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[11192] 戦国奇譚  転生ネタ
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:83eb328e
Date: 2009/11/12 20:04


 『人は死ぬと生まれかわる』

 正直言って、一度死んだらそれでおしまいだと思っていた。
寺の長女に生まれ、お経を子守唄がわりに育ったくせに、教義はほとんど右から左。
女だし跡継ぎでもなかったから、聞き流してしまってばかりいた。
けれど、もう少し敬虔にすべきだったかもしれない。

 輪廻転生って本当にあったらしい。

 でも「記憶がリセットされないオプション付き」が有るとは、聞いていなかった気もする。
……とにかく、自分の覚えにある限り、私は一度死んで再び生まれた。



 ――――― 戦国奇譚 序章・春 ―――――



 死んで人生やり直せるなら、前世のことなんて引き摺りたくはない。
「恥の多い人生を送ってきました」などと文豪の真似をするつもりはなくても、せっかくの再出発だ。
真っ白な気持ちで始めたいと……、そう思っていたこともありました。 初っ端から挫けましたが!

 何故か。
それはもう二度目の我が家がというか、私の今生の生家が、超超超超『貧乏』だったからとこれに尽きる。

 どのくらい貧乏かというと、生まれた子供の名前をつけないくらいの『ド貧乏』だ。
育児放棄とかそういうのではなく、生まれても育つ可能性が低いからつけない。
一生懸命育てても、幼児に育つ可能性すら少ないからつけない。
子供を名無しで育てる理由は、ただそれだけの単純にして悲しい真理からだった。
 

 最初は、私もそんなことは知らなかったから、自分の新しい名前を「よし」だとずっと思っていた。
母さんも父さんも、歳の離れた姉さんも、私をそう呼んでくれていたから。
でも、それは「名前」じゃなかったらしい。

 前世知識なしにしようと思っていたって、私は本来の赤ん坊じゃない。
無意識にも赤ちゃんまんまに泣きわめくのには、少しばかりの抵抗があったってことだ。

 そんな私はあまり泣かない良い子だったから、「よし」。
 「よしよし、いい子ね」の呼びかけが縮んでの、「よし」だった訳。


 私の生まれた年は運がいいことに飢饉の年ではなかったらしい。
けれど貧乏だから、飢饉でなくても母の乳の出が特に良くなるというほどは食べられない。
そんな状況下での子育ては常に綱渡り状態だ。

 赤ん坊の意思表示といえば泣くことしかないのだけれど、泣けば泣くだけ体力は消耗してしまう。
消耗しすぎれば泣けなくなって、そうなってしまえば回復の手だてなどないから後は衰弱死するしかない。

 私は普通の赤ちゃんよりも余計な記憶があったから、無駄泣きをしなかった。
だから、知らずとも体力を温存でき、無事に育つことができた。
春先に生まれて、次の春を見ることができた私は、幸運な「いい子」だった。
昨年生まれた兄も、翌年生まれるはずだった弟妹も死んだけれど、私は立って歩けるほどに大きくなれた。
無事育ったから、「いい子」。

 だから、「よし」。


 朝は夜明け前から仕事して、布団ではなく草の筵(むしろ)に横になる。
服は一着。食事は雑草と雑穀の粥(かゆ)。しかも、味付けは塩のみ。
前世知識から言えば貧民も真っ青の最低限の暮らしをしている。

 でもそれは、生まれた場所と時代の違いだということで、納得できないわけじゃない。

 食べ物や生活習慣の違いは、所かわれば品もかわるのは当然のこと。
単純に比較して、どちらが良いとか悪いとか簡単に言えるものではない。
それがこの時代で、そこに私が生まれたというなら受け入れるべきだ。
前のことは忘れ、今を大事に生きる方がいい。
知識があるからと、違う時代のそれを利用するなんてダメだ、って。……そう、思っていた。


 この意見は「正論」。けれど、これが「正しく」はないことも、私は知ってしまった。


 自分を指して呼んでもらえても、それは私の名前ではない。
名前を呼ばれない理由を、わからないふりで返事し続けられるほど無神経ではいられない。
呼ばれるたびに、死んでいった兄弟を、明日には死ぬかも知れない自分を考えさせられる。

 雨が降っても、雪が降っても、日照りが続いても、人は簡単に死んでいく。
見知った顔を失えば悲しくないはずはないのに、でもそれを当前と受け入れなければならない社会。
以前はテレビの向こうにあった世界が、今は私の身に現実として降りかかる。
死が身近すぎる厳しさの中では、ただ生き残ることさえ難しい。
生き抜くことに必死な人々の中にあって、下手な矜持や建前で掲げる「正論」など、誤魔化しにしか聞こえない。


 失わず持ってきた前世の知識や経験の記憶。そこから生まれる年相応でない思考。

 それを、使えないのではなく、使いたくないと思うのは偽善だ。
 本当にわからないのではなく、わかるのにわかろうとしないのはエゴだった。


 前世の記憶があったからこそ選んだ、「泣かない」という選択が幼い私の命を救った。
前世とは違うこの時代の、この生活を生き抜くためには、手段を選んではいられない。
死にたくないなら、死なないためには、出来ることを全部やらずにどうするか?

 余分な知識も子供らしからぬ分別も、生きるための大切な一手。
生まれてきた以上、それが二度目だろうと三度目だろうと、安易に投げ出すのなんて私の性格には合わない。
最底辺からの出発だろうと、嘆くだけでは嫌だ。
命ある限り、生きて、生きて、生きて、せいいっぱい生き抜いてこその『生』だと思う。

 平穏だった前世と違い、生死が背中合わせの時代に生まれたからこそ、私は確かな『生』を渇望する。


 二度目の人生で生を受けたのは、かなり厳しい場所だった。
記憶オプションは、神様のサービスだったのかもしれない。

 あるものはあるがままに。
前世も今生もしっかりと受け止めて、――― 私は、希望と不安と決意を道連れに、新たな人生の幕を開ける。




 泣くことしか意志表示できず、手足も満足に振り回せない乳児。
そこから四足歩行を経て、物を持って歩くことまで可能な幼児への昇格。
未発達の声帯から他者にもわかる言語を紡ぎだせるようになるまでの忍耐の日々は、長かった。
でもようやく、多少は人間らしい行動ができるまでに育ってきたと思える今日この頃。

 私は生まれかわって二年目の春を迎える。

 この年明けをもって、かぞえで3歳になった。
正月ごとに年をとるという風習と、この時代には0歳という考えがもともとないため、実年齢は2歳。
栄養不足のせいか発育不良気味で小さいことは免れないが、健康上の問題はたぶん無い。


 外は暖かな日差しが降り注ぎ、野辺ではひばりが高く鳴き、やわらかい土と青草が薫っている。

 死ぬ死ぬと何度も思う冬を乗り越え、やって来た春は本当にめでたい。
祭りだなんだと歌い言祝ぎ、讃えまくりたくなる人々の気持ちが良くわかる。
寝床の脇から萌え出た若葉が、こんなに愛しく感じられるなんて知らなかった。

 朝目が覚めて、視界の隅に映った淡い淡い緑の双葉。
色つきのものなんか一つもないこの家で、それがどんなに目を引くのか、きっと現代に暮らしていたら気づかない。

 
 そう、土間に草が生えてしまうことからもわかるように、我が家の造りはいわゆる竪穴式住居だ。
全体的に四角く、屋根と壁が一部板張りになっているところが、縄文時代の様式とはちょっと違う。
でも、床はない。下は全部、土間だ。

 その土間に、煮炊き兼暖房用の囲炉裏があって、……それだけ。
家具などという物は無く、照明器具も一つもない。
入口近くにに農作業の道具が幾許かあるのと、丸めて立てられた莚が何枚か。
水くみの甕と雑穀の甕、入っているのを見たことがないが小さな味噌の甕。
塩入れと、木の椀と、木の箸があって、それで家財は全て終わり。

 遊び心も飾り気もない、質素にして簡潔な生活が想像できると思う。 
というか、毎日がサバイバル。
特に外的環境の厳しい時期は、大変なのだ。

 声を大にして言いたい、それは『冬』。

 北国ではないらしく積雪は家を超えなかったけれど、温暖化の影響のないだろう寒さは半端なかった。
暖房器具が囲炉裏一つのあばら家で、凍え死ななかったのは本当に奇跡だと思う。
父や母や姉が順番に常に抱きしめていてくれたから、私のような小さい者も死なずにすんだ。
家族には、どんなに感謝しても、感謝しても、したりない。

 知っている歌は子守唄一つ。
寝物語の昔話すら知らない両親の力仕事で節くれだった手が、寒い夜に背を撫でる。
懐を開いて、少しでも隙間風にあてないようにと抱え込むように寝てくれる。
一際冷え込む明け方には、幼い姉までが、その小さな手で私の手足をさすってくれていた。

 外が厳しければ厳しいほど、家族のありがたみが身にしみる。
団子のように身を寄せ合い乗り越えた冬を、私は絶対忘れないだろう。
少しでも早く大きくなって恩を返すのだと、夜が来るたびに胸に刻む思いで誓っていた。

 

 そして迎えた新しい春。
私も寝ているばかりの赤ん坊ではなくなり、仕事が手伝えるようになった。

 幼児をばかにしてはいけない。
どんなに小さくても出来る仕事はあるのだ。


 朝早く。夜明け前に一日は始まる。

 東の空の端がうっすらと明るくなる頃、父が起きだして川にしかけた罠を取りに行く。
母は火打ち石で火種を造り、湯を沸かす。
湯の中には一握りの雑穀と野草。味付けは塩。
運が良ければ父が小魚などを持って帰り、それをおかずにすることもある。

 腹ごしらえを終えたら、畑仕事。
私も家事こそまだできないが、畑には家族そろって皆で行く。

 すでに作物が植わっている場所の管理のメインは、草取り、水やり、虫取りだ。

 私も虫取りに参戦する。殺虫剤などないから、虫と戦うのも人力しかない。
バッタにイナゴ、カナブンなどなど。採った虫は川に仕掛ける魚の罠に入れるので、一石二鳥でもある。

 姉と私は小さな魚籠(ビク)に、競って虫を集める。
父と母が他の仕事をし、一家で半日は確実にこの畑で過ごしている。


 昼食は特に無く、白湯(さゆ)などをすすって終わり。
私達は午後の仕事へと向かう。


 次の仕事は、畑仕事でもっとも欠かせない肥料作り。

 肥料というと、有機栽培などで有名な諸々が頭に浮かぶ人もいるだろう。
現代なら園芸店に行けば、用途に合わせた多くの種類が売っている。
しかし、この時代はそうはいかない。
何でも自分たちの手でやるしかない。だから肥料ももちろん手作りだ。

 ただし、人糞だ馬糞だなどという、『高級』なものは手に入らない。あれは、『有料』なのだ。
利用価値があるものには、すべからく値段がつくのが世の中というもの。
貧乏な農民には手に入らない。

 だから、私達の仕事は草刈りになる。
目につくところ全て、山だろうが川辺だろうが道端だろうが、どこでもかまわず草を刈る。
それで刈った草を穴に埋めたり、燃やしたりして肥料にする。
よく昔話に、「おじいさんは山に柴刈りに~」という台詞があるけれど、あれと同じだ。

 姉と私は、両親がザクザク刈った草の中から、食べられるものを探す。
小さなものなら、オオバコ、カタバミ、スベリヒユ。
タンポポ、ツユクサ、ナズナにハコベ、ヨモギを見つけられるとなんだか懐かしく嬉しい。
川辺の草取りなら、セリにスカンポ、ツクシなどを探す。
山の方の草取りなら、ユキノシタやアカザなども採れる。


 空が茜に染まるころ、刈った草を始末して、皆で川に行き手足を洗う。
使った仕事道具も洗い、夏なら水浴びもする。
川岸に埋めた魚罠に虫を入れるのを見守り、水甕に水を満たす。


 そして ―――、

父の背には、水甕。
母の背には、草刈りの道具。
姉の手には、洗った野草。
私の手は、母に繋がれて、

 ――― 我が家に帰るのだ。
 


 夜の帳が降りて、夕餉を終えても、両親はまだ仕事をやめない。
灯りはもちろん囲炉裏一つ。
でも、空が怖いくらいに澄んでいて、月も星も明るいからそれで十分。
板を並べて石で抑えただけの屋根の隙間から、夜空の灯りがこぼれてくる。

 筵の布団に転がる私の横で、母が砧で藁を叩いている。
父の手はその藁で縄を綯い、時には草鞋や魚籠も編む。

 父と母の姿をぼんやり見つめる私の背には、姉の温もり。
単調な砧の音に重なる母の子守唄。
頭を撫でてくれる優しい手を感じて、眠りに落ちる。

 春の一日は、こうして穏やかに幕を閉じる。

前世と比べれば決して豊かとはいえないけれど、充実した誠実な暮らしを私は送っていた。



 でもそれは、嵐の前の静けさ。
幼い私を包むこの春の夢のような幸せな日々も、やがては乱世という大きな濁流の中に呑みこまれていく。








 * この物語はフィクションです。捏造大量。
   小ネタにも嘘が混ぜてあるので、何も信じないでください。



[11192] 戦国奇譚 長雨のもたらすもの
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:83eb328e
Date: 2009/11/12 20:05

 
 正式な名前は7歳の正月祝いにつけてもらえるらしい。
けれど、便宜上の呼び名でも、呼ばれ続ければ愛着がわいてくる。
耳慣れれば響きもいいし、前世知識で漢字の「吉」の字を当てれば縁起も良くなりそうだと思うのだ。

 ……ちなみに母の名は「なか」、姉は「とも」という。
「とも姉ぇ」「よし」と呼び合い、いつも一緒にいる私たち姉妹は、村でも評判なほど仲がいい。



 ――――― 戦国奇譚 長雨のもたらすもの ―――――


 
 家族仲は円満。皆が協力して仲良く暮らす毎日。

 けれど、私が数えで5歳になった夏の初め。
とうとう怖れていたものがやってきた。

 その先ぶれの名は『長雨』。

 年が明けてからこちら、天候はずっと悪かった。
春になっても曇りの日が多く、霧のような雨が数日おきに降る。
思い出しても、空を睨んでは太陽が顔を出すのを待つような日ばかりだった。

 そして、そんな春の日照不足を憂う間もなくやってくる梅雨の季節。

 過去の経験からか、家の周りに掘った雨水よけの溝の深さを倍にして、我が家も雨に備えてはいた。
屋根には押さえ木と屋根板の間に筵を重ね、壁の隙間にも小枝と藁を挿み泥を塗って補強し直す。
二度目の冬支度にも似た保存食を蓄えながら、梅雨が一日でも早く終わることを家族皆が祈っていたと思う。

 しかしそんな祈りもむなしく、今年に限り、一ヶ月を越えて降る雨は止まない。

 雨も時にはあがり、一日二日は小康状態の日がくることはある。
けれど、断続的に降り続く雨の量そのものが多く、家の中はすっかり水浸しの様相になってしまっていた。
割った木端で作った台に、藁や薪などを乗せてはいるが、湿っていないものなどすでにない。
最初の頃は、それでもどうにか乾かそうと並べ替えたりもしてみたが、全て徒労に終わった。
屋根の隙間からこぼれる雫が濡らすのは、私達の肩だけではないのだ。

 雨が降らないのも困るが、降りすぎるのも恐ろしい。

 降りが五日を越えた時点で、父と母は雨の中、外の作業に出ていった。
舗装された道ではないから、畦が雨にぬかるめば、まだ小さい私達は畑についていけない。
最後に見た畑のひょろひょろした大豆苗の姿を思うと不安で仕方ないのだけれど、私と姉は留守番役だった。

 強く降る日は、屋根を叩く雨の音を聞きながら、私達は見よう見まねで覚えた茣蓙(ござ)を編む。
私一人の力ではまだ引きが弱いので、姉と二人がかりで編んでいく。
湿った藁はやわらかいけれど少し黴臭く、刈りたての頃のお日さまの匂いはもうどこにも見つからない。

 雨が小止みになれば、様子を見計らい、少しくらいなら外に出ての仕事もできた。
両親のいないときは家の見える範囲から離れないという約束があるので、近場で食草探しをする。
家の周りの溝から水をかき出し、少しでも中に水が入らないようにと手を濡らしたりもした。

 長い長い梅雨。止まない雨に、誰も何も言わないけれど嫌な予感は増していく。

 畑から帰る母の濡れた肩に、山に食べ物を探しに行った父の泥まみれの足に、纏わりつく影のようなもの。
疲れと諦めの色が滲むそれを拭い消す術は私にはなくて、遣る瀬無さばかりが降り積もる。
私の頭からは「不作」「飢饉」の嫌な二文字が、振り払っても振り払っても追い出せなくなっていった。



 そして、その日もまた、外は雨。
夢に見る青い夏空は遠く、現実には重石を載せたように空は低い灰色に煙っていた。

 昨日から降り続いている霧雨は音もなく、けれど、鳥や虫はまだ潜んでいるのかその声は聞こえない。
かろうじて耳を澄ませば、水嵩を増した川の音が微かに響いてくるような静かな日だった。
弱い雨ならもう雨とも思えなくなっていた私は外に出て、いつものように短い草むらをかき分けていた。
 
「よし、ちょっとおいで」

 姉ではない声に名を呼ばれ、あわてて振り返ればそこには父と母がいる。
雨の弱いこんな日は、夜暮れるまで帰ってこないはずの二人の姿があることに、私はとても驚いた。

「おかえりなさい。
 どうしたの? とも姉ぇは?」

「今呼んでくるよ。
 よし は、先に家に入って待っといで」

 優しく言ってくれる母の顔が、どこか悲しそうなのも気にかかったが、それ以上に父の持つものがものだった。

「それ、里芋……?」

 父の手の中にあるひと束は、雨にやられてしまった大切な食糧になるはずの成れの果てだった。
本来なら父一人の腕に収まりきるはずもない数量が、見る陰も嵩もなく握りしめられている。

 芋の、育ちきれば傘にもなるほど大きくなる葉は、茶色く萎れ縮んで私の手ほどの大きさもない。
根元の親芋も小さいままで、子がついているようすもない。
束にされた細い茎は黄色で弱弱しく、一つの芋から二本も出ていればいいようなひどい有様だ。

 みすぼらしすぎるその姿を見て泣きそうになった私に、父は、母以上に優しく悲しげにこう言った。

「大丈夫だ、よし。心配するな」

 父を見上げても、束ねられた芋を見ても、安心できる根拠はどこにも見つからない。
歩き出すために歯を食いしばり、きつく握りしめた自分の手のあまりの小ささ。
私は無力を噛みしめずにはいられなかった。



 その後、家族が皆家の中に揃ってから。
父は芋の束を入口の脇に置き、家の中の反対の隅を掘り出した。


 私と姉の肩を抱くように母は座って、囲炉裏越しにその父の背を見つめている。
母が何も言わないから、私も姉も黙って父の背中を眺めていた。

 しばらくして、父が掘り出したのは、甕だった。
水甕よりも小ぶりなそれを取り出すと、父は怖いものでも置くようにそっと囲炉裏の横に置く。
そして、汚れた手を洗いに外に行った。

 甕を前に黙り込む母の手が私達を引きよせるように動いたので、私と姉は母に寄り添う。

 戻って来た父は、ひとかたまりになった私達を見、困ったような愛しいような顔をして甕の蓋に手をかける。
木の皮と藁縄で閉められていた蓋はすぐに開き、父は静かにそこに手を入れて、中身を一つずつ出して並べていく。


 最初に出て来たのは、鞘のない刀の先のようなもの。
後に父の手で槍先に据えられるそれは、少し錆びてまだ鈍い色をしていた。
それから、脚絆や兵糧袋などの布類。火打ち石や、縒った布の細紐。
茶色く色の変わった小旗と、紐でつながれた穴のあいた何枚かの銭。

 刀こそ出てこなかったが、籠手のついた肩当てが出てきた時、私にもそれが何かわかってしまった。

 これは、……戦の、備えなのだ。



「村の衆とも話し合ったが、この長雨で今年の作はまず見込めない。
 稲は弱いうちに冷たい水につかりすぎ、大豆も苗からほとんど育たなかった。
 里芋ですらこの様だ。
 このままでは、賦役に払う銭を集めることもできまい。

 だからな、戦働きの出来る者は皆、雨が上がりしだい寺社に集まる約束になっている。

 長雨で蓄えが無くなるのはどこも同じだ。
 そうなれば小競り合いはすぐ起きるだろうから、雇い口の心配はない。
 秋の終わりまでにいくつか戦をこなせば、冬の蓄えを持って帰って来られるだろう。
 父さんは戦に行ってくる。

 なか……、帰ってくるまで、とも と よし のことを頼む」

 
 母の手が私をギュッと掴む。
言葉にはしなかったけれど、彼女はきっと肯いたのだと思う。
母の背中越しに手を伸ばして、私は姉と震える手をつないでいた。




 ―――私達に戦の話をした後、父は2度ほど村の話し合いに出かけ、そこから本格的な準備が始まる。


 村としての方針が決まってから、私の周囲も慌ただしくなっていく。
歳が12,3を超えている村の男衆は皆が行くというのだから、当然のことだった。

 「不作」で「出稼ぎ」に行く……のは、知識としてわかる。
でも『戦(いくさ)』に行くというのをどう受け止めればいいのか、まだ私にはよくわからない。
けれど、私の心の整理がついてもつかなくても、周りは待っていてはくれない。
村をあげての戦支度に、我が家も組みこまれていった。


 村全体の準備に先駆けて、私達が最初にしたのは、家の外壁の泥を落とすことだった。
壁板の間に差し込んでいた細木や藁を取り出して、薪の足しにするらしい。

 各家ごとに細々ながらも持ち出しの分担がある。
足りなければ家の壁を割ってまで持ち出さなければならないというのだから、結構厳しい。
晴れていれば山から拾ってもこられるが、この雨続きでは生木か濡れて腐った朽ち木しかない。
仕方ないのかもしれないが、隙間の空いた壁に厳しい現実をより見せつけられるようで辛かった。


 そうして柴が揃うと、あの甕から出した槍の穂先と発育不良の里芋の茎を持って、家族そろって村の広場に行く。
実を言うと私がそこに行くのは初めてで、連れて行って貰えたのは少し嬉しかった。
広場は祭りや年貢集めの時に使う場所で、子供の遊び場ではない。
といっても遊ぶ暇のない私が知らないだけで、もしかしたら遊んでいる子供もいるかもしれないが。

 広場にはもう人がたくさんいて、急ごしらえの竈(かまど)や、村鍛冶の仕事場がつくられてあった。

 両親が知った顔とのあいさつに立ち止まり、私はその足の陰から初見の広場を隅々まで眺める。
珍しいものばかりで目移りしていると、動くものに目がとまる。
姉と同じくらいか少し上の子らが手を振ったりとび跳ねたりしているのを、見つけてしまったのだ。
距離はあるが、こちらの気を引こうとしているのはわかりやすすぎる。
父の足に隠れて私は見えないはずだから明らかに姉狙いで、腹が立って楽しい気持ちがちょっと萎んだ。
思わず姉を隠すように私のいる方に引きこめば、驚いた顔をしながらも彼女は手をつないでくれる。
優しいこの人をとられたくないと思ってしまうのは、本当に大人げないことだけれど、切実な本音だった。

 もともと現代と違い、幼稚園や小学校などというものはないから、同年代と必ず顔を合わせるということもない。
井戸端会議などもなく、回覧板もなく、普段はそう近所付き合いが多いと感じることはない生活をしている。
でも、田植えや稲刈りの時などは村の共同作業なので、村人の顔も一通りは知っている。
一緒に遊んだことはないが、村の子らとだって、とりあえずは顔見知り程度の関係はあった。

 ではその程度のつきあいで、何故こんなに過敏に反応するのかと思われるかもしれない。

 理由はこの時代だ。
姉は、私からすればまだどう見ても小学生でしかないけれど、実はお年頃としてあつかわれる歳なのだ。
あと2,3年もしないうちに嫁取りの話が来る可能性はとても高い。
夫候補は当然この村の中にいるだろうから、私の気分的に男のガキは皆「敵」に見えてしまう。


 そんなふうに、私が親の足元で地味な攻防を繰り返しているうちに、大人達の間でも話が進んでいたらしい。
気付けば小雨の降る中、数人ずつの班が既にできており、各分担に分かれて作業が始まろうとしている。

 私達の父は、槍の柄を削る担当になったようだ。
槍用の長めの木は、生木は使えないだろうから、やはりどこかの家の建材の一部なのだろう。
その木を手に取り、若手に指示しているところを見ると、このチームのリーダーにもなったのか。
無骨な鉈を短く持ち、器用に削っていくのも手際よい父のことを見て、私は誇らしく思う。

 槍作りの横では、その槍先になる金具を研いだり、口金を叩いたりしている人達がいる。
こんな小さな村にも、村鍛冶がいるのだと感心した。

 母は他の女衆と一緒に、炊き出しの係に呼ばれていた。
家で使うものの倍はありそうな鍋が、広場につくられた幾つもの竈にかかっている。
姉より年上だろうが若い娘が手早に米をつき、空炒りしている鍋もあれば、蒸し器にかけていくものもあった。
赤米を回し炒る音や、芋がらを煮しめる味噌の匂いなどをかぐと、傍から離れたくなくなってしまう。
ついでに言うと、これほどたくさんの食料を見たのは今生では初めてだった。


 他にも山に行く一団、川に行く一団などに分かれ、私と姉も田に向かう子供の群れに放り込まれる。

 子供たちに任された仕事は「タニシ」の採集。
全員を散会させずに、広場近くの田から順番に回って採っていくとの説明がある。

 上は姉と同じくらいの子から、最年少の私まで。
しかも、私たち以外は全部男の子ばかりの一団となればとても騒がしい。
田の泥をかき混ぜる彼らの乱暴な足並みにも辟易しながら、濁り水を探るタニシ採りは始まった。




[11192] 戦国奇譚 銃後の守り
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:341eb627
Date: 2009/11/12 20:07


 忘れがちではあるけれど、私はとりあえず年相応の行動はしない。
姉の とも も、穏やかでとても辛抱強い性格の少女だ。
だから必要とあらば、一日中でも一つの仕事に打ち込むこともそう無理とは思わなかった。

 でも、子供というのは本来飽きっぽく、騒がしい存在なのである。

何が言いたいかというと、戦に持って行くに必要な量を採りきる前に、子供達は飽きてしまったのだ。



 ――――― 戦国奇譚 銃後の守り ―――――



 半日とは立たないうちに、まずは監督役の目の届かないところで、ふざける者達が現れた。

 わざと泥をかけあったり、小石をぶつけあったり。
隠れてやるぐらいなのだから、怪我をさせるほどの大げさなものではない。

 戦場での飲み水確保のために持って行くタニシ採集を、遊び半分では不謹慎だという気持ちは少しある。
でも彼らが仲間内だけで遊んでいるのだったら、見て見ぬふりをするつもりだった。
少し遊べばそれにも飽きるだろうし、子供の多少の息抜きを私だって目くじら立てて怒ったりはしない。

 しかし、私の大事な姉がその悪戯のターゲットにされるとなったら話は別だ。

 年頃の女の子が気になるのもわからないではないが、やられる方にとっては「いじめ」と変わらない。
気を引くにしても、やるべき行動が反対すぎる。
逆にやさしく手伝ってくれたのなら、姉の心証も上がったはずなのに。

 端折っていた着物の裾に水をかけられ、泥のついた手で髪を引かれて、姉は半泣きになってしまっていた。
私がしゃがんでいたり、姉にタニシを渡そうとしている最中の動けない時を狙っているのが余計に憎らしい。
足元の私を気遣って逃げることもできない姉を標的にするなど、卑怯極まりないことだ。

 犯行の瞬間を目撃した私が即反撃に出たとしても、絶対、正当防衛が主張出来ると思う。

 敵の少年達が多少年上だろうと人数が多かろうと、そんなのは関係ない。
不利な状況にこちらが怯むと思ったら大間違いだ。私は基本逆境にこそ奮起するタイプである。
穏やかな相手には穏やかに、誠実さには誠実を、そして喧嘩を売ってくる相手になら拳で語るまでのこと。

 怒りに立ち上がった私の背には、守るべき姉がいる。負ける気は微塵もない。
 
 初撃に田の底から両手で掬ったゆるい泥を派手に飛ばして、姉の周囲から小僧どもを蹴散らす。
そして姉を素早く畦に押し上げたら、わきを引いて拳をかまえ、ファイティングポーズで斜に眇む。


「なんだその目。小さいくせに、気が強いやつだな。
 お前の姉はかわいいのに、お前はちっともかわいくない」

「べつに、かわいくなくていい」

「口もかわいくない。ちびザルめ」


 一人が猿と言いだせば、他の子もすぐに真似をして大合唱。
小学校低学年くらいの子のやることなんて、そんなものだ。
でも相手は子どもといえど、口ぐちに猿と囃されては私も頭に来る。

 黙っていればこちらが怖気づいたと見たのか調子に乗って近づいてきた奴がいるので、裾を引いて転ばせてやった。
素早く移動してもう一人沈め、すぐに手の届かぬところまで飛びのいて、威嚇する。
泥田で日々虫取りに鍛えられた我が足さばきを見るがいい。


「やったな、子ザルが」

「そんなじゃじゃ馬、嫁にとってもらえねぇぞ」

「嫁になんか行かないからいい」

「人の嫁に行けないから、サルに嫁に行くのか。サル嫁か」

「行かない。絶対行かない」

「女で嫁に行かないはないんだぞ」

「じゃぁ、女じゃなくていい。
 私、そういう差別で人をばかにするやつ、大嫌い。
 父さんみたいな人は好きだけど、誰でもいいなんて思わないもの。
 ガキの嫁になるくらいなら、尼になったほうがまし。
 それがダメだって言うなら、女はやめて下克上してやるんだから!」


 早口にまくしたて、相手がぽかんとしている間にタックルをかます。
隙を見つけたら、一撃必殺。喧嘩するときに遠慮なんてしていたら駄目だ。
目標は、全員まとめて泥だらけにすること。
体格の差だって不利なばかりではない。
小さな体でさらに重心を低くかまえて、私は敵の膝横に狙いをつけた。


 奮闘はしたけれど……、実質的被害の天秤はこちらの方がちょっと重そうだ。
何度も捕まって、そのたびに投げ転ばされて、私が髪先まで泥をかぶった回数は多かった。
けれど、もちろん最後まで手は抜かなかったし、泣かなかったし、悔いはない。
だって、この大騒ぎにとんできた大人に引き離されて見回せば、泥だらけでない子供は一人もいなかったのだから。


 久々にというか、今生において初めての大暴れを経験後。

 喧嘩については後悔はなくても、した時期が悪かったことには反省の気持ちがある。
父が家を離れる前に騒ぎを起こしてしまった。
今までどちらかというと大人しい「いい子」であっただけに、いらぬ心配の種を持たせてしまったかもしれない。
恐るおそる「ごめんなさい」と謝った私に対し、しかし、父は怒らず私の頭を撫でる。

「とも を守ろうとしてくれたんだろう?
 お前はいい子だよ、よし。父さんは知っている。
 母さんも頼むな。二人を手伝って、守ってやってくれ」
 
 戦に行く前の晩、私と姉の枕辺に座り、飽かず髪を撫でてくれた父の手はとても暖かだった。


 ―――翌朝、雨の名残を残す空の下、父は村の皆と一緒に戦にでかけていった。




 父がいなくなってしばらくすると、うちには幼い子連れの二家族が越してきた。

 夫が戦に行って、でも身をよせる親族や知り合いがこの村には居ない、他所から嫁いできたお嫁さん達だった。
実家に帰ろうにも子供が幼く旅程に不安があったり、夫の家族には縁が薄かったりということがあるのだろう。
私の父母もこの村の出身だけれど、祖父母は早くに亡くなっていて、そういう核家族も村には珍しくはなかった。

 父のいない寂しさはあるけれど、若妻二人と幼児二人を受け入れて、我が家はずいぶん賑やかになった。
その賑やかに慣れる頃には、長雨の方もとうとう雨が尽きたようで、空には青が戻ってきていた。


 家族構成が変わり、働き手が増えたこともあって、私の仕事も少し変わる。
今までは、年少ながら私も生活を助ける仕事の一部を担っていたと思う。
でもそれはあくまで私が規格外だからで、普通の子供(5歳児)はそんなに役に立つものではない。
手伝いをしないわけではないけれど、子守役というのが必要不可欠なのだ。

 そんなわけで、私は「子守」という新しい仕事を任される。

 相手は「いち」と「まく」というどちらも私と同じ歳の男の子。
同じ歳で監督も変だが、そこは信任の厚さの違い。私も自分に出来ないとは思わない。

 タニシ採りの時に彼らはいなかったので、同居が私達の初めての顔合わせになり、自己紹介をする。
二人の呼び名、「いち」の名の方は初めての子だからという意味で明快だが、「まく」というのは少し面白い。
どうも最初にこの子が口にした言葉が「まく」だったということで、そう呼ばれるようになったらしい。
たいがいは「まんま(飯)」「かか(母)」「とと(父)」のどれかだろうから、ちょっとかわった個性的な子なのかもしれない。

 新しくできた、私の二人の弟達。
ことあるごとに呼びかけて、私の口はすぐに二人の名に馴染んでいく。


 ……そう、決して目をはなさず、常に名を呼んで引き留めておかなければ、元気な子供は御しきれない。
彼らを追いかけまわす仕事は、実にハードだった。

 男の子というのはエネルギーをもてあましているのか、ちっともじっとしていてなどくれないのだ。
私と同じに雑穀粥しか食べていないくせに、この違いはなんだろう。
自分が幼稚園児だったころの記憶なんてすでにさっぱりないけれど、こんなに跳ねまわっていただろうか。
保母さんになりたいと言っていた前世の友人は、そういえば体育会系だった気もする。

 私も最初は、(精神年齢的に)年上の余裕で優しく接していたが、すぐに方針を改めずにはいられなくなった。
言葉を尽くしたって、幼児にわかるはずもないのだ。この場合は、やはり肉体言語が正しい。

 合言葉は、「スパルタでいこう」。


 午前中。
撓る(しなる)タイプの枝を両者に渡し、チャンバラごっこで適度に彼らの体力を削ぐ。
武士にあこがれる気持ちがあるのかどうかは知らないが、教えるとすぐに夢中になった。
遊びなので多少のルールはあるが、要は暴れまわることが主体だ。
でもよく見ていると、センスのあるなしは以外にわかる。
いち は母の出が下級武士だというから、血筋的なものもあるのかも。

 遊びの終わりには試合をし、勝敗をつけていく。
体力的には負けるが、冷静な観察力と経験値がものをいって、最終的に勝つのは私と決まっている。
力関係で私が上と叩きこむのにも都合良く、そのうち「師匠」と呼んでくれるよう仕込んでみるのも面白いかと思う。
私も筋トレなら、前世仕込みの効率のいいやつを教えることもできるから。


 運動である程度体力を発散させたら、その後、幼児は少し昼寝の時間になる。
私は彼らより使う体力をセーブしているので、二人が寝ている間に抜け出して姉のところに行ける。
姉は母組のお手伝いをしていて、子供達を追いかけまわさなければならない私はこの時ぐらいしか一緒にいられない。
でも本当はもっと傍にいたい。心配なのだ。
若妻達にいろいろ吹き込まれているらしく、最近は女らしいしぐさなんかもして見せるし。……まだ、9歳なのに。


 午後になったら二人を起こして、外出だ。
田や畑に行って、虫を取ったり、草を運んだりして母達のお手伝いをする。

 この時もノルマを決め、三人で競争することにしている。
いち も まく も男の子らしく負けん気が強いので、煽ってやればとても頑張ってくれるからだ。
取った虫の数を数え競わせるついでに、簡単な足し算や引き算などを教えてみたりもする。
「幼稚園では駅名や英単語なども教えている」と友人に聞いたような気もするが、そっちは覚えても無意味だろう。
二人が良くできた時はしっかり褒めていたら、なんだか懐かれているような感じがしないでもなく、嬉しかった。


 慕われているのがわかると、正比例して可愛いと思う気持ちも増えていくから、人の心は不思議だ。
父と母と姉だけでよかった私の世界が、広がっていく。


 一緒に暮らす時間が長くなるにつれ、二人はカモの雛のようにどこにでも私の後についてくるようになった。
彼らは私の真似を何でもしたがる可愛い弟であり、大切な生徒。
そして私も彼らに、自分の知識をわけ与えるのは楽しいことだというのを、教わったのだと思う。


 ――― ただ、二人の物覚えの良さに興が乗りすぎて。
面白がって「真言」を一つ教えてみたところ、母親達にひどく驚かれてしまった。
時代のニーズに合わせ、悪意を払い身を守る摩利支天咒(戦神)を選んでみたのだけれどダメだったようだ。
右手こぶしを左手で隠す「法印」もセットで、人生のいいお守りになると思ったのに少し残念。……以後、自重中。



[11192] 戦国奇譚 旅立ち
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:6714d216
Date: 2009/11/12 20:08

 短かった夏が終わり、忙しい秋も足早に過ぎていく。
冬の来る前に、戦に行った者達が帰ってくる。それを村の誰もが待ち望んでいた。

 しかし、戦という命の取り合いの前に、全員が無傷の帰還はあり得ない。
軽い怪我で無事帰る幸運な者は少なく、大きな傷を負っても故郷まで帰り来られたならまだ幸せなうちだ。
無事を願って送りだした者の半分が、帰っては来なかった。

 家族の体を抱いて喜ぶ者達の間には、同じくらい泣き崩れる者の影がある。
私達が待ち望んだ姿もそこにはなく、手元に帰って来たのは、壊れた陣笠と火打ち石の入った小袋一つだけだった。



 ――――― 戦国奇譚 旅立ち ―――――



 最後の方の合戦で、父は亡くなったと聞く。
今年分の賦役はそこまでの働きでまかなえたし、年貢も父の報酬で間に合うから大丈夫だと村長は言った。

 そしてそれが、父の残してくれたすべてだった。
形見となったわずか二つの品以外、何一つ私達の手には渡らない。父も、もう還ってはこないのだ。


 いち と まく の家族もすでに自分の家に戻り、我が家には私達三人だけが取り残される。
私の大事な家族は、寂しい目をした母と泣きそうに眉を寄せた姉の二人だけ。

 父の死は伝聞で、死んだと聞かされても直接死体を目にしたわけではない。
だから、遠くにいる父が、そのうち戻ってくるのではないかと思いたくなる。
でも、そんな空想に逃げる時間さえ私達には与えられない。

 悲しくても、気力がたりていなくても、働かなければ食べてはいけないという現実が目の前にある。

 厳しい冬が、すぐにやって来る。

 女手だけで冬支度をするのが難しいのはわかってはいるが、何もせずでは死を待つようなものだ。
秋に収穫できた量は明らかに例年を下回り、冬を越しきるにはあまりにも心もとない。
貯えの足りなさに不安は拭えなくても、しかし、泣きごとを言ったところで現状は変わらない。
冬の備えを急ぐ私達は、父のことを避けるように口数を減らしていった。


 笑うことも話すことも忘れた家の中、子守りから解放された私は今まで以上に一生懸命働いた。

 前世のサバイバル知識や野外キャンプの思い出を絞りだせるだけ絞りだし、何でも試してみた。
例えば、魚罠などは、十種近くを仕掛けただろうか。
うろ覚えの知識だから実際役に立ったのはそのうちの三つくらいだが、それなりの成果を上げることはできた。

 そうして、食べる以上に取った魚は腸を抜き、山の朽木の洞をそのまま利用して燻製にする。
日干しか塩漬けがこのあたりでは一般的なので異質とみられたようだが、かまう気もその暇もない。
夜ごと家に帰らなければならない、幼いこの身さえ煩わしかった。
焦る心を持て余しながら、長期の保存を考え何度も重ねて煙にあてていく。
私の心は、「一つでも多く冬の食料を貯める」ということだけに占められていた。

 がむしゃらに、ひたすらに、わき目もふらず、私は仕事に没頭した。
父のいなくなった穴を埋めようと、ただその一心で働き続けた。


 教えてもいないことを次々にやりだす娘に、困惑を深める母。
今まで聞いたこともない知識を口にする妹に、姉が怯えた目さえ向け始めていたことにも気づかないほどに――。

 父の死のショックから一番抜け出せずにいたのが、私だったのかもしれない。
私は仕事を、現実の悲しみから目を閉ざす口実にしていたのだ。

 ――結果、その未熟さと心の弱さから、私は知らぬ間にさらに失敗を重ねていくことになる。



 その日、宵の口から細い月が、西の空にかかっていた。

 日中いっぱいを働き通せば、横になったとたん落ちるように睡魔はやってくる。
三秒以下で眠りにつき、夜明け前には必ず起きる私の眠りは深い。
そんなめったなことでは起きない私が、何故か夜半に目が覚めた。
半覚醒で隣に姉がいることを確認し、まだ夜なことも確認し、もう一度眠ろうとして……、一瞬、呼吸を忘れる。


 家の中に、私と、母と、姉、以外の誰かがいる。


 「泥棒」という言葉が、すぐに浮かぶ。
こんな貧乏な家から取れるものなど何もないが、私の記憶がそう判断させた。
他人の家に夜中に黙って入ってくる存在など、強盗か泥棒しか私は知らない。

 寝床に伏せたまま息を殺し、そっと窺えば、相手は一人。

 警察に通じる電話も警報機も、この時代にはない。頼れるものは自分だけだ。
暗がりで見える影は朧だが、たぶん大人の男だろう。
体格差から見ても、まともにやり合えば私に勝機はない。
隙を狙い、一撃で相手が退却したくなるような手傷を負わせる必要がある。

 姉や母まで失ってしまうかもしれないという恐怖が、私から理性を奪う。

 守らなければ、守らなければと、その思いだけが胸に渦巻く。
私は父に「母と姉を守る」と約束したのだ。

 そのための方法を必死に考え、私は闇に眼を凝らす。

 こんなことなら農具の一つも枕もとに置いておけばよかったと悔やんでも後の祭り。
手近に使えそうなものといえば、補強しなおした壁から出ている枝くらいだろうか。
あれを引き抜き、敵のどこへと向ければ一番効率がいいかを考える。 それは、首か。それとも、腹か。

 行動の結果が何をもたらすかを忘れ、私は相手に気づかれないよう静かに、少しずつ枝へと手を伸ばす。
打ち下ろすならば首、刺すなら腹にと決め、闇の中触れた枝は、刺すには太い。 ならば、打とう。


 私は枝を引き抜いて、振り上げる。

その時。ため息のような、微かな母の声がした。

 耳にした声音の色に、生まれた迷いが手元を狂わせる。


 枝は相手の首後ろではなく、頭にあたった。
打撃は加えられたが、5歳児の一撃では致命傷にはなりえない。
反撃に蹴り飛ばされ、腕を上げて防ぎ後ろに身を引いたがそれぐらいでは間に合わず、私は板壁へと叩きつけられる。

  衝撃に気を失いかけながら、名を呼ぶ母の悲鳴を聞いた。



 少しの成功でいい気になって、私は自分が何でもできるような気がしていたのだろう。
前世の知識というこの世界の人達が持てないものを持って、特別になった気でいたのかもしれない。
多少人と違うことができたところで、万能になどなれはしないのに。

 現実を見失った私は、ただの馬鹿だった。

 5歳のこの手はまだ小さく、どんなに知恵を力を振り絞ったところで、誰か守りきる力などなかったのだ。
私が冷静に周囲を見つめ、物事を考えていれば、母が何を決断し何を選んだかもちゃんとわかっていたはずだ。

 なのに、愚かな私は……。一人空回りをして、大切な人達を傷つけることしかできなかった。


 ――― 冬半ば。年明けを待たずに、母は再婚する。
私が村から出る許しを得ようと心に決めたのは、このすぐ後のことだ。




 そして、翌年、6歳の春。私の旅立ちは決まる。

 しかし、当然ながらこの歳で自立はまだ出来ない。
私が男だったなら、寺に入るという手っ取り早い方法もあったが、それは無理。
どこか奉公(手伝い)に行くにしても、普通は10歳にでもならなければ雇い口などなく、これも不可能。
ならばどうしてこんな非常識が可能になったかというと、それが驚いたことに義父(ちち)の伝手からだった。

 私と義父の相性は悲しいことに最悪だったけれど、彼はそう悪い人ではなかった。
義父はこの村の出身だが跡継ぎではなかったせいで、戦働きによく出る人だったらしい。
実績があり顔も広く、村の衆が戦に行く時には、つなぎ役を頼まれていたほどだそうだ。

 彼は、戦に不慣れな村衆をまとめるだけの技量のある男。
母が選んだのは、不仲の娘にもできるだけ誠実に対応してくれようとする人だった。
義父は私の望みに対し、「村を出て、何がしたいのか」と尋ねてくれもした。


 私の返せた答えは、ただ一つ。

「外の世界を、知りたい」


 望みを聞かれた時、私の心は、抑える間もなく本音をさらけ出していた。

 テレビも新聞もネットもない世界。入ってくる新しい知識は、生きることに関する実践だけ。
それでも、愛し愛された家族がいれば、かまわなかった。
自分が生きることと、皆が生きることを考えて、日々を送るだけで十分満たされていた。

 けれど、その枷を失った時。果てしない情報への渇望を、私は知る。

 かつては、呼吸するように欲しい知識を手に入れることができた。
パソコンを開けばネットの海があり、書籍をはじめ様々な知識媒体を利用することが可能だった。
「何故?」と思えば、努力次第で答えは必ず手に入る。それは、どんなに恵まれたことだっただろうか。

 生きるために、食べるために、働くことに不満はない。
 貧しい暮らしも、低い文化水準も気にならない。

 でも、もし一つでも我儘が許されるなら、私は情報が欲しかった。

 自分でも気づいていなかったが、どうやら私は衣食住のどれよりも知識に重きを置いていたらしい。
前世を忘れられない私にとって、情報の少なさは水を与えられないことにも等しかった。
気づかぬうちにも渇き続けた5年間、相容れぬ義父に願ってしまうほど、私は飢えていた。

 例え義父と折り合いが悪くても、村内で生きていくという方法がなかったわけではない。
あと3年も待てば、女なら「許嫁」という理由でもつけて、早めに嫁ぎ先を決めることもできる。
なのにこの幼い姿で尚、そんな当たり前の考えの向こうを望んでしまう私は、やはりどうしようもなく異質な存在だった。


 そして、そんな無茶な私の願いを、義父は叶えてくれたのだ。
母には大反対をされたけれど、私はとても感謝している。


 私の旅の仲間として義父が紹介してくれたのは、傀儡子(くぐつ)の一座。

 彼らは歌をうたい、踊りをおどり、諸国を流れる旅芸人達だ。
メインはもちろん傀儡子と呼ばれる糸引きの操り人形を躍らせること。
他の芸も多彩で、「今様(いまよう)」に「古川様(ふるかわよう)」、「催馬楽(さいばら)」に「神歌」まで歌えるそうだ。
琵琶(びわ)を弾きこなし、曲舞(くせまい)を舞う。
曲芸軽業までもやってのけるそうで、まるで和製の巡業サーカスのような感じ、と言えば近いかもしれない。

 反対された理由はたぶん……、踊りを見せるお姉さま方が、夜の商売兼用だったりすることからだろう。
あるいは、傀儡子を入れる箱の底に、「座」外の荷を運ぶ、抜け荷商人であることも多いからだろうか。
旅に歩けば危険も増すし、親としてあまり娘に勧めたくないお仕事なのは、まあわからないでもない。

 でも、私は、とても嬉しかった。

 旅をする彼らは、生きた情報の塊だ。
一つ所にとどまり、一農民として生きたなら決して手に入らない世界を、彼らは私に与えてくれる。
あいさつに来た座長によって、私は自分の住む国の名前を初めて知ったのだ。
今の生活のままでいたら、私は一生この村の名しか知れずに生きたかも知れないのに。

 一座は今後、この尾張という国を出て、海沿いに三河を歩き、遠江へと向かうと言う。
川を逆のぼって信濃を廻り、美濃にも行くかもしれないと座長は笑っていた。
彼らについて行けば、私はもっと、もっとたくさんのものを見て、たくさんのことを知ることができるだろう。

 ……だから、義父が私と引き換えに、お金をもらっていたとしても気にしない。
そのお金で、母と姉が少しでも楽な暮らしができるのなら、かまわない。
それでちゃんとご飯が食べられて、二人が生きていけるのなら、私も幸せだし満足できる。

 離れていても家族は、家族。
遠くに行っても、皆の明日を、私は祈れるだろう。




 澄みきった青空高く、舞い上がるひばりの声がする。
冬の名残を吹き払うような春風の吹く日。私は、生まれ育ったこの小さな村を出て行く。

 見送りには母と姉と義父、それに、いち と まく の家族が来てくれた。

 いち と まく は、私の手を両側から握り、「行くな」と言って泣いている。
彼らと一緒に暮らしたのは、数えてみれば4ヶ月ほど。
こんなに慕ってくれていたとは思わず、泣かずに別れようとしていたのに目頭が熱くなる。
大きくなったらまた会おうと約束し、教えたことは忘れるなと言って、私は彼らの手を放した。

 言葉に詰まる姉を一度強く抱きしめ、母と義父に頭を下げ、背を向ける。
私は村境まで駆けていく。

 泣き顔ではなく元気な背中だけを……、覚えていてほしかった。



 踏み出すごとに、私用に作られた小さな背負子をかたかた鳴らすのは、実父の形見の火打ち石。
背負子の横で揺れる一組の予備の草鞋は、母の餞別だ。

 村境で合流した一座と共に、私はさっそく教わった歌を唄いながら歩き出す。この道の先に、新しい世界がある。



[11192] 戦国奇譚 木曽川
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:e29fb74e
Date: 2009/11/16 21:07

 村の外というのは、私にとって未知の世界。
新しい物との出会いに期待をふくらませていた私を最初に驚かせたのは、その「道」そのものだった。

 一座が選んだ海へと向かう道は、想像していたよりも遥かにきちんと整備されていた。
幅もあるし、草など生える様子もないその姿は、舗装されていないだけで現代の道路とそう変わらない。
知っていると思っていたものが実は違っていたり、思わぬ場所で記憶と同じものが見られたりする不思議。

 世界は発見と驚きに満ちている。



 ――――― 戦国奇譚 木曽川 ―――――



 風景といえば、私が生まれてからずっと見てきた景色のメインである田畑についてもそうだ。

 日本の原風景などと呼ばれる田園の様子を思い浮かべてみてほしい。
それは綺麗に四角く縁取られた田が並び、どこまでもどこまでも続いて行く光景ではないだろうか。

 でも実際の自然の土地は、そう素直に平坦な場所というのはあまりない。
田と田の間には衝立のように林が挟まり、平らにできなかった丘陵が飛び石で浮島をつくっていたりする。
ところどころに沼もあったりして、曲線を描きながら組みあうそれらはまるでパズルのように複雑だ。

 雑然としながら調和する。それが、私の知る故郷の景色だった。


 道の姿に感心しながらも、村を出てそう日をおかずに懐かしむ私に、太夫(たゆう)が手を伸ばし触れてくる。
撫で慰められて、心遣いに感謝の笑みを向ければ、彼女からもやわらかい微笑が返って来た。

 一座の構成は流動的らしいけれど、今は女性4人に男性3人。それに私の計7人。
子供を入れるのは久しぶりだと真っ先に喜んでくれたのがこの早蕨太夫で、彼女は座の看板の踊り手でもある。
面倒見のいい姉御肌の彼女がすぐに私を受け入れてくれたので、私の座での居心地はとてもいい。
私も、グラマラスで魅力的な、この踊りの上手い女性が大好きだ。


 私達は歌のほかにも、興行の出し物の踊りなどを練習しながら南へと進む。
 
 その道すがら勉強のあい間に、私はたくさんの質問を彼らに向ける。
うるさがられないよう相手の機嫌を窺って、子供の特権を生かしてのおねだりだ。
出来るだけ奇異には聞こえないように、問いかける言葉を選んで私は尋ねていった。


「村の外って、どこでも戦をしているの?」

「そうだな」

「戦をしてるのは将軍様?」

「将軍様は京におられる。
 戦をなさったりはしないさ」

「今をなんて言うの?  睦月とか如月とか、月の名前じゃないのって?」

「年号か? 天文の14年だな」

「この国、ええと、日の本で一番偉い人って誰?」

「天子様かな」

「この辺、尾張で偉い人は?」

「守護様だ」

「しゅごさま?」

「尾張守護の、武衛様だ」

「……その次は?」

「次っていうと、守護代様か。
 大和守様という方が、清州のお城にいらっしゃるという話だな。
 ああ、でも、この海までの道を整えて下さったのは備後守様だ。
 私達がよろうと思っている津島が栄えているのも、あのお方のおかげだよ」

「教えてくれて、ありがとう」


 全部答えてもらえたせっかくの問答なのだが、残念なことにこの中で理解できた単語は二つ。
私が知っていたのは、「尾張」と「清州」という二つの地名だけ。
他にわかったことは、今が源平や南北の合戦時代ではなく、海外とも争わない、戦乱の世だということくらい。
それ以外は、悲しいことにさっぱりわからなかった。

 年号を教えてもらえても、それを西暦に直す方法を私は知らない。
役職名もよくわからず、出てきた人名にも聞き覚えはない。
前世の記憶とも、基準がわからなければ照らし合わせることも出来ないのだ。
今後も情報を収集していくつもりだけれど、これでは新しい知識を得たのと同じことになりそうだった。


 ……その前世の話になるが、私は情報化社会と謳われる時代に生まれ、その中で成長した。
幼いうちから義務教育という形で、最初の知識と使い方は無償で教えてもらえる。
情報が空気のように溢れ、湯水のように使われ、時にはお金になり武器にもなることも私は肌で知っている。

 ただ自由に手に入るそれらは大量で、全て正しいというわけではない。常に虚偽と真実が混ざっている。
人々はその中から欲しいものを選択し、選別し、必要に応じ手に入れていく。

 そして、情報の取捨がより先鋭化されると、専門家やマニアと呼ばれるようになる。

 私もそこまではいかないが、どちらかといえば興味の向いたものを収集したがる人間だった。
私の趣味は家業関連と、その延長にある寺社仏閣などの建築関係。
あとは経済を少しかじる程度に、主に流通の仕組みなどが好きでよく調べていた。

 だから何が言いたいかというと、私の持つ知識には『偏り』があるということ。
好きなことについては詳しいと自負できるけれど、それ以外は常識を超えない範囲まで。
友人の趣味や周囲の環境によって自然に覚えたものもあるが、あくまで雑学程度にしか私の中にはない。


 ここで最初の問題に戻る。
高校で日本史を選択しなかった私は、肝心の戦国知識が中学校どまりなのだ。
最低限の常識とあっても多少の教養で色がつけられる程度にしか、私は日本史を知らない。

 趣味の副産物から城の建築にも少し手を広げたことはあるが、住んでいた人物まで調べたことはなかった。
テストに出そうな範囲の西暦、プラス「来た、見た、やった」の箇条文では、実態にはほど遠いだろう。
目の前に起きている現実の「事件」に、前世の記憶を活用するのは無理かもしれなかった。

 そんな私だから、戦国時代と聞いてすぐ思いつけたのは、信長や秀吉、家康などの三英傑くらい。
中学の教科書に載るほどの有名人達には、私にも多少興味がある。……でも、実際には見るのも難しそうだ。

 私の移動手段は徒歩しかなく、人一人探すには尾張一国でさえ広すぎる。
この時代の彼らがどこにいるのか見当もつかないし、何の手がかりもなければ探し出すのはまず不可能だ。
それにもし所在がわかっても、今の私には彼らに近づけるだけの身分もない。
出来たとしても、せいぜい遠くから眺めるのがせきの山だと思う。
これに関しては、いつかチャンスが巡ってくることを願うばかりだ。




 人生初の野宿も経験し、旅を始めて数日。

 歩きながら受ける風に潮の香が混ざり、海が近づくと景観は一変した。
遮る物のない浜は見晴らし良く、街道の幅もさらに広がり、道行く人達も多い。
「後、半里(2キロ)」と声がかる。最初の目的地である木曽川は、もうすぐのようだ。

 河口が近づくにつれ、人の姿も目につく船の数もどんどん増えていく。
通りには物を売る店が並び、商売の掛け声が聞こえる。

 あまりの別世界にきょろきょろしていると、「気をつけないと馬にはねられるよ」と注意されてしまった。
荷運びのおとなしい馬だけではなく、武将が悍馬(かんば)に乗ってくることもあるらしい。
「ぜひ見てみたい」と目を輝かせたら肩車をされ、「覚えた歌を歌ってごらん」と言われる。
……駄々をこねる子ども並みにあやされたみたいで、ちょっと恥ずかしかった。


 私の一節の唄いで道行く人の足を止め、太夫達が袖を揺らして振り向いた人々に笑みを売る。
道端でそんなふうに興行の宣伝をしながら待っていると、街の世話役に話をつけに行っていた座長が戻ってきた。
ひときわ賑やかな河口からは少し離れたところでなら芸をしてもいいとの許しが出たらしい。
皆、さっそく興行の準備を始める。

 踊りができる場所を選び、荷を広げ、鳴り物(楽器)で開幕を告げる。芸が始まれば、人垣が囲む。

 私にも、まだ少しだけれど出番がある。
唄うのは道すがらこなしてきたが、本番での踊りは今回が初めてのこと。
緊張していると、髪をくしゃくしゃと撫でられた。

 私は今回、一層幼く見えるように短く髪を切り、踊る傀儡の真似をしてお客を笑わせる役をもらった。
髪を切ることを勧められた時、太夫達はかわいそうだと嘆いてくれたが、私にはショートカットは苦にならない。
旅では長い髪の手入れもできないし、内心歓迎していたので、太夫の同情には少し申し訳ない気分になった。

 そして、このイメージチェンジとあわせ、歳を聞かれたら6歳ではなく4歳だというようにも言い含められる。
私が女の子には全く見えなくても、歳が若ければいろいろと危険があるらしい。
線引きは7歳あたりで、以下なら大丈夫だそうだが、6歳だとそれなりに危険域。
だから、ごまかせるならそれに越したことはない。
境界がその歳なのは、「7歳までは神のうち」とも言うからだろうか。
悪いことをすれば罰が当たるとでも考えられているのかもしれない。

 早く大きくなりたかったけれど、安全期間も捨てがたい。
歳より幼く見えるのが悩みだったけれど、悪癖の餌食になるよりはましな気もする。
いろいろ考えを巡らせながら準備運動をしていると、座長に呼ばれた。

「日吉(ひよし)、おいで。
 ほら、姉さん方の踊りが始まるよ」

 この日吉という呼び名は、役どころに合わせて貰った私の新しい名前だ。
叡山の日吉(ひえ)神社のお使いが猿なのだそうで、それに見立てられた私にはちょうどいいと付けてくれた。
猿と呼ばれるよりはずっと可愛いし、何より元の名前が入っていることもあって私もとても気に入っている。


 明るい歌声に、手拍子、足拍子。
 曲にのって一緒に踊り出す、陽気な観客達。

箱から傀儡が顔を覗かせれば、私の出番はもうすぐだ。




 公演が成功に終わり、夜も更けて。
姉さん方が今夜の宿を決めると、最後に残った私を座長は川辺に連れて行ってくれた。
川には杭が打たれ、数多くの船が繋がれている。


「日吉も今日はたくさん踊ったな。疲れたか?」

「疲れたけど、面白かった」

「…そうか。
 ああそういえば、与一の肩で歌っていたな。
 早蕨(さわらび)の姉さんも、歌を覚えるのが早いと褒めていたぞ」

「太夫がいっぱい教えてくれるから」

「好きなのはあるか?」

「うん」

「歌ってみろ」

「全部は、まだ覚えてないけれど。 私、これが一番好き。
 
 ~思へば、この世は常の住み家にあらず
 草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
 金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
 南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり」


 前世の記憶があるから、時に私は今の自分を夢かとも思う。
 見るもの聞くもの、それが美しくても醜くても、現実と思えないことがある。

 私の選んだ幸若は、出家を選ぶに至る男の心情を歌ったもの。
その中の、無常を悲しみ死者へと語るこの部分は、まるでそんな私の心情を映したようで深い共鳴を感じる。

 流天を許す世界への哀惜を込めた幼い唄声は、夜風を渡る。


 歌が終わり、余韻が消えれば、川の水音と風の立てる草の音が戻ってくる。
聞き終わっても親方は、いいとも悪いとも言わない。
横に座る私を抱き上げて、ただその膝の上にのせてくれた。
背中に当たるぬくもりが、なんだかくすぐったい。


「あの、親方。
 親方は、行かなくていいの?」

「たまにはな」

「私、一人で待っていられるよ」

「そうだな。
 でも、こんなに人の多いところは初めてだろう?」

「うん」

「人が多くいれば、悪い奴もいる。
 そういうものだよ、日吉」

「親方、ありがとう」


 それからまたしばらく黙って、私達は川を眺めていた。

 川辺にはかがり火が焚かれ、川面に灯りが映る。
赤々と燃える炎は、いつまでも消されることはない。
夜通し使えるだけの薪があるということは、それだけここが豊かである証拠なのだろう。


「船も、人も、灯りも、たくさん。
 ねぇ、親方。あの人達は何を運んでいくの?」

「油だよ」

「あぶら……。 油田?」

「違う。 油は田ではなく、畑で作るんだ。
 荏胡麻(えごま)や胡麻を作って、油を搾る。
 荏の油は、皿に入れて芯を挿せば油が無くなるまで燃えているから明かりに使われる。
 胡麻油の方は香りがいいから、大きなお屋敷では野菜を揚げて食べたりもする」

「すごいね」

「ああ。
 いつか日吉も、お屋敷に呼ばれるような太夫になったら、きっと食べられるよ」


 丁寧に教えてくれる親方を見上げ、私はもう一度お礼を言った。
船の警備の人達が川辺を見回る気配を感じながら、そのまま目を閉じる。
人肌のぬくもりは私にやさしい眠りをもたらした。

 その夜、私は座のみんなや故郷の家族と共に、てんぷらを食べる夢を見た。



[11192] 戦国奇譚 二人の小六
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:f7465efe
Date: 2009/11/16 21:09

 人も多く、実入りも良かったので、私達はこの街で連日興行をおこなっていた。
そうして5日ほども居て、明日には次の場所へと向かおうと決めた日のこと。
いつものように踊っていたらその終盤。私は後ろから誰か大きな人に、ひょいと両脇を掬い上げられた。

「……小六郎さま!」

 急に高くなった視界に驚いていると、近くにいたおじいちゃんが慌てて声をかけてくる。
姉さま方も踊りをやめ、歌やお囃子も止まって、こちらに視線が集中する。

 私を抱きあげたこの人を追いかけてきたのか、ごついお兄さん達まで寄ってきて、……ちょっと怖いんですけど。



 ――――― 戦国奇譚 二人の小六  ―――――



 公演を中断させたその人に、座長が腰を低くしてあいさつとお礼を述べている。
彼らの話から、この男性が木曽川の船人をまとめる水運業にたずさわる人だとわかった。
耳慣れない単語も多いが、最近隠居をしたばかりだというのも聞きとれた。

 そう言われてみれば、私の目の前にある頭は確かに白髪混じり。
けれど軽々と私を持ち上げるたくましい腕と、よく日焼けした肌からは、歳の衰えは感じられない。
周囲の態度から見てもまだ影響力のある人なのは確実で、現状、私はとても落ち着かない気分にさせられている。
理由は、彼がこうして話している今もずっと私を腕から下ろしてくれないから。
座長を見下ろす高い位置で固い腕に乗っていると、まるで人質にでもなったかのようにさえ思えるほどだ。


 そして、私がそう思ったのは、あながち勘違いでもなかったらしい――。


 小六郎と呼ばれたその人は、まず手始めに座長にさりげなく津島の話をふってきた。
それは「津島の港で昨日、船のいくつかが燃やされるほどの小競り合いがあった」という速報だった。

 津島は、私達一座の次の目的地にと考えていた場所である。
興行ではたくさんの客と話をする私達でも、昨日今日の速さで正確な情報をつかむのは難しい。
しかし座長が真剣に聞いているところを見ると、単なるうわさ話などではなく、信憑性の高い話だともわかる。
どんな伝手があるのか、一座についてもその他についても彼の話は詳しく及ぶ。

 そんなふうに小六郎は私達の実情を知っていると暗に示唆した上でさらに、

「火事後も景気は変わらず良い。備後守様の軍も出て、士気も高く港の守りも堅い。
 男手が増しているから、お前達の興行は喜ばれることだろう。
 だが、もしもまた何かことがあった時、幼子がいては素早い避難は出来まい。
 賑わいはあるが、その分、多少は荒々しくもなっている。子連れはやめた方がよかろう」

と、話を締めくくってみせたのだ。

 津島で落ち合う約束をしている仲間がいるので、一座が出発を取りやめることはできない。
ここには特に知り合いもいないし、もしも私を置いて行くとすれば誰か一人は残していかなければならない。
けれど誰に頼むにしても、せっかくのかき入れ時を、まだ縁の浅い子供の為に棒にふってくれと頼むのは難しい。
頭を抱える座長の苦しい胸の内もわかるので、私は静かに黙って待つ。


 そうして、長く考えた末、座長が何とか結論を出そうとしたその瞬間、だ。

 出だしの言葉を挫くように、上手いタイミングで小六郎さんはこうきりだした。


「傀儡子の。
 せっかくだ、この子をうちで預からせてはくれんかね。
 つい先頃、息子に仕事を継がせてしまって暇になってな。
 まだわしの顔がいることもあるから郷にも帰ってしまうわけにもいかんで、くさっておったのよ。

 川衆の夜番の若いのに夜啼き鳥のうわさを聞いて探してみたら、このように幼い子だ。
 見れば、興もわいた。 この子がいれば面白かろう。いい暇つぶしにもなるだろうて。
 お前たちが向こうに行って帰ってくる間でいい。
 その間は必ずこの川並衆・蜂須賀党が責任を持って面倒を見る。どうだ?」


 善意の提案だ。しかし、いい話には裏があるものだ。
悪意なさ気に笑って見せられても、何か企んでいるのではないかと勘繰らずにはいられない。
ここまでの話の持って来方からして、小六郎さんはあまりに巧すぎるのだ。
気のいいお人よしを演じるには、彼の声には力がありすぎだし、箔もありすぎる。

 座長もわかっているようで何とか遠慮しようとしたけれど、結果は火を見るよりあきらかでもあった。
口では隠居の身だなんだと言っていても、座長より彼の身分が高いのは事実。
そうなれば、どんなに対等に話してくれているように見えても、申し出は半ば命令も同じになってしまう。
断るにはそれをひっくり返せるだけの大きな理由が要る。
 
 結局、座長は小六郎さんに押し負け、私を彼に預けると決めざるを得なかった。
「すぐ行ってすぐ戻ってくるから」という座長の言葉を信じることしか、私にも出来ない。


 ――こうしてあっというまの話し合いで、私の身柄は私の意思に関係なく、小六郎さんのものになってしまった。



 単純な話ではないだろうという確信はあっても、彼の真意はまだ見えない。

 とりあえず連れてこられた小六郎さんの家で、私は言われるままに手遊びなどをして見せる。
これまでの旅の様子だけではなく、興行中のことなども聞かれ、尋ねられるままに答えもした。
「何日目の観客数は何人だったか?」や「客の男女の割合は午前と午後で違いがあったか?」など……。
初めて見た海の感想や食べ物の好き嫌いを問う言葉の間には、首を傾げるような微妙な質問が混ざっていた。

 気づいていても気づかぬふりで。
子供らしさを装う私と、好々爺を演じる小六郎さんは、遊びながら他愛無いやりとりを繰り返す。


 そうして半刻(1時間)くらいだろうか、お互い相手を観察し合いながら楽しんでいると、客が来たと告げられた。
どうやら、御隠居の酔狂に苦言を呈しに来た人達らしい。

 海の家のように半分からだけ壁のあるこの小六郎さんの陣屋の入口から、ぞろぞろ入って来たのは一人ではない。
若いのやら年配のやらと、仕事の合間にとんできましたという様相だ。
先ほど「旅程を急ぐから」と帰った座長がいる間に来てくれればよかったのに、すれ違うようにタッチの差。
その時ならば私も帰れたかもしれないから歓迎したが、今さら余計なことを言われて放り出されてしまうのは困る。

 眉をよせて見守っていると、小六郎さんは何やらその人達の一部に目配せをし、わざとらしく言い訳を並べた。


「このような小者一人、10日や20日居たところで一升(いっしょう)の飯を食うでなし、そう吝嗇(けち)を言うな。
 預かっただけで、なにもずっとここに置くとは言っとらん。時が来たら返す子だ。

 ただ、そうだな、屋敷にはしばらく子供がいなかっただろう。
 わしはな、この子が、……いい刺激になると思うたのだよ」

 どこに暗号が含まれていたのか、年配者にはそれで伝わったらしく、彼らは小六郎さんに合わせてガハハと笑った。
でも、楽しそうな人達はいいが、若い方の視線はかわらず険しい。

 小六郎さんはまたいつの間にか私を腕に乗せているし、そのせいで良く思われていないのかもしれない。
ちくちく刺さる視線が気になって、いいかげん腕から下ろしてほしくなった私は、小六郎さんの袖を引く。


「どうした、チビすけ?」

「……っ、小六郎、おじさん」

「こら、そんな無礼な呼び方をするんじゃない」

「よい、よい。
 爺(じじい)と呼ばれても、わしは気にせん。
 いっそ、早くそう呼ばれたいくらいだ。
 なんだなんだ、言ってみろ」

「あの、おろして、下さい」

「どうした、わしの腕は乗り心地が悪いか?」


 そんなことはないので、私は懸命に首を振る。
悪いのは腕の心地ではなく、刺さる視線だ。小六郎さんのすぐ後ろに立っている若い人の目つきが怖いし痛い。

 ついでに言うなら、私が「小六郎おじさん」と呼んでしまったすぐ後の、苦み虫をかみつぶしたような顔もすごかった。

 「御隠居」とも呼べず、「小六郎様」と座長に呼ばれるのも嫌がっていたから選んでみた呼び方だ。
他によい言葉も思いだせなかった私が悪いので、馴れ馴れしすぎだと思われるのは仕方ないとも思う。
でも、私をたしなめた人は彼の一言ですぐに引き下がってしまい、かわりになる呼称のあてはないのだ。
他に正しい呼び方があるのなら、すぐにそれにかえるのにとも思うけれど、……「爺」呼びでは、もっとダメだろう。

 いろいろ悩みながら後ろの若者を気にしている私に、小六郎おじさんも気付いてくれたらしい。
この悪巧み親父はにやりと片唇を上げ、似合いすぎる悪党の笑みを見せつけて、抱いた私の膝をポンと叩く。

 そして背後の彼に対し、前半は小声、最後だけ大きく声を響かせた。

「ああ、あれは、気にするな。
 あいつはな、小六と呼ばれとるわしの息子だ。
 跡目と一緒に名も継いどるから、自分がおじさん呼ばわりされているような気にでもなったんだろ。
 
 小六、男ならもっと鷹揚に構えんか。 細々(こまごま)しいでは、川の男らはまとめきらんぞ!」




 などと、大みえをきった小六郎おじさんは、なのに翌日になるとその私をあっさり放り出した。

「お前が面倒見ろ。いいか放すなよ、頼んだぞ」などと言い放ち、家の者を連れてさっさと出かけて行ってしまう。
置いて行かれた私も、預けられた若い方の小六郎(略して小六)も、ただ呆気にとられるばかりだ。

 まだ挨拶以外一言の言葉も交わしていない私と小六が、皆出払って誰もいない陣屋にただ二人。
もとより滑り出しからして良いとは言い難い私達は、互いにかける言葉も見つからない。

