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[12496] Muv-Luv Initiative (オリ主転生→BETA大戦世界) [still breathing]
Name: Caliz◆9df7376e ID:5e4b39e2
Date: 2020/03/25 01:32
*CAUTION*

この物語はBETAの存在が確認されている世界へ、原作知識を持った一人のオリ主が転生する……といった場面から始まるお話です。
多岐に渡る二次創作ジャンル群においても「原作知識持ち転生」と分類され、取り分けメタ的な性質を持っております。
そういうのを好まれるor大丈夫な方はどうぞ、続きを表示するをクリックしてやってください。
作者が喜びます。

そして願わくは読了の後、一言でも構わないので感想掲示板での忌憚なき感想・批判などをお願い致します。
真摯に受け止め、可能な限り吸収し、成長していこうと思っております。



遅筆がちで不定期更新です。

合言葉は「絶対にエタらせない、絶対にだ」





※旧タイトルのBETA世界という表記について※

感想板にて読者様にご指摘いただきました。
BETA世界という表現が非常に紛らわしかったようで、読者の皆様を混乱させてしまって申し訳ありません。
BETAに転生するわけではありませんので、そういうのを期待してお読みになられた方には心から深くお詫び申し上げます。
ただ物語の都合上、AL世界、UL世界とはっきり明記する訳にもいきませんでした。
AL、ULといった世界の定義付けは「因果導体として現れた白銀武が一度目か二度目か」ということが解って初めて確立しますので、未だ因果導体としての武が存在しておらず、おとぎばなしが始まってすらいないこの世界を表現する名称としては不十分かと考えました。
BETAの存在が確認されていることから「BETA世界」という単語を使用していたのですが、それがマズかったようで……本当に申し訳ないです。
ですので誤解を招いたタイトル表記を改変し

オリ主転生→BETA世界

オリ主転生→BETA大戦世界

とさせて頂きました。




~投稿状況~
現在、以下の投稿サイト様へ多重投稿をさせて頂いております。
arcadia 様
にじファン 様←サービス停止
ハーメルン 様←New

~執筆状況~
第一部・完結―全11話
第二部・開始~継続中

~連絡事項~

*11.11.26*
チラ裏より移転
本板移動に伴い、一部キャラのアク抜きを行いました。

*12.07.09*
祝!TEアニメ放映開始。
これに伴い、齟齬が生じてしまった描写に僅かに加筆&修正を行いました。

*14.01.10*
あけましておめでとうございます。
TEゲーム版、クロニクル04、その他設定資料の発売に伴い、加筆&修正を行いました。

*20.03.25*
ハーメルン様への多重投稿を開始しました。
作者名は既に同じのが取られていたので@lizとしました。



Twitterやっとります。
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@Caliz77242170 で検索すればHitします



[12496] 第一部 第零話 ─二度目の人生─
Name: Caliz◆9df7376e ID:5e4b39e2
Date: 2012/06/01 19:10
A.D.1984 Dec,16


人として"二度目"の生を受ける、という奇跡を体験した日から1年が過ぎた。

始めは確固たる意識がある訳ではなかった。
もし魂という存在があるとして、肉体という器に馴染むための準備期間といったところなのだろうか。
ノンレム睡眠の最中に無理矢理に叩き起こされたような酷い倦怠感、そして再度の休眠。
どれほどそのサイクルを繰り返しただろう。気付けばいつの間にか自我が完全に定着していた。
五感も正常に機能している。この時、既に生後半年を迎えていた。
その上、俺はここが"来世"だということを確かに認識できた。

当然、戸惑いしかなかった。

お世辞にも長く生きたとは言えない"一度目"の人生を何度も反芻する。
……断言しよう。その手の奇跡を授かるような敬虔な人間ではなかった。
生まれ育ったお国柄のこともあってか、宗教やら神と言ったものにはてんで無頓着に育った。
挙句、クリスマスと称して飲み食いして騒ぎ、その一週間後には初詣という混同っぷりである。
そんな自分が、前世の自我やら知識をほぼ完全に引き継いだまま、誰しもが一度は夢を見る"転生"などというオカルト的な特権を受け入れていいのか?と。
俺は不慣れな赤ん坊としての生活の最中、そういったことばかり考えていた。

そしてその半年後の、今日。

死に際を改めて回想してみる。

俺はバイクで高速を走っていたと思ったら、対向車線からタイヤをバーストさせた大型トラックがすっ飛んできて即死した。
もう自分でも何が何だか解らない。
運が悪いなんて言葉で済まされていい訳がない。
中央分離帯を乗り越えて来るとか斬新すぎる。
完全に俺に責任はない。0:10で向こうが悪い。法的にもそうだろう。
あまりにも想定外過ぎる上、相対速度とかも考慮すれば避けようがない。
理不尽だ、不条理だ。

だから俺には二度目の人生を謳歌する権利がある。

と、結論を出した。

勿論、半年悩んでこんな即物的な結論な訳がない。
正直に言うと半年も悩んでない。
ぶっちゃけると一時間掛けずに答えを出した。
ならばこの半年間何をしていたかと言うと、闘っていたのだ。

現実と。

初めて母親から授乳する時

「えいじちゃーん?はぁ~い、おっぱいでちゅよ~?」

なんて言われて、もう本気で泣きたくなった。
ちなみに、えいじというのは俺の新しい名前らしい。
どういう漢字が宛がわれているのかはまだ解っていない。
苗字は「ふわ」のようだ。こちらもまだ確認した訳じゃないが、恐らく漢字表記は「不破」だろうか?
「ふわ えいじ」それが今の俺の名前のようだ。
苗字のほうが結構珍しいが、いい名前だと思う。生前の名前もそこそこ気に入っていたが、なんというか、そう、響きがいいと思う。

しかし、母乳プレイとかマニアックにもほどがあるので簡便してほしい。

こんな経験、自我がある時にしたくなかった。
勿論、始めは拒絶しようとした。
だが母親が物凄い悲しそうな顔をして

「う、うぐ……あなた……エイジちゃんが急におっぱい飲んでくれなくなって……まだ乳離れの時期じゃないのに……」

なんて夫に向かって涙ぐむのだ。反則である。
父親も困った顔をしていた。これじゃ拒絶する訳にはいかない。
一度目の人生では両親が早々に他界し、ほとんど父方の祖父母に育てて貰ったようなものだった。
その祖父母も俺が成人し、社会人になるとまるで遣り残すことはないというかのようにあっさり死んでしまった。
だから円満で暖かい家庭と言うものには常々憧れていた。
せっかくの二度目の人生。こんなところで両親との遺恨を残したくは無い。
覚悟を決めろ俺。なぁにちょっと羞恥心を押さえつけるだけだ。
確か1才前後で離乳食にシフトしていくはず。
それまでの辛抱だ。耐えるんだ。
頑張れ、俺、超頑張れ、と喝を入れ、母乳を飲む。
マズいとまではいかなかったが、味が薄かった。

辛すぎる食事を終えた後は、現状でどれほど体が動くのかテストしてみた。
はっきり言って期待はしていなかった。
生後5ヶ月だ。まだ碌に動けるものではないだろうと、半ば諦めていた。
すると驚いたことに、立って歩くことに成功した。
壁に寄り掛かってではなく、二本の足で、である。
しかも、喋ることも出来た。
どうやら赤ちゃんという存在を見くびっていたようだ。
世間一般から見れば月齢5ヶ月でこれは余りにも早熟だろうが。
神経系の成長が早いらしい。
前世の知識と経験があるとはいえ、体が付いてこないだろうと思っていたのでこれは僥倖だ。
両親は「うちの子はもうしっかり喋るし歩くし天才だな!」などと喜んでいた。
勿論、多少の罪悪感はあるが、演技している。わざわざ自分から実は転生したんですよーなんて広めて頭のおかしい子扱いされるのは嫌だ。
あくまで「一般常識の範疇において早熟で賢い子」だと認識される程度の行動しかしていない。

……いや、例外としてトイレだけはそういったことを考えずに自重せず、自分で行くようにした。オマルだが。
生後半年で自主的に行くというのは異例すぎるのだが、お漏らしだけは避けたかったのだ。
……精神年齢二十歳を軽く超えているのに、お漏らしは辛すぎる。
オムツをしているからお漏らししてもいいなんてことは決してない。
あんな不快感を味わうのはご免である。

と、避け得ない多種多様な面倒事があった訳だが、俺は今日、無事に1歳を迎えることが出来た。
先ほどまでテーブルを囲んで誕生日を祝ってもらっていたばかりだ。
今は寝たふりをしながら脳内会議をしている。

今日を一つの転機としよう。
いい機会だ。意識的には丁度半年、体の起源からすれば丁度一年。
定めるべきだろう。
今後の身の振り方の方針を。

半年前の覚醒の日から、俺は行動を開始していた。
この世界の情報収集である。
動き回れるならば行動しない訳にはいかない。
俺はどんな世界の、どんな星の、どんな国に生まれたのか?
両親の会話、テレビに映される世界、目に付いた様々な文字の羅列、etc,etc。
身の回りで手の届く、視線の届く全ての範囲から情報を読み取った。

……まぁ、自分の名前や両親の喋る言語で九割予想は付いていたが、ここは地球の日本のようだった。

入ってくる情報の全てが日本語だったから、当たり前と言えば当たり前なのだが。
肝心の時間だが……俺の意識が覚醒した時点での西暦は既に1984年だった。
そして俺の誕生日である今日は、1984年12月16日で間違いないようだ。
生まれ変わりの際に過去へと遡ってしまったのかと思い込んだ。
輪廻転生とやらは時間を超えて過去へと逆行することも出来るのか、と。
だがそういった疑問も、すぐに消えていく。
安堵したのだ。まず日本語が、そして何より自分の常識が通じる、と。

そう思った。

……が、更に情報を収集していくことによってそれは勘違いだと気づかされることになる。
所々で両親の会話に入り込む、俺の知る1984年の日本の情報と、この世界の日本の情報との齟齬。

────戦争中?……どこと、どこの陣営が?湾岸戦争にはまだ早い。冷戦こそ続いていたが、1984年現在に日本から見て戦争と呼ばれる規模の争いが起きているのはおかしい。

────日本帝国?……第二次世界大戦は40年も前に終わったはずだ。時代錯誤が過ぎるんじゃないのか?

────戦術機?……戦闘機の聞き間違いだ。そうに違いない。まだ子供なのに耳が遠くなったか?俺。

──────── B E T A ?

……腹を括るしかない。最早、疑う余地もない。
全ての情報を整合するに……誠に信じがたいが、現実として受け入れるしかないだろう。
ここは間違いなく、マブラヴの────BETAと戦争している世界の日本だ。
もし仮に俺を転生させた神とかいうのがいるとしよう。

チェーンソーでバラバラにしてやりたい。

創作フィクションの物語世界に転生。
なるほど、そういうものもあるのか。
悪くない。むしろ、いい。望むところだ。夢のようだ。歓迎しよう、盛大に。

その物語の世界観が絶望的じゃなければ、だが。

何故、何故に幾千幾万もある物語の中から、よりにもよってマブラヴなのか────ッ!

確かにマブラヴは好きだ。戦術機、いいね、大好きだよ。A3最高じゃないか。
メカ本だって迷わず購入したさ。アレはイイものだった。
だが、それとこれとは話が別だろう。転生先としては泣いて謝ってお断りしたい世界だろう。
これじゃ俺は人生を謳歌するどころか、桜花のように散ってしまう可能性のほうが高い。
誰が上手いこと言えと言ったって?別にそういう意図で言った訳じゃない。
この世界に生きている限り、死ぬ可能性からは逃れられない。
生前の平和と言える世界でさえ、俺は事故で死んだのだ。
ましてやこの世界は戦争中だ。死亡確率は極めて高い。

俺は既に一度死んでいる。そして、死ぬ時の感覚も、覚えている。

一瞬の衝撃と、一瞬の激痛の後に訪れた、無。
あの言葉では形容し難い感覚。
アレをもう一度味わう?────BETAに食われゆく中で?冗談じゃない。
死にたくない、そう易々と二度も死んで堪るか。
無い知恵絞って、考えてみよう。具体的に死なないようにするにはどうするか。

傍観でもするか?いや、却下だ。

傍観は死を受け入れるのとほぼ同義だ。何故か? それは十中八九、この世界が死に絶えるからだ。
オルタネイティヴ5によってBETAの魔の手から逃れることが出来るのは選ばれた約10万人のみ。
その約10万人に選ばれることが出来れば、生き残れるだろう。だが、その他大勢の人間を滅亡が確定している地球に残して、だ。

なら、逃げるか?

あらゆる手段を用いて選ばれし10万人になり、逃げるか?この星から。
それが、元一般人の俺に出来る最良の選択ではないか?
だが選ばれる根拠なんてどこにもない。
それに今からそれを進んで選択するのは、正しいことか?間違いじゃないのか?
逃亡を選ぶのは、本当にどうしようもなくなった時でいいのではないか?
この考えも希望的観測から来る楽観なのだろうか?
だが、理性でも本能でも、逃亡という行為に対して中々納得がいかない。

……いや、違う。忘れてはいけないことを、忘れていた。

この世界は幾つもの偶然が重なり、一人の少女の強い想いによってのだ。
終りの無い円環の中に。
だから、逃亡も傍観も結局は無意味。

なら───立ち向かうしかないじゃないか。

だが、この余りにも過酷で無慈悲な御伽噺に、介入するのか?……出来るのか?一般人だった俺に。
覚悟もない、本格的に体を鍛えたこともない、喧嘩すら碌にした事もない、こんな俺に。
……極めて困難だろう。徴兵されるまでにまだまだ時間的猶予があるとはいえ、到底出来るとは思えない。
確かに前の人生ではそこそこ不幸で厳しい経験をしてきたとは思う。
だが、この世界でこれから経験していく『闘い』と比較するには、俺の前世なんぞ対象としては温過ぎるはずだ。
───戦争。それは想像も付かないほど、俺の持つ常識から懸け離れた事象。
そんなところに自分から飛び込むというのだ。
もし、もし仮に適正が合り、試験で合格して衛士になれたとしよう。
そして更に『白銀武』が出来たように俺にも上手く戦術機を扱えたとしよう。
それでも俺がBETAとの戦闘で生き残ることが出来るビジョンが見えてこない。
まだまだ問題は山積みだ。
介入する、と。口でいうだけなら簡単だ。
だが、不確定要素が余りにも多すぎる。
下手な介入をして未来への希望の種を潰してしまいました、ではお話にならないのだ。
だから、慎重にならざるを得ない。
故に余計なことをせずに全てが始まる日、2001年の10月22日まで何もしないで待つという選択肢すら候補に上がってきてしまう。

この世界はアンリミテッドなのか、それともオルタネイティヴなのか。

それすら未だに解っていないのだから。
一体この世界は、どちらなのか?

それは、1998年に日本をBETAに蹂躙された挙句、
1999年の明星作戦においてG弾が投下され、
2001年10月22日に現れた『白銀武』がどういった存在か見極めた時に漸く解ること。

───つまり、完全に後手。それでは遅い、遅すぎる。

そんな所から介入したって、大局に影響はない。結局、全てが『白銀武』任せ。
『二度目』の武が現れたと仮定しても、それまでに余計なことをしていれば桜花作戦が失敗してしまうリスクだってある。
ただでさえ甚大な犠牲を出しながら綱渡りの末に成功しているのだ。
妙な刺激を与えれば、綱ごと全てが堕ちるとしても不思議じゃない。

だったら、やはり介入などせずに傍観したほうがいいのではないか?
全てを運に任せ、武が世界を救ってくれることを祈り続けるべきじゃないのか?

───駄目だ。それは断じて選んではいけない選択だ。

俺が余計なことさえしなければ……2001.10.22に『白銀武』は確実に現れるだろう。

───だが、それが『一度目』の白銀武ならどうなる?

そう……そのまま俺が何もアプローチを掛けなければ、オルタネイティヴ計画は5段階目に移行する。
そしてその果てにあるのは、G弾の集中運用で生じた重力偏差による───ユーラシア大陸の完全海没。
……決して見過ごすわけにはいかない結末を迎えることとなる。

───だから、介入しない訳にはいかない。
日本を、世界を、人類を有利にするために。
『一度目』の白銀武をオルタネイティヴ4の完遂へと導くために。

───だが、下手な介入もしてはいけない。
日本を、世界を、人類を不利にしないために。
限りなく0に近いが『二度目』の武が現れた時、オルタネイティヴ4の完遂の妨げにならないために。

……俺はこの両方をこなしながら、2001.10.22の運命の日、白銀武に接触出来る立場に収まらなければならない。

余りにも厳し過ぎる現実に板ばさみされたこの状況。
どう打破すべきなのか?
まだ十年以上先のことなのに焦ってしまう。
考えが纏まらない。方針が定まらない。
どんな行動を起こせばいい?まず何をするべきだ?
最高の、最良の、最低限の未来を確立する為に……俺は一体どうすればいい?





……いや、待て。何かが引っかかる。見落としていたことでもあるか?

『1998年に日本をBETAに蹂躙された挙句』

────あぁ……そうだ。

……そうだよクソッ!

そもそも、俺に地球の未来がどうのこうのと大局のことを考えている余裕なんてなかったんじゃないか。

何を神の視点で語っている。

己の視点で語れ。

このまま此処にいては、BETAの大軍に飲み込まれて死んでしまう。

俺も。まだ実質半年の付き合いだけど、俺に二度目の生を与え、愛を込めて育ててくれている"新しい両親"も。

死んでしまう。皆、皆、死んでしまう。

ここは、決して遠くはない未来、地獄になる場所。

俺は、自分が九州地方の熊本県に在住しているということを、完璧に失念していた。



[12496] 第一話 ─平和な日常─
Name: Caliz◆9df7376e ID:5e4b39e2
Date: 2011/11/26 18:02
A.D.1986 Summer,oneday


夏。

家の庭で行われているのは、セミのうざったいほどの大合唱。

「……せからしか……」

あまりにも不快過ぎて思わず声に出してしまった。
五月蝿いだけではなく、暑さまで酷くなったように感じる。
それを多少は緩和してくれる乾いた風が肌に心地いい。
涼しげな音を鳴らす風鈴も幾分か気分をマシにさせた。
カラン、と両手で持った麦茶の入ったコップから氷の音が耳に伝わる。

「……はぁ……」

平和だった……呆れてしまう程に。

今この瞬間も大陸のほうでは地獄のような戦闘が行われているはずだ。
だというのに俺は日常の中に居て、そこは平和で満ちていて。
10年後に西日本が壊滅するなんて、まるで嘘のようで。
眺めていた庭から背後に視線を移してみると、父と母がまったりとスイカを齧りながら和やかに会話をしている。
纏っている雰囲気からは、焦りや不安といった負の感情は一切読み取れない。
この日常が壊される事無く、いつまでも続くと思っているのだろうか。
でもそれは、叶うことのない思いだ。

1986年。

大きな世界情勢の動きとしては、欧州のほうでECTSF計画のゴタゴタがあったはずだが、これは俺には無縁だ。
米国でF-16の配備、各国への売り込み開始。これもF-15が採用される日本には関係がない。
国内の動きは本土防衛軍の設立と、異機種間戦闘訓練で巖谷中佐───いや、今は大尉だったか。が、F-4J改『瑞鶴』でF-15撃破、か。
相手はイーグルドライバー……容易い相手じゃないだろうに、性能で劣る瑞鶴でよくやる。
そして肝心の大陸のほうは、統一中華戦線の誕生と……あぁ……そうか、もうそんな時期か。
H:12───リヨンハイヴの建設が開始される年だ。
コイツは物語が始まる2001年時点でユーラシア大陸最西端に位置し、フェイズ5になっているであろうハイヴ。
つまり、BETAのこれ以上の西進は、ない。欧州の戦力がそれを許さない。
あそこには文字通りの"英雄"がいる。それに単純に軍全体の練度が高い。対BETA戦の経験が段違いだ。
だから次は───東進だ。
父さん、母さん……。日常はそんなに長く続きそうにないよ。





俺が2度目の生を受けてから2年と半年。
1歳の誕生日より今日に至るまでに1年と半年が経過した。
その間に新しく入ってきた情報は、今後の行動方針を決定付けるのには十分すぎるものだった。

どうやら────俺は、権力やコネとは無縁の家に生まれたようだ。

勿論、幾つか想定した事態にこの状況はあった。
あったが……実際にその事実を突き付けられた時の落胆は凄まじいものだった。
両親の家柄、土地、職業、親族、全てに置いて権力者との繋がりが見られなかった。
これは俺がこの先、大規模な介入を行うことが出来なくなったということに他ならない。
大きなことを成すためには、大きな力が必要だ。
その力を直接持っていなかったとしても、力を持つものと繋がりさえあれば助力を請うという方法もある。
しかし、その繋がりすらもない状態からの開始となってしまった。
勿論、極めて過酷で険しい道程になるだろうが、作ろうと思えば作れる。
ただどうしてもそれ相応の時間というものが掛かってしまう。
軍への入隊は15歳からだ。
義務教育終了後に志願して訓練をこなし、一度目の総戦技演習で合格する。
これが最速での任官への道。
ここまでやって、漸く俺はゼロからのコネ作りのスタート地点に立つ事が出来る。
だが……BETA本土上陸時、俺はまだ義務教育すら修めきっていない14歳と半年のガキでしかない。
つまり、例え天地が引っ繰り返ろうとも俺はBETA本土上陸に対して大規模なアプローチを掛けることは出来ない。
俺はその時点で、未来の情報を最大限活かすことの出来る立場にいない。
発言に力がある訳もなく、後押ししてくれる人も居らず、故に耳を傾けてくれる者などほとんど出てこないだろう。
戯言、世迷言と切り捨てられるのがオチだ。
絶望の二文字が頭を過ぎる。

ダメだ。

権力が、地位が、コネがあれば……ついそういう無い物ねだりをしてしまう。
何とも情けない、みっともない行為だ。不毛極まりない。
だから、元よりそんな都合よく権力やコネのある家庭に生まれるほうが異常なのだと、そう考えろ。


俺は気分を落ち着けるために結露が起きたコップを傾け、キンキンに冷えた麦茶を喉に流し込み、不安と一緒に飲み干す。

……滞ってしまった思考を前に進めるため、1998年夏の大侵攻への対策は間に合わないという事実をとりあえず受け入れよう。
その上で、何かできる事を模索しなければならない。
だが、答えなど一つしか無い。三十六計逃げるに如かず、だ。
闘えないならば、死なないためにも、何より闘う者の邪魔にならないためにも逃げるのが賢い。
故に無力な民間人である俺に許された選択肢は、もう逃げの一手しかない。

しかし、不可解だ。なぜ3600万人もの死者が出てしまったのか。
疎開令が行き届いていなかった?馬鹿な、あり得ない。
去年に、帝国政府がオーストラリア・オセアニア諸国と経済協定を締結し、西日本が戦場になった場合を想定して主な生産拠点をそれぞれの国々へと移し始めたのを改めて確認した。
これは疎開政策の一つだ。
つまり……疎開は1985年から既に始まっていたということになる。
それならば10年後に、西日本の住民に対して疎開しろという政府の訴えかけが情報として渡り切っていない訳が無いのだ。
確かにそういった問題とは別に、疎開しろと言われて、はいそうですかと応じる訳にはいかない。
生活と言うものがあるのだ。今の生活を手放せと言われているのと同義だ。だから易々と頷けない。
だけど、戦場になる可能性があります、と言われて残るだろうか?
生活云々の前に死ぬ可能性があるというのに。
……BETAに蹂躙されて、死ぬかもしれないということなのに。

「……俺なら真っ平ゴメンだね」

恐怖すら覚える。
これは俺が悲惨な未来も、BETAの醜悪なフォルムも知っているからこそ沸いてくる恐怖心なのだろうか。
BETAの情報は一般大衆に対して秘匿されているから、恐怖感、現実感が沸いてこないということもあるかもしれないが……。
いや、やめておこう。
何にしろ、3600万人というあの死亡者数は逃げろと言われて逃げなかった人間の数字だ。
つまり死んだヤツらはBETAを過小評価した、または日本帝国の力を過大評価してその場に留まったということ。
判断ミスによる……自業自得。
そんな顔も知らない何千万人がくたばろうが、心を痛めることも、無い。
どうでもいい。所詮は他人だ。
俺にとっては有象無象。そう思い込んでおけばいい。
自分と両親を守る事が出来れば、それでいい。
俺の手は……そんなに広くも大きくも、無いんだ。
3600万もの人達の命を救うことの出来る方法なんて無い。
だから、BETA本土上陸に対する基本方針として────自分たちの避難を最優先とする。

喉に酷い渇きを感じ、再びコップを傾けて残っていた麦茶を勢いよく飲み干す。
いつの間にか氷が解けて、味が薄くなっていた。
見上げた空には雲一つ無く、ギラリとその存在を主張する太陽からは夏の強い日差しが降り注いでいた。
嫌な汗が滲む。そろそろ日差しが辛くなってきた俺は、空になったコップを持って立ち上がり、逃げるように縁側から立ち去った。
台所に入り、俺用の足場に昇ってコップを流しに置く。
そして両親に昼寝をすると伝え、寝室の布団に仰向けになって腹にタオルケットを掛け、目を閉じる。
すると子供特有の睡眠欲求というものなのだろうか、徐々にだが眠気がやってくる。
昼寝はもはや習慣になっていた。

眠りに落ちるまでの間、大まかな今後の流れをまとめてみる。

まずは、避難。
避難先の確保、避難のタイミング、避難先での生活レベルの確保など、考慮すべき点が幾つかある。
初めに避難先だが、身を預けれそうな親戚が2箇所に居るのを確認出来ている。
一方は沖縄。もう一方は茨城。
前者が母の、後者が父の実家とのこと。
あぁ、本当に……どれだけ実家が離れてるのかと。
去年にこれを知った時、よく二人は巡り会えたな、と本気で感嘆した。
そして幸いなことに、どちらも1998年に起きる夏のBETA大侵攻から連なる撤退戦を免れる事の出来る場所なのだ。
このどちらかに両親と逃げる事が出来れば一つ目の山を越す事は出来る。
次にタイミングだが……これはある程度の時間的余裕を持てれば、ぶっちゃけると何時でもいい。
それこそ、1998年に入ってからでも十二分に間に合う。
故に特別急ぐような事ではない。早いに越した事もないだろうが。
問題が、避難先での生活レベル確保だ。
こればかりは低下を避けられないだろう。だが可能な限り低下を和らげたいところだ。
国土の半分以上を失う事になる故に贅沢なんて言ってられないのだが、両親に辛い生活を強いりたくは無い。
だとすれば、やはり兵役に就き、危険な任務を遂行することによって発生する特別手当も考慮すべきか。
しかし父、不破 俊哉は既に徴兵期間を終えている。
衛士適正が無く戦車兵は嫌だとのことで整備兵として訓練したらしい。
再度徴兵される時期には40近くで適正年齢ギリギリ、仮にされたとしても過去に経験のある整備兵だ。
最前線に出されることはないだろう。
母、不破 涼子は既婚女性なので初めから徴兵対象外だ。
つまり、危険な箇所に配置される可能性が高いのは俺だけになる。
両親からすれば我が子だけが徴兵されるのは辛いだろうが、そこは我慢してもらい、比較的安全な所で暮らしてもらう。
その後は、どんな形でもいいから徴兵の際に横浜基地に所属できるように動き、2001年10月22日まで生き延び、白銀武と接触してその存在を見極める。
雌伏の時と言うヤツだ。この間に出来うる限りの"仕込み"をする。
二度目の武の邪魔にならないようにしつつも、一度目の武のフォローにも回らなければならない。
……これら徴兵からの流れについてはまだ詳細の構築に至っていない。
時間を掛けてじっくり練っていきたいモノだ。時間はまだまだある。
持っている情報を可能な限り出し切って有効活用し、予備案も可能な限り細かく何重にも張り巡らせたい。
最低限の未来────オリジナルハイヴ攻略へと続く流れを確保する為に。
ここまでは、俺にとっての義務だと思っていいだろう。
何せ、やらないと人類滅亡なんて冗談のような現実が待ち受けているのだから。
また流れの確保が出来た上で余力があれば、それを維持し、且つ要所要所で状況の改善を望めそうなら……可能な限り開拓していく。
それは"誰かが死ぬ"運命を捩じ曲げることだったり、"誰か"が敵に回らないようにすることだったり。
そしてその末に、オリジナルハイヴを攻略してしまえば、終わりだ。
日本からはBETAは駆逐された。
人類側は有利になった。
白銀武と鑑純夏は結ばれ、ループの束縛は解かれる。
そこまで来てしまえば、俺はお役ご免だろう。
これが、俺にとっての終着点。ゴールだ。
後は……香月博士に丸投げしていいと思う。
きっと残りのハイヴも何とかしてくれるだろう。

「……ふぁ……」

そこまで考えていよいよ眠気が臨界点を超えたのか、思考が鈍り、意識がゆっくりと闇に沈み始める。

ふと、そういえば、この眠りにつく感覚は死ぬ時の堕ちて行く感覚と似ているんだな、と思った。
あの深くて冷たい暗い闇に沈んで、全てが無に返っていく感覚。
けれど、あの時とは違って闇は暗くて深いけど、暖かい。
そしてまたちゃんとこっちに戻ってこれるっていうのが、理屈じゃなくて理解できる。
きっと何時もの様に一、二時間で母が起こしに来てくれるのだろう。
あの時、この世界に生れた時と同じように、俺を深い闇から掬い上げてくれる。
敬愛してやまない父と母。
感謝を。
新たな人生を、健やかな毎日の生活を与えてくれていることに、感謝を。
目が覚めたら夕飯になるだろう。
確か母さんが今日は素麺だと言っていた。楽しみだ。
暑い日が続くから、きっと美味しいはずだ。
3人で食卓を囲もう。
その後は父さんと風呂に入る。
毎回嬉しそうに水鉄砲を撃ってくるのはそろそろ簡便してほしいが。
そうやって日々を刻んでいこう。
いいと思う。今は、まだ。
まだBETAは来ない。
まだ日常は終わらない。

だから今は、この一時の平和を噛み締めていこう。



[12496] 第二話 ─未知との遭遇─
Name: Caliz◆9df7376e ID:5e4b39e2
Date: 2011/07/21 07:12
1987.March.Oneday


名前というものがある。
生まれたときに付けられるもので、変更も効くが一生付き合っていくというのが一般的だろう。
それはとても大切なもので、色んな思いや願いを込められて命名されるもの。
だというのに前世では通称DQNネームと呼ばれる、名前の変更を家庭裁判所に届け出るべきだ!と迷わず断言出来るような酷い名前を付けられる子供もいた。
光宙と書いてピカチュウと読むのは泣いていいと思う。実物を見たわけではなかったから、フィクションだと思いたい。


その日、両親は二人で買い物のために外出した。
俺も連れていかれる予定だったが、一人で留守番をしてみたいと試しに言ってみると二つ返事でOKを貰えた。
普段から年不相応に落ち着いているのを見せられているせいか、両親の判断基準がブレているような気がするが結果はオーライだ。
だが特に理由があって居残った訳ではない。一人になれる時間が欲しいと漠然と思って行動しただけだった。
その後案の定手持ち無沙汰になった時、ふと俺は未だに自分の名に宛がわれた漢字を知らなかったな、と思い至る。
思い立ったが吉日という言葉もある。俺はすぐに家宅捜査を行った。


そして今。
俺は両親の寝室にあるタンスの前で打ちひしがれている


手に握るは母子健康手帳。
開かれたページには俺の名前。
そこには四文字でこう書かれている。


【 不破 衛士 】


「Oh……」

英語で呻いて手帳を閉じた。
ゴッド、嫌な汗が止まりません。
しかし……だがしかし、一度だけなら誤射もとい、目の錯覚かもしれない。
よぉし!勇気を振り絞ってもう一度確認してみよう!

俺はバッ!と勢いよく手帳を開いた。


【 不 破 衛 士 】


「Oh……Jesus……」

なんという……。
なんということでしょう……。
これが俺の名前に当てられた字だというのか。
神は死んだ。
なんて酷い漢字構成だ……。
ある意味DQNネームより困ったモノだろこれ。
こいつは俺、間違いなく学校とかで馬鹿にされそうじゃないか?ガキって思慮足りないし容赦もないし。
いや、変ではないよ、うん。常用漢字だし、響きもいいし、何よりエイジと読める。
前の世界でなら衛士という漢字でエイジと呼んでも特に問題はなかっただろう。
というか実際に存在もしていた。そういう名前の人が何人かいたのを覚えている。
けれども、だ。この世界でこの二文字が意味するものは一つに他ならない。
人類の盾にして剣たる、誉れ高き選ばれし兵士達の呼び名だ。
そういえば父は徴兵時に衛士適正ナシと判断されており、泣く泣く戦術機と携わることが出来る整備兵になったと耳にした。
この名前を付けた理由としては、息子に夢を継いで欲しいと言った所だろうか。
新生児に付けられる名前というのは世界情勢や国家情勢、それに流行りモノ等に左右されるという話を聞いたことがあるが……。
俺はその一環を身を持って体験させられてしまったとでも言うのか。
それにしても職業の名前をそのままつけるのは流石にどうなんだよこれ。
せめて少し捻るべきだろ。

「……あがー……」

将来ウサミミESP娘が呟くであろう呻き声を発しながら頭を抱える。
何と言うか……このネーミング、両親が狙ったのだろうか?

不破 衛士。

似たような漢字構成で不殺と書いて殺さずとか読むのをどこぞの剣客漫画で見かけた。
ならば不破と書いて破れずとでも読んでみようか。

破れずの衛士。

なるほど、涙が出るほど完璧である。
死の八分を名前のご利益だけで突破できるのではないか、というアホな錯覚を覚えそうなほどに素敵な名前だ。
ああ、衛士になれればの話だけどな。
まだなれるかどうか一切解らない段階だろうって話だ。
というかこの名前で衛士適正検査弾かれてみろ。赤っ恥なんてものじゃないぞ。それこそ改名ものだ。
そもそも、あの検査は努力とかそういったものを超越したところで適正が決定されていたような気がする。
一体何が要因となって適正があると判断されるのか謎だ。異常に優秀な三半規管? 尋常じゃなく突出した空間認識能力? さっぱり解らん。
どうせ後々徴兵される時に衛士適正検査は避けられない。だから適正があれば儲けもの程度に思うのが賢明か。
その結果次第では、衛士になるという選択肢が俺の前に広がる一つの可能性としてあるだろう。そのぐらいの認識でいい。
忘れられがちだが衛士というのはエリートコースの一つ。歩めるならば歩んでみるのもいいだろう。
俺の目的達成のためにも、階級が上がりやすいのに越したことはない。
だが、その道は極めて法外なチップを要求されるのを決して忘れてはいけない。
掛け金は俺の命。そしてオッズは大穴もいいところ。なんてデンジャラスなコースだろう。
BETAに貪られて二階級特進なんぞ御免被る。
お父様、お母様。そんな茨の道を積極的に歩めと仰いますか?

二人が帰ってきたら必ずどういった経緯でこんな名前をつけたのか問い質してやる──ッ!

俺は決意を胸に居間にて両親を待つことにした。








「ま、夕方まで帰ってこないんですがね……」

息巻いて握った手帳を持ったまま居間に来たのがいいが、手持ち無沙汰になってしまった訳だ。
……スーパー詰問タイムまでまだまだ暇がある。
さて、どうするか。特別することもない。
この年だと本格的な体のトレーニングはまだまだ早すぎる。
こんな時期から無茶をやって体を壊すのも莫迦らしい。
故に、本気で取り組めるのは柔軟ぐらいしかない。ただ、それだってもう十二分に柔らかい訳だが。
だったら脳のトレーニングでもするか。最寄の図書館なら集中して勉強が出来る。
しかし、留守番を仰せ付かった身としては外に足を運ぶ訳にも行かないか。
なら家の中で……無理か。今この家に存在するその手の類の書物など既に手垢がつくほどやり尽くした。
時間は成るべく有益に使いたいところだが、時には怠惰に過ごしてみるのもいいだろうか。
と言っても時代や世界情勢のこともあり、中流家庭の我が家にある娯楽なんぞTVやラジオがいいところである。
80年代ということもあってネットのような上等なものは当然ない。
将来的に普及する可能性についても、一切期待しないほうがよいだろう。
この世界では当分の間、TVとラジオが大衆にとって最も馴染み深くなる娯楽家電となる。
まぁ俺はその二つに新聞を加え、情報収集としての意味合いで使うことの方が圧倒的に多いが。
政治、軍事、世界情勢……調べなければいけないことは数多い。
歴史の流れはある程度把握してる。だが逆に言えばある程度でしかない。
圧倒的に空白の時間が多いのだ。それを埋めるためには多種多様な情報を集めざるを得ない。
ただ最近始まった国営放送のラジオドラマ「いつか君と…」。
これだけは毎週欠かさず、純粋に楽しむために聴いている。
このラジオドラマは衛士と整備士の恋物語だ。こいつが中々面白いのである。
まぁ父曰く、整備というのは激務であって衛士と恋愛する暇があるならその時間で体を休めて作業効率を上げた方がいい、とか夢もヘッタクレもないことを懇切丁寧に教えてくれた。
その直後、希望を打ち砕くような教育に悪い情報を与えるなと母からキツくお灸を据えられていたのにはちょっと同情した。
けど残念だ。今日は「いつか君と…」の放送日じゃない。
この時間だと他に何かやってるだろうか。チャンネルを回し、周波数を弄る。

『それでは明日の天気図です……』

「……まだニュースがやってるだけマシだと思っておくか」

情報を集める作業の始まりだ。
さて、何か目新しいことはないものか。
今年に入ってから政治関連でのニュースはいくつかあったが、肝心の軍事関連はさっぱりである。
F-15が技術検証という名目で今年中に試験導入されるはずなのだが、機密やら何やらに引っかかっているのか動きが全く見えない。
まだ4月と今年の半ばすら過ぎていないが、それを考慮しても何らかの情報は既に流れていておかしくない。
大して有益な情報でないと判断されたのか? 確かに放送で国民に伝えてどうなるといった類の情報ではないが……。
何はともあれ早く耳に入れたいのである。そうなる、と解っていても確認しないと気になってしまうのだ。
出来るだけ早急に続報が欲しい。
しかし軍事関連と言えば去年の日米合同演習は存外に驚いた。生中継とかしてくれるもんなんだな。
そのおかげで巌谷おじ様無双がリアルタイムで見ることができた。
やはり性能で劣る機体で格上の機体相手に腕の差で勝つというのは胸に込み上げてくるものがある。
それにあそこで負けていれば純国産機開発の道が絶たれていた可能性は極めて高い。
あの一勝は日本帝国にとって、とても価値のある一勝だった。

『続いての……去年……れた……期力戦術選……国防省は……』

……噂をすれば何とやら。TVに感あり。
ニュースキャスターが興味深い言葉を放ってくれた。タイミングが完璧である。
これで漸く技術蓄積が足りずに停滞していた不知火の開発が進み始める訳か。
でも、そこまでやっても結局は拡張性の確保までには至らなかったんだよな……。
こればかりは日本の技術力が純粋に足りなかったからで、俺にどうこう出来ることでもない。
俺一人がどうこうしたところで、技術力の底上げなんて出来るわけがない。
それは、ただ只管にトライアル&エラーの繰り返しをすることでしか解決出来ない、とても尊いものだ。
これから富嶽、光菱、河崎の三社はF-15のライセンス生産で技術力を蓄積させ、そして見事に不知火を作り上げる。
だから結果が解っていたとしても、今は純国産機開発への第一歩が始まったことに喜んで───……


『本日付けでF-15とF-16を試験導入が開始されることが判明しました。尚───』


「────────────────────────は?」


……何つった今。

ちょっと待て。

F-15と────F-16?

何故、F-16まで!?

待ってくれ、意味が解らない。知らない、俺はそんなの知らない!

試験導入?何故だ、そもそも最終選考に残っていたのはF-15とF-14だろ。

なのに何故ここでF-16の名前が出てくる!?

どういうことなんだ、何でこんなことになってる!?


『比較検証トライアルの後、勝ち残ったどちらかが実戦部隊に引渡しされる模様です』


───待てよ、待ってくれ! 有り得ない、もうこの段階で既に実戦部隊引渡しが確定しているだと!?

初めは技術検証目的だったはずだろ────ッ!

ギシリと、TVに押し当てた両手が軋む。

動揺のあまり、興奮して無意識にTVに掴みかかっていたようだ。

「畜生ッ!何なんだよ、これは……」

頭がおかしくなりそうだ。夢であって欲しい……。けれど、想像以上に力を入れてしまっていたのか、両手が痛い。これは、紛れも無い現実。認めたくない、これを認めたら、俺はこれからどうすればいいのか解らない。

「───ッ……莫迦、何取り乱してんだ……」

頭を冷やせ。まずは一度落ち着いて自分の知っている───いや、"知っていた"情報をまとめるんだ。

日本は停滞した国産機開発のために技術検証の名目でF-14とF-15から後者を選抜し、12機を試験導入。後に技術格差を目の当たりにして188機を追加受注、最終的には予定調達機数を絞って120機のF-15を配備することになる。

はずだった。
……蓋を開けてみればどうだ。
実戦部隊引渡し前提でのF-15とF-16の比較検証トライアルがこれから始まる?
俺の知っているオルタネイティヴ、アンリミテッドの歴史にはこんなことはなかった。
本編にだってF-15Jしか出ておらず、F-16なんて影も形もなかった。
第一、F-16は次期主力戦術機としてエントリーすらしていなかったはずだろう。
確かに、時系列的には矛盾はない。F-16は去年に米国で実戦配備され、それと同時に他国への輸出を精力的に行った。
今この段階では特に居座古座も起きておらず、イデオロギー関連で両国の関係は良好だ。優先して回してもらえても別に不思議ではない。
しかしまだ1年しか経っていないだぞ? 余りにもトントン拍子に事が進み過ぎている。頭が突撃級の前面並に硬いエセ国粋主義の老害だって相当いるはずなんだ。

───いやもっと根本的な問題がある。
そもそもこの歴史じゃ、オルタネイティヴ、アンリミテッドが始まる未来へと繋がらない。


「……待てよ、まさか……」


そう。オルタネイティヴでもアンリミテッドでもない。
似て非なる未来、全く異なる未来へ繋がる歴史を辿るというのなら。

「……そんな、嘘だろ……ッ!」


怖い。震えが止まらない。

未知が、忍び寄ってくる。


「────だとすれば、この世界は」


どうしてこうなるのだろう。俺のような異分子が紛れ込んだせいなのだろうか。

今回のことは単なる予兆に過ぎないとでも言うのか。

そして、これから更なる未知の深淵へと突き進んで行くのか。

この世界は……オルタネイティヴやアンリミテッドの過去を基にしながらも、今日この日から道を違えてしまった────。


「───Ifの世界だとでも言うのかよ───ッ!!!」


俺の切り札であるはずの「未来情報」が、単なる「正史の歴史」に変わった瞬間だった。







[12496] 第三話 ─熟考する転生者─
Name: Caliz◆9df7376e ID:5e4b39e2
Date: 2011/07/23 04:07
1988.June.oneday


「三十七度六分……」

脇から抜き出した体温計が、無情にも自分が微熱を発していることを示す。
朝、目覚めた時に頭痛と倦怠感を覚え、もしやと思って計ってみれば案の定。
紛う方無く風邪による発熱の症状である。
健康には気を使っていたつもりだが、まさかこんな初夏に拗らせてしまうとは……何たる不覚。

「……完全に風邪だね、これは」

そう言って父───不破 俊哉が困ったように眉をひそめた。
格別、風邪の症状が酷いということはない。常備してある薬を飲んで寝ていれば治る、医者に見せる必要性もない程度のモノだ。
困っている要因は別にある。今日はどうしても、外せない仕事が両親共にあるとの事。
いくら息子が年齢不相応に落ち着いている事を理解していても、風邪で寝込んでいるのを放置して仕事に出かけるのは心苦しいようだ。

「パパ?エイジの調子はどう?」

「七度六分。微熱だね……過剰な心配は必要なさそうだけど……」

母───不破 涼子が俺の部屋にヒョコッと、これまた父と同じく困ったような顔をして現れた。

「……エイジ、本当に看病しなくていいの?お仕事は休むことだってできるんだよ?」

看病をしてくれる、という提案は既に何度か断っている。
気持ちは涙が出そうなぐらいに有り難いのだ。
だが俺とて社会に出て荒波に飲まれたことのある人間。
大事な仕事をキャンセル、または急遽他人に押し付けるということのマズさは理解できているつもりだ。
ここで甘えてなどいられない。
余り使いたくはなかったのだが───。

「大丈夫だよ、今日は薬飲んで大人しくしてるから。父さんも母さんも、お仕事頑張ってね!」

必殺。天使の微笑エンジェルスマイル。親は悶え死んだ。

「~~~~~~ッ!よぉし!パパお仕事ガンバッテ早く終わらせちゃうぞー!!」

「~~~~~~ッ!マ、ママも頑張るからね!ちゃっちゃと終わらせてすぐに返ってくるから!!」

とても愉快な保護者だった。





「……クソ、ダルい」

益々熱が上がってきたような気がする。
あの後、両親が出勤したのを確認し、母が作り置きしてくれた粥を啜り、風邪薬を飲んで寝床に戻ってきた。
後は布団に潜って惰眠を貪り、回復に専念すればいいだけ。だけ、なのだが───。

「……いいかげん、向き合わないとな……」

発熱で茹でった脳みそで思考する。
ここ一年での状況の変化。
少しずつ広がりを見せる、"本来あるべき姿"と"現実"との乖離。
俺はダルい身体に鞭打って、部屋の隅に束ねて置いてある新聞を引っ張り出してそれぞれの一面を再確認していく。

『F-15、F-16制式採用の座を賭け、比較検証トライアルへ』

忘れもしない一年程前。
本来なら有り得るはずもない闖入者が出現し、既知の未来へと続く歴史を粉々に砕いた。
コイツはその時の記事だ。
この出来事から数カ月間は特に何事もなく過ぎ去っていった。
───トライアルの結末までは。

『比較検証トライアル終結。制式採用はF-16』

手に取った別の新聞の一面にはデカデカとそう書かれている。
そう……トライアルにて制式採用を勝ち取ったのはF-16ファイティングファルコンだったのだ。
本来ハイ・ロウミックスのハイを担うF-15に対し、ロウを担うF-16では性能面で劣るのは必然。
だが兵器において重要なのは単純な性能だけではない。
コストパフォーマンス。所謂、費用対効果。ぶっちゃけると金だ。
F-16はその観点から見るとF-15を圧倒していた。
そして代替対象であるF-4ファントムと比較した場合の性能差も十全に確保されている。
最新技術の塊は伊達ではなかった、ということだ。
紙面に載せられた情報を読み取る限り、そこらへんが明暗を分けた……らしい。
何はともあれ、トライアルは正史に反してF-16の勝利で幕を閉じた。

「……って訳にはいかなかったんだよな……」

次の新聞を手に取る。
日付は一週間前。

『国防省、F-15小規模導入』

コイツだ。
結局、国防省はどちらも採用するという暴挙に出やがったのだ。

「……一体、何が、どうなって、こうなったんだか……」

軍の上層は、此度の件についてどういった目論見があったのだろうか。
一連の行動の方針は、一体何だ。

「……撃震───第一世代機の第一線からの早急な排除……か?」

撃震は悪い機体ではない。十数年に渡り、最前線で戦い続けた紛れも無い名機だ。
とは言ったものの、第二世代戦術機の台頭によって既に旧式。
設計思想から時代遅れとなっているのは明確な事実だ。
それに加え、耐久年数の問題も浮上してくる。
安価、信頼性が高いなどという長所に目を向けず、短所を上げてみると中々に問題が積もっている。
そんな機体に近代改修を加えつつ使い続けたとしても、やはり限度がある。
これに関しては正史にて開発された概念実証機「F-4JX」が全てを物語っているだろう。
XM3の搭載、OBLの実装、アビオニクスの刷新……。
もはや撃震と呼称することすら違和感を覚えるほどの大改修を経て、それでも2,5世代機相当の性能しか発揮出来なかったのだ。
それがこの機体、撃震の限界。だが、第二世代であるF-15やF-16をベースにそういった近代改修を行えばどうか。
特にF-15は現存する戦術機でも群を抜いて拡張性に優れる機体。その上限は計り知れない。
こうやって考えてみると、撃震に見切りをつけた、というのはあながち外れてもいないか?
その結果として、F-15JとF-16Jは共に採用された。
……駄目だな。今ひとつ、自分で納得しきれていない。
これを主軸とするなら、F-16Jだけで事足りる。
第一線にいる撃震はとんでもない数だ。
F-16Jより値が張るF-15Jの採用は軍費を圧迫し、撃震の代替機としてF-16を大量投入するためにはネックとなってしまう。
となると、やはりF-15JとF-16Jを共に採用した理由は───。

「───双方からベクトルの異なる最新技術を抽出・蓄積し、不知火へと注ぎ込む……か?」

そいつを主軸に据えた上で、不知火の開発・配備までの繋ぎとしてF-15JとF-16Jを第一線に配備し、撃震を可能な限り後方に退かせる。
筋としては、こちらのほうが通っているか。
だが、それはそれで新しい将来的な問題が大量に出てくる。
財源、戦術機メーカーとの関係、それによるXFJ計画への影響。
これらによって生じるであろう今後の歴史改変……ダメだ、もうさっぱりだ。全く予測がつかない。
余りにも複雑に絡まりすぎている。俺には到底、想像すら出来ない。

「あぁ……頭が頭痛で痛い……」

日本語が明らかにおかしいが、気にする余力もない。
胡座を崩してフラフラと立ち上がり、布団にダイブ。
このまま瞼を閉じて睡魔に身を委ねたい。
そして目が覚めた時には全てが正史通りになっていればいいのに。

「……駄目だ、俺……頭を切り替えろ」

それじゃ目が覚めた時に更に欝になるだけじゃないか。
とりあえずTSF-TYPE94 不知火 のみに対する影響だけ考えるか。
ご都合主義的に考えてみると───。

正史に置ける技術蓄積は第二世代機一機分だけだった。
だが、この世界ではそれがもう一機増えた。
故に、二機分の技術蓄積のあるこの世界の不知火は、一機分の技術蓄積しかない正史の不知火よりも優れている。

……そんな単純計算もいいところの三段論法が通じる問題か? 否、だ。
丸々一機分が増えたのだ。技術蓄積に掛かる労力も時間も増えるだろう。
そして蓄積した技術とて、全てを不知火に反映出来るかどうかも不明瞭だ。
コンセプトがブレて正史より劣る機体になる可能性だって無いとはいい切れない。

───いや、それ以前に。
元より『この世界』における不知火の開発期間、制式採用の凡その時期すら知り得ていないのが今の俺、だったな。
それが解っていないのに、今回のことをあれこれ考えるのは無茶もいいところか。
ただ確実なのは、『この世界』の不知火のロールアウトは正史より遅れるだろうということだけか。
『この世界』の不知火はあらゆる点に置いて未知数すぎるが、こいつは間違いないはずだ。
本来よりもあれこれを学び、選抜した技術を注ぎ込むというのだから、時間はそれ相応に掛かる。
だから必然的に、不知火の完成が正史より遅れてしまうのも……ちょっと待て。

不知火───?

「あー……阿呆か俺は……本格的に熱で脳みそが馬鹿になってるみたいだな……」

そうだ、そうだったな。
当たり前のように名前を出したのは不味かった。
完全に頭の隅に追いやっていた。
これも現実逃避の一種なのだろうか。
俺は『帝国の新型純国産機』の名前はまだはっきりと知らないのだ。
そうなるであろう、という予想しか出来ていないのだ。
耀光計画自体は発動しているんだろうが、名前はまだだろう。
つまり予定なのだ。

「そして、予定は未定、か。……言い得て妙だな」

予め定まっていたはずの歴史の流れは既に絶たれた。
今はその延長上───ならば、これから刻まれる歴史が未だ定まっていないのは道理だろう。
俺はそいつを、この一年間で嫌というほど思い知らされている。

「ふぅ……で、最後の一枚が、昨日付けのコレか」

『F-16J 和名:彩雲 1988年末、配備開始』

『F-15J 和名:陽炎 1989年 配備開始予定』

見出しには機体の和名と配備開始年数。
F-15は正史通りに陽炎の名を賜り、89年に配備されるようだ。
問題はイレギュラーである、F-16J。

「TSF-TYPE88 彩雲、ね……」

日本帝国軍の戦術機呼称は気象現象に因んでつけられる。
正史の陽炎然り、不知火然り。F-15SEJの和名、月虹だってそうだ。
彩雲───古くより吉兆とされる気象現象の名称だったか。

何とも、質の悪い冗談である。

「……凶兆の間違いだろ」

彩雲の登場により狂い始めた歴史の流れ。
この機体の存在は俺にとって紛れも無い凶兆だった。
しかも、これら全てが俺の転生なんて馬鹿げた事象によるバタフライ効果かもしれないという。
まだ俺は何一つ行動しちゃいないというのに、だ。
だとすると、カオス理論というのは……トンでもなく厄介なモノだったということになる。

「───甘かった、ってことか」

……ああ、白状しよう。
俺はきっと、心のどこかで歴史の修正力とやらに期待していたのだろう。
F-16とF-15のトライアル。まず間違いなく後者が勝ち、前者は採用されず、歴史は再び元のレールの上に戻るのだと。
正史との乖離なぞ一時的なモノで、所詮はすぐに修正されるだろうと。
しかし俺の願望虚しく状況は一変し、そして───。

「そしてまた……正史から遠ざかった」

今、それだけは確かな事実。
歪みは留まるどころか加速した。
この世界は既に本来とは異なるレールの上を走り始めている。
白銀 武が一度目だの二度目だのと言ってる状況にはない。そんな段階は過ぎ去った。
もはや今後何が起きようともおかしくはない。この一年で起きたことは、つまりそういう事を意味する。
例えば1998年の大侵攻。
BETAは人類の調査のために停滞などせず、一気に日本全土が蹂躙されるかもしれない。
例えばAL4の要である00ユニットの開発経路の断絶。
鑑 純夏がBETAに普通に殺されてしまうかもしれない。
それは向こうの白銀 武の来訪が頓挫することにも繋がる。

───更に……俺が最も危惧し、また自己嫌悪に苛まれてしまう状況が、在る。

F-16J 彩雲 、F-15J 陽炎 。それに加え、この二機種から生み出されるであろう『新型純国産機』。
その三種の機体を組み込んだ帝国軍の戦力を持ってすれば、或いは───。

「白銀 武と、鑑 純夏が───夏の大侵攻を生き延びてしまうかもしれない───」

……なんという醜い性根。なんという浅ましい精神。俺は畜生にも劣る屑だ。
オルタネイティヴ4完遂のためとは言え俺は何の罪もない『この世界の白銀 武』に……死んで欲しいと思っている。
そして、同じく何の罪もない少女『鑑 純夏』に、BETAに壊されて欲しいと……そう、思っている。
人類の未来の為にという、最もらしい大義を振りかざして───。
これが屑じゃなくて何だというんだ。

「……クソったれ……」

だが、そうしないと理論完成の為の数式が手に入らない。
00ユニットの最有力候補である鑑 純夏も、当然いない。
それはオルタネイティヴ4の頓挫とイコールで繋がる。

「───だから、何としても譲れない」

白銀 武には無慈悲な死を。
鑑 純夏には絶望と希望を。
これは、絶対不可避の……人類存続の為の大前提である。

それでも、それを覆したくば───。

「……オルタネイティヴ4以上に有用な代替案を確立しないといけない……」

自分で言っておいて、思わず苦笑してしまう。
つまりそれは『不可能』だということだ。
そんな都合のいい機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナめいた切り札は存在しない。
故に、俺は恐れる。この一年で起きてしまった状況の変化を。
そしてそれが引き起こすであろう、オルタネイティヴ4への影響を。
狂った流れの修正はもはや不可能であり、後は流れに身をまかせることしかできない。
何故なら、俺に切れるカードがなくなってしまったからだ。
己が持ち得るアドバンテージの大部分を占めていた未来情報。
それが消失とまではいかずとも、絶対の信頼が置けるモノとは既に呼べなくなっている。
残ったのは前世で培った経験と知識、そしてこの身体。

「……何とも心許ない」

未来を知っていれば何とかなるのではないか?
そうやって我知らず心の底で甘えていた自分に対する罰か。
悔しいが、効果覿面だ。今の俺の様態がそれを証明している。
腑抜けた心構えで日々を無為に費やし、未知を突き付けられて動揺して……挙句の果てに体調を崩した今に至るのだから。
病は気から、とはよく言ったものだ。
こんなザマでBETAに抗おうとしていたのだから滑稽だ。
でも、収穫はあった。このままじゃ駄目だという事を、漸く身を持って痛感した。
強くならないといけない。鍛えなければならない。身体だけではなく、心も。
未知にブチ当たる度にこんな無様を晒していては先が思い遣られる。

「解ってはいるんだけどな……」

だがそれでも、現実的な問題として俺の身体は未だ幼く、密度の高い鍛錬には時期尚早。
心も、今回と同じような状況に直面して場数を踏んでいくしかないだろう。
結局、時が経つのを待つしか無い……今は、そういう生殺しの状態なのだ。

「歯痒い……」

ゆったりと流れる時間が、途轍もなく歯痒い。
俺が生まれて五年。まだ、五年しか経っていない。
歴史に変化が起き始めてから数えれば、たったの一年だけだ。
だが、そんな短い期間で既にこれほどの異変が起きてしまった。

「……BETAの日本上陸まで……あと、十年」

今、自分の口から出た十年という単位すら、もはや完全に信用出来るものではなくなっているのは自覚出来ている。
それも踏まえた上で、これより先、一体この世界にどれだけの変化が訪れるのだろうか。
それすら読み切れずにいる。
もう俺は、変化の波に置き去りにされてしまっているのだ。
そんな自分に打てる手はあるのだろうか……。

「───いや、そもそも」

俺の行動関係なく変化を示しだしたこの世界に……俺の力は必要なのだろうか。
状況の好転は十分に有り得るのでは……?
今回の戦術機のことが状況の好転か悪転かはまだ解らないが、可能性としてはある。
このまま大団円のハッピーエンドに向かって突き進む可能性だってあるのではないか?
そこまで考えて、俺はまたしても自己嫌悪に陥る。

「……あ"ー……ったく、これだから病気は嫌なんだよ」

思考が二転三転し、結局ネガティブに偏る。
何が可能性だ。そんなもの、何の宛にもならない。
ハッピーエンドに突き進む可能性があるなら、バッドエンドに───敗北一直線に突き進むことだってあるだろう。
基本的に性根から腐り気味な俺は、弱気だとどうにも他力本願を望んでしまうらしい。

「寝るか……寝て、とっとと風邪を治そう……」

そして健康な身体になってから、健全な精神の元でもう一度答えを出そう。
今の俺の身体は子供だ。本来なら、腐ってウジウジするには向かない年齢だ。
再来年には小学一年生……その年齢層のガキと言えば馬鹿をやって馬鹿笑いするものだろう。
俺もガキを見習ってそうやって馬鹿を……。

「……うわぁ、今メチャクチャ嫌なこと思い出したぞ……」

そうか……再来年から俺、小学生なのか。
今までと違って、色んな意味で忙しくなりそうだな───。

目先に迫ってきた小学校入学という、また違う意味で俺の心の平穏を乱すだろう状況に思いを馳せながら、俺は眠りについた。





[12496] 第四話 ─動き始める世界─
Name: Caliz◆9df7376e ID:5e4b39e2
Date: 2011/11/27 07:49
春。出会いと別れの季節と世間一般では云われている。
この時期、日本において個人を取り巻く環境がガラッと変わることが多い。
故に、いつのまにかそう呼ばれるようになったらしい。
俺もまたそのご多分に洩れず、取り巻かれる環境が一変した。

遂にというか、漸くというか……小学生になった訳だ。




1990.spring.oneday




先日、入学式に保護者同伴で出席した。特に感慨深いものはなく、ただひたすらに眠いだけだったが。
俗に言う有り難いお言葉ラッシュである。前世にて何度かお世話になったが、この世界でもやはり存在した。
全く、いつの時代だろうが偉い人の有り難いお話というものにはピンからキリまであるものらしい。
聞かせるのではなく、つい聞き入ってしまうように話をするのが腕の……もとい、口の見せどころではないのかと。
校長先生、その他ゲストの方々。少しはラダビノット司令を見習うべきです。
そんなこんなで睡眠導入剤のような入学式は幕を下ろした。

そして今日、クラス発表を終えてそれぞれのクラスに移動し、顔合わせと自己紹介に入っているのだが───。

「ここ、一応……地球の日本……だよな?」

宛てがわれた教室、名前順の関係で中央列の最後尾の席に座った俺は小声で呟いた。
この場所からならほんの少しの動作と視線移動だけで教室全体を見渡せる。
俺は目の前に広がる光景に対して驚きを隠せずにいた。

「……茶色なんて序の口、紫や藍なんてまだ真っ当。青、緑、赤って何だあれ……黄土色? うへ、あれなんてもう桃色通り越してビビットピンクの領域に両足突っ込んでるんじゃないか……?」

俺が口走っている色の名前は他でもない、そう───。

彼 ら 新 入 生 の 髪 の 色 で あ る 。

「……染めてるわけじゃないんだよな……あの色の毛が頭から生えてんのか……」

前々から外出した際に時折見かけたし、先日の入学式でだってチラホラと視界に入ってきていた。
だがこうやって目の前にズラッと並んでいるのを見ると、やはり文字通りの異彩を放っている。
当然だが、一般的な黒髪の子もいる。
俺の両親も黒髪だし、俺の髪だって天使の輪完備の艶のある黒だ。
しかし、どう見ても茶色がかっている子のほうが多い。
黒が少数派ってどういうことだ。世も末だな。
そして文句なく圧倒的に目を惹くのが、点在する極彩色。

「……彩度と明度が半端じゃないんですけど……」

常識の範疇を超えない赤毛や茶髪なんて可愛いものだ。
スカーレット、スカイブルー、エメラルドグリーン……余りにも色鮮やかなその毛髪。
本来、人の身体から自然に生えてくる体毛の色としてはあり得ない、のだが───。

「───前世の経験が邪魔するけど、"当たり前の色"だって解るんだよなぁ……」

……いや、語弊があったか。
解るというよりは、まず当たり前だという"感覚"があり、それに対して"理性"が否と訴えかけてくる感じ。
結局、俺が異質な存在だということなのだろう。
今では結構慣れてきているというのもあるが、昔はかなり違和感が酷かった。
それにしても、いくら見渡しても奇抜な色は見当たるのに金髪や銀髪を確認出来ないのはどういうことだろうか。
TVで外国の報道とか見た時は普通にいたんだが。

「一応、人種の線引きはされてる……ってことか?」

金髪と銀髪は日本人には自然発生しないと思っていいかもしれない。
基本である黒に、金と銀以外の多種多様な色が追加されたと言ったところだろうか。
とりあえず髪の色については現実を受け入れて、ここらへんで納得しよう。
そもそも別に難しく考える必要もない。
ただ色のバリエーションが増えて、個性を発揮する場所が増えただけだ。
そんな程度の問題でしかない。
今はそれより……目前に迫った自己紹介か。

「じゃあ、次の後ろの子!お名前は?」

「ふじき げんのすけです!」

クラス担任らしい妙齢の女教師にたずねられ、目の前の席に着く少年が勢い良く立ち上がって元気に答えた。
……いやぁ、しかし俺が言うのもアレだが、凄い名前だな。どこの駿河城御前試合だ。
何はともあれ目の前のヤツに順番が回ってきてしまった。
当然、次は俺な訳だが……さて───。

「すきなものはちゃんばらです!」

うわぁい、前の席の子、将来とんでもない怪物になりそうだNE。

「ハイ、ありがとう!もう座っていいですよ。それじゃ次、その後ろの子!お名前聞かせて貰えますか?」

「はい」

俺は教師に指名され、静かに立ち上がる。
視線が集中する。……凄い見られてるな。
周りの子供達が無垢な瞳で、穴が空きそうなほど俺を凝視している。
……ここが戦場で、子供達が光線級なら俺は蒸発してるだろうな。
既に起立している俺はそんな馬鹿なことを脳裏で考えながら自己紹介を始める。
ま、無難に行っておくか。

「不破 衛士です。苦手な教科は特にありません。趣味は読書と運動です。これから一年、ご指導宜しくお願いします先生」

「───え?……ぁ、ハイ、こちらこそ……」

立て板に水の如く喋り一礼すると、先生は呆けた顔で俺を見ながら返答した。
まあ小学一年からスラスラと淀みもなく、今の口上が飛びでてきたのだから仕方もないが。
俺は着席して目を瞑りこれ以上喋ることはないと遠回しにアピールする。

「あー……それじゃ次の列、一番前の君!お名前は?」

意図を組んでくれたのかそのまま続行。順応が早くて助かる。
ムスッとした顔で「まだ何か?」とか生意気言う状況には成らずに済んだようだ。
待機時間が出来た俺は後に続く連中の元気溌剌とした自己紹介をBGMに、今この瞬間より六年間に及ぶ小学校生活について思案を巡らせた。







「それじゃ不破君、その願書受け取って下さい」

担任がいきなりそんなことを口走りやがった。

「───い、いや、ちょっと待て。いえ、待ってくださいお願いします」

失敗した。驚きのあまりタメ口で突っ込んでしまった。
てか、受け取って下さいって何だ。
そもそも何時の間に職員室に連れてこられた。
新入生は午前で学校終わるんじゃなかったのかよ。
駄目だ、今この状況に至るまでの過程が綺麗さっぱり消し飛んでる。
スタンド攻撃でも食らったのか?

「もー、今説明したでしょう?聞いてなかったんですか?」

ハイ、スミマセン。聞いてませんでした。

「検定の願書ですよ」

「……け、検定ですか?」

視線を担任の女教師から机上の願書に移す。
───普通、こんなもん入学初日の小一にやらせるか?

「……で、何の検定のヤツなんです? これ」

思い浮かぶのは漢検とか英検とかそれぐらいしかないんだが。

「高認です」

「──────ぱーどぅん?」

ナニ、イッテンノ、コイツ。

「ですから、高認ですよ。正式名称『 高等学校卒業程度認定試験 』」

「はあああああああああああ!?」

───さっぱり意味が解らない。

高認って、確か大検から名称が変わったアレのことであってるよな……?
こっちの世界じゃこんなに改正が早いのかよ!? 生前じゃ21世紀入ってからだったと思うんだが!?

てかちょっと待て、何でそれを俺に勧めてくるんだよ!?

俺はまだ満六歳だぞ!
受験条件満たしてねぇから!そんなもん小学校一年生に勧めるんじゃねーよ!
何考えてんだこの先生……。

と、とりあえず───。

「あ、あのですね先生。俺の年齢じゃこんな資格受けられないでしょ? 六歳ですよ?」

「……?いえ、受けられますけど」

「いやいや……空覚えですけど確か大検、じゃなかった、高認って十六歳からじゃないと受けられないでしょう。 中学校も卒業してない六歳のガキじゃどう考えたって無理ですよ」

「───フフ、自己紹介の時にも驚かされましたけど……語彙も知識量も小学一年生とは思えないですね。ええ、そうですよ。大検の時では無理でしたね」

……大検の時では───?
言い回しに違和感を覚える。
妙に引っ掛かる言い方をしてくれるじゃないか。

「一昨年のことです。教育基本法の全面改正があったのですが───ご存知ですか?」

頷く。
1988年の教育基本法、全面改正。
既に確認できている。

「先生の仰る教育基本法の全面改正とやらが、義務教育科目の切り捨てや大学の学部統廃合のことを指しているなら」

「……本当にお利口ですね。でもそれだけではなく、他にも連動して改正されていった法や資格も存在するんですよ」

……参った。
そんなところまで変わってしまっていたのか。
広く浅く情報収集していたのが災いした。
つまり……俺の調べが足りなかっただけで───。

「───今から俺が受けさせられようとしてる『高認』も、その内の一つだったって訳ですか」

「ええ、そうです。名称が『大検』から『高認』へと変更された際、内容も同じく全面改正されています」

絶句する。
それは、俺のようなガキでも……小学校一年生でも高認が受けられるような、途轍もなくブッ飛んだ改正が行われたということか。
───極めてナンセンスだ。
もはやそれは改正ではなく、改悪だ。断言してもいい。
……だが、俺にとっては紛れもない改良だ。
そんな案件を通しやがった大馬鹿野郎に、最大限の敬意を込めて感謝の言葉を贈ってやりたい。

この状況は間違いなく利用出来る。
そう、これは───千載一遇の好機だ。

「───先生。お手数掛けますが改正内容の説明をしていただいても宜しいですか」

「あら、興味が湧きました?それでは、喜んで説明させていただきますね」







「何とも……入り口の広い資格ですね」

要約すると、試験は年に二回で8月と11月、年齢条件は数え年七年目から。
そして───義務教育終了後、即大学入試を受けることが出来るという、破格の価値を持つ資格。
……つまりは事実上の飛び級の許容に等しい。

五分ほど改正前と改正後の説明を受けたが、大雑把にまとめるとそういうことになる。

「しかしまぁ……よくそんな改正内容が通りましたね。下限が六歳からって……正気の沙汰じゃないでしょう?」

「そうですねぇ……実際、去年は六歳で受けた人、0人でしたし。それどころか12歳以下で受けた人が全国から両手で数えるぐらいしかいませんでしたし」

元よりそこそこ難関なんで勿論その子達も全員落ちましたけど、と先生は付け加えた。
……おい、全然駄目じゃないか。

「……で、そんな難関資格に挑戦する役として、俺に白羽の矢が立ったのは何故ですかね?」

「自己紹介でビビッ!と来たから……では納得出来ませんか?」

───今一、説得力に欠ける。
アレぐらいの台詞、子供に目立たせようと画策した両親が吹き込めば成立してもおかしくない。

「アハハ、納得してないって顔ですねー」

「ええ、まぁ……」

「フフ、理由はもっと単純ですよ。不破君ってここらへんだと凄く有名な天才少年なんですよ?」

は? 有名?
───天才少年!?
ハハ、ないない。

「初耳ですよ。そんなことはないでしょう」

「またまた、謙遜しないでいいんですよ?」

謙遜とかではなく、純粋に理解できないんですけど。
おかしいな、別に周りにアピールなんてしてなかったんだが。
……知らず知らずに何かやらかしたか?

