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[12804] 偽典 魔人転生 閑話海鳴怪奇ファイル開始
Name: 吉野◆fe64ebc7 ID:0cde0540
Date: 2014/09/27 10:11
 こんにちわ、吉野と申します。

 この作品はチラ裏板で、【習作】リリカルなのはトリップもの(真Ⅲマニクロ微クロス)というタイトルで掲載していた作品の、

正式版です。

 さて、改めてとらハ板に掲載するに当たり、以下の注意事項を追記いたします。




 真Ⅲマニクロ微クロスではなく、真Ⅲマニクロ中心メガテンシリーズ全般クロスとします。

 追加する魔人や世界観とか設定上、そうした方がいいかなと思い、変更しました。




 では、どうぞごゆっくりと、本作をお楽しみ下さい。








 2009年10月末   チラ裏に初掲載。

 2010年3月 22日 チラ裏よりとらハ板へ

          同日 四話後編、四話終編、心理描写一部修正。

          同日 五話掲載

 2010年3月 26日 五話修正

 2010年4月 13日 五話中編掲載

 2010年4月 15日 五話中編修正

 2010年5月 16日 五話後編掲載

 2010年5月 23日 五話後編修正

 2010年7月 20日 六話前編掲載

 2010年7月 27日 六話前編修正

 2010年8月 28日 六話後編掲載

          同日 六話後編修正

2010年10月  7日 七話前編掲載

2010年12月 12日 七話後編掲載

2010年12月 31日 八話掲載

2011年 1月  1日 八話修正

2011年 1月  4日 八話誤字修正

2011年 2月 14日 九話掲載

2011年 2月 24日 九話修正

2011年 4月 11日 第五話 中、後編修正

2011年 5月 21日 第九話 中編掲載

2011年 5月 22日 第九話 中編修正、

          同日  各話ナンバリングを漢数字に統一。

2011年 6月  8日 第九話 後編掲載

          同日  各話前中後編にカッコを付ける方向で統一。 

2011年 6月 14日 第九話 後編修正 

2011年 8月 25日 第十話 掲載

2012年 2月  5日 第十一話 掲載(無印完結)

2012年 同月  同日  間幕 掲載

2012年 同月  9日 第九話、第十一話 修正

2012年 7月 16日  閑話 掲載

2012年 8月  6日  閑話 修正 

2013年 2月 27日  閑話 海鳴の休日 文末加筆

          同日  閑話 海鳴怪奇ファイルVol.1 掲載

2014年 9月 26日  閑話 海鳴怪奇ファイルVol.2 掲載

2014年 9月 27日  閑話 海鳴怪奇ファイルVol.2 修正



[12804] プロローグ
Name: 吉野◆fe64ebc7 ID:0cde0540
Date: 2010/03/22 22:32
 プロローグ


 俺は御剣令示。いわゆる転生者という奴だ。どこぞの逆転検事と名前が似ているが気にしないでほしい。
 
 会社帰りに何者かに背中を刺されてそのまま死亡。で、気が付いたら出産したての赤ん坊になっていた。
 
 こうやって言うとあっさりしているが、実際は気が狂うほどの痛みと苦しみでのた打ち回って死んだ挙句、

歩行も意思疎通もままならない赤子への変化。当時の俺は訳がわからず、わめき散らしていたのだが、看護

師や母親には泣き声にしか聞こえない為、癇癪持ちの赤ん坊扱いされていた。まあ、二、三日で落ち着いたが。

 もっとも、喚いても何も解決しないから、落ち着かざるを得なかったんだがな。

 数日後、無事(?)病院を退院した俺は母親に抱かれてタクシーに乗り、自宅へ帰ることになった。

(さて、ここは一体どこなんだ? 現代の日本にゃ違いなさそうだが、関東かな?)

 退屈しのぎに、窓から街の風景を眺めようと窓へ顔を向けた俺は、自分の目を疑った。

「海鳴市役所」とか、「聖祥付属小学校校門前」とか、「バニングスインダストリー」などといった看板や

案内図を次々と目にしたのだ。

「リリカルなのは」かよ、オイ…

 転生先が現代日本のどっかだと思っていた俺は驚きを通り越して呆然とした。が、

(待てよ……これってチャンスじゃねえか?)

 脳裏によぎった考えが、飛びかけた俺の意識を引き戻す。

 前世の俺の人生はお世辞にもいいものだったとは言えなかった。

 二〇代半ばで両親は他界。兄弟姉妹も無い。

 死ぬ直前の三〇代半ばで彼女も女房も無しの天涯孤独。

 おまけに、最終学歴がパッとしない中の下ランクの高校卒業だった俺が勤めていたのは、これまた中の下レベルの零細企業。

 出世や昇給よりも、自分の首の心配をした方がいいといった具合だった。

 三〇代にして、残りの人生に諦めしか見出せなかった前世。

 だが、今は違う。現時点で俺は高校卒業程度の学力と、社会人としての一般常識、そして「リリなの」の知識がある。
 
 上手く立ち回れば、なのはやフェイトやシグナムといった素敵なおっぱいを我が物とするのも夢じゃない。いや、

SSじゃ俺のような転生者は大抵、なのはと幼馴染フラグが立っている筈だ。

 ならば自分好みに育て上げる『プリンセスメーカー』や『光源氏』の真似事も可能! なーに、士郎パパ入院事件

のぼっちなのはに接触すれば簡単だろ。
 
 いやいやいやいや。そんなケチな事で喜んでる場合じゃないぞ。ここまでくれば俺は最初からオーバーSランクの

チートオリ主。なのはだけじゃねえ、フェイトもシグナムもその他諸々含めて俺のハーレムを作ってやるぞ!

 そう、「ボクは次元世界の神になる」ってなもんよ!

 俺はそこまで考えて月ばりの高笑いを上げたが、母さんには景色を眺めてはしゃいでいるようにしか見えなかった

らしく、「楽しい? 令示」と微笑みながら頭を撫でられた。

 それが気持ち良くて目を細めながらも、俺の壮大なる野望の火蓋は切って落とされたのだった。

 目指せ、おっぱいハーレム!




























 ……そんなふうに考えていた時期が、俺にもありました…

 現実は甘くない。生まれ変わったアニメ世界、しかもそれに気付いて数分後で、そんな事を思い知らされるとは…



 母さんに抱かれてタクシーから降りて目にしたのは、築二~三〇年位の古いアパートだった。

(え? もしかして…)等と考えている内に、母さんは二階角部屋の鍵を開くと、中へと入って行き、

そのまま部屋の奥にある仏壇の前に腰を下ろす。

 位牌の隣にある写真立てを手に取った母さんは、白黒の写真に写る線の細い、なよっとした兄ちゃんに語り掛けた。

「あなた、私たちの赤ちゃんよ」

 ってオイ! 親父死んでたのかよ! 

 ……入院中一回も顔見てないなって思っていたら、こういうことかよ。





 つまり我が家は母子家庭。
  ↓
 住居を見ても経済的余裕があるとは言えない。
  ↓
 私立でエスカレーター方式の聖祥はブルジョアな学校で、当然学費も高い。
  ↓
 聖祥同級生フラグ\(^o^)/オレタ





 だが、悲劇はこれで終わらない。

 フラグが折れて打ちひしがれそうになった俺はふと、ここまでの道程が脳裏によぎった。





 タクシーの窓から見た限り、このアパートは商店街や市内中央の商業地域から離れている。
  ↓
 当然この付近に翠屋は無いし、なのはの家も翠屋から歩いて行ける位、近くの筈。
  ↓
 ついでに言えば、ブルジョアの暮らす地域はもっと閑静な住宅街。こんな住宅密集地な訳が無い。
  ↓
 アリサ、すずかも当然そっち。
  ↓
 幼馴染フラグ\(^o^)/オレタ





 あんまりな展開にorzになりかけた俺だが、何とか踏み止まる。まだだ、まだ終わらんよ。

まだ最後の希望、『魔力オーバーSランク、レアスキル持ち』が残っている。

 事前交渉のフラグがなくとも、これがあれば何とかなる。





  …凡夫がハーレムを得る為には、相応のチートが必要となる。それが、二次創作におけるモテオリ主の原則。

あの頃僕は、それが世界の真実だと信じていた…




























 一人で出歩けるようになった俺は、半ばストーキングに等しい調査でなのはが同い年であると突き止め、歳離れ過

ぎ系の一発ネタSSではない事に安堵した。
 
 なので、無印開始の正確な日付も知らない俺は、果報は寝て待てとばかりに、淫獣からの念話をじっと待っていた。

 が、ある日の下校時。井戸端会議で盛り上がる、おばちゃんたちの噂話を耳にした俺は愕然とした。

 曰く、「槙原動物病院が事故でメチャクチャになった」と。

 嘘だ嘘だと心で叫びながら、俺は一路、病院へと走った。

 辿りついた俺が目にしたのは、まさに噂通りの惨状。





──魔法少女リリカルなのは、始まってました。





 …エリ・エリ・レマ・サバクタニ。(神よ神よ、どうして私を見捨てたのですか?)

 終わった。何もかも。

『諦めろ。試合終了だ』という、安西先生のAAが何度も脳内でリフレインした。

 …ずっと待っていたのに、俺にはユーノの声なんて全く聞こえなかった。

 ──ああ、認めざるを得ない。俺はオーバーSランクどころか、魔導師の素養も皆無の凡人であると。







 こうして夢破れた俺は、しばらくの間塞ぎ込んでいたのだが、その様子を目にした母さんに大変心配をされてしまった。

 こんな碌でもない欲望を抱いていた俺を純粋に気にかけてくれる母さんを見て、俺は自分が情けなくなった。

 夜遅くまで働きながら育児と家事もして、不平不満も漏らさない母さん。

 そんな人に無用な気遣いまでさせて、俺は一体何をやっているのだろうか?

 叶わない妄想に時間を費やす暇があるのならば、息子として大切な家族を支えるべきではないのか? 

 使えない魔法に未練を持ってもしょうがない。ならば母の為に、もっと身の丈にあった夢を追うべきではないのか?。

 ここにきて、俺は自分がどうしようもない中二病患者そのものであった事に気が付き、渋面になった。

 精神は肉体に惹かれるというが、正にそれだ。いつの間にか、俺は意識まで若返っていたのかもしれない。前世の

自分であれば、こんな妄想鼻で笑っていた筈だ。

 こうして、今までの自分を反省した俺は母さんを助ける為、身の丈にあった夢を追うことを決意した。

 とは言え、俺にはまだ前世知識と言うチートがある。これを活かさない手はない。

 中学を出たら大検を受けるのだ、卒業したら司法試験か、国家公務員Ⅰ種試験をパス。そのままキャリア官僚か、

弁護士にでもなるか、名前通りの天才検事を目指すのも悪くはない。

 ま、そこまでは無理でも最低限勝ち組に入って、母さんに楽をさせてあげなくては。

 そこまで考えた俺はその週の休日、早速街へ出て図書館や書店を巡り、大検を受ける為の資料集めを始めた。

(大学の授業料は高いからなぁ…やっぱ奨学金借りるしかねえかな? ったく、税金も払わん外人はタダで入学させ

て、散々金を毟り取られてる国民は学費を払わなきゃならんとは…世の中おかしいだろ?)

 そんな事を考えながら街を歩いていたその時、目の端でえらく眩しい光が閃いた。

「なんだぁ?」と、首を傾げながら振り向いた俺の視界に入ったのは、十数メートル先の交差点で、スポーツウェ

ア姿の小学生男女一組が光に飲み込まれるところだった。

(あ──)

 それは、無印三話のジュエルシード暴走のシーン。何でこんな肝心な事忘れてたんだ!

 二人を中心に急速成長する、巨大樹型ジュエルシードモンスターは、轟音と共に大蛇のような根を四方八方へと

張り巡らせる。当然、俺が立つこちらへも高速で迫る。

(やばい!)

 気が付いた時にはもう遅かった。トラックにも匹敵する質量を持つ木の根に衝突されたその瞬間、俺は意識を失った。







「ぐっ…ごは!」

 一瞬か数分か。全身が砕かれたような激痛に叩き起こされ、俺はうめき声を漏らしながら気力を振り絞り上半身を

起こして周囲を見回した。

「ここは…根っこの上か…?」

 大体二階位の高さであろうか、視界の位置と背中の感触から、蠢く木の根に撥ね上げられたと、俺は悟った。

(──って!? この位置はヤバイ!)

 この後、なのは初の長距離封印砲撃が来る。このままここにいたら、ジュエルシード封印と同時に足場が消えて俺

は地面に叩きつけられる!

(早く、早く逃げねえと!)

 渾身の力で手足を動かし、立ち上がろうとするが、這いずるのが精一杯。動く度に電撃の如き激痛が全身を駆け巡る。

 だが、俺に死刑宣告をするかのように、視界の端に映ったビルの屋上で、桃色の光が強く輝いた。

 全身が総毛立つ悪寒に襲われ、芋虫のような動きでこの場から離れんと必死でもがく。しかし、そんな努力も虚し

く大砲の如き轟音が響き渡り、桃色の砲撃は無慈悲にも放たれた。

 マズイと思ったときにはもう遅い。高速で飛来するソレは、ナメクジのように蠢く俺を嘲笑うかの如く、暴走体へ着弾。

 目が潰れそうな程の光の爆発に視界を奪われ、それと同時に全身が浮遊感に包まれたその刹那、俺は地面へと叩きつけられた。

「グッ! ガハァ! ゴブッ!」


 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイ
タイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタ
いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいい
たいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい!!




 言葉が出ない。身体がバラバラになりそうだ。

 あまりの痛みに転げ回る事すら出来ず、身体をくの字に折り曲げながら、口から大量の血をぶちまけ、呻きを上げる。

 しかし、気が狂うほどの痛みの中にありながら、心の奥底の冷静な部分が、自分の状態を正確に分析していた。

 自分の身体から温もりが、力が、意識が消えていく感覚が、あの時と──前世で死んだ時と同じなのだ。





 だから気が付いてしまった、「もう助からない」と。

「…い゛……や゛……だ……」

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!

 また死ねというのか!?

 また苦しめというのか!?

 俺が何をしたって言うんだ、ああ、確かになのは達を相手にふざけた妄想をしたり、計画を立てたりもしたが実行

なんてしていない!

 前世でも今でもこれという悪事なんて働いてねえ!

 だって言うのに死ねって言うのか? これが俺の運命だって言うのかよ!

「あ、はは…ふざ……けんな…」

 消えたくない。

 死にたくない。

 誰か誰か誰か誰か!

 悪魔でも邪神でもいい、消えたくない、死にたくない!

「俺」を助けてくれ、「俺」を残してくれ!

 筋力を魔力を精神力を耐久力を知力を──力を寄越せ!

「お゛お゛お゛お゛お゛お゛!」

 叫びを上げたその瞬間、俺の視界は真紅の光に包まれた。



 プロローグ END



[12804] 第一話 誕生。魔人と魔王と淫獣と。
Name: 吉野◆fe64ebc7 ID:8181ec1c
Date: 2009/11/24 04:27






第一話 誕生。魔人と魔王と淫獣と。    


 高町なのはは悔やんでいた。

 自分の判断が甘かったばかりに、ジュエルシードを見逃し、街の中心で暴走を引き起こすという、大惨事を招いてしまったことを。

 しかし、その悔恨すらも力に変え、砲撃の如き長距離間封印魔法を命中させた彼女は、一路暴走体が出現した場所へと向かい

──蒼白となった。

 暴走体の元となった少年少女はいい。気を失ってはいるものの、目立った外傷は無い。

 なのはの視線はその先──数メートル程離れたあたりで倒れている少年を見つめていた。

 身に着けている服はあちこちが千切れ、ボロボロになっており、そこから覗く肌には目を逸らしたくなるような裂

傷と打撲の跡。更に、多量の吐血の為であろう、口元と上着が真っ赤に染まっていた。

 誰が見ても危険な状態の重傷者である。すぐに手当てをしなければ、命に関わる。

 だが、命の危機にある人間を目の当たりにして、なのはは完全にパニックに陥っていた。

「あ……嫌……」

 いかに魔導師として天才的なセンスの持ち主であるとは言え、高町なのはは数日前までただの一般人、しかも小学生

の女の子なのだ。戦場や災害現場の惨状など、フィルターのかかったテレビ画面越しでしか見たことが無い。冷静に対

処しろと言う方が酷だろう。

「なのは! しっかりして! あの子はまだ生きているよ、早く手当てをしなくちゃ!」

 しかし、なのはにとって幸いであったのは、ユーノ・スクライアというパートナーが居たことだ。

「──え。あ…うん、わかったよ、ユーノ君!」

 ユーノの言葉で我に返ったなのは。未だ青い顔をしていたが、己の成すべき事を思い出し、決意を言葉にする。

「まずジュエルシードを回収しよう。あの子の手当てをしている時にまた暴走なんてしたら、目も当てられないよ」

「うん! レイジングハート、お願い!」

『Yes, my master.』

 なのははレイジングハートを構え、自分を落ち着かせるように深呼吸をして、呪文を紡ぐ。

「リリカルマジカル。封印すべきは忌まわしき器、ジュエルシード封印!」

 なのはの言葉に応じて、少年少女の間に落ちていたジュエルシードがふわりと浮き上がり、レイジングハートの中へと吸い込まれた。

「ジュエルシードシリアルⅩⅩ、封印完了!」

「よし、後はあの子だ。急ごうなのは!」

「あ、待ってよユーノ君!」

 肩より地に降りて駆け出すユーノを追って、なのはは慌ててそれに続く。

「で、でもユーノ君、手当てってどうやってやるの?」

「大丈夫。応急処置なら僕が出来るし、なのはにも教えられるから」

「そ、そうなの? スゴイね…」

 遺跡発掘を生業とするスクライア一族は、その職業上、遺跡内の罠や採掘作業中の事故、盗掘者や強盗、遺跡内部

のガーディアンとの戦闘等、多くの危険が伴う。応急処置を始めとする治療技術は必要不可欠なのだ。

(問題はあの子の怪我が、僕の治療で助かるレベルかどうか──っ!)

 なのはに不安を与えぬよう、念話にせずに心中で少年の状態を危惧していたユーノは、眼前の光景に驚き、目を剥いた。

 その負傷した少年が、這いずるように無理矢理動き出したのだ。

「なのは! あの子を止めて! 骨が折れていて、それが内臓を傷つけたら大変なことになる!」

「ええっ!? う、うん、わかった!」

 ユーノの言葉に、なのはは最悪の事態を想像しぎょっとするも、すぐさま少年の元へと駆け寄り、声をかける。

「あ、あの動かないで! 今動いたら「お゛お゛お゛お゛お゛お゛!」──って、ええっ!?」

 なのはの制止の言葉に重ねるように、少年は絶叫を上げ、力任せに瓦礫を掴んだ手を、高々と天へと掲げる。

 その瞬間、なのはとユーノは強力な魔力の波長を捉えた。その震源は──

「あの子…!」

「ジュエルシードを持ってる!?」

 二人が少年の手にした瓦礫の中に、青く輝くジュエルシードを見つけたその刹那、宝石が真紅の光を放ち、少年を包み込む。

「いけない、暴走する! なのは、一旦離れて!」

「ふえっ!? う、うん!」

 肩に飛び乗ったユーノに促され、なのはは慌ててその場から離れた。

 安全圏まで退いたところで、再度少年へと目をやると、放たれた紅光は地へと広がり、円形を作りだして、その

内外に複雑な図形や文字を描いていく。

(アレは…魔法陣!?)

 ユーノはジュエルシードの起こした、予想外の現象に目を剥く。

 魔力を放出するならば兎も角、理性も意思も演算能力もない暴走体が魔法を発動させるなど、有り得ないことだ。

 しかも、その魔法陣は、円を基本とするミッド式とも、三角を基本とするベルガ式とも違う、未知のもの。それは、

円の中心に上下逆の対になる二つの三角形──六芒星を配した魔法陣だった。

 ユーノはこのワケの解らない出来事の連続に、頭がオーバーヒートしてしまいそうだった。

 ユーノの混乱をよそに、完成した魔法陣が上空へ向け真紅の閃光を放出。

 それと同時に紅光の柱を中心に嵐の如き暴風が吹き荒れた。

「きゃぁ!」

「うわぁ!」

 吹き荒れる砂塵混じりの旋風に、なのはは顔とスカートの裾を押さえ、ユーノは飛ばされまいとなのはの肩にしがみつく。

 その間、時間にして数秒。

 吹っ飛ばされるかと思ったほどの強風は、あっと言う間に通り抜け、紅光も消滅した。

 辺りが静寂を取り戻したその時、なのは達の前方より、ジャリッ、と靴底で砂を噛む音が響いた。

 あの少年だろうか? 二人は砂埃を防いでいた手を除け正面へと目を向け──

「「!?」」

 ──言葉を失った。

 二人の視線の先に在るのは、地に立つ一人の人物。

「ソレ」は、意匠を凝らした刺繍や、貴金属の作られた象嵌で飾り立てた、豪奢な衣装と帽子で身を包んでいた。

 左手には、触れただけで、あらゆる物を両断してしまいそうな鋭利なサーベル。

 右手には、血で染め上げたような真紅の布。

 なのはは知らない。「ソレ」の出で立ちが、遥か西方の情熱の国では、闘牛士と呼ばれていることを。

 もっとも、例えなのはがそれを知っていたとしても、気付くことはなかったであろう。何故なら、彼女の目は、「ソレ」

の顔からそれることなく凝視し続けていたからだ。



「ソレ」には、

 ──目が無かった。

 ──唇が無かった。

 ──鼻がなかった。

 ──耳が無かった。


 筋肉も脂肪も皮膚も髪も無く、在るのは白磁の如き頭蓋のみ。「ソレ」は、直立する人骨だったのだ。

「お、おおおおおおおお化けぇぇっ!?」

「違うよなのは! アレはジュエルシードの暴走体だよ!」

 半泣きでパニック寸前のなのはを、必死で宥めるユーノ。が、その彼自身も先程から驚きの連続で頭の中がグチャグチャだった。

「で、でもあれ、ガイコツだよっ!?」

「あれはきっとあの子が怪我をしたことで強烈な死のイメージが生まれたのと、死にたくないって気持ちがごちゃ

混ぜになったものだよ──多分」

「言った! 今たぶんって言った!」



 ククッ…



「「!!」」

 風に乗って耳に届いた笑い声が二人を我に返した。

 慌ててガイコツの暴走体の方を見れば、「ソレ」は肩を震わせ笑い出した。

「クククククハハハハハハハハっ! フハハハハハハハハハッ!! 愉快、痛快、爽快!!まさしく快也!!」

「しゃ、喋った…」

「へ? そこはおかしいの?」

 呆然と呟くユーノの言葉に、首をかしげるなのは。

「ジュエルシードの暴走体は欲望や願望を肥大化させた存在。意識や知性なんてそれに押さえ込まれてしまう筈なのに…

ああ、もうワケがわからない!」

「えと、大丈夫? ユーノ君」

 頭を抱えてしまったユーノに、なのはは心配そうに声をかけた、その時──

「フハハハハハハハッ!」

「あっ!」

「逃げちゃう! って、もう見えない!?」

 ガイコツから目を離した、ほんの僅か数秒。その間にそいつは高笑いを上げながら、ビルからビルへと跳び移り、あっと

言う間に逃げ出してしまった。

「「ど、どうしよう…」」

 二人は唖然とした表情で、ガイコツの消えた方向を見つめていた。





 第一話 誕生。魔人と魔王と淫獣と。 END



[12804] 第二話 初陣。闘牛士と吸血鬼とツンデレと。(前編)
Name: 吉野◆fe64ebc7 ID:8181ec1c
Date: 2009/11/24 04:24
「ふはははははははっ!」

 笑い声を上げながら、俺はビルを足場に宙を舞い下界を視界に捉える。

 芥子粒みたいな連中が、ぶっ壊れた街で右往左往しているのがよく見えた。

 うむ、まさに「見たまえ! 人がゴミのようだ!」と言うヤツだ。

 ほんの数分前まで、俺もあんなちっぽけな存在だった。

 だが、今は違う。

 腹の底からこみ上げてくる力! 力! 力! 

 その湧き上がる高揚感が俺を更なる高み(ステージ)へと押し上げてくれる。

 そうだ俺は最強の存在。悟りの境地に達した覚者(アートマン)。第六感(シックス・センス)すら足元にも及ばぬ、

第七感(セブンス・センス)の持ち主。

 今の俺ならば、たとえ神とだって渡り合うことが出来──

「って! なんじゃこりゃあぁぁぁっ!!」

 中二的思考に陥ろうとしていた俺は、ビルのガラスに映った自分の姿を見て、正気を取り戻した。

「な、なんで…」

 もとい、戻さざるを得なかった。

 何故ならば──

「なんでマタドールになってんだぁぁぁぁ!」

 震える指先を硝子へ向け、俺は思わず叫びを上げていた。

 俺が見た己の姿、それは『真・女神転生Ⅲノクターンマニアクス』の、魔人マタドールそのものだったからだ。





















「オーケーオーケー、KOOLになれ。まずは落ち着くことだ」

 一しきり喚きまわった後、こんな姿を通行人に見られたらまずいという事に気付き、急いでビルの屋上へと飛び上がって、

現状把握をする為、深呼吸をして気を落ち着かせる。

 ──ん、待てよ? 普通なら、こんな異常な事態に素早く対応なんて出来る筈が無いよなぁ…

「まさか魔人になって、身体ばかりか精神にまで異常をきたしたんじゃないだろうな…」

 背筋に冷たいものが走り、ブルリと身体を震わせる。

「……ゲームじゃ、魔人はバッドステータス攻撃軒並み無効だったから、そのせいだよな、うん」

 そういうことにしておこう、じゃないと俺の心がもたない。

「さて、まず考えるべきは、なんで俺が変身なんてしてんのか。その上、何故『リリなの』世界でマタドール

なのか。だよな…」

 俺は取り合えず一体この身に何があったのか、ここに至るまでの経緯を振り返る。

「やっぱアレか、ジュエルシード…」

 怪我をした時や変身したばかりの時とは違い、今は(ある程度は)落ち着いている為、思い出せる。

 死にたくないと、必死で這い回った時に掴んだもの…アレは確かにジュエルシードだった。

「つまり今の俺はジュエルシードモンスターって訳か…」

 屋上の床に出来ていた水溜りを眺めて、自分の顔を映しながら呟く。うーん、見事なドクロフェイス。

 つか、どっから声出してるんだろ?

「けど、それならなんで俺には自我があるんだ?」

 ジュエルシードの暴走に巻き込まれたヤツは、もれなく自我を喪失する。例外は月村家の子猫位なもんか? まあ

アレは、本能で生きる生物だからなぁ。暴走すんのは高度な知性を持った生物限定なのかな?

「だとしたら、ますます俺の状態はイレギュラーな事態だな。どうすりゃいいんだよ、オイ…」

 第一、元の姿に戻れんのか? こんな骸骨面じゃ表も歩けやしねえよ。…いや、よく考えたら、家の中だって無理だ。

母さんと顔合わせる度に泣かれ──

「てぇぇぇぇぇっ! どうすんだよこの格好! コレじゃ家にも帰れねえよ!」

 想像してみろ。ドクロが「ただいまー、お母さん今日のご飯何ー?」なんて家に入ってくるところを。

 不審者なんてレベルじゃねーぞ! 通報以前に包丁振り回して追い出すわ!

「火サスか昼ドラじゃあるまいし、斬りかかってくる母親なんてご免だぞ…」

 何としてでも元の姿に戻らねば! ……でも、どうやってだ?

「ええい! 取り合えずシンプルに行くぞ!」

 俺はガシガシと頭を掻き、とりあえずウンウンと呻りながら「戻れ! 戻れ!」と念じてみる。すると──

「お、あ、アレ?」

 突如、立ち眩みのような感覚に襲われ、倒れそうになる。

 ヤバイと思った俺は、中腰になり何とか踏み留まった。

「とぉー、危なかったぁ~」

 溜息を吐きながら軽く頭を振って、正面に目を戻す俺。しかし、

「視点が、低い……まさか!」

 慌てて足元の水溜りへと目をやると、そこにはすっかり元通りに戻った俺の姿が!

「はぁぁ~、良かった~これでホームレス小学生にならずに済む」

 大概この手の変身は、元に戻るのにえらく手間がかかったりするもんなんだが、アッサリ解決して良かった良かっ──

「──げ」

 俺は水溜りに映った、首から下の姿を見て絶句した。

 恐らくジュエルシードの力だろう、怪我が完全に治っている。それは良い。

 問題なのは、先程の騒動で血まみれの上、ボロボロになった俺の服だ。

 今日は休日、母さんは家に居る。

 この状況をどうやって誤魔化しゃあいいんだと、俺は一人頭を抱えた。







 第二話 初陣。闘牛士と吸血鬼とツンデレと。(前編)




「オイオイ、なんだよこりゃ…」

 明けて翌日の放課後。

 ここは通学路からやや離れた廃ビルの中。

 打ち付けのコンクリートの壁にかかった姿見の前で、上半身裸になった俺は、鏡に映った自分の胸を見ながら、呆れ

混じりの呟きを漏らした。

 俺の視線の先、胸部のほぼ中央──心臓の上にあたる場所にあるのは、青く輝くピンポン玉大の宝石。

 その表面には「ⅩⅢ」とあり、ギリシャ数字の「13」を意味する記号が刻印されていた。

 どう見てもジュエルシードです、本当にありがとうございました。

「全く、拘わる気無くした途端にコレかよ…」

 俺は溜息とともに、呟きを漏らした。





 俺は昨日起こった出来事の、実験や分析整理を行う為、通学路から少し外れた場所に建っている廃ビルへとやって来た。

 ちなみに、ボロボロになった服の一件は、血の付いた部分を破り捨てて隠滅した後、帰宅。街での巨大樹騒動に巻き込

まれたと、母さんに説明した。

 流石にあの規模の騒動はテレビでも取上げられていた為、何とか信じてもらえ、俺は心中で安堵の息を漏らしたのだった。

 閑話休題。

「昼くらいからどうも胸がむず痒いと思っていたら、こんなもんが出来ていたとは…」

 これで魔人化の原因はジュエルシードに確定か…そんな事を呟きながら、俺は胸の宝石を爪先で弾いたり、引っ張ったり

して、調べてみる。

「痛ェ! 完全に一体化してやがる…まあ、瀕死の重症を治してもらった上に、自我も喪失していないんだ、文句は言わんが、

コレだと目立ってしょうがないな」

 体育とか、着替えの際に人に見られると面倒だ。幻術とかで誤魔化すとか出来ないかな? と、思った瞬間──

「えっ! アレッ!?」

 姿見に映っていた俺の胸からジュエルシードが消失した。

 慌てて胸に手と視線をやると、姿は無いが硬い石の感触が、確かにそこには存在する。コイツは一体…

「あっ、もしかしてさっき俺が考えた幻術か?」

 俺の考えをジュエルシードが汲み取り、力として発動させたということなのだろうか?

「……考えても埒が明かん。一つ、実験してみるか」

 ジュエルシードが色々と力の面で便宜を図ってくれるのならば、願ってもない事だ。

 どの道、今のこの状況はかなりマズイ。ジュエルシードの力は未知数で、何時暴発するかわかったものじゃ

ないし、暴走体として、なのはやフェイトに追っかけ回される可能性だってある。

 今後の展開や危険を考えれば、現状把握は必要不可欠。

「と、なればインテリジェンスデバイスみてーな、サポート兼チュートリアルガイドが必要だな。このシリアル

ⅩⅢが対話可能になるみたいな──『これで良いか? 主よ』──はえーな、おい」

 考えた傍から即実行とは、なんと言うご都合主義。まるでエアー○アドベンチャー。

 まあともかく、これで俺の仮説は正しく証明された訳だ。

「色々聞きたいことはあるが、まず、お前はジュエルシードの意思なのか?」

『答えは否だ、主。ジュエルシードは、手にした者の願いを叶える受動的な物にすぎぬ。意思を持ち、他者に干渉する

ような能動的な機能はない。我という存在は、主の願望を汲み取ったジュエルシードが生み出した、仮想人格にすぎない』

 仮想人格か、やっぱインテリジェンスデバイスに近いな。

「じゃ二つ目。ジュエルシードは、こんな痒いところに手がとどくような、細かな願いを叶えるシロモノじゃない筈だ。

手にした者の欲望や願望を歪曲的な解釈で叶え、本能で行動する暴走体と化す。俺がそういうものにならず、自我を保

っているのは何故だ?」

『一言で言ってしまえば、主にはジュエルシードに対する適性因子がある為だ』

「適性因子?」

 オウム返しに聞き返す。

『ジュエルシードを暴走させることなく、完全に制御下に置く力だ。過去、ジュエルシードは様々な者の手に渡ったが、

このような力の持ち主は皆無だった。主の力は一種のレアスキルに等しい』

「膨大な魔力を秘めた宝石を自在に操る能力ってか? チートそのものじゃねえか…じゃ、その気になれば貴金属や札

束を生み出すことも可能なのか?」

『現時点では不可能だ。ジュエルシードシリアルⅩⅢは、主の<生命、意識、肉体の保全と強化>という願望によって、

魔力のベクトルを固定されている。この願望に付随、もしくは近い願いならば、ある程度は魔力も使えるだろうが、

願望のベクトルからかけ離れた力を欲する場合は、他のジュエルシードを手に入れる以外、方法はない。無理に現状の力

でそれを行えば、シリアルⅩⅢの力が別のベクトルに向いてしまい、その力で維持されている主の命が危険に晒されるぞ』

「そこまで都合良くはないか…三つ目だ。俺の願望が<生命、意識、肉体の保全と強化>なら、そのままの姿でもいい筈だろ?

なんでまた『マニアクス』のマタドールなんかに変身したんだ?」

『…主も知っての通り、ジュエルシードはその膨大な魔力で次元震を引き起こし、虚数空間への干渉を可能とする、いわ

ば世界と世界を繋げる扉のような力を持っている。通常であれば次元世界間で済んだのだが、制御能力を持ち、更には

『観測者世界』からの転生者である主がジュエルシードを手にした事により、イレギュラーが発生した』

「? 観測者世界? 初めて聞く言葉だな?」

『便宜上、そう名付けただけだ。意識下、無意識下を問わず、無限に存在する並行宇宙を認識する観測者たちが住まう

世界。観測された世界は創作物と言う形でその世界に広められている世界』

「…つまり、俺が知るアニメやゲーム、漫画、ラノベの世界は、全て現実に存在する並行世界ってことか?」

『然り』

「で? 俺が観測者世界からの転生者だってことが、どうして問題なんだよ?」

『暴走体によって瀕死の重傷を負った主は、前世の末期の記憶も手伝ってか、強烈な死のイメージを抱いた』

「あんまイヤな事思い出させんなよ…」

 思わず渋面になり、愚痴をこぼす。

『済まぬ。しかしこれが起因となっている以上、避けては通れぬ。

 二度に及ぶ死の体験。その際、主は何を感じた? 何を思った?』

「あん? …そりゃ、痛いとか、怖いとか、死にたくないとかそんなもんだろ?」

『否。それだけではない筈だ』

「それだけではないって…他に何があるってんだよ?」

『──快楽』

「はぁっ!?」

 俺は仮想人格の思わぬ答えに、目を丸くする。

「俺ゃマゾじゃねーぞ! 死ぬ程の苦痛なんざご免だ!」

『落ち着け主。順を追って説明する』

 俺は取り合えず口を閉じ、ジト目で次を促した。

『別に在り得ぬ話ではない。前世でも今生でも、主の負った怪我は即死に至る物ではなく、数分から十分以上かけて

死に達するもの。主が先程言った苦痛や恐怖は、この間心身に付いて回ったことだろう。

 だが、人間の脳にはそうした物をやわらげる物質がある』

「…脳内麻薬」

『是。その通りだ主。前世の事故で苦しむ主の脳内では、それを緩和しようと脳内麻薬が分泌された。それも、明らか

に過剰な量と種類が、だ』

「あ? どういうことだそりゃ?」

『事故の際、主は頭部に強い衝撃を受けたのだろう、それによって脳内麻薬をコントロールする自律神経系に異常をきたした。

その為に、通常では在り得ない程の分量を、過剰摂取してしまったのだ』

「──あ」

 仮想人格にそう言われ、俺の脳裏で前世の最後のシーンがフラッシュバックした。

 痛み。恐怖。永遠にも感じた苦しみの中、自分でもわかるくらい顔を歪め、苦悶の表情を浮かべていて──

 でも、俺は笑っていた。死の直前にも係わらず、笑っていた──

 痛みも苦しみも恐怖も怒りも悲しみも生への執着も──

 全てがおかしくて楽しくて気持ちよくて──

 血を吐きながらゲラゲラ笑って──

 余りの気持ち良さに射精して──





 ──死んだ。














 忘れていた──否、記憶の底に、無意識のうちに封印していた愉悦と狂気、性的な興奮を思い出した俺は、立っている

こともままならぬ程に強い立ち眩みを覚え、堪らずその場に膝を着いた。

「……忘れていて、正解だったぜ。こんな記憶…覚え続けていたら快楽殺人鬼か、重度の自傷癖にでもなりかねねえ…

こんなの思い出して大丈夫なのかよ?」

『問題ない。主の精神強度は、以前のそれとは比べようもない程高くなっている』

「あ、そ…」

 あくまでクールな仮想人格に溜息を漏らしつつ、で? と俺は、自分の胸へと視線を向ける。

「この糞ったれな記憶と、魔人化の因果関係は?」

『ふむ、話を続けよう。主は死に対して恐怖や苦痛だけでなく快楽を覚え、一種、魅了された状態にあり、薬物依存に

等しいその危険な記憶を、深層心理の奥底に隠すことで、心の平穏を保っていた。しかし──』

「暴走体によって、再び瀕死の重傷を負ったことで、封じ込めていた<死の快楽>が、顔を覗かせた」

『是。その死を恐れながらも求める矛盾した精神状態で、主はジュエルシードを手にした。常人の発動であれば、唯の

怪物と化していたことだろう。しかし、主は適性因子の持ち主。ジュエルシードは主の<死を恐れながら死を求め、力と

自身の保全を欲する>というややこしい願いを正しく叶えようと、主の心理、記憶を検索し、該当するデータを得た。

それが──』

「魔人ってワケかよ…」

『然り。魔人とは災厄の象徴。死、そのものにして、力そのもの。これほど主の願いに適した者はなかった。

 そしてそれは主が観測者世界から持ち込んだ他の並行宇宙の記録。ジュエルシードは主の願いを正しく叶えるべく、

その記憶を鍵に並行宇宙の壁を越え、アマラ深界への扉を開いたのだ。本物の死の力を得る為に』

「ちょっと待て! じゃ、あのマタドールの姿は本物なのか? 俺のイメージの産物とかじゃなくて?」

『半々、と言ったところだな。たった一つのジュエルシードでは、メノラーに触れて、残留思念を得ることと、マガツヒを

吸い込むことで手一杯だ。不完全な部分は主の記憶とイメージで補完している』

「おい、メノラーに触れたって…大丈夫なのか? アレはあの『車椅子の爺様』の所有物だろうが。人修羅とかデビルハンター

とか、悪魔召喚師とか送り込まれねーだろうな?」

 チートを越えたチートに狙われるとか、冗談じゃねえぞ。

『問題ない。メノラーに触れたのは一瞬、吸い込んだマガツヒの量も、アマラ深界全域に流れる総量の、およそ六〇〇〇

阿僧祇(あそうぎ)分の一に過ぎぬ。対岸も見えぬような巨大な川より、水一滴を盗むようなものだ気付く者などおらぬ』

「阿僧祇って…天文学的数字が可愛く思える、凄い単位が出たな。本当に大丈夫なんだろうな?」

『是。当然だ。そもそも主を助ける行動で危機に晒してどうする? 本末転倒ではないか』

「まあ、そうだな…しかし、半々とは言えマガツヒまで使って魔人化してるってことは、ある程度は俺も悪魔化してるってことか?」

『否。確かに必要に応じ、アマラ深界に開いた扉──接触点より、主へマガツヒが流れるようにはなっているが、それは

ジュエルシードを介してのもの。これが安全弁になり、主が悪魔化することはない。主自身がそれを望まぬ限りはな』

「そうか…長くなったが、まあ疑問は大体解けた。思った以上の大事になっているけどな…」

 さて、俺は今後どうするべきだろうか。以前考えていたようにとことん介入すべきか、徹底的に静観するべきか、等と考えていた

その時──

「きゃあ!」

「ちょっと! 乱暴しないでよ!」

 数人の男女が押し問答をする声が、俺の耳に届いた


第二話 初陣。闘牛士と吸血鬼とツンデレと。(前編) END



[12804] 第二話 初陣。闘牛士と吸血鬼とツンデレと。(後編)後半大幅加筆修正版
Name: 吉野◆fe64ebc7 ID:0cde0540
Date: 2009/12/26 16:34
「そうか…長くなったが、まあ疑問は大体解けた。思った以上の大事になっているけどな…」

 さて、俺は今後どうするべきだろうか。以前考えていたようにとことん介入すべきか、徹底的に静観するべきか、

等と考えていたその時──

「きゃあ!」

「ちょっと! 乱暴しないでよ!」

 数人の男女が押し問答をする声が、俺の耳に届いた。

 何だ? と思いつつ、声がした方向──割れた窓の外を見下ろすと、ガラの悪い男たちに、引き摺られるようにして

ビルへと連れ込まれる少女が二人。

 一人は紫がかった綺麗な黒髪、もう一人は鮮やかなブロンドで、両人とも聖祥の白い制服を着ている。遠目でわかるのはこの位なのだが、

「ありゃ、どう見てもアリサとすずかだよな?」

『是。間違いない。そしてこの状況は、主の世界で言う誘拐イベントと酷似している』

「一緒にすずかがいるあたり、『俺』という異物が入った影響か?」

『解答不能。確かに主というイレギュラーが、この世界に及ぼす影響は小さいとは言えぬ。しかし、どこまでが主の影響で

あるかなど、神ならぬこの身では判別不能だ』

「ま、そりゃそうか…で、だ、仮想人格よ、俺は原作に関わる気なんかスッパリ切り捨てちまった。このまま静かに暮らす

なら原作通りに話が進んだ方がいい。だから、これ以上大きな不確定要素を生まない為にも、俺はあいつらを助けないで、

原作キャラの登場を待つべきか?」

 この力を手に入れたのが、転生したての頃であれば、狂喜乱舞したことだろう。

 しかし、現実に打ちのめされ、自身の愚かさを知った今、そんな考えは欠片も湧かない。完全に冷めてしまったというか、

賢者モードというか、そんな感じだ。

『決定権は主にある。我はそれに従うのみ。──ただ一言、言わせてもらえば、ここで彼女らに関わることはマイナスではない。

むしろ助けぬ方がマイナスになりうる』

「あ? そりゃどういうことだ?」

『簡単なことだ。既に主というイレギュラーが発生している今、原作との乖離は修正不可能だ。主の生命維持には、ジュエ

ルシードは必要不可欠。それを手にしている以上、主は争乱の中心に居るも同然』

「う゛っ…」

『ならばここは積極的に関わり、どの勢力がどう転んでも生き残れるよう趨勢を見極め、臨機応変に動くべきだ』

「そうだなぁ…こんな不確定要素だらけの状況じゃ、あの二人を助けに来る人間も、いるかどうかも怪しいなぁ。仕方が

ねえ…行くか」

 頭を掻きつつ、決断する俺。流石に、ヤバイ可能性を知りながら見捨てるのは、後味が悪い。

「で? 魔人に変身ってどうやんだよ?」

『念じ、言霊を発すればよい。それ即ちマガツヒとなり、アマラより力を得る為の呼び水となろう』

「言霊、ね。てことは強い感情、テンションが上がるような言葉じゃないと駄目か…」

『無論。主が成長するか、更なるジュエルシードがあれば別だが、現状では強い意志の発露がなければ、扉を開くことは叶わぬ。』

 くそ、なんかこっ恥ずかしいな……ええい、ままよ!




──アマラの果てより来たりて

 ──魔炎の火立てをこの手に

 ──我は、死を下す超者と成らん

 ──我、鮮血の剣士、マタドール!





『フム、『デモンベイン』のアレンジか。悪くない。マガツヒの量も充分だ、行くぞ、魔法陣発動!』

 仮想人格の声に応じ、俺の足元に現れる魔法陣。

 それは、円の中心に六芒星を刻んだ、ベルガ式、ミッド式とも異なる、いわば地球式の魔法陣だ。

 マガツヒで描かれているのだろうか、真紅の輝きを放つそれは、天井にも届く程の巨大な赤光の柱を生み出し、俺の体を飲み込んだ。

「ふむ。魔人化完了か…」

 次の瞬間には、光は完全に収まり、消えてゆく魔法陣から歩み出た俺は、姿見に映る濃緑の闘衣を纏うヒトガタ──

魔人マタドールと化した自分を見ながら呟いた。

「心配していた混乱はないが…なんかこう、腹の底からこみ上げてくる高揚感があるんだが?」

『それは悪魔本来の闘争心だ。戦場で恐怖に憑かれることなく戦えるが、身を任せすぎれば、ウォーモンガー(戦争狂)か、

バーサーカー(狂戦士)になりかねん。気をつけろ』
 
「いや、マズイだろ、ソレ…抑えることは出来ないのか?」

『それは無理だ主。ジュエルシードの力は、主の生命維持や、アマラ深界との接触点の保持などに費やされている。

更には悪魔の強烈な自我を押さえ込み、主の自我を守っている現状、どうしても取りこぼしが出てしまう。この位

の差異は耐えてくれ』

 むう、この際贅沢は言えんか…

「…仕方がない。今はあの二人を助けるのが先決だ。行くぞ!」

『承知』






 第二話 初陣。闘牛士と吸血鬼とツンデレと。(後編)後半大幅加筆修正版






 薄暗い廃ビルの一室。

 かび臭いむき出しのコンクリートの床に、無理矢理座らされたアリサ・バニングスと月村すずかは、周囲に立つガラの

悪い男たちの、下卑た視線から逃れるかのように、互いに身を寄せ合っていた。

「……アンタたち、一体何者よ!? こんなことして、許されると思ってんの!?」

 無遠慮な男たちの目から、すずかを守るように前に出たアリサは、声を張り上げてチンピラたちの中心に居る、リーダー

らしき黒いスーツ姿の男を睨みつけた。
 
 しかし所詮は子供の言葉。黒スーツは気圧されるどころか、人を喰ったような笑みを更に深くして、チンピラたちの

集団から、一歩前に出た。
 
「いやいや済まないねえ、お嬢ちゃん。おじさんたちもこんなことはしたくないんだが、これも仕事でねえ」

 悪いが付き合って貰うよ? と言いながら、黒スーツは肩をすくめる。見た人間が苛立つ、気取った仕草だった。

「仕事って何よ! ワケのわからないこと言ってんじゃないわよ!」

「何、難しいハナシじゃないさ。お嬢ちゃんのパパのお仕事が、邪魔だと思っている人たちが居てねぇ…」

 気炎を上げるアリサの前でしゃがんだ黒スーツは、涼しい顔で胸ポケットからシガレットケースを取り出し、紙巻煙草を口に咥える。

 それと同時に、取り巻きの一人が駆け寄ると、ジッポライターで紙巻に火を点した。

「──で、パパさんに仕事をやめてもらう為に、お嬢ちゃんに協力してもらおうと思ってね。そっちのお嬢ちゃんはー、

まあ、巻き添えって奴だな」

 そう言い終わると、黒スーツはどろりと濁った目を細め、紫煙を吐き出した。

 副流炎を吹きかけられた二人はケホケホと咳き込み、涙を浮かべる。

 黒スーツは少女たちを見つめながら、無言で背後のチンピラたちに手を振った。

 すると、集団から駆け出した一人が、デジカメを手にしてアリサたちの前に立つ。

「つー訳で、聞き分けの悪いパパさんにYESって言ってもらう為に、アリサちゃんにゃ素っ裸になってもらおうかな」

「な、何言ってんのよ! そんなのやる訳ないでしょ! ばっかじゃないの!?」

 身内にお使いを頼むかのような軽い口調で、とんでもないことを言い出すの黒スーツに、眦を吊り上げ、怒りを表に

するアリサ。

 それに対して黒スーツは、あくまでマイペースに、氷のように冷たい視線を二人に向け口を開く。

「ウチのもんに持たせたカメラで撮って、君のパパに送り付けんのさ。大事な一人娘のストリップだ、これを見せりゃ、

パパさんも観念して、どんなお願いも聞いてくれるだろうよ。

 あー、ちなみに嫌だってんなら、かわりにそっちのお嬢ちゃんを無理矢理ひん剥くから」

 それにさ、と黒スーツは続ける。

「俺の後ろにいる連中の中にはさ、君らみたいな小さくて可愛い娘が大好きな変態が、何人も居るんだよ。アリサ

ちゃんが言うこと聞いてくれないと、おじさんのかわりにそいつらが、君らと「お話」することになるけど?」

「ひっ」

 黒スーツの後ろに立つ男たちの、下卑た笑い声と、身体を這い回るナメクジのような視線を浴びて、すずかは

その生理的な嫌悪感と恐怖に、青い顔で息を呑んだ。

 その様子を見たアリサは数秒の思巡の後、意を決して立ち上がると、正面からキッ、と黒スーツを睨みつけ口を開いた。

「──すずかには手を出さないで…」

「ああ、アリサちゃんさえ言うことを聞いてくれれば、そんなことしないよ。約束する」

「っ!? アリサちゃん!?」

 親友と黒スーツの会話の意味を悟ったすずかが、悲鳴に等しい声を上げる。

「…大丈夫よ、すずか。あんたは私が絶対守るからね」

 青ざめた顔と震える唇で、不器用に笑うアリサ。

 大切な親友が、自分の為に辱めを受けようとしている。耐えられない。耐えられる筈がない。

 ──助けられる。

 自分ならば、親友を救うことができるのだ。

『夜の一族』の、吸血鬼の膂力を以ってすれば、造作もないこと。

 しかしそれは、化け物としての自分の正体を、アリサに晒すことに他ならない。

(──嫌。アリサちゃんに嫌われるのは嫌! だって…だって大切なお友達だもの…!)

 親友から、恐怖と侮蔑に満ちた視線を浴びるかもしれない。それを考えると、どうしてもすずかは足を踏み出す

ことが出来なかった。

 自分の眼前で、アリサが制服のボタンに手をかけ、一つ一つ、震える指先で外していく。

(お姉ちゃん、恭也さん、ファリン、ノエル…! 誰か、誰か助けて!)


 ──なんて、あさましい。


 親友が自分の為に身体を張っているというのに、自分は動こうともしない。

 すずかは自分のいやらしさ、薄汚さが悔しくて、悲しくて、唇を噛みしめ、声も出さずに涙を流した。

 ──その時。

「外道が。同じ場に在ることすら、吐き気がするぞ。匹夫どもめ」

 男たちの向こう──階段を叩く靴音とともに、よく通る男性の声が、フロアに響き渡る。

「誰だ!」

 黒スーツの誰何の声とともに、男たちが後ろを振り向き──

「な、何だてめえは!?」

 その表情が、怒りから恐怖へ歪んでいく。誰かが上げた悲鳴混じりの声が、更にそれを助長した。

 すずかもアリサも、驚きで目を見開く。

 無理もない。そこに現れた男の顔は、皮膚も脂肪も筋肉もなく、あるのは鈍く輝く頭蓋と、光無き闇の双眸。

 手にするは、血で染め上げたが如き真紅の布と、妖しく輝く鋭利なサーベル。この場に合わない欧州の貴族のよう

な姿のそれは、まさに死神と形容するにふさわしい姿だった。

「野の獣にも劣るゴミどもに名乗る必要などないが、二人のレディに名乗らぬは、紳士としての礼儀に反するな…」

 言いながら、死神は踵を打ち鳴らして揃え、紅い布を胸に当てると、事態について行けずに呆然としているアリサ

たちに向かい、優雅に一礼をする。まるで舞踏会で貴婦人をエスコートする貴人のような、流麗な動きだ。

「お初にお目にかかる、可愛らしいニーニャ(お嬢さん)たち。我が名は魔人マタドール。血と喝采に彩られし、最強の剣士。

 礼も道理も解さぬ粗暴な畜生どもは、直ちに一掃する故、少々我慢してくれ給え」

 頭を上げた死神──マタドールは、男たちへ顔を向けると、笑い声を上げるかの如く、カチカチと歯を打ち鳴らす。

「さあ下郎ども、裁きの時間だ。一匹残さず叩き伏せてくれる。覚悟しろ」

 マタドールは、切っ先を男たちへ向け、高らかに断罪を宣言する。

 その凄まじい気迫に、男たちに更なる恐怖が生まれ、伝播していく。

「うろたえんなテメエら! ガイコツが動ける訳がねえだろうが! どうせつまらねえ手品だ、とっ捕まえて化けの

皮剥いでやれ!」

 黒スーツが怒声を上げ、男たちを一喝する。
 
 その言葉に男たちはざわめきを止め、各々がナイフや拳銃を手に取り、マタドールへと殺気を放つ。

 それを見たマタドールは、「ほう」と、感心したように呟きを漏らした。

「下賎な豚の群れかと思っていたが、成る程、野良犬程度の頭と牙は持っているようだ」

「ナメやがって…お前らっ! バラバラに切り刻んで、手品のタネを暴いてやれ!」

「「「ウォォォォォォォォッ!!」」」

 黒スーツの号令とともに、前方の刃物を手にした、数人の男たちが駆け出す。

 対するマタドールは自然体のまま。構えすら取らず、サーベルを下ろして迫り来る男たちを、のんびりと眺めているだけだ。

「な、なんでアイツ動かないのよ!?」

「危ないっ!?」

 マタドールに向けて、男たちの凶刃が四方より走る。

 アリサとすずかは一瞬後に起こる惨劇に、思わず目を逸らす。

 しかしその刹那、彼女たちの耳に届いたのは──

「ふん」

 マタドールのつまらなそうな溜息と──

 耳をつんざく甲高い金属音だった。

 慌てて視線を戻せば、振り払った後なのか、真横──水平にサーベルを持つマタドールと、床に転がる男たち、

そして粉砕された刃物の残骸が視界に入った。

 二人は我が目を疑った。

 視線を逸らしたのは、ほんの一瞬。

 その一瞬で、あの怪人は男たちの刃を叩き砕き、全員を打ちのめした。

『武』というものとは無縁の世界に生きる二人にもわかる、想像を絶する剣技だ。

「峰打ちだ、死にはせん。ニーニャたちの目の毒だ」

 だが、と続けながらマタドールは一歩、男たちへ向かって足を踏み出す。

「死にたくなる程の苦痛は味わってもらおう。二度とふざけた真似ができぬようにな」

 言葉とともに、サーベルが空を切り頭上へと掲げられ、マタドールが改めて構えを取る。

「では行くぞ。せいぜい足掻いて見せろ。最も、貴公ら如きでは私の身体どころか、このカポーテに触れることすら

能わぬであろうが」

 全身を斜にした、半身の体勢を取り、左手のサーベルは頭上から男たちへと切っ先が向けられ、右手の赤布──

真紅のカポーテを、盾のように胸の前面へと突き出し、マタドールは男たちへと駆け出した。

「う、撃てぇっ! 撃ち殺せぇ!」








(令示サイド)




「う、撃てぇっ! 撃ち殺せぇ!」

 圧倒的な実力差を見せつけられ、恐怖で心が折れたのだろう。チンピラの親玉がヒステリックな怒号を上げた。

 従う手下も必死のようだ、倒れた仲間の被弾も考慮せずに、十数もの銃口が一斉に俺の方を向く。

 俺は床を駆けながら、素早く考えを巡らせる

(小汚ねえオートマチックだな。良くてトカレフ。大方は中国の黒星ってとこか? 暴発や跳弾何か起こしたら、あの

二人が危ないだろが。…まあ、どっちにしても──)

「当たる気も撃たせる気も無い」

 言葉と同時に、俺は両足に力を込め、加速。

 一気に集団との間合いを詰め、取り合えず目についた、銃を構える手前のチンピラAの両腕めがけ、サーベル──エスパーダを叩きつける。

「ヴギャアァァァァァッ!?」

 腕の骨を粉砕されて、悲鳴を上げて銃を落とし、その場に崩れ落ちるチンピラA。そこで周囲の連中が、ようやく肉薄して

いた俺の存在に気が付いた。

 魔人の身体能力は、常人のそれを遥かに凌駕する。こいつらには、俺が射線上から突如姿を消し、瞬間移動でも

使ったようにしか見えなかったことだろう。

 俺はチンピラAの顎を蹴り上げ、意識を刈り取ると同時に、片足で宙へと跳び上がり、身体を捻って天井に「着地」。

これは、わざとゆっくりとした動作で行って、チンピラどもの視線を集める。

「粗悪な銃でニーニャたちに怪我をさせる訳にもいかぬ故、これで終わらせてもらうぞ」

 そう言って、俺は顎の骨をカチカチ打ち鳴らして笑い、獲物を狙う怪鳥の如く、チンピラたち目掛けて飛び立った。




「「「ぎゃばらわぁぁああぁぁぁぁ!?」」」




 ──その瞬間、チンピラたちは緊張の糸が切れたのだろう。悲鳴とも怒号ともつかない奇声を上げ、混乱を起こした。

 俺に銃を向ける者、逃げ出そうとする者、狂乱して刃物を振り回す者が、押し合いへし合いを起こし、完全なパニック状態だ。

 俺は魔風のように、そんな連中の間隙を縫って床、天井、壁を足場に縦横へ飛び回り、チンピラどもの頭へ次々と

エスパーダの一撃を叩き込み、意識を奪い取っていく。死にはしないよう手加減はしているが、打ち所が悪ければ、一

生苦しむような障害を負うかもな。ま、こんな屑ども、死のうが苦しもうが俺の知ったことではないが。

(この分じゃ、こいつら殺しても何にも感じねえんだろうな…良くも悪くも魔人だな、俺)

 そんな今更な益体もない事を考えてながらエスパーダを振り回しているうちに、残るチンピラは親玉唯一人となっていた。

 床へ降り立ち、俺は親玉の前へと歩み寄る。

「さあ、残るは貴公一人だ。覚悟は決まったか?」

 言いながら、エスパーダの切っ先を親玉に向ける。

 親玉は、青い顔のままブルブルと震え──

「ちくしょうがぁぁぁ!」

 怒鳴り声を上げると、側にいたすずかを引き寄せ、そのこめかみに拳銃を押し付けた。

「動くんじゃねえ! このガキが死ぬぞ!」

「ひっ!」

 すずかが蒼白な表情で息を呑んだ。

(この期に及んでそれかよ。これだけ見せて、まだ彼我の戦力差を理解出来ないのか?)

 内心で溜息を吐く俺。繰り返すが、魔人は人間の遥かに先を行く力の持ち主だ。こいつが引き金を引くその一瞬で、

俺はこいつを四度は殺せる。まだ力に慣れていない俺ですら、だ。

(一応降伏勧告しておくか。ぶちのめすけど)

 俺は面倒臭ぇと思いながらも、親玉に話しかけようと口を開いたその時──

「ちょっと! すずかに乱暴しないでよ! あんたの目的は私でしょ!?」

 ツンデレお嬢が怒鳴り声を上げ、親玉の腕にしがみついた。ちょ! お前空気読め!

「うるせえクソガキ! すっこんでろ!」

「キャアッ!」

 親玉が大きく腕を振り、アリサを払い落とすと、その小さな身体は大きく吹っ飛び、悲鳴とともに床を転がった。

「アリサちゃん!」

「う……すずか…」

 目を見開き呼びかけるすずかの声に反応し、どうにか起き上がるアリサ。大事は無いようで、俺は内心でホッと

胸を撫で下ろす。

 が、床で切ったのか、アリサの額から一筋の血が流れていくのが、俺の目に入った。

 その瞬間、すずかの気配がガラリと豹変した。たとえるならば、獲物を目にしたシベリア虎。そう思える程に、

凄まじい気迫を発したのだ。

「アリサちゃんにぃ…」

「ぐっ…ぅぅうああああああああああっ!」

 すずかの呟きと同時に、親玉が突然悲鳴を上げる。

 いやいやよく見れば、拳銃を持つ親玉の右手をすずかの両手が掴み、ギリギリと万力のように締め上げているではないか!

あ、握撃!?

「酷いことしないでぇぇぇっ!」

 すずかはそのまま叫びながら、思いっ切りオーバースロー。

「ううわあああああぁぁぁぁぁ……!」

 親玉はドップラー効果を実演しながら飛んで行き──

「びょるごぶ!?」

 壁に叩きつけられて、世紀末な断末魔を上げた。壁に張り付くその姿は、まるで叩き潰された蝿。…生きてるかな? アイツ。

 ハァハァと、ぶん投げたままの体勢で、肩で息をしながら親玉を睨みつけるすずか。親友を傷付けられたことが、

相当頭に来たようだ。

 …前世と今生合わせて四〇年近く生きている俺だが、人間が水平に投げ飛ばされるところなんて、初めて見たぞ…

幼いとは言え、流石は『夜の一族』ということか。




「な、何よ、今の…」




 沈黙が訪れた空間に、その呟きは嫌にハッキリと響いた。

 目前で起きたことを理解出来ないのか、唖然とした顔で声の主──アリサは、すずかを見つめていた。

 その視線に気が付いたすずかは、怒りに紅潮した顔を見る見るうち蒼白にして、気の毒な位うろたえる。

「え、や、ち、ちが、わた、わたしは…」

 否定したいのは見られてしまった自身の暗部か。結果的に親友を騙していたという事実か。左右に首を振りながら、

すずかは言葉にならない呟きを繰り返す。

(ふーむ、このままじゃ二人の間にしこりが残りそうだな…)

 アリサとすずかを交互に見ながら思案する俺。

(まあ、乗りかかった船だ。親玉ぶちのめし損ねたし、この位のアフターケアはしておくか。荒療治になりそうだけど…)

 俺は心中で結論を出すと、二人の側へと足を向けた。








(すずかサイド)




 ──見られてしまった。

 アリサちゃんに私の正体を、見られてしまった。

 怖い。

 怖くて目を合わせることが出来ない。

 もしアリサちゃんが、私に怪物を見るような目を向けたら──

 そう考えると、心がバラバラになってしまいそうな程悲しくて、つらくて、私は顔を上げることが出来なかった。

「──そうか。そちらの黒髪のニーニャは超人であったか。よもやこのようなところで、遭遇するとは思わなんだぞ」

 俯く私の耳に、男の人の声が聞こえてきた。あの、突然現れて、私たちを助けてくれた、怖くてとても強い、ガイ

コツの人──マタドール、さんだ。

「ちょう、じん…?」

 アリサちゃんがマタドールさんの言葉に答えた。

「左様。読んで字の如く人を超えた者のことだ。突然変異や進化のような突発的な身体異常者や、魔術、科学等の

技術による身体増強が成された強化人間たちのことだ──そちらのニーニャは、どうやら前者のようだな」

「何よ、ソレ…」

 二人の会話に、私は驚いて顔を上げる。何で、何でそんなこと知っているの!?

「どうやら貴女は何も知らされていなかったようだな、金髪のニーニャ。まあ、それも無理は無い。超人たちは古の

時代より鬼、魔女、悪魔、吸血鬼などと呼ばれて疎まれ、蔑まれ狩られてきた存在…他人を騙すのは自分を守る為に

必要なことだったのだろう」

(っ!? 違う! 私は騙す気なんてなかった!)

 でも、私はその言葉が、どうしても出せなかった。

 嫌われたくない一心で正体を隠していた私とその考えは、大した違いがないと、気が付いてしまったのだ。

「──貴女たちはもう、一緒にいないほうがいいのではないか?」

 私とアリサちゃんの顔を見ながら、マタドールさんがそう言った。

「…どういう、意味よ?」

 明るくて、活発なアリサちゃんとは思えないくらい冷たい声。私にはそれが、冬の風のように思えた。




「どうも何も無い。彼女が怖いだろう? 人間は自分と違う者を恐れ、嫌うものだ」




 ──そう。だから私たち『夜の一族』は正体を隠し、ただの人間として生きてきた。




「なに、友人だからと罪悪感を覚えることはない。そもそも住む世界が違うのだよ。貴女は人間、彼女は超人。元々

相容れない存在同士なのだ。全てを忘れて、他人同士になった方が互いの為だ」




 ──『住む世界が違う』、その言葉が、私の心に大きく響いた。




「相容れぬ者同士がともに居たところで、生まれるのは不幸だけだ。今ならば、互いに傷付かずに済む」




 ──私が、アリサちゃんを不幸にしてしまう……私は、アリサちゃんと居ない方がいいのかな…?




「必要なら、私がニーニャたちの記憶を消してもいい。なに、幼少の頃の友情など、砂糖菓子のように脆く、壊れ

やすいものだ。十年も経てば、どうせお互い忘却の彼方、遅いか早いかの差でしかあるまい?」

 さあ、ニーニャと言いながら、マタド-ルさんがアリサちゃんに手を差し出した。

 俯いているので、アリサちゃんの顔はわからない。

 怒っているのだろうか? 悲しんでいるのだろうか? 怖がっているのだろうか? 

 …きっと、怖がっている。マタドールさんの言った通り、私は人間じゃない。化け物だ。

 そんな私と、お友達でいてくれる筈が──












「ふざけないでよ」












 アリサちゃんの声は、小さかったけど、私の耳にしっかり届いた。

「…よく聞こえなかったな、ニーニャ。もう一度、ハッキリと言ってもらえ──」


「ふざけんなって言ったのよ! このお喋りガイコツ!」


 怒鳴り声を上げて、アリサちゃんはマタドールさんが差し出した手を、思い切り叩いた。お、お喋りガイコツって…

マタドールさんのこと?

 私の驚きなんて関係無しに、アリサちゃんは顔を真っ赤にして、マタドールさんに近付いていく。

「アンタなんかに、私とすずかの何が解るっていうのよ!! 砂糖菓子のように脆い? 知りもしない癖に、勝手な

こと言わないで! 私は、私は何があろうと、すずかの親友なんだから!」

 …涙が出そうだった。

 私は一人で怖がって、一人でもう駄目だって、思い込んでいた。

 なのに、アリサちゃんはそんな勝手な私を、まだお友達だって…親友だって言ってくれた!

「正気で言っているのかね? 人外の者と行く道は険しいぞ? わざわざ苦しい生き方を選ぶのかね? 後で後悔

しても遅いのだぞ?」

 マタドールさんは、クスクスと笑いながらアリサちゃんを見る。「本当に出来るのか?」と、からかっているかのように。

「しつこいわね! 何遍も言わせないで! 何があろうとすずかは私の親友よ! 後悔なんかするもんですか!」

 胸を張ってマタドールさんに怒鳴るアリサちゃんは、とても格好良かった。


「クハハハハハハハハハッ!」


 ──その時、突然マタドールさんが大きな声で笑い出した。

「な、何よ! 何がおかしいのよ!?」

 ちょっとびっくりした様子で、アリサちゃんが怒鳴ったけど、マタド-ルさんはそれに答えないで、私の方を向いて、口を開いた。

「喜び給え黒髪のニーニャ、貴女の友は本物の親友だよ。その杞憂は、取り越し苦労だったな?」

「──え?」

 さっきのアリサちゃんとの会話とは違う、温かい言葉。もしかしてこの人──

「あ、あんたひょっとして、さっきのことは全部…」

 アリサちゃんも私と同じ事を考えたんだ。

 この人はきっと、私とアリサちゃんが仲良しでいられるように、あんなことを…

「話しは後だ、ニーニャたち。まずはここから出よう」

 アリサちゃんの疑問に答えず、マタドールさんは階段を指差す。

「歩けるかね? 無理ならば、私が抱き上げ、外までエスコートするが?」

「ば、馬鹿にしないでよっ! 赤ん坊じゃないんだから歩けるわ!」

「わ、私も、大丈ぶ…」

 赤い顔でそう言ったアリサちゃんと同じように答えようとしたところで、私は自分の足が震えて、上手く歩けないことに

気が付いた。嫌われるかもしれないという怖さが、緊張が、今になって出て来たんだ。

「ふむ。そちらの黒髪のニーニャは、あまり大丈夫ではないようだが?」

「ほ、ホントに大丈夫ですから!」

 首を捻りながら聞いてくるマタドールさんに、平気だって証明しようとして、私は歩いて見せようと足を前に出す。

「あ──」

 けれども思う通りに動かず、つまずいた私の身体は、そのまま倒れ──

「すずか、危ない!」

 とっさに駆け寄ったアリサちゃんに、抱き止められた。

「無理するんじゃないわよ…怪我、してない?」

 そう言いながら、私の顔を心配そうに話しかけてくれるアリサちゃん。

 アリサちゃんにお礼を言おうとして、顔を上げたその時、その顔に付いた血の跡が目に入った。

 その瞬間、鼻と目の奥がツンと痛くなった私は──

「ちょっ! す、すずか?」

 我慢していたものが全部噴き出して、アリサちゃんに抱き付き、声を上げて泣いていた。

「アリサちゃん、アリサちゃん、アリサちゃんっ!」


 ずっとずっと言いたくて、でも、言えなくて──


 伝えることが怖くて──


 違うことが悲しくて──


 黙っていたことが苦しくて──


 それでも私を、受け入れてくれたことが嬉しくて──


「ごめんなさい、アリサちゃん…ありがとう、アリサちゃん…」

 色々な思いがごちゃごちゃになって、私はそんな簡単な言葉を、繰り返し言うことしか出来なかった。

「……もういいわよ、すずか。聞きたいことも、言いたいことも沢山あるけど、私はずっと友達だから…落ち着いたら

ちゃんと話そう?」

 アリサちゃんはそう言いながら、私の背中を優しく撫でてくれた。

 服の上から感じるその手は、とても心地良くて、まるで日なたみたいだなと、私は思った。








 マタドールさんに案内されて、私たちは無事、外へと出ることが出来た。
 
 私が泣き止んだ頃に、「もう良いかね?」って聞かれた時は、少し恥ずかしかった。

 私が落ち着くまで、ずっと待っててくれたんだ…顔はとても怖いけど、いい人(?)なんだなと、マタドールさんの

背中を見ながら、ボンヤリとそう思った。

「おお、そうだ。コレはニーニャたちの物だろう?」

 マタドールさんは何か思い出したように声を上げて振り返り、私たちの前に、何かを差し出した。

「それ…」

「私たちの携帯!」

 そう、それは誘拐された時に取り上げられた私たちの携帯電話。一体いつの間に?

「先程、貴女たちが抱き合っている時に、な。賢しい連中のことだ、連絡手段は一番に取り上げている筈と思ったのだ」

 うっ…マタドールさんに言われて、さっきのことを思い出してしまった。恥ずかしくなった私は、顔を赤くして俯いてしまう。

「ううううう、うるさいうるさいうるさい!! 恥ずかしいこと思い出させないでよ!」

 アリサちゃんも私と同じだったらしく、隣から怒鳴り声が上がった。

 それを聞き、マタドールさんは楽しそうに笑い声を上げる。

「クハハハハッ! 結構! それだけの元気があれば心配はないようだな」

 そう言いながら、私たちに携帯電話を手渡したマタドールさんは、暗くなってきた空を見上げた。

「さて、そろそろ時間だ。私も戻らねばな…ニーニャたち、早く家族に連絡をするといい。連中はすぐには目を覚ますことは

無いだろうが、放って置く訳にもいかぬ故、な」

 そう、言い終わると同時に、マタドールさんは駆け出していた。

「あっ! ちょっと、待ちなさいよ!」

「マタドールさん、待って!」

 風のような速さの彼の背中へ、私たちは声を上げる。

 五〇メートル位離れたところで、立ち止まったマタドールさんがこちらを振り返って口を開く。

「それでは、アディオス!」

 高笑いを上げながら、マタドールさんは再び駆け出す。

 「っ!? 待って!」

 彼の背を追う。

 待って! まだ私──!

 私がマタドールさんを追って表の道路に飛び出すと、路地裏へと走っていくマタドールさんの姿が見えた。

「アイツ! 好き放題言って、勝手に居なくなって!」

 私の後ろから追ってきたアリサちゃんが、悔しそうな声を上げる。

 そうだ。私もまだあの人に、お礼も言っていない。ありがとうって、ちゃんと伝えないと!

 今言えなきゃ、きっともう会えない。そんな予感がする。

「アリサちゃん! 私、マタドールさんを追い駆ける!」

 私の言葉に、驚いた顔をするアリサちゃん。でも、次の瞬間にはいつもの、あのお日様みたいな笑顔で大きく頷いてくれた。

「わかった! パパと警察には私が連絡しておくから、すずかはアイツを追い駆けて! 助けられっぱなしなんて、

私のプライドが許さないんだから…絶対に捕まえるのよ!?」

「ありがとう。アリサちゃん、大好き!」

「っ!? い、いいから、早く追っかけなさい! 見失っちゃうでしょ!?」

「うん!」

 赤い顔でそっぽを向くアリサちゃんの言葉に大きく頷いて、私はマタドールさんを追い駆けて、路地裏へと駆け出した。










(令示サイド)




「ふー」

 人気の無い路地裏に身を隠した俺は、無事ことが済んで、安堵の溜息をもらした。

『ミッションコンプリートだな、主よ。変身後、戦闘中に異常は無かったか?』

「うむ。初陣であったが、精神状態は良好だ。身体を動かすのにも問題は無かった。流石は魔人、凄まじき力よ」

 仮想人格の問いかけに頷きながら答える俺──と、

「いかんいかん、役に入り込みすぎていたか…平常心平常心、と」

 口調からアリサたちに正体を探られるのを防ぐ為、オリジナルのマタドールの口調を真似していたのだが、例の悪魔

本来の闘争心ってヤツのせいなのか、どんどん意識が高揚して、かなり悪ノリしていたような…

「まあ、結果が良かったんだ、良しとしよう。まずは元に戻るか」

 俺が「変身解除!」と口にすると、一瞬周囲の景色が歪み、視点が低くなって視界が戻る。

 初めての時のような、立ち眩みがなくなったのは慣れかな? などと考えながら、路地から出ようと振り向いた俺の

目前に、目を見開いて、呆然とするすずかが居た。






 第二話 初陣。闘牛士と吸血鬼とツンデレと。(後編)END

 


 後書き

 修正してみました。…うーん、これいでいいのか? ますますドツボにはまっているような気が…








[12804] 第二話 初陣。闘牛士と吸血鬼とツンデレと。(あとしまつ)
Name: 吉野◆fe64ebc7 ID:0cde0540
Date: 2009/12/26 16:55
前書き


 ※『第二話 初陣。闘牛士と吸血鬼とツンデレと。(後編)』を大幅に加筆修正したので、お手数ですが、先にそちらを

      お読み下さい。


 



 第二話 初陣。闘牛士と吸血鬼とツンデレと。(あとしまつ)

 



「……………」

「……………」

 お互いに言葉が出ない。

 路地裏にて、無言で見つめ合う俺とすずか。

 が、互いの間にあるのはラブコメのような甘ったるいシチュエーションではなく、驚きと気まずい雰囲気だ。

(…元の姿に戻るとこ、見られたかなぁ? どうすべぇ…)

 まさか追っかけてくるとは思わなかった。普通あそこは、空にヒーローの顔を思い浮かべてありがとうってな感じで

終わりだろう、こう、ヒーロー物的に考えて!

(主の外見的に無理があろう。髑髏は死と破滅の象徴。主は客観的には悪役にしか見えぬ)

(心の声にツッコむな! つか、『黄金バット』とか『ベルセルク』の髑髏の騎士とか『ワンピ』のブルックとか居るだろーが!)

(微妙なラインナップだな…それに、『サイボーグ009』のスカール総統は髑髏だが?)

(揚げ足取んなや! って、脳内ボケツッコミやってる場合じゃねえ! つーかお前、周辺の気配探知とか、そういう

機能は無いのかよ!?)

(我はデバイスでない故、そういった機能は無い。そもそも魔人の五感を有する主が、気が付かないことがおかしい)

 う゛っ…そう言われると返す言葉も無い。緊張していて周辺の気配への配慮を怠ったなんて、戦場じゃ言い訳にもならん。

「あ、あの…」

 脳内で馬鹿なやり取りを繰り返している俺に、すずかがおずおずと話しかけてくる。

(っ!? いかん、まずはこの場を切り抜けねば!)

 考えを巡らせるものの、気ばっかり焦って、まるでいい考えが浮かばない。どうする、どうするよ俺!

「すずかー! アイツ見つかったー!?」

「あっ、アリサちゃん」

 頭抱えていた俺のもとに、更なる頭痛の種がやって来た。

 走って来たのだろう、ぜえぜえと息を切らしたアリサが、姿を現したのだ。

「ウチとすずかの家に連絡したから、すぐ来てくれるわ……って、アイツ誰?」

 俺に気付いてすずかに尋ねるアリサ。つーか、人を指差すな──って、そんなこと考えている場合じゃねー! 
 
「えと、多分、マタドールさんだと、思う…」

 orz 言われちまったよ…

「ええっ、コイツがぁ?」

 怪訝な顔で俺とすずかを交互に見るアリサ。ま、そりゃ信じられねーわな。

「うん、マタドールさんの後姿を見つけたと思ったら、なんか、急に光りだして、それがおさまったら、その、この子が居たの…」

 しかもバッチリ見られとる! コレはヤバイ!

 俺はこの場から走って逃げるかと思ったが、うさん臭げに俺を睨むアリサを見て、その考えを改めて思案する。

(…待て待て、黙って逃げ出した時点で、俺がマタドールだと認めたようなモンじゃねえか?)

 ここは適当に誤魔化しとくべきだ。じゃなきゃ、街で見かけるたびに追われるハメになる。

 そう結論を出した俺は、ポーカーフェイスで二人に対応し、この場をしのぐことにした。アリサのキッツイ視線を

浴びても、知らんぷりして涼しい顔。

「──で? 実際どうなのよ、アンタ」

 すずかの話を聞くも、半信半疑といった様子のアリサが俺に話しかけてきた。

「は? 何の話?」
 
 当然、すっとボケる俺。

 PT事件に関わるとしても、いつでも離脱可能な第三勢力的な介入が理想だ。下手に主要キャラやその周辺人物と

関係を持つべきじゃない。

「アンタがあのマタドールってヤツかどうかって聞いてんのよ!」

 俺の肩をすくめる動作がイラッときたのか、おかんむりな様子で声を荒げるアリサ。

「いや、俺そんな名前じゃないし、人違いじゃねえの?」

 何言ってんの? この人たち。ってな感じの「知らぬ存ぜぬ作戦」でその場を切り抜けようとする俺。

 ──しかし。

「待って! マタドールさんなんでしょう? 私、見たもの!」

 俺の行く手を遮るように立ちながら、すずかが捨てられた子犬のような視線を向けてくる。

(う゛っ…)

 別に悪いことをした訳でもないのに、妙な罪悪感を覚え、足を止めてしまう。

 …つーか何? この行動力。魔人を追っかけて来た点もそうだが、俺の『荒療治』が、妙な方向でポジティブな性格にしちまったのか?

「いや、だからさ、見間違えだって! 俺忙しいから、もう帰るよ!」

 ヤバイヤバイ、何かテンパってきた! 考えが纏まらねえ、ぼろが出そうだ。予定変更。この場を急速離脱する!



「待ちなさいよ」



 が、その瞬間。俺は後ろから襟首引っつかまれ、「う゛っ!」とくぐもった悲鳴を上げつつその場に尻餅をついた。

 ゲホゲホと咳き込みながら背後を見れば、そこには疑いの色を濃くした眼差しで俺を見下すアリサの姿が。

「怪しいわね。何で急に帰ろうとするのよ」

「べっ、別に急なんかじゃねーよ、ホントに急いでんだ!」

 うわヤバイ。半信半疑から確信になりつつあるぞ、コイツ。何やってんだ俺! さっきからやる事なす事空回りじゃねえか!

「ますます怪しい…アンタ、すずかの言った通りマタドールって奴でしょ!?」

 アリサはズイッと、息がかかりそうな程顔を近付け、尋ねて──否、詰問してくる。

 いかん、動揺が表情に出ちまう。なんか嫌な汗も出てきた。

 ええい落ち着け! 大人である俺(精神年齢的な意味で)が子供に追いつめられてどうする! 毅然とした態度で事に臨み、

悠然と立ち去ればいいんだ。──そう、『いかなる時も、余裕を持って優雅であれ』の遠坂家の家訓のように!

「だから! 俺はそのマタドールなんてガイコツじゃないって言ってるだろうが!」

 俺がそう怒鳴ると、アリサは一瞬怯みを見せた。今がチャンス!

「とにかく、俺は忙しいんだ。帰らせてもら──「なんでガイコツだって知ってるの?」──う、ぞ?」

 アリサに背を向け、今度こそ逃げようとした俺に、すずかの疑問の声がかかった。

「マタドールさんがガイコツなんて、私もアリサちゃんも言ってない…なのに、なんであなたは知っているの?」



 「──あ」



 お、俺はアホか!? 『うっかり』まで真似してどーすんだよ!

 自爆に気が付いた時にはもう遅い。再びアリサに襟首つかまれた俺はUターン。

 目の前には『いい笑顔』のアリサさん。

「そう言えばそうよねぇ…なんで「知らない」筈のあんたがそんなこと「知っている」のか……さあ、キリキリ白状なさい!」

 ヒィィィィッ! 誰か、誰か助けて下さぁい!








(アリササイド)




「で? あんたはどこの誰なの? なんであのガイコツが子供になる訳? 一体どういう理屈?」

「ちょ、そんな一遍に聞かれても答えられねえよ!」

 アリサの矢継ぎ早な追求にたじたじになる少年。

 本当にこの少年が、先程の髑髏の剣士なのかと疑問を覚える。親友の証言と、一連の問答が無ければ絶対信じて

いなかったなと、アリサは思った。

「アリサちゃん、落ち着いて。御剣君が困ってるよ」

「そうそう、クールにいこうぜ、クールに──って、なんで俺の名前知ってんの!?」

 ギョッとした様子ですずかを見る少年に、すずかは苦笑を浮かべて「名札」と一言告げ、その胸を指差す。

 三者の視線が集まるそこには『海鳴市立東小学校 三年二組 御剣 令示』とハッキリ明記された名札。

 NOOOOOO! と頭を抱えて少年──御剣令示は叫びを上げた。どうやら本人は全く気付いてなかったらしい。

「クッ…偽名使って逃げようと思っていたのに…不覚!」

 最早ツッコむ気力も無い。アリサは疲れた表情で、呆れ混じりの溜息を漏らしながら、自身の目前で膝をついて

うな垂れる、マヌケな少年を眺めた。

 中肉中背、黒髪黒目のどこにでも居そうな小学生。強いて普通の子との違いを挙げれば、会社帰りのサラリーマンのような、

精神的な疲れを見れる、眠そうな半眼位だろう。

(ホントに、私たちコイツに助けられたのかしら……?)

 アリサ・バニングスにとって、今日という日は、人生最大の窮地であったと断言出来る。

 醜悪な男たちに囲まれ、その獣欲で、身体を蹂躙される寸前だったのだ。下手をすれば、心身ともに生涯消えない傷を負っていたことだろう。

 いや、かすり傷程度で助かった今だって、先程の事は震えがくる位恐ろしい出来事だった。思い出したくもない程に。

 今こうして行往坐臥に何の問題も無いのは、この少年のおかげなのだ。

 あのゴロツキどもとは一線を画す、凄まじい覇気を纏う髑髏の剣士が現れたあの時は、考えていたこと、感じていたことが

何もかにも吹き飛んで、マタドールという未知の存在への、恐怖しかなかった。

 そんな自分を「助ける」と言ってくれた彼は、二〇人近いゴロツキたちをあっと言う間に殲滅して見せた。

 アリサが次に、マタドールに対して覚えた感情は驚きだ。人間の常識の範疇に無い、脅威の『武』。これに目を奪われた。

 そして、知ってしまった親友の体の秘密。人であって人ではない超人と呼ばれる存在。

 その事実に愕然とするアリサにマタドールがかけた言葉は「どうせ上手くいかないから友達を止めろ」というもの。
 
 自分たちのことを何も知らない第三者にそんなことを言われ、怒りとともに拒否の声を上げたアリサだったが、それを聞いて、

楽しそうに笑うマタドールを見て、体良く焚きつけられたのだと気が付いた。

 試されたようでいい気分ではなかったが、彼の言葉が無ければ、二人の間には溝が出来ていたかもしれない。それに、

その後に安心したかのように自分に抱き、泣き出したすずかの様子を見れば、マタドールの言動は、先を見越して発せられた

ものだったのであろう。

(全く驚きの連続だわ…)

 驚愕の事実の連続に、アリサにとってゴロツキたちから受けた仕打ちは、二の次三の次と、どんどんランクダウンを重ね、

今や完全に思考の圏外である。

 そんなことより、すずかのことの方がずっと大切だし、何より、登場時に覚えた恐怖を、鼻で笑いたくなる間抜けっぷりを晒す、

目の前の少年のことこそ、目下最重要課題である。

 経過はどうあれ自分たちを助けてくれたことに変わりはない、ないのだが──

「あの、そんなに落ち込まなくてもいいんじゃないかな?……私、月村すずか。聖祥付属小学校3年生だよ。

ほら、これで一緒だから」

 そう言いながらすずかは、令示の前にしゃがんで微笑む。

「うう、君は優しいなぁ…あっちの金髪ツンツン娘と違って…」

「誰が金髪ツンツン娘かぁ! 私にはアリサ・バニングスって名前があんのよ!」

 いざ本人を目の前にすると、感謝の言葉よりも怒声の方が先に出てしまうアリサなのであった。








(令示サイド)




 ……お互いに、思わぬ形で自己紹介をすることになってしまった。

(…つか、これは強制イベントか? やる事なす事全て裏目になるとは…『魔人ヤクビョウガミ』にでも憑かれてんじゃねーか?

俺。あとアリサ、そのツッコミは鋼の兄貴や! 鎧の弟とちゃう!)

(ずいぶん余裕だな、主。)

(んな訳ねーだろ、本名知られた時点で『詰み』だから、諦めただけだ。)
 
 もうどうにもならん。名前知られた以上、あの二人がその気になれば俺の所在を突き止めるなんて簡単な事だろう。

 特に月村家は本気で俺の居場所を探す筈だ。月村忍が、自分たちの正体に気付いた他人を放って置くような真似は

しないだろう。俺は深い深い溜息を吐きながら、二人の方を向く。

「──ま、今更誤魔化しようがねえから白状するよ。君らの言う通り、俺がマタドールだ」

「今度はやけにアッサリ認めたわね…」

「もう抵抗のしようがねーからな。で? 俺を追っかけて来た理由は何さ?」

 不可解そうに首を傾げるアリサに、肩をすくめて答えた。

 ──と、その時、俺の視界に横から影が差す。

「あ、あの! 助けてくれてありがとう!」

 俺の前に立ったすずかが、深々と頭を垂れた。

「──へ?」

 思わず目を丸くして声を上げる俺。

「もしかして、お礼言う為に追って来たの?」

 俺の問いかけに、頷くすずか。

「私、どうしてもマタドールさんにお礼が言いたくて、それで……追い駆けてきちゃったの。その、ごめんなさい」

「いや、わざわざそれだけの為に追い駆けんでも…」

「私には、大切な事だったから…」

「……」

 ──っと! いかんいかん、恥ずかしそうに微笑むすずかに、いい歳してドキッとさせられてしまった。

 落ち着け、落ち着け令示。俺はロリじゃない。好きなのはオッパイだ……

「ほら、アリサちゃんも」

「ちょ、ちょっとすずか、そんなに押さないでよ!」

 俺の内心の葛藤を知る筈もなく、すずかはアリサの後ろに回り込み、その背中をグイグイ押して俺の前へと突き出す。

「……ま、まあ助けてもらった訳だし、お礼は言っておくわ…」

 アリサはそう前置きをして、やや頬を赤らめて俺から視線を外し、蚊の鳴くような声で小さく「ありがと…」と呟いた。

 おお、生ツンデレだ。俺は素直クールとか、お淑やかなお嬢様タイプの方が好きなのだが、コレはコレで悪くない。

「むぅ…なによ、人の顔を見ながらニヤニヤして」

 釘宮ボイスを聞き入っていた、俺の様子がお気に召さなかったようで、半眼で睨んでくるアリサお嬢様。

「いや、可愛いなと思って」

「なっ──」

 ツンデレ的反応が面白かったので、俺がついついからかい混じりの言葉を吐くと、アリサは耳まで真っ赤にして絶句する。

 これまたテンプレ通りの反応に、俺が声を殺して笑っていると──

「かかかかかわいいとか、何言ってんのよ! このスケベ! 女たらし!」

 甲高い怒号が俺の両耳を貫いた。

 いやいや、耳が痛ェ。すげえ耳に響いたわ。しかしなぁ…

「女たらしってヒドクね? 色目なんぞ使ってねえし」

「はっ! どうだか! さっきだって『可愛らしいニーニャ』だのなんだのって言ってたくせに!」

「まーまー落ち着け。どうどう」

「私は馬かっ!?」

 吠えるアリサをなだめつつ、俺は口を開く。

「あれだって別にたらしの台詞とまではいかんだろうが。つか、マタドールの言動は、変身後の気持ちの高ぶりもあるから、

言葉の端々に中二臭──じゃなくて、キザったらしいのが出るんだよ」

 ──そう、あれは悪魔の高揚感のせい。俺が中二病なのではない。……多分、きっと、恐らく。

「っ!? 変身、そう、それよ!」

 アリサは、はっと何かに気付いたように表情を変え、俺に詰め寄ってくる。

「御剣っていったわね? アンタの、あのマタドールって何なのよ! 今「変身」って言ったけど、何をどうやったらあんなになるのよ!」

 今度は逃がさねえ。そう気配で訴えながらにじり寄ってくるアリサ。

 まあ、諦めはついていたので、俺は溜息とともに口を開いた。

「今更逃げる気はねーよ。ま、ベラベラ月村の事話しちまったし、俺の事も言わなきゃフェアじゃねーわな」

「わ、私は別に気にしていないから…」

「まあケジメみたいなもんだと思ってくれりゃいいよ。──で? 何が聞きたいんだ?」

 すずかの遠慮深い言葉に笑顔を送りつつ、俺は転生、トリップ、魔法関係など、最低限度秘密にしておく事を心中にて

確認しながら、少し真面目な顔を作って、二人を見る。

「…マタドールって、一体何者なのよ?」

 俺の言葉に応じ、真顔で一歩前に出たアリサが問答の口火を切った。

「いわゆる悪魔。その中でもとびっきりの変り種のレア物、魔人と呼ばれる存在だ」

「「あ、悪魔ぁ!?」」

「先に言っておくけど、俺の言う悪魔ってのはキリスト教とかの、神や天使と敵対してる連中のことだけじゃないからな?」

 驚くアリサとすずかの機先を制し、説明をする。

「古今東西、世界中に存在する神話、伝説、伝承…果ては噂話や都市伝説等々、それらに登場する『人ではない者たち』。

その全てをひっくるめて悪魔、と呼んでいるんだ。当然そこには神や天使だって含まれている」

「そ、それで…何でアンタはアレに変身出来るのよ? まさか、今の姿が変身で、マタドールが正体なんじゃ…」

 訝しむアリサの問いに、俺は首を横に振りながら答える。

「いんや、俺はただの人間さ。マタドールになれるのは、ある秘宝の力だよ」

「秘宝…?」 

 オウム返しに尋ねるすずかに肯定の頷きを返し、言葉を紡ぐ。

「そ。偶然そいつに触れたばかりに、悪魔化なんて力を手に入れちまったんだよ」

「その秘宝って、どんな物なのよ?」

「んー…、残念ながら見せられないんだ。触れた時に俺の体の中に入っちゃったからなぁ」

「体に入ったって…大丈夫なの? 御剣君、そんな危険な物」

「俺はその秘宝に適性があったようでね、副作用とかはないよ。まあ、強いて言うなら悪魔化がそれに当たるか」

 ちなみにこれらの知識も、秘宝から手に入れたものだ。と付け加え、二人を見る。

「何と言うか、すぐには信じられない話ね…」

 アリサが神妙な顔で俺を見ながら呟く。まあ、そりゃそーだ。

「まーな。俺だってこんな話聞かされたら、そいつは脳にウジでも湧いてるか、金星あたりから電波でも受信してる、アッチ系の人間と思うわ」

「そ、そこまで言わなくてもいいんじゃないかな…?」

 俺の正直な気持ちにすずかは苦笑を浮かべる。

「とは言え、あんな姿を見せられたら、信じない訳にはいかないわね…それで、なんでさっきは私たちを助けてくれたのよ?」

「んー、まあ、たまたまだな」

「たまたまって…それだけで?」

「俺が偶然あのビルの上の階で悪魔の力を確かめていて、そこにあのチンピラどもが君らを連れてやって来て、見過ごすのは後味

が悪いと思ったから助けた。ほら、たまたまだろ?」

「あの、それじゃ私の事──吸血鬼だってわかったのは何故?」

 呆れたと言わんばかりに溜息を吐きながら下がったアリサに代わって、すずかが口を開く。

「上手く言えないけど、悪魔の力の一種だな。人にはわからないものや、『視えないもの』を視る能力があるんだ」

「そうなんだ…」

 何か感心したように頷くすずか。

(…なにかヤバイ事言ってねえよな?) 

 表面上はどうにか取り繕っているが、内心では心臓バックバクで脂汗掻きまくりである。下手なこと喋って、予測がつかない位、

物語の流れが大きく変わってしまったら、目も当てられない。

 いや、それだけならまだいい。原作キャラに関わってしまった以上、ある程度の物語の改変は避けられない。これは織り込み済みの事だ。

問題は、俺の情報が流れ流れて、あの変態科学者とかに知られる事だ。魔人なんて稀有な存在が、奴にとってどれほど興味を引くのか、

想像するまでもない。そんな事になれば、面倒通り越して最悪な状況になる。

(俺は静かに暮らしたいんだよ、吉良吉影のように)

(主。それでは自ら災厄を起こして自滅するぞ?)

 仮想人格が俺の心の声にツッコミを入れたその時──

「アリサお嬢様ー!」

「すずかー!」

 表通りの方から、二人を探す声が届く。

「鮫島だわ!」

「お姉ちゃんだ!」

 助けの到着に、アリサとすずかは顔を見合わせ、表通りの方へ歩いて行く。

(さて、そろそろ潮時だな)

 俺は心で呟き、二人の意識が逸れたその隙を見計らって、呪を唱えた。








(アリササイド)




 私がそっと建物の影から、さっきのビルの方を覗くと、包帯だらけの鮫島と忍さんが、ウチのSPたちと一緒に、私と

すずかを探し回っていた。

 ……そう言えばさっき携帯で、「ビルから出たところで隠れてる」って言ったっけ。早く大丈夫だって教えてあげないと。

(あ、でもその前にアイツ──御剣の事、どう伝えたらいいんだろう? 全部大人に話す訳にもいかないし…)

 取り合えず、御剣に聞いてみよう。そう思い、私が振り返ると──

「い、いない…あいつどこ行ったのよ!?」

 御剣は煙みたいに綺麗に消え去っていたのだ。

「ほんとにいない…御剣君! どこ!?」

 私の声に驚いて振り返ったすずかも、目を丸くして同じような反応をする。

 そんな私たち二人に──

「ここだ。ニーニャたち」

 真上から声がかかった。

 慌てて空を見上げると 

 さっきの戦いの時のように、ビルの壁に両足の裏だけで貼り付いた、マタドールに変身した御剣が、私たちを見下ろしていた。

「そろそろ時間でね、これにて失礼させてもらおう。…ああ、それとニーニャたちの家の人間が上手く隠蔽してくれるとは思うが、

もし警察の関係者に私関連の事を聞かれたら、「髑髏の面を付けた男が屑ども相手に暴れていた」とでも伝えておいてくれ給え。

あの屑どもの証言と、矛盾が生まれては困るのでね」

 では、と言ってこちらに背を向ける御剣を──

「待ちなさいよ!」

 私は大慌てで呼び止めた。

「ふむ。まだ何かあるのかね? ニーニャ」

 足を止めた御剣が、顔だけをこっちに向けるのを見て、私はホッとした。どうしても確かめたかった事があるのだ。

「最後に一つだけ。…もしあの時、私がすずかの事を「忘れさせて」って言ってたら、どうなってたの?」

「────」

 御剣は数秒間、無言で私の顔を見て──

「クハハハハハハハハッ!」

 突然大声で笑い出した。

「なっ!? 何がおかしいのよ!?」

 思わず怒鳴った私に、御剣が「失敬、失敬」と言いながら頭を下げた。

「いや、余りにも無意味な問いかけだったものでね…」

「無意味って「そもそも──」」

 言い返そうとする私に構わず、御剣は言葉を続ける。

「友の身を案じて銃を持つ悪漢につかみかかって行くような貴女が、吸血鬼だった等というつまらぬ理由で、友を見捨てる筈が

あるまい? 故に無意味な質問だと言ったのだよ」

「──あ」

 その言葉を聞いてハッキリした。ああ、やっぱりコイツ…

「それに、私は記憶を操る類の術は使えん。もし使えたら、真っ先にニーニャたちから私の正体の記憶を消している」

 私がすずかを見捨てないって、知ってた上であんなことを言ったんだって。

「さて、質問は以上かな? それではお暇させてもらおうか。ではな、ニーニャた「アリサよ」ち?」

 今度は私が御剣の言葉を遮ってやる。

「ニーニャじゃすずかと区別がつかないから、アリサでいいわよ。その代わり、私もアンタのこと令示って呼ばせてもらうから」

「わたしも、すずかでいいよ、令示君」

 私に続いて笑顔でそう言うすずか。

「……承知した。但し、この姿の際はマタドールと呼んでくれ給え。他人に知られると面倒になるのでね。では、さらば!」

 壁を蹴って、令示──マタドールは跳び上がり、次々と建物から建物へと飛び移って、あっという間に姿も見えなくなった。

「……行っちゃったね、アリサちゃん」

「うん…」

 私はあいつの跳んで行った方向を見ながら、すずかの言葉に頷いた。

「アリサちゃん……お姉ちゃんたちが探してるし、向こうに行こう?」

「そっか…うん、行こう!」

「うん!」

 何か心配そうに顔を覗いてきたすずかを安心させようと、私は大きな声で返事をして、鮫島たちのところへと歩き出した。

「……」

 通りに出る直前、私はちょっとだけ後ろを振り返る。

「サンクス、私のヒーロー…」

 マタドールの消えた方向を見上げて、私はさっきは上手く出来なかったお礼を、小さな声でそっと呟いた。


 


 第二話 初陣。闘牛士と吸血鬼とツンデレと。(あとしまつ) END

 




 後書き

 ツンデレってこうですか? わかりません。

 どうも作者の吉野です。長らくお待たせしました。待っていてくださった皆さんありがとうございます。そしてごめんなさい。

 修正作業が上手くいかず四苦八苦。交代制の職場で時間が上手く取れず等々、言い訳は沢山ございますが、一番の理由は、

PCへ直に書くことが出来ず、メモ帳にプロット兼下書きのようなものを書いて、それを直しながら文字打ちしてるせいかも

しれませんね。どうも直打ちが苦手でして…

 閑話休題。さて、この先に展開なのですが、魔人たちにオリジナル設定とか他作品の能力とか持たせるかどうか、悩んでます。

ゲ-ム設定のままでは(最終的そこに辿り着くならともかく)強すぎる奴とか、能力が「リリなの」世界では使い勝手が悪い奴

とか居ますからね。主人公の魔人の姿は半分はイメージで出来ているという設定もあるので、いけるかなあと思うのですが、

どうでしょうか? 皆さんの意見をお待ちしております。では、次回第三話、『武装TAKAMACHI 魔王再臨』にて

お会いしましょう。(タイトルは予告無しに変更する場合があります。あしからず御了承下さい)




[12804] 第三話 武装TAKAMACHI 魔王再臨。(前編)
Name: 吉野◆fe64ebc7 ID:0cde0540
Date: 2009/12/05 13:47
 屋根から屋根へと音も無く飛び移り、俺は一路、目的の場所へと向かう。

(もう四時か…ちょっと急がねーと!)

 横目で通り過ぎる公園の時計を確認した俺は、更にスピードを上げる。

 先程、アリサたちに「急いでいる」とか、「用がある」と言ったのは別に嘘じゃない。

 だからこうして、マタドールの姿のまま、街を駆け抜けているのだ。

 無論、一般人に見られるようなヘマはしていない。
 
 極力人気の無い所を通っているし、猛スピードで走り、跳ぶ俺の姿は、常人に視認されることなどない。

 すずかに見つかった時の反省もふまえ、今度は周囲への注意を怠らずに念入りに行い、うっかり目撃などされぬよう万全の

布陣で事に臨んでいるのだ。

(いくらなんでも、同じ失敗をするほどマヌケじゃねーよ、俺は)

 
 そう思いながら、民家の屋根から跳躍したその時──

 
 背後より迫って来る風切り音と、身震いするような寒さを感じ取り──

 
 半ば無意識に、後方へ体を捻りながらエスパーダを横一閃に薙ぎ払っていた。

 
 斬撃とともに、背後を向いた俺の視界に映ったのは、エスパーダによって上下に分断され、明後日の方向に飛んで行く桃色の

光と、灰色に染まっていく世界。そして──

 


 光の飛んで来た方向に浮かぶ、白い服の少女──高町なのはだった。

 




「そんな!? 魔法を斬るなんて、どれだけ非常識なんだ!?」
 
「ユーノ君、どうしよう!?」

「なのは、落ち着いて! あの暴走体は空を飛べないみたいだし、人に見られないように結界も張ってるから、この位置をキープしながら

確実に封印するんだ!」

 宙を飛びながら相談するなのはと、その肩に乗る小動物──ユーノを見ながら、呆然とする。

(な、何故!? どうして!? 目撃されないように細心の注意を払っていたってのに!)

(主。魔人化している以上、ジュエルシードは励起状態──つまり発動したのと同じ状態だ。高町なのはクラスの魔導師ならば、すぐに感知するぞ。)

(テ、テメェ! 知ってたんなら先に言え! このポンコツ!)

(魔人化の際はアマラ深界との接触点を開き、マガツヒを取り込むと言った筈。それに、どれ程膨大な魔力が放出されるか、主は

身を以って体験したと思うが?)
 
(ぐっ…)

(それに、我は主の人格や記憶をベースにして生み出されている。我を罵倒するのは天に唾を吐くようなものだぞ)

(テメエは『スナッチャー』のメタルギアmk-IIか! ──って! またボケツッコミやってる場合じゃねえ! 来るぞ!)

 俺は仮想人格との会話をとりやめ、再び駆け出す。

 ──次の瞬間、俺の居た場所に、桃色の魔力光が炸裂した。

(どちくしょぉぉぉぉっ! やっぱ俺何かに憑かれてんじゃねえのかぁぁぁぁぁっ!?)

 俺は後ろも振り返らずに、全力疾走でその場の離脱を開始した。

 

 




 第三話 武装TAKAMACHI 魔王再臨。(前編)



 

 

 
 地を行く俺目掛け、後方より次々と飛来する魔力光。

 俺はそれを視認すらせず左右へ躱し、時には跳躍でやり過ごす。

 まだ小学生のなのはは、エゲツない弾幕包囲網や誘導作戦も使ってこない上、真っ直ぐな攻撃ばかりだし、魔人の五感を以って

すれば容易い作業なのだが、レーザーの如き極太の魔力光が、体をかすめていく感覚は恐怖以外の何物でもない。

 俺は走りながら仮想人格に怒鳴る。

(おい! 他に話してない事──つーか、はっきり言葉で伝えていない事とかないだろうな!? 特に現時点で俺の存在が

脅かされるものとか!)

 これ以上計算外の事態が発生するのはゴメンだぞ!?

(ふむ、現時点で特に気を付ける事…そうだな、現在高町なのはに撃ち込まれている、この魔法──ディバインバスターだな)

(あん? 魔人の耐久力なら、直撃食らっても問題ないんじゃないか? わざわざ痛い思いすんのは嫌だから、躱してるけど)

 走っていた民家の屋根を蹴って、真後ろから飛んで来た魔力光を横に避け、飛び移ったブロック塀の上を駆け出しながら

首を傾げる俺。空から「また外れた!」とか、「こうなったら、もっと大きな攻撃で──」とか聞こえるが、キニシナイキニシナイ。

(この魔法は封印魔法だ。暴走正常を問わず、ジュエルシードに命中すれば、強制的にその働きを停止させてしまう。こんなものが

主の体に当たれば、どうなると思う?)

(強制停止って──おい、まさか…)

 嫌な予感がしながらも、仮想人格に先を促す。

(然り。ジュエルシードによって維持している主の生命も危ういということだ)

(ちょっと待てぇぇぇい! 魔人は即死攻撃無効の筈だろうがぁぁっ!)

 思わず足を止め、仮想人格に食ってかかる。

(高町なのはの攻撃は、呪殺系でも破魔系でもないからな。主にとっては、万能系即死魔法と言ったところだ)

(──ふ)

 会話の最中、背後に生まれる圧力。

 振り返り、横目で一瞥すれば、ソーラレイよろしく俺を包み込もうとしている、先程の倍はあろうかというディバインバスター。

(ふざけんなあぁぁぁぁぁぁっ!)

 心の中で怒りの叫びをあげながら顔を正面に戻し、数メートル先の電柱へジャンプ。突き刺さっている足場用の鉄杭を踏み、

更に道路の向かいの二階建て家屋のベランダへと飛び移り、事無きを得る。

(なんつー馬鹿魔力だ。メガオプテックブラストかよ!?)

 通り過ぎる一撃を眺めながら、身震いしそうになる。

「なのは! もうすぐ結界の範囲外だよ、ここは一旦体勢を立て直そう」

 俺が聞こえないと思っているのか、理解出来ないと思っているのか、ユーノがなのはに警告する。

(よぉっし! このまま逃げ切れば俺の勝ちだ! 魔人の聴覚舐めんな! 全部聞こえてんだよ!) 

 早速結界の範囲外に、エクソダスかまそうと走り出す俺。




 しかし──




「──駄目だよ、ユーノ君」




 その小さな声は──




「あの子はずっと暴走体のままなんでしょ? そのままになんかしておけない!」




 嫌にはっきりと──




「きっと、あの子の家族も心配してる。だから、今ここで封印する!」




 俺の耳に響いた──




(でえええっ!? いいから! ちゃんと家に帰ってるから! そんな主人公っぽい熱血オーラ出さなくていいから!)

(いや、彼女は普通に主人公だろう…)

(いらん! そんなツッコミいらん! って、来たっ!)

 なのはは絶対に逃がさないという気迫をにじませ、宙を疾走し俺の正面に回り込む!

「行くよ! レイジングハート!」

『all right.』

 掛け合いと同時に、シューティングモードのレイジングハートを俺に突き出すと、桃色の魔力が、その先端へと収束していく。

(ヤバイッ!)

 とっさに横に跳び、必殺の一撃を紙一重で躱す。

 更に方向転換、もと来た道を走り出す! 

 嫌味か皮肉か、俺の脳内ではシューベルトの『魔王』(日本語訳版)がエンドレスで演奏中だ。

(どうすりゃいいんだ!? こっちの攻撃は届かない上に、相手の攻撃は一撃即死! なのはは殺る気満々、逃げ切りも無理! 

万が一逃げ切っても、暴走体と思われてる以上、みつかりゃまた追われる!)

(主。こうなれば無力化して説得する以外あるまい。)

(無力化だぁ!? 寝言言ってんじゃねー! 攻撃も届かない、空も飛べないでどうやってやるんだよ!?)

 食ってかかる俺に、仮想人格はあくまでクールに答える。

(落ち着け主よ。高町なのはは勝てる状況を作り出し、我らに挑んで来ているのだ。なれば、我らも勝てる状況状態を生み出せばいい)

(勝てる状況ってよぉ…)

 言うは易し、成すは難しだ。リーチと制空権の差は大きい。

(何を言う、目の前にあるだろう。我らの戦におあつらえ向きのものが)

 はっ? 目の前って──

「──成る程、そういうことか…」

 仮想人格の思わせ振りな言葉に、正面へと目を凝らした俺は、思わず納得の呟きを漏らした。確かに、「あれ」ならばどうにかなりそうだ。

 生きるか死ぬかは、俺の行動次第って訳か……どのみち、攻撃を避け続けるなんて曲芸じみた真似、何時までも続く筈が無い。

何かの拍子に一発食らえば、それでアウトだ。なのはも退くつもりはないようだし、俺も方法はともかく、自分を助けようとしている女の子を

殺して生きるような考えを持つ程、精神がブッ飛んではいない。

 となれば自然、無力化の後に説得しか道はない訳で──

(やるしかないか……よし!)

 思考を切り替えるや否や、俺は即座に「あれ」を目指して一気に駆け出した。

 当然、追ってくるなのは。数秒置きに砲撃をかましつつ、「待ってー!」などと叫んではいるが、どうやら俺の目的には気付いていないらしい。

(好都合だ。そのままついて来い…)

 気分は鬼島津の釣り野伏せ。心中でほくそ笑みながら、正面を見る。先程見た時は結構な距離だったが、流石は魔人の脚力と、

障害物無視の最短距離踏破。

 僅か数十秒で目的地に着いた俺は、立ち止まって振り返り、そこで初めて上空を行くなのはたちを見上げて、口を開いた。




「──Bienvenido a mi dominio.」




「へっ? な、何?」

 語りかけられるとは思わなかったのか、言葉の意味がわからなかったのか、目を見開き、呆けたような声を上げるなのは。

 つか、あんまり俺に驚いていないな…そう言えば最初に魔人に変身した時、傍に居たんだっけ、この娘。

「これは失礼した、ニーニャ。『ようこそ、我が領域へ』、そう言ったのだよ」

「我が領域って…ここが?」

 周囲を──林立するビル群を見回し、怪訝な顔をするなのは。

 そう。ここは海鳴の駅前商業区域。そこそこに高いビルが立ち並ぶオフィス街だ。

「そう。空を飛べぬが故に、私は貴女に近付く術が無い。しかし、ここならば……このように!」

 言いながら手近なビルの壁面へと跳躍し、そこを足場にして宙へと──なのは目掛けて飛ぶ!

「ええっ!?」

「そんな!?」

 迫り来る俺に、驚きの声を上げながら横方向へスライドして、俺を躱すなのはとユーノ。

 しかし、飛んで行く先には同規模のビル。俺は宙で体を捻り半転すると、迫り来るビルをまた足場にして跳躍。

 再びなのはへと強襲する。

 攻撃が届かないのならば、届くようにすればいい。こちらの攻撃射程が生まれる状況、状態を作り出せばいい。つまり──

「この乱立する楼閣があれば! 宙を舞う有利不利等、一切無意味! 故にこの場が、私の領域だと言ったのだ!」

 俺は高笑いを上げながら、なのはの周囲を縦横に飛び回り、かく乱をする。

「うえええっ!? 目が追い付かないよぉ!?」

「バインドを…駄目だ! 速過ぎて狙えない!」

 なのはもユーノも、砲撃やバインドを考えてはいるようだが、俺を捉えることが出来ない。魔導師として、ある程度成熟して

いたのであれば、広域無差別攻撃で一区画丸ごと巻き込み俺を狙うことや、ビル自体を破壊して俺の足場を潰すことが出来たであろうが。

(とは言え、時間をかけ過ぎれば、そのことに気が付く可能性が高いな。自力でディバインバスターを編み出した訳だし)

 グズグズしていられない。俺は更なる力を両足に込めてビルを蹴り、初撃を上回る速度で宙を舞い、なのはの後ろを取った。

 この隙を逃す訳にはいかない。狙いは一瞬、次は無し。

 五体に力を巡らせて捻り込むようにビルの壁面を蹴り、獲物を狙う猛禽のように飛び立ち、空を切ってなのはに迫る!

「Ya me las pagara's!」(お返しさせてもらうぞ!)

「えっ!?」

 俺の声に反応し、後ろを振り返ってしまうなのは。

 戦闘慣れしていないが故の悪手。反射的にその場から逃げるという、防御、回避行動が出来上がっていないのだ。

 その刹那で、俺はなのはの目前にまで肉迫する。
 
 悪魔の動体視力が、こちらを目にして驚き凍りつく、彼女の表情をはっきりと捉えた。

 俺は躊躇うことなく、エスパーダを閃かせ──

 なのはが握るレイジングハートを上空へとはじき飛ばした。

「──へ?」

 斬られると思っていたのに攻撃が来ず、何が起きたかわからなかったのか呆けた表情をするなのは、しかし、次の瞬間──

「にゃあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 デバイスがなくなったことにより、バリアジャケットと飛行魔法の維持が不可能となり、真っ逆さまになっておちていく。

 俺はすぐさま墜落するなのはへ向かって飛び──

「ぁぁぁぁぁぁ……きゃうっ!?」

 私服に戻ったなのはを、見事空中でキャッチ。同時に待機状態に戻り、落っこちていくレイジングハートもゲット。

「きゃああああああ!」

「うわああああああ!」

 俺はそのまま滑空して、オフィス街の一角に降り立ち、なのは(と、引っ付いているユーノ)を抱きかかえたまま、人目の無い

路地裏へと駆け込んだ。












「──さて、と。怪我は無いかね? ニーニャ、ニーニョ」

 ユーノが結界を解除しても問題の無い地点まで来たところで、俺は二人を下ろし、いらぬ警戒をされないように少し距離をおいて話しかけた。

「…………」

 俺の問いに、無言のままおずおずと首を縦に振るなのは。その肩の上でユーノは、警戒心全開といった感じで俺を睨んでいる。

「ふむ。この姿のままでは話しにくいか…しばし待ち給え」

 どの道、この二人にはある程度の事情は話さなくてはならない。ならばさっさと元の姿に戻って『お話し』といこうか。

「変身解除」と、呟くと同時に歪む視界。何度目かの感覚で、多少慣れてきた俺の耳に、「わっ! ガイコツさんが光った!」とか、「ああもう、

ホントにどうなってるんだ!?」等と、二人の叫び声が響く。

 数瞬の後、視点が低くなった以外は元に戻った俺の目に、唖然とするなのはとユーノの顔が飛び込んで来た。

「改めましてこんにちわ。ジュエルシードモンスター魔人マタドールの正体、御剣令示だ。」

 苦笑しながら「コンゴトモヨロシク」と言った俺の耳に、本日何度目かわからない二人の絶叫が響いた。




 第三話 武装TAKAMACHI 魔王再臨。(前編)END



 
 後書き

 どうも、ストレンジジャーニのラスボスの頭の「アレ」っぷりに驚いた吉野です。

 しかし、話が進まない…一応次でプロローグ部分終了、その次から本編開始で、フェイト登場を予定してるんですが、上手くいくかな?


わからない人の為の追記。

   『スナッチャー』のメタルギアmk-II …コナミの名作アドベンチャーゲーム『スナッチャー』の登場キャラ。
    
    同社の大ヒット作『メタルギア』シリーズの生みの親、小島秀夫氏が製作指揮を執った作品で、とにかく面白い。
 
    やったこと無い人は是非プレイすべし。(今は亡き、故塩沢兼人氏のカッコイイ演技が聞ける!)

    ちなみに、上記メタルギアmk-IIは、キシリア閣下や、バラライカの姉御の中身の中の人が演じています。

    まあ、アラレちゃんの声質で喋ってますがね。PS版、SS版が出ているので、比較的安価で手に入るかも?



[12804] 第三話 武装TAKAMACHI 魔王再臨。(中編)
Name: 吉野◆fe64ebc7 ID:0cde0540
Date: 2009/12/06 01:19
 おー、驚いてる驚いてる。鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔ってやつだ。

 まあ、まさかジュエルシードモンスターが自力で元に戻るなんて、想像もしなかったんだろうな。

 とは言えこのままじゃ会話が進まん。

「──で? 君らの名前は何?」

 俺は先を促し、会話の口火を切った。 

「あ、たっ、高町なのは! 聖祥付属小学校三年生です!」

「ユ、ユーノ・スクライアです…」

 慌てて背筋を伸ばして挨拶する二人。まあ現状、正確には一人と一匹なんだが。

「高町さんとスクライア君ね。君らの目的は、やっぱりジュエルシード?」

「!?」

 その言葉に、くわっと目を見開き、俺に詰め寄ってくる二人。

「そう! それを返して欲しいの!」

「アレは危険な物なんだ! 君はどういう訳か上手く使っているみたいだけど、都合の良い変身道具やオモチャじゃないんだ!」

「ちょっ!? ストップストップ! 落ち着けって!」

 ものすごい剣幕で迫ってきた二人を宥め、再び距離を取る俺。

「いや、返したいのはやまやまなんだが、ちょっとややこしい事になってんだよ…まずは話を聞──って! 今何時!?」

 聞いてくれ、と言いかけたその時、俺は自分が急いで帰る途中であったことを思い出し、慌ててなのはに時間を尋ねる。

「えっ? 今……四時三十五分だけど?」

 携帯を取り出し時間を告げるなのは。

「やっべえ! 悪い! 俺行かなくちゃいけない所があるんだ! この話しはそれが済んだ後で!」

「あっ! 待って!」

 シュタッ! と右手を上げて立ち去ろうとする俺に、なのはがしがみ付き、引き止めてくる。

「ジュエルシードを返してくれないと駄目なの!」

「いや、だからその話しは後でゆっくりと…」

「なのはの言う通り、本当に危ないんだ! すぐに手放して!」

 駄目だ! 話にならない! フルムーン状態かよ、こいつらは…

 なのはたちの説得も大事だが、俺の用事も大切なのだ。さてどうするかと、思いながら左手で頭を掻いたその時、掌中に違和感を覚える。

(んんっ?)

 首を傾げて顔の前に掌を持って来て、ようやくその違和感の正体に気が付き、同時にちょっとした悪知恵が閃いて、一瞬、某新世界の

神ばりの邪悪な笑みを浮かべた。

「ちょおっと待った!」

 俺は二人の声を遮り、左手の中のモノを見せつける。

「「レ、レイジングハート!?」」

『I am sorry Master. has been caught.』(すみません、マスター。 捕らえられてしまいました)

 目を剥いて声をハモらせる二人に、俺の掌中のレイジングハートは申し訳なさそうに声を漏らした。

「まあ、そんなに気を落とすなよ」

『You must not say.』(あなたが言わないで下さい)

 俺の慰めにピシャリと反論するレイジングハート。

「ははは、コイツは手厳しい。で、こいつを返して欲しかったら、俺をこのまま行かせて欲しいんだが…?」

「そ、そんな条件飲める訳ないだろ!」

 ふっふっふっと、ノリノリで悪役を演じる俺に、食ってかかるユーノ。

「ほほう、だったら止めてみるかい? この俺を」

「クッ……! 君が本当にレイジングハートを返すっていう保証があるのか!?」

 悔しそうに一歩下がりながらもなお、俺に反論してくるユーノ。ふーむ、成る程。

「──つまり、返す保証があれば問題ない、そういうことだな?」

「うっ!? そ、そうだよ! そんな口約束じゃ信用できない!」

 俺の問い返しに、一瞬返事に窮したユーノだったが、すぐに大きく頷きながら肯定の意を返してきた。

「よし、それじゃあ二人とも俺の後について来い。ついでに俺の仕事を手伝ってもらおうか」

「えっ!?」

「お、お仕事って何かな…?」

 俺の意外な返答に驚きを浮かべるユーノと、不安げな表情で尋ねてくるなのは。

「なーに安心なさい。優しい先輩が丁寧に教えてくれるアットホームな職場! 誰でも出来る簡単な作業です!」

 そう言いながら、俺は二人を安心させるように笑顔を作る。

 が、どういう訳か、二人はジリジリと後退りをする。…むう、何故だ? 

 ──って、そう言えば悪役モードで喋っていたんだったっけ。

 ああ、それじゃドン引きだ。きっと俺、某ざわざわ賭博漫画のパチンコ店長のような、嫌な笑顔だったんだろうなぁ。自重自重っと。

 ついでに用事済ませる間に上手い言い訳も考えておくか。おい、仮想人格。お前も手伝えよ。

(承知)

 俺は脳内で仮想人格とあれこれ協議をしながら、なのはたちを引き連れ、路地裏を後にした。




 第三話 武装TAKAMACHI 魔王再臨。(中編)



 
「ありがとうございましたー」

 ここは市街地から少し離れた商店街の一角にあるスーパー。

 店員の姉ちゃんの挨拶を背に、両手にパンパンになったレジ袋を持ち、夕刻の買い物客でごった返す店を出た俺。

 とその後に続く、どこかゲンナリとした表情の、なのはとユーノ。

「いやー得した得した! やっぱ買い物は頭数だよ、兄貴!」

「ねえ、…ちょっと!」

「──ん? どうした、スクライア?」

 ドズル中将に心中で敬礼していた俺に、ユーノが困惑した表情で話しかけてきた。

「もしかして、君の言っていた仕事って、コレ?」

「もしかしなくても、この夕方のタイムセールの買出しだが?」

 俺が「お前は何を言っているんだ?」って感じで首を傾げると、ユーノはこめかみをピクピクとさせ、怒りに耐えるような

表情になり、なのはは「にゃはは…」と、乾いた笑いを浮かべながら、ランドセルを肩からズリ落としかける。

「何と言ってもこの、千円以上お買い上げのお客様限定、L玉卵一パック八〇円!(お一人様一パックまで)高町がいたから二つゲット出来たぜ!」

 勝ち誇った笑いを上げる俺。

 その後ろで、「そ、そんな下らない理由で脅迫までするなんて…」とぶつぶつ言いながら、頭を抱えるユーノ。 

 む。そいつは聞き捨てならん!

「くぉらぁイタチ! てめえ卵馬鹿にすんな! 

 洋の東西を問わず活躍する、栄養豊富な万能食材!

 一年を通して安価で、入手容易な価格の優等生!

 これ一つで、おかずの一品二品はどうにかなるスグレ物なんだぞ! 謝れ! 卵に謝れ!」

「うわあぁぁぁぁっ!! ごめんなさいごめんなさい!」

 俺がなのはの肩からユーノを引ったくり、顔の前でガックンガックン揺らしながら、SEKKYOUをしてやると、目を回して謝りだす。

「わわ! ユーノ君も謝ってるから、もう許してあげてぇ!?」

 慌てて割って入ったなのはに抑えられ、俺は渋々その動きを止める。

「チッ! しょうがない、ここは高町の顔に免じて許してやろう。本当ならあと二〇分は、卵のレクチャーがあるんだが…」

「「二〇分もあるの!?」」

「まあ嘘だけど。20分って微妙にリアルな数字だから、本気っぽく聞こえね?」

「「ひどいよ!!」」

 上がる抗議の声を背に、はっはっはっと、爽やかに笑いつつユーノを手放し──

「高町、ホレ」

 更に俺はなのはに向かって手にしていた物を放り投げた。

「ふえ? ──レイジングハート!?」

 自身に向かって投げられた物を、反射的に受け取ったなのはは、己が掌中を確認して、驚きの声を上げた。

「レイジングハート! 大丈夫!? 何ともない!?」

『No problem. Thank you for consideration. Master』(問題ありません。心配り感謝します。マスター)

「おいおいひでえな、俺が何かすると思ったのかよ?」

『Exactly』(その通りです)

 冗談めかして言ったのに、ダービー弟みたいなこの返し…泣きたくなってきた。まあ、それはともかく──

「さて、俺の用事も済んだし、河岸を変えて詳しい話をするよ。あー、でも今度は後ろからの不意討ちは勘弁してくれよ?

そっちを信用して、ソイツを返したんだからな?」

 移動の前に、大丈夫だとは思うが一応釘を刺しておく。

「う…その、ごめんなさい…」

「なのはは悪くないよ! ……ごめん、アレをやろうって言ったのは僕なんだ。なのははそれに従っただけで…」

 うん。二人とも素直な良い子だ。

 ひねくれた今時のガキどもに、この子らの爪の垢煎じて飲ませてやりたいよ。

「ま、わかってくれりゃ構わねーよ。じゃ、早速行くとしようか…」

「どこへ行くの?」

 ちゃんと約束守った為だろうか、なのはの警戒心は若干薄れているようで、言動に柔らかさが窺えた。

「買った物をしまわなきゃなんねーからな。俺の家だ」

 俺はユーノを引ったくった時に、地面に下ろした買い物袋を持ち上げ、なのはに見せながらそう言った。












 小さな家屋が詰め込まれたように建ち並ぶ、住宅密集地。

 海鳴の中心部──駅前市街地から離れたこの場所は、町工場が点在し多種多様な職人たちが暮らす区画だ。

 古い木造住宅や入り組んだ細い路地、日向でくつろぐ野良猫など、まるで東京の下町を思わせるノスタルジックな風景は、

俺のお気に入りだったりする。

 夕焼けでオレンジ色に染まる、そんなどこか懐かしい町並みを歩く俺となのは。と、その肩に乗るユーノ。

 聖祥の制服自体、この辺りでは珍しい上に、キョロキョロと辺りを見回すなのはは、周囲から浮いてかなり目立っている。

「高町、この辺りはあんまり来ないのか?」

「え…? うん、こっちに来る用も無いし、知ってる人もいないから」

 なんか珍しくて、と言って頭を掻き、笑うなのは。

「そんなに面白いものも無いと思うけどな──と、着いたぞ」

 俺は顎で前方を指す。そこには、築二〇年は経っていそうな古いアパート。

「このアパートの二階の左端が俺の家だ。ついて来な」

 そう言いながら、階段を登る俺の後を、なのはは慌てて追って来る。

 鍵を開け家に入ると、窓から差す光で、部屋中が赤く染まっていた。

「冷蔵庫に買ってきた物入れちまうから、ここに座って待っててくれ」

 俺はちゃぶ台の前に座布団を二枚敷き、二人を招いた。

「お、お邪魔します…」

 遠慮がちにゆっくりと家に上がったなのはは、俺の指定した場所に、ユーノと並んでちょこんと腰を下ろした。

 それを確認すると、俺は部屋の隅にある仏壇に手を合わせた後、台所に買い物袋を運ぶ。

「あの…お家の人は?」

「んー? 母さんは仕事。父さんはそこの──窓の所の仏壇だ」

「あ──ご、ごめんなさい!」

 食材を冷蔵庫に入れながら、何の気無しに答えると、気まずさと罪悪感を滲ませた謝罪の言葉が飛んで来た。

「あー、気にしなくてもいいぞ、俺が生まれる前の事らしいからな」

 そう答え、スーパーで買った特売のオレンジジュースを、コップと小皿に注ぎ、なのはとユーノの前に「どうぞ」と言って置く。

「あ、ありがとう…」

「いただきます…」

 二人は小さく謝辞を述べ、舌先を濡らすように少し口をつけた。

 俺はちゃぶ台の反対側に「どっこいしょ」と言いながら腰を下ろした。

(…しかし、何なんだろうな、このシチュエーションは)

 魔人と化した少年と魔法少女。

 立場の異なる二者が、夕暮れで赤く染まるアパートの一室で、ちゃぶ台挟んで座るという、このシュールな構図。

 まるでメトロン星人とウルトラセブンのようだ。

(時空管理局? 怖いのは高町なのは、君だけだ! …なんてな)

 自分の馬鹿な妄想で笑いそうになるのを堪え、俺は二人を説得するべく口を開いた。

「──さて、と。じゃ落ち着いたところで、俺の事情について説明しよう」

「事情って…ジュエルシードを渡せない理由かい?」

「ああ。ま、『百聞は一見に如かず』だ。まずはコイツを見てもらおう」

 尋ねるユーノに頷きを返し、俺はおもむろにその場で上着を脱いで、ランニングシャツのみの姿になる。

 なのはが声を上げて顔を赤くしたり、「何をしてるんだぁ!?」と言うユーノの抗議も、とりあえず無視。シャツの間から覗く

胸元にそっと手を当て幻術解除、と小さく呟いた後、「ほれ、これだよ」と、その場に現れた物を二人に見せた。

「「ジュ、ジュエルシード!?」」

 途端、二人がちゃぶ台から身を乗り出して上げた大声が、室内にこだました。

「おいおい、ここの壁薄いんだから、デカイ声出さねえでくれよ」

 俺が渋面で注意すると、二人とも「ごめんなさい…」と言いつつ、しょんぼりしながら、その場に腰を下ろす。

「──って! それどころじゃないよ! さっきの変身といい、自我をしっかり持っている点といい、一体君は何者なんだ!?」

 反論してくるユーノをまあまあと制し、俺はあごに手を当て、言葉を選びながらゆっくりと話し出した。

「順を追って話そう。きっかけは知っての通り、つい先日のあの大木騒ぎの時だ。君らも見ただろ? 血まみれでブッ倒れてた俺を」

「あ──」

 あの時の事を思い出したのか、なのはの顔に影が差した。

「あの時、大木の根っこにぶっ飛ばされた俺は、痛みのあまりに這いずり回って、偶然落っこちていたジュエルシードを手にした。

 こいつは俺の願いを正確に叶えてくれたよ。『生きたい。俺に力をくれ』っていう願望をね」

 そこで一旦言葉を切り、二人に目を向ける。なのはもユーノも、真剣な表情で俺を見ている。

「通常ならば、ジュエルシードを発動した者は核として取り込まれ、暴走体と化す。が、俺は例外中の例外で、自我を保ったまま

ジュエルシードの力を暴走させることなく操ることが可能だった。俺には適性因子があったからな」

「適性、因子?」

 聞きなれない言葉に、首を傾げるなのは。

「ジュエルシードを完全に自分の制御下に置き、自在に操る力だ」

 俺の言葉に、ユーノは目を剥いて驚きの表情を作る。

「バカな! デバイスも無い、魔導師でもない人間がジュエルシードの制御なんて不可能だ!」

「とは言うがよぉ、魔人の姿のまま自我を維持して会話も可能、元の姿にも自由に戻れる。これでただの暴走体じゃ、説明が

つかないだろ?」

「うっ…」

 俺の返しに二の句が出せず、言葉に詰まるユーノ。

「話を続けるぞ? ジュエルシードを手にして、命を繋げたまでは良かったが、苦痛が酷くて俺の精神状態はまともじゃなか

ったらしくてな、イレギュラーが起こった。それがあの姿──魔人マタドールっていう悪魔の姿さ」

「悪魔? アレが?」

 呆然としながら、ユーノは信じられないと呟いた。

「そりゃ俺の台詞だって。頭が冷えて我に返った時に、ガラスに映った自分があのガイコツ面だぞ? 何よりもまず、テメエの

正気を疑ったよ、俺は」

「あ。ゴ、ゴメン…」

 溜息混じりにぼやく俺を見て、ユーノは気まずそうに頭を下げた。

「で、だ。君の世界じゃどういう存在か知らねえけど、この世界じゃ悪魔ってのは、伝説や伝承神話で語られるのみで確認はされ

ていない、人知を超えた超越種たちでな。俺は趣味でそういう存在を調べているんだが、どうやらジュエルシードは俺の頭の中に

あったこれらの知識を読み取って、俺にその『力強い肉体』──悪魔の力を提供してくれたらしい」

 わかったか? と言う意の視線を送ると、先程よりは幾分か落ち着いた様子で、ユーノは口を開いた。

「…確かに、君の話しは矛盾が無いし、説明もつくよ。ただ、気になる点がある」

「ふむ。そりゃなんだ?」

 真剣な目で見つめてくるユーノに視線を返しつつ、俺は先を促す。

「君は『ジュエルシード』や『暴走体』って言葉をどこで知ったんだい? 僕が別の世界から来た事も知っているみたいだし、

一体どこでそんなこと調べたの?」

「ああ、それか。その理由は二つある。一つ目は君らが話していたことが、俺の耳に届いていたって事。悪魔の五感は鋭くて

な、多少距離があっても結構聞こえるもんなんだ。
 
 で、もう一つだけど、コイツが教えてくれたんだ。──おい、挨拶しな」

 来るだろうと予測はしていた質問だったので、落ち着いて答えることの出来た俺は、そのまま胸元のジュエルシードに、デコピン

しながら語りかける。

『はじめまして。と言うべきかな? ユーノ・スクライア、高町なのは。御剣令示のジュエルシード使用のサポートを行う、仮想人格だ』

「ジュ、ジュエルシードが──」

「しゃべったの!?」

 明滅しながら言葉を発する俺の胸元のジュエルシードと、それに目を丸くして驚く二人。

「こいつは俺が力を手に入れたばかりで困惑していた時に、ジュエルシードが俺の願望をくみ取って、生み出されたもんでね。

俺の補佐役ってところだ」

『以後、見知り置き願おう』

「なんだか、レイジングハートみたい…」

 ちょっと得意げな感じで語る仮想人格を見ながら、呟くなのは。レイジングハートは「一緒にすんな!」とでも言いたげな、何とも

不満そうな光を発していた。

「──さて、これですべての疑問は解けたかな?」

「ちょっと待って!」

 俺が改めて二人の顔を見ながら確認の意を取ると、ユーノが慌てて口を開いた。

「君の知識の出所はわかったよ。でもここまで話した中で、ジュエルシードを返せないっていう理由は無かったよ。いや、むしろ

封印を行って、ジュエルシードを分離した方が、君も悪魔の姿にならずに済むじゃないか」

『残念だが、それは不可能だユーノ・スクライア。ジュエルシードを主より引き剥がす事は、主の生の終焉へと直結する』

 ユーノの疑問に、仮想人格は平然と答え──

「なっ!?」

「えっ!?」

 それに驚愕するユーノとなのはに構うこともなく、仮想人格はそのまま淡々と言葉を紡ぐ。

『件の大木騒ぎで重傷を負った主の命を、現世に留めているのはジュエルシードの魔力だ。それが無くなれば、当然主の魂魄は

向かうべき場所へと向かうのみ』

「そ、それが嘘じゃないって証拠は…?」

 動揺を圧し殺そうとした低い声で、ユーノが疑問を投げかける。

『ふむ。ならばこの場で、ジュエルシードを封印してみるか?』

「それは──」

「お前に責任取れるのか?」という言外の問いに、ユーノは言葉を詰らせた。

「じ、じゃあもしも、さっきの私の魔法が御剣君に当たっていたら…」

『然り。死ぬところであった』

「っ!?」

 仮想人格の言葉に、目を見開いて蒼白の表情となるなのは──って、オイ!

「表現ストレート過ぎだバカ! もっとオブラードに包んだ言い方をしろ!」

『言い繕ったところで、伝えるべき内容に変わりはあるまい?』

「だからってだなぁ、お「──んなさい」前は、あ?」

 俺と仮想人格の言い争いの中、スカートの端を握り締め、俯いたなのはの漏らした小さな呟きが、部屋に響いた。

 よく見れば、膝の上の両手が小刻みに震え、その手の甲には、ポタポタと滴が落ちて──

(って、滴?)


 と、疑問に思ったその時── 

「ごめんなさい……!」

 顔を上げ、謝罪の言葉を口にしたなのはの目からポロポロと涙がこぼれるのを見て、俺は「はえっ!?」と、間抜けな声を

上げてしまった。





 第三話 武装TAKAMACHI 魔王再臨。(中編) END



 
 後書き 

 書いても書いても終わらない…次でオープニング部分は終わる…筈です。フェイト登場まで、他の魔人登場までもう少しだ!

頑張って書け! 俺!













 こんな半端なところで引きになってしまって申し訳ないので、以下、脳内妄想のおまけを追加します。

 わかってるとは思いますが、ネタなんで深く考えずにお読み下さい。












オマケ リリなのウルトラセブン風妄想劇場「狙われた街なの」




…海鳴市…  最近、この街では不可思議な事件が多発していた。

事件の原因は、次元航行船より墜ちたロストロギア、ジュエルシードによるものだった。

ジュエルシードの回収をするべく市内を調査していたなのはとユーノはその力を手にした謎の怪人を発見した。








その怪人は悪魔、魔人マタドールだったのだ。








「ようこそ、高町なのは。私は君が来るのを待っていたのだ…」

 マタドールの潜伏するアパートに侵入したなのはは、それを予期していたマタドールに迎え入れられた。

「えっ!?」

「歓迎するぞ、なんなら、ユーノ君も呼んだらどうだい?」

 驚くなのはを尻目にちゃぶ台の前へと腰を下ろし、あぐらをかくマタドール。

 なのはもそのまま反対側へ座る。

「あなたの計画は全てわかったの。おとなしく降伏して」

「ハッハッハ…、私の実験は十分成功したのさ」

 なのはの厳しい言動にも臆することなく、マタドールは余裕の態度を取る。
「実験…?」

 マタドールの言葉の意図するところが理解出来ず、オウム返しに問いかけるなのは。

「そうだ、ジュエルシードで人類が悪魔の力を得るのに、十分力があることが分かった。教えてやろう、私は人類が互いに信頼

しあって生きていることに目をつけたのだ。

 地球を壊滅させ、悪魔の世界を築く為に暴力をふるう必要はない。人間の中に悪魔を増やし、人と人との信頼感をなくせばよい。

人間たちは、隣人が悪魔かもしれないという恐怖から疑心暗鬼に陥り、互いに敵視し傷つけあい、やがて自滅していく。どうだ、

いい考えだろう?」

「そうはいかないの!、次元世界には時空管理局がいるんだから!」
 
 なのはの言葉を、鼻で笑うマタドール。

「時空管理局? 恐いのは高町なのは、君だけだ! だから君のデバイスには管理世界へ帰ってもらう、邪魔だからな。

ハッハッハ…!」

 交渉は決裂。両者の主張は互いに平行線を辿るばかりであった。

 赤く染まるアパートの一室。

 戦いの火蓋は静かに、だがはっきりと、切って落とされたのだ。
 
 夕暮れの街に響き渡る剣戟、轟く砲撃。

 互いに一進一退を繰り返し、いつ終わるとも知れぬ戦いは、ユーノが取った捨て身の特攻バインド攻撃に捕らわれたマタ

ドールが、ディバインバスターの直撃を喰らい、爆発して果てた事で、終わりを告げた。



ナレーション「こうして、マタドールの企てた、『人類悪魔化計画』は未然に阻止されたのです。

 人間同士の信頼感を利用するとは、恐ろしい悪魔です。

 でも安心して下さい。このお話は遠い遠い未来の物語なのです。

 え、何故かですって? 私たち人類は今、悪魔に狙われる程、お互いを信頼してはいませんから…」



 

 ただの妄想ですww




[12804] 第三話 武装TAKAMACHI 魔王再臨。(後編)~なのはの気持ち~
Name: 吉野◆fe64ebc7 ID:0cde0540
Date: 2009/12/25 13:57
 突然攻撃された事を、死にかけた事を、怒っていない訳じゃなかった。

 頭のゆるい馬鹿ガキが、面白半分にこんな事をしたのであれば、魔人の力を使ってでもしばき倒してやっただろう。

 しかし、相手は高町なのは。善意が服着て歩いているような女の子である。

 俺にディバインバスターを撃ってきたのだって、大木の一件を見逃して被害を出してしまった事への、罪悪感と責任感から

の行動だろうし、先程の戦闘時の言動を鑑みれば、本気で俺の身を案じていたこともわかる。

 そんな彼女に、怒声や罵声を浴びせることなど、俺には到底出来ることではなかった。

 そもそも、「こんな状況」のなのはに、そんな死人に鞭を打つような行動が出来るのは余程のドSか、性格の捻くれ曲がった

鬼畜ぐらいなもんだろう。

 ……誰だ、俺をへタレって言ったのは。否定は出来んが。

 閑話休題。だいたい、俺はこんな状況望んじゃいなかった。

 適当にさっきの攻撃はちょっとやばかった。大怪我したかも? って位に言っておき、なのはに「今回はいいけど、次は気を

つけてね? それと他人(主に今後登場する管理局関係者)にはマタドールの正体は黙っておいてね?」という、軽い注意と重

要なお願いをしようと考えていた。

 考えて、いたんだが──

(…どうして、どうしてこうなった?)

 目の前には「ごめんなさい」を繰り返しながら泣き続けるなのは。

(どこぞのポンコツの余計な言葉のせいで台無しだ。どーすんだよコレ?)

 俺はジロリと自分の胸元を睨みつける。

(……正直すまんかった)

(死ねっ!)

 俺はこのロクデナシがポツリと漏らした一言に対して、心の底からの罵声を浴びせた。




 第三話 武装TAKAMACHI 魔王再臨。(後編)~なのはの気持ち~



 
 俺の目の前には、未だ泣き止む気配も無いなのはと、オロオロとしながら慰めの言葉をかけ続けるユーノ。

 こういう状態になった幼女に、勝つ手段は無い。男子諸兄には覚えがあるだろう、小学校時代に女の子を泣かせた男が、どんな

理由があろうと一方的に悪者にされる状況。そして開かれる、帰りの会と言う名の魔女裁判──と、やめよう鬱になる。

(どうしろってんだよ、彼女いない歴=年齢だった俺に…)

 大体、まともに異性と話した事だってほとんど無い俺が、女の子を慰めるスキルなんぞ持っている筈も無い。

 そのくせハーレムなんぞ作ろうと思っていたんだから、救いようの無い阿呆だ。

(ああもう! グズグズ考えていても仕方がない! とりあえず声をかけよう!)

 意を決し、ちゃぶ台に勢いよく両手を着いて立ち上がる。が──

「っ!?」

 勢い余ってちゃぶ台を叩く大きな音が居間に響き渡り、その衝撃に驚いて小動物のようにビクリと体を震わせ、悔恨の念に

満ちた視線をこちらへ向けてくるなのは。

 オマケに卓上のコップが倒れ、ジュースがこぼれていく。

(うおおっ、出だしからつまずいてどーすんだよ俺! フォローしようとした筈が怯えさせちまった!)

 心中で己を罵るものの、既にサイは投げられた。こんなとこで突っ立っていても始まらない。

 とりあえず俺はちゃぶ台の縁から畳に落ちそうな、こぼれたジュースの上に、先程脱いだ上着を無造作に放り投げ、雑巾

代わりにする。どうせ洗濯するつもりだったので構う事はない。

 そして、これ以上なのはを怯えさせないよう、ゆっくりと慎重に彼女に話しかけた。

「あ~、高町? 俺そんなに気にしていないからさ、その、もう泣くのを止めて、元気出せよ?」

 言ってすぐに、もっと気の利いた台詞はねえのかよ! と、心中で自分を罵倒したくなった。ジゴロとまではいかなくても、

もうちょい女の子の琴線に触れるような言い回しはなかったのか?

「で、でも私、御剣君に酷い事を……」

 やっぱり、こんな気休め程度の言葉ではどうにもならなかった。

(何か、何かいい考えはないのか!?)

 必死で考えを巡らせるが、そう都合良くアイディアや、上手い言い回しが出る筈も──

(──いや、そもそも上手く言いくるめようって考えが間違いなんじゃないのか?)

 俺自身、「気にするな」なんて台詞が、気休めにもならない思っていたんだ、そんな言葉が相手に伝わる訳がない。

 ミスブルー曰く、『自分も騙せない嘘は、相手を不快にさせる』というやつだ。

(……となれば、本音で相手にぶつかって行くしかないってことか?)

 正直、どう転ぶかわからない博打のようなものだ。

 が、なのはをこのままにしておく訳にもいかず、他に良い案がある訳でもない以上、コレでいくしかあるまい。

(ええい! ままよ!)

「高町っ!」

 俺は覚悟を決めてなのはに近付くと、がしっとその肩を両手で押さえた。

「ひゃっ!?」

 体を震わせ、その瞳に怯えと後ろめたさが入り混じった色を浮かべるなのは。

 すべておっぽり投げて、逃げ出したい気分をどうにか堪え、俺は真面目な顔で目を逸らすことなく彼女を見つめながら、

一言一言、ハッキリと伝わるように言葉を紡ぐ。

「スッゲエ怖かった。死ぬかと思った。何で俺がこんな目に遭うんだって、怒りもある」

「……」

 なのはは青白い顔で、黙って俺の言葉に耳を傾けている。

 俺はそんな彼女の顔を見ながら、「けどなぁ」と言って表情を崩した。

「高町だって好きで攻撃した訳じゃなくて、俺を助けるつもりだったんだろ? まあ、こっちも無傷で済んだし、今回は

チャラって方向でいいんじゃねえか?」

「「えっ!?」」

 俺の言葉に、驚きの表情で顔を上げるなのはとユーノ。

 しかし、それはほんの数秒の事で、なのははすぐにまた暗い顔で俯いてしまう。

「……それでも、私があの時、もっと気を付けていれば、あの大きな木も出ないで街も壊れなかったし、御剣君だって

あんな大怪我もしなかったし、悪魔にもならなかった…」

 ある程度は予想していた答えだった。まあ、アニメでも大木事件に大きな責任を感じていたし、俺があの場で死にかけていた事にも

罪悪感があるんだろうな。

 それが更に、なのはに大きな罪の意識を持たせてしまっているのであろう。

 俺個人の意見としては、大木事件に関して言えばなのはに過失は無いと思うが、それはまあさておき、まずは目の前の

問題解決が急務だ。

「つーかよ、高町はこの場合無罪だろ?」

「無罪って、そんな──」

 俺の言葉に反論しようとするなのはを押し留め、まあ聞け、と話を続ける。

「この世界には、魔法関連の出来事を裁く法律は存在しない。つまり高町は『法的には』無罪という事になる」

 しかしだ、と言葉を繋ぎながらなのはを見る。

「法律はいいとしても、良心の呵責や罪の意識、被害者の気持ちはまた別問題だ──もっとも、最後に関しては俺がさっき言った通り

チャラでいいと思っている。

 と、なれば問題なのは前者の二つ。高町の内面だ。だから、そうだなぁ…」

 上手くいくかなあと、内心で一抹の不安を抱えつつ、俺は先程思いついた、その場しのぎの折衷案を口にした。

「じゃあ、貸し一つでいいよ」

「かし、ひとつ…?」

 オウム返しに尋ねるなのはに、頷く俺。

「とりあえず今回の一件は貸しにしておいて、そのうち何らかの形で返してくれればいいよ」

「そんなのおかしいよ!」

 まあ、予想出来た反論だったので、俺は冷静に切り返す。

「そう言うがな高町、裁判官も弁護士も検察官も関与出来ないこの状況じゃ、当事者同士で話し合うしかないだろ? その場合、

重要になるのは当然、被害者の証言だ。その被害者である俺がそれでいいって言ってるんだから、いいんだよ。はい決まり、

決定、キャンセル不可!」

「だ、だけどそれじゃ──」

 かなり無理矢理ながら屁理屈で追い詰めるものの、まだ納得いかないご様子のなのは。

 ……こりゃもう一押しか。

「じゃあ聞くけど高町、俺が『絶対許さない、謝罪と賠償を要求する』って言ったらどうするんだ? 謝罪はともかく、賠償金

なんて払えるのか?」

「それは……」

 案の定、なのはは言葉につまる。

 俺はそこで一気にたたみかけた。

「魔法云々なんて事情で親が金を出してくれる筈は無いし、金融業者だって子供に貸してくれる訳が無い。俺だってそんなもん

貰っても、親への説明に困るからいらねーし」

「うう……」

 俺は次々となのはの逃げ道を塞ぎ、追い詰める。

 もはやぐうの音も出ない様子でうなだれるなのはに、俺は「だからさ」と、幾分か口調を柔らかくして語りかけた。

「貸しって事にしておけばいいんだよ。現時点で高町が俺に出来る事は無い。だから俺がヤバイ時とか、困っている時に

助けてくれよ。な?」

 そう言いながら優しく肩を叩くと、なのはは不安げな表情ながら、ようやく顔を上げて俺と視線を合わせてくれた。

「本当に、それでいいの?」

「おう、男に二言は無い! だからホレ、そろそろ泣くのはやめろって」

 窺うようななのはの問いに、俺は力強く返答しながら少し乱暴に彼女の頭を撫でる。

「きゃわ!? ……み、御剣君、その、こう言っていいのかわからないけど、ありがとう…」

 その行動に驚きの声を漏らしたなのはだったが、そのおかげで幾分か落ち着きを取り戻したようで、ぎこちなく

はあるが、俺に微笑みを見せてくれた。

 ──よし、まあ今はこれでいいだろう。

 貸し一つなんて問題の先送り、無責任かもしれないが今ウジウジ考えていてもどうにかなるものではない。

 なのはの人生はまだまだ先が長いのだ。その中でじっくりこの事と向き合っていけば「ただいまー!」いいって──

 突然、ドアが開いて響いた声に俺は我に返った。

「令示ー。今日は仕事が終わるの早かったから、お母さん急いで帰ってきちゃっ──」

 喋りながら居間の入口にかかる暖簾を開いて、顔を出したのは上下黒のスーツ姿の女性。俺の母さん──御剣綾乃だった。

 しかし、どういう訳か、母さんは俺の方を見た途端、いつもおっとりとしているその表情を凍りつかせた。

「れ、令示? あなた、何をしているの…?」

「は? いや、何って──」

 ぷるぷると震える指先でこちらを示しながら、意味不明な事を言う母さんを怪訝に思いながらも、俺はその言葉の意を

探ろうと自分や周囲を見回し──そして気が付いた。




 ①俺は上半身半裸(シャツ一丁)




 ②なのはは涙を流し、顔に赤みがある。




 ③俺となのはは息がかかる位近距離。かつ、俺の手がなのはの肩と頭に乗っている。






 結論。

 客観的に見て、俺は母親のいない隙に女の子を連れ込んでよからぬ事を(性的な意味で)しているように見受けられる。

 俺\(^o^)/オワタ
















「ご、ごめんね令示、お母さんてっきり…」

「いや、もういいって母さん、いいかげん頭上げてくれよ!」

 俺は左頬の痛みに耐えながら、畳に手をつけて謝る我が母を立ち上がらせる。

「でも私、何も悪くない令示に手を上げたりして……」

「まあ、間違いは誰にでもあるよ、むしろ、誤解を招くような格好して、ビンタ一発で済んだんだから、安いものだって!」

(…まあ、ビンタというよりは、フック気味の掌底と言った方が近い一撃だったけど)

 ──あの後、九割がた有罪に近い状況を見て、パニクった母さんをどうにか宥めすかした俺は、『なのはが誤って、

俺の服にジュースをかけてしまったのを気にしていたので、慰めていた』というカバーストーリーを作り、「話しを合わ

せろ」とアイコンタクト(目配せ)で二人に合図を送って伝え、どうにか事無きを得た……キツイ一発は喰らったが。

「ほ、ほら母さん、そんなことよりも紹介するよ、この子は高町なのは。今日の買い物を手伝ってくれたんだよ」

「あ、た、高町なのはですっ! あと、こっちはフェレットのユーノ君です」

「キュッ!」

 俺の言葉に、弾かれたようにピンとして挨拶をした後、頭を垂れるなのは。と、それに続くユーノ。

「あら、これはご丁寧にどうも。御剣令示の母の御剣綾乃です」

 母さんもそれにつられ、慌てて挨拶を返した。よし、このまま畳み掛け、さっきの事はうやむやにして早く忘れてもらおう。

そう画策する俺。

 しかし──

「それにしても、なのはさんもユーノ君もとても礼儀正しいのね。感心するわ」

 ニコニコとしながらなのはたちを見る我が母に、俺はヤバイな、と思った。

 精神年齢上の理由も大きいが、俺は自分の家に同年代の友達を、それも女の子を連れて来た事など無かったのだ。そんな俺が初めて

家に上げたなのはに、母さんは大いに興味をそそられたのであろう。

 しかし、ここであれこれと聞かれるのはあまりよろしくない。

 現状、精神的に不安定ななのはが、俺の事故や魔法関連の事を、うっかり口にしてしまう可能性はゼロじゃないのだ。

(ここはさっさと、なのはたちを退避させちまうべきだな)

 そう判断した俺は、部屋の柱の壁掛け時計を確認して、母さんに声をかける。

「あ~、母さん? そろそろ六時になるから、いいかげんこの子も家に帰さないと。親御さんも心配するだろうしさ。それと、高町は

この辺は不慣れらしいから、俺送ってくるよ」

 言いながら、チラチラとなのはに視線を送ると、俺の意を読んで小さく頷きを返してきた。こういうところは鋭いようで、大変助かる。

 が、しかし──

「あらそう? それじゃ母さんが送ってくるわ」

(なん…だと?)

 予想外の母さんの受け答えに、俺の表情が固まった。

 マズイ。非常にマズイ。この場で話をする分には、俺が口を挟んで誤魔化す事も出来るが、二人だけで外に出られては俺も対処の

しようがない。原作でも自分の家族にすら事情を漏らす事はなかったから、まず大丈夫だと思うが、イレギュラー満載のこの状況で

そんな楽観視が出来る程、俺は図太くない。

「ちょ、ちょっと待ってよ母さん。今しがた帰って来たところなのに…そこまでしなくっても俺が行くって!」

 慌てて母さんを止める俺。しかし──

「ダメよ。こんな時間に子供だけで出歩くなんて危ないじゃない。私が責任を持って送るから大丈夫。令示は留守番をお願いね」

 取り付く島も無く俺の提案は却下されてしまった。

 母さんに連れられ、なのはも出口に向かう。そんな僅か数秒の間に次の手など思い付く筈も無く、二人は外へと出てしまった。

「ど、どうしよう…」

 こうなってしまった以上、最早なのはが母さんに変なことを言わないよう祈る以外にない。

(頼むから、母さんに魔法関連の話を漏らさないでくれよ!?)

 俺は懇願しながら、玄関を見つめた。












 ~なのはサイド~




 すっかり日が暮れて、暗くなった道を御剣君のお母さん──綾乃さんと並んで歩いています。

 綾乃さんは何だか嬉しそうにニコニコと笑っています。どうしてかな?

「? どうかした? なのはさん」

 不思議そうに見ていた私に気が付いて、綾乃さんが私の方に顔を向けました。

「あ、あの、何だかとてもうれしそうな顔をしているなぁと、思って…」

「うれしそう、か…うん、そうね」

 私が思っていたことを伝えると、綾乃さんはあごに手を当てながら少し考えて、笑顔でそう答えました。

「あの子が──令示がお友達を連れて来るなんて思っていなかったから、正直凄く嬉しいわ」

 お友達が来ることがそんなに嬉しいのかな? その言葉を聞いて不思議に思った私に、綾乃さんが更に言葉を続けます。

「どこの子供でも当たり前にやることだけど、令示は働いている私に気遣ってそういうことを全然しないの。だから、なのはさんが

初めてなのよ、あの子が家にお友達を呼ぶのは」

「そう、なんですか?」

 少し、驚いてしまいました。だって御剣君がお家に案内してくれた時、すごく普通な感じだったから。

「ええ…令示はすごく大人びていてね、親バカに聞こえるかも知れないけど、学校の勉強はちゃんとこなして、家事までやってくれて、

その上それが当たり前って感じで、わがままの一つも言わないの」

 でもね、と言いながら俯いた綾乃さんは、何だか悲しそうな顔をしていました。

「時々、それがすごく寂しくなるの。もっとわがままを言って欲しい、もっと甘えて欲しい…そう、感じてしまうの

──って、ごめんなさい! つまらない話を聞かせてしまって…」

 話の途中でハッと顔を上げた綾乃さんが、慌てて私に向かって頭を下げました。

「い、いえ、その…つまらなくなんかなかったです!」

「ほんとに…自分が情けなくなるわ。息子が無理をして大人になってくれているからこそ、安心して仕事に行けるのに、今度は

わがままさが欲しいなんてね…」

 言いながら、綾乃さんが深い溜息を吐きました。

 でも、それは──

「違うと、思います」

「え?」

 こちらを振り向いた綾乃さんの顔を見上げながら、私は続けます。

「買物をしている時の御剣君、すごく楽しそうでした。あれは無理をしているとかじゃなくて、本当にお手伝いが大好きなんだと

思います」

「…………」

 まっすぐに目を向ける私に、綾乃さんは少し驚いた顔をした後、微笑を浮かべました。

「そうか…なのはさんは私の知らない令示を知っているのね……あの子は、友達に恵まれているわね。こんなによく気が付いてくれる

娘が、傍に居るんだから」

「っ…!」

 友達。

 そう言われて私の胸がチクリと痛みました。




 ──ワタシハ──




「…なのはさん、不躾だけど、お願いがあるの」

 綾乃さんがその場にしゃがみ、真面目な顔で私の顔を見てきました。

「毎日なんて言わない。気が付いた時でいいから、あの子の傍に居てほしいの」

 言いながら、綾乃さんが私の手をそっと握りました。




 ──コンナ、ヤサシイヒトカラ──




「どんなに大人びていても、やっぱり子供にしかわからない事や出来ない事がある筈だから、なのはさんみたいに優しくて

よく気が付いてくれる娘が居てくれたら、あの子の交友関係が広がると思うの。今は、沢山の人と知り合うのが大切な時期だから…」




 ──アンナニヤサシイコヲ、ウバッテシマウトコロダッタ──




 私は、綾乃さんの言葉を聞きながら、俯いてしまいました。

 綾乃さんの言葉と、さっきの御剣君の「貸し一つ」という言葉が優しくて、それがつらくて、止まっていた涙がまた、私のほっぺた

を伝って落ちていきました。





 第三話 武装TAKAMACHI 魔王再臨。(後編)~なのはの気持ち~ END





後書き

 どうも、作者の吉野です。長らくお待たせしてしまい申し訳ありません。

 キャラの心理描写は難しいですね。でもこれを疎かにすると、途端作品が薄っぺらになるから手抜きも出来ない。

 さて、今回の「貸し一つ」を書いている途中で、ごうさんの「マシュー・バニングスの日常」で似たような言い回しが

出てたのを見て、「うわーやべえ、かぶっちゃったよ。どうすべえ…」と思い、書き直すかなぁとも考えたのですが、

既に伏線貼りまくっているんで容易に改変も出来ない。

 それで結局「…まあ、シーンもキャラも台詞の背景も異なるし、コピペした訳でもないから大丈夫かな?」と考え、

そのままあげることにした次第です。問題は無いと思うのですが大丈夫ですよ、ね?

 さて、次回はようやく本編突入です。やっとこさフェイト登場。ここまで長かった…

 では、次の更新時にお会いしましょう。



[12804] 第四話 愚者の英断、臆病者の勇気。(前編)
Name: 吉野◆fe64ebc7 ID:0cde0540
Date: 2011/06/08 12:41
 突然だが俺、御剣令示の居るこの世界は、空想でも仮想でもない現実の世界だ。

 切られれば血が出るし、殴られれば痣が出来る。そんな当たり前の、現実の世界。

 一部、魔法やロストロギア等といったものもあるが、理論はしっかり確立されたものばかりである上、『何でも出来る神秘の力』

には程遠いし、そもそも関わりがなければ無い物も同然だ。

 如何にアニメの世界とは言え、その辺はつまらない現実と同じ……




















 …そう考えていた時期が、俺にもありました。

「──って事があってねえ~。もてる男も楽じゃないよ」

「アアハイハイソウデスカソレハスゴイ」

 なのはたちとの邂逅から数日後の午後。

 本日も滞り無く授業を終えた学校内は、下校する生徒たちでごった返していた。

 そんな騒がしい放課後の教室で、脇で喋り続ける阿呆に、適当に相槌を打ちながら、俺は机の上の問題集に意識を集中する。

「む。ちゃんと聞いているのかい、君は!」

 …チッ、気が付きやがった。

 俺は鬱陶しさを滲ませた顔を上げ、先程から頼んでもいないのに自慢話を喋る同級生の方を向いた。

 その視線の先で、細身でまあまあ整っている少年が、俺を見ている。

 二枚目とも言えなくもない顔立ちをしてはいるのだが、口端を吊り上げた皮肉げな笑みと、明らかにこちらを見下している

不快な視線が、自らの顔面偏差値を下げまくっている事に気付いていない。

「あのな二条。見ての通り、俺は予習をやっているんだ。自慢話がしたいなら他の所に行け」
 
 こいつは二条清治。けっこうな家柄の生まれで、成績優秀な優等生だ──外面だけは。

 とにかく自分が注目されていないと気が済まない性格の上、女たらしでわがままで、癇癪持ちの天動説野朗である。

 一言で言ってしまえば、「Fate」の間桐慎二、もしくは「ゼロ魔」初登場時のギーシュとでも言えば解りやすいだろうか? 

