ルーは彼の肩口へと喰らい付いた。
 炭化した肉をジャリジャリと音を立てながら咀嚼し、限りなく早く呑み込んでいく。
 大切な彼の欠片が、あの世なんていう場所に連れて行かれるよりも早く! 輪廻転生など糞喰らえだ。私は彼を放さない。彼は私のものだ。死など認めるものか。ああ、早く速く敏速に迅速に急げ急げ急げ! 死神の鎌が彼を連れ去ってしまうよりも早く、この世の理などひっくり返せるほどに力強く!

 常軌を逸したその想いは念能力となって反映され、ルーのオーラに送り込まれたロプスの体は、一瞬にして煙と液体の中間のような存在へと姿を変えた。
 愛しい彼の全てを我が物とするために。ルーは彼の全てを溶かし込んだ海へと口付けし、大地に空いた大穴のように貪欲に呑み込む。


「ああ……! 私の、私の中に……!」


 最も執着を抱いていた彼だからか、断片的ながらもロプスの記憶が流れ込むのを感じた。
 彼が自分を守ろうとした事を知り、ルーは跳ね上げられたように背を反り返らせ、天に向かって吼えた。
 泣きながら笑い、笑いながら泣き、その眼には狂気が渦を巻いている。


「力が、力が溢れる……。そうよ、私が弱いから、この村を守れなかった! ……ならば、強くなればいい! 誰よりも、何よりも! この運命を与えた神さえ、食い殺せるほどに! ふふ、は、は、あははははははハハハ!!!」


 自分がもっと強ければ、ロプスだって認めてくれたはずなのだ。村が襲われているのに気づいたはずなのだ。復讐だってすぐに出来たはずなのだ。ロプスは悪くないし村のみんなだって悪くない。悪いのは弱かった自分。私が弱かったから村はこうなった。だからだからだからだからだから……。
 高笑いを響かせながら村を歩きまわり、そのあちこちに転がっている家族や親戚、友の肉を次々に体へと収める。

 近くに転がっていた父親を、食った。その隣にあった父の友人を、食った。首から上を持っていかれたユーニを喰った。右足がなくなっている親戚の男を食った。両目を抉られた友人も食った。下半身だけ残っていた誰かも食った。形相のまま死んでいる兄も食った。落ちていた右腕を食った。地下倉庫にあった母親も、その胎内いる末の弟ごと喰った。ついに纏を成功させたのだと笑っていた一つ下の弟も、まだ言葉もろくに話せなかった妹も、いつも強気だった姉も食った。誰も彼も見境なく喰った。喰って喰って喰いまくった。

 その度にルーの全身を覆うオーラは力を増し、物理的な圧力さえ伴って迸っていたが、今までは無かった……或いは影を潜めていた……禍々しさと狂乱までもが脈動していた。地獄の釜の底のような悪意の流出に、鳥や小動物はおろか、周囲に存在していた全ての命が逃げ出してく。

 狂った目で見上げた空に、暗鬱な曇天が無数の涙を流すのが映る。
 涙が枯れるほどに泣き尽くした少女の顔を、雨粒が零れ落ちていった。


 少女は泣く。自分が孤独になった事を。

 獣は笑う。自らが全てを踏み台にして高みへと至った事を。

 少女は泣く。最愛の人間をこの手で殺した事を。

 獣は笑う。それを喰って強くなった事を。


 誰も居なくなった村の真ん中で、村人の中の一人であり総てでもある少女は、ただひたすらに哂い続けた。

 こうして一人の少女は死に、その代わりに一匹の獣が生まれたのだ。
 どこでもない、この降り頻る雨の中で。






[14338] 第六話  幕間
Name: ブラストマイア◆e1a266bd ID:fa6fbbea
Date: 2009/12/06 22:51


 1985年3月14日、アイジエン大陸ギュド地方リュロトの丘にて。

 だだっ広い丘に無数のテントが立ち並んでいるのを見て、それなりに場数を踏んだ傭兵であるダゼンス・マルクンは茶化すような口笛を吹いた。
 迷彩柄の軍服を着込んだ痩身の男で、肩からは頑丈さと信頼性には定評のある突撃銃をかけている、無駄を削ぎ落としたナイフのような印象を与える男だ。自然体であっても隙を感じさせない戦闘のプロ。小指一本で敵を殺せる精密機械であった。
 軍服のベルトやその他の金具といった金属部分は残らずビニールテープで保護してあり、作戦中に敵兵へ与える情報は最低限になるように配慮がなされている。

 このギュド地方は彼が胎児の頃からずっと小競り合いを続けているような場所だ。ここにはチギ族とクルー族とギーギ族とツジ族とビズ族という5つの部族が暮らしており、彼らは同族に対しては一定の寛容を持つものの、他部族に関しては出会っただけでも眼を血走らせながら殺しあうという共通した特性を持つ。
 それはもう金と人材が尽きてグダグダの内に強制停戦になるか、金が溜まって人が増えたので戦争開始、という泥沼のような戦争を延々と続けている。彼のように戦争屋をやっていれば、一度ぐらいは耳にしたことがある戦場だろう。文明が始まる前から殴り合い、鉄器が生まれれば切りつけ合い、銃が生まれれば撃ち合い、戦争屋のダゼンスとて嫌になるほど昔からずっとこうなのだ。

 壁画にさえ残っていない大昔から変わっておらず、最初に戦い始めた理由など既に誰にも分からない。過去に強烈な伝染病が蔓延し全ての部族が壊滅の危機に瀕した際に、列強が介入した事によって一度だけは統一がなされた事があるようだが、その平和は再び人口が増えるまでの間しか持たなかった。
 なにせ一部族でも有利になったと見るや、残りの四つが突然足並みを揃えて出た杭を叩くのである。
 決して表だって強調する事はなく、むしろ同時に攻撃している最中さえいがみ合っているのだが、それでも誰かを勝たせない事については長い歴史を持っているし超一流だ。他国がいくら支援しようが全て銃と弾に変えて撃ちまくってしまうし、何十万人死のうが土地だけは十二分にあるので絶滅には至らない。

 ギュド地方全域には痩せた土地でもよく育ち繁殖力が強く栄養満点の、サツマイモとジャガイモを足して2で割ったようなギュド芋とよばれる植物が自生しているため、死体はそのまま養分になって分解され芋になってまた人間になる。味の方は酷く不味いので現地人以外は進んで口にしたくなる物ではないが、こんな文明の終末を思わせる国で味に文句を付けるのは贅沢が過ぎるというものだろう。
 一部の歴史学者には、悪魔が人を永遠に争わせるためにギュドを作った、なんて説を大真面目に信じられているほど末期の場所なのだから。


 そういう場所であったし、これからもそうだと思っていたから、ダゼンスたち傭兵団がその知らせに驚いたのも無理はなかっただろう。
 彼の周囲からも驚きの声が漏れ、同僚のキド・ノーロフの奴が、頬を抓りながら大声で 「これは夢なんじゃないか!?」 などと茶化すのを笑って受け止めた。

 ここ2年ほど大躍進を続けているクルー族を脅威に思っての事か、数千年前から戦い続けているギーギ族とビズ族が手を組んだのだ。初めて聞いた時は通信兵の伝達ミスか、ノイズによる聞き違いか、混乱させるための陽動か何かだと疑ったのだが、どうやら本当だったらしい。

 向かって北側にギーギ族のキャンプがあり、南側にビズ族のキャンプがある。両者の間には100メートルの不干渉地帯が設定されていて、正式な手順なしに相手側に入り込めば即射殺されるような危うい協調だが、ともかく手を組んだのは事実だ。歴史的には極めて重要な出来事かもしれない。


「うっはー! マジで手を組んでやがる。信じられねえ……」


 ムードメーカーでもあり“お調子者キッド”の愛称があるキドの奴は相変わらず囃し立てており、部隊の皆も苦笑いをしながら同調する。
 今回、彼らを雇ったのは両方の部族だ。20人の隊員は全て念能力者によって構成されている腕利きなため、契約料金も実力に比例してお高いのだが、一度飲み込んだ金は絶対に吐き出さないし、金を返さない限り契約は違えない。訓練などを殆ど受けていない双方の兵士を鍛えるために雇われたという建前はあるが、もしどちらか一方が隙を見て裏切ろうとした場合、そっちを攻撃するのがメインの依頼であった。
 そのお陰で双方からいい顔をされていない。キャンプの位置も彼らだけ離れた場所に造らざるを得なかった。
 ギーギ族にとってもビズ族にとっても、増長したクルー族という共通の敵が居たから仕方なく歩み寄っているだけで、その実まったく信用していないのだ。
 ここにはビズ族の兵士が3万8千人、ギーギ族の兵士が3万9千人いる。下手な位置に陣取って挟撃されてはたまったものではない。金はもう受け取ってしまったので後には引けないから、無事に仲違せず戦いが始まるのを祈る限りだった。