 そして、無言で見合うこと暫し、ようやく小六の口が開かれたかと思えば、吐きだされたのは深い息のみ。

 ため息には、私も同意する。小六の半分ほども身長がない私も、視線を落とし小さく息を吐く。
見上げているのは疲れる。けれど、歓迎されない居候の身では声をかけることもためらわれる。
 小六の気持ちも、わからないではないのだ。
代替わりしたばかりなら仕事の量も多いだろうに、そこに押しつけられた縁もゆかりもない子供。
扱いに戸惑うのも当然のことだと思える。
 でも、私よりも強い立場なのは彼の方なのだ。
歳も上だし、出来れば一言でいいから会話のきっかけが欲しいと願いを視線に込めてみるが、伝わる気配はない。
邪険にするほど冷たくはないが、フレンドリーと呼ぶには遠すぎる。
困惑の視線の応酬ばかりでは、二人の距離が縮まるはずもなかった。

 
 そして、ついには会話もないまま、小六を仕事に呼び出すお使いがやってくる。

 双方ともにいたたまれなさを感じていたこの時間もようやく終わるかと、再びため息が重なった。
……が、しかし。これでお別れ、とはそう素直にいかなかったのだ。

 私も自分は留守番だろうと思ったが、どうも周囲は何か言われているらしく小六から私を預かろうとしない。
行き当たりばったりに見えて、実は用意周到さをうかがわせる、小六郎おじさんらしい手のまわしようだ。
「放すな」とも言われているし、小六もその意図を読み取ったのだろう。
彼はしばらく考えると、私を職場に連れて行くことに決めてしまった。


 小六と私の最初の会話は、隠しきれない不機嫌な顔で告げられた「行くぞ」の一言。
河岸へと早足に歩き出した返事も待たない彼の背を、私は小走りに追いかける。



[11192] 戦国奇譚 蜂須賀
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:e48cb283
Date: 2009/11/16 21:10


 小六が率いる蜂須賀(はちすか)党は、川並衆と呼ばれる木曽川の水運の一角を担っている。
彼らは海東郡蜂須賀郷に本拠地を置き、郎党を束ね、隣国美濃とも商いをする。

 頭領を継いだばかりの小六が目を配らなければならない仕事は、とても多い。
連れてきたはいいものの忙しさにまぎれ、若く精力的な彼が私の存在を忘れてしまうのはすぐだった。



 ――――― 戦国奇譚 蜂須賀 ―――――



 小六は名を呼ばれるたびに、桟橋を右に左に、川岸をあちらからこちらへと忙しく立ち回る。

 木曽川の川並衆は、蜂須賀党一党だけではない。
ほかの者達との縄張りや商売の割り当てを折衝するのも頭領の役目。
河口での仕事は市場の競り(せり)も兼ねているようで、裁可を下すだけでも小六の仕事は山積みだった。

 耳を凝らせば、丁々発止の掛け合いが聞き取れる。
国に頼らない独立勢力としての意地や面目意識が皆つよいのだろう。
強面同士の川衆が、争うことも辞さない姿勢で綱渡りの駆け引きをする。
積み荷の品質検査でさえ、喧嘩に聞こえるほど荒々しい。
弱気は厳禁。腰が引けた方が負けなのでは、心理的にも肉体的にも一時も休まる暇はない。

 そして、休めないのは私も同じだ。
移動する小六を、私は走って追いかけなければならない。
足の長さが違うから、彼には早歩き程度でも私は常に全力疾走を強いられているようなものだ。
体格の違いは体力の違いでもある。
持久走かと思うような追いかけっこが続けば、私の体力もいいかげん底を尽く。

 悔しいが泣きごとを零すしかないかと思った頃、ようやく小六が立ち止まった。

 彼を引き留め話し込んでくれているのは、小六の父より少し上くらいの老爺(ろうや)。身内の人らしい。
あきらかに今まであってきた人達とは小六の態度が違い、彼の緊張が緩んでいるのが端で見ていてもわかる。
老爺は小六を立てながらも、とても親しげに気安い感じに言葉を交わしている。

 私は地面にぺたりと座りこむ。
疲れはてて体裁を気にする気力もすでにない。


「―――そっちの船の方は充分間に合うそうで、問題ないようです。
 それでですね、小六さま。
 さっきからそこにいる小者、見ない顔ですけど、どこの者です?」

「え?
 ……あ、あああっ!?
 仕事にかまけて忘れてた。
 うわっ、すごく弱ってるな。
 なんか死にそうじゃないか? これ」

「は? なに言っているんですか。 このくらいじゃ死にやしませんよ。
 それよりどこの子なんです?
 小六さまの御子じゃありませんよね」

「親父に預けられたんだよ。 ……俺が子供苦手だって、知ってるくせに。
 若いのと違って、小さいのはダメだってのに。
 荒くれならまだ扱いもわかるが、こういうのは全然わからねェ。
 親父も何考えてるんだか、跡目譲るって言った先からこれだぜ。
 まったく、いい歳して悪戯だの嫌がらせだのばかりしやがる」

「バカなことを。
 ほんと、わかってないんですか?」

「何が?」


 足元に座り込んだ私を小六が足先でつつこうとするのを、緩慢な手つきで追い払う。

 子供のように好き勝手なことを言う彼は、この老爺に甘えているのだろう。
父親の愚痴をこぼす様子はどこにでもいるただの若造にしか見えず、蜂須賀党・頭領の威厳の欠片もない。
歳はかぞえで20ちょうどだと聞いていたが、この時代なら本来若輩というほど青い歳ではないはずだ。
仕事の時はたとえ私を忘れていたとしてもしっかりした顔をしていたのにと、彼を見上げて思う。

 口には出さないけれど、私は首を振る代わりにゆらゆらと揺れる。
抗議の気持ちが半分、眠気に真っ直ぐ座っていられないのが半分である。

 私はこの半日で、おぼろげながら小六郎おじさんのもくろみを掴み掛けていた。
小六だって一緒にいたのだから、彼も気づいていてもいいはずだ。


 水運業に限らず、商売の駆け引きに必要なのはなんといっても情報だった。
他者に先んじ強気に出る為には、相手の知らないことを知っていればいい。
新聞やテレビなどマスメディアのないこの時代、情報の運び手は「人」。
特に他国の情報を掴むには、私達一座のような流れの傀儡子との関係は大きな利用価値がある。

 蜂須賀の若頭領に最も必要なものは、より多くの「信用のおける情報源」だ。
ここまでの小六の仕事ぶりを見ていて、私はそれに気がついた。

 小六郎おじさんとの会話が面接みたいだったというのも、そう考えれば肯ける。
歌の覚えや話し運びによって、私の記憶力や情報収集能力を彼は確かめていたのだと思う。
親から受け継いだ地盤だけではなく、小六自身の子飼いを与える為に私を預けたのだろう。
でも、小さいうちから手懐けるにしろ、私をダシに一座を取りこむにしろ、小六しだいのはずなのだ。

 しっかりしろと思いつつ、私も疲れて落ちつつある瞼(まぶた)と戦う。


 しかし、眠気に負け、うとうとと半睡。

 かくんと前のめりになった拍子にうたた寝から覚めると、頭上では老爺の説教がまだ続いている。
目をこすりつつ、意識をどうにかつなぎとめ、答え合わせになるかと半覚醒ながら耳を傾ければ……、

 ……何故か、私の推測からは斜め上の展開で話が進んでいた。


「若頭領。どうか、お聞きください。

 我らは川並衆、蜂須賀党。
 我らは親父さまにお仕えし、今はあなたの部下となった。
 頭領を盛りたて、郷(さと)が長く栄える礎(いしずえ)となることを誰もが願っている。
 その為なら、いつ戦働きで討ち死にしようともかまわない。
 それが蜂須賀の男衆の覚悟。蜂須賀の郷に生まれ、蜂須賀の名を冠した我らの誇り。

 けれど、そうして戦えるのは蜂須賀が絶えないと信じているからです。
 いずれは我らの子が孫が、あなたの御子にお仕えできるのだと、信じているからなのです」


 穏やかに力強く紡がれる老爺の言葉は、まさに篤実そのものだった。
家族のように親身に相手を思いながらも、部下として小六を支えようという気持ちが伝わってくる。

 一族郎党は一蓮托生。生死を賭ける関係だからこそ、託される責任は重い。

 諭される小六も真剣に、緩く頷きながら聞きいっていた。
眼差しからは甘えの色が消え、命を預かる者の自覚が理知の光となって宿る。


「小六さま。 
 小六さまがせっかく跡目をお継ぎになっても、その後が続かなけりゃ意味がありません。
 子がいてこそ家は豊かになり、続いて行きます。
 川並衆も同じこと。
 継がれる名がなければ、我らの生きた証は残せません。
 先を託せるもの達を育てる力がなくては、頭領は務まらない。
 あなたが育てた蜂須賀の子らがあなたの手足となって、この先の蜂須賀を守っていくのです。

 親父さまは誰よりもそれをご存じだ。
 あなたという、立派な跡継ぎをお育てになった。 

 ……子は家の宝。あの方が小六さまにこの子をお預けになったこと。
 その意味を、どうか正しくお受け止め下さいますようお願い申し上げます」


 老爺の枯れた腕が私を拾い上げる。
細くなっていても、過去の力を残した腕。支える力はゆるぎなく、私の視線は小六と同じ高さで向き合う。 

 小六は、私を見て僅かに目を細める。
それは、彼が私に初めて見せた不機嫌以外の表情。
いかつい顔のつくる笑顔は下手くそで、でも素朴で、そして、あたたかい。


「……ああ、そうだな。そうだった。
 思い出したよ。昔、親父に言われたんだ。
 俺が蜂須賀を継ぐのなら、郷の子は皆、俺の子になるも同じだって。

 小者も育てられないなんて噂が立ったら、そりゃ蜂須賀の恥だ。
 頭領にいつまでも苦手があっちゃいけねえよな。 
 子供に慣れてないなんて、ただの言い訳だった。
 下手な言い訳は、男を下げるだけだ」

「それでこそ、我らの頭領です。
 ほらほら、ならば私が抱いていてはだめじゃないですか。
 小六さま、手を出して。
 そう、下から支えてあげるように。
 間違っても猫の子のように、襟首をつかんだりしてはいけませんぞ」

 子供というより犬の子の持ち方でも教えるように、老爺は私を小六に抱き渡す。

「初子(ういご)のように面倒見ればいいのですよ。
 なんでも慣れですから、慣れ。
 可愛いかわいいと思っていれば、だんだんそう見えてきますし。
 慣れれば自然と扱いだって上手くなるってもんです」


 半信半疑の様子でも、小六は素直に私を受け取る。
支える手にどこまで力を入れていいのかわからないのか、恐る恐る触れてくる。
無骨な手の意外な優しさに、私の頬に自然と笑みが浮かぶ。
そしてその笑みに、小六の肩から緊張がふと抜けるのを感じて、私の微笑みはさらに深くなった。


 ……いい話だ。いい話なんだけれど、しかし、ここでほのぼのして終わりで本当にいいのだろうか。

 一族の子ではなく私を選んだ理由は、ただ単に身内だと義理が絡むから?
 しがらみの外で小六を彼自身の内面と向き合わせ、頭領の自覚を思い出させるためだけ?

 否、小六郎おじさんがその程度の理由で、私を小六に預けたとはとても思えない。
私から見れば、おじさんの方が小六より2枚も3枚も上手だ。
後継に育てる為の指導者としての冷徹な計算は綺麗事ばかりではすまないはず。
私は自分の洞察も外れてはおらず、小六郎おじさんが一石二鳥を狙っていたとする方がありそうだと思う。

 どちらにしろ私は利用される立場にあるわけだが、別にそう思っても腹が立ったりはしなかった。

 それどころか、どちらかといえば安心したくらいだ。
訳もわからずかまわれるよりも、生きた教材扱いだとわかれば身の処し方も決められる。

 まだまだ青いが頭領として誠実にあろうとする小六も、狡知な小六郎おじさんも嫌いじゃない。
企まれたことがこれならば付き合うのも悪くはない。
小六とのしばらく続けるだろう親子ごっこを思い、私はもう一度笑みを浮かべる。
私は彼らとなら、この先もきっと上手くやっていけるだろう。



 そして、そう思ったことは間違いではなかった。

 若頭領兼新米父を頑張る小六との生活は結構大変で、でもとても面白い。
彼は確かに子育てをよく知らないらしく、周りの勧めを何でも試そうとするチャレンジャー。
そこを小六郎おじさんとそのあたりの世代には面白がられて、時々、嘘を教えられていたりする。

 例えば、いくら見た目が小さいとはいえ、私も4歳にはなっている設定だ。
膝の上に乗せて、ご飯を食べさてあげなきゃいけないなんていうのは嘘である。
それに、「お父さん」だの「お爺ちゃん」だのと呼ばせて、知らない人を勘違いさせるのもおじさんの悪戯だ。
小六は律儀に全部付き合って、「諧謔(かいぎゃく ユーモア)はお父さん譲りですな」などと言われている。
父親に似ていると言われるのは嬉しいのか嫌なのか、困った顔をするくらいなら断ればいいのに。

 小六郎おじさんの方にしてみてもそうだ。
「孫を持つのが老いの楽しみ」と言って憚らないが、私は本物ではない。
早いとこ本当の孫が欲しいのなら、小六に若い女の子でもあてがう方が近道ではないのかと思う。
子供に慣れ親しむのが目的とはいえ、彼の方が私にばかり愛着を増やしていってしまっては本末転倒だ。
それとも私が一座に帰った後、寂しくなったところを狙って子作りを勧めようとでも考えているのか。
それならそれで心の機微を突く作戦だ。さすが小六郎おじさん、侮れないな。



 そうして思ったよりも小六には親ばかの素質があると、私も呆れ始めたやさき。
小六達の本拠地である蜂須賀の郷から連絡が届いた。
何かの交渉で小六が必要になったらしく、至急、帰郷してくれというものだった。

 小六と供が二人、急ぎなので馬を使って帰るというので、私は馬も見たかったから見送りについて行く。
荷馬でない馬は川から少し離れた所の屋敷に預かってもらっているそうなので、そこまでならと思ってだ。
しかし、厩で初めて近く見る馬に私が喜んでいると、気を惹くように鞍に乗せてくれた小六の目がこう言ってくる。

 ……一緒に行きたいよな? 一緒に連れて行ってほしいって、言うよな?

 蜂須賀郷に興味がないこともないけれど、今回は私が行っても足手まといにしかならない。
それがわかっていて不本意なわがままなど言いたくないのだが、小六はそう思ってないらしい。
確かにそろそろ私達の別れの期限も近づいてきていて、時を惜しんでくれているのかもしれない。


 最終的にこの無言の戦いは、私が小六の視線の要求に負け、共に行くことに決着した。



[11192] 戦国奇譚 縁の糸
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:7b68dea8
Date: 2009/11/16 21:12

 私たちが向かった場所は正確に言うならば郷ではなく、交渉相手が待つ郷近くのとある寺だった。
寺に着き、小六は仕事に向かわなければならないが、私はさすがに堂の中にまでついてはいけない。
境内で待っているようにと言われて、私は解放される。

 久しぶりの、一人の時間。
小六も彼の家人もけっして嫌いではないけれど、いつも誰かがそばにいる生活というのは気疲れする。
子供らしく、あまり変に思われる行動をしないよう緊張していればなおさらだ。
人目を気にせずにすむ久々の自由に、私は寺の周りを独り歩きまわった。



 ――――― 戦国奇譚 縁(えにし)の糸 ―――――



 あちこち散策した後、本堂まで帰って来た私は、知らない子供を発見する。

 歳の頃は、12か、13か。
頭のてっぺんで結んだぼさぼさのポニーテールに袖なしの着物。
腰のあたりに瓢箪(ひょうたん)や小袋をごちゃごちゃとつけた不審な少年が、境内をうろうろしていた。

 農民というには土の匂いがせず、それより上の身分だというにも服装が粗野すぎる。
小六達とも少し違うように見えるし、まだ私の知らないカテゴリーに所属する人間なのか。
分類できない対象に警戒心を募らせながら行動を観察すれば、彼は枯葉を集めているようだ。

 集めたそれらは小山に積まれ、その上で火打ち石が打ち鳴らされる。
彼がしていたのは境内の掃除ではなく、この焚き火の準備だったのだ。

 でも、風をよけて火にあたりたいだけにしては、そこは本堂に近すぎる。

 私は、彼に近寄って声をかけた。


「何してるの?」

「なんだ、このチビ」

「ねぇ、何してるのって聞いてるの」

「うるさいな、中にいる坊主を焼きうちするんだ」

「やきうち?」

「本堂に火をつける。
 チビは黙ってろ」

「放火!? って、そんなことしちゃ駄目だよ。
 それに、中にいるのは坊主じゃないし。
 蜂須賀の頭領なんだから、そんなことしたら大変なことになっちゃう」

「蜂須賀の?
 なんでそんな奴がここにいるんだ?」

「そんなの、私に聞かれてもわからないよ。
 でも、火つけはダメ。
 焼きうちなんてしないで」

「うるさい。
 大声出すな。
 ……っ、見つかったか、逃げるぞ!」

「え?
 私は逃げなくても……」


 事態は急転直下。
穏便に雑談でも交わしながら火事の危険を説こうと思っていたのに、まさか放火犯だなどとは考えてもみなかった。
彼は犯行を未遂とはいえ目撃した私を消すつもりなのか、逃げ出しながら私の手をつかんで離さない。
助けを呼びたくても彼が走るのについて行くのがせいいっぱいで、口を開けば舌を噛みそうになる。

 そして、さらに恐ろしいことに、この放火未遂少年は馬持ちだったらしい。
寺から飛び出すとそこには、小六達の馬ではない、鞍(くら)のない裸馬が待っていた。



 馬が走ったのは500メートルくらいだろうか。
後はゆっくりした足取りで歩かせてくれたけれど、馬初心者に鞍鐙(あぶみ)無しは辛かった。

 馬の高さは130センチほどとはいえ、動き出せば上下に揺れる。
動いているものから落ちるのは怖いし、何かに縋りたくてもろくに掴む場所がない。
小六に乗せてもらった時はこんなことは感じなかったのだから、いかに彼が私に気を使っていてくれたかがわかる。
帰ったら小六にはもう一度お礼を言おうと思うほど、少年との乗馬はきつかった。


 半泣きで拉致られて半刻ほど。
ぽいと捨てるように降ろされたのは、五条川の河原のようだった。

 葦(あし)茂る小石の河原。
その奥で、小さな石積みが私の目を引く。
某賽ノ河原を思い出し、「前の被害者の塚なのか!」とでも怯えようかと思って……、やめる。
私を連れた少年の雰囲気は、まったくそんなものではないのが読めたからだ。
彼はすっかり私になど興味がなくなったかのように無視して、一人川へと向かい石を投げている。

 放置されて考えるに、このまま帰っても問題はないように思えた。
でも、何故か、私を連れてきたこの少年のことが気にかかる。
気まぐれというにも、人のいることを知っていて堂に火をつけようとした危険人物だ。
本当なら、近寄らないほうがいいのだろう。
そう思うのに、しかし、私の足は動かない。

 寺に独りでいると、前世の実家を思い出してしまうから……、というのもあるかもしれない。

私はなんとなく帰りたくなくて、無心に石を投げ続けるその背中をぼんやりと見つめる。

 しばらくして彼は振りかえり、河原に座る私に気付いた。


「なんだ、まだ居たのか」

「うん」

「あっちが寺の方角だ。
 もう、行け」

「……うん。
 でも、あの、一つだけ聞いたら、帰る。
 どうして、火をつけようとしたの?」

「そんなのお前に関係ないだろ」

「あの中にいたの、私の大切な人だもの。
 関係なくなんてないよ」

「……。
 坊主どもが、俺の命令を無視したからだ」

「命令?」

「経をよめと言ったんだ。
 坊主は経をよむのが仕事だろう?
 それなのに、あいつらはそれを断りやがった」

「ええと、お布施がたりなかったから?」

「違う。俺は貧乏人じゃない。
 あいつらは、犬だから駄目だと言いやがったんだ」

「いぬ」

「そうだ。
 でも、俺の犬だ。ただの犬じゃないんだ」

「…………うん」

「そこにある、それが墓だ。
 こいつの前にも、とうた が死んでる」

「その子も、犬?」

「違う、人間だ。
 こいつは、勝三郎の代わりに死んだんだ。
 こいつが死ななかったら、たぶん死んでいたのは勝三郎だった」

「…っ」

「勝三郎が死ねば、乳母のお徳にも泣かれる。
 でも死なずにすんだ。……こいつのおかげだ。

 主を守って、主のために死んだ犬だ。忠の者だ。
 弔ってやりたいと言って、何が悪い。
 俺のために死んだ、俺の犬なんだ。
 それを、畜生だなんだと、あの坊主どもは言いやがって!」

「そっか。……わかった。
 経、何がいいかな。
 私がよむよ」

「お前が!?」

「うん」

「お前、稚児だったのか?
 ……でも、そんなチビなのに?」

「お寺の稚児はしたことないけど、経はよめるの。
 嘘じゃないから」

「ほんとだな?
 嘘ついたら、首切るぞ」

「いいよ」


 家族に怯えられてから、前世の知識は極力表に出さないようにしてきた。
それなのに、過去の知識を引っ張り出そうという気になったのは、彼の目がとても真っすぐだったからだろう。
激しい言葉とは裏腹に、犬の墓に向けた眼差しには本気の感謝と慈しみがあった。

 それに、頼まれたのは死者の供養だ。
寺に居て昔を思い出し、その後、経をよむことを頼まれるなど、これも何かの縁なのだろう。
私は聖人ではないけれど、自分に出来る仏事を無下に断るのには心理的な抵抗もある。


 私は石積みに向かい手を合わせる。

 手向ける花も香もない。本職の僧でもない。でも、祈りは真摯だ。
救ってくれる神や仏は信じられなくても、死者へと捧げる感謝の気持ちが陰ることはないと私は思っている。
私の仕事は、少年の思いが相手に届くようにする手助け。

 和す者もない静かな読経が、蕩々と河原に響く。


 私も以前、亡骸もない父の墓前に、ただ一人向かい立って経をよんだ。母も、姉もなく唯一人で。
誰かを大切にし、大切にされたいと望んでも、今はその情を向ける相手さえ私の傍にはいない。
私の持つ孤独。奥深く見ないように隠していた痛みが、目を覚ます。


 誰にも頼らず、一人で復讐しようとした少年。
身代りに誰かが死ななければならないような状況に居る、彼。 

 彼は、感情に任せて他者を害すことさえ厭わない過激さと、身内に注ぐ深い情を私に見せた。
けれど、家族からたくさんの愛情を受けているからこそ一匹の犬をも深く慈しめている、という人間だとは思えない。
逆に、大切なものをほんの少ししか持っていない人なのではないだろうか。
だからこそ、ただそれだけに深く執着するのだと、そう思わせる雰囲気を彼はしている。

 私には、彼が満たされた人間には見えなかった。


 肉親の影を見せない彼と、家族と離れ旅を選んだ私。
互いの心の奥の虚ろに潜むものは、孤独か、寂しさか。――私は彼自身に対しても、興味を持った。



 しかし、私が思うほど、彼の興味は私に向いていないのもわかっていた。

 寺から連れ出される最中など、彼は私を物か何かとさして変わらぬ扱いをしていたようにも思う。
手違いで持ってきてしまった荷物でも見るような目を、向けられていた気がする。
彼は逃げるついでに私をつい手にしてしまったのだろうから、その程度でも仕方なかったのだろう。

 そして、そんな人と認めていない相手に話す言葉に、独り言以上の重さなどあるはずもない。
吐き出したい激情が彼にはあって、そこに都合よく、しつこく尋ねた私がいただけだ。
私が「経がよめる」と言った瞬間まで、彼が私という存在をちゃんと見ていたかどうかさえ疑わしかった。

 
 成り行きで始まった彼との関係の転機は、私に利用価値があるとわかってからのことだ。

 経をよんでから、彼の私を見る目は少し変わった。それはやはり、意外性と有用性がものを言ったのだと思う。
私がただ平伏するだけという普通の反応を示さず、彼の欲しいものを提供したことが意味をなしたのだ。

 意外性やギャップは、どんな時代でも興味の始発点になり得る。
私の幼い容姿も、多少はインパクトのプラスになったと思う。
彼は私の言葉を一度疑って、それを覆され、読経という結果を手に入れることができた。
これでただの荷物から少しランクアップし、でもそれだけでは、私が求めているものには全然足りない。
興味が薄れて、またすぐに荷物扱いに転落してしまっては困るのだ。

 なにも私は凄い高望みをしているわけではない。
私は自分が興味を持った相手をよく知りたいだけだ。
そのために、私が彼に抱いたのと同じくらい、彼にも私に興味を持ってほしいだけ。
こちらの気持ちばかり重くては、話を引き出すこともままならない。

 
 ということで、私は彼を落とすべく、策略を考える。

 必要なのはまず情報だ。
相手の話を聞きだしたいときにすることは、先に呼び水となるこちらの話をしてやること。
自分の情報を隠して相手からだけ引き出そうとすれば、相手の警戒感を高めてしまう。
適度に自分のことを話して、敵意のないことを知らしめるのが先決だろう。

 相手が緩むまでは質問はおあずけと決め、私は自分が話せることを吟味する。

 興味を引き、親近感を持たせ、出来るだけ有用だと思ってもらわなければならない。
私の身分はとても低いから、相手の価値観いかんでは人間扱いしてもらえない可能性は大きい。
興味をもたれただけなら、面白半分に簡単に傷つけられてしまうこともありえるのだ。
踏み込む一線を誤らないことも、この時代を生きていくには忘れてはならない重要な点だ。

 経をよんで見せたことですでにいくつか点数は稼げているが、それでやっと最低ライン。
対等に話せるまでにもっていくだけにしても、もっとポイントを稼ぐ必要がある。


 彼との会話を振り返り、私がいくらかでも知っていて、彼とも共通で話せる話題を探してみる。
思い浮かんだのは「犬」「坊主」、そして、「蜂須賀」の三つ。
ネガティブな話題を避ければ、当然話せることは一つ。

 私は今預かってもらっている小六の家の宴会のことを話して、彼の反応を引き出すことにした。

 宴席で聞いた面白い話や、私が見せる芸のこと。川衆の意外な特技、流行の歌。
小六に迷惑がかからないようにネタを選びながら、面白おかしく、明るい話を並べていく。
娯楽の少ない時代だからこそ、珍しいもの目新しいものには目がないだろうと思ったのはどうやら当たったようだ。

 幾つめかの話題で、狙ったとおりに彼も素直に興味を示し、私に何か歌って見せろと言ってきた。
彼は「歌なら自分も少しは知っている」と言い出しており、ここで正解を出せば趣味を共有する同志にもなれる。

 これは、チャンスだ。

 子供むけのやさしい歌など歌えば、鼻で笑われるに決まっている。
激しい気性の彼ならば、好きなものは軍記物か。それとも、意外性を突くべきか。
半瞬ほど考え、私はあの一番好きな幸若で、勝負をかけることにした。

 吉と出るか、凶と出るか。

 彼の尖ったアンバランスさは、私を振り回した前世の友人達に似てどこか懐かしい。
話すテンポや選ぶ言葉からは、彼の頭の良さもうかがえた。
会話が進むうち、態度が緩むならもっと仲良くなりたいとさえ思わせられた。

 たとえ今回、一度限りの出会いだろうと、私は彼の心が掴みたい。



 「わかった歌う」と頷いてから、私は彼の前から一歩後ろに引き、前世で覚えた正式な礼をとる。

 相手を呑むなら、最初が肝心。
歌に挑むために、自己暗示で気持ちを高めていく。

 思い出すのは、前世の記憶。私が育った、弥陀の伽藍。
薄い闇、白檀の残り香。そして、揺れるろうそくの明かり。
陰りのなかで鈍く煌めく仏を背にした、能舞台。
私は謡の地ガシラに座り、舞台中央、幽玄に舞う男の幻を想う。

 出だしは静かな水面。
そこから緩やかに緩やかに、現世(うつしよ)を離れる男の影を追って、私は謡う。


「~思へば、この世は常の住み家にあらず
 草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし」


 喉を開き、情を込め、合いの手に指先にだけ太夫のしぐさを真似て誘う。


「金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる」


 盛り上がる歌と共に、私が仕掛けた視線の勝負。

 彼はその勝負を受けて立った。

 驚いたことに彼は私の呼吸を読んで、みごとに和して謡いだす。
同じタイミングで息を吐き、一拍の間を置いて舞を踏む。
彼のしなやかな腕は幼く甘い私のソプラノを従え、幻影を払い、鮮やかな存在感で翻る。


「~南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり

 人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
 一度生を享け、滅せぬもののあるべきか

 これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ」


 二人の声の和す中。小枝を扇に見立て、檜舞台のかわりに大地を踏んで。
歌という風にのった翼のように、少年は自由に舞い続けた。



 最後の音が大気に溶けて、一つの世界が終わりを告げる。
私は満足の吐息をついて、かりそめの扇を手元でたわめる彼を覗きこむ。

 視線が、合う。


「私は日吉。ただの、日吉。
 あなたは誰?」

 見据える眼差しは値踏み。一瞬の沈黙。そして、彼はにやりと笑う。

「俺か?
 俺の名は、吉法師。

 吉法師と呼ぶを―――、許す」



[11192] 戦国奇譚 運命
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:7b0f7191
Date: 2009/11/22 20:37

「吉法師さま」

「吉法師だ」

「……呼び捨てには出来ません」

 当初の目的は達成したと多少気を抜いて、言葉遊び歌や謎かけ歌などを教えていたらこれだ。
思い切りのいいタイプなのはわかっていたが、彼はかなり変わった思考回路の持ち主でもあったようだ。

「どうせ年が明ければすぐに元服だ。
 この名で呼ぶ者もいなくなる。
 お前みたいなチビがあと何度かよけいに呼んだところで、減ったりはしないぞ」

「減るとか減らないとか、変な屁理屈ですよ」

「それも早口言葉か?」

「違います。
 それに身分も違います。
 私のような傀儡子、道々の者が人の名を呼ぶなどおこがましいと考える方が普通なんです」



 ――――― 戦国奇譚 運命 ―――――



 名前を教えてもらえたのはいいけれど、呼べるわけがなかったから呼ばなかったら催促される。
それで仕方なく控えめに呼んでみたら、俺の言うことを聞いていなかったのかと機嫌を損ねられる。
俺様節全開の言い様に、私の気持ちはかなり引いていた。

 私は彼と仲良くなりたかったが、慣れ合うのまではちょっと遠慮したい、というのが本心なのだ。

 そもそもこの放火未遂犯かつ誘拐犯への興味の発端は、衝動的なものだった。

 最初に出会った時から、彼は確かに私の知的好奇心を煽る存在だった。
格好といい、言動といい、すぐに私を忘れた気まぐれさといい、私の意表を突くことばかりをして見せる。
寺に帰りたくないという気持ちも重なれば、目の前にいる彼の方に私の意識が注がれるのは自然な成り行きだった。

 「好奇心は猫をも殺す」とはよく言ったもの。
警戒していても未知のものには手を出したくなる……、出してしまうのは、私の性格上の欠点でもある。

 結果、一つだけと自分に言い訳しながら彼に問いを投げかけて。
彼の孤独を知り、矛盾を知り、それにも惹かれてつい夢中になってしまった。

 でもここまでの話の中で、私は彼の身分について、おおよそ推測できてしまったのだ。
だからそれを弁えた上で話をしたり、仲良くしてもらえるほうが私としては気が楽。
気を許してもらえるのは嬉しいけれど、実はまだ私の方が身分制度に馴染み切っていないところがある。
フランクに接し過ぎると、うっかり踏み込んではいけないところまで踏み込んでしまいかねない。
最低限でも形式を守ってくれなければ、誤魔化しも利かなくて怖いのだ。

 気安さと横暴の境界で、自己主張する吉法師。

 彼の鋭利な意見は、私をふりまわす。
それでも、時々来る危険な突っ込みを笑ってかわし、スリルのある会話をするのは楽しかった。
好きなところもたくさん見つけたし、苦手な部分もよくわかった。
白黒はっきりとつける明晰な彼の話に、私の好奇心は満足した。



 充分遊んだと、私は空を見上げる。

 日はすでに南天を過ぎて、西の空へと傾き始めている。小六の仕事もそろそろ終わっている頃だろう。
私は吉法師の我儘を適度に逸らし、穏便に話題をずらしていきながら、きりあげ時を探し始めていた。

 それなのに、だ。


「お前、小さいくせに口が良くまわるな。
 うちの一番チビは勝三郎だけど、あいつより良く話す。

 俺は今、自分の手勢を集めている。
 武辺者は多いが、こざかしいのはなかなかいない。
 俺は馬鹿は嫌いだ。ガキもほんとは好きじゃない。
 でも、見どころのあるやつは好きだ。育てばものになるかもしれん。
 禄(ろく)をやる。 うちに来い」


 いきなり、スカウトか。禄というのは給料のことか。
 青田買いにしても、かぞえで6歳、実質5歳児相手ではいくらなんでも青すぎだとは思わないのか。

 やはり常識の斜め上行く彼の思考と発言に、私は言葉を失った。
呆けたのは一瞬で、否定意志を示しておかなければとあわてて大きく頭を振ったら、わしづかみにされる。


「俺に仕えさせてやろうって言うんだ、何が不満だ」

「……」

「口で言え。
 お前の利点は口だろうが」

「……。
 無理です。駄目です。できません。
 私がいくつに見えているんですか?
 あなたが良くても、あなた以外はだれも納得しませんよ。
 私は家柄のある出でもないし、縁故もない。
 流れ者の子供を拾ってくるなんて、正気を疑われてしまいます」

「俺は、もともと うつけ(ばか)だ」

「確かに少し発想と言動は変わっていると思いますが。
 私は うつけ だとは思えません」

「ほんとに、こざかしいな。
 俺が来いと言ってるんだ。
 ごちゃごちゃ言わずに『はい』と言え」

「だから、無理です」

「うるさいな」


 人の話を聞きやしない。
こういうところは苦手で、嫌いだ。

 私は深く息を吐いて、冷静になれと自分に言い聞かせる。感情的になったら負けだ。
彼をあまり怒らせず、私を諦めてくれるような言葉を探す。
そして、一つ、思いついた。


「私は、傀儡子の一座にいると言いました」

「ああ。聞いた」

「私には、したいことがあって。
 だから、吉法師さまのとこには行けません」

「それは、主持ちになるよりすごいことか?
 俺の話を蹴るほど大きなことなのか?」

「そうです。 ……大きな夢です。
 私の夢は、尾張一国よりも、もっと大きい。

 私は、この世界が、見てみたい。

 この国だけじゃなく、隣も、その隣も、全部です。
 できるなら、本当は海の向こうも見たいと思っている。
 私は、私の生まれたこの時代の姿を、全部知りたい」

「海の……、向こうもか」

「ええ」


 言いきった私の言葉に、吉法師は黙りこんだ。
でも、これで彼を怒らせたとは思わない。
彼は自分が変わったことを考えるせいか、他者の発想も面白がるのを知っている。
それを拾って私は彼の気持ちを掴めた訳だから、この理由も受け入れてくれるだろうと踏んだのだ。

 期待を込めて様子を窺えば、吉法師は私から視線をそらし、空を見た。
それから川面を見て、川の行く先を見て、遠くに霞む山の尾根へと首を回す。
 
 再び川へと視線を戻して、彼は言う。 


「……それは、ほんとに大きいな」


 吉法師は、石を拾って川へと投げ始めた。葦もちぎって、川へと投げる。
石は沈んだが、葦は沈まず川を流れていく。彼の目がそれを追いかける。

 私はこの少年が、気持ちに折り合いをつけるのを待っていた。
まだ若く薄い肩や背中を見ながら、出来るなら彼を傷つけずに、別れたいと願っていた。


 風が、吉法師の高く結った髪を弄り、葦を鳴らす。
それを合図にしたかのように、細いながらもピンと若い背を張って、彼は振り返る。
 
 彼は私の知らない顔をして、強い視線で真っ直ぐ私を見据えた。


「日吉、よく聞け。

 お前の話は面白かった。
 お前の夢もよくわかった。
 でもな、お前のようなチビすけが、歩いて回れるほどこの日の本は甘くない。
 まして小者が海を渡るなんて、絶対無理だ。

 だから、俺が行く。
 いいか、俺が行ってやる。
 
 俺は父上の後を継ぎ、いずれこの尾張を手に入れる男だ。
 だが尾張一国なんて、小さな話はもうしない。
 俺は大きな夢をつかむ。
 お前よりも大きな夢だ。

 日吉。お前は好きなだけ、国を見て回ればいい。知りたいことを知ればいい。

 俺が手に入れる。
 尾張も、近江も、三河も美濃も。その外の国も全部。
 海の向こうも、全部だ。
 全部、全部、俺が手に入れてやる。
 
 そして、そうしたら、……お前は好きなところに行けばいい」


 強い声。強い瞳。

 吉法師の言葉は、私の想像の外だった。
別れの慰めなど必要もないことを、彼は考えていたのだ。

 小さいと思った背は、小さくなかった。
 幼いと思った目は、幼くなかった。

 高みを目指し、野心を語る。彼の顔は男のものだった。
まだ元服も迎えていない若い武将の覇気に、私は気圧される。


「……それが、吉法師の夢…」

「そうだ」

「私のより、大きい」

「あたりまえだ」

「うん」


 ほんの僅かな時間で、少年は大人になる。
私の目の前で、彼は鮮やかに変わった。
坊主に火をつけると腹を立てていた悪ガキの面影を拭い去り、彼は私の前で未来を語る。


「もう、わかったな。 俺は日の本の王になる男だ。
 日吉、俺の部下になるだろう?」
 
「まだ、だめ」

「なんだ? つけ上がるなよチビが」

「怒らないで。
 まだ駄目なのは、私が役にたたないから。
 私があなたのそばにいても、まだ何もできない」

「そんなのわかってる」

「うん。
 でもね、私はあなたが気に行った。
 吉法師さま。 とても、……とても、気に入った。

 私が知る未来を、覆してもいいと思うくらいに。
 この国をあなたに委ねてもいいと思ってしまったくらいに」

「お前……」


 私は彼が何者なのか知らない。彼もまた、私が何を持つ者なのかを知らないだろう。

 私がした選択の重さを、吉法師というこの子が本当に知ることはない。
未来に続くはずの確かな歴史が崩れれば、私の知る誰もがこの世界に生まれなくなってしまうかもしれない。
私に何が出来るできないではなく、その選択をする意志が罪だと思う。
けれど、多くの可能性を殺してしまうかもしれないと、そう思うよりも強く惹かれた。

 吉法師の激しい気性は、私の信じる『生』そのものに見えた。
 彼なら、今という現実(リアル)を、きっと私に感じさせてくれると思えた。

 ―――家族と離れた旅の空で、優しい人たちに出会いはした。
でもそれだけでは埋められない虚しさが、私の中の空ろに巣くっていた。
なまじっか前世の記憶などがあるから、私は本当に心を開くことは出来ない。
かわりに知識を掻き集め、心の隙を埋めようとしたけれど、寂しさを拭いされはしなかった。
 『人間五十年、……夢幻のごとくなり』
「生」を楽しむと言いながら、そう唄う歌に自分の心情を託せてしまうほど、何かが足りなかったのだ。


 時代が変わろうと人の本質は変わらないと、どこかで私は思っていた。
でもそれは、間違いだったのかもしれない。
この混迷の世を裂いて、先頭を走っていく者達がただの人であるはずもない。
 家族のため、一族を守るためという郷氏ならばこれまでにも見てきたけれど。
でもさらにその先を、これ以上はない大望を、嘘のない目で言いきった人は、吉法師しか知らない。
狂人でも妄想者でもなく、それを信じさせてくれるカリスマを持った人がいることも、私は彼に出会い初めて知った。


 恋ではない。けれど私は、彼の語る夢に、惚れた。

 もしも私が男でも、きっと同じことを思ったと思う。
自分でも知らぬうちに探していた生きるための理由、目的を、私は彼の中に見出す。
吉法師という少年の可能性に、自分の将来を賭けてみたい。


「私は、あなたの役に立ちたい。
 だから、まだ今はあなたの部下にはなれない。
 私は幼すぎるし、知らないことも多すぎる。

 だけど、もっと大きくなったら。
 絶対あなたのものになる。
 
 約束する。
 いつか必ず、私は、あなたが天下を取るために必要な人間になってみせる」



 私は吉法師との約束を、別れの言葉にかえる。

 そういえばこの時、指切りをしようとしたのだけれど、小指を出したら彼にとても怪訝な顔をされてしまった。
指詰めというのは味方討ちをした時の罰なのだそうで、約束事とのつながりがわからなかったらしい。
遊女相手のネタはもっと後世なのかと、これは時代のギャップを感じた笑い話だ。

 とりあえずそれは適当にごまかして、かわりに約束の品を取り交わすことに変更する。
この方法なら古代からの王道だし。

 でも考えてみれば、私は身一つ。あげられるものなど何もない。
そう正直に言ったら上から下まで眺められ、鼻で笑われたが、寛大な気持ちで許してやった。
笑われても真実私は赤貧。ないものはない。

 彼からの方は、最初に選んでくれたのが守り刀のような小刀で、とてもいいものだったけれどそれは断った。
あまり不相応な物を持つと、盗られてしまう危険の方が高いから。
次に差し出されたのは火打ち石で、父の形見の品が同じだと言ったら、彼はそれをすぐに引っ込める。
俺様な言動で困らせるくせに、時々こんなふうに不器用に優しさを見せるので、彼を嫌いになれないのだと思う。

 それで、結局私が貰ったのは、彼が腰につけていた瓢箪(ひょうたん)だった。
どこにでもあるものだけれど、赤い組紐のついたこれで水を飲むたびに彼を思い出せるだろう。
「大事にする」と言ったら浮かべられた笑顔に、私も笑顔を返して手を振った。


 ―――再会は十年後に。私達は互いに背を向け、振り返ることなく自分の道を歩き出す。



[11192] 戦国奇譚 別れと出会い
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:3a5cdc77
Date: 2009/11/22 20:39

 寺までの距離は、私が想像したよりも少しばかり長かった。
すでに一番星の輝く空に鐘楼(しょうろう)のシルエットが浮かぶ。

 そして、ようやくたどり着いた門前には、馬をつないだ小六が待ち構えていた。



 ――――― 戦国奇譚 別れと出会い ―――――



 小六の何もしていなくても普段からいかめしい顔つきが、いつにも増して怖い。
供について来ていた人がおらず、もしかしたら私を探しに出させてしまったのかもしれない。
「寺の近くにいろ」と言われた約束を破り、心配させるような悪いことをしてしまった。

 謝らなくてはと急いで駆けよると、無言のまま振り下ろされる彼の手。


 ぱんっと軽い音がして、天と地が回る。

 
 私は頬を叩かれたらしい。
小六にしてみれば手加減したつもりでも、私が軽すぎたため派手に転がってしまったのだ。
予測も何もしていなかったから、身構えることも、受け身をとることも出来なかった。
叩かれた頬はすぐ熱をもち、地面に擦れた腕が少し痛い。

 でもそんな痛みより先に立ったのは驚きだった。
私は起き上がるより先に、小六を見上げる方を優先する。

 彼は、私を叩いた手を振りきる形で止めて固まっていた。

 叩かれた私よりもはるかに、叩いた小六の方が衝撃を受けているのが見ていてわかった。
手を下ろすどころか動かすことすらできない小六は、まさに悲壮を絵に描いたような表情で凍りついている。

 彼の視線をつかまえて、私は申し訳なさでいっぱいになる。
小六はおそらく小六郎おじさんあたりに吹き込まれたことを実践したのだと思う。
「子供が悪いことをしたら、叩いて叱ってあげるのも愛情だよ」とかそんな感じのことを教わっていたのだろう。

 しかし、小六はそれを実行して、……彼の方が、傷ついてしまっていた。

 彼は守ることを善しとする人間だ。弱い者に力をふるう自身を肯定できるような男ではない。
でも私が彼の予想よりもはるかに脆かったとしても、これは躾(しつけ)で暴力ではないのに。

 凍りついて数えるカウントダウン。小六の手がぎゅっと握られ、震えを帯びるのを私は見た。

 義父には蹴り飛ばされたこともある私である。このくらい叩かれたって、何でもない。
本当に何でもないのだと、そう示すために私は立ち上がって、そして、小六に飛びつく。
彼の膝の上あたりに手をまわして抱きしめる。反応のないのにかまわず、縋って言い募った。


「ごめんなさい。
 心配掛けて、ごめんなさい」

「……」


 握られた拳はそのままで、反対側の手が恐るおそる私の髪に触れてくる。
その手にこちらから頭を押しつければ、置かれた手は撫でる動きに変わった。
そして、片腕が、縋る私をそっと掬いあげる。
私は小六の首に手をまわし、近くなった耳元にも誠心誠意、謝罪を注ぐ。
叩いた時から握られたままの彼の拳が解け、私の背に回ってくるまで、何度も何度も謝り続けた。


 雨降って、地固まる。
すっかり暗くなってしまうまでかかって、ようやく私達は仲直りできた。

 ……けれど、まったく問題が残らなかったわけではない。
どこに行っていたのかとの追及に、吉法師のことを話してしまったのが不味かったようなのだ。
彼はこの辺りではやはり評判の良くない悪ガキだったらしく、吉法師の話に小六の機嫌は急降下。

 小六のこぼした小言から、吉法師のお父さんがあのやり手の備後守だとわかったのは収穫だった。
がしかし、彼と仲良くなったと言ったら、即「友達は選べ」と言うのは過保護すぎではないかとも思う。
吉法師の将来を考えてフォローしようにも、私が庇えば庇うほど彼の評価は下がっていく。どうしようもない。
蜂須賀の頭領としては小六も冷静に判断してくれると思うけれど、少し心配だ。

 私は同じ空の下にいるであろう吉法師に向け、手を合わせた。
役に立つどころか足を引っ張ってしまったかも。 ごめん、吉法師。



 その後。
疑似親子としての絆も深め、益々仲良しぶりを振りまく私達のあいだにも、別れの日はやってくる。
津島で仲間を迎え興行を終えた一座が帰って来たのだ。
小六郎おじさんと座長の決めごとではあるし、私もしめっぽいのは苦手。だから、さよならは簡潔。

 でも、礼を述べて下げた私の頭に手を乗せて、小六が引き止める。


「……お前は俺の初子だ、日吉。それを忘れるな。
 困ったことがあったら、ここに帰ってこい。蜂須賀を頼ってこい。
 俺が助けてやる。必ず助けてやるから。
 忘れるんじゃないぞ。いいな、絶対忘れるなよ」


 あたたかい掌で私の頭をかきまわしながら、小六がくれた大きな餞(はなむけ)。
今はまだなにも返すことの出来ない私に無償で与えてくれた情を、私は忘れない。
蜂須賀に役立つ情報の運び手になるのは先のことでも、私は無形の契約を交わしたのだと思っている。
口には出さなかったけれど、いつか小六が困った時には必ず私も手を貸そうと決意する。

 「さよなら」ではなく、たくさんの「ありがとう」を贈って、別れを告げた。
一座の姿が見えなくなるまで見送ってくれた彼の姿を、何度も振り返り目に焼き付けて、私は尾張を後にした。


 
 離れていた私を一座が再び受け入れて、次にめざす旅の目的地は駿河。
途中は港をいくつか寄り道するぐらいで、ほとんど真っ直ぐ駿河湾、富士山のお膝元へと行く予定だ。
かの地の主は駿河と遠江、それに三河にも支配の手を伸ばし、尾張に勝るとも劣らず栄えさせていると聞く。
京との交流も深く、華やかさを好む上の気風が下々にも広く伝わり、芸事を受け入れやすい土壌もあるそうだ。

 まだ見ぬ地の話を聞きながら、私の心は弾む。
知識を得ることにも、情報を集めることにも、今は明確な目的がある。
吉法師との約束、小六との約束を胸に、新しく加わった仲間の手を引いて前に進む私の足取りは軽かった。


 私達は、現代にも残るあの東海道を歩いて行く。
尾張から駿河までの間には、三河と遠江の二国がある。

「最近の三河の話って、何か知ってる?」

「そうだなぁ、特には聞かないが。
 ……そういえば、二年ほど前に離縁なさった国境(くにざかい)の城主様。
 あの方がまた正室(せいしつ)を娶られるとか、そうでないとかの話は出ていたな」

「それって噂になるほどのこと?」

「以前の離縁の話の方は、『奥方の親族が尾張になびいたから』という理由だったからな。
 岡崎は要衝の城だし、どちらかと言えば城主の松平様は今川寄りだ。
 御正室とは夫婦仲も良く、御嫡男をお産みになった方だったらしいが……。
 そのままにしておくわけにもいかなかったのだろう」

「ああ、その殿様もいっしょに寝返ったと思われちゃうからか」

「そういうことだ。
 理由があれば、戦が起こる。
 戦が起こると移動がしにくくなる。
 何事も起こってないということは、上手くやったということなのだろうね」
 
 偉い人や有名人の離婚や結婚は、いつの時代も民衆のゴシップの定番。
でもそれが、命のかかった重要ニュースにもなってしまうのが、「戦国時代」だった。


 あれこれ予備知識を仕入れながら国境を越え、三河に入る私達。

 三河といえば、歴史に疎い私でも思い浮かぶのは、徳川家康だ。
けれどその名をまだ聞くことはないだろうとも思いながら尋ねたら、かわりに出て来たのがこの離婚話だった。
家康がいないだろうという推測は、別に私が今の元号を西暦に直す方法がわかったからというわけではない。
ただちょっとしたことで、かなり大雑把ながら今の時代を掴むきっかけを私は見つけたのだ。

 その鍵は、種子島(鉄砲)の存在。

 今まではあまり興味がなく避けていたけれど、吉法師のこともあり、私は最近戦の情報も集めるようになった。
この時代に生きていれば避けては通れないことだから、誰に聞いても一つや二つは話しが聞ける。
泥臭い経験談や危機一髪の体験談を聞かせてもらっていて、私はそれに気がついた。

 それは、まだここまでの戦に、鉄砲が導入されたという情報がないということ。

 歴史には自信がないけれど、それでも、戦国時代は半ばから後半にかけて鉄砲が活躍していた記憶はある。
これに気がついてからは、珍しい武器の噂もあわせてねだっているが、まだ誰の口からも聞いていない。
ただ伝来していてもすぐには波及しないだろうし、量産ができなければ戦場には出ないだろうとも想像はつく。

 それでここからは類推、というか私の乏しい日本史知識からの連想ゲームだ。

「まずは、鉄砲といえば、三段撃ち。
 三段撃ちといえば、織田信長の戦法。
 信長の次が秀吉で、家康はその後の人」

 というわけで、「鉄砲が使われていないなら、家康もまだ世に出てないのだろう」と考えたのだ。


 三河は、いずれ戦国最後の幕を引く男を生み出す国。
しかし今は半分を尾張に切り取られ、残る半分も駿河の影響下だというこの国の景気は、最悪だった。

 妻の親族に裏切られてしまった岡崎城主、松平一族の治める西三河。
東と山間部は奥平や菅沼氏がつよく、平野部はまた別の人と、まだ完全に纏まっていないのも問題なのだろう。
前には戦い続く尾張、後ろには大きな今川もいる。
力ある者がたくさんいれば収める税は複雑になり、増えることはあっても少なくなることはない。

 収穫の秋を間近に迎えるとなれば、小さな村といえども少しは華やぐものだ。
不作でなければ、ささやかでも祝いや祭りか行われ、その時期にやってくる行商人や旅芸人は歓迎される。
でも年貢や税が重ければ、他者へと回す余裕はなくなってしまう。
今の三河は、私達が受け入れられるような状況ではなかった。

 噂話は集めても、一座は街道を逸れず、三河の村々をまわることは出来ない。



 内陸に寄り道し、村に呼ばれて、秋の祭りで興行をすることはあきらめざるをえなかった。
しかしだからといって、三河を通り過ぎるまで一座がまったく何もせずにいたわけではない。


「遊びやせんと生まれけむ、戯れせんと生まれけむ
   遊ぶ子供の声聞けば、我が身さえこそゆるがるれ」

 シャンシャンと、束ねた小鈴の合いの手を入れた子供の歌声が街道に響く。
歩きながら声を揃え唄うのは、私と新人の少女。

 彼女は、津島から加わった新しい仲間だ。
三国太夫の一人娘で、同じ歳のはずなのに私よりも10センチも背の高い、小国(愛称・くぅ)ちゃんである。
ツインテールもかわいい彼女と並んで一座の先に立ち、私達は道行く人に愛想を振りまきながら歩く。

 この道は、鎌倉から京までをつなぐ天下の大道、東海道。陸上物流のメインルートは、人の往来も多い。
荷を運ぶ豊かな人達をお客さん候補として、視線が来たらすかさず笑顔を向け、アピールに励む。

「ややこ(幼い子)が唄っているよ。
 かわいいね。仲良く手をつないで、姉弟かい?
 国のわが子を思い出すなぁ」

「小さいのもかわいいが、俺は姉ェさん方のがいいねぇ。
 どれもべっぴんさんだ。
 次の宿はどこにするんだい?」

 私達は芸の研鑽(けんさん)を兼ねた宣伝、売り込みをこの街道を舞台に行っていた。


 相手が一座に興味を示してくれたら、世間話をしたり小歌を唄ったり。
気に入ってもらえて、雇い人足だけではなく、小頭あたりに声をかけてもらえたらしめたものだ。
相手の宿泊時に宿を訪ねて門付けをしてもいいし、近くに公演の場所を借りて見せることも出来る。

 そして、もしも大店や公用商人と同行が許されたのなら、それは奇跡のような幸運だ。

 街道を歩くためには私達も一応、寺社の勧請願いや普請、遠詣でなどの理由札を持ってはいる。
けれど、「関銭(せきせん・通行料)」をとられ、さらに袖の下を払ってすら関所を通してもらえないこともよくある。
だから普段は関所前で道をそれるのだけれど、関が川辺だとよほど遡らなければ渡しは見つからない。
使える渡し(川舟業者)や浅瀬の情報網があっても、回り道するのはとても大変なことだ。

 しかし特権を許された商人達は私達とは反対に、関所はフリーパスも同然。
彼らと一緒なら、私達も街道にある関所を通ることができるかもしれないのだ。


 でもまあ、めったにないことだから奇跡なのであって。

 当面のお客さんを確実に確保するために、ちょいちょいと指先で呼ぶおじさんに、私は近づいていく。
営業の基本はあいさつと笑顔。第一印象がビジネスの勝敗を決める。


「こんにちは」

「さっき歌っていた子だね?」

「はい。日吉と申します。もう一人は、小国です」

「歌はたくさん歌えるのかい?」

「太夫が教えてくれます。舞も少しなら舞えます」

「踊りは私も大好きだよ」

「私も!
 太夫達は皆、踊りがとてもうまいです。
 早く太夫みたいに、私も踊れるようになりたくて。
 
 太夫は大丈夫って慰めてくれるけど、私はうまくなりたい。
 だからもっといっぱい頑張らなくちゃ」

「そうかそうか。いい子だね」


 笑い皺を眼尻に浮かべたおじさんが、日に焼けた手を差し出すから握手かと思って握ってみる。
シェイクハンドとばかりにちょっと揺らしてみると、頭も撫でてもらえた。
好感触だ。一座の客になってくれるよう、交渉ができるかもしれない。

 見かけよりも、若いようにも年上のようにも見える、その読みにくい表情を覗きこむ。
おじさんも私を見ていたので少し見合ってから、手を離され、彼は座長を呼んだ。
私は後ろに下がって、話の成り行きを見守る。


「この座の、座長は誰だい?」

「私ですが。 あの、日吉が何か、」

「いやこの子には、話を聞いていただけだ。
 座長、私達はこの二つ先の宿場(しゅくば)で宿を取る予定なのだが。
 もしよければ、そこまでどうかね?」
 
「それはとてもありがたいお話で。
 ですが、あの、よろしいのですか?」

「ああ、この一座の子らが良き子であったからな」

「それは……」

「そうさな、お前達が夜盗に変わるような流れの傀儡子ならば、幼子などの足手まといは連れておらぬだろう。
 子らが囮の捨て駒だったとしても、もしそうならばこのように明るくは笑うまい。
 歌も舞もやさしい太夫達にたくさん習っていると聞けば、大事に育てられている証拠を見たようなものだ。
 子の素直な笑顔が、なにより一座が悪人でないと私に教えてくれたというわけだ。

 我らの旅は長い、陸奥までの長荷だ。故に、人足といえど身内の者ばかり。
 ここらで少し楽しみ息抜きもあれば、あの者らも一層励んでくれるだろうと思ってのこと。
 お前たちを良き一座と見込んで、同行を申し出たまで」

「ありがとうございます。
 ほんとうに、ありがとうございます。
 喜んで。ぜひ私ら一座、ご一緒させていただきたく思います」


 お礼を述べる座長に合わせ、太夫も私達も深々と頭を下げる。

 ……奇跡に巡り合えたのか、私達に後援者がつきそうです。



[11192] 戦国奇譚 旅は道づれ
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:5056909d
Date: 2009/11/22 20:41

 「二つ先の宿場まで」との言葉は、そこまでが採用試験の期限という意味だったようだ。
人足頭も人足達も、ずいぶん話し好きな人達だと思っていたけれど、全て面接の一環だったらしい。

 それで、私達はみごとその試験に合格し、駿河滞在中、正式雇用してもらえることになった。



 ――――― 戦国奇譚 旅は道づれ ―――――



 一座の雇い主は、京に本店のある「東白屋(あずましろや)」。
彼らは大名が年貢などで手に入れた米他の物産を買い取り流通させる、商社のような仕事をしている。

 この商売は、買い入れ先は専属契約を結ぶのが常道。
でも、売る相手はお店が自分で開拓しなければならない。
年貢のお米を買いあげて、それをまたその場所で売っても儲けにはならないからだ。

 商品は安く仕入れ、売る時に利益を出せて、はじめて商売として成り立つ。
それにはいろいろな国をまわり、物価の差を調べながら品物を動かしていく必要がある。
もちろんその時は、大口で取引できる地元有力者ともよしみを結んでおくのも重要だ。


 駿河守護は、先代が京の公家から正室をもらっていて、当代はその実子。
一度僧になってから還俗した人だからか、教養があり、京とのつながりも多く、芸術への造詣も深いと有名だ。
主がそうなら部下も右に倣うということで、駿河では芸事が盛ん。

 そこで商売したい東白屋も、現地調査をし、相手の好みを下調べしている。
取りひき相手の開拓にはひと冬を費やす予定だというし、供応に芸人を使おうという選択は良い考えだと思う。
そんな理由があるなら身内だと紹介された人足達が、歌や踊り、芸事の話に詳しい人が多かったのも納得がいく。

 そして、もちろんそうやって事前調査をしているくらいだから、最初はちゃんと踊り子も連れて来ていたらしい。
けれど残念なことにその人は病(やまい)にかかり、途中の宿場での養生しなければならなくなってしまった。
主役を失い代わりの踊り子を探していて、目に留まったのが私達だったようだ。
彼らは、駿河到着までに上方(かみがた 京)風の踊りを仕込みたいとの思惑もあって、探査に急いでいた。
宿場町や港町にも人手をまわし探していたというから、出会えて幸運だったのはお互い様なのだろう。



 座長と話をつけたのが、東白屋の営業部長である人足頭、荷纏め役の弥四郎。
彼は一座と正式に契約を交わし、私達は駿河での接待役を任されることになった。

 旅の道中、宿場ごとに一般のお客を楽しませることもなく、専属契約となった太夫達は踊りの稽古に励む。
これも契約のうちで、指導はなんと弥四郎が直接している。
囃子方(はやしかた)も覚えてほしいと言われ、座長や男衆もあの兼業人足達に交じり、皆練習だ。


 でも残念ながら、雅(みやび)とは言い難い幼い私達は待機組。
一座の稽古の輪の外で、自主的な芸の復習をのぞけば特にしなければいけないことはない。


「太夫がやってた今のとこの順番、これであってる?
 右手が、上、上、ななめ、下。 で、んー、左手は半拍休みだっけ?」

「日吉の、少し違うみたい。
 こうして、ここは、こう」

「こんな感じ?
 二度目の上の時、右掌にひねりがはいるのか。
 いまいち? 手が短いからダメなのかな、かっこよくきまんない。
 くぅちゃんは、見ただけであれの動きがわかるんだよね。すごいなぁ」

「母さまの手だから。
 日吉は謡うほうが好き?」

「好きかも。
 ……踊りも好きだけれど、あの太夫達が練習している京舞は無理。
 自分に優雅さが足りないのがわかってるし。
 でも、このあいだ皆が教わってた連歌も難しすぎ。
 私、創造性たりないの実感して、悲しくなっちゃった」

「そーぞーせい? っていうのはわからないけど。
 あれは古典をいっぱい知ってないとだめだって、母さま言ってた。
 それで、早蕨太夫が上手だって」

「そうなの?」

「早蕨太夫は元はいいおうちの人かもねって」

「それなら、くぅちゃんのお母さんもそうじゃない?
 古典も含めて、いろんなこと知っているし」

「そんなことないよ。
 母さま、踊るのが一番好きって言ってたもん」


 稽古の邪魔にならないように端でのぞき見しながら、真似してみたり、お喋りしたり。
くぅちゃんと二人だと、独りで待っていた以前からすれば、比べるまでもなく楽しい時間が過ごせている。
だから長く待たされていても、退屈することも飽きることもない。

 けれど、雇い主は少し考えが違ったようだ。
見まねをやめて座っていたら、弥四郎は私とくうちゃんを呼んでお使いを頼んできた。


「じゃあ二人とも、頼んだよ」

「はい。
 ……あっ、くうちゃん。見て、これお金に字が書いてある」

「ほんと? これ、いいお金の方だ」

「へぇ、これが。
 私、いいお金って初めて見た。
 ええと、永(えい)、楽(らく)、通(つう)、最後は何だろ、賓(ひん)?」

「これは、寶(ほう)という字だよ。
 でも日吉、お前、字が読めたのだね」

「あっ……」


 ついうっかり読んでしまった。
しかも、読みながら空中で文字をなぞっていたのも見られてしまった。
それをしまったと思った顔も、正面にいたのだから見逃したりはしてくれていない、と思う。

 これは、……とてもまずい。

 私の設定年齢は4歳のまま。
貧しい農家の出だということも、弥四郎に少し話した覚えがある。
そのどちらからを考えても、字が読める素養がでてくるはずもない。

 くぅちゃんと一緒に長くいて気を抜きすぎていたようだと後悔しても遅い。
困ったなと思いながら見上げれば、弥四郎も探るように私を見ている。


「……まあ、この話はまた後で聞こう。
 行っておいで。寄り道しないで、真っ直ぐ帰ってくるのだよ」


 かけてくれた言葉はやわらかかったが、私的には釘をさされたようにも感じる。
逃げられないのかと落ち込みつつ宿を出れば、くうちゃんが心配そうに手をつないできてくれた。


「日吉、大丈夫?」

「あー、うん。なんとか平気」

「元気出して。
 ほら、日吉、いいお金を初めて見たんでしょ?
 日吉は、初めてが大好きじゃない。
 いっぱい見たら、楽しくなるかも」

「そうだね。
 ああ、やっぱり厚みも違ってる。
 いつも見てるのとは、全然違うね」

「あれは、悪銭だもの」

 
 無邪気なくぅちゃんの慰めに癒されて、重なった手の中を覗きこむ。
『永楽通宝』と文字の入った、真ん中に四角い穴のあいた、丸いコイン。
鋳造技術は現代のものとは比較にもならないが、文字がよめる程度には綺麗なつくりをしている。

 普段、一座が興行のお代などでもらっているのは、文字のない平らなお金。
くぅちゃんに悪銭と呼ばれるそれは、ワッシャーにそっくりだった。
ワッシャーとは、ネジをとめるときネジ頭と穴の大きさを調整するために間にはさむ、あの薄くて丸い金属である。

 思い出し比べて見ても、この二つの硬貨は製造理念が違うか、製造場所が違うかのどちらかでしかありえない。
両者を同じ価値として流通させていいものだとは、いくら私でも思えない。
しかし、実際使われているのだ。

 見つけてはっと驚くようなすばらしい品に出会う一方、こういう手抜きの品が「お金」として出回っている。

 漆塗りや螺鈿細工(らでんざいく)、織物や染め物。
手作業による工芸品の造りこみは、400年後にさえ見劣りすることはない。
でもその技術を、「お金」などの製造にこそ注ぐべきではないかと思うのは、現代の価値観なのだろうか。

 出来ない理由は何だろう。
貨幣(かへい)を発行する政府が、長期存続する保障がないから?
全国規模で流通させるだけの質を揃えた大量生産技術がないから?