性根が捻じくれ曲がって、悪魔超人スプリングマンになっている奴だ。

「ふん、君は相変わらず卑怯だな。そうやって影でこそこそ勉強して、また僕をテストで負かして、女の子たちの前で

恥を掻かせるつもりかい?」

 恐ろしい程の被害妄想と自己中発言を聞きながら、俺は大きな溜息を吐いた。

 こいつとクラスが同じになった際に、最初に行われたテストで俺の点数が上だった時からこっち、ずっとこの調子で

絡まれているのだ。

 前世チートで勝った事なんか嬉しくもなく、自慢しても恥ずかしいだけなんで、対抗意識剥き出しで突っかかって来る

二条を大人の要領で対応していたのだが、それが逆効果だった。見下されていると思われたらしく、余計にちょっかいを

出されるようになってしまったのだ。

 単なるライバル心とか対抗心で話しかけてくるのならば、背伸びしたい年頃なのだろうと思い、「こやつめハハハ」と

大人の余裕で対応するのだが、前述の通りコイツの性格は最悪で、常に人を見下し蔑む所があり、我が家の経済事情を

馬鹿にされた事も数知れない。本気でぶん殴りたくなる事も多々あるが、問題行動を起こして母さんに迷惑をかける訳に

もいかず、こうして適当に聞き流すか、無視してやり過ごしているのだ。

 それで、俺はコイツに絡まれる度に冒頭のような台詞──この世界が現実でありながら、アニメの世界であるという事を

思い知らされる訳である。

 …考えても見てほしい、小三男子といったらまだまだガキ。赤やピンクを「女色」と言って毛嫌いし、「女のいねえ国

に行きてえ」と、うそぶくのが普通だろう。(戦隊モノのリーダーは赤なんだが、何故かこの辺は言及されないのが小学生

クオリティ)

 だが、この二条は違う。ガキの身空で色気付き、女子を取り巻きにして調子に乗るブルジョア野朗である。

 こんな奴、アニメやゲームのキャラでしかお目にかかったことが無い。(…例の大木事件のカップルは、主人公の近くの特別な

環境下での産物だと思っていた)

(しっかし、名門市立ならともかく、所詮公立小学校の学力順位だぞ? エリート様から見れば、俺らなんぞドングリの背比べ

だろうに…)

 俺は経済的な事情で聖祥に入学出来なかったが、二条はどっかの名門小学校受験で落っこちたらしい。(以前あんまりにコイツが

しつこかったんで、『学力勝負したいなら、名門私立にでも行けよ』と言ったら押し黙ってしまった時があった)

 だからコイツから見たらレベルが低いこの学校で、自分より上の奴がいるのが我慢ならんのであろう。

 …突っかかられる俺からすれば、いい迷惑なのだが。

 ともかく、コイツが傍に居ては勉強に集中出来ない。…しょうがない、家でやるか。

 俺は溜息を吐いて教材を片付ける。

「おや、もう勉強は終わりかい? ノートに何も書いていないようだけど?」

「ああ、どっかの馬鹿がうるさくてかなわん。自分の家でやるよ」

「ふふん、そんな事言って、本当はわからなかったんだろ? よかったら僕が教えてあげようか?」

 ランドセルを背負って教室を出る俺の背にかかる、二条の嫌味。

 …いいかげんイラついて来たし、ちょっとやり返してやるか。

「そうか。じゃ、ここの問題を解いてくれ」

 そう言いながらランドセルから先程の問題集を出して、指で差し示しながら二条の鼻先に突きつける。

「どれどれ──って、何だコレは!?」

 得意満面の笑みを浮かべていた二条は、問題を目にして見る見るその顔色を変えた。

「何って、因数分解の問題集だけど?」

「なんだよそれ、もしかして六年生がやる問題か?」

「うんにゃ、中学二年生の問題」

「なっ!?」

 驚愕のあまり、二条は言葉も出ないようだ。

 如何に前世の記憶があるとは言え、勉強の記憶は所々虫食いのように抜け落ちている箇所があるものだ。社会人になればまず

使う事の無い数式なんて、その最たるものだろう。

 しかし、俺は大検を狙っているので、このままではマズイ。学校でのカリキュラムに合わせている暇など、ありはしないのだ。

 故にこうして先行先行で勉強をして、昔の記憶を呼び覚ましつつ、大学入学を確実なものにしようとしているのである。

 ちなみに、 この問題集は近所に住んでいる中三の兄ちゃんから貰ったものである。

「そんな問題解ける訳ないだろ!? お前、僕をからかっているんだろ!?」

「俺はそんな暇人じゃねーよ。こういう難しい問題やってるんだから邪魔しないでくれよ?」 

 癇癪おこした二条にしれっと答え、俺は下駄箱へと歩き出した。




 第四話 愚者の英断、臆病者の勇気。(前編)




「おい! ちょっと待てよ!」

(ああうるせえ。お前はキ○タクのモノマネするホ○かよ…)

 校舎を出てもしつこくついて来る二条に、心底ウンザリしながら、俺はどうやってコイツを撒こうかと考えつつ、校門の方へ

向かっていたその時──

「んっ? あれは──」

 下校する生徒たちの中に、見覚えのある人影を見つけ、思わず声を漏らした。…なんでこんな所にあの子がいるんだ?

 とりあえず近付き、話を聞こうと足を上げたその時、俺の後ろにいた二条が、疾風の如きスピードでその人物に近寄り、

話しかけていた。

「やあ君、こんなところで何をしているのかな?」

「え? あの──」

「ああ、言わないでもいいよ。よその学校の女の子がわざわざここまでやって来る理由なんて、一つだけだろうしね」

 そう言いながら、薄笑いを浮かべてその子にジリジリとにじり寄り、距離を詰めていく二条。その姿は獲物を狙う毒蛇のような

いやらしさを醸し出している。まるで「こち亀」の「白鳥麗次」。ホントこの世界は現実だけどアニメなんだな…

「その、私──」

 と、感心している場合じゃねえ、本気で嫌がってるじゃねえか。さっさと助けんと。

 俺は二条の後ろに駆け寄り、肩をつかんで横にどけ、その場に割り込む。「うおおっ!?」とか言っているが気にしない。

「お前はイタ公か? 呼吸するみたいにナンパしてんじゃねーよ」

「あ…令示君!」

 渋面で二条にそう言って正面を向くと、俺の登場に、学校帰りなのであろうその子──制服姿のままの月村すずかは安堵したのか、

大きく息を吐いて笑みを浮かべた。

「よっ、すずか。こんな所で何やってんだ?」

 ぎゃいぎゃいと文句を垂れる二条を無視し、俺はすずかに話しかける。

「うん、あの…令示君に会いに来たの」

「俺に?」

「学校は知ってたけど、お家とか電話番号とかは聞いてなかったから、ここで待っていたの。その、迷惑、だったかな…?」

 言いながらこちらを窺うような上目遣いで、俺に視線を送ってくるすずか。

「──ハッ! い、いや、別にそんな事はないぞ…?」

「ホントに? よかった…」

 言いながらすずかは、実にお嬢様らしい控えめな微笑を浮かべた。

 …いかんいかん。ロリ属性の無い俺でも、クラっときてしまういじらしい言動の連続だ。

 まさかこの歳で、計算ずくでやってるとは思えねえし、天然なのか……?

 そう言えば吸血鬼って、魅了系の能力は標準装備だったよな? これも『夜の一族』の特殊能力なのか? …恐るべし、月村一族。

 と、アホな事を考えている場合じゃない。俺は頭を軽く振って雑念を追っ払うと、改めてすずかに向き直して口を開いた。

「──それで、俺に何か用なのか?」

「うん。実はね、今度の週末にうちでお茶会をするんだけど、よかったら令示君もどうかな?」 

「…あん? お茶会? お茶会とな!?」

 フェイト初登場の回か! ──っていかん、思わず声に出してしまった。すずかが驚いて目を見開いてるよ。

「や、すまんすまん。そういう所に招かれたことなんてなかったもんでな、つい驚いて声を上げちまった」

「そ、そう…それで、来てもらえるかな?」

 その場しのぎの誤魔化しだったが、何とか納得してもらえたようだ。しかし、お茶会か…どうするべきかねえ。

「…正直、そういう優雅な席に俺は合わないと思うんだが、行っても問題無いか?」

 とりあえず、当たり障りの無い事を聞いてみた。

「大丈夫だよ! そんな難しいものじゃなくて、みんなで集まってお茶を飲みながらお話したり、遊んだりするだけだから」

「ふーむ……わかった。お邪魔させてもらうよ」

「ホント!? ありがとう!」

 俺の答えに、パッと花が咲いたように、明るい笑みを浮かべるすずか。

 正直、行くか行くまいか迷った。

 しかし昨日、家から出た後のなのはが、帰る途中でまた泣き出したという話を、彼女を送った母さんから聞いたのを思い出し、

様子見を兼ねて、尋ねて見る事にした。

(一応元気は取り戻した様だったけど、まだ何かあったのかもな…)

 お互いに連絡先を交換した後、俺は嬉しそうに立ち去るすずかに手を振りつつも、なのはの事を考えていた。












 それと、二条の奴はすずかが自分を放って、俺と楽しそうに話していた事が、プレイボーイ的に余程ショックだったらしく、

真っ白な放心状態で「この僕が、無視された…? 馬鹿な、馬鹿な…」と繰り返し呟いていた。

 日頃の言動から全く同情も出来ない奴なので、正直m9(^Д^)プギャーと思ってしまった。

 しかし、とことんお約束な奴だなコイツは…




 ──そして週末。

「おはようございます。御剣令示様ですね? 月村家メイド長のノエル・K・エーアリヒカイトと申します。お迎えに上がりました」

 昨夜、すずかから「迎えに行くから」と言われ、俺が玄関前で待っていると、道路脇にワンボックスカーが乗り付け、運転席より

颯爽と降り立った、エプロンドレス姿のクールなお姉さん──ノエルさんが、俺に向かって深々と頭を垂れた。

「み、御剣令示です。自分一人にお手数をかけますが、よろしくお願いします…」

 本物のメイドさん&大人の女性という事もあり、俺は妙にドキドキしてしまって、しゃちほこばった態度で返事をしてしまう。

「フフフ、そんなに硬くならないで、もっと楽にして下さいな」

 そんな俺に、口元に手を当て弟を見るような、優しげな眼差しを向けるノエルさん。

 …何か、負けたような気分になったのは、なんでだろ?

「それじゃ母さん、行って来るね」

 俺は後ろを振り返り、アパート前まで見送りに出てきた母さんにそう告げた。

「ええ、行ってらっしゃい。向こうの皆さんにちゃんと挨拶するのよ?」

「大丈夫だよ。母さんが恥掻くような事、する訳無いだろ?」

 ちょっと心配そうに注意する母さんに、余裕の笑顔でそう告げる俺。

 母さんは「まあ、大丈夫だとは思うけど…」と呟きながら、今度はノエルさんの方へ顔を向けた。

「ノエルさん、息子をよろしくお願いしますね」

「はい、お任せ下さい。では参りましょう、令示様」

 母さんとノエルさんが互いに頭を下げ合った後、俺は彼女に促がされて、ワンボックスカーの後部座席に腰掛けた。

(──さて。わかっているとは思うが、今回は余計な事を言うなよ、ナインスター)

(承知。我に二度の過ちは無い、安心されよ主)

(…ホントに大丈夫か?)

 シートベルトを装着しながら聞いた、仮想人格改めナインスターの台詞に、俺は不安を覚え表情を歪ませた。

 いつまでも仮想人格のままでは呼びにくいので、俺はコイツにナインスターと名付けた。

 最初、人の死と寿命を決定する司命神、北斗星君──北斗七星からとって、セブンスターにしようかと思ったのだが、

タバコの銘柄みたいだったので、却下した。

 そこで、北斗七星に太陽と月を加えた九星──九曜紋からとって、ナインスターと名付けたのである。

 ちなみにこの紋章、かの新皇平将門公の家紋としても知られおり、メガテニストで魔人になれる俺としては、なかなかな

ナイスネーミングだと思っている。

 閑話休題。

(まあ、今回はなのはの様子見だ。フェイトとの接触、交戦はなるたけ避けるつもりだから、問題は無い…かな?)

 とりあえずヤバそうな事は無い筈と断じ、俺は車内の天井を眺めながら、目下最優先事項である月村邸での立ち振る

舞いや、なのはの事を考える。
  
 なのはと、すずか・アリサペアでは、俺に関して知っている情報量が違う。

 なのはが知っている情報量の方が、後者二人のそれよりも多いのだが、素直にそれまで話してしまうと、なし崩し的に

なのはの魔法関連の秘密まで、二人に知られてしまう。

(…すずかはともかく、アリサの性格を考えると、なのはがそんな厄介事に首を突っ込んでいるという事実にいい顔をする筈が無いよな)

 十中八九、止めに来る。

 なのはを心配して、事件に首を突っ込んで来る可能性も高いだろう。

(主よ、やはりここはなのはに口裏を合わせさせてカバーストーリーを作り、ただの知り合いとして上手く誤魔化すのがよかろう)

(なんか珍しいな、お前がそんな消極的な意見を口にするなんて)

「事情全部話してこっちについてもらえ」とか言い出すと思ってた。

(戦闘能力も無い人間が、戦場でウロチョロしても邪魔にしかなるまい。ましてやそれが、主と親交のある者となれば尚更よ。その者が

窮地に陥った時、主は瞬時の判断を違える可能性が高い)

 …よくわかってやがる。確かにその通りだ。

(結構深いとこまで関わっちまったからなあ、もしそうなったら助けない訳にはいかんだろうなぁ…)

 前にも言ったが、女の子を見殺しとか後味悪過ぎる。

(基本方針はそれだな。じゃあ、後はどうやってアリサとすずかに知られぬよう、なのはと接触して口裏を合わせるか、だな)

(それに関しては問題ない。三度の変身でジュエルシードの扱いに慣れも出来た。今なら念話も使えるぞ)

(ふむ、それは朗報だ。じゃあカバーストーリーの内容は──)

 月村邸へと向かう車内で、俺とナインスターは協議を重ねた。

 そうこうしているうちに、ワンボックスカーはあっと言う間に海鳴郊外に辿り着き、広大な森とモダンな御屋敷、そしてそれを

ぐるりと囲む塀が俺の目に入った。

「はー…」

 巨大な門扉を通過して、車より月村邸の玄関先に降り立った俺は、そびえ立つ邸宅の威容を目の前にして、思わず溜息が漏れた。

「? どうかしましたか?」

 俺が降りた後に、車のドアを閉めたノエルさんが首をかしげながら、俺の背中に声をかけた。

「あ、いや、何か圧倒されちゃって…すずかって、本当にお嬢様なんだなーって」

 前世知識で知ってはいたものの、モニター越しのアニメ絵で見るのと、肉眼で確認するのとでは迫力が違う。

「まるで、明治大正期の迎賓館みたいなお屋敷なもんで、目を奪われちゃったんですよ」

 俺は首だけ振り返りながら、ノエルさんにそう答えた。

「──あら、褒めてくれてありがとう」

 ノエルさんが口を開くよりも早く、屋敷のドアを開く音とともに、声をかけられた。

 俺が正面を向き直すと、開いた扉の前にはすずかと、彼女を成長させたような顔立ちの女性──おそらくは月村忍が立ちこちらを

窺っていた。…かけられた声は大人っぽいものだったから、忍さんの方だろう。

「令示君、いらっしゃ──」

「すずか、待って」

 笑顔を浮かべ、俺の傍へ駆け寄ろうとしていたすずかを、忍さんが手で制して遮った。

「おねえ、ちゃん…?」

 困惑するすずかをそのままに、忍さんは俺の三、四メートル手前まで歩み寄ると、足を止めて口を開く。

「月村家当主、月村忍と申します。先日は妹を助けていただいたとの事、深く感謝を申し上げます。」

 そう言って、彼女は俺に深々と頭を垂れた。そして──

「それで、私たちが吸血鬼だと知る貴方は、何者なのかしら?」

 頭を上げた忍さんは笑みを浮かべてはいたが、その目は笑っていなかった。




 第四話 愚者の英断、臆病者の勇気。(前編) END





 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 今回は短めでスイマセン。次こそはフェイトを、次こそは戦闘シーンを…



[12804] 第四話 愚者の英断、臆病者の勇気。(中編)
Name: 吉野◆fe64ebc7 ID:0cde0540
Date: 2010/01/17 22:26
「…………」

「…………」

 俺と忍さんの間に、何とも言えない不穏な空気が流れる。

 …何か、前にもこんな事があった様な気がするな。

「お姉ちゃん…令示君…」

「忍お嬢様…」

 そんな俺たち二人の間に交互に視線をやりながら、不安げな声を漏らすも、どうにか出来る筈もなく、ただただ逡巡するのみの、

すずかとノエルさん。

 二人の言動を見るに、どうやら「コレ」は忍さんの独断専行ということか。

 さて、どうするか。これは予想外の展開──いや、予想は出来たか。

 すずかの正体を口にした時点で、こうなることは予想出来た筈。

 つまりは、俺の読みが甘かったということか、糞。

 …悔やんでも仕方がない、当面の問題をこなす方が先決だ。

 さて、じゃあ『俺=誘拐犯を叩きのめした奴=吸血鬼の事を知っている奴』という図式のソースはどこから得たのか?

 まあ、これは考えるまでもないか、あの現場に居たアリサとすずかの二人だろう。

 すずかが吸血鬼の膂力を発揮したところをアリサ(と俺とチンピラの親玉)に見られている訳だし、証拠隠滅、口裏合わせ等、

月村家当主としてチェックすべきところはいくらでもある。恐らくは、その時のすずかたちの証言と、今まで何も接点がなかっ

た筈の御剣令示という男を、お茶会に呼んだことから上記の図式が成り立ったのであろう。

(じゃあ、この質問はカマをかけて真偽を確かめようってことか?)

 俺が悪魔化出来る様になったのは、ほんの数日前。

 俺を、「御剣令示」をいくら調べてみたところで、魔人マタドールに辿り着く筈がない。

 埒が明かなくなり、直接問質すことにした。まあ、こんな流れか?






 第四話 愚者の英断、臆病者の勇気。(中編)






 では、この質問にどう答える?

 カマかけである以上、すっとぼけて切り抜ける事も不可能ではないだろう。

 だがそれは、結局忍さんの警戒心を残したままにするという事だ。後で利息付のツケを支払わされる可能性がある。

 …ここはさっさと片付けちまうか。

 だから俺は──

「すずかから聞いてませんか? 悪魔に変身出来る俺は、人には見ることの出来ないものを『視れる』って」

「っ!? 令示君!」

 バカ正直に質問に答えることにした。…まあ、すずかたちに話したのと同レベルの解答だけどな。

「……驚いたわね。シラを切るものだと思っていたのに」

 俺の答えに、すずかも忍さんも目を丸くして驚きの声を漏らした。

「ここで嘘をついて逃げたとしても、後で面倒な事になるのは目に見えてますから。だったら今、変な誤解を解いておいた方が

いいでしょう?」

「誤解ね…それじゃあ確認するけれど、すずかたちが誘拐された場所に現れた、髑髏の剣士は貴方が悪魔の姿になった者という

事でいいのかしら?」

「ええ。マタドールという名前の悪魔です」

 しれっと答えた俺に、真顔になって新たな疑問を投げかけてきた忍さんに、俺は頷きながら補足を加えた返事をする。

「そう…それじゃこれが最後で一番重要な質問。あなたが誘拐の現場に居たのは、計画の内?」

「あの、言っている意味がよくわからないんですが…?」

 首をかしげてそう言うと、忍さんは数秒程うつむいた後、厳しさを伴った視線を俺に叩きつけながら口を開いた。

「…それじゃ、ざっくばらんに言わせてもらうわ。貴方がすずかを助けたのは、信頼を得てこの家に入り込みやすくする為ではなくて?」

「!? お姉ちゃん!」

 月村家を、『夜の一族』を狙う為に妹を助けたのだろう? という、忍さんの問いかけの意味を察したのだろう、すずかが怒り

混じりの大声を上げた。

 それに対して俺は──

「まさか。俺が本当にすずかや貴方を狙っているんだったら、そんな無駄な事しませんよ」

 平然とそう言ってのけながら、小さく呪を唱え──

「無駄な事?」

「ええ、無駄です。だってやろうと思えばいつでも──この様に、いつでも貴女の後ろを取れる故に」

「「「!?」」」

 魔力運用の効率化によって、瞬時にマタドールへと変身したその刹那、忍さんの背後に回り込み、俺はそう答えた。

「忍お嬢様っ!」

 三者が(忍さんの顔はわからないが)目を見開き、驚きの表情を浮かべる中、最も早く俺に反応したのは、やはりノエルさんだった。

 主の危機と判断し、瞬時に戦闘状態へ移行したのであろう。一足で俺との距離を詰め、左腕に仕込んでいたブレードを装着。

 つい先程までの優しさなど一片も見せず、ノエルさんは俺を脳天から唐竹割りにせんと、鉄の刃を大上段から振り下ろしてきた!

 その思い切りの良さは、まるで示現流の二の太刀要らず。しかし──

「悪魔を相手にするには、力不足!」

 言葉とともに、俺は両手からエスパーダとカポーテを消去。

 ノエルさんの方へ半身で踏み込んで斬撃を回避し、ブレードの間合いの内側へ入り込む。

 同時に彼女の左肩に右手を押し当てながら、両足を右足で刈り払う──柔道で言うところの、大外車に近い投げ技。

「な──」

 支えを失ったノエルさんは、俺の投げの勢いで仰向けに倒れていきながら、呆然とした表情で空を見上げていた。

 この技はこのまま頭から地面に叩きつければ、脳震盪か、下手をすれば死亡するほどの威力がある──相手が人間ならば。

 戦闘機械である彼女に、これがどの程度の効果があるかどうかは知らないが──

「──No es mi aficion para romper una flor bonita」(美しい花を手折るのは、私の趣味ではない)

 俺は中空のノエルさんの背中と、両膝の下に両手を差し込み彼女を抱き止めた。

「──え?」

 何が起きたかもわからない内に俺に抱えられて、困惑の表情を作るノエルさん。忍さんもすずかも同様だ。

 まあ無理もない。『夜の一族』を上回る身体能力を持つノエルさんが、それを凌駕する力によって僅か数瞬で抑えられたのだ。

この俺の、悪魔の力によって。

「理解したかね? 私が言った「無駄」という言葉の意味を」

 忍さんの方へ顔を向け、俺がそう言ったその時、

「──くっ!」

 抱き上げられたままの体勢で、ノエルさんがブレードを薙いで俺の頸骨を狙う。

「む──」

 俺が背骨を反らしてその一撃を躱すと、ノエルさんは両足を高く振り上げて反動を生み、勢いよく俺の腕より跳び上がって逃れる。

 スカートを空中ではためかせ、その隙間からすらりと長く、均整の取れた白くまぶしい両足を、太腿まで覗かせながらノエルさん

は地へと降り立った。

 間髪容れず、彼女はブレードの切っ先を俺に向けて構え、両膝を深く曲げる。…突撃(チャージ)をかますつもりか? ならば──

「ノエル! もういいわ!」

 俺がノエルさんの攻撃に対応するよりも速く、忍さんの声が彼女の行動を押し留めた。

「忍お嬢様!? しかし!」

「ダメよ。やめなさい」

 構えを解くことなく俺を睨みつけながら、抗議の声を上げるノエルさん。しかし忍さんはそれを許さない。

「っ…」

 数秒の俺との睨み合いの後、ノエルさんは目を伏せ、ブレードを下ろして構えを解いた。

「私はともかく、ノエルまで子供扱い…貴方の言う「無駄」とはこういう事?」

「然り。貴女らの力では、私を止める障害足り得ぬ」

 そう言いながら、笑う俺。

 蒼空の下、カタカタと顎骨を鳴らして笑う骸骨の姿は、さぞかしシュールなことだろう。

「──つまり、貴方がその気になればこの屋敷を力で制圧して、私たちを殺す事も攫う事も、容易だった…。つまり信頼を

得ようなんて、考える必要すらない。だから「無駄」、そういうことね…」

 忍さんはこめかみに手を当て、深い溜息を吐いた後、

「ゴメンなさい。完全に私の早とちりね…月村の当主として謝罪します」

 佇まいを直し、俺に向かって深々と頭を垂れた。

「ただ、ノエルの事は悪く思わないで欲しいの。この子の行動は、私を守ろうとしてのものだから」

「御安心を。元より我が潔白を晴らす為の行動故、そのような思いは皆無──いや、主を救わんと一命を賭け私に向かって

来たその胆力。敬意すら覚える」

「──えっ? あ、ありがとうございます…」

 斬りかかって褒められるとは、思ってもみなかったのであろう。ノエルさんは目を丸くする。

 そして、使用人としての条件反射的な行動であろう。俺に頭を下げ、礼を口にした。

「──それで、俺への疑いは晴れたと思っていいんですか?」

 俺は人の姿に戻りながら、忍さんの方に向き直りそう尋ねた。

「ええ。さっきも言ったけど、貴方の力があれば計画を立てる意味が無く、こんな無駄話をする必要も無い。それを目の前で

証明されてしまったのだもの。何も言えないわ」

「それじゃ、お茶会を始めても問題ないですよね?」

「えっ?」

 俺が大きく安堵の息を吐いてそう言うと、忍さんはしきりに目をしばたかせて、きょとんとした表情を作った。

「えっと、参加、するの? お茶会…」

「えっ!? やっぱダメですか!?」

「違うの! そういう意味じゃなくて!」

 やっぱり疑われているのか!? と、よくよく考えてみれば怪しさ400%の自分の立場に頭を抱えそうになったその時、

忍さんが全力でそれを否定する。

「その、アレだけ不愉快なことをして、怒るのならともかくまさかお茶会だなんて、言うとは思わなかったから…」

 ああ、そういうことか。

「まあ、気にしていないって言ったらウソになりますけど、すずかのお姉さんの立場を考えれば、仕方の無い事だと思いますから」

「そう言ってもらえると、助かるけど…」

 口ごもる忍さん。しかし、こちらとしてもあまりこの会話は引き伸ばしたくない。

 俺の悪魔化によって発動したジュエルシードの反応を、こちらに向かっているなのはたちと、フェイトが感知した筈だ。

 元の姿に戻ったから、今のところフェイトにみつかる恐れは無いが、なのはたちは驚いていることだろう。さっさと覚えたての念話

で問題ない事と、すずかたちを誤魔化す、打ち合わせの件を伝えなくてはならない。

 だから、俺は忍さんの声を遮るようにして、恐る恐る要望を口にした。

「あの、すいません。ちょっとトイレに行きたいんですけど…」








「さてと。初めてだからな、落ち着いて──」

《おーい。高町ー、ユーノー、聞こえるかー?》

 屋敷内のトイレに案内された俺は便器に腰掛けると、胸のジュエルシードに意識を集中して、こちらに向かっているで

あろう二人に念話を送った。

《ええっ!? 念話!?》

《えっ、えっ、誰!?》

 突然の念話にびっくりしたのであろう、二人の驚きの声が伝わってくる。

《俺だよ俺、俺! 御剣令示!》

《ええっ!? 御剣君!?》

《なんで君が念話を使っているんだ!?》

《まあ落ち着け。念話はナインスターに教えてもらったんだよ》

《《ナインスター?》》

 オウム返しにそう言う二人が、首を傾げる様子が目に浮かんだ。そう言えば、この二人にはまだ伝えてなかったっけ。

《仮想人格のことだよ。いつまでもコレじゃ呼びにくいから名前をつけたんだ》

《そうだったんだ…って! それどころじゃないよ! 少し前にジュエルシードの発動があったんだ!》

《あー、スクライア。それ俺だ》

《へっ?》

《いやー、トイレで何気なく天井を見上げたら、張り付いていたゴキブリが俺の顔めがけて降って来てな。びっくりして変身

しちまったんだ。あ、ちなみにゴキブリはちゃんと避けたからセーフだぞ?》

《そ、そうだったんだ…》

《ひ、人騒がせだなぁ…》

 暴走体の事件ではなかったことに、なのはとユーノは安堵の息を漏らした。

《…アレ? でも、ジュエルシードの反応があったのは、御剣君のお家とは反対方向だよ?》

《ああ、今友達の家だ。お茶会に誘われてな》

《へ? あの…それってもしかして、すずかちゃんのお家?》

《ん? なんだ高町、すずかやアリサと知り合いか?》

 俺は知らんぷりして、不思議そうな声色でそう尋ねた。

《アリサちゃんもすずかちゃんもお友達だよ! 今日のお茶会にも呼ばれてる──っていうか、なんですずかちゃんと御剣君

がお友達になっているの!?》

 おー、混乱してる混乱してる。まあそりゃそうか。自分の交友関係が知らないところで繋がってたんだからなぁ。

 と、感心してる場合じゃねえか。いつまでも便所にこもってらねえからな。

《えっ!? 高町もすずかの家に来るのか? ん~こりゃマズイな》

《マ、マズイって何が?》

《いや、俺と高町が知り合いだってわかったら、すずかたちにどこで会ったのかとか聞かれるだろ? どう答えようかと

思ってな》

 変な事言えないし、聞かれないようにしないとな、と言葉を続け、俺はなのはに同意を求める。

《そ、そっか…そうだよね》

 これから起きる事態を考えたのだろう、なのはは真剣な声で呟いた。

《で、だ。すずかたちにはこう伝えたらどうかな?》

 そう言って、俺は自分の考えを披露した。








「ふー」

 なのはたちと、対すずか・アリサ用カバーストーリーの打ち合わせを終えた俺は、溜息を吐きながら手を洗い、トイレを後にした。

「お待たせしま──」

 俺は少し離れた通路で待ってくれていた忍さんたちに、声をかけようとして、それを止めた。

 凄まじく空気が重いのだ。忍さんとすずかの間に険悪な気配が漂っていて。

 え? え? なにこれ? 少し離れている内に一体何があったんだ!?

 混乱して、周囲を見回すうちに、二人の間合いの外で困った顔をしているノエルさんを見つけた俺は、傍によって、事の次第を尋ねた。

「あの、忍さんとすずか…何かあったんですか?」

「令示様。…実は、先程の忍お嬢様の言動に、大恩ある令示様に向かって、とるべき態度でない無礼な行いだと、すずかお嬢様が

大変お怒りでして…」

「へ?」

 ノエルさんの言葉に、俺は改めて二人へ視線を送った。

 成る程。言われてみれば確かに、視線に怒気を込めているのはすずかの方で、忍さんは気まずそうに目を伏せているだけだ。

 …そうか、すずかは俺の為に怒ってくれている訳か。

 正直その気持ちはすごく嬉しい。

 嬉しいがその反面、俺は忍さんの気持ちもわかってしまうのだ。

 月村家は吸血鬼の家系だ。内に外に、多くの敵を抱えている。

 そんな一族の当主ともなれば、僅かに気を抜くことも出来ないだろう。

 僅かな油断、僅かな隙がダムに穿かれた蟻の一穴の如く、一族全てを崩壊させる致命的な悪手になりかねない。

 だから、不確定要素の塊である俺を見過ごす事は出来なかったのだ。…妹を守る為にも。

(今後の姉妹関係をギクシャクさせる訳にもいかんからなあ、つーか原因は俺だし、やっぱ俺がすずかを説得するしかないか…)
 
 なんか動く度にドンドン深みにはまっているような気がするぞ、俺。

 そんな益体もない事を考えながら、俺はすずかを宥めるべく歩き出した。





 第四話 愚者の英断、臆病者の勇気。(中編)END





 心理描写は難しい、なかなか話が進みません…

 ゴメンなさい、今回もフェイト出せませんでした。

 あと、四話が終わったら正式なタイトルを決めて、とらハ板に移動しようかなと思うのですが、どうでしょうか?。

 とりあえずタイトルは『偽典 魔人転生』にしようと思っています。

追伸

 令示の話していたGの話は自分の実体験だったりします。便所じゃなくて風呂場でしたけどw





[12804] 第四話 愚者の英断、臆病者の勇気。(後編)
Name: 吉野◆fe64ebc7 ID:0cde0540
Date: 2010/03/22 22:22
 ──月村すずかがマタドールと初めて会った時に感じたのは、恐怖だった。

 それは無理も無い事だろう。剣を手にした髑髏など、ファンタジーか怪談の中の存在だ。現実に眼前に現れれば、それは

死をもたらす怪物にしか見えない。

 しかし、彼がすずかにもたらしたのは、絶望ではなく希望だった。

 自分と親友を誘拐した悪漢どもを、瞬く間に倒してみせたのだ。

 否、それだけではない。激昂し、人外の力を親友──アリサの前で発露してしまった自分をフォローし、彼女との絆を

繋ぎ止めてくれた。

 しかし、そのマタドールの正体が、自分と同い年の少年だと知った時、すずかは本当に驚いた。

 彼は──御剣令示は、とても不思議な少年だった。

 自分のクラスの男子のような、子供っぽさを見せたかと思えば、時に大人のような言動を取る。

 そしてなにより特筆すべきは、自分と同じ異形となってしまったというのに、大してそれを悲観する様子も無いのだ。

 ごく当たり前の様にその力を使い、人を助け、笑っていられる。

 それは、己の出自に思い悩むすずかにとって、輝く宝石の如く理想的な生き方に見えた。




 だから、憧れた。




 その姿をもっと見ていたいと思った。




 彼の傍に立ちたいと考えた。




 最早月村すずかにとって髑髏の剣士マタドールは、御剣令示は怪物でも異形でもなく、英雄譚に登場する勇者の如き

存在だったのだ。




 だから、許せなかった。彼を侮辱するような姉の詰問が。

 それ故に──








「…お姉ちゃん。どうして令示君にあんな酷い事を言ったの?」








 口を突いて出た言葉は、すずか自身が驚く程冷たいものだった。

 しかし、その問いに忍は何も答えない。

 そっと目を伏せ、押し黙るだけだった。その態度が、益々すずかを苛立たせる。

 なおも姉を問い詰めようとしたその時──

「あー、すずか? もうその辺でいいだろ?」

 頬をかきながら、少し困った表情の令示がすずかの脇に立ち、そう言った。






 第四話 愚者の英断、臆病者の勇気。(後編)






 俺がそう言いながら止めに入ると、すずかは困惑の色を浮かばせた表情を向けてきた。

 その視線には「どうして止めるの?」という、無言の抗議が込められていて、俺は妙な罪悪感を覚えてしまい、説得の出鼻を

挫かれてしまった。

 だがしかし、ここで交渉を諦める訳にはいかない。「こんな状態」になっている原因の一端は俺にあるのだ。

 俺が本当に見た目通りの年齢なら気付かないか、解決法も無いままオロオロしているだけだっただろうし、それで許された

ことだろう。

 が、俺の実年齢はこの中の誰よりも高いし、大事な「お友達」として扱ってくれるすずかが、今後家族とギスキスした関係

になるのも心苦しい。

「あのさ、忍さんだって好きであんな質問をしたんじゃないと思うぞ? さっきも言ったけど、立場上やらざるを得ない事

だったんだから…」

「…でもっ! 令示君がいなかったら、私もアリサちゃんもここにいなかった! アリサちゃんともわかり合えなかった!」

 うっ…やっぱそこか。

 すずかも理屈では、忍さんの行動を理解はしているのだろう。

 しかし、感情で納得が出来ないということか。

 まあ、小学生に大人の道理を理解しろという方が酷なことだが…

「うん、まあ、その…すずかが俺のこと気遣ってくれるのは嬉しいよ? でもさ、そのせいで忍さんとすずかの仲が悪くなるのは、

正直心苦しいんだよ」

「それは──」 

「俺は気にしていないからさ、この辺でいいんじゃないかな?」

「…………」

(我ながらこの言い回しは、少し卑怯な気がするなぁ…)

 申し訳なく思いながらも、俺が畳み掛ける様に宥めると、すずかは何も言えずに無言となった。…よし、もう一押しだ。

「ほんとうはさ、忍さんだってこんな役目はやりたくないと思うぞ? だって、人から嫌われたり恨まれたりする様な、損

な役回りなんだから。

 でも、忍さんは当主としてその仕事をやった…それはとても立派な事だ。嫌ったりしたら可哀想だよ」

 だから…な? と続けながら俺はすずかの背中を軽く押した。

「…うん」

 俺の言葉にすずかはようやく納得してくれたようで、小さく頷いてゆっくり忍さんの前へと歩いていく。

「あの、お姉ちゃん…ごめん、なさい…」

 途切れ途切れながらも、しっかりと言葉を紡いですずかは頭を下げた。

「私──」

「もう、いいわ」

 顔を上げ、口を開いたすずかが言葉を放つ前に、忍さんは彼女をそっと抱き締めていた。

「私こそごめんなさい。自分の役目ばかりで、貴方の気持ちを全然考えていなかった…これじゃ姉失格ね」

「お姉ちゃん…」




 
 はぁ~、何とか一件落着かぁ…抱き合う二人を見ながら、俺は大きく溜息を吐いた。

「お疲れ様です、令示様」

 俺の後ろからノエルさんがねぎらいの言葉をかけてくれた。

「ああ、どもっす」

 俺は手を上げ、疲れ切った表情で返事をした。と、ああそうだ。

「ノエルさん、さっきはすいませんでした。」

「えっ?」

 謝罪の意味するところがわからずに、首を傾げるノエルさん。

「や、仕方が無かったとは言え、女性を抱き上げちゃいましたから」

「ああ、あれですか」

 俺が頭を掻きながら言うと、得心がいったようで、胸の前で手を合わせて大きく頷いた。

「気にしていませんよ、むしろ斬り返されなかったことに感謝しております」

「いや、不用意とはいえ、女性に触れるのは男としてあまり褒められたことじゃありませんから…」

 マタドール変身中とはいえ、あんなこっぱずかしい台詞まで吐いちまったし…

「ふふふ、令示様は紳士なのですね」

 …むう。またかわいい子供を見るような目を向けられてしまった。見た目がガキじゃ仕方が無いが、何か納得いかん。

と、その時──

「すずかちゃ~ん! アリサちゃんがもうすぐ到着するそうですよ~!」

 廊下の向こうから元気な女の子の声がこだました。

 俺たちが振り返ると、廊下の向こうから小柄なメイドさんが駆けて来た。

 ノエルさんと同じだが、長い薄紫色の髪を左右に揺らした、綺麗というより幼さが前に出た可愛らしさが目立つ少女。

 考えるまでもない、彼女はノエルさんの妹のファリンさんだ。

「あれ~? みなさんどうかしたんですか?」

 俺たちから普段とは違う妙な気配を感じ取ったのであろう、ファリンさんは不思議そうに首を傾げる。

「ううん! なんでもないの! お姉ちゃん、私ファリンと一緒にアリサちゃんを迎えに行ってくるね!」

「えっ? えっ!? わぁ~~っ!! すずかちゃん、引っ張らないで~っ!?」

 慌てて忍さんから離れたすずかは、ファリンさんの疑問を誤魔化すように彼女の手を握り、そのまま玄関の方へと走り出した。

 衆人環視の中で、姉に抱き締められていたのが照れ臭かったのだろう、俺の前を横切ったすずかの横顔には、ほんのりと朱が

差していた。

「それじゃあ御剣君、ここからは私が案内をするわ」

 二人の姿を見送った後、俺の背に忍さんの声がかかる。

 俺はそれに頷いて、彼女の先導で廊下の奥へと歩き出した。






「──御剣君、ありがとう」

「へ?」

 歩き出してしばらくして、俺の前を歩いていた忍さんは急に足を止めるとこちらを向き、そう言いながら深々と頭を下げた。
 
 突然のことだったので、俺は訳がわからず素っ頓狂な声を上げてしまった。

「さっきのことよ。あのままだったら私とあの子、きっと気まずいなんてレベルじゃ済まないことになってた思うの…」

 あ、そのことか。

「気にしないで下さい。すずかと忍さんがあんなことになった原因は俺にもありますし。それに──」

 俺はそこで一旦言葉を切って、ニッと笑いながら続ける。

「せっかくのお茶会なんだから、和やかにやりたいじゃないですか」

「……フフッ、そうね。貴方の言う通りだわ」

 俺の発言に忍さんは一瞬キョトンとした後、口元に手を当てて楽しそうに微笑んだ。

「………」

「? あの、まだ何かありますか?」

 忍さんはひとしきり笑うと、今度は俺をしげしげと凝視してきた。

 まるで、面白いものを見つけたような好奇心に満ちたその視線を怪訝に思いながら、俺は忍さんにその真意を問う。

「ねえ御剣君、好きな娘とかいる?」

「え? いや、いませんけど…?」

「そう…」

 突然の、前後の脈絡の無い質問に驚きつつも、俺が返事をすると、忍さんは嬉しそうに目を細め──

「じゃ、すずかなんてどう?」

「はぁっ!?」

 俺に爆弾発言をぶつけてきた。

「いやいやいやいや! 何言ってるんですか! 俺もすずかもまだ小学生ですよ!?」

 何度かドキッとさせられることがあったとはいえ、流石に小学生と付き合うつもりはない。精神年齢的に考えて。

「あら、今時は珍しくないらしいけど?」

 ああ、そう言えば大木騒動の時の二人も、小学生カップルでしたね…

「いや、でも、すずかの気持ちそっちのけで、こんなこと決めるのはどうかと…」

「大丈夫よ。あの娘も貴方のことを憎からず思っているから」

「いやいや、なんでそんなことわかるんですか…」

「わかるわよ、私はあの娘の姉ですもの」

 自信たっぷりに答える忍さん。…いや、そう言われると反論のしようがない。

「…ねえ、御剣君。真面目な話、月村の事情を把握した上であの娘を守り、心から支えてくれるような人間なんて、探して

見つかると思う?」

「──それは」

 急に真面目な顔になってそう質問した忍さんに、俺は答えに窮した。

 正直、難しいだろう。利害関係の一致での婚姻ならばともかく、恋愛の延長での結婚となれば障害が多すぎる。

「今すぐ付き合えなんて言わないわ。ただいつか、あの娘が御剣君にそういう気持ちを持って、貴方に何も問題がないのなら、

っていう話だから」

「…本気ですか? 俺は悪魔の力を持っているんですよ?」

「あら? 悪魔と吸血鬼のカップルなんて、お似合いじゃない?」

 悪戯っぽく微笑を浮かべる忍さんに、悉く反論を潰され、俺は大きく溜息を吐き──

「ま、前向きに善処します…」

 と、政治家の逃げ口上のような言葉を発した。

「難しい言葉を知っているのね…」

 …そりゃ貴方の二倍は生きていますから。












「アリサちゃんをお連れしましたー!」

 元気なファリンさんに連れられたすずかとアリサが、俺たちの待っていた天井までガラス張りの、日あたり良好な部屋

(名前は知らん)にやってきた。

「こんにちわーって、なにアンタだらけてんのよっ!」

 到着したアリサは、テーブルに突っ伏していた俺を見るなり、早速突っ込みを入れてきた。

「あー、色々疲れたんだ、気にすんな」

 と、アリサに向かってブラブラと手を振る俺。

 そんな俺の台詞に、すずか、忍さん、ノエルさんの三人は苦笑を浮かべた。

「そんじゃ、みんな集まったことだし、お茶会始めない?」

 俺は卓上の顔をもぞもぞと動かしてアリサの方を向くと、答えのわかりきった質問をする。

「ダメよ。まだ全員集まっていないから」

「全員? まだ誰か来るのか?」

「そう。私とすずかの親友が来るんだから」

 俺の疑問(の振り)に、何故か胸を張って自信たっぷりに答えるアリサ。

「親友、ね……すずか、その子にはもう君の『事情』は話したのか?」

「…ううん。でも、きっとアリサちゃんと同じで、私のこと受け止めてくれると思う。だけど、一歩踏み出す勇気が出なくて…」

 俺はすずかの方へ向き直して尋ねると、彼女は俯き、力無く笑いながらそう答えた。

「…ん、まあ、すずかとアリサの時とはまた話が違うからなぁ。じっくり構えてやればいいと思うぞ?」

 そんなすずかに、俺は頬を掻きながら言葉を紡ぐ。しかし、我ながらもっとましな助言はできんものか…

「…うん、ありがとう令示君」

「いや、中身の無いアドバイスしかできなくてスマン…」

 自分の駄目さに額に手を当て嘆息した俺に、すずかは優しい微笑を向けてくれた。

 …何か忍さんがニヤニヤしながらこっちを見ている気がするが、知らない。俺は何も知らない。

「ちょっ、ちょっと二人とも…!」

 アリサが忍さんの方へチラチラと視線をやりながら、心配げな様子で俺とすずかの傍に駆け寄ると、小声でささやく。

 ──そっか。そういえばアリサはまだ知らないんだっけ。

「ああ、大丈夫だよアリサ。俺がマタドールだって、忍さんにはもう話してあるから。──つか、誤魔化しきれてなかった

みたいで、かなりバレてた」

「えっ! ええっ!? そうなの!?」

 アリサが慌ててすずかと忍さんを交互に見る。

 二人は苦笑しながら彼女に頷きを返した。

「なんだぁ……もう、慌てた私がバカみたいじゃないのよっ!」

 安堵の息を吐いた後、半眼で俺を睨むアリサ。つか、俺のせいか? コレ。

「いや、まあそれはともかくだ、その親友って子に俺のことをなんて紹介するんだ? 俺の『事情』を含めた出会いを話すと、

すずかの『事情』まで話さなきゃならなくなるぞ?」

「あ、そっか…それじゃ事件のことは言えないよね。どうしようか、アリサちゃん」

「そうね…嘘はつきたくないし、かといって本当のことは言えないし…」

 ウンウンと呻りながら悩んでいる二人に、俺は──

「じゃあさ、こんなのはどうだ?」

 ここに来るまでに考えていた、対なのは用カバーストーリーを開示した。








 俺の説明が終わったその時、室内にチャイムの音が響き、月村家への新たな来客を告げた。

「おいでになられたようですね。私がこちらへご案内致しますので、皆様はごゆっくりどうぞ」

 そう言ってノエルさんは優雅に一礼すると、退室して玄関へと向かって行った。

 それを見届けると、俺はすずかとアリサの方へ向き直し、口を開く。

「さて、じゃあさっき言った内容で問題ないか?」

「完璧ってワケじゃないけど、仕方ないわね…」

「ごめんね二人とも、私の為に…」

「気にすんな。さっきも言ったけど、じっくりやればいいんだよ。その子は親友なんだろ? きっとわかってくれるさ」

「そうよ、この位で私たちがすずかのことを見捨てる訳無いでしょ? あんた友達なめ過ぎよ」

 俺とアリサは、申し訳なさそうに謝るすずかの肩を軽く叩き、励ます。

「──うん」

 それを聞いて、すずかは力強く頷き、笑みを浮かべたその時──

「忍お嬢様、すずかお嬢様。恭也様となのはお嬢様がお見えになりました」

 ノエルさんに案内されて、長身の青年──高町恭也とともに、なのはが俺たちの前にその姿を現した。

「なのはちゃん! 恭也さん!」

「すずかちゃん」

「恭也…いらっしゃい」

「ああ」

それを目にしたすずかと忍さんが二人の傍へと寄り、言葉を交わす。

「あれ? 高町じゃん」《お~い高町~。ほれ、こっちこっち》

 俺はなのはを目にして驚く振りをする一方で、念話で彼女の次の行動をサポートする。

「や、やっぱり御剣君だ! なんですずかちゃんのお家に居るの!?」《こ、こうかな…?》

 お互いに少々わざとらしさがあるが、致し方ない。俺たちは俳優志望じゃないんだ。

「ん? なのは、知り合いか?」

 俺たちの会話に最初に喰いついたのはグリリバな二枚目ボイス──高町恭也さんだった。

「う、うん…ちょっと前に…」

「──ちょっと令示。なのはと知り合いだったってホント?」

 どうやら演技の不味さは、この意外な関係のおかげで気付かれなかったようだ。

 がしかし、それを見た我らがアリサお嬢様、『どういうことだ、さっさと説明しろオラ』と、しきりにガンをお飛ばしに

なられてきた。

 すずかも何も言わないものの、その視線に込められた意はアリサと同じだった。

「ああ…しかし、三人が友達だったとはね。世間は狭いようで広いなぁ」

 俺は二人に片手で『落ち着け』というジェスチャーを送りながら、天を仰いでのんびりと呟いた。

「いいから早く教えなさいよ!」

 …どうやら俺のジェスチャーは通じなかったらしい。

「わかったわかった。お茶を飲みながら説明するよ」

 俺はそう言ってアリサを宥めた。








「んじゃあ順を追って説明するか。出会ったのはアリサとすずかのが先だったけな」

 ポカポカとした日光が射す庭園の真ん中。紅茶とお茶菓子の並べられたテーブルを中心に腰掛けた、俺たち年少組。

 俺は自分の前に置かれた紅茶を一口飲み、喉を湿らせてそう切り出した。

 ちなみに忍さんと恭也さんは、原作の流れ通り二人でお茶会。

 つーか、二人だけで会う時にやれよ。子供の前で二人きりになるとか、ませたガキなら絶対邪推すんぞ…?

「下校の途中で、二人が躾のなっていない『飼い犬』に携帯をひったくられてね。それを俺が奪い返したのがきっかけなんだ

 で、二人と別れた後に帰り道で出会ったなのはに、スーパーの特売セールで協力してもらったんだよ」

 以上、と言葉を結んだ俺は、ファリンさんが用意してくれたクリームチーズクッキーをボリボリと頬張った。

 ──さて、これが三人用に考えていたカバーストーリーである。

 言っていないことはあるが、嘘はついていない。『飼い犬』ってのも、チンピラどもに対しての比喩表現だし、(実際に走狗

だろうから、問題はあるまい)
 
 とは言え、突っ込んだ質問されるとボロが出る可能性が高い。…まあ、急ごしらえの誤魔化しだから仕方が無いのだが。

(これで納得してくれりゃいいんだが…)

 そう考えつつ、俺は三人を見ながらなのはへ、この話しに適当な相槌を打つように念話で打診する。

「そ、そうそう。会ってすぐに買い物を手伝ってくれっていうのには、凄く驚いたよ」

 と、なのは。なかなかナイスなフォロー。

「そんなことがあったんだ…」

 とはすずか。

「アンタ、あの時あんなに急いでたのって、バーゲンの為だったってワケ!?」

 と言いつつ、俺の襟首を引っ掴んで前後に激しくゆすっているのはアリサ──って、オイ!

「ちょっ!? 苦しい苦しい! 何怒ってんだお前さんは!?」

「別に何でもないわよ!」

 俺がゲホゲホと涙目で訴えると、アリサはプイッとそっぽを向き、ツンケンしながらそう言い放った。

(ったく…、あんなにキザったらしく帰ったくせに、その理由がコレなんて…ちょっとカッコイイって思った私が馬鹿みたい

じゃないのよ!)

 はい、小声で言っているようですが丸聞こえです。悪魔耳はヘルイヤーなのです。(要和英逆訳)

「む、なによ?」

「いんや、なにも?」

 無論、ここで余計な事を言うつもりはない。変な発言をしようものなら、鉄拳が飛んできそうだし。ツンデレ的に考えて。

「まあ、大体の話はわかったわ。…それにしても、通りがかりの女の子に買い物手伝わせるなんて、アンタも非常識よね…

ねえ、なのは?」

 アリサがなのはに同意を求めたその時──

 金属を打ち鳴らした、かん高い音響の如き感覚が、脳裏を突き抜けていった。

 慌てて周囲を見回せば、なのはとユーノが、俺と同様に驚きの表情を浮かべている。

 現在の状況を鑑みて、これはつまり──

(ジュエルシードの反応ってワケか…)

《なのは!》

《うん、すぐ近くだ!》

 俺の反応をよそに念話でやりとりをするユーノとなのは。

《どうする?》

《えと…えっと…》

 すずかとアリサの手前、簡単に席を立つ事も出来ず、なのははまごまごと行動を取りかねる。

「? なのは? どうしたの?」

 相槌も無く押し黙る友人を怪訝に思ったのか、アリサが再度なのはに声をかけてきた。

「──へっ!? あ、その、あの!」

 その声に、弾かれたように我に返ったなのはは、思考の外からの接触に泡を食い、完全にパニクった。

《っ! そうだ…!》

 が、そこでユーノがとっさの機転を利かせ、俺たちの視界を横切るようにして森の方へ駆けて行く。

「ユーノ君!?──あっ!」

「あらら、ユーノどうかしたの?」

 突然のその行動に、アリサとすずかの意識はそちらへと移ってしまう。

「うん、何か見つけたのかも…ちょ、ちょっと探してくるね」

 なのはもユーノの意を汲んだようで、落ち着きを取り戻してその後を追うべく自然な形で席を立った。

 さて、いよいよフェイトの登場か…悪魔に変身しなければジュエルシードの反応で感知されることはないだろうし…原作との相違を

確かめる意味で、俺も観戦位はしておくか?

「じゃ、一緒に行こうか? 女の子一人じゃ、何かあった時に危ないし」
 
 そう考えた俺は、もっともらしい理由をつけて、なのはについて行こうという考えを口に出した、その瞬間──

「っ!? ダメッ!!」

 それまでの態度が嘘かと思うほどの豹変振りで、なのはが俺の提案を力一杯拒絶した。

「へっ?」

「えっ!?」

「あ……」

 まさかここまで強く断られると思わなかった俺は二の句を失い、目を丸くする。

 アリサとすずかも、なのはのその態度に驚いたようで、言葉が無い。

「あっ、その、御剣君と行くのが嫌とかじゃなくて…」

 場に流れた気まずい空気を感じ取ったなのはが、取り繕うように言葉を紡ぐが、とても拭いきれるような上手い言い回しとはいえない。

「あの、だから私一人で大丈夫だからっ!」

 結局なのはは、ユーノを追って、その場から逃げるように森の方へと走って行った。

「「「…………」」」

 残された俺たち三人は、微妙な空気の中で何も言うことが出来ず、互いに視線のみを交わす。

 数秒か、数分か。そんな調子で時間が流れ──

「…その、なのはちゃん、どうしたんだろうね?」

 まず最初に、すずかがこんな空気に耐えられなくなったのか、愛想笑いを浮かべて言葉を発した。

「普通じゃなかったのは確かね。──特に、令示に対して」

 しかし、そんなすずかの考えを知ってか、知らずか。アリサはぬるくなった紅茶を口にしながら場の空気をぶった斬るような

台詞を口にした。

「ねえ令示、アンタなのはと何かあったの?」

 ティーカップをソーサーに置く音が、妙に響いた。アリサの目が真っ直ぐに俺を捉える。

「何かって…なにさ?」

 変な居心地の悪さを感じながら、俺はそう尋ね返した。

「なのはがね、どうもアンタに対して遠慮しているというか、なんか壁を造ってる気がするのよ」

「壁、か…」

 そう言われて、俺は月村家へ向かうことを決めた理由が、母さんがなのはを送った時の話であったことを思い出した。

 先程の俺に対する態度も、それに関することかもしれない。

「でもそれは令示も同じ。アンタもなのはに壁を造っている」

「──え?」

 なんだと?

「俺が、高町にか?」

「ほら、それよ。なのはもそうだけど、あんたなんで『高町』って苗字で呼ぶの?」

「──それは」

 なのはに呼んでくれと言われていないから。そう答えようとして、俺は言葉につまった。

 本当にそうなのだろうか?

 俺は自分の回答に自信が持てなかった。 現にこうして心中では、『なのは』と呼び続けているのだ。

『壁を造っている』。そのアリサの言葉が妙に脳裏にこびりつき、リフレインする。

「なんかあんた達二人、なんか微妙によそよそしいのよね。だから何かあったのかって、そう思ったのよ」

「アリサちゃん…」

 遠慮のない見解を口にするアリサに、すずかはたしなめる様に呼びかける。

 俺は口元に手を当て、思考を巡らせる。

 …なのはと何かあったとするならば、やはり二度目の遭遇の時? いや、それだけだろうか? 他に何かあるのでは──

「ああもう! 悩んでるんならさっさとなのはを追い駆けてきなさい!」

「うおっ!」

 大音量の釘宮ボイスに驚いて我に返れば、俺の眼前数センチに迫った、どアップのアリサの顔が映し出され、思わずひっくり

返りそうになった。

「そんな辛気臭い顔のままで目の前に居られたら、せっかくのお茶が不味くなるでしょうが! なのはの所行って腹割って

話して来なさい!」

 ビシッとなのはが走って行った森を指差しながら、アリサがシャウトした。

「あんたもなのはも友達なんだから、そんな妙な態度じゃ、気になってお茶どころじゃないのよ! ほら! わかったら

なのはと一緒にスッキリしてくる!」

 なんかエロイ台詞に聞こえるぞ、ソレ… 

 と、んなアホな事考えている場合じゃない。ここでまごついていたら雷が落ちるぞ。

「わ、わかった…」

 とりあえず立ち上がって森の方へと歩き出す。

「駆け足!」

「イ、イエス、マム!」

 背後からかかった雷鳴の如き怒鳴り声に、弾かれたように走り出す俺。お、おっかねえ…

 が、しかし、これは言っておかないとな、背中を押してくれた訳だし。別に言われっ放しが悔しい訳ではないぞ?

 森の手前で足を止め、後ろを振り返ると、俺はアリサの方を見ながら口を開く。

「気を使ってくれてありがとな、アリサ。お前さんきっといい女になるよ」

「なっ!?」

 見る見るうちに顔が赤く染まっていくアリサ。

「う、ううううう! うるさいうるさいうるさい! さっさと行きなさい!」

 彼女がうがー! と怒鳴りだしたのを確認した後、俺は逃げるように森の奥へと走り出した。
















 森に入ってすぐに、俺は周囲に異変を感じた。

 自分が認識する空間に対する違和感と言えばいいだろうか? 恐らくはユーノの封時結界だろう。

「ナインスター、このままの姿でなのは達を認識できるか?」

『可能だ主。強装結界ではなく、封時結界だからな。見るだけ、聞くだけならばこの姿のままで問題ない。干渉となれば、話は別だが』

「フェイトに見つかると厄介だしな、とりあえずこのまま進むか…すぐに見つかるかな?」

 周囲を見回しながら歩いていく俺。そして──

「──居た」

 思いに反して、あっさりとなのはを発見した。だがそれは──

 なのはがバインドで拘束された上、その彼女へ向けて、樹上の金髪黒衣の魔導師──フェイトが、シューティング

モードのバルディッシュを向けており、更に少し離れた所には、暴走体になった子猫が、既にジュエルシードを抜き取
られて転がっているという、原作とは乖離した光景だった。

(ど、どうなっているんだ!?)

 俺は茂みに身を隠し、まずは様子を窺う。

「答えて欲しい…貴方の後の現地生命体が暴走する前に、この辺りでもう一つのジュエルシードの発動があった筈。封印したジュエル

シードを渡して」

 そういうことか…

 フェイトが言っているのは間違いなく、マタドールに変身した時の、俺のジュエルシードの発動だろう。

 感知したもののすぐに消えた反応。

 その付近で見つけた、魔導師。

 フェイトでなくても、なのはが封印したものだと思うだろう。

「知らない…」

 なのはは、フェイトを見つめながらかぶりを振った。

 そんな彼女を足元のユーノが、心配そうに見上げている。

「…嘘。状況から考えて貴方が持っていない筈が無い。渡さないのなら──」

『Photon lancer Get set.』

 バルディッシュの音声とともに、その先端へ金色の魔力が収束されていく。

「力尽くで、いただいていきます」

 抑揚の無いその声に、なのはは俯き、ぎゅっと目を瞑る。

 その彼女の小さな呟きが、俺の耳へと届いた。

「言わない。絶対に言わない」




 ──それは──




「私のせいで、御剣君が死んじゃうところだった…」




 ──彼女の贖罪と──




「私が、綾乃さんの大切な家族を、奪うところだった…!」




 ──悔恨の呻きだった──




「だからこれ以上、御剣君を危険な目に遭わせられない…!」




 ああ、理解した。アリサの言った『壁』──

 なのはが俺の同行を拒否した理由──

「俺への罪悪感か…」

 大木事件の時の対応、その後の封印魔法を使っての殺害未遂、……そして、恐らくは帰り道での母さんとの会話。

 あの時、俺はなのはに気にするなと言った。一時しのぎとはいえしばらくは大丈夫だと思っていた。

 しかし、それは思い違いだった。罪の意識は、鋭い棘のように彼女の心へ奥深く突き刺さり、食い込んでいたのだ。

 そしてその事実が、俺のなのはへの思いを浮き彫りにする。

「なのはに対する、後ろめたさ…か」

 溜息とともに呟きを漏らす。

 未来知識を利用して、なのはを自分のものにしようとしていたこと。

 父親の事故で、孤独となったなのはの精神状態を利用しようとしたしたこと。

 既に捨て去った馬鹿な考えとは言え、俺が彼女に『そういう感情』を持って接触しようとしていたのは事実である。

 …それが後ろめたくて、無意識の内にアリサの言っていた『壁』──なのはに対して距離をとっていたのだ。




「──もう一度言います。ジュエルシードを渡して」




 フェイトがなのはに最後通牒を突きつける声を聞き、自身の意識の在り方に思いを巡らせていた俺は、我に返った。

 バルディッシュに込められた金色の魔力が、虫の羽音の如き唸りを上げる。

 後はフェイトの意志一つで、その雷光の様な一撃が放たれることだろう。

 非殺傷とは言えその一撃は、半日も意識が戻らなかった程の砲撃だ。

 しかし、なのはは──

「知らない!」

 それでも大声で、否定の言葉を口にした。

 その瞬間、一拍置いて──

「…ごめんね」

『fire.』

(!? マズイッ!)
 
 フェイトの呟きとともに、荒れ狂う一撃が放たれた。




 ──その刹那。




「ウォォォォォォォッ!」

 俺は反射的にマタドールへと変身して、なのはの正面へと飛び出し、カポーテを盾にフォトンランサーを正面から受け止めた。

「グガァアアアァッァアアアッ!?」

 痛い痛い痛い痛い痛いっ!!

 凄まじい激痛と衝撃が全身を駆け巡る。

 まるで赤く焼ける鉄板の上に投げ出されたような感覚。

 想像を絶する激痛が、魔人の闘争心を駆逐し、逃げろ逃げろと人の生存本能が首をもたげる。しかし──

(こんな所で退けるかっ!)

「み、御剣君!?」

 驚きに満ちたなのはの声が、俺の背にかかる。

「──マタドールだ」

「えっ?」

「この姿の、時はっ、そう呼び給えニーニャ!」

(あんなこと聞いた上で、この娘を見捨てて逃げたら…俺は屑以下じゃねえか!)

 さあ、心を奮わせろ。

 戦士の誇りを謳い──

 戦いの信念を貫き──

 勝利の勲しを誓い── 

 昂ぶる心が、猛る意志が、マガツヒを生み出す。

 悪魔にとって意志こそ力、力こそ意志。

「雄ぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 渾身の力を以ってカポーテを薙ぎ払い、フォトンランサーを弾き飛ばす!

「なっ!?」

「えっ!?」

 なのはとフェイトが驚きの声を上げる。

「暴走体? それにしても、あんな布で魔法を弾き飛ばすなんて…」

 油断無くバルディッシュを構えるフェイトの呟きが、俺の耳に届いた。

「──カポーテだ」

「えっ?」

 俺はエスパーダを振り下ろし、フェイトへとその切っ先を向け、

「我が信念のかたちだ、みくびるな!」

 高らかにそう謳った。












 第四話 愚者の英断、臆病者の勇気。(後編)END








 後書き

 結局これで終わりませんでした…今度こそ次で四話は終わりです。

 カポーテで魔法を弾き飛ばしたのは、以前に感想掲示板で相談させてもらった、オリジナル能力の一端です。

 理論についてはちゃんと考えていますので、次回にでもその説明をします。

 では、今回はこの辺で。

 追伸

 マタドールの最後の台詞の元ネタは、『宵闇眩燈草紙』のラスキン卿です。



[12804] 間幕 悪魔考察
Name: 吉野◆fe64ebc7 ID:0cde0540
Date: 2010/02/07 11:43
 注)今回は『真Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ』、『ペルソナ3』、『葛葉ライドウ対アバドン王』のネタバレがありますので、ご注意を。











 間幕 悪魔考察







 ──悪魔とはなんなのか?







 それは、悪魔への変身能力という力を手にしてから疑問に思い、考え続けてきたことだ。

 変身能力を手にしてしまった俺にとって、それは真剣な悩みである。

 なにせ封印魔法で死にかねない上に、悪魔には弱点となる属性も存在する。

 故にこういった疑問を考察、分析し、改善や対抗策を練る必要があったのだ。 弱点の放置など、死亡フラグ以外の何物でもない。

 そんな訳で、暇さえあれば悪魔について色々と考えていたある日のこと。ふと脳裏に、一つの疑問がよぎった。

「戦闘で悪魔を倒した際に、死体も残らず消滅するのは何故だ?」と──

 それも悪魔『だけ』ではない。装飾品や手にした武器までも消える。

 仲魔の悪魔も、やられた者は消えてストックに戻る。

 それをストックから破棄する場合でも、死体を目にすることは無い…

 普通にRPGをプレイしているだけならば、「ゲームの演出上の措置だろ?」と言われる位馬鹿馬鹿しい疑問だが、今の俺にはまごう

事の無い現実なのだ。

 ここまで考えて、俺は一つの説に行きついた。『真・女神転生』の、『真Ⅲ』の悪魔は肉体を持たず、霊体や精神のみの存在で、物理

的な法則を超越した力と、強烈な意志で無理矢理に現実世界──人間界に存在し、干渉をしているのではないか? と。『スレイヤーズ』

の純魔族のように。

 つまり、装飾品や武器の類も、等しく彼らの体の『一部』であるということだ。

 そう考えると、ゲーム中における悪魔の謎にも説明がつく。例えば悪魔の外見だ。

 物理的に、歩行どころか直立すら不可能な体型体格。

 更には気体や、液状の体を持つ者。

 このような連中も、精神体であれば物理的法則に縛られる筈が無い。

 また、死んでも魔法一つ、アイテム一つで復活する因果無視の異常性についても、





 精神力急激な消耗(所謂、ヒットポイントの枯渇)

 ↓

 肉体の維持ができなくなる。

 ↓

 消滅(死)残るのは、目に見えない悪魔の意識(魂?)のみ。





 と考え、復活魔法やアイテムが精神力の回復させるものだと思えば矛盾がない。現に、氷川の計略でマガツヒを奪われ崩壊した

ゴズテンノウは、意識のみで生き残り続けて千晶と合一をはたし、魔丞として復活を遂げた。

 さらにここから、マガツヒの力が単に創世──守護を召喚する為だけの、呼び水ではないことがわかる。

 マガツヒとは、激しい感情や強い想念の発露によって生じる。言わば精神、心、意志の力そのものだ。

 精神体である悪魔にとって、それはまたとない栄養素である筈。

 ゲーム中でも、ゴズテンノウが決闘裁判に勝利した人修羅に与えた力は、マガツヒであることを言っていた。つまり、マガツヒ=経験値

ということだ。

 ──そう言えば、『スレイヤーズ』の純魔族も恐怖や怒り、悲しみ、苦痛等の、負の感情を喰うとされていた。




 …マガツヒを取り込み、生物としての限界を超えた悪魔たち。

 精神体であるが故に、己という『個』を、意識を保つ強固な意志のかたまりである。

 しかし、それが故に頑迷で、柔軟な発想や思考がし難いのではなかろうか?




『悪魔にコトワリを啓く事はできない』




『真Ⅲ』でこう言われていたのは、そういう発想が悪魔にはできないからなのでは?

 …まあ、フランクな悪魔や創世神クラスの悪魔もいるので、一概にそうであると考えてしまうのはいきすぎかもしれない。

 しかし、この考えはあながち間違いともいえないかもしれない。そもそも、『東京受胎』を起こしてボルテクス界を創り、

反則級のナイトメア・システムを生み出したのも、氷川──人間だ。 

 人の知識とイメージは、時として世界を、悪魔をも駆逐する。

 だから人の知恵と悪魔の力、その両方を持つ人修羅はボルテクス界の覇者となりえたのだと思う。

 …『人が空想できる、全ての出来事は、起こりうる現実である』とは、『ワンピース』の学者の言葉だったか?




 ──さて、じゃあこれらの仮説を俺自身に当てはめて考えてみよう。

 まず一つ目。俺が悪魔化した際の体は肉体か、精神体か。

 これに関しては答えが出ている。ナインスターはジュエルシードが俺の悪魔化を防いでいると言った。しかし、マタドールの姿は

オリジナルと、俺の想像や記憶の入り混じった存在だ。

 肉体である俺をベースにして、精神体である悪魔の姿をとっているということはその中間──人魔半々であるということだ。

 これはメリットと捉えるか、デメリットと捉えるか微妙なところだ。

 人修羅の驚異的な強さは上記の通り、悪魔の力と人の知恵が合わさった所にあると思っている。

 つまり、俺もその状態にある以上、かの混沌王と同じ高みに至れる可能性があるということだ。

 しかし、それと同時に大きな問題もある。それは蘇生魔法やアイテムで復活ができない、やり直しのきかない体であるという点だ。

 これは『真・女神転生』シリーズのみならず、『ペルソナ』や『デビルサマナー』シリーズにも共通することだが、

 人間や、半人半魔のような肉体を持つ存在は、蘇生魔法の対象外になってしまうのだ。




 ──例えば『真Ⅰ』の、ロウヒーローの彼女。




 中途半端にボディコニアンにされた彼女は、反魂香で蘇ることなく消滅した。




 ──例えば『真Ⅱ』のベス




 ダレスに殺されてから、生き返らせるという行動や選択がまるでない。




 ──例えば人修羅。




 戦闘中に力尽きると、天へ召されていく。




 やはり上記の通り、蘇生魔法とは意識のみにされた悪魔たちに、精神力を注入する為の魔法なのであろう。

 昏睡や意識不明等であれば、電気ショックや気付け薬のような感じで使えるだろうが、それで終わりだ。

 …肉体持ちの人物の復活も無い訳ではないが、そんなのは特例中の特例である。

 ロウヒーローの場合は、復活自体が神のシナリオの臭いがするし、『if』の主人公とパートナーについては、これまた反則級の

ガーディアン・システムがあってのインチキだ。

(流石に回復魔法は肉体持ちでも効果はあるが、怪我や毒位は治せても病気等には効果が無い。

『アバドン王』の葛葉ゲイリンの結核や、『ペルソナ3』の荒垣真次郎の制御剤の副作用がその代表だ)

 悪魔の回復力や耐久力はすこぶる高いが、調子に乗って無双なんかしていたら、「ポックリ逝っていました♪」なんてことになり

かねんな…復活や回復にリスクがつきまとう以上、悪魔の闘争本能に身を任せすぎないように気をつけなければ。




 まあ、デメリットばかりに気をとられていても仕方が無い。メリットの方──人修羅並に強くなれる可能性について考えてみよう。

 まず、ベースが人間である為に、俺はマガツヒの生成が比較的容易な点。

 もっともこれは、ジュエルシードを介して供給されるアマラ深界からのものと比べれば、微々たる量だが。

 とは言え、アマラからの呼び水としたり、自らを奮い立たせたりするという点では、無視できない力だ。

 そしてなにより注視すべきは、イメージと知識、そして意志だ。

 古今東西の伝承には生物はおろか、無機物や自然現象、神魔異形にまで変ずる者や、豆粒大から天を突く程の巨体まで伸縮自在の者

まで、多種多様な身体変化を見せる天神地祇や、魑魅魍魎ども──悪魔がいる。

 狐狸の類が使うようなけちな幻術ではなく、変じた姿そのままの力を振るうそれは、イメージ──想像力の産物だろう。

 精神体である彼ら悪魔にとって、質量や物理的法則は枷にもならない。

 悪魔の体は精神体、そしてそれを形作っているのはイメージだ。それはマタドール化した際の俺の体が、イメージと記憶で補完されている

というナインスターの台詞からも証明されている。

 ならば、俺の知識とイメージがあれば更に強い力を使うことも可能だ。

 大切なのは意志。「できる」と思うこと。

「できて当たり前」と考えること。

『ジョジョ』でエンヤ婆も言っていた。『空気を吸って吐くように、HBの鉛筆をベキッ! とへし折るように、できて当然と思うこと

大切なのは「認識」すること。スタンドを操るという事は、できて当然と思う精神力』だと。








 ……強く在ることに、越したことはない。降りかかる災難を避ける為には、力は必要不可欠。

 しかし、強さとは引力のようなものだと俺は思っている。大きければ大きいほど更なる力を、厄介事を引き寄せるのではないだろうか?

 俺の考えすぎであればいいのだが…






 間幕 悪魔考察 END






 後書き

 さて、今回は令示の持つオリジナル能力の、土台説明の回となります。

 本編でやると説明だけでグダグダになりそうなので、お話の間の令示の思考というスタイルで、間幕という形にさせていただきました。

 一応、魔法や悪魔の設定などはゲーム本編と矛盾が生じないよう気を付けたつもりなのですが、見落としがあるかもしれませんね、

なんせシリーズが多すぎますから…

 それと、『本文に書くほどじゃないけど、疑問に思われるかな?』というものに関して、ここで説明しておきます。




 Q1、戦闘後、悪魔が落とすアイテムの中には、明らかにグラフィックや伝承上で得物にしているものがあるじゃないか! あれは

    体の一部で、消滅するんじゃないのかよ! (例 魔人デイビットのストラディバリ)




  A この手のアイテムは『ストレンジジャーニー』のフォルマのような物だと作者は考えております。

    使い手の念や魂が凝り固まった核のような物なので、悪魔消滅後も消えずに残っているというような感じで。

    デイビットのストラディバリなんかも、バイオリニストにとってはバイオリンは命のような物ですから、不思議じゃないかなと。




 Q2、ちょっと待て『真1』のガイア教徒とメシア教徒、『真Ⅱ』のガイアーズとメシアンは人間だけどCOMPに入るし、戦闘で倒したら
 
    消滅するし、死体をストックから捨てる時もグラフィックはねーぞ! つーか、『真Ⅲ』のマネカタは!?

    フトミミとサカハギは死体が残らねーけど、ゾウシガヤ霊園とか、マントラ軍本営ビル前の池とかに、マネカタの死体ゴロゴロしてん

    じゃねーか! この説明は!?




  A これに関しては勘弁してください…自分のキャパ越えています…とりあえず、フトミミとサカハギについては、戦闘能力から鑑みるに

    悪魔に近い存在になっていた、マネカタの異端だと思っています。『真Ⅰ、Ⅱ』については…死体は見えているということにして下さい(汗)




 とりあえず、現状で自分が思いつく疑問点はこんなところでしょうか? 他に補足があったら、追々書き加えていくことにします。

 それと、4話終編を期待された方、申し訳ありません。VSフェイトの顛末は、現在鋭意製作中であります。

 今回の話は、自分の脳内のオリジナル設定を整理する意味でもあったので、ご勘弁下さい。

 では、次は本編でお会いしましょう。


 追伸

 最近知ったのですが、ドラマCD版『真Ⅲ』の千晶の声って、フェイトの中身の中の人だったんですね…



[12804] 第四話 愚者の英断、臆病者の勇気。(終編)~令示の悔恨~
Name: 吉野◆fe64ebc7 ID:0cde0540
Date: 2010/03/22 22:29
「カポー、テ…?」

 フェイトは油断無く俺を見つめながら、僅かに首を傾げた。
 
「言葉を話す…でもこの反応は──」

 彼女が訝しげに俺を眺めていると──

『Master.』

 バルディッシュが明滅しながら、フェイトに話しかけた。

『The reaction of the jewel seed was confirmed from a new target. 』(新たな目標より、ジュエルシードの反応を確認しました)

「じゃあ、やっぱりあれは…暴走体?」

『That's right. 』(その通りです)

 …どうやら俺が暴走体か否かで悩んでいたらしい。

 助言で迷いが消えたフェイトは、キッとまなじりを吊り上げると、俺に向かってバルディッシュを構え直し、口を開いた。

「ロストロギア、ジュエルシード…」

『Scythe form Setup.』

 彼女は言葉とともに、死神を彷彿とさせる大鎌と化したバルディッシュを、大きく振りかぶり──

「回収します!」

 漆黒のマントをはためかせ、少女は魔風の如く俺へと迫る! 










第四話 愚者の英断、臆病者の勇気。(終編)~令示の悔恨~









 閃光のように、袈裟懸けに振り下ろされる光刃。

「フッ!」

 呼気とともに俺は、その一撃を受け止めんとエスパーダを振り上げる。

 接触した刹那、周囲にこだますは、耳を劈くような金属音。

 そして次の瞬間には、耳障りな虫の羽音の如き響きを伴い、互いの得物を通して魔力がせめぎ合う、鍔迫り合いが始まった。




 しかし──

「ムンッ!」

「っ!?」

 今現在の魔力量はともかく、膂力に関してはフェイトは俺の足元にも及ばない。

 俺は力任せにエスパーダを振り払い、その勢いでフェイトを弾き飛ばす。

 小柄な少女はその力に抗えず、ボールの如く放物線を描いて宙に舞う。

「くっ!」

 が、流石は魔導師。飛行魔法を行使して己の体を制御。くるりと回転して勢いを殺し、空中にて停止した。

 俺はその隙に背後のなのはの方を向き──

「今解放する。そのまま動かずにい給え」

「へっ?」

「えっ?」

 素っ頓狂な声を上げるなのはと、その肩に乗っていたユーノ。

 俺は彼女を拘束するバインド目がけ、エスパーダを閃かせる。

 縦横に走る数条の銀光が、両手足を縛り付けていた魔法の枷を瞬断し、なのはを解放した。

「え? え? あれ?」

「アレ? 今、え?」

 剣閃が速すぎて知覚できなかったのであろう、二人は訳がわからずキョロキョロと自由になった手足を見ながら、疑問の声を上げた。

 俺はそれに構わず振り返り、上空へと目をやる。

 フェイトは不動のまま、俺を見下ろしていた。

「二人とも、下がってい給え。彼女の相手は私がしよう」
 
 俺はなのはたちの返事を待たずに両足を折り曲げ、高く跳躍。針葉樹の天辺に飛び移り、フェイトと視線を合わせる。

「背後より斬りかかることもできたであろうに。 私を待っていてくれたのかね?」

「…バルディッシュ。フォトンランサー、電撃」

『Photon lancer Full auto fire.』(フォトンランサー、フルオート射出)

 俺の問いかけに答えることなく、フェイトはバルディッシュより数発の魔力弾を撃ち放つ!

「甘い」

 俺は再びカポーテを振るい、迫り来るフォトンランサーの弾群を弾き飛ばしながら、木々を跳び移ってフェイトに肉薄──

「ハァッ!」

「くっ!?」

 逆袈裟の一撃が、彼女のマントのみを斬り裂いた。

 フェイトは俺の間合いから離れんと、上空へと逃れてこちらの様子を窺う。

 …同じ物でも、先程の魔法より軽い。

 恐らくは牽制か。カポーテの性能を確かめる為の。

(実生活じゃ素直そのものだが、こと戦闘に関しては結構したたかだな…)

 新たな敵性存在の戦力分析と、状況判断。

 なるほど、魔導師として一流というのは伊達ではないようだ。

 髑髏面のせいでこちらの表情は読めないであろうが、俺は内心で舌を巻いた。

「…ただのジュエルシードモンスターじゃない。一体何者…?」

 フェイトがこちらを睨みながら、ポツリと呟いた。

「ふむ。そう言えば、貴女にはまだ名乗っていなかったな…ならば──」

 俺は彼女に一礼すると、眼前にエスパーダを立てる。

「お初にお目にかかる。我が名は魔人マタドール! 鮮血と称賛に彩られし最強の剣士!」

 そこで言葉を切り、俺は再びエスパーダの切っ先をフェイトへと向ける。

「異界の魔導師よ、今の一撃は忠告だ。これ以上敵対行動をとるのであれば、このマタドールが…全力を以って貴女を排除する!」

 なのはを襲った一撃を弾き飛ばした時と同じく、俺は自らを奮い立たせるような台詞を吐き、マガツヒを活性化させる。

 中二的な台詞も、この身には武器であり防具だ。言霊は闘志を滾らせ、より強い自分を、より強固な自分を意識させる

重要な因子となりうる。

 悪魔とは精神体。その身は五体はおろか、装備すらも物質ではない。全ては強固な意志より生じた、イメージの産物。

 ならば己の意志一つ、想像力一つで自身を強化、変化させることも可能。

 幸いにも俺はゲームやアニメ、アニメやラノベ等々…様々なネタ元を知識として保有している。アイディア、台詞にはこと欠かない。

 ──そう、先程のカポーテを使った防御法。あれは俺のオリジナルではない。

『ドラえもん』のヒラリマントや、『ストZERO』のローズのソウルリフレクトを模倣したものだ。




 即ち、強い意志があれば──




 マガツヒさえあれば──




 イメージの大元となる知識があれば──




 俺はどこまでも強くなれる!



 
『Sealing form, set up.』

 フェイトは沈黙を保ったまま、バルディッシュをデバイスフォームへ変化させる。…接近戦は不利と判断したか。

「忠告は聞かぬか…だが、待ち給え」

 俺はそんな彼女の動きを片手で制し、言葉を続ける。

「貴女も戦士であるならば──覚悟ある者ならば、名乗り給え」

 その声に暫し逡巡した後、

「……フェイト。フェイト・テスタロッサ」

 フェイトは小さくも、はっきりとした声でそう告げた。

「Gracias(ありがとう)貴女の心遣いに感謝する。いざ──」

「…………」

「参る!」

 俺の声を開始の合図に、両者は動く。

 フェイトは俺を誘うかのように飛行高度を樹木の高さに合わせ、後方へと飛びながらこちらへ魔力弾を撃つ。

 俺はそれをカポーテで流すか、エスパーダで斬り落として木々を跳び、その姿を追う。そこへまた放たれる魔力弾。

(……妙だな)

 同じ動きを繰り返す彼女に、俺は違和感を覚えた。

(動きが単調すぎる。それに速度と命中率はともかく、こんな威力の魔法じゃ俺の防御は貫けない)

 何を考え──って!

「っ!? これは!?」

 新たな木に跳び移ったその瞬間、俺は両手両足を、半透明の黄色い立方体の枷に捕らわれていた。

(設置型バインド! 狙いはこれか!)

「これなら、もう防げない…」

 フェイトの策に気が付いた時、その彼女の声が頭上から響いた。

 上方へと目をやれば、バルディッシュを構えたフェイトが、その銃口をこちらに向けていた。

 彼女の滾る魔力がバチバチと雷の蔦を生み出し、黒い杖身に絡みついて収束していく。

「貫け轟雷!」

『Thunder smasher!』

 フェイトの呪に応じ、初撃のフォトンランサーを上回る轟音を響かせ、バルディッシュより金色の雷砲が、俺目がけて撃ち放たれた!

 だがその時──

「ダメーッ!!」

『protection.』

「なのはっ!?」

「っ!? ニーニャ!?」

 叫びとともに、なのはがサンダースマッシャーの射線上に飛び込み、防御魔法を展開。俺へと放たれた雷撃を、真正面から受け止めた!

 なんて無茶を! 樹上の俺も、地面で待機していたユーノも、その無鉄砲な行動に驚きの声を禁じえなかった。

 確かになのはの膨大な魔力を以ってすれば、低位のプロテクションでも堅牢な防壁となることだろう。

 しかし、現時点での彼女は素人と言っても差し支えない、魔法初心者だ。

 効率的な魔力運用を覚えた一期後半ならばともかく、既に一流の領域にいるフェイトに対し、力まかせの防御魔法など、無謀すぎる。

 まずい。このままでは彼女は防壁を撃ち破られ、砲撃に身を晒すことになってしまう。

「う、ああっ……!」




 防御障壁がギシギシと軋み、御しきれぬほどの振動になのはは呻きを漏らして──




 俺の予想通りに、なのはのプロテクションは限界を告げるかのような大きな亀裂が走り──



                                                            

 崩壊した──



                                                            




                                                            

 フェイト視点




 破砕音を響かせ、白い魔導師のプロテクションを撃ち破ったサンダースマッシャーは、その勢いを殺すことなく直進し、地表へ接触。

 大量の土砂を巻き上げ土煙を生み出し、その役目を終えて姿を消す。

 その直後に、バルディッシュの先端部より一対の排気マフラーが迫り出し、大規模魔法使用によって生じた熱気を、スチームのように

排出。それはまるで主の為に勝ち鬨を上げているかのようだった。

 その瞬間、フェイトは己の勝利を確信した。

(それにしても、変な暴走体だった…)

 ──マタドールと名乗ったあの暴走体。人語を理解し、確固たる自我まで持ち合わせていた。

 通常の暴走体とは、明らかに異なるイレギュラー…

 もっとよく調べてから封印するべきだっただろうか?

 フェイトの脳裏にそんな疑問がよぎったが、すぐにかぶりを振ってそれを否定した。

 自分が命じられたのは、ジュエルシードの回収。

 それが優先事項であり、余分、余計、無駄だ。

 こんな出来事は、ジュエルシードを持って行く時にでも、ついでに伝えればいいような些末事なのだから。

 そう結論付け、フェイトがジュエルシードを回収せんと、サンダースマッシャーの衝撃で未だ巻き上がる土煙の中へと進もうとした

その時──

『Master! The jewel seed monster's reaction was confirmed! enemy is still alive and well!』(マスター! ジュエルシード

モンスターの反応を確認しました! 敵生体、未だ健在!)

「!?」

 バルディッシュの発したアラートに、フェイトは即座に戦闘体勢へとスイッチを切り替える。

 油断無く魔杖を構え、周囲へ視線を走らせてマタドールの姿を探す。

 どこだ? どこにいる?

 こみ上げてくる焦りと苛立ちを抑え、彼女は周辺を見回すが、もうもうと立ち込める土煙がそれを阻む。

 フェイトはバルディッシュを己の正面に構えつつ、ゆっくりと慎重に煙の中へと踏み入った。

 その瞬間──



                                                            
「──マハザン」




 耳に馴染みの無い言葉とともに、淡緑の魔力光を帯びた十数もの衝撃波が、フェイトの脇を通り抜け、粉塵を吹き払った。

 土煙の隙間──幾分かクリアになった視界の先には、あの暴走体が一本の木の上に立ち、こちらを見つめていた。

「私をお探しかね? フェイト嬢」

 こちらをからかうような、余裕すら窺えるその言動にフェイトは驚きを禁じえなかった。

 しかし、驚嘆すべきはそれだけでない。

 彼の右手に握られた布──カポーテが元の面積よりも大きく、ゆうに二倍は巨大化し、揺りかごのような形で固定化していた。

 そしてその中には、先程プロテクションを展開した白い魔導師が優しく抱きとめるような姿でおさまっていた。

 気を失っているのか、白い魔導師は瞳を閉じて身動きも無い。それはつまり──

「あんな僅かな時間で、バインドの解除だけじゃなく、あの娘を助けてサンダースマッシャーを回避した…でも、一体どうやって…」

 マタドールの想像を絶する回避行動を前に、フェイトは即座に攻勢に出ることを躊躇った。

 謎の回避法、先程の未知の魔法(?)…敵の戦法、手札がまるで読めない。

(どうする…?)

 バルディッシュを握る手に、無意識に力を込め思案するフェイト。

 そこへ──

「しかし、先程のバインド…どうやら貴女は勘違いをしているようだな?」

(勘違い…?)

 どういう意味だ?

「フェイト嬢。君が私の両手を拘束したのは、彼女のバインドを破壊したようにして逃げられぬよう、手段を封じる為だったのだろう?」
 
 言いながらマタドールは、カポーテの中で眠る少女を顎で示す。

 …その通りだ。攻撃、防御の両面を塞いだ後に、大威力の砲撃魔法での封印。

 作戦には何の問題も無かった筈だ。カポーテも剣も使えなければ、マタドールは打つ手が無い。

 その筈なのに──

「そこがそもそもの間違いなのだよニーニャ。そもそも、私が身に付けている服も、カポーテも、道具ではなく私の体の『一部』

なのだよ。このように──」

 マタドールの言葉に応じるかのように、カポーテの端が僅かに枝分かれして鞭のようにしなり、土煙と同様に宙に舞う木の葉を、

両断して見せた。

「手足の延長、武器としての応用も可能という訳だ」

 得意満面といった様子で説明するマタドールに対し、フェイトは苦々しい表情を作る。彼女は失念していたのだ。

 意思疎通が可能であった為に。

 人骨とは言え、人型であったが為に。
                                                              

 先入観にとらわれ、無意識の内にジュエルシードモンスターではなく、人を相手にするような戦法を取ってしまっていたのだ。

「ところで、フェイト嬢。今のこの私の『手』を見て、何も思わないのかね?」

「手…?」

 言われてフェイトは、くゆる土煙の隙間から覗くマタドールの左手を見やり──

(……無い!?)  
                                                    
 それを認識した瞬間、背筋に走った悪寒に全身が総毛立つ。
                                                            
「気付いたかね? そら、後ろだ。気を付けたまえ」

『Master!』

 嘲るようなマタドールの声と、バルデッシュの警告がフェイトの耳に響く。 

 しかし、それよりも速く彼女は動いていた。



                                                            
 積み上げた知識が──




 重ね上げた経験が──




 彼女の才能が──




 フェイト自身が考え、動くよりも速く、最良の行動という解をはじき出していた。 

「はあぁぁっ!」

 フェイトは瞬時に腰を捻り、サイズフォームへ切り替えたバルデッシュを、後方へ向け横一閃に薙ぎ払う。

 その刹那、柄を通して両腕に伝わったのは、痛みにも似た衝撃と硬い感覚。そして同時に、耳障りな金属音が鳴り響いた。

 彼女の大鎌が、背後から迫った「なにか」を弾き飛ばしたのだ。

 両手両耳を襲った不快感に、僅かに顔をしかめるも、フェイトは攻撃を防いだ飛来物の行方を追う。

(っ!? やっぱり、さっきの剣…!)

 空中で回転し、弧を描いて飛ぶ「なにか」──マタドールの剣を目にし、己の予感が正しかったことを、

フェイトは改めて認識した。

「戻れ、エスパーダ」

 マタドールの呼びかけに応じ、剣──エスパーダは慣性も重力も無視し、大きく不自然な軌道で宙を舞って己が主──否、『本体』の

元へと飛び、天へ掲げられたその左手へとピタリと納まる。

(やはり、アレも体の『一部』…でも、まさか遠隔操作まで可能だなんて…)

「良い反応だった。術師の類は総じて白兵戦を苦手とするものと考えていたが…認識を改めねばならんようだな」

 感心の声を上げながら、マタドールは楽しそうにカタカタと顎骨を鳴らして笑う。

「さて、まだ続けるかね? ニーニャ」

 片手をふさがれているというのに、マタドールは余裕の色を滲ませ、フェイトに問う。

(…どうする?)

 そう自問し、フェイトは思考を巡らせる。

 マタドールはあの白い魔導師を抱えたまま──つまり、カポーテは封じられた状態ということだ。

 防御が手薄になっている今ならば、封印も容易なのでは? と考えるが同時に異議も出る。

(あの余裕は何? まだ何か隠している技や能力がある…?)

 嘘(ブラフ)なのでは? と考えマタドールを見つめるが、人あらざる骨面を窺ったところで、虚実を見抜くことなどできようも無い。

(…ジュエルシードは一つは確保できた。無駄足じゃない)

 まだ未回収のジュエルシードもある。ここは戦力を整えて出直す方がいい。

 考えをまとめたフェイトの行動は迅速であった。

「次は、負けない…」

 そう言い残して斬られたマントを再構築。それを翻しながらマタドールたちに背を向けると、自身のホームへ帰還する為に、市街地の

方へと飛び立った。 



                                



 令示視点




「退いたか…」

 彼方へと飛び去って行くフェイトの姿を見ながら、俺はポツリと呟いた。

「れ、マタドール! なのはは大丈夫!?」

 木の下よりユーノの声が、俺の耳に届いた。

 カポーテでなのはを包み、抱えたままで、俺は樹上より跳び、ユーノの前に降り立つ。

「安心し給えニーニョ。彼女は気を失っているだけだ、大事は無い。この程度で済んだのは僥倖であろうな」

「そ、そっか…よかった」

 俺の言葉に安心したのか、大きく息を吐くユーノ。

「そういう貴公こそ怪我は無いのかね? 先刻の砲撃魔法は、地面を抉る程強力な一撃だったが?」

「あ、うん。僕の居たところには届かなかったから、問題無いよ」

 ユーノも大事は無いということで、とりあえず俺は安堵した。

 …正直、綱渡りのような戦闘だった。

 なにしろ、悪魔の攻撃には非殺傷設定などという、「生ぬるい」機能は存在しない。その殆どが殺し技だ。

 それ故に、手加減、力加減を僅かでも誤ればフェイトを殺しかねなかった。

 マントを斬った一撃は、正真正銘の警告だったからよかったものの、エスパーダの遠隔操作は、はっきり言って冷や汗ものだ。

 一歩間違えれば、フェイトを串刺しにしてしまうような危険な一撃だった為、刃の方ではなく、柄の方を彼女に向け射出。

 更にはその前に、後方から攻撃が来ることを匂わせ、直撃は避けられるように配慮もした。

 それとは裏腹に、こちらが手加減しているとは悟られないよう、余裕を以ってフェイトに相対し、彼女を試すような言動で立ち

振る舞わねばならず、胃袋が痛くなりそうだった。

 しかしまあ、その甲斐もあって、どうにか原作に近い形で戦いを終わらせることができた。

 さて、では残った問題は一つ──なのはと、俺のことだ。

 …正直、どうしたらいいのか、皆目見当もつかない。

 そもそも、俺はこの娘とどういう関係を結ぶべきなのだろうか?

 友達? 仲間? 他人? 敵? それとも──

「あの…どうしたの?」

「ん? ああ…すまぬ、少々考え事をしていてな」

 なのはとどう接するかという、思考の海に埋没していた俺は、ユーノに話しかけられ我に返った。

 …まずはなのはの手当てが先だ。俺は頭を切り替え、カポーテの中で気を失ったままの彼女に向けて手をかざし、意識を集中する。

「──メディア」

 言葉に応じて顕現した、白く柔らかい光が俺たち三人を包み込んだ。

「これって回復魔法!? こんなものまで使えるなんて…」

「ふむ。やはりできたか」

 ユーノの驚きの声を聞きながら、俺は一人納得の呟きを漏らす。

 本来の魔人マタドールは回復魔法を持っていない。

 俺が『真Ⅲマニクロ』の邪教の館で生み出した際、合体継承でメディアを所持していたので、「ひょっとしたら」と思い、「できる」

という意志を以ってやってみた結果、上手くいったという訳だ。

 もっとも、非殺傷設定の攻撃でのダメージである為、これがどの程度の効果があるかは未知数なのだが…

「う、ううん…」

「っ!? なのは!」

 程なくして光が消えると、効き目があったのか、なのはが寝返りをうって声を漏らす。

 それに気付いたユーノが、慌てて彼女の肩に飛び乗り、声をかける。

「ん、あ…アレ? ゆーの君?」

 彼の呼びかけに反応し、ゆっくりと眼を開いたなのはは、眼前に居るパートナーの姿を捉えて不思議そうに首を傾げる。

 …どうやらまだ現状を把握できていないらしい。

「眼が覚めたかね? ニーニャ」

 俺はなのはから見て、なるべくこちらの顔が見えないように気をつけながら話しかけた。

 寝起きに髑髏面のドアップは、小学生女子には刺激が強すぎる。

 また気を失ったり、パニックになられても困るので、こうした配慮をした次第である。

「マタドール……さん? ──っ!? けがは無い!? 大丈夫!? あ、あの娘は!?」

 俺を見て数瞬の後、我に返ったなのははカポーテのゆりかごから飛び降り、俺の傍に寄って矢継ぎ早に質問を投げかけてきた。

「まずは落ち着き給え。──順を追って説明するからさ」

 俺は彼女を片手で制して宥めつつ、変身を解除。元の姿に戻った。

「さて、どこから話したらいいものか…高町はどこまで覚えている?」

「えと、あの娘の魔法を防いだところまで、かな…」

「じゃ、そこから説明しよう。あの時、俺はカポーテを使ってあの娘のバインドを破壊、そのまま目の前の高町をかっさらって、

砲撃魔法の射線上から逃げたんだ」

 その言葉に、なのはは表情に不可解の色を滲ませた。

「え? でも両手とも動かせなかったんじゃ…?」

「カポーテはただの道具じゃない。マタドールの体の『一部』、手足の延長のようなもんだ。手元を封じられた位じゃ、動きの阻害にも

なりゃしない。本気で捉えるつもりなら、カポーテ全体を捕まえなきゃ止めることなんて不可能さ」

「そう…」

「で、あの娘もとりあえず今回は俺のジュエルシードを諦めたようで、そのまま帰ったみたいだ──って、どうした、高町?」

 一通り経緯を説明したところで、俯き沈黙するなのはの異変に気が付き、声をかける。

「私、全然駄目だね…御剣君を、マタドールさんを助けるつもりだったのに、また迷惑かけて死んじゃうような危険な目に遭わせた…

ほんと、何やってるんだろ…」

 それは、まるで自分自身に言い聞かせるかのような呟きだった。

 その表情に感情の色は無い。しかし俺には、なのはが泣いているように思えた。

「なのは…」

 心配そうに見つめるユーノも、どう話しかければいいかわからないようで、口を噤み、押し黙ってしまった。

(強迫観念か…)

 ──それは、俺が利用しようとしたなのはのトラウマ。

 孤独の中から生まれた、過剰なまでの自分自身への戒め。

「いい子」でいなければいけない。

 今は家族みんなが大変なんだから。

 一人きりでも我慢しなくちゃいけない。

 彼女の中に意識レベルで刷り込まれたその想いは、「殺人」という人として最大級の禁忌を犯しかけた自分を、今まで以上に強く

縛り付けているのであろう。

 お茶会の席での強い拒絶。

 己の身を省みないフェイトとの戦闘。

 しかしそれでも、結局また俺を巻き込み危険にさらしてしまったと考えて、なのはは更に大きな自責の念に駆られているのだろう。

 だが──

「そんなことはないさ」

 俺は彼女のそんな思考を、真っ向から否定した。

「──えっ?」

 俺の言葉に驚き、顔を上げるなのは。

「あの時、高町が砲撃魔法を防いでくれたから、俺はその隙にバインドを破壊して逃げられたんだ。全然、駄目なんかじゃない」

 俺はなのはを正面から見つめながら、そう断言した。

「で、でも! 私が防いだのなんて、何秒か位だよ!? そんな短い時間じゃ意味が無いよ!」

 が、なのはは俺からの評価に納得いかないようで、強い語調で食い下がる。

「その何秒かのおかげで助かったんだよ。戦場じゃたったの数秒が生死を分け、勝敗を決する。たったそれだけの時間を稼ぐことは大変な

大仕事なんだ。もしあの時に高町がいなかったら、俺は焦ってまともにカポーテを動かせなかったかもしれない」

 これは、俺の偽らざる本音だ。

 如何に魔人の力を持つとはいえ、俺にはまともな実戦経験がない。(これまでの変身の際のものは、そもそもレベルが違いすぎるか、

俺に戦闘の意志が無いものだったので、実戦とは言えない)不測の事態に陥った際、十全に力を発揮できるかと問われれば、俺は「YES」

とは答えかねるだろう。

 この程度のキャリアしか持たない俺が、フェイトのサンダースマッシャーに単体で対応できたか、甚だ疑問である。

 だから思う。あの時に──

「あの時に高町が守ってくれたから、俺は助かったんだよ。だから、ありがとう高町。君のおかげで俺は、御剣令示は命を救われた」

 そう正直な気持ちを込めた言葉とともに俺は襟を正し、なのはに深々と頭を垂れた。

「あ──」

 吐息とともに漏れた声が一つ。

 頭を上げた、眼前の少女へ目をやると、呆けたように俺を見ていたその双眸から、堰を切ったようにポロポロと大粒の涙が

零れ落ちていく。

「う、ああ…うっ…あり、ありが、とう、ありがと、う……!」

 両手で顔を覆いながら、なのははつっかえつっかえに感謝の言を口にする。

 それは、誰への謝辞だったのであろうか。

 対面しているのは俺だが、その言葉が単純に俺に向けられたものだとは、思えなった。

 しかし俺にはなのはのその声に、自分の行動が決して無駄ではなかったという事実への、喜びがあるような気がした。








「ご、ごめんね二人とも、急に泣き出したりして…」

 時間にして数分程だろうか。

 一通り泣いて、落ち着きを取り戻したなのはだったが、泣き止んだら泣き止んだで今度は恥ずかしくなったようで、やや頬を紅潮させて

俺とユーノに謝罪をする。

「なのは、僕たちは気にしていないから。ね?」

「ああ。だから高町も気にすんなって」

 俺もユーノも、互いの意見に頷きながら言葉を返す。

「…うん。二人とも、ありがとう」

 そう言ってなのはは俺たち二人に向け、陰の無い、向日葵のような暖かな笑顔を向けた。

(うっ…)

 しかし、その魅力的と言える笑みに対して俺が感じたのは、何とも言えない気まずさだった。

 少し前まで「アレ」や「コレ」を考えていた相手に、そんな含む物のない無防備な姿を見せられると、どうにもなのはの顔を直視する

ことができず、俺は頬を掻きながら彼女から目を逸らし──

「…なあ高町、スクライア。提案があるんだが…」

 その場の空気を換える為、新たな話題を口にする。 

「ジュエルシードの回収、俺も参加させてくれないか?」

「──っ!? ダメ!」

 俺がその希望を口にした途端、なのはは笑みを消し、眉を吊り上げ、拒絶の意を叫んだ。

「危ないよ御剣君! またさっきの娘が来たら、今度こそ封印されちゃうかもしれないんだよ!?」

「ちょ、ちょっと待て高町、俺も考え無しでこんなこと言っている訳じゃないんだよ、話を聞いてくれ!」

「……う~…」

 なのはは渋々、本当に渋々といった具合ではあるが、どうにか引き下がって俺の言葉に耳を傾ける態勢をとってくれた。

「高町の言った通り、俺の体はジュエルシードで維持されている。封印魔法を喰らえばひとたまりも無いだろうよ」

「? じゃあなんで協力なんて言い出すんだい? そんなことをすれば余計に危ない目に遭うのに…」

 腑に落ちないといった感じでユーノは首を傾げる。

「回収の駄賃代わりにジュエルシードをいくつか──二つか三つ位貰いたいんだよ。俺自身の強化用に」

「そんな! これ以上強くなってどうするつもり!?」

『語弊があったな。主の言う強化とは保険のことだ。一つのジュエルシードが封印されても、残りの魔力供給で命を繋げることができる。
 現状、綱渡りに等しい主の生命活動には、予備のジュエルシードはなくてはならないものなのだ』

 驚き、疑問の声を上げたユーノに答えたのは、俺ではなくナインスター。

『それに、フェイト・テスタロッサは主へ「次は負けない」と宣言した。彼女との再戦の確率が高い以上、それに備え弱点の補強を

行うは定石であろう』

「フェイト・テスタロッサ…?」

 顔に疑問の色を浮かべるなのは。ああ、そう言えばまだこの時点じゃ名前を知らないんだっけ。

「あの黒い服の魔導師だよ。さっき戦った時に、お互いに名乗った」

 まあ、俺は本名じゃなくて悪魔名なんだが。

「で、でもやっぱり危険だよ! 変身しなければジュエルシードの反応は出ないんだから、人間の姿のままでいれば、あの娘──

フェイトちゃんにだって見つからないし、安全だよ!」

 確かにそういう考えもあるだろう。しかし──

「まあ、誤魔化すことはできると思うけど、何かの拍子で──事故とか事件に巻き込まれて変身しちまって、感知される可能性もあるし、

あの娘が俺を探し出す為に、強行策を取るってこともありうるぞ?」

「それは……──っ! じゃ、じゃあ私が持っているジュエルシードを御剣君に渡せば──」

「それはダメだ」

 名案とばかりに喜色を浮かべるなのはの提案を、一蹴する俺。

「えっ!? ど、どうしてっ!?」

「ジュエルシードを貰おうとしている俺が言うのもアレだけどさ、それは高町が苦労して回収した物だし、第一スクライアの物だろう?

それを君の一存で渡していいのか?」

「そ、それは、そうだけど…」

 なのはは俺の言葉に反論できず、助けを求めるかのようにユーノへ視線を送る。

「う゛っ……」

 懇願するかの如き彼女の視線に、フェレットは気まずそうに後ずさる。

 まあ、そりゃいくらなのはのお願いでも、折角拾い集めたジュエルシードをあげよう、なんてすぐ言える筈無い。

 とは言え、なのはも危険を覚悟で回収作業を手伝ってくれてる訳で、ユーノとしても頭ごなしにその希望を断るのも、

気が引けるのであろう。

「それに、仮にここでジュエルシードを貰っても、俺は二人を手伝うぞ?」

 義務と恩義の板ばさみになっているユーノが気の毒なので、俺は助け舟を出した。

「ええっ!? どうしてっ!?」

 それじゃ意味が無いとばかりに噛み付いてくるなのはに、俺は笑いながら返事をする。

「さっきの砲撃魔法で、この前の『貸し』を返してもらったんだ、この上苦労して手に入れたジュエルシードを貰っちゃあ、そのまま

「ハイさようなら」なんて言えないだろ? 今度は俺が貸しを作っちまったことになる」

「あ──」

 先日の家でのやり取りを思い出したのか、なのはは目を丸くして、俺へ詰め寄っていた動きを止める。

「で、でもあれは──」

「高町は『俺がヤバイ時とか、困っている時に助けてくれ』って言ったあの時の約束をしっかり守ってくれただろ? 自分の体まで

張ってさ。だから、この場でジュエルシードを渡すって言うのなら、報酬の前払いってことで手伝うぞ、俺は」

 なのはに二の句を言わせず、俺は自分の意を通す。

「…わかった。手伝って貰うよ」

「っ!? ユーノ君!?」

 俺の頼みを聞き入れたユーノに、なのはは非難混じりの声を上げる。

「なのは。どう言っても令示は僕たちを手伝うつもりだよ。…彼をこんな体にしちゃったのは僕の責任だ。そのせいで死ぬ危険が

あるって言うのなら、何とかしなくちゃいけない…」

「ユーノ君…」

 俯き、重い口調でそう告げるユーノに、なのはは反論することができない。

「それに、連日の回収でなのはも疲れが溜まっている。正直、彼が手伝ってくれるというのなら、こちらも助かる」

「それは……」

 完全に逃げ道を封じられたなのはは、沈黙をする。

 …これでいい。これでナインスターが当初言っていた『原作への積極的関与』が容易になったか…

 身の振り方や保身が、重要であるという考えに変わりは無い。

 しかし、原作には無いイレギュラーが、『俺』という因子が生み出したイフが、この娘を危険にさらすという可能性がある。

 先程のフェイトとのやり取りが、正にそれだ。…下手をしたら最悪の事態もあり得る。

 そうならないように、気を付けなくちゃならない。もしなのはが死亡するなんてことになったら、罪悪感で死にたくなる。

「決まりだな。それじゃ、今後ともよろしく──」

「御剣君っ!」

 経緯や今後のことはさて置いて交渉は成功した。そう思い、二人に改めて挨拶をしようとしたその時、なのはが俺を見つめながら

叫びを上げた。

「な、何?」

 その有無を言わせぬ気迫に、思わずたじろいてしまう俺。

「そ、その…無理しちゃダメなんだからねっ!」

「お、おう…」

「約束…だよ?」

 言いながら、なのはがこちらへと歩み寄り、俺の右手を自身の両手で包み込んで俺を見つめる。

 直接触れられたうえに、本気でこちらを案じる視線を向けられた俺。うう、居心地が悪い…

「じゃ、じゃあそろそろアリサたちのところに戻るか。あそこで気絶している猫を、ユーノとなのはが見つけたってことにすれば、

不自然じゃないよな?」

 俺は、自分を心配してくれる彼女のその視線から逃れるように、ゆっくりと距離を取り、少し離れたところで気を失っている子猫の方を

向きながら、話題を変えるつもりでそう言った。

 しかし──

「えっ? 今、「なのは」って──」

「っ!?」

 しまった! なのはに触れられて気が動転した! 

「わ、悪い間違えた! 急に名前で呼ぶなんて失礼だった! 気を付け──」

「い、いいよ! それで、「なのは」でいい!」

 慌てて謝罪をして、その場を取り繕おうとした俺の言葉を、なのはが遮った。

「みつ──ううん、私も令示君って呼びたい…」

 ダメ、かな…? 少し怯えるような口調でそう言いながら近付く彼女は、再び俺の手を握る。




 ──そんな風に言われて、断れる筈が無いだろうよ…




「…ダメな訳無いだろ? じゃ、俺もなのはって呼ぶな?」

「うんっ!」

「っ!? …それじゃ、スクライアもユーノでいいかな?」

 笑顔で頷くなのはを直視できず、俺は誤魔化すかのようにユーノへ話題を振る。

「うん。僕もそれでいいよ。よろしくね、令示!」

「んじゃ二人とも、『コンゴトモヨロシク』だ」

 二人に笑顔を向けながらも、俺はこの後も後ろめたさというか、馬鹿な黒歴史を思い出して──いや、『対象』となった本人と行動を

ともにする訳だから、常に頭抱えて転げ回りたくなるようなハメになるんだろうなぁと、心中で嘆息した。








第四話 愚者の英断、臆病者の勇気。(終編)








後書き

 中二的な台詞は心が昂ぶりませんか? どうも吉野です。

 戦闘シーン、なんかやりすぎちまった感があります。(ちなみに今回のマタドールの『今の一撃は忠告~』の台詞は『ARMS』の

新宮隼人の騎士、初覚醒時の台詞を参考にしました)

 今までちゃんとした戦闘シーン書けなかったので反動が出たかもです。

 戦闘シーン書きたかったんですよね。虚淵先生みたいなスタイリッシュなバトルに憧れます。

 さて、ようやくキャラの下地というか、ストーリー開始の為の準備が整ったという感じになりました。一つの節目を迎えた形ですかね。

 いよいよ次回の更新よりとらハ板に移行します。

 以前にお伝えした通り、タイトルは『偽典 魔人転生』へ変更になりますので、ご注意下さい。

 そして次は、温泉の回になります。新たな魔人も登場する予定。


 第五話タイトルは『魔僧は月夜に翔ぶ』 


 読者諸兄、マガツヒを滾らせてお待ち下さい。

 では、次回の更新で。失礼します。


 追伸
 

 劇場版『リリカルなのは』、あと『Fate UBW』観てきました。

『Fate UBW』はストーリーのカットが多くて、ちょっとダイジェストみたいだったのが残念。

『なのは』の方は、二時間で上手く詰めたなあと思いました。プレシアの心情や過去を、詳しく描いていたのも良かった…

 でも、時の庭園でのクロノの名言が無い! 戦闘シーンも話の流れも良かっただけに、ここがちょっと不満でした。

 プレシアのエピソードを今後の執筆で生かせたらいいな…



[12804] 第五話 魔僧は月夜に翔ぶ (前編)
Name: 吉野◆fe64ebc7 ID:0cde0540
Date: 2011/06/08 12:41
「令示君、よかったらどうぞ」

「あ、ありがとう…」

 森林を貫いて伸びていく山道。

 そんな車道を行く先頭のワンボックスカーと、後続の普通自動車。

 その前方の車中で、俺は後部座席に座っているすずかより差し出された箱から、礼を言いながらポッキーを一本いただいた。

 ポッキー(正確にはパッキーだかピッキーって言うパチモン臭い名前。版権や商標と言う名の『世界の修正力』だろうか?)

をかじりながら、俺は車窓の外の景色に目をやる。

 車は坂を登り、更に緑の深い山奥へと向かっていく。

 ──そう、俺は現在月村家と高町家+アリサ、ユーノの温泉旅行に同行中なのである。しかし…

(どうしてこうなった…)

 心中で俺は呟きを漏らす。

 そもそもの始まりは、月村家でのお茶会から数日後。

 夕食の後、我が家にかかってきた一本の電話が、全ての発端だった。

 電話の相手──すずかから、「今度の連休に一緒に温泉に行きませんか?」と言う旨の連絡が来たらしい。

「らしい」というのは、その場で電話を取った母さんが即OKを出し、俺の預かり知らぬ間に参加が決まってしまったからだ。

 その間に風呂に入っていた俺は、その後に母さんから話を聞き、当然の事ながら驚きの声を上げる破目になった。

 しかし、「令示がお友達と旅行♪」なんて妙に大喜びしている母さんに「行きません♪」などと言える筈もなく、初顔合わせの高町夫妻

と美由希さんと挨拶を交わした後に、こうしてなのはたちとともに温泉へと向かう車の中で、席を同じくしていると言う訳である。

 実は温泉には向かうつもりだったのだが、俺は単独行動がとりやすいように、夜中にマタドールに変身して自力で乗り込む計画を立てて

いたのだ。が、しかし、それは初っ端から頓挫した。…まあ、これに関してはどうでもいいのだが──

「はぁ…」

「令示君大丈夫? 乗り物酔い?」

 思わず出た溜息を見て、すずかが心配そうに俺に尋ねてきた。

「あ、いや、大丈夫大丈夫。問題無いよ」

 俺はハッとして、笑顔を向けながら彼女へ手を振る。

「気分が悪いのなら、車を止めて少し休もうか?」

「無理しないでいいのよ?」

「あ、お気遣い無く。本当に大丈夫です。ちょっと考え事していただけですから」

 運転席と助手席から、士郎さんと桃子さんが俺を気遣ってそう言ってくれたが、本当に気分が悪い訳ではないので、その申し出を丁重に

お断りする。

「何よ、心配事でもあるの?」

 俺の台詞を聞いたアリサがそう尋ねる。

「あー、うん、まあそうだな。旅行に来られなかった母さんの事が気になってな…」

 ──そう、この旅行に母さんは同行していない。仕事の折り合いが付かなかった為、我が家からの参加者は俺だけだ。

 そしてこれが、俺の気が滅入る原因だったりする。

「うちの母さんはさ、あんまり体が丈夫な方じゃないんだよ。だからこういう旅行になら、俺よりも母さんにこそ参加してもらって、

しっかり体を休めて欲しかったんだけど…」

 産後の肥立ちが良くなかったのか、元からの体質なのか。昔から母さんの体はお世辞にも強いと言えるものじゃなかった。

 だというのに、家長としても母親としても人一倍責任感が強い為、放って置くと際限無く無理をするのだ。

「青い顔で家事をしようとするのを、何度止めたことか…」

 そうぼやきながら、過去に思いを馳せる。

 思えば、俺が魔力ゼロだと知る以前から積極的に家事を手伝っていたのは、これが大きな原因だった。

 いくら「ハーレム」なんて馬鹿な考えを持っていた俺でも、今にも倒れそうな母親を放置できる程外道じゃない。

 幸い、大検を目指す以前から、普通に学校の勉強と宿題はこなして成績の維持はしていたので、「学力」を理由に家事を

止められる心配は無かった。

「つまり、あんたはお母さんの方が疲れているのに、自分だけが温泉に行って気が重い。そういうこと?」

「うん、まあ、そうだな…」

 アリサの問いに、俺は言葉を濁しながら頷く。

 アリサの言った事も当たってはいるのだが、それが全てではない。もう一つ大きな理由がある。それはこの旅行の費用だ。

 お世辞にも良好とは言い難い我が家の経済的事情で、俺一人だけ旅行に行くというのが、どうにも心苦しいのだ。

 母さんは金銭面や良識に関してはかなり厳格なので、旅費を他人に払って貰うなどということは、「下品」と断じ、絶対にやらない。

 国内の旅行は為替のレートとかの関係上、海外よりも費用がかかることが多い。

 近場の温泉とは言え、アニメで見る限り結構な大きさの旅館だったので、どの位宿泊費を取られるのかと思うと、気が気じゃない。

 それとなく、「お金大丈夫? 無理しなくていいよ?」と、言ってみたりしたのだが、「大丈夫よ。子供はそんな心配しなくて

いいから、しっかり楽しんできなさい」と、やんわり返され、のれんに腕押し状態。

 自分の預かり知らぬ水面下でやり取りされる金額が脳裏にチラつき、気もそぞろという訳で──

「ていっ!」

「あだっ!?」

 眉を寄せ、渋面で思い悩んでいたところに、いきなり俺の脳天へ衝撃が走った。

「何辛気臭い顔をしてんのよ、アンタは」

 頭を押さえながら後方を向けば、手刀を構えたアリサが呆れたような表情で俺を見ている。…どうやら先程の痛みは、彼女のチョップ

だったらしい。

 アリサは驚く俺にお構い無しに、腕組みをしてこちらに視線をやりながら口を開く。

「大体ね、令示のお母さんはアンタに楽しんで欲しくて、この旅行に行かせてくれたんでしょう? なのにそのアンタがそんなつまらな

そうな顔してちゃ、お母さんの行動が全部無駄になるじゃないの」

「む──」

 …返す言葉が無い。

 母さんが無理してこの旅行の費用を捻出してくれたのは、考えるまでも無いだろう。

 だというのに、俺がこの旅行を楽しめなかったら、それこそ金をドブに捨てるようなものだ。

 いや、それだけじゃない。同行している人たちもこんな陰気な奴が傍に居たんじゃ、気分がいい筈が無いよな。

「…うん、アリサの言う通りだな。──よっし! 気持ち切り替えて思い切り楽しむか!」

 俺は頭を軽く振って、後部座席へ笑顔を向けると、なのはとすずかが満足そうに頷いて微笑み返してくれた。

「うん。その方が綾乃さんも喜ぶと思うの!」

「温泉でのお話、沢山してあげたら嬉しいんじゃないかな?」

「…ふん。全く、せっかくのお出かけなんだから、面倒かけないでよね…」

 アリサのみ、そっぽを向いての憎まれ口。どう見てもツンデレです。本当に(ry

「ああ、全く駄目な奴だよ俺は」
 
 言いながら、俺はアリサを見つめる。

「な、なによ…」

 怪訝な様子で彼女はこちらへ目をやり、俺を見る。

「いや、さっきの指摘がなかったら、母さんの好意をふいにするところだった。アリサみたいな優しい娘が友達でよかったよ」

「なっ!?」

 俺の言葉を聞き、アリサの顔は見る見るうちに赤く染まっていく。

「なななな、なにいってるのよあんたわ!?」

 おおう。予想通りのテンプレ反応どうもありがとう。それを見て俺の中の悪魔(ペルソナ的な意味で)が、悪戯心を働かせる。

「何って、感謝だよ。アリサ、優しい心遣い本当にありがとう」

 一切目を逸らすこと無く、真剣な面持ちでアリサを見つめながら俺は感謝の言葉を述べた。

「お、お礼なんかいいから! もう前向いてなさいよ!」

 林檎の様に顔を紅潮させ怒鳴るアリサに、「ハイハイ」と言いながらおとなしく彼女の言葉に従い、正面を向く俺。フフフ、これだから

ツンデレ弄りはやめられん。

 あ、感謝してるのは本当だぞ? アリサに言ったことだって本心だし。

 でもまあ、あんな彼女の様子を見て、ムクムクと悪戯心が芽生えてしまうのは仕方の無いことだろう。

 ──そう、『ソウルハッカーズ』の獣系悪魔との交渉で、「オレサマ、イクラデモイイ」という発言に沿って、五円とか、MAG三つ

とか支払って、「オマエフザケルナ!」とわざと怒らせてからかう様に!






 …とまあ悪ふざけはこの位にしておこう。

 旅行をしっかりエンジョイする気にはなったが、今回はフェイトの他にアルフが出張ってくるんだ。どうするべきか…

 前回の戦闘でこちらの手札はある程度把握されているし、何らかの対抗策を取ってくるのは間違いないだろう。

 う~ん…なのはやユーノと上手いこと連携をとって、臨機応変に動くしかないか?

 ──っと、あんまり考え込むとまたアリサにチョップを喰らっちまうな。今は温泉のことを考えるか。








第五話 魔僧は月夜に翔ぶ 前編








 紆余曲折の末、ようやく車は宿に到着した。

「…はー、やっぱり大きな」

 まさに老舗と言った佇まいの旅館、『山の宿』を俺はボーっと見つめる。

「ん? 令示君、どうかした?」

 後から美由希さんが俺に近付き、腰を屈めて顔を覗き込んできた。

「いえ、想像以上に大きい旅館だったんで驚いたんです」

 やっぱブラウン管(当然アナログ。地デジ? 知らね)越しに見るのと、肉眼で見るのでは全然違うもんだ。

「それで、よくペット同伴をOKしてくれたなーと思いまして…」

 言いながら、俺は美由希さんの肩に乗るユーノに目をやる。

「うーん、言われてみれば確かにそうだね…まあ、ウチのお父さんは顔が広い人だから、大丈夫だったんじゃないかな?」

 …いやいや、その位じゃ大丈夫にゃならんだろ常考。

 まあこの時勢、ペット同伴可能の宿もあるらしいし、不自然とは言い切れんが。

「ま、細かいことはいいか。ユーノ、旅館の中で粗相するなよ。主に下方面で」

《しないよっ!》

「あはは、大丈夫大丈夫。この子はすっごく頭がいいんだから。お利口なんだよ?」

 俺のからかい交じりの言葉に、念話で怒鳴るユーノと、のんびりと笑う美由希さん。──と、話しているうちに他のみんなが旅館の中

に入っていく。

「っと、まずはフロントに行かないとですね」

「うん。そうだね」

 俺たちはみんなを追って玄関の方へと足を向けた。








(さて、これからどうするか…)

 無事チェックインを終え、部屋に荷物を置くとあごに手を当て思案する。

 議題は当然この付近に落ちているジュエルシードの事だ。先程、この旅行を楽しむとは言ったものの、こればっかりは無視出来る事じゃ

ない。火の付いた火薬庫の脇で、のんびり出来る筈が無いのだ。

 いっそ先に回収しちまうか? 確かアニメじゃ落ちていたのは川の傍で、それが橋の下に流れ着いたんだっけ。という事は、橋から上流

に向かって探せば見つかるか…?

(ん~、つかナインスターよぉ、ジュエルシードを探せる探知系の能力とか、魔法って無いのか?)

(無い訳ではないな。ジュエルシード同士の共鳴反応を利用すれば、探知への応用は可能だ。しかしそれは、悪魔化してジュエルシード

を励起状態にせねばならぬ。つまり──)

 フェイトたちに居場所を察知され、急襲されるって事か…モノの位置を正確に把握していれば、マタドールに変身して、速攻かっぱら

ってトンズラかますんだが…現状じゃ探している間に捕捉される可能性のが高い。

(人間状態で地道に、川沿いに歩きながら探すしかないか…)

 面倒だがやむを得ない。俺は溜息を吐きながら思考を切り替えると、士郎さんと桃子さんにちょっと散歩をしてくると伝えた。

「そうかい。それじゃ、あまり遅くならないようにね。それから遠くに行き過ぎないように。道から外れた森の奥とか、山とか森の奥とか

にも行っちゃ駄目だぞ」

「川に入るのもダメよ。深いところとか、流れが速いところがあったりして危ないからね」

 …いや、わかるよ。二人はこの一行の年長者で、旅行の責任者なんだって。

 しかし、この子供に言い聞かせるような口調は、複雑な感情を抱かざるを得ない。

 士郎さん、桃子さん。俺、貴方たちより年上なんですよ? 

 などと二人に言える筈も無く、俺は出来るだけ子供らしく「はい、わかりました」と素直に返事をして、部屋を後にした。








 フロントで旅館周辺の地図(ハイキングコースの見取り図)を貰った俺は、まずはアニメに登場した橋へ向かおうと外へ出た。

「さてと、んじゃ一つ気合い入れて探しますか──っと、アレ?」

 呟きながらポケットに捻じ込んでおいた地図を広げたその時、進行方向──林道の中でユーノを肩に乗せ、大きく伸びをするなのはの

姿が俺の目に飛び込んできた。

(ジュエルシード探しの件、一応伝えておくべきか…?)

 数秒考えた後、やっぱりそうするべきだなと思った俺は、地図をしまい二人の背中に声をかけた。

「おーい。なのはー、ユーノー」

「あっ、令示君!」

 俺の声に気が付いたなのはは嬉しそうに、トトトっとこちらへ駆けて来る。

 ぴょこぴょこと、ツインにした彼女の髪の房が上下する様子を見ながら、犬が尻尾振ってるみたいだなと、益体も無い事を考えて

いたその時──

「あっ!?」

 舗装の無い、剥き出しの路面の凹凸に足をとられ、なのはの体が前方に傾いていく──

「って、ヤバっ!?」

 俺は反射的に前へ跳び、両手を広げてなのはの体を抱き止めた。

「うにゅっ…!」

 慣性によって俺の肩に顔から突っ込んだなのはは、くぐもった声を上げる。

「ふう。とりあえずセーフか…」

 あのまま倒れていたら、顔から地面に突っ込んでいたことだろう。

 野朗なら(俺を含めて)一向に気にしないが、女の子が顔に傷を負うのは流石に忍びない。

「…よっと。なのは、大丈夫か? どっかぶつけたところとかないか?」

 両肩に手をやって一人で立てるように俺から離し、彼女の顔を覗き込んで異常の有無を尋ねる。

「にゃっ! へ、平気だよ、令示君が助けてくれたから。…その、ありがとう」

 俺の言葉に我に返ったなのはが、慌てて返事をした。

 上目遣いでこちらを見ながら、声が段々尻すぼみになっていくところを鑑みるに、すっ転んだところを見られたのが恥かしかった

のであろう、なのはの顔が少し赤みを帯びていた。

 その様子に微笑ましさを感じた俺は、彼女の頭をポンポンと軽く叩きながら口を開いた。

「ま、大事になんなくてよかったよ。あのまま転んでいたら、せっかくの桃子さんゆずりの可愛い顔が、とんでもないことになっていた

かもしれないしな」

 ──と、雑談はこの位にして本題に入るか。

 俺は未だに俯いたままの彼女に声をかける。

「実はさ、どうもこの辺にジュエルシードが落ちてるみたいなんだ」

「「ええっ!?」」

 俺の言葉に、目を見開いて驚きの声を上げるなのはとユーノ。

「なんでわかったの!? 令示も探索魔法が使えるの!?」

「いや、魔法じゃないんだ。俺の中にあるジュエルシードが、この辺にあるモノと共振というか、共鳴というか…そういうものを感じる

ことが出来るみたいでさ、それで気が付いたんだよ」

 慌てた様子で質問を投げかけるユーノに、俺はあらかじめ考えていたそれらしい嘘を述べる。

「大変! それじゃ早く見つけないと!」

 胸の前で両の拳をぐっと握り、真剣な面持ちでそう言うなのはに、俺は頷きを返す。

「ああ。いつ発動するかって考えたら、おちおち温泉にも入っていられないしな。さっさと回収して、ゆっくり休みを満喫するとしよう」

「うん!」

「そうだね!」

 俺の提案に二人が肯定の意を示すのを見ながら、フロントで貰った地図を再び広げて口を開いた。

「共鳴を感じたのは、この先にある川の辺りだ。細かい位置の特定までは出来なかったから、川沿いに歩いて探すしかないだろうな」

「う~ん…ねえユーノ君、私とレイジングハートでもっと詳しい場所を調べられないかな?」

 地図上を示し走る、俺の人さし指を睨みながら呻っていたなのはが、肩のユーノにそう問いかけた。

「出来ない、とは言わないけど、難しいだろうね。発動していないジュエルシードは魔力が殆ど検知されないから、感知し辛いのは

なのはも知っているよね? ここはとりあえず、令示の言った辺りを地道に探すしかないと思うよ」

「そっか…」

 確かに、探知魔法でポンポン見つかるようなシロモノだったら、回収なんぞとっくに終わっている筈だしな。

 …そう言えば、ここに来ているであろうフェイトも、アニメじゃ発見に一日がかりだったなあ。

 と、まあ、それはともかく──

「ま、気合い入れて探すとしよう。この旅行を楽しく過ごす為にもね」

 そう二人を励まし、まずはアニメでなのはとフェイトが対峙した橋を目指し、足を踏み出した。








「……見つかったよ、オイ」

「「うん…」」

 橋から上流へ向かって歩き出して十数分。

 川の縁に目を走らせながら進んでいる内に、目的のブツをあっさりと発見した。

「なんつーか、拍子抜けだな…」

 この手の探索って、大概は見つからないか、結局発動したのを力技で封印というのが、お約束だと思っていたんだがなぁ…

「そうだけど、悪いことじゃないよ。それじゃ早く回収しちゃおう、なのは!」

 ユーノの呼びかけに応じて、一歩前に出るなのは──って、アレ?

「レイジングハートは起動させないのか?」

 川の縁にはまっているとはいえ、そこは対岸だし周辺は茂みに覆われている。

 故に、デバイスを起動して飛行魔法で近付くと思っていた俺は、素の格好でジュエルシードへ右掌を向けるなのはの姿に首を傾げた。

「今回はまだ暴走もしてないし、令示に渡す物だから封印する必要も無いしね。軽い物体を引き寄せる程度の魔法なら、レイジングハー

トを使うまでもないよ」

 言われてみれば、A'S第一話でもデバイス無しで魔法の訓練してたっけ。

 強力な魔力の波動も無いから、それが呼び水になって暴走する心配も無いという事か。

 などと考えながらなのはの方へ目をやると、右手を前方に突き出したまま目を瞑り、精神を集中しているところだった。そして──

「んっ!」

 眉間に皺を寄せ、力のこもった声を漏らした瞬間、川の方から響いたカラカラという乾いた音に気付き、そちらに目を向けると、半分

埋没していたジュエルシードが、周囲の土を押しのけて浮かび上がったところであった。

 ジュエルシードは、そのまま滑るように中空を移動し、こちらへ──俺の胸の前へ来たところで、その動きを止めた。

「はい、令示君」

 デバイス無しの簡易魔法とは言え、微細なコントロールが求められるのであろう。なのはの表情は真剣そのもので、額には汗すら浮

かんでいる。

 しかし彼女は、俺に笑みを向けていた。

 それは経緯結果はどうあれ、俺の死亡する危険性を下げる事が出来たのを、心の底から喜んでのものなのだろう。

 俺はなのはに「ありがとう」と、本心からの感謝を述べ、ジュエルシードに手を伸ばし──触れる直前でその動きを止める。

(…つーか、ジュエルシードの取り込み? 吸収? っていうのはどうやってやるんだ?)

 ジュエルシードを手に取ったことや、その後の経緯は思い出せるが、肝心要の取り込み方が出てこない。

 初めてマタドールに変身した時は、無我夢中というか半狂乱で、まともな精神状態じゃなかったからなぁ…具体的にどうやったかなんて

覚えちゃいないのだ。

『ジュエルシードに触れるだけで問題無いぞ主。そうすれば後は適性因子が勝手に働く故』

 俺の意を読んで、ナインスターがそう言った。

「あ、そうなのか」

 なんだ、悩む必要なんか無かったな。

 俺は安堵の息を漏らしながら、ジュエルシードを手に取った。

 その刹那、まるで砂が水を吸うが如く、掌中に埋まっていくジュエルシード。

「うおっ!?」

「ええっ!?」

「うわっ!?」

 いきなり見せられた、なかなかショッキングな光景に三者三様の声を上げて驚く俺たち。

 つーか腕の中を通る、妙な異物感がキモチワルイ!

『うむ。ジュエルシード吸収確認』

「うむじゃねえ! びっくりすんだろうが! こんなふうに吸収すんなら最初に言え!」

『…悪魔化する人間が、この程度で驚くのもどうかと思うが?』

「ぐぬぬ…」

「ま、まあまあ、無事に済んだんだからいいじゃないか。ね?」

 ユーノが言い争う俺とナインスターの間に立って懸命に宥めてきたので、渋々引き下がる。

「まーな、一応懸案事項も片付いて、俺の対封印魔法用強化もある程度目処が立ったし、よしとするか…」

 俺はしかめっ面で、変な感覚の残る手の平をブラブラしたり、グーパーを繰り返して調子を確かめつつ、ユーノに肯定の言葉を向けた。

「それじゃ旅館に戻ろっか。あんまり遅くなるとお父さんたちが心配するし」

 被害を未然に防いだ為か、なのはが嬉しそうに幾分か弾んだ声でそう言った。

 無論、俺もユーノもその提案に反対する理由も無い。大きく頷き、三人並んで元来た道を戻り出した。

(…さて、この後は夜中のフェイト戦か。結局ジュエルシードは先に手に入れちまったし、どうするかな?)

 懸念も無くなり、楽しそうにこの後の予定を相談するなのはとユーノを眺めながら、俺は今後の行動について、一人思いを巡らせた。








「ふ~、サッパリしたな。家族風呂でも、結構広いもんだ」

《うん。気持ち良かったね》

 ユーノを肩に乗せた俺は、湯上りの火照った体を冷やそうと、中庭に面した廊下を歩く。

 ──あの後、旅館に戻った俺たち三人は「こっちこっち!」と、はしゃぐアリサに引っ張られ、浴場まで連れて行かれた。

 そう、所謂『ユーノラッキースケベイベント』である。

 ユーノを連れ、当たり前のように脱衣所へ入ろうとする、なのはたち女子三人組+忍さんと美由希さん。

 その様子を眺めながら、俺は止めるべきか放っておくべきか思案していたのだが、ユーノが捨てられた子犬のような視線と、頭が

割れるような、SOSを訴える念話を伝えてきた為、前者を選択する運びとなったのである。

「共用の浴場にペットを連れ込むのは、流石に不味いんじゃないか? 湯船に毛が入ったら怒られるよ?」と言って、俺が個室の

家族風呂で洗うという事になったのである。

「しっかし、アリサは未練タラタラにユーノを見ていたなぁ」

 俺がニヤニヤと笑みを浮かべながらそう言うと、フェレットは大きく溜息を吐いた。

《勘弁してよ。あのまま連れて行かれたら、どうなっていた事か──って、アレ? なのはたちだ。何やってるんだろう?》

 ユーノの言葉に促がされて、廊下の先へ目をやれば、オレンジ色の長髪の女性と、なのはたち女子三人組が、ただならぬ剣呑な雰囲気を

撒き散らしながら対峙をしていた。

 当然、女性の方はアルフだ。様子見をしておくかと足を出そうとしたが、彼女は高笑いを上げて去って行くところだった。どうやら

ファーストコンタクトに出遅れてしまったらしい。家族風呂と共同浴場の距離の差が出たようだ。

「な~にアレ!」

「その、変わった人だったね…」

「昼間っから酔っ払ってるんじゃないの!? 気分悪っ!」

「ま、まあまあ。寛ぎ空間だから、色んな人が居るよ…」

「だからって! 節度ってモンがあるでしょうが! 節度ってモンが!」

 なのはがヒートアップするアリサを必死に宥めるが、憤る彼女は止まらない。

「──あ、令示君こっち、こっち」

 その時、俺の姿に気が付いたすずかがこちらを向いて手招きをする。

「三人ともどうした? 今の人と何かあったのか?」

「何かあったのか? じゃないわよっ! ああもう腹立つ!」

 俺をギンッと睨みつけて、つかつかと詰め寄り、怒りをぶちまけるアリサ。

「まあ落ち着きなよ。廊下の真ん中で騒いだら他のお客の迷惑だから、歩きながら話を聞くよ」

「む~、わかったわよ…」

 俺の言葉に渋々頷いたアリサと、なのはすずかを伴い、とりあえずロビー方向へ進みながら、先程の出来事の顛末を聞く。

 三人の口から聞いた事情は、大筋でアニメの展開と同じ内容であった。アルフがなのはにイチャモンをつけて来て、睨み合った末に

誤解であったと謝り、去って行ったとの事だ。

「ふむ。それは災難だったね。でも、みんなに何事も無くてよかったよ」

 旅行先でトラブルに巻き込まれるなんて最悪だからね。俺が笑いながらそう言うと、

「不愉快な気分にされただけで十分トラブルよ!」

 アリサが不満そうな表情で口を尖らせる。

 まあまあと、俺とすずかが彼女を宥めたその時、《令示君、ユーノ君》と、なのはが念話で俺たちに語りかけてきた。

《どうしたの? なのは》

《さっきの人、念話で『お子様が危ないことに手を出すな』って…》

《っ!? じゃああの人は──》

 なのはの言葉にユーノは驚き、目を見開く。

《十中八九、あの黒い魔導師──フェイト・テスタロッサの関係者と見るべきだろうな》

《…うん。おそらくは、さっき僕らが見つけたジュエルシードを探しに、ここまで来たんだろうね》

 俺の言葉を肯定し、ここ居る理由を推測するユーノ。推測って言うかそのままなんだがな。

《じゃああの娘も──フェイトちゃんもこの近くに…?》

《ここまでくれば、居ないと考える方が不自然だな──っとそうだ、二人に聞きたい事があったんだ》

《《聞きたい事?》》

 オウム返しに答える二人。

《ああ。二人が集めたジュエルシードって今幾つあるんだ? あ、俺の中にある二つは除いて、だ》

 俺が原作に無い行動を取っている以上、なのは陣営とフェイト陣営でジュエルシードの取得数に違いがあるかもしれない。

 次元震や次元断層なんて厄介事を引き起こすシロモノである以上、むこうに多く集り過ぎるのは、あまりにも危険だ。個数はしっかり

把握しておくに越した事は無い。

《えっと、三つだよ?》

《三つ、三つか…》

 なのはの言葉に、俺は呻りを上げて思案する。

 やはり原作と個数にずれが発生している。俺の中のモノを含めればストーリー通りで、許容範囲内ではあるが、油断は禁物だろう。

そもそも、大木事件の時に拾ったジュエルシードの存在自体がイレギュラーなのだ、フェイトたちが原作を上回る数を保有している

可能性は否めない。

《あの、どうしたの? 令示君》

 俺の様子を見て、なのはが不安げにおずおずと尋ねてくる。

《──ん? ああ、海鳴市内とは言え、よく二人でそれだけ見つけられたもんだなぁって思ってな》

《うん。なのはの頑張りにはいつも助けられているよ》

《にゃっ!? そ、そんな事無いよ! 私だって二人に色々助けて貰っているし…》

 まあ、わざわざプレッシャーを与えることはあるまい。俺はその成果を適当に評価し──しかし、原作よりも回収数は少ないとは言え、

新人魔導師と負傷したサポート専門魔導師で、ここまで出来れば上々であろう──先程の態度の真意を誤魔化す。

《ま、今は何よりアリサのご機嫌をどうにかするのが先決だな。ジュエルシード云々は後で考えよう》

 ここにあったジュエルシードはこちらが抑えている以上、絶対に出し抜かれる心配は無いしな。と言い加え、なのはを納得させると、

未だ怒りが収まらない御様子のアリサをどうにかする為、彼女を連れた俺たちは土産物の売店へと足を向けた。








 ──時間は流れ、現在時刻は午後十一時。

 俺たち小学生組は、ファリンさんに昔話を読んで貰い、同室で布団に入っている。

 最初はこの部屋割りを聞いて、男女が同じ部屋ってどうよ? と思ったが、よく考えてみれば、前世の小学生時代にクラス単位で学校に

宿泊するイベントがあったことを思い出した。あれも全員で同じ部屋に布団敷いて寝たっけな。

 俺はもぞもぞと寝返りをうち、周囲に視線を走らせる。

 アリサとすずかは、すっかり寝入ったのだろう。静かに布団が上下し、規則正しく寝息を立てている。

 ちなみに俺たちは「田」の形で布団を敷いて寝ている。左上からなのは、アリサとユーノ、俺、すずか、という並びなのだが…

(まるで初号機とカヲル君だな…)

 俺の目に映るアリサとユーノの格好を眺めつつ、幸せそうに眠る彼女にバレたらブッ飛ばされること確実な、不謹慎な妄想に

浸っていると──

《…ユーノ君、令示君起きてる?》 

 少し緊張したような話し方で、なのはが念話を飛ばしてきた。

《う、うん…》

《起きてるよ》

 俺となのはが上半身を起こし、ユーノは何とか体を捻ってアリサの手から抜け出すと大きく息を吐いて、彼女の下へ歩いて行く。

《あの人と、この間の娘──フェイトちゃん。このままジュエルシード集めを続けていたら、また戦うことになるのかな…?》

《多分…》

 なのはの疑問に言葉を濁すユーノ。

《──いや、確実にジュエルシードを巡って争う事になるだろうな》
 
 が、俺はその疑問にハッキリと答える。

《令示…》

 ユーノはそんな俺を見て俯き、意を決したかのように顔を上げて口を開いた。

《なのは、令示、昼間から考えていたんだけど、令示の予備のジュエルシードも手に入れたし、ここからは僕が──》

《《ストップ!》》

 なのはと俺は同時にユーノの言葉を遮った。

《そこから先言ったら、怒るよ?》

 なのはは少し怒ったように眉を寄せ、そっとユーノの頭を撫でる。

《『ここからは僕が一人でやるよ。なのはと令示を巻き込めないから』とか、言うつもりだったでしょう?》

《うん…》

 ユーノはまるでイタズラが見つかった子供のように、ばつが悪そうに返事をした。

《ジュエルシード集め…最初はユーノ君のお手伝いだったけど、今は違う…私が、自分でやりたいと思ってやってることだから》

 そう言って微笑を浮かべてユーノを抱き上げたなのはは、彼と目線を合わせ、真剣な表情を作る。

《私を措いて、『一人でやりたい』なんて言ったら、怒るよ?》

《そうそう。俺も係わるって言い出した以上、ここで引き下がるつもりは無いぞ?》

《令示…》

《令示君…》

 こちらに視線を向ける二人へ、微笑を浮かべる俺。

《最初に言った筈だぞ? 俺は手伝いをするかわりにジュエルシードを貰うって。まだ数も足らないし、手伝いだってしていない。

これじゃお互いに契約不履行だ》

 それに、と付け加え真顔になって言葉を続ける。

《住んでいる街の中に、あんな危険なもんが転がっている以上、他人事じゃない。俺もなのはも実質当事者なんだ。ここで降りろ

なんて言わせないぞ?》

 な? となのはに同意を求めると、彼女は大きく頷いた。

《…うん。二人とも、ありがとう》

 そう答えたユーノは迷いの無い、良い顔になっていた。

《よし、憂慮は無くなったな。じゃあなのは、少し聞きたいことがあるんだが、いいか?》

《何? 令示君》

《昼間も言ったけど、あの女の人と一緒にあの娘もここに来ている筈だ。どうするべきだと思う?》

《どうするって…?》

 質問の意図がわからず、なのはは首を傾げる。

《今俺たちが取れる選択は二つある。一つは、このまま何もせず、あの娘たちを放って置く事。

 これは時間を稼げる上に疲れさせる事も出来る。運よくフェイトたちが、何日かここで探し続けてくれれば、その間に市街の方で

俺たちが優先的にジュエルシードを回収出来る──つまり、あの娘を出し抜けるという事だ。

 もう一つは、俺が悪魔化することでフェイトたちを誘き出し、戦うか、説得を行う事。

 これは相手の意図が読めない以上、決裂前提で行うようなもんだから、実質戦闘するのと変わらないと思うがね》

 俺はそこで一呼吸置いて、正面からなのはを見る。

《それで、なのはどうしたい?》

《私…私は──》

 なのはの目に迷いの光が射す。

 きっとなのはは、フェイトと話がしたいのだろう。しかし、その為には俺を囮にしなければならない。それは俺のジュエルシードが封印

される危険性が生じるという事だ。

《こ、このまま帰るべきだと思う…》

 彼女は自分の願望の為に、俺を危険にさらすのが嫌なのだろう。俯いたままそう答えた。

 俺はそれに対し──

《はい、不正解!》

 なのはに向けて両腕で大きくバッテンを作った。

《へ? ふ、不正解…?》

 キョトンとした表情で、目を瞬かせるなのは。

《俺はなのはに、『どうしたいか』って聞いたんだぜ? その答えは、なのはのやりたいことじゃないだろう?》

《そ、そんな事《なのは》──》

 慌てて言い繕おうとするなのはの声を遮り、俺は言葉を紡ぐ。

《なのははさ、俺の体を気遣ってそう言ってくれたんだろ?》

《…………》

 俺の問いに彼女は沈黙で返す。だがそれは、肯定と同義だ。

《なのはのその気持ちは嬉しいよ? けど今の俺はジュエルシードを手に入れて、封印対策は出来ているんだ。すぐやられたりしないよ》

 それに、と付け加え──

《ここで役に立たなかったら、何の為に仲間になったかわからないだろう? だから聞かせて欲しい、なのははどうしたい?》

 俺はもう一度、彼女の目を見て真剣にそう問う。

《…………私》

 なのは数秒目を閉じた後、ゆっくりと顔を上げ俺へ目を向けた。

《あの娘と──フェイトちゃんと話したい。何であんなに悲しい目をしているのか聞きたい!》

《そう、それが聞きたかった》

 月村邸でのやり取りを見なかったから、フェイトとの友達フラグが立っていたのか? もしや『俺』という存在がフラグを折ってしまっ
たのでは? という恐れがあったのだが、大丈夫だったようだ。

 俺のせいで生涯の親友を失ってしまっては、気まずさだけではすまない。罪悪感に苛まれる事になっただろう。

《ユーノはどうだ? これでいいか?》

《うん。僕としてもあの娘たちの動向や理由は気になるし、反対する理由は無いよ》

《よし、だったらやる事は一つだ。行こうか、あの娘のところに!》 

《《うん!》》

 俺の声に、二人が意を決した真剣な表情で、大きく頷いた。








第五話 魔僧は月夜に翔ぶ 前編 END








 後書き

 チラ裏からご愛読いただいている皆様、こんにちわ。とらハ板の皆さん初めまして、吉野です。

 ようやっとチラ裏からの移転です。コンゴトモヨロシク。

 さて、ようやく新たな魔人登場かと思ったのに、またもや中断で申し訳ありません。

 思った以上に日常パートが長引いてしまいました…

 しっかし、日常パートは苦手です。戦闘シーンだとアドレナリン出まくりなのに。

 では今日はこの辺で失礼します。次回こそ木乃伊坊主を…



[12804] 第五話 魔僧は月夜に翔ぶ (中編)
Name: 吉野◆fe64ebc7 ID:0cde0540
Date: 2011/06/08 12:41
 中天に懸かる満月の淡い輝きが、闇を照らして夜道を蒼く染め上げる。

 鬱蒼とした森林の中を貫く小道を駆るは、三つの人影。

 バリアジャケットを展開した高町なのはは、ユーノ・スクライアとともに先頭を行く御剣令示の背を追う。

 三人の目的は一つ。

 自分たちと同じように、ジュエルシードを狙う謎の魔導師──フェイト・テスタロッサと会い、彼女の目的を知る事。

 だが、それは本来は取る筈の無かった行動──なのはの希望にすぎなかった選択肢であった。

 当然だ。如何に日中に新たなジュエルシードを手にし、強化を成したとは言え、封印魔法は令示の命を奪う可能性を孕んだ危険な物

なのだ。彼に対してその魔法を行使するであろう相手に「会いに行こう」等と、言える筈も無かった。

 しかし──当の令示自身が、その行動を容認したのである。

 本当に驚いた。自分が隠していた気持ちを、彼は見事に見抜いたのだ。

 不思議な子だなと、なのはは思う。

 二度も命を奪いかけた自分を許し、助け、守ってくれた事。

 そしてそれを差し引いても余りあるこちらへの気遣いと優しさ。

 とても同い年の少年とは思えぬ程だ。

 なのはが知る、同年代の男の子と言えば大声で騒いだり、乱暴な言動をするような子ばかりだ──無論、男子の中にもいい子や

おとなしい子、大木事件の少年のようにませた子もいるが──そうした男子たちと比べて御剣令示という少年は、異彩を放っていると

言える位、大人びた少年であった。

 時々、こちらをからかうような言動はあるものの、基本的に女の子に対する気遣いを忘れず、どこか『大人の余裕』すら窺わせる。

そういう点では、性格や見た目は異なるが父や兄に似ているなと、なのはは考える。

 そう、昼間転びそうになった時に助けてくれた、令示の言動など特に──

(~~~~~~っ!)

 そこまで考えて、なのはは昼間の出来事を思い出し、自分の顔がかあっと熱くなるのを感じた。

 抱き止められた時、勢いあまって令示の肩に顔をうずめてしまった事。

 傍から見れば、抱き合うような格好ではないか!

 なのはは幼少期のトラウマも相俟って、両親にさえベタベタと甘える事を、無意識の内に自重している。

 それが血の繋がりも無く、ましてや異性との密着など、経験がある筈も無い。

 しかし、たとえ異性とは言えど、これがただの同級生や知り合い程度の関係であれば、あそこまで気が動転する事も無かったであろう。

 だが、良くも悪くも御剣令示という存在は、高町なのはの心中で大きなウエイトを占める人物の一人だ。それも、単なる友人とは

言えぬ位、極めて複雑な縁に結ばれた関係である。




 ──自分が命を奪いかけた被害者。




 ──それなのに、自分を助けてくれた恩人。




 ──一緒にジュエルシードを探す仲間。




 そうした様々な事情が、なのはの心の中を入り乱れ、複雑な想いとなっていた。

 ──と、その時。

「…のは! おーい! なのは! 大丈夫か?」

「ふぇっ!? えっ!? えっ!? あ、な、何?」

 持て余していた胸中の想いについて考察していたなのはは、前方よりかかった令示の呼びかけに我に返り、素っ頓狂な声を上げた。

「いや、さっきから難しい顔してるからさ、気になってな…大丈夫か?」

「う、うん、大丈夫大丈夫! ちょっと考え事していただけだから!」

 自分の思案を見抜かれるような気がして、なのははわざと大きな声で返事をして、その場を誤魔化す。

「ん~、まあフェイトとの話し合いを前に緊張するのはわかるけど、こんな夜道で足元に注意しないのは危ないから、それだけは

気をつけてな?」

「うん、ありがとう…」

 なのはは礼を返しながらも、令示が自分の懸念する事柄を勘違いしてくれた事に、内心で安堵する。

 そうこうしている内に視界が開け、日中に訪れた橋が彼女の目に飛び込んできた。

「──ふむ。この辺でいいか」

 そう言いながら令示は橋の傍で足を止め、なのはの方を振り向く。

「じゃ、これから俺のジュエルシードを発動させてフェイトを誘き出す。そしたらなのはの出番だ」

「わかったの」

 令示の言葉に大きく頷くなのは。

「交渉が失敗して戦闘になったらユーノはすぐに結界を展開してくれ。こんな深夜の山奥を歩き回るような物好きもいないと思うけど、

念には念を入れないとな」

「わかった。まかせて」

 なのはの肩の上で、ユーノは力強く答える。

「よし。じゃ、始めるぞ」

 言葉と同時に、令示の体から赤い光が溢れて地に落ち、真紅の六芒星を描いていく。

(この気持ちよりも、今はあの娘の事──フェイトちゃんとの事を考えないと。せっかく令示君が作ってくれたチャンスなんだから!)

 決意を新たに令示を見ながら、なのはは思考を切り替える。

 自分の中のこの気持ちの事も、後で考えよう。これは決して悪いものじゃないのだから。だって──

(令示君──マタドールさんを見ても、もう怖くないもの)

 月を見上げる髑髏の剣士を見つめながら、なのはは知らないうちに笑みを浮かべていた。

 その視線に恐怖ではなく、信頼の光を宿して。








第五話 魔僧は月夜に翔ぶ 中編










令示視点




 魔人化した俺は、遠慮無しに周囲へジュエルシードの魔力を撒き散らす。所謂、『撒き餌』という奴だ。

 二つのジュエルシードを手にした俺は、魔力にかなりの余裕がある。これだけ大きな波動を出せば、フェイトたちはすぐに喰い付いて

来る筈。魔力と一緒に感覚を四方に伸ばし、網を張る。人間を遥かに超越する魔人の五感だからこそ出来る技だ。

「──っ! 来た」

 三時の方向。風を切り、高速でこちらに迫る物体が二つ。

 考えるまでも無くフェイトとアルフだろう。

 そのスピードは凄まじく、俺が感知した後に数秒程で、こちらの頭上の数メートル上空にその姿を現した。

「っ!? 貴方たちは…」

「先を越されたみたいだね…!」

 驚きの表情を浮かべるフェイトと、憎しみを込めた視線を投げかけてくるアルフ。

「Buenas noches(こんばんわ)月の綺麗ないい夜だな。ニーニャたち」

 が、俺は彼女たちの態度を意に介する事も無く、淡々と言葉を紡ぐ。






「そこのおチビちゃんには言った筈だよね? フラフラしてないで、お家でいい子にしてなって…!」

「っ!」

 暫し睨みあった後に、怒気を孕む鋭い眼差しをなのはへ向けるアルフ。

「──その台詞、そっくりそのままお返ししよう」

 たじろぐなのはを庇うように、俺は彼女たちの間に立つ。

「ついでに言わせて貰えば、君たちのやっている事は拾得物の不正な占有──着服だ。人の行いをどうこう言える立場ではないと

思うがね?」

 ちなみに俺の場合は一個目のジュエルシードの時は不可抗力だし、二個目はユーノに了解済みなので問題無し。だよな…?

「ふんっ! 忠告は無視かい。なら、仕方が無いねっ!」

 柳眉を吊り上げ、アルフは地面へと降り立ったその時、彼女の長い髪が荒れ狂う波の如く逆巻いた。

 次の瞬間、モデルも羨むような彼女の魅力的な肢体は、衣服を裂いて倍以上に膨れ上がり、獣毛に覆われた四足の獣へと変身を遂げる。

 変化を終え、天に向かって咆哮を上げるソレは、子牛程の大きさはあろうかという巨大な狼。

「っ! やっぱり…あいつ、あの娘の使い魔だ…!」

「使い魔?」

 ユーノの呟きに、オウム返しに問いかけるなのは。

「そうさ、あたしはこの娘に造ってもらった魔法生命。製作者の魔力で生きる代わりに、命と力の全てを賭けて守ってあげるんだ」

 しかしその問いに答えたのはアルフ。鉄板でも軽く引き裂きそうな鉤爪を橋の床に喰い込ませながら、ゆっくりとこちらに歩み

寄って来る。

「…フェイトの邪魔をする奴は、あたしの爪と牙で纏めて撃ち砕いてやる!」

 そう言って彼女は、狼形態の口端を器用に吊り上げ、笑みを作る。

「──さて、まずは言いつけを破ったお仕置きだよ!」

 言葉とともに、橙狼は宙へ跳ぶ。

「ガアァァッ!」

「っ!?」

 前足を振り上げその両爪で狙いをつけるは、アルフの行動に驚き、完全に出遅れていたなのは。

 イニシアチブを取った、完璧な不意討ちだ。

 だが──

「──させぬよ」

 カポーテとエスパーダを眼前で交差させ、なのはへ牙が届く前にアルフの巨躯を受け止める。

「クッ! 邪魔するなぁ!」

「申し訳ないが、私も君も今は観客だ。この場の主役は彼女たち、即刻御退場願おう。ユーノ、移送を!」

「わかった!」

 アルフの怒声に涼しい声で答えながら放った俺の言葉に応じ、術式を起動させるユーノ。

 次の瞬間俺とアルフ、二者の足元にミッド式の魔法陣が展開し、閃光を放つ。

「なっ!? この──」

 アルフがその場から逃れようと体を動かすが、時既に遅し。

 光に飲み込まれた俺たちは、瞬時に別の場所──森の奥へと飛ばされていた。

 魔法陣より排出され、向かい合う俺とアルフ。

「移送魔法とは…やってくれたね…!」

 狼が憎々しげに俺を睨みつける。

 それと同時に、俺の背後で高まる二つの魔力波動と、それを中心に周辺へ展開、拡大していく感知する。

 どうやら交渉は決裂して戦闘となり、ユーノが結界魔法を使ったようだ。

「っ!? フェイト…今行くからね!」

 アルフは四足を折り曲げ、力を込める体勢をとる。

 俺を跳び越え、主の下へ参じようと考えたのであろう。だが──

 俺はエスパーダを振るい、闇を斬りながら彼女の頭部目がけ、閃かせる!

「クッ!?」

 アルフはとっさの判断で、横っ飛びにその一撃を躱して事無きを得る。

「つれないご婦人だ…そう急く事もあるまい? 夜は長い、今一時我らの爪牙刀剣が奏でるcapriccio(狂想曲)を楽しもうではないか!」

 エスパーダをゆるりと構え直し、その切っ先をアルフへ向けながら、からかうように俺がそう言うと、彼女は苛立ちをあらわに鼻の頭

に皺を寄せ、牙を剥いて呻りを上げる。

「そのふざけた喋り方とイカれた格好…そうか、アンタがフェイトの言ってた変り種の暴走体だね!?」

「魔人マタドールだ。以後、見知り置き願おう」

 俺が優雅な動作で頭を垂れると、アルフは口端を吊り上げ不敵な笑みを浮かべる。

「ハッ! 丁度いい! その美味そうな体を噛み砕いて、ジュエルシードを引っこ抜いてやる!」

 言葉とともに四足で地を蹴り、巨狼は俺へと迫る。

「クハハハハッ! 何とも情熱的なお誘いだ!」

 俺も顎骨を打ち鳴らし、彼女へ向かって駆け出す。

「mujer salvaje! Bajo la luna, disfrutemos durante algun tiempo un baile!」(野生的な御婦人よ! 暫し月下の舞踏に興じようぞ!






 巨狼は爪を──




 俺は曲刀を──




 互いが得物を相手目がけて閃かせた。

 月明かりの下、二つの影が交錯する。

 爪剣が軋り合い、闇に火花が咲いたその瞬間──

 俺たちの頭上で、巨大な金色と桃色の閃光が正面からぶつかり合い、衝撃と轟音を周囲に撒き散らす。

 …フェイトのサンダースマッシャーと、なのはのディバインバスターか。しかし──

「なのはの魔法…以前より威力が上がっているな」

「大したものだね。けど──」

 俺の呟きをアルフは鼻で笑う。

「フェイトの敵じゃない」

 彼女の言葉と同時に、鎬を削り合っていた二色の魔力光は、ディバインバスターがその勢いを増幅させ、サンダースマッシャーを飲み

込み、空の彼方まで飛んで行く。

 それは、誰もがなのはの勝利を確信するであろう光景。だが、俺とアルフは違う。

 俺は原作の知識から。

 アルフは主との精神的な繋がりから。

 そして何より、常人を越える視力を有する俺とアルフの目は、ディバインバスターを紙一重で躱し、疾風の如く宙を駆り、なのはへ向

かって強襲をかける、フェイトの姿を捉えていたから──

「──勝敗は決したか…我らの勝負は水入りだな。ニーニャたちの下へ戻ろう」

 サイズフォームのバルディッシュを突きつけられ、レイジングハートがジュエルシードを排出するのを視認した後、俺はアルフにそう

提案した。

「やけにあっさり負けを認めるね…アンタはあのおチビちゃんの味方じゃないのかい?」

 人型に戻った(変身した?)アルフは、警戒心を剥き出しで俺を睨む。

「なのはもフェイト嬢も、その信念故にぶつかり合い、勝負を行った。外野がその結果をとやかく言うのは、無粋というものだ」

 俺はそう言ってアルフに背を向けると、なのはたちの下へ向かい駆け出した。






 木々の間を走り抜け、再び橋の傍へ戻って来た俺とアルフ。

 開けた視界に、たった今戦闘を終えた二人が、対峙を続けながら地へ降り立った。

「なのは! 大丈夫!?」

 地面で彼女たちの戦いを見守っていたらしかったユーノが、なのはの下へ駆け寄って行くのを見て俺もその後に続く。

「ふふ~ん、さっすがフェイト! あたしのご主人様だ♪」

 敗北した俺たちを尻目に、アルフは尻尾を千切れんばかりに振りながら、嬉しそうにフェイトの傍へと駆けて行く。

「ユーノ君、マタドールさん。ごめんなさい、ジュエルシードが…」

 こちらを向いて、俯きながら謝罪の言葉を口にするなのはに、俺はそっと頭に手をやり軽く笑う。

「よい。君に大事が無かったのであれば問題無い、ジュエルシードならばまた奪い返せばいいのだ」

 そうだろう? と、ユーノに同意を求めると、彼も大きく頷く。

「マタドールの言う通りだよ。次頑張ればいいんだ」

「うん…」

 俺とユーノの言葉に暫し逡巡して、なのはは微笑みながら頷いた。






「次は、貴方──」

 そんな俺の背中に、黒い魔導師の声がかかった。

 振り返れば、バルディッシュを俺に向け突きつける、フェイトの姿が目に映った。

「前回の雪辱戦と言う訳かね? フェイト嬢」

「言った筈、次は負けないって…」

 俺の揶揄するかのような言動に眉一つ動かす事無く、フェイトはその湖面のような静かな瞳をこちらへ向け、淡々とそう言い放った。

「…承知した。お相手仕ろう」

 俺は彼女と数秒程見つめ合った後、静かにそう答えて一歩前に出る。

「「マタドール(さん)!!」」

「どの道、再戦は避けては通れぬと思っていた。何、二人とも心配は無用──」

 俺の背に憂慮を帯びた声をかける二人へ、力強く答える。

「負ける気は、毛頭無い」

「……今度こそ、貴方のジュエルシードをいただいて行きます」

 俺の自信に満ちた答えにフェイトは不満げに眉を顰めながら体をやや半身し、サイズフォームのバルディッシュを八双に構える。

 対する俺も、体を斜にしてカポーテを正面に突き出し、エスパーダを大きく後ろに引いた、弓を引き絞るような構えを取りながら、口を

開いた。

「そうか。ならば私が勝った場合はジュエルシードは要らぬ」

「え──」

 フェイトが戦闘中だというのに呆けたような声を出し、闘志を霧散させてしまう。

「えっ? ええっ!?」

「ちょっ! ちょっとマタドール! 何言ってるのさ!?」

 俺の後方より、なのはとユーノが驚きと抗議の声を上げる。

 俺は二人に念話で「まあ、任せてくれ」と頼みながら言葉を続ける。

「その代わりと言っては何だが、私が勝った場合は幾つか質問に答えてもらおう」

 どうかね? と問うと、フェイトは俺の意図するところが読めないようで、困惑の表情を作る。

「悪い話ではあるまい? たとえ君が負けてもジュエルシードは失わず、痛みは無い。条件としては破格だと思うがね?」

「っ! …わかった。その条件でいい」

 俺が言外に「お前には負けない」と言っていることに気が付いたようで、フェイトはこちらを軽く睨みながら、再び戦意を発する。

 やっぱり負けず嫌いなところがあるな、この娘…




「じゃあ──」




 フェイトが身を沈めて体勢を低くする。一気に飛びかかり、間合いを詰める気か?




「いざ──」




 俺はカポーテに魔力を込め、相手の攻撃に備える。




「行きます!」




「突いて来い!」



 
 飛行魔法で空を走りながら、フェイトは瞬時にバルディッシュを下段へと構え直し、逆袈裟の一撃を俺目がけて振り上げる!

「甘い!」

 俺はその攻撃を後方へ一歩退いて躱し、お返しとばかりにカポーテを大きく振り払う。が──

「むっ!?」

 こちらも空振り。フェイトは大鎌を振るった勢いにそのまま乗っかって上空へと飛び上がり、攻撃を躱したのだ。

『Device form Setup.』

 大きく空へと舞い上がり月を背にした黒い魔導師は、二度目の強襲に備えていた俺へ向ける得物を、大鎌から魔杖へと変形させた。

『Photon lancer Full auto fire.』

 直後、バルディッシュの音声とともに、その先端より数十もの金色の魔弾が、流星の如く俺へと飛来する!