「おいおい、気弱な事を言うなよ。俺はこの戦争に出没するっていう“カーミラ”の奴を倒して、一躍名を上げるつもりなんだぜ?」


 これは災厄の前触れである、などとジョークを飛ばした隊員に向け、自信満々に言い放ったのは“チリー(チェリー)ボーイ”のチリーだ。
 彼はまだ二十歳を超えたばかりの若者であるが、その年にしてプロハンターライセンスを持つ将来有望な人材である。ゆくゆくは戦争(ウォー)ハンターとして独り立ちするのを狙っているようで、その第一歩として、噂として囁かれている女吸血鬼を倒す心算のようだ。白い歯を見せつけながら自信満々に笑っていた。
 彼の念の実力の方はまだまだだが、念に対しても銃器の扱いに対しても筋がよく、厳しい訓練に耐えるだけのガッツもある。ただ若くしてライセンスカードを持っているというのが過度な自信につながっており、たびたび己の実力を過信する性質なのが玉に瑕だった。
 今回も十中八九実在はしていないだろう、カーミラなんていう戦場の噂を本気で倒そうとしている辺り、どうにも治らないらしい。


「ハッハッハ! チリーボーイは何時もそうだな! そんなもん居ないに決まっているだろ? たった一人で戦況が動くなんざ、お話の中だけさ」


 隊員に背中を度付かれたチリーは唇を尖らせ、いつものように第272期のハンター試験を合格した際の武勇伝を語り始める。
 第一試験のプレート争奪戦は大変だったとか、第二試験の超長距離マラソンでは半日かけて120キロも走らされたとか、第三試験は厭らしい試験管にあたって酷い目にあっただとか。そしていつものように自分のライセンスナンバーを最初の5ケタだけ読み上げ、右端の三桁が第何期で合格しているのかを示し、これは270期だから272なのだと説法をくれた。
 そこへキッドがお決まりの茶々を入れて笑いをとり、全くいつも通りにじゃれ合いのような喧嘩が始まり、それを隊長が叱って終了。これはある種の儀式のようなものとなっており、隊全員の緊張をほぐす為のパフォーマンスに近かった。それが分かっているから誰も止めないし、自慢を笑って受け流すのである。


「しかし、カーミラか。何か嫌な予感がするな……。マジで噂ならいいんだが」


 チリーを見送ってきたキドが、何時になく真剣な顔をしてダゼンスに囁く。
 極限の状態が続く戦場では荒唐無稽にも思える噂が蔓延する事が度々ある。今回もどこかの戦場でミイラ化した遺体が発見されたのを切っ掛けに、面白がった誰かが吸血鬼の仕業であると噂を流し、それが“カーミラ”となって独り歩きしているのだと思いたかったが、ここ数年ほど戦場で似たような噂が多く流れていた。
 テーッム戦争、マイロー内紛、ウーペクアの動乱。そのどれもが死傷者の多かったとびきり熱い戦場である。今回のクルー族の大躍進の裏には極めて優れた念能力者の影があるという噂と相成って、歴戦の隊員らにも僅かながら影を落とす原因にもなっている。


「全くだ。もう金を貰っちまったから、逃げられんからな」


 いくら強い人間が居ても、数万人が戦う戦線を傾ける事など通常なら不可能である。少なくともそれは隊員に共通する考えだった。
 しかしギーギ族もビズ族も弓と剣で戦っていた頃そのままに、武器だけを銃とナイフに取り替えたような連中だ。まともな教育や訓練を受けている人間はかなり少なく、隠蔽に優れた能力者にその隙を突かれれば可能性はゼロではない、とダゼンスは冷静に分析した。

 強力な念能力者に陣中深くへ侵入され、通信機や司令官など指令系統を破壊されれば、こんな寄せ集めの軍隊など瞬時に烏合の衆と化すだろう。素人の集団は場の雰囲気に極めて左右されやすい。自分らが勝っている時こそイケイケで力を発揮できるものの、負けているとなればどうしようもない臆病者に化けるからだ。
 それを覆せるのは何百時間という反復訓練だけだが、消耗率が高すぎるのが常識なここの連中には無理な話である。古今東西、最も死者が増えるのは敗走しているところを背後から追撃される時だ。それが最低限の規則さえなく暴走すれば、人数差など関係なく大敗を喫する可能性があった。


「まあ、なるようになるさ……」


 戦場を生きる者にとって、自分の頭の横5センチを銃弾が通り過ぎていく事はままある。結局のところ弾丸の軌道と自分の頭の位置の関係は運であり、念能力によって常識離れした頑丈さを得られているとはいえ、目や鼻、耳などに銃弾が直撃すれば無事では済まないのだ。ある程度は達観していなければ心が持たない。
 キドに進められたタバコを共に燻らし、数日後に迫っているクルー族との激突を思って、煙と共に心中の不安を吐き出した。



 眠っていたダゼンスの耳に爆音が鳴り響いたのは、2日後の夜明け前である。
 切り開かれた丘から赤銅色の太陽が顔を出す数時間前に、彼の耳は尋常ではない物を聞いたのだ。
 彼は見張りについていたリュイウがテントの中に飛び込んでくる前に、即座に寝袋の中から飛び出して、熟練した動きで準備を全て整えた。報告ではクールー軍が来るまでにはあと3日ほどの猶予があり、それまでにここの素人どもに最低限の訓練を施す予定であったのだが、もはやそれも叶わないだろうと彼は思った。
 同じ布張りの寝床で寝ていた隊員たちと共に、飛来する弾丸を防いではくれないそのテントを飛び出す。間近に積み上げられていた土嚢の山の影に隠れ、周囲の状況に目をやる。


「落ち着け! リュイウ、何が起きたんだ? 報告せよ!」


 自らの頬を張って眠気を吹き飛ばしたダゼンスは、近くから聞こえてくる隊長の声を知覚して心が落ち着くのを感じた。彼は銃弾を真っ向から受け止められるだけの実力がある強化系の念能力者であり、荒事では最も頼りになる人物だ。
 この国は貧乏なので、装甲車や戦車、ヘリや爆撃機といったお高い品は戦場に出張ってこない。そういう物は体に爆弾を巻いた特攻兵に弱いからコストパフォーマンスが悪いのである。銃を持った兵士の数が重要なファクターであり、複雑な戦略を実行できる錬度もないので、大昔の合戦のように銃を持った兵士が突撃しあう事も多い。ともかく多数の敵影さえなければ、ある程度の安全は確保されていると思ってよかった。
 何かきな臭い物を嗅ぎ取ったダゼンス自身も、トランシーバーのスイッチを入れて情報の収集に励む。あらかじめ設定してあった連絡用の周波数に合わせると、黒く無骨な機械からは見方の絶叫が鳴り響いた。何人もの声とノイズが入り混じってよく聞き取れない。ダゼンスは舌打ちを漏らし、再び周囲を見回す。


「隊長! 敵、敵です! 1人だが、ありゃあ軍隊だ! ワン・マン・アーミーですよ!」


 インカムからはリュイウの興奮した声が響く。ダゼンスはそんな馬鹿なと思いながらも双眼鏡を手に取り、そこに写った人影らしい物を見て、常識を取り落とした。
 敵は南側、つまりビズ族側から侵入したらしい。なぜそれが分かったかといえば、ビズ族の特徴である巨大なイアリングを付けた首が吹っ飛んでいくのが見えたからだ。それは数十メートルも離れた場所に落下し、直撃した誰かを昏倒させた。
 敵は本当にたった1人、単独での突入という自殺行為。しかし10以上の戦場を経験しているダゼンスでも血の気が引く奴だった。

 慌てて双眼鏡を持ち直し、M114 155mm榴弾砲から発射された悪魔の子がまとめて20発ほど炸裂したような大惨事になっている地点を見やる。
 何か人型の影が巨大なテントを突き破って入っていくのが見え、数瞬後に飛び出してきた兵士の一人が恐怖の咆哮を上げながら逃げ出そうとし……瞬時にミイラになって砕け散った。他の場所から飛び出てきた兵士たちがそれを見て反射的に銃を向けるが、敵は銃弾の雨の中を傘も差さずに走りまわっている。

 そいつが纏っているオーラは尋常で無いほど力強く、ダゼンスが今までに見た中でも最も嫌な予感を振りまいていた。見ているだけでも吐き気を催しそうだ。
 まるで両足にジェットエンジンでも搭載しているような素早さ。跳ね回るピンボールのように陣地を飛び回り、死神の鎌のごとく命を摘み取っていく。
 おそらく他者のオーラを奪う特質系の能力者だろう。オーラが集中している両手が動かされるたび、それに触れてしまった兵士が全身のエネルギーを奪い尽くされて塩の柱へと変わっている。纏っているオーラ量は尋常でないほど大きい。隊の全員を合わせても届くかどうか、という量である。

 あの馬鹿でかい燃料タンクが尽きるまで逃げ回れれば勝てそうであったが、8万人分の余剰燃料が居るこの場で、全てを食い尽くすようなアレと戦えだなんて、間違っても冗談じゃあなかった。それならクールー族との最前線に全裸で突撃する方がよほどマシに思える。