 考えだすと止まらなくなる。
一つ知るごとに、新たな疑問が湧く。時代のアンバランスさは、私の興味をかき立てる。


「くぅちゃん! 
 私、元気出た。ありがとう。
 よく考えたら、これも弥四郎さんと話すチャンスだと思えばいいんだよね。
 実は聞きたいこと、いっぱいあったんだ。
 もっとお話ししてみたいと思っていたんだから、こういう時こそ活用しなきゃだよ」

「ちゃ?
 えっと、よかったね、日吉」

「うん。
 そうと決まれば、早くいこ。早くはやく」


 私はくぅちゃんの手を引いて、走りだす。
ポジティブであることが、人生を楽しくやるコツなのだ。




 世の中には様々な趣味や嗜好がある。
とても人には言えないようなものから、社会的地位を得られるものまで、趣味は幅も奥も果てしない。
私も未知のものが大好きだし、許されるなら好奇心のおもむくままにあちこち手を出したいと思っている。
好きなものを追いかけられるのは、幸せなことだ。

 そして、趣味を追いかけて人生失敗する人もいるし、また逆に歴史に名を刻む人もいる。

 何が言いたいかというと、弥四郎もそういう趣味に重きをおく人らしいということ。
彼はお使いを終えて帰ってきた私達に、「文字を教えてあげよう」と言ってきた。
弥四郎の趣味は、「人にものを教えること」だったらしい。


 弥四郎は教育に対して、時代を先取りした感覚の持ち主だった。

 私が何故文字を知っているのかということよりも、字を書くことに興味があることが良いと彼は言う。
幼いうちから学ぶことは大事で、なかでも「読み書き」は全ての基礎。
文字を知らなければ借用書も書けないし、大名の御触れ書き(命令書)も読めない。
身分のあるなしにかかわらず、天下万民文字は知っておくべきだという考えを、彼は私達に説く。
太夫達の踊りを率先して教えていた時もそうだけれど、教育に対し彼は情熱を持っている。

「こうして、縁があったのだ。
 『鉄は熱いうちに打て』という言葉もある。
 お前達に学びたい気持ちがあるのなら、太夫達と一緒に机につきなさい」

 そう言って、私達に教材を揃えてくれる彼は、実に生き生きとしていた。



 文字の練習は、書いて覚えることが一番。

 私達を宿の部屋に呼んだ弥四郎が最初にくれたのは、使い古した小筆と墨の欠片と、古い布だった。
「文字の練習に使うのだよ」と渡された時は首を傾げたけれど、説明を聞けばとてもエコだ。

 実は、「紙」そのものは高価な品というほどではない。
少し大きな村になると、楮(こうぞ)などを畑の端に栽培し、紙を独自に作っているところも多い。
もちろん「美濃紙」などの高級紙も存在するが、目の粗くあまり白くない紙なら普通に手に入る。
でも、大勢で練習に紙を使えば、ゴミの量も増える。
移動もしなければならないので、もとからそう大量に持って歩くわけにもいかない。

 だから、紙の代わりに布を使うことを、弥四郎が発案したらしい。

 墨(すみ)を薄目にすって、薄墨で布に書き取りの練習をする。
書く場所もなくなるくらい書きこんだら、布をよく洗う。
それを板に張って干し、平らになるよう乾かしたら、また新たな白紙代わりに利用する。

 布なら何度も繰り返し使えるし、携帯もしやすい。
一人当たり一枚か二枚でいいのだから、学ぶ人数を考えれば大きな節約にもなる。
それにこれなら、反故にする紙をもったいないと思って練習を手控える必要もない。

 これは弥四郎が、教育者として熱心に取り組もうとしていることがわかる一例だった。


 私もいずれは文字を読み書きできるようになりたいと考えていた。
でも傀儡子の子にも農民の子にも、勉強をする余裕はなかった。
教育を受けられるのは、それができるだけの恵まれた家柄に生まれるしかない。
寺は確かにこの時代の教育機関だけれど、それも寄進(お金)がなければ入ってもなれるのは下男。
水くみや薪割りに使われて、よほどの幸運に恵まれなければ仏典を読めるような僧にはなれない。

 大人になり自分でお金を手に入れられるようになったら、筆を買い、字を学ぼうと思っていた。
今までは独学で、砂地に棒で書くか、よくて囲炉裏の燃え残りの木炭で板に書くぐらいしかできなかった。 

 筆を手にした私の喜びがわかるだろうか。

 こんなに早いうちから師について、文字を学ぶことができるなんて、思ってもみなかったのだ。
与えてくれた弥四郎が神様に見えたくらい。くぅちゃんもとても喜んでいて、私達は彼に感謝を惜しまない。



 弥四郎は私達に筆記セットを渡し、使い方を説明した後、文字の手本も探してくれた。
「文字に最初に触れるのだから、良いものにしなければ」と先生の鏡のようなことを言いながら。
しかしここで、普通とはちょっと変わったことをする人は、やはり普通ではない選択をすることも判明する。

 彼が選んでくれたテキストは「庭訓往来」「今川了俊同制詞条々(手紙)」、そして「御成敗式目」。

 ……弥四郎先生。実用的で王道ですけど、書きとり初心者にいきなり漢文は難題です。



[11192] 戦国奇譚 駿河の冬
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:a31b939a
Date: 2009/11/22 20:42

 「庭訓往来」(ていきんおうらい)とは、往復書簡(手紙)で綴られた、最もポピュラーな雑学本だ。
内容は、衣食住をはじめ四季の行事から、司法制度、訴訟の手続き、領国経営に至るまでを網羅。
作者は200年くらい前のお坊さんらしいが、時代遅れの観はない。

 例えば4月の手紙。
一通目には、為政の心得と領地運営のノウハウ、諸職業人の招致、商取引の施設と業種の解説など。
その返信には、諸国特産品の紹介と振興の勧めが、たった1200文字前後で簡潔にまとめられている。
単語の羅列ではあるのだけれど、それでも充分すごい。わかりやすく、実用的だ。

 ただ問題もないわけではない。
草書(くずし文字)は読むのはどうにかなりそうでも、書くのはまた別問題だということ。

『鱸(すずき)、鯉(こい)、鮒(ふな)、鯔(なよし)、……蟹味噌(かにみそ)、海鼠腸(このわだ)、e.t.c』

  知っている文字でも、書くために今の私が使える筆記具は筆(ふで)だけ。
画数が多い漢字は、見本をしっかり見て慎重に筆をおいても、毎度黒いシミにしかならなかった。



 ――――― 戦国奇譚 駿河の冬 ―――――



 漢字やそのくずし方を覚えるよりも、筆の扱いに上達することに一苦労。
鉛筆やボールペン、マジックの使いやすさは、筆に比べれば格段上だったと回顧する。
どうせなら日本でも筆より西洋ペンタイプが使われていればよかったのにとも思うが、ないものはない。
上達への近道はなく、まじめに練習を積み重ねるしかなかった。

 そうして、私達が少し字を書けるようになると、弥四郎が次のテキストにすると言いだした。
部屋に呼ばれ渡されたのは、墨の香も新しい「今川了俊から息子への手紙(今川状)」の写し。


「日吉、小国。
 先の本は文字を学ぶ本なので、これからも自習に使っていくといい。
 でも、子供の学ぶ手本には、道義が書かれたものでないといけないと思ってね。
 今ある荷の中は駿河の資料がほとんどだったが、ちょうどいいのが見つかった。
 太夫達は うた(詩歌)を学んでいるが、二人にはこちらのほうがいいだろう。
 良いことの書かれた昔人の手紙は学ぶに値するものだ。それの写しを一つずつあげよう」


 印刷技術がないから、本は手書き。
中身はやっぱり全文漢文だけれど、書いた人間の律儀さが滲みでているような綺麗な字が並ぶ。
書道の良し悪しはわからなくても、読みやすいようにと心くばられた文字の配分に気付くことはできる。

 書いたのは弥四郎なのかなと思いながら眺めていると、その弥四郎本人がさりげなく尋ねてくる。


「日吉、読めるかい?」

「読み下しには、できません」

「そうか。
 では、意味はわかるかな?」

「意味……」


 問われて、ただ見つめるだけではなく、内容を知ろうと文章を追う。
漢字一つ一つには、読めないものはない。
読み下しも読解も100パーセントの自信はない。でも、聞かれれば答えを出したくなってしまう。
パズルやクロスワードも好きだったなと微妙にずれたことも考えながら、一行目の文字を何度も脳裏に繰り返す。

『一、不知文道武道終不得勝利事』

 要は、『勉強しない力押しだけでは、勝利は得られない』ということだろうか。


「日吉?」

「ああ、くぅちゃん大丈夫。
 これは、『勝つためには、文(知識)による裏付けのある武(力)が大事』と書かれているんだと思います」

「お前は、そう解釈するのか。
 ……ほんとにおもしろい子だ。教えるのが楽しみだよ。
 
 それはあげるから、二人でよく見ておくといい。
 私の注釈を聴く前に、自分達で先に内容を考えてみてごらん。
 明日、太夫達が手習いするときにそれを聞こう。
 さあ、もう行きなさい」


 表情よりも雄弁に楽しそうな気配を滲ませた弥四郎に背を押され、私達は礼を言って部屋を出る。
筆と布と文字の手本を手に持って、くぅちゃんと一緒に一座のいる部屋へ戻った。

 帰ったら宿題だ。
勉強と思うよりも読みたい新刊を手に入れた感覚で、早く全部見たいと私はそわそわする。
そんな浮き立つ心を抑えられない私の袖を、後ろにいる くぅちゃんが引いた。


「日吉……」

「どうしたの、くぅちゃん?」

「日吉は嬉しいの?」

「えっ、うん。すごく嬉しい。
 こんなに何冊も本を貸してもらえるなんて、思ってもみなかったし」

「わたし……、弥四郎さま、ちょっと怖い」

「そ、そう?
 私はいい人だと思うけど」

「日吉が手本を見てる時、怖かったよ。
 お話したいって日吉は言ってたけど、わたしはあまりしたくない。
 文字を教えてもらえるのは、うれしいけど」

「ほんと? わかんなかった。
 あっ、でも、なんか向こうもすごく楽しそうにしてるな、とは思ったかな?」

「あのね。
 弥四郎さまって、刀持ってる人みたい。
 時々、そんな気がして。
 わたし、そういう人好きじゃないから……」

「そっか。
 ごめん、気がつかなくて」

「日吉は悪くないよ。
 母さまにも、ほんとは慣れたほうがいいって言われてるもの」

「こんな時代だしね。
 でも、無理することないよ、くぅちゃん。
 明日は太夫達も一緒だし、話なら私がするし!」

「ごめんね日吉、ありがとう」

「そっちこそ謝るのは、無しなし」

「うん」
 

 踊りに関してもそうだけれど、くぅちゃんの感性は私より鋭い。
彼女は、私とは違う方向でものを見られる女の子だと思っている。

 その くぅちゃんが言うのだから、弥四郎はただの商人ではないのかもしれない。

 荷を守るために武器を持つ人足に対しては何も言わなかった彼女が、弥四郎にだけ言うのだ。
私は文字を学べるということに浮かれていた自分を反省し、もう少し慎重になろうと改めて心におく。
バレてしまったものは仕方ないとすぐ開き直ってしまうのも、見方を変えれば短慮ということなのだから。



 しかし、その後も教師として私達に接する弥四郎を見続けて半月。
私は何に警戒するべきなのか、ちょっとわからなくなってきていた。

 弥四郎は本当に裏があるのか。 
 それともただの教育バカなのか。

 彼は今、御成敗式目を朗読中だ。
何故次のテキストの選択がそれなのか、もはやつっこむ気にもなれない。

 最初のお手本が「庭訓往来」。
二番目は「「今川了俊愚息仲秋制詞条々」で、武士のなんたるかが諭された道徳教科書。
次が「御成敗式目」で、それが済めば「駿河の分国法もやりたい」と弥四郎は喜々としている。

 「今川仮名目録」という手本の名に、どこかで聞いたことがあるような気もしたがそれどころではない。
くぅちゃんはすでに理解を投げてしまって、文字だけ写している状態だ。
なにを講義されても、質問には私が全部答えなければならないのだ。

 太夫達にはすぐ実践で使えるものを、彼は教えている。
その合間をぬって私達に教鞭をとりたがる姿は、やはり彼が好きでやっているように私には見える。
テキストの偏り具合からして、彼の趣味全開だ。

 弥四郎の秘密はまだわからない。
楽しそうに条文の解釈を講義する彼は、武士にあこがれるただの商人なのだろうか。

 私の隣でくぅちゃんは、念仏を聞く馬のように、黙々と書きとりをしている。



 道中、一座の誰もが即席で教養を詰め込み、やっとその披露の場となる駿河の地を踏めたのは冬半ば。
船で先行していた東白屋の人達がすでに屋敷の準備も済ませ、私達を待っていた。

 東白屋の荷は、そのほとんどを船で輸送している。
弥四郎達が陸路で運んでいたのは商品の見本や、現地で商売を始める為の手付金のみだ。
駿河につくと、彼の指示のもと、船から荷が下ろされ屋敷に運び込まれる。
後は事前にあった伝手を頼り最初の宴席を開けば、噂は招かれた人達によってあっという間に広がる。
冬の退屈しのぎを探す裕福な顧客達に、皆の名が知れ渡るのはすぐだった。

 東白屋の思惑どおり、宣伝戦略を兼ねたホームパーティー演出企画は大当たり。
一座は早々にとても忙しくなる。
冬の寒さに外出を控える大尽方を次々に訪問し、芸人達は無聊を慰め、顔を売っていく。
連日のようにどこかで宴席が設けられ、予約は途切れない。


 この時代の商業は、「座」という組織に入っていないと売買権を認められない。
油なら「油座」、米なら「米座」という決まった組合がある。
その地にある「座」は保護されているから、違う地域からの商売を割り込ませることはとても難しい。

 しかし、世の中には必ず裏や抜け道というものがあるのだ。
領主などのその地の権力者はもとより、直々の御用商人らと昵懇になれば商売は叶う。
東白屋はそれを狙っていて、攻略の手を進めていた。


 師走(12月)の名を体現するように、大人達は休みなく働いている。
夜は宴席に、昼は出し物(芸)がいつも同じでは飽きられてしまうから稽古も欠かせない。
弥四郎も段取りや手配に時間を割かれ、私達にかまう暇もない。

 私とくぅちゃんは、屋敷に放り出されていた。


「日吉、また本読んでるの?」

「……面白くて、これ」

「わたし、この前の舞ぜんぶ踊れるようになったよ」

「くぅちゃん、すごいねぇ」

「日吉はやらないの?」

「もうちょっと、読んでから」

「つまんない。
 日吉なんて、もう知らない!」


 知らないと言いながら、本を読む私の横で稽古をするくぅちゃんは立派なさびしがり屋だ。

 くぅちゃんは勉強は好きではないので、読書の楽しさはさっぱり理解できないらしい。
読むのを止め稽古につきあってあげるべきかとも思うけれど、私は私で彼女の踊りに対する情熱にはついて行けない。
 
 今では一緒に踊りを練習しても、結局は私が手とり足とり教わるばかりになってしまう。
「……それも悪いからね」と本が読みたい自分の言い訳を胸に呟き、文字を追いながら私は歌を口にのせる。
伴奏のレコードがわりくらいにはなれるだろう。
 仲直りの合図か、踊りに必要のない足拍子がトトンと聞こえ、私は笑みを浮かべ読み終えるまで何度も歌を繰り返す。


 踊りの稽古を一緒にとねだるくぅちゃんには舞の素質がある。
それに対し、私の適性は勉強の方に向いていると思う。

 彼女には不評だった弥四郎の授業も、私にはとても面白かった。
初めは筆にも候文(そうろうぶん)にも慣れず戸惑いも多かったが、でも理解が進めば、それは私を夢中にさせた。

 成立から300年もたっているのに、今まだ慣例として使われ続けている「御成敗式目」。
それを下敷きにして、「ただしうちの国では~」と実務に沿わせた「今川仮名目録」。
現代法に通じる、15歳以下(子供)の殺人は刑事責任を問わないなどの条文には、思わず笑ってしまったくらいだ。
漢文と日本語のハイブリットである候文も、口語ではなく文語の文章も、慣れれば面白い。
口語だとこの時代は方言色が濃すぎて万人向けではないから、共通語としての文語なのだと説明されれば納得もいく。

 合理的なものもあれば、不条理を感じさせるものもある。
時代を超えて受け継がれるもの、時の流れに変わっていくものの容を読み解くことは楽しい。
弥四郎が忙しくなってしまったので独学だが、文字も書けるようになった私の知識への欲求は増すばかりだった。



 屋敷における私とくぅちゃんのお留守番の日々は、冬の日だまりのように穏やかに過ぎていく。
私は彼から借りた書(本)を貪るように読み、くぅちゃんは踊りに専念しているうちに年は暮れ、新年を迎える。


 東白屋と一座の契約は、この春(新年)までだ。
年明けの祝いの席をこなせば、一座の仕事は終わりになる。
弥四郎達はこの後、さらに東に進み陸奥にまで行くという。
一座の予定をまだ私は知らないが、彼らと共に行くことはないだろう。

 仲良くなった人達との別れは寂しい。
片付けの始まった屋敷の様子にそう思いながら歩いていると、弥四郎に呼ばれた。
一緒に行くかと誘ったくぅちゃんにはていよく断られたので、私は一人彼の部屋に向かった。

 彼は大きな行李(こうり 物入れ)の前に座り、私を待っていた。


「久しぶりだね、日吉。
 こちらについてからは時間が取れず、手習いを見てやれなくてすまなかった。
 一生懸命勉強していたと、家人から聞いているよ」

「書をたくさん貸していただきました。
 どれも、皆面白かったです。 ありがとうございます」

「役に立ててよかった。
 この先は出立の準備で忙しいから、話ができるのはこれが最後になりそうだ。
 何か尋ねたいことがあったなら、答えてあげよう。
 知りたいことはあるかい?」


 弥四郎の言葉にすぐに思い浮かんだのは、勉強に関するあれこれ。
わからなかったことはたくさんあり、辞書もないから理解を後回しにしたものの数は多い。

 でも、口に出そうとした問いかけは、喉もとで止まった。

 学びたいことも知りたいことも確かにいっぱいだ。
けれど、それにはまだ先にもチャンスはあるのではないだろうかとの思いが、私の声を引き止める。

 弥四郎とここで別れれば、この時代だ。もう一度会える可能性はとても低い。
一期一会の言葉通りに、「人との出会い」の方が大切にすべきものなのではないかと思う。
次の再会を約束できない相手であれば、なおさらその思いは強くなる。
学ぶ機会を与えてくれた彼自身については何も知らずに、このまま別れていいのだろうか。
……そんなわけがない、いつか後悔するに決まっている。

  書物も時代も楽しいけれど、全てをつくりだすのは人間なのだ。
人への興味が尽きないからこそ、それの創り上げる世界に私は魅了される。
弥四郎という人間を知ることの方が、分国法よりも絶対重要だった。


 私は膝に置いている手に少しだけ重心を乗せ、質問を待つ弥四郎の瞳を覗きこむ。


「弥四郎さま。
 ……弥四郎さまは陸奥に行って、何をなされるのですか?」

「…………。
 ああ、お前は、それを聞くのだね」


 長い沈黙の後。
吐息にのせた微かな声が、静かに床の板間に落ちた。

 これから行く遠い道先を想うように目を伏せた弥四郎の口から、一つの昔語りが始まる。



[11192] 戦国奇譚 伊達氏今昔
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:5821f902
Date: 2009/11/22 20:46

「日吉は陸奥という国を知っているかい?」

「いいえ、知りません」

「陸奥守護は伊達左京大夫(さきょうのだいふ)様。
 伊達第14代当主にして、奥州守護職も補任されておられる」

「……いだ、て?」

「そして、そのお方にお仕えしていた牧野安芸守様が、……私の以前の主だった」



 ――――― 戦国奇譚 伊達氏今昔 ―――――



 弥四郎曰く(いわく)。
伊達氏は初代が頼朝の平泉征討にて勲功をたて、陸奥伊達群(いだてぐん)を賜ったことに始まる。
以後、鎌倉から室町に幕府が変わる中、北の大地で勢力を伸ばしてきた。
特に将軍足利家とは関係も深く、伊達家当主は名前(諱 いみな)を一文字、代々もらっている。

 と、ここまでは歴史の話。

 彼自身の過去話は、今から20年ほど遡ったところからだ。

 弥四郎の仕えた伊達の当代(今の当主)は、勢いのある人だったそうだ。
当代は将軍から名をもらうと同時に、さらに左京大夫の任官を朝廷から受け、陸奥守護職にもなった。
この官職は従来、奥州探題大崎氏のものだったのだから、それにとって代われたということはすごい出世だろう。
その後も近隣の相馬や最上、葦名などを従えることに成功し、名実ともに伊達は奥州の盟主になる。

「当時はまだ算用方だった安芸守様のもとで元服し、禄をいただけるようになった。
 御当主に謁見出来るような身分ではなかったけれど、あの方を尊敬申し上げていた。
 幼いながら私も、国元が栄えていることを誇りに思っていたよ」

 背後の行李に、懐かしむような視線を弥四郎は少しだけ向けた。
思い出の品でも入っているのかと思いながら、私は黙って耳を傾ける。

「けれど、官位受領のお礼を届ける使者の小者として、私が推薦されたことがきっかけだった。
 長旅を経て、都を知り、私はこの人生を選ぶ」

 弥四郎は京へ行き、その世界に魅せられた。
寛大な主の許しを得て彼は武士を捨て、そのまま世話になった商家に入る。
もともと伊達家とつながりのあった店は、弥四郎のこともあって陸奥との交易は縁を深める。



 弥四郎は淡々と彼の過去を話していく。その言葉にも話の流れにも乱れはない。

 しかし、何故かその滑らかな話には微妙な違和感が付きまとい、私は困惑に眉を寄せる。
「おかしなことではない」のなら、最初に尋ねた時のあの沈黙はなんだったのだろう。
平静すぎる語り口も、何かが胸に引っかかりすっきりしない。


「どうした、日吉。
 何かわからないところがあったのかい?」

「いいえ……、ただ、」


 駿河と違い供もほとんどつけない旅だと聞き、思いついた質問だった。
弥四郎の昔話から、彼が商売ではなく里帰りするのだということは充分わかる。
思っていたよりもずっと詳しくしてくれた話に、なおも正体不明の不審があるとは言い出しにくい。
まして、その不審も焦点が見つからず、どう聞けば知りたいものが知れるのかもよくわからないのだ。
でも曖昧に濁すには、胸がもやもやとして、このままにしておくことも居心地が悪い。

 私はピンポイントの質問は諦め、外堀から埋めていくことにする。
「わからない場所」がわからないなら、全体からわかっている部分を引き算していけばいい。
細部のピースの確認から始め、全体像を造り、最後に埋まらない不明部分を原因に絞るという方法だ。

 しかし―――。


「あの、その時も、今と同じ道のりで旅を?」

「知りたいのかい?」

「……」


 順番に謎を追っていくつもりだったその一発目の質問から、私は何らかの当たりくじを引いてしまったらしい。
すぐに聞き返してきた弥四郎の口元は笑みを刷いているのに、目が笑っていない。


「ははは、本当にお前は鋭いね、日吉。勘がいいのかな。
 
 それに、何でも知りたがることの危険性もわかっているようだ。
 駆け引きや交渉では、引き際を見る目はとても大切だ。
 言葉の表には現れぬ音を、そうやって聞き取れるお前は商人に向いているよ。

 本当は最後の機会だから、伊達にゆかりの分国法の話でもしようと思っていたのだがね。
 こうして行李に準備もしていたのだが……。
 でもそうだね、私もお前がこの話を聞いて何を考えるのかを知りたい気もする。
 ここで聞いたことを人には言わないというなら、話してあげよう」

「はい」

「あの時の旅路のことは、今もよく覚えている。

 私達は、国元を出てまずは越後へと向かった。信濃川を渡り、越後の府中に寄った。
 姫川を渡り、越後と越中の国境を抜け、常願寺川、神通川、蓮沼の小谷部川を渡って加賀の今港に。
 手取川、九頭竜川、木の芽峠を越えて敦賀に至る。
 越前近江を抜け、湖北の海津、そこから湖西をまわって京に入った」

「海路は使わず、ずっと陸路を選んで、ということですか?
 北陸道を通って行かれたのですね」

「そうだ。
 将軍家との御縁戚にある方の使者が陸路を行く。
 日吉、お前は、この意味がわかるかい?」

「…………陸路を。
 長旅を安全に進むには、手助けしてくださる方々が必要となる。
 朝廷への使者という大義への協力者は、各地の守護大名や任官された国人領主達。
 彼らのもとを訪ね、頼んでの旅だというならば、それは権威網の再確認を兼ねての?」


 この答えは、自分でもかなり飛躍した考えだと思う。
でもこれが、弥四郎の言いたかったことなのだろうと私は直感した。

 各地の大名がそれぞれ力をつけてきている時代。
各自が勢力を独立させ隣国と奪いあうなか、地方の領地や年貢の取り決めには朝廷の力が薄れて久しい。
でも、まだ何もかも意味がなくなったわけではないことを、私はすでに弥四郎から学んでいた。

 それに考え合わせ、国を跨ぐ使者がわざわざ陸路を取ることの「必要性」を考えれば、ここに辿りつく。

 当主個人の伝手だけで各国に渡る協力者が募れるほどなら、伊達が天下に打って出ていてもおかしくはない。
けれどそれはされていないのだから、別のバックがあると考える方が妥当だ。
「世話になった商家」がからむのは先の話からもわかるが、でもまだこの時代の商業は黒幕になれるほどの円熟はない。
ならば後は、これまで出てきた話題から差し引けば、残るのは一つだけ。

 「朝廷と幕府への使者」という大義名分。

 これを理由に伊達は沿道の在地大名や国人達の協力を引き出した。
ならば、この権力の構図はまだ完全に断たれているわけではないということ。
朝廷や幕府の権威が実質的な力を未だ有していることを、私は彼の話から嗅ぎとった。
そして、弥四郎の話から導き出した結論は同時に、私を、彼に抱いた違和感の源へも辿りつかせる。


 それは「では、私の前で講義をしているこの人の立場はなんだろう」という疑問だ。

 幕府と伊達を結ぶ線上に介在する商家に入った、もと伊達の武士。
京という幕府の膝元に居てなお、ずっと故郷とのつながりを断たなかったこの人はただの商人といえるのか。
心を遠く今も陸奥の地に預けているように見えるこの弥四郎は、本当に自分から望んで商人になったのか。

 くぅちゃんに言われて持ちだした疑問が、具体性を帯び改めて心に浮ぶ。
彼の話を考えれば考えるほど、そうして浮かんだ疑念を私は隠しきれない。

 揺れる視線から私の気持ちを読み取ったらしき弥四郎も、一つため息を吐いて目をそらす。
私が彼の考えを読めるなら、逆もまた然りだ。
 

「日吉。
 お前のその目には、何が見えているのだろうね。
 考えを知りたいと思ったのは私だが、同時に恐ろしくも思うよ。
 その幼さで、聞いたことの十先をお前は読んでしまう。
 お前のような生き物を……。野に放つのは、危険なことなのかもしれない。
 ここで切ることが、正しいのやもしれない。
 けれど、切れない私は、やはり商人なのだろうな」

「……ごめんなさい」

「いいや、私は武士をやめたのだから、それでいいのだろう。繰り言だった。
 悪いことを言ったのは私の方だ。そんな顔をしなくてもいい。

 ただ、私はお前を少し不憫にも思う。

 お前のその鋭さは両刃の刃だ。
 賢くあることが、全ての利点につながるとは限らない。
 それを好むものと同じくらい、疎ましく思うものもいる。

 だから、賢さをひけらかすことはやめなさい。
 
 お前は、言葉を引くことを知っているだろう。
 同じように、その鋭さを隠す術も持つといい」

「はい。ありがとうございます、弥四郎さま。
 でもどうして、そこまで私に話してくれたのですか?
 たくさん教えてくれるのですか?」


 弥四郎の忠告は、私を案じる心のこもった親身なものだ。
本来なら私のような特に関わりもない赤の他人に与えるには過ぎた言葉ばかり。
ありがたいと思い感謝しながらも、因果な私は尋ねずにはいられない。

 弥四郎は目の前にいる私ではない何かを見るように微笑んだ。
こちらを向いているのに、見つめても合わない視線が、遠い。


「そうだな。
 理由の一つは、お前がそうして真剣に私の話を聞いてくれるからだろう。

 体が小柄だからか、お前の目はとても印象がつよい。
 その大きな目に見据えられ、身を乗り出すようにして聞かれると、いつの間にか話に熱が入ってしまう。
 私はね、何度も手習いの講義をしながら、お前の歳を忘れたよ。
 でも興が乗りすぎ難しい話をしたことに気づいても、お前は最後までじっと聞いてくれていた。
 真摯に耳を傾けてくれると思わせる相手に、人は心の内を話したくなってしまうものだ。

 それと、もう一つは。
 誰かに、託して行きたくなったからだろう。

 私はこれまで子も弟子もつくらなかった。
 選んだ人生を後悔はしていない。
 けれど、私が学んだことを伝える相手がいないことを、今になって少し残念に思っていた。
 この旅でお前という生徒を得られたのは、何よりの僥倖(ぎょうこう)だった」

「……。
 弥四郎さまは……、もう、京には帰られないのですか」

「お前はまったく。
 今、鋭さは隠せと言ったばかりだろう?
 言葉の裏を読むのはいいが、それを表に出すことは考えなさい、と。
 お前は私にとって奇貨だった。この話はそれでいい。

 ―――ああ、でも、最後にもう一つだけ。お前に大事なことを教え忘れていたようだ。

 日吉、いいかい。
 人というものは、必ずしも利で動くのではないということを忘れるな。
 律(法)を与え、理(ことわり)を説いても、人の心を完全に縛ることは誰にもできない。
 愚かとわかっていても、時にそれを選んでしまうのが人の性(さが)だということを、覚えておくといい」


 私の人生最初の師となった弥四郎は、最後の授業の言葉をそう締めくくった。




 そしてこれはずっと後のことになるが、私は彼が向かった当時の陸奥の情勢を知ることができた。
 
 伊達はこの4年ほど前(天文11年)から、内乱の中にあった。
伊達左京大夫稙宗は三男を越後守護・上杉家の嗣子(後継者)にしようとして長男に離反される。
多くの国人を巻き込み奥州を割った乱は、稙宗方が降伏、家督を譲ることによってその幕を閉じる。
多くの火種を残したまま一応の決着を得たのは、天文17年のこと。

 遠い異郷の地での戦の話を、あの時褒められた姿勢で私は熱心に聞いた。
でも、東白屋にいた弥四郎という男がその先どうなったのかという話を伝える者はいない。



[11192] 戦国奇譚 密輸
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:98fbb3b1
Date: 2009/09/14 07:30

 駿河で商家への義理を果たした男は陸奥へ。

 彼に二か月ほど遅れ、山の春を待って私達もこの地を旅立つ。
富士川に沿って身延道を進み、甲斐へと向かう。



 ――――― 戦国奇譚 密輸 ―――――



 日本アルプスと後に呼ばれる中央山岳地帯を、甲斐、信濃、飛騨という三国が分けて受け持っている。
だから、はっきり言ってしまえばそれらの国には山しかない。


 両脇からは高い梢が空を、低く茂る笹が道を隠している。
商人も通るそうだが、山道としか呼びようのない細い道だ。
道幅は狭く、整備が行きとどいているとはとても言えない。
角度があるのは仕方ないにしても、両側から生えた草によって道筋は度々途切れて消えた。

 背の低い私では、一人で歩くなどしたらあっという間に埋もれて、行く先を見失ってしまうに違いない。
今まで歩いてきた道の様子とのあまりの違いに、私は驚いていた。


「日吉、平気?」

「うん。
 でも、この道の先に、町や村があるとか全然想像つかないね。
 草も刈られてないし、私たち以外の人も通ってないし」

「誰もいない。木ばっかり」


 かき分けてもらった笹の間をくぐって、私は立ち止まったくぅちゃんに並ぶ。
私より背が高い彼女にも先は見えないのか、踵を浮かせて首をふっている。

 後ろで藪よけの杖を支えてくれていた座長が苦笑した。


「甲斐は田畑も少ないし、海もない。
 川傍が幾らか栄えているが、山雨が降ればすぐに水があふれて流してしまう。
 だから、湊のある駿河なんかに比べると、とても貧しいんだ」

「それなのに、行くの?」

「三河には寄らなかったのに?」

「小国も日吉も、息があってるなぁ。
 二人とも、甲斐行きはあまりお気に召さないか。
 太夫達もな、すっかり駿河の華やかに慣れてしまって…」

「あら、それは聞き捨てならないお言葉ね。
 私達は、べつに旅が嫌だなんて一言も言ったことはないわよ」

「そうよぉ。
 一つ所にとどまらないのが私達の信条でしょう?」

「座長ったら、私達に言わないでぇ。
 おチビちゃん達に愚痴るなんて、男らしくないわぁ」

 
 いつの間に追いついたのか、座長の肩越しに太夫方が顔を覗かせる。
大人は二人並んでは通れない道だ。
それなのに彼女達は入れ換わりながら、からかいの言葉をかけてくる。

 皆、この山道に飽きてきていたのだろう。
体力温存のため話さないというのは、やはりうちの座の雰囲気には合わないようだ。
おしゃべり好きで、基本陽気な人ばかりなのだ。
ネタを提供してしまった座長はその鬱憤を晴らすように太夫達にからかわれ、かまいたおされている。

 いつものことで深刻にはならず、軽やかに笑う太夫達の声が山道に響く。
座長もじゃれあいとわかっていて付き合っていたのか、しばらくすると上手に話題をそらした。


「もう、勘弁してくれ。
 皆の心意気は、よくわかったから。

 …それよりこの子達に、甲斐行きの理由を教えてやってくれないか。
 いずれ独り立ちする日も来るだろうから、知っていてもいいと思うんだ」

「私達が話していいの?」

「ああ、頼むよ」

 座長に頼まれた早蕨太夫に手招きされて、私とくぅちゃんは彼女の近くによる。
腰に下げている荷袋から何かを取り出すと、早蕨太夫はそれを私達に見せてくれた。

 黒い塊は強い磯の匂いがして、私の記憶を刺激する。
これとよく似たものを、故郷でも使っていたことを思いだした。


「これ、塩?」

「違うわ、海草(うみぐさ)よ」

「えっ、でも……」

「ふふ、日吉は、塩や米が座に入っていないと売ってはいけないことを知っているでしょう?
 だからね、これは『塩』ではなく『海草』なのよ」

 海草を袋に戻す早蕨太夫に促され、足を進める。
解説するやわらかな彼女の声が、背を押してくれるようだ。

「駿河の浜で塩をつくっていたのを見なかった?
 あの辺りは、昔から塩作りが盛んな場所なの。
 駿河では塩はとても安いわ。でも、甲斐では違う」

「山ばかりで海がないから?」

「あたり。
 何でもそう。たくさん取れれば安くなるし、取れない場所では高くなる。
 まして戦でもあれば……、ね。
 塩座商人の売る塩は、貧しい人間には手に入れられないほど高いものになってしまう。
 世の道理なのでしょうけれど、辛いことだわ。
 そうして、塩を買えない人達は私達のこれを必要とするの」

「つかまったりしないの?」

「塩そのものを売ればつかまっちゃうわね。
 でもこれはあくまで『海草』。海草を塩で煮つめて、干して削ったものだもの。
 市で問屋にはだせないような小魚を売っていても罰したりはしないでしょ。
 それと同じようなものよ。
 梅の実なんかを塩漬けにしたのも同じね。

 まあ運が悪ければ、……どうなるかはわからないけれど。
 村が死に絶えて農民がいなくなったら、偉い人だって困るでしょうし。
 多少はお目こぼしされているのが実情ってとこかしら」


 早蕨太夫が説明を終えると同時に、私達の目の前に割り込んだ志野太夫がひょいと手を突き出してくる。
その手の中に握られていたのは、海草より細かい黒い粒だ。


「あと売り物といえば、これ」

「種、ですか?」

「ええ、これは木綿(ゆう)の種」

「ゆう?」

「そうよ、これからの流行はなんて言ったって、これ!
 麻は丈夫で涼しいけれど、木綿はやわらかで暖かいの。
 駿河で織ったものも見せてもらったけど、とてもいい感じだったわ。
 麻も悪くはないわよ。
 でも、これからは木綿の時代が来ると私は思うわぁ」

「あー、志野太夫ったら、またそれ言ってる。
 それって、贔屓してた布問屋の旦那の口癖だったやつじゃない。
 もう、耳タコ、耳タコ」

「なによ、いいじゃないの、受け売りだって。
 いいものは皆でわけ合わなきゃ。
 きっと売れるんだから」


 うっとりと木綿を褒める彼女を、他の太夫達が囃しさざめく。
それを横目に見ながら、早蕨は私とくぅちゃんの髪を撫でた。

「種の運びはね、ほんとの密売だから。絶対しゃべっちゃ駄目よ」

 言い聞かせるように変わった彼女の声音に、私達はそろって頷く。

「いい子ね、二人とも。
 米の種籾(たねもみ)は、不作の時は土倉から借りることも出来る。
 でもそれ以外の、特に年貢に取れないものについては、足元をみられることが多いわ。
 暑さ寒さ、長雨でやられたら、米だって野菜だって無くなってしまうのは同じなのにね。

 私達が運ぶ種はほんの少しだけ。
 これは確かにいけないことではあるけれど、それで生きる人がいるのを知っておいて。
 甲斐の地には、私達を待っている人達がいる。
 一座の売り物は芸だけれど、こういうものを運ぶのも大切な仕事の一つなのよ」

「はい、太夫」

「……ただ、志野の選んだ種は、隠し田や畑に撒く用の方かしら。
 木綿は絹よりも隠してつくりやすそうだから、大丈夫だとは思うけれど」

 小首を傾げる早蕨につられ、視界を傾けた私とくぅちゃんの向こうで、太夫達のお喋りも弾んでいるようだ。
話題は木綿から染色の話に変わり、流行の色合わせにと進んでいるらしかった。

 彼女達がそれぞれ趣を凝らし選んでつけている鮮やかな紐帯。
揺れるとりどりの明るい花色は、深緑の山道に映えて綺麗だ。
見ているだけで、心が浮き立つような気がする。

 故郷の村に居た頃は知らなかった色彩。
けれどそれは、逆にあの頃を私に思い出させ、私は考えに沈む。


 この時代の布は、主に絹か麻。当たり前ながら、化繊はない。
そしてプリント生地なんていう安易なものもないから、安い布は無地が一般的だった。
私が持っていたのも麻布で作られた単色のもの。
寒い時には藁で作ったベストのようなものを重ねて着ていた。

 この麻とは、苧麻(ちょま)やカラムシという植物の皮からとった 青苧(あおそ)という繊維でつくられている製品のことを言う。
品質は当然ピンキリで、青苧座が仕切るような上ものをつくる畑だと、米の三倍の値になるものもあるらしい。
けれど、山でも栽培できるので隠して作っているところも多く、庶民にも手に入りやすい品だった。

 これに対し絹は、農村ではめったに手に入らない。需要もない気がする品だ。
駿河で遠目ながら私も初めて見たけれど、織よりも刺繍に贅が凝らされていて華やかなものだった。
お金はあるところにはあるのだなというのが、その時の素直な感想だったりする。

 ちなみに、絹も上から下まで様々だ。
光沢のある上ものは値段も高く、傷繭から紡いだ製品はそれに比べればいくらか安い。
でも絹をつくるには蚕を育てなければならず、その餌になる桑(くわ)も大量に必要とする。
こっそり作るというわけにもいかないので、下々にまで広く普及するということにはなりにくいのだろう。

 そして、新顔の木綿(もめん)。
これまで木綿は見かけなかったが、話を聞けば最近あちこちで作られているらしい。
もしかしたら一般化するまでの過程を、私は今、生で見ているのかもしれない。
これはかなり興味深いことだ。


 思考から覚め現実に意識を戻せば、たわいない話をしながら先を歩く太夫達がいる。
彼女達の装いを眺め、それから私は自分の着物を見下ろした。

 今着ているものの昔との違いは、袖口と裾の先に違う色の布を足して変化を出していることだった。
今は芸を見せるのが仕事なのだから、農作業用の実用一点張りとは違うことはわかっている。
でも、このささやかな色合いでさえ、私の目や心を充分楽しませてくれている。


 ―――私は、いつかあの村に帰る日が来たら、母と姉のために色鮮やかな木綿をお土産にしようと、そう思った。



[11192] 戦国奇譚 竹林の虎
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:f65470ff
Date: 2009/12/12 20:17
 甲斐の国は、四方を天然の要害ともいうべき山々に囲まれている。

 道中、ここを越えれば山も終わりだと聞いて、高いところにいるうちに一望してみたいと私は思った。
しかしここは戦国時代。観光用の展望台など存在しない。
諦めろと言わんばかりに、山道には鬱蒼と草木が生い茂っている。

 でも、未練がましくあちこち目を彷徨わせていたら、「天然の崖」を見つけてしまった。
柵などないから足元が崩れれば終わりだけれど、私が好奇心に勝てるはずもない。
茂る笹をつかんで身を乗り出し、眺めた先にあったのは―――。

「うゎ、ほんとに盆地だ。
 すごい。あちこちに竹が、……いっぱい?」



 ――――― 戦国奇譚 竹林の虎 ―――――



 眼下に広がるのは、川に沿って作られた田畑。
そこから少し離れたところに立ち並ぶ家屋には、なにもおかしなところはない。

 けれど、そのどこにでもありそうなごく普通の景色の中。
もっとも存在を主張しているのは、風に揺れる春の若竹の淡い色彩だった。
鎌倉や京の古刹などを囲んでいるのが似合う竹林が、田畑とは色の違うかたまりをあちこちにつくっている。

 この竹林はもちろん山裾の方に多いが、平地にもかなりの量が生えているように見える。
耕地面積の限られた場所を田畑にせず、竹を残しておく意味がわからない。
風よけかとも考えたが、生えている場所は家とはあまり関連のなさそうなバラバラ具合で、首を傾げさせる。

 私もこれまで旅をしてきて、自分の育った場所以外の村も見てきている。
鎮守の森などは村の中にもよくあるが、生えているのは栗やクヌギなど生活に役立つ木が主だった。

 若竹の風になびく独特の風合いと葉の色は異色で、遠くからでもひときわ目立つ。


「綺麗だけど…。
 真竹か、それとも呉竹かな。
 でも、なんで竹?
 甲府の名物に、竹なんてあったっけ?」

「日吉、どうした。小国が探していたぞ。
 なにをそんな……、ああ、府中か。
 ほう、なかなかいい眺めだな」

「座長、甲斐の名物ってたけのこ?
 村に降りたら食べられる?」


 背後からの声に、浮かんだ疑問を私はそのまま言葉に変えた。

 時期的に「たけのこ」は今が旬だ。
少しの下心を持って呼びに来てくれた座長を振り仰ぐと、彼は微妙に驚きを含ませた眼つきで私を見下ろしてくる。


「……えっと」

「お前はかしこそうでいて、時々、アホな質問をするな。
 年相応と安堵すればいいのか、お前の将来を心配すべきなのか。
 『竹の子』など食べるものではなかろうに」

「おいしいのに?」

「いいか、日吉。
 まちがっても甲斐で、そんなことを言ったら駄目だぞ」

「は、い。
 あの……、でも、なんでダメですか?」

「この辺りを見ていてわからないのか。
 道脇の草藪は、みな笹だっただろう?」


 言われて見れば、木々の下を覆うのは笹ばかり。
今までの道を思い返しても、笹の印象しかない。
頷きながら考える私の手を座長は引いて、先行く一座の後を追う。


「竹も笹も、戦の道具だ。
 甲斐の領主さまはまだ若いが戦上手。父親を追い出してから、負け知らずと聞く。
 この道一つとっても、地道な準備も怠らずよく目の届く方だとわかるものだ」

「お父さんを、追い出したって……?」


 気にかかるフレーズにもっと詳しくと願えば、五年前に甲斐で起きたクーデターの話が始まった。

 ―――甲斐の前の領主は、あまり評判の良くない人だったらしい。
その人が僅かな部下をつれ、娘の嫁ぎ先である駿河に出かけて行った。
息子はすかさず残った部下たちと示し合わせ、駿河に通じる道を封鎖する。
それがここ、私達が今歩いている身延道だ。
帰れなくなり民にも叛かれたことを知った父親は甲斐を去り、家督はクーデターを主導した息子が継ぐことになる。


 戦国を戦い、生き残らなければならない大名の後継者争いは、どこも厳しい。
実力での代替わりがなされたというなら、それは妥当なことだったのだろうと思う。
そう、追い出された父親だって殺されずにすんだのだし……、と納得しようとして気持ちが少し落ち込む。
私に関係のない事件だけれど、この話には身につまされる要素が混ざっていた。

 俯き引かれるままに歩く私の分まで道に注意を払ってくれている座長は、雰囲気までは気に出来ない。
淡々とその後の経緯も並べていく。


「実に追い出したその年から、間をおくことなく甲斐は戦続きだ。
 当代は最初に自領に攻め込んだ相手を追いかえし、
 翌年には妹御の嫁いでいた諏訪をあっという間に平らげている。
 その後も次々に城を落として、昨年はついに上伊那まで甲斐に下したとか。
 常勝の主と讃えられ、民衆の人気も高いようだな」

「だけど……。甲斐って、貧しいんでしょう?
 そんなに戦ばかりしてたら、皆困ると思う。
 なのに、人気があるの?
 ……負けるよりは、勝ってくれた方が嬉しいとは思うけど」

「それはな、貧しいことが戦をする理由だからだ。
 甲斐は三年あれば二年は不作の国だ。
 戦を続けなければ、食べていけない」

「戦って、そんなにもうかるの?」


 失われる資源に対し、手に入るリターンが想像できなかった。
例え勝って領地が増えても、戦で人が減り田畑が荒れれば、すぐに年貢を増やすわけにもいかないだろう。
単純に考えると、そんなに度々戦にかりだされたらその方が不作の理由になりそうな気さえする。
農民が農地から引き離されて、不満が募らないほうがおかしいように思えるのだ。

 率直に聞いた私に、珍しく座長はためらうような眼差しを向けてきた。
微かに太夫達の声が聞こえるからもうすぐ追いつくはずなのに、彼は足取りも鈍くし、そのまま立ち止まる。


「日吉。
 お前はまだ直接、戦にあったことはなかったな」

「うん」

「この甲斐の地は、どこも戦ばかりだ。
 戦を避けようにも、この地にいれば避けられないこともあるかもしれない。
 でもな、戦には関わるな。絶対に、関わるなよ。
 私達は流れの民。土地にも領主にも何の義理もない。
 戦の気配を感じたら、何を置いても逃げることだけを選べ。 いいな?」

「……はい」

「よその武士が押し入れば、どこであろうとそこが戦場になる。
 貧しい村だとか小さな村だとか、そんなのは何の逃げ道にもならない。

 武士も足軽も関係ない。
 戦の中であいつらは、あればあるだけ何でも奪っていく。
 収穫を迎えたものも、青田も苗も、区別なく全て刈り取られる。
 家からは壁板をはがし、武具はもとより生活用具もみな奪われる。

 そして、武士は人も狩る。
 男も女も関係なく、連れて行けた人数が手柄になるからだ。
 足弱(あしよわ 老人や子供など)もおかまいなしに引っ立てる。
 身代(みのしろ)を払えば返してもらえるが、甲斐の代は高い。
 安くとも二貫、高ければ十貫もの値がつく。
 そしてそれを身内が払えなければ、帰れない」

「……」

「怖い話をしてすまなかった。
 でもな、日吉。戦はどこにでもあるんだ。

 甲斐のご領主は、決して悪い方ではない。
 そうして戦をしても、甲斐の民を食べさせている。
 民もそれ知っているから、戦働きを厭わずついていく。

 山間の厳しさはどこも同じだ。
 攻め込まれれば奪われるのは、甲斐もよそもかわらない」
 

 その後、座長は声音を変え、もちろん一座が戦に合わないように十分注意するからそう心配しなくてもいいと言った。 
ただお前は好奇心の塊だから、珍しいものに惹かれてはぐれるなよと、いつもの笑みを浮かべる。
重くなった話を返すように、軽い調子に切り替わった口調は私への気遣いだった。

 彼は繋いだ手を揺らし、私を促す。
けれど私には、笑いをかえす余裕はなかった。


 酒の席で話される自慢話や、戦場での失敗談には出てこない戦の現実。
今までねだって聞いてきたものは、やはり子ども相手と思ってのごまかしがあったのだろう。
戦場の厳しさを笑い話で流す大人のやさしさを、知らずとも私は向けてもらえていたというわけだ。
……ここまで話してくれた座長の話だって、帰れない民のその先も、死者の扱いにもふれていない。


 まだ私が知ったのは、戦のほんの入り口にすぎない。
なのに、私は怯える自分を実感していた。
 戦の生々しさは、人間の持つ業(ごう)そのものだ。
奥歯をかみしめなければ歯が鳴りそうで、私は自分が情けなくなった。

 現代と違い、戦は遠い世界の出来事ではない。テレビの向こうの話ではない。
この時代を生きる者は皆、この現実に向かいあって生きている。
私もその一員だ。いつ自分の身に降りかかってきても、おかしくないことなのに。


―― 甲斐を渡る風。揺れる竹林の陰から、餓えた虎が目を光らせている ――


 幻の虎の眼差しに、私は射竦められ小さく震えた。
繋いでいた手にも思わず力が入れば、ふいに体が浮く。
抱き上げられたと思った時には、肩口に顔を押しつけるようにして頭を撫でられる感触がある。

 触れた場所から、しみこむように伝わってくる人肌の熱。
山の清涼な空気に奪われていた温もりが、ゆっくり戻ってきた。

 「人」を売り買いし傷つけることができるのも人ならば、「人」を慈しみ慰めを与えられるのもまた人だった。

 細く息を吐き出せば、体から緊張が抜けていく。
座長はそれ以上何も云わず、黙って私を抱いたまま歩き出す。
私は座に追いつくまでと目を閉じて、甘えを許してくれるやさしい揺れに身をゆだねた。


 ―――私の心の奥で。
戦国を生き抜くための真実の覚悟は、まだ静かに種のまま、温かい土の中芽吹きを待っている。



[11192] 戦国奇譚 諏訪御寮人
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:c2e4831b
Date: 2009/12/12 20:18
 
 殺気立った武者ばかりいそうだとびくびくして山を下りたけれど、出会った人は皆普通だった。

 甲斐入りを果たした一座は、府中へは向かわず山裾を縫うようにして盆地を抜けていく。
その途中、一件の農家が軒先で「すいとん」とも「うどん」ともつかない物の入った汁物を私達にふるまってくれた。
薄い塩味のとてもシンプルな椀だったけれど、少ないものをさらにわけてくれるその心遣いがうれしい。

 どこの人だっていい人はやっぱりいい人だし、怖い人もそれはそれ。
単純に分類してしまうのは愚かしいということなのだろう。



 ――――― 戦国奇譚 諏訪御寮人 ―――――



 私達は再び山間にはいりこむ富士川に沿って、諏訪へと足を向ける。
右手に八ヶ岳、左手には駒ケ岳を見て歩く道のりだ。
川があふれたら逃げ場のなさそうな峡谷にまで、小屋のような家がぽつぽつと立っている。
一座はゆっくりと、近年の戦で知り合いが無事だったかどうかなど、安否を尋ね情報を得ながら進む。
再会を喜んでくれる人もいれば、悪い知らせを教えてくれる人にも会った。

 そして、諏訪の少し手前の村で、久しぶりの興業をやっている時だった。
無骨な片目の使者が、講演の依頼を携えてやって来た。

 彼の依頼は、ある奥方の気鬱を慰めるために、屋敷の庭で歌や踊りを見せてほしいとのこと。
その方は初めての妊娠にとてもふさぎこんで、最近は侍女との会話までほとんどしなくなってしまったらしい。
話を聞いた太夫達も同情の声をあげ、座長も承諾の意を伝えた。


 日を改めてということで、翌々日。

 私達はその使者に諏訪湖のほとりの静かな屋敷に案内される。
かなり立派な家で、造りから見てもいいところの奥さんだろうということが伺えた。
部屋には上がらずそのまま庭へまわれば、今回の舞台になる場所は、評定(ひょうじょう)でも出来そうなほど広々と明るい。
辻のにぎやかさはないけれど、綺麗に掃き清められた地面は踊りやすそうだ。


 庭に面した部屋に奥方と侍女達を迎えて、口上もそこそこにさっそく歌と踊りが始まった。


 最初は手拍子。 続いて拍子木の高い音。
切れのいい音がアップテンポにリズムを刻み、おいかける笛の音が絡めば祭囃子(まつりばやし)にかわる。
太夫達は長い飾り紐のついた鳥の面や野菜の書かれた扇子(せんす)をくるくると回し、入れ替わりながら踊る。

 優雅だけれどユーモラスな舞に、心浮き立つ旋律の応援歌。
これは田植えの際によく歌われる田楽(でんがく)を主題にしたもので、豊穣を祈る田舎踊りだ。
庭に近い階(きざはし)に座る侍女などは、知っている者もいる様でにこにこと笑っている。


 しかし、どうも部屋の中央は暗い。


 真ん中に座っている奥方の反応が芳しくないためか、奇妙な緊張感が座敷の上の方にはあるようだ。
太夫達もそれに気づいていて、踊りを切り上げる時を図っている感じがする。
曲は一巡したが、場の空気を読み違えしらけさせるようでは本職とは言えない。

 私はくぅちゃんと目配せを交わした。

 次の演目は、私達。
一度終わらせ上座に礼を述べるよりも、このまま流れを切らず繋げる方がまだいいだろう。
飛び入り参加のような形で太夫達に割り込み、後は自然な感じで踊りを交代すればいい。


 この演目、シテ(主役)がくぅちゃん。私は影役だ。

 影である私は、最初くぅちゃんと同じおどりを後ろで踊っているのだが、途中で真似をやめてしまう。
左右対称に踊ってみたり、少し遅れて追いかけたりと自由気ままに遊びだす。
影の反乱に驚くくぅちゃんと軽い攻防を演じ、最後は踊り比べをして再び影へと戻るという筋立てになっている。

 私が以前踊っていたものからの発展形だが、内容は比べるまでもない。
相方が人形からくぅちゃんに変わったことによって、小技一つにしても幅が広がった。
まして練習熱心な踊り好きの彼女は、斬新な発想の持ち主だ。
新しい技を二人で考えるのは楽しく、実は、座長達にさえ見せたこともないような隠し玉だって私達は揃えている。


 やがて、曲は上手く切り替わり、太夫達が下がった。


 踊りはいつだって心が肝心だ。
踊りの主題は「遊び」。
だから、私達はこの広い庭で真剣に遊ぶ。
体いっぱいで楽しさを表現し、心から笑って、それに周囲を巻き込むつもりで踊る。

 笑って、跳ねて。攻防を演じる舞の中に取り入れたバク転では、観客に息を呑ませる。
観客の小さな悲鳴を拾い、軽業(かるわざ)の成功を祝って、くぅちゃんと手を打ち鳴らす。

 笑えるしぐさを前面に押し出すテンポの良い踊りを終えれば、息も弾むし汗もかく。
でも、お客の反応も上々だ。
満足いく出来だったとくぅちゃんと視線で讃えあっていると、上座が揺れる。


 何か、もめているらしい。


 様子をうかがっていると、「近くに、」と呼ぶ声がする。
けれど、本当に近づいていいものか私は迷う。
どうも呼んでいるのは奥方のようだが、お付きの女性に小声で窘められている様子も見える。

 けれど、静かな奥方様はなかなか頑固でもあったらしい。
年かさの侍女達の言葉をしばらく聞いた後は、一言二言で抑え込み、自分の意見を押し通す。
私とくぅちゃんは明確に軍配が上がったのを見て、座敷の足もと近くまでよって座ると、立てと示された。


 許されて視線をあげれば、近づけたおかげでよく見えた「奥方」の若さに驚く。
どう見ても、14,15だ。もしかすると、もっと若い。すごい美少女がそこには居た。


「子ども、お前はいくつ?」

「そのままお答えしなさい。
 この場だけ、直に口をきくことを許します」

「わたしは七つ。
 こちらの日吉は、……五つになります」

「そう。
 小さい方はもっと、幼いかと思いました。
 わたくしは、自分より幼い子を見るのは初めて。
 弟も生まれたとは聞きましたが、あったことはありません。

 ……子とは、お前のように小さき者のこと。
 でもお前が五つだというのなら、わたくしのこの子は……。
 腹にはいっているくらいだもの、とても小さいのでしょうね」


 涼やかで抑揚のない声で淡々と語る、くぅちゃんや太夫達とはタイプの違う硬質な美少女。
白い肌にそこだけやわらかく紅をのせた唇はとても可憐。
少しでも微笑んでくれたらどんなに綺麗だろうと思わせるのに、表情が動かない。
あまりの平淡さに、「人形のような」という形容が思い浮かぶ。

 せっかくの美人さんなのにもったいないと思う反面、私は心配にもなった。
マタニティブルーで、ここまで無表情になるほど鬱になっていて大丈夫なのだろうか。

 不安に覗きこめば、無心に観察するような、真っ直ぐな視線が注がれているのがわかる。
無表情で見つめられるのは居心地が悪いが、向けられる視線は透明だ。
蔑みや身分の差を気にする色がないから、逃げ出したくなるような気持ちにはならない。

 ただ彼女の表情からは、何を考えているのかさっぱりわからない。
見つめあっていても仕方ないので、私も口を開く。


「あの…、奥方様。
 少しは楽しんでいただけましたか」

「…………楽しむのは、難しいこと。
 お前達の芸はみごとでした。
 けれど、わたくしは笑うことを忘れてしまったようです。
 あの方にもお会いできなければ、笑む必要もありませんから」

「姫様、姫様っ!
 それは、御屋形様は出陣前につき、来られぬだけにございます。
 決してお心が離れたわけではありません。
 先日も、姫様の気鬱を案じられるお手紙を、」

「わかっています。
 戦支度の中、身重(みおも 妊娠中)の女性に触れることは良くないこと。
 子が生まれてきても、すぐには会いに来られないことも武士の習い。
 知らぬわたくしではありません。
 でも、わかっているからこそ、言っているのです」


 話をしなくなってしまったという前ふりが嘘のように、彼女の言葉はよどみない。
かわらず平坦で声を荒げたりはいっさいないけれど、不満はたまっていたのかもしれない。

 妊婦さんにストレスを溜めこませるなんてかわいそうだと私は思い眉をしかめる。
私に経験はないが、妊娠をすればホルモンのバランスも崩れるし、不安定にもなりやすいはずだ。
まだ出産による死亡率も高い時代だし、初産ともなれば心細さもひとしおだろう。

 話を聞いていると、こういう時一番頼りになるはずの旦那さんがあてにならないのがわかる。
縁起を担ぐ作法があるのかもしれないが、相手の顔も見ることができないなんてどちらにもひどい話だ。
旦那さんだって、こんなに若くて綺麗な奥さんに何カ月も会えないで何かあったら、後悔どころではすまないと思う。

 でも、私の同情は、ここにいない旦那さんより目の前の美少女を優先だ。 

 全然似てはいないけれど、故郷に置いてきた姉のイメージも重なる。
もしも姉が子供を産むというなら、私はどんなことだって手伝ってやりたい。
姉の夫は普通に農民だと思うが、もし傍にいなくても、寂しい思いも不安な思いもさせないように私は全力を尽くすにちがいない。


 ここの奥方だって、一座を手配した者や侍女達など心配してくれる人達はいる。
けれど、日頃言えずに我慢してきたことを話すには、きっかけも必要だったのではないだろうか。
言いたいことなら溜めこまず、全部吐き出してしまった方がすっきりする。


 だから、私は尋ねた。

「……寂しかったのですか?」と。


 私は、まだ何も知らなかったのだ。
諏訪御寮人(すわごりょうにん)と呼ばれるこの少女が、誰に嫁いで来たのか、その理由さえも。



[11192] 戦国奇譚 壁
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:f9dd8381
Date: 2009/12/12 20:18
「無礼な!
 小者ごときがさかしらに、ひかえなさい」

 私が話しかけた当人は全く気にしてないようだけれど、脇に控える侍女から叱責がくる。
でも、彼女の視線は私を見たまま。だから、こちらからも視線を外せない。

 動けない。どうすればいいのだろう。



 ――――― 戦国奇譚 壁 ―――――



 見合うこと暫し。
遊んでいるわけではないので、笑わせれば終わるというものでもない。
叱られてしまった手前、これ以上こちらから声をかけるのもためらわれる。
話を進めることも終わらせることもできず困っていると、そっとくぅちゃんが寄り添ってきた。

 奥方の表情が少し揺らいで、固く閉じられていた唇がほころぶ。


「あまり、似ていませんね。
 姉弟なのですか?」

「えっ?
 い、いいえ。違います。
 あの、すごく仲良しですけど、姉弟ではないです」

「そう。
 わたくしには、お前達がどのようにあるのかは、わかりません。
 国も持たず、流れ生きる者のことなど何も。

 けれど、そうして二人立ち並んでいる姿には、わたくしも兄を思い出しました。
 兄と言っても父の弟ですので、兄のような方ですね。
 歳が近かったので、よく遊んでいただきました。

 寂しいのかと問われれば、そうかもしれないと思います。
 父も母も、兄にも、……私はおいていかれてしまった」


 夫の不在ではなく実家の不幸を語る彼女の言葉に、侍女達が顔をそむける。
かわいそうにという同情とも違う、何かタブーにでも触れたかのようなあからさまなしぐさが気にかかる。

 彼女の孤独が見えるようで、私も辛い。
家族を亡くした人のケアは難しいが、思い出が話せる状態ならば、それを聞いてあげることはとても大切なことなのに。
まして妊婦だ。彼女一人の命ではないのだから、もっと、もっと、心を配ってあげるべきだと思う。


「小さいの。
 何故そんな顔をするのですか」

「……」

「お前、親は?」

「父は戦で亡くなりました」

「……戦で。
 武士だったのですか?」

「姫様、このような流れの民の言葉など。
 嘘も真のように言い立てる者達でございます。
 お耳汚しになるばかり、聞く価値もありませぬ」

「そうして、皆わたくしの耳をふさごうとする。
 ……お前達はいつもそうね。

 何も聞かねば心穏やかになれるとでも?
 言葉にせねばいつかは心静まると、本当に思っているのですか?
 わたくしをどこまでも愚かな姫にしてしまいたいのですね」

「そんな、そんなことは姫様」


 奥方が、キレた。

 厳しい言葉が抑揚なく紡がれ、周囲全てを威嚇する。
氷のような無表情は、激しい情を閉じ込める堰だったのかもしれない。
抑えた声音の奥から、複雑な事情とそれに対する彼女の怒りがあふれていた。


「わたくしには、わかりません。
 お前達は、子を慈しめとそう言うばかり。
 この子の父となられる方が、何をなされたか知らぬ者などいないというのに。

 あのお方は、わたくしの父を殺め、兄とも慕った方を自害に追い込まれた。
 義弟の虎王丸は、今も諏訪を抑えるための駒として使われているだけ。
 わたくしとて戦利品の一つではないですか。

 ……形ばかりの笑みをつくったところで、遺恨なく愛せると何故そう思えるのです?」

「姫様っ!」

「男ならばこの手に槍を取り、父と共に討ち死にすることもできました。
 諏訪の誇りに殉じることもできなかったこの身が、わたくしは恨めしい。
 家の役に立つこともできず、奪われただけのわたくしの気持ちなど、お前達にはわからぬのでしょう?

 この腹のややにどんな先がありますか?
 女なら、わたくしと同じにならぬと誰が言えるのです。
 男子であっても……。この子もまた、あの方の牙にかかるかもしれない。

 なのに、わたくしに喜べと、楽しめと、無理ばかりを押しつけて。
 美しい着物も、歌も踊りも、余計なものだとなぜわからないの。
 そっとしていてほしい時は騒ぎたて、口を開けば話はならぬなどと。
 すぐに取り上げるつもりのものなど、何も与えてほしいとは望んでなどおりません。

 あの方が、実姉である禰々様(ねね 虎王丸の母)にした仕打ちと同じことではないですか。
 子を奪われ嘆きの中に亡くなられた義母上(ははうえ)を、わたくしは忘れない」

「姫様、誤解です。
 そのような恐ろしきことは姫様の身にはおこりません。
 ですからどうか、どうかそんなことをおっしゃられますな。
 御屋形様は真実、姫様を大切に思われておられます。

 お前達、姫様はお疲れになられました。
 もう下がりなさい」


 その言葉を最後に、私達は追い立てられるようにして庭を出た。

 しかし座長や太夫達にはまだ何か話があるようで、屋敷の裏口で引きとめられている。
私とくぅちゃんは一足先に外に出され、屋敷を囲むように生えている竹林の端で皆を待つことになった。



 さやさやと鳴る葉ずれの音を聞きながら、私は、充分に話せなかった奥方のことについて考える。

 彼女の気鬱の理由は、とても重く根の深いものだった。
これまで相談にのれなかった周りの人達にも、それぞれの事情があったのだろうとは思う。
けれどその遠巻きにした心のすれ違いが、彼女をあそこまで追い詰めていたのかと思うとやるせない。

 彼女の言えず押し込めていた思いが、あの激しい言葉と冷たい声となってあふれた時。
彼女の白い指は、爪を立てることもなく、そっと腹部に添えられているのを私は見ていた。
子を思う情があるからこそ、その子の父となった男への複雑な気持ちに彼女は苦しんでいるようにも見えた。
ただの憎しみや恨みだけだったのなら、あんなふうな怒りにはならないだろうとも思う。

 家中の者達が声を揃え、彼女が愛されているのだと訴えていたことが救いにつながることを私は願う。
恨みを忘れた方がいいなどと安易なことは、私にも決して言えない。
でも、本心を打ち明けた彼女に、周りの人達も真摯に向き合って、少しでも良い方に向かうことを祈らずにはいられない。



 ため息を吐いて顔をあげると、待っていたようにくぅちゃんが袖口を握ってくる。
くぅちゃんは労わるように、私を見ていた。


「日吉、怖かったね」

「そうだね。
 戦が傷つけるは、皆同じ、」

「ちがうよ。 何を言っているの、日吉?
 わたしが怖かったのは、日吉がお咎めを受けるかと思ったこと」

「あ、そっちか。 うん、ごめん。
 そうだよね、何かあったら、皆も巻き込んじゃうかもしれないんだ。
 ちょっと軽率だった。 太夫達にも後で謝っとくね」

「それは、そうなんだけど……。
 ……やっぱり、日吉、わかってない……。
 
 あのね、日吉。
 もう、あんなこと言わないで」

「うん。
 いきなり聞いたのはまずかったと思う。
 立場をわきまえて、言葉は選ばなきゃ、」

「そうじゃない。
 そうじゃないの、日吉。

 偉い人達はね、わたし達とは違うのよ。

 わたしが日吉に心配してもらえたらすごく嬉しい。
 仲間だし、わたしだっていつも日吉のこと心配するから。
 でも、偉い人はそういうこと言われたら、怒るでしょ?
 それはね、わたし達とは違うからなの」

「くぅ、ちゃん?」
 
「わたしにはお姫様の気持ちなんてわからない。
 母さまだって、太夫達だって、座長だってわからないと思う。

 ……日吉。
 わたし、やさしい日吉は大好きよ。
 本もいっぱい読んでて、わたしよりもずっと物知りなのも知ってる。
 でもね、日吉は傀儡子なの。わたしと同じ、流れの子なの。

 だから、あの人達の気持ちがわかることはないの。

 わたしや太夫達に向けるのと同じように、日吉は誰の気持ちでも考えようとするけど。
 それで傷つくのは日吉なのよ。そんなの見たくない。

 わたし達とあの人達は違うのをわかって。
 もう危ないことはしないで」


 一生懸命に話すくぅちゃんは、途中、袖を離し私の手を握った。
ぎゅっと込められた力に手が痛み、真摯な言葉には胸が痛む。
伝わってくる気持ちが嬉しくて、そして、悲しくて、私は泣きたくなった。

 この時代に馴染んで、この時代にふさわしく生きたいと私は思っている。
だから身分という隔たりも頭では理解していたつもりだったし、そう行動しようと心がけてもいた。
けれどくぅちゃんの言葉で、それが本当に表面だけだったのだと気づいてしまった。


  私がいかに異端であるのか。
  私の価値観、感性は、この時代にはあまりにもそぐわない。


 ―――私は前世、寺で生まれ育った。
後を継ぐ身ではなかったし、女だったから勉強について何か言われた記憶は一度もない。
日々忙しかった両親も何かに秀でていたわけでもなかったし、特別なことを教わった覚えもない。

 でも、彼らの背中を見て、私は育った。

 悩みを抱えて訪れる人には、どんなに忙しくとも時間を割いた父。
身内の不幸にとりみだす人の背を、通夜の席で一晩中撫でながら慰めていた母。
宗教に対しての思い入れはさっぱりわからなかったけれど、他人を思いやれる両親の姿は誇らしく思っていた。

 前世から持ち越してきたものは、わずかな知識と記憶だけ。今の体は、今の両親から与えられたものだ。
違いがあるけれど、どちらの父母も同じくらい大事な人達だと思うことには変わりない。
二つの家族から与えてもらったものが私の心の芯になり、私の価値観の基準をつくっている。


 くぅちゃんは、身分ある奥方の悲しみはわからないと言う。
 奥方も、国も持たない流れ者のことなどわからないと言っていた。

 身分が違えば考え方と同様に心も違うと思い、彼女達には最初から相手を理解しようという気はない。
それは生きる世界の違いを肯定しているからで、彼女達の言い分の方が正しく、この時代の常識なのだ。


 でも私は、地に這う人々の辛苦は実感できるし、上に生きる人々の悲哀も想像できてしまう。
一人の人間として相手に向かいあえば、共感も同情も普通に覚えてしまえる。

 前世の知識から引けば、道路掃除夫が大統領の側近になることは能力的に言って無理だとは思う。
しかし、彼らが対等に挨拶を交わし、お喋りを楽しんだとしても、それをおかしいとは考えられない。
この時代では天子様と崇められる方でさえ、私の前世の記憶の中では、災害時には被災地を巡っていた。
道路に座り込む人に直接労わりの声をかけ、時には手を握って励ましてくれる存在だった。

 痛いとか苦しいとか、嬉しいとか楽しいとか。人であるならば持つ心は皆同じだと、私は認識してしまう。
私にとって身分はあくまで社会制度上の区別であり、心を隔てる壁にはなりえない。
人を思いやる心は、相手を対等な人間として尊重する時に自然に生まれるもの。
感じたり思ったりする心を、身分によって向ける相手を選択することなど、私の感性ではありえなかった。


 私を守ろうとしてくれるくぅちゃんは、何よりも大切な友達。
彼女に心配をかけるのは心苦しいし、一座に迷惑をかけるのも嫌だと思う。
私は、『この時代に馴染んで、この時代にふさわしく生きる』ことを望んでいる。

 でも、この常識を私が受け入れるには、自分の根幹を崩さなければならない。

 今までの人生全ての価値観の根元をひっくり返して、それでも大丈夫と言いきれる自信はなかった。
まして感性を塗り替えるような荒業など、どうすればいいのかわからない。
くぅちゃんがくれる気持ちを無にしたくないけれど、今までの自分も捨てたくはない。

 ポジティブに潔く生きるのが私の信条なのに、最近失敗続きでひじょうに凹む。
周りが甘やかしてくれるのをいいことに泣き虫になりすぎだと自分に突っ込みをいれながら、私は悔し涙を拳で拭った。


 自分の言葉で私を泣かせてしまったかと慌てて慰めてくれるくぅちゃんの腕の中。
私は以前出会った、この身分という時代の壁をひょいと乗り越えてみせた一人の少年の顔を思いだす。
あの破天荒だった思考の彼は、私と同じ問題にぶつかったとき、どんな答えを出すのだろうか。



[11192] 戦国奇譚 雨夜の竹細工
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:232ba7de
Date: 2009/12/12 20:19
 落ち込んだら、浮上する。
暗い気持ちでいつづけるのは好きじゃない。

 解けない問題一つにこだわって、全てを投げ出すのは自暴自棄が過ぎるというもの。
人生は長いんだし、私はまだ成長途中だ。
今すぐに答えを出せなくても、これから頑張って見つけていけばいい。



 ――――― 戦国奇譚 雨夜の竹細工 ―――――



 ようするに、私は価値観についての問題を先送りにすることにした。
しつこく考えて鬱になっていても、良いことなど何もない。
お姫様なら気鬱の病でも食べていけるが、私の立場ではそうはいかない。
日々の生活の方が大事。私は傀儡子、旅芸人なのだ。

 でも、問題から目をそらそうというわけでもない。
私の失敗に一座を巻き込むのだけは絶対に避けなければならないことだ。
心までは変えられなくても、皆に迷惑をかけない方法を私は見つけたかった。

 敵を知り、己れを知れば百戦危うからず。

 誰の言葉か忘れたけれど、今の私にはぴったりの格言。
暇な時間を見つけた時は、できるだけ自分を顧みて考えることにする。
ぼんやり生きるよりもずっとかっこいいと、私はそれを宿題と思うことにした。



 そんな私が取り組まなければならない問題は、『認識のずれ』についてだった。
理性ではなく感性の部分で、私は『身分の違い』を区別できていない。

 くぅちゃんが気づいて教えてくれたのは、私の善意に対して。
でも、本当に大変なのはそちらではないことを、私自身が一番よくわかっている。

 私は、聖人君子ではないのだ。

 他人への気遣いと同じくらい、負の感情だって持っている。
腹を立てたり、理不尽だと思ったり、嫌ったり恨んだりする気持ちも当然ある。
同情や共感よりも、もちろんセーブしようとする理性が働くだろうとは思う。
けれど、キレてしまってからでは遅い。
制御できない感情の怖さは、むしろこちらの危険の方がはるかに高かった。

 私が恐れるのは、この時代の価値観や常識とは違う基準で、善悪を感じてしまうこと。

 怒ってはいけない場面で、感情的に行動することは何よりも愚かなことだ。
いつまでも「幼い子だから」と言う言い訳だって通らない。
皆を守り、自分を守る為にも、私は無防備ではいられない。


 感情的になるのが不味いのだから、心理的なガードが低くなる相手には特に注意が必要だ。
まずは弱点から考えてみる。

 私が弱いのは、「女性や子ども、お年寄りと病人と心に悩みなどを抱えている人」。
こういう相手に対して、警戒心や敵愾心を持つのは難しい。
また、私は負けん気が強いので勝負を挑まれると受けたくなってしまうし、好奇心を刺激される相手も危ない。

 ……敵が多すぎだ。
理由を細かく数え上げても投げ出したくなるので、解決の糸口になりそうな性質の方へと目線を変えてみる。

 私の感受性は鈍いとは言い難く、行動力もなくはない。
ただ頭の中で理屈をこねまわし、その行動に理由をつけようとする傾向はある。

 「感じない、思わない」が無理なら、次の段階でブレーキをかける方法としてこれは有効かもしれない。
ああ、これでどうにかなるも…、と喜んだが、ちょっと待てとも思う。

 実際に実行するかどうかのところが、計算ではなく感情に左右されていないとは言い切れない。
詰めが甘いというか、人間的に未熟なところが多いと言うべきか。
今までの自分の行動を顧みれば、最後のスイッチはいつも感情が押していたような気がしないでもない。

 ……自分のダメさ加減を思い知る。

そして、いろいろ考え悩んだ末にでる結論は、やはり「もう開き直るしかない」だった。

 一番いいのは、偉い人には近づかないこと。
 忍耐力を鍛えすぐキレない人間になること。

ここまで回りくどく考えて出す結論がこれかよとキレたくなるが、忍耐。何事も、修練だ。



「……ねぇ、日吉。修練ってなんのこと?」

「精神修行、かな」

「お手伝いは精神修行なの?」

「んー、単調な作業って、忍耐を鍛えるにはよいかも。
 でも、まあ、今のは別のこと考えてたんだけど」

「独り言だったの?
 日吉は器用でいいなぁ。
 わたし、何かしながら別のことなんて考えられないよ。
 数えてるの、わからなくなっちゃうもの」

「慣れだよ、慣れ。
 この太さのなら5本ごとにまとめて、6束で30。
 もう少し太いこっちは底用だから8本で一組。
 太夫が一つずつ作るなら、必要な底ひごは32本」

「…? 全然、わかんない」


 数えているのは、竹から作った薄い板状の「ひご」だ。
これは、竹の節を削った後、根元の方から先に向けて上下を間違えないよう裂いてつくる。
用途に合わせて、薄い板のようなものから長い紐状にしたものまで形は様々。
この竹ひごを組み合わせ編んでいくと、笊(ざる)や籠(かご)、箕(み)などの日用品ができる。

 私達はその作業のお手伝いをしていた。
頭の中であまり役にたちそうにない考えを弄んでいたとしても、仕事をさぼっているわけではない。



 季節は初秋。
一座はすでに諏訪を離れ、再び川沿いに三河方面へと下ってきている。
今度の天竜川の川沿いの道は、行きの道筋よりさらに山深い。
この険しい山の道を歩くにあたって、私達は山守と呼ばれる人たちと合流していた。

 その彼らが副業にしているのが、竹や蔦などの自然のものを使った工芸品だ。
道々、休憩や野宿のたびに、私達もその製作を手伝っているのだ。

 今日は特に朝から雨が降っていたので、山守によって川沿いからかなり離れた場所が宿泊地に選ばれた。
すぐに止まないだろうとの予想から、いつもとは違い雨避けや風よけの準備も行われている。
木々の下枝を切らずにしならせ、重ね束ねて厚くした屋根に、藪を利用してつくられたスペース。
広さも充分にあり、一部以外を刈らずに残した藪が壁として残されているので横からの雨に濡れる心配もない。

 その植物を利用した簡易テントの中で、私達は内職に励んでいる。
今日の作業分に切ってきた竹を囲み、雨で旅程がこなせなくても、遊んでいるわけではなかった。

 
「削りくずは、集め終わったよ。
 長いひごも、作った分は全部束ねてある」

「枠はこちらで先に作ろう。
 太いやつだけこっちに残して、後は太夫達に渡してくれ」

「私とくぅちゃんで、一つ作ってみてもいい?」

「力が足りないから、まだ無理だな。
 火が消えないよう気をつけてくれればいい。
 竹のくずを火に入れるときは、跳ねないよう細かく裂いてからだぞ」

「はぁい」


 雨が降れば、山の中は冷える。
火の番という役目はお手伝いの御褒美のようなものだ。
くぅちゃんと二人並んで座り、焚き火に温まりながら作業する仲間達を眺める。
 
 
「ねぇ、日吉。
 さっき、何考えていたの?」

「さっき?
 ああ、あれか。自分のこと…かな。
 短気は駄目だとか、喧嘩したら不味い相手についてとか?」
 
「喧嘩はしちゃダメだよ。
 あっ、でも、……嫌いな人がいるの?」

「好き嫌いじゃなくて、ほら、偉い人とかそういう相手のこと。
 でもさ、よく考えたら、武士なんか簡単には区別つかないよね」

「そう?」

「普通の村にも、沙汰人(さたにん)がいたり、宮座(みやざ)があったりするでしょ。
 代官だけじゃなくて、主持ちの老(おとな)百姓が仕切ってたりもするし。
 そういう上下を分ける仕組みはどこにでもあって、武器だって皆持ってるじゃない?
 何度も戦に出てる戦上手な村とかは、特にそんな感じが強いから。
 偉そうには見えなくても、足軽頭を務めたことのある人とかならよくいるもの。
 商人だって、国から賦役を許されてる特別な人達とかがね…」