「ぇ……本当に自覚なかったんですか」

先生が呆れたように言った。

「青年や大人に混じって参考書やら読みふけってる幼児が、町の公共図書館や近辺の本屋さんで頻繁に目撃されてるんですよ。目立たない訳ないじゃないですか」

───あー、あー……。
そういえば、暇さえあれば居座ってたな。
自由な時間は身体動かすか勉強するかの二択しかしてこなかったし。
おまけに小遣いなんて貰ってないから、必然的にそういうところで立ち読みだの閲覧だのするしかなかったんだが。
そうか、妙にチクチクすると思ったら注目されて視線が刺さってたのか。通りで居辛かった訳だ。
たまに声とかも掛けられたっけか。こんなに難しい本読んで偉いね~、なんて誉められてたが完全に社交辞令だと思ってた。
……確かに噂が流れて有名になってしまってもおかしくはないか。

「まぁそういう訳で、君は入学前から教師達にとって注目の的だったんですよ。私が受け持つことになるとは思いもしませんでしたけどね」

「……それで、自己紹介の時に、ビビッ!と来たってところですか」

「ええ、ビビッ!と来たんですよ。この子ならもしかしたら受かるんじゃないかなーって」

この人、行動力あるな。
それで俺を職員室まで引っ張ってきてわざわざ願書手渡ししてくれたのか。
……そう言えば。

「あの……先生、願書も既にあるなんて用意周到すぎませんか」

「あ"ー、それはですねー……」

先生が言うには、何でも文部省の方から各学校に「可能な限り六歳の新入生の受験者引っ張ってこい」とのお達しを受けたとのこと。
そこから更に周りの教師からお役目を押し付けられたらしい。
おまけに給料の査定に響くのだとか。これは酷い。
……普通は無理だろ。幾ら条件緩和したからって、六才児に高認なんざ受けさせるかよ。
俺は規格外だけどさ。

「それで、不破君……願書のほうなんだけど、受け取ってもらえるかな?」

哀願するように訪ねてくる先生。
ちょっと腰が低すぎるような気もするが、それも愛嬌か。

「先生、おめでとうございます」

「え?」

「どうやら給料の査定は大丈夫みたいですよ。俺みたいな変り種のガキがいてよかったですね」

「……そ、それじゃ、受けてもらえる!? 本っっっ当にありがとう!」

何か今にも小躍りしだしそうなほどテンション上がってるな。
ま、こちらも気分は高揚してるが。

「いえ。むしろ、俺が感謝したいぐらいです。先生に高認のこと教えてもらえなかったら……前に進むのが遅れるところだったんで」

───これで、大きいか小さいかはともかく、前には進めたような気がする。
高認が施行されてから今に至るまで、未だ下限の六歳でこの資格に通った者はいない。
……つまり仮に今回で通れば、全国で始めて六歳で通過した天才児としてある程度注目されるのは間違いない。
これを足掛かりにすれば……逸早く、何かを成すことが出来る人間になれるかもしれない。

「それじゃ先生。俺は早速試験の対策したいんで、帰らせてもらいます」

「はい、気をつけて帰ってねー!」

先生はそう言うと、校長室に向かって、校長ぉぉぉぉ!噂の子が高認受けてくれましたー!と叫びながら全力疾走していった。
……本当に元気な人だな。

「負けてられないな、俺も」

俺は渡された受験案内を鞄に放り込み、職員室を退出した。











「あ、お母さん、お父さん。俺、高認受けるから」

夕食時。俺は早速両親に報告してみる。

「……コウニン?」

「エイジ、何だいそれは」

ま、普通は知らないよなぁ。
あまり世間に露出してないみたいだし。

「大検って聞いた事ない?」

「ああ、それならあるよ。僕の友人も受験していたな、そう言えば」

「……でも、大検と何か関係あるの? その……コウニン?っていうのは」

「うん。何でも一昨年の教育基本法が改正されたときに、連動して改正されたらしくて───」

二人に大雑把に説明する。
名称が大検から高認に変わった事。
年に二回施工されるようになったこと。
受かれば義務教育終了後、すぐに大学入試を受験出来る権利を与えられること。
大検の時より受験条件が大幅に緩和されて、年度末までに満七歳になる者から受けられるようになったこと。
改正されてから二年、未だ六歳での合格者が出ていないこと。

───そして、俺がそれに挑戦してみたいということ。

二人ともポカンとした表情で固まっている。
やはり、いきなりこんなこと言われても困るか。

「な、なんというか……小学校入学初日から凄いことになってるな」

「パパ……私、愛息子が眩し過ぎて直視出来ないわ……」

「ハッ!? ママーッ!しっかりするんだ!」

いやぁ、本当に見ていて楽しいな俺の父と母は。

「でさ、そういうことだから、その……悪いけど、受験料とか払ってもらいたいんだ。あと、出来れば何冊か過去問題集も……?」

真剣な目で俺を凝視してくる両親。
何だ。そんな金、家にはねーよ!とかそういうオチか。
流石にそこまで貧乏ではないと思ってるんだが。

「ねえ、ママ。エイジが僕達に何かをお強請ねだりするなんて、初めてだよね?」

「ええ、パパ。こんなこと今まで一度もなかったわ……それだけ真剣なのね」

俺は二人の目を見返し、静かに頷く。

───ああ、真剣だ。真剣だとも。
俺はここに来て漸く、何かに挑むということが出来るのだから。
この六年……俺は何もしていないんだ。
確かに勉強や運動は暇さえあればした。
だが、積み重ねたそれを試す機会は一度足りともなかった。
それどころか、そういったことはまだまだ先になるだろうと思っていたんだ。
でもそこに転がり込んできたのが今回の高認だ。
おまけにここで受かってしまえば漏れ無く国公認の天才児だ。
この好機は、絶対に逃せない。

「エイジ、お前の気持ちは解った。お金の事なら全然心配いらないさ。むしろうちはお前が全く我侭言わないから他所と比べてもお金が余ってるぐらいだよ」

「そうねぇ、他所様を見てるとこんなご時世なのに、お子さんがアレが欲しいコレも欲しいと大変そうだわ……」

「あはは、俺はあまりそういうの興味なかったからね」

……違うよ母さん。大変じゃないんだ。
まだ、大変なんかじゃないんだよ。
大人が子供の我侭を許せる程度には、まだ日本は平和なんだ。
歴史に狂いが出るかもしれないけど……後八年前後でBETAが来るんだ。
そうなったらもう子供の我侭を聞いてやる余裕なんて大人たちにはない。

「───ありがとう。俺さ、絶対受かるから。父さんも母さんも、応援してくれると嬉しい」

だから、備えなくちゃいけない。
平和が欲しいなら……迫り来る戦に備えて、打ち勝って、掴み取らないといけない。
今回の高認の受験は、備えの第一歩に過ぎないんだ。
だから俺は、こんなところで躓いてられない。
明日からは運動量も抑えて、試験対策に時間を割り振ろう。
小学校でも授業中の行動にある程度自由を貰えるように交渉してみてもいいかもしれない。
あの先生なら当たり前のように承諾してくれそうな気もする。
とにかく全部の労力を勉強に注ぎ込んで───。

「エイジ。お前が初めて自分の意思で挑戦することだ。頑張れよ」

「エイジ、私も応援するから。でも頑張れとは言わないわ。今までだって、お勉強は頑張ってたもんねー?」

「……ママ、僕もう頑張れって言っちゃったよ……今からでも取り消していいかなぁ……」

「お、お父さん、別に気にしてないから。うん、頑張るよ。無理しない程度に」

───前言撤回。頑張りすぎる必要もなさそうだ。
ああ、今まで通り……適度に頑張ろう。
親に無用な心配をさせるのは、子供としても気分がいいものじゃないよな。
大分、気が楽になった。

さて。じゃあ明日からまた───いつも通りに頑張っていくか。























1990.Summer.oneday.




広めの和室の中、『青』を纏う幼い少年が膝を立てて座り込んでいる。
少年は真剣な眼差しで一枚の書類を見つめていた。

「───失礼します」

突如、静謐な空間に凛とした声が響く。

「……月詠か。入れ」

少年は声の主を招く。
障子を開けて入ってきたのは月詠と呼ばれた『紅』を纏う少女。
月詠は少年の前まで音もなく歩き、姿勢良く畳に正座した。

「悪いな、わざわざ呼び出して」

「いえ、丁度剣の稽古も終わって身支度も終えたところでしたので。お気遣いなく」

少年はそいつはいいタイミングだった、と言うと手にしていた書類を月詠に差し出す。

「……これは?」

「鎧衣さんから。例の試験の報告書だ」

月詠は素直に書類を受け取り、文面に目を通したところで眉を顰めた。

「……二十に届くかどうか、というところですか。貴方の想定よりは多かったですね」

「何、嬉しい誤算って奴だ。折角用意した餌だ。より多く食いついてくれれば、用意した甲斐があるというものだ」

少年は心底嬉しそうに破顔した。
そんな少年に呆れたのか月詠は溜息を付き、未だ眉を顰めたままでいる。

「……ま、住所も割れているし、追々近場から接触していこうか。と言ってみたはよいが、俺達も諸っ中暇という訳ではない……総当たりには時間は掛かるだろうが」

「それが妥当でしょう。その為にわざわざ餌まで用意して釣りをしたんですから」

月詠はそう言って再び書類に目を落とす。
暫くの間、静寂が訪れた。

「───この少年」

声を尖らせる。
その双眸は驚愕の色に満ちていた。
険しい表情で書類を見つめる月詠にさも愉快そうに声が掛けられる。

「ああ、そいつか。随分とまぁ面白い名前だとは思わないか?」

「い、いえ、それには同意しますが名前に驚いたのではありません。この点数は───」

「解っているというに。全科目満点通過……些か異常が過ぎる。今回の試験では10万人中、そいつ唯一人だけだ」

「そうです。此度の試験、調査の篩に掛けるために総じてかなりの難問になってるとお聞きしました。それを全科目満点通過というのは……」

「そうだな。それこそ朝から晩まで勉強漬けで、徹底的に詰め込んできた秀才か。或いは───」

少年は一拍置き、声を弾ませて言い切る。

「恐ろしく勘が鋭くて、寄り良い選択肢を選ぶことが出来たのか───」

「──────ッ!」

息を飲む。
つまり───大物が釣れたということだ。

「今すぐにこの少年と接触を。早いに越したことはないでしょう」

「まあ待て。まずは近場からだ。第一……そいつがいるの熊本県だぞ? 些か遠すぎる。それに────メインディッシュは最後まで取っておいた方がいいだろう?」

飄々とした少年に痺れが切れたのか、月詠が声を荒らげる。

「貴方は直ぐにそうやって───ッ!」

「冗談だ。そんなカッかするな。……月詠、BETAの東進がもう始まってる。来年には大陸派兵だ」

少年は少女を宥めると、縁側の障子を開けて外の空気を取り入れる。
9月の風はまだ少し湿っていた。

「更に九―六作戦と光州作戦の仕込みのこともある────正直、手が廻らない。あまり遠出は出来んのだ」

少年は少女のほうを振り返り、解ってくれるか?と付け足した。

「───すみません。取り乱しました」

「いや、気にはしていない。……さて、そろそろ時間だ。急ごう。悠陽様と彩峰のおっさ……おじ様を待たせると後が怖いからな」

「フフ……ええ、諒解です。時間には厳格な方達だ。遅れて拳骨を食らうのは御免です」


二人は揃って和室を退出し、書斎のほうへと脚を向ける。


「……それに、な」

「はい?」

「心配せずとも、どうせ逢うことになる。破れずの衛士なんてメアリー・スーも裸足で逃げ出しそうな巫山戯た名前が付いているんだ……何をやっても巡り逢うのだろう」

「───ええ、そうですね。本当に、巫山戯た名前だ。願わくば、名前負けしないで欲しいものですね」

「はッ、コイツは手厳しいヤツに目を付けられたな。可哀想に、ご愁傷様だな不破 衛士」


書斎までの道程は、終始穏やかな空気に包まれていた。







[12496] 第五話 ─それぞれの誕生日─ 前編
Name: Caliz◆9df7376e ID:5e4b39e2
Date: 2011/11/26 16:09
12月も半ば。

窓の外は未だ暗い。
流石の太陽も、師走の朝は苦手のようだ。
俺、不破 衛士は早朝特有の寒気に耐えようと温もりを求め、布団にくるまっていた。

「……はぁ……」

気怠げに壁に掛けられた額縁に収められている一枚の紙に視線をやる。
高認の合格通知書。
正直、未だに実感が湧かない。
試験結果の詳細がそれに拍車を掛けている。
今回の受験者で、唯一、俺一人が解答率100%だということらしい。
何かの間違いでは? と思った。
確かに手応えはあった。だが、思った以上に凝った内容で、幾つかの問題は理解の範疇を超えていた。
……が、どうやらマークシート方式に救われたようで、適当に直感任せに塗りつぶした部分も全て正解していたという、稀な現象が起きたらしい。
何はともあれ、俺は運を味方につけてこの難関をまさかのトップで通過した訳だ。

しかし───俺は未だに足踏していた。

「こんなんじゃ駄目なのは解ってるんだけど……これが燃え尽き症候群ってやつか?……違うか……」

あの夏の日、確かに俺は一つ目の山を超えた。
だが、その時の安堵感、達成感、虚脱感が入り交じってしまい、二の足を踏んだのだ。
それが今も尾を引いてしまっている。

「これを切っ掛けに、自分の有用性を周りにアピールしていかないと、いけないんだけどな……」

合格通知書の授与から三ヶ月。
その間、俺は一切の能動的行動を起こすことなく過ごした。
そして今日、遂に七年目の誕生日を迎える。
……捻じ曲った世界を整え直す糸口すら見つけられぬまま。

───俺は、猶予期間の折り返し地点を迎えてしまった。






1990.winter.12/16






「悠陽様。おはようございます。そしてお誕生日、御目出度う御座います」

「……そなたは、なにをしているのですか」

悠陽と呼ばれた少女は、寝床で横になっている己を見下ろす青を纏う少年に、憮然とした態度で問いただした。
ここは少女の個室。煌武院の屋敷の一室だ。
何故、光も差し込まないこんな早朝に、ここに存在しているのかと。
それは当然の疑問だった。

「……いったいどうやって───」

「どうやっても何も、普通に参りました」

少年は有り得ないことを、いとも簡単に答える。
他に方法なんてないだろう、と。

「……またですか? いつもいつも、そんな無茶ばかり。見つかって出入りきんしになっても知りませんよ」

悠陽は呆れたように溜息を吐いた。
この少年は何時もそうなのだ。
厳重なはずの警備を掻い潜り、音も建てずに部屋に侵入し、何時の間にか悠陽の隣で立っている。

「……お説教ならまた次の機会に。時間が押しています……で、お届け物はどちらに?」

「あ、はい。コチラをおねがいしたいのです」

悠陽は寝床から起き上がり、自分の机の上に丁寧に装飾された手紙と───これまた丁寧に包装された見事な花を少年に手渡した。

「───悠陽様。まさか、この花束持って屋敷から警備掻い潜って脱出しろなんて───」

「 お ね が い し ま す ね ? 」

有無を言わさぬ威圧感を、少年は感じた。
流石、未来の征夷大将軍だ、と内心で感嘆する。

「……アイアイマム。承りました。精々、急いで届けるとします」

苦笑しながらそう言うと、音もなく襖を開けて寝室から退出しようとする少年。
悠陽は呼び止めるように、その背中に声を掛けた。

「────妹に……冥夜に、よろしく伝えてください。お誕生日おめでとう、と」

「承知しました。ああ、そう言えば────どうせついでです。花の名前と花言葉も冥夜様に教えておきましょうか?」

少年が振り返りからかうように言うと、悠陽は羞恥の赤で顔を染める。

「~~~~~~ッ! そ、そなた、男児だというのになぜそんな知識までっ」

「ハッハッハッ、それでは───」

再び退出しようと背を向けた少年の袖を、悠陽が掴んだ。
青を纏う少年は、二度引き止められたことで訝しげに自分を引き止めた少女に視線だけを向ける。

「───もう、そなたがからかうから言いそびれてしまうところでした」

「ん?まだ何か……」

「斉御司 暁(アキラ)様。そなたに感謝を。そして───お誕生日、おめでとうございます」

「……ありがとうございます。おかげで、今日は善い一日になりそうだ。いやしかしまぁ、牡丹とは……」

直球すぎるだろ、と心の中で暁と呼ばれた少年が笑う。

「そ、その話をまだ引っ張りますかっ……さぁ、そろそろ去りなさい。真耶さんはしんしゅつきぼつですよ」

花の話を蒸し返された悠陽は顔を赤らめながら、月詠 真耶を引き合いに出して暁を追い出そうと試みる。
暁は彼女がまだ来ないことを知っていたが、時間が押しているのは事実なので話に乗じて撤退を決める。

「仰せのとおりに───それでは、また」

そう言い残し、身に纏った青を翻しながら、アキラは今度こそ部屋から去った。



部屋に一人残り佇む少女は、不思議な少年のことを思う。
自分と同じ日に生まれた、斉御司家の跡取りとなる嫡男、斉御司 暁(アキラ)。
以後、教育係である彩峰 萩閣の元で共に学び……天才と称される能力を見せつける。
その影響は悠陽にも現れ、暁に引っ張られるように、急激にその自我と知識を育てていくことになった。
だが、天才児というのは得てして破天荒なものなのか。
暁は禁忌や掟に触れたがった。
そしてどこで知ったのか、生き別れの妹のことを調べ上げ、それの橋渡しをしてやる、等と宣ったのが昨年のこと。
他所の家の、ましてや将軍家……煌武院家の内情に触れたがるなど、はっきり言って正気の沙汰ではない。
だというのに、自分と、忌児として引き離された妹との橋渡しを、一切の見返りなしに承ってくれる少年。
……噂では、既に政治的な発言力すら持っているとさえ言われるほどの才を持つ少年が、何故そんなことをするのか。
悠陽の疑問は尽きない。
だが───感謝はしているのだ。
誰も、妹について触れることはなかった。
妹なんていなかったように、誰しもが振舞う。
月詠 真那や月詠 真那は例外だが、それでも暁のように橋渡しをするなどと馬鹿げたことは決してしなかった。
身分、位の高さ故の危険もあるだろう。だというのに、事実として少年は壁を乗り越えて、隔たれた二人を繋いだ。
その無償とも言える挺身は、悠陽が彼にある一定の気心を許すには、十分な理由だった。

「そなたに、感謝を」

帝国の未来を担う少女は、明るみ始めた空を見上げながら、型破りな少年の息災を願う。









「───来ましたか」

赤を纏った少女……月詠は暁と合流するため指定されたポイントで待機していた。
大きめの花束を携えてこちらに駆け寄ってくる暁を釣り上がった目で一瞥し、呟いた。

「待たせ───どうした?何故そんなに疲労困憊なのだ」

「いえ、お構いなく。どうぞお構いなく」

月詠は怒りを隠すこと無く、口だけでそう言う。
彼女は誰が見ても解るほど疲労困憊で、足が震えている。

「……迂闊でした。まさか真耶姉様の足止めのためとは言え、早朝稽古だと称した地獄を見る羽目になるとは」

「どうだった? お誕生日プレゼントは」

暁はいかにも面白可笑しそうに、プレゼント、と言い切った。
月詠は笑顔だが、口元がヒクヒクと痙攣しっぱなしである。

「───どうもこうもない。死に際を思い出してしまいました。しかも聞けば私が自ら希望したような言い回しでしたよ、真耶姉様は」

「事前にそう伝えてあったからな」

「ええ……ええ、そうでしょうとも。屋敷に侵入しても真耶姉様から逃げ切れると自信満々に言い切ったのは、この根回しがあったからなのですね」

然り然り、と腹を抱えて爆笑する暁に、堪忍袋の尾が薄皮一枚で繋がっている状態となった月詠が脇差の柄に手を伸ばす。

「───そういえば、暁様。腹筋早く割れねーかなーと仰っていましたね。この場で、私が、今すぐに……割って差し上げましょうか……?」

「あー、悪かった。この通りだ、許せ。それにそいつは腹筋が割れるんじゃなくて切腹だろう。死にとうない、死にとうない」

……この光景を、斯衛縁の者が見れば絶句するであろう。
刀に手を伸ばし、警護すべき対象を威嚇する赤を纏った少女。
その少女に頭を垂れながら、軽口を叩く青を纏った少年。
───尋常ではない。常人には計り知れない関係。

「はぁ……もういいです。それでは参りましょうか。一文字少佐を待たせております故……」

「ああ、そうしよう。さっさと乗り込もうか……あの、60mリムジンに」

二人は視線の先にある車両へと歩き出す。
ここ帝都から東京までを、この無駄に長いリムジンで走り抜けるのだ。

「いやはや。まさか、こちらの世界にもあるとは思ってなかった」

「私もです。エクストラではお馴染みでしたが……やはりこちらで見ると違和感が凄まじいですね……曲がれるのでしょうか?」

不安そうに呟きながら、車の先頭……運転席へと向かう二人。

「すみません、一文字少佐。厄介な役を頼んで」

「とんでもございません、暁様。こちらこそ、久しぶりにコイツを転がすための理由を頂き、誠に有難うございます」

暁が申し訳なさそうに言うと、一文字と呼ばれた男は爽やかに謝礼を返した。
休暇中に呼び出される形になったのだが、どうやら一文字も乗り気だったようだ。

「そう言ってくれると助かります。そなたに感謝を。……ああ、そういえば、今度中佐に昇進するようで。配属先は駆逐艦、夕凪の艦長だと聞いています」

「───有り難き幸せ。この一文字鷹嘴。その名に恥じぬよう、ソラを舞ってみせましょう」

「地上からご武運を祈っております……さて、本題に戻って頂いても結構でしょうか?行き先は────」

「ハッ。東京、御剣家の屋敷と伺っております」

「────耳に入っているようで。では、優雅に且つ速やかに出発しましょう。俺と月詠は二部屋目に。一文字少佐に何か伝える事があればこちらから通信をします。それでは、よいドライブを」

「了解しました!」

暁は月詠を連れ立ち、宣言したとおりに60mリムジンの別け隔たれた二部屋目のドアを開け乗り込んだ。
それを確認し、一文字鷹嘴をゆっくりと車を出す。

「───あの方が風の噂に聞く、斉御司家の嫡男……」

曰く、神童。曰く、麒麟児。曰く……似たような天才を表す言葉。
鷹嘴は相対したことによって、それらがただの妄言でないことを認識する。
立ち振る舞いが、子供が大人を真似てやるソレではない。

「いや、考えても詮ないことだったか。今はただ目的の場所へと送り届けるのみ。この車両は、ただその為に───」

鷹嘴は思考を中断してそう呟き、アクセルを踏み込んだ。
そして───車が……60mリムジンが、一つ目の角をさも当然のように、曲がっていった。








「……なぁ、今普通に曲がったよな」

「……えぇ、普通に曲がりましたね」

リムジンの中で寛いでいる二人の表情は正に理解できない、といった様子だった。
暁が、どういうことなの……と、真剣な表情で悩んでいる。
当たり前のように曲がったのだ。60mのリムジンが、だ。有り得ない現象である。

「……ふむ。つまり、こういうことか? リムジンが曲がったという結果を創りあげてから、ハンドル切って曲がって────」

「暁様。他社ネタはやめてください。其れは最早、因果の逆転です。どこの刺○穿○死棘○槍ですか」

「……ならば、トト○に出てきた猫○スみたいに周りの物質が避けて───」

「暁様────ジ○リは時空を超えて検閲削除してきます。ご自愛ください」



「「…………」」



……沈黙が室内に広がる。


「会話が緩いな。ついでに頭も」

「ええ、緩々ですね。そういう状況ではないのですが……」

空気が、緩んでいる。
このような隔絶された世界で二人っきりという状況は、久方ぶりだったからか。
ピンと張った糸が、解されていく感覚を二人は覚えてしまった。

「最近は張り詰めっぱなしだったしな……たまにはいいんじゃないか」

「たまには……確かに久しぶりですね、こういう……その、はっちゃけた会話は」

「生まれて初めて会って、一晩中語り明かしたとき以来だったか」

二人は通り過ぎた七年間に想いを馳せる。
死と再生。
異世界との遭遇。
互いの存在の認識。
そして、世界改変のための活動。

「月詠。お前がいてよかった。あの邂逅がなければ、俺は状況を正しく理解できなかっただろう」

「同感です、暁様。貴方がいてよかった。おかげで、私という存在が唯一無二でないことを知った」

───転生。
二人は当初、自分達が特別な、唯一無二の存在だと自認していた。
この世界に影響を与えることが出来るのは、自分のみだと。
しかし必然か偶然か、二人は極めて近しい場所に生まれ落ち、巡り逢う。
そして、二人は多くを語り合い……一つの突飛な発想に至る。

「……何という事はない。俺もお前も、特別ではあったようだが唯一無二ではなかった……俺達に準ずる存在が他にも存在したわけだ」

「───この狭い国内、しかも確認出来た者だけで18人……日本に分布が集中している訳ではない場合、全世界で100人を余裕で越すでしょう」

古人曰く、一匹見かけたら百匹いると思え────とのことですし。
と、月詠が付け加える。

「ハッ……まるでゴキブリだ。仮に海外にも俺達みたいなのがいたとすると……ユーラシアの方に生まれたのは大変だろう。何せ、あそこは地獄だ」

「……既に脱落者がおるやもしれません。状況を把握できぬまま、BETAに貪り食われた者がいないとは言い切れませんから。実在したなら、ご愁傷様です」

「全くだ……さて、それじゃ運良く安全な後方国に生まれ、何れは決戦の舞台に立たされる俺達は今のうちに好き勝手やらせていただこう」

暁がそう言うと、月詠は携えていた小さめのアタッシュケースを開き、18枚の書類を暁に突き出す。

「───これを。例の釣り餌……"高認"に掛かるだけの運と行動力を示してきた者達の詳細です」

暁は無言でそれを受け取り、それぞれに目を通す。
その表情は真剣そのものだった。
数分後、吟味するように書類を見つめていた顔をあげた。

「……生まれた場所が見事にバラけているな。これじゃ彼らには、俺とお前のような他の転生者との巡り逢いはこない、か」

「────正史の知識を所持しているという仮定になりますが……彼女らは皆、変わり始めた歴史に対して、真実に到達する糸口を見つけられない……精々がIfの世界だと思い至る程度でしょうか」

「まぁ、俺達が動くまでは正史のソレから逸脱した流れはなかったからな。……クッ。それこそまさか、だろ? まさか自分と同じようなのが他にいて、しかもこんなにも早く歴史に干渉してくるなんて思う訳がない」

心底愉快そうに破顔した暁に、月詠が嗜めるように口を開く。

「暁様、間違っています───そもそも彼等は自分達のスタート地点が同じだという情報すら持ち得ていない。故に、他者の行動が早い、遅いという発想がまず有り得ないのです」

「ああ……そうだったな、いかんいかん。情報量という点に置いても、俺達のアドバンテージは大きい訳、か」

暁は再度、18枚の書類に目を通す。
18人の個人情報はバラバラだ。
苗字も、名前も、家柄も、生まれた場所も、家族構成も、非常にバリエーションに富んでいる。
───しかし何度見返しても、気味が悪くなるほどの一致を見せる項目があった。

「……生年月日、一九八三年」

「……十二月、十六日」

二人は神妙に口を揃える。


─── 1983 12/16 ───


「俺の誕生日だな」

「私の誕生日でもあります」

暁は愉快そうに、月詠は不快そうに顔を歪ませた。

「……この不気味な一致は、一体何なのでしょうか」

「それについてだが、月詠。今日は他に誰かの誕生日だったか覚えてるか?」

暁はなぞなぞでもやるようなノリで、月詠に問うた。

「……悠陽様のお誕生日でしょう」

「ああ、そうだな。ということは?」

「双子の冥夜様のお誕生日でもあられます」

「……もう一人いるだろうに。わざと言ってるのか?」

「む、まだ誰か? 申し訳ないです。私は空覚えが多いので……細かいところまでは覚えておりません」

「あー……そう言えば、そんなことも言っていたか。しかし細かくないんだがな、これは。結構重要な情報の……まぁいい」

心底申し訳なさそうな顔で謝罪する月詠に、暁が虫食いなら仕方ない……と納得する。

「引っ張る案件でもない。とっととネタばらしだ」

暁があっさりと言った。


────『白銀 武』だ、と。


「────な、るほど、成程。失念していました。今日は彼の誕生日なのですね。そして貴方は白銀 武という存在が、私達のような異邦人がこの世界に多数存在する原因かもしれない、と?」

「確証はない。しかし、もし何かを疑うとして、"彼"以外に誰を疑う?」

 一瞬の思考停滞の後、疑問の遣り取りを交わす二人。

「……気持ちはわかりますが、因果導体の白銀 武は未だ不在です。今この世界にいる白銀 武は、ただの少年に過ぎない。それに、仮に彼が原因だとして、私達がそれに便乗したとして────2001年の10月22日がスタート地点になるはずでしょう」

「だから、確証はないと言った。これは俺の妄想だ。考証じゃない。これだけ大勢の人数の誕生日が一致したという理由だけでこじつけた、ただそれっぽい妄想に過ぎない」

月詠は呆然とした。
暁はこういった真面目な場面で妄想を口走るような人間ではない。
────その意図が読めない。

「……つまりどういうことだってばよ、とお聞きしていいですか」

「いいってばよ。お前には、俺の妄想を全否定するために、白銀 武を偵察してきて貰いたいのだ」

「何……ですって……?」

今度こそ驚愕の表情を浮かべる月詠。

「そもそも今日はお前にそれをやって欲しくて連れてきた。悠陽から託された届け物の方は俺だけで事足りる」

「……それは、その、今日じゃないといけないことなのですか」

その表情からは、出来れば勘弁してほしいという感情が滲みでている。

「そう言うな。ついで、というヤツだ。柊町は目的地に比較的近いからな」

「───ハァ……諒解しました。偵察任務、承ります。ですが一体、素人の私に何を偵察しろというのです」

渋々といった表情で月詠は問いかける。その疑問は当然だった。
彼女が直接偵察するメリットがないのである。
そういうのを専門に活動している人間に委託することも可能なのだ。

その疑問に、暁は微妙な表情を浮かべながら答える。

「何と言っていいものやら……ああ、そうだな。普通の少年であるかどうかを確認して欲しい」

「普通の……? それはどういう───」

「怪しいところがなければ問題ないということだ。適当でよい。それと、この車両の三部屋目にお前の丈にあった厚手の服が何着か運んで貰った。降りるときに選んで着替えていけ。そしてこれは軍資金だ。好きに使え」

「あ、あの、これは一体……?」

状況を飲み込めずに、思わずそう聞き返す。
怒涛の勢いで説明し、この年齢の子供が持ち歩くには明らかに多すぎる金の入った革財布を手渡してくる暁に、月詠は動揺を隠せない。
わたわたと慌てている姿は、どこからどう見ても、そこら辺にいる年相応の少女に見えた。

「……真那さんや真耶さんから聞いている。"働き過ぎだ"、とな。いい機会だ……街中でもブラついて、息抜きでもしてこい」

それを聞いて、漸く彼女は理解した。
────これは、彼からの誕生日プレゼントなのだと。
しかし何も用意しておらず、それどころかそういう発想すら持っていなかった月詠は、自分自信に対して酷い自己嫌悪を覚えた。

「……わ、私は暁様にプレゼントを用意できておりません。ですから、これを受け取ることは────」

「お前の挺身のおかげで、俺は十分に楽をさせて貰っている。その日頃から積もり積もったお前への恩を、今回の一回で済ませてくれと言ってるんだ。酷いヤツだな俺は」

いいから黙って受け取れ、と遠まわしに告げた暁の顔はやや羞恥で赤みがかっていた。
自分のキャラじゃないのを理解しているのだろう。なんか暖房効きすぎではないか? と態とらしく愚痴を零している。
……これがツンデレというヤツか、と月詠は笑みを浮かべながら内心で思う。
いつのまにか彼女の心を覆っていた自己嫌悪は霧散していた。

「───貴方に、心からの感謝を。正直、ギャップのせいでちょっと子宮がキュンとしましたよ」

「女児が子宮とか言うでない。というか、嘘をつけ。初潮もまだの癖に……解っているだろうが、白銀 武の偵察もしっかりこなせよ?」

「ええ、諒解です。前金は頂きました。勤めは果たしま、す……っ」

「……どうした?」

とても周りに人が居るときには出来ない下品な冗談を二人が言い合っていると、突如、月詠の反応が鈍り、目も虚ろになり始める。
そのまま体をゆっくりとソファーに倒して、完全に眠る体勢に入った。

「申し訳ありません……地獄の早朝稽古で、想像以上に消耗したみたいです……」

「……よい。それについても申し訳なく思ってる。その分も今日は楽しんできてくれ。柊町に着けば起こす。寝ていろ」

「……変なこと、しないでくださいね……」

「せんわ! ケダモノか俺は……そもそも精通がまだ、って何を言わせる!?……む?……もう寝たか。のび太君か貴様は」

暁はヤレヤレだ、と口にして立ち上がると、月詠の隣に腰を下ろし毛布を掛けてやる。

「……黙って眠っていれば、美少女なんだがな……」

呟き、規則正しく寝息をたてる少女の髪を壊れ物でも扱うように掬い上げる。
黒髪を眉の辺りで切り揃え、肩にかからない程度のボブカット……正しく、日本人形のような美少女、と言っていいだろう。

「だがな……信じられるか……?これで、中身は前世の歳も合わせると四十路超えたおっさんとはな……全く、世の中解らないことだらけだよ」

そう。
おっさんなのである。
おっさんのような、ではない。

おっさんなのである。元、がつくが。

暁が今ほっぺをぷにぷにしながら遊んでいる少女は、おっさんだったのである。
悪夢でも見ているのか、真耶姉様の笑顔超怖いです、と呻き声を上げている目の前の美少女が、だ。

彼女は転生者。
そして転生というからには前世がある。
例え今は美少女だとしても、前世ではおっさんだったのだ。

「……あの人格矯正は、ほんと、大変だったろうな」

暁は思い返す。
担当はハトコ関係の月詠 真耶と、月詠 真那が受け持った。
それはもう見事に……口調から一人称までガッツリ変わったのだ。
前世の一人称だった僕は私になり、喋り方も丁寧なものに矯正された。
一部始終を見ていた暁は、その余りのスパルタっぷりに同情を禁じ得無かった。
そしてその結果出来上がったのは何処に出しても恥ずかしくない、下ネタもどんとこいなユーティリティ性を持つ日本の精神が凝縮されたような美少女である。

───ここだけの話、暁は、君が望む永遠の結末の……平行世界の一つ、緑の悪魔に完膚なきまでに人格を破壊された鳴海 孝之を連想した。

「人格の矯正というか……全部壊してゼロにして、そこからまた築き上げたような……そんなノリだったからな……」

あの時、暁は心の底から同情した。
そして、理解したのだ。
初めて邂逅したとき、マブラヴの好きなキャラや戦術機について熱く語り合った、あの時の中身おっさんの幼女は……もういないのだ、と。

「トランスセクシャルは……簡便だな。ああ本当に────異性に転生しなくてよかった」

暁はほっぺをぷにるのに飽きたのか腰を上げ、車に乗り込んだときに座っていた場所へ戻る。
そして通信回線を開き、運転席の一文字 鷹嘴に連絡を繋いだ。

「一文字少佐。斉御司です。予定が変わりました。先に月詠 真央を柊町で降ろします」

『ハッ、了解しました』

「目的地までのルート選びは一任します。頼みました」

必要な事だけを伝え、通信を終える。
暁は深い溜息を吐き、如何にも高級そうな備え付けのソファーに体を沈めながら、双眸を閉ざして思考に没頭する。

───複数の転生者。

───不自然な一致を見せる生年月日。

───物語の核となる少年。

ゆっくりと目を開き、暁は静かに眠る月詠 真央に視線を向け、間違っても起こさぬよう、優しく語りかける。

「……なぁ、月詠。俺達はとんでもなく非常識な存在だ。オマケに他にも似たようなのが大勢おり、伏兵までいるかもしれないとキテいる……これ以上イレギュラーが増えるのは頭痛の種だ」

そのための白銀 武の偵察だ、と付け加える。
暁が思い浮かべるのは荒唐無稽な二つの単語。

────逆行。
世界を救う英雄の少年が、過去へと舞い戻り、新たなお伽話の幕が上がる───。

「……転生なんて馬鹿げた前例がここに居る。全面的に否定が出来る立場ではないな」

────憑依。
世界を救う英雄となる少年の同位体に、違う何かが憑き、異なるお伽話の幕が上がる───。

「……同じく、全面的に否定は出来ないだろう。誰か違う"ヤツ"が武の身体を乗っ取っている……有り得ないことじゃない。俺もお前も、似たような者だ……」

暁はこの二つの不確定要素を、完全に排除したかった。
その為に、白銀 武との接触は遅かれ早かれ必要だったのだ。

「とは言ったものの、十中八九ないだろうが……そのためにも確認が必要というのが七面倒だな」

月詠 真央を、白銀 武の偵察に向かわせるのもその為だ。

「まぁ、俺が行ったほうが確実なのだが───俺は俺で、用事がある」

暁は丁寧に固定されて安置された花束と手紙に視線をやる。
こればっかりは他人任せには出来ないよなと、苦笑する。

「気晴らしのショッピングもいいが、この世界の白銀 武がどういった存在か見極めてもらうのがメインイベントだ。月詠、お前なら事足りるだろう」

最も個人としてはこれ以上の厄介事はお引き取り願いたいものだ、と心の中で切実に思う暁だった。

「───ああ、言い忘れていた。寝てる時で悪いが、ハッピーバースデーだ相棒。厄介で長ったらしいプロローグではあるが……もう少し付き合ってもらうぞ」

暁はやがて来る、そう遠くはない将来を思う。
序章が終わり、物語が真の意味で始まるとき、どれだけの転生者が立っていられるのか、と。
既に行動を起こし、その存在を一部の人間に知らしめた18名の転生者。
未だ把握しきれていない、海外にもいるかもしれない伏兵的な未確認転生者。

「……どこにいようとも、そろそろ各々の分岐点に差し掛かるだろう……精々、くたばらないことを祈る」

暁は日本に存在する、そして世界中に存在しているかもしれない転生者達に語りかけるように────。

「────誕生日おめでとう。悔いの無いよう行動してくれよ───希望が未来を焼き尽くす前に、な」

同じ日に生まれ落ちた、全世界の"兄弟"達に向かって、そう告げた。























ここに一つの戦場があった。
人類の剣を収める場所であり、その刀身を研ぎ澄ます場所。

戦術機ハンガー。

整備士という名の戦士達は、この戦場を縦横無尽に駆けずり回る。
彼らの熱気はこの極寒の地に位置する基地にあって尚、フル稼働している暖房設備のソレに劣らない。
しかしそんな中、周囲から異常なほど浮いている存在があった。

戦術機の前に幼い少女が一人、後膝部まで届く長い銀髪を揺らし、佇んでいる。

余りにもこの場にそぐわないその妖精のような少女を、通りすがる整備兵達が訝しげに一瞥していく。
整備パレットに備え付けられている柵にもたれかけ、眼前に聳え立つ無骨な鉄の巨人と相対する少女。
彼女は何を思うのか。その表情は無造作に伸ばされた前髪で完全に隠れ、周囲の人間には伺うことが出来ない。

「F-14 AN3 ロークサヴァー……」

可憐な、それでいて冷たい声でボソリと、型式番号と名称らしきものを呟く。
それが目の前の戦術機に与えられた名前だった。

「実物大を生で見てみると、センサーのゴテゴテ具合が最悪だな。これじゃ空力特性もクソもねぇだろ」

その見た目からは想像もできないよう口調の悪さで目の前の機体を酷評する。
揺らめいた前髪から覗く青い瞳が映すのは、戦術機の頭部、肩部、腕部に搭載された複合センサーポッド。
だが、この元来の機体コンセプトを無視した装備が、己の能力のサポートをする為の物だと、少女は理解できていた。

「……最悪の誕生日だ、ド畜生。ああ、嫌な予感はしたさ。ハンガーにプレゼントが届いてるなんて素っ頓狂な事伝えられた時からな……ッ!」

忌々しげにそう言うと自らの肩を抱き、目前の戦術機から目を背け、俯く。
……やがて来る現実からの逃避の許しを、頭を垂れて乞うように。

「───スワラージ作戦まで後二年。後二年で、オレはこいつに乗せられて……軌道降下でボパールハイヴに飛び込む……」

自分のことをオレと呼称した少女は、その未来を思い浮かべたのか、恐怖に震える。
必死で肩を掻き抱き、抑えこもうとするが、一向に止まらない。

「生還率、6%」

あまりにも絶望的な数字を、か細い声で搾り出すように口にする。

「……トリースタが参加しないから、自分も参加させられるはずがない……そうやって油断した結果がこれか────」

少女は思う。
こんなはずではなかったと。
自分はスワラージ作戦になど参加せず、トリースタと一緒に第四計画へと接収されるために動く手筈だった。
だがその希望した展開は、一手目から粉微塵にされたのだ。

「例えそれが、十にも満たない少女でも……使えるものは使うってことかよ……ッ!」

吐き捨てた言葉が、整備の音に掻き消されて宙に消えていった。

少女は後悔する。
優れた知性と落ち着きを、幼児の頃から周囲の人間に見せつけた事を。

少女は憤慨する。
既に積み上がっていた人生経験とESP能力が結びつき、凄まじい潜在性能が何故か発揮されてしまった事に。

少女は懺悔する。
───調子に乗って、寄り善い未来をその手に掴めるかもしれない等と夢想していたことを。

全てが完全に裏目に出た。
戦争をナメてかかった代償が、払わされる時が来たのだ。

「……悪ぃ、トリースタ。オレ……お前と一緒に日本にいけないかもしれない……」

少女は自分に懐いてくれている、未だ幼くも聡明な三〇〇番目の番号を割り振られた妹のことを思う。
暇があればトリースタに未来のお伽話を断片的に語り聞かせた。
日本のことや、不器用ながらも養母になってくれるであろう天才博士のこと。
世界を救う、一人の少年のことを。

すると、トリースタは少女に答えてくれたのだ。

にっぽんに、いってみたいです、と。

舌っ足らずに。

───ねえさんといっしょに、と。

少女は顔を上げる。
その瞳には、絶望に抗い、希望を求める光が宿っている。

「……嫌だ。そんなのは嫌だ。死ねない。オレは嘘つきになりたくない。だってもう、オレは答えを返してるんだよ───」

───いっしょに、日本に行こうって───




人工ESP能力者として二度目の人生を歩む転生者の、生きるための戦いが───今、始まった。



[12496] 第六話 ─それぞれの誕生日─ 中編
Name: Caliz◆9df7376e ID:5e4b39e2
Date: 2011/11/26 16:48
誕生日だからといって休校になるわけではない。
俺は普段通り、小学校に通っていた。
特殊な出で立ちである俺にはもう学ぶことは一切ない。
だが、かといってサボっていいというものでもない。義務教育の短所である。
無駄な時間を過ごしている、という感覚が一層増しているのは、今日は教職員方のネットワークを頼りに来たということもあるからだ。
高認の資格所持を盾に、何とか早期に軍系列の学校に……出来れば関東の方へと、家族と一緒に進学を兼ねて移住出来ないものかと相談を持ちかける為に。

しかし───。
どうやらそれは放課後の事になりそうだ。

「なぁなぁ、エイジー、そとでドッヂボールやろーぜー!」

「ふわ、ショウギやらない?わたし、けっこーつよいんだよ?」

朝っぱらから……。

「エイジ、しゅくだい見せてくれー」

「ふわくん、しゅくだいのさん数がわからなくて……おしえてくれないかな?」

───こ、こうも纏わり付かれては……。

「おい、エイジはおれらとあそぶんだぞ!女子はあっちいけ!」

「ふわくんはあんたらテーノーとはちがって、ゆーしゅーなの!サルはあっちいきなさい!」

いかんいかんあぶないあぶないあぶない……男女間で抗争が勃発するッ!

「わ、解ったから喧嘩すんな!宿題教えて欲しい奴はこっちにこい、見るだけは却下だ、纏めて教えてやる!次の休み時間は将棋だ!二時間目は体育だからそのまんま休憩時間にもつれ込んでドッジボールやんぞこんちくしょぉぉぉおおお!」

無理矢理にテンションを最高潮に押し上げて言い切る。
最近学んだ処世法だ。子供には子供のテンションで応対するのがいいという。
羞恥を覚えたら、それは失敗している。

羞恥を捨て、コチラも子供の対応をすれば、ガキ供もテンション上げて乗ってきてくれるのだ。

「イェェェェェェェイ! エ・イ・ジ! エ・イ・ジ!」

何だこのノリ。




結局、誕生日らしいイベントは一切起こらず、子供のパワーに振り回されて午前を過ごす事になってしまった。







1990.winter.12/16








60mリムジンの三部屋目で、可憐にドレスアップされた少女が一人。

「どうでしょう?おかしな所はありませんか?」

真央は自分の格好がおかしくないか、男性二人に意見を求める。
私服と言えるものを実質的に持っていない真央には、自分で少女服をコーディネートするなど、初めての体験だった。

「見目麗しい。大変似合っておりますよ、真央様」

「ありがとうございます、一文字少佐───それで、どうでしょう、暁様」

「白黒のツートンとは無難すぎるな。美的感覚のないヤツが陥る色調だ。人をおちょくっている」

「──────」

真央が物凄く爽やかな笑顔で短めの竹刀袋から脇差を取り出し、シャランと刀身を露出させる。

「素晴らしい!素晴らしいぞ月詠!あな恐ろしや、超絶似合っておる!嫁にするならばこのような女性が好ましいなはっはっはっは!!」

「宜しい」

褒めるの強制するなら初めから聞くんじゃない……と暁が冷や汗を滲ませながら、刀を収めた月詠に聞こえないように小声で呟く。
鷹嘴は、驚いたような表情で二人のやりとりを見ていた。
と、同時に吹き出す。

「ん?どうかしましたか、少佐」

「一文字少佐?何かおかしな───ハッ!?」

全く気付いていない暁に、やってしまったと後悔する真央。

「い、いえ、余りにもお二方が楽しそうに市井の民のようにじゃれ合うものですから……」

ビシリ、と空気が凍った。
暁も漸く、やっちまったと思い至る。
この七年間、人前でこんなやりとりをしてしまったのは此度が初めてだった。

「───あ"ー……すみません、少佐。黙っていてくれると助かるのですが……」

「わ、私からもお願いします。出来れば今のことは忘れて下さい。警護対象者である暁様相手に抜刀など、冗談でもすべきことではありませんでした」

「……お前、周りに人が居ない時は、中々の頻度で抜刀しているよな……?」

「暁様が抜刀させてるんです」

「俺が悪いみたいに言うな!?」

「暁様が妙な煽り方をするからでしょう!?」

再びじゃれ合いだした二人を見て、その無防備さと第一印象との凄まじいまでのギャップに、遂に腹を抱えて声を出して笑い始める鷹嘴。
たっぷり30秒ほど笑っていた鷹嘴だが、私は口が固いので大丈夫ですよ、と告げられ、胸をなで下ろす二人だった。

「全く、いかんな、今日はどうにも緩みっぱなしだ」

「ええ、気を引き締めなければ。本当に……一文字少佐が人格者でよかった。もし、告げ口をするような卑劣漢なら……私は後で……真那姉様と真耶姉様に……あぁ……そ、そこだけは……ご勘弁を……」

突然、ブツブツと独り言を呟きながらガクガクと震えだす月詠 真央。
その様子を、またかよ厄介なトラウマだな……と呟きながら億劫そうに暁が眺めている。

「暁様、放っておいて大丈夫なのですか?」

「構わん、ただの発作だ。すぐに治まる。と、いうか、今のうちに外に放り出そう。うん。迎えの時の合流場所も時間も教えてある。忘れ物もない。問題ないぞ」

「……本当に宜しいので?」

「私は一向にかまわんッ!!……と、少佐。そろそろまたハンドルを握ってくれると助かります。次は、俺の用事の方へと────」

「ハッ、了解しました」

鷹嘴はそう返し、運転席へと向かう。
暁はヤレヤレだ……と言いながら、肩に手を回し、外に月詠を運びだす。

「ま、真那姉様……解りました……解りましたから……そ、そんな恥垢の洗い落とし方なんて……や……らめぇ……」

「……お前は何を言ってるんだ……」

余りにもお馬鹿な独り言に、思わず突っ込みを入れる。
俺と絡まなければ真面目一辺倒なのだがな、と暁が思う。

「───ハッ……わ、私は一体」

ビクンと一度大きく震えると、漸く正気に戻ったのか、自我を取り返す真央。

「チッ……今日は早かったな。悪いが、勝手に外に運び出したぞ」

「も、申し訳ありません。お手数掛けます……それと、舌打ちは余計です」

スルーし、もう自分で立てるだろ、と手を離す暁。
フラつくこともなく、地面に立ち、背筋を伸ばして暁と相対する真央。


パンッ!と暁が両手をたたき合わせ、大きな音を鳴らす。


「……さて。お互い頭を切り替えるぞ。真面目な話だ」

「────はい」

瞬間、今までの巫山戯た雰囲気が、どこへともなく霧散した。
既に二人が纏う空気は、宛ら真剣のように研ぎ澄まされたものに変化していた。

「月詠、これからお前には白銀 武と、鑑 純夏に逢いに行ってもらう」

「……鑑、純夏───」

感慨深く、真央がその名を口にする。

鑑 純夏。
愛と勇気のお伽話の起点。

「ああ、そうだ……常々二人は伴って行動しているようだからな。片方に合えば、もう片方と出会う」

「道理ですね……場所は、例の公園ですか」

「その通りだ────去年と、同じ場所に居るだろう」

去年……1989年12月16日。二人と邂逅したのは暁だった。
悠陽と冥夜の橋渡しを承った暁。
狙ったものではなく、本当に偶然だった。
去年にドライバーを担当した者が、何の偶然か、この町に縁がある者で、立ち寄ることを暁が許可した。
そして手持ち無沙汰になった暁が町を散策し、遭遇した。

「お前も、直に見てこい。そして、選べ」

暁は真っ直ぐ真央の瞳を見つめ、真摯に語りかける。

「暁様、私は既に答えを────」

「違う。お前は、まだ本当の意味で選んでいない。あの時のは建前だ」

あの時。
暁と真央が出会い、何日も、何週間も語り明かし、この世界でどう生きていくかという答えを出した。
共闘の儀を結んだ瞬間。

「ああ────思えばあの時の俺の答えも、所詮は建前だった。二人の存在をその目で見て、理解し、漸く選択する権利を得る。それからでなければ、選べるはずもない」

「ですが……私は、既に貴方と共に行くと決めた。こんな今更、選択肢を増やされても────」

「増えてはいない。元から在ったんだ。お前が俺に無意識に合わせてくれていただけさ。安心しろ、仮に違う選択肢を選んだとしても、お前と俺は既に運命共同体だ」

「……そう、ですね。私達は既に、明確な意志を以て、世界に干渉し、歴史を捻じ曲げた。それに対して責任を負わなければいけません」

F-16J/TSF-TYPE 88 彩雲。
吉兆とされる気象現象の名を賜り、日本帝国に降臨した───存在しないはずの異物。
これだけは、最早何をしても消えることはない。
世界に刻みつけた、自分達の存在の証。

「────では、行って参ります。暁様」

「────ああ、行って来い。月詠」

月詠 真央は暁に背を向け、歩き出す。答えを得る為に。

斉御司 暁もまた真央に背を向け、歩き出す。約束を果たす為に。












広く薄暗い研究室の中、ただ一人、茶色がかった髪を無造作に後ろで束ねた幼い少年が、黙々とコンソールに何かを打ち込んでいる。
ダボダボの白衣を羽織ったその姿は、中々に様になっていた。
タン、と最後にEnter keyを押しこむと、少年は姿勢を正し、モニターを凝視する。
その瞳に映り込むアルファベットの羅列───Fifth-Dimensional Effect Bomb。
これが意味するモノ、それは───。

「───五次元効果爆弾。通称、G弾」

少年は畏怖を込めてその名を呼ぶ。

「サンタフェ計画のモーフィアス実験から三年……コツコツ積み上げて、やっとこさ論文の骨子が完成とか……自分の無能さが嫌になる……」

最も他に平行して色々やってたのもあるけど、と言い訳のように呟くと、掛けていた眼鏡を外し、髪を掻き上げる。

「本格的に着手するのは、91年のG弾実用化の情報が入ってからになるかな……で、明星作戦の───横浜ハイヴへの投下で最終調整……まだまだ、か」

首からコキコキと音をならしながら周囲を見回してみると、自分以外誰一人として居ないことを漸く気付く。

「ん……みんな気晴らしに外出、かな」

本来のこの部屋の主達が、どこにも見当たらなかった。
この広い部屋に、少年だけが一人残っている。

「って、室長の爺ちゃんまで居ないのはどういうことだよ……でも、仕方ないか。嫌な感じに滞り始めたからな───次期オルタネイティヴ計画の基礎研究も」

本来は手を貸さねばいけないのだ───が、少年は高い知能と知識を持っていたが、天才ではなかった。
今必要なのは大きすぎる壁を打ち壊す……ブレイクスルーを可能とする天才の力だ。

「歯痒いけど、手出し出来る領域じゃないからな……僕は僕に出来ることをやらせて貰おう……」

故に、少年はリソースをG弾否定の論文と、整備兵、戦術電子整備兵の知識の吸収と訓練に割いていた。

「それにどうせ、この状況も来年になれば……将来、横浜の雌狐になる天才がぶち壊してくれるよな、きっと……」

やや自信が無さそうにそう口にした少年は、突き付けられた世界の歪みを思い出す。
F-16J/TSF-TYPE 88 彩雲。
吉兆とされる気象現象の名を賜った、帝国の新たな剣。
───本来在り得るはずもない、未知なる剣。

「転生……If……平行世界……多世界解釈……頭がどうにかなりそうだ。あ"あ"ぁ"ぁ"……ポルナレフさん来てくれぇ……」

少年は怠そうに、グシャグシャと無造作ながら毛並みのいい頭髪を掻き毟り自分の境遇を嘆く。

「否定はしないけどさ……いざ自分が巻き込まれると、参るなほんと……」

どうやらこの世界は、自分の知るモノとは異なる未来へと突き進みたがってるらしい、と。

「歴史の修正力だの、カオス理論だの、存在理由レゾンデートルだの───そんな厨二病めいたこと、真面目に考えるときがくるなんて……」

愚痴を吐くと、もうF-16が採用されてしまってる時点で歴史の修正力なんてないようなものですよねー、と溜息を付いた。
そして今後、カオス理論の……バタフライ効果がどれだけ大きくなるのか、と有り得そうな分岐を考えて憂鬱になる。

「───だけど、バビロンもトライデントも……絶対に阻止させてもらう。僕は……"後日譚"の荒廃した地球を、絶対に認めない。"G弾"は、飽和投下なんてモノに対応していないんだよ……誰かが……誰かが証明しないといけないんだ……」

気持ちを奮い立たせるため、自分に言い聞かせるようにその決意を口にする。

「……凡人は、凡人なりに……頑張って遣り遂げてみせるさ……」

自嘲し、フラフラと立ち上がると、少年はモニターの電源を落とすのも忘れ、寝袋に倒れこむように沈み込んだ。

「あ、れ……?コーヒー入れようと……思ったのに……」

意志とは裏腹に、少年の体は動いてくれない。

「───くっそ……丸一日寝ないだけで、この様なんて……無理か……眠……」

薄れゆく意識の中、体も鍛えないとな、と思う。
中身が大人であろうが、宿った器は子供の体。
体力の限界は、いつだって想定したよりも早く訪れる。

そしてそのまま、意識のブレーカーが、落ちた。












月詠 真央は、斉御司 暁と別れた後、件の公園へと直行していた。
本来なら適当にぶらつき、好きなものを飲み食いすることを許された立場だったが、そういう心境ではなかった。

……確信したのだ。
心の準備をしてからではないと……白銀 武と鑑 純夏に───会い見えることなど出来ないと。

既に公園に来てから一時間が経過していた。
隅の方に設置された時計が示す時刻は、一時。
今日は小学校が土曜日故に、半ドンだった。
既に下校する少年少女を多数見かけている。

真央は思った。出来れば、今日は来ないで欲しいと。
そうすれば、現実など見ること無く、建前で行動できるから。
だが、その願いは世界に拒絶される。


「タケルちゃーん!きょうもこうえんなのー?」

「なにいってんだスミカ!ほかにねーだろ!」


ついに───悲しい運命を背負った少年少女と、出会う。


「───ッ」

瞬間、心臓が跳ね上がった。
一時間も早く来て、冷たい風に身を晒し、心を落ち着けていたのに。
真央の心はどうしようもなく、乱されていた。


「えー!?さーむーいーよー!はやく、おうちにいこうよー!」

「ばっか!うちに帰ったらしゅくだいさせられるだろーが!」


二人は公園に駆けこみ、そのままブランコの方へ向かおうと駆ける。
走り回っていた。躍動していた。
その生命力溢れた動きは、離れたベンチに座っている真央にも伝わってきたのだ。


「タケルちゃーん!なんでブランコなのー!?さむいよー、すべりだいの下にいこうよー!」

「すべりだいの下の何がおもしろいんだよ!?」

「かぜよけ」

「このなんじゃくものぉぉおおお!」


白銀 武も鑑 純夏も、純粋そのものだった。
怪しことなど、何一つ感じ取ることは出来ない。
普通だ、と思った。
普通の少年と、少女だ。

そう───普通に、懸命に生きている、ただの人間だった。


「──ぁ────ッ───」


涙が零れた。
普段は強い理性に押さえつけられている子供特有の豊か過ぎる感受性が……感情を、激しく揺り動かした。
そしてこの時になって、漸く真央は暁の言っていたことを理解した。
そうだ。二人は、生きている人間だ。
目の前で、足でしっかりと立ち、笑い、泣き、喜び、怒る事の出来る人間なのだ。


────決して、世界を救うための舞台装置等ではない────


軽んじていたのだ。そこに在る生命を。
確かに鼓動を刻む、その存在を。
死ぬ未来を知っているから、死んでも構わないなどという理屈は、有り得ないのだ。
例えそれが────吹けば飛ぶような儚い命だったとしても。

自分達は、見知らぬ他所の世界の未来で生きている訳ではなく。
今この瞬間、この世界に生きているのだから。

真央はベンチに座ったまま涙も拭わず、輝く二つの生命を見つめ続けていた。

「?」

鑑 純夏が、まるで吸い寄せられるように月詠 真央の方へと振り向く。

────視線が、交差する。

「────ッ!?」

狼狽える真央を尻目に、鑑 純夏が足早に距離を詰めてきた。

「ねぇねぇ!なんで泣いてるの?」

「ぁ……いえ、これは、目にゴミが入って……」

取り繕うように嘘を付き、急いで涙を拭う。

「うわぁ~……いたそうだねぇ……あ、わたしはスミカっていうの!お名前は?」

「……真央と、いいます」

「マオちゃんかぁ!ね、ね、一緒にあそぼ?」

「も、申し訳ありません。私はこれから私用で待ち合わせ場所にまで行かなければなりません」

「えー……そっかー、残念。それじゃ───マオちゃん!またね!」

「ッ────はい。何時か、また何処かで────」

鑑 純夏が真央に背を向け、風をも切り裂きかんと全力でブランコを漕いでいる白銀 武の元へと走り戻っていく。

刹那、真央の脳内に凄惨なビジョンが映り込む。

BETAに身体を引き裂かれる武。
BETAに心を引き裂かれる純夏。
堕ちる双子の黒い星。
そして、繋がる世界。

愛と勇気の御伽話……その起点。

目を瞑り、強く頭を振って、その一瞬の残像を払い落とす。

「……会い見えて、初めて解ることもある、か……」

呟きゆっくりと瞼を上げ、ベンチから立ち上がる。
そして、少年と少女に背を向け、立ち去る。
もうここには用はないと。

───その存在を理解した。そして権利を得た。

だから後はもう、答えを出すだけだ。本当の答えを。
月詠 真央は、斉御司 暁と落ち合う場所へ足を向ける。

相棒に、答えを聞かせるために。














「…………」

誰かが灯りを点けたのか、薄暗かった研究室が電灯に照らされていた。
寝袋にくるまった少年は、有り得ない来訪者に気付いていない。

「起きなさい、坊や」

コツコツと頭を蹴られ、少年は不完全に覚醒する。

「う"ぅ"……僕の眠りを妨げるのは……誰、だ───」

まだ眠たげに目を擦りつつ、頭を小突いてきた声の発生源を見上げる。
霞みがかった視界が、美女と美少女の境目のような、不思議な女性を捉えた。

「───何で、貴女が」

その姿を確認した瞬間、少年は完全に覚醒した。
慄き急いでカレンダーを確認する。
何度見返しても、1990年、12月16日だった。

───早い。この人が、ここに来るには早過ぎる。

「ん?……どこかで逢った?まぁ、あたしの事は置いときましょうか……そんなことよりもこれ、まさかとは思うけど坊やが書いたのかしら?」

そう言うと女性が点けっ放しで放置していたモニターを心底面白そうに見ていた。
少年の額に油汗が滲む。
後悔する────馬鹿者、何で寝る直前に電源を落とさなかった────と。

「……プッ、アーッハハハハハハ!坊や、貴方、その年で反米思想にでもかぶれてんの?ステイツが国を上げて税金を湯水のように注ぎ込んでる新型爆弾全否定じゃないこの内容!」

暫し画面を操作し、内容を吟味した女性が唐突に腹を抱えて爆笑しだす。

───でんじゃー、でんじゃー、でんじゃー。とんでもない人に、とんでもないモノを見られました────

……少年が心の中でそう思った時には、もう全てが遅かった。
無意味に終わるだろうとは思うが、少年が弁解を試みる。

「ア"ァ"ー……イエ、それ未完成で……てか、ちょっとしたジャパニーズジョークでデスネ……」

「プッ、ククク……しかも何、この、集中運用すると重力異常で海水の一極集中が起こる?規模はユーラシアが完全水没ぅ?その地点の地球の裏側が完全に干上がるですってぇ!?馬っ鹿じゃないの────いい感じにぶっ飛んだ発想してんじゃない。見込みがあるわアンタ」

全く、一切、これっぽちも話を聞いてくれていない。
少年は絶望した。
そこに追い打ちをかけるように、ギラリと、女性の目が光る。
まるで獲物を目の前にした豹か何かだった。

「あたしは香月 夕呼。今日からこの帝国大学量子物理学研究室に世話になりに来てやったわ───さぁ、名乗ったわよ、名前。アンタも教えなさい坊や」

「───ボク、霧山 霧斗(キリト)デス。コンゴトモヨロシク」



ここにまた、出会いが一つ。
転生者は誕生日に、聖母と出会う。


















「───ッ!───ッ!」

道場に、木刀が空気を裂く音が響き渡る。
一心不乱に素振りを続けている少女───御剣 冥夜は気づかない。

背後から足音もなく静かに這い寄る"悪意"の塊に。

「────冥夜」

「ッッッッッ!?!!??」

反転、踏み込み、打ち下ろし。
咄嗟の反応だが、一息でその三工程を踏んだ一撃は、背後からの襲撃者を完璧に袈裟懸けに捉えたはずだった。

が、木刀は空を切る。

「お美事に御座いまする────。全く……七歳児の打ち込みの速度ではない。冷や汗を書いた」

頭を垂れる用に地面に這い蹲っている少年が、そう言葉を紡ぐ。
凄まじい速度で振り下ろされた袈裟懸けを回避するために、全力でしゃがんだのだ。

「───ぁ……暁様?」

「ああ、暁だ。冥夜、誕生日おめでとう」












「そなた、何故わざわざはいごからちかよってきたのだ……」

「いや、驚いてくれるかと思い」

身支度を整えた冥夜は、突然の来訪者を自室へと案内した。
今は出されたお茶を飲んでまったりとしている。

「────去年の今日いらいだ、こんなにもおどろいたのは……」

「ソレは良かった。木刀で殴りつけられる覚悟をしてまで忍び寄った甲斐がある」

そなたは去年も同じことをしただろう……と冥夜が溜め息を吐く。
まさか同じ手で来るとは思っておらず、完全に油断していた。

「そ、それで、暁様……姉上からの……」

「暁」

「……む」

「ア・キ・ラ」

「あ、アキラ……むぅ……なぜそこまで様付けを嫌うのだ。そなたは本来────」

「……摂家の嫡男が、私用でこんなところに居る理由が無い。ただの暁だ、俺は」

そう小声で言うと、暁は丁寧に、華麗に包装された花束と手紙を手渡す。

「オぉ、これが姉上からの……!……姉、上から……の……?」

一瞬、キラキラと目を輝かせて喜んでいた冥夜が、何故か一気に消沈する。
その視線は花に釘付けだ。
もう、滅茶苦茶ブルーである。

「……何か?去年のお揃いの人形は喜んでくれていたと思うのだが。何か気に入らないことでも……」

「───い、いや……姉上からのおくりものに不満などないのだ……わ、私が用意したものに……もんだいが……」

冥夜は机の上に置いてある、自分からの贈り物に視線をやった。
暁の視線もそれを追い、そして───とんでもなく面白いモノを見つけた。

「ブハッ!……く、め、面妖な、クッククク……」

耐えきれず、吹き出して抱腹絶倒する暁。

「そ、そなた!笑うでない!私もひっしに考えてこれに決めたのだ!えーい、わ、笑うなー!」

「ハ、ハハハ!あ、あんまり笑わせないで頂きたい!こんなの持っていったら俺が貴女の姉上に怒られてしまう!」

「だから困っていたのだッ!そ、そなたのほうから、何とか説明してくれ!」

「プッククク……さて、悠陽様が聞き届けてくれるかどうか……何せ、送ったはずものと"同じ一品"が返ってくるとは……俺が約束を反故にしたと思われるのがオチだと思うがなぁ……」


────悠陽様、どうやら花の名前も花言葉も教える必要なんで皆目無かったようです。
貴女の妹君も、貴女と同じことを考えてたようだから───


「あー、もう。貴女方は本当にマセている。花言葉はどこでお調べに?」

「なぁ───!?そ、そなた、男児のくせに知っておるのか……こ、ここここの花の言葉を」

「なに、素晴らしい教養の賜だ。高貴な位というのは面倒で必要無さそうな知識も取り入れないといけないから困る」

顔を真赤にして狼狽える冥夜と対照的に、サラッと流す暁。
朝に見た悠陽も顔が赤かったなーと思い出すと、またしても笑いが込み上げてくる。
───どれだけ似たもの姉妹なのかと。

「ま、ソイツは頂いていく。説明は任せろ、上手いこと丸め込んでおきましょう」

「頼む……そなたに感謝を」

「冥夜、贈り物が被ったことを恥じる必要なんてない。むしろ誇りに思うべきだ。貴女と悠陽様は、根っこの部分で繋がっていて……同じことを考えているのだ、と」

「───アキラ……」

「で、この花の名前と花言葉はなんだったか。ド忘れしてしまった。どうか貴女の口から聞かせて欲しい」

「───そ、そなたは~~~ッ!良い事言ったと思ったらそれだ!どうにかならぬのか、その性格は!」

「悪い、生前からこんな感じだ」

冥夜が俯き、ゴニョゴニョと口をまごつかせる。

「ぼ……し……あい……」

「ごめん聞こえない。何ですって?」

「ッ!花の名前は牡丹!花言葉は姉妹愛だ!」

バッと顔を上げた冥夜は蛸のように真っ赤な表情で、はっきりと告げた。
───これで満足か、とでも言いたそうに暁を睨みつける。

「ああ───満足だ。姉妹愛……その言葉が聞きたかった。素晴らしいな、姉妹愛は。姉妹愛はよい。貴女方の姉妹愛に報いるためにも、逸早く!この姉妹愛の意味を冠する花を送り届けねば」

「連呼するでない!?」

からかうように何度も姉妹愛と口ずさみながら立ち上がる暁を、冥夜が威嚇するように涙目で睨んでくる。
やり過ぎたか、と思う暁だったが、冥夜の表情を見て面白いし可愛いから別にいいか、と思い直す。

「さて、それではそろそろお暇させてもらおう……贈り物は牡丹と……机の上の手紙で宜しいか?」

「……そうだ。それだけだ。早く去るがよい」

暁が再確認すると、頬を膨らませて不機嫌そうに外方を向く冥夜。
やだ、何この可愛い生き物。

「……済まない、からかい過ぎた。まぁ、犬に噛まれたと思って耐えてくれ。俺も友達は少ないのでな……貴女に合うと羽目を外したくなるのだ」

「───そなたの立場はわかっているつもりだ。今、私が姉上とつながっているのも、そなたのおかげであるということも」

「そう言ってくれると助かる。それでは、また。今度、紅蓮に連れられて一緒に剣でも振りに来る」

告げて、退出しようとする暁。
冥夜は背を向けた暁に声を掛け、引き止める。

「……待つがよい」

「ん……?」

「言いそびれていた。誕生日おめでとう。また来年も、その……頼む」

「───ああ、承った。それでは」

笑みを浮かべながら今度こそ、暁は部屋から出て行った。

姉から届けられた手紙と花束を見つめながら、冥夜は暁のことを考える
忌児として引き離された自分と、煌武院の当主となる悠陽の関係を繋ぐ少年。
自らも斉御司の嫡男でありながら、暇を見ては自分に会いに来てくれる、型破りな少年。

「……まったく、アキラのような人を、は、破天荒……?というのであろうか……」

あの性格とだけは相容れないと思いながらも、悪い気はしていないようだ。

「私も、友と呼べるものは少ない……友とよんでくれる、そなたに感謝を」

似たもの姉妹なのか……姉と同じく、本人の居ないところで感謝の句を詠む冥夜だった。








「待たせました少佐……只今戻りました」

「お帰りなさいませ───む。無礼を承知でお尋ねします、暁様。先方は、プレゼントをお受取り下さらなかったのですか?」

屋敷に入っていく時と全く同じモノを持って出てきた暁に、不思議に思い尋ねる。
本来、そういう事に口を出すのは有り得ないのだが、道中のあれこれで暁の気心がある程度知れた鷹嘴は、緊張もなく自然に聞いた。

「ん?あー……いえ違います。クッククク、何ということはありません。お返しに、と同じものが返って来ただけです」

「……何ともそれは、珍しい偶然ですね」

「偶然だとは思いません……相思相愛故の必然かと」

「は───?」

「いや、こちらの話です……少佐、問題ないようでしたら、そろそろ柊町に向かっていただきたいのですが。いい頃合いでしょう、彼女を回収します。寒空の下置いてけぼりにする訳にもいかないので」

「ハッ!問題有りません───それでは参りましょうか」

「頼みます」

暁は鷹嘴に背を向け、二部屋目のドアを開けると一人きりの静謐な空間に潜り込む。
そしてソファーに身体を沈めると、目を細め、掲げた牡丹の花を眺めた。

「……悠陽様はどんな反応を返してくれるのか、今から楽しみだ」

同じものが帰ってくるって発想は流石にないだろう、と笑を浮かべた。

「───さて、真央は答えを見出せたか」

和やかな表情が一転し、暁はあの二人と出会ったであろう真央を思う。

「逆行だの、憑依だの、その方面は気にしてない……と言えば嘘になるが……まず、無いだろう」

一応の確認でしかない、と付け加える。
そう───此度の偵察は、二人の異常性を探って欲しかった訳ではない。
知って欲しかったのだ。
二人が普通である、ということを。

「どうする……?生きてるだろ、どうしようもなく……その二人は───まだ、生きてるんだ」

去年、自分も偶然に出会ってしまった、"おとぎばなし"の起点を創る者。

「……これで、確りと解っただろう。既に"俺達が知っているオルタネイティヴ4"を完遂するということが……どういうことか」

瞳を閉じ、あの時あの公園で視界に入ってしまった眩しく輝く命を、思い返す。

「───その上で、どうか再び答えを聞かせて欲しい」

未来を想う。
自分達が目指す未来を。

「選んでくれ」

それを手に入れるために、何を切り捨てるのかと。
暁は相棒に、問う。









[12496] 第七話 ─それぞれの誕生日─ 後編
Name: Caliz◆9df7376e ID:097c81e2
Date: 2011/11/26 17:09
「ごめんねぇ……不破くん……力になれなくて……」

「───いえ、お手数お掛けして申し訳ないです。それでは、失礼しました」

俺は職員室から退出し、そのまま壁に背をべたりと貼りつけズルズルと地面に崩れるように座りこんだ。
放課後、級友共から開放されてすぐに職員室に顔を出し、先生方に進学先の融通をしてもらいに来たのだが───。

「……案の定、高認の資格持ちだからって義務教育期間すっ飛ばしは無理だったか……」

結局はそういう結論に落ち着くことになった。
自分はどう足掻こうとも貴重な時間を小学校で過ごすことになる。
モラトリアムはあと半分しかない。
───焦燥感ばかりが募る。

「ま、収穫もあった……それで納得しておくか」

全国でも数えきれるほどしか存在しないが、カリキュラムに軍事的要素を多分に取り入れた中学校が幾つかあるという。
先生方は、その中から最も俺に相応しい学校を選別し、推薦してくれるよう取り計らってくれるらしい。
個人的な希望としては帝都より東、または北東に位置する学校ならばどこでもいい。
万事滞り無くいけば、避難先の確保と、襲い来る困難に打ち勝つ為に必要となる心・技・体を一手にできる。

しかしその入学時点で、既に俺は十二歳。
もしBETAの侵攻に遅延がなければ、そこから猶予は……二年。
その二年間でどれだけ動けるか。お世辞にも多いとは言えないその時間で、俺は"なんとか"しなくてはならない
それ以前に困っているのが……両親の説得も必要だということだ。
BETAに蹂躙される場所に置いて行く訳にはいかない。
だが大の大人である両親が、世間的に見ればまだまだ子供な俺の意見にホイホイ従って家族総出の引越しを肯定してくれる訳が無い。
一番の厄介がコレだ。
必要になるのだ、説得するに足る交渉材料が。
一時期は両親の説得なんて簡単だと思った。
父さんも母さんも、俺には甘い。
息子の進学が切っ掛けとなり、家族仲良く東の方へと避難してくれるのだろう、と。
だが、もしかすると手の掛かる話になる可能性が高い。
両親の仕事───公務員、ということになるのだろうか。

難民対策局。

大陸から流入してくる難民の対応を担う為の組織。
最近は徐々に増えつつある難民の対応に日々追われているという話だ。

俺の両親は、その組織の九州地方担当の構成員だ。

難民はまだまだ増える。数年もすれば、猫の手も借りたい状況になるだろう。
そんな状況下で、局員が保護する対象である難民よりも先に避難するというのは───。

「やっぱ、マズいよな」

だが、どうにかしたい。
俺にとっては……申し訳ないが、数千数万の難民よりも両親の命の方が重い。
顔も知らないその他大勢よりも、血の繋がった二人の方に天秤が傾くのは当たり前だ。
そんな比べるべくもない難民達と一緒に、父さんと母さんが踏み荒らされる……冗談じゃない。
逃がしてやりたい……何としてでも。

「……もうケツに火が点いてるっていうのに……ッ」

だというのに、妙手どころか小さな案すら出てこない。
思考が行き止まりにぶち当たり逸れる。

ふと、白銀 武と香月 夕呼の関係が脳裏に浮かんだ。
───あれこそ理想のギブアンドテイク。
盤上を引っ繰り返すジョーカーは持ち主を求め、手札を欠く魔女は切り札を欲した。
そして互いは導かれるように出会う。

自分には降り掛かることのないであろう、運命的と言っていい巡り逢いを妬む。

「……また無い物ねだりだよ。成長しないヤツ……」

自嘲し、みっともない思考を振り払うように立ち上がる。
……頭も身体も重い。鉛でも詰まっているかのようだ。
すっかり慣れたつもりだったランドセルまで、いつもより重く感じる。

帰宅しようと下駄箱へ向かう途中、窓ガラス越しの空を見上げる。
思ったより長く職員室に居座っていたようだ。
太陽は頭上を通り越し、傾きつつあった。
ポケットから取り出した懐中時計で時間を確認すると、既に三時を超えている。

「はぁ……帰って身体でも動かすか……」

考え事に詰まった時はコイツに限る。
我ながら何と言うか、脳筋というか……。
少なくとも運動の最中は思考にリソースなんて割かなくていい、ということでついやってしまう。
逃避だということは理解出来ているが、閃きとやらは来ないときには来ない、というのもまた事実だと経験則が告げるのだ。
そういう時はスパッと頭を切り替えて、運動に力を注ぐ。
……そうと決まれば後は行動あるのみ。
俺は軽く準備運動をすると、全力疾走で帰路へと着いた。







1990.winter.12/16








「…………」

月詠 真央は目を閉ざし、無言を貫いている。

「…………」

同じく、斉御司 暁も目を閉じて足を組み、備え付けのソファーに身を委ねている。

リムジンの中を沈黙が満たしていた。
二人に会話はない。
勿論、視線を合わせることもない。
真央は合流地点で回収された時から、何かを深く思案し、自分の世界に潜っていた。

二人を乗せた車がそろそろ京都に差し掛かるだろう、という時。
月詠が思考の没頭から現実へと舞い戻った。
閉ざされていた瞳が開き、少女が幼い眼差しを少年に向ける。
暁はそれに視線を返して口を開く。

「別に答えは今直ぐに出す必要もないぞ?猶予はまだ───」

「……ご冗談を。もはや猶予など無いに等しい状況でしょう」

暁の言葉を遮った真央が、揺れる瞳で見つめ返す。
真央の言った通り、彼と彼女には既に猶予期間など無いも同然だった。

正確には、猶予期間は存在した。だが、二人はそれを自ら放棄したのだ。
二人が重要視し求めたモノは、時間ではなく"先手"だったから。
他の誰よりも迅速に行動することによって手に入れることが出来た貴重なイニシアチブ。
同時に、自分達の異常性と有用性……そして危険性を周囲の権力者に伝えてしまう手段であり、他の転生者達への牽制でもあり───。
今後、起こりうる全ての事柄に対する第一歩。

それが『TSF-TYPE88 彩雲』というイレギュラーの投入による歴史改変。

国産派、輸入派、そしてその枠組を超えて純粋に国益の事を考えることの出来る議員達への根回し。
そこから生じる議会での利害関係の調節、将来的に得られる利益と被る不利益の説明……。
周囲の人間、両親までもが化物を見るかのような注目を浴びるというリスクを承知の上で、介入を敢行した。
その末に、何とか間一髪で捩じ込むことの出来たのが彩雲という名を賜った戦術機。

国産派には次期主力国産機の礎、基礎技術向上の踏み台となる為の『吉兆』として。
輸入派には米国に対するパイプを広げる為の『吉兆』として。
国益を重要視出来る議員達には上記の二つに加え、既に見え隠れしていた大陸派兵……また、最悪を想定した本土防衛の為の戦備増強、その『吉兆』として。

そして、二人には道を切り開く為の『吉兆』として、『彩雲』が歴史の一ページに降臨した。

賽を既に投げている。もはや突き進むしかない。
猶予期間を甘受する暇など無いのだ。

「……ご尤も。それでは、早速答えを聞かせてくれ」

「その前に、一つ宜しいでしょうか」

何だ?と視線で先を促す暁。

「貴方は"選べ"、と仰いました……全てを手に取ることは、どうしても出来ないのですか?」

縋るように、月詠が問う。
全てを救う道はないのかと。
だが───。

「無理だろうな……オルタネイティヴ。二者択一、だ。何もかもが手に入る都合のイイ未来があればよかったが……」

暁が苦虫を噛み潰したような表情で、告げる。
慈悲はないと。
無限を超えた先に在る、終幕の御伽話……その題名。
それが意味する言葉。

二者択一。

世界の根底に蔓延る絶対のルール。
そういう因果に囚われているのが、BETAに採掘場として選ばれてしまったこの世界の、この惑星。

「そう、ですか……そうですよね。ええ、解っていました。前世ですら、大なり小なり連続した二者択一を迫られるのが世の常でしたから」

達観、或いは諦観したように眉をひそめて月詠が呟いた。
たっぷり10秒程の沈黙を挟むと再び口を開く。

「……答えを、お伝えします」

「聞こう」

少女はスッと姿勢を正し、少年は自然体のまま互いに向かい合う。
そして、凛とした声で少女が宣言する。

「私は───抗います」

此処に誓いが一つ。
赤を纏う転生者が、抵抗の意志を翳す。
















「エイジ、お誕生日おめでとう!」

満面の笑みでこちらを眺めてくる父と母。
俺は今、両親の祝福を受けながら七歳の誕生日を迎えている。

学校から帰宅し、身体を動かしたまではよかったのだが……。
どうやら張り切りすぎてしまったようで疲弊し尽くし、そのまま布団に潜って爆睡。
起き出す頃には既にささやかな誕生日会の用意が終わっていた。

「ありがとう、父さん、母さん」

微笑を自然に浮かべて感謝の言葉を返すと、テーブルに所狭しと並べられご馳走を眺める。
俺の好物───所謂、子供っぽい料理ばかりである。
もう少し成長すれば、味覚も変わってくると思うのだが……。
今はこれが美味しく感じてしまう。

「いただきます」

三人で食事前の挨拶を済ませると、それぞれ料理に箸を伸ばし始める。
団欒が始まる。
やれ学校で何があったとか、やれご近所さんがどうのこうのだとか、やれ職場の上司が部下が云々だとか。
職場の事なんて子供の前で言うことじゃないと母が嗜めると、エイジは賢いから解ってくれるよな?と俺に振ってくる父。
や、解りますけれども。大変ですよね、役所勤めとか上下関係って。
何か、すっかり馴染んだなぁ……こういう全く子供らしくない会話。

「そういえば……本当のほんっとーに、プレゼントはいらなかったのかい?」

「去年は受け取ってくれたけど、引きつった笑顔で来年は本当にいらないからって念まで押して」

「あー、うん。ほら、夏の時に我侭言ってお金使わせちゃったし……」

高認の受験料やらその為の資料やら教材やら。
アレは自分にとって凄く有意義な買い物だった。

「それに、自分だけ楽しめる物贈られるのってあんまり好きじゃないんだ。料理とか旅行とかならさ、お父さんとお母さんも一緒に楽しめるでしょ?」

やっぱり皆で楽しめるモノがあるなら、それが一番いいよな。
俺は美味い飯が食えて、二人に祝って貰えるならそれでいい。これだけでもう贅沢なんだ。
贈る方も贈られる方も楽しめる団欒が出来る……なら、例え特別な贈り物がなくてもそれで充分だ。

「ああ、もう、この子は……今度、職場に連れてって性根の腐り気味な同僚に自慢しようかな……」

「パパ……私、鼻からアガペーが零れ落ちてきたわ……」

「ハッ!?ママ、それは無償の愛じゃなくて鼻血だよ!ティッシュティッシュ!」

毎度のことながら、夫婦漫才が冴えてる。
母さんがちょっと身体張りすぎなような気もするけど。
仲睦まじく母の鼻にティッシュを詰める父。
とてつもなくシュールだ。
言っとくが、俺の母親は割と美人……いや、可愛い方だ。
そんな人が鼻にティッシュ詰め込んで、ふごふご言いながら自分で作った料理を自分で食って自画自賛してる。
鼻にティッシュ詰め込んでちゃ味が判らないだろうマイマザー。
もう一度言うが、かなりシュールだ。

「旅行……旅行、か。エイジ。旅行、行きたいかい?」

「え?」

食事が再開されてしばらくすると、父がそう聞いてきた。
先程、例の一つに挙げた旅行。
行けるものなら行きたい。出来るのならば、三人で色々な場所を回りたい。
だが両親は多忙の身。
それに、どうしても行きたいという、というほど行きたい訳でもない。

「ん……三人でどこか行けたら嬉しいけど、無理はしなくても」

「それがね、早めに行かないと駄目なの……私達、もう来年の今頃は連休なんて取れそうにないのよ。春から徐々に忙しくなるらしくて……」

母が気不味そうにそう言う。
ちなみにまだティッシュ外してないから、声が篭り気味だ。
しかし、春……というと……。

「軍人さん達が、行くんだよね」

「そう。よくニュースを見てるね」

父に頭を撫でられる。
くすぐったい、恥ずかしい……子供扱いはやめてほしいんだけど、無理な相談か……。
諦め、無抵抗でグシャグシャと髪を掻き交ぜられながら思考する。

────大陸派兵。

陸軍から再編された大陸派遣軍は、各地から最寄の軍港に集結し、そこからユーラシアへと向かう手筈になってる。

「それで、今もよく連絡を取り合う軍人やってる昔の友人達がね……揃いも揃って舞鶴の方から出るらしいんだ」

───舞鶴……舞鶴港か。首都京都に存在する、帝国が誇る五大軍港の一つ。

「……京都まで、見送りに行くの?」

「うん正解。ちょっと遠いから迷ってたんだけどね。エイジの一言で踏ん切りがついたよ。ついでになっちゃけど、皆で二泊三日ぐらい……もうちょっと取れるかもしれない。だから、旅行しようか」

「あれ、でも春から忙しくなるんじゃ?」

「それは、見送りが終わって暫く経ってからだね。忙しくなる前に取っておけって事らしいよ」

……そういうことか。
ああ……そりゃ、忙しくなるのも無理はない。
兵隊を送ったその足で、難民を担いで帰ってくる訳だ。
帝国から大陸派兵せざるを得ない状況に陥ってる今の大陸に、大量の難民を抱えながらの戦線維持など不可能だろう。
だから派兵した直後から難民を連れて戻り、戦争物資を送るというピストン輸送を繰り返すことになる。
勿論、大陸から最寄の佐世保軍港はそのピストン輸送の重要拠点だ。
湾を挟んで隣り合わせな熊本の難民対策局も、働かないといけない流れか。
────難民、か。
大侵攻で一体どれだけの難民が、九州のキャンプ地から逃げ切れると言うのだろうか。
父さんと母さんがやっていることは……全部無駄になってしまうのか……?