「Crazy……」


 誰かの唇から漏れたその声に、ダゼンスは反射的に同意を返した。
 人は神にはなれないが、どうやら悪魔にはなれるようだ。イカレているのは単独で突っ込んできたあいつではない。それを身をもって証明しているあの“カーミラ”に戦いを挑むだなんて、そんな馬鹿げた事をやる奴がおかしいのだ。
 双眼鏡越しに一瞬だが彼女と視線が合い、ケツの穴に氷柱を突っ込まれたような悪寒がダゼンスの背を走り抜けた。

 アレと対面している兵士の混乱は凄まじく、厳つい髭をした将校がいくら命令を叫ぼうが、とても引き返せない所まで来ているらしい。
 味方諸共吹き飛ばさん、とカーミラに向けてありとあらゆる武器が向けられるが、念能力者でもない人間が使う武器などそもそも当たらないし、当たったところで何か効果を与えられているようには見えない。虐殺の途中で何故か足を止めたので、勇敢で優秀だが無謀な兵士のが人の背ほどもある非常に強力なライフルをカーミラに向けたが、見事に頭部に炸裂したはずのそれは、彼女に対して一筋の血液だけを流させる事にしか成功しなかった。

 兵士の顔が驚愕と絶望で埋まり、その直後に再び走り出した化け物の手に命を吸い取られて終わる。
 もはやあれは子供の悪夢から這い出してきた怪物だ。現実世界の人間にとっては完全に常識の外である。


「た、隊長! 逃げましょうよ! あんあの人間じゃないっすよ! 契約範囲外です! 俺らの任務は化け物退治じゃない!」


 恐怖のあまり泣きべそをかいているチリーの声が全員のインカムを通じて聞こえ、それに反論する者は誰一人として居ない。
 歴戦の隊員らは自分の荷物から契約金を取り出すと一纏めにしてぶちまけ、その代りに持てるだけの銃と弾薬を詰め込むと、沈む船から逃げ出そうとするネズミのごとく駆け出した。
 今回の仕事では踏み潰されるに足りる金は貰っていないし、ネズミでは1000匹集まろうがティラノサウルスには勝てないと悟っていた。命を安売りしたい者はとっくの昔にくたばっていたので、隊員らは生きる事に前向きだったのだ。






 纏わりついてきたビズ族の男を無造作に振り払ったルーは、吹き飛んだ彼の頭が地に落ちる前に動き出していた。
 眼前に存在するすべての人間を喰らう。全身を包むオーラは13年前よりも遥かに強く、堅の状態で誰かに触れたが最後、常人では0,1秒とかからずに水分を失った薪へと変える力があった。炎に突っ込めばよく燃えるだろう。事実ルーはそれで暖を取る事がままあった。

 兵舎らしいテントに飛び込んで中にいた20人ほどの人間を数秒で殺しつくす。最後の1人はテントから出ようとしたところで仕留め、もう人間のいないこの場には用がない。分厚い布を軽く切り裂いて外へと飛び出し、銃を振り回す30人ほどの軍服を見て笑う。皮膚を滑っていく弾丸が心地よい。
 そのような玩具では自分を殺す事などできやしないのに、皆誰もがそれに縋って殺されていくのだ。今回も飛び交う銃弾を完全に無視しながら突き進み、流れ弾で弾けた敵兵の血と肉片を浴びながら壊滅させた。

 燃え上がる戦火を見て、ふと足を止めて思う。
 たった今自分が殺した、水分を残らず失った干乾びた死体が、あの時の村のそれと重なって映ったのだ。

 耳を澄ませば聞こえてくる。苦痛の叫びが、絶望の呻きが、失意の囁きが。たった独り生き残ってしまった自分に対する憎悪の声が。
 もう帰る場所が消えてから13年もの時が流れていた。小さかった体は大人の女性として成長し、無数の命を吸ったオーラは何倍にも跳ね上がっている。

 だというのにこの声は、片時も休まずルーを攻め立てるのだ!

 耳を塞いでも頭の中に響いて消える事がない。眠っている時も休んでいる時も、人を殺していない時はずっと。目を閉じれば今も鮮明に浮かんでくる。変わり果てた村人を一人残らず食い殺し、それを高笑う自分の姿が。弱くて何も出来なかった、情けない自分が。
 だから強くならなければならない。誰よりも何よりも絶対に絶対に絶対に負けないぐらいに。強く強く強く強く。

 既に復讐できる相手は残っていない。あの3人はすでに故人となり、取り返した同胞の肉片の代わりにホルマリンの中に浮かんでいる。
 全員の男性気を切り落として口に突っ込み、傷口を真っ赤に焼けた鉄で止血し、尿道に鋭く尖った鉄の棒を突っ込んで火であぶり、全身の皮を少しずつ剥いて濃硫酸を垂らし、全ての指の爪の間にピンを突っ込んで、全身に電気を流し、両手両足の腱を切って針山に放り込み、必死に這い上がろうとしているところを棒で突き落とし、彼らと親しくしていた者を浚って来て、そいつらの手に鞭を握らせて叩かせ、目の前で活造りにして無理やり食わせ、ともかく酷い事をやった。
 彼らの奴隷として使われていた少女にも手伝わせた。名前はアナと言ったか? 動けない3人を前にして歓喜の声を上げ、熟練の拷問管さえ実行するのを躊躇するような酸鼻の数々を笑いながら楽しんでいた。最後は肉体が限界だったのか死んでしまったが、その顔はやり遂げた笑顔だったように思う。


「死ねえっ! 化け物があぁぁっ!」


 深く考え込んでいたルーの頬骨に、大口径のライフル弾らしい強い衝撃が当る。バランスを崩してたたらを踏み、白昼夢から覚めた。
 皮膚が知覚すると同時、無意識のうちに実行された流がルーの命を救っていた。実際の雨よりも銃弾の雨のほうが多く当たっているルーにとって、もはやオーラによる防御は呼吸をするのと同じぐらい慣れ親しんだものになっているのだ。目にでも直撃しない限り大きな怪我にはならない。

 驚愕の表情でこちらを見つめている兵士を薙ぎ払い、忘れかけていた任務の続きを実行する。
 24時間後にランデブーする予定のクルー族の兵士2万人がやってくる前に、このキャンプの指令系統を破壊して8万の兵士を敗残兵と変える必要があった。
 とはいえ、やる事は今までとなんら変わらない。ただただ目の前の敵を食べて食べて食べ尽せばよいのである。今までもずっとやってきた事だ。

 遠くから感じた視線を辿ると、念能力者らしい男が双眼鏡を覗いたまま固まっている。さして熟練した様子はないが、纏っているオーラはそれなりに美味しそうだ。後で齧らせてほしいという意味を込めて微笑みを返すと、悪夢を見た子供のような顔をされてしまった。
 即座に踵を返したところを見ると、彼我の実力差を察したのか逃げ出すらしい。顔立ちはビズ族ともギーギ族とも違って見えたので、おそらくどちらかに雇われた傭兵だろう。勿体無いが今は兵士を殺すのに忙しいので、今回は見逃す事にする。


 数時間ほど暴れまわっていると、8千9百2十3人目の敵を屠ったところで、胃から何かが込み上げてきた。
 土嚢の裏に隠れていた敵を皆殺しにし、嘔吐感に逆らわずに吐き出すと、胃液の混じった血の塊である。どうやらこの脆い肉体は増え続ける自分のオーラに耐え切れなくなっているようで、内側からどんどん壊れているらしいのだ。
 まったく不甲斐ないボディだと口中の血反吐を吐き捨てながら思い、この戦争が終わったら古い体を脱ぎ捨てる必要があると考えた。ルーは己の強さに全く満足していなかったし、常人が抱くよりもずっと強烈な願いがあったので、そのためには死さえ厭わなかった。

 一足跳びで手近にいた敵兵を殺し、狙撃の危険がない事を確かめてから硬を行って、彼の上半身の半分ほどを一口で食べ切る。飲み下されたそれは養分としてルーの全身を巡り、崩壊を始めている体細胞を強引に繋ぎ合わせた。日で焼け爛れていた皮膚も回復し、これでまた数時間は持つだろう。再び闘争を開始する。
 まだクルー族は国内を統一しておらず、契約の途中なのだから、そう簡単に壊れては困るのだ。
 ルーという風船は吹き込まれた限界以上のオーラで破裂しそうになっているが、まだあの声は止まない。ならば自分も止まる訳には行かなかった。

 そしてきっかり1日後にやってきた2万3千人のクルー族の兵士は、8万の軍隊蟻が1匹の大アリクイによって壊滅的な被害を受けた事を知る。




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ルーの能力 『餓鬼憑きの食人鬼<カンニバル>』 操作よりの特質