(これが効かぬ事はわかっている筈、何故前回と同じ攻撃を…?)

 疑問に思いながらも、俺は油断する事無く様子を窺いながらその場でカポーテを振るい、強襲して来る魔力弾を払い落としていく。

 軌道を逸らされたフォトンランサーの群れは、俺の周囲の地面へ次々と墜落して土煙を巻き上げ、視界を覆い尽くしていく。

 その時──

「っ!?」

 俺は何かが空を裂き、地に落ちる気配を察知。

 土煙を吹き払い、俺を囲うようにに舞い降りたのは、雷を伴う五つの魔力スフィア──

(固定砲台か!)

 前後左右、三六〇度からのフォトンランサーの連続斉射。空に跳び上がって逃れるかと考えるが、即座に却下。上空に待機しているフェイトに、絶好の

的にされてしまう。

 ならば強行突破しかない。

 周囲を見回して、包囲網の穴──弾幕の隙間が大きい箇所を見い出し、カポーテを振るって身を守りながら、躊躇する事無くそこへ

突っ込んだ。

「──ッ!? これは!?」

 しかし、囲いを破ったと確信したその時、俺は五体のみならず、カポーテやエスパーダに至るまで十数もの立方体の枷──設置型バイン
ドによって雁字搦めに捕らわれてしまったのだ。

 …やられた。囲みの一部が甘かったのは、そこに誘導する為の罠だったのだ!

「クッ! カポーテ!」

 俺はカポーテに意識を集中。バインドの隙間より、紙縒りのように細く引き絞って枝分かれさせ、縦横に閃かせ、拘束を断ち切る。

 しかしその間に、上空のフェイトはバルディッシュを構え直し、俺目がけて魔弾の雨を降り下ろす!

「舐めるなっ!」




 一部の拘束を解き放ち、上空を見上げながら呼吸とともに全身に力を行き渡らせる。




「雄ォォォォォッ! 血の──」




 引き絞った弓を解き放つように、迫り来る魔弾の群れに向けてエスパーダを繰り出した!




「アンダルシアッ!!」




 咆哮とともに撃ち出したのはエスパーダの刺突──マタドールの剣技、『血のアンダルシア』。

 ゲーム中では敵全体にランダムで小ダメージを与える技で、レベル差や物理耐性、補助魔法があれば特に恐れる程でもない技だ。

 ──しかし、それは悪魔の規準での話。

 実際に放たれるソレは、悪魔の膂力と技巧で以って繰り出される殺し技。

 凄まじい速度と力を秘めた連撃は、音速を踏破して周囲へ衝撃波を撒き散らし、その一撃一撃は掠っただけでも骨ごと体を抉り取る

程の威力を持つ。それは現代兵器で言えば、戦闘機に搭載する機関砲に等しい攻撃力を誇っているのだ。

 正しく、文字通りの必殺技と言う訳である。

 魔弾群を粉微塵にして撃ち落とすと、逆巻く衝撃波によって辺りの土煙は吹き払われて、輝く満月とともに杖身に雷光を纏わせこちら

へ向ける、黒い魔導師の姿が俺の目に飛び込んで来た。

(あれは……サンダースマッシャーか!)

 初見ではなかったが故にその魔法を見抜いた俺は、ようやく事此処に至ってフェイトの戦術の全容を理解した。

(これは狩りだ……!)

 初手の斬撃はフェイク。

 俺と距離をとる為にあえて敵へ突っ込む擬態を以って目的を果たす。が、それは口で言う程簡単な物ではない。

 如何にフェイトが近距離戦も得意とする天才とは言え、こちらは悪魔。

 それも同輩からも恐れられる死の具現──魔人なのである。

 一度刃を交えたフェイトがわからない筈が無い。この魔人の身に宿る膂力と、玄妙なる業の恐ろしさを。

 それをやってのけたのは、彼女の並外れた胆力の成せるものか、単なる怖い物知らずなのか。

 フェイトのこの行動に俺は、かの関ヶ原の『島津の退き口』を思わせた。

 そしてこれが、俺という獲物を狩る為の布石だったのだ。




 フォトンランサーが、俺の気を引く為のブラフ──即ち、獲物を追い立てる為の勢子。




 囲み込んだ魔力スフィアが、俺を追い込み狙った場所へ誘う駒──即ち、牙を剥いて追って来る猟犬の群れ。




 幾重にも張り巡らされた設置型バインドが、俺の体を絡め取る狩場──即ち、獲物を縫い止める罠。




 そしてこのサンダースマッシャーが──




(獲物を確実に仕留める、猟銃の一撃か!!)

 早く退避せねばならない。

 しかし体を拘束するバインドは数が多く、全て処理しきれていない。第二波目に放たれたフォトンランサーの弾群の迎撃に手を奪われ、全て

の解除には至らなかったのだ。

 そして、そんな俺の内心の焦りを嘲笑うかの如く──

「貫け轟雷!」

『Thunder smasher!』

 右腕に残るバインドを解ききる前に、バルディッシュより放たれた閃光が、これの視界を白く塗潰していく。

「──!」

「──!!」

 視界の脇でなのはとユーノが、こちらに向かって何か叫んでいるが、砲音に阻まれその声は俺に届く事は無かった。

(はあ、仕方が無い。諦めるか…)

 最早是非も無い。砲撃を見て瞬時にそう判断した俺は、迫る雷光に合わせエスパーダを振り下ろした。








第五話 魔僧は月夜に翔ぶ 中編 END












後書き

 また坊主出せなかった…ごめんなさいです。次回こそは坊主を…!

 しかし戦闘シーンは書くのが楽しくて、つい悪乗りしてしまいます。少しは自重しないと…

 感想掲示板でも話しましたが、なのはとすずかの二人がヒロインとする方向で行きたいと思います。

 令示がどちらを選ぶかは、お楽しみにという事で。…ていうか、自分でもどちらにするか決まっていないんですが。

 あと、このところなのはのターンが続いてるので、そろそろ次話あたりにすずかを出したいですね。

 では、今日はこの辺で失礼します。



[12804] 第五話 魔僧は月夜に翔ぶ (後編)
Name: 吉野◆fe64ebc7 ID:4cbf7d0b
Date: 2011/06/08 12:44
 自身の魔法が、暴走体──マタドールに着弾した瞬間、フェイト・テスタロッサは今度こそ勝ったと、そう思った。

 アルフより聞いた、使い魔になる以前に野生の狼として群れで暮らしていた時に仕掛けられた、狩りの手法を参考にした戦法であった

が、思いの他上手くいった。

 前回とは違い、マタドールの姿がサンダースマッシャーに飲み込まれるのを、この目で確認したのだ。勝利を確信しても、

何の問題も無い。

「っ、あれは──」

 その時、フェイトの視界に二つの人影が飛び込んで来た。

 マタドールとともに居た、あの白い魔導師と使い魔だ。

 ひどく狼狽し、蒼白な表情をしているのが上空からでも見て取れた。

(そう言えば、随分仲がよさそうだったな…)

 互いに庇い合っていたなのはたちのやり取りを思い出し、フェイトは罪悪感を覚えてその表情を僅かに歪めた。

 彼女たちはサンダースマッシャーの着弾地点──マタドールが立っていた場所へと駆け寄っていく。

 しかし、その前にアルフが立ちはだかり、なのはたちの行動を阻害する。

 マタドールのジュエルシードを確保する為の処置なのだろうが、まるで死体漁りのような自分たちの行動に、益々陰鬱な気分になる。

(っ! ──待って、ジュエルシードは何処?)

 おかしい。自分の魔法は確かに命中した。なのに何故ジュエルシードが出現しない!?

 フェイトの脳裏に、先日の戦いの光景が甦った。




 ──まさか、また倒せなかったの?




 ──バカな。そんな筈は無い。着弾の瞬間をこの目で捉えた。




 ──でも、現にジュエルシードは出現していない。




 でも、しかしと、フェイトの思考は千々に乱れ、同じ考えが堂々巡りをする。

(このまま考えても埒が明かない)

 そう思ったフェイトは滑空し、マタドールを消し飛ばした場所──サンダースマッシャーによって生じた直径数メートル程のクレーターに飛び寄り、周囲を

見渡す。

「──無い」

 ジュエルシードの姿はおろか、魔力残滓といった痕跡すら確認出来ない。

 どういう事であろうか?

 自分が見たマタドールへの着弾は、幻覚だったのであろうか?

(訳がわからない…)

 フェイトの心は混乱の極みにあった。

 ──だから、その為であろう。

「私をお探しかね? フェイト嬢」

「!?」

 こうも簡単に接近を許し、後を取られてしまったのは──

 声がかかったその刹那フェイトは前へと飛び、後方を振り返りながら上昇。同時にバルディッシュを構える。

「やっぱり…!」

 ギリリと、フェイトは悔しそうに歯噛みする。

 やはり逃れていた。

 豪奢な衣装は泥に塗れて引き裂かれ、その右腕は肩からバッサリと失われていた。しかし──

 未だ健在。

 未だ生存。

 魔人マタドールは三度、黒き魔導師の前へ立ちはだかった。

「マタドールさん!」

「マタドール!」

 フェイトと対峙するマタドールの後方より、アルフの妨害を突破した白い魔導師たちが駆け寄って来る。

 その顔には、嬉しさと不安が入り混じった複雑な表情が浮かんでいた。

 満身創痍のマタドールを目にして、素直に喜べないのであろう。

(そうだ…無傷じゃない。ダメージは……ある!)

 その事実を噛み締め、己の策が決して無駄ではなかったと闘志を奮い立たせ、フェイトはバルディッシュを握る両手に力を込める。

 …どうやってあの攻撃を逃れたか皆目見当もつかないが、それならば二回、三回と同じ事を繰り返し、ダメージを蓄積させればいいのだ。

 上空よりマタドールを見下ろしながら、フェイトは口を開く。

「今度は逃がさない。あの布──カポーテも無く、怪我を負った貴方には二度も同じ方法で逃げる事は出来ない筈」

「成る程。確かに我ながら見苦しい姿だ。とても女性の前に立つ格好ではないな」

 勝利宣言とも取れるフェイトの言葉に、魔人は何の感情も見せる事無く淡々と答えながら、残る左手でエスパーダを眼前に立てる。

 その瞬間、マタドールの足元から拳大の赤い発光体が無数に生じ、誘蛾灯に誘われる羽虫の群れの如く、次々と彼の体に寄り集まり、

その身を完全に覆い尽くした。そして──

「これで問題は無いだろう? フェイト嬢」

 紅光が一斉に離れ、夜空に散華したその後には新品同様の衣装を纏い、再生した右腕で身体に付いた埃を払うようにカポーテを振り、

マタドールは改めてエスパーダを構え、その切っ先をフェイトへ向ける。

 だがそこで、彼は己の言葉にしかし、と付け加えた。

「四肢の再構築程度であれば難しい訳ではないが、無限に出来る筈もない」

「…………」

 フェイトはマタドールの様子を窺いながら、その言葉に首を傾げる。何故わざわざ自分の手の内を曝け出すのか、全くその意図が

読めない。

 何を企んでいる? 彼女は油断する事無くバルディッシュを構えながら、マタドールの一挙手一投足をみつめる。

「ましてや空を飛べぬこの身では、例え五体満足であろうとも戦術的にも手詰まり。敗北は必至だ。故に──」




 ──奥の手を使わせていただこう。




 そう言いながら、魔人はカポーテを握る右手の甲を、フェイトに見せつけるかのように天へ掲げる。

「それは──!」

 そこに輝く蒼い輝き──ジュエルシードを目にして、フェイトは言葉を失った。




 ──祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。




「!?」

 そんなフェイトを尻目に、朗々と詞を紡ぐマタドール。
 
 彼女は直感的に『このままでは拙い』と悟った。彼の手にあるジュエルシードはおそらくこの地に在った物。

 何をする気なのかは知らないが、自我を持つ暴走体がそんな物を手にして、こちらの利益になる事が起こり得る筈が無い。

「バルディッシュ!」

『Yes sir. Photon lancer Full auto fire.』

 百害有って一利無し。瞬時にそう判断したフェイトは、迷う事無く掌中の魔杖を眼下のマタドールへ向け、手加減無しの魔弾の連射を

浴びせた。




 ──娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。




 しかし、魔人の弁は濁らない。言葉を紡ぎながらも手中のカポーテを拡大させて中空に留め、フォトンランサーの弾群を完全に遮った。




 ──驕れる人も久しからず、唯春の夜の夢の如し。




「行けっ!」

  黒き魔導師も攻勢を弛めない。自身の周囲に幾つもの魔力スフィアを生み出すと、号令とともにマタドールの周囲へ向け撃ち放つ!

 八方より迫る魔弾に対して、彼は両手の魔剣魔布を振るって次々とフォトンランサーごと魔力スフィアを斬捨て払い落とし斬捨てるが、その

間隙を縫って数発の魔弾が着弾。

 爆音を巻き上げ、木の葉のようにその姿が揺れ、マタドールがフラフラとよろめきを見せた。

「ダメッ! マタドールさん!」

 それを見たなのはの悲痛な叫びがこだます。

 しかし── 




 ──猛き者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。




 それでも尚、髑髏の剣士は倒れない。

 五体は辛うじて無事とは言え、先程以上にその衣服をボロボロにしながらも、涼しげな立ち振る舞いを止めず、澱む事も無く流れる

ように呪の詠唱を完成させた。

 その瞬間、マタドールの足元より赤い輝きが発せられる。

「新しい、魔法陣……?」

 ユーノの呆けたような呟きが風に乗って流れていく。

 正方形の中に円形やヒトガタ、複雑な紋様を散りばめた見た事も無い奇妙な魔法陣に、その場に居た誰もが目を奪われる。

 マタドールを除く、この場の誰もが知らなかった。

 その魔法陣は曼荼羅と呼ばれる、密教における最高仏、大日如来を中心にした宇宙を表す図であると言う事を。

 出現した魔法陣──曼荼羅は、激しい赤光を立ち上げマタドールの姿を覆い隠した。

「消えたっ!?」

 その間僅かに数秒といったところであったが、光が霧散した後には魔人の姿は、煙のように消え失せていた。

 フェイトは目を剥き、周囲へ視線を走らせるが影も形も見当たらない。先程と同様に魔力残滓も無い。

 一体どうやって? どこに消えたのだ!? フェイトが焦燥感に突き動かされるようにマタドールを探し回るその時──




「…呪われし如意宝珠の力に魅入られた、異界の魔術師とは汝の事か?」




「っ!?」

 突然背後より、夜の砂漠に吹く風の如き冷たい声が、耳朶に触れそうな距離より発せられ、フェイトは背筋が凍るような寒気に襲われた。

「クッ!」

『Scythe form Setup.』

 不意を突かれたこの状況で、即座に攻勢に出た彼女の胆力は驚嘆すべきものであろう。

 腰を捻り、大鎌に変形させたバルディッシュを後方へ向けて、横一閃に薙ぎ払う!

 しかし──

「居ない!?」

 魔力で生み出した光刃は、虚しく空を斬ったのみであった。

「憂い孕みしその瞳…汝は何故、欲界すら滅ぼし兼ねぬこの荒ぶる力を追い求める?」

 再び背後よりフェイトにかかる、しゃがれた声。

 再度後方への斬撃を行うものの、結果は同じ。

「迷いたもうなフェイト殿よ。汝の憂い、力求めし心、その全ては迷いに過ぎぬ…」

 心の中を覗かれるような不快感。

 フェイトは苛立ちに任せるまま光鎌を振り回す。

「いくらジュエルシードを手にしたところで、汝の迷いの暗黒は晴れはせぬ。一切衆生の迷いを解くが我が務め…汝の身、我に任せるがよい」

 そんな彼女をあざ笑うかの如く、その眼前──数メートル程の中空へ結跏趺坐のまま浮遊する人影が現れる。

「お坊、さん……?」

 その姿を目にしたなのはが、呆けたような声を上げた。

 ソレは、擦り切れ色褪せた緑の袈裟に、黄色の法衣──直綴(じきとつ)と、同色の帽子を身に纏っていた。

 右手には、金色に輝く金剛鈴を。

 左手には、漆黒の数珠を。

 その姿──仏弟子の姿は、成る程日本人のなのはにとって、珍しいものではない。




 その顔が──




 その肌が── 




 木の皮の如く乾燥し、干乾びた木乃伊でなければ。




「拙僧は魔人大僧正。救世(ぐぜ)の求道者也」

 マタドールに代わって新たに出現した僧形の魔人は、右腕を持ち上げ手にした金剛鈴を僅かに揺らした。

 凛と、透き通る音色が風に乗り、闇夜に響き渡る。

「一切衆生の迷いを断ち、救い上げるは仏弟子の務め。いざ参られよフェイト殿。汝の憤怒も大悲も、悉く拙僧が受け止めて進ぜよう…」

 そう言いながら、大僧正はもう一度鈴を鳴らして呵呵と笑い声を上げた。

「受け取られい……入滅の果てに得し、我が法力を!」








第五話 魔僧は月夜に翔ぶ 後編










令示視点




 いやいや、冷や汗をかいた。

 無事──とは言えないが大僧正へと変身した俺は、クールな言動でフェイトに接しつつも、内心では心臓バックバクだったりする。

 …変身中は心臓無いけど。

 フェイトの罠に嵌り、あわやサンダースマッシャーの餌食となりかけたあの時──

 俺はバインドに捕らわれた右腕をエスパーダで肩から切り落とし、その腕を使ってマタドールそっくりの人形を作ると同時に、足元に

ゲーム中でもおなじみの決闘結界を構築。

 人形を身代わりにして、着弾スレスレで結界内へ逃げ込んだのである。

『スレイヤーズ』で純魔族がよく使う、トカゲの尻尾切り離脱法を真似たのだ。

 しかし悪魔の体が精神体で助かった。

 これが肉体だったら失血死か、ショック死していた可能性が高い。まさに精神体ならではの技法だ。

 とは言え、サンダースマッシャーの威力が想像以上に大きくて、人形で直撃は免れたものの余波を食らって細かいダメージを負ったり、

初めてのせいか、結界構築が甘かったらしくて数秒しかもたなくて、直ぐに実世界に戻ってしまったりと結構ギリギリであったのだが。

 まあ、大僧正に変身するまでの攻防に比べればマシな方ではあるのだが…

 マタドールの腕を再構築したとはいえ、それは回復した訳ではない。

『Fate』のセイバーが表面だけを取り繕って誤魔化したのと同じで、ダメージは残っているのだ。

 ──わかり易く例えよう。まず、悪魔の体が水で出来ていると考えて欲しい。

 俺が自分で切り落とした、右腕部分を再生する為の水はどこから持って来たのか?

 答えは右腕以外の胴体手足からだ。他の部分を構成している水──精神力を少しずつ右腕にまわし、再構築をしたのである。

 この方法は、右腕は表面上は元に戻っているのだが、体を形作っている精神力の濃度が全体的に薄まってしまっている状態なのだ。

 前回の戦いの時のように、回復魔法を使えば右腕の完全な再生も可能なのだが、俺はそれをやらなかった──と言うか出来なかった。

 新たな魔人の力を手にするには、マタドールの時よりもより深いアマラの深層に『扉』を開き、メノラーに触れなければならない。

 その際に使う魔力の量が、マタドールに変身する時よりもずっと多くなる事をナインスターより聞かされていたのと、この大僧正の

戦闘スタイルが、魔法中心の魔法使いタイプに分類される事から、魔力の無駄遣いが出来なかったのだ。

 具体的にどの程度使うかわかっていれば、計算して魔法を使う事も出来たのだが、そこは現実のアバウトさ。ゲームのようなわかり

やすい数値なんぞある筈も無い。しかし大僧正に変身出来ても、魔力が足らずに攻撃が出来ないなんて間抜けな事も起こりうるのだ。

 と言う訳で、どれ位の魔力を消耗するかわからない以上、俺はフェイトの攻撃に耐えつつ変身する以外方法が無かったのである。

(こんな展開になるとは…昼間ジュエルシードを入手しておいて正解だった)

 もし一つのまま戦っていたのであれば、完全にワンサイドゲームになっていただろう。

 制空権を抑えられた上に、こちらの攻撃が届かない距離から遠距離射撃や砲撃魔法で撃たれ続ければ、こちらが負ける事は必定。

 さらに、もしもフェイトが先程の罠をもっと研鑽していたのであれば──例えば、設置型バインドと一緒にサンダーレイジとかを使わ

れていたら、完璧にアウトだった。

 そう考えると、こうして命を繋いだのは実に運が良いと言わざるを得ない。




(──つか、本番はここからなんだけどな…)

 そんな事を考えながら、俺は正面に浮かぶフェイトへ目をやる。

 黒い魔導師は、バルデッシュを構え、こちらへ厳しい視線を叩きつけてきた。

 そのやる気を肌で感じながら、俺は「どうやって戦うか?」という点に思考を走らせる。

 ただ「勝つ」という一点のみ考え行動すれば、出来ない事は無いと思う。

 悪魔の技や魔法は非殺傷設定なんて存在しない。だから本気で殺す気の一撃をフェイトに当ててしまえば、それで終わりだ。無論、

んな事出来る訳無いが。

 搦め手──煩悩即菩提(敵全体を一定の確率でCHARM、PANIC、SLEEPのいずれかの状態にするバットステータス攻撃)なら、無力化

も簡単に出来そうなんだが、悪魔ならぬ魔導師のレジストってどんなもんなんだろうか? 仮に効果があっても、はっきり「負け」を認

めてくれるだろうか? インチキとか言われないかな?

(正攻法で勝つしかないか…)

 内心でそう結論づけると、そんな葛藤は表にも出さず、俺は彼女に向かって口を開く。

「いざ参られい、フェイト殿。汝の魔法と我が法力…どちらが上か術比べと参ろうではないか」

「──行きますっ!」

 俺のからかうような口調に、フェイトはその場で急上昇。俺の頭上をとって、猛スピードの降下とともに振り下ろす、光刃を以って

答える!

  その速度はまさしく迅雷。しかし──

「──オン・マユラ・キランテイ・ソワカ」

 金剛鈴と数珠を消去し、印を組み真言(マントラ)を口にしたその瞬間、俺は疾風と化し前方へ向かって空を駆り、バルデッシュの

斬撃を躱す。

「なっ?」

 後方より響く驚きの声を聞きながら、俺は姿勢を崩さずくるりと反転。再び距離をとってフェイトを視界に捉える。

「…それは、何?」

 大鎌を脇に構え、こちらを窺うように低い声で言葉を投げかけるフェイト。

「はて? 不明瞭な問いよのう、フェイト殿」

 それに対し、俺は顎に手を当て首を傾げながら、惚けた態度をとる。

「汝が尋ねているのは拙僧の姿の事かな? 座したまま中空へと浮かびたる異様かな? それとも──拙僧の背に居る大鳥の事かな?」

 そう言いながら背後を振り返ると、青や緑の色鮮やかな羽毛に覆われた巨大な鳥──孔雀が俺を守るように翼を広げ、フェイトを睨み

つけながら威嚇していた。

「──これこそ我が修めし密教の秘術。仏法守護の一角を担う孔雀明王の御力を借り、飛行自在を可能とする呪法──汝たちのように

言えば、魔法じゃ」

「この世界独自の魔法……!?」

『孔雀王』でも御馴染みの密教魔術。

 俺が使ったのはその『孔雀王』は勿論、『真1』でも登場したソーマ親父こと役小角が使った事でも有名な、飛行自在を可能とする

孔雀明王の真言だ。

 前世であれば信仰心も無い以上、ただの歴史宗教系の無駄知識であったが、今のこの身は魔人大僧正。

 自ら入滅を果たす狂気の荒行を修し即身仏と成った大僧正は、弘法大師空海の至った九識論の最奥である第九識、アマラ識に匹敵する

第八識──アラヤ識に到達していた。

 しかも俺本体はジュエルシードを介してアマラ深界と繋がりを持っている。

『扉』を通じてアマラを流れる悪魔たち──諸仏諸神のマガツヒを吸い上げ、擬似的ながら仏神との合一を果たす事が可能なのだ。

「ッ! これなら!」

 フェイトは自身の周囲に金色に輝く魔力スフィアを形成。その数およそ八つ、先程の倍近い。

「行けっ!」

 フェイトの号令とともに、轟音を伴い俺へと放たれる魔弾の連続掃射。

「ほう」

 視界を覆い尽くすような金色の弾幕。

 思わず感嘆の声を漏らした俺を、退路ごと飲み込むかのように、魔弾の壁が迫る!

 だが俺は慌てる事無く印を組み、落ち着き払った声で呪を紡ぐ。

「──オン・アサンマギニ・ウン・ハッタ」

 そう真言を口にした刹那、俺を中心に黄金の炎が燃え上がり、防御壁となって迫り来る魔弾を悉く焼き潰し、その侵入を阻んだ。

「十八道、結護法が三。金剛炎」

 これは場を清めて邪を払い、仏の勧請を行ってその場を守る防御網を敷き、供養を以って仏と精神的な繋がりを得るという、密教の

修行の為の土台作りを十八の印と真言に纏めて行う、十八道と呼ばれる修法の一つである。

 金剛炎は、仏を守る結護法の一つ。邪を払う黄金の炎を顕現させるものだ。

 無論、実際の修行で炎が出る事は無い。だが、魔人の力と俺のイメージがあれば、この身を守る明王の業火は現実(リアル)となる。

「プロテクション? 魔力の炎熱変換? あれは一体…!」

 未知の魔法故に次手を読めず、フェイトは焦りと苛立ちでその整った顔を歪める。

「さて、今度はこちらから参らせていただこうか」

 俺は金剛炎をキャンセルし、新たな印を組む。

「ナウマク・サマンダボダナン・インダラヤソバカ」

 呪を唱えた俺の眼前に、両端の尖った金色棒状の密教法具──独鈷杵が、雷光とともに顕現した。

 俺は右手でそれを掴み、フェイトを視界におさめながら大きく振りかぶる。

「死にたくなくば死ぬ気で躱せ。──帝釈天、雷帝杵!」

 矛盾した台詞とともに投げ放った独鈷杵は、荒れ狂う稲妻を帯びてフェイトへ迫る!

 四天王を統べる須弥山喜見城の主、帝釈天──ヒンドゥー教の雷神インドラの力を込めた一撃だ。その威力は彼女のサンダースマッ

シャーに匹敵する威力を持っている筈。

「──くっ!」

 受け止めるか躱すかで一瞬思案したようであったが、結局俺の忠告を聞いて、フェイトはギリギリで攻撃を避ける。

 紙一重で彼女に躱された独鈷杵は、雷の尾を引きながら地表へ激突。

 轟、という爆音とともに、雷撃と暴風を周囲へ撒き散らす。

 衝撃が過ぎ去った後には、巻き上がった土砂により生じた土煙の隙間より、直径十四、五メートルはあろうかという、独鈷杵が穿った

クレータが目に飛び込んできた。

(って、いくらなんでも威力高過ぎだろ!?)

 俺は内心でその予想以上の攻撃力に舌を巻いた。

 …危ねえ! あんなモン体に触れた瞬間にチリも残さずに吹っ飛ぶぞ!?

 変身したてで魔力運用が上手くいかなくて、威力の調整が出来ない事もあるが…恐るべき『インドラの矢』だ。念を入れて躱すように

言ってよかった。

 見ればフェイトも、俺の作ったクレーターを見て驚きの表情を浮かべている。

 …これは示威行為として使えるか?

 ならば──

「さてフェイト殿。このあたりで負けを認めてはどうかな?」

 俺は降伏勧告をして、敗北を受け入れるように促がした。

「飛行、防御、攻撃…いずれにおいても汝の優位は崩れ去った。これ以上戦ったところで益はあるまい?」

 先の約定通り、ここで負けてもフェイトはジュエルシードを失う事はない。

 むしろ戦いを長引かせ、魔力体力を消耗する事の方がデメリットだ。賢い彼女ならばそれがわからない筈は──

「私は……負けられない。負ける訳には……いかない!」

『Photon lancer Full auto fire.』

「むっ!?」

 が、彼女からの返答は魔弾の応酬。

 俺は体を左へスライドさせ、フォトンランサーをやり過ごす。

 フェイトの表情は険しく、俺の提案を受け入れる様子は欠片もみられなかった。

 ああ…失敗か。と思ったその時──

(しくじったな主。母の命令とその彼女への想いがある以上、フェイト・テスタロッサがやすやすと降伏する筈がなかろう? いささか

計算が甘いと思うがな)

(ドやかましい! 口開いたと思ったら嫌味かテメエ!)

 フェイトと睨み合う中、突如頭に響いたナインスターの溜息まじりの言葉に、俺は怒鳴り声で対応する。

(つーか、用が無えなら引っ込んでろ! フェイトは殺る気満々なんだよ!)

(それなのだがな主、フェイト・テスタロッサを敗北せしめる策があるのだがな…)

(あん? そりゃ一体──)

 どんな策だよ? と続けようとした俺の意識へ、ナインスターは直接作戦概要のイメージを送りつけてきた。

(どうだ? これならば主の勝利は確実であろう?)

(あー、うーん、そうだなぁ…)

 ジュエルシードの力か、はたまた魔人の能力によるものか。ナインスターの作戦を瞬時に理解した俺は、その同意を求める声に曖昧な

相槌を打つ。

(しかしなぁ…一歩間違うと死亡、重傷なんて事もあり得るだろう?)

(完璧な作戦など存在せぬ。そこは主の腕次第であろう)

(簡単に言ってくれるよ…)

 他人事のように気楽に言い放つナインスターに、内心で大きな溜息を吐くものの、他に何か代案がある訳でもない以上、俺のとりうる

作戦はこれ以外に無かった。

(やるしかないか…)

 意を決した俺は、改めてフェイトを見つめて口を開く。

「愚か也。いつまで勝利に執着するか……」

 呆れ混じりの呟きを吐いた後に──

「汝、煩悩の火に焼かれよっ! 喝ぁぁぁぁぁっ!!」

 俺の放った叫びは、魔力を帯びて雷鳴の如き大喝と化し、大気を震わせた。

 その瞬間、俺は自分を除く周囲の時間が遅くなったかのような感覚を受ける。

 ──大僧正固有スキル、喝破。

 一ターン中に四回の行動を可能とする、反則極まりない技だ。

 さらに俺は魔力を練り上げつつ、心を奮い立たせんと言を放つ。

「我が三密は仏神の息吹! 巡る輪廻を解脱させ、金剛胎臓の中心へと至る。偉大なる、大日如来の御座へと!」

 台詞とともに、俺の体から立ち昇ったマガツヒが三つの塊にわかれ、フェイトを取り囲む。

「ウーン! ベイ! ウン!」

 仏尊を象徴する一音節の呪文──種子を紡ぐと、三つのマガツヒの塊は弓矢、三鈷杵、槍、斧などで武装をした恐ろしい鬼形の巨漢

へと形を変える。

「──これはっ!?」

 驚くフェイトを見つめながら、俺は印を組む。

「では参るぞ。オン・マカラギャ・バゾロウシュニシャバザラサトバ・ウン・ジャク──愛染明王、天光弓!」

 フェイトの正面に立つ、恋愛成就の霊験を持つ愛染明王が、六腕を器用に動かし手にした弓矢を引き絞り、彼女へ向かって光の矢を

撃ち放つ!

 放たれた光の矢は空中で幾度も分裂し、百を超える弾群と化してフェイトに襲いかかる。

「くっ! バルディッシュ!」

『Yes sir. Round Shield.』

 彼女は咄嗟にラウンドシールドを展開。瞬時に防御力の高いこの魔法を選択したのは流石と言うべきか。

 しかしこの場では愚策だ。何故ならそれは、天光弓の弾幕が止むまでその場に釘付けにされてしまう事を意味するからだ。

 この好機を逃す事無く俺は新たな印を組み、呪を紡ぐ。

「ナウマク・サマンダボダナン・ベイシラマンダヤソワカ──毘沙門天、夜叉走牙!」

 真言とともに、フェイトの後方に立つ皮の鎧を纏う鬼神──毘沙門天が、手にした三叉の金槍を振るうと、その周囲に人の頭でも簡単に

噛み砕きそうな、鋸の如き牙を持つ二〇近い鬼面の光弾が出現し、彼女を睨みつけて呻りを上げる。

 毘沙門天が槍を突き出すのを号令に、その眷属である夜叉を模した鬼弾の群れは咆哮を上げ、フェイトへと殺到する!

「そんな! 魔法を同時に!?」

 フェイトが驚愕し、大声を上げた。

 デバイスも無しに魔法を同時展開する事に驚きを禁じ得ないのだろう。ミッド式の魔法しか知らないであろう彼女にとっては、

カルチャーショックに等しい筈だ。

「このままじゃ…!」

 正面からの天光弓を受け止めているフェイトは、背後に迫る鬼弾の呻りを聞き、その顔に焦りの色を浮かべる。

 だが──

「まだ心は折れておらぬようだな…」

 その目の光は、未だ健在。

 彼女は後方の鬼弾を横目で見据えたまま何やらタイミングを計り──

「っ! 今!」
 
『Blitz Action.』

 鬼弾が己が身に触れる寸前、フェイトはラウンドシールドの維持を破棄。

 その瞬間に間髪入れずブリッツアクションを発動し、天光弓と夜叉走牙の挟撃から、見事に離脱した。

 上空へと逃れたフェイトを追い、鬼弾群は叫びを上げてその後に続く。

 十分に距離を獲った所で彼女は停止。自身の周囲に魔弾を生み出し、後ろを振り返る。

「行け!」

 再び迫る鬼弾の群れに向け、フェイトは号令をかけて誘導弾を撃ち降ろす!

 解き放たれた魔弾群と鬼弾群が正面からぶつかり合い、爆音と閃光が夜気を震わせた。

 その間隙を縫い、魔弾の攻撃を逃れた数発の鬼弾が牙を鳴らしてフェイトへ襲いかかる!

『Scythe form Setup.』

「ハアァァァッ!!」

 しかし、それは彼女の予想の範疇であったようだ。

 フェイトはバルディッシュを大鎌形態に移行して縦横に閃かせ、四方より迫った鬼弾を悉く斬り払って見せた。

 鬼弾たちは断末魔とともに爆発して四散する。しかし──

「予想の範疇であるのはこちらも同様よ」

 その瞬間には、俺は作戦の最終段階に入るべく行動を起こしていた。

「オン・アンミリテイ・ウン・パッタ──軍荼利明王、火焔蛇!」

 残る人型、八腕三眼の仏尊、息災延命の霊験を持つ軍荼利明王が、上空のフェイトめがけて自身の首に巻きつく真紅の蛇を投げ放った。

 紅蛇は空中でその身を巨大化させて、軽自動車でも飲み込めそうな程の体躯となり、全身に炎を纏う。

 爆炎の隙間より姿を見せたフェイトを視界に捉えると、炎蛇は大きく口を開き、鞭のように体をしならせ、一気に飛びかかる!

「!?」

 流石のフェイトもこのような攻撃は予想していなかったようで、炎蛇を前に大きく目を見開いた。

『Sealing form. Set up.』

 しかし、この程度の奇襲でやられるようであるならば苦労は無い。彼女は驚きながらも掌中の得物を魔杖形態へ変え、その砲門を

炎蛇へと向ける。 

「貫け轟雷!」

『Thunder smashe!』

 轟音とともに撃ち放たれた雷砲が迫る炎蛇と衝突し、炎風雷音を撒き散らしてせめぎ合う!

「くうぅ……バルディッシュ!」

『Yes sir.』

 一進一退を繰り返す魔法と呪術の衝突に、フェイトは一気に決着をつけようと、バルディッシュへ更なる魔力を注ぎ込み、威力を増した

サンダースマッシャーが火焔蛇を吹き飛ばした!

 火焔蛇は叫びを上げて大気に四散し、消え去っていく。

「終わった…今度は私の番」

 肩で息をしながら呟くフェイト。しかし──




 ──彼女は気が付かなかったのだろう。




 ──この展開が、先程のなのはとの戦いと同じ事に。




 故に──

「否。これで詰みじゃ」

「え──」

 突如背後に現れた俺に、再び顕現した金剛鈴の尖った柄を首に突きつけられた彼女は、呆けたような声を上げた。

「名付けて三方攻陣。異なる三つの魔術の競演、楽しんでいただけたかな?」

 元は『孔雀王退魔聖伝』で天津神の一柱、オモイカネが使った密教呪術の連撃をモデルにしたものだが、思いの他上手くいった。

 フェイトがこの三つの密教魔術に気をとられている内に、俺は孔雀明王経の飛翔で彼女に近付いていたのだ。

 ──そう、全てはこの一手の為の布石だったという訳だ。

 …全く、力加減のコントロールがなかなか難しくて苦労した。

「では再び言わせていただこう、フェイト殿。敗北を認めよ」

 俺は二度目となる降伏勧告を行う。まあ、完全に王手のこの状況ならば彼女も大人しく──

「まだ終わりじゃない!」

『Scythe form Setup.』

 ──してはくれず、大鎌を顕現して俺を斬り払おうと大きく振り上げる!

「致し方無し。──喝っ!」

 俺は心中で溜息を吐いて、数珠を持つ左手を叫びとともにフェイトへ向かって突き出した。

 その刹那、フェイトの体よりソフトボール大の赤い光が幾つも溢れ出し、螺旋を描いて俺の体に吸収されていく。

「──え?」

 途端、素っ頓狂な声を上げてフェイトがその場で膝から崩れ落ちた。

『The sir's magic power output has decreased. Scythe form cannot be maintained!』(マスターの魔力出力が低下しています。サ
イズフォームを維持出来ません!)

 バルディッシュのアラートとともに、光の鎌はその形状を保てず、霧散してしまった。

「そんな、なんで…」

 何とか飛行魔法の維持を行いながら、フェイトは呆然と呟く。

 ──大僧正固有スキル、瞑想。

 相手のHPとMPを吸い取り吸収するドレイン系の技だ。

 この技の恐ろしいところは、万能属性である為に魔法反射、吸収、無効等のスキルを無視して行えるところだ。

 相手は純粋な回避能力のみで躱すしかないのである。

「さて、四度目は無いぞフェイト殿。敗北を認めよ」

「………」

 俺の声に、フェイトは力無く頷いた。









「フェイト!」

 俺がフェイトを連れ立って地面に降りると、アルフが駆け寄り彼女にしがみついた。

「怪我は無いかい!? 痛いところは!? 変な事されなかったかい!?」

「だ、大丈夫だよアルフ。少し、疲れただけだから…」

 人の傍で何気に失礼な事を言っている犬耳娘を横目で睨んでいると、俺の脇に遠慮がちに近付く人影が一つ。

「あ、あの…マタドールさん、なんだよね?」

 そちらへ目をやれば、なのはが不安げな表情で、疑問符をつけた言葉を俺へ投げかけてきた。

 彼女の肩に乗るユーノも、その言葉に同意をするように、うんうんと大きく頷く。

 …ああ、そういう事か。まあ話し方も格好も違うからそう思うわなあ、普通。

「いかにも。この身は魔人マタドールと同じ存在じゃ。しかしこの姿の時は大僧正と、そう呼んでほしいのう」

「あ、うん。わかったの、大僧正さん」

「改めてよろしく、大僧正」

 なのははどこかほっとした様子でそう言った。

「うむ。さてなのは、ユーノよ。此度の戦は拙僧の勝利。故に約定通り、フェイト殿には我らの問いに答えて貰わねばなるまい」

 よろしいかな? と、二人の方へ目をやると、アルフは今にも飛びかかって来そうな程、視線に殺意を滲ませているが、フェイトは

弱々しく肯定の頷きを返す。

「ではまず一つ。汝らは今回なのはから奪った物を含め、幾つのジュエルシードを手に入れている?」

「…五つ、です」

 フェイトの答えになのはとユーノは「そんなに…」と驚きの呟きを漏らす。

 これには俺も驚いた。原作ではこの時点でフェイトは三つしか確保出来ていない筈だ。

 二人の驚きようから見て、(俺のものを含めない)こちらのジュエルシードの数は、完全に下回っていると考えるべきだろう。

「質問を続けよう。ジュエルシードを集めてどうするつもりかな? これは願いを叶えるとは名ばかりの欠陥品。汝は魔導師としては

一流だが、御す事など出来まい? 何が目的じゃ?」

「…貴方は、制御しているようだけど…?」

 フェイトが上目遣いに俺を窺い見る。

「質問をしているのは拙僧じゃ。答えよ」

 俺の事を探るつもりなのだろうが、そうはいかない。プレシアに余計な情報をやるつもりは無いのだ。

(手遅れではないか主?)

 アーアー聞こえない。

「…………」

 フェイトは俯き、口を閉じた。まあ、この時点でプレシアの目的を知る筈ないだろうし、答えようがないが。

「ふむ、黙秘か…ならば質問を変えよう。ジュエルシードの回収、誰に命じられたのだ?」

「っ!? ……何の事?」

 やっぱり根が素直なんだろうなこの娘。思いっきり動揺が顔と体に出ていた。

「惚ける気かな? 優れた魔導師とは言え、何故汝のような年端もいかぬ童女が使い魔のみを引き連れ、世界を越えてまで、ジュエル

シードを求める? 汝一人で行うには無理があろう。誰に命じられたのだ?」

 俺は息がかかりそうな程顔を近づけて、フェイトの双眸を覗き込む。

 彼女の瞳の中で、木乃伊がガチガチと顎の骨を打ち鳴らしているのが見えた。

「…………」

 再び押し黙るフェイト。

「また黙秘か…まあよかろう。もう行っても構わぬぞ」

「──え?」

 顔を上げ、フェイトは今日何度目になるかわからない驚きの表情を浮かべた。

「え、ええ!? ちょっと本気なのマタ──大僧正!」

 ユーノが大声を上げるが、俺は鷹揚に頷いて肯定の意を示す。

「いかにも。約定は守らねばな」

「でも──」

《ユーノ、後で説明する》

「うう…わかったよ…」

 なおも俺の行動に反対しようとするユーノを念話で説得し、この場は黙っていてもらう。

 恨めしげに視線を送ってくるフェレットに気がつかない振りをしながら、俺はフェイトたちへと目をやる。

「さ、早く帰るがいい」

「…本当だろうね? 後ろを向いたとこでザクッとやる気なんじゃないかい?」

 疑わしげにこちらを見るアルフを、俺は鼻で笑って口を開く。 

「その気があるのならば、こんな回りくどい方法なんぞとらぬわ。勝った時点で汝ら二人を締め上げておる」

「…一応信じておくよ。フェイト、立てるかい?」

「ごめんアルフ、ちょっと駄目かも…」

 疲労困憊といった様子のフェイトの小さな体を、アルフは自分の背に乗せて立ち上がる。

「かなりの魔力と体力を奪った故な、一日は大人しくしておる事じゃな」

「クッ! ぬけぬけと…覚えておきな!」

 俺の言葉に、アルフは数秒程憎しみを込めた視線を送った後、背を向け歩き出す。

「──待って!」

 その時、なのはが飛び出して二人の背中に声をかける。

「名前…貴方の名前は?」

「前にそこの彼に、名乗った…」

 フェイトは気だるそうに首を動かして、俺へと目を向けてなのはに示す。

 が、彼女のその答えに、なのはは大きく首を振る。

「貴方の口から教えて欲しいの!」

 フェイトは視線をなのはに向け、暫し逡巡した後ゆっくりと口を開いた。

「…フェイト。フェイト・テスタロッサ」

「あの、私は──」

 なのはが名乗り返そうとするが、それを待つ事無く、二人は闇夜に飛び去って行った。








「行ったか…」

「行ったか、じゃないよ大僧正! 何であの娘からジュエルシードを取り返さなかったのさ!」

 二人の飛び去った方向を見つめながらそう呟くと、ユーノが憤然とした様子で俺に食ってかかって来た。

「まあ落ち着くがよいユーノ。この場で無理に奪い返そうとすれば、あの娘はそれこそ死ぬ気で抵抗するぞ。そうなればこちらも

むこうも、無傷では済むまい」

 フェイトにとって、母の言葉は絶対だ。それを守る為ならば、非殺傷設定の解除だってやりかねないだろう。

「う…それは、そうかもしれないけど…」

 俺の言葉を肯定しつつも、納得出来なさそうな様子のユーノ。

「それに、いくつか情報を引き出すことは出来たのだ。無駄足ではないぞ?」

「へ? 情報って?」

 ユーノが首を傾げる。

「一つ、既に五つものジュエルシードを集めている事だが、ユーノは発掘から関わっているのだから当然としても、第三者である彼女ら

が何時、ジュエルシードの封印方法や探知方法、形状や輸送経路、墜落地点を調べ、回収行動へと移ったのだ? 一日二日で出来る事

ではあるまい? おそらくは前々からかなり入念な計画を立てていたのであろうな。

 二つ、フェイト殿自身はジュエルシードを求めていない。力や能力に惹かれて求めていたにしては、執着の仕方がおかしい。邪心が

感じられん。あれは何者かに命じられ、その者の為に動いているとしか思えぬ。

 三つ、そのフェイト殿にジュエルシードの回収を命じた者──それはおそらく、身内、もしくはかなり親しい者であろうな。先程の

質問でも、それは明らかじゃな。その者を庇おうとしていた態度が容易に見て取れたわ」

 指折り説明を行っているうちに、ユーノは目を丸くして驚きの表情を浮かべる。

「って、あれだけの会話でそんな事までわかったの!?」

「何、簡単な推測じゃよ」

 殆どカンペを使ったようなものだが。

「フェイト殿の背後で動く者、その存在がある以上彼女らを拘束しても事は終わらぬ。ここはある程度泳がせ、裏で糸を引く者が誰か、

どの程度の力を持っているのかを確かめる必要があろう」

「…うん、そうだね」

 ユーノは俺の話しを聞いて真剣な表情で頷いた。どうやら納得してくれたようだ。

「うむ。それでは元の姿に戻るか──なのは!」

「ふえっ!? あ、令示君…」

 俺が変身を解除し、フェイトたちの飛び去った方向を見つめたままのなのはへ声をかけると、我に返り、こちらへ駆け寄って来た。
 
「さ、宿に戻ろう。すずかかアリサが起きたら、俺らが居ない事で騒ぎになるかもしれないしな」

「うん」

「じゃ、急ご──」

 頷くなのはを先導しようと足を出したその時、俺は強い立ち眩みに襲われて、その場にペタリと尻餅をついてしまった。

「あ、あれ?」

 酒に酔ったみたいにフラフラと定まらない視界に、俺は首を傾げる。一体どうしたんだ?

「令示君、大丈夫?」

 なのはが心配そうに俺の顔を覗き込む。

「ああ、大丈夫だよ…少し疲れただけだ──」

『それは素人判断による希望的観測だな主』

 俺の言葉をナインスターが遮った。

「素人判断って…どういう事? ナインスターさん」

 なのはの声に、何か硬いものが混じった。

『主は先程の戦いでマタドールであった時の負傷や、大僧正への変身やその後の呪術の乱発で、魔力と精神力を大きく減じているのだ。

 瞑想で幾分かは回復したとは言え、元々戦闘で消耗していたフェイト・テスタロッサからの吸収の上に、主の総魔力容量は半端では

ない。あの程度では腹の足しにもならぬ。──つまり、かの者と同様、疲労困憊の状態に近い』

「大変だ、早く宿に戻って令示を休ませないと!」

「うん! 令示君、お部屋まで飛ぶから私に掴まって!」

 ナインスターの言葉に慌て出すユーノとなのは。

「そんな大袈裟だよ、窓から入ってみんなに魔法がバレたら拙いし、歩けない程じゃないから大丈夫だ──」

「ダメッ!!」

 二人を安心させようと軽く笑いながら出した言葉を、なのはが激しい否定の声でかき消した。

「今の令示君の命は、ジュエルシードで保っているんでしょう? もし今、これ以上何か力を使う事があったら……死んじゃうかも、

しれないんだよ?」

 なのはが俺の目をじっと見つめて言葉を紡ぐ。

「私が、令示くんを死なせちゃうところだった私がこんな事言うのはおかしいけど、けれどももし、令示君に何かあったら綾乃さんが、

凄く悲しむよ? だから、無理しないで…」

「は、はい…」




 ──結局、今にも泣いてしまいそうな顔で、心配を訴える小さな女の子の願いを袖に出来る筈も無く、俺はなのはの腰にしがみつく

という、前世を含めて三本の指に入る程みっともない格好で宿へと戻る破目となった。

 …『涙は女の武器』という小泉元首相の言葉を、俺は骨身に染みて体感したのだった。








第五話 魔僧は月夜に翔ぶ 後編 END










 後書き

 どうも、吉野です。前回の後書きに反し、更新遅れてごめんなさい。思った以上に仏教関連の知識の読解に時間が

かかってしまいました。一応わかりやすく解説をつけたつもりではあるのですが、大丈夫でしょうか?

 あとで難解な箇所があったら修正します。

 さて、今回ようやく大僧正登場となりました。ちなみに変身の際の呪文は『平家物語』の冒頭文を使いました。全てはいずれ滅び、

あらゆる力は虚しいものというこの文は、大僧正のイメージにピッタリだと思ったもので。

 そして今回の中二的台詞は……『ゼノギアス』のグラーフでした。わかりましたか?




 ところで、気がついたらPVが十三万、感想が二百を越えていましたね…ありがたい事です。これからも頑張ります。

 ではまた、次回の更新でお会いしましょう。



[12804] 第六話 ぶつかり合う信念、擦れ違う想い。 (前編)
Name: 吉野◆fe64ebc7 ID:15d7436e
Date: 2011/06/08 12:45
 さて、海鳴温泉でのフェイトたちとの再戦より数日後──

 連休明け当初の、休みボケでだらけ切っていた教室の雰囲気も、すっかり平常通りに戻ったそんなある日。

 俺はいつも通り、放課後の教室に残って日課の大検対策の予習に集中する──

「いやいや本当に大変だったよ。沢山の社長さんや偉い方に挨拶して回ってさぁ。全く、折角の休みだっていうのに遊ぶ暇も

なかったよ」

 ──事が出来ず、俺は溜息をついて机の脇で喋り続ける二条を一瞥すると帰り支度を始める。こんな奴の脇で集中出来るか。

「おや? もう帰るのかい?」

 ニヤニヤと笑いながら尋ねる二条を、軽く睨みながら俺は頷いた。

「ああ。聞いてもいねえのに自慢話を垂れる自己中のお蔭で、ちっとも集中出来ん。全く以って不本意ながら予習は家でやる事にするよ」

 幸い、なのはたちとのジュエルシード探しはもう少し後だから、下校途中に買い物をして、夕食の下拵えをしてしまおう。

 ジュエルシード探し終わってから飯食って、風呂入って、そのあと勉強してと……ハァ、今日も予習終わるのは夜遅くになりそうだな…

「自慢話とは酷いなぁ。僕のような立場の人間の苦労と、君が一生行く事の無い世界と言うものを教えてあげていただけじゃないか」

 いやらしい笑みを貼り付けたまま、さも「心外だ」と言わんばかりに肩をすくめる二条。

 俺はその返答を鼻で笑い飛ばした。

「バカかお前は? んなもん立場が違う上に聞く気も無い人間に話してどうすんだよ。自分と同じ立ち位置の相手に話せよ」

 この斬り返しに、二条の笑みが見事に固まる。

「き、君に言われなくても、社交界の友人とは話し合っているよ!? 「お互いに大変だな」ってね!」

 二条は口端を引きつらせながら、力いっぱい反論してきた。なに慌ててんだ? コイツ。

「へえ、誰だ? そいつ。社交界に出入りしてるとなると、どっかの社長か議員の息子か?」

 しかしこんな床屋のグルグル(名前知らん)より性格ねじくれた奴と付き合えるとは、仏のような人間だな。ちょっと興味が湧いた俺は

二条に尋ねてみた。

「ま、まあ君には関係の無い事だよ。どうせ知り合う事もないし…どうでもいいだろ?」

 が、二条は先程までの嫌味な態度とは一転し、目を逸らしてそう言った。

 ? いつもなら頼まれなくても一から十までベラベラ喋るくせに一体なんなんだ──

(って、ああそうか…コイツ、友達なんていねえんだ)

 俺はようやくそこで二条の不可解な態度の理由に行き着き、ポンと手を打った。

 考えてみれば、二条がこの学校で先生以外の男と話しているのを見た事がない。

 コイツは基本、女子にはいい顔をするので女友達は多いようだが、その反面自分以外の男は見下すところがある為、同性からは

すこぶる評判が悪い。

 当然、男友達なんぞいる筈無いのだ。

「…………」

「むっ、なんだいその目は?」

「べっつにー? なんでもねーよー?」

 俺の可哀想なものを見るような視線に気が付いたらしい二条が問い詰めてくるが、適当に誤魔化す。

「まあ、そんなことはどうでもいいか…それよりもあの日! あの会場で! 僕は運命的な出会いをして、そして気が付いてしまったんだよ」

「自分のバカさ加減にか?」

「違うっ! 全く君は!! 人が話している時にいちいち余計な口をはさまないでくれたまえ!」

 全く、これだから庶民は…と、ブツクサ文句を垂れる二条。

 聞いてもいない話で人の勉強の邪魔するのは有りなのかよ。これだからブルジョアは…

 つか庶民が嫌なら俺なんかに話しかけるなよ。

 俺は心底ウンザリしながら、筆記用具をランドセルにしまうと下駄箱へと向かう。

 その通路上でも、二条は俺の隣に並んで喋り続ける。

「ああ…あれはまさに運命の出会いだった。サラサラと風に揺れる金色の髪。美しい緑色の瞳。一瞬、ヴィーナスが僕の目の前に舞い降りた

のかと思った程だったよ」

「ああそうかいそうかい、そいつはよかったな」

 俺は呆れ混じりの適当な相槌を打つ。

「あの太陽のような微笑みとエメラルドのような両目を向けられた瞬間、僕は自分の心臓が爆発してしまうんじゃないかと思ったものさ」

 …要するに、「社交界で出会った女に惚れました。超絶可愛かったぜ! お前じゃ一生かかっても会えねえだろうけどwww」って

言いたいらしい。前置長いんだよ…

「──ん? アレッて……」

 心中でボヤキながら玄関を出て校門へと目を向けた俺は、その真ん前に立つ白い制服姿の二つの人影を視界に捉えた。

 一人は、一房だけをアホ毛のように止めた金髪の少女。

 もう一人は、白いカチューシャをつけた紫がかった黒髪の持ち主。

 ──そう、アリサとすずかだ。

 …別に、二人が訪ねて来る事は自体はおかしくはない。

 学校も違う上に、携帯も持っていない俺を確実に捕まえるのであれば、放課後のこの場で張っているのが一番だ。

 問題なのは、どういう訳かアリサがガンバスターよろしく腕組んで仁王立ちになり、こちらへ向けて思いっ切りガンを飛ばしている事と、

その脇ですずかが申し訳なさそうな様子でこちらを見ている事だ

 二人の姿は、「となりのトトロ」でさつきの学校に来ちゃった、メイとばあちゃんのようだった。








 第六話 ぶつかり合う信念、擦れ違う想い。 前編








 とにかく、ここで遠距離の睨み合いをしたところで埒が明かない。

 俺が頭を掻きながら二人の下へ行こうと歩き出したその時──

「やあバニングスさん! まさか君から僕に会いに来てくれるなんて…光栄だよ!」

 俺の脇にいた筈の二条が、アリサの正面に立ち、キザッたらしい動きで彼女に話しかけていた。

 その台詞で、俺は先程二条が話していたヴィーナスとやらが、アリサの事だったのだと理解した。

(まあ、確かにあのお嬢様なら社交パーティーの一つや二つは出席しているだろうな…)

 などと俺が胸中で呟いている間も、二条の奴はアリサに対して美麗字句を並べ立て、猛アタックを続けていた。

「ああ、これはもう運命としか言いようがないよ! あの場で出会って以来、ずっと想い続けていた僕の女神に、こんなタイミングで

再会するなんて!」

 しかし、あいつはまるで気付いていない。賛辞を重ねているというのに、アリサの眉間には深い皺が刻まれ、目に見えて不機嫌そうな表情

を作っている事に。

 …これはマズイ。

 あの馬鹿がふられようがボロクソになろうが知った事じゃないが、その後にイライラMAX状態のアリサの相手をするのは俺とすずかなのだ。

 そうなる前に二条を排除せねば。そう思い、俺はアリサたちの下へと駆け出した。

「君のことを思い出す度に僕は胸が張り裂けそうだった…! 神様はなんて意地悪なんだろう、こんなに美しいレディとほんの一瞬だけ会わ

せるなんて…! あの日以来、僕は君に会いたくて会いたくて、この胸が張り裂け「あのさぁ」──ん?」

 俺がアリサたちの数メートル前にまで迫ったその時、アリサが口を開いて二条の臭い台詞を遮り──






「あんた誰?」






『ゼロの使い魔』の冒頭の如き──しかし、絶対零度の冷たさを帯びた言葉を口にした。

 見れば、二条は笑みを張り付かせたまま硬直している。まあ無理はないか、意中の女の子に歯牙にもかけられていなかったのだ。それこそ

あのナンパ野郎にとっては死刑宣告にも等しかろう。

「い、いやだなーバニングスさん、そういう冗談はあまり笑えないよ」

 お、『食いしばり』(『真Ⅲ』の主人公固有スキル。戦闘中にHPがゼロになった際、一度だけ残りHP1で復活)発動か? 何とか踏み

とどまってアリサに微笑みかける二条。

「初対面の相手に冗談なんて言う訳ないでしょう? って言うかホントに誰なのよアンタ」

「ぐおおっ!?」

 が、そこに容赦なく叩き込まれるアリサのウィークポイント攻撃。

 哀れ(なんて蚊程も思っちゃいないが)二条は『あしたのジョー』の最終回のように真っ白になり、その場に膝をついて「ばかな、ばかな…

あり得ない…そんな、こんな…」と、虚空を見つめてブツブツと呟きだした。

 どうやら天に召されたらしい、主に心が。

「ちょっと令示!」

 と、そこで俺の接近に気が付いたアリサがすずかを伴い、俺の下へと駆け寄って来た。

「アレ、アンタの友達? 変に馴れ馴れしいんだけど?」

 苛立たしげに顔をしかめて、視線でorz状態の二条を示すアリサ。

「いや、本人の話によるとアリサと知り合いらしいけど…? あと友達じゃないから」

 腐れ縁と言うか、最早ストーカーに近いしな。

「だから知らないって言ってるでしょ!? 私がいつ、どこであいつと知り合ったってのよ!」

「ア、アリサちゃん、落ち着いて…」

 苛立ちがピークに達して怒声を上げるアリサを、すずかが隣でなだめる。

「あいつが言うには、連休中の社交パーティーみたいだけど、心当たりある?」

「社交パーティー?」

 アリサは呆れの色を帯びた表情を作り、溜息混じりに口を開く。

「あのねぇ、ああいうパーティーにどの位人が来ると思う? パパと仲のいい人とか、何回も顔を合わせている人ならともかく、ちょっと挨拶

したり、見かけただけの人の事なんていちいち覚えられないわよ」

「うちもアリサちゃんち程じゃないけどパーティには出るよ。 でもやっぱり全部の人の名前とか顔を覚えるのは無理だよ」

「あー、つまりその、なんだ…」

 お嬢様二人の見解を聞きながら、俺はチラリと横目で二条を見る。

「アリサにしてみれば、ほんの挨拶程度の接触をあの馬鹿の自己中脳が、妄想過多な歪曲解釈をしただけっていう、そういうオチ?」

「そうでしょうね。どこをどうすればそんな発想が出るのか、全く理解できないけど」

 俺の意見にアリサは真顔で頷く。

「ふ、二人ともちょっと言い過ぎじゃないかな…?」

 そんな俺たちを見ながら、すずかが一筋の汗とともに苦笑を浮かべた。

「あー大丈夫大丈夫。あの馬鹿この間すずかにも粉かけて玉砕してただろ? でも次の日には、『そこには、すっかり元気になった彼の姿が』

って感じだったから。飯食って寝れば治るよ」

 パタパタと手を振ってすずかにそう答えると、それを横で聞いていたアリサは顔を顰め、思いっ切り蔑んだ眼を二条へ向けた。

「何? あいつすずかまでナンパしてたの? うわ、最低…」

 俺たちの声が聞こえたのか、その手の連中に『御褒美』と言われるような、アリサの軽蔑しきった冷たい眼差しを受けてか、二条はorzの

体勢から「○十<」の土下寝の形に変わっていた。

「まあ、あいつの事なんかどうでもいい。で? 二人でわざわざ俺の学校まで来て、何かあったのか?」

 言葉通り二条の事なんか心底興味がない俺は、さっさと話題を変えて二人が訪れた理由を尋ねた。

「──って、そうだ! 令示に聞きたい事があったのよ!」

 俺の言葉にハッとしたアリサは本来の目的を思い出したようで、慌てて息がかかる位顔を近付けてきた。

「それはいいけど…とりあえず場所を変えないか?」

 接近してきたアリサの迫力に気圧されて、一歩退きながら俺はそう提案した。

「何でよ! 場所なんてどこでもいいでしょ!?」

 そんなに待てるか! と言わんばかりに鼻息荒く、少し開いた俺との距離を再び詰めるアリサ。

「いや、周りを見ようよ…」

 俺は溜息混じりに彼女をうながす。

「え?」

「あ──」

 その言葉に、周囲を見回したアリサとすずかは、ようやく俺の意図に気が付いたようだった。

 校門の真ん前で話していた俺たちは、下校する生徒たちの注目の的になっていたのだ。

 放課後からそこそこ時間が経っているので多くはないとは言え、それでも二十数人は居る為、とてもじゃないがこんな所で話など

する気が起きない。

「ふ、二人とも行くわよ! 鮫島! 車出して!」

 俺と話す事にばかり意識が行って、視野狭搾気味になっていたアリサはやや頬を赤らめながら踵を返し、校門脇に止めてあったリムジン

へと歩き出した。

「令示君、ごめんね突然…アリサちゃん、今ちょっと焦っているみたいで…」

 アリサの後について歩き出した俺の隣に並んだすずかが、申し訳なさそうに目を伏せる。

「や、別に問題ないよ。「あれ」の鬱陶しさに比べれば、この位猫の気まぐれみたいなものだよ。可愛いもんだ」

 と言いながら、俺は未だ放心状態の二条を顎で示した。

「あ、あはは……」

 それを見て、何とも言えない乾いた笑みを浮かべるすずか。

 まあ、あの馬鹿の事なんかどうでもいい。んな事よりも二人が俺を訪ねて来た理由だ。

(この時期、このタイミングとくれば、大体想像はつくけどな…)

 俺は前を行くアリサの後頭部を眺めながら、ぼんやりと心中で呟いた。








 そんな訳で、俺たちは学校近くにある公園へとやって来た。

「──で? 聞きたい事ってのは?」

 園内の中心にある広場に着いたところで、俺はアリサに尋ねた。

「……なのはの事よ」

 アリサは正面にあったベンチにドカリと腰を下ろし、仏頂面でそう答えた。

(やっぱりそれか…)

 予想通りの質問であったが、とりあえず様子見という事で、そ知らぬふりをして首を捻りながら答える。

「なのはの事? あの娘になんかあったの?」

「何話してても上の空、「何かあったの?」って聞いても、「何でもない」の一点張り! あんなあからさまにおかしい態度で、何でもない

筈ないでしょうが!」

 話している内に苛立ってきたのか、アリサは眉間の皺を深めて怒鳴り散らした。

「いや、けど何でそれで俺の所に来るんだ?」

 これは俺が一番気になっていた疑問だった。

 時期的に考えて、二人が俺に聞きたい事と言えば「なのは」の事位しかないのは、消去法で容易に想像できた。

 が、問題は何故それを「俺」に聞くか、だ。

 そもそも──魔法関連の事情は置いておくとして──俺はなのはと知り合って一月も経っていないのだ。数年来の親友である二人が、

わざわざ俺を尋ねる意味がわからない。

「あんた、ここのところなのはと一緒にあちこち歩き回っているらしいじゃない? なら、私たちが知らない事の一つや二つ知っていても

おかしくないでしょ?」

「──へ?」

 思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 確かにアリサの指摘の通り、温泉から戻って以来、なのはとユーノの二人とともにジュエルシードの探索を行っていたのだが、何故それを

知っているんだ?

「あ、あの…」

 その時、首を捻る俺にすずかがおずおずと話しかけてきた。

「その…私、前に街でなのはちゃんと令示君が一緒にいるのを何回か見かけて、それでひょっとしたらって思って…」

(ああ、そっか)

 視線の先で申し訳なさそうに目を伏せるすずかを見ながら、俺は心中で納得の呟きを漏らした。

 考えるまでもない事だった。同じ市内、同じ学区で生活している者同士、街中で出会っても何の不思議もないのだ。

 俺が原作知識にばかり気を取られ、常識的な判断力を欠如していたが為に、なのはたちとジュエルシードを捜すところを、すずかに

見つかってしまった。

 そしてそれを、なのはの態度に爆発したアリサへ、すずかが「そう言えば…」という感じで話して、現在に至るというところか。

(あ~、馬鹿か俺は)

 またもや身から出た錆である。ここまで来ると自分自身に呆れてしまう。

「その様子、やっぱり何か知っているのね!? さあ、キリキリ白状なさい!」

 思い悩んだ心の揺れが表情に出たのだろう。目聡くそれを察したアリサが俺に詰め寄って来た。

(…さて、どうするべきかな?)

 アリサに睨まれながら、俺は胸中で自問する。

 議題はアリサとすずかに本当のことを話すか否か? だ。

 少し前ならば、秘密にしたままやり過ごすつもりだったが、事ここに至って事情が変わった。

 本来の歴史では有り得ない俺となのはの同行と、それを目撃されたというイレギュラー…。ここで下手に誤魔化したりしたら、三人の関係が

原作以上にギクシャクしてしまうかもしれない。

 いや、それだけならまだいい。もしこれがきっかけで三人が疎遠になってしまったりしたら最悪だ、目も当てられない。

 ここにきて俺は、高性能な爆弾の解体作業の如き慎重さと、大胆さを求められる事態に直面する羽目となった。

(さて、どうするよ? ナインスター)

(…ふむ。主の考え通り、今のアリサ・バニングスは非常に爆発性の高い危険物の様な状態だ。一部真実を開示し、説得するしかあるまい。

ただ、人や物の名称は出さぬ事と、この一件には関わらぬよう前置をするべきだな)

(やっぱそれがベストな選択か…)

 ナインスターの提案に大きなため息を吐いた俺は、二人を見ながらゆっくりと口を開いた。

「……わかった。二人に俺となのはが何をやっていたのか話すよ。ただ、二つほど約束してほしい事がある」

「約束って…何よ?」

 思いがけない手掛かりを得られて喜色半分、しかし交換条件を突きつけられて訝しみ半分といった、何とも言えない複雑な表情を

浮かべるアリサ。

「一つは全ては話せないという事。もう一つは、話を聞いてもこの一件には関わらないと約束してほしい事。この二つだ」

「っ!? 何よそれ! 私たちには何もするなって言いたい訳!?」

「アリサちゃん!」

 その言葉に激昂したアリサはベンチから立ち上がって、俺の襟首を引っ掴んで怒鳴り声を上げた。

 すずかの声も耳に入っていないようで、綺麗な淡緑の双眸に怒気を孕ませ俺を睨みつける。

「落ち着けって、この件は色々と事情が絡んでいて複雑なんだ。第一、事件の中心で動いているのはなのはなんだ。俺はそのサポートと

いうか、お助け役っていうところだ。肝心のなのはを差し置いて、俺がベラベラ全部喋る訳にはいかないだろう?」

 俺は感情的にならぬようにアリサを宥めるが、彼女の怒りは治まらない。

「そのなのはが! 何も喋らないからアンタに聞きに来たんでしょうが!」

「なのはは『話さない』んじゃないよ。『話せない』んだ。その辺のところを解ってやってくれないか?」

「でも!」

「──アリサちゃん」

 俺の説得になおも食い下がろうとするアリサに、横からすずかが静かに語りかけた。

「なのはちゃんが話してくれるまで待とうよ。…私も、この体の事をなのはちゃんに黙っているんだもの、無理強いは出来ないよ…」

「…そんな事言われたら、何も言えないじゃないのよ…」

 伏し目がちに、しかしハッキリとしたすずかの意思表示に、アリサは気まずそうに言葉を漏らした。

 吸血鬼という重過ぎる事実を突きつけられて、流石のアリサも口舌の矛を納める以外になかった。

「……わかったわよ。令示、アンタの言う条件でOKするわ」

 ──こうして、想定外のすずかの一言によって、俺は自分の条件通りの事情説明を行える運びとなった。




「──まあ、簡単に言うとなのはがかなりの厄介事に首を突っ込み、さらには自ら進んでそのトラブルの解決に乗り出し、偶然その場に居合

わせた俺が手伝いを買って出て、現在海鳴市内のあちこちを調べ回っている最中と、こんなところかな?」

  ベンチに腰掛けた二人の前に立って、俺は言葉を選びながら現状を説明した。

「何でなのはなのよ? そんな厄介な事だったら警察とか、大人に任せればいいじゃない」

 腑に落ちないと言いたげに眉をひそめ、アリサが質問を投げかけて来た。

「その厄介事の解決には、なのはが持っている『特殊な才能』が必要なんだ。もう一人、なのはにこの一件の協力を求めた奴がこの才能を

持っているけど、残念ながら怪我を負ったせいで本調子とは言えない状態でな、なのは無しじゃどうにもならない」

 一応、俺はジュエルシードの吸収ならば出来るが、これは一種の反則で根本的な解決にはならない。

「…なのはちゃんの力が必要なのはわかったけど、令示君が一緒に居るのは何故? 令示君にはその『特殊な才能』は無いんでしょう?」

 すずかが首をかしげながら疑問を口にする。
 
「ああ。けど知っての通り、俺は悪魔化って能力があるだろう? その厄介事ってのは、『特殊な才能』を発揮する前に殴る蹴るの暴力沙汰

があったりするから、そこで俺の出番がある訳だ」

「暴力って…! ちょっと! あんたたちそんな危険な事に首突っ込んでいるの!? なのはは女の子で、小学生なのよ!? わかっているの!」

 俺の話から生じる危険の匂いを嗅ぎ取ったアリサが、再び俺に詰めよって来た。

「わかっているさ。でも問題無い、なのはの『特殊な才能』はそうした事態への自衛力にも優れているし、そうした危険に備える意味で俺が

居るんだ。いざって時には悪魔の力でなのはを助ける。だから大丈夫だ」

「あの、令示君…」

 アリサへ自信を持ってキッパリと言い切った俺に、すずかがおずおずと声をかけた。

「令示君は、その、なのはちゃんに話したの? 悪魔の体の事……」

「……ああ。状況的に話さざるを得ない面もあってな」

 少し悩んだが、正直に答える。どの道なのはの手伝いをしていると言った時点で、誤魔化しは通用しない。

「そっか…」

 すずかはホッとしたような、残念なような、複雑な表情でそう呟いた。

 俺はそんな彼女の態度に疑問を覚えたが、とりあえず話を続ける。

「ついでに言わせてもらえば、この件に関してはあまりのんびりとはしていられないんだ。海鳴中にばら撒かれた厄介事の『種』は、放って

置くととんでもない大災害を引き起こす可能性がある」

「大災害って…どの位酷いものなのよ、ソレ?」

「軽くこの街が吹っ飛ぶ位の規模だな」

 俺の言葉に二人は息を飲み、目を丸くする。

「冗談、よね?」

「冗談だと思うか?」

 恐る恐る窺うアリサの声に対し、俺は真顔で答える。

「残念だが嘘でも冗談でもない、真実だよ。人間が悪魔に変身するなんてふざけた事が起こる状況だ。この位の危険、いつ起きてもおかしくない」

 そう言い切ると、アリサはしばし俺の顔を見つめ──

「ねえ」

 ゆっくりと口を開いた。

「それは、なのはしか出来ないの?」

「ああ…現状、安全処理を出来るのはなのはだけだ。さっき言った協力を求めて来た奴の伝手から、何人か助っ人が来るかもしれないけど、

それを悠長に待ってはいられない」

「私には出来ないの?」

「こればっかりは無理だ。生まれ持っての才能で決まる力らしいからな。俺を含めたここに居る全員が、安全処理を行う事は出来ない」

「私が──私たちがなのはにしてあげられる事って、何も無いの…?」

「アリサちゃん…」

 当初とは打って変わって、目を伏せ弱気な言動を取る親友の姿に、すずかは憂いを帯びた視線を向ける。

「…そんな事はないさ。アリサもすずかも、十分になのはの支えになっているよ」

「──えっ?」

 顔を上げてこちらを向いたアリサへ、俺は言葉を続ける。

「傍に居るだけでいいんだよ。それだけで、きっとなのはの力になる筈なんだから」

「──そんなの、誰だって出来るじゃない…!」

 俺の意見に、アリサは絞るような声で異を唱えた。

「違う。これは誰にでも出来る事じゃない。心から信頼し合う人間にしか出来ない事だよ」

 俺はアリサの言葉に対して、大きく首を横に振る。

「アリサは辛い時や苦しい時、親や親友が傍に居てくれたら、嬉しくないか?」

「それ、は──」

 否定が出来ないようで、アリサは口籠った。

「なのはも今、かなり苦しい筈だよ。子供がやるにはキツイ仕事だ。さっき言った通りの危険もあるし、悩みだってある。でも人に話す事は

出来ない、内に溜め込んだストレスは相当な筈だよ。そんな辛い状況だからこそ信頼している人が傍に居てくれれば、安心が出来るんじゃ

ないかな?」




 ──寂しい時。




 ──苦しい時。




 隣に父母や友達のような、親しい人たちが居てくれる事は嬉しく、心強いものだ。

 そう俺は前世の幼少の頃を振り返り、正面からアリサとすずかを見つめて、思いの丈を口にした。

「…………」

「…………」

「…………」

 そして、しばし睨み合いが続いた後──

「……わかったわよ。しばらく様子を見るわ」

 俺から視線を外したアリサは、やや不満げな様子ながらもピリピリとした雰囲気を霧散させ、了承の言葉を口にした。

 それを見たすずかは大きく安堵の息を吐き、三人の間に流れていた緊迫した空気を和らげた。

「──ねえ」

「んっ?」

 その時、アリサの声が俺の耳に届いた。

「いつか…ちゃんと話してくれるのよね…?」

 どこか不安げな表情と声色で、彼女は俺に問いかけてくる。

「…ああ。いずれちゃんとなのは自身が、二人に話すよ」

 少し弱気が滲み出たのであろうアリサを安心させるように、俺は笑みを作って答えを返した。

「そう。…なら仕方がない! なのはが自分から喋るまで待っててあげるわよ」

 アリサは悶々とした鬱憤が少しは晴れたのか、校門で見かけた時よりも幾分か怒りが和らいだ表情を見せ、

「付き合わせて悪かったわね、令示。それじゃあ帰りましょ、すずか」

 台詞とともに踵を返し、公園の入り口まで歩いていく。

「あ、待って、アリサちゃん!」

 すずかが慌ててその後を追って駆け出すが、数歩進んだところで足を止めこちらを振り返って先程と同様に、喜んでいるようなそうでない

ような、ちょっと困ったような微笑みを浮かべて、口を開いた。

「私ね…令示君がなのはちゃんを助けてくれてる事、嬉しいだけじゃなくて、ちょっと羨ましいって思っちゃった」

「えっ? それって──」

「すずかー! 早くー!」

 俺はすずかの言葉の意味するところがわからずその真意を問おうとするが、それはアリサの声にかき消され、彼女に届かなかった。

「うんっ! 今行く! ──それじゃ、またね。令示君」

 そう言ってすずかは、いつもの裏の無い笑顔を俺に向け、アリサの方へと駆けて行った。

「…………」

 二人が去って行った方向を無言で見つめながら俺は一人、今のすずかの言葉について考える。

(羨ましいって…俺がなのはと仲が良くなって? それとも、なのはが俺と仲が良くなって?)

 いや、まさか、な。

 忍さんに交際を勧められたとはいえ、すずかは思春期すら迎えていない小学生だぞ? 

 ここはアニメの世界とは言え現実。二次創作であるような速攻で惚れられるなんて話、ある訳がない。

 もしすずか本人が俺が好きだと思っていたとしても、誘拐事件による吊り橋効果の可能性が高いし、マタドールの偉容を見た事による憧れ

──ヒーローに対する崇敬の念という事も考えられる。




 だが、もし──




 すずかが俺に対して、そういう感情を持っていたとしたら──




 俺は、どうするべきだろうか──








 第六話 ぶつかり合う信念、擦れ違う想い。 前編








 後書き

 どうも、吉野です。

 更新遅れてすいません。PC買い替えたり、ADSLから光回線に乗り換えたり仕事が忙しかったり、PCに向かう暇が無かった上に

今回の話の流れで大苦戦しました。

 三人の会話や今後の話の流れを考えながら書かなければならなかったので、何度も頭を抱える羽目になりました。

 今回の話も、後でじっくり読み直して、矛盾があったら修正を加えるかもです。

 今回魔人の戦闘期待していた方、すいません。戦闘シーンは次回更新分の後編になります。

 では今日はこの辺りで失礼します。



[12804] 第六話 ぶつかり合う信念、擦れ違う想い。 (後編)
Name: 吉野◆fe64ebc7 ID:579e364a
Date: 2011/06/08 12:45
 日が西に傾き始めた春の午後。通学路を歩くなのはは一人、俯きながら家へと向かう。

(一人で帰るのって、そう言えば久しぶりかな…)

 アリサとすずか。二人と友達になって以来、久しく感じていなかった寂しさによって、鏡を見ずともわかる程、自分の顔が暗く沈んだもの

となっている事を、なのはは自覚していた。

「寄り道して帰ろ。みんなに今の顔、見られたくないから…」

 通学路から外れた裏道を眺めながら漏らした彼女の呟きは、雑居ビルの影へと吸い込まれるように消えていった。








 ──海を一望できる海鳴の名所の一つ、海鳴海浜公園。

 なのははベンチに腰掛け、オレンジの光を帯びながら揺れる、水面を眺めていた。

 もっとも、彼女の意識は昼間の自分の態度に怒りだしたアリサと、それを宥めるすずかの事に奪われ、まるで目に入ってなかった。

 沈んだなのはの気持ちは自然、初めて三人が出会った頃の思い出を振り返っていた。

 すずかの白いカチューシャを取り上げていたアリサに、平手を見舞ったあの時の思い出を。

「アリサちゃんとは、その後大ゲンカになったっけ…」

「へえ、アリサと喧嘩した事あるのか? そりゃまた勇気があるというか、無謀というか…」

「うきゃうっ!?」

 ぽつりと漏らした自身の呟きに対し、唐突に返って来た声。
 
 驚いたなのはは思わず妙な悲鳴を上げてしまった。

「だっ誰!?」

 慌てて左右に視線をやるものの、人の姿は無い。

 が、それも当然だ。なのは自らが、人気が無くて静かな場所を選んでここにやって来たのだから。

「俺だよ俺」

 そして声の主は、なのはの予想外の場所──ベンチの後ろの植え込み部分から、ガサガサと葉を揺らして顔を出した。

「令示くん!?」

 これまた予想外の人物の登場に、なのはは驚きの声を上げた。








 第六話 ぶつかり合う信念、擦れ違う想い。 後編









(なのはサイド)






「よっ、なのは」

 驚く私に向かって片手を上げて挨拶をしながら、令示君は柵を跨いで私の隣に座りました。

「ど、どどどどどうして令示君がここに居るの!?」

 変です。

 おかしいです。

 誰にも見られないように寄り道をした筈なのに…それに、ここは令示君の学校やお家からもすごく離れているのに…

「ん? ああ、こっちにあるスーパーで特売があったんでな。学校帰りに直行したんだ」

 そう言いながら、令示君は持っていた買い物袋を持ち上げて、私に見せました。

「で、目的の物も買ったし、さあ帰ろうと思ったところで通学路から外れて一人ぼっちで歩いているなのはを見つけて、気になって追いかけ

て来たという訳だ」

 そこまで説明した令示君は、「それで──」と言葉を続けながら私の顔を正面から見つめてきました。

「何があったんだ? まあ、アリサと揉めたってところだろうが…」

「ええっ!? な、何で!?」

 どうしてわかったの!? 

 私はまた大声を上げてしまいました。

「フフフ、悪魔の力で心を読んだんだ」

「ええっ!? ウソッ!?」

 驚きました。まさかマタドールさんや大僧正さんにそんな力があったなんて…私が驚いて目を丸くしていると、令示君はふふん、と得意気

に笑いながら──

「うん、もちろん嘘だ」

「──へ?」

「いや、人の心が読める悪魔はいるけど、俺が変身するタイプの連中にそういう能力は無いよ。ちょっとしたジョークのつもりのつもりだっ

たんだが、ここまで見事に引っ掛かってくれるとは思わなかった」

 と言って、令示君は頭を掻きながら子供っぽく笑いました。
 
 うう、また騙されたの…

「酷いよ令示君!」

「や、悪い悪い」

 私が怒って声を上げると、令示君は笑ったまま顔の前で両手を合わせて、頭を下げました。

「…もう、本当にそう思ってるの?」

 ほっぺたを膨らませて私がそう聞くと、令示君は大きく頷きながら口を開きました。

「ああ、反省してるよ。なのはも少しは元気が出たみたいだし、からかうのはこの位にしておきますって」

「──え?」

 もしかして令示君、私を励まそうとしてわざと…?

「どうだ? 憂鬱な気持ちは少しは晴れたか?」

 学校でアリサちゃんを怒らせてしまい、暗くなっていた私でしたが、令示君とお話しして少し胸が軽くなったような気がしました。

 だから私は──

「……うん。ありがとう令示君」

 今出来る精一杯の微笑みを乗せて、令示君にお礼を言いました。

「ん。ならばよし」

 そう言って笑いを返してくれた令示君の顔は、さっきのいたずらっ子みたいな笑顔じゃなくて、お父さんやお兄ちゃんが私に見せるような

大人みたいな静かな笑顔でした。

「…令示君って不思議だね。急に子供っぽく見えたり、大人っぽく見えたりするんだもん」

 出来れば、いつも大人っぽい令示君でいてほしいです。

 今日は嬉しかったけど、からかわれるのはあまり好きじゃないし…

「あのな、なのは。男ってのは女から見ると、どっかしら子供っぽいところがあるもんなんだよ。歳とか関係無しにね」

 そんな私の気持ちに気付く事無く、令示君は片目をつむりながら人差し指を立てて、そう説明します。

 その顔は子供っぽくも大人っぽくも見えて、令示君はやっぱり不思議な子だなと、私はそう思いました。




(令示サイド)




「──さて、冗談は置いておいてだな」

 俺は話題を改めるべく、咳払いをしてきょとんとした表情でこちらを見るなのはへ、視線を向けた。

「実際のところなのはたちが揉めた事は、今日俺の学校に乗り込んで来たアリサから、直接聞いたんだよ」

「えっ!? アリサちゃんたち、令示君の所に行ったの!?」

 口元に手を当て驚きを示すなのはに、俺は無言で頷きを返した。

「ここ最近、俺となのはとユーノでジュエルシード捜しをするんで街中歩き回っていただろ? どうやらそこをすずかに何度か目撃されてた

らしくてな。で、それがアリサの耳にも入って、俺を訪ねて学校まで来たって訳だ」

「そうだったんだ…」

 アリサとのトラブルを俺が知っていた事にようやく得心がいき、なのはは大きく息を吐いた。

「で、だ。ここからが本題なんだが、アリサの奴相当におかんむりでな、仕方なく俺たちの事情を説明したんだ」

「ええっ!? アリサちゃんたちに話しちゃったの令示君!?」

「落ち着け。ジュエルシードとか、魔法関係の話はしていないよ。そのあたりは名前を出さないで説明した」

 再び声を張り上げるなのはを押しとどめ、冷静に話を聞くよう促す。

「う、うん…」

 彼女は一応は頷きはしたものの、眉間に皺が寄ったままの表情が、疑問を抱いたままだという事を示していた。

「とりあえず、アリサとすずかには大雑把に『なのはは海鳴市を災いから守る為に、厄介事に首を突っ込んでいる』って説明してある」

「えっ? …あの、令示君? アリサちゃん反対しなかった?」

 双眸に不安の光を宿して、なのはが俺に尋ねる。

「ああ、滅茶苦茶怒りながら反対した。『そんなもの女子小学生がやる事じゃないっ!!』ってな感じで」

「にゃあぁぁ…やっぱりぃ…」

 頭を抱えて呻きを漏らす魔法少女。どうやらアリサの反応は想像通りだったようだ。

「まあ、安心しな。二人とも最終的には納得してくれたから」

「──へ? ホ、ホントに…?」

「災い──ジュエルシードの暴走を無力化出来るのは、現状なのはだけだって説明して、もしヤバくなったら俺が悪魔化してでもなのはを助け

るって言ってな」

 俺の言葉に、なのははハッとして顔を上げる。

「悪魔化してって……それ、二人に話しちゃったの!?」

「あ~、それなんだけどなぁ……」

 驚きの声を上げるなのはに対して、俺は顔を顰めながら頬を掻いて言葉を濁す。正直ばつが悪いのだ…

「悪いなのは。実は俺が悪魔に変身出来る事、アリサもすずかも前から知っているんだ」

「ええーっ!? どどど、どうしてっ!?」

 溜息混じりの俺の告白に、なのはは混乱の極みにおちいったようで、言葉のみならず全身をわたわたとせわしなく動かしながら、こちらに

問いを投げかけてきた。

「実は、俺が初めて悪魔に変身した次の日に、状況を整理しようと思って、人の居ない廃ビルの中で色々実験していたんだよ。そこにガラの

悪い連中が、アリサとすずかを誘拐して連れて来たんだ。で、それを俺がマタドールの力を使って助けたんだけど、その後に身を隠すのに失

敗してすずかに正体を見られたんだよ」

「ゆ、誘拐っ!? そんなの聞いてないよ! 令示君どういう事!?」

 ショッキングな言葉を耳にしたなのはは、掴みかからんばかりに俺に迫って来た。

「あー、結果的に何事もなかった訳で、不用意になのはを心配させる事は無いと考えたんだよ。丁度、俺たちが魔法関連の事を二人に隠して

いるのと同じように。後、こっちが本題なんだが…すずかのある秘密を守る為に、なのはに黙っておかざるを得なかった」

「すずかちゃんの、秘密……?」

 首を傾げながら呟くなのは。

「ああ。誘拐事件の時、俺とアリサはほとんど偶然にすずかが必死で隠してきた、その秘密を見ちまったんだ」

「それって一体…」

「悪いが俺の口からは話せない」

 尋ねてくるなのはに対し、俺は首を振って回答を拒否し──

「ああ、勘違いしないでくれ、別に意地悪でこんな事を言っているんじゃないぞ?」

 矢継ぎ早にフォローの言葉を入れ、説明を行う。

「今言ったけど、すずかはこの秘密を必死に隠していたんだ。それは何故か? この事がなのはとアリサに知られた時、友達でいられなくなる

──二人に嫌われる事を恐れていたからだ」

「っ!? そんな事思わないよ!」

「うん。俺もそう思う」

 怒り混じりのなのはの叫びに、俺は肯定の意を返す。

「現にアリサもすずかの秘密を知っても、多少の混乱はあったけど『私は何があろうと、すずかの親友なんだから!』って言い切ったからな。

二人と親友であるなのはなら、同じ答えをすると思う」

「アリサちゃん…うん。絶対にそう言うよ」

 この場に居ない親友の男前な答えに、なのはは顔をほころばせ、微笑みを浮かべる。

 …俺は『自分』という存在が、なのはたち三人の関係に亀裂を生んでしまうのではないかと危惧していた。

 しかしそれは思い上がりだったかもしれないなと、眼前の少女を見ながら考える。

 喧嘩をしていようと、傍に居なくても、三人は心の根っこの部分でしっかりと繋がっているのだと、なのはの言動が証明していた。

 だからここで余計な事を言うまい。俺が何かするまでもなく、この三人ならちゃんとわかりあえる筈だから。

「けど、すずかにとっては昔から抱えていた問題でさ、俺とアリサが大丈夫だったとはいえ、直ぐになのはにも話せる程踏ん切りがつかなかっ

たようでな…てな訳で、月村のお屋敷で会った時に、嘘はついていなかったけど、結果的になのはを騙す事になっちまったんだ」

 ごめんな、と俺はなのはに頭を下げた。が──

「わ、そんな、謝らないでよ令示君」

 なのははわたわたと手を振って俺を止めに入った。

「いや、しかし──」

「すずかちゃんがどんな事で悩んでいて、どんな秘密なのかわからないけど、それがすずかちゃんにとってとても大切で、難しい問題だって事

はわかるもの。

 だから私、すずかちゃんが教えてくれるまで、待っているから。だって──」




 お友達だもん。




 そう言って、なのははお日様みたいな柔らかな笑みを作った。

 それを見た俺は数瞬きょとんとして──

「──ははっ」

 思わず笑いが漏れてしまった。

「えっ!? えっ!? な、なにかおかしかったかな?」

 そんな俺の反応におたつくなのは。

「や。別におかしかった訳じゃない。ただ、なのはが『すずかが話してくれるまで待つ』って言ったのが、今日アリサが言ってた事と同じなん

で、つい笑いが出ちまったんだ」

「アリサちゃんが言ってた事と同じ?」

「ああ」

 おうむ返しに問うなのはに、俺は頷きながら答える。

「アリサも、『なのはの行動について詳しい事は言えない、危険が付き纏うけど、なのはがやらなきゃ災いが起きる』なんて俺のアバウトな説

明にも、最終的には渋々ながらも理解してくれて、『なのはが喋るまで待つ』って言ったんだよ」

「アリサちゃんが…」

「ああ。しかし、『類は友を呼ぶ』ってヤツかな? 三人とも見た目も性格も全然違うのに、考えの行き着く先は同じなんてな…」

「うん、うん……!」

 俺の言葉に、なのはは嬉しそうに何度も頷く。

「それじゃあなのは、お悩みは解決! とまではいかないけど、とりあえず今心配する必要はなくなった訳だ。じゃあ今日も元気に、残りのジ

ュエルシード探索といくか!」

「うんっ!!」

「よっし! じゃあまずはそれぞれ自宅に帰り、用事を済ませた後集合だ。今日は駅前東口からスタートで行こうか?」

「りょーかいなの!」

 元気に返事をするなのはと別れ、互いに家へと向けて走り出す。

「令示くーん! また後でー!」

「おーう!」

 大きく手を振るなのはに、俺も手を振って答える。

「あ、それから……アリサちゃんとすずかちゃんの事、ありがとー!!」

 なのはは思い出したかのように俺へ礼を述べると、こちらの返事を待たずに背を向け、嬉しそうな様子で駆けていった。

「さてと。俺も早く帰って夕飯の下拵えしちまわないと」

 なのはの背中が見えなくなったところで、そう呟いて大きく伸びをすると、俺は改めて家へと足を向けた。








 4月26日 PM5:07 海鳴市 市街地 JR海鳴駅東口 正面出口




 夕食の準備を終えた俺は、猛ダッシュ。

 なのはたちとの待ち合わせ場所である海鳴駅東口へとやって来た。

「えっと、なのはたちはどこかな? …………っと、居た」

 会社帰りのサラリーマンや、放課後の学生たちでごった返す駅の入り口付近で周囲を見回しながら、ここを待ち合わせに場所にしたのは失敗

だったなと後悔していた矢先、俺は視界に駅の壁に背を預けたなのはと、その肩に乗るユーノを捉え、危惧とは裏腹にあっさりと二人が見つか

った事に安堵の息を漏らした。

「おーい、なのはー! ユーノ!」

「あっ! 令示君、こっちこっちー!」

「キュッ!」

 声をかけながら二人に近付くと、人の流れをぼんやりと眺めていたなのはとユーノもこちらに気が付き、俺の方へと駆け寄って来た。

「凄い人だね。令示君がちゃんとみつけられるか、少し不安だったよ」

 対面して、ホッとした表情を浮かべるなのはの言葉に、同意する俺。

「俺もだ。もちょっと集合場所考えるべきだった…まあいざとなりゃ、念話で呼びかけ合えばいいんだけどな」

「うん、そうだね」

《っていうか、連絡は重要だから二人とも念話の事は常に意識してね。これをやるかやらないかで、危険の有無がかなり変わるんだから…》

 互いの顔を見合せて笑う俺となのはの脳裏に、ユーノの注意を促す念話がこだます。

《了解だ、ユーノ》

《了解なの》

 全く以ってその通りな為、俺もなのはもユーノ先生のお言葉に素直に頷いた。

「──ま、雑談はこの位にして、今日の探索と行こうか」

「うんっ!」

「頑張ろうね、令示君、ユーノ君」

 俺の言葉に頷く二人を連れ、東口からまっすぐ伸びる通り沿いに、ジュエルシードを探し始める。

 本当は三人とも別れて探索した方が効率はいいのだろうが、フェイト陣営がこちらの各個撃破を狙ってきた場合、目も当てられない事態にな

ってしまう。

 一般生活での原作との乖離ならば、命の奪い合いにまで発展する事はまずないだろうが、こちら──魔法関連はシャレにならん。

 イレギュラー一つで、下手をすれば殺傷設定の魔法を放たれたり、次元震や次元断層に巻き込まれるなんて事態すら起こるかもしれない。

 いざという時は俺が悪魔の力で二人を守れる為、全員で固まってた方が安全なのだ。

 そういう訳で俺たち三人は表通り沿い──時々裏路地にも顔を出しつつ──にユーノやなのはの探索魔法で大まかな位置を特定した後に、目

を皿のようにしてジュエルシードを探すという、化石の発掘の如き地味で大変根気のいる、効率の悪いローラー作戦をとらざるを得なかった。








「あ~、タイムアウトかも…そろそろ帰らないと」

 新宿アルタのようなビル壁面の巨大モニタに映る『19:05』の時刻を見上げながら、なのはが残念そうに言葉を漏らした。

「ああ、今日も収穫無しか…」

 地面ばかり調べ続けて、腰と目が疲れた…なのはの言葉に相槌を打ちつつ、俺は強く瞬きをしながら腰を捻って体をほぐす。

 ──結局、ジュエルシードは今日も見つからずじまい。

『原作』ならばこの後、フェイトたちの魔力流での強制発動で見つかるんだが、出来るならその前に確保しておきたかった。

(いや、プレシアの鞭打ちがある以上、ここのジュエルシードはフェイトに譲るべきか? でも既に『原作』よりも一個多く集めてるんだよな

……いや、しかし、一つ二つであの女のヒスがどうにかなるとは思えんし…)

(主の記憶から鑑みるに、フェイト・テスタロッサがたとえ十個のジュエルシードを持って行ったとしても、プレシア・テスタロッサが鷹揚に

彼女を迎え入れるとは考えにくい)

 心中で逡巡していた俺へ、不意に投じられたナインスターの意見。

(だよなぁ…)

 俺はそれを否定する事が出来ず、溜息混じりに頷いた。

 プレシアの目標とするジュエルシードの個数は不明の為、下手に多くの数を渡す事は出来ない。

 最悪の場合、アースラが来る前に次元震が発動してしまう可能性があるし。

 しかし、それは同時にフェイトに加えられる虐待を、見て見ぬふりをするのと同じな訳で──

(全く思い通りにいかないもんだな、あっちを立てればこっちが立たず。TVのヒーローのようにはいかないか…)

 二次創作のオリ主だったら、時の庭園に乗り込んでフェイト助けたり、プレシアにSEKKYOをかましたりするんだろうけど、イレギュラ

ーが不安な俺は、そこまで思い切った行動は出来ない。(時の庭園に独力で行く手段も、現状存在しないし…)

 良く言えば慎重なんだろうが、臆病な選択と言われても否定出来ない。

 …『若さとは振り向かない事』とは、『宇宙刑事ギャバン』だったっけか?

 目的や目標に向かって我武者羅に突っ込む事が出来るのは、若さ故の特権という事だ。見た目が若くとも、俺の魂は確実に老いているといる

のだろう。

 それに対して、目の前の少女──なのはは、まさに『若さ』を体現していると言える。

 いつだっただろうか、俺がそういう『若さ』を失っってしまったのは…

 俺はぼんやりと夜空を眺めながら、前世の記憶を掘り返し──

「──君、令示君!」

「うおっ!?」

 思考の海に埋没していた俺は、なのはの呼びかけで現実に引き戻される。

「令示君、大丈夫?」

「どうしたの、令示? 疲れた?」

 いつの間にか目前に立っていたなのはとユーノが、俺に心配そうな視線を投げかけていた。

「ああ、いや、ちょっと考え事していただけだ、問題無い。それよりも、今日はこれからどうするんだ?」

 俺は頭を軽く振り、ユーノにこれからの予定を問う。

「うん。なのはは士朗さんたちに心配かけちゃうから、これ以上の捜索は無理。だから僕が残ってジュエルシードを探す事にしたんだ」

「私ももう少しお手伝いしたいんだけど…」

 なのはは申し訳なさそうに言葉を濁す。

 俺は思考を切り替え、少し考える。

 フェイトたちはこの後すぐに、動き始める筈。今回の戦いは小規模ながら次元震が発生するものだ。最早グダグダ悩んでいる暇はない。こう

なったらやるだけやるしかないだろう。

 意を決し、俺はとるべき行動を決めた。

「──じゃあ、俺はなのはを家に送ってからまた戻って来てユーノを手伝おう」

「えっ!? 悪いよ、私なら一人で帰れるから…」

「いや、女の子を一人で帰す訳にはいかんだろ、こんな時間に」

 慌てて遠慮をするなのはの声を遮り、俺はもっともらしい理由をつける。

 確かアニメでは、なのはは発動したジュエルシードのすぐ近くに居た。ならばこのまま彼女の傍に居た方が、不測の事態に対処しやすい筈。

まあ、建前として吐いた台詞も本音なのだが。

「うん、わかったの…」

 なのはも一応筋の通った俺の台詞に反対出来ず、申し訳なさそうに俺の提案を受け入れた。

「よし。それじゃユーノ、ちょっと場を外すけど、もしフェイトたちにみつかったら逃げるか隠れるかして凌いでくれよ? こっちが先にみつ

けても、絶対に仕掛けるな、俺たちにすぐ連絡してくれ」

「うん、わかってる。って言うか、それさっき僕が二人に言ったよね?」

「ん? ああ、そうだったな」

 くすくすと笑いながら指摘するユーノに対し、俺も頭を掻いて苦笑を浮かべた。

「大丈夫だよ令示。僕自身、攻撃に関して決定打に欠けているのは理解しているから、無茶はしないよ」

「ならいいが…まあ、俺もなのはを送ったらすぐ合流するから、少しの間頼む」

「うん、任せて」

 俺となのははユーノに手を振って別れると、踵を返して高町家へと向かった。

「あ、令示君ちょっと待って」

「ん?」

 その道すがら、なのはは不意に立ち止まって、ポケットから取り出した携帯をいじくる。

「…メール確認か?」

「うん。アリサちゃんとすずかちゃんから届いてるかなって思ったけど…」

 が、液晶を確認して少し残念そうな表情を浮かべると、携帯をたたんでポケットに納める。どうやら着信無しだったようだ。

「まあ、少し忙しいのかもしれないな。帰って時間が経ったら着信があるかもしれないし、明日直接なのはに話すかもしれないぞ?」

「うん、そうだね。じゃあ行こうか、令示君」

「ああ」

 微笑むなのはに返事をして、駆け出した彼女の後を追いかけ走り出した、その時──

 轟、っと一陣の生ぬるい風が俺たちの頬を撫で、過ぎ去って行った。

 同時に肌にピリピリと生じる威圧感。

「あっ…」

「んっ?」

 俺となのはは足を止めて振り返り、プレッシャーの発生源──今し方通り過ぎたビルの屋上へと目を向ける。

(アルフの魔力流かっ!)

 流れる雲があっという間に街の上空を覆い、風が吹き荒れる。黒雲からは雷が乱れ落ち、すさまじい魔力の暴走が巻き起こる!

 それと同時に青い光が空間を染め上げ、辺りの通行人たちが次々と姿を消していく。…ユーノが広域結界を展開したのだろう。

「令示君、これ、ユーノ君が?」

「ああ! 俺たちも行こう!」

「うん!」

 俺の言葉に力強く頷いたなのはとともに、魔力暴走の中心へと向かって身を翻す。

「レイジングーハート、お願い!」

『stand by ready. set up.』

 なのはが走りながらレイジングーハートを空中へ放り投げる。

「やるぞ、ナインスター」

『承知』

 俺は足元に展開した曼荼羅より生じたマガツヒに飲み込まれ、大僧正の姿へと変じる。

 なのはは上空で光に包まれ、バリアジャケットを装着。

《なのは、令示、発動したジュエルシードが見える?》

 地に降り立ったなのはと、その傍で浮遊する俺へと向かって、ユーノから念話が届く。

《うん。すぐ近くだよ》

《うむ。我らの前方に、荒れ狂う魔力が渦巻いておる》

 俺たちは視線を揃えてユーノの言葉を肯定する。

《あの娘達も近くに居るんだ。あの娘達よりも先に封印して!》

《わかった!》

「周囲の警戒は任せよ。汝は封印に専念するのだ」

「はいっ!」

 返事とともに、なのはが構えたレイジングハートの先端からは桃色の魔力の光がジュエルシードへ向け、真っ直ぐに桃色の光を伸ばす。

 同時に、正面のビルの頂上からも、金色の魔力光がジュエルシードへと伸び、捕捉し──

「リリカル、マジカル!」

「ジュエルシードシリアル19…!」

 魔人の聴力が、なのはの声とともに数百メートルは離れている、フェイトの言葉を捉える。

「封!」

「印!」

 轟音とともに放たれた桃色と金色、二色の砲撃は左右から荒れ狂う魔力の嵐を貫通。ジュエルシードを圧迫し、完全に抑え込む。

 そして、打って変わって静寂が訪れた路上の真ん中で、まるで何事もなかったかのように中空に浮かぶジュエルシード。

 どうやら封印処理は無事に行われたようだ。

 俺の隣、なのはの掌中のレイジングハートが、砲撃にて生じた熱を、スチームのように放出した。

「参ろうか」

「──うん」

 己が相棒の様子を確認した後、なのはは俺とともにジュエルシードへと向かってゆっくりと足を踏み出した。

「ねえ、大僧正さん…」

「何かな?」

 浮遊する俺の隣を歩くなのはが、ジュエルシードへ視線を向けたまま話しかけて来た。

「私ね、初めてアリサちゃんと話した時は、掴み合いの喧嘩になっちゃって、それをすずかちゃんに泣きながら止められたの。──それが、

私たち三人の始まり」

「ほほう。それは何とも…まるで男児の如き出会いよのう」

 滑るように中空を進みながら、呵々と笑いを上げる。

「にゃはは、確かに…──でもね、それがあったから、その後から少しずつ話をするようになって、今みたいに、離れていてもお互いを想い

合える関係に、友達になれたんだと思う」

 なのははほんの数秒程目を瞑り、二人との出会いを懐かしむかのように表情を綻ばせた後に、強い想いを宿した宿した双眸を、進む先──

ジュエルシードへと向けた。

「だから私は、フェイトちゃんとお話がしたい。

 何でジュエルシードを集めるのか。

 ジュエルシードで何をするのか。

 ──どうして、あんなに寂しい目をしているのか…」

「…海鳴温泉で、さんざんけしかけるような台詞を口しておいて今更だが…思うまま突き進む事で、望む答えが、望む未来が掴めるとは限らぬ

ぞ? 衝突、苦渋、辛酸、敗北、失敗。知る必要の無かった冷たい現実と、負の情念に打ちのめされるやもしれぬ。それでも、汝は行くのか?」

 俺の問いかけに、なのははゆっくりと頷き、口を開いた。

「…目的がある同士だから、ぶつかり合うのは仕方ないのかもしれない…だけど、知りたいんだ!」

「──そうか。ならば拙僧が言うべき事は、何も無い」

 決意を口にして、一歩足を踏み出すなのはを、じっと見つめる。

「その思いの丈、存分にフェイト殿にぶつけるが良い」

「うん……! ありがとう大僧正さん」

 ──ああ、今わかった。

 前世も含めて、何故俺がこんなにも彼女の行動を注視していたのか。

 それは、なのはの姿が俺が切り捨ててきた『若さ』そのものだからだ。

 自分の思う最良の未来を掴む為、時に大人から見て、無茶無謀としか思えない行動を取る。

 それは俺が前世で大人になる過程で、「無駄」として切り落としてしまった思想だ。

 だから、なのはの行動は危なっかしくも懐かしく、羨望の念を禁じえないものに見えるのだ。

 …人は、挫折や失敗から「無茶」や「無謀」を切り捨てていく。

 それは決して悪い事ではない。危険を回避し、思慮深さを得て、安全かつ円滑に生を謳歌する事が出来る立派な環境適応能力であり、学習能力だ。 

 だが、それがすべて全て正しい訳じゃない。

 危険を回避する円滑な人生とは、時に諦めや迎合、妥協をよしとする生き方だ。…それは、俺の前世での人生はまさにそれだった。

 壁に当たれば諦め、逃げ、しがらみに縛られる、そんな毎日。

 だからこそ、こんなにもなのはに対する羨望の念がやまないのだ。

 俺が切り捨てた物を持っているだけでなく、躊躇無くその想いのまま動ける、そんな彼女が羨ましかったのだ。

(若き英雄を見る、老いた敗残兵ってのは、こんな気分なのかねえ…)

 そんな事を考えている内に、俺たちはジュエルシードまで四、五メートルというところまで迫っていた。

「なのはっ! 早く確保を!」

 そこへ、俺たちへ追いついたユーノが背後から叫ぶ。

「そうはさせるかい!」

 同時に木霊す、魔獣の咆哮。

 橙毛の巨狼が、上空よりなのは目がけて襲撃を仕掛ける!

「──オン・キリキリ・バザラ・バジリ・ホラ・マンダ・マンダ・ウン・ハッタ」

 しかしその瞬間、俺の真言に応じてなのはを囲むように、六、七メートルはあろうかという四本の巨大な杭が、大地からせり上がるように顕現した。

「十八道、結界法が一。金剛橛(こんごうけつ)」

 以前使った金剛炎と同じ、十八道の修法の一つである。

 本来は結界の境界を定める杭を打ち込むものだが、今回はなのはを守る防壁として発動した。

「クッ!」

 アルフの巨体では杭の隙間に居るなのはを狙えぬ上、そのまま落ちれば杭の先端に衝突してしまう。彼女は舌打ちして猫のように空中で体を

捻り、落下軌道を修正した。

 …フォーリングコントロール(落下制御魔法)か? 全く、性格とは逆に器用な奴だ。

 っと、感心している場合じゃない。杭の脇──なのはの傍へと降りようとしているアルフを捕捉しながら、俺は新たな真言を口にする。

「ナウマク・サンマンダ・ボダナン・バヤベイ・ソワカ──風天よ来たれ!」

 突き出した印の先より旋風が生まれ、青い魔力を帯びて視覚可能となった風の魔弾は、尾を引いて大地へ降り立ったアルフへとその牙を剥い

て襲いかかる!

「なわっ!?」

 着地直後を狙われたアルフは、俺の放った風の呪法に吹き飛ばされ、二、三〇メートル先の路上へ再度着地した。

「電気、炎熱の次は風の魔力変換だって!? どこまでデタラメなんだい!!」

 憎々しげに言い放ち、巨狼はこちらを睨みながら、身を低くして唸りを上げる。

 …ふむ。『吹き飛ばす』という点に特化させて放ったという事もあるのだろうが、風自体に殺傷能力がほとんどない事もあり(真空や風の刃

は別として)俺でも非殺傷設定の真似事が出来た。

 これはかなり使い勝手がいいな。今後も多用しそうだ。

「なのは、この場は拙僧が」

 金剛橛を消去しながら、俺は口を開く。その間もアルフからは目を離さない。

「大僧正! 僕も!」

 俺の隣にユーノが並び立ち、そして──

「フェイトちゃん…」

 その呟きとともに街灯の上に降り立ち、眼下のジュエルシードとなのはを見つめる、黒衣の魔導師──フェイト・テスタロッサ。

 役者が揃い、新たな戦いの幕が上がる。








 フェイトとなのは。無言のまま見つめ合っていた二人の均衡を崩したのは、後者だった。

 なのはは決意を胸に、一歩足を踏み出す。

「この間は自己紹介出来なかったけど…私なのは! 高町なのは! 私立聖祥大付属小学校三年生」

『scythe form.』

 無機質なバルディッシュの返答。その黄玉が、魔力の輝きを放つ。

「あっ…!」

 その声に反応して、なのはは慌ててレイジングハートを構えた。

 フェイトは無表情のままなのはを見つめる。

(どうしても聞きたい…なんで、そんなに寂しい目をしているのか…)

 そんなフェイトを、なのはは悲しそうにみつめる。

 一瞬目を瞑り、意を決したかのようにマントを翻し、フェイトは宙へと飛び上がる。

「ああっ!?」

「ッエエィ!」

 大鎌形態のバルディッシュを大上段に振りかぶり、なのは目がけて振り下ろす!

「flier fin.」

 レイジングハートの音声とともに、なのはの踵から桃色の羽が生まれ、飛翔する事で光鎌の一撃を躱す。

 フェイトも飛行魔法を発動、なのはの後追って宙へ舞った。








「ガァァァッ!!」

 叫びとともに、アルフが牙を剥き、俺へ襲いかかる!

「させない!」

 その時、俺の前へと飛び出したユーノが、半球状の防御魔法を展開。

 青い半透明の障壁がアルフの侵入を阻み、激しく火花を散らす。

 しかし、アルフは俺たちの目の前で口端を吊り上げ笑みを浮かべると──

「なっ!?」

「むうっ」

 ユーノの障壁を蹴りつけて跳躍、俺たちの頭上──高架の車道へと跳び移った。

「ハッ! あんたらの相手をしている暇なんてないんでね、おさらばさせてもらうよ!」

 嘲りの言葉を吐き捨て、アルフはなのはとフェイトが争う戦闘空域へ向かって疾走した。

「…獣の闘争本能を刺激され、我らに向かって来ると思っていたが…いやはや、存外冷静ではないか」

「感心している場合じゃないよ! 早く後を追わないと!」

「わかっておる、しっかりつかまっておれユーノ。──オン・マユラ・キランテイ・ソワカ」

 ユーノが肩に乗ったのを確認すると、俺は孔雀明王の真言を唱え、出現した半透明の巨大な孔雀に抱えられ、空へと舞い上がる。

「──行くぞ」

 俺の意に応じ、孔雀は高い鳴き声を上げて双翼を広げると、高架上の道路を見下ろし空を駆る。

「──っ! 居た! あそこ!」

 見晴らしの良さと、素早く追った事が功を奏した。飛行してすぐにユーノが、車道を駆けるアルフを発見したのだ。しかし──

「さて、あ奴をどう止めるかのう…」

 あの様子じゃ、多少の妨害程度では無視を決め込んで、フェイトの下へ走り続けるだろう。今、彼女たちの勝負に水を差される訳にはいかない。

 が、かと言って、無理やりな方法で止めて大怪我でもさせれば、俺たちに対するフェイトの心証が悪くなる事だろう。

「なるべく、出来る事ならば無傷で捕えるのが理想なのだが…」

「出来るの?」

「一応、策はある。ユーノの協力も必要だが」 

「うん。僕に出来る事なら手伝うよ。何をすればいいの?」

 躊躇する事無く頷くユーノに、俺は作戦の概要を伝える。

「──という方法じゃ。出来るか?」

「…やった事はないけど、特に無茶って訳でもない。問題無いよ」

「ふむ」

 なら悩む事はない。グズグズしている暇はないのだ。こうしている間にも、アルフとなのはたちとの距離はどんどん狭まっているのだから。

「ならば行くぞ、ユーノ。拙僧の呪に合わせよ!」

「うん!」

 俺はユーノに呼びかけつつ、眼下で走り続けるアルフを視界に捉え、真言を口にする。

「──オン・キリキリ・バザラ・バジリ・ホラ・マンダ・マンダ・ウン・ハッタ!」

 刹那、アスファルトを突き破り、アルフを囲むようにして不規則に林立する、巨大な杭の群れ──金剛橛。

 だが、今度の呪文は守る為のものではないので、その隙間は大きく、アルフは余裕でその間隙を縫って突き進む。

「フフン! こんな物であたしを止めらベッ!?」

 余裕のあまりに吐こうとしたのであろうアルフの挑発の台詞は、杭と杭の間に展開されたユーノの防御障壁に、彼女が顔面から突っ込んだ事

により、物理的に止められた。

「…防御魔法をこんなふうに使う人なんて、初めて見たよ」

 呆れと感心が入り混じった声で呟くユーノ。

「うむ。思いのほかに上手くいったのう」

「いや褒めてないから」

 等と語り合うその間もユーノは手を休めず。アルフの動きに合わせて魔法を展開。俺達の下から「はぶっ!?」というくぐもった悲鳴と衝突

音が響く。

「…なんか、段々可哀想になって来たんだけど?」

 そう言ってジト目で俺を見るユーノ。いや、お前もやるって言っただろ…つか、こうして話してる間も手を休めないお前も相当だよ。これが

マルチタスクってヤツか? 

 ──と、そうこうしている間にも、俺たちの下から響く衝突音と「ぶはっ!?」という悲鳴。これで三度目。

 路上へと目をやれば、両の前足で鼻の頭を押さえてうずくまっていた。

 が、こちらの視線に気が付いたのか、ヨロヨロと起き上がると、俺たちを見上げながら全身より光を放ち、人型へと変じる。

「あんたらぁ…いい加減にしろっ!!」

 と、こちらを睨みつけて怒号を上げるアルフだったが、涙目と赤くなった鼻では迫力の欠片もなかった。

「こんなところで足止め食らってられるかい! とっとと抜けさせてもらうよ!」

 人の姿となって、四度目の突貫をかけるアルフ。当然ユーノがそうはさせじと防御障壁を生みだす。が──

「はんっ! 何度も同じ手に引っ掛かるかい!」

 アルフは展開された防御魔法を両足を揃えて蹴りつけ、体を丸めて後方へと跳躍。その先にあるのは、金剛橛にて生み出された杭の一柱。

 おそらくはあれを蹴りつけ、三角跳びの要領でこの杭の群れ逃れるつもりなのだろうが──

「それは予想の範疇よ。──オン・ビソホラタラキシャ・バザラ・ハンジャラ・ウン・ハッタ」

 その瞬間、林立する杭が二重三重に張り巡らされた網の群れと化し、鈍色に輝く囲みとなる。

「へっ? ──なわぁっ!?」

 当然、自ら杭へと跳んだアルフの末路は語るまでもない。

 杭から変化した網へと突っ込む形となり、抜け出そうともがくうちに更に絡まり、彼女は身動きが取れなくなった。

「な、何なんだいこれはっ!?」

「十八道。結護法が二、金剛網(こんごうもう)。しばらくの間、大人しくしていてもらうぞ」

 金剛網──十八道の修法の一つで、修道空間を強固な網で守る為の術である。

「って言うか、最初にあの杭じゃなくてこの魔法を使っていれば、普通に捕まえられたんじゃないの?」

 未だ諦める事無く、網から抜け出そうと暴れるアルフを見ながら、ユーノが俺に尋ねる。

「躱される可能性もあったのでな。確実に事を成す為に、拙僧の金剛橛と汝の防御魔法を囮にしたのだ」
 
 上空から俯瞰でアルフを捉えた事により、金剛橛の杭群の間を走る彼女の動きを把握し、その進行上に防御障壁を展開する。

 これで、アルフは自ら壁に向かって突っ込むという寸法である。

 最も、とにかくフェイトの下へ急ごうとして、前へ前へと進み事だけ考えていたアルフと、杭と杭の間という、わかりやすい設置目標に障壁

を張る事で、ユーノの魔法行使が素早く出来たという二点が大きい為、誰に対しても使える罠という訳ではないのだが。

 それに、何度もやればこちらのタイミングやパターンも読まれる。まあ、今回は読まれることを想定した上で、更にもう一手、金剛網という

罠をしかけ、アルフを捉えたのだが。

 ──ちなみに、実はこの作戦、穴が存在する。

 それは、『力任せに道路を打ち砕き、高架の下に逃げる』という選択だ。

 幸い、今回は「フェイトの下へ急ぐ」という、彼女にとっての至上命題があった為上手くいったが、素のアルフだったらブチギレしてこの選

択をしたかもなー、と考えたが、ユーノには黙っておく。成功したし、結果オーライだ。

 閑話休題。

「では、なのはたちの様子を見に行くとしよう」

 俺はほとんど簀巻きと化したアルフをそのままに、飛び上がった。

「わっ!? コラッ! この網ほどいてけぇっ!」

 上空の俺へと向かってギャイギャイと吠えるアルフ。

「いいの? 放っておいて」

「構わん。なのはたちの勝負の間だけ邪魔されなければ、それで良い」

 ユーノの疑問を涼しい顔で軽く流し、俺はなのはたちの魔力光が明滅する空域へと飛翔した。








 フェイト視点








 金桃二色の魔力光が大気を裂き、黒い颶風と白い疾風がビルの谷間を縦横に舞い、衝突交差を繰り返す。

 フェイト・テスタロッサと高町なのはの三度目の戦いは、これまでのようなワンサイドゲームではなく、鎬の削り合いと化していた。

『──master.』

「バルディッシュ…うん、わかってる」

 宙を舞いながら、フェイトはチラリと、無数に建つビルの一つへと視線を送る。

 彼女の眼に映ったのは、屋上より闇の双眸でこちらを見つめる法衣姿の木乃伊──魔人大僧正の姿だった。

 彼がここに居るという事は、自分の使い魔が破れたという事だ。アルフは無事なのか?

 飛来する桃色の魔弾をスライドして躱しながら、フェイトは念話を飛ばす。

《──アルフ。大丈夫?》

《フェイトかい!? ごめん、あいつらの罠にかかってさ…怪我は無いんだけど、バインドみたいな変な魔法にひっかかって…コノ!ソッチに

行くまでもう少しかかりそうなんだ…ヨッ! もうちょっと待ってておくれ!》

 とりあえず、彼女は大丈夫なようだ。しかし──

(一体、何を考えている?)

 前回の戦いの時もそうだが、大僧正の言動はあまりも不可解だ。明らかに優位な状況にもかかわらず、あっさりとその立場を放り投げ、こち

らが得するような条件を突きつける。
 
 今だって、アルフを人質として押さえれば、自分に対してかなり有利なポジションをとれた筈。

 相手の意図がまるで読めず、フェイトは混乱しそうになる。

(今はいい。それよりも、目の前の魔導師をどうにかするのが先決)

 かぶりを振って、フェイトは眼前の敵に集中する。

 確か、「タカマチナノハ」と言ったか? なぜわざわざ名前を名乗ったりしたのだろう。自分はジュエルシードを奪い合う敵にすぎないのに…

『Blitz Action.』

 フェイトは無表情のままでブリッツアクションを発動し、自分を探し飛び回るなのはへ向かい、風を切り裂き飛翔する!

「ッ!?」

 高速でなのはの背後に回り込んだフェイトは、彼女の背中目がけ、大鎌を振り下ろす!

『flash move.』

 しかしなのはも、高速移動魔法を発動。一撃を空振ったフェイトの背後へ回り込み返し、

『divine shooter.』

 お返しとばかりに、無防備なフェイトの背中へと、なのはは魔弾を撃ち放つ!




 ──だが、フェイトは崩せない。




 瞬時に後方を振り返ったフェイトは、バルディッシュの先端をなのはへと向ける。

『defenser.』

 バルディッシュの無機質な声とともに生まれたシールドが、ディバインシューターを受け止め、そこで生じた衝撃を下方へ体を捻りながら流

し、上空の白き魔導師に向けて、魔杖の砲門を向ける。

 上方のなのはも、フェイトに向けてレイジングハートを構える。

 ──互いの視線が、空中で衝突した。

「フェイトちゃん!」

「っ! あっ…!」

 その瞬間発せられたなのはの叫びに、フェイトは目を見開いた。

 理由はわからない。

 だが、強いて言うならば、相手の気迫に飲まれたと表現するのが一番近かった。

「話し合うだけじゃ、言葉だけじゃ何も変わらないって言ってたけど、だけど、話さないと、言葉にしないと伝わらない事もきっとあるよ!」

 なのはの心からの叫びに、呆然と目を見開き、その言葉を聞き入るフェイト。

「ぶつかり合ったり、競い合う事になるのはそれは仕方ないのかもしれないけど、だけど、何もわからないままぶつかり合うのは、私、嫌だ!」

 慟哭のような彼女の声が、ビルの谷間に響き渡る。

「私がジュエルシードを集めるのは、それがユーノ君の探し物だから。ジュエルシードを見つけたのはユーノ君で、ユーノ君がそれを集めなお

さないといけないから。私は、そのお手伝いで…

 だけど! お手伝いをするようになったのは偶然だったけど、今は自分の意思でジュエルシードを集めてる。自分の暮らしている街や、自分

の周りの人たちに危険が降りかかったら嫌だから! 令示君に沢山迷惑をかけちゃったから!」

 フェイトは瞬きもせず、なのはの言葉を聞く。

「これがっ! 私の理由!」

「私は…」

 あまりにも真っ直ぐな言葉。迷うかのようにフェイトは目を伏せ、呟いたその時──

「フェイト! 答えなくていい!」

「うっ…!」

「あっ…」

 二人が地上に目を向ければ、拘束から抜け出して駆けつけた、橙毛の巨狼──狼形態のアルフの姿があった。

「優しくしてくれる人たちのとこで、ヌクヌク甘ったれて暮らしてるようなガキンチョになんか、何も教えなくていい!」

「えっ…!?」

 その言葉に、なのはは驚き目を剥く。 

「あたしたちの最優先事項は、ジュエルシードの捕獲だよ!」

(そうだ、私はその為に──)

 フェイトが決意を新たに、バルディッシュを強く握り直したその時──




「たわけぇぇぇぇぇっ!!」




 雷鳴の如き大喝が、周囲に響き渡った。

「「「っ!?」」」

 なのは、フェイト、アルフの三対六眼の視線が、一斉にその発生源へと集約される。

 彼女たちの目の先──ビルの屋上にて結跏趺坐のまま浮遊する、大僧正へと。

「愚昧が! 汝こそ何を知った上で、そのような戯言を口にする!?」

 洞のような闇の双眸も、干乾びた顔も、何も変化は無い。

 しかし、アルフをみつめたまま、全身から生じさせる気配の正体は、誰の目から見ても明らかだった。

「只甘えるだけの小娘が、ぬるま湯に浸かり切った者が、この場に立てるものかよ!!」

 彼の周囲の空間が歪んでいるのではと、錯覚する程の激しい怒気。

 常に飄々としていた、普段の大僧正からは考えられない、感情の発露だった。

「グルル…!」

 その怒りの矛先──アルフは、四足でその場に踏ん張り、歯を剥いて大僧正を睨んでいるが、誰が見ても彼の迫力に気圧されていた。

 ──いや、それでも驚嘆に値する事だろう。直接怒気を当てられなかったフェイトですら、大僧正の叫びの瞬間には五体が強張り、制動に支

障が出た程だ。それに耐えているアルフの精神力は褒められてこそ、貶されるものではない。

 もし、これがなのはたちの予定調和であったのならば、その隙を突かれ敗れていたかもしれないが、彼女も何も聞いていなかったらしく、フ

ェイトと同じように体を硬直させていた。

「フェイト・テスタロッサよ!」

「っ!?」

 突然、大僧正の言葉の穂先が自身へと向けられ、動揺しながらもフェイトは彼へと視線を向ける。

「汝も己が使い魔と同じ考えか? なのはを覚悟の足らぬ半端者と嘲るか?」

「クッ…」

「虚偽は許さぬ」という言外の圧力が込められた声に、フェイトは思わず息を飲んでたじろぎ、僅かに後ろへ下がってしまう。

「ただ甘いだけの小娘であれば、何故この場に立てる!? 覚悟無き半端者が、何故二度の惨敗を味わって尚、この場に立てる!? 答えよフ

ェイト・テスタロッサ!! 汝の前に立つ娘は、本当に只の甘ったれか!?」

 強いか、弱いか。改めて考えるまでもない。

 三度にわたって、剣戟ならぬ杖戟を撃ち鳴らし、魔弾の応酬を繰り返して来た相手。

 正面に立つ魔導師──「タカマチナノハ」への評価は、既に結論が出ていた。

「……出会った時は、弱かった」

 口を開きながら、フェイトは過去の二戦を振り返る。

 魔力の運用効率、駆け引き、戦術…

 あらゆる点で素人と断じるだけの存在だった。しかし──

「でも、今は違う。この娘は──タカマチナノハは、強い」

 再びなのはへと目を向けながら、フェイトはそう結論付けた。

 単純な魔力の量や、魔法の威力だけでは勝敗を決める決定的な一手とはなり得ない。

 出会ったばかりの頃の彼女の戦い方は、まさにそれだった。

 しかし、今の彼女は違う。過去の二戦とは異なり、今日のなのはは、しつこい位食らいついてきた。

 こうして直に目にし、戦ったからわかる。彼女は、フェイトとの戦闘から学習してきたのだ。

 何故自分が負けたのか? 

 何故相手が勝ったのか? 

 それを徹底的に分析し、学び、理解し、吸収して己が物とする。それをやってのけたのである。

 …二度の敗北を重ねても、折れる事無く自分の前に立ち塞がった少女は、最早油断の出来ない力を持った魔導師へと成長していたのだ。

 故に、フェイトは大僧正の言葉を噛み締め、目の前に立つ「タカマチナノハ」と名乗った少女を、「明確な敵」として認識した。

「…私が──」

「えっ?」

 突然、自身へ向けて語りだしたフェイトに、なのははハッとした表情を浮かべ、食い入るようにみつめてきた。

「私がジュエルシードを集めるのは、母さんが必要だと言ったから。ジュエルシードを持って帰れば、母さんが褒めてくれる。また、私に笑い

かけてくれる。だから、譲れない…!」

『scythe form.』

 声とともに展開した光の大鎌を脇に構え、フェイトはなのはへと肉薄し、横薙ぎに一閃する!

「くっ!」

 なのはは咄嗟に後方へ飛び、大鎌の間合いから逃れる。しかし──

「あっ…!」

 攻撃が躱された瞬間、大鎌の動きに任せるまま身を翻し反転。フェイトは一直線にジュエルシード目がけて飛ぶ。

 サイズフォームでの一撃は彼女の擬態。本命はこちらだったのだ。

 正直、フェイトにはこれ以上なのはと戦闘をする余裕が無い。ここまで彼女が強くなっているのは予想外であった。

 故に、『余力』がある内にジュエルシードを回収し、撤退。これが最もベストな選択である。

 自分の目的は戦闘ではない。アルフの言う通り、ジュエルシードの回収こそが至上命題なのだ。だが── 

「待って…!」

 慌てて後を追って来るなのはの声が、嫌にハッキリとフェイトの耳に木霊す。

(余計な事を考えるな…!)

 真っ直ぐ自分へぶつかって来た、なのはへの後ろめたさ、罪悪感を無理やりねじ伏せ、路面近くで小康状態を保っているジュエルシードへ向

かい、ひたすら加速。

 そこへなのはが追いつき、フェイトと並走。二人は目前へと迫ったジュエルシードへ向け、ほとんど同時にデバイスの先端を突き出した!

 甲高い金属音を伴い、ジュエルシードを中心にして、二人のデバイスが噛み合った。その瞬間──

「ああっ!」

「えっ…!?」

「むうっ!?」

 二人のデバイスに罅が入って砕け散り、同時にジュエルシードが旋風の如き魔力を、爆発的に放出した。

「きゃああああああっ!?」

「くっ!? うぅううううっ…!」

 ジュエルシードを中心にした、光の奔流に飲まれ、フェイトとなのはの視界は、白い光に包まれた。








 令示視点








4月26日 PM8:27 海鳴市 市街地 結界内部


「うっ!?」

「はぁっ!」

 二人は飛行魔法を使ってその場から緊急退避。

 が、デバイスが破損してしまった為、魔法維持が不完全となり、流麗な動作のフェイトと違い、経験の浅いなのはは不安定な体勢でどうにか

着地。…どうやら、二人とも無事なようだ。

 その直後、白い光爆が消え、ビルをも飲み込む程の巨大な光の柱が、轟音とともに顕現して収束。一応は沈静化した。

「おさまったか…? ユーノ、無事か?」

 暴発の瞬間、俺は咄嗟に法衣の袂へと押し込んだユーノに、安否を尋ねる。

「うん、大僧正が庇ってくれたから、何とも無いよ…っていうか、さっきの君の怒鳴り声の方がきつかったよ…」

 袖から左右に頭を振りながら顔を出したユーノが、無事を告げる。

 ああ、そう言えば俺がアルフを怒鳴りつけた時、ユーノは肩に乗っていたんだっけか。

「むう…済まん。あ奴の言葉を耳にしたら黙っておれなくてな…」

 俺は片手でこめかみのあたりを掻きながら、謝罪と釈明を口にした。

 杖を取って一月も経たない小学生が、二度も敗北した、自身を上回っている筈の戦闘の技巧者に食いつく。才能等という言葉では片付けられ

ない、岩をも徹す苔の一念──執念。

『人は成功や勝利よりも、失敗や敗北から多くのものを学ぶ』とは、ジョルノ・ジョバァーナの言葉だが、弱冠九歳のなのはがどうしてそんな

発想に至れるのか?

 普通の同い年の子供であれば、悔しがるか戦闘に怯えるかで、とてもそんな発想に辿り着く筈がない。しかし、彼女は行き着いた。

 最早疑う余地はない。なのはの、『フェイトと話しがしたい』という一念が、只の小学生だったあの少女をこの領域まで押し上げた。

 魔力とは違う──意志の力で。
 
 モニター越しではなく、現実としてこの目で見て、肌でそれを感じていた俺は、アルフの台詞に思わず怒鳴ってしまっていたのである。

(全く…SEKKYOなんてするつもりなんかなかったってのに。第一、俺のガラじゃないだろ……ええい、やめやめ。そんな事よりなのはと

フェイトだろ)

 俺は軽くかぶりを振って思考を切り替える。

「それよりもユーノよ、戦闘などしている場合ではない。なのはの下へ行くぞ」

「っ!? そうだ、なのはは!? 大丈夫なの!?」

「落ち着け。もしもあの二人に大事があれば、いつまでもこのような所におらぬ。──見よ」

 なのはの身を案じて、慌て出すユーノを窘めて、俺は眼下へと指を向ける。

 その先には、破損したデバイス手にして、どうにか両の足で立ち上がったなのはの姿。

「掴まれ。なのはの下へ飛ぶぞ、ユーノ」

「うん!」

 彼女の無事を確認してホッとしたユーノを連れて、俺はビルより身を躍らせると、なのはの傍へと舞い降りた。

「なのは! 大丈夫!?」

 地面へ下りると、ユーノは俺の肩から跳躍してなのはの前へと駆けて行く。

「ユーノ君…私は何ともないけど、レイジングハートが…」

 ボロボロとなったレイジングハートを、心配そうにみつめるなのはに、ユーノが「ちょっと見せて」と言いながら、あちこち触り様子を確かめる。

「…大丈夫だよ。損傷は激しいけどコア部分は無傷だから、修復すれば元に戻るよ」

「よかった…レイジングハート、無理させてゴメンね…」

『No problem. My master』

 目を伏せ杖身を撫でるなのはのに、レイジングハートが紅玉を輝かせて答える。

「…となると、問題はアレをどうするかじゃな」

「あっ…」

「ジュエルシード…」

 俺の視線を追い、再び暴走を起こして青白く明滅する、ジュエルシードを目にした二人は息を呑む。

「デバイスがこんな状態じゃ、再封印は無理だよ。レイジングハートが元に戻るには、最低でも半日は必要だ」

「でもユーノ君、あれをこのままにする訳に「フェイト!」──フェイトちゃん!?」

 アルフの叫びに、俺たちがジュエルシードの向こう側を見やる。

「あれはっ!?」

「むう」

 デバイスを待機状態にして、バリアジャケットのみの姿となり、路面ギリギリの低さでジュエルシードへ向かって宙を駆る! しかし──

(? 妙だ…)

 疑問に思ったのは、フェイトの飛行制動だった。

 直前の着地の時と異なり、今の彼女の飛翔は左右にぶれ、体勢が安定していない。

 おかしい。原作では滑るようにして空を飛び、ジュエルシードへと迫っていた筈なのに。

 そして、彼女がジュエルシードを手にしたその時、その疑問が確信へと変わった。

 俺たちの目の前で、フェイトは右掌の中にジュエルシードを握り込み、そこに左手を重ねてまるで祈りを捧げるかのように、両膝をついた。。

「うっ…くぅぅっ……!」

「フェイト! ダメだ! 危ない!」

 フェイトの手の隙間より、解放しろと言わんばかりにジュエルシードの光が漏れ、彼女を責め立てる。

「止まれ…! うっ、うう…止まれ…止まれ…!」

 膝を折り、その場に座り込んで無理やり再封印を行おうとするフェイト。その足元に浮かぶミッド式魔法陣。しかし──

「何だ、あの魔法陣は…?」

 俺は彼女の足元を見て思わず呟いていた。

 まるでノイズのように魔法陣の形が乱れ、切れかけの電球の如く激しく点滅を繰り返し、きちんとした体を成していない。

「魔力が足らないんだ! 魔法発動も碌に出来ない上に、デバイス無しの直接封印なんて無謀すぎる!」

「魔力が足らぬとな!?」

 ユーノの声に、思わず俺はオウム返しに声を上げる。

 どういう事だ!? 何でこんなイレギュラーが──

「あ──」

 その原因に気が付き、思わう声を漏らしてしまった。

(温泉の時にフェイトに使った瞑想かっ!)

 そう。あの時、俺はフェイトの魔力を根こそぎ奪い取ったのだ。

 魔力回復の為に一日は休みを入れるだろう高をくくっていたのだが──

(大甘だった…! 原作でもアルフが「フェイトはろくに食べないし、休みも摂らない」って言ってたじゃないか!! そんな状態で疲れるっ

ていう広域探索魔法なんか使い続ければ、回復する間も無く魔力が減っていく!)

 おまけにここに至るまで、なのはと戦っていたのである。現状、フェイトの魔力はほぼゼロ──使い魔維持用の魔力は別に確保しているので

あろうが──と断定出来る。

「止まれ…止まれ…!」

「やめよフェイト殿!! すぐ離れるのだ!!」

 そんな状態で封印なんか出来る筈がない。俺は彼女へ警告を飛ばすが、手袋が破れ、血飛沫が飛んでもフェイトの行動は止まらず──

「く、あぁぁぁぁぁぁっ!!」

「フェイトォッ!!」

 響き渡る、フェイトの悲鳴とアルフの叫び。

 フェイトは両の手首まで切り裂かれ、その血煙で空気を朱に染めた。

 精根尽き果て、彼女の体が仰向けに倒れていく。

「フェイトちゃん……!」

 舞い散った血に、なのはは目を見開いた。

 その両掌から解放されたジュエルシードが、俺たちの目に触れたその時、凄まじい閃光を発し──

「かはっ…!?」

 大気を震わせる大砲の如き轟音とともに、ジュエルシードが放った強烈な衝撃波によって、フェイトの小さな体がボールのように空中へ放り

投げられた。

「っ!? フェイトッ!!」

 人型へと変じ、打ち上げられたフェイトを受け止めるべく駆け出して行ったその直後、ジュエルシードが再び光の柱を顕現させ──








 その瞬間──








 世界が──








 揺れた──








「「「っ!?」」」

 地面が揺れているのではない。

 地に足がついていない大僧正の身である俺が、振動を感じているのだ。

 これは大気──否、空間そのものが振動しているとしか思えない。

「これってやっぱり…」

「ジュエルシードだ! あの子の無茶な封印が呼び水になって、暴走に拍車がかかったんだ…!」

 なのはの疑問の声に、ユーノが周囲の空間を陽炎のように歪ませ、魔力の波動を撒き散らす、光柱と化したジュエルシードを睨みながら答える。

「このままじゃ、飽和状態になった魔力暴走に、広域結界が耐えられない!」

「そ、それじゃあ街に居る人たちが!!」

 フェイトだけでなく、街の人までもが危うい。 

 最悪のシナリオを想像したのだろう。なのは体が恐怖に震える。

「──ユーノ、結界はどれ程維持出来る?」

 だが俺は、二人の前に出ながら尋ねる。

「え…? えっと、後二分ももたないんじゃ──」

「十分じゃ」

 デバイスは破損して使用不能。なのはの魔法技術は、未だデバイス無しの直接封印が出来る程までは熟練していない。
 
 確かに考えうる限り最悪な状況だ。なのはたちだけあれば、完全に『詰み』であろう。

 しかし──

「拙僧がこの暴走を止めよう」

 魔導師でなくとも、俺には魔人の力がある。これを使えば暴走の阻止も不可能ではない筈。

「そんな!? 無茶だよ!」

 俺の言葉を聞いたなのはが、慌てて止めに入る。

「心配はありがたいが、案ずるな。考え無しに動く訳ではない。二人とも下がっておれ」

 フェイトの傷も気がかりだ。速攻でアレをどうにかしないとならない。

 俺は前進を止める事無く印を結び、呪を紡ぐ。

「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン」

 その刹那、俺の後に螺旋を描く業火の柱が立ち上がり、その内より青髪朱肌で右手に剣、左手に羂索を持った五、六メートルはあろうかとい

う巨人が顕現した。

「三界の衆生よ、刮目せよ! ここに現れたるは大日大聖不動明王也!」

 巨人──不動明王はその背に迦楼羅炎を纏い、その怒りの眼差しを光の柱へと向け、手にした金色の剣を高々と振り上げた。

「その手にしたるは、一切外道を討ち払う降魔の利剣! 疾く征け──倶梨伽羅の黒龍!」

 利剣が振り下ろされるのと同時に、その刀身に巻きつく龍がその姿を現し、空へ飛び立ちジュエルシードへと突き進む!

「竜の召喚!?」

 驚くユーノの声をかき消すように、黒龍の咆哮が響き渡った。

 その身に炎を纏い、黒龍は真正面から光柱に激突。

「うわぁっ!?」

「きゃああっ!!」 

 黒龍の炎と、暴走する魔力がせめぎ合い、その凄まじい力と力のぶつかり合いに轟音が大気を震わし、鉄火風雷を撒き散らす!

 巻き起こる旋風に、ユーノとなのはが吹き飛ばされまいとビルの壁面にしがみつく。

 俺は、はためく法衣もそのままに、正面を睨みつけたまま声を上げる。

「調伏せよ!!」

「■■■■■■■■!!」

 その瞬間、俺の言葉に応じ叫びを上げた不動明王が、光の柱に向けて左手の羂索を投げつけ、縛り上げる!

 刹那、力の均衡が崩れた。黒龍は弱まった光の柱を一気呵成に食い破り、現れたジュエルシードを飲み込んだ。

「やった…!」

 ユーノが安堵の声を漏らし、なのはは言葉も無く、溜息とともに強張っていた五体を弛緩させた。

 黒龍はそのまま上空へと舞い上がり、勝鬨のように一鳴きして宙を旋回。そして再び利剣へと舞い戻って絡みつくと、不動明王とともにその

姿を消す。

 その後に残った中空に浮かぶジュエルシードを掴み、吸収すると、俺は背後を振り返った。

「急ごう。怪我を負ったフェイト殿が気がかりだ」

「っ!? そうだ、フェイトちゃん!!」

 俺の言葉に、なのはは弾かれたようにアルフの向かった方向へ駆け出す。

 遠くに行っていなければいいが…正直、アルフがプレシアのところにフェイトを連れて行ったとしても、まともな治療を行うとは思えない。

 出来る事ならこちらで治療をしたいのだが…

 そんな事を考えながら、なのはの後を追っていたその時──

「フェイト、フェイトッ! しっかりしておくれっ!!」

 路地裏から、アルフの悲痛な声が俺たちの耳に届いた。

「居たっ! こっちだ!!」

「うん、急ごう!」

 先頭を行くユーノを追ってなのは、それに俺が続き、三人で路地裏の奥へと走り出す。

 そしてその直後、鼻を突く鉄錆の臭気を感じ取ると同時に──

「フェイトちゃ──」

「ちくしょう、血が、血が止まらないよ…」

 ビル陰の闇の中、地面に横たわって虚ろな表情で脂汗を浮かべ、小刻みに呼吸をするフェイトと、その傍でなけなしであろう魔力を切り崩し、

彼女に治療魔法を施すアルフの姿が、俺たちの目に飛び込んで来た。

 それを──ズタズタに引き裂かれたフェイトの両手を見たなのはは、上げかけた声を止め、言葉を失った。

 一見しただけで、素人でもフェイトがかなりの重傷である事がわかる。

 しかし、あのままアルフがフェイトを連れて帰らなかったのは、不幸中の幸いだったというべきか。

 フェイトの出血と怪我の度合いを見て、気が動転していたのか。それとも、酷過ぎる負傷を見て、動かすのは危険と判断したのかはわからないが。

「なのは、汝には目の毒だ。下がっているがよい」

 子供にはかなり刺激が強い姿だ。俺だって魔人の闘争心やらがなかったら、みっともなく取り乱していた事だろう。

「私は大丈夫…それより、早くフェイトちゃんを助けないと…」

 だがなのはは、首を横に振って俺の提案を断り、震える唇を噛み締めて、気丈に振る舞って見せる。

 …もしかしたら、フェイトの負傷に責任感や、罪悪感を覚えているのかもしれない。

 が、今はとりあえずなのはの言う通り、フェイトを優先するべきだろう。

 そう判断し、俺たちが彼女の下へ行こうと進み出したその時──

「っ!? あんたら、こんなところまで!!」

 やはり相当気が動転したのであろう、数メートル前になって、ようやくこちらの接近を察知したアルフが立ち上がって振り返り、俺たちへ敵

意をむき出しにした視線を叩きつけてくる。

「待って! 私たちはフェイトちゃんの事が心配で──」

「フェイトに指一本ふれさせるか!」

 アルフはなのはの言葉も耳に入れず、五指を鉤爪のように曲げて、こちらへ向かって飛びかかって来た!

(ええい、猪め!)

 俺は内心で舌打ちしながら、なのはを庇うように彼女の前に立ち、右手を二指のみ立てた印──刀印を結び、

「喝!」

 気合とともに振り下ろした。

「くっ!? がっ!! クソッ、何をした!?」

 その瞬間、アルフは飛びかかった姿勢のまま、空中に固定された。

「──不動金縛りの術。汝の使うミッド式魔法とは根本が異なる故、バインドのように簡単に破壊は出来ぬぞ」

 元々詠唱破棄の簡易式なので、長持ちはしないだろうが、言い聞かせる間だけ保てればいいので、気にしていない。

 アルフが俺を睨みつけたまま、歯を剥く。

「落ち着け。このままではフェイト殿が危険だ。見る限り傷がかなり深い、重要な神経や骨まで切断されているのは確実」

「そんな事! すぐに連れ帰って治療すれば──」

 反論するアルフに、俺は聞きかじりの知識を使って説得する。

「だが出血量が多い、帰還に時間がかかれば失血死の可能性もあるぞ。折れた骨の奥に細菌が入る可能性も否定出来ぬ。第一、これ程の重傷を

すぐに治療するだけの施設、人員に心当たり…汝にはあるのか?」

「──無理だよ。それ程の重傷となると、大きな病院やかなりの力を持つ治療専門の魔導師が必要だ。この管理外世界じゃ、その両方が無い」

 俺の疑問に答えたのは、背後のユーノの声だった。

「ううっ…じゃあどうしろって言うんだよ!?」 

「問題無い。拙僧が治療を行う」

 慟哭のようなアルフの声に対して、俺は平然と答えた。

「あんたが…? 信用ならないね! 何を企んでるだい!?」

 一瞬驚愕した後、彼女は疑惑の念を込めた眼差しを向ける。

「フェイト殿に何か仕掛ける気であれば、動けぬ汝にいちいち説明などせぬ」

「う、それは……」

 俺の正論に、アルフは気後れして口籠る。

「異論はあるまい? ではやるぞ」

 暢気に討論してる時間が惜しい。俺は一応彼女に一言断ってからフェイトの前に進み出て、右手に金剛鈴を顕現させると、軽く揺らし凛、と

澄んだ音色を響かせる。

 そして左手を横たわるフェイトの真上にかざすして意識を集中。先程取り込んだジュエルシードから魔力を引き出し、口を開いた。




 ──癒えよ




 紡いだ言霊と同時に生じた白い光が、フェイトを包み込む。

 だがそれは、暴走したジュエルシードが発した、全てを塗り潰すような傲慢な光ではなく、春の日の太陽のような、優しく柔らかな光だった。

 時間にして二、三秒程だろうか。眼前の白光が霧散し、フェイトがその姿を現す。

「えっ…!」

「凄い…」

「フェイト!」

 俺の脇で、三人が驚きの声を上げた。

 無理もないだろう。骨が見える程の重傷を負っていた彼女の両手が、その痕跡があったかもわからない位に完璧に、元の健常な姿を取り戻し

ていたのだ。

 ──回復スキル、常世の祈り。

 味方全員の体力と死亡、蠅化以外のバットステータス異常を完全回復する魔法だ。

 失った血液も再生したのだろう。青白くなっていた肌にも赤みが差し、呼吸も安定している。

 どうやら、治療中に眠りについてしまったらしく、静かに寝息を立てていた。

「もう心配はいらぬ。怪我は完治した」

 言いながら、俺はアルフにかけていた金縛りを解除した。

「フェイト! フェイトッ! 無事なんだねっ!? よかったよぉ…」

 途端、脇目も振らずに主の下へ駆け寄り、目尻に涙を浮かべて、小さなその体を抱き締めるアルフ。

「大僧正さん、体は大丈夫…?」

 危機の連続を何とか乗り切り、大きく息を吐いた俺に、フェイトの無事を聞いてこわばっていた表情が緩んだなのはが、心配そうに声をかけ

てきた。…温泉の時のように、力の使い過ぎではないかと思ったのだろう。

「問題無い。先程取り込んだジュエルシードがある故、魔力にはまだ余裕がある」

「そっか、だったらいいんだけど…」

「無理はダメだよ?」

 なのはに続いて、ユーノも俺に釘を刺してくる。むぅ、注意はしているんだがなぁ…

 と、三人で会話をしていたその時、俺は視界の脇でアルフがフェイトをおぶって立ち上がったのに気が付き、目線をそちらへ移した。

「…一応、礼は言っておくよ。フェイトを助けてくれて、ありがとう」

 目を逸らしながら、アルフはぶっきらぼうにそう言った。

「構わぬ。此度のフェイト殿の負傷は、前回の拙僧の行動にも一因があった故にな」

 俺が居なければ、軽い怪我で済んだ訳で、今回の一件で責任を感じるとすれば、なのはではなく俺の方だろう。

「忠告しておこう。フェイト殿は怪我は治ってはおるが、消耗した魔力や精神力、疲労等は回復しておらぬ。しっかりと休養を摂らせねば、ま

た同じ事を繰り返す羽目になりかねんぞ?」

「わかっているさ、この娘には無理にでも休んでもらう。じゃあ、もう行かせてもらうよ」

 俺の言葉に頷きを返し、アルフはそのままビルからビルへと跳躍。あっという間にその姿をくらませた。

「行ったみたいだね」

「うん…」

 なのはとユーノは言葉を交わしながら、アルフ達が跳び去った方向をみつめていた。

「今回は勝ちとも負けとも言えぬが…一つ、わかった事があるな」

「うん。あの娘の後ろに居る存在、おそらく──」

「フェイトちゃんの、お母さん…」

 俺の声に、二人は真剣な表情で頷き、言葉を返す。

「しかし、詳しい話は後日行うとしよう──かなり遅くなったし、いい加減帰らないと母さんの帰宅とブッキングしちまう」

「えっ!? もうそんな時間!?」

 悪魔化を解きながら放った俺の言葉に、同じくバリジャケットを解除したなのはが、慌ててポケットから携帯を取り出し、時間を確認する。

「にゃあああ!? 大変だ、早く帰らないと! 令示君、また明日!」

 わたわたと駆け出し、なのはは表通りへと向かう。

「あっ!? 待ってよなのは! 令示、僕も行くね。じゃ!」

 ユーノも慌ててその後を追い、走って行った。

「…俺も帰るか」

 路地裏に一人残され、なんとなく視線を落としたその時、地面に残った多量の血痕が俺の目に映った。

「────」

 それを見た俺は、先程の血塗れとなったフェイトの姿を思い出し、ここはアニメじゃない現実の世界──平然と、傲然と、当たり前のように

『死』が闊歩する世界なのだという事を、思い知らされた。

「っ!」

 その冷酷な世界の通告に思わず背筋に悪寒が走り、ブルリと体を震わせる。

(今後も、こんなイレギュラーが続くかもしれないな…)

 地面に残る血だまりをみつめながら、俺は更なる悪魔の力が必要になるかもしれない。と、そんな予感がした。








 第六話 ぶつかり合う信念、擦れ違う想い。 後編 END








 後書き

 こんにちわ、吉野です。

 今回も更新が遅れまくってしまい、申し訳ありません。心理描写はむつかしいです…

 さて今回の大僧正の使った『倶梨伽羅の黒龍』は、ソウルハッカーズでナオミが使っていた技がモデルになっています。使い勝手のいい技で

したね、アレは。

 さて、次回はプレシア&アースラ組登場となります。

 では『第七話 それぞれの思惑』でお会いしましょう。



[12804] 第七話 それぞれの思惑 (前編)
Name: 吉野◆704dd6e6 ID:64af3312
Date: 2011/06/08 12:45
 極彩色が渦巻く高次元空間内。

 なのはや令示の世界の技術では、通行どころか観測すら出来ないその異空間に浮かぶ、雷光を纏った岩船の如き巨大建造物──時の庭園。

 その艦橋部分のように船体より突き出た巨塔内部の深奥、巨大な扉の内側より風船を割るような破裂音と悲鳴とが、断続的に響き、漏れ出していた。

「たったの五つ…? これは、あまりにも酷いわ…」

 広間の奥、椅子に腰かけた黒衣の女は形の良い眉をひそめ、静かに、だが明らかな苛立ちを込めた言葉を口にした。

「はい…ごめんなさい、母さん…」

 天井より伸びる縄状のバインドに両手首を拘束され、宙吊りにされた上に、擦り傷と痣だらけの満身創痍となったフェイトは、目を伏せ、正

面の母──プレシア・テスタロッサに弱々しく謝罪の言葉を述べる。

「いい? フェイト」

 椅子から立ち上がったはプレシアは、その魔女の如き闇色の衣装とは対照的な、病的に白い肌を照明にさらしながら、フェイトの下へと近付

いていく。

「あなたは私の娘。大魔導師、プレシア・テスタロッサの一人娘」

「あっ…」

 喋りながら、プレシアは娘のおとがいに手を当て、自分の方へと視線を向けさせる。 

「不可能な事などあっては駄目…」

「どんな事でも──そう、どんな事でも成し遂げなくてはならない」

「はい…」

「こんなに待たせておいて、上がってきた成果がこれだけでは、母さんは笑顔であなたを迎える訳にはいかない…わかるわね? フェイト」

「はい、わかります…」

「だからよ。だから、覚えて欲しいの…もう二度と、母さんを失望させないように…!」

 プレシアの目に危険な光が宿り、手にした杖状のデバイスが、鞭へと変化する。

「っ!?」

 フェイトの顔が恐怖で歪む。

 そしてまた、広間の中に破裂音と絹を裂くような悲鳴がこだました。








「ロストロギアは、母さんの夢を叶えるためにどうしても必要なの…」

「はい、母さん…」

 フェイトは輝きの消えた瞳を床に向けたまま、機械的に返答をする。

「特にあれは──ジュエルシードの純度は、他の物より遥かに優れている。貴女は優しい子だから、躊躇ってしまう事もあるかもしれないけど

…邪魔する者があるなら潰しなさい! どんな事をしても! ……貴女には、その力があるのだから」

 デバイスを鞭から杖状に戻し、同時にフェイトの両腕を拘束してたバインドを解除する。

 力無くその場に倒れ伏すフェイトの傍に立ち、プレシアは傲然と彼女を見下ろす。

「行って来てくれるわね? 私の娘──可愛いフェイト」

「はい…行って来ます。母さん…」

 フェイトは額に脂汗を浮かべて全身に走る激痛に堪えながら、健気に笑みを作り、プレシアの要求に答える。

「しばらく眠るわ。次は必ず…母さんを喜ばせて頂戴…──それと、さっきの見たアレも、忘れずに連れ帰りなさい…」

 目も合わせず、プレシアは踵を返す。

「はい…」

「…………」

 フェイトの返事を聞くと、プレシアはそれに答える事無く、無言のまま歩き出した。








(全く、本当に使えない…!)

 心中で自らの娘を罵りながら、プレシアは長い通路を一人歩く。

 彼女は不機嫌だった。理由は大小様々ではあるが、やはり一番大きいのはフェイトに任せたジュエルシード探索の成果が、たったの五つであ

った事だ。




──しかしそれも、最悪という程ではない。




 通路の途中で足を止めたプレシアは、デバイスを起動し、先程フェイトより報告とともに受け取った動画データを開いた。

 彼女の眼前──中空に、複数のディスプレイが表示され、一斉に再生を始める。

 そこに映るものは、マタドールと大僧正──魔人たちが縦横に飛び回り、剣を振るい術を放つ姿であった。




 常人を超越する身体能力




 驚異の復元再生。




 デバイス無しで行う強力な魔法。




 そして、フェイトの体を完全に回復して見せた、凄まじい回復魔法。




 最初にフェイトより、コレの報告を受けた時は、何を馬鹿な事を言っているのだと思ったが、バルディッシュの記憶領域より抽出されたこの

動画データを目にした時は、久しく忘れていた驚きという感情を味わう事となった。

 変わり種の暴走体? これはそんな陳腐なものではない。ジュエルシードを完全に支配下に置いた、完全体、完成体とでも言うべき存在だ。
 
「これよ…! これがあれば、確実に届く…あの場所へ……っ!? ゴホッ!!」

 呟きとともに、画面に手を伸ばしたその時、突然プレシアは体を「くの字」に折り曲げ、激しく咳き込んだ。

 よろめき、倒れそうになる自分の体を杖で支え、どうにか姿勢を保つ。

 ゼエゼエと激しい呼吸をする彼女の口端より、零れた数滴の血液が開いた胸元へと落ち、豊かな双丘の間を赤い蛇の如くぬるりと伝う。

 だがプレシアはそれにかまう事無く、眼前の動画を睨み、震える左手を伸ばす。

「この力があれば、ジュエルシードを完全に制御する事も、夢じゃない…!」

 ──ジュエルシードの完全制御、それは彼女の『目的』に必要なものではない。

 しかし、これがあれば成功率は九割を下回る事は無いだろう。
 
 決して失敗の許されないこの『目的』を果たす為の、強力な一手になる事は間違いない。

だからフェイトに命じた。ジュエルシードの捜索と並行して、この「完成体」を捕えろと。

「待っていてね。もうすぐ、もうすぐ迎えに行くから……」

 二体の魔人を見つめるプレシアの目に、母親らしい優しげな笑みを浮かべるが──

「フフッ…フフフフ、アハハハハハハッ!!」

 それはほんの一瞬に過ぎず、すぐに三日月のように口の両端を吊り上げると、彼女は天を仰いで高笑いを上げる。

 その瞳には狂気の光が、熾火の如く妖しくゆらめいていた。








 第七話 それぞれの思惑 前編








(なのは視点)






 駅前商業区域での戦闘より、一夜明けた翌朝。

 レイジングハートのメンテナンスをユーノ任せ、いつものように登校したなのはであったが、教室に近付くにつれ、段々と足取りが重くなっ

ていき、自分のクラスの入り口前で、完全に足が止まってしまった。

 原因は言うまでもなく、先日のアリサを怒らせてしまった一件である。

 令示が取り成してくれたとは言え、やはり昨日のやり取りが尾を引き、顔を合わせ辛い思いがあった。

 とは言え、いつまでもこんな所で立ち尽くしている訳にはいかない。

 意を決して、なのはが扉に手をかけようとしたその時、入り口が内側から開き、中から見るからに機嫌が悪そうなアリサが現れて、二人は真

正面から顔を合わせてしまった。

「あっ…」

「えっ…」

 互いに数瞬程驚きの表情を浮かべた後、アリサは顔を逸らし、なのはは俯いて、二人は視線を正面から外した。

「………」

「………」

 気まずい沈黙が、二人の間を支配する。

(えと、えっと、どうしよう…)

 なのはは内心で言うべき言葉を考えるものの、突然の対面に焦ってしまい、一体何から話すべきか混乱をしてしまい、頭の中でぐるぐるとま

まらない考えを巡らせる。

「で? いつまでそんなところに立っているつもり?」

「ふえ?」

 突然、自分に向かってかけられた声に驚き、慌ててなのはが顔を上げると、仏頂面のままではあるが、アリサがこちらを真っ直ぐに見つめていた。

「そんなとこに居ると、他の人の出入りの邪魔でしょ? 早く教室に入りなさいよ」

「う、うん…」

 踵を返し、スタスタと歩いて行くアリサの後について教室へと入ると、彼女は自分の席ではなく、真っ直ぐなのはの机の方へと向かって行った。

 不思議に思いつつも、なのははそのままアリサの後について行くと、自分の席の隣に立っていたすずかの姿が目に映った。

「おはよう、なのはちゃん」

「すずかちゃん、おはよう」

 自分の到着を待っていたのであろう、すずかがこちらへ笑みを向けてくると、なのはもそれに答え、朝の挨拶を交わした。

「………」

  と、そこで振り返ったアリサが、無言でなのはを見つめてくる。

「ア、アリサちゃん…?」

 教室の入り口での緊張感が再び込み上げ、表情を硬くするなのは。

「アリサちゃん、ほら」

 しかしその時、横からすずかに促され、アリサはわかっているわよと答えながら、おずおずと口を開いた。

「……悪かったわよ……」

「え?」

 ばつが悪そうに、若干目を逸らしながら放たれたアリサの一言に、なのはは目を丸くした。

「親友だからこそ話せない事もあるってわかっていたのに、頭に血が上っていて、すっかり忘れてた…ゴメン、なのは…」

 チラリとすずかを一瞥して、アリサはなのはに頭を下げた。

「アリサちゃん…ううん、私が悪かったの。心配してくれていたアリサちゃんにちゃんと向き合わなかったから、真剣に話そうとしなかったから…

 アリサちゃんが怒るのも当然だよ。だから、私もごめんなさい」

 そう言って、なのはも頭を下げる。

 と、そこで始業のチャイムが鳴り、二人は同時に視線を戻した。

「なのはちゃん、アリサちゃん、また後で──お昼にでも三人でちゃんと話そう?」

「うん」

「そうね」

 すずかの提案に同意した三人は、互いに微笑み合うとそれぞれ自分の席へと向かった。








 ──昼休み。

 いつものように屋上にて弁当を広げたなのはたち三人は、互いに話せる範囲での情報交換を始めた。

「そっか、それじゃその『落し物捜し』は、まだ時間がかかりそうなのね?」

「…うん。だからしばらく遊べなくなっちゃいそうなの。ゴメンね、アリサちゃん」

 アリサの「あとどの位かかりそうか?」という質問に、明確な日時を答えられず、なのはは申し訳なさそうに俯いた。

「それじゃ仕方がないわね。もうちょっと待てってあげるわ。その代わり、全部終わったらきっちり埋め合わせしてもらうわよ?」

 あっちこっち引っ張り回してやるから覚悟しておきなさい、と言いながらアリサは不敵に笑う。

「にゃはは、がんばるの…」

 なのはは冷や汗とともに、乾いた笑いを上げた。

「それにしても、なのはちゃんが令示君の事──マタドールさんの事を知っているなんて、驚いたよ」

 そこへ、話題を変えるようにすずかが口を開く。

「うん、私も。令示君から聞いてびっくりしたの──って! そうだ!」

 その言葉に相槌を打とうとしたなのはは、はっとして慌てた声を上げた。

「アリサちゃんとすずかちゃんが、誘拐されたって本当!? 大丈夫だったの!?」

 先日、令示から聞いた二人との出会いの経緯を思い出し、親友たちに詰め寄るなのは。

「大丈夫よ。大体、私もすずかも普通に学校にきてるでしょうが。何かあったとしたら、こんなにのんびりしていないわよ」

 アリサは苦笑を浮かべ、なのはを宥める。

「あ、そう言えばそうなの…」

 正論の回答を受け、なのははそう呟きながら安堵の息を漏らした。

「──あの、なのはちゃん…」

「え?」

 と、そこへ、おずおずとすずかが話しかけてきた。その瞳に、不安の色を湛えながら。

「その、令示君から、誘拐された時の私の事とか…何か聞いた?」

「──ううん」

 怯えるような態度でそう尋ねる彼女に対して、なのはは首を横に振って否定の意を示す。

「令示君からは、すずかちゃんには人には話せない大きな悩みがあって、でも必ず私にうちあけてくれる時が来るから、それまで待ってていて

欲しいって、それだけしか聞いてないよ」

「そ、そう…」

 なのはの答えに、すずかは安堵の表情を浮かべるが、それは刹那の時でかげり、苦渋に満ちた顔で俯いてしまった。

「ごめんなさい、なのはちゃん…私、ずっと隠し事していたの。本当は言わなくちゃいけないのに、勇気が無くて、ずっと黙ってた…」

「気にしてないよ、すずかちゃん。それに私だって二人に隠し事しているんだし、これでおあいこ」

 ね? と、言いながらなのはは、すずかの手を取った。

「っ!?」

 手の平に伝わるなのはの体温に、すずかは一瞬体を震わせた。

 そして、恐れるかのように、彼女がゆっくりと顔を上げると、その目に、いつもの微笑みを浮かべるなのはが映る。

「なのはちゃん……ありがとう」

 すずかは、その優しい親友に心の底からの感謝と、礼を述べた。




 互いを思い、見つめ合う二人だったが、その時不意に、すずかが再び視線を落とした。

 突然の行動に、不思議に思うなのはとアリサだったが、それは数秒のことで彼女はすぐに顔を上げて、目線を戻す。

 その顔には笑みは無く、意を決した真剣な表情で、すずかは口を開いた。

「なのはちゃん。私、頑張るから。なのはちゃんに、本当の事が言えるようになるから、だから──」

 待ってて、くれる…?