「エイジ?どうしたの急に」

「えっ!?あ、ああ、ごめん。ちょっとボーっとしてたみたい」

母に声をかけられて思考の没頭から浮上する。
いかんいかん、食事中に何をやってるんだ、俺は。

「それでどうする?僕も母さんも今から申請しておけば、その次期に連休は間違いなく取れるけど」

「うん、それは───」

どちらでも、いいと思う。
その旅行が大局に影響を与えることなど有り得ない。
俺はただの一国民として、出兵する兵隊達を見送るだけ。
そもそも余計なこと等する気もない。
既に変わってしまっている部分がある。
これ以上俺がおかしなことをすれば───因果導体がこの世界に来なくなってしまうかもしれない。
オルタネイティヴⅤ……その足音がこれ以上近づいてくるのは阻止すべきことだ。

俺は、この星から逃げたくない。

故に俺から世界に害を為すことはない。無害でありたいと願う。
だから、どちらでもいい……はずだ。

だけど───。

「……ねぇ、新しい戦術機って、生で見れたりするかな」

「戦術機かい?そうだね……見れると思うよ。確か、陽炎と彩雲だっけ? あそこから出るのは精鋭揃いで、新型機の割合が多いってあいつらも言っていたなぁ」

そうか。
逢えるのか。

F-16J/TSF TYPE-88───彩雲。

生で拝めるのか、あの糞忌々しい凶兆を。

だったら俺の答えは決まってる。


「京都に……行きたい」


ただ一目、歴史を大きく狂わせたその存在を───見てみたい。

それは、義務でも何でも無く、ただそうしたいという欲求だった。

























煌武院 悠陽は自室で一人、ただ穏やかに牡丹の花を眺めていた。
その表情は慈愛に満ちている。

「まさか、冥夜も同じことを想ってくれていたなんて」

そう呟くと、先程まで行われていた自分の誕生日会を思い起こす。
幾つもの贈り物が少女の元に舞い込んできた。
ご時世にそぐわない高価なものまで。
だが、悠陽が本当に欲しかったものは、豪奢な宝物ではなく、今眼の前にある花だった。

悠陽は瞳を閉じる。
そして、この花を己の元へと届けてくれた者の事が脳裏に思い浮かべた。
自分が出席すると空気が悪くなるから、と誕生日会に姿を表さなかった少年。
そういう彼自身が誕生日のはずなのに誰からも祝って貰えていないのが不思議だ。

斉御司 暁。

誕生日会が終わり、悠陽が自室に戻るのを見計らって侵入してきた神出鬼没な暁。
その手にあったのは丁寧に包装された牡丹と手紙。
初めは約束を反故にされたと思ったが、それは手紙の中身と暁の説明で誤解だと気づいた。

────冥夜様も貴女と同じ事を考えていたようです────

からかうような少年の声が、少女の中で再生される。
離れ離れの妹が自分と同じことを考えてくれていた。
悠陽は一瞬、目の前に暁がいるのを忘れて舞い上がってしまった。

────ふむ。俺は邪魔者みたいですね。用事も済んだ事ですし、お暇させていただきます────

そこで漸く、自分が相手に失礼な態度を取ったと気づいた悠陽は、退出しようと歩みを進めた暁を引き止めようとした。

その時だった。
暁の纏う空気が豹変した。
あくまで回想にすぎないというのに、今それを思い出している悠陽の身体に悪寒が走る。

────悠陽様。貴女は────

引き止められた暁が、そう言いながら振り向く。
悠陽には向かい合う暁の目が、酷く濁っているように見えた。
そして───。


────逃げてもいい、と言われたら……逃げますか?────


そう、悠陽に問い掛けた。
その雰囲気に飲まれ、何一つ言葉を紡げない少女を見ると、暁は破顔してみせる。

────聞くまでもないですね。貴女は逃げない。少なくとも、"自分"からは。俺がどれだけ逃げろと諭しても────

そして、まるで諦めたように呟きながら、おやすみ、と一言告げると……襖を閉じて去っていった。

瞼を開き、意識を現実に浮上させた悠陽は牡丹の花を眺める。

「……冥夜。暁は一体、私に何から逃げて欲しいのでしょうか」

最愛の妹から贈られた牡丹は、何も答えない。
そんなことは理解できている。
だがそれでも、悠陽は吐露したくて堪らなかった。

途轍もなく大きな運命が自分達に迫っていることを、本能で感じ取ってしまったから。






七度目の誕生日が、終幕を迎える。

各々の分岐点となったこの日。

まだ、未来は定まらない。







[12496] 第八話 ─Encounter─ 前編
Name: Caliz◆9df7376e ID:097c81e2
Date: 2011/11/26 17:11
 霧山 霧斗はげんなりしていた。

「そこ行く少年、少し時間を取らせてもらっていいかな?」

 研究所から帰宅している途中、唐突に声を掛けてきた露骨に怪しい人物。
 怪しそうな帽子を被り、怪しそうなコートを羽織っている。
 もはや存在そのものが怪しかった。

「すみません、見知らぬ怪しい人には付いて行かないようにと厳しく両親に言われているので」

 霧斗は怪しい人をバッサリと切り捨て、この場から立ち去ろうとした。

「……いやはや、話には聞いていたが。子供らしからぬ切り返し。まるで大人と喋っているようだ」

 その言葉が、霧斗を引き止めた。
 ───話には聞いていたが?
 目の前の人物は自分について誰かから、何かを知らされているということか?

「それと、私は怪しい者ではない───"微妙"に怪しい者だ」

 その言葉を聞いた瞬間、霧斗の脳裏で何かが結びついた。
 いつかどこかで、この名乗りを聞いたことがあったような気がしたのだ。

「───貴方は」

「名乗る必要はないよ。私はただのメッセンジャーだからね……仕事のついでにこれを、とある人物から渡すように頼まれたのだよ」

 言葉を遮られ、一つの封筒を手渡される。
 真剣味を帯びたその表情と言葉に圧され、なすがままに受け取らされたそれを訝しげに睨む。
 そして詳細な説明を要求しようと視線を自称:微妙に怪しい者に向けたとき……既にその姿は消えていた。

「……今の、もしかして───」





 






 その後、霧斗は急いで帰宅し、自室にて険しい表情でモニターを眺めながらキーボードを叩いていた。
 
「───ふぅ。お約束に違わず、鍵がかかってる訳だ」

 外付けのスピーカーから流れ響くのは、霧斗にとって前世で馴染み深かった拒絶音。
 画面にはエラーの文字。古式ゆかしいパスワードロックが、霧斗の前に立ちはだかった。
 溜息を吐き、ラップトップPCからデータディスクを取り出すと目の前に掲げる。

「あのコート着た人……鎧衣左近さん、だったよな」

 帰宅直前に接触してきた一人の自称:微妙に怪しいメッセンジャー。
 今頃正体に気づいたのには理由がある。驚愕が大きすぎたというのもあるが、何よりも容姿や声の若々しさが認識を妨げた。
 彼の知る鎧衣左近は今から10年も未来の姿、声だ。驚きに飲まれていた思考で即座にその差異を感じ取り、特定の個人へと結びつけるには無理があった。
 研究所室長である祖父でもなく、極秘計画の核となる香月夕呼でもなく、世間的にはなんら特筆すべき役職に就いていない、ただ無駄に聡いだけの子供に過ぎない己に接触してくるという完全な不意打ちだったということもある。
 霧斗には、切り札である『G弾否定論』が未完成であるが故に出回ってすらいないこの状況で、自分に接触してくるという発想すらなかったのだから。

 霧斗は考える。
 一体誰が、何の目的で、帝国情報省所属の人間まで動かしてこのディスクを譲渡してきたのかと。

「……きな臭いんだよな……直接手渡しにきた癖に、ロックが掛かってるときてる……」

 呟くと、ディスクが入っていた封筒にヒントになりそうなものが入っていないかと考え、中身をひっくり返し始める。
 彼は内心、気が気ではなかった。知的好奇心がどうしようもなく疼いてしまう。
 ディスクの中には魑魅魍魎が跋扈しているのではないかと空想してしまうほどに。
 一体何が記されているのか。それを突き止めるためにも、切欠を見つけてパスしなくてはならない。

「わざわざ使いまで寄越してきたんだ。流石にノーヒントなんてことは……?」

 封筒から小さく折りたたまれた紙切れが零れ落ちる。

 ───ビンゴか?

 そう思った霧斗は手を伸ばし拾い上げ、ソレを開いた。












 
 ――それは、語られなかった他なる結末。

       とてもちいさな、とてもおおきな、とてもたいせつな、

                     あいとゆうきのおとぎばなし――














「─────────ッ!?」






 ガタン、と膝からずり落ちたラップトップPCが音を立てて床へ激突した。
 だがそんな些細な事は、自分が勢い良く立ち上がったことにすら気づいてない霧斗には認識の外の出来事でしかなかった。
 彼はただひたすらに、三行に渡る文字の羅列を睨みつけている。
 額には汗が滲み、目を大きく見開き瞬きすらせず、視線は縫い付けられたかのように微動だにしない。

 驚愕は当然だった。
 彼はこの瞬間、この世界で自分しか知らないはずのフレーズを、目の前に叩き付けられたのだから。

 数秒の後、理性を取り戻した霧斗の行動は迅速だった。
 深呼吸すると頬を両手で強く叩き、ずり落ちたラップトップPCを再び膝に乗せ、データディスクをインサートする。
 
 そして一つの物語、その題名を叩き込んだ。

 ───『 muv-luv 』───

 エラーは吐き出されない。画面が切り替わる。
 霧斗はデータディスクの閲覧権を、意図も簡単に手に入れていた。

「……茶番だ───ッ!」

 フレーズが書き綴られた紙を裂き、握り潰し、無茶苦茶に丸め、ゴミ箱へかなぐり捨てる。
 それは紛う事無き茶番だった。底の浅い芝居に付き合わされたと、霧斗は憤慨する。
 パスワードも、それを連想させるヒントも……彼、霧山 霧斗という極めて異常なその存在を理解出来ていないと意味を成さないモノだった。
 つまり、これの差出人はこう言いたかったのだ。


『私は君と同類であり、また君の全てを知り、そして───君よりも上の立場である』と。


「……歴史は勝手に捻じ曲がったんじゃない。明確な意志によって捻じ曲げられたんだ……」

 霧斗の中で今まで『If』だと思っていた……『If』だと思い込んでいた事象群が頭の中で繋がり、結合していく。

 そして彼は確信した。

 到底信じられることではないが、いる。
 信じる信じないではなく、現実に『在る』。
 『自分』以外に、『自分と同じようなヤツ』が。
 目下最大の『不安要素』が、帝国の上の方に食い込むように存在していると。
 そして───それに気付くのが遅すぎたのだ、と。
 余裕綽々と向こうから接触し、そして塩を送ってくる程にはイニシアチブを握られていた。
 疑いようのない事実として、変化を望み、そして実行に移した人間がいるのだ。
 それも相当手強い地位に。

「……ッ……けど、一先ずそれは置いておこう……先ずはディスクの中身からだ」

 霧斗は思考を切り替え、送られてきた情報に目を通すことにした。
 一体どのような情報が綴られているのか。『主犯』について考えるのは、それからでも遅くはないと霧斗は考えた。
 しかし───。

「……これは」

 データディスクの中に詰まっていたのは18人の個人情報と、とある港の地図。それだけだった。
 だが、その情報量は膨大だ。
 個人情報の方はもはや報告書と読んで差し支えないレベルで所々に注釈がなされている。

「僕の名前もあるな。画像まで完備か……全く、何時の間に……ッ?載ってるのは子供ばかり?」

 そこには、あどけない少年少女の画像が連なっていた。
 個人差はあれど全員が小学校上がりたてとしか思えない程幼い。
 しかしどこか知性的な印象を孕んだ写真が大半だった。子供特有の無邪気で天真爛漫な様子が見えない。
 違和感を覚えながらも、霧斗はリストアップされた18人の個人情報を読み取っていく。

「───なっ」

 何かに気づくと、机の引き出しから一枚の紙を取り出す。
 そこには、霧斗が研究室への出入りを何とか認めてもらう代わりに、室長である祖父から要求された資格があった。
 本来ならばその資格を所持していたところで到底足りるものではない。
 親の七光りを頼った。誠意を見せる為に他の研究者達への無償奉仕すら約束した。
 そこまでやって漸く、非公式の入室を許可されたのだ。
 ……その始まりの証が彼の持つ、高等学校卒業程度認定試験の合格通知書。

 ───リストに載っている人物全員が、これに受かっていた。

「……在り得るのか、こんなことが……」

 高認自体の合格率というのは、そこまで現実離れして低い数値ではない。
 受験者全体から見れば、合格者もそこそこにいる。
 だが、リストに掲載されている18人───その全てが、受験年齢の下限ギリギリの6歳というのはどういうことか。
 霧斗は戦慄しながらも18人の生年月日を間違えることのないよう、しっかりと再確認していく。

「……僕の誕生日は、1983年12月16日」

 そしてそれは、18人全員に共通する点だった。
 リストに載っている人物全員が霧斗と同じ日に生まれ落ち、最低年齢で高認を受験し、これを突破していた。
 
「……なるほど。二人目がいるなら、それ以上増えてもおかしくない、か……」

 霧斗は、この期に及んで自分を除く彼ら17人が、ただの『偶然同じ日に生まれ落ちた常軌を逸している天才達』であるという考えは醜いと判断し、破棄した。
 偶然は重複しすぎると必然となる。彼らは全員、自分と同じ存在だと考えるほうが自然なことだった。
 ───何とも不自然極まりないことだが、と思わず霧斗は苦笑してしまう。

「18人+α……少なくとも、後一人は間違いなくいる。リストアップされた面子は平凡な家庭の生まればかりだ……鎧衣さんのような人を動かせるような影響力は持ち得ない」

 家柄や家族構成等の情報から全員が白と判断すると、今後どれだけ増えるかな、と参ったように呟く。
 国内だけでこれなのだ。調査漏れもあるかもしれない。海外については……もはや考えたくもない、といった表情を霧斗は浮かべた。
 少なくともこの18人は自分が伸し上がる為、高認資格の存在を逸早く察知し、行動し、掴み取った───この世界で言うところの『より良い未来の選択』とやらを出来た人間ということになるのだろうか。

「……全く、誕生日も意味深じゃないか。全員が白銀 武と同じ日に生まれたなんて……」

 霧斗は自分の生まれた立場、そして己の誕生日が『白銀 武』の誕生日と一致していると気付いた時───ある種の覚悟をした。
 知らぬ間にお伽噺の舞台に放り込まれ、否が応でも行動を起こさなければいけないという状況に陥っていた。
 そして、それに追い打ちをかけるような運命的すぎる生い立ち。物語の中心人物と全く同じ瞬間に生まれ落ちたこの身、この存在。
 ただ時が経つだけで、魔女───香月夕呼と何の障害もなく接触が可能であるという都合のいい『霧山 霧斗』という器。
 そう……個人の意志を超越した次元で、戦う条件も、戦う理由も、初めから整えられていた。
 だから、きっとこれから自分一人で……たった一人で、何とか大団円を迎えるために戦わなければいけないのだろう。

 そう思った。

 だがまさに今この瞬間、想定以上に荒唐無稽な難事に巻き込まれていることに気づいてしまった。
 霧斗はリストアップされている面子の全員が思い思い好き勝手に動き回る状況を想像し、頭を抱えこんだ。
 彼ら全員に自分と同じく未来知識があると仮定すると、個々で勝手に動き出すのでは、という想定は強ち外れてはいなかった。
 だが───。

「───リストに載っている彼らも、そして僕も……早々に封殺される形になった」

 霧斗は自分が嫌な汗をかいているのを初めて自覚した。
 ……とんでもない人物が一人、存在していた。
 共通点から考えれば、御多分に漏れず同い年だろう、と霧斗は想定する。
 そう、今の時点で"まだ"7歳なのだ。

「どんな魔法を使った?何をしたんだ?一体、何をどうすれば───」

 ───TSF-TYPE88/F-16J 彩雲なんてイレギュラーを帝国に導くことが出来るのか。

 何時から行動に出ていたのか。
 どうやって周りの権力を持つ者達に、短期間で幼い己を認めさせたのか。
 そして今現在、どれほどの力を持ち、どのような立場に在るのか。
 悪い方にばかり思考が傾いていく。

「……最悪の状況も考慮すべきか」

 霧斗の言う最悪。
 それは即ち、件の人物が目指す未来と、正史である未来との絶望的なまでの乖離。
 既に敷かれているレールを壊すことを前提とし、歴史の針を進めようとしている可能性。
 未来を変えるということに何ら恐れを抱かない強者か、或いは……狂者か。

 そんな得体の知れない人物に、霧斗は目をつけられている。

 思考の傍ら個人情報とは別のもう一つのデータに、霧斗は目を奪われていた。
 港の地図。それは首都に置かれる舞鶴港のものだった。
 軍港区画の、それも一般人は立ち入りを禁止されている場所まで詳細に描かれ、先程の個人情報と同等の詳細さで注釈がなされている。
 警備員の配置や、監視カメラの位置と範囲、そしてそれらを掻い潜るように指定された進行ルート。
 そのルートの終点に示されていたのは───。

「───僕との接触を、望んでいる?」

 "大陸派兵の日、一〇〇〇、集合"

 それは、余りにも一方的な『密会』の命令だった。













1991,spling,oneday













「……すげぇ人集りだ」

 港。
 様々な人が集う、陸と海の玄関口。
 ここ舞鶴港もまた、多くの群衆により賑わいを見せていた。
 いや、賑わっているというのは語弊があったか。
 確かに人が集ってはいるが、どこか重苦しい雰囲気が漂っていた。
 ……それも当然か

 今日は、大陸派兵の日。

 帝国の誇る軍人達が、地獄と化した大陸へと赴く。
 其の命を賭して、BETAの侵攻を食い止めるために。
 ───もしかすると、これが今生の別れになるかもしれない。
 送り出す側も送り出される側も、その予感があるのだろう。
 だから、約束の言葉を交わす。
 行ってきますと、行ってらっしゃいと。
 ただいまを言うために、お帰りなさいを言うために。
 彼らは約束を交わす。少しでもその軽い命を重くするために。

「…………」

 俺、不破 衛士は群衆とは離れた場所からただ一人、その崇高な儀式にも似た遣り取りを無言で眺めていた。
 彼らは他人で、俺は見送る側ですらない。
 俺は、ただ両親の都合を自分の目的で利用して引っ付いてきた部外者。
 だからだろうか。自分はあそこに混ざってはいけないと、そう思ってしまった。
 しかし見ているだけでも、胸に込み上げてくるものは確かにある。
 自分が異常な存在であることは自覚しているが、それでもまだ何とか……人間らしい感情はあるみたいだ。
 今はそれが解っただけで良しとしよう。

「行くか」

 見送る家族と、大陸へと向かう兵士達から目を逸らし、周りを見渡す。
 そもそも俺が今ここにいるのは、例のイレギュラーな戦術機を見に来たのだ。
 F-16J、『彩雲』。コイツはまだ九州の方面には配備されていない。
 最寄りの基地の見学に行ったときに確認したから間違いない。
 それもそうだ、と思う。優先順位の問題だった。
 最新鋭機は最も戦場に近い場所に送られる───つまり、大陸派兵の為に集められるのだ。
 だから、首都に置かれる港から出航する大陸派兵軍の本体……今日、この場所に多数配備されている。

 わざわざ首都くんだりまで来たのだ。
 出来れば『彩雲』が動いている所を見ることが出来ればと思っていたのだが───。

「……ぼ、母艦に積込みが完了してる……!?」

 視界に飛び込んできたのは、多数の戦術機母艦から頭だけはみ出した状態の『彩雲』の頭だった。 
 確かに現実に、彩雲は存在している。俺はそれを肉眼で確認した。
 ……こうして、俺の今回の旅行の目的は完了してしまった。
 
「いや、待て、ちょっと待ってくれ……な、何だこの不完全燃焼……」

 ならば、もうこの際、陽炎でもいいんだ。
 とにかく動いている第二世代戦術機を眼にしないと帰るに帰れない。
 動いてる撃震は九州に帰っても見ることは出来る。
 だから遠巻きでもいい、どこかに動いている二世代戦術機は───。

 そこまで考えて戦術機がいそうな場所を探そうとした時、物凄い勢いで背後から何かがぶち当たって来た。

「───つッ!?」

 余りにも突然の衝撃によろめいて尻餅をついてしまう俺。

「っ、失敬。大丈夫かい? ごめんね、今ちょっと急いでい……」

 ぶつかって来たのは俺と同じぐらいの少年だった。
 後ろで無造作に束ねられたボサボサの茶髪を揺らし、謝罪しながら転んだ俺に手を差し伸べてくる。
 
「いや、こちらこそ悪かった。道を塞いでたみたいで───?」

 謝罪を返し、手を握った俺の眼をじっと見つめてくる少年。
 その気怠そうな瞳の奥で、何かが揺らいだ。

「───何だ、僕の他にも呼ばれていたのか。警戒しすぎだったみたいだね……他の連中にも連絡を取って示し合わせて来るべきだったか……で、君はこんな所で何してるんだい?そろそろ時間だ、急ごう」

 えっ。
 誰だ、この人。
 何故そんな、当たり前のように気さくに話しかけてくる。

「……えっと、すみません。どちら様でしょうか? 俺には見覚えがないのですが……」

 とりあえず当たり障りない言葉を選び、お前誰だよ人違いじゃね?と言ってみる。
 きっと友達か兄弟と間違えてるんだろう。そうに違いない。
 俺は人の顔と名前を覚えるのは割と得意なほうだ。今眼の前にいる少年は間違いなく初対面。
 こんなに口達者なガキが知り合いなら忘れようはずもない。
 故に、フレンドリーに急ごう、と言われてはいそうですか、と返すわけにもいかなかった。

「……慎重だね、不破 衛士。好感が持てる。だけど大丈夫だ。僕は君と同じだよ」

 ───正直、反応に困った。

 初対面にも関わらず、知ってる訳もない名前を的中させられた。
 これによって目の前の少年に対する警戒レベルが跳ね上がる。
 しかし、その一方で彼の余りの電波ぶりには目眩すら覚える。違うベクトルでヤバい存在だった。
 警戒レベルが揺れに揺れる。
 タダのキ○ガイなのか、それとも、どこぞの重役の子で俺のことを何がしかの形で知っていた?
 解らない。情報が少なすぎる。

「……ああ、確かに俺は不破 衛士って名前だ。だけど、悪い。君には本当に見覚えがないんだ」

「……礼を欠いたね。不躾だった。僕の名前は、霧山 霧斗だ。どうだい、これでイーブンだろ?」

 まだだ、まだ目の前の人物は勘違いをしている。
 コチラが彼のことを知っているのを前提とした会話だ、これは。
 いきなり名前を的中させられて、警戒して見知らぬ振りをした訳じゃない。
 本当に、コチラには面識がないんだ。
 ───どう対応すればいいんだ、この子。

「っとぉ、こんなことしてる場合じゃない。集合時間に遅れてしまう。ほら、早く立って」

「ちょ、おま!」

 少年───霧山 霧斗は俺の手を引いて立たせると、そのまま俺を連れて走りだした。
 向かう先は───軍港区の一般人立ち入り禁止区域。

「お、おい!ちょっとまて馬鹿!そっから先は一般人立ち入り禁止だ!!」

 全力で踏ん張って引きとめようとする俺。

「は?」

「は?って……ちょっと……もうやだこの子。命を掛けたスパイごっこに興じる趣味は俺にはない、一人でやってくれ」

「いや……ほら、地図にはこっちって書いてるじゃないか……あまり僕を困らせないでくれ」

 くぉぉおおお!
 困ってんのはこっちだ!!
 誰か通訳してくれ!
 俺がコミュ障なのか、コイツがコミュ障なのか、それとも実はどちらもコミュ障なのか、それすら解らなくなってきた。
 地図って何だ!?

 ていうか、お前誰だ!?

「大丈夫だよ、いきなり撃たれる訳ないだろう?向こうさんは、僕らと話し合いをしたくて接触してきたんだから」

「そ、そういうことじゃなくてだな……あーもう……」

 つ、疲れる……ッ。
 この身体になって今まで、これほどまでに精神的に疲れたことがあっただろうか。
 もういっそ、俺も電波をまき散らしてノッてみるか?
 確かにガキを見つけていきなり射殺はないだろうしな……。
 それぐらいの分別も余裕も、警備兵の人達にあるだろう……まだ日本は平和だしな。
 ちょっと説教くらって開放区画まで連れ戻される程度だろう。
 ……少し、乗るか。
 
「そうだな。うん、話し合い、な……で、霧山だっけ。この先には誰が待ってるんだ……?」

「僕にも解らないよ」

 ……わけがわからないよ。
 コイツは誰と戦って……いや、誰と待ち合わせしてるんだよ。
 というか……気付けばもう、一般人立ち入り禁止区域へと踏み入ってる。
 今ならまだ引き返せるが、あと何分か歩いたらヤバい所まで進んでしまうんじゃないのか?
 しかし……何だ?違和感がある。
 警備兵が、見当たらない?

「君は誰が待っていると思う?」

 ……くっ!考え事してる間に厳しい電波が飛んできやがった!
 誰?誰ときたか? か、考えろ、俺。ここから先は軍港区画、その先に待ち人。

「そ、そりゃー……お前……ぐ、軍の関係者以外にありえないだろ?この先は大陸派兵の今日でも一般開放されないぐらいにはセキュリティが高いんだから」

 ここは無難な選択で回答する。
 ガキのスパイごっこにしては使ってる単語が高度すぎる気がするが。

「……そうだね、僕も軍の関係者だと睨んでる。けど、それだけじゃ足りないんだ。僕らと同じ年というハンデがあるのに鎧衣さんと面識を持ち、『彩雲』なんてイレギュラーを帝国にもたらすに至った存在だからね」

 ───待て。何を言っている。鎧衣だと? 彩雲が……"イレギュラー"……?

「だから、僕は斯衛の上の方だと睨んでるよ。幾ら何でも個人がどうこう動いたところで正史に存在しなかった戦術機を誘致するのはやり過ぎだ。けどの幾度の口利きがあれば、不可能という訳でもないだろう。しかし、それだって横の繋がりと、例え飾りであったとしても相応の地位が必要になる」

 ちょっと待て。コイツは。

「だから必然的に高い地位に都合よく転生した人間が動いてるんだと、僕は思う。割とイイ線行ってると思うんだけど───君はどう思うかな?」

 ……お前は、何だ?

「不破君?」

 俺が間違ってたんじゃないか。コイツは電波なんかじゃなく。
 そして、気が狂ってるわけでもない。霧山 霧斗は至って正常なんじゃないか?
 コイツが狂っているというのなら……俺もきっと狂っている。
 ただ俺の情報量が少ないせいで話に付いて行けていないだけで……。
 
 ───だったら。

「すまん、霧山……今更なこと聞くけど、いいか?」

 通告し、ワン・クッション置く。
 これでスベれば、俺が馬鹿みたいに深読みしすぎだったというだけで終わる馬鹿話だ。
 後はここからダッシュで一般解放区域まで逃げ戻ればいい。
 けど───。

「……? どうぞ」 




 これを肯定されれば───。




「お前……転生者か?」




 俺は、この奥に行かなければならないだろう。




「初めに安心してくれと言っただろう。僕は君と同じ転生者だよ」





 肯定。

 何の迷いも振れもなく、霧山 霧斗はコチラの言葉を肯定した。
 その瞳には理性が色濃く反映されている。
 本気だ。少なくとも彼の中では、それが確固たる事実として認識されている。

 ───嘘だろ……俺と同じ存在が……他にも、いる?
 
 なら……コイツが向かおうとしている先に待つのは───。






「……こんなところで、何をしているのですか?約束の時間は既に過ぎています」

 肯定の返事を聞いいた俺に動揺が走った、正にその次の瞬間だった。
 建物の影から、子供用に繕った紅の斯衛服を纏う可憐な少女が姿を現し、霧山に苦言を申し立てた。
 
「霧山 霧斗……どうやら貴方は時間にルーズな人間のようだ。鎧衣様から港に入ったと耳にしたので安心して待機していれば……まさか探しに行くことになるとは思いもしませんでしたよ」

 ───彼女から俺は見えていない。
 間に立つ霧山の影に隠れる形になっていた。

「申し訳ない。迷子を見かけたので一緒に連れて行こうと思ったら中々強情でね。こんな時間になってしまったんだよ」

 少女に振り返りながら返答し、身体を横にずらす霧山。

「迷、子?───貴方は……っ!?」

 俺と視線が重なり、少女の顔に驚愕の相が浮かぶ。

「───何故、ここに居るのです。不破 衛士」

 まただ……また、俺の知らない人間から当たり前のように名前を呼ばれた。
 この斯衛の紅の少女が、待ち人か?

「何故って……彼も僕と同じく呼び出されたんじゃないのかい?」

 俺が口を出す前に、霧山が疑問を投げかける。
 有り難い……こっちは今、とんでもなく混乱してる。

「……いいえ、呼んでいません。我々は霧山 霧斗───貴方"だけ"と接触するはずでしたから」

 そう言って霧山と俺を交互に見ると、溜息を付いた。
 霧山はしばらく呆然としていると、こちらへ振り返る。
 紅い少女と同じく、その目には驚愕を宿していた。

「……つまり君は……『偶然』あそこにいて、『偶然』僕とぶつかって、『偶然』勘違いした僕に無理やりここまで連れて来られた、と。そういうことになるのかな」

 その問に、俺は緊張で引きつらせた笑顔で答える。

「───どうやら、そういう事になるみたいだな……不破 衛士だ。あらためて宜しく」













 あの後、「お二人を集合場所までお連れします」、と少女が宣言し、先導し始めた。
 俺達はそれから一言も言葉を交わすことなく、立ち入り禁止区域の更に奥へと進んでいる。
 その間に俺も何とか落ち着きを取り戻してきていた。
 この状況も……信じられないが、信じるしか無いだろう。
 信じるに値するワードは既に耳にしてしまっている。
 ……だから今は少しでも情報を集めたいところだ。
 先程から何か言いたそうな表情でチラチラ見てくる霧山の服を引っ張り、歩幅を緩めて先行する少女から距離を取る。 

「なあ、霧山。少しいいか」

 前を行く少女に聞こえないよう、小声で話しかける。

「……不破君、すまなかった。巻き込む形になってしまって……あらためて自己紹介するよ。僕は霧山 霧斗」

「謝罪はいいさ、むしろ感謝してるぐらいだ。蚊帳の外になるよりはよっぽどいい。それより、俺には事前情報が一切ないんだ。少しでも現状を把握したい。解る範囲で簡潔に説明してもらえるか」

 自分なりに折り合いをつけながらここまで付いてきたが……。
 結局のところ、今俺が何とか理解できているのは、俺と霧山と、それともしかしたら先を行く少女が……複数存在するらしい転生者の一人だなんていう荒唐無稽なことだけだ。
 今は藁にでも縋りたい。
 まだ霧山のひととなりは把握しきれていないが、立場的には少なからず俺と同じ"被害者"であることは間違いないだろう。
 今はコイツを善玉だと仮定して歩み寄るしかない。

「……順応性が高くて助かる。まず僕らみたいな存在だけど……僕、君、先行する彼女、彼女が言った『我々』の最小数である1、そして彼女らからリークされた情報にあったその他16人……最低で、20人いるみたいだ」

「───最低で、20人、だって?……いや、いい。続けてくれるか」

 ……俺達みたいな存在が、二桁の大台に乗ってる……?
 確かに二人目が存在するなら、それ以上増えてきても……おかしくはない、のか?
 どちらにしろ、ゾッとする。この世界はどうなってんだ。
 霧山が俺のことを知っていたのはそのリークされたとかいう情報のおかげか。
 顔と名前がバレていた……なら、プライバシーの保護は完全無視で丸裸にされたと思っておいたほうが気が楽だろう。

「最低で、って言ったのは調査される側に条件付けがされてるみたいなんだ。だから調査漏れもあるかもしれない」

「条件?」

「第一条件、生年月日……君が生まれた日を、8桁で言ってみてくれないか」

「1983 12 16、だな」

「僕もだよ」

「……なっ」

「君も僕も、情報にあった他の16人も……恐らく先導してくれている彼女も、これから逢う人物も。同じ年、同じ月、同じ日に生まれ落ちてる……そう、白銀 武と同じ瞬間に」

 ───偶然、で片付けていい一致じゃない、か。
 俺も奇跡的な一致だと思ってはいたが……その他の連中も、だと?

「続けるよ。第二条件、高認……君も合格しただろう。この資格、早期の人材発掘と低年齢における高等教育を受ける権利の授与を、なんていう名目で無茶苦茶な改革の後に実施されたらしいんだけど、要は大規模な釣りだったんだ。実験も兼ねてたらしい。転生者は世界の揺れ動きとチャンスに敏感かどうかっていうね───見事に相当な数が釣り上げられた訳だけど」

「……それで、生年月日と合格者から俺達が炙り出された訳か」

 完全に掌の上じゃないか……。
 確かに、伸し上がるチャンスだと思って迷わず食いついたが……。

「……他には?」

「後は、僕が何かのお眼鏡にかなって彼らに単身、呼び出されたこと。そして……君が『偶然』あの場所で僕に出会い、ここまで連れて来られているって事。それぐらいかな、今のところ間違ってなさそうな情報は」

 なるほど、思うところはまだあるみたいだが、それは推測にすぎないから不確かな情報は渡せない……ってところか。

「じゃあ今度は質問だ。お前の姓なんだが、もしかしなくても香月夕呼が世話になったっていう、帝大の量子物理学研究所の……」

 霧山。
 確か、そんな姓の教授がいたはずだ。

「ご名答。僕はその研究所の教授兼室長の孫だよ。割とマイナーな名前なんだけど……正史の知識に精通してるようで何よりだ」

「いや、たまたま覚えてただけだ……そういうお前はどうなんだよ」

「……現状がヤバいってことが理解出来る程度には、あると思ってるけどね」

「───TSF-TYPE88/F-16J 彩雲、か」

 Ifだと思っていた。勝手にそう思い込んでいた。
 だがそれは決してIfなどではなく……有り得ないはずのアウトサイダーが何らかの目的で故意に引き寄せた、この世界の歪みの象徴となった戦術機。

「少なからず帝国の戦力は増強されたと思っていい……もしかすると、最悪BETAの日本上陸が後ろにずれ込んでくるかもしれない」

 そう、それが問題なのだ。
 コレから俺達が逢おうとしている存在が、初めからそれを目的として彩雲を帝国に呼び寄せたというのなら……。

「なぁ、やっぱりお前を呼び出したヤツの目的は───」

「すまない……今は、それ以上は言わないでくれないか……大丈夫、それも想定してる。後は……逢って確かめるだけだ」

 青い顔をして胃のあたりを抑えながら霧山が呟いた。
 お互い、まだガキの身分なのに早くも胃痛の種に苛まれてるなんてな。
 ……言うな、と言われたなら仕方ない。
 その時まで自分の胸の中に閉まっておこう。

「お喋りはそれまでに……コチラです」

 どうやら、目的地に到着したようだ。この徒広い格納庫が集合場所らしい。
 中は照明が点いておらず、開け放たれた正面門から差し込む僅かな日光だけが唯一の光源となっていた。

「……アレは」

 目に映るのは暗がりの中、巨大なトラック……いや、87式自走整備支援担架の前に佇む人影。
 俺たちを先導する少女はその人影へと迷わず歩を進め、俺と霧山もそれに続く。
 暗闇にも目が慣れ始め、距離も近づき、その人影の輪郭がゆっくりと浮かび上がってくる。

「申し訳ありません。お待たせしました」
 
「是非もない。マレビトは想定外だったからな。お前が探しに行った後、入れ違いで鎧衣さんから情報が入ってきた」

 少女の報告に、振り返りながらそう答える人影。
 マレビト……俺のことか。
 芝居がかった口調が、嫌に鼻につく。
 コイツが、霧山を誘き寄せ、彩雲を招き入れる元凶となった───。

「お初にお目にかかる。斉御司 暁だ」

 そして、遂に輪郭をはっきりと捉える。
 青の斯衛服を纏った少年は───自らを斉御司 暁と名乗った。
 その姓、その衣装……正しく五摂家に名を連ねる者ということを証明するに他ならない。

「月詠。お前も自己紹介がまだなんじゃないのか?」

「ハッ」

 ────待て。月詠、だと?
 じゃあコイツは────。

「初めまして……ではありませんね。申し遅れました、月詠 真央と申します。以後、お見知りおきを」

 正史における月詠真那、月詠真耶と同じ『月詠』の家系の者だっていうのか……?
 
「……やはり、斯衛の青が出てくるか」
 
「聡明だな、と褒めるべきか。流石はその年で非公式ながら、あの研究所に踏み入っていることはある」

 霧山が険しい表情を見せながら、予測が的中していたことを嘆く。
 だが、それを嬉しそうな顔で言葉を返す斉御司。
 その余裕さ、そして彼我の持つ情報の圧倒的な格差にギシリと歯を鳴らし、霧山の顔が更に歪む。

「───悔しいけど、コチラの自己紹介は一切不要のようだね……なら、早く要件に入ってもらえないか」

「此方としてはそれも吝かではない。しかし、巻き込む形になってしまった不破 衛士には説明を聞く権利があると思うが」

「……いや、経緯は道すがら耳にした。要件に入ってもらって構わない」

 コチラに視線を向けながらそう提案してくる斉御司に、俺はそう返す。
 確かにまだ色々情報が抜けてはいるが、自分の中ではもう折り合い済みで、対応できているつもりだ。
 其れよりも何よりも、とっとと要件を述べろという霧山の気持ちがコチラにまで伝わってきた。
 その意見には、俺も同調できる。
 
「それは有り難い、手間が省けた……では、単刀直入に───」


 

 そして。





「俺達と協力して────武と純夏を救わないか」





 目の前の転生者は、そんなことを宣いやがった。







[12496] 第九話 ─Encounter─ 中編
Name: Caliz◆9df7376e ID:097c81e2
Date: 2011/11/26 17:32
 薄暗い格納庫に四つの子供の人影が伸びる。
 背後の正面扉から差し込む僅かな光が、目の前に立つ紅と蒼の斯衛服を照らす。

 斉御司 暁、月詠 真央。
 一連の歴史改変……その元凶。
 
 俺───不破 衛士は、そんな二人と向き合っている。
 真横に並び立つ少年、霧山 霧斗と共に。
 自分は招かれざる客で。
 俺を除く三人もまた、異物である来訪者で。
 そして……斯衛の二人は、世界の歪みの元凶で。

 そういった余りにも規格外すぎる連中が、この場所に集っている。

 御伽話が始まる前の……この瞬間に。







 ──── Encounter ────







「俺達と協力して────武と純夏を救わないか」



「なッ────……」

 斉御司が、力強くそう言い切った。
 
 救う。

 死にゆく運命の、少年と少女を。
 その身を引き裂かれ、この星の未来の礎となることを否応無く決定づけられている二人を。
 あの日憧れ、またその存在の消滅を嘆いたヒーローとヒロインを────救済する。
 彼の発した誘いの言葉が、残酷なほど甘美な響きに聞こえた。
 差し伸べられた手を取り、ただ只管に武と純夏の救済に奔走する。
 そうすれば、転生などという荒唐無稽な過程を経てまでこの世界に、あの瞬間に再びの生を受けた異端極まりない自分の存在が……全肯定されるような気がした。
 その手に縋りたい。一瞬、そう思ってしまった。
 だが、理性がその判断を迅速に否定した。
 二人を……白銀 武と鑑 純夏を助ける。
 それは────。



「悪いけど、断らせてもらうよ」



 意識が思考の海に沈み始めていた俺は、霧山の強い意志を持って返した拒絶の言葉に反応し、ゆっくりと現実へ引き戻される。

「理由を聞かせて頂いても、宜しいでしょうか」

「────……」

 一歩こちらに進み出た月詠が、拒絶の意を示した霧山に理由を問い質した。
 その質疑を黙殺し、霧山が怒気を混じえて口を開き始める。

「……質問に質問で返す無礼を承知で言わせてもらうけどね……君達こそ一体どういうつもりだ。武と純夏を救う……それはつまり、オルタネイティヴ4の妨害を意味している事になる」

 霧山の放った言葉と、つい先程まで俺の考えていたことは同じだ。



 彼らの発言は、オルタネイティヴ4の妨害宣言に他ならない。



 人道的だ、清廉潔白な正義だといった側からの観点を省き、ただオルタネイティヴ4の完遂という大義を行うに際して、その二人の犠牲は必要不可欠なのだ。
 因果導体である"白銀 武"をこの世界に導き、数式を回収し、因果流入を発現させ、00ユニットを完成させる。
 この一連の流れ全てに、この世界の武と純夏の『死』は密接に関係してくる。
 故に、彼らの思惑は限定される。
 俺や霧山には想像すら出来ないような、大団円を可能とする切り札があるか。
 或いは────。



「それとも……君達は初めから、オルタネイティヴ5の完遂を念頭に置いていたのかい?」



 ────彼らが、地球の放棄を前提として行動しているかだ。



 空気が張り詰めていくのを、肌で感じ取る事が出来る。
 オルタネイティヴ4に同調し尤も近い場所に立っている者と、オルタネイティヴ4に牙を剥かんとする者達。
 ……霧山は最早、彼らと手を組むということは考えていないだろう。
 これからどのような弁明が行われようと、だ。
 事実、既に『断る』とはっきり協力を拒んでいる……向こうの口上を聞く以前の段階でだ。
 考えなしの拒絶ではないだろう。
 ────状況を覆し『大団円』を可能とするような切り札など、彼等にはない、と。
 霧山は恐らく……いや、間違いなくそう踏んでいる。
 大陸派兵の今日、この場所に誘き出される段階で、彼の中では此度の一連の流れと答えは出ていたのかもしれない。

 

「……俺達は武と純夏を救う。例えその過程に、君が望む形である第四計画に対する妨害があるとしても。全て承知の上で決めたことだ」



「────ッ」

 やはり……か。
 だが何故だ。何故そんな簡単に────まさか。
 もしかして彼等は The day after の情報を持っていない?
 だから、00ユニットが無くとも『XM3』でもばら蒔いておけばG弾で押し切れると、そんな楽観視が出来るんじゃないか?
 視線だけで霧山の方を見ると、彼も横目で此方を見ていた。
 目と目が逢う。眉間にシワの寄った余裕のない霧山の表情を見るに、俺と同じくその可能性に辿り着いたのだろうか。
 俺がここで流れを切って出しゃばる理由もない。
 霧山に後に続く言葉を任せる。

「……言っておくよ。例え『XM3』が世界中に行き渡ったと仮定しても……バビロン作戦の先に未来はない。君の二人を救うという言葉……G弾の大量投下による結末を知った上でのモノなのかい?」

「ああ、知っているとも。ユーラシアの完全海没も、塩の大陸も、想像を絶する異常気象も……地球は地獄になるだろうな」

「ば……ッ」

 馬鹿な────。
 知っているのか。無限の先、その後日譚。
 アレに描かれていた激変した世界を知って尚、承知の上だと言い張るのか。

 駄目だ。

 彼等は全て解った上で、事を起こしている。
 どのような結果が待っているか……それを理解した上で、これまでの介入を行って来ているのだ。
 説き伏せ止める事は、出来ない。

「……成程。良しとすると。そういう未来へと行き着く可能性すらも良しとすると……そう言いたい訳だ」

「元より、その未来へと至る可能性は俺が出しゃばらずともこの世界に内包されていたモノだ。二人を救った先に、その未来に直面してしまうというのならば……致し方ない」

 斉御司が霧山の問に、全ては理解の上での行いだと淡々と返す。
 霧山はその言葉を受け、覚悟を決めたような表情で地面へと視線を落とし、呟いた。



 ────ここに、彼らは対立した。



「……全く。そこまではっきり言われると罵る気にもならないよ。もとより、武と純夏の犠牲を前提としたオルタネイティヴ4を積極的に支持する僕に、君達を罵る権利が在るとも思ってないけどね……」

 霧山の自嘲を含んだ思いの吐露に、俺は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
 彼の言うとおりだ。結局、オルタネイティヴ4もオルタネイティヴ5も、何かを切り捨て何かを手に入れる計画なのだ。
 違いがあるとすれば、一体何を、どれほど切り捨て、何を拾い上げることが出来るか……その項目に差異が在るだけ。
 自分が心より求めるモノが手に入るのは、どちらか。
 突き詰めれば、個人がどちらかを支持する理由はその一点に集約される。
 そして霧山は第四を、斉御司と月詠は第五を各々の価値観から選んだ。

 俺も、この場で選ばないといけないのだろうか。

 今この瞬間、目の前で出来上がった対立構造。
 二者択一、二律背反である二つの派閥。
 第四計画か、第五計画か────そのどちらか一方を。

 ……一つの方法として、優勢な側に付くという小狡いやり方もある。
 そう言った所謂、日和見的に見れば────。

 現状において霧山は不利だろう。流れは完全に斉御司達にある。
 彼等はその無謀とも取れる行動力によって、既に正史では有り得ない帝国の戦力増強を確立させてしまっている。
 大侵攻において、帝国が稼ぐことの出来る時間は増大し、其れに伴ってBETAの進撃は阻害されるだろう。
 このアドバンテージ……もはや覆す事の出来ない絶対的な差となっているのではないか?
 BETAは武と純夏に辿り着かず、故に二人は生き延び、第四計画は前提要素を欠き、失墜する。
 この流れが、既に出来上がってしまっているのではないか。

 霧山は、ここからどう挽回する……?

「さて、どうする。このまま、君が些か不利な状況のまま対立するか。それとも、先の言葉を撤回して俺達と一緒に来るか」

「……確かに、それもいいかもね……早くも敗色濃厚だ。君達が真っ当な国防をすればするほどに、国土の半分と多数の人命を犠牲にすることによって成立する第四計画は不利となり……そして真っ当な国防を君達がやっているが故に、僕はその計画に対する満足な妨害行動を起こせない」

「霧山……ッ」

 ……認めた。
 オルタネイティヴ4が封殺されているという状況を。
 最善の未来を知り、オルタネイティヴ4に尤も近しい場所に在る転生者が、認めてしまった。

 ────そう。"真っ当"なのだ。斉御司と月詠がやっていることは。
 迫り来る驚異に備え、軍備を整える。彼等がやっていることは、至極真っ当な『国防』なのだ。
 批判すべき場所なんて、本来一つ足りとも無い。
 
 ああ。未来の顛末さえ……これから先起こる世界の命運を掛けた二つの極秘計画の結末さえ知らなければ、だが。

 彼等がやっていることを批判する。
 その行為は、未来知識のない人間からすれば『真っ当な国防』の妨げに他ならない。
 霧山が……既にオルタネイティヴ4に触れてしまっている人間が、そのような下手を打てば国家反逆罪で第四計画まで煽りを受けかねない。
 だから彼は、斉御司達の『真っ当な国防による第五計画支持』という余りにも不条理な計略を止めることが出来ないのだ。

 ────なんという矛盾。

 帝国が誘致し、支持すべきはずである『第四計画』は帝国が真っ当な国防をすればするほどに瓦解し、忌むべき『第五計画』の助力となる……。
 これが矛盾じゃなければ、何だというのだ。

 終わりだ……霧山は、オルタネイティヴ4は、封殺されてしまった。

 この逆境を覆す切り札なんて────。




「……とまぁ、一見するとオルタネイティヴ4が君達に封殺されてしまっているこの状況……君達がここまでやって、漸くイーブンだよ」




「ぇ……?」

 霧山があっさりとそう言った。
 その言葉は、苦し紛れで出た……という訳ではないようだ。
 纏った空気は真剣味を帯びているものの、決して重くはなっていない。

「お前、何を言って……」

 斉御司達がここまで手を打っておきながら……イーブン?
 オルタネイティヴ4は……霧山は、既に封殺された形になっているはずじゃないのか?
 今の時点で彼等は戦力増強を実現させている。そして現状からの妨害は極めて困難。
 故に霧山は手を出せず、後は強化された軍事力でBETAを迎撃されてしまえば……BETAの停滞が西へとずれ込んでしまう可能性は圧倒的に高くなるはずじゃないのか。

「不破君。そもそも、オカシイとは思わなかったのかい? 武と純夏を救う。その目的の為、彼等がこんな早過ぎる時期から戦力増強と言う遠回しな手段を講じなければいけなかったことに」

「────待ってくれ。どういうことだ。戦力の増強が、遠回しな手段……? 真っ当で順当なはずのそれが何故、遠回しになるんだ」

 霧山のその言葉に、思わず俺は疑問を口に出していた。
 彼等のやっていることは、確りとその目的に沿った手段の筈だ。
 武と純夏を救う。その為にはBETAを食い止めなければならない。
 だからこそ、戦力の増強に努めたのだろう?
 それが……遠回し?

「……いいえ、霧山殿の言う通りです。確かに私共が行使した軍事力の増強は遠回しな手────より簡潔で、より迅速な……『近道』が存在します」

「近、道?」

 その回答は思わぬ所から聞こえてきた。
 正に渦中の人である月詠が、自分達の行動が遠回しな手であると認知している……?
 それどころか、『近道』等という上等なモノすら存在していると言う。
 ならば何故、それを知っていながら遠回りだと理解している手段を────。

「そう、近道だ……ただ二人を死なせたくないだけなら、柊町から他所へ移してしまえばいいのだからな」

「…………ぁ」

 ────確かに。
 確かに斉御司と月詠の言うとおりだ。
 それは、とてもとても、簡単なことだった。
 BETAが攻めて来ようが、そこに武と純夏がいなければ彼等の目的は達成される。
 オーストラリアでもいい、アメリカでもいい。
 そこへ守るべき対象を移してしまえばいいんだ。
 イレギュラーな戦術機すら帝国に導いてみせた二人だ。
 その気になれば、実現できるだろう。

 彼等の有利が際立つ。

 ────だというのなら、何故それを理解していながらやらないんだ。
 彼等は何を躊躇しているんだ?

「不破君。思い出してごらん」

「思い出すって────」

「正史にて、BETAの日本侵攻は第二帝都……東京直前で止まる。だけどBETAはね……軍に、力によって止められたんじゃない────『勝手』に、止まったんだ」

 ……そうだ。
 俺の記憶でも、そうだ。BETAは軍に止められたんじゃない。
 米国は既に撤退し、帝国軍も損耗が酷く、立て直しが出来ないという状況にまで追い込まれていた。
 あのタイミングでBETAが進撃を選択していれば……日本全土が蹂躙されていたであろうことは誰の眼にも明らかだった。
 米国の撤退の判断は、それが極めて高確率で実現する未来であると断定し、日本陥落を皮切りに起こるであろう第五計画への移行を予期してのモノだった。

 だが米国の予測は外れ、事実としてBETAの軍勢は第二帝都────東京を目前にして原因不明の撤退を行った。

 そう、"横浜"に撤退したんだ。



 ────何故?



「BETAは何故、止まったんだろうね」



 そんな/理由。BETAが停滞した理由が。



「もし、柊町に武と純夏がいなくても……BETAは帝都前で止まったと思うかな」



 まさか/戦力でも、時間でも、距離でも……偶然ですらもなく。



「BETAは1995年の段階で、既に人間に興味を抱いていた。歩兵級の生成に置ける人間の再利用がそれを顕著に物語っている。日本大侵攻において、研究対象である『サンプル』採集の優先度が高いとすれば?」



 それは/ただ『欲しい物』があったからだとすれば────。








「────不破君。彼等が二人の移住に踏み出せないのは他でもない。白銀 武と鑑 純夏は……BETAの進撃を横浜で必ず停止させる、最終『絶対』防衛点と成り得る可能性が高いからだ」








 横浜で死ぬのが……この世界の二人に課せられた『より良い未来の選択』……そういう因果に縛られているってことかよッ!?








「……BETAは柊町にて最高のサンプルを発見し、日本侵攻に置ける最優先事項を達成した。ならばそれ以上、無闇矢鱈に『未知の災害』である人類へと歩みを進めるのは愚策だと結論付けた────……と言ったところか」

 沈黙で支配された格納庫の中、口火を切ったのは斉御司だった。
 重苦しく息を吐きながら、霧山の推察に一切の否定をせず、同意を示す。

「先ずは、一つ目の不安の種は取り除けたよ。君達が利己的に保身を考えられる人間である事は不幸中の幸いだった。もし失敗した時、"他の誰か"に後を任せられる可能性を残す程度には、先見の明があったようで何よりだよ」

「……お褒めに預かり光栄だ。別に、ドゥームズデー・カルトに嵌っている破滅主義者という訳ではないのでな。目的遂行が不可能という状況に陥っても、その尻拭いを他所へと丸投げ出来る……此方としては願ったり叶ったりだ」

 その会話に、違和感を覚えた。
 武と純夏がBETAの侵攻目的に見合った存在である可能性が高いということは理解できた。
 だが、何で……どうして。何故、斉御司達は全ての手を尽くさない。
 彼等は最初に『武と純夏を救う』と言った。
 ならば────。

「斉御司……俺はまだ納得できていない。戦力の増強をし、尚且つ二人を横浜から離すという手もあるはずだ……何故それをしない」

 そう。彼等の目的が徹頭徹尾、二人の救済ならば……BETAの停滞は、二の次の筈だ。
 BETAを止める為の戦力は彼等が既に用意した。だが、それが力及ばず、無駄になってしまったときの事を考えていないのは何故だ。
 俺が提案する形になった二重の策なら、"保険"が出来る事になる。
 これならBETAを横浜より西で止めるための戦力を編成しつつ、それでも最悪止まらなかった場合、日本全土が陥落しようとも絶対に二人を逃がすことが出来るんだ。
 その後にでもオルタネイティヴ5で宇宙へと逃がせば、彼等の目的は達成出来る。
 彼等の目論見通り、白銀 武と鑑 純夏は救われる……この星の未来という、大きすぎる犠牲を代償として。
 
「それは出来ない」

 だが、俺の疑問は否定の言葉で返された。

「……何故だ」

「────仮に、だ。もし仮に、俺達が用意した補強戦力が無意味に終わり、BETAが止まらず、横浜から二人を離していた場合……極めて有力なBETA停滞条件を欠く事になる。そうなってしまえば、米軍が予見していた通りにBETAは日本全土を蹂躙するだろう。それは即、オルタネイティヴ5の台頭を許すことに繋がるからだ」

 ……そんな事は、解っている。
 第四計画を誘致した国が陥落し、亡国となれば発言力の低下は免れない。
 そうなれば強制的に第五計画へと移行してしまう可能性だって出てくる。
 だが────。

「だが、どの道お前達は武と純夏を助けた後、第五計画で宇宙へと逃がすつもりなんだろう。 なら、地球の未来や環境なんて二の次の────」

「違うな、間違っているぞ」

「……間違いだって?」

 何を惚けたことを……。
 武と純夏が生存した先にあるのは、オルタネイティヴ4の失墜とオルタネイティヴ5の台頭だ。

「抑々だ。俺は一度足りとも、積極的に地球を放棄します……等とは宣言していないはずなんだがな」

「……っ」

 馬鹿げた事を……遠回しにそう言っているも同然じゃないか。
 まさか……白銀 武と鑑 純夏をオルタネイティヴ4に利用せずとも、オルタネイティヴ5の発動を阻止し、地球上のBETAを駆逐する青写真が出来ていると言いたいのか。
 無理だ、絶対に。そんな機械仕掛けの神めいた采配は不可能だ。
 それが出来るのならば、正史で彼女がやっているんだよ────……ッ!

「────お前は、香月夕呼にすら用意する事が出来なかった"最高の切り札"を持っているとでも言うのかよ……ッ?」

 武と純夏の犠牲なくして、オルタネイティヴ4の完遂は有り得ない。
 いや……その二人の犠牲が在ったというのにも関わらず、気の遠くなるほどのループを繰り返した末に漸く成功に至ったんだぞ。
 それだけ勝ち目の薄い計画なんだ、オルタネイティヴ第四計画……この星に蔓延した絶望を払うのは……ッ!
 その流れを覆す切り札なんて────。

「在るんだよ、不破 衛士。君には与り知らぬ事だろうが……在るんだ、切り札が。それは未だ俺達の手の内にはなく……しかも未完成というお粗末な物だが、な。そうだろう? 霧山 霧斗」

「────っ!?」

 俺は驚愕を隠せず、隣に立つ少年へと振り返る。
 どうして……何で、そこで霧山の名前が出る。
 持っているのか。彼が、その切り札を。

「……ふむ。それは僕なら知っているだろう、と言いたいのかな。しかし"未完の切り札"、ね……僕には、やはり『XM3』を指す言葉にしか聞こえないけど」

 斉御司の言葉に、特に取り乱した様子もなくそう返す霧山。
 確かに……『XM3』の存在は人類の戦力の底上げに大きく貢献する。
 斉御司達は、それを突破口に徐々に劣勢を覆していく事から、XM3を切り札と称している……?そう、だよな。
 もしもXM3以上の切り札が存在しているのなら、霧山が彼等からの誘いを頑なに断る理由がない。

「XM3、ね……まあいい。話が逸れてしまった、謝罪する。不破 衛士……質問の回答だ。俺達は積極的な地球の放棄などは望んでいない……だが、二人を救いたくもある。それでいて、講じた手段の全てが無駄だったときの保険も欲しい……戦力の増強を行いながら、武と純夏をあの場から動かさないのは矛盾ではない。挑戦と、抵抗と、妥協と、譲歩を……限界まで織り交ぜた俺達なりの折衷案だ」

「……つまり、お前等は」



 斉御司達の求める未来……それを手に入れる為の勝利条件は。



「この世界の白銀 武と鑑 純夏を救い、二人を"未だ見ぬ未来"を切り開く為の……新たな『御伽話』の象徴にするとでも言いたいのか……ッ!?」



「────あぁ。其の通りだ」



 嘘だろ、と。
 自分で問い質しておきながら思ってしまった。
 今この世界を歪ませている異変の全てが、ただ武と純夏の二人を護るために起こされた……?
 俺達が見た『御伽話』とは全く違う……"この世界の武と純夏"を中心とした、それでいて未知なる新たな『御伽話』を創造する為の、布石とする為に!?


「そんな……ッ」

 それがどういうことか、理解できているのか。
 途轍もなく強大な存在に挑むということなんだぞ。
 人が企てた作戦や、計画なんていう計り知れる存在じゃない。
 BETAという計れずとも眼に見えている敵性存在でもない。

 お前等が相手取ろうとしているのは────それは世界の流れ其のモノだ。

 『運命』と呼称していい存在なんだぞ。

 そんな目にも見えない、絶対的なモノを相手取り、人類滅亡なんてリスクまで背負い込んで。

「無責任過ぎる……ッ。ループの起点を壊してまでやるべき事なのか? 今までが思い通りに行ったから、この先も同様に事が運ぶとでも思っているのか……ッ? そんな、夢物語のような事が……ッ!」

「だが、香月夕呼が"他所の世界の未来"で言っていただろう。そう、『ラプラスの悪魔はもう存在しない』。未来は不確定だ────お誂え向きに、俺達やお前達みたいなイレギュラーもいる……もしかすれば、そういう未来もあるかもしれんぞ」

「────……ッ!」

 本気だ。

 ハッタリなんかじゃない。直感でも理屈でも解る。
 彼等は、本気で武と純夏をBETAから……いや、『運命』から護る心算でいる。
 そして、死に至る運命から脱却した二人を、未だ見ぬ"新たな未来"を切り開く為の象徴とし、戦っていく気だ。

「……不破君、無駄だよ。止せ、と言って聞届けるようなタマじゃないんだ。いいさ、白銀 武と鑑 純夏を柊町に置き続ける……それさえ守るのならば、後は好きにすればいい」

「霧山、お前────」

「……此処まで来てしまえば……後はもう天秤がどちらに傾くか。それ次第だよ」

「それは……」

 例え彼等に封殺され、妨害すら出来ないこの状況でも……横浜にさえ二人が居ればいい。
 そう言いたいのか、霧山。
 つまりBETAが止まるか、進むか。全てはそこに掛かっていると。
 お前の言った『状況は"イーブン"だ』という言葉。その意味を、漸く理解出来た。
 全ては運……どれだけ手を尽くそうとも、最後の最後で全てを決するのはBETA次第。
 BETAのみぞ知る未来────。

「ああ……だからこそ、これだけは改めて言っておくよ。僕は君達に絶対に協力はしない」

「……残念です。貴方には将来的に『XM3』の早期提供を都合して頂きたかったのですが────」

「悪いね月詠さん……敵に塩を送れる程、人生に余裕がないんだ。どれだけ政治的な圧力を掛けてきても無駄だよ。そもそも『無い物』を提供するなんて出来ないからね」

 霧山への協力要請は、それが主な狙いか。

 『XM3』

 搭載するだけで戦術機の性能を引き上げ、その真価を発揮させる……御伽話から零れ落ちた、魔法のような代物。
 無量大数のループの先に、一人の若き英雄が聖母と共に創り上げた奇跡の産物。
 霧山が『XM3』の提供を断ったことにより、彼等は劇的な戦力の底上げを望めなくなった。
 天秤はまだ、どちらにも傾かない。
 その瞬間まで、未来は解らない。



 ────ラプラスの悪魔はもういない。



「さて、誘いは断わられたが……これからどうする心算だ、霧山」

「どうもこうも、当初の予定通りさ。"正史"通りのオルタネイティヴ4完遂に挺身するだけだよ────君達の失敗を心底渇望しながら、ね」

「……残念だが、その望みは叶いそうにない。BETAは止まるからな」

「いいや、止まらない。BETAは二人を求めて突き進むだけだよ」

 斉御司と言葉を交わしながら、踵を返す霧山。
 もうここに用はないと言わんばかりに俺達に背を向け、唯一の光源となっている格納庫の出口へと歩みを進めて行く。

「斉御司君、月詠さん……どうか気張らずに事へと当たって下さい。例え失敗してもお構い無く。その時は『正史』通り────オルタネイティヴ4が、全てに片をつけますから」

 逆光の中、此方に振り返らずに手を掲げ、挑発とも取れる台詞を残し……霧山がこの"密会"から立ち去った。
 俺はただそれを黙って見送る事しか出来なかった。


















「…………ま、こうなるか。あまり期待はしていなかったが」

「残念ですが、想定の範囲内です。しかしこれで不知火により注視せざるを得なくなりました。ここで転べば、戦力の大幅な底上げは望めません。やはり斯衛に───」

 霧山が去るのを見届けた彼等は、暫しの静寂の後、今後についての予定を練り始めた。
 俺が聞いているのもお構い無しなのは、俺に妨害行為が出来ないのを理解しているからだろう。
 例えこれを聞いているのが霧山だとしても、彼等の『真っ当な国防』に口は出せない。

 俺も、帰ろう。

 此処にこれ以上いても、意味はない。
 ……俺の存在そのものに、もはや影響力がない。
 既に状況は政治的な遣り取りに移行していた。
 俺に権力はない。干渉する術が、ない。
 だから、もう過程に対して何も出来ない。

 そして、最後の最後で全てに決着を付けるのはBETA次第────つまり計り知れない『運命』次第といってもいい。

 俺は……過程にも、結末へも、手を出せない。
 だから────ここでドロップアウトだ。

「…………邪魔して悪かった。俺も帰るよ」

 この『密会』は本来、彼等と霧山だけのモノだったはずだ。
 突然の乱入で場を混乱させた事を侘び、俺も踵を返した。
 
「……お待ち下さい。貴方への要件が、まだ済んでいない」

 月詠のその言葉に、思わず足を止めて振り返った。

 ────俺への、要件だと?

 至って真面目な表情で、斉御司も月詠も此方を見ている。
 冗談では……ないようだ。
 だが、俺には霧山の様に彼等に差し出せるものはない。
 斉御司達のように、帝国の上に食い込んでいるわけでもない。
 放っておいても障害にすらならないような存在に……ただの一般人である俺に、何の用があるというんだ。


「いや何、要件というのは他でもない。遠路遥々、今日というこの日に此処へとやって来て俺達と巡り逢う……これも何かの縁だ。不破 衛士、俺達と一緒に来ないか」


「────なッ」


 斉御司から飛び出した言葉に、俺は驚愕を禁じ得なかった。
 勧誘……? まさか、それこそ冗談だろう。
 俺は彼等にとって無価値も同然だ。
 手助けなんて以ての外だ。

「……俺はお前等に何も提供できないんだぞ。そんな事ぐらい、解っているだろう」

「確かに、其方から此方へは何も提供出来ない、かもしれない。今はな。だが────此方から其方へは出来る。不破 衛士……"保険"が欲しくはないか?」

 何……?
 "保険"、だと?