「でも、商人は商人だよ」

「そうだけど。
 見分け、つかなくない?」

「見分け……。日吉、わかんないの?」

「くぅちゃんはわかるの?」

「わかるよ。
 どこがって言われても困るけど、ちがうのはわかるもん。
 武士は、武士の匂いでしょ。他とは違うよ。
 わかんない日吉が変。
 どうしよう、日吉、だいじょうぶかな?」


 頭で考えすぎるのが悪いのだろうか。
くうちゃんに自信有り気にわかるのが普通だと言われると、彼女の言い分の方が正しいような気もする。
何かに所属していると、理屈ではなく同族を感じるのはありそうな感覚だ。
よく東洋人は見分けがつかないなどと言われるが、日本人ならなんとなく同国人がわかるようなものだろう。

 その感覚がつかめない私を、くぅちゃんは心配してくれているらしい。
いつのまにか私の傍から身を乗り出して、座長にまで相談を持ちかけていた。

 座長は仕事の手を休め、くぅちゃんの話に一つずつ頷きをかえす。


「小国の心配は、いつでも日吉だなぁ。
 でも、こればかりはどうにかしてと言われても…。
 わかる人間にはすぐわかるし、説明したところでわかるようになるとは言えないよ。
 日吉が一座に入って、一年半か。
 まあ、まだわかるほど馴染んでないだけかもしれないしな」

「でも、日吉は仲間だよ。
 ちゃんとわたし達と同じなんだよ」

「くぅちゃん、…ありがと」

「そうだな。
 二人ともちゃんと一座の子だ。
 だから、わかるようになるまで傍にいるから大丈夫だよ。
 日吉には、小国がいるだろう?
 太夫達も、彼らも、いる。皆仲間だ」


 視線で示され、私は皆の顔を見渡した。
共に旅をし始めたのがわずかな期間の山守達も、そう言われると親しい仲間に見える。

 私は一座のことを家族のように思っているからこそ、それを広げて考える視野が足りてなかったのかもしれない。
自分を「流れの」や「傀儡子の」と形容した時、考えていた範囲はあくまで「この一座」に限定した意味でだった。


 そんな私の考えを知ってか知らずか、座長は細工仕事の続きを再開しながら、傀儡子の伝承を話してくれた。

 昔々の傀儡子は、馬に乗って弓をとる、狩りをして旅する人々だったこと。
もう遠い昔のことで、座長の親の世代には、既にこうして芸に携わる者達の一部を指して呼ぶ名になっていた。
 山守や山人と呼ばれる者達もそれに似て、もとは山々の全てを住処とし、旅をする者達のことだった。
それもやがて、樵や炭焼き、漆取りや墨造りなど仕事ごとに枝分かれしていく。

 外から加わる者達がいれば、別れて別の道を探した者達もいる。
新たに生まれた集団は呼び名を変へ、そのさまざまな集まりは複雑な関係図を描いた。

 例えば、山と切り離せないものといえば、製鉄をあげることができるだろう。
鉄の材料は山から採られ、精製にも大量の燃料が必要だ。
山人とタタラは古くから密接な関係があり、そこから生まれた鍛冶師達は今もその輪の中にある。
傀儡子が歌や踊りによって神事を司る寺社と結びつき、それらを後ろだてとする商座と関わりを持つのも同じこと。

 表面の違いだけを見ていてはわからない。
多くの繋がりは歴史の中で絡み合い、同族意識の底に深く潜んで大河のように流れている。



 座長が話を終える頃には、彼の手の中には仕上がった青竹の籠があった。
その籠は、他の品と同じところに重ねて置かれる。

 くぅちゃんに仲間と呼ばれ、私も一座を家族と呼ぶのなら、すでにその流れの中の一員だと思えればいいのだろうか。

 重なった籠を見れば、型にはまれることへの安定感がイメージとして浮かぶ。
でもそれと同じくらい、まだ定まらないこの自分のありのままで、世界を見つめたいという気持ちもある。

 仕事を続ける仲間達の背中越し。
編まれた竹に映る焚き火の光が、ゆらゆらと揺れていた。



[11192] 戦国奇譚 手に職
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:55115d5d
Date: 2009/10/06 09:42

「山守がいるのなら、川守もいるのかな?」

 ふと思いつきで聞いてみた私を、からかうように太夫達は笑う。

「あらあら、小六さまおかわいそう。
 日吉ったら、お父さんて呼ぶくらい仲良くしてたのに。
 あの方のお仕事をさっぱりわかってなかったのね」

 山を住処に山と共に生きる山人(やまひと)が山守なら、川を生きる糧に川と共に生きる者が川守なのだそうだ。

 川の渡しや川漁をする人々、流れを使って荷を運ぶ人々。
川並衆のその仕事も、切られた木材を山から下ろすことが始まりだった。
 


 ――――― 戦国奇譚 手に職 ―――――



 晴れた秋空の下、街道を彩るやわらかな笑い声。

 先日、山守から預かった竹籠の最後の一つも売りきって、私の前後を歩く太夫達の足取りは軽い。
手持ちが無くなり、空手を惜しむように道端の花を摘んで歩いている者もいる。

 お喋りのネタを聞きつけ、気ままに歩いていた者達もよってきた。
伸びやかな声としぐさは、観客などいなくていつでも大判振る舞いされている。
小さな動作の中にも人目を引く華があって、私は彼女達を見るのが大好きだ。
皆それぞれ個性はあるけれど、基本は快活でおおらかで、飾らない姿が理想の女性像でもあった。

 傀儡子は流れの旅芸人、という認識は割と一般的だ。
けれど、行商もするとはいえ、小さな村ではよそ者は警戒されやすい。
そんな中に諍い(いさかい)なく入り込み、受け入れられるのは彼女達の性格や言動があってのものだろう。
人が好きで、旅が好きで、好奇心と行動力がなければ旅芸人はやっていられない。
明るい雰囲気を保つことも大切で、それを彼女達は自然に身につけ、いつもそう振舞えていると思う。


「なあに?
 日吉はまた新しいことに興味を持ったの?」

「もう、浮気?
 別れるまで質問攻めにしてたのにね。
 ほんとあの時は、山守に弟子入りする気になっちゃったのかと思ったわよ」

「そうそう。
 何より横で見てる小国がハラハラしてるのがね、とってもかわいかったわぁ」

「母さま!」
 
 
 からかいの言葉より、やさしく見守られるような視線の方がどこかくすぐったい。

 甘えられるのが大好きな太夫達は、教えを請えば面倒がらずにたくさんかまってくれる。
それがあってか、このてのネタは彼女達のお気に入りだ。
今までも私が新しいことに興味を持つたびに、面白がりながら情報を集めてきては披露してくれた。

 座長達男衆も足をゆるめ、歩きながらのお喋りに耳を傾ける姿勢になっている。
まあ、……珍しい物への興味や話のネタ探しは、芸人の本能なのかもしれない。


「川守についてなら、やっぱり私達よりも小六さまの方が詳しいでしょうね。
 そうねぇ、上手なおねだりの仕方を教えてあげようか?
 どんな秘密でも、殿方なら絶対口を滑らしちゃうような強力なやつ」
 
「やだ、志野太夫ったら、そんなの日吉に教えないでよ。
 そんなことしたら、この子のいいとこなくなっちゃうじゃない。
 この『私何にも知らないから、全部教えて下さいね』っていう感じが可愛いのに」

「えー、腕も話術も磨かないと上手くなんないわよぉ。
 それに出来るようになれば、知りたいことがあるとき、役に立つし。
 裏の裏まで聞き出したくてもぉ、相手に嫌われたらいやでしょ?
 ねっ、日吉だって、技の一つや二つ覚えたいと思わない?」

「だめだめだめ、絶対だめ!
 日吉は、わたしと踊りの稽古があるから。
 練習するならこっちが先」

「小国ったら、強気ね。
 これも驚きだけど…。そうね、志野太夫もからかい過ぎは駄目よ」

「ふぅ、早蕨にまでダメだしされちゃったか、残念。
 せっかく手とり足とり教えてあげようと思ったのに。
 もちろん小国もあわせて、二人一緒に教えてあげるつもりだったんだけどね」

「だめなの!」

「はいはい。
 それじゃぁ、知ってることからだけってことで。
 日吉が聞きたいことは何かしら?」


 志野太夫の必殺テクニックに心惹かれるものがあるが、くぅちゃんが見ているのであきらめる。
それに、もともと川並衆の秘密が探りたいわけではない。
知りたかったのは大まかな仕事の分類や、その繋がりについてくらいだ。
最初から専門的な話を聞かされても、実際目にしたり実感出来たりしないことはわかり辛い。

 私は太夫に木曽川で運ばれる主な荷についてだけ教えてもらう。
そこから流通と、職業同士の関わりについての話になった。

 山でつくられた木炭が川で運ばれ、鉄の燃料になる話はダイナミックで面白い。
海岸沿いに海を使って、製鉄するために山一つ分にもなる木材が動くのだそうだ。
特にたたらの本場である出雲は三国太夫の地元でもあるからか、踊りの話以外なのに珍しいほど熱心に語って貰える。
 

「本当にたくさんの仕事が繋がっているんだね。
 鉄の話も、もしかしたらくぅちゃんの生まれたとこから来てるものもあるかもしれないとかさ。
 なんかすごいな。
 鍛冶師さんは、うちの村にも居たよ。
 小さな村だから専門とかもなくて、何でもできたみたい。
 そういうのって、かっこいいよね」

「……日吉、別の仕事の方が、面白そうだと思うの?
 鍛冶師になりたい?」

「そういうわけじゃなくて、いろいろなものに興味があるの。
 将来何が役に立つかわからないし。
 何だって試してみたいな」

「日吉は、よくばりね」

 
 拗ねたように言うくぅちゃんのしぐさがとても幼くて、笑ってしまった。
もうすっかり綺麗になって、太夫達に混ざって踊っても引けを取らないのに、彼女は私と居るとまだまだ子供っぽい。
笑う私にさらに怒ってしまったのを「ごめん」と言って宥めていると、三国太夫も言葉を添える。


「でも、それは悪いことではないわ、小国。
 遠回りも、寄り道も、無駄にするかしないかは本人の心掛け一つ。

 あなたはいつだって踊りに一途に打ち込んでる。それはとてもいいことね。
 だけど、踊りの演目を思い出してみて。
 いろいろな人達が出てくるでしょう?
 川も船も知らずに、「渡し守」を踊るのは難しいとは思わない?」

「……母さま」


 踊りの師としての言葉は、やわらかな声音でも明確で厳しい。
でもその言葉の後、彼女は私達の手をとって重ねあわせる。


「旅をするなら、たくさんのことを知っていた方が安心なのよ。
 私達だって、竹かごを編んでいたのを見たでしょう?
 一つのことしかできないと、困ってしまうこともあるかもしれない。
 そういう時、別の手段を知っているのも生きる知恵。

 あなた達はお互いに相手を補える良いところを持ってるわ。
 そんな人がすぐ傍にいるなんて、うらやましいわね、小国。
 だから、相手の言葉は否定したりせず、まずは耳を傾けてみて」


 美しさで三国を魅了したと称えられる、三国太夫。
その彼女は母親の顔で、くぅちゃんと私の肩をやさしく撫でてくれた。

 



 旅は順調に進み、秋も半ばを過ぎて一座は無事尾張にはいった。
今年の冬を、私達は津島で越す予定だった。

 しかし、私とくぅちゃんだけは、津島近くの村に働きに出されることになる。

 これは太夫達が、私のした話を覚えていてその手配を頼んでくれたからだった。
私とくぅちゃんは、村鍛冶の下働きに出入りさせてもらえることになったのだ。
もちろん大きなところではないが、徒弟にはいるわけでもないのだからこの扱いはかなり特別だ。

 たぶん例の伝手を頼んでのお願いだったのだろうと思う。
期間は、年が明けて一座が次の旅に出る田植えの時期まで。
夫婦と徒弟一人のその村鍛冶に、私達は預けられることになった。


 私達が最初に与えられた仕事は、薪や炭運び、水くみなどの雑用。
というか、それしかさせてもらえず、くぅちゃんにはかなり不評だ。
空いた時間を踊りの稽古に費やそうにも、疲れてしまって上手くいかないことを彼女にさんざん愚痴られる。
 
 慣れない始めは私も何も考えられず、くぅちゃんと同じ意見だった。
でも、どんどん運びこまれるままに使われていく資材の量に、鍛冶場の持つポテンシャルの高さを肌が知る。
一度火を起こせば、燃やされ費やされる全てを糧にして生み出される品々。
活気を間近にし、叩かれる鉄の響きに鼓膜を震わせれば、感じるのはロマンだ。


「くぅちゃん、あのね……、」

 私は見つけた感動を、できるだけ劇的に彼女に語る。
自分ばかり楽しくても、くぅちゃんが不満しか持てないのでは申し訳ないし、悲しい。
文学的才はないかもしれないが、気持ちだけでも伝えようと言葉を選ぶ。


 「工場生産」ではなく「個人の職人」が支える人々の暮らし。

 どこかの山で人の手によって掬われた砂鉄は、「たたら」で基となる鉄になる。
そこで使われる燃料をはじめ多くの人手を介して、さらに鉄は用途に合わせて精錬されていく。
そして、その一部が、ここのような村鍛冶師の所にやってくるのだ。
作られた鎌(かま)や鍬(くわ)は小さな村にまで普及し、あるのが当たり前のような顔をして生活に溶け込んでいる。

 一つ一つがつくられることに、こんなにたくさんの手間と人手とエネルギーが必要なのに、だ。

 
 私の話を聞いて、くぅちゃんは理解しようと考え込む。
私の言葉はたぶんあまり上手くはなく、彼女には受け取りにくい思考だったかもしれない。
でも黙って聞きながら、わからなくても、わかろうと努力してくれる姿を私も見守る。

 そうして、考えて考えて、彼女が私の話から得たのは「新しい踊りへの発想」だったらしい。
……その解説に、今度は私が理解する努力をちょっとだけ強いられた。
けれど仕事に対しては、それまでとうってかわって熱心になってくれたくぅちゃんは、私の最高の相棒だった。


 やがて、冬を終える頃には。
 毎日骨惜しみなく働くことが認められ、私達は砥石(といし)を洗わせてもらえるようにまでなった。
他の道具を触るには10年早いと言われてしまうので、たった一つでも許可が出たのはたいした進歩だと思う。

 そして年は明け、再び旅に誘う春がやってくる。
 
 別れの時期を前にして、このまま村にとどまらないかという誘いを断った私達を、工房の親方はとても惜しんでくれた。
それなら出立までにと、最後の一月をかけて、針を砥ぐ技術を教えてくれる。
徒弟が独立するなら道具一式と食べていけるだけの鍛冶の腕が餞別だけど、私達は見習い×3ぐらいだ。
それなのに、わざわざ旅に歩くことを前提にこの技を選んでくれたのだ。

 針本体は鍛冶師に作ってもらわなければならない。
でも、針研ぎはその中でも専門職だし、他の作業よりも力がいらないから女子供でも覚えることができる。
それに針なら持ち運びにも便利で、いざという時にも、お金には換えられなくても一食と交換ぐらいにはなる。
田舎ではまだ竹針などが使われていることも多いが、そちらに応用しようと思えばそれも可能な技術だった。



 絶対に安全な旅の道などはない。
一座の大人達が、いつでも私達を守れるとは限らない。

 でも、もしも何かあったとしても、それでも生きていけるように。
生きる術、食べるための術を身に付け、自分を見失わないですむように。
独立しちゃんと自分の足で歩めるための準備も、私達はさせてもらえていたのだ。



[11192] 戦国奇譚 津島
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:daa749f5
Date: 2009/10/14 09:37

 久しぶりに見る皆の顔。
振り返ればあっという間だった気もするけれど、半年近く一座とは離れていたことになる。
再会に喜びはしゃいでいると、早蕨太夫がこっそり教えてくれた。

「二人のことは、人伝に何度も話は聞いていたのよ。
 それに、じつは年が明けてすぐの頃、皆で会いに行ったの。
 声をかけなかったのは、頑張ってるみたいだから見るだけにしようって。
 
 あなた達が「汐くみ」を唄いながら水汲みをしてるのを、遠くからだけど見たわ。
 でも似てはいるけれど…。
 あの少しずれた発想は、絶対日吉でしょ?
 かわいらしいやら可笑しいやらで皆わらいが止まらなくて、隠れてるのが大変だったんだから」
 


 ――――― 戦国奇譚 津島 ―――――


 
 「汐くみ」とは、塩をつくるときに海水を汲んで、塩田や塩畑と呼ばれる砂利の上に撒く作業のこと。
以前の駿河までの道行きで、出会い仲良くなった塩座商人の下人達に教えてもらった歌だった。
姉さん方と遊べるほど余裕のない人達と、なぞなぞやしりとり、歌合戦などをして私はよく時間を潰していたのだ。

 その時に覚えたのがこれ。歌詞も掛け声と合いの手だけの素朴な労働歌だ。
でも、カエルの歌をまねて輪唱にするとちょっと面白い。

 発声練習だとくぅちゃんを説き伏せ、そういえば毎回水汲みの作業で唄っていた記憶がある。
井戸ではなく近くの川から仕事に使う水を運ぶ道すがら、この歌を唄うのが定番だった。


「あれは、でもえっと、遊んでたわけじゃなくて、その…」

「わかってるわ。
 あなた達が慣れない仕事でも、一生懸命頑張ってたことはね。

 日吉……。鍛冶の親方がね、座長に話してた。
 この仕事していて、あんなに尊敬してもらえたのは初めてだって。
 鍛冶の鍛える「鉄」はただの「モノ」ではなくて、百姓の生活を支える命綱だと言われたんだって」

 
 早蕨太夫の口にしたそのフレーズにも、身に覚えがあった。 
くぅちゃんと二人で話していたことを、どうやら聞かれていたらしい。
どこで何をしてもなんだかみんなつつ抜けになっているようで、私は恥ずかしくて顔が熱くなる。


「若い徒弟が、それを聞いて泣いたそうよ。

 鍛冶の華は、刀打ちですものね。
 あこがれる者は多くても、成りたくても皆がみな成れるわけではないから。
 選ぶ道を変えて、村鍛冶になる者達もいるわ。
 けれど、力ある刀匠にでもならない限り、名を馳せる者などいないでしょう?
 私に鍛冶の気持ちはわからないけれど、それを口惜しく思うこともあるんじゃないかしら。
 若いなら、なおさら迷いや悩みもたくさん抱えるものだとも思うし。

 でもね、
 ……一つの土を耕す鍬が、一つの家族の命を繋ぐ。
 それは長い時間の中で、命は命をつむぎ、やがて幾千の人の暮らしそのものになる。
 人の営みが何百年たっても失われず、変わらず続いていくための大切な礎。
 この国を支えているのは、小さな町や村の職人たちのたゆまない努力と日々の仕事。
 
 『鍬も鋤もハサミも針も、包丁も。
  傍にあるのが当たり前の顔をして、皆の生活をいつも助けてるんだよ、かっこいいよね』、って。

 誰に知られなくても、自分の仕事を誇りに思う。
 それは、本当は何年もその仕事を続けていくなかで覚えるものなのだとか。
 なのにあなた達が来たせいで親方の弟子は、たった半年足らずで志は一人前になっちゃったんですって」
 

 太夫の話に思い浮かんだのは、細身ながら腕と肩の筋肉が印象的だった一人の青年だ。
同僚と言うにも向こうは正式な徒弟さんであったし、歳も離れていたから直接話をした記憶はあまりない。
彼は確かにまだ親方に比べれば若かったようだけれど、とても職人らしい真面目な雰囲気の人に見えていた。
それがこんな、今聞いたような悩みを抱えていたり、それをふっ切ったりしていたとは全然知らなかった。

 話を聞かれてしまった恥ずかしさを通り過ぎて、ちょっと唖然としてしまう。
あれはくぅちゃんを励ます為に選んだ言葉で、他の人に聞かせる気はまったくなかった。
前世でよく見ていた某国営放送・職人ものXシリーズのノリをまね、勢いで熱く語ってしまったのだ。


「あの、親方は?
 私、そんなつもりじゃなくて。鍛冶についてもまだ何も知らなくて。
 素人が知ってる村のこととかからだけで、それが全てみたいに話したらそれって、」
 
「逆ね、それが良かったのよ。
 あなたの言葉が、嘘には聞こえなかったっていうこと。
 誤魔化しやおべっかで言われているのか、本気で言ってもらえているのかはわかるもの。
 親方自身もね、きっと嬉しかったんだと思うわ。話す顔が違ってたって。

 そう、あなた達のこと、とても気に入ってくれてたわよ。
 お礼に行った座長が『譲ってくれないか』ってすごく熱心に交渉されちゃったくらいにね。
 もちろん『日吉はうちの子だからあげません』て、みんなで断ったけど。

 でも…、もしかして鍛冶師になりたかった?」


 慌てて首を振ると、早蕨大夫は艶やかに微笑んで私の背中を皆の方にやわらかく押し出す。
話し込んでいた私達に痺れを切らした仲間たちが、手を振り呼んでいる。


「よかった。
 ほら、行きましょう。呼んでるわ。
 私が独り占めしてるって思われちゃう」

「そうよぉ、独り占めはずるいわよ。
 二人がいなくて、私達だってとっても寂しかったんだから。
 とくに「あれ」とか「これ」とか突然言い出す子がいないと、毎日張り合いなくて。
 それに、いつも日吉は私達を褒めてくれてたじゃない?
 あれが聞けないとなんだか踊りの切れも悪いって、他の太夫達もねぇ」


 左右に並び、私の両手をとって引いてくれる太夫達。
これは連行される宇宙人……ではなく、両手に花と喜ぶべき状態なのだろう。


「ふふっ、『両手に花』、か。
 かわらないわね、日吉」

「そうそう、こうでなくちゃ。
 鍛冶師になんかなったらもったいないわ。
 この小さな体の中には、甘い言葉がいっぱい詰まってるんだもの。
 日吉の才は絶対こっち向きよ」

「……早蕨太夫、志野太夫。
 私、そんなにいつも褒めてるの? 
 さっきのもそうだけど。自分じゃ、あまりそういうこと言ってるつもりは全然ないんだよ」

「そうなの?
 だって、いつも花を見つけては綺麗、星を探しては綺麗、『…でも太夫達が一番』でしょ?
 『青空に一文字。あの雲は、舞の時の太夫の指先がすうっと描いた線みたい』
 『皆の扇子が揃って翻るのを見ると、川の漣に光が散ってきらきらするのが思い浮かぶの』
 それから、あとは何があったかしら?」

「日吉語録なら任せて。
 『山で深い緑に霧がかるなかに見つけた山百合の、夕焼けの海みたいな…』」

「うわぁ、わぁ、もおいいです。
 恥ずかしい、すっごい恥ずかしい。
 あああ、お願い、それ以上言わないで!」

「もぉ、これからがいいとこなのに。
 そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃない。
 私は日吉が次に何を言ってくれるのかなって、いつも楽しみにしているんだから。

 あなたは、日ごろから『綺麗なもの大好き』って宣言していて。
 それでほんとにいっぱい綺麗なものを見つけてきて、私達に教えてくれるでしょう。
 幼くてもすごい目利きだってこと、皆知ってるもの」


 好きな相手に好きでいてもらえるのは嬉しいし、センスを認めてもらえるのもありがたい。

 でも、夜中に描いたラブレターを読み上げられているようなこの気持ちがわかるだろうか。
自分が口に出した時は意識していなかったから気にならなくても、人に聞かされるにはインパクトが強すぎる。
恥ずかしすぎて、聞き流すか、聞いてもすぐ忘れてほしかったと思わずにはいられない。
耳をふさごうにも手はあいていないからできず、私は体を縮めて内心の羞恥にもだえる。

 それなのに太夫達は、「そんなあなただからこそ褒めてくれるのが嬉しいのだ」と、繋いだ両手を揺らして笑うのだ。


 集りの輪の中に入れば、私は座の皆に入れ換わり声をかけられる。
くぅちゃんも三国太夫に寄り添って話し、甘えているのがうかがえた。

 聞かれるまま鍛冶師のところでの様子を話しながら、冬の間、私は自分達のことで手いっぱいだったことを思う。
しかし座長達は、その間も私達についていろいろと考えてくれていたらしい。
太夫達が口をそろえて、「あなた達のことばかり考えてた」と言うのも思わず肯いてしまうほど。
皆からでる話題の半分以上が、彼らの傍にはいなかったはずの私やくぅちゃんのことだった。

 例えば、私が興味を持ったから勧めた鍛冶の仕事にしても、別の仕事の方が良かったのではないかと話し合ったとか。
案もいくつか上がって、刺繍などがその一例だ。
女仕事だし、古典文様をいくつか刺せるようになれば、大きな家でも雇ってもらえるのがメリット。
問題は、名手ともなればどこの家も大切に抱え込んで出さないようにするから、良い先生を見つけるのが難しいこと。
それに習得にも時間がかかる……、など反論も口調も熱くなったのだとか。

 あとは、昨年の歳の暮れに小六郎おじさんが一座までわざわざ見に来てくれたことも聞かされた。
小六は仕事でもともと無理だったらしいが、二人とも私達に会えなかったことをとても残念だと言ってくれたそうだ。
次回来る時も職業研修をするなら斡旋は任せてくれと、上手く話され先約をとりつけられてしまったことなど。

 空白の時間を埋める、言葉は尽きなかった。



 一座の皆と共に、私達は津島五ケ村の入り口の村から、湊のある池の端に向かう。
二年前の私は、まだ幼いことを理由にここまで来ることはなかった。
今、津島は初夏を迎え、祭りの準備にどこも華やいでいる。

 水量豊かな天王川から網の目のように張り巡らされた水路。
川から入る大きな松原の池には船着き場がつくられ、町方によって吊るされた祭礼用の提灯がゆれる。
米之座・苧之座が出す陸車、「山」で行われるカラクリの演目を辻で声高に解説する者達。
他三村が競うように造る船飾りの職人達が屋台に集まり食事をとり、笹踊りをまねて遊ぶ子供達が道を駆けていく。

 祭りの本番は、私達はよそ者なので村中では勝手に興行をすることはできない。
けれどこの村の様子を見れば、当日のにぎわいを充分に想像できた。
準備に活気づくこの場所で、後一度、私達を入れて最後の仕事をしたら、一座は出立する予定だった。

 私はくぅちゃんと一緒に村の見物がてら、練習と宣伝を兼ねて川沿いを唄いながら歩く。
あの有名な「とおりゃんせ とおりゃんせ」で始まる童謡だ。
この歌は厄払いに牛頭天王に詣でる歌ともいわれるから、津島の祭神とも重なり、ぴったりだろうと私が選んだ。

 簡単な軽技の真似ごとで人目を集め、唄っては道行く人々を眺める。

 高く結われた髪の男性が通ると、つい自分の目がいってしまうのに気づくとおかしかった。
彼はすでに元服しているはずで、立派な武士になったならこんなところで遊んでいるはずもないのに。

 二年前に、この上流の河原で再会の約束を交わした吉法師。
私が彼に会いに行けるのはまだまだ先だろう。
まだたくさん学ぶべきことがあることを、私自身が一番よく知っている。



 そして、数日後。


 ……織田家の嫡男は自由闊達。
祭り当日、彼が飛び入り参加で衆目を賑わせたと言う噂の追い風が背に届く前に。


 私達一座は、再び尾張を旅立った。








 *歴史と言われると、つい有名な事件や人物に目がいきます。
  ですが、多くの無名の人だって時代を動かしている。
  それに資料を読みこんでも、人の心の奥までは誰にもわかりません。
  知識の向こう側は想像ですが、楽しんでもらえると嬉しいです。

  くぅちゃんは……、ずっと一緒にいられるヒロインではありません。
  でも、日吉の選べない人生を歩く重要な登場人物。離れても必ず再会します。
  他のヒロインも合わせ、日吉は女性が人生不可欠な人ですから。
  もちろん、数あるフラグも将来必須です。



[11192] 戦国奇譚 老津浜
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:0a21815b
Date: 2009/12/12 20:21
 天文16年、冬。
私は今、浜辺で焚き火をしながら一座の皆と暖をとっている。

 場所はたぶん渥美半島の付け根のあたりなのだと思う。
三河湾を挟んで反対側に見えるのが知多半島。
ちょうどここから真西にあたるその岬の先には、沈みかけの細い月。

 雲が流れ風に千切れて、途切れた隙間から星空が覗く。
でも私の前の海は、渥美半島が堤防の役目をしているからか、風があってもとても静かだ。
ましてさらにその内側、遠浅の浜辺に打ち寄せるこの老津の波は、水際をわずかに揺らすくらい。

 山の中と違い、野生の獣に警戒する必要もない。
船着場からも少し離れているから、他人に対する配慮もいらない。
寒いのだけが敵なので、皆で肩を寄せ合って火を囲む。
キャンプファイヤーよりも、もうちょっと切実だけれど気分は明るい。

 気心の知れた、大切な仲間たち。
彼らが居てくれれば他に何もいらないと、そう、思っていた。



 ――――― 戦国奇譚 老津浜 ―――――



 本来の予定どおりならば、今頃はすでに大きな街に到着しているはずだった。
私達のような余所者は、余剰食糧の多い流通の発達した場所の方が、冬を越すには適している。
しかし、その予定は崩れていた。



 私は、この冬が来るまでの間に起こった良いことと悪いことを思い返す―――。

 私にとっての良いことは、記憶を探るまでもなく年始の出来事があげられる。
鍛冶屋で針研ぎを覚えたことや、津島の祭りの様子を伺えたこと。
それから、何よりも一番は、短い時間だったけれど故郷の村に寄れたこと。


 久しぶりに見る村のたたずまいは、何も変わらないように見えた。
母も姉も、私の姿を見るなりきつく抱きしめてきて、涙を浮かべるほど歓迎してもらえた。
私がいない間に生まれた幼い弟妹との対面も果たせた。

 ただ義理の父は、不作ではないが戦にかりだされているせいで家には居らず、会えずじまい。
でも家の暮らしを見れば、家族が増えても餓えることもなく過ごせているのは、義父のおかげだとわかる。
出来るなら直に会って、仲良くとまではいかなくても感謝の気持ちを伝えたかったのに残念だった。

 それから、私が来た事を聞いて駆けつけてくれた いち と まく にも会う。
すっかり背も追い越され、大きくなった幼馴染達。けれど、私のことは忘れずにいてくれたらしい。
お互いの無事を喜んだあと、弟妹について頼んだら胸を叩いて力強い返事が返る。
まだ幼い二人のせいで婚期を逃しそうな姉を心配しての願いだったが、頼もしい言葉に安心できた。

『よし に教えて貰ったこと、全部忘れてない。
 はやく強くなろうって、毎日仕事が終わったらいつも稽古してるんだ。
 大人になったら仕官することも、もう二人で決めてる。
 武士になったら、俺達が よし に会いに行くよ』

 幼い時のままの私の名を呼んでも、盲目的に従ってくれたあの頃のような幼子の顔はしていない。
かわらない景色の中に、変わっていく人達が居る。
別れに際して友人達からもう一度繰り返された約束は、二年前よりも具体的で強かった。

 私も頑張っているつもりだったけれど、皆それ以上に急いで大人になっていく。
数えの14歳になれば、大人に雑じり賦役(税金としての労働)に行く者だっている。
実年齢が12や13で元服し、成人と見なされ周りからも扱われる時代がそうさせるのかもしれない。

 幼い弟を抱いた とも姉ぇと一緒に、村の外まで彼らも見送りに来てくれた。
なんとなく…、想い出補正されていそうな感じはちょっと怖い気もするが、皆との再会はとても楽しかった。


 
 そうここまでは、良いことばかりだったと思う。

 しかし、ここからが問題なのだ。
運を年始に使い果たしたと言いたくはないが、そんな感じがしないでもないことが続く。


 最初に来たのは、『雨』。

 尾張と三河の堺あたりでこれにやられる。
数日降り続いた雨によって川が増水し、一座は足止めをくらった。

 集中豪雨や台風でなくても、雨というものは馬鹿に出来ない。
まだダムなんて一つもなく、堤防や護岸工事などが万全とはとても言えない時代だ。
細い支流も多く、少しでも雨が容量を超えれば、あっという間にどこの川からも水があふれ出す。

 雨によってもたらされる被害は大きい。
逗留した村で助けを求められたら、断りなどとても言えない。
自衛隊などの外部組織が救援に来てくれたりはしないのだ。
懇意にしてくれた村を見捨てることは心情的にも悪すぎるし、今後の一座の為を考えても良くない。

 その結果、村の人達と協力して片付けに従事した数日。
感謝される仕事にやりがいはあったが、その遅れは次の問題へと連鎖する。

 『戦の噂』が聞こえてきたからだ。

 陣触れ(じんぶれ 徴兵)の早馬が走ったらしいとの伝聞に、私達の足は再び止まった。
もともと昨年末より、尾張と三河の間に競り合いが続いていることは知っていた。
けれど、今は農繁期でもある。急げば戦の合間に国境を抜けられるかもしれないという期待もあった。
雨によって予定が変わったのは、私達の旅程だけではなかったのかもしれない。

 一座の方針は、『戦とは関わらない』こと。
しかしその方針を貫くにも、現在地、私達が留まる村の位置が非常に不味かった。

 二つの国の最前線は、この雨で溢れた川のちょうど上流を挿んだ場所にある尾張・安祥城と三河・岡崎城。
ここは川下にある村の一つにすぎないけれど、何かあれば巻き込まれる可能性は大きい。
一度(ひとたび)戦が始まれば、それに便乗した小競り合いもあちこちで起こる。
近隣の村は警戒を強めるだろうし、野宿すれば気の立った武者や行軍に遭ってしまわないとも限らない。


 どの道を選んでもリスクは高く、先行きの選択に迷う私達。

 その時、道を示してくれたのは、雨後の手助けをした村人たちだった。
彼らは私達に、「共に村の山城へ逃げよう」と、誘ってくれたのだ。


 戦の絶えない地域でも村はあるし、人は暮らしていかなければならない。
村というのは本来、年貢を納めるかわりに領主に保護してもらうという契約がある。それが封建制度だ。
当然戦が起これば、領主は自分の領地の農民や城下の商人を避難させて守る義務がある。
でも近くに領主の城や屋敷がない場合だってある。
あるいは支配者がころころ変わり、村人が相手を全く信用できないこともある。

 ならばそんな時はどうするのか?

 答えは、「自分たちでどうにかする」だ。

 「村の」と着くのは、その山城が領主のものではないということ。
上から提示されるものではなく、あくまで農民による農民の為の自主避難場所。
もちろん実際は城と呼ばれるような高い石垣や何層にもなる廓があるわけではない。
領主たちの山城を真似た、山の中などで一時でも戦を避けようという、自衛の努力の結果だった。


 そういうものをつくる村があることを話に聞くことはあったが、流れ者の私達が招かれる事態に驚く。
雨の後の長逗留で仲良くなったと思ってはいたけれど、そこまで心許されるというのは凄いことだ。

 嬉しくは思う、でも、彼らの為の避難場所。
水や食料など、多少は運んであるのだろうが、余分があるとは思えない。
素直に受けていいものか私達は当然迷う。
けれど、感謝の気持ちだからと再度言われて、一座は彼らの申し出に甘えた。

 私達は村の皆と一緒に、山と言うよりも少し小高い丘のようなところに避難する。


 数日後。
 
 村の若い衆が物見に行き、戦は終わったとの報告を聞く。
次の襲撃はなさそうだということで、帰り支度が始まる。

 そして、避難していた荷などを運び戻す手伝いをしながらの帰り道のこと。
私は、座長に「ちょっとおいで」と道端に呼ばれた。


「あのな、日吉。
 どうも今回の戦の相手方、織田の嫡男らしい。初陣だったそうだ」

「それって、えーと、……もしかして吉法師?」

「ああ。
 すでに元服なさっているから、今は違う名でよばれているとは思うが。
 それでな、もしかしたらいろいろ言われるかもしれない」

「大丈夫、大丈夫。
 そういうこともあるの、仕方ないってわかっているから」

「そうか。 無理はするなよ」


 「うん」と頷くと、座長は仕事に戻っていく。
私に気を使って、他から聞かされる前にと急いで教えに来てくれた座長の背中にそっと頭を下げる。

 無理はするつもりはないけれど、考えることまでは止められない。
私は片付けの傍ら、彼らについて思いを馳せた。

 武士になれば、この時代、戦は避けられないことだ。
農民でいても徴兵はあるし、他を選んでもこうして巻き込まれることもある。
倫理観も価値観も、戦を肯定した上で成り立っている。
だから、将来武士になると言った幼馴染達の選択も、吉法師の立場も否定する気はない。けれど。

 「無事でいてほしい」「傷つかずいてほしい」と願う。
そして出来ることなら、「自分の知る者達が対立せずにすむように」とも思ってしまう。
エゴだとわかっているが、これが今の私の妥協の限界だ。

 ……二人が就職先もすでに決めているなら聞いておくのだった、と少し後悔もしつつ。
当たり障りなく、吉法師の戦の詳細を聞き出すにはどうすればいいかなどと考えていると、くぅちゃんが寄って来た。


「日吉、ちょっと休憩だって。
 はい、これ日吉の分の水。

 戦、怖かったね。でも誰も怪我しなくてよかった。
 村はあちこち、火がつけられていたんだって。
 いっぱい燃えてたって」

「……火?
 それって、今回の?」

「そうよ。
 大浜の周りの村の様子も、見てきた人がいるからって教えて貰ったの」

「やっていることが、二年前と同じって…。吉法師。
 規模が大きくなったのが、成長とか?」
  
「日吉、なんでそんながっくりしているの? 何か知っているの?」

「え、いや、知っているっていうか、前にちょっと」

「わたし、知らない」

「くぅちゃんに会う前のことだから」

「……そう。
 ねぇ、どんな人?」

「くぅちゃん興味あるの? 珍しいね」

「だって。
 日吉のこと、全然知らなかったんだもん。
 家族とか、幼馴染とか。この間だって、会って初めて知ったのよ。
 ……日吉、聞かなきゃ教えてくれないでしょ?」

「隠しているつもりはないんだけどな」

「それは、わかってるの。
 でもなんか、知らないの悔しかったから。
 わたしは日吉に何でも話してるのに」

「そうかな?」

「そうだよ!」

「私がくぅちゃんについて知ってることって言ったら、そうだなぁ。
 好きな食べ物とか、好きな歌とか?
 苦手な虫とか、後は…、本番で失敗した回数とか?」

「そんなのも覚えてるの!?
 日吉、ずるい!」
 
 
 話はどんどんずれて行って、互いの弱点から一座の皆のそれぞれの趣味にまで及ぶ。
芸巧者な仲間達の特技は多岐にわたり、話は弾んだ。
それで吉法師については有耶無耶にしてしまったけれど、くぅちゃんは察してくれたのかもしれない。

 彼について彼女に話すには、少し迷っていたこと。

 あの時あったことをそのまま話すのは簡単だけれど、それだけが全てではない。
彼が私に与えた影響は大きくて、でも、それを説明するのは難しかった。
 一座やくぅちゃん、家族や幼馴染達とは、彼の位置づけはちょっと違う。
くぅちゃんに対してだけではなく、誰に対してもうまく説明は出来ない気がしている。

 楽しい話で終わらせて、私達は仄かに焦げ臭さを感じる方へ、山道を急ぐ。


 ……その後は村の再建も手伝って、気づけば秋。
旅立った後も戦の影に追われ、何度も息をひそめ嵐が通り過ぎるのを待てば。

 ―――こうして三河湾をぐるっと回りこの浜に辿りつく頃には、冬も半ばになっていたわけだ。
 



 焚き火に足先を伸ばした状態で、私は長い回想から覚める。
いや、覚めるというよりは、突然はしった緊張に叩き起こされたというほうが近い。

「…なにが?」

「しっ、静かに」

 小さな声で叱られ、身振りで音を立てるなと指示がある。
大人達の警戒の視線は、海に向かう。


 波音に混ざる、ひそやかな櫂の音。

 夜の海を渡る船がいる。


 篝火すら焚かない船の姿は、闇にまぎれて黒い。
月はすでに沈んでいて、夜空は薄曇り。

 その闇の中、静かに静かに寄って来ていたらしい。
気づくのに遅れたことが悔やまれる。
怪しすぎる船は、すでに人影の判別すらつく。危険だ。

 座長の決断はすぐ下った。一言、「逃げろ」。
荷を捨て身一つ。命あってのものだねだ。

 しかし、走りだしかけた瞬間、背に声がかかる。


「待て。
 止まらねば射る」

 
 声は思ったよりも近い。
距離はない。だが、夜だし暗い。
相手の夜目がどのくらい利くのか。
当たらないとは思うけれど、強い声に足がすくむ。
それでも逃げなければと、重い足を叱咤したところで、ふいに―――大きな水音。


「竹千代様!!」

「きゃぁっ」

「母さま!」

「三国太夫っ」


 何があったのか、わけがわからない。
静かな波打ち際は、水を蹴散らす足音に乱される。

 陸も海も、誰もが。一瞬にして浜は、混乱の坩堝と化した。



[11192] 戦国奇譚 第一部 完 (上)
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:9a904d23
Date: 2009/11/08 20:14

 いろいろありすぎて疲労が激しい。座るよりも横になって寝てしまいたい。
しかし、それを諦めさせる複数の視線が私の手元を凝視する。
私が持っているのはただの白湯(さゆ)だ。これ以上の奇跡は頼まれても無理。

「風邪をひかないように、体も温めないとね」

 頷いて差し出された小さな手に、粗末な竹の椀をこぼさないよう支えてのせる。
これは皆さんも毒見済み。タネも仕掛けも味付けも、何の変哲もない湯だともわかっているはず。

 ……拝まれても、ご利益なんてありません。



 ――――― 戦国奇譚 第一部 完 (上)―――――



 今は静けさの戻った老津の浜。
激しく混乱したこの最初の一幕を、上手く説明するのは難しい。
ふいの遭遇と誤解は、いくつかの不運が重なっての出来事だった。

 この浜をある事情から待ち合わせ場所に選んでいた武士達。彼らには、人目をはばかる理由があった。
偶然居合わせただけの私達が、不審者に逃げ出すのにも言い分はある。
夜の暗さと足場の悪さに、お互い適切な距離を見失ったことが過ちの始まりだ。



 ――海に怪しい舟が居ることを知った、あの時。
私達は緊張の中、座長の指示を待ち、息をひそめた。

 こちらには焚き火があり、向こうは闇の中。どちらが不利かは歴然としている。
海側からは影になる位置で、手早く砂を掬う大人達。
私も皆の足手まといにならぬよう、逃げるべき方角を見定め待った。

 そして時をおかず下った「逃げろ!」の、一声。
その声を合図に焚き火の上には砂が舞う。あたりは一瞬にして暗くなる。

 機を逃さず、皆、弾かれたように海とは反対の方向へ走りだす。……はずだった、のだが。


 浅瀬に降り立つ幾つもの水音と、舟からの警告。
 追手の足よりも早く、放たれた威嚇の矢。

 誰かの悲鳴と共に聞こえたくぅちゃんの声に、踏みだしかけていた私の体は止まる。

 頭で何かを考えての行動じゃない。こんな時に考えることなんてできるわけがない。
計算も状況判断もなく、私の足は急ブレーキを踏む。転がる勢いで反転する。

 今、聞こえた、くうちゃんの声のもとへ。

 走る足は砂に捕られ、もつれる。何度も転びかけ、手をついてはどうにか体勢を立て直す。
闇の中だから、視界もろくに利かない。

 でも、不自由、無謀、危険を顧みず、ただ走った。

 これはある種の本能なのだと思う。
仲間や家族、大切な誰かに「助けて」と叫ばれたら、自分のことなんて頭から吹き飛んでしまう。
全体の状況がどうなっているかなんて見渡す視野はもてないし、そんな余裕はなくなる。
懸命に凝らす目も耳も、探して求めるものはただ一つ。くぅちゃんの姿だけ。


 だから、くぅちゃん達の声とほぼ同時に聞こえたはずの水音も、その後の水際の騒ぎもまだ私の意識の外。


 周りを見ることができたのは、彼女達のもとに辿りついてからだ。
矢がかすめたらしい三国太夫と、彼女をかばうように抱きこんだ座長とくぅちゃん。
三人の傍に滑り込み、私は目の前の武士を見上げる。
そこで漸く、私達を捕まえてどうこうしようとしている最中のはずのその武士が、意識をそらしているのに気がついた。

 刃だけは私達に向けているが、彼が気にしているのは、思いっきり『海』の方。


 つられるようにそちらを見れば、浜に引き上げた舟の傍らで、他の武士らしきおじさん達が固まって騒いでいる。

「竹千代様、竹千代様っ、ああ、なんということだ」
「傷はないっ、水を吐かせれば!」「否、息がもはや…」
「何と……、このようなことが」「今川方へは……。こうなれば、死んでお詫びを…」
「お役目果たせずこのありさま、腹を切らねば申し訳立たぬ」
「急ぎ舟を返す。竹千代様を岡崎へ運ぶものは残らねばならん。それ以外は……」
「殿、お許しを……」

 びしょ濡れのその一群から切れぎれに聞きとれたのは、事故の様子と深い悲嘆。

 彼らの会話の内容を、こちらが深く考える暇(いとま)もない。
浜辺には、さっきまでとは別の意味で阿鼻叫喚の地獄絵が造りだされかけている。
行動の早い武士はすでに砂浜に座りこみ、着物の肩を抜いてはだけ、切腹(せっぷく)の準備を完了寸前だ。

「早うせねば。
 まだ若ぎみは五つ。一人の道行に心細い思いをさせてはならぬ」
「……介錯を頼む。我らの首を持ち今川への詫びをと、殿に」

 急展開に唖然とする私達の前で、今生の別れが交わされていく。
残る者に託される遺言は短く、潔い。

 自らの生死の決断だというのに、決めるのが早すぎだ。

 武器で脅され何者かと問われるのも理不尽極まりない、が。
目の前で集団自決(自殺)を見せつけられるのも冗談じゃない。


「待って!!
 まだ死んでないっ。
 その子、まだ死んでないから!!」

「何を、……」

「いいかげんなことを申すな!」


 私はくぅちゃんの手を一度、ぎゅっと握って突き放す。
呆然としている目の前の武士の足元をすり抜け、かたまる彼らの中央へ。
板戸に寝かされた小さな影は、武士達に囲まれるようにして守られている。

 多勢に向けて飛び出してきた私に対し、鞘払われる何本もの刀(かたな)。
微かな星明かりを鈍く光る日本刀の地紋が弾く。


 触れずとも、刃の威圧を肌に受け取る。


「ひえのじにんがたくせんをきるか!」


 振り上げられた白刃を止めたのは、凛と、夜を割った少女の声。



 追い風のように、私の背を押したくぅちゃんの声。
その響きに動きを止め、一瞬怯んだ刃の林を抜けて、私は溺れた子供のもとへ向かう。

 水に落ちて、引き上げて、すぐに死んだと判断するのも早計過ぎる。

聞こえた分の状況からだけでも、今すべきは責任とっての切腹ではなく、一次救命処置のはず!


 呼吸の確認、気道の確保。
 首すじからの脈拍を調べ、着物の合わせも剥いで胸に直接耳を当て心音を聞く。
 口内の異物がないかを探り、人工呼吸を開始。
 吹き込み二回に対し、心臓マッサージは三十回。
 それを息を吹き返すまで、何セットでも繰り返す。


 見る限り怪我もなく、水に落ちての心停止状態だ。
水におぼれる子供が多いのは、「耳に水が入り気を失いやすいから」という理由もある。
耳管が大人より太く短く、慌てて吸い込んだ水などが中耳の内圧を高め出血を誘発する。
それで三半規管が麻痺すれば意識は落ち、水を吸った肺は呼吸出来なくなる。

 子供は体が小さい分、肺も小さい。
血液中の酸素量の残存分も少なく、補給しなければ酸欠もすぐだ。
適切な処置をしなければ、脳が死んでしまう。

 心臓マッサージのタイミングは、一分間に100回の早さで。
拍子がわりの「地上の星」を思い出しながら、私は胸を押す腕に全体重をかける。
怖いことばかり考えていてはいけない。
相手が小さい子供なので私の力でもどうにかなる。これを不幸中の幸いだと思わなければ。

 周囲の雑音を完全に遮断し、私は目の前の子供にだけ集中する。
救命措置は何よりも体力だ。ワンセットこなせば、自分の息も切れ、汗も噴き出す。でも…。

 かわってくれる相手はいない。
 私の代わりが出来る者、この救命の知識を持つ者は他にいない。

 私が唯一の、この子の命綱なのだ。

 息を吹き込む作業は最短で、手早く。心臓マッサージは弛まなく。
呼吸が停止してから、最初の5分が生死の分け目。
でも、冷たい海水に下がった体温が、助かる確率を上げてくれるはず。
幼い方が助かれば、後遺症の残らない可能性も高い。悪いことより良いことを心に掲げる。

 大切なのは信じること。

 「この子は助かる」、「絶対に助けられる」と、信じ続けることだ。

私は周囲の状況を忘れ、この子が誰かということもどうでもよくなり、ここが冬の海辺だということすらどこかにやった。


 そして、自分の体力の限界寸前。
視界に影が差し、腕どころか、幼い少年の肋骨の上で組んだ指まで疲労で震え出した頃。
板戸の上の少年の肩が揺れ、赤子がむずかるような小さな唸りが口からこぼれるのを聞きとる。


 蘇生、成功。


 周りの歓声も、驚嘆も、疲れ切った私の耳には遠い。
脈拍ぐらいは確認しなければと思いながらも、そのまま顔面から砂浜に突っ込みそうなほどに全身が重い。
少年の意識の確認は見ず知らずの誰かがやってくれているのを見て、さらに脱力は増していく。

 助かったのは確実みたいだし、もういいよね…と、思考も投げやり気味に傾く体を放置する。
そんな私の手をしっかりと捕まえる温もりに、ちょっとだけ浮上すれば。
何故か、くぅちゃんまで私の隣で一緒に砂浜に転がっていた。



 その後のことを簡潔に言うなら、まあ、なんというか感謝の嵐?

 武士達や少年の濡れた体を乾かすため、再び浜辺に火を焚いて囲む。
私が半分酸欠でぼんやりしている間に、皆で協力して準備してくれていたらしい。
湯を沸かしたり、着替えのない少年に太夫の着物を選んで貸したりと、いつの間にか仲も良さげだ。

 感謝の表情を隠しもしない武士の方々は不審の態度を一変させ、常に腰低く、律儀かつ気真面目に接してくれる。
渡す白湯の一杯さえ神妙過ぎる態度で受け取られては、渡す方が言葉に詰まるほど。
一座の皆だって、もともと尊大さなど少しも持ち合わせていない人達だから、双方譲り合いの繰り返し。
どこの見合の席ですかと聞きたくなるような初々しいやりとりが、無骨な武士と太夫達の間であちらこちら交わされている。


 緊張感の消えたぬるい浜辺の雰囲気に、私の疲れた顔も自然とほころぶ。
一人でニヤニヤするのも恥ずかしいなぁと思っても、笑顔は隠せそうにない。


 私のあの時の行動は、衝動的で計算も打算もなかった。
でも、よく考えなくてもあそこで何もしなければ、その時点で全てが終わっていたのも事実なのだ。

 彼らの様子から察するに、この10人足らずの武士の集団の最重要人物はあの少年。
その彼が、何の拍子にか揺れた小舟から落ちてしまったのは、不幸な事故だった。
しかし、武士の皆さんにとってそれは腹切りでもしなければ責任取れないほどの重大事となる。
遠因になった私達が逃がしてもらえるはずもなく、(自決の)巻き添えは確実だっただろう。

 射られた矢で一座の誰かが本当に怪我をしていたら、私はきっと動けなかった。
 蘇生が上手くいかず、少年が息を吹き返さなければ、話し合いすら持てなかった。

いくつもの幸運が重なり救われたのは、ここにいる全員だったと言ってもいい。


 安静にと湯を呑ませて寝かせたはずの少年が、起きて太夫達にかまわれているのが見える。
太夫に借りた華やかな着物に包まれた、小さなお姫様のような姿を目に楽しみながらしみじみ思う。

 ……助かって、ほんとに良かった。




 どこか宴席にも似た明るさを醸す一座の様子が、良く見える少し離れた位置。
いっしょに騒ぐのは遠慮したくて選んだその場所で、私はぼんやりと彼らを眺める。


「日吉、大丈夫?
 お白湯、もう一杯貰って来ようか? 寒くない? 平気?」

 
 意識はしっかりしているつもりでも、行動力は大幅に低下中。
冬眠寸前の熊並みにスローペースだ。

 そんな私を気遣ってか、くぅちゃんはまめに声をかけてくる。


「寒くない、大丈夫。
 くぅちゃんも疲れてるのに、ごめんね」

「わたしはいいの。
 大変だったの、わたしじゃないもの。
 あのね……、日吉、助けてくれてありがとう」

「そんなの、こっちこそだよ。
 あの時、私を助けてくれたのはくぅちゃんだもの。
 私が何をするのかって、悠長に説明とか説得とかしている暇なかったし。
 くぅちゃんの機転があったから、皆が助かったんだと私は思ってるんだよ」


 私の切り返しに、彼女は驚いたように瞬く。

 でも、これは本当のことだ。
あのくぅちゃんの一声がなかったら、私はあのまま絶対切られていただろう。
それを思えば、一番の功労者はくぅちゃんだったと言ったっておかしくはない。


「そんなの……。あれは、日吉が危ないと思ったから夢中で、」

「それがすごかったんだって。
 えっと、 『日吉の神人が託宣を切るか!』 だっけ?
 全部の刀がピタッと止まって、魔法の呪文かと思っちゃったくらい」

「邪法なんかじゃないよ、ほんとのことだもん。
 わたし、嘘は一つもついてない。

 …少しは、省略もあったけど。
 でもそれは、わたしと母さまが日吉じゃなくて出雲の神人ってことだけだし。
 後はいつもの口上と同じだもん」

「それでも止まっちゃうのか」


 信仰や信心深さにおいて、時折驚くほど素朴な人々に出会う。
その内側に居る人間と外にいる人間の認識の違いも加算されれば、私のギャップと困惑は大きくなるばかりだ。


 『日吉の神人(じにん)』と聞いて、日吉神社に使える巫女だろうと思いこむのは早合点しすぎる。
日吉神社関係だというのはその後ろ盾があるという意味で同義だが、『神人≠神職』の人数も莫大なのだ。

 私からすれば、神社や寺の庇護のある人間全てが、神仏を信じているとさえ思えない。

 鍛冶などの職人連合に、塩・米・油の座商人、金融業に至るまで資本を出しているのが大手の寺や神社だ。
これら各種の仕事に携わる人々の全てが、自己紹介で『〇×の神人です』と一概に言ってしまえる。
私達のような傀儡子などの流れの芸人まで含め、その所属する職種の幅はとても広い。
 寺社は大株主のようなもの。
だから『神人』は、各寺社系コングロマリット(異業種複合企業)の『社員』と言い換えられてもおかしくはない。

 この時代の『宗教』と『資本主義』は密接で別ち難い関係だ。

 しかし地域差は激しく、職業が尊ばれたり蔑まれたりも複雑で、どこに線引きがあるのかわかりにくい。
それでその上、私が前世知識からこの二つは別枠に考えたくなってしまうとくれば――。


「――やっぱり、私が全然わかってないってことなのかなぁ。

 宣伝の口上は芸のうちだから、派手でも当たり前だと思って聞き流せちゃうし。
 『神楽』と『辻興行』って、私の中では同列になるものじゃないし。
 なのに言葉どおり私達まで神様の一部扱いされたら、違和感ありすぎるんだよね。

 そうだよ。命が助かったのを感謝して、何かお礼したいって気持ちはわかるよ。わかる、でもね。
 神様相手になら止める気はないけど、私達に神社を奉納したいっておかしくない? おかしいでしょ?

 あーでも、大名みたいに力がある人達だと、スケールが違うのは当然ってことなのかなぁ。
 お礼がわりに新しく神社建てるとか、しちゃうのも普通?
 戦勝祈願するのは常識で、戦う日時まで占いで選んだりもしてるから?
 そういう日々の積み重ねで、私達よりも信心深くしていても、別に変っていうわけでもないのかな」

「日吉……。
 …………でも、人の生死を動かすのは本物の神様の御技なの…」

「え?
 ごめん、くぅちゃん、何? ちょっと今のとこ、上手く聞き取れなかった」

「なんでもない。
 日吉は日吉なんだなって、だけ。
 
 それに、日吉は難しく考えすぎ。
 疲れてるんだから、無理しない方がいいよ。
 武士のことなんて、わからなくてもいいの。わたしや日吉とは違うんだから、ね。
 あっ、でもほら噂をすればって、」


 袖を引かれて視線をまわせば、焚き火の向こうにいたはずの少年と年配の武士の姿が近づいてくる。
離れて座っている私達のもとへ、わざわざ火種を運んできてくれたらしかった。



[11192] 戦国奇譚 第一部 完 (下)
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:9a904d23
Date: 2009/12/12 20:22
 火種を受け取って、足元に小さく火を焚く。
赤い炎の揺らめきと伝わる仄かな温もりに、知らず安堵にも似た吐息がこぼれる。
かいがいしく世話を焼いてくれるくぅちゃんに感謝を向けると、やさしい笑みが返ってきて、それも私を温かくする。

 運び手にもお礼を言えば、それは丁寧に遮られた。
彼らは私達の眼前で膝をつき、静かに胡坐(あぐら)をかいて座った。
老武士は手本にしたくなるような綺麗な礼をとる。
少年もそれに倣い、小さな旋毛(つむじ)が見えるほど頭を下げた。



 ――――― 戦国奇譚 第一部 完 (下)―――――



「日吉殿。このたびのこと、重ね重ね厚く御礼申し上げます。
 火急の旅故、恥ずかしながら今は礼を形にもできませぬが後(のち)に必ず」

「どうか頭をあげて下さい。
 お詫びもお礼も、心のこもったお言葉をたくさんいただきました。
 私達は一介の傀儡子(くぐつし)。座長も、「これ以上は」と申し上げたと思います。
 皆も傷つかなかった、人を助けることもできた、ほんとはそれで充分なんです」

「ありがたいお言葉いたみいります。
 詳しくは話せませんが、今、この方は一国のかかった重要なお立場。
 しかし貴殿が手を差し伸べて下さらなければ、我らには竹千代様をお救いする術はなかった。
 ……浅慮にも刀を向ける無礼をなしたこと、まこと申し訳なく慙愧に堪えません。
 これより我ら一同、日吉社に深く帰依し奉りまして、お詫びの代わりとなす所存」

「それは、ええと、ありがとうございます」


 彼の言葉から、完全に私達は神様とワンセット扱いされているのがわかる。
やはりそっちに行っちゃってるのかと、難しい感謝の言葉を脳内翻訳しつつ、ちょっと滅入った。
でもいまさら「あれは奇跡ではなく技術なんです」と、説明するのも無理なので仕方ない。

 武士の横では竹千代も同意なのか、一緒に礼儀正しく頭を下げているのを見やる。

 元気になったのは嬉しい。けれど、出来れば寝ていてくれた方が安心なのにとも思う。
もう夜も遅い、何もなくても子供は寝る時間だ。感謝の気持ちを表してくれるなら、明日の朝でもかまわないのに。
いっそ神の御威光とやらをかさに着て、絶対安静を申しつけてみようかという悪戯心が、ふとわき起こる。

 いや、悪戯心ではないか。
面倒くさいことを考えるのは疲れたから、皆寝てしまえばいいのにという、なげやりな気持ちが多めかもしれない。
でもそれを幼い竹千代にぶつけるのは大人げないと多少は自戒し、やわらかな言い回しに換えてなげかける。


「竹千代様。
 手足に力が戻られたようで、良かったです。
 でもまだ大事をとってお休みになられていた方がいいと思います。
 心の臓も、息を吸い込む肺も、水に驚いて一時動くのを止めてしまったくらいなんですから。
 過信はせず、ご自分のからだを大切になさらなければ。
 ……歩いてみて胸が苦しかったり、どこか痛かったりなどはありませんでしたか?」

「はい。
 いたいところも、苦しいところもありません。
 日吉さま、ありがとうございました」

「私に『さま』などいらないです。
 竹千代様こそ身分のあるかたとお見受けします。
 神社と被っちゃってるので少し呼びにくいかもしれませんが、『ひよし』とそのままお呼びください」

「いいえ、日吉さまには命を救っていただきました。
 父上は『受けた恩を忘れてはいけない』と、いつも言っておられます。
 竹千代も、日吉社のかんなぎさまにいただいたこのご恩、しゅうせい忘れません」

「……巫(かんなぎ)、って…」

「城をでるとき、三河をたのむと父上に言われました。
 大事なお役目なのに、はたせなければ竹千代は不孝者となってしまいます。
 お国のためとなるならば、竹千代は死をもいといません。そう父上と約束したのです。
 でも死んでしまっては、おわびに腹も切れません」

「っ。
 自ら、死を選ぶ、のですか?」

「はい。
 武士の覚悟です」


 5歳の少年の堂々とした自傷宣言に、私の疲れた頭は横殴りでもされたかのようにショックを受けた。

 ……彼、竹千代は一人では着替えられない子供だ。
太夫達に手とり足とり手伝ってもらわなければ、着物の紐一つ自分では結べない幼子。
農家の5歳児なら最低限は一人でやれと放っておかれて覚えることを、彼は何もできなかった。
周りにやってくれる使用人がいっぱいいるのだろうと、見ていてそう思わせる様子だった。
例え訳ありでも、護衛の武士を大勢使うことの許される守られる立場をみてもそう思う。
いいところの子だろうから、大切にされ甘やかされていたのだろうなと、そんなふうに見ていた。
 
 でも、百姓の子は幼いうちから自立を求められるが、命をかけての責任など負わされたりはしない。
守ってくれるのは肉親くらいしかいないけれど、幼いうちから他者の為に生きる覚悟などいらない。 

 竹千代の言葉には、ためらいはなかった。

 それが私の胸を塞ぐ。

 「詫び腹」「追腹」「無念腹」、主をいさめるための諫死(かんし)にさえ武士は腹を切る。
国が落ちれば、女ならば助命の可能性もあるが、男は幼くても命を共にする。
竹千代も武士の子として、「死」は当然の帰結と教わっているのだろう。

 彼が自分の言った言葉をどのくらい理解しているのかまでは、わからない。
けれど、その言葉どおりを疑いなく実行するだろうということは信じられた。

 私がわからないと思っている、身分の違い。生まれの差。
その心のありようの違いが、拙く幼い子供の言葉だからこそ余計に生々しく、私の胸に突き付けられる。
もう少し大人になった分別のつく年代が言ったのなら、ここまでその差を痛ましく思えたりはしなかった。


「三河の子……」

「はい! 
 父上も、そう竹千代を呼びます。
 それを誇りとせよ、と」

 
 私のぽつりと零した言葉を拾って、竹千代が嬉しそうな顔を見せる。

 その純粋な親愛が、痛い。

 
 私の頭の中に、近隣の情勢が浮かぶ。
詮索を望まないようだから深く考えまいとしていたが、私の耳は彼らの情報をちゃんと拾っていた。
今までの彼らの台詞と三つの国名をヒントとして、この状況はひも解ける。

 争い続く、「尾張」と「三河」。
 夜半人目を避けて移動する、三河の力ある武士の子供。
 その子を失いかけた時、首を差し出してまで詫びなければいけない相手がいる。
 死を持っての謝罪は、三河の主だけではなく、「今川方」にも及ぶ。

 こうなれば見えてくるのは、「今川」と「三河」との密約だ。
子供を相手に渡してまで結ばれる繋がりが意味するものは、同盟か、援軍の求めか。

 「尾張」と戦うために差し出される、この子は人質だ。

 竹千代の覚悟は、形ばかりの理想ではなく、すぐさま直面する現実だった。

 彼の父が、どんなに「恩を忘れない人」であっても。
国を守るためには、情勢によって立場を変なければならないこともある。
肉親すら切り捨て敵にまわしても、最善を選び生き抜く。それが出来なければ、この時代の国責は負えない。


 私が助けたばかりのこの小さな子供は、これから命の危険にさらされる場所に行くのだ。

 心音を呼び戻すために叩いた、胸の冷たさが指先によみがえる。
浜辺に力なく倒れていた姿と重なる想像に、私は貧血にも似た眩暈(めまい)を感じる。
私が呼吸を吹き込み、必死になって命を呼び戻した子供は、またすぐに死んでしまうかもしれない。

 そんなのは嫌だと思った瞬間、―――魔が、さした。


「竹千代様は、御父上が大好きなのですね」

「はい」

「一度は失った命。けれど竹千代様はちゃんと戻ってこられました。
 再び息を吹き返されたこと、御父上は喜ばれると思われますか?」

「? …はい」

「私も同じです。
 竹千代様の御父上も、竹千代様が生きておられることを望んで下さっていると思います。
 日吉社の神様が、竹千代様にそう望まれたように」

「日吉の神様も、父上と、おなじ……」
 

 私は、子供の中の言葉をすり替える。
順番を並べ替え、誰の否定も言わず、けれどほんの少しずつ私の望む方へとずらしていく。


「そうです。
 お役目をはたすまでは死ねないという、尊い志。
 守りとおす強い心を持ってはじめて、約束は意味をなします。

 竹千代様は、御父上との約束を守ろうとなさいました。
 きっと御父上も、褒めて下さるのではないでしょうか」

「ちちうえ……」

「日吉の神も、その御心を認められたのだと思います。
 竹千代様には大事なお役目があると知って、命を返して下さったのだと。
 役目を果たそうという志は、言祝がれるべきもの。
 やらなければならないことがあるから、竹千代様は還ってこられたのです」


 私の長い台詞の全てを、幼い彼が理解する必要はない。大切なのはキーワードだ。
竹千代がすでに覚えている重要な単語を何度も繰り返し、その記憶の狭間に割り込む下地を作る。
落ち着いた聞き取りやすいアルトの声音に、繊細な緩急強弱をつけ、意識をそらさせず。
「強い」や「褒める」といった正(プラス)の印象を重ねイメージを強化しながら、心をつかんでいく。

 そして、これが最後の仕上げ。


「竹千代様。
 竹千代様は先ほど、『終世恩を忘れず』と約束して下さいましたね?」

「はい」

「ならば、どうか私の言葉を共に忘れずに覚えておいてください」


 無垢な黒い瞳が、焚火の炎を映して濡れたように光る。

 かすかに笑みを含ませ、たたみこむように続いた言葉をやわらかに緩め。
私を映すその目としっかりと視線を合わせ、解けた心の隙間に手を入れて。

 知っている言葉に反応し真剣に耳を傾ける彼を、からめ取る。

神聖な巫女ではなく魔女の囁きを駆使し、心開いた竹千代の耳に自分の願いを注ぎこむ。


「生きなさい。
 助かったことを神の加護と思うなら、生きて、あなたの役目を果しなさい。

 この先、不遇なことも、辛く苦しいこともあるでしょう。
 ですがあなたには、死をも覆すだけの力がありました。
 生きることは武士の誇りを汚すことではありません。
 耐えることも、忍ぶことも、竹千代様にはそれが出来るだけの強い心があると私は信じます。
 
 御父上から授かったお役目は一つ。
 けれど日吉の神は、きっともっとたくさんのお役目を竹千代様に望まれているはずです。
 あなたには、果たすべき使命が必ずあります。
 だからこそ、竹千代様は生かされたのだと。 どうか、それを忘れないで」

「……神様にいただいたお役目を、はたすまで。
 竹千代は、死んではならないのですか」


 声音を変えた強い呼びかけに一つ震え、息を呑む竹千代。
たどたどしく返してくる問いかけに、彼の揺れる心が見える。
幼い眼のなかに、父を信じ隠していた怯えと迷いが姿を現す。

 そう誰だって、死に対して怖さを感じないはずはない。
私はしっかりと頷いて、竹千代の迷いさえ奪う。


「はい、竹千代様。
 それが、あなたに託された命。私の願い。

 私は、あなたがどんな時も、生を選んでくれることを、望みます」


 少しだけ視線をやれば、竹千代の傍らの老武士は静かに目を伏せている。
彼は黙したまま、最後まで私の言葉に口をはさまなかった。
私は心の中で、謝罪と礼を向ける。

 私は武士ではないし竹千代の部下でもないから、この先、彼を近くで守ってやることはできない。
彼の家の教育方針、武士のありようを捻じ曲げるなど、本来は許されないことだ。

 でも、これがエゴだとわかっていても、唆さずにはいられなかった。

 5歳の子供が死の覚悟だけを持って人質に行くことを、黙って見すごすなど私には出来ない。
「死」の答えしか持たず危険な場所に赴くのでは、自殺しに行くのと同じじゃないか。
生きたいと強く望む気持ちがあれば、土壇場だって奇跡が起きるかもしれないのに。

 私が助けた命なのだ。
どんな環境にあっても投げ出さず、最後まであきらめず、生き抜いてもらいたいと強く願う。

 途中で何か言われるかと思ったくぅちゃんも私の隣で何も言わず、お目付役の老武士に遮られもせず。
誰に邪魔されることもなく、私の竹千代プチ洗脳作戦は無事完了した。



 …………。
……これは見苦しい言い訳だが、今晩は精神的にも上下が激しかったし、私の疲労もピークだった。
自身の生死を潜り抜け、他人の生死を左右して、やっと息を抜いたところに「子供の死の覚悟」だ。
予想もしていなかった竹千代の言葉にとどめを刺され、私のメーターが振り切れていたっておかしくはない。
 少し頭が醒めて我にかえれば、偉いことをしでかしちゃったなという感はある。
もちろん後悔なんて全くしていないけれど。
でもあのテンションの高さは、ランナーズハイのように脳内麻薬でも出ていたとしか言いようがない。
思い返すと、随分大きなことを言ったなと赤面ものだ……。


 というわけで、ハイな私が台詞の中で「神様」を連呼したせいか、少年の私を見る目は前にも増して恭しくなっている。
影響力を強めるため彼の大好きな「父上」を並べたのも混ざって、効果は相乗しているらしい。
きらきらとこっちを見る目には慕う色が隠されもせず、とてもかわいい。
少女のようなかっこも合い余って、撫でまわしたくほどの愛らしさに、……良心が痛む。

 純真な子を誑かしてしまった、ばつの悪さが私をちくちくと苛む。
だから私との「約束を思い出すよすがに何かを」とねだられて、二つ返事で頷いてしまった。
この時ばかりはくぅちゃんもものすごく何か言いたげだったけれど、止められるまでではなかった。

 何がいいかなと考えなくても、竹千代にあげられそうな私の持ち物など、実はたった一つしかない。

 一座で買ったものは皆の物なので、私専有を主張できるのは私自身が貰ったものだけ。
その数少ない持ち物の中から、以前吉法師に貰った瓢箪(ひょうたん)に結ばれていた赤い紐を私は選ぶ。
朱糸の中に一本ずつ細い金と緑がひそかに編みこまれている地味ながら良い品だ。
火打ち石や瓢箪までは、さすがに竹千代相手でも手放す気にはなれない。