 ──怯えるように。




 ──恐れるように。




 すずかは震える声で、最後の一言をしぼり出した。

「……うん。私待ってるよ。すずかちゃんが話してくれる時を」

 突然のすずかの言葉に、一瞬きょとんとしたなのはだったが、彼女の言の意を汲み取ると、力強く頷きながら、肯定の意を返した。

「私も色々な事整理が出来たら、ちゃんとすずかちゃんとアリサちゃんに話すから…」

「うん…待ってるね」

「さっきも言ったけど、私もちゃんと待っててあげるから、さっさと片付けてきなさい」

 三人は顔を見合わせて、笑い合う。

 先日からのわだかまりはようやく無くなり、いつもの三人に戻ったのだった。




「──ところで、かなり危険な事が多いらしいけど、大丈夫なの? …まあ、令示が居れば大抵の事はどうにかなりそうな気がするけど…」

「マタドールさん、強いものね」

「うん、マタドールさんも大僧正さんも凄く強くて優しいよね…」

 空を見上げながら、先日の市街地での大僧正とのやり取りを思い出したなのはは、二人の言葉に相槌を打つ。

「──って、ちょっと待った。大僧正って誰よ?」

 そんななのはの呟きに、アリサはピクリと片眉を動かし、問いただしてきた。

「へ? マタドールさんとは違う、令示君が変身した悪魔の人(?)だよ? こう、お坊さんの格好したミイラみたいな感じの」

 アリサちゃんたちはまだ会っていないのかなぁ? と、思いながら、なのはは大僧正の容姿について説明をした。

「へぇ~、初耳ねぇ。アイツ昨日会った時に、そんな事何も言わなかったわ…」

 アリサが笑いながら答える。

 いや、口は笑っているが、目が笑っていない。

 不機嫌。明らかに不機嫌である。

(あ…もしかして温泉旅行から昨日まで、令示君とアリサちゃんたち会っていなかったんじゃ…?)

 もしそうであれば、アリサが大僧正の事を知らなかった訳で──

「悪魔の事に関しては、『答えない』とは言われていなかったわねえ…すずか、今度あいつを締め上げに行くわよ!」

「うん! 私も大僧正さんの事聞いてみたい」

(あうう…なんか大変な事になっちゃったかも…ごめんね令示君)

 目の前で不敵に笑うアリサと、妙にやる気を出しているすずかを見ながら、なのはは胸中でここには居ないもう一人の友人へ、謝罪の言葉を送った。








(令示視点)




「──っ!?」

 のんびりと給食を食っていた俺は、突如背筋に走った悪寒にぶるりと体を震わせた。

「こんな暖けーってのに、一体なんだ?」

 四月の麗らかな快晴の中に居るというのに、訳がわからない。

 妙な感覚に首を捻るも、今はそんなものに構う余裕が無い為、俺は早々に思考を切り替える。

 今現在、目下最大の懸案事項──アースラ対策についてだ。

 イレギュラーが無ければ、今日の夕方に現れる筈。その際どういうスタンスを取るべきかと、俺は思案していた。

(確かあの樹の化物を倒した後、なのはとフェイトの一騎打ちに乱入してくるんだよな…)

 ビニールに入ったソフト麺を箸箱のふたで四分割にして、その一つをアルミ椀の中の中華スープに放りこみ、俺は考えを巡らせる。

(クロノにしろリンディ艦長か、俺を見れば絶対どっちかがこの体について突っ込んでくる筈…)

 変身した姿とか見せんでも、アースラのセンサーとかで、俺の体から出るジュエルシードの反応を感知してバレる可能性が高いし。

 さて、ではどうやってこの身の秘密を守るべきか? 正直、管理局に俺の体の事を知られるのは、御免こうむりたい。

 願いを叶えるなんて能力持ちという、存在自体がロストロギア級の俺が、他人の目に触れればどうなるか、火を見るより明らかだ。

 主にスカとかスカとか脳髄とか。

(おまけに逃げ切れる筈が無いし)

 相手は百以上の次元世界を股に掛ける巨大組織。片やこちらはしがない小学生である。比べる事すら馬鹿馬鹿しい。

 一人で海鳴から出る事すらままならない状態なのに、そんな連中に網を張られたら逃げ切るなんて不可能である。

(一騎当千の古兵であるヴォルケンリッターでさえ、何度も捕捉されてたしな…結局直接交渉で上手い事やるしかないか)

 まあ、リンディ艦長もクロノも悪い人間じゃないから、どうにかなるだろう…

 二次創作とかでよくある、なのはをスカウトする為にあれこれ画策するような人間ってのは考え過ぎだろう。

 つか、本気そう考えていたんなら、もっと根回しと外堀埋めを完全にこなしている筈。

 管理局で海千山千の奸物や、古狸を相手にした事だってあろう人間にしては、あまりにお粗末なやり方だ。

 クロノにしたって、多少堅物のきらいはあるが、全く融通が利かないって訳じゃないし。

(こっちのカードを小出しにして、上手い事やらにゃあならんなぁ…)

 放課後に起こるであろう戦いに備えるべく、俺はソフト麺をかきこんだ。




 そして、その日の夕刻──




「っ!?」

 放課後、いつもの通り一度帰宅した後に、なのはたちとの待ち合わせ場所に向かう途中、俺は肌を打つ不可視の力の波動に襲われた。

 この大規模な魔力波動は、間違いなくジュエルシードの発動だ。

《令示君!》

 それを悟ると同時に、俺の頭になのはからの念話が届く。

《ああ。ジュエルシードの発動、こっちでもキャッチしたよなのは。こりゃ予定を変更して現地集合にした方がいい》

《うん。それじゃ後で!》

 短い打ち合わせの後、念話を打ち切ると俺は周囲を見回し、隠れて変身出来るような場所を探す。

「この奥なら大丈夫かな?」

 狭い路地裏に目を付けた俺は、そこに駆け込んで悪魔へと変じる呪を紡ぐ。

 真紅の魔力光──マガツヒを身に纏い、魔人大僧正へと変じる。

「では参るか。──オン・マユラ・キランテイ・ソワカ」

 俺は孔雀明王の真言を唱えて空へと舞い上がると、ジュエルシードの波動を感じる海の方向へと、孔雀の双翼を向けた。

 茜色へと染まる空を走る俺の眼下の景色が、あっという間に後方へと流れていく。

 そんな高速の飛翔で風を切り進む俺の視界に、沈む夕日に照らされた海鳴臨海公園が映った。

「ヴォオオオオオオッ!」

 そこから発せられる魔力波動の中心部へと目を向ければ、ジュエルシードモンスターと化した動く樹木──樹人とでも言うべき怪物が不気味

な咆哮を上げ動き出したところだった。

「封時結界、展開!」

 同時に現場へと駆けつけたユーノが結界を展開。地面に浮かんだミッド式魔法陣から生じた光が、世界が青く染めていく。

 更に樹人の進行上に、バリアジャケットを纏ったなのはが、レイジングハートを突きつけ立ち塞がった、その時── 

 ──なのはの後方より飛来した十数条の金槍が樹人へと叩き込まれた。

 しかしそれらは、樹人が展開した薄水色の障壁に阻まれ、全て消滅する。

 意気揚々といった様子で更に叫びを上げる樹人。
 
 …しかし、たった一つのジュエルシードで、何だってあんなタフさを持っているのだろうか。素体となった樹木と相性が良かったのか?

「オオゥ! 生意気に。バリアまで張るのかい」 

「うん…今までより、強いね。それにあの娘も──タカマチナノハも居る」

「あっ!?」

 なのはが後方──金色の魔弾の発生源へと目を向ける。視線の先には狼形態のアルフと、円柱の上でバルディッシュを構えるフェイトの姿。

 二者の視線が交錯する。

 …全員集合か。

 そこで俺も現場へと乱入せんと、急降下。なのはたちとフェイトたちの間に降り立つ。

 それと同時に飛行術を解除。孔雀の巨体とスピードによって生じた風が、その身より解放されて、四方八方へと撒き散らされた。

「きゃあっ!? 何、何!?」

 突然体に受けた強風と砂塵に、驚きの声を上げるなのは。

「拙僧じゃ、なのはよ」

「っ!? 大僧正さん!」

 彼女は土煙の隙間から現れた俺の姿を目にすると、戸惑いから安堵へと表情を変える。

「大僧正…」

 柱の上のフェイトも、俺を見て若干眉をひそめ、そう呟いた。

 それは、怒っているような悲しんでいるような、何とも形容しがたい表情だった。

(ふむ。何か俺に対して含むものがあるという事か……?)

 まあ、プレシアとの会談の後と考えれば、何となく想像はつくが。

「ヴォオオオオオオッ!」

 その時、気色の悪い雄叫びとともに樹人が地面を砕き、一抱えもあるような三本もの木の根を正面に突き出した。

「ユーノ君! 逃げて!」

 攻勢に出た樹人を警戒し、なのはがユーノに退避するよう促す。

 踵を返してユーノが茂みに逃げ込むと同時に、大蛇の如き木塊が振り下ろされた!

「ナウマク・サンマンダ・ボダナン・バヤベイ・ソワカ──薙ぎ払え、風天刃!」

 その瞬間、俺は盾になるようになのはの前に立ち、風天──ヒンドゥー教の風神ヴァーユの真言を唱え、風の刃を一閃。迫り来る木の根を斬り飛ばす。

 瞬断された三本の根は、斬られた勢いで回転しながら宙を舞い、鈍い響きを立てて地に落ちると、グネグネと真夏のアスファルトの上でのた

くるミミズのように這いうねる。気持ち悪い光景だな、おい。

『Flier fin.』

 と、その時、俺の背後でなのはが飛行魔法を発動。

 両の踵に桃色の翼が展開され、宙へと浮かび上がる。

「飛んで、レイジングハート! もっと高く!」

『All'right』

 主の願いに応じ、レイジングハートは双翼を大きく羽ばたかせると、トップギアに切り替え飛翔。

 樹人に対してイニシアチブを取るべく、その頭上へ飛ぶ。

「アークセイバー…──行くよ、バルディッシュ」

『Arc saber.』

 一方のフェイトは柱の上より跳躍して地に立つと、バルディッシュを大鎌形態に移行。光刃を展開させ、大きく振りかぶる。

「セェェイッ!」

 気合一閃、袈裟懸けに振り下ろされた大鎌の軌跡に沿って生まれた三日月型の光の斬撃波が、回転しながら樹人の周りを囲う木の根を切り裂

き、その本体へと叩き込まれる!

「ヴォオオオ……!」

 が、樹人は再び障壁を展開してその一撃を防ぎ、苛立たしげな呻きを漏らした。

 ふむ。ここまではほぼ原作通りか。

 若干フェイトの動きや魔法のキレが鈍い気がするが、回復したとは言え昨日怪我を負ったばかりだし、おそらくはプレシアからの虐待もあっ

たであろう事を考えると、無理もないか。

 オフェンスを任せるには問題は無いとは思うが…勝率を上げる為に一つ手を打っておくべきだな。

 俺はそう考えると、周囲へ念話を発した。








(フェイト視点)




《なのは、フェイト殿、これより拙僧があの暴走体の動きを止める故、汝らは砲撃魔法にて挟撃を行うのだ》

 樹人に対し、次手を打とうとしていたフェイトは、全方位に発せられた大僧正の念話に目を丸くした。

《私に、協力しろというの…?》

 毎回毎回、遭遇する度に予想外の行動を取る相手ではあったが、流石に驚きを禁じ得ない。

 昨夜、大怪我を負った自分を治療したのも彼らだとアルフから聞いたのだが、互いがジュエルシードを奪い合う敵同士であるという事を、

わかっているのだろうか?

《ジュエルシードを奪い合うのは、彼奴めを討った後でもよかろう。共同で事に当たった方が互いに消費が少ない。合理的であろう?》

 確かにその通りだ。

 どの道タカマチナノハとは、ジュエルシードを巡って戦わねばならない。そう考えればその提案はフェイトにとっても、理にかなったものだ。

「…………」

 チラリと、大僧正の方へと視線をやる。闇色の双眸と乾いた顔からは、彼の考えは窺いしれない。

《アルフ、どう思う?》

 フェイトは己の使い魔に意見を求めた。

《ん~、今までの感じからすると、乗ってもいいと思うけどねえ。なんだかんだ言ってもあの連中、約束は守るし》

《うん、そうだね…》

 アルフの考えには反論する点もなく、フェイトは肯定の相槌を打つ。

 ──デメリットも無く、断る理由も無い。ならば答えは一つだ。

《…わかった。私はこのまま正面から魔法を撃つ》

『Device form.』

 バルディッシュをデバイスフォームに切り替え、その砲門を樹人へと向けながらフェイトは大僧正の提案に、是、と答えた。

《決まりじゃな。なのはも異存は無いか?》

《うん。大丈夫だよ! 頑張ろうね、フェイトちゃん!》

 弾んだ声色で返事をしながら、上空より自分へ向けて笑みを浮かべる白い少女。

「──っ!」

 それを目にしたフェイトの胸に、締め付けるような苦痛と不快感が生まれ、思わず視線を逸らし、俯いた。

《? ……フェイトちゃん?》

《…何でもない。戦いに集中して》

 訝しむようなタカマチナノハの声に、感情を押し殺して答えを返す。

《うん!》

 自分の様子の異変に気付く事無い、彼女の元気な返事に再び胸の奥を走る不快感。

 やめて欲しい。

 そんな笑顔を向けないで。

 優しい言葉をかけないで。




 だって私は──




 怪我を治してくれた彼を──




 あなたの仲間を──




 大僧正を母さんの下へ連れて行かなくてはいけないのだから──




 金属を掻き毟るような心中の軋み──罪悪感を無理矢理捻じ伏せ、フェイトは正面の樹人へと意識を集中した。








 第七話 それぞれの思惑 前編 END




 後書き

 給食のキング・オブ・キングスはカレー、次点でソフト麺。異論は認める。

 どうも吉野です。今回は短めですいません。

 アースラ登場は次回の後編になりそうです。

 それにしても、アルカディアさんで拙作を投稿をさせてもらうようになってから、もうじき一年になりますね。

 未だに無印も終わりそうもない、こんな遅筆な作品を応援していただき感謝の言葉もございません。

 では、次回更新時にまたお会いしましょう。

 追伸

 リリカルパーティーⅣの先行予約、気付いた時には予約期間過ぎていました。

 私はいつもそう…いつも、気付くのが遅過ぎる…!



[12804] 第七話 それぞれの思惑 (後編)
Name: 吉野◆704dd6e6 ID:4cbf7d0b
Date: 2011/06/08 12:45
(一体何が起きているんだ!?)

 黒髪の少年──次元管理局執務官、クロノ・ハラオウンは、今己が目の当たりにしている光景に驚きを禁じ得なかった。

 その視線の先──正面の大型モニターには、彼が今搭乗し所属する白い双胴型次元航行戦艦、アースラが向かう先である第九十七管理外世界

──現地呼称地球の映像が映し出されている。

 ──そもそもの発端は、次元世界の長期巡回警邏中であったアースラのセンサーが、大きな魔力反応をキャッチした事だった。

 その波形を調べてみれば、管理局の登録データに無いものであり、十中八九ロストロギアから発せられたものであるという報告が上って来たのだ。

 おまけに、その魔力源を巡って二組の魔力保持者──探索者たちが争っている様子まで窺えたのである。

 膨大な魔力を持つロストロギアに、管理外世界で違法に魔法を使用してるであろう探索者たちの存在。

 更には小規模ながら、次元震の発生まで確認される始末。

 そして、ようやくサーチャーを現地へ転移させ現地映像の送受信可能範囲まで来たところで、モニターに映し出されたものに、アースラのク

ルー達は度肝を抜かれたのである。

 白と黒のバリアジャケットを纏った少女たち──

 これはいい。おそらくはロストロギアを巡って争っていた二組の探索者であろう。

 少女たちの傍に居るフェレットと巨大な狼──

 フェレットの方は魔力反応からして変身魔法で姿を変えた人間なのだろう。狼の方は真性の魔法生物──使い魔のようだ。

 これもいい、先に挙げた二人の魔導師のサポートメンバーだと推測できる。

 問題なのはもう一つ、ロストロギアと現地生物と融合した存在──暴走体だ。

 だが、クロノたちが見ているのは少女らが取り囲んでいる、樹木と融合した暴走体ではない。

 白い少女と行動を共にしている、法衣を纏った木乃伊の如き存在。それが、クロノを含めたアースラの全ブリッジクルーの注目を集めていた。

「暴走体α、同βの魔力数値のおよそ三倍!」

「α、β、二体の魔力波長、完全に一致。最低でもβと同系のロストロギアを三つ取り込んでいる模様」

「αがβに対して放った攻撃ですが、ただの魔力放出ではありません。該当データが無い為断言はできませんが、計測の結果から生物の固有の

能力と言うよりは、我々の使う魔法に近いものだと思われます」

「これはまた…何とも判断に困る相手ね」

 ブリッジの最上段の席、腰まで届くつややかな緑色の髪をポニーテイルにした、妙齢の女性が正面のモニターを睨みながら、形良く整った細

い眉を寄せ、呟きを漏らした。

 ──リンディ・ハラオウン艦長、アースラの最高責任者である。 

「状況から判断するに、暴走体αあの白いバリアジャケットの娘に協力をしているようね。となると、彼──って言っていいのかわからないけ

ど──には最低限、意思疎通が可能なコミュニケーション能力があるという事になるわね」

「…彼、もしくは彼女のどちらかが、何らかの方法で相手を操っているというのは考えられませんか?」

「そうね。それも考えうる可能性の一つではあるわ。……どっちにしろ、あの娘たちと接触して事情聴取を行わないと何とも言えないわね」

 クロノの意見にリンディはうなずきつつも先入観での判断はせず、落ち着いた眼差しでモニターの戦闘を眺める。

 画面の中では、奇しくも競争者同士が手を組んだ共同戦線が張られた事により、戦闘は収束に向かいつつあった。

「ならば結論は一つですね。艦長、出撃許可をお願いします!」

「行ってくれる? クロノ・ハラオウン執務官」

 チラリと、リンディは待機状態であった己がデバイスを起動させながら、意見具申をしたクロノを見やる。

「はい。この映像を見ると、先頃感知した小規模次元震も、彼女たちのぶつかり合いで発生したものと考えられます」

 あの樹木の暴走体が倒れれば、今度はその核であったロストロギアを巡って二人の魔導師の戦いが始まるであろう。

 だが、次元震を起こす程の魔力を秘めた物質の、すぐ傍でそんな事をするなど正気の沙汰ではない。

 地球の感覚で言えば、火薬庫の中で火遊びをする位の危険行為である。

 即時戦闘停止と、武装解除を行う必要があるとクロノは考え、訴え出たのだ。

「わかったわ、出撃を許可します。彼女たちの戦闘停止とアースラへの同行、よろしく頼むわね」

「はい!」

 クロノは己のストレージデバイス──S2Uを起動して転移魔法を展開。

 円の中に二重の四角形を形成するミッド式魔法陣がクロノの足元に浮かび、発光しながら術式を組み上げていく。

 と、その時──

「気をつけてねー」

「は、はぁ…」

 転移が始まる瞬間、ハンカチを振りながら自分を見送るリンディを目にしたクロノは、調子の外れた返事とともに光の粒子と化し、アースラ

のブリッジから跳躍した。








 第七話 それぞれの思惑 後編




 ──アースラでのやり取りから、少々時間を遡る。




(令示視点)






「締めよ締めよ金剛童子、搦めよ童子、不動明王正末の御本誓以ってし、この悪霊を搦めとれとの大誓願也。搦めとり玉わずんば不動明王の御

不覚、これに過ぎず。タラタカンマンビシビシバクソワカ──!」

 俺の呪に応じ、樹人の周囲の虚空より十数条の索縄が飛び、その身を縛り上げる。

「ヴォォォォォッ!?」

 樹人が苦しげに体を揺らし、術より逃れようともがくが無駄な抵抗だ。

 そもそも地力が違うのだ。適正が高い為にたった一つのジュエルシードでも、樹人はバリアが張れたり出来たのであろうが、対する俺はほぼ

完全な適正因子を保有する上、この身に三つものジュエルシードを取り込んでいる。

 そんな俺がアルフに使った詠唱破棄の術とは違う、本気で放った呪縛を解き放てる道理が無い。

「──不動金縛りの術。最早こ奴は、枝葉の一つとて自由にはならぬ」

 言葉と同時に俺はなのはとフェイトに向け、念話で「今だ」と、合図を送った。

「お願い、レイジングハート!」

『all right.』

「行くよ、バルディッシュ!」

『yes, sir.』

 それに応じ、二人は樹人へ向け術式を起動。

 高速演算によって構築された魔法が、デバイスの先端に互いの魔力光で魔法陣を描き、準備の完了を告げる。

「撃ち抜いて! ディバイン──」

『Buster!』

「貫け轟雷!」

『Thunder smasher!』

 トリガーワードの承認を受け、轟音とともに放出される砲撃魔法。




 天より撃ち落とされる桃色の閃光が──




 地を這う金色の雷槍が──




 縛り付けられたままの樹人へと襲いかかる!

「ヴォォォォォォッ!」

 着弾の寸前、樹人はまたもバリアを展開し、直撃を回避する。

 しかし、天才魔導師二人の十字砲火を、防ぎ続ける事など出来る筈もなく、僅か数秒で防壁を撃ち破られると、身動きが取れない樹人は、体

を捻って躱す事も、根っこを壁にして直撃を防ぐ事も叶わず、二条の光をその身に受け──

「ヴォオオオオオオオオッ!?」

 断末魔の絶叫とともに光に包まれ、その巨体は粒子と化して消滅した。

 そしてその後から、水色の菱形──ジュエルシードが顕現し、静かに中空へと浮かび上がる。

「ジュエルシード、シリアルⅦ!」

「封印!」

 なのはとフェイトの声に応じるかのように、ジュエルシードは最後に大きく閃光を放った後、淡い光輝かせる小康状態に落ち着いた。

「ふっ!」

 フェイトがバルデッシュを大きく振り、ジュエルシードを追って静かに空へと浮かび上がった。

 それに対するなのはも、彼女を迎え撃つかのように無言でレイジングハートを構える。

(ふむ…)

 俺は今のうちにこの後の展開──不測の事態が発生した場合に備え、一つの備えを行っておく。

 その間にも空中で二人の高さが並び、ジュエルシードを脇に、互いの視線が正面からぶつかり合う。

「ジュエルシードには、衝撃を与えたらいけないみたいだ…」 

「うん…昨夜みたいな事になったら、私のレイジングハートもフェイトちゃんのバルディッシュも、可哀想だもんね…」

「だけど、譲れないから…」

『Device form.』

 改めて意を決するかのように、フェイトはまなじりを鋭く吊り上げ、戦斧の形状へと移行させた己が魔杖を構え直す。

「私は、フェイトちゃんと話をしたいだけなんだけど…」

『Device mode.』

 憂いを帯びた表情のまま、なのはもレイジングハートの形状を変え、迎撃の準備を整える。

「私が勝ったら…ただの甘ったれた子じゃないって証明して見せたら、お話…聞いてくれる?」

 真剣な顔のなのはを、フェイトはしばし無言でみつめた後に、無言で頷き了承の意を返した。




 二人の間に流れる刹那の静の時間。そして──




「テェェェッイ!」

「ハァァァッ!」

 弾かれたように互いが宙を滑り、デバイスを振り上げた。

 水平線の彼方へと沈んでいく夕陽の光を浴びながら、袈裟懸けに振り下ろされる二つの魔杖が、噛み合い衝撃を打ち響かせる──

「ストップだ!」

「「っ!?」」

 そう思われた瞬間、二人の間に青い魔力光の魔法陣が生じ、そこから現れた金属板で補強された詰襟のコートを身に纏った青みがかった髪の

少年が、互いのデバイスを受け止めた。

「ここでの戦闘行動は危険過ぎる。時空管理局執務官、クロノ・ハラオウンだ! 詳しい事情を聴かせてもらおうか」

 驚き目を見開くなのはとフェイトの前で、彼──クロノは高らかに名乗りを上げる。

「まずは二人とも武器を引くんだ。このまま戦闘行為を続けるのなら──っ!?」

 クロノは二人に停戦を呼びかけながら、地面へと降り立ったその時、上空より数発のオレンジ色の光弾が、クロノへと殺到した!

「ふっ!」

 が、クロノ慌てる事も無く瞬時にプロテクションを展開。彼の正面に発生した青い魔法陣が、迫り来る魔弾を弾き飛ばして身を守る。

 魔弾の発生源──上空を見やれば、飛行魔法を発動させたアルフが更なる射撃魔法を生み出しながら、クロノを睨みつけていた。

「フェイトッ、撤退するよ! 離れて!」

 アルフも執務官相手に、この程度の攻撃が通じるとは思っていなかったのであろう、クロノが魔法を使ったその隙をつき、己が主に離脱を促す。

 一方のフェイトはこの怒涛の展開に戸惑ったのか、僅かに逡巡するような表情を作り、俺の方へと視線を向けると──

「アルフッ!」

 意を決したかのように眦を吊り上げ、己が使い魔に声を送って自身は空へと舞い上がり、一路ジュエルシードの下へと飛翔。

 それに合わせるように、アルフはクロノの足元へ射撃魔法を叩きつけ、爆炎と粉塵を巻き上げて視界を塞いだ。

 同時に空中の橙狼は鼻先を俺の方へと向けると、更に数発の魔弾を生み出し、唐突にこちらへと向けて射出してきた!

「む──」

 俺は迫り来る魔弾を防ごうと、術式を構成しようとしたが──

 弾群はこの身へと向かう軌道を突然変化させ、俺の足元へと着弾。クロノへの次手と同じように爆風を巻き上げ、視界を遮る。

「目くらましか!?」

「もらったよ!」

 ようやくアルフの狙いに気が付いた直後、粉塵の壁を突き破り人型へと戻った彼女が、俺へと向かって飛びかかって来た!

 突き出されたその右掌中には、魔法陣──封印魔法が構築されている。

 意表を突く攻勢に俺は対処が出来ず、アルフの掌がそのまま体に触れ──




 俺の体は、痕跡も残さずかき消えた。




「えっ!?」

 その結果に、驚きの声を上げるアルフ。

 無理もない。普通、封印処理を行った場合は暴走体の核となった存在と、ジュエルシード。もしくはジュエルシードのみが残る。

 だというのに、今彼女の目の前には何一つ残っていないのだから、戸惑うのは当然だろう。

 まあ、種を明かせば大した事ではないのだ。だって、アルフが封印魔法をぶつけたのは──

「惜しかったのう。それは拙僧の幻影よ」

 アルフの数メートル程離れた後方へ姿を現しながら、俺は呵呵と笑いを上げる。

「なっ!? いつの間に!?」

 こちらを振り返りながら目を見開くアルフ。

 ──魔利支天、眩陽の術。

 陽炎が神格化した存在で、護身と蓄財の功徳で知られ、戦国期に武士たちの信仰を集めた仏尊、魔利支天の隠行術の応用技だ。

 戦闘開始当初、フェイトたちの俺に対する態度がおかしかったので、先程のなのはとの対峙の最中に、念の為この術を仕掛けていたのである。

 驚くアルフの後方──ジュエルシードへと手を伸ばそうとするフェイトの姿を視認しながら、俺は更に印を結び、術を放つ体勢に入る。

「ナウマク・サンマンダ・ボダナン・バヤベイ・ソワカ──風天よ来たれ!」

 真言とともに放たれた蒼い魔風が、アルフの体を宙へと吹き飛ばした!

「わあぁぁぁっ!?」

「えっ!? アル──」

 己の使い魔の悲鳴に気付き、そちらへと目をやったフェイトは、きりもみ状態でになって飛んでくるアルフを見て、驚きの声を上げ──

「きゃあっ!?」

 次の瞬間には自身もまた風に巻き込まれ、ジュエルシードまでもう少しというところで、その距離を大きく開いた。

「…くっ!」

 身を捻って体勢を維持し、どうにか風から抜け出したフェイトは、ジュエルシードを見つめながら、悔しそうに表情を歪めたその直後──

 眼下の公園より、土煙を切り裂いて飛来する数発の青い魔弾が、つい今しがたまでフェイトが浮かんでいた空間──ジュエルシードの手前を

通過して上空へと消えて行った。

「えっ──」

 フェイトは驚き、目を見開く。

 射出位置へと目を向ければ、デバイスを構えたクロノが、上空のフェイトを睨みつけている。

 驚くのも無理は無い。もし俺の放った風天の真言魔術に巻き込まれていなかったら、今のクロノが放った魔法に撃墜されていた可能性もあったのだから。

《早くここから去れ。あの執務官とやらは甘い相手ではないぞ》

《っ!? 貴方、やっぱり…!》

 呆けたままのフェイトへ念話で逃げるように促すと、彼女は俺が自分を助ける為に魔法を放ったのだと確証を得たのであろう、こちらを見な

がら念話を投げかけてきた。

《早くせよ。愚図愚図しておれば捕えられるぞ!》

「逃げるよフェイト! しっかり掴まって!」

 クロノの次手が来る前に早く逃げろと、焦りの混じった俺の言葉に応じるかの如く、狼形態へと変じたアルフがフェイトの下へと空を切って近寄る。
 
「…………」

 フェイトは数瞬俺を見つめていたが、状況の不利を理解したのか、口惜しそうな表情を浮かべてアルフの背に乗ると脱兎の如く戦線を離脱。

あっという間にその姿が小さくなっていく。

 そこへクロノが土煙から抜け出し、フェイトたちへ向けS2Uを構える。

 その先端に収束していく、青白い魔力光──用いるは、間違いなく長距離射撃魔法。




 しかし──




「ダメーッ!!」

「っ!?」

 突如、S2Uの射線を遮るように、なのはが立ち塞がる。

 クロノが慌てて魔法をキャンセルした為、その一撃が放たれる事は無かったが……

(全く、肝が冷える…)

(主、もう不動金縛りの術を、解除しても問題無かろう)

 内心で安堵の溜息をついたところへ、ナインスターから俺にクロノ対策用に展開し続けていた、魔術のキャンセルを促す。

(そうするか)

 俺はその言葉に頷き、樹人の居た周囲の中空に顕現したままの、索縄への魔力供与をカットして消去した。

 万が一、クロノの魔法が放たれて、フェイトやなのはに命中しそうになっても、当人たちを引き寄せるなり、魔弾を拘束するなりして命中を

防ごうと考えていたのだが、どうやら杞憂であったらしい。

「君たち…何故あの娘たちを逃がしたんだ…?」

「──む?」

 張っていた気を緩め、視線を足元へ下ろした俺へ横合いから声がかかる。

 顔を上げてそちらへ目をやれば、クロノがなのはを連れゆっくりとこちらへ歩いて来るところであった。

「さっき君が放った風…あれで目前の使い魔を吹き飛ばして、延長線上に居たその主を巻き込み、あのロストロギアから距離をとらせたな? 

僕の魔法の直撃を防ぐ為に」

 俺まであと4、5メートル程の所で足を止めたクロノは、油断無く掌中のS2Uの先端をこちらへと向けながらそう詰問してきた。

(やれやれ、気付いてたか…まあ、偶然で片付けるにゃ少し都合が良過ぎるし、仕方が無いか…)

 俺は心中で嘆息しながら、しかし表にそれを出す事なく、のんびりと顎を撫でる。

「あの者は、先日の戦闘の際に大きく負傷してのう。その治療を拙僧が行ったのじゃ。それが三日と経たぬ内にまた怪我を負うのは少々気が引けてのう…」

「…? 君たちはあの娘たちと、このロストロギアを巡って争っていたんじゃないのか?」

 俺の返答に対して、クロノはわずかに眉を動かして訝しむような表情を作り、更に疑問を投げかけてきた。

「それだけではないぞ? 少々話が込み入っている故、一言では語れぬがな」

「ふむ…わかった、とりあえずその話は後にしよう。こちらも上官への報告がある」

 俺の回答に、顎に手を当て思案するクロノだったが、とりあえずこちらの事情は後に回し、アースラに連絡を行う事にしたらしい。

 彼がデバイスを振るうと、すぐ傍にあった海への転落防止用の柵の上に、小さな魔法陣が生まれモニターとなる。

「クロノ、お疲れ様」

 その中心に、薄緑色の髪をポニーテールにした妙齢の女性が現れ、柔和な笑顔を浮かべながらクロノへ労いの言葉をかけた。…リンディ・ハ

ラオウン。ついにアースラの責任者が顔を出した。

「すみません、片方を逃がしてしまいました…」

「ん~ん。まっ、大丈夫よ。──でね、ちょっとお話を聞きたいから、そっちの子たちをアースラに案内してくれるかしら?」

 リンディさんはクロノの謝罪を軽く受け流すと、俺たちへと目を向けてそう言った。…しっかし、彼女に限った事じゃないけど、とても一児

の母親には見ない若々しさだな。

「それは、彼もよろしいのでしょうか?」

 クロノは俺へと視線をやりながら、自らの母親へ確認をとる。…まあ、確かに普通に考えればロストロギアの暴走体と、逃げ場のない密室で

同席したいとは思わんだろうなあ。ダイナマイト片手にたばこ吸っている奴の隣に座るようなもんだし。

「ええ。アースラの計器で調べても、彼の魔力をはじめとする各種数値は非常に高いけど、完全に安定しているのを確認したし、先程の戦闘か

ら今現在までの会話までの言動を鑑みても、人柄──って、言っていいのかわからないけど──に問題は無いでしょう」

 …既にチェック済みって事か。ま、そうでなきゃ第一級の危険物な俺を、自分の膝下へ招いたりする筈が無いわな。

「了解です。今から彼らを連れて帰還します」

「お願いね、クロノ」

 リンディさんの微笑みとともにモニターが消滅すると、クロノはこちらへ振り返り、俺たち三人へと目を向ける。

「今回の一連の騒動について、君たちから事情を聞きたい。ついては管理局の次元航行船、アースラまで同行を願おう」

 真剣な表情のクロノの言葉に対する俺たちの反応は、三者三様であった。

 なのはは「次元航行船? アースラ?」と困惑気味な顔で首を傾げ、ユーノはそんな彼女に「大丈夫、安全なところだから」と、フォローを

入れつつ、クロノへ頷きを返して同行する意思を見せ、残る俺は──

(任意同行ならお断りだ! 連れて行きたきゃ令状を持って来な! って、言ってみてえなぁ…言える筈もないけど)

 などと下らない事を考えていた。

 と、んなアホな考えはさておき、いくらリンディさんの言葉とはいえ、反対の一つくらいあると思ったんだけどなぁ。俺に関して聞いたのは、

あくまで確認だったって事か? クロノは何を思って俺をアースラに連れて行っても大丈夫だと考えたのだろうか。…ひとつ、尋ねてみるか。

「──しかし、いかに上官が問題無しと判断したとはいえ、よく現世の理より逸脱した拙僧を拠点に連れて行く気になったものじゃのう?」

「聞いていたとは思うが、ここでの戦闘は一部始終見させてもらっていた。こうして言葉を交わせていた事も確認済みだったし、何よりこうし

て接触して、君が確固たる自我を持って、極めて理知的、理性的に物事を判断できる存在であると確信が持てた。だからアースラに連れて行っ

ても問題は無いと判断した」

 もっとも、と言葉を続けながらクロノは己のデバイスを掲げ、俺を正面から見つめる。

「もしこの態度が擬態で、君がアースラの中で何か良からぬ事をしようとするならば、僕の全力持って止める。それだけだ」

「ふむ。なるほど」

 ニコリともしない鉄面皮の少年が、理路整然とそう述べるのを聞きながら、俺は表面上は平然と相槌を打ちながらも、内心では眼前の魔導師

の論理的な思考に舌を巻いていた。

(ふーむ、やはり俺の前に居るクロノは、二次創作で見るような肩書きだけの、頭でっかちなエリートじゃないな)

 眼前の執政官殿は冷静な情報分析能力と的確な判断能力を持つ、本物のエリートのようだ。

 しかしそれも当然か。そもそも管理局の『海』は、百以上存在するという次元世界へ派遣され、活動を行う部門だ。

 その中には当然、この世界で言うインドのヒンドゥー教や、中東のイスラム教のような、一種独特な文化風習をもつ場所だって存在する筈。

『海』に所属する執務官ともなれば、対外的には管理局の顔ととられることだろう。

 そんな執務官様が派遣先でバカやって、うっかりタブーにでも触れようもんなら国際問題にも発展しかねない。

 管理局の上層部や三脳がいくら傲慢な考えを持っていたとしても、自分たちに対して友好的な勢力まで、無闇やたらに敵に回すような行動を

取りかねないバカを優遇する筈ないし、こっちで言うところの司法試験並に狭き門である執務官試験(確か実技と筆記有りで、合格率は十五%

だったっけか?)の合格者が、自らトラブルの火種になるような阿呆では、次元世界はとっくの昔に崩壊している事だろう。

(これだけ冷静なら、クロノもリンディさんも管理局至上主義って線はまずないだろうな…)

 二次創作的なせっていだろうから、その可能性は薄いとは思っていたのだが。これならば、闇雲に俺を捕まえようとする事は無いだろうし、

ここはクロノに従っておくべきか。

「であれば、反対する理由もない。拙僧は構わぬが…なのは、ユーノ。汝らは如何する?」

 俺はクロノの要請を了承しながら、なのはたちへ問う。

「大僧正さんが行くなら、私も!」

「僕も行くよ。管理局が来たのだったら事情をちゃんと話さないとならないだろうし」

 二人は迷うことなく同行する旨を口にした。

 それを聞いたクロノは頷きながら転移魔法を発動させる。

《なのは、ユーノ。少し頼みがあるのだが、よいか?》

《どうしたの? 大僧正さん》

 自分の足元へ広がって来たクロノン魔法陣を見ながら、俺は念話で二人に話しかけた。

《管理局の船とやらでの拙僧の言動に疑問を覚えたり、拙僧の事を聞かれても何も答えず何も言わず、回答は全てこちらに任せてもらえぬか?》

《? どうして?》

《少し、思うところがあってな…まあ、事情聴取の際に拙僧がその件も含めて話す故、そこでわかるじゃろう》

 首を傾げて尋ねるユーノに、俺は言葉を濁しながら答える。

《私は別にかまわないよ》

《うん…まあ、僕もいいよ?》

 なのははどうということない、という表情で。ユーノはやや疑問に思うという態度ではあるものの、俺の提案に了承してくれた。

《感謝する》

 二人から言質をとり、それに対する感謝を述べたその時、転移魔法が完成して俺たちは足元の魔法陣から生じた光に飲み込まれた。

(さて、俺の説明に納得してもらえるかねぇ…)

 ホワイトアウトしていく視界の中、俺はこれから行うハラオウン親子との会談を想像し、心中にて不安混じりの呟きを漏らした。








 眼前の光が消えると、俺たちは公園から建物の内部──四方を頑強な金属に覆われれ、非常灯のような淡い光に照らされた天井の高い、薄暗

い空間──空母の中のハンガーデッキのような場所に立っていた。…ここが、アースラの内部か。

「ほほう、これはなんとも…まるで未来世の宇宙船の如き様相よな」

 俺は空中を滑りつつ、周囲を見回して感心しながら感想を漏らした。

 SF映画の宇宙船内の通路みたいな揺れも騒音も、全く言っていい程感じられない。やはり管理世界の技術は、地球より二世代、三世代は先

を行っているんだろうな。

《ねえユーノ君、ここって…》

《さっき、彼が言っていたけど、時空管理局の…次元航行船の中だね。えっと、簡単に言うといくつもある次元世界を自由に航行する船》

《あんま簡単じゃないかも…》

 その後で、不安げにキョロキョロと周囲を見回しながら歩くなのはと、彼女に次元航行船について説明をするユーノが続く。

《えっとね、なのはが暮らしている世界の他にも、いくつもの世界があって、僕たちの世界もその一つで、その狭間を行き来するのがこの船で、

それぞれの世界に干渉し合うような事を管理しているのが、彼ら時空管理局なの》

《そうなんだ…》

 なのははユーノの説明に相槌を打っているが、多分ほとんど理解できていないだろう。ちいとばかり難しいしなぁ。

《簡単に例えるならば、いくつもの次元世界とは地球でいうところの大小の国々、この船は飛行機、そして時空管理局とは各国公認の警察とい

ったところか?》

 細かい差異はあるが、大まかにいうならこんなところだろう。

《あ、それならわかるかも…》

《そっか、なのはの世界の事に例えればわかり易かったね》

 俺の言葉に二人が納得したその時、通路の突き当たりの自動ドアの前に辿り着いた。、

「こっちだ。付いて来てくれたまえ。…ああそれと、いつまでもその恰好というのも窮屈だろう。バリアジャケットとデバイスは解除して平気だよ」

 ドアを開き、ハンガーデッキから通路に出た俺たちの前で、先導していたクロノがなのはの方を振り返りながらそう言った。

「あ、そっか…そうですね。それじゃ──」

 なのはは自分の姿を軽く見やってクロノの言葉に同意すると、目を瞑って魔力運用をカット。武装を解除し、聖祥の制服姿へと戻る。

「君も、元の姿に戻ってもいいんじゃないか?」

「ああ、そう言えばそうですね…ずっとこの姿でいたから、忘れてました」

「へ?」

 そのやり取りに疑問の表情を浮かべるなのはの前で、ユーノの五体が発光して、その体積を十数倍にも膨張させながら人の形を描き──

「ぅえっ!?」

「ふむ」

「はぁ。大僧正にこの姿を見せるのは初めてだったよね? なのはにも見せるのは、久しぶりになるかな?」

 驚愕して目が点になるなのはと、事前情報があったお陰で落ち着いている俺の前で、白を基調とした民族衣装(?)に身を包んだ少年の姿と

化したユーノが、肩まで伸ばした淡い金色の髪を軽く振り、ライトグリーンの双眸をこちらへと向けて柔らかく微笑んだ。

 が、なのははユーノを指差しながらプルプルと体を震わせていた。

 俺がそれを見て、そっと両手で自分の耳を覆ったその瞬間──

「ふええ~っ!?」

 なのはは周囲に響き渡る、驚きの声を上げた。

「? なのは?」

「ユーノ君て、ユーノ君て、あの、その、何っ!? ええっ、だって、嘘! ええっ~!?」

 キョトンとするユーノの前で、なのははその予想外であった出来事に、わたわたとパニクる。

 そんな二人を見ながら、クロノは困惑の表情を浮かべ、俺に回答を求めるような視線を向けてきた。

「君たちの間で、何か見解の相違でも…?」

「多分なのはは、ユーノがあの小動物そのものだと思っておったのであろう」

 俺はユーノの頭頂部を見ながら、「ああ、アホ毛はフェレットと同じなんだなぁ」と、益体も無い事を考えながらその問いにのんびりと答える。

「えっ!? あ、あの、なのは、僕たちが最初に出会った時って、僕はこの姿じゃ──」

「違う違う! 最初っからフェレットだったよー!」

 俺の言葉に驚いてなのはに確認をするユーノだったが、当の彼女は激しく首を横に振りながらそれを否定。その激しい動きに合わせて、ツイ

ンテールが大きく揺れる。

「ああ、うん…………」

 ユーノは首を捻りながら目を瞑り、暫し熟考した後──

「──ああ~っ!」

 ようやく自分の勘違いに気付いたらしく、彼は目を見開いて驚きの声を上げた。

「あ、ああ、そうだそうだ…ごめんごめん、こ、この姿見せてなかった…」

「だよね、そうだよねっ! ビックリしたぁ…」

「…ああ、その、ちょっといいか?」

「「えっ?」」

 クロノが慌てる二人に歩み寄り、やや苛立ち混じりの声を上げた。

「君たちの事情はわかったが、艦長を待たせているので、出来れば早めに話を聞きたいのだが?」 

「あ、はい…」

「すいません…」

 クロノに窘められ、シュンとするなのはとユーノ。

 俺はというと、これは二人の認識の齟齬を改める為の出来事だと思っていたので、あえて必要以外の事は何も言わず黙っていた。

「では、こちらへ」

 クロノにそう促され、再び歩み出した二人の後について、俺はフワフワと宙を滑って追いかけた。








「艦長、来てもらいました」

 案内された通路の先──辿り着いた突き当たりの自動ドアを開いて声を上げたクロノに続いて、俺たち三人も次々に入室し──

「わぁ」

「はぁ」

「ほう」

 それぞれが感嘆の呟きを洩らす。

 そこは、扉一枚隔てた無骨な通路とは完全に異なり、室内にもかかわらず三ツ星ホテルのエントランスのような、噴水や水路が張り巡らされ

た上に、桜の木がおっ立てられて、鹿威しまで備え付けられていた。

 俺も前世知識として知ってはいたが、やはりモニター越しと肉眼では印象が全く違うな、純粋に凄い部屋だ。一体いくら注ぎ込んでいるんだ

? ここだけで…

 呆れながら横を見れば、なのはとユーノも室内をキョロキョロと物珍しそうに見回し、溜息を吐いている。

(神田明神の境内みたいに、雅楽でも聞こえてきそうだな…)
 
 などと考えながら前方のクロノについて、部屋の奥へと向かうと、

「お疲れ様。さ、三人ともどうぞどうぞ。楽にして」

 満開の桜の木の下に広げられた赤い敷物──毛氈の上で正座をした青い士官用ジャケットと白のパンツを身に付けた先程の通信の女性──リ

ンディさんが柔和な笑顔を浮かべ、俺たちを手招きした。

「ふむ。ではお言葉に甘えさせてもらうとしよう」

 呆気にとられる二人の前に出た俺は、リンディさんの真ん前に移動し、毛氈の上にふわりと着地した。

「しかし、室内であるというのに、まるで野点のような気分じゃな。何とも風流な事よ」

「ふふっ、ありがとう」

 舞い散る桜を見上げ、立派な枝ぶりを感慨深く思いながら口にした俺の感想に、リンディさんは口元に手をやりながら嬉しそうに微笑んだ。

 …肝が据わってるなこの人。俺との間が、2メートル位の距離しかないというのに、アップでこのミイラ面を目にして顔色一つ変えやしない。

「えと、失礼します…」

 などと、リンディさんの度胸に感心していると、俺の両サイドになのはとユーノがおずおずと腰を下ろし、クロノもリンディさんの脇に控え

るように座る。

 これでようやっと司法組織の責任者と、事件の当事者が顔を合わせる事となった。

「さて、それじゃあ自己紹介から始めましょうか。私は時空管理局所属、次元航行戦艦アースラ艦長リンディ・ハラオウンです。よろしくね」

「あ、た、高町なのはです! よろしくお願いします!」

「ユーノ・スクライアです」

「魔人大僧正。以後、見知り置き願おう」

 リンディ艦長の言葉に、反射的に挨拶を返したなのはに、ユーノと俺が続くとクロノは片眉をピクリと動かし、口を開いた。

「スクライア…ということは、この世界で騒ぎを起こしているロストロギアは、君が?」

「はい、僕が発掘したこのロストロギア──ジュエルシードが管理局へ輸送する途中、乗っていた次元航行船に起きたトラブルでこの世界に落

ちてしまった為に、それを回収しようとやって来たんです…」

「そうだったの…立派だわ」

「だけど、同時に無謀でもある!」

 クロノの言葉に、ユーノ視線を落として力無くうなだれた。

 一見すれば辛辣とも言えるクロノの言葉だが、間違いなく正論である。

 現地情報、後方支援、自前の戦力等々…その殆どが乏しい状況で、ユーノの取った行動は悪手と言っても過言ではないだろう。




 しかし──




「そう責めるでない執務官殿。確かにユーノの行動は無茶ではあったが、その無茶があればこそ、救えた命もあったであろう」

 原作の神社に居た、暴走体に襲われかけた女の人とか、あの次点でもしユーノがいなかったら、最悪の結果になっていた筈だ。彼の行動は結

果オーライだったと言うべきであろう。そう考えていた俺は、クロノをやんわりと窘めた。

「そして、ユーノがそういう男児であればこそ、拙僧もなのはも協力を惜しまず事態の収拾にあたろうと思えたのだ」

 そうであろう? と、俺はなのはに同意を求めると、彼女はぶんぶん首を縦に振りながら大きく同意する。

「大僧正さんの言う通りだよ。ユーノ君、必死だったもの。だから私もお手伝いしなきゃって思えたし、今もお手伝いしたいって思っている」

「大僧正、なのは…」

 自身の行動を、好意的に受け取られていたのが嬉しかったのだろう。ユーノは俺となのはを見ながら顔を綻ばせた。

「──あ、ところで、あの…ロストロギアって、何なんですか?」

 三人で暫し笑い合った後、視線を正面へ戻したなのはは、先程の会話の中で使われた、知らない単語についてリンディさんに尋ねた。

「ああ、遺失世界の遺産って言っても、わからないわね…えっと──」

 なのはの疑問に、リンディさんは少し困った表情を浮かべながら、言葉を選んで説明を始めた。

「次元空間の中にはいくつもの世界があるの。それぞれに生まれて、育っていく世界…その中に、ごく稀に進化し過ぎる世界があるの。

 技術や科学、進化し過ぎたそれらが、自分たちの世界を滅ぼしてしまって、その後に取り残された、失われた世界の危険な技術の遺産──」

「──それらを総称して、ロストロギアと呼んでいる」

 リンディさんの言葉を繋ぎ、クロノが口を開く。

「使用法は不明だが、使いようによっては世界どころか、次元空間さえ滅ぼす力を持つ事もある危険な技術だ」

「然るべき手続きを以って、然るべき場所に保管されていなければいけない代物…貴方達が探しているロストロギア──ジュエルシードは、次

元干渉型のエネルギー結晶体。いくつか集めて特定の方法で起動させれば、空間内に次元震を引き起こし、最悪の場合次元断層すら巻き起こす危険物」

「先日、君たちとあの黒衣の魔導師がぶつかった際に、ジュエルシードが振動と爆発を起こしただろう? あれが次元震だよ」

「あっ──」

 クロノの発言に、先日の暴走の一件を思い出したのであろう。なのははその言葉に目を見開き、小さく声を上げた。

「たった一つのジュエルシード、全威力の何万分の一の発動でも、あれだけの影響があるんだ。複数個集まって発動した時の影響は、計り知れない」

 鹿威しが石の台座に打ちつけられて、高い音が響く中、クロノは説明を続ける。

「…聞いた事があります。旧暦の四六二年、次元断層が起こった時の事を」

「ああ。あれは酷いものだった…」

「隣接する並行世界がいくつも崩壊した、歴史に残る悲劇…繰り返しちゃいけないわ」

 そう言いながら、リンディさんは茶碗の中に砂糖を放り込んで一気にあおり──

「これよりロストロギア──ジュエルシードの回収については、時空管理局が全権を持ちます」

 空になった器を床に置くと同時に、そう宣言をした。

「あっ…!」

「えっ…!?」

「君たちは今回の事は忘れて、それぞれの世界に戻って、元通りに暮らすといい」

 驚くなのはとユーノに、クロノが更に駄目押しをかける。

「……」

「でも、そんな──」

「次元干渉に関わる事件だ。民間に介入してもらえるレベルの話しじゃない」

 うなだれるユーノを見て異議を唱えようとしたなのはだったが、クロノは反論を許さず、ぴしゃりと言い切った。

「でもっ…!」

「まあ、急に言われても気持ちの整理はつかないでしょう。今夜一晩、ゆっくり考えて二人で話し合ってみて、それから改めて話をしましょう」

 なおも食いつくなのはをそう諭し、宥めるリンディさん。

「──さて、それじゃ大僧正さん?」

「うむ」

 ジュエルシード回収云々の話をとりあえず終えたリンディさんは、次に俺へと目を向け口を開いた。

 いよいよ議題が自分の事へとシフトしたのだと確信し、俺は姿勢を正して彼女を見る。

「貴方の事について、色々聞きたいのだけれど──」

「その前に、一つよろしいか?」

 リンディさんの前にそっと手をかざし、俺はその言葉を遮った。

「ここでの会話は記録されておるのか?」

「? いいえ、ここは私のプライベートな部屋だから、」

 俺の質問の意図が読めず、リンディさんはやや首を傾げながら、不思議そうに答えた。

「確かかな?」

「ええ。間違いなく」

 更に念を押した質問に、彼女は怪訝な表情を作る。

「うむ。それならばよいか…」

 盗撮盗聴の可能性とかない訳じゃないだろうけど(エイミィとかエイミィとかエイミィとか)、こちらの話す『事情』を知れば迂闊に話そう

とは思うまい。

「ここでの言動が、記録されては不味い理由でもあるのか」

「左様、拙僧としても汝ら管理局としても、争乱と言ってもよい程の面倒事が起こるであろう」

 横から口を挟んだクロノに、俺はごくごく平然とそう言い放った。

「争乱、とは…穏やかではないわね。一体どんな話しなのかしら…?」

 そう言いながら、リンディさんは眼光鋭く俺をねめつけてくる。

 さあ、ここが正念場だ。この二人を上手く説得しなくては…

 俺は彼女の視線から逃れる事無く、正面から受け止めながら、意を決して口を開いた。

「まず、拙僧は暴走体ではない。ジュエルシードを取り込み、完全に制御下に置いた存在じゃ」

「「っ!?」」」

 俺の言葉に、ハラオウン親子はそろって息を飲み、目を見開いた。

「あの膨大な魔力の塊であるロストロギアを、御していると言うのか!?」

「にわかに信じがたい話ね…」

「そのジュエルシードを取り込んだ存在でありながら、こうして汝らと言葉を交わしておるこそ、何よりの証拠であろう。そもそも、少々変わ

り種の暴走体と言うだけでは、拙僧という現象を説明しきれぬであろう?」

 からかうような俺の声にリンディさんは唇に手を当て、思案しながら口を開いた。

「…確かに、先程の樹木の暴走体を鑑みても、貴方の今の状態はそんな言葉だけでは名状し難いわ。

 でも、それならば何故完全な制御なんていう事が可能なの? アースラで観測された結果から見ても、ジュエルシードの放出する力は、例え

一流の腕を持つ魔導師でも、御した上に操るなんて真似は不可能な筈よ? 貴方は一体…」

「その原因は、拙僧の本体──元の体にある特性によるものよ」

「特性?」

 クロノがオウム返しに問いかける中、俺は眼下のお茶を手に取り、一気に飲み干すと空の茶碗を下ろし、視線を正面へ戻す。

「──ジュエルシード適正因子。それがあったが故に、拙僧は暴走体となる事なく、自我を保つ事が出来たのだ。そして、これこそが汝らの世

界に、争乱を巻き起こすやもしれぬという理由よ」

「ジュエルシード適正因子か…確かに凄い能力──レアスキルだ。何故君がそんな能力を持っているのか疑問ではあるが…しかし、それでも危

険視をされる事はあっても、それだけで争乱が起こるとは言い過ぎじゃないのか?」

「そうねジュエルシードの次元干渉を利用したテロ行為や、犯罪組織に捕われたというのであれば、ゆゆしき事態になるとは思うけど…」

 俺の言葉に、ハラオウン親子は納得していない表情でそう言った。

 ああ、そうか。ユーノはまだ二人に、ジュエルシードの機能を全て伝えてなかったっけ。

「ジュエルシードは、不完全ながら手にした者の『願いを叶える』という形で発動をするロストロギア。その結果が先の暴走体たちであるが…

そんな不完全で傍迷惑な代物が、その『願いを叶える』という機能を、完全に操る事が出来るとしたら…さて、どうなるかな?」

「「っ!?」」

 俺のその言葉に、二人は先程以上の驚きを浮かべ息を飲んだ。

「理解したか? そう、拙僧の力を使えば、爆弾に等しいロストロギアがあらゆる願いを叶える至宝となる。余人がこれを知ればどうなる事か

…容易に想像出来るであろう?」

「そうね、間違いなくその力を巡り、争い──貴方の言う争乱が起こる事でしょう…」

 じっと俺を見つめるリンディさんの頬を、一筋の汗が伝う。

「ちょっと待って下さい艦長! まだ彼の言う事が真実だと決まった訳では──」

「拙僧の言葉を疑うであれば、ユーノに問うてみるがいい。最初にジュエルシードを発掘し、その危険性を危惧していたのはこの者なのだからのう」

 彼女の発言に異議を唱えたクロノの言葉を遮って、俺がそう提案した。

「君、どうなんだ?」

「ええっ!? いや、その──」

 俺とハラオウン親子とのやり取りを黙って眺めていたユーノは、突然クロノから、ほとんど詰問に近い語調で話しかけられて驚いたのか、少

々慌てながら口を開いた。

「えっと、現地生物と融合した暴走体は、さっきの木以外にも何種類か見ましたけど大体が凶暴なもので、その他は無自覚に周囲へ被害を撒き

散らすものでした。融合前と変わらない精神構造だったのは、本能で動く動物──子猫だけでしたし、自我を保った上で、暴走や次元震という

歪んだ形で『願いを叶える』ジュエルシードの力を、ここまで自在に引き出せる以上、大僧正の言う事に間違いはないかと…」

「むう……彼の言う通りであれば、ジュエルシード適正因子は、確かに凄い能力──レアスキルと認めざるを得ません。しかし艦長、それなら

ば尚更我々で彼を保護するべきではないでしょうか? 管理局内でも信頼の出来る人間を集め、その一団で彼に関する情報管理を徹底して行え

ば問題ないのでは?」

 専門家の言葉に、反論の材料を失うが、クロノは尚も食いつく。

「正直、僕としては彼ほどの力を、この場に野放しにしておく方が危険だと思います」

「クロノ、それは──」




「六〇年──」




 リンディさんがクロノの声に答えるのを遮るように、俺は天井を見上げながらそう呟いた。

「え?」

「何を──」

 俺の言葉の意味がわからず、ハラオウン親子は戸惑いを見せる。

「我らが住まう国の政治機構、これが大幅な転換を行ってから今日までおよそ六〇年経っておる。この百年にも満たぬ時の中で、どれ程の公権

力乱用や贈収賄等の汚職が摘発されたと思う? たった一国の、僅かな時の間でさえこの有様なのだ。それが数百の世界を束ねる組織となれば、

一体如何程の闇を、歪みを孕んでいるのか…想像もつかぬな」

「僕たちが、管理局が信用ならないという事か…?」

 鋭い視線で、クロノが俺を睨みつけてきた。

「否。汝らを信用せねば、拙僧の身が危うくなるような情報を開示などせぬ」

「? 何を言っているんだ君は?」

「──クロノ」

 言動が前後不一致だと思ったのだろう、不可解だと言わんばかりに首を傾げるクロノに、リンディさんが声をかけた。

「彼は、私たちは信用出来ても、管理局は信用出来ない。そう言っているのよ」

 そうでしょう? と言いながら俺に視線を向けてくるリンディさん。

「如何にも。拙僧と初見の際にも冷静に立ち会った汝らならば、信用出来ると断じた」

 これは俺の本音だ。ここに至るまでの言動や、原作知識を鑑みても彼らは十分信ずるに値する人物だと思う。だが──

「しかし管理局の上層部が拙僧の存在を知り、その情報とこの身を寄越せと命じて場合、汝らはそれに抗する事が出来るのか?」

「それは──」

 俺の問いかけに、言葉に詰まるクロノ。

 そう、これが組織に属する者の弱点。基本的に上の命令に逆らう事が出来ないのだ。

 ましてや管理局は司法や軍事を扱う組織。その命令系統は非常に厳格なものとなる。

「だが、さっき言ったように信頼出来る人間たちで、君の情報を隠して保護すれば…」

「無理よクロノ」

「っ!? かあさ──艦長!」

 まさか身内から反対意見が出るとは思わなかったのであろう。クロノは動揺のあまり、一瞬公の部分を忘れそうになっていた。

「…時空管理局が生まれて七〇年余り。急速に巨大化した──いえ、今なお成長し続ける私たちの組織は、正直把握し切れないところが有り過

ぎるわ。局の中での完全な隠蔽なんて不可能よ」

「クッ…!」

 言い返す事も出来ないくらいに正論だったらしく、クロノは口惜しそうに俯きながら押し黙った。

 確かに、いくら信頼できる人間で周囲を固めたとしても、俺を連れ込んだところを部外者に見せずコソコソと何かしていりゃあ、『ハラオウン

の一派が集まって何かやってる』なんて噂はすぐにたつだろう。

 ハラオウン親子は管理局でも飛ぶ鳥を落とす出世頭だ。ギル・グレアム中将とは公私でコネクションを持っているし、リンディさんはエリー

ト組の『海』の艦長様。クロノに至っては弱冠十四歳にして執務官である。最早一つの派閥と言っても差支えない勢力だ。

 そんな二人とその関係者には、当然やっかみや嫉妬を抱く連中がごまんといる事だろう。

 俺を抱え込んで保護なんて真似をすれば、鼻の利く連中はすぐさま異常に気が付き、クロノたちの身辺を探る筈だ。

 ましてや、管理局のトップはあの三脳。本局は連中のお膝元である。壁に耳あり障子に目ありって感じで、どこにあいつらの間諜斥候が居る

かわかりやしないのだ。そんなところに行けば、遅かれ早かれ俺の存在は明るみに出てしまう事だろう。

「それで…貴方は、わたしたちにどうしろと?」

 リンディさんがクロノから俺へと目を移し、そう尋ねてくる。

「簡単な事だ。上層部には拙僧を保護、もしくは捕獲しようとしたが失敗したと伝えて欲しい。仮にそちらから第二、第三の追手が来ようとも、

拙僧ならば如何様にも対処のしようがある故」

「…私たちに、貴方という存在を黙認しろと?」

「それが現状とり得る、最上の策であると思うが?」

 俺とリンディさんは、無言のまま空中で視線をぶつけ、睨み合う。








「……わかったわ。貴方の言う通りにしましょう」

 暫し緊迫した時間が流れた後、リンディさんは深いため息とともにそう答えた。

「っ!? 艦長!?」

「クロノ。貴方の言いたい事もわかるけど、彼を本局に連れて行って発生するリスクは、許容できないものだわ。彼の言ったように、現状の維

持が最良の方法なのでしょうね」

 押し黙るクロノを一瞥してリンディさんは「ただ」と、言葉を繋ぐ。

「貴方が私たちの保護下に入る事が危険であるという理由で拒否するのは理解出来たわ。そこは譲歩しましょう。但し、今後不用意なジュエル

シードへの接触は控えてもらいます。ただでさえ、貴方の体には三つものジュエルシードがある。これ以上その数を増やされては、貴方を危険

視する意見も増えるでしょう。そうなれば、私も強硬策に出ようとする上層部を抑える事が出来なくなるわ」

「…今後のジュエルシード探索より降りろと、そう申されるか?」

「ええ。今のままであれば、貴方の先程の提案も実行し易いわ」

「ふむ。まあ致し方あるまい。だが、そなたらがジュエルシード探索中に拙僧のすぐ傍、それも街中などで別のジュエルシードが発動した場合

はどうなのだ? 最低限、街や自分を守る為の自衛権は欲しいのだが?」

「…そういう場合は止むを得ないわ。ジュエルシード沈静化の為に、力を発する事を許可しましょう」

「感謝する」

(はあ、何とか上手い事話を纏めた…)

 話し合いをどうにか成功させた俺は、心中で安堵の息を漏らした。








 光が消え、俺たちの視界にオレンジに染まった空と、臨海公園の景色が飛び込んで来た。

 話し合いを終えた俺たち三人は、クロノの転移魔法によって再びここへと戻ったのだ。

「戻って来たね…」

 魔法陣から進み出たなのはが、空を見上げながら、疲れたように呟きを漏らした。

「艦長への回答は君のデバイスを通じて行えるよう、通信データを送っておいた。答えが決まったらデバイスに任せれば、こちらに繋がるよ」

「あ、ありがとう…」

 後ろからクロノにそう話しかけられたなのはは、慌てて振り向き礼を述べた。

「…それじゃ、僕はこれで──」

 俺の方をチラリと一瞥すると、クロノは言葉少なくそう答え、転移魔法を発動させその姿を消し、去って行った。

「さて、我らも帰るとしよう」

「…そうだね」  

「…………」

 俺は公園から出ようと二人にそう促したのだが、返事が返って来たのはユーノだけで、なのはは元気なさげな様子で俯いていた。

「? なのは?」

 ユーノが心配そうに近寄ると。ポツリと、なのはは言葉を漏らした。

「…また、令示君が大変な目に遭うところだった…」

 …どうやら、さっきの俺とリンディさんたちとの会話の事を気にしていたらしい。

 俺としては、ジュエルシード捜索に手を貸すと決めた時からほとんど決まりだったイベントだった為、対して気にしていなかったが、そうか、

確かになのはにとっては、俺が別の世界に連れて行かれるところだったとなれば、心中穏やかでいられる筈がないないか…

《…なのはよ。このような事態は汝等に力を貸すと決めた時から予測はしていた。汝が気に病む事ではない》

 まだアースラの監視あるかもしれないので、俺は念話に切り替えてなのはにそう伝えた

《でも、もしあのまま保護するって事になっていたら、綾乃さんから、令示君を奪っちゃう事になってた…》

 俺の言葉にも首を横に振り、なのははその顔に深い影を落とした。

《なのは…》

 かける言葉が見つからず、ユーノはただなのはを見つめる。

 先程の会話でなのはが何も言わなかったのも、もしかしたら俺の保護の件でショックを受けていたのかもしれない。

 さて、どうしたものか…

《……なのはよ。一期一会という言葉を知っておるか?》

《──えっ?》

 俺は頭を捻りながらなのはにそう言うと、彼女はこちらへ目を向けた。

《元々は茶の湯の心得を説いた言葉でな、『今こうして出会った時間は、二度と来ない一度切りのものであるから、大切にせよ』という意味合

いの言葉じゃ》

《出会いは、一度切り…》

 ユーノがこちらを見上げながら、俺の言葉を繰り返す。

《ジュエルシードがなくば…あの暴走に巻き込まれなければ…拙僧は汝等にも、アリサにもすずかにも出会う事はなかったであろう》

 俺が死にかけた事、悪魔化した事…是非はともかく、この結果がなければ俺たちは知り合う事すらなかった筈だ。

《それは──》

《汝は拙僧と出会わなければよかったと、そう思うか?》

 口籠るなのはへ、俺は一気にたたみ掛ける。

《そんな聞き方はずるいよ、大僧正さん…》

 上目使いに恨めしそうな視線を送りながら、なのはが不満げな声を漏らした。

《カカカ! 舌で仏弟子に敵う筈が無かろう! 諦めよ、汝の負けじゃ!》

 俺はそんな彼女を呵々と笑い飛ばすと、それに釣られて二人も笑いだした。

《あ…でも大僧正は、リンディ艦長から『ジュエルシードに関わるな』って言われたから、もう僕たちと一緒に行動は出来ないか…》

《あ、そっか…でも、仕方がないよね》

 一通り笑った後、気が付いたかのように発したユーノの言葉に、なのはは残念なような、俺を危険から遠ざける事が出来てホッとしたような、

複雑な表情を浮かべた。

《ふむ、そうじゃのう…まあ、何とかなるであろう》

 俺は顎をさすりながら気の無い返事をする。

《何とかって…》

 その言葉に、ユーノが呆れ混じりの呟きを洩らした。

《案ずるでないユーノ、考えはある故、な。さあ、帰るとしようぞ》

《あ、待ってよ大僧正さん!》

《て言うか、そのままの姿で帰るのはマズイよ!?》

 フワフワと宙を滑り出した俺を、なのはとユーノが追いかけて来た。

《安心せよ。姿を隠す魔術を使う故、周囲には見えぬ。アースラの者たちに拙僧の原体を見られるのは、まだ遠慮したいのでな》




 ──とりあえず一つの難局は乗り切った。




(さて、管理局の介入でジュエルシードの捜索も加速して行くだろう。次は…事態が大きく動くな)

 しかし俺の思考は、既に次の難局へと向いていた。








 第七話 それぞれの思惑 後編 END








 後書き

 どうも吉野です。二ヶ月もお待たせして、申し訳ありません。

 会話交渉シーンって、難しいですよね。頭ひねりながらプロットの段階で何度も書き直しましたが、いざ書き上がったものを見ても、もっと

面白くかけたのでは? と思ってしまいます。

 さて、次の更新は年明けになりますね。次回はいよいよ新たな魔人の登場となります。

 と、言う訳で次回第八話。『地獄の天使は海を駆る』にご期待下さい。

 では、今日はこの辺りで失礼します。それでは皆様、良いお年を!


 PS リリカルパーティ―Ⅳ、参加してきました! 水樹奈々さんのエロキャラ扱いとか、浅野真澄さんと水橋かおりさんの占いの結果とか、

凄く楽しかったです! 




[12804] 第八話 地獄の天使は海を駆る
Name: 吉野◆704dd6e6 ID:4cbf7d0b
Date: 2011/01/04 22:02
「じゃ、私とユーノ君は家に戻るね」

「うむ。リンディ殿になんと答えるにせよ、よく考えてな」

 日が沈んだ公園の入り口まで戻って来た俺たち三人。

「大僧正も、その恰好で街の中歩いちゃ駄目だよ?」

「わかっておる。人気のないところで元の姿に戻る。ではな」

「じゃあねー」

「あっ、待ってなのは!」

 ユーノの注意に頷き、別れを告げると、なのは俺に手を振り、フェレットへと変身したユーノを連れて、高町家へと向け走って行った。

「さてと…カラリンチョウカラリンソワカ」

 それを見届けた俺は、真言を唱え、印を組む。

「中央五方五千乙護法、唯今行じ奉る。金達龍王、堅達龍王、阿那婆達多龍王、徳叉迦龍王等、総じては諸仏薩埵、本誓悲願を捨て玉わず、

仏子某甲諸願哀愍納受、七難即滅七福即生火難水難風難病難口舌難執着難怨心難怨敵難呪詛難盗難年難月難疫難日難時難中夭難等諸有障碍

災難即疾消除し、諸願成就し玉へ。オンウカヤブダヤダルマシキビヤクソワカ!」」

 呪を唱え終わると、俺の眼前に炎が巻き上がり右手に利剣、左手に羂索を持ち、火炎を巻きつけた車輪に乗った小鬼──仏法を守護の眷

族、護法童子が現れた。

「…なのはの傍で待機。異常があったらすぐに知らせよ」

「────」

 俺の指示に、護法童子は黙って頷く。

「──往け」

 その声に応じ、護法童子は車輪を回転させて上昇すると、空間に溶け込むようにその姿を透明にしていきながら宙を走り、なのはが消えた方

向へと飛んで行った。

「さて、一応姿は隠させたけど…アースラの連中やなのはに見つからないかな?」

『魔導師連中は魔力運用の訓練はしていても、霊的感覚の鍛錬はしておらぬ。悪魔自前の「姿隠し」で十分目を誤魔化せるであろう』

 俺の不安にナインスターが問題無いと、太鼓判を押す。

 だが、それがますます不安に感じてしまうのは、こいつの基本ベースが俺だからだろうか…?

 …まあ、今更悩んでも始まらんか。俺が居ないとこでのイレギュラー対策は、これでよしとしよう。…何事もなきゃ、それはそれでいいんだが。

 護法童子の消えた方向を見ながら、俺はそう考えていた。








(三人称)







「──だから、僕もなのはも、そちらに協力させていただきたいと…」

 アースラでの会談から数時間後。夜も更けた高町家、なのはの部屋にてユーノはレイジングハートを使い、ジュエルシード探索の協力をリンデ

ィたちへ申し出る交渉を行っていた。

「協力ねえ…」

 やはり執務官としては、民間人を巻き込むのは了承し難いらしく、そんなユーノの言葉に難色を示すクロノ。

「僕はともかく、なのはの魔力はそちらにとっても有効な戦力だと思います」

 それに対し、ユーノは自分たちを使う事でのメリットを訴える。

「ジュエルシードの回収、あの娘たちとの戦闘…どちらにしても、そちらとしては便利に使える筈です」

「んー、中々考えていますね。それなら──まあ、いいでしょう」

「っ!? かあさ──艦長!」

 あっさりと了承した母親に思わず噛みつくクロノ。

「手伝ってもらいましょう。こちらとしても、切り札は温存したいもの。──ね、クロノ執務官?」

 しかし、当のリンディは飄々とそれを受け流し、利を説いた。

「~っ…はい…」

 上官の考えに反論できず、渋々と言った形で頷いたクロノ。

 と、その時、彼はオペレータ席に着きながら、ニヤニヤと母とのやり取りを見ていた士官教導センターの頃から同期で、執務官補佐である栗

色のショートヘアの少女──エイミィ・リミエッタの視線に気付き、不機嫌そうに顔を逸らした。

「条件は二つよ。両名とも身柄を一時、時空管理局の預かりとする事。それから指示を必ず守る事……よくって?」

「…わかりました」

 ユーノは真剣な面持ちで、リンディの述べた条件を呑んだ。








 第八話 地獄の天使は海を駆る




「凄いや…どっちもAAAクラスの魔導師だよ!?」

 モニターを見上げながら、エイミィは驚嘆の声をもらした

「ああ…」

「こっちの白い服の娘は、クロノ君の好みっぽい可愛い娘だしぃ」

「エイミィ…そんな事はどうでもいいんだよ…」

 からかうような彼女の言葉に、クロノは呆れ混じりの返事をする。

「魔力の平均値を見ても、この娘で一二七万…黒い服の娘で一四三万! 最大発揮値は更にその三倍以上! 魔力だけならクロノ君を上回っちゃってるね~」

「魔法は魔力値の大きさだけじゃない。状況に合わせた応用力と、的確に使用出来る判断力だろ?」

 クロノ自身は冷静に答えたつもりなのだろうが、エイミィには彼がムキになっている態度が見て取れて、それがおかしく、また微笑ましく思った。

「それはもちろん。信頼してるよ? アースラの切り札だもん、クロノ君は」

「むうう…」

 同僚にいいようにあしらわれているような気がして、どうにも釈然としないクロノ。

 その耳に、背後の自動ドアの開閉音が響いた。

「あ、艦長!」

 エイミィとクロノが振り返ると、私服に着替えたリンディが室内へと入ってくるところであった。

「ん? ──ああ、二人のデータね」

「はい」

 モニターを見上げ呟いたリンディに、頷きを返すクロノ。

「…確かに、凄い娘たちね」

「これだけの魔力が、ロストロギアに注ぎ込まれれば、次元震が起きるのも頷ける」

「あの子たち──ユーノ君となのはさんとユーノ君が、ジュエルシードを集めてる理由はわかったけど…こっちの黒い服の娘──フェイトさん

は何故なのかしらね…?」

「随分と必死な様子だった。何か余程強い目的があるのか…」

 顎に手を当て、フェイトの言動を思い返しながら思案するクロノ。

「目的、ね…」

「さっきのユーノ君との通信だと黒い服の彼女は、どうやら母親の命令でジュエルシードの回収を行っているようですけど…」

「まだ小さな娘よね。普通に育ってれば、まだ母親に甘えたい年頃でしょうに…」

 フェイトの行動、その意思の源泉が何なのかを考え、思いを巡らせる。

「で、エイミィ。彼の──大僧正の詳しい計測結果は出たのか?」

「あ、はいはーい。ちょっと待ってね」

 クロノの言葉を聞いて、エイミィはコンソールの上で素早く十指を踊らせ、モニターの画像を切り替えた。

「あら、大僧正さん?」

 なのはとフェイトの映像から法衣の木乃伊へと切り替わったのを見て、リンディが口に出して呟いた。

「エイミィに、彼のデータの解析を頼んでいたんです。──それで、どうだった?」

 クロノの問いかけに、エイミィは珍しくその表情を曇らせ、「う~ん…」と唸りを上げながら口を開く。

「うん…結論から言うと、わからない事だらけだよ、彼」

 彼女そう言いながら詳しいデータを画面に表示させていくが、その殆どがunknown──不明、もしくは情報不足により解析不能といった有様であった。

「これは…」

「わかった事といえば、彼の中のジュエルシードは完全に安定している事。感知できるのはジュエルシードの魔力波長だけで、彼自身の魔力

──リンカ―コアの反応は掴めなかったこと…このくらいかな?」

「やはり、リンカ―コア無しでジュエルシードの魔力を完全制御しているのは間違いないという訳か。

 僕たちの使う魔法とは違う、彼特有の能力か…一応、証言の裏付けは出来たし、よしとするべきか」

 モニターを見ながら呟くクロノを見ながら、エイミィは首を傾げた。

「? クロノ君、証言って?」

「済まないが、話せない」

「ええ~~!?」

 愛想の欠片も無いクロノの言葉に、エイミィは不満たらたらという表情を浮かべ、抗議の声を上げた。

「いいじゃない、教えてくれても~」

「いや、だから──」

「私、あの二人の女の子の解析終わったら上がる予定だったのに、クロノ君が後から彼のデータを調べてくれって言うから、一人で残ったんだよー?」

「それについては感謝してるけど──」

「じと~」

「自分で擬音つけながら睨まないでくれ…」

 頬を膨らまし、恨めしげに半眼で自分を見る同僚の視線に頭痛を覚え、クロノはこめかみをおさえながら溜息混じりにそう呟いた。

「まあまあエイミィ、落ち着きなさいな。今回の仕事が終わって本局に戻ったら、残業代がわりにクロノに何か奢らせるから♪」

「えっ!? ちょ、か──」

「いいんですか!? 艦長!」

 その言葉にクロノが問い返そうとするが、それよりも早くエイミィが声を上げながら瞳を輝かせ、リンディの手を取ってはしゃぐ。

 そんな彼女に対して鷹揚に頷きながら、リンディは微笑みを返した。

「ええ。このところ働き詰めだったようだし、たまには羽を伸ばさないとね?」

「はいっ! ね、ね、クロノ君、クラナガンに新しいショッピングモールがオープンしたらしいしんだ。戻ったら早速行こうよ!」

「そこで僕が支払いをするってことか…はぁ、わかったよ」

 疲れきった声でクロノが了承の返事をすると、エイミィは嬉しそうに席を立ち上がり、満面の笑みを浮かべる。

「やったー! じゃあ、本局に居る子から、お勧めのお店とか聞いておかないと! それじゃ、残業終了ということで、失礼しますね。リンデ

ィ艦長、クロノ君」

「はい。お疲れさまね、エイミィ」

 歩き出したエイミィは足取り軽く、嬉しそうに鼻歌を歌いながら、モニタールームから去って行った。

「艦長…」

 エイミィを見送ったクロノが、横に立つ母へ恨みがましい視線を送ると、リンディは苦笑を浮かべて肩をすくめる。

「仕方ないでしょう? この場はエイミィの興味を他に逸らしておかないと」

「それは、そうですが…エイミィにあちこち引っ張り回されるのは、僕なんですよ?」

「はぁ、この子は。真面目なのはいいんだけど、もうちょっとねぇ…」

 まだ納得いかない様子の我が子を見て、リンディは横を向き嘆息しながら、小さくぼやいた。

「? 艦長、どうしました?」

「いえ、なんでもないわ。──それより、エイミィもそうだけど、彼を目撃した艦内の人間には、上手く説明をしておく必要があるわね」

「そうですね。…とりあえずクルーたちには話は通じたが、こちらの調査には応じないという中立的態度を取っていたと話しておきましょう」

 再びモニターへ目をやりながら、真剣な表情でそう口にしたリンディに対し、クロノも頷いて妥協案を提言する。

「そうね。今はそう言っておくしかないか…」

 リンディはクロノの言葉に俯きながら、顎に手をやり、そう呟いて──

「ねえクロノ。大僧正さんの持つジュエルシード適合能力…どう思う?」

 再び彼の方へと視線を向け、そう尋ねた。

「彼のレアスキルですか? …そうですね、珍しい──いや、珍し『すぎる』能力だと思います。縁もゆかりもない、他の次元世界のロストロ

ギアに対して、どうしてそんな異常なまでの相性を持っていたのか…」

「大僧正さんが私たちに嘘を言ったという可能性は考えないのかしら?」

「考えなかった訳ではありませんが、それでもあんな嘘をつくメリットはありませんよ。ジュエルシード適合能力なんて、僕ら管理局に対して

『捕まえてくれ』と言っているようなものですし…」

 クロノの言葉に頷きながら、リンディは口を開いた。

「そうね、私もそう思う。彼はあの発言の通り、私たちを信用した上であそこまでの情報を開示したのでしょうね──おそらく、全ての情報で

はないだろうけど…」

「艦長。艦長は、大僧正の能力についてどうお考えですか?」

「私の考え? そうね…」

 その問いかけに、リンディは少し思案した後に──

「私は、大僧正さんのあの力は、元からジュエルシード制御の為に生み出された、ジュエルシードと対になる能力だと思うわ」

「え?」

 何とも想定外の回答を発し、クロノは目を丸くした。

「ち、ちょっと待って下さい艦長。では彼は元からジュエルシードの存在を知っていて、偶然ではなく確信的に収集していたと言うんですか!?」

 慌てるクロノに対してリンディは首を横に振って、落ち着きを払ったまま答えを返した。
 
「その可能性も考えたけど、それならますます私たちの前に現れるメリットがないわ。私が思うに、大僧正さんの本体となった人物──まあ、

人かどうかもわからないのだけど──の遠い先祖が、ジュエルシードの存在した世界が崩壊する際に逃げ出して、この世界に腰を落ち着けたの

だと思っているのよ」

「──っ!? そうか、次元難民か!」

 ハッとした表情で声を上げたクロノに、頷きを返しながら、リンディはモニターに映る大僧正を見つめる。

「ジュエルシードは次元干渉型のロストロギア…だったら当時のその世界に、次元航行技術が存在したとしても不思議じゃないわ」

 次元難民──偶発的に発生する次元漂流者とは異なり、次元航行技術を持っていた世界の住人たちが、何らかの災害や戦争等の理由で住んで

いた世界にいられなくなり、別の次元世界に逃げ出した者たちをさす言葉である。

 この言葉自体は、時空管理局創立後に作られたものなのだが、それ以前にも古くからそのような難民の存在があったことは、様々な次元世界

に存在する伝説や神話等の、伝承、古典の類似性からも確認されている。




 ──余談だが、伝説と言われるアルハザードの実在を訴える考古学者たちは、かの地の伝承や口伝が、複数の次元世界に存在することを証拠

の一つとして訴えている。



 
「ジュエルシードは次元干渉型のロストロギア…当時のその世界に次元航行技術が存在したとしても、不思議じゃないわ」

「つまり艦長は、大僧正がジュエルシードを生み出した世界で、同様に制御能力──遺伝型のレアスキルを組み込まれた人間、もしくは何らか

の生物の子孫であると、そうお考えなのですか?」

 ──現在、時空管理局がレアスキルと認めるものは、大別して三つある。

 一つは突然変異や持って生まれた才能のような、ほとんど一代限りの突発型のレアスキル。

 二つ目は、古代ベルカ式魔法や召喚魔法のような希少で使い手が少ないものや、口伝や家伝のような秘匿された技術等の、希少型のもの。

 そして三つ目は、限られた血族や特定のDNA保持者のみが使用出来る、遺伝型のレアスキルだ。

 リンディのその推測に、クロノは腕を組んで唸り声を洩らす。

「確かに、可能性がない訳ではないでしょうが、偶然生き延びた存在が、偶然この世界に辿り着き、偶然その子孫が、偶然事故によって飛来し

たジュエルシードを手にする…恐ろしく可能性の低い、天文学的確率の出来事では?」

「ええ、でも決してゼロではない。…ま、全ては推測にすぎないのだけどね?」

「判断するにも、大僧正に関する情報が少なすぎる、か……」

「今は静観するしかない。待ちましょう、彼が動き、再び私たちの前に現れる時を──」

 そう言うと、リンディはいつものような柔和な笑みを浮かべた。

「……」

 クロノはモニターを睨みながら、黙ってその言葉に頷いた。








 ──十日後。








(三人称)






 太陽が西に傾き出し、空が茜色に染まり始める夕刻。

「…すずか、そっちでいいの?」

「うん、ノエルに教えてもらった地図では、この先なんだけど…」

 東京の下町を思わせる細い小道で、アリサが自分の前を行くすずかにそう尋ねると、彼女は掌中の手書きの地図と周囲を見比べ、そう答えた。

 ──授業を終えたアリサとすずかは、家に帰ることなく聖祥の制服姿のまま、市街地中心部からやや離れた住宅密集地帯を歩いていた。

「そう言えば、私たちアイツの家に行くのって初めてよね?」

「そうだね…それはちょっと楽しみかも。あ、でも連絡もなしに急に尋ねたりして、令示君怒らないかな?」

 すずかは不安げな表情を浮かべて、アリサの方を振り返った。しかし、当のアリサは憮然とした顔で腕を組み、口を尖らせる。

「仕方ないじゃない。なのはが学校に来なくなってからもう十日も経っているし、桃子さんたちも詳しい話は知らないようだし…」

 十日前の朝、ホームルームで担任の教師から、なのはがしばらく学校を休むと突然告げられた二人は、すぐさまプリントやノートを届ける役

目を引き受け、桃子たちから話を聞いたのだが、彼女もまた、詳しい話を知らなかった。

 その後、何度も翠屋や高町家を訪ねたものの、なのはが帰宅した様子も連絡がきたこともなかったようで、一向に親友の情報が入ってこない

状況に、アリサは日を追うごとにやきもきとした態度が、表に出るようになっていった。

 そして先日、とうとうそれが爆発したアリサが、放課後になって自分の席を立ちあがると、、突然すずかに言い出したのだ。




「すずか! 明日は令示の家に行くわよ!」と──




「確かになのはが話してくれるまで待つって言ったわよ? でもね、だからって十日も休んだ上に、連絡がないなんて思わないじゃないの!」

「アリサちゃん、落ち着いて…」

 不満げにアスファルトを蹴りつけるように歩く、アリサを宥めるすずか。

「とにかく、あいつの口から何がどうなっているのか少しは聞き出さないと、納得いかないわ!」

 それに、とアリサは言葉を続けながら、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。

「例のだいそうじょう、だったっけ? そいつのことも聞き出さなきゃならないし、一石二鳥じゃない?」

「もう、アリサちゃんったら…」

 少々強引ながら、そのアクティブな親友の言動にすずかは顔を綻ばせた。

「あんまり令示君に無理言っちゃ駄目だよ?」

「わかってるわよ。人の家でそんな無茶な事するわけないでしょ? ──と、少し広い道路に出るわ。これでどこら辺か確認できるかも」

 二人が細い小路を抜け出た場所は、自動車一台が通れる程度の道幅の道路であった。

 夕刻ということもあり、夕食の買い物に向かう主婦や、油塗れのツナギや作業服のまま歩く、仕事帰りの職人たちが往き来している。

「で? ここから近いのかしら、令示の家って」

「えっと、ちょっと待ってね…?」

 アリサの言葉に、すずかが手元の地図を確認をしたその時──

「すいませーん。 絹ごし一丁と、油揚げ一枚下さい!」

「「──あ」」

 聞き覚えのある声に気付き、そちらへと目を向けた二人は、プラスチックのボウルを片手に、昔ながらの自転車販売の豆腐屋を引き止める、

令示の姿を捉えて短く声を漏らした。




(令示視点)




 こちらの呼びかけに気付いて自転車を路肩に止めたおっちゃんは、俺の方を振り返ると、その荒削りな男らしい顔に笑みを浮かべ、声を上げた。

「おう坊主! 今日もおふくろさんの手伝いか?」

 自転車から降り、荷台に括りつけたクーラーボックスの蓋を開けながら尋ねてくるおっちゃん。

「まあ、そんなとこっス」
    
「はぁー感心だなあ、おい! ウチのガキどもなんざ、手伝いもしねえで小遣いばっかりせびりやがるってのに…全く坊主の爪の垢でも煎じて

飲ませてやりてえよ」

「あはは、俺はできることしかやってないから、大したことないよ」

 実際、家事も前世スキルのお陰でそこそこできるけど、桃子さんとか、はやてみたいな達人名人級ではないからなぁ。自慢にはならんし。

「いやいや、そんなことねえって! よっし、いい子の坊主には豆腐もう一丁サービスだ!」

 徹頭徹尾本音だったんだが、おっちゃんは俺の言葉を謙遜と勘違いしたらしく、持ってきたボウルに二丁の豆腐を放り込んで、俺に手渡した。

 ご厚意でいただいたものなので、突っ返すわけにもいかず、「ありがとう」と言って受け取った俺は、おっちゃんに別れを告げると家へと向

かうべく、後ろを振り返った。

 その時──

「みつけた!」

「こんにちわ、令示君」

「…二人とも、何やってるんだ? こんなところで…」

 突如として、制服姿のままのアリサとすずかが、目の前に現れたことに驚き、俺は目を丸くして呆然とそう呟いた。








「ま、入って入って。狭くて汚いとこだけど」

「お邪魔します!」

「お、お邪魔します…」

 カギを開け、俺はアリサとすずかを家の中に招き入れた。

「ちょっとここに座って待っていてくれ。買ったもの片付けるから」

 そのまま居間まで進んだところで、以前なのはとユーノが来た時と同じように座布団をちゃぶ台の前に置くと、二人に座るように促して、俺

は台所へ向かい、豆腐の入ったボウルとビニールに入れてもらった油揚げを冷蔵庫にしまう。

 それと同時に、急須と茶葉の入った缶、湯呑みを取り、戸棚から紙袋──昨日買ったお菓子を出して、すべてをお盆の上に載せて持ち上げる

と、俺は二人の下へと戻った。

「お待たせ。大したもんはないけど、まあこれでも食べてくれ」

 ガサガサと紙袋を開いて、紙に包まれた二口分くらいのサイズのお菓子を取り出すと、二人の前に置き、お茶を入れる準備をする。

「ありがとう、令示君」

「おう」

 お菓子を手にとってお礼を言うすずかに、軽く片手を上げて返事をしながら、急須にお茶葉を放り込み、ポットのお湯を注ぐ。

「ねえ、令示」

「ん?」

「コレ何?」

 急須に蓋をして、茶葉が開くのを待っていた俺に、包み紙を開いて中身──カステラの間に羊羹を挟んだお菓子を取り出したアリサが、首を

傾げながらそう声をかけて来た。

「ああ、知らないか。それはシベリアって言うお菓子だよ」

「しべりあ?」

 オウム返しに問い返すすずかに、頷きつつ、俺はお茶を湯呑みに注ぎながら説明を始めた。

「なんでも大正時代くらいからあるもので、ミルクホールって言う喫茶店の始まりみたいなお店とかで出してたらしいよ」

 …案外『ライドウ』世界のミルクホール──新世界でも、一般の客相手に出していたかもな。

「へー、初めて見た。……ん、結構おいしいわね」

 一口齧って、アリサが感想を漏らす。

「ホントだ。おいしいね」

 すずかもそれに続いてシベリアを口にし、顔を綻ばせた。

「だろ? 近所の和菓子屋で買った、味自慢の一品だよ」

 そう言いながら、俺は二人の前にお茶を置いた。

「さて、それで二人してどういった用で俺の所に来たんだ? ってか、まあ大体要件は想像はつくけど…」

「──って、そうだった! アンタに聞きたい事があって来たのよ!」

 お茶を口にしたアリサが俺の言葉を聞き、慌てて湯呑みをちゃぶ台に置いて声を上げた。

「なのはが用事があるっていって、もう十日も学校に来てないのよ。桃子さんに聞いても、何か大事な用でどうしても行かなきゃならないって

ことを聞いてるだけで、詳しく知らないらしいし…そうなれば、アンタたちが関わってる『あっち』方面の事情としか思えない…だからアンタ

に話を聞きに来たの!」

「なるほどね…」

 アリサの話を聞きながら、俺はお茶を啜った。

「──結論から言うと、以前話した協力を求めて来た奴の助っ人が来たんだが、なのはがその連中のところに行って、例の『種』の回収を手伝

っているんだ」

「ちょっと!? 助けてくれる人が来たんだったら、何もなのはが行く必要がないじゃない!」

「アリサちゃん落ち着いて…」

 膝立ちになって俺に喰ってかかるアリサをすずかが宥めるが、彼女は治まらない。

「そうなんだが…なのははどうしても最後までやり遂げなきゃ、気が済まないようなんだよ。ほら、なのはって結構頑固なところがあるだろ?

それに、助っ人連中もここからかなり離れたところにいるし、一緒に動くとなると、泊まりがけになるという訳だ。

 …対して俺は、母さんの許可がもらえる筈ないから、ここに居残ってるんだよ」

 つーか、桃子さんも凄いよ。お世辞にもまともと言えないなのはの説明で、小学生の外泊──それも連泊を許すんだから。

 娘に全幅の信頼を寄せているのか、超放任主義なのか…まあ、前者だろうが。

「う…そっか、温泉行った時に聞いたけど、アンタのお母さんって、その辺のところ厳しそうだもんね…」

 俺の説明に一応納得したのか、アリサは怒気を治めると、その場に大人しく腰を落とす。

「まあ、でもちゃんとなのはのことは陰から見守っているぞ。公園で約束したろ? いざって時には、悪魔の力でなのはを助けるって」

 アースラに居るとは言え、こうイレギュラー連発の状態では全く安心できなかった故に、あの時俺は護法童子という、一つの布石を打ってお

いたのである。

「え?」

「でも、令示君。遠くに居るなのはちゃんを、一体どうやって?」

「う~ん、実際に見せた方が早いかな?」

 俺の言葉に対し、不可解という表情を浮かべる二人の前でおもむろに呪を口にし、ジュエルシードを起動させる。

 畳の上にマガツヒの赤い光を放つ曼荼羅が形成され、放たれた閃光に包まれた俺は、法衣を纏う木乃伊へと変じた。

「マタドールさんじゃ、ない?」

「もしかして、この恰好がだいそうじょうってやつ!?」

「ほう、なのはから聞いておったか? 如何にも、この身この姿は魔人大僧正。以後見知り置き願おう」

 驚く二人に、俺は呵々と笑いながら自己紹介を行う。

「えっと…令示君なんだよね? マタドールさんとも違う変身なの?」

 おずおずと尋ねるすずかに、俺は頷きを返した。

「左様。この身は御剣令示を核として形成されたもの。魔人マタドールとは同じくして、異なる存在──変ずる種類の違いとでも考えておれば

よかろう」

 ちなみに、家に中においては、アースラやフェイトたちに魔人化によるジュエルシードの魔力を感知されることはない。

 この部屋の四方の壁に魔利支天の護符を貼って、一種の隠行結界を展開している為だ。

 いちいち変身するたびに相手に見つかるのは面倒なので、何かいい手はないものかと考えていたのだが、この間の戦いで魔利支天の術を使っ

てピンと来たのである。これの隠行結界を常時展開はできないか? と。

 基本、魔人化している際にしか魔術や悪魔スキルは使えないのだが、アースラからの帰り──大僧正化している際にナインスターと打ち合わ

せて護符を作り、そこに大量に魔力を注ぎ込むことで作成。人間に戻って帰宅した後、家の中に貼って回って結界を展開したのである。

 後はたまに魔力を注ぎ込めば、半永久的に結界の維持が出来るスグレモノなので、結構重宝している。

「では早速、今のなのはの様子を見てみるとしよう。──護法童子、『答えよ』」

 俺が霊的なラインを繋げ、言霊を発すると、脳裏に映像を浮かび上がる。

 上から見下ろすような視点で映し出されたそれは、広い長方形の部屋に、いくつものテーブルとイスが設置された、人気のないガランとした

場所だった。…どうやら、ここはアースラの食堂のようだ。

(さて、なのははどこだ? 探せ)

 俺の声に応じ、映像が周囲を確かめるように動き、食堂の中心近くのイスに腰掛け、人間形態のユーノと向かい合って話をするなのはの姿を

捉え。空を滑るようになのはたちへと近づいていく。ふむ。このくらいなら、アリサとすずかに見せてもまずいことはなかろう。

「…見つけたぞ。今汝らにも見えるように映像を出そう。──オン・マリシエイ・ソワカ」

 俺は魔利支天の真言を唱え、自分の脳内にある映像を幻として投射し、魔術プロジェクターとでも言うべき手法で、二人の前に映し出す。

「わっ!? 何よこれ!?」

「なのはちゃん!?」

 突然現れた立体映像に、驚きの声を上げる二人。ちなみに映像オンリーだ。幻に音は出せないしな。まあ、色々不味い事を言ってるかもしれ

ないので、そっちのが都合がいいのだが。

「今現在のなのはの様子じゃ。どうやら無事のようであるな。うむ、重畳である」

「うん、まあそれはいいんだけど…どうやってこの映像映し出しているのよ? なのはもこっちに気付いた様子ないし…」

 不思議そうな顔をして、アリサが尋ねてきた。

「実はの、なのはに内密に護衛を付けておいたのじゃ。拙僧が呼び出した護法童子でな」

「ごほうどうじ…? そういえば、さっきもそんなことを言っていたけど…?」

「うむ。説明すると…そうじゃな、汝らは式神というものを知っておるか?」

 すずかの言葉に頷きながら俺はどう答えるか思案しながら、二人に尋ねた。

「しきがみ?」

「知らぬか。では、西洋の魔女が使う蝙蝠や黒犬、烏のような使い魔ではどうかな?」

「あ、それならわかるよ。童話とか昔話でも出てくる、魔女の命令を聞いて色々と働く動物でしょう?」

 顔をしかめて考えるアリサを見て、新たに問い直すとすずかが嬉しそうに挙手をしながら声を上げた。

 さすがは読書家のすずか。その手の本を読んだ事ことがあるようだ。 

「うむ。拙僧の使役する護法童子も、概ねそれと同じようなものじゃ。そうした低位の使い魔とは格が違うがのう。

 西洋の使い魔が動物を使うのに対し、我らが仏法の徒は仏神に祈願し、その御力や眷族──配下を借り受ける。もっとも、借り受ける拙僧ら

にも、それなりの力が求められるが」

「それが、アンタの言う護法童子ってヤツ?」

 俺はアリサの問いに頷き、説明を続ける。

「左様。そうした祈願儀式で呼び出した存在は、召喚主と精神的な繋がりが深い。故に護法童子が見たものを、拙僧が見ることもできるという訳じゃ」

 現界用の魔力も、その霊的な繋がり──ラインを通して送れるので、魔力感知で引っ掛かることもない。魔利支天の隠行術も、このラインを通して

維持しているので、見つかることはない。その辺りはフェイトとアルフの関係と同じのようである。

 ただ、常時発動型の使役神は、リアルタイムで魔力を消費していくのが難点だ『姿隠し』を使わせているので、その消費は普通の現界よりも

多量になる。

 この部屋に展開した隠蔽結界もあり、4,5日前まで結構な魔力不足だった。隠行結界維持用の、定期的に注ぐ魔力は大した量ではないので、

ようやくここまで回復したが。

「なのはも気が付いていないって…アンタ、変なことに使っていないでしょうね?」

 疑惑の眼差しを向けてくるアリサ。

「部屋などの私的な空間には立ち入らせておらぬ。問題あるまい?」

「ん。だったらいいわ」

 俺の回答に満足そうに頷くアリサ。さすがにその辺のTPOは弁えてる。俺のクラスのアホみたいに、ゴミを見るような眼を向けられたら適わんしな。

「こっちの男の子は誰なのかな?」

 すずかが、なのはの対面に座るユーノを指差した。

「そやつはスクライアという、なのはに協力を求めた人間じゃ」

「ユーノ」と言うと、なんか色々面倒が起きそうなので、ファミリーネームで説明しておく。

「…なんか、仲よさそうじゃない」

「まあまあアリサちゃん、なのはちゃんが元気そうでよかったじゃない」

 映像を見ながら、面白くなさそうに呟くアリサに、やんわりと話しかけるすずか。

「まあ、そうだけど…──って、あれ?」

 その時、不承不承ながら同意したアリサが、幻を見て不思議そうな声を上げた。

「なのはちゃんたち、何だか慌てて走っていくけど…」

「なんか、赤い光が点滅してるけど…これ、警報?」

「む──」

 その声に、俺も脳裏の映像へ意識を傾けると、二人の言葉通り、急いでどこかへ駆けて行くなのはとユーノの姿を捉えた。

 その様子から、「いよいよか」と思った俺は、宙を滑って窓際まで移動すると、カーテンを開いて外の様子を確かめる。

 すると、先程まで晴れ渡っていた空が、黒い雲に覆われて今にも泣き出しそうな天気となっていた。

 間違いない。海中のジュエルシード強制発動の一件だ。

 意識を集中すれば、東──海の方から荒れ狂う魔力の波動がビンビン伝わってくる。それも一つや二つではない、かなりの数だ。間違いない。

これはフェイトによる、海中のジュエルシード強制発動の一件だ。

(しかし妙だな…『原作』では、あの回は青空──つまり昼間の出来事だった筈だよな…?)

 今は夕刻。この時間的なズレも、イレギュラーなのだろうか?

「うわ、なによ真っ暗じゃない」

「さっきまであんなに晴れていたのに…」

 俺の行動を不思議に思ってか、窓際に寄って来た二人が空を見上げ声を漏らした。

 そんなアリサとすずかを見ながら、学校に行っている時間じゃなくてラッキーだったとも考えたが、楽観視はできない。…変なところで落と

し穴がなきゃいいんだが。

(フェイト・テスタロッサの体力や魔力の回復状況が『原作』とは異なる故の差異とも受け取れるが?)

(その可能性もあるが、用心に越したことはないだろう? …どうせプレシアにはマークされているだろうしな)

 ナインスターの言葉に心中で返事を返しながら、俺はとりあえず元の人間の姿へと戻ると、ポケットから家のカギを取り出してすずかに手渡した。

「え? え? なに、令示君?」

 カギと俺の顔を交互に見て、すずかは目を瞬かせる。

「二人とも、悪いけど急用ができた。家のカギ預けておくから、帰る時にドアだけロックしてポストにソレ放り込んでおいてくれ!」

 そう言って俺は家を飛び出し、悪魔化出来そうな場所を探して周囲を見回す。

 …大僧正のままで外に出られたら楽だったんだが、アースラの探知機能にその瞬間を察知されたら、ここいらを捜索される可能性もあるし、

そうなれば最悪、正体だけでなく自宅の場所までバレる危険がある。その為、わざわざこんな面倒な事をしているのだ。

 隠行の術を使えば、監視の目を誤魔化すこともできるのだが、その場合、一度に二度の魔法攻撃が可能な、こちらの手数を一つ潰すになる上

に、海上までの移動手段──孔雀明王の呪法を使ってしまえば、もう手詰まりになってしまう。

 喝破を使って手数を増やす方法もあるが、現実はそんなに甘くなく、ゲームと違ってアレはノーリスクではできず、結構な魔力コストがかかるのだ。 

 故に、俺は速攻で海上へ辿り着ける方法を使うべく、自宅を出てから適当な場所を探して走り回り──

「…よっし、ここならいいだろう」

 トタンの廃工場を見つけて飛びこんだのである。

「ちょっと! いきなり出て行ったかと思ったらこんなところまで来て! 一体何やってんのよ!?」

 と、それと同時に背後からかかるアリサの怒声。…どうやら俺を追っかけて来たらしい。

「なのはちゃんたちを見てから、急にここに来たけど…何かあったの?」

 続いてすずかが、不安げな表情でアリサの後ろから姿を現した。

 結局二人ともついて来ちゃったか…まあいいか。二人になら隠すことでもないし…

「さっきの映像で、なのはたちが例の『種』を、この近く──海の方で感知したみたいなんだ。この天気の荒れっぷりもその影響らしい」

「この雲と風が、そうなの…?」

 俺の説明に驚いた様子で、ごうごうと風が唸りはじめた空を見上げるすずか。

 更には、灰色の空から大粒の雨も降り出して、地面を濡らしトタンの屋根を叩き始める。

「で、結構な規模の──前に話した、下手したら街が吹っ飛ぶ規模の災害みたいなんで、手伝いに行こうと思ってさ」

「…それで外に出たって訳ね。でも、それならアンタの家から直接行けばいい話なんじゃないの?」

 腑に落ちないという表情で、首を傾げるアリサ。

「新しい魔人に変身しようと思っていたんだよ。今度の奴は部屋の中で変わるにはちょっと都合が悪いんだ」

「えっ!? まだ他の姿があったの!?」

「ああ。まあ二人なら別に見られても問題ないし、見ていくかい?」

「うんっ、是非!」

 驚くすずかにそう尋ねると、彼女は嬉しそうに大きく頷いた。

「よっし! じゃあいくか!」

 俺は二人から数メートル程離れた、工場のほぼ中央部まで進み出ると目を瞑り、意識を胸部──ジュエルシードへと集中させ、朗々と悪魔化

の呪を唱える。





 ──疾っ走れ!! 疾っ走れ!! あのかすかに見える都市の尖塔へと向かって疾っ走れ!!




 紡ぐ言葉に応じ、俺の足元に赤光の輝きが生まれ魔法陣を形成していく。

 それは、円形の中心部を通る直線を引いただけの、大僧正の曼荼羅に比べるとあまりに単純な魔法陣──




──疾っ走れ!! 疾っ走れ!! 今でも思い出すあの喧騒と打撃へと向かって疾っ走れ!!




 これは、バイクの前輪をロックして軸にして、回転する後輪で路上にタイヤ跡で円を描く──映画『マッドマックス』のマックスターン。

 俺がこれから変じる悪魔にとって、これ以上ないものだろう。

 そのマックスターンの中心よりマガツヒの光と炎が立ち上り、俺の姿を覆い尽くす。

 それと同時に俺の周囲へ、唸るようなエギゾーストがこだました。






(三人称)






 令示が炎と赤い光の中に消えると同時に、その二つが爆発的に膨れ上がって、暴風と閃光を発した。

 いきなり吹き荒れた突風にアリサとすずかは驚き砂塵から目を隠し、スカートを押さえた。




 その時──




「YA---------HA---------!!」

「きゃっ!?」

「って、何!?」

 二人の耳に大気を震わすエンジン音とともに、男の叫び声が響き渡った。

 慌てて令示の方へ視線を向けた彼女たちの目に、黒いライダースーツ姿の男が飛び込んで来た。

「あれが、令示君の新しい姿…」

 すずかが食い入るようにソレを見つめながら、呟きを漏らす。

「ていうか、やっぱり骸骨なのね…」

 土ぼこりを払いながら、どこか呆れたような声を上げつつも、アリサもソレから目を放さない。

 彼女の言葉通り、新たに現れた魔人の頭部は二人が知る闘牛士の悪魔と同様、白磁の如き頭蓋であった。

「──で? 今度は何て名前なのよ?」

「Oh, sorry. Girl! 自己紹介が遅れたな? 俺は──」

 腕を組み、ずいっと詰め寄りながら、アリサはある意味見慣れた相手へ問いかけると、髑髏の悪魔は軽いノリで謝罪をしながら名乗りを上げた。








「な、何てことしてるの!? あの娘たち!」

 アースラのブリッジで、レッドアラートともに緊急事態を告げるモニターを見上げながら、エイミィは呆れと驚きの入り混じった声を上げた。

 彼女の視線の先──モニターには海鳴上空の映像が表示され、空中で金色の魔法陣を展開したフェイトが、バルディッシュを水平に構え、意

識を集中して詠唱を紡いでいるところであった。

「アルカス・クルタス・エイギアス…煌めきたる天神よ。今、導きの下降り来たれ。バルエル・ザルエル・ブラウゼル」

 フェイトの呪に応じ、眼下の魔法陣が魔力を帯びて雷を生み出し、降雨を促す。

「撃つは雷、響くは轟雷。アルカス・クルタス・エイギアス…!」

 バルディッシュを片手で振りかぶり、フェイトは海面を睨みつける。

 彼女の周囲に、目玉を彷彿とさせるいくつもの巨大な金色の球体──魔力スフィアが生まれ、それぞれが雷で結び付き合って、空中に金雷の

サークルを描いた。  

「──はあぁぁぁっ!」

 気合一閃。体を捻って、戦斧形態の己が魔杖を魔法陣の中心に振り降ろすと、同時に幾条もの雷が海面へと撃ち込まれ、その衝撃で大量の海

水が空へと舞い上がる。

 その量は瞬間的に十数トンにも達する。フェイトの凄まじいポテンシャルがあってこそ、なせる技である。

「…見つけた。残り六つ…!」

 撃ち込まれた魔力に反応し、海中に没していたジュエルシードが目覚める。空へと向かって六条の青い光を発し、アースラとフェイト、双方

が探していた残り全てのジュエルシードがその存在を現にした。

 しかし、連日の捜索による魔力不足と疲労を重ねていたのであろう。フェイトの顔色は悪く、その息づかいは荒い。

 六つのジュエルシードの光は海水を巻き込んで巨大な竜巻と化し、荒れ狂う。

 その姿は、さながら逆鱗に触れられた怒龍。人間の体など、触れた瞬間に欠片も残さず粉微塵にされかねない暴力の塊。

「…行くよ、バルディッシュ。頑張ろう」

 だが、それでも彼女はマントを翻して飛び上がり、降り出した雨と吹き荒れる嵐の中、見つけた六つの青い光へと向かって飛翔する。




「何とも、呆れた無茶をする娘だわ!」

「無謀ですね。明らかに自滅する。…あれは、個人の成せる魔力の限界を超えている」

 モニターを見ながら、声を漏らしたリンディに、クロノも頷きながら同意の言葉を口にした。
 
「フェイトちゃん!」

 その時、なのはが声を上げてブリッジへ飛び込んで来た。

「あの、私急いで現場に──」

「その必要はないよ。放って置けばあの娘は自滅する」

 艦長席へと続く階段を駆け上がりながらそう訴えたなのはに、クロノは振り返りながらピシャリと断言した。

「えっ!?」

「仮に自滅しなかったとしても、力を失ったところで叩けばいい」

 驚き足を止めたなのはへ、クロノは更に冷静に策を開陳する。

「でも──」

「今のうちに捕獲の準備を」

「了解!」

 なのはの気持ちをよそに、アースラのスタッフたちは粛々と行動を開始していく。

 モニターの中で、暴風に吹き飛ばされたフェイトが海面の数メートル上で辛うじて体勢を立て直し、海へ落ちることを防ぐ。その表情は疲労

が色濃く現れ、限界が容易に見て取れた。

「…私たちは、常に最善の選択をしないといけないわ。残酷に見えるかもしれないけど、これが現実よ…」

 正面を睨みながら、リンディは硬い表情でなのはに告げた。

「でも………」
 
 その有無を言わせぬ厳しい態度に、なのはは返す言葉も無く俯いた。




 その時──




「っ!? し、市街地方向より新たな魔力反応を確認!」

「なんですって!?」

 オペレーターからの予想外の報告に、リンディは驚きの声を上げる。

 それと同時にモニターに映るフェイトの後方──市街地の沿岸より、ビルに匹敵する程の高さの水柱が上がり、『何か』が一対の波頭を伴い

海を切り裂き、海水を巻き上げ凄まじいスピードでジュエルシードが暴走する海上へと突き進んでいく!

「あれか…! エイミィ!」

「了解!」

 クロノの声に応じてエイミィが素早くコンソールを操り、問題の魔力反応へサーチャーを送りこんだ。

「…サーチャー転移完了。映像、出ます! ──って、これ!?」

 メインモニターが切り替わり、映し出された画像にエイミィをはじめ、クルーたちが驚きの声を上げた。





 まず目を引いたのは、『ソレ』が跨る鉄塊だった。

 ハートを貫く稲妻のプリントがされた紫のオイルタンクと、大きく突き出したハンドルが特徴的な鋼鉄の騎馬──バイク。

 …異常なバイクだった。前後の車輪の代わりに炎の輪が回転し、海面を斬りつけ走るその姿は、まさしく妖車。

 その奇怪なバイクを御す『ソレ』姿もまた、異様なものであった。

 黒いライダースーツを纏い、吹き荒れる暴風に赤いマフラーをなびかせ、正面──ジュエルシードの暴走地点を睨みつける、オープンフェイ

ス・ヘルメットから覗く顔は、白磁の如き髑髏──

《ユーノ君アレって、まさか──》

《マタドールでも、大僧正でもない…きっと、令示の新しい姿だ…》

「…感じる、感じるぜ。俺と同じ力を……ジュエルシードが近くにある!」

 唸り、鳴り響くエギゾーストと暴風の中、笑うように男は呟いた。

「…そこか!? そこで暴れているんだなっ!?」

 目的の場所から目を逸らさず、髑髏がグリップを握り込む。

 妖車はそれに反応して爆発的にスロットルを上昇させると、魔獣の如き咆哮を上げた。

「大人しく石ころに戻りな! そうすりゃ連れてってやるぜ…スピードの向こう側へ!!」

 パワーバンド──エンジンの最効率回転域に達した瞬間、髑髏はグリップを戻してリアへ大きく重心を預け、再びグリップを最奥まで握り込んだ!

 エンジンが唸りを上げ、獲物に跳びかかる禽獣の如く、妖車の前輪が持ち上がったままの走法──スナッチウィリーを決め、竜巻の暴れ回る

海域へと向かって、突っ込んで行く。

「新しい魔力反応の波長、以前接触した暴走体βと完全に一致しました!」

「それじゃ、彼は大僧正なのか…?」

 オペレーターからの新たな報告に、クロノはモニターの髑髏を見ながら呻くように呟いた。

「It is wandering in this world and the sheol──」(この世とあの世を渡り歩く──)

 その髑髏は、豪雨の中謳うように言葉を紡ぐ。

「I am a Hells Angel!」(俺がヘルズエンジェルだ!)

 まるでクロノの問いに答えるかの如く、髑髏──魔人ヘルズエンジェルは高らかに名乗りを上げた。




(令示君…!)

 関わってはいけないと言われていたのに──

 自分のことを知られるのは危険だと言っていたのに──

 あの日、公園の入り口で『考えはある』などと言っていたが…まさか、こんな真正面から約束を破るとは考えなかった。

 ──いや、逆だ。かれならばやりかねなかった。

 そもそも『封印魔法が当たると死ぬ』という、文字通りの致命的欠点を抱えているにもかかわらず、とんでもない無茶をする少年なのだ。

 むしろ、今の今まで行動をとらなかったのが不思議なくらいである。

 付き合いは短いが、なのはは御剣令示という男の子のことを、少しは理解しているつもりである。

 自分と同い年であり、男子小学生らしい悪戯っぽいところがあるものの、時折とても大人びた一面を見せる少年。

 そして何より、誰かの為に一生懸命になれる男の子。

 だから今回だって、自分やフェイトが危ないと考えてこんな無茶な行動に出たのだろう。

(なのに、私は……)

 自分は未だ、ここに立っている。

 あそこに、あの海に大切な友達と、まだ何も伝えていない、伝えなくちゃいけないことがある女の子が居るのに。

「……っ!」

 知らずに、なのはは両手を強く握りしめていた。

 モニターの前に立ち、ただ見ていることしかできない自分に、なのはは悔しさともどかしさで、キリキリと胸が締め付けられるような痛みを覚えた。




《──行って》




(あっ…!?)

 突然脳裏に響いた念話にはのはは驚き、目を見開いた。

《なのは、行って》

 なのはは、自身の背後から発せられた足音に反応し、後ろを振り返る。

《僕がゲートを開くから、令示と──ヘルズエンジェルと一緒にあの娘を…》

 視線の先に、なのはと同じくブリッジへ来ていたユーノが、微笑みを浮かべ彼女を見つめていた。

《でもユーノ君、私があの娘と──フェイトちゃんと話がしたいのは、ユーノ君とは──》

 しかしなのはは目を伏せ、ユーノの提案に躊躇してしまう。

 これは自分一人で済む問題ではない。強行すれば、私事にユーノを巻き込むことになってしまう。

 だがユーノは、笑みを深めて答えた。

《関係ないかもしれない…だけど僕は、なのはが困っているなら力になりたい。なのはと令示が僕に、そうしてくれたみたいに…だから──》

「行って! なのは!」

 ユーノの声と同時に、彼の後方にある転送ポートが光を発する。

「──っ!」

「君はっ!?」

 なのはが反射的に駆け出し、同時に異変に気付いたクロノが、怒り混じりの声を上げた。

 なのははユーノがすれ違う瞬間、僅かに視線を交わして微笑み合い、転送ポートへと飛び込んだ。

 驚くハラオウン親子の前にユーノが立ち塞がり、なのはへ対する行動を遮った。

「ごめんなさい! 高町なのは、指示を無視して勝手な行動をとります!」

「あの娘の結界内へ、転送!」

 彼女の宣言に合わせてユーノは印を切り、転送ポートを起動させた。

 なのはは光の粒子と化し、アースラからその姿を消し、海鳴の海上へと跳んだ。




 ──海鳴上空。高度五〇〇〇メートル地点




「いくよ、レイジングハート…!」

 風を切り落下していくなのはは目を瞑り、今や自分の半身と言えるくらい信頼しているパートナーへ語りかける。

「風は空に、星は天に。輝く光はこの腕に──」

 主の紡ぐ呪に応じ、レイジングハートがその朱色の輝きを増していく。

「――不屈の心は、この胸に! レイジングハート! セーット・アーップ!」

『stand by ready.』

 両目を見開き、強い意志を滲ませた双眸を上空へと向けたその時──

 彼女の全身より発せられた桃色の魔力光が巨大な柱と化し、果てしなく広がる、蒼と茜が入り混じった黄昏の大気を天地に貫いた。




 第八話 地獄の天使は海を駆る 完






 後書き

 (注)この作品は、映画版とTVアニメ版のいいとこ取りで書いています。



 何とか年内更新間に合ったー! 

 どうも吉野です。何とかヘルズエンジェル登場まで書けた―! 自分はバイク乗りではないで、表現に四苦八苦しました。

 昔親父の乗るバイクの後ろに乗せられた時、死ぬほど怖くて、それ以来バイクを嫌っていたので、スピード感を表現するのが尚更難しい気がします。

 ネットのバイク用語事典と、虚淵先生の『Fate ZERO』の4巻を参考に書いてみたのですが、いかがでしたでしょうか?

 一応、文章のまる写しとかないよう細心の注意は払っておりますが、万が一重複する表現があった場合はすぐ修正します。

 さて、ここ最近ようやくPSPの『なのはポータブル』を購入してプレイ中です。

 しかしマズイ。マテリアルたちがいい味出しすぎているせいで、『A´s』のアフターストーリーを思いついてしまいました。

 予定では、『A´s』終了後はすぐに『sts』に行く筈だったのに…とまあ、無印も終わってないのに言うことじゃないですが。

 さすがに今年のこれ以上の更新は無理です。つ―訳で今度こそ今年最後の更新です。

 それと7話の感想をつけて下さった皆さん、お返事遅れてすいません。今回の感想と一緒に返信しますので…

 では次回、『第9話 決斗 不屈の心は砕けない』(予定)でお会いしましょう。

 みなさん、紅白で「ファントム マインズ」聞きながらよい新年を迎えましょう。それでは失礼します。


 P.S 今回のヘルズエンジェルの名乗りは、映画『ゴーストライダー』の予告編が元です。

     あと、変身時の呪文は「ヘルシング」でラストバタリオンの兵隊たちが、ロンドン強襲の際に飛行船の中で叫んでいた台詞からとりました。



[12804] 第九話 決斗! 不屈の心は砕けない (前編)
Name: 吉野◆fe64ebc7 ID:4cbf7d0b
Date: 2011/06/08 12:46
「…行っちゃったわね」

「うん」

 トタンの屋根へ打ちつける雨の勢いが増し、大音響を奏で始めた廃工場。

 親友の漏らした呟きに、令示──魔人ヘルズエンジェルの走り去った方向を見つめたまま、すずかは頷きを返した。

 吹き荒れる風が、剥がれかけている壁の金属板を揺らし、金切り声のような音を上げる。

 その鼓膜を引っ掻くような不快な響きに、アリサは思わず顔を顰め耳を覆う。

 だが、その轟音の中でもすずかは耳を隠す事なく、胸の前でギュッと両手を握り締めた。

 …豪雨をものともせずに駆け出した、狂走の悪魔の力を疑ってなどいない。

 しかし、陽光を遮る黒雲と荒れ狂う風音がすずかの心を、逆なで乱す。

 危険な場所へと向かう令示を見送ることしか出来ない自身の非力に、すずかは心中で密かにうごめく、静かなざわめきを覚えていた。








 第九話 決斗! 不屈の心は砕けない 前編












「YA------HA------!」

 荒れ狂う波も、吹きすさぶ暴風もものともせず、鉄の凶獣──ハーレーダビットソンは高らかに咆哮を上げ、無人の野を征くが如く、大海原を突き進む。

 その速さたるや、正しく疾風──いや、ここは魔風と称するべきだろうか。

「──っと、見えたぜ」

 視線の遥か先──暴れ回る六本の竜巻の中央上空に、フェイトとアルフの姿を捉え、呟きが漏れた。

 やはり魔力不足──も、原因ではあるだろうが…それ以前に、如何に彼女が優秀な魔導師とはいえ、六つものジュエルシードを使い魔のサポ

ートだけで確保しようなどとは無茶が過ぎる。

 俺の目に映ったフェイトは風と雷に翻弄され、まるで糸の切れた凧のようにあちこちへと振り回されていた。

 その為だろうか、俺の出現には気付いているのだろうが、こちらに構う余裕がないようだ。

「ん? …ふん。こっちのヤツも俺に気が付きやがったか…」

 フェイトの下へと向かう俺の正面の海域が、不自然な隆起を見せると巨大な蛇の如き姿を取り、前方を遮るように立ちはだかった。

 海中の幾つかのジュエルシードが、同類の接近──つまり俺の存在を察知し、取り込もうとその食指をこちらへ向けて来たのだろう。

 数個のジュエルシードの力が纏まり、全長数十メートルはあろうかという水蛇が、その巨躯を鞭のように大きくしならせて大質量の水の鉄槌

を、俺目がけて振り下ろす!




 ──しかし




「slowly!」(ノロいぜ!)

 嘲笑の言葉とともに俺は車体を右方向へ大きく傾けてスライドさせ、その一撃を難なく躱す。

 空高くから海へと叩きつけられた、数十トンもの質量は、海面を大きく揺らして、五メートルはあろうかという大波を巻き起こし、着水点を

中心に四方へと放たれた。

 俺の側面より、泡立つ波頭が唸りを上げて迫る。

 それは白い牙を彷彿とさせ、まるで巨獣の顎が如く一息で噛み砕かんと海鳴りを響かせて、のしかかるように俺の頭上を覆いながら襲い来る!

 しかし俺は、ハンドルを逆に切って今度は車体を大波の方向へと傾けながら、グリップを更に握り込んだ。

 スロットルの解放に歓喜の咆哮を上げた妖車は俺の意に従い、速度を上げて波頭へ向かって突っ込んで行く!

 …恐らく既に俺を見つけているであろうアースラの連中には、俺が自ら波に飲まれに行ったかのような、狂気の所業に見えた事だろう。

 無論そんなつもりはない。

 この身から溢れる悪魔の力が教えてくれる。




 むしろここが──




 ここからが──




「Let's Party time!!」



 
 ──魔人ヘルズエンジェルの真骨頂だと!



 
 ハーレーは地響きのようなエグゾーストを放ち、海面を切りつけ、空気を割って大波の表面を一気に駆け登り、波頭から大きく飛び上がって宙を舞う。

 それは、さながらサーカスの曲乗りのような機動──否、サーフィンのエアリアルだ。

 しかし、それだけでは終わらない。

 俺は空中で車体の方向を転換しながら、波の後方──起き上がっていく水蛇へと目がけて『着地』。そのままほぼ垂直になった巨大な蛇体の

表面を、螺旋を描く軌道で疾走する!




 ──これこそが、ヘルズエンジェルの固有能力──方向制御(ベクトルコントロール)




 通常の走行はマシンとライダー、双方に様々な負荷がかかる。

 代表的なものはエンジン内部の金属同士の擦れや、シリンダー壁にかかる負荷、潤滑油の粘度などで生じる出力の低下──摩擦抵抗(フリク

ションロス)だが、その他にも重力、慣性、空気抵抗等々…更には機体自体の強度と、エンジンのパワーとのバランス、乗り手の体力に至るま

で、ただ走るという行為一つで、多くの難問が山積している。

 古今東西のバイクを作り出す職人や技術者たちは、常にこれらの問題と向かい合い、知恵と技術を絞って名機、傑作機と称賛されるマシンを

作り出して来た。

 だが、スピードという狂気に憑かれた悪魔、ヘルズエンジェルはそうした物理的な枷から解放されたマシンの機動を可能とした。

 高速走行で起こりうるあらゆるマシンとライダーへの負荷を、全て車体の後方へと受け流し、加速への枷を逆に力にして更なる速度を得る為

の糧とする能力だ。






 水蛇の表面を駆けながら、俺は全身より滾る魔力を妖車へと注ぎ込む。

 ハーレーはその力の奔流に歓喜の猛りを張り上げ、マフラーから紅蓮の炎を放出する! 

 火炎がハーレーの軌道に合わせ、たなびくその姿は、ジェット戦闘機のアフターバーナーを彷彿とさせた。

 ──ヘルズエンジェル固有スキル、ヘルバーナー。

 敵全体に魔炎を放つ、攻撃スキルだ。

 炎の帯が水蛇を縛り、締めあげていく。

「Get lost! You Schmuck!」(消え失せろ! 糞野郎!)

苦しみ暴れる水蛇へ、俺は笑い混じりの罵声を浴びせ、一気にスロットルを解放しながら、蛇体より海面へ向けて飛び降りる。

 乗り手より送りこまれる加速の合図に、ハーレーが一際大きく狂喜のエグゾーストを鳴り響かせ、マフラーより更なる巨大な魔炎を放出する。

 長く伸びたヘルーバーナーの火炎が、更に大きく膨れ上がり、膨大な熱量が水蛇を包み込む!

 その刹那、ヘルバーナーによって大量の海水の温度が一気に上昇。

 瞬時に沸点を上回る魔炎の高温によって、水蛇は急激な膨張を引き起こし、臨界点を突破した海水が急激に膨張。

 一気に気化され、大量の水蒸気と化した水蛇は、魔炎の檻の中で断末魔の絶叫──水蒸気爆発を引き起こし、四方へ衝撃を撒き散らす。

 耳をつんざくような轟音の中、俺はグリップを握り込んでハーレーを急発進させた。

 妖車の猛りと加速は、後方より俺を飲み込まんと迫る蒸気と衝撃波を振り切り、再びフェイトの下へと疾駆する。

「I'm sorry. I do not want to dance with the snake.」(悪いな。俺は蛇とダンスする気はねえんだよ)

 首を捻り、背後の蒸気の塊へ目をやってそう呟くと、俺は再びグリップを握り込み正面へと視線を戻した。

 そこへ、フェイトへの視線を遮るように立ちはだかる影が一つ。

 四肢に絡みつく雷の蔦を鬱陶しそうに払い除け、俺を睨みつける橙色の巨狼──アルフ。




 ──咆哮鳴響。




 空中で互いの視線がぶつかったその瞬間、橙狼はその周囲へ八つの魔弾を展開する。

「いけっ!」

 ベクトルコントロールの力で、風音に阻害されることなく届いた、アルフの号令と同時に撃ち出された弾群が、疾駆をする俺へと向けて殺到する。

「ヒュウ! 熱い歓迎だ! but──(だがなぁ──)」

 俺は口笛を吹いて笑いを漏らすと、グリップを握り込みスロットルの上昇を更に突き上げ、アルフの放った魔弾の群れへと加速しながら突っ

込んで行く。

「っ!?」

 流石に真正面から切り込むとは思わなかったのであろう。アルフは俺の行動に驚き、目を剥いた。

 だが甘い。驚くのはこれからだ。

 俺は指呼の間まで迫った魔弾群を前に、出現時と同じくスナッチウィリーを決め、振り上げた炎の車輪を暴れ回る猛獣の如く振り回し、来襲

する攻撃を片っ端から叩き潰した。

「──Hey! Wild lady! お互い遊んでる余裕なんてねえだろう? この位にしておこうぜ」

 車体を海面の上で停止させ、肩をすくめながら空中のアルフへ声をかける俺。

「なっ!?」

 その軽い口調に驚き、そして怒りの色を強め声を上げるアルフ。

 が、それも無理はない。先程の俺は時速三〇〇キロ近いスピードで疾走していた。そんな高速で走るバイクをロデオの如く暴れさせるなど、

狂気の沙汰以外の何物でもない。

 バランスとりを誤れば転倒し、尋常あらざる被害を被ることになる。悪魔の肉体強度を以ってしても、それは避けられない。

 ──如何なベクトルコントロールとて、完璧ではない。

 この力はあくまで『走る』という行為に特化した能力である為、走行によって起きうる負荷は打ち消し、力へと変換する事が出来るが、それ

以外の外的要因──先程の水蛇の、のしかかりのような攻撃には、自前の耐久力以外何の抵抗も示せないし、バイク自体の緻密な操作は、乗り

手の腕次第となる。…一つでもその動作を誤れば、最悪、俺は無様な死体を海鳴の沿岸に晒すことになるだろう。

 しかし、俺の心に、恐怖は無い。

 死の具現たる魔人と化した弊害か、はたまた恩恵か。

 後方へ流れて行く景色に、眼球の奥が痺れるような快楽を覚え、綱渡り同然の命懸けの走行に、肥大する征服欲を満たす悦楽を覚える。

 正しくその在り方は、スピードを喰らう狂走の悪魔ヘルズエンジェル。



 ──もっと速さを! もっと迅さを!! もっと疾さを!!!



 腹の奥底から込み上げてくる、飢餓のような本能の要求に突き動かされ、俺は再びグリップを握り込む。

 上昇するトルクの膨大なエネルギーを後輪に送り込み、宙に浮いた炎のタイヤが勢いよく回転を始め、空を切る。同時に妖車は風雨を撃ち抜

くエグゾーストを轟かせた。

 ──しかし、俺は自身の速さへの渇望を押さえ込み、ベクトルコントロールを機体の空中停止のまま動かさず、固定する。

 繋がれた獣のように不満げな唸りを上げるマシンを落ち着かせながら、新たな魔力の波動を感じ取った俺は、その出現方向──後方の空を見上げた。

「──来たか」

 呟いた刹那、天地上下に貫く桜色の魔力光が、空を覆う雲を吹き飛ばして、白いバリアジャケットの少女──なのはが、茜色の空を背に、海

へと降り立ち、竜巻の群れの中心に浮かぶフェイトへと目を向ける。

「くっ! 次から次と……!」

 苛立ちをあらわに、アルフは人型に変身。俺よりも与し易いと判断したか、拳を固めてなのはへと疾走する!

「フェイトの邪魔をぉぉっ……するなぁぁぁっ!!」

 咆哮とともに、なのはへ向けて突き出される鉄拳。しかし──

「違う! 僕たちは君たちと戦いに来たんじゃない!」

「っ!? ユーノ君!」

 なのはに続けて転移して来たユーノが、遮るようにプロテクションを展開。アルフの一撃を受け止めて戦意が無いことを訴える。

「exactly! ユーノの言う通りだぜ、Wild lady. 俺たちはこの傍迷惑な竜巻を止めに来たんだ」

 俺はユーノを援護するように、上空のアルフへ軽い口調で声をかける。

「うん、まずはジュエルシードを止めないとマズイ事になる! だから──」

 俺の言葉に頷きながら、ユーノは幾本もの竜巻と稲妻が暴れ回る空域正面へと飛翔する。

「今は、封印のサポートを!」

 風に煽られながら、ユーノは印を切り、魔法陣を展開。そこから伸びた幾条もの淡緑色の魔力鎖──チェーンバインドが、竜巻へと絡みつき

締め上げる。が、その時──

「!? It is dangerous! Look at side!」(危ねえ! 横を見ろ!)

「──えっ!?」

 横合いから、別の竜巻が蛇のように体をくねらせ、ユーノを飲み込まんと迫って来る!

「チッ!」

 俺は舌打ちをして、固定していたベクトルを開放。

 戒めより解き放たれたハーレーが歓喜の雄叫びを上げ、カタパルトで射出された戦闘機の如く空を切って宙を舞い、ユーノに襲いかかろうと

していた竜巻へ、回転する火炎の双輪を叩きつけた!

「──Go out.」(失せろ)

 言葉とともに、俺はグリップを握り込んでエンジンへエネルギーを注ぎ込み、炎輪が更に回転数を上昇させて火炎を巻き上げ、竜巻を焼き斬る!

 断末魔を彷彿とさせる 蒸発音を聞きながら、俺は海面へと着地。同時にユーノへと念話を送る。

《油断すんなよ、ユーノ》

《ありがとう、えっと、ヘルズエンジェル…?》

 上空のユーノへと念話を送ると、戸惑うような彼からの返事が来た。

《ん? 俺の名前を知っているって事は、アースラの方でもこの騒動はキャッチしているのか? 執務官たちは何やってんだ?》

『原作』同様、アースラからモニターしていたであろうが一応尋ねておく。

《えっと、それは…》

 ユーノは答えづらそうに目を逸らして口籠る。 まあ、フェイトやアルフの前で、『二虎競食の計』やるつもりでした。とは言いづらいだろうな。

《まあ、そんな事は後でいいか。今はこっちの処理の方が先だな》

 そう言いつつ、なのはの方へと目をやれば、丁度レイジングハートから魔力を放出して、バルディッシュへ送り込んでいるところであった。

《お姫様方の準備も整ったようだぜ、ユーノ。 a you ready?》

《うん、いつでもいいよ!》

「OK! 派手に暴れるぜ!」

 俺の叫びに応じて、一際高い猛りを放つハーレー。

 ユーノは再びチェーンバインドを展開して、竜巻を締め上げる。

「ぅぅ……ああ、もう! 今だけだからね!」

 ガリガリと頭を掻いてユーノの隣に並んだアルフが、バインドを放って彼と同じように封印のサポートに回る。

 それを見届けた俺は、ハーレーを機首を竜巻とは反対の方向に向けると、ジュエルシードの暴れる海域を俯瞰できる位置まで下がる。…さっ

き消し飛ばした竜巻はもう復活したか。

《どうしたの? ヘルズエンジェル》

《この忙しい時に何遊んでるんだよ! アンタは!》

《まあ見てな。今からこの竜巻どもを、纏めて黙らせるからよ》

 受け取ったユーノとアルフの念話にのんびりと答えながら、視線の先にある竜巻の群れをじっと見つめ、一気にグリップを握り込む。

 スロットルを開放によって送り込まれるエネルギーに、鋼鉄の魔獣がウォークライの如き叫びを上げ、エンジンより生じた有り余るパワーを

海面へと叩きつけ、大砲のような轟音とともに二〇メートルはあろうかという水柱を生み出しながら、竜巻へと向けてロケットスタート。

 過剰な加速はメーターを振り切って、僅か一、二秒で竜巻の直前へと目前の距離まで迫る。

《ちょ──!?》

《え──!?》

 誰の声か。念話で驚きの声が俺の頭に響く。

 きっと俺を見ていた者たちは、俺が自殺か特攻をしたように見えた事だろう。が、無論そんなつもりは無い。

 俺は視界に六本の竜巻の内、四本がハーレーの進行方向に一直線に並んだのを捉え、さらにアクセルを握り込んで更に加速。

 エグゾーストの咆哮とともに竜巻へと接触し──




「「「「──!?」」」」




 ──四対の驚きの視線の中、まるで紙細工の如くこの四本を纏めて穿ち、破砕した!

 竜巻を粉砕して生まれた水飛沫が、機体の衝撃とスピードが生んだ気流の中に舞う。

 ベクトルコントロールを利用した、俺オリジナルの攻撃だ。

 本来はタイヤや後方へと流し、加速のエネルギーと、機体にかかるその他の様々なベクトルを、物体とのインパクトの瞬間に機体前面へと転換。

 つまり、『接触までに得た速度+機体へかかる負荷+重力+機体質量=破壊力』となり、さながら破城槌の如き一撃を生み出したのである。

 名付けて── 

「──Lucifer's Hammer」(──悪魔の鉄槌)

 その旋風の中、謳うように俺はそう呟いた。




 ──ルシファーズ・ハンマー。




 俺の乗る機体と同じくハーレー・ダビットソン社製ワークスマシンの名前だが、正しくこの技を現すのにふさわしい名前だろう。

 竜巻の群れを撃ち抜いたその先で、サイドブレーキをロック、弧を描くように海水を巻き上げるサイドターン。一八〇度旋回して停止。

 崩れゆく竜巻たちを一瞥し、上空のなのはとフェイトへ声を発する。

「一時凌ぎだ! すぐ復活するぞ、その前に封じ込めな!」

「あ──はい! フェイトちゃん、みんなが止めてくれている。だから、今の内に二人で『せーの』で、一気に封印!」

 俺の言葉に応じて、なのはが頭上にレイジングハートを掲げ飛翔した。

『Shooting mode.』

 それと同時にレイジングハートが、砲撃形態へと移行する。

 ルシファーズ・ハンマーで竜巻の数が減った上に、アルフとユーノのチェーンバインドが残りを繋ぎ止めている為、稲妻も突風もその数は少

なく、なのはは危なげない飛行で海域中心の上空まで到達。桜色の魔力光を発し、足元に魔法陣を展開する。

『Sealing form, setup』

 なのはやユーノ、そして俺を代わる代わる見比べながら、呆然としていた主を促すように、バルディッシュは自らその形状を変えた。

「――バルディッシュ……」

 そう呟きながら迷いの取れぬ表情で上空を見上げたフェイトへ、なのはが笑みを浮かべてウインクを飛ばした。

「あ…」

「──ディバインバスターフルパワー…いけるね?」

『All right, my master.』

 正面を向き直して真剣な表情になったなのはの声に、レイジングハートが快諾の返答を発した。

 同時に足元の魔法陣が大きく広がり、杖身より生まれる桜色の双翼。

「フッ!」

 対するフェイトもわだかまりを捨てて意を決し、己が魔杖を水平に一閃。

 金色の雷を巻き上げながら魔法陣を展開して、同じく金色の二対四翼を生み出したバルディッシュを高々と頭上へと掲げ、封印魔法の準備を行う。

「せーーのっ!」

 それを視認したなのはが、フェイトへ向かって掛け声をかける。

「サンダ―──」

 フェイトが大きく体を捻り、バルディッシュを振りかぶれば──

「ディバイーーン──」

 なのはは三つの円環を纏ったレイジングハートの先端へ、膨大な魔力を収束させる。

「レーーイジッ!!」

 フェイトが空中でとんぼを切り、魔槍形態の切っ先を魔法陣に突き刺したその瞬間、数十条もの金雷の蔦が、残る竜巻と周辺海域へと乱れ飛

び、そこいら中に溢れていた魔力の奔流に、幾ばくかの衰えが生じる。

「バスターーーッ!!」

 そして次の瞬間、なのはのトリガーワードの応じ、轟音とともに放たれた巨大な柱の如き桜色の砲撃が、海面付近で大爆発を巻き起こし、そ

れに伴って衝撃と爆音、大波を全周囲へ撒き散らした──って、ヤバイ!!

「ウォォォォォォォッ!!! ジーザス!!」

 俺は慌ててベクトルコントロールを発動。最早物理的な攻撃力すら孕む、爆発から生まれた衝撃波を受け流し、迫り来る大波をサーフィン宜

しく乗りこなした。








「はぁ…そうだよな、あんだけの大威力魔法ぶっ放せば、どうなるか、予測は出来たんだよなぁ…」

 ──ん? でもヘルズエンジェルって、衝撃吸収がデフォだったよな? 素で喰らっても体力回復になったか?

 いや、魔法で起きたとは言え、普通に物理現象だから物理攻撃扱いでダメ―ジ受けたかもしれないし、まあ、いいか。

 溜息を吐きながらハンドルを切ると、ようやく落ち着きを取り戻した海面を走り、なのはとフェイトの下へと向かう俺。

 そんな俺の視線の先──二人の間に薄青色の光の柱が立ち、海中に没していた六つのジュエルシードが浮かび上がって来た。

 暴走が停止し、叩きつけるようだった雨も弱まり、灰色の雲が割けて茜色の空が顔を覗かせる。

 なのはとフェイトは向かい合ったまま、輝きを放つ六つのジュエルシードを無言でみつめていた。

(そろそろ来るな…頼むぜ、相棒!)

 そんな彼女たちを眺めながら、俺は跨るマシンのオイルタンクを軽く撫で、上空を注意深く見守った。




「──友達に、なりたいんだ…」




「あ──」




 胸に手を当て真剣な表情でそう言ったなのはを、フェイトは小さな呟きとともに瞠目する。

 雨も止み、緩やかになり始めた風の中、静かに向き合う二人。




 その時──




 晴れ始めた空が、黒い雲に覆われていき、幾条もの紫電の槍が、海面へと突き刺さる。

 「っ!? 母さん…!」

 恐怖と驚きの色が浮かぶ表情で、フェイトは空を見上げる。

(来やがったか!)

 プレシアの次元跳躍攻撃だ。俺はグリップを握り込みつつ、双輪へ魔力を流しながら二人の真下まで一気に移動し、海面を抉るようにスピン

ターンを決める!

 ──ヘルズエンジェル固有スキル、ヘルスピン。

 敵全体に物理ダメージを与える技だ。

 しかし、目的は攻撃ではない。

 その刹那、フェイトめがけ、紫の雷撃が振り下ろされる!




 だが──




「え!? ──あ、あれ?」

 雷が彼女へと到達する前に、俺のヘルスピンによって巻き上げられた大量の海水が壁となってその行く手を遮り、フェイトとなのはに雷撃が

到達する事はなかった。

 小説版の『リリカルなのは』で、『魔法とは、自然摂理や物理法則をプログラム化し、それを任意に書き換え、書き加え、消去を行う事で作

用に変える技術』とあった。つまりは、プレシアの放ったこの次元跳躍攻撃の雷撃も、自然の雷としての性質を保持している事になる。

 塩水は電気の伝導率が高い。しかも海水という膨大な量の水ともなれば、電気はあっという間に海へ四散し分解される。例えオーバーSラン

クの魔導師の放つ雷撃であるとしても、この質量をぶち抜いて攻撃を到達させる事など、まず不可能である。

 しかも俺の自身の魔力を海水に流し込んで巻き上げた為、純粋な魔法特性雷撃であったとしても、防御可能。死角は無い。

 このプランは前々から練っていたので、絶対の自信があった。




 ──だから、だろう。




 ──その時の俺は、知らぬ間に慢心していたのだ。




「っ!? ヘルズエンジェル!! 危ない!!」

「な──」




 ──ユーノの警告があるまで、自分へと向かって来る雷撃に気が付かなかったのだから。




「グアァァァァァァァァァァァァッ!!!?」




「ヘルズエンジェル!」

「ヘルズエンジェルさん!?」

 ユーノとなのはの声を聞きながら、俺の視界と思考が/はホワイトアウトしていった──






(第三者視点)






 晴れ始めた思った空が、再び黒い雲で覆われていく。

 眼前のフェイトへ思いの丈をぶつけたなのはは、それ故に自分たちへと向けられていた敵意に気付くのが完全に遅れた。

 なのはのその僅かな隙を嘲笑うかのように、黒雲より紫に輝く雷光が撃ち降ろされた。

 それはなのはとフェイトが、防御も回避も不可能だと認識する間すら与えず、彼女たちへと迫る!

 そう、思われたその瞬間──

 轟音とともに膨大な量の海水が、なのはとフェイトのすぐ真横をかすめて、打ち上げられた。

「え!? ──あ、あれ?」

「なっ、なに!?」

 驚く二人を他所に、天へと昇る龍の如き巨大な水柱は、紫電の槍より二人を守る防壁となり、それを完全に抑え込んだ。

「助けてもらった…? これってやっぱり…」

 打ち上げられた海水が、重力に従い雨の如く降り注ぐ中、なのははこの現象を起こしたであろう人物を探し、海面を見下ろし、

「っ!? 居た!」

 水柱が上がった付近の海上に立つ、髑髏の騎手──ヘルズエンジェルの姿を捉えた。

 なのははまた、令示に、あの優しい悪魔たちの一人に助けられた。

 ほっと、安堵のため息を吐いたなのはは、彼へ礼を言おうとして口を開きかけ──

「っ!? ヘルズエンジェル!! 危ない!!」

 突然発せられたユーノの警告に驚き、何事かと彼の方へ向いたその時、大気を引き裂く二射目の雷光がヘルズエンジェルを撃ち抜いた!




「グアァァァァァァァァァァァァッ!!!?」




 この世に有らざる異形の恐ろしき絶叫が、なのはのいる海域一帯に響き渡った。

 瞬時に雷撃は消失。余る魔力が大気へと拡散していく中、残されたヘルズエンジェルは、全身より黒い煙を立ち上げ、おこりのように細かく体を震わせていた。

 そして、海面に立つ力すら失ったのか流砂に飲まれる蟻の如く、じょじょにその姿が海中へと没しはじめた。

「ヘルズエンジェル!」

「ヘルズエンジェルさん!?」

 仲間の危機を目の当たりにして、なのはとユーノは反射的に動いていた。








 耳目を潰すかのような、轟音と閃光。

 それが治まった後に、慌てて自身の主の姿を探してその無事を確認したアルフは、安堵すると同時に主へ──フェイトへ向け攻撃を放った存

在に対して、はらわたが煮えくり返る怒りとともにギリギリと奥歯を噛み締めた。

(あの鬼婆ァッ!! フェイトに当たったらどうするつもりだ!)

 ──否。当てるつもりだったのだ。仮にもあの女は、プレシアは大魔導師の名を冠する存在である。例えあの連中を狙っていたにせよ、こん

な至近距離であの規模の次元跳躍攻撃を放てばフェイトが巻き込まれる事位、わからない筈がない。

 しかし、幸いにもあの骨の暴走体が今回もフェイトを救ってくれた。

 その事自体には感謝もしている。しかし、ここでおたついてジュエルシードを逃す手は無い。

 むしろそんな真似をすれば、プレシアの怒りの矛先がどこに向くか、火を見るよりも明らかだ。

(フェイトを助けてもらって悪いけど、ジュエルシードはいただいて行くよ!)

 暴走体と少女たちへの、罪悪感を振り払い、中空に浮遊する六つのジュエルシードへと飛翔しながら、アルフは念話でフェイトへと語りかける。

《フェイト! 今の内にジュエルシードを!》

《っ!? アルフ、でも…!》

 あの白い魔導師に言われた事を気にしてるのか、助けてくれた暴走体ノ身を案じているのか、フェイトはアルフの声に対し、目を泳がせ困惑

の表情を浮かべる。

 主人のその気持ちも、わからないでもなかった。ここに来た三人は、敵対する自分たちをわざわざ助けに来てくれたのだから。心根の優しい

フェイトが、自分の提案に躊躇してしまうも無理はない。

 ──ならば、自分が行くしかない。

 アルフにとって、フェイトを守り、幸せにする事こそが使命であり、最優先事項だ。その他は何であろうとも余分、切り捨てるべきもの。

 一気に加速しながら、アルフは目前となったジュエルシードへと手を伸ばし──

「っ!?」

 ──その掌は、鉄の感触に止められた。

 デバイスを突きつけ、アルフの正面に現れたのは、以前彼女たちの前へと立ちはだかった、あの執務官、クロノ・ハラオウン。

 アルフは一瞬、目を見開くものの、次の瞬間には柳眉を逆立て苛立ちを噴出させ、クロノのデバイスを軋みが上がる程握り締め──

「邪魔ぁぁっ…!」

「あっ…」

 持ち前の剛力に魔力を乗せて、驚きを浮かべたクロノを思い切り振り飛ばした! 

「するなぁぁっ!!!」

「うああっ…!?」

 怒号とともに海面へ投げ出されたクロノは、飛び石のように水面を跳ねる。

「──な」

 その様子を一瞥し、再びジュエルシードへと目を向けたアルフは、驚愕した。

(二つしかない!?)

 慌てて海面付近のクロノへと目を向ければ、彼もまた五指の間に挟んだ二つのジュエルシードを、己のデバイスへと格納しているところであった。

(あいつも二つ!? 残りは──)

 クロノとの接触で、弾き飛ばされたのかと考えたアルフは周囲を見回し残る二つを探す。

「なのは!」

「うん! ヘルズエンジェルさん! これを!」

「!?」

 あの二人の声に気付き、そちらへと視線をやったアルフは、緑色の魔力光のチェーンバインドで運ばれた、残り二つのジュエルシードを受け

取った白い魔導師が、あの暴走体へ吸収させているところを目撃した。

 …彼女があの執務官と争ったあの一瞬の内に、横から二つのジュエルシードをユーノが掠め盗っていたのだ。

「ウウウッ……アアアアッ!!」

 アルフは怒りの咆哮を上げて右手を振り上げ、掌中へ生み出した魔力を、力任せに海面へと叩きつける!

 魔力弾が水柱を巻き上げ、海水を撒き散らす。

《フェイト! 逃げるよ、掴まって!!》

 それを目眩ましに利用して、アルフは宙を駆けフェイトを抱き締めると、転移魔法を発動。海上より一気に逃走をはかる。

 …一応、ジュエルシードは回収出来たものの、その数は想定未満。この後、フェイトがプレシアから何を言われるかを考えると、アルフは先

程の怒りも冷め、陰鬱な気分になっていった。






(令示視点)






「…ル…ジ…、ヘ…ズエ…」

(…んん? なんだぁ…?)

 頭がぼやける。あれ? なにやってんだ? 俺。

(えっと…ここどこだ? 今何時?)

「ヘル…エン…ん! ズエンジ…さ…!」

 何か、さっきから誰か呼んでるような…あと、何故か波の音が聞こえるな。家って海岸から結構離れてる筈なんだが…

「ヘルズエンジェルさん!」

「ヘルズエンジェル!」

(──っ!?)

 俺の名前じゃない、悪魔としての名をハッキリと耳にして、一気に思考がクリアになった。

 ゆっくりと目を開くと、俺の体を懸命に引っ張りながら呼び掛けるなのはとユーノの姿があった。

「う、あ…なのは、ユーノ…?」

「気が付いた!?」

「うん! そうだよ! 大丈夫!? 何ともない!?」

 俺がそう声をかけると、心配げに俺の顔を覗きこんでいた二人は破顔し喜びの声を上げた。

「妙に体がダルイがまあ、なんとか──あ、大丈夫だ。魔力が巡って来た…んで? 一体何があったんだ?」

「あの時なのはとあの娘を狙っていた魔法を気味が防いだ直後に、同じ魔法が君に撃ち込まれたんだ」

「あ──」

 そうだ、俺はあの攻撃を、プレシアの次元跳躍魔法をもろに喰らって、気を失った…のか?

(肯定だ主。オーバーSランク級の攻撃を受け、三十八秒程意識を失っていた。のみならず、起動中のジュエルシード三基の内二基が機能停止。

残り一基のその寸前だった)

 俺の疑問にナインスターが答えた。 

 おいおい、めちゃくちゃヤバかったじゃねーか…デッドエンド寸前だったって事かよ…よく生きてたなあ、俺。

(高町なのはとユーノ・スクライアに感謝する事だ。今回封印した六つのジュエルシードの内、二つをハラオウン艦長の許可無しで主の体に埋

め込んだのだ) 

(なんだと…!?)

 ナインスターの言葉に、俺はなのはとユーノに顔を向ける。

「おい、今回見つかったジュエルシード、俺の体に入れたのか?」

「ふえ? う、うん…このままじゃ、ヘルズエンジェルさんが死んじゃうと思ったから…」

「僕がチェーンバインドで引き寄せて、なのはに渡したんだ」

「────」

 なんてこった、これじゃアースラで何言われるか。…いや、二人は責められん、考えてみればプレシアが俺を狙う可能性は決して低くはなか

った筈だろう。俺がその可能性を考えていなかったのが最大のミスだ。

「…sorry.二人とも済まねえ、今回は俺の完全な失点だ」

「そんな! そんなことないよ、ヘルズエンジェルさんが居たから、あの雷に当たらなかったんだし…」

「なのはの言う通りだよ。気にしないで」

「いや、しかし──」

 謝る俺を慰めてくれる二人に、俺が口を開こうとしたその時──

《…三人とも。大僧──ヘルズエンジェルさんを連れて戻って来て》

 俺たちの頭に、リンディさんからの念話が届いた。

《…了解》

 口惜しそうにクロノが答えた後、

《で? なのはさんとユーノ君には、私直々のお叱りタイムです!》

 リンディさんのお怒りの声が、俺たちの脳裏に響き渡った。








「指示や命令を守るのは、個人のみならず集団を守る為のルールです。」

 ──アースラのミーティングルーム。

 アースラへ帰還した俺たち(俺の場合は召喚だけど)は、そのままリンディさんの下へご案内となり、現在なのはとユーノが机を挟んでまな

じりを吊り上げた彼女に怒られている真っ最中である。

 美人が怒ると怖いというが、まさにその通りだな。おっかねえ…

 で、俺はというと、クロノの脇に並んで立って順番待ちである。(ちなみにハーレーも一緒である)あの子らの次は俺が怒られんのだろうか?

「勝手な判断や行動が、貴方たちだけではなく、周囲の人たちも危険に巻き込んだかもしれないという事、それはわかりますね?」

「「はい…」」 

 うんざりとしていた俺を尻目に、二人はしょんぼりとした様子で俯き返事をする。

「本来ならば厳罰に処すところですが…結果として、幾つか得るところがありました。よって今回の事については、不問とします」

「あ…」

「え…?」

 意外なリンディさんの意外な判断に、二人は互いに顔を見合わせ驚きの表情を浮かべる。

「──ただし、二度目はありませんよ? いいですね?」

「はい…」

「すいませんでした」

 厳しい顔のまま、そう念を押すリンディさんに二人は深々と頭を下げた。

「さて、じゃあヘルズエンジェルさん?」

 そう言いながら、ギロリと俺をねめつけるリンディさん。ああ、やっぱりですかそうですか…

 俺は内心で溜息を吐きながらなのはたちと同じ所まで歩み、リンディさんと向き合う。

「以前の会談の際、『今後不用意なジュエルシードへの接触は控えてもらいます』と言った筈だと思いますが?」

「…ああ、覚えているよリンディ姉ちゃん」

 俺は内心の態度とは裏腹に、ライダーズジャケットのポケットに手を突っ込んで答える。こればっかりは悪魔の性格が表層に強く出てしまう

ので、どうしようもない。

「ねっ!? ……まあいいわ。それで、それを理解しているのであれば、今回の行動は一体どういうつもりだったのかしら?」

 流石に「姉ちゃん」呼ばわりされるとは思っていなかったらしく、一瞬の驚きの後、更に厳しい視線を俺に向けるリンディさん。

「そりゃあ俺が聞きたい事だぜ。街の目と鼻の先で六つもジュエルシードが暴れているってのに、肝心の管理局のお歴々が待てど暮らせど一向

に現れねえ。だから仕方なしにあの時言った、『街や自分を守る為の自衛権』を行使させてもらったまでさ」

 肩をすくめて答える俺に、リンディさんとクロノは「あっ」と驚きの表情を作る。おそらくあの会談で俺が言った事を思い出したのであろう。

 元々こっちは海上の騒動は織り込み済みで動いていたので、この位の言い訳は用意していたのである。まあ、プレシアの攻撃では痛い目を見

た挙句、予定外のジュエルシードをゲットしてしまった訳であるが。

 アレは全く想定外だった…『原作』知識を当てにし過ぎると、痛い目見るって言うのの典型だな。今後は気をつけねば…

「なるほど、確かに今回の件に関しては、こちらも不手際がありました。それは認めますし、今後は改めます。ですので、あなたも今後はいか

な理由があろうとも手出しは無用です。大人しくしていてもらいますよ?」

 今度は言い逃れさせねーぞと言わんばかりに、こちらを睨みつけるリンディさん。

 まあ、予想通りの反応だった。

 無理もないだろう、現在俺の体には、全ジュエルシードの内の約四分の一が集まっているのだ。事を大きくしない為にも俺にはご退場願いた

い、それが彼女の本音であろう。

 おまけに俺が封印魔法、もしくは大出力の攻撃魔法に弱いという事はすでにバレたと思うべきだろうな。どうせしっかり監視していただろうし。




 しかし──




「断る。あんたらには悪いが、この舞台から完全に下りるなんて真似だけは出来ねえ」

「っ!?」

 俺の返答は想定外であったのか、リンディさんが目を見開き、驚きの表情を作る。なのはとユーノも同様で、振り返って俺の顔を見上げた。

「だから、一時的にアンタらの指揮下に組み込んでくれねえか? そうすりゃまだこの件に参加出来るだろう?」

 独立独歩で介入するつもりだったが、こうなっては仕方がない。リンディさんの所に一時的に入るしかないな…

「き、君は現状をわかっているのか!?」

 壁に寄りかかり、黙って事の成り行きを窺っていたクロノが、俺に食ってかかって来た。

「君はその身に五つものジュエルシードを取り込んでいるんだぞ!? このまま動き回れば、例え君が以前言った通り捕えられなかったと報告

したとしても、上層部が納得する筈がない!」

「その為にリンディ姉ちゃんの指揮下に入って、意思疎通も可能で、協力する気もあるって見せようとしてんじゃねえか。管理局に対して好意

的行動をとり、かつ、それがOfficial document(公文書)に記されちゃあ、管理局だって大っぴらに俺を捕えようという行動はとれんだろう?