「BETAを止めることに成功し、武と純夏が生き延びた先に……敗北が待っている可能性もある。オルタネイティヴ5の発動を止めることが出来なかった……そんな時、両親と一緒に宇宙へ逃げたくはないか?」

「ッ────それ、は」 

「選りすぐられた10万と少し。脱出枠は、それだけしかない。だが、君の持つ『例の資格』は武器になるぞ。それを基点に俺達の元、今の段階から相応の環境で、相応の努力を積み重ねれば……優秀な人間であるという証明が出来れば……俺達も君を『枠』に捩じ込みやすくなる」

「……ッ!!」

 揺れる。

 心が揺れる。

 最悪のカードを、切られた。

 正に悪魔の囁きだった。
 知ってるだろう、俺は。
 これからこの国が、星が、地獄と化していくことを。
 其れを見越した上で、そこから逃げていいと。
 その為の道を用意すると。

 目の前の悪魔は、天国への片道切符を呉れて遣ると言ったのだ。

「……『契約』しないか。俺達と一緒に来てくれれば、運命に挑んだその先に敗北が待っていようと……君と、御両親の脱出枠を、武や純夏と同じ優先度で確保すると誓う」

 馬鹿な。所詮は、所詮は口約束だ。

 守らなければいけない、なんていう絶対的な制約はない。
 そもそも大前提として、事が上手く運べばという想定の上での提案だ。
 彼等の思い通りに行く保証なんて、現段階では、ない。
 『契約』を蹴ったところで、彼等の思惑が外れてしまえば────俺にデメリットはない。
 
 だけど、それでも……思ってもいなかった、望外の待遇には違いない。

 彼等との共闘の先に、敗北が待っていれば……ループによるやり直しは出来ない。
 もしそうなった時……逃げることが出来る。地獄と化した地球から。
 父さんと母さんと一緒に、遙かなる宇宙への旅路へと。

 産んでもらった、育ててもらった義理もある。
 一方で、あの人達の子供に、転生という形で"俺"のような異物が混じったという罪悪感もある。
 そして何よりも……親愛を抱いている。
 出来れば、平和な暮らしを送る事の出来る星へと送り込んであげたい。
 それに俺自身……どこかで逃げたいと、思っているんじゃないか……?



 ────理性は、「抵抗」を囁いている。



 運命に抗え、と。そう言っている。
 武と純夏がBETAに殺されるという運命に抗い、新たな未来を切り開く為に彼等と共に闘う。
 だが、もしも力及ばず、その先に敗北が在り……宇宙へと上がることになってしまえば……その時は、共に逃避行へと身を寄せる。
 挑んだ先に待っているのが勝利だろうと、敗北だろうと、俺の安全は確保される。
 彼等と共に行く。それは……その選択は、決して間違っている訳じゃないんじゃないか……?
 

「俺は……」

 彼等の手を取ってしまっても……いいのではないか。
 そう思ったとき、斉御司の差し出した右手へと、ほとんど無意識に俺の左手が伸びていった。



 だが、その左手を、俺の右手が無意識に掴み止めた。



 ────本能が、「享受」を叫んでいる。



 運命に従え、と。そう言っている。
 彼等の語る未来は、夢物語だ。同調する等以ての外だ。
 既知の『御伽話』を……二人の死を肯定し、最小の犠牲を以って世界を救う。

 徹底したリスク回避の先に、最善の未来を掴む……「享受」こそが真の「抵抗」に繋がるのだと。
 不破 衛士は……彼等と共に行くべきでは無いと。



「俺は────……」

 掴む右腕が。掴まれた左腕が。
 震えて軋んだ。

 もう、自分を騙せそうにない。

 死んでもいいなんて有り得ない。
 仕方ないなんて有り得ない。

 オルタネイティヴ5の遂行によって取り残される人達は、『その他大勢』でも『有象無象』なんかでもない。
 オルタネイティヴ4の遂行によって生贄となる白銀 武と鑑 純夏は世界を救うための『舞台装置』なんかじゃない。

 そんなことは解っていたのに……それでもBETAに殺されるなら仕方ないと、自分の無力を盾に自分を騙してきた。
 だけどもう無理だ。
 ああ、そうだ……俺は選んですらいなかった。
 何かを切り捨てようとする事も、何かを救い上げようとする事も。
 ただ時間に流されていただけで────。

 けど、彼等は違った。

 霧山は────悲劇のヒーローとヒロインを切り捨てて、大勢の人々と地球を救う『正史』に準ずるオルタネイティヴ4を完遂する道を選んだ。

 斉御司と月詠は────悲劇のヒーローとヒロインを救い、ループの基点を壊し、『正史』を覆すためにオルタネイティヴ5へと抵触するリスクすら背負い、新たな未来を切り開く道を選んだ。

「……俺は────ッ!」

 俺は、どうしたいんだ。

 駄目だッ……頭の中が滅茶苦茶で……考えが纏まらない。

 俺みたいなのが、それを選べる立場にあること自体が、間違いなんじゃないのか?
 勝手に外から迷い込んだ俺が……そんな上から目線で、この世界の未来を選んでいいのか?
 そもそも何で……何で、こんな事になった────?

 マブラヴが好きで、A3揃えて、外伝網羅して、雑誌掻き集めて、メカ本出たのを喜んで買って読んで悦に浸って……戦術機に乗る事が出来ればなんて馬鹿なこと考えてたのが……何で、こんな事になって……────ッ。

 クソ……何で"前世"なんて思い出す。
 過ぎた事なんて……どうせ戻れない世界の事なんて、思い返しても意味はない。
 参ってる証拠か。頭ん中が、相当煮え滾ってる。
 だけど、それでも選ばないといけないんだ。
 今此処で決めなきゃ、また今感じてる焦燥を忘却して、時間に流されていくかもしれない。
 こんな宙にぶら下がった状態で、何時迄もいられないなんて解ってんのに……ッ!

「あの、不破……君。まだ、世界は分岐点に差し掛かっていません。不破君の御両親については今すぐには無理ですが、難民キャンプでのノウハウを蓄積してもらった後、東へ退避させるのは今の時点で決定しています。一先ず、落ち着いてください。まだ七年……七年あるんです。其れまでに、選んでくれればいいんですよ?」

「────……」

 混乱してるのが気取られたのか。
 見兼ねた月詠が、心配そうな表情で此方に優しげな声を掛けてくる。

 ────有り難い。

 本当に、有り難かった。
 今のその言葉で、かなり落ち着く事が出来た。

 彼等は……そこまで先の事を企てているんだな。
 霧山へのバトンタッチも考慮した上での選択だという訳か。
 考えてみれば、それはとても理にかなっている。避難民を正史よりもより多く逃がす。
 それに伴って、難民キャンプの運営に精通している人員もまた、より多く必要となる
 偽善や自己満足ではなく、彼等にとっても求める結果への効率に直結しているから、その行動の信頼性の保証はされている。
 足元に人々が大勢いる状況で、衛士達が全力で戦えるはずもない……そこにもメスを入れるのは、BETAを少しでも効率的に阻止したいのであれば必要不可欠な部分だ。

 父さんや母さんが……難民対策局が、今年から実行に移す九州での難民キャンプ。
 そこで培われた経験を、関東の方に持ち帰るのは初めから織り込み済みだった。
 だったら、二人が大侵攻で逃げ遅れることはない。
 死んだりしない。

 そう思ったとき、心が一気に軽くなった。
 頭もクリアになっていくのが解る。
 自分が思ったより、両親が心の中を占めてるということなんだろうか。
 思わず熱くなってしまっていた自分を恥じる。

 尤も、冷静になれたところで直ぐに考えが纏まるというものではない。
 しかし……自分が二つの何方かを判然と選べない理由は、理解出来た。

 決定打と成り得る"立脚点"が、俺にはないんだ。

 奇しくも12.5事件……クーデターの時、白銀 武が苦悩することになった立脚点……それが俺にも、ない。

 因果導体の白銀 武とはまた『違う外』から来た自分。
 正史を、未来を知っている自分。
 武とは違い、ここ以外に帰る場所のない自分。
 一般市民という立場に生まれ落ちた……『不破 衛士』という存在。

 霧山のように、オルタネイティヴ4の近くに寄り添うように生まれた訳じゃない。
 斯衛の二人のように、帝国の上に……『真っ当な国防』に干渉出来るような場所に生まれた訳でもない。

 どちらからも、等しく離れている。

 どちらへも、何某か思うところがある。

 それ故にどちらにも偏らず、どちらにも手を伸ばすことを許されている。

 自由意志によって其れを選ぶ事が、俺には出来る────。

「────ありがとう、月詠……さん。それと、ごめん……今は頭の中がこんがらがってて……正式な返事を返せそうに、ない」

 謝罪する。
 差し伸べられた手を、握り返すことも、振り払う事もしない優柔不断さを。

「ぃ、いえ!むしろ謝るのは此方です……内のバカ殿が、非道にも人質を取り、弱みから突き崩すような下衆な交渉をして申し訳ありません。よく言い聞かせておきます」

「ぅおい、バカ殿ってちょっと……月詠ぃ……お前なぁ……こういうのは交渉だと基本だろう。何故俺が怒られる……」

 青が紅に、尻に敷かれているのか。
 俺もだけど、複雑なんだな……お前等も。

「……月詠さんの言葉に、甘えさせて貰っていいかな。時間が欲しい……一年でいいんだ。その間に、必ずどちらかを選ぶから」

 七年とは言えない。それはタイムリミットに差し掛かってる。
 だから、一年……されど一年。これでも、貰い過ぎなぐらいだ。
 今すぐにでも決めないといけない。そんな問題に、年単位の猶予期間を要求している。
 情けない限りだが、自分にはこれぐらい必要だと思う。
 自分の立場は、余りにも"普通"すぎるから。

「諒解しました。一年間、答えをお待ちします……私達の手を取るか、払うか。それは、貴方の自由です。自分で判断して、自分で決断してください」

「ごめん、ありがとう……斉御司も、それで納得してくれるか……?」



「ちょっと待て……何で月詠がさん付けで俺が呼び捨てだ。俺は五摂家だぞ。頭が高いぞ平民」



「……な、何?」

 快く受け入れてくれた月詠さんに対し、渋い顔をしながら訳の解らない事を俺に向かって言ってくる斉御司。
 凄くどうでもいいことで機嫌悪くなりやがった。
 まさか身分や位を盾にしてくるとは……駄目だコイツ、器が小さい。
 こんなヤツにさっきまで交渉で押されまくってたのか俺……。

「暁様……何ですかその、俺は親善大使なんだぞ、みたいな言い方は。底が知れるので、お願いですから自重してください」

「ぐぬぬ」

 手も足もでないとはこう言う事か。
 一言も言い返せずに、凹んでる。
 
 …………だが、それが酷く不自然に見えた。
 さっきまで圧倒的に優位に立ち、俺を追い詰めていた斉御司。
 今、月詠さんに詰られている斉御司。
 この乖離の激しい二面性……どちらが本当の彼だ。
 彼は、彩雲を帝国に誘致した原動力のはずだ。
 子供というハンデを背負って、現役の政治家や軍人と渡り合ってるはずなんだ。
 横の繋がりがあるとは言え、並大抵のことじゃないんだぞ────。

 やはり、演技や道化か……?

 油断は禁物か……霧山は、斉御司にギリギリまでやり込まれてるんだ。
 気を許していい相手じゃない。

 ……いや、今はそこまで警戒しなくてもいいか。
 "まだ"味方になるか敵になるかも解らないからな。

 何れにせよ……これで一年の猶予期間が出来た。
 その間に、逃げずに選び抜かないといけない。

「じゃあ、今度こそ戻ります。両親と来てるから、そろそろ心配して探してそうで────」

「お待ちください、コレを」

 そう言って丁寧に折り畳まれた紙を手渡された。

「私共の連絡先です。此度の返答や……よっぽどの緊急の用があれば、何時でもここに。信頼出来る人に通じるので、そこを一度通して頂きたい……色々と面倒事もあるので」

「解りました。何から何まで……助かります」
 
 "貴方の自由です"

 ……月詠さんはそういった。
 そうだと、俺も思う。
 俺は自由だ。俺だけじゃない。

 ────白銀 武も、鑑 純夏も、自由なはずだ。

 BETAという途轍もなく大きな脅威に狙われているかもしれない。
 そんな残酷な因果に縛られていようとも……自由だ。

 その前に何が立ちはだかろうとも。
 立ちはだかった何かが、どれほど強大であろうとも。

 ────関係ない。

 例え、それが『運命』や『宿命』なんて代物だとしても。 
 それに従うか、抗うか……自由なんだ。

「俺は、貴女達と敵対することになるかもしれない。それも、自由?」

「……ええ、自由です。私共も何故、此処にいるかは解りません。ですが、此処に生きている限り、自由です。本来死ぬべき者を救わんと……足掻くのもまた自由です」

「好きにするといい。確り考えたその上で自由に行動した結果、目的が擦れ違い対立したのなら仕方ない」

「────……」

 俺はその答を聞いて、彼等に背を向ける。
 今度は止められなかった。

 降って湧いた、巡り逢い。
 運命に抗うか、運命に従うか────それを突き付けられた。
 今度こそ、目を背けられない。
 一年だ。一年間……それを直視し続けろ。

「……選んでくれ、不破 衛士」

「願わくは、共に歩む未来があらんことを────」

 背中を押すように、二人の声が響いてきた。
 ……ああ、言われなくても悩んで選ぶさ。
 人類が必死で稼いでくれてる、貴重な時間の中で。

 二人から離れて格納庫から外に出ると、強い日差しに目が眩んだ。
 まるで場違いな世界から解放され、元の場所に戻ってきたような安心感。
 殆ど無意識で、来た道を戻る。
 ただ今は、空と海の交わる青を、無性に眺めたかった。














 時間感覚が馬鹿になっている。天を見上げれば、日が高い。
 どれほど歩いたのか……一般人が数多く目についた。
 俺は知らぬ間に、立ち入り禁止区域から一般解放区まで戻ってきていた。

 ────酷い倦怠感が纏わり付く。

 備え付けのベンチを探し、揺ら揺らと足を引きずりながら辿り着き、倒れこむように体重を預ける。
 
「はぁー……」

 深く、深く、溜息を付いた。
 我慢してきた精神的疲労をゆっくりと抜いていくように。
 力なく顔を伏せながら、横目で海のほうを見ると人がまだ群がっていた。
 それは、俺がこの港に来た時と何ら変りない風景だった。

 ただ、一点を除いて。

「……アレは……」

 視線を上げる。
 その先には、戦術機母艦の上に悠々と立つ、鉄の巨人がいた。

 ────TSF-TYPE88/F-16J 彩雲────

 頭部しか見えなかった時とは違い、母艦内のリフトが上がってその全身を日の下に晒していた。
 中隊規模の彩雲が、群がる人々を見下ろしている。

「日本向けに、改修されてる」

 遠目にも解った。
 通常のF-16より、肩部装甲と下腿部が大きい。
 日本で運用するに際し、耐久性の向上と稼働時間の延長の為、全長こそ変わらないが部分部分での大型化が施されている。
 ……この仕様、内装は発展途上だろうが、外装だけで言えば正史におけるブロック52/Dに相当する。
 イニシャルコストは若干高くなるが、後々改装を必要に迫られる事を考え、ランニングコストを重視したのだろう。
 十中八九、斉御司達の入れ知恵だ。

「……本気、なんだな」

 あれは象徴だ。
 決して場当たり的な思いで引き入れたモノではない。
 戦って、戦い続けて、その先に武と純夏を救う。
 そして救った後も戦い続ける。
 もし救えなくても……それでも戦い続ける。
 そんな思いを物語るように、あくまで長期的な運用を考えて改修された機体だ。
 不知火が配備された後も、最前線で運用され続けていくのだろう。

 現状における斉御司達が重ねてきた行動……その集大成だと言っていい。

「俺にも……」

 彼等のように、何かを成すことが出来るんだろうか。
 例えば、視線の先に立つ異端の戦術機のように。
 何かを形にすることが出来るだろうか。

 俺に、出来る事────。

 そこまで考えたとき、頬にひんやりとした物が押し当てられた。



「つっっっめたっ!?」



 みっともない悲鳴を上げて飛び上がり、ベンチから転がり落ちる。

 だ、誰だ! いきなり人の顔に冷たい物押し付けやがったのはッ!

 驚いた心臓が、凄まじい勢いで血液をポンプしている。
 きっと心拍数は三桁の大台に乗っているだろう。
 受身を取りながら、犯人らしき人影を睨みつける。
 しかし、そこに立っていたのは────。



「や」



 犯人が缶ジュースを両手に持ち、当たり前のように挨拶をしてきた。

「……お前……先に帰ったんじゃ」

 思わぬ襲撃者は、俺よりも早くあの場から去ったはずの霧山 霧斗だった。










[12496] 第十話 ─Encounter─ 後編
Name: Caliz◆9df7376e ID:097c81e2
Date: 2012/07/09 09:14
 頬に残るのは、押し当てられた缶ジュースから伝わった冷気。
 しかしその感触も、体温に掻き消されて瞬く間に霧散した。

「や」

 地面に尻を付いた状態の俺に軽く手を上げ、いたずらっぽい笑みを浮かべてフレンドリーに挨拶してくる少年。
 オルタネイティヴ4に尤も近い転生者……霧山 霧斗。

「お前、帰ったんじゃ……」

「……そんなに驚く事もないんじゃないかな」

 それは俺が思わぬ冷たさに飛び退いた事か、それともその実行犯が先に帰ったはずである霧山だった事か。
 どちらにしても────無茶を言う。
 気は緩みきっていて警戒なんて以ての外、心構えすら出来ていなかったのだから。
 そんな状態であんなことされたら一溜まりもない。
 驚きすぎて心臓が口から電磁投射砲のような初速でスッ飛んでいくかと思ったんだぞ……。
 俺は立ち上がり抗議の意を視線に込め、霧山を睨みつけて苦言を申し立てる。

「……何の用だ」

「いや、あんな場所で長い間喋ってたからさ。喉乾いてないかなって」

 霧山は両手に一本ずつ持っている缶ジュースのうち、俺の頬に押し当てた方を、ほらっ、と言いながら突き出してくる。
 まさか、くれるのか。

「驚かせたお詫びだと思って、どーぞ遠慮なく」

「……わざわざ俺の分まで?……悪いな。ありがとう」

 初めからそういう親切目的な意図があったのでは、一方的に攻めるのも悪い。
 元を辿れば善行だったのだから、少しばかりの悪戯でいつまでも不機嫌になっていては大人気がないだろう。
 邪険に扱ったことに謝罪を、施しに感謝の言葉を述べ、差し出された缶ジュースを受け取るとベンチに腰を戻す。

「丁度、自分の分を買いに行った時に君が覚束ない足取りでこっちの区に戻ってくるのが見えてね。どうせついでだからって思ってさ……隣、いいかな?」

「え? ああ」

 何て律儀な奴。
 俺のベンチじゃないんだから、承諾を得ずとも構わないのに。
 ────既に、他人という間柄でもないのだから。

「よっ、と。全く、やられたよ……。どうしてなかなかやるもんだねぇ、彼等は」

 霧山は肩に下げていた大人びた革鞄をベンチに下ろすと、自らもドカッと隣に腰を据え、愚痴るように呟きながら遠くを眺めた。
 彼の視線は彩雲に向けられている。

「……本当にな」

 同意の言葉を返し、俺も視線を彩雲に向けた。
 極力、正史からの逸脱を望まない霧山にとって、あの機体は忌々しいものであるはずだが……恨む、憎むといった感情だけで物事を捉えている訳じゃないようだ。
 目的を違い対立したとは言え……霧山からの彼等に対する評価が一定の高さに至っている事を伺える。

「で、どうだったんだい?」

 俺にそう問いかけながら、缶のプルタブを開けようと試みる霧山。
 だが、力がないのか深爪しているのか……哀しいかな、アルミを引っ掻く音が響くだけで一向に開く気配がない。

「どうって何が……ほら」

 今一要領を得ない質問に解説を求めつつ、その苦戦っぷりを見かねた俺は缶を引っ手繰り、プルタブをこじ開けて手渡してやる。

「ありがとう……流れを考えるに、君だって誘われたんだろう。条件もよかったんじゃないの?────脱出便のIDの都合、とかさ」
 
 霧山の感謝の言葉に続いた次の一言で、俺は既に口を開けて飲み始めていたジュースを思わず吹きそうになった。
 聞き耳でも立ててたのか、コイツ。

「何であの場にいなかったお前に解る」

「ビンゴ。騙して悪いけど、彼等が切ってきそうな手札を適当に言ってみただけだよ……はぁ、君もあちら側かぁ」

 ────ここでブラフかよ。
 というか待て……ちょっと待て。
 何で既に向こうに付いたことになってる。
 確かにとんでもなく豪華な餌だとは思うし、釣り上げられかけたが。

「言っておくが、誘われはしたけど返事は保留にしてもらったぞ」

「えっ」

「えっ、て……」

 何だそのリアクション。
 もしかしなくても、餌で釣られれば間違いなく向こうに付くと思われてたのか。
 ちょっとショックだぞ……。

「……保留、ねぇ。それはまた何で? 即決で向こうに付いても可笑しくない条件だと思うけど……引っ掛かる事でもあった?」

「まぁ、それもある。あるけど……一番デカい理由は────俺には何も無いから、だな」

 そう。今の俺には、本当に何も無い。
 正確には今日というこの日に全て無くなってしまった。
 元から企てていた想定は、世界が歪んだ時に放棄した。
 そこから今までに頭の中で組み立ててきた未来図も粉々に砕け散った。
 権力と無縁な俺にとって唯一のアドバンテージであった正史の知識も、他に所持している人間がいる。
 尤も重要視していた『不破一家』の当面の安全すらも、俺が斉御司達に付く付かない関係なく、彼等の求める結果への過程において確保されてしまうという始末。

 結局のところ、未来の主導権は……とうの昔に俺の手から離れていたんだ。

「何も無いって……そこまで自分を卑下しなくてもいいんじゃないか? 君にだって────」

「慰めてくれるのは嬉しいが……今は、何も無いよ。国防に携われる帝国には斉御司と月詠さんが。オルタネイティヴ4を主導する国連へはいずれお前が。揃ってるんだよ、それぞれの陣営に未来を知るブレインが。そこに俺が入っても、大きな変化はない」

「それは……」

 俺は判然とした口調でそう告げた。
 それを聞いて口篭り、視線を逸らす霧山。
 斉御司と月詠さんは言わずもがな、霧山も既に研究所に入って香月夕呼と接触していると、斉御司が出会い頭に口から零していたのを思い出した。
 ……真偽など、聞かずとも解る。霧山は香月夕呼に付き従い、国連へと身を投じるつもりだ。
 そしてそれは決して夢物語などではなく、現実のモノとなるだろう。
 彼が単身、この場所に誘き出された事が何よりそれを物語っている。
 放っておけば不確定存在に。そして味方につければ有益に、断られれば障害になると斯衛の二人に判断された。
 だから……出る杭が打たれた訳だ。ま、斉御司達にとって何故か出てもいない余分な『杭』までくっついて来たのは想定外だったようだけどな。
 ご覧のとおり毒にも薬にもならない一般人だが。
 何はともあれ、そんな存在が国連の上層部にいる。ならば俺がそこに加わっても意味はない。

「……────」

 しかし痛いな……この沈黙は。
 何で当人の俺じゃなく霧山の方が辛そうな顔してるんだか。
 霧山は申し訳そうな顔をしたまま、視線を地面に縫いつけて口も一切開かない。
 自虐で言ったわけでもないし、当て付けのつもりでもなかったんだけどな。
 "そういう風"に取られてしまったか……嫌な空気にしてしまった。
 俺は責任を感じ、この重くなってしまった雰囲気を払いのけるために、なるべく明るい声を意識しながら口を開いた。

「悪い、ネガティヴに聞こえたか? でも自棄になってる訳じゃないんだ。現状を見つめ直しただけさ……で、手段も目的も無いって解ったから────後は探すだけだな」

「え……?」

「だから探すんだよ。月詠さん達への返事……保留期間は一年でな。その間に、一体俺はこの世界で自分に何が出来て、何をしたいのか……見つけなきゃいけない。遅かれ早かれBETAが来る事に変わりはないし、徴兵の事もある。コイツはオルタネイティヴの4とか5とか抜きにしても、いつか答えを出さなきゃならない問題だったんだ。だから前向きに探す事にした。くよくよしたってBETAは止まってくれそうにないしな」

「……」

 両親の移住の問題は、既にこの手を離れた。
 重く嵩張っていた肩の荷を下ろせたんだ。
 だから一先ず俺は、俺自身の問題に専念出来る。
 後は、悩んで探して選ぶだけだ。

 ……幸いと言っていいかは解らないが、既に目の前に二つの道……"目的"が敷かれている。

 一つ。月詠さん達と共に行く道。
 
 そして……────。

「不破君」

 そこまで考えた時、霧山に肩を掴まれ彼の方へと振り向かされ、そして。
 
「こちらに、付いてくれないか」

 俺の目をしっかりと捉えながら、彼はそう言った。
 ────二つ。霧山 霧斗と共に行く道。
 時がくれば自分から話を持ち掛けようと思っていたのだが、先手をうたれてしまった。
 これで手間が省けた事になる。
 だが────。

「……悪い。今は俺からそっちに出せるものがない。月詠さん達からの誘いも、一度はそうやって断ろうとしたんだ」

 向こうから誘ってくれたのは素直に嬉しい。
 嬉しいが……しかし何の力も持たず、それどころか何をすべきか、何をしたいのかすらも解っていない伽藍堂な状態では答えを返す事が出来ない。
 先に話を通してくれた月詠さん達への返答すらもまだだというのに、それは不義理な事だと思う。
 何よりも────余りにも大勢になる人の生き死にを、上からの目線で語り左右していくという大事に携わるには……今の俺では役者不足が過ぎる。

「────……確かに、今はまだ、君から出せるものがないかもしれない。けどそれは問題じゃない。利害が一致していれば人は手を組める。僕には君と組むことによって発生するデメリットなんてないよ」

「ああ、デメリットはないな……でも、メリットもないよな」

 ノーリスク・ノーリターン。
 居ても居なくても変わらない有象無象の類。
 月詠さん、斉御司。そして、霧山……その双方に不要なお荷物。
 それが今の俺だ。
 故に、悲観でも被害妄想でもなく、現実問題として彼にメリットは発生しな────。

「あ、ある!メリットならあるよ!斉御司達と違って、僕は独りだろ?こんなぶっちゃけた会話だって、七年振り……っていうか、この世界に生まれて始めてなんだよ!もうハッキリ言うけど、寂しいんだ。滅茶苦茶寂しいんだよ。夕呼さんとは主従っていうかパシリみたいな関係で仲も結構いいんだけど、こんな会話流石に出来ないし、殆ど秘密にして接してる。勿論両親にも、室長の爺ちゃんにも。この状況、かなりストレス溜まるんだよ!いや、パシリ扱いはいいんだ、納得できてるし。ただ、この先どうなるかって事を黙っていないといけないっていうのがね、今教えてどうこうなるものじゃないし、必要以上に警戒されるだけだしで兎に角もう罪悪感が凄くて、九州に住んでる君になら同じ感覚があると思うんだよ。だから、同じ境遇の人が近くにいてくれるだけで凄い嬉しいんだ僕は!もうそれだけでハイリターンっていうか、僕にとって望外のメリットが───ッ!」



「 落 ち 着 け 」



 物凄い勢いで捲し立てて、俺がいかに必要かを語ってくる霧山を制止する。
 余りの饒舌っぷりに思わず圧倒されてしまった。
 だけど、なるほど……そういう観点からメリットが発生するという価値観も……アリといえばアリなのか。
 月詠さん達からはなかったアプローチだ。向こうは既に同一の目的を共有する"同志"で、傍目に見ても喧嘩が出来る程度に仲がいい、といった具合だった。
 加えて、既に圧倒的なアドバンテージを有し、イニシアチブを握っているという事実もあってか……そう、"余裕"を感じる事が出来た。
 そして余裕があるからこそ、俺を勧誘するときにギブ・アンド・テイクの対等である関係ではなく……"向こうが一方的に施す"という、此方にばかり都合のいい条件を出してきたのだ。
 恐らく……俺個人に対して、悪意や悪気といった類の感情はなかっただろう。
 故に、正に"飼われる"と言っていい契約内容に心が傷む。
 それは、現状において自分が……冷静に分析して一般人程度の影響力しかない、と第三者から冷酷に告げられたという事実に他ならないからだ。

 ハッキリと、『お前は庇護対象だ』と。

「……悪い。そう言ってくれて嬉しいんだけどさ……やっぱり、今の俺にはどっちも選べない」

 だからこそ、今だけは答えを返せない。絶対に。
 だって、それは"フェア"じゃない。
 一般人と大差ない存在だというのなら、彼等に身を寄せるべきじゃない。
 大人しく一国民……または一難民として、世界の中心から離れたところで彼等の武運を祈っていればいい。
 俺には、地位も、権力もない。運も、多分ない。役に立つことが……出来ない。
 ……それでも共に行きたいと願うのならば、庇護対象に甘んじていては駄目なのだ。
 彼等が所持するような力がないというのなら、其れ等に類し代替として機能する力を求めろ。
 何でもいい……それが決して折れぬ頑強な意思であろうと、何かに特化した才能だろうと、構わない、選り好みはしない。
 彼等へと身を寄せるならば、既にスタートラインからして違う彼等に追従し、対等な存在として傍に立つ事を誓い、果たさないといけない。
 ────ソレに値する"何か"を探し、手に入れないといけないんだ。

「だから、今は……ごめん」

「……解った。今すぐなんて言わないさ、待つよ……君が、自分がどうしたいのか解るまで。もしも悩み抜いた先に、正史通り『おとぎばなし』の幕を上げるべきだと思ったのなら……その時は僕と共に来てくれないか。必ず歓迎する……何も、出せないけどさ」

 霧山は俺の言葉の先回りをするかのようにそう言うと、此方へ右手を差し伸べ握手を求めてきた。
 強制ではない。何か弱みを握ってくるわけでもない。脱出便のIDのような、保険や見返りも提供出来ない。
 それでも来てくれないか、と……そう言ってくれている。

「ああ。まだどうなるか解らないけど……その時は、宜しく頼む」

 告げて、俺も右手を差し出し、強く握り合う
 これで仮契約成立だ。
 ……『今は無理だがその時は頼む』、か。
 どう考えても、こちらに有益なばかりで向こうには無益な予防線。
 申し訳ないとは思う────だけど、有難い存在であることに変わりはない。
 今だけは甘えさせて貰おう。

「うん、承った。あー……それと、烏滸がましいかなとは思うんだけど……プライベートな事でちょっといいかな」

「何か聞いておきたい事でもあるのか?」

 ……ん? 言ってから気付いたんだが……。
 コイツ俺の名前知ってたし、斉御司達から情報リークされたって言ってたよな。
 大抵の情報はもう揃ってると思うんだが……何を聞きたいんだろうか。





「その……僕と友達になってくれないか」





「─────────────────あ"?」





 トモダチ……友達? Friend? 何故に? Why?

「……ごめん、変なこと言った。忘れてくれないか」

 やっちまった……と言いたげな顔を片手で抑え、申し訳なさそうに謝罪してくる霧山。
 思わず唸るような声を出して固まってしまった。
 霧山の言ったことは変、とは思わないが……急過ぎはしないだろうか。

「ぁ、いや、余りにも脈絡が無かったからさ。何で急にそんな事を」

「……友達なら、利害や戦略に関係なく連絡とりあったり話をしても許されるだろ? それに、僕らは生まれの事情が事情だからさ……君もいないんじゃない?友達」

「────ぁ」

 そう言われてみれば、いない。
 学校でも級友とは基本的に精神年齢が合わない、話題も合わない。
 そのせいか正直な話、俺の方から積極的に話しかけることは殆ど無い。
 まだ先生達との方が波長が合う。ただ、それですら色々隠した状態での会話となるが。
 家族にだって……割と素直に接してるけど……本当の意味で自分を晒したことなんて、一度もない。

 思えば俺は今日……この世界に生まれて以来初めて、本音をさらけ出して誰かとぶつかり合ったのだ。

 そんな俺に、胸を張って友達だなんて言える存在が居たわけがない。

「……ああ、俺も友達いないな……はは、気にもしてなかった」

 思わず笑ってしまった。
 自分しか未来を知らない。自分しか何かを変えることは出来ない。
 そう思い続けていた先に己の知らぬ世界に直面し、今度はIfならどうする、どう出るべきだ。
 そんな事ばかり考えて……友達作ろうなんて余裕が全くなかった。

「僕も友達なんて別に作らなくてもって思ってたんだけどさ……今日、君や月詠さん達と接触して……人恋しさ、っていうのかな。それに火がついちゃって」

「ああ……七年ぶりに本気で人とぶつかった気がする……けど、お前は俺よりマシなんじゃないか? 俺なんて大人と接触する機会すらあまりないからな……研究室に入るの許可されてるって言ってたけど、周りにいる大人達との関係はどうなんだ?」

「かなり強引に入室したんだけど、皆優しいもんだよ。大人だし、分野が同じだから会話もしやすい。初めは気味悪がられたけど、誠意を見せてパシリとアシストしてる間に順応したみたい」

「あぁ……やっぱり大人とは話しやすいよな。小一の語彙力じゃないから慣れてもらうまで変な目で見られたけど、慣れてくれれば普通に会話出来てさ。いざ会話が始まれば筋道立ってて、いきなり話が脱線したりもないし」

「僕らと同年代の子達は次々興味が移っていくからね。五秒後に話題が変わってるなんてザラで大変だよ。あれはあれで傍で観察してる分には楽しいもんだけど、着いて行くのはちょっと、ね……どうも精神年齢が合わなくてさ。サボりがちな小学校じゃ完全にボッチだよ」

「ハ、ハハ……俺は何とか合わせてるぞ。小学校に拘束されてる時間が長いんでな……妙に懐かれて、纏わり付いて来るんだよなぁ……休み時間にアウトドア派とインドア派に取り合いされたりさ……」

「あー、解る解る。君さ、妙に面倒見良かったりするだろ。そのせいじゃない?子供はそこらへん敏感だからね。この人は構ってくれるって解るんじゃないかな。さっきも僕が缶ジュースに苦戦してたら黙って助けてくれたし」

「それは……別にアンタの為にやった訳じゃないんだからね? 隣でアルミ引っ掻く音が延々と鳴り続けるのが嫌なだけで────」

「ツンデレ乙。いや……何もかもが懐かしく感じちゃうね。まさかそのテンプレをこの世界で耳にすることになるとは思わなかった」



 ────新鮮だった。
 俺達本当は大人なのに子供の身分って大変だよなー、なんてファンタジーかSFかといった突飛もない話題で盛り上がってる。
 あり得ない会話だ。ずっと、それこそ一生出来ないと思っていた……墓まで持っていくかもしれなかった秘密を織り交ぜた会話だ。
 それが今、成立してしまっているという奇跡。
 この繋がりは……無碍にしていいもんじゃないだろう。
 大切にしておくべきだ。

 その後も他愛ない会話が続き、気付くとお互いの缶ジュースは完全に空になっていた。

「……やっぱりいいな。"友達"と会話するってのは」

「へ?」

「キリト。俺の事はエイジって呼んでくれ。そっちのが壁感じ無くていいだろ」

「……そうだね。君の言うとおりだ。それじゃ改めて……宜しくエイジ」

「あぁ、宜しくなキリト」

 顔が熱い。
 普通に友達になろうって言えばいいのについ遠回しな言い方してしまった。
 何か変な感触だ。こそばゆいっていうか……。
 照れくさくて言えないよな、友達になってくれなんて。
 お互い、中身何歳なんだか……。
 もしこっちの世界で過ごした年月分も含めるのなら、互いにおっさんと呼ばれても反論出来ないような年になるのではないだろうか。
 今更、面と向かって告げる事が出来るような年齢じゃなさそうだけどな。

 ……あぁ。
 今日は紆余曲折あったが……総じて良い日だったと思う。
 振って湧いた巡り合い。
 眼の前に開かれた二つの道。
 そして、思いがけない友人の獲得。

 ────しかし、その初めて出来た友人に、これだけは伝えておかないといけないだろう。
 
「……一応言っておくが。友達になったからってお前の方に付くって訳じゃないからな?」

「えっ」

「おい」

「はは、冗談だよ解ってる。公私混同は良くないよね……でも、待ってるし、歓迎もする。それは本当だから」

「……まぁ、一年後には答えが出てるだろ。過度な期待はしないでくれ」

「ああ、期待しないで待ってる。出来ればこっちに付いて欲しいけどね」

 笑いながらそう言ったキリトを見て、俺は溜息を付く。
 ……それを、期待してるって言うんだよ……全く。

 全く────どうするべきか。

 キリトは俺に、自分に付いて欲しいと言った。
 勧誘になるのだが……月詠さん達がやったソレとはアプローチが正反対だ。
 彼女達はまず方針を提示し、目的と手段を晒してきた。
 その上で俺を誘ったのだ。未来の一定の保証……保険なんてものまで付けて。
 晒した情報を持ったまま敵対することすら考慮し、断っても構わないと念を押した上で、俺に自由な選択権を譲渡してきた。
 正直……彼らの真意は図りかねる。
 全てを晒したところで、俺には何も出来ないと踏んでいるのか。
 どれだけ悩もうが、最終的には彼らに下るだろうと思われているのか。
 はたまた────俺達に晒した情報は氷山の一角で、得体の知れない思惑が渦巻いているのか……。
 俺には、それが解らない。
 だがそれでも……彼らがいの一番に、部外者の俺にある程度の情報を晒してきたのは事実だ。
 その行動に、俺は一定の信用を覚えている。

 ────彼、霧山 霧斗からはそういった『業務的』なアプローチが未だ一切無いのだ。
 今し方言ったように、俺は公私を混同すべきでないと考えている。
 此の場で、キリトから聞き出すべきだろう。

 俺に『初めての友達』という特殊な枠を用意してまで、共に進もうと誘うほどの針路を。

「……催促して悪いんだが……良ければ、お前の方針を聞かせて貰えないか。誘ってくれたってことは固まってるんだよな?」

 俺の方から口火を切る。
 友達と言ってもこういう暗い話になってしまえば、どういう形であろうと彼の傘下に入る俺の方が、立場はほんの少し下だ。
 こちらから聞きに行くのがスジというものだろう。

「方針って、何の?」

「いや、何の?ってお前……」

 だが彼はどこ吹く風か……こちらの質問の意図が伝わっていないようだ。
 ……そこは話の流れで察してくれると助かるのだが。

 キリトはあの格納庫で斉御司達に────『好きにすればいい』、と。確かにそう言ったはずだ。
 しかしそれは方便で、額面通りのモノではないだろう……と俺は考えた。
 つまり弱気の姿勢を見せておき、影で何がしかの妨害に出るのだろう、と。
 妨害しない、等とは一言も口にしていないのだから。
 譲れないこの状況で、大人しく封殺されてやる訳がない。

 ────そう思って、いたのだが。



「あぁ……方針って斉御司の『真っ当な国防』に対して? 特にないかな」



 ……どうやら、俺の深読みしすぎだったようだ。

「ないって……お前……」

 つまりあの場で言った通り、好き放題させるという事か。
 それは事実上の敗北宣言にならないか?
 おいぃ、ちょっとぉ……選択肢次第じゃキリトに着いて行くことになる訳だが……。
 コイツ、本当に大丈夫か?

「な、なぁ、キリト。七年だ……七年でこれだけ変わった。それも、まだ折り返し地点のこの段階でだ。今後どれだけ状況が斉御司達へ有利に───」

「ならないよ」

 しかし、俺の提訴した不安要素を、キリトは一言で否定してきた。
 揺るぎ無い自信を持って放たれたその言葉に、逆に俺は不安を抱く。

「何を根拠に……月詠さん達には実績があるんだぞ。俺達の視線の先に聳え立ってる彩雲がそうだ。未来は俺達の行動で大小あれど変わる……変わってしまうって証明だろ」

 そして、それはオルタネイティヴ4を全面肯定するキリトにとって望まぬ展開へと傾いていくだろう。
 行動を起こさなければ彼等は更なる変化をこの世界に呼び寄せる……ジリ貧なのは明確だ。

「────それでも、だよ。彼等との別れ際に言ったと思うけど、BETAは二人を求めて這い寄るだけだ」

「そうは言うが……斉御司達の頭を抑えない場合、向こうの思惑通りに彩雲を起点とした戦力向上が実現してしまう。そうなればBETA侵攻に遅延が────」

「……まぁ多少の遅延が発生する可能性は否めない、というか、むしろ高い確率で起きると僕も思う。でも、それがどうかした?」

「ど────」

 どうかだって?
 何だ……その危機感どころか、余裕すら感じさせる言葉は。

「まさかとは思うけど……君はその程度の誤差が、BETA侵攻を横浜以西で停滞させる決定打に成り得ると思っているのかい?」

「誤、差……?」

 あれだけ異彩を放つイレギュラーな戦術機を、誤差と言い張るのか。
 それは、BETAにとって日本への侵攻が……今までのソレとは大きく意味合いが異なる事に起因すると考えられるからか。

 ────BETAは今まで、資源の回収が出来ればそれでよかった。その過程として領土を広げ、人類と戦闘に突入していただけ。だが日本侵攻は違う。人類の調査という新たに芽生えた目的の為に、より優れたサンプルを欲しての侵攻である可能性が極めて高い。そして、その大きな目的を持って侵攻するBETAの前には、多少軍備が増強された程度では誤差も同然……ってところか。
 そしてBETA侵攻の到達点となる最有力候補が、鑑 純夏。
 だから……彩雲を起点とした戦力の向上が実現されていようとも……侵攻に遅延こそ発生せど、BETAのお眼鏡に叶うサンプルの回収までは止まらない、か。

「軍備の増強"程度"でBETAが止まる、という斉御司達の思考は浅慮が過ぎる……彼等の手際や功績は認めざるをえないけど、第二世代機が一種類新たに戦線へと参加したぐらいでBETAが止まる、ってのは暴論だ。あり得ないね。その程度のテコ入れでBETAが止まってくれるなら、21世紀にあそこまでの絶望感が世界を覆ってる訳がない。多分に彼等にとって都合のいい"希望的観測"が入ってるのは間違いないよ」

 ……BETAを甘く見ている、って言いたい訳だ。
 第二世代機が一種類増えた程度じゃ止められない、と。
 正史にて中華統一戦線と日本帝国は、1994年からそれぞれ殲撃10型と不知火を戦線へと送り出してるはずだ。
 だが、止まらなかった……それが事実。ああいう結果になってしまっている。
 それを多少マシに出来たからといって……過程は変わるかもしれないが、結果は大きく揺るがない。
 確かにそういった事情を踏まえると、彼らがBETAを甘く見てるという節が在ることは否めない。
 いや……甘く見ているというよりは、ありとあらゆる可能性を踏まえた上でそうなって欲しい、という願望か。
 キリトの主張をまとめると『斉御司達の戦略は希望的観測、願望が先行しすぎており、放っておけば勝手に自壊する。国家叛逆のリスクを追ってまで介入する必要性はない』、ということになる。

 だが────。

「キリト……それは介入しないんじゃなくて、介入"出来ない"事に対する自己弁護とも取れるぞ」

 こいつの今言ったことは、裏を返せば……全て自分に返ってくるものだ。
 キリトは、介入出来ないことを斉御司達の戦略が端から破綻しているという希望的観測を持ちだして、介入しなくても問題ないと自分に言い聞かせているに過ぎない。

「────そうだね。君の言うとおりだ。偉そうに言ってみたけど、実際問題として介入が不可能なのは認める。やらないんじゃなくて、出来ないんだ。こればっかりは夕呼さんでも無理だと思う。メリットとデメリットを天秤に掛けてみて、どうしても後者が重すぎるんだ────国防の妨害なんて最早テロだよ。だからBETAがそれぞれの思惑に都合のいいように動いてくれるって事を信じ、天運に任せるしか無い……っていう絶妙な膠着状態に陥ってるんだ。僕も彼等も……お互いにね」

「……まぁ、結局はそこに落ち着く、と」

 どれだけ思案を巡らせたところで、賽は投げられた。
 しかも、出目が俺達の眼に映るのは七年後。

 『ラプラスの悪魔はもういない』

 その言葉を胸に刻み、自分なりの"最善"を信じて選び続けていくしかないようだ。
 しかし、キリトにとってはきっと良くない環境になるな……。

「……どっちにしろ、お前にとって辛い時間が延々と続くのは、間違いないみたいだけどな」

 我慢。只管の我慢を今後およそ七年間続けさせられる。
 キリトの立場、状況、思考、目的。
 全ての要素に置いて彼は常に受け身だ。

「だねぇ……彼等が精力的に軍備増強に取り組んでいく一連の流れを、僕はBETAが止まってしまうかもしれないという恐怖に常時苛まれながら見ていることしか出来ない……胃に悪そうな耐久レースだよ、全く」

 『真っ当な国防』……改めて思う。
 なんとも厄介な作戦だ、と。
 正当性は完全に向こうにある。妨害≒悪と世間には映ってしまうだろう。だから手を出せない。黙って見ている他ない。
 故に、斉御司達は能動的に、霧山は受動的に。これからの七年を過ごすことになる。これは覆らない事実だ。
 状況はBETA次第、運次第……つまるところ『イーブン』。

 されど……この能動、受動の立場の差は、モチベーションに多大な影響を与える。

「でも、収穫はあったよ。彼等は後先の事を考えられる……それだけが不幸中の幸いだった。武と純夏の移住の否定は、僕に何よりの希望を与えてくれた」

 ……それがあったから、何とか状況を『イーブン』に持ち込めた。
 あの時、斉御司達に二人の移住を敢行する意向を示されていたら、その時点でキリトは……オルタネイティヴ4は問答無用で失墜が確定していた。
 薄皮一枚で、首が繋がっているという状況だ。
 だが未だ主導権は向こうにある────。

「……今後、その確約を反故にされるって可能性は考慮しないのか」

「万が一にもないとは思うけど、反故にされないようプレッシャーは掛け続けるし、監視もする心算だよ……僕に、いやオルタネイティヴ4にとって生命線だから、こればかりは譲れない。彼等にとっても『保険』として機能しているから、そう易々と反故には出来無い筈だしね……」

 流石に此処は少し行動に出るみたいだな……。
 なら後はアレだけか。

「────XM3、っていうよりかは、例の超高性能CPUか。あれはどうするんだ? 今回は退いてくれたが……また、せっついてくるぞ」

 戦術機の劇的な能力向上を実現させうる……十年以上先を行く革新的電子機器。
 10年後の最新鋭戦術機に搭載されているCPUですらマトモに動かせないと言わしめたXM3を起動させた挙句、即応性の三割増しという副作用までも発現させた驚異的な性能を持つ奥の手。
 最悪ソフトが要している全機能のドライブが叶わずとも、このCPUを搭載するだけで現行機よりも反応性が跳ね上がる。
 斉御司達にとって、是が非でも手に入れたい代物。

「突っ撥ねる。あの場でも言ったけど、無いものを提供するなんて出来ないから。まぁ、万が一、よしんば雛形が出来上がっているとしてもあれこれ理由を付けて丁重に断らせてもらう。試作型ってのは何よりも軍人が嫌うものだからね……そこら辺を盾に何とか死守するさ」

 妥当な判断か。
 日本大侵攻は俺達の知る2001年より始まる"おとぎばなし"より三年近く遅れているというタイミングだ……戦時における三年間というのは想像以上に大きな技術格差を引き起こす。
 開発が間に合うのを前提とするのは早計だ。例え雛形が出来ていようとも、やはり未完成。
 現行機に搭載されているCPUよりも上の性能叩き出すという可能性もあるかもしれないが……十中八九、軍において重要視される"信頼性"の問題が出てくる……提供の授受は互いに慎重になるだろう。

 結局────武と純夏は柊町に留まり続け、XM3の拡散は非現実的。
 BETAが求めるものは動かず座し、BETAを食い止める矛は兵に行き渡らず。
 世界の明日は、ゆらゆらと揺れて未だ定まっていない。

 ……これだけ情報が出れば十分か。
 両陣営のブレインから方針を聞くことは出来た。

 ────状況は、可もなく不可もなく、だ。

 月詠さん達か、キリトか……どちらかを選ぶ決定打に成り得る情報は掴めず。
 改めて何もかもが"運次第"ということを思い知らされた。
 違いがあるとすれば……積極的に世界に干渉していくという状況で、モチベーションの維持が容易そうなのが斉御司側。
 逆に、痩せ我慢を続けなければならず、モチベーションの維持や胃薬の消費量に悩まされそうなのがキリト側。
 特筆しておくべき箇所は、そんな所だろうか。
 ……俺の心は、まだ固まらずに揺れたままだ。どちらにも傾いていない。
 まぁ、そもそも『目的』の前にまず探さないといけない事があるしな……。
 それを見つけない限り、胸を張って『目的』は選べない────。

「……悪かったな、根掘り葉掘り聞いて」

「気にしないで。質問はそんなところかな?」

「ああ、助かったよ。ありがとうな」

 さて……堅苦しい話はおしまいだ。
 後は全て自分だけで解決すべき問題。
 そろそろ父さんと母さんを探して合流しよう。

「……それじゃ、そろそろ戻るわ」
 
「あー、そういえば実家から随分遠いし流石に保護者同伴だよね。どうする? 一緒に探そうか?」

 ベンチから立ち上がって別れを告げると、キリトも俺に声を掛けながら立ち上がって革鞄を提げていた。
 どうやら俺のプロフィールを頭の隅から掘り起こし、思考を先回りさせて此の場にいない両親の安否を気遣ってくれているようだ。
 

「いや大丈夫だ。予め、迷子になった時の集合場所は両親と相談して決めてあるから」

「あはは、迷子って────いや……どう考えても僕のせいだよね。ごめん」

 笑おうとして、初対面の時に自分がしでかした事を思い出したの引きつった顔になるキリト。
 ……まぁ、どう考えても俺が拉致られた形になるからな。少し後からは任意同行だったが。

「だから気にすんなって。言っただろ? あの時お前が引っ張ってくれなかったら、今も俺は何も知らないで蚊帳の外に放り出されたままだったんだ。感謝してるよ」

「先走ってやったことに変わらないからね……素直に受け取れないんだよなぁ」

「結果オーライって被害者の俺が言ってるんだから、無罪放免でいいんだよ」

 会話を交わしながら、既に俺達は歩き始めていた。
 ……何故か、肩を並べながら。
 自分は向かう先に予め決めておいた両親との集合場所があるからだが────。

「で、何で付いて来るんだ?」

「いや、付いて行ってるわけじゃないよ。行き先が同じだけ。僕も見送りするつもりだったし」

 ……なんだ、見送りもするつもりで来てたのか。
 誘き出された原因については一応の解決を見せたし、キリトはこのまま帰るもんだと勝手に思っていた。

「そう言えば、エイジは何でわざわざ京都くんだりまで? 大陸派兵は他所の軍港からも出るけど……最寄りの佐世保でよかったんじゃ」

「……ダメだったんだよ。佐世保には"アレ"が配備されてなかったからな」

「"アレ"?……あぁ、なるほど。"アレ"見たさもあったからここまで来たんだ。他所にはまだ配備されてないからね……」

 俺は母艦に聳え立つ戦術機────TSF-TYPE88/F-16J 『彩雲』を指差すと、キリトは納得したように頷いた。
 もしも彩雲を一目この眼で確認することに拘らなければ、この日この場所に俺はいなかっただろう。
 キリトの言ったように佐世保軍港にでも出向いていたはずだ。

「しかしよく親の了承得て同行までさせたね。何て言って説き伏せたの?」

「まさか……元々、親の知人が舞鶴から出兵するって話で、それに便乗しただけだよ。去年の誕生日に今度まとまった休みとれたら旅行に行こうって話も出てて、諸々全部重なったんだ。で、大陸派兵の日に京都に着くのを見越して、数日掛けて道中色々と観光しながらここまで来たって訳」

「────へぇ。諸々の事情が重なって、ねぇ」

 大雑把に此処に至るまでの事情を掻い摘んで説明すると、急に真剣な表情になって何かを含むように俺の言葉を反芻をするキリト。

「しかし、旅行……か。このご時世にそれは、ちょっと嫉妬するレベルで羨ましいね」

「はは、だろうな……実際はそんな洒落たもんじゃなかったけど。BETAに蹂躙される前に一目、って思いが先行しちまってさ……」

 最後だ。恐らくこれが最後の観光になるだろう。
 西日本は完膚なきまでに蹂躙される。
 例え斉御司達に軍配が上がろうと……近畿までは保たないだろう。
 もしキリトに軍配が上がるならば被害は尚更だ。
 BETAに踏み荒らされた後、国を奪還し、オリジナルハイヴを攻略したとしても……復興に何年掛かるだろうか。
 いや、そもそも復興など可能なのか……。
 そんなことばかり考えながら道中、西日本各地の名所を回ってきた。
 目に、瞼に、いずれ消え去る"在りし日"の日本を焼き付けるように。
 
「そんな気持ちで観光したって、感傷的になるばかりで全然楽しくないだろうに。切り替えは大事だよ? それに必要以上に疲れるでしょ、そういうの」

「……ああ、そうかもな。意識はしてなかったけど、結構疲れが溜まってるみたいで……実は今、かなり怠い。とっとと帰ってゆっくりしたいもんだ」

「それには同感……今回の事は堪えたよ。まぁ僕の場合は家が都内だし帰るのはすぐなんだけど、帰っても休み無し。研究室に顔出せば、夕呼さんに扱き使われるのは目に見えてるからなぁ」

 そう言う彼の台詞とは裏腹に、その口調からは本気で嫌がっているという感じは受け取れない。
 ……どうやら香月博士とは順調にいい関係を築けているようだ。

「そっか、お前は香月博士の傍にいるんだよな……」

「?……うん。実は僕が今取り掛かってるヤバい一品物を見られてさぁ……完全に目付けられてるんだよねー……多分、解放されそうにないと思う」

 羨ましい、と素直に思う。キリトは、自分にはコレだというモノを持っているから。
 ダウナーな見た目からは想像出来ないが、相当頭がキレるし、純粋に頭もいい。何より……行動力もある。
 それぐらいでなければ、後押しがあったとは言え研究所に入り香月夕呼に目を付けられる訳がない。
 適切なポジションに付き、既に積み始めている研究者としての経験を生かし、香月博士のフォローに徹頭徹尾尽くすのだろう。
 そして正史で起きた、今後この世界でも起こり得る可能性のある未来情報。
 其れ等を随時、適切なタイミングで、香月博士に開示・指摘する。
 ……一部、伝えるタイミングを間違えれば大問題に発展する情報もあるのが七面倒臭い事だが……。
 キリトなら大丈夫だろう。最善を超えた更なる最善の為に、手札を切るタイミングを見誤らないはずだ。

「……俺は……」

 小声で呟き、視線を地面へと落とす。
 彼の能力を冷静に分析すればするほどに、自分はどうするべきかとまた悩むのだ。
 少なくともこれで、"香月夕呼を更なる高みへ導くアドバイザー"という『役割』は失くなった。

 俺の……『役割』。

 何か、何かないだろうか。
 政治でもない。知識でもない。其れ等と比較されても色褪せない"何か"が。
 他人からの評価はどうだっていいんだ。馬鹿だと蔑まれようと、無謀だと罵られようと、そんなのは構わない。

 ────ただ、自分で自分を納得させる事が出来るだけの"手段"が────。
 
「ん?」

「……どうした?」

 横目に見えていたキリトが、声を上げたと思ったら視界から突然に消失した。
 俺は思考を中断し足を止めて振り返ると、キリトが目を丸く見開き、少し離れた場所に何かを見ていた。

「何かあったのか」

「いや、アレ」

「アレって……」

 キリトが目を外さずにそう告げて、小さく指を刺す。
 そして俺は、彼の指し示した場所に視線を移すと────色鮮やかな"山吹色"が、俺の瞳に飛び込んできた。

「────何で此処に」

「記念すべき第一回目の派兵だ。思えば、斉御司や月詠さんも、わざわざ僕らに身分を証すためだけにあんなド派手な服を着る訳がないか。メインイベントである此方の為に召していた衣装だった理由ね」

 成る程。
 流石にあんな目に優しくない服を普段着として着てる訳ないか。 
 それにしても……。

「つくづく、今日は巡り逢うな……重要な人物と」

 武家が総出になっているのか知らないが、よく見ればチラホラと視界に点在する"特別な色"。
 これだけいる中から、ピンポイントで"彼女"を見つけることが出来るなんてな。

「同感。山吹色の武家って数だけ見ればそこそこ居る筈なんだけど……よりにもよって"お姫様"を見ることが出来るなんてね」

 俺達の視線の先で、山吹色の斯衛服を纏った少女が一人で歩みを進めている。
 少々危なっかしいな、と俺が思ってしまうのは無理も無いだろう。
 年は俺達と殆ど変わらないはずだ。幾ら名家の生まれだからと言って、あの年頃の少女をこんな人がごった煮返した場所で独り歩きさせるなんて……。
 顔を緩やかに周りへと回しているのは、保護者を探しているのだろうか?
 親は鬼籍に……いや、この時期だとまだ入っていない、か。
 俺の知り得ない突発的な事故や病気にでも襲われない限りは……98年の大侵攻までは存命のはずだ。
 "あの人"が後見人になってしまうかどうかは────まだ解らない。

 そこまで考えた時、少し離れた場所で話をしていた軍服を着た男性グループの内の一人が、少女に駆け寄っていく。

「ぁ─────」

 俺は、確かにその男性の姿を……見たことがあった。
 見間違える、はずがない。

「……あれ、この時期ってもう斯衛じゃなくて陸軍だったっけ……陸軍の服だよねあれ」

 キリトもあの人が誰か理解できたようだ。
 当たり前か。これだけ状況が揃っていて解らない理由がない。
 あの人は瑞鶴を開発した────。

「伝説の衛士」

 口にして、胸が熱くなった。
 あの日、ブラウン管越しに見ていたんだ。
 どう贔屓目に見ても勝てる見込みなんてなかった、一対の鉄の巨人が織り成す闘争を。
 だが、結果は逆転する。第一世代の瑞鶴が、最強の第二世代機『F-15』を打ち破ってみせたのだ。
 結果を知っていても、無理だと思った。駄目だと思った。
 それでも……その衛士は、俺の目の前で"最善"を掴んで見せたのだ。

 俺は、それを見て────。

「……あぁ、そうだった」



 ────憧れたんだ。



「キリト。マーカー持ってないか」

「……あったと思うけど、一体何に使うのさ」

「決まってるだろ、サインしてもらうんだよ」

「サイン……?まぁいいや。えーっと、ちょっと待ってねここらへんに……じゃーん。見てこれ、高性能油性染料インクを使ったボードよし紙よし布よしの────」

「パーフェクトだ。ちょっと借りるぞ」

 言って、キリトが薀蓄を語りながら革鞄から取り出したマーカーを、半ば引っ手繰るように手にする。
 そのまま俺はマーカーを掴んだ方の腕をキリトの肩に回して密着し、耳元に口を寄せて小声で囁いた。

「……なぁ、キリト。お前さ……Need-To-Knowについてどう思う」

「な、何だよ藪から棒に……どう思うって言われても、機密漏洩の為には致し方ないことだって認識だけど……」

 周りに人が増え、流石に話題が若干物騒なものということもあり、俺に習って小声でそう言い返すキリト。
 ……ああ、そうだな。機密漏洩の問題が出てくる。
 そして、取り分け階級が低くなると「知る権利」がないと判断され、重要な情報を秘匿されることも珍しくない。
 あの"A-01"でさえ、一部の情報を秘匿されていた。
 だが────。

「そうだな、致し方ないで済むし、それが妥当だと俺も思う……政治や平常時の段階ならな」

「……それは、どういう────」

「お前は将来、A-01に命令下す状況に立ち会う事になると思う。そんな時、Need-To-Knowなんてモノに拘れるか?実働部隊の戦闘中において、"お前の望む最善の未来"へと至る為に必要な判断材料を……意図的に伝えないなんて非効率的な事出来るのか?」

「そ、れは……だけど、やっぱり仕方ないじゃないか。ほぼ命令系統の最上位に位置するからには伝えられる事にだって限度が出てくる。それに最終的な判断は副司令である夕呼さんが────」



「じゃあ……初めから全部知ってるヤツが実働部隊にいればどうだ」



「─────なッ!」

 俺はキリトの台詞の途中に割り込み、"本命"の話を繰り出す。
 ……そうだ。より効率よく実働部隊に臨機応変を求めるならば、初めから誰かが全部知っていればいい。
 ソイツが凄腕で、現場での指揮権なんて持っていれば御の字だ。

「初めから教える必要がないぐらい重要な事を全部知っていて、尚且つ"戦う事が出来る"……そんな優秀な人材に育つことが出来れば────お前にとって……斉御司や月詠さん達にとって、価値があるか? ソイツは、お前らの役に立てるか?」

「ま……、待ってくれ、君は……ッ」

「待てないね。漸く見つけたんだ……お前らがそうしたように、俺も勝手にさせてもらう」

 肩に組んでいた腕を解いて軽くキリトの体を押し出し、その反動で走り出した。
 手に握られている黒のマーカーは、どうやら布に書いても大丈夫らしい。願ったり叶ったりだ。
 まだ少し肌寒い春先なのが幸いした。上に羽織っている白いジャケットにならば、サインがさぞかし映えることだろう。




「ちょ……!おい、待て!エイジ─────ッ!!」




 背後から聞こえる、大音量の声。
 だが待てと言われて待つ馬鹿は、もういない。

 ヒントなんて幾つもあった。何かを成すならば最早これしかないことも解っていた。
 なのに保身ばかりに気を取られ、気づかない振りをしていた。

 ……それも、もう終いだ。
 悪いけど待てないんだよ。

 俺はもう、憧れの"衛士"に向かって走りだしてるんだから。

































「叔父様、どこにいっていたのですか!」

「はは、そう怒るな唯依ちゃん。少しの間だったじゃないか」

 山吹色の斯衛服を纏った少女が、帝国陸軍の軍服を纏った男の腰に縋り、頬を膨らまして怒りを発露させていた。
 その怒りは尤もだった。唯依と呼ばれた少女は未だ幼く、余り足を踏み入れぬ港の地理にも詳しくない。
 そんな折に保護者となるモノに離れられれば、不安になるのも仕方ない。
 軍服の男────巌谷は流石に自分に問題があったな、と考え素直に少女に頭を下げた。

「此の通りだ、許してくれよ」

「むぅ……いなくなる時は、ひとこと声をかけてくださいね?」

「……ああ。次は、そうするよ」

 巌谷はしゃがみ込んで唯依と視線を合わせ、少女特有の極め細やかな頭髪を撫でながら、今し方エールを送った軍人達の事を考える。
 大陸派兵、その先陣を受け持つ者。
 地獄の戦場へと、帝国軍の誰よりも早く赴く獅子達。
 そして、今はまだこの国でやることがあるが……いずれは自分もその場へと向かう。
 その為に、帝国陸軍へと鞍替えをしたのだ、と。
 巌谷は自らが今身に纏っている軍服の意味を、再び噛み締める。
 ……だがこの瞬間、もう一つ考える事が出来たな、と巌谷は苦笑した。

 (────いなくなる時は、ひとこと声をかけろ、か)

 大陸へ向かう時、目の前にいる姪っ子はどういう顔で見送ってくれるのか。
 巌谷はまだ見ぬ未来へと、想いを馳せる。

 その時だった。




「…………ッ!……、待て!エイジ────ッ!!」





 辺りに響き渡る絶叫。
 経験豊富な軍人たる巌谷も思わず立ち上がり、声が響いてきた方へ顔を向ける。
 振り向く動作は何の警戒もなく、至極スムーズな流れで行われた。
 それと同時に、彼の頭の中には疑問が溢れていた。

 ……巌谷の反応も、頭に浮かんだ疑問も、当然だった。



 誰しも、『自分の名前』が大きな声で呼ばれたならば────そちらへ振り向いてしまうモノだ。



 ましてやそれが、甲高い子供の声とあっては、何故自分の名前が?と疑問に思うのも自然なことだった。

 振り向いた巌谷の目に飛び込んできたのは、此方へと力強く駆け寄ってくる少年と、それを追う少年の二人。

 そして────この後は、多くを語る必要は無いだろう。
















 ────巌谷たい……ぁ、今は少佐なんですね!昇進おめでとうございます!ずっと憧れていました!サインを下さい、このジャケットに!

 ────おい、エイジ!ちょ、やめて!お願いだから!フラグが、変なフラグが立つから!唯依姫……じゃない、ほら、そこの譜代武家の子もすんごい困ってるから!ついでに僕も困ってるから!

 ────あの、叔父様。いまわたし、そこのお方になまえを……それに"ヒメ"って?

 ────キリト、ちょっと黙っててくれ!あの、俺、不破 エイジっていうんです!巌谷少佐と同じ名前の読みで、漢字は……こう書きます!!

 ────ハ、はは、わははははは!そうかそうか、俺と同じ名前で……漢字は衛士と書くのか!それで君は────





 ────はい、俺────衛士になりたいんです!!






 ────フラグがあああああああああああああああああ!!!






 ────叔父様……このひとたちダレですか?

























 これが────不破 衛士の転機となる、巌谷 榮二との出会いである。

 誓いを此処に。

 七年の停滞を終え、エイジは『衛士』となる為に────胎動を始めた。












─第一部・完─



[12496] 第二部 第零話 ─海の向こう─
Name: Caliz◆9df7376e ID:8c7d5586
Date: 2012/07/09 10:14
 もう初夏と呼んでいい季節だった。
 窓が開け放たれた俺の部屋の壁には、ハンガーに掛けられて後ろ向きに吊るされた白いジャケットが、6月の少し湿り始めた風に揺られていた。
 ゆらゆらと揺れるソレには、『不破 エイジ君へ』と俺の名前が書き足され、その後には『いい名前だ。きっと衛士になれる』というエールと、その真下には伝説の衛士の名が刻まれている。

 あの港での一件から、二ヶ月。
 友達が増えて、目標が出来て、自分が何をやりたいのかも決まった。
 おかげで誕生日に買い与えられた模型、全ての戦術機の原型である「YSF4H-1」を封印から解くことも出来た。
 家族旅行から帰ってきて速攻で組み上げ、両親にドヤ顔で見せてやったのだ。
 ……本当は焦がれに焦がれているくせに、臆病風に吹かされて衛士になんてなりたくないと自分自身に嘘をついていた過去と決別するために。
 完成した模型は今、巌谷さんのサイン入りジャケットのすぐ近くにある棚で展示されている。

 ────色んな事が、自分の中で変わっていった。だけど、日常には変わりなかった。

 しかし、その変わらぬ日常は……既に大陸へと向かい戦線へと参加している帝国軍を始め、様々な国の人々が文字通り血を流して維持しているものだと……改めて実感させられた。
 そんな貴重な時間を無為に費やす事だけは許せず、自分に出来そうな事を探して所狭しと駆け回り────。



「トンでもない場所に行き着きやがった……」



 今、俺は一つの可能性を新たに発覚させ、手繰り寄せていた。
 しかも参ったことに、俺という個人では対処しようもない大事件を、だ。
 俺は英語が羅列された新聞や書物が散乱した自室で、電話の子機のボタンをゆっくり押していく。
 情報とは、有効に活用できる人間に渡って初めてその意味を成す。
 だから、伝えなければいけなかった。



────「何か困ったことや連絡の必要性がある案件でも発生したら、自宅か帝大の研究室に電話してよ……はい、これ番号ね」



 港での別れ際に交わした、霧山 霧斗との会話を思い出す。
 薄暗い格納庫の中で月詠さんから連絡先渡された時と同じように、手渡された紙。
 俺はそれをサイン入りジャケットの胸ポケットに仕舞いながら……。



────「おいおい……自宅はまだしも、研究室にそんな気軽に電話していい訳がないだろ」



 確か、そんな感じの言葉を返した。
 系列として上にあるか下にあるかは異なってくるが、普通は研究と別に事務を行う部署があるはずで、そこから取り次いで貰って……という流れになる。
 だから、私用で電話を掛けるなんてただの迷惑行為だ。
 しかしキリトは俺のそんな常識を打ち破る一言を突きつけてきた。



────「うちは色々と理由アリだろ?しかも妙にフットワーク軽い人も多いからさ、事務の方に渡しつけなくても繋がるプライベート用が研究室の方に置いてあるんだよ。勿論、受付嬢なんていないからその時その時で一番近いヤツが取れよってルールもあったり」



 マジか、と。
 俺はあの時、素直に落胆したものだ。
 時期的にも状況的にも当たり前だが、携帯電話なんて普及していないこの不便なご時勢、いざって時に特定の個人に必ず繋がる電話口があるのは確かに便利なのだが。
 ……大丈夫なのか、そんな緩くて。大事な研究が漏れたりしないのか、と。そう思っていた。
 だが、今となってはその緩い受付体制に感謝してる。



────なるべく早く、キリトの耳に入れたい事柄が出来てしまったから。



 握った子機からコール音が聞こえてくる。
 この時間、キリトは自宅におらず研究室に顔を出しているはずだった。
 だから勿論、俺が今電話をかけている先は……。

 あ、出た。

『……はぁい、こちら帝国大学量子物理学研究室……ったく、タイミング悪いわね……何であたしが……』

 偶然、近くを通ったときにコールが鳴り響いたのか。
 電話に出てくれた女性の声は不機嫌そうだった。
 ああ、申し訳ないことをした。だが後半のは流石に言っちゃいかんだろう。
 聞こえたぞ、おい。そういうのはもっと受話器から口を話して言え。

「……お忙しそうなところ誠に申し訳ございません。不破 衛士と申します。そちらに霧山 霧斗君はいらっしゃいます……か……」

 不満を噛み殺して言ってから、やっちまった恥ずかしい……と思った。
 何だこの、何だ……友達の家に電話したら親御さんが出てくれて、友達を呼んでもらうような会話。
 極秘の研究やってる場所にかかってきた電話の内容じゃないぞ。

『────あぁ……ちょっと待ちなさい』

 ……?何だ、この落ち着いた反応。
 声からガキだって判別がつくだろうに、場違いな子供から掛かってきた電話の応対にしては随分スムーズだ。
 事前に俺について話でも通されてたのか……?