 それでも「これしかないけれど」と渡した赤い紐を、竹千代は満面の笑みで受け取ってくれた。
堅苦しさも取れて年相応に喜ぶ彼の様子には心慰められ、とても和む。

 持ち物の話をきっかけに、彼のまだ知らない日用品の話などもぽつぽつと話す。
木綿や竹の話、旅の話。寝物語をもっととせがむ幼子のように甘えられては無下にも出来ない。
話しながら、うちの弟ももう少しすれば竹千代くらいになるのかなぁなんて、ぼんやり考えたりもした。
武士嫌いのくぅちゃんも竹千代の幼さにはそのうち絆され、何か聞かれれば丁寧に答えていたのはほほえましかった。





 そしてさらに夜も更けて。
夜明け前の一番世界が暗い時。

 竹千代一行の迎えが来る。

 
「戸田殿、御約束の刻限はとうに過ぎておりますぞ」

「申し訳ない。
 おお、竹千代様。ずいぶんとかわいらしいお姿で」

「おじいさま……」

「戸田殿!」

「ふむ、それよりも、随分と大所帯になりましたな」


 私達は彼らの邪魔にならないよう脇に控えていた。

 迎えの武士達は、ここまでの一行よりも若手が多いようだ。
それを率いる年配者一人が竹千代の様子から身内だとはわかるけれど、どうも温度差がある感じもする。
あの老武士に咎められても適当にかわす誠意のなさは、見ていて気持ちのいいものではない。
紹介したいからと頼まれ私達もまだこの場に居るのだが、歓迎されていない雰囲気もあからさまなのだ。

 でも不審者扱いは私達のいる状況を説明するまでは、当然のこと。
しかし、この胸が悪くなるような嫌な予感はなんだろう。

 竹千代が移動するために示された籠にのりこむ時に見せた、怯えたな眼。
駆け寄ることはおろか、声をかけることさえできなかったけれど、それもさらに不安を煽る。



 そして、竹千代の姿が視界から消えて、わずか一拍。
「竹千代様を先に」との号令に、戸惑いと反論の声を上げる者達に向けて―――、


 裏切りの刃が抜かれる。


 交わされる剣戟、怒号。罵声と、血臭。
味方と思っていた相手からの抜き打ちの一撃に、手傷を負った者は多い。

 「日吉!」「日吉!!」
名を呼ぶ声に手を伸ばすのが精一杯、足は重く疲労に筋が軋む。
引き摺るようにそれでも踏み出して、私も生きるために足掻く。
人にばかり勧めて、自分は生きることを諦めるなんて、そんな無様な真似は晒せない。

 「くぅちゃん…」「日吉、うしろっ!」
かわすため前に倒れこむが、背には熱。
誰かが割り込んで追撃に剣を合わせ、私をかばう。

 「行かれよ、日吉殿」「えっ……」
背後の声。誰かにつかまれた手。

 指先を包む温もりは、痛いほどの力で走れと告げる。

 耳を打つ荒い息の中で、誰の声も、もう聞こえない。
熱さに似た痛みと、手を引く感触だけを残して、視界も闇へ。

 その後、どれほど走れただろうか。
この手を引いてくれる誰かと一緒に逃げなければとの思いだけを残して、私の意識は途切れた。




 第一部 完



[11192] 裏戦国奇譚 外伝一
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:8ec634dd
Date: 2009/12/12 20:56
  わたしの名は、小国。
わたしの一族は、代々出雲にて神を祀る神職の位を受け継ぐ。
いつの頃からか、わたしたち一族の女は希(こいねが)われて旅を生涯の務めとするようになった。
遠く生地を離れた巫女たちは、異郷の地にて勧請(かんじょう)の舞を舞う。

 勧請とは、神を遠く離れた土地に遷し奉り、鎮め慰めること。

 わたしたちが舞うのは、尊き神降ろしの舞。

 しかし、祖母の時代になって世が乱れてくると、わたしたちを敬う気風は廃れ始める。
かつては天皇の御前にて鎮護国家の舞を舞い、雨を呼び、歌を奉じた白拍子たちは朝廷から追い払われた。
血筋正しき姫君たちと同じく、大臣の母として系図に名を残した舞姫の栄光は消え、今や扱いは遊女に等しい。
神と人をつなぎ、万物に住まう御霊を癒した舞い手たちは、乱世の陰に息をひそめる。

 そして今代。
母の後を継ぎ巫女となるべく育てられたわたしには、もはや信じるべき神の姿は見えなかった。



 ――――― 裏戦国奇譚 散華誓願 (上)―――――



 わたしの母は、素晴らしい舞手と名高い女性だ。
「白くたおやかな指先が天を示せば空は晴れ、眼差しが流れれば花が咲く」と目の肥えた都人が謳い賛美する。
「微笑み一つで三国を魅了する」と称えられて、それ以来、母は「三国大夫」と人々に呼ばれるようになった。

 誰よりも美しい母の、誰よりも美しい舞。

 けれど、それをわたしは決して好みはしない。
母がみごとに舞うたびに、貴人たちは母を呼び、彼女はわたしを置いていってしまう。

「いかないで、かあさま。おいていかないで」

 幾夜見知らぬ部屋の片隅で、一人膝を抱え、母の名を呼んで涙したことだろう。
でもどんなに泣いても、母が夜のうちに私のもとに帰ってくることはなかった。

 豪奢な屋敷に住み、立派な太刀を佩いた男たちは、母を「花よ、宝玉よ、技芸の天女よ」と褒めそやす。
しかし、ひとたび彼女が一人の男の手をとれば、彼らは褥(しとね)に乱れる母を想像し賤しむのだ。
彼女の前ではわたしにまで甘い言葉を与えるくせに、母がいなくなったとたん手のひらを返すような者もいる。
「父も知らぬ遊女の子」と吐き捨て、「美しく育てば買ってやろう」とわたしを値踏みして嘲笑う。

 言葉のわからぬ幼子でも、汚れた視線や悪意を感じとれない子はいない。

 外側をどれほど取り繕っても、金や錦(にしき)で覆っても、人も持つ欲の醜さは隠せない。
母は「それもまた人の性」と笑うけれど、わたしはその「醜さ」に対して嫌悪しか湧かなかった。

 わたしにとって、人々に美しいと称えられる母の舞も、わたしから母を奪う大嫌いな敵だった。
母を称えながらも蔑み、欲を持って招く権力者たちも、それを是とする神だって尊いなどとは思えない。

 わたしは舞も富貴も、男も権力も、自分が巫女であることさえも、心の奥底で憎んでいた。



 虚飾を誇る繁栄の裏では、隙を見せれば誰もが蹴落とされる危険と背中合わせの都での暮らし。
表裏ある者ばかりの中に育てば、物心つくころには、すでに世に対しすねた見かたしかできなくなっていた。
笑えば優しくしてもらえるのがわかっていたので、楽しくなくても必要であれば笑顔は作る。
でもそれ以外は、口もろくに開かない地味で目立たない、愛想の悪い子。わたしはそんな子供だった。

 やがて6歳の春を境に、手遊びだった舞や唄の稽古は本格的な修行へとかわる。
しかし、わたしの稽古を見る母からこぼれるのはため息、眉をしかめる顔ばかり。
気の早い公家からの嬉しくない視線が増える一方で、わたしの舞に命は欠片も宿らない。

 母が都に見切りをつけ「東へ行く」と言い出したのは、丁度その頃だった。
権力者たちが母を巡って諍い、死者を出すという事件もあり、それも理由になったのかもしれない。
引き止める信奉者たちを全て袖にして、わたしたち母子は都を後にする。


 そして、その旅路の先で、わたしは一人の少女に出会う。


 彼女の名は「日吉」。
わたしたちが身を寄せることになった傀儡子(くぐつ)一座の、小さな小さな女の子。

「はじめまして、日吉です。
 小国、ちゃん、小国…っぁ、…む?
 ……くぅちゃん、って呼んでもいい?」

 肩よりも低い位置から覗き込んでくる、真っ黒な瞳。
わたしも小柄なので一つ歳をごまかしていたのだけれど、事実一歳違いだとはとても思えない幼なげな子だ。
その小さな手足を見れば、わたしの半分ほどしか生きていないと言われても信じられそうだった。
子供の姿から本当の年齢を推し量っていると、その子はわたしの教えた名前を覚えようというのか繰り返している。
そうして何度も呼んでみても呼びにくかったらしく、彼女は拙い口調で愛称をねだってくる。

 「くぅちゃん」と、舌足らずに呼びかけてくる甘い音。
その響きに感じたのは、胸がきゅっとするような、不思議な気持ち。
 
 関わることを許された自分より幼い子供を与えられるのが、初めてのことだったからかもしれない。
見上げてくるこの小さな生き物を、触ってみたい、撫でてみたいと激しく思う。
乱暴に扱ったら壊れてしまうような気もして、守ってあげなければという気持ちもわき起こった。
庇護欲や母性本能などという難しい言葉はまだ知らなくても、その子の小ささにわたしの心は強く揺す振られる。
妹というものがもしいるとしたら、こんな感じなのかもしれないとさえ思えた。

 後に、日吉は別に滑舌(かつぜつ)も悪くなく、それどころか記憶力もかなり良いと判明する。
でも、傀儡子になって日の浅い彼女の物知らずさは驚くほどで、間違いなく都育ちのわたし以下だ。

 彼女はわたしに手を引かれて歩くのを喜び、何か教えれば素直に感謝して尊敬の眼差しを注いでくれる。
「くぅちゃん、くぅちゃん」と付きまとい、些細な出来事にも喜び笑う。
舞も謡(うたい)もわたしの方がたくさん知っていたって、競争意識を向けてくることもない。
わたしが教え守ってあげなければ駄目な、小さくてか弱い、たわいない生き物。
ほんとうに妹のように思い、面倒をみる気にわたしはなっていた。


 しかし―――。
 
 すぐにそれは間違いだったことに気づかされる。
彼女は、わたし程度が御しきれるような、そんな生易しい存在ではなかったのだ。



 一座と共に旅を始め、最初の国境を越える前だっただろうか。
ある川沿いの村に寄り、旅に必要な糧食や情報などの交換を大人たちがしている時のことだ。
物怖じするということを知らない日吉は、「遊んでいていい」との許しを得ると、いつものようにわたしを呼んだ。


「くぅちゃん、くぅちゃん、見て。
 あそこにも子供がいるよ、村の子かな?
 仕事中じゃないみたい。
 一緒に遊びたいな」

「……、知らない子だよ」

「女の子もいるし、大丈夫じゃない?
 お姉ちゃんと、弟その1、弟その2って感じ。
 たまには大勢で遊ぶのも楽しいよ」

「……でも」
 
「せっかく広い場所で遊ぶんだから、鬼ごっこしようよ。
 じゃんけんで負けた人が鬼になって、追いかけて捕まえるの。
 全員捕まえたら、最初に捕まった人が次の鬼役。
 それとも、村の中限定で隠れ鬼でもする?」

「だめ、だめ、だめ、だめぇ!!
 日吉、なんてこと言うのっ、取り消して、早く取り消してっ!」

「えっ、うわっ、と、取り消し?」


 わたしは物知らずな日吉がしでかしかけたことに、泣きそうな声をはり上げた。
言葉をさえぎるために、彼女を突き飛ばした腕は震えている。
日吉はなぜ自分が怒鳴られたのかもわからず、驚いたような眼でわたしを見上げてくる。
その目を見つめ、わたしは怒りにか恐怖にか眩暈すらするようだった。

 『鬼ごっこ』? 『隠れ鬼』?
子どもの遊びでもそんなことをしてしまったら、もう二度とこの村はわたしたちを受け入れてはくれないだろう。
「流れ傀儡子が呪術を施す」などと噂が立ったら、皆、追われ殺されてしまうかもしれない。

 日吉は、信じられないことを言い出す、恐ろしい子供だ。


「くぅちゃん、な…に…。
 どうしたの、くぅちゃん!? なんで、泣いてるの?」

「言わないで、日吉。
 もう言わないって、約束して。
 『鬼ごと』をするなんて、言わないで」

「わかった、わかったから。
 怖がらせちゃったのかな? ごめんね。
 えっと、『ごっこ』遊びだから。
 ホントの鬼じゃなくて真似する遊びなだけだから、怖くなんてないんだよ?」
 
「ばかっ、日吉の、ばか。
 言葉には言霊(ことだま)が宿るのよ。
 なんでわかんないの?
 『見たて』なんてすれば、怖いことが起こるわ」

「……鬼神語るべからず、なのか。
 ごめん、私が軽率だった。
 約束する、もう二度と言わない」

「ほんと?
 ほんとね?」

「絶対、天地神明に誓う。
 もう言わないから、泣かないで。
 ごめんね。それから、……ありがとう、くぅちゃん」

「……なんで、…おれい、いうの?」

「だって、私が間違えたこと教えてくれたから。
 だから、ありがとう。
 くぅちゃんがいてくれて、良かった」


 怖いのに、嫌なのに、慰めようと背中をさすってくれる日吉の隣からわたしの体は動かない。
触れてくる小さな手が暖かくて、黒い眼には悪意はなくて、伝わってくるのは彼女のやさしい気持ちばかり。

 わたしは、混乱していた。

 今までわたしが知っていた人々は、何か失敗が一つあればすぐに顔をそむけ背を向けて、関わることを拒絶した。
母だけは許してくれたけれど、都人たちは疵(きず)を見つければそれを理由に他者を陥れる。
誰もが険しい顔をして、自分と同じだけの粗(あら)を相手にも見つけ、引きずり落とそうとしていた。

 なのに日吉は、「ごめん」「ありがとう」「泣かないで」「くぅちゃんがいてくれてよかった」……。

 日吉の言うことが、わたしにはわからない。
何故、心配そうに、嬉しそうに、優しい眼をしてわたしを慰めようとしてくれるのか。
言葉の意味はわかるのに、なんでそうなるのかがわからないのだ。
遊ぼうといった後に、突然、怖いことを言い出すのもわからなかった。
『追難の儀式(二月の節分)』の真似をしようなんて、なんでそんな恐ろしいことを思いつけてしまうのだろう?

 わからないことばかりだから怖くて、涙は止まらず、体は震える。
わたしは日吉が怖い。けれどその温もりに、……わたしは癒された。


 ―――あれから、日吉はわたしを師だとでも思ったのか、わたしの隣から離れなくなった。
わたしも日吉を突き放しきれずに、気づけばいつも彼女が傍にいる。

 そして、呼ばれるのだ。あの幼い甘い声で、「くぅちゃん、くぅちゃん」と。



 わたしたちが一座に合流した尾張、そこから三河、遠江を過ぎて、駿河までの旅。
街道を行く道すがら、日吉とわたしは唄をうたって人目を引いた。
一座が多くの人と関わろうとするのは、相手が客になるからだ。

 しかし日吉は相変わらずで、誰にでも人懐こく楽しげに声をかける。
下働きの下人から、刀を持つ武士も、商人も農民も、彼女の中に区別はないようだ。
嫌な顔を向けられてもさして気にせず朗らかに笑っているせいか、そう邪険にされることもない。
からかわれても笑い、たまにひどいことを言われても困った顔をする程度で懲りることもなかった。
客になりそうもない相手にも、日吉は無邪気に寄っていく。
戦の話や下世話な話にまで興味深げに聞き入る彼女の行動は、わたしには理解できなかった。

 けれど理解はできなくても、わたしと日吉の共にいる時間は長い。
隣で眠り、同じものを食べ、声を合わせ唄い、気が向けばおしゃべりもする。
日吉はわたしによせる好意を隠しもせず、一緒にいられるのが楽しいと態度で示しながら接してくる。
だから、わたしがこんなにも日吉がわからず思い悩んでいるのに、二人の位置は近かった。

 でも、彼女が離れていかないのは……。
悩んではいても、呼ばれるといつもわたしが応えてしまうから、かもしれない。

 日吉はたぶん本当にわたしが嫌ったら、わたしの傍には寄って来なくなるのだろう。
彼女は人の心の機微を読み取ることにかけて、敏感で聡い。
わたしの心は迷っているだけで、本心では彼女を離したくはないと思っているのだ。

 だって、日吉の呼ぶ声は、誰の声よりも真っ直ぐわたしに届くから。

 「くぅちゃん」と、彼女はわたしを呼ぶ。わたしを見て、わたしの存在を呼ぶ。
母のおまけではなく、紛れ込んだ余所者ではなく、不出来な一族の末ではなく、替えのきく後継の巫女でもない。
ただ一介の「わたしという存在」を、日吉はいつだって呼んでくれていた。

 出会ってからまだ半年足らず。
なのに、記憶にある限り母に呼ばれた回数よりも、日吉に呼ばれた回数の方が多くなっているにちがいないと思う。
わたしの姿を探しながら、話している間にも反応を見るように、新しい発見をわたしに伝えるために……。
会話の最中にさえ何度も、何度も、繰り返し呼ばれるわたしの名前。

 名を呼ばれることは、求められること。

 これまで私のみかたは母一人だけだった。でも母と居る時は、求めるのはいつだってわたしの方だ。
母の跡継ぎにふさわしい舞もできず、心のどこかには見捨てられるのではとの怯えと遠慮を消せなかった。

 日吉はそんな不安を感じさせない。いつだって真っ正直に、わたしだけを求めてくれる。

 日吉といることで、自分自身を認めてもらえる安心感を、わたしは知ってしまった。
わたしを傷つけたり利用しようとしたりしない相手と居る気楽さ、求められる心地よさも。

 突拍子もないことを言い出して、わたしを危険に巻き込みかねない危うさを持っているとわかっていても。
わたしにはわからない言葉を話したり、思いついたりして私を困らせたりするけれど……、それでも。
失ってしまうのを怖いと思ってしまうほど、日吉の存在はわたしにとって大切なものになりつつあった。


 ―――わたしの隣には、いつも日吉がいる。
隣にいないと何か物足りなくて、日吉はわたしを探し、わたしも日吉を探す。

 「くぅちゃん」と呼ばれれば、「なぁに、日吉」と返す声。
応えることは自然すぎて、そこに違和感はもう見つけられなかった。



[11192] 裏戦国奇譚 外伝二
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:8ec634dd
Date: 2009/12/12 20:27
 そしてさらに季節は過ぎ、またひとつ冬が終わり、新しい年が来る。
 
 わたしもこの頃になると、すっかり日吉の不思議言語にも慣れてきていた。
「くぅちゃんといると気が緩んじゃうんだよ。変なこと言っても、二人だけの秘密にしてね」
と、彼女にお願いされてしまったのも利いている。
誰とでもすぐ仲良くなれる日吉から特別扱いされ、二人だけの秘密を持てたことが嬉しかったのだ。
優越感をくすぐられて、わたしの心も日吉に対して少しは広くなったのかもしれない。

 それによく聞けば、日吉の話は古老のおとぎ話よりも刺激的で面白かった。



 ――――― 裏戦国奇譚 散華誓願 (下)―――――


 
 例えば雨上がりの朝。
泥まみれの足にうんざりしていると、日吉は楽しそうに水たまりを飛び越えてわたしのもとにやって来る。

「くぅちゃん、見て見て。
 雨が降ったから、新しい川ができてるよ。

 ―――雨が降ると、地表にあふれた水はこうして川になる。
 川は大地を下り、海へとそそぐ。
 海は潮流に沿って地球を廻り、太陽に温められ、雲を生む。
 雲は風に乗って日本にやってきて、また雨になる。
 一滴の雫は、これから何万キロもの世界への旅へと向かう――― 

 私達も旅をしてるけど。
 スケール地球規模っていうのも、かっこいいと思わない?」

「雲は、海から生まれるの?」

「そうだよ。
 ほら、お湯を沸かすと、白い湯気が出るでしょ?
 あんな感じで昇っていって、空の高いところで冷やされて小さな氷になるの。
 空の上は、山の上よりもっと空気が薄いから、夏でも寒いんだよ。
 雲は小さい氷の粒の集まりだから、真っ白いのかもね」

「こおりが、空に……」


 月のない寒い夜にも、日吉は不思議を見つけ出す。
暖をとるためによせていた肩からふと顔をあげて、彼女は目を輝かせる。

「ねぇ、くぅちゃん。あれ、北斗七星じゃない?」

「日吉、星が読めるの?」

「この空でわかるのは三つかな。
 オリオンと、北斗七星と、北極星と。
 星座表見ながら探せてた頃は、そのくらいしか見えなかったから。
 今は空気が澄んでていっぱい見えちゃうから、逆に多すぎてちょっとわかんない。
 こんなに数ある中から区別できたってのが、自分でもびっくりかも」

「……おりおん?
 織姫星のこと?」

「えーと、オリオンは、遠い国の不死身の英雄かな?
 でも、たった一つだけ弱点があって、そこをサソリに刺されて死んじゃった。
 だから空の星になっても、さそり座が上がってくると隠れてしまうって話だったと思う。
 そのサソリの星もあるはずなんだけど、オリオンが隠れる頃出てくるんじゃないかなぁ?
 赤い星、アンタレスって名前の一等星が目印だった気がするんだけど……」


 そして森の奥に落ちていた、普通なら穢れ(けがれ)を嫌い、避けようとするモノに対しても。
日吉は命の終わりを恐れることなく静かに手を合わせ、わたしに語った。

「虫も鳥も獣も人も、死ねば土に還る。
 土からは木や草が生まれ、それをまた虫や鳥、小さな獣が食べて育つ。
 その小さな生き物たちは、それを食べる大きな生き物の糧になる。
 そしてすべての生あるものは、死ぬことによって再び土へ。
 生死は組み合わされ、命の輪はつながっていく」

「……死は『忌みごと』って言うの。
 骸を見つけても、見なかったことにするのが普通なの」

「うん。
 疫病とかもあるからね。怖がるのも、悪いことじゃないのかもしれない。
 でも『死』そのものは、悪ではないって私は思ってる。
 死ぬことも『生』の、『命』の形の一つ。
 この骸だってここで朽ちて大地に還り、木々を育てる土になる。
 新しい命の礎(いしずえ)になる」

「でも……、そう言われても、こわいよ。
 日吉は、こわくないの?
 『穢れ』に触れたら、『穢れ』が移る。
 穢れた者は、人ではない身分に落とされてしまう……」
 
「『死』は、私も怖い。
 でも、生まれることも死ぬことも、生き物なら当たり前のことだから。
 死者や死骸に関わる人達を差別するのはおかしいってことも知ってるし。
 『人に非ず』『穢れ多し』……、そんなふうに呼んで線を引く必要なんてないのにね。
 目をそらしてたって、『死』がなくなるわけじゃないんだもの。
 畏れ悼むなら、安らかであれと祈ればいいだけ。
 その気持ちがあればいいんだって、私は思ってる」

 
 日吉の見つめる世界は、わたしの見ている世界とは違う。
けれどそれは決して嫌なものではなくて、時に神聖で、驚きと喜びに満ちている。
わたしは日吉と同じには見えないけれど、彼女の傍らにいることで少しずつでも知ることができた。
そして自分が今まで全てだと思っていた世界が、実はせまくて小さなものだったことにも気づけていく。

 日吉によってわたしの価値観は塗り替えられる。新しい色を纏う世界は綺麗だった。

 彼女の指さす先に美しいものの姿を見つけ、喜びを共有し、笑いあう日々。
いつの日か日吉が傷つくのならその時は、彼女の涙さえも分かち合いたいと思うようにまでなっていった。


 母は、わたしがあまりに急激に変わって行くので、危うく思ったこともあったようだ。
一時期、心を探るような問いを何度かされたことがある。でも、すぐに何も言われなくなった。

 理由はわかっている。わたしの舞が、変わったからだ。

 以前は心を閉ざし、型を追うだけだったわたしの手足。
でも今は、わたしの心のままに、楽しさや迷いを形にする。
二人舞の舞台の時など、踊りのさなかに本気で笑い、怒り、感情を露わに演じたことまである。
虚ろに読み上げるだけだった歌詞も、今なら彩鮮やかな情景を心に思い浮かべながら歌える。

 「風に揺れる黄金の稲穂」の美しさ。
 「命潤す慈悲の雨」を請う切実と、もたらされる喜び。
 「万物に宿る八百万(やおろず)の神々」へ捧げる畏怖と感謝。

 絵空事でしかなかった歌詞の持つ真実を、日吉は小さなその手に乗せてわたしの眼の前に差し出した。
豊穣の言祝ぎは人々の笑顔と共に、小さな小石の中からは千年の時を引き出して、彼女はわたしに教えてくれた。
「化石発見!」と言って拾ってきた石を片手に聞かせてくれた古代から続く命の話を、忘れることなどできない。
 

 わたしは未だ神様の見えない、未熟な巫女見習い。
しかし、日吉の傍らでなら、わたしはこの世界に息づく生命を感じられる。神々に気がつける。

 日吉は、彼女が慈しみ称える世界に向けるものと同じ眼差しを、わたしの舞にもそそいでくれる。
その視線と、わたしの舞を「好きだ」と言ってくれる言葉に支えてもらえるから、稽古だって辛くはない。
こぼれるほどに褒めてくれる彼女に愛されて、舞も歌も、神に捧げるに足るものへと昇華する。

 わたしの舞に命を吹き込んだのは、日吉の言霊だった。


 ―――わたしの目はいつも、日吉を探している。
日吉の視線を独り占めして舞を舞っている時が、他の何をするよりも楽しい。
今望むことは、一日でも早く、母よりも一座の太夫たちよりも上手に踊れるようになること。

 そしていつか日吉から、「くぅちゃんの舞が一番」と言ってもらうために、わたしは頑張っている。


 
 日吉との出会いはわたしを変えた。
でも変わったのは、わたしだけではない。
彼女と共にいる一座の誰もが、多かれ少なかれ影響を受けている。

 「笑顔が綺麗」と褒められれば、自然に微笑む回数も多くなる。
「柔らかな声」とうっとり目を閉じるところを見せられれば、普段の声の調子までさらに甘くもなるだろう。
見返りを求めない素直な好意を差し出し続ける相手に、心を閉じていることは難しい。
寄るも離れるも自由な旅の一座の仲間たちを、日吉は「家族」と呼び親しむ。
心許した相手がそう言って慕ってくれれば、嬉しくならない人なんていない。
血のつながりがあるわけでもなく、同じ郷の一族でもないけれど、そこには確かに絆がうまれていた。


 日吉という種はわたしの心深くに根を下ろし、大輪の花を咲かせた。
彼女のいない日々を今までどう過ごしていたのか、わたしにはもう思い出せない。

 しかし、禍福はいつだって糾える(あざなえる)縄のよう。

 愛しいものを手に入れたら、次に来るのは試練だ。

 花が咲けば、嵐は訪れる。
打ち付ける雨や風から身を呈しても花を守れるか否か。試されるのは心の強さ。
甘いだけの関係では、この乱世の世において、人と人を繋ぎとめることなどできはしない。


 事件が起こったのは、信濃から天竜川を下る渓谷でのことだった。


 わたしたちは、川沿いの崖の道を歩いていた。足下には、人を乗せた川下りの舟が見える。
川幅も細く流れも早いこのあたりでは筏にして木材を運んでいることが多いが、人や荷を運ぶ舟もある。
歩くよりもはるかに速いので、お金に余裕があれば利用する者もいる。

 暖かな日差しが木々の間から降り注ぎ、隣には日吉がいる。
舟など乗れなくても、いつものようにあちこちに興味を示す彼女と並び、話しながら歩くのは楽しい。
初夏の香のする緑の風も気持ちいい。悪いことが起きる予感など少しもなかった。

 それが起きたのは、一瞬のことだった。

 急流の水音とは別の、鈍い音が一度。
視界の隅に、岩場に接触した舟が大きく傾くのが映る。
その揺れで身を守る綱から手を放してしまったのか、舟の縁にぶつかって弾きだされる人の影。
舟の体勢はそれでさらに崩れ、次の岩に乗り上げて、水の勢いにも押されて横倒しになった。
川面に投げ出される、人や物。舵を失った舟は流れに揉まれ、岩肌に木片をまき散らす。

 助けを求める人の姿を見て、わたしたちは川へと急いだ。
 
 自力で水に浮かべた舟人や、運良く川辺近くに浮かぶ荷が、狭い河原に引き上げられる。
助かったものは数名で、せっかく水から救い出されても、すでに息のない者もあった。
それでも助かった人たちのために、火を起こそうと一座の大人は手分けして森に入る。
残った者は、水の中の岩などで手足に傷を負った人の手当てを手伝いだした。

 わたしも何か手伝おうと踏み出しかけて、そして気がつく。
日吉はどこだろう。いつもなら真っ先に駆けていきそうな彼女が、いない。

 探そうと見まわして、息をのむ。

 死者の傍らに座りこんだ日吉がその体をかがませ、骸の胸に耳を押し当てている!

 あれは息がないことが確認された、「死体」だ。
森の中で偶然見つけてこっそり埋葬した動物たちよりもはるかに始末が悪い、人間の骸(むくろ)。
そんなものに不用意に触ろうなんて、正気の者なら絶対考えない。
ここが河原だからといって穢れをすぐには払えるわけでもないのだ。

 それに、人目もある。
わたしは日吉の優しさや考えを知っているけれど、全ての人がわかってくれるとは思っていなかった。
やめさせなければ、早く日吉を止めなければ、まずい。
流れの傀儡子ではなく死者を扱う身分だと誤解されても、困ったことになってしまう。

 焦る気持ちで彼女のもとに向かう足は、しかし、再び目にした光景に凍った。


「……ひ、よし?」


 骸の濡れた着物の合わせをはいで、両手を叩きつけるようして、日吉は死者の胸を打つ。
勢いをつけているのか、小柄な肩が浮くたびにえりあしで小さく結んだ髪も跳ねる。
少女が伸ばした両手に体重をかけ、一心不乱に死者の胸を押しているという、異様な光景。

 わたしは呼びかけの言葉を喉に詰まらせて、立ちすくむ。


 親の敵とか、昔ひどいことをされた人だったとか……?
 その死者に鞭打たなければならないほどの恨みが、日吉の中にはあったの?
 どうしたの、日吉。どうしてそんなことをしているの?


 問いかけたい言葉は胸に渦巻く。けれど、何一つとして音にはならない。

 異変に気がついた人たちの視線も集まりだしている。
でも、止めればいいのか、それとも隠せばいいのか。その判断すらつかなくて、息苦しいとしか浮かばない。
何かしなくてはと思うのに何もできず、混乱したわたしはただ日吉を見つめるだけ。


 その時、日吉の顔が上がった。
狂気なんて欠片もない真摯な目が手助けを求め、こちらを見る。


 でも、誰も動かない。動けない。


 幼子が死者に取りすがって泣いているのなら、引き離して慰めを与えればいい。
しかし骸の胸に手を置いた、全身を汗にぬらした子供に何をすればいいのか。
異端に対する拒絶すら、張り詰めた彼女の雰囲気にのまれて生まれないのに。
時すらも止めたような沈黙しか、返らない。

 日吉は反応のなさに無理を悟ったのか、唇を噛むと、また胸を押す作業に戻った。
周囲が黙って見守る中、骸の上で跳ね続ける、小さな体。
そして時折、まるで息を確かめようとでもするかのように、日吉は死者の口元に耳を寄せる。

 川の流れの音に、疲れた日吉の粗い息遣いが重なる。
 日吉に押された骸の下でも、河原の石が微かに鳴っている。


 小石が? 骸の手の下で、鳴って、る……?


 最初は、日吉が揺らすから動いたのだと思った。
そんなはずない。「死んでる」と言っていた。「もう、息が止まっている」と聞いた。
肌は青ざめて、動かない体。動かないはずの死者の手が、砂利を掻くように握りしめられる。

「……っ!」

 死者の、喉が鳴る。むせるように咳き込み水を零す。
ひゅーひゅーと細い息の音を響かせているのは、さっきまでの死体の口。

 慌てた日吉に横向きに転がされ、背を叩かれているのは、なに?

 首筋に指をあて何かを調べる日吉に、微笑まれ撫でてもらっているあれは、……なに?


「……生き返った。
 生き返りやがった。信じられねぇ」


 後ろから聞こえてきた声に、わたしはわれにかえる。

 横たわる人の濡れた髪を着物の袖で拭いて、その袖を絞ろうとしている日吉が視界に入る。
手をとって声をかけ、励ますように笑っている日吉がそこにいる。
かまわれている方がさっきまで死んでいなければ、それは病人を気遣う彼女のいつもの行動と変わらない。


「ありゃ、生き神か。
 すげぇこった。こんなもんが、拝めるなんて……」


 囁かれる声は、感嘆。でも、そこに宿るのは畏敬の響きだけではなかった。
昔よく知っていた、都の裏の空気によく似た棘をわたしは聞き取る。
あの大嫌いな気配をにじませて、こそこそ囁きあっているのは舟人たち。
死者からできるだけ離れた所で怪我人の手当てをしている一座の皆は傍にはいない。

 不穏な空気を感じ取って、わたしの心はささくれ立つ。
けれど、日吉のもとに行きたいと思う気持ちとは裏腹に、足はすくんだまま。
もう日吉はおかしなことはしていないのだから、普通に言って声をかければいいだけなのにわたしは動けない。

 踏み出せないのは、後ろの嫌な人たちと同じ考えを少しだけれどわたしも持ってしまったからだ。


 日吉は神様なの?
 だから命を救えるの?
 不思議なことを知っていたのもそのせい?
 人とは違うものを見て、この世の理を容易く外れるのは日吉が人ではなかったから?


 目の前にいるのは、日吉なのに。わたしの一番大事な、ただひとりの友達なのに。
今まで知ったと思ってきた日吉のまた一つ向こう側を見せつけられて、わたしは怖がっている。
畏れが、わたしをためらわせる。


 ―――もしも、わたしが生涯に一度だけ、巫女としての力が使えたというならこの時。
 それがただ一度だけの恩恵だったとしても、感謝しこそすれ決して後悔はない。


 「傀儡子だ。身寄りはないだろう」「郷につれてかえれば、」「いや、それよりも、もっと……」
死肉に這う虫よりも気持ちの悪い、言葉。幻聴のようにかすかな音を、わたしは聞き取った。
彼らの心の声だと言われても肯けるほど、それぐらい小さな、水音に消されていてもおかしくはない微かな声。
でもわたしは、確かにそれを聞いた。耳ではなく肌が、嫌悪に尖った心の感覚が、他人の悪意にそばだつ。


 わたしの厭う、「人の欲」。わたしの嫌った「人の醜さ」が、わたしの背中を押す。

 わたしの一番大切なものへ向けて、一歩踏み出す力をくれる。


 心を黒く陰らせる苦しい過去の記憶さえも、今この時のためと思えば必要だったと思える。
鳥肌立つような悪寒が、嫌いなのも厭なのも、わたしが本当に怖いのも、日吉ではないと教えてくれていた。
彼女が自分のもとから奪われて、誰かに利用されて苦しむことに比べれば、異能への畏怖なんて塵と同じだ。
日吉のもとへ駆け出しながら、わたしは自分自身にむかい心のうちで叫ぶ。


 わたしは、何?
 わたしの定めは、何?
 わたしは、巫女ではなかったの!

 神を称え、彼らと対話し、鎮め慰め奉る出雲の巫女の正しき後継。
 母にそう言われ、わたし自身そうあろうと、今まで務め励んできたのは偽りだったの?

 もしも日吉が本物の神様でも、神を降ろせる依り代の神子様だとしても。
 神に侍ることを生業とするわたしが喜びこそすれ厭う理由なんて、どこにもない。
 それにいまさら知らない神様が突然見えるようになるよりも、日吉がわたしの神様のほうがずっとずっといい。


 周囲の不穏に気づくことなく未だのん気に着物を絞っている日吉の手をとって、わたしはそのまま走り抜ける。
大人の通れなさそうな細いけもの道に飛び込み、藪に隠れるようにして進んでいく。
いきなり手を引いて森へと連れ込むわたしの行動に、驚きながらもついてきてくれる姿に信頼されているのを感じる。
しっかりと握りしめられた手。馴染んだ小さな指の形、慣れた重みに笑いたくなる。

 わたしは何を怖がっていたのだろう。日吉はこんなにも、日吉でしかない。

 戦や飢餓があり、利があれば親子でさえも裏切り、殺し合うことさえあるこの乱世。
たとえ心許した相手でも、こんなにも無防備に信じきって、全てゆだねてくれるのは日吉ぐらいだ。
いまさら奇跡の一つや二つ重ねなくても、これまでだって充分、日吉はわたしにとって奇跡の塊だった。



 わたしたちはその後、森にいた仲間に事情を話し、ばらばらに河原を離れることにする。
追手のくる危険も考え、山奥に分け入って旅をするために山人の協力も取り付けた。
座長たちは日吉の奇跡は見ていないけれど、舟人たちの様子のおかしさには気づいていたらしい。
「死んでたんじゃなくて、水に驚いてちょっと止まってただけだよ」との説明を皆が信じたのかどうかはわからない。
日吉が「自分を人だ」と言いたいのなら、わたしは彼女の望みを叶えてあげられるようにするだけのこと。
一座の皆にしても、厄介ごとと切り捨てるのではなく、彼女を守るための行動を選んでくれたのが全てだった。

 そのから先も、いろいろなことがあった。
鍛冶職に弟子入りして学んだり、津島の祭りを味わったり。戦に追われ、村人に匿ってもらったりもした。
でも、どんなに大変なことがあった時も、わたしの隣には日吉がいた。

 「すごいね、くぅちゃん」「きれいだね、くぅちゃん」「見て見て、くぅちゃん」
濁りを知らない赤子のような黒い瞳が世界を映し輝くさまを、見ていることが楽しかった。
日吉が神様でもそうでなくても、どちらでもよかった。
彼女の言葉を理解しきれなくても、独り占めすることができなくても、傍にいられるだけで満足だった。

 声が届く近さにいてくれるだけで、友達だって言ってくれるだけで、それだけでよかったのに―――、



 ―――老津の浜で傷を負った彼女は、もう、わたしの隣にはいない。

 あの夜、二度目の親族の裏切りによって、三河の松平の嫡子竹千代は奪われた。
今川へと人質に出されるはずの子供を尾張へと浚うという謀略に、わたしたち一座は巻き込まれたのだ。
浜での攻防の最中、日吉は背中を切られ、すぐには歩けないほどの傷を負わされてしまった。

 国同士を巻き込む大きな事件に、わたしたちは偶然居合わせただけ。
しかし冤罪であっていても、そこに居たというだけでわたしたちが咎められることは確実だった。
動けない日吉から詮議の目をそらすためにも、一座は早急に旅立つ必要に迫られる。
命は必ず助けるとの三河の武士の約束を信じ、わたしたちは日吉を置いてその地を離れることを決めた。



 そして、日吉のいない長い長い旅路を経て。
月と日を数多に数え重ねて、巫女として独り立ちしたわたしは、今日も神に捧げる舞を舞っている。
舞を舞う理由はその時々で違っても、捧げる言上はいつも同じ。

 心からの祈りの詞は、かけがえのないただ一人のためだけに。


  『掛けまくも畏こき天神地祇、八百万神々に恐こみ恐こみ申さく。
   この身卑小なる一介の巫女なれど、わが身わが心を捧げ一心に祈り奉る。
   彼の者が心安らかなるように。
   彼の者の慈しむこの大地が、豊かなれ、平安なれと、われは伏して請い願ふ。
   どうかこの願い聞し召し、わが唯一の、いとしき友を守り給へ』



[11192] 戦国奇譚 塞翁が馬
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:370f642b
Date: 2010/01/14 20:50
 私が背中に負ったのは、左の肩甲骨(けんこうこつ)から斜め下に向けて、背骨直前までの刀傷。
砂地に身体を投げ出すようにして逃げたのが良かったのか、それとも標的としては小さすぎたせいか。
ありがたいことに刃先がかすめただけの傷口は、死にかけるほど深くはならなかった。

 この時代にも、外科的な縫合技術はちゃんと存在する。
「金創治療」という名で、金属によるケガの治療法はまとめられている。

 しかし、その「金創治療」がくせものなのだ。
戦の噂話で耳にした上級武将御用達の最高医術であっても、危険度は半端ではない。
包帯の巻き方などの初歩までなら現代の常識ともそう違わず、まだ大丈夫な範囲内に収まっている。
ところがそれが手術までいくと、「それ絶対死ぬんで勘弁して」と、泣いて止めなければならない水準に変わる。
消毒済みのガーゼを腹中に置き忘れるどころの話ではない。
「麦粥(むぎがゆ)」や「カニみそ」を薬代わりに傷口に詰め込まれ無事に回復するのは、私には無理。

 ……医者を呼べるような状況ではなかったことも、私が助かった理由かもしれない。

 でも、ケガをしたことに合わせ前夜の疲労も重なって、私は数日、意識不明に陥っていた。

 目が覚めれば、そこは知らない場所。
一座の仲間たちもすでにこの地を旅立った後で、私の傍(そば)には誰もいなかった。



 ――――― 戦国奇譚 塞翁が馬 ―――――



 当たり前だけれど背中についた傷は、自分では見ることはできない。
初めの頃は浅く息を吐くだけで全身に痛みが響き、ケガの程度がわからない私の不安をいたずらに煽った。
傷のせいで出た熱で関節は軋み(きしみ)、意識はうつろにかすむ。思考も上手くまとまらない。
動けば痛むのにそれもわからずに、苦しさから逃れようと無駄にもがいてしまう。

 しかしそれでは、治るものも治らない。
縫っていない傷は、小さな動きにすら再び開いて、かえって悪化させてしまう恐れもある。
だから私の看護にあたってくれた人達は、体を不用意に動かさぬよう固く布を巻く事で対処しようとしたらしい。

 枕元には飲み水が置かれ、寒さをしのぐための布団代わりに綿入りの着物も与えられていた。
意識が戻ればすぐに口にできるようにと、温かい粥(かゆ)なども用意されていたそうだ。
私は今の身分には不相応なまでの品々に、囲まれていた。

 けれど、そんな周囲の手厚い看護にまったく気付けないほど、私自身は恐慌の中にあった。

 体は熱を持って重く、全身どこもかしこも痛くて、傷の場所さえわからない。
動きたくても、縛られているのかと思うほど息苦しく、自由になるのは手足の先のほんのわずか。
声を張り上げようにも、息を吸い込む力は頼りなく、渇いた喉から出る声はかすれ弱弱しい。
細い声でくぅちゃんや皆の名を呼んでみるが返事はなく、耳を澄ましても聞こえるのは自分の荒い息遣いだけ。
動けないうつ伏せの体勢で、それでも狭い視界をせいいっぱい探すけれど、見えるのは薄暗く冷たい板壁ばかり。

 「皆はどこにいるの?」
 「私の傷はどの程度のもの?」
 「あれからどうなったの?」
 「ここは誰の家?」

 尋ねたいことがあるのに、呼ぶ声に応えてくれる相手は、いない。
何もわからず、体は自由にならず、不安ばかりが闇雲に育っていく。
体の不調は心までも弱くして、湧きあがる焦りや怯えにうまく対処できない。
乱れる心のまま、私はまるで本物の幼児にでもなったかのように泣きじゃくった。

 寂しくて、寂しくて、怖くてしかたなかった。

 独りでいることがどうしようもなく辛くて、不安に押し潰されそうだった。

 眼がさめれば皆を探して泣き、泣き疲れて眠る。
時間の流れまでもあいまいな中、「もう、誰でもいいから」とさえ思ってしまう。

 誰でもいい、人の声が聞きたい。嘘でもいいから、ホントは大丈夫じゃなくたって「大丈夫だ」と囁いてほしい。
「すぐに良くなる」「頑張れ」と、何でもいいから優しい励ましが聞きたい。
私を見て、私の名前を呼んで、私がちゃんと生きていると確かめさせて。
慰めと温もりをほんの少しでいいから、わけてほしい。

 そして何よりも、「ここに皆がいない理由」を教えてほしかった。

 たとえそれが、「動けないから置いて行かれた」のでも「捨てられた」のでも、かまわない。
あの夜、あの浜辺で、皆の命が失われてしまったのではないことがわかるなら、それ以外のどんな残酷な理由だっていい。
皆の消息が知りたい。「自分一人が生き残ってしまったんじゃない」と、誰でもいいから私に告げて……。

 考えないようにしようとしても頭から離れない悪夢。
私をのみ込もうとする喪失の恐怖を、打ち消すための情報を、切実に望んでいた。
声が涸れるほど、欲していた。



 けれど、私の望みは叶わない。



 私を看てくれている看護人達は何人もいたけれど皆よそよそしく、無駄口を叩かず仕事をこなしていく。
手早く用事を済ませると、彼らはすぐに立ち去ってしまう。
呼び止めて話しかけてみても、私を少し見るだけで、誰も会話しようとはしてくれない。
起き上がって追いかけることはできないので、部屋を出て行かれると私にはなす術がなくなる。
欲しい情報は手に入らず、無視するかのような彼らの反応に、私は傷ついた。

 私が何度も挑戦するので、会話に失敗するのは一度や二度ではすまなかった。
一度ずつの失敗の痛みは小さくても、何度も続けば心も挫けてしまう。
彼らが「話してくれない理由」について、悪い想像ばかりが浮かび、気持ちは塞いでいく。
「元気な時ならもっと頑張れた」と云えば、言い訳になってしまうかもしれない。
でも、体の不調に、気力もいつもより減っていたのだろう。
傷の痛みに加え、心の痛みまで跳ね返して頑張ること、不安を振り払い前を向き続けることは難しかった。

 そして……。
危うい均衡でどうにか持っていた心のバランスは、積み重なる負の要因に限界を迎える。
傷つくことに臆病になった私は、誤った方向へと逃げ道を選ぶ。


 最初は、「話がしたいのに、話しかけるのが怖い」だった。
 それが、「独りは寂しいのに、他人が近くにいることも怖い」に、変わる。


 絵に描いたような人間不信への悪循環を、堕ちていく。
老津の浜で見てしまった「人が人を裏切る瞬間」も、「実際に傷つけられた恐怖」も、心の奥で私を苛む。
居てくれるだけで支えになっただろう親しい人達は、今は傍にいない。

 私は自分を傷つける周囲を先に自分から突き放すことで、身を守ろうとしてしまった。
それほどまでに、私の心は追い詰められていた。



 だがしかし、これは、あくまでこの状況を『ちょっと病んでる私』の主観から見た場合の話。

 少し冷静に、考えてみてほしい。
大ケガをして寝込んでいる幼子に、三国間にまたがる謀略の顛末を解説する人間がいるだろうか?
熱を出して、保護者を呼びながらシクシク泣いている小学校に上がったばかりの子供がいたとする。
その子に追い打ちをかけるように、子供をおいていくしかなかった「大人の事情」を説明するだろうか?
常識的な大人なら、少なくとも寝込んでいる間は何も話さないことを選ぶだろう。
話すにしても、「もう少し元気になってから」や「折を見て」と考えるのは、ごく普通の選択だと思う。

 時をおいて冷静に考えれば、見えてくるものがある。
物事を別の視点からも見てみる余裕があれば、違う答えも出てくる。

 突然やってきた余所者の子供に、彼らだって出来る範囲で手を抜かず看護してくれていた。
主家に関わる口外厳禁の事件で預けられた子に対し、迂闊に口を開かないのは当然のこと。
全ての事情が使用人に説明されたはずもなく、尋ねられても答えを知らないものも多かっただろう。
余所者に警戒心を持つのも、必要以上に親しくなろうとしないのも、批難されるようなことではない。
子供や病人などの弱者相手だろうと、無償の人権や博愛を主張できるのは、戦のない平和な時代だけなのだ。


 余所者なら警戒されて当然。最初の態度が冷たいのは当たり前。
そこに飛び込んで行って、上手くコミュニケーションを取ろうと努力するのが、旅芸人。
私もその芸人のはしくれとして、一座に入っていろいろ学んでいたし、それなりに実践も積んでいた。
それなのに、自分のことで手いっぱいになってしまい、相手の事情をさっぱり考えられなかったというのは致命的だった。
普段ならば、もうちょっとどうにかなったと思う。
「ケガさえしなければ」と思うのは本末転倒ではあるけれど、「運が悪かった」としか言いようがない。

 ……とはいえ、思わず病んじゃうぐらい私が精神的に追い詰められていたのも事実。
 
 この時、私は対人恐怖症から、鬱(うつ)に片足を突っ込みかけだった。
傷が治ってきてもリハビリをするのも億劫で、寝床から離れる気力がない。
布団生物になりかけの、まさしくニート予備軍。
そのまま何もなければ、私はその名も知らぬ屋敷の片隅で腐ってしまっていたかもしれない。


 が、しかし、天は完全に私を見放す気はなかったらしい。
弱音も鬱も吹き飛ばせる存在が、すでに私の部屋の壁の向こうで、出番を待って待機していたのだ。



 この時代、板間(いたま)と土間(どま)が一部屋を半々に分けていてもおかしなものではない。
大きな屋敷でも、玄関や台所は、基本地面を踏み固めた土間にするのが一般的な建築様式だった。
だから私のいる部屋が、寝ている部分を除けば残りは全部土間になっていても、特に違和感はなかった。

 それがある日の朝早く。
「人の出入りが多いな」と思いながら布団をかぶって隠れていると、隣の土間に「何か」が置いていかれる。

 自分以外の「何か」の気配を警戒し、私は体を縮め息を殺した。
出入りしていた人がいなくなってもその気配は動かず、さらに幾許かの時間が過ぎた。

 動かない「何か」はずっと静かだった。
あまりの静かさに、私は布団の端をそっと持ち上げる。目にしたのは、蹄(ひずめ)。

 蹄の上には、四本の足。足の持主は、薄墨色の「馬」。

 横木一本の境界もない至近距離に、頼りない紐一本でつながれているだけの、馬。
私の寝ているところと馬のいる土間は、1メートルと離れてはいない。

 布団から顔を出したら、目前に大きな生き物がいたのだ。
それで驚かないなんて、絶対無理。「鬱」だの「気力がない」だの言っている場合ではない。
体重にして私の10倍以上ありそうな生き物の足元に無防備に転がっているなんて、本能で怖い。
私は身も蓋もなく、痛む体も忘れて部屋の反対側に逃げだした。
悩む隙すら生まれない。ショック療法初撃としては完璧な、会心の一撃だった。

 その後。
寒い室内の空気に白い鼻息を吐き出す馬と、壁に張り付いた私は、じりじりとにらみ合う。

 馬が興味を失くしたように横を向いたのが先か、私が床にへたり込んだのが先か。
なんとなく譲ってもらった気がしないでもない初対面は、どうにか引き分けに終わった。

 耳だけこちらに向けてそっぽを向く馬。私も意識を馬から外すことなく、引き寄せた布団に包まる。
やってきた同居人ならぬ同居馬との生活は、ここから始まった。




 目が覚めて一番にすることは、自分自身のチェック。
それから次に、馬の顔色をうかがう。
馬は顔に毛が生えているからわかるはずがないなんて思うのは間違いだ。
ちょとした耳の動きや、首の動作、四肢の張りなどで馬の気分は伝わってくる。
もちろんそれがわかるようになる為には、たくさんの観察と地道な試行錯誤があってのもの。
でもそれだけのことをなそうと思うだけの下地が、私にはあった―――。


 馬との同居が始まっての数日は、まだ馬は私にとって未知のものだった。
蜂須賀で小六や吉法師に乗せてもらったり、旅の街道で荷運びの馬に出会ったりはしたけれど、もともと関心は薄い。
その頃の私にとって何より興味を引いていたのは、「馬」ではなく「人間」だったから。
しかし「人間」が怖くなってしまった今、寂しくて仕方のない私のもとにやってきたあったかい生き物。
最初は多少恐れていたって、それが魅力的に見えてこないはずはないのだ。

 あれは、馬が来て、2日目の晩だった。
初日は緊張で眠れなかったが、さすがに2日目ともなれば眠気に負ける。
しんしんと寒さが降るようなその夜、私は冷たい板壁に身を寄せて部屋の隅に丸まった。

 こわい、ゆめをみた。

 手を伸ばしても届かない。私には守れない。
足に絡む砂は重く、夜の海が皆をさらっていく。
白刃が閃き、血と潮の匂いが混ざり、名を呼ぶ声を波音がかき消す。

 「くぅちゃん、くぅちゃん」と、悲鳴のように上げた自分の声で目を覚ました。
夢うつつのまま、皆を探し、名前を呼んだ。
周囲は暗く、誰もいない。くぅちゃんも、皆も、誰一人。

 私は寝ぼけた頭で泣きながら、温もりを探す。
 そして、ようやく見つけた温かさに、縋った。

 ……蹴られなかったのは、たぶん奇跡。

 朝目が覚めたら、手足をたたんで胴を地につけ伏臥で見下ろす馬に、私はぴったり添っていた。
温かかったのは馬の腹。人より早い心音が、くっついたところから伝わってくる。

 温もりを求めて、求めて、求めて。でも、手に入らなくて。
寂しさから少しおかしくなっていた私に与えられた温度は、まさに麻薬だった。
窮地から助けてくれた相手を一発で好きになるのは、物語の常道。
心辛い寒い夜、泣いている私に添い寝してくれたのだもの、ここで恋に落ちなくてどうする?
まして「馬」は、人間が怖くなっていた私にとって恐怖の対象外。
持て余していた感情を向けるには、これ以上ないほどの相手だった。

 今まで外の世界全てに向けていた関心も興味も執着も、全部がこの「馬」に向かう。
 身近な人達に向けていた愛情も全部、この一頭にそそがれる。

 それは、相手をすり替えた「代償行為」だったのかもしれない。

 私は人間が好きだ。寂しがりだし、甘えたがりだし、面倒みるのもみられるのも大好きだった。
なのに恐怖に心は抑え込まれ、情を注ぐ相手さえ奪われ、想いは行き場を失くしていた。
長く長く飢えていたから、与えられた温もりの甘さを見つけたら、もう堪えることなどできなかった。

 もしもこの出来事の前に誰か「人」が優しくしてくれていたら、これほど「馬」という動物に心を向けることはなかったと思う。
全ては巡り合わせ、運命のいたずらなのだろう。

 でも、あの寒い夜に、優しさに触れたその瞬間から、私は馬好きになった。

 「my honey, my love」。
灰色の馬体の優しい彼女を、世界一の美人さんだと私は信じて疑わない。


 ―――という感じで、色々な過程と下地があって、私は同居馬と友好関係を築こうと、日々努力を重ねている。

 好きな相手に私は手を抜かない。何事も誠心誠意、好意は全力投球だ。
馬についてはまだよく知らないから、出来ることを手探りで探しているのが現状。
でも、やることがあれば、もはや布団の中などでぐずっている暇などない。
愛情はいつだってエネルギーの源泉。「大好き」は形にしたい、相手に尽くせることは喜びだ。
観察から始めたコミュニケーションで、少しずつ私は馬を知り、彼女との距離を縮めている。

 私の身長は、1メートル弱。彼女の馬高(ばこう 背中の高さ)はそれより15センチくらい高い。
彼女が首を降ろしてくれれば10センチ上になる、長い睫毛にふちどられた茶色の瞳を覗き込む。
触らせてくれるようになった額のあたりに手を伸ばして撫で、優しいまなざしに癒される。
スキンシップが許されている幸せ。努力は報われていると思う。



 心の闇は完全に晴れたわけではないけれど、私は新しい目標を見つけられた。
解決していない問題は山積みでも、それにもう一度立ち向かうための勇気を、傍らの温もりがわけてくれる。

 灰色の雌馬の隣で、私は、回復への道のりをゆっくりと歩みだした。



[11192] 戦国奇譚 馬々馬三昧
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:97448bf6
Date: 2010/02/05 20:28
 車庫つきの一軒家には自家用車があるように、そこそこ大きな家には厩(うまや)があり馬がいる。
街道を歩けばトラックの代わりに、馬に荷を乗せて運ぶ商隊の姿を目にすることができる。

 車もバイクも電車もないこの時代、たくさんの荷を運ぼうと思えば牛か馬が頼みだ。
特に急ぎで連絡をつけたい場合などは、電話もメールもないから「早馬」の一択。
大昔に「殺生禁断令」というのが出されたそうで、それ以来、牛や馬を「食べよう」なんて考える人は誰もいない。
長い長い時を人とともに歩んできた彼らは、家族みたいに扱われ尊ばれる大切なパートナーだった。

 私もこの春で9歳(実年齢8)になったが、馬と出会う機会は確かに多かったと思う。



 ――――― 戦国奇譚 馬々馬三昧 ―――――


 
 そんなふうにあちこちでよく目にする、馬。
でも、私がここで彼女と出会う前から持っていた知識はとても少ない。

 乗馬した経験が、尾張での二回。
他は商隊の駄馬(荷物を乗せる馬)の話を、街道でのおしゃべりの時に少し。
甲斐や信濃で「馬屋肥え(肥料)」に興味を持って、その馬屋を覗いた事が数回。
私が知っているのは馬と人との関係ばかりで、飼育についてはまったくわからないと言ってもよかった。

 同居馬がやってきてから、改めて私は馬のことをいろいろ考えた。
仲良くなりたいと思ったから、記憶の底をひっくり返して手掛かりを探した。
しかし思いだせたのはほんのわずかで、断片的で役に立ちそうにはないものばかり。
知識も情報も、私が仕入れていないものはどんなに欲しくたって出てきたりしないのだ。

 「馬との正しい付き合い方」という攻略本や解説書があればと思うけれど、ないものはない。
私は、「私のやり方」を体当たりで見つけ出すしかないと、腹をくくった。

 
 それで、最初に私がやったこと。
馬について、とりあえずこの時代で手に入れた情報を整理してみることにした。

 まずは外見の話から。
これまで見てきた数十頭の馬を、思い出してみる。

 彼らは昔私がテレビで見たような、スマートな体系はしていない。
足元から背中までの高さより胴の方が長く、お腹はぽっこり、丸々としている。
その馬高も普通の大人の男の人より少し低いくらいが平均で、もっと小さいやつもいる。
競馬で有名なサラブやアラブという種類の馬達とは、受ける印象が全然違う。
でもそういう馬しかいないから、これが日本の固有種なのかもしれなかった。

 サイズ的には、ポニーと呼ばれるほうがしっくりくる気もする、ちょっと小ぶりな日本の馬達。
けれど、その小ぶりな見た目に反し、力は強く、丈夫なことは多くの証言による保証付きだ。

 商隊の人の話では、元気な大人馬なら米俵二つ(60kg×2)を余裕で運べると言っていた。
俵一つなら、一日四刻(8時間)も歩くことが出来るそうだ。
戦場には鎧武者を乗せて行き、横蹴りだの後ろ蹴りだのを繰り出して主を助けてもくれるらしい。
四肢は丈夫で強く、かなり急な斜面の山道も登れるそうだ。
蹄(ひずめ)が固いのか、蹄鉄(ていてつ)もいらないらしく、そんな話題は聞いたこともない。
競馬で言われる「硝子の足」などというイメージとは、間違っても重ならないことがわかると思う。

 崖でも悪路でも平気で踏破する、頑健な体。
それに加え、粗食にも耐える燃費の良さも彼らの特徴だった。
軍馬ともなれば割といいものを食べさせてもらえるらしいが、商隊の荷馬はそうはいかない。
道脇に生えている草と乾燥した海藻(塩付)だけで、あの駿河までを歩ききっていたのを、私も実際目にしていた。

 ちっちゃくてエコ、坂道OK、故障(ケガ)は少なく馬力も充分。
 おまけに毛色は豊富で、見た目も楽しい。

 「日本車の宣伝ですか?」と聞きたくなるこのコピーが、日本馬にもしっかり当てはまる。
私はすでに同居の彼女にべた惚れなので、褒め称える言葉はいくらでも言えそうだ。

 まあ、ええと、短所も、そう、ないわけでは、ない。
欠点の予測はわかりやすい。……たぶん、あまり走るのは速くないと思う。足、短いし。

 でも、「後世の走ることに特化した馬達よりは遅いかも……」ってだけの話。
そう思うのは、色々比べるものを知っている私の考えの中だけのこと。
馬達が人間より遥かに持久力と速度の持ち主なのは、嘘偽りない事実。
この時代には、ほかに比較される物なんて何もないのだから、彼らの優位は少しも揺るがない。

 よく知らなくてもこんなふうにいくつも並べられるくらい、馬には長所がたくさんある。
人の生活を支え助けてくれる彼らが、愛され大切にされるのは当然のことだと思う。

 私も遅ればせながら、その魅力にはまった一人。そして、欲深い挑戦者でもある。

 好きになった相手には、自分も好かれたい。

 相手が動物でも、心を通わせる喜びを私は知っている。
私は馬を飼ったことはないけれど、前世では犬を飼っていた。
長く付き合った愛犬は、皆人懐こく、主人に忠実で、そして、勇敢だった。
犬に負けず忠節の逸話がたくさんある日本の馬達は、話に聞く限りよく似ていると思う。
愛情と誠実には、それ相応の答えを返してくれる生き物なのだろう。
 
 私は馬の飼育方法なんて、何一つ知らない。
前世の知識を探っても、テレビのドキュメントか何かを見た記憶が少し浮かぶくらいだ。
傀儡一座は馬を飼わないし、今生で生まれた農家にも馬はいなかった。
それでも、今回縁あって知りあった彼女と、私は仲良くなりたくてしかたがない。
以前飼っていた犬たちと同じくらい心を通い合わせることが出来たら、どんなに嬉しいだろうと思ってしまった。



 私は彼女との蜜月を夢見て頑張った。
その努力の日々の一部を、ここに振り返ってみたいと思う。


 馬と友達になる為の第一歩。
私がまず初めに考え試したのは、「餌付け作戦」だった。

 生き物は、食べ物を与えてくれる相手を敵とは見なさない。
乳を与えてくれる母親や、餌場を守る群れのリーダーを考えれば一目瞭然。
食べ物を一緒に食べるのは、仲間だけ。
「餌付け」は、こちらが敵意を持っていないことを伝え、味方だとわかってもらえる一番いい方法だった。

 私はとにかく、彼女に貢いだ。自分の食事の半分を差し出した。

 行動半径がかなり狭くなっていた私にとって、この頃は、まだ新しい草を取って来るなんて無理。
季節も冬だったし、他人の家の領分も土地の境界もよくわからない。
そんな状態だから、手元にある自分の分から差し出すのが近道だった。

 青菜や漬物は、そのまま。雑穀米は板状に延ばして少し乾燥させ、彼女に食べてもらう。

 この試みは、大成功した。
あげる量自体は決して多くはなかったけれど、私の親愛の気持ちは確実に彼女に伝わったと思う。
彼女は記憶力もいいらしく、数日で私が食べものを分け合う相手だと認識してくれたらしい。
私が食事をしていると、首を伸ばして食べ物を要求してくるくらいには、気安くなれたってこと。

 そして、この「餌付け作戦」敢行中、私はあることに気がつく。

 それは些細だけれど、私達にとってはとても重要な発見。

 彼女は私から見れば大きいが、馬としては小柄な方。
しかもはっきり言ってしまえば痩せすぎで、お腹は丸いのに肋骨の線が目立っていた。
背骨のごつごつした感じまで、見るだけでわかるほどに浮いてもいる。
なのに、(餌の適正量がどのくらいかはわからないが)彼女は小食だったのだ。
長い藁を咥えての咀嚼中、途中で吐き出してしまうのを見たこともある。
私の差し出すものは喜んで食べていたから、偏食なのかもしれないと考えていたくらいだ。

 けれど、毎日彼女が食べているところを観察していて、私はそれに気がついた。

 彼女は、食べるのが下手なのだ。そして、その原因は、たぶん口の中にある。

 私には馬の医療に関する知識はない。
でも彼女の眼は澄んでいたから、人間の状態と照らし合わせてみるなら病気だとまでは思えなかった。
だから、「歯が悪いのではないか」と考えたのだ。
しかし彼女が食べられない理由を推測できても、治療してあげることは出来ない。私に歯科の知識はない。
専門的なことは何もできない私が考えられるのは、問題に対処する方法だけ。
私は、彼女が少しでも食べやすいようにと、藁などを細かく刻んであげることくらいしか出来なかった。

 「もしも病気だったら……」という不安も、常に心の片隅に抱えていた。
それでも、私は自分に出来ることを頑張るしかなかった。

 結果、そのささやかな手助けは、充分彼女の役に立てたようだった。

 嬉しいことに彼女は私が手をかけた食事を気に入ってくれたらしい。
半月も経たないうちに彼女の食べる量は倍になる。
食べれば色々と片付けや掃除も増えるが、それはそれで私の体力向上につながる。

 それ以降。
一日のスケジュールの内、三分の一を飼料を刻むことにあて、食事の準備をするのが私の日課になる。
刻んだ干し草に半乾米や漬物を混ぜ、飼料に工夫を凝らすのは楽しい仕事だった。

 
 やって来たばかりの頃は痩せっぽっちだった、灰色の彼女。
食事が安定するにしたがい、いまいち貧弱だった体型が整ってくる。
「餌付け」は功を奏して、彼女との仲はとても良く、あちこち好きなように触れても怒られない。
そうなってくれば、次が気になりだすのが人の性。私の目下の懸念は、彼女の「毛艶」。

 彼女にぴったり張り付きながら、私の頭には新たな作戦がすでに浮かんでいた。

 動物は本能によって、自分より大きい生き物や強い生き物を警戒するし怖がる。
人に慣れた犬でも、いきなり上から手を出されれば嫌がられる。
その点、常に彼女の視線より低い位置にいる私は、スキンシップに関して有利だった。
それに、彼女が親愛の情を示そうと鼻先でつついただけで、私はころんと後ろにひっくり返ってしまうくらい弱い。
あの時は、藁まみれになった私も驚いたけれど、転ばせてしまった彼女の方もびっくりしたらしい。
慌てたように私の背中に鼻面をまわし、起きるのを助けて押し上げてくれたのはとても嬉しかった。

 濃いグレーの鼻先は、いつ触ってもマシュマロのように柔らかく、気持ちが良い。

 でも、手入れしていない馬体はちょっと、いやかなりぼさぼさなのだ。

 馬に冬毛があるのかどうかわからないが、彼女の毛足は少し長めな感じだった。
長毛というほど長くはないけれど、毛先が絡まって、セーターの毛玉のようになってしまっているところもある。
鬣(たてがみ)も、まるでブリーチ(脱色)しすぎた茶髪。ぱさつき縺れて(もつれて)しまっている。
「すぐにも手入れが必要だ!」と、握りこぶしをつくりたくなる、闘志の湧く馬体だった。

 彼女を見ていると、私の「ブラッシング」への欲求がどうしようもなく渦巻く。

 かつての愛犬達は、皆ブラシをかけられるのが好きだった。
私がブラシを持つと、背中を向けたり転がったりして、「早く早く」と催促してきたのが思い出される。
季節の移り変わり時など、抜け毛が綺麗になるまで根気良く何日もブラシをかけたものだ。
犬達の整えられた毛並みの美しさは、天使の輪の浮いた女性の艶髪に匹敵すると思う。

 彼女もきっとそうなるという予感があった。
ブラッシングすればどんなに綺麗になるだろうと、想像だけで私の胸は高鳴る。
 
 ブラシをかければ血行も良くなり、体毛は清潔に保て、健康に良い。
スキンシップ効果で愛情ポイントもゲットできる。私も満足できて、一石三鳥。
何としてでも、この「ブラッシング作戦」を決行したい。
 
 しかし……。

 勢い込んではみたものの、残念なことに、この時代にはまだ梳きブラシはなかったらしい。
私は自室の厩だけではなく、今はお出かけ中らしい隣の馬房とその隣にも忍び込んでこっそり探してもみた。
けれどブラシはやはり見つからない。
そういえば、髪を梳かす(とかす)のは櫛(くし)だし、歯ブラシも存在していないようだ。
洗い物をするときは藁を束ねて編んだものを使うので、タワシさえ無い気もする。

 刷毛(はけ)や筆はブラシとは呼ばれるが、私の目的とは用途が違う。
欲しいのは、馬用の梳きブラシ。ツンツンふさふさしたアレで、彼女を綺麗にしたいのに……。

 ないものはない。でも、あきらめきれない。

 私は、ブラシを自作することに決めた。
無い知識はひねり出せないが、材料があれば道具は作れる。……作れる、はずだ。


 最初からブラシだと難しそうなので、まずはタワシに私はチャレンジする。
亀の子タワシなら形も覚えているし、単純だからすぐに作れそうだと思ったからだ。

 けれど、この挑戦は失敗に終わる。

 タワシは、あのふさふさ部分を束ねる針金が重要だったらしい。
針金が無く、藁で代わりに縛るには私の握力が弱すぎた。
使用途中で束ねた部分が緩んでしまい、あっという間にばらばらになってしまった。
改良しようにも、造りがあまりに単純すぎてどこを直せばいいのか分からない。
タワシ制作は変更を余儀なくされた。

 ブラシとして譲れない部分があり、材料には限りがある。

 私は安易な既存製品の模倣をやめ、素材を見つめ考え直す。

 束ねる力を強くするために、ブラシの毛代わりの藁を単純に長くするのはダメだった。
ブラシのふさふさ部分は、藁が短いほど弾力がつよくなり、長すぎると私の望む固さにはならない。
私はある程度コシ(弾力)のある、ブラシとして使えるものが欲しいのだ。
出来れば藁だけで作り、量産が可能ならなおいい。

 思った通りのものを作るのは難しい。でも、私はあきらめなかった。
何としてでも、彼女を美しく磨きあげる理想のブラシを作り上げたいと、無い知恵を絞る。

 試行錯誤に数日。試作品をつくること十作に及ぶ。

 最初の試作品は、蓑(みの)を編み、それを丸める方法を考えた。
蓑は、肩部分を細かく編み、残りを長く房状に垂らした、いわゆる雨合羽(あまがっぱ)。
編んだ部分を茶筅(ちゃせん)のように丸めれば、チークブラシのようなものが出来るはずだった。
蓑ならば長く垂らす穂先を、ブラシとして都合のいい長さに切り揃えれば、私の望むコシも出せるだろう。
第一作からして、期待度はかなり高い。

 が、しかし、これには大きな問題点が一つ。蓑は、編むのがとおっってもめんどくさいのだ。

 蓑は長い藁を長いまま編まなければならないので、手の短い子供には編みにくい。
なので、私は草鞋(わらじ)と筵(むしろ)編みは幾つも作り得意だったけれど、蓑には不慣れだった。
作れないとは言わないが、一つ出来上がるまでに手間がかかりすぎる。
希望の太さにするにも、かなりの長さで編んでいかなければならなくて厄介だった。
だから、細いのや太いの、柔らかいのや固いのなど、量産に蓑ブラシは全く向いていなかった。

 発想自体は悪くない。
そこから、もっと作りやすく編み方を変えてみること数回。
編むのに飽き、刻んで彼女の餌にしてしまったりなんかもしながら、数を重ねて。

 ……そして、私は究極の答えにたどりつく。
「simple is best」、わざわざ平たく編んで丸める必要なんて、ないってこと。
要はふさふさがバラバラにならなければいいのだ。私は原点を思い出し、初心に帰る。

 出来た完成品が、これ。名付けて、「三つ編みブラシ」。

 用意するのは、ブラシとして私が望む太さの半分の量で作った三つ編み一本。
これを二つに折り、持ち手になる部分をぐるぐる別の藁で巻いて固める。
そうすると、その持ち手の下に、三つ編みの残りの房(ふさ)がちょうどいい太さで出てくる。
あとは好みの長さにその房部分を切ればいい。それでブラシは完成、とっても簡単だ。

 三つ編みをU字にしているので、毛先部分を極短にしても抜ける心配はない。
太さの調整も、三つ編み一本編むだけでいいのだから、何種類でも楽々作れる。
藁だけで作れるから、使い捨てにしたって心苦しくない。

 これなら化粧道具さながらに、何本ものブラシを揃え駆使して彼女を磨き上げることが充分可能だった。
私がすぐさま彼女専属の美容師として、嬉々としてブラッシングに挑んだことは言うまでもないだろう。