 両手または口から他者のオーラを吸収する。纏っているオーラの7割以上を集めないと発動できない。
 特質であるルーは強化とは遠いため、特質の癖に強化系のように敵に突撃する事が求められるリスキーな能力。
 堅でも纏でも7割以上でなければ発動しない。両手で同時に吸引するなら9割以上が必要になる。口からが最も吸収速度が早い。
 一般人相手ならば、纏の状態程度の能力発動でも2秒以下でミイラ化する。肉を食べる際は口に硬をして相手に噛み付く事で発動し、即座に栄養として吸収する事で自分の傷を癒したりできるが、自分自身のオーラでは怪我を治せない。
 吸収したオーラを全て成長に回せるほど効率的ではないが、回復率はそれなり高いので、敵の多い戦争などでは半永久的に動き続ける恐怖の殺人マシンと化す。
 

制約と誓約

・オーラ吸収の際には纏っているオーラの7割以上を集める必要がある。両手で同時に吸収するならば、9割以上を集める必要がある
・オーラ以外の物を吸収する際には、口に硬を行って対象に触れる必要がある
・強い執着がある相手、または血縁の近い相手からは記憶などの一部を取り込むことがある。ただし任意では発動できない
・魔獣の血を引いた者にしか使えない
・村人全員の怨念入り。使用者は一度死ぬまで永久に終わらない悪夢と幻覚、幻聴に苛まれる
・自らの成長の限界以上のオーラを取り込むと、自己崩壊を起こす



[14338] 第七話
Name: ブラストマイア◆e1a266bd ID:fa6fbbea
Date: 2009/12/06 22:52

 1986年12月27日、午後9時7分52秒。

 まばゆいネオンに照らされているビル街。数多くのマフィアが跳梁跋扈している魔窟を見下ろし、バットと呼ばれている男は白い息を吐いた。
 全身をゴムに似た素材の黒いスーツで覆った大男だ。腕と顔だけが白い肌を晒している。
 2メートルにも届かんばかりの体格を持つ彼の胸板は、その長大な身長を鑑みても異常に思えるほど厚く、彼が今立っているビルのコンクリート製の外壁にさえ負けていないような印象があった。


「……! こちらバット。配置はOKです。ええ、では、1時間後に」


 彼は懐から取り出した携帯電話に耳を傾け、相手から今夜の仕事内容を確認され、今日の相棒である旧知の友人の事を思い出して身震いした。
 見た目はスレンダーな体躯と人を惑わすような美貌、恐ろしく白い肌を持つ少女だが、中身は人間の範疇を大きく逸脱している。
 誰が言ったのか 『カーミラ』 という通り名で知られるあの女は、彼と同じ少数民族の出で同郷らしかったが、マフィアの用心棒などという血なまぐさい仕事をやっている彼でさえも肝胆を寒からしめるような経歴の持ち主で、血塗れどころか移動する血の池と言った方がいい。
 殺害した人間は軽く万単位だと言われており、敵を殺していない時は常に悪夢に苛まれているため、取り扱いには細心の注意が必要だ。一度爆発すればビルの一つや二つは簡単に吹き飛ばすし、そのついでにそこを根城にしていた商売敵も吹き飛ばす、とんでもない暴力の持ち主なのだ。


 しかしそんな彼女だからこそ、今回の仕事に選ばれたのだ、と納得する部分もあった。


 今でこそ多くのビルと大規模な精製工場が犇き、アイジエンのバルカン島と呼ばれるコリクノフ島だが、十年前までは正に平和な寒村そのものだったという。当時の人口は約1万人で、その大半が漁師か農家を営む貧乏人ばかり。たった3キロしかない海に隔てられた、陸の孤島のような場所だった。
 それを変えたのは、とある地質学者が発見した大規模なスパイス鉱脈である。

 精製される事で非常に高い習慣性を持つ麻薬と化すスパイス鉱石は、握りこぶしほどの大きさがあれば一生食って行けるほどの値がつく。それが大量に掘削可能となれば、どうなるかは一目瞭然だろう。
 文明から切り離された偏狭の地は一世一代のゴールドラッシュを迎え、柄の悪い連中が津波のごとく押し寄せた。
 元の住民による反対運動などが当然起きたそうだが、大半は金によって、一部は暴力によって鎮圧され、今では犯罪者どもが大手を振って歩く治外法権地帯だ。住民の8割はどこかのマフィアに属しているか関わりのある人間で、残りの2割は借金のかたに連れてこられた工夫だとか、体を売って生きている情婦だとか。小競り合いによる殺人などまさに日常茶飯事であり、死体専用の掃除人さえ居るような状態。黒く汚れた者だけが生きていける、淀んだ川の底。


 今回の任務は、この島の大部分を仕切っているティルハセン一家のドン、バーケコ・シフィル・ティルハセンの暗殺なのだ。
 厳重な警備体制を敷かれたビルの最上階をまるごと自宅として使っており、10人以上の念能力者を護衛として雇っている。
 いざという時のクソ度胸には一目置かれているそうだが、生活に関しては小心者で愛妻家であり、彼と彼の周辺は常に暗殺を警戒していた。ビルの中には昼夜を問わず150人以上のガードマンが居るはずだった。


「……こんばんは、バット。お久しぶりね」


 再び懐の中で暴れだした携帯を手に取った彼は、そこから聞こえてきた声に背筋を凍らせた。
 前に会った時と比べると嫌に幼い調子に聞こえてくるが、間違いなくカーミラからの電話である。常に薬物でトランスを起こしているような妄執に染まっていた赤い瞳を思い出し、万が一にも刺激しないよう慎重に言葉を選んだ。
 あの少女が仲間に襲い掛かった事は一度も無いが、敵と認定された場合は別である。結晶化していないニトログリセリンを満載したトラックで岩石地帯を突っ切る方がよほどマシだと思えるほど容赦が無く、爆心地で生き残れるのは非常に運が良かった一部の者だけ。本当に大陸間弾道ミサイルのような奴なのだから。


「ああ、久しぶりだな……。こっちは、すでに配置についている。そっちは?」


 僅かに強張っているバットの緊張を察したのか、電話の向こうからクスクスと笑う声が聞こえてきた。
 相変わらず変な奴だ、と顔を顰めると、電話の向こうから 「あなたの後ろよ」 と……。


「ハァイ。元気だった?」


 慌てて振り返った彼の背後に居たのは、恐らく7歳前後と思える少女である。
 黒と赤でデザインされた着立てのよさそうなスーツを着ており、顔立ちにはカーミラの面影こそあるものの、彼の記憶からすると10歳近く若い。


「……っ!? カ、カーミラ、なの、か?」


 バットは困惑の表情を見せ、心中に抱いた疑問を反射的に口に出したが、9割以上はこの女の子がカーミラなのだと認めていた。
 仮にも組織で有数の武等派である彼のレーダーにも全く探知されず、易々と接近を許すような相手はそう多くない。なにより全身に纏っているオーラも底なしの大穴を思わせ、組織でも有数の目利きである彼をしても、あまりに深すぎる深淵を覗き見る事が出来なった。
 子供になって弱体化するどころか、前に会った時よりも数段、格上になっている。もし戦えば2秒と持たないだろうという確信に近い予感を抱いた。
 それに身長こそ彼の腰までも無いが、顔の造詣に幼さは感じない。既に最初と最後が決めてあり、そこに向かって背を伸ばしている途中で区切ったような、不思議な違和感があった。


「子供になっていて驚いた? 前の体はガタが来たから、捨てたのよ。……女の子って便利よね。体の中に工場があるんですもの」


 記憶よりもやや高い声で囁かれる内容は、念能力者である彼が聞いても狂気に満ちていた。
 恐らく胎内に孕んだ子供に、自分の記憶や経験などを強引に流し込んだのだろう。強さに対して異常なまでの執着を見せる女だったが、これほどまでとは。

 少なからず恐怖を感じているバットの前で、少女は遊ぶようにオーラを動かし、空中に念能力者にしか見えないスマイリーマークを作って見せた。変化形から遠い者にとっては複雑な図形を描くだけでも一仕事だというのに、驚くべき速さと正確さである。
 平和そうに微笑んでいるそれに目をやると、少女が笑うと同時に鋭い牙を剥いて、誰にも聞こえない高笑いを響かせた。うっかりそれを直視してしまったバットは、思わず先ほどから握りっぱなしだった携帯電話を落としそうになった。
 凄まじく熟練したオーラの変化技術だが、あまりに趣味が悪い。オーラにしても数千の人間の血で染め抜いた反物のように、美しいながら尋常でない不気味さを感じさせた。


「驚いた、が、確かにお前ならやりかねないな。……襲撃予定時刻は22:00時、あと46分だ。配置につけ」


 芸を気に入ってもらえなかった事に苛立ったのか、子供のように唇を尖らせる少女を見て、これなら1年前の方が幾分かましだった、と独り愚痴た。
 過去のカーミラは確かに超ド級の危険人物だったが、一目でも見ればそうと分かるだけ安全だったのだ。
 こちらがある程度のパターンに従って行動していればその通りに動き、任務開始と同時に全速力で防御を打ち抜き、正面から全ての敵を虐殺する。取り扱い方さえ心得ていれば問題ない爆薬のような女が、今は雲のように掴み所がなくなっている。