『キリ坊ー!あんたにラブコールよー?愛しのサーフェイスパイロット様からー!』

 ヴフォ!と、思わず吹いてしまった。
 気持ち悪い事言わないで欲しい。
 ていうか、サーフェイスパイロット様って……名前で弄られたのは初めてじゃないが、まさか初対面?の相手に弄られるなんて思わなかった。
 しかし俺の名前が漏れてる上に、キリトの事をキリ坊呼ばわりか……結構、親密な間柄の人なんだろうか。
 そこまで考えたとき、『テンション下がる言い回ししないでくださいよ!』と、受話器越しに聞こえてくるキリトの声。
 近くにいたらしい。ついでに俺と同じく気分を害してテンションが下がったようだ。
 そりゃ男にラブコールって、する方もされる方も気持ち悪いわな。

『……やぁ、僕だよ。はー……夕呼さんに電話取られるなんて本当についてないね、お互い』

「今の香月博士かよっ!?」

 とんだサプライズだ。
 さっきの反応はそういうことか。
 舞鶴港で結構仲がいいって言っていたし、それで俺の事も伝わってた訳か……納得した。
 しかし、どこまで話ているのか……少し気になるが、今はいいか。

『で、どうしたの?……衛士の道は、諦めてくれた?』

 ……あぁ、またか。
 俺は手に持ったスクラップブックをパラパラと遊ばせながら溜息をついた。
 港の一件から二ヶ月。キリトとは何だかんだで意気投合し、結構な頻度で電話する機会があったが、其の都度、衛士への道を諦めてくれないかと申告された。
 別に厭味じゃないのは理解できている。純粋に心配してくれた末の発言だという事も。
 自分としても別に徴兵されている訳でもないのに、実際は違うんだが世間からすればまだまだガキの分際で出しゃばっているという自覚もある。
 だが────。

「悪い。もう何度目か解らないが、諦める気はない。才能……適正が全くないって通告されない限りはな」

『……そっか。って、本当に何度目だろこの会話。何か挨拶みたいになってるよね』

 共に苦笑する。
 
『それにしても、こっちに電話してくるのは初めてだよね?……急用、かな』

 いよいよ、か。

「────ああ。人払いか、誰もいない場所にまで移動できないか」

 少し厄介な単語が飛び出すことになるからな。

『……解った。少し待って』

 受話器の向こうで何か話す声と、ガチャガチャと何かを弄る音、そして足音が聞こえ始めた。
 人が去る音なのか、キリトが歩く音なのか。
 そして一分後。

『待たせた。もう大丈夫だ。聞かせてくれないか』

 その言葉を聴いて、息を吸って心を落ち着かせる。

「……まだ一応の当たりは付けたって段階なんだけどさ。俺達以外にも"いる"ぞ」

『……"いる"?』

 この二ヶ月、俺は日々を過ごしながら、改めて出来た"衛士になる"という目標の為に必要な知識と肉体を得るために、緩やかに動き出していた。

 ────それと並行して、俺はある情報を探っていた。

 勿論俺はド素人で、プロからすればちょっとした調べモノ程度のお遊びだ。
 だが……例え児戯に等しい方法でも、プロでは辿り着けず、俺じゃないと辿り着けない……そんな『答え』というヤツも存在する。
 情報を得る為には、前提となる情報が必要だ。
 言葉にしてみるとおかしく聞こえるかもしれない。

 だけど────。

 歴史が変わったかどうか?────なんて、紡がれる"はず"だった歴史を、"情報"として予め知っていないと調べることすら出来ないんだ。




『俺達以外にって、もしかしなくても……』




「ああ……"アメリカ合衆国"に、俺達が揃いも揃って見落としていた歴史改変の痕跡を探り当てた────海外に、転生者のいる可能性が跳ね上がったぞ」















                                         Muv-Luv Initiative

                                            第二部

                                       ──第零話 / 海の向こう──



















 1991.June.oneday

 アメリカ合衆国・アラスカ州
 国連太平洋方面第3軍・第3計画本拠地タルキートナ



「…………寒ぃ…………」

 簡易なベッドとトイレ、そして剥き出しの壁と鉄格子だけで構成された営倉に恨めしそうな声が響いた。
 言葉を紡いだのは、長い銀の髪に蒼い瞳という一際目立つ容姿の少女。
 そんな少女と無機質な部屋が生み出す凄まじいまでのコントラストを更に引き立てるのが、少女を包む手術と一枚の毛布だ。
 白い吐息を宙へと送り出しながら、必死に体温を逃さぬよう自らの身体を毛布ごと掻き抱く。
 だがその懸命な防寒も、寒冷地に存在する場所では効果が薄い。
 この日は不運な事に、タルキートナ基地で観測された気温は零度以下……この時期の平均最低気温を大きく下回っていた。

「このクソ寒い地域に、このデザインの営倉はねぇよ。鉄格子って何だよ……通気性良すぎだろ、反省する前に凍え死んじまうよ畜生……」

 少女は汚い言葉を連ねて吐き捨てながら、冷たい壁に握り拳を叩きつけた。
 タァン……と虚しく打撃音が響き渡る。
 瞬間、まるでソレに呼応するかのように離れた場所から響いてくる扉の開閉音と足音を、少女の鼓膜が捉える。
 それは徐々に少女へと接近し……目の前の鉄格子を挟んで止まった。

「────また貴様か。アドナー・シェスチナ」

 鉄格子を挟んで少女と対峙したのは、如何にも研究者といった立ち姿の男。
 彼は白衣を翻しながら、少女の事を"製造番号"で呼称した。
 その高圧的な態度に物怖じせず、アドナー・シェスチナと呼ばれた少女が目尻を吊り上げ、白衣の男を見上げるように睨んで威嚇する。

「……とっとと此処から出しやがれ。オレは営倉にぶち込まれるようなオイタはしてねぇぞ」

「この状況で動揺の一つも見せずに嘘を吐くとは、素直に感嘆する。しかし残念なことに、私は貴様が兵士に暴行を働いたと聞き及んでいるが……貴様の中でこの行動は"処罰の対象にならない善行"ということになっているのか?」

 白衣の男はそう言いながら、懐疑的な視線をアドナーに向けた。
 兵士────衛士である男性を、目の前の少女が"一方的に制圧した"と。
 彼はそう軍警察から報告されたのだ。
 シラは切り通せないと観念したアドナーは、大きく舌打ちをして男に弁解を始めた。

「……チッ。確かにやり過ぎたよ。反省もしてる。でもな、そもそも先にこっちを侮辱してきたのは向こうだ。『バーバヤガー』だ? フザけんな……オレ達は魔女でも化物でもねぇ」

 バーバヤガー。
 スラヴ民話に登場する、人間に対して害を及ぼす骨と皮で構成された人を襲う妖婆。
 自分達に無理矢理に発現させられた"能力"は、人類存続の為に与えられたはずだった。
 なのに、その力が原因で人を襲う魔女の悪名を押し付けられる。
 これが侮辱でなくて何なのだと。

「先に侮辱、か。だが先方の彼は自分は何も言っていない、貴様が先に手を出した……との一点張りだが?」

「アイツはオレをこれ見よがしに睨んで、鮮明に思考してみせたんだぞ?薄気味悪いバーバヤガーめ、ってな。あの衛士、計画直属のA-01の奴だ……"オレ達"についても説明を受けて理解できてる筈だよな? だったら、わざわざオレの目の前で……ましてやコチラを睨みつけながら、強く侮蔑の感情を抱き、悪意の篭った言葉を内に募らせる。それは、何かを言ったって事と同義なんだよ……解らないとは言わせないぞ」



 ────『人工ESP発現体』を、そういう風に創造したのはアンタ等なんだから、と。



 吐き捨てるようにアドナー・シェスチナが言った。



「……そうか、既にそこまで使いこなしているのか。"読んだ"のだな……"侮蔑の感情の色"ごと、明確な"言葉"として……素晴らしい早熟性だ。その繊細なリーディング精度────現段階においては、最高傑作と謳われる第六世代の三百番目に勝るとも劣らん」



 その恨み言を聞いて、おぞましい笑みを浮かべる白衣の男。
 そんな彼をアドナーは再びリーディングを試みる。
 いや……その表現には語弊があったか。試みる、などと前段階を踏む必要すらない。
 人が自然に心臓を鼓動させるように。人が当然に肺で呼吸をするように。
 アドナー・シェスチナは、深く鋭く鮮明に、そして────当たり前のように"人の心"を読めるのだ。





 【────これが一つの到達点……望外の研究成果だ。この『個体』をハイヴへと送り込めば、BETAの思考など手に取るように解るだろう。そうすれば戦略的に人類は優位に立ち、我々の未来が切り拓かれる。我が祖国は救われる────】





 読み取ってしまったのは……それこそ言葉では言い表せられない程、筆舌に尽くし難い酷すぎる色だった。
 次の瞬間、嘔吐感がアドナーに到来した。
 ESP行使の副作用等では断じて無い。
 次世代ESP発現体の先駆けとして誕生したその体躯は研究者達の想定に反し、至って正常に稼働していた。
 たった一度のリーディングで体調を崩し、能力使用に弊害を及ぼすような軟な造りにはなっていない。
 ただ、自分が人扱いされていないということに対する生理的な嫌悪感、不快感……そういった内から生じた弱さに心が耐えらず、人体にまで影響が出てしまうのを避けられなかっただけだ。

「……ッ」

 それを思考や感情を無理矢理に抑えつけて遣り過ごす。
 今まで幾度もやってきたことだった。心を際限なく凍えさせていく。
 ……中途半端な"前"の人生経験が仇になるのだ。
 もし、知識も経験も自尊心もなく、真っ白な状態であるならばこんな苦しみを味わうことはなかっただろう。
 そう考えたアドナーはこの世界に生まれ落ち、八年の歳月が流れた今……それを実行に移せるようになっていた。

 (────もういい。好きに言わせておけ。人の尊厳を保つことを許される環境じゃないんだ、ここは……。今は耐えろ────)

 心の中でそう誓いながら、己がどういう存在に"再び"生れ落ちたのかを改めて認識し、その上で甘んじて受け入れる。

「そういえば失念していたが、一つ不可解なことがある。貴様はその未成熟な肢体で、どうやって兵を無傷で打倒した?」

 投げかけられた質問に、アドナーが当時の状況を思い返しながら渋々と口を開き始める。

「……バーバヤガー発言を取り消せってオレから突っかかって、ズボンを掴んだ。それが癪に障ったのかね……振り払われて、横薙ぎに蹴ってくるのを"読んだ"。どうやら、貴重な計画の産物を蹴り殺す度胸はなかったみたいでな……おかげで何とか反応できたよ。結構あっさりダッキングで横薙ぎの蹴りを躱して相手の懐に潜り込めた。その後、上体を起こす流れで掌底を"男の急所"に突き上げて、思い切り握り込んでやった。悶絶して体を前に折り畳んだところに頭突きを合わて下顎を強打。脳が揺れたみたいでそのままぶっ倒れたよ。トドメに横たわった頭に体重乗せた踵を落として、意識が完全に途切れたのをリーディングで確認したところで、周りの連中に取り押さえられた。そこからは別に暴れたりもせずに、通報されてすっ飛んで来た軍警察の連中に拘束されて────今は獄中だ」

 冷静沈着に劣勢を覆す戦術眼と、状況を打破する能力。
 相手の油断があったとは言え所詮は小さなヒビでしかないソレを突破口とし、リーディングを駆使し、人体の急所を容赦無く強襲し、格上の存在を制圧したという事実。
 研究者はその現実を噛み締めながら、目の前の人工ESP発現体が幼いながらもハイヴ突入に耐え得る存在だと、再度確信した。

「なるほど、元気そうで何よりだ。────その力、実機演習でも遺憾なく発揮されているらしいじゃないか。どうかね?"ロークサヴァー"の乗り心地は」

「……厭味かよ。報告は行ってるはずだろうが……」

 眉を顰めながら、アドナーは誕生日にF-14 AN3"ロークサヴァー"を譲渡されてからの事を思い返す。
 あの日から半年間、既に相当な頻度で実機演習を繰り返し、搭乗時間は最早100時間を超えていた。
 操縦をする訳ではなく、BETAを相手に実戦をする訳でもない。
 だが、実戦機動を前提とした人体の耐久実験同然に近い過負荷テストを始め、ESP能力を補佐する各種センサーの個人調整・改良という名の拷問じみたESP能力の上限突破・限界模索……等など。
 人権を無視した扱いを探せば枚挙に暇がない。『モルモット』……アドナーの脳裏にそんな単語がよぎるのも無理はなかった。
 しかしアドナーの肉体は幼いながらも極度の酷使に耐え続け、年上でありながらも基本的に脆弱である他の人工ESP発現体より訓練時間を長く取られる……ということは常と化していた。
 ……"体"は大丈夫だった。
 しかし。

「ハッ……最悪に決まってんだろ。JIVES使った演習中、後ろの操縦席に座ってオレの頭を睨み付けてる衛士様が何考えてるか教えてやろうか? "管制ユニットに化け物が入り込んでやがる"、だ。BETAと同列の扱いだよ……無駄な事考えてる暇があったら少しでもヴォールクデータの生存率上げる努力しろっつーの……」

 "心"は音を上げていた。
 ESPを行使すればするほど、見たくないモノを見てしまう。
 だが、使わない訳にはいかなかった。
 悪態を付きつつも、実験に従うのは……度を越した命令不服従で処分されるのが恐ろしいからに他ならない。
 故に自らに宿らされた力を命令通りに行使し────そして、その度に心が荒んでいった。

「……精鋭達に向かって、随分と辛辣なお言葉じゃないか」

「────オレは"乗せられる"側なんだよ。自ら戦術機を動かす権利はなく、生きるか死ぬかを操縦席の衛士に全て委ねなきゃならない。だのに……その全幅の信頼を置くべき相手からは、オレ達人工ESP発現体は網膜に投影されたBETAと同じように映ってるんだとさ?……ははっ、救いようがねぇよな……」

 言葉は最後の方になるにつれ小声となっていった。……それは、主張というよりも泣き言に近かった。

「だが、やってもらわねばな。いい事を教えてやろう。ハイヴ突入はそう遠い未来の話ではない。場所は────」

「去年インド領に建設された、ボパールハイヴが最有力候補。宇宙戦力投入予定。軌道爆撃、軌道降下部隊の実戦初お披露目……だろ」

 アドナーは男の発言を遮って、頭の中に既に入っていた情報を口に出した。

「……それもリーディングで知ったか」

 その言葉を聴いて、思わずアドナーは笑いながら。

「あぁ────まぁ、そんなところだ」

 "生まれる前から知ってたよ"という言葉は飲み込んだ。

「フン。それだけ知っているのならば、さぞかし準備は万端なのだろうな」

「お前らが散々準備を強制してきてるんだろうが。……ま、その準備も無駄に終わるけどな。何度目か忘れるほど言ったが、もう一回言ってやるよ……BETAにリーディングなんてしても無駄だぞ。例えどれだけ強く発現しているESPでもBETAには通じない。思考はあるが疎通はない。ヤツらはオレ達の事を生命体と認識していないからな」

「またその話か……。それを確認する為のオルタネイティヴ第三計画。その為に創られたのが人工ESP発現体だ……貴様の妄想で結果を詐称し、騙るのはやめろ」

 研究者は、既にこれが何度目かも数えられぬほど幾度も聞かされたアドナーの語る事を、妄想だと真っ向から否定した。
 その圧倒的なポテンシャルの開花と共に偶発的事故として芽生えてしまった極めて人間らしい感情───"生存本能"が、戦場から逃れたいが為にアドナー・シェスチナという"個体"に妄想を見せるのだと。
 アドナーが七年もの間主張し続けてきたその言葉は、研究者達の間でそういう現象だと結論が既に出されてしまっていた。
 邪魔な感情を"削除"しようという話も研究者達の間で持ち上がったが、極めて高いレベルで纏まったESP発現体としての価値にまで傷が付く可能性が多大にあった。
 また妄言を吐き、今回のような事件を起こす等の素行にこそ問題があったが、その一方で自分の特異な立場や存在を正しく理解しており、ESPの研究自体には常に積極的だった。
 故に、アドナー・シェスチナの奇行は許容範囲であり、現状維持のまま研究を続行する事に有益ではあっても有害足り得ない……と、オルタネイティヴ3の研究者達は結論付けた。

「……騙ってなんかない。アンタらが求める情報は、現状の"第三計画"じゃ届かない領域にある。時代も技術も追いついてねぇんだよ」

 だが、そういう評価付けをされていると理解しながらも、アドナーは声を上げ続けた。
 比較的プロジェクションに対する受容体(レセプター)としての能力に秀でていた他の研究者に対し、自意識の投影すら敢行した。
 そして、アドナーは自ら"あいとゆうきのおとぎばなし"を出来うる限り鮮明に再現した歴史の流れを、イメージごと伝えようとしたのだ。
 気づいて欲しい、妄想じゃない、これは本当の事で、これから起こり得る可能性で、それを打開する"最善"のために必要な情報なのだと。

 それでも────。

「命乞いにしか聞こえんな。そもそも、貴様が何をほざこうと計画は前へと突き進む。大きすぎる計画というのはな、中々に腰が重いものだが……一度動き出してしまえば最早、生半可な事では止まらんのだよ」

 届かない。
 人から人へさえ、思考は、意思は伝わらない。
 なのに、BETAという異星起源種とヒトが通じあえると思っている。

「……あぁ、そうかよ。つまりオレは……」

 こうして漸く、アドナーは悟った。
 結果は必然。解りきっていた事だった。研究者達(コイツら)がそれを証明してくれたのだと。
 時には隣人すら生命体として認識しないニンゲンが、遥か彼方からやってきた『土木作業機械』と対話が可能な理由がなかったのだ。

「決められた敗北と成果を何一つ変えられず……無意味にハイヴへ飛び込むんだな」

 アドナーはそう"日本語"で呟くと同時に、どうやら今日の所はもう営倉から出して貰えそうにない事をリーディングで読み取る。
 そして疲弊しきった心と体を休める為に、瞳を閉じて眠りに堕ちる寸前で……せめて夢を見られますようにと願った。
 ハイヴ突入という絶望的な苦難を超えたその先へと夢を馳せる。
 全ての因果が集う場所、約束の大地を踏み締める────そんな夢を。





























1991.June.oneday

  


『────よりにもよって、USAか。……根拠はあるのか、エイジ』

 すぐさま俺の言葉を理解し話題に飛びつきながらも、何をもってそう提言するのか、と聞いてくる辺り慎重なキリトらしい。

「HI-MAERF計画は知ってるよな?」

 正史にて、桜花作戦を成功に導いた切り札の一枚として活躍したXG-70d。
 それを生み出した計画の名前だ。

『馬鹿にしないでくれよ。勿論知ってる────って、待て。君はまさかそれが根拠だとでも言い張るのか』

「そうだよ」

『何を言い出すかと思ったら全くもう……あの計画は結局、予定調和を覆せず既に中止が決定したじゃないか。時期にだって狂いはなかったはずだ』

 一応、キリトも調べてたか。
 HI-MAERF計画はサンタフェ計画に競り負けた形になった。
 荒唐無稽な航空機動要塞は、より現実的な新型爆弾に淘汰されたのだ。
 流れ次第では、後に巻き返すのだが……それは、今はいいか。

 ────何はともあれ、計画"だけ"を俯瞰して見れば、正史通りに事は進んだ。

「ああ、お前の言った通りだ。結果は変わらなかった────"結果"は、な」 

『結果は、って……まさか過程で何か……いや、だけど……そんな変化は……』

 含みを持たせた言い方をすると、すぐさま過程を頭の隅から掘り返してる。
 相変わらず頭の回転は早いみたいだ。

『エイジ、HI-MAERF計画はガチガチって言うには程遠い機密レベルだ。オルタネイティヴ系列から外れて、普通に広報されていた計画だから……情報の露出はかなりされていた。米国から取り寄せたジャーナル、タイムズ、トゥデイにも当たり前のように進捗が載ったりするんだ。大きなズレはなかったし、違和感を覚えることはなかったんだけど……』

「あぁ、俺も自分で取り寄せた訳じゃないけど、よく通った図書館にバックナンバーが完備してあって確認できたよ。入り浸って調べてた俺も、当時は違和感を覚えることなんてなかった……でも、それは落とし穴だったんだ」

『……落とし穴?』

「そう、結果だけを求めて上っ面をなぞるように情報を収集してた俺達だからこそ、違和感を覚えられずに本当にあっさりと……スルーしてしまった出来事があったんだよ」

 "何かが起こった"のではなく。

 "起きたはずの事が起きていなかった"。

 HI-MAERF計画自体の進捗に関わらない程度に、その歴史改変が行われたのだ。
 そして計画の結末自体は予定調和を狂わさなかった故に……その変化に気付くことが出来なかった。
 複数の転生者がいる……等という異常事態を頭に叩き込んで、端から全てを疑って掛かるように調べていかなければ辿り着けない、些細な違和感。

「正史通り……80年代に入って、HI-MAERF計画は一気に停滞した。87年のG弾起爆成功の煽りを受ける前に、もう既に風前の灯だったんだ。それが────」

『試作機がご覧の有様だった件だろう? 主兵装である荷電粒子砲は撃てません、"鎧"であり"足"でもあるラザフォード場は極めて不安定です……っていう体たらくを晒して試作XG-70は試作どころか未完成品だと証明してしまった。これはそのままG弾の攻勢を許す切欠にもなった。これも正史通りのはずだ……エイジ、やっぱり致命的なズレは起きていないよ』

 ────案の定か。
 俺がしていたのと同じ勘違いをしている。
 "実験の結果"だけしか見えてない。

「キリト……実験には失敗は付き物だ。だが、その時に犠牲になるのは機材や、計画そのものだけじゃない……"人材"もまた、失われることがあるだろう」

『……────ッ。そういう、ことか。"いない"のか。この世界のHI-MAERF計画は────』





「ああ。この世界のHI-MAERF計画は、携わった人間を誰一人死なせていないんだよ、キリト。正史における試作XG-70の初飛行時────コクピット内で発生した重力偏差によって、挽肉と化して鬼籍に入る筈だったテストパイロット12人が……この世界では、全員生存しているんだ」





 計画中止を宣告されるまで、この世界におけるXG-70のテストパイロット達は誰一人欠ける事無く、最後まで任務に従事した。
 とてもちいさな、だけど、とてもおおきな……予定調和の狂いが"また"起きた。

『……だからか。気づくも何もない。死んで、初めて報道されるんだ……本来死ぬ筈だった人が生きてました、なんて記事が存在する訳がない。しかも、実験自体の結果は揺るがなかったせいで、余計に違和感を察せずに意識に引っかからなかった。そして、上っ面だけを見て理解した気になって……世は全てこともなし……と、思い込んでたのか、僕は……』

 キリトの唸った声が耳に届く。
 自戒を含んだ口ぶりだった。
 ……ほとんど総当りに近かったが、手に取れる情報の何処にも死亡事故を確認出来なかったのは間違いなく。
 そして、事故死の隠蔽が出来てしまうほどHI-MAERF計画の機密レベルは高くない。
 "何か"が手を差し伸べ、12人の命を救い上げた。
 それが故意なのか過失なのかは解らないが、確かに変わった。
 もしかすれば、斯衛組の引き起こした帝国での諸々の出来事が"波紋"として広がって、今回の変化を呼び起こしたのかもしれない。
 だが、その線だとすると今回の事はあまりにも時期が近すぎるし、オマケに"ピンポイント"すぎる。

 ────俺には、どうしても誰かが明確な意思の元に引き起こした現象だと感じてしまう。

「……なぁ。この件、お前のほうで引き継いでもらえないか。 斉御司にはまだ伝えてないんだが」

『伝えていない?何で』

「伝えてどうするんだよ。まだ転生者の存在をはっきりと確認した訳でもない。オマケに海外で起きた出来事で、日本帝国は一切絡んでない計画ときてる。接点が全くないから、あくまで国に隷属するアイツにとって動き辛い案件だ。どんだけ部下が有能だろうが難しいぞ。なんせ日本帝国はまだ"第四計画"を盾に強攻策が使えないんだからな」

 まだ第四計画案は日本に決まったわけじゃない。
 カナダとオーストラリアも第四を狙ってるらしいが、対抗馬としては弱すぎる。
 アメリカの後押しがある日本でほぼ決まりだが……現状では、"まだ"だ。
 だからそれまではゴリ押し出来ない。

『僕らの存在や、斉御司達がやらかした改変のバタフライ効果って線は……時期は近いし、あまりにも限定的な改変すぎるからな、確率は低いかな……』

「……まぁ、その線で無駄足になる可能性だってある。でも……もし本当に、特定の誰かが意図的に引き起こしてた場合が厄介極まりなさすぎる。無駄足覚悟で首突っ込むべきだ」

『もう既にとんでもなく厄介な事になってる気がするけどね……』

「今以上に厄介になるんだよ。アサバスカの着陸ユニットから採取されたG元素に関する物質や情報は、全て一箇所に集められてる……ロスアラモス研究所だ。アメリカ上層部の内部分裂と派閥の乱立は、ここを基点に始まってるようなもんだ……今回の件で介入した転生者がいたとすると、もう"G元素"に関わってる事になる。……"知識持ち"を前提で話すが、今まで見てきたアクティヴな転生者連中の事考えると、もうソイツはご他聞に漏れずにロスアラモスへ身を寄せてる可能性は高いと踏んでいい。しかもここを中継することによって今からなら派閥が選り取り見取りだ。最悪、"今度こそ"、イーブンとかじゃなくて本当に……俺らは既に頭を抑えられたような状態に陥ってるかもしれない」

『……もしソイツが臆病かつ頭のいいキ●ガイで、G弾派に傾倒なんかしたら……』

「お前の頑張り虚しく"大崩海"が確定だ。そしてソイツは優雅に宇宙の旅だ」

『そこに斉御司の思惑通り白銀と鑑が生き延びたら……』

「ループも発生しない。詰みだ。どうしようもない」

 沈黙が流れる。
 ……一分経過。

『……つまり、君が斉御司じゃなくて、僕に真っ先に連絡したのは……』

「キリト。お前は既に、あらゆる手を尽くしてHI-MAERF計画に介入した因子を探り、もしこれの大元が転生者だった場合は何としても自陣に引き入れるなり、釘を刺すなりしなければならない状況に陥ってるんだ……という事を伝える為に」

『で、エイジ。君は勿論手伝って────』





「後は任せる」





『ちょぇぇぇぇぇええええええっ!?丸投げぇ!?』





 ぐおおおぉぉぉ……受話器を持ったまま叫ぶなよ……。
 耳元で叫ばれるのと同じダメージなんだぞ……。
 
「……手伝えって簡単に言うけどな、正直手に余る。これ以上何をしろっていうんだ?俺みたいな一般人じゃ屁の突っ張りにもならないところまで来ちまってるだろ。むしろ、ここまで頑張っただけでも大金星だろ?」

 俺は、きっと調べ物に向いてない。
 自分の部屋はもう書物やら新聞やらで、ぐちゃぐちゃだ。
 軍事に関連した記事を自分で編集したスクラップブックも、あちらこちらに散らばっている。
 綺麗な状態で残ってるのは、図書館から一時的に借りてきたモノだけ。
 大惨事だよ。
 
『まぁ、君は衛士を目指すのが最優先、ってことは解ってるけどさぁ』

「悪いとは思ってるけど、お前を頼りにしてるんだ。頑張って突き止めてくれよ」

『……はぁ~……貧乏くじ引かされるポジションだよねぇ、僕は……。解ったよやりますよ。ていうかやらないといけない状況になってるじゃんもう……バタフライ効果であってくれ……』 

 泣き言が出始める。
 でもな、キリト。
 それフラグだぞ、口に出さないほうがいい。
 俺もその線はないと思ってるしな……こういう時、嫌な予感は当たるもんだ。

『────そういえば、エイジ。話は変わるけど』

「ん?」





『"どこ"で衛士を目指したいか……もう決めたかい?』





 ────"どこ"、か。
 どこに所属するか。
 まぁ、二択しかない訳だが。

 国連か、帝国か。

「……」

 心は、決まってる。

『あー……ごめん、急きすぎだったね。まだあれから二ヶ月しか……』

「いや、キリト。聞いてくれるか……俺の正直な気持ちだ。俺は────」

 彼の言葉を遮って、どこに心が傾いてるかを素直に打ち明ける。



「────斉御司達にさ、感謝してるんだ」



 釣りだった例の資格は、解り易い指標として俺の前に現れてくれた。
 上手く手にすることが出来た今、手っ取り早く自分の価値を上げてくれている。
 掌で踊らされた、と捉えることを俺は許されているだろう。
 だけど……動けず燻っていた俺達の背中を、掌で押してくれたって解釈も、"アリ"だ。
 キリトに言うとお人好し過ぎると窘められるかもしれないが……全く根拠がなく、こういう発想に至った訳でもない。
 港での両親の待遇の一件を分析してみると、ぼんやりと浮かんでくる。
 あの時、月詠さんは態々言わなくてもいい難民対策局員の早急な退避を俺に伝え、フォローしてくれた。
 父さんと母さんの事を人質にして、余計なことをせずに自分達に下れと、俺を脅迫する事だって出来たというのに。
 斉御司からすれば交渉をしている最中に月詠さんが勝手なことをして、ご破算にされた形になる。
 だが……月詠さんをその"交渉の場"に率いて席に着かせたのも、他ならない斉御司自身だ。
 まして二人は長い間一緒に行動してきたはず……あの一瞬にも等しい邂逅で、俺にさえ解った事が斉御司に理解できてない訳がない。

 ────月詠 真央は、間違いなく根っからの善人だ。

 それこそ、親しい友人の連帯保証人になって、裏切られて、返済を肩代わりさせられかねないレベルの。
 そんな人の前で、あの場では間違いなく弱者だった俺を陥れるような発言をすれば、どういう行動に出るか少し考えれば解る。
 ……全部、承知尽くでの行動だったんだ。
 キリトとの確執も、恐らく。

 ────互いに目的を表明し対立すれば、"派閥"が生まれる。

 解りやすい"組織"が二つ、出来上がったことになる。
 そして、まずは偶然その場にいた俺という"無所属の転生者"に、どちらかにどうぞと斡旋した。
 ……恐らく今頃、俺以外の連中にも斡旋しているだろう。
 提示された待遇や戦略目標も非常に解りやすく、第三の派閥は生まれにくい……国内の転生者達はどちらかに身を寄せる可能性は極めて高い。
 国内の不確定存在は綺麗に二つの派閥に丸く収まり、管理しやすくなる訳だ。
 それと同時に……転生者達も目的に沿って動きやすくなり、活発に行動できるようになる。
 勿論、そこには俺も含まれている。

 ────結局のところ、少なくとも俺という個人は……彼らに助けられてばかりだ。

 だがキリトの立場からすれば、後先を考えての行動だとは口が裂けても言えない歴史改変の事はある。
 今の歴史の流れは、結果的に"大崩海"が起きる可能性がより一層に高くなってしまっているという一点に置いて、その大元である斉御司は批判を拒絶することは許されない。

 だけど……そんな後先まで考えての行動では……絶対に救えない人も存在するんだ。
 ……住んでる場所や仕事の内容が強く重く圧し掛かり、自由にBETAから遠ざかることが出来ず、間違いなく失われる命だった────俺の家族のように。



 俺が助けたいと願っていた家族は────斉御司と月詠さんに、"救われた"のだ。



「だから……何とか力になれないか、って思ってる」



『────うん、いいんじゃないかな。アイツらは、間違いなく君の大切な人達に手を差し伸べたのだから。それに比べて、僕の方針はケセラセラ────悪く言えば、端っから見捨てていたようなもの。はぁ……そこでどうしても差が出ちゃうのは解っていたつもりだったんだけどな……人徳がなかったかぁ』

 割とあっさりと、俺の言ったことを受け入れて納得してくれた。
 十中八九、制止の声が飛んでくると覚悟していたんだが……俺の心情を察してくれるのは、助かる。

『あーでも、友達関係まで解消しないでくれると嬉しい。相変わらずボッチでさ、今回受けたHI-MAERF計画の歪みの件についても、引き続いて報告したいし』

「何言ってんだ、勿論だろ。こっちからお願いしたいくらいだよ……今後とも宜しくな」

『うん。それじゃ、また今度。そうそう、体ばっか動かしてないで、たまには今後必要になってくる座学の予習もやりなよ?折角、調べ物からは開放されたんだからさ』

「ああ、忠告ありがとよ。お前こそ引きこもってばかりいないで、偶には体動かせよ?……それじゃ、またな」

 お互いに言葉を交わして……今回のお喋りは幕を閉じた。



「ふぅ……」



 俺は溜息をつくと、早くも次のお喋りの機会を待ち侘びている自分に対して笑ってしまった。
 それと同時に……少しばかりの後悔を手に込めて、子機を握り締める。
 ────自分で調べてきたことなのに、最後の最後で押し付けてしまった。
 この無力感は、何度味わっても耐え難い。

 皆、動き始めてる────俺だけ、置いて行かれてしまう。

 舞鶴港でキリトや巌谷さん、篁さんやその両親と並び立ち、見様見真似で敬礼しながら派兵を見送ったあの瞬間が、未だに心に焼き付いてる。

 何で俺は、あの時……"置いて行かれてしまった"なんて、心の奥で思ってしまったのか。
 もっと早くに生まれて、適正もあって、鍛錬して、衛士になれていれば────"力"があれば一緒にいけたんじゃないかって夢想してしまったのか。
 実戦も知らないガキの分際で。
 未だ憧れだけで衛士になろうとしている素人の分際で。
 己を恥じた。「調子に乗るな」と。
 幾度も幾度も、自分自身を罵倒して、黙らせようとした。

 ────それでも、やっぱり悔しくて堪らないんだ。



「焦んな……だけど、急げ……」



 斉御司は自らが介入し、F-16J"彩雲"を織り交ぜる事によって強化に成功した大陸派兵軍で、どれだけ保たせようと思っているのか。
 ……大陸で押し止められるなんて、BETAを見縊った事は考えていないだろう。
 時期は後ろにズレるかもしれない。
 だが、止まりはしない。絶対にBETAは来る。

 そしてBETAが来た時、蹂躙されるのは他でもない。

 俺の産まれた国で、俺の育った町で。

 俺の、生きてる場所なんだ。

 始まりは異分子の第三者に過ぎなかったかもしれない。

 だけど俺はもう────当事者だ。



「どんな手使ってでも、大侵攻に間に合わせてやる」



 風に揺れるジャケットを正視する。
 そこに記された、未だ遠く分不相応で……それ故に目指すべき価値のある未来へと夢を馳せた。
 『きっと衛士になれる』────そんな夢を。












[12496] 第一話 ─集いの兆し─
Name: Caliz◆9df7376e ID:8c7d5586
Date: 2012/06/17 10:07




 季節は巡り、七度目の夏を迎えたある日の夕方。
 斉御司 暁は自室にて肌を露わにし、剣の稽古で付けられた痣の治療を行っていた。
 少しばかりの熱を持ち痛覚へと訴えかけてくるこの感触にも慣れ始め、そしてそんな事に慣れてしまっているという状況にこそ憂鬱になる。

「ぬぅぅぅぅ……おのれグレンタイザー……じゃなかった、紅蓮大佐め。一本も取らせずに年端もいかぬ子供を虐めるだけ虐めるとは、何たる卑劣漢。あのような拷問じみた稽古、俺や月詠のような奇怪な存在でなければ三日坊主だぞ。だが、覚えておれよ……今は負け犬の身に甘んじるが、いつか目に物見せてくれるわ……クックク……」

 完全に悪役の捨て台詞だったが本人は至って真面目だった。おそらく根がそういう性質なのだろう。
 一通り含み笑いをすると溜息をつき、出来上がった痣に薬を塗り始めた。
 鏡に映った己の体を観察してみると、絶妙な手加減を加えられつつ、夏服でも目立たぬところにしか打ち込まれていないのを確認した。
 益々暁の顔が歪む。
 手加減されているのは当然理解できており、体格差も経験差も歴然。故に敗北は必然だった。
 だが、やる事が嫌らしいのではないか?と思わず考えてしまう。
 毎度毎度、稽古を始める前には暁の方から防具ぐらい着けさせろと進言しているのだが────。

 『痛くなければ覚えませぬ』

 というのが信条らしく、それを理由に却下され続けてきた。恐らく今後も解消されることはなさそうだと暁は考える。
 そして、どこかで聞いた台詞だな……どこだったか……と呟きながら、ゆっくりと薄れ始めてきている前世の記憶を探り、元ネタを掘り起こそうとしていた時だった。



「殿下、事件です」



 スパーン!と襖が開け放たれ、幼少の頃より護衛という間柄で常々行動を伴っている月詠 真央が突入してきた。

「……いきなり開けるなといつも言っているだろう月詠ぃ。それとも何か? やめて、私に乱暴する気でしょう?エロ同人みたいに、エロ同人みたいに!とか言って欲しいのか?」

「巫山戯ていないで聞いてください……"仕込み"の一つが機能しました」

「……ほう」

 月詠のその一言で、暁の雰囲気が豹変し張り詰め始める。
 この多重人格じみた切り替えと、かつての大英帝国も斯くやという三枚以上の舌は、既に之まで遺憾なく発揮され続けてきた。

「どれだ。アカ寄りの連中に吹き込んでおいた"16'sファミリー"絡みか。 それとも、純国産機の開発が好転でもしたか。まさか大陸に向かった彩峰先生に丸投げしていた────」

「そのまさかです」

 斉御司が時期から察した比較的有り得そうな展開を連ねると、最後に"まさか"という前置きまで付けて言った言葉が月詠によって肯定される。
 それに少しばかり面食らいながらも、それが紛う事なき事実なのかと念を押すために聞き返した。

「────馬鹿な。大陸派兵から半年と経っていないのだぞ」



「想像の斜め上を行ったようです。本日未明……我が帝国軍は現地難民の協力を経て、国連軍の立会いの下────中国軍による支援物資の荷抜きを摘発しました」



「……そう、か」

 斉御司はその報告を聞いて、張り巡らせていた策が通用した事を素直に喜べなかった。
 兵站というのは軍にとって命綱だ。それを一部、他国の軍に委ねなければいけないという現状自体は変えることが出来ない。
 大陸で戦う以上、必然的に物資輸送に鉄道が外せなくなる。
 そして鉄道を使うという事は、ソレを管轄し強い実権を握っている中国軍の介入を受けるという事に他ならない。
 今回の摘発で実行犯や首謀者は首を切られ、第三軍による監視体制が強化され、荷抜きの"頻発"はある程度防げるだろう。
 だが中国軍が物資輸送を管轄している限り、"根絶"は不可能だ。
 一番手っ取り早いのが、鉄道の権利を国連に譲渡させる事だが────それは内政干渉だ、と吼えるだろう。
 ここが限界……ここまでやって漸く最低限の最善か……と、斉御司は納得することにした。

「────これで前線に赴いた我が国の兵士達に掛かる負担が、多少也ともマシになってくれればいいのだがな」

「御心配為さらずとも好転するでしょう……少なくとも重慶を筆頭に"帝国軍"が受け持つ区域においては」

「ああ……一先ず帝国軍は、だがな。自軍だけでBETAを相手に出来れば苦労はせんよ。中国軍に所属する者達もまた兵士であり戦力である事に変わりは無い。……そんな共同戦線を張っている連中からの荷抜きが横行しているという背景を考えると、な。私利私欲の為ばかりという訳ではないだろうよ」

 荷抜きが起きる背景にはただ私腹を肥えさせるという以外にも、非行に及ばざるを得ない理由というのは存在しえる。
 中国軍内部において物資が"質"も"数"も不足しており、要求しても送られず、補うために已む無く他軍の潤沢な物資に手をつける……という実情があるのを、二人は知っていた。
 それを阻止すれば必然、足りない分を補えずに物資の不足に喘ぐのは中国軍だ。
 だが、それを有情を持って見過ごせば、当然そのまま帝国軍への負担に直結する。
 あくまで日本という国に所属する人間である斉御司と月詠は、全体の物資は有限であるという現実を噛み締めながら、これに"対処"した。

「……先生には、汚れ仕事を押し付けてしまったな。摘発という行為自体は正当なものだが、あの人はしっかりその裏側まで考えてくれる上に人格者だ……中国軍の内情まで考えて苦悩していなければいいが」

「彩峰中将も理解して引き受け、実行に移して下さったのです。必要以上に気に病む事はないでしょう。そもそも、荷抜きをするほうが悪いのですから……こういう言い方は好きではありませんが、因果応報です」

「であろうな。それに、俺達は日本人だ。自国民への贔屓は許してもらおう────時に月詠。此度の摘発、些か想定より早く事に及んだな? 先生も勿論ぐうの音が出ない程に有能なのだが……よっぽど緻密な情報を、現地難民が提供してくれたのか」

「……それに関してですが、気になる情報が……」

 そう言うと斉御司に歩み寄った月詠が痣のある肩に手を置き、耳元で何かを呟いた。

「いだだだだ!貴様、今の絶対にわざとだろ!? このドS武家────何だと? 難民のコラボレーターが、俺達と同年代……?」

「はい。情報提供の謝礼にと日本への渡航許可及び日本国内で保護を受ける為の難民IDを要求したそうで、そう遠くない内に来日するようですが……如何なさいましょう。この者の対応をした駐在官の方曰く────"異様に聡い"との事ですが」

 月詠の言いたいことは他でもなかった。
 ────自分達と同類ではないかと。
 それを察した斉御司は、カレンダーと机の引き出しから取り上げたスケジュール帳を見比べると、対応を即決した。





「……月詠。月末に、九州の難民キャンプを視察団と共に回る予定があったな」














                                        Muv-Luv Initiative

                                           第二部

                                      ──第一話 / 集いの兆し──














 1991.August.oneday

 中華人民共和国 遼寧省 大連市
 大連出張駐在官事務所











 自己主張しすぎない調度品で飾られた部屋に、上等なスーツを着込んだ誠実そうな男性が背筋を伸ばして立っていた。
 それに相対するのは、キョロキョロと整頓された所長室を見回す、みすぼらしい格好をした少女。

「林 雪路(リン・シュエルー)様。どうか腰をお掛けください」

 在中駐在武官である日本人男性が、柔らかな物腰で少女にソファーへと導くように手招きをした。

「い、いえ、結構ですっ。すみません……遠慮しておきます。長い難民生活でお世辞にも綺麗な身形とは言えませんので……」

 ピンイン読みで名前を呼ばれた中国籍の少女は、被っていた人民帽をベースに大きめのキャスケット風に改造された帽子を脱ぎながら、頭を下げてそう言った。
 帽子の中に詰め込まれていた少し痛んだ長い桃色の髪が、ふわりと広がって重力に従い舞い落ちる。
 そして、あまりにも場違いすぎる自分の格好を眺めて、羞恥に頬を染めた。
 酷い体臭がする訳ではなく、衣服や靴こそ年季が入りくたびれてはいるが決して不潔という訳でもない。
 だが、非常に座り心地よさそうな……有体に言えば高級そうなソファーを見るとどうしても二の足を踏んでしまっていた。

「……日本でも謙遜は美徳とされています。ですが……そう仰らずにどうか。貴女の情報提供のお陰で、中華統一戦線で横行している我が帝国からの支援物資の荷抜きを、早期に摘発できたのです。これは昨今目に余る闇市場への横流しルートを洗い出す足掛かりにもなりました。貴女は賞賛されるに値する行動を起こしたのですよ。我々はそれに礼儀を尽くすだけです」

 先日未明。
 日本帝国軍は国連軍の立会いの元、中国軍による帝国由来物資の荷抜きの瞬間を捉え、これを捕縛した。
 そしてそれを切欠に、ユーラシア大陸東部において兵站を担っていた中国軍の物資輸送体制の見直し、実行犯や裏で手を引いていた高官の更迭、国連による監視の強化が行われるいう大事件に発展した。
 この大捕り物の立役者は実際にその場に居合わせた軍人達や、御自ら指揮を執った彩峰中将だ。
 しかし、帝国軍の大規模な大陸派兵の実施以前から、「必ず起こる」と今回の事を予見していた影の立役者がいたおかげで、この結果に結びついた。
 ────その影の立役者が、未だ10にも満たない高貴な血筋のお坊ちゃんらしいという。
 実しやかに囁かれている噂だったが強ち間違いではないのかもしれない……駐在武官は目の前の少女を見て、そう考えを改める。
 "網"の用意と準備をしたのは、帝国に身を置く者達だったが……"網"を"然るべき場所"へと早々に張れたのは、この大人しそうな中国人の少女のおかげだったのだ。
 あちこちに溢れ返っている難民の一人という不利な立場を逆に利用して、闇市やそこで出回っている品の情報を顧客として探り続ける。
 その年不相応なタフネスとメンタルに、駐在武官は感心していた。

「ぁ……で、では、お言葉に甘えて……」

 加えて、そんな内面の強さなど欠片も感じさせない腰の低さが、彼にとって好印象だった。
 控えめに言葉を返した雪路は、駐在武官の言葉に従って腰を下ろすと、ソファーに身を沈ませる。
 その感触に少しの安堵と、僅かな郷愁を覚えた。
 横から秘書官らしき男性が日本の茶菓子と緑茶も添えてくれる。
 ……凡そ"八年ぶり"に鼻を突いた香しい匂いに、少しばかり雪路の涙腺が緩む。

「報告で聞いてはおりましたが、そのお歳で随分と堪能な日本語を話されるのですね。何方かにご教授されたので?」

「へぁ!?……こ、これは、ですね────独学です、はい」

 雪路は心の中で、"この世界の何方か"に教えてもらった訳じゃないし説明が難しいから嘘を許して下さい……と、自分自身にフォローを入れた。

「独学……そうですか。余りに堪能なのでご家族の方に日本人がいるのかと」

「あはは、家族は日本語なんて話せませんでしたよ。中国語とほんの少しアラビア語を話せるだけでした。しかも不仲でして……ボクはBETAの東進が始まった年に家出したんですよ。それからは身寄りもいないので、難民キャンプを渡り歩きながらここまで来ました」

 雪路は"こちら"での生まれ故郷、甘粛省 蘭州市からの道程を思い返しながら言った。
 両親からの宗教の押し付けに堪忍袋の尾が吹き飛び、BETAの東進の一報にこれ幸いと便乗したのだ。
 それ以降、音信不通でどうなったかは解らず仕舞い。
 蘭州市自体はBETAに到達される寸前ではあるものの未だ健在らしく、雪路からすればまぁ生きているんじゃないかなぁ?といった所だった。

「……失礼。個人の事情に深入りした非礼を、お詫びさせて頂きたい」

 故に、そこまで深刻な受け取り方をされるとは全く思っていなかったのだ。
 余りに不意打ち過ぎて雪路は自分でも驚くほどテンパってしまっていた。

「ぃ、いえそんな!不幸自慢を勝手に始めたのはボクのほうです!御免なさい、雰囲気を悪くしてしまって……あっ!この羊羹凄く美味しいです!こんな美味しいもの久しぶりに食べ────あぁあぁあぁ"あ"!すみません!!」 

 出された茶菓子を口に運び、わざとらしく喜びながら感想を言って場の雰囲気を和ませようとしたのだろう。
 だが見事に口を滑らせ、難民キャンプで碌な物を食べられていない事を露呈させ、墓穴を掘って二度目の不幸自慢をしたことに気づいてしまった。
 雪路はもはやどうしていいのか解らず、あたふたと目を回しながら何度目か解らない謝罪をしはじめた。

「……ふふ。それではこういうのはどうでしょう。お互い悪かったということで」

「はは!賛成だ。林様もそれでいかがでしょう?これでは謝ってばかりで話が進まない」

 それを見て、我慢の限界に来ていた駐在武官と秘書官は思わず破顔させながら話の着地点を用意してくれた。

「────そ、それでお願いします……」

 対して、雪路のほうは縮こまっており、顔からは火が吹きそうだった。
 結果として望んだとおり空気は緩くなってくれたが、その代償は大きかったなぁ……と口を滑らせたことを反省する。

「それでは話に戻らせて頂きますが……他でもない、保留になっていた謝礼の件が漸く用意できました。ですが、本当にこんなもので宜しかったのでしょうか?」

「ぁ、はいっ。これがないと日本へ渡れないので……」

 駐在武官が接客用の机に差し出したのは、雪路にとって喉から手が出るほど欲しい物だった。
 海外へ難民として渡航するための諸々の書類、パスポート、そして────最近日本で設立され始めた難民キャンプで保護を受ける為のIDである。
 雪路は通常の申請でこれを入手するつもりだったが、それでは既に故郷を失った人々が優先される事が発覚した。
 故郷も家族も未だ健在、尚且つ家出同然の子供が単身で、という雪路の悪条件では気が遠くなるほど後回しにされてしまうのだ。
 当初、それでもかまわないと雪路は考えていた……荷抜きの摘発を通じて仲良くなった帝国軍の兵士達から、ある"噂"を聞くまでは。
 謝礼に託け、優先順位を無理矢理に上げてまで、日本へ成るべく早く渡航しなければならない理由が出来てしまったのだ。

「……その……先日仰っていた事は、本当なんでしょうか」

 雪路は情報をリークした時の事を思い返す。
 薄汚い格好をした難民の話などまともに聞いてもらえるのだろうか……といった体の、駄目モトでの接触だった。
 だが読みは外れ、想像を絶する丁重さで扱われる事になる。
 そして丁重な待遇の理由を尋ねてみれば、然る御方より少しでも有益そうな現地の情報があれば好条件で迎え入れろと御達しが来ていたからだ、と雪路は聞いた。

「ええ。特別隠し立てすることではありません。貴女が関心を示す人物は、九州の難民キャンプへ視察団に混じって赴くとの事です。ですが……本当に"噂"なのですよ? 由緒正しい血の流れる一族を擁する国であれば、どこにでもありそうな、よくある与太話を真に受けるのも……」

「でも、帝国の軍人さん達から聞いたんです。今回の捕り物以外に、F-16J 彩雲 という戦術機についても元を辿って行けば、その五摂家の御方に行き着くらしい……っていう噂を。きっと、未来を見通す御力があるのですよ。素性が確かでないボクのような難民の情報をあっさりと受け入れて検討し、あまつさえこのような好待遇を受けていられるのは、きっと其の御方とは何かの御縁があるのではないかと思いまして……」

 『正史』では対応出来ずに、帝国軍の足を引っ張る形になるはずであった荷抜きと横流しに、何故か早期警戒態勢が敷かれている。
 自分の知らない戦術機が何故か大陸へと送り込まれ、善戦の吉報を世界へ響かせている。

 ────そして噂とは言え、その然る御方という全ての元凶が自分と同じぐらいの年齢の、五摂家の少年だという。

 生まれてこの方、自らの知る"おとぎばなし"とは確かな変革を見せるこの世界に、"If"という言葉が脳裏を掠めながらも、どこかに引っ掛かりを覚えていた雪路にとって青天の霹靂だった。
 所詮は噂、されど火の無い所に煙は立たず、仮に火が無くとも煙が立っている場所は雪路にとって通過点。
 ある人物へと接触するために京都────帝都大学へと至る過程にそれがあるのなら、やはり今回の荷抜きと闇市の情報をリークした時のように、駄目モトで肉簿していく。
 この考えているようであまり先まで考えていない猪突猛進ぶりは、林 雪路にとって『この世界のこの大陸』で生きていく為に非常に役立っていた。
 楽観主義によって紡がれ、動物じみた直感によって後押しされる能動的行動は、時に未来への道を切り開く。



「あ、あのっ! 帝国臣民ではない他国籍の、ましてや難民の身分で恐縮なんですが……斉御司公と謁見させて頂けませんか?」



















 1991.August.oneday





「ふぁんあっへ!?ふぁえりぁ!?」

『エイジ、口に物入れたまま喋るのはどうかと思うよ』

 ……キリトさんの仰るとおりで。
 駄目だな……仲良くなってくると遠慮が無くなって不躾な行動をとってしまう。
 仕切り直そう。親しき仲にも礼儀あり、だ。
 俺は歯磨きを中断して口を濯ぐと、再び受話器の子機に向かい合った。



「ふぅ……なんだって!?アメリカ!?」

『別に言い直せって言いたかった訳じゃないんだけどね?』



 俺にどうしろっていうんだ。
 大体、こんな朝っぱらから電話掛けてくるほうが悪い。
 身支度の最中だったから、歯磨きしながら電話に出ることを強いられたんだ。
 いや、確かにこの時間なら確実に家にはいるから、タイミングとしては完璧なんだけど。
 しかしアメリカ、か……。

「何でこの時期に、っていうのは無粋な質問だよな」

『だね。君から押し付けられた件だよ。ホシとコンタクトが取れたからちょっくら会ってくる』

 押し付けられたって所を強調するのはやめてくれ……こっちだって悪かったと思ってるんだからさ。
 しかし……あれから一ヶ月か。判明するのが早いのはよかったんだが……嫌な予想が当たっちまったか。
 HI-MAERF計画の歪みはバタフライエフェクトじゃなかった。
 どういう意図があるにせよ明確な意思の元に行われた改変だった、か。
 海の外の転生者にはどういう真意があるのか。
 それを探るための接触だとは解ってるが────。

「そんな、コンビニに出かけるような感覚で行っていいものかよ。次期オルタネイティヴ計画候補の一員って自覚あるか? 向こうの腹積り次第じゃ自陣に極上の餌が転がり込んでくるようなもんなんだぞ」

『大丈夫だよ、問題ない。君の悪い予感は"半分"だけしか当たらなかったみたいだからね』

 ……半分?

『僕は例の転生者に会いに、ニューメキシコ州のロスアラモス研究所に赴くことになった』

「なっ……!」

 もうロスアラモスに潜り込んでいた?
 案の定、今までの例に違わず活動的なヤツだったって事かよ……いや、待て。
 キリトは、それが解ってて接触するって言ってるのか?
 何考えてんだ……アウェイもいいところじゃないか。
 
「どこが問題ないんだ、問題ありまくりだろう。アメリカの方針はもうG弾運用に傾いてる。ロスアラモスはG元素研究を先導する立場で、云わば本丸みたいなものだぞ? お前が属する陣営とは水と油で……」

『だから、大丈夫だってば。僕は次期オルタネイティヴ計画候補の責任者、香月夕呼の代行者として……"HI-MAERF計画復権派"の代表と接触する事になってるんだから』

「────ってことは」

 成程……半分ってそういうことか。
 睨んだとおり、転生者はいた。
 だが俺が勝手に悪い方向へ考えすぎだっただけで、米国の転生者も……G弾とは袂を別つ道を選んだんだな。
 HI-MAERF計画への介入そのものが、意思表示だったって事か。

『そ。G弾強硬派という共通の敵を持った僕達は協力体制を取ることになった。彼女は"後日譚"の荒廃した世界を良しとせず、あくまで日本が主導することになるオルタネイティヴ4を支持してくれるらしい』

「……収まるところに収まったって感じだな」

 よかった……本当に。
 しかもこれは、快挙じゃないか?
 正史じゃこの二つの陣営は、90年代後半になるまではまともに協調出来なかったはずだ。
 ……出来すぎてるってぐらいには、上手く歯車が噛み合ってきてる。
 適材適所ってヤツか……重要なそれぞれの派閥のトップに取り入ることが出来たのは幸い────。
 待てよ……HI-MAERF計画復権派、"代表"だって?

「ちょっといいか。何でお前はあくまで"代行"なのに、例の転生者はそのまんま"代表"なんだ」

 まさか、本当に派閥を仕切ってる訳じゃないだろうな……そうだとするとどんだけ有能なんだよ。

『ああそれは……幼い少女がテストパイロット達を救った、ってエピソードが周りの人達にえらく"受け"がよかったみたいでね。御輿みたいな扱いを受けてるんだってさ……本人も不自由な訳でもなく利害は一致してるからって引き受けたらしい』

「あぁ……納得した、担ぎ上げられてるのか。確かに、神秘的な存在には違いないだろうし御輿には打って付けか。じゃあ、あくまでオブザーバーの立場に止まるな……派閥を取り仕切ってる権力者は別にいるんだろ?」

『うん。名前聞いたら腰抜かすと思うよ?』

「……聞かせてくれ」

『ウィリアム・グレイ。リストマッティ・レヒテ。カールス・ムアコック』

「なっ……嘘だろ!?」

『いいや、嬉しい事実だよ』

 BETA由来物質の第一人者。新発見の元素が"G"の名を冠することになった大元であるウィリアム・"グレイ"博士。
 そして、G弾やXG-70シリーズに必要不可欠な抗重力機関……その根幹である重力制御理論を共著した、リストマッティ・レヒテ博士とカールス・ムアコック博士。
 凡そG元素に携わった科学者の中でも上から数えてTOP3に入ってる大御所全員が、バックについてるっていうのかよ。
 それだけの信頼をどこで獲得したんだ……?大崩海の実証なんて出来る訳がないし……いや、実証は出来ずとも持ってる知識は既に生かされてる、か。
 XG-70の死亡事故は周りの優秀な技術者達を持ってしても防げなかった事象だったな。
 あとは今年、実戦運用を前提としたG弾の起爆が成功してる……この時判明したG弾の欠点の一つである重力異常も、極めてフレッシュな情報だ。
 ここらへんを実験成功前に提示できていたのなら……その三人を味方につけるだけの説得力はあるか。

『と……まぁそんな流れで、3人もの大御所から晴れて身柄の安全を保障されたんでね。あたしは忙しいのよって言い出した夕呼さんから、直々に代行の任を頂いたって訳だよ……はぁ』

「ん? なんで溜息が出るんだ? お前にとっては漸くツキが回ってきた、ってところだろ。協力者としては十分すぎるステータスだと思うが」

『いや……確かに君の言う通りだ。テストパイロット達の命を救い、ロスアラモスに潜り込み、こんなに早く反G弾派を取り込んで派閥を纏め上げた手腕は感嘆に値するよ。協力者としては申し分ない……んだけどさぁ……』

「何の不満があるんだよ? 」

『……組織と組織が協力するとはいえ……結局は、人が顔を突き付けあう訳じゃないか』

「そりゃ……代表が、ましてや人がいない組織なんてありえないんだから、そうなるだろうな」





『その代表である転生者がさぁ……すんごいキャラ濃いんだよねぇ……』





 すんごい私的な理由だった。





「……それぐらい我慢しろよ……第一、お前人の事言えるほど自分がキャラ薄いと思ってんのか? 俺……はどうか知らんが、斉御司や月詠さんだって相当濃いじゃないか。今更だろ」

『……エイジ。君や僕、斯衛組の二人を戦闘力5としよう』

 同列かよ。しかも低いな。

『米国の転生者は……53万です』

「そんなに!?」

 およそ10万倍……ッ!
 高い、高いなおい……それにあと変身を二回ぐらい残してそうな数字が恐ろしく感じるぜ……。
 そこまで念を押してキャラが濃いと言われると、ちょっと気になってくるじゃないか。

「そのキャラ濃いヤツって、なんて名前なんだ? さっきから彼女だの幼い少女だの言ってるから、女っていうのは解るんだが」

『あ、ごめん。名前聞くの忘れた』

 ぇぇぇぇええええええ!?
 いや、普通聞くだろ……てか、直接会ってはいないけど、会話する機会はあったんだな。

『弁解させてくれないかな。衛星使って映像通信で会談したんだよ。コッチは僕と夕呼さんと、あと室長の爺さん。向こうはグレイ博士、ムアコック博士、レヒテ博士……そして例の転生者。この時に向こうさんが、その転生者の事"ポリー"で通しててさ。仲良しこよしが目的でもなかったし、大御所の3人はしっかり顔も名前も出してたせいで、一回"協定"の話に移行したらそのまま最後まで聞くタイミング掴めずに解散しちゃって』

「なるほど……周りに事情知らない人もいたし、仕方ないか」

 "ポリー"……ね。十中八九、愛称か。
 元の名前が解らないな……欧米って日本とはまた違う感覚で愛称が決まるから予測し辛い。
 まぁ、急ぎの用って訳でもないし、今は聞かなくてもいいだろう。
 一先ず、想定外の人類存亡の危機に関わるような不安要素は取り除けたってことで一件落着、か……。

「それはそうと……アレだな」

『アレって?』

「ほら、女性の転生者の割合が増えてきたよなって」

 俺含めて、5人中2人が女子だからな。
 いや待てよ。俺は前世でも男だったろ。
 考えてみれば、月詠さんも前世は男だったんだろうか。あの人、物腰や口調がしっかり女性的だったからそういうの考えもしなかった。
 矯正したんだろうか。そうだとすると、さぞかし大変だったろうに……。
 元から女性なら苦労しないんだろうが、前世から女って人は……いなさそうだよな。
 皆が皆"知識持ち"っぽいし。ってことは米国の転生者、ポリーってやつも前世は男になるか?
 こういうのなんて言うんだったかな……確か、トランスセクシャル?
 今はまだいいだろうけど、二次性徴期に入ったら大変そうだよなぁ。露骨に性差が出てくるからな。

 ……ああ、お父さん、お母さん。男に生んでくれてありがとうございます。
 
 月詠さんや米国の転生者みたいに、ら●まもびっくりな男から女に生まれ変わった人がこれ以上増えない事を願うばかりだな。
 現状、40%の確率でTS……今後、男女の割合が逆転してきたりな……。

 いや、ないか、ハハ。
 
『……割合が増えたぁ? 君は何を言ってるんだ』

「は?」

 あ。
 そういえば、キリトは他の転生者の情報貰ってるんだったな。
 自分の事とか調べ物で手一杯で、他の転生者の素性なんて気にも留めてなかった。
 知ったところで特に意味は無いって考えで今の今までスルーしてた。
 少しは関心を持つべきだったな……俺のこういう愚直な所は改善点の一つか。
 斉御司達からリークされた情報は詳細なものだったろうし、性別ぐらい判明してるだろう。

「……完全に忘れてた。国内の全員の事、お前もう知ってるんだったな。今のところ、そのポリーって奴入れて男女比どれぐらいのもんなんだ?」





『3:18』





「────ぱーどぅん?」





 何ですって?
 さんたいじゅうはちって聞こえたが?
 聞き間違いだろ。ハハハ。
 ワンモア。





『だから、3:18だって』





「 マ ジ で か !? 」





 えっ、3って男だろ。俺とキリトと斉御司だけ?マジ?
 えっ、じゃあ後全員女?っていうかTS?マジか?
 つ……つまり、あの港で出会った段階で、既に男勢は出尽くしてたって事ですか!マジかよ!?
 いかん、混乱しすぎて語彙が足りなくなってきた。

「か、偏りすぎじゃないですかね? もうちょっとこう、バランスよく割り振ったほうがいいと思うんですけど……」

『落ち着きなよ、敬語になってるよ……ていうか、そんなこと僕に言われてもね。僕達に迷惑がかかる訳じゃないし、別に気にすることじゃないだろう?』

 えっ、特に気に留めていらっしゃらない?
 相当な異常事態だろうよこれ……嫌な汗が出てきたぞ……。

『逆に考えなよ。僕達は貴重な男性枠を勝ち取ったんだと。そう考えなよ』

「いや、そういう問題じゃないだろ……」

 まさか、自分がこんな形で少数派になるとは。
 唯でさえ、既に転生者なんていう少数派なカテゴリに属しているというのに。
 これは肩身狭くなりそうだろ……。

『……なんか、想像以上にショック受けてるみたいだけど、僕は悪くないぞ。君が聞いてきたんだからな?』

「それは解ってるよ、俺が悪い。この結果を想定出来なかった俺が悪いんだ……」

『や、そこは仕方ないでしょ。まさかここまで偏るとは僕も思わなかったし。ただ僕はこの情報を手に入れた時、そもそも転生者が自分以外に大量にいるって嘘みたいな現実に直面して、そっちに意識持って行かれたからね。切り替えは早かったよ。目前に斉御司達との密会も迫ってたし』

 ……成程、知ったのはその時だったのか。
 全てはタイミングと、そして切り替えの早さか。俺も習おう。
 既に起きてしまっている事はどうしようもないからな……。

『っと、最後の最後に爆弾投下しちゃった身としては申し訳ないけど、そろそろ出かけないと。フライトの時間までには余裕を持って着きたいからさ』

「ぉ、何だ今日だったのか。悪いな、長電話させて」

 相変わらず充実した毎日送ってるな。
 スケジュールがとんでもない密度で埋まってそうだ。

『ていうか、エイジも今日はボランティアじゃなかったっけ。親孝行者だよねぇ』

「それを言えば、研究手伝ってるお前だって孝行者だろうが。霧山教授は親じゃなくて祖父だから敬老って形になるだろうけど」

 ────俺は今、夏休みを利用して難民キャンプでボランティアをしている。
 "例の資格"と親のコネを使ったら、あっさりと参加を承諾された。
 ……自分で言うのも何だが、衛士の道を目指している俺にとっては、寄り道して道草を食っているようなものだ。
 だが、決して無関係じゃない。適性検査に落ちれば、厄介になる場所で。
 適性があったとすれば……俺が衛る事になる場所の一つで。
 そして何よりも、両親が働いている場所だ。
 来年の今頃には九州から離れている俺にとって、当分お目にかかれないであろう親孝行のチャンスだった。

『お互い、肉親に敬意を払えているようで何よりだよ。ま、仕事の内容は僕のほうが重いものだけどね』

「畜生、厭味か。いいんだよ、仕事は仕事だし、適材適所だと思ってるんだから……で、どれぐらいアメリカに滞在するんだ」

『んー……9月に差し掛かると思う』

「ざっと一ヶ月じゃないか、長いな。となると、海外から電話させる訳にはいかないし、当分はお別れだな」

『だねぇ。あ、エアメールでも送ろうか?』

「いらねえよ、しっかり仕事してこい」

 互いに笑い合い、再開の合言葉、"またな(ね)"の一言で通話が途切れる。

「……さてと」

 俺も仕度して奉仕活動に向かうか。
 まだ仕事も全部覚え切れてないから、しっかり励まなくちゃな……。
 月末には視察団が回って来るっていう話だし、それがなくても難民は右肩上がりに増えてる。
 スタッフは一人でも多い労働力を確保したいところだろう。手は抜いてられない。
 他の連中も頑張ってるんだ……俺も小さいとこから頑張らないとな。





「しっかし、男女比3:18って未だに信じられないぞ……どういうことだよ……仕事に集中出来るかな……」





 だというのに切り替えが遅く、未だに衝撃が尾を引いている俺だった。



[12496] 第二話 ─TAO─ √I_R_G
Name: caliz◆9df7376e ID:93ba022c
Date: 2020/03/22 06:22




──────→ Turning_Point : Save













1991.summer.oneday

   日本帝国 九州

     熊本難民キャンプ







 大陸から日本へと渡った林 雪路は、難民生活からの脱却にはまだまだ掛かるかなぁと考えていた。
 熊本にある難民キャンプに身を寄せた後は、件の五摂家の少年との謁見まで時間が開くと聞かされていた。
 当然その間、好き勝手にキャンプ外を出歩くわけにもいかなかった。
 そして仮に少年が目当ての存在だとしても……国が代わっただけで、難民キャンプに厄介になるという状況は当分変わらないだろう、と思っていたのだ。
 だが雪路を待ち受けていたのは代わり映えのない難民生活などではなく……今まで巡って来た"難民収容所"と形容されうるソレとは全く異なるモノだった。
 衛生設備も高度に整っており、配給される合成食料は帝国独自のアレンジが加えられているのか、大陸で口にしてきたモノとは格が違う。
 "まだ"本土が戦場になっていないということもあり、物資は潤沢のようで配給される量にも不足は無い。
 正に至れり尽くせり……無理をしてでも、"生前の故郷"に辿りついた価値はあったのだと。
 この世界での経験が雪路の感覚を麻痺させているのか、はたまた生来の楽観主義なのか……理由はともかく、雪路は難民生活を謳歌することに決めた。

「……はぁ~」

 決めたのだが、しかし。
 数日もすれば早速、退屈が勝り始めていた。

 此処には危険らしい危険が皆無な事に加え、衣食住の保障もある……安寧は人を鈍らせるのだ。
 大陸の難民キャンプは荒んでいたが、それ故に生への執着を刺激された。
 幼い少女が単身……あらゆる面で余裕の無い場所において、これほど獲物として好条件な簒奪対象はいない。
 雪路はそれを自覚し、そして自衛をしなければいけなかった。
 自衛用の武器も少なからず持っていたのだが、日本への渡航前にまとめて取り上げられた。当然といえば当然なのだが。
 そして実際、こちらに来てからはストリートチルドレン相手に大立ち回りする機会なんぞ、今までもこれからも訪れそうにはなく。
 日本の難民キャンプにおける治安維持は、BETAが海を挟んだ向こうにいるという現段階において十全だった。

(……穏やかだなぁ……)

 雪路が此処に居着いて二週間。
 タイムリミット付きの平和だと理解しながらも、心地よい微温湯のような状況に身を委ねていた。
 かつて纏っていた緊張感など忘れたと言わんばかりのぼへーっと緩みきった顔で、週に一度の配給を受け取りに向かう時────。

(……ん、揉め事?)

 少し離れた場所で、一人の少年と二人組みの年配の女性が何やら言い合っていた。
 雪路は野次馬気分で様子を伺いに近づく。

(あれ、あの子……難民キャンプのスタッフだ。前回の配給で顔合わせたことある……ボクと同い年ぐらいの男の子だ)

 食糧配給が行われるフード・ディストリビューション・センターで、一際異彩を放つ少年がいたのだ。
 明らかに10を下回る年齢だろうに、他の成人した職員と同等かそれ以上に配給を待つ人々を捌いていく仕事ぶりは、正常であるという事が異常だった。
 幾つかの列があったが、その少年の列に雪路も偶然並び……そして己の順番が回ってきた時『何でこんな小さな子が……』と言いたそうな少年の表情が印象に残っていた。
 勿論、雪路も同じような顔をしていた。お前が言うなと内心思ったのは仕方ないだろう。
 その時の少年と、目の前で揉めている少年は、首から提げているスタッフIDを見るに、間違いなく同一人物だった。

 そしてそこに刻まれている、雪路自身も憧れ志望するとある"兵科"を表すかなり特徴的な名前が、雪路の確信に拍車をかける。

 運営上のいざこざか?と雪路は考えながら、観察を続けた。
 だが、お互い困ったように手振り身振りしている3人を見て、違和感を覚え始めた。

(喧嘩って雰囲気じゃないなぁ……ていうか、言葉が通じてない? 二人とも喋ってるのは中国語のはずなんだけど)

 難民キャンプに身を置いた者なら必ず体感すると言っても過言ではない、言語の壁。
 中国の難民キャンプで数え切れない程目にしてきた事が此処、日本の難民キャンプでも起きていた。
 観察を続けてみれば、意思疎通出来ずに困っているという線が濃厚だった。
 ジェスチャーを交えながら何とか互いに歩み寄ろうとしているが────。
 
(ぁ……あの子が喋ってるの……"普通話"だ)

 日本的な訛り混じりでたどたどしいながらも、少年が話しているのが中国語における標準語『普通話』だと雪路は理解した。
 恐らく、難民キャンプの運営に携わる上で必要になるので勉強したのだろうと。
 だが────。

(……普通話って、普及率に"漏れ"があるんだよなぁ。あのおばちゃん達、さっきからずっと"客家語"喋ってるし……)

 標準語と名付けられてはいるが、国民には伝わり切っていないのが現状だった。
 国というのは広ければ広いほど、端から端までの方言が乖離していく。
 日本ですら存在する方言────それが中国のような広大な国土を持ち、尚且つ教育で標準語が行き渡っていなければどうなるのか……。
 その一例が、正に雪路の目の前で起きていた。互いに中国語を話しながらも、意思疎通が出来ないという状況に陥るのだ。

(……割って入ってみよう。翻訳なら出来る。伊達に難民キャンプ渡り歩いてないし……七大方言は一通り話せる……よし)

「────打搅一下可以吗?」

 また一人。
 転じて生まれた者達が、巡り逢い。
 そして────大きな運命の、小さな宿命の、渦中へ。


































                                 Muv-Luv Initiative

                                   第二部/第二話

                                    『TAO』








 




















 軍人。

 職業として見ると決して悪くはなく、国家という大きな視点からすれば寧ろ必要不可欠な存在だ。
 しかし、いざ己がその職業に就かされるとなれば、幾つかの葛藤が生まれるのは必然だろう。
 特に銃後ならまだしも、前線に立つとなれば有事の際には己が命を賭して職務を遂行しなければならない。
 そしてまた、一度戦闘が起きてしまえば"他人の命を奪う"という覚悟すら要求される。
 幼少における教育段階で、人の命の尊さを教え込まれた者には越えるべきハードルは多く厳しいだろう。
 凡ゆる意味で、過酷となりえる職業だ。

 しかしそんな職業が、この世界の日本では大半の子供達に認知され、少なからず憧れを抱かれているのだ。
 特に、男の子が選ぶ将来就きたい職業としては、国の調査では上位に食い込んでいる。
 その推移には、子供故に物事を奥深くまで考えず、軍が広報するままの漠然とした表面的イメージだけで選ばれている、という一面は確かにあった。

 ────だが、それでも憧憬を抱かずにはいられないのだ。

 この世界は今、未曾有の危機的状況にある。
 地球はBETAという異星起源種によって、圧倒的戦力をもって侵略されつつあった。
 そして其れを阻止せんと最前線に立ち、人々を守っているのは軍人達に他ならない。
 ……そう、軍人という名の職業は、BETA大戦の勃発によってその性質を大きく変貌させたのだ。
 意思の疎通すら出来ず、其れ故に政治による戦争回避という手段を取れず、ただ只管に人類を滅亡へ追いやらんと侵攻する化物の軍勢。
 そんな絶対悪へと砲を向け、引鉄を引き絞り、同じ地球に生まれた全ての同胞達を護るために闘う人々……それが軍隊であり、そこに属する軍人達だった。
 子供達が一度は憧れてしまうには、条件が整いすぎている。
 しかし勿論、そのように理想的な綺麗事ばかりではない。
 各々の国家にも利己的な打算があり、結果的に水面下では人類同士で醜く足を引っ張り合い、国が一つまた一つと滅ぶ度に責任を擦り付け合う。
 数多の国々が滅ぼされ、それでも尚、BETA大戦を人類同士の政治の延長だと思い込んでいる度し難い文民もいた。
 BETAという解り易い巨悪を前にして、人類は未だに一つになれないでいる。

 ────それでも、本質は変わらない。BETAと戦うという事は隣に立つ者達を守り、銃後の人々を遍く守護する行為であるという真実は決して歪まない。

 人を護るために、人を殺す戦争は既に終わりを告げたのだ。
 それを象徴するかのように、嘗て世界中を巻き込んで人々が殺しあった戦争で活躍した兵器群が、BETA大戦においてその主力の座を奪われる事になった。
 地上にいながら空を制圧する光線級の出現と、掌握した制空権に裏打ちされた圧倒的物量。
 戦場の華とも呼ばれた旧来の兵器を駆逐せしめた軍勢に抗うため、人類には新たな主力兵器が必要だった。

 そして、全く新しい概念の兵器がこの世界に産み落とされる事となる。
 特筆すべきは、従来の兵器のセオリーであった"万能は無能"とされる兵器論を無視したその特殊性だった。
 降臨したのは、大地を駆ける陸戦兵器であり、また蒼空を翔ける航空兵器であり、そして四肢を持つ人型兵器でもある────鋼鉄の巨人。
 人類が、人類を衛る為に、人類を模して造られた、人類の剣。

 ────戦術歩行戦闘機、通称:戦術機。

 其の戦術機を駆る事を許されたのが、新概念兵器の台頭に伴い新設された兵科があった。
 それが、"衛士"と呼ばれる者達だ。

 戦術機と衛士は、旧来の兵器が担っていた役割を肩代わりし、敗退を繰り返しながらもBETAの侵攻に抗い続けた。
 その抵抗は無駄等ではなく、確実に人類の損耗が減少し緩やかになっていき────やがて、英雄と呼称される者達が現れ始めたのだ。

 熾烈を極めたグレートブリテン防衛戦にて、死闘の果てにBETAの侵攻を食い止めた『七英雄』。

 今尚激戦が繰り広げられているアラビア半島にて、F-16を駆り中東連合の兵達を牽引する存在となっている『アラブの戦姫』。

 公に広報されている以外にも……国家による抑圧、言論と思想の自由、そしてBETAの猛攻に翻弄され続けた『黒の宣告』の軌跡を筆頭に、幾つもの知られざる物語があったのだ。

 ────それ等は余さず一つに括られ、現代の英雄譚と呼ばれても謙遜ない歴史だった。

 今の子供達は、英雄譚が日々紡がれる世界に生きている。
 自分達を衛る為に、迫り来る化物を退治する為に創造された二足歩行ロボットを駆る英雄達の物語を、見聞きしながら育った世代。
 だから、例えそれが凄惨たる現実を知らぬ故の憧れだとしても、子供達は夢に見てしまうのだ。

 ────"衛士になりたい"、と。

 成長するにつれ、厳しすぎる現実を緩やかに知っていき、途中でその夢を諦めてしまう者も沢山いる。
 だが酷い現実に直面しても、憧憬を捨てきれずにいつか描いた夢へと前進していく者も、同じく数多く存在した。
 それでも……願い望むだけでは届かない。
 その夢に至るまでには、幾つもの壁があるからだ。
 まず第一にして最大の難関である、衛士適性の有無。
 三半規管の頑丈さ、運動神経、体力、精神力……凡ゆるモノを高度に要求される上に、更に運まで絡んでくる。
 一方で、逆にこれさえ乗り越えれば、資質を保証されたも同然だという事実もある。
 時間を掛けて必死に鍛錬し、後は居るかどうかも解らない神様にでも祈るしかない。
 人事を尽くして天命を待つ、という言葉が正に打って付けだと思う。

 しかし、ここに時間制限という"縛り"が在るとすればどうだ?