 そして、心ゆくまで私が磨き上げた結果。
彼女の灰色の馬体は、灰銀と呼べるほどに艶々のぴかぴかになった。
鬣も尻尾も、時間をかけて丁寧に梳きあげた。毛先も軽く整え、しなやかにそよぐ様は麗しい。
川から水を汲んできて、水拭きも並行して行えば、日を追うごとに美しさが増していく気がする。

 ついには、ほんとにもうコンテストに出してあげたいくらいの、自慢の美人さんが出来上がった。
背から腰にかけて少し濃くなる灰色に、ヒョウ柄のような模様がうっすらと浮かぶところが、特に私のお気に入りだった。


 私と綺麗な灰色馬の仲は、この時、最高潮だったと思う。

 私の世界には、彼女しかいなかった。


 毎日毎日、私は楽しんでいた。
彼女の世話はやればやるだけ効果が目に見えてあがったし、愛が深まる実感もある。
言葉は話せなくても、話しかければ感情豊かに耳などのしぐさで応えてくれて、私を寂しくさせたりはしない。
優しく鼻先でつつかれたり、温かい体が寄り添ってくれば、寒い夜も悪い夢も遠ざかった。

 それに、ブラッシングなどは、私の体の良いリハビリにもなっていた。
自分より大きな馬体を、背伸びしたり身を屈めたりしながらゴシゴシこするのは、かなりの全身運動になる。
彼女を綺麗にするついでに自分自身の身なりも整えれば、気分も一新し、気持は晴れていく。

 引き籠りになりかけていたのも、彼女のおかげで改善された。
厩の下に引く寝藁を干すために、小屋の外に出るようになったからだ。
初日は小屋の入口のすぐ前だけだったけれど、それも日が経つごとに広くなる。
彼女の飲み水の出どころを探るために、こっそり使用人の後をつけてみたりもした。
川の位置がわかってからは、明け方、他の人達が出てくる前に水汲みもするようにもなった。
行動半径は日々伸びて、彼女の食餌に彩りを添えようと、寒さを振り切ってやわらかな新芽探しに出たりも出来た。

 ただ、体は健康になっても、それ以外はなかなか思うように行っているとは言えない。

 いつもの食事の代わりに餅(もち)が出て、正月が来たことを知ったのは、すでに二カ月も前のこと。
それなのに、私の人間関係は未だほとんどゼロのまま、だった。

 私が彼女を「彼女」としか呼べないのも、相変わらず人相手にはろくに話しかけることができないからだ。
「この子の名前は何ですか?」という一言さえ、私は口に出せずにいる。
それどころか最近は、米と鍋と菜が出され、自炊しなさいといわんばかりの状態で放置されているような有様。
彼女のことも私がこなすので、馬の世話をする人まで来なくなってしまっていた。

 ほんとならもっとちゃんと考えるべきことだったのだろう。
しかし、そろそろ年明け三度目の満月も巡ってこようかというのに、まだ私は「人への怯え」を消せていなかった。
「他人との関わらずにすむ方が気楽」という考えを抱え込んで、私は逃げていた。


 そんなダメな私にきっかけをくれたのはやはり、彼女。

 一気に事態を動かすとっておきのサプライズを、彼女はずっと隠し持っていたのだ。



[11192] 戦国奇譚 新しい命
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:4b59bc24
Date: 2010/02/05 20:25

 弥生中日(3月15日)。
太陽暦だったらゴールデンウィーク直前にもなるというのに、毎日、むちゃくちゃ寒い。
凍てつく夜が明ければ小屋の外は真っ白な霜で覆われ、河原の浅瀬には固く氷が張る。
ここ数日は晴れ続きだけれど、もしも降ったら絶対雪になるに違いない。

 温暖化を気にしなければならない時代は、まだまだ先のこと。
フロンガスの使用もないから、オゾン層もたぶん元気。
紫外線の心配がないっていうのはいいことなのだろうと、高く澄んだ空を見上げて思う。

 雲ひとつない空。凛と冷たい朝の空気。

 いつもなら大きく深呼吸して、体の中から清々しく、新しい一日の始まりを喜べる。
けれど今日の私は、吐き出しきれない不安でいっぱいだった。



 ――――― 戦国奇譚 新しい命 ―――――



 不安の原因は、彼女。
耳をパタパタさせたり、足踏みをしてみたり。隣の彼女に落ち着きがない。
食事時以外はあまり動かずぼんやりしていることも多いのに、何を気にしてか、しきりに見動きをする。
変わったことでもあるのかと、いろいろ点検もしてみた。でも、おかしなものは特にないように見える。

 彼女がため息のように、小さく鼻を鳴らす。私も一緒になって息を吐く。

 心もとない気持ちは、伝染する。
彼女がそわそわしているのがわかるから、私もそわそわしてしまう。
動き回る足元にいるのは危ないけれど、離れるのも心配で遠くまで行く気にはなれない。

 優しく声をかけ、動きを止めてくれるのを待ってそっと近寄って触れる。
彼女が首を後ろに振り、お腹を気にするしぐさを見せるので、そのあたりをたくさん撫でてもみる。
必要最低限の食事の準備や掃除をダッシュでやって、一日中、私は彼女の近くにいた。

 そして、夜が来る。

 朝からずっと不安定だったので、今日はもしかしたら彼女は寝ないかもしれないと思っていた。
けれど、寝藁に横になり、彼女はうつらうつらし始める。

 馬は膝を折り曲げて、犬が「伏せ」をしたような状態で寝るだけではない。
横倒しになって、四肢を伸ばし、無防備にぐぅぐぅいびきをかいて寝ていたりもする。
でも立っていても眠れるみたいで、横になって寝る時間そのものは、私よりもずっと短い。

 もしかしたら、野生の馬だったら、横になって寝たりはしないのかもしれない。
人の暮らしの外に出れば、山や森にはオオカミやクマなど、敵になる獣たちがいるからだ。

 無防備でも大丈夫だと信じられるくらい、この小屋は安全。
彼女がそう思ってゆっくり休めていられるなら、それはとても嬉しいことだった。
昼間の不安も鎮まればいいと思いながら、藁の山に頭を預けた彼女が目を閉じたのを見て、私も布団にもぐる。
眠れないかもと思っていたけれど、精神的に疲れていたのか私にもすぐに浅い眠りが訪れた。



 しかし、眠りについて数刻後。彼女の嘶き(いななき)で、私は叩き起こされる。

「どうしたの?
 具合が悪い?
 どこか痛いの?
 いい子、いい子ね、大丈夫だから……」

 彼女は横になったまま、もがくように足を動かす。
触れた背は汗で湿り、筋肉が緊張にこわばって引き攣れたように動くのが掌に伝わってくる。
首や尾を振って苦しそうな声を上げる彼女に、「だいじょうぶ」と口にしても、全然そんなふうには思えない。
急変した状況に、気持ちも対処も追いつかない。
それでもなだめる言葉がこれしか見つからず、私は同じことを繰り返した。

 それから、どれくらい時間がたっただろう。

 飛び起きてから、まだそんなに長くはかかっていなかったはずだ。
変わらず苦しがる彼女が嫌がるように体を揺らすので、一歩離れて私は見守っていた。
ばさりと、振り回していたせいで藁まみれになっている尾が大きく打ち振られる。
その音に、長い尾の揺れる先を目で追いかけて、……息をのんだ。

「……っ、て、え、え、えっ?
 それ、な、何?
 あああ、足、だよね。えっ? ……足?
 嘘、待って、ホントに?」

 掌に乗る湯呑みくらいのサイズの、小さな蹄(ひづめ)。
それが二つ、私の足と同じくらいの太さの二本の棒の先に並んでいる。
彼女の尻尾の下から突き出たそれが指し示す状況は、一つ。

「赤、ちゃん?
 あ……、どうしよう、どうすれば?
 まっ、待ってて、今誰か呼んでくる。
 すぐ呼んでくるから!」

 混乱する頭の中をぐるぐる廻るのは、以前整理して、役には立たなさそうだと切り捨てた前世の記憶。
競走馬の繁殖農家の春を追ったドキュメンタリーの一場面が、途切れ途切れに再生される。
あのシーンに居たのは、確か、獣医さんと飼い主さん。
馬のプロたちが、馬房に据えた小型モニターを覗きながら、準備万全の態勢で母馬のお産を待っていた。

 翻って、今ここにいるのは、ド素人の私一人。

 お腹が大きいのは、シマウマみたいに粗食に強いタイプの特色だと思いこんでいた。
他の馬が出払って、彼女しか残っていなかったのも、「馬肥」用に残しておいたのだろうとしか考えていなかった。
彼女が苦しがっていても、その意味すらわからずおろおろしていただけの、物知らずの私。
陣痛だなんて思わなかったからギリギリまで彼女を撫でていたのだって、考えてみればよくなかったかもしれない。
もしも彼女に何かあったら、それは私のせいだ。

 傍にいたのに。誰よりも傍にいて、大切に思っていたのに。

 バカだバカだと自分を罵りながら、私は助けを求めて走る。
人間不信の恐怖心なんか、彼女の非常事態の前に吹き飛んでいた。



 空の真上に上がった満月の夜道は、濃く影が出来るほど明るい。
小屋を飛び出した私は、母屋(おもや)の戸口に転がるようにして駆け込む。

「たすけて、たすけて、ください。
 小屋で仔馬が! 彼女を助けて!」

 戸を叩いて、人を呼ぶ。
静かな夜を割って、私の声が響く。

 けれど、人は出てこない。

 眠っているのかもしれないと、両手を戸板に叩きつけるようにして打ち鳴らす。
母屋は、三つ馬房の並んだ私の住む小屋よりも大きい。
奥で寝ていたら気がつかないかもしれないと、玄関口だけではなく縁側にまわって雨戸を揺らす。

「お願い、お願い、起きてください。
 仔馬が生まれそうなの。
 手伝って、彼女を、助けて」

 戸を叩く手が震えるのは、応えがないからではなく、寒さのせい。
頬を伝う涙まで凍りつきそうな、この寒さのせいだと歯を食いしばる。
戸に叩きつける手が痛くて、泣きたくなるのも、きっと気のせい。
 
 でも、何度叩いて呼んでみても、返事は返ってこない。
しんしんと降りてくる夜の冷気が、骨を噛むよう。
泣くのは嫌だ。しかしこれ以上叫んでも、聞き届けてくれる人がいなければ話にはならない。

 もうどうしていいかわからず俯けば、一つの名前が、嗚咽の代わりにこぼれおちた。

「誰か、だれか、……。くぅちゃん……」

 乱れた感情の隙間から甦るのは、心の底に沈めていた面影だった。
それは、思い出すと苦しくて、たやすく口に出すことも出来なくなっていた、名前。
熱を出している時にさんざん縋って、叶わない辛さに呼べなくなったその名が、口をつく。

 私の心を救いあげてくれた灰色の彼女。私の初めての友達のくぅちゃん。

 どちらも比べることなど出来ないくらい大切な相手。
名前を呼んだだけで、唄うのも踊るのも上手だった友の姿が鮮やかに浮かぶ。
けれど思い出してしまえば、慕わしさと、それと同じくらい重い後悔も湧きあがる。

 何も出来ず別れてしまった、自分のふがいなさへの苦い思い。

 想い出は胸を刺し、私を責めた。
でも今は、それに浸っている時ではない。私の後ろには、手助けを待つ彼女がいる。
苦さも痛みも、逃げずに噛みしめれば、自分を戒める誓いに変わる。

 そう。もう二度と、何も出来なかったと後悔するようなまねだけはしない。

 意識不明でもないし、ケガをして動けないわけでもない。
手足が動くなら、あきらめず次の手を探せばいい。

 この家がダメなら、隣の家を頼ろう。
小さな集落のようだったけれど、川までの道沿いにも、もう一軒、家があった。
厩があったかどうかまでは見なかったが、私よりも人生経験積んでいる大人ならきっと手助けになってくれる。



 私がそう算段をつけ、踵を返そうとした時だった。
母屋の反対側についている納屋の戸板が、軋んだ音を立てる。

 月明かりの下、少しだけ開いた引き戸の隙間が闇を作る。

 そこは農具を片付けておくだけの納屋のはずなのに、奥で微かに炎が揺れるのが見えた。
暗くて見難いが、開いた戸から顔をのぞかせたのは男の人のようだった。
目を凝らせば、前に馬の世話をしているところを見たことのあった人間だ。
願ってもない相手の出現に、私は舞い上がる。

「こうま……、あの、仔馬が生れそうなの。
 昼からそわそわしてたけど、気がつかなくて。
 夜になって、苦しそうで、それなのにっ、わ、私、何もできなくて。
 誰か、馬をよく知ってる人が見ないと、だめだから。
 だから、お願いします。手助けを、」
 
 久しぶりの、人との会話。焦って言葉に詰まり、上手く説明できないのがもどかしい。
こんなことに時間を取っている暇はない。人が見つかったなら早く小屋に戻りたいと気持ちは焦る。

 説明するより見てもらった方が早いと、思わず伸ばした手に、彼は一歩引いた。
中に入れと言うように、体をずらしさらに戸を開けてくれる。

 でもそれは、私の望みじゃない。
私は、今すぐ小屋に戻って、彼女の手助けをしてほしいのだ。


「あの、小屋に、手を貸して、」

「無理だ」

「なんでっ」

「何も、出来ない」

「それじゃ、誰か、出来る人は……」

「いない。
 俺には、何も出来ない。
 何か出来る者も、誰もいない。
 この集落には、もう、誰も。
 外は寒い。
 入って、暖まっていけ」

「違っ、わたし、私じゃなくて、助けてほしいのは彼女。
 お願いします。お願い……、お願いします」

「できない。
 そこにいては、風邪をひく。
 白湯を、」

 

 淡々と返ってくる答えを振り切って、私は走った。
 
 誰もいないとか、何もできないとか、言い訳にしか聞こえない。
何もしようとしてないくせに、最初からなんで駄目だと言うんだろう。

 頼みを断られた悔しさも、役に立てなかったやるせなさも、怒りに変わる。
怒ってでもいなければ走れない。だから、腹が立って仕方ないのだと私は拳を握る。
自分にやれることだけでもやるしかないと、足元でざくざく折れる霜を蹴散らして、小屋に飛び込む。


 そして、へたり込んだ。


 だって、仔馬が、いる。


 とても薄い茶色の仔。
仔馬はまだ濡れていて、細い体に張り付いた毛からは白い湯気。
短い鬣(たてがみ)をちょろっと生やし、全体のバランス的に頭の大きい、赤ちゃん特有の体型。
ふるふると震える足を、ハの字にして踏ん張っている。

 もう、立ってるし。

 はやっ、早いよ。凄すぎ。
私がこの小屋を飛び出してから、たってて20分というところだ。
足が出てきたのがさっきのことなのに、すでに立てているなんて、この子、凄い。
あぜんと眼を見開き、「自然の驚異だ。うわぁっ」……と言いかけたら、ぺしゃりと仔馬はつぶれた。

 彼女の方はゆったりと伏せたまま、倒れてきたその子の顔を舐めてあげている。
母の余裕がにじみ出ていてかっこいい。仔馬が立ったのは、フライングだったのかもしれない。
舐められてくすぐったいのか、耳を振ったり、濡れた目を瞬かせたり。むちゃくちゃかわいい。

 母仔の優しい光景に、私は安堵の涙を拭う。

 「よかった、よかったね、よかった」と、自然にエンドレス。
「無事、産んでくれてありがとう」と新米お父さんみたいなことまで口にして、笑ってしまう。


 ほのぼのするシーンに癒されれば、テンパり過ぎていた頭も冷めてくる。
落ち着いてきた私は、反省モードに入った。

 私の犯した失敗。
それは、無意識に前世の記憶に重きを置いて、目の前の現実を正しく見据えていなかったこと。
あれほど日本の馬と競走馬との違いを見つけていたのに、「出産」だという一点で「前世知識」と重ねてしまっていた。
知識が悪いわけじゃない。しかし、知識を優先して「今」を見誤れば、それは本末転倒だ。


 彼女たちが教えてくれている。
馬は、過保護に人の手を必要とするものばかりではない。

 人の手を借りれば、確かに自然淘汰(とうた)の天秤を揺らすこともできるだろう。
でも本来なら、全くの野生でも新しい命は生まれ、育っていく。


 彼が口にしていた「何もできない」という言葉も、そう考えれば無責任とは違うのかもしれなかった。
時代の違いが、人と馬の関わり方を変える。使う道具も違うし、馬の仕事も、価値も、同じではない。
技術の進歩を待たなければ、人の手では、何もできない状況も存在する。

 言い方がずいぶん冷たくて、まるで突き放されているように聞こえて、誤解してしまった。
私にとっては彼女の方が大切過ぎて、また周囲の事情を見る余裕を失くしていた。
八つ当たりのように腹を立てて、本当に申し訳なかったと思う。
夜中にどうしようもないことで騒がれたら嫌だろうし、あれは私が悪かった。

 ……でも、微妙に引っかかることも、ないわけではない。
 
 彼の言葉も少し変だった。
「この集落(村)には、誰もいない」って台詞は、どこかホラーじみた響きをはらんでいた。
いないのは「獣医」ではなく、まるで「村人」そのものがいないみたいな言い方ではなかっただろうか?

 そういえば、最近は人影を全く見かけない。
食事の用意も自力だし、馬の世話も全部自分一人でしている。
私が他人を避けていたのもあるけれど、良く考えれば出会わなすぎじゃなかったかという気もする。

 まるで、ゴーストタウン……?

 いや、やめよう。
せっかく彼女に仔馬が生れた嬉しい日に、余計なことを考えるのはやめておこう。
緊張からいっきに気が緩んだせいで、とりとめなく考え事が浮かんできそうになるのを頭を振って払う。

 こうして仔馬だって無事に生まれたのだし、何も言うことはない。
迷惑かけたことを明日謝りに行って、その時、気になることはもう一度聞けばいい。
勘違いで腹を立ててしまったことも合わせて、まとめて「ごめんなさい」しようと結論付ける。



 私がそうしてあれこれ反省している間に、母仔の方も一段落ついたらしい。

 彼女がようやく寝藁から立ち上がり、仔馬も頑張って母に続く。
へその緒は綺麗にとれているらしく、問題もなさそうだ。
乳を探しているのか小さく鳴きながら、仔馬はおぼつかない足取りで彼女へと寄っていった。

 犬や猫の子は生まれてすぐには立てないけれど、目をあける前から乳に吸いつくものだ。
今更だがテレビでやっていたのも立って乳を飲むシーンまでだったはずで、これで万事終了だと私も気を抜いた。


 だが、世の中、そんなに上手くいくはずがない。


 仔馬は彼女の廻りをうろうろ。よろよろ。ふらふら。
馬の乳房は後ろ足の付け根のところにあり、彼女が鼻先で仔馬をそこへと誘導している。
仔馬もそこに顔を寄せるのに、何故か飲み始める気配がない。
先を促すように何度も彼女がつつくのだけれど、仔馬は悲しげに鼻を鳴らして、足をもたつかせる。

 何がまずいのか? 彼女は動かず待っているし、仔馬だって立てている。
高さが届かないなんてことはないし、彼女の乳も張っているように見える。

 問題なんて何もなさそうなのに、仔馬は失敗し続け、鳴き声はどんどん悲壮を帯びてくる。

 鳴き声が、ほんとに「泣き声」に聞こえ、私もとうとう我慢できなくなった。
仔を産んだばかりの親に近づきすぎて神経質にさせるのもいけないからと離れていた足を進める。
驚かさないように彼女の正面からゆっくりと近づき、仔馬を覗き込む。
少し身をかがめ、仔馬よりも低い位置を保って、そっと見上げる。

 仔馬の色は彼女の鬣と同じ干し草色。
鼻先まで単色の、その藁色の仔馬の口から小さく飛び出しているのは、ピンクの「舌」。

 私を見つけ、母に知らせるように鼻で鳴いても、「それ」が口に収まる様子はない。

 犬なら、体温調整の為に舌を出すことがある。
でもそれは暑いときの場合で、今この凍るような寒さの中では当てはまらない。
それにその体温調整だって、犬が汗をかけないから行うことだ。
汗腺のある馬が、舌を出してどうこうする必要はない。

 どこか具合が悪いのかもしれない。あるいは、何か欠陥があるのかも。
悪い想像が頭をよぎる。でも今は、とりあえず現状をどうにかしなければ。
「私にやれることをやる」と決めたのは、まだほんの少し前のことだ。撤回するには早すぎる。

 目をやれば、仔馬に乳を飲ませようと彼女も懸命に励ましている。

 手伝ってあげたいと思う。初乳は、絶対必要だった。
人間だって、猫だって、犬だって、最初の乳には親の免疫が含まれている。
それを飲めるか飲めないかで、子供の抵抗力に大きな差がつくのは常識。
免疫の大切さは、アトピーだのアレルギーだのの話題を抜きにしても、記憶に深く染み付いている。
免疫力が弱ければ、病気にかかりやすくなる。馬だって、ほ乳類なのだから、その例に漏れないはずだ。

 それに、乳を飲ませたい理由はもう一つある。それはこの寒さだ。
火の気のないこの小屋で、エネルギーを補給できるかどうかは命にかかわる。

 出産には役立たなかった私が、今ここに居合わせる理由が、わかった気がした。
私はまだ、それが自然の淘汰なのだとしても、目の前にある命の危機を見過ごせるほど達観してはいない。
人が本気で求めた先に、この時代では死んでしまう命を助けられる技術が生まれることを、知っている。
私の価値観は、そこに根差すものなのだ。

 人が紡ぎだす、可能性を信じている。
専門技術には届かなくても、私にも出来ることはきっとある。

 困難にあっても前に踏み出す勇気を、心はちゃんと思い出していた。
ケガからずっと引きずっていた弱さから、私は自分が立ち直れたことを実感した。



 心が決まれば、あとは行動あるのみ。
頬を両手で軽く叩き、気合を入れなおし、現実に立ち向かう。

 これから挑むのは、遊びや趣味の工作ではない。
失敗をしないためにも、仔馬の口と乳の滲んだ乳房をしっかり見つめ、私は考えを巡らせる。

 飲ませるに適したものは何か? 
 
 哺乳瓶が欲しい。―――そんなものは存在しない。
 ならば代わりになるものが要る。―――この時代で材料が揃えられるのは何か。

 連想するのは、筒状の入れ物。……竹? 竹筒で作った水鉄砲なら代わりになりそうだ。
しかし、竹を探して切ってくる時間はない。
小屋及び私の散策した付近にあった竹製品を思い出しても、柄杓(ひしゃく)ぐらいしか浮かばない。
器として存在する椀(わん)や鍋(なべ)は、乳搾りには良くても、仔馬に飲ませるには形状が不向きだ。

 私は、小屋を見まわす。
そして、片隅に隠すように置かれていた、いびつな袋の上で目を止める。

 あれは、私の物、だった。

 くぅちゃんの記憶と同じで、触れることが躊躇われて、ずっとそこに置いてあった物。

 中に入っているのは、あの襲撃の日に着ていた着物。
父の形見の火打石と、吉法師にもらった瓢箪も一緒に入っていたはずだ。
麻の袋の不思議な凹凸は、たぶん瓢箪(ひょうたん)のくびれと丸みが作っている。

 私は彼女と仔馬をもう一度見てから、袋に手を伸ばした。
取り出してみれば、あの騒動の中、瓢箪は割れることもなかったようだ。

 手にしたそれと、仔馬を見比べる。

 大事なのは、命。選ぶまでもない。

 私は瓢箪の底に、寝藁を広げる為に持ちこんでいた鋤(すき)の歯を当て、小さく穴をあける。
瓢箪の口は細いので、先に空気穴をあけておかなければ、ひっくり返しても中身の出る量がほんのわずかなのだ。
人間が使うなら貴重な水が一度に出てこないことが利点になるが、仔馬に飲ませようとするならそれでは困る。
あの舌のせいで乳を自力で吸えないのだから、口に注いであげられる仕立てにしなければならない。
急ぎで開けた穴に藁を詰め、応急の栓をして、彼女に向かう。

 仔馬はもう体力が尽きたのか、座り込んでしまっている。時おりあげる声も、もはや弱弱しい。
半乾きで小さく揺れる背を見れば、何かかけてやるべきかとも思う。
丸々太った赤ちゃんではないし、寒さで震えているのはかわいそうだ。
ブラシ製作から流用して、自分用にしようと思っていた作りかけの蓑があったのを思い出す。

 微力でも、私にも出来ることがある。

「守るからね……。
 守らせて、こんどこそ。あなたも、この仔も。
 だいじょうぶ、こわがらないで。いいこね、もうちょっと、がんばって」
 
 彼女の仔なら、私の子も同然。大切にする。愛しく思える。
声をかけながら彼女に触れれば、乳を搾る間もじっとしていてくれた。
優しいしぐさで仔馬をいたわりながら、彼女は動かず私を待っている。

 私に預けてくれた、その信頼に応えよう。
仔馬に乳を運びながら、何度もその想いを胸に刻んだ。



 ひと騒動の夜も過ぎれば、やがて朝が来る。

 人の子も、犬の仔も、猫の仔も、馬の仔も。新生児の基本は、やっぱり同じだった。
お腹がすいたら乳を飲んで、お腹がいっぱいになれば眠る。
そして目が覚めるころには、またお腹はぺこぺこだ。

 彼女の子供は、私に懐いているとはちょっと言い難い。
が、「お腹がすいたらどうにかしてくれる人」だというのは、覚えてくれているらしい。
ご飯の催促に、そりゃもう容赦なく、頭突きしたり甘噛みしたりしてくる。
馬高ではなく頭を上げた位置が、私の身長とほぼ一緒の仔馬だ。
ウェイト(体重)では少し負けているっぽいので、不意に押されると、間違いなく私は転ぶ。

 わずか半日で立派に攻撃力を会得し、野性のたくましさを知らしめる、藁色の仔。
その正体は、乾けば明るいクリーム色に輝く、差し込む日の光そのものみたいに綺麗な女の子だった。
でも舌はまだ出たままで、いまいち間抜け顔。だけど、元気ならそれで充分だとも思う。

 仔馬は彼女の周りをまわったり、藁をつついたりして遊んでいる。

 彼女と違って命名がまだのこの子に、似合う名前を考えれば、私の顔は緩んでしまう。
転ばされたって、かわいい。変顔でも、かわいい。
徹夜明けで眠い私に「お腹すいた」と突進してくるような子でもかわいいよ、ホントに。


 仔馬に乳を与え、彼女の餌を刻んで、敷き藁を少し整理して、私は水汲みに向かう。
多少疲れていたって、今後の為にも彼女にはたくさん飲ませて、食べさせなくちゃいけない。
乳の出をよくするには餌の改良も必要だろうかと、思案は尽きない。

 昼にはもう一刻(2時間)くらいありそうだけれど、もう日は高い。
水桶を手に歩き出そうとした私は、しかし、数歩も行かないうちに歩を止めた。

 初めて見る人間が、道に立っている。
大きな背負子(しょいこ)を傍らに置き、肩辺りで切り込んだ髪をまとめもせず散らした男。
纏う空気からして村人とは一線を画す、どこか不穏な人。

 その不審人物は、私に向け、こう言った。

 
「……幡豆の石川善衛門の家で馬が死んだと聞いてきた。
 馬の骸、こちらに引き渡してもらおうか」



[11192] 戦国奇譚 彼と彼女と私
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:e0291fdb
Date: 2010/03/15 07:11

「今朝早く、寺に届けがあった。
 死んだ馬は戦馬だった故(ゆえ)、くれぐれも丁重に弔って欲しいと。
 産褥でのこと、仔馬の骸もあるかもしれないとの話だった」

「……」

「石川の者は皆、寺と懇意(こんい)にしていると聞く。
 我らも、このたびの戦の為、この地に参った同門。
 同じ一向(いっこう)の門徒として、決して怪しい者ではない」

「……」

「大事な馬だったなら悲しみもあろう。
 だが、いつまでも骸を置いていては、産穢(さんけ)が広がる。
 わかるな、坊? わかったら、馬のもとに案内してくれ」

「………。
 ごめんなさい。
 その石川善衛門、様のお家がどこなのか、私にはわかりません。
 えっと、それで、ここの厩に死んだ馬はいないんです」



 ――――― 戦国奇譚 彼と彼女と私 ―――――



 一方的な説明を無言で聞き、ようやく答えを返せば、今度は相手が押し黙った。

 口をつぐみ考え込む彼を改めて観察して、私も首をかしげる。
風に乱れる蓬髪(ほうはつ)がライオンヘア(ぐるっと髭つき)な男性は、どう見ても一般人ではない。
ところがその不審者は、口を開けば外見を120パーセント裏切る紳士だった。

 客観的に見て今の私の風体は、水汲みを言いつけられた下働きの小僧。
馬の世話や掃除などをしやすいように短めに改造した着物に、背の半ばまでにも足りない髪。
私も人のことなど言えないほど、慎み深いこの時代の娘には絶対見えない恰好をしている。
「坊(ぼん 少年)」と呼びかけられても、怒る気になれないのは自覚があるからだ。

 まあそれは置いといても、かなり年下でそんな身分の低そうな子供相手に、彼の言葉は丁寧過ぎる。
所属を明らかにし、事情の説明をし、さらにその上、こちらの気持ちを思いやる言葉まで連ねてくれた。
初対面で上から目線でずけずけ言われるのは好きじゃないけれど、どちらかと言えばそちらの方が普通だろう。
優しい言葉は嬉しいが、何故そこまで下手に出てくるのかがわからない。

 礼儀正しさに好感は湧くが、不審も募る。私は距離を置いたまま、相手の出方を探るように見てしまう。

 そして、それは彼の方も同じだったらしい。


「お前は、ここの子ではないのか?
 今この村に、石川の者以外がいるとは思えないが」

「えっ、どうして?
 あ、いえ、すみません。
 私は本当にここでお世話になっているだけです」

「世話に? ……このような折にか?
 ああ、いや、お前が嘘をついていると言うわけではないが」
 

 否定されても、それだけ訝しげに見つめられれば、疑いが晴れていないことくらいわかる。
よほどその「石川さん」とやらには、特殊な事情があるらしい。

 私は久しぶりに新しい情報を耳にして、欲求の天秤を揺れるのを感じた。

 私が居るこの場所の情報は魅力的だった。
4ヶ月ちかくお世話になっておきながら、「石川」の名前を知ったのもこれが初めてなのだ。
「一向」「寺」などのキーワードも、私の記憶をちくちく刺激する。
どうもこの人はいろいろ知っていそうだし、話してもくれそうだから、聞き出したい気持ちは大きく重い。

 しかし、今は仕事の途中でもある。
さっき、これから水を汲みに行くからと、残りの水を彼女の体を拭くのに使いきってしまっている。
水甕もすでに空にして洗って干してあって、これを後回しにするわけにはいかない。
それにあまり時間をあけると、お腹をすかせた仔馬を待たせてしまう。
かわいいあの仔のおねだりが思い浮かべば、情報収集に傾きかけていた天秤はぐぐっと戻る。

 話はしたいが、時間をかけてはいられない。

 首をかしげたまま考えて、私は自分を励ました。
このくらいで遠慮するなんて私らしくない。こんな時こそ、「両方!」と行かなくては。
消極的な自分からは、もう昨日のうちにさよならしたんだと、気合を入れなおす。
すばやく会話の手順を考え、先手を打ち出す。

 まずは、この疑心を抱えての探り合いも乗り越えるところから始めてみよう。


「もしよければ、馬を見て行かれますか?」

「っ!
 ……いいのか?」


 ずいぶんな驚かれように、一瞬、体がすくむ。
けれどそれを根性で踏みとどまり、私は出来るだけ友好的に、彼を伴って来たばかりの道を引き返した。



 相手の目的であり、私が隠しているのではないかとの疑いの原因を開示する。
それが、疑いを晴らすためには一番手っ取り早い方法だった。

 彼の話しぶりは明瞭だったし、悪い人にはどうしても見えない。
外見は異質でも、こちらを懐柔して村に入り込む盗賊などではないと思う。
依頼をしたのは、私が昨夜騒がせた母屋の人だという気もしている。
彼の言葉に嘘はないだろうと、私は読んだ。

 今の私には、初見で人を見極める自信はない。
でも、自分の直感を信じ、私は彼をテリトリーに引き入れると決めた。

 真っ直ぐに小屋へと向かう。
彼女達を驚かせたくはないが、小屋の引き戸は静かになど開かない。
がりがりと地面を削って木戸を少しだけ開けると、警戒態勢の彼女が耳をぴんと立てているのが見える。
私の姿に彼女の陰から首を出した仔馬が、後ろに立つもう一つの影を見てピュッと引っ込む。
びくびくしているらしいかわいい姿に和みながら、私は戸口から身を引いて男に場所を譲った。


「ほう、これは……。いい馬だな」

 
 称賛の声が降って来る。
率直なほめ言葉。飾らないからこそ、伝わる深い実感。

 誇らしさが胸を満たす。

 彼の目も声も、嘘偽りなく彼女を称えている。私は満たされる。
そして……、私は顔を赤らめた。その一瞬でわかってしまったいろいろに、恥ずかしさで顔があげられない。

 私は、このまだちょっと私を疑っていただろう男に、現物を見せて納得させようという言い訳を持っていた。
誤解を解いておいた方が話しやすいだろうという下心があった。

 でも、ほんとうは、彼女を自慢したい気持ちが少なからずあったことがわかってしまった。

 下心のさらに下心。
彼が彼女の綺麗な鬣や、仔を産んでも張りのあるしなやかな毛艶に感心の声を上げるのがすごく楽しい。
全力で同意して、「すごいでしょう?」 「綺麗でしょう?」と言ってみたくて仕方ない。

 美人の恋人やお嫁さんを連れて歩きたくなる気持ちに例えたらわかるだろうか。
相手の視線に含まれる、称賛の中に混ざった少しの羨ましさが、快感だった。
もしも私が、ハーレムを造れるような甲斐性ある男だったら、絶対後宮になど奥さんを隠せない。
花見だ宴会だと理由をつけ、綺麗に着飾らせ見せびらかしたいと思うだろう。
……もちろんこれは、ただの妄想での話だけれど。

 そんな自分の下心×2に気づいてしまい、つい赤面して私がもじもじしている間も、見学者の感嘆は続いていた。
私の後ろめたさや羞恥や満足を知ってか知らずか、彼は馬を見て何度も肯いている。
馬が好きなのだろうと、はたから見ていてもよくわかる眼差しを彼女達の隅々にまで向けて口元を緩ませる。
そして、私を振り返り、さらに視線を和ませて笑った。


「確かに、ここには死に馬などいないようだ。
 良く世話がされている。

 その仔が、昨夜生れた仔馬なのだろう?
 昨夜は寒かったから、舌が口中に収まっていないようだが、活力があるな。
 乳が飲めたのなら大丈夫だ。そのうちちゃんと戻るだろう。
 ただ外に出した時は、烏(からす)などにつつかれぬよう、気を配ってやるといい。
 親の方には、豆などがあれば食べさせてやると良い乳が出るようになる。
 
 良い馬達だ。
 いつまでも見ていたいが、しかしあまり見知らぬ者がいるのも良くはなかろう。
 胞(えな)だけこちらに引き取らせてもらおうか」

「えな? ……ああ、胎盤とかのことか。
 あっちに纏めておいてあります。
 後で燃やしてしまおうと思っていました」


 後産の汚れものは外に出し、小屋から離れた場所に置いてある。
血の匂いを嗅ぎつけた野犬などに襲われないようにと考えてのことだ。

 まとめておいた藁の塊を背負子の中から取り出した筵(むしろ)に包み、彼は手早く片付ける。
その後、母屋にあいさつに行くのかと思ったら、それはしないと言う。
用がなくなったので、長居は互いを不快にさせるだけだとも言いきった。

 こんなにいい人なのに、何故そこまで線を引かなければならないのか不思議だった。

 彼は小屋の中には一歩も踏み入れようとはしなかった。
それが馬達を気遣ってのことだとわかってからは、私の不審はすっかり溶けてしまっている。
彼の方も、私の発言に何か思うところがあったようで、微かにあった壁のような気配はすでにない。
今は、馬好き同志の親近感だけがある。
よそよそしい発言を寂しいと思ってしまうほど、彼の印象は大きく覆っていた。

 誤解を解いてから話をしようと考えていたのもダメになりそうで、残念だった。
引き止めたかったが、彼にも事情はあるのだろうとも思う。
心を寄せてしまえば、困らせることはできなくなる。無理なわがままは言えなかった。

 言葉少なにお別れを言えば、彼は私を静かに見下ろしたたずんでいる。
そして少し考えて、名残惜しむ気持ちをくんでくれたのか、川までは共に行こうと言ってくれた。

 やっぱりすごくいい人だ!

 パッと顔を上げれば、苦笑した雰囲気が感じられる。
でも私は嬉しい気持ちを隠す気はない。再び桶を手にし、勇んで川へと向かう足取りが軽い。
先ほど口にした少しの話からも、彼が馬に詳しいのは予想がつく。
馬達の話題をきっかけに話しだせば、知りたいことは山のようにあった。



 好きなことを語れば、話は尽きない。
特に飼育については教わることが多く、ついもっとと請いたくもなる。
会話に慣れ、そろそろ話題を変えなければと思う頃には、もう川も間近になっていた。


「……さっきの話ですけど。
 最初、お寺から来たって言われたけれど、一向宗の行者さんなんですか?」

「いや、寺には仮宿をしているだけだ」

「じゃぁ、旅の途中?
 あ、でも、お坊さんではないんですよね?
 私は、傀儡子の者なんです。
 一座の人達と一緒に旅をしていていました。
 でも、旅の途中でケガをしてしまって、ここの方たちに助けてもらったんです」

「そうか。
 先ほど、胞を燃やすなどと言っていたから、このあたりの者ではないのはわかったが」

「はい。
 私の一座は、駿河や信濃なども巡っていました。
 昨年の冬にここに来たのですが、その後のことはよくわからなくて。
 ずっと寝込んでいたので、最近の事情は聞いていないんです」

「我らも先日、駿河からこちらに来たばかりだ。
 そうだな、知っている範囲でよければ……。

 年の暮れに、駿河の西を中心に、大きな陣触れがあった。
 今川の宰相殿が兵を率いられるほどの、大戦(おおいくさ)の早馬だ。
 先陣は三河岡崎。
 三河譜代の者達、石川氏などは、一族をあげて参戦の準備を進めているそうだ。
 その規模からもわかるが、尾張との間によほどの事が起こったのだろうな。
 戦に先だっては、多くの物や人がすでに動いている。
 我らもその触れ(知らせ)を受け、ここまで来た者の一部だ。

 戦になれば、我らの技が必要とされる。
 戦場にて、……骸をあさると誹られようと、戦には我らの造る武具や馬具が欠かせない」


 冷静に状況を話す彼の言葉は、最後の部分だけ自嘲するように低く沈む。
しかし、その最後の囁きをしっかり拾えた私には、彼らの職業がわかってしまった。
最初に「馬の弔いを」などと言われたから、寺関係の何かだろうと思っていたのは勘違いだった。

 彼は、皮革職人さんなのだろう。
死んでしまった牛や馬を引き取って、そこから色々なものを作り出せる人達。

 彼の話には思い当たる節がある。
駿河の、特に今川のお膝元には大きな職人街があり、優遇されているとの噂があった。
彼の言うように、戦ともなれば仕入れもでき、現地での製品の需要もあるのだろう。

 もちろん彼らが作るのはそれだけではなく、日用品も多く作りだされている。
特に有名なのが動物の皮から作られる膠(にかわ 強力接着剤)で、汎用性も高い。
例えば、字を書く時の必需品である墨は、煤(すす)を膠で固めたもの。
他にも漆器の漆止め、屏風(びょうぶ)や家具などにも使われている。

 けれど、そんなふうに価値を認められた仕事でも、実質はあまり好意的には見られないのも事実だった。
「死」を「穢れ」と呼んで恐れる時代的に、受け入れられにくい職業ではある。
彼の態度がいらぬ諍いを回避するためのものだったのなら、それはそれで腑(ふ)に落ちた。

 職業で人を蔑むのは、間違っている。

 とは言っても、私も彼女と付き合って、正論で割り切れない部分も少しだけわかるようになった。
大切に思う相方(馬)を、亡くなってしまったからとはいえ、見知らぬ人に引き渡すのは悲しい。
ばらばらにされて、何か別の物になって、誰か知らない人に売られてしまうのかと思うと寂しい。
死を厭う気持ちがそれらに合わされば、彼らに罪はないとわかっていても突き放したくもなるだろう。
「彼らと近づきたくない」と思うのは、「身近な命を失いたくない」という気持ちと背中合わせだった。

 そう、私にも、その感情は否定できない。

 「でも、」と、道行く影を見て思う。

 彼は私と速さをそろえて歩いてくれている。
なのにその距離は、思いっきり手を伸ばしても互いの影すら重ならないほど離れている。
それが単純なパーソナルスペース(対人距離)でなかったのを、彼の言葉の陰から私は読み取ってしまった。

 私は彼を見た。 そして歩を進める。

 触れないけれど、手を伸ばさなくても触れる近さまでそばに寄る。
物理的な距離は、心理的な距離に比例する。それを縮めて、見上げ視線を合わせて、笑いかける。

 彼は馬が好きな人だ。
彼女と仔馬を褒めてくれた。生きた馬の美しさを語ってくれた。
彼女の色を見て、連銭葦毛 (れんせんあしげ)という毛色だということも教えてくれた。
うっすらと背中から後ろ足の上部に浮いている、あの豹柄にも似た灰墨模様をさしてそう呼ぶのだそうだ。
仔馬を見ながら、きっと立派な馬になると言ってくれた言葉に嘘はなかった。

 それだけでいいじゃないかと思う。同じものが好きなことを大切にすれば、友達にはなれる。


「戦で、あまりたくさんの馬が傷つかないといいですね」

「……ああ。
 ああ、そうだな」


 仕事は仕事。でもそれよりも、彼が私に見せてくれた「彼の気持ち」を優先した言葉に、返るのは肯定。
彼の世界に言葉で踏み込むことはせず、態度で示した私の好意は、どうやら上手く伝わったようだ。

 よけいな力の抜けた、穏やかな声。
つめた距離から逃げずに、どこか寛いだ自然な顔をして肯く彼を見て、私も嬉しくなった。
 


 それから川に着いて、水を汲む合間にまた馬の話を少しして、彼と別れた。
話をもっと聞いていたかったが、村の外で仲間が待っていたらしい。
馬が本当に死んでいたら、一人で持ち帰るのは無理なのだから当然のことだ。

 そこまで気が回らず無理をさせたのかと慌てて謝ると、笑って許してくれた。
彼にしても、私の様子に興味を持ち、話が聞きたかったからだとまで言ってくれる。
こちらに責を負わせないようにさり気なく気遣う言い回しが紳士的だ。
ここまでくると、私は職業柄かと納得してしまったが、良いのは当人の性格の方だったのかもしれない。

 人間見た目じゃないことを体現する、本当にいい人だった。



 最後まで名前も交わさなかったけれど、短い時間でも出会えてよかったな思う。
こういう出会いがあるから人間が好きだったんだと、思い出せたのも喜ばしい。
それに、彼本人もだけれど、彼のくれた情報も、私にとってとても貴重なものだった。

 彼との話をざっと振り返っても、気になる点がいくつもあった。

 大きなものなら、尾張対三河の、今川の援軍を呼んでの開戦の話。
これには、あの昨年の竹千代襲撃事件が関係しているのかどうかがとても気になるところだ。
 
 それから私が預けられた、この「石川善衛門」さんについて。
「参戦する譜代の石川氏」と「寺と懇意にする石川一族」は同じか否か。

 出来れば手に入れた情報を、細かく一つ一つを吟味する時間が欲しい。
仔馬に乳をやった後に、考える時間がとれるだろうか。

 スケジュールを立て直しながら小屋へと戻ると、しかし、そこには新たな客人がいた。

 小屋の入口手前で立ち尽くす人影。
後姿を見ただけで特徴のつかめる、左右の肩の高さのずれた背中は昨夜の母屋の人だ。
千客万来……とまでは言わないが、昨日までの無人状況に比べるとずいぶん違う。
頭の中をもう少し整理してから次に挑みたかったと思うが、その猶予はないらしい。

 謝罪の予定たてていたことを思い出し、私は身を整えて、背を向けるその人に声をかけた。


「あの、お待たせしてすみません。
 それから、昨夜は騒がしくしてしまって、ごめんなさい」

「……いや。
 禊をしてきたのか」

「みそぎ?」

「川へ行ってきたのだろう?」

「はい」

「謝らなければならないのは、俺の方だ。
 悪かった。
 すべて任せてしまって、辛かっただろう。
 本当に、すまなかった」

「あー、えっと、それは、たぶん誤解です。
 悪いのは全面的に私です。ごめんなさい。
 昨日のことは、大騒ぎするほどのことじゃありませんでした。
 誰も死んでないです。だから穢れもないし、禊もしてません」

「だが、」

「私が行ったのは、ただの水汲みです。
 母仔とも無事です。仔馬も元気です」

「まさか……」


 そういえばこの人にかけた迷惑は一つではなかったと、私はあわてて謝罪を重ねる。

 しかし、言葉を重ねても、彼の疑わしいという表情は変わらない。
私の言うことなんてこれっぽっちも信じられないと、眼差しを暗く陰らせ、益々険しくする。

 固い表情で黙りこむ彼を目の前に、襲ってくる既視感に私も眉を寄せた。
朝の人より過激だけれど、なんだかこれってほとんど同じシチュエーションじゃないだろうか。
困惑を抱えて見つめ合って、結局、埒が明かないと私は背を向ける。
現物を見せた方がやっぱり早いみたいだ。

 私はため息を呑み込んで、本日二度目の「彼」の疑いを解くために、「彼女」のいる小屋の木戸に手をかけた。
 



 *墨の材料を訂正。ご指摘ありがとうございました。



[11192] 戦国奇譚 急がば回れ
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:04e51a9d
Date: 2010/03/15 07:13
 
「……さぎ、り……お前、生きて」

 男はおぼつかない足取りで一歩踏み出し、立ち止まる。
驚いた仔馬が奥に立つ私の方に駆けて来たが、彼の視線が彼女から外れることはなかった。
彼女は声を上げることもなく、ただ静かな眼差しを彼に向けている。

 男の腕がわずかに震えた。彼女へとその腕は差し伸べられるかに見えた。
しかし、固く握られた拳は、開くことなく力なく落とされる。

 入口を背にした表情は逆光となり、私の方から細かな動きはわからない。
聞こえるのは、僅かに乱れた息遣い。彼の纏う張り詰めた空気が、重い。


 目の前で繰り広げられるシリアスな場面に対し、私は完全に部外者だった。
つくりあげられる二人だけの世界に口をはさむ余地はない。たぶん視界の片隅にも入っていない。
サイズ的に隠れるには無理な体を押しつけてくる仔馬を宥めながら、自分の役どころについて考えてみる。

 ……ヒロインが母馬なら、子役は仔馬。私も「やじ馬」にでも改名すれば、ちょっと仲間っぽいかもしれない。
「死んだと思っていた彼女との運命の再開。しかもそこには幼子が!」という煽りの字幕がふと浮かんだ。



 ――――― 戦国奇譚 急がば回れ ―――――



 思わず茶化してしまったけれど、それは内心だけのこと。実際は息をひそめ静かにしていた。

 彼は帰りの際もこちらを気にするそぶりは一切なく、私のことなど完全に忘れ去られていたのだと思う。
空腹を思い出し騒ぎ出した仔馬の声さえ全く耳に入っていなかったようで、みごとなまでに無視された。
関心の度合いの差も、それこそあそこまであからさまであれば、返って潔いと言えるのかもしれない。
思いつめた表情で自分の世界に引き籠ってしまった彼が、無言でふらふらと帰って行くのを私は黙って見送った。
いろいろ思うことはあったけど自制して、最後まで邪魔せず私はちゃんと我慢したのだ。

 とりあえずそんな彼の態度をさて置けば、誤解が解けたことは良かったと思う。
それに、彼女の名前が判明したのは純粋に喜ばしい。

 彼の呼んだ「さぎり」は、気象の「霧(きり)」のことで、たぶん「狭霧」と書くのだろう。

 彼女の馬体は灰色。鬣は未明の空にも似た薄いクリーム色。
霧は、深い夜の終わり、朝の強い陽光に払われる一歩手前、眠りから覚める世界を優しく包みこむヴェールだ。
神秘的で、魅力的な、彼女のイメージに沿うとてもいい名前だった。
「彼女にぴったりで素敵」と、新たに手に入った賛美のネタは私を充分うっとりさせた。

 でもそれはそれ、うっとりに浸かってそれでお終いという訳にはいかない。
世の中はそれほど単純ではない。彼には彼なりの事情があるように、私にも私の都合があったりする。

 第一は、いくつか確認したい情報が他にもあること。
それから、私の精神衛生上の問題としてもう一つだ。

 私は、今はまだ「無視される」のはちょっと遠慮しておきたい状態だったりする。

 「無視」は、私が精神的に参ってしまった時の引き金の一つでもある。
一度脱した「鬱」にまた戻るとは思わないが、全く気にせずにいられるほど回復しているとも言い切れない。

 過去のことと割り切れずショックに感じているということが、さらにショックだったのが正直なところ。

 緊急避難でも「笑い」に逃げられるくらいだから、深刻ではないし、気にしないよう努力することも出来ると思う。
でも、心の負担を好んで負いたいとは思わない。
たぶん、一言二言でも言葉を交わせば、それで気持ちは治まるはずだった。
さっきはとりあえず彼の気持ちを優先させたけど、私も自己犠牲に快感を見出せる出来た人間ではないし。

 だから少し時間をおいて、でも私の都合で、暗くなる前にもう一度母屋を訪ねることにする。



 しかし、相手あっての事柄は、アポ(予約)がなければ予定は未定。

 勇んで向かった先で私を迎えたのは、物音一つ聞こえない、しんと静まり返った家屋。
晴れた日の午後には相応しくない、固く閉ざされた屋敷の雨戸が訪れる者を無言で阻む。

 母屋を一周しつつ、この家に人がいるのを最後に見たのはいつだったか思い出そうとして、私は小さく呻る。
記憶の背景を探れば、雨戸が開いていたのを見たのはそう古いものではなかった気もする。
けれど、目の利く明るい光の中では、住人がいなくなって久しいことは隠しようもない。

 ささくれが目立つ濡れ縁(えん側の外床)の前で、私は足を止めた。
日に焼けて色が褪せた台木の、乾いて割れたその裂け目に、慎重に触れてみる。

 指の腹に感じる、細く尖った木の棘。

 人が日常的に使っているならば、ケガをしそうなこんな状態で手をつけず放っておくはずがない。
私の看病の時の配慮を思い出せば、ここだけ見落とされているとは考えられない。
ささくれは、数日どころではなくかなり長い間、誰もこの場所に立つ者がいなかったことを私に告げる。
埋まるほどに砂の溜まった母屋の敷居も、同様だった。

 昨夜彼が出てきた納屋については、覗いてみてもよくわからなかった。
納屋はこの屋敷の大きさにしては物が少ない印象を受けたが、後は何の変哲もなく綺麗に片付いている。
最近は雨が降っていないから、軽く風が吹いても砂埃が舞う。薄く積もった砂は、使用者の痕跡を消してしまう。
だから、人が居てもおかしくはないけれど、居なくてもおかしいとは言い切れない。

 でもこの場所は、つい先日まで人が住んでいたと言うには、どこも生活の匂いが薄すぎた。

 見つけてしまった状況証拠。
それと革職人さんの言葉と無理やりにでも組み合わせてみれば、ここの住人がいない理由は一つ。
戦火を避けての疎開にはこの辺りは静かすぎるから、「戦に行った」ということになるのだろう。が、……しかし。

 一家全員、女性も子供も一緒に連れて?
 狭霧(馬)と私(余所者)を敷地内に残したままで?

 それに「戦」が答えなら、狭霧と訳ありの彼のことや、私達に届けられる食糧についてはどうつながるのだろうか。
私は名探偵ではないので、これだけの手がかりだけで納得のいく推理を展開させる能力は残念なことにない。

 わからないことばかり。惑う私の足元を、小さな風が吹きぬけていく。

 閉めた木戸や雨戸の隙間が、悲鳴に似た音を奏でる。
私はなんとなく自分を守るように両腕を前に組んで、うつむいた。
春の光が柔らかいからか、地面に落ちる影までが淡い。

 その淡さに、記憶のあいまいさが重なって滲む。

 時計もカレンダーもない。確認し合える仲間もいない。
全部自分の記憶だけが頼りだというのに、私はその記録を残すことさえ怠っていた。
三日前、一週間前、半月前、一月前。私は何をしていた?
思いだそうとしても、目立ったことのない普通の日など、正確に覚えているはずもない。
まるで霧の中や、狐にでも化かされたかのような感じで、不安になる。

 狐か……。 「ホラー(恐怖モノ)」の舞台として、田舎の廃屋というのは「有り」だろうか。

 横溝氏の作品はホラーじゃなくて推理物だったけれど、あの雰囲気は怖かった。
ああ、でもそれよりも、この場合は「日本昔話シリーズ」とかの方がふさわしいかもしれない。
あれの冒頭は「昔々~」で始まるのが定番だけれど、この時代を舞台にした物もありそうだ。
現代での「都市伝説」と同じ感覚で、「友達の友達が~」や「知人の友人が~」で話を始めても通用しそう。

 小屋のささやかな野菜まで狙うのか、小動物の足跡はこのあたりでもよく見かける。
そんな狐や狸はもとより、日本狼だって絶滅前。山に入る人間が、熊に並んで狼に警戒するのは常識だ。
人の手の入らない未開の地はまだまだたくさんある。
お伽噺の主役になる、河童どころか妖怪の一匹や二匹、隠れる場所に困ることなどないだろう。

 夕焼けを見る前に、私は踵を返す。

 この時、小屋へと帰る足取りが自然と速くなったのは、しかたがないことだと思う。うん。



 想像力は、発想力。
物事を応用したり、臨機応変に対応したりするのに欠かせない役に立つ大切な能力だと、私は信じる。
人間らしく文化に親しみ、文学その他から情緒に刺激を受けるのも悪いことではないはずだ。

 でも、先行きの不透明さに対する不安を誤魔化すにしても、何故こっちなのか。

 感覚が普通に戻り始めているせいか、人恋しさに妙なことばかり考えついてしまうのはちょっと困る。
午後の気分を引っ張って、つい就寝時にまで、「怖い話百選」なんてお伽噺が浮かんでしまうのはいただけない。

 この手の話は仲間とするから楽しいのであって、一人の時に思い出すものではないのに。
話を聞いてくれた友人達を懐かしむついでにしては、破壊力が高すぎる。
経でも唱えれば怖くなくなると思うのは間違いで、「耳なし法一」をはじめ、坊主ネタは意外と多いのだ。
お寺とお化けは切っても切れない仲だけに、こんなことまでしっかり覚えていられるのは嬉しくない。
しかも眠って忘れられればよかったのに、そう上手くいかなかったからなお始末に悪かった。


 夢にまで見た、とは言わないけど。
でもたぶんそのせいで、次の日それを目にした瞬間、連想の方向を明らかに間違えた。


「…ひっ(妖怪!?)」

 何もなかったはずの小屋の外に突然現れた歪な「何か」を見て、私が最初に思ったのがこれ。

 それは、大人の足で入口から15歩ほど離れた距離にあった。
未確認物体を発見した私の小心な心臓はギュッと縮み、水汲みに踏み出しかけた足は凍りつく。

 しかし、まさか妖怪なんてものが本当にいるはずもない。

 朝の薄闇にかすむ影の正体をよく見れば、昨日の彼だ。
いつからそこに居たのか、こちらを向いてぼうっと立っている。

 人間だと視認した。確認した。認識もした。
けれど妖怪だなんて思っては失礼だとわかっていても、かいた冷や汗は戻らない。
鼓動は早いまま、喉は強張り、挨拶の言葉は腹中で凍結中だ。
それどころか、出した足を即座に引っ込めたかったし、開けた戸を再び閉めたくて指が震える。
それでもどうにか堪えられたのは、解凍までに時間がかかったからだ。こういうのも不幸中の幸いなのか……。

 でもその時間差のおかげで、疲れた顔で黙っている男の視線が、向かっている先に私は気がつけた。

 彼の目は私を通り越し、後ろの小屋奥を一途に見つめていた。

 彼の関心が向いている先は、私ではなく彼女。「狭霧」しか見えていないらしいのは、一目瞭然だった。
しかも彼は、私が驚きから立ち直りどうにか挨拶をしようと口を開いたところで背を向ける。
一音、一文字、一言も無しだ。
昨日にも増した無視っぷりに怯む私を置いて、彼は片方の足を引きずりながら去って行く。
不意打ち過ぎてまともに反応する余裕さえ全くなかった。―――これが、一日目の出来ごと。


 それから数日間。このストーカー、感(もとい)、妖怪青年に私はたびたび驚かされることになる。


 気づけば小屋の傍に立っている。常に無言で突然現れる。
それでじっと視線を注がれて、いつのまにかいなくなっていて、普段の所在はまったく不明。

 食糧などを運んでくれることもあるらしいのだけれど、不定期で挨拶もなく、挙動も少なすぎてやっぱり怖い。

 こちらから声をかければ視線が動くことはある。でもそれ以外の反応は無いに等しい。
思いつめた顔をしている日もあるし、ぼんやりしているだけのような時もある。
周りをうろつかれても悪意は感じず、ただ考え事をしているだけに見えることもある。

 「大丈夫?」と尋ねてみたかったり、お節介をしたい気持ちが湧いたりもしないわけではない。
そうできる方が、本当はずっと気が楽だ。
けれど一人で考えたい時があることもわかるから、よけいな手出しはいけないかとも思い、私は手を拱く。

 私も狭霧との生活の中で、自分の弱さをどうにかしようと一度ならず考えた。
人間不信をこのままにしていてはいけないという気持ちを、完全に見ないふりは出来なかった。
結局はどうにもならなくて、私がしたのは、彼と同じように一人ただ意味もなく歩き回ったことぐらい。
無意識にも人の居ない早朝を選んでいたのが、想いはあっても決意にまでは至っていない証拠だった。
迷いを打ち消すほどの強さを見つけ出せなくて、費やした時間は長い。

 心が定まるまでには、時間がかかる。

 でも、自分で答えを出すまでは待ってほしい。急がされたくない。触れられたくない。

 他人への反応がおろそかになるのは、何かを見つけようともがいている証左に思える。
私との対話を望むなら、小屋から出てくる可能性の低い早すぎる明け方などには来ないだろう。
一人思い悩み、黙って佇む彼の姿にあの時の自分が重なって、私は口を閉じる。



 急がば回れ、だ。目的地に直行することだけが、道ではない。



 狭霧と仔馬と、時々、青年。

 私の生活は、この三つで構成されるようになった。
朝は、寒い中にも元気いっぱいの、三日目には自力で乳を飲めるようになった仔馬に起こされて始まる。
日中は狭霧の体調に気を配りつつ、食餌に加える木々の新芽を摘んで茹でたり、若草を求めて周辺を歩きまわったり。
それで時々、不意に現れる青年を遠目に観察。

 彼が悩んでいる時間は、私にとってのリハビリの時間だと思うことにしたのだ。

 彼の不機嫌が、私は怖かった。
革職人さんは友好的だったからわからなかったけれど、外の世界に出ていけば友好的ではない人の方が多い。
「無視された」くらいで大きく凹んでいては、世の中渡っていけない。
そういう相手に対峙するたびにトラウマだのなんだの言い訳するよりも、克服してしまう方が前向きで好みだし。

 それに、待っているだけなんてつまらない。

 そう例えば、厩の寝藁を干すついでに狭霧用ブラシも日干しにしてみるとか。
掃除の時は、入り口に簡易柵代わりのつっかえ棒をするだけにして、中をのぞけるようにしてあげるとか。

 目標があれば、彼の気を引いて長くその仏頂面を眺められるよう「画策する」のも結構楽しい。

 驚くことは止められなくても、不機嫌な相手に対して、慣れて気にせずにいられるようにするという計画だ。
見慣れるということが、「親近感を上げ、プラス評価を加算する」と心理学でも説明されている。
「無視」がちょっとくらい怖くても、計画も策略も、謀略も大好きだ。楽しいと思えれば、頑張れる。
彼のおかげで人恋しさも半減しているし、感謝も感じるのでそれなりに効果も上がっているのではないかと思っている。

 この時間も、見方を変えれば、私に与えられた猶予期間のようなもの。

 待たされることはつらいことではない。
狭霧達と暮らしたこの数ヶ月間の、穏やかな生活が続くことを望む気持ちも、私の中に確かにある。
形にするなら、壁の隙間から差し込む光の筋が、寄り添い眠る馬の親子を包む、まるで聖画のような静かなひと時。
変化を望み、停滞への焦りも感じているのに、この優しい世界を壊されたくはないと祈りにも似た想いを抱く。

 しかしおそらく、どんなに遅くなったとしても、季節が変わる前には事態は動きだす。

 閉じた世界なんてない。人はいつまでも楽園にいられないことを、私は知っている。
彼の中で何かしらの決着がついた時、そこから始まるだろうとの予感がする。
だからこそ、その時にちゃんと飛び出していけるように、準備することが今すべきことだった。


 そして、そのきっかけは、私が思うよりも早くやってきた。


 仔馬が生れて、七日目の朝のこと。
昨夜ちょっとした騒ぎを起こったせいで、私達の朝の支度はいつもより心持遅かった。

 ちなみに、仔馬には、三日考えてその光のような毛色から「旭日(あさひ)」と名前を付けてみた。
彼女と違って正真正銘の名無しちゃんなので、遠慮はしていない。
本物の飼い主に何か言われたら、その時はその時。

 それで、その昨夜の騒ぎというのも、仔馬の旭日がひきおこしたもの。

 旭日は狭霧に似ず、落ち着きがない。静かなのは寝ている時だけ。
仔馬だからなのかもしれないけど、好奇心旺盛で怖い物知らずのやんちゃな娘だ。
私の布団に噛みついてみたり、食べられもしない狭霧の食餌に頭を突っ込んだりといたずらばかりしている。
昨日の夜はそれが行き過ぎ、立てかけていた鋤(すき)を突き倒して、跳ね返った鋤の柄が当たったと大騒ぎ。
彼女は散々藁をはね散らかしながら、小屋の中を走り回った。

 興奮したからか夜遅くまで寝つかず、そのせいで今朝の旭日はおとなしい。

 でも、それが、油断につながった。

 私は食事の煮炊きは、外にある竈(かまど)でしている。けど、水甕だけは凍らないように小屋の中。
旭日がいるから今後は外置きの方が望ましいのかもしれないが、まだ出してはいなかった。
だから、小屋の中で鍋に水を汲むと、それを抱えて外に出る必要がある。
鍋を手にした状態のままでは、滑りの悪い引き戸を片手でしめることはできない。

 私は鍋を外の竈まで運ぶ。そして戸を閉めようと振り返れば、そこに、旭日がいる。

 全身すっかり小屋から抜け出して、キョトンとした顔で小首をかしげてこっちを見ている。

 まさか見知らぬ世界にいきなり出て来るほど、無謀な娘だとは思っていなかった。
狭霧にはとりあえず一本手綱がかかっているけれど、仔馬の旭日には何もない。
掃除の時には渡しておく横棒も、短い時間だからとかけなかった。

「んわ、ちょおっと、待った。ストップ。フリーズ。じっとしてて。
 いい子ね、いい子だから、動かないでよ」

 部屋で逃げ出した小動物を追いかけるのでも大変なのに、ここは外。
濠や生け垣をめぐらせたお屋敷ではないので、当然、牧場のように境界を仕切る柵を望んでも無駄だ。
驚かせて走られでもしたら、仔馬とはいえ馬の足に追いつける自信はない。

 すり足でゆっくり近づきながら、気を逸らさぬよう声をかけ続ける。

 この手で乳を飲ませていた頃と違って、今の私たちの関係は立派な遊び友達になっている。
狭い小屋の中で突進したり突進されたり、ジャンプしたりして遊んだことも今は痛い。
旭日が私と「追いかけっこ」を楽しもうと思ってしまったらアウトだ。

「これはね、遊びじゃないの。だから逃げないで」

 無垢な幼い眼。澄んだ黒い瞳が私を映す。

 小屋の中では狭霧が待っている。
仔馬を心配してか、呼ぶ声が微かに聞こえる。

「ほうら、お母さんも、呼んでるでしょ。
 いい子だから、お家に帰って、ね?」

 しかし、あと一歩。

 ぴょんと跳ねた、仔馬の足。
伸ばした手は、空振った。

 嬉しそう、……楽しそうだけど、こっちはそれどころじゃない。

「待って、待って、待ちなさい、旭日。
 ちょい待ち、ホント、ダメだから、行かないで」

 遠くまで逃げていかないのは、やっぱり遊んでいるからか。
小柄な体に似合って、跳ねる足取りは羽根でも生えているように軽い。
追いかける私の体力はすぐに底をつき、不安も合いあまって息が乱れる。

 旭日は私がいることで気が大きくなっているのかもしれないけれど、こっちの心情は真逆だった。
烏(からす)に野犬、狼の姿が目の裏にちらつきだす。外の世界には、怖いものがいっぱいいる。
それなのに何も知らない箱入り娘の旭日は、無邪気に私を翻弄する。

 庭と判断していたその境界さえ越えそうになって、頭が真っ白になった。

 その瞬間、仔馬に伸ばされた大きな手。

 恐慌状態に陥りかけた私を救ったのは、あのいつも突然やって来る妖怪青年。
狭霧と訳有りの彼が、仔馬の短い鬣を上手に捕らえ、しっかり押さえてくれていた。

「ありが、とう、ございます。ごめんな、さい。
 こら、勝手にどっか行っちゃだめでしょ。
 もう、すごく心配したんだから。
 すごく、すごく心配したんだから」

 息が上がったままお礼の言葉を絞りだし、後は旭日に一直線。
驚かせて再び逃げ出させるわけにはいかないから、怒鳴りたくなるのだけは必死で抑え込む。
心配し過ぎると腹が立つらしいと頭の隅で考えながら、ぐりぐりと旭日の額に額を重ねて言い聞かせる。
嫌がって耳をパタパタさせているけれど、これくらいは言わせてもらわなければ私の気は治まらない。

「外はね、危ないの。
 怖いけだものがいっぱい。
 旭日なんて、一口よ。ぱくってされちゃうんだから。
 お願いだから、いい子にしてて」

「……この仔は、狭霧の仔か」

「そうです」

「元気だな。丈夫そうだ」

「はい。すごくやんちゃで、いたずらで、怖い物知らずで」

「外に出してやる方がいいかもしれない。
 狭霧も一緒に出せば、遠くに行くようなことはないだろう」

「えっと、それって、」

「もう少ししたら、田起こしも始まる。
 狭霧に……。あいつに、鋤き込みを手伝わせることは出来るだろうか」

「大丈夫だと思います。
 外に出られるなら、きっと喜びます」

「そう……、そうか。
 ならば、明日、長めの引き綱を持ってくる。
 数日は外での馴らしも必要だろうから」

 彼の手が、旭日を撫でている。
初めて触れたはずなのに、彼女を落ち着かせ上手く宥めている。まるで魔法の手だ。

 私からさりげなく旭日を奪ったその手腕も、みごとだった。

 私も見習って旭日を取り戻そうと、そうっと手を伸ばせば、彼は自然な動作で一歩引く。

「明日の朝、食事の終わった頃に来る。
 お前は、」

「?」

「名は何だ? 何と呼べばいい?」

「ああ、はい、日吉です。日吉と呼んで下さい」

「ひよし、……日吉、か?
 いや、なんでもない」

 誰かに自分の名前を呼ばれるなんて、何カ月振りのことだろう。
最後に呼んでくれた微かに記憶に残るあの声は、やはりくぅちゃんの声だったのだろうか。
押しとどめようもなく湧きあがる感慨に眩暈を感じ、私は少しだけ目を閉じた。

 だからといって、現実を見失うほど浸っていたわけでもない。

 なのに気がつけば、仔馬が尻を叩かれながら彼に追われ、小屋の中に入れられるのを見送ってしまった。
その手際の良さに、思わず口が開く。さっきの感慨とは別の何かが、ふつふつと胸に湧き上がってくるのを感じる。
久しく忘れていたその感情の名前は、そうアレだ。

 「ライバル(好敵手)発見!」ってやつに違いない。



[11192] 戦国奇譚 告解の行方
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:38a9396f
Date: 2010/03/31 19:51

 翌日、私は狭霧を朝も早くからいつもの二倍は丁寧に磨きあげた。
その甲斐あって彼女の毛並みは、朝の光を弾いて艶やかに輝いている。

 約束通りやって来た彼は、慣れた様子で狭霧に手を伸ばす。
馬首に触れ、しばらくぶりの外に躊躇う彼女を優しく励ます彼の声は途絶えない。

 彼に引かれ、ゆっくり外へと踏み出す狭霧。
足元に纏わりついて追いかける旭日。
私も皆の後に続けば、楽しい散歩の始まりだ。



 ――――― 戦国奇譚 告解の行方 ―――――



 私が初めて経験する、狭霧の散歩(引き馬)。

 一言で言うなら、彼は「優秀」だった。

 馬の扱いについて、私も最初はずぶの素人だったけど、すでに3ヶ月を越す同居生活の実績がある。
でもその自負は自惚れだったのだと、他人と比較してみてよくわかった。
彼の手際に比べ反省することは多く、自己満足の拙さが身に沁みる。

 まずは、手綱の掛け方からして違う。

 彼は狭霧を小屋から出すために一度、少し歩き慣れたところで次の掛け方へと、綱の結び方を手早く替えた。
来た当初の小屋に繋ぐための手法しか知らず、それ一種類で数か月通してしまった私は恥じ入るしかない。
自分の気のまわらなさに呆れもする。
早くそれに気がついていれば、狭霧の小屋での生活をもっと快適にしてやれたのにと思うと、とても悔しい。

 それから、外の物音に神経質になっている狭霧への対処もみごとだった。

 私だったら、彼女に完全にウェイト負けしているので、対抗するなど端から無理な話だ。
足を突っ張って立ち止まられても、怯えて後退りされても、きっと簡単に引きずられてしまったと思う。
それを物ともせず押しとどめ、落ち着くまで穏やかに声で宥めて、彼は巧みに誘導してみせた。
鼻を鳴らして怖がる狭霧に同調し、私のように不安や緊張を一緒に感じていたら先へは進めない。

 彼は、狭霧に近づきたがる旭日にも気を配った、堂々とした引き馬さばきを披露してくれた。 



 リード(引き紐)を託される飼い主の威風は羨ましく、油断すると嫉妬に呑まれそう。
見れば見るほど悔しくて、でも、目を背けるのはもったいない。
彼女を喜ばせてあげられるテクニックは、一つも見落としたくないからだ。
しっかり覚ようと、「次こそ私が!」と胸の内で繰り返しながら目を凝らす。
せっかくライバル認定した彼に、試合開始直後から白旗ではかっこ悪い。

 歩調、声かけ、触れる位置。駄々をあやすタイミング一つ見逃さないよう、追いかけ続けて半刻。
散歩コースは川までの通いなれた道なので、彼の一挙一動を見逃さずにいることが出来た。

 じっと見つめられていることに気がつかないはずはないのに、しかし相手もさる者。

 彼は素知らぬ顔で、狭霧を引いて行く。
そして辿りついた河原で、長めの綱に再び架け替え、石の間に埋まっていた杭につないだ。
ここでも私は、何度も来ていた川辺で見慣れたただの木の棒に、そんな役目があったことを初めて知る。

 おとなしくつながれた狭霧は、綱の長さをよく知っているかのように水を飲みに行く。

 木立のない場所に打たれた、馬を繋ぐための杭。
暑くなれば、何頭もの馬をここに連れてきて、順番に水浴びをさせていたのかもしれない。
一緒に来たのは、今は誰もいない馬房にかつて居た狭霧の仲間達だったのだろうか。

 私の知らない過去を、何気ないしぐさの中に何度、垣間見ただろう。
今はまだ遠い夏の日差しの中で水と戯れる狭霧を想像しながら、私は河原に腰を下ろした。



 羨ましかったり、楽しかったり、嫉妬したり、尊敬したり。短い散歩ながら心情は目まぐるしく変わった。
彼が隣に座ってきたのもわかったけれど、もう少しだけ頭が冷えるまで待ってもらおうと、膝を抱えこむ。
彼にも思うところがあったのかもしれない。しばらくどちらも無言で、母仔の姿を眺めていた。

 口を開いたのは、彼の方が先だった。 


「あいつが、綺麗になっていて驚いた」

「……」

「信じられなかったし、悔しかった。
 狭霧は俺の馬だったから」

「……」

「狭霧は俺が育てて仕込んだ馬だ。
 それを、よく知りもしないやつに突然預けてみろと言われた時、訳がわからなかった。
 あいつの死ぬのを看とるのは、俺だと思っていたんだ。
 まだ死んでいない狭霧を奪われるくらいなら、俺が殺すと思いつめた。
 あいつを殺して、俺も死ぬ。……あいつが死ぬ時が、俺の死ぬ時と決めていた」

「えっ?」


 前置きもなく語りだした彼の言葉をぼんやりと聞いていた私は、「死」という単語に顔を上げる。
 
 狭霧が彼の馬だというのは、彼の態度から見ても予測の内だった。
自分の物だと主張しようとしているのがあからさまで、見ていてわかり易かったからだ。
彼が、近くで見れば最初の頃の印象よりも随分若かったこともあって、その点はすぐに納得もいった。
張り合うような子供っぽさは私も同じように持っているから、逆に共感を覚えたほどだった。
ライバルとして不足はないと、先行きを楽しみに思っていたくらいなのに……。

 それなのに、「心中しようと思っていた」なんて台詞は不穏すぎる。

 眉をひそめた私に気づくことなく、彼は河原に投げ出した片足を叩き言葉を続ける。
内容は危うくても、うなだれたりはせず、頭を上げて話す彼の声は強い。
でもその目は、正面にいる狭霧たちを見ているようで、見ていない。
険しすぎる眼差しは、目前に広がる穏やかな光景に向けられるものではないように私には思える。


「あいつが痩せ細っていた頃を知っているか」

「……はい」

「毛が抜けて、骨が浮いて。ぼろぼろだった。
 本当の年よりも、ずっと老いた馬にしか見えなかったはずだ。
 今は、……違うな。
 毛も鬣も、昔みたいだ。あいつが一番元気だった頃と同じくらい綺麗だ。
 結局は言われるまま狭霧を手放したが、それが正しかったのだろうな。

 俺には何も出来なかった。
 どうやれば癒してやれるのか、俺にはわからなかった。
 ……出来たのは、あいつを死に追いやったことだけ。
 狭霧の歯を砕いたのは、俺だ」

「どうしてそんなことを」

「この足がわかるか?
 行軍中の奇襲でやられた。
 俺の足は、矢傷を受けて動かなくなった。
 矢を射られ、俺は狭霧から落ちたんだ。
 あの時、何よりも先に手綱を放さなければならかった。
 なのに俺は、それを握ったまま……」


 彼の言った光景を思い浮かべ、私は指先から血の気が引いていくのを感じる。

 馬に乗る時につける手綱には、今日のような引き馬の時にはつけないハミ(馬銜)がついているのが普通だ。
ハミは、環の付いた棒状の金具を中央で連結させ一本にした、馬を操るための道具。
外側にある二つの輪に手綱を繋ぎ、棒の部分を馬の口に銜えさせて使用する。
 
 馬には、前歯と奥歯の間に歯のはえない箇所がある。その隙間がハミを置く位置だ。
騎手が手綱を操ると、その強弱がハミを通して馬へと伝わる。
馬の口の感覚が繊細だからこそ細やかな動きも伝えられ、複雑な動作をさせることも可能になるのだ。

 そのハミは、概ね金物(かなもの)製だ。

 騎手が乱暴に扱えば、馬は大きな苦痛を受ける。
どんな勢いで彼が射落とされたのかはわからないが、その重みが狭霧を深く傷つけたことは想像に難くない。

 白くなった指先で、膝に爪を立てて痛ましさをこらえた。
両者共、生きている。穏やかに水を飲む、狭霧の健やかな姿は救いだった。


「……死に損なったなった俺を、助けたのはあいつだ。
 俺が手綱を放さなかったから、傷ついたのに。
 血泡を吹きながらも、あいつは俺を放り出しはしなかった。
 不手際で傷を負わせた愚かな主を、見捨てはしなかったんだ……。

 走れなくなれば、戦には行けない。
 戦場までついて行けない者など、足軽どころか飯炊きの役にも就けない。
 救ってどうする? こんな本物の役立たずになり果てた者を?
 お家の為にも何もならない、ただの厄介者でしかないのにっ」

 
 「厄介者」と吐き捨てられた語気は荒んでいた。

 彼の言葉はもう完全に私に向けた物ではなくなっているようだ。
隣で見上げる私ではなく、目ない敵に向かい彼は拳を振り上げる。

 感情の噴き上げるまま、彼の言葉は激しさを増していく。
抑えていた鬱屈をすべて吐き出そうとしているかのように、声も大きくなっていく。


「三河の石川といえば、蓮如以来この地に根を張り、固く守ってきた武士の一族だ。
 文安から100年、この土地を支えてきたのが我ら石川氏なんだ。
 その石川の惣領たる助十郎様は、先見の明然り、武力にも策略にも長ける素晴らしいお方。
 三河の盟主たる松平様との縁も深くあられる。

 助十郎様は、13歳で家督を相続し英名と名高かった先代の松平様よりお仕えしていた。
 当代、三郎様の覚えもめでたい。
 守山の陣の騒乱の後も、三郎様が松平を継がれることを固く信じ、お待ち申しあげていたからだ。
 その功もあって、三郎様は水野から、助十郎様の奥方の御姉妹である於大の方様を正妻に娶られた。
 ご嫡男竹千代様の誕生の時には、助十郎様が蟇目役(ひきめやく)を仰せつかることもできた。

 血縁(けちえん)連なるお方を主家に仰ぎ、確固たる絆を築けるは、これぞ臣として望外の喜び。
 竹千代様の御誕生を、我が一族がどれほど晴れがましく誇らしく思ったことか!