「あら、50分もあるなら別にいいじゃない。他人とお話するのは初めての経験なのよ?」


 1時間後には10人の念能力者と150人のガードマンが固めるビルに単独で突撃するというのに、少女はそれを全く気にしていないらしい。
 バットは根本的な部分で壊れているのだという事実だけは変わっていないなと思いつつ、対話での説得を諦めて会話に付き合うことにした。


「じゃあ、ひとつ質問だ。この一年、何をやっていたんだ?」


 到底答えないであろう質問をぶつける事で打ち切りを狙ったが、ルーことカーミラは、待っていました! とばかりの笑顔を浮かべた。
 秘密を公開する事が死に繋がるのだと知らない彼女でもあるまい、と思ったが、数瞬後に 「自分を殺して口を塞ぐのではないか?」 という嫌な考えに思い至って後悔する。バットは慌てて静止の言葉を口に出そうとしたが、それよりも少女の小さな唇が動き出す方が早かった。






 1985年10月13日金曜日。村が襲撃されてから約13年目。

 幼かったルーの手足もスラリと伸び、大人としての美貌を手に入れているルーは、それまでに手に入れていた無数のコネを最大限活用して作られた、倉庫街の地下にある秘密の拠点に居た。
 地上の倉庫でさえ、まともなのは外観だけだ。一皮剥けば地下に通じているエレベーターさえ分厚い鉄板とコンクリートに覆われており、機械による厳重なチェックをパスしなければエレベーターは作動しない。招かざる侵入者に対しては強力すぎて国際法で禁じられている毒ガスが高濃度で噴射される仕組みになっており、扉の厚さが1メートル以上ある昇降機を使用して降りると、大国のVIP専用とも思える核シェルターのような施設に行き着く。
 シェルター部分は一般的な施設と比べると広くは無く、むしろ狭すぎる印象を与えるものだったが、これが一人用となれば話は別だろう。
 娯楽室やトレーニングルームなどが完備されているそこは清潔だが、人気の無い病院のようにどこか不気味さを感じさせる場所だった。



 ルーは仲間の肉体を奪還して全てを食らい尽くす事を決め、復讐に動くため、原作でクラピカがやったようにマフィアと関わりを持った。
 弱かった自分自身への復讐として拷問を超えるトレーニングを行っていたので、ハンター試験を軽くパスしていたのも大きい。あっさりと受け入れられた。
 そこで10年ほど組織の敵を皆殺しにしながら働き続け、途中で目的は達成されたが、心中に渦巻く妄執は止まる事を許さなかった。もっと強く、もっともっと強く、もっともっともっと強く。


 そして一時的に組織を抜け、辿り着いたのはギェツと呼ばれる戦争地帯だった。
 ギェツでは数千年以上前からチギ族とクルー族とギーギ族とツジ族とビズ族という5つの種族の間でずっと小競り合いが耐えなかったそうで、技術の進歩によりそれぞれの領内に大規模なダイアモンド鉱山が発見されてからはより一層酷くなった。よりにもよって5つの部族が鬩ぎあっているど真ん中に新たな鉱山が発見され、そりゃあもう酷い民族問題を引き起こしたのだ。

 ルーが接触したのは最も立場の悪かったクルー族で、全ての鉱山をクルー族が掌握し国内を統一した日には自分に莫大な報酬を出し、ギェツ国内で行う犯罪行為を未来永劫全て無罪にするように要求した。その代わりに手付金などは取らず、最高責任者によって公式文書を発行してもらったのだ。
 向こうからすれば本当に覇権を握れるなら悪い取引ではなく、ライセンスもちのハンターとなれば契約金が非常に高かったので、成功報酬しか取らないと言ったら二つ返事で了承された。多少でも敵が死ねば儲けもの、程度の考えだったのだろう。


 その日からクルー族以外の全ての人間はルーにとっての餌になったので、他の部族とくれば兵舎を中心に容赦なく襲い続けた。

 契約してから最初の半年で食した人間の合計数が1万人を突破し、効果を実感したクルー族第22代目族長のジクア・ピュユジェノ・リョリワス・ル・クルーから他部族の兵士が終結している場所について優先的に情報を貰えるようになった。このお陰で1年目の終わりには、殺した相手は2万を数えるまでに増えた。
 2年目の夏にビズ族の首都であるウォートゥン・ソケゲが陥落し、クルー族が所持している鉱山は3つに増えた。この事実に感激したジクア・ピュユジェノ・リョリワス・ル・クルーは3000人の捕虜を生贄としてルーに捧げてくれ、ルーもその太っ腹に答えようとより一層の努力を重ね、冬の終わりにはチギ族の首都であるシイグフェノ・ミフェダ・オヴチを陥落させた。この途中で能力によって捕食した人間は33333人とぞろ目を迎え、念能力者は749人を数えた。

 最後の年、クルー族の躍進は残されたギーギ族とビズ族の危機感を煽ったようで、2つの一族は力を併せ、過去最大の規模となる8万人の兵士をリュロトの丘に集結させた。これは後の歴史書に数ページにわたって説明されるほどの珍事で、今まで異なった部族同士が手を組んだのは史上初の事であったらしい。
 そして39時間にも及ぶ戦いの末、たった1人の人間によって1万1千3百2十5人の被害者を出したのも初めての事だっただろう。
 ルーは能力を得てから初めて食べすぎで1週間ほど寝込み、目が覚めた時には、指令系統を破壊された両軍に執拗な追撃をかけ4万以上の戦果をあげたクルー族の軍隊により、ギーギ族とビズ族の首都は陥落させられる寸前であった。

 主に兵士を狙っていたルーとは違い、クルー族の軍隊は一般人も全く気にせず虐殺していたので、ルーが行った戦争行為など総被害の2%にも及ばない数だ。
 彼らにすれば民族浄化の意味もあったのだからとやかく言う気は無かったが、1人の人間の力には限界があるのだなあと痛感させられた数字でもある。
 ともかく契約は完了し、過去に一度しか統一された事が無かったギェツが、至上2番目に統一国家となった。ジクア・ピュユジェノ・リョリワス・ル・クルーを王にした政治がスタートし、ギェツは国名をクルー王国と改め、クルー族を除く全ての部族を奴隷階級として弾圧する政治を始めた。
 この統治がいつまで続くのかは謎であるが、ルーの褒章は国内不安定を理由に8割ほどに値切られた上に現物支給が混じり、ついでに50歳を超えたジクア・ピュユジェノ・リョリワス・ル・クルーに結婚を迫られて逃げ出した事だけは記述しておく。


 ルーの犠牲になった人間は血で汚れた15年で8万を超えており、それだけあればルーの望みに手が届くのではないかと思われた。
 あまりにも多くのオーラを吸収したため、人間が耐え切れる限界をオーバーしてしまったのだ。遠からずルーを構成している全ての肉体組織が自己崩壊を起こすことは目に見えており、ルーが使用する最後の能力によって、更なる高みを目指す事になる。

 能力名は 『メビウスの輪廻転生』 自分に自分を孕ませ、全ての能力や記憶を受け継がせるもの。
 無限に続く飢餓道を歩き続ける事のできる肉体を持ち、誰よりも強くあれる自分を創る能力。

 代償として母体になるルーは、1年かけて全ての力を奪われていく。死者の念でもなければ不可能な暴挙を実行するものだから、等価交換という奴だ。
 また、魂までは受け継ぐ事が出来ないため、生まれるのは自分の全てをかけて作り上げた、自分に最も近い他人。人類史上最多の殺人者となったルー・アーヴィングはここで死に、生まれながらにして最も罪深い赤子が生まれる事になる。
 我武者羅に積み上げてきた物が少しずつ奪われていくのは、それはもう耐え難い物だ。強さに尋常ではない執着を抱き、そのためだけに実行したルーからすれば死ぬよりも辛い。いっそ一思いにやって欲しいが、能力の関係上不可能なのである。

 最初の1ヶ月は手首を切る事ばかり考え、2ヶ月目は首を釣る事ばかり考え、3ヶ月目からは開き直って毒を飲みまくっていた。
 耐性を付けるために数千数百種類に及ぶ毒を取り寄せ、致死量に及ばないギリギリを飲み漁るのである。何度か限界を図りかねて死に掛け、子宮が目に見えて大きくなってからは、毒を飲むたびに体の内側から文句を言われるようになったので困った。脆くなった腹が破れそうなので自重して欲しいものだ。
 親子で喧嘩しながら毒を攻略していき、出産間近になる頃には母体に悪影響が出すぎて酷い状態になったが、もうお別れなのだから気にするまでも無いだろう。



 そして能力の実行からちょうど一年後の1986年、ついにルーが死んで、ルーが生まれる日が来た。

 母体になったルーの肌は無数の湿疹ができ、左足の一部が壊死を起こして腐りかけていた。毛髪は9割がた抜け落ち、眼下は骸骨のように落ち窪み、手足はやせ細って、異常なまでに膨らんでいる腹部は飢餓を起こしている人間を思わせる。肌はほぼ全て炎症を起こすかひび割れるかしており、1年で100歳以上老けたように見える。それでも狂気を宿した目だけはまるで変わらず、胎内で蠢く新しい自分が、古い自分という殻を破ろうとしている苦痛を心地よく感じていた。