 もしそんな行動とったとすれば、あちこちの管理局に敵対的な組織団体が噛みついてくるんじゃねえか? いや、好意的な連中だってそんな

ところ見ればドン引きだろうよ」

 もし非公式の戦闘部隊が出張って来たとあれば、遠慮無しで叩き潰せばいい。

「居ない筈のもの」が居なくなったって、公式的に俺を責めるなんて出来ないのだから。

「好意的な行動をとったところで、それを上回る危険指数があれば話は別だ!」

「そこはそれ、リンディ姉ちゃんの腕の見せ所って事で」

「ふざけるな!!」

 怒鳴り声とともに、クロノはデバイスを起動。その先端を俺へ向けて突きつける。

「こうなれば、力ずくでもこの件から下りてもらうぞ」

 …まあ、クロノが怒るのは無理もない。勝手に危険な橋を渡る上に、その尻拭いをしてくれって言ってるようなもんだからなぁ。

「…今回の二つのジュエルシードについては完全に俺のミスだ。だから指揮下に入る為に条件があるってんなら、聞ける範囲で飲むし、譲歩も

する。だが、この件から完全に下りろっていう要請に関してのみは、「NO」と言わせてもらうぜ」

 だから、引くべき点はちゃんと引き、こちらの要求を飲んでもらう。ここから先、参加不可能では話にならん。

「力ずく…そう言った筈だが? 先程の戦闘で君の弱点は把握している。僕に止められないと思っているのか?」

 俺を睨むクロノの眼光に、鋭さが宿る。

「弱点の突き合いなんざ戦いの基本だろうが。さっきはミスって喰らったのは確かだがな、そんなものがわかった程度で、俺に勝てると思って

いるのか? Baby(坊や)」

 部屋の脇に止めておいたハーレーが、ひとりでに俺の傍へと進み出て、クロノに対し威嚇するかのようなエグゾーストの唸りを発する。

 俺とクロノの間で発せられる不穏な空気に、なのはとユーノが不安げな表情で交互に俺たちの顔を見る。




「やめなさい!」




 鋭い制止の声を上げながら、リンディさんが椅子から立ち上がり、俺たちへ厳しい視線を向ける。

「しかし、艦長!」

「私はやめろと、そう言ったのよ? クロノ執務官」

「クッ…了解…」

 抗議の声を上げるも、リンディさんの指示は変わらず、不服そうにクロノはデバイスを待機状態へと戻した。

 それを確認して、リンディさんは俺へと声をかけて来た。

「さて、ヘルズエンジェルさん。クロノも言ったけど、これ以上管理局上層部の目を盗んで行動するのは難しくなるわ。でもあなたはそれを私

に誤魔化させてもこの一件に関わりたいと言う…正直、メリットが少ない──むしろリスクばかりが目立つ事だと思うのだけれど、一体何があ

なたをそうさせるの?」

 落ち着きを払ったまま、真剣な目で俺を見るリンディさん。 

「理由は二つだな」

…ふざけられる雰囲気でないのを肌で察し、俺も襟を正して真摯に答える。


「…理由を、聞いてもいいかしら?」

 落ち着きを払ったまま、低い声でリンディさんが俺に問う。

「一つ目、ダチが命をはってんだぜ? 一人だけ外野で応援なんざやってられるかよ」

「へ…?」

「ヘルズエンジェル…」

 俺は二人に頭にポンと手を置きながらそう答え、更に口を開く。

 既に参加すると、介入すると決めてしまったのだ。今更吐いた唾を飲めるか。

 そんな事なら、最初から最後まで、徹頭徹尾知らぬ存ぜぬを貫いていた。

「もう一つは意地だな…」

「意地?」

 リンディさんの問い返しに俺は頷く。

「一度関わった以上、ここで下りたら一生後悔する」

 いい大人である俺が、途中で責任投げ出すなんぞもっての外だ。

 ましてやそのリスクを背負うのは小学生でしかないなのはなんだ、そんなみっともない真似は出来ない。たとえここが、アニメの世界であっ

たとしても、まごう事無く現実に存在する世界なのだから。

 ──いや、訂正しよう。前世の俺なら、きっと逃げ出していた。

 しかしだ、街の中での戦闘前に「フェイトと話がしたい」と言ったあのなのはの言葉が俺の中にほんの少し残っていたガキ臭い意地に火をつ

けてしまったのだろう。我ながら単純過ぎて呆れてしまう。

「………」

「………」

 初対面の時と同じように、俺とリンディさんは無言で、真正面から睨み合う

「はぁ、わかりました。条件付きであなたの要求を飲みましょう」

 緊迫した空気の中、リンディさんはこれまた初対面の時と同様に、溜息とともに俺の提案に是と答えた。

「thanks! 恩に着るぜリンディ姉ちゃん!」

「そう思うなら、まずその「姉ちゃん」と言うのを止めてもらえないかしら…?」

 俺が机に乗り出し感謝の意を伝えると、リンディさんはこめかみに手をやりながら、疲れ切った表情でそう言った。








 第九話 決斗! 不屈の心は砕けない 前編 了







 

 後書き

 やっと書き終った―! つっても前編ですが。

 どうも吉野です。半端なところでの更新スイマセン なかなか時間が取れず決闘までいけませんでした…次回こそは…

 さて、今回のヘルズエンジェルの能力について説明と言うか捕捉を。




 その1 ベクトルコントロール




 某学園都市の最強様のパクリではありません。あんなにチートじゃないし。これは、アメコミ『ゴーストライダー』で、「壁面や水面を走る

能力はあるが、空を飛ぶ事は出来ない」という能力があったので、それっぽいのを能力として持たせた上で説明するにはと考え、こういう能力

となった次第です。




 その2 ルシファーズ・ハンマー




 某暴走族漫画のパクリではありません。つーかあの最終回は未だに自分には理解出来ません…

 閑話休題。メガテン悪魔と言えばあの御方、そして同じハーレーのマシンとくれば、ネタ的にもいいかなと思い、ベクトルコントロール同様

オリジナルとして使わせていただきました。

 さて、短いですが、今日はこの辺で失礼します。また次回更新時にお会いしましょう。



[12804] 第九話 決斗! 不屈の心は砕けない (中編)
Name: 吉野◆fe64ebc7 ID:4cbf7d0b
Date: 2012/02/09 17:37
「さて、問題はこれからね…クロノ、事件の大本について、何か心当たりが?」

「はい。エイミィ、モニターに」

「はいはーい」

 エイミィさんの返事と同時に、机の中心に埋め込まれた宝玉から映像が浮かび上がり、腰やら胸元やらへそやらを露出させた、凄まじい服装

の黒髪の女性が表示される。

「あら…!」

 その姿を見て、リンディさんは目を見開き、驚きの表情を浮かべた。

「そう、僕らと同じミッドチルダ出身の魔導師、プレシア・テスタロッサ。専門は、次元航行エネルギーの開発。偉大な魔導師でありながら、

違法研究と事故によって放逐された人物です。登録データと、さっきの攻撃の魔力波動のデータも、一致しています。そして、あの少女──フ

ェイトはおそらく…」

 クロノは視線を逸らし、言葉を濁す。

「フェイトちゃん、あの時「母さん」って…」

 なのはは俯き、先程の戦闘を思い出しているようだった。

「親子、ね…」

 リンディさんは目付き鋭くモニターを眺めながら、そっと呟きを漏らした。

「その、驚いているっていうより、何だか怖がっているみたいでした…」

 未だフェイトの事を殆ど理解出来ていない為か、なのはの表情は暗く、沈痛さを窺わせた。

「…エイミィ? プレシア女史について、もう少し詳しいデータを出せる? 放逐後の足取り、家族関係…その他なんでも」

「はいはい、すぐ探します」

 厳しい表情で下したリンディさんの命令に、エイミィさんは快諾の意を伝えた。

 忙しそうに動き出したアースラの面々の中で、なのははじっとモニターに映るプレシアの画像を見つめていた。








 第九話 決斗! 不屈の心は砕けない 中編












「──プレシア・テスタロッサ…ミッドチルダ北西部アンクレス地方出身、魔導技術研究院卒の大魔導師で、魔導師ランクは条件付SS。

 ミッドの歴史で、26年前はアレクトロ社の中央技術開発局、第三局長でしたが、当時、彼女個人が開発していた次元航行エネルギー駆動炉

『ヒュードラ』使用の際、違法な材料を以って実験を行い、失敗──」

 集まった資料を読み上げるエイミィさん。

「結果的に、中規模次元震を起こした事によって中央を追われて、地方へと移動になりました。随分揉めたみたいです…失敗は結果に過ぎず、

実験材料にも違法性は無かったと……辺境に異動後も、数年間は技術開発に携わっていましたが、しばらくの後に行方不明になって…それっ

きりです」

「家族と、行方不明になるまでの行動は?」

「その辺は綺麗サッパリ抹消されちゃってます 今、本局に問い合わせて、調べてもらってますので…」

 リンディさんの疑問の声に、エイミィさんが「NO data」と表示されたウィンドウを出現させる。

(…やっぱりおかしいな)

 顎に手を当てその流れを見ていた俺は、その説明に疑問を覚えた。

 これだけ規模のデカイ事件を起こしたってのに、何故「島流し」程度で済んでいるのか?普通に考えても二、三〇年は刑務所に放り込まれる

のが普通じゃないか?

 確か、『小説版』の方では、裁判で会社側とプレシアとで、責任の所在を巡って争った事とか書かれていたが、プレシアは争い続けてもアリ

シアは戻らない事実に、会社から刑事訴訟の訴追を行わない事と、金が支払われる事で折れて、罪を認め敗訴。

 そして退社後は、別の企業で生命関連の研究──恐らくは『プロジェクトF』に繋がる切っ掛けに出会ったのだろうな。

 その研究で得た特許を取得したプレシアは、手にした莫大な利益を資金に時の庭園を購入。アリシアを復活させるための研究に手を付けた…

っていう、そういう流れだったか。

(アレクトロ社か…胡散臭えな)

 記憶を掘り返しながら、俺はその結論に行き着いた。

 そもそもおかしいのだ。新型魔力炉の研究開発と言っていたが、『劇場版』の僅かな描写でもわかる程、安全基準や対策が杜撰もいいところだった。

『小説版』の描写は特に酷い。他人が組んでいた新型魔力炉の引き継ぎ開発という仕事だけでも、トラブルの臭い満載だというのに、会社側は

次から次へ新しい命令や技術の投入を行い、その無茶苦茶な職場環境にプレシアを除くスタッフは次々と退社。本社から来たスタッフは、いい

加減で、上昇志向ばかりが強い屑。その結果がこの事故だ。

 これで成功すると思っているのであれば、気が狂っていると言えるレベルのイカれっぷりだった。

 末期の独裁政権国家もかくやという程の酷い職場環境だが、仮にも民主主義の一民間企業である筈のアレクトロ社が、何故こんな無茶苦茶を

出来たのであろうか?

 地球の先進国であれば、こんな不祥事が発覚なぞしようものなら、とことんバッシングを受け、会社そのものが無くなりかねない。

(一体どういう事だろうな?)

 一度浮かんだ疑問はそう簡単に消えない。

 俺は周囲の会話を聞きながしながら、思案に耽った。

「ふむ…プレシア女史もフェイトさんも、あれだけの魔力を放出した直後ならば、早々動きは取れないでしょう。その間にアースラのシールド

強化もしないといけないし…」

 言いながら視線を脇へとやり、考えを巡らせる艦長殿。

「貴方たちは一休みしておいた方がいいわね」

 椅子から立ち上がったリンディさんがそう声を上げたの聞き、俺は思考を中断して顔を上げた。

「特になのはさんは、あまり長く学校を休みっ放しでもよくないでしょう。一時帰宅を許可します。ご家族と学校に、少し顔を見せておいた方

がいいわ」

「あの…ヘルズエンジェルさんは…?」

 なのはがおずおずとそう言うと、リンディさんは立ち去ろうとしていた足を止め、若干顔を曇らせ溜息混じりに口を開いた。

「申し訳ないけど、今ヘルズエンジェルさんをアースラから出す訳にはいかないわ。先程の件も含めて、私たちに協力的な存在であるという事

を示してもらわなければならないから」

「そう、ですか…」

 なのはが俯き呟きを漏らす。

 今回俺がアースラの指揮下に入るのは予想外のアクシデントに等しい。

 なのはは、俺が母さんに無断で家を空けてしまうのを気にかけているのであろう。

 が──

「まあ、仕方がねえか。で、リンディ姉ちゃんよ、俺の部屋はあるのかい?」

「これから案内するわ。あと『姉ちゃん』はやめてと言ったでしょう?」

「こいつぁ失礼」

《ちょ、ちょっとヘルズエンジェルさん、本当にいいの!? 綾乃さんにはなんて説明するの!?》

 アースラから出られないと聞いても、飄々としてる俺の態度に驚き、なのはは慌てて念話を送り込んで来た。

《まー落ち着けって。対策は考えてるよ。つーか実行済だ。心配すんな》

《えっ? それてどういう──》

《『細工は流々、後は仕上げを御覧じろ』ってね。アースラを降りたらわかるから、楽しみにしてな》

《う、うん…それじゃ、また後で》

 あくまでのんびりと受け答えをする俺に、なのははどうにも腑に落ちないといった表情を浮かべるものの、ここで議論しても仕方がないと判

断したのか、一応は頷き、転送ポートのある部屋へと去って行った。

 ま、ここはその『対策』を見た上で納得してもらう以外あるまい。

(さて、と、まずは…)

 アースラに留まる間、俺にもやるべき事がある。なのはが立ち去った扉から踵を返し、ミーティングルームの中心にある机の端へと目を向けた。

「おーい、エイミィ嬢ちゃんよ」

「んん? なにかな?」

 先程の報告で使った書類を纏めながら、顔を上げたエイミィさんが俺を見る。

「いや、ちょいと頼みがあるんだがよ……」

 俺は自分が描いた、とある青写真を実現させるべくある依頼を口にした。
















 視界を覆う光が晴れると、なのはとユーノは日が沈み、辺りは夜の帳が下り始めた臨海公園内へと降り立っていた。

「………」

「………」

 アースラに乗り込んで以来、久しぶりに帰宅、そしてクラスメイト達との顔合わせとなるであろう筈なのに、なのはは俯いたままで、その顔

は浮かない。彼女の肩の上に乗るフェレット形態のユーノも、右に同じく、だ。

 先程、『俺』が「気にするな」と言ったにも拘らず、まだ引き摺っているのか…別になのはたちが悪い訳でもあるまいに。

(さて、これじゃさっさと安心させてやらないとな)

 そう考えながら、茂みの後ろに身を潜めていた俺は、二人の前に姿を現した。

「よう、なのは! こんな時間に何やってるんだ?」

「え──」

 突然聞こえた声に顔を上げ、こちらへと視線を投げたなのはは、みるみるその目を見開いていき、驚きの声を発した。

「れ、れれれれ、令示君!?」

「こんな時間にこんな所で会うなんて奇遇だなぁ」

「えっ!? 嘘!? なんで!?」

 完全にパニクり慌てふためくなのはとその肩に乗るユーノ。このままだと会話にならないばかりかアースラの監視下で不味い事まで言ってし

まいそうなので、俺は二人へ念話を送り込む。

《おーい、二人とも落ち着け―。さっきアースラの中で「対策は考えている」って言っただろー?》

《令示! 一体どうなっているの!? 君はさっき確かにアースラに居た筈だよね!? まさか勝手に出て来たんじゃ──》

《まあ、その辺も含めてネタばらしといこうか。歩きながら話そう。いつまでもここに留まってると、アースラの連中に妙に思われるしな》

 質問を投げかけてくるユーノにそう促し、俺は口では「一緒に帰ろうか」と誘い、二人を連れて公園の外へと出た。




《簡単に言うと、ここに居る俺は分身で、アースラに残っている『俺』は本体なんだよ》

 帰り道を適当な世間話を交わしつつ歩きながら、俺は念話でこのからくりのネタばらしを行う。 

《分身…?》

 俺の言葉に、なのはの肩上のユーノが疑問符を浮かべた。

《正確には分霊わけみたまって言う、この国の宗教独自の考え方を参考にした方法なんだけどな》

《それって、どういうものなの?》

《そうだなあ…》

 俺は空を見上げながら上手い説明を考える。

《なのはは、この辺りの神社の名前とかは知っているか?》

《えっ!? えと、えと…ゴメン、よくわからない…》

 突然、話を振られたなのははションボリとした声で返事をした。

 まあ、普通の小学生が神社の知識なんぞある訳ないか。

《日本中、神社なんてどこにでもあるけどな、その中には同じ名前の物か沢山あるんだよ》




 例えば、埼玉や東京を中心に分布する、須佐之男命すさのおのみことを祭る氷川神社。




 源氏の氏神、八幡神はちまんじんを祭る八幡宮。




 関東中に分布する、武甕槌たけみかづちを祭る鹿島神社。




 諏訪地域を中心に分布する諏訪大社と諏訪神社に祭られる、建御名方たけみなかた等々…




 俺は、神社には大元となる本社と、その下の分社や末社が存在するものがあると言う事を、なのはとユーノに説明をする。
    
《で、ここで質問なんだが、本社と分社…祭られている神様にどんな違いがあると思う?》

《えっと…天使みたいな神様のお使いが小さい神社に居るとか…?》

《分社は窓口みたいなものなんじゃないかな?》

 二人はしばし考えた後にそれぞれ思う答えを述べた。

《残念、二人ともハズレだ。実は本社にも分社にも、それぞれに同じ神様が居るんだよ》

《──あっ、それがさっき令示が言ってた分霊っていうもの?》

《そ。正解だユーノ》

 そこで気付いて声を上げたユーノに、俺は頷きを返す。

《神道では、神霊──神様は無限に分けることが出来て、分霊になっても元の神霊の力は損なわれず、本社の神霊と同じ働きをすると考えられ

ているんだ》

 言い方は悪いけど、罰当たりなたとえを許されるのであれば、アメーバやプラナリアみたいなもんである。

《俺が今やってるのもそれと同じだよ、ジュエルシードを核にして魔人の体を形成し、マルチタスクで思考を振り分ける。これで思考を共有す

る分身の出来上がりって訳だ。

 理論自体はナインスターと相談して少し前に出来上がっていたんだけど、なにせ初めての試みだからな。まだ魔力効率が悪くて、分身一体作

るのに一、五個から二個位のジュエルシードが必要なんだ。正直、なのはたちがくれた二個がなかったら、作れなかっただろうな》

《ふえぇぇ…》

《何というか、とんでもない方法と能力だね…》

 俺の説明に二人は驚きの声を漏らす。

「つか、普通に声出しても大丈夫だわ。今アースラのスタッフはシールド強化とか、プレシア・テスタロッサの調査で俺らに構っている暇ない

みたいだし」

 アースラのブリッジに居る本体──ヘルズエンジェルの視界には、忙しそうに走り回るスタッフたちの姿が映っていた。

「そっか…あ、でも、いつの間に分身なんて作っていたの? アースラに居る間はずっと僕たちと一緒だったのに」

 ユーノが首を捻りながら、疑問の口にする。

「ほら、さっきクロノと睨み合っていただろう? あの時、俺の脇でバイクが魔力撒き散らしていたからな。それをカモフラージュにして分身

──大僧正を姿を隠して召喚、そのまま二人の後につき、アースラを降りた後、偶然を装ってこうして一緒になったって訳だ」

「あんな僅かな時間で…って令示、もしかしてその為にクロノ執務官に喧嘩を売るようなマネをしたの?」

「さて、どうだったかなぁ? 御想像にお任せします」

 ジト目でこちらを見るユーノから顔を逸らして、俺はそう嘯いた。

「もう、令示君! 本当に心配したんだからね!?」

「うおっ、悪かった悪かった! 何分予想外の事だったんだ、勘弁してくれって!」

 頬を膨らませ、拳を振り上げ迫るなのはから慌てて逃げ回りながら、俺は慌てて謝罪の声を上げた。




「じゃ、またなー」

「気を付けてー」

「またね、令示君」

 どうにかなのはを宥めすかした後、二人とは帰り道の途中で別れ、俺は自宅へと急ぐ。

 一気に階段を上って、家の扉前まで辿り着くと、ポストを開いて、すずかに頼んでいた鍵を探して手を突っ込む。

「おっ、あったあった。ちゃんと覚えてくれてたな、感謝感謝」

 引っぱり出した鍵でドアを開き、家の中に入ると俺はすぐに夕飯の支度にとりかかる。母さんが帰って来る前に済ましてしまわねば…

「あ、そう言えば明日学校に行ったなのはは、アリサの家に遊びに行くんだよな…?」

 冷蔵庫から食材を出しながら、俺はその事に気が付いた。

 しかしそうなると、プレシアに重傷を負わされたアルフを拾って、手当てをしている筈なんだが…今日の夕方に俺と会った後、帰りにアルフ

を拾ったのかな?

「いや、時間的に無理が出る筈…『アニメ版』じゃ海上のジュエルシード封印は日中で、アルフがアリサに拾われたのは夕方くらいだったから

な…アルフが時の庭園から逃げだして来るのは、それだけ時間がずれる…となると、これからの時間と見るべきか…?」

(ふむ…)

 俺は調理の手を止めると居間に戻り、電話台脇にある電話帳を開く。

「えーと、バ、バ、バと…」

 は行の項目をペラペラと捲り、「バニングス」という名前を探すと、あっさり見つかる。…結構駄目元だったんだけど?

「防犯の関係上、住所とか電話番号は第三者に知らせないようにするのが最近の風潮だと思ったんだけど…」

 この街の人間って、どうにも防犯意識が低いような気がする…

 まあ、今はそのおかげで助かったのだから良しとしよう。

 俺は電話帳のアリサの家の住所を調べ、町内会で発行している端っこに商店街の広告が載っている海鳴市の地図を取り出す。

「ここが聖祥で、アリサの家がここ。アリサの家の車はリムジンだし、あんまり裏道とか細い道は使わないだろうから──大体この辺りだな」
 
 聖祥付属小学校とバニングス邸の場所、そしてその二点を繋ぐルートを確認し、アルフが逃げ延びてくるであろう地域にあたりを付ける。

「よっし、じゃあ始めるか…」

 俺は変身を解いて一旦大僧正の姿に戻ると、護法童子を召喚。

「行け!」

 あたりを付けたルートを巡回し、アルフを見つけるよう命じて窓から放つと、俺は再び人間の姿に戻り、食事の準備に戻る。

 さて、アリサがみつける前に、うまく発見出来るといいが…




 護法童子から連絡が来たのは、二十三時を回ったところだった。

 アルフは道路を外れた森の中で気絶していたらしい。

 僅かな血の後をみつけ、それを辿って彼女を発見したようだった。注意深く探索をしなくては、まず気が付かない位置だと、共有した視覚を

認識しながら俺は考えた。

 今日アリサとすずかが俺の家に来て、プレシアに狙われたのも、巡り巡って怪我の功名になった、と考えるべきだろうか。

 もしアリサに救助れていたら、『オレンジ色の額に宝石をはめた、怪我をした犬』の情報がなのはに伝わる訳で、そこからアースラに一報が行く。

 そうなれば、なのはたち三人の会話もアースラの連中に拾われる事になる。そうしてうっかり三人の内の誰かが、「魔人と俺の事」を口に出

そうものなら、そこから俺の存在が明るみに出てしまう。

 俺は、横で寝ている母さんを起こさないように静かに起き上がって寝室から出ると、大僧正の姿に戻って孔雀明王の真言を唱え、窓から飛び立った。

(同時に展開出来るのは、魔法は攻守移動問わず二つだけだからな、その辺がちょっと不便だな…まあ、「喝破」とか使えば手数は増えるんだが)

 魔導師と違って、そこは魔人の欠点の一つだな。新しく術や技を使う場合、起動中の術を停止させなくてはならない。まあ、その代わりどん

な強力なスキルや魔法でも「一つ」としてカウントされるので、凶悪な威力の魔法でも連発可能なのだが。なのはでたとえるならば、スターラ

イトブレイカー×4とか。

(ま、何はともあれまずはアルフの確保を急がなきゃな)

 俺の意に応じるように孔雀が声を発すると、大きく翼を羽ばたかせて一段と飛翔の速度を上げた。








(アルフ視点)




「う…あ…」

 地に寝そべった事で鼻先にかさる、チクチクとした草先の感触により、アルフは意識を取り戻し、かすれた声を漏らした。

「っ!? ぐっ…ふっ…!!」

 その覚醒と同時に、己が腹部より生じる焼きごてを押しつけられたような熱と痛みが、声を詰まらせ全身より力を奪い取る。

「そうか…あたしは鬼婆にやられて…」

 地面に横たわったまま、痛みに耐えながらゼエゼエと荒いペースで呼吸をしつつ、アルフはようやく己の現状を理解した。

 あの海上でのやり取りの後、時の庭園に戻ったアルフとフェイトを待っていたのは、予想通り──いや、それ以上に酷いフェイトへの叱責と

暴力だった。

 力尽き、床へと倒れ伏したフェイトを目にしたアルフは、抑えきれぬ憤りに身を任せ、プレシアに襲いかかるも返り討ちに会い、結果この様だ。

 事、ここに到ってアルフは確信した。主の手前そこまで口にするの避けていたが、最早そんな状況ではなくなった。

 あの女は、プレシアの言動は常軌を逸している。少なくとも、母親が娘に対して行うものではない。

 プレシアはフェイトが傷付こうが、自身の手で傷付けようが眉一つ動かさない。──恐らく、それはたとえフェイトが死んだとしても変わらないだろう。

 このままでは、フェイトに待ち受けているのは破滅だけである。

(そんなこと…させるもんかっ…!)

 歯を食いしばり、力の入らぬ五体を叱咤して無理矢理立ち上がりながら、アルフは暗い森の奥を睨みつける。

 群れにも、生みの親にも見捨てられ、孤独の中で緩慢に訪れる衰弱死か餓死を待つだけだったアルフを救ってくれたのがフェイトだった。

 命を救われ、使い魔としての契約を交わしたアルフは、フェイトから沢山のものを貰った。

 なのに、その自分を救ってくれた優しい主が、親に打ち捨てられ不幸になるなんて、間違っている!

 肺腑を抉るような腹の痛みに、遠のきそうになる意識を気力で繋ぎ止め、アルフは震える四肢でゆっくりと歩き出す。が──

「動くでない、傷に触るぞ」

(──え?)

 上空よりかかった声にその歩みを止めた。

 見上げた夜空より、アルフの前へ巨大な孔雀が舞い降りる。

「あんた、大僧正…」

「ふむ、手酷くやられたのう」

 呆然と呟くアルフの眼前で孔雀の背から下りた大僧正は、そのまま浮遊しながら彼女の傍へと近付いてきた。

「えっ? ちょっと、あんた…」

「゛癒えよ ゛」

 そして、呆気にとられるアルフを尻目に腹の患部へ手をかざすと、以前フェイトの両手を治したのと同じ白い光の魔法──常世の祈りで、彼女

の傷を治療しだしたのだ。

「アンタ…何で…?」

「『何故助ける』か? 今更答える必要があるかのう?」

 自身の問いかけに笑いながら答える大僧正を見て、ああそうかと、アルフは心中で納得の声を漏らした。

 眼前の魔人も、あの白い魔導師もフェレットも、敵対しようが交戦しようが、時にはこちらの身を案じ、時には助け、協力まで申し出て来た。

 要するに彼らは、アルフが呆れてしまう位、お人好しなのだ。

 だが、そんな連中だからこそ、主の身を託す事が出来る。

「お願いだよ、フェイトの事を助けてくれないか…? あの子は悪い子じゃないんだよ…」

「案ずるな。フェイト殿の事は何とかする。だから、今は眠るがよい」

 必死の懇願に対して、鷹揚に頷き答える大僧正の静かな「是」の声。

 それを聞き、緊張の糸が切れたアルフは、治療を受けながらその意識を睡魔へと委ね、手放した。


































 …どのくらい眠っていたであろうか。

 自身の周囲に響く音によって、意識を覚醒させたアルフが目を覚ますと──

「だからさ、こいつは友達の知り合いの犬なんだよ。あとで連絡入れるから、夕方位まで面倒見ていてもいいかな?」

「うーん、令示がそう言うなら預かっても大丈夫だろうけど、見間違いとかはない?」

 見知らぬ手狭な部屋の中で、面識の無い少年とその母親らしき二人が、アルフの前で何やら話し合っていた。

「ないない、こんなオレンジの毛色で額に宝石みたいのまである犬なんて、絶対に見間違わないって」

「まあ、確かにね…でも凄く大きい犬だけど、暴れたりしない? そうなったら令示一人じゃ抑えられないんじゃないの?」

(は?)

 どうやら二人が話しているのは自分の事であると、会話の内容から察したアルフであったが、こんな状態になっている経緯が全く分からず首

を傾げる。

 そもそも、ここはどこなのか?

 自分の傍にいた筈の大僧正はどこに行ったのか?

 何故この少年は嘘をついてまで自分をここへ置こうとするのか?

 前後の繋がらないブツ切りの情報に、アルフの胸中に戸惑いの念が渦巻いた。

「大丈夫だよ。こいつ大人しいし、人の言う事わかる位頭もいいから半日位なら全然問題ないって!」

「そこまで言うのなら…まあ、いいでしょう。わかったわ、それじゃ母さんは仕事に行くから、留守番をお願いね?」

 アルフの疑問を他所に、親子の問答は終了したようで、母親らしい女性が出かけるのを、少年は笑顔で手を振り送り出す。




 そして──




「よし。もう声を出して大丈夫だぞ、アルフ」

 母親の気配が完全に消えたところで、アルフの方を振り返った少年は笑みを浮かべながらそう言った。








(令示視点)




「アンタ…何者だい? 大僧正の仲間かい?」

 俺に話しかけられた事にしばし逡巡した後、警戒を解く事無くアルフは俺に問いかけて来た。

「何者って、大僧正の正体だけど?」

「はぁっ!?」

 それに対してしれっと答えを返すと、アルフは目を丸くして驚きの声を上げた。

「え? あ…冗談、だよね?」

「あ~、証拠見せた方が早いなこりゃ…」

 数秒程こちらを眺めた後、困ったような声色でそう言葉を放つアルフに、俺はため息を吐きながら己にかけてある魔利支天の幻術を解き、魔

人の姿を現す。

「納得したかのう?」

「あ、うん…いや、まさかフェイトやあの白い魔導師の娘と、同じ位の子供が正体だったなんて…考えもしなかったよ」

「じゃろうな」

 会話の初っ端から疲れ切った声を吐くアルフに対し、俺はからからと笑いを上げた。

「──で? 一体何があったアルフ殿。何故主も居ないあのようなところで倒れ伏しておったのだ? 昨夜フェイト殿を助けてくれと申してお

ったが、それに関連する事か?」

「ああ、私はさ──」

 俯き、悔しげに語り出したアルフの事情は、俺の『原作』知識とほぼ同じであった。強いて齟齬を上げれば、日時のズレ位のものだろう。

「だから、私はどうなってもいい。でもフェイトの事は助けて欲しいんだ、あの娘は悪い子じゃないんだよ…」

「委細承知した。昨夜も申したが、拙僧らに任せよ」

 必死に懇願するアルフに、俺は毅然とした態度で了解の意を口にした。

「私から頼んでおいてなんだけど、いいのかい? そんなアッサリ引き受けちゃって」

 あまりにすんなりと俺が引き受けた為だろう、アルフは驚きまじりの表情でそう問いかけて来た。

「なに、問題はあるまい。なのはは元よりフェイト殿と関わるつもりで動いておったし、拙僧もそれに異存は無い。此度の件でこの地に来た管

理局の責任者も、話のわかる御仁じゃ。正直に事情を説明し、その裏付けが取れれば充分に情状酌量の余地有りとみなされるじゃろう。

 あの執務官も少々堅物のきらいがあるが悪い男ではない、力になってくれよう」

「そうか、それならフェイトの事を頼んでも大丈夫そうだね…」

「それでじゃな──管理局とコンタクトを取る前に頼みたい事があるんだ」

 俺の説明に安堵の息を吐くアルフへ大僧正から人間の姿へと変じつつ、今度はこちらの願いを口にする。

「今の俺──魔人の正体、御剣令示の事を管理局に黙っていて欲しいんだ」

「? あんたら、管理局の連中と組んでいるんじゃあないのかい?」

「ああ、だけど正体である俺や家族の事ととか、住所とか一部の能力とかに関しては秘密にしてるんだ。今この世界に来てる人らはともかく、

上層部とかに過激な連中が居たら、拉致とか殺害とかされかねないからな」

「まあ、確かにアンタの力は、私たちから見たらデタラメそのものだからねえ。あの鬼ババも、アンタの力には興味津々だったようだし…でも、

いいのかい? そんな事教えちゃって」

「いいのかって、何が?」

 その問いの意味するところがわからず、首を傾げる俺にアルフは「呆れた」と言わんばかりに、深い深い溜息を吐いた。

「あのねえ、私がフェイトの立場をもっと良くする為に、アンタの情報を管理局の連中に切り売りするって考えなかったのかい?」

 ああ、そう言う事か。

「大丈夫だろ? アルフはそんな事をする奴じゃないし」

「はぁっ!? あのねえ…会ってそんなに経ってもいないのに、何だってそんな事断言出来るのさ」

「ん~、そうだなぁ…」

『原作』知っているから、人となりを把握してるって答えられれば楽なんだけど…そうもいかない。

「まあ、あれだ。フェイトもアルフも今まで争ってきた中で、『やっていい事』と『悪い事』の一線は理解して、それを越えないようにしてき

ただろ? もっとエゲツない手段だって、やろうと思えばやれた訳だし」

 もし俺がフェイトの立場だったのであれば、もっと効率のいい手を使う。

 海鳴温泉で対決の際になのはからレイジングハートごとジュエルシードを強奪した上に、破壊するか隠すかして、なのはの介入を防ぐし、海

上でのジュエルシード回収の際にも、管理局側が回収した瞬間を狙い、「漁夫の利」をとる。

「まあ、確かにね…ハァ、なんかあんたと話していると調子が狂うよ…わかったよ、あんたの事は喋らない。私は偶然レイジって子に助けられ

ただけ。これでいいんだろ?」

「ああ、それで頼む。じゃ、なのはとユーノに連絡しておくか」

 アースラの監視ある場所で、アリサとすずかがいると、魔人の話題が出る可能性あるからな。先になのは達と打ち合わせして二人に会わない

ようにしないと。

《おーい、なのはー、ユーノー》

《令示?》

《どうしたの? 令示君》

 俺の声に応じ、二人が念話を返してきた。

《ちょっと話があってな。二人とも今は家か?》

《え? 私は今日は学校だけど?》

《今なのはの家にいるのは僕だけだよ?》

《へ? いや、今日は土曜日だろ──って、ああ、そうか。なのはは聖祥だっけ。じゃあ土曜日でも普通に登校日か》

 ゆとり教育真っ只中の公立校の俺と違って、なのははエリート校だ。エスカレーター方式とは言え、授業カリキュラムがウチの学校みたいに

甘い筈がないわな。

《じゃ、午前中だけ授業で、、昼には家に居るのか?》

《ううん、今日は翠屋の方で食べるの》

《? 何でわざわざ店の方へ行くんだ?》

 なのはの言葉に、俺は首を傾げながら問い返す。

《昨日リンディさんから連絡があったんだ。士朗さんと桃子さんを安心させる意味でも、一度ちゃんと挨拶したいって。だから今日、なのはと

一緒に翠屋で会おうって事になったんだ》

 ユーノがなのはより早く俺の疑問に答えた。なる程、それは都合がいい。

《そうか。そりゃ丁度いい》

《丁度いいって、何が?》

《ああ、実は今家にアルフが居るんだよ》

 ユーノの疑問の声に、俺がサラッと言い放つと──

《《ええっ!?》》

 二人は同時に驚きの叫びを上げた。

《アルフって、あの娘の使い魔の!?》

《何でアルフさんが令示君の所に居るの!?》

《んー? 昨日道端で拾った》

 慌てた様子で問い詰めて来る二人に、のんびり答える俺。

《本当に君は無茶苦茶だなぁ…》

《私も、もう何が起きても『令示君だから』って言われれば納得しちゃいそう》

 今度は呆れ半分諦め半分といった気配を滲ませながら、力無くそう言う二人。

《あんまりな言われようだな…まあいい。アルフが言うには向こう──プレシア・テスタロッサの所で一悶着あったらしい。

 んで、管理局の責任者に会いたいって言うんだよ。今の『俺』じゃアースラに行けないから、『偶然にも飼い主を知っている』なのはに一旦

預かってもらった後に、リンディさんに引き会わせた方がいいと思ってな》

《…うん。確かにそれなら言い訳は通じるね。あとはなのはと僕がそれに乗れば問題は無いか。ところで令示、アルフはプレシア・テスタロッ

サと何を揉めたの?》

 俺の提案に賛成の意を見せたユーノが、更に詳しい事情を尋ねて来た。

《それは本人から聞いた方がいいと思う。もしリンディさんと同時にアルフと対面する事になったら、話を聞いた時の反応で勘ぐられるかもし

れないからな。じゃ、昼に翠屋の近くで会おう。時間になったら、また念話で連絡するよ》

《うん、わかったよ。それじゃあ令示君、また後でね?》

 なのはの了承の声を聞いた後、念話を切ってアルフの方へと顔を向ける。

「なのはたちに連絡した。昼に会いに行くからな」

「ああ、わかったよ」

 俺の言葉にアルフは大きく頷いた。

 そんな流れでアルフとなのはたちと対面をした。

 念の為、アースラに居た本体──ヘルズエンジェルの方で何食わぬ顔でリンディさんとの交渉に参加し、様子を窺っていたのだが、幸いボロ

が出る事も無く、大体にして『原作』通り。特に問題なく終わった。












 ──そして、翌日の早朝。












『本体』──ヘルズエンジェルの姿を取る俺は、リンディさんの許可をもらってアースラを降り、人の気配の無い海鳴臨海公園内の沿岸、落下

防止用の柵にもたれかかり、一人佇んでいた。

 既に大僧正の隠行術をとっかかりにして、アースラの中で悪魔特有の姿隠しを習得したので、一般人に見つかる事はない。

「ヘルズエンジェル!」

「ヘルズエンジェルさん!」

 と、そこへユーノとなのはがアルフを連れ、視界に捉えた俺の傍へと駆け寄って来る。

 俺が片手を上げてそれを迎え入れると、

《みんな揃ったね? じゃあそろそろ発動するよ?》

 合流した俺たちの正面の空間にモニターが表示され、そこに映し出されたエイミィさんが声をかける。

「はい、大丈夫です!」

《うん、それじゃ頑張ってね、なのはちゃん》

 なのはが力強く返事をするとエイミィさんの頷きとともにモニターは消失。

 同時に公園の風景が、塗り潰されるように全く別のものに浸食されていく。

 変化が完了した後、俺たちの視界に現れた景色は、三六〇度果てしなく広がる空と海、そして海面を貫き林立する廃ビルの群れだった。

 臨海公園を中心に、アースラより展開された魔導師訓練用の結界だ。

「…レイジングハート」

『Stand by ready』

 結界の発動を目視で確認した後、なのははレイジングハートを起動。瞬時にバリアジャケットを纏うと周囲へ遠慮無しに魔力の波動を撒き散らす。

 所謂、撒き餌だ。

 アースラの広域結界となのはの魔力波長、この二つのわかりやすいアピールでフェイトが気付かない筈がない。

 今や全てのジュエルシードは完全に両陣営に分かれている。手持ち以上の保有を望むのであれば、彼女はなのはの前に現れる以外選択肢はない。

 だから後は、フェイトが現れるのを待つばかり。そう考え、なのはと同じように水平線のかなたをじっと見つめていた俺の頬を、一陣の風が撫でた。

「来たか…」

「もっと待つかもって思っていたよ。フェイトちゃん…」

 俺たちが振り返り向けた視線の先、街灯の先端へと降り立ち、なのはと俺を見下ろす黒衣の少女、フェイト・テスタロッサ。

『scythe form.』

 彼女はなのはの声に答える事なく、無言のままバルディッシュを大鎌の形状へと変化させる。

「フェイト…もう止めよう? あんな女の言う事、もう聞いちゃ駄目だよ…このままじゃ不幸になるだけじゃないか…! フェイトっ!」

 血を吐くようなアルフの訴えにも、フェイトは目を伏せ悲しげに首を横に振るだけだった。

「…だけど、それでも私は、あの人の娘だから…」

「ただ捨てればいいって訳じゃないよね…逃げればいいって訳じゃ、もっとない…」

 なのははフェイトの言葉を聞いて、レンジングハートを正面に向けながら両目を閉じて呟きを漏らす。

「切っ掛けはきっとジュエルシード…だから賭けよう、お互いが持っている、全部のジュエルシードを…!」

 決意を新たに目を開けたなのはは、真剣な眼差しをフェイトへと向けた。

『『Put out.』』

 同時に、二人のデバイスから解放される双方八つずつのジュエルシードが、朝日を浴びて淡い輝きを発する。

「それからだよ…全部、それから…!」

 一瞬笑顔を見せた後、なのはは戦士のそれへと表情を変え、レイジングハートの先端をフェイトへと突きつける。

「私たちの全ては、まだ始まってもいない…だから、本当の『自分』を始める為に──」

 バルディッシュを構えるフェイトへ向け、なのはは高らかに宣言した

「始めよう。最初で最後の本気の勝負!」








「……条件がある」

 しばしの間、睨み合った後で、フェイトはそう口を開いた。

「条件?」

 オウム返しに問うなのはの声にコクリと頷き、フェイトは俺の方へと視線を向けて来た。

「彼の体とその内の五つのジュエルシード。それも賭けて欲しい」

「っ!? それは──」

 フェイトから突き付けられた条件に、なのはは動揺の色を隠せず口籠った。

 …無理も無い、その条件は「そいつの命を寄越せ」と言われているのも同然だ。なのはが即答できる筈がない。

 だから──








「No problemだ。その条件を飲もう」








 俺がなのはの代わりに返事をした。

「ヘルズエンジェルさん!?」

 その声に、なのはが非難を込めた叫びを上げるが、俺はそれに構わず言葉を続ける。

「その代わり、こっちも条件を付けさせてもらうぜ?」

 言いながら、俺はマガツヒを発動させ、体を変化させる。

「──この勝負の立会、私に任せていただこう」

 ヘルズエンジェルからマタドールの姿へと変じると、俺はそう宣言した。

「…立会?」

「勝負の審判、見届け人…そういう認識でよい」

 小首を傾げるフェイトにそう説明をすると、彼女の表情に難色が現れる。

「それは…」

「ああ、案ずる必要はない、勝負に私情は挟まぬ。約定は守る。これまで、そうであったように」

「…………わかった、それでいい」

 しばしの思案の後に、フェイトは俺の出した条件を飲んだ。

「マタドールさん! 何でそんな事!」

「そうだよ! そんな条件、君が危ないだけじゃないか!?」

 俺とフェイトの会話が終わった瞬間、なのはとユーノが喰ってかかって来た。

「フェイト嬢があの条件を出した以上、これに乗らねば勝負は流れた筈だ。是非も無いだろう」

「それは──」

「止むを得まい。この程度の条件を突きつけられるのは想定の内だ。元より単身のフェイト嬢、敵陣たる我々の領域へ引き出すには、この位の

餌は必要不可欠だ」

「………」

 俺がそう理を説くと、なのはは俯き黙ってしまう。

 俺は苦笑しながらなのはの頭を軽く手を当てる。
 
「そう心配するな。わが身一つならば、どうにでもなる。だから遠慮無しで全力でぶつかってくるがいい」

「うん…!」

 僅かな逡巡の後、なのはは力強く頷いて、再びフェイトの方へと向き直す。

 俺はそんななのはとフェイトの間に立ち、高々とエスパーダを掲げる。

「では、これより勝負を執り行う。互いの武勇、信念、誇り、矜持…全てを懸けてぶつかり合え。いざ──」








「決斗である!!」








 言葉とともに、俺はエスパーダを振り下ろした。








 第九話 決斗! 不屈の心は砕けない 中編 了




 

 後書き

 お待たせしました。偽典九話中編をお送りしました。

 今回も会話が長引いて戦闘には入れなかった…次こそはスターライトブレーカーを…

 では次回更新時にお会いしましょう。



[12804] 第九話 決斗! 不屈の心は砕けない (後編)
Name: 吉野◆fe64ebc7 ID:4cbf7d0b
Date: 2011/06/14 10:16
 
「決斗である!」

「ハァッ!」

 マタドールの叫びと同時に動いたのはフェイトだった。

 街灯を蹴って宙を滑り、八双に構えた大鎌をなのは目がけて振り下ろす。

『Flier fin.』

 なのはは間一髪で飛行魔法を発動。後方へと飛び上がって袈裟懸けの斬撃を躱した。

 フェイトも着地と同時に飛行魔法を発動し、なのはを追って空へと舞い上がった。








 第九話 決斗! 不屈の心は砕けない 後編












 廃ビル群の合間を、桜色の魔力光の尾を引いて飛ぶなのは。

 フェイトはその後ろ、一〇メートル位の距離を置いて、ピッタリと貼り付くように追って来る。

『Photon Lancer』

 バルディッシュの声と同時に、フェイトの周囲に四つの魔力スフィアが生み出され、虫の羽音の如き響きとともに、スフィアの表面を青紫の

雷光を纏う。

「撃ち貫け、ファイア!」

 フェイトの号令によって、四つの砲門から放たれた金雷の魔弾が、後方よりなのはへと殺到する。

「っ!」

 なのはは淀みない動作で左右へ旋回ロールを繰り返し、フォトンランサーの弾幕を巧みに躱す。

 時折、彼女の白いバリアジャケットを魔弾が掠めるものの、持ち前の大魔力によって生み出されたその強固な防御は、その程度の攻撃ではび

くともしない。せいぜいその表面を焦がして汚す程度のものだ。

 しかし、直進するだけのフェイトと、回避行動を取るなのはでは飛行速度に差が生まれるのは必定。

『Scythe Form』

 フェイトはデバイスフォームからサイズフォームへ変更し、じりじりと彼女のとの距離を詰めていき、

『Blitz Action』

 高速移動魔法を発動。なのはを確実に一撃で仕留めるべく己の間合いにおさめると、無防備な彼女の背中目がけて大鎌を振り上げ──




『Divine Shooter』

「!?」 




 斬撃を放とうとしたその瞬間、レイジングハートの声とともに、なのはの眼前のあたり──フェイトから見て死角になっていた場所より、上

下左右の四方から放物線を描き、桜色の誘導弾が彼女目がけ殺到する。

(フォトンランサーを躱し続けた上に私の死角に誘導弾を維持したまま、それを隠し通していた!?)

 驚き両目を見開くフェイトであったが、瞬時に大鎌の標的を変更。まずは上方より迫り来るディバインシューターを斬り捨てると同時に飛行

高度を上げて、残り三方の魔弾を躱す。

「ふっ!」

 同時に、鋭い呼気とともに腰を捻り、下方を交錯通過する左右二つの誘導弾を、バルディッシュを横一線に薙ぎ払って双方纏めて撃墜。

(あと一つ!)

 残り一つの魔弾を処理すべく、周囲を探索するフェイト。

 しかしその時、正面より高まる魔力反応がフェイトの肌を打った。

 慌ててそちらへ顔を向ければ、レイジングハートの先端をこちらへ向けた、なのはの姿。

「まさか…!」

 その姿を目にし、何をする気なのかを悟ったフェイトに戦慄が走る。

「ディバイーーンッ!」

『──Buster』

 轟音一閃。

 主とデバイス、一人一機のトリガーワードとともに放たれた桜色の魔力の奔流が、驚きの表情を浮かべるフェイトの視界を埋め尽くす。

「バルディッシュ!」

『Round Shield』

 咄嗟に体を横方向へスライドさせながら左手を正面に付き出し、防御魔法を発動。瞬間、骨が軋むような衝撃がフェイトを襲う。

「ぐっ!? ぅぅ…」

 辛うじて直撃は避けたものの、臓腑を抉り取られるような威力だった。

 体の真芯を外した上に、防御をしているのにもかかわらず、その上から削り取られるような恐るべき一撃。

 ──いや、以前にも増してその威力は上がっている。

 フェイトは内心で舌を巻きながら、体を滑らせ砲撃魔法より逃げ出そうと身を捻らせた、その時──

「──っ!?」




 ゾクリと、




 フェイトの背筋を寒気が襲った。 




 同時に、風を切る音がフェイトの耳に響く。

 防御魔法を維持しながら、後方を見上げれば、先程撃ち漏らした残る一つの魔弾が桜色の尾を引き、フェイト目がけ真っ直ぐに、高速で襲い来る。

(挟撃!?)

 驚きの連続だ。

 フェイトは砲撃から無理矢理体を抜き出し、

「ッエエイッ!!」

 気合いとともに逆袈裟に大鎌を一閃。

 両断された魔弾は爆発四散する。

 同時に砲撃も止み、十数メートル先の空中に浮遊するなのはと睨み合う。

(あの山奥で大僧正がやって見せた連続攻撃の真似? こんな短期間で、もう応用をして見せたというの…?)

 恐るべき成長速度だ。

(初めて会った時は、魔力が強いだけの素人だったのに…)

 三度目の衝突の際にも、その成長に驚きを抱いた。

 しかし、あの時でさえも自分の勝率は六割を下回る事はなかったであろう。

(もう違う。速くて、強い。恐らく今は私と互角、迷っていたら、やられる…!)

 もう手加減などと言っていられる相手ではない。

(母さんが、待っているんだ。私がジュエルシードを持って帰るのを…だから──)

 ──全力で叩く。

 ここに到ってフェイトは、意識せずに以前母親から命じられた事を遂行しようとしていた。

 煙が風に流された刹那、フェイトはなのは目がけ一直線に空を駆った。








 フェイトの突進を目にし、身を翻して宙を飛翔して距離を取るなのは。再び先程のような追尾戦が始まるかと、地上の三人やアースラのクル

ーがそう考えるが──

「む」

「あれ?」

「え?」

 大方の予想を裏切り、フェイトはなのはの飛行軌道から大きく離れ、その身を右方向へ大きくずらしていく。

「あの娘、どこに行くつもりなんだろう…?」

 フェイトの行動の意図するところがわからず、ユーノが首を捻る。

 それは、空を行くなのはも同じだった。

 追って来ると思った相手がその誘いに乗ってこない、何度も同じ手が通じるとは考えなかったが、攻め手に優位な追尾戦の利を、こうもアッ

サリと捨てるとは思わなかった。

 さらに問題なのはフェイトの策だ。あの少女が無計画にこんな手を打つ筈がない。何らかの手段を取るとは思うのだが──

(どんな方法で来るんだろう…)

「レイジングハート、注意をお願いね?」

『all right.』

 とりあえずなのはは周囲の警戒を行うものの、完全に後手を踏んでしまった感覚が否めない。

 なのはとフェイト、実力的には伯仲と言ってもいい二人だが、ただ一点、なのはがフェイトに及ばないところが存在する…それは経験だ。

 数年に渡って魔法を学んできたであろうフェイトと、魔法に触れて一月経つかどうかというなのはでは、その場数の差──実戦経験の差は歴

然である。

 つまり──

『Master! Magical powers from the eight o'clock Direction Has reaction! The Attack comes!』(マスター! 八時の方向より魔力反応

有り! 攻撃、来ます!)

 フェイトにとっては、その経験からなのはの攻略という式の解をはじき出すのも容易なのだ。

 レイジングハートの警告した方向──己の左斜め後を振り向いた瞬間、なのはの目に飛び込んで来た光景は、轟音とともに廃ビルを貫き殺到

する、金雷の魔弾の群れだった。

「フェイトちゃんのフォトンランサー!?」

 なのはは咄嗟に防御魔法を発動させて直撃を避けながら、フェイトがビル越しに自分を狙い撃ちしてきたのかと考え、彼女の姿を探して、も

うもうと立ち込める粉塵の先へと目を凝らす。が──

「っ!? 居ない!?」

 粉塵が晴れ、明らかとなった廃ビルの風穴の先にあったのは、紫電を纏う四つの魔力スフィアのみ。




 ──デコイ




 なのはの脳裏に、その一文字がよぎる。

 驚く彼女の視界の隅を、黒い疾風が走った。

 再びなのはが正面を向き直せば、マントを翻し大鎌を構えるフェイトが数メートル先へ、その姿を現した。








尻追い戦ドッグ・ファイトの利を捨て、自ら猪突戦ブル・ファイトを挑むか。いっそ潔し」

 感心したように呟くマタドール。

 なのはの斜め後方から魔力スフィアからの魔弾の射撃で彼女の動きを止め、その隙に正面へ回り込む。

 先程の大きく迂回した飛行機動は、これを狙ってのものだったのだ。

 無論、口で言う程容易いものではない。

 なのはとフォトンランサーの飛行速度を頭に入れ、射線の延長線上に彼女が来る事を計算して魔力スフィアを設置して斉射。それもビル越し

に相手を狙っての、正確な精密射撃。

 デバイスに演算補助をさせたとしても、決して簡単ではない筈。

「誉めてる場合じゃないよマタドール! あの距離は近過ぎる!」

「あの間合いは完全にサイズフォームの攻撃範囲内だよ、マズイね…」

「落ち着け、二人とも」

 苦い表情で声を上げるユーノとアルフを宥め、マタドールは言葉を続ける。

「なのはも接近戦の不利は百も承知している筈、その上でフェイト嬢へ勝負を挑んだのだ」

 対策の一つや二つは考えているだろう、逃げの一手か、あるいは何らかの奇策か…

 マタドールはそう思案しながら、遥か海上に居る二人をじっと見つめた。








「ハァッ!」

 気合いとともに風を巻いて宙を駆け、フェイトは一息でなのはとの間合いを詰める。

 脇構えから逆袈裟に振り上げられた大鎌の一撃。

 なのはは咄嗟に上体を後ろへ逸らす──スウェイ・バックを行い、その斬線から逃れた。

 その瞬間──

「っ!? 消えた!?」

 なのはの視界からフェイトの姿が掻き消える。バチバチと空気を焦がす、数個の魔力スフィアを置き土産にして。

 目を見開いたなのはへ、金雷の速射砲が叩き込まれる。

 反射的にシールドを生み出し、直撃は避けるもののなのはは動きを封じられ、その場に釘付けにされてしまう。




 そしてその行動は、なのはにとっては悪手であり──




『Master!』

「えっ!?」




 フェイトにとっては好機であった。




 レイジングハートの警告アラートに従い、なのはが真下へ目を向ければ、そこにはデバイスフォームに変じたバルディッシュの砲門をこち

らへ向け構えるフェイトの姿が捉える。

『──Thunder Smasher.』

「ファイアッ!」

 主従の声がなのはの耳に届くと同時に、大気を震わす轟音を伴い、金色の魔力光がなのはの視界を埋め尽くした。








 天を貫く黄金の砲撃が消失すると、バルディッシュが排気口を開き、スチームのように熱気を放出する。

 同時に維持魔力を失ったスフィアも、空中へ散華していく。

「…あの娘は?」

 防御に失敗し、自分の放った砲撃で吹き飛んだか?

 そう考えながらなのはの姿を探すが、全く見当たらない。

 一瞬、撃墜したか? とも思ったが、そんな甘い相手ではないとすぐにその考えを否定し、バルディッシュを構えたまま油断無く周囲へ気を払う。

『──!? sir!』

「テエエーーイッ!!」

 バルディッシュの警告とともに響く叫び。

「っ! 上!?」

 声の発生源──上空へと目をやれば、風を切り大きくレイジングハートを振りかぶったまま一直線に急降下してくるなのはの姿。

接近戦イン・ファイト!?)

 その相手の行動に、フェイトは驚き目を剥いた。








 先程のフォトンランサーとサンダースマッシャ―の射線は、ほぼ九〇度の交わりでの挟撃だった。

 なのはは二つの射線に対して斜め四十五度の角度にラウンドシールドをずらし、二つの攻撃を正面から受け止めるのではなく、受け流すよう

にして防御しかつ、あえてサンダースマッシャーの砲撃に押し流されるような形で、上空へと飛んだのである。

 そこから元の戦闘空域へ舞い戻ったなのはは、フェイトを捉えた刹那、強襲を仕掛けた。

『Flash Move』

 短距離高速移動魔法でフェイトとの間合いを瞬時に詰め、なのはは振り上げた己の相棒を力いっぱい振り下ろした。

 対するフェイトも、己の魔杖を水平にして頭上へ掲げ、その一撃を受け止めようと構える。




 ──だが、フェイトは気付かない。今度は己のその行動が悪手であった事に。 



 
 デバイスが撃ち合った刹那、互いの杖身に込められた魔力が反発し合い、二人を中心に全方へ衝撃と閃光を撒き散らす。

 大気を揺るがす凄まじい振動に、二人の周囲に建つ廃ビルが耐久力の限界を超え、あるものはひしゃげ、あるものは粉砕されて、次々と海中

へと没していく。

 そして──

「う、あっ!!」

 せめぎ合い、鎬を削る力の衝突から押し出されたのは、痛みに顔を歪めた黒衣の魔導師だった。

 ばかな、と言いたげな呆然とした表情を作り、なのはを見るフェイト。

 彼女は推測を誤った。

 サンダースマッシャーによって高度空域より落下する重力加速に飛行魔法をプラス。更にはフラッシュム―ブの発動と杖身に込められた魔力

という、これらの付加要素を伴ったなのはの一撃は、さながら破城槌に等しい威力へと変貌していたのだ。

「くぅぅっ…!」

 骨まで響く両手の痛みによってバルディッシュを取り落としそうになるのを、気力で捻じ伏せ耐えるフェイト。

 しかし、なのはの攻撃は止まらない。

 素早くフェイトの側面へと回り込むとレイジングハートを大きく振るい、自身の周囲へ十数個ものシューターを生み出す。

「いっけー!」

 なのはの号令の下、桜色の魔弾群は不規則な軌道を描いてフェイトの上下前後左右、六面を取り囲む。

(出遅れた…!)

 本来であれば、魔法を発動前に潰すか、包囲網の完成前に逃れるのが定石。フェイトもそれは心得ている。

 しかし、直接デバイスを叩きつけてくるという、なのはの『奇策』に翻弄されたフェイトは集中力を欠き、その一瞬の隙を突かれた。








 ──なのはに経験不足という欠点があるように、フェイトもまた、己が自覚していない欠点を抱えていた。

 それは固定観念だ。

 フェイトが魔導師として教育を受けた際、関わったのは己の使い魔であるアルフと、魔法の師である母の使い魔のわずか二人のみである。

 教師であった山猫の使い魔は、フェイトにあらゆる局面での対処法を授けてくれ、フェイトもそれをよく吸収した。

 しかし、いかに高度な教育であろうとも、それは机上の理論に過ぎない。

 アルフや師による実践の教育や演習を受けても、同じ相手が続けば対した者の得手不得手等、様々なクセを覚えてしまう──覚え過ぎてしま

う事により、戦闘中の思考や行動が無意識の内に数種のパターンにはめ込んでいたのだ。

 故に、今回の戦いにでも過去のなのはの戦闘スタイルから近接戦闘の不得手を読み、彼女が接近戦に打って出る可能性を低く、あるいは除外

していたのだ。

 その為に、なのは自ら接近戦イン・ファイトを挑みかかり、かつ一撃のみとはいえ自分を圧倒した事に驚愕し、練り上げていた戦術パターンや思

考が吹っ飛び、挙句に対処できる行動に後れを取ってしまったのである。

 限定された空間と、限られた人物としか接触がなかった、『箱庭』の中で生まれ育った、フェイト故の欠点と言えた。

 最も、九歳の少女に戦闘での臨機応変さや即時即応の柔軟な思考を求める事自体、酷な話である。

 おそるべきは知ってか知らずか、フェイトの欠点を突いてきたなのはの行動だろう。

 無論、語られてもいないフェイトの過去や家族の事情など、彼女が知る由も無い。

 なのはは過去数度のフェイトとの戦闘や共闘、魔人たちとの対決や言動から、その『解』に行き着いたのだ。




 ──だが──








『Scythe form Setup.』

「くっ!? ハァッ!!」

 己のミスに歯噛みしながらも、バルディッシュを大鎌へと変形させ、眼前に迫る数個の魔弾を切り裂き、包囲網を正面突破。

 フェイトはディバインシューターの檻より逃れ、一旦なのはと距離を置こうと、廃ビルの合間を飛翔する。

 それを逃すまいと追い駆ける、桜色の魔弾群と白き魔導師。

 追う者と追われる者が、先程とは逆転した形となった。

 右、左と廃ビルの隙間を飛び、誘導魔弾をやり過ごそうとするが、誘導系魔法の制御に関しては、なのははフェイトの上を行っているようで、

魔弾の群れは彼女の空中機動に惑わされる事なく、猟犬の如くピッタリと背後についてくる。

 その鬱陶しさに、若干顔を顰めるフェイト。

(だったら、制御が出来ない状態に追い込む)

 逃げ回り、時間を稼ぐ事で、フェイトはなのはの一撃による精神的動揺より回復し、落ち着きを取り戻していた。








 ──なのはが勝つには、まだ手が足りない──




 注意深く周囲を見回し、

「これなら…」

 満足げに呟きを漏らすと、一路、目を付けた「目的の地点」へと飛ぶ。

 その際、チラリと後方を見やれば、なおもしつこく喰らいついてくる桜色の弾群と、その後ろに控えるなのはの姿。

 それを確認し、フェイトが前方へと視線を戻せば、一つの廃ビルがその視界に入る。

 しかし、フェイトはスピードを緩める事なく、そのまま突っ込んで行く。

『Blitz Action』

 それどころか高速移動魔法を発動し、フェイトは後方の魔弾の群れを超スピードで大きく引き離し、ビル目がけて更に加速。

「えっ!?」

 なのはのみならず、この戦いを見る観客全てがその行動に驚きの声を上げた。

 フェイトが自らコンクリートの壁面へ突っ込むと、誰もが思ったその瞬間、彼女はビルの表面直前で軌道修正。

 トップスピードを維持したまま、壁に沿って垂直上昇する。

 フェイトの超スピードによって生み出された衝撃波ソニック・ブームが、彼女の機動に沿い、廃ビルの窓ガラスを舐めるように粉砕し、サッシを歪めていく。

 だが、フェイトの航空機動マニューバはこれで終わらない。

 彼女は更に大きく胸を反らしてピッチ・アップを行いつつ、旋回ロールをして、廃ビルを後ろに水平方向へ軌道を修正。魔弾群となのはを眼下にお

さめる位置を取った。




 ──インメルマンターン。




 第一次大戦に活躍したドイツのエースパイロット、マックス・インメルマンが世界初で行った、宙返りループ旋回ロールを連続で行い、横から見ている

と「⊂」という軌道を描く、縦方向のUターン空戦機動である。

 無論、フェイトがこの世界の戦史など知る筈がない。おそらく空戦という点で類似する点が多い為に、魔法世界でも生み出された技術だったのであろう。

「バルディッシュ!」

『Yes sir. Photon lancer Full auto fire.』

 俯瞰で誘導魔弾の群れを視界に捉えたフェイトは、周囲に展開させた魔力スフィアよりフォトンランサーを撃ち下ろした。

 金色の弾幕を浴びて、誘導弾が悉く撃墜していく中、フェイトはそこから急降下しながら大鎌を担ぎ上げ、構える。眼下を飛ぶ、なのは目がけて。








「ツェェェイッ!!」

「くっ!? レイジングハート!」

『Protection』

 盾を兼ねていた桜色の魔弾群を消された上に、一気に間合いを詰められたなのはは、防御魔法を展開するのが精一杯であった。

 しかし、咄嗟の行動であった為にその構成が甘く、振り下ろされた光刃はなのはの防御を突破し、バリアジャケットを切り裂いた。

「きゃあっ!?」

 驚きながらも身を捻りクリーンヒットは避けるものの、決して少なくない量の魔力を切り落とされた。

 バルデッシュを振り抜いたフェイトはそのまま宙を駆け高速旋回。

 慣性のままにぶつかりそうになった廃ビルの壁を蹴って反転し、空中でヘアピンカーブを描いて、初太刀を浴びてよろめいているなのはの背

後より、バルディッシュを構え直し風を切って二太刀目を狙う。

「っ!?」

 慌てて振り返ったなのはが、刃が届く寸前でシールドを展開し直す。

 間一髪で間に合ったシールドの表面を光刃が撫で、金属を掻き毟るような金切り音を響かせた。

 鼓膜が痺れるような不快な音に、思わず顔を顰めるなのは。

「くぅぅぅっ…!」

 しかし、なおもフェイトの猛攻は止まらない。

 周囲に廃ビルが立ち並ぶこのエリアこそ、フェイトが選んだ狩場であったのだ。

 廃ビルの群れを『足場』にして旋回、斬り返しを連続で行う高速空戦戦闘術。

 彼女はなのはの誘導弾から逃げ回りながら、持ち前のこの戦術を遺憾無く発揮出来る地点を探し、ここに行き着いたのである。

 つまりなのはは狩る者であるつもりが、狩られる者だったのだ。




 なのはは懸命に防御魔法を展開し、一方的なフェイトの連撃をどうにかやり過ごす。

 直撃こそしていないが、掠るように幾度も斬撃を受け、バリアジャケットは傷だらけになっていた。

 この状況は、亀が甲羅の中に首と手足を隠して、必死に耐える様によく似ていた。

(どうしよう、このままじゃ動けないよ…!)

 前後左右より襲い来る斬撃の嵐に、打つ手も無く焦りの表情を浮かべるなのは。

(って、アレ? 前にもこんな状況があったような──っと!)

 この戦況に、一瞬引っ掛かりを感じながら、閃く金線を防いだなのはの目に、こちらを見守るマタドールたちの姿が眼の端に映った。

「あ──そうか」

 それによって、心中に生まれた疑問が解消される。

「あの時と同じだ…」

 なのはの脳裏に浮かんだのは、ビルを足場に縦横に飛び交い、自分を翻弄したマタドールとの戦闘。

 あの時と今の状況が、非常に酷似している事に気付いた。

「だったら、同じ対策が使えるかな…? クッ!」

 袈裟懸けの斬撃を紙一重で躱し、なのははマタドール用に思いついていた戦法を狙い、周囲を閃くフェイトの動きを注意深く探る。

「──っ今!!」

『Round Shield』

 自分の正面からフェイト迫り来たその時、なのはは前面にラウンドシールドを展開、そして──

「ええーーーいっ!!」

 そのままフェイトへ、猛然とタックルをしかけたのだ。

「なっ!?」

 思いもかけぬ方法で袈裟懸けの斬撃を出がかりで潰され、フェイトは驚きの声を上げながら後方へ吹っ飛ばされる。




 孫子曰く、「兵は詭道也」




 詭道──即ち偽り、騙す術の事である。

 その身に流れる父や兄姉の血──武術家の血統故か、天性の才能故か。再びなのはは『奇策』を取り、フェイトの弱点──心理の隙を突いた。

「レイジングハート、反撃、行くよ!」

『all right. My Master ──Divine Shooter』

 なのはは己の相棒に呼びかけ、自身の周囲へ幾つもの誘導魔弾を生み出すと、連撃が止まり、距離を開けた場所で浮遊するフェイトへ向け、

一斉に撃ち出した。








「ウッ! アッ…!?」

 動きが止まったところへ、雨あられと魔弾の連撃を叩き込まれたフェイトは、正面にバルディッシュを突き出し、シールドを展開してその猛

攻に懸命に耐える。

 防御の上からでも骨身に響く閃光と爆発が、フェイトの精神を削り取っていく。

(──何故?)

 なのはの弾幕を前に、フェイトの心中を占めた想いは怒りでも焦りでもなく、その一言であった。

 見縊っていた訳ではない。むしろ全力で叩く気で挑戦を受けた。

 しかし、いざ蓋を開けてみればこの有様だ。




 ──とんでもない魔力量。




 ──高い才能と、それを更なる高みへ押し上げる努力。




 ──魔導師の戦闘を根本から覆す『奇策』。




 圧殺する筈であった自分が逆に追い詰められている現状、何故? 何故? という疑問符が何度も脳裏によぎる。

(このままじゃ私が負ける…母さんの願いを──)
















──私は、今何を考えた?──







  








「負ける」、今確かにそう思った。

 先程は油断があればやられるとは思ったが、敗北とするとは考えなかった。

 気構えが、心が彼女に、タカマチマノハに屈しようとしている。

 その事実に、フェイトは戦慄する。

 それは、その考えは、あの幸せを、優しかった頃の母を諦めようとしていた事だと気付き、フェイトはその身を震わせた。

「──帰るんだ、あの頃に……! 優しい母さんの所に!」

 決意の叫びとともに、バルデッシュより魔弾を連射し、迫り来るディバインシューターを撃ち落とす。

 更に、己の魔杖を正面へ立て、祈りを奉げるかのような構えを取った。

「…何?」

 なのはの周囲に、魔法陣が浮かんでは消えて彼女を混乱させる。

 足元に巨大な魔法陣が発生すると同時に、フェイトより放出される大魔力が周囲の気流に変化をもたらし、雲が彼女の後ろへを高速で流されていく。




『──Phalanx Shift』




 バルディッシュの言葉とともに、フェイトの周囲に魔力スフィアが次々と生み出されていく。

 その数は、今までの比ではない。数十ものスフィアが主の命を待つ猛犬が唸りを上げるように、大気を焦がす紫電を発した。

 その威容に、なのはが油断無く構えを取ろうとしたその時──

「あっ!?」

 その両手両足が、光の輪によって拘束された。

《ライトニングバインド!? 拙い、フェイトは本気だ!!》

 なのはの様子を目にしたアルフが、目を見開いて叫びを上げた。 
 
《なのは、今サポートを──》

 アルフの様子にただならぬものを感じたユーノが、援護しようと行動を起こし──

《っ! ダ──》

《何をしようとしている、ユーノ・スクライア…》

 なのはが「ダメだ」と、手を出さぬよう訴えようとするよりも速く、底冷えがする程恐ろしい声で、マタドールがユーノに向けてエスパーダ

を突きつけていた。








《何って──なのはを助けようとしたに決まっているじゃないか!》

《ならぬ》

《なっ──》

 止められた事に対する怒りの混じったユーノの言を、マタドールは静かに、だがハッキリとした声でそう断じた。

《この勝負はなのはとフェイト嬢、二人が全てを懸けて戦う決斗! いかなる理由があろうとも他者の介入は許さぬ》

 マタドールの発言にユーノの頭に、一気に血が上った。

「何を言っているんだ君は!?」

 怒りのあまりに揺れる視界に、信じ難い冷徹な言動を取る魔人を捉え、ユーノは念話を断って怒声を上げた。

「見るまでもないだろう!? あんな大魔力、とても個人にぶつけるシロモノじゃない! いくら非殺傷設定だと言っても危険過ぎる!」

「そうだよ! アレはリニス──私とフェイトの魔法の先生にだって危ないから、滅多な事で使うなって言われてたんだよ!」

 ユーノの言葉尻に乗り、アルフもまたマタドールへ抗議の声を上げた。




「──手負いの虎は手がつけられない」




 二人の声に対し、マタドールが発したのは、その一言であった。

「えっ?」

「はっ?」

「フェイト嬢の現状は、まさにそれだろう。心身ともに傷だらけの状態で、彼女を支えているのは母親への想いだけ。それ故に、退く事も負け

る事も許容出来ない」

 疑問符を浮かべる二人に、落ち着いた声色で話すマタドール。

「その一点がフェイト嬢を傷の痛みに暴れ回る、「手負いの虎」たらしめているのだ。…これは戦う前からわかっていた筈だ。今そのような事

を言い出すのであれば、なのはの提案に最初から反対しておくべきであったろう」

「それは…」

 マタドールの言葉に、口籠るユーノ。

「賽は既に投げられたのだ。我らに出来るのは、この戦いの趨勢を見守る事のみ」

「それは…そうかもしれない。なのはがこの闘いをやるって言い出した時に止めなかった僕にも責任はあるよ…」

 マタドールの言葉に反論する事が出来ず、ユーノは俯きながら自分の見立てが甘かった事をこぼした。

「でも、それでも、なのはに何かあったら、大怪我でもしたら士朗さんたちに何て言ったら…」

 だが、それならばなおの事、こんな事態になのはを巻き込んでしまったという、罪の意識が自責の念となってユーノを苦しめた。

「その時は…」

 そんなユーノへ、マタドールは上空の二人から目を逸らさずに口を開く。

「なのはとフェイト嬢、二人がこの闘いの結果生じる心身全ての障害を私が背負う。この身の時間も未来も、一切合財全てを懸けて償う。誓お

う、魔人マタドールの名にかけて」

『──っ!? 主! 正気か!?』

 その言葉に驚き、ナインスターが叫びを上げた。

「ナインスター!?」

「えっ!? 誰だい!?」

 突然発せられた声に驚くユーノとアルフ。

『悪魔として誓いを、『契約』をすれば、規約違反や破棄が行われない限り、その条項に一切逆らえぬ絶対の制約ギアスをかけられるも同然なのだぞ!?』

「な──」

「え──」

 ナインスターの言に、二人は言葉を失った。




 それは肉体という、何をせずとも外界へ自分を現す『個性パーソナリティ』を持たない、意思の力で物理的な法則にまで干渉する、精神生命体たる悪魔であ

るが故の欠点だった。

 悪魔の持つ唯一のパーソナルとも言える、自分自身を現す名前を懸けて誓った『契約』を反故するという行為は、自分自身の否定と同義であ

り、その強大な意思の力が、『契約』違反の罰則の履行という方向へ作用し、悪魔自身を殺してしまうのである。

 故に、強大な力を持つ魔王も、世界を生み出した創造神も、死の概念たる魔人さえも、悪魔である以上、一度交わした『契約』には逆らえないのだ。

 そしてそれは、擬似的とはいえ悪魔の肉体を手にした令示も、例外ではなかった。

 なのはとフェイト、双方が決闘の後に何らかの問題を抱えた場合、令示は生涯を彼女たちの為に費やさねばならない。文字通り、命を懸けて。

「なんで、君はそんな事を…」

 ユーノが頭を抱え、絞り出すように声を漏らした。

 マタドールはそれに構う事なく話し続ける。

「私も危険を承知しながらこの闘いの立会人となった。ならば、相応の責任とそれに伴う対価を支払わねばなるまい」




 ──フェイトと一対一で闘う。




 マタドール──令示は、昨日リンディたちとの会話でなのはがそう言い出した時より、いや、この世界の「現実」を知った時から、心のどこ

かでずっと考えていた。

 このまま『原作』通りに闘わせていいのか? と。

 自分というイレギュラーを起因にして、この世界の未来は多くの不確定要素を孕む、危険なものになってしまっている。

『原作』通りに進む保証など欠片も存在しないこの世界で、一片の躊躇もなく彼女たちを闘わせられるような図太さなど、一般人に過ぎなかっ

令示が持ち合わせている筈がなかった。

 無論、ここに到るまでの戦いでもそうした危険が無い訳ではなかったが、自分とユーノの二人がサポートを行い、そういう危険に合わせるつ

もりはなかった。

 しかし、今回はなのはとフェイトの決闘、援護は出来ない。

 だが、それではなのはを闘わせる事なく、事件の解決を目指すべきかと問われれば、これにも素直に頷けなかった。

 この対決──フェイトとのぶつかり合いもなく、二人が絆を作れるのか? 

 下手をすれば、二人はすれ違ったまま二度とわかり合う機会が無くなってしまうかもしれない。

 それは、なのはから未来を奪う事になるのではないだろうか?

 だから、令示はなのはを止められなかった。真っ直ぐにフェイトにぶつかろうとしていた彼女の言動を、すぐ間近で見ていた事もあり、なお

の事そう考えさせられたのだ。

 ならばどうする? 闘いに反対は出来ない、その邪魔も出来ない。こんな自分に何が出来ることは──

「なのはと同等のリスクを背負い、勝負を見守る事。それ以外に私たちに出来る事はない」

 この勝負を危険承知で賛成したことへの責任。それが令示の背負うリスクだった。

「でも、それはあんただけの責任じゃあないだろう?」

 確かにアルフの言う通り、この場の責任者と呼べる人間は、アースラで戦いを見守るリンディを筆頭とする管理局という事になるだろう。

 しかし、当人の心はそう簡単に割り切れるものではない。

「関わり認め、この場に立つ以上、言い逃れは出来ぬさ。だから──」

 ユーノがジュエルシードの回収になのはを巻き込んでしまった事に罪悪感を覚えるように、

 なのはが、令示の負った怪我に負い目を感じるように、

 令示の「知っているのにどうにも出来ないジレンマ」が罪の意識を生み出していたのだ。




 だが、それでも──あのどこまでも真っ直ぐな少女を信頼する想いが、令示の意思を後押しした。




「信じようではないかユーノ、なのはを、我らの友を。この勝負が決する最後の一瞬まで。唯一それのみが、我らがこの場で出来る事なのだから」

 令示の呟きと同時に、空中に幾条もの金色の閃光が走り、爆音と衝撃が周囲に轟いた。 








 目を瞑り、胸の前にバルディッシュを掲げたフェイトが、朗々と呪を紡いでいく。
 
「…アルカス・クルタス・エイギアス。疾風なりし天神、今導きの下撃ちかかれ…」

 地上でユーノがサポートを行おうとした姿は、フェイトにも見えていた。

 一瞬、己の立てた戦術が崩されるかと危惧を抱いたが、それは阻止された。それも、他ならぬ敵側であるマタドールによってだ。

 驚きもあったものの、納得も出来た。

 あの魔人たちは、口にした約束を決して違えない。そんな彼らが立会人という立場を引き受け、座したままで居る筈がない。それをフェイト

は身を以って理解していたからだ。

 しかし、この勝負に自分が勝利すれば、マタドールをなのはたちから引き剥がし、連れて行く事になってしまう。

 敵なのに、何度も自分を助けてくれた彼らを、離れ離れにしてしまう。

(──っ…!)

 なのはや大僧正とともに、樹人と相対した時の罪悪感が蘇り、フェイトの胸にキリリと痛みが生じた。

(ごめんなさい…彼が酷い目に遭わないように、母さんには私からちゃんとお願いするから…)

 四肢を繋がれ、磔になったなのはを見つめながらフェイトは心中で謝罪の言葉を紡ぎ──

「バルエル・ザルエル・ブラウゼル…──フォトンランサー・ファランクスシフト。撃ち砕け! ファイア!!」

 発せられた号令。

 その刹那、彼女の周囲に浮かぶ魔力スフィアから斉射される、フォトンランサーの弾幕。

 計三十八基の魔力スフィアから射出されるフォトンランサーは、毎秒七発。

 持続時間4秒の間に斉射される魔弾の数は、合計一〇六四発にも達する。

 それは、最早攻城兵器と言っても差し支えないレベルの代物。

 間違っても個人に向ける威力ではない、明らかな殺し過ぎオーバーキルだ。

 降り注ぐ金色の魔弾が轟音が大気を震わせ、爆炎と煙がなのはを包み込む。

「グッ、ウゥ…!」

 高レベルの魔法行使により、体から一気に多量の魔力が抜け出し、フェイトは眩暈を覚えて体が傾きそうになるが、歯を食いしばって懸命に

堪え、正面を睨みつけた。

 やがて、弾幕を形成していた周囲の魔力スフィアが、維持魔力の枯渇によって次々と消え始める中、フェイトは左手を掲げて魔力を収束。

 引き伸ばされ、金色の槍状になった魔弾を掴み取ると、口を開きながら前へ向かって一歩、大きく踏み込んだ。

「スパーク…エンド!!」

 声と同時に放たれた金色の魔槍。

 空気を切り裂いて狙った空域へフィニッシュ・ショットが到達、着弾。これまでよりも一際大きな爆炎を巻き上げた。

「…バルディッシュ!」

『Yes sir. Scythe form Setup.』

 だが、フェイトの攻勢は止まらない。

 額に脂汗を浮かべ、苦しげに肩で息をしながらも、フェイトは大鎌を担ぎ上げ、高速移動魔法を発動。もうもうと煙が立ち込める眼前の空域

へと向かい、風を巻いて飛翔した。

 わずかに煙が晴れた隙間から覗くなのはの姿を捉え、フェイトが高速で迫る。

 ──そして

『Scythe Slash』

「え──」

 無機質なバルディッシュの声を聞き、晴れた視界に映ったものを目にして驚きの表情を浮かべるなのはへ、大鎌の斬撃を叩き込んだ。
























(──なんだろう? これ)








 けだるい倦怠感と朦朧とする意識の中、なのはは視界いっぱいに映る海を見ながら、ぼんやりとそう考えた。

(私は、今フェイトちゃんと闘っていて──)

 そこまで考えたところで、目の端に斬り裂かれたバリアジャケットの一部が映る。

 それによってゴチャゴチャに絡み合っていた思考の糸が解け、なのはは自身の現状を理解した。

(…ああ、そうか。私、フェイトちゃんに斬られて、やられちゃったんだ…)

 斬撃を浴びた瞬間、数秒か一瞬か意識も失っていたのだろう。体勢を崩し、落下に入るまでの記憶がまるでない。

 五感が捉えるものが、すべて緩慢な気がする。

 それは、緩やかな時間の流れの中に居るような感覚。

 そんななのはの視界に、地上で自分たちの戦いを見守っていた三人の姿が飛び込んで来た。

  期待に答えられなかった事に、罪悪感を覚える。 

(アルフさん、ごめんなさい…)

 俯き、悔しそうに顔を歪める橙色の狼に謝罪する。

(ごめんね、ユーノ君…)

 落ちていく自分を目を見開き、凝視するユーノへ謝る。

(ごめんなさい、マタドールさ──)

 最後に、魔人へ謝罪の言葉を述べようとして、なのははそれを止めた。

 ただ一つ、なのはのみを見続けるマタドール。

 表情の無い髑髏の顔と、光の無い闇の双眸。しかし、なのはは知っている。そこには確固たる意志が存在する事を。

 そこに、自分へと向けられる想いがある事を感じ取った。

 なのはが負けた事への悲しみでも絶望でもなく、まだ諦めず、「負けていない」と信じ続ける固い意志だった。 

 共にすごし、共に闘い、共に乗り越えて来た日々が、なのはに教えてくれる。マタドールの視線に込められた意思を。

 それを目に思い出す。ここに到るまでの魔人たちの言葉を。








 ──その思いの丈、存分にフェイト殿にぶつけるが良い




 ──只甘えるだけの小娘が、ぬるま湯に浸かり切った者が、この場に立てるものかよ!!




 自分の想いを後押ししてくれた大僧正の言葉を──








 ──ダチが命をはってんだぜ? 一人だけ外野で応援なんざやってられるかよ




 ──一度関わった以上、ここで下りたら一生後悔する




 自分に不利な状況になろうとも、共に闘う意思を表明したヘルズエンジェルの言葉を──








 ──そう心配するな。わが身一つならば、どうにでもなる。だから遠慮無しで全力でぶつかってくるがいい




 ──この勝負はなのはとフェイト嬢、二人が全てを懸けて戦う決斗! いかなる理由があろうとも他者の介入は許さぬ




 我が身を懸けても、自分たちの闘いを守ろうとしてくれたマタドールの言葉を──








 そして今なお、自分を信じ続ける彼の目を見て、なのはは自分の思考がクリアになっていくのを感じた。

《レイジングハート…まだ、いける?》

《…No problem. I can go at any time.》(…問題ありません。何時でも行けます)

 自身の問いかけに、わずかに濁った言葉で答えたレイジングハートに無理をかけていると、なのはは実感する。

《ありがとう…もう少しだけ付き合って…!》

《All right, my master!》

 感謝の言葉を口にすると同時に、レイジングハートを握る手に力を込める。




(我、使命を受けし者なり。契約の下、その力を解き放て…)




 心中で、レイジングハートの起動呪文を唱える。

 だが、既にデバイスは起動している以上、それは必要の無い行動だ。

 一度目は、言われるままに唱えただけだった。

 二度目は、何かを掴んだ気がした。

 そして今三度目の詠唱で、なのはは自分なりにこの呪文の真意を掴んだ。




(風は空に──)




 空を舞う風は、自由にして自在。それは、繋ぎ止められぬものの象徴。




(星は天に──)




 煌めく星は、暗闇の中より導き手。それは、迷えるものに与えられる希望。




(輝く光はこの腕に──)




 腕の光は魔力の輝き。それは、誰かを助ける奇跡の光。 




「不屈の心はこの胸に!!」

 この呪文は己の決意に対する誓い。

 ──諦めない限り、不屈の心は決して砕けない。 

「行こう! レイジングハート!」

『Flier fin.』

 負けないという、自分自身の信念のかたち。それを口にしてなのはは飛ぶ。

 海面擦れ擦れで一八〇度回転し、上空へ向けて急上昇。

 噴き上げる魔力が衝撃波を生み、海水を巻き上げる。

 周囲に撒き散らされた水飛沫を弾き飛ばし、桜色の閃光と化したなのはは、ただ真っ直ぐに駆け昇る。

 唖然としたままこちらを見る、黒衣の魔導師の下へと。








 強力な大魔法からの追撃。

 なのはを撃墜し、「倒した」と思ったが故に、フェイトは張り詰めいていた緊張の糸が緩んでしまっていた。

 だから、落水寸前でこちらへと向かって戻って来るという予想外の出来事に、戦闘意識がなのはのそれに対して完全に出遅れる結果となった。

 気付いた時にはもう後の祭りだった。 

「もう少しでやられちゃうところだったよ、フェイトちゃん。今度はこっちのぉ…」

『Divine──』

 二人の視線が並んだ並んだ瞬間、なのはの言葉と共に構築される砲撃魔法。

 レイジングハートの周囲に円環が現れ、その先端へ桜色の魔力が収束していく。

「番だよっ!」

『──Buster』

 デバイスの先に集まった魔力が開放され、大気を震わせる砲門の叫びと同時に一条の巨大な桜色の閃光が、フェイトに向かって放たれた。

「うっ──あああっ!!」

 咄嗟にフェイトは魔弾を生み出し迎撃するが、収束砲撃をノーチャージの魔法で受け止めるには力不足であった。

 魔弾は瞬時に飲み込まれ、時間稼ぎにもならなかった。焦りが、彼女の判断力を奪った結果だ。

 最早回避は不可能だ、砲撃は既に着弾圏内。

 咄嗟の判断でフェイトはシールドを発動する。

(っ! 直撃!?)

 防御の上からでも浸透してくる、恐ろしい攻撃力。

 フェイトの纏うバリアジャケットが、圧倒的な魔力砲の前にじわじわと分解されていく。

(でも、耐え切る…あの娘だって、耐えたんだからっ…!)

「うっ…くぅぅ、ああっ…!!」

 己の力が削り取られていくのを感じながら、フェイトは歯を食いしばってその一撃を凌ぐべく、懸命に己を叱咤する。

 やがて──

「はぁ、はぁ……とまっ、た…?」

 全身の骨が軋みを上げる程の衝撃が止み、鼓膜を叩く砲音も消えてただ響くは風と波の音のみ。

(これで…私が勝つ!)

 五体に走る痛みと疲労を気力で捻じ伏せ、バルディッシュを握る手に力込め、正面へと顔を向け──

(っ!? 居ない!?)

 そこに居る筈の白い魔導師の姿はなく、慌てて周囲を見回すフェイト。

「っ! これは…」

 なのはを探していたその時、フェイトは己の周辺の空間に「流れ」があるのを感じ取った。

 それは音でも、気流でもなく──

(これは…私の魔力!?)

 空気中に散らばった己の血肉に等しい力が、辺り一帯から一点へ向かって収束しているのだ。

 そしてその方向は──

「上!! まさかっ!?」

 慌てて上空へ目を向けたフェイトの視界に、信じ難い程巨大な魔力スフィアを作り上げた、なのはの姿が映った。

「無駄に使って、そこら中に散らばっちゃった魔力をもう一度集めて……受けてみて、ディバインバスターのバリエーション!」

『──Starlight Breaker』

 冗談じゃない! 攻撃範囲外へ退くべく、身を翻そうとしたその時、

「──うっ! あっ!? バインド!?」

 フェイトの四肢を光の枷が縛り上げた。

 それは先程の再現。フェイトの攻撃法を、なのはは見事に模倣して見せたのである。




「いくよ! これが私の全力全開!! スターライトブレイカーー!!」




 叫びとともにこだました砲音は、竜の咆哮か、巨神の雄叫びか。

 視界を埋め尽くす桜色の砲撃が、フェイトへ向かって突き進む。




「う…ああああああああああああああああああああああっ!!!」




 それは恐怖か、悲しみか、絶望か、憤怒か、拒絶か。

 あらゆる感情の入り混じる涙無き慟哭とともに、拘束された左手を無理矢理動かし、シールドを展開する。

 その数、五つ。

 この絶体絶命の窮地が、本来彼女が苦手とする防御魔法の精度を、極限にまで引き上げた。

 しかし、それでもなお迫り来る、圧倒的物量差を覆し難い。




 ──最初の二枚のシールドは、触れただけで砕かれた。




 ──三枚目は、数瞬はもったものの、すぐに光に飲み込まれ蒸発した。




 ──四枚目は何秒か拮抗状態を作り出したが、すり潰され蹂躙された。




「うっ…くぅぅぅぅっ…!」

 そして残る最後の一枚を前に、激しい閃光から目を逸らしながらフェイトは懸命に魔力を注ぎ込み、シールドを維持しようとするが──

 喧しく響き渡る砲撃の中、びしりと、何かが砕け弾ける音が嫌にはっきりとフェイトの耳に届いた、

「っ!?」

 はっと息を飲み、正面のシールドへと目をやれば、外縁部から生じる亀裂を見つけた。

 そして次の瞬間には、その亀裂は一気に中心部へと走り──

 圧力に耐え切れなくなったシールドは粉々に打ち砕かれ、フェイトは桜色の光に飲み込まれる。

 その刹那フェイトの視界はホワイトアウト。同時に一切の音を、平衡感覚すらも失った。

 しかしそれを感じたのも、僅か数秒だった。

 光が消えると同時に、耳に飛び込んで来た風切り音と目にした海に、フェイトは今度は自分が海へと落ちているのだと悟った。

 最早、闘う力は残っていない。

 このまま意識を保つのも難しかった。

 肉体が、本能が己の欲求に答えようと白濁としていく意識の中、フェイトは目の端に真っ赤な布がはためくのを捉え、その映像を最後に、完

全に気を失った。








 バルディッシュを手放し、気を失ったフェイトは真っ逆さまに海へと落ちていく。

「フェイトちゃん!!」

 なのはが声を上げながら彼女を追いかけ、受け止めようとしたその時、




「──マハザン」




 颶風を伴い、髑髏の剣士が空中を「駆け抜けた」。

 自らが生み出した衝撃波を足場にして宙を走り、海へと没しようとしていたフェイトを抱き止める。

「へ?」

 突然のマタドールの登場に驚くなのはを尻目に、己の正面に更なる衝撃波を生み出し、三角跳びの要領で魔法を蹴り返し、近くにあった岩場

へ着地した。

 空中移動能力の無い、マタドールに出来る移動術。

 これは令示が、吉村夜の小説版「真・女神転生Ⅲ」の主人公、神代浩司が対トール戦で使った、魔破斬打印マハザンダインを自らに当て、空中で行動する戦

法をモデルに思いついたものだった。

「空戦魔導師対策で考えていた戦法であったが、こんなところで役に立つとはな…」

 言いながら、マタドールは腕の中のフェイトの様子を確認する。

「マタドールさん! フェイトちゃんは!?」

 そこへなのはが空中から降り立ち、マタドールの下へ駆け寄って来た。

「問題無い。気絶をしているだけのようだ」

「フェイトちゃん…!」

 マタドールが膝をつき、フェイトの顔を見せると、なのははギュッと彼女を抱きしめた。

「これで勝敗は決したな…」

 マタドールはそのままフェイトの体をなのはに預けて、二人から少し離れると右手のカポーテをチェッカーフラッグのように大きく振るい、

高らかに宣言した。








「勝者、高町なのは!!」








 第九話 決斗! 不屈の心は砕けない 後編 了




 やっと書き終った…どうも、吉野です。感想お返事遅れてすいません。

 前回の話が、つじつま合わせや時系列の整理ばっかで、書き手してはちっとも面白くなかったもんで、戦闘シーンに気合が入りまくってしま

いました。

 今回の戦闘は、自分で書いててもう「熱いぜ熱いぜ熱くて死ぬぜ」といった感じになってしまいまいました。燃える展開って、書いてて楽しい。

 インメルマンターンとか…はい、『装甲悪鬼村正』の影響ですw こっちでやったのは史実の本物ですが。

 でも、空中戦って表現難しいですねえ。今回書いたものも、自分では気づかないところにおかしいとこあるかもしれませんね。後で修正入れ

るかもです。完全に勢いだけで書いていた所ありますしね。

 さて、いよいよ終盤が近付いてきました。次回では無印最後の魔人が登場する予定です。

 それでは次回『十話 絶望への最終楽章コーダか。希望への前奏曲プレリュードか』でお会いしましょう。

 では今日はこの辺りで。失礼します。



[12804] 第十話 絶望への最終楽章か。希望への前奏曲か。
Name: 吉野◆fe64ebc7 ID:4cbf7d0b
Date: 2011/08/25 19:32

「──イト、フェイトッ!」

(あれ…誰だろう…? これ、雨…?)

 自身へと呼びかけられる言葉と、顔に落ちる水滴の感触によって、無意識下に沈んでいたフェイトの意識が浮上していく。

 ゆっくりと両目を開けば、そこには青空を背にした己の使い魔が、両目いっぱいに溜めた涙を自分へと降らせながら見つめていた。

「う…アル、フ…?」

「っ!? フェイトぉ!!」

 呆然と呼びかける己の主を目にして、アルフはフェイトを力いっぱい抱き締めた。

「気付いたんだね、フェイトちゃん」

 横から響いた声に視線を向けると、自分の傍に寄ってくるなのはたちの姿と最初に対峙した公園の景色が目に入る。

「そうか…私、負けたんだ…」

 己の胸で泣きじゃくるアルフの頭に手を添え、空を見上げながらフェイトはその事実に気が付いた。自分が敗れ、この場所へと運ばれたのだと。

「ごめんね、大丈夫…?」

「…うん」

 心配そうに自分を見下ろすなのはに、フェイトは伏目がちに頷いた。

「私の勝ち、だよね…?」 

「そう、みたいだね…」

『──Put out』

 フェイトの言葉に応じるかのように、バルディッシュが手持ちのジュエルシード八個を解放した。

「…よいのか?」

「…約束、したから」

 マタドールの問いかけに、フェイトは力無く肯定の意を口にする。

《よし、なのは。ジュエルシードと彼女の確保を》

 アースラより、クロノの指示がなのはへと届いたその時──

《っ!? 来たっ!》

 エイミィの叫びとともに、なのはたちを取り囲むように生み出される、無数のミッド式魔法陣。

「転移魔法!?」

 驚くユーノの言葉に呼応するかの如く魔法陣より現れたものは、西洋の甲冑騎士のような姿をした、4~5メートルはありそうな巨人たちであった。

「なに!? なに!?」

「アルフ! これは!?」

「わ、私も知らないよ!?」

 慌てるなのはたちの中にあって、落ち着きを払い警戒するように正面の甲冑騎士を窺うマタドール。

 しかしその内心は、想定していた次元跳躍魔法による攻撃とは異なるプレシアの行動に動揺していた。

 それは時間にして、一秒にも満たぬ刹那の時。




 だがその一瞬が──




 一瞬で十分だった──




「キャアァァァッ!?」

「フェイト!?」

「フェイトちゃん!?」

 わずかな警戒の空白を突き、転送された甲冑騎士の一体がフェイトをその巨大な右手で掴み上げ、なのはたちへ誇示するように高々と掲げると──

『……ジュエルシードを渡しなさい』

 フェイトの手より地に落ちたバルディッシュを踏み潰し、冷徹な色を帯びた低い女の声で、甲冑騎士がそう言った。








 第十話 絶望への最終楽章コーダか。希望への前奏曲プレリュードか。









「うああ……!」

「フェイトォッ!」

『早くしなさい。私はあまり気の長い方ではないのよ』

 傀儡兵が右掌に力を込め、その握力にフェイトが呻きを漏らした。

(やられた!!)

 正面に立つ、フェイトを掴み上げた甲冑騎士──プレシアが操っている傀儡兵を睨みながら、令示は心中で舌打ちする。

 なのはの勝利に終わった二人の闘いの後に、プレシアがアクションを取る事は確実だと思っていた。

 しかしそれは、『原作』でフェイトを撃った次元跳躍魔法の狙いが、なのはか自分に変わる位かと考えていただけだった。

 だから、まさかこうしてフェイトを人質にしてジュエルシードを要求してくるような、強行策を取るとは思いもしなかったのだ。

《プレシア・テスタロッサ! 貴女、正気ですか!? 我が子を人質にするなんて…!》

 対峙する令示たちと傀儡兵との間にモニターが生まれ、柳眉を吊り上げたリンディがプレシアに向けて怒声を上げた。

『黙りなさい! 私はあの子たちと話しているのよ、引っ込んでいなさい管理局!』

「っああ!」

 心底鬱陶しそうに声を荒げるプレシアの怒りに呼応するかのように、傀儡兵に捕まったフェイトが悲鳴を漏らす。

(…マズイ。あれは相当苛立っている)

『さあ、早くその十六個のジュエルシードを渡しなさい』

「…っ、プレシアぁ……!」

 再び令示たちへと意識を向けそう言い放ったプレシアに対し、アルフはざわざわと髪の毛を逆立て己の主を掴む傀儡兵へ、憎悪の籠る眼差し

と呟きを放つ。

《──落ち着け》

「っ!?」

 今にも飛びかからん程に激昂している彼女の前に手をかざし、マタドールが念話で諌める言葉をかける。

《何で止めるんだい!?》

《こんな強引な手を使うという事は、プレシア・テスタロッサは精神的に相当追い込まれている可能性がある。下手に動けばフェイト嬢の命に

関わるぞ?》

《うっ…》

 抗議の声を上げたアルフに現在のプレシアの危険性を説くと、渋々ながら怒りを収めて攻勢を解いた。

 しかし、プレシアがこんな強硬策に出た理由、それは──

(十中八九、俺のせいだろうな…)

 なるべく手を出さないようには気を使ってはいたのだが、常になのはの後ろに令示が──魔人たちがが控えているという状況は、いざという

際には魔人たちがジュエルシード回収に乗り出すかもしれないという危機感を、プレシアに抱かせていた可能性が高い。

(しかし、わからないのはプレシアの本心だ。本気でフェイトを盾にするつもりなのか?)

 劇場版のラストでフェイトに見せた憐れむような、悲しむような表情。

 あれは親としての情の表われなのではないのか?

 そう考えると、この人質作戦自体、ブラフであるという可能性も出てくるのだが──

(とは言え、強引にフェイトを助けようとするのは危険過ぎるな…)

 対価はフェイトの命である。思いつきで賭けるにはリスクが高過ぎる。

 なのはとフェイトの闘いでも精神擦り減るようなプレッシャーを感じていた令示にとって、一日に何度も人の命を天秤にかけるような真似が

出来よう筈がなかった。

 そうなると、取れる手は一つしかない。

「…なのは、ジュエルシードを。フェイト嬢の命には変えられぬ」

「うん…」

『Put out.』

 傀儡兵を睨んだままのマタドールの言葉に、なのはは硬い声で答えながらレイジングハートからジュエルシードを排出した。

 フェイトから受け取った八つと合わせ、合計十六個のジュエルシードがなのはの掌中へと集まった。

『それをこちらへゆっくり飛ばすのよ。その娘以外は動かずにその場に立っていなさい。──特に、完全適合体の貴方はね』

 マタドールを指差し、彼を完全適合体と呼ぶプレシア。ジュエルシードを完全に使いこなしていると見えるが故の呼称か。

「承知した。私はここから動かぬ。それでいいのだな?」

『ええ』

「それじゃあ、今渡します…」

 短いやり取りの後、なのはの手から離れた十六のジュエルシードは、空中でクルクルと円を描きながら傀儡兵の元へと飛んで行った。

 傀儡兵が空いている左掌を差し出すと、ジュエルシードはゆっくりとその上へと降りていく。

『フフフ…フフフハハハハハハッ! 十六のジュエルシード! これだけあれば必ず辿り着ける!』

 望む数を揃えたのであろう、傀儡兵のカメラ越しに掌中のジュエルシードを見下ろし、プレシアは狂気を孕んだ高笑いを上げた。

「大願成就を前に笑いが止まらないかね? しかし油断大敵だ」

『…妙な考えは起こさない方がいいわよ?』

 マタドールの忠告に、笑いを止めたプレシアが警戒を含んだ言葉を返す。

「無論、約定は守るさ。私は動かぬよ。『私』はね?」








「ナウマク・サマンダボダナン・ベイシラマンダヤソワカ──毘沙門天、夜叉走牙!」








 笑い混じりのマタドールの言葉が終わるや否や、傀儡兵の背後──公園の植え込みより真言がこだまし、鬼面の光弾が群れを成して傀儡兵たちへと殺到する。

『なっ!?』

 予想もしていなかったであろう方向からの攻撃に、プレシアが驚きの声を上げた。

 その僅かな隙をついて、鬼弾の群れはフェイトを拘束していた傀儡兵の腕を食い千切り、その身を解放する。

 第一の目的を果たした鬼弾たちは牙を鳴らし、周囲に立つその他の傀儡兵たちへと向かっていく。

「──油断大敵。他者の諫言には素直に耳を傾けるべきじゃのう、お若いの」

 植え込みの奥より、結跏趺坐のまま中空を浮遊する木乃伊の僧侶──魔人大僧正が姿を現し、呵々と笑いを上げながら、プレシアへ揶揄を含

む言葉をかけた。

『二人!? どういう事!?』

令示マタドール』と背後の大僧正へ、何度も傀儡兵のカメラを向けながら、プレシアが戸惑いの色を帯びた叫びをあげた。

 種を明かせばどうという事はない。不測の事態に備え、先日アースラから下りた方の『令示大僧正』をそのまま維持し、なのはとフェイトの決闘前か

ら公園内に隠れて待機させていただけである。

「アルフ! フェイト嬢を!」

「あ、わ、わかったよ!」

 この急展開にプレシア同様に呆然としていたアルフが、『令示マタドール』の言葉に我に返ると、他の傀儡兵へと飛びかかる鬼弾群の合間を縫って地を駆

け、フェイトの元へと向かう。
 
「フェイト! 大丈夫かい!?」

 閉じられた鋼の掌を無理矢理引き剥がし、ぐったりとしたフェイトへ呼びかけながら抱き上げるアルフ。その無防備な背中へ攻撃を加えよう

とする傀儡兵もいたが、飛び交う鬼弾がそれを阻み、守る。

『くっ…! まあいいわ、ジュエルシードがあればもう用はない!』

 プレシアは数瞬程傀儡兵の周囲を舞う鬼弾と、突然現れた『大僧正』へ怒りの感情を向けるが、それよりも目的を達するべきとジュエルシードへ意識を移す。

 おそらくは転移魔法を発動させようとしているのであろう。が──

「そうはさせん!」

令示マタドール』はその足元に転移用の魔法陣を展開し、ジュエルシードを持ち逃げしようとする傀儡兵へ向け、エスパーダを投げつけた。

 魔人の膂力で投擲されたそれは、狙いを外す事無く白銀の閃きと化して、ジュエルシードを握っていた左腕を、付け根部分から斬り飛ばした。

 回転しながら宙に舞う傀儡兵の腕より、ジュエルシードが零れ落ち空中にばら撒かれる。

「『私』はこの場より動いておらぬ。問題はないだろう?」

『──くっ! 屁理屈を!!』

令示マタドール』の揶揄混じりに言葉に、プレシアが怒声を上げる。

 だが、流石は大魔導師。マルチタスクで転送魔法を発動させたらしく、地面へ落ち行くジュエルシードの落下地点へ魔法陣を展開した。

 しかし『令示マタドール』も黙って見ている筈がない。

 投げつけたエスパーダに指示を送り軌道を修正。空中で反転したエスパーダが転移用魔法陣へと落ちていくジュエルシードへ向かって飛び、

十六個の内、その射線上にあった三つを吸収。

 更にはジュエルシード同様地面へと落ちていく傀儡兵の左腕を弾き飛ばす──ボリーングで言うところのスプリットで、もう二つを転送の範

囲外へと突き飛ばした。

『くっ!? …限界か。ここまでね』

 歯噛みしながらも、傀儡兵たちも纏めて転移させ、撤退をするプレシア。狂気に憑かれているかと思えば、引き際を見誤らない。掴み辛く、

やり難い相手である。

《君は! またジュエルシードを取り込んで──》

「緊急事態だ。いた仕方あるまい」

 傀儡兵が完全に消え去ると同時に、脳裏に飛び込んで来たクロノの怒鳴り声を『令示マタドール』は一言で切り捨てる。

「そのような些末事より、早く我らをアースラへ転送してもらいたい。今更第二波が来るとは思えぬが、油断は出来ぬ故な」

 先程の傀儡兵の襲撃を振り返っても、転移魔法を多用と『原作』の病気の状態、そしてその『原作』以上に手にしているジュエルシードの個

数、以上の点を考えれば再攻撃よりも手持ちの札で目的を達成しようとする公算の方が高い筈だが、一〇〇%安全と言い切れない以上、さっさ

拠点ホームへ戻るべきだろう。

《…了解した。すぐ転移の準備をする》

令示大僧正』の言葉に渋々応じるクロノ。

《だが! 戻ったら二体に増えた事についてキッチリ説明してもらうぞ!?》

 大声でそう宣言すると、クロノは念話を切った。

令示マタドール』は『令示大僧正』と顔を見合わせると、溜息まじりに肩をすくめた。








 アースラへ戻ると、数人の武装局員を連れたクロノが転送ポートの前で仁王立ちをしていた。

「──さあ、説明してもらおうか」

「時間が惜しい。簡単に説明するぞ?」

令示マタドール』は仕方なしにかいつまんで説明を行う。

 以前の海上戦で手に入れたジュエルシードによって同時召喚と言うか、分裂同時変身が可能になったという事。

 そしてアースラから(昨日の内になのはの後についてコッソリと)降りた時から既に召喚していて、今回『は』なのはとフェイトの闘いの際

の緊急事態に備える為に、公園内に密かに待機させていた事などを話した。

(…嘘はついていないぞ? 全部を語っていないだけで)

 別にクロノとリンディへの嫌がらせではない。彼らが令示の情報を管理局に報告しなければならない以上、必要な措置なのだ。

 報告書は令示の能力の危険性故に、彼が狙われないよう改竄を行った上で、上層部へ報告を上げなければならない。

 もしその嘘が明らかになった場合、ハラオウン以外の派閥や奸物どもがここぞとばかりに鬼の首を取ったが如く騒ぎ立てるであろう。

 だから、クロノたちが令示に関して知っている事は、少なければ少ない程よい。いざという時、「知らなかった」と言い切れるのだから。

「大筋の事は把握した。けれど、今後は勝手な行動は慎んでくれ。それと、何か新しい能力が発言した時はキチンと報告する事」

 説明を聞く内に、目に見えて渋い表情となっていったクロノが、皺の寄った眉間を押さえながら言葉を吐き、釘を刺してきた。

「了解」

「委細承知」

 令示としても二人の魔人を目撃されれば、クロノやリンディから何か言われる位の予想はついていたので、マタドール、大僧正ともに大人し

く頷いておいた。むしろ、この程度の口頭注意で済んで僥倖と言うべきだろう。

「さて、こちらの話は済んだところで──フェイト・テスタロッサ、その使い魔アルフ。君たち両名を時空管理法違反及び、その他の容疑で拘

束させてもらうよ。彼女たちに手錠を」

 クロノは改めてフェイトたちへ目を向けそう言うと、背後に控えていた局員たちが二人の手に枷をはめた。しかし、元々こうなることを想定

済で管理局へ下ったアルフはともかく、フェイトは抵抗する素振りも見せず、唯々諾々と局員たちの行動に身を任せる。

 無理もない。まさか母親に人質にされるとは考えもしなかったのだろう。

《執務官殿。先程のやり取りを見ていたのであれば手枷はいるまいよ。今のフェイト嬢に抵抗する気力はないだろう》

 その痛々しい姿を目にして、『令示マタドール』は思わずクロノへ念話を送った。

《…君の気持はわかるし、僕も同意見だ。しかし僕らは組織だ。毎回毎回特例や超法規的措置など出来ない。集団のルールが瓦解してしまうからね…》

 そう言われると反論も出来なかった。本来ならば、ハラオウン親子の対応ですら『甘い』と言えるのだ。

 海上でフェイトを確保しようとした時も、捕えるつもりではあってもキチンと保護する気だったであろうし、条件付きとはいえ令示のような

な特S級の危険物を自由にさせている所等、下手に外部に知られれば批判や罵詈雑言の槍玉に上げられかねないギリギリの行為である。

(まあ、リンディさんなら笑顔でそれも「些末事」と言い切っちまって、やり過ごしてしまうような気がするんだが…)

 むしろ言葉をかけ、丁寧に説明した上で手錠をかける分、良心的だろう。

「とりあえず、ブリッジに行こう。艦長へ報告がある」

 クロノはそう言って令示たちを従え、通路を歩き出した。








「艦長、只今戻りました」

 自動ドアを開きながらクロノが声を上げると、艦長席から立ち上がったリンディがなのはたちの元へと歩み寄って来た。

「お疲れ様。それから──」

 なのはたちへ労いの言葉をかけた後、その目を俯いたままのフェイトへと向けた。

「フェイトさん? はじめまして。」

「…………」

 リンディの挨拶にもフェイトは無言のままで顔を上げる事無く、大破して待機形態になっている掌中のバルディッシュを見つめていた。

 その様子を見たリンディは、再び正面のモニターへ目を向けると同時に、なのはへ念話を送って来た。

《母親が逮捕されるところを見せるのは忍びないわ。なのはさん、彼女をどこか別の部屋へ》

《あ…はい》

 今のフェイトの精神状態を危惧していたなのはは、その提案に了解の意を返す。

「フェイトちゃん、よかったら私の部屋──あ」

 フェイトを自室へ誘ったその時──

「総員玉座の間に侵入。目標を発見!」

 ブリッジ正面のメインモニターが武装したアースラの局員と対峙する人物を映し出した。

「母さん…」

 玉座に座る黒髪の女性をみつめ、フェイトはポツリと呟いた。








「プレシア・テスタロッサ! 時空管理法違反! 及び管理局艦船への攻撃容疑で貴方を逮捕します!」 

 突入班の隊長らしき人物がそう言いながらプレシアへデバイスを向ける。

「フッ…」

 剣呑な気配が漂う中、プレシア・テスタロッサは椅子に座したまま頬杖を突き、薄笑いを浮かべながら扇状に自分を半包囲し、口上を述べる

局員を見つめる。

 隊長が片手をプレシアへ向けると、その掌より光が生まれ中空に文字を──恐らくはミッドチルダの言語であろう──を生み出した。

「時空管理局司法部より発行された逮捕状です。現時刻を以ってこの時空航行船内にある全ての物品は、証拠物件及び裁判資料としてさせても

らいます。以後、当局の許可が出るまで一切の物品に触れる事を禁じます。──おい!」

 隊長が部下たちに呼びかけ、部屋の脇──プレシアの私室と思われる場所を視線で示す。

『ハッ!』

 数名の局員が返事とともにその部屋へと入っていく。

 先程隊長が言っていた証拠品の確保の為であろう。

 アースラへ映像を送るサーチャーもそれについて室内へと入り──

「こっちを固めろ!」

「奥に何かあるぞ!」
 
「うっ!」

「あっ!」

「こ、これは…」

 扉を開いて侵入し、奥の間に安置されていた『ソレ』に目を奪われた局員たちの姿を映し出した。

「──え」

 モニターに映し出されたモノに、なのはは言葉を紡ぐ事が出来なかった。

 アースラのブリッジに居たその他の人間も同様で、その場に居た全ての人間が言葉を失っていた。

「あれは…」

「なんと…」

 二人の魔人たちですらその反応は周囲と変わらず、モニターから目を逸らせず釘付けとなっていた。

 無理もないだろう。それほどまでになのはたちが目にしたモノの姿は衝撃的であった。

 細長い部屋の奥に設置され、液体で満たされた透明のシリンダーの中に膝を抱えたままゆたい、眠るように浮かぶ裸体の少女の姿に、誰もが

目を奪われ絶句していた。

「──フェイト、ちゃん…?」

 かすれる声で、なのはは言葉を絞り出した。

 何よりも驚いたのはその容姿だ。円柱のシリンダーの中に居た少女は、なのはの隣に立つフェイトに瓜二つと言っていい程、酷似した姿をしていた。

「あ、あ…」

 それに対し、最たる反応を示したのはフェイトであろう。俯き、暗いままであった表情は誰よりも驚きに満ち、揺れる瞳をモニターから逸らせずにいた。

「一体これは…」

 モニターに映る局員の一人が我に返り、戸惑いの表情を見せながらも、シリンダーへ近付こうとしたその時──

「私のアリシアに…近寄らないで!」

「ぶっ!? ぐあぁぁぁっ!!」

 叫びとともに横から伸びた手がその局員の顔面を掴んだ。

 必死でもがき、叫びを上げる武装局員の抵抗に構う事無く、顔を掴む腕の主──プレシアは、他の局員たちを遮るかのようにシリンダーの前

へと立ち塞がる。

 先程の冷笑とは一転し、狂おしい程の怒気を滲ませてるプレシアは、武装局員たちを睨みつけ、無言のまま掴んでいた局員をゴミでも放るが

如く、軽々と投げ捨てた。

「グアァッ!?」

 硬い床に叩きつけられた局員が悲鳴を上げる

 プレシアの発する気迫に、局員たちは一瞬たじろぐものの『武装』の枕詞に偽りはない。

ぇー!!」

 素早く横並びに整列すると、隊長の号令とともにデバイスから一斉に魔力弾を撃ち出し、プレシアを無力化しようとする。




 しかし──




 構えすら取らずに彼女の前面に展開された不可視の障壁が、魔弾の斉射を完全に防ぎ切る。

 「五月蠅い…」

  鬱陶しげな呟きとともに、プレシアが正面に左掌を突き出すと、空間を歪めるほどの膨大な魔力が渦を巻く。

「っ!? 危ない! 防いで!」

『ぐあぁぁぁぁぁっ!?』

 モニターへ向かってリンディが叫びを上げたその瞬間、紫電の槍が降り注ぎ、武装局員たちを木の葉のように吹き散らした。

「フフフフ、フハハハハハ…!」 

 ブスブスと衣服や皮膚の焦げる煙の中、プレシアは傲然と倒れ伏す局員たちを見つめたまま、笑いを上げる。

「いけない…局員たちの送還を!」

「り、了解です!」

 リンディの命令に応じ、慌ててコンソールを叩き出すエイミィ。

「アリ、シア…?」

 食い入るようにモニターも見つめたまま、フェイトは呟きを漏らした。

「──座標固定、〇一二〇五〇三!」

「固定! 転送オペレーションスタンバイ!」 

 光に包まれて局員たちが送還されて人気の無くなった室内で、ゆっくりとシリンダーへ近付いたプレシアは、壊れ物を扱うようにそっとその

表面へ指を這わせた。

「もう、時間が無いわ…十一個のロストロギアでは辿り着けるかわからないけど…」

 アースラへ中継しているサーチャーに気付いていたのであろう、シリンダーに縋り付きながら、後方を振り返り、プレシアは言葉を吐き続ける。

「でも、もういいわ…終わりにする。この子を亡くしてからの暗鬱な時間も──この子の身代わりの人形を、娘扱いするのも」

「っ!?」

 母の言葉に、フェイトは目を見開き息を飲んだ。

「──聞いていて? 貴方の事よフェイト。せっかくアリシアの記憶をあげたのに、そっくりなのは見た目だけ。役立たずでちっとも使えない、

私のお人形…」

「……最初の事故の時にね、プレシアは実の娘──アリシア・テスタロッサを亡くしているの…彼女が最後に行っていた研究は、使い魔とは異

なる、使い魔を超える人造生命の生成…」

「なっ!」

「えっ!?」

 エイミィが俯きながら漏らすその事実に、アルフとユーノが驚きの言葉を漏らす。

「そして、死者蘇生の秘術。『フェイト』って名前は、当時彼女の研究につけられた開発コードなの…」

「…よく調べたわね? そうよその通り。だけど駄目ね、ちっとも上手くいかなかった…作り物の命は所詮作り物。失ったモノの代わりにはな

らないわ」

 シリンダー越しに眠る少女──アリシアを見つめながらそう呟いた後、プレシアは後ろへと目をやる。

「アリシアはもっと優しく笑ってくれたわ。

 アリシア時々我儘も言ったけれど、私の言う事をとてもよく聞いてくれた…」

 プレシアから叩きつけられる口舌の刃に、フェイトの顔色は沈んでいく。

「やめて…」

 その様子に耐えられず、なのはが小さな声で哀願する。

「アリシアは…いつでも私に優しかった…」

 しかし、プレシアはそれに構う事無く声を発し続ける。溜まり続けた鬱積の念を吐き出すかのように。

「フェイト…やっぱり貴方はアリシアの偽物よ」

 シリンダー越しに愛娘を撫でながら、プレシアはサーチャーの方を睨みつける。

「折角あげたアリシアの記憶も、貴方じゃ駄目だった」

「やめて、やめてよっ!」

「アリシアを蘇らせるまでの間に、私が慰みに使うだけのお人形…」

 再びこだますなのはの声にも、プレシアの言葉は遮られる事無く紡がれる。

「だから貴方はもういらないわ…何処へなりとも消えなさい!」

 完全なまでの拒絶の意に、フェイトは視線を床へと落としたまま涙を浮かべ、体を小刻みに震わせた。

「お願い! もうやめて!」

 繰り返される母から娘への否定の言葉に、なのはは叫びを上げる。

 物心ついたばかりの幼い頃の、父親の怪我による入院によって噛み締め続けた孤独な日々。




 ──自分は必要とされているのか?




 ──本当は要らない人間なのではないのか?




 ガランとした家の中で、なのははいつも寂しさに耐えながら、勝手に心の中に浮かぶその疑問を振り払い続けていた。

 真正面から「不要だ」とは言われた事など無い。

 居ない者として扱われていた訳でもない。

 家族を守る為に、みんなが必死だった事は理解しているし、仕方のない事だったと思っている。

 しかし、幼いなのはの心はいつか家族から、そうした言動を向けられるのではないかという恐怖を抱いていた。

 だから、わかる。わかってしまった。

 最愛の母に明確な拒絶の言葉を投げかけられたフェイトが、どれ程の絶望と悲しみに捕われているのかを。

 かつて自身が感じたものよりも、ずっとずっと強い恐怖に、心が締め付けられているであろうという事に。

 だが──

「ハハハハッ…! フフ、アハハハハハハハハッ!!」

 口角を吊り上げ狂笑を響かせるプレシアに、なのはの懇願の叫びが届く事はなく、

「フフフ…いい事を教えてあげるわ、フェイト」

 プレシアが笑みを浮かべながら、優しい声色で語りかける。

「貴方を造り出してからずっとね…私は貴方が──大嫌いだったのよ!」

「──っ!?」

 無慈悲に紡がれたその一言を引き金にして、力を失ったフェイトの手から待機状態のバルデッシュが滑り落ちる。

 口舌の刃は、ボロボロになっていたフェイトの心を切り裂いた。

 床に衝突したバルデッシュが、甲高い音ともに破片を散らすと同時にフェイトの瞳から一筋の涙が伝い、糸の切れたマリオネットの如く、彼

女は崩れるようにしてその場に倒れた。

「あっ!? フェイトちゃん!」

「フェイト…!」

 なのはとユーノが駆け寄り、アルフも必死に呼びかけるが、心を打ち砕かれた彼女の目は光が失せ、反応はない。

「全ては愛故、か…」

「マタドール、さん…?」

 呟きとともに、魔人の一方がなのはたちの脇を通り、モニターの正面へと足を運ぶ。

「プレシア・テスタロッサよ、貴女はこれまでの時を薄なった我が子を取り戻し、愛を注ぐ事だけに全てを費やしてきたというのか…?」

 モニターを見上げるマタドールのその問いかけに対し、プレシアは一笑して「当然でしょう?」と、言い放った。

「いつも仕事ばっかりで、アリシアには少しも優しくしてあげられなかった…仕事が終わったら…約束の日になったら…! 私の時間も優しさ

も、全部アリシアにあげようと思っていた…!

 なのに! そんな失敗作に注ぐ為の愛情なんて、ある訳がないわ! ある訳がないじゃない!!」

「──憐れ也。プレシア・テスタロッサ」

 もう一人の魔人、大僧正もまた中空を滑りモニターの前に進み出て声を上げた。

「狂気に憑かれたが故に視えぬか。汝の傍らにて滂沱の涙を流し続ける己が娘の姿に」

「…娘? 娘ですって!?」

 その言葉は、プレシアの逆鱗に触れたのだろう。目を見開き、怨敵へ向けるような殺意のこもった視線を大僧正へと叩きつける。

「そんな人形! 娘の訳がないでしょう!? 私の娘はアリシアだけよ!! 今もこれまでもこれからも!!」

「…是非も無し、か」

 激昂するプレシアとは対照的に、大僧正は憐憫の色を窺わせる呟きを漏らした。

「…局員の回収、終了しました」

 オペレーターからの報告を受けながらリンディが、モニターのプレシアと魔人たちのやりとりをみつめていたその時──

「大変大変! ちょっと見て下さい!」

 エイミィの慌てる声がブリッジに響き渡る。

「屋敷内に魔力反応、多数!」

「何だ!? 何が起こっている!?」

 クロノが声を荒げて睨みつけるモニターに映し出されたものは、次々とプレシアの居城の床から浮上して来る様々な西洋甲冑姿の巨人たちだ

った。先程臨海公園でなのはたちを取り囲んだのと、同じ形状の物も見られる。

 頭部の覗き穴から光を発して、巨人たちは隊伍を組み動き出していく。

 それと同時に時の庭園全体が振動を発し、唸りを上げる。

「庭園敷地内に魔力反応! いずれもAクラスの傀儡兵です!」

「総数六〇、八〇…まだ増えています!」

「プレシア・テスタロッサ…! 一体何をするつもり!?」

 ブリッジに警報が鳴り響き、オペレーターが次々と報告を述べていく中、モニターの中の大魔導師へ向けリンディが問いかけた。

 プレシアはアリシアの眠るシリンダーを魔法で浮かび上がらせると、そのまま自分の後ろにつけて揺れ動き、天井から瓦礫が落下してくる中

をゆっくりと歩き出す。

「私たちの旅を、邪魔されたくないのよ…」

 そう呟きながら広間へ出るとプレシアは大きく手を広げ、十一のジュエルシードを顕現させる。

「私たちは旅立つの……忘れられた永遠の都──アルハザードへ!」

 狂気で輝く瞳を中空で回転するジュエルシードへ向け、笑みを浮かべるプレシア。

「──まさか!」

 その狂態にクロノが目を剥く。

「この力で取り戻すのよ……全てを!!」

 その叫びとともに回転を止めたジュエルシードがモニターを埋め尽くす程の輝きを発した。

 その瞬間、アースラのブリッジまでが振動し、レッドアラートが鳴り響く。

「次元震です! 中規模以上!」

「振動防御、ディスト―ションシールドを!」

「ジュエルシード十一個発動! 次元震、更に強くなります!」

「転送可能距離を維持したまま、影響の薄い空域に移動を!」

「りょ、了解です!」

 リンディが矢継ぎ早に指示を飛ばすその後ろで、なのはは力無く倒れるフェイトをそっと抱き締めた。

「波動係数域拡大! このままだと、次元断層が!」

「アル、ハザード…」

「馬鹿な事を…!」

 怒号が飛び交うブリッジの中で、ポツリと呟いたエイミィに対し、クロノは怒りを露わに吐き捨てると踵を返して駆け出す。

「クロノ君!?」

「僕が止めてくる! ゲートを開いて!」

 エイミィの問いに短く答え、クロノはブリッジを飛び出して行った。

「アハハハハハハハハッ! アハハハハハハハハハハハハハハッ!!!」

「──っ!」

 光を失った虚ろな瞳のフェイトを抱き締めるなのはが、モニターの狂笑を上げるプレシアを睨みながら立ち上がった。

「私とアリシアは、アルハザードで全ての過去を取り戻す! アーハッハッハッハッハッハッハッ!!」

「私もクロノ君と一緒に行って来る! アルフさん、フェイトちゃんを…」

「わかったよ、気を付けてね?」

「はい!」

 壊れ物を扱うかのように、そっとフェイトの体をアルフに預けると、なのははクロノの後を追って駆け出した。

「なのは! 待って!」

「私たちも行くか」

「うむ」

 なのはの後を追い、ユーノと二人の魔人もブリッジから退室した。








 通路を駆けながら、クロノは先程のプレシアの言葉を思い出す。

「失われた都アルハザード…最早失われた、禁断の秘術が眠る土地…そこで何をしようっていうんだ? 自分の無くした過去を取り戻せるとで

も思っているのか?」

 待機状態の己が魔杖──S2Uを取り出しながら、クロノは一路、転送ポートへと走る。

「どんな魔法を使ったって、過去を取り戻す事なんて…出来るものか!!」

 激情のまま、クロノは叫びを上げた。

 その時──

「クロノ君!」

「っ!? 君たち」

 背後からかかった声に足を止めたクロノが振り返ると、なのはとユーノ、そして二人の魔人が駆け寄って来る。

「クロノ君、プレシアさんの所に行くの?」

「ああ、直接現地へ向かう。元凶を叩かないと…」

「私も行く!」

「僕も!」

「私も同行させていただこう。このままでは我らの世界もただでは済むまい?」

「左様。他人事では済まされぬ故な」

「…わかった」

 四人の顔を見回し、クロノは大きく頷いた。

《クロノ! なのはさん! ユーノ君! マタドールさん! 大僧正さん! 私も現地へ向かいます! 貴方たちはプレシア・テスタロッサの逮捕を!》

『了解!!』

 連れだって駆け出したなのはたちへリンディからの指令が届き、五人は声を合わせて返事をした。

 後に残ったアルフは、自らの腕の中のフェイトをそっと抱き締め、五人を見送った。








 転送ポートを抜けたその先に待つは雷が閃き鳴り響く、時の庭園の入り口たる大門。

 巨大な門の前には無数の傀儡兵たちがなのはたちの幾手を遮っているのだが…

「いっぱい居るね…」

「まだ入り口だ。中にはもっと居るよ」

 確かに多かった。なのはたちが知る由もないが、それは令示が知っている『原作』の傀儡兵よりも。

『原作』ではせいぜい十数体居るか居ないか位であったが、今彼女たちが目にしているのは明らかに三〇体以上。

「どう考えても私たち、魔人対策であろうな。これは…」

 なのはの隣で、マタドールが呟きを漏らした。

 臨海公園での傀儡兵の襲撃といい、プレシアの令示たちに対する警戒レベルの高さが窺える。

「クロノ君、公園でも見たけど、この子たちって…」

「近くに居る人間を攻撃するだけの、ただの機械だよ」

傀儡兵が一歩踏み出し、なのはたちを排除しようと動き出す。

「そっか、なら安心だ」

「この程度の相手に、無駄弾は必要ないよ」

 どこかほっとした表情でレイジングハートを構えようとしたなのはを、クロノが右手で制した。

「──えっ?」

 疑問の表情を作るなのはに対し、クロノが己のデバイスを傀儡兵へ向けようとして──

「待たれよ執務官殿」

 更にマタドールがそれを止めた。

「敵陣を突破し目的目標を押さえるには、無駄な魔力消費は極力避けるべきであろう? ここは私にお任せ願おう」

 そう言いながら、三人の前に出る。

「しかし、どうやって?」

「御照覧いただこうか。先程取り込んだジュエルシードの力を」

 クロノの疑問に答えながら、マタドールは傀儡兵に向かってゆるりと歩み出す。

 同時に、彼の接近を感知した傀儡兵たちが得物を構え、目標を取り囲もうと動き始めた。

 魔人はそれに構う事無く足を踏み出す。朗々と召喚の呪を紡ぎながら。




 ──秋の日のヴィオロンの 溜息の身にしみてうら悲し。




 ──鐘の音に胸ふたぎ色かへて 涙ぐむ過ぎし日のおもひでや。




 ──げにわれはうらぶれてここかしこ さだめなくとび散らふ落葉かな。




 傀儡兵に包囲されると同時に、呪は完成を迎えた。

「あれ…楽譜?」

 同時に、なのはたちの目に映ったのは、マタドールの前方、数メートル先の地面に浮かび上がったサークル状の特殊な楽譜──円形楽譜であった。

 その円形楽譜の形を取った魔法陣より噴き上げるマガツヒの赤光が、周囲を紅く照らし、サークルの中心に新たなヒトガタを生み出す。

「フフフ…この最高の舞台で私の演奏を披露できるとは…楽師として、無上の喜び」

 空中に散華するマガツヒの中より現れ出でたのは、羽付きの赤いベレー帽とシャツ、紅白縞の半ズボンという、道化師の様な出で立ちの髑髏。

その左手には、深い飴色に輝くヴァイオリンが握られていた。

「紳士淑女の皆々様、お初にお目にかかります。私は魔人デイビット。しがないヴァイオリン弾きにございます」

 弦を弾く弓を持ったままの右手を胸に当てると、なのはたちへ向けて楽師の魔人は恭しく頭を垂れる。

令示マタドール』が唱えたのは一八六六年、ポール・ヴェルレーヌが発表した詩、『秋の歌』の邦訳だ。

 デイビットを召喚するモチベーションを高める為、何か良い呪文の代わりになるものはないかと図書館のインターネットコーナーで検索して

いた時に発見したのだ。

 秋の日耳に響いたヴィオロン──即ちヴァイオリンの音色によって哀しい記憶に囚われて帰らぬ過去に想いを馳せ、今の自分の零落ぶりに、

まるで風に吹き散らされる落ち葉のようだと嘆く詩文である。

 過去の妄執に憑かれたプレシアを相手取る魔人を召喚するに相応しい呪文であると言えた。

「──っ!? 危ない!」

 だが、優雅に挨拶をするデイビットの背後、彼へと近付く傀儡兵を目にしたなのはが叫びを上げた。

 意識も感情も持ち合わせぬ傀儡兵が、デイビットの口上など知った事かと言わんばかりに、大上段に構えた戦斧を彼目がけ振り下ろした。

「──おやおや、せっかちなお客人だ。楽師の弁など面白いものではありませんが、そう急くものではありませんよ?」

 だが、デイビットは余裕を滲ませた声色のまま、ふわりと前方へ跳躍して巨兵の轟撃を軽く躱した。

 攻撃を回避された事に、デイビットに対する危険の認識を改めたのであろう。他の傀儡兵も連動し、新たな魔人を殲滅せんと動き出す。

「ほう、退屈な口上はもう要らぬようですな。なればお望み通り、我が奏曲をご堪能いただこうか!」

 魔人は軽く笑い、弓をバイオリンの弦へ当てる。

 傀儡兵たちの中心で、デイビットは緩やかな、しかし滑らかな動作で優雅に舞い踊りながら傀儡兵たちの攻撃を悉く躱し、バイオリンを奏で始めた。

 巨兵たちの狭間で鳴り響く音楽は、体の芯にまで届くような勇壮さを感じさせ、聞く者の心を奮い立たせるような響きがあった。その曲名は

なのはも知らないが、テレビなどでよく耳にするものだ。

 そしてその刹那──

「なっ!?」

「えっ!?」

 デイビットを中心に銀色の旋風が巻き起こり、驚くなのはたちを尻目に四方八方へと閃光が走った。

 次の瞬間には、デイビットを取り囲んでいた傀儡兵たちの次々と腕を断たれ、頭部が砕け、胴体が泣き別れとなり次々と崩れ落ち、地へと伏した。

「──リヒャルト・ワーグナー作曲、『ニ―ベルンゲンの指輪』より『Ritt der Walkürenヴァルキューレの騎行』…」

 吹き抜けた銀色の魔風が、弓を止める事無く呟く楽師の元へと舞い戻り、地面へと降り立つ。

 デイビットを守るかのように彼の周囲に現れた疾風の正体は、赤駒に跨り白銀の戦装束に身を包む美しくも凛々しい、九騎の金髪の麗人たちだった。

「さあ、今宵も美しく舞いなさい。私の戦乙女ヴァルキューレたち」

『Jawohl!』(了解!)

 タクトのように弓を振るうデイビットの声に応じ、麗人たちは両手に握る双剣を構えると、彼女らが跨る赤毛の馬も高らかに嘶きを上げて飛

び立ち、傀儡兵へと踊りかかった。








(上手くいったか…)

 傀儡兵たちへと襲いかかるヴァルキューレ──悪魔ヴァルキリーたちを目にしながら、『令示デイビット』は内心で安堵の息を漏らす。

『ハーメルンのバイオリン弾き』よろしく、デイビットの奏でる魔曲を召喚魔法サバトマのように使えないかと考えていたのだ。
  
 が、別に漫画の真似だけでイメージを働かせて、当てずっぽうにやった訳ではない。大僧正の真言魔術と同様に、キチンとした裏付けの下に行っている。

 ──そもそも、歌や踊り、音楽といったものは神代の時代から神魔と縁が深い。

 天岩戸の前で裸身となり、神楽を舞ったアメノウズメ然り。

 タルタロスの番犬、魔獣ケルベロスを竪琴の音色で手懐けたオルフェウス然り。

「真・女神転生ストレンジジャーニ―」の中でも、歌で悪魔を苦しめる呪歌と言うべきものも存在した。

 ましてや、アマラ深界に通じ、稀代のヴァイオリン──魔器ストラディバリを擁する音楽の魔人たるデイビットと化した令示であれば、出来ない筈がない。

 とは言え、対魔人用の傀儡兵の数はまだまだこんなものではないだろう。

「拙僧も負けてはおれぬな」

令示大僧正』もなのはたちの前に出ると、印を組んで呪を紡ぎ出す。

「ナウマク・サマンダボダナン・エンマヤ・ソワカ──閻魔天、鬼軍招来!」

 発せられた地獄の支配者、閻魔大王の真言に応じ、『令示大僧正』の前に渦巻く火炎が立ち昇り、幾つもの巨大な異形が顕現する。

「召喚に応じ、馳せ参じました」

「おう! 獲物は何処だ!?」

 馬頭の巨人が恭しく頭を垂れ、牛頭の巨人が豪快に大声を上げる。

 地獄の獄卒、馬頭鬼メズキ牛頭鬼ゴズキだ。

「御苦労。敵はあの魂無き傀儡共じゃ──エン!」

 更に閻魔天の種子を唱えると、彼ら二人の背後に赤い肌の巨漢──十数体の鬼たちが召喚される。

「防御陣を喰い破り、血路を開け! 突撃!」

『ヴォォォォォォォォォォッ!!』

 牛頭馬頭を先頭にして、鬼たちが雄叫びを上げて傀儡兵の軍団へと突っ込んでいく。

 しかし狙いは彼らではない。その後ろ──時の庭園内部へと続く大門。

 進路上に居る傀儡兵たちを撃ち壊し、それぞれが手にする槍、戦斧、鉄棒が大門へと叩きつけられ粉砕される。

 轟音とともに粉塵が舞い上がる。

「今だ! 行くぞ!」

 エスパーダの切っ先を正面へと突きつけ、『マタドールマタドール』は声を上げ、生じた突破口へ向けて駆け出す。

「はい!」

「あっ! 待って!」

「こら! 勝手に行くな!」

 その後を追い、なのは、ユーノ、クロノが続く。

 砕けた大門をくぐり城内へと侵入した途端、粉塵を割って姿を現した傀儡兵が、大剣を振り上げ襲いかかって来た。

「──ぬるい」

令示マタドール』はその呟きとともに地を蹴り跳躍。瞬時に傀儡兵との間合いを踏破

し、エスパーダを二度、三度と斬り返してその巨体を三つに分断。
 
 着地と同時に『令示マタドール』が血振りを行うと、その背後で斬られた傀儡兵が爆散する。

「駆け抜けろ! 先は長いぞ!」

 煙を割って後に付いて来たなのはたちへ振り返り、声をかけながら通路を走る。

「マタドール! あちこちから増援が来てるよ!?」

 ユーノの言う通り、周囲へ目をやれば長い通路の柱の影や脇道から次々と傀儡兵たちが姿を現す。

「この先で待ち構えるであろう者たちと合わせ、挟撃にして我らを数ですり潰すつもりだろう」

 おそらくは、城内に製造プラントがあるのだろう。

「だが問題は無い。我らがこの通路を通り過ぎた後に、大僧正とデイビットが悪魔を率いて防壁陣を築く手筈になっている」

「それで挟撃を防ぐという訳か…ところでマタドール、ヘルズエンジェルはどうしたんだ?」

令示マタドール』の横に並んだクロノが、返事をしながらそう尋ねてきた。

「──別件でアースラに待機中だ」








 ──アースラ内の医務室。

 ベットに横たわったフェイトの虚ろな表情に変化はなく、アルフはその脇で沈痛な面持ちのまま彼女の事を見守っていた。

 彼女たちの背後の壁にはモニターがあり、そこでは庭園内の戦闘が映されていた。

「あの子たちが心配だから、あたしもちょっと手伝って来るね? …すぐ戻って来るから。それで、全部終わったら……ゆっくりでいいから、

あたしの好きな本当のフェイトに戻ってね。これからはフェイトの時間は、フェイトが自由に使っていいんだから」

 アルフはそう言って優しくフェイトの髪を撫でると、部屋を飛び出して行った。

「…………」

 一人残され天井を見つめる彼女の脳裏で、先程のプレシアの言動がぐるぐるとリフレインする。

「母さんは私の事なんか一度も見てくれなかった。

 母さんが会いたかったのはアリシアで…私はただの…失敗作。私…生まれて来ちゃ、いけなかったのかな…?」




 一人で、どの位考えていたのであろうか。何気なしにゆっくりとモニターへ目をやれば、なのはたちに合流するアルフの姿が映る。




「──アルフ。それに、この娘…タカマチナノハ…」

 ゆっくりと身を起こしながらモニターを見続けるフェイト。

「何度ぶつかって…私、酷い事したのに、私は名前もちゃんと呼んでいないのに…話しかけてくれて、私の名前を呼んでくれた…何度も、何度も…」

 幾つものなのはとの邂逅を振り返り、フェイトはその暖かさに涙を滲ませた。

 その時、部屋の片隅でバルディッシュが光を放ち、主に呼びかけた。

「バルディッシュ…」

 ベットを降りてゆっくりと歩み寄ったフェイトはそっと両掌にとった己のデバイスに語りかける。

「私の、私たちの全ては、まだ始まってもいない…」

 掌中で閃光が生まれ、待機状態からデバイスモードへと変じるバルディッシュ。

 しかし、その全身には罅が走り、フレームは歪み、正しく満身創痍と言うが如き姿であった。

 だが、バルデッシュはコアを明滅させながらもギシギシ金切り音を響かせながら己が身を変形させ、戦斧形態へと変化させる。

『──get set』

 いつでも行ける。そう主へと語りかける。

「…っ!? そうだよね…バルディッシュも、ずっと私の傍に居てくれたんだものね…」

 愚直なまでに主を気遣う己が魔杖の優しさに、溢れ出た涙がフェイトの頬を伝い、零れ落ちる。

「お前もこのまま終わるのなんて、嫌だよね…?」

『yes sir』

 唇を真一文に結び、心を切り替えたフェイトは、掲げたバルディッシュを振り下ろし、青眼に構える。

「上手く出来るかわからないけど…一緒に頑張ろう」

 フェイトはそのままの姿勢で目を瞑り、己が己が双掌より光を──魔力を生み出し魔杖へと流し込んでいく。

 バルディッシュがフェイトの魔力光に包まれ、閃光を発した次の瞬間──

『Recovery complete.』

 光が消え、傷一つ無く元通りに修復したバルデッシュが、高らかにそう宣言した。

「私たちの全ては、まだ始まってもいない…」

 バルデッシュを握り締め、呟くフェイトの肩に中空に生みだしたマントが巻き付き、身に着けていた衣服が光とともに消え失せ、バリアジャ

ケットへと変ずる。

「だから…『本当の自分を始める為に』──今までの自分を終わらせよう…!」

 生気を取り戻した少女は、決意を新たに中空を見据え、己が覚悟を口にしたその時──

「よう、やっと目を覚ましたかい。お姫様」

「っ!? ヘルズエンジェル!?」

 突然背後からかかった声に驚き振り返ったフェイトの目に、部屋の入り口に腕を組んで寄り掛かるライダースーツの魔人の姿が飛び込んで来た。

「どうしてここに…?」

 マタドールたちと一緒に居るものだと思っていたフェイトは、疑問を口にする。

「はっ! 決まってるだろう? 寝ぼすけのお姫様を送り届ける為に待っていたんだよ」

 そう言いながらヘルズエンジェルがドアを開き廊下へと出ると、彼の愛車ハーレーが響き渡る重低音のエグゾーストノイズの猛りとともに、

フェイトを出迎える。

 魔人はそのままひらりとバイクに跨ると、親指で後部のタンデムシートを指し示す。

「行くんだろ? お袋さんの所へ。乗りな」

「えっ…でも」

 その提案に驚き、戸惑いの表情を浮かべたフェイトに、ヘルズエンジェルは軽く笑いながら言葉を続ける。

「いいから乗って行け。さっきの決闘のダメージだって回復し切っていねえんだろ?」

「う……それじゃ、お願いします」

 数秒程思案した後、フェイトは遠慮がちにハーレーのタンデムシートへ跨り、ヘルズエンジェルの背をおずおずと掴んだ。

「遠慮すんな。そもそもだ──お姫様シンデレラをお城に連れていくのは、御者ライダーーの役目だぜ!」

 叫びとともに握り込んだグリップに応じ、発せられる鋼鉄の咆哮。

 それを合図にして、ハーレーは風を巻きアースラの通路を走り出した。

『何やってるのヘルズエンジェルさん!? アースラの中でバイクなんか乗って!!』

 疾走するハーレーの爆音と魔力を、ブリッジで感知したのであろう。バイクと並走する形でエイミィがヘルズエンジェル達の横に空間モニター

を展開し、どアップで声を上げた。

「硬ぇ事言うなよ、エイミィ嬢ちゃん! これから時の庭園に乗り込むんだぜ? こういうのはなぁ、『ノリ』が大事なんだよ!」

 通路上の直角を、壁を走る事でスピードを落とさず曲がり切り、ヘルズエンジェルは雄叫びを上げる。

「YA-------HA--------!! この調子でハンガーデッキまで突っ込むぞ! しっかり掴まってなベイビー!」

「は、はいっ!」

 軽快な口調にやや辟易しながらも、服を掴むだけの体勢からしっかりと己の体に抱きつき返事をするフェイトを横目にして、魔人は、軽く笑

ってエイミィへ語りかける。

「エイミィ嬢ちゃん、俺たちゃこのまま転送ポートに乗るぜ。時の庭園までの道を作ってくれ」

『ええっ!? 急にそんな事言われても──』

「早くしてくれよ。このままじゃ部屋の壁ぶち破ってアースラの風通りが良くなっちまうぜ?」

『ちょっ!? ちょっと待ってーー!?』

 ヘルズエンジェルのからかう様な声に、慌ててコンソールを叩き出すエイミィ。

 その直後、二人の乗るハーレーがハンガーに到着すると転送ポート目がけ一直線に疾駆し、跳躍。

 空中で弧を描いて転送ポートの真上へとさしかかり、そのままハンガーの壁面に衝突するかと思われた刹那──

『座標固定完了! 転送開始!』

 エイミィの声が響き、転送ポートから伸びた光がヘルズエンジェル達を包み込んだ。

『ま、間に合った…』

 アースラから転移する直前、彼女の疲れ切った呟きが二人の耳に届いた。








「グォォォォォォォォッ!!」

 鬼が咆哮を上げ、大上段に構えた鉄棒を傀儡兵へと叩きつける。

 人外の膂力によって振り下ろされた鉄塊は、傀儡兵の頭を粉砕し、胴体の半ばまでめり込んだところでようやく動きを止めた。

「消え失せろ!」

 鬼が叫びとともに前蹴りを放ち、残骸と化した傀儡兵を前方より迫る新たな一段へ向かって吹き飛ばした。

 何体かの傀儡兵はその残骸の飛礫を浴びて動きを止めるが、その間隙を縫うその他の敵機は得物を振り上げ、スキを見せた鬼へと襲いかかって来る。

「やば──」

「憤!」

 が、横から現れ立ちはだかった牛頭鬼が、手にした戦斧を横一線に薙ぎ払い傀儡兵の一団を斬り飛ばす。

「Marsch!」(行進!)

『Jawohl!』(了解!)

 それに続いて、天馬を駆って宙を舞うヴァルキリーたちが双剣を振るってすぐさまそのサポートに入り、リーダ格の一人の指示で数人が傀儡

兵たちへ空襲をしかけ、これを押し返した。

「援護します。牛頭鬼殿」

「すまねえ、恩に着るぜ嬢ちゃんたち。──気を付けろ! 相手は雑魚だが数が多い、油断していると囲まれて殺されるぞ!」

「へ、へい…すいやせん、姉御方、牛頭鬼の兄貴…」

 申し訳なさそうに鬼が頭を下げた。

「しかし、本当に多いですね。十や二十程度ならどうという事はありませんが、このままでは数に飲み込まれます」

 横で槍を振るう馬頭鬼がぼやきを漏らした。

 ──時の庭園。入り口の大門内部通路の突き当たり、第二の門。

 大僧正とデイビットはこの内門で防御陣を敷き、後方から次々と現れる傀儡兵の迎撃を行っていた。

 先行しているなのはたちの後ろを守り、大軍による挟撃を防ぐ為に殿の役目を負い、大僧正率いる牛頭馬頭と鬼たちが壁となって門の前に立

ちはだかり、デイビット率いるヴァルキリーたちが遊撃隊となって門の周辺に集まっているものや、飛行型の傀儡兵を討ち取るという役割分担

で、効率よく撃破をしているものの、倒しても倒しても雲霞の如く湧き上がる敵の集団に、流石の悪魔たちも些か疲れの色が見え始めていた。

 このままではジリ貧だと、悪魔たちが考え始めた。

「鬼軍、左右へ散開! 敵には構わず移動せよ!」

「遊撃隊もです! 上空へ退避!」

 ──その時、突然二人の召喚者サマナーが命令を発した。

「防衛線を突破されますぞ? よろしいのですか?」

「よい。愚図愚図していると巻き込まれるぞ!」

(巻き込まれる?)

 馬頭鬼はそう進言するが、答えながら退避を開始する大僧正を見て、疑問に思いながらもその命に従った。

 刹那──




「──Lucifer's Hammer」(──悪魔の鉄槌)




 風に乗ったその呟きが悪魔たちの耳にハッキリと届き、通路の後方──入り口の大門より鼓膜をつんざくような轟音が鳴り響く。

『っ!?』

 慌ててその方向へと目をやれば、通路を埋め尽くす程溢れ返っていた傀儡兵たちが、後方より次々と吹き飛ばされて宙に舞い、爆発四散していく。

「YA-------HA-------!!」

 戦車が障害物を踏み潰して突き進むように。

 無人の野を行く騎馬のように。

 炎の双輪が唸りを上げる鋼鉄の妖車を駆る魔人が傀儡兵たちを蹂躙し、ウォークライを上げながら内門へと向かって突っ込んで来る。

「──よう! お姫様をお連れしたぜ!」

 妖車の騎手──ヘルズエンジェルは他の二人の魔人の前でハーレーを止めると右手を上げて挨拶をする。

 その後ろには、戸惑いの表情で鬼たちやヴァルキリーたちを見る少女、フェイトの姿もあった。

「うむ。本命が来た以上、早々にここは引き払い攻勢へと転じよう。早くフェイト殿を御母堂の元へ」

「OK! 先に行ってるぜ!」

 大僧正の言葉にヘルズエンジェルが頷くと、再び爆音を張り上げ、ハーレーを発進させた。

「さて…大半は今の一撃で消し飛んだようですが、いくらか生き残りがいるようですね」

 通路の先を眺めながらデイビットが呟く。

 彼の言う通り、ヘルズエンジェルの攻撃を避けた傀儡兵たちがこちらへと迫って来ていた。

「最後に一当てし、ヘルズエンジェル達の後を追うとするか…」

「ならばこの場は私が。飛行する者は厄介、優先的に討っておきましょう」

 迫り来る傀儡兵たちの前に立ち、デイビットが弓を向ける。

「さあ、カーテンコールです! お受けなさい、ヴァルキュリア!」

 その命に従い、ヴァルキリーたちが再び宙を舞う。








 背後の防御を二人の魔人と、それに従う悪魔たちに任せたマタドールたちは、通路上に展開された傀儡兵たちの防御陣を突破し、突き進む。

「っ!? 次の広間の入り口だ!」

「あのホールの先の部屋から下層に行けるよ! プレシアは最下層に居る筈だ!」

 走りながら、視線の先に捉えた新たな門を指差したユーノに、隣を走る狼形態のアルフが捕捉説明を行う。

「ならばここが、彼女にとっても防御の要になる訳か…君たちは離れて! 扉の裏の敵ごと吹き飛ばす!」

 クロノが声を上げ、腰溜めに構えたS2Uを前方へ突き出す。

『Blaze Cannon』

 デバイスの先端から放たれた青白い魔力の砲撃が瞬時に門を粉砕し、クロノの宣言通りにその後ろに居た傀儡兵たちの何体かを巻き込み、扉

内部の反対方向にある壁面までその残骸を吹き飛ばした。

 砕かれた門から一行が内部へ侵入すれば、そこは円筒状の構造をした空間だった。

 壁面に設置された螺旋階段が、遥か上層部まで伸びている。

 そして、クロノの予想通り、部屋を埋め尽くす大量の傀儡兵の群れが、一斉に侵入者たちへと目を向けた。

 同時に、上空から飛行型の傀儡兵の一団が翼をはためかせ、強襲を仕掛けてくる。

「やらせるか! チェーンバインド!!」

 なのはたちの前に出たユーノが魔法を展開、彼の足元の魔法陣から縦横に緑色の魔力光で紡がれた鎖が伸び、空襲をしかけてきた傀儡兵たち

を次々と縛り上げ、その場に釘づけにした。

 しかし、縛鎖を躱した一体が宙を滑り、ユーノに向かって剣を振り上げ迫る。

 その時、ユーノの脇を橙狼が駆け抜ける。

「ガァァァァァァァッ!」

 大気を震わす咆哮を放ち、バインドの戒めを逃れた傀儡兵へ飛びかかるアルフ。

 魔獣のあぎとがまるで紙細工のように傀儡兵の頭を容易く噛み千切り、アルフは相手の体を足場にして再び跳躍。

 巨狼と思えぬ、猫科の禽獣の如きしなやかな身のこなしで着地すると、咥えたままであった傀儡兵の頭部を放り投げた。

 それと同時に、頭を失った傀儡兵が小刻みに震えて爆発。

 だが敵は機械の群れ。恐れも迷いも存在しない傀儡兵たちは爆炎を突き破り、大剣を振り上げ突出したアルフへ殺到する。皮肉にも、彼女が

倒した相手の爆炎が目眩ましとなってしまったのだ。

「ッ!?」

 アルフが身を強張らせ、相手の攻撃に耐えようとする。しかしその時──

『Divine Shooter』

『Stinger Snipe』

 彼女の左右より、無数の桜色の魔弾と長い尾を引く水色の魔弾が脇を抜けて閃いた。

 強襲をしかけた飛行型傀儡兵たちは、あるものは桜色の魔弾の釣瓶撃ちによって撃墜され、またあるものは貫通性に特化した水色の魔弾によ

ってその中枢部を纏めて穿たれ、その活動を停止する。

「大丈夫!? アルフさん!」

「一人で前に出過ぎるな! 狙い撃ちにされるぞ!」

 なのはとクロノ、二人の魔導師がアルフをカバーするように前へ出て来た。

「悪いね二人とも、助かったよ!」

 礼を言いながら、アルフも二人とともに並び立つ。

 そこへ陸戦型の傀儡兵たちが三人を囲む包囲網を敷き、大盾を前面に構えながらジリジリとにじり寄って来る。

「っ! 来るぞっ!」

 振り上げられた幾本ものハルバードを目にして、クロノが警戒の叫びを上げた。

 だがその時──




「──風に舞え。赤のカポーテ!」




 呟きとともに濃緑と朱色、双色の尾を引く一陣の旋風が三人の周囲を駆け抜けた。

 その刹那、なのはたちを取り囲んでいた傀儡兵たちが次々と

 大盾を両断され──

 ハルバードを打ち砕かれ──

 その身の装甲ごと、縦に横に斜めに両断されその場に崩れ落ちていく。

「私を忘れてもらっては困るな。血沸き肉踊る狂乱のカルナバルこそ、闘牛士の見せ場ではないか!」

 旋風の正体──マタドールは半身の構えでなのはたちの前に立ち、貴婦人を誘うが如き優雅な動作で、エスパーダの切っ先を傀儡兵の一団へと向けた。

 ──赤のカポーテ。

 素早さを大幅に上昇させ命中率と回避率を底上げする技である。

 正確無比にして疾風の如きマタドールの斬撃は、この技能によって更にその鋭さを増し、最早閃光と呼ぶにふさわしいレベルにまで引き上げ

られたのだ。

「この身にも大分馴染んだ。故に、どれだけ動けるか試させてもらおう!」

 叫びと同時に、マタドールが地を蹴り陸戦型傀儡兵への軍団目がけ、一人駆け出す。

 直後、彼の体が驚異的速度によって、マタドールの後に付いて走る残像が生まれる。

「行くぞ!」

 先頭を走る本体の声を合図に、同時に散開する魔人とともに二つの残像が正面に立つ傀儡兵たちへと迫り──すれ違い様に三条の銀線が閃いた。

 それぞれ袈裟懸け、唐竹、逆袈裟の軌道で断ち斬られた三体の陸戦型傀儡兵が、ガラガラと耳障りな音を立てて地に伏す。

「偽・残像剣!」

 傀儡兵たちの背後へ駆け抜けたマタドールがその言葉を発すると同時に、彼の残像が消え、崩れ落ちた敵機の残骸が衝撃と閃光を放ち、爆炎を

巻き上げた。

 ──偽・残像剣。

 元となっているのは、令示の生前の記憶に有ったTVゲーム「ロマンシング サ・ガ3」で使われていた「残像剣」と言う名の剣技である。

 令示はそれを魔人の身体能力に物を言わせ、力技で無理矢理再現したのだ。

「地に居る敵兵は私が引き受ける。貴公らは上空よりの攻撃に対処せよ!」

 燃え立つ炎に照らされ、茜色に染まる体をなのはたちへと向け、マタドールが口を開いた。

「うん!」

「わかった!」

「任せるよ!」

 その言葉に頷きながら、三人は飛行魔法を展開して上層部より次々と舞い降りてくる傀儡兵たちの迎撃へと身を投じた。




「てええいっ!」

 飛行型が滑空しながら突き出してきた大剣を体を斜にして躱したクロノは、気合いとともに空を切って飛びS2Uを相手の頭部へ叩きつけた。

『Break Impulse』

 デバイスの音声と同時にその先端より生じた振動波が、傀儡兵内部の駆動機関を徹底的に破砕する。

 関節部より白煙を噴き出して落ちていく敵機から跳び退き、壁面の階段へ着地するクロノ。そこへ、増援の飛行型傀儡兵三体が攻め寄せて来る。

(くそっ…! まるで虫の大群だ、キリがない!)

 S2Uを構え直し、内心で苛立たしげに毒を吐きながら、クロノは膝を沈め再び飛行魔法で飛び立とうとする。

「させないよ!」

「!?」

 クロノが床を蹴ろうとするのと同時に声が響く。

 それに応じて緑色の魔力鎖が数条、クロノに向かっていた傀儡兵たちへ絡みつき、その体を締め上げた。

「クロノ! 今の内に!」

 階下より、飛行魔法でユーノが顔を覗かせる。

「わかった!」

 その声に応じて、クロノは緊縛された傀儡兵へと魔杖を向ける。

『Stinger Ray』

 連続して発射された三つの魔弾は、身動きの取れぬ傀儡兵たちの胸部──動力部の核を精確に撃ち抜き、仕留めた。

「よし、次!」

 クロノにとどめを刺された敵機の停止を確認すると、ユーノはその残骸の戒めを解放し、他の三人の戦域へ向かおうとする他の傀儡兵たちへ、

新たな魔力鎖を走らせる。

 アシストと言うポジションの為、前線の魔導師のような華やかさこそないが、この場で一番活躍してるのは間違いなくユーノであった。

 戦闘と言う点でこそなのはに劣るが、援護、防御と言う点に関しては一流であり、魔導師としてのベクトルこそ異なるがユーノもまた、なの

はやフェイトと比肩しうる才能の持ち主なのである。




 しかし──




 ユーノは苦しげな声を漏らしながら、新たに飛来した数体の傀儡兵をチェーンバインドで拘束する。

 現在、ユーノが捕縛している傀儡兵は計十八体。

 他の四人が隙を見て破壊してくれてはいるものの、それを上回るペースで現れる敵の増援に、流石に疲労の色が隠し切れなくなっていた。

 ──無理もない事だった。ユーノはマルチタスクを駆使して、戦いの空間を俯瞰で捉えつつ数十条のチェーンバインドを同時展開、操作、維

持して頭上を飛び交う厄介な飛行型傀儡兵を拘束し、かつ、隙を見て他の四人に襲いかかる敵機を止め、締め上げるという、この大量の敵で犇

めく場所にあって、なくてはならない「要」ともいうべき役目を負う事となり、その疲労は他の四人に比べて頭一つ抜きん出ていたのである。




 そしてそれは──




「っ!? マズイ!!」




 集中力の低下による、魔力鎖の構成に甘さが生じる結果となった。

 バインドによる拘束を力尽くで破った飛行型の一体が、手にした大剣を大上段に振り上げ、なのは目がけて飛翔していく。

「なのは! 逃げて!」

「え──」

 ユーノの声に驚き、後ろを振り返ったなのはであったが、魔法を放った直後で対処を行えず、見開いた両目で迫り来る傀儡兵をみつめたまま、

完全に硬直していた。

「クッ! 今行くよ!」

「待て!」

 四肢に力を込め、なのはを助けるべく駆け出そうとしたアルフを、マタドールが右手で制した。

「何で止めるんだい!?」

「問題無い。たった今援軍が到着した──行けい! ヘルズエンジェル!!」

「YA--------HA--------!!」

 マタドールが、アルフの抗議に涼しい顔で答えた刹那、轟音とともに壁をぶち抜いて雄叫びを上げる黒い塊が、なのはの元へ向かおうとして

いた傀儡兵に体当たりを仕掛け、そのまま反対側の壁面へ叩きつけてプレスする。




「Good night, junk bastard!」(おねんねしな、ガラクタ野郎!)

 黒い塊──妖車に跨るヘルズエンジェルが、嘲りを込めた言葉を吐きながらグリップを握り込むと、炎の双輪が唸りを上げてギャリギャリと

傀儡兵の装甲を焼潰す。

 突如現れた思いもよらぬ援軍に、意思を持たぬ傀儡兵たちと、ヘルズエンジェルと意識を共有するマタドール以外の四人は驚きの表情を浮かべる。

 だが、当のヘルズエンジェルは呆気に取られるなのはたちに構う事無く、背面のタンデムシートへ顔を向けて口を開く。

「Let's your turn Princess! Please let cool boogie!」(アンタの出番だぜ、お姫様! イカしたブギを聞かせてくれ!)

「──はい!」

 返事を発して、タンデムシートより飛び立つ小さな人影。

 舞うかの如く宙で体を捻り、黒いマントを双翼のように風に靡かせるは黒い魔導師──フェイト・テスタロッサ。

『Thunder rage』

 バルデッシュの声とともに、フェイトは中空で魔法陣を展開。

 そこを中心にして放射状に雷が発生し、八方の傀儡兵たちが魔雷の蔦に捕われていく。

「サンダァッ……レイジッ!」
 
 気合一閃。

 フェイトが己の魔杖を足元の魔法陣に突き立てると轟音が空気を震わせて、勢いを増した幾条もの稲妻が全方位を舐め尽くし、三〇体以上は

居るであろう傀儡兵たちを撃ち抜いて、悉く爆散させていく。

「フェイト…?」

 突如現れた己の主を見つめ、アルフが呆けたような声を漏らした。

 フェイトはバルデッシュのフレームに溜まった熱気を排出すると、眼下のなのはの元へと滑空しその目前へと立つ。

「…………」

「…………」

 何を口にすべきか互いに考え思い悩んでいるのか、しばし二人は無言で向き合う。

「…あ ──っ!?」

 それでも、その想いをなのはが口にしようとした瞬間、耳に叩きつけるような破砕音とともに壁面が崩れ、なのはたちが相手にしてきた傀儡

兵のゆうに三倍はありそうな巨大な敵機が、空に浮かぶ二人を捉える。

「大型だ。防御が硬い」

「うん、それにあの背中の…」

 新たに現れた巨大傀儡兵が両肩に搭載された巨大な二門の大砲を向けるのを見下ろしながら口にしたフェイトの言葉に、なのはが警戒を孕む

固い表情で頷いた。

「だけど…、二人でなら──」

「えっ? ──…うん、うんっ、うんっ!」

 チラリと自分を見ながら紡がれたその声に、一瞬浮かべた呆けた表情をすぐに崩して満面の笑みにへと変え、なのはは何度も頷きを返した。

「行くよ、バルディッシュ…!」

『get set』

 フェイトが後方へと飛び、戦斧から魔杖形態に移行したバルデッシュを巨大傀儡兵へと向ける。

「こっちもだよ、レイジングハート!」

『stand by ready』

 なのはもまた身を捻って己の相棒を構え、語りかける。

 巨大傀儡兵の二門一対の双砲に魔力が収束していくの同時に、二人の魔導師も足元に魔法陣を展開し、二つの魔杖の先端にも魔力の光が灯る。

 双方が魔砲を放たんとするその最中──

「っ!? また増援だ!」

「危ないっ! フェイト!」

 クロノとアルフが、上層部から再び飛来する二機の飛行型傀儡兵を捉え、警戒の声を上げる。

「っ!?」

「クッ…!」

 なのはとフェイトもそれを視認するが、砲撃魔法の発動寸前となっている二人は身動きが取れず、襲い来る敵機を見つめる事しか出来ない。




 傀儡兵の凶刃が、二人に迫る。しかし──




「──necio. Por favor, no le quitan la diversión」(愚か者。興を削ぐな)




 右の傀儡兵は、地より跳んだ魔人の侮蔑の言葉とともに一刀の元に斬り伏せられ──




「──Read the vibes」(空気読めっつーの)




 残る左も、壁面より唸りを上げて飛来した魔人の嘲りとともに妖車に粉砕された──




「やっちまえ Baby!」

「うんっ!」

「はい…!」

 ヘルズエンジェルがなのはとフェイトにサムズアップを送ると二人は大きく頷き、眼前の敵機に意識を集中する。

「サンダー…」

 トリガーワードを唱えながらフェイトは大きく振りかぶり、左の手の甲に浮かんだミッド式魔法陣を空に投げた。

 拡大した魔法陣が空中で停止し、そこへフェイトが空を駆りバルデッシュを突き立てる。

「スマッシャー!!」

 空気を震わす咆哮を伴い、金雷の魔砲が巨兵へと向かって撃ち出された。

 同時に、巨大傀儡兵の双砲も衝撃とともに射出。二者の砲撃が正面からぶつかって鎬を削り合う。

 だが、フェイトの魔法は相手より威力が劣るのか、徐々に押され始める。しかし──

「ディバイーン…」

 そこに桜色の魔環を三重に纏ったデバイスを、巨兵へと突きつける白き魔導師が立つ。

「バスター!!」

 フェイトの横より放たれた桜色の魔砲が、金雷の砲撃と混じり合い巨兵の砲撃を押し返していく。

「「せーーーのっ!!」」

 威力で逆転した二人は掛け声を合わせ、己の魔杖へ更なる魔力を送り込み、魔法の威力を増大させる。

 勢いを増した桜雷の二色の砲撃は、巨兵を抵抗すらさせず一気に飲み込み、塔の壁面をも撃ち抜いて相手を完全消滅させた。

 砲撃魔法によって生じた熱をデバイスから放出しながら、二人はゆっくりと塔の底部へ降り立った。

「フェイトちゃん…」

「ん…」

 小さく呟き見つめ合う二人。互いに万感の思いを抱き、微笑みを浮かべた。

「フェイト…! フェイトぉっ!!」

 と、そこへ上ずった声を上げたアルフが人型へと変じて駆け寄り、フェイトにしがみ付き泣きじゃくる。

「アルフ…心配かけてごめんね。ちゃんと自分で終わらせて、それから始めるよ。本当の私を…」

「うん…うんっ…!」

 涙流しながら主の言葉に頷くアルフ。

 なのははそれを暖かい目で見守っていた。

「みんな!」

 そこへ、クロノが部屋の奥の扉を見ながら声を上げた。

「ここから先は二手に別れる! なのは、ユーノ、君たちはこの先のエレベーターから駆動炉へ向かって、その停止を頼む!」

「うん!」

「わかったよ! クロノ君はどうするの?」

「当初の予定通り、下層部のプレシアの元へ行く。フェイト・テスタロッサ、アルフ、君たちもそうだろう?」

 なのはの問いに答えながら、クロノがフェイトたちの方を向く。

「はい。私も、母さんに会わなくちゃ、言わなきゃいけない事があるから…」

「フェイトが行くなら、私もついて行くよ」

「よし。──君たちはどうするんだ?」

 フェイトたちの言葉に頷き、クロノは残る二人、マタドールとヘルズエンジェルに問いかけた。

「俺の役目はお嬢ちゃんをお袋さんの所に届ける事だからな。最後までついて行くぜ?」

「なれば私は、なのはとユーノを手伝うとしよう。こちらが片付き次第、執務官殿たちの援護へ向う」

「──決まりだな。時間ももう少ない。各自、最善の尽くしてくれ!」

 クロノの言葉に、全員が力強く頷き、全員が動き出そうとした、その時──

「フェイトちゃん!」

 なのはの呼びかけにフェイトがその足を止め、振り向いた。

「…フェイトちゃんはお母さんの所に行くんだよね…?」

 フェイトの目を見つめながら、なのはは改めて彼女にそう問いかける。

 今しがた、フェイト自身がプレシアの元へ行くと言ったのは聞いたものの、アースラで彼女が倒れた事を考えると、確認せずにはいられなかった。

「…うん」

 短く、だがハッキリとした肯定の言葉。

「私…その、上手く言えないけど…」

 それを聞いたなのははレイジングハートを瓦礫に立てかけ、フェイトに近付いて行く。

「あ──」

 そして、バルデッシュを握り締めるフェイトの右手にそっと上から己の両手を当て、それに驚き振り返った彼女の顔を見つめてながら、口を開いた。

「頑張って…」

「…………」

 フェイトはその行動にしばし呆気に取られたかのように固まっていたが、ふっ、と微笑みを浮かべると、残る自分の左手をなのはの手の上に

当て、「ありがとう」と、小さく答えを返した。

「よっし、急ぐぜ嬢ちゃん! 早く乗りな!」

「あ、はい…!」

 ヘルズエンジェルに促され、フェイトは再びハーレーのタンデムに跨る。

「…なのは、ユーノ。我らも参ろう」

 走り出した妖車を尻目に、マタドールが二人を連れ、駆動炉へと駆け出す。

 ──それぞれが己の役目を果たさんと動き出した。








 目的階層──駆動炉への到達を告げるチャイムが鳴り、エレベーターの扉が開く。

 なのはたち三人が外に出て眼下を見やれば、駆動炉を守る傀儡兵の大群が映った。

 先程の円塔部や、入り口通路に勝るとも劣らぬ軍団が編成され、待ち構えている。

 それらを掃討すべく前に出ようとしたなのはを制し、ユーノが正面の傀儡兵の一団を睨みながら口を開いた。

「…防御は僕がやる。なのはは、封印に集中して!」

「なれば攻撃は私の役目だな、駆動炉までの血路も私が開こう!」

 ユーノに続いて、一歩前に出たマタドールがエスパーダを眼前に立て、高らかに宣言する。

「うん。…いつも通りだよね」

 自分を守るように前に立つ二人の背中を、なのはは笑みを浮かべて見つめる。

「え?」

「む──」

「ユーノ君も、マタドールさんたちも、いつも私と居てくれて、守っててくれてたよね」

 言いながら、なのはは二人の横に並び立ち、レイジングハートを起動させる。

『Sealing mode』

「だから、戦えるんだよ。背中がいつも、暖かいから…!」

 言葉とともに、なのはの周囲に生み出される、無数の桜色の魔弾。

「私も二人を援護してから封印に行くね。…行くよ、ディバインシューター、フルパワー!!」

 気合一閃。なのはが勢いよく振り下ろした魔杖の動きに従い、無数の魔弾が傀儡兵たちに向かって飛んで行く。

 次々と着弾し爆音を上げる中、なのはが飛行魔法を発動し、一路駆動炉へと飛ぶ。

「…さて、ユーノよ。ああ言われてはなのはに傷一つ負わせる事など出来ぬな?」

 二人は顔を見合せて笑い合う。

「だね。僕らも行こう、マタドール!」

 飛び上がってなのはを追うユーノを見ながら、マタドールは笑いを上げた。

「クハハハハッ! 貴公も「男」だなユーノ! 共に参ろうぞ、マハザン!」

 魔人もまた魔法で足場を造り、宙を駆け傀儡兵の群れに斬り込んで行く。

「チェーンバインド!」

 空中のユーノが魔力鎖を走らせ、なのはに襲いかかろうとした傀儡兵たちを次々と縛り上げていく。

「一斬必殺つかまつる!」

 マタドールがユーノのチェーンバインドの上に降り立つと、流水の如き澱みない動きで走りながら敵機へ向かって吼える。

 捕縛された傀儡兵の胴体を横一線に薙ぎ払い、上下両断。

「uno!」(一つ!)