 それなのに、だ。

 水野の翻意は故(ゆえ)なきこととしても、あの悪逆たる戸田康光が!
 織田に与し、竹千代様を敵地にお連れするなど、許しがたい所業を働きよった莫迦者が!!

 あの不届き者によって、竹千代様は奪われ、護衛の忠臣の多くが亡くなられた。
 生き残った者も皆深い傷をおわされた。
 ……身に負う傷だけではない。
 竹千代様をお守りするというお役目を果たせなかった不名誉は、何よりも重い。
 帰って来られたとて、一族に汚名を着せたとなれば、死ぬより他に償う道などあるものか。
 堕ちた忠義を反す為には、死兵となり、討ち死にを本分(本命の望み)として、戦に向かう他はない。

 折よくもこのたびの戦は、卑怯にも竹千代様を奪った織田が相手。
 護衛を果たしきれず打ち取られた同胞の為にも、石川の名に塗られた汚名を我らは雪がねばならない。
 死兵となる覚悟をなされた俺の叔父上は、すでに休む間も惜しんで砦に詰められている。
 動ける者なら女も年寄も、幼子さえも元服を繰り上げ、一丸となっての参戦を決めたのだ。

 そう、この大事な時にっ!
 何をおいても駆けねばならないこの時にっ!
 走れぬから、足手まといになるからと、戦に行けぬなど男として生き恥以外の何物でもないっ!!

 末端とはいえ石川の名を名乗り生きてきた者に、これ以上の恥辱はない!
 守るべき一族の女子供を戦場にやって、のうのうと男が郷に残ることが許されると思うものかっ!!
 いや、そんなやつはもはや一族ではない。石川の名折れ。石川の恥だ。
 名を名乗るもおこがましい、むしろ、死ね。死ねばいい。死ぬしかない。そうだろう? そう思うだろう?」

 
 ……返事なんて聞いていなさそうなのに、答えに困る問いかけはしないでほしい。

 男の人は、感情論にも理屈と解説が必要な生き物なのだと私は常々思っている。
きっと彼は頭の中で、憤りを何度も何度も考え組み立てて、醗(かも)してきたのに違いない。
感情的で罵声交じりで、贔屓(ひいき)入りまくりで、たぶん見方も片寄っているだろうと思う。
それでも、彼の話は説明的でわかりやすかった。
欲しかった情報の大部分がいっきに補完できて、共感は出来ないけれど、そこにはとても感心する。


 いうなれば、全ての発端は、やはりあの竹千代襲撃事件だったということだ。

 いいとこのお坊ちゃんだと思っていた竹千代は、本当に三河松平の直系だったらしい。
今川との密約があったかどうかまでは、彼の話からはわからない。
しかし、どちらにしろそれが失敗に終わったことだけは確実だ。
あの竹千代に「おじい様」と呼ばれていた戸田康光が、裏切り者だったわけだ。

 私たちを襲った後、竹千代が連れて行かれた先は、尾張の織田だと彼は言う。
ならば、やったのはたぶん吉法師のお父さんあたりではないかと思う。
織田の名を持つ城主は、尾張に何人もいる。
でも、こんな大それた策略を成功させられそうな、有能だと噂に上るほどの人は他にはいない。

 それから、私が預けられていたこの石川氏について。
彼らは、現在誘拐され中の竹千代の母方の「いとこ」のいる一族らしい。
 
 襲撃から生きて帰ってきた誰かが、私を助けてここに連れてきてくれたということなのだろうか。
それは死兵となることを覚悟したとかいう、彼の叔父さんなのかもしれない。
彼の力説する武士の生きざまによると、「死ぬこと」でしか守れない名誉もあるのだというのはわかる。
でもせっかく生き残れたのに、「死ぬこと」しか選択肢がないのは辛いことだろうと、私などは思ってしまう。
戦で人が死ぬのは好きじゃない。

 せめてあの時、「生きる」ことを誓わせた竹千代が無事でいてほしいと願う。
 私には祈ることぐらいしか出来ないけれど。


 情報収集的には満足できても、心持ちまですっきりとはいかなかった。
複雑な心情を抱きながら、私には少し扇動的にも聞こえる彼の言葉に動かず耳を傾ける。
たとえ肯きたいところがあっても、話の運びに賛成したいわけではないから私は固くなる。
だって、「生きていて」と祈りたいのに、「死ねばいい」なんて台詞を肯定するのはうっかりでも嫌だ。
私は沈黙を守り、聞くことだけに集中しようと膝を抱く手に力をこめる。

 落ち込んでいく私とは逆に、箍(たが)を外してしまったような彼は止まらない。

 しかし奔流となった言葉の勢いはそのままに、でも少しずつ、その色合いを変わり始める。


「士分の子として生まれれば、幼いころから武を仕込まれて育つ。
 いつかは戦で手柄を立てることを夢見、家の為、主家の為になれと育てられる。
 俺もそれだけを念じ、槍を握り、剣の腕を研いてきた。
 この手は鍬(くわ)を握る為にあるのでなければ、数珠(じゅず)を握るためにあるのでもない。
 足が前のように動かないとわかった後、出家(僧になること)を勧められたこともある。
 けれど、それを選べば多少はお家の為になるのだとしても、仏道は俺の生きる道だとは思えなかった。

 あいつも同じ。同じだったんだ。
 狭霧は小柄だが、戦馬になる為に育てられた。
 大きな音を立てられても畏れぬように、傷つけられても怯まぬように、俺が訓練し厳しく仕込んだ。
 深い傷を負ったせいで今はまだ周囲に神経質になってはいるけれど、本来のあいつは違う。
 雌馬ながらも勇ましく猛々しい、武士の相方を勤めるにふさわしい馬だった。

 俺達が、実際に戦場へ向かったのは三度。
 初陣こそ荷駄の護衛だったが、二度目は戦場間近まであいつは俺を運んでくれた。
 あの奇襲がなければ、狭霧は俺と共に、両手に余る戦場を駆け巡ったに違いない。

 俺の矢傷は、傷口が癒えた後もこの歪んだ足となって残った。
 命に別状がなくても、この足は武士の足としては二度と役には立たないものになった。
 あいつの歯も同じ。
 物が食えなくなった生き物は、死ぬしかない。それが生死の道理だ。
 だからこそ、痩せ衰え、病んで死んでいくあいつを見届けるのを、俺は己の務めと心に決めていた。

 俺みたいな武士を主にもったあいつに、報いてやる方法はそれしか残っていない。
 あいつを看とるのは俺。看取れなくても、せめて俺が弔ってやらなければ……と。
 それだけを思い、俺は恥を忍んで生きていた」


 彼の激しい言葉はしだいに静かなものになり、そして止まる。

 束の間の静寂が訪れる。

 狭霧の鬣を揺らした風が、川のせせらぎの音を運んでくる。
葦の枯れ枝をさやさやと鳴らして旭日を驚かせ、蹲る私の元へも届く。

 私は前髪をくすぐるその風に、こっそりため息を混ぜた。
昨日に至るまでほとんど喋らなかった相手の、深い話を聞いてしまった。


 これは、たぶん愚痴ではない。
 暴露しすぎの、長めの自己紹介でもない。
 独り言でもないし、もちろん相談でもないだろう。


 これは、「懺悔」。あるいは、「告解」だ。


 武士なんて人殺しも仕事の内だと思いがちだけれど、彼らにも殺生戒(せっしょうかい)は存在する。
「殺生戒=全ての生き物を殺してはいけない」なんて不可能事に聞こえても、これは大事な自戒なのだ。
思うままほしいままに殺すことを許していたら、それはただの無法者だ。人ではなく鬼だ。
人が人として集団で社会を形成するためには、自制しなければならない部分が必ず出てくる。
法整備が行きとどかない穴を埋めるのが、この時代の宗教観や倫理観だった。

 武士が、名誉や誇り、忠義に重きを置くのもそこから生まれた必然の理。
その宗教観に基づき生まれた身分差や、卑賤(ひせん)の意識の根も同じところにある。
獣や鳥を捕る猟師、魚や貝を採る漁師、蚕を殺し絹をつくる人達は、「殺戒の穢れを犯す者」と蔑み差別される。

 馬を殺す者も同罪だ。

 彼は、今こうして元気に生きている狭霧を「殺そう」としてしまった。
「死のう」「殺そう」と思っているだけでも、呪っているも同然。それを罪だと悔いているのだろう。
石川一族はお寺と懇意だという情報もあったし、「出家」なんて台詞も彼の言葉の中には混ざっていたし。
彼が本業以外の業(ごう 罪悪)に対して敏感であってもおかしくはない。
 ……それに、彼はなんだか極端から極端に走りやすそうな性格もしてそうだ。

 でも、何でそれを私に言うのかな、と。吐いたため息の理由は、それに尽きた。
親しくもなんともない、他人でしかない余所者の私を告解の相手に選ぶ理由がわからない。
狭霧の健康を取り戻したのが私だから?
彼が、狭霧に彼自身を重ねてみていたのだとすれば、その可能性もないではない。
でも、もう一つしっくりこなくて、私は首をひねる。

 黙ってしまった彼は、私の意見を待っているようだ。
言うだけ言って終わりだったわけではなく、まだ続きがあったらしい。
声に出して催促されなくても、微妙なプレッシャーを隣から感じる。


 彼が求めているのは何だろう。 断罪? 許し? それとも、励まし? まさか、お説教とか?


 いくらなんでもこんな小娘にそれはないよね、いくら彼が第一印象妖怪青年だって……。
と、ここまで考えて、「妖怪」の単語から思い浮かんだあるものによって、全てがすとんと腑に落ちる。

 いや、これは「あり」だ。対象が「私」なら、彼の求めは、何もおかしなことではない。
 
 私が連想したのは、正確には妖怪ではなく、「なまはげ」と呼ばれる鬼。
でもこれを例えに引き出せば、懺悔だろうと告解だろうと、断罪でも許しでも、何を求めるのも「あり」になる。

 「なまはげ」というのは、秋田の郷土芸能だ。
年末に、「悪い子はいねがー、泣く子はいねがー」と言いながら、鬼のお面をかぶった人が家々を回ってくる。
時事ニュースとしてよく取り上げられているから、知っている人も多いだろう。

 その「なまはげ」は、郷の外からやってくる。
 怠け者を罰し、良い子には祝福を与えてくれるのは、「余所から来た」鬼なのだ。

 これに近い伝説やお伽噺は、秋田に限らず日本各地にたくさんある。
彼らは鬼だったり神だったり、仙人、天狗、流浪の僧と、形態は一つではない。
けれど、「郷の外から来る異形の余所者」という共通点がある。共通しているのだから、認識も同じ。
「異形の余所者は、何かをもたらす者である」ことが一種の常識、暗黙の了解としてまかり通っているのだ。

 そうそして、私のような傀儡子の旅芸人もその例に当てはまる。

 傀儡子は、村々を訪ね歩く漂泊の民だ。定住の地を持たない永遠の余所者だ。
訪れた先で寿言(よごと)を贈り、祝いの舞を舞い、もてなしを受ける。
裁きこそしないけれど、村にはいられなくなった者を連れ出すこともある。
童形さえも異形の一種ととらえれば……、「なまはげ」が例として的を射ているのがわかると思う。

 彼が私を選んだのは、実に日本人らしい古い道理を持ちだした結果だった。

 中立であろう余所者に審判を託すのも、神社でおみくじを引いて吉凶を出すのもそうかわらない。
実際はその程度だとも思うけれど、納得さえ出来ればがぜんやる気が湧いてくる。
自分ですら忘れかけていた傀儡子一座の子としてのアイデンティティを、彼は私に求めてくれていた。
彼の求めが私にとっても嬉しいものだとわかった途端、調子のいいことに低調だったテンションも上がった。
張りきらずにはいられない。

 傀儡子の別称は、「祝言人(ほかいびと)」。
脳内検索をフル稼働させ、その名も持つ者の一人としてふさわしい言葉を探しだす。


 私は、背筋を伸ばし頭を上げ姿勢を正した。

 そして深呼吸して新しい空気を取り込んで、口火を切る。


「狭霧は、幸せです」

「……」

「ケガをして軍馬でなくなっても、狭霧は不幸ではなかった。
 傷ついても払い下げられることもなく、最後まで寄り添おうとしてくれる人が居たから。
 主を、大切な人を守れたことは、誇りであって憐れまれることではありません。
 狭霧はずっと変わらず、皆に胸を張って誇れる素晴らしい馬です」

「憐れむのではなく、誇れと?」

「はい。
 ……あなたが育てた馬です」

「……俺が…」

「私は、生きる気力を狭霧からもらいました。

 彼女の優しさに、私は救われた。
 彼女の温かさがあったから、私は寂しさから抜け出せた。
 私はそのお礼に、ちょっと手助けしただけです。
 
 狭霧は、健康です。
 彼女は死にません。病もありません。死の影は狭霧の上にはない。
 食べることについてはこれからも工夫が必要だけれど、それ以外は何の問題もありません。

 ハミを噛ませることができなくなったから、もう騎乗は無理かもしれない。
 でも、彼女は習ったことを忘れてはいませんでした。
 ここまで歩いてきた道のりの中で、傍で見ている私にも、よく馴らされた馬だというのはわかりました。
 狭霧が失ったのは、彼女のほんの一部分。
 彼女がこの先幸せになるための本質は、本当は少しも失われてないんです。
 
 旭日を見て下さい。 元気な仔でしょう?
 狭霧はいいお母さんです。
 田起こしの手伝いや荷駄の運びも、狭霧ならきっと立派に務めてくれると思います」

「……」

 
 一息に言い終えて、隣をそっと窺って見る。
えっと、これじゃぁダメだったのだろうか。
彼が、狭霧と彼自身を重ねている所があるようだったから持ち上げてみたのだけれど、反応が鈍い。

 狭霧を褒めている部分は、もちろん120パーセント本気の言葉。
でも彼を念頭に置いて、ちゃんと調整したつもりだ。
メインの「祝福」は、歌って踊っては省略しているが、言霊を意識し「祝い(ほかい)詞」を連ね隙はない。
彼が悔んでいた「死の呪い」に対しても、「清め(打ち消しの言葉)」をしっかり盛り込んだ。
形式も踏んでるし、ピントは外していないと思う。心も、こもっている。

 けれど、どうにも芳しくない。
なので、ここで終わりに出来るはずもなく、私は予備のネタをもう一つ振ってみることにした。


「……前に、一座の皆と共に旅していた時のことです。
 私は信濃で、片目と片足の不自由な武士に会いました。

 彼は、彼の仕える主人の気鬱を晴らすため、山道を歩き、一座を呼びに来たんです。
 彼の主は、信濃のお姫様。
 気鬱の理由は、一族が戦に負けた後に孕んだ子の行く末が気がかりだったからでした。
 片目の武士はそんなお姫様に忠義を尽くし、お心を慰めようと誠心誠意努めておられました。

 これは、その時公演を終えてから、私が座の太夫達に聞いた話です。
 その武士は、こう言ってお姫様を励まされていたそうです。

 『某(それがし)は、目を失おうと、足を失おうと、この志を欠くことはありません。
  ここに在らぬとて、真実失われてならぬ物は必ず残ります。
  御館様は、姫様をないがしろには決して致しませぬ。
  その御子は、諏訪の行く末を託される大事な希望となりましょう。
  どうか姫様、お身内の方を失くされた不幸ばかりを考えては下さるな。
  痛みにばかり目をとられ、手にあるものを粗末に扱ったりはなさいますな』

 それから、こうも言われたとか。
 『子が生まれ、その子が男の子なら、某の一命を賭して。
  必ずや、どこに出しても誉(ほまれ)となる立派な若武者に育て上げて見せましょうぞ』、と。

 お付きの者達も皆この武士に賛同して、揃って諏訪明神に誓いを立てられたとのことでした」

「その方の名は?」

「名前ですか?
 ……えぇと、やま、山……、ああ、山本様?
 たしか、山本様と呼ばれていたと思います。
 ごめんなさい。あやふやなのは、私が直接お名前を頂いたわけではないので」

「かまわない。いや、礼を言うのはこちらの方だ。

 ……そうか。信濃には、片目片足の忠義の士がいるのか。
 それが聞けただけでも、良かったと思う。
 足を痛めてから、郷の外に出る機会はなくなった。
 外の世界に出られなければ、もしかしたらと思っても、それを確かめる伝手がない。
 不具の武士など役には立たないと誹られても、悲しいかな反証一つ挙げられない。

 『目を失おうと、足を失おうと、志を欠くことはない』、か。
 いい言葉だ。この言葉を俺は座右の銘としたい。兜に刻もう。具足にもだ。
 そして、この言葉を言われた山本様を心の師として、生涯尊敬申し上げることにする。
 後継をお育てするというのも立派な仕事だ。俺も見習えるだろうか。

 例え多少の自由が失われても、全てが失われたわけではない。
 狭霧が覚えていたように、俺の中にも、俺がここまで培ってきた技術が残っているはずなんだ。

 山本様か……。叶わぬだろうが、ぜひ一度お会いしたいものだ」


 今度は上手く行ったらしい。
思い込みの激しそうなところは変わらないが、彼の表情は今までになく明るい。
無事に役目を果たせたようで、こちらの気も緩む。

 父のように、戦に行って帰って来られなかった人もいる。
生きて帰って来られた彼に悔いばかりを言われるのは、心苦しくやるせなかった。
前向きに浮上した彼の気持ちを聞けたことが、私自身も嬉しい。

 私は彼に見えないところでほっと息を吐く。
山本氏はもしかしたら甲斐の武田の人かもしれないが、感動に水を差してはいけないので今はまだ言わない。
後で聞かれたらちゃんと答えようと思いながら、私も彼に初めての笑みを向けた。
 



[11192] 戦国奇譚 新生活
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:a5b96dfd
Date: 2011/01/31 23:58
「馬に乗る時は、右からだ」

「何で右……?
 ああ、刀があるから?」

「そうだ。
 刀は左の腰に吊る。
 だから左から乗ろうとすれば、」

「わゎ、実践はいいです、しなくていいですから!」

「そうか?
 見た方が覚えやすいと思うが」

「ありがとうございます。
 でも、見なくても大丈夫です。ちゃんと覚えました」



 ――――― 戦国奇譚 新生活 ―――――



 私はつい先日、狭霧の外出訓練を機に、佐吉という青年と知り合っていた。
彼は、実はそれ以前から、私達の世話の一端を担っていた人だった。
がしかし、今までお互いの個人的な事情から接触する機会がなかった。
話し合う時間が持てたことで、私と彼は互いの立場や心情の一部を知り、歩み寄るきっかけをつかむ。

 軍馬から農耕馬へ転職を決めた狭霧は、体力づくりの散歩が日課の一つになった。
最初の訓練だけではなく、それ以後も佐吉は何度となく狭霧に付き合ってくれる。
私も一緒に歩くので、いつの間にか彼と話すことにも慣れて行く。

 私と佐吉との間に出る話題は、馬のことばかりだ。
私がスキンケアや餌の工夫について話し、佐吉は躾や訓練、乗馬の作法の話しをする。
以前の大暴露以降は、お互いの心情に踏み込むことはない。
けれど、顔を合わせ話す回数も増えれば、相手をよく知るようになる。馴染みもするし情も湧いてくる。

 佐吉は、ちょっと頭の固いところがあるけれど、とても実直で誠実な人だった。
狭霧とのこれまでの訓練話を聞いていると、それがよくわかる。

 例えば、音に敏感な馬を馴らすこと一つをとっても、時間と手間がたくさん必要だ。
初めは小さな竹を振り、風を切る音を聞かせるところから始めるらしい。
そこから少しずつ音に馴らし、最後には長い竹で周囲を叩きまわっても、大声あげても逃げないようにまでする。
教える人間が地道な努力に飽きて、馬の「慣れ」よりも大きな音を聞かせ怯えさせたら、すべて水の泡。
草食獣にとって「命にかかわる危険(異音)を無視すること」を教えるには、指導者の忍耐が必要だった。

 長い訓練を乗り越え、軍馬として優秀に育った狭霧はすごい。
そして、そんな彼女を作り上げた佐吉もすごい。

 彼らの絆の深さの理由を知れば、ライバルとしてより先達に対する尊敬を強く感じるようになる。
佐吉は気の利いた冗談や面白い話はできないけれど、彼の武士に拘る情熱は本物だ。
話を重ねるごとに、私の佐吉に対する見方は変わっていく。

 彼の方も、私の創ったブラシに強い関心と興味があったらしい。
気持ちが一方通行ではなかったことは、幸運だったと思う。
軍馬は見栄えも大事なのに、それについては苦手だったそうだ。それはそれで彼らしいと思う。
「もっと頑張ればよかった」と口には出さなくても、顔にしっかり書いてある。
艶やかな毛並みを何度も撫でて、私に隠れてこっそり悔しがっていたのが、微笑ましかった。


 会話も楽しめるようになった散歩は、川以外にも、まだ水の入っていない田などにも行き先を向けた。
狭霧の調子が整ってくると、仕事の話題も出るようになる。

 春に外で行う一番作業は、「田起こし」だ。
冬の間放置していた田畑に鋤を入れ、固まっていた土を耕していく作業だ。
その後は、田に水をはっても流れてしまわないようにしっかり畔(あぜ)を直し、水を入れる。
田に水が入り、土が柔らかくなったら、肥料の切り藁などが水面に浮き出さないように踏み込みを行う。
水田が落ち着き、暖かさが揃ったら田植え。苗は、苗代(なわしろ)で別に育てておいたものを使う。

 狭霧に任される仕事は、「田起こし」と「肥踏み」の二つ。
私も時期が来たら田に一緒に行って、微力ながらお手伝いをしようと思っていた。

 しかし、そのささやかな予定が実現する前に、佐吉がある提案を持ってくる。


「えっ、引っ越しって……。
 今のままでも、不便はないですけど」

「いや、あるだろう」

「だから、「ないです」って、今……。
 ……あの、もしかして、もう決定なんですか?」

「明日には移って来ると、皆には話してある。
 家は、北東の林の傍だ。低い垣根がるのが目印だ」

「明日?
 顔合わせしてからではなく?」

「運ぶ荷があるなら、手伝いに来るが」

「私の荷物はありません。
 狭霧達も一緒ですよね?」

「ああ。
 向こうの家にも厩はある。
 すでに支度も済んでいる」


 事後承諾、ってことらしい。
話に付き合って馴染んだ結果、すっかり遠慮がなくなってしまってこれだ。

 他の人達の承諾を得て準備も終わっている、と言われれば今更断ることは出来ない。
がしかし、話した翌日が、「引っ越し」当日なのは、いきなり過ぎる。
あまりにもさらりと話題に出されたので、最初は聞き間違えたかと思ってしまったくらいだ。
でも、それは佐吉の下手な冗談ではなく、本当の話だった。
彼は日課の散歩の終わりに、「ついで」だと言って、ブラシを一揃い抱えて帰って行った。



 翌日。私は狭霧達母仔と連れだって、新しい居候(いそうろう)先に向かう。

 家は佐吉の話どおり、私の居た場所とは真反対に位置する北東の小山になった林の前にあった。
一族あげて戦に向かった石川氏の村は、今、女子供ばかりしかいない。村は無防備だ。
村中央の大きな家を使わなかった理由も、やはりいざという時逃げやすいようにという用心のためなのだろう。
私のことも守るべき一員に数えてもらえたのなら、突然の引っ越しでも、文句を言っては罰が当たる。
以外に面倒見もいい佐吉のことを考えれば、説明不足でわかりにくいがそれが正解に思えた。

 初めて中まで足を踏み入れた村は静かだった。

 ところが、目的の家の前まで来れば、耳を澄まさなくてもうるさいほどの人の声が聞こえてくる。

 子供の声、赤ちゃんの泣き声、お母さんの怒鳴り声。
風や水の音とは違う、ずっと自己主張の激しい音の洪水に、私の心音も高まる。
私の肩ほどの高さの即席らしい垣根を家の半分ほど周り、門が見えたところまで進んで、足が止まった。

 目に入ったのは、こちらを見つめる知らない顔、顔、顔。
驚く私の前に、待っていてくれているはずの佐吉ではなく、幼い子供達が先を競うように飛び出してくる。

 そして、一斉に囀り(さえずり)始める。


「だれ?」
「なに者だ」
「馬だ!」
「仔馬もいる」
「知ってる。見たことあるよ」
「ほんと? 知らないよ、初めて見る」
「よその子? 菊ちゃんと同じ?」
「菊ちゃんはよその子じゃないよ。
 菊ちゃんのお母さんは、太助のお姉ちゃんだって言ってたもん」
「太助にお姉ちゃんなんていた?」
「知らない。でも、いるって母ちゃんも言ってた」
「えー? 聞いてない」
「寛太、嫌い。すぐ菊ちゃん仲間外れにしようとするんだもの。
 あっち行ってよ」
「こっちにも来ちゃだめ。
 菊ちゃんまた泣かせたら、藤姉さんに怒ってもらうんだからね」
「弱虫! 嫌いだからいいもん!
 くっついたら、泣き虫がうつるぞー」
「うつるぞー」
「うつるー」


 垣根に隠れているのも合わせれば、並んだ頭は全部で6つ。どの子も私より幼く小さい。
その小さな口達が多重音声で話し始めたかと思ったら、「わー」と喚声を上げて逃げて行く。

 私は置いていかれ、門の外に独り取り残された。

 最初の方の叫び声は、完全に意味不明。
途中も半分くらい聞き取りきれず、どうにか脳内補正できたのが全体の2割弱。
その翻訳も、もしかしたら多少ニュアンスが違うことを言っていたかもしれない。
「日本語がわからなくなってしまったのか」とか、「会話能力がものすごく低下したのか」とか。
子供達を唖然と見送った私の頭の中には、そんなことがぐるぐると無意味に回っていた。

 難しい言葉じゃなかったし、外国語でもなかった。
知っている日本語のはずなのに、何を言っているのかさっぱりわからなかった。
私には意味不明な会話でも、子供同士は通じあっているらしいのもわかるから混乱に拍車がかかる。
大人の論理を解読するのと、子供の世界に首を突っ込むのとでは、根本から違うらしい。
舌のまわりきらない子供の言葉を理解するには何か別の才能が必要なのだと、しばらく考え私は諦めた。

 相手の頭が良すぎて自分のいたらなさに落ち込むのとは違うが、受けたダメージは同じくらい大きい。
去っていった小型台風のような子供達を見送った私は、たぶん間抜けな顔を晒していただろうと思う。

 前途多難。
佐吉とはそれなりに話せていたから、まさか言葉が通じないとは思わなかった。
転居について昨夜からいろいろ考えてはいたけれど、まだ全然足りなかったらしい。
子供がいることは以前聞いていたのに、こんな展開はさすがに予想外だった。

 足りないのは、情報か経験値か。それとも時間か、分析能力か。
反省しつつ踏み込んだその村で、私はさらに思わぬ選択を迫られることになる。



 でもその選択の前に、私が新たに一緒に生活することになった人達について触れておこう。

 さっき遭った7歳未満の子供達が6人に、10~14までの少年達が4人。乳飲み子と母親が2組で4人。
それに佐吉とかなり年配のお爺ちゃんの総勢16人が、私の新たな同居人だった。

 戦に行かなかったこの村の村人の残りが、これで全員という訳ではない。
村の外の親戚を頼って、出て行った人達も多くいる。
人手が必要な病人と老人も、年頃の女の子達と一緒に近くのお寺に預けられここにはいないらしい。
「たま(猫)も預けてるんだよ」という、小さい子の不思議な補足には首をかしげる。
でも説明を聞いて、私は「ああ、石川氏だからか」と納得した。

 現代では、寺は純粋に宗教施設。
その他は、葬式とお墓のある場所、あるいは観光地といった認識があるくらいだろうか。
この時代の寺社はそれには留まらず、商工業の大手パトロンとしての役割が重い。
私の居た傀儡子一座も、もとをただせば神社が後ろ盾だ。
信者の居るところにはお金がある。だから、運営方針によってかなり多角的になる。

 例えば―――、

役所のように、死亡後の葬儀どころか婚姻や出産まで手伝っての戸籍管理。
学問の場として、文字や計算をお教える簡易の私塾。
民間療法だったり祈祷付きだったりするけれど、施療院(医療施設)も営む。
信者なら宿泊所も提供するし、お金を貸してくれたりもする。

 ―――そしてそれの他にも、長く懇意にしていれば、関係次第で融通が利くらしい。

 たくさんの寄付金が必要だったと思う。
それに加え、石川氏は真宗の蓮如さんの時代からの百年のおつきあいがあったことも重要なのだろう。
それでも、お寺というある種の治外法権の場所で、お金や家財を戦禍から守ってもらえるのは大きい。
預けられる品もかなり多岐にわたり、貴重品から家猫や家禽、人間までOKだというのは、すごい。
利便性も安全性も、おそらく寺社は飛びぬけ優秀なのだ。

 「石川氏」が長い時間をかけて築いてきた信頼の結果が、これだった。

 付き合いの深さが、無形の保証になることの、よい見本だと思う。

 関係を尊ぶのは、自分達の身は自分たちで守っていこうという意思のあらわれ。
仲間(身内)を意識しやすい村はそれが特に顕著で、外(寺社)との関係どころではない。
村という小さな世界の、結びつきは固い。

 村社会は相互扶助から成り立っている。
誕生・成人・結婚・病気・葬式・法事などの、人生の節目の行事。
家の普請、戦などの旅への出立時。火事や水害などの災害時。
農作業や年貢や賦役、祭事も全て共同作業の一環だ。
望めば「手を貸し助け合うこと」を、どこの村でも一般的に「村の掟(おきて)」として守っている。

 国や行政が上から押し付けたのではない、決まり事。
でもだからこそ、村の人間はそれを大切にする。

 掟を破れば、「火事」と「葬式」の二分を除いて弾かれる「村八分」にされる。
「村」という存在が、村民の生活と人生のすべてに深く絡みついているからこそ、この罰は重い。
電話しても「消防署」以外受信拒否。商業施設は葬儀社しか使えないという状態だと思えばいい。
密接な助け合いが薄れた現代の感覚で考えても、不便以上に恐いことだとわかる。

 ……わずか16人でも、村は村。
少人数なのだから、普段以上に助け合っていかなければ、生活は成り立たない。
小さい子でも、小さいなりに果たせる役目はある。きっと全員が自覚を持って、頑張っているのだろう。
そんな中に飛び込んで新人は、きっとたくさんの努力が必要になる。

 村に利をもたらす旅芸人や行商人が歓迎されるけれど、今の私は休業中だ。仲間も商品もない。
「刃物研ぎ」や「箕を編む技術」が活用えきれば、それが認められる糸口になるかもしれない。
佐吉との関係のように、狭霧が間に入れてつきあって、慣れてもらうのもいいかもしれない。
立場を築き、時間をかけても慣れてもらえば、ゆっくりでも自然に村に解け込めるんじゃないか。

 こんな感じのことを、私は村に来る前に想像していた。

 多少楽観的かもしれない。
でも、事前の情報や知識で考えるには、これくらいがせいいっぱいだった。
悪い方の予測もしなかったわけではない。
どう頑張ってもダメだったら、その時は村を出ればいいかと、少しは考えてみたりもした。


 しかし、案ずるより産むが易しと言うものか。
 
 小難しく考えた斜め上辺りを、事態は軽やかに滑って行く。


 あけすけにフレンドリー、すぐさま身内として受け入れられた……、なんてことはない。
少年達は遠巻きに、子供達は興味津々に、お母さん方はどこか生温く、爺様には観察されている。
けれど微妙な距離はあるものの、どちらかといえば歓迎されている感じで、私の生活は始まった。

 出される食事は、質素ながらも皆と同じ。寝る場所も子供達の間に用意されていた。
寝る前にお伽噺をするようになれば、私の隣は特等席になり、競争率が高かったりもする。

 この村は、今は働き手も少なく、物資も多くを戦に持っていってしまっている。
ちびっ子達には好かれだしているから子守は出来るけど、それをメインにすれば他は手伝えない。
狭霧のように重要な農作業で活躍できる訳でもないのに、厚遇されると申し訳なく思ってしまう。
若いお母さん達に、伸びた背丈に合わせて古着ながら着物まで「どうぞ」譲って貰った時は本当に困った。
「庖丁を研いでくれたお礼」と言ってくれたけど、とてもそんな対価じゃ足りない気がする。

 感謝の気持ちを形にする方法を、こっそり探していた数日後。
私はリサーチがわりにちびっ子達の会話に耳を傾けていた。
そして、何故こんなに親切にしてもらえていたのかを知ることになる。


「日吉! 日吉!
 いつしゅげんをあげるの?
 お祝いのご飯食べたい!」
「しゅげん……って、何?」
「乃々ちゃんも日吉も違うよ。
 しゅげんじゃなくて、しゅ「う」げんだよ」
「祝言ご飯!」
「えっ、ほんと? お婿さんは?」
「佐吉?」
「佐吉じゃないよ。
 婿とって、あととりするって言ってた」
「とり?」
「とりって何?」
「日吉、とり? なんて鳴くの? きゅーきゅー?」
「すごい! ほんと? 鳴いてみて!」
「きゅー、つまんない。違うのがいい」
「猫がいいよ」
「旭日の真似して!」
「旭日のお話するの?
 狼のお話の方がいい」
「日吉、お話してくれるの?」
「何の話? 僕も聞く!」
「おかみが来るぞー、がいい!」
「おおかみのまねしていい? わぉー」
「下手くそー」「似てなーい」
「がぉー」「わあー」


 相変わらず子供達は元気に群れている。
話を脱線し転がって、最後はひとかたまりになって「わー、わー」叫びながら駆けていく。
少しは慣れてきてついて行けるようになっていたのに、今回ばかりはまた私は一人取り残された。
初対面と同じように、呆然として彼らを見送ってしまった。

 でも、今回の呆然は初回のとは違う。
ちびっ子達の囀りは、もう小鳥の合唱じゃなくなっている。
だから、「理解できない」からではなく「理解したくなくて」、呆然としてしまった。
「嫁」とか「婿とり」とか、出来るならば聞かなかったことにしてしまいたい単語が頭の中をぐるぐると回る。

 私は間抜けなことに、うっかりその可能性を排除していたらしい。

 私は自分が傀儡子一座の子で、漂泊の民だという認識が強い。
定住の意思がなかったから、忘れていたようだ。
私のような余所者でも、村に「村民」としてちゃんと受け入れてもらえる方法はある。
でも、皆がそれを前提として私に接してくれていたことに気がつかなかったなんて。
事前にいろいろ考えたつもりになっていたことが、こうなってしまっては返って恥ずかしい。


 村は掟を守り、境界を定めて、自衛のため余所者をあまり入れたがらない。
しかし、本当に完全に孤立してしまったら、その村の先に待つのは滅びだ。

 「血」について考えてみればいい。
狭い地域で血族婚を繰り返せば、遺伝子に異常をきたす可能性が高くなる。
独自の文化が育めても、跡を継ぐ人間が生まれなくなれば意味はない。
外から「伴侶」をもらえば、新たな血を村に取り入れることが出来る。

 それだけではない。
お嫁さんやお婿さんには、当然、村の外に親戚がいる。すべてひっくるめて、縁は絡む。
戦や災害などの事件があった時に、その縁が、生きるための可能性の糸になる。
「婚姻」が、他所者を祝福し受け入れる特例になるのは、当然のことだった。

 そしてその「婚姻」と同じくらい、家を継ぎ「養子」になることも特別だ。

 家を継ぐということは、家業を継ぐということ。
農民でも、継ぐ者がいなくなれば田畑が荒れる。
特殊な稼業でなくても、小さな村には個々の家に役目がある。

 それをわかりやすく示すのが「屋号」だ。「家名」がなくても、「屋号」はどこの家にもある。
現代なら村内に同じ名字が多いと見分け安くするためぐらいに思うが、本来はもう少し意味がある。
例えば「川端(かわはた)」の屋号は、川の傍に家があることをあらわしているだけではない。
川が増水したり涸れ始めたりした時、「川端」の屋号を持つ家は、村に警告をする義務を負う。
「川端家」がなくなるのは、川の見張りの役目を負う家がなくなることも意味する。


 「嫁」でも「養女」でも、慣例通り縁を結べば、村の一員。歓迎されもするだろう。

 でも歓迎されても困る。そんな気は、私にはさっぱりないのだから!


 私は新たに発覚した事実に頭を抱えた。
私には守りたい約束があるから、この地に定住の場にはできない。
傀儡子として各地を回り、見聞を広め、いつか尾張の地に帰る。
そして「吉法師の部下になる」ことが、私の将来の夢であり、彼との大事な約束だった。
それに、今ここ(三河)では言えないけれど、私には母と姉の居る故郷だとも思っている。

 けれどこのまま黙って何もせずにいたら、私はこの村の人間にされてしまいそうだ。
佐吉はいい人だけど、やっぱり頑固だし、思い込みも激しい。
早目に訂正しなければ、転居の話じゃないけれど、外堀がすでに埋まっていたということにも成りかねない。

 ……私は人間が好きだ。好きだから優しくされれば嬉しいし、親しくなればもっとと思う。
子供達とも仲良くなり始めていたし、村での生活にも慣れ始めていた。
ようやく出来かけていた、絆を手放すのは辛い。
けれど、この状況が心地いいからと、気づかないふりして甘えているのは、ずるい。
優しい人達に誠意も見せられないくらいなら、この村に居る資格はないとも思う。


『このまま皆と仲良くして、この村の一員になるか。
 それとも、吉法師との約束を守るのか』


 居候だと決め込んでいたのに、突きつけられたのは、思いもしない選択だった。
でも、答えを出さなければならないことはわかっている。
嘘を吐いたまま、仲良くするなんて出来ない。
迷っても悩んでも、私は答えを出す。心の奥に尋ねれば返ってくる答えは一つ。

 私は、今受け取れる温い場所も愛しいが、それでも、過去の誓いを大切にしたかった。


 心は決まった。今の立場は捨てると決める。
けれどだからといって、疎外されたいわけでも、いじめられたいわけでもない。
努力するなら、「幸せになるため」に。
もらった優しさへの感謝の気持ちを嘘にしないためにも、私に皆を傷つけない方法を探し、考える。

 そして見つけたある策を実行するため、少しずつ仲良くなりだした子供達に協力を頼むことにした。
楽しいことが大好きで、好奇心旺盛な子らを引っ張りこむのは簡単。
すぐに飽きてしまうのが欠点だけれど、彼らは、私の願いを聞いて大騒ぎしてくれた。

 騒いで人目を引いて、私がやったこと。

 それは、佐吉を師として仰ぐことだった。

 私以外の観客が耳をそばだてるのを観察し、反応のよい場所をさらに盛り上げるよう合の手を入れる。
程よいところで「続きはまた明日」にして焦らしてみたりもする。
注目してほしいのは、ちびちゃん達ではなく、私より年上の少年達なのだ。

 私とはあまり交流のない彼らの気を引くため、騒がしくし、こちらに意識を向けさせるのが目的だった。
程よく関心を引けたら、次は仕事の休憩時間に「手ほどきのお願い」を佐吉にする。
手ごろな棒を拾ってきて、剣術や槍術のまねごとを声高に繰り広げる。
「本物の武士の手本を見せて」と頼んだり、「佐吉に教わったから上達できた」との宣伝も忘れない。

 夜は夜で、子供達にねだられるままに話すお伽噺の合間に、佐吉から聞いた話を混ぜた。
石川氏の惣領と松平のお殿様の話。三河武士の志の話や、戦の話。
佐吉にも意見を求め、時には私の代わりに話してもらったりもした。
常に彼を褒め、「彼を師にすれば立派な武士になれるかも」という方向性を教唆し続ける。


 佐吉は私にとっては話し易い相手。
話したのもこの村では一番初めの人だし、狭霧の元飼い主ということで尊敬もしている。

 でも、私が思っているよりも、これまでの態度から佐吉の周囲の評価はあまり高くない。
仕事はまじめにしていたらしいけれど、思いつめた思考が陰鬱に見えていたのだと思う。
でも子供達に不評では、策は上手くいかない。
それを反転させることが、私の望む結果を引き出すには必要だった。

 地道な努力は時間と共に実を結び、やがて、私が狙っている状況が揃い始める。
そして私はついに、少年達が農作業の合間に自習練を始めるのを発見する。

 チャンスは今だ!
練習用の木の棒を片手に、私は佐吉のもとに駆け込む。
独りぼんやりと休憩していた佐吉の前に膝をつき、有無を言わせぬ強さで大きく声をはり上げた。


「師匠!
 私を師匠の一番弟子にして下さい!!

 師匠が、心の師である山本様のように教育に関心を寄せられているのを私は知っています。
 お世継ぎのお世話役は大事だし、尊いお仕事だと思います。
 でも、お仕えする者達を育てることも大事なのではないでしょうか。
 志と能力ある部下をたくさん抱えることは、君主の誉(ほまれ)、喜びです。
 主の喜びに尽くすことこそ、忠臣の努め。

 私も佐吉師匠のお話を聞いて考えました。
 師匠に学び、いっぱしの武士になりたいです!」

 多少わざとらしいかと思いつつも、芝居がかった台詞を勢いで押し切る。
周りを巻き込み引き込むことが、この作戦の肝心要。恥ずかしいと思ったら負けだ。

「毎日の訓練の積み重ねが大事だと聞きました。
 鍬を握るかたわらに、師匠も小さい頃から訓練を欠かさなかったこと。
 日々の心掛けが、いざという時の勝敗をわけることも。

 村に残された者は、皆が戦から帰って来るこの場所を守るという大事なお役目を託されています。
 私も恩を返したい。田畑のお世話だけでは足りません。
 師について正しく学び、高い志と技を身につけ、お役に立てるようになりたいのです」


 仲良くなってフランクになっていた今までの口調を一変させたことに、佐吉が驚いているのがわかる。
それも一気に言い切られた言葉を聞いて、驚きは喜びに変わり、私の手をとって来る。
感激に染まる佐吉の様子に、手ごたえを感じた。

 でも、それはそれとして、私の注意は後ろに向かう。
台詞を聞かせたかったのは彼だけではないのだ。
煽るだけ煽った少年たちへの最後の一押しの具合を測っていた。

 私は、そっと振り返る。
木刀を握りしめた少年達が、興奮に顔を赤くしてこちらを窺っているのを確認した。


 後はとんとん拍子だった。

 畑の隅で繰り広げた派手なパフォーマンスは、充分な起爆剤になったらしい。
身内が戦に行くのに置いていかれたことに対しての鬱屈は、佐吉だけではなく少年達にもある。
それを燃料に用意した策だから、当たれば大きいし燃上も早い。
後は、「皆で一緒に訓練して、立派な三河武士になりましょう」と言うだけでよかった。

 他の子達はそれで今後盗み見せずに堂々と教えを請えるし、私は佐吉の集中教育を避けられる。
一石二鳥、いや三鳥を落とすのが、この「佐吉の師にする」という策だった。

 私が手に入れた「弟子」という立場は、「嫁or養女」のフラグをへし折るためのもの。
幼い子供達相手の寝物語ついでに、先の仕込みもしっかり吹き込んである。
私はいつか「一寸法師」や「桃太郎」のように武者修行の旅に出る。
結婚の話が出そうになったら、出発する予定。その時は子供達が、きっと応援してくれることだろう。
「弟子」が独り立ちするのは、悪いことではないのだから。


 私は狭霧を教え込んだ佐吉の教師としての才能を知っている。
彼を尊敬しているし、彼が教育に関心があることも知っていた。

 私は自分のために策を練ったけれど、自分のためだけではないつもりだ。
佐吉への誤解を解くことも、少年達の鬱屈を晴らすことも、皆の気持ちを蔑ろにしたつもりはない。
出来るだけたくさんの人が幸せになれるようにと考えてのこと。
恩返しをしたいのは、本心からだった。


 それから、佐吉の学校は、仕事の合間を使い急速に形をなしていく。
それと同時に、思わぬ副産物も有り、精神面や人間関係だけでなく農作業の方にも良い影響が表れ始める。

 子供達の日々の鍛錬が、本業の端々で役に立っていた。

 鍛錬に参加していたのは、元服間近の少年達だけではない。
ちっちゃい子らも、真似しようと寄って来る。
その子達を整理するために、私は、佐吉師匠の指導にほんのちょっとだけ口出しさせてもらった。
 
 「前にならえ」や、「右向け右」「行軍」を覚えさせたのだ。

 並んだ時の距離感覚や、周囲と足並みをそろえることは、本来ならば慣れで身につける。
それを、即席で仕込んだだけのこと。
隣の子に振りまわした棒を当て毎度騒ぎになるので、整列や散開が号令一つで出来たら楽だと思ったからだ。
でもそのことが、田植えや草むしりの効率をぐっと上げることにつながった。
作業をしているのが子供ばかりで最初の基準が低いから、少し要領をよくするだけで大きく変わる。

 佐吉の毎晩語る「武士の心得」も、応用が利いた。
「連帯責任」の重要性を具体化し、強調すれば、分担作業が上手くまわりだす。

 適材適所。流れ作業に、指さし確認。
互いに補い合うことを義務付ければ、少し難しい作業も任せられるようになる。
班分けして任せて、平均した結果が出せるようになれば、全体的な仕事の進みも早くなる。

 仕事が早くすめば、余った時間を訓練につぎ込めた。仲間意識はますます高まり、士気もあがる。
寡黙な爺様の視線も和らぎ、お母さん方には困った子と思われながらも反応は悪くない。
ちびっ子達は言うに及ばず、少年達も同期の桜。私は幸せだった。

 怖いくらい、何もかも上手くいっていた。



 卯月が終わり、皐月が始まる。
田植えの唄を飽きずに輪唱で歌い続ける子らに、朗らかに笑う声が重なる。
天候がよく、稲の苗の育ちもいい。田畑の調子の良さは、農業に携わる人間の気持ちに直結する。
強さを増す日差しに負けないくらい明るい顔で、村人たちは仕事に励んでいた。

 そして、そんな彼らの幸せをさらに押し上げるような嬉しい便りが、村に届く。

「弥生、小豆坂にて我ら大勝。
 以後の小競り合いも、味方有利。勝ち星、重なる。
 今後、一部を前線に残し、順次村に帰る」

 集落の人数が少ないせいか、便りが回ってきたのはこの村が最後。
小豆坂の戦果は、1カ月以上も前のものになる。
それでも、便りが遅かったからといって嬉しさが減るわけではない。
帰還を許す知らせに、皆の喜びは最高潮に達していた。



[11192] 戦国奇譚 流転 一
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:8bbca788
Date: 2010/05/01 15:06
 人の集まる場所は、生きる匂いのする場所が良い。

 客を呼びとめる商人の声。
品を見定めて値切る客との丁々発止のやり取り。
荷を乗せた手押し車の木の車輪が軋む音。

 市の活気を表す喧騒を聞きながら、私は立ちあがり空を見上げる。
今もまだそんなに身長も高くないけれど、座ってしまうと空が遠くなるような気がする。
夏の空よりも秋の空の色は薄いから、よけいにそう思うのかもしれない。

 澄んだ青も深い青も、どちらも同じくらい好きだと思いながら、流れて行く雲を追う。
薄く高くたなびく雲に、季節の移り変わりを感じた。



 ――――― 戦国奇譚 流転 一―――――



 私は昨年の冬から半年ほど、三河にある石川氏の村でお世話になっていた。
でも、そこに定住するつもりはなく、いつかは旅に出ると決めていた。
それがずいぶん早い出立になってしまったのは、予定外のことがあったからだ。

 その事故というか事件が起こったのは、緑鮮やかな初夏の頃。

 それまで戦に行っていた人達が帰って来ることが決まり、村は喜びにわいていた。
誰もがその日を今や遅しと待ち望み、口を開けば話はそれ一色。
いつにもまして拙い口調で話しまくる子供達が、満面の笑顔で気持ちを伝えてくる。
「よかったね」と相槌を打てば、私の心も浮きたつようだった。

 ちょうど田植えが終わったばかりで、水を張った田は光を反射させきらきらと光る。
それを横目に見ながら山に食べ物を採りに入ったのは、その話の関連からだった。
村の備蓄は、帰還者を歓待するには心もとない。
どうせなら煮炊き用の柴も増やしておこうと、狭霧と旭日も連れての遠足になった。

 私達が向かったのは、山とはいっても、実体は近場の丘陵。
人手が足りていた頃は、季節ごとの下草の刈り入れや、栗などの食木の植栽もされていた。
子供達の中には親に連れてきてもらったことを覚えている子もいて、慣れた場所と聞いていた。
なので着けばすぐに散開し、それぞれに山の恵みを探し集める。

 皆が皆、戦は終わったのだからと、気を緩めていた。

 山に行った子供達の頭の中にあったのは、父や兄、母や姉の姿だけだったと思う。
帰って来た人達においしいものを差し出して、自分達も頑張っていたよと報告したい。
そんなふうなことを訴える、甘えるよりも先に労うことを望んだやさしい子供達は、誰もが勇んでいた。
見張りも立てず、夢中になってあれもこれもと探す目は明日への希望だけがあって、警戒はなかった。

 私もそうだった。だから、脅威がすぐそばに近づくまで、誰も気がつかなかった。

 襲ってきたのは、終わったはずの戦の熱を引きずった、無頼の集団。

 敵の人数は多くはない。
向こうは大人でこちらは子供ばかり。ハンデはあったけど、地の利は私達の方にある。
上手く逃げれば、逃げられないことはないはずだった。
それに相手の狙いは、狭霧と旭日。私達より、馬の方が奪う価値は高い。
ばらばらに逃げて行く子供たちを、わざわざ追いかけて捕まえようとする者はいなかった。
 
 だから、……捕まったのは私が失敗したからだ。

 旭日の声を振り切れずに、自分の力も顧みず助けたいと思ってしまったから。
自業自得。敵との力量に差があるなら、その差を埋めるだけの準備が必要だったのに。
策も手(手段)もなく足を止めた私は、狭霧達の「おまけ」で浚われる羽目に陥った。



 その後、私は馬盗人達に連れられて、否応もなく村を離れる道を行くことになる。
行き先はもちろん、市のたつ町。

 彼らの望みは、故郷に帰るための路銀だった。
母仔の馬を売れば、確実に一財産が手に入る。
だから、私の誘拐は、ほんとに狭霧達の「ついで」でしかなかった。

 けれどおまけでも何でも、捕まってしまえば虜囚にかわりない。
でも、道中乱暴に扱われることはなかったし、水も充分にわけてもらえた。
「運が悪かったなぁ」と頭を撫でるくらいなら、逃がしてくれればいいのにと考える余裕まであった。

 時々思い出したように構われる以外は、私の扱いは概ね放置。

 放っておかれた理由は、彼らにとっての私が、特にどうこうするほどの価値もなかったからだと思う。
先を急ぐからか狭霧に乗せてもらえていたので、逃げる隙もないけれど旅の辛さもなく、さくさく進む。
初めての捕虜生活の待遇は、退屈を除けばそう悪いものでもなかった。

 それに……。
待ってくれている人達のために、どんなことをしてでも帰ろうと足掻く人間を、誰が心底恨めるだろうか。

 旅の途中、獣を避けに焚き火を囲んで彼らの話を聞く夜もあった。
そんな時は、私は狭霧と旭日に挟まって、眠気に揺れながら黙って耳を傾けた。
彼らは戦の手柄話など一度も口にせず、帰りたい故郷の話ばかりを子守唄のように低い声で語り合う。

「帰ったら、遅くなってしまったけれど、畑を整え大豆を植えよう」
「雨漏りしていた屋根が、家族を困らせていないか心配だ」
「幼かった子供達に顔を忘れられていたら悲しい」

 酒もなく水をすすり、懐かしむ目をした人達は、鬼でも悪魔でもない。
この人達を待つ家族も、つい先日まで一緒に居た子供達ときっと同じなのだ。
そう思ってしまえば、恨むことなど出来るはずもない。

 ……それでも、あえて言うなら、悪いのは戦。略奪の慣習と、褒賞をケチった人が悪いのだ。
目の前に居る人よりも遠くの知らない人に腹を立てる方が、気は楽。
見知らぬ武将に八つ当たりさせてもらえば、ありがたいことに、私の感じる精神的な負担は格段に減った。


 それで私は売られてしまったわけだけど。
人生、転がり始めたからといって、不幸へ直滑降なんてことになったりはしない。


 最初の市では、当然ながら、私は狭霧や旭日達とセット売りされた。 
私はまとめ買いしてくれた仲買人に、彼女達について詳しい話をする。
すぐ売るにしてもしばらく飼うにしても、状況を正しく知ってもらう必要があると考えたからだ。

 歯が悪い狭霧の餌に関すること。旭日の生まれや躾について、など。

 仔馬を母馬とあまり早く引き離すのは、成育上良くない。
旭日は小柄な狭霧から生まれたにしては大きく、田の泥遊びで鍛えられたのか足腰も発達している。
でも腱の強さだけを見て、小さいのは母親似、栄養が悪くて痩せている秋生まれと思うのは間違いだ。
少なくともあと半年は、旭日は狭霧と一緒に居させる必要がある。

 見た目に反し、実は難点の多かった二頭の話を、仲買人は「しまった」という顔をして聞いていた。

 まあ仲買人には残念でも、そのおかげで二頭の世話を任されて、私は嬉しい。
彼は馬専門の商人ではなかったので、馬の扱いは良くわからないと私に丸投げしてくれたのだ。

 狭霧達のことなら慣れたもの。お手入れブラシだって藁があればどこでも作れる。
仕事をしていれば気は紛れるし、彼女達が居れば寂しくもない。
市には目新しい物も多く、私もどちらかといえば田舎より都市が好みだ。
村とは違う騒がしさに旭日が癇癪(かんしゃく)を起こすのは困るけど、問題といえばそれくらいだった。

 しかし、そのただ一つ私を困らせた癇癪が、以外に転機をもたらす鍵になる。

 贔屓の引き倒しと言われても、市に並ぶどの馬より、狭霧と旭日は群を抜いて綺麗だと私は胸を張れる。
体格のいい馬なら他にもいるが、彼女達ほど毛並みの良い馬は他にはいない。
そもそも馬にブラシをかけようという発想が、他の馬主にはないのだし。
汚れを落とす程度の手入れでは、朝昼二回、私が蹄の先まで磨きあげる彼女達に勝とうなど百年早い。
市でも噂になり、見学に来る人が訪れる。評判になるほどの美人さん達だ。

 が、彼女達は、さっぱり売れない。

 見た目に惹かれ寄って来る客は多いのだけれど、事情を説明するからか、結局は断られてしまう。
実は良心的だった仲買人さんは、信用を大事に長く商売をしていきたいという人だったのだ。
その上、安値を付けようともしないから、買い手になる人はなかなか現れない。
難ありで売れない二頭は、長いこと看板みたい店の表に繋がれているだけだった。

 それがある日。
いつものように盛大に跳ね上がり暴れた旭日に、称賛の声がかかる。


「あの跳ね上がった高さを見ろ。素晴らしい脚力だ」
「翻る鬣はまるで月色の炎だ。毛並みの美しさにも目を奪われる」
「気性の激しさもみごと。血気盛んなさまは、こちらの胸をも高鳴らせる」


 さすがに暴れる時ばかりは、かわいい旭日でも苦い顔をされるのが常。
それが、彼女を囲むその人達の眼は輝き、齧りつかんばかり形相で見つめている。
旭日が足を跳ね上げ踏みならすたびに、歓声をあげる。
野太い歓声に苛立つ彼女に威嚇されても、どこかの武士らしきおじさんの一団は、益々喜色を露わにする。

 あまりにその人達が喜んでいるものだから、旭日を宥めていいのかどうかわからない。
私が手を拱いているうちに、彼らは興奮に顔を染めたまま、すぐに仲買人を呼びたてて交渉を始めた。


「我らは、献上用の馬を探していた。
 馬は、第一に軍馬にするにふさわしい勇ましさがなくてはならん。
 主の目に叶う美しさも重要だ。
 
 戦の神とも謳われる、我が主の御為。
 我々は各地に人を送り、このような遠方まで足を伸ばしてきた。
 決して妥協は許されん。

 そして、ついに見つけたのだ。
 捜していたのは、この馬だ。
 この黄金の馬こそ、我らの主が騎馬だ。

 若駒であるも良し。
 あの方なら、必ずやお手自ら直々に調教なさりたいと、仰られるに違いない。
 献上の馬は、もはやこれ以外考えられない。金に糸目を付ける気はない。
 この馬をぜひとも譲ってほしい」


 激しい気性も、軍馬なら長所。荒々しさも評価の対象になるようだ。
そういえば、武士に人気の軍記物、源平合戦などに出演の有名どころはどれも悍馬ぞろい。
頼朝の馬で、梶原景時に欲しがられた馬も、「生咬(いけづき)」などという物騒な名前の持ち主だった。
お話に出てくる勇猛な馬達に憧れを抱くような感性は、時代を越えても変わらないのだろう。
似た馬を自分も手にしたいと望む武士も、以外と多そうだ。

 旭日は本当は乱暴者ではないですが……、という弁明はよけいなことなので呑み込んだ。
狭霧の問題もすべて承知して、それでも旭日が欲しいと言ってくれている。
そこまで高く評価し望んでくれる人達に買ってもらえるなら、良いことなのだと思う。
このままここで看板していても、飼い殺しにされているようなものだ。
彼らのもとに行ったら、旭日の好きだった散歩も、きっとたくさんさせてもらえるだろう。

 熱意にあふれる武士団との交渉は成立し、狭霧達は売られていった。



 狭霧達に一目惚れし、初めての馬の売買につい手を出してしまったという仲買人。
彼はこの逆転劇を、とても喜んでいた。
私に説明を聞かされた当初は、大損になるかもしれないと買ったことを後悔していたらしい。
商人らしく顔には出さないよう気を付けていたけれど、けっこう悩んだのだと後で打ち明けられた。
それが良い値で狭霧達が売れ、悩みも憂いも吹き飛んだと、彼は商売用ではない素直な顔で笑う。
よほど嬉しかったのか祝い事だと餅まで買ってきて、私にもお裾分けと言って御馳走してくれた。

 狭霧達の門出を祝い見送れば、私がやらなければならない仕事はもうない。

 仲買人は、もとより手元に私を長く置いておくつもりはなかったそうだ。
いろいろと手広く商ってはいても、「人の売買を扱う予定はない」と彼はきっぱりと言いきった。
本当は生物を扱う気もなく、狭霧達は彼の完全に衝動買い。私は、その「おまけ」。
「まだまだ未熟で恥ずかしいよ」と、彼は私に苦笑していた。

 だから仕事がなくなった後、代わりに細々と彼の手伝いをしていたのだけれど、それも長くは続かなかった。
ある朝呼び出された私は、ひどく申し訳なさそうな仲買人に、こう告げられる。


「悪いね、日吉。
 もう少し私の店に余裕があったら、お前をこのまま雇ってあげられるのだけれど。
 こんな吹けば飛ぶような、その日商いの店だ。それは無理なんだよ。

 お前の馬は、私にとっては大博打(ばくち)だった。
 おかげで少し元手は増えたけれど、でも、そう何度も博打をうつつもりはない。
 お客さんの信用も、まだ充分につかんでいるとは言えないしね。
 最初は手堅くやっていきたい。
 人を雇って店を広げるには、早いと思うんだ。

 だからね、悪いけれど、お前をここには置いておけない。

 お前は賢いし、良く働いてくれる。
 気配りも出来るし、馬についての知識もある。
 ……私に馬借(ばしゃく)の知り合いが居ればねぇ。そこに預けてやれるのだけど。
 
 お前を手放すのは、本当に残念だと思う。
 だけどどうか恨まないでおくれね。これも商売だ。
 この先道が分かれても、お前の先行きが明るいことを祈っているよ」


 これは解雇通告。私はクビになってしまったらしい。
 
 仲買人の店は専門に扱う品のない、「持ち込まれた物に価値を付けて売る」という商売だった。
狭霧達の世話があったから私は見ている方が多かったけれど、面白く思っていたから残念だ。

 万屋(よろずや)は、彼の夢のとおりに育てば、大きな商売になる可能性を秘めている。
ノウハウを重ね、上手く拡大できれば、流通の要にもなれるだろう。
旅回りでの行商は、生活必需品しか扱わない。
それ以外の物の価値については初めて知ることも多く、短い間でも彼の傍で学べたものは大きかった。

 彼が、「人が雇えるようになったら、最初に雇うのは弟だと約束しているんだ」と言わなかったら……。
私も、もう少し粘っていたと思う。
文字が書けることや、計算が出来ることを強調していれば、彼も思いとどまってくれたかもしれない。
でも、「家族」というキーワードを出されてしまうと、私は弱い。
弟を押し退ける真似なんて出来るはずもない。

 私は解雇を受け入れ、次の居場所を探すことにした。


 
 生きるためには働かなければならない。
食べていくためには職がいる。歳が若かろうと何だろうと関係ない。
とは言っても、新しい職などとっさに思いつかず、私は頭を悩ませる。

 迷う私にヒントをくれたのは、仲買人だった。
彼は私に、クビを言い渡された時にも出ていた「馬借」という職業を勧めてきた。

 馬借業は現代でいうなら運送業に当たる。
トラックの代わりに馬を使い、依頼された品を運ぶ。
利用者は、自前の馬や船を持っていない商家だけではなく、大名が戦や内政に使ったりもする。
運ぶ手段のない村が大量の建材などを納めるよう命令され、馬借を雇ったという話などはよく聞く。

 石川氏の村に帰るにも、生きているらしいとの佐吉から話を聞けた傀儡子の一座を探すのも、徒歩の旅。
2,3日程度の短い旅なら一人歩きでも自信はあるが、長距離の旅には不安が残る。
人さらいの危険を身をもって知った今となっては、なおさらだ。

 馬借に就職すれば、移動を仕事にできる。
運が良ければ、私の居た村が仕事先になることもあるかもしれない。
あちこちを回れば情報も集められ、一座の皆と再会することも出来るかもしれない。
狭霧達と出会えたことで、すっかり馬の魅力にもはまっている。
条件だけを並べたら、これ以上はないという職業に聞こえた。

 将来は仕事を大きくし、馬借業との提携も考えているという仲買人は、詳しい説明をくれる。
就職口なら、一番多いのは武家の屋敷奉公だ。でも仲買人は、絶対私が商人向きだと主張する。
話を聞くうちに、前に歩いた尾張から駿河への街道で出会った人達のことも思い出した。
関心が高まれば、進路は決まりだ。私はそれを、仲買人に言った。

 そして、すぐにやってくる、別れの日。
彼は私の手を引いて市のある場所に連れてくると、小さな包みと2通の書状をこちらに手渡す。


「伝手がなくて、ごめんな。
 とりあえず、これは私からの餞別だ。
 武士の感状なんかにはとても比べられないけれど、出来るだけのことは書いてある。
 私の店はまだ名も知られていないから、役に立つかどうかはわからないけれど」

「そんなことないです。
 わざわざ推薦状まで書いていただけたなんて、とても嬉しい。
 これまでのことも、とても感謝しています。 ありがとうございます」

「うん、うん。日吉は良い子だな。
 私も、早く名を上げられるように頑張るよ。
 そうしたらこの書状も……、私の保証も、意味のあるものになるからね。
 
 それから、すぐには望みの職に就けないかもしれないけれど、諦めたらいけない。
 その包みには、糒米と銭が入っているから。
 あまりたくさんはやれないが、おまえの給金だ。上手に使って、良い主を選ぶのだよ」

「こんなにしていただけるなんて……。
 私、狭霧達の世話しか出来なかったのに」

「お前は、もともとあの馬達と一緒に買ったものだったから。
 馬は利益を上げたし、あの時のお前に私は高く値を付けたりはしなかった。
 買値分働いてもらったら、後は給金を出すのはあたりまえのことなのだよ。

 いいかい、日吉。
 私は、今お前の価値をよく知っている。あの値は不当だったと思っている。
 だからそのことは、この書状にもしっかり認めて(したためて)ある。
 自分を高く売りすぎてもいけないし、安く見過ぎてもいけない。
 商売でも何でもそうだけれど、感情に流されて見極める目を曇らずいきなさい」

「はい」
 
「いい返事だ。

 ……私もね、最初は身売りからだった。
 村が戦で荒れて、兄弟が多かったから、全員は食べていけなくなってね。
 それで商家に売られ、年季があけるまで懸命に働いた。
 仕事ぶりが認められ、養子に来ないかとの話もいただけた。
 私は家族が居るからと断ったけれど、そこで学んだからこの仕事を生涯の仕事に選べた。

 もしかしたら最初は、いい仕事にはつけないかもしれない。
 でもどんな仕事でも買われたら、年季があけるまでは無私のご奉公だ。
 そこから先は、お前の裁量一つ。
 心をこめてお仕えすれば、きっといい道が拓ける。
 お前なら出来ると信じているよ。

 それじゃぁな、日吉。達者でな」

「ありがとうございました。
 どうか、お元気で」


 さよならと手を振り別れた後も、彼は何度も振り返る。
狭霧達と言うクッションがなくなって、少しの間だったけれど話をする機会が増えていた。
近づいてみれば面倒見のいい人で、最後の方はあれこれと親身に接してくれた。
零された家族の話からもわかるように、兄弟が多かったらしいから、重ねられていたのかもしれない。

 商人らしい駆け引きも、本音を半分しか言わない計算高さはあったけど、私は彼を嫌いではなかった。
扱う品に対しては、誤魔化しや嘘を許さない潔さは尊敬に値する人だった。
彼のその姿勢はいつか人に認められ、世に名を成すことになるだろう。
そうなればいいと思いながら、私は去り行く背中を見送った。



 そして仲買人と別れた私は、新たな道へと足を進める。
市の外れで催されている、もう一つの市へ。

 私の目的地は、隠さず言うなら、「人買市(ひとかいいち」である。

 「人買市」にしろ「人身売買」にしろ、言葉の響きだけを聞けば、物騒で恐ろしげだ。
私も以前は、そういうイメージしか持っていなかった。
ずいぶん前に甲斐を旅して初めて聞かされた時は、泣いてしまった覚えすらある。
けれどそれは前世の記憶から判断してのこと。
よく考えれば私は現状も知らず、知識の中の西洋や米国での奴隷貿易と混同して怯えていただけだった。

 その人買市のすぐそばで働き、実際に自分の眼で見ていれば、認識は変わる。
前世の知識を、手で触れ、耳で聞き、私は上書きしていく。
生きていくとは、そういうことだ。目の前にある現実よりも、強いものはない。


 私は入口に立つ商人に仲買人の書いてくれた書状の一通渡渡し、市の中へと入る。
別に何の拘束を受けることもないし、完全に自由の身。
「どうすればいいかは、他の売られている人をつかまえて聞きなさい」という、アバウトさだ。
もう少し説明くらいあってもいいんじゃないかと思いつつ、あたりを見回す。

 市は一目で全体を把握できる程度の広さ。
柱がないから見渡しが良く、当然、屋根もない。日影がなしで、明るすぎるくらいだ。
壁もなく、打った杭を藁縄で繋いでぐるっと巡らせてあるだけ。とっても開放的。風通しも良すぎ。

 殺伐としてもいなければ、泣き伏す悲愴な声も、涙の跡一つどこにも落ちていない。

 戦の直後の人買市ならば、もしかしたらもっと厳しい雰囲気になるのかもしれない。
けれど日常の市の片隅で普通に開かれている場合、そんな劇的な情景なんて存在しないのだ。


 青空広場としか言いようのない市の中には、買われるのを待つ人達が、数人ずつ固まっている。
その前に立って彼らに声をかけているのは、おそらく買おうとする人達。
買われる方のグループが女の子や子供達でなければ、買い手と売り手の区別はつかないだろう。

 彼らは声を荒げることもなく、「売買の条件」について話し合っている。
「価格」や「期間」、売買後の「仕事先」などの説明が行われているようだ。

 売り手は自分の特技や健康状況を売り込み、買い手はそれを吟味する。
買い手の方が多少は有利だとは思うが、でも決して一方的でもないらしい。
よく聞いていれば、売られる人間が強く拒否し、買う側が譲歩する場面も見受けられた。

 私は潜り込めそうなグループを探しつつ……、視感を誘う光景に、前世の記憶をちょっと疼かせる。

 職業説明会とか、集団面接とか、不況とか、就職氷河期とか。あまり楽しい思い出ではない。

 私はよけいなことまで思い出した頭を一つ振って連想を止め、中学生くらいの少女達を選び近づいた。
5人の女の子達は、手櫛で髪を梳いたり、着物を直したりしながらおしゃべりに興じている。


「こんにちは、あの、ここに入れてもらっていいですか?」

「新人さん? よろしくね」
「あら、あなた、まだあっちの方がいいんじゃない?」
「小さい子は、向こうよ」
「待って待って、勝手に決めつけたら可哀そうよ。
 歳はいくつ?」

「次のお正月で、数えで10歳になります」

「10歳かぁ、なら、ここでもいいかもね」
「ちっちゃいから、もっとおチビさんかと思ったわ。ごめんなさい」
「それなら一人でも話せるわね
 ここでは、自分で交渉できない子は、親か代理の人を付けないといけないの」
「あっ、書面で契約書を作るから、名前も書けないとダメよ。字は書ける?」

「はい、書けます」

「自信ありそうねぇ。優秀なのかな。
 あなたも、お屋敷奉公が目当て?」
「私達はね、実は、この間までちゃんとお勤めしてたの」
「そうそう、私達、出戻りなのよ。
 勤め先のお屋敷の御主人が戦死しちゃって」
「跡取りが居ればよかったんだけどねー」
「いなかったから、お取りつぶしなっちゃった。
 それでみんな解雇よ、解雇。年季明けまであと一年だったのに」
「良い職場だったから、すっごく残念。
 次は、御主人が長生きしそうなお屋敷探さなきゃ」
「そんなのどうやって探すのよ?」
「直接聞いちゃダメ?」
「ダメに決まってるでしょ。怒られちゃうわ」


 肩をぶつけ合って笑いさざめく彼女達の顔に、暗さはない。
年頃の少女ばかりだけれど、不安もなさそうだ。
外から見ての推量よりも、当事者と直接話す方がやはり感じるものは大きい。

 初めての場所に踏み込んで、私も少しは緊張していたようだ。
力が抜けて肩を落ち、そこでようやく自分が固くなっていたことを知った。

 息を吐いて、もう一度話に割り込もうと私は顔を上げる。
それを見抜いたのか、一番年上そうな少女が声をかけてくる。
たれ目がチャームポイントな、優しそうな表情のお姉さんだ。
おっとりしていそうに見えるけれど、彼女がリーダーなのかもしれない。
さっきの話の時も、周囲をさりげなく押さえたり、話を進めたりしてくれていた。


「そんなに心配しなくても、大丈夫よ。
 って、こんなこと言っても、私達も最初の時は緊張していたけどね。
 初めてのときは、みんなのそうなのよ。

 あのね、良いこと教えてあげる。
 これは私が最初にこの市に立った時、教えてもらったこと。
 いい? 
 ……もしも売られた先で、あなたが本当に困ったら、逃げてもいいの」

「え?」

「すごいびっくりした顔。 驚いた?
 あなたのその格好、土仕事したりするときの着物でしょ?
 お屋敷勤めするのも初めてなんじゃない?