「Happy Birthday to me!!! ふふ……」


 車椅子に体を預けているルーは、もう補助用具無しには立ち上がることも出来ない。今声を出せたのも自分では奇跡だと思えるほどであり、目蓋を開けている事さえ非常な労力が必要になっている。
 1年前と同じように自分の子宮の上に手を載せていたが、胎内で異常な成長を見せている自分に押され、皮膚には無数のヒビが入っていた。潤いなどもほぼ奪われており、指などは骨と皮しかない。爪に至っても人差し指以外は残らず剥がれ落ちており、他人が見ればミイラかゾンビが動いているように感じただろう。
 実際にこういう姿になってからは朽ちた自分を見たくなくて、鏡は全て取り払ってしまっていた。

 ルーの首には最終攻略目標であった放射能を克服するためのウラン製のネックレスがかかっており、今のところ攻略率は9割といったところか。病院にいけば全身からくまなく癌やら悪性腫瘍やらが発見されるような状態であるにしろ、胎内の自分だけは恨めしいほどに健康であり、それならいいかな、と納得させていた。
 というかもう腕がまともに動かないので、胸の辺りの肉が腐敗して黒ずんでいようと外せないのだ。養分補給用のチューブも、注していた腕の血管が腐ったので、2日前に外れてしまった。


「がッ! ……っく、ぁ、ッ!」


 胎内で新しい自分が蠢くのを感じ、ルーは自分の意思と無関係に口から言葉が漏れるのを聞いた。
 薄くなっていた腹部の皮膚は容易く破られ、4歳ほどの少女の腕が自分から生えているのを見て笑う。続いて肩が飛び出し、赤頭巾ちゃんの物語で猟師が狼の腹を割くがごとく、するりと顔を出した。臍の緒を強引に引き千切り、両手で顔についた羊水を拭うと、母と子は共に壊れた笑みを浮かべて意思の疎通を行った。
 母は最期の力を振り絞って両手の人差し指にオーラを集め、己の米神を切り裂いていく。やがて脆くなっていた骨が容易く切り裂かれ、ピンク色の脳が綺麗に露出する。
 1年以上も共にあった2人だ。今更言葉など必要なかった。


「頂きます」


 ひび割れてやせ細った手がスプーンを持ち上げ、白魚のような手がそれを受け取る。
 車椅子の手摺に両足を乗せ、全てを受け継ぐために、食べ始めた。
 皺の寄った柔らかな細胞が切り崩され、一口ごとにルーの意識には虹色のフラッシュが舞い飛んだ。今までの記憶が洪水のように自身の全てを押し流し、十年以上前の記憶が雪のように降り積もっていく。昔懐かしい顔がいくつも浮かび、何千と見た悪夢、燃える村が再び思い起こされる。
 焼け爛れたロプスの体。眺めるしかない自分。廃墟と化した村。

 彼の間際の言葉が半分ほどになった脳内で再生され、そこでふと、ルーは自分の言いたかった事に気づいた。
 いまさら遅すぎると思ったし、血で薄汚れた自分が彼らの元に行けるとはとても思えないが……。


「ロプ、ス……。ただ、い、ま……」


 ルーは微笑を残して去り、残った者は狂気を浮かべてそこにある。

 人は神にはなれないらしい。
 ならば、悪魔になればいいではないか。



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『メビウスの輪廻転生』 操作よりの特質

 自分に自分を孕ませる能力。ルーの記憶の片隅にあったキメラアントを再現する、常軌を逸した技。
 吸収した全てが成長につながる訳でもなく、受け継ぐ際の吸収率などは本家に大きく劣るものの、23年の人生で6万2千4百6十8人分を食べたルーの全てを流し込む。1年かけて母から子へと受け継がれ、知識や記憶は多少の劣化はあってもほぼそのまま、念の才能や肉体などは常識を無視する勢いで調整される。
 母体は頭を潰されない限り死ななくなるが、内部の子を殺されると共に死ぬ。毒などを食べて子に耐性を付ける事が可能だが、母体は被害を受ける。
 『餓鬼憑きの食人鬼<カンニバル>』による終わらない悪夢を消し、成長限界による自己崩壊を逃れる唯一の手段。死ねば助かるのに。

制約と誓約

・完全な成熟までに1年の時を要する。途中での出産は弱体化や記憶などの欠損、寿命の低下などを招く。
・その間に母体は急激に弱っていく。特に最後の1ヶ月は出産まで絶の状態になる
・自分の体を全て子に食べさせる事で継承が完了する



[14338] 第八話
Name: ブラストマイア◆e1a266bd ID:fa6fbbea
Date: 2010/03/07 04:43


 コノクリフ島にあるティール総合取引ビルは、バーケコ・シフィル・ティルハセンが心血を注いで製作した要塞である。
 一見するとオフィスビルのような見栄えであるが窓は極端に少なく、正面入り口は分厚い防弾ガラスで覆われており、有事の際には厚さ2.5インチの鋼鉄製シャッターが全ての出入り口を封鎖する。この時点で並みの暗殺者ではビルに入る事すら不可能になるし、突破してくるような優れた念能力者に対しては、両脇にある守衛室から軍から横流しされたガトリング砲2門が竜のアギトのごとくクロスファイアーを食らわせる手筈だ。
 これは装甲車でさえ瞬く間に穴だらけに出来る代物である。5年間の歴史においてガトリング砲が銃身を回転させたことは一度もないが、ティルハセン一家の誰もが一度は話のネタに使う程度には恐れられていたし、このビルに侵入しようとする命知らずは誰一人としていなかった。

 そう、いなかったのだ。少なくとも8分26秒前までは。


「お気に入りのスーツが破れちゃった……。経費で落ちるのかな?」


 真正面から敷地に侵入し、殺到するガードマンを皆殺しにして、鋼鉄の隔壁と防弾ガラスをバターのように切り裂き、一発一発が口紅ほどもある弾丸の雨の中を直進して玄関を制圧。組の者が聞けば、性質の悪い冗談か世界の終わりだと言われるほど快挙を成し遂げたと言うのに、ルーが呟いたのはそんな言葉であった。
 砲手の男ごと真っ二つに切り裂かれたガトリング砲を跨ぐと、鈍い輝きを放つ空薬莢の海を踏み潰しながら足を進める。真鍮の鈍い輝きが眩しい。
 面倒だからと避けてはいないため、命中した弾丸は300発を夕に超えていた。しかしその白い肌には青痣一つ残っていない。シミ一つ無い生まれたての赤子のような肌を晒している。
 ただし衣服の大半は鉛やタングステンの弾頭によって剥ぎ取られてしまっており、代わりに変形した金属片の薄い膜が体の各所にへばり付いていた。

 常人ならば優に2桁は殺しえるだけの鉛を無造作に振り払い、ミイラ化していた反対側の男からコートを奪って羽織ると、ルーは僅かに残った左の袖を投げ捨てて上を目指す。
 アルマゲドンとラグナロクが同時にやって来たようにけたたましく鳴り響くブザーや、乙女の柔肌を盗み見んとする監視カメラの類を手当たり次第に破壊し、楕円状に変形させた円によって命を摘み取っていった。


「~~♪ ……あれ、次の歌詞って何だっけ? あなた、知らない?」


 偶然にも知っている曲がラジオから流れていたので暇つぶしのためにと拾ってきたのだが、前の部屋で3人から猛獣狩猟用の大型ショットガンの乱射を浴びたため、鉛の礫を受けた安物のラジオはあっけなく壊れてしまった。
 構成員の男が振り回していた日本刀を軽く指で受け止めながら、ルーは鼻水を垂らし恐怖に慄いている筋肉質の男を見上げる。
 頬に傷のある強面の男だが、常識の範囲内でしか鍛えられていない彼の膂力はあまりに頼りない。たった1キロしかない日本刀を構えるだけで腕が疲れるような非力さ、それ自体に念が篭っているベンズ・ナイフでも持ち出さなければ、彼程度の力では絶状態のルーの皮膚を削るのがやっとだろう。

 ルーの表皮は人間のそれと大差ないが、その一枚下の真皮や皮下組織は打撃や切断、摩擦などのありとあらゆるダメージに対して高い耐性を持つ魔獣のそれを再現し、更に強化してあった。小さな体躯に圧縮されている骨や筋肉の密度も尋常ではない。重機のごとき怪力を支える骨格や間接にも多大な労力を注いである。
 通常の生物は生きるために作られているが、ルーは戦うために作られた生命体なのだ。遺伝の二重螺旋も人類のそれとは大きく異なっている。


「うわああぁぁ! 死ね! 死ね、化けも……」


 どうやらこの男には歌詞の続きを教える気が無いらしい。ルーは使えない奴だと肩を竦めた。ミイラ化した彼の手から日本刀を奪い取り、大型拳銃の弾痕が無数に残るドアを開けて廊下に出ると、ロールプレイングゲームでダンジョンを攻略するように、なんら気負うことなく上の階を目指す。
 背の低いルーには大き過ぎて扱いにくい刀であるが、ただ指揮棒として振り回す物が欲しかっただけ。しばらくは冒頭から再開したリズムに合わせてブンブンと振り回していたが、ちょうど先を忘れている部分に差し掛かった時に人間の影が見えたので、軽くオーラを纏わせると無造作に投げつける。