 途端、緩む魔力鎖より跳躍し別の魔力鎖へ着地。そこへ戒めを免れた飛行型が彼の背後より襲いかかる。

 しかし、マタドールに焦りはない。彼は腰を捻ってカポーテ振るい、後方の傀儡兵の頭部に巻きつけると、それをワイヤーの如く扱い、弧を

描くようにして横に跳んで斬撃を躱しながら、そのままエスパーダを前方に突き出し、相手の背中から胸部を刺し貫いた。

「dos!」(二つ!)

 剣を引き抜きそのまま敵機の背を走り前方へ跳躍。

 彼の目に駆動炉に辿り着き、封印を始めようとするなのはの姿が目に映った。

 同時に、その彼女の背後に忍び寄る戦斧を振り上げ構えた、陸戦型傀儡兵の姿も捕捉する。

 だが、その行動は更にその背後から飛来した、緑色の魔力鎖の捕縛によって阻まれる。

「マタドール!」

「応! マハザン!」

 陸戦機を縛り上げたユーノの呼びかけに応じ、マタドールは再び衝撃魔法を放つと、それらを使って縦横に蹴り飛び加速。疾風の如く敵機に迫り──

「──tres」(──三つ)

 相手の脇を抜けると同時に呟きながら振るった袈裟懸けの一刀で、陸戦型を切り捨てた。

「二人とも、ありがとう…!」

 マタドールとユーノに助けられたなのはが、後ろを振り返り礼を述べる。

「気にしないで!」

「Defender a una mujer es el honor de un hombre.」(女性を守るは、男子の誉れよ)

 それに対し、二人は軽く答えつつも更に迫り来る傀儡兵たちの大群を睨みつけながら、なのはを守るようにその前へと立ちはだかった。








 ──時の庭園最下層。

 プレシアはシリンダーに保存された愛する我が子とともに、十一のジュエルシードの連動励起の見守っていた。

「──っ!? これは…」

 しかし、彼女は次元震による振動が想定より弱い──いや、弱くなり始めている事を感じ取り、疑問の声を漏らした。

《──プレシア・テスタロッサ》

 その時、彼女の脳裏に凛とした女性の声が響いた。確か、あの管理局の船の艦長だった筈だと、プレシアは記憶を反芻した。

《終わりですよ。次元震は私が抑えています。…駆動炉は、じきに封印。貴女の元には執務官が向かっています》

 話を聞くだけでどんな人間にも、プレシアは完全に「詰み」である事が理解出来る状況であった。普通の人間であるならばなるべく好条件で

の投降を考えて落としどころを模索するであろう。──普通の人間であるならば。

《忘れられし都アルハザード…そしてそこに眠る秘術は、存在するかどうかすら曖昧な、ただの伝説です!》

「…っ! 違うわ、アルハザードへの道は次元の狭間にある。時間と空間が砕かれた時、その狭間に滑落していく輝き…道は、確かにそこにある…!」

 狂気に正気のルールは通用しない。両者の主張は平行線を辿るばかりだ。

《随分と、分の悪い賭けだわ……貴女はそこに行って、一体何をするの? 失った時間と、犯した過ちを取り戻すつもり?》

「そうよ。私は取り戻す…私とアリシアの過去と未来を…!」

 言いながら、プレシアはシリンダーの表面を指先で優しくなぞり、狂気と慈しみが入り混じる視線を愛娘へと向ける。

「取り戻すの…『こんな筈じゃなかった』、世界の全てを…!」

 その時、轟音とともに蒼い閃光がプレシアの頭上を閃いた。

「っ!?」

 砲撃魔法の発射源──壁面に開いた風穴へと目をやれば、もうもうと立ち昇る黒煙を裂いて黒衣の執務官が現れ、頭部より流れる血にも構わ

ず、キッとプレシアを睨みつけた。

「世界は、いつだって………『こんな筈じゃない』事ばっかりだよ! ずっと昔から、いつだって、誰だってそうなんだ!!」

「……アッ!?」

 壁面を粉砕し、轟音が再び響き渡った。

 鉄の妖車が耳を劈く咆哮を上げ、睨み合うプレシアとクロノの間に飛び込んで来た。

 勢いよく着地した直後にブレーキをかけてサイドターンで弧を描き、床の敷石を抉りながら旋回、停止。

「──到着だぜ、お二人さん」

 止まったハーレーに跨る騎手、ヘルズエンジェルがタンデムシートに目を向け、プレシアを顎でしゃくった。

「ありがとう」

 小さな礼とともに、二つの人影──フェイトとアルフが床に降り立った。

「…『こんな筈じゃない』現実から逃げるか、それとも立ち向かうかは個人の自由だ!
 
 だけど、自分の勝手な悲しみに、無関係な人間を巻き込んでいい権利は、どこの誰にもありはしない!!」

「…熱いじゃねえか、クロノBoy」

 母の元へと歩いて行くフェイトを見送り、クロノの言葉を耳にしたヘルズエンジェルは彼を見上げてポツリと呟いた。

 それは、アニメで何度も聞いた台詞だ。

 しかし、こうして轡を並べ戦う事になり、彼という人となりに触れてから耳にしたこの台詞に感じる思いは、モニターの向こう側で見ていた

時とは大きく異なった。

 ──クロノ・ハラオウン。

 十年前の『闇の書事件』によって父親を失った時から、弛まぬ努力と鍛錬の積み重ねによって、執務官にまで駆け上がった努力の秀才。

 恨み事だってあっただろう。理不尽な現実に怒りを抱いた事もあっただろう。

 だが彼は負けなかった。『こんな筈じゃない』現実に真っ向から立ち向かい、戦い続けてきたのだ。

 なのはやフェイトには、天然の宝石の如き煌びやかさ──『華』がある。

 対するクロノは鉄のようだと、ヘルズエンジェルは思う。

 そこに宝石のような華やかさはない。だが、折れず曲がらずのクロノの信念のあり方は、まさに熱し、叩き、鍛え、研ぎ澄ました日本刀のようだ。

 この台詞は、そんな生を歩んで来た彼だからこそ許されるものだろうと、改めてそう思う。

 ヘルズエンジェル令示は、そんなクロノの姿に敬意と眩しさを覚えた。

「うっ!? ゴフッ!」

「っ!? 母さん!」

 プレシアの吐血に、現実に引き戻されたヘルズエンジェルが駆け寄って行くフェイトへと目を向ける。

「何を、しに来たの…?」

「………」

 威嚇するようなプレシアの視線に、フェイトは思わず足を止める。

「…消えなさい。もう貴女に用は無いわ」

 再び母親より叩きつけられる拒絶の意。

「…貴女に、言いたい事があって来ました」

 しかし、フェイトはそれを受け止めたまま穏やかな湖面のように澄んだ瞳をプレシアに向けて静かに、だがハッキリとそう言葉を紡いだ。

 その場の誰もが、黙ったまま彼女の次の言葉を待つ中、フェイトはゆっくりと口を開く。

「私は──私はアリシア・テスタロッサじゃありません…」

 胸に手を当て、目を瞑りながらフェイトは粛々と己の思いの丈を言葉に乗せる。

「貴女が作った、ただの人形なのかもしれません…」

 目を開き、正面に立つ母から目を逸らす事無く見つめながら、フェイトはそっと小さな笑みを浮かべた。

「だけど私は──フェイト・テスタロッサは、貴女に生み出してもらって、育ててもらった…貴女の娘です!」

「……フッ。フフフフフ…アハハハハハハハッ!」

 プレシアは、フェイトの言葉聞いて暫し沈黙をしていたが、何がおかしかったのか彼女を見下し高笑いを上げる。

「だから何? 今更貴女を、娘と思えと言うの?」

「貴女が…それを望むなら…」

 嘲笑するように口端を吊り上げた笑みを浮かべるプレシアを見据えたまま、フェイトはそう答えた。

「それを望むなら、私は世界中の誰からも、どんな出来事からも、貴女を守る…」

「ぁ……」

 真摯な眼差しで自身を見つめるフェイトの姿に、プレシアは目を奪われ呆然とする。

「私が、貴女の娘だからじゃない…貴女が、私の母さんだから…!」

 そう言いながらフェイトはプレシアに向け右手を差し出した。

「フッ…」

 プレシアはその動作に表情を崩し、フェイトに向け一笑し──

「くだらないわ」

「っ!?」

 たった一言でフェイトの決意を切り捨てた。

 母を見るフェイトの瞳が、その拒絶の言葉に激しく揺れる。

 プレシアが手にした魔杖の石突で床を叩くと、十一個のジュエルシードが激しい光を放ち、時の庭園の揺れが一層激しいものとなる。

『艦長! 駄目です、庭園が崩れます! クロノ君たちも脱出して! 崩壊まで時間がないよ!』

 天蓋部分までもが崩れ出し、人の大きさを越える瓦礫が次々と落下してくる。

「了解した! フェイト・テスタロッサ!」

 エイミィからの通信を耳にして、クロノは即時脱出の意思を固めると、母を見つめたままのフェイトへ声をかける。

 しかし、彼女は母からの拒絶に我を失ったのか、その呼びかけに反応を示さなかった。

「フェイトッ!!」

 怒鳴るように、クロノが再度フェイトへ怒鳴る中、プレシアは覚束ない足取りでアリシアの眠るシリンダーへと歩み寄って行く。

「う、ああ…私は行くわ…アリシアと一緒に…」

「母さん…」

 取り残される幼子の泣きそうな表情で自分を見るフェイトへ、プレシアが視線を向ける。

 しかしそこには、アースラのモニターで見たような狂気はなく、ただ憐憫を誘う哀しげな色があるだけだった。

「…言ったでしょう? 私は貴女が、大嫌いだって…」

 フェイトがその言葉を耳にした直後、プレシアとアリシアの足元が崩れ、二人は足元に広がる漆黒の闇──虚数空間へと落下していく

「母さん! アリシア!!」

 フェイトが声を上げ二人を救出しようと駆け寄るが、その前に崩れた柱の塊が落ち、その行く手を阻まれた。

 フェイトは巻き起こる粉塵の隙間より、落ちて行く二人の姿を眺める事しか出来なかった。








「アリシア…」

 虚数空間へと落ち行くプレシアは、シリンダーで眠り続ける我が子を見ながら、在りし日の記憶へ思いを馳せる。




「アリシア、お誕生日のプレゼント、何か欲しいものある?」




「う~んとねぇ…あっ! 私、妹が欲しい!」




「ぅあっ!? ええ!?」




「だって妹が居たら、お留守番も寂しくないし、ママのお手伝いもいーっぱい出来るよ!」




「そ、それはそうなんだけど…」




「妹がいい! ママ、約束!」




「フ、フフッ…」




「──いつもそう…」

 花畑の真ん中で、アリシアと約束をした思い出を噛み締め、プレシアはゆっくりと呟きを洩らした

「いつも私は…気付くのが、遅過ぎる…」




《──いや。そう思えたんなら、まだ遅くはねえさ》




「──え?」

 誰に言った訳でもないプレシアの呟きを、何者かの念話が否定した。








 フェイトが断崖へ駆け寄り虚数空間へ飲み込まれて行く二人に向かって手を伸ばす。

「ッ…!アリシア、母さんっ…!」

「フェイトっ…!」

 身を乗り出そうとするフェイトをアルフが抱き締め、止める。

「…っ!」

 届かなかった手。

 耐え続けていた想い。

 万感の思いがフェイトの胸に去来し、両の目から零れ落ちた。

 その脇を──

「YA--------HA--------!!」

「っ!?」

「ヘルズエンジェル!?」

 エグゾーストの猛りとともに、鉄の魔獣を駆る魔人が虚数空間へと飛び込んだ。

 驚くフェイトとアルフを尻目に、ヘルズエンジェルは天蓋から落ち行く瓦礫を足場にして次々と飛び移り、プレシアの元へと向かって行く。

 その姿は、まるで暴れ馬を巧みに操るカウボーイ。

「貴方──正気?」

 自ら虚数空間に飛び込み、己へと近付いて来た魔人の狂気の沙汰にプレシアは大きく目を剥き、驚きの表情を作った。

「アンタに言われたくねえ、よっ!!」

 答えながら、ヘルズエンジェルはプレシアを猫のように掴んで自分の膝元へ乱暴に乗せると、今度はアリシアのシリンダーを掴んで力いっぱ

い上方へと放り投げた。

「受け取れ!」

 ヘルズエンジェルが誰もいない天井部分へそう叫んだ刹那──

 幾つもの銀線が走って天井部分が斬り裂かれ、人が通れる程の風穴が生まれる。

「了解した。──ユーノ!!」

「うん! チェーンバインド!」

 直後、その通り道より、斬り裂き落ちた瓦礫に混じってマタドールがその姿を現し、彼に背負われたユーノが幾条もの緑色の魔力鎖を、眼下

より迫り来るシリンダーと、ヘルズエンジェルの乗る瓦礫に向け空を切って走らせる。

「Beautiful catch! よくやっってくれたユーノ! 恩にきるぜ」

 魔力鎖がシリンダーを掴み、足元の瓦礫にチェーンバインドが絡まるのを見て、ヘルズエンジェルはユーノのアシストに絶賛を送った。

「みんな、大丈夫!?」

 ユーノとマタドールに続き、彼らの通った穴からなのはも飛び出して来た。

 三人は駆動炉からの道を、壁を抜いて最短距離でここまでやって来たのだ。

 四体の魔人は思考を共有している。故に、マタドールたちの接近を感知していたヘルズエンジェルは、瞬時に互いの間でプレシア、アリシア

救出の手筈を整え、即実行したのである。…それでも、結構──いや、かなり危険な賭けではあったのだが。

(とは言え、「あんな事」を知ったからには、是が非でも生きて聞いてもらわねーとな…)

 自分の膝の上に乗せたプレシアを見下ろしながら、ヘルズエンジェルは心中で呟いた。

「ヘルズエンジェル! 早く上がって! 下に落ち過ぎるとバインドの魔力も無効化されるよ!」

「──OK、んじゃさっさと逃げんぞ!」

 ユーノ警告に我に返り、彼が繋いでくれている瓦礫に絡みついたチェーンバインドの橋へと機首を向けて、迷う事無く一気に駆け上がる。

「待ちなさい! 私は──」

「後にしな! 今は脱出が先だ!」

 膝の上で暴れるプレシアを一喝し、彼女に構わずバイクを走らせる。

「ああ……アルハザードが…」

 遠ざかる虚数空間を見つめながら、プレシアが呆然とした表情で呟きを洩らす。

「…さっきも言っただろう。気付けたのならまだ遅くはねえってな」

「っ! 貴方は何を──」

 知っているの? と、そう尋ねようとしたのだろう。

 しかしプレシアのその声は、更に大きくなった震動によって阻まれた。

「チッ!? なんだコリャ!?」

「ヘルズエンジェルさん!?」

「母さん!!」

 地の底から鳴動しているかの如き激しい縦揺れに、ハンドル操作を誤りそうになりながらも、力技で機体を制御して声を上げるヘルズエンジェル。

 二人の窮地に、なのはとフェイトが断崖より下を見ながら悲鳴を上げる。

「クッ! なんかマズイよ、急いで!」

「わかった! 一気に行くぜ!」

 床に膝をつき、バインドと姿勢を維持しながら警戒の声を上げたユーノに同意し、ヘルズエンジェルはグリップを握り込み、タコメーターが

振り切れんばかりにエンジンの回転数を急激に上昇させ、瞬間加速させた機体を一気に時の庭園へと押し戻した。

 仲間たちの元へと戻ったところで、震動は小康状態となり、小さなものへと変じていた。

「お待ちどうだクロノBoy。ほらよ」

 仲間たちの前でヘルズエンジェルは機体を急停止。膝の上に乗ったままのプレシアを降ろして、クロノへと引き渡した。

「黙っていたって連れて行くんだろ?」

「当然だ。どんな事情があろうとも彼女は犯罪者だからね。プレシア・テスタロッサ、貴方を逮捕します」

 クロノが硬い声でそう答えながら、プレシアにバインドをかけた。

 精も根も尽き果てていたのか、プレシアは既に気を失っていた。

「母さん…」

「フェイトちゃん」

「フェイト…」

 助かったものの、虜囚の身となった母親を見て、喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。フェイトは複雑な表情を浮かべ、なのはとアルフもま

た、そんな彼女を心配そうに見つめていた。




《みんな! 大変だよ! 脱出急いで!》




 その時、全員にエイミィからの悲鳴寸前の大声での警告が届いた。

「わかっているよエイミィ。震動が緩やかになったとはいえ、ここは危険だ。全員でこれからすぐにアースラに戻る!」

《そうだけど! そうじゃないの!!》

「? 何を言っているんだエイミィ? もっと簡潔に喋ってくれ」

 普段は年上の姉貴分を気取る同僚の慌てっぷりに、クロノは訝しみの表情を浮かべる。

《十一個のジュエルシードが、相互干渉によって想定以上の魔力暴走を引き起こし始めているの! さっきの大きな震動はその前兆! 今の小

康状態はエネルギーを溜め込んで暴発寸前になっているんだよ! このままそこに居たら大規模次元震に飲み込まれちゃうよ!》

「何だって!?」

 エイミィの言葉に驚きの声を上げ、クロノは空中で回転しながら不気味に鳴動する十一個のジュエルシードへ目をやった。

「待て、それでは我らの世界は──」

《…想定されるこの規模の次元震は、世界そのものを飲み込んでしまいます。だから九七管理外世界は…》

 マタドールの上げた声に、苦渋の混じる声色でリンディが答えた。

「つまり、地球は崩壊するという事か…!」

「そんな──」

 なのはが血の気の引き、蒼白となった顔で震える呟きを洩らした。

《ジュエルシードの数があと三つ、いえ、二つでも少なければ…》

(最後の最後でこれかよ!『原作』との相違がこんな結果になっちまうなんて…!)

 マタドール令示はエイミィの声を聞きながら内心で頭を掻き毟った。

 何もしなければよかったのか。より良い未来を目指したが故にこうなってしまったのか。

 足元が崩れ落ちるような絶望感、自身の行動に対する悔恨、運命の理不尽さが相まって、思考がグチャグチャになり考えが纏まらない。

 そんな最中──




(落ち着け主、方法はまだある。我らが、我らだけがジュエルシードを止める事が出来る)




 救いの一手は、己の胸中からもたらされた。












 第十話 絶望への最終楽章コーダか。希望への前奏曲プレリュードか。了




 後書き。


 どうも吉野です。更新遅れまくって申し訳ありません…理由を述べれば、水樹奈々全国ツアーとか、夏の祭りの三日目とか色々ありまして…

 さて、今回は四体目デイビット登場となりました。技のモデルは『ハーメルンのバイオリン弾き』なのですが、音楽と神魔、魔術の関係は結

構ホントだったり。

 後、彼がドイツ語を喋るのは、モデルとなった人物がドイツのヴァイオリニストだったという話を聞き、「ワーグナーの曲弾くし丁度いいや」

ってな軽い感じで決めましたw なお彼を召喚する際唱えていたポール・ヴェルレーヌ氏の詩は、死後五〇年(近年、七〇年制にするかを検討)

以上経過しているので版権フリーとして使用しています。(日本語訳をした上田 敏氏の同様)

 しかし、今回は疲れた…前回のなのはVSフェイトが自分の中で最高に盛り上がったので 傀儡兵が相手ではどうも物足りない感じがして。

 あ、でも巨大傀儡兵登場のシーンは好きなんですけどね。劇場版の弾幕回避シーンもいいけど、デザイン的にはTVのガンキャノン(笑)の

方が好きだったのでこちらを採用。

 後は魔人無双オンリーにならないようにと、ユーノやクロノにも出番が欲しいと思って色々書いていたら、こんなに時間がかかってしまいま

した…あ、これも更新遅延の原因ですね。とは言え、それでも魔人がかなり前面に出てしまいましたが。

 さて、今回デイビットの出番が少ないと思われた事でしょうが、彼は次回に見せ場があるのでそれまでお預けという事で。

 次回、いよいよ無印ラストとなります。前回、今回と張られた伏線の回収、エピローグ…一体この先どうなるのか?

「第十一話 Voyage」にご期待下さい。 

 では次回更新にお会いしましょう。 





[12804] ※おわび
Name: 吉野◆fe64ebc7 ID:ea804a88
Date: 2012/02/05 23:37
 申し訳ありません! 自分で思っていた以上にルビの使用が多かったようです。

 どうにかルビを削り終わり、何とか投稿完了しました。

 お騒がせをしました。どうにか投稿できました。

 お目汚し失礼しました。



[12804] 第十一話 Voyage
Name: 吉野◆fe64ebc7 ID:ea804a88
Date: 2012/02/09 17:39
 身構えたなのはたちの前で、十一個のジュエルシードが目を潰すのではなかろうかという程の、まばゆい純白の光を発した。

 臨界点に達したエネルギーが宝石の外へと放出され、崩れかけた時の庭園を上下に貫く、巨大な光の柱が顕現する。




 ──それは、以前なのはとフェイトが引き起こしたジュエルシードの暴走と同じものであった。




 しかし、今度のそれは前回の起こしたものとは規模も威力も速さもケタ違いだ。アースラでこの次元世界から逃れようとしても間に合わない

だろう。そう判断したクロノにより、プレシアとアリシアの遺体は広間の端で結界魔法を張って安静にさせた。

 空気を通し体の芯にまで伝わる圧力に、これが『世界を滅ぼしうる力』であることを、なのはたちは本能から痛感する。

 それと同時に、一度おさまった震動が強さ激しさを増して再発し、足元を大きく揺るがす。

「くっ! 駄目だ、立っていられない…!」

 クロノの言葉とともに魔導師たちが堪らず飛行魔法で宙へ逃れる中、マタドールは一人、地に足を付けた直立したまま眼前の白光を見つめる。

 彼の視線の先──白光の柱の周囲の空間にグニャリと歪みが生じていく。

 空間はじょじょにうねりを増し、白光の柱──即ち、ジュエルシードを中心にして渦のように回転を始める。

 巨獣の唸りの如き、腹の奥まで響くような轟音を放ち、歪みの渦は床を、壁を、柱を、傀儡兵の残骸を次々と飲み込み、空間ごと引き千切り、

粉微塵に分解していく。

 放り込まれれば防御も回避も叶わず、瞬時に粉微塵にされてしまう事であろう、恐るべき空間ミキサー。

 ──しかし、これですらまだ本格的な次元震には至っていないのだ。

 この歪みの渦が、更に巨大化したその時、一つの次元世界を丸ごと飲み込む最悪の奈落と化す。

「おい! 本当に大丈夫なのか!?」

 クロノが自身の前に立ち続けるマタドールへ、騒音に負けぬよう大声をかける。

「無論。その為にここに立ち、貴公らにも留まってもらったのだ。地球が飲み込まれる前に何としても封印する。行こうぞ諸君…!」

 言いながら、マタドールが後方へ目をやれば、

「うん!」

「はい!」

「ああ…!」

「わかった!」

「任せな!」

 なのはたちはその声に頷きながら答えを返して来た。

 返事を聞き、再び正面へと視線を戻したマタドールは、眼前に迫る歪みの渦を一瞥した後──

「試し斬りには頃合いか…」

 台詞とともに天へ向けて大きく口を開けると、手にしたエスパーダを切っ先から突っ込んだ。

『っ!?』

 背中に驚きの声を上げる皆の目線を感じながら、マタドールは鍔元まで口腔に納める呑剣の妙技を周囲へ見せつけると、呆気にとられる一同

を尻目に、今度は一気に口内から刀身を抜き放つ。

 途端、なのはたちが先程以上に驚きの気配を発した。

 解き放たれたエスパーダが、銀線を走らせ空を『斬った』のだ。

 比喩ではなく、文字通りに。

 奇妙な光景であった。

 まるで一枚の絵を半分に切り、その切断面同士を元の形に近いよう添えたが如く、エスパーダの通った軌道に沿って空間が、景色が僅かにズ

レを生じさせていた。

「空間を…斬った…?」

「刀身にジュエルシード…!? それの力か!」

 その様子に、ユーノは呆けたように呟きを漏らし、クロノはマタドールの掲げたエスパーダの刀身に埋め込まれた七つのジュエルシードを目

にし、驚きの声を上げた。

「──如何にも。呑み取りしジュエルシードをエスパーダへと収束させし、死地を征する次元斬りの魔剣…称して死地征剣(しちせいけん)!」

 奇しくも刀身に散りばめられ、輝きを放つ七つのジュエルシードは、中国の道教において生死を司るとされる神の星、北斗七星と同じ配列を描いていた。

 マタドールは他の三体の魔人を戻し、悪魔たちを送還して手持ちのジュエルシードを己一体の身に集約したのだ。

「ジュエルシードを利用しての次元干渉攻撃か!? 確かにこれならこの作戦、やれるかもしれない…!」

 S2Uをぎゅっと握りしめ、希望を見出したクロノは力のこもった呟きを漏らした。

「──参るぞ」

 宣言とともに、エスパーダ改め死地征剣を高々と掲げた大上段の構えをとり、流れるように澱みない足運びで疾駆するマタドール。

 同時に、頭上の死地征剣が刀身を中心にして空間を歪める渦を巻き起こす。

「雄ォォォォォォォォォォォォォッ!!」

 獅子吼。

 裂帛の気迫のこもった雄叫びを上げながら、マタドールは指呼の間程にまで迫った目前の巨大な歪みの渦めがけ、己が魔剣を閃かせた。




 第十一話 Voyage












「…皆聞いて欲しい。一つだけ次元震を止める手立てが存在する。ただ、危険は否めず、貴公らの手を借りる事になるであろうが…」

 ナインスターの話を聞き、マタドールがなのはたちへ切り出した作戦は非常にシンプルであった。

 四体の魔人の内にある八つのジュエルシードの力を魔人形態維持用の一つを残して結集し、それを次元震を引き起こしたタイミングであの十

一個にぶつけるというものだ。

 無論、個数差に開きがある以上、完全に相殺する事など不可能。

 だからこそ、その足らない分のカバーをなのはたちが行い、完全に封印を施す。そういう作戦だったのだが──








 ぶつかり合う二つの次元干渉エネルギーがプラズマを生み出して大気を焦がし、大砲じみた衝撃波が周囲の壁や床に穿つ。

 双方が生み出す空間の歪みが複雑怪奇に絡み合うその様相は、まるで巨大な二頭の獣が顎を広げて互いを噛み砕かんと相食んでいるかのようのようである。

 その二つの力を中心にして周囲の景色は曲がりくねり、引き伸ばされ、かき回され、入り混じり、最早何が映っているかもわからない極彩色

の異空間と化していく。

 見るものに精神的不安や生理的嫌悪を抱かせるその異常な光景に、マタドールの背後に待機するフェイトやユーノは直視する事ができず、顔

を歪めて視線を逸らした。

 ──ただ一人、祈るかのように胸の前で両手を組んで握り締め、マタドールを見つめるなのはを除いて。








 正直言えば、今すぐこの場より逃げ出したいくらいだった。

 歪みの渦との鍔迫り合いは、全身を引き千切られるような激痛を絶え間なく与え続け、魔人を上回る圧倒的な力の存在は、悪魔の精神力を凌

駕し、魔人の中の令示の心中は、恐怖で埋め尽くされていた。

 しかし、たった一つ心の奥底にあった小さな気持ちが、──「後悔したくない」とリンディたちの前で語った、その言葉一つが令示をこの場

に繋ぎ止めていた。

 今逃げれば、この後一生悔み続ける事になる。

 そんな人生を送る事を拒絶し、アースラの指揮下に入る条件を了承してでも、なのはたちに協力しようとした時と同じように、そんなたった

一つのちっぽけな想いが、令示の折れそうになる心を支える骨子となっていたのだ。




 ──否。




『御剣令示』という存在であればこそ、この気持ちがこのような生死の狭間、鉄火場にあってもそこに在り続けられる立脚点になりえたのであろう。

 後悔と挫折に彩られ、「転生」(やりなおし)という稀有な経験をした人間だからこそ、「悔む」という辛酸と苦杯を舐め続けてきたからこ

そ、再びそれらを味わうハメになるのを拒んだのだ。

 これは若者ではない、老成した魂を持つ転生者であるが故の立脚点といえよう。








 歪みの渦と魔人は両者一歩も引く事なくぶつかり合う。

 結果、行き場を失った荒れ狂う歪みの一端が、鞭のように空を切ってしなり、マタドールへと向かって飛来。

 鎬を削り合う最中に大きな動きなどとれる筈もなく、マタドールは頭蓋へまともに歪みの強襲を浴びた。

 ガッ! という鈍い打音が響き、魔人の帽子と砕かれた頭蓋骨の欠片が同時に宙へと舞い上がる。

 その衝撃によってバランスを崩し、身を仰け反らせた隙に歪みの渦が一気に飲み込まんと迫り、マタドールは拮抗状態から一気に劣勢へと追い込まれる。

「マタドールさん!?」

 誰の目から見ても重傷と言わざるをえないその様子に、なのはが声を上げマタドールの元へと駆け出し──

「来るな!」

「っ!?」

 他ならぬマタドール本人の鋭い鋭い叱責によって、その足を止めた。

「…まだ動くには早いぞ、なのは。貴女は何故そこに居る? 己の役割を忘れるな…!」

 左眼下部から右頭頂脇まで、頭部のおよそ三分の一を斜めに吹き飛ばされたままの姿で、マタドールは体勢を立て直し、死地征剣で歪みの渦を押し戻す。

「で、でも…」

「フッ、フフ…何、そう案ずるななのは」

 なおも食い下がろうとするなのはへ、マタドールは一転して明るい口調で語りかけながら、背後の彼女へと振り返る。

「見ているがいい…今、己の役割を果たそう! ──グオォォォォォッ!!」

 マタドールが気炎を上げ、全身の魔力を、マガツヒを両手を介して死地征剣へと流し込む。

 過剰供給とも言える程のエネルギーを受け取った刀身は、七つのジュエルシードの力強い輝きを灯し、その刃より放たれる空間の歪みに、紅

い輝きを宿す。

「空間の歪みを正面から受け止めながら魔力を練り上げるのは、中々骨だったぞ──ムンッ!」

 気合一閃。

 その瞬間、拮抗状態であった鍔迫り合いは、魔人の剣圧がジリジリと歪みの渦を押し返し、優勢へと傾いていく。

「づっ……! オオオオオオオォッ!!」

 一歩、また一歩と小さく足を踏み出しながら、マタドールが気勢を上げたその刹那──

「憤!!」

 噛み合う刃を軋らせて死地征剣を振り上げると、魔人は一気呵成に振り下ろした。

 銀線が弧を描いたと同時にその軌跡に沿って生み出された魔力刃が、マタドールの眼前で不気味に蠢いていた極彩色の空間の歪みを、真っ二つに両断した。

 それはまるで、旧約聖書の出エジプト記でモーゼが起こした海割りの奇跡の如く、一直線に歪みを切り裂き道を造る。

 歪みが消えた真っ直ぐな道の先──渦の中心部に、輝く十一のジュエルシードが全員の目に映った。その距離、およそ三〇メートル。

「今だ…! 道の保持を急げ…!!」

 力の大半を今の一太刀に持っていかれたマタドールは、堪らずその場に膝をつきながら後方で控えていた仲間たちへ次手の展開を促す。

「っ!? わ、わかったよ!」

「今行く!」

 その声に我に返ったユーノとアルフが、文字通りに切り開かれた道の左右上方に次々と防御魔法を展開し、元に戻ろうとする歪みの渦の動きを阻み──

『Chain Bind』

 更にクロノが水色の魔力鎖を射出し、無数の魔力障壁の群れをガッチリと繋ぎ止めた。

「策は成ったか…」

 マタドールは肩で息をしながらそう呟いた。








 ようやく封印の為のお膳立ては整った。

「二人とも急げ! 長くはもたないぞ!!」

 己のデバイスにありったけの魔力を流し込みながら、クロノが後のなのはとフェイトへと振り返って大声を上げる。

 その言葉通り、防壁としているシールドもチェーンバインドも、元の形に戻ろうとする歪みの圧力によって軋み、亀裂が生じて次々と粉砕されていく。

 破られた傍からすぐさまユーノとアルフが防壁を展開し、クロノの魔力鎖が巻き付くものの、こんな矢継ぎ早に補充をしなければならない状

況では、三人の魔力が三分も続かない。早急に手を打つ必要があった。

「──フェイトちゃん、行こう!」

「うん……!」

 クロノの呼びかけに応じて、なのはが差し出した手を握り返し、フェイトは力強く頷く。

 二人は宙へと高く舞いあがり、開けた視界の先に輝く十一のジュエルシードに向かって一直線に空を駆ける。

 しかし──

「っ…!? 何これ…? 上手く飛べない、何か、体が重い…」

 いつもの飛行のような速度とキレを体感出来ず、なのはは己の体を見回しながら、不安げに表情を曇らせた。

「ジュエルシードの暴走が気流だけじゃなくて、私たちが体外へ放出している魔力の流れまで乱しているんだ。速度が出ないのは、おそらくそのせいだと思う」

「そんな──」

 フェイトの推測になのはは言葉を失った。

 いつもの飛行であれば、あっと言う間に到達しているであろう僅か二,三〇メートル程度の距離が、恐ろしく遠く感じた。

 それでも崩れかけの床を直に走るよりはずっと速いのだが、元に戻ろうとする歪みの渦はそれを上回る速度で圧力を増していく。

 徐々に狭まっていく左右の空間の歪みが、津波のようにクロノたちの展開する防壁を鎧袖一触に粉砕し、なのはたちへと迫る。

「クッ! 元に戻る力が強過ぎる、防御魔法が間に合わない…!」

 防御魔法の同時連続展開による急激な魔力の消費に、ユーノが悔しげに声を上げた。

「どんどん道が狭まっている…!」

「急ごう!」

 目前で、ジュエルシードまで続く道が閉じ始め、左右を見回し焦るフェイトとなのはは、懸命に魔力を制御し正面の標的を目指す。

 しかし、蠢く歪みの速度は、明らかに二人の飛行速度よりも速く、どう希望的に見てもジュエルシードに辿り着く数メートル手前まで行く事

が出来るかどうかという、冷酷な観測結果が二人の心中ではじき出され、その表情が絶望と悲観に彩られていく。




 その刹那──




 二人の背後より、螺旋を描く『紅』が、細まる歪みの間道を一色に染め上げる。

 それはまるで、真紅が織りなす海波のトンネル、サーフィンで言うところのグリーンルームのようだった。

 歪みの隙間に沿って、『紅』が閉じつつあったジュエルシードへの道を無理矢理にこじ開けた。

「な、何っ!?」

「これは…!?」

 突然の思考の埒外の現象に、二人が慌てて『紅』が来た後方を見やれば──

「…………」

 頭蓋を砕かれ、膝をついたままのマタドールが、右手のカポーテを大きく、長く引き伸ばして投じていた。

 なのはたちの目に映っていた視界一面の『紅』は、それだったのだ。

 肩で息をしながら、二人を見つめる洞のような双眸が無言で訴えていた。「この機を逃すな」と──

「──レイジングハート!」

『All'right!』

「──バルディッシュ!」

『yes, sir.』

 その言葉無き声に、二人はそれぞれ己の相棒へ力を注ぎ込み『紅』のグリーンルームの先──再び開かれたジュエルシードへの入り口目がけ

て飛翔する事で答える。

 周囲を覆うカポーテが、歪みの渦からの魔力干渉を遮断したのか、二人は水を得た魚の如く加速。

 カポーテのトンネルを瞬時に駆け抜け、ジュエルシードが輝く歪みの中心へと一気に到達した。

 その刹那、彼女たちの背後でカポーテが歪みによってズタズタに引き裂かれ、間道は人が通れぬ幅となる。間一髪のタイミングであった。

 そこは、台風の目のように周囲で荒れ狂う歪みの暴虐とは相反し、不気味なほど静まり返っていた。

 その空間の中心に、ユラユラとたゆたい輝くジュエルシードを見つめながら、彼女たちはデバイスの先端を突きつけ構える。

 同時に、彼女たちの足元に魔法陣が展開。桜金二色の魔力光が静寂を打ち破った。

 …ここで失敗すれば、自身を含めた多くの命が失われる。

「……」

 その地球一つを超える命を守らなければならないという重圧感が、なのはの心に圧しかかる。

 しかし、レイジングハートを掴む彼女の腕は、些かの震えもない。




 アースラからバックアップしてくれるエイミィたちが──




 頭部に傷を負いながらも自分たちを援護してくれたマタドールが──




 危険を承知でこの場に残り、この作戦に協力してくれたユーノ、クロノ、アルフが──




 そしてともに並んで立つ女の子…フェイトが──




 自分を支えて、好機を与えてくれたみんなが居てくれるから、私は出来る、戦える…! 




 駆動炉でのユーノとマタドールとの共闘以上の心強さを感じているなのはに、恐怖はなかった。

 花吹雪の如く、彼女たちの魔力が大気に散華し、舞い踊る。

 この乾坤一擲の大勝負に、二人は全身全霊、持ちうる全ての力を振り絞る。

「ジュエル──」

「シード──」

 二人の紡ぐ言霊に応じ、周囲に飛散した魔力が彼女たちを中心に渦巻き、収束していく。

「封!!」

「印!!」

 なのは、フェイト。二人の叫びと同時に構えたデバイスより、束ねられた魔力砲が轟音を響かせ放たれる。

 桜色、金色の尾を引く双砲が、蒼白の魔光を発する十一のジュエルシードと激突。

 その接触の瞬間、大気を震わす衝撃を撒き散らし、目が潰れるような閃光の爆発が巻き起こった。

 白光はなのは、フェイトを巻き込むだけで治まらず、歪みの外にまで広がり全てを白一色に染め上げていく。

 やがて、なのはの耳より魔力のせめぎ合う衝撃音すら失われ、彼女の耳目は完全な静寂に包まれた。








《……! みん……! りして……!》

 一分か? 一〇分か? 一時間か?

 永久に続くのではと思われる程のしじまの世界に、ノイズが走る。

「ん…!」

 そのノイズが呼び水となり、沈んでいた意識が覚醒したクロノは息をもらし、ソレがエイミィからの呼びかけであった事にようやく気付く。

《クロノ君!? 聞こえる!? 聞こえてたら返事して!!》

「聞こえている…だからそんなに怒鳴らないでくれ、エイミィ…」

 少しずつクリアになっていく五感を確かめつつ、倒れていた床から立ち上がったクロノは、しかめっ面でこめかみを押さえながら、通信機で

呼びかけを続けるエイミィへ声を返した。

《やっと通じた!! クロノ君大丈夫!? みんなは!? なのはちゃんとフェイトちゃんは!?》

「とりあえずマタドールとユーノ、アルフは僕と同じで、さっきの光でフラついてはいるようだが、意識もあるようだし問題なさそうだ。結界

に避難させておいたプレシアも異常はない。気を失ったままだ」

 返事をした途端、エイミィから矢継ぎ早に投げかけられる問いの連続に、周囲を見回し仲間の様子を確認しながら、慣れた様子ですらすらと

答えていくクロノ。
 
「なのはとフェイトも…無事だよ。鎮静化したその場で座り込んでいる。見た限り、封印は成功したようだ。…まあ、そうでなければ僕たちも

こうして話していられる訳がないが…」

《OK! こっちも観測機の反応が出たよ。…十一個全ての封印と回収を確認! もう心配いらないよ!》

「そうか…何はともあれ、最悪の事態は避けられたね…」

 エイミィの観測報告を聞き、クロノは安堵の息を吐きながら、ようやく肩の力を抜く事が出来た。

《メインモニターも回復。そっちの画像が──って!? マタドールさん!?》

 危機が去り、いつもの明るい様子に戻ったエイミィの声に、再び驚きと恐れが混じった。

「っ!?」

 慌ててクロノがマタドールの方へと目をやると、魔人はうつ伏せになって地に倒れ、ゼエゼエと苦しげな息づかいで呻きを漏らしていた。

「おいっ、マタドール! しっかりしろ!!」

 彼の傍へと駆け寄りクロノが声をかけるが、聞こえていないのか、もしくは、聞こえていても返事をする余裕すらないのか、マタドールは呻

きを上げるのみであった。








「っ!? マタドールさん!?」

 ジュエルシードの封印処理で疲れ切り、その場に座り込んで居たなのはであったが、クロノの大声を聞いた瞬間、反射的に走り出していた。

 彼女はふらつく体を無理矢理動かし、マタドールの元へと駆け寄った。

「無茶をするな! あれだけの連戦の上に封印処理までやったんだ、体を壊すぞ!?」

 クロノが傍に来たなのはを諌めるが、マタドールの異変に気を取られている彼女にその言葉は届かない。

 なのはは己が足元で、地に伏した魔人の体へ素早く視線を走らせる。

 左手の死地征剣は既にジュエルシード消えてエスパーダへと戻り、頭部に負った傷もそのままである。それは、魔人形態維持の為の魔力すら

枯渇しかかっている事を意味していた。

『──put out.』

 それを察したなのはの判断は速かった。レイジングハートから、つい今しがた封印したジュエルシードの内の一つを手に取る。

「あっ!? ちょ──」

 その行動の意味を悟ったのであろうクロノが言葉を発するより早く、なのははそのジュエルシードを倒れたままのマタドールの背中へとそっと乗せた。

 砂が水を吸収するかのように、ジュエルシードはマタドールの体内へと沈み込み、消えた。

 そして次の瞬間、ジュエルシードより魔力が補充されたのであろう、マタドールが頭蓋に負っていた傷が癒え、歪みの渦に引き裂かれたカポ

ーテも、ビデオの逆回しのように再生して新品同様の姿となった。

「……む? 治っている…?」

 体の再生が終わると、意識、言動ともに普通の状態に戻ったマタドールがムクリと起き上がり、傷を負っていた頭部に手を添えながら不思議そうに首を捻る。

「マタドールさん、大丈夫!? なんともない!?」

 それと同時に弾かれたようにマタドールの前へ飛び出したなのはは、慌てた様子でマタドールへ体の異常の有無を尋ねる。

「なのは…? そうか、封印したジュエルシードを使ったのか…また面倒をかけてしまったようだな、すまぬ」

 その不安げな表情を見て、何があったのかを察したのであろう。マタドールはなのはへ頭を下げ、謝罪の言葉を口にした。

「ううん、気にしないで。マタドールさんが居なかったら封印なんて出来なかったんだから」

 どうやら無事なようなマタドールの様子を目にして、ようやくこわばった表情を弛緩させて安堵の息を漏らしたなのはは、笑みを浮かべて首を横に振った。

「いや、しかしだな…」

「あー、君たち。話し合いの最中にすまないが──」

 何となく、長引きそうな雰囲気を察したのであろうクロノがなのはとマタドールの会話をぶった切り、口を挟んだ。

「次元震はおさまったとは言え、時の庭園はあちこちに崩落の兆しが見える。それに、プレシア・テスタロッサの容体も気がかりだ。全員最優

先でアースラへ帰投するべきだろう」

 もっともなクロノの意見に反対意見など出る筈もなく、一行は来た道を引き返して一路、アースラへと戻るべく駆け出した。




 ──なのはたちが立ち去ってから十数分後、動力部に大きな損傷を負っていた時の庭園は、ゆっくりと崩壊を始め、アースラクルーたちの見

守る中、次元の海へと沈んでいった。
















「ガーゼと消毒液をが足りないぞ!」

「治療が終わった奴と歩ける奴はさっさと退いてくれ! 後ろがつかえているんだ!」

 怒号が飛び交い、白衣の医療班が忙しく行き来するアースラの医務室。

 武装局員の大半が怪我を負った今回の作戦は医療担当局員の手も設備も足らず、通路にまで怪我人が溢れており、医療班にとっては、作戦が

終了した今が、彼らにとっての戦場と化していた。

「──とりあえず、フェイト・テスタロッサとその使い魔アルフは再び収監という事になった」

 そんな鉄火場の如き医務室より少し離れた、自販機を並べた通路上のイートインコーナーのベンチに腰掛けた、フェイトとアルフを除くなの

はたち突入組と、付き添いに来たエイミィの計五名は帰投後の慌ただしさの中ようやく一息ついた。

 そうなると当然話題となるのは、この場に居ない二名の事であった。

「気の毒だとは思うが、今回の一件は次元世界規模の事件であり、彼女たちはその重要参考人だ。管理局としてもその扱いには慎重にならざるを得ない」

「ふむ…まあ、容疑者扱いでない分だけマシと考えるべきか…」

 顎に手を当て天井を見上げながら、とりあえずフェイトの扱いが妥当である事に安心しつつ、マタドールはクロノへ視線を戻して言葉を紡ぐ。

「それで、フェイト嬢たちの今後はどうなるのだ?」

「本局に戻り次第、裁判という事になる。起きた事件の大きさを考えれば、数百年単位の幽閉も有りうるのだが…」

「そんなっ!?」

「なのだが!」

 数百年の禁固刑と聞いて反射的に椅子から立ち上がって抗議の声を上げようとしたなのはを、クロノが制して言葉を遮る。

「フェイト・テスタロッサの家庭環境や精神状態、年齢を考慮すると十二分に情状杓状の余地がある。保護観察処分におさまる公算が高いだろ

う。──大丈夫、管理局はそこまで非情な組織じゃないよ」

「あ──」

 僅かに笑みを浮かべてそう言ったクロノに、なのはは安堵の息を吐いてぱっと花が咲いたような笑顔を作った。

「しかし…それならば問題はプレシア・テスタロッサの方だな」

 だが、そんななのはに相対するかのように、マタドールは抑揚のない硬い声色でそう述べる。

「…………」

 クロノは「やはりきたか」と言いたげに渋面を作って俯き、溜息をついた。

「…その通りだ。今回の件はプレシアが主犯であり、その犯行動機は極めて個人的で身勝手。証拠と証言は十分だし余罪も多数、更には未成年

のフェイトへの仕打ちを鑑みると、極刑か、それに準ずる重刑が科せられるのは避けられないだろう」

「それって…じゃあフェイトは…」

 クロノの言葉に含まれるものの意味を悟ったユーノが呟きを洩らす。

「ああ…フェイトはおそらくもう二度と母親に会う事は出来ないだろう…」

「そんな…」

 目を閉じ、無表情のまま語るクロノへ、なのははいかな言葉をかけるべきか考えつかず、伸ばしかけた手をゆっくりと下ろしてそのまま俯いた。

 お世辞にもいい母親とは言えなかったがフェイトはそれでもプレシアを母と呼び、母であってほしい願っていた。

 この事を知ったフェイトはどうなるのであろうか? どう思うだろうか? なのはの胸中は、不安と憐憫の念がないまぜになった複雑な感情で

いっぱいになっていた。

 しかし──

「だが、それ以前にプレシアが裁判に立てるかどうかという問題がある」

 暗雲の因子はそれだけではなかった。

「え?」

「どういうこと?」

 この上まだ何かあるのかと、不安に表情を曇らせるなのはとユーノ。

 二人を一瞥したクロノは「エイミィ」と、隣に座っていた己の相棒に呼びかける。

「…さっきプレシアを診察した医務官から報告が上がったの。顔色の悪さや吐血からメディカルチェックをしたらしいんだけど、その結果プレ

シアの両肺から悪性の腫瘍──癌が見つかったらしいの…」

「癌…?」

「…進行度合はレベルⅣ、肺がボロボロの状態の上に癌細胞が全身に転移している。摘出手術ではどうにもならない末期症状だそうだ。あと一

、二ヶ月持つかどうかもわからない状態なんだよ」

「そんな、そんなのって…」

 その残酷な結果に、なのはは目を見開き言葉を失う。

 エイミィもユーノも、なのはへかける言葉が見つからず、所在なさげに目を伏せた、その時、

「そのプレシアについて、幾つか頼みがあるのだがな執務官殿」

「…? 何だい?」

 この場に漂う静寂を破るように、マタドールが先程と変わらぬ抑揚のない声でクロノに話しかけた。

「プレシア・テスタロッサと面会がしたい。それと、フェイト嬢たちの事や少々の些末事でな」

 四人の視線が注がれる中、マタドールは何とも奇妙な依頼を口にした。

「…………今度はなにを企んでいる?」

 なのは、ユーノ、エイミィがマタドールの意図を計りかね、首を捻っている中でクロノは一人半眼で魔人へと詰問する。

 が、当の本人はその突き刺さるような視線にも堪えた様子もなく、おどけた調子で肩をすくめた。

「人聞きが悪いな。純粋な人助けだ」

「人助け?」

「ああ」

 訝しむクロノへ頷きを返しながら、

「苦しみから解放するのだよ、テスタロッサ母子をね──」

 小さく笑みをこぼし、軽い口調でそう答えながらマタドールは己の考えを四人へ開陳する。

 医務室の喧騒の隣で、四人の男女の驚きの声が上がった。








 アースラ深奥部。周囲にはデバイスを所持した武装局員が歩哨をしており、警戒レベルが非常に高い区画である事を窺わせる。

 そんな薄暗く、如何にも牢屋と言った佇まいのこの場所へ、クロノに案内され、やって来たマタドール。

「…ここだ。この部屋にプレシア・テスタロッサは収監されている」

 宇宙船や潜水艦を思わせる分厚い密閉式の扉の前に立つと、クロノは足を止め背後の魔人へと振り返る。

「で? さっき医務室の脇で話した事、本当に出来るのか?」

 マタドールを見上げてクロノは言葉を向けた。

「ふむ。 まだ疑っているのかね? 執務官殿」

 それに対してマタドールは顎に手を当てながら、やや疲れ気味な声を漏らした。

「君が非常識な存在である事は十分理解しているつもりだが、流石に信じ難い…」

「まあ、国どころか世界そのものが異なるのだ。信じられぬ事であろうが──百聞は一見にしかずじゃ。しかと刮目されるがよい」

 渋面で心中を吐露したクロノへ、マタドールは大僧正へと変じながら、臆する事もなくそう言い切った。

「わかった…部屋のロックを開けてほしい。プレシア・テスタロッサと面会を行う」

「了解しました、クロノ執務官」

 控えていた武装局員がクロノの求めに応じ、扉横のパネルからパスコードを入力。隔壁じみた扉がゆっくり左右へ開いて行く。

 完全開放を待ちながら並び立つ二人。正面を見つめたまま、大僧正が口を開いた。

「…フェイト殿は?」

「既に控えてもらっている」

「ならばよし」

「それと、これは頼まれていた物だ」

 言いながら、クロノはポケットから蓋をして内部を液体で満たした試験管を取り出し、大僧正へ突き出す。

「うむ。感謝する」

「しかし、そんなもの何に使うんだ…?」

「まあ、楽しみにしているがいい」

 首を捻るクロノに笑いを返し、曖昧に答えながら大僧正は試験管を懐へ収める。

 そんな短いやり取りの後、二人は開き切った扉をくぐって室内へと足を踏み込んだ。








「何を…しに来たのかしら…?」

 ベットの上で上半身を起こしたプレシアは、部屋の入口に立ち様子を見守るクロノと、浮遊する大僧正へ視線を向け静かな声でそう尋ねてきた。

 病魔と疲労によるものか、己が望みが断たれた事により張り詰めていたものが切れてしまったのか。大僧正たちの目前に居るプレシアに、数

時間前の狂気に憑かれたかの如き言動は見当たらない。

「…一つ、尋ねたい事があってのう。故にこうして汝の枕元までまかりこした次第じゃ」

「尋ねたい事?」

 オウム返しに問い返し首を傾げるプレシアへ、「左様」と言いながら大僧正は手にしていた金剛鈴を目線の高さまで持ち上げると軽く揺らした。

 凛、と澄んだ音色が四方へと響き渡る。

「──プレシア・テスタロッサ、汝に問う。汝、亡き娘アリシア・テスタロッサとの邂逅を望むか?」




『────』




 金剛鈴の残響が室内に飛び交う中、三人の間に沈黙が訪れた。

「…何を言っているの? 貴方は…」

 やがて鈴の音が完全に消え去った後、プレシアは怒りを通り越し、「呆れた」と言わんばかりに疲れた眼差しを大僧正へと向けた。

「そんな事、聞くまでもないでしょう? 伊達や酔狂で私がこんな所に居ると思うの?」

「然り。故なればこそ問うておる。今この場にて亡き娘と会う気があるか? とな」

 再び訪れる沈黙。室内に重い空気が立ち込める。

「どういう、意味かしら? それは…」

 プレシアの視線が僅かに揺らぎ、小さな動揺が見え隠れした。

「まるで貴方が、『アリシアに逢わせる』と、そう言っているように聞こえるのだけれど…?

 貴方の持つジュエルシードを操る力を使おうというの? いくら願いを叶えるロストロギアとはいえ、死者蘇生なんて不可能な筈よ?」

 最もな意見だった。そんな手があるのならば、わざわざアルハザードに行こうとは考える筈がない。

「別段、蘇生させる訳ではない。死者の霊魂を認識出来るようにするだけじゃ。拙僧の降霊の術を使ってのう」

「降霊術…? いくつのかの次元世界に存在するとは言われているけど、実物を目にした事はないわね…」

 懐疑的な視線を向けてくるプレシアを、大僧正は呵々と笑い飛ばし、飄々とした態度を崩す事なく語り続ける。

「我らの世界ではさして珍しくもない術式じゃがな。古今東西、様々な魔術体系の中に降霊の術式が存在しておる。…最も、それらの大半は使

い手も無くなり、知識も散逸してしまっているがな。残るものも、そう遅くもないうちに消えてしまうであろう」

 九十七管理外世界──地球の魔法はミッドチルダや古代ベルカ以上に個人の才能や知識、精神性に左右されるものである。

 氏神や祖霊との血縁による遺伝性のもの。

 数十年の荒行の末に開眼するもの。

 前提として神仏や鬼、悪魔精霊の感知能力を必要とするもの。

 崇高な信仰心を求められるもの等々…敷居の高さは次元世界随一と言っても過言ではない。

 威力や汎用性はともかく、安定供給など皆無に等しく、術式によっては自分どころか家系そのものに呪いを残すような、安全性に欠くものまである。

 そのような技術体系であるが故に、地球では魔法は忘れられ科学の発展拡大にシェアを奪われたのだ。




 ──閑話休題。




「それを…その術を使えば、アリシアに逢えるというの…?」

 戸惑い、不安、迷いの念を感じさせる震える声で、プレシアが問う。

 信じ難い一方で、常識を打ち砕く魔人の力であれば、あるいは…と考えてしまっているのであろう。 

「然り」

 プレシアの問いに対し、大僧正は事も無げに「是」と答えた。ただし、と言葉尻に一言をつけ加えながら。

「これが汝にとって喜びたる吉となるか、嘆きたる凶となるかは、汝の受け止め方次第じゃ。それでも娘子に逢いたいかな?」

「馬鹿な事を…あの子に逢う為に、その為だけに私は外法にまで手を染めたのよ? その願いが叶うというのであれば、それが幸運以外の何だと言うの?」

 己の過ちに気が付いたとはいえ、二〇年以上もの間抱き続けていた、妄執にも等しい願望はそう易々と切り捨てられるものではない。大僧正

を見る彼女の双眸には、未だ我が子を取り戻さんとする執念の炎が燻っていた。

「…承知した。なれば汝の望み、叶えてしんぜよう──ナウマク・サマンダボダナン・エンマヤ・ソワカ」

 大僧正の口より、閻魔大王(ヤマ)の真言(マントラ)が紡がれた。

 その刹那、室内の空中にいくつもの青い燐光が生じる。

 無数の光は室内の一点──プレシアのベットの脇へと収束し、人の形を描いていく。

「あ──」

 役目を果たした光が纏まって宙へと舞い上がると同時に、周囲へ四散し空気へ溶けた。

 後に残ったのは、青白い光を纏う、フェイトによく似た半透明の少女が一人。

「アリシア…」

 感情が抜け落ち、呆けた顔でプレシアが呟きを漏らした。

「さて、永の時を超えた再会じゃ。存分に堪能するがいい」

「っ! …ふん。この程度の幻影、簡単な魔法で同じ事が出来るわ。拍子抜けもいいところね」

 大僧正の言葉に我に返ったプレシアはやや険のこもった視線を向け、吐き捨てるように言い放つ。

「ほう、まやかしとな? 汝にそう見えるか?」

 からかうような声色でわざとらしく首を傾げる大僧正。

 その態度が癇に障ったのか、プレシアの視線に孕む怒気が増す。

 しかし、その視線を向けられる魔人は気にした様子もなく、むしろ自らプレシアへ近付き、逆に洞の如き闇の双眸を彼女へ向ける。

「つまらぬ幻影であるというのであれば、何故見惚れた? 何故名を呼んだ?」

「っ!? それは──」

 枯れ枝のような腕を持ち上げ、プレシアへ指先を突きつけながら、大僧正は問いかける。

 声は穏やかだが、その言には「偽りは許さぬ」という気迫が込められており、プレシアはその思わぬ反撃に鼻白み、言葉を詰まらせる。

「汝は感じとった筈。己の魂で、心で。そこに居るのはまごう事無く己の娘であると」




 ──中華の地相占術、風水の中に陰宅風水と呼ばれるものがある。




 陰宅──即ち墓地の良し悪しを判断する風水術なのだが、この中に『祖先の骨は子孫と感応する』という思想が存在する。

 故に、陰宅風水では墓相を整えた場所に先祖の骨を埋葬すれば、良質な大地の気を吸い上げ、子孫にそれを伝播させて家系を栄えさせると言

われているのだ。

 何親等も血縁の離れた祖先の骨にすらそれほどの感能力があるのだ。ましてやアリシアはプレシア自らが腹を痛めて産んだ我が子、それも剥

き出しの霊魂だ。与える感応力、共感の力たるや如何程のものか想像もつかない。

 それをプレシアが見誤る筈がない。大僧正はそう確信していた。

「…………」

 大僧正の言に、愛娘を凝視するプレシアだったが──

「アリ…シア…?」

 しばらくの後、まるで熱に浮かされたような覚束ない言動で、ふらふらとベットから下りて、アリシアの元へと歩み寄っていく。

「アリシア…アリシア、アリシアッ!!」

 娘の前に立つと同時に、プレシアの固い表情が崩れ、関を切ったかように激情が溢れ出す。

 彼女は溢れ出す感情に任せるまま、アリシアの名を連呼した。

 だが──

「…………」

 当のアリシアは、母親へ一瞥もする事なく、膝を抱えたまま俯き、光の消えた瞳を床へ向け、ブツブツとうわ言のように「ごめんなさい、ごめ

んなさい」と呟き続けているだけであった。

「アリシアッ!? ママよ、貴女のママよ!?」

 プレシアの必死の呼びかけにも関わらず、アリシアに反応はない。

「なぜ!? 何を謝っているの!? なんで答えてくれないの!? アリシアッ!!」

 プレシアは、最早眼前の少女が偽物などと疑う気持ちは微塵もないようで、自らの呼びかけに一向に応じる気配が見えない事に半狂乱となり、

叫びを上げた。

「無理もない。その娘子は心を閉ざしておるのだ。汝の呼びかけは届いておらぬ」

「心を閉ざしているですって!? どういう事なの!?」

 横合いから発せられた言葉に、プレシアが髪を振り乱して踵を返し大僧正に迫る。

「当然であろう? 己の母親が嘆き悲しむ姿を、己と酷似した妹への行いを、この娘子はずっと見続けていたのだ」

「あ──」

 大僧正の言葉に、プレシアは間の抜けた声を上げ呆然と立ち尽くす。

 アリシアは亡くなったあの日からずっと己の狂態を目にしていたのだと、プレシアはようやく悟った。

「呼びかけようとも聞こえず、叫ぼうとも届かず、ただひたすらに母親の狂態を見せつけられ続けた」

「ああ…」

「だからこの娘子は謝罪の言葉を口にし続けているのだ。自分が死んだせいで母親が壊れてしまったのだと、自分が死んだせいで妹が辛く当ら

れているのだと…」

「あああ…!」

 たんたんと語る大僧正に対し、プレシアは体を震わせ大きくかぶりを振り、焦燥の色もあらわな必死の形相でアリシアの元へ駆け寄った。

 己の腕の中へ彼女を納めようとするが、その手は虚しく空を切り、少女の目も、母を捉えようとしない。

「アリシア、私よ!! 気付いて!! 貴女は悪くないの! もう謝らないで!!」

「…アリシア・テスタロッサも何度もそう思ったであろう」

 半狂乱状態のプレシアを冷静に見つめながら、大僧正が抑揚のない声でそう呟きを漏らした。

「しかし、汝は気が付かなかった。それも至極当然、汝は娘を取り戻そうとする妄執と狂気に憑かれ、生者の言葉にすら耳を傾けようとはせなんだ。

そんな状況で死者のか細き声など届く筈もない。

 …だから申したであろう? 『狂気に憑かれたが故に視えぬか。汝の傍らにて滂沱の涙を流し続ける己が娘の姿に』と──」

 その言葉は、大僧正たちが時の庭園に突入する前に言い放たれたもの。

「それは…それじゃあの時言っていたのは、フェイトの事じゃなくて…」

 あの時の言葉は、フェイトではなくアリシアを指したものだったのだ。

「死して冥府へ渡る事も叶わず、現世に戻る事も出来ぬ永劫の魂の牢獄…まさしく賽の河原じゃな」

 大僧正がアリシアの霊体を見つめながら、憐れむような静かな声でそう呟いた。

「賽の、河原…?」

「我らの国の死後の世界観の一つでな。親よりも早く死んだ童子は両親を悲しませたという罪によって、あの世の入り口たる三途の川のほとり、

賽の河原で石を積み、石塔を築く罰を課される」

 プレシアの声に大僧正が語り出す。

「しかし、その石塔は断じて完成する事はない。積み上がる間際になると、獄卒の鬼がやって来てそれを崩してしまうのでな。そして子供らは

泣きながらまた一から石塔を築き出す。父母への謝罪を口にしながら。両親への思慕を募らせながら」

「──っ、やめて…」

 ビクリと体を震わせ、両肩を己の腕で抱き締めながらプレシアが怯えてような声を漏らす。

「十字教の言うところの煉獄で永遠に焼き続けられるが如き有様よ。憐れなる童子たちは歌にも語られておる」




 ──一重積んでは父の為。




 ──二重積んでは母の為。




 ──三重積んでは西を向き、樒程なる掌を合せ郷里の兄弟が為と、あら痛はしや幼子は泣々石を運ぶ也。




 ──手足は石に擦れ爛れ、指より出づる血の滴。




 ──体を朱に染めなして父上恋し、母恋しと、ただ父母の事ばかり云うては其儘打ち伏して、さも苦しげに嘆く也。




 ──あら怖しや獄卒が、鏡照日の眼にて幼き者を睨みつけ、




 ──「汝らが積む塔は歪みがちにて見苦しし。斯ては功徳に成り難し。疾々是を積直し、成仏願へ」と呵りつつ、




 ──鉄の榜苔を振揚げて、塔を残らず打散らす。




 ──あら痛しや幼な子は、また打ち伏して泣き叫び…




「やめて! やめなさい!!」

 両耳を塞ぎ、プレシアがヒステリックな叫びを上げて大僧正の歌を遮った。

「お願いよ、アリシアを生き返らせて! 貴方なら、ジュエルシードを使いこなせる貴方なら出来るでしょう!?」

 プライドをかなぐり捨て、プレシアは泣き叫びながら大僧正の膝に縋りついた。

 そこにはもう冷徹な魔女の姿はなく、ただ我が子を求める哀れな女がいるだけだった。

「…先程汝自身が申したであろう? 死者を蘇らせる事など不可能であると。その言葉の通り死を覆すなど、この世のコトワリそのものを書き

換える業。たとえ神の身であろうとそのような真似は不可能じゃ。拙僧に出来るのは、この憐れなる御魂を逝くべき所へ送る事のみよ」

 泣きじゃくる幼子に言い聞かせるように、大僧正が静かな声でプレシアにそう諭す。

「あ──」

 大僧正の法衣を掴む手より力が抜け、プレシアの体が離れる。

「あはははははははははははははははははははははははははははっ!!!」




 狂笑。




 天を見上げ、プレシアは化鳥の如き壊れた笑い声を上げた。

「滑稽だわ…二十六年、二十六年よ!? アリシアを失ってから今日までの時間、私は娘を苦しめていただけだった…この四半世紀、全て無駄だった!」

 自らの額に手を当て、憐れな女が自嘲の笑みを浮かべる。

「…忘れればよかったと言うの? 捨ててしまえばよかったって言うの? 出来る訳ないでしょう!? この娘を捨てるという事は、私にとっ

て死ぬのと同義だわ! どうすればよかったというのよ…!」

 大僧正から離れたプレシアは床に両手をついて慟哭を上げた。

「忘れるのでも捨てるのでもない。『過去』を受け入れ『未来』へ歩んでいくのだ。耐え難き悼みもあろう、尽きぬ涙もあろう、止まぬ悔恨も

あろう。じゃがな、それでも生きていかねばならぬのだ。それが『現在』(いま)を生きる者の責務故に。

『過去』に囚われ『現在』『未来』から目を逸らすは、最早亡霊に憑かれているのと変わらぬ。…汝は、愛娘を怨霊にしたいのか?」

「っ! そんな事──」

 プレシアの否定の声を遮り、大僧正は懇々と彼女を諭す。

「それに、今日まで過ごした時は決して無駄ではあるまい。失ったもの、捨ててしまったものもあれど、手にしたものもあった筈。疎まれよう

とも蔑まれようとも、汝を母と慕う娘子が」

「今更…あの子に、フェイトに母親なんて言える筈ないでしょう…? 私にそんな資格なんてないわ…」

 ひざまづき、床に視線を落したまま、絶望に打ちのめされたプレシアは抑揚のない声で答える。

「ようやく本音を吐きおったか。しかし、万事を一人で決めつけるのは汝の悪癖のようじゃな…それならば直接当人に尋ねてみればよかろう」

 言いながら大僧正が、入り口でこちらの様子を見守っていたクロノへ目配せを来ると、頷きを返した彼が部屋の扉を開く。

「母さん…」

 開いた扉の向こうには物憂げな表情のフェイトがプレシアを見つめていた。

「フェイ、ト…?」

「ここに訪れる前に、執務官殿に依頼し我らの後に扉の前に待たせるよう言い含めておったのだ」

 顔を上げ、突如訪れたもう一人の娘を見つめて呆然と呟くプレシアへ、大僧正が事前にクロノと打ち合わせていた『頼み事』を開陳する。

「さて、フェイト・テスタロッサよ、魔人大僧正が汝に問う。…汝、今なお母への思慕に偽りはないか?」

「──はい」

 真正面からの問いかけに、フェイトは迷う事なく力強い頷きを返した。

「これまで存在した汝と母御との関係は、完全に壊れてしまった。それでもまだ、汝が娘として生きようというのであれば、並々ならぬ努力と

忍耐を要する事になろう…それでも母を慕い続けるのかね?」

「はい。時の庭園で母さんに伝えた通りです…」

「…………」

 プレシアは沈黙を守ったまま、フェイトの言葉に耳を傾けていた。

「左様か…なれば拙僧が言うべき事は何もない。後は汝ら親子次第であろう。後は──」

 言いながら、大僧正はフェイトから視線を外し、未だ俯き謝罪の言を口にし続ける、アリシアの霊体へと目を向けた。

「あの憐れな幼子の魂を救うのみ」

「貴方、アリシアをどうするの…?」

「二十六年もの間苦しんだのだ、もう解き放ってもよいであろうよ…」

 アリシアの下へと進む己の姿を目で追うプレシアの声に、視線を向ける事なく答える大僧正。

 正直反対の声を上げるかと思っていたのだが、プレシアは無言のままであった。

「…さあ迷い子よ。汝の魂に救いの手を! オン・カカカ・ビサンマエイ・ソワカ──」

 アリシアの霊体の眼前へと進み出たところで、印を組み紡がれたのは、釈迦入滅後五十六億七〇〇〇万年後に現れる救世主、弥勒菩薩の誕生

までの間、一切衆生を救済する役目を負った地蔵菩薩の真言。

 真言に合わせて発せられた柔らかな光が、アリシアの霊体を包み込んだ。

「ああ…アリシア!」

「アリシア──姉さん…!」

 光を発した娘を前に、プレシアとフェイトが声を上げたその時──

「ママ…? フェイト…?」

 今までどれ程呼びかけようともまるで反応もなかったアリシアが、顔を上げて二人を目にして声を発した。

「っ!? アリシアッ! そうよ、ママよ!!」

 その反応に驚きながらも、プレシアは転げそうな勢いでアリシアの前へと駆け寄って行く。

「ママッ…! やっとお話出来た…!」

 じわりと目尻に涙を浮かべ、アリシアは眼前の母の顔を見上げた。

「ママごめんなさい。私が死んじゃったから、ママが沢山悲しい目にあったんだよね…ごめんなさい、悪い子でごめんなさい…」

「違う…! 違うのよアリシア、貴女は悪くない! 私が、私があんな仕事早く辞めて、貴女と二人で過ごせる場所に行けばよかったのよ…

だからもういいの、謝らないで!」 

 プレシアはかぶりを振って愛娘の言葉を否定する。

 そんな母の様子に、アリシアは静かに首を振って寂しげな微笑を浮かべ、自分たちを見る妹へ目をやった。

「あ──」

 己の姉と目のあったフェイトは言葉を失い、そのまま互いに見つめ合う。

「ごめんねフェイト。私のせいで、フェイトを酷い目に遭わせちゃった。私、駄目なお姉ちゃんだ…」

「私、私は…」

 フェイトは姉の言葉に一瞬目を伏せるが、意を決したかのように顔を上げ真っ直ぐにアリシアを見つめて口を開いた。

「私、怒ってないよ…アリシアの、姉さんの記憶は途切れ途切れだけど、私の中にもある。だから母さんがどれだけ姉さんを愛していたか、姉

さんがどれだけ母さんを愛していたか、わかるから…だから怒ってない、怒れないよ」

 言いながら姉へと微笑みを向けるフェイト。 

「ありがとう。フェイトは優しい子だね…」

 アリシアも、妹へ笑みを返した。

「アリシア、もう放さないわ。これからはずっと一緒よ…」

 笑い合う二人を見ながらプレシアがアリシアに語りかける。しかし…

「駄目だよママ」

 それに対し、アリシアは悲しげな否定の言葉とともに首を横に振った。

「私はここには居られないの」

「アリシア…? 貴女何を言って──」

 プレシアが疑問を口にしかけ、その言葉失った。

 彼女の目前、まるで春の陽の如く暖かい光の中で、アリシアの体が足元からほどけるように徐々に空中へと散華していく。

「アリシア! 貴女、体が!」

「もういかないと…」

「いくって…まさか──」

 死者の辿り着く場所など、一つしかない。

「いや…いやよ! 居なくならないでアリシア! 私は、まだ貴女を幸せにしていないのに!」

 プレシアは消え行く娘をこの世に留めようと、半ば狂乱となって彼女をかき抱こうとするが、その手は霊体の身をすり抜け虚しく空を切る。

「…ありがとうママ。でも私、幸せだったよ。優しいママが居て、妹が出来て…」

「でも私は、私は二度も貴女を失う苦しみに耐えられない!」 

「大丈夫。ママは一人じゃない」

 言いながらアリシアはフェイトへ視線を向ける。

「姉さん…」

 ぎゅっと、胸の前で両の手を握り締め、

「だから、今度は二人で幸せになって…ママ、約束」

 既に下半身全体が消えているアリシアはプレシアへ手を伸ばし、そっと重ねた。

「あ──」

 愛娘のその姿に、プレシアはかつての花畑での語らいを思い出す。
 
「ああ、もう終わりみたい…」

「っ!? アリシア!」

「アリシア──姉さん…!」

 母と妹の四眼が、既に胸まで消えた肉親の姿に傾注される中、アリシアは自らの家族たちへ目を向ける。




 ──ごめんなさい




 ──ありがとう




 ──さようなら




 最後にアリシアは二人にそう告げると、儚げな微笑を浮かべたまま光に溶けて宙へと消えていった。




「逝ったか…」

 光の舞い上がる天井へ目をやり、大僧正は一人呟いた。

 ──こうして、一つの世界が滅亡の瀬戸際に陥る起因となった少女は、四半世紀の長きに亘って捕われ続けた魂の牢獄から解放され、天へと召された。

「願わくば、かの少女が来世にて幸多からん事を」

 アリシアの幸せを祈った後、悲しみに暮れるプレシアとその傍で佇むフェイトへと視線を戻した。

 その時──

「グッ!? ゴホッ!!」

「っ!? 母さん!」

 無理をしたのが祟ったのか、プレシアが突如咳き込み、口元を覆った手の間から吐き出した血が漏れた。

「私もここまでね…ごめんなさいアリシア。約束は守れそうにないわ…すぐに貴女の後を追う事になりそうよ…」

「そんな…」

 自嘲気味な笑みを浮かべるプレシアの言葉に、その身を支えるフェイトの顔が蒼白となる。

「申し訳ないが、そうはいかぬ。汝には現世に残り罪を償い、娘子との約束を果たしてもらわねばならぬ」

 プレシアの正面へと進み出た大僧正が、彼女の弁に抗する。

「…無駄よ。私の病状は知っているのでしょう? 末期の肺癌、医者も匙を投げるようなレベル。何をしようと無意味よ」

「っ! そうだ、貴方なら…あの時私を助けてくれたっていう治癒魔法なら──」

 希望を見い出したフェイトが大僧正へ縋るように哀願の視線を送ってくる。

「『常世の祈り』の事かな? 駄目じゃ、あれは外傷にしか効果がない。体の奥深くにまで浸透した病巣の除去が出来る魔法など、拙僧は知らぬよ」

「それじゃ、母さんは…」

 かぶりを振ってフェイトの考えを否定する大僧正に、少女は考えたくもない結末を想像し、その顔が蒼白となる。

「じゃがな、フェイト殿。拙僧も悪足掻きをしてみた」

「え──」

 己が懐へ手を入れながら発っした大僧正の言葉にフェイトが呆けた声を上げた。

「ジュエルシードよ、我が意に従え…!」

 懐から室内に入る前にクロノから受け取った試験管を取り出し、右掌中へ握り込みながら大僧正が命を発す。

 試験管を握る大僧正の右手全体がマガツヒの赤い光で覆われていく。

 すると、試験管の中に浮かぶピンク色の「何か」にマガツヒが吸収され、赤い燐光を放つ怪しげな物体と化した。

「出来たか…」

 試験管を顔の高さまで持ち上げ中身を確認すると、大僧正は封を解き、中身を大気へと晒す。

「後はこれをプレシア殿へ」

 言いながら試験管の口をプレシアへと向けると、赤い物体は弾かれたように飛び出し、プレシアの胸に命中。その体内へと吸収された。

「グッ!?」

「母さん!!」

 その衝撃にプレシアはくぐもった悲鳴を吐き、フェイトが悲鳴を上げる。

「案ずるなフェイト殿。拙僧が治療を施しただけよ」

「治療…?」

 心配そうに母と魔人の顔を交互に見るフェイトに、大僧正が頷きを返す。

「グゥッ…! か、体が熱い…!」

「っ!? 母さん、本当に大丈夫なの!?」

 胸を押さえて苦しみ出したプレシアを支えながら、フェイトが疑問の声を上げる。

「末期症状の癌である上に全身に転移までしているのじゃ、多少の熱や痛みは堪えてもらう以外にない。なにせ、全身の細胞を入れ替えている

ようなものである故な。…しかし、このまま苦しませるのも酷じゃろうし、暫し眠ってもらうか」

「あ──」

 大僧正が人差し指をプレシアの眼前へ突き出し、くるりと円を描くと糸が切れたように体が

崩れ落ち、そのまま意識を失う。

 魔人は彼女の体を念動力で持ち上げると、驚くフェイトの目の前でベットの上へと運んだ。

「細胞の入れ替えって…?」

「簡単に言ってしまえば、癌に侵された体の部位を丸ごと排除して新しく再構築するという事じゃ」

 大僧正はプレシアを寝かせると、己の発言が理解出来ずに眉を曇らせていたフェイトに、

その意味を噛み砕いて説明する。

「この試験管に入っていたのは、プレシア殿の体細胞でな。先程の医療班が治療を行っていた際に採取した物を、クロノ執務官殿に頼み込んで

渡してもらってのう。拙僧はこれを使って人工の幹細胞──あらゆる種類への細胞へと分化可能な、実質上の万能細胞へと作り変えたのじゃ」

「ちょっと待て!!」

 大僧正の説明を遮り、今まで入り口で沈黙を守っていたクロノが声を上げた。

「万能細胞!? それもこんな短時間で体組織として成り立つような高速培養だって!? 無謀だ、人体にどんな悪影響が出るかわからないぞ!?」

 クロノの驚きも最もであった。現実の地球においてもES細胞やIPS細胞は既に技術として提唱確立されているものではあるが、未だ実験

段階の状態で、実用化のめどは立っていないのだ。

 それも高度な医療設備のある施設ならばともかく、こんな独房の一角で裁判も受けていない容疑者にそんな真似をされれば気が気ではないだろう。

「僕はてっきり、君の魔法でどうにかするものだと思っていたぞ!? こんな無茶をするとわかっていたのなら、細胞サンプルなんか渡さなかった!」

「失礼じゃな執務官殿、拙僧とて確証も無しにこんな真似はせぬわい」

「──勝算はあったというのか?」

 激昂するクロノを大僧正はカラカラと笑い飛ばしながら説明を続ける。

「うむ。これは拙僧の適正因子を用い、ジュエルシードそのもので治癒を施したのじゃよ。完全に力を御す事が出来る故にな」








 ──令示はずっと考えていたのだ。プレシアを病気をどうにかする方法はないものかと。

 魔人たちの回復魔法は、先程言った通りに外傷や、一部のバッドステータス解除位にしか使えず、病気をどうにかする力はない。

 女神転生シリーズでも、何人ものサマナーや異能者が病気で死んでいる。この事から鑑みるに、魔法で病気を治す事は不可能と考えるべきだろう。

 本来ならばこの時点で手詰まりなのだが、令示は頭を捻り反則とも言える方法を思いついた。

 体内のジュエルシードとその適正因子とを利用するという方法を。

「暴走したジュエルシードを見ればわかる事であるが、殆どの暴走体の力は普通に考えてもあり得ぬ、無茶苦茶な領域のシロモノじゃ。

 自己再生、質量増幅、元素変換、高速進化、環境適応等々…物理法則や進化論に喧嘩を売るような能力の数々…じゃがな、もしこれらの能力

を暴走させる事なく、しっかり手綱を握り締め制する事が出来たならば、どうかな?」

 人差し指を立てて説明する大僧正を、フェイトとクロノは無言のまま食い入るようにみつめる。








 …ヒントになったのは「ジョジョの奇妙な冒険」の四部と五部だった。

 四部の主人公、東方丈助が己のスタンドで母親の体を高速でブチ抜き瞬時に再生させ、体内に侵入した敵スタンドを生け捕りにした技法と、

五部の主人公、ジョルノ・ジョバーナの能力を応用して体の欠損した部位を復活させる技法。この二つをモデルに、令示はプレシアの病気の根

治を試みたのだ。

「手始めに拙僧は暴走体たちが見せた数々の異能を完全に掌握し、手中の細胞サンプルへジュエルシードの力を集中させて己の望む形へと改造した」

 まずは老化の原因となる体細胞中のテロメアDNAの短縮をストップさせた後に再生させ、細胞分裂の限界値であるヘイフリック限界を引き伸ばす。

 更にリンパ液や血液を介して転移してきている癌細胞を排除、細胞を完全にクリーンな状態にした。

 そして、大僧正は改造した細胞サンプルのゲノム情報をジュエルシードに解析させて、プ

レシアの体に適合する人工の幹細胞──あらゆる種類への細胞へと分化可能な、実質上の万能細胞へと作り変えたのだ。

「更には進化能力と環境適応能力を応用して逆に癌細胞を浸食破壊するようにしておいた。ついでに癌細胞を徹底的に攻撃する抗体を、血中と

リンパ液の中に解き放っておる。再度の転移防止対策も抜かりはないぞ。

 …しかし、流石に一つ二つのジュエルシードではこのような力技は不可能であったがな。九個ものジュエルシードであればこそ出来た荒技じゃ」

「無茶苦茶だ…」

 愉快そうに笑う大僧正の脇で、クロノが頭を抱えて呟いた。

 無理もない。彼がやってのけた行為は老化現象の防止措置や、臓器移植問題等に真っ向から喧嘩を売る、オーバーテクノロジーの連続だ。

「それじゃ、母さんは助かるの…?」

「無論。その為に施術を行った故な」

「あ──ありがとう…!」

 フェイトの疑問に、大僧正が力強く頷きを返すと、彼女は不安げな表情を笑顔へと転じさせた。

「ふむ。だがこれからが苦難の時であるぞ、フェイト殿」

 フェイトの感謝の言葉に頷きながらも、大僧正は洞のような目を向けると、やや厳かな態

度で彼女へ語りかけた。

「これまで存在した汝と母御との関係は、完全に壊れてしまった。それでもまだ、汝が娘として生きようというのであれば、並々ならぬ努力と

忍耐を要する事になろう…」

「──はい」

 真正面からの問いかけに、フェイトは迷う事なく力強い頷きを返した。

「私は…私と母さんは最初から擦れ違っていたんだと思う。母さんは私に姉さんを重ねて、私は姉さんの記憶越しにしか、母さんを見ていなかった…

 二人が二人とも、姉さんを通してしか相手を見ていなかった。そういう意味じゃ、私たちは親子にすら成れていなかったんだと思います」

「だから」と顔を上げてそう言いながら、ベットで眠るプレシアに近付いていくフェイト。

「一から始めようと思うんです。今度は姉さんの記憶越しじゃない、フェイト・テスタロッサとプレシア・テスタロッサの親子としての関係を…」

 彼女は眠る母親の手を優しく握ると、大僧正の方へ振り返り、微笑みを浮かべた。








「これで一件落着、じゃな」

 フェイトとプレシアをそれぞれの独房に戻し、クロノと大僧正はブリッジへと続く道を並んで歩いていた。

「まだ終わっていないだろう? プレシアとアリシアとの約束はどうするつもりだ? このまま裁判が行われれば彼女の幽閉は免れないぞ」

 安心したように声を漏らした魔人へ、クロノが浮かない顔で指摘する。

「その件か…それならば問題あるまい──もう手は打ってあるぜ、クロノBOY」

 クロノの方を向きながら、法衣の木乃伊がヘルズエンジェルへと変じつつ、明るい声で返事をした。

「今度は何をしたんだ…?」

「ま、その辺の細かい話は全員揃ってから話そうぜ」

 予想外の展開の連続で、疲れ切った声を漏らすクロノに、ライダースーツの骸骨は笑いながらブリッジへ続く扉を開く。 

「クロノ君、大僧正さ──じゃなくて、ヘルズエンジェルさん、おかえりなさい!」

「ていうか、また変身したの?」

 ブリッジに入った二人の姿を目聡く見つけ、ぱっと花の咲いたように笑みを浮かべて駆け寄って来るなのはと首を傾げているユーノ。

「二人ともお疲れ様。『アリシア・テスタロッサの亡霊とプレシアを対面させる』と言われた時には半信半疑だったけど…結果的には許可を出

してよかったわ」

 なのはたちに続き、艦長席から立ち上がったリンディもまた入り口の方へと歩み寄り、ヘルズエンジェルたちへ労いの言葉をかける。

 ブリッジのモニターからプレシアの部屋での様子を見守っていたリンディたち三人の顔には、無事に面会が済んだ事への安堵の色が浮かんでいた。

「只今戻りました艦長」

「フフン。だから言ったろう、リンディ姉ちゃん。問題無いってな」

「姉ちゃんはやめてと言ったでしょう…」

 胸を張って言い切るヘルズエンジェルに対し、こめかみに手を当て溜息を吐くリンディ。

「…まあ、それはともかく大僧正さんのあの隠し技…降霊術には驚かされたわ。実物を目にしたのは初めてだったし」

「全くです。しかし、治療の方は一言くらい事前に説明位して欲しかったぞ」

 クロノは言いながら、隣に立つヘルズエンジェルへ非難のこもった眼差しを向ける。

「まあいいじゃねえか。そっちだって喜んで許可出したんだしよ」

「君が『プレシアに会わせなきゃ無理矢理にでも会う』って言い出すからだろうが! 許可を出したのだって、目の届かないところで無茶され

る位なら、こちらの監視下でやられた方がマシだったからだ!」

 肩を竦めておどけるヘルズエンジェルに、クロノが吼えた。

「にゃはは、まあまあクロノ君落ち着いて…」

 と、苦笑を浮かべてなのはがクロノを宥める。

「まあそう言うなよクロノBOY。生身のお前さんには『視えない』だろうが、悪魔の身の俺にはプレシアの脇で膝を抱えて泣いてるアリシア

の姿が、ずっと『視えて』いたんだぜ? アレを放っておくなんて出来ねーよ。

 この国の諺にもあるぜ。『泣く子と地頭には勝てぬ』ってな。それとも、泣いてるだけのガキなんざ無視しろってか?」

「そんな事は言っていないだろう? 僕は筋を通せと言っているだけだ。…そういう言い方は卑怯だぞ?」

「HAHAHA! 卑怯狡いは大人の得意技だ。よく覚えておきな執務官」

 唇を尖らせるクロノを、ヘルズエンジェルは笑いながら軽くいなした。

「でも、フェイトちゃんもアリシアちゃんもプレシアさんも、これでもう大丈夫だよね?」

「うん。色々あったけど、みんなが納得いく形で終わったしね」

 なのはの言葉に、ユーノが大きく頷き笑みを浮かべる。

「いや、まだ終わっていないよ。さっき廊下でヘルズエンジェルにも言ったが、プレシアとアリシアとの約束がどうにもならない。このまま本

局で裁判が行われれば、プレシアは間違いなく懲役刑が課せられる」

「あ──」

「そうだった…」

 明るい表情から一転、なのはとユーノの顔に不安の影が差した。

「んで、俺の出番という訳さ」

 と、そこで親指を立て自身の胸を指しながら、ヘルズエンジェルが自信たっぷりな様子で声を上げる

「それは廊下で聞いたよ。早速聞かせてもらおう、今度は何をやるつもりだ?」

「おう、実はだな──」

 ジト目で睨みつけてくるクロノへ口を開こうとしたその時──

「おーいヘルズエンジェルさーん!」

 ヘルズエンジェルたちの元に、エイミィが声をかけながら近付いて来た。

「おう、丁度良かった。エイミィ嬢ちゃん。例の件はどうだい?」

 己の目に現れたエイミィに、丁度いいとばかりに語りかけるヘルズエンジェル。

「うん。ホントにヘルズエンジェルさんの言う通りで驚いたよ…」

「例の件?」

 聞き覚えのない話に、クロノは首を傾げる。

「たった今話そうとしていた件についてさ。ここじゃ何だから、場所を変えて話そうか…」

「じゃ、ミーティングルームで。あそこなら資料を開示するのも楽だし」

「あっ! おい、ちょっと待て!」

 勝手に話を纏め、さっさと移動を始める二人の後を慌てて追いかけるクロノに続き、残ったなのはたち三人も狐につままれたような面持ちで

その後について歩き出した。








「──さて、まずは状況を整理する意味でも情報をおさらいしてみようか」

 海中のジュエルシード回収の一件で、なのはたちがリンディにお叱りを受けた、アースラのミーティングルームにやって来た一行は、座席に

腰掛け、一人立ったまま説明を始めたヘルズエンジェルに注目していた。

「今回の事件はプレシア・テスタロッサが、次元干渉型ロストロギア『ジュエルシード』を入手し、失われた技術の眠る伝説の地、アルハザー

ドへの道を開こうとした事から始まった。そしてその起因となったのは、二十六年前のミッドチルダのアレクトロ社にて彼女個人が開発してい

た次元航行エネルギー駆動炉『ヒュードラ』起動実験の際の暴走だった。

 …それによってプレシアは愛娘であるアリシア・テスタロッサを失った上に中規模次元震を起こした事によって中央を追われてた。とまあ、

こういう経緯だったよな?」

 言いながらヘルズエンジェルが確認の意味も込めて全員の顔を見回すと、肯定の頷きを返してくる。

「しかし俺はここで疑問を感じていたんだ。次元震なんか起こしたってのに、なんで都落ち程度で済んでいるんだ? とな

 んで、疑問に思った俺はエイミィ嬢ちゃんに頼んで裁判記録や当時のニュース、新聞記事、それに管理局の事故調査資料なんかを取り寄せて

もらったんだ。ああ、さきに言っておくが一般人でも見れる公開文書だけだぞ? 流石に機密文書まで見せろとは言っていないから安心してくれよ?」

「部屋から出てこないと思っていたが、そんな事をしていたのか…」

 クロノがヘルズエンジェルのアースラでの生活ぶりを思い出しながら、呟きを漏らした。

 海上での封印作戦の後、ヘルズエンジェルがエイミィに頼んでいたのはこれだったのである。

「それでなのはたちが一時帰宅している間、俺はアースラで宛がわれた部屋にこもって、それらの資料に目を通していた訳だが…ますます腑に

落ちない事が見つかった。まず裁判だが、プレシアは民事裁判だけでしか裁かれていない。刑事の方は影も形もないんだ」

「その辺りはこちらも把握しているわ。アレクトロ社はプレシアが民事で自分の過失を認める事で被害届は出さない──つまりは刑事裁判は行

わないという方向で和解が成立したという事になっているわね」

 ヘルズエンジェルの言葉に詳しい説明を補足するリンディ。

「あ、あの…民事と刑事って何ですか? 裁判に違いなんかあるの?」

 と、そこでなのはがおずおずと手を上げ、申し訳なさそうに疑問を口にした。

「ああ、まあ普通の小学生にゃ違いなんかわからねえわな。簡単に説明するとだな、民事裁判ってのはこの土地は誰の物とか、この財産は誰の

物とか、離婚するから慰謝料払えとか、そう言った私的──プライベートな争いを解決する為にやる裁判の事だな。

 で、もう一方の刑事裁判の方は犯罪者の有罪無罪、有罪の場合はその罰の軽重を決定し、裁く為の物だ。一応両者分けて区分されているが、

場合によっては同じ出来事が民事刑事の両方で争われる時もある」

 わかったか? と尋ねるヘルズエンジェルに、なのはは大きく頷きを返した。

「で、問題はその刑事裁判なんだが、これがどう考えてもおかしいんだ。『ヒュードラ』の暴走事故が起こったのは郊外とはいえミッドチルダ

──次元世界の中心的な場所だろう? 日本で言えば東京の西側、青梅や多摩辺りで大爆発があったようなもんだ。いくらアレクトロ社の研究

所敷地内での事だろうとも、付近の住民、企業からすれば相当にショッキングな出来事だろうよ。更には人的被害でアリシア・テスタロッサが

死亡している。にも拘らずだ、管理局はアレクトロ社の被害届以前に殺人──刑事事件での可能性を一切考慮していないんだよ。その証拠に、

管理局は事故現場の検証を行っていない」

「「なっ!?」」

 抑揚のない言葉で静かに述べられた事実に、ハラオウン親子が驚きの声を上げた。

「現場検証をやっていないだって!? そんな馬鹿な!」

「本当なの、その話は…」

「残念ですが、本当です」

 疑問を投げかける二人へ返答を行ったのは、ヘルズエンジェルではなく、エイミィであった。

「事件性は低く、プレシア・テスタロッサの安全管理不備による事故として処理すると、当時調査にあたっていた管理局員から提出された書類

にそうありました」

「正気か? 当時の刑事部は…」

 信じられないと言いたげに顔を顰めるクロノ。

 なのはとユーノは動揺する管理局の面々を見て、話についていけずに当惑の表情を浮かべる。

「現場検証、要するに事故事件の起きた場所を調べるのは、その時現場で何があったのかを知る為の重要な作業だ。なのはも刑事もののドラマ

とかで、指紋を調べている警察の鑑識とか見た事あるだろう?」

「あ、見た事あるよ。あの綿みたいのでポンポンってやるのだよね」

 それを察したヘルズエンジェルが捕捉を行うと、なのはが得心のいったように寄せていた眉を緩めた。

「そうだ。その重要な現場検証をやらずに済ましたって事は、管理局もアレクトロ社の事故報告資料を鵜呑みにしたに違いない。当然、裁判の

方もこの資料を中心に争われた事になるな。

さて、そうなるとプレシア・テスタロッサにはとことん不利な状況になる。何と言っても当時の彼女は『ヒュードラ』の開発主任であり、安全

基準責任者なんて肩書まで持っていたしな。全責任をひっ被させられるのは自明の理だろう」

 会社という「大」を守る為にプレシア個人という「小」を切り捨てる。古今を問わず、往々にして組織とはそういうものである。

『原作知識』とエイミィに取り寄せてもらった資料で考えを纏めていたヘルズエンジェルは、そこで更なる爆弾を投下した。

「だが、ここまで見事なお膳立てをされているとなると、アレクトロ社と管理局がグルだったと考える方が自然だ」

「なんだって!?」

 クロノはその言葉に目を見開き、先程以上に大きな声を上げた。

「ここでそこまで言うからには憶測じゃなく、証拠を掴んだという事かしら?」

 それに対してリンディは表情を崩す事なく固い声でヘルズエンジェルへ問い返す。

「その話はもう少し後でな。今は「アレクトロ社と管理局の関係がどうにも怪しい」と、その位の認識を持ったままで聞いていてくれ」

 ヘルズエンジェルは飄々とした態度を崩す事なく話を続ける。

「アレクトロ社と管理局の黒い繋がり…それを意識して『ヒュードラ』開発の件を調べ直すと、ますます疑問が生じてくる。

 まず、裁判記録に添付されていた開発資料も見たんだが、技術関連にゃ素人の俺でもわかる位に無茶苦茶だった。開発の途中で追加された仕

様や設定は数え切れないほど。資料上はプレシアが『独断でやった』という事になっているが、どんなマッドサイエンティストでも、こんな無

謀はありえねえ」

 人を乗せて運ぶ船の動力部分なのだ。その設計開発には慎重に慎重を重ねるが当たり前である。

 ましてや長期継続運用が前提のものが、こんな異常な開発状況でまともに動くとは思えない。技術職でもない令示にもわかる理屈だ。それが

優秀な科学者であったプレシアにわからない筈がない。

「それにだ、会社ってのは利益を追求する組織だろ? 開発の責任者はプレシアだったとは言え、彼女個人の研究ならばともかく、当時の彼女

はアレクトロ社に所属し、研究の設備も人員も全て会社側が所有していた。たとえ結果を出したとしても、勝手な行動を理由に研究成果を会社

に全て奪われる可能性だってゼロじゃない。つまりプレシアには独断専行をやったとしても、得られるメリットは何もないんだよ」

 ここでプレシアの独断専行の動機の一つとされた、立身出世という理由が完全に消える。

「それに、研究の最終的な管理監督は会社側の責務だろう? それがこんな無茶な仕様を見逃した挙句、最終的な暴走まで気付かなかった? 甚だ疑問だ。

 事故が起これば会社がどれだけの損害を被るか馬鹿でもわかる筈だ。『ヒュードラ』の暴走の件も、いくら背後に管理局が付いていたと仮定

しても、民事の和解のみで決着がついたのは奇跡だろう。下手をすれば会社そのものが吹っ飛んでもおかしくないレベルの事故だった筈だ。そ

れを見逃し続けていた? ハッ! あり得ねえ、どれだけ綱渡りな運営だよ? ここまでくればもう、アレクトロ社は黒確定だ。どう考えても

会社主体で開発を急がせた挙句、暴走事故を起こしてプレシアに全責任を押しつけたと断定できる」

「それじゃプレシアさんは…」

「利用された揚句に罪人にされたという事…?」

「しかしそれならば尚更、管理局がグルとは考えにくくないか? そんな無茶をする会社と結託する等、懐に爆弾を抱え込むようなものだ。リ

スクばかりで旨味が無いぞ?」

 社会のダーティーな面を垣間見て、驚き戦慄するなのはユーノを尻目に、当然の疑問を口にするクロノ。

 それに対してヘルズエンジェルは人差し指を立てて左右に振り、否定のサインを送る。

「チッチッチ、クロノBOYそこで逆転の発想だ。「旨味もないのに何故グルになった?」ではなくて、「グルにならざるを得なかった」と考えるんだよ」

 その言葉に首を傾げるクロノ。

「「グルにならざるを得なかった」?」

「そのカギとなるのが『ヒュードラ』だ。まず、何故こんなに開発を急ぐ必要があったのか? 裁判での名目上はプレシアが独断専行をしたと

なっている。しかしさっきも言ったが、アレクトロ社が開発を急がせたとなれば、ソレを買う客が居たという事だ。発注元は大手の次元航行船

製造メーカーという話だが…

 さて、クロノ執務官ここでクイズだ。新型エネルギ―駆動炉を搭載した次元航行船、こんな糞高い代物をポンポン買ってくれるような組織、

団体、個人…その中でも一番の大口顧客と言えるような存在は何だと思う…?」

「…?」

 言葉の端々に笑いを交えながら紡がれた問いに、クロノは訝しげな表情で首を傾げつつも口元に手を当て思考を巡らせ──

「──っ!? まさか…!」

 目を見開き、震える声で顔を上げる。

「次元航行船舶を最も多く所有、運行している組織…時空管理局」

「BINGO! 正解だクロノBOY。エイミィ嬢ちゃんの話じゃ常時一〇〇隻以上の船が動いているらしいじゃねえか。こんな大口顧客、逃

がす馬鹿は居ねえよな?」

 クロノの様子を眺めながら楽しそうにヘルズエンジェルは語る。

「次元航行船の売買契約により動く大金目当ての結託…それが貴方の言った次元航行船のメーカーを仲立ちにした形の、アレクトロ社と管理局

の結託の理由という事かしら?」

 動揺するクロノとは対照的に机に両肘をついて顔の前で手を組んだリンディが、ヘルズエンジェルの動向を探るように静かな声色で問いを投

げかけてきた。

「Exactlyだリンディ姉ちゃん。これなら管理局側の初動捜査の不手際も納得いくだろう? そのメーカーと管理局は相の蜜月な仲だったんだろ

うよ。当然、アレクトロ社の連中もそのおこぼれにあずかっていたんだろうがな。

 現場検証が行われなかったのも、捜査を許して芋づる式に管理局と企業の結託が明るみに出ないようにする為だ。いや、ひょっとすれば司法

部にも手を回して、裁判を有利に運ぼうとしたって可能性もある」

「ちょっと待て! 最初からアレクトロ社と管理局がグルだというのであれば、なんで『ヒュードラ』開発が無謀を極めたんだ!? 裏で組ん

でいたというのであれば、こんなにも急速な開発を行う必要などないだろう!?」

「そう、そこで浮かぶ当然の疑問だな。管理局と組んでいながら、アレクトロ社は何故『ヒュードラ』の開発を急ぐ必要があったのか? モチ、

その答えも用意して居るぜ──エイミィ嬢ちゃん」

「ハイハーイ」

 クロノの詰問にも慌てる事なくヘルズエンジェルはエイミィへ資料の開示を促した。

 エイミィの十指がコンソールの上を駆けると同時に、机の中心に添えられた宝玉より中空へ画像が投射され、全員の視線を集めた。

「まずはこれだ。管理局の公開文書の中にある競争入札の記録だ。見ての通り、例のメーカーがかなりの割合で落札を勝ち取っているのがわか

るな。納入品目は…公用車に、ヘリ、次元航行船と。まあ糞高いシロモノのオンパレードだな。さぞかし笑いが止まらなかったろうよ」

 記載された品目を呆れ混じりの溜息とともに、ヘルズエンジェルが読み上げる。

「まあそれはさておき、問題はこれだ。新暦三十七年に管理局から公布された資料なんだが、ここに気になる一文があった」

 ヘルズエンジェルが指差した個所に書かれていたのは、管理局の次元航行戦艦の採用方式変更に関するものだった。

「管理局次期主力次元航行戦艦は入札制ではなく、トライアル方式の採用を決定したと記載されている」

「…そういう事か。今までのやり方が通じなくなっての苦肉の策の挙句が、あの結果だったと…」

「トライアル方式?」

 聞き慣れない言葉に、再び眉を寄せて疑問の表情を作るなのは。

「トライアルってのは決められた金額やテーマに沿った品物を設計させて出来た試作品を試験して、総合的に優れている方を採用、購入する方

式のことだ。ちなみに入札制度ってのは売り側が「うちはこれで売ります、工事します」って金額を書いた紙をみんなで箱に入れて、一番安い

金額のところの商品を購入をするって方式だ」

「入札制度はもともと不正が問題視されていた制度だったの。それを改める為のトライアル方式の採用だったのだろうけど…」

 リンディが眉を顰め、説明の捕捉をする。

「それが事故を引き起こす一因になっちまった。例のメーカーの連中もアレクトロ社もそれはそれは焦った事だろうよ。何せトライアルはある

程度の情報は公開されるし、不正に絡まない管理局の高官や管理世界のVIPが発表の場に招かれる事だってある。

 あまりに性能の低い船を出して、それが他を押しのけて採用されようものなら、すぐに癒着を疑われる。当然、談合なんて真似は出来ない。

 つまりこの時、例のメーカーとアレクトロ社は、何が何でも顧客の──管理局の求めるスペックの次元航行船を用意しなきゃならなかったん

だ。それも早急にな」

「それが、『ヒュードラ』開発を急がせる事となり、無茶なタイムスケジュールで実験を強行し、結果暴走。アレクトロ社と管理局は事件が大

事になる前にプレシアに全責任を押しつけ、全てを闇の中に沈めたと…」

 ヘルズエンジェルのこれまでの話を整理する意味で、クロノが簡潔に纏める。

「で、最後に連中のグルの裏付けだ。エイミィ嬢ちゃんに可能な限り調べてもらったぜ」

「ヘルズエンジェルさんに頼まれてたのは、アレクトロ社と例のメーカーの資産、有価証券、株式の保有比率、会社役員及び取締役の人員とそ

の詳しい経歴、主な取引先に銀行、関連企業に子会社、運営資金の状況、流通等々…」

 エイミィの言葉とともに、次々と中空のモニターに浮かぶ数々の書類データ。

「こっち俺も見れない機密文書の類もあったんでエイミィ嬢ちゃんに頼んでたんだが、さっきブリッジで話した通りバッチリだったようだな」

「うん。子会社の取締役や相談役に…ほら」

「これは…!?」

 書類データにいくつものアンダーラインが走ると、クロノとリンディの表情に驚き満ちる。

「管理局の元高官、将校…知っている人だけでもこんなに…?」

「優先的な売買契約の見返りに再就職斡旋という名の利益供与…癒着か!」

「天下りってヤツだな。まあ国が関わる独立行政法人不正でなくて、完全な民間企業って所が俺らの国とは違うが…世界が違うと、この辺の法

律の絡みも、多少は違うみたいだな。しかも管理局退職後、ご丁寧にも数年間の空白期間を設けた後の就職となっているから、法律上問題が無

い。それに、金の流れや決定的な証言が無い以上、これらのデータは所詮疑惑止まりになるだけだろう………が、もしもプレシア・テスタロッ

サの裁判前に、こんな物が次元世界中にばら撒かれたりしたら大変な事になるなぁ、執務官?」

 言葉に笑いを含ませ、ヘルズエンジェルがクロノを見る。

「管理局に好意的な世界も、世論がひっくり返りかねないスキャンダルだ。次元世界はさぞかし楽しいお祭り騒ぎになる事だろうぜ。清廉潔白

な筈の管理局が悪魔の所業! 一人の母親から娘を奪った上に、罪をなすりつけてその人生を狂わせた! ってな」

「…それは脅しか?」

 睨むようにヘルズエンジェルへ視線を叩きつけるクロノ。

 しかし当の本人はそれを「意外だ」と言わんばかりに肩をすくめる。

「おいおい、なんでそうネガティブに取るかねえ。こいつはあんたらにとって『美味しい』お話だぜ?」

「私たちにとって?」

 怪訝そうにリンディが聞き返す。

「確かにこの話題をブチ撒けただけなら大騒ぎなだけだろうさ。しかしだ、そこに『ハラオウン親子が自ら身内へ大鉈を振るい、管理局の不正

を正した』ってオマケが付けばどうだ?」

「君は、僕らにこの癒着構造を叩けというのか…?」

「管理局でまともな知り合いなんてあんたらしか知らねえしな。あんたらが上に行ってくれれば、俺としても色々やりやすいし、なにより、知

っちまった以上、そのままに出来ねえだろう? 堅物の執務官殿としてはな」

「むう…」

 からかうように尋ねるヘルズエンジェルを面白くなさそうに睨むクロノ。

 両者はしばし睨み合った後、クロノは大きく溜息をついて視線を落とした。

「わかった…この資料を元に二十六年前の事件の見直しと管理局の癒着構造の内偵調査を行おう。僕としてもこの件を有耶無耶にするつもりは

ない。この事件の背景が明らかになれば、プレシア・テスタロッサにも情状杓状と恩赦が出る公算が高いしな」

「っ!? それじゃ!」

 目を見開き声を上げるなのは。

「ああ。この情報が確かならば少し時間がかかるだろうが、プレシアは娘と一緒に暮らせるようになるよ」

「よかった、フェイトちゃん…」

 クロノの説明になのはは安堵し、胸を撫で下ろす。

「おいおい、こんだけお膳立てしたんだぜ? これで証拠が出なかったら、単に調査がヘボかったってだけだろうが…」

「調査に手を抜くつもりはない! 不正が確かなら、絶対に証拠を上げて見せる!」

 呆れたようにつっ込むヘルズエンジェルへ、クロノはムキになって言い返した。

「まあまあ、落ち着きなさいなクロノ。ところで、ヘルズエンジェルさんは随分と法律関係に詳しいようだけど、どうしてそこまで知っているのかしら?」

 笑いながらクロノを宥め、ヘルズエンジェルへと目を向けたリンディが。静かに質問を投げかけてきた。

「なに、俺は法曹界志望でね。世界が違おうが人間の考える事なんざ基本一緒だ。不正関連も同じようなもんだと考えて動いていたんだが、案

の定だったってだけさ」

「ふうん、『これから』法曹界を目指すという事は、こちらの世界ではまだ未成年、もしくは成人したばかりという事かしら?」

「チッ、喋りすぎたか…あんたも結構な狸だな」

「フフ、やられっ放しは性に合わないのよ」

 頭を掻きながらぼやくヘルズエンジェルを、リンディは笑いながら軽くあしらった。








「フゥ…」

 ミーティングルームでの会談を終えて、「今後の件で話し合うから」と言われて部屋を追い出されたヘルズエンジェルは、通路上のベンチに

腰掛けると天井を見上げながら大きく溜息をついた。

 アリシアの亡霊、プレシアの病気、そして裁判によるテスタロッサ家の進退と、様々な難問を一気に片付けた為、流石に大きな疲労感を隠し

切れなかった。

(何とか『原作知識』で上手いこと立ち回れたけど、かなりな綱渡りだったな…)

 TVアニメ版、漫画版、小説版、映画版等のプレシアの過去やアレクトロ社の矛盾や不審点を元に、エイミィに取り寄せてもらった資料の調

査と裏付けを行い、どうにか今回の報告を作るに至った。

『原作』にない部分でもあり、殆ど手探りであったが、どうにかプレシアの自由を確保できるだけの条件を揃える事が出来た。

 クロノたちの捜査や裁判の行方がまた不透明ではあるが、最悪、こっそりアースラに分霊の魔人を乗せたままにしておいてミッドチルダに密

航し、証拠や証言集めを裏から支援してしまえばいい。

 最早、現状で懸念するような事は皆無だ。

 だが──

(これで憂いは晴れた筈、なんだけどなぁ…)

 交渉の連続で張りっ放しだった緊張感が弛緩すると、たった一つ心に残った「重荷」がヘルズエンジェルの気分に影を落とした。

「ヘルズエンジェルさん!」

 と、そこへ少し遅れてミーティングルームから退室したなのはとユーノが、声を上げ彼の元へと駆け寄って来た。

「凄かったよ! 私は何も出来なかったのにあんな難しい問題を全部解決しちゃうんだもん!」

 興奮冷めやらぬといった様子で頬を紅潮させ、なのはがヘルズエンジェルへ尊敬の眼差しを向けてくる。

「うん、僕も驚いた。特にあの降霊術! 知識としては知っていたけど実物を見たのは初めてだよ!」

 学術の徒であるスクライア出身らしく、ユーノも瞳を輝かせてなのはの言葉に同意する。

「ああ、うん…まあな」

 が、当のヘルズエンジェルはというと、頬を掻きながらどこか居心地の悪そうに言葉を濁した。

「? ヘルズエンジェルさん、どうかしたの?」

 その言動の変化を察したなのはは、首を傾げて問いかけてきた。

「あ~、さっきのプレシアを説得した事でちょっとな…」

 隠し切れなかった感情を見抜かれたヘルズエンジェルは、ばつが悪そうに視線を逸らしてそうこぼした。

「さっきの独房での事? 何か問題でもあった?」

 不備でもあったのかと考えたのか、少し心配そうにユーノが尋ねる。

「いや、プレシアには問題はねえな。どっちかっていうと俺自身の悩みというか、自己嫌悪というかだな…」

 歯切れの悪い物言いをしながら、友人から視線を逸らしたままヘルズエンジェルは思案し──

「俺がプレシアに偉そうに説教を垂れる資格があったのかと思ってな…」

 数秒の後、己の心中を二人へ吐露した。

「……君は自分にその資格が無いって、そう思っているの?」

「ああ」

 言葉を選びながら慎重に問いを返したユーノへ、迷う事なく肯定の意を示すヘルズエンジェル。

「プレシアはアリシアを心から愛していた。己の半身と言ってもいい程にな。だから、それを理不尽に奪われた事によって、嘆き、苦しみ、そ

して狂気に憑かれた…そう、愛故にだ」 

 再び天井を見上げたヘルズエンジェルが紡ぐ言葉を、なのはとユーノは黙って聞き入る。

「俺はさ、理不尽に大切な人を奪われた事なんてない。だから、もしも俺がプレシアと同じ立場になって、あの狂気に憑かれず正気を保てるの

か? って聞かれたら、大丈夫なんて答えられねえんだよ。

 人を愛したが故に狂ったというのであれば、あの狂気は誰しもが持っているものだ。この先俺が愛した者を奪われた時、プレシアみたいにな

らないなんて、誰が保証出来る?」

 個人の悟りを尊び、六道輪廻からの脱却を目指す小乗仏教では、愛は執着であり煩悩であると説く。

 それはある意味では正鵠を射ているだろう。愛は時として憎悪を産み、狂気すらも孕むのだから。

 TVのモニター越しではない、肉眼で、肌でプレシア・テスタロッサという女を捉えた御剣令示は、その疑問を心へ深く刻みつけられたのだ。

「だから考えちまうんだ。偉そうにプレシアに説教を出来る程、俺はご立派なヤツなのか? ってな」

 視線を足元へと落したヘルズエンジェルは、自嘲気味に笑いながらそう言葉を結んだその時──

《大丈夫。令示君はそんな事にならないよ…》

 脳裏に響いたなのはの念話の呟きとともに、俯いていたヘルズエンジェルの視界に入った小さな両手が、そっと彼の右手を包む込んだ。

《令示君は人の痛みがわかる優しくて、強い人だもの。だから、大丈夫》

「いや、そう言ってもだな《それに──》…」

 希望的観測に過ぎないと思って、言おうとした反論を遮り、なのはが続けて念話を放つ。

《もしも令示君がプレシアさんみたいになったとしても、私が止めるよ。絶対に》

 ヘルズエンジェルの目を正面から見つめ、なのははどこまでも真っ直ぐにそう言い切った。

《なのはの言う通りだよ。僕も君がそんな事になるとは思えない》

「過大評価し過ぎだろ二人とも…俺ァそんなご立派な人間じゃねえよ」

 子供二人の純粋な眼差しを受けて、何ともバツが悪くなったヘルズエンジェルは目を逸らしながらぶっきらぼうにそう言い放った。

 この世界に生まれ落ちたばかりの頃の、煩悩まみれな思考が脳裏にちらつき、何とも後ろめたくなってしまったのだ。

《見ず知らずの僕やなのはを助けた上に、危険を冒してまで敵対していたフェイトたちを助けた君がそんな事を言ってもね…それこそ説得力が無いよ》

「だから、それは《それに──》」

 なのは同様に、ユーノまで反論を遮り喋り続ける。

《君が君の言う狂気に憑かれたとしても、なのはと同じように僕も全力で止めてみせるよ。だって、『ダチの危機に、一人だけ外野で応援』な

んてやってられないもんね?》

「ね? なのは」と言いながら、ユーノが悪戯っぽい笑みを浮かべて彼女へ

 以前ヘルズエンジェルが言った台詞を真似て、ユーノが悪戯っぽく笑いながらなのはにウインクを送ると、一瞬キョトンとした後、すぐに満

面の笑顔となったなのは、力強く「うん!」と返事をして大きく頷いた。

「チッ、海の時の言葉なんざ引っ張り出して来やがって」

 ヘルズエンジェルはユーノの意趣返しともいえる言葉に深く溜息をつくと、

「ま、そこまで言われちゃいつまでもいじけていられねえだろうが…よっと!」

 軽く笑いながら勢いをつけ、ベンチから立ち上がると大きく伸びをして、体をほぐした。

「んじゃ気分転換に食堂でも行くか。丁度小腹も空いたし、なんか摘めるものでも貰うとしよう」

「あっ! 待ってよヘルズエンジェル!」

「私も行く!」

(全く、俺には勿体ない位にできたダチだな。ありがとよ、二人とも…)

 歩き出した己の後を、慌ててついて来るなのはとユーノを尻目に、ヘルズエンジェルは心中で感謝の言葉を紡いだ。








「さて、ゴタゴタはあらかた片付いたし、後はアースラ組が帰還するだけか?」

 アースラの食堂へやって来た三人。

 ヘルズエンジェルは手にしたカップを傾け、ブラックコーヒーに口を付けると、正面の席に座る二人へ何とは無しにそう投げかけた。

「そうだね。でも、さっきブリッジのスタッフの人たちが話していたけど、ミッドチルダ方面の次元空間がさっきの次元震の影響で不安定にな

っているらしいから、渡航にはもうしばらくかかるんじゃないかな?」

 幸い、地球には何の影響もないみたいだけどね、と続けて、ユーノは自分のオレンジジュースをたぐり寄せて、ストローを咥える。

「そっか、じゃあ海鳴のみんなには何も起こらないんだね…」

 ユーノの言に、なのははコップを握ったまま大きく安堵の息を吐き、両肩から力を抜いた。

「ふむ…」

 なのはやユーノと話を聞きながら、ヘルズエンジェルが考えていたのはフェイトの今後であった。

 彼女はこの後、本局での裁判が控えている事もあり、なのはたちと会えるのはだいぶ先の事になるだろう。

 自分が色々と根回しを行い、クロノたちも協力してくれる事を確約してくれた事により、その裁判も九分九厘優位に進むだろう。

 とは言え、犯罪者という事で侮蔑し、色眼鏡で彼女らを見る連中も確実に存在する筈だ。

 フェイトは芯は強いが、人の悪意に疎い箱入り娘的な面があるところは否めない。『原作』では無事に再開となるが、イレギュラー多発の現

状ではそんなものは当てにならないだろう。

 分霊をミッドに送り込んで護衛させたとしても、メンタルな面まではカバーしきれないところが出てくる筈である。

(何か背中を後押し出来るようなものでもないか…?)

「? どうしたの? ヘルズエンジェルさん」

 指先で顎を掻き、思案するヘルズエンジェルの様子に、なのはが声をかけた。

「ん? ああ、ちょっと──」

 それに答えようとヘルズエンジェルが正面に視線を戻すと、首を傾げこちらを窺う彼女の顔が目に飛び込んで来た。

「………………」

「? ? ヘルズエンジェル…さん?」

 黙ったまま自分の顔を見つめるヘルズエンジェルに、なのはが怪訝そうに声をかける。

「……これだ」

「へ? え? 何──」

 ヘルズエンジェルの不可解な言動についていけず、一体何を言っているのか、なのはが問いかけようとしたその時、

「なのは、この前の貸し一つ、早速だが使わせてもらうぜ? とりあえず──」

 突如魔人が以前交わした約束の件を持ち出し、その要求を口にした。すると──




「え……ええっ!?」




 ヘルズエンジェルが口にした内容に、なのはは思わず驚きの声を上げ、席を立ち上がった。

「そ、そんなの無理だよ、私そんなに上手くないし…」

「大丈夫だ、問題無い」

「なんで言い切れるの!?」

「勘だ」

「根拠ないよ!?」

「いいから。とにかく早速練習するぞ。今日からでも」

「よくないよ! ていうか、いきなり!?」

 焦るなのはと落ち着いたままのヘルズエンジェル。周囲のアースラの乗組員たちもその声の応酬になんだなんだと注目を始める。

「あ、あはは、まあまあ二人とも、今日は色々あったし、もう時間も遅いからそろそろ休む事にして続きは明日また話しあえばいいんじゃないかな?」

 とりあえずヒートアップしていく二人を宥めようと、ユーノが間に立って折衷案を提示する。

「…もう時間も遅い……? ──ってなのは! 今何時だ!? 日本時間で!!」

 途端、慌てた様子でヘルズエンジェルがなのはに時間を尋ねる。

「え? えと、午後七時三十五分だけど…?」

「……ヤバイ」

 現時刻を耳して、ただでさえ白いヘルズエンジェルの骨のみの顔が、更に蒼白となる。

「ソーリー、急用が出来た! 俺は地球に帰る!!」

 慌てて椅子を蹴るように立ち上がると、ヘルズエンジェルは大急ぎでハンガーデッキ──転送ポートの方向へと走って行く。

《ちょ、ちょっと、どうしたのヘルズエンジェル!?》

 あっと言う間に姿見えなくなったライダースーツの悪魔に、ユーノが念話を投げかける。

《門限だよ! もうとっくの昔に過ぎてんだ!》

「「あ──」」

 頭に響くヘルズエンジェル──令示の叫びに、二人は思わず声を漏らした。

 そう、両親に断りを入れてアースラに来ているなのはと違い、令示は一部の人間を除いてその正体を隠し活動している。

 当然、それは母綾乃にも言える事であり──

《時の庭園で魔人四体同時召喚の総力戦したから、アリバイ用の分身なんか家に置いてる余裕なかったんだよ! ヤベエ、マジ怒られる!!》

 完全に口調が令示に戻っているところを見るに、相当パニクり参っているようである。

 二人への挨拶もそこそこに、彼は早々とアースラを飛び出し、自宅へと帰って行った。

 そして後に残された二人は…

「あはは…」

「にゃはは…」

 互いに顔を見合わせ、何ともいえない苦笑を浮かべた。




 ──ちなみに、ハーレーまで使って大急ぎで帰宅した令示であったが、既にその時には午後八時近く、当然如く綾乃にこっぴどく怒られ、一

ヶ月小遣い抜きの罰則を科せられるのであった。

 合掌。




 ──人の心の安定も動揺も置き去りにして、時は流れ、組織は動き、自然は変化していく。

 とりあえずジュエルシード事件は一応の収束となり、なのはは自宅に戻る事となった。

 ようやく一緒に登校できるようになったアリサとすずかが喜んだのは言うまでもない。

 また、今回の一件で管理局の任務へ大きな協力をしたという事で、なのはは表彰を受けた。

 魔人たちも表彰を、とリンディから誘いを受けたものの流石に正体不明の相手にそれは不味いだろと、令示は断りを入れた。

 そんなこんなで令示となのはが普通の生活に戻ってから一週間が経った。








「ん…朝か。くあぁ…っ!」

 カーテンの隙間から差す陽の光で意識を覚醒させ、上半身を起こした令示が大きく伸びをしたその時、

《令示君…! 起きてる…!?》

 ややトーンを落して控えめにしながらも、興奮冷めやらぬという様子の、なのはの念話が頭の中に響いた。

《ととっ…! ん、ああ。今起きたところだ、問題無いよ。で? どうしたなのは?》

《うん、朝早くごめんね。 今リンディさんから電話があって、フェイトちゃんが私と魔人のみんなに逢いたいって、そう言ってくれたんだって!》

 隠し切れぬ嬉しさで声を弾ませるなのは。

《それで、今から少しの時間だけど、話す時間をくれるって…令示君は今から出てこれる?》

《断る訳ないって。すぐに変身してそっちに迎えに行くよ、合流してフェイトの所へ向かおう。で? その待ち合わせの場所ってのは?》

《臨海公園だよ。じゃあ私、着替えてから家の前で待っているね。また後で!》

 会話を終えると、令示は玄関前に行ってジュエルシードを起動。ヘルズエンジェルへと変化し自分の姿の分霊を家に置くと、そっと音も無く

自宅を抜け出し、道路上で呼び出したハーレーに跨って朝もやの街の中を一路、高町邸へと向かって走り出した。








 ──早朝の海鳴海岸。

 沿岸に造られた海鳴臨海公園に人気は無く、都会の喧騒から切り離され、緑と水に囲まれた庭園は、まるで別世界のようであった。

 フェイトとアルフは、護衛と監視を兼ねたお目付け役のクロノとともに、入り江の外側──外海まで見渡せる橋の上でカモメの鳴き声を耳に

しながら、水平線を見つめて、ただ来るべき人物を待ち続ける。

 と、その時、重低音のエグゾーストノイズが響き渡り、朝の静寂を打ち破ると同時に──

「フェイトちゃーん!」

 元気に自分を呼ぶ声が耳に届き、フェイトがその方向へと目を向ける。

 視線の先、橋のたもとにバイクに跨るヘルズエンジェルと、タンデムシートに同席したなのは、そしてその肩に乗るユーノが姿を現した。

 よくよく見れば、ヘルズエンジェルはトレードマークのヘルメットが無く白頭の頭蓋のままで、己の替わりになのはに被らせていた。

「Hey! 到着だぜ、なのは」

「うん! …よっと。はい、ヘルズエンジェルさん」

「おう」

 フェイトたちの前でハーレーが止まってヘルズエンジェルがそう告げると、なのはが飛び降りて被っていたヘルメットを彼へと手渡す。

「またそんな派手な方法で移動を…ちゃんと隠蔽用の術式は使用したんだろうな?」

 眉間に皺を寄せ、クロノがヘルズエンジェルへ苦言を呈した。

「Don't worry. 姿を隠す術は悪魔の得意技さ。…まあ、俺の姿は消えていたが、同乗していたなのははバッチリ見えてたかもしれねえけどな」

「ええっ!? そんなの聞いてないよ!?」

「制服姿の女子小学生が中腰の姿勢のまま滑るように公道を走る姿…「怪異 ターボばあちゃん」ならぬ「怪異 ターボなのちゃん」ってとこ

ろだな。Happy Birthday! おめでとう、なのは! 新たな海鳴都市伝説の誕生だ!」

「ううう、嬉しくないよ~!!」

 なのはへ向かって指を差しポーズを決めるヘルズエンジェルに、彼女は両手をブンブンと振って抗議の声を上げる。

「冗談はその位にしてくれ…で? 本当のところは、問題無いんだろうな?」

 疲れたように一息つき、睨むような視線をヘルズエンジェルへ投げかけるクロノ。

「ハン、普通の人間に見られるようなヘマはしてねえよ。ちょっとしたデビルジョークだ」

 それに対して魔人は、肩をすくめておどけた調子で答えた。

「うう…ヘルズエンジェルさんは意地悪だと思うの…」

「そりゃ悪魔だし」

「悪魔でも、だよ!」

 食ってかかるなのはと、軽くいなすヘルズエンジェル。

「プッ、ふふっ…」

 平常運転の二人を見て、少し緊張していたフェイトは思わず吹き出してしまった。

「フェイトの緊張を解したのはいいが、それほど時間に余裕がある訳でもないからな。話す事があるなら急いだ方がいい」

 クロノがそう言って仕切り直すと、ユーノがなのはの肩から降りると、フェイトの隣に立っていたアルフの掌へと跳び乗った。

「僕たちは、向こうに居るから」

「あ、うん。ありがとう」

「ありがとう…」

 気を利かせて二人きりするよう配慮してくれたクロノへ、なのはとフェイトは礼を述べる。

「じゃあ俺も…」

 ベンチの方へ歩いて行く三人に続こうとしたヘルズエンジェル。

 が──

「駄目だよ、ヘルズエンジェルさん」

 その手を掴み、なのはが引き止める。

「フェイトちゃんは私だけじゃなくて、ヘルズエンジェルさんや魔人のみんなとも逢いたいって言ってたんだよ?」

「いや、ここはまずGirl's Talkを優先するべきだろ、ladies first的にさ」

「だーめ! みんな一緒なの!」

「おおっと!? おいおいっ!」

 なのははその言い訳を一刀の下に切り捨てると、ヘルズエンジェルの手を引っ張り無理矢理フェイトの前へと引き摺って行こうとして、
 
「「あ…」」

 真正面から、二人の視線がぶつかり合った。

「ふふ…」

「へへ…」

 数瞬、二人は互いの顔を見合わせて、照れたように頬を紅潮させながら笑みを浮かべた。

「あはは、いっぱい話したい事あったのに…変だね、フェイトちゃんの顔を見たら忘れちゃった…」

「私は……そうだね、私も上手く言葉に出来ない…」

「そんなもんだろ? あれもこれもって考えていても、いざ話し合うとなると言いたい事の半分も出なかったなんてよくある事だぜ?」

「あ、それわかる気がするよ」

 闘いを乗り越えた三人は、穏やかな海を前に語り合う。

「だけど、嬉しかった」

「え?」

 なのはがフェイトへ目を向ける。

「二人が、真っ直ぐに向き合ってくれて…」

 フェイトはなのはとヘルズエンジェルに顔を向けて、柔らかな笑みを浮かべそう言った。

「うん! 友達になれたらいいなって、思ったの」

「俺はなのはの付添いみたいなもんだが、半端で投げ出す訳にはいかなかったしな」

 それに対し、力強く返答をするなのはと、軽い調子で答えるヘルズエンジェル。

 しかし、なのはの笑みは、すぐに浮かないものへと変わってしまう。

「でも今日、もうこれから出かけちゃうんだよね…」

「そうだね、少し長い旅になる…」

 それを見たフェイトの顔色も沈んだものになってしまう。

「また、逢えるんだよね…?」

 顔を上げ、不安げに尋ねるなのはを見て、フェイトはゆっくりと頷き微笑を浮かべた。

「……うん。少し悲しいけど、やっと本当の自分を始められるから…」

「あ…」

 その言葉に不思議そうに自身の顔を覗き込むなのはの視線を避けるように、フェイトは顔を赤らめ、俯きながら口を開いた。

「来てもらったのは、返事をする為…君が言ってくれた言葉──『友達になりたい』って…」

「あっ…うん、うん…!」

「私に出来るなら、私でいいならって……だけど私、どうしたらいいかわからない…」

 何度も頷くなのはへ、フェイトは自身の胸に手を当て想いを打ち明けるが、そのぶつけ先に迷い、紡いだ言葉は小さくなってしまう。

「だから教えて欲しいんだ。どうしたら友達になれるのか…」

「……簡単だよ」

 俯き押し黙ってしまったフェイトへ、なのはが語りかけた。

「えっ?」

 フェイトが顔を上げると、視線の先には微笑みを浮かべるなのはが居た。

「友達になるのは、凄く簡単」

「名前を呼んで? 初めはそれだけでいいの。「君」とか、「あなた」とか、そういうのじゃなくて、ちゃんと相手の目を見てはっきり相手の

名前を呼ぶの。──私、高町なのは。なのはだよ…」

 なのははそっと自分の胸に手を当て、改めてフェイトへ名乗る。

「ナノ、ハ…?」

 たどたどしく名前を呼ぶと、なのはは嬉しそうに頷きを返す。

「うん…そう!」

「ナノは…」

「うん!」

「ナのは」

「うん…」

 フェイトは名を呼ぶ度に笑みを深め、呼ばれたなのはは涙を浮かべてその手を取る。

 微笑み合い、見つめ合う二人の間を一陣の海風が吹き抜けた。

「ありがとう、なのは」

「うん…」

「なのは…」

「っ…! うんっ!」

 零れ落ちた涙を振り払って、なのはは最高の笑顔をフェイトへ向ける。

「君の手は暖かいね…なのは」

「くっ…、ぅぅっ…!」

堪え切れずに溢れ出てくる涙を拭うなのはの目もとへ手を伸ばし、フェイトがそっと涙を掬い取った。

「少しわかった事がある。友達が泣いていると、同じように自分も悲しいんだ…」

 なのはと同じように、目もとに涙を湛えるフェイト。

「っ! フェイトちゃん!!」

「友達」と言ってもらえた!

 心が通じ合えた事に感極まり、なのははフェイトを抱き締める。

「ありがとう、なのは。今は離れてしまうけど、きっとまた逢える。そしたらまた、君の名前を呼んでいい?」

 フェイトはなのはを優しく抱き止め、静かにそう尋ねる。

「うんっ、うんっ…!」

 その声になのはは何度も頷きを返した。

「逢いたくなったら…きっと名前を呼ぶ」

「───」

 見上げたフェイトは涙を流しながら微笑を浮かべ口を開く。

「だからなのはも、私を呼んで。なのはに困った事があったら、今度はきっと私がなのはを助けるから…」

「~~…っ!!」

 なのはは声を殺して泣きながら、フェイトの体を強く抱き締めた。 

 潮風が吹き抜ける中、二人は互いを慈しみ、支え合うように抱き合う。

 ヘルズエンジェルは橋の欄干に背を預け、そんな二人の様子をそっと見守っていた。








「もういいのか?」

「うん…」

 ややあって、自然に離れた二人の少女へ向け声をかけると、なのはは照れ隠しに頭を掻きながら小さく頷いた。

「ヘルズエンジェル…」

 フェイトがゆっくりと魔人の前へと歩み寄り、その名を呼ぶ。

「貴方にも、貴方たちにもお礼を言いたいと思って…それと、出来るなら貴方たちとも友達になりたいんだ。他の魔人のみんなとは、今逢える?」

「of course. 問題ねえよ。すぐに召喚しよう」

 ヘルズエンジェルがパチンと指を鳴らすと、彼の周囲に真紅のマガツヒが渦巻き、輝きを発すると同時に他の魔人たちが次々と顕現していく。

 ──マタドール。

 ──大僧正。

 ──デイビット。

 時に矛を交え、時に轡を並べた悪魔たちが赤い輝きより次々と顕現し、揃ってフェイトの前へと立つ。

「改めて名乗らせていただくこう、魔人マタドールだ。今後ともよろしく…」

 マタドールは優雅に一礼した後、フェイトへ向かって左手を差し出した。

「ありがとうマタドール。貴方が次元震を食い止めてくれたから、私たちはこうして笑い合う事が出来るんだね」

「なに、あれは皆で掴んだ勝利だ。栄光は私一人のものではないさ」

「…そんな事ないよ」

 フェイトはゆっくりかぶりを振って、マタドールの言葉を否定した。

「貴方が傷だらけになっても立ち向かって、頑張ってくれたからみんなも、私も頑張れたんだよ? …だから、ありがとう」

 言いながら」、フェイトも己の手を差し出して握手を交わす。

「ふふ。女性にここまで言われて、尚も否定するは無礼無粋というもの。貴女の賛辞、謹んで受け止めさせていただくよ、フェイト嬢」

「うん」

 握った魔人の骨手は、固い感触がしたがとても温かく思えた。

「さて、今度は拙僧じゃな。同じく魔人大僧正。今後ともよろしく…」

 マタドールと手が離れると、結跏趺坐のまま中空に浮かぶ僧形の魔人が宙を滑り、フェイトの前へと進み出る。

「うん、ありがとう大僧正。姉さんと母さんを助けてくれて」

「なんの。拙僧はきっかけを与えたに過ぎぬ。全ては汝らが見つけ、選び、掴み取った結果よ。それに、繰り返す事になるがむしろここからが、

汝の苦難の始まりとなるやもしれぬぞ?」

 忌憚のない大僧正の言葉。しかしフェイトの心は揺らぐ事は無い。何故ならば──

「大丈夫だよ。大僧正やなのはたちが教えてくれて、気付かせてくれたから。私はもう、どんな事があっても「フェイト・テスタロッサ」であ

る事から逃げたりしない。私の事を大切だって、大好きだって言ってくれる人たちの為にも、私は真っ直ぐ歩いて行くよ」

 大僧正の言葉が、己の身を慮るが故のものであると、彼女は理解しているからだ。

「うむ、その意気やよし。汝の進む道に幸多からん事、拙僧はこの地にて祈るとしよう」

 視線に力を込め、そう宣言するフェイトを目にすると大僧正は満足げに頷き、呵々と笑いながら身を引いた。

 それと同時に、今度はヘルズエンジェルが入れ替わるようにフェイトの前へと立つ。

「さあてと、俺のターンだな。魔人ヘルズエンジェルだ、今後ともよろしくだぜ、Little Lady」

「うん、ありがとうヘルズエンジェル。クロノたちから聞いたよ? 詳しくは話せないらしいけど、私と母さんが一緒に居られるように色々働

きかけてくれてたって…」

「なに、俺ァ大した事はしてねーよ。俺は殆ど指示飛ばしてただけだからな、実際に動いてたのはエイミィ嬢ちゃんだ。礼ならあの娘に言っときな」

「わかった。エイミィにもちゃんとお礼を言うよ」

「そうしとけ。ああそれと、時の庭園までのお前さんとのtouring. 楽しかったぜ? また海鳴に来たら走りに行こうや!」

「うん!」

 サムズアップを向けてくるヘルズエンジェルへ、フェイトは元気に答える。

「さて、最後は私ですね…」

 最後に、楽師の魔人が進み出る。が、それに対しフェイトは眉を寄せて少し困ったような表情を作る。

「えっと…誰?」

「っと!?」

 その声に、魔人はガクッとつんのめって転びそうになった。

「あ~、そう言えばフェイトとデイビットが顔を合わせたのって、時の庭園の中でのほんのちょっとの時間だったっけか…」

「ましてやあの時は、拙僧らが召喚していた悪魔たちが群れを成しておったからのう。気付かぬのも無理はない」

 ヘルズエンジェルがフェイトの反応に対して、ポンと手を打ち得心がいったように声を上げると、大僧正も先日の闘いを思い出しながら相槌を入れた。

「ご、ごめんなさい…」

 じゃあ覚えてる訳もねえわな、と言うヘルズエンジェルの呟きを聞き、フェイトは申し訳なさそうに頭を下げた。

「…いえ、仕方ありませんな。あの状況では…

 それでは改めて名乗らせていただきましょう。私は魔人デイビット、つまらぬヴァイオリン弾きでございます。今後ともよろしく…」

 転倒しかけた事で、頭からズレたベレー帽を元の位置に戻した後、デイビットが大道芸人のように仰々しく一礼する。 

「うん。よろしくね、デイビット」

「さて、私の事を知らないとあれば、逆に私という悪魔を知っていただくにはよい機会。丁度よく、お近付きの印代わりにフロイラインへ一つ、

贈り物を用意しておりまする故──なのは」

 デイビットがなのはの名を呼びながら視線を向けると、彼女はビクリと肩を震わせた。

「うう…本当にやるの?」

「当然です。その為に今日まで練習をしてきたのでしょうが」

 なのはが上目遣いの困り顔でデイビットを見るが、彼はそれを一切気にする事なくたんたんと話を進めていく。

「えと、二人はこれから何をするの?」

「フェイトの為に練習していた歌を披露するのさ。ShowTimeだ!」

 話の展開についていけずにフェイトが疑問の声を上げると、ヘルズエンジェルが笑い混じりに答える。

「歌?」

「おう。これからフェイトは色々大変な事があるからな。景気付け何かやれねえかなって考えて、俺プロデュース、曲デイビット、歌なのはの

この企画を用意したって訳さ」

 これこそが、ヘルズエンジェルがアースラにて、なのはへ「貸し一」の取引条件として持ち出したものであった。

 アースラを降りた後の昨日まで、なのはと頻繁に会って練習を行っていたのである。

「ヘルズエンジェルさん…や、やっぱり恥ずかしいよぉ」

 得意顔で自分の考えを開陳するヘルズエンジェルへなのはがそう訴えかけるが、魔人の暴走は止まらない。

「大丈夫だなのは。お前が本気になれば武道館ライブや全国ツアーだって狙える!」

「ええっ!? 無理無理、絶対無理!」

 ギャーギャーと言い合う二者であったが──








「私、なのはの歌を聞いてみたいな…」








 それを眺めつつ漏らしたフェイトの一言が、言い争いの趨勢を一気に魔人たちへと傾けた。

「えええええっ!? で、でも私自信無いし…」

 フェイトの言葉になのはは俯き、もじもじとしながら口籠る。

「駄目…かな…?」

「う、ぇ…そうじゃなくてね、あのね…」

「往生際が悪いですよなのは。いい加減に覚悟を決めなさい」

「そうそう、フェイトも「聞きたい」って言ってんだしな」

 その顔に影を落としたフェイトを目にして泡を食うなのはへ、デイビットがぴしゃりと叱りつけ、ヘルズエンジェルがニヤニヤと笑いつつ、

それに続いた。

「ううぅ~~…わかったよ…」

 ようやく諦めが付いたのか、なのはは大きく肩を落として了解の返事を絞り出した。

「なれば早速参りましょう。旅立つ友へ送るこの一曲、この魔人デイビット全身全霊を賭け最高の演奏をお耳に入れましょうぞ! いきますよ、なのは!」

 宣言と同時にデイビットはストラディバリを構え、流水の如き澱みない所作で、弦にあてがった弓を弾きはじめる。

 途端、飴色に輝く名器より発せられる響きが、周囲へ伝播していく。

 何度も練習を重ねた為であろう、前奏が流れる中でまるで条件反射のようになのはの表情から曇りがなくなると、胸の前で手を合わせ目を瞑

り、朗々と歌い出した。




 ──それは別れを惜しむ歌だった。




 ──それは再会を願う歌だった。




 なのはの紡ぐ詩が、魔人の奏でる旋律と交り合い、遥か空へと響き渡る。
















 歌が終わり、なのはが大きく息をついて肩から力を抜き、デイビットのヴァイオリンが後奏から終止符を打つと、フェイトが大きく柏手を打

ち、やや興奮した様子で破顔する。

「凄い。凄く綺麗で素敵な歌だったよ。二人とも、私の為にありがとう…!」

「にゃはは…フェイトちゃんが喜んでくれて、よかったよ」

「恐悦です。フロイライン」

 瞳を輝かせて己を見るフェイトに対して、なのははホッとした様子で鼻の頭を掻きながら照れ笑いを浮かべ、デイビットは恭しく頭を垂れた。

「──時間だ、そろそろいいか…?」

 と、その時、語り合う三人の元へクロノが近付き、刻限を告げる。僅かな対面の終わり知らせる言葉だ。

「うん…」

 ゆっくりとなのはと魔人たちから離れたフェイトが、彼へ頷きを返した。

「──っ、フェイトちゃん!」

「あ…」

 フェイトの目前で、なのはが自身の髪を止める白いリボンを解き出した。

「思い出に出来るもの、こんな物しかないんだけど…」

「じゃあ、私も…」

 なのはの掌中のリボンを目にし、フェイトも自分の髪を止める黒いリボンを解き出した。

 お互いが、リボンを握る相手の手の上へ、己の手を重ね合わせる。

「ありがとう、なのは…」

「うん、フェイトちゃん…」

「きっとまた…」

「うん! きっとまた!」

 再会の約束を交わし、二人はリボンを交換する。

「魔人のみんなも、またね」

「sí」

「うむ」

「Yes」

「ja」

 フェイトが魔人たちへ顔を向けそう言うと、彼らもそれぞれ肯定の言葉を返した。

 と、そこへ、クロノに続いてこちらへと近付いて来たアルフが、胸の前でフェイトのくれたリボンを握るなのはの肩へユーノをそっと乗せた。

「ありがとう。アルフさんも元気でね」

 振り返ったなのはは彼女へ礼を述べた。

「ああ、色々ありがとよ。なのは、ユーノ、それと魔人のみんなもね」

 憂いが晴れ、彼女らしい大らかな笑顔を浮かべて感謝を述べるアルフ。

「それじゃあ僕も」

「クロノ君もまたね」

「ああ」

 クロノも彼らしく、無駄のない言葉で別れを交わす。

「次会う時はもちょっと柔らかくなれよ、堅物執務官」

「なら君はもう少し真面目になるべきだな、不良悪魔」

 ヘルズエンジェルとクロノが皮肉の応酬を交わす。

 だが、互いが笑みを浮かべて行うそれは、悪友同士のじゃれ合いのようであった。

 なのはたちの目の前で、三人の足元へ転移用の魔法陣が展開される。

 見つめる視線の先でフェイトがなのはへ小さく手を振った。

「あっ…! あはっ…!」

 それを見て、なのはも力いっぱい手を振り返した。








《──フェイト!》

 大きく手を振るなのはの姿を目にしたその時、突如フェイトの脳裏へ念話が伝わった。

《えっ!? 誰?》

 聞いた事のない声に戸惑うフェイトだったが、声の主は構わず言葉を続ける。

《令示──御剣令示だ。四人の魔人の正体、人としての名前だ。覚えておいてくれ》

《え──》

 驚き、なのはの背後の魔人たちへ目をやると、彼らは念話の言葉を肯定するかの如く、皆揃って頷きを返した。

《クロノたちには内緒にしといてくれよ? あいつらはいい連中だけど、俺の事が管理局にバレると色々面倒なんでな》

《う、うん。わかった》

 悪戯っぽい声の懇願ながらも、そこに込められた重大さを察し、フェイトは真剣な面持ちで返事をする。

《じゃ、次は俺が人間の時に逢おうな?》

《うん! またね、令示!》

 別れの言葉を交わした直後、魔法陣から生まれた閃光の柱が空へと走り、周囲を飲み込んで白一色に染め上げた。








 視界を覆った光は瞬時に消え失せ、戻った視界には誰もなく穏やかな海と潮騒の音が響くだけだった。

「なのは…」

 潮風に解いた髪をなびかせ、無言のまま遥か水平線を見つめ続けるなのはへ、気遣うように声をかけるユーノ。

「うん、平気!」

 だがなのははそれに元気な声で答える。

「きっとまた、すぐに逢えるもんね…」

 空を見上げたなのはは、フェイトとの再会の約束を噛み締め、涙を浮かべたまま笑みを作った。

「さっ、いい加減帰らねえとな。学校もあるし」

 他の三体の魔人を送還し、ヘルズエンジェルが大きく伸びをしながらそう言うと、橋の脇に止めておいたハーレーが彼の傍へと近付いて来た。

「うん、早く帰って朝ご飯食べなきゃね」

「乗れよ二人とも。家まで送って行くぜ」

 バイクに跨りタンデムを親指で示すヘルズエンジェル。

「う──」

 頷いて同乗しようとしたなのはだったが、バイクの手前でその足を止め、口籠った。

「? どうした?」

「なのは…?」

 ヘルズエンジェルとユーノは、彼女の行動に首を傾げる。

「…都市伝説になるのは嫌なの…」

「──プッ、ハハハハハハハッ!」

 警戒心を露わに上目遣いの視線を送るなのはを見て、ヘルズエンジェルは空を仰いで大笑いを上げた。

「笑い事じゃないよ! 口裂け女みたいに言われるのなんてやだもん!」

「悪い悪い、ちゃんと送って行くから大丈夫だよ」

 抗議の声を上げるなのはに、両手を上げて「降参」のポーズを取ったヘルズエンジェルが彼女の名誉を保証する旨を口にする。

「…本当に?」

「ああ、ホントホント」

「うん…それじゃあお願い!」

「おう!」

 ──そして、公園に再び響き渡る鋼鉄の咆哮。

 ヘルメットを被らされたなのはは、ヘルズエンジェルの背中にしがみ付きながら、離れていく後方の臨海公園へ目を向ける。

(バイバイ、またね。クロノ君、アルフさん、フェイトちゃん…)

 小さくなっていく海を見つめながら、なのはは心中でもう一度フェイトたちとの再会の誓いを交わすのだった。
























 ──嵐のような騒がしい日々が去り、再び変わらぬ日常の中──








 ──なのはは心を通じ合えた友との再会の約束を胸に、ただ真っ直ぐ前を向いて進んで歩いて行く──








 ──臨海公園でフェイトと交換したリボンで髪を結うと、親友たちが待つ学校へ向かう為、今日も元気に部屋を飛び出した──








 ──ドアが閉まる寸前、なのはは自分の机を見て、ふっ、柔らかな笑みを浮かべる──








 ──その机の上には、フェイトと撮ったともに笑い合う写真が収まる写真立て。そして──








 ──僅かに開いた引き出しにもう一つ、二人が四人の魔人とともに笑い合う写真が、顔を覗かせていた──












 第十一話 Voyage 了




 偽典 魔人転生 第一部 完




 後書き

 ほぼ半年ぶりの御無沙汰となります。長らくお待たせして本当に申し訳ありません、作者の吉野です。
 
 ようやく「偽典 魔人転生」無印完結と相成りました。長かった…

 半端な状態のプロットでスタートした自分がいけないのもありますが、プライベートの多忙も重なり、執筆ペースもモチベーションも

下がること下がること。パソコンの前に座っても、一向に文章が浮かんでこないなんて事はざらでした。

 また、今回はアリシアの件をどう治めるか? プレシアの病気をどうするか? そして最大の懸案、26年前のヒュードラ暴走の真相について。

これらが頭を悩ませた最大の原因でしたね。

  まず今回、よくあるアリシア復活は無しとさせていただきました。期待していた方はスイマセン…

 自分は基本的に『命は一つだけ。たとえ復活出来たとしても、相応の対価が伴う』と考えています。
 
 え? じゃあ令示はどうなのかって? 当然彼にも相応のリスクを背負って貰います。まだ内緒ですがね。

 次にプレシアの病気。コレを治すのでも、いくらジュエルシードがあるからって『そのときふしぎな事が起こった!』ではあまりに無理矢理

過ぎると考え、Es細胞とか医療関連の資料とか調べて、どうにか納得いく形に収められた思うのですが、どうだったでしょうか? つーか、

それで手間取ったのも遅筆原因の一つだったりするんですがね…

 あと今回は複線回収回ってのもありましたが、やり残したことがあまりにも多くて参りましたね。

 前回マタドールと大僧正が、原作知識で知っている筈のシリンダーのアリシアを見て驚いていたのは、その脇に佇んでいたアリシアの幽霊を

見つけたからだったという訳ですね。ちゃんと伝わってるか? 大丈夫か? 俺。

 ヒュードラの一件は、他の作家さんがよく管理局とアレクトロ社がグルだったという描写をしているのを拝見するのですが、具体的にはどう

だったという事までは書いていないんですよね。(自分が知らないだけで、詳しい考察をされている方もいるかもしれませんが…)

 それで、どうして暴走事故が起きたのか、TVアニメ版、劇場版、劇場漫画版、小説版をネチネチと調べて考察し、今回の結論に至ったという訳であります。 

 数百の次元世界を束ねる時空管理局。一つ一つの世界が地球規模と考えると途方もない数字になる訳で、当然それに関連付随人員と金も途方

もない物になる。

 水は滞れば濁りを産む。数十年の長きに渡って平和という名の安定を保ってきた管理局の汚職は、日本の官僚もびっくりものかと考察出来ます。

 とまあ、そんな考えでアレクトロ社と管理局の黒い関係を妄想してみましたが、いかがだったでしょうか?

 …これを書く為に陸自の予算の内訳とか、欧米の汚職事情とか調べたりするんで手間取ったのも遅筆原因…いや、もうほんとスイマセン。

 当初のプロットでは、ミッドに乗り込んだ魔人がフェイト側の弁護士に化け、裁判所で『逆転裁判』やる予定でした。…長くなるし面倒なのでボツになりましたが。

 ラストでなのはの歌った歌、これは皆さんのご想像にお任せするという方向で。

 自分は田村ゆかりさんの歌は「リリカル」のやつ以外はあまり知らないので、彼女の持ち歌ではこれがいいってのはパッと思い浮かばないんで。

個人的には、今回のタイトルと絡めて、「サクラ大戦3」のエンディングばかり浮かんでしまいますがね。歌を教えたのは令示の前世知識からだから、こういうのもありかな?

 あ、あと、映画版ラストの写真って一体いつの間に撮って《──宇宙の 法則が 乱れる!──》
























 追伸

 何勘違いしてやがる…まだ俺の投稿フェイズは終了してないぜ!

 という訳で遅れたお詫び代わりに連続で間幕を投下します。

 タイトルは「紅き奈落の底で」。いよいよ皆さんお待ちかねのあの御方の登場です! お楽しみ下さい!



[12804] 間幕 紅き奈落の底で
Name: 吉野◆fe64ebc7 ID:ea804a88
Date: 2012/02/06 00:08




 間幕 紅き奈落の底で












 赤い──








 紅い──








 朱い──








 あかい──








 アカイ──








 それは、どこまでも紅一色が広がる世界だった。

 大河の如き紅い流れが、闇の中に網の目の如く四方八方へと張り巡らされ、絶える事無く蠢き続けている。

 その深奥──全ての紅い流れの源泉にして終着点に、天地に貫く円筒状の空間が存在した。

 円筒の最下層は、血溜まりのように一面紅で満ち、湖面の如くたゆたい、緩やかにうねっている。

 円筒の壁面には蜘蛛の巣のような歪な格子窓が不規則に存在し、そこから幾つのもの目が内側を覗き込んでいた。

 数千、数万、いやそれ以上に居るのではという格子窓の向こうの群衆。

 その一つ一つ、らんらんと輝く瞳から発せられる気配は、人のそれではない。

 視線に込められた圧力、気迫…最早物理的な力を孕んでると思える程圧倒的な存在感。

 目線一つ、気配一つで超越的な存在である事が見て取れるそんな恐るべき群衆たちが見つめているのは、ただ一つ。

 彼らの視線の先──紅い水面より十数メートル程上空に、それは存在した。

 本来そこにあるべき空間が丸ごと抉り取られ、その代わりに存在するのは中空に浮かぶ謎の一室。

 部屋の奥、壁の中央には暖炉が据えられ、その上には巨大な角を持つ雄羊の剥製が掲げられている。

 暖炉から続く左の壁面には写真や絵画、美術品などが飾り立てられ、その反対、右の壁面には本棚が立ち並び、いかにも希少そうな書物が詰め

られており、その本棚の前にはマホガニー製と思われる巨大な執務机が鎮座している。

 一つ一つの家具に高級感と歴史が漂い、豪華さを感じさせるものの下品な成金趣味は皆無で、シックな雰囲気の部屋であった。まるで欧州の

貴族屋敷の執務室のようだ。

 その部屋の中央に、一組の男女が居た。

 ──一人は、喪服を纏った女。

 ピシリと真っ直ぐに背を伸ばし、両手を体の前で重ねて不動の姿勢のまま微動だにしないその姿は、まさしく淑女であった。

 指先は手袋で覆って、顔はヴェールで上半分を隠し、僅かに晒すのは赤い唇と首筋のみ。その表情を窺う事は出来ない。

 ──もう一人は長い淡色の、金髪の老人。

 品のいい白いスーツを着こなし、古めかしい車椅子に身を預けて見事な象嵌が彫り込まれた杖を弄ぶその姿は、部屋の雰囲気に溶け込み、富

豪の家長を思わせる。

 年輪のように刻み込まれた皺と、真一文に結ばれピクリとも動かぬ口元が、どこか気難しさを窺わせた。

 異形の群衆の注目の中、彼らはある一点へと目を向けていた。

 中空へ浮かぶ執務室の前方の空間。

 そこに浮かぶ映像へと、彼らは視線を注いでいたのだ。

 そこに映っていたのは、白い服で身を覆い、杖を振るう栗色の髪の少女──高町なのは

 続いて画像が切変わり、光の大鎌を構える黒衣金髪の少女──フェイト・テスタロッサ








 ──そして、四体の魔人たち。








「些か、驚きを禁じ得ません…」

 言葉にしながらも、抑揚の無い声で喪服の淑女が映像を見ながらそう呟いた。

「アマラ深界のマガツヒに生じた不自然な流れ。それを追って、よもやこのような現象に相見えようとは」

「…………」

 淑女の言葉を聞いているのか、聞いていないのか。老紳士は無言のまま車椅子の背もたれへ体を預け、こめかみを指先で軽く叩きながら、己

の髪と同じ金色の瞳を映像へと注ぐ。




 ──その時。




「ええ、ええ。坊ちゃま、婆も驚いております。このアマラ宇宙に『外』が存在する等、如何な大悪魔、如何な邪神でも考えもしませんもの」

 老紳士と喪服の淑女の背後──暖炉の傍より声が発せられた。

 いつの間にそこに居たのか、新たな一組の男女が老紳士たちの後ろから、映像へ目を向けていた。

 新たの男女のうち一人は淑女同様に喪服を纏い、ヴェールで顔を覆った女であった。

 だが、寄る年波のせいか帽子から覗く髪は白く染まっており、その体の線は大きく崩れ、太り肉(じし)と化していた。

 もう一人はその喪服の老婆に手を繋がれた金髪の子供。

 ビスクドールのように整った可愛らしい容貌の少年であったが、その顔は能面の如く無表情で、感情の動きというものがまるで感じられない。

 彼は、子供用の青いスーツに身を包み、無言のまま青の双眸を映像へと向けていた。

 その二人は、奇妙な程老紳士と淑女に特徴が符合し、そして対極であった。

 特に、子供と老紳士はまるで血縁者のように非常に顔立ちが酷似していた。

 老紳士と淑女は突然の二人の闖入者にも驚く事なく、映像を見つめ続ける。

「まったくだ。天の御座に在りて全知全能を謳う筈の「あの男」が創造せず、感知すらしない世界! これは最高の皮肉じゃあないか」

 更なる人物たちが、浮かぶ執務室へと現れる。

 それは濃紺のスーツを纏い、長くなびくくすんだ金髪を揺らしながら歩く、彫像の如く整った容相の美丈夫であった。

「それに彼。ただの人の身で、魔人の力をあそこまで見事に操って見せるとは…ああ、これが彼らの言う『運命』というものなんだろうね。こ

の邂逅はまさにそう呼ぶ以外にないな」
 
 その隣、ハンチング帽を被り古めかしい丈が短めのスーツを纏った、少年の面影を残す紅顔の美青年が青い双眸を映像へと向け、涼しげな表

情に微笑みを浮かべ、呟く。

「年端もいかない少女が街一つ灰塵と化すような力を振るう世界…何とも楽しそうな場所じゃないか。「奴」が居ないというだけで、世界はこ

んなにも輝いて見えるものなのだね」

 男二人の背後から、柔らかいアルトの声が響いた。

 コツコツと床を打ちならし、現れたのは淡い青のシャツと同色のスカートを身に付けた少女であった。

 少女が大きく目を見開いて興味深げにアクアマリンような淡いブルーの瞳を映像へと向けると、その桜色の唇が笑みの形を作る。

「特に彼──あの魔人の力を操る彼は実にいい。悪魔の力を手にしながら、それに溺れるだけのつまらない存在で終わっていない。知恵の実を

喰らった人らしく頭を働かせ、持てる知識を振るい、更なる力としているのが面白いね」

 透き通るように白い肌を持つ少女が、興奮で頬を赤く染め陶然とした面持ちを浮かべる。

「──彼ならば、あるいは…」

 少女の歩みに応じて、砂金のようなきめ細やかな長い金髪がサラサラと揺れる。

 彼女は獲物を前にした蛇の如く、血のように赤い舌を唇に這わせた。

 唾液に濡れた唇が、暖炉の火に照らされて鈍く光を反射し、妖しい美しさを醸し出す。

 ──奇妙な少女であった。

 淡い新雪の如く侵し難い純真さを持ちながら、その一方でその所作は娼婦の如くどもまでも艶めかしく、獣欲を抱かずにはいられない、男の

理性を溶かす淫靡な雰囲気を纏っていた。

 そして、それ以上におかしいのは、喪服を纏う二人の女を除く五人の雰囲気である。

 老若男女、その違うは様々であるというのに、彼らは気味が悪くなる程『似ていた』。あまりにも「似過ぎていた」。

 家族や血縁などというレベルではない。勿論顔立ちも似ているのだが、これは「歳をとったら」「性別が違っていたら」というイフを思わせ

るような酷似していた。そう、それはまるでこの場に立つ五人が、まるで同一人物であるかのように。

「お嬢様、行かれるおつもりですか?」

 喪服の老婆が少女を問う。

「ああ、こんなに楽しい気分は久しぶりだよ。…ああ、新たな東京で「奴」が我が子に殺された時以来かな?」

 分霊だったのが実に残念だったがね、と続けながら、少女は笑みを深める。

「南極の一件はもうよろしいのですか?」

 淑女が首を傾げて尋ねた。

「あれか…興醒め、とはいかなかったが満足とは言えなかったね。人類は「奴」に下った訳ではないけど、我らと手を組んだ訳でもなかったからね」

「実に残念だよ」と言いたげに、少女は肩を竦めて溜息をついた。

「職務の方は…?」

「後事についてはいつも通り、宰相殿と蠅の王殿に任せておいてくれたまえ」

 少女はスカートの裾をはためかせて振り返り、軽く手を振ってそう言うと、

「「承知しました。行ってらっしゃいませ、お嬢様──陛下」」

 老婆と淑女が恭しく頭を垂れる。

 彼女たちが体を起こした時、五人の姿は影も形もなく消えていた。








 To Be Continued…








 後書き 




 >閣下が令示に興味を持たれたようです。(カオスフラグが立ちました)



 
 ちょっと説明を入れておきますね。

 南極の一件=『真・女神転生ストレンジジャーニ―』の事件

 宰相殿=ルキフグス

 蠅の王殿=ベルゼブブ


 という訳でメガテンファンお待ちかねのあの御方──閣下の登場回でした。

 次元震を止める程の力の行使は流石にマガツヒの流れに変化を産んでしまい、気付かれてしまったようです。

 あ、あと王様なのに『閣下』という尊称はおかしいので、劇中は『陛下』としておきますね。

 つーか閣下はエロい。この御方(女ヴァージョン)が出ると、全年齢向けの場で出来る限りの性的表現をしたくなってしまう罠。…俺がおかしいのか?