 仕事はね、いろいろあるわ。
 楽なのもあるし、辛いのもある。
 でも、家畜みたいにつながれてるわけじゃないんだから、その気になれば必ず逃げられる。
 どうしても耐えられないくらいひどい目にあわされそうになったら、逃げればいいの。

 私達は売られて奉公に出るけれど、命を売るわけじゃないわ。
 人としての誇りを、売るわけでもない。
 お金を出して助けていただいた分だけ、いただいた恩の分だけ、お返しをするの。
 それだけのこと。 ……それを心にとめておけば、後は大丈夫」

「……」
 
「奉公人に逃げられるのは、そのお家の不名誉になるの。
 下人に逃げられてばかりいるなんて噂が立つだけで、周囲に侮られる。
 そんな家は放っておいても直に没落しちゃうわ。
 敵に告げ口でもされたら、主人の責任だけでもすまないし。

 ちゃんとした家ならそれがわかっているから、女中や下人も大切に扱ってくれる。
 どの御主人も、出来るなら心から仕えてくれる奉公人が欲しいと思っているの。
 でも、それを捧げるかどうかは、あなたの心ひとつ。 選択肢を持つのは、あなたよ。

 ほら、どう? 
 こうして考えたら、胸を張れる気がしてこない?
 暗い顔していたら、幸運が逃げてしまうわ。 そんなの嫌でしょ?
 だったら、良い御主人に巡り合えるように、顔はしっかり上げて、笑顔でいないとね」


 少女は私に手本を見せるように、鮮やかな笑顔を浮かべる。
したたかで、しなやかで、強くてきれいな笑顔。
たぶんこの場所だからこそより一層強く感じられる輝きに、私は胸打たれた。

 彼女の笑顔には、説得力があった。
確かに、いらぬ反感を買えば、落ちる穴も大きそう。
縁故社会だから、どこで誰がつながっているとも知れない。
因果応報。ひどいことをすれば、ひどいことが返る。
この時代の人達は、それをよく知っているのだろう。


 需要と供給を噛みあわせ、世界はまわっている。
いつの時代も、それはかわらない。

 商家や武家、工房など、人手を必要とする場所はたくさんある。
炭坑などの過酷な労働条件の所が印象は強いだろうけれど、需要の高さでいえばどうだろう?
足軽にでもなれば下人を雇わなければならないし、屋敷を貰えば女中の数人も必要になる。
戦の多い世の中だから、滅びる家もあるけれど、出世の階段を上る人もいる。
必要とされる人数は、増加傾向にある。

 ハローワーク(職安)も求人情報誌もなくたって、みな切実だ。

 求める人がいて、求められる人がいる。その結果の、人買市、なのだ。

 日本で売買される人間は、「奴隷」ではない。
期間を決め、払われたお金の分だけ「仕事する契約をした人間」を、奴隷とは呼ばない。
異国へと海うを渡り、売られたら最後、死ぬまで働かされていた人達とは違う。
それは使用人に対する、外国と日本の文化の違い。

 そして、私の持っていた前世の知識と、現状の違いでもある。

 彼女はそれを「陰りのない笑顔」で体現し、私に実感させてくれた。


 ……私が今見ているのは正の面で、その裏には必ず負の面も存在するとも思う。
けれどそれは、この先どんなに社会が成熟したって、無くなるものではない。
500年を経ても人類は、完全に不平等を改善することはできなかったと、私の記憶の中にある。

 ならば、やり方が少し感覚に合わなくても、時代の流れが生んだものを認めたい。
 よく知らずに非難したり怖がったりするばかりではなく、知って目をそらさず向かい合いたい。

 以前から、私が持っていた、身分制度を単純に不平等としていた考え。
形式は身についても、感情面では受け入れがたいと拒んでいた思い。
その凝り固まった観念にも、今知り合ったばかりの彼女の笑顔は、罅を入れてくれた。

 身分の差を受け入れても、人が人として生きていけるなら、卑屈になる必要はない。
 人はこんなにも逞しい。
 
 私は自分の価値観の変化を、もう嫌だとは思わない。
この世界、この時代に生まれ、何度も好きだと思える人達にめぐりあえたことの方が大事だ。
その人達に感銘を受け変わっていくのなら、それはとても自然なことのはずだ。
受け入れることを自分に許せば、この先に出会うどんな出来事も、もっと大切に出来る気がする。



 私は少女達と自己紹介を交わし、新しく覚えた名前は五つ。
前の屋敷で春の花にちなんで付けてもらったのだと、彼女達のかわいらしい自慢も聞いた。

 見上げる空は、高く澄んで秋の終わりを告げる。
でも私はその空の下、華やかな春の花達とともに、次の運命を待っている。



[11192] 戦国奇譚 流転 二
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:7cc8acbe
Date: 2010/05/21 00:21
 大豆を蒸す鍋から、白い湯気が上がる。
外は寒風吹きすさんでいても、台所の中はまるで春。
板壁も土間も絶え間なく上がる蒸気にしっとりと濡れ、暖かい。

「そろそろ、次の鍋、行くよ」

「待って、今擂り(すり)終わる。
 はい、お仕舞い」

「擂ったやつはこっちに。
 冷(さ)ましていくから、右上から順番に広げてちょうだい」

 15人ほどの年齢も様々な女性達が、声を掛け合い作業を進めていく。
続きの板間も占領して作られていくのは、大量の味噌だ。
私も、自分の腕よりも太いすりこぎ棒を武器に奮闘中。
目の前のすり鉢には、釜揚げされた美味しそう敵が小山をなして私を待っていた。



 ――――― 戦国奇譚 流転 二―――――



 一晩水を吸わせた大豆を蒸し、それをすり鉢で潰す。
麹(こうじ)と塩を混ぜ、できるだけ空気を抜いて桶に入れる。
後は低温でしっかり寝かせ、完成は一年後。
味噌作りは、おおざっぱに言うとこんな感じになる。

 それでその大豆を擂る担当が、私と、同じ市からここに就職した鈴菜という少女と、他四人。
二人一組ですり役と抑え役を交代していくので、ずっと働き通しというわけではないし、休憩も挟める。
でも、こなす量が半端ではない。擂っても擂っても、新しい豆がエンドレスで運ばれてくる。
すり鉢も大きいから、豆が蒸され柔らかくなっているとはいえ、すりこぎは重い。
作業が続けば慣れてはくるが、気力はだんだん減っていき、そのうち愚痴の一つもこぼしたくなる。


「手がおもいー。肩もおもいー。
 豆、終らなーい」

「鈴菜(すずな)、おつかれ?」

「おつかれですともー」

「若いのにだらしないわねぇ。
 こんなのちゃっちゃとやっちゃいなさい、ちゃっちゃと!」

「志野(しの)さん、ひどーい。
 私の細腕はもう限界ですぅ。
 見てよ、ほんとに震えてるんだから。
 ひよしー、もぉだめ、こぉたいして、交代ぃ」

「日吉、甘やかすんじゃないよ。
 それだけ話せりゃ、まだまだ十分働けるはずだって。
 ほら、無駄口叩いてない。次が待ってるよ」

「はぁーい」


 水を吸って重い豆を鍋ごと運ぶ人に窘められては、愚痴も苦笑で引っ込めるしかない。
火の番役だって、煮汁を冷ます役だって、皆それぞれにたいへんだ。
私は、「怒られちゃった」と肩をすくめる少女と顔を見合わせて笑いあった。

 私を含めた新人が、この職場に入ってきてまだ半月ほど。
しかし仲間内で交わされる遠慮のない口調に、すでに耳が慣れてきている。
次々に舞い込む仕事が、同じ職場の人達の気持ちを近くしてくれているようだった。


 正面に座る相方の鈴菜が荒く潰し終わった豆を、私がヘラで隣の鉢へと移していく。
二つ目の鉢の方で別の女性達が、他の豆と擂り具合が均等になるように調整している。
私達が任されているのは最初の荒擂りなので、力は要るが繊細さは要らない。
そのせいもあって、おしゃべり好きの鈴菜は黙っていられないらしい。
怒られても彼女は全然懲りずに、またすぐ私に話しかけてくる。


「日吉がほんとにやりたかった仕事は、馬借だったっけ?」

「そうそう」

「じゃぁさぁ、この仕事は、どう?
 やっぱ失敗だったと思う?」

「面白いよ。 初めてのことばっかりで。
 それに馬借業って、募集があるのかどうかもわからなかったし。
 いつまでも市に居残るのも嫌だったから、仕事にありつけて良かったかな」

「えー? そう?
 けっこういろいろ大変じゃない?
 私、ちょこっと失敗だったかもって、思ってるんだけど」

「実は私、味噌を造るのも初めてなんだよね。
 麹作りの時なんか、なんであの微妙な温度が手でわかるのかとか感心しっぱなし。
 温度計とか時計とか……、便利な道具がなければ素人なんて役に立たないよ。
 出来る人は、経験積んで体で覚えてるっていうのかな? 本当にすごいでしょ?

 まあさすがに、この量を最初に見せられた時は退いたけどね。
 でも、この量を作るのでなかったら、新人の私達は入れてもらえなかっただろうし。
 ……鈴菜は前にもお屋敷奉公していたんだよね?」

「うん。地元の豪氏のとこ。
 場所の差かなぁ? やっぱ私の知ってたのとは違うっていうか。
 芹(せり)ちゃんとか、清白(すずしろ)とかと、前に一緒にお勤めしてたのとはぜんぜん?
 こっちのがずぅっと重労働。
 夜、長いからまだいいけどさぁ。夏だったら寝る時間足りなくて、疲れがたまり過ぎてバテてたかも」

「たしかに、私も仕事量は多いと思う。
 それでもこれが今のお仕事だから」

「それはそうなんだけど。
 詐欺なのがちょっとねー?」

「さぎ?」

「うん、詐欺。
 日吉だって、そう思わない?
 だって、まだ半分しかないじゃん」

「半分……、まあね」
 

 鈴菜の女の子らしい高めの声音は耳に甘い。でも、選ぶ言葉が正直すぎる13歳だ。
何度教えてもすぐ忘れ、がしがしとすりこぎを叩きつけるように扱ってしまう不器用さんでもある。
大豆が跳ねても気にせずに無心に手を動かしているところは、小動物っぽい。

 髪にまで飛ばした大豆の欠片をとってやると、はにかんで笑った。
あどけない笑顔でいながら、彼女は「詐欺詐欺、半端、作りかけ」と節回しを付けて歌う。
彼女が一人でも楽しそうなので、私はその容赦なく揶揄されている「半分」について考えてみた。


 鈴菜の言う「作りかけ」が何を指しているかというと、それはこの私達の勤め先「=城」のことだった。


 私達は一月ほど前、三河の内陸の方の人買市で、就職先を探していた。
その市に私達がいる時に、めずらしく大々的な集団売買の募集が行われたのだ。

 相手から提示された条件は、来年の春までのお屋敷勤め。
住食完備で、任期の短さの割に払いが良い。
「上手い話には落とし穴が……」ということを警戒はしたが、説明を聞けば仕事量もそれなりにある。
大量の食材の仕込みなど、冬の間に終わらせたい仕事がかなりの数挙げられている。
他にも、仕事場が遠方であることから、期日までに歩ききれない幼い子供は最初から条件外など。
細々とした選別の条件もあり、「上手すぎる話」と言うほどではないと判断した。

 近場の仕事を強く望む者は断ったらしく、募集に応じたのは人数的にはぎりぎりだったと思う。
私にはよくわからなかったけれど、それなりに名のある家からの注文でもあったらしい。
市側は依頼をこなすため、支度金に多少の色を付けてまで必死に人をかき集めていた。

 私の望んでいた職からの求人はなく、待っていても来るかどうかもわからない。
求人の職場が美濃と尾張の境だったこともあって、私はこの募集に応じることに決めた。
この仕事が終わったら、一度くらい実家を見に行ってみてもいい。
津島は一座の巡回地だし、そこで待てば逢えるかもという考えも頭の隅にあった。
それに、馬借の仕事に就くのは、何も今すぐでなくてもいいし。

 私は支度金をもらい、当座の食糧や衣類用の布の予備などを個人で揃えるよう言われる。
この時、鈴菜と知り合った。彼女は同じ市で職を選んでいた娘達の一人だ。
彼女の家族はもう亡くなっていて、帰る場所ももうないと言う。
それでも、「新天地で恋人を見つけて、永久就職(結婚)!」と笑って夢を追える、明るい人だった。

 この新しい友人が出来たことが、あの人買市での私の一番の収穫だったかもしれない。

 旅支度はまとめ買いする方が安くなる為、一緒に買い物をすることから私達の関係は始まった。
実用とシンプルを重視する私と、「かわいいが正義」という感覚の彼女の意見は、まず重ならない。
けれど予算は厳しく、「安くて良い物が欲しい」と強く思う心は二人で一つ。
喧嘩しつつも妥協点を探り、掘り出し物を探して市を何周も駆け回って、私達は友人になっていった。

 鈴菜の他にも、同じ市からの同行者は10人前後いたと思う。
数字があいまいなのは、移動してすぐに他の買い入れ部隊も合流したから。
引率の一団(買い手側)を合わせると、集められた人達は60人を越えていたのではないだろうか。
そして人が揃うと、もう一度、詳しい職場情報の説明がおこなわれた。

 私達の勤め先はお屋敷ではあるが、正しくは「城屋敷」だということ。
 しかも山中で、建設中、だったりする。

 従来の屋敷で新規に入れるなら、この人数を雇うのは縁故でもなければ不自然だ。
それが、建設が理由なら納得できる。
この時代は、建設重機なんてないから全て人海戦術。人は多ければ多いほどいい。
男衆は工事を請け負う立場から、知らされている者の方が多かったのだろう。
説明を聞いても、特に混乱は見受けられなかった。

 でも、女中として集められた私達はそうはいかない。
これでは、「お屋敷勤め」であっても、実質は「建設現場の飯場勤め」だ。
知らずにつれて来られれば、鈴菜でなくとも「詐欺だ」と言いたくもなる。
女性の数は全体の3分の1くらいなのだが、その中には不満の声をこぼす者も当然いる。
それに対し、作業員の建物は先に出来ているので、基本の仕事は変わらないと宥められた。

 で、結果、どうなったかと言うと……。
そのささやかな女性達の抗議がどう作用したのか、旅の待遇がやや良くなったのが儲けモノだった。


 山の木々が葉を落とすのは、平地よりも早い。
落葉樹が多いからか、細い道でも空が見えれば圧迫感は感じない。
焚き火の材料には事欠かず、頭数が多ければ、中には秋の山の味覚に詳しい者などもいる。
食事は持参が基本だが、あの不満解消の余波で現地徴収が割と自由にさせてもらえる。
「秋の味覚」三昧に、道案内と護衛付きの豪華な旅。そしてさらにこの旅には、おまけがつく。


 食事以外にも、この旅には、私の今までの旅にはなかった「面白いもの」があったのだ。


 私は最初、一緒の市から来た鈴菜達と行動を共にしていた。
その後、人が増えてきてからは、女性を中心にしたグループと交流を持つ。
現場に向かう人達の年代は幅広く、10~40代までさまざま。
こういう仕事だと一家揃っての参加もあるらしく、以外と夫婦者や子連れも多い。
ただ距離を歩けることが条件なので、子供でも最年少はやはり私らしい。でも、強行軍ではないし楽勝だ。

 移動は全体で纏まって行うが、実際に歩いていると気の合う者同士の小さな集団にわかれる。
親がすぐ傍にいたり、旦那がくっついていたり。
喧嘩や大きな揉め事が起こさないように、雇う側も目を光らせている。
それでも、若い女の子達が混ざるグループには、積極的な若者が何とかして近づいてこようと画策する。
特に年頃の鈴菜の傍に居れば、魚はまさに入れ食い状態。お客さんは引きも切らない。
入れ替わり立ち替わり誰かが訪れて、何かしらアピールしていくのが恒例になったりする。


「あ、あ、あ、もう、あきた。
 うざい。ワケわかんない、つまんない。
 なんで男って、あんな話ばっかりしたがるんだろ。
 私、関係ないじゃない」

「そう?」

「石を積む角度がなんだって言うの?
 挟む小石の種類とか、混ぜる土の色や粘りがどうとかこうとか!
 それのどーこが、面白いのよ?」

「えー?
 石接ぎ(いしつぎ)のコツなんか、普通は教えてもらえないよ。
 鈴菜だから特別サービス……じゃなくて、特別ご奉仕?
 えっと、秘密だけど教えてくれちゃうっていう感じ?」
 
「そんな秘密、い、り、ま、せ、ん。
 私はぁ、丈夫でっ、働き者でっ、浮気しない男がいいの。
 偉くなっても、お妾さんつくるような奴は絶対ヤだ。
 そこんところ押さえてくれてれば、それだけでいいんだから!
 ………。
 そりゃ、日吉と話してるの見てて……。
 んー……、頭がいいのもちょっとはいいかなって思うこともあったけど。
 でも、私に話しても意味ないし?
 私のする仕事じゃないし、教えてもらえたって、わかんないもん。
 繋(つなぎ)の城だと堀割がどうとか、伝(つたえ)の城だと高さと隠蔽がどうとか」

「わからない話をそれだけ真面目に聞いて覚えていれば、充分だって。
 良かったね、志野さん」

「えっ、いきなり何で私にふるの?」

「この話、鈴菜にしたの志野さんの弟だよ」

「ぎゃー、日吉、ばらさないでぇ。
 あいつには話したらダメだからね!
 ぜぇったい、言わないでよ」

「はいはい」

「どうしよっかな?」

「志野さぁん、ゆるしてぇ」
 
 
 楽しそうに騒いでいれば人が寄ってくる。
女性が集まれば、恋愛談議やら旦那の批評やらと姦しく(かしましく)なる。
そしてそうなると、気にする視線をたくさん寄せてきても男は近づけなくなるものらしい。
ちらちらと覗き見て気もそぞろな若者達の様子は、また女たちの笑いを誘う。

 道中繰り広げられるこの「軽い恋の鞘あて」が、皆の気分を明るくしてくれる楽しいネタだった。


 笑顔は、円滑な人間関係を作ってくれる。そしてそれに付随して、もう一つ。
いや私の本命は、いっそこっちと言ってもいいかもしれないものがある。
それは、青年達が、意中の娘には気を惹こうとあっさり見せてくれちゃったりするカード。

 「築城関係の情報」は、私の前世からの趣味に的中、ド真ん中だったのだ。

 あまり女の子ウケするとは思えないが、青年達がしてくれる話は土木関係に偏ったものが多い。
その仕事に向かうからか知識自慢も多く、これが私にとっては実に美味しい。
実をいえば、彼らが仲間内でやっていることにも、私は混ぜてほしくて仕方ない。
情報交換をしたり、知識を比べあって派閥を作ったりしている姿を見ると、「私も入れて」と言いたくなる。
見栄を張ったり競争したりできる仲間がいるのが、羨ましい。

 興味を持ったものを知りたいと望む気持ちは、いつだって私の胸を狂おしく焦がす。

 戦国期を境に、これまで寺社に独占されていた建築技術は広がっていった。
それまでは、権力者の屋敷であっても寝殿造りなどの平屋なのだ。
奈良の大仏殿などの巨大建造物を造れる技術は昔からあるのに、それが利用されることはなかった。
関白、大臣と位を極めた人の家だって、屋根瓦さえ乗ってなかった。
鎌倉武士の屋敷に二階建てはない。

 「乱世」に生まれた「城」が、閉塞していた建築の世界を変える。

 より堅牢に、見てわかるほど荘厳に、そして誰よりも、高く、高く、高く!
寺院建築の高い技術は流用され、後世に名を残す「名城」の数々が生まれる。
城造りが盛んになることで大工や左官の育成が進み、時を経ればそれは一般にも降りて行く。

 職人達にあっただろう大きな意識の変遷。時代の波に揺さ振られた、技術の改革。
お城はお寺の子供のようなものだ。藍より生まれた青のように、鮮やかにこの時代を彩る華だ。
その現場に居ると考えるだけで胸が高鳴る。全て知りたい。何もかもが見たい、聞きたい、肌で感じたい。


 というか、聞けるチャンスは目の前で御開帳中。
 指をくわえて見ないふりなんて、そんな我慢できるか!!


 ……っと、本音がついこぼれてしまったが、私も最低限の理性まで手放すつもりはない。
鈴菜の言ではないけれど、普通の女性は関係のない仕事には興味を持たないものだ。
そもそも技術の習得には時間がかかるから、専門を浮気する職人もいない。
農家出身で傀儡子一座の前歴しかない私が、知ったようなことを口にすれば異端扱いされかねない。
それが嫌なら口にはチャック。黙って聞き耳を立てるに徹する方が吉。

 口が堅いことがわかれば、女だからどこで聞いていてもいじめられたりはしない。
でも女だから議論には混ぜてはもらえない。
時々どうしても我慢しきれずに質問してしまったら、その10倍ぐらい感謝する。
感心して褒め称えてごまかすのはちょっとずるいかもしれないが、それも生活の知恵だ。
突っ込みは、内心で。……これって密偵の真似ごと? と思うと以外に燃えたのは、秘密。

 言いたいこともいっぱいあったけど、それでも、入ってくる情報量は私を満足させた。
それに建築という技術面からだけではないアプローチにも気づけば、不満ばかりに目を向けてもいられない。

 観光名所としてではない、お城の「実用性」なんて、使っている「今」でなければわからない。

 台所の使いやすさを始めとした居住性。
そこで寝て起きて食べて仕事して、日々暮らして実感は、どんな専門書にも載っていない。
まして、これから私達によってつくられるのは、「幻の城」。
現代にはたぶん名前も残っているかどうかわからない、山の城。
情報を集めていく中でわかったことに、私をさらに喜ばせる。

 この時代に作られた城は数千に及ぶ。

 「城」とかどうかは、定義は攻撃能力の有無で決まる。
どんなに小さくても、狭間(さま、矢を射かける穴、小窓)があれば、それは城。
規模が大きく、立派な濠(ほり)や塀(へい)があっても防御しか出来なければただの屋敷とよばれる。
攻撃は最大の防御。戦乱の時代に、「城」が乱立する理由は明白だと思う。

 しかし、この時代に数多く建てられた城達は、この後100年を待たずにそのほとんどが失われてしまう。

 乱世が終われば、余計な軍事拠点はいらなくなる。特に山中に作られた、支城の衰退は早い。
将兵が移動する時に使われる、補給基地となる繋(つなぎ)の城。
狼煙(のろし)を上げるなど情報伝達の役割を貸せられた、伝令用の伝(つたえ)の城。
松本城や姫路城、熊本城など、長く慈しまれ見守られる城達のように生かされるものは何もない。
これらの実用性を極めた山城の多くは、礎さえ残さす木々に呑まれ消えて行く。

 一時を咲き誇った、乱世の徒花(あだばな)。

 でも私は彼らも愛さずにはいられない。
基礎づくりからその建築を見られるとあれば、男と偽って参加したいくらいだ。
 
 
 それから、情報収集は築城についてをメインにしていたが、それに関連して重要な話も聞くこともできた。

 私達の職場となった場所は、国境の山中という立地条件に、多量の食料の備える補給の城。
話してくれた事情通によると、この手の新城はここだけではなく、今この地域全体が築城ラッシュなのだそうだ。
それというのも、つい最頃、美濃と尾張の婚姻による協力関係が結ばれたかららしい。
この一年、尾張の織田は三河と駿河の連合軍に負け続けている。
傾いた国力を梃入れするためには、これが有効な政治戦略だと判断されたのだろう。

 美濃の有力者、斎藤家と縁を結んだのは、織田家の嫡男、……吉法師。あの少年が結婚する。

 祝福を直接は届けられないことを、私は残念に思う
こんなところから彼の無事を確認でき、とても嬉しい。でも、そう思う反面、少し寂しくもある。
妻を娶り、着実に足場を固めているだろう彼に対し、私はまだ自分の力に自信がない。
彼のもとに帰り、「役に立てる」と言はまだ言えない。
経験も、知識も、もっと学ぶことがある。今はまだ帰れない。
会いたいけれど、


 たぶん、戦国時代は始まったばかり。
私の知る武将、信長や秀吉、家康などが、世に名乗りを上げたとは未だ聞かない。
これからなのだと思う。これから、もっと、大きなうねりがくる。それには間にあわせてみせる。
その時に備えて、今は地力を、一つずつレベルを上げて行けばいい。

 それに……。そう、まだ時代が未明ならば、私もいつかどこかで。
後世に名を残すお城の築城を、目にする機会が来るかもしれない。
運が良ければ、その建築に関わることも出来るかもしれない。
建築途中を見たい建物は、いっぱいある。完成品だって気になるものがあれとかこれとか。
そう例えば、あの世に名高い安土城は、本物を生でぜひ見てみたい。
それから、屏風絵でしか見ることのできなかった聚楽第とか聚楽第とか、じゅらくだいとか……。
 
 ……、本音がまた駄々漏れしてしまったけど、夢見るくらいは許されるよね?



 現状確認をするつもりが、いつの間にか「あこがれの建造物について」に変わっていた。
趣味の世界を脳内展開して浸っていると、私の袖が正面から強く引かれる。
そのまま、すり鉢の中のどろどろの大豆の海に顔面ダイブしそうになり、慌て手差し出された手にしがみつく。
助けてくれたのは、引っぱった当人だ。


「日吉、しっかりして!
 何度も呼んだのに、ぼーっとしちゃって。
 もしかして、寝てたの?」
 
「え? あ? ごめん、何だっけ?」

「何だっけじゃないよ。
 ほら、すり終わったから、交代交代」

「あ、うん」

「疲れてるんじゃないの?
 休憩時間もふらふらしてるから、余計な仕事言いつけられちゃうんだよ」

「あー、それはいいの。 あちこち見て回りたいから。
 仕事があれば理由になるし」

「日吉のもの好き。
 でも、危ない真似はしないでよね。
 夕方になったら、すぐ戻って来ないとダメなんだからね」

「おお? 鈴菜がお姉さんみたいなこと言ってる」

「もとから日吉よりお姉さんです!
 あいつにも外で見かけたら目を配ってあげてって頼んでるけど。
 自覚が大事なんだから」
 
「ありがと、鈴菜。 気をつける」

「ふぅ。 わかればいいのよ、わかれば。
 でもわかってなさそうな気もするのよね。なんとなく。
 まっ、今日の午後は外行かないからいっか」

「あれ? なんか予定あったっけ?」

「志野さんの友達が、肩揉んでほしいんだって。
 それからあの腰痛体操だっけ? あれも教えてって」

「わかった。
 鈴菜も一緒だよね?」

「もちろん!」


 隣の板間に広げられた擂り大豆に、中腰で麹を混ぜて行く人の背を見やる。
家事だけではなく、外の仕事で使う「もっこ」の網などの補修も女性の仕事だ。
木を叩いて繊維を解し、紙を漉いて紙子という防寒具の一種を作ったりもする。
どの仕事の担当になっても、肩こりと無縁でいられる人はいない。

 だからこのちょっとした思いつきで私が始めたマッサージ業が、流行していたりする。

 私は転生して幼児期からやり直した。その時、幼い体に不便を感じたことは幾つもある。
しかし唯一、感激するほど良かった点が、肩こりの解消だった。幼児の肩は凝らないのだ。
肩こりから来る片頭痛も起きない。凝らないことがわかった時は、本気で小躍りしたくらい嬉しかった。
頭が痛くて、「中身を洗ったらすっきりするかも」と思ったことがある人ならわかると思う。
肩が重いと、「胸が着脱可能だったらいいのに」と両手で持ち上げて真剣に考えるほど辛い。
あれを思えば幼児の絶壁なんて少しも寂しくない。もうしばらく育たなくてもいいかと思っているくらいだ。

 ところがそれがここにきて、成長とは関係なく、連日の細々した作業のせいで持病に再会してしまった。

 肩こり、腰痛、貧血、冷え性、片頭痛は、女の敵。
現代では一大産業として発達し、良い薬や下着、健康器具が山ほどある。
けれど「既存の物しか知りません」では、情報化社会に生きる人間としては恥ずかしい。
マッサージにツボ押し、骨盤矯正、ヨガ、体操、岩盤浴他、知ろうと思えば知識はいくらでも手に入る。
効果がありそうなら、藁にもすがりたくなるのが人情というもの。
必要に迫られて学んだ数々は、充分再現できるほど細部まで良く覚えていた。

 それを最初は鈴菜に教え、二人だけでやっていた。
志野など知りあいの数人に施すことはあっても、大々的に宣伝したことはない。
しかし、女性の口コミの威力というのはいつの時代でもすごい。
気がつけば参加者が一人増え、二人増え。
私の手は小さく握力も足りないので、頼まれても女性以外は断っていのに客は今も増え続け……。
「旦那や恋人、親にやってあげたい」と請われ教えてもいるので、副業として本格的に開店できそうな勢いだ。

 仲良くなれるのはいいことと、私はこの流れを歓迎している。
人に親切にした分は、必ず巡り巡っていつか自分に返って来る。
困った時に助けてもらえるかもしれないし。
趣味の見学も、知り合いになっていれば甘く見みてもらえるかもしれない。
それにマッサージしながらのお喋りはリラックス効果も高められ、ネタの宝庫でもあって一石二鳥。
私の損になるようなことは何もない。

 どんな組織も、女性を味方につければ安泰(あんたい)間違いなし。
やりたいことを目いっぱいやるには、まずは周囲の環境から整備するのが大事。
建築も人間関係も、「大事なのは基礎だ!」と叫ぶ工事の現場監督に拍手喝采で賛同だ。
遠い空の下頑張っているだろう友人達に負けないように、私も出来ることから始めている。
  
 ―――こんな感じに、私は数え9歳の冬を越え、10歳の春を山中の城で迎えた。
けれど一たび転がり始めた運命は、私を長く一つ所に留めることなく、次の場所へと連れて行く。









 * 作者注 感想欄にあります。興味がありましたらどうぞ。
1、名前(吉法師)について。 2、作中時間。 3、前話の人買市について。



[11192] 戦国奇譚 流転 閑話
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:7ceeef25
Date: 2010/06/06 08:41
 時代の壁、慣習の違い。それは、お互いの理解の上で乗り越えていけるものだと理解した。
でも、どんなに周囲からいい話を聞かされ感動したって、安易に頷いてはいけないこともある。
している人達を祝福するのは吝か(やぶさか)ではないけれど、お勧めされても「私」は困る。

 「恋愛」とか「結婚」とか……。自分自身に向かう色恋への関心は、今のところ正直薄い。

 「結婚を前提にお付き合いして下さい」と言われたって、「ごめんなさ」の返事しか考えられない。
この体は、まだ実質一桁台の年数しか生きていない。
「家庭」も「子供」も「恋人」も、どう考えても荷が重すぎる。
 


 ――――― 戦国奇譚 流転 閑話―――――



 山の春は、平地に比べれば遅くやって来る。
しかし、この我らの山城は、どこよりも早く春まっ盛りの様相だった。
右を見ても左を見ても恋人同士がいちゃいちゃしていて、独り者は目のやり場に困ってしまう。
雰囲気は悪くはないが、城全体が浮足立っているような落ち着かない感じもする。
私の周囲にもいくつも新規カップルが誕生していて、嬉しい報告を聞かせてくれていた。

 けれど、私の愚痴もその空気に煽られてのことだった。
告白だって、相手が真実本気なら、私ももっと舞い上がったり悩んだりしたかもしれない。
でも、周囲に流されての言葉では、返せる答えは一つしかない。
時にはそれすらも億劫で、親しい人達以外からは逃げ隠れする始末まで招いている。
実は微妙にばつの悪い感情もあって、いたたまれなさに苛まれてもいるのだ。

 理由は、この恋愛ブームの原因が、私だったりするから。

 元凶の自覚があるから、プロポーズの軽いノリを嫌だなと思っても、相手を責めることはできない。
私にとっては望ましくなくても、一概に悪い状況とも決めつけられず、強引に収拾をつけるのも躊躇われる。
おとしどころを探して右往左往しているのは私だけで、周りは完全にピンク色。
幸せそうな人達を見ていると、このままの方がいいのかなとも思ってしまう気持ちもあって、迷うばかりだ。


 何故こうなったのか。ことの始まりは、「恋愛」とは全く関係のないことからだった―――。


 私は前世では肩こりに苦しんだので、整体や肩こり解消方法に強い関心があった。
正規の資格は取ったことはなくても、かなりいろいろやりこんでいたと思う。
その知識を使おうと思ったのは今生でもまた肩こりに悩まされ始めたからで、深い意味はない。
友人の鈴菜も肩こりタイプだったのは偶然だ。

 この時代は、施療院などの医療関係のバックアップはほとんどが寺社関係に任されている。
それとの関連は不明だけれど、現代でも、僧侶が個人的に針や灸(きゅう)を学んでいることは多い。
心の悩みが肩こりや腰痛といった症状で、表に助けを求めるシグナルを発することもあるからだろう。
心と体のつながりは深い。救いを求める人に差し伸べられる手が多いほどいいのは、昔も未来も変わらない。
前世の実家でもその考えのもとに、弟は鍼灸の専門学校にも行っていた。
彼の練習台になってさんざん悲鳴をあげさせられ、私も仕返しに同じことをして叫ばせたのは良い思い出だ。

 そんな弟との懐かしい思い出のおかげか、私の肩揉みの腕は今生の友人達にも好評だった。
肩こり仲間と言うのも変だけど、同類は多い。
鈴菜や志野をはじめこの悩みを持つ友人達からは、一度やるとやみつきになるとのお墨付きをもらっている。
内輪だけでやっていたことがどんどん依頼者が増えたのも、このマッサージの腕があったからだと思う。

 誰でもわかりやすく気持ちよさを実感できるというのは、大きな強みだ。
マッサージや姿勢の矯正などは、効果も出やすい。
薬などのように蓄えの量に制限はないし、身一つでできる手軽さもいい。
もちろん一番大きいのは、無料だということだろうけど。客希望者は、引きも切らない。

 それで、知人友人の紹介で広がっていったわけだけど、最初の頃の依頼者は女性ばかりだった。
しかし知る人達が増えるにつれ、当然「やってみたい」と言い出す男性も出てくる。
でも私はそれを断った。安請け合いは出来ないので、これにも「ごめんなさい」を連発するしかない。
が、断った回数が片手を越えた時点で、自分一人での対処は無理だとも考える。
反感を買わず断り続けるには、女性陣の手助けが必要だった。
協力を頼むまでの経緯は、こんな感じ。


「日吉、また断ったんだって?」

「うん。前から出来ないって言ってるし。
 この城で働いている男の人って、女の人の3倍はいるでしょ?
 これ以上頼まれても、廻りきれないから」

「まあねぇ、お願いされるの今でもかなり多いしねぇ。
 順番がなかなか回って来ないのも寂しいし。
 私も志野さんとやってみたりするけど、なんか今一つ?
 手当(てあて)って昔からあるものだけど……。
 どっか違うのか、日吉にしてもらう方が気持ちいい気がするっていうか。

 ……でもだから、気持ちいいから、ちょっとあいつにもわけてあげたいかも、って。
 思わなくもないというか思うというかいろいろ、う~ん……。

 あっ、でもさ、たしかあの時はやってくれたよね。
 ほら、あの男の人が捻挫(ねんざ)した時」

「あれは……。
 悪い足を庇いながら働いていたせいで、他の部分がおかしくなりかけてたから。
 捻挫が治る前に、他の部分をさらに痛めてしまいそうで見てられなくて」

「そのケガ治ってからも、前より調子がいいって言ってたよ。
 腰もしゃんとして若返ったって自慢してた」

「……口止め、してたはずなのに」

「あー、聞いちゃった」

「私に出来るのは、ほんの少しの手伝いだけなんだよ。
 本当には治せないから、過剰な期待されたら怖いから、」

「わかってる。 
 それは皆ちゃんとわかってるって。
 大丈夫。日吉が何度もそう言ってるの、皆聞いてるからさ」

「ごめん、無理言って」

「いいって、いいって。
 そんなの無理でもなんでもないよ。友達だもん。
 それに、お願いしてるのは私達の方だしね」

「ありがと。
 それなんだけど、ホントはね、男の人がダメな理由って実は他にもあるんだよね。

 そのケガした人を揉んだ時もそうだったけど、指が立たなかったの。
 わかる? 肩とか、背中とか、太ももとか、ふくらはぎとか……。
 これ、石? って感じで、体重入れても全然ダメ。
 女の人を揉む時とは比較にならなくて、すごく疲れた。
 男一人で、女の人3人分くらいは大変だった。
 
 女の人だったら、どんなに力持ちでも、首までは鍛えないから。
 首筋から鎖骨にかけてとか、皮膚も薄いし。
 前から揉んでいっても、胸の脇のリンパ腺とか気持ちいいとこも探しやすいけど。

 でも、男の人じゃ無理。僧帽筋(そうぼうきん)無理。背筋も、胸筋も、絶望的に無理!

 肩に石を山ほど入れたもっこを担ぐせいか、首なんて鍛えあげられてて、かちかち。
 身長160もなさそうな人ばかりなのに、すごいんだよ。細いのに!
 逆三角形とかわかりやすい運動選手のような体型なんて一人もいないのに。
 見せ筋じゃなくて、完璧実用120パーセントで、毎日毎日鍛えてるようなもんで!!
 現場行って見てるだけで絶対固いって触らなくてもわかる。……っていうか、触りたくない」

「わ、わかった。
 何言ってんだかわかんないけど、とにかくわかった。
 日吉が嫌がってるのは、よーくわかったから。
 ごめん、日吉。ああ、もう、ごめんって。
 ほら、泣かない、泣かない」

「泣いてない……」

「うん。うん。
 もう言わない。もう言わないから、ね?」

 
 泣く子と地頭には勝てない。
本気で泣いたのではなく、ちょっと興奮して涙目になったのを上手く解釈してもらえたらしい。
私は鈴菜の同情を無事勝ち取って、ガテン系労働者相手のマッサージ地獄の回避に成功した。

 でも、無責任に何の代案もなく突き放したわけではない。
代わりに「やり方」を教えることを提案してみた。

 私に比べれば大人の女性は握力も体重もある。
男の人ほどではなくても、力仕事を得意とする人もいる。
それに、「私よりも、好きな人にやってもらう方が気持ちいいはずだよ」と言葉を添えたのは本心からだ。
私が逃げたかったからだけではない。これはする方にもされる方にも益のある代案だったと思っている。


 個人マッサージサービスから、指圧教室へ。

 「やってあげたい人がいるなら、覚えてみない?」と皆にもちかければ、両手をあげて歓迎された。
単純に考えても、一人に依存するより、施術者が増えればそれだけやってもらえる回数も増える。
私が客にしたことのある女性のほとんどが賛成し、初回授業は二回に分けるほどの参加者が集った。

 講師を務めるのは、私。助手を鈴菜と志野に頼む。
教えるのは基本の人体構造と、指圧の初歩に、体のバランスを整える体操の三本立て。

 子供が教えるなんてと思った人もいるかもしれないが、皆一度は自分の体で効果を知っている。
面と向かって、不信を言う人はいなかった。
それに実技中心だ。目の前の練習相手も知り合いだから、「良い」も「悪い」も口に出す。
そうなれば、私にまで何かを思っている暇はない。
仕事の終わった後の時間の疲れをおしてまで学ぼうという人達だから、熱意も保証付き。
講師が多少拙くても、大目に見てもらえる。……もらえていた、と思う、たぶん。


「……首の後ろ、髪の生え際からお尻のところまで。
 背中にまっすぐにある骨が、背骨です。
 前の人のを触ってみてください。わかりますか?
 この骨の傍には、重要な神経が通っています。
 骨は、頸椎7、胸椎12、腰椎5、それから仙骨が5で尾骨が3~5あります」

「へぇ、そんなにあるんだ。
 でもそれ、誰が数えたんだい?」

「え? あっ、えーっと、お医者さん? 昔の偉い人です」

「昔の人?
 体の中の骨の数までわかるなんて、まるで仙人様だねぇ」

「すみません。知ってほしいのは数じゃなくて、この骨が大事だってことでした。
 この骨が体に対してちゃんと背中の真ん中で真っ直ぐになっていることが重要です。
 右や左に歪むと、疲れやすくなったり、病気になりやすくなったりします」

「病気は嫌だねぇ」

「はい。 背骨が曲がると、この下の骨盤(こつばん)、腰の大きな骨も傾きます。
 この骨は、女の人にとっては特に赤ちゃんを支える大切な骨。
 骨盤のねじれや傾きが大きくなってしまうと、逆子になったり、流れやすくなったりしてしまいます」

「えっ! うそ!?
 ちょっと、それ、どうすればいいの!? 
 流産なんて嫌よっ、日吉っ!!」

「うわ、待って、落ち着いて。
 大丈夫ですから。体の形を整える体操もあります。
 揉んで体の固まっているところを解して、血が体の中を良く流れるようにして。
 それから、それだけじゃなくて、骨の位置も正していきます。
 急いでやったら痛めてしまうからゆっくりと、毎日少しずつ。そうすれば大丈夫」

「ほんと?
 ほんとね?」

「はい」


 前世の情報をむやみに話すと、おばちゃん達に突っ込まれる。
インフォームドコンセント 、病気の危険の説明をすれば若いのに突撃される。
人にものを教える時の話の舵取りは、試行錯誤。
伝える言葉を選び間違えて、あたふたすることもしばしばだった。
それでも、「頭が痛くなくなった」や「腰が軽くなった」と喜んでもらえれば嬉しい。
やめたくなることがあっても、そのたびに、やっていて良かったと何度も思い直せる。

 だから、この教室が長く続き上手くいったのは、私一人の手柄ではなかった。
「どう教えればいいか」を教えてくれたのは、生徒になった人達の方だったともいえる。
凹んだ私を的確に煽て(おだて)励ましてくれたのは、経験豊富な彼女達。
「健康」を合言葉に、力を惜しまず協力してくれた皆がいたから形にできたことだった。


 先生と生徒の二人三脚で、どちらが牽引役かわからず進んだ指圧教室。
それも初期の生徒が後輩を教えられるほど成長する頃には、安定し軌道に乗る。
私はメインの講師を教えるのが上手な人に譲り、お手伝いの側に回り表からは引っ込む。
また個人サービスを再開し、伝手を作ったり、情報収集に励んだりもできるようになった。

 そこでわかったのが、山中の孤立した城という限られた空間は、情報網の構築練習にも丁度いいこと。
 
 この場所は、冬を越えたとはいえまだ外は寒く、人の出入りがそう許される場所ではない。
建設中の現場としても、雨が少なかったから堀割(ほりわり)を作るのにも水に邪魔されることもなく順調。
ケガ人も少なくて、新たな人員の追加もない。
そうなれば、居るのは「知り合いの知り合い」ばかりになり、完全な「知らない人」は居なくなる。
そんな閉鎖空間で、仕事はあれど遊びといえばサイコロなどの博打(ばくち)くらい。
でもそれはあまり勧められたものじゃない。
皆娯楽に飢えていて、面白そうな話はあっという間に広がる。
その話を手繰り寄せ、流れを見極めて行けば、情報網とも呼べる代物を作り上げることができたのだ。

 で、第一次「健康ブーム」が到来。

 話の発端は、指圧教室の参加者達。
私発の「雑学」が、この伝言ゲームにのって広がっていく様を、出来たばかりの情報網を通じて観察する。
話が特徴的だったこともあって他と区別がつきやすく、これはとても面白いものだった。
でも怪しげな民間療法も同時に広がっていて、嬉々として情報収集していた私の悩みの種にもなる。
馬の色が白でも黒でも茶色でも、その尿が「万能薬になる」とは全然思えないし。
誤情報も結構多くて、打ち消す情報を流したり、別の情報にすり替えてみたりと対抗手段を講じもした。
この情報戦、私はかなりまじめで必死だったのだけど、周囲の人達は楽しんでいたようだ。

 そして、私が水面下でそんなことをしている中。
健康に対する意識の高まりは、指圧教室をさらに繁盛させていた。
表から引っ込んだはずの私を呼び戻そうとする動きまで現れる。
しかし、もうこの頃の生徒さんは、私が直接揉んで引き入れた人ばかりではなくなっている。
穿った見方で悪いけど、ここまで大きくなると私が表に立つメリットよりもデメリットが多い。
このデメリットは個人的なものだけではなく、教室にも関係した問題だ。
なので断ろうと考えて、でも相手は鈴菜達。仲良しだから、素気無くはしたくない。

 それで、いろいろ考え私が出した結論は、「健康器具を作ろう」だった。

 何事もサービス、サービス。
現状が上手くいっているからといって慢心していたら、お客様に飽きられてしまう。
指圧教室への貢献は、私だってしたくないわけじゃない。
どちらにもプラスになるとわかれば、骨身を惜しむ気はまったくない。

 それに、私は手先の工作も好きだった。
大きな建造物から、プラモまで。作り上げるという行為にわくわくする性分らしい。


 さっそく試案に入った。大がかりな道具は作れないのはわかっている。
あるものを利用でき、使いやすく、作りやすい物。
誰でも作れるようなものなら、見本を一つ作れればいい。
ここは大工などの技術者の多い環境だから、見本があれば勝手に量産してくれるはず。

 健康器具、試案第一号は間を置かずにすぐ出来た。
まずはシンプルなものをと考えて、真っ先に思いついたのがこの「青竹」だった。
これは良く育った竹を50センチぐらいの長さに切り、半割にしただけのもの。
竹の丸みの上に土踏まずがあたるようにして立ち乗って足踏みをすれば、自重で足裏が揉みほぐせる。

 しかし、これは製作は簡単だったが、試用でつまずく。

 理由は、単純。足の裏が丈夫すぎるからだ。
草鞋はゴム製の靴底と違って衝撃吸収などしてくれない。
そんなほとんど裸足同然で、舗装もされていない山道を何十キロも歩けるような足なのだ。
石を踏んでもケガをしないのは、日頃の慣れもあるけれど、皮が厚くなっているせいも大きい。
効果が全くないとは思わない。でも、記憶の中にあったよりもはるかに感じが鈍くて、いまいちだった。

 第一号の失敗にはめげず、私は第二号に取り組む。
二号は先の教訓を生かし、無理にひねらず、ここは素直に指圧の発展系から行こうと考えた。

 健康器具、試案第二号は「ツボ押し」。
「固い筋肉を指で押すと指が痛むなら、痛くない木の棒で押せばいい」という発想だ。
でも、他人だと力加減が難しいので、お勧めは自分で使うこと。
となると、短い物より長い物が望ましい。

 脳内検索の結果私が思いだしたのは、ローマ字のJ(ジェイ)字型をしたツボ押しだった。
 
 細かく言うなら、J字の長い方を持ち手にし、短い方の内側にツボを押す突起をつけた道具。
これを、文字をひっくり返すような形で使う。
カーブの部分で肩を挟み、胸の前で長い持ち手を引けば、背中に廻った突起が肩のツボを後ろから押す。
これなら独りで自分の肩が揉めるという優れもの。私も前世では、愛用させてもらっていた。

 しかし、これは製作でつまずいた。

 私にもっと財力があれば……と思うのは、あまりにもむなしい。
この器具のミソは、J字のカーブにある。
これを再現するには、金属でつくるのが一番なのだけれど、それを用意する手立てがないのだ。
有体に言えば、お金がない。

 城には既存の建築用具や刃物などが壊れた時に直すための簡易の鍛冶場がある。
鍛冶場の主の奥さんは、私のマッサージの上顧客(おとくいさま)。
私が以前小さな刀鍛冶で見習いをしたネタも上手く振っていて、主人は話の通じない人ではない。
それどころか、面白そうだと製作に意気込んでさえくれるのだけれど、何しろ材料がなかった。
町への買い出し部隊はあるが、頼むには前金が必要だ。
小さな城の金物(かなもの)備品はぎりぎりで、建材の横流しをそそのかす悪人にはなれない。
そんなことをすれば、試作品が完成した時点ですぐバレるだろうし。
それに量産が最終目的だから、原材料の調達がダメならどうしようもなかった。

 でも、これをあきらめるのは悔しい。惜しい。何よりも「作る前からあきらめる」というのが嫌だ。

 何とかならないものかと、私は頭をひねる。
日課の散歩の最中も、しかめっ面でうろうろし、立ち止まっては片隅でうなる。
城の外の堀は8割完成していて、手のあいた人達に声を掛けられても気もそぞろ。
いつもなら勇んで話をねだるところだけれど、それどころではなかった。

 それで、「具合が悪いのか」と心配され謝り、「腹がへったのか」と問われ感謝して断り。繰り返すこと、数度。
「困ったことがあるなら、言ってみな。力を貸してやっから、な?」とまで言われて、甘えてみることにする。

 一人より二人。二人より三人。三人寄れば文殊の知恵だ。
私は彼らにツボ押しの形を説明し、その利点を力説して、製作でつまずいたことを打ち明けた。
私の話をバカにせず、真面目にきいてくれるだけでもありがたい。

 ……と思ったら、とんでもなかった。私を外して、話し合いは喧々囂々。
個人で使えるマッサージ器具への情熱に、私は圧倒されまくる。

 皆さん、指圧教室についてはほとんど周知らしく、けれど利用者は女性限定。
その恩恵にあずかれるのは、「知り合いに親しい女性がいる人」だけというプレミアム。
噂ばかりが席巻し、でも実際には未経験者多数で、特に独り身の男性の関心を煽っていたようなのだ。
女の子の優しい指で揉んでもらうのはちょっとハードルが高い人達の熱意が、……怖い。

 わずか半刻。
既に輪からはじき出され、横で聞いているだけの私は、「私が」ツボ押しを製作することはあきらめた。
ここまで引っ張って、いまさら意見を変えるなんてとは言わないでほしい。
あの情熱は、何か次元が違う。私には踏み込めない、未知の領域だったから。


 そうして、直接関わることをやめた、ツボ押し器。
その製作は私の手を離れ、どんどん独り歩きして行った。
私は遠くから見守るつもりで時おり近況を調べては、笑い戦慄く。
ツボ押しは、……伝言ゲームと職人魂の融合に、既に元の形態を失くしている。
発展の過程は面白いけれど、元を知っているだけに感慨は微妙だ。

 進化というより、変態。
芋虫が蝶々(ちょうちょ)になるほども違うそれは、その変化の中でさまざまな副産物を生みだす。
その中身は見た目奇妙なものも多かったが、一つ、私の良く知った物もあった。

 それは、「孫の手」。背中を掻くときに使い勝手のいい品だ。
木の棒の先にカーブを付けて薄くしただけの、これも単純な造り。でもあると便利な品物。
懐かしい物が、昔目にしたものと全く同じ形でそこにある。私はそれに飛びついた。
失敗したマッサージ器具でとしてではなく、「孫の手」としての機能を売り込む。
こればかりは製作者がどう思っていても、私には「孫の手」にしか見えないのだからしかたない。

 私が熱意をもって褒め称えた品物。
誰でも一目見本を見れば簡単に造れる便利な道具、これが広まらないわけがない。

 どんどん広がった。……やっぱり、特に、男性に。

 女の人なら友人くらいの間柄でも、「背中をちょっと掻いて」と頼むのは難しくない。
異性に頼むのは時と場合によるかもしれないけれど、同性ならばわりと気安く言える。
ところが、これが男性だとそうはいかないようだ。
確かに、いい年した男性が同輩に背中を掻かれている図は、あれだ。
あまり楽しくもなさそうだし、頼むのも頼まれるのも躊躇する気持ちはわかる。
やさしい恋人や伴侶がいつも傍にいればいいけど、皆が皆、そうそう恵まれているわけではない。

 まあ背中を掻くのは別に孫の手でなくても出来る。
が、あのカーブを知れば、ただの棒で掻くより気持ちいいこともわかるだろう。
製作は簡単。材料もどこでも手に入るのだから、少し手間暇かけるくらいは悪くない。何せ娯楽は少ないし。

 というわけで、気がつけば個々に作られ、どのくらいに増えているか正確にわからないほどにすぐなった。


 そうしてこの小さな城のどこでもそれを見かけるようになった頃。
いつものように工事現場を見学していた私は、休憩中のおじさん方にカスタムの一品を見せてもらっていた。
孫の手ですら、個人所有ともなれば改造するのは職人にとってあたりまえのことらしい。
肩甲骨の上と下を掻くのではカーブの深さが違うものを使うという話を、私は真面目な顔で聞いていた。

 そして、話がふと途切れた合間。
「これの正式な名はなんていうんだ?」と、いまさらな質問をされる。
現品の流行が早く、他の作品も多種発生していたせいもあり、名前までは正確に伝わっていなかったらしい。
私は何も隠すことでもないので、素直に「孫の手」と答えた。

 しかし、これがさらなる問題の始まりになるとは、私でも全くの予想外。

 私にとってはありふれた何の変哲も感じない名前が、彼らの心をさらにピンポイントで突いてしまったのだ。

 長寿延命と子孫繁栄はいつの時代も人の願いのトップを競う。
この時代の一般庶民は、それをどんなに願っても、所詮は運に任せるしかない。あるいは、神頼み。
そんな中、「孫の手」という言葉は、彼らの耳に最高に縁起のいい響きで届いたようだ。

『わが子が健康に無事に育ち、さらにその子が伴侶を手に入れることもでき、孫にまで恵まれる。
 その孫が己の背を掻いてくれるほど大きくなり、またそれを見守ることができるほど長く生きられる』

 この夢を、「孫の手」の形状と名前が集約し体現する。
名前を聞いてきたおじさんの息子がそろそろ結婚を考える年だったのが、良かったのか悪かったのか。
カスタム「孫の手」を両手に握りしめ、感動に打ち震える彼の姿を見れば、後はもうおわかりの展開かと思う。


 「孫の手」爆発的大ヒット。
「指圧教室」、「ツボ押し器」を抜いて人気急上昇。年間人気番付で、「横綱」間違いなし。

 ……などと。
もしも現代だったら年末の日経新聞に写真つきで載るのだろうなと、空を見上げて思う。ただの現実逃避だ。
「孫の手」なら「孫の手」、「指圧」なら「指圧」と、単独での流行だったらまだよかったのかもしれない。
それが同時で、しかも複雑に絡み合って、気がついた時にはこのありさま。
わざわざ情報網を通さずとも、思わず逃避もしたくなるような報告が、次々に私の耳に入って来る。

 指圧教室の生徒さん達から聞こえてくる声は、まだ穏便で微笑ましい。

「健康体操を始めて偏頭痛が和らぎました。
 最近、笑顔がいいねって褒められます。 恋人募集中」は、可愛らしくていい感じ。

「夫に指圧をしたところ、前より優しくなった気がします。夫婦生活円満の秘訣です」も、心温まるいい話だ。

 だけど。

「『孫の手』握って告白しました。本当に、御利益(ごりやく)ありました。
 共に白髪ができるまで、孫達に囲まれた最期を迎えるまで一緒にいようって。
 もちろんOKもらいました。これからさっそく子作りです!(意訳)」……は? お守り?

「指圧最高!
 俺の彼女は繊細で、今までは夜の誘いも三回に二回は「疲れてるから」と断られてました。
 それが指圧を彼女に教わって、俺がしてあげられるようになって変わったんです!
 夜の誘いも、最初に彼女を気落ち良くさせてあげれば、今ではお断り「無し」!
 この前なんか、昼間なのに「ちょっと揉んであげようか」から、なんとなしくずしに!!
 指圧のおかげで、俺の人生バラ色です(超意訳)」……、……、…………。


 良かったねと素直に祝福していいのだろうか?
「孫の手」の使い方も、「指圧」の使い方も、私の思っていたのとはだいぶズレている。
ズレすぎて、もう何も言えないレベルだ。何を言えばいいのか、もはやさっぱりわからない。
特に「孫の手」なんか、どんな飛躍があって「縁結びのお守り」にまで進化してしまったのか。
名前が良いからって、あまりにも安直だ。

 しかし、噂は噂を呼ぶ。人の心をくすぐる話は、燎原(りょうげん)の火。
あっという間に広がって、止める手立てを打つ暇もなかった。


 ―――そして、結果はこの通り。 「健康促進」を目的に始めた事柄は、全く違う流れへと変貌を遂げる。


 流行は熱気をもって迎えられ、誰もかれもが春を手に入れようと浮かれ騒ぐ。
各種アイテムを理由に、伴侶獲得に余念がない。
もうすぐこの城の普請工事が終わる。皆、工事が終わった後のことを考えているのだろう。
相手を手に入れられるのは期限付き。だから、誰かれ構わず突進するような浅慮もあらわれる。
歓迎してない私のような人間にまで、その手が伸びてくるほどなのだから。

 このお祭り騒ぎに火をつけたのは、「私」だった。
だけれど、それを受け入れたくなる土壌はすでにあった物でもある。
そうでなければ、ここまで大きくはならない。私は一因ではあっても、全てではない。
彼らがこの流行を歓迎し、結婚を急ぐのは、終わりを見据えてのこと。
「城の完成」と「結婚」は、私が何をするよりも以前からつながっている問題だった。

そしてその問題の顛末(てんまつ)が、私の次の移動のきっかけになるわけだけど、長くなるので以下次回。








 * 参考資料公開は、要望があれば随時します。○話の○○の資料と請求下さい。



[11192] 戦国奇譚 流転 三
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:4da2327d
Date: 2010/06/23 19:09
 人生の伴侶を求める人達の熱気は悪くない。
巻き込まれさえしなければ、この城に来るまでの「恋の前哨戦」がレベルアップしたようなもの。
私自身は友人達への根回しも済み、安全に範囲外に逃げられるようになって、気楽な傍観者だ。

 それに「結婚は考えられない」なんて女の子は、私以外はまずいない。
「安定した生活よりもやりたいことがある」と言い切るのは、珍しいを通り越している「変わり者」。
そんな非常識人を追いかけるよりも、捕まえられそうなかわいい女の子達がこの城にはまだいるし。

 ……でも何故か。
頑張って独身主義を唱えているにもかかわらず、皆、結婚の報告は真っ先に私に持ってくる。

 「日吉! 上手くいったの!! すごく嬉しい!!
  お祝いをちょうだい。縁起のいい小唄を歌って言祝い(ことほい)で」
 「ねぇ、お願い。 安産祈願にちょっとお腹を撫でてみてほしいの」
 「もしも子供が産まれたら、最初の子にはあなたの名前を一字もらってもいい?」

 ケガ人の心配や葬儀の采配をするよりも、結婚式をする方が確かに楽しい。
でも、それも数が増えてくると、仲間内だけでというわけにもいかなくなってくる。
指圧教室の創始者や健康器具ヒットの仕掛け人という業績がすでに私にはある。
すでに十分目立っていて、これ以上はたぶん私には害にしかならない。

 しかし、結婚は女性にとって出産に次ぐ人生のお祭りだ。

 「祝って」と言われたら断れない。幸せに水を差すような真似は、心情的に無理。
生涯忘れられない、辛い時に心を支えてくれるような大切な思い出にしてあげたいと切に思ってしまう。

 目立ちたくないけど、求められると「NO」と言えないジレンマ。
好かれるのは嬉しいけど人気あり過ぎも困るというのが、今の私の贅沢な悩みだったりする。



 ――――― 戦国奇譚 流転 三―――――



 城の普請は、もうほとんど終わりかけている。
完成した部分の監査役や人事の調整役など、工事監督以外のお偉方の出入りも始まった。
監査が済めば、一時雇いの者達は帰されることになる。

 しかし、働きに来ている人達の事情は様々だ。
私や鈴菜のように「市」経由で雇われた者、賦役(ふえき 税)として連れて来られた人。
それから、この城は松倉城の支城の一つなので、そこから仕事をまわされ派遣されてきた人。

 個々の理由により、必ずしも帰れることが良いことにではない。

 自分の村があり、家族が待っている人達は喜んで帰るのだろう。
けれど土地を持たず、雇われ仕事で食べている人達は、次の就職口を探さなければならない。
私もその再就職組だ。

 それで、この雇われ労働者の事情についての話。

 この城で私が出会った人達の中には、一度ならず築城の仕事に携わった人達が多くいる。
私が職人さんと呼び、尊敬し、懇意にしようと頑張った人達。
今はしっかり私の友人達になった諸々がそれにあたる。

 しかし、彼らがそうして経験を積めたのは、裏を返せば帰る家がないということでもある。

 私は建築関係の仕事が好きだから、彼らを「かっこいい」と思うし「羨ましい」とも思える。
中には、この仕事を好きだと思っている人達も居るのを知っている。でもそれは、本当に少数派なのだ。

 大工の家系に生まれたのでもなければ、好き好んで建築現場を転々とする生活を選ぶ者はいない。

 「自分の土地で生まれ、生き、死ぬこと」こそが、この時代のスタンダードな幸せ。
帰れる場所があって働きに出る者と、それがない者の落差は現代の比ではない。
カードなんてないし、お金はそれ自体が嵩張って重く、大金を持ち歩くなど襲ってくれというようなもの。
政府の庇護もなく、土地というよりどころもなければ、持てる財産は容易く自分の身一つになりかねない。
私のように自分を守るだけならまだしも、家族を抱えていれば明日への不安はより切実に身に迫るだろう。

 それに、安全を保障されない社会で、一匹狼を好む者は長生きできない。
どこかに所属し立場を固めて安心したいという意識は、現代よりもこの時代の方がより強いとも思う。

 実際、それを与えてくれる主に恩を感じ、命を懸けた奉公で返すという社会制度が成りたっているくらいだし。

 生きることに直結した、「住」と「職」、それに「食」。
搾取されていると感じるか、与えてもらっていると感謝するかは、各々の立場に寄るだろうけれど……。

 ……っと、話が逸れたが、要は「次の仕事を探してね」と放り出されるのを喜ぶ人は少ないということ。
出来るなら同じ場所で働き続けたいと思うのが人情だということを、わかってもらえれば嬉しい。


 そして、それが、「結婚」の話と結びつく。


 出来たばかりの新城は、言わば空(から)の城。
兵をはじめ下働きの人員はどこかから調達して来なければ、城ができたからと言って突然湧いたりはしない。
常時、主人が住み、直属の部下が出仕してくるのはもちろん大きなお城だけ。
だけれど、小さな城でも完全に空っぽだったら、すぐに誰かに取られてしまう。
敵に奪われるのもそうだし、夜盗などの根城にされてしまうかもしれない。
それに手入れを怠れば、必要な時に使えないかもしれない。
そうならないためにも、ある程度の人数をどこかから雇い入れ確保しておく必要がある。

 そこで「役員は出向(しゅっこう)させるけれど、平社員は現地雇い」、この方式が有効になる。

 日雇や年季奉公から希望者を募り、そのまま城の下働きとして雇うのだ。
現地雇いでも兵として雇われ手柄を立てれば、もっと上に取り立ててもらえる可能性もある。
普段は城から少し離れた辺りの開墾した畑で農作業をし、持ち回りで城に勤務する。
開墾したばかりの土地ではすぐに食べられるほど作物が取れなくても、城の仕事があれば飢えることもない。

 何もない土地を耕して、そこから人が食べていけるだけの物を作れるようになるには、長く時間がかかる。
土地を失くす理由には、その「食べられない期間」を越えることができなかったというものが多い。
戦火や自然の災害で耕作地を失い、耕地の再生まで食べ繋ぐ方法がなくて、彼らは土地を捨てていく。
捨てたくて捨てるのではない。「今」食べるために、人は土地から離れて生きる術を見出そうとする。
でもその問題が解消しさえすれば、人はもっと積極的に開墾し、生産力を高めることも可能になると思う。

 ……ええと、また脱線してしまったが、再就職先として「新城」はかなり魅力的な職場だという話だ。

 それで何が言いたいかというと、その時、雇ってもらえるのが「夫婦者が優先」だということ。

 何故夫婦者が勤務者として推奨されるのか。
それは雇う方の言い分による。雇い主が欲しいのは、誠実な部下だから。

 新城の主自身が長く支配してきた領民を雇うのならば、すでに信頼関係が築けているかもしれない。
しかし土地に根付いて年貢を納めてくれる領民を引きはがし連れてくるのは、領地経営的に良くない。
農業にも人数が必要だから、あまり小分けにすると、収穫高に覿面に響いてしまう。
人は増やさなければいけない。
が、新しく入れた人間がどれだけ忠実でいてくれるかはわからない。
城の普請工事中に多少の面識ができていても、いざという時、敵を手引きでもされたら大損害を被る。
それは城の主として許してはならない絶対原則だ。

 では、雇い入れた新しい人間に簡単に裏切られない為にはどうしたらいいか?

 答えは、「裏切れない対策をしておく」、だ。

 普段は、この城の周辺に畑などを作り農作業をこなし、時々は城で必要な雑用を頼む。
そして戦の時には、男は兵として働かせ、女は「城に匿う(かくまう)」。
これが、キーポイント。
女性は城で守ってもらえる反面、人質にもなる。家族が城に居れば、裏切りの可能性は大きく減る。

 まあ雇う側の打算がどうあれ、雇われる側は単に裏切らなければいいだけの話ではある。
賦役はどこでも必ずあるし、戦だって起きるときは起きる。
食いつめれば、もっとひどい条件で身を売らなければならなくなるかもしれない。
ならば、村に居るより祖税が免除され土地までもらえる城勤め付き兼業農家は、そう悪い話ではない。
このお祭り騒ぎに乗っかって、ダメもとでも試してみようという挑戦者があふれる理由は、ここにもあったのだ。



 と、言うわけで―――。

 賦役を勤め上げただけでなく、お嫁さんを連れて故郷に凱旋したい人。
 夫婦者になって、流浪のフリーターを卒業し、自分の故郷を手に入れたい人。

 浮かれ騒ぐ恋のお祭り騒ぎを支える熱は、この時代の、この社会構造から生まれたものでもある。
支配される側だって、支配者の都合に振りまわされているだけではない。
全てを利用し、己の幸せを追求し生き抜こうとする、したたかな庶民の強さの表れだ。

 ―――で、最終日を間近に控え、私の仲人業もラストスパート。
暖かくなり人の移動も始まり、行商人など外部の人間まで入って来るようになれば、ますますカオス化が進む。

 もっとも、初めから堅実に自分の将来を考えていた人達にとっては、いまさら慌てることなどない。
友人の鈴菜はちゃんと伴侶をつかