「レイちゃん。早く行かないと遅刻しますよ」
「わかってるって」
いつもの事ながらスグはよく急かす。
まあ、大体の場合、時間ギリギリに家を出ようとする僕が悪いのだけれど。
「うっし、終わりっと」
「そんなのんびりしてないで下さい。時間がないんです。学校に遅刻してしまいます」
スグは我慢できないように腕を振っていた。
はためく着物の裾。
背中まで伸ばし、真ん中ほどで一本に纏めた艶のある黒髪が、横に揺れる。
いつ何処であろうと着物を着ているのだ、スグは。それが学校であっても。
「スグ、うるさい」
「う、うるさい!? 私はただレイちゃんの心配を」
これだ。
心配されるのは嬉しいが、やっぱりスグには僕離れしたほうがいいと思う。
立ち上がりながらそんな事を考え、スグを避けて玄関を出た。
「えーと、時間は……」
「時間なんてありません! ほら、はやく歩いて下さい」
手を引かれた。
なかなかにすべすべな肌触り。
「白昼の誘拐」
「し、しません誘拐なんて!」
ただの冗談を、真面目に返してくるのがスグの面白いところである。
スグの家は日本舞踊の大きなところだ。
僕にはそれ以上説明の仕様もないし、知識も無い。
そんなところで育てられた所為か、スグの言葉遣いはすごく丁寧。僕との会話の時は少し崩れるけど。
でも常時着物の着用はおかしいと思う。学校が私服OKだとしても。
「ねえ」
「なんですか?」
「それ着てて疲れない? 早歩きなんかして」
「……誰の所為だと思ってるんですか」
「スグ」
「レイちゃんです! 考察余地の欠片も無く!」
「別に置いてけばいいじゃん」
「駄目です。レイちゃんを真人間にすると決めたのですから私は」
人を駄目人間みたく言うなっつーの。
見た目に反してスグの力は強い。とりあえず僕を引っ張っていける程には。
それで綺麗な顔立ちをしているのだから、つい、からかいたくもなる。
「今の僕らってさ、愛の逃避行にも見えると思わない?」
「…………思いません」
スグの歩みが速くなった。顔は前に向けたまま。
手を取られている僕も、つられて速度が上がる。
「じゃあこっちみて」
「お断りします」
「まあいいけどね。スグの赤い顔は僕の方からでも見えるし」
「――――え!?」
「あはは、嘘」
赤く染まった顔が振り向かれた。
相手に困らない容姿をして、スグは純情なところがあるのだ。
「レイちゃん!」
「あ、見えてきた。スグ、牽引ご苦労さま。もう離していいよ」
「……あ、はい」
最近でもないけどクラスメイトの目もある。
パッと離せばいいのに、何故かゆっくりと、少しずつ離されていくスグの手。
なんだかすごくくすぐったい。
校門の辺りは、生徒はまばらだった。視線の遥か先には走ってくる者もいる。
スグがいなければ、僕もその仲間入りをしていたのだろう。
「すこぶる便利だ」
「? 何がですか?」
「スグ。今度から君のことをドラちゃんと呼んであげようか?」
「どのような思考回路を経て、その結論に至ったかは私の知る由にありませんが、慎しんでお断りいたします」
つれないご返答だった。
スグ、君は僕の期待を裏切ったんだ。
「くぬやろっ」
「いたっ、なんで私が叩かれなくちゃいけないんですか」
「ふっ、キミのお父様がいけないのだよ」
「意味が分かりません! そんなのだから同性の方にも評判が悪いんですよ」
「ブッブー、的外れ、全然違う。僕の愛の拳はいつだって、スグにだけ向けられているんだぜ?」
「どこに愛があるんですか、どこに!?」
「ここ」
握りこんだ拳の小指の付け根を指す。
特大の溜息を吐かれた。
「呆れてモノも言えません」
それはまるで、人生に疲れた老人のようだった。
少しばかり罪悪感が胸を締める。
労わりの心が足りなかったと反省。
あとで温泉のモトでも買ってきてやろう。そんな事を考えながら学校に入っていった。