「……あれ、強く投げすぎたかな?」


 大リーガーの全力さえ超える速度で投げつけられたそれは、纏っていたオーラによってルー本人さえ困惑させるほどの切れ味を示した。掲げられたジュラルミン製の防弾シールドを豆腐のように切り裂き、それを持っていた男を斜めに真っ二つにした挙句、刀身がほぼ完全にコンクリートの壁へと埋没してしまったのだ。
 特に分厚い外壁だったからよかったものの、単なる壁であれば余裕で貫通しているだろう。以前ならもう少し手前で停止するはずだと違和感を覚えたが、生れ落ちてからずっと急激な成長を続けている最中である事を考えて納得する。
 軽く指を弾くだけで人間の頭蓋骨を陥没させるパワーも得ているし、肉体から湧き出る生命力が人間だったころと比べてかなり多く、纏でさえ雑魚能力者の堅を超えるだけのオーラ量になっていたのだ。多少力加減を間違えたのかもしれないと思い直した。

 普通の人間でも 湧き出すオーラ量 > 発散するオーラ量 になっていれば、纏を続けるだけで緩やかに堅の状態へと近づいていく。ただ大量のオーラを体に留めるという技術は難しく、よほどの実力者でなければ消耗率を低く抑えられないため、産出と放出のつり合いが取れた地点が纏のオーラ量になるのだ。
 ルーの場合は胎内に居た時点で念能力の使用を前提として作り上げられているため、鳥が自然と空を飛べるようになるのと同じくらいオーラというものに慣れ親しんでいるからこその数値である。

 今は子宮を出て2カ月も経っていないため、通常の赤子と同じく食事と睡眠が生活の大半を占めていて、運動などは成長を促す程度で済ませていた。そのために最後まで計測した事はないが、3日前の時点で錬の連続使用時間は24時間を超えている。莫大過ぎるオーラ量である。
 その時点でも肉体的な疲労には余裕があったのだが、眠気が限界だったのだ。錬を維持したままシャワーを浴びて、そのままベッドへダイブした。


 移動中の飛行機の中で熟睡していたから今は眠気がないものの、機内食の量が少なかったのでお腹は減っている。念能力者の登場が楽しみだ。
 ロビーに入った時点でエレベーターのケーブルは全て切断してあるので、ターゲットが逃げ出す可能性も低い。万が一の時のために両手を蝙蝠の翼へと変化させる事ができるバット上空から屋上を見張っているし、ルーだって飛べるのでヘリコプターの類なら簡単に撃墜できる。

 そして32階建てのビルを2/3ほど攻略したころ、通路の先で仁王立ちしているやや小柄な男の姿が目に入った。
 身長は目算で1メートル62センチ。派手な色の短パンと柄のない白地のTシャツというラフな格好で、両手には真っ赤なボクシンググローブをつけている。


「フフン。お前が侵入者か……。年の割にはできるようだが、まだまだガキだな。堅のパワーが足りん!」


 彼の纏はルーのそれと比べてぎこちなく、オーラの流れも澱んでいて円滑とはいえない。わざわざルーと相対してから堅を始める辺り備えも足りないし、錬の出力こそ並みの念能力者よりも優れているが、纏が疎かなので無駄になっているエネルギーが多すぎた。おそらく彼の堅は1時間と持たないだろう。
 グローブを打ち鳴らすのを錬の切っ掛けとして使っているようだが、そういったポーズは十分に時間を取れる練習や試合で活用すべきものであって、顔を合わせた瞬間に殺し合いが始まってもおかしくない実戦でそんな真似をするのは馬鹿だけである。慣れていないのか戦闘態勢への切り替えも遅すぎて、もしルーが見に回っていなければ既に3回は殺せている相手だった。


「ハッハー! どうした? 怖気づいたか!? 喰らえ! 『箱庭の王者の拳<パウンド・フォー・パウンド>』!」


 わざと纏のレベルを落として自分を弱く見せているルーの策略に引っ掛かったようで、男は一度だけ拳を突き出すと亀のように体を丸めたまま突進を始める。重心は低く両腕で体をガードし、頭を左右に動かしながら相手を追い詰めるピーカブースタイルだった。
 あまり詳しくないルーには正式な名称までは分からなかったが、マフィアの用心棒とはいえボクサーとしてはかなりのレベルである事だけは理解した。どうやら足の裏からオーラを噴射してダッシュ力を上げているらしい。攻防力の移動はスムーズとは言えないものの、シンプルで便利な能力だ。参考になる点はある。

 放出系の能力者なら牽制として念弾を撃ち込んでくるケースが多く、にも拘わらず接近戦を挑んでくるのはやや不可解であるものの、技を分析する限り放出系の能力者だろう。ルーは目を細めて彼の動きを分析する。


「シッ!」


 迎え撃つルーとの距離が7メートルを割った時、コンパクトなジャブが2発繰り出された。腕の長さなど全く届かない距離だが、一瞬後にはルーの眼前に真っ赤なボクシンググローブが迫っていた。やはり放出系の能力であるらしい。威力こそ低かったものの、弾丸並みの念弾に僅かな驚きを感じる。
 反射的に 『餓鬼憑きの食人鬼<カンニバル>』 を発動させて2発とも吸収したものの、若干の衝撃がルーの両手に伝わっていた。万が一を思ってやや多めに割り振っていたのだが、それさえも貫通されたという事実に更なる驚愕を感じる。目の前の男に対して警戒度を一気に引き上げた。


「どうした! 防戦一方か!?」


 男の拳を避けつつ、能力を見破るために凝を使用しながら観察してみる。どうやら基本は両足からのオーラ噴出によるダッシュと、拳から放つ若干の変化を加えた念弾による中距離戦闘であるらしい。ボクシングの弱点になりがちな足元への攻撃なども配慮しているし、天空闘技場200階で十二分に戦えるレベルだ。
 グローブから発射される5発目の念弾を受けてみても、やはり何らかの特殊効果があるとは考えにくい。ルーの顔に若干の困惑が浮かび、数瞬後に氷解した。

(そうか! 悪夢から脱却した影響で 『餓鬼憑きの食人鬼<カンニバル>』 が弱体化しているのか……)

 現在のルーには以前のような、狂気さえ通り越した意思はない。つまり能力に対する思い入れがないのと同じなのだ。扱うオーラ量が同じなら弱くなって当然だろう。念というのは心理状態に大きな影響を受けるものである。いくらオーラに対する親和性は上昇しているとはいえ多少の出力低下は必然といえた。
 以前を10とするなら、現在はギリギリで8に引っ掛かっているというところか。手痛い出費ではあるが、悪夢の消滅と成長限界の解除、と制約を2つも失っている事を加えれば、これでも控えめなぐらいだ。

 早くに気付いてよかったと思う。これは自分と同レベルの敵を相手にするのなら致命的ともいえる弱体化である。
 能力自体には 「最低でも70以上の攻防力を集める」 という簡単な条件しかないため、新たに制約を追加すれば今でも十分に挽回可能なレベルであるが、いきなりそんなドーピングに頼る気はない。いくら自然と発露した能力であっても、制約まで直感でつける必要はないのだから。
 まずは新たな体に馴染ませる為にもしっかりと使い込み、その上で問題点の洗い出しを行って、十分に検討してから初めて制約をつけるべきだと決めた。


「ま、仕方ないか……」


 オーラの動きから拳や念弾の軌道を完璧に把握し、皮膚を掠めるような距離で回避する。最初はチンピラマフィアとの速度差のせいで早く感じたが、目が慣れてしまってはハエが止まる程度の速度にしか感じず、余所見をしていたって当たりっこない。
 既にルーは相手の調理法を考えているような状態だったが、ボクサーの男は今に至っても自分とルーの実力差に気付く様子はないようだった。むしろ自分のラッシュに対し格下の能力者が防御に全力を注いでやっと対応している、と思っているらしい。放出系だけあってまったく単純な男だ。
 数回のコンタクトで『餓鬼憑きの食人鬼<カンニバル>』弱体化後のズレも調整が完了しており、これ以上付き合う気にもなれなかった。彼の相手をするのもいい加減に飽きてきたし、さっさと上を目指す事にする。


「では、さようなら」


 眼前に迫ってくる渾身のストレートを無造作に薙ぎ払うと、周囲に骨の砕ける鈍い音が響く。慢心して伸びきっていた男の右手が粉々に砕けたのが分かった。男は口を半開きにし、間抜けな顔を晒している。彼にとってはあまりに突然だったため、自分の右手が外側に90度折れ曲がった事を自覚できていないようだ。
 鋭い爪を伸ばしたルーの左手が真っ直ぐに眉間に吸い込まれるその時まで、彼はただ茫然として折れた自分の腕を見つめていた。