 衛士になる為の適性検査に合格し訓練校に入る方法で、尤も有り触れているのは徴兵だ。
 今現在、徴兵は満20歳から……しかし数年を経て大陸での情勢が変わり、それに伴って後方任務に限定されるが学徒動員が開始される。
 そして最終的には────後方任務限定という名目すら外れ、"前線へ送り出すための学徒動員"が始まる。
 つまりやがて来る徴集を待ち、衛士適性があれば、15歳から衛士になる為の訓練を始める事が出来る。
 これが将来の日本帝国において、世間"一般"に認知されるであろう、衛士になるまでの最速の過程となる。

 だが────それでは遅い。既に時間制限を超過してしまっている。 

 "1998"

 それまでに、どうしても間に合わせたい。
 その時既に、闘う準備を整え終えている事……それが、自分なりの最善だと自分自身に誓った。
 ……何よりも、自分が"歩いていきたい"道なのだと。
 だけどその時点で14歳となる身では、徴集される年齢にすら到達しておらず、スタート地点にも立つ事が出来ない。
 しかも、訓練兵になったところでどれだけ優秀であったと仮定しても、任官するまでの間にも時間が掛かってしまう。
 ……圧倒的に、時間が足りていないんだ。残酷なまでに、足りなさすぎる。
 時の流れに身を委ね、ただ徴集される瞬間を待つだけでは、何も変える事が出来ず、何も成し遂げる事が出来ないだろう。

 駄目なんだ。徴兵では間に合わない。

 そう、"徴兵"では─────────。

 ────────。

 ────。










 だったら。










 "志し、願う者"になればいい。




















────『そういえば、エイジ。話は変わるけど』────

────「ん?」────

────『"どこ"で衛士を目指したいか……もう決めたかい?』────




















────ああ、決めたよ。俺は……────




















「エイジ?」

「…………ぅ」

 名を呼ばれ、誰かに体を揺さぶられた俺は目覚めを促された。
 意識は急速に覚醒し、寝落ちする寸前に自分が何処で何をしていたのかも思い出す。
 此処は難民キャンプでの運営スタッフ達が居住する、コンパウンドと呼ばれる区域の施設だ。
 俺はそこの待機所で、机に突っ伏す態勢で寝ていた。

「ゴメンなさいね、ぐっすり眠っていたようだけど……そろそろ起きたほうがいいかなーって」

 僅かに英語訛りを感じさせる日本語が鼓膜を震わせる。
 俯せた顔を上げて声の方へと振り向くと、翠色の瞳が俺を覗き込んでいた。
 ブロンドヘアーを揺らしながらはにかみんでいるのは、難民キャンプの仕事で俺が世話になりっぱなしになってる、アシュリー・スーさん。
 国際連合難民高等弁務官事務所……略称:UNHCRから、日本で新設された難民キャンプへの支援にと派遣されてきている才媛だ。

「……いえ、おかげで目が覚めました。ところで、何かあったんでしょうか? 今日の仕事って、もう全部終わりましたよね……?」

 食料の配給も終わり、衛生施設の巡回も済んで動作に問題はなかったし、事細かな問題が発生した場合への対処も既に他の人に引き継ぎが済んでいる。
 経験が浅いスタッフ達を集めて勉強会でもするのか?と思ったが、それも記憶が確かなら今日はないはずだった。
 アシュリーさんは他の仕事と折り合いをつけながらも、多才かつマルチリンガルという事もあって、国際公用語の英語を筆頭に日本へ流入してきた難民たちの多くが使用する言語を統計的に分析し、使用頻度の高い言語から新人スタッフに対し教育を施す仕事も兼任している。
 プライベートな事にまでズケズケと突っ込んでくる人ではないので、実は俺が聞き漏らしていただけで勉強会をすっぽかしてしまったのかと考えた。
 この人は、未だ幼い身である俺が難民キャンプのボランティアへの参加を認められているという事に豪く興味を示してくれている。
 祖国である米国に俺と同じ年の娘がいるという事もあって何かと気にかけてくれているらしいのだが、こういった居眠りは今までも何度かしたことがあっても起こされたのは初めてであり、用事かはたまた説教でもされるのと思った。

「えぇ、終わったわ。だから君も帰る時間────なんだけど、寝てる間にもう夜の9時を過ぎちゃったみたいね」

「ぇ────うわ、外真っ暗じゃないですかっ」

 ……参ったな、寝過ごした。口が裂けても近いとは言えないが、実家から通えない距離でもなかったという事があり、俺は運動も兼ねて長距離を通勤している。
 子供用のロードバイクでシャカリキと、アップダウンの激しい道を走破するという中々にハードな運動をこなさなければ家に帰れない。
 しかしこうも夜遅くなると、流石に危ないか。難民キャンプ設立の条件として人里から離れた奥地を指定されたという事もあり、夜の道中は周りに灯がない為に相当な暗さとなる。
 備え付けのライトも心許ないんだよな。

「お父さんとお母さんから連絡があったの。そっちにまだ息子が残ってませんかって、心配そうだったわよ?」

 ……そう言えば今日の所は、父さん達難民対策局の方々は現地じゃなくて町の方で事務所仕事だったか。
 家に帰ってみれば、普段ならもう帰宅している俺の姿がなかったから連絡してきたんだろう。
 相変わらず心配性だ……もう今年で8歳なんだが────。

 いや……そりゃ心配もするって話だよな……。

「すみません。今日の所は此処に泊まる事にします。帰れない事もないんですが、これ以上余計な心配掛けさせたくないんで」

「そうするといいわ。寝床はどうしましょう?」

「確か今、部屋割が過密だったでしょ?相部屋も申し訳ないんで、簡易テントと……あと蚊帳があればそれでいいですよ。キャンプの予備の借ります。夏は嫌いって程でもないんですけど、虫刺されだけは苦手でして」

「フフ、つい掻き毟っちゃう方?」

「はい、油断すると痛くなるまで掻いちゃうんですよ……さてと、それじゃ今日の所はこっちに泊まるって両親に電話してきま────ひっぎぃっ!」

 他愛ない雑談を交わしながら立ち上がろうとした時だった。
 寝落ち前に読んでいて、枕代わりにしてしまっていた本が服に引っかかって落下し────俺の左足の甲を直撃した。

「うごごごご……」

「だ、大丈夫……?凄い声がしたけど……」

 思わず甲高い悲鳴を上げてしまった。
 余りの痛みにしゃがんで左足の甲を摩る俺に、心配そうに寄り添ってきてくれるアシュリーさん。
 今のはやばかった。角から逝きやがった。もう少し重い本なら骨折も有り得たかもしれない。
 俺は痛みを堪えつつ自分の不注意を戒めながら、本を拾い上げようとして────。

「これ……学校の、資料?」

 先に拾い上げてくれていたアシュリーさんに、話しかけられた。

「……えぇ、そうですよ。狙ってる学校があるんですよ」

「狙ってるって……えーっと、私あまり難しい漢字は読めないんだけど……ここ、サーフェイス・パイロットのスクールよね?」

 Surface Pilotは衛士。Schoolは学校。
 アシュリーさんの言う通り、その資料は衛士養成学校のモノだった。

「はい、そうですけど」

「エイジって、年ごまかしてたりする?」

「……何でそうなるんですか? 年齢詐称の経験なんて一度もないですよ」

 ええ。しっかり戸籍上の年齢を自認していますとも。
 どう足掻いたって年齢は変えられない。
 ていうか勝手に変えちゃいけないものだし。

「ん、ちょっとこの本は早いかな……ってね。君が兵隊さんにされちゃうのはまだまだ先だわ」

 ……紛う事なき、心配の眼差しだった。
 徴兵の事も知ってるのか。口振りから察するに、恐らく何歳から徴集されるって事まで理解できてるみたいだ。
 尤も、この国"独特"の制度までは飲み込めていないようだが。

「……解ってます。徴兵されるのは本当にまだまだ先で────"先すぎて"、間に合わないぐらいですから」

「────…………」

 俺の呟きを知ってか知らずか、そのまま物凄い速度で本を流し読みしていくアシュリーさん。
 そこまで薄いという訳でもないのに凄まじい勢いで速読すると、返しますと言わんばかりに両手で丁寧に手渡してくる。
 スペック高すぎだよこの人。典型的な西洋美人だし博士号も持ってたり。
 香月 夕呼さんといい、才色兼備ってのは実在するもんなんだな。

「……解ってても、やっぱり男の子としては憧れちゃう? 戦術機って」

「勿論ですよ。例えば────衛士になって戦術機に乗ってBETAと戦えば、アシュリーさんの事だって衛れるじゃないですか」

「ごめんなさい、私夫も娘もいるから……」

「いえ、知ってますよ!? 今の口説いた訳じゃないんで! アメリカに夫と娘さんがいて、娘さんは俺と同い年って事もスタッフ一同ご存知なんで!」

 8歳にして人妻好きとか悪趣味にも程があるだろ、勘弁してくれ。
 そういう意図で言ったんじゃないよ、要は単純だって事を言いたかったんだよ。

「……アシュリーさんだけじゃなくて、父さんや母さんの事もです。それに此処に落ち延びてきた人達だって……。いくら設備が整っていて落ち着いているからと言っても、好きでここまでやってきた訳じゃないですから。この状況は一時的なモノで、何時か故郷に帰って復興を始めるんです。その為にはBETAと戦って押し返して、この星から追い出さないといけない。それってつまり……沢山の色んな人達を、衛るって事じゃないですか」

 青臭い理想論で、綺麗事だという自覚はある。
 だが、突き詰めていけば結果的にそういう話になるのだ……国家間の戦争とは訳が違うのだから。
 どれだけ水面下で連携が泥沼になっていようとも、このBETA大戦というのは人類と、人類に敵対的な地球外起源種の戦争なのだ。
 人類同士の足の引っ張り合いは、それに付随して行われているだけに過ぎない。
 だから、例えどれだけ複雑な政情や感情が絡み合っているとしても、BETA大戦へと参戦しBETAと闘う者達は、背後にいる全ての人類を護る為に戦っているという"客観的真実"は覆らない。
 そして────。

「それを解りやすく体現してるのが、最前線に立つ戦術機であり、それを乗りこなす衛士なんです。憧れるなって言われても無理なんですよ。俺、男の子ですし」

 結局俺は、ガキなんだ。
 政治家や、研究者……もっと広い視点を持って、BETAと闘う事が出来る職業はしっかりと存在する。
 大人の感覚で、それを選ぶ権利も俺は有している。
 ────それでも、俺がなりたいと思ったのは衛士だった。
 情熱が胸の奥底にこびり着いて、剥がれてくれない。

 俺は、あの日憧れたブラウン管の向こう側に辿り付きたいのだ。

「……そっか。志願、するんだ」

 その言葉に、思わず動揺してしまった。

「ぁ……はい────そのつもりです」

 会話の流れから、何かを感じったのだろうか。
 まぁ、熱心に養成学校のパンフ読んでれば気付かれてもおかしくないか……。
 でも胸中にある想いを見透かされたような気分だった。
 そう言えばあの日の港でも、斎御司や月詠さんに何考えてるのか簡単に読まれたっけか。
 ……ポーカーフェイス向いてないのかな、俺。

「そうね、君は何をやらせても飲み込みが早いし、今から努力すればきっと義務教育を終えた頃には、衛士適性検査もパスしてこの学校に入れると思う。私知ってるわ。日本人は15歳から成人して、GEN-PUKUっていう儀式を行って戦場に向かうのよね。うん、志願するには丁度いい時期だと思う」

 ────"義務教育"を終えた頃には、か。ちょっと違うんだけどな。
 そして、色々ツッコミどころ満載なんだが。

「いえ、あの、アシュリーさん……幻想壊して申し訳ないんですが……現代日本に元服はありませんし、成人式は別にあります」

「えっ────……そんな……また騙された……また娘に騙された……」

 あー、ブルー入ったわー。あからさまにショック受けてるわー。
 NINJAもいないって今のうちに教えといたほうがいいんだろうか。
 お子さん日本通……いや、日本"痛"なのか? 間違った知識を一緒に覚えちまったんだろうか。

「あの、あまりお子さんを叱らないであげてくださいね。きっと書物の内容を間に受けて、時代事の解釈を一緒くたにされたのかと……」

「いえ、有り得ないわ……あの子、私よりも日本の風習や文化に詳しいから。それに英語と日本語だけなら、私より娘の方がバイリンガルとして優秀なぐらい」

 ……8歳でか?すげぇなおい。
 遺伝と英才教育の賜物って所か……アメリカは教育進みまくってるからなぁ。
 ていうか、学徒動員がこのまま世界的に進めば、ますます教育の分野ではアメリカの一強になっていくんだろうな。

「……けど、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥って言葉も日本にはありますし。今誤った知識を修正できてよかったと思えば」

 この四字熟語を使うタイミングじゃないんだが、一応それっぽい言葉使ってフォローしとこう。

「そうなんだけどね……はぁ、九割の真実に一割の嘘を混ぜてくるのよ……おかげで誰かに指摘されるまでその一割が発覚しないの。やめてほしいなぁ……」

 9:1は嘘をつくときのスタンダードだもんな……。
 随分と頭の回る子供だ。俺が言っていいことでもないが。

「ところでアシュリーさん。この事、両親には黙っといて貰えませんか。もう気付かれてるとは思うんですけど、自分から切り出したいんで」

「……ええ、解ったわ。内緒にしておきます」

「口止めさせてごめんなさい……ありがとうございます」

「いつになるか解らないけど、胸を張って報告するといいわ。この資料の学校……詳しく解らないけど、エリート校でしょ?ご両親も、貴方の志が高い事をきっと誇りに思ってくれる」

 ……適当に見たんじゃなかったのか?
 パラパラ捲ってるあいだに内容全部把握したのかよ……速読なめてた。

「エリート……まぁ、確かにそうですね。設備や環境が、凄く整ってるんですよ────アメリカのトップガンには流石に負けちゃいますけど」

「あはは……流石に、トップガンと比べちゃうと、ね。映画化されちゃうぐらいだし、規模も違うから……」

 ああ。流石にあれを超えるのは無理だ。
 映画は凄かった。俺も見たことあるけど、米国産の第二世代戦術機が全部出てきて動きまくってるのには、思わず興奮してスタンディングオベーションしちまった。
 まぁ、どんだけ憧れたところでそもそも国が違うんだから、逆立ちしたってトップガンになんか入れないんだけど。
 それに、今の俺にとっての目指すべき場所は、この資料の学校以外には有り得ない。
 俺の望みは、ここじゃないと叶えられないんだ。

「でも、一つだけ……たった一つだけ、トップガンにも勝ってるところがあるんです」

「……それは、何なのかしら?」

「────"若くして入校出来る"……です。この学校は、日本でも極めて例外的で、志願する事によって"中学生"から入る事が出来……それでいて国内最高水準を誇る、衛士養成学校なんです」

 俺は、そこに絶対入る。
 そこだけが、俺を"大侵攻"に間に合わせてくれる、最後の砦。

「……本気なのね」

「はい。父さんや母さんにも絶対に譲れない……俺の夢です」

 資料を握る手に力を込めて、もう一度決意する。
 "衛士になる"と。

 気が付けば、足の痛みが完全に収まり、熱が冷めていた。
 そして、そもそも自分達が何でこんな話をしているのかを思い出す。
 俺はまだしもアシュリーさんは唯でさえ激務なのだ。まだ仕事があるかもしれない。

「……あ、アハハ。すみませんでした。長話に付き合わせて。何か、人生相談みたいになっちゃいましたね」

「……いいえ、気にしないで、人生相談は大人の義務だから。それに私には娘もいるから、いい予行練習にもなったわ」

 社交辞令でもなさそうだ。
 娘さんも将来のビジョンがどうたらこうたらと言っちゃうぐらいにマセてるんだろうか。

「それじゃ、自分は親に電話してきます。また明日」

「ええ。よい夜を。また明日ね」





 

 待機所を出たあと、俺はすぐに両親から外泊許可を得るために電話をしたのだが。

『了承』

 という一言のみだった。
 今は要件が済んだので寝床を確保すべく、テントや蚊帳といった備品が置かれている場所へ向かっている。
 その道中で、朝方に起きたことを思い出していた。

 難民のおばちゃんの対応をしていたら、これで通じるから!と教えられ必死で喋れるようになった中国語の標準語、"普通話"がまさかの通じず。
 援護を求めようと見渡しても職員が誰もいない。ボディランゲージを使っても相互理解できない。
 そんな絶望的な状況で助けに入ってくれたのが、林 雪路(リン・シュエルゥ)という日本語ペラペラの中国人の少女だった。
 初対面ではなく、以前に食糧配給で会っていたのを、お互いに覚えていたらしい。
 普通は保護者が受け取りに来るんだが、彼女だけは子供の身で受け取りに来た上に、そもそも単身で難民キャンプへ入っているという身の上らしく。
 そして向こうからすれば、自分と同じ年ぐらいでボランティアやってるのを珍しく思ったのだろう。
 その時からの縁があったようで、言語の壁に阻まれていた俺を颯爽と手助けしてくれた。

「中国語は方言が凄まじいですから」

 と翻訳をやってもらったところ、そのおばちゃんはどうやら受給したテントや調理器具が破損してしまったらしく、交換を申し出たかったらしい。
 ぶっちゃけ、ボディランゲージで何とか理解しようとしていた時には"天幕"ぐらいしか理解できなかったが、どうやらそういうことらしかった。
 どんだけ発音と文法違うんだと……。
 結局、本部へと案内して新しい物を用意し、割り当てられているセクションまで付いていき、取り置き等の不正が起きないよう俺自ら交換するという大仕事に。
 その間、シュエルゥはかなりの距離を移動したというのに終始ニコニコ微笑みを浮かべながら、ずっと隣で翻訳してくれるという天使っぷりを見せ付けてくれたのだ。
 そして作業終了後、少しお互いの身の上話をした後、どこのセクションに住んでいるかを語り、また翻訳が必要なら呼んで欲しいと言って、見返りを一切求めずに帰りやがったのだ。
 結局こんな時間になってしまったが、まだギリギリで今日起きた事には違いなかった。正直、何か返さないと申し訳無さ過ぎる。
 何かしてやれることはないか……。
 一応、難民キャンプの運営に携わり、困っていた人を助けたのだ。自分も難民であるというのに。
 相応の見返りはあってしかるべきだった。
 そういや、シュエルゥが受給した蚊帳が、同じく個人の自由で受給された蚊取り線香に引火し、破損どころか全焼して完全に使い物にならなくなったと言っていたな。

「いやぁ、テントが無事でよかったです」

 とか言って本人は大笑いしてたが、俺は笑えなかった。
 過密度の高い難民キャンプでは絶対にやらかしてはいけない事が火災だ。
 幸い、此処はまだスペースに余裕があるので大問題には発展しなかったが。
 しかも、申請すれば新しく受給できるぞと言っても、そもそも不注意で修理できないまで燃やし尽くしたのは自分だからと、ここでも遠慮された。

 若干押し付けがましいとは思うが────こちらに本気で借りを返す気があるとアピールするには、丁度いい口実ではあるか。

 既に備品置き場に到着していた俺は不正ではない事を示す為に、俺のスタッフIDとシュエルゥのID、そして用途と再配布の理由を申請書に書く。
 後は俺が蚊帳を担いで歩くだけだ。折りたためばそこまで嵩張らない。
 問題があるとすれば……そこそこ遠いことか。
 行って渡して設置して帰って……シュエルゥが住んでるのは割と近いセクションだから徒歩……いや、ロードバイク使うか。
 車出してもらう時間じゃないし、まず我侭になるしな。
 あー……最悪、眠気が限界そうなら泊めてもらおう。
 男女ではあるが、お互いまだガキだ。
 そういう距離感に気を遣い合う年齢でもないし、そもそも"そういう欲求"がまだ湧いてくる年じゃないからな。

 全く小学生は最高だぜ。




























アメリカ合衆国・ニューメキシコ州
ロスアラモス国立研究所






 ロッキー山脈南端。
 そこには美しく群生する森林に囲まれた、110平方kmからなる広大な敷地があった。
 2100棟もの研究施設が立ち並ぶ眺めは、圧巻の風景だ。
 『合衆国の至宝』と関係者達から称される機関が此処、ロスアラモス国立研究所だった。
 そして名実共に世界の最先端であるこの場においてすら、G元素というこの世で最も取り扱いに困るであろう代物を一手に担う区画の一棟に────。
 "合衆国に属さぬ者"が紛れ込んでいた。

「忙しい所を急に呼び出してしまって悪いね。君も此処にいる間に済ませておきたい事があるだろうに」

「期日までには資料を纏め終える予定ですので問題ありませんよ、博士。お気遣い、ありがとうございます」

 初老の男性が見るからに日系人だと解る少年へと、まるで友人に対するようなフレンドリーさで語りかける。
 男性の容姿は特徴的だった。蓄えられた顎髭に白衣を羽織るスタイルは、正に少年が口にしたとおりの絵に書いたような"博士"であり、ハイバックの背凭れに体重を預けた姿勢によって威厳が更に増している。
 その遣り取りから、二人の間に流れる空気は対立を感じさせるものではない事が明白だった。
 それもそのはず……彼らは年齢、人種、国家間を超え、協力体制を敷いている。

 ウィリアム・グレイと霧山 霧人は、共犯だった。

「しかし、要件というのは一体……」
 
「他でもない、"同盟"の件だ……長らく続いた議論も昨日、例のモノを出来うる限り提供するという締括りになったのでな」

「────ッ」

 霧人はグレイ博士が口にした想定外の言葉に、思わず息を飲む。

「博士、自分がこれを言うのはおかしいという自覚はありますが……本当に宜しいのですか。 "ゴルフセット"の"9番"ウッドは、"11番"ウッド程ではないにせよ貴重な代物には違いないはずですが」

 わざとらしく隠語を混じえながら再度の確認を行う霧人の額には、薄らと汗が滲んでいた。
 Golf……フォネティックコードの"G"。その9番。

 ────Gr.9を提供すると、グレイ博士は言っているのだ。

 それがどういう行為か、両者には理解できている。
 貴重等という生ぬるい言葉では済まされぬ、機密扱いを受けた物資の横流し……発覚すれば紛れもない重罪だ。

「だが必要なのだろう。何、高官共が欲しているのはあくまで11番だ。9番に関心を持っているのは大半が我々に賛同する者達で融通も効く────根刮ぎ持っていかれる訳でもあるまい。どれほど要るのかね」

 しかしその身を滅ぼしかねない選択を、グレイ博士は行った。
 その事情の裏側にある真意に思いを巡らせながら、霧斗は要求を提示する。

「……唯でさえ危険な橋を渡って戴いております。贅沢は言えません……ですが、もし叶うのならば────」

 霧斗は乱雑に置かれていた書類の一枚を裏返し、白地の部分にボールペンを走らせ始める。
 そして香月 夕呼から事前に要求されていた値を明記した。
 グレイ博士は差し出された請求内容を確認すると、一度だけ信じられないモノを見るような目で霧斗を一瞥する。
 しかし、見返す少年の目は真剣そのもの……冗談の類ではないことを把握し、この軍事転用に際する初期投資には余りにも"少なすぎる"需要を受け入れ供給を受諾した。

「ふむ……承った。この程度の微量ならばお安い御用だ、今すぐにでも持って行き給え……と気前よく甲斐性を見せたいところだがね。調達や分割払いの関係もある。量が量なだけに誤魔化しは効くんだがね……それでも万全を期した根回しに少しばかり時間が掛かってしまいそうだ。それでも構わないかな」

「本当に、願ってもない待遇です。感謝してもしきれません」

「礼はいいさ。此方も打算で動いている」

 打算。
 その言葉に、霧斗は眉を顰めた。
 ウィリアム・グレイは売国奴などでは決してない。
 アメリカ合衆国に一市民、一学者として忠誠を誓っている人間だという事を、霧斗はロスアラモス研究所へ滞在している間に思い知っていた。
 だと言うのに今この瞬間、同盟国に所属する人間とは言え外部の人間に、機密物資の横流しを約束しているのだ。

「……グレイ博士。合衆国に属さぬ私共にここまで肩入れせざるを得ない程に……米国政府が打ち立てている方針が気に入らないのですか?」

 霧斗はそんな疑問を投げかけながら、肯定が返ってくると予測した。

 忠誠の形は、一つではない。
 民主国家において、国を動かす人間というのは国民によって選定される。
 だが、選ばれた人間が常に正しい事を……"最善"を行えるという訳ではない。選ぶ権利を有した大多数の国民達が無知ならば尚更だ。
 尤も……霧山 霧斗は、この世界の米国が"間違った方向へ進み続ける"と確信していたのだが。
 そしてその想像は的中し、米国は順調にG弾運用へと傾いていき、それを良しとしない少数派の慧眼を持つ者たちが今、霧斗の目前で動き出している。
 祖国の恒久的な勝利を、祖国のみの手に依ってではなく、他国との連携の先に見出す為に。

「────……。"アレ"は未知数すぎると、私達は再三申し上げたのだがね……上の連中は撃ち込みたくて仕方ないらしい」

 グレイ博士が俯き加減で言い放った"アレ"というのは、他でもなく────G弾だ。
 装甲による防御という概念を古いモノにしてしまった、次世代の戦略兵器。
 米国政府の多数派連中は、現存するG元素を全てG弾の製造へと注ぎ込み、飽和攻撃することによってBETA大戦は集結すると目論んでいる。

「……納得は出来ませんが、理解は出来ますよ。世界人口の減少……20億を切ろうという状況に差し掛かっています────BETAの地球侵攻を許してから5割の人類が死滅したことになる。対岸の火事で済まされる事態ではない。光線級を以てしても迎撃不可能という、盤上を引っ繰り返す決戦兵器があるのならば、使いたくなるのも仕方ないのでは」

 霧山 霧斗は、バビロン作戦の"概要"そのものを全面的に否定している訳ではない。

 新しく出来上がった爆弾の飽和投下によって勝てる見込みがあり、人的損耗も極力抑えることができる。
 爆心地周辺には"僅かな"重力異常が起こってしまうものの、異性起源種との未曾有の戦争を早期に終結させる代償としては許容範囲内である。

 これが米国政府の考える、いつか起きるかもしれないバビロン作戦の……"的外れ"な概要だ。

(……悪くはないんだ。重力異常が"僅か"で済んで、地球上からBETAが"根絶"されるのなら……決して悪くない。けれど、その先にあるのは……)

 ────白塩が舞う戦場で、人とBETAの区別も付けずに醜く争う『最後のエデン』────。

 その未来だけは、何としても回避する。
 霧山 霧斗は、徐々に……だが確実に正史とは食い違うこの世界で、それだけは……何処の誰を何人巻き込もうとも必ず完遂すると。
 それが自分なりの、転生等という身に余る超常現象を経て生まれ落ちたこんな世界で、必死に生きる道だと決めている。
 今行われている遣り取りは、その目標への第一歩だった。
 G弾に対し多少の理解を仄めかしながら、既に"転生者"と接触し、この世界にとってキーパーソン足り得るウィリアム・グレイ博士に、先見の明がどこまであるのかを探る。

「……ああ、君の言う通りだ。仕方ない。だがその先に────我が祖国に齎されるものが、"敗戦処理"では困るのだよ」

 そして、霧斗が望んだ思惑と、グレイ博士の発言が重なり始める。
 拳を軽く握り締め、言葉を搾り出す。

「……博士。敗戦処理とはどういうことでしょう。アレが政府の連中の"妄想"通りに機能すれば、米国は人類に勝利を齎した存在として栄誉を得ることになるのでは?」

「ああ、"妄想"通りに機能すれば、な。君は此処に来てから、カールスやリストマッティに散々教鞭を取らせていただろう? ならば、二人の提唱した理論があくまで"手法"を解いたのみであり、"何故そうなるのか"という根底が未解決だという事は把握出来ているね」

「はい。ですから博士達は三人共に、ML機関をあくまで制御下で運用するHI-MAERF計画に集ったのでしょう。アレの臨界制御の開放はムアコック・レヒテ理論において尤も危険視される行為です」

「宜しい。付け加えるならば先刻、政府の連中は更なる悪手を打った……11番を、全てアレの製造に注ぎ込むとするそうだ。この意味が、理解出来るね」

 アサバスカの着陸ユニットから回収された、ML機関の材料となるGr.11は凡そ2t。
 既にXG-70用のML機関として徴用されたGr.11を差し引き、残り全てをG弾の"製造"に用いるという案件が議会を通ってしまっている。
 つまり、今後の"実験"に使う事が出来なくなったという事だ。
 人類による生成は出来ない以上、貴重な敵性物質の無駄遣いは避けるべきである。
 勿論、霧斗やグレイ博士も、そういう事情は理解できている。
 だが────。

「……故に、そんな未知数の"モノ"を"ゴルフセット"が大量に埋没しているであろう場所へと飽和投下すれば、副次的に想定外の何かが起きてしまう可能性が極めて高いと?」

 G弾の起爆実験は、G元素が欠片も存在しない実験場で行われて完成を迎える形になった。
 しかしその後、即時に全規模量産へと移る事になってしまったのだ。

 本来ならば念入りに吟味すべき"未知数の敵性物質によって製造された爆弾の実験"だというのに、費やされるべき回数も時間も────圧倒的に足りていないのである。

 材料に限度があるとは言え、使用前提を考えてみれば勇み足甚だしい。
 今、地球上に聳え立つハイヴの奥底には地球で生成された分のG元素が埋没していると仮定されており、高フェイズのハイヴにおける推定埋没量は文字通りの桁外れと予測されている。
 そんな場所にG弾を落とすことになるというのに、起爆実験におけるシチュエーションでは周囲にG元素を配置せずに行われたのだ。
 更にこれは未だ霧斗の知識にしかない事実ではあるが、"反応炉"というモノもある。
 これらの相乗効果によって、クリーンな状況でのG弾起爆の効果とは極めて大きな変化を示してしまう。
 そしてその終幕が……霧斗の脳内に沸々と浮かび上がるのが、"後日譚"の大崩海と荒廃した地球だった。

「君の言う通りだ。想定外の何かが、例えば────世界中の海が"傾く"、というのはどうだろう」

「────…………。それは、"ポリー"の入れ知恵でしょうか」

 正に脳内で再現していたシチュエーションに合致する言葉を放つグレイ博士に、米国の転生者の"愛称"を突き付ける。
 吹き込んだのは彼女以外にありえなかった。

「ああ、彼女の"予知"の一つだな」

「……予知ですって? まさかその根拠もなく実証も出来ない与太話を信じていらっしゃるのですか。他でもない、学者である貴方が」

「否定したくとも、否定しきれないのだよ。彼女は既に、XG-70の一件とG弾の起爆実験の結果を予言し、的中させてしまっているのだからな……選りすぐられた科学者が揃いも揃って見抜くことが出来なかった結果を、だ。全て偶然だと断定し、全否定してしまう方が思考停止に陥っているとは思わないかね」

「……成程。では、彼女はどこまで予言をしたのですか。海が傾いた結果ユーラシア大陸が完全に海没する事は? かつて海底だった場所が塩の砂漠として出現する事はどうでしょう。 電離層の長期的異常や、大気圏内外の通信網の壊滅は? ────結局、BETAを駆逐するには至らないであろう事は?」

 ギシリ、と。椅子が軋む音がした。
 グレイ博士が腰掛けたまま机に身を乗り出し、対面へと座る霧斗を鋭い眼光で見据える。
 対する霧斗は怯まず視線を返しながら、グレイ博士達がポリーからどこまで未来の情報を引き出しているのか当たりを付けていた。
 表情こそ険しくなったもののそれ以外に変化はなく、目線や体のブレ、発汗などの動揺を示す動きは見られない。
 ……どうやらこの状況すら、"想定の範囲内"であったようだ。

「────…………あの娘と示し合わせた訳ではない事は、私達がよく理解している。そもそも、君とあの娘の個人的接触に厳しく制限を設けたのは私達なのだからな」

「では、やはり」

 畳み掛けるように手札を切ったのは間違いではなかったようだ、と胸を撫で下ろす霧斗。
 研究所に来てから、霧斗とポリーが出会うときは常に三人の博士のいずれかが付き添っていた。
 必要以上に余計な事を吹き込み、または漏らされると厄介だ……と判断し警戒したのだろう。
 お互いが転生者であると感じながらも、二人は決定的な最終確認を行えないでいた。
 その為、二人はどこまで"正史の知識"を共有し、またどれだけ周りに晒しているのか解り切っていないという状況だった。

「……勿論だとも。それらも聞き及んでいるさ。しかし、またあの娘の予言が当たってしまったな。君が恐らく自分と同じ事を言うだろうと、彼女は私達に漏らしていたからね……全く、私の中でポリーの株はストップ高だよ」

 だが、グレイ博士の言葉が引鉄となった。
 霧斗は己とポリーの知識量は限りなく同等であり……歩むべき道も共有できているのだと。
 そして、それは彼女に賛同する博士達の真意も────。

「……グレイ博士。彼女を擁し、G弾と敵対する貴方達の一派は────」

「G弾が導き出す凄惨たる未来を否定する。私やカールス、リストマッティにはアレをこの世界に産み落とした責任の一端がある。ましてやそれが祖国にとって大いなる損失を齎してしまうのならば尚更だ……例えどのような小さな可能性だとしても一つ残らず許容できない。必ず阻止してみせる……君やポリーのような我の強い異質な存在を乗りこなしてでも、な。その為のHI-MAERF計画復権派だ」

 その宣誓が、彼らにとっての始まりだった。

「────改めてお願い申し上げます、博士。次期オルタネイティヴ計画を狙う我々と、正式に同盟を結んで戴きたい」

「────承った。我々HI-MAERF計画復権派は君達を歓迎し、海を隔てたこの大地から支援すると誓おう────共に、世界を救おうか」

 ウィリアム・グレイにとっては、G元素を解き明かし、G弾という人の手に余る兵器の礎を作り上げてしまったという過去への贖罪の為に。
 霧山 霧斗にとっては、G弾の欠陥を実証し世界に暴き、香月 夕呼率いる『オルタネイティヴⅣ』完遂という最善たる未来への継承の為に。

 互いに選んだ道が、今此処に交差する。










































1991.summer.oneday



日本帝国・九州         アメリカ合衆国・ニューメキシコ州
熊本難民キャンプ   ───    ロスアラモス国立研究所








『どうしたの? 国際電話なんて掛けてきて……そっちで、何かあった?』

「いえ、何もございません。心配させて御免なさい、お母様。慣れない土地でお体を壊してはいないかと思って」

『ふふ、ありがとう。急に電話なんてかけてくるから、何事かと思ったじゃないの……あ!そう言えば、今日貴女のせいで恥を欠いたわ……GEN-PUKUなんてとっくに廃れたらしいじゃない!もう……』

「……信じていらっしゃったのですか。てっきり知りながらも冗談に乗ってくれているのだとばかり……ププ」

『今確実に笑ったわよね……全く、この子は……だけど、そのおかげで間違いを指摘してくれた子と仲良くなれたから、よしとしましょうか』

「以前仰っていた、私と同じ年の子でしょうか?」

『ええ、とても優秀で、使命感に満ちた子……ご両親の仕事を肌で感じて学びたいって、難民キャンプで嫌な顔一つせずに働いてるんだから……。ぁ、研究所で皆さんに迷惑かけてないでしょうね?』

「かけてないですよ?むしろ……さっき何もなかったって言いましたけど、"いい事"があったのです」

『いい事?』

「はい、以前お話した日本から来た子と、ようやくお友達になれたのです。博士達に、もう二人で会っていいよと、お許しを戴きましたので」

『……そう、よかったわね。以前、気楽にお話できないって愚痴っていたもの』

「ええ。これまでの事、そして───"これからの事"。お互いの容姿や趣味、諸々のプライベートな事。"友達"の事や日本で起きている色々な事。……これまで話せなかった分、沢山お話が出来たので、私は今とても機嫌がいいのです」

『フフ、声が弾んでるから言われなくても解るわ。じゃあちょっと日本の事で、教えて欲しいことがあるの。冗談は抜きでね。嘘はナシで、ね?ね?』

「お母様……二回も言わなくていいじゃないですか。反省していますよ。私でよければ、しっかりとお答えします。九州の風習ですか? 細かい方言ですか?」

『いいえ……ねぇ。日本には、Tactical Surface Fighterを扱うミドルスクールがあるって、本当なの?』

「────…………。ええ、実在しますよ。ですが、何故そんな事を」

『エイジ=フワっていう面白い男の子がね。凄くキラキラした眼で、そこに入ってSurface Pilotになるのが夢なんだ、って言ってたから気になっちゃって』

「エイジ……フワ……────そう、ですか。でも、その子は学校の名前は教えてくれなかったのですか?」

『うっ……その学校の資料見せてもらったんだけど、ちょっと日常で使わない漢字が使われてたから。学校の名前にも、読めない漢字があってね……あはは』

「……お母様。その学校は、日本帝国でも特別な場所なのです。正式名称は────日本帝国斯衛軍、衛士養成学校」

『……インペリアル・ロイヤルガード?それって、確か政威大将軍を守る……』

「はい、そうです。凄い所を目指しているのですね、エイジ君は。きっとどんな手を使ってでも、"迫る期日"に間に合わせたいのだと思います」

『期日?』

「いえ、此方の話です。お母様、私は今の相談を聞いて益々機嫌がよくなりました。ですのでお母様に、今度エイジ君に合ったときに彼をからかえるネタを提供します」

『あら……サービス精神旺盛ね。だけど、傷つけてしまうような言葉は……』

「大丈夫ですよ、今回の話にも関連することなので。お母様、日本人は、名前を構成する時に"漢字"を組み込みます。これは漢字が持つ読み方意外にも、漢字そのものに宿った意味を授ける行為でもあるのです」

『漢字はとても難しいけど、神秘的なものを感じるわ……そういえばエイジの姓も名前も、複雑そうに絡み合った文字だった』

「ふふ……そのエイジ君の名前を構成する漢字なのですけど───英訳すると、Surface Pilotになります」

『まぁ……!』

「それに、姓のほうもUnbreakableと訳すことが出来ます。エイジ君は、"破れずの衛士"というミドルネームを授かって生まれてきたようなものなのですよ」

『……もしかすると、両親にそういう未来を押し付けられた可能性は……』

「本人は、そう捉えていたのですか?」

『────いいえ。両親にも譲れない夢だと言っていたわ』

「だったら、エイジ君は自分で選ぶ事が出来たのですよ。自分の名前を道標に、自分が行くべき道を」

『そうね……とても、素敵な話だわ……って、あ、あら?何でエイジの名前に使われてる漢字が解ったのかしら?』

「私に出来た友達が、エイジ君と親友だったからです。今日聞きました」

『────まぁ、まぁまぁまぁまぁ!!何て、運命的な巡り合わせなのかしら……ッ!こんな事があっていいの!?嘘じゃないわよね!?』

「嘘じゃないです。というか、それは此方の台詞です。エイジ君の名前を聞いたときは心臓が止まるかと思いました……因果なものです、本当に……。キリト=キリヤマの名前を出せば、きっとエイジ君も信じてくれると思います」

『キリト=キリヤマ……ね、忘れないようにするわ。ふふ、明日あったら早速話してみようかな……あふっ……』

「お母様に喜んでいただけたようで、雑学を披露した甲斐があったというものです……ところで、今あくびを隠そうとしましたけど……大丈夫ですか?」

『んー……ごめんなさい、もう少し話していたいんだけど……私も寝ることにするわ。そっちはもう朝でしょう?今日も一日頑張りなさいな』

「はい、此方こそごめんなさい、時差を考えずに電話してしまって……それでは、おやすみなさいお母様」

『ありがとうね、"ポリー"。愛してるわ』

「私もです……ですが、こういう時は愛称じゃなくて本名で呼んでほしいのですよ」

『あらそう?……それじゃ、お休みなさい。"メアリー"』
































 カタン、と。
 受話器を置いて、母親譲りの光沢を放つ長い金色の髪を揺らしながら、眼帯の少女が笑う。

「斯衛軍衛士養成学校……ですか。成程、徴兵は待てないということですか。本気で、大侵攻に間に合わせに行くのですね」

 才媛たる母親からメアリーと名付けられた少女は、呟きながら西を見る。
 海の向こう、やがてBETAの蹂躙を許してしまう"はず"である、極東最大の要所であり……世界の中心となりえる場所。

「米国で果たすべき事は済みました。所詮、神輿でしかない私はお役御免でしょう。切れる手札は全て切りましたし、HI-MAERF計画復権派はグレイ博士を中心に十二分に機能します。要はG弾にさえ終止符を打つ事が出来ればいい。大崩海さえ阻止すれば一先ず首の皮は繋がります。ALⅣの成否は、ALⅤを堕としてから論ずればいいこと……それよりも今は」

 日本に集う者。日本から米国へ来た者。米国に座す者。
 全て繋がった。いや、それとも既に繋がっていたのか。

 ────そもそも、誰がそれを繋げたのか。

「……キリト君が言っていましたね。転生者の中心には彼がいる。どこかで必ず繋がっている。引き付けて、離さない。まるで、原子核のような────」

 唸りを上げて渦が巻いていく。日本を中心に。
 いや、中心は本当に日本なのか?
 ぐるぐると回っていく思考を楽しみながら、右目の眼帯を摩った。

「いっそ、彼を中心に世界が回る英雄譚ならば……と思ってしまうのは、怠慢なのでしょうか。帳尻を合わせるにも限度がありますよ、キリト君」

 ここまで激変した世界で、まだ"あいとゆうきのおとぎばなし"の再演を望むのか。
 それは本当に、正しいことなのかと問い続ける。

「……ま、結局は誰よりも早くHI-MAERF計画を引っ掻き回した私すら、その帳尻を合わせるための駒に成り下がっているのですが……」

 斯衛軍の上層部に巣食う者の影響力は極めて強いと聞いていた。
 どこまでBETAの侵攻を妨げてくるのか。
 キリトの心情を察しながら、メアリーは斯衛の転生者の活躍に期待していた。

「もしも……斯衛の転生者がALⅣを、そして私達がALⅤを阻止してしまった時……この世界に何が残るのか。興味はありますが、少々不謹慎がすぎますね……この考えは」

 五次元効果爆弾。
 00ユニット。
 戦略航空機動要塞。

 "戦略級の兵器"全てが都合できなくなった時────人々は何に頼ればいい。

 最悪の状況だ。考えたくもない手詰まりだ。

 だがそれでも、もしそうなってしまった時……どうすればいいのだろう。

 その時、何を信じて戦えばいい?

 ────自分なら何に縋り付くだろう。

 自問自答した。

「────BETAをこの星から追い出す為に作られた、戦術歩行戦闘機。そして、それを駆る……"七英雄"達のように、絶対的エースと崇められる"衛士"でしょうか」

 米国の転生者はその考えに行き着き、壮絶な笑みを浮かべた。

「フフ……グレイ博士はキリト君にG元素を託す事にしたようですが……信用は出来るとしても、お目付け役は必要なのですよ。不肖、メアリー・スー。G元素が悪用されぬように監視者となり、日本へと赴きましょう────」



















──────→ Route:IMPERIAL_ROYAL_GUARD





[12496] 第三話 ─大陸からのエトランゼ─
Name: Caliz◆9df7376e ID:93ba022c
Date: 2020/03/22 06:22
 







 1991.summer.one day

  日本帝国 九州

   熊本難民キャンプ








 この日の夜、夏のわりに雲が少なく、空からは月光が降り注いでいた。
 遠くからは緩やかな風が草葉を揺らす音と、虫の泣き声が微かに聞こえてくる。
 普段なら鬱陶しいほどの湿度も控えめであり、不快指数は総じて低い。
 冷房等という贅沢な物のないテントで過ごすには快適な気候だと言えるだろう。
 しかしテントで過ごすとは言え、ここはアウトドアを興じる為のキャンプ場に類するような、所謂娯楽の為にある施設ではない。

 ────難民キャンプ。BETAに故郷を追われた人々が身を寄せて日々を過ごす、歴とした居住区だ。

 そんな場所で俺……不破 衛士は、今。
 一人の難民の少女が住まうテントにお邪魔している。
 文字通り、本当に邪魔かもしれない。半ば強引に押しかけているから。
 腕時計が示す時刻は夜の11時前。
 まだまだ子供とは言え二人きりの男女が同じ空間にいるには、決して健全とは言えない時間帯だ。
 用事が済んだのなら、そろそろ立ち去るべきだろう。

「……思ったほど遅くはならなかったしな」

 そもそもの発端である蚊帳の設置自体は、特別な技能や膨大な時間が必要な訳ではない。
 既に手早く済ませた俺は、テントの中で寝転んでくつろいでいる状態だった。勿論、家主(?)の許可は貰っている。
 天井を仰ぐ体勢から見えるのは、蚊帳の網目越しの世界。これはこれで新鮮な気持ちになれる。
 蚊帳そのものが、今時の日本には珍しい一品だ。
 建築技術の発展、空調設備の供給率や衛生環境の変化……そういった事に伴って、蚊という衛生害虫そのものが日本では激減している。
 また殺虫・防虫を目的とする商品も続々と開発された結果、国内では一部地域で伝統として残っている事を除き、蚊帳が置かれている光景は稀な事となってしまっている。
 しかし、やはりと言うかテントの中では風情がない。こればかりは愚痴っても仕方ない。
 ここが縁側へと続く畳の和室で、風鈴と西瓜と麦茶があれば完璧なのだが────。
 そんな取り留めのないことを考えていると、視界に可愛らしい少女の顔が割り込んできた。

「ぁ、ありがとうございます。エイジさん」

「別に畏まらなくてもいいって。お礼をしに来たのにお礼を言われちゃ、立つ瀬がないだろ?」

「は、はぁ……そんなもんですかね?」

「そんなもんだ」

 この少女が、このテントの主にして、俺を助けてくれた恩人。
 俺が来る前に洗髪していたのか、しっとりと濡れた綺麗な桃色の髪。
 身に着けている衣服こそ草臥れているが、難民キャンプを渡り歩いて来たというその経歴に相応しくない程の清潔感を感じさせる。
 名はリン・シュエルゥ。字は林 雪路。
 ちなみに俺と同い年のはずだが、俺より10cmはデカイ。くそぅ。
 難民の子供に有りがちな成長不全とは無縁のようで何よりである。喜ばしい限りだ。おのれぇ。

「むしろ、こんな夜遅くに押し掛けられて迷惑じゃなかったか?」

 卑怯な問い掛けだ、と思いながらも言い切る。
 この流れでこんなことを言えば、普通なら「No」としか返せない。
 勿論、コミュニケーション能力に問題がある人間ならば話は別だが────。

「と、とんでもないです!迷惑どころか、凄く嬉しくて……まさかあの時の零れ話を覚えてくれていたうえに、その日のうちに訪ねて来てくれるなんて思ってもいなかったんで……」

 ────御覧の通り。
 シュエルゥは「No」と、想定した通りに返答する。
 それどころか此方のありがた迷惑な行為のフォローさえしてくれる始末。
 昼前に出会った時から理解してはいたが、改めて知能の高さが窺える。
 迷惑ではない、という言葉も社交辞令ではないだろう。事実、蚊帳を持ってきたと言う俺を特に拒絶もなく、暫しの沈黙の後に二つ返事で招き入れた。
 大きめの瞳をパチクリさせて数秒ほど固まっていたのが印象に残っている。

「……でも正直な話、こんな夜中に訪ねてきやがってコノヤローとか思ったりしてない?」

「いえいえいえっ!そんな恐れ多いことは決して! まだ床に就く前でしたし、全然気にしないでください!」

「ははっ、悪い悪い。冗談だって、疑ってないよ」

 本当に、出来た子だと思う。

 ……出来過ぎなぐらいに。

 この子と話していると、舞鶴港で"あいつ等"と接していた時と似た感覚に陥ってしまう。
 年不相応の落ち着きや、群れずに単独で行動出来る自律・自主性。
 豊富な語彙に、二ヶ国の言葉を話す語学力……中身と外見の不一致具合は、"あいつ等"と比較しても負けず劣らずだ。
 初対面、昼間に出会った時は群を抜いて賢い子……そう自分を騙す事が出来る程度の認識だった。
 だけど今は……正直に言うと疑ってしまっている。考えすぎだと、自分で自分を窘めるのが厳しいぐらいに。
 やはり、"あんなモノ"を見てしまったのがいけなかった。
 林 雪路は、もしかすると────。

「……?……あれ、何もしてないのに蚊が……」

「ん? ああ、それか」

 シュエルゥの疑問の声に思考を中断すると、微かに鼓膜が捉えていたモスキート音が止んでいる事に気付く。
 テントの床をよく見てみれば、蚊帳の外側に蚊が数匹転がっている。どうやら早くも効果が出始めているようだ。

「蚊が網に止まるだけでコロリと逝く優れモノなんだよコイツは。殺虫剤を網の繊維に練り込んでるんだとさ」

 飛んで火にいる夏の虫……の現代版とでも言うべきか。
 蚊からすれば、蚊帳に止まっただけで死ねる鬼畜難易度だろう。
 時代の流れってヤツだ。病原菌のキャリアなんてやってりゃ対策されるのも当然だが。

「おー……こんな便利なものが」

「ちなみにシュエルゥが前に燃やして廃棄した蚊帳よりは耐火・耐久性も向上してる。良かったな、ちょっとぐらい雑に扱っても大丈夫だぞ」

「そ、その件は忘れてください!本当に反省してますから!」

「あっはっはっ……二度と同じ轍を踏まないように定期的に弄ってやるから、覚悟しとけよー?」

「う"っ……自業自得ってヤツですかね……甘んじて弄られます……」

 いや意地悪じゃなくて。割と本気で、再発は防止したいんでな。
 ……大陸の戦況が悪化すれば、難民はまだまだ流入してくる。
 キャンプの密度が上がってくれば火災は致命的だ。
 一回目は笑い話で済んで本当によかった。二度目はない。

「それにしても、こんな物があったんですね。中国の難民キャンプじゃ見掛けませんでしたけど、まだ日本にしかないんですかね」

 蚊帳を指先でちょいちょいと突っつきながら聞いてくるシュエルゥ。

「まさか。むしろ内需は少ないんだ。基本的には日本の企業が、WHOのマラリア対策強化プロジェクトに参加して出来上がった産物だから。マラリアの多発地域……特にアフリカへ優先供給されてる。けど、おかしいな。アフリカ程じゃないにしても、マラリアが発生する中国には輸出されてるはず────」

「ぁ、なるほど。中国じゃマラリアが発生してるのは南の方だけですもんね。ボクが辿って来たのは北側なので。そりゃ見当たらない訳ですよ」

「────……」

 彼女の口から出た言葉を聞いて、まだ日が昇っていた時の事を思い出してしまった。
 通訳をしてくれたシュエルゥと別れた後、配給の仕事を予定通りにこなし、コンパウンドへ戻って事務処理の補佐をしていた時のことを。
 俺は、仕事の最中に偶然にも見てしまった……彼女の、個人情報を。
 難民とは言え、シュエルゥは正式な手続きをし、法に則って日本帝国に入国した。
 その際に流れとして、個人の識別情報を登録しなければならない。
 俺が見たのは、そのデータだろう。偶然だったとは言え、既に把握している。
 把握してしまったから、俺は此処に来ている……と言っても過言ではない。

「……北か。そういえば、シュエルゥは甘粛省の蘭州市から来たんだったよな」

「はい、その通りで────……」

 紡がれるはずだった言葉が途絶える。
 静寂が辛い。心地よく感じていた風の音や虫の鳴き声が、喧しく聞こえ始る。
 空気が張り詰めていくのを、肌で感じた。
 ……春先にも似たような事があったな、そういえば。
 思い出してる場合じゃないんだが。

「……ボク、生まれの事まで喋りましたっけ?」

「いや……」

 ……そう返してくるよな。
 抑揚がなくトーンの下がった台詞からは「言ったことがないのに何故知っている?」という圧力が窺える。
 彼女からすれば教えてもいない出身地を、出会って間もない人間に言い当てられたのだから仕方ない。
 シュエルゥが話してくれたのは、大陸での難民キャンプの体験や、大陸とこちらでの生活レベルのギャップの話ばかりだ。
 出身地は、まだ教えてもらっていない。
 なのに、俺は知っている……警戒されて当たり前だ。
 舞鶴港でキリトと初対面の時、俺もそうだったんだ。
 だから────。



「────ごめん!」



 素直に頭を下げて謝罪した。

「……へっ?」

 潔さが功を成したのだろうか。
 シュエルゥが、呆気にとられたような声を上げた。
 強張りはすっかりなりを潜めている。

「実は、仕事の最中にシュエルゥの個人情報を見ちゃってさ。本人の許可もなく勝手に知ってしまった事……謝る。この通りだ、すまない」

 頭を下げ、空かさず畳み掛ける。

「へ、ぁ、あ、頭を上げてください!……運営のお手伝いをしてるなら、偶然見ちゃう事だってあるじゃないですか。ボクは全然気にしないので」

 ……ぬ。気を使わせすぎたか?
 罪悪感を払拭する為に謝ったのに増幅させてどうする。
 あまり引っ張らず流す方向で行くべきか。
 これ以上は気を遣い合うだけになりそうだ。

「そう言って貰えると助かる。これがどうでもいい他人の事ならしらばっくれたんだけどさ。情報を見てしまった時もう俺達は知り合った後で、シュエルゥには色々と手伝って貰った後だったから。どうしても謝りたくて」

「……それで、こんな暗がりに蚊帳を持って訪ねてきてくれたんですか?」

「ああ。時間が経てば経つほど気まずくなりそうで。お詫びとお礼の品が一緒になっちまったのは申し訳ないけど」

「……」

 仕事を手伝ってくれた事への感謝。
 勝手にプライバシーを暴いたことへの謝罪。
 一度に済ませる……と表現すると失礼ではあるが、丁度いい機会だった。
 そして用事が済んでしまった今、長居する理由はないだろう。
 お暇するにはいい時間だ。

「さて、と。それじゃ贈り物は済ませたし、そろそろお暇させて────」
「でも不公平ですよね?」

「えっ」

 言い終わる前に、食い気味に言葉を被せられる。

「……な、何がでしょうか」

 思わず敬語になってしまった。コワイ。
 もしかして実は許されていないんだろうか。
 確かに個人情報勝手に覗いた事は悪かったけど、自分なりの誠意を見せて謝ったつもりだったんだが、結構根が深い問題だったりするんだろうか。
 もう許してやれよ→絶対に許さないのコンボなのだろうか。

「あっ……べ、別に怒ってる訳じゃないんで!そんなに萎縮しないでください。今言った通り、個人情報のことは特に気にしてません。それに、贈り物も凄く嬉しかったですし。────だけどボク、エイジさんの事……ここで働いてる事と名前ぐらいしか知りません」

「……言われてみれば、そうだな」

 確かに、それは不公平だ。
 俺はシュエルゥの事を知っているのに、シュエルゥは俺の事を知らない。

「ですから、やり直しませんか? ちゃんとお互いの事を教え合えば、後腐れもないですし……」

 ……参った。そうだよな。
 ケジメ付けようとしたはいいが、贈り物で誤魔化そうってのは卑怯だった。
 今度、暇を見つけてもう一度此処を訪ねてみよう。
 用がなければ出向いちゃならない、なんて事もないし。
 ボランティアって立場のせいか、時間持て余す事もあったりするしな。

「そうだな……それじゃ、また会いに来てもいいか?」

 
 

「……は?」




「んっ!?」

 何だ。今度は何だ。ちょっと怒っていらっしゃる。コワイ。
 シュエルゥの背後に龍が立ち昇っているように見える。
 しかもなんかシャフ度でこっちを睨んでる。逆鱗に触れてしまったのか俺は。
 もしかして、実は鬱陶しかった? これっきりにしてほしかったとか?
 やだ……また来るのこの人……って感じなのか!?

「また、今度……? 今は駄目なんですか」

「今、って……いや、駄目って訳じゃないけど。話長くなりそうだろ? だから今日の所は帰って────」

「なっ!もしかして今からコンパウンドまで帰る気ですか!」

「……? ぁ、ああ。時間が時間だしな」




「帰すと思ってるんですか!?」




「な"に"ぃ"!?」




 何だこの展開……ッ!
 どうして一転してバトル漫画で敵の罠に嵌ったみたいな流れになってるんだ。

「……そう、そうですよ。そもそも、ボクはずっと思ってたんですよ。訪ねて来てくれた時は勢いで押し切られて言えませんでしたけど……こんな時間に来るなんて一体この人何考えてるんだ……って!」

 わなわなと震えながら面妖な顔で、何やら言い始めたぞ。
 どう解釈すればいいんだろうか。こんな時間にって事は……実は迷惑だった、とか?
 でもそれは、帰すと思ってるのか?って台詞に矛盾が生じる。
 とっとと帰って欲しい、ってなるはずだし。
 ダメだ解らん。

「……いかん混乱してきた。 シュエルゥこそ、帰すと思ったか?なんて台詞、何を考えりゃ飛び出て────」

 ────まさか。
 やはり、シュエルゥも転生者なのか。
 彼女の出生地を知ってしまった時に同じく見てしまった……生年月日。

 時差を考慮しても、"俺達と同じ日"に生まれ落ちていた。

 転生者は複数が確認され、米国で動いていたヤツの前例があるだけに海外まで分布していると考えられる。
 彼女がその一人でもおかしくはない。20人を超えているんだ。今更一人増えたぐらいじゃ驚かない。
 それでも……何ヘクタールあるか知っていても、数字と想像が結びつかない程広いこの難民キャンプで……こんな都合よく巡り会えるものか?
 確かに港では、あの広さに加えあの人口密度で、俺はキリトや斎御司、月詠さんと出会っている。
 だがあれは斯衛の二人が、派兵の見送りというイベントに託けて会合の場をセッティングした形だ。
 偶然の接触だったとは言え、"集う"という流れがあった。しかし今回は余りにも偶発的すぎる。
 示し合わせた訳でもなく、誘い込んだ訳でもない。
 なのに、遥か遠くから過酷な難民生活に身を投じ流れてきた彼女と、戦場からは程遠いこの地で平穏に包まれて順調に育った俺。
 そんな正反対の人生を送ってきた二人が巡り合い、手を伸ばせば届くほど近くにいる。
 幾らなんでも出来過ぎだ……妄想が過ぎる。
 ……でも、彼女は俺を帰さないと言い放った。
 俺が正体を隠しているという事が、既に看破されている、とすれば……その言葉にも納得がいく。

「何を考えりゃ……って、そんなの決まってますよ」

 思わず固唾を呑んでしまう。
 来るか?
 俺の正体について、踏み込んで来るか?
 どうする……いや、此方にも確信はある。
 隠さずに堂々と告げるべきだろう。




「エイジさんの────心配です!」
「……ああ。実は俺も────ファッ!?」




 心、配?……正体の話じゃないのか。
 というか情報引き出すよりも前に、身の安否を気遣ってくれるとは……。
 うん。

 ────早とちりだったかぁぁぁぁ……ッ!!

 赤っ恥だ。顔から火が出そうだ。
 この子、本当にズバ抜けて賢くてしっかりしてるだけの"ただの"いい子なんじゃないか。
 どうする? いや……何はともあれ一先ずは────。

「……で。心配って、何の」

「危機感です!エイジさんには危機感が全っっっっ然、足りてないんです! 此処は……"難民キャンプ"なんですよ? それなのに子供が一人で夜歩きなんて……無用心すぎます!」

 お前も子供だが……なんて軽口を返せる雰囲気ではなかった。
 真剣な目をしている。
 掛け値なしで、言い放ったとおりに心配してくれているのだろうが……。

「……気持ちは嬉しいんだけさ。シュエルゥが思ってるほど、此処の治安は悪くないぞ」

 これは本当だった。
 難民キャンプにも法はある。
 それを無視して無法を行う輩の末路は、追放だ。
 拘束され、"地獄と化しているだろう故郷"へと送り返される、という事は流入してきた者が共有する常識。
 その前提に加えて、日本帝国の難民キャンプでは治安に重点が置かれている。
 というか、難民を受け入れるキャンプを設立するにあたり、最も重要視された項目だ。
 米国では本土が戦場にすらなっていないというのに、キャンプ"外"まで難民受け入れの影響が出て治安が悪化しているという報告がある。
 そのノウハウを国連経由でフィードバックした事が、功を成したのだった。
 少なくとも……"現時点"では、日本にはそれだけの制限を設け、実行し、達成する余裕がある。

「知ってます。でも……そんなの所詮は全体から見た割合ですよ。確かに存在する被害者の"個"を見ていない、薄気味悪い数字です。エイジさんは襲われて被害者になった後、治安はいいはずなのに運がなかった……なんて、笑い飛ばせるんですか」

「────ッ。……それは」

 餓死者、0。
 衛生環境は良好で、疫病とは無縁。
 医師が複数常駐し、病死や衰弱死も難病患者を除き皆無。
 だが……暴行・流血沙汰が一切ない、とは口が裂けても言えない。

「皆、強いストレスに曝されているんです。故郷を追われ、見知らぬ土地に身を寄せ……海を隔てたにも関わらず、未だBETAの影に怯える人すらいます。そういった不満がいつ、どこで、何が原因で暴発するかなんて……事件が起きてからじゃないと解らないんですよ?」

 その言葉には重みがあった。
 此処よりも治安の悪い難民キャンプを、幼い身で渡って来たという経歴が物語る重圧が。

「……ああ。シュエルゥの言う通りだ。俺がソレに巻き込まれない、なんて保証はどこにもない……無頓着だったよ」

 徴兵があるから難民に若い男性はほとんどおらず、大多数が女性だ。
 だが男性がいない訳ではない。徴兵から溢れた人もまたいる。
 そして俺は……悔しいが未だ子供の身だ。
 同世代のヤツらに喧嘩で負ける気はしないが……年齢や健康が原因で徴兵から溢れたとは言え、本気になった大人が相手では体格・体重差は埋め難い。
 もし、仮に……"敵意"を持たれたりすれば五体満足では済まないだろう。
 心のどこかで、まさか自分には降り掛からないだろう、とタカをくくっていたのかもしれない。
 ……最近、慌ただしくも良い知らせばかりが舞い込んできていたからだろうか。
 危険なのは何時か来るであろうBETAだけじゃないってこと……頭の中から抜け落ちていたんだ。

「此処にいる難民一人一人、ほんの少しボタンを掛け違うだけで誰もが加害者になりえるんですよ。それに此処は町中と違って外灯もないし暗いので、夜道はより一層危険なんです。ボクは恩知らずな人間にはなりたくないので、そんな危険を承知で貴方を帰す事なんて出来ません」

 ────あぁ、参った。
 そこまで言われて、だが断る、と返す程に信念のある人間じゃない。
 しかし……。

「解った。ヤのつく職業の人も夜道には気をつけろってよく言うしな。……で、だ……シュエルゥ。俺、"帰れなくなった"んだけど────」

 ということは、つまりだ。
 当初の想定通りというか、ある意味想定外というか。




「ぁ……はい! でしたら────今日は、泊まっていってください!」




 まぁ、こうなるわな。



































                                           Muv-Luv Initiative

                                            第二部/第三話

                                          『大陸からのエトランゼ』


























「ぁ、ちゃんと上は脱いできてくれました? じゃあその椅子に座って頭を前に突き出して貰えます?」

「……なぁ、シュエルゥ。お前、夜の外は危ないってさっき言ってなかったか」

「ここら辺は年配の女性ばかりで集まってるんで大丈夫ですよ?」

「ああ……あくまで、帰り道でってことね。でも、別に一日ぐらい頭洗わなくてももがぼぼぼぼ!……水をポリタンクから直接ぶっかけるのはやめてくれないか」

「やだなぁ、夏に自転車漕いで来て汗かいてない訳ないじゃないですか。そのまま寝るなんて不潔ですよ」

「かいてるけど、気にしないぞ。我慢できるって」

「あ、いえ、隣で寝るボクの身にもなってください」

「あれ? ねぇ、俺くさい? もしかしなくてもくさい?」

「はーい、じっとしててくださいねー。シャンプーなんて上等なものないんですから、皮脂落とすのに時間かかりますんで」

「あの、そこで流されると不安になるんですが……解った、解ったよ。でも自分でやるから……っておい、ワシャワシャすんなっ」

「えー……じゃあ、お身体の清拭しますねー」

「いいっつってんだろ」

「はーい、下も脱いでくださいねー」

「いや……ほんと勘弁してください……」


































 1991.summer.next day












 陽が出ている間に太陽光で充電されていたソーラー・ランプは、既に切られている。
 今は外から滲むように入り込んでくる月と星の煌きだけが、唯一の光源となっていた。
 人工的な明かりが消えたテントの中は、夜目に慣れた今でも薄暗く感じる。
 今は何時だろうか……現在時刻を確認するために腕時計に視線をやるが、暗くて見えない。
 ボタンを操作して内蔵されたバックライトを点灯させると、照らされた画面に映った数字は既に日が変わったことを示していた。
 横になってお互いの事を喋り始めてから、結構な時間が経過していたようだ。

「もう昨日の事になるのか……酷い目にあった」

「……? 酷い目ってなんです?」

 重い呟きに返って来たのは、黄色くもあり鈴の音を転がすようでもあるシュエルゥの声。
 鈍くなった視覚を補うように他の感覚が鋭どくなるこの状況では、より聞き取り易くなっていた。
 彼女は俺とは逆に俯せの体勢で寝転がり、背中にタオルケットを掛けた状態で顔だけで此方を見ている。

「誤魔化すな、髪だよ髪。別にいいって言ってるのに無理矢理洗いやがって……向かいのおばちゃんがこっち見て笑ってたろ」

 勿論、体の清拭はテントの中で自分でやった。何故かチラチラ見てくるシュエルゥに目隠しをして。
 上半身ぐらいなら恥ずかしがる必要はないが、下は別だ。

「あのおばちゃんだけじゃなくて、ここら辺に集まってる女の人達とは大陸からの付き合いなんです。ですので気にしないでください。何時もは一人でやってるのに今日は二人だったんで、珍しかったんだと思います」

 成程。
 難民キャンプでは相互扶助のために一定数のコミュニティを形成されるのは珍しい事じゃないからな。
 しかし……今面白い単語が飛び出た。

「何時もはって事は、毎日水で洗髪してんのか?……はぁ~……偉いなぁ」

「……?えぇ、まぁ日課ですけど……偉い、ですか?」

「ああ。シュエルゥの事は一目見た時から綺麗だなって思ってたんだけど、苦労して維持してたんだと思うとな……尊敬するよ」

 素材がいいのもあるんだろうけど、清潔感が漂ってるんだよな。 
 日は浅いが今までキャンプの様子見てきた感じ、難民の人達は身だしなみでかなり妥協してる節がある。
 髪の毛は短めの人が大半で、手間のかかる長髪は少なめだ。
 そんな中で、シュエルゥの綺麗な桃色がかった長髪は、俺に強い印象を残している。

「────き、綺れ……ゃ、やらないと気持ち悪くて眠れないんで、仕方なくですよ。面倒なんですけど、どうにも我慢出来なくて」

「あー、解る。でも夏はいいとして秋や冬はどうしてたんだ? ここは冬に向けたサイト計画でそういう施設を地区ごとに……って話は出てるけど」

 大陸のほうはお世辞にも設備が整ってるとは言い辛い状況だ、とアシュリーさんから聞いている。

「……震えながら、水で」

「お前、すげーな!?」

 冬に冷たい真水で頭洗うとか何の罰ゲームだよ。
 自己申告だが風邪引いたことないらしいけど、健康優良児すぎるだろ。
 確かに風邪ってのはウィルス性で、体温の低下は原因に直結しないけど。
 よく今まで健康体で通してこれたなこの子。特筆されるべきバイタリティだ……って。
 脱線しすぎたか。

「……と、悪い。話逸れちゃってたな……どこまで話したか」

「えーと、ボクが今まで渡ってきた難民キャンプの面白可笑しい話……は終わって。お返しにボクがエイジさんの過ごしてきたこの街の事も聞きたいって言って……その話も一段落したところ?ですかね」

「あぁ、そうだそうだ。それで俺がシュエルゥの生まれ故郷での生活を聞こうとしたのに、自分から脱線したんだ」

「故郷……うーん、波乱万丈だった難民生活とは違って特に面白い話がないんですよねぇ……え~と、何かあるかな」

「いや、面白いってお前……まぁ、ゆっくりでいいぞ?」

 ……面白可笑しい難民生活って自分で言ってるが……ハード過ぎる話だったんだがな。
 特に食料を奪われそうになった時の話が強烈だった。
 襲ってきた大人を、56式自動歩槍の銃剣で撃退するとか……漫画か何かの展開すぎて、リアリティに欠ける。
 ちなみにその時使った銃剣付き56式自動歩槍は、日本に渡る前に念入りに破棄したらしい。まぁ、持ち込めるわけねーよな。
 正直、ファンタジーすぎて話半分に聞いてしまった。勿論、事実かどうかの確認はしてない。したくない。コワイ。
 しかしそんな彼女も日常の事となると話題がないのか。
 まぁ、そうだろうな。俺も話をしろと言われた時に語るエピソードがなくて難儀した。
 俺は目の前の少女と違って、かなり平凡な7年を過ごしてきたからな……。
 未来の事、BETAが向かってきているということ、そして"アイツら"が関わると途端に慌ただしくなるがそこは割愛せざるを得ず。
 結果的に……話せる事は、穏やかな日常の事だけだった。

「とりあえず……食生活は、満足いくものではなかったですね。豚肉を生まれて此の方、口にしたことないんで。日本に居る内に食べてみたいです」

「は?豚?」

 唐突な告白に面食らってしまう。
 ……豚。豚肉。ポーク。
 食したことがない?あのポピュラーな食材を?