 さて、これで本当に無印は完結と相成りました。最初の投稿からなんと二年半近くかかりましたが、ようやくここまで来れました。こんな亀

更新のSSに付き合っていただき、本当に感謝の念にたえません。

 あとは外伝的なお話を二,三話ほど上げてA´Sにいきたいと思っているのですが…ちょっとプライベートが忙しくなりそうで、四月くらい

まで暇がないかもです。時間が空けば投稿していきたいとは思うのですが…

 さんざんお待たせした挙句、またお待たせしてしまう事になりそうで申し訳ありません。

 早いとこリリカルA´Sの録画見て、プロットも纏めて、出来る限り早く書きあげて、劇場版二弾公開後になんてならないよう頑張ります。

 ではみなさん、次回の更新でお会いしましょう。



[12804] 閑話 海鳴の休日(文末に加筆)
Name: 吉野◆fe64ebc7 ID:ea804a88
Date: 2013/02/27 18:56
「ふふ」

 薄水色のワンピースを纏う少女が一人、海沿いの歩道を楽しげに歩く。

 休日の臨海公園で、のんびりとした雰囲気が漂う中、ご機嫌な様子で闊歩するその少女に、公園利用者達の誰もが目を奪われた。

 雪のように白く、シミ一つ無いきめ細やかな肌と、彫像の如く理想的な線を描く鼻梁。

 黄金の絹糸の如き金髪は、海風に煽られてたなびき、中天にかかる陽光を浴びてキラキラと輝いている。

 欧米のローティーン・モデルも、かくやという程の美しさと愛らしさを兼ね備えた少女であった。

「ん…」

 少女は片手で耳にかかる髪の毛を押さえると、落下防止用の欄干に寄り掛かって海の方へと蒼い双眸を向けた。

 快晴の空と、それを映す海面にも負けることのないコバルトブルーの瞳を輝かせると、少女は花が咲いたかのように顔を綻ばせ、

桜色の唇が笑みの形を浮かべる。

「いい気持ちだ…蚊柱みたいに鬱陶しい天軍の狗コロの視線を気にせず、地上を闊歩できるなんて、実に素晴らしいね。いちいち屠る

手間が省けるというものだ」

 口元に手を当て、コロコロと鈴の音の如き心地よい声で笑いながら少女は、なんとも物騒な言葉を呟いた。

「さて、そろそろ彼に会いに行こうかね」

 言いながら、彼女は市街地の方へと目を向ける。楽しみで堪らないというように、蒼い瞳を好奇の光で輝かせながら。




 閑話 海鳴の休日












「暑ィ…」

 六月初旬の日曜日。見事に雲一つない快晴の空を見上げると、再び招かれてなのはたちとのお茶会のへ向かう途中であった令示は、

うんざりとした声をもらした。

 時刻は午前一〇時過ぎ。見事に雲一つない快晴の空のには、既に中天近くにかかった太陽が昇っている。

 降り注ぐ日差しは厳しく、ジリジリと肌を焼く感覚に、暑さを通り越して痛みすら覚えそうだ。

 前方へと目を向ければ、遠くのアスファルトからは陽炎が立ち昇り、ますます暑苦しさに拍車をかける。

「グズグズしていたら汗だくになるな。さっさと翠屋に行くか」

 溜息とともにそう呟くと、令示は幾分か足早になのはたちとの待ち合わせ場所である翠屋へと向かう。

「…そろそろフェイトからビデオレターが届く頃か…?」

 歩きながら、令示はこれまでの一連の出来事を振り返った。








 ──ジュエルシードを巡る騒動から約半月。

『原作』でPT事件と呼ばれていたあの一件は、アレクトロ・スキャンダルという呼称に変化し、事件の概要も本来の流れとは大幅に

変わる結果となった。

 なのはとユーノを経由して令示が知ったところによると、彼からもたらされた情報をもとに、クロノたちが独自に内定調査を行った

結果、軍産の黒い繋がりが次々と判明した。

 クロノとリンディはそれらの情報と証拠を公開。同時に関係者の一斉検挙に走った。

 結果、次元世界は上から下まで大パニック。連日のようにこの件が報道される事態となった。

 当然、管理局へのバッシングも起こったが、それ以上に身内に対して容赦なく大鉈を振るった事が高く評価されたらしく、反管理局

派が大規模な攻勢を行うという心配はないそうだ。

 そしてプレシアの一件。

 公表された彼女の事情に世論は(特に子を持つ親)の同情的な方向へ傾いており、裁判も上手く行きそうだという事だ。──最も、

あの時の次元震が防がれ、周辺世界に被害が出なかった点も大きいのだが。

 事後処理の流れは、ほぼ令示の思い通りといい展開である。しかし──

「…………」

 九分九厘、自身の青写真通りに事が運んだというのにもかかわらず、令示は渋面を浮かばせていた。

 それは、この話を聞いた時のなのはが発した言葉をによるのであった。




 曰く、「クロノ君とリンディさんが昔からお世話になっている人が助けてくれんたんだって! フェイトちゃんとプレシアさんの事

も、その人が色々助けてくれたみたい」と── 




「…このタイミングで動くのは、どう考えてもギル・グレアムだよな」

 顎に手を当て令示は考える。彼しか該当しないと。

 フェイトの件については『原作』の流れのままであるし、これは問題ない。

 しかし、「大鉈」の方にまで係わったとなると、少々厄介だ。

 組織の人間が大幅に削減、移動されたとなれば、早急に新たな人員を補充しなければならない。そうしなければ組織全体が機能不全

に陥り、大きな混乱を招くからだ。

 当然その采配を行うのは、アレクトロ・スキャンダルとは無関係であり、かつ信用信頼のおける将官になるだろう。

 ──つまり、英雄と呼ばれてるグレアムが人事の采配をしている可能性が高い。

 もしそうなれば、新たに管理局に配属移動された人員はその大半がグレアムの息のかかった人員という事になる。

 それはつまり──

「『A´s』でのグレアムの動き、勢力が大幅に強化されている可能性が高いな…」

 よりにもよって面倒なイレギュラーが発生したと、令示は大きく溜息を吐いた。

「まあ嘆いていても始まらないか、俺は『A´s』でどう動くべきか…」

 ネガティブな思考に陥りそうになるのを、頭を振って気持ちを切り替えると、今後の事へと考えをシフトさせる。

 既に六月半ばである今、八神はやての四人の守護騎士たちはその姿を現しているだろう。

 そうなると、はやての活動範囲や時間も一人暮らしの時よりも大幅に拡大増加している筈。

 つまり、海鳴大学病院か図書館を見張っていれば、彼女たちを発見尾行し、その住居を調べるのも容易であるという事だ。

 だが令示は未だに動かずにいた。それは、イレギュラーの発生を危惧しての為だ。

「ほぼ『原作』の流れを辿った筈の『無印』でさえ、あれだけの不測の事態が起きたんだ、ストーリーを無視した行動をとった場合、

どうなる事か」

 最悪、友人知人に死人が出てもおかしくはないだろう。

 それに、令示にとって『原作』の知識は最大のアドバンテージではあるが、イレギュラーによって物語の流れが大きく狂った場合、

逆にそれが先入観となって、致命的な判断ミスを引き起こす原因にもなりかねない。

 かといって、傍観や放置は論外である。

 なのはたち不可抗力からの介入とはいえ、後半は自身の意思で立ち回っていたのだ、今更知らぬ存ぜぬとなど言えない。

 故に、令示ははやてとの接触を断念し、別方向からのアプローチを模索せねばならなかった。リスクが大き過ぎる以上、慎重になら

ざるを得ない。

 結論として、今後の令示の行動方針は、「『原作』知識という自身のイニシアチブを保持しつつ、その流れを変えないよう行動し、

最良の結果を掴み取る」という、恐ろしく難易度の高い選択をせねばならなくなった。

 問題はそれだけではない。自身の中にもある。

 現在、令示の中には九つのジュエルシードがある。それは理論上、新たに五体の魔人に変身できるという事だ。

 しかし、何度試してみても新たな魔人への変身はできなかったのだ。

 ナインスターと話してみてもその原因は不明。ただ一つ言えるのは、時の庭園でのマガツヒの大量の汲み上げと使用によって、アマ

ラ深界に何らかの異変が生じたのではないか? という推測しか出なかった。

 周囲の対策はおろか、自身ののパワーアップもままならない状態。令示は断崖絶壁を登り切って山頂に着いたと思ったら、更に高い

絶壁に出くわした登山家のように、倦怠感と疲労感を覚えた。

「あー、いかんいかん。このままじゃ果てしなくネガティブな思考に陥りそうだ」

 再び思考を切り替えようと頭を振る。このまま翠屋に行ったら、感の鋭いなのはたちに「何かあったのか?」と突っ込まれそうだ。

『A´s』の対策はじっくり腰を据えてやる事にして、せめて今は休日を楽しもう。

 そう考えを纏めて打ち切ると、令示は翠屋へと急いだ。








「いらっしゃいませーっと、令示君」

 ドアベルを鳴らして店に入ると、トレイを抱えた美由紀が令示に気付き近付いてきた。

「どうも美由紀さん、三人とももう来てますか?」

「うん、すずかちゃんもアリサちゃんも来ていて、あとは令示君だけだよ。席に案内するね」

 挨拶を交わしと、美由紀について席まで移動する。

「あっ、来た来た! 遅いわよ令示!」

 令示の姿を見つけたアリサがやや不満げな様子で声を上げた。

「まったく…ブランチがランチになっちゃうでしょうが」

「や、すまん。ちょっとゆっくりしすぎたな」

「おはよう令示君」

「おはよー」

「おはよ、すずか、なのは」

 片手を上げて謝りながら挨拶を返し、三人が座っている四人掛けの席へと腰を下ろす。

 お茶会でありながら、営業中の翠屋が待ち合わせ場所であった理由はこの為だ。

 お茶会の前にみんなでブランチを取ろうという事になり、「それならば」と、高町夫妻が場所と料理を提供してくれる事になったのである。

(つーか、ブランチっていうと高尚なイメージがあるけど、ただ単に寝過して朝だか昼だか区別のつかないだらしない飯だよな…)

「じゃ、みんな揃ったし、早速ご飯にしましょうか」

 と、令示が益体もないことを考えていた所へ、桃子がメニューを持ってやって来た。

「遠慮せずに好きなもの頼んでね」

「すいません桃子さん。御馳走になります」
 
 笑顔でそう述べる桃子へ、令示は頭を下げて、メニューを受け取った。

(とは言われたものの、流石に高過ぎるメニューを頼むのは気が引けるよな…かといって極端に安いのを選んでも嫌味臭いし…)

 下手に精神年齢が高いせいか、日本人特有の遠慮精神のなせるものか。メニューを睨みつつ「むむむ」と唸りながら吟味した結果、

令示は無難に中堅どころのパスタセットを注文するのであった。




「「「「御馳走様でした!」」」」

「はい、御粗末様」

 食事を終えた四人が、片付けをする士朗に礼を述べると、彼はニコニコと笑いそれに応じた。

「さて、それじゃあ家に迎えを頼んでおくわね」

 士朗が食器を持って行くのを見ながら、アリサがポケットから携帯を取り出す。

「? お茶会って、すずかの家じゃないのか?」

 てっきり再び月村家でやるものだと思っていた令示は首を傾げた。

「言ってなかったっけ? アンタまだ私の家に来た事なかったでしょ? 丁度いいから招待ついでに今日のお茶会は家でやる事にしたのよ」

「ああ、そういう事か」

 納得した令示の目前で、アリサはテキパキと翠屋に車を回すよう電話の相手に指示を出していた。

 その様子を何とはなしに眺めていた令示の背後で、ドアベルが鳴る音が響く。

「いらっしゃいませ。お一人さまって──外人さん!? ええと、ウ、ウェルカム トゥ…」

「ああ日本語で大丈夫だよ、人と会う予定でね。ここに居る筈なんだが……ああ、居た居た」

 美由紀の挨拶の声とともに、よく通る女性の声が令示の耳に届いた。そして──

「やあ、やっと会えたね。ずいぶん探したんだよ?」

 通路脇の自分の隣に現れた薄水色のワンピースを纏う、白人の女性が令示を目にして満面の笑みを浮かべた。 












 その女性を目にした時、令示は目を見開き全身の血の気が引いたかのように蒼白となっていた。

「え…あ、貴女は…えっ…?」

 唇を震わせ要領を得ない言動の令示。

 なのはたちはいつも飄々とした態度を取る令示が見せた意外な表情に、驚くとともに怪訝さを抱く。

「さ、それじゃあ行こうか」

 その女性はまるでそれが当り前であるかのように自然な動作で令示の片手を取ると、そのまま翠屋の出口の方へと歩いていく。

「え?」

「あ──」

 突然のその行動になのはもすずかの呆気に取られ、言葉を失ってしまう。

「ちょっと待って下さい! そいつをどこに連れて行くんですか!?」

 が、いち早く正気戻ったアリサが、席を立ち上がって女性の前に回り込んで気炎を揚げた。

「そいつはこれから、私たちと約束があるんですけど!?」

 言葉は丁寧だが、真正面から女性を睨みつけるアリサの目には、彼女に対する非難と苛立ちが容易に見て取れた。

「困ったな…私も彼に用があってね…」

 自身の前に立ち塞がったアリサを見ながらどこか楽しそうに答えながら、女性は苦笑を浮かべる。

 言葉は柔らかいが、譲る気がないのは誰の目から見ても明らかであった。

 通路上で睨み合う二人を、なのはとすずかはハラハラしながら見つめる。

「ちょ、ちょっと待った!」

 一色即発かと思われた二者の間を割って、令示が声を上げた。

「アリサ、ちょっとすまんが俺、この人と話してくる」

「ちょっと! 私たちとの約束はどうなるのよ!?」

 思いがけない令示の言葉に、柳眉を吊り上げアリサが食ってかかった。

「すぐ済むから。鮫島さんが迎えに来るまで、まだ時間があるだろ?」

「だからって──」

「頼む」

 納得いかずに尚も抗議の声を上げようとしたアリサへ、令示は真剣な表情で頭を下げた。

「むぅぅ…………わかったわよ、早く済ませて来なさいよ!?」

 暫し半眼で睨みつけていたアリサであったが、渋々了承し、そっぽを剥きながらそう言い放った。

「すまん、恩に着る。なのはとすずかも少し待ってくれ」

 令示はアリサに礼を述べると、席に座ったままの二人にも、そう声をかけた。

「もういいかい?」

「はい…」

 尋ねた女性に頷きを返すと、二人はそのまま出口の方へと歩いていく。

 ドアが閉まり、二人の姿が消えた後もアリサは無言で出口の方を見つめていた。

「アリサちゃん…?」

「大丈夫?」

 微動だりしない親友を不思議に思い、なのはとすずかが恐る恐る近付いて声をかけた。 

「…な」

「「な?」」

「何なのよあの女ーーっ!!」

 顔を朱に染めて、アリサが怒声を上げた。

「突然出て来て好き勝手言って!! 令示の奴もホイホイついて行っちゃうし!!」

「ア、アリサちゃん、落ち着いて…」

「お店に迷惑かけちゃうよ」

 怒髪天を突くといった様子のアリサを、慌てて宥める二人。

 が、アリサは治まる気配もなく、キッとなのはとすずかへと視線を向ける。

「二人とも! 行くわよ!!」

「へ? どこへ?」

「決まっているでしょう!? 令示たちの後を追うのよ!」

 首を傾げるなのはに、アリサは入り口をビシィッ! と指差し高らかに宣言する。

「え? でも、令示君は待っていてって言ってたよ?」

「ええそうね。なのはとすずかにはそう言ったけど、「私」は言われていないわ」

 アリサは「ニヤリ」という擬音が似合う笑みを浮かべながらそう断言し、それに、とつけ加える。

「「ついて来るな」とも言われていないでしょ?」

「いや、そうだけど…」

「いいのかなぁ…?」

 屁理屈のようなアリサの主張に、困惑の表情を作るなのはとすずか。

「じゃあ二人はここで待ってるの?」

「えっ…?」

「それは──」

 そうアリサに聞かれて、二人は言葉に詰まった。








 なのはの脳裏に浮かぶのは、先程女性と対面した時の令示の態度。

 悪魔と化し、次元震すら押し留める強大な力を振るう筈の令示が、まるで怯えたような表情を浮かべていた。彼とは色々な話をして

きたが、あのような女性と知り合いであったという話は聞いたことがない。

 彼には、まだ何か秘密があるのだろうか?








 魔人の力を持つ令示のあの態度も奇妙だったが、すずかが一番気になったのは、突然現れたあの女性の事であった。

 まるで旧知の間柄のように令示に語りかけ、微笑み、当然の如く手を絡ませていた。

 あんな人の事は聞いたことがない。一体どういう関係なのだろうか?








「「──行く!」」

 僅かな逡巡の後、二人はアリサの考えに追従する事にした。

「そうこなくっちゃ。さ、行くわよ!」

 アリサは先頭に立ち、元気よく翠屋の外へと飛び出した。












 女性に連れられて翠屋を出た令示は、そのまま手を引かれて臨海公園へとやって来た。

「さて、どこがいいかな…………あのベンチでいいかな?」

 園内に入った女性は、周囲をキョロキョロと見回し適当な場所を見つけると、令示にそう尋ねてきた。

「はい…」

 それに対して、令示は神妙な表情で短く肯定の返事をする。反対する理由もないし、反対などできる筈もない。

「ふう。…んー、別にあの店でもよかったかな? お茶を楽しむ事もできたしね」

 ベンチに腰掛けた女性は優雅に足を組みながら令示へ向かって微笑みを浮かべる。

「……………」

 令示はその問いかけには答えず、おもむろに彼女の前に移動するとその場で膝をつき、地に手を置いて恭しく頭を垂れた。

「お初にお目にかかります陛下。無知故の不作法な御挨拶、どうか御容赦下さい」

「────ふうん」

 女性は一瞬、呆けたような表情を浮かべた後、面白いものを見つけたと言いたげに目を細め、唇を笑いの形に吊り上げた。

「何を言っているのかな? 私はごくごく普通の女の子なんだがね?」

「お戯れを。まがい物といえど、この身は魔人の力を宿しています。力の源泉にして『生みの親』たる御身を見まごう筈がありません」

 太腿の上に肘を置いて頬杖をつきながら楽しそうに惚ける女性に、令示は頭を下げたまま答えを返した。

「へえ。…私が「人ではない事」くらいはわかるかな? って思っていたけど、正体にまで気付くとはね。ますます君は興味深いな、

御剣令示君」

「恐縮です」

 ──そう。翠屋で対面したその瞬間に、令示はこの女性の正体に気が付いた。

 あの瞬間、彼の中の四体の魔人の力が、眼前の女性に対して強烈な「畏れ」を抱いたのだ。「死」の具現にして悪魔をも怯えさせる

魔人たちが、である。

 それはまるで、背骨を抜き取られて氷柱を突っ込まれたような、体の芯から凍えるような恐怖。

 そんな事ができる存在など、令示の知る限り数える程しかおらず、何よりも目の前で微笑むこの金髪碧眼の女性に、見覚えがあった。




 ──其は、悪魔達の首魁。




 ──其は、王の中の王。




 ──其は、天より堕とされし明けの明星。




「恐れながら申し上げます。此度の御身の御出座、如何なる故あってのものでしょうか? 大魔王ルシファー陛下…」

「真・女神転生」シリーズを通してあらゆる形で姿を現すアマラの支配者たる大悪魔を前に、令示は身の内で暴れ回る恐怖を押さえつ

け、平静に振る舞う。

「……ルイ・サイファー」

「えっ?」

 数秒の見つめ合いの後、眼前の女性が呟いた言葉に令示は疑問の声を呈した。

「この身、この姿の時はそう名乗っている。気軽にルイと呼んでくれたまえ」

 言いながら、女性──ルイ・サイファーは悪戯っぽく微笑んだ。

「さて、それで君の質問の答えだが…それは君自身が一番理解しているんじゃないのかな? 御剣令示君」

「陛下の至宝たるメノラーに手を触れ、不完全とはいえ悪魔の力を飲み込み、アマラに漂うマガツヒまで汲み上げたこの身に、誅を下

しにいらしたのですか…?」

 令示が使っている魔人の力は、言ってしまえば掠め盗ったものだ。その所有者である彼女が不快に思わない道理がない。

「まさか。そんなつまらない事でいちいち足を運んだりしないさ」

 やや緊張した面持ちで答えた令示に、肩をすくめながら答えるルイ。

「私はね、君に、そしてこの世界に興味を覚えたんだ。実に面白い存在だしね」

「面白い…?」

「ああ」

 怪訝な表情を浮かべる令示に、ルイは鷹揚に頷き、語り出した。 

「不完全とはいえ魔人の力を呑み取って尚、己を保ち続け、更には創意工夫で更なる力を生み出す…一体君という存在は何者なのだろうね…?」

 ルイの視線は真っ直ぐに令示の両目を射ぬく。

「っ…!」

 心の奥底まで覗きこまんとするようなその鋭い目線に、令示は金縛りにあったかの如く固まってしまう。

 衝動的に目を逸らしたい衝動に駆られるが、歯を食いしばり、気力でその欲求を捻じ伏せ、睨み返す。

 目線に渾身の力を込めてルイを見るが、彼女は大して気にした様子もなく、まるでそよ風に涼むかのように気持ちよさげな表情を浮

かべるのみであった。

 …完全に遊ばれている。令示は圧倒的な彼我の実力差を目の当たりにし、内心で歯噛みする。

「そしてこの世界。我々が感知せず、悪魔も存在しないアマラ宇宙の外。何があるのか、何が起きるか…興味が尽きないよ。ああ実に

心が躍るね…!」 

 ルイはベンチから立ち上がり、クルリと体を回転させスカートの裾を翻しながら楽しげにステップを踏み、弾む声を上げた。

 彼女の美貌も相まって、天真爛漫なその動作は、事情を知らないものであれば心を奪われるくらいに魅力的な事だろう。

 しかし、ルイの正体を知る令示にとっては、彼女のその何気ない動作、一挙手一投足に至るまでが、振り上げられた死神の大鎌の如

き恐怖と重圧であった。

「…重ねてお尋ね申し上げます。ミス・ルイ」

 その圧倒的なプレッシャーに耐えつつ、令示は呻くように声を絞り出した。

「──うん?」

 足を止め、ルイは令示の方へと目をやった。

「御身は、この世界で何を成される御心算でありましょうか?」

 公園の敷石に当てた手をグッと力を込めて握り込み、腹に力を入れてルイへと質問を投げかけた。

「そうだねえ、…この世界に『混沌』の楽園を築く。そう言ったらどうする?」

 クスクスと笑いながら、ルイは腰を落として目線を合わせ、息がかかりそうなほど顔を近付けると、からかうように令示の瞳を覗き込む。

「誠不遜でありますが────」

 吸い込まれそうな程蒼く澄んだ双眸を睨み返す令示の背後に、紅い光が乱舞し四体の魔人が顕現する。

「止めさせていただきます。」

 令示の声に応じ、魔人達が戦闘態勢をとった。




 ──マタドールがエスパーダを構える。




 ──大僧正が印を組み、真言魔術の発動準備に入る。




 ──ヘルズエンジェルが跨る鋼の獣が、猛々しい咆哮を上げる。




 ──デイビットが飴色に輝くストラディバリウスに弓を宛がう。




 魔人達より発せられる闘志と殺意は唯一点、正面に居る女性へと向けられる。

 まるで空間をも歪むのではないかという程の濃密な殺気。常人であれば、居合わせただけで気絶してしまうであろう。

 だがそんなむせ返るような殺気の中でも、ルイは目を細め楽しそうに微笑みを浮かべた。

「ほう。出来るのかい? 君に、君達に」

 まるで自分の腕にじゃれる子猫を見るような好意すら滲ませるルイ。

 当然だ。そもそもレベルが違う。

 巨象が地を這う虫を気にもかけないように、生物としての、存在としての根幹に絶対的な差があるのだ。

 彼女が令示へ明確な殺意──いや、苛立ちや悪意を向けただけで、それは物理的な力となって襲いかかってくるだろう。

「…一命を賭しても」

 だが、それでもやらねばならない。

 経緯結果はどうあれ、この世界が悪魔に目をつけられた理由を作ったのは他ならぬ令示だ。

 本気でアマラの悪魔達がこの世界に現れれば、大破壊後の荒廃したトウキョウの景色が海鳴に生まれる事なる。

 いや、海鳴だけで済む筈がない。溢れ出た悪魔達はあっと言う間に日本中を蹂躙し、アジア、ユーラシア、世界中へと空気感染する

ウイルスのように、爆発的にその生存圏を拡大していく事だろう。そしてそれは地球だけでは終わらない。数百以上存在する次元世界

中へと広まって行く。

 数百億を超えるであろう人間達が、弱肉強食の地獄と化した世界で悪魔に嬲られ弄ばれ死滅していく。

 …それだけは防がねばならない。家族である綾乃だけではない、なのは、すずか、アリサ。それにユーノやクロノ達を守る為にも。

 彼女達は、自分の大切な友人なのだから。

 それが絶対に敵わぬ相手であろうと、逃げる訳にはいかないのだ。

「…………」

「…………」

 長い時を、互いに睨み合う二者。

 否。睨んでいるのは令示だけだ。

 ルイは涼しい表情のまま余裕を崩さない。

 一方の令示はただ見つめ合う、それだけで脂汗を浮かべ、その手を小刻みに震わせていた。

「ふふ、冗談だよ。私はこの世界をどうこうする心算はないよ」

 再びベンチへ腰をおろし、ルイは愉快な様子で声を上げた。

「…「私は」と仰られるという事は、ミス・ルイ麾下の悪魔達はその限りではないという事ですか?」

「へえ。鋭いね、君は」

 ルイは片方の口端を吊り上げ、笑みを浮かべる。

 それは先程見せた女性らしい魅力的な笑みではない。

 まさに悪魔と言える、積み重ねた老猾な笑みであった。

「悪魔の言葉を額面通りに受け取るのは、阿呆のする事でしょう」

 悪魔は言葉巧みに相手を騙し、陥れるものだ。言葉通りに物事を受け取れば、待っているのは破滅だけだ。

「そうだね。私の配下の中には、この世界をマグネタイト補給の為の狩場にしようとする者や、信奉者の拡充を狙う者もいるだろうね。

…もっとも、私はそれを許す心算はないよ」

「──は?」

 意外な返事に、令示は思わず間の抜けた声を上げてしまった。

「当然だろう? さっきも言ったが私はこの世界の在り方に興味があるんだ。神魔が存在せず、年端もいかない少女が並の悪魔を上回

る力を持つ世界…こんな場所は今まで見た事がない。この世界がどこに行き、どうなるか…是非見てみたいのさ。

 なのに下手に悪魔が介入してきたら、アマラ宇宙の世界の二の舞にしかならないじゃないか」

 そんなものはつまらないよと、ルイは肩をすくめた。

「だから、この世界に手を付けさせる気はない。…もっとも、私の立ち位置を狙う悪魔や、「天にまします我らが父」に関しては保証

は出来ないがね。まあ、アマラ宇宙とこの世界を隔てる『壁』を貫いて浸入出来る存在となれば、私に匹敵する力が必要だ。そしてそ

んな存在は得てして多忙だ。そう簡単には動けないさ」

「…つまり、現状は心配はないと…?」

「そうなるね。ちなみにこの件に関しては嘘偽りもないし、黙っている事もないよ。私に何の得もないし、寧ろ楽しみを奪われるだけだしね」

「そう、ですか…」

 そこまで聞いて令示は、魔人を消して張り詰めていた五感を弛緩させた。

「これも先程言ったけど、君にも色々と興味がある。魔人の力に関しても別にどうこうする心算はない。──た・だ・し」

 ニィっと、先程と同じく老猾な笑みを浮かべ、ルイが言葉をつけ加えた。

「私がこの世界に来る際、少々時空間を揺らしてしまったんだ。それに流された悪魔が、幾らかこの辺りに入り込んだかもしれない。

君にはそれらの排除を君に頼みたい」

「なっ!?」

 ルイがのんびりと話すその事実に、令示の五体に再び緊張が走った。

 それは致死性の猛毒がばらまかれたに等しい。

「ああ、連中がこの世界で暴れ回って私の楽しみを奪われても困るのでね。この近辺に結界を展開して遠方に出られぬようにしておくよ」

「そう、ですか…」

 とりあえず最悪は回避出来た。とは言え身内がいつ襲われるとも限らず、油断は出来ない状況であったが。

「悪くない取引だろう? 君はこの世界を守りたい。私はこの世界を楽しみたい。互いに利害は一致している。報酬として、君の魔人

の力の略奪の件を不問としよう。どうだい?」

「…承りました」

 どの道、断ることなど出来ない。悪魔に抗する事が出来るのは、悪魔自身かそれ征する者のみだ。

「契約成立だ。んん…さてと、そろそろ私は帰るとしよう。部下達が騒ぎ出す頃だろうしね」

 ルイは。軽く伸びをしながらベンチから立ち上がり、優雅な足取りで令示の元へと歩いていく。

「君と、君の友人達には大いに期待してるよ」

 腰をかがめて目線を合わせてそう言うと、ルイは不意に両手を令示の首に絡ませ、顔を近付けてきた。

「へ──」

 悪魔の襲来という情報に気を取られていた令示は、ルイのその行動に対して完全に対応が遅れる。そして──

「んっ…」

「っ!?!?」

 次の瞬間、己の頬に当たったフワリと柔らかな唇の感触に完全に気が動顛する。 

「私を楽しませてくれたまえ…」

 耳元で囁かれると同時に耳腔に侵入するヌルリとした熱い感覚。舌を入れられたのだ。

「ひゃわい!?」

 その感触に、令示は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

「「「ああ~~~~~!!!」」」

 と同時に、公園の植え込みから、なのは、アリサ、すずかの三人が声を上げながら姿を現した。

「な、なななな何やってるのよ! アンタ達!?」

 羞恥か怒りか。あまりに性的なルイの行動に、顔を真っ赤に染めたアリサがブルブルと震えながら二人を指差し、動揺を隠せぬ声で

詰問してくる。彼女の後ろに居るなのはとすずかも、驚いたのか呆気に取られているのか、黙ったまま令示達を凝視している。

「おやおや、お子様には刺激が強かったかな?」

「なっ!? なんですって!!」

 どこか小馬鹿にした様子で鼻で一笑するルイに、アリサはギッ! 彼女を睨みつけた。  

「怖い怖い、じゃあ私はこれで失礼するよ。じゃあ、またね御剣令示君」

 スルリと絡ませた腕を解き、軽快な足取りであっという間に姿を消したルイ。

(アリサ達の事、わかっててやりやがったな…!)

 場をかき回すだけかき回していったルイに、心中で罵声を上げる令示。

 令示は眼前のルイに集中して気が付かなかったが、彼女は三人の存在に気付きながら火種を投下して逃げたのである。

「ああもう! ホントに何なのよあの女!! さんざん人の神経逆なでして!!」

 ガンガン地面を踏みつけ、アリサが怒声を上げる。

 一通り暴れた彼女は、ゼエゼエと荒い息づかいのまま今度は令示へときつい視線を叩きつけた。

「ちょっと令示! あの失礼女の事、キッチリ説明してもらうわよ!」

「「…………」」

 アリサの後ろで、なのはとすずかも無言のまま自分へ事情を聞きた気に、視線を投げかけている。

 どの道、ルイの言っていた悪魔の事がある以上、警告を含めてある程度の事情は明かさざるを得ない。だが──

(絶対どっかでこの様子眺めて笑っていやがるな、あん畜生…!)

 ニヤニヤと笑いを浮かべながら、この様子を楽しんでいるであろうルイの姿が容易に想像でき、令示はしかめっ面のまま額に手を当

て天を仰ぐのであった。
















「まず最初に言っておく事がある。今後、外で『あの女』を見かけても、決して接触するな」

 バニングス邸、アリサの私室。

 公園での出来事の後、憤るアリサを宥めすかしてここへとやって来た令示と三人。

 テーブルを囲む椅子にそれぞれが腰を下ろすと、左右に座るなのはとすずかの視線を受けながら、令示は対面に座るアリサへ、先刻

の女性について、固い表情のままそう第一声を切り出した。

「は? なんでよ?」

 訳がわからない。事情の説明そっちのけで、まず言う事が何故それなのか?

 怪訝な表情を浮かべるアリサに令示は一言で、簡潔にその理由を述べる。

「怖いからだ」

「──え?」

 目を丸くして言葉を失うアリサ。彼女は一瞬、令示が何を言っているのか理解出来なかった。

 怖い? 一騎当千、万夫不当などという言葉すら生ぬるい、圧倒的な力を誇る魔人の能力を持つこの少年が、「怖い」と口にしたのか?

「怖いって何よ? まさか、悪魔の力が使えるあんたが、手も足も出ない奴だって言うの?」

「ああ、俺が全力で攻撃したところで、『あの女』は眉一つ動かす事なく、身動き一つ取らずに平然と耐え切った上に容易く俺を叩き

潰すだろうな」

『っ!?』

 令示がさらりと述べた恐るべき事実に、三人は息を呑む「本当は単なる冗談ではないか?」という考えがアリサの脳裏をよぎるが、

令示の額に浮かぶ脂汗と固まったままの表情が、その話がまぎれもない真実であると物語っていた。

「令示君、あの女の人って一体どういう人なの…?」

 おずおずと、すずかが疑問を口にする。

「魔人を生み出した張本人。そういう意味では俺の『親』とも言える。もっとも、そんな甘い関係じゃないけど」

「何だってそんな物騒な奴が海鳴に来たのよ?」

「ああ、その事なんだが…」

 アリサの問いに、令示は少々苦い表情をしながらなのはへ視線を向ける。

「なのは、すまんが緊急事態だ。ジュエルシードの件を含めてアリサとすずかに説明するぞ」

「ええっ!? きゅ、急にそんな事言われても…! リンディさん達にもどう言うの!?」

「問題ない。四人の魔人と高町なのはは口止めされていたが、「御剣令示」は何も言われていないからな」

「にゃ!? それはちょっとずるいような気が…」

 突然の宣言にわたわたと焦るなのはと、事も無げな様子の令示の言動を見ながら、アリサとすずかは話が読めずに首を傾げる。
 
 なのはは眉間に皺を寄せ、困った表情で「いいのかなぁ~」と呟き、暫し頭を抱えて悩んだ後、ゆっくり彼へと頷きを返した。

「…それで、『あの女』が海鳴に来た理由だけど、この前までのなのはと俺の活動に端を発しているんだ」

 なのはの頷きを視認した令示が語り出しのは、非常に突拍子もない話だった。以前令示からなのはとの行動についての概要を聞いて

はいたが、改めて詳細を聞くと驚きを禁じ得なかった。

 ロストロギア──異世界の遺失技術の結晶、ジュエルシードと呼称される二十一個ものそれが、この海鳴市に散らばったのだという。

 ユーノを連れて行った動物病院の事故や、街で起こった巨大樹の発生も、ジュエルシードの暴走によるものだったというのだ。

 更に驚いたのは、そのジュエルシードこそが令示が以前語った悪魔化した原因たる『秘宝』であるという事、そしてフェレットのユ

ーノがジュエルシードを回収に来た異世界の魔法使い──魔導師であるという事だ。

 なのは、ユーノ、令示の三人は協力してジュエルシードの回収に当たり、その後現れた別の魔導師フェイトとの衝突や、管理局と呼

ばれる組織との接触の後、彼女彼らとなのは、そして四体の魔人とで協力体制をとり、二十一個のジュエルシードをどうにか回収した

のだという。

「なんか異世界とか魔法とか…とんでもないスケールの話ね」

「うん。令示君の話を聞いたり、悪魔の姿とか見ていなかったらすぐには信じられなかったかも」

 事が地球規模の災害にも成りえたかもしれないという事実に、アリサもすずかも呆けたような表情のまま呟きを漏らした。

「あのアリサちゃん、すずかちゃん…ごめんなさい、二人に本当の事言わずに黙っていたりして…」

 俯いたまま謝罪の弁を口にするなのは。

 それを見たアリサとすずかはお互いに目を合わせ、数瞬見つめ合った後、同時に大きく頷くと椅子を蹴って立ち上がり、なのはを左

右に挟み込むように並んでそれぞれが彼女の手をとった。

「馬鹿ね、そんなの気にしてないわよ。そりゃ黙っていられたのにはイライラしたけど、言いたくても言えなかったんでしょ?」

「うん…」

 しょうがないな、と言いたげな苦笑を浮かべたアリサの言葉に、なのはがおずおずと頷きを返すとすずかがそれに続く。

「そうだよなのはちゃん。事情があるのはわかっていたし、令示君も話せる範囲で話してくれていたから、別に怒ってなんかいないよ?

…それに、こんな私と同じくらい小さな手で私達を守ってくれてたんだね。ありがとう、なのはちゃん」

「すずかちゃん…」

 突然のすずかからの感謝の言葉に、目を見張るなのはに反対側のアリサも同じようにギュッと手を握り声をかけた。

「私たちだけじゃない、この街も、私やすずかの家族も、みんなを助けてくれたのよね。ありがとう、なのは」

「アリサちゃん……っ!」

 二人の親友からの温かい言葉に、なのはは感極まり大粒の涙をポロポロとこぼしながら、肩を震わせしゃくりあげた。

 アリサとすずかは、そんな彼女を黙って優しく抱き締めた。














「さて、みんな落ち着いたようだし、話を続けていいか?」

「うう…」

「……」

「……」

 淡々と話を進める令示へ、三人はチラチラと恨めしげな視線を送る。

 高ぶった感情が平穏に戻ると、同時に令示の目前での己の言動を振り返り、彼女達は羞恥に頬を染め、彼を直視出来ずにいた。

「最後のジュエルシードの回収の時、複数個のジュエルシードが纏まって暴走を起こし、次元震が起きる寸前だった。俺は自分の体内

にあるジュエルシードを全力で発動させて、その力をぶつけて相殺する事で次元震を止めたんだが、その際に力を出し過ぎたせいでア

マラ深界──まあ、わかりやすく言えば魔界にいた「アレ」に俺という存在を気付かれる羽目になったんだ。

 で、どうやらその一件で興味を持たれたらしくてな、あの通り俺に接触して来たという訳だ」

「…あの女の目的は? あんたと話をしに来ただけって訳じゃなさそうだったけど?」

 アリサの問いに、令示は「ああ」と頷きながら口を開く。

「どうやら自分の住処と随分と違うこの世界に興味津々らしい。悪意や害意を持って行動する気は無いらしいし、「アレ」の性格上、

直接ちょっかいをかけて来る事はまず無いとは思うが、かなりの曲者である事は事実だ。何にせよ用心して、さっきも言った通り「ア

レ」を見かけても近付かないでくれ」

「う…わかったわよ…」

「頼むよ」と真剣な表情で念を押してくる令示に気圧されるかたちで、アリサは不承不承といった感じで肯定の意を返した。

「よし。じゃあ俺の、それとなのはの事情はこれで話し終ったし、さっさと気分変えて普通にお茶会を楽しむとしようか」

「うん!」

「そうだね」

 令示が笑顔を作りパンパンと手を打って場の雰囲気を改めると、なのはとすずかがそれに同調し大きく頷く。

 が──

「ちょっと待った! まだ終わってないわよ!!」

 三人の目前にバッ! と掌を突き出し、アリサがストップをかけた。

「な、なんだよ…まだ何かあるのか?」

 その勢いに若干気圧され気味になる令示。

 それに対しアリサは「ニヤリ」という擬音が合いそうな、口端を吊り上げる悪役じみた笑みを浮かべると、再びすずかへ目配せを送る。

 合図を受け取ったすずかも、楽しそうに悪戯っぽく微笑み、アリサとともになのはの傍から離れると、今度は令示の左右に立つ。

「ちょっと二人とも、今度はなん──」

 その行動に令示が疑問の声を上げるよりも速く、二人は彼の手をしっかりと掴んで握り、

「あんたもなのはと一緒にこの街を守ってくれたんでしょう? ちゃんとお礼を言わないとね。 ア・リ・ガ・ト・ウ・令・示♪」

「私達を守ってくれて、ありがとう令示君」

「い、いや、ほら、俺はサポートで? メインはなのはがやってたからまあ、大した事はないって…」

 真っ直ぐに二人から向けられた視線から目を逸らし、令示はしどろもどろなりながらそう答える。

 するとその途端、なのはが勢いよくテーブルを叩いて立ち上がった。

「そんな事ない! 令示君がいなかったら、私もあんなに戦えなかったしフェイトちゃんやプレシアさんだって助けられなかったよ!」

 令示の自己評価に対し、真っ向から異を唱えるなのは。

「いや、あれはその…偶然の要素も大きかったし」

 令示は更に小さくなった声で異議を唱えようとするが、そこにアリサとすずかが一気に畳みかけた。

「ほら、なのはもああ言ってるじゃないの。謙遜なんかしてないで素直に受取っておきなさい」

「そうだよ。私達を助けてくれた人が何もしなかった訳ないもの。もっと自信を持って」

「む、むうう…」

 三人に持ち上げられ、令示は所在なげに俯き、唸りを上げる。

「そうそう照れない照れない。ま、私たち三人を一人だけ大人振って見ているのが気に喰わなかったってのもあるけどね」

「そっちが本音かよ!?」

 アリサの漏らした声に、令示が顔を上げてツッコミを入れる。

「あら、心外ね? 感謝してるのは本当よ?」

 言いながらアリサは令示の手をぎゅっと握り、怯む事なく満面の笑みを浮かべる。

「もう、アリサちゃん。あんまりからかったらダメだよ? 令示君、アリサちゃんも私も、本当に助けてもらったって思っているからね」

「コイツの場合はシチサンで悪戯心の方が勝ってるだろ…」

 すずかのフォローに対して、令示はアリサへジト目を送りながら苦々しそうに呟く。

「フフン、いつも人の事をからかうんだから、この位やり返したってどうって事ないでしょう?」

 令示の視線を鼻で笑い飛ばすアリサ。

「にゃははは…」

 そのやりとりを眺めながら、なのはは力の抜けた笑いを漏らした。

「あっ、そう言えばさ、四体目の魔人ってどんな奴よ? 気になるわ」

「あ、それ私も気になる」

 とその時、アリサは先程の話の中にあった、まだ見ぬ令示の悪魔形態の話しを思い出して疑問の声を発すると、すずかもそれに頷き、

同意を示した。

「…デイビットっていうヴァイオリン奏者の悪魔だよ」

「ええっ!? 何ソレ、変な悪魔ねえ。ちょっと気になるわ、ここで変身して見せなさいよ」

「ここでかよっ!? メイドさんとかに見つかったらどうすんだよ!?」

 ワクワクとした様子で瞳を輝かせ、無茶振りをしてくるアリサに思わずツッコミを入れる令示。

「大丈夫よ。家の人間なら必ずドアをノックして、OKを貰ってから入って来るから」

「私も見てみたいなあ。私もアリサちゃんもヴァイオリン習っているから、余計に気になるしね」

 令示の抗議もなんのその。アリサは余裕でそれをいなし、すずかは彼女に同調する。

「わかったよ…それじゃあなのは、フェイト見送った時の曲やるから歌やって」

「にゃっ!? 私も!?」

 渋々といった感じで了承した令示に、突如として話を振られてなのはは驚きの声を上げた。

「当然だ。俺一人針の筵に居るような思いは御免だ。一緒に地獄に落ちてくれ」

 追い詰められた犯罪者のようにやけっぱちな笑みを浮かべる令示の言葉に、アリサとすずかが興味を示す。

「なになに? なのはも歌うの?」

「あ、聞きたいな。プールに行った時にもなのはちゃんの歌は聞けなかったし」

「にゃ~~!! みんなのいじわる~~!!」














 …はしゃぎ回る四人は知らない。

 後に街で起きる奇っ怪な事件に、自分達が巻き込まれる事に。




 閑話 海鳴の休日 了




 どうも皆さんお久しぶりです! やっとこさ新章突入──とはならず、その前の空白期のお話になります。

 映画公開前に完成させたかったのですが…間に合わなかった。

 ちなみに映画は昨日三連続で観て来ました。なのはのフィルムゲットしましたー!

 リインフォースの腕のナハトヴァールかっけえ! アレはパイルバンカーか! パイルバンカーなのか!?

 リインフォースとシグナムのボディコンスーツと、シャマルの下着姿ガン見したw

 しかし〇〇〇〇の存在が完全になくなっているとは…〇〇〇汚い。超汚い(公開直後の為自主検閲)

 とまあ、映画面白かったです。

 さて今回は前回に続いて閣下連続登場です、が、相変わらずエロいなぁ、この人。

 この人書いてると無意識のうちにセクシャルな表現に走っているような気がしますw 

 この後、悪魔退治編を何話かやった後、「A´s」編に入る予定です。が、予定通りに行くかなぁ…?

 では、今日はこの辺で失礼します。次回更新時にお会いしましょう。

 P.S

 遅ればせながら、舞様ご結婚おめでとうございます。(嫁候補って、マジだったんすね…)

 P.S2

 その他板にライドウの小説をアップしました。よろしければご覧ください。







[12804] 閑話 海鳴怪奇ファイルVol.1 うしろに立つ少女
Name: 吉野◆fe64ebc7 ID:ea804a88
Date: 2013/02/27 18:59








 ※前回の「閑話 海鳴の休日」の文末部分に大幅に加筆をしてあります。出来ればそちらから読んでいただければ幸いです。








私が私の視覚の、同時にまた私の理性の主権を、ほとんど刹那に粉砕しようとする恐ろしい瞬間にぶつかったのは、私の視線が、偶然

――と申すよりは、人間の知力を超越した、ある隠微な原因によって、その妻の傍に、こちらを後にして立っている、一人の男の姿に

注がれた時でございました。閣下、私は、その時その男に始めて私自身を認めたのでございます。



 芥川龍之介 「二つの手紙」より抜粋。



















 六月二十五日 PM7:30

「え──」

 日曜の夜。久し振りに家族三人が揃った食卓で、父母に囲まれ笑顔を浮かべていたアリサは、父デビットの発した言葉にその表情を

固め、呆けた声を上げた。

「すまないアリサ…急な予定が入ってしまってな。だから今度の連休は出かけられなくなってしまったんだよ」

 俯き、申し訳なさそうな面持ちで告げる父を見て、ハッと我に返るアリサ。

「だっ、だって約束したじゃない!! 連休はちゃんとお休み出来るようにお仕事も先に片付けるって!!」

「……すまない」

 椅子を飛びおり、慌てて父の傍へと駆け寄り声を荒げて詰め寄るアリサに対し、デビットは俯いたまま謝罪の言葉を口にするだけだった。

 だが、そんな態度が余計にアリサの苛立ちに拍車をかける。

「もういい! パパもママも大嫌い!!」

 爆ぜた怒りの念とともに拒絶の言を叩きつけ、アリサは一人食堂を飛び出した。

「アリサっ!」

「アリサお嬢様!!」

 両親や使用人達の声を背に彼女は廊下を駆け抜け自室へと飛び込んだ。

 ドアに鍵をかけながら、ゼェゼェと荒くなった呼吸を整えると、ベットへと身を躍らせた。

 布団が大きくたわみ、バフッ! と音を立て僅かに揺れながらも、ベットは彼女をしっかりと受け止める。

「バカ! ママのバカ! パパのバカ!!」

 アリサは両手を振り上げ、何度も何度も枕に向かって固めた拳を叩きつけた。

 アリサは同年代の子供に比べ、頭一つも二つも抜きん出た非常に聡い少女だ。己の父母に今回突然入ってきた仕事が、二人にとって

不本意なものであるという事は、その表情を見て察したし、自分に対して申し訳ないと思っているのもわかっている。

 しかし、理解は出来ても納得が出来るかといえばそれは別の話。

 理性が「是」としても、感情がそれを拒絶するのだ。

 アリサからしてみれば己という存在が、両親から仕事より下に見られていたように思えてしまい、怒りと悲しみがごちゃ混ぜになっ

た感情で心が占められていた。

 やがて、暴れ疲れたのか、最初より勢いを失った小さな拳が枕へと力無く振り下ろされ、ポスンと気の抜けた音を最後に、アリサは

ベットに突っ伏してその動きを止め、

「ばか…」

 小さな呟きを漏らし、彼女はそのまま沈黙した。








 ──アリサは気が付かない。

 己の一連の所作を見つめる存在に。

「ソレ」はジッとアリサを凝視する。

 じっとりと、絡みつくように。それはいっそ病的な程に。

 その憎悪すら孕む視線を浴びながら、アリサは静かに寝息を立て始めた。








 閑話 海鳴怪奇ファイルVol.1 うしろに立つ少女












アリサ視点




「ん…」

 ピピピという耳障りな電子音に、アリサの意識がゆっくりと覚醒していく。

「朝か…って、あれ?」

 眠い目を擦りながら体を起こした彼女は、自分の姿を見下ろし疑問の声を漏らした。

「私…なんでパジャマなの?」

 確か昨日は起き巻きのままベットに飛び込み、眠ってしまった筈だ。誰か──メイドの人が着替えさせてくれたのであろうか?

 しかし、たとえそうであったとしても、体を動かされて服を変えられて気が付かない事などあるものだろうか?

「まあ、いいか…」

 考えたところで埒が明かない。

 アリサは軽く頭を振って思考を切り替えると、目覚ましのアラームを止め、ベットを降りて机の上の携帯へと手を伸ばす。

 昨日、両親とのいざこざでしていなかったメールチェックをしようと携帯を開いた。

 だが──

「は?」

 携帯を開いて表示されたトップ画面を見て、アリサは我が目を疑った。

 そこには、『6/27 TUA AM6:45』の数字が羅列されていた。

 日曜の夜に寝た筈のアリサが、気が付けば火曜の朝。丸一日寝ていたという事になる。

 だがそれはあり得ない。目覚ましのアラームが鳴る筈だし、いつまでも寝ていれば使用人の誰かが起こしに来る筈だ。そしてそれ以

前に、二十四時間以上も気付かず眠り続けるとは考えられない。

「…何かの間違いでしょ?」

 故に、アリサは苦笑しながら携帯の時刻を否定する。

 そもそも、寝坊などというふざけた理由で欠席を許す程、アリサの両親は甘くない。

 しかし、それならばこの携帯の日付はどういう事か?

 可能性としては、誰かがアリサの寝ている隙に携帯を操作した?

 悪戯か?

 アリサが父母と言い争ったこのタイミングで?

 笑いどころかアリサの怒りと不興を買うだけだ。そもそも、バニングス家にこんなくだらない悪戯をするような人間はいない。では

誰が? 何の為に?

「一体何なのよ…」

 片手で頭を押さえ呟き、アリサはテーブルへと歩み寄り卓上に置いてあったTVのリモコンを手を伸ばし電源を入れる。

 携帯の日付をあり得ない事だと、ただの勘違いだと考えながらも、心のどこかで「もしかして」と思ってしまう。

 そして、モニターに映像が表示されて幾つかのCMが流れた後、七時きっかりとなり朝のニュース番組が始まった。

 音楽とともにTV局のスタジオで頭を下げるキャスターが映り──

『おはようございます! 六月二十七日、火曜日の朝です!』

 その能天気ともとれるテンションの高い声が、アリサの頭にガンガンと響き渡った。

「六月二十七日…」

 生放送のTVですらも、携帯の時刻と同じであった。

 空白の一日。

 どうしても思い出せない記憶。

「昨日何があったのよ…」

 それは誰への問いなのか、アリサは呆然TVを見つめたまま一人呟いた。








「おはようアリサちゃん、すずかちゃん!」

 海鳴の住宅街に止まったスクールバスに搭乗して来たなのはが、後部座席に座るアリサとすずかを見つけると手を振りながら近付いて来た。

「おはようなのは」

「なのはちゃん、おはよう」

 アリサはすずかとともに挨拶を返してなのはを迎え入れる。二人に内心を気取られぬよう、笑顔を作りながら。




 ──朝の出来事の後、アリサは混乱しそうな心を無理矢理抑えつけ、まず現状の整理を行った。

 その結果、今日が間違いなく六月二十七日の火曜日である事、そして記憶にない月曜日もちゃんと学校へ行き普通に生活をしていた

事を使用人達にそれとなく聞き出していた。

 当然の事だが、昨日の記憶がない事は誰にも喋っていない。変な娘と思われるのも嫌だったが、何よりも心配をかけたくなかったからだ。

 幸か不幸か、アリサの両親は言い争った日の翌日から数日間の泊まり込みの仕事でう家を開けており、顔を合わせる事はなかった。
 
 アリサは(彼女の主観時間での)昨夜の事で気まずく、顔を合わせ辛かった為少しホッとしていた。

「あれ? アリサちゃん、なんか元気がないね?」

「そ、そう…?」

 隣に腰かけたなのはがそう言って首を傾げるが、アリサは素知らぬ顔でとぼける。

「あ、なのはちゃんもそう思う? 私もなんだか今日のアリサちゃんは疲れてるみたいなだなって思っていたんだ」

 なのはの意見の同調するすずか。アリサは自身の変調を隠し切れなかった事に、内心で舌打ちをする。

 だが、次になのはの発した言葉に、アリサは苛立ちを放り投げた。

「昨日は一日中物凄く楽しそうで元気だったけど…あ、もしかしてそれで今日は疲れちゃったのかな?」

「(っ!? 昨日の話!?)そんなに元気そうだったかしら? 『昨日の私』」

 一体前日、自分が何をしたのか? すぐにでも二人に問い詰めたい衝動を抑えつつ、アリサはポーカーフェイスを保ったまま探りを入れた。

「うん、なんかずっとニコニコ笑っていたし」

「時々鼻歌も歌ってなんかしてたよね」
 
「ふーん…そうだったかしら…?」

 互いに顔を合わせて語るすずかとなのはを見ながら、アリサは適当な相槌を打つ。

(やっぱり記憶にない。単純に昨日の事を忘れているだけなら、話を聞いている内に思い出すかもって考えたけど…)

 二人に口から語られる出来事は、まるで他人の行動を伝え聞いているようであった。

 自分の事でありながら自分ではない。それはボタンの掛け違いのように、もどかしく気持ちの悪い感覚。

 そんな心中に生じた不安と違和感によって、アリサは額にじっとり脂汗を滲ませた。

(ああ、もうっ!)

 アリサは軽く頭を振って沈みそうになる気分を転換すると、とりあえず汗を拭おうとポケットのハンカチに手を伸ばし──

(んっ? あれ?)

 カサリと、指先に触れた布とは違う異質な感触に気が付いた。

『聖祥大付属小学校正門前です。降りる時は急がずゆっくりと降りましょう』

 それと同時にバスが停車し、アナウンスが流れる。

 ゾロゾロと降りていく他の生徒の後について、アリサたち三人も列の最後尾に並ぶ。

 歩きながら、アリサは先程指先に触れた物をポケットから引き抜いた。

「紙…?」

 それは、ノートの切れ端を折り畳んだ物であった。

(こんなの入れた覚えはない…という事は、『昨日の私が』入れた?)

 アリサの制服は、使用人が毎日洗濯して夜に部屋に持って来てくれている。

 使用人の誰かがこんな物を入れるとは思えないし、何よりこの切れ端の罫線は、アリサのノートの物と同じだ。故に、消去法で昨日

のアリサがやったと判断した。

「何が書いてあるのよ…」

 列の最後尾で足を止めたアリサは、幾重にも折り畳まれた紙を広げ──

「ひっ!?」

 言葉を失った。

 広げた紙にはただ一言、こう書かれていた。




 Alisa's me. Not you(アリサは私だ。アンタじゃない)












 ──怖い。




 ──夜が怖い。




 時刻は午後8時を回った頃。

 夕食を終え自室に戻ったアリサは、一人ベットの上で頭から毛布を被り、恐怖によって震えの止まらぬ己の体を抱きしめ続けていた。

 今朝のバスでの一件の後、青ざめた顔を誤魔化す事が出来ず、なのはやすずかはもちろん他の生徒や教師にまで体調を案じる声をかけられた。

 しかし、アリサはそれにまともに対応する事が出来る筈もなく、皮一枚程度に残っていた理性と意思を酷使し、どうにか放課後まで

耐え切ると、逃げるように学校を後にして自宅へと帰って来たのである。

 今日は塾も習い事もなかったので、これ以上精神をすり減らす必要もない事に一時は安堵の息を漏らしたが、窓から差し込んできた

西日が、そんなアリサを嘲笑った。

 ゆっくりと太陽が山の稜線に沈んでいく。

 そう、再び夜が訪れようとしているのだ。

 それを認識すると同時に、今朝のバス内で目にしたノートの切れ端の一文がアリサの脳裏をよぎった。




 Alisa's me. Not you(アリサは私だ。アンタじゃない)




 最早、アリサは自身に振りかかったこの奇妙な出来事を、ただの記憶違いなどとは考えていなかった。

 何かが、自分の中には得体の知れない存在が入り込んでいると、そう確信していた。

 今日また眠ってしまえば、再びその存在──即ち『昨日の私』に体を乗っ取られるかもしれない。

 だが、こんな馬鹿げた話を誰にも話せる筈もなく、誰にも頼れる筈もない。

 まるで無人の野に一人で放り出されたような寂寥感。

 このまま一人、己の内を侵され、蝕まれていくままなのでは?

「っ!」

 そんな考えがアリサの中に更なる怖気を生み、それが抑え難い震えとなって彼女を襲う。

「…寝ない。今日は絶対に寝ないんだから……!」

 故に、アリサは震える手で毛布の端を握り締め、懸命に己を叱咤し迫り来る眠気の那美に耐えていた。

 正体不明の『昨日の私』に体を奪われないようにする為、アリサが考えたのは睡眠を摂らずに己の意識自我を保ち続けるという事だった。

 しかし、極度の精神的疲労とストレスによって、心身ともに限界近かったアリサの幼い体が、いつまでも睡眠欲に抗い続ける事など

出来る筈もなく、

「ねむったり、しない、んだか、ら……」

 重くなる瞼を擦り、頭を振って眠気を追い払おうとするものの、意識が闇に飲まれゆく感覚は抗い難く、その甘美な誘惑は徐々に彼

女の意思を浸食し、思考能力を削り落としていく。

「い……や…ねた……くな……」

 瞼が完全に閉ざされ、意識が途切れるその寸前、アリサは誰かの笑い声が聞こえたような気がした。












「っ!?」

 鳴り響く目覚ましのアラームに、即座に意識を覚醒させたアリサは、ベットから転げ落ちるように起き上がった。

「寝ちゃった!? 今日、今日は何日!?」

 アラームを消す手間すら惜しみ、アリサは机上の携帯へと手を伸ばす。

 気が動転し思うように動かない手で開いたトップ画面に目をやれば、『6/29 THU AM6:45』と表示された文字が視界

に飛び込んできた。

「…また、一日時間が飛んでる…」

 力無く呆然と呟いたアリサの手から、携帯が滑り床に落ちた。








「…リサちゃん、アリサちゃんってば!!」

「っ!!」

 何度も呼びかけられる声に、アリサはようやく我に返り、意識を取り戻した。

「な、なのは…?」

 正面へと目をやれば、眉を八の字にして心配そうにこちらを窺うなのはの姿。

「大丈夫? さっきからボーっとしていたけど…」

「あ、うん…そっか、バスに乗ったんだっけ、私…」

 アリサはここが聖祥のスクールバスの中で、すずかとなのはの二人とともにいつのもの座席に腰掛けているのを認識し、ようやく現

状を理解した。今は通学の途中だった。

 どうやら起きがけに見た携帯の時刻が相当なショックだったらしい。また知らない間に一日時間が経過していたという事実に意識を

奪われ、殆ど上の空で物事をこなしていたようだ。朝の支度や朝食、バスに乗り込むまでの記憶が途切れ途切れで酷く曖昧だった。

(いや、ひょっとしたら、これもの仕業なんじゃ…)

 ふとアリサの心中に小さな疑惑がよぎる。

 この曖昧な記憶も、今し方まで『昨日の私』に乗っ取られていたのではないか?

 段々と乗っ取られる時間が増してきているのではないか?

 一事が万事の要領で何もかもが疑わしく思えてしまってならない。振り払おうと、否定しようとしても、一度抱いた疑いの心は、ア

リサの心を容易には放さない。

(私、このまま『昨日の私』に殺されるんじゃ…)

 考えうる中でも最悪な展開に至ったアリサは、背筋を走るうすら寒さにぶるりと体を震わせる。

「アリサちゃん寒いの? やっぱり昨日から体の調子良くないんじゃ…」

「──え?」

 心配そうに優しく肩へ手をかけたすずかの言葉に、アリサは疑問の声を漏らした。

「調子が良くなさそうだった? 『昨日の私』が?」

 人の体で好き放題しているであろう奴が、一体どうしたのであろうか?

「ほら一昨昨日に、令示君と遊ぶ約束したでしょ? それで昨日の放課後に待ち合わせ場所にした翠屋に行く途中で、アリサちゃん顔

が真っ青になっちゃって、「調子が良くないから帰る」って言って帰っちゃったじゃない。やっぱりあれから体の具合が悪いままなん

じゃないかと思って…」

 体調を崩した? 「あんたなんていらない」などと傲岸不遜に宣告してきた『昨日の私』が?

 正体不明の怪物でも、調子が悪くなる事があるのか?

(いや、おかしいわ。すずかは「翠屋に行く途中で」って言った。という事はそれまでは普通に行動していた筈。それはつまり、何か

が原因で急に体がおかしくなったか、『昨日の私』にとって都合の悪い事が起きたって事じゃないの?)

 すずかの言葉を心中で反芻しながら、アリサは摩耗していた精神力を総動員して必死に思考を巡らせる。

『昨日の私』が体調を崩す程の出来事、そこにこの状況を覆すチャンスがあるかもしれない。

 アリサは死中に求める活を、その一点に見出そうとしていた。

(翠屋が原因…はないわ。どう考えても普通のお店だし。

 じゃあ翠屋に行くまでのルート? これも考えにくい。学校から翠屋行く途中なら、スクールバスで通るところもあるし、通学中に

おかしくなったなんてなのはもすずかも言っていない。

 それなら人が原因? なのはとすずかは…当然なし。『昨日の私』ともずっと一緒な訳だし。士朗さんや桃子さんも普通の人だし、

令示も普通の…って、普通?)

 消去法で原因を模索していたアリサが、令示の姿を思い浮かべたところでその思考を止めた。

 そう、御剣令示は普通の人間ではない。悪魔に、それも稀有とされるという魔人という種族に変身能力を持つ異能者だ。

 人に取り憑き、その体を奪う存在であれば、それは悪魔に近い存在なのではないか?

 となれば、『昨日の私』は翠屋で待っていた令示の存在とその力を察知し、恐れを抱いたという事なのでは?

(そう考えれば納得がいくわ。令示は『昨日の私』を私の体から追い出すか、倒す力を持っているんだ!)

 そう結論に至り、アリサは意識せず両の手を握り締め、笑みを浮かべる。暗中でようやく光明を見出した瞬間であった。

(そうとわかればのんびりしていられないわ! 早くアイツに会わないと!)

 最早学校になど行っている場合ではない。一刻も早く令示に会いこの状況を打破しなくては。

 そうなればもう迷う事などない。学校や両親への謝罪と説明など後でいくらでもすればいい。アリサがそう考えたその時、スクール

バスが道路脇で待つ数人の聖祥の生徒を乗せようと、路肩に停車した。

 チャンスとばかりにアリサは座席を立ち、バス先頭の出入り口へ向け駆け出した。

「ふえっ!?」

「アリサちゃん!?」

 背後から、呆気にとられた親友二人の驚きの声が響く。

「ゴメン二人とも! 私、用があるからここで降りる!」

 後ろを向かずにそう叫び、アリサは搭乗者しようとする生徒達を掻き分け、スクールバスから駆け降りた。

「ここからだと令示の学校は……あっちね!」

 アリサは周囲を見回して現在地にあたりを付けると、市街地の裏路地へと入り、令示の通う市立小学校へ最短距離で走り出す。

 表通りに比べ人の往来も少ないので、小学生の独り歩きを咎められる可能性が少ないという点も、考慮しての事だ。

(早く…早く令示に会わないと…)

 希望を見出した故に生まれた焦燥感に駆られ、アリサは脇目も振らずにただ走る。身の内に抱える爆弾にも等しい異物を除去せんが為に。

 ──しかし。

「わっぷっ!?」

 角を曲がったところで顔から何かに突っ込み、その動きを止めてしまった。

 勢い余って、出会い頭に通行人にぶつかってしまったのであろう。アリサは慌てて後ろに下がると当たった相手に頭を下げる。

「ご、ごめんなさい! 今急いでいたんで──」

 謝罪を口にしながら顔を上げたアリサは、ぶつかった人物を目にしてその言葉を止めた。

「どちらへ向かわれるのですか? アリサお嬢様…」

「鮫島…?」

 いつも通りの慇懃な言動の老齢の紳士、バニングス家執事である鮫島が路地の真ん中に立ち塞がり、アリサを見下ろしていた。

 しかし一体いつの間にアリサのバスからの逃走を察知したのか?、その上、入り組んだ路地の内からどうやって正確に彼女のルート

を特定したのか?

「いけませんな、今は学校に行く時間の筈ですよ。さ、私がお送り致しますから、参りましょう」

「っ!? ごめんなさい、今急いでいるから! パパとママには私がちゃんと謝るから!」

 突然現れた鮫島には驚いたが、今はそれに構う余裕などない。アリサは謝罪の言葉を口にしながら彼の脇を抜け、再び駆け出すが──

「くぁっ!?」

「なりません。行かせませんよ、お嬢様」

 素早く伸びた鮫島の手がアリサの腕を掴み、その動きを止められてしまった。

「なっ!? 放して鮫島!」

「放しません。さ、バスまでお送りしましょう」

 アリサの言葉に耳を傾ける事なく、鮫島は彼女を引き摺るようして掴んだ腕を引っ張り、表通りの方へと歩き出す。

 おかしい。と、アリサの心中に疑問が生じる。

 確かにアリサのとった行動は誉められたものではない。しかし、アリサの言い分も聞かず無理矢理連れて行こうとする程、鮫島は乱

暴でもわからず屋でもない。全く以って彼らしくない行動だった。

 普段とはどこか異質な鮫島に違和感を覚えたアリサであったが、それはともかくとして、今はこんなところで言い争っている場合ではないのだ。

 アリサは必死に抵抗し、鮫島の腕から逃れようともがく。が、所詮は子供と大人。その力の差は歴然であり、彼はまるで意に介して

いないようであった。

「くっ! …だったら、こうよ!!」

 自分の言い分をまるで聞かない鮫島の言動に、苛立ちを感じ始めたアリサは強行策に出た。

 鮫島から逃れようと彼に対して反対方向へ引っ張っていた体の動きを、急激に逆転させて押し込む──つまり、相手にタックルを仕掛けたのだ。

「ぬおおっ!?」

 予想外のアリサの行動に鮫島は対応出来ず、まともに体当たりを喰らって体勢を崩し、鈍い音を立てて即頭部をビルの壁に打ちつけてしまう。

「あっ!?」

 驚くアリサの前で鮫島はそのまま地に倒れ伏し、動かなくなった。

「さ、鮫島!しっかりして鮫島!!」

 自らの行動で親しい使用人を傷つけてしまった事に、蒼白となったアリサは慌てて倒れたままの鮫島の傍へと駆け寄り、彼に呼びか

けるが、返事はない。

「救急車…救急車呼ばないと…」

 アリサは震える手で携帯を取り出し、119をプッシュしようとしたその時、ガシリと、横合いから伸びた手が彼女の足首を捉えた。

「きゃっ!? ──って、鮫島!?」

 アリサが伸びた腕の元を目で追えば、それは地に伏した鮫島その人。

「ちょっと鮫島! 起き上がって大丈──」

 慌てて鮫島の動きを制し、「大丈夫?」と声を賭けようとしたアリサだったが、その言葉は彼の顔を目にした途端、途切れた。

「なに、それ……」

 顔が、割れていたのだ。

 ブロック塀に接触した部位に、放射状に罅が入って表層の肌が経年劣化したペンキのようにボロボロと剥がれ落ちていた。

 更にその肌の下には筋肉でも脂肪でもない、プラスチックの如くツルリとした質感の物体が広がっている。

「アギギギギッザザザザザザアアアザアザオジョ、オジョオジョオジョジョジョジョジョジョザババババババババババッ!!」

「ヒッ!?」

 鮫島──いや、鮫島の形をした異形はガクガクと瘧のように体を小刻みに震わせ、まるでガラス玉みたいな生気の抜けた双眸をアリ

サに向けると、言葉にならない狂気に満ちた叫びを発しながら、事務士の如く地を這って彼女の五体を捕えんと接近してきた。

「い、嫌…!」

 アリサは思わず後ろに逃れようとするが、足首を掴む異形の右手が枷となり、離れる事が出来ない。

 異形はズリズリと地を這いずり、更にアリサの体を掴まんと空いている左手を伸ばす。

「嫌ぁぁっ! 誰か、誰かぁ!!」

 追い詰められたアリサは、襲い来る異常現象によって精神的限界──パニックに陥り、異形を振り払おうと滅茶苦茶に暴れ、助けを

乞う悲鳴を上げた。

 しかしここは市街地の裏路地。人気も無くアリサの声を聞く者も皆無。

 アリサの叫びも虚しく、異形の左手がアリサの肩にかかる。
 
 膝立ちになった異形が正面からアリサを見た。

 人形のような自我自意識の感じられない異形の双眸が真正面からアリサを捉える。

「誰かぁ! お願い助けてぇ!!」

 殺される! その恐怖に憑かれたアリサはあらん限りの声を張り上げ、最後のSOSを求める。

 だが、その声に気付く存在はなく、足を掴んでいた異形の右手がはなれて、今度はアリサの顔へと伸び──




「──委細承知」




 横合いから発せられた声と同時に、突き出された腕が、異形を殴り飛ばした。

「アガァァァァッァアァアアッァァァァァ!!」

「え──」

 呆然とするアリサを置き去りにして異形はもんどり打って吹っ飛び、数メートル先のアスファルトの上を二転三転した後、ようやく

その動きを止めた。

 アリサの眼前には、数珠を握り込んだ拳と節くれだった枯れ木のような腕。

 その付け根へと視線をやれば、色褪せた黄色の法衣と、擦り切れた緑の袈裟を纏う木乃伊の姿が、アリサの視界に飛び込む。

「令──だい、そうじょう…?」

「無事か? アリサよ」

 結跏趺坐の姿勢で浮揚する木乃伊──魔人大僧正は突き出した拳をそのままに、異形から目を逸らす事なくアリサの安否を問うた。
















「…ぶ、無事じゃないわよぉ、来るのが遅いよ馬鹿ぁ…!」

 信頼出来る相手の登場と救助に緊張の糸が切れたのか、アリサはその場に崩れ落ち、涙を浮かべ上ずった声で大僧正を前に弱音を吐露した。

「済まぬ。じゃが──」

「ギュロロロロロロロロロロロッ」

 謝罪を口にする大僧正の視線の先で、異形が糸の切れたマリオネットのような奇妙な体勢で立ち上がり、不気味な叫びを上げる。

「まずはあのクグツを処理せねばな」

「クグ、ツ…?」

 大僧正の利き慣れぬ言葉に、首を傾げるアリサ。

「外法によって仮初めの魂魄を封入された人形(ひとがた)の事よ。普通であれば木偶を使うものなのじゃが…」

 大僧正が目を向けた異形──クグツは、人としてのメッキは剥がれてしまっていたが、それさえなければ人と見分けが付かない良く

出来た偽装であると言えた。

「しかし、何故たかがクグツ一体にここまで手間をかけたのかのう?」

「ちょっと! のんびり考えてる場合じゃないでしょうが!」

 顎に手を当て思案する大僧正に、アリサが怒鳴りつける。

「ギュガァァァァァァァァァァッ!!」

「ほ、ほら! あいつが来るわ!!」

 奇声を上げて駆け寄って来る異形を見て、アリサが慌てて大僧正の袖を引っ張り声を張り上げる。

「そう急くなアリサよそもそも拙僧が──」

 しかし大僧正は落ち着いた態度のままそれに答えつつ、

「ゴッ!?」

「このような木偶に劣る道理があるまい?」

 近付いて来たクグツの頭を左手で掴み、そのまま大地に叩きつけ余裕の笑みを浮かべた。

「無に帰せ!」

「────!!」

 大僧正は掴む相手の頭部へ更なる力を込め、粉々に打ち砕く。クグツは断末魔の声も無く、その活動を停止した。

「…さてアリサよ、一体何があったのだ?」

 地面に転がったままのクグツを睨み、仕留めた事を確信した後、ようやくアリサの方を向き直り現状の確認に入る。

「あ、うん、実は──」










 
「もう一人のアリサ、か……そやつに汝という存在が脅かされていると、そういう事じゃな?」

「ええ…」

 ここ数日間にアリサの身に起こった奇怪な出来事の子細を聞きながら、大僧正は思考を巡らせる。

「しかし妙じゃな? 汝の体より悪魔の気配は感じぬ」

「嘘なんか吐いてないわ! ほら、『昨日の私』が書いたメモもあるのよ!?」

 自身の正気を疑われたと思ったのか、アリサは憤慨しながら例のメモを取り出すと大僧正の前に突き出した。

「落ち着け、別に汝がおかしいなどとは思ってはおらぬ。そもそも拙僧がここにやって来たのは、町中に散布していた監視の目にあの

クグツが引っ掛かったからじゃ。それに汝が狙われていた以上、何らかの異常に見舞われているのは明白であろう?」

「う、うん…、ていうか、街中の監視なんかしていたの?」

「先日我らの前に姿を現した『あの女』の影響でな、この街に他にも悪魔が現れたらしいのじゃが、中々尻尾を掴ませぬ故、町中の道

祖神や塞の神、地蔵などの石像を媒介にして術式を施し、網を張っておったのじゃ。そこにあのクグツが引っ掛かったという訳よ」

「って、じゃあその入り込んだ悪魔が私に!?」

 大僧正の話により発覚した『昨日の私』の正体に、アリサは驚き大声を上げる。

「左様。『あの女』が無理矢理顕現した為に、世界と世界の間に生じた隙間から何体かの悪魔が入り込んでしまった。汝に災いを巻き

起こしたのは、おそらくはその内の一体であろうな」

 しかし、と大僧正は繋げる。

「なればこそおかしい。何故その悪魔はこんな手の込んだ悪戯のような真似をしたのか? それに汝の身より悪魔のいた痕跡一つ見つ

けられぬのもどうにも、どうにも解せぬ」

「そう言えばそうね…」

 大僧正の口にした疑問を聞き、アリサも頷きを返す。

 何故こんな遠回しに脅しをかけてきたのか?

 アリサの命や身分が目的であれば、殺して化けて変わった方がよっぽど早い。

 それがどういう訳か一日置きにアリサの意識を乗っ取ったり、恐怖を煽ったり等々、このような遠回しでまどろっこしい真似をする

必要があったのか。

「おそらく、「そうせざるを得なかった」何らかの理由がある筈じゃ。…時にアリサよ、この数日汝の家の使用人や家人の立ち振る舞

いに違和感や齟齬──普段とは違う様子はあったか?」

「え? ううん、別に自分の事で手一杯で回りの事に注意なんかしてられなかったけど、変な事はなかったと思う。でも、それが何なの?」

 大僧正の質問に答えながらも、その言葉の意味するところを読めず、アリサは首を傾げて問いを返す。

「うむ、今の汝の反応から鑑みるに、汝の家中でそこなクグツの如く成り替わった者はいないと考えて良いという事じゃ」

「──あっ!?」

 アリサは大僧正の考えを聞いて総毛立ち、思わず声を上げた。

「そうだ、本物の、本物の鮫島はどこに!? まさかこのクグツって奴に──」

「喝っ!!」

「っ!?」

 最悪の結果を想像し蒼白となっていたアリサを気合いの籠った声で一喝する。

「いかに表面を巧みに取り繕おうと所詮は木偶、その立ち振る舞いにはどうやっても違和が生じよう。だが、たった今汝が言ったであ

ろう? ここ数日汝の家の人間に異常は見られなかったと。それはつまり家人には手を出していないという事じゃ」

「でも! 万が一って事があるかもしれないじゃない!」

「だから落ち着け」

 所詮は推論に過ぎぬとばかりに、アリサは大僧正に喰ってかかるが、彼はそれに怒るでもなくただ冷静に彼女を宥め、諌める。

「ここ何日かの汝の身の回りに起こった異変をもう一度よく思い返してみよ。話を聞いただけでも、狡猾にして周到な追い詰め方じゃ。

まるで真綿で首を絞めるかのようにな。そんな手を使う悪魔が、周囲の人間を簡単に消す筈がない。それに何よりも汝に当てられた手

紙が、それを如実に訴えておろう?」

「あの手紙が?」

 アリサは大僧正の言葉に自身の掌中の『昨日の私』からの手紙に目を落とす。

「左様。その手紙に書かれた『アリサは自分がアリサであり、お前ではない』という文章、それはつまり汝の「立場」を奪ってやると

いう宣言であろう? アリサ・バニングスという「立場」が欲しい者が、それを成す為の因子である家人に手をかけるは本末転倒の筈。

汝に家人の様子を尋ねたのは、手紙の内容の確認を兼ねての事じゃ」

「それは…確かにそう考える事は出来るけど、でもそれならますますわからない。何で今になってこんな鮫島の偽物に私を襲わせたっ

ていうのよ?」

 大僧正の説得に一応落ち着きは見せたものの、それでもアリサは不満げな様子で疑問を呈する。

「ハッキリとした事はわからぬ。が、突如としてこのような、強引と言える手法へと切り替えたのには、それなりの理由があるのでは

ないかと考えておる」

「それなりの理由?」

 アリサのオウム返しの問いかけに、大僧正は鷹揚に頷く。

「うむ。アリサが今この場にいる事、この後に取ろうとしていた行動が、その悪魔にとっては不都合極まりない事のであったと考えれ

ばどうじゃ? さすれば穏便に事を運びたかったであろう相手が、このようにクグツを用いた強引な一手を打った事にも得心がいくのではないか?」

「あ──」

 大僧正の推論を耳にして、アリサは思いがけず散らばったパズルのピースの合わせ方を瞬時に見出してしまったかのような呆けた声を漏らす。

「私は令示に、あんたに会いに行こうとしていたのよ。なのはとすずかの話で、『昨日の私』が三人で遊びに行く時、急に体の具合が

悪くなって帰ったって言っていたの。それも、あんたに会いに行く途中でよ? だからもしかしたら、『昨日の私』が令示の魔人の力

を怖がっているんじゃないかって思って──」

「拙僧に会う為に通学途中で抜け出した。そしてそれに気付いた悪魔が、接触を阻止せんとクグツを送り込んで妨害をした…成る程、

そう考えれば筋が通るな」

 口元に手をあて、大僧正は思案しながら言葉を紡ぐ。

「じゃがそうなると、相手の次手読めぬな。恐れていた汝と拙僧の接触が果たされてしまった今、敵は更に強行な策をとる可能性も──ぬ?」

 と、その時、大僧正は突如言葉を切ると、後ろを振り向きの彼方の空へと目を向けた。

「? どうしたの?」

 突然の大僧正の不可解な行動に、アリサは訝しみながら声をかける。

「妙じゃな。聖祥付属のバスが学区を外れて走っておる。とうに八時を回っているというのに、生徒を乗せたままでじゃ」

「え? それ本当?」

「道路沿いの地蔵を介して視ている。間違いはない」

「おかしいわ…この時間じゃバスはとっくに学校についてる筈よ」

 学区外を生徒を乗せたまま走るスクールバス。…嫌な予感がする。

「ちょっと、確かめてみる」

 アリサはそう言いながらポケットから携帯を取り出し、登録されているなのはの番号をプッシュした。

『…もしもし?』

 数コールの呼び出し音の後、おずおずとした様子で電話口から発せられた親友の声を聞き、アリサはとりあえずその無事に安堵をする。

「もしもしなのは? …よかった、電話に出た。体は何ともない? すずかも大丈夫?」

『えっ? う、うん、私もすずかちゃんも別に何もないけど…?』

 矢継ぎ早に安否を問うアリサに対し、なのははどこか上の空で話しているような感じが見受けられる。

「? なのは? どうかしたの?」

『…んと、その…』

 妙だ。なのはの物言いが奥歯に物が挟まったかのように歯切れが悪い。

「どうしたのよ、なのは。何か気になっている事でもあるの?」

 何とも不可解ななのはの態度にアリサが問いただすと、

『えっと……その、あなたはアリサちゃん…なの?』

「──は?」

 なのはは実に奇妙な質問を投げかけてきたのだ。

「…何言ってんのよなのは。携帯が鳴った時に私の番号と名前が画面に出たでしょ? 第一、声で私だってわかるでしょうが、普通」

『う、うん、そうだけど…でも…』

 受話器の向こう側で、なのはは数秒ほど言い淀んだ後──
















「アリサちゃんは私の隣に座っているんだよ?」

















「え──」

 なのはの言い放った台詞の意味を理解する事が出来ず、アリサは言葉を失った。

 私がバスの中に居る?

「ちょっとなのは…それって一体──」

 どういう事だ? とアリサが尋ねようとしたその時、

『えっ!? あっ! ちょ──』

「なのは? どうしたのよ、なのは!?」

 焦ったようななのはの声とともに、ブツリと通話が途切れてしまった。

「一体何なのよ…」

 アリサは切れた電話に耳を当てながら、虚空を見つめてポツリと呟いた。

「如何したアリサ?」

 アリサの異変に気付いた大僧正が、近付き様子を窺ってくる。

「なのはが、バスの中に「私が居る」って…」

「やられたな…」

 アリサの言葉に、大僧正は苦虫を噛み潰したような声を漏らした。

「やられたって…どういう事よ!?」

 その言動に不安を覚え、アリサは焦った様子で大僧正に詰め寄る。

「先程申した、敵が取りうる更に強行な策…おそらくはこれじゃな」




「──お気付きですか。察しが良くて助かります」




「「っ!?」」

 突如、第三者の声が二人の背後より響き、慌てて大僧正とアリサは慌てて振り返る。

 二人の視線の先には、先刻大僧正に打ち倒されたクグツが、上半分を失った頭部をガクガクと動かしながら四つん這いで立ち上がり、

こちらへ体を向けていた。

「…打ち壊したクグツで、大した人形繰りの腕前よのう。汝がアリサを拐かそうとした悪魔か?」

 クグツの残骸へ目をやりその動きに気を付けながら、大僧正はアリサを庇うように前へ出る。

「いかにも。まあ、貴方の登場で予定が狂ってしまいましたがね。よもや街中に網を張っているとは思いませんでした」

 クグツの内部構造を利用して喋らせているのか、金属が擦れ合うような耳障りな声で、悪魔が語る。

「そんな事より! あんたがバスを変な方向に走らせているの!? なのは達に何するつもり!? 鮫島はどこ!?」

 挨拶などどうでもいいと大僧正の後ろから、アリサがクグツの残骸を怒鳴りつける。何よりも最優先にすべきは、目前の悪魔に浚わ

れた友人たちや生徒、使用人の皆の安否である。

「御安心を、バニングス嬢。貴女の御友人の二人も他の生徒達にも、鮫島氏をはじめとする貴方の家の使用人達にも危害は加えており

ませんし加えるつもりもありませんよ。軽い暗示をかけて邪魔をしないよう控えてもらっているだけです。バスの運転手も含めてね」

 アリサはなのは達は無事なようだと聞き、安堵の息を漏らしそうになるが、慌ててかぶりを振って疑いの眼差しを悪魔へ向ける。

「…本当でしょうね?」

 相手は自分を苦しめ、騙そうとした悪意の塊のような存在である。迂闊にその言葉を信用する訳にもいかない。

「おやおや信用がありませんな。ならば私の名と魂にかけて誓いましょう、大人しくなってもらう為、拘束魔法程度は使わせて頂く事

はあるかもしれませんが、それ以上は車内にいる人間に危害は加えません」

 信用なんか出来るか! と罵声を浴びせてやろうとしたアリサを大僧正が右手で制した。

「待てアリサよ。名と魂にかけて誓った以上、奴はそこに嘘偽りは差し挟めぬ。悪魔に取ってその約定を破るというのは死ぬのと同義じゃ」

「…そうなの?」

「うむ。それにあのクグツの核は先程完全に打ち砕いた故な、『クグツが勝手に誓ったから関係はない』などという屁理屈は通じんぞ?」

 念を入れるように悪魔を睨む大僧正。

「心得ておりますよ、魔人殿」

「…わからないわね、なのは達を人質にもしないのに捕まえたりして、あんた何がしたいのよ?」

 訝しげに悪魔を見つめながら、アリサは首を捻る。友達に危害がないのはいい事だが、ますます眼前の存在が何を考えているのか、

理解出来なくなった。

「何、お二方に私の催す宴の席へ御足労いただきたいのです。バスの御友人方は、あなた方に確実に確実に来ていただく為の保険とい

った所ですね」

「っ!? それじゃやっぱり人質じゃない! この嘘吐き!」

「いえいえ嘘は吐きませんよ。先程の誓いの通り、バスの人間に危害は加えません。もっとも、あなた方にお越しいただくまでは何十

年でも留まっていただきますがね」

 しれっと答える悪魔に、アリサは顔を紅潮させながら怒気を孕んだ視線を相手に叩きつける。

「ああそれと、危害を加えないと誓ったのは『車内の人間』だけなので、あなた達以外の人間が彼らの奪還に来た場合は、遠慮なく皆

殺しにさせていただきますので」

「~~~~っ!!」

 アリサの目の奥で、チカチカと白い光が飛び散る。

 怒りのあまり頭の血の巡りがおかしくなったような気分だった。

 同時に頭の冷静な部分で理解する。眼前の存在は嘘吐きではないと。

 そんな可愛いレベルの存在ではなく、人を騙し、陥れる事に愉悦を覚える最悪の詐欺師なのだと。

「是非もあるまい。それで? 汝の宴とはどこで行うというのじゃ」

 言葉も発せないほどに怒り狂っているアリサに変わり、大僧正が冷静な口調で相手に子細を問う。

「バスの行き着く先でお待ち申しております。車の動きは、そちらで把握しておられるでしょう?」

 アリサはあくまで落ち着いて振る舞う大僧正に苛立ちを覚え、その背中を睨みつ怒鳴りつけようと口を開く。

 しかし──

「承知した…なれど、覚悟せよ。魔人の縁を拐した事、よもや唯で済むとは考えておるまいな? 閻魔天の裁きを待つまでも無し。拙

僧手ずから無間地獄へと叩き落としてくれよう」

「…………」

 一見無感情な、抑揚の無い大僧正の言葉。だがその節々から滲む静かな怒りと殺意によって、アリサは冷や水を浴びせられたかのよ

うに固まってしまい、開いた口もそのままに、言葉を失い押し黙ってしまった。

 肌は粟立ち、全身が毛総立つ。アリサは事ここに至ってようやく、大僧正の身の内に籠る怒りの深さを理解した。

「フフフ…楽しみにしておりましょう。では宴の準備がありますので、これにて失礼。現地にてお待ち申し上げております…ああ、そうそう」

 頭を下げた後、悪魔は思い出したように言葉を続ける。

「饗宴の前菜として、余興を準備してありますので、どうぞ御堪能あれ。それでは」

 挨拶を言い放つとクグツの残骸は力を失い、グシャリとその場に崩れ落ちて再び物言わぬ物体となり果てた。

「アリサよ、二人の下へ参るぞ」

「え…あ……う、うん……」

 大僧正はアリサの方へと振り向き、固い声でそう言った。総身より放たれる気配は重苦しい圧力を伴ったままだ。

 アリサはその気配に気圧され、向けられた言葉にただ頷きを返す事しか出来なかった。

「? 如何した?」

 その言動の急変に違和を覚えたのだろう、大僧正がアリサに様子を尋ねてきた。

「……ねえ、アンタ大丈夫なの? あいつに話しかけてから、物凄く怒ってるみたいだけど」

 数瞬ほど、どう答えるべきか悩んだが、意を決し、思いの丈をそのまま述べた。

「………殺気が漏れていたか。身の内に留める事も出来ぬとは、愚僧も精進が足りぬな」

 アリサがおずおずと指摘した事実に、大僧正は嘆息とともに額にペタリと手を当て、天を仰いだ。

「心配致すな。これ以上怒りで我を失う無様は見せぬ──オン・マユラ・キランテイ・ソワカ」

 大僧正は軽くかぶりを振って、安心させるように努めて明るく振る舞い、意気軒昂な様を見せると、孔雀明王の真言を口にして印を結ぶ。

 アリサは大僧正の急激な感情の起伏に一抹の不安を覚えたが、次の瞬間突如として巻き起こった旋風にその懸念も吹っ飛ばされた。

「キャッ!? 何!?」

 驚きつつも目を向ければ、旋風は大僧正を中心に立ち昇っており、更には甲高い鳴き声とともにその膝元に鮮やかな蒼翠の羽毛に覆

われた鳥獣──孔雀が顕現したのだ。

「さ、乗るがよいアリサよ」

「あ、うん…」

 以前動物園で見たそれよりも遥かに巨大な、大きな牛位はありそうな孔雀の背に跨る大僧正に促され、アリサは誘われるまま歩み寄

りその隣に腰を下ろした。

「揺れるぞ、しっかり掴まっておれ!」

「え──キャァァァァァァァァッ!!」

 孔雀が大きく双翼を羽ばたかせたかと思うと、砂塵を巻き上げ一気に空へと舞い上がった。

「もう大丈夫じゃ。風を掴んで安定した故な、目を開けてみよ」

「ん、あっ…うわぁ」

 促されるまま、ゆっくりと目を開いたアリサは、眼前に広がる景色に言葉を失った。

 高さにして地上二、三〇〇メートルと言ったところであろうか。アリサから見て左側には海鳴湾と市街地のビル群が見下ろせて、正

面には三浦半島を超えて広がる太平洋が遥か水平線まで一望出来た。

 右側には天下の嶮たる箱根の山々が居並び、そのまま北の秩父山系や浅間山系へと続いていき、背面には広大な関東平野が広がっていた。

 湿り気を帯びた初夏の風が吹き抜けアリサの頬をなでる中、彼女の鮮やかな金髪が視界の端で揺れる以外に遮る物のない大パノラマが、

両目に飛び込んで来る。

 ガラス越しでも、レンズ越しでもない肉眼で捕えたその景観に、アリサは現状も忘れて心奪われた。

 しかし──

「シギィィィィィィッ!!」

「ギュイィィィィィッ!!」

「っ!? 何!?」

 突如として蒼穹に響いた奇声に現実に引き戻され、慌ててそれが発せられた方向へと目をやる。

 大僧正の肩越しに見える前方およそ一〇〇メートル程先で、アリサはそれを見つけた。

 幾つもの物体が地上から飛翔して、アリサ達の行く手を遮るように中空に布陣していく。

「何よ、あれ…」

「これが先程あやつが申した『余興』とやらか」

 半円状に包囲網を敷いた一団を見て、震える声で呟いたアリサへ、大僧正は正面を睨んだまま抑揚のない声で返答する。

 出現した一団は不気味、奇妙、奇怪…そう呼ぶにふさわしい連中だった。

 それは、プラスチックのマネキンのような質感の無機物の体と、ガラスのような双眸で、先刻アリサを襲ったクグツと同じ系統の存

在であるのが窺えた。

 だが、問題はその姿だ。

 あるものは人形の上半身のみを縦に幾つも連結し、百足のような姿をしていた。

 またあるものは、下腹部から臀部が以上に肥大化しており、更にそこから三対六脚の足が伸び、その先端には巨大な鉤爪が生えてい

る蜘蛛のようなクグツや、両腕が大鋏と化し、尾骶骨部分から先端に針が付いた尾を生やす蠍を模したクグツなど、曲りなりともヒト

ガタと呼べたアリサを襲ったモノとは大きく異なっており、その姿はまさしく異形。その数、およそ五、六〇体。

 その異形のクグツの一団は皆、一様に背部より蜻蛉のような細長い透明の羽を伸ばし、震動の如き羽音を立てながら、ジリジリとこ

ちらとの間合いを詰めて来る。

「ち、近付いて来るわよ!?」

 迫り来るクグツの群れ。その異容に、怖気を覚えながらアリサは大僧正の袖を引き、どう対処する気かと問いかける。

「──問題無い」

 だが、大僧正は泰然自若としたまま答えを返し、おもむろに両手で印を組んだ。

「ナウマク・サンマンダ・ボダナン・バヤベイ・ソワカ──吹き荒べ、風天陣!」

 魔人の真言に応じるように孔雀を中心にして竜巻が生じ、周囲のクグツたちを巻き込んで上空へと吹き上げる。

「先程も申したであろう? この程度の手合い…」

 上空に巻き上げられたクグツたちを見上げた大僧正は、顔の前に印を解いた双手を突き出して交差させ──

「引き裂け!!」

 威声とともに両手を左右に振り払うと、風がうねり大僧正の腕の動きに合わせて舞い踊る。

「ガギィィィィィッ!?」

「ギュイィィィィッ!!」

 気流に捉われたクグツ達は、その身より軋みを上げ、悲鳴とともに五体を裂かれて千切れ飛び、次々と破砕されていく。

「いくら来ようとも拙僧の相手ではない」

 上空から落ちて来るクグツの破片に構う事なく、大僧正は南へと目を向けた。

「さて、先を急ぐぞアリサよ。 バスは国道十六号を南下。鎌倉方面へと向かっておるようだ」

「鎌倉って…そんなところに何しに行くのよ」

 大僧正からの報告に、アリサは怪訝な表情で首を傾げた。

「さて、のう。しかしあの性悪な口振りから鑑みるに、碌でもない考えあっての事じゃろうな。急ぎ向おうと、言いたいところではあるが…」

 大僧正が言い淀むと同時に、再びクグツの一団が地上から飛び上がって来た。

「っ!? また出た! 一体何体居るのよ!」

「時間が惜しい。敵陣を突破するぞ! しっかり掴まっておれ!!」

「うん!」

 アリサがしがみ付くのを確かめた後、大僧正は孔雀を真っ直ぐに加速させながら、新たな印を組む。

「ナウマク・サマンダボダナン・ベイシラマンダヤソワカ──毘沙門天、夜叉走牙!」

 真言の詠唱と同時に、孔雀の周りに幾つもの鬼面の魔弾が生まれ、迫り来るクグツの一団目がけ次々と襲いかかって行く。

 鬼弾の群れが喰い散らし、崩れたクグツ達の包囲網の合間を抜いて、二人を乗せた孔雀は空を駆る。

(なのは、すずか、無事でいてね…!)

 アリサは孔雀の向かう空の先を見つめながら、祈るようにそう思った。










──時間は少しさかのぼる──








なのは視点




「どうしたんだろ、アリサちゃん……」

「うん…ちょっと心配だね」

 止める間もなくスクールバスを飛び出して行ったアリサの身を案じながら、呟いたなのはにすずかも相槌を打つ。

 …考えてみれば数日前から、アリサの様子は少しおかしかったと、なのはは考える。

 二日前、何かに脅えてビクビクとしていたかと思えば、昨日には何事もなかったかのように明るく振る舞っていた。しかし、そんな

様子でもどこか遠くを見るような目をする事が多々あり、なのははいつもと違うアリサの言動や所作に対して、言い知れない憂いと不

安を感じていた。

 何かいつもと違う。それで何か悩みでもあるのか? 何か力にはなれないか? と考えていた矢先に、先程のあの不可解な行動である。

(やっぱりなんか変だよ、最近のアリサちゃん…)
 
 ただの悩み事や気分の良し悪しではない。アリサは何か、もっと別の厄介事を抱え込んでいるのではないだろうか?

「ん、あれ…?」

 数日間のアリサの態度を思い起こして、うすうすと違和感を覚えていたなのはの耳に、すずかが漏らした不思議そうな呟きが響いた。

「どうかしたの? すずかちゃん」

 一旦考えを打ち切り、なのはは顔を上げるとすずかへ声をかける。

「うん…なんかこのバス、いつも走っている道と違わない?」

 首を傾げて答えるすずかの視線を追い、なのはが窓の外へと目をやると、確かにいつもの通学ルートとは異なる景色が流れていくの

が目に映った。

 それになのはの記憶ではこの道は──

「これ、学校から離れていない?」

「そうだよね。どこに向かっているんだろ?」

 怪訝そうに漏らしたなのはの疑問の声に、すずかも眉を顰めながら同調した。

 他の生徒達もこの異変に勘付いたのか、俄かに二人の周囲でざわめきが立ち始める。

「なんかいつもと道違くねえ?」

「だよなぁ、いつもだったらもう学校着いてるし…」

 不審と不安が入り混じった声が、ちらほらと聞こえ出したその時──

「あれ?」

「止まった…」

 突然、バスは停留場でもない路上で停車した。

 更なる疑問符を浮かべた生徒達の前で、乗車口が開くと一人の生徒が乗り込んで来た。

 満面の笑みを浮かべて通路を歩き近付いて来るのは、先程降車したアリサその人だった。

「ハァイ。なのは、すずか!」

「え…?」

「…アリサ、ちゃん?」

 先刻とは打って変わって明るい様子で、アリサは二人に声をかけて来る。なのはもすずかもその変貌ぶりに、一瞬我を忘れてしまった。

「えと、用事があるって言っていたけど、もういいの?」

「ん? ああ、さっき言っていたヤツ? それならもう済んだから大丈夫よ」

 すずかの疑問に軽く答えながら、アリサは二人の傍に腰を下ろす。

「その…凄く急いでいたみたいだったけど、用事ってなんだったの?」

「ふふ。大した事じゃないわよ、まあ、面倒な厄介事の後始末というか、軌道修正というか…そんなところね」

「…………」

 なのはの問いに対し、アリサは口端を僅かに吊り上げた小悪魔的な笑みを浮かべて返答をはぐらかした。それは、言外に「聞くな」

と言っているようで、それ以上尋ねる事が出来ず、押し黙ってしまう。

 そうこうしている内に、バスが再び動き始めた。しかし──

「やっぱり、学校とは逆の方向に向かってる…アリサちゃんを乗せる為に、ここに来たんじゃなかったの?」

 窓の外を見ても、一向に変わらぬバスの謎の迷行にすずかは呟いた。

「ちょっと、運転手さんに聞いた方がいいのかな?」

「大丈夫よ。そんな事言わなくても、大人なんだからわかっているでしょ?」

 運転席の方へと目を向けながら漏らしたなのはの懸念を、アリサが制止する。

「でも…このままだと、海鳴の外に出ちゃうよ? それにもう、八時も過ぎて──あれ?」

 どこか呑気なアリサへ反論しながら、なのはがポケットから携帯を取り出し時刻を確認しようとしたその瞬間、掌中で携帯が震えて

着信を告げた。

「あ、ちょっとごめんね」

 二人に断っての座席を横にズレると、携帯を開いて画面に表示された発信元を確認し、なのはは息を飲んだ。

「え……これ、なんで」

 震える言葉を紡ぐなのはの目に映ったのは、『アリサちゃん』という六文字。

 そっと横目で座席に座る二人を確認するが、アリサは徒手空拳のままで携帯を操作している様子はない。

 ではこの着信は何なのか? 誰からのものなのか?

「…もしもし?」

 思い悩んだ末、数コールの呼び出し音の後に、なのははおそるおそる通話ボタンを押して受話器へ呼びかけた。

『もしもしなのは? …よかった、電話に出た。体は何ともない? すずかも大丈夫?』

 電話に出たのは、まごう事なき親友の、アリサの声。それは安心したかのような溜息を吐きながらも、どこか焦った様子で矢継ぎ早

に質問を投げかけてきた。

「えっ? う、うん、私もすずかちゃんも別に何もないけど…?」

 突然の安否を尋ねる質問の意図を理解出来ずに首を傾げつつも、取り合えずなのははその問いに対して素直に答えを返す。

『? なのは? どうかしたの?』

 どうにも調子を合わせられないなのはの様子に違和感を覚えたのか、電話の相手がその言動に対する疑問を投げかけてきた。

「…んと、その…』

 アリサが向こうに居る状況で、『アリサ』として電話をかけて来ている相手に、何と聞いたらいいものであろうか?

 上手い問いの文言が思い浮かばず、なのはは目を泳がせながら考え悩む。 

『どうしたのよ、なのは。何か気になっている事でもあるの?』

 何とも煮え切らないなのはの態度に、若干の苛立ちを帯びた問いが飛んで来た。

 その声で意を決し、なのはは真正面から疑問をぶつけんと口を開く。

「えっと……その、あなたはアリサちゃん…なの?」

『──は?』

 数瞬の間を置いた後、気の抜けた声が受話器から響いた。 

『…何言ってんのよなのは。携帯が鳴った時に私の番号と名前が画面に出たでしょ? 第一、声で私だってわかるでしょうが、普通』

 そう、それは当然の答え。受話器の向こうに居る相手は己がアリサ・バニングスである事に何の疑問を持っていない。しかし──

「う、うん、そうだけど…でも…」

 なのは再び横目で二人の方へと目をやりつつ、若干言い淀んだ後──
















「アリサちゃんは私の隣に座っているんだよ?」
















『え──』

 なのはの言葉が衝撃的だったのか、電話の相手は言葉を失い、二人の間に暫し静寂が流れる。

「……ちょっとなのは…それって一体──」

 やがて混乱から立ち直ったのか、電話の相手がなのはの言葉の真意を問い質そうと声を発したその時、背後から伸びた手が、なのは

の携帯を奪い取った。

「えっ!? あっ! ちょ──」

 慌てて振り返り、携帯の行方を追おうとしたなのはの目前で、

「駄目じゃないなのは。私達を放って長電話なんて感心しないわね」

「アリサ、ちゃん…」

 優しげな笑みを浮かべたアリサが、携帯の電源を切りながらそう窘める。

 いつも通りのアリサの所作。しかしそこに、そうであるが故に、なのはは彼女対し言い知れぬ違和感を覚えた。

「どうしたのよ、なのは。まるでお化けにでもあったみたいな顔して」

 そんななのはの様子を訝しみつつも案じるアリサ。

「っ…」

 なのははアリサの脇を抜けてすずかの隣に立つと、ジッとアリサを見つめる。

「な、なのはちゃん…?」

 突然の奇妙な友人の行動に、すずかは驚きつつもなのはに呼びかける。

「アリサちゃん、あなたは…本当のアリサちゃんなの?」

「言葉の意味が理解出来ないわ。何が言いたいの? なのは」

 真正面から見つめて真剣な面持ちで問いをぶつけるなのはに対し、アリサは若干不快そうに眉を顰めながら言葉を返す。

「あなたは、私とすずかちゃんが「知っている」アリサちゃんなの?」

「え? なのは、ちゃん…?」

 なのはの紡いだ言葉を聞き、すずかが目を見開き驚きの声を漏らす。

 無理もない、それは言外に『お前はアリサ・バニングスじゃないだろう?』と聞いているようなものだ。

「酷いわ、なのは…私が友達じゃないって言うの?」

 悲しそうに顔を歪めるアリサを目にして、なのはの胸に罪悪感の痛みが走る。

 しかし、ここ数日のアリサの奇妙な言動や、先程の不可思議な電話の事が脳裏をよぎり、確かめずにはいられなかった。

「…じゃあ、私たち三人が友達になった切っ掛けは? 何だったか覚えているよね?」

 だから、尋ねる。答えて欲しいと、あの電話が単なる偶然や悪戯であってほしいという一縷の希望に縋るかのように。

「…………」

 だが、その答えは無い。

 アリサはなのはの問いに対して感情を消した無表情となり、黙したまま何も語らなかった。

「アリサ、ちゃん…?」

 そのアリサの様子に、すずかは信じられないものを見たかのように、呆然と彼女を凝視する。

 知らない筈がない。覚えていない筈がない問いかけだった。

 あの出会いが、喧嘩が、今の三人の関係を作り出した始まりであり、大切な思い出なのだから。

 故になのはとすずかは理解し、確信した。

 目前に居る彼女は、アリサ・バニングスではないと。

「……あ~あ、こんなに早くボロが出るなんてね」

 数秒の睨み合いの後、アリサ──否、アリサの姿をした少女は、忌々しそうに溜息を漏らしながら愚痴をこぼした。

「やっぱり、アリサちゃんじゃないんだね…?」

「違う…違う違う違う!! 私が「アリサ」よ! あんな奴じゃない、私が「アリサ」なのよっ!」

 確認の為に尋ねたなのはの言葉を耳にした途端、少女は顔を歪ませ怒りの籠った大声を叩きつけてきた。

「「っ!?」」

 豹変とも言える激情の発露に、なのはとすずかは驚きたじろぐ。

 周囲の生徒達も少女の大声によって三人の異変に気が付き、こちらへと注目を集める。

「あのミイラといい、アンタ達といい、なんでアイツばっかり…」

「え──」

 こちらを睨みつけたまま、吐き捨てた少女の言葉の中に混ざる単語に、気になるものを聞き取り、なのはは思わず声を上げる。

「ミイラって…まさか大僧正さんの事?」

「ああ、あのミイラそんな名前なんだ? 全く、アイツを捕まえる邪魔までしてくれて…最悪な奴だわ」

 顔を顰め、憎々しげな様子で大僧正に対して悪態を吐く少女。 彼女が語る「アイツ」とは、おそらくは本物のアリサの事であろう。

 少女の言葉から読むに、どうやら本物のアリサは大僧正に窮地を救われたようだ。親友の無事に、なのはは心中でほっと安堵の息を漏らした

「…私達を、どうするつもりなの?」

 なのはの影からすずかが少女に向かって問うた。

 その声を聞いてなのはも我に返り、眼前の少女へ注意深く目をやる。

 本物のアリサへの干渉が失敗し、その後に自分達の下へ現れた以上、何らかの手段を自分たちへ行うのは必定である。それが何なの

かはわからないが、決して良い事でないのは容易に想像できる。目の前にいる相手は油断してはならない存在だ。

「別にどうもしないわよ。安心なさいな」

 が、そんな二人の思考を知ってか知らずか。少女はすずかの問いを鼻で一笑した。

「本当に…?」

 相手の反応を窺うように見つめるすずかに、少女は肩をすくめて答える。

「アンタ達に危害を加える意味はないし、むしろ私にはマイナスにしかならないもの。だって──」

 少女は口端を吊り上げ三日月の如き笑みを浮かべると、






──私はアイツの全てを奪ってやるんだから──






 双眸に熾火のように妖しく揺れる光を宿し、楽しげに弾む口調でそう言った。

「えっ? それってどういう──」

「残念時間切れよ。ようやく着いたみたいね」

 言葉の意味するところがわからず、その真意と問いただそうとしたなのはであったが、少女がそれを遮ると同時に、バスがその動き

を止め、乗車口が開いた。

 窓から覗く景色は、市街地から離れた住宅街の更に外れ。山林にほど近い空き地であった。

「待っていましたよ。アリサ」

 乗車口から黒いスーツを身に纏った男性が、少女に声をかけながらバスに入って来た。

 見知らぬ他者の侵入に、ざわざわと周囲の生徒達が大きくざわめき始める。

 背の高い男だった。天井に頭が届いてしまう為、やや背中を丸めてゆっくりと後部座席へと近付いて来る。

 アフリカ系かアラブ系か、褐色の肌の持ち主で、深浅他種な皺の刻まれた顔から読める年の頃は、五〇代くらいの壮年。

 こちらへ向ける黒い双眸には、歳相応の深い知性の光が見て取れた。

「おじさん、なんだか色々邪魔が入ったし、計算違いがあったみたいだけど、大丈夫?」

 些か不満げに少女が文句を述べる。

「問題ありませんよ、アリサ。街中であればともかく、ここは既に私の領域です。たとえ相手が魔人であろうとも、おそるるに足りません」

 だが、おじさんと呼ばれた黒人の男性は、少女に向かって優しく微笑みながら力強く宣言する。

 …どうやらここまでバスの動きは彼女のみならず、この黒人の男性も絡んでいたようだ。

 そして何より聞き捨てならない言葉があった。「たとえ魔人であろうとも、おそるるに足りません」と。それは──

「あなた達は、大僧正さんを──令示君を倒そうとしているの?」

 なのはは自分の胸元に、最も信頼する相棒に手をやり、少女と男性に問う。

「ええ、そうよ。あのミイラが「アイツ」を捕まえるのを邪魔するんだもの」

「アリサの望みを叶える為です。彼には御退場願いますよ」

「っ!? そんな事させない! レイジングハート!!」

 この二人を放置すれば、令示もアリサにも危険が及ぶ。そんな事、なのはが許容出来る筈がない。

 何としても阻止しようと衆人環視の中だという事も忘れてデバイスを起動させようとする。無力化すればどうにかなると考えながら。

 しかし──

「いけませんね。幼子がそんなものを振るうのは危険ですよ」

「っ!?」

 レイジングハートを動かすよりも早く、男性の腕が伸びてなのはの手を掴んだ。

 ただならぬ雰囲気に、周囲の生徒達もいよいよ混乱の容相を呈してきた。

「ふむ。少々騒がしいですね…皆さん、静 か に し て 下 さ い ね

 男性が言葉に威を込め、周囲へ微笑を向けたその途端──

「ひっ!?」

「う、あ…!」

 我が子に向けるような慈愛に満ちる優しげな笑顔にも関わらず、そこに覚える感情は腹の底から凍え上がりそうな恐怖。

 喧騒から一転、車内は水を打ったような静けさに包まれる。

 バスの中の生徒達は誰一人、石になってしまったかの如く、指一本動かす事も出来なくなっていた。

「さて、これで皆さん大人しくなりましたし…」

 言いながら窓の外へと目を向ける男性。

「……っ!?」

 釣られて、なのはが異常に重くなった首を無理矢理動かし、男性の視線を追う。

 なのははその先に、バスの近くへと降り立つ巨大な孔雀と、それに跨る法衣の木乃伊と金髪の少女の姿を捉えた。

「彼らを迎えるとしましょう。アリサ」

「ええ。おじさん」

 二人は動けぬなのはをそのままにバスの入口へと歩いていく。

「待って…!」

 なのはは去りゆく二人を止めようとするがその身は強張り、意のままにならずにバスの床へと膝をついてしまう。

 このまま彼女達を行かせる訳にはいかない。

 アリサや大僧正の身の安全も心配だ。だが、眼前のもう一人のアリサの存在もまた、なのはの心を掴んで離さなかった。

 どこか気にかかる、放っておけない雰囲気を持つ少女…

「なのは、また後でね」

 彼女は足を止め、首だけをなのはの方へと向けると満面の笑みを浮かべてその一言だけを発し、男性の後について外へと向かって行った。

 動けぬなのはには、その背中を目で追う事しか出来なかった。












令示視点




「お待ち申しておりましたよ、お二方」

 朝比奈インターチェンジ付近の空き地。
 
 上空より聖祥のスクールバスを発見し、その傍らへと孔雀を着陸させた大僧正とアリサに、バスより出て来た男が恭しく頭を垂れて挨拶をする。

「お初にお目にかかります、私は黒男爵と申します。以後お見知り置き下さい」

 長身の黒人であった。年の頃は壮年、黒いスーツを身に付けた紳士然とした男性──黒男爵。

「その声…アンタがさっきのふざけた事言ってた悪魔ね?」

 大僧正の袖を掴みながら、アリサは眼前に立つ黒男爵を睨みつけた。

「はい。クグツ達の余興、楽しんでいただけましたかな?」

「楽しいわけないでしょうが…! そんなことより、なのはとすずかは!? みんなは無事なんでしょうね!?」

 おどけた調子の悪魔の言動に、怒りもあらわにアリサは益々険の籠った視線を向ける。

「ええ、先程口頭でお約束した通りに。まあ、暴れて怪我をしそうだったので、私のデビル・スマイルで大人しくしていただきましたがね」

「…ふん。なる程のう」

 黒男爵の人通りの言動を眺めていた大僧正は、つまらなそうに呟きを漏らす。

「? 何か?」

 その様子に黒男爵は不思議そうに首を傾げた。

「空を舞う羽や蟲の如き部位を持つ改造型のクグツを、短期間にあれほどの数を揃えられる程の力…ただの悪魔にはちと荷が勝ち過ぎ

ておると疑問に思うておったが、汝を見て得心がいったわ。ヒトガタに仮初めの命を込める程度、神代の死霊術の使い手たる汝には、

造作もない事であろうなぁ、黒男爵──いやさ、堕天使ネビロスよ」

 両者の間に、数瞬の沈黙が流れる。

「──フ、フフフフフフ…お気付きでしたか」

 黒男爵が愉快そうに笑みを浮かべると同時に、その足元から薄緑色の燐光が立ち昇り、彼の姿を覆い隠す。

「何、あの光…!」

 乱舞する燐光を中心にして吹き荒れる颶風に、アリサが顔を逸らしながら声を上げる。

「マグネタイト…悪魔が現世に降り立つ為の力の源泉じゃ。…そら、奴が正体を現すぞ」

 マグネタイトの輝きが大気に散華し、黒男爵がその本性を開帳する。

 それは、赤い外套に身を包んだ男であった。

 布の隙間から覗く肌は、人にあらざる紫。顔には髑髏を模した白い化粧を施し、全身に白の化粧や緑の刺青を入れた、辺境の呪術師

を彷彿とさせる姿だった。

「改めて御挨拶させていただきます。魔軍元帥にして死霊術師ネクロマンサー、堕天使ネビロスでございます。以後、お見知り置きを…」

 先程、黒男爵と名乗っていた時と同じくネビロスが頭を垂れると、彼の右手から吊り下がった操り人形が、繰り手の動きに合わせて

ペコリと会釈をした。

 それを目にした大僧正の身の内の令示は、どこまでも人を食った奴だと心中で吐き捨てた。

「堕天使…ネビロス?」

 アリサがポツリと、疑問の呟きを投じる。

「魔界でも魔王級に次ぐ屈指の大物悪魔の一角じゃ。死霊を操る術に長けた外法の使い手よ」

 言いながらアリサの横顔を見やれば、大僧正の内心と同様の想いを抱いてるらしく、眉間に皺を寄せてネビロスを睨みつけている。

「拙僧らの名乗りは…いるまいな。時間も惜しい故、単刀直入に申すぞ。今すぐバスの中の人間すべてを解放し、アリサへの干渉の一

切を止め早々に魔界へと戻れ。さすればこの一件、ここで手打ちとしよう」

「ちょっと!? 何勝手に決めてるのよ!」

 大僧正の述べた要求に対し、ネビロスよりも早くアリサが抗議の声を上げた。

「…アリサよ、何よりも優先すべきはなのは達の無事であろう? その為であれば、あ奴らなぞ捨て置いてでも良しとせねばならぬ。

業腹ではあるがな」

「むぅ…」

 ネビロスを見つめたまま淡々と語る大僧正の弁は、全く以って正論。故にアリサは反論を返す余地がない。

 何より、先程のクグツを介したネビロスとのやり取りで噴出した怒りが、抑えが利かず、言葉の端々から漏れていたのであろう、大

僧正の押し殺した感情を察したのか、アリサは押し黙り、引き下がる。最も、その表情からは不満がありありと見て取れたが。

 だがその時──

「拒否するわ」

 バスのステップを踏み付ける金属の響きとともに発せられた声が、大僧正の要求を一蹴した。

「ソイツと同じ意見なのは気に食わないけど、今更そんな条件飲める訳ないでしょ?」

 バスの影から完全に姿を現したその姿に、二人は呆気にとられ見入ってしまう。

 二人の視線を受けながら、傲然と笑みを浮かべるその人影は、ネビロスの存在以上に驚くべきものであった。

 腰まで届く鮮やかなブロンドにシミ一つ無い白磁のような肌。

 白を基調とした聖祥大付属小女子の制服に身を包んだ、その人影がこちらへと向ける薄いグリーンの虹彩の双眸には、知性と気丈さ

の輝きが見て取れた。

 見紛う筈もない。

 その姿はアリサ・バニングスそのものであった。

「…な、何よ。何なのよあんたは!? 一体誰!?」

 突如現れた己と瓜二つの少女に、数瞬我を失っていたアリサだったが、かぶりを振って気を取り直すと人差し指を突きつけ問いを発した。

「誰って…私はアリサよ」

「はぁっ!?」

 つまらなそうに返答した少女が、自らを『アリサ』と名乗った事に、アリサはますます動揺と驚愕の想いを強く発露させる。

「何を言ってるのよ! アリサは私よ!! 勝手に人の名前を使うな!!」

「へえ、「アリサ」って名前はアンタ一人の物なの? 世界中の「アリサ」はみんなアンタに許可を取って名乗っているんだ?」

 小馬鹿にするように、アリサの主張を鼻で一笑し見下すもう一人の『アリサ』。

「~~~~~っ!!」

 その挑発に、アリサは怒りで顔を紅潮させ、歯軋りしながら相手を睨みつける。が──

「落ち着け。安い挑発じゃ、相手にするな」

 大僧正はそんなアリサの前に手をかざし、今にも飛びかかって行きそうな彼女を制する。

「い、言われなくたってわかってるわよ…!」

 ばつが悪そうに唇を尖らせるアリサの様子に、言わなかったら絶対殴りかかっていたなと確信しながら、大僧正は改めて正面──ネ

ビロスの隣に並び立ったもう一人の『アリサ』へと目を向けた。

「して、汝は何者ぞ? こちらのアリサの体を操り、なり替わって生活をしていたのは汝であると推測するが?」

「ふん。まあいいわ、教えてあげる。確かにソイツの代わりに学校に登校していたのは私。手紙も読んだでしょ?」

「あのノートの切れ端、あんたが書いた物だったの!? 私の体奪って好き勝手に動き回って一体あんた何者!? 何が目的よ!?」

 ここ数日間、自身が体験した怪現象の元凶が目前に居る。

 アリサは鬱積していた感情を叩きつけるかの如く、自身に酷似した少女へ問いを投げかけた。

「失礼ねえ。私はまだアンタの体に触れてすらいないわよ」

 アリサの激情に反比例するように冷めた口調と視線をこちらへと向けて来る『アリサ』。

 そんな彼女の態度が更にアリサの怒りを煽り立て、『アリサ』を睨む視線は一層きつくなる

「こんなところにきて嘘吐くんじゃないわよ!!」

「嘘なんか言っていないわよ。アンタはね、おじさんの魔法で一日中眠らされて、その姿も見つからないように隠されていただけだも

の。私はその間に学校に行って、なのはやすずかと過ごしていたのよ」

「は──」

 悪魔が関わる以上何か恐ろしげな計画を企てていたと思っていたのであろう。想像に対して『アリサ』の取った行動の小ささ、意味

不明さに、アリサはその真意を測りかね、怒りが散じて気の抜けた表情を作る。

「何故そのような事を? 汝らがその気になればアリサの体を奪う事など容易であった筈」

 アリサに代わり、大僧正がその疑問を呈する。こんな回りくどいやり方をして何になるのか? それはアリサも抱いている疑問であろう。
 
「確かに、おじさんに頼めばすぐにでも出来たでしょうね。でも、それじゃ意味がないのよ。

 無理矢理に──殺して奪ったんじゃ、それはただの動く死体に過ぎない、私はそれじゃ満足できない。私はね、完璧な体、完全な人

間の体が欲しいのよ」

「人間の体って…あんた、自分の体を持っているじゃない。何で私の体なんて欲しがるのよ…?」

「人間の体? 「これ」が?」
 
 怪訝な表情のアリサの疑問を、『アリサ』は己の体を抱き締めながら皮肉気に笑う。

「この体はね、おじさんが造ってくれた偽物の体よ。成長もしない、痛覚すらない。おじさんからの力を──マグネタイトを供給され

なければ、すぐに崩れてしまう、脆い脆い仮初めの肉」

「偽物だって言うの、その体が…?」

 信じられないとアリサが目を見開き『アリサ』を見る。

「そう。だからアンタの体が欲しいのよ、完璧な形で。その為にはアンタの心だけを殺して、無傷の体を手に入れる必要があるの」
 
 心を殺す。それは精神にのみダメージを与えるという事、つまり──

「なるほど、一日置きにアリサに成り替わっての行動も、手紙を使って脅しをかけたのも、全てはアリサを精神的に追い詰め、その心

を壊す為であったという事か」

「その通りよ。まあ、所詮は体を手に入れる為の手段に過ぎなかったんだけど、思いの外楽しめたわ。ソイツが前の日の記憶がない事

にビクビクしたり、手紙を見た時の青ざめた顔! 笑いが止まらなかったわ」

 ケラケラと、実に愉快な様子で『アリサ』は笑いを上げる。

 その双眸は泥沼の如き濁った光を放ち、隠そうともしない憎悪と殺意をアリサへと向ける。

「ひっ…!」

 その圧力に飲まれ、アリサは小さく悲鳴を漏らして後ずさる。

 それは無理もない事であろう。以前誘拐された時でさえ、対面した犯人達は外道ではあれど常軌を逸した存在ではなかった。笑いな

がら凶行を成そうとする存在に、幼い少女の精神が耐えられる筈もない。

「もっとも、ダイソウジョウだっけ? アンタのお陰で計画は全部おじゃんよ。しょうがないから、アンタを殺してからゆっくりソイ

ツの心を追い詰める事にするわ」

「な、何でよ…! 私はっ! あんたなんか知らないし、憎まれる覚えもないわ!! なのに、何であんたはそこまで…!」

 恐怖に耐えながら、アリサが必死に反論する。

 確かに疑問であろう。

 アリサの体が欲しいというのは理解は出来る。しかしそれはアリサを怯えさせて楽しんだり、憎々しげに殺意を向ける理由にはならない筈だ。

 その点が納得いかず、アリサは『アリサ』へ疑問をぶつけた。

「…それよ。アンタのそういうところがムカつくのよ」

 すっと、浮かべていた笑みを能面のような無表情になると、『アリサ』は抑揚のない冷たい声で、ポツリと答えを返した。

「──え?」

「アンタは自分がどれだけ恵まれているのかまるでわかっていない。自分の周囲に在るものは、最初からあって当然の、空気のような

ものとでも思っている。 それはどんなに神様に祈っても、どんなに世界を恨んでも手に入れる事の出来ないものだというのに。アン

タのその無知が、殺したいくらいムカつくのよ!!」

 語っている内に怒りと苛立ちが許容を超えたのか、『アリサ』は激情を言葉へ乗せ、アリサへと叩きつけた。

「…もういいわ、おじさん。さっさとあのミイラを殺して、アイツの体を手に入れましょ」

「承知しました。ではアリサ後ろへ」

 ネビロスに促され、『アリサ』は踵を返して後方へと下がり、バスの脇へと向かった。

「戦闘は避けられぬな。アリサ…汝も下がっておれ」

「う、うん…」

 剥き出しの怒気と怨嗟の念を向けられ、不安に曇る表情のままアリサも大僧正の指示に従い、数メートルほど後方へと身を引いた。

 残ったものはネビロスと大僧正のみ。

 魔界屈指の大悪魔と、悪魔も恐れる魔人が対峙する。

「…一つ問う。何故、汝のような大悪魔がそのような童の言葉につき従う?」

「たった一人でこの世界を彷徨っていた哀れな幼子の願い、聞かぬ訳にはいかないでしょう?」

 大僧正の疑問に、ネビロスは当たり前の事を聞くなとばかりに言い切る。

「大人しく退くつもりもない、か。悪魔でアリサをつけ狙うとあれば最早是非も無し。汝の身を粉砕し無理矢理にでも魔界の本体へ還

ってもらおうぞ」

 言いながら大僧正が戦闘態勢を取る。

 しかし、そう言いながらも大僧正の胸中では違和が生じていた。

 眼前に立つネビロスは、構えを取るでもなくただ漫然と立ったまま笑みを浮かべ、こちらを見ている。

「……何がおかしい。この期に及んで勝機があると思うてか? この地では汝が得意とする死霊術ネクロマンシーも、存分に振るう事も出来まい」

 そう、ここは石を投げれば死体に当たる戦国時代でも中世欧州でもなく、世紀末や大破壊後のトウキョウでもない現代日本だ。

 ネビロスが得意とする死霊魔術も、その力を発揮するには些か分が悪い筈だ。その証拠に、ここに来るまでにクグツには襲われたが、

アンデット系の悪魔には一度も遭遇していない。

 だというのに──

「フフフ、果たしてそうですかね…?」

 このネビロスの余裕はどういう事か? もしや、自分は何か見落としているのではないか?

 相手の態度に益々違和感が肥大し、大僧正は疑心暗鬼に捕らわれそうになる。

(くっ、なら速攻でけりをつける。どんな策があろうが、こいつをブッ倒しちまえばそれで終わりだ!!)

「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン──不動、火界呪!!」

 大僧正の中で令示はそう決断すると、湧き起こる疑問を振り払って印を組み、真言マントラを唱えた。

 印より生まれた紅蓮の炎が螺旋を描き、ネビロスへと襲来する。

「──おいでなさい」

 だが、迫り来る火炎を目にしてもネビロスの態度は不変。静かにただ一言、そう呟きを発した次の瞬間──

「なんと!?」

 不動炎がネビロスに命中する寸前、彼の正面に轟音とともに地面より高さ三メートルはありそうな巨大な赤い壁がせり上がり、その

攻撃を完全に遮断し、防ぎ切った。

「ふむ、一切不浄を焼き払うという不動明王の炎ですか。大したものだ、よもや一撃でこの防壁が崩されるとは思いませんでしたよ」

 不動炎を直撃を受け、ボロボロと崩壊していく壁の向こう側から、ネビロスが姿を現す。相変わらず不敵に笑みを浮かべたまま。

「確かに不浄たる死霊を操る私と、不浄を払う真言密教を使う貴方とでは、最悪と言っていい程に相性が悪い。ですが──」

 言いながら、ネビロスが左手の指を鳴らす。

 するとそれを合図に、ネビロスと大僧正の周囲に、先程と同じ赤い壁が幾つも地面よりせり上がって来た。

 まずい。このままではまずい。胸中の違和感が警鐘へと変わる。

「この地、この場所においては、その相性は逆転すると断言せねばなりますまい」

 もう一度ネビロスが左手を鳴らす。

 途端、周囲の赤い壁が小刻みに震えて変形し、人の形をとりながら蠢きだす。

 それは、巨大な人骨の群れであった。赤い壁が変形し生まれたのは、下半身が無く、宙に浮かぶ赤い巨大骸骨──死者達の骸骨や怨

念が集まって合体し生まれた巨大骨悪魔、邪鬼ガシャドクロ。赤い壁は、人骨の塊だったのだ。

 幾十、幾百も生まれたガシャドクロ達は、円陣を組んで大僧正を取り囲む。

「何故…これほどのガシャドクロの群れがこの土地に…」

 周囲を見回し、大僧正が呆然と呟きを漏らす。

「この地なればこそですよ。この死都鎌倉の鬼門なればこそ、ね…」

「鎌倉だと!?」

 ネビロスの台詞に、大僧正は驚きの叫びを発した。

「ほう、御存知でしたかこの場所がいかなる場所か」

 骸の軍勢の向こう側で、ネビロスがほくそ笑む。

「鎌倉の語源は『かばねぐら』。神代の時代、神武天皇の東征においてまつろわぬ民の『しかばね』を、山のように築き上げ『くら』を成した故についた名前…」

 呻くように言葉を漏らしながら、大僧正はネビロスを睨みつける。

 鎌倉の語源には諸説あるが、一説によればかつて、神武天皇が東国を征服しようとした際、東戎がそれに刃向かった為、天皇はその

民衆に毒矢を射かけた。

毒矢は万を超える人々を死に至らしめてその骸が山となし、今の鎌倉の山となったとか、谷を埋め尽くしたなどと言われ、屍が倉を作

り「屍倉」となった。それが訛って「鎌倉」と呼ぶようになったと言われる。

(やられた…!)

 大僧正の中で、令示は歯噛みした。

 警鐘は確信へと変わり、事ここに至って自分は相手を追い詰めたのではなく、まんまとおびき出されたのだと悟る。

 何故今の今まで気が付かなかったのか。鎌倉という場所は死霊術師にとって宝の山に等しい場所であるという事に。

「…鎌倉は死霊の巣窟。つまり拙僧はまんまと汝の策に嵌められたという事か…」

「神武天皇が東戎を殺し尽くして築いた屍山血河、その数一万。 鎌倉本地ではないとは言え、鬼門であるこの地であれば、死霊を呼

び出し操る事、私にかかれば造作もない事。さて、余興はこれまで。目障りな貴方を降し、アリサの悲願を叶えるとしましょう。

 さあ、いかな死の具現たる魔人と言えど、死を操るこの私の前には膝を折るしかないと知りなさい!」

 その思考、仕手はまさに老獪。完璧な計算の下、大僧正を追いこんだネビロスはせせら笑う。

 群雄割拠、弱肉強食、下剋上。常に鎬を削り合う魔界において、地位を保ち続ける大悪魔の最も恐るべき点は、その能力でも勢力でもない。

 齢を重ねた知恵、狡猾な手練手管こそが、最も恐れるべきものなのである。

 魔人という、規格外の力を手にしたが故の油断。怒りによって視野狭窄となっていた事もあって、令示は完全に足元をすくわれた。

「ガシャドクロよ、魔人を蹂躙なさい!!」

『グアァァァァァァァ!!』

 ネビロスの号令に応じ、ガシャドクロ達が叫びを上げて四方八方より大僧正へと殺到する。

「クッ!? ナウマク・サマンダボダナン・ベイシラマンダヤソワカ──毘沙門天、夜叉走牙!」

 大僧正はここの危機を脱せねばという焦燥の念に駆られるまま、正面より迫り来るガシャドクロの群れに向け、鬼面の魔弾を撃ち放つ。

「グガァッ!?」

「ギュオッ!!」

 鬼弾が次々とガシャドクロへ襲いかかり、骸骨たちを粉砕し撃退していく。

 しかし、その残骸、苦しむ同族を踏み越えて更に後方から来る増援のガシャドクロ達が、生まれた空間を埋め、すぐさま大僧正へと

逆襲をかけて来る。

「チィッ! オン・マカラギャ・バゾロウシュニシャ──ガッ!?」

 一向に怯む様子もない第二波へ向け、今度は愛染明王の呪を唱えようとした刹那、横合いから襲撃してきた一体のガシャドクロが、

大僧正の頭部を殴りつけて詠唱を止められた。

「グッ!? おのれぇ!!」

 大僧正は怒号とともに握った拳を振り抜いて、ガシャドクロを殴り返す。

「ぎっ!?」

 襲い来たガシャドクロは、短い悲鳴とともに頭蓋を打ち砕かれて消滅するが、背後から正面から側面から、間断なくその他のガシャ

ドクロ達が攻撃を仕掛けて来る。

「チイッ!!」

 その攻勢に苛立ちと焦りを覚えながら、大僧正は背後から肩に噛みついてきた一体へ、舌打ち混じりに裏拳を放つ。

 だが──

「ギュイィィッ!!」

「くっ!?」

 打点のズレた一撃は、ガシャドクロを滅しきる事が出来ず、そいつは頭蓋の半分を粉砕されながらも動きを止めずに、逆に攻撃を放

った大僧正の右腕に絡みついて、その行動を阻害する。

 ガシャドクロの顔には、勝ち誇る会心の笑みが浮かんでいた。

「舐めるな三下!!」

 しかし、大僧正は怒声とともにガシャドクロが絡みついたままの右腕を振り上げると、その笑みが驚愕へと変じた。

「ゴォォォォッ!?」

 絶叫を上げるガシャドクロに構う事なく、周囲の敵勢へと腕ごとそいつの体を振り回し、武器代わりに叩きつける。

 二度、三度と続け様に打撃を与える度に、腕へと伝わる力は弱まり、四度目にしてその拘束を解いてガシャドクロは消滅。

 だが気を抜く暇は無く、新たな個体が双碗を振り上げ突撃してくる。

(キリがない…!)

 迫り来るガシャドクロ達を撃退しながら、大僧正は内心で歯噛みする。

 まるで死肉に群がる蠅の大群だ。追い払っても追い払ってもこちらの攻撃の隙を縫い喰いついて来る。

 個体としての能力差が大きい為、致命傷には至らないが、全身に細かな傷を負い、僅かずつではあるがダメージは蓄積しつつあった。

 そして何より問題なのは──

(こ奴ら、先刻より手や頭を集中的に狙っておる…拙僧に真言の詠唱をさせぬ腹積もりか!)

 これもまたネビロスの策略であろう。

 大僧正にとって大きな威力、範囲を誇る真言魔術を封じられるという事は、能力の大半を制限されるに等しい。無論、ゲームと同じ

スキルは別個で使えるが、それにしてもこうも敵に囲まれ絶え間なく攻撃を受けていては魔術同様に使う事はままならない。

 ──そもそも、初動の選択をミスしたのだ。

 最初に相対した時から、ネビロスはなのは達の乗るバスを背後にして立っていた。これでは威力や貫通性の高い魔術は巻き添えの危

険があって使えない。大僧正もその恐れから、ジュエルシードの暴走を止めた倶梨伽羅の黒竜や、帝釈天の呪法を唱えなかったのである。
 
 使用する能力が限定されるそんな状況であるならば、ガシャドクロに囲まれた際に攻撃ではなく空中に逃れるか、防御陣を敷いて迎

撃体勢を整えるべきであった。

(今更気付いたとて、後の祭りだがな…!)

 悔みつつも詮無き事と切り捨てる。

 第一に、相手は権謀術数に長けた、海千山千の大悪魔。よしんば自分がそんな行動を取ったとしても、すぐに別の一手を打った可能

性があるし、向こうになのは達が居る以上、取り返す側の自分達はどうやっても後手を踏まざるを得ない。

(チッ! 打つ手なしか……!?)

 両腕を振り上げ襲って来たガシャドクロの顎部をアッパーの要領で拳で撃ち抜きながら、大僧正の中で令示が苛立ち混じりに吐き捨てる。

 袈裟や法衣は破られ、その下の肌にも裂傷や切傷が幾つも生まれている。

 大僧正は脳裏にちらつく敗北の二文字をかぶりを振って打ち消し、眼前の敵へと意識を集中した。












アリサ視点




 アリサは眼前に広がる光景を食い入るように凝視していた。

 それはにわかに信じ難い光景であった。

 令示が、アリサが知る強力無比たる存在である魔人が、雲霞の如く攻め寄せるガシャドクロと呼ばれた赤い髑髏の怪物集団に押され

ているのだ。

 アリサの知っている悪魔の戦力と言えば、すずかとともに誘拐された時に見たマタドールによる誘拐犯達の掃討戦と、先程のクグツ

戦くらいだが、その二つと比べて今の大僧正の動きは、明らかに精彩を欠いていた。

「一体どうしたのよ…?」

「わからないの? まともに戦えないのよ、アイツは」

「っ!? あんた!」

 漏らした呟きへの返答に驚き振り返れば、口端を吊り上げ皮肉気に笑う『アリサ』の姿があった。

 アリサが大僧正の戦いに目を奪われていた隙にここまで近付いて来たのであろうか?

「…まともに戦えないって、どういう事よ?」

 しかしそれよりも気になったのは眼前の相手の放った言葉であった。アリサは油断無く『アリサ』を睨みながらも、心に引っかかっ

たその一言の真意を問いかける。

 彼女は、そんなアリサを鼻でせせら笑い口を開いた。

「あれだけ大勢の悪魔に囲まれてまともに身動きが取れる訳がないじゃない。例え強力な攻撃が撃てても、バスのなのはやすずか、ア

ンタまで巻き添えにしちゃうかもしれない。かと言って弱い攻撃じゃ何体も倒せないしね」

「あ──」

 言われてはじめて、アリサは大僧正の窮地を正確に把握した。

 それを見た『アリサ』は嘲笑的な唇の歪みを更に深める。

「アハハハハハハハハハハハッ!! あのミイラ本当に憐れね! あんなに必死で戦っているのに、肝心の、原因のアンタが全くその

理由をわかっていないなんて、なんて滑稽! まるでピエロじゃない!!」

『アリサ』の笑い声に立ち眩みを覚え、アリサはその場でよろめいて地面に腰を落としてしまった。

(何で、こいつはこんなに私を…)

 自分の為に親しい者たちがどんどん傷付いていく。それは、まるで底なしの泥沼に足を取られ、抵抗虚しくジリジリと呑まれていく

ような感覚。

 目の前にいる自分と同じ顔をした存在は、そんな己の苦しむ様を愉悦を帯びた表情で、しかし当然と言いたげな冷たい視線で、アリ

サを見下ろしていた。

「…アンタさぁ、本当に役立たずで疫病神だと思わない? だって──」

『アリサ』は猫のように目を細めて笑い、桜色の唇をその場に座り込んだアリサの耳朶へとそっと近付けた。

「あそこでアンタの為に戦ってるミイラは、アンタが役立たずなばっかりに今にも殺されそうじゃない?」

「えっ!?」

 言われてアリサは、はっと顔を上げて戦場へと目をやる。

 ガシャドクロ達に襲われ続ける大僧正は、ズタズタに引き裂かれた法衣姿と全身の傷が相まって、ボロ雑巾の如き様を呈していた。

 最早風前の灯火と言ったその容相に、『死』の一字が脳裏に浮かび全身が総毛立つ。

(このままじゃ令示が…! 早く、早く助けないと…)

 心中に生じた危機感に、焦りに駆られるまま思考を巡らせるアリサ。だが──

(私じゃ、あいつらに太刀打ち出来る訳がない。

 バスのなのはは? 魔法が使えるって話だし…って、あの娘がこんな状況を黙って見ている筈がない、なのに未だに出て来ないのは

動けないって事じゃない。 …駄目だ、やっぱり私じゃ何も出来ない)

 どう考えても手詰まりであった。

 どうにもならない絶望と何も出来ない悔しさに、アリサの目頭に涙が浮かぶ。

(なんで……なんで私は何も出来ないのよ! 本当にこのまま大僧正が、令示がやられて、こいつに体を乗っ取られるしかな──)

 ──待て。「体を乗っ取られる」?

 その一言にアリサは引っ掛かりを覚えた。

 さっきあいつは何と言った?

 思い出せ、思い出さなくてはならない。

 その言葉に現状を打破する糸口があると、アリサは感じとっていた。故に、必死で記憶を掘り下げる。






──私はね、完璧な体、完全な人間の体が欲しいのよ






 脳裏によぎる、『アリサ』の言葉。

(っ!? これ!!)

 まるで、複雑な迷路の脱出ルートを看破したかのように、アリサは勝利への一手を掴んだ。

 アリサの考えが正しければ、己の手で起死回生のチャンスを手にする事が出来るだろう。

 そう、アリサの考えが正しいのであれば・・・・・・・・・・・・・・・

(…本当に、これで大丈夫なの? こいつやあの悪魔が、この考えも含めて最初から私を騙していたとしたら? 私の考えなんて、と

っくに読まれていたとしたら?)

 全てはアリサの推測にすぎないのだ。自分の考えが間違っている可能性や、相手が自分の上をいっている可能性も捨てきれない。

 失敗してもやり直しは聞かない。しかも支払う対価は己の命だ。

 アリサが二の足を踏むのは詮無き事であった。

 どうする? 動くべきか動くまいか。ぐるぐると思い悩み、逡巡するアリサ。

「ぬぉぉっ!?」

 その耳に、大僧正の苦悶の叫びが届く。

 我に返ったアリサが顔を上げ正面を見やれば、魔人の体がガシャドクロに殴り飛ばされたところであった。

 大きく体勢を崩した大僧正へ、ここぞとばかりにガシャドクロの群れが殺到し、赤い小山のようになる。

 アリサは、以前テレビで見た動物ドキュメンタリーで、ハイエナの集団が草食獣を追い詰め、寄ってたかって喰い殺したシーンを重

ね合わせ、思わず目を逸らしそうになる。

 しかし──

「舐めるなぁっ!!」

 赤い髑髏の小山より響く大喝に、それを止めた。

 五体に絡みつくガシャドクロ達を粉砕し、破砕し、撃破し、打破し、死者の群れを割って魔人が姿を現す。

 それでも尚ガシャドクロ達に組みつかれるその体は、正しく満身創痍なれど、未だ意気軒昂。未だ気炎万丈。

「死を喰らい、死を殺し、死を御してこその魔人!! 二〇〇〇年もの時を地の底で死に捉われ燻っておったカビ臭い亡者どもが、拙

僧を喰らおうなどとは片腹痛いぞ!!」

 肩に齧りついていたガシャドクロを無理矢理引き剥がし、力任せに地面へと叩きつける。

「────ッ!!」

 声無き断末魔の叫びを漏らし、ガシャドクロは四散し、その骨片はマグネタイトの粒子となって空に散華する。

「拙僧の首が欲しくば、この十倍は用意するがいい、戯けが!」

 そう言いながら呵々と笑いを上げ、大僧正はチラリとアリサの方へと顔を向けた。

(あ──)

 アリサと視線があっても尚、大僧正はからからと笑い続けていた。

 それは時間にして、三秒にも満たない短い時。

 直後、彼は再度襲って来たガシャドクロ達との乱戦へと入り、その姿は赤い人骨の壁に阻まれ見えなくなってしまった。

 そんな短時間ではあったが、大僧正の言いたかったであろう事はアリサに伝わっていた。

 あれは、「心配するな」と言いたかったのだと。

 痛い癖に精一杯元気に。

 怖い癖に胸張って大威張りに。

 クラスに一人か二人は居る目立ちたがりな馬鹿な男子生徒とまるっきり同じレベルの行動だった。

(って、アイツも同い年か)

 そんな益体もない考えがよぎり、アリサは思わず笑みがこぼれる。

 悩む事などなかった。

 馬鹿な友達が一人、虚勢張って自分や皆の為に戦っている。

 ならば、自分もそんな友達の為に思いっ切り馬鹿をやってやろう。

 アリサの決断が、心中の迷いの霧を払い、四肢に力を巡らせる。

 込み上げる気力に任せ、アリサは一気に立ち上がり駆け出した。──一路、大僧正の元を目指し。

「あっ!?」

 アリサの背後で驚きの声が上がる。言うまでもなく『アリサ』の発したものだ。

 だがアリサはそれに構う事なく一直線の最短ルートで大僧正の元へと向かう。当然その手前に立ちはだかるは、ガシャドクロの群れ。

一体一体がアリサの四、五倍はあろうかという身の丈と大きさ、そしてその身から発せられる闘気と迫力に、一瞬圧倒され怖気付きそ

うになる。

 だがアリサはかぶりを振って己の恐怖を捻じ伏せると、身を低くしてひしめく巨骸達の隙間へと隙間へと入り込んだ。

「ギッ!」

「ギギッ!?」

 突然の闖入者にガシャドクロ達の間に驚きや戸惑う声が上がり、その感情が群れの中で次々と伝播していく。

 だが、その内の一体がアリサへと意識を向け、彼女の前へと立ち塞がった。

「っ!? アリサ!! おのれ、退けい三下ぁ!!」

 ガシャドクロに囲まれていた大僧正が、己の包囲網に入り込んだアリサの存在に気付き、周囲の巨骸を打ちのめしながら怒声を張り上げた。

 そいつはアリサを獲物とみなしたようで、威嚇の如くガチガチと歯を打ち鳴らし、彼女の体を引き裂かんと高々と腕を振り上げた。

 だが、アリサはそれを目にしてもその場から動く事無く、じっと相手の動きを見つめるのみ。

 恐怖に囚われた、のではない。これはアリサにとっての賭けだった。

 己の考えが正しいか、否か。確かめなくてはならない。だからアリサは、己を打ち砕かんとするガシャドクロの凶手を黙って見上げ

ていた。これを乗り越えなくして、起死回生の策は成立しない故に。






「やめなさい!! その娘に傷一つ負わせるな!!」






 凶手がアリサへ振り下ろされる寸前、その場にいる誰よりも速く声を発したのはネビロスであった。

 その表情にも声にも先程対峙した際のような余裕は無い。

 隠す事ない焦りの混じった召喚主の叫びによって、使役されるガシャドクロはその動きを止める。

 その瞬間、己の考えが正しかった事を確信したアリサは、再び駆け出す。

 アリサが確信した事実、それは『ネビロス達はアリサに傷を負わせられない』という事。

 先程の会話で漏らした、『アリサ』発した言葉がその事実を物語っていた。

 連中はアリサの体を完全な形で乗っ取る為に、傷を負わせる事をタブー視していたのだ。

 ──つまり、それを逆手にとれば──

「助けに来たわよ! 令示!!」

 走る勢いのままにアリサは大僧正の背中に跳び付き、声をかける。

「アリサ! 汝はなんという無謀を──」

「文句は後! 私の体が目的なんだから、もうこれであいつらは私達に手出し出来ないでしょ!?」

 苦言を呈しようとした大僧正を遮り、アリサが声を上げる。

 ──アリサが盾となって、手出しをさせない事も可能という事である──

「さ、反撃開始よ、大僧正!」

 己との賭けに勝ったアリサはいつもの彼女らしい、勝気な笑みを浮かべそう宣言した。












令示視点




 アリサの思惑通り、ガシャドクロ達はネビロスの命令によって彼女に手を出せず、更に自らを盾にするように密着している為、大僧

正にも攻撃が出来ず、数メートルの距離を置いてこちらを取り囲み、様子見をしている。

 アリサがおぶさるようにして大僧正と密着している為、彼女への攻撃を禁じられているガシャドクロ達は二人に手を出す事が出来ず

戦いは一種膠着状態となっていた。

(さて、どうするか…)

 ガシャドクロ達と睨み合いながら、大僧正は思案する。

 アリサの奇策──という事はあまりに無茶苦茶で肝を冷やした暴走と呼ぶには等しいが──で、値千金の時間的猶予を得る事が出来た。

 しかし、ここからどう己の流れに持って行くか、それが問題だ。

「…ねえ、何であんたまであの骸骨たちみたいに動かないの?」

「決め手に欠けるのじゃ。威力の弱い技ではガシャドクロの壁を穿てずにネビロスの奴めに届かぬ。さりとて威力が強過ぎれば、あ奴

と傍のバスまで巻き込んで攻撃してしまう」

「それはさっきあのニセモノ女に聞いたわよ!! だったら、空とかからこいつら飛び越えて空から弱目の魔法とか誘導弾みたいな魔

法とかで直接あいつを狙うのは!?」

「地中にまだガシャドクロを控えさせておる筈。拙僧が奴を直に狙ってもそれで壁を作って攻撃を防ぐじゃろうて」

 澱みない大僧正の解答に、うむむ…と難しい顔で唸りを漏らすアリサ。

「なれどグズグズとしてもおれぬ。時間から考えて、未だ学校に着かないバスの事が警察に通報されている可能性が高い。街中の監視

カメラや、生徒達の持つ携帯電話の位置情報サービスからこの場所が割り出されているやもしれぬ。最悪、ここに来た保護者や警察官

が奴らの人質にされかねぬ」

「ああ、もう!! あの骸骨たちは大昔の怨霊なんでしょ!? この場所に神社とかお寺とか無いの!? ちゃんとお祓いとかしてれ

ばこんな事にならなかったんじゃないの!? 神様も仏様も揃って何やってたのよ、今の今まで!!」

「落ち着け、この地にも寺社は建立されておるし、仏神もきちんと祭られて──」

 不利な情報ばかりがもたらされた事に、うがー! と自らの背中で気炎を揚げるアリサを宥めようとしたその時、はたと己の言葉に

混じっていた事実に気付いた。

「神…そうか神か! カカカ、拙僧は阿呆か! こんなことにも気が付かなんだとは!」

「ちょっと、どうしたのよ!?」

 思い悩んでいた先程とは一転、カラカラと笑い出した大僧正の変化に、アリサがたじろぎ様子を窺ってくる。

「いや大事ない。それよりアリサよ汝の言葉で思いついたぞ、起死回生の方策を」

「え? それって──」

 アリサが大僧正の言葉の真意を問おうとするが、

「致し方ない。多少の傷は構いません、その娘を魔人から引き剥がしなさい!」

 この膠着状態に痺れを切らしたのであろう。ネビロスがガシャドクロ達へ強行策を命じた。

 召喚主の命を受け、再び巨骸の群れが二人へと殺到する。

「っ!? 来た!!」

 怯えを帯びた声を上げ、大僧正の首に回していたアリサの腕が、ビクリと強張る。だが──

「心配無用。勝機は既に我らの手中にあり!」

 大僧正は力強く宣言を発すると、印を結び呪を紡ぐ。

 その刹那、二人は次々と襲来するガシャドクロの群れに組みつかれ、赤骸の山に埋没した。








「チッ…少々強引でしたが止むを得ませんね」

 うず高く積み上がったガシャドクロの山を見ながら、ネビロスは若干不満の籠った言葉を吐いた。

「おじさん、アイツの体にあんな無茶して大丈夫なの…?」

 その傍に駆け寄って来た『アリサ』が不安げにネビロスを見上げる。

「なに、手足が折れるか千切れるかはあるかもしれませんが大丈夫、問題ありませんよ。回復魔法を使えば癒せます。まあ、何日か手

足の末端に違和感が出るかもしれませんが、それは我慢して下さい」

「う~…我慢するわ」

 完全な状態で無い事に少し不満があったのか、唸りを漏らしていた『アリサ』であったが、仕方がないと悟ったのか溜息をつきなが

ら不承不承といった様子で頷いた。

「いい子です、アリサ」

 そんな彼女の一連の所作にネビロスは、慈愛に満ちた表情を作りその頭を撫でようと手を伸ばした。

 瞬間──

 ガシャドクロの山より、巨大な白光の柱が天に向かって立ち昇った。

「ぬっ!?」

「キャッ!? 何!?」

 驚く二人が眩しさに耐えながら白光の柱へと目を向けると同時に、白光の柱に包まれたガシャドクロの山より、白い閃光が水平に走

り、『アリサ』へ向かって伸ばしていたネビロスの左腕を穿った。

「ぐおあっ!!」

「おじさん!?」

 二人の叫びが響き同時に根元から断たれたネビロスは、そこから生じた衝撃で吹っ飛ばされて背後のバスにその身を打ちつけられ、

その左腕は弧を描いて宙を舞い、地面へ血液をぶちまけた。

「ぐぅぅ…何、が…?」

 傷口より血液とともに漏れ出すマグネタイトを右手で押さえながら、ネビロスは頭を振って立ち上がろうとする。

 その時、視界の端──側面のバスの表層に突き刺さる、山鳥の矢羽根を使った一本の矢がネビロスの目に飛び込んで来た。

「これ、は──っ!?」

 これが己の腕を断ったのかという疑問を抱いたネビロスであったが、それは突如としてガシャドクロの山より響いた瓦解音によって

中断させられた。

 ネビロスと『アリサ』、二人が慌てて正面へと目を戻せば、白光の柱が周囲へと広がり、山になっていたもの以外の周囲に居たガシ

ャドクロ達までも次々と飲み込み、バラバラに粉砕して消滅させていく有様が映る。

 止める間もなく、僅か数秒程度で現存していた全てのガシャドクロが姿を消すと同時に、白光の柱も消滅する。

 後に残ったのは、いつの間に手にしてたのか、片膝立ちで黒塗りの和弓を構える魔人大僧正と、その背におぶさったままのアリサ、

そして彼らの背後に立つ、十メートルはあろうかという太陽の如く輝く光の巨人。

「──南無、八幡大菩薩…!」

 弓を射ったままの姿勢──残心を崩す事なく呟いた大僧正の言が、風に乗ってネビロス達の下へと響く。

「ハ、ハハ…何よ、あれ」

『アリサ』は大僧正が呼び出した存在を見上げ、呆れ混じりの乾いた笑いを漏らし、

「八幡神──威霊ハチマンか!!」

 ネビロスは目を見開き、驚愕の相を浮かべた。








 ──威霊ハチマン。

 別名を誉田別命と呼ばれ、応神天皇と同一とされる神。

 また、弓矢八幡とも呼ばれて武門から多くの信仰を集める存在であり、仏教との習合により八幡菩薩としての側面を持つ。

 故に大僧正の召喚に応じ、この場に顕現したのである。

 しかし、以前のジュエルシードの一件で不動明王を召喚した際も、倶梨伽羅の黒龍を使用する為の僅かな時間しか現界出来なかった。

にもかかわらず、今こうして顕現しているハチマンはネビロスの腕を切断し、ガシャドクロの群れを滅して限界し続けていた。菩薩と

いう、高位の存在であるというのに、だ。

 九個というジュエルシードを手にして尚、令示の今の実力では高位の仏神の完全召喚は手に余る技術である。だと言うのに、何故こ

のような無茶を通せたのか?

 その答えは、大僧正の睨む先──ネビロスにあった。

「策士、策に溺れるとはまさにこの事よのう、魔軍元帥よ」

 そう言いながら、大僧正が右手を横へと伸ばすと、虚空より矢が生じ、その掌中へと落ちる。

「「屍倉」の怨霊…成る程確かに死霊術師の汝にしてみれば、これほど強力な武器などそうは有るまい。しかし、「この地」に於いて

ならば、それは拙僧らも同じ事よ」

 手にした矢をゆっくりと弓につがえた。

「鎌倉の地は、征夷大将軍源頼朝が幕府を開いた源氏の本拠地。当然その氏神たる八幡神も勧請され、建立されたのが鶴岡八幡宮よ。

そしてこの地に根付き、長き時をかけて強い信仰を集めてきた。その下地がある故に、汝が召喚したガシャドクロ同様、拙僧が八幡神

の降臨を願うのも容易であったのだ。つまり──」

 きりきりと弓弦を引き絞り、鏃の先端をネビロスへと向け、狙いを付ける。

「拙僧らに対して切り札を使いながら、同時に汝は鬼札を引いていたという事よ。──南無八幡大菩薩」

 大僧正の呪に応じ、つがえた矢が八幡同様の輝く白光に包まれる。それは先程、ネビロスの腕を断った閃光。

「かつて源三位頼政が、神仏に守護された宮中へ侵入したヌエを射落とした、八幡神の加護が宿りし神威の破魔矢よ」

 数多い八幡神の別名の一つに、護国霊験威力神通大自在王菩薩の名がある。

 護国。その名の示す通りに国家鎮護、そして国利民福を意味する言葉である。

 故に、その力がこの国の無辜の民草を傷つける事は無い。源頼政が宮中で放った矢が、妖魔以外を傷つける事がなかったのと同様に。

だからこそバスを背にしたネビロスを、なのは達を傷つけずに射る事が出来たのである。

「破邪の力、その身でとくと味わえ堕天使ネビロス!!」

「くっ…!」

 引導を突きつけられたネビロスは、その場から動けず、苦渋の表情を浮かべる。

 だがそれも無理もない事であろう。大量のクグツやガシャドクロの召喚に使役、『アリサ』の肉体の維持、そして先程の片腕の切断

によるマグネタイトの消費に散失、軽く見積もっても途方もない量になる。

 サマナー仕えの悪魔のような安定したマグネタイト供給源も無く、人を襲って入手しようにも、魔人の闊歩する街でそんな真似をす

れば、すぐに気取られ排除される危険性もある。今の今までその存在を大僧正に気付かせずに秘密裏に行動していたのだ。まともにマ

グネタイトの補給など出来なかった筈。如何な大悪魔とは言えこの状況では弱体化は免れない。いや、むしろ未だに消失も肉体崩壊に

よるスライム化もせずに体を保ち続けていること事態、信じ難い頑強さであると言えた。

(だが、それもここまで。この一撃で決めてくれよう)

 大僧正はとどめの一撃を与えんと、引き絞った弓弦を解き放とうとしたその時──

「っ! アリサ、何を!?」

『アリサ』がふらりとネビロスの前へと進み出て、その行動に驚く彼を庇うように、大僧正の前へと立ちはだかり、その矢道を塞いだ。

「…そこを退け娘。ハチマンの神威、喰らえばその矮躯程度、跡形も無く消し飛ぶぞ?」

「…好きにすれば?」

 大僧正の感情のこもらぬ声で通告するも、『アリサ』はどこか投げやりに答えを返した。

「彼の言う通りです、下がりなさいアリサ。貴女があの攻撃を受ければ、肉体どころか魂にも大きな傷を負いかねません。下手をすれ

ば、存在自体消し飛んでしまいかねません。悪魔である私とは違うのですから」

 ネビロスが優しく諭すが、『アリサ』は力無く首を横に振った。

「もうどうにもならないわよ…おじさんだって、もう余分な力は無いんでしょう?」

「確かに…ですが貴女が前に出る理由にはなりません。何、所詮この身は分霊、魔界の本体がある限り滅びる事はない。だから安心なさい」

「……嘘でしょ?」

 ネビロスの方へ顔を向ける事なく、ポツリと『アリサ』が呟きを漏らした。

「おじさん、死なないって言ったけど、また私のところに戻って来れるの? 出来るのならそれはいつ? 明日? 明後日? 必ず帰

ってきてくれるって、約束してくれる?」

「それは──」

『アリサ』の問いに、ネビロスは答えを濁した。

 肯定できる筈がなかった。分霊は敗れた場合、本体へダメージがフィードバックされる。

 それは分霊に振り分けた力が大きければ大きい程、倒された際のそれに比例して本体に返るダメージも大きくなる。

 ネビロスがどれ程この分霊に力を注いだかはわからないが、使われた術の手並みから考えて、相当なマグネタイトを込めた高位分霊

である事は間違いない。

 これだけの高位の分霊が倒れれば、本体に返るダメージは計り知れない。手傷を回復し、再び分霊を派遣出来るまでどれ程の時間が

かかるか、軽く見ても百年二百年ではきかないだろう。

 そこから再び『アリサ』を見つけ出し再会できる可能性は、…正直砂漠に落とした針を見つけられるかといった程度の位の確率であろう。

「約束、出来ないんでしょう?」

『アリサ』はネビロスの方を振り返り、力無い乾いた笑みを浮かべた。

「なんで『私』なのかしらね…? パパもママも友達もいない。挙句に乱暴されて殺されて。今度はおじさんともお別れ。同じ人間で、

同じ「アリサ」なのに、私ばかりが奪われる…」

(…乱暴されて殺された? 同じ「アリサ」?)

 遠くを見つめながら吐露された『アリサ』の身の上に、大僧正は思わず二人へ傾注する。

 天涯孤独で、乱暴をされて殺されたアリサそっくりの少女…一人、心当たりが浮かんだ。

「…成る程、今の言葉で理解した。汝はアリサの同一存在──並行世界のアリサだな?」

「並行世界?」

 大僧正の呟きの意味がわからなかったのか、アリサは怪訝な表情で疑問を漏らす。

「…確率の世界、分岐した世界の事じゃ。つまりあ奴は「もしもの世界」のアリサ」

「その通りよ。私はアリサ、アリサ・ローウェル…「両親が存在しない世界」のアリサ」

 じっとこちらを見つめながら、『アリサ』が己の出自を明らかにした。




 ──アリサ・ローウェル。




「リリカルなのは」のスピンオフ元である「とらいあんぐるハート3」というゲームの登場人物だ。

 スピンオフ元とは言え、キャラや舞台の重複はあるものの、微妙に設定や年齢が異なり、まさに別世界の話の登場キャラの一人である。

 だが、より正確に言うのであればこの『アリサ』は、「とらいあんぐるハート3」の世界から更に分岐した、「なのはと出会わなか

ったアリサ」と言うべきであろう。

「とらいあんぐるハート3」のなのはに出会っていたのであれば、「友達もいない」などと言う筈もないし、未だ幽霊として存在して

いる筈がない。だが、そんな世界の存在が、何故この場に現れたのか?