 その後は特に何もなく、強いて言えば女性の念能力者が出てきたので晩御飯が楽しみになった程度である。
 どうやら、最初に出てきたあのボクシング男がここで最強の念能力者だったらしい。その他の能力者たちは情報収集をメインとしているのか、それとも単純に錬度が足りないのか。実力不足を補うために3人や4人がかりで出てきたが、即席コンビでは狭いビル内でまともな連携を行う事は不可能だ。中盤に出てきた双子らしい兄妹以外はまともに実力を発揮できず、ほぼ現れると同時にルーによって〆られていた。

 本来ならすぐにでも解体作業を行いたいのだが、悲しい事にお仕事の方が優先されるため、しぶしぶと任務を続行している。
 関節の破壊や毒などで動きを封じた後、後から来る部隊にゴミとして処理されないようにマークを付けて転がしておいたから安全だ。21歳ほどに見える女性は特に楽しみ。わざわざ麻痺毒で動きを止めて生かして置いたのだから、とびきり美味しく調理したいところ。
 なにせシェルターに備え付けてあるワインセラーは設置から数カ月で味が落ちてしまう。念能力者の新鮮な血は久しく飲んでおらず、味を想像するだけで涎が出た。仮にも肉体が資本というだけあって麻薬の類はやっていないようであるし、煙草の臭いもさほどなかったので、きっと美味しいだろう。ああ、夢が広がる。


「……ああ、バット。こっちは終わったよ。貰った携帯は壊れちゃった。あと、服が経費で落ちるか知りたいのだけど」


 さすがに穴だらけのコートに全裸では落ち着かないので、衣装棚を漁って適当な服を身につけたルーは、金細工がふんだんに使われている成金趣味の電話でバットへ連絡を入れている。ガードマンはおろか護衛として雇われていた10人の念能力者も壊滅しており、ビル内で生きている人間はルーを含め2人しかいない。銃声や怒号はなく恐ろしく静かで、部屋には電話を相手に会話するルーの言葉だけが響いていた。
 バットによると隠し財産などの情報が必要なようで、バーケコ・シフィル・ティルハセンには生きていてもらう必要があるらしいのだ。まあ本人は金持ちでマフィアのボスという以外は普通の人間であるため、戦闘力は一般人と変わらない。ルーにかかれば生かすも殺すも大差なかった。


「はっ!? わ、私は……? っ! き、貴様! この私ガ、DAれレRE、re……」


 部屋に入ってきた人形のように無表情な男は、電話中のルーに紙切れを手渡すと同時に正気を取り戻したが、すぐに指を突き入れられて表情を失った。男は茫然と口をあけたまま立ちつくし、ただルーの命令を待つだけの人形と化す。

 操作系の能力である 『人刺し指の厳命<ジャック・ザ・リッパー>』 は、人差し指(またはその爪)を相手に突き刺す事で発動する技だ。
 全身全てを支配するためには頭に突き刺す事が要求されるものの、それさえ実行すれば対象は操り人形も同然である。爪を抜くまでなら好きなだけ命令を下せるし、抜いてからも事前に下された命令が終わるか、ルーが与えたオーラが無くなるまでは動き続けるが、ただし一度指を抜いてしまうと再使用には制限がつく。これは放出系の不得手を制約で補っているためだ。
 下した命令が完了するか、オーラが消えるまでは同じ相手に再使用する事ができない。そのため長期に渡る操作こそ不可能だが、使い捨てとしては十分だ。一般人であっても大量のオーラと攻撃指令を与えておけばそれなりの戦力にはなるため、吸血鬼がグールを作るようなイメージで活用していた。


「もしもし、バット? 貸し金庫の暗証番号は11436783で、このビルの敷地内にある黒い石碑の下を掘れば1トン分の未精製のスパイス鉱石が出てくるみたい。その他にも海外の銀行に隠し講座が何個かあるみたいだけど、ちゃんと殺さずに確保したから、細かい事は別の能力者に頼んでよ。じゃ、麻痺させて放置しておくから」


 電話の向こうから了承の言葉が帰ってくるのを待って電話を置き、ルーは自由になった手に僅かに力を込めた。毒腺から麻痺毒が分泌され、爪にある目に見えないほど僅かな溝を通って爪先に達し、蜜のように滴り落ちる。
 牙にある毒と比べれば多少は効果が落ちるものの、毒に対する耐性を鍛えていない人間ならこちらだけでも十分だ。彼の皮膚に他の指で傷をつけ、そこに毒をほんの少量だけ垂らした。一滴に満たない量であるが問題はない。極めて高い生命力を持つ念能力者でさえ即座に麻痺させるだけの効果があるため、多すぎると心臓や横隔膜まで麻痺しかねないのだ。

 今回は慎重に吟味しただけ会って、適切な量を処置できたらしい。直立状態で維持させていた『人刺し指の厳命<ジャック・ザ・リッパー>』を指を引き抜く事で停止させると、彼は骨を失ったようにそのまま後ろへ倒れた。鈍い音を立てて地面と抱擁を交わす。
 いかに高価な絨毯であっても、クッションとしてはさほど効果がないらしい。周囲には見た目麗しい婦人の絵画だとか、芸術的な価値がありそうな彫像なども多数あったが、どれも彼の身を守るには適さない品ばかりだ。こんなものを愛でる暇があるのなら、念能力の一つでも身に着けておけばいいのになと思う。


「降りるのも面倒だし、飛んで帰ろうかな」


 戦いにおいて空を飛べるというのは極めて有利に働く。高い場所から打ち下ろす方が射撃精度も上がるし、重力に従うなら上から下へ降りるより、下から上へと上がる方が大変なのだ。熟練した念能力者でも垂直跳びでは20メートル足らずしか手が届かないため、一方的に攻撃する事も不可能ではない。
 だからこそ、単身では直接的な攻撃力に欠けているバットが、他の武等派を押しのけて重要な立ち居地に座しているのである。
 彼はルーと同じ村の出身であり、両手を蝙蝠の翼に変えて空を自由に飛び回ることが出来るのだ。超音波にオーラを乗せて周囲の状況を事細かに把握したり、強力な超音波によって敵を一方的に弱らせたり、その気になれば鼓膜を一瞬で破裂させる程度のことはやってのける。

 地の利ならぬ空の利についてはルーも十二分に承知であり、だからこそ自分の肉体に凶狸狐(キリコ)やラギーナ、アンゲロスといった翼のある魔獣を参考とした翼を仕込んでいるのだ。ボディそのものが成長中であるために飛行距離はあまり長くないが、ハングライダーのように滑空するだけならば十分だった。


「さっさと帰ろっと。んっ……。うん?」


 ルーの背中が盛り上がる。滑らかな皮膚からするりと出てきた漆黒の翼だったが本来あるべき出口を見失って、広がる前に内側から洋服を突くに留まった。首をかしげた本人の意思に従って何度か出し入れを繰り返し、いかにも高そうな薄い生地が悲鳴を上げだした頃、ルーは両手を打って、ああ、と納得する。

 今の服はサイズが近い物を適当に奪っただけであり、翼を出すためのスリットなどあるはずもないのだ。ならば強引に翼を出して戦利品の服を引き裂いてしまうか、上を脱いで半裸で帰るか。爪を引っ込めた右手を額に当て、しばし悩んだ。
 どうせ晩御飯のおかずは一人では運びきれないし、後からくる回収部隊から受け取らなければならない。だから急いでも仕方がないのだが、大空を自由に舞える機会は逃したくなかった。なにせ今夜が初フライト。それならば伸び伸びと羽を伸ばしたいと思って当然だろう、文字通りの意味で。


「そうだ、これ貰っていこう。ちょっと大きいけど一応は着られるし」


 足元で呻いている家主の上着を剥ぎ取って適当に折り畳むと、男子と間違われても文句の言えない胸に抱え込む。
 金持ちだけあって仕立てのいいスーツだから、きっと着心地は悪くないだろう。今から子供服の入っている棚を漁りに行くのは面倒だったし、どれも年相応の子供向けな物ばかり。累計すれば40年以上も生きている自分の趣味ではなかったのだ。特にアニメキャラがプリントされた下着などは絶対に拒否する。

 狙撃を警戒しているのか窓はどれも小さく、全てに分厚い防弾ガラスが使用されていた。ルーにとっては防弾であろうと防災であろうと大した違いはないものの、華々しく飛び立つ心算だったので多分に拍子抜け。しばし離陸ポイントを求めて探索に励み、どうにか門出に適している窓を見つけて事なきを得た。
 邪魔なレースのカーテンを脇に退けると、雰囲気作りの一環として両手を大きく広げ、伸ばした爪を縦横無尽に走らせて出口を確保する。
 雹のようなガラス片が無数に落下していき、気圧の差から勢いよく吹き込んでくる外気を浴びて満足を覚える。ほどほどに強くていい風だった。


「こういう時は、このセリフでよかったかな……? I Can Fly!!!」


 ルーはコウモリの翼を広げて風を捕らえ、夜の闇を切り裂いていく。


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