 ちょっと待て、それって────。

「そもそもその頃は、何もかもがモスク中心でした。駐在している導師……専任の職員さんから運動や勉学、武術の基礎等の手解きを受けたんです。……色々な戒律とかも一緒に教わりました」

 モスク……礼拝堂だ。
 そして導師。更に戒律。
 極めつけに、豚を食べる事の禁止と来てる。

「ムスリム、だったのか」

 正直、かなり以外だが……どうやらそういう事らしい。
 イスラム教を信仰する上で、欠かせない語群だから間違いないだろう。

「はい。生まれが生まれなんで。家族仲がそれほどよくない事もありまして、モスクに預けられてました」

「出生は……回族か?」

 回族。イスラム教を信仰する中国系民族、その中でも最大の規模を誇る集団だ。

「せ……正解です。凄いですね、一発で解るもんですか?」

「当たりか? いや、適当だったんだけどさ。シュエルゥの出身地近辺じゃそこが最大手だからな……でもこれで、お前が一人で行動してるのも納得いった。回族だけじゃないんだが、ムスリムはよっぽどの事情がない限り南西に逃げるんだよ。中東連合の方な」

「はい、知ってます。というか、知ったから家出同然にこっちに逃げてきたんですけどね……あはは。正確にはムスリマ"だった"、ですね」

 "だった"。つまり、今は違うという事か。
 家出なんて言葉で済ませていいとも思えない
 自発的な改宗か……破門だ。
 同宗教を信仰する者達が集まるコミュニティからの庇護は、一切受けられなかっただろう。
 何でそんな年齢で茨の道を突き進んで来たのか。

「……BETAの東進が激化しなけりゃ、もっと穏やかに済んだんだろうけど……世の中、上手くいかないもんだな」

「……いえ。BETAの行動に関係なく、遅かれ早かれこうなったと思います。"イスラームを信仰する民族集団"に、染まる気がないボクの居場所はなかった。それだけの話ですので」

「────……」

 染まる気がない、か。
 幼少の頃に叩き込まれれば、否が応にも染まるものだと思うが。
 ……もし。"何らかの理由"があって、教育されても染まらない程に根っこが固まってしまっているのなら……。
 話はまた違ってくるんだけどな。

「そういえば、エイジさんは……」

「ん?」

「ずっと此処に居るんですか?」

 どういう意図だろう。
 ボランティアだという事は昼に伝えている。
 地元に住んでいるという事も、ついさっき自分語りをした時に。
 このキャンプに勤め続けるのか、地元に住み続けるのか……色々解釈のしようがある。
 ま、どういう意図であったとしても……。

「……居ないな。そう遠くないうちに此処を離れるつもりだ」

「つもり? 自分の意思で離れるって事ですか?ご両親は……」

「話は着いてる。でも父さんと母さんは当分の間、仕事の関係で此処から動けないんだとさ。俺は一人で疎開する事が決まってるんだ」

「……そう、ですか。強制じゃないですけど、推奨はされてるんですよね……疎開って」

「そうだな。まぁ、現段階で疎開する人は少数派だけどな。帝国軍は、精強なんだ。世界有数の海軍を抱えている上に、海を隔ててる……安心してる人はかなり多いよ。大陸でも国連や色んな国の軍人さん達が必死で戦ってくれてる……BETAなんて、来る訳ない。俺が疎開するのは、アレだ。念の為ってやつだな」

 嘘ではない。
 これが嘘になるかどうかは、まだ解らない。
 今の俺の言葉は、そうなって欲しいという願望を口にしただけだ。
 世界はもう変わり始めている。変えようと足掻いて、既に行動に移したヤツらを知っている。
 だから、その瞬間を迎えてしまうまで、可能性はきっと無数に広がり続けるって信じたい。
 それに俺は疎開政策に乗じて"逃げる"訳じゃない。
 進みたい道がある……その為に、疎開先は自分にとって有益足り得る場所を協力者によって厳選してもらっている。
 疎開先は────。

「疎開先って、どこなんですか?」

「────え……?」

「あっ……、い、言いたくないなら構わないんです……ごめんなさい」

「ぃ、いや、正に今行き先の事について考えてたからさ。ちょっと面食らっちゃってな。えーっと……近畿地方って解るか」

「はい、解ります。帝都の周りですよね」

「ぁ……ああ。よく知ってたな。他国の首都や地理って、覚えづらいもんだと思うが……」

「エイジさんもボクの故郷や民族の事知ってたじゃないですか」

「……ぐうの音も出ないわ」

 まぁ、BETAの侵攻具合を事細かに知る為に地図と睨めっこしたり、難民キャンプについて調べ物してたら何時の間にか覚えてただけなんだが。
 シュエルゥは疎開先の予習ってとこか? 出来ればもっと東の方に避難したかったりするんだろうか……。

「あの……もっと東の方に逃げようとは思わないんですか?」

「ッ────悪い、俺……声に出してたか?」

「へ? 何がです?」

 又もやドンピシャで割って入ってきたから、心の声が漏れてたかと思ったが。
 ……タイミングが合っただけ、か。それとも、似たような事考えてたのか。

「……いや。何でもない。で、それ以上東の方にって? 今のところその気はないな……其処でやりたいこともあるしな」

「そのやりたい事って、他の場所じゃ無理ですかね?」

「は……ぃ?」

 まさか。
 まさか、ここまで突っ込んで聞いてくるなんて思いもしなかった。
 俺は思わず仰向けの姿勢から寝返りをうち、隣のシュエルゥへと向き直る。
 すると俺に倣うかのように、俯せになっていた彼女も動き、向かい合う姿勢になった
 すっかり暗闇に慣れた両目が捉えたシュエルゥの表情は、やや強張って真剣な表情をしている。

「……無理だと思うぞ。でも……何でそんな事を? やけに食付きいいけど」

「その……気に障ったならすみません。でも大事な話ですので……ちょっと、ここからは真面目に聞いてくれると嬉しいです」

「解った。茶化したりしない」





「エイジさん……東京まで、逃げてくれませんか」





 東京。
 この世界の日本において、経済の中心地ではあるものの"まだ"首都ではなく、"いつか"首都に成り得る場所。

「物騒だな。東京まで逃げろ、ってのは……穏やかじゃない。それじゃ、まるで────」

 ────BETAが、その直前まで来てしまうみたいじゃないか。

「……さっき、エイジさんは"BETAなんて来る訳ない"って言いましたけど……」

「……ああ。確かに言った」





「それでも。それでも、もし……何かの間違いでBETAが攻めて来てしまったら────どこまで来ると、思いますか?」





 それでも。

 もし。

 何かの間違いで。

 これだけ前置きをしてまで、"BETAが来る"という大前提を突きつけてくる。
 何を言わせたい。俺にどう返させたい。どういう言葉を引き出したい。
 そもそも……この子はあやふやすぎる。
 "アイツら"みたいに隠す気が毛頭なく、正体を明かしきって接してくる訳じゃない。
 かと言って何もかもを隠蔽しきれている訳でもない。
 今みたいに"クサい"ところを突いてくる発言が幾つかある。
 ……のらりくらりと躱すのは限界だろう。
 次で最後にしよう。

「────……対馬島。最悪でも、本土に上陸してきたところを帝国軍に迎撃されて終わりだと思うぞ」

 この流れは、正史通りだ。
 しかも、この戦果は人類にとって不利となる……"とある状況下"で叩き出されたもの。

「ですけど、日本には"神風"と呼ばれる現象があります。それがBETAに吹かないとは、決まっていません」

 "神風"。
 ユーラシアで今なお続いている、BETAによる大規模環境破壊……それによって生み出されてしまう超大型台風。
 その影響で水上部隊が出遅れた形になったというのに、帝国軍は僅か数時間で対馬、長崎・佐賀本土に上陸した師団規模のBETA群を撃破した。
 圧倒的勝利。しかし────その凱旋の旋律は、僅か二日で途絶えることになる。
 悪夢の始まりだ。山陰地方と……九州中部に、BETAが上陸する事になる。

 "九州中部"……此処────。

「この機に乗じて、鳥取・島根等の山陰地方……それと……熊本にも上陸を掛けられでもすれば……内地への侵攻が一気に現実的になります」

 熊本は、俺の故郷は……BETA大戦の矢面に立たされているのだ。
 俺はその現実を正しく認識してから、今日この日まで、一度たりとも忘却したことはない。

「……政府の見積りが甘ければ、住民や難民の避難が間に合う事はないでしょう。巻き添えを恐れた軍は効果的な迎撃を行えないまま、結果的に防衛線は食い破られる」

 事実、正史では間に合わずにその通りになった。
 後は……港でアイツ等と本音をぶつけ合った時に何度も焦点を当てられた場所まで、BETAは止まらないだろう。
 その場所こそが……。

「一度そうなってしまえば陸が続く限り後退するだけということは、歴史が証明しています。そして、行き着く先は────」





「────横浜ハイヴ、だろ」





「えっ……?」

 確定、だな。もういいだろう。
 十分に腹は探りあった。いい加減、腹を割って話そう。
 彼女は間違いなく、転生者だ。

「ゴメンな。教えてくれなくても、実はよく知ってるんだ。黙ってたのは悪かった。だけど、それはお互い様だよな? だからさ、改めて自己紹介しようぜ。俺は、お前と同じ転生者の不破 衛────」





「……な、何だってええええぇぇぇぇぇぇ────────────ッ!?」





「───────────ぇぇぇぇぇぇぇぇえええええええええええッ!?」





 えッ!?

 ぇぇぇぇぇぇぇぇえええええええええええッ!?

 そこ!?
 そこで驚くんだ!?
 待て待て待て待て……コイツ、逆転裁判ばりに畳み掛けてきてたじゃねーか!
 何だったんだよあの怒涛のラッシュは!

「ま、まままままさかエイジさんが、ボクと同じ、ててててて転生者だったなんて……そ、そそそそそんな」

「い、いや待て落ち着け……まだあわてるような時間じゃない……」

 つーかあんまり騒ぐな。深夜なんだよ。近所迷惑だろ。
 心配した人が凸してきたら場を収めるどころじゃねーぞ。

「……まず、深呼吸だ」

「ヒ、ヒッ!ヒッ!フー……」

「うん、ありがとう。お約束だよな。ラマーズ法はな。実はお前あんまり動揺してないよな」

「ぁ、してますけど……切り替えは、得意です。難民キャンプで老若男女問わず襲撃されてきたので、鍛えられました」

 うわぁ……。
 これは……56式自動歩槍で暴漢撃退の話はマジだなおい。
 アシュリーさんから聞いてはいたが……大陸の実情は、想像以上に世紀末だ。

「……そうか。とりあえず、話は出来るみたいなんで、二、三聞かせてくれるか?……そもそもお前、俺を何だと思ってたんだ……?」

「……す、すんごい賢い子だな、と……」

 しんぷる is BESTってレベルじゃねーよ。
 初期の段階ならまだしもこんだけ話合ってその認識ってどういうことだよ。
 昼にあった時の第一印象のまんまかよ。
 つーか、テントに潜って会話してる時に誕生日一緒って話題出したんだが?
 偶然ですね!って喜んでたのは素か?素なのか? どんだけ気のいいヤツなんだおい。
 白銀 武の誕生日との一致とか不自然だったろ? ぁ、もしかしてそこまで知ってor考えてなかった、ってクチ?
 いやそもそも……その認識なら、あの正史での日本陥落の件はなんで口に出した?
 確実に俺の事半信半疑で見ていて、カマかけてると思ってたんだが……。

「じゃあ……二つ目だ。何で正史の事を話して聞かせようと思った?」

「せ、正史? BETAが攻めてくるって事ですか? えっと、な、難民キャンプでこんなに親身になってくれる同年代の子と出会うのは始めてなんで……このまま此処に居させたら死んじゃうかもしれないって思うといてもたってもいられなくて……頭いい子みたいだし、不安を煽れば今すぐじゃなくても東京まで逃げてくれるかなって……」

 うわー。
 100%善意だったわー。
 これじゃあ俺が超絶腹黒キャラみたいだわー。
 メチャクチャ計算づくな汚い大人だわー俺。
 汚いわーさすが俺きたないわー。

「……最後に一つ。何でこんな早い段階で、そんなに苦労して、ここまで来た?」

「ぇと、原作……ぁ、正史って言ったほうがいいですかね? いないはずの戦術機の情報を耳にしたのを切っ掛けに、その、幾つかの一身上の都合も合わさって、決意しました。そもそもBETAは迫ってきてましたし、オルタネイティヴ4の事もあったので、どう転んでも日本には行くつもりでしたので。そこに、彩雲でしたっけ。F-16が採用された原因を探るっていう目的も追加されたので、早いに越したことはないかと……」

 日本に来たこと自体は予定調和であり、またバタフライ・エフェクトでもあった、ってところか。
 孤立していた事による無知の身であったからこそ、前倒しの必要性があり、急を要した。
 おかげで、俺は期間限定で働いてる間に、シュエルゥと接触できた……。

 現将軍家の一員、斉御司暁殿下様様、だな。

「────解った。ありがとう」

 林 雪路の根っこは……御覧の通りの善人だろう。悪い奴に騙されないか心配にはなるが。
 だが一方で、悪意を向けられれば然るべき処置を取れる割り切りの良さもある。
 善意には善意で、悪意に悪意で。解り易い性格だ。
 バイタリティ、サバイバリティは筆舌に尽くしがたい。
 知識も一定水準には達している。だからこそ今ここまで来れている。
 世界レベルでの改変や異変にも敏感で、ずば抜けた行動力を持ってる。
 話しても……大丈夫そうだ。 

「シュエルゥ。いい時間だけど、まだ起きていられるか?」

「え? ぁ、はい。衝撃的な事実があったので、目が冴えちゃってますんで……」

 俺が転生者って事が、衝撃的だったか。そいつはよかった。
 今からもっと驚いて貰おう。20人超えてますとか。衝撃には事欠かないだろう。

「重畳だ。じゃあ……今からこの国、延いてはこの星で起きてる異常事態をまとめて話す。朝まで掛けて、な。勿論、俺が理解できてる範囲でだけど」

 切り替えは上手いという自己申告を信じよう。
 普通なら混乱が治まらず、怒涛の展開についてこれないだろうが……いけそうだ。
 この子、たぶん神経が図太いからいけると思う。

「ぁ、お願いします! ボクからも幾つかまだ伝えきれていない事があるので、それについてもお話します」

「ああ。今度こそ、腹割って自己紹介をしよう。でも、その前に……」

「はい? 何でしょうか」





「────おかえり」





 正しい言葉ではないけれど。

 相応しい言葉ではあるはずだ。

 遠い場所から帰った人に、「ようこそ」とは言いたくなかった。





「……~~ッ。はい────ただいま、でいいんですよね……ッ」





 明かりを点ければ話しやすいが……。

 ……今はこのまま、話をしよう。

 漏れる嗚咽は、聞き流そう。

 日の出の頃には、止んでるはずだ────。




























[12496] 第四話 ─因果連鎖─
Name: Caliz◆9df7376e ID:93ba022c
Date: 2020/03/22 06:20
1991.summer.one day

  日本帝国 九州

   熊本難民キャンプ

    キャンプ地 ~ コンパウンド








「……今日は、太陽が煌めいてやがるな……」

 頭が沸いてるような台詞を吐きながら空を仰げば、突き抜けるような青が広がっていた。
 晴れて欲しい時には曇ったり雨降らすくせに……嫌がらせか。
 内心で愚痴りながら、俺は自転車を走らせる。
 だが、絶好のサイクリングシチュエーションに関わらず、ペダルを回す足は鈍い。
 いつもなら軽く感じる車体が、今は重くて仕方がなかった。
 ……やはり、完徹なんてするものではない。
 比較的緩やかなはずの朝日すら強く感じてしまう寝不足の目が憎い。
 まぁ……目を窄めてしまうのは眩しいからだけではなく、単純に睡魔に襲われて眼蓋が重いだけなのだが。
 正直、もし道のりが上り坂なら自転車を漕ぐ気力すら沸かなかったかもしれない。平地で助かった。
 それほどまでに俺は疲弊しきっており、目下……根性だけで足を動かしている状態である。
 しかし昨夜の出来事は……この様な醜態を晒すに見合う実入りがあったのは確かだ。

 不破 衛士にとっても……きっと、林 雪路にとっても。

 今頃、シュエルゥはぐっすり眠っているだろう。
 寝落ちする瞬間を見届けたから、間違いない。重要な事は一通り済ませて、お喋りモードに入っていたのだが、限界がきたのだろう。
 しかし、仕方がない事だ……俺から教えたのは膨大な情報だった。切り替えは得意とは言っても、飲み込むには骨だっただろう。
 ……まぁ膨大と言っても一言で表すならば……"あらすじ"に尽きるのだが。
 黙っていた俺自身の行動や"他の連中"の活動を知りうる限り解禁し、今までの出来事に加えて時系列順にまとめつつ、現状を改めて認識してもらっただけだ。
 
 そして、お返しにと彼女から教えられた情報だが……隠し事等はほぼなく、正体を明かし合う前にほぼ全てのエピソードは語り終えていたようだ。
 ……たった一つの、非常に衝撃的な事件を除いて。

 ────シュエルゥは、統一中華戦線で横行していた"荷抜き"に、楔を打ち込んでいた。

 紛う事なき、英断だろう。
 これで……帝国軍の大陸での活動に際して発生するはずだった摩擦を、大きく軽減したのは間違いないのだ。
 正史にて、当時頻発していた荷抜きはとある戦場に多大な影響を及ぼすこととなる。

 重慶撤退戦……いや、今は"まだ"……重慶攻防戦と呼ぶべきか。

 大陸へと派遣された帝国軍が、最初に迎えることになる激戦区……"だった"。
 だが……状況は目まぐるしく変化している。凄惨な結末を約束されていた場所だが……揺らぐかもしれない。
 端的に言えば、正史において大陸派遣軍は当時、撃震しか運用していなかった。
 戦力としては、衛士の連度こそ高いが他国軍に比べて大幅なアドバンテージがあった訳ではない。
 しかも、荷抜きのせいで兵站の要諦が機能不全に陥るという八方塞がりに陥ってしまった。
 その結末は……単純な戦力不足と補給不足に悩まされた挙句、"それでも尚"有能であったせいで敗退が確定した総軍の殿……撤退時のドンケツを任されてしまうという凄惨たる結末だ。
 多くの軍人が、逃げ遅れている難民を逃すために玉砕した……整備兵等の、非戦闘員に至るまで。
 だがその悲劇も……この世界では、その筋書き通りにはいかないだろう。



 ────其処は、"この世界"では……斉御司や月詠さんによって導かれた戦術機……TSF-TYPE88/F-16J『彩雲』が、集中配備されている要所なのだ。
 そして、隣人によって着けられるはずだった足枷も……林 雪路の活躍によって既に壊されている────。



 米軍に頼れない現状では、圧倒的な状況改善となるだろう。
 そう、重慶には……頼みの綱の米軍が展開していないのだ。
 内地なので戦艦等の投入も出来ず、陸上戦力だけで対応するしかない……軌道爆撃も、まだない。
 そして、主な防衛戦力は中華統一戦線、帝国軍、韓国・ベトナムの義勇軍だ……現状この中で、まともに第二世代機を運用できているのは帝国と中華統一戦線に所属する台湾の、二国だけ。
 しかも台湾の所持する二世代機、F-CK-1『経国』や純正F-16は、まだ配備開始から1年程で、国力の問題もあってか機数が揃わず、本土に優先配備されるのみに留まっている。
 第二世代機を3年間運用し、海外派兵を行える程の機数を調達し、練度を維持して戦闘へと投入出来る帝国軍は……極めて貴重な戦力だ。
 更に、北海道札幌の第七師団から援軍として1個大隊が派遣される。
 帝国軍は険しい越冬戦を見越し、最も寒冷地での任務経験が積まれる場所から選別された最精鋭達と、相応しい装備一式を送り込む準備をしている。

 ……88式の"寒冷地仕様"は、冬の重慶を地獄に変える寒波と豪雪の中でこそ輝くだろう。

 これだけの"因"が揃ったならば、それに応じて"果"も変わるはずだ。きっと、事態は好転する。
 シュエルゥは難民の身でありながら、大きな事を成し遂げたのだ。
 自覚もなく、遠く離れた斉御司の思惑に同調し、兵站レベルでの連携を取ることによって────。
 本当に、凄いヤツだと思う。

「……だっていうのに……偶然の一言で済ませちゃうんだからなぁ、あいつ」

 謙遜か、はたまた興味がないのか……。
 ……そもそも、シュエルゥが荷抜きの一件に介入することになった発端そのものが……な。
 打算、義務感、自己保身、自己顕示欲……そういったものからは程遠い、異質なものだ。

 彼女が闇市でとある物を目撃してしまった事が原因だ。
 それは日本から送られてきた、帝国軍人の家族や友人からの手紙や写真……所謂、"心の篭った唯一無二の慰問品"だったのだ。
 然して林 雪路は奮起し────。

 『根刮ぎ潰さないといけないと思いました』

 と、なったらしい。
 ……余りにも過程をすっ飛ばした発想、且つ、真っ当な正義感だった。
 まさか元締めの連中もこんな子供みたいな理由で潰されるとは思いもしなかっただろう。
 しかし、林 雪路は……自己犠牲を厭わぬ聖人君子などではない。
 保身を考え、危機感も持ち、己を取り巻く環境が悪ければ悪事に手を染めるのも吝かではない……という、割とフレキシブルで長生きするタイプだ。
 これは俺の勝手な想像ではない。彼女の語った事を分析し総合しただけだ。
 恐らく的中していると思われる……虚飾の情報が混じっていなければだが。
 そもそも彼女は当初、摘発を目的として闇市に潜入したのではないのだ。
 むしろそういった違法な物品を手に入れるためにこそ、潜り込んだ。
 食料品や医療品は今の自分に必要であり、そういう裏市場の存在も仕方ない……という認識でいた。
 尤も、資金不足で結果的には手を出せなかったようだが……資金調達のツテがあれば自分はきっと買っていた、と暗い顔で告白していたのを思い出す。
 更には戦術機の予備部品や、弾薬や燃料などといったものまであり、流石に驚きつつも呆れたようだ。
 ……そしてその情景を見ても、特別何も感じなかったらしい。むしろ、元締めの権威の強大さに恐れ慄いたのだとか。

 だが、そんな人間の負の面も相応に持つシュエルゥを、刹那にして義憤に駆らせた光景があった。

 ────本土に置いてきた家族や友人や恋人の写真。大陸で闘う大切な人の安否を気遣う手紙。子供が父親に似せて作ったであろう、軍服を着た小さな縫い包み。
 ……そういった物達が、まとめて売られていた────二束三文の、はした金で。

 シュエルゥにとって、起爆剤としてはこれ以上ない出来事だったのか。
 こうして初志から180°内心の方向転換をし、闇市と仕入れルートを明るみにする為、顧客を装いつつ精査し、国連や帝国軍の調査機関を介入させ、兵站を正常化へと向かわせる事となる。

「……よく五体満足で帝国軍に保護されてくれたもんだ。本当に、バカだよな……」

 酷い言葉を吐きながらも、俺の胸中にあるのは尊敬の念だけだった。
 シュエルゥは利害を超えたところで判断し、宿った激情と正義感を寄る辺として行動に移したのだ。
 誰にでも真似のできることではない。が……賢くはない。運が良かっただけで、命知らずな事には変わらない。
 臆病風に吹かれたとは言え、一度は危険だと冷静に看做してみせた事を、勇気と無謀の狭間で断行した……これは博打に等しく、決して褒められたモノではない。
 それでも────俺はそれが正しい行動だったのだと、"感じた"。
 そして、運が絡んだとは言え結果に結びついたのなら……その働きに相応の報酬があってもいいのではないか。
 しかしシュエルゥの中で、この一件は終わったことらしい。
 早期渡航の段階で融通してもらっているから、既に対価は払われていると言う認識でいる。
 彼女らしい謙虚さだ、と褒めるべきなのだろうが……。

 ────なら此処に居る……何の対価も支払わず、当たり前の日常を享受してしまっている者は……シュエルゥにどう顔向けすればいいのだろう────。

 ……独善的ではあるが、俺から何かをしてあげられないだろうか。だが独りよがりが過ぎても意味がない。
 押し付けがましくなく、正当性があり、シュエルゥの望みとも一致している……そんな報酬が用意できれば……。
 ……交渉の余地はあるはずだ。この件を正しく理解し、また便宜を図ってくれそうな人間を、俺は丁度知っている。
 しかも────。

「一週間後の……8月が終わる日。その張本人が此処に来る、ってシュエルゥも言ってたしな……」

 視察団が来るってのは聞いていたが……来入者一人一人なんて気にも掛けていなかったんだよな。
 ほんと、驚いた。あの日とは逆になってるな。大陸派兵の日は俺が出向いたが……今回はあっちから来るらしい。

 ────五摂家にして現将軍家である、"斉御司"の一員。そして転生者でもある、斉御司 暁。

 シュエルゥがいち早く渡日……いや、"帰国"した理由の一つに、彼との謁見を希望した……という事も含まれると言っていた。
 だが本人曰く、俺からの説明で9割方目標を達成できてしまった、との話。
 少なくとももう斉御司に対して何かを問い質すつもりはなく、糾弾する事もないらしい。やや聞き分けが良すぎる気がするが、難民として過ごしてきた経歴から、彼の介入行動には同情を覚えるようだ。
 そしてその同情こそが残りの一割の目標に関する……傘下に入るか否かという話に繋がる。彼女の難民という立場が選択の余地を狭めてしまっているのだ。
 難民という立場は、著しく自由を制限される。特筆すれば、現行法では日本帝国の公的機関に所属する事が出来ない等がある。
 そしてまた……シュエルゥは、自分の分を弁えている。歴とした、中国籍を持つ難民である事を、しっかりと理解している。
 故にそんな己を庇護下に置き贔屓する事は、斉御司の外聞的な悪影響等の迷惑がかかるだろう、と……こんな時でも彼女は他人優先だ。
 恐らく、一週間経っても考えは変わらないだろう……何とかフォロー出来そうならしてみよう。

「……そういえば、月詠さんはどうするんだ? やっぱり付いてくるんだろうか……となると、御礼がしたいところなんだが……」

 ────まだ適性検査通るかどうかも解らないのに、斯衛軍衛士養成学校の詳細な資料とか……都合して貰ったからなぁ。

 加えて、疎開先の件まで……俺はあの人に頼りっ放しだ。本当に、頭が上がらない。
 まぁ……まさかここまで親身になってくれるなんて、考えても思ってもみなかったんだが。
 顔を突き合わせたのは、港での一回きりだぞ……?
 あの時より音沙汰もなく3ヶ月が経ち、渡してくれてあった番号へと俺から唐突に連絡したにも関わらず、この好待遇だから不思議で仕方がない。
 ……ていうか電話かけた時、取り継ぎで出てくれたの多分、鎧衣さんじゃねーかな……割と若々しい感じがしたけど、俺のダメ絶対音感がそうだと告げている。
 信頼できる人に繋がると聞いていたんだが……鎧衣さんって……いや、まぁいいか。胡散臭くても悪い人じゃなかったしな。仕事はちゃんとする人だし。
 そんな鎧衣さんから「5秒待て」と告げられて、5秒じゃ無理だろと思いつつも待っていたら、本当に5秒で月詠さんに継がったから意味が解らない。
 其の後は、何故か若干テンションの高い月詠さんに電話の理由を聞かれ、学校の資料が欲しい事を話した。
 すると何故か更にテンションの上がったようで、他に何か用はないかと聞かれた。
 ここぞとばかりに半ば諦めつつも、帝都内で疎開の住込み先と"軍事"に精通できる環境の紹介をして欲しい旨も伝えた。

 こうして……結局、どちらも了承された訳だが。正直、今でも不思議で仕方がない。
 確かにはっきりとした返事はしなかったが、請求した資料、そして帝都での疎開先や軍事に慣れ親しめる環境の紹介……事実上『あの日の返事』のOKサインだ。
 しかし、資料のほうは俺の要求から察してくれたのだと納得するとして……。
 こんな早い時期からの疎開や環境の件まで引き受けてくれるってのは、どういう了見だ?
 青田買いじゃ済まない……耕して整えるところから始めるようなものだ。
 オマケに、一週間足らずで親と学校にも連絡が行き、来年春からの唐突な疎開がスルスルと一切揉めずに決まった。
 ただ住込み先の件では、文句は受け付けない、と言われた。当然、二つ返事で了解したが。
 多分、問題はないだろう。実家から通えとかそもそも無理だし、これは京都じゃないと意味がない。だから、どんな厳しい環境だろうと耐える所存だ。
 そういえば……両親・学校の双方には事前に相談してあったとは言え……お小言一切なしどころか、褒められもしたな。
 やっぱり、武家の影響力は強いのか……転校とか結構揉めそうだと思っていたのに。尤も、俺が持ってる例の高認の資格も関係あったりするらしいので、今まで積み重ねてきた諸々の条件が重なったのか……。
 父さんと母さんなんて、よくやった!って喜んでたんだよな……"上洛"なんて時代錯誤な単語まで飛び出してきたし。
 ……それも、武家なんて存在が未だ残っている世界だから、今更の話か。東京と京都……どちらも異りつつも同等に栄えてるんで、呼び分けられる事もあるのだとか。
 上京と言えば東京・京都のどちらにも当てはまるが基本的には東京を指し、帝都に限定するならば上洛のほうが明確に通じるようだ。
 この世界ならではの言い回しというか……らしくはある。

 ────上洛、か。

 今度は成り行きじゃない。
 己の意思で、帝都へと踏み入る。
 ……その前に、斯衛の二人に出会える機会が再び巡ってきたのは僥倖だ。
 一週間後、彼らが訪れた時に伝えよう。誠意を尽くし、自分が何を成したいのかを。

「……まぁ、もう察してくれてそうだけど、一応な」

 あの日あれだけ煽られて、時間を空けて、改めて斯衛軍隷下の訓練校の資料を請求。
 この流れで気づけないほど鈍くはないだろう。
 まぁ、バレていようがいまいが……。

「何はともあれ……どうかこのまま八月が終わるまで、何事も起きませんように、っと」

 心の中で祈りながら、ペダルを回した。
 ピークに達した眠気を振り払うように、自転車の速度を上げていく。




















1991.summer.one day

  日本帝国 九州

   熊本難民キャンプ

    コンパウンド





















 ────俺、帰ったら……寝るんだ。

 そう心に誓って、ペダルを漕いできた。
 今日は夕方前の、各種施設の点検作業ぐらいしか俺の仕事はない。
 だから眠れる。眠れるのだ。シュエルゥとの貫徹での語らいだって、これを踏まえてのもんだ。
 それだけを希望に、全身全霊を掛けて、俺はコンパウンドへと帰還したのだ。
 眠りそうになるのを堪える為、今後の事について必死に思考を途切れさせないようにしたりと、自分なりに努力しながら。

 でも……努力が報われない時だって、あるよね……。




















                                           Muv-Luv Initiative

                                            第二部/第四話

                                              『因果連鎖』




















「……あの、それ、本当ですか」

「ええ……娘から電話でね。あっちで友達になったんだって」

 ……勘弁してくれ、と。
 俺はその時、心の底から思った。
 疲弊しきってるんですよ、こっちは。
 寝不足の頭は思考を放棄したがってる。
 昨日から色々ありすぎて、とっくの昔に限界だ。もう保たない。
 だが目の前の女性、アシュリー・スーさんの言葉は、到底無視できるモノではなかった。

「……キリト・キリヤマは、確かに俺の友人の名前です。俺に告げた行き先や滞在期間から考えても、同一人物なのは間違いないです」

 どうやらそういうことらしい。
 コンパウンドへ踏み入った直後、アシュリーさんに物凄い勢いで捕縛された。
 そして今の状況である。世界が狭すぎる気がする。
 俺の友達と、目の前の人の娘さんが、海外で友達になってるってどんな確率だよおい。

「偶然ってあるものなのねぇ。どこで人が繋がってるのか、予想もつかないわ」

 想像しろってヤツか。
 でもごめんなさい、今は無理です。
 頭が怠い。痛かったりはしないが、鉛が詰まってるようだという表現が正に当て嵌った。
 脳みそこねこねコンパイルだ。相当、参ってる。
 しかも、さっきから嫌な予感がビンビンする。
 柄にもなく「何事も起きませんように」と祈ったのが不味かったのか。
 フラグが立ったとでもいうのか。
 回収早すぎだろふざけんな。

「……珍しいですよね。アシュリーさんが自分の家族のこと話してくれるなんて」

 少し震え声になりながら言った。
 そもそもどうしてこんな話をしているのか。
 何でもアシュリーさんの娘さんが、アメリカで霧斗のヤツと友達になったらしいとのこと。
 あの野郎アメリカに何しに行きやがった……。幼女と仲良しごっこに講じてる暇はないはずだが?
 自分の容姿がガキだからってセーフだと思ってるんじゃないか? 今の内に去勢しとくべきか……。

「そんなことないでしょう。何回か話したことあるわよ?」

「いえ……でも俺、娘さんの名前すら知りませんよ。いるってことも又聞きですし。俺がいないときに、他の職員さんと話してたんじゃないですかね」

 基本的には公私混同はしないタイプだしな、この人。
 何かと気にかけてくれてはいたが、それはキャンプ内に携わる教育の範囲内でだ。
 昨日の夜、プライベートな事に突っ込んで話をしたのが始めてなぐらいだし。

「……あら? "ポリー"の事、一回も話したことない? 本当に? 聞き逃したとかじゃなくて?」



「────……ポ、リー?」



 その響きに、覚えがる。
 間違いなく、かつて聞いた重要な名前だ。
 ……衝撃が強すぎて、一瞬意識が飛んでしまいそうになった。
 眼蓋がより一層重くなるのを歯を食いしばって耐えつつ、聞き返す。



「……ちなみにポリーって、愛称ですよね。本名は────」



「メアリーって言うの。素敵でしょう? ちょっと待ってて写真があるわ。どこだったかなぁ……」



 デスク周りを漁り出すアシュリーさんを尻目に、俺は鈍った頭で今しがた聞いた娘さんの名前を分析した。

 メアリー。

 そうか。メアリーは、ポリーと省略されるのか。一つ勉強になった。
 あぁ……何て、何て素敵な名前なんだろう……そう、"単体"なら。
 その名前単体なら、俺はその名前を素敵だと豪語しただろう。
 だが、姓が問題だ。

 スー。

 綴りはSueで「告訴する」って意味もあるんだよな。
 裁判沙汰は米国人のお家芸だしな……って、いや、まぁそれは置いといて。
 姓の方も単体ならいい。問題ない。短くてシンプルだ。いい姓だ。

 さて……お待ちかね。
 ここで名前と姓をドッキングさせてみようか。
 やったぜ、フルネームが完成だぜ。

 "メアリー・スー"





 " メ ア リ ー ・ ス ー "





「うおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ…………ッッ!!」





 何だこの破壊力……ッ!?
 T.K.Oだよ。リングに沈んだよ俺。
 真っ白だよ、眠いよもう。限界なんだよパトラッシュ。
 ……俺もさ、時々あるよ? 名前をネタにされることはさ。
 でもな、あえて言おう。



 酷いフルネームだ……ッッ!!



 メアリーもスーもそれぞれ単体じゃ全く問題ないのに、組み合わさってしまったばかりに化学反応が起きてしまっている……ッ!
 洗剤だって別けて使うだろう? 細心の注意を払うだろう? 混ぜるな危険なんだろう!?

「あっ! あったあった。これよこれ、私の愛娘の写真。なんだか写されるのが嫌いらしくて、あまり撮らせてくれないのよね……」

 普段より饒舌だ。実は結構、こういう話が好きなんだろうか。今まで解なかった。
 珍しくはしゃぎながら、アシュリーさんがデスクの引き出しから取り出したのは、写真立て。
 そこに入れられた一枚には一組の母娘が。
 ふむ。こちらの美しい女性がアシュリーさんなのは一目で解った。
 となると消去法で、隣で引きつった笑みを浮かべている親譲りの美少女がメアリーちゃんだろう。
 衣装は青のドレスに白いエプロンと、典型的なアリス風だ。金糸の如き輝きを放つ髪がマッチしすぎている。
 その不服そうな笑みからは無理矢理に着せられてる感が滲んでいるが、いい一枚だ。
 常日頃、一緒にいられる訳ではなさそうなのに、二人の家族仲が非常にいい事が窺える。

 ああ。

 でもさ。



 左目が灰色で、右目が琥珀色なのは────何なんだ、これ。



 ────ああ、うん。知ってた。
 自分を騙すのは良くないよな。ちょっと現実逃避しちまった。
 認めたくないもんだな、厳しすぎるリアルってヤツは……いや……待てよッ!?
 まだカラーコンタクトという選択肢が────ないない。アシュリーさんの性格から言って絶対ない。

「……娘さん。虹彩異色症なんですね」

 目の色素に異常が出る症状……遺伝か事故か……恐らく前者だろう
 ヘテロクロミア、バイアイ────または、"オッドアイ"とも呼ばれる。
 なお、視力にも影響が出る事例があるらしいが、衛士適正には関係ないもよう。

「ええ……よく知ってるわね。そうなの、君の言う通り……でも今のところ視力には異常がないし、本人も全く気にしてなくてね。お祖父様……あぁ、旦那のお父様ね。スーの家に嫁入りしたから、私。で、そのお祖父様やお祖母様も目に入れても痛くないってぐらい可愛がってるし、私も全然責められたりしなかった。なのに私ばかり気に病んでる訳にはいかないでしょ?だから、今はただの一つの個性として捉えてる。まぁ、ポリーも必要以上にひけらかすつもりはないみたいで、普段から眼帯を着けてるみたいだけれど」

 いい話だ。

 いい話なんだ。

 でも、何故だろう……聞いてるこっちは正直、心が折れそうっていうか……。

 いや……まだだ。
 まだメアリー・スーって名前でオッドアイなのが確定しただけだ。
 最後の砦がまだ残ってる。

「……こ、子は親に似るとはいいますけど、やっぱり母親に似て可愛いですねー。思わず一目惚れしちゃいそうになりましたよ……ところで。やっぱり頭の方もいいんでしょうか? アシュリーさんに似て……」

 震え声で最後の質問を振り絞った。
 ……これさえ外れてくれれば……。



「一目惚れ? ふふ。ありがとう。でも、そうね……頭がいいっていうのは語弊があるけど……ギフテッド認定されてるから、一応そうなのかな」



「へ、へぇ~……。ギフテッド、ですかぁ……す、凄いですねぇ~……あはは……は……」



 オワタ。

 ギフテッド……かなり大雑把に言って、米国での公認天才児の事だ。
 しかし、日本でいう天才とはまた異なる概念なので、そのまま日本でもギフテッドという言葉を用いるのが妥当だろう。
 IQの高低だけでは判別が出来ず、知性、創造性、リーダーシップや芸術的素質……果ては特定分野での潜在性にまで抵触する概念だ。
 もう重箱の隅をつつく必要はないだろう。
 ていうか隅がどうこうどころじゃない。
 重箱が爆発した。

 完全にオワタ。



  此処に、メアリー・スー × オッドアイ × 天才(転生) のコンボが完成した。



 ロリータハントとか言って悪かった、キリト。心の底から謝る。
 お前が言ってたポリーと、この人の娘さんのメアリー・スーちゃんが同一人物だって事はもう疑いようがない。
 後を頼む。しっかり手綱握っとけよ。120%偏見で申し訳ないが、何しでかすか解らねーぞその子。

「君も、米国に行けばそういう扱いを受けたかもしれないわね」

 ……いや、それは多分ない。
 純粋な天才と、イカサマな早熟……この二つは、俺の中ではハッキリと区別されている。
 俺はキリトのように専攻し、かつ優秀な成果を上げている分野もないしな……でもまぁ、高く評価されているというのは悪い気はしない。

「……お褒めに預かり光栄です」

 声が上擦ってる。脈拍もおかしいような気がする。呼吸も心なしか乱れている。
 立ってるのもきつくなって来た。座らせてもらおう。

「勿論、君の友達のキリトって子もね。あの子と会ってるって事は、ロスアラモス国立研究所に居るみたいだし……何がしかの"特定分野"で認められていなければ、立ち入りなんて出来ないわ」

 パイプ椅子に座り、デスクにぐったりと上体を預け、正に昨日アシュリーさんに起こしてもらった時と同じような体勢になる。
 出しっぱなしにしていた資料も、顔の下に敷いている。昨日の再現だ。外は晴天だけどな。
 ……さて。今の説明と渡米する前の電話を照らし合わせれば、もう解った。
 この人の娘、メアリー・スーは間違いなく転生者で、かつG元素に噛んでおり、表向きにはギフテッド待遇でアメリカ合衆国の至宝"ロスアラモス国立研究所"で英才教育を施されているようだ。
 普通こんな所にぶち込まれるはずないんだが、G元素に積極的に絡みに行くならここしかない。彼女自身が希望したのか、上手く取り入ったのか……。
 そして、キリトは貴女のお子さんと合うために渡米したようなもんですよ、アシュリーさん。……他の思惑もあるやもしれんが。
 あいつの"特定分野"もG元素絡みだしな……ALⅤへの対抗手段を模索していたようだし、その為にはG元素研究で最先端を行くロスアラモスへ赴くのは必然の流れだった。

 ……丸く収まったと、言っていいのかこれは。

 未来を引っ繰り返そうって言うんだ……相応の場所に、相応の意志や覚悟を持って臨む人間が集うのはおかしいことじゃない。
 それでも……どうしてこうまで巡り合い、繋がり合う?

 いや待てよ……嬉しくない経験則だが、次は────。



「……あの、一つ、お聞きしていいですか。メアリーちゃん……パスポート……作ってます?」



「あるわ」

 

「あっ……」

 察してしまった。



 ────集まるんだろうなぁ、これ……。
 


 嫌な予感が頭を過ぎった次の瞬間。

 ゴンッ、とデスクに頭を打ち付け、俺は落ちた。スリープ(眠)。




























1991.August.last day

 日本上空

  航空機内 ファーストクラス














 旅客機の最上級客席は、閑古鳥が泣く寸前だった。
 ゆとりのある空間に、機内用の絨毯が敷かれている。
 座席は最新のモノで、床に対してフルフラットにこそならないが、かなりの可動率を誇るシートだ。
 占有スペースは非常に大きく、個人では持て余すほどに広い。
 タイミングが良かったのか、そもそも運航路線に人気がないのか……そんな贅沢な空の旅を満喫できる場所には、二人の子供しかいない。

「Fish or chicken ?」

 二人のうち一人の少女が、キャビンアテンダントの真似事をするように隣で座る少年へと声をかける。

「……てぃきん、ぷりーず?」

 心底呆れた風にわざと日本語訛りで、少女の流暢な英語に返す一人少年。
 こんな態度なのは他でもない。この遣り取りのオチを知っているからだ。

「 F i s h , o n l y 」

 聞いておいて、それはないだろう、と。
 少年……霧山 霧斗は頭を抑えた。
 解っていてCMネタに乗ったのだが、想像以上にダメージが大きかったようだ。

「……ポリー……バカなのかお前は。エコノミーじゃあるまいし……無いなら初めからそう言えばいいだろう。労力の無駄だ」

「何でそんなに不機嫌なのです? キリト君。折角のファーストです。気を安らげなさいな」

 ポリーと呼ばれた少女……メアリー・スーは、癖のない真っ直ぐなベビーブロンドを指で梳きながら、不機嫌そうに振舞う霧斗を窘める。

「折角のファーストクラスで魚と鳥の二択迫られる訳ないだろ。格ゲーの起き攻めでももっと選択肢あるよ。ていうか、機内食はもうとっくの昔に食ったろ。むしろ、もう着くだろ────日本にさぁッ!」

 周りに自分達以外の客がいないのをいい事に、本物のCAに窘められない程度に霧斗が声を張り上げる。
 仕切られたビジネスクラスにはギリギリ届かない、絶妙な怒声だった。

「着いて貰わなくては困るのですよ。間に合わなくなるでしょう」

「何にだよ……それは、帰国を予定より一週間近くも早めさせる程の理由なんだろうな……?」
 
 霧斗は9月を跨いで米国に滞在するつもりだった。
 持ち帰る資料を纏めるのも勿論だが、G元素に関する知識を蓄える為にはこの分野に最も精通した者……カールス・ムアコック、リストマッティ・レヒテ、そしてウィリアム・グレイと言った偉大なる先達に教鞭を取ってもらえる機会は貴重なものだ。
 しかし、唐突に片方の作業が丸々消失してしまう事になる。

「無理言ってる自覚はありましたよ。だから資料纏めは一手に引き受けてあげたじゃないですか」

「ああ、そうですね役に立ちましたよ。でもな、そもそも頼んでないし、急かせた原因もまだ知らないんですが? ……まぁ、引き伸ばしても無益なのは解るし、短縮できるならばと僕から折れたけど。さぁ、もう日本に着くぞ。急いだ理由を言ってもらおうか」

「ほい。どーぞこれを」

 メアリーは機内に持ち込める程度のサイズのバッグから、封筒を取り出し霧斗に手渡した。

「……? 何だよこれ……手紙? 読めって?……ったく。なになに……」



『アシュリー・スー国連職員によって聞いたのだが、そちらにいらっしゃる娘さんのメアリー・スーちゃんが気紛れで日本に来日するらしい。
 ちなみに、俺と新しい同類の子と、例の二人が謁見する日を完全に狙いすましたかのような日程だ。
 偶然なのか必然なのかは正直考えたくないんで、ひとまず置いておく。
 兎も角、間違いなく糞面倒な事になるの請け合いなのでそっちで9月まで足止めしといてくれ。
 この最後の希望という名の手紙が、君に届く事に全てを託す。君ならできるよ(笑)
 国際電話はこっちからそっちへ繋いでもまずお前に取り次がれないだろうと考え、国際スピード郵便まで使ってのギリギリのタイミングでの報告になってしまったことは私の責任だ。だが私は謝らない。
 メアリーちゃんを連れてきたらお前、しめやかに爆発四散な。
 サヨナラ。 

 不破 衛士より』



「────おいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃッッ!! 」

 絶叫した。
 CAが驚いて振り返ったのを彼は認識したが、もう遅かった。注目の的である。
 霧斗が手に持つそれは、友人である不破 衛士が遥々日本より送ったモノだった。
 しかも内容はネタに塗れてはいるが、紛う事なき警告文だ。

「ごめんあそばせ。もう来てしまったのですよ」

 あっけらかんと言ってのけるメアリーに、霧斗は憤慨する。
 新しい同類の子……転生者とは一体? 例の二人……斉御司と月詠の二人が何故、難民キャンプに?
 憤慨はそういった事に対するリアクションではなかった。
 それらは驚きこそすれ、怒るポイント足りえない。
 問題は────。

「お・ま・え……! 何勝手に僕宛の手紙読んでんだ!? 普通に犯罪だろ!?」

 注目された事を恥じ、再び声のボリュームを落とす代わりに距離を縮めようと体を寄せた。
 肩が触れ合う間隔で、霧斗はメアリーを問い詰める。

「ちっちぇー男ですねぇ……博士達も私も、君の事をクールだと評価していましたが……改める必要があるようですね」

「限度があるだろ……ッ!? くっそ、もう日本上空だぞ。おい……ポリー。これから帰る気は」

「望み通りの言葉が返ってくるとでも?」

「……だろうね。はぁ……いつの間にこんな事になってたんだよ、クソ」

 霧斗は手紙を見返してみると、恐らく4,5日ほど前には母親にそちらへ行くと報告したのだろうと推察した。
 何故かというと、その事を不破 衛士がアシュリー・スーより聞いてすぐに、国際スピード郵便を出して米国へ届くまでの期間から逆算しただけだ。
 そこまでは偶然だったのだろう。問題はそこからだ。一人で先行すればいいのに、何故己を連れ出したのか?
 霧斗は、それにも見当を付けていた。彼女に彼の事を話してから、妙に彼にご執心なのだ。

 メアリー・スーは、霧山 霧斗に、不破 衛士との間を取り持って欲しいのだと。

「……で? 何でエイジにそこまで執着する。僕がお前にエイジの事を話聞かせてから、随分とご熱心じゃないか。何度も言ったが、彼は……既に政治的・戦略的遣り取りの段階に踏み込んでいる君からすれば、人畜無害な"一般市民"なんだぞ」

「ハッ────本気で言ってるのですか? "一般市民"だからこそ気になるのですよ。何故、平凡過ぎるほどに平凡なエイジ君が、舞鶴港で君や武家の彼等と出会い、剰えまたもや転生者と巡り合い、そして私ともお母様を通じて繋がっているのです?」

「……偶然だろ。そういう事もあるさ」

「"因果律量子論"に於て、強い意思を以て最善を手繰り寄せ、偶然を必然へと替える者。その重要性は────香月夕呼に最も近い場所に在る君が、転生者の中でも一番理解できているはずなのですがね?」

「何が言いたい」

「"使える"のでは、と。 武家の彼等の御手並み次第では、"第四"の重要なファクターとなる"彼女"の入手経路が不明瞭なのでしょう?」

「……言いたい事があるなら、はっきり言ってくれないか」

「既に理解できているのに私に言わせるなんて、意地が悪い────A-01と同じです……"素体候補"としてリストアップしてはどうか、と言ってるのですよ」

「────……ッ」

 グシャリと音を立て、霧斗の握り拳の中で手紙が潰れた。
 メアリーの言葉は、彼の心情を深く掻き乱す。

「……落ち着いてください。別に エイジ君をA-01に放り込もうって話をしているのではありません。そもそも、彼は自分の意思で衛士になりたがっているので。その為の将来の展望も見えているらしいですよ? 私達の思惑に無関係な所で"番外"として勝手に素体候補になってくれるというのなら棚から牡丹餅なのですよ」

「番外? 勝手に? どういうことだ」

「────帝国斯衛軍、衛士養成学校。ま、捻りはありませんが早期に且つ高度な軍事教練を受けるなら、此処が最適解だったのでしょうね」

「……ッ! それは事実か。騙りじゃないだろうな」

「えぇ、母から頂いたフレッシュな情報です。よかったですねぇ、ここに受かればより早い段階で戦線へと投入されますよ? そうなれば、後は"素質"さえあれば勝手に運を手繰り寄せ、勝手に生き残る。受領される機体や斯衛軍の性質上、A-01並に"ハード"な戦場に立たされるのは目に見えているので」

 メアリーの言葉が、霧斗に想像を促した。
 連隊規模で第三世代機……不知火を優先配備されたA-01ですら、最終的に残ったのは一個中隊。
 しかし仮に、不破 衛士が順調に任官した場合……更に劣悪な状況に追い込まれる。
 まず所属の関係で、瑞鶴に搭乗する事となるだろう。
 強化されているとは言え、所詮は1,5世代機……仮に、彼の"名"が"体"を表したとしても、たかが知れているだろう。
 加えて斯衛軍は……魁であり、また、殿であれ、と……その要求の厳しさは有名だ。

 不破 衛士は────理不尽な状況下によってのみ選定される、"00ユニット素体候補"として、十分すぎるほどに恵まれた環境を目指してしまっているのだ。

 そしてそれは、彼の命を極端に軽くする行為に他ならない。

「────……バカ野郎ぉ、生き急ぎ過ぎだろ……! アイツには兵役の義務なんてないんだぞ……なのに、斯衛の養成学校だって……!? それじゃ最悪────」

「大侵攻に間に合いますねぇ……丁度いい"篩"です。そこを生きて乗り越えれば"素体候補"としてこれ以上ない逸材になるでしょう。……ま、死んだらそこまでですけどね。しかし、元手はタダです。斯衛軍が勝手に育ててくれるようですし、此方が一方的に期待しておく分には問題ないのでは?」

 涼しい目で、気負わぬ態度で、メアリーは言い放つ。
 一瞬納得しかけながらも、霧斗はほとんど反射的に言い返していた。

「────……その必要はない」

「はぁ?」



「エイジを素体候補として扱うつもりは、毛頭ない。何故なら、その役割はA-01だけで間に合っているからだ」

 

「……あっはははは! ちょっと笑わせないでほしいのですよ、キリト君。友情も結構ですがね……今吐いてみせた台詞を、これからやって行くことと照らし合わせてみなさいな。不公平だとは思いませんか? A-01は良くて、エイジ君は駄目だと? "スペアプラン"は幾つあっても損にはならないでしょうに」

 メアリー・スーは、鑑 純夏の代替として機能しうる存在を求めている。
 予定調和が崩れている今、その模索は急務だ。A-01内部での選定は物議を醸すだろう。
 また、A-01の"本来"の存在意義……それを、外部の衛士にも押し付けるつもりだ。
 被験対象は多ければ多い方がいい。
 そんな事は、霧山 霧斗が一番理解している。
 だが────。



「いいや、必要ない。まさか彼が徴兵を待てずに志願するとは思ってもいなかったけど……それでも、帝国に依ってくれた事に変わりはない。これでいいんだ。コチラには、絶対に付き合わせない」



 ────あの日港で、真っ直ぐな眼差しで戦術機を見つめていた、他の誰よりも少年らしかった転生者。

 そんな彼に、命を危険に晒す衛士の道を諦めさせる事が出来ぬのならば……せめて。

 せめて……陽のあたる場所で、正義の旗のもとに戦って欲しいと────。



「お前には何度も言ったと思うけど……彼は無能だ。既に個人では何も出来ない、影響力のない部外者だ。転生者という特異な存在でありながら、非力な家柄に生まれ落ちた人間は……その時点で、00ユニットとして相応しくない」

 理論は破綻している。屁理屈にもなっていない。
 むしろそんな立場に生まれ落ちたにも関わらず、今も霧斗達に食らいつくように藻掻く姿は、比類なき"適性"かもしれない。
 それでも……霧斗は断定するように言い切った。

「……成程。まぁいいです。君に従うのですよ。もとより其方の方針に対して出しゃばって口出しするつもりはありません」

「……助かる。今は、そういうことにしておいてくれ」

 霧斗の言葉を流しながら、メアリーが窓から広がる景色を見つめていた。
 その色違いの瞳の下には、日本列島が広がっている。そう遠くないうちに目的地の空港へとたどり着くだろう。

「さて、君から聞いてはいましたが例の3人と会うのは始めてなので、楽しみなのですよ。あー、そもそも、私は母親が恋しくて難民キャンプに行くだけですし? その過程でその場で働く人と出会ってしまうのは仕方ないことですしぃ? 今更止めないですよね?」

「別に予防線張らなくても……此処まで来ちゃったんだから、好きにすればいいよ。そこまで拘束される謂れはないだろう……ただし、僕も一緒に行くからな」

 霧斗はメアリーを連れてくるなと言われた手前、阻止こそ出来なかったが彼等と出くわした後の暴走だけは抑えるつもりだった。
 変なことを言い出せば、猿轡を付けてでも海外へ引き摺り戻すのだと、たった今決めた。

「どうぞどうぞ。むしろ、端っからそのつもりで君の帰国準備を急かしたのですから、来てもらわなければ困るのですよ」

「……帰国、ね」

 霧斗も窓の外へと目を向ける。そこには故郷が広がっていた。
 すると、ふと、隣にいる転生者はこの情景にどういう感想を抱いているのかを聞いてみたくなった。

「……そう言えば。メアリー、どんな気分だい? もう日本へ着くけど」

「なんなのです、 藪から棒に」

「いや……ちょっとした好奇心だ。"故郷"に帰ってきたという感覚はあるのかな、と」

 彼は知りたかった。彼女がどういうスタンスで入国するのか。
 法的な意味ではなく、心は、魂は、どう感じているのか。
 そして之から此処で起こることに、どういう視点で立ち向かうのか

 ────メアリー・スーの立脚点が、どこにあるのか。

「あぁ……実は自分でも肩透かしというか────そういう感覚がさっぱり、ないんですよね。多少は感じ入るものがあると予想していたのですが……異国に迷い込んだ気分なのですよ」



 "大陸からの異邦人(エトランゼ)”は、そう告白した。



「────そうか。じゃあ……ようこそ、日本帝国へ」



 こうしてまた一人。

 "アメリカ人"に転生した者が、這い寄るように────運命が集う場所へ踏み込む。



[12496] 第五話 ─6/7─ 前編
Name: Caliz◆9df7376e ID:93ba022c
Date: 2020/03/22 05:57
 八月、最終日。

 予定通りに視察団を迎え入れた難民キャンプは、通常運行を保っていた。
 大事な日だから、気合を入れる……聞こえはいいかもしれないが、それはハリボテの誇張でしかない。
 平常こそが嘘偽りない運営実績だ。それを特に意味もなく誇張することは、東日本へと規模を拡大し新たに展開していくという今後の流れを妨げる。
 そもそも、世界でも類を見ないほどに此処は秩序が保たれているのだ。
 現状でも十二分に優れているのならば、誇張する必要もない。
 問題らしい問題は発生せず、滞りなく午前の部が過ぎ去っていった。

「報告に偽りなし、か。治安は及第点を大きく上回っている。陽が高いとは言え、こうも穏やかな雰囲気だと疑う気も起きんな……月詠、お前はどう見る」

 炎天下の最中、夏らしい軽装に麦わら帽子を被った少年────斉御司 暁が、己に三歩下がってついてくる少女に喋りかける。
 大人の群れの中で、十にも満たぬ子供がさも当然のように並んで歩く姿は奇妙な光景だった。
 周りの人間が特に気にする素振りも見せない事が、その違和感を更に加速させている。

「ハッ……治安については殿下の仰る事に概ね同感、といった所でしょうか。しかし個人的には、高水準を満たしている衛生環境こそ評価すべき点であるかと。突貫工事と言って過言ではない状況下で、ここまで整えられたのは幸いでした。国連に所属する諸機関との連携がなければ、不衛生から来る疫病の発生も有り得たでしょう」

 サンバイザーを被った薄着の少女────月詠 真央が、夏の暑さを今まさに体感しながらそう返事をする。
 高温多湿となる日本の夏……流れ込んできた難民の数を鑑みるに、衛生環境の保全に手間取っていれば難民キャンプ内を"更なる不幸"が襲っただろう。
 地獄から逃げ延びた先が、地獄になっては意味がない。
 またそのような為体を晒しては、逃げ場所を提供した側の沽券にも関わる。

「一難は去った、と言ったところか。しかし、"また一難"とも言う……胸を撫で下ろすには早い。まだまだ難民は増えてくるからな。国連からの手厚い援助は、それを見越した采配なんだ。諸外国の難民受け入れは飽和状態……此方に優先的に振られるだろう。尤も、受け入れると評すべきか判断に困る扱いをしている国も少なくはないが……兎も角、そんな現状を改善したくとも一定水準の"おもてなし"を実現可能とするには、未だ難民を受け入れておらず、且つ先進国で基盤が安定しており、また高度なインフラ技術を要求される国が挙げられた訳だ。当然、この条件に該当している国なんぞ他にはない。日本帝国には是が非でもキャンプの設立を受諾して欲しかったのだろうな」

 そして日本帝国は今、先進国としては最後発となる難民受け入れ国となっている。
 此処で言う難民というのは広義ではなく昨今の狭義である、BETA大戦勃発における国土損失に伴って大量発生した難民の事だ。
 細々とした流入は当然今までもあったが、難民キャンプ設立による大規模な受け入れへ、ついに乗り切らざるを得なかった。それほど、世界は切迫している。
 しかし人類の旗色が悪くなったのは何も今日昨日の話ではない。だというのに日本帝国の難民受け入れが遅れに遅れたのには、理由があった。
 それは国の成り立ちと特性に起因する。列強と呼ばれる枠の中において唯一となる、"事実上の単一民族国家"である事が今の今まで尾を引いてしまう事になる。
 勿論、現在は国際化が進み厳密な意味での単一民族国家など存在はしない。
 日本にも北海道の先住民族であるアイヌ民族を筆頭に、在日外国人や特別永住者等が"数字"の上では多数と言える程に存在する。
 だが、日本帝国は大和民族が95%以上とその"割合"が圧倒的であり、地球上でも決して多くはない"事実上の単一民族国家"と看做されるのだ。
 そんな国に、ルーツの異なる民族が大挙して押し寄せる……摩擦が起こるのは想像に容易い。
 更には多民族国家を謳う国々ですらこの件で問題が続出しているという事も、難民受け入れ難航の一要因になっていた。

 ……そういう背景があるからこそ、90年代に差し掛かり一転して受け入れが促された事が奇妙に見えるのだ。

「ですが、決まってからが余りにも早急過ぎはしないでしょうか。80年代は皆あれだけ渋っていたというのに……暁様の"将軍殿下"への直訴が効いた、等という美談がある訳でもないでしょう?」

 "現"政威大将軍。

 斉御司家当主、斎御司 経盛。

 ────暁が転生者以外で、己の"事情"を断片的とはいえ明るみにした唯一の存在。

「……有り得ん。慈善事業じゃあるまいし情で動いてくれるものか。あの方に晒した情報はあくまで参考までに、と双方が強く念を押して打ち明け、受け入れて頂いたものだ。そもそも今の政威大将軍にそのような権限がないのはご存知だろう────まぁ、影響力が一切ないという訳でもないがな。兎も角、キャンプ設立は転換期であり好機でもあったというだけだ。長期的に見てここで帝国なりの難民キャンプの在り方を確立出来ず、他所の国のように治安が低迷し、国際関係の悪化を招いた挙句テロの温床になる……そういう不利な要素を排除したかったのだろう。第一、いずれは国際協力の名の下に押し切られる案件なら、好条件を提示されている内に締め括っておくべきだ。────尤も、あまり気持ちのいい話ではないが……90年代に入って急に掌を返してキャンプ設立が成り立った背景にはな……"次期オルタネイティヴ計画"誘致へのクッションという一面もあるのは確かだが。常任理事国入りを果たしてから虎視眈々とタイミングを見計らっていたのだ。国際社会での発言力をより一層高め、対抗馬であるカナダとオーストラリア……延いては背後にいる英国を牽制しようって腹積もりで────痛っ、いたたっ!おまっ、脇腹をトゥントゥンするでない!」

 聞くに耐えない、と真央は手刀で暁を小突いて話の腰を折る。
 一聴すると頷いてしまいかねない政治を絡めた理論武装が、所詮は後付けでしかない事を熟知しているからだ。

「よくもそこまで口が回ったものです。情勢が政治を軸にそう推移してしまったからと言って、まるで御自らがそう考えておられるように語る必要はないでしょう」

 切磋琢磨する仲になれば、恐らく誰でも気付く事。
 例えば、煌武院 悠陽をはじめ"次"を担う世代の者達ですら、未だ幼いながらも何かを感じているであろう。

「────"友邦の民もまた、我らが守るべき民である"────だ。俺はまだ正式に軍人となった訳ではないが、何時も心掛けるようにはしている」

 守りの手が足りずに難民は増え続け、増え続けるが故に救いの手が届かずに減り続ける。
 かつての欧州撤退戦、既に始まっている極東迎撃戦……ユーラシア大陸の実情を正しく把握している軍人や政治家には、難民達に対し同情を覚える者は決して少なくはない。
 斉御司 暁が呟いた言葉は、そういった有識者の面々に教えを請う中でも、特別強く影響された人の言葉だった。

 彩峰 萩閣。
 ……いつか、悲劇の引き金となる可能性を内包する人物。

 帝国の軍事組織全体からしても、智将と聞いて真っ先に思い浮かべられるのは斯衛軍の真壁 零慈郎か、帝国陸軍のこの人か、という程の存在だ。
 今は一時的にユーラシア大陸へと向かっているがその任期は短く、また遠からず帝国へ戻り悠陽や暁達へと教鞭を振るう予定だった。

「政治に託けて差し伸べられたのだとしても……それが正しく救いの手として機能しているなら、過程には拘らん。人死が増えて悦に浸れるほど歪んじゃいないさ……一応言っておくが、先生に教わったから言ってる訳ではないぞ? 其処の所、確りと理解しているか?」

 継ぎ足した言葉は、照れ隠し以外の何モノでもなかった。
 とどのつまり斉御司 暁は、彩峰 萩閣を筆頭にBETA大戦の顛末を憂う先達へと尊敬の念を抱き、彼等の教えを正しく理解し沿っているだけだ。
 政治を盾に己の信ずる義を通し、"責務を抱えよう"と足掻く……スケールやベクトルに差異こそあれど自らと似通った存在の……二人の少年がいることが、真央の脳裏を過ぎる。

「ふふ……では、そういう事にしておきましょうか。彩峰先生も聞き分けの良い教え子を持って、嘸かし教師冥利に尽きる事でしょうね」

「……はぁー……気の置けない仲というのも困りモノだな。なるべく悟られまいと振舞っている気でいたのだが……紛いなりにも五摂家の一員をやらせていただいているからには、もっとこう冷徹かつ雅に振るk舞いたいというのに」

「具体的には?」

「斑鳩さん家の次期当主殿」

「それはそれは……夢のまた夢かと」

「うむ。まぁ、よくて崇継様の下位互換に収まるかどうかというところか。研鑽あるのみ、だな」

 以降、会話は次第になりを潜め、視察に集中していく二人。
 午前の部を通して集団を引率していた者が語る内容には、キャンプの今後の展望も含められている。
 それは当然、今後想定される移転や新設の際に掛かるであろう諸々の"大人の勘定"もだ。
 聞き逃すわけにはいかなかった。
 そして猛暑の中、汗を拭いながらの巡回が続き────。

「……ここで最後、というか出発点だな。一通り巡ってきたか」

 暁は浄水施設に立ち並ぶ貯水タンクを眺めながらそう言うと、持っていた水筒のフタを開け、乾いた喉に水を流し込む。
 水はこのキャンプで洗浄された物で、道中の熱中症等を避けるために他の視察者にも水筒ごと事前に配られていた。
 喉を潤すソレに、異常はない。

「……浄水施設にも、問題はないようですね?」

「衣食住の最低限は確保されるのだから当然だろう」

「さて……味見は終わったようですし私も水分補給を────っ」

「ぉい、貴様。先に俺に飲ませたのはその為……どうした、月詠」

 自分の水筒を開けようとした真央の動作が止まる。
 暁は変化を感じ取り彼女の視線の方向を辿ると、仮設テントで日陰になっている場所へと釘付けにされていた。
 其処に居たのは、設置された簡易型の腰掛けへと気怠げに項垂れながら、此方を一瞥する霧山 霧斗。
 そしてその隣には、天然のゴールデンブロンドを靡かせながら朗らかに微笑み、フレンドリーに手を振る眼帯を着けた白人の美少女。

 先日、"不破 衛士から報告のあった二人組"だ。

「はぁ……不破君の嫌な予感が当たりましたね。万が一、来るかもしれないとは聞いておりましたが」

「……そのようだ。今回の厄介事は、不破 衛士の進退と、例の難民の少女の処遇だけになるはずが……余計な案件が増えたな」

 二人は、霧山 霧斗の事は嫌いではない。
 ただ立場が……依る組織が、その目指すべき未来が違い過ぎただけ。
 話し合いの余地はない。港での二の舞になるだけだ。
 日本帝国に依りすぎた者達と、ALⅣに依りすぎた者達では……手を取り合う事が出来ない状況なのだ。

「殿下。一先ず、挨拶は済ませるべきでは」

「無視する訳にもいかぬしな。尤も……俺達が足並みを揃える事は、現状では有り得ない。徒労に終わるだろう────」

 ────誰かが。
 誰かが、二つの陣営の間に立ち、その手を繋げようとしない限りは。



























 
 1991.summer

  August.31

   日本帝国 九州

    熊本難民キャンプ



















 





「露骨に嫌そうな顔してますねぇ、キリト君」

 口を開きかけたものの、それすら億劫に感じた霧山 霧斗は、訂正を取りやめた。
 航空機内で睡眠をたっぷりとったとは言え、強行軍には違いないせいで疲れが顔に出ているだけなのだ。
 むしろ己の体力は年の割にはある方で、日本に着いて早々に熊本の難民キャンプに入り、パスポートを使って互いの祖父の名前と母の名前を盾に強引に視察に参加までして、一切の疲れを見せないメアリー・スーがおかしいのだと確信する。
 そもそも……そこまでして彼等と何を話すというのか。

「……無駄だって解るんだよ。"自国を守りたい者"と、"自国を見限ってでも未来を守りたい者"……どう歩み寄れっていうんだ」

 霧斗のその言い方には自虐が滲んでる。
 それは、彼等の正しさを認めているからだ。
 自分の生まれ育った国を守りたい……何も可笑しい事はない。そこには一片の淀みもない正義だけがある。
 それを理屈でも感情でも解っていながら、霧山 霧斗は逆の道へと歩を進める。進める事が、出来る。
 何故なら、彼が何よりも許せないのは────そんな真っ当な正義の旗の下に戦い、志半ばに果てた者達が心から守りたかった人々や大地が……水底へと沈む未来だからだ。
 それだけは認められなかった。生まれ落ちたこの世界が、そんな未来を迎えてしまう可能性だけは、何としてでも崩してみせる。
 しかし……それを為す為には膨大な犠牲が大前提であるオルタネイティヴⅣを成就させなければならない。
 この世界は守りたい。その為に、此処にある大地、其処に住まう人々を切り捨てる。それもまた世界の一部だというのに。
 ────矛盾が、どうしようもなく付き纏う。

「妥協できそうな点は幾つかあるでしょうに」

「妥協は可能だ。けど、その先に"前提要素"を欠く事になってしまった時……誰が、何に対して、責任を取ればいい? 補う為の代案は?」

「……これは"転生者"としての意見ですが。あくまで正史の流れに沿い、不確定要素を排除し、予定調和通りに横浜まで……鑑 純夏まで到達してくれるのがベストな展開……なんでしょうねぇ」

 メアリーの転生者という言葉を強調した、半ば諦観するような意見。
 余計は事はするべきではないという後ろ向きな発言だった。

「……そういうこと。変な妥協はいらないんだよ。だからメアリー……くれぐれも、変なことは言ってくれるなよ」

「ハイハイ、仰せの通りに……ぉ?あの二人ですかね?高貴なオーラが出てるあの二人。Hey!こっちデース!」

 遠目にも解る、異様な光景。子供が大人に混じり、周りの大人以上に状況に対応できてしまっているという珍事。
 顔を知らぬメアリーにも、彼らが例の転生者なのだと直感で理解できた。

「そうだ……って答える前に手を振るなよ。っていうか、高貴なオーラぁ? そんなのが出てるとは思わないぞ……むしろあの集団から浮きまくってるだろ?年齢的に……はぁー……」

 暁と真央、二人の姿を視認した霧斗はそう言いながら重苦しく息を吐く。
 頭の中では不破 衛士達が合流する前に挨拶だけを済ませ、今もフレンドリーに彼らに手を振っているメアリーを、引き離そうと考えていた。
 未だ見ぬ難民の転生者を含めた6人が集まったところで、面倒な事になる可能性が高いのは瞭然だからだ。

「ところで、キリト君」

「……なに」

「これは"米国人"としての主張なんですが────彼等と手を組むのは不可能ですかね?」

 先程とは一転。
 メアリーはベストだと言い放った事柄に反逆する、協調を提案した。
 "米国人"と念を押して。

「言ったろう。互いに折れる事の出来ない理由がある。生まれが、目的が、違い過ぎるんだ……無理だよ」

「……そうですよね。私も、おそらくあちらの方々も。偏りすぎた立場に、膨大な知識を持って生まれてしまったが故に、"自分から"は絶対に折れる事が出来ない。だから────」

「メアリー?」

「いえ、何でもないのですよ。さーて当たり障りのない挨拶でもしてきましょうか。今度余計な事を言うと口を縫い合わせるぞと脅されましたし」

「そこまで言ってない」

 ────だから、チグハグな自分達を紡いでくれる存在が必要なのだ、と。メアリーは、そう考えていた。
 帝国、米国、そして国連……この星を取り巻く強大な流れを担うオルタネイティヴ計画を巡り、"それぞれ"がどう内側へ働き掛けようと奔走したところで、限界に突き当たる。
 それは経験則だ。事実、メアリーは手を尽くし成果を上げては見たものの、AL5の阻止には至らず、楔を打ち込むのがやっと……その楔とて万全を期せるモノではなかった。
 故にメアリー・スーは、霧山 霧斗からのコンタクトに両手を挙げて喜んだ。
 一人で限界があるのなら、手を取り合えばいい。幸い、"同類"がいたのだから、と。
 ……しかし、それすら満足に出来ないでいる。
 人には、国には、各々の都合がある。それ故にあちらを立てればこちらが立たたず、そして譲り合う事も出来ない。
 彼女は自分達の思考が凝り固まり、停滞しているのには気づいている。
 理由も解っていた。自分たちが未だ、机上で論争をしているに過ぎないからだという事を。
 何かをこの世界で失くした訳でもなければ、世界の為に命を掛けた訳でもなく、其の癖なまじ影響力があるが故に無力に喘いでいる訳でもない。
 つまるところ、上座にふんぞり返っているのだ。
 それでは、必死になれる筈がない。

 だが、真に無力な人間ならばどうか。

 事の顛末を知りながらも手出しできず、無力を自覚しつつも己に為せる事を探り続ける挑戦者。
 BETAが迫り来る事を知りながらも、ただ逃げ果せるしかなかった敗北者。
 この先起こりうる事を知識として持ちながらも、それを有効活用出来ない立場にある、取るに足らない矮小な存在。

 其れ故に、己の弱さを嘆き足掻く者は────強い。

 そんな者達と向き合えば、刺激し、奮起させ、矯正出来るのではないかと……メアリー・スーは目論む。
 地に足が着いた低くも広い視野ならば、不自然に宙に浮いた高くも狭い視野を。
 何も持たぬが故の必死さならば、何かを為せる者の怠慢を。
 出会い、結び付き、変革へと導いてくれる存在に。

 固定観念に囚われず、小さな世界の歪みから答えを辿り、己と霧山 霧斗を結びつけてくれた"ただの少年"である一人の転生者。

 舞鶴港での邂逅。これから此処、熊本難民キャンプで起こるであろう出逢い。
 一見すれば、ただ巻き込まれただけだ、と捉えられてしまうかもしれない。
 しかし────。

(巻き込まれた?違いますよね……厄介事が舞い込んで来たのとは訳が違う)

 霧斗から聞き出した彼の動向を統合すれば、自ずと見えてくる。
 何時だって自ら望んで、そこに辿り着いたのだ。
 港へ向かったのも。此処で働いているのも。

(そう……彼は強い意思のもと、"選んだ"のです)

 普通過ぎる身分に生まれ落ち、それでも尚、分不相応な巡り合いを経て此処に居る。
 全て……彼の意思が介在しなければ起き得なかった事象なのだ。
 それらを引き起こし得た素養こそ、この世界に於いて何物にも代え難い────。

(────"代替不可能"なチカラなのですよ)

 メアリーの中で、期待が膨れ上がっていく。
 その転生者の少年に、"ハクギン"の幻影を見てしまっているのだ。
 この歪んだ世界で新たな流れを作ろうとする斉御司 暁や、霧山 霧斗とはまた違う意味で目が離せない存在。
 片や五摂家の直系。片や生粋の研究者の家系。
 何方も血筋は上の上。未来の知識もある。更には上や横への繋がりも思惑と噛み合い、この世界の"キーパーソン"達と手を結んでいる。
 目的も手段も、万全。故に揺るがない。その在り方は既に堅く固まっている。

 だからこそ、対立は免れず……話し合いの余地が存在しないのだ。

(残念ながら、私は口添えできそうにありません……今の日本帝国に特別な愛着もない"アメリカ人"な上に、目的が"国連寄り"過ぎますからねぇ。仲良くしましょうと言ったところで、説得力皆無なのですよ。ですから────)

 ────後は、お任せしますよ。

 遠くから此方を眺める、難民の少女と、一般人の少年の視線を感じながら、メアリーはそう願った。






 ────もうおわっているおとぎばなしを、もうはじまっているおとぎばなしで、ぬりつぶしてほしいから────




























                                           Muv-Luv Initiative

                                               第二部




























「……来てるな……」

 隣の少女に同意を求める。
 俺と同じく急いで走ってきたせいで汗だくで、少しばかり息も荒い。
 "来てる"というのは他でもない。視線の先、直射日光が避けられるテントの下。
 近くには水場もある。涼み、水分補給をするには最適の場所だろう。
 そんな所で、非常に目立つ二組の少年少女が顔を突き合わせている。

「はい、来てますね……あだっ!」

 オウムの如く返してきたシュエルゥのド頭にチョップを振り下ろす。
 はいじゃないだろ、はいじゃ。
 一先ずは斉御司達とキリト達が喧嘩にはなっていないから安心として……。

「やっぱり俺らも揃って迎えるべきだったろ、どう考えても……お前もそう思うよな?ん?」

 頭を摩りながら涙目になっているシュエルゥに顔を近づけ威嚇する。
 状況を整理すると、目の前のピンク髪の転生者が、午前の視察が終了する時間を指定していたにも関わらず遅刻しやがり、揃って斉御司と月詠さんを迎える予定が遅れに遅れた。
 一人で出迎えた後に今回の話にも絡んでいるシュエルゥを呼びに行こうと思ったが、携帯電話がない状況では行き違いの二度手間の恐れがあった。
 結局、遅刻覚悟でまずシュエルゥを迎えに行く選択を取り────このザマである。

「ですよねぇー……なんでボク、時間忘れるほどバスケなんてしてたんでしょう……あだっ痛い、ごめんなさいすみませんエイジさん!ボクが難民の子供達集めてやりましょうって言ったんです!主犯です!」

 言い訳がましいのでデコピンを2,3発お見舞いすると白状しだした。
 全く……謁見したいって発言が事の発端なのに、何で意気揚々と籠球してんの、この子。
 しかし、素直に謝ったのはいい事だ。デコピン食らった後だけどな。
 見ての通り間一髪で間に合わなかったようで出逢ってしまってはいるものの、空気が悪くなっている訳じゃないらしい。
 和やかに挨拶をしている……ように見えるが。何だか、斯衛の二人が押され気味に見える。
 遠巻きには把握しきれないが、キリトの言っていたキャラが濃い云々だろうか。
 まぁ取っ組み合いの喧嘩になりそうな雰囲気はないので、一先ず置いておくか。

「宜しい……ちなみに、どうだった? ミニバスセット一式の使い心地は」

 通常のバスケットボールのソレと違い、対象年齢を12歳以下に限定してルールから用具まで全てがリサイズされた物だ。
 そこそこ年代物ではあるが、寄付された物が補修され、キャンプに置かれる事となった。
 予算は湯水のように沸く訳ではない。世知辛いが、時代はリサイクルだ。

「殆ど新品みたいでしたよ。皆喜んでました……難民キャンプって、平和だと暇を持て余しますので。贅沢な悩みなんですけど、こっちに来てから身に染みましたね。アレ……ゴールとかもエイジさんが持ってきてくれたって他の局員の人に聞きましたよ?」

「ん、俺が持ってきた訳じゃないぞ。交渉して譲ってもらいはしたけどな。生徒数の減少と、疎開の影響で廃校が決まった学校からさ。難民キャンプじゃ娯楽への投資なんて最も優先順位が低いからな……ま、楽しんでもらってるようで結構、結構」

「娯楽だけじゃないですよ?キャンプ内の学校でも、体育で使われる事になるらしいです。大活躍ですね」

 褒め殺しかっ。やめてくれ、照れるから。

「……俺が活躍する訳じゃないって。もういいだろ?……それよりも、シュエルゥ」

 どれだけ張り切ってバスケに興じたのか。
 服も、綺麗な髪も砂埃で大変な事になってる。台無しだ。
 コートについては空き地を確保して、怪我防止の為に目立って大きな石を除去したぐらいだしても、これは流石に……。

「お前、これから一応そこそこやんごとないお方と会うのにその格好は……」

「ぇ、ボクは別に恥ずかしくないですけど」

 いや、お前の羞恥心の問題でなくて。
 ……まぁ、あっちも細かいことなんて気にしないだろうけど。

「うーん……やっぱり、もっと可愛い服のほうがいいですかね? でもそんなの持ってないですよ」

「は?」

 って、服装じゃねえ!着飾れって意味じゃねぇよ……ッ!
 持ってないのは解ってるよ、そんな余裕がある身分じゃないのは重々承知だ。

「違う、そうじゃない……汚れの事言ってんだよ。ったくもー……ほらこっち来い」

 最低限の身嗜みはしておくべきだろう。落ち合えたのが水場の近くでよかった。
 テント内に常備してあった清潔なタオルを水で濡らし、手頃なパイプ椅子にシュエルゥを座らせて桃色の長い髪を手早く拭う。
 後は乱れに乱れた髪を整えれば応急処置にはなるだろう。

「髪、櫛通すぞ? 今俺のヤツしかなくて悪いけど我慢しろよ。あと服の方は自分で拭け、ほら」

「は、はい」

 俺から投げ渡されたタオルでいそいそと自分の服を拭うシュエルゥを見下ろしながら、髪を櫛で梳き始める。
 すると、うわっ、ボクの服汚すぎ!?とか聞こえてきた。今更だろ。
 ……寝る前に清拭したり洗髪したりはする癖に、一日が終わる時じゃなきゃ気にしないのは何でなんだろうなぁ。
 四六時中そんな事を気遣えるほど、大陸の方では余裕がなかったってところか。

「あっ────こっち、来ますね」

 声に釣られて周囲へと……具体的には、先程まで例の4人が顔を突きつけ合っていた方へと注意を傾ける。

「ん……みたいだな」

 視界の外から、砂利を踏みしめる足音が4人分。此方に真っ直ぐ近づいてくる。
 シュエルゥは彼等の接近を"見"もせすに、逸早く感じ取ったらしい……相変わらず獣じみた五感だ。
 振り返れば、見覚えのある顔が3つ。そして先頭に新顔が1つ。
 光沢を放つ金髪に、眼帯。その下の瞳は"情報通り"なら露出している側とは異なる色をしているだろう。
 彼女が────メアリー・スー、か。写真で見た時よりもよっぽど可愛い。
 しかし外見に気を緩ませることなかれ。その振る舞いは他の誰にも劣らず、威風堂々としている。
 そんな彼女に続くのは、斉御司 暁と月詠 真央……武家の二人だった。
 片手を挙げて気安く挨拶をする前者と、略式ながらゆったりとした上品な会釈をする後者。

「ぉ……?」

 そして、4人の中では最も俺と交友がある、霧山 霧斗。
 その彼が何故かは知らないが、組み合わせ的にはメアリー・スーと連んで歩くのが成り行きだろうに……斉御司と月詠さんの後ろに身を置いている。
 俺がその様子を訝しそうに見ていると、それに気づいた彼が、此方に対してチラチラと視線を向けたり外したりしながら……凄く申し訳なさそうな顔をしている。
 遂には両手を合わせ、何やら無言ながら全力で謝罪してくる始末。
 どうして謝っているのか……理由はすぐに解った。
 視線が俺と、メアリー・スーの背中を行ったり来たりしているから、恐らくそういうことだろう。

「あ~……」

 うん。
 エアメールは無意味に終わった訳だ。
 いや、むしろ……引鉄になってしまったかもしれない。
 あいつから聞いていた予定じゃ、帰国は9月に入ってからのはずだった。
 アシュリーさんにも何度か探りを入れてみたが、娘の来日予定なんて聞いていない。

 ────……やっちまったか?