「互いに交わる事無き故に並行する世界の筈。何故汝はこの地へ現れたのだ?」

「私も最初は訳がわからなかったわ。気が付いたらいきなりこの世界に投げ出されてて、元々私がいた海鳴市と同じようで色々なとこ

ろが少しずつ違っていて、私がおかしくなったのか、世界がおかしくなったのかって、凄く混乱した。…そんな時よ、おじさんに会ったのは」

 当然の疑問を口にした大僧正へ、『アリサ』はそう言葉返してネビロスを一瞥する。

「おじさんは私の話を聞いて、色々教えてくれたわ。おじさんが悪魔だという事、この世界が私にとって別世界である事、おじさんが

居た世界の強い悪魔が、無理矢理移動してきた影響で、不安定になった時空間揺れに巻き込まれて、私とおじさんはこの世界に流され

て来てしまったという事…」

(強い悪魔って、もしかして…)

(考えるまでも無い。「あの女」の事じゃ)

『アリサ』の言葉を聞き小声で尋ねて来たアリサに、同じく小声で答える大僧正。

「おじさんから話を聞いて、私は同一存在──「この世界の私」の事が気になった。一体どんな娘なんだろうって…それでおじさんに

頼んで、あちこち探してやっと見つけてその生活を覗いて見たのよ。…そうしたらどう? ちょっと一緒に居る予定が潰れたくらいで、

「もういい! パパもママも大嫌い!!」なんて叫んで…」

「それって、私が無理矢理眠らされるれる前の日の──」

 その声に、アリサは四日前──彼女の主観時間では二日前だが──の事を思い出しているようであった。

「そうよ。それを聞いて、本当に憎らしかったわ。だってそうでしょう? 家族も友達も、私には無いものを全部持っている癖に、そ

の大切さもありがたみも、まるでわかっていないんだもの。だから奪ってやろうって、嫌いなら貰ってもいいだろうって、そう思ったのよ」

 俯きながらそう告白をした『アリサ』は、フッと口端を吊り上げて皮肉気な笑みを浮かべ、「でも」と言葉を繋げる。

「全部無駄だった。何重にも仕掛けた罠もおじさんが呼び出した悪魔達もやられた挙句、「私の時」にはどんなにお願いしても助けて

もくれなかった神様までソイツを助ける為に現れて…アハハハハッ! ホント、呪われているのかしらね、私って」

 自嘲的な笑いを漏らし、『アリサ』は大僧正の背後に立つハチマンを見上げる。

 遠くを見つめるようなその双眸には、諦観の色が浮かんでいた。

「もう、何もかもどうでもいいわ。もう疲れた…」

 力無い乾いた笑みを浮かべて『アリサ』は静かに心中を吐露し、自ら大僧正が構える弓矢へと歩み寄り、鏃の先端に己の胸を押しつけた。

「また一人になるなら、このままおじさんと一緒に殺してよ」

 胸に喰い込んだ鏃が『アリサ』の肉を抉り、偽りの体を形成していたマグネタイトが漏れ出す。
















「ダメ!」
















『アリサ』が更に一歩踏み出そうとしたその時、横合いから響いた叫びがその足を止めた。

 全員が声の発せられた方向へと傾注すると、そこには手摺りにもたれかかる様にしてバスのステップを降りて表に現れたなのはの姿があった。

 ネビロスの負傷によりデビル・スマイルの構成が甘くなったのであろう、そこを持ち前の抗魔力で無理矢理術を破り、ここまでやっ

てきたなのはは、額に脂汗を浮かべ、苦しげな表情で『アリサ』の元へと歩み寄って来る。

「なの…は?」

 鏃の先端を己が身へ突き立てようとしていた『アリサ』は、その動きを止め、呆けた声を漏らした。

「ダメだよアリサちゃん! そんな終わり方、絶対ダメ!」

 フラフラと覚束ない足取りで『アリサ』の元へ近付きながら、なのはは彼女の行動を咎める。

「…バスの中でも喋ったし、私達の話しは入り口からでも聞こえたでしょう? 私はアンタの知っている「アリサ」じゃない。真っ赤

なニセモノよ。本物はあっち」

 だが『アリサ』は、意に介する事なく淡々となのはの説得を流し、親指でアリサを示しつつそう嘯いた。

「よかったじゃない、偽物の私は消えて滅びて万々歳。誰もが納得のハッピーエンドでしょ?」

「こんなのハッピーエンドじゃない! ちっとも嬉しくないよ…!」

 皮肉っぽい『アリサ』の物言いに、なのはは大きくかぶりを振って反論した。

「だってあなたが、アリサちゃんが全然幸せになってないもの!」

「はぁっ!?」

 予想外のなのはの言動に、驚きの表情を見せる『アリサ』。

「ア、アンタ馬鹿じゃないの!? 私が幸せになっていないなんて当り前じゃない、私は負けた悪役なのよ!?」

『アリサ』から諦めの色が消え失せて、焦燥感の滲む台詞を吐き出した。

 それを耳にした途端、なのはの眉が吊り上がり、

「悪い事をしたからって、幸せになっちゃいけない理由にはならない!!」

「!?」

 激情のこもる言葉を『アリサ』へと叩きつけた。

 おそらくは『アリサ』の言動に、今は別世界の空の下で贖罪を続ける友人の姿が被ったのであろうと、大僧正を考えた。

「私の、幸せ……? 何よそれ、アンタが幸せにしてくれるとでも言うの? だったらさあ、私と同じになってって、死んでくれる? 

って聞いたら死ぬの!? どうせ出来やしないでしょ!? 綺麗事ばかり言わないでよ!!」

 なのはの激情が呼び水となり、『アリサ』は目尻に涙を浮かべ、剥き出しの感情をさらけ出す。

「……私が」

 己の睨む『アリサ』の視線を数秒、真正面から受け止めてなのははポツリと言葉を漏らした

「私が死んで、アリサちゃんと同じになったら、アリサちゃんは幸せになれるの?」

「──え?」

 その切り返しは予想外だったのであろう、『アリサ』は険が抜け落ち呆けた表情を浮かべた。

「それが本当に幸せだって言うのなら、それはなぜ? どんな理由で?」

「────」

 重ねられる問いに、沈黙を守る『アリサ』。いや、答える事が出来ないのであろう。

 今なのはが命を断って幽霊となり、『アリサ』の傍に行ったとしても、喜びなど一時の事だ。

 灼熱の砂漠に僅かな水を撒いても見る間に乾いてしまうように、二人のみの変化のない日常は、すぐに色褪せ、無味乾燥なものへと

なり果てる。幸せとは程遠い結末である。

 そしてなにより、なのはのこの問いかけに答えない、反論しないという事自体『アリサ』本人が一番それを理解している事に他ならない。

「今はちょっと遠いところに行っている私の友達がね、前に言ってたの。「友達が泣いていると、同じように自分も悲しいんだ」って。

…だから助けたい、力になりたいんだ、アリサちゃん!」

『アリサ』の目前にまで迫っていたなのはは彼女の手を取り、誠実に訴えた。

「なんでよ…私はその娘じゃない。アンタの友達じゃないでしょう……?」

「友達だよ、少なくとも私はそう思っている!」

「それはアイツの──元々アンタの友達の「アリサ」と混同しているだけじゃない! 私はアイツじゃない!」

 じっと視線を合わせたままのなのはの手を振り払って、『アリサ』は否定の言を叩きつけ、

「…うん、そうだね」

「え?」

 あっさりとそれを肯定された事に再び言葉を失った。

「貴女は、この世界のアリサちゃんとは違う全然別の人。今ならわかるよ」

「わかるって、何がわかるのよ!?」

 超然としたなのはの態度が癇に障ったのか、『アリサ』はきつい口調で詰問する。

「三日前の算数の自習の時、クラスの男の子に分数の計算教えてあげてたよね?」

「…あんなの、アイツでも教えられるでしょ?」

 ぶっきらぼうに言い捨てる『アリサ』へ、なのはは頷きを返す。

「うん。アリサちゃんもよく勉強でわからないところとか難しいところを人に教えている。でも、それはやっぱり同級生らしい喋り方

だよ。貴女は優しいお姉さんみたいな感じだったな」

「…他の連中が子供なだけでしょう? 私は精神年齢が高いのよ」

「あと、一言だけの挨拶にも凄く楽しそうに返事をしてたよね?」

「……幽霊になって長いから、会話に飢えていただけよっ」

「すずかちゃんと私と三人で、うちのお店でシュークリームを食べていた時、目をキラキラさせて美味しそうに食べてくれてたよね?」

「甘い物なんて久し振りだったから、ちょっとテンション上がってただけよ!」

 矢継ぎ早に投げかけられる問いに対し、いちいち反論する度に『アリサ』は感情的になっていく。

「なんで…なんでなんでなんでなんでなんで! なんで今更私に構うのよ!! そんなに…そんなにされたら我慢、出来ないじゃない…!!」

 臨界を超えた感情に流されるまま胸の内をさらけ出して、『アリサ』は涙を流しながら俯き、嗚咽を漏らした。

「──言ったよね? 友達だから放っておけない、力になりたいって」

「だから私は友達じゃ…」

「私が名前を呼んで、私の名前を呼んでくれて、一緒に遊んで、話して、勉強して…これだけしたら、もう友達だよ」

『アリサ』の否定を遮って、なのはは彼女へと一歩、足を踏み出し、

「それは──」

「それに、これも言ったでしょう?」

『アリサ』の小さな肩をぎゅっと抱き締める。

「あ…」

「「友達が泣いていると、同じように自分も悲しいんだ」って。私は悲しいよ? アリサちゃんが泣いてると、凄く悲しい」

 若干上擦る声で告げたなのはの言葉に、『アリサ』は、ビクリと体を震わせた。

「…………そっか、やっとわかった」

 抱き締められる事数秒。中空を見つめながら『アリサ』は誰に向けるでもない呟きを漏らした。

「私が欲しかったのはアイツの体でも、生活でも、家族でもない。「私」を見てくれて、「私」を認識してくれて、「私」の為に泣い

てくれる友達が欲しかったんだ…」

「アリサちゃん…」

「おかしいと思ってた。アイツになり替わっても、その体が手に入りそうになっても、嬉しいと思うのに何かが足りない、心がどんど

ん乾いていくような、そんな気がしていた。当然よね、たとえアイツの全てを奪っていたとしても、結局周囲の人間は私を「アリサ・

ローウェル」ではなく、「アリサ・バニングス」としか認識しないんだから。私の行動は、最初から破綻していたんだ…

 でも、だからこそ──」

「あっ…」

『アリサ』がなのはの肩に手をやり、正面から彼女の顔を見つめた。

「なのはに会えた。私を見てくれて、私の為に泣いてくれる、私を友達って言ってくれる娘に」

『アリサ』を見るなのはの顔は、あふれる涙で濡れていた。

 他ならぬ、『アリサ』を想い流した涙だ。

「ああ…体が解けていく」

 うわ言のような呟きとともに、『アリサ』の体を構成するマグネタイトの結合が分解され、四肢の末端から淡緑の燐光が生まれて宙

に舞い、それに比例するように彼女の体がゆっくりと薄まっていく。

「アリサちゃん!? 体が消えて…!」

 その様子になのはが声を荒げる。

「心残り、無くなっちゃったからね…ずいぶん遅くなっちゃったけど」

『アリサ』は険の取れた表情で苦笑する。

 この世への未練が消えたのだ。故に彼女は自らの意思でこの世から去ろうとしている。

 それは滅びではなく、解放。彼女は新生の為に輪廻の輪へと戻るのだ。

「ふむ、もう危険は無いか…」

『アリサ』より危険な気配が消えた事に、最早戦闘の構えは必要ないだろうと判断した大僧正は、引き絞っていて弦を緩ませ、弓を降

ろした。…一応、念の為という事で、ハチマンはそのまま待機させてあるが。

「──ねえ」

 構えを解いた大僧正──正確にはその背にしがみついたままのアリサへ、『アリサ』が視線を向けてきた。

「ここまでやっておいて、許してなんて虫の良い事言えないけど、これはちゃんと言っておかないとね…八つ当たりで体を奪おうとし

て、ごめんなさい」

「…………」

 大僧正の背中から降りたアリサは無言のまま、自分へと頭を下げ謝罪する『アリサ』を訝しげに見つめる。

「アリサちゃん…」

 なのははそんな不穏な二人へ交互に、不安の混じる視線を送りながら心配そうにアリサの名前を呟く。

「うう…ああもう! わかったわよ許す、許すっ! っていうか、この雰囲気で許さなかったら、私完全に悪役じゃないの!」

 なのはの懇願の視線を受けて、アリサはしかめっ面でそう怒鳴り、大きく溜息を吐いた。

「ありがとう! アリサちゃん!」

「ありがとう…」

「…ふんっ」

 なのはと『アリサ』に礼を言われたアリサは、不機嫌そうにそっぽを向く。が、その頬はやや紅潮しており、照れ隠しである事は一

目瞭然であった。

「──アリサ、もうよいのですか?」

 その時、沈黙したまま事の成り行きを見守っていたネビロスが『アリサ』に問うた。もう逝くのかと?

「うん、おじさんごめんなさい…私の我儘に付き合ってくれたのに、そのせいでおじさんは…」

 その問いに頷きながら『アリサ』は申し訳なさそうに目を伏せ、謝罪を口にした。

「気にする必要はありません。要は貴女が幸せであるかどうかにあったのですから。それに、先程も言ったように私は死ぬ訳ではなく

魔界の本体へと還るだけです。再活動までに暫し時間はかかりますが…なに、私の目的や細かな後事は私の朋友がやってくれるでしょ

うし、問題はありませんよ」

『アリサ』と同様に、ネビロスもまた体内のマグネタイトの枯渇によってその姿が薄れつつありながらも、彼女に向けて笑いかける。

「貴女の行く道に幸があらん事を」

「ありがとう。私もおじさんが探している娘に早く逢える事、祈ってるね」

「はい、では──」

 その言葉を最後に、堕天使ネビロスは完全にマグネタイトの粒子と化して空中へと散華、消滅した。

「おじさんも消えちゃったか…私ももうすぐね……と、ああ、そうだ」

 空へと飛んで行く淡緑の光を見上げていた『アリサ』は、ふと何か思い出したようにアリサへと視線を向けた。

「な、何よ…」

 なのはの手前一応許したとは言え、命を狙って来た存在である。意識を向けられると、思わず警戒心が出る上に怯んでしまうアリサ。

「最後のお詫びに忠告。パパとママとは、早く仲直りした方がいいわよ。じゃないと、私の家族みたいに、本当に伝えたい時に「あり

がとう」も「ごめんなさい」も言えなくなるから」

 今回の一件で後回しになっていた問題を鼻先に突き付けられ、アリサは思わず「うっ」と口ごもるが、

「う~……わかったわよ…」

 元々避けては通れぬ事情であった為、アリサは渋々といった態度で頷きを返した。

「うん。それじゃ、これで最後ね、なのは…」

「アリサちゃん…やっぱりもう行っちゃうの?」

「…参ったなぁ、もう未練はなくなったと思ったのに、なのはを見ていたらまた心残りが出来ちゃいそう」

 既に四肢は完全に消え、残るは胴体と頭部のみとなった己を悲しげに見つめるなのはに、『アリサ』はやや眉尻を下げ、ちょっと困

ったような笑みを浮かべた。

「じゃあ、なのは一つ約束してくれない?」

「約束…?」

 オウム返しに問うなのはへ、『アリサ』は頷き口を開く。

「私が生まれ変わって、またこの世界へ来れたら、私の友達になってくれる?」

「うん、うん、うんっ! 私待ってる! 忘れないよ、約束の事、アリサちゃんの事!」

 大きく首を振って肯定の意を返しながらなのはが声を上げる。

「ありがとう。バイバイ、なのは──」

 その別れの言葉を最後に、『アリサ』は空気に溶けるようにその姿を消した。

 同時に放出されたマグネタイトの光が、淡緑の花弁が舞い散るかの如く周囲に乱舞した。

「逝ったか…」

 事の成り行きを見守っていた大僧正は、空中に溶けていくマグネタイトの輝きを眺めながら呟きを漏らす。

「ふむ。しかし此度の拙僧は大した事も出来ず終わってしまったのう」

 ハチマンを送還しつつ、大僧正は溜息混じりにぼやきを吐いた。

「そんな事ないわよ。あんたが居なかったら私も危なかったし」

「そうだよ! 大僧正さんが居たから、もう一人のアリサちゃんとちゃんと話せたんだよ?」

 自分的にはいまいち何もやっていなかった感覚があった大僧正だったが、アリサにそれを真っ向から否定され、なのはもそれに同意し、後押しをする。

「むう、そうだろうか…?」

「そうよ」

「うんうん」

 二人に力強くそう言い切られ、何とも面映ゆく頬を掻く大僧正。

「そうか? うむ、そう言ってもらえれば有り難い。…さて、このままゆっくりともしておれぬ。早くバスの中に居るすずかや他の生

徒を助けねばな。これから来るであろう警察や生徒達の記憶の誤魔化しもせねばなるまい」

「そうね」

「うん! すずかちゃんも心配してるだろうし」

 三人は気持ちを切り替えると、すずかの居るバス車内へと入って行った。








 ──その数秒後、ネビロスとの戦いで疲れ、隠行をかけるのを忘れていた大僧正の姿によってバス車内が恐慌状態に陥り、それを鎮

める為に魔術を用いて四苦八苦する羽目になるのであった。












アリサ視点




「はあ…疲れたぁ」

 使用人の運転する迎えの車から降り立ち、アリサは自宅玄関前で大きく息を吐いた。

 事件の後、アリサが自宅に帰って来れたのは、日が傾く夕刻となった頃であった。

 ネビロス撃退の後、大僧正が聖祥の生徒や運転手に魔術による記憶操作を施し、警察や関係各所への偽装工作を行ったところで、パ

トカーが到着し、警察による保護。そこから病院へ搬送されて怪我の有無の調査やメンタルケア。それが終わると警察官からの簡単な

事情聴取で、保護者教師との面会等々…正直目が回りそうであった。

 建前は上部外者である大僧正は、偽装工作終了後にさっさとその場から消えてしまい、後はなのはと念話とか言うテレパシーっぽい

能力でやり取りをしていた。なんでも、鮫島の安否確認やその件でのバニングスの家の使用人の記憶操作に行くとは言っていたが──

(絶対面倒が嫌で逃げやがったわね、あの野郎)

 とアリサが心中でぼやいたのも無理も無い事であった。

 とは言えバニングスの家の誤魔化しはしっかりこなしたと、なのは経由の連絡があったので、やる事はきっちりやっていたようなの

で、強くは出られなかった。

 結局のところ、この事件は計画的な愉快犯による誘拐未遂事件として処理される事になりそうである。

 生徒達は、突然バスに乗り込んで来た顔を隠した誘拐犯に鎌倉近くまで連れ回され、そこから犯人はバスから脱出し山林へ逃走。そ

の後行方不明という、大僧正の魔術で施した記憶操作のカバーストーリーのまま処理されそうだと、アリサは彼から後始末の手伝いを

頼まれたという、月村忍から電話でそう連絡を受けた。

 ともかく、事件の表向きに関してはこれで一件落着と見ても大丈夫そうだ。

(…まあ、それよりなにより一番大変だったのは、すずかだけどね)

 バスの中に置いてけぼりにされ、親友達の安否もわからぬ状態であったすずかは、現れたアリサ、なのは、大僧正の三人を叱り飛ば

す程ご立腹であり、三人は平謝りで事情を話しどうにか宥めて、渋々ながら許しを貰ったのだ。

「はぁ、今日は早く休もう」 

 アリサは再び溜息を吐きながら、自宅の扉を開いて玄関に入った途端──

「アリサ!」

「大丈夫だった!?」

 切迫した声色の両親が駆け寄って来た。

「え…パパ、ママ?」

 この時間にはいない筈の両親を目にして、アリサはポカンとした様子で声を漏らした。

「え? なんで? まだ会社に居る時間でしょ?」

「アリサの事が心配で仕事を切り上げて帰って来たんだ」

「こんな短い期間で二回も誘拐されたんだもの。心配で仕事どころじゃなかったわ」

 アリサの疑問に、父母が答える。

「とは言え、本当は直接現場に行きたかったんだが、間に合わなくてな…」

 申し訳なさそうにそう言いながら、デビットは腰を屈めてアリサと目線を合わせると、そっとアリサを抱き締めた。

「だが無事でよかった…」

「本当に…何もなくてよかった」

 父に続いて、母もアリサを懐へと抱き入れる。

「………」

 触れる両親の体が、小刻みに震えてを伝えた。

 本当にアリサの身を案じていたのであろう。自分へ語りかける父母の顔は憔悴しきっており、その言葉は震え、いかにアリサの身を

案じていたのかが、伝わってくる。

(ああ、あいつの言う通りだ。私はどうしようもなく我儘だった…)

 こんなに優しい両親に「大嫌い」などと罵ったアリサは、『アリサ』から見ればさぞかし傲慢に見えた事であろう。

 愛されていない筈がない、大事に思われていない筈がないのだ。
 
 約束が守られずに辛かったのは自分だけではない、いや、自分以上に父母の方が辛かっただろう。

 大切な仕事を投げ出してまで自分のもとへ帰って来てくれた事が、何よりもその証と言える。

 だから真っ直ぐに伝えなくてはいけない。自分をこんなに愛してくれる大切な二人に、自分の想いを。

「……パパ、ママ。大っ嫌いなんて言ってごめんなさい。本当は大好き」

 アリサの言葉を聞いた両親は、少し驚きた表情を浮かべた後、笑顔を浮かべてもっと強く彼女を抱きしめる。

「ああ、パパもアリサが大好きだよ」

「勿論、私もよ」

「うん…」

 伝わる両親のぬくもりにアリサは微笑みを浮かべ、二人の胸に顔を埋める。

 父母は優しく、彼女の頭を撫でながらその様子を見守るのであった。








 閑話 海鳴怪奇ファイルVol.1 うしろに立つ少女 了








 後書き

 どうもお久しぶりです、吉野です。

 約半年のご無沙汰となります。更新遅くて申し訳ありません。

 いや、書いてはいたのですが、筆が進まない事進まない事…おまけに書いては書き直しを繰り返していたもんで、こんなにかかって

しまいました。スイマセン…

 さて、今回は外伝その1、「アリサ編」でしたが、いかがだったでしょうか?

 冒頭の文章は文豪、芥川龍之介が自分のドッペルゲンガ―を見た際の事を記したもので、今回のもう一人のアリサを書こうとした時

に色々調べ物をしていて見つけたものです。本当は「ペルソナ2罪」の冒頭のハイネの詩の邦訳版「ドッペルゲンガ―」が良かったん

ですが、あれは版権が存在するので…

 で、今回のテーマはそのドッペルゲンガーなのですが、「ペルソナ2罪」だと、主人格と敵対、相反する影の人格であるシャドウが、

ドッペルゲンガ―として現界しました。

 じゃあ「とらは3」のアリサがいるから、ドッペルゲンガーチックにして出してみるか! と言う事から始まったのが今回のお話だった訳です。

 しかし話が長くなった割りには、自分の中にもう一人の居るという恐怖や、二人のアリサの心理描写が甘かったかな? と言うのが

今回の反省点でしょうか。もうちょっと心の変化と移り変わりを書ければよかったかなと思いました。…今後の糧にします。

 後魔人とヒロイン達がペアでそれぞれ主役をはる話も考えたりしたんですが…時間の都合上没。そんなの書いていたらいつまでたっ

ても「A´S」編始められないので、一応次回の外伝終わったら本編に入ります。外伝の設定は、次回の更新時に一緒に書きましょうかねえ…


 で、今回の諸々の解説です。


 堕天使ネビロス

 言わずと知れた六本木の大悪魔コンビの片割れ。

 名台詞「愛する者の為につくすのがなぜ…いけないのだ…」を残した真性のロリコン。

 今回の閣下のお遊びの犠牲者その一。漫画版「葛葉ライドウ コドクノマレビト」の如く、愛しき幼女を求めてアラカナ回廊とか歩

いてた時に、閣下の無理矢理次元移動に巻き込まれた。

 で、偶然出会ったアリサを気の毒に思い、願いを叶えてやろうと思った人。

 基本六本木に居た分霊と同じで、基本力技で問題を片付けたり、融通が利かないところがある性格が、今回の騒動の一因となった。

(言葉の裏を読んだり、我儘を諌めたりする事が出来れば、六本木とアリスはもうちょっとマシな事になっていたと思う…まあ、悪魔

らしいと言えば悪魔らしいけど)


 威霊ハチマン

 源氏の氏神。八幡様で有名な神様。

 今回の戦いの舞台は鎌倉近くなので、じゃあ出しちまえとばかりに出してしまった悪魔。

 ハッカーズに出てくるけど、武芸の神様の割には攻撃系スキルがイマイチな感じ。


 邪鬼ガシャドクロ

 骸骨の集合体悪魔。

 メガテンシリーズでは関西弁のおばちゃん喋りだけど、今回は操られている設定と言う事で無しにしました。

 一回おばちゃん喋りで書いたらなんか間抜けだったのでw


 マシン クグツ

 真・女神転生の吉祥寺にて闊歩しているザコ。正直金属バットでもあれば、一般人でも余裕で殺せるんじゃないかと妄想するような

ぼろいマネキンのような敵。

 ちなみに後に出てきた虫のようなデザインのクグツは、アトラスの「魔剣X」の敵幹部、八卦レイのステージであるバチカンのメシ

ア教会に出て来る「栄光のスレイヴ」という雑魚をモデルにしています。


 アリサ・ローウェル

「とらハ3」のおまけシナリオに登場。ゲームではなのによって救われたキャラだが、それがもしもなのはに会わずに、救われなかっ

たという「if」ルートでの人物と言う設定。

 閣下の遊びに巻き込まれた犠牲者その2

「アリサはこんな奴じゃねえぞ!」とお怒りの方もおられるでしょうが、「隣の芝は青く見える」というやつと、なのはに会えなかっ

たルートでの歪みという事でご勘弁を。


 鎌倉

 今回の舞台に近いところ。海鳴の隣の市みたいな感じですかね。閣下の結界ギリギリのところだったので、鎌倉市の縁くらいまで行けました。

 この小説では海鳴は神奈川の設定なんですが、「とらハ3」でフィアッセが「茅場町でお好み焼き」云と言っていたから、海鳴って

実はオフィシャル設定は千葉なのか? とも考えました。葛西臨海公園=海鳴臨海公園って感じで。…まあ、正式なものじゃないから

いいかな? と思い神奈川説を採用しました。

 ちなみに鎌倉の鬼門は諸説ありますが、今回は朝比奈切り通しを採用。つーかグーグルマップでこの辺りを見ると、でっかい霊園も

あるんですよね…つーか、魔術合戦やりたさに選んだ舞台設定だったのですが、いまいち大僧正活躍できなかったですね。思った以上

にアリサとなのはが前面に出ていた…これがヒロイン力と言うものか!


 すずか

 今回出番少ない…と言うかローウェル相手だと、どうしてもなのはが前面に出ざるを得ない。因果の関係上。

 まあ次の話ではヒロインなので勘弁してほしいです。


 では長々と書いてしましたが、また次回更新時にお会いしましょう。

 次回タイトルは「絢爛舞踏会」(仮)ようやくすずかのターンです。

 あ、でも書いてる途中に真4が発売したらヤバいぞ…



[12804] 閑話 海鳴怪奇ファイルVol.2 絢爛舞踏会
Name: 吉野◆fe64ebc7 ID:ea804a88
Date: 2014/09/27 10:10
 日曜の夕刻。図書館での予習を終えた令示は、勉強道具を入れた手さげを腕にかけて手元の冊子に目を落としつつ、海鳴の商店街を歩いていた。

「国公立の大学が入学から卒業までにかかる費用が……ざっと三〇〇万かよ。「貧乏人は死ね」って言ってんじゃねえか? コレ」

 大学入学の為の資料を読みながら、提示されたその金額に令示は顔を顰め、呟きを漏らす。

「どこぞの国会議員が、学校の入学費用を家畜を売っ払った金で工面したとか聞いた時は『明治大正かよ』って思ったもんだが、こり

ゃシャレにならねえぞ…バイトしながら学費稼ぐしかねえな。奨学金制度なんぞ実質借金だから、馬鹿馬鹿しくてやってられねえし」

 幸い、魔人四体召喚可能なので一人は学業専念、一人はいざという時の予備としても、後の二体でバイトをすれば問題ない。

「大検受けるなら十五で大学入る事になるから夜間のバイトは無理だけど、数をこなせば──」

「あら? 令示君?」

「うん?」

 不意に己の名を呼ばれて、顔を上げた令示の目にノエルと忍の姿が映った。

「こんにちわ。勉強熱心なのね」

「ですが、本読みながら歩くのは少々危険です」

「とっ、すいません」

 微笑む忍とやんわりと窘めるノエルに、令示はばつが悪そうに謝罪して、冊子を手さげへとしまう。

 魔人四体召喚以来、急激に増した令示は、人間の状態でも魔人の身体機能や能力が僅かながらも扱えるようになった為、マタドール

の反射神経や運動能力を使って歩いていたので、通行人にぶつかる事などあり得ないのであるが、確かに行儀がいいとは言えない行動

だったので、素直に忠言に従った。

「忍さんとノエルさんは今日は…買い物ですか?」

 今日はどうしたのかと問おうとした令示だったが、ノエルがぶら下げていた買い物袋を目にして、その目的を察した。

「はい。根を詰め過ぎて、忍お嬢様がお疲れのご様子でしたので、気分転換に散歩でもしていらしたらと申し上げたのですが」

「どうせ出かけるんならノエルに付き合おうって思ってね。煮詰った頭を切り替えるにも丁度よさそうだったし」

 ノエルの説明に捕捉を行いながら溜息混じりに苦笑を作り、忍はそう答えた。よく見ればその表情は僅かに陰り、疲労の色が浮かんでいる。

「…まあ、忍さんの立場なら色々悩む事があるでしょうからね」

「あら、わかる?」

「忍さんのような特別な立場の人間であれば、かかる責任も自分のような一般人とは段違いであると思いますので」

 窺うような忍の視線を受け「特別」という言葉に若干のニュアンスを込めながら、令示はそう答える。

「ある意味私よりも、令示君の方が特別だと思うけど?」

「俺は人の上に立っていませんから。責任ある人間の苦労というものはありませんよ」

「なんか、すずかと同い年の子と話してる気がしないわ…」

 しみじみと呟く忍に、令示は内心少々ヒヤリとしながらも表情を崩さず適当に言い繕う。

「小知恵つけて生意気言ってるだけですよ。中身はその辺の子供とかわりませんって」

「ふうん…」

 令示の言を聞き、忍は興味深そうにしげしげと彼を眺めながら、

「ねえ、令示君。ちょっと付き合ってくれない?」

「へ?」

 突然、そう誘いの言葉を口にした。




 偽典魔人転生 閑話 海鳴怪奇ファイルVol.2 絢爛舞踏会












「──ねえ令示君、すずかの婚約者になってくれない?」

「は?」

 忍に誘われ月村家へとやって来た令示は、勧められるままに椅子に着くなり開口一番に予想の斜め上を行く台詞を切り出され、思わ

ず間抜けな声を上げた。

「忍お嬢様、それでは令示様が混乱してしまいます」

「ああ、うん、そうね…焦っていたから結論から口走っちゃったわ」

 背後に控えていたノエルからの呆れ混じりの視線と諫言に、我に返った忍は、改めて座席に座り直すと改めて口を開いた。

「実は…今度企業の取締役とか役員の子女を集めた懇談会というか、パーティが開催される事になってね。私とすずかにも声がかかったのよ」

「只のパーティであれば、忍お嬢様もここまでお悩みにはならなかったのですが…」

「何か問題があるものなんですか?」

 目を伏せ言葉を濁すノエルに、令示がたずねる。

「懇談会って言うのは建前。本音は年頃の男女を集めたお見合いよ」

「今から婚活ですか? 二十歳どころか小学校卒業すらしてないってのに?」

 盛んに目をしばたたかせ、令示は怪訝な顔で問いを返す。

「血の繋がりで結束を作る。遥か古代より行われてきた方法です」

「戦国時代かよ…」

 ノエルの補足説明に呆れたように呟く令示。

「今でも珍しくないのよ? むしろ財閥系の家系は後継者問題とかに余計なトラブル抱えたくないから、推奨しているくらいだし」

「俺には分からない世界ですね…」

  言いながら令示は用意されたティーカップを口元に運び、紅茶でのどを湿らせる。

「話を続けるわね? 私は公式的に恭也がフィアンセである事を喧伝したし、当日も彼にエスコートを頼むつもりだから、大っぴらに

声をかけて来るような人間はいないと思うんだけど…」

「忍お嬢様へ向いていた矛先が、すずかお嬢様に向かう公算が高いのです。今や月村家は名家というだけでなく、それ以上の『実』が

存在しますから」

「『実』、ですか?」

 ノエルの言わんとするところがイマイチわからず、令示は首を傾げた。

「はい。旦那様と奥様の経営する月村重工は、今やロボット産業では世界トップクラスの企業です。シェアでこそ欧米や日本の旧財閥

系企業には及びませんが、その技術力では他の追従を許していません」

「その両親に何かあったら、月村重工は私とすずかが相続する事になる。月村重工が所有する資金、土地、有価証券、知的財産諸々ね。

 良くも悪くも、今の日本は男系社会だから、私達と結婚した後に手八丁口八丁で丸め込んで、なし崩し的に月村を乗っ取ろうとでも

考えているんでしょうね」

 こめかみに手を当て、うんざりとした様子で忍が溜息を吐いた。

「無理もないかと思います。月村重工が現在抱える技術特許は、それ一つで数十億円の価値がありますから…」

(ロボット産業のトップで、その技術特許。って事は…)

 忍とノエルの話を聞きながら、令示は顎に手を当て天井を見上げ思案する。結論は一つしかない。

「ひょっとして、ロボット技術ってノエルさんの技術を応用したんですか?」

「「っ!?」」

 何気なく発した令示の言葉に、忍とノエルは目を見開き、驚きに満ちた表情で彼を見つめた。

「えっ…、あの、何か…?」

 二人の突然の豹変に令示は戸惑いつつも、問いかける。

「…令示君、あなた何でノエルの体の事知ってるの?」

(あっ──)

 静かに問いかける忍の言葉に、令示はようやく己の失言に気が付く。自分がノエルの体の秘密については聞かされていなかった事に。

「私もノエルも、あなたにその事は話していなかった筈だけど…すずかかファリンから聞いたの?」

「あ~、その、えーと……あっ! アレですよ、アレ」

 若干の疑いを込めた忍の視線を受けながらも、令示は必死に頭を働かせて言い繕う言葉を探しだした。

「アレって…?」

「ほら、以前お茶会の時にマタドールに変身して、ノエルさんを抱き上げたじゃないですか」

「ああ、あの時の。でもそれで何がわかったの?」

「ノエルさんの体から漏れていた駆動音っていうんですか? 人間の体から漏れる音とは少し違うものが聞こえたり、抱き上げた時の

五体の重さというか、全身の比重の違和感というか、その辺で…」

「あの数秒で!?」

「なんと…」

 令示の言に驚き目を剥く忍と、口元に手を当て呆然とするノエル。

 嘘はついていない。マタドールの五感は確かにあの時にノエルの体から生じる違和を捉えていたのだから。

 それ以前に知っていたか否かは、また別の問題である。

「ん、まあそれじゃ仕方がないわね。あの時先に仕掛けたのは私な訳だし、不可抗力か…ただ、この事は内緒でお願いね?」

 頭を軽く掻きながら、ばつが悪そうに忍が箝口を願い出る。

「わかってます。人に言いふらすような話じゃないですしね」

「ありがとうございます令示様」

 令示の答えに、ノエルは深々と頭を垂れた。

「それで話を戻すけど、ノエルの技術を応用したかと言われれば、イエスよ。無論、一般に流しても問題無いレベルの物だけだけど。

それでも他の企業と比べれば、かなりのレベルのものになるのだけれどね」

 忍は話を仕切り直しつつ、捕捉を加える。

「まあ、そうでしょうね…」

 チラリとノエルを見ながら相槌を打つ。

 最先端技術を誇る大企業や大学、研究機関が、ロボットがスムースな二足歩行や移動を出来るか否かで大騒ぎをしているというのに、

こちらは自立思考、自立行動はもちろん、戦闘すら可能なアンドロイドである。後塵を拝するどころではない、性質の悪い冗談のような存在だ。

「…つまり纏めると、パーティー会場で粉をかけて来る馬鹿どもから、すずかを守る為の盾になるって事ですね?」

 少し考えて出した令示の結論に、忍は頷きを返した。

「ええ。すずかはまだ子供だし、あの通り大人しい性格でしょ? 欲で目の色変えて迫って来る連中や、腹黒い奴らを相手に口先でや

り過ごすには少し荷が重いのよ」

「いや、流石に子供から財産関連で言質を取っても無効だと思いますけど…? つか、子供の口約束を盾にそんなこと言い出したら、

相手の正気を疑いますよ」

 いくら欲に狂った馬鹿どもでもその位はわかる筈である。正式な契約書も無く、ましてや子供の口頭での約定では、法的根拠の欠片もない。

「連中もいきなりそこまで踏み込んでは来ないわよ。まず、考えられるのはすずかに有無を言わせない状況に持ち込んで、自分の家に

招くとか、一緒に遊びに行くとか、その辺りから口頭で約束して徐々に縛り上げていくと…おそらくはそんなところでしょうね」

「うわぁ…子供相手に搦め手で籠絡とか…引くわぁ」

 忍の説明に令示は思いっ切り顔を顰め、そこまでやるか? と、気持ち悪そうに心中を吐露した。

「うん。そういう連中の相手をしなくちゃいけないから、正直あんまり気分がよくない役目なんだけど…どうかしら?」

 色の良い返事を聞けるか不安なのだろう、忍は俯いた顔から上目づかいに令示を窺ってくる。

「まあ、友達のピンチですから助ける事位別にいいんですけど…」

「っ! それじゃ」

 忍が顔を上げ機体に満ちた視線を令示へと送る。

「ただ俺、パーティー用の服なんか持ってませんよ?」

「大丈夫! こっちが無茶なお願いしているんだもの。服一式は私の方で用意させてもらうわ! ノエル、令示君の服のサイズ調べて!」

「畏まりました忍お嬢様。それでは令示様、早速で申し訳ありませんが寸法を測らせていただきたいので、こちらへおいで下さい」

「あ、はい…」

 己の了解を得て、慌ただしく動き出した二人に気圧され言われるがまま従う令示。

(しかし、そうなると忍さんやすずかが恥をかかないように、色々と予習しておかないとな…)

 ノエルに手を引かれながら、令示は己がなすべき事を指折り数えるのであった。








 ──そして、数日後の日没後、海鳴市郊の海岸線付近に広がる巨大な森。

 夜の闇と合わさり、昼以上に鬱蒼とした針葉樹の森と外界との境界は、人の身の丈をはるかに超える長大な壁に囲まれ、入口に出来

るのは、正面の大門と目立たぬ裏門の二つのみ。

 その片方──正門から一直線に伸びる二車線の公道程の幅の石畳の道を、黒塗りのリムジンが走る。

 代わり映えのしない木々ばかりの風景が数分ほど続いた後、突如景色が開けて切り開かれた空間が現れる。

 広大な森の中心に在ったのは、森にも負けぬ威容を誇る白亜の洋館。

 まるで赤坂離宮を彷彿とさせるネオバロック様式の半円状の豪邸は、見る者を圧倒する大迫力を内包していた。

 森を抜けたリムジンが、洋館の入り口前へと車体を横付けしてその動きを止める。

 途端、扉前に控えていた数人の黒服の男たちが車体に駆け寄り、そのドアを開いて恭しく頭を下げた。

「お待ちしておりました月村様」

「ありがとう」

 礼とともに、ドアの内より現れたのは黒のタキシード姿の恭也と、彼に手を引かれた紫色のドレスを身に纏った忍であった。

「ありがとうございます…」

 一拍置いて、中部座席のドアが開き、今度は白いドレス姿のすずかと、仕立てたばかりのスーツが着慣れない様子の令示が

姿を現した。

「月村忍様とお連れの方々ですね? お待ちしておりました」

『お待ちしておりました!』

 数人の黒服が四人の前へと立ち並び、頭を下げて歓迎の意を口にした。

「西埼会長や私達以外のゲストの方は、もういらしてるのかしら?」

 黒服たちの言葉に鷹揚に頷き、笑顔で答えながらも忍の目は冷たく、油断や気の緩みなど一切ない。

 未だ若輩に有りながら、忍には既に一流の企業家としての風格と才気を身に纏っていた。

「さっ、それじゃ中に入りましょうか。二人ともいい?」

 忍がそっと恭也の腕に手を絡ませながら、子供二人へと問いかける。

「うん、大丈夫だよお姉ちゃん」

「はあ、まあ、なんとか…」

 姉の声に肯定の意を返したすずかに対し、令示の方は体の調子を確かめるかのように全身を捻りつつ、何とも煮え切らない答えを発した。

「どうした令示君、具合でも悪いのか?」

 令示の言動に首を捻りながら、恭也が問いかける。

「いや、こういうよそ行きの礼服って着慣れていないので、何か違和感が強くて…」

「そんな事ないよっ、令示君。よく似合ってるよ!?」

 きまり悪そうに苦笑を浮かべた令示へ、横合いからすずかか勢いよく反論を唱えてきた。

「そ、そうか?」

「うん! 大丈夫だよ、よく似合っているから!」

「ああ、うん、ありがとな…」

 両の拳にぐっと力を込めて握り締め、思い切り頷きを返す気圧され、令示は呆けた声で礼を述べた。

「あー…、でもあれだ、その、すずかのドレスの方がずっと似合っているし、可愛──綺麗だと思うぞ?」

 お返しにと、不器用ながらもすずかのドレス姿を褒める。

「可愛い」ではなく「綺麗」と述べたのは、一応令示なりに女性への気遣いのつもりだ。

「あ…、うん、その、ありがとう…」

 それを耳にした途端、先程までの元気はどこへやら。すずかは借りてきた猫のように萎縮して俯き、上目づかいに令示へと目をやり

ながら、ポソポソと謝辞を口にした。

「…………」

「…………」

 令示とすずか。向き合いながらも、顔と視線を互いに左右逆の横方向へと逸らしてしまう。

 実を言うと、今日この屋敷へ来る際、月村邸で顔を合わせた時からずっとこんな調子であった。

 二人とも互いに、今回の財界関係者を騙す為の『婚約者』という言葉を妙に意識してしまい、普通に言葉を交わす事もままならない

状況なのである。

 令示自身、これでパーティの参加者を騙しきれるのかと不安に思い、忍にその旨を相談したのだが、彼女は二人の様子を見て「初々

しくて良いじゃない」と、毒にも薬にもならない感想を述べるだけでまるで当てにならなかった。

 これが、互いに只の友人に過ぎなかったのであれば、もっと簡単に演技を行えた事であろう。

 だが、生憎と二人は単なる友人と呼び合うには、余りにも相手の精神的領域へ踏み込み過ぎていた。

 すずかから見れば、令示は己と親友の救い、なのはとともにこの海鳴のピンチまで押し留めた一種ヒーローのような存在であり、強

大な悪魔の力をその身に宿してなお、腐らず曲がらずそのままの自分で在り、吸血鬼というすずかのコンプレックスとも言える出自

を知っても、物怖じする事なく平然と付き合ってくれる貴重な存在である。

 それに対し、令示から見たすずかも、悪魔の力を持つ自分を恐れる事も隔意もなく、好意を持って接してくれる彼女は稀有な存在で

あり、大切な人であると断言できた。

 無論、なのはやアリサ、ユーノやフェイト達もそういったいみでは大切な人達であるが、先天的、後天的の差はあれど、常人と異な

るという点で、彼女には一種のシンパシーを抱いており、かつ、時折己に向けられる純粋な好意にドギマギとしてしまう事も相まって、

令示は恋愛感情ではないものの、友人という範疇にもカテゴライズし難い、何とも複雑で難しい想いを持っているのであった。

 そんな悩みを抱えつつ、しきりに視線を泳がせながらすずかとの距離感を測ろうとしていた矢先──

 令示は目を細め、からかう様な笑みを浮かべた忍と目が合った。

「…何見てるんですか?」

「いやー、なんかいいふんいきだなあっておもってー」

 ジト目で問いかける令示に、忍はすっとぼけた様子で答えを返す。無論、その口元に笑みを絶やさぬままに。

「おっさん臭いですよ忍さん」

「親父臭いぞ、忍」

「お姉ちゃんおじさん臭いよ」

「三人とも酷い! ていうか同意見!?」

 三人から呆れ混じりの冷たい視線を向けられ、忍はがっくりと肩を落とした。

(はあ、全く見た目に反して子供っぽいところあるよな、この人。でもまあ──)

 チラリと脇へと視線を向けると、しょうがないなあ、といった感じで苦笑を浮かべるすずかの姿が目に映る。

(お互いに変な緊張はなくなったし、良しとするか)

 令示はそう考え、一つ深呼吸をするとすずかへ向けてそっと手を伸ばした。

「お手を許していただけますか? 麗しいお嬢さん」

「……ふふっ」

 令示の言葉に、数瞬キョトンとした後に、すずかは口元に手を当てクスクスと笑いを漏らす。

「おいおい、そんなに笑うなよ。キザッたらしいのは覚悟でやったってのに…」

「ご、ごめんなさい…でも、ふふ、おかしくて…」

 ぼやく令示であったが、すずかの緊張緩和とウケ狙い目的であった為、その声色に憤りはなく、逆にその顔には「大成功」と言いた

げな笑みの形を浮かべていた。

「ま、緊張はほぐれたようだし、これはこれで良しとするか。じゃ、行こうかすずか」

「うん。よろしくね、令示君」

 再び差し出された手を取って、すずかは大きく頷くと令示と二人並んで忍たちの後に続き館へと向かって歩き出した。








「はぁ…これまた、庶民には縁のない世界だな」

 黒服に案内され、辿り着いたパーティ会場へと足を踏み込んだ令示は、周囲を見回して圧倒されたように溜息を漏らした。

 学校の体育館の二、三倍はあろうかという広大な空間は隙間無く赤絨毯が敷き詰められ、壁沿いには等間隔に絵画や彫刻、ガラスケ

ースには陶磁器などの美術品が設置されていた。

 いずれも素人の令示の目から見ても解るほど精巧であり、中には教科書で見かけるような名の知れたアーティストの作品までも存在していた。

 館の主の趣味だろうか、理解に苦しむ現代美術の抽象画のような物ではなく、写実主義の物ばかりであったのがありがたかった。

無いとは思うが、万が一美術品の感想を求められた時に答えに窮する事がなくて済む。

 入口の左右の壁沿いでは、何十人ものシェフや板前が忙しく動き回り、洋の東西を問わない様々な料理を拵え、賓客達に提供している。

 それを受け取る客達も、よく見てみれば既製品ではない上質な布地を使い、体に合わせて拵えた一品物のスーツを着込んでる。会場

のレベルに比例した、ハイソな連中である事が見て取れた。が──

(なーんか、余裕が無くないか?)

 会場内の他の客層を眺める令示は、その表情に違和感を覚えた。

 ギョロギョロと、大きく目を見開いて周囲を注意深く窺う者や、苛立ちながら携帯や時計を何度も確認する者、土色の顔で脂汗を浮

かべる者など、優雅な場所だというのに彼らから生じる雰囲気は場のそれに反し、何か焦燥感を滲ませていた。

 会場と客の妙な齟齬を覚えながらも、令示はどうにかポーカーフェイスを取り繕い、周囲を警戒する。

 形だけのフィアンセとは言え、実質的にはすずかの護衛なのだ。気を引き締めなければならない。

「おお忍君、よく来てくれたねえ!」

 令示が気持ちを改めたその時、背後よりよく通る弾んだ様子の声がかかった。

 それに反応した四人が振り返ってみれば、紋付袴姿の白髪白髥の老人が左右に黒服の侍従を連れて立っていた。

「お久しぶりです西埼さいき会長。本日はお招きいただき、ありがとうございます」

「なに、今や精密機械分野では飛ぶ鳥を落とす勢いの月村重工の御令嬢を招待できたのだ、それだけでも十分な成果というもの。礼を

言うのはこちらの方だよ」

 深々と頭を垂れる忍へ、西埼と呼ばれた老人はそう言って愉快そうに笑い声を上げた。

(この爺様が主催者で屋敷の主──西埼グループの会長、西埼康二郎か…)

 その様子を眺めながら、令示は心中で呟きを漏らした。

 当初、忍がその名を口にした時は全く聞き覚えのない企業名だと思ったが、よくよく話を聞いてみれば前世で白いライオンのマスコ

ットで有名な球団を抱えてた大元の会社の代替(?)存在である事がわかった。

 そして眼前のこの老人は戦後の混乱期に一代で西埼グループを築き上げた傑物だという。

 その剛腕辣腕ぶりからついた渾名が「怪物」。

 忍と談笑するその姿は、一見すると品の良い好々爺といったところだが、常在戦場を往く悪魔達をその身に宿す令示には、優しそう

に見える老人の双眸の奥に、油断無く相手を窺い、スキあらば喰い殺さんとするような、危険な光がある事を見抜いていた。

(なるほどね…「怪物」なんて言われるだけはある。相当な食わせ者だな、この爺さん)

 令示が心中でこっそりと西埼の人物評を行っていると、ふいに当の本人がこちらへと目を向けた。──いや、正確に言うならば、隣

に居るすずかに、だ。

「君が忍君の妹さんかね? 私が西埼康二郎だ。よろしく」

 西埼はすずかの前へと歩み寄ると、彼女の目線に合わせて腰を落し、名乗り出た。

「あの…月村すずかです…本日はお招きいただき、ありがとうございます」

 堂々とした言動に気圧されたのか、すずかはおずおずとした様子で挨拶を返す。

「うむ。今夜はゆっくりと楽しんでいってくれたまえ」

 そんな彼女の返答に目を細めて笑みを浮かべる西埼。

「さて、それでは他にも挨拶回りがあるのでね。一旦この辺りで失礼させてもらうよ。忍君、すずか君、また後ほどゆっくりと語り合おう」

「はい、会長」

 そう言葉を交わしながら立ち上がると、西埼は侍従を引き連れ歩き出した。

 そして令示の前を横切るその刹那、彼はチラリとこちらへと視線を向けた。

「…………」

 令示を見るその目は、路傍の石を見下ろすが如く無機質無感情なものであった。

(なんだありゃ…)

 月村姉妹に向ける感情と比べてあからさま過ぎる隔意を受け、令示は怒るよりも呆れ半分になり、心中でぼやきを漏らした。

「あっ! 会長に二人の事を紹介するのを忘れてた!」

 立ち去って行く西埼の背中を見つめていたその時、ハッと我に返った様子で忍が声を上げた。

「ごめんなさい恭也、令示君」

「ああ、気にする事はないさ忍。あの強烈な存在感を前にしたら、それも仕方がないというものだ」

「ですね。凄い迫力でしたし」

 男性陣のアピールを失念していた事を気にやみ、申し訳なさそうに頭を下げる忍へ二人は微笑みかける。

「…あの人、怖い」

 先程、己へと向けられた視線から何かを感じ取ったのであろうか、西埼が去って行った方向を見つめながら、すずかは胸中の想いを吐露した。

(なんにせよ、あの爺さんも要注意人物だな)

 西埼からただならぬものを感じたのはすずかと同様であった為、あの老人に対する警戒のレベルを上げておく事にする令示。 

「あ、あのぅ、月村さんですよね?」

「え?」

「あ、はい」

 と、その時、後方より声をかけられ、月村姉妹が返事をしながら振り向く。

 令示と恭也もその動きにつられ背後へと目をやると、十を超える男達が、四人へと近付いて来た。

「はじめまして! 僕は東京プラチナバンク相談役、渡井の孫の──」

「私は暁エレクトロニクス社長の大田原の息子で──」

「私は──」「私は──」「私は──」

 忍が西埼と話している際は、遠巻きにしてこちらを窺っていたのであろう。男達はあの老人が他所へ行ったと見るや、一気に接近し

て来て忍とすずかへ猛アピールを始めたのだ。

(どいつもこいつも眼をギラギラさせていやがるな…)

 まるで目の前に人参をぶら下げられた腹ぺこロバのようだ。月村の御令嬢と懇意になりたいという魂胆が透けて見える。

(っと、感心している場合じゃないな)

 突然、大勢の男達に囲まれて動揺しているすずかを、それらから遮るようにして令示は彼女の前に立った。

 ふと、横へと目をやれば恭也も令示と同様に忍を庇い、男達の前に立ちはだかっていた。

「────」

「────」

 そこで令示と恭也は視線が合い、どちらともなく笑みを浮かべる。どうやら、互いに考える事は同じだったようだ。

「おい、何だ君らは!? 今月村のお嬢さん達と歓談をしているんだ、邪魔をしないでくれたまえ!」

 突如として自分達の前に立ちはだかった令示と恭也に対し、目障りと感じたのであろう男達の一人が、苛立ちを隠そうともせずに二

人へと食ってかかってきた。

「ああ申し訳ない、自己紹介が遅れてしまいまして。『すずかのフィアンセ』の御剣令示と申します。

 今回のパーティでは『義姉』から彼女の『エスコート』を頼まれまして、こうして参加させていただいた次第です」

 わざと言葉の一部を強調して喋り、厭味ったらしく聞こえるようにする。

「フィアンセだって…!?」

「馬鹿な!? 聞いてないぞ、そんな話は!!」

 令示の台詞にざわめき立つ男達。

 それも当然の事である。すずかに婚約者が居るなどという話は、本日この場で公開されたものなのだから。事前情報を持っていなか

った彼らが驚くのも無理もない事であった。

「まあ、そういう事ですので、過度の接近はご遠慮願います」

「な、何だと!?」

「ではこの辺で失礼します。さ、すずかに忍『義姉さん』、も恭也『義兄さん』も行きましょう」

 令示は動揺する男達との会話を一方的に打ち切るとすずかの手を取り、己と同じように男達をあしらっていた恭也達に声をかけて連

れ立ち、悠然とその場を立ち去った。

「…あんな感じでよかったですかね、忍義姉さん?」

 背に突き刺さる、男達の恨めしげな視線を感じながら、令示は小声で忍にそう尋ねた。

「ええ、上出来よ。これですずかや私に表立ってちょっかいをかけようとする連中も減るでしょうね」

 令示の問いに、忍は悪戯が成功した悪ガキのように子供っぽい笑みを浮かべて、サムズアップをした。

「それは──」

 それはよかったと、相槌を打とうとした令示は、背後から生じた不穏な気配に言葉を切り、後方へ目を向けた。

 令示の目に映るは、先程すずかに声をかけて来た男達。

 どいつもこいつも脂汗を浮かべ、顔から血の気が引いてい青白い表情をしている。

 最初ここに来た時に見た賓客達の表情も、よくないものであったが、彼らのものはそれに輪をかけて酷くなっていた。まるで壁際に

追い詰められたネズミのようだ。

(…妙だな)

 思惑が外れたのは、確かに不愉快であろう。だがそれにしてもこの世の終わりとでも言いたげな表情をしているのはどうにも腑に落

ちなかった。こういう場合、まずは「油揚げすずか」をかっさらった「トンビ自分」への憎悪が先に出る物ではないか、と。

「? どうしたの? 令示君」

 やはり大勢の年上の男達に囲まれるのは、この気弱な少女には相当堪えたようだ。こちらを窺うその表情は不安げで、強張っていた。

「ああ、いや、何でもないよ」

 男達の様子が気にはなったが、己の右手をぎゅっと握りしめて、上目づかいにこちらを見ながら尋ねるすずかに、令示は笑みを浮か

べてその問いに答えた。

「ほら、せっかくの華やかな席なんだから、しっかり楽しもう。大丈夫、さっきみたいな馬鹿共が来ても、俺がまた追っ払うからさ」

「う、うん…」

 令示がおどけた調子で拳を突き出して見せると、安心したようで、右手を握るすずかの力が緩まった。

「あの、令示君」

「うん?」

「助けてくれて、ありがとう…」

「お、おう…」

 はにかみつつも、笑みを浮かべて礼を述べるすずかに対して令示は面映ゆくなり、明後日の方向を向きながら短く答えた。

 そしてその様子をニヤニヤと笑う忍に見られていた事に気が付いた頃には、令示の中から先程の男達への違和感はすっかり消え去っていた。








 振る舞われる食事に口を付け、四人で談笑する事小一時間。

「……すいません、ちょっとトイレに」

 ふと尿意をもよおした令示は中座して邸宅のトイレへと向かう。

 広間を出る際に黒服の一人に教えてもらったルートで、長い廊下を歩き、

「─────」

 辿り着いた先にあった扉を開いた令示は、声を失った。

 目に映ったのは、広い間取りと明るい内装で悪臭も不浄な気配も一切存在しない、まるで銀座の高級百貨店の中にあるようなトイレであった。

「まあ、建物があれだけ豪奢でトイレがしょぼかったら、それはそれで驚きだったけどさ…」

 丹念に磨き上げられた白い床石──おそらくは大理石だろう──をカツカツと鳴らし、室内へ踏み込み部屋の半ばまで進んだその時、

令示の背後でガチャリと、ドアを開く音が響いた。

 何気なく後ろを振り返った令示の目に映ったのは、こちらを睨みつける二人の男。

 よくよく見てみれば、二人とも先程すずかに絡んでいた男達の中に居た人物であった。

「…何か御用ですか?」

 感情を表に出さず、冷めた顔で令示が二人に尋ねる。

 目があった時から、彼らが用を足しに来たのではなく、自分が目的であろうという事は察していた。

 そして、その視線に混じる、己へと叩きつけられる敵意が故に、決して穏やかな内容ではないという事も。

「…単刀直入に言う。月村すずかとの婚約を解消しろ」

「──は?」

 ここでの揉め事は不味かろうと、感情を殺してなるべく穏便に話すつもりであった令示だが、そのあまりにも斜め上な要求に、思わ

ず初心のスタンスを忘れて目を丸くし、呆けた声を上げてしまった。

(こいつらは何を言っているんだ?)

 正直なところ、すずかのフィアンセという立場の自分への嫌味や罵声、遠回しな脅迫位はあるだろうと踏んではいたのだが、よもや

ここまでストレートな要求をしてくるとは考えておらず、まさに青天の霹靂であった。

「おい! 黙ってないで何とか言えよ!!」

 と、二人組の片割れが発した苛立ち混じりの言葉で、現実に戻された令示は溜息をつくと、小馬鹿にした眼差しを目前の男達へと向けた。

「あんたらアホですか? 他人にそんな事言われて「はい、そうします」って言うとでも思います?」

「…つまり、NOって事だな?」

「もういい、やっちまおうぜ!」

 令示の返答に、二人は怒気を露わとして、スーツの懐に手を入れると、黒い棒状の物体を取り出し、勢い良く振り下ろす。

 シャコンッ! という音ともに二人の手中の棒は、元の三倍もの長さに伸びた。ガードマンなどが所持している特殊警棒だ。

「正気かよ…こんなところで騒ぎ起こしてタダで済むと思ってるのか?」

 呆れたと言わんばかりに、令示は二人へ冷めた視線を向ける。

「ふんっ、そんなものどうにでもなる! それよりも今お前を始末する方がずっと重要だ!」

 言うが早いか、二人の内の距離が近い片方が特殊警棒を振り上げ、令示へ襲いかかって来た。

 二人組は一見、十代後半から二〇代前半といったところだろうか。小学生である令示と比べるまでもなく、体力体格は向こうの方が上である。

 まともな争いであれば、令示に勝ち目などない。──そう、まとも・・・な争いであれば、だ。

「死ねッ!」

 言葉とともに大上段に振り下ろされた一撃を体を斜にして躱すと、令示は眼前へ無防備に晒された相手の左膝へ、遠慮無しに前蹴りを放った。

「ギッ!?」

 靴底越しに、筋繊維の断裂と骨が砕ける感覚が令示に伝わってくる。

 その感触の気持ち悪さに、内心で顔を顰めながらも令示は攻撃の手を緩める事なく、放った蹴り足を戻すと同時に床を踏み締め、片

膝を潰されバランスを崩して前のめりに倒れてくる男の顎へと、腰の入ったアッパーを叩き込んだ。

「──っ!?」

 無防備に伸び切った首と、地へと倒れる男自身の体重も手伝って令示の拳の威力は倍加し、その衝撃は脳天を貫き、相手は悲鳴を上

げる事も出来ずに白目を剥いて床へ伏した。

「小沢っ!? ク、クソガキがぁぁっ!!」

 仲間を倒されて激昂した残る一人が、右手に握った警棒を滅茶苦茶に振り回し、令示へと迫る。

 令示は慌てずにその攻撃を見切り、少しずつ後方へ下がる事で警棒が当たらないギリギリの位置を取って、相手に空振りをさせ続ける。

「くそっ! このっ! なんで、なんで当たらねえんだよ!?」

 男は一向に命中しない事に苛立ちを露わにし、怒りに任せるまま大振りに得物を振るう。

 そして、男が横薙ぎに特殊警棒を一閃し、右手が大きく伸び切ったその瞬間、令示は動いた。

 ほぼ水平に伸びた男の右腕へ、鉄棒にぶら下がる要領で飛びつき、体重をかける。

「う、うぉぉっ!?」

 体勢も考えずに警棒を振るっていた男は、突然の加重に耐えられる筈もなく、大きくバランスが崩れる。

 男の両膝が折れ、令示の両足が床についた刹那、令示は更なる一手を打つ。

 掴んだままだった男の右腕を捻りながら、巻き込むように相手の背後へ回り込む。

「ぐあっ!?」

 捻り上げられた腕に走る激痛に、男は短い悲鳴を漏らし、掌中の警棒を取り落とす。

 令示は更に男の膝裏に前蹴りを叩き込んで、その場に跪かせた。

 頭の高さが自身と同じ位になったところで、令示は素早く男の首へと己が両腕を蛇のように絡みつかせ、頸動脈をギリギリと締め上げる。

「ぐっ!? ごぉぁっ!?」

 男は令示の腕を振り解こうと必死の形相で暴れる。

 しかし、万力の如く締め上げてくるその腕を解く事は出来ず、むしろ無理に動こうとした事で、ますますタイムリミットを縮める結

果となり、男は令示の予想よりも早く意識を失い、倒れ伏した。

「……ふう。見様見真似だけど、どうにかなるもんだなぁ、CQC」

 二人が完全に落ちた事を確認しながら、令示は呟きを漏らした。

 彼がやったのは、前世の記憶になる某潜入隠密ゲームの主人公がやっていた近接格闘術の真似事である。

 無論、当人の言葉通りに見様見真似である為、かの伝説の傭兵のような洗練されたものではない。

 逆上した馬鹿二人の未熟な体運びと、自身の桁外れなポテンシャル・・・・・・・・・・に頼った力技である。

「一体どうなってんだかなぁ…」

 体内のジュエルシードを全力解放して以来、どうにもおかしい。

 不調という意味ではなく、むしろ逆──体調が良過ぎるのだ。

 特に五感と運動能力の向上は著しい。やる気など更々無いが、陸上の世界記録の更新も容易ではないかと思える程だ。

 先日のネビロスの一件で、自身の感情に振り回されそうになった時といい自分の心身に何らかの変調が起きているのでは? と考え、

その辺りをナインスターに問うてはみたが、その答えは「解答不能」であった。

 ただ、ジュエルシードの力の流れ、悪魔の力の行使が以前に比べて遥かに速く、より洗練されたものになっている為、これまで無駄

に使われ消費していたエネルギーに余剰分が生まれ、それが体に回って肉体の基本性能を底上げしたのではないか? という推論が述べられた。

「このところ色々振り回されているような気がするな…」

 先の事件の事も含め、己の見えないところで大きな変化が起きているように感じられる。注意しておかねば、手痛いしっぺ返しを喰

らう事になるやもしれない。令示はそう考えて気を引き締めた。

「──っと、それはそうとして、こいつらをどうにかしないとなあ」

 言いながら令示は思案を打ち切り、便所の床に転がる男二人に目をやる。

「とどめを指すのは論外。かと言って放っておくのも色々不味いだろうし…」

 何しろ子供相手に凶器を持って襲って来るような奴らだ。意識を取り戻した時にどんな狂言凶行に及ぶものか、わかったものではない。

「ん~~、…このプランが妥当かなぁ」

 暫しの逡巡の後、考えが纏まったのか令示はおもむろにそう呟き、倒れたままの二人の襟首を掴むと、個室トイレ向かってズルズル

と引き摺っていった。








「トイレの個室から、妙な声や物音が聞こえる」

 ゲストの少年からそう訴えられ、パーティーの警備を担当していた黒服の一人は、数人の同僚を伴って急ぎトイレへとやって来た。

 急性アルコール中毒や、可能性は低いが食中毒のおそれ、はたまた足を滑らせ頭を打ったというアクシデントも考えられた為、ホス

ト側として、放置するという選択はなかった。

 ゲスト用のトイレへと到着した一行は、使用中の個室ドアを叩き声をかける。

「お客様、お体の具合はどうでしょうか? 何かございましたか?」

「…………」

 黒服の呼びかけに対して返事はなく、中で動いているような気配もない。何度か同じように声をかけるが、変化無し。

「…失礼します!」

 いよいよおかしいと考えた黒服は、一声発した後にドアに幾度か体当たりを喰らわせ、鍵を無理矢理こじ開けた。

「お客様!」の声とともに、蝶番の壊れたドアを開け放って──

「ぬなっ!?」

 ──言葉を失った。

 個室に立ち入った彼らの目に映ったのは、周囲に服を脱ぎ散らかした男二人が、抱き合いながら気を失っているという光景だったのだ。

「……御前に連絡を」

 衝撃的な光景に暫し我を失っていたものの、何とか正気を取り戻した黒服は、来客の起こしたとんでもない珍事に、自分の判断レベ

ルを超えていると考え、主人にこの事態の判断を願い出る事にした。








「だから知らないって言ってるだろう!?」

「しかし、ここから妙な声や音がしたと報告が…」

 男子トイレは案の定、混乱と騒動のるつぼと化していた。

 黒服に起こされたのであろう、二人の男はパンツ一丁のまま何やら喚き散らして押し問答をしていた。

(想像以上の馬鹿どもだな、あいつら…)

 令示も、まさかここまで上手く行くとは思っていなかった。

 あの二人を半裸にしてトイレの個室に閉じ込め、それを第三者に発見させる事で、わざと騒ぎを起こす。

 当然、二人を見つけた人間は、彼らが「何を」していたのかと考え、疑惑を抱き、そこで問答が起きる。

 令示が自分達に暴力を振るった等という狂言を言い出す暇も与えぬ為の方策であった。

 普通の人間であれば、十にも満たない子供にのされた等とは、恥ずかしくて口にする事も出来ないだろうが、その子供相手に武器を

持って襲って来たような連中だ、下手をすれば忍達にも迷惑がかかるような事案故に、遠慮無用と徹底的にやったのだが、どうやら目

前の様子を見る限り、その決断は間違いではなかったようである。

 と、その時──

「だから俺達は自分でこんな格好になった訳ではなくて──」

「あっ、やべ」

 周囲の人間へ強く訴えながら部屋を見回した、二人の片割れと目が合ったその刹那、

「ϹЋЙІ☨☧ϷϻНỨ☼☫ἛἌХЦЧบบษื้็♛ลลีๆ☛⣧⣧☷♉♇☙㈊ửớỹ㈛♌☕☥♆ЬЩІϵЕ㈍ㇻㆸㆦ⣜⊧⊶☚⣷⊜☥⋇⋈!!」

 激昂に駆られたらしい男は、謎の宇宙生物のような理解不能意味不明な叫びを上げ、令示目がけて襲いかかって来た。
 
「動くなッ!」

「くっ! この、暴れるんじゃない!!」

 だがその手が届く前に、周囲の黒服達が男に飛びかかってその体を押さえ込み、拘束した。

「クソガキがぁぁぁっ!! A@$yゃを4%ふじゃ!!」

 四肢を抑えつけられながらも、男はなおも令示へと襲いかかろうと、奇声を上げて暴れる。




「──耳障りな声だ」




 そんな喧騒の中、カツン、と、床を打つ杖の音ともに抑揚のない声が周囲に響き、場を支配した。

 つい今しがたまでの大騒ぎが、水を打ったように静まり返り、その場の誰もが声を発した人物──トイレの入り口に立った西埼へと

視線を向けた。

「全く、私の主催した集まりでこのような不祥事を起こされるとは…」

 西埼はゆっくりと歩みながら、抑えつけられた男の前へと進み出て、そいつともう一人、己の出現に驚いたまま呆然としている男の

顔を交互に睨む。

「一体何を考えてこのような暴挙に及んだかは知らぬが、不愉快極まりない」

「なっ…!?」

 汚物に視線を向けるが如く傲然と己を見下す西埼の台詞に、抑えつけらていた男は両の眼を見開き、怒気を露わにした。

「ふっ、ふざけるなぁ!! 全部…、全部お前のせいだろうがぁっ!?」

 黒服達に抑えつけながらも、男は狂ったように体を暴れさせ、西埼に向けて怒号を上げる。

「見苦しい上に耳障りだ。宴が終わるまでこやつらは倉庫のでも放り込んでおけ」

 だが、それを受けても西埼の氷のような表情と口調に変わりはなく、ただ淡々と命令を下すだけだった。

 配下の黒服達もまた粛々とその言葉に従い、暴れ続ける男と呆然としたままの男を拘束し、どこかへと連れて行く。

 そして、その一団が視界から消えると同時に、西埼は周囲の野次馬達をゆっくりと見回し、

「さて皆々様、どうにもお見苦しいところを晒してしまいましたが、原因は排除しました故このままごゆるりと、宴をお楽しみくだされ」

 つい今し方のそれとは一転し穏やかな口調と声色で、衆人達へとそう告げた。

 周囲の、その言葉に対する反応は様々だった。連れていかれた男達への同情や憐憫、西埼に対する恐れや怯え等々。

(ん? これは…)

 感情や思念、精神力の昂りによって増減するマグネタイトやマガツヒを糧とする悪魔の力を宿すからこそわかる、周囲の人間達から

発せられる「思い」の流れ。そこに令示は一つの違和感を覚えた。

 それは、その場に残った人間達が放つ感情──憎悪。

(政財界の対人関係が友好だけで成り立つなんて毛程も思っちゃいないが、いくらなんでもこりゃおかしいだろ…)

 一人二人に恨まれる程度であれば理解は出来る。しかし一人の例外もなく、ざっと見ても二〇人は居るであろう令示以外の来客者、

全員がである。

 商売上恨みを買う事はあるだろうが、この場に居る全員がそうなのだろうか? だとしたら、何故そんな相手をわざわざパーティに

招くのか? 更には来客者も何故、そんな憎い相手の宴に参加するのか?

(それと、さっきのあいつの言葉、『全部お前のせいだろうが』ってのは、どういう意味だ?)

 連れて行かれた男の片割れが、怒りとともに発した言葉を思い出しながら令示は考える。あのイカれた行動の原因の一端が、西埼に

あるというのだろうか?

(わからねえなあ…けど、何かヤバイ予感がする)

 先程の会場での、来客者達の放っていた異様な雰囲気の件もあり、今や令示はこのパーティー自体に対して強い警戒心を抱いていた。

(とりあえずは忍さん達と話すか)

 令示はトイレ前から散り始めた来客者たちに混ざって足早に会場へと戻って行った。








「うん、確かにそれは妙ね…」

 会場に戻った令示が三人を集め、部屋の隅で己の体験を語り終えると、細い顎に手を添え思案していた忍が、顔を上げて同意の言葉

を口にした。

「そうね…私の方でちょっと調べてみるわ。少し気になっている事もあるし」

「気になっている事? こっちの方でも何かあったんですか?」

 自分がトイレに行っている間に何かトラブルでも起きたのかと思い、令示が尋ねるが忍は首を横に振って、それを否定した。

「いや、そうじゃなくて、さっきすずかに群がって来た人達が居たでしょ? その時に少しね。 私の思い違いかもしれないから、詳

しい話は裏を取った後でね。──って訳で恭也、少し付き合ってくれない?」

「わかった」

 そこで話を打ち切った忍は恭也を伴い、どこかへ向かおうと動き出す。

「二人とも、単独では動かないでね、後はなるべく人目の多いところに居る事。…まあ、令示君がいれば万が一もあり得ないと思うけ

ど、念の為ね」

 最後に、「すぐ戻るから」と二人に告げると、忍は恭也とともに会場から出て行った。

 忍達が居ない間、何人かの男がすずかに接触しようとしてきたが、令示が盾となって全て追い払った。

 普通の相手であれば常識的に応対するのだが、来る連中はトイレでの二人組と同じような危ない雰囲気を纏う者ばかりで、明らかに

まともではなかった。

 中には令示を押しのけ、無理やりすずかに話しかけようとした者まで出た為、悪魔の威圧感──手加減はした──を発して追い返した。

 社交界でとるような態度ではないだろうが、度を超えた無礼な相手に礼儀を払う気など更々ない。それに手を出した訳でも罵詈雑言

を浴びせた訳でもないのだ。問題はないだろう。

 ──五、六人ほど追っ払ったところで、忍達は戻って来た。

「それで、忍さん達は何を調べていたんですか?」

「このパーティーの参加者名簿と、そこからわかった各企業団体を家に居るノエルに電話して調べてもらったんだけど、ビンゴだったわ」

 そう言いながら忍は、目線の高さに上げたケータイの液晶を三人に見せる。

 ノエルからのメールに添付されていた文章ファイルだろうか、細かい文字や数字がびっしりと書かれている。

 文字数もかなりのものなのであろう。画面端のタクスバーが、芥子粒のように小さくなっている。

「隣に立って話を聞いていた俺でも、どうも何を話をしていたのかよくわからなかったのに、そんな文字を見せられても理解不能だと

思うぞ、忍」

「あ、それもそうか」

 恭也の冷静な指摘にはっとした忍は、少々ばつが悪そうに頬を掻きながら「要訳するとね」という枕詞とともに、調べた出来事の詳

細を語り始めた。

「このパーティに招待されている人間は、私達を除いてみんな西埼会長に首根っこを掴まれて、逆らう事も出来ない連中なのよ」

 言いながら忍は、ケータイを操作して画面のタクスバーを動かし、幾つもの企業の資産状況が箇条書きで羅列されているページを表示した。

「…銀行に圧力をかけての融資の貸し渋りや、関係取引先とのやりとりを潰した後の貸し剥がし。支払いが滞ったり手形の不渡りが出

たところで、会社を買い叩いて傘下に治める…かなり強引な手段ね。ここに居る人達はみんなそういう無理矢理な方法で、西埼グルー

プの下に置かれたのよ」

「なるほど…いい年こいた男どもが必死の形相ですずかに迫ったり、トイレで俺を脅したりしたのも「月村」と懇意になって、西埼に

頭押さえつけられている現状を、どうにかするつもりだったという訳ですか」

 言いながら令示は、遠巻きにこちらを窺っている連中へ汚物に向けるような視線を送る。

「しかし、それならば「月村」がこの場に呼ばれたのは何故だ? 忍の話通りならばこのパーティは西埼グループの、言ってみれば

「身内」の集まりだろう? 外様の忍達が来る事に何の意味がある?」

「そうなのよね…「身内」の醜聞を外に漏らす事になりかねないリスクを考えれば、プラスなんて何一つない。むしろマイナスにしか

ならないわ。善悪はともかく、経営者としては一流の西埼会長がそんな愚を犯すとは思えないんだけど…」

 恭也の口にした疑問に、忍は細い顎に手を当て思案する。

「「身内」と言えばもう一つ気になる事があるの。この会場に西埼会長の血族──家族や親類縁者が誰一人として居ないのよ。グルー

プ企業の中で高い地位についている人達なのにね。これも妙だわ」

 疑問は増えるばかりで肝心の答えは見えず。忍と恭也は渋面のまま唸りを漏らすのみであった。

「あー、何はともあれここから出ませんか? 残っていても碌な事にならないと思うんですよね…」

「うん、私も令示君に賛成。ここの人達も、さっきの会長さんもなんか嫌な感じがするし…」

 令示の提案に、すずかはすぐに賛成の意を表した。

「すずかがここまでハッキリ人に対して嫌悪を示すなんて珍しいわね。まあ、私もあの人は好きじゃないけど…そうね、二人の言う通

りにするのが現状では最良の選択かしら」

「最悪、さっきの騒ぎで気分を害したとか、俺かすずかが体調を悪くしたとか言えば、相手も無理に引きとめられないでしょうし」

「それで行きましょう。恭也もいい?」

「ああ、反対する理由はない」

 全員の意見が一致し行動に移そうとしたその時──




「さて、お集まりの皆々様。楽しんでおられるかな?」




 前方のステージに上った西埼の声が、場内のスピーカーから響き渡った。

「この辺で我々が用意した余興をお見せしよう。会場中央の床を注目していただきたい」

 西埼の言葉に従い、会場の人間の目が指定された場所へと集まると、床の一部がスライドして穴が開く。

「さあご覧あれ。これが私の今一番の宝です」

 穴の底から機械の駆動音──恐らくはエレベーターのものであろう──が響き、賓客達の前に西埼の「宝」が顕現した。

「何だあれは…?」

「金、か?」

 現れた物を目にした客らがざわめき立つ。

 シャンデリアの光に照らされたソレは、直径一メートル、厚さ一〇センチはあろうかという巨大な黄金のインゴットであった。

 しかもただの金塊ではない。その表面には様々な図形や文字の、緻密な紋様が施されている。

 令示達の位置ではその全体像は把握できないものの、只の成金趣味の代物とは一線を画す、手間暇をかけ丁寧に作られた物である事が窺えた。

「さて。これは見ての通り、純金のインゴットですが、無論只のそれではありません」

 衆目が集まったところで、西埼が説明を始めるべく口を開く。その口端を吊り上げ、皮肉気な笑みを浮かべながら。




「コレは、皆様の会社の資産を切り売りした際に生じた金を使って作ったものなのです」




『────』

 その言の刹那、会場内に訪れる静寂。

 その場にいる誰もが発せられた言葉の意味を飲み込めず、唖然とした表情のまま固まっていた。

「まあ二束三文の端金でしたが、ゴミのような経営で無駄に消費されるよりも、遥かに有意義な使い方というものでしょう」

「ふっ、ふざけるな!!」

 喉を鳴らし、さも愉快そうに笑う西埼に対して我に返った客の一人が、目を剥いて怒号を上げた。

「私の会社をこんなガラクタに変えたというのか!? 話が違うじゃないか!! 西埼の傘下に入れば負債を補填して、会社も立場も

守るというから、私は全てを差し出して取引したんだぞ!?」

「そ、そうだ、こんなのは契約違反だ!!」

「訴えるぞ!?」

 最初に抗議の声を発した客の怒りが伝播し、次々と他の客達も再起へと憤りをぶつけ始める。

 だが、当の西埼本人はそんな怒声の中にあっても、未だ余裕の笑みを崩す事なく豚の群れを見下すが如き傲然とした視線を客達へと

向けていた。

「契約違反とは心外だな、諸君らの会社はちゃんと残っているよ…書類上は、ね」

「──は?」

 礼を取り払った西埼の言葉とその態度に、再び訪れる困惑の沈黙。

「所謂ペーパーカンパニーという奴だ。登記上の名義は残っているし、取締役社長として諸君らの名前をそのまま使っている。どこに

も契約違反など存在していないだろう?」

「────」

 嘲りを含む弾んだ声に、客達は言葉を失い呆然とする。




「──フザケルナ」




「──コロシテヤル」




「──ニクイ」




「──モウオワリダ」




「──ナンデコンナメニ」




 憤怒、殺意、怨嗟、絶望、悲観。

 西埼へと向けられる客達の目には、多種多様な負の情念で彩られた妖しい輝きが充ち満ちていく。

「──あれ? 何アレ?」

 と、その時。唖然とした様子で事の次第を見つめていた忍が、客達の頭上を見上げ怪訝そうに呟きを洩らした。

 他の三人がその声に釣られて視線を向けると、客達の上空に無数のピンポン玉サイズの淡緑の光球が、蛍のようにユラユラと宙をた

ゆたっている光景が、目に飛び込んで来た。

「ホントだ。なんだろ、アレ?」

「妙な代物だな、御剣君……御剣君?」

 反応が無い事を不思議に思ったのであろう、恭也が令示の方へと目を向ける。

「まさか、アレは……マグネタイト!?」

 令示は硬い表情で、上空で次々と数を増していく淡緑の光を睨みつけていた。

「御剣君、アレが何なのかわかるのか?」

「恭也さん、すぐに逃げて下さい、このままじゃマズイことになる!!」

 恭也の問いかけにYESともNOとも答えず、令示は必死な様子でそう訴える。




 だが──




「ふははははははははははははははははははははははははははははははは!! 感じる…感じるぞお前達の恨みの念を…!

 踏みつけられ、地虫の如く這いつくばるしか能がないゴミ共でも、役に立つではないか!! さあ、もっと憎め! 呪え!! それ

がこの儂の力になる!!」

 広い会場に響き渡る狂笑。

 西埼が天に向かって両手を突き上げると、それに呼応するように中空にたゆたうマグネタイトが、一斉に場内の一点──会場の中心

に鎮座する黄金の塊へと向かって収束していく。

 マグネタイトを吸い込んだ金塊が激しく明滅し、周囲へ強烈な光を撒き散らす。

「おお…、おお……! お゛お゛お゛お゛お゛!!」

 突然の異変と怪異に、来客者達が戸惑いざわめく中、西埼はカッと目を見開き、空へと向かって咆哮を上げた。

「アレは…」

 令示は悪魔の視力でソレを捉えた。西埼の左手薬指に、会場中央にある金塊と同じく、妖しげに輝く黄金で作られた指輪があるのを。

「お゛お゛お゛お゛ご ご ご ご ご が あ゛あ゛あ゛あ゛! !」

 直後、西埼の叫びがより一層激しさを増し──




 ドクン……!




 その瞬間、世界が揺れた。




 否、シフトした? 吸い込まれた? とでも表現するべきか。

 巨獣の胎動の如き大気震わす振動が、等間隔で喧しく鳴り響き、同時に周囲の空気も気配も、慨知のそれとはかけ離れた物へとすり

替わり、この屋敷全体が現世在らざる領域へと変貌を遂げる。

 ──即ち、異界へと。

「おい、何だこれは…?」

「なんか変だぞ!?」

 来客者達が辺りを見回し、口々に騒ぎ始めた。会場自体には何の変化もないが、周囲より生じる異質さを本能的に察したのであろう。

「あの爺さん、魅入られたな…」

 令示の漏らした苦々しい呟きは正鵠を射た、疑いようのない事実であった。

 マグネタイトの概念どころか存在すら知る由のないこの世界の人間が、それを集め、利用する技術を用いるなどあり得る筈がない。

 もし可能性があるとすれば、それを知る何者かに吹きまれた以外に考えられない。つまり、悪魔にである。

「力だ…! 力が漲ってくるぞ!!」

 明滅する西埼の指輪から葉脈の如き筋が生まれ、その指先を覆っていく。

 それは、この老人を浸食するかのように凄まじいスピードで全身へと伸び、淡緑の輝きを放つ。

 おそらく、会場中央の金塊と西埼の指輪には魔術的なラインが存在するのであろう。来客者達から吸収したマグネタイトを、そのま

ま彼へと流し込んでいるのだ。

 そしてその急激なマグネタイトの摂取は、西埼の全身に常軌を逸した変異をもたらす。

 まず、西埼の皮と骨ばかりの矮躯は、凄まじく巨大化を遂げた。

 その大きさは優に十メートルを超え、枯れ木のように節くれだった手足は丸太のように膨れ上がり、臀部からは大蛇のような長い尾

が突き出て、風切り音とともに大きく横一閃に振るわれ、轟音と衝撃を伴ってステージの一部を粉々に破砕した。

 土色の肌は鋼の如き硬質な黒へと変じ、それとは対照的に胴体、四肢の両脇には白いラインが走り、胸部中央から背後にかけて退化

した骨のような翼が生まれ、その左胸にはハートのエンブレムが刻まれた。




「ヴォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!」




 鬼貌を模したフルフェイスの西洋兜の如き容相へと化した頭部が、天を見上げて巨大な口腔を開き、自らの誕生を宣言するかのよう

に咆哮を上げ、大気を振るわせる。

「ヒィィッ…!」

「う、あ…」

 マグネタイトを奪われた上に、その巨躯より発せられる、人を遥かに超える生命体の圧倒的な覇気をまともに浴びた来客者達は、次

々とその場にへたり込み、気を失っていく。西埼配下の黒服達も同様だ。

「コイツは…!?」

 令示には、西埼の変わり果てたその姿に見覚えがあった。

「令示君、アレが何かわかるの!?」

「邪龍ファフニール…北欧神話で、英雄ジークフリートによって倒される巨大な竜です」

 油断無く相手を睨みつけながら、令示は忍の問いに答えを返した。

「──っ! そうか…! このパーティも、一連の動きも、北欧神話の伝説を模した再現儀式だったんだ!」

 北欧神話において、旅をしている最中のロキ、オーディン、ヘーニルの三神は、河でカワウソに変身していたフレイズマルの息子、

オッテルをそうとは知らずに殺してしまう。

 その日の宿を求め、フレイズマルの屋敷を訪れた三神は彼の残る二人の息子、ファフニールとレギンに捕えられ、オッテルを殺した

賠償金を請求される。

 三神は、オッテルの皮の内側と外側を埋め尽くす黄金を払うことで合意し、オーディンとヘーニルが支払いが済むまでの人質となっ

て残り、賠償金の調達に向かったロキは、ドワーフのアンドヴァリから「黄金を生み出す指輪」を盗み取った。

 その所業に激怒したアンドヴァリは、指輪の持ち主に永遠の不幸をもたらす呪いをかけたのである。

 結果、指輪を手にしたフレイズマルは、黄金の魅力にとり憑かれたファフニールによって殺害された。

 更にファフニールは手にした黄金を弟のレギンと分けることを嫌い、逃走。

 指輪の呪いで邪龍の姿へと転じてなお、強欲に黄金を守り続けていたが、最後は英雄ジークフリートによって倒された。

 これが「ラインの黄金」の伝説とその顛末だ。

「つまり西埼は己をファフニールに、騙した来客者達をアンドヴァリに、そして彼らが発した恨みの情念と、そこから生まれたマグネ

タイトという悪魔の欲する生体エネルギーを、指輪の呪いに見立てたんでしょう…。伝説を再現し、同時に集めたマグネタイトを吸収

して竜へと化す。このパーティーは、最初から西埼が悪魔になる為に画策したものだったという事です」

「クハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!! その通りだ小僧! 儂は脆弱な人の身を捨て、力の象徴たる竜になった!」

 令示の説明に西埼──ファフニールが壇上より高笑いを上げ、その言を肯定した。

「正気なの!? こんな衆人環視の中で怪物に変わるなんて…! 地位や財産どころじゃない、自分の全てを失うわよ!?」

 誇るような態度のファフニールに、忍は信じられないとばかりに目を見開く。

「はっ! 笑わせるな。地位も財産も血族も! 全ては儂の道具──只の手段に過ぎぬ!」

 対するファフニールは忍の言葉を一笑に付した。

「血族って…、まさか、このパーティーに貴方以外に西埼家の人間が居なかったのは…」

「この身を得る「苗床」にしたのだ。光栄であろうよ、儂の望みの為にその命を捧げる事が出来たのだからな」

「この会場の人間だけじゃ、ファフニールなんて高位悪魔に変身するにはマグネタイトが少な過ぎると思ったが…こいつ、自分の親類

縁者のものを、根こそぎ絞り取ったな…!」

「なんて事を…!」

 西埼グループは親類縁者を含めれば相当な数の筈である。この男はその全てを、笑いながら自身の為に「使った」と、そう言い切ったのだ。

 まるで路傍の石を投げ捨てるかのように、身内を切り捨てるファフニールの言動。その人間性を放棄した化生の思考の一端に触れ、

忍は吐き気に近い嫌悪感を覚える。

「そこまでして、一体お前は何を求めている」

 忍を庇うように前に立った恭也が問いかける。 

「──夜の一族」

『っ!?』

 笑いを止めて口にしたその一言に、令示達は驚き目を見開く。

「ずっと求めていた…半世紀以上待ち望んでいたのだ、この機会を!!」

「何故忍達の事を知っている! 待ち望んでいたとはどういう事だ!!」

「──アルカード、やれ」

 オウム返しに問いかける恭也に答える事なく、ファフニールは天を見上げ、静かに令を発した。

「ギギッ、承知したぞ、契約者」

 刹那、耳障りな鳴き声とともに、ファフニールの呼び声に令示達の背後より応じる返事が響き、空を切って何かが躍りかかって来た。

「っ!? キャアァァァッ!!」

「すずか!!」

 会場内にこだます、絹を裂くようなすずかの悲鳴と忍の叫び。

 令示も恭也も、正面のファフニールに気を取られ、ソレに対する反応が遅れた。

 疾風の如く飛翔した黒い影はすずかを浚い、天井に近い高所へと飛び上がったのだ。

「あれは、蝙蝠…!?」

 シャンデリアの光に照らされあらわになった相手の姿を捉えた、恭也が呟きを漏らす。

 巨大な青鈍色の両翼に、スカルキャップを彷彿とする頭部と深く窪んだ眼窩、そして、耳まで裂けた口から覗く鋭い犬歯。

 恭也の言う通り、なるほどその姿は蝙蝠だ。しかし驚くべきは、異形もさる事ながらその大きさ。

 成人男子に等しい体躯を持つソレは、鎌のような鋭い鉤爪の生えた両足で、しっかりとすずかを抱えたまま悠々と宙を飛び、ファフ

ニールの側へと滑るように移動していく。

「吸血鬼アルカード…! そうか、西埼に入れ知恵したのはあいつか…!」

 中空に浮かぶ蝙蝠──悪魔アルカードを睨みつけ、令示が呻くように呟きを洩らす。

「吸血鬼ですって!?」

「ええ、だけどあれは伝説そのものの存在です。人の生血を啜り、眷族を増やし、吸血鬼伝説を体現する、本物の『不死の王ノーライフキング』」

 ──吸血鬼アルカード。

 かの「串刺し公カズィクル・ベイ」、ヴラド・ツェペシュが魔術によって召喚し、使役した悪魔である。

「いや、放して!」

「ギギッ、暴れても無駄だ小娘。その程度の力で俺の拘束は振り解けんぞ」

 アルカードから逃れようと、もがくすずかであったが、彼女を掴む両足は、人の手のように器用でありながら万力のような力でしっ

かりとその身を捕まえており、その願いは叶わない。

「それにしても美味そうなガキだ。そう言えば、久しく極上の処女の血を喰ろうておらんな」

 アルカードが眼下のすずかをねめつける。

 その顔はまるで、獲物を捉えた肉食獣のようであった。双眸をらんらんと輝かせ、口腔から覗く林立する牙の間を、赤く長い舌が別

の生物のようにうねり、這い回っていた。 

「ひっ」

 そのあまりにも醜悪な凶貌に、すずかは恐怖に青ざめ、言葉を失う。

「──やめよアルカード。手を出す事はまかりならんぞ?」

 その時、壇上のファフニールがアルカードを制止した。心なしかその言には、苛立ちを孕んでいるようであった。

「貴様には儂の血縁、配下をくれてやった筈。早くすずかを儂に差し出せ」

「ギギギッ、あんな連中、この儀式の為にマグネタイトを絞り切った残りカスばかりじゃねえか。旨味の欠片もありゃしねえ…」

 傲然と言い切るファフニールに、アルカードは不満げにぼやきを漏らしつつ、開かれたその右掌へ落とすようにして、すずかを渡した。

「クククク…カカカカカカカッ! ついに…ついに手に入れたぞ夜の一族の乙女を!」

「…………」

 文字通り、己が掌中に入った怯えて声も出せないすずかを見下ろし、ファフニールは抑えきれぬ喜悦を滲ませ、笑いを上げた。

「ああ…やはり美しい。行住坐臥その全てに、凡俗とはかけ離れた気品がある。それでこそ、我が花嫁に相応しいというものよ…!」

「花嫁!?」

 想定外の台詞に、目を剥き驚きの声を上げる令示に、ファフニールは満足げに頷きを返した。

「先の大戦の終焉の時、上海租界からありったけの財産を持ち出して日本へ引き揚げる最中、儂は満州で見たのだ。純白の雪原で、舞

うように襲い来る馬賊どもを悉く叩き伏せ、舞い散る血煙の中に佇む、赤眼黒髪の乙女を!

 美しかった…。もの言わぬ骸と化した馬賊どもを見下ろすあの冷徹な目、常人を超越した絶対者の風格。どれ程の財貨を積み上げよ

うと値する事のない究極の美がそこにあったのだ。

 …だからこそ、欲した、求めた、探した! 日本へと戻りあらゆる伝手を辿り、金をはたき、あの乙女の正体を、素性を探った…そ

して、ようやく行き着いたのだ、夜の一族という存在に」

 語りながら下卑た笑いを漏らし、ファフニールは掌中のすずかへ絡みつくような視線を向ける。

「ずっと待ち望んでいたぞこの時を…! 夜の一族の乙女を組み敷き、破瓜の血で褥を朱に染めるこの時を!」

「い、いやぁ…!」

 すずかが尻もちをついたまま後ずさろうとするが、ファフニールの手の縁から落ちそうになり、それは以上は離れられなかった。

「くっ、この! すずかを離しなさい!」

「貴様、やめろ!」

「ギギッ、大人しくしてろ」

 捕らわれたすずかの身を案じ、忍がファフニールへ怒声を浴びせ、恭也が跳びかかろうとする。しかし、そこに立ちはだかるのは吸

血鬼アルカード。更にはその言動に応じるように、倒れていた黒服達がフラフラと覚束ない足取りで立ち上がり、三人を取り囲んだ。

「こいつら…邪魔するつもりか…?」

 周囲を油断無く睨みながら、恭也は両手の袖口から隠していた二振りの短刀を取り出し、構える。

 忍のアイディアで持ち込んだ、金属探知機にも引っかからないセラミック製の短刀だ。普段使っている小太刀に比べて小振りになる

が、隠して持ち込むには最適な暗器であった。──もっとも、便所の騒動で持ち込まれた特殊警棒の件を鑑みるに、持ち込みに関する

警備はザルだったようだが。

「──ふっ!」

 鋭い呼気とともに恭也が駆け出す。

 一足で数メートルの間合いを踏破し、黒服達へ返した刃の峰で首筋を打ち、柄頭で水月、米神を突き穿ち、次々と剣打を叩き込んだ。




 だが──




「っ!? 効いていない!?」

 殺しはせずとも、気を失わせるつもりで剣を叩きつけたのにも拘らず、黒服達は僅かに怯み、体勢を崩しただけで、すぐさま立ち上

がると、そのまま包囲の輪の維持に戻ってしまった。

「馬鹿な…手加減はしたとは言え本気で打ったんだぞ…!?」

 いかに身辺警護の為に訓練された人間とは言え、鍛えようの無い人体の弱点を狙ったと言うのに、平然とする黒服達の様子に、忍の

前へと戻って彼女を庇う恭也は、驚きと戸惑いの言葉を漏らした。

「恭也さん…こいつら、もう死んでます…アルカードに血を吸われて屍鬼にされたんだ。だから、多少の攻撃じゃ全くダメージがありませんよ!」

「死んでるですって…!?」

 令示の言葉に忍が目を凝らせば、確かに黒服達の視線は定まっておらずに白濁としており、顔は血の気が無く蒼白となっていて、そ

の首筋には噛みつかれた歯型に穴が穿かれ、吸い残した血液が滴っていた。

 おそらくは令示達がファフニールの誕生に気を奪われていた時に、アルカードが眷族化したのであろう。

「なんて事を…!」

 忍の憎悪すらこもった視線を受けても、当の邪龍は彼女を一瞥し、つまらなそうに溜息を吐く。

「忍よ…お前も儂の伴侶とするつもりであったが、男の手垢が付いたのでは最早価値はない。そこですずかの嫁入りを眺めておるがいい」

 言いながらファフニールはすずかを弄ぶつもりなのか、左手の人差し指を彼女の体へと伸ばしていく。

「っ!? すずかっ! やめて!」

「クソッ! させるか!」

 すずかの危機に対し、ファフニールに詰め寄ろうとする忍と恭也であったが、アルカードが率いる屍鬼の群れが壁となり、その行く手を遮る。

「邪魔をするな!」

 怒りを滲ませる恭也の台詞にも、アルカードは余裕の態度を見せ、耳障りな声で嗤う。

「グギギ…そっちの男は多少は腕に覚えがあるようだな。そこのガキも随分と悪魔に詳しいようだ。屍鬼程度なら殺せるだろうが、無

駄な事だ。ギギッ! 何しろ俺は──」

「「孤陋の妖闘人ころう ようとうじん」と謳われた、十三代目葛葉ライドウでも、殺す事が出来なかった不死の怪物…とでも言いたいのか? アルカード」

「ギギィッ? 小僧、貴様何故それを知っている?」

 令示の台詞に、アルカードは怪訝そうに目を瞬かせ、首を傾げる。

 多くの伝説を残す吸血鬼と、比較的名の知れているファフニールの事を既知であるのは不思議ではない。が、世界の裏から悪魔を討

つクズノハのサマナ―について知っているのは世の中のごく一握り。しかもこことは異なる異世界の、という枕詞が付く。

 だからおかしいのだろう。忍と恭也の間を通り、アルカードの前に出た少年──令示が、その「知りえる筈のない情報を」知っているのを。

「ギギギッ!? 小僧貴様一体──」

「何者だ」とでも言おうとしたのだろうか。だがその台詞は、令示の足元より立ち昇った赤光によって遮られた。

「なっ!? マガツヒだとぉっ!?」

 アルカードが令示の体を包み込んでいくソレの正体に気付き、驚愕の叫びを上げたその刹那──幾条もの銀光が走った。

「グアァァァァァァァァッ!!」

 次の瞬間、両翼を断ち切られたアルカードが浮力を失って、絶叫とともに地に落ちた。

 同時に、十数人居た屍鬼達全てがその首を落され、噴き出す血煙で周囲が朱に染まる。

「獲物を前に高説とは暢気なものだな。カルナバルの幕は既に開いているのだぞ?」

 咲き誇る鮮血の花の中心に、呆れ混じりの言葉とともに現れたるは、優雅に身を躍らせ曲刀エスパーダに付着した血液を振り払い、

濃緑金飾の闘衣に身を包んだ髑髏の剣士──魔人、マタドール。

「その姿、悪魔だと!? 貴様何者だ!?」

「マタドールさん!」

 突如として己が領域に入り込んできた異物に、ファフニールが驚き誰何の叫びを、すずかは歓喜の声を上げた。

「────」

 しかし、マタドールはそれに答えず、無言のまま地を蹴り駆け出す。一路、己の正面に立つファフニールと、彼に囚われたすずかの下へと。

 右手に握られたカポーテが、吹流しのように後方へとたなびいた。

「おのれ、すずかを奪うつもりか!?」

 マタドールの行動で、その意図を察したファフニールは怒りをあらわにし、左手を振り上げると、

「すずかは儂の物じゃ、誰にも渡さぬぞ!!」

 気炎を上げ目前にまで迫った魔人目がけて、そのまま振り下ろす。

「マタドールさん、危ない!」

 すずかの悲鳴を引き裂いて邪龍の剛腕が空を切り、舞台を叩き壊して床へと激突した。

 手加減抜きの悪魔の膂力は床をも粉砕し、その衝撃は周囲の柱壁や大気を震わせる。しかし、

「消えた!?」

 持ち上げた左手の下に、マタドールの姿は無かった。




「──風に舞え。赤のカポーテ!」




 そこに発せられる、上空からの声。

 ファフニールとすずかが天を見上げれば、上空で赤のカポーテを発動させ、紅布で螺旋を描くマタドールが、重力に身を任せ邪龍目

がけて一直線に落ちて来るところであった。

 初撃を躱され、焦っていたファフニールは己に向かって落下してくる魔人を見て、失笑した。

「馬鹿め! 空中では身動きが取れまい、今度こそ粉微塵に粉砕してくれるわ!」

 ファフニールは、しなやかにくゆらせる竜尾をもたげる。

 先刻壇上の一部を打ち砕いたソレには、鉄塊の如き硬度と質量が秘められている。

 身動きが取れない空中でそんなものが直撃すれば、例えマタドールと言えども只では済まない。ファフニールの言う通り、鎧袖一触

でバラバラにされてしまうだろう。

「死ねぃ!!」

「駄目!」

 嘲笑とともに振り抜かれる尻尾から目を背け、すずかが短い悲鳴を漏らす。

 だが──




「──マハザン」




 悪魔をも砕くであろう竜の尾は、虚しく空を切ったのみであった。

 尾撃が届く寸前に発動した衝撃魔法によって空中に足場を得たマタドールは、三次元的な縦横無尽の跳躍を行い、ファフニールの一

撃を難無く躱してみせたのだ。

「な──」

 己の攻撃に絶対の自信があったのであろう。ファフニールは、尾撃が躱された事に対し、二撃目を取るでも回避行動を取るでもなく、

只呆けたままマタドールの動きを見つめていた。

「所詮は素人か。悪魔同士の戦いにおける覚悟と心構えがなっていない」

 そしてそんな隙を逃す程、魔人の剣士は甘くない。ましてや、相手が己の友人の純潔を汚そうとした下衆であるならば尚更だ。

 上空より壇上のファフニールを俯瞰的に捉えていたマタドールは、感情のこもらぬ声で呟きを洩らしながら、足場の衝撃魔法を強く

蹴りつけ、眼下の相手目がけて一気に跳ぶ。

 跳躍と重力加速をエスパーダに乗せ、未だ呆けたままの邪龍の顔面へとその切っ先を突き立てた!

「ムウッ!?」

「ふむ、剣の徹りが甘い。やはり物理耐性持ちか」

 ファフニールの鼻先に降り立ち、一、二センチほどの深さで突き刺さった足元の剣先を眺めながら、首を傾げてどこな暢気な口調で

呟きを洩らすマタドール。

 僅かながらも走る痛みに苛立たしげな声を上げ、体を揺らすファフニールの上にありながら、まるで平地に立っているかの如く安定

した体勢のまま泰然自若としており、その姿は暴れ馬を御するカウボーイのようであった。

「鬱陶しいぞ小僧ぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 そしてそんな言動が、邪龍の癇に障ったらしい。

 ファフニールは怒声とともに蠅を払うように右手を振るい、鼻先のマタドールを叩き落とそうとする。

 が、そんな緩慢な動きで魔人を捉えられる筈もなく、マタドールはトンボを切って後方へ跳び、難なく己への攻撃を躱してみせた。

「やれやれ、たかがかすり傷と軽い挑発であろうに。その程度で激昂するとは…」

 床に降り立ったマタドールは肩を竦め、呆れ混じりの溜息を洩らす。

「まあ、こちらとしてはその程度の愚物で大いに助かったがな…」

 言いながらマタドールは右手のカポーテへと目をやる。

 そこには、赤布に包まれ守られたすずかの姿があった。

「なっ!? 貴様、いつの間に!!」

 ファフニールはそこでようやく己の手中にあった少女が、消失していたことに気が付いた。

「悪魔の力を手にしてのぼせ上がった小者を出し抜くなど、造作もない」

 慌てるファフニールへ抑揚のない声で答えながら、マタドールは腕の一振りですずかを包んでいたカポーテを解き、彼女を解放した。

「さあすずかよ、早く忍嬢のところへ」

「え? あ、うん。ありがとうマタドールさん」

 床に降ろされたすずかは、いきなり窮地を脱したことに思考が追い付かないのか、どこかぼんやりとした様子でマタドールへ返事をする。

「すずかっ! 大丈夫!?」

「お姉ちゃん…うん、うん…!」

 しかし、慌てた様子で駆けつけた忍に抱き締められ、ようやく助かったという実感が湧いたのか、何度も頷きながら体を震わせ姉の

体にしがみついた。

「おのれぇ…おのれおのれおのれおのれ!! すずかを返せ、それは儂のものだぞぉっ!!」

 ファフニールが激昂し、雄叫びとともに壇上を飛び降り、一直線にすずかの下を目がけ駆け出す。

「っ!? 忍、すずかちゃん、こっちだ!」

 恭也が迫り来る邪龍に先んじて二人の元へと駆けつけると、ファフニールから逃げようと彼女達の手を引いて出口へと駆け出す。

「逃さぬっ!!」

 巨大な竜と人間の逃げ足。どう足掻いても逃れようのない絶望的なまでの身体能力の差。

 床を踏み鳴らし、三人の背へとファフニールの魔手が迫り──








 空中より飛来した銀光の閃きが、恭也達を捕えんとした邪龍の掌へと叩き込まれ、その狙いが逸らされた。

「見苦しいぞ匹夫。人面獣心の上に女性を物扱いとは…救いようない愚か者だ」

 宙を跳び、上空よりファフニールの邪魔を行い、三人を守るように降り立ったのは、エスパーダを水平に構える魔人の剣士。

「邪魔立てするな糞ガキがぁぁぁぁっ!! アルカード、いつまで寝ている!! 早く起きてこいつを始末しろ!」

 再び妨害をされた事に更なる怒りを滾らせたファフニールは、未だ自身の援護に来ないアルカードへ憤りのままに言葉をぶつける。

「ギギッ…無茶を言うな。残りっカスみたいなマグネタイトだけで、力が出る訳がねえだろうが…」

 反論するアルカードの体は不死の二つ名に偽る事なく、再生を始めていた。しかしそのスピードはお世辞にも速いとは言えず、戦闘

復帰など望める筈もない。

「ええい、どいつもこいつも! 儂の足を引っ張りよって…」

 苛立ちに身を任せ、ファフニールがマタドールを睨みつけながら、両腕を持ち上げ身構える。

「もういい、儂の手で貴様を叩き殺し、死骸の上ですずかを犯してくれるわ!」

 咆哮とともに、邪龍が魔人目がけて双碗を振り下ろした。

「その不快な口を閉じろ。下劣な蜥蜴風情が麗しい少女を娶ろう等とは、思い上がりも甚だしい」

 両腕の一撃が、テーブルやその上に載っていた料理や装飾品ごとホールの床を打ち砕き、その衝撃で破片が宙に舞う。

 だが、マタドールはその一撃を難なく躱し、それと同時に床へとめり込んだままのファフニールの腕に飛び乗りると、そのまま

一気呵成に駆け上がる。

 マタドールの進撃とともにエスパーダが縦横に走り、幾条もの銀線がファフニールを襲撃する。

 しかし、物理耐性の壁は厚い。剣を通じてマタドールの手へと伝わる感覚は、まるで鉄塊を叩くような衝撃。

 効いていないという事は無いであろうが、ファフニールからしてみれば、子猫に噛まれた程度のダメージといったところであろう。

 だが、マタドールはその感覚を特に気にする事も無く、そのままエスパーダを振るってファフニールの五体を斬り続ける。

「こそばゆいぞ小僧! カトンボの真似事か!?」

 大した効果もないというのに、自らの体の上で剣を振るうマタドールの姿がおかしかったのであろう、嘲りの言葉を向けながら、

ファフニールは小うるさそうに両腕を振るって、自分にたかる相手を振り払おうとする。

 が──

「むうっ!? このっ!!」

 手を向けようと体を振るおうと、マタドールはその間隙をするりと縫って躱し、揺れる足場も難なく踏破してみせる。

 同時に、向かってきた両手へキッチリ斬撃をお返しして。

「鬱陶しい! いい加減離れぬか!」

 苛立つファフニールが怒声を上げた。






 伝説の竜が、身の丈の半分にも満たない相手にいいように弄ばれているその姿は、まるでカートゥーン・アニメのようで、酷く滑稽

であった。何も知らない第三者であれば、気楽に笑い飛ばしていたであろう。

 しかし、当の本人や関係する者たちから見れば、それは命を天秤に載せたデスゲームだ。笑いなど無い。

 その中でも、すずかは沈痛な表情のまま、祈るように胸の前で両手を合わせ、事の推移を見守っていた。






「がぁぁぁっ! これでどうだ!!」

 数分ほど変化のなかった小競り合いは、その停滞に耐えられなかったファフニールの激昂で変化を迎えた。

 両手で捕まえられぬ事で、怒りの臨界に達したファフニールはいきなり駆け出し、ホールの壁へと己が五体を衝突させたのだ。

 瞬間、壁が粉砕されてその衝撃が会場全体に伝播し、ビリビリと大気を揺らした。 

「…なるほど、桁外れの耐久性を活かして、五体全ての、どの箇所に居ても逃れられない攻撃を行う事で私を引き剥がすか。頭に血が

上っていたようで、中々に機転が効く」

 いち早く、ファフニールの策を読んだマタドールは壁へ衝突する前にその身から飛び降り、攻撃を逃れたのだ。

「ふん…もう同じ手は喰わんぞ」

 ガラガラと崩れる壁の穴から顔を覗かせ、ファフニールがマタドールを睨みつけながらそう言った。

「ふむ、そうだな…蜥蜴風情といったのは訂正せねばならぬな」

 マタドールはゆっくりと会場を歩きながら言葉を漏らす。

「女性一人…それも年端もいかぬ少女を手籠めにする為にそこまで激昂し、必死になる姿は、下衆や滑稽を通り越して、最早哀れだ」

「なっ──」

 マタドールの言に、ファフニールは言葉を失った。

「うん? 聞こえなかったか? 貴様を蜥蜴に例えるのは蜥蜴に対し、あまりに失礼というものだと言ったのだ」

 歩みを止めたマタドールは、ファフニールに向き直し改めてそう宣言する。

「こっ…小僧ォォォォォォッ!!」

 脆弱なる人の身を捨て、悪魔へと変じて超越種へと至ったファフニールにとって、それは許しがたい侮辱であったのだろう。

 今まで以上の怒りに身を任せ、一直線にマタドールへと突進してくる。

¡Vamos! venir!いざ、来い!

 対するマタドールは水平にした右手を大きく揺らし、カポーテを振るう。まるでファフニールを誘うかのように。

 それは正しく闘牛士。しかし、相手は牛などという生易しい相手ではない。

「ゴアァァァァァァァッ!!」

 その姿にますますいきり立った邪龍は更にスピードを上げ、マタドールへと迫る。が、

「これで王手チェック、そして──」

 直前で呟きとともにその身を翻し、ファフニールの突進を紙一重で躱し、

 そして次の瞬間、大量のガラスの破砕音と液体の飛沫音が会場内に鳴り響いた。

 数拍置いて鼻を突く刺激的な香りが周囲に漂い始める。

 ゆるりと優雅に振り返ったマタドールの視界に映ったのは、大量の酒瓶と酒樽の山に突っ込んだファフニールの姿。

 ここは賓客たちに酒を振る舞う為に、会場内に作られたバーカウンターだ。

 古今東西、多様な酒が揃えられていたであろうその場所は、最早見る影もなくなっていた。

 その一本一本が、一般人の年収並はするであろう酒の残骸と、大したダメージも無く悠然と立ち上がろうとするファフニールを見下

ろし、マタドールは左手に構えたエスパーダの切っ先を、相手に向けたまま弓矢のように引き絞る。

「血のアンダルシア!!」

 叫びと同時に放たれる、速射砲の如き突きの連撃。

「ぬうっ!?」

 立ち上がろうとしていたファフニールはその音速の連撃を浴びる。

 しかし──

「貴様の攻撃なぞ効かぬと言っておろうが、このたわけがぁぁぁぁっ!! これで終わらせてくれる!!」

 咆哮とともに振り向き、自身へと懲りずに攻撃を仕掛ける魔人へとどめを刺さんと、繰り出される刺突に構う事なくマタドールへと迫る。

「そう。これで詰みチェック・メイトだ」

 だが、マタドールはそんなファフニールの言動にも慌てることなく、抑揚のない声で答えながら、更に鋭さと速度を増した連撃を、

邪龍へと叩き込む。

 放たれた刃の群れが先程以上に激しく、次々とファフニールの表面へと命中し、甲高い金属音とともに幾つもの火花を撒き散らした

その刹那──

 突如として火花の一つが、巨大な炎へと変化し、ファフニールの巨体を瞬時に包み込んだ!

「グゥアアアアアアアアアアアッ!?」

 瞬時に全身火達磨となった巨竜は、先程までの余裕など欠片もなく、悲鳴を上げながら無様に転げ回る。

「燃焼と呼ばれる現象は、酸素供給源と燃焼物、そして着火源の三つを以って成立する。つまり空気、撒き散らされた高濃度のアルコ

ール、エスパーダの剣撃によって生じた火花、この三つがそれに当たる」

 七転八倒するファフニールを見下ろしながら、マタドールは淡々とした口調で、突然生じた炎の種明かしをする。

「仮にも企業のトップが、火災や爆発の基礎知識も知らぬとは些か問題だな。その身を以って、とっくりと学び直せ──マハザン!!」

 言葉と同時にマタドールは、未だ苦しみもがくファフニールへ更なる衝撃魔法の追撃を放った。

「ガァァァァァッ!?」

 通常であれば、扇状に広がり複数の敵を一掃する全体魔法であるマハザンであるが、マタドールのアレンジコントロールによってそ

の弾道を変えられ一点に集中して撃ち出された事により、無数の弾群をまともに全身に浴びたファフニールは、床を転がるように吹っ

飛んで、敷き詰められた絨毯を引き裂きテーブルを潰し砕いて、広間の反対の壁に衝突して、ようやくその動きを止めた。

「な、何故!? 儂は悪魔になって、最強の…鋼の肉体を手に入れたのではなかったのか!?」

 衝撃魔法と途中の衝突物によって全身を覆っていた炎から解放されたファフニールが、ヨロヨロと立ち上がり、信じられないといっ

た様子で震える声で疑問を漏らす。その身は炎によって焼け爛れ、鋼鉄のようであった表皮はマハザンの直撃によって打ち砕かれ不様

にひしゃげていた。

「剣や打撃などの直接的な物理攻撃が効かぬであれば、他の方法で攻撃を加えればよい。それだけの話だ」

 ゆっくりとファフニールへと歩み寄りながら、マタドールが相手の呈した疑問に答えを返す。

「そも、貴様のような対物理に特化した手合いは、それに比例するように魔法や搦め手に弱い。対抗策も講じず己の強さに驕った貴様

の慢心こそが、この結果だ」

「何だと…!? 聞いておらんぞ、そんな話は!!」

 ぶつけられたマタドールの指摘に、ファフニールは目を見開き驚きの声を上げた。

「ギギッ、そりゃ確かに伝えていねえからな」

 その時、魔人と邪龍の頭上より、空を切る羽音と耳障りな声が響いた。

 二者が見上げた視線の先に居たのは、双翼を羽ばたかせて滞空しているアルカードの姿であった。

 マタドールとファフニールの戦いの間の時間の経過で、ようやく傷が回復したのであろう、その身に傷は無い。

「っ!? アルカード!! どういう事だ、貴様儂を謀ったのか!?」

「ギッ! 人聞きが悪い…俺は聞かれなかったから答えなかっただけだ。第一、契約では『人間より遥かに強い体は手に入れたい』

というものだっただろうが。ギギッ、俺は嘘は言っていない。その身は確かに人間なぞ足元にも及ばねえ力を持っているんだからなぁ」

「くっ…!」

 アルカードの言い分に、ファフニールは忌々しそうに言葉を詰まらせる。

「聞かれなかったから答えなかった」と、アルカードは言っていたが、おそらくは意図的に黙っていたのだろうと、マタドールは考えていた。

 悪魔を取引相手にして誠実さを求める事が、そもそもの間違いである。

 天使や善神に分類されるものですら、虚言や二枚舌を弄して契約者を欺き陥れる権謀術数を、平然とやってのけるのだ。

 ファフニール──西埼も、正常な思考であればアルカードの魂胆に気付いたかもしれない。

 だが、すずかへの歪んだ思慕と、延命への渇望がこの男の眼を曇らせたのであろうと、マタドールは二者のやり取りを眺めながら、

そう考えていた。

「ええい、もういい! ならばこの小僧を殺す手伝いをしろ!」

「ギギッ、承知したぞ」

 苛立ちを剥き出しにしてファフニールが怒鳴りつけると、アルカードはそっけない態度が嘘のように、指示された要求をあっさりと承諾した。

「クッ…カカカカ! 小僧、これで終わりだ! いかに貴様が強かろうと、我らを同時に相手にして無事でいられる筈が──」

「──マハザンマ」

 アルカードの参入を得て、ファフニールが勝ち誇るように笑いを上げたその刹那──黒い外殻に覆われていた巨竜の胸が、朱に染まった。

「ゴフッ!? こ、お、何、を…?」

 数瞬、己が身に何が起きたか理解出来なかったのであろう。ファフニールはとめどなく血を流し続ける自身の胸部と、上空で羽ばた

きながら滞空するアルカードとに、何度も視線を往復させる。

「ギギッ、やはり仕留められんか。まあマグネタイトの量を考えれば、仕方がねえな」

 呆けたままのファフニールをつまらなそうに見下ろし、アルカードは淡々と呟きを洩らした。

「ア、アルカード…! 貴様裏切るのかぁっ!?」

 吸血鬼の放った衝撃魔法に胸部を撃ち抜かれたファフニールは、総身に怒りの念を滾らせながら、喉の奥より溢れる血液に構う事な

く、憤りのままに叫びを上げた。

「ギッ、人聞きの悪い事を言うな。俺はお前の願いを叶えようとしているだけだぞ? ギギッ、今の弱った俺ではその魔人にはとても

勝てん。だから──」




 お前の力をいただくのさ。




 そう言うが早いか、アルカードは両翼を折り畳み、ファフニール目がけて急降下。

 同時に、その身に回転を加えて黒い弾丸と化した吸血鬼の狙いは誤る事なく、傷を負っていた邪龍の胸部を完全に貫いた。

「ガッ…! ガァァァァァァァァァァァァァァッ!!」

 ファフニールが大気を震わせる咆哮を上げると同時に、穿かれたその胸から、先程の衝撃魔法によって生じたものを超える、多量の血液が噴出する。

 巨躯より噴き出した血液は、その身に比例して瀑布の如き勢いで、邪龍に風孔を開けた張本人──床へと降り立ったアルカードの全身へと降り注いだ。

 それは時間にして僅か数秒の血液の滝であった。

 そして、その噴出が止み、猛烈な血臭が漂う血溜まりに佇むアルカードは、全身余すところなく真紅に染めた己が身を見回すと、口

端を吊り上げ喜悦に満ちた表情を浮かべた。

「ギッ、ギギッ、ギギギギギギギギギガガガガガガガガガッ!! 竜の血を! ファフニールの魔血を五体に浴びたぞ! これで俺は

もう恐れるものなど無い! 大蒜も! 聖水も! 白木の杭も! 神の子の聖句も! 銀の武器も! 流れる水も! 太陽の光でさえも!!

何一つとして俺を傷つけられねえ!! 俺は真の『不死の王ノーライフキング』になった!!」

 双翼を広げて天を仰ぎ、アルカードが狂笑を上げた。

 マタドールはその言葉に、ファフニールの殺害に至ったアルカードの奇怪な行動の理由を悟った。

「不死身のジークフリート…そうか、この仰々しく面倒なまでの回りくどい儀式は、全てこの為か…!」

 ──不死身のジークフリート。

「ラインの黄金」のクライマックス、英雄ジークフリートによる邪龍ファフニール退治の逸話だ。

 ファフニールの心臓を貫き、その心臓から溢れた血液を全身に浴びたジークフリートは、竜血に込められた魔力によって不死身の肉

体を得るエピソードだ。──そう、アルカードの狙いは最初からこれだったのだ。

「仮初めの不死を…吸血鬼の弱点を克服する為に色に狂った老人を騙し、竜へと変じさせるべくこの舞台を用意した訳だな?」

「なん…だと…!?」

 マタドールの口より語られる言に、ファフニールは驚愕に表情を歪めて、呆然と己が前に立つアルカードを見つめる。

「ご、がはっ!? ほ、本当か…? アルカード…」

「ギイ? ああ、力を手に入れる為にお前を利用したっていうのなら、本当になるなぁ。ギギッ」

 必死な形相で、声を震わせ尋ねるファフニールに、当の吸血鬼は血を浴びた五体を確認しながら、おざなりに答えを返した。

「な、何故だ!? 何故儂を騙した!? 竜の血が目的だというのであれば、その為のコマだって用意したのだぞ!?」

「これが一番早かったからな。強大な悪魔の気配がそこら中からするこの街で、ちんたら時間をかけていられねえ。ギッ、それにな、

何度も言うが俺は騙してなんかねえぞ。「契約上」の文言はきっちり守っているだろうが。それでもまあ、騙されたと思ってるのだったら──」

 騙されたお前が間抜けだったって事だろ? と言いながらアルカードは後ろを振り返り、ファフニールを見上げた。

 耳まで裂けたその口が、嘲りを伴う笑みの形に吊り上がる。

「くっ、糞、糞ぉっ!!」

 叩きつけられた現実に、唖然となったファフニールだったが、すぐさまそう様相を憤怒と焦燥に染め上げ、勢いは衰えたものの、未

だ流血が治まらぬ巨体を無理矢理動かし、ふらつく四肢で会場の一点目指して歩み出す。邪龍の欲望の起点──即ち、月村すずかへと向かって。

「すずか…! すずかぁっ!! 心臓を失った儂はもう死ぬ以外にない…ならばせめて、お前に…お前に儂を刻み付けてくれよう!!」

「──っ!? い、いやっ!!」

 文字通り、必死の形相で接近してくるファフニール最後のあがき。

「すずかっ!」

「させるか!」

 鬼気迫る邪龍の様子に気圧され、恐怖に強張るすずかを守らんと、忍は彼女を抱き締め、恭也は剣を構えて二人の前に立つ。

「どけぇぇぇぇっ!!」

「往生際が悪いぞ三下。貴様の役目は終わった。舞台を降りる時間だ」

 怒声を上げて迫るファフニールとすずか達を分かち、遮るように、疾風の如く回り込んだマタドールが、半身の構えを取ってエスパ

ーダの切っ先を相手へと向けながら、抑揚のない声で宣誓する。

 しかし、言葉を向ける相手は面前の邪龍でありながら魔人の意識は、未だ上空に在る吸血鬼へと向けられていた。
 
「小僧ォォォォッ!! 貴様さえ、貴様さえ居なければぁぁぁっ!!」

 今や死にかけの自分など、歯牙にもかけていない。そんな態度を読み取ったのであろうファフニールは、口腔より血を吐き散らしな

がら激昂し、マタドールを踏みつぶさんと更に勢いを増して襲い来る。

 怒り狂うファフニールとは対照的に、マタドールは氷のように冷徹な態度を崩さずに、相手へ向かって踏み込んだ。その足取りは流

水の如く、淀みない。

「愚か──」

 呟きとともに邪龍の懐へと潜り込んだ魔人は、ガラ空きの首元目がけ曲刀を一閃。

 振るわれた刃は、ファフニールの首を紙を裂くかのように容易く切り裂き、斬撃の勢い余ったその頭部は、弧を描いて残っていた僅

かな血液を周囲に撒き散らしながら床へ落ち、転がった。

 つい先程まで、エスパーダの刃を殆ど徹さなかった外殻と、同じ物とは思えぬの脆さであった。

 ファフニールにとって、エネルギーを生み出す精製炉に等しい心臓を失った今、体を構成するマグネタイトは枯渇し、その身は砂糖

菓子にも等しい脆弱さと化していたのである。

「す…ず…か…、儂の…花…よ、め…」

 胴より泣き別れ、床に転がった首のみと化して尚、ファフニールはカッと目を見開き、絶えることない執念に満ちた言葉を紡ぐ。

 しかし、欲望に憑かれた狂人の妄執も、そこが限界──終着点だった。

「…狂った欲に身を任せた事が既に、貴様の運命を決定付けていたのだ。手の届かぬ、いと高き月を見上げながら貴様はそこで朽ち果

てて逝け。近親縁者を丸ごと手にかけた貴様には、それすらも分不相応だがな」

 邪龍を一顧だりせず、優雅な動作でエスパーダの血振りを行ったその刹那、魔刃の風切り音を引き金にしたかのように、ファフニー

ルは斬り離された胴体ごとマグネタイトの塊と化し、爆散して宙に散華した。

「邪法にその身を売った者の末路だな…悪魔と化した以上、肉の一片、血の一滴に至るまで現世には残らぬ。全てマグネタイトに変換

され、他者に喰われるのみ…」

 そしてその魂魄も同様だ。ファフニールという高位の悪魔と化した西埼は、その魂のみは人としての記憶と人格を保ってはいた。

 しかし、マタドールたちの前に現れたファフニールは、魔界の本体より分かれた分霊にすぎない。

 現世での活動で、分霊が得た力やダメージは全て、魔界の本体へとフィードバックされる。それはファフニールと同化した西埼の魂も同様だ。

 それが純粋な分霊のみであれば、本体との人格や記憶の齟齬が無いので、同化するのに問題は発生しない。

 だが、本来只の人間に過ぎない西埼の魂はそうはいかない。起源も何もかもが全く異なる存在──言ってしまえば異物だ。それも、

高位の悪魔から見れば、大海に落ちる真水の一滴にも等しい矮小な存在である。

 悪魔の魂の強度の前に、人のそれなど塵芥も同然だ。西埼という人格パーソナルは、ファフニールという強固な自我の前にその存在すら許されず、

粉微塵に打ち砕かれ、吸収されてしまうだろう。それは即ち、「西埼康二郎」という存在自体の喪失──根源的な死亡を意味する。

 常世に逝く事も、輪廻に戻る事も許されず邪龍の魂に叩き伏せられ、喰らい尽される…外法に手を出した者には、相応しい末路と言えた。

「既に決した外道の行く末は、もうよかろう…」

 淡緑の光が雪の如くちらつく中、マタドールは宙に滞空し続けるアルカードへ向き直す。

「それで…貴様はどうするつもりだ? 吸血鬼。契約者は既に亡く、約条を履行する責務も消えたぞ」

「ギッ、確かにお前の言う通りだ魔人よ。最早俺に契約による縛りはなく、守る必要もない。だが…お前を潰せばこの世界で俺の行動

を邪魔する者はいない。ギギッ、どの道俺を傷つける事などできんが、目障りであることには変わりないからなぁ。それに…」

 ちらりと、アルカードがすずか達の方へと視線をやる。

「この世界に来てからこっち、飲んだのは絞りカスや残飯みてえな血ばかり。いい加減、処女の血で祝杯を挙げたいところだぜ、ギッ」

 大きく裂けた吸血鬼の口が吊りあがり、嗜虐的な笑みを浮かべた。

「っ!?」

 新たな悪魔にまで目を付けられたすずかは、血の気が引いた青い顔で、恐怖に唇を震わせながら二、三歩後ずさる。

「──」

「やらせんぞ、化物」

 そんな彼女を守らんと、険しい表情と気配を漂わせた忍と恭也が、すずかの姿をアルカードから遮るように立ちはだかった。しかし──

「ほう? 極上の乙女を前にしているとは言え、魔人わたしを五月蠅い羽虫

程度と断ずるか…いいだろう、ならばそののぼせ上がった頭に、死の恐怖というものを教育してやろう!!」

 すずかたち三人の更に前に立ち、半身でエスパーダを構えたマタドールが、朗々と宣告を発した。

「ギィッ? お前、今の俺がどういう存在かわかっているのか?」

 だが、人間どころか悪魔すらも恐れ逃げ出す死の化身、魔人の本気の宣誓と気迫を前にしながら、アルカードがマタドールへ返した

のは、呆れ混じりの態度と言葉であった。

「今の俺は完全なる不死。死を克服した今、如何な大悪魔であろうとも俺を殺すことなどできんのだ! ギギッ、死の具現たる魔人で

あろうと、恐るるに足りねえ!!」

 勝ち誇るようにそう叫び、吸血鬼は嘲笑を浮かべる。

「死を克服しただと? これはこれは…愉快な戯言をほざいたものだ」

 手にしたエスパーダの切っ先をアルカードへと向けたまま、マタドールは喜色満面の相手とは対照的に、感情の抑揚のない、無機質

な言葉を投げかけた。

「ギッ、何だと?」

「滑稽。そう言ったのだ、吸血鬼。貴様は死に克ってなどいない。存在した以上、誰もが迎える終末から逃げただけだ」

「────」

 その言葉に、アルカードは笑みを消しマタドールを睨む。

「夜が怖いと、暗闇が怖いと布団を被り怯える童と何も変わらぬ。それも大の大人どころか、伝説に謳われるか悪魔のともあろう者がだ。

 これが滑稽と言わず、何が滑稽だというのだ?」

「──黙れ」

「不死の王などと嘯きながら、その実態は震える小鹿の如く臆病とは、何とも大衆受けしそうな話だ。喜劇の演目には丁度よい」

「黙れェェェェェ!!」

 マタドールの止まらぬ口上にアルカードは怒号を上げ、風を切って空を飛ぶ。

 吸血鬼の狙いは唯一点、眼下の魔人マタドールのみ。

 十数メートルの間合いを瞬時に踏破し、マタドールとの距離を指呼の間程に狭めたアルカードは、耳まで裂けた口を大きく開く。

 シャンデリアの光に照らされた口腔内には、ナイフのように鋭く尖った牙が林立している。

 狙いをマタドールの首に絞ったアルカードは、その頸骨を噛み砕かんする勢いで襲いかかる。

 一連の動作の速度はまさに疾風。ファフニールの竜血を浴びた上に、先程宙に撒き散らされたマグネタイトも幾分か吸収したのであ

ろう。アルカードの力は、マタドールの斬撃で容易に斬り断たれた先刻のそれと比べ、桁外れに上昇していた。だが──

 次の瞬間広間に響いたのは、骨を砕く鈍い音ではなく、剣戟が如き甲高い金属音であった。

「ギッ、ギギッ、てめえ…!」

 アルカードがガッチリと噛みついているのはマタドールの首ではなく、彼が眼前に構えたエスパーダの刀身であった。

「雑魚と蔑む私の御首級みしるしを取る事もあたわず、このような無様な姿まで晒すとはな…ますます喜劇役者じみてきたではないか。

なあ、Vampire吸血鬼?」

「黙りやがれェェェェェェェッ!!」

 牙と噛み合いギリギリと軋みを上げる刃の陰で、からかい混じりの言葉を投げかけるマタドールにアルカードは益々激昂する。

 エスパーダの刀身を噛み締めたまま双翼を羽ばたかせると同時に、両足の鉤爪でマタドールの胴体を掴んで浮かび上がった。

「マタドールさん!?」

 驚きと魔人の身を案じた、すずかの声が響く。

「心配するな! この無礼者は私が引き受ける、皆はこの事態の収束に当たれ!」

「のんびりくっちゃべってんじゃねえェェッ!!」

 叫びとともにアルカードはマタドールを抱えたまま前方へと飛翔し、邸宅の壁を体当たりでブチ抜いて外へと飛び出すと、そのまま

上空へと加速。

 異界の主たるファフニールが倒れた事で、既に屋敷は通常の空間に戻っており、二者が飛び出した外も同様であった。

 夜気を身に受け飛翔するアルカードは、マタドールを掴んだまま上昇に次ぐ上昇。

 視界を遮る物のない高度へと舞い上がった二者を、中天に座す下弦の月が煌々と照らす。

「ギギッ、死にやがれ!!」

 口からエスパーダを離すとともに、アルカードはそう叫びながら掴んでいたマタドールの体を蹴りつけ、眼下に広がる西埼邸の森

林へと投げ捨てた。

 枷から放たれた一瞬の解放感の直後、全身に風圧を受けながらマタドールは地表へと一直線に落下していく。

 高度一〇〇メートル前後からの自由落下だ。この高度から地面に衝突すれば無事では済まない。

 しかし、それはあくまで『無事では済まない』という程度の事である。悪魔、それも魔人からすればこの位の物理的衝撃は、痛打に

はなっても決定打にはなり得ない。

 更に言えば、それもまともに地面へ衝突した場合の話である。受け身を取ったり、魔法や身体能力、固有技能で以って落下の衝撃な

どいくらでも軽減できる。

(さて。その程度の事、予測するまでもなくわかっている筈なのだが──っ!?)

 重力に身を任せ、アルカードの行動に思いを巡らせていた最中、突如マタドールの背筋に悪寒が走る。

 反射的にその危機信号に従い、マタドールが無理矢理体を捻ったその刹那、黒い影が高速で右方を通過した。

「グッ!?」

 直後、マタドールはくぐもった呻きを漏らす。

 黒い影が通り過ぎる瞬間、脇の下を掠めてマタドールの右胸の一部をもぎ取っていったのだ。

 普通の人間であれば、腎臓を潰されたに等しい痛激である。

 だが、傷を気にしている暇はない。すぐに自己修復を働かせながら、マタドールは通り過ぎた影の行方を追い、正面へと目を向ける。

 顔を上げ視界に映った光景は、月光にその身を照らされながら、戦闘機の弧を描く軌道とは正反対の、鋭角な軌道で不規則に宙を舞

い、耳障りな声で嗤う黒い影──アルカードの姿。

「ギギギギギギギギギッ!! この高度で、翼もねえてめえは満足に身動きも取れねえだろう! そうら、いくぞぉ!?」

 宣告とともに、アルカードが再び迫る。左右に広げた双翼に、淡い魔力の光が宿るのが見て取れた。

 舌打ちとともに再度体を捻ってアルカードの強襲を躱そうとするが完璧に避けるとはいかず、魔力を纏い刃と化した翼がマタドール

の左肩を切り裂いた。 

「くっ!?」

「ギギッ、さっきまでの威勢はどうした小僧! 何とか言ってみろよ!」

 形勢逆転となり、勝ち誇るアルカードは自身に対して手も足も出ないマタドールを嘲笑う。

「このまま足をもがれた糞虫みてえに嬲り殺しにしてやるぜ!」

 三度、アルカードが加速しながらマタドールに迫る。

 が──




「調子に乗るな。三下が」




 窮地に立っている筈のマタドールは、迫りくる吸血鬼へ傲然とそう言い放ち、その場で『跳び上がった』。

「──あ?」

 絶対に躱されない──否。そもそもそんな事を想定すらしていなかったアルカードは、自身の一撃を避けられ、間の抜けた声を上げた。

「マハザン」

 衝撃魔法を足場にしての移動法で、アルカードの頭上を取ったマタドールは体を捻り、エスパーダを大きく振り被った。月明かりに

照らされた白刃が、淡い輝きを放つ。

 その刹那、銀線が空を走り吸血鬼の胴を薙ぐ。しかし──

「む?」

 曲刀を通じてマタドールにもたらされたのは、獲物を討った確かな感覚ではなく、まるで霞を斬ったような手応えの無さであった。

「鬱陶しい真似してんじゃねェェェェッ!」

 斬撃を浴びた直後、アルカードは中空で急停止して反転、叫びを上げながらマタードル目がけて切り返す。

 重力も遠心力も無視したアルカードの奇怪な航空機動。だがマタドールはそんな動きにも翻弄される事なく、魔力の籠った翼の斬撃

をエスパーダで受け流し、

「マハザン!」

 相手が通り過ぎる瞬間に、ゼロ距離で衝撃魔法を撃ち放つ。が、これも斬撃同様、確かな手応えは感じられなかった。

「誰も俺を傷つけらねえと言っただろうがァッ! マハザンマァッ!」

 怒声を上げながら再び反転したアルカードは、お返しとばかりに衝撃魔法を撃ち返してくる。

「フッ!」

 鋭く呼気を吐き、マタドールはエスパーダを振るい、己に向かってくる魔弾の群れ次々を斬り伏せると同時に、足元に飛来した物を

踏みつけ、大きく蜻蛉を切った。

 体勢を整えたマタドールは、西埼邸敷地内に植生する、針葉樹の内の一本へと降り立つ。

「どうした、私を嬲り殺しにするのではなかったか? 吸血鬼。この通り地上に辿り着いてなお、我が身は未だ健在、未だ軒昂だぞ」

 長い空中落下から地上へと戻ったマタドールは、挑発するように両腕を大きく開き、頭上のアルカードへ己の無事を喧伝する。

「ギギッ、てめえ…」

 双翼を羽ばたかせて滞空する吸血鬼は憎々しげに顔を歪め、眼下のマタドールを睨みつけた。








(ふむ。これで奴に意識は完全にこちらへ向いたな。これで俺がやられでもしなければ、すずかに危険が及ぶ事はないだろ…)

 アルカードの様子を窺いながら、マタドールの中で令示は、己の企みが上手く運んだ事に安堵の息を漏らす。

 先刻の邸宅内でのマタドールの挑発的な言動は全て、すずかに食指を動かしていたアルカードの意識を、己へと向ける為の方策だったのである。

(とは言え、正直なところ竜血を浴びた奴の耐性はかなり厄介だな…物理攻撃も衝撃魔法も無効、不死身のジークフリートの再現は伊

達や酔狂じゃないという事か)

 だが同時に、未だ全容を掴めていない相手の能力に舌を巻いていた。能力的には、今のアルカードはマサカドゥスを装備した人修羅

か、「ベルの王」の一角であり、不死身に等しい耐性を持つベル・デルことバルドルに匹敵するであろう。

(完全な不死などあり得ん。いかな大悪魔でも、滅びの運命からは逃れられる筈がない。)

 アルカードは完全な不死などと謳っていたが、おそらく耐性を貫いて攻撃できる万能魔法メギドであれば、攻撃が通じると令示は考えている。

(…問題は、俺が現状で万能魔法を使う事が出来ない事だな)

 魔人で万能系魔法が使えるのは、人修羅を除けば四体。だが、現在令示が変身出来るのはその内の一体──魔人大僧正だけだ。

 しかし大僧正が使えるのは攻撃力の低いドレイン系スキルである瞑想だけで、決定打に欠ける。

 シヴァやヴィシュヌの仏教での姿──大自在天や那羅延天として召喚するという方法もあるが、仏教では下位の天部に属するとは言

え、相手は魔界でも屈指の大悪魔である。鎌倉付近で召喚した威霊ハチマンの時と違い、召喚条件を緩和する材料はなく、素で呼び出

すには、敷居が高過ぎる。

 ジュエルシードの一件の際に呼び出した仏神たちのように、瞬時送喚するにしても、メギドラオン級の大魔法を使わせるのでは、現

在の令示の実力では力不足もいいところだ。そして何より問題なのは、今現在彼はマタドール以外の魔人には変身できないという点である。

 ネビロスの一件で、この世界に来てしまった悪魔たちが、自分のみならずその周囲にまで被害を及ぼしかねない事に危惧した令示は、

現在大僧正の力を使って道祖神や賽の神、地蔵を使った監視の他にも、ガンダルヴァやキンナリー──仏教で言うところの乾闥婆と緊

那羅を召喚し、ルイ・サイファーの結界に覆われた海鳴とその周辺の哨戒をさせている為だ。

 そちらに割り振っているエネルギーのリソースは大きいが、他に悪魔がいた場合や、アルカードがここから逃げて一般人を襲おうと

した場合の対策として、この警戒網は維持しておかなくてはならないのだ。

 よってこの場は、マタドールの独力でどうにかしなければならないのだが…

「お望み通りぶち殺してやるぜっ! ギガァッ!!」

 いかに相手を討ち斃すべきか。マタドールの内で思考を逡巡させる令示であったが、苛立ちが臨界に達したアルカードはこちらの都

合など考える筈もなく、怒声とともに翼をたたむと、急降下。一気に空襲を仕掛けてきた。

「チッ!」

 舌打ちとともに横へ跳躍し、別の樹木へと飛び移る。

 次の瞬間、今しがたマタドールが立っていた場所を魔力を帯びたアルカードの双翼が、断頭台の刃の如く走り過ぎる。

 マタドールはそのまま針葉樹の先端から針葉樹へ先端へと、地を駆るように次々と跳び移っていく。

 アルカードもその後を追って攻撃を仕掛けてくるが、マタドールもそれらを巧みに躱しながら反撃を行い、互いが斬撃と魔法の応酬を繰り返す。

 アルカードの双翼の羽ばたきや、唱える呪から撃ち出される衝撃魔法をエスパーダで切り落とし、お返しとばかりにマタドールもマ

ハザンを放ち、すれ違いざまに斬撃を放つ。

(さて、どうする…? このままいくら斬り続けても奴は死なない。それに痺れを切らした奴が、戦いを離脱する可能性も否定できない。奴の不死が完全でな

い。可及的速やかに奴を始末しなきゃならないんだが…考えろ、どこかに弱点がある筈だ。ギリシャのアキレスも、ジークフリートだ

って結局は、弱点となるべき物以外には無敵という限定的な不死だった)

 現状でわかっている相手の特徴は、魔法は効かず、斬撃も無効。いずれの攻撃も霞を斬ったような軽さしかなかったという点。

(──待て。『霞を切ったような軽さ』?)

 考えを張り巡らせていた令示の心中に、僅かな疑問が浮かんだ。

(ああ、それは間違いない。しかしそうだとしたらあの時の『アレ』はどういう事だ?)




 ──ファフニールの血。




 ──ジークフリート。




 ──唯一の弱点。




(ひょっとして……)

 いくつかのキーワードを起点にして令示の脳裏で素早く思考が巡り、一つの推論が導き出される。

(確信はない。けど…このままじゃ手詰まりだ。試してみる価値はある)

 不確定要素はある。しかし、現状これ以上の相手を打破する為の方策はない。賭けに出るしかないのだ。

 マタドールは一本の針葉樹の頂で足を止める。

 そのまま頭上のアルカード睨んだまま体を斜に構えると、エスパーダを水平にし、弓を引き絞るような格好を取る。

 先刻までの、躱しながらや逃げながら戦うヒット・アンド・アウェイではなく、正面から相手を迎え撃つ攻めの構え。

 それを目にしたアルカードの表情が喜悦に歪む。

「ギッ、やっと腹を決めやがったか。どうせ勝てねえなら一矢報いようってところか? 無駄だぜ無駄無駄、ギギッ」

「……下位の魔人一人も容易く屠る事もできぬ蝙蝠が、大きな口を聞くものだな」

「あ?」

「初撃を防がれた挙句、自身の得意とする領域に引き摺りこんでおきながら、私を黙らせるに至らぬ不様さ。下手下策もいいところだ。

せめて──」

 言いながらマタドールは顎を逸らし、アルカードに己の首を晒す。

「最初の狙い通り、この首を噛み砕く位はしてみせろ。吸血鬼」

 自分の首を親指で指し示し、傲然と言い放つマタドールに、

「じ、上等じゃねえかっ! お望み通り、その細首噛み千切ってやるぜっ! ギガァッ!!」

 牙を剥き出し叫びを上げると、アルカードは相手の喉笛目掛け、一直線に空を駆った。

 これを迎え撃つマタドールもまた、攻勢に出る。

 針葉樹を踏む右足を捻り込みながら跳躍。

 体にひねりを加えて、迫りくるアルカードへ向け、エスパーダを横薙ぎに一閃した。




 ──刹那、夜の森に響き渡ったのは金属を叩きつける、激しい打音。




 マタドールの振るった白刃は、再びアルカードの歯によって噛み止められていた。

 エスパーダを噛み締めたまま、アルカードはニィと口端を吊り上げ、同時に両足を振り上げた。

「ギギッ、剣なんか効かねえって言ってるだろうが、この低能がァァァァッ!!」

「グオォォッ!?」

 嘲りとともに振り下ろされた両足の鉤爪が、両肩から腹部までをズタズタに引き裂かれ、その痛撃にマタドールは苦悶の声を漏らした

 その様を見たアルカードは、満足そうに目を細めると、噛み止めていたエスパーダを離す同時に、マタドールの胴体へ前蹴りを喰ら

わせ、吹っ飛ばした。

「ぐっ!?」

 くぐもった悲鳴とともに蹴り飛ばされたマタドールは、放物線を描いて軌道上にあった一本の針葉樹に激突する。

 が、不幸中の幸いというべきか。マタドールはその木の幹にしがみつく事で地上への落下を回避した。

「ギギッ、おいおいこれじゃどっちが無様かわからんな小僧。ギッ、必死に頭働かせて俺を倒す方法を考えた挙句が、あのやけっぱち

の突撃か? 全部無駄だったなあ。ギギッ、完全なる不死の王ノーライフキングたる俺を殺す術なぞある訳ねえだろうがぁっ!!」

 空中で勝ち誇り、笑いを上げるアルカードに対し、マタドールは今し方受けたダメージが大きく、肩で荒い息をしながらノロノロと

した動作でどうにか樹上に立った。

「フ、フフ、フフフハハハハハハハッ!!」

 頭上のアルカードを見上げて、マタドールが発した第一声は笑いであった。

「全部無駄? 違うな、この傷を負ってでも得る物はあった…愚か者め。見切ったぞ、貴様のジークフリートの一葉を!!」

 叫ぶが早いか、マタドールは体をひねり、右手に掴んだカポーテを巻き込むように大きく引き寄せた。

「ギィ? ──ガッ!? グアァァァァァァッ!?」

 その刹那、滞空していたアルカードはいきなり体をビクビクと痙攣させ、大きく口を開いたまま、言葉にならない奇妙な悲鳴を上げ出した。

 激しく翼をはばたかせ、その場から逃れようとするも、まるで空中に縫いつけられたかの如く動けずにいた。

「グゥッ! ギィッ!! ゲ、ゲゲゲ、ガギゴギガガッガてめえ、何をしやがった!?」

「目を凝らして周囲を見てみるがいい。月の光が答えを教えてくれよう」

 狂ったように暴れて奇声を発するアルカードへ、マタドールは抑揚のない落ち着きを払った声で、静かに返答した。

 返された言葉に、アルカードがギョロギョロと辺りに眼を凝らす。すると──

「ギギィッ!?」
 
 アルカードは目を剥いて驚愕する。

 月光の下、幾百、幾千条もの糸が縦横に走り、キラキラと青白い光を反射していたのだ。

 しかもそれらの糸は、全てアルカードの口へと伸びており、その見た目に反する強靭さで、舌を、歯を、口蓋を、喉を固定していたのだ。

「ガ…ガグガゴゲガ何だこれは!! ゴグガゴゴギグゴガギこんなモノいつの間に!?」

「これはカポーテの糸だ。先程、貴様に斬りかかった際に解いて、空に張り巡らせていたのだ」

 マタドールが右手を持ち上げ軽く引くと、掌中のカポーテから伸びた糸が、月明かりに照らされてあらわになり、そのまま空中に張

り巡らせたそれへと繋がっているのが、見て取れた。

「英雄ジークフリートはファフニールの血を浴びて不死身となった。しかし、その際に背中に貼りついていたイチジクの葉によって背

中の一ヶ所のみ血を浴びず、人のままであった。故にそこが弱点となり、かの者の伝説の終焉へと繋がった。

 ……吸血鬼でありながら吸血を忘れるとは、何とも皮肉な事だなアルカードよ。血を口にしなかった貴様の身の内は、正しくジーク

フリートの一葉となったのだ」
 
「っ!?」

 マタドールの台詞に、アルカードは目を見開いて絶句した。

「さあ幕引きだ。伝説の最後はいつ何時も呆気ないものだ。神話伝承を基とした魔術は、確かにそれを信奉する人間の思念の多大さ故

に大きな力を発揮する。しかしそれは、同時にその「神話や伝承に」縛られる事を意味するのだ! 不死身であったジークフリートが

最後に非業の死を遂げたように、貴様もその運命からは逃れられん!」

 マタドールが右手のカポーテを大きく掲げると、それと同時に空中の糸が一斉に動き出した。

「ゴッ!? グアァァァァァァァァァァッ!!」

 その瞬間、アルカードは瘧のようにガクガクと体を震わせ、絶叫を上げた。

「糸状のカポーテを貴様の体内に侵入させた。まずは全身の筋繊維と内臓を粉微塵になるまで斬り裂く」

「────ッ!!」

 七孔憤血。

 宣告通りに体の内部を掻き回した事で、声を発する事もできなくなったアルカードは目、鼻、耳、口。顔中の孔という孔から血を噴き出した。

 時同じくして、体を固定していた糸の全てが体内に入り込んだ事で、支えを失い、アルカードはその身を地へ叩きつけられた。

「ギ…、ギガガ…これで、勝ったつもりか…? ギギ、俺はこんなもんじゃくたばらねえぞっ……!」

 ズリズリと地を這いながら、アルカードは自身より遅れて地上へ降り立ち、悠然と歩み寄ってきたマタドールを睨みつけ、吐き捨てる。

「知っているさ。本来の、吸血鬼としての貴様は白木の杭で心臓を打たねば、滅する事ができないのだろう? 幸いここにはいくらで

も杭の原料になる木がある」

 周囲の木々を見回し、マタドールが冷たく言い放ち、だが、と言葉を繋げる。

「体の内部は竜血の対象外とは言え、貴様の弱点に対して浴びた血が、どのような効果を及ぼしてくるか未知数だ。故に私は、徹底し

た安全策を、確実に貴様を殺す方法を取らせてもらう」

 冷徹にアルカードを見下ろすマタドールの周囲に、カポーテから枝分かれした幾条もの糸が舞う。

「朝日が昇るまで貴様の臓腑を掻き回し、この場に縫いつける。そして開いた口から陽光を浴びせながら、身の内から直接心臓に白木

の杭を打ちこんでやる。つまり──死ぬまで殺してやるという事だ」

「────」

 マタドールの宣告に、アルカードは絶句し色を失う。

 いかに不死の吸血鬼とは言え、痛覚は存在するし感情もある。故にマタドールの述べた方策がいかに恐ろしいかを誰よりも理解していた。

「払暁まで、おおよそ八時間といったところか…さあ、夜が明けるまで存分に楽しむがいい。このDanse Macabre死の舞踏を!」

 ──次の瞬間、夜の森に濁った悲鳴がこだました。
















 水平線の彼方から昇る朝日。

「…ふう、やっと終わりか」

 樹上にて、海から吹きつける冷たい潮風に体を晒しながら、マタドールは疲れを帯びた呟きを漏らした。

「死んだ後に皮だけが残るようであれば、錘を付けて海溝にでも捨てるようと考えていたが…どうやら杞憂であったか」

 そう言って目を向けた彼の左掌中には、エスパーダではなく、黒い獣毛に覆われた皮──竜血を浴びたアルカードの外皮があった。

 ファフニールの血の効果か、マタドールが宣告通りにアルカードを殺し続け、朝日を浴びせながら白木の杭で心臓を針鼠になるまで

突き続け、滅した後にも皮だけ残っていた。

 しかしそれも、本体の消失に伴って、ゆっくりとではあるが端の部分からマグネタイトへと変化し、消えつつあった。
 
 マタドールは完全に皮が消え去ったのを確認した後、樹上から地面へ降り立ち、屋敷の方向へと足を向ける。

「──さて…、今頃忍さんたちはてんやわんやだろうけど、大丈夫かねえ?」

 同時に魔人の姿から人間へと戻りながら、令示は今後に振りかかるであろう面倒事の山を想像して大きく溜息を吐いた。

 と、その時──

「っ!? 令示君!?」

 キョロキョロと周囲を見回しながら木々の間から姿を見せたすずかが、令示を目にして驚きの声を上げた。

「よっ、すずか」

「大丈夫なの!? 怪我はない!? さっきの怪物は!?」

 軽く手を上げ挨拶をする令示に、すずかは素早く駆け寄ると矢継ぎ早に質問を浴びせかける。

「お、落ち着けって…アルカードの野郎ならもうぶっ倒したし、多少怪我はしたけど問題はないよ。でなきゃ人間の姿のままでこんな

所ウロウロしてる訳ないだろ?」

「怪我したの!? 大丈夫なの!?」

「ああ、悪魔は再生能力は高いからな。ま、その分疲れるけど」

「そっかぁ、よかったぁ…」

 心配事が杞憂に終わり、すずかは安心したのか大きく息を吐いてその場にヘナヘナトしゃがみ込んだ。

 心優しい彼女の事だから、自分を心配していたのであろうと、令示は少し申し訳なく思った。が──

「けど、何の備えも情報も無しでいきなりここに来るなんて危険だぞ、すずか。あの野郎がまだ生きていたらどうすんだ?」

 いくら何でも不用心過ぎる。少々眉間に皺を寄せながらそう注意すると、すずかは俯いてごめんなさい、と口にした。

「私…会長さんが変身した怪物とか、令示君を連れて行った怪物に捕まったり、みんなの迷惑ばっかりかけて何もできなくて…でも、

令示君の事が心配で…その、私をかばったせいで、し、死んじゃうんじゃないかって思って…」

 スカートの裾を握り締めて、上擦った声でそう述べるすずかを目にして、令示は何も言えなくなった。

 何もできないどころか足を引っ張ってしまったという思いと、自分を助けてくれた友達が死んでしまうかもしれないという恐怖と自

責の念に一晩中苛まれたのだ。少し考えればわかっただろうが! と、令示は心中で自分を呪う。

「あ~…悪いすずか、ちょっと言い過ぎた。気にかけてくれた相手に少し無神経な言い方だった。ごめん」

「…ううん、いいよ。令示君だって、私を心配して言ってくれた事だってわかるから」

 込み上げる吃逆を堪えながら、すずかは微笑んだ。

「それでだな、屋敷の方はどうなってる? あれだけの騒ぎだと隠すのも一苦労だと思うんだが…」

 令示は懸命に涙を堪えるすずかの様子に気付かないふりをして、話題を変えようと現在の懸案事を口にした。

「うん、すぐにお姉ちゃんが一族の人たちに連絡して、来てもらっているよ。魔眼での記憶操作とか、警察の偉い人と仲がいい人とか、

みんな忙しそうにしている」

「…現場に居た人間の記憶操作と、警察への根回しは終了済み、か。流石忍さん、心配はなさそうだな──と!?」

 隠蔽工作も問題が無さそうな事に安堵した途端令示の視界が揺れ、立ち眩んだ。

「っ!? 令示君、大丈夫!?」

 覚束ない足取りでふらついた令示に駆け寄り、その肩を支えながらすずかが呼びかけてくる。

「あー、済まんすずか。流石に一晩中あの野郎の相手をして疲れたわ。ちょっと眠気に耐えられそうにない」

「ちょ、ちょっと令示君?」

 その場で膝から崩れ落ちる令示に、彼の身を支えていたすずかもそれに伴って腰を下ろしてしまう。

「えと、えと……」

 突然の令示の様子にどうするべきか困惑するすずか。

「……あっ、そうだ。令示、君…! ちょっと、体…ずらして…!」

うんうんと唸りを漏らして考える事数秒後。何か思いついたらしい彼女は、力が抜けて倒れそうになっている令示の上半身を、己の膝

の上へと誘導した。──所謂、膝枕だ。

「これでよし、と。どうかな? 令示君。頭、痛くない?」

「ああ…大丈夫、いい気持ちだ」

 上から窺うように己の顔を覗き込んでくるすずかを見つめながら、令示は肯定の意を返した。

「そっか、よかった。令示君、お疲れ様」

「すずかもな……少し眠るわ。忍さんたちが来たら起してくれ」

「うん」

 まどろみの中、自分へと微笑みを向けるすずかを眺めながら、令示は気付いた。

 ──陽の光を浴びる黒髪は、とても暖かい色をしているのだと。




 偽典魔人転生 閑話 海鳴怪奇ファイルVol.2 絢爛舞踏会 了












 後書き

 皆様本当にお久しぶりになります、吉野です。

 約一年半ぶりのアルカディアへの投稿になります。お待たせして申し訳ありません…

 感想掲示板の、こんな拙作を待って下さっている心温かい皆さまの書きこみを見る度に、

「は、早く書かなくては…か、感想のお返事も…」

 と思っていたのですが、思うように筆が進まず、書いては消しの繰り返しでした。

 更に言い訳をさせていただければ、仕事が忙しいのと、気力と体力が落ちてきているのが主な理由になります。

 …三〇過ぎると疲れが抜けにくくなりますね。ましてや干支が三回り近くなるともうね…

 閑話休題。

 ところで皆さまは『真・女神転生Ⅳ』はプレイなされたでしょうか?

 賛にしろ否にしろ言いたい事はありますが、一つだけ言わせてもらえればルシファー様のデザインは元のままでよかった…!!








 さて、それでは今回の話の解説を少々。


 西埼康二郎


 今回登場したオリジナルキャラですが、西○グループの初代会長がそのモデルになっています。

 この人は性豪として数々の伝説を残した人物で、ウィキの記述を見るだけで「どこのエロゲーだよ!!」と、ツッコむ事必至の

エピソード満載で、モニター見て固まる、やる夫のAAみたいになってしまいました。


 アルカード


「葛葉ライドウ対超力兵団」の前日譚になる「デビルサマナー 葛葉ライドウ 対 死人驛使」に登場する小説版オリジナル悪魔になります。

 夜の一族と本物の吸血鬼を絡ませた小説にするかと考えていた時、メガテンシリーズでは只のヴァンパイアくらいしか居なかったの

で、こいつの存在は丁度よかったですね。ただ、ちょっと雑魚っぽいんだよなぁ…アーカードの旦那まではいかなくても、もっとこう、ねえ?


 ジークフリート


 北欧神話は厨二病患者の三大必読書の一つだと思う。

 吸血鬼がファフニールの血を浴びたら最強じゃねえ? という発想もあったけど、「不死身のジークフリート」とか、「ジークフリ

ートの一葉」とか、厨二心にギュンギュンとキテしまったのがそもそもの発端です。


 絢爛舞踏会


 いつすずかとダンスを踊ると言った? 

 タイトルの絢爛舞踏会とは、アルカードを死ぬまで殺すDanse Macabre死の舞踏の事だったんだよ! (AA略

 ΩΩΩ ナ、ナンダッテー!!

 いや、最初はすずかと踊らせるつもりだったんですけどねえ…どうしてこうなった? 

 最近の社交界って、ダンスもやるパーティーってあるんですかね? 社交ダンスって、なんかコンテストとか大会みたいになってる

雰囲気があるますね。

 まあ最後に膝枕やったので、ヒロイン力はアップしましたね。








 さて、次回からはいよいよ「A´S」編突入となります。

 今度はなるべく早く投稿を、半年以内…いや、せめて三カ月以内には投稿を…できたらいいなあ。

 という訳で、また次回の投稿でお会いしましょう


 追伸

 遅れたお詫び、という訳ではありませんが、今回の番外編を書くにあたり、ボツにしたネタなども載せます。

 楽しんでいただければ幸いです。

 それと番外編のタイトルは全て、ゲームのタイトルをもじったり、そのまま使用してたりします。








 EXCITEBIKE(エキサイトバイク)

 海鳴に東京湾を跨ぐアクアラインが建設された。

 東京、千葉、神奈川の一都2県を繋ぐ新たな交通バイパスに沸く市内。

 しかし、完成を目前の数日前から市内やネット上に奇妙な噂が立ち始めた。

 曰く、『アクアライン上に幽霊が出る』と。

 アクアラインに侵入した者や、外から見物した人間達が次々と目撃証言を述べ始めたのだ。

 普段であれば単なる噂と一蹴するところであるが、悪魔が出没する現状、只のほら話と言い切る事は出来なかった。

 令示は完成式典に招かれていたアリサとすずかに同伴する形でアクアラインに向かい、そこで悪魔の大群に出くわした。噂は真実

だったのだ。

 オボログルマ、クリス・ザ・カー、首なしライダー、ターボばあちゃん等々、騒走系統の悪魔達の狂走に対抗すべく、ヘルズエンジ

ェルへと変じた令示は、逃げ遅れたすずかをタンデムシートに乗せ、悪魔達を撃ち破りながらアクアラインをひた走る。

 その背後より高速で迫る騎影。

 首なしライダー達を従えた悪魔、スピードデーモン。

 速さという狂気に憑かれ化生へと変じた最新の悪魔は、ヘルズエンジェルとすずかを見て嘲笑う。

「そんなカビの生えた古臭ェオンボロにお荷物まで抱えて、俺のマシンに勝てると思っているのかよ!?」

 だが、ヘルズエンジェルはそれを聞いても泰然と鼻を鳴らす。

「ほざいてろbad boys(クソガキども)マシンの性能におんぶに抱っこしてやがるひよっこどもに、俺が負けると思っているのか?

 それに──」

 不安げにこちらを見つめているすずかの方へと振り返り、笑いながら言い放つ。

「こっちには幸運の女神が居るんだぜ?」








 ギターフリークス


 闇の書の騎士たちを追う最中、高町家の面々と親しいフィアッセ・クリステラが来日した。

 ワールドツアーの最中であり、海鳴がその開催地の一つでもあったのだ。

 高町家とその縁者たちが会場に招かれる事になり、アリサやすずかはもちろん、フェイトと令示も招待された。

 会場で楽屋に招かれた際、バイオリニストの一人が事故で来れなくなったと告げられ、魔人デイビットの演奏力を知る

なのはたちが何気なく呟いてしまった。

「令示君ならできるんじゃない?」

 その一言でフィアッセの前でバイオリンの演奏をする事となり、彼女も、演奏者たちもその腕前に納得して代役を頼まれてしまう。

 そして観客が入り、幕が開いたその時、

 騒音のような暴虐のメロディとともに悪魔が現れる。

 ユリア、スピーディー、ミキヤ。

 音楽の怨霊たちが奏でる狂気のメロディに憑かれ、暴れ出す観客たち。その暴徒の群れを何とか脱出したフェイトと合流した令示は

魔人デイビットに変身し、フェイトに呼びかける。

「奴らの歌と曲は呪歌の一種です。呪歌には呪歌で対抗するしかありません。フェイト、「POWER GATE」を!」

 デイビットと呼びだした悪魔たちの演奏で、フェイトが歌い出す。

 ミッドチルダに滞在中だった時のビデオレターのやりとりで令示が教えていた、明るくポジティブな歌詞がフェイトの声で紡がれ

魔曲と合わさって怨霊たちの狂騒曲を打ち消していく。

 切羽詰まった怨霊たちは呪歌を召喚の祝詞に、観客の狂騒から現れたマグネタイトと己自身を贄にして、アマラより悪魔を召喚する

 魔王ベルゼブブ。

 その召喚は不完全で、魔法陣より髑髏の杖を掴んだ腕一本のみであった。しかし、大物悪魔の力で会場の人間たちはどんどん衰弱化

していく。

 ここに来て、デイビットも切り札を切った。

「──フェイト、天羽々斬あめのはばきりを」

 朗々と紡がれる雄々しき戦歌。

 その呼び声に応じ、顕現したのは。

「オオオオッ! 熱い、燃えるぜええ! 萌じゃねえ、燃えだぁぁぁっ! 建速須佐之男命たけはやすさのおのみこと見・参!!」

 フェイトの呪歌を供物にしてスサノオを召喚したデイビット。

「さあ、これでフィナーレと参りましょう!!」


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