 予定より早い帰国、メアリー・スーの同伴。
 どちらも俺の責任のような気がする。
 変に気を引いてしまっている……確実に、俺の出した手紙が呼び水となった。
 また、キリトの妙におどおどした態度も、恐らくそのせいだろう。
 冗談だったとは言え『連れてくんなよ?連れてきたら覚悟しとけよ』みたいな事を手紙に書いちゃったしな。
 一先ず誤解を解くべく、気にすんな、となるべく朗らかに笑いながらキリトに手を振る。お前は悪くない、と。
 そんな返しが通じたのか、安堵したキリトは苦笑しながら胸を撫で下ろしている。
 ……事実、誰が悪いとかじゃない。もう何もかもの歯車が狂いまくった結果だ。
 いや……狂ったというよりは、"嫌な噛み合い方"をした、と形容するのが適切だろうか。

 その結果が、今、俺の目の前まで歩み寄ってきた少女────新しい転生者だ。



「……手持ちの情報ではお二方は出会って間もないはずなのですが、随分と仲睦まじいようですね? 正直、羨ましい限りなのですよ」



「────は? ぁ、ああ……アリガトウ?」



 明白に白人だと解る容姿。その唇から紡がれた、極めて流暢な日本語。
 まるで吹き替えの洋画だ。違うのは、言葉と唇の動きがリンクしている事か────。
 って、いや……そうじゃないだろ。くそ……何か、調子狂うな。
 第一声がいきなり世間話とは、恐れ入った。
 先に挨拶を済ませたであろう斯衛の二人の様子を伺ってみると、呆れた顔の斉御司と、苦笑いの月詠さんが。
 ……つまり、同じような対応だったのだろう。

「ほら、一応は私も女の子に生まれた訳じゃないですか、"一応"は。でもキリト君からはそういった扱いを受けていないので些か不満で────」

 おい、コイツ何事もないように身の上話を続行したぞ……どんな神経してんだ。

「ぁ? 馬鹿も休み休み言え……何で、僕が、お前の髪を、梳いてやらなきゃならないんだ?」

「……とまぁ、こんな感じで、非常にビジネスライクな関係なのですよ」

「ぉ、ぉぅ」

 キリトの演技とは思えない嫌悪感。
 仕事的な付き合いどころか、どう見てもあからさまに嫌われてるんですが……。
 天然なのか、ポジティブなのか。それとも個人間での相性の善し悪し等、"仕事"の前では至極どうでもいいと考えられるドライな人間なのか。
 底が知れない……っていうか、話進まねぇ。誰か助けてくれ。
 コイツの独特のペースに、既に巻き込まれてしまっている。
 まだ自己紹介もしてないんだが……どうしよう。俺の事はキリトからもう聞いてるだろうし、スルーしていいか?
 話は早いほうが助かるしな……いや、待て。
 俺はシュエルゥに霧山 霧斗とメアリー・スーの情報は与えたが、向こうからすれば面識は一切ないはず。
 斉御司や月詠さんからしても、書類上から読み取れる情報しか持ってないはずだ。
 ……ほぼ孤立してるんじゃないか?
 なら、シュエルゥの自己紹介だけでもしておいたほうが、話が円滑に────。

「天然のブロンドに眼帯……メアリー・スーさん、ですよね?」

 ……心配ご無用か。過保護だったな。
 コイツもマイペースで助かった。
 何時の間にか立ち上がっていたシュエルゥが、容姿についての事前情報を頼りに金髪の少女へと問いかける。

「はい、仰るとおり。ところで貴女のお名前は?」

「失礼しました。リン・シュエルゥと申します……中国出身で、今は難民やってます。字は、林に雪の路です」

 さて……これで、全員が互いの顔と名前が一致した状態になっただろう。
 ようやく話が進んでくれそうだ。
 各々の個人的な交友は、一先ず後回しだな。

「これはこれは、ご丁寧にどうも。綺麗な名前ですねぇ」

「メアリーさんは…………凄く強そうな名前ですね。こう……チート的な意味で」



「ぶッは!」 「くっくっくっ」 「ん"ッ!んんッ……」 「ハハハ……はぁ」



 言いやがった!思ってても口に出すのを憚られる事を……ッ!
 思わず失笑してしまったが、斉御司や月詠さんどころかキリトまで似たような反応だし、リアクションとしては間違っていないよな……?
 しかし直球すぎるだろう。悪気はないんだろうが……尤も、的外れでもないんだよな。
 この面子の中で、生まれてから最も状況を動かしたのは、間違いなく彼女だしな……。

「いやぁ……そう言って貰えて嬉しいのですが、名前負けしてるのが現実なのですよ。アメリカで孤軍奮闘してはみたものの────結局、第五を止めて第四を完遂しなければならないという根底は覆せませんでしたので」

 ちょ、まっ、おいおいおい……ッ!
 本題に入りたいならそう言えよっ。それとも、遠まわしな催促か?
 此処は開けすぎている。相応しくない単語を出すなら事前に一言あって欲しかったぞ。
 一応、用意はしてあるんだからさ。

「コンパウンドの方に移ろう。その方が都合もいいだろ。"殿下"も、宜しいでしょうか?」

「異存ない、が────それはさておき、不破 衛士。敬語は気色悪いから普通に話すがよい」

「……あいよ」

 気色悪いとまで言わんでもいいでしょうに。
 気を利かせたつもりだったんだが、無碍にされてしまった。
 まだお互い外見は子供とは言え一応公務中みたいなもんだし、周りに人だっているんだからちょっとは気にしたほうがいいと思うんだが……。

「それじゃ、場所移しましょうか」

 どうせ機密的にヤバかったり、電波だったりする単語が飛び交うのは目に見えてる。
 周りの目も耳も遮断出来る好ましい環境……国連管轄のコンパウンド内、事務所の一室。
 これから向かうのは其処だ。この状況を見越して、使用許可を貰っといてよかった。

「っと、ぉ?」

 おかしい。人数が足りない。
 先導する為に歩き始めた時、シュエルゥが椅子から立ち上がっていない事に気付く。

「何してんだ? 行くぞ、シュエルゥ」

「ぇ?いえ、ボクただの難民で……スーさんや霧山さんも合流しましたし、蚊帳の外じゃ……」

「……」

 確かにそうかもしれない。
 事の発端……彼女が此処までやってきた、"斉御司と謁見しなければならない"という理由は既に消滅した。
 更に未来を掛けた駆け引きが、既に政治の段階へと移行している現状、一般人の俺や難民の彼女に出番はない事も判明した。
 キャンプに身を寄せる事によって生命活動の維持も"当面"は確約された。
 しかし────。

「……"だから"だよ」

「?」

 一般人だから、難民だから……言い訳としては十分だ。
 俺も、シュエルゥも、諸々の厄介事を忘れ去り逃げるように生きたって構わないのかもしれない。
 しかし当の本人達が寄生を寄生だと理解したまま、停滞し続ける事が最善だろうか?
 撚り良い未来なんて、最善の今が連続した先にしかないというのに。
 だからこのまま妥協しちゃいけないんだ。
 それに未来の事を抜きにしても、シュエルゥにとって現状が満たされているとは言えない。
 勘違いされがちだが、難民というのは在日外国人ですらない。言い方は悪いが、ヒエラルキーはその更に"下"である。
 法的な制約が多く、そして大きい。現行法では治安維持の関係上、キャンプからの外出すら特例を除きままならない。
 この状況からの脱却を図るのならば、大陸からの難民流入がピークに達する前……今のうちしかない。
 そしてシュエルゥは現状に甘んじてはいるが、自立心が無い訳ではない。むしろ有る。
 早急に手続きを済ませれば間に合うだろう。今後、難民が増え大挙して申請を行った場合、行政が処理しきれずにパンクが始まり滞ってしまう前ならば。
 尤も……今から申請したとしても、どこまで漕ぎ着けられるのやら────。

「殿下、月詠さん。あんな感じなんですけど、見捨てないでやってくださいね」
 
 それに、蚊帳の間近でポツンと佇んでるヤツがいたら、引きずり込んでやりたくなるのは仕方がないだろう。

「フフ……はい。尽力させて頂きます」

「……おい月詠、軽々しく受諾するでない。兎も角、以前にも言ったが……最小限は任された。が、最大限は期待してくれるな」

 シュエルゥには、大陸での手柄がある。
 荷抜き・闇市摘発の幇助だ……殿下達もとうの昔にご存知だったようで。
 これを盾に大帰化を通せれば儲けもの。可能性は極小だが。
 ただそれが叶わなくとも、殿下の言った最小限……定住権は確定コースなのだろう。
 通常帰化の一部条件緩和、永住権等も射程圏内と言ったところか。

「はい、本当にありがとうございます。後は宜しくお願いします」

 ────自分の事、シュエルゥの事……色々と面倒事を押し付けてしまう事になってしまって、心苦しいな。
 そんな事を考えていると、思わず足が止まってしまっていたようだ。

「内緒話はまーだでーすかー?」

「エイジ。立て込んでるなら、先に行っておこうか? 国連の敷地って、あっちでいいのかな」

「ぁ、ああ!悪い悪い、待たせた。あっちであってる、行こう」

 痺れを切らしたキリトとメアリーから、催促の声が掛かる。
 気を取り直すか。シュエルゥも此方へと立ち上がって歩き始めたようだしな。
 俺は先行していた二人を追い越し、先頭に立って5人を引き連れコンパウンドへと歩き出す。

 ……



















                                           第五話

                                           『6/7』

                                            前編





















 先頭に不破 衛士。続いてメアリー・スーと、彼女に並ぶ霧山 霧斗。
 その3人から少し距離を置き、彼等の背中を眺めながら、月詠 真央は林 雪路へと小さく声を掛けた。

「……林さん。もしかして、不破君から何も聞いていないのでは?」

「は、はい……? 現状と皆さんのプロフィールぐらいなら把握してるつもり、なんですけど」

 人当たりの良い柔らかい声でそう聞くと、ややズレた答え。
 隣で遣り取りを聞いていた暁はその返し方で、どうやら不破 衛士の独断専行だったようだ、と察した。
 元より二人は、部外者を自認するように距離を取る雪路の態度に違和感を感じていたのだが。

「ふむ……これは聞かされていないようだな。報告は、ぬか喜びさせる可能性を消す為に確定してからでいいと考えた……と言ったところか。俺が彼奴でもそうしただろう。黙ってた事は許してやれ」

「ん?……えーっと……」

 合点がいかないようだった。
 それも仕方ないだろう。彼女の知らないところで全てが進行していたのだから。

「先程、貴女は己が難民だから蚊帳の外だと申された訳ですが」

「ぇ、はい。でも、それが何か……」

「先頭に立って歩いている男も、所詮ただの一般人だが? 全力で首を突っ込んできているぞ?」

「お言葉ですが、一般人と難民は全然違いますっ。エイジさんは列記とした日本帝国臣民です……それに比べてボクは、難民です。在日外国人ですらないんですよ?キャンプから出られもしない身で、何が────」

「はい。ですから、おめでとうございます。貴女には来年の間にも、正式に在留資格が与えられます。晴れて在日外国人として、常識の範囲内で国中を闊歩していただけるということです」

「不破 衛士には、後で軽くお礼でもしてやるがよい。もう少し遅れていれば一年以上後ろへずれ込むか否か、という紙一重での滑り込みだったのだぞ。それと、帰化の件も検討中だが、一先ずは待てとしか言えん」

「────なッ、ちょ、えぇ……!?────ッ」

 矢継ぎ早に飛び出す言葉や単語に、慌てふためく雪路。
 仕方なのない事だった。在留資格、在日外国人、終いには帰化。
 全て、雪路にとって必要だったモノ。しかし、他人にそれを漏らしたことはないつもりだった。
 それらがまとめて目の前に突きつけられて、冷静でいられるはずもない。
 だが持ち前の即応力で徐々に落ち着きを取り戻すと、直様に情報を脳内でまとめ、数秒後ゆっくりと口を開く。

「……お二人に口利きしてくれたのは……エイジさん、ですか?」

 雪路にはそれしか考えられなかった。
 真央と暁とは、エイジの言葉を通した上での面識しかない。
 仮に難民として入国する際の情報が伝わっていたとしても、待遇が良すぎる。
 誰かが口利きをしてくれた……具体的には不破 衛士が。雪路には彼しか思い浮かばなかった。

「肯定ですが……何かご不満でも?申し訳ありませんが、これ以上は……」

「ぃ、いえ!そうじゃなくて……ボク、エイジさんにそんなお願い事、してないんです。誰かに口利きをして待遇を良くしてほしい、とか……」

「はて?……おかしいですね。殿下、不破君からの連絡では林さんに在留資格の取得や帰化の意志があるという前提で手続きを進めてきたのでは?」

「……そのはずだが。よもや今更、実はそんな意志すらなかったと?その場合、諸々の申請が白紙に戻らざるを得ないが────」

「ぁ、あります!意志はあるんです……融通してくれたこと、本当に凄く有り難い事で、嬉しいです。でも、何で急いでそんなことしてくれたのかな、って……」

 雪路は、何かと世話を焼いてくれるエイジに、これ以上は成るべく迷惑は掛けないようにと思って接してきた。
 具体的には、何かを露骨に要求したりといった事だ。それらは皆無だという自負があった。
 難民の生活も、少なくとも今は悪くないという事もあり、そういった要求を仄めかす言葉は誓って口に出していないはずだったのだ。

「……可能性の一つとしては……胸の内を吐露する機会があったのを貴女が忘れているだけ、という事はありませんか?」

「そんな機か────……ぁ」



 『おかえり』



「えっと、ごめんなさい……今思い出しました。ボクは確かにエイジさんに、日本に留まりたいという意志を……お伝えしました」



 『はい────ただいま、でいいんですよね』



 雪路が思い出したのは、あの日の夜。
 本来は相応しくない、出迎えの挨拶。
 それに応えるために、ふと漏れてしまった場違いな言葉。
 雪路から引き出された、掛け替えのない本音。

「……なら問題ないな。騙りではないようで安心した」

「そうですね。では、申請続行という事で」

「ぁ、あの!その事で、一つお願いが……」

 月詠と斉御司はこれを頷いて了承し、シュエルゥに次の言葉を促した。

「……帰化の件は、特別なお力添えはいりません。大陸での摘発の件も、考慮していただかなくて結構です」

 彼女の宣言に、思わず面喰らう月詠。
 後押しがない場合、大陸が順次BETAに制圧されている現状では帰化申請など遠のいていくばかりだ。
 難民が大勢日本に流入し、その全てに在留資格、帰化の許可を出していれば飽和してしまう。
 そして、規制は既に始まっている。
 林 雪路の選択は、賢いものではないと月詠は考え、思わず口を開いてしまっていた。

「宜しいのですか……?とても現実的では────」

「承知した」

 しかし隣に立つ斉御司は月詠のその言葉を遮り、静かに淡々と林の意志を尊重してみせる。
 その判断には、損得だけでは測れない価値があると認識したからだ。

「殿下……!?ご冗談を……再考を推奨すべきしょう」

「月詠、お前の意見は尤もだ……損得で考えればな。だが施されてばかりでは────心が堕落し、腐るのだ」

 施され、それで満たされてしまっては、何時か自分で立てなくなる。
 林 雪路個人だけの問題でもない。難民キャンプ設立に於いても常々、議論が交わされている恒久的な難題でもある。
 余りにもキャンプ内で設備が充実してしまっては"このままで良い"と難民達が考えてしまい、何時までも離れなくなる現象がある。
 人は慣れてしまう生き物だ。克己するというのは難しい。こんな終末的な世界では尚更だった。

「理解は、出来ます。特別扱いを受けず平等に扱われた上で、望む結果を手に入る事こそが最も尊いという事も。しかし、彼女は元より特殊な出で立ち……"転せ────」

「ありがとうございます、月詠さん。その、同情……してくれてるんですよね。同じ、転生者だから。気を配ってくれて……素直に嬉しいです」

「……ッ」

 歪に生まれた、その存在。
 原因は解らない。この先も解らないかもしれない。
 この世界は、不可解な事ばかりだ。
 しかし、流暢な日本語や"この世界に"対する事前知識……元々は同じ日本人だという事は確かに伝わっている。
 それなのに"堕ちた"場所が違っただけで、生じてしまったこの格差。
 加えて雪路には功績があった……大陸での捕物の幇助だ。
 真央はそんな彼女に対し、特殊な優遇を施されてでもその格差は埋められるべきだと強く思った。
 確かに特別すぎる施しではあるが、働きには褒美が生じる。ならばそこに価値はあるのだと。

「でも、月詠さん。ボクは────"まだ"中国人なんです。日本人じゃ、ないんですよ」

 当事者である雪路は、その現実を確りと受け入れていた。
 生まれ変わるという事は、そういう事なのだと。

「そうだな。俺達は"また"日本人だったが、其方は中国人……外人だ」

 どういう法則にのっとって、何が転生者をこの世界に分配したのか。
 それは暁にも解らない。唯、目の前の少女が違う人種だ……という事だけが真実だった。
 彼の言葉は、それを端的に表しただけ。
 だが、雪路に強い同情を覚えている真央には、心なく罵る言葉にしか感じ取れなかった。
 真央が思わず暁に反省を促す為に思わず口を開こうとする。

「貴方は、何時も何時も……もう少し言葉を────」

 だが、真央の過保護すぎるとも捉えられかねない暁に対する忠告は、林にとって好ましくはあるが必要あるものではなかった。
 その正しく非常な現実は、とうに飲み干されたものだから。 



「はい。"それでも"、日本人になりたいんです。胸を張って、日本人だって名乗りたいんです。その言葉が嘘だって、きっと理解していたのに……お帰りって言ってくれた人の為にも。ですから────特別扱いは必要ありません」



 斉御司の言葉を、真っ向から受け入れた。
 その上で改めて日本人になりたいのだと言い放つ。
 雪路の心は、既に固く決まっていた。

 ────もう一度、転生する。今度は、己の意思で。

 その過程で何を要求されようと構わない。
 例えそれが、兵役に就きBETAと生死を賭して闘うという条件であっても。
 突き付けられる艱難辛苦を乗り越えて、日本人へと生まれ変わってみせる。

 あの夜の嘘を、真にする為に。

「うむ。帰化を目指して、精進するがよい」

「……はぁ。参りました……これでは私だけ性根が腐っているようではありませんか」

「す、すみません月詠さん。折角のご好意を……」

「いえいえ、構いませんよ。こちらこそ、上から目線だったと目下猛省中ですので。それに……再確認出来た事は喜ぶべきなのでしょうし」

「再確認……?ボクの在留資格に対する、心構えとかですか?」

「……ええ、そのようなところです」

 平たく言えば……真央は"気高さ"のようなモノを感じていた。
 そういった尊いものが生まれによって決まるのではなく、あくまで育まれるのであるという事。
 真央はあの日、舞鶴港で少年から感じた強さと同質のモノを、再び目の前の少女から思い知らされた。
 斉御司 暁から差し伸べられた、無償の施しの手。
 その手を掴もうと寄った己の手を、もう一つの手で必死に掴み止めた、不破 衛士。
 自分には出せるものがない────そう言って、手を結ぶことも、払うこともできずに宙に浮いたままの契約。
 其の時の続きが、今日だ。

「何はともあれ……此れで、要件が一つ片付いたな」

「はい。あともう一つ……保留になっていた不破君からの返事なのですが────流れから察するに、先ずは"我等"と"彼等"の摺り合わせが先になるのでしょうか」

「で、あろうな。ふぅむ……」

 個人の進退と、国を巻き込んだ計画の進退……比べるべくもない。優先すべきは明確だ。
 が、如何せん……徒労に終わるのが前提の話し合いほど興を殺がれるのは仕方ないだろう。
 そう考える暁と真央の表情は暗かった。

「あ~……あの、横からで申し訳ないんですが。霧山さん達との協定の事で唸ってるんですよね? どうして乗り気じゃないんですか?」

 そんな二人の心情とは裏腹に、雪路が軽やかに問う。
 エイジによって予め聞かされていた情勢の知識から、これから行われる事は理解出来ていた。

 ────若干、ズレた方向に。

「どうして、と来るか……」

「……手短に申し上げますと、彼等が目的達成の為に許容出来るとする帝国への被害が、我等にとって到底認められるモノではないから……ですね」

 共有されている正史の知識。
 それに乗るか、反るか────明暗がハッキリと別れている。

「上手く纏めたな、月詠。ま、そういうことで譲歩のしようがない訳だ」

「あれ、でもメアリーさんが合流した今なら霧山さん達にとっても日本に被害が出るまで……BETAに上陸されるまで、大人しくする必要ないですよね? 攻勢には出ないんですか?」

「何……だと?」

 暁が思わず声を上げる。
 真央もまた静かに困惑している。
 二人は雪路の発言の意図を考えた。
 その言葉からは反撃の手段があり、それにはメアリーが関わっているとしか受け取る事ができない。
 だが、肝心のメアリーは先程、自分も行き詰まり合流する事になったと吐露したばかりだ。
 また、その言葉を暁と真央は疑いもしなかった。状況を引っ繰り返すジョーカーは、"現状では未だ"存在しないと決め着けていたから。

「────林さん。私には、私達には皆目見当がつきません。出来ればご教授願えないでしょうか……その攻勢に踏み切る事を可能とする、切り札とやらを」

 正に奥の手……存在するというのならば、今すぐに共有すべきだと真央は判断した。
 それさえあれば、立場に雁字搦めにされた下らぬ仲違いをする必要もなくなるからだ。

「ご、ご教授ってそんな……"例の爆弾"の事ですよ?」

「はぁっ!?」

「ぇ……ぇえッ!?」

 驚嘆。
 雪路が言う例の爆弾とは、"アレ"しかない。

 ────G弾。

 しかし、それはおかしい。その先に、撚り善い未来などない。
 使えれば苦労はしないのだ。G弾を使った作戦が可決されてしまえば、もう何かもが手遅れとなってしまう。

「……林 雪路。貴様、知らないのか?いや、知らなかったとしても、不破 衛士から聞かなかったか」

「その先に待つのは、"後日譚"の荒廃した世界……私達だけでなく、霧山君や、恐らくスーさんですら"アレ"の飽和投下は断固阻止する方針で────」

 二人は状況を説明し、雪路を窘めようとした。
 だが雪路からすればその指摘は的外れだ。
 G弾の飽和投下が禁忌だという事を、重々承知の上での発言だったからだ。
 その思惑は別にある。





「はい。ですから飽和投下じゃなくて────オリジナルハイヴ"だけ"に、集中投下すればいいんじゃないんですか?」





「────ッ!」

「それ、は……」

 林 雪路の提案。
 それこそ、嘗てこの世界を神の視点で俯瞰出来ていた者にしか理解できず、また導き出せない"最善を超えた最善"の手段。
 だが、"それ故"にあの日の舞鶴港では誰一人として提案しようとすら思わなかった。
 不破 衛士も、斉御司 暁も、月詠 真央も、霧山 霧斗も────誰もが諦めざるをえない。
 そんな……幻の手段だった。










[12496] 第六話 ─6/7─ 中編
Name: Caliz◆9df7376e ID:79cf360d
Date: 2020/03/22 11:24
 一ヶ月間、ほぼ毎日。
 それだけ通い詰めていれば、当初はおっかなビックリだった施設も我が物顔で歩き回れるようにもなる。
 俺は六人分の飲み物を載せたトレイを持ちながら、確かな足取りで通路を進んでいく。
 ふとガラスのコップに視線をやると水滴が目立っていた。結露だ。
 スタッフの詰所となっているこの辺りの棟は電気が通っている。
 節電の関係で空調設備こそ必要最低限の使用に抑えられているが、冷蔵庫を始めとした家電は正常に稼働しており、おかげで冷えた飲み物だって簡単に調達出来る。
 ……難民と身近にあるからこそ、決定的に線引きされた格差を強く実感してしまう。

「エイジ君。本当に運ぶの手伝わなくてよかったのです?トレイはまだありましたのに」

 隣を歩く異国の転生者から声が掛かった。
 メアリー・スーが美しい琥珀色の右目で、此方を覗き込んでくる。
 光沢すら放つブロンドの長髪が、その動作で流れるように靡く。
 思わず溜め息が漏れた。本当に、絵になるヤツ……いや、絵から飛び出してきたようなヤツと言うべきか。
 眼帯に覆われた左目が、その非現実的な存在感を強調してくれていた。

「ありがとう、気持ちだけ戴いておく。今日のところは、大人しくもてなされてくれ」

「丁重すぎやしませんか?なんともこそばゆいのですが……もっとこう、ぞんざいに扱ってくれてもいいのですよ」

「そういう訳にはいかないだろ。俺から見れば上司のお子さんで、それ差し引いても普通に客だ」

 さっき飲み物を注いでる時に「ファーストクラスだったから機内でゆったり出来た」と言っていたが、それでも自分が思うよりは疲れてしまっているものだ。
 加えて此処の責任者の一人であるアシュリー・スーさんの息女で、オマケに強行したとはいえ正式な視察者待遇ときてる。
 例え本人から無碍に扱えと言われても、はい解りましたと頷けるものではない。

 あぁ……そもそも、俺達が二人だけっていうのもおかしな状況だ。

 俺は皆を今回のキャンプ視察で使用予定のなかった方の会議室へ通した後、お茶汲みに退出した。
 すると何故か頼んでもないのに「お花を摘んできます」と謎の嘘までついて、わざわざ着いて来てくれた。
 初対面の時もそうだったが、面白い語尾だなと思ったのは内緒だ。
 兎も角、二人きりになる機会がこうも早く巡ってくるとは思っていなかったので、正直に言うと戸惑った。今も戸惑ってる。
 あちら側からの急な接近に、初めは俺に対して探りを入れたいのだろうか?とも疑った……のだが。
 特に取っ掛かりになるような言動は未だにない。だから余計に、この不可解な状況に拍車をかけているんだ。
 キリトから聞いたキャラが濃すぎるという事前情報のせいで、拍子抜けたカタチだ。
 現状での俺の素直な感想は、"普通の転生者"だ……普通?普通ってなんだろう。
 普通の概念がゲシュタルト崩壊しそうだが、まぁ普通という事にしておこう。
 落ち着いた立ち振る舞い、語彙の豊富さ、筋道立った思考回路。
 半日と経っていないが、人生経験を積んでいると解る言動は"転生者"特有のものではあるだろうが、普通だ。
 現状、容姿や名前こそ主張が激しいが、内面の突飛さは感じ取れない。

「そういえば、アシュリーさん。日が暮れるまでは手が離せないってさ」

 会話が途切れないように共通の話題を出す。ネタは互いが知る人物。
 視察の進行役に適任であると任命されたようで、こればっかりは仕方がない。
 メアリーは表向き母親に会いにくるという名目で来ているらしく、当てが外れたことになる。

「お仕事の邪魔をしに来た訳じゃないですし、別に構いません。黙って押しかけたも同然なので……また後ほど会いに行くのですよ」

「あー、今日はアシュリーさんの部屋に泊まるんだっけ?なら、幾らでも時間はあるか」

「はい、そういうことです────っと、着いたようですね」

 足が止まる。会議室は目前だ。
 会話が長く続くであろうはずもない。
 茶を用意する場所と、それを届ける場所。その二つが長々と会話を続けられるほど離れている方が構造上おかしいからだ。
 ……本当に、中身のない雑談をするだけで時が過ぎ去ってしまった。
 この機会にもっとメアリーのひととなりを把握しておきたかったが仕方ない。また後の機会にお預けか。
 そんな事を考えていると彼女は両手が塞がっている俺を察してくれたのか、扉へと近付きドアノブに手を伸ばしかけて────。



「それにしても、見事に皆さん注文が割れましたねぇ。ま、その内の一人である私が言うのもなんですが」



 ────思い直したように手を下ろし、振り返って話かけてきた。
 彼女の視線は俺の持つトレイに載った容器に注がれている。
 確かに、容器を満たす飲料はバリエーション豊かだ。
 緑茶、麦茶、紅茶、烏龍茶、珈琲、ミネラルウォーター、と各々が好き好きに頼んだ結果、見事にバラバラである。
 種類は一通り取り揃ってるなんて、事前に言わなきゃよかった。

「そうだな……少しは俺に気を使って統一感出して欲しかったな、とは思うが……で?」

 聞き返しながら、扉から距離を取る。
 俺は空気を読んで声のボリュームを抑えつつ、話の続きを催促する。

「これは悪意のあるこじつけなのですが、今の見事にバラバラな我々の関係を、如実に表しているとは思いませんか?」

 ……出したな、尻尾を。
 此処で、ついに。

「そう思ってる訳だ。メアリーは」

 個人の趣味趣向が異なるって事と、仰ぐ国旗・人種そして軍事力や政治が交錯する戦争を同列視するのはどうかと思う。
 本人も自覚があるのだろう。だから悪意のある、と前置きした。
 しかし実際に今、それぞれの思惑はズレている。
 メアリーがつい揶揄してしまうのも理解できる。

 ……ん。
 どうした。何で目を真ん丸にして此方を見てるんだ。
 まだ変な事は何も言ってないんだが。

「ファーストネームで呼んでくれるのですか。呼び捨てするほど親近感を覚えない……みたいな理由で、他人行儀にさん付けされる覚悟でいたのですが」

 マイペースが過ぎる……そもそも親近感を覚えないからさん付けするって何だ?どんな理由だ。
 まぁ、不快に思われた訳じゃなさそうなのは良かった。
 呼ぶのは許可を取ってからにすべきだった……素直に釈明しよう。

「悪い。咄嗟に出た。"ちゃん"だの"さん"だの付けるのもどうかと思うし、かといって……スーってのはしっくりこなくて」

「いえいえどうぞご自由に。私も勝手にエイジ君と呼ばせていただいてますし。気安くいきましょう?どうせ、末永い付き合いになるのですから、ねぇ?」

 お許しが出た。では、改めて気安くいこう。
 末永い付き合いにしたいのは此方もだ。

 勿論、"俺以外"とも。

「そうなってくれると嬉しいな。特に、メアリーにはやんごとなき方々との関係性を重視してもらいたいと思う」

 俺が緑茶と麦茶へと視線を配ると、メアリーも倣うように一瞥する。
 それで俺が暗に誰を示しているのか理解したようだ。
 示した二つを注文したのは、武家の二人……手を取り合い、足並みを揃えて貰いたいところなのだ。

「そうしたいのは山々なのですが、諸々の障害がありますので。手段と目的が入れ替わってはいけません」

 ご尤もだ。
 仲良くなるのはあくまで手段。
 方針で折り合いが付かないようなら、馴れ合う意味もない。
 だが、本音は零してくれた。

 目的が一致するようなら、手を取り合いたい、と。

 少なくともメアリーはそう考えてくれている。
 キリトと行動を共にしながら、こういう発想をしているという事はまだあるって事だ。
 歩み寄れる余地ってヤツが。ならば後は、"共通の目的"を双方の落としどころに持って来さえすれば……。
 まぁ、それこそが難題なのだが。

「目的と言えば……コンパウンドへの移動中、シュエルゥが殿下達に提言したらしいな」

 この部屋の中では今、キリト達が懇切丁寧にシュエルーの奴に諸々含めて講義中のはずだ。
 しかし……俺も、まさか"そんな事"言い出すなんて、思いもしなかった。

「ええ、どうやら……現存するG弾をオリジナルハイヴ"だけ"にしこたま叩き込めばいい、と仰られたようなのですよ」

【BETAの指揮系統はオリジナルハイヴを頂点とした箒型構造である】

【G弾は威力こそあれど、ユーラシア大陸全土への飽和投下時に深刻な重力異常が発生し、未曾有の災害"大崩海"が起きる】

【佐渡島を消滅させるに至ったXG-70b搭載のML機関臨界突破時、G弾20発相当の破壊力を発揮し、重力異常は局地的な水位上昇が確認されるに留まる】

 頭の中からBETAとG元素の関連情報を引っ張り出し、簡潔に三つへと纏める。
 シュエルゥが言った「大崩海が起きない程度の威力に収めたG弾の運用によって、敵指揮系統を早急に破壊する」という戦術。
 この発想は、決して突飛なものではないのだ。
 勿論、長らくBETA占領下となり不毛の大地となったカシュガルとはいえ、対象の効果範囲に現状解決策のない半永久的な重力異常が発生する等の問題はある。
 しかし一方で、その問題にさえ目を瞑ってしまえば効率がいいであろう事は間違いない。
 メリット・デメリットの極端さが目立つ、未来の……正史の知識を最大限活用した、裏技めいた最短ルート。

「そうそれ。いい線いってるとは思うんだ……実行に移せるなら、な」



 だが、それは────。



「解った上で言ってるのでしょうね。それが叶うなら、私は此処に居ないということを」



 ───不可能だ。
 今、メアリーがキリトと組んで此処にいるって事は、そういう事だ。
 どう足掻いても、実行に移すという事は……有り得ない。

 G弾をオリジナルハイヴ"だけ"に落とすってのはそれだけ無理筋なのだ。

「メアリーは米国出身だ……その可能性は、真っ先に確認したものの"案の定"無理だった……だよな?」

「ええ。第四計画の成就が楽に思える程には無理なんだということが"案の定"発覚しました。ですので、第四計画に合流するためHI-MAERF計画へと擦り寄った、という次第なのですよ────申し訳ありません。幼い身ながらも尽力してみたのですが……」

 転生者の助力を得たアメリカ合衆国が単独で全てを円満に解決へと導く……そんな都合のいい展開は、泡沫の夢か。
 だが、落胆はない。元々、あまり期待していなかったからだ。
 アメリカの転生者がキリトと組んだという時点で、G弾の限定使用によるオリジナルハイヴ攻略の可能性はほぼ潰えていた。
 それが今の言葉で決定的になっただけ。

「謝られるのもおかしな話だ。G元素ってのはそれだけ人の手に余る逸品だってだけだろ?メアリーは何も悪くないさ……って、こんな事を俺に言われても、慰みにはならないと思うけど」

「いえいえ、ありがとうございます。そう言っていただけると心が楽になるのですよ」

 誰にも彼女を責める権利なんてない。
 現状、人類の想定しているBETAの指揮系統と実際の指揮系統の乖離がある。
 そのせいで最短距離の道は途絶えてしまっている。
 例え俺達が知識として持つ正史の流れを活用しようとも、どうにも出来ない難問だ。
 シュエルーの提案は、残念ながら実行不可能であり、別の案を用意しなければならない。
 ならないのだが……。

「むしろ、謝るのはこっちだよな。有言実行して結果出した実績がある有力な陣営が、顔を突き合わせる絶好の機会だっていうのに。仲違いしたまま終わっちまいそうで……微力ながら仲介の真似事なんか出来ればって考えてはいたんだが……ごめん」

 ポーズではなく、素直な心からの言葉だった。
 帝国の武家である二人は、オルタネイティヴⅣの条件が"整ってしまう"まで国土と臣民を蹂躙される事を、絶対に許容せず。
 第四計画支持者の二人は、オルタネイティヴⅣの条件を"整わせなきゃ"ならなくて、コラテラル・ダメージは全て許容する。
 正史の……知識の有無ではなく、知識の解釈違いでもない。
 両陣営を断絶させているのはただ只管に、"立場"の違いによる見解の相違だけだ。

 落とし所なんてものは────。



「"貴方"は、それで宜しいのですか?」



 ────"俺"?



「……宜しいわけがない。だが、どちらにも譲歩なんて出来っこないだろ。気持ち、理由、事情……立場ってのは色んな物を埋め立てて出来ていて……俺には、それを切り崩せない」

 俺が自身の意思を表明するのは、そりゃ簡単だ。
 だがそれは、逃げる、戦う……そういった個人単位の決断であって、帝国や国連という巨大な群体に突き付けていいものではない。

「ふむ……"どちら"にも……成程です。武家の御二方を"帝国"。キリト君と私を"国連"だと断定する場合、譲歩は困難である……一理あります。ですので」

 メアリーは言葉を区切り、軽やかな足取りで、俺との距離を詰めてくる。
 眼帯を外し、口角が持ち上がった。

「"発破"を掛けてあげましょう。確かに"ALⅣに賛同する私"は、その完遂を求めています。ですが────」

 隣に立ち、トレイを持ったままの俺の頬に両手を添えて振り向かせる。
 そして、両目を見開き、俺を美しい金銀のオッドアイで見据え────。




「────"米国市民としての私"は、その過程で起きてしまう日米安全保障条約の破棄を、回避すべきと考えているのですよ」





 笑みを浮かべながら、メアリー・スーがそう告げた。





「────な────」





 な、るほど。そう、来るか。お前。

 "アメリカ人としての顔"を、此処で、見せるのか。

 その一手が、分水嶺になったと認識しているんだな。
 米国は"おとぎばなし"に於いて、非常に解りやすい"悪役"へと転がり落ちる。
 勿論、絶対悪ではない。それはBETAが担当している。
 だが物語を成立させるための必要悪としての役割を宛がわれた節がある。
 "世界最強の国"故の立ち回りを演じざるを得なくなったという訳だ。
 どうやらメアリーは、ソレを是正したいと考えている。

 祖国には、解りやすい正義でいてほしい……といったところだろうか。

「どうして……武家の二人に直接言わずに、まず俺に?」

「言葉というのは"誰が言うのか"が肝心なのですよ。貴方が思う以上に、ね。"手を取り合い、運命に抗い、共にBETAを撃退する未来を築きあげましょう"────えぇ、なんとも耳触りの良い綺麗事です。しかしほんの少し視点をずらせばあら不思議。アメリカ国籍の人間が、日米安保という名の"首輪"は外されるべきではないと言っているに過ぎない……という如何にも政治的な意図が浮かび上がってきます。明確に国家へ属する者同士の交渉になってしまえば、そんなものです」

 言いたいことは解る。
 正史にて起きる日米同盟の破棄ってのは、視点を変えてしまえば日本の独立に他ならない。
 
 米国側に立った時"独立なんぞさせはしない"という意見もあるという事に、一定の理解はある。

 正史の知識でALⅤを見限っているのならば猶更だ。
 人類の未来を切り開くALⅣ。
 それを担う日本との安保は維持するべきというのは、米国にとって極めて真っ当な国益の保守となるだろう。

「"誰が言うか"、か……けれども、俺からその問題に切り込んだとして、そういう汚濁に塗れた側面が消える事はないはずだろ。本質は変わらない」

「Negative.話はもっと単純なのです。私は第四計画の方針を良しとしながらも、義に基づいた人道を模索する君に感銘を受けた"ただの善良な地球人"として振舞えればいい……といったところでしょうか?」

 小賢しいってのはこういうのを言うのか。
 あくまで綺麗事を貫き通した先に、結果論として日米同盟が担保されるというシナリオがお好みらしい。
 それほどまでに矢面に立ちたくないものか。

「つまり……正史の知識を以てしても尚、ALⅣの将来の展望で擦れ違いを起こしてる国連と帝国。彼らに対し、米国の観点を捻じ込む事によって止むに止まれぬ落とし所を発生させ、そこへと軟着陸させたい。でも仕掛け人がアメリカ国籍の自分だと門前払いくらいそうだから、お前がヤレ……と?」

「解釈はご自由に。ただ一つだけ言わせてもらえるのなら……私としましても"無理強い"は心苦しいですし、国土が蹂躙され、大勢の人が死に、アメリカが悪役に転がり落ちていくのを泣く泣く眺める展開になったとしても、貴方を恨んだりはしませんので────どうぞご安心を」

 ────はは、そう来るか。
 こうも軽々しく退路をバッサリ絶たれると、笑いが込み上げてくる。

「……ところで、メアリーさ。責務とか責任って言葉好きか?」

「反吐が出るほど嫌いなのですよ♥」

 だろうな。

 ああ────だからこそ。



「なら、俺が口火を切ったら……合わせてくれるよな?」



 もう、いい加減に────覚悟を決めよう。



「おやおや?話が早いのは助かりますがその場合、"落とし所"をどこにすべきか?という辛く厳しい現実を、他ならぬ"未来の被害者"である君自身の口から吐き出して頂くことになるのですが……後戻り出来なくなりますよ?本当に、宜しいのです?」

 焚きつけたいのか、思い留まらせたいのか……どちらかにして欲しいもんだ。
 日米安保破棄は国益を損なうと宣うくせに、"でもお前が主導しないのなら自分は仕方ないけど諦めるわ"、と来た。
 "自分はどう転んでもいいからお前次第だぞ"というスタンスの人間は……本当に、なんとも遣り辛い。
 優しくも厳しい、というヤツなのだろうか?違うか。もっと悍ましい何かだ。

 ────遠回しとは言え、"落とし所の在処"を突き付けておいて、随分と好き勝手に振舞ってくれる。

 殿下達……帝国は、国土と臣民を出来得る限り守り抜かねばならない。
 キリト……国連は、ALⅣを完遂する為に出来うる限り条件を整えなければならない。
 メアリー……この先の展開を知る米国市民は、アメリカ合衆国の国益を損なう日米安全保障条約の破棄の回避を狙いつつ、ALⅣを成就させたい。

 そして。



 全員を納得させうる可能性がある"落とし所"は────"俺が口にすれば、俺が退けなくなる場所"である。



「……"落とし所"の答え合わせをする必要性は?」

「今更ですか?不要だと断じます。既に私と君は、深い場所で解りあえているはずなのです」

 長い睫毛を震わせて、恍惚とした声でメアリーはそう言った。

「そうかよ。ただ、俺から切り出したからって、確実に受け入れられるなんて保障はないぞ」

「逆に聞きたいのですが、君以外の誰に説得力を出せるのです?」

 アメリカ人である己より、あるいは"当事者"である君ならば────という事だ。
 当然、今までの発言は全てを踏まえてのものだった。
 だからこその、"俺への発破"なのだろう。

 ああ、有り難く────乗せられてみせよう。

「託された。だから、そろそろ離れてくれ。この距離は、照れる」

 顔を動かせば唇が触れ合う距離だ。
 中身は置いといて、ジュニアアイドルで通用するレベルの美少女と、この距離で見つめ合うのは辛い。
 小声で話す必要があったとは言え、距離感を詰め過ぎだ。
 パーソナルスペースとかあんまり気にならないタイプなのだろうか。

「これは失礼。ポーカーフェイスを貫いておられましたので耐性があるのかと」

 そう言って俺の頬に添えた手を名残惜しそうに……名残惜しそうに?放して、メアリーは距離を取る。

「真面目な話をしている最中は気にならないもんだ。話が一段落したら、一気に恥ずかしさが押し寄せてきた」

「馴れ馴れしく迫ってしまったのは、本当に申し訳ないのです。実はちょっと、興奮気味でして。母から君の事を聞いた時から、私は他の誰よりも……君とこそ手を取り合いたいと願って、来日しました。今回は、貴方との逢瀬こそがメインイベントなのです」

 メアリーが眼帯を着け直しながら、とても信じられない事を言い放つ。
 優先順位が、武家の二人より上……だって?いや、それは有り得ないだろう。
 お世辞を言ってくれているのか?

「あんまり、ただの一般人を買い被るもんじゃないぞ?」

 事実として、家柄も普通だし、役立つ手に職がある訳でもない。

「────まぁ、貴方がそう言うのならば、これ以上は踏み込まないのですよ」

 おいおい。
 本当に、随分とまた"買って"くれてるんだな。

「俺達は……初対面だよな?マジで身に覚えがないんだが、俺は何かお前に好印象を与えるようなことをしたか?」
 
「うん?しがみ付いているじゃないですか。"一般人なのに"、まだ、此処に」

「────────ッ」

「逃げればいいでしょう。無視すればいいでしょう。言い訳や逃げ道なら幾らでもある。知っているでしょう?回避のしかたも、既に動いてる人間がいる事も。だから、"貴方は安泰"なはずだったのですよ。なのに何故、他人事だと放っておけばいい難民に関わるばかりか、未だにこんな最前線に立っていて……今から誰も彼もが直視したくないはずの"落とし所"を、皆に突き付けようとしているのです?」

「いや、それは」

「どうか覚えておいてください────世界はそれを"勇気"と呼ぶのですよ」

「────"ゆうき"」

「はい。今から世界に示していくモノです。これから、頑張っていきましょうね」

「……ああ。まずは、部屋の中にいる四人に、だな。折を見て切り出す……フォロー、頼む」

「ええ、承りましたとも。では────」

 今度こそ。

 メアリー・スーが会議室のドアを開けた。
 
 俺の戦いは……この時、ようやく、始まったのだと思う。



















 1991.Summer

  August.31

   熊本難民キャンプ
    コンパウンド
     会議室





















 六人の子供が不相応に真面目な表情で、沈黙を貫いていた。
 長机を囲むように着席し、目の前にはそれぞれがオーダーした飲料が置かれている。
 ホワイトボードには……軍の関係者が見たら卒倒しそうな機密情報や"まだ世に出てすらいない情報"が、びっしりと書き込まれていた。

「どういう……事ですか」

 静寂に満ちた室内に、震える声が響き渡った。
 子供が遊びで使うには、些か上等すぎるこの空間。
 今、此処で起きているのは、会議室と名付けられたこの部屋に相応しい……おママゴトではない話し合い。

「G弾の運用に際し、取り返しがつかない大崩海という名の人災……これには打開策として使用範囲をオリジナルハイヴに限定し、ユーラシア全土への飽和投下を避けるという一先ずの解決方法があります。本来のバビロン、或いはトライデント作戦の概要と違いBETAの殲滅には至りませんが、前述した大崩海を避けつつ重頭脳級を撃破できます。これで戦術的成長を途絶えさせ、人類への対応を塞き止める……それがボクらに出来うる最善だと思うんです。なのに────どうして反対するんですか!」

 思わず椅子から立ち上がり、机に手をついて熱弁する林 雪路(リン=シュエルゥ)の主張には、確かに間違いはない。
 だが同時に、余りにも過程を省き過ぎた"答えありき"なのだ。

 それに気付けないまま彼女は此処に至り、今、正に露呈した。

「…………」

「────」

 斉御司 暁(さいおんじ あきら)。
 霧山 霧斗(きりやま きりと)。
 両者は椅子に腰掛けたまま一瞬視線を交わし……沈黙を貫いた。
 どちらも反対意見を覆す気はない……そういう意思表示だ。
 この展開は、シュエルゥにとって想定外なのだろう。キリトが反対する事については、理解というか納得ができているようだが。
 事前に各々の立ち位置について知り得る限りの情報は、主観混じりながらもシュエルゥには伝えてある。
 基本、正史通りに流れを運ぶ事こそが最善である……そう考えるのが霧山 霧斗だ。
 ならばG弾の欠点・利点云々以前の段階で、彼がALⅤを決戦兵器と認めるのは論外だと切って捨てるのは当然だった。
 彼がG弾を積極的に使用する事はまずないだろう。
 だから、今彼女が覚えている焦燥感はもう一方の者によって齎されたものだ。

 ────何故、本土防衛に主眼を置く斉御司 暁までもが反対するのか?

 恐らくそういう疑問が今、シュエルゥの頭の中で渦巻いているだろう。

 F-16J彩雲という本来存在しないはずの戦術機。
 明らかな異物を歴史に捩じ込んでまで戦力を増強し、本土防衛に入れ込む人間が、何故?
 それほどまでに決意が硬いのならば、大崩海によって日本が海没する可能性を排除しつつBETAへ有効打を与えられるこの策は受け入れられるはずでは?
 ……そう、考えるのはおかしくない。
 例えそれが、外国の領土が重力汚染されるという結果になろうともだ。

「林さん。心中お察しします。何故、本土防衛を望む殿下が否定的なのか、と……そう糾弾するのも致し方ないでしょう。しかしその前に一つお聞かせ願えませんか」

「ぁっ……はい。何でしょうか」

 滲み出ていた焦りを鎮めるように、月詠さん───月詠 真央が、会話に割って入る。
 月詠さんの丁寧な言葉使いは、シュエルゥが落ち着きを取り戻すのに十分だったようで、部屋全体の雰囲気も幾分か和らいだ。
 そしてシュエルゥは"聞きたい事"というモノが何なのかを予め考えながら次の言葉を待ち────。



「何故、オリジナルハイヴを叩けば指揮系統が崩れ、対応を途絶えさせられるとお考えに?」



 今度こそ、完全に思考が停止した。



「────え……っと」



 考えるも何もないだろうな、と思う。今のシュエルゥにとってそれは"常識"であるはずだ。
 ましてやその常識を、転生者である俺達は共有しているものだと思い込んでいる。

「……試されているのでしょうか」

「いえ、"知識"については欠片ほども疑っておりません。ただ、"認識"の齟齬があるのなら早めに埋めておくべきですので……良い機会かと思いまして」

「……?」

 言葉を返す月詠さんに、煽るような雰囲気はない。
 丁寧な仕種や物言いには皮肉っぽさがなく、誠実さだけがあった。
 それを訝しみながらも、彼女は言葉を選ぶように言い紡ぐ。

「何故か、って……決まってます。BETAの指揮系統がオリジナルハイヴを頂点とした箒型構造だからです。皆さんもご存知のはずでしょう?」

「ぁ────いや、シュエルゥ。それな」



「ピラミッド型だぞ────むっ」
「ピラミッド型だよ…………ぐっ」



 発言しようとした俺の声をかき消すように割り込む声。殿下とキリトに先を越されてしまった。
 見事に一致したタイミングと内容が癪に障ったのか、何やら剣呑な雰囲気を纏った両者が露骨に不機嫌になって睨み合いを始める始末。
 ほんと、前から思ってたがこの二人の相性の悪さは筋金入りみたいだな……。
 ここまで黙して座していたメアリーが月詠さんと目を合わせ、二人共に呆れたように肩を竦めて苦笑いを浮かべていた。
 見た目は少女そのものなのに、仕草の一つ一つが絵になるな、こっちの二人は。

「────と、まぁ……すまん。そういうことだ」

 そして俺もまた、二人の発言を肯定した。

「ぇ、エイジさんまで……っ……ちょ、ちょっと……待ってください……ボク、もしかして……とんでもなく見当違いな事を言ってたりしますか……!?」

 必定だと思われた答えに否定を返されたのだ。この世界で確実に通用する……そう思っていた知識を、真っ向から、複数の人間に。
 動揺は既に抑えられない領域に至っており、それが傍目にも容易に察することができる程度には、挙動不審だ。
 だが、見当違いというのは少し意が異なる。

「いいや、間違ってない。俺達は"同じソレ"を共有できているはずだ。細かい擦り合わせは今後必要になってくるだろうが……」

 そうだ、知っている。
 BETAの指揮系統は箒型構造だという事も、G弾の危険性も。
 俺も、殿下も月詠さんも、キリトもメアリーも、俺はまだ出会っていないけれど、他にもいる転生者達も知っているはずだ。
 だからシュエルゥが提示したG弾の影響を極力抑えつつ指揮系統の頂点であるオリジナルハイヴを潰すという案そのものは正しいと、"俺達"は言い切れる。



 ああ────"俺達だけ"なのが問題なんだ。



「じゃ、じゃあ、どうして皆さんは……」

「ご安心を……貴女は間違っておりません。私共には貴女が何を知っていて、何を言いたいのかも及ばずながらも理解できております」

「だったら────」

「その上で、聞かせて欲しいのです。"私共以外"に、それをどう証明するのかを」

「────……証、明」

 "私共以外"。
 即ち、転生者などという極々稀な異例を除く、普通にこの世に生まれ生きる人々。
 通じるか?……否だ。通じるはずがない。
 そもそも共有出来ていないのだから。

「貴女が説いたG弾戦略にはご自身が"持ち越してきた答え"によって、余りにも致命的な齟齬が生じてしまっているのです」

「齟齬、ですか」

「そうだ、林 雪路。其方の提案では限定的とは言えG弾という戦略級の兵器を用いる事になる訳だ────当然、正規の手順は踏まねばならんのだが……これは至難だぞ」

「正史において、米軍は好き好んで明星作戦までG弾を出し惜しみした訳じゃない。"出せなかった"んだよ。今から二年前、第三計画の成果が挙がらない事に失望した米国は、国連安保理にしっかりG弾案を提言してるんだ。ま、翌年にはALⅢをもう少し見守るべきだ、と否決されたけどね。更に翌年の1991年現在……今年だ。正史と変わらずユーラシア大陸の各国政府や国連議会が断固として反対する姿勢で、G弾に対して強い反感を抱いているのは確認済みだ。そもそも国連内部に於いて、第三計画の"諜報路線"は一定以上に評価されていて主流なんだよ。香月博士の00ユニット案が第四計画に採用されたのは、そういう流れがしっかりと生きていたからなんだ。断言する……まずG弾案はそこを絶対に突破できない」

「……それはG弾運用の方向性が、懸念される重力異常を二の次に置いた"飽和投下"だったからじゃないんですか?概要を改め"オリジナルハイヴに限定する運用"を前面に押し出せば交渉の余地はあるでのはないでしょうか?メアリーさんは、G元素研究において著名な方々とも親交があるとお聞きしました。出来なくはないと思うんです!」

 大雑把だが、悪くない。
 メアリー・スーを起点にして米国内部からG弾の運用方針を是正する。
 決して無理筋ではないだろう。主張したいことも解る。

 だが────。

「けれどもだ、シュエルゥ。仮に、仮にだぞ?万が一、俺達皆が一念発起して手を取り合い、G弾のオリジナルハイヴ集中投下による決戦を訴えるとする。その為に再度の交渉の場をあの手この手で整えたとしてだ……ウィリアム・グレイ博士達や、香月博士、そしてユーラシア各国政府や国連……どう説得するつもりなんだ?オリジナルハイヴが総司令官だという証拠は?俺達と違って、"ご存知かと思われますが"、ってのは通じない。だから、改めて証拠を突き付ける事は絶対に必要なんだ」



「……証拠なら、揃うじゃないですか!今すぐには無理ですけど、第四計画が進めば……進め、ば…………ッ────ぁ」



 言葉は尻切れになり、最後まで紡がれる事はなかった。
 気付いて、しまったから。



「貴女の、仰る通りです。説得に足り得る証拠が必要です────」








「────"00ユニットによるリーディングデータ"が」



















                                           Muv-Luv Initiative
                                               第二部



                                                第五話

                                                『6/7』

                                                  中編



















 "矛盾"だ。

 難民達を、軍人達を────より多くの人類を守るために。

 早期にG弾を使い、戦況を好転させようという戦略に前提として必要となるもの。

 それが揃うのは……守りたいものの一つである日本帝国を守り切れず蹂躙され、数多の犠牲の上に成立する、00ユニットの完成と運用────。





「────オルタネイティヴⅣが"完遂してしまう"事に他ならないんだ、シュエルゥ」





「────……ッ!!」





 この世界の現段階において、"BETAの指揮系統は複合ピラミッド型である"というのが地球侵攻を許してからの歳月を経て根付いた定説であり常識。
 悪の総司令等という解り易い存在はおらず、全てのハイヴは連動しているという、"人間側の近代的定石に乗っ取ってみれば至極真っ当"な考察。
 それを踏まえれば、戦略兵器であるG弾を用いるという事は即ち一大決戦であり、イコールでバビロン、或いはトライデント作戦の発動に繋がってしまう。
 全てのハイヴを根絶やしにしなければ対策される危険性があり、それを回避するためには短期間における大量投入によっての殲滅以外に有り得ない。
 小出しにするという選択肢が、現状ではそもそもないのだ。



「オルタネイティヴ第四計画は国連が受け持つとは言え帝国主導……国内に本拠地が存在するのが理想的だ。他のハイヴじゃ必要不十分。結局、帝国本土への大侵攻時に建造されたハイヴを奪取しALⅣの研究施設とする事が最も好ましい。"例の彼女"を使って00ユニットを完成させ、反応炉に対しリーディングによる諜報を敢行し、得た情報を"データ化"する……ここまでだ。ここまでやって漸く、人類に"オリジナルハイヴこそ真っ先に落とすべきだ"という発想が受け入れられるだろう」



 しかしだ。そこまで情勢が行きついてしまうと、今度はG弾を使ってオリジナルハイヴを攻略する意味合いが消失してしまう。
 00ユニットと同じくして完成条件を満たしているXG-70を使い、オリジナルハイヴへと突入し、あ号標的というメインサーバーから直接データを引き抜く最高の機会。
 それをG弾で諸共吹き飛ばすのは理にかなっていない。
 そもそも00ユニットによる反応炉へのリーディングには、ブービートラップとしての一面も存在する。
 人類はその時点で"速攻"を強いられるのだ。G弾を大量に用意する期間など、与えては貰えない。
 つまりどう転んでもG弾は、決戦兵器足りえない。

 故に、予定通りに。正史通りに。歴史通りに。

 ただただ流され続けた先にある到達点こそが────。



「"おとぎばなし"に沿っていけば、全てが丸く収まって……在るべき結末へと辿り着く。だから、余計な事はしなくていい……出しゃばらなくていいんだよ。僕らは」



 その終幕へと至る為に、不満も屈辱も全て飲み込み諦めろ、と……それこそが、彼、霧山 霧斗にとっての最善なのだと。



 改めての宣言となった。



「────……っ」



 シュエルゥは何も言い返さない……言い返せない。
 皆が注目する中、崩れ落ちるように椅子へと腰を下ろし、膝の上で拳を強く握リしめる。
 目と口を堅く結び、俯いて黙り込むその姿は、打ち拉がれるという表現がこれ以上ないほどに当て嵌まっていた。
 その雰囲気が室内に伝播し、誰一人、口を開けずにいる。

 あぁ……嫌だな。
 空気が重々しくて、息が苦しい。
 暗くて淀み切った蒼黒い色。
 海の奥底に、無限に沈んでいくような────。
 ソレを払拭するように、俺は思わず立ち上がっていた。

「────シュエルゥ。気に病む必要なんかないんだぞ」

 沈み込んだ気を紛らわせてやろうと、シュエルゥへと寄り添って声を掛ける。
 丁度良い位置に頭部があったので、美しい桃色の長髪をぐしゃぐしゃと掻き乱す。

「ッ……ェ、エイジさん……ごめんなさい。知識ばかりが先走って……頭でっかちに、なっちゃってました」

「いいよ。お前が難民として辛い思いをしてきた事は、みんな解ってる。だから、G弾で一刻も早くケリをつけようって思うのは自然なものだ。ちゃんと大崩海の事も考えて、オリジナルハイヴだけに限定するって考えた上での提案だったしな。お前は、間違っちゃいない」

「……でも、それが通るかどうかを考えようともせずに、ボクは……」

「気にし過ぎだ。まずは現状を振り返ってみて、"やっぱりG弾には頼れそうにないな"ってだけの話さ」

「だけ、って……でも、G弾が使えないのなら……キリトさんが言ったように、何もせず、全部見過ごすんですか?これから、ボク達はどうしたら────」



「だから────"ソイツ"をこれから話し合う」



「ぇ……?」



 ────まだだ。
 まだ、始まってすらいない。
 BETAは朝鮮半島にすら到達していない。
 切り札は、G弾だけじゃない。

 "時間"もまた、"武器"になる。

「話し合う?エイジ、何を言ってるんだ。議論の余地はもうないだろう。G弾は使えない。通常兵器で真っ当に抗ったところで、正史と同じ轍を踏んで戦線は遠からず瓦解する……だから、邪魔をするなって、何度も言ったはずだけど」

「ああ、耳にタコだよ。キリト。でも一先ずお前のターンは終了だ。殿下や月詠さんにも主張したい事ぐらいあるだろうし、"メアリー・スーなんてまだ一言も喋ってないだろう"」

 キリトと、そして、メアリーへと視線を送る。
 すると彼女ははっきりと視線を絡ませながら、微笑みを返した。

 ────動くぞ。
 
「不破 衛士。彼女もまた国連側であるのならば、霧山 霧斗と思想や目的を共通としているのではないか。異論がなければ、口は噤むものであろう」

「かもしれない。でも、俺達"日本で生まれ育った連中"とは立脚点が大きく異なる。例えば……今、シュエルゥはG弾を積極的に使ってでも早期に決着をつけるべきだと主張した。これは正史の知識を持ちつつも、地続きでBETAが刻一刻と迫ってくる恐怖や、難民という立場の辛さを実感した体験から導き出された、"生々しい主張"で……とても貴重な意見だと思う」

 シュエルゥは、過酷な旅を続けて此処まで来た。
 生まれた場所が悪かった。BETAの東進は目前だった。
 だが、我が身可愛さで逃げたのではない。戦ったのだ。生きる為……そして、生かす為に。
 闇市への潜伏や、荷抜きの摘発への協力なんて如何にも危ない橋を渡ってしまったのは、そういうことだ。
 "知っているから"という使命感が、背中を押し続けてくれた。
 そんなヤツが色々考えた上で、G弾を使おうと言った。
 それは、決して無碍にされるべきではない。

「ぁ、ぁの、エイジさん。髪……優しく、触るの、そろそろ、やめて、もらえませんか……?こそばゆい、です」

 流石に触り過ぎたか。
 そろそろセクハラで訴えられそうなので素直に手を放す。

「悪い、心地よくてつい。兎も角だ……俺は、メアリー・スーには"アメリカ人"としての見解を求めたいと思う」

「ふむ……国連ではなく、あくまで米国市民としての意見、か。メアリー・スー……実のところどうなのだ。霧山 霧斗との見解の相違のほどは」

 殿下は口の前で両手を組みながら思案すると、名指しで問いを投げ掛けた。

「────ありますよ?」

「ォ、ま────ッ!?」

 あっさりと"擦り合わせは完了していません"と宣言するメアリーと、驚愕するキリト。
 非常に対照的なリアクションに、武家の二人も思わず面食らっている。

「……あるのですか」

「そもそも一枚岩だと思われるのが心外なのですが?同じなのは転生者であるという事だけで、国籍が違うのなら価値観や重視するものもまた違ってきてもおかしくはないはずです。同盟間で思惑が異なるなんて、別段おかしなことではないかと」

「では、異論とは?」

「それについては一先ず保留させていただきたいのですよ。だって、まずはそちらから言うのが筋でしょう?先ほどから"のらりくらり"と交わしていますが────結局のところ御二方、"どこまで妥協出来て、どこまで譲れない"のです?」

 同盟者の豹変に目を見開いたまま硬直するキリト。
 彼を尻目に、月詠さんが短くシンプルな質疑を繰り出し、メアリーはそれに対して饒舌に鋭く返す。

「────成程。御尤もな指摘です」

「だが、俺達の主張は相も変わらず────"日本帝国の国土と臣民を守る"、だ」

 彼らは武家だ。武家である限り、意見は揺るがない。
 正史の知識は、全て国防の完遂に充てられる。
 その過程でどれほどALⅣへの妨害が発生したとしても。

 例え俺達が相手だとしても……"意地"を張らなければならないのだ。

「それは解っているのです。ではその抽象的な意見を、激化するのが決まり切っているBETAの侵攻と照らし合わせた上でどう現実に落とし込むのです?御二方の意見をそのまま受け取ると────朝鮮半島で踏み留まるという宣言に他ならないのですが……正気の沙汰ではないかと」

「狂気の沙汰でも、やり遂げねばならないのです。私達が仰ぐ旗は、日の丸なのだから」

「その為の、F-15J陽炎とF-16J彩雲によるHigh-Low Mixだ……極めて強引な策で、強行する為に多くの無理を通す事になった。しかし、正史において大陸派遣軍がF-4J撃震ばかりだったという状況を改善しBETAを押し返す為に、大前提として必要な一手なのだ」

「ッ!?やっぱりお二人とも、本土防衛を諦めてはいないのですねっ!」

 ────いつかの再現みたいだ。
 あの日の舞鶴港でも、大陸派遣軍の機体が変わった程度で食い止め切れる訳がないと、キリトは言っていたな。
 この後、反論する姿が目に浮かぶ。
 純粋な戦力強化によってBETAを抑え込めると思っているシュエルゥは、嬉しそうだ。
 正気の沙汰ではないと指摘したメアリーは、武家の二人の立場は理解しているはずだろう。
 故にもう、気づいている……朝鮮半島で踏み止まるというのは、"建前"で。

 あくまで、時間稼ぎに過ぎない。

「だからそれは、無理だって────」

「キリト。そこから先は、"俺"に言わせてくれ」

「────ぇ?」

「"アキラ"」

「……何だ」

 キリトの言葉を遮り、俺は斉御司 暁を殿下と言う敬称ではなく、名前で呼ぶ。
 あくまで"個人"として見るために。

「もう、意地なんて張らなくていいし……俺に配慮するのも、やめてくれ」

「ッ……不破君……」

「────配慮?何のことだ。俺達……日本帝国は、朝鮮半島でBETAを抑えなければならない……"ならない"のだ。そこを抜けられてしまえば、次に蹂躙されるのは帝国本土だからだ。防人ラインへの到達だけは、絶対に阻止しなければならない」

「ああ。それが────"嘘"だ」

「……ッ」

 朝鮮半島を死守?防人ラインに到達させない?
 その為の、F-16J彩雲?

 違うだろう。

 アキラと月詠さんは、明らかに知らないフリをしている。
 本当の狙いは、その先だ。

「……エイジさん……嘘って、どういうことなんです?ボクには、よく解りません……殿下や月詠さんは、日本帝国を守る気がないって事ですか?」

「それは違う。シュエルゥ……"アキラや月詠さん"が本気だなんて解ってる。本気で日本帝国を、臣民を、国土を守り通す気でいる────"極力"、な。その為に、F-16J彩雲を捻じ込んできたし、これからも多種多様なテコ入れをして、有言実行していくんだろう。何なら、訓練を積んで御自ら大陸へと馳せ参じ、戦場に立つ事も厭わないと考えてるんじゃないか?」

「そ、そこまで御二方の気概を見抜いているのなら……嘘と言うのは何に対して言ってるんですか、エイジさんは」



「日本帝国という"国"は、必ずしも日本帝国"全体"を守りきる必要性がある訳ではない、って事だ」



「「────ッ」」



 二人の瞳が、僅かに揺れる。
 俺の意図はもう、正しく受け取ってもらえているだろう。
 ……ダメージコントロールに、私情を挟むべきではない。
 国の興廃が掛かっているのならば、猶更だ。

 何より、既に、防衛戦略は動き始めているのだから。

「……ッ?日本帝国は、って……え?殿下も、月詠さんも、日本帝国……ですよね?」

「ああ、"一員"だ。間違いなくな。でも……決して総意ではなくて、届かない事、変えられない事だってある。なぁ、シュエルゥ。日本に来た後、難民キャンプから出た事あるか」

「ぇ……ない、です。でも、今それと何の関係が……」





「────だったら、疎開と要塞化が"始まってしまった"のを、肌で感じたこと────ないだろ?」





「…………、────────っ!」



 シュエルゥは馬鹿じゃない。思い込みは激しかったりするけれど。
 すぐに俺が何を言いたいのかを察してくれたようで、顔をくしゃりと歪めて今にも泣きそうな眼をしている。

「言ったと思うんだけどさ、あのバスケットリング……疎開政策を受けて廃校決めた学校から貰ってきたって……もうな、"それを見越して動いてんだ"よ。国っていう大きな"うねり"が」

 あぁ、そういえば、いい感じの台詞があったっけか。
 含蓄があって、ひしひしと覚悟を感じ取れる言葉。

「────"軍隊は腰が重いけど動き出したら止まらない"。いつか、どこかで、香月夕呼博士が口にする事になった台詞だ。今回は、軍隊じゃなく"国"とか"行政"だけどな」

 拳を強く握りこんで、今から自分が何を言おうとしているのかを再確認する。

「改めて言わせてくれ。俺達が正史に抗って、BETAを止めるべき場所は────」

 皆が、真面目な顔で俺に傾注する中。
 ただ一人、本当に、心の底から嬉しそうに……メアリーが俺を見ている。
 コイツの考えは今一、解らない。
 でも、背中を押してくれた事だけは、確かに感謝してる。

 だから、これだけは俺が言おうと、そう決めた。

 それは。
 今、こうやって奇跡みたいに皆が集っている場所で。
 シュエルゥを「おかえり」と迎えた場所で。
 国の一部でありながら、国によって決戦の場所だと定められ切り捨てられた場所で。
 いつか、奪われることになる場所で。

 だからこそ────必ず、この手で取り戻す場所────。





「日本帝国本土防衛戦、緒戦────九州だ」





 俺の生まれた────故郷なんだ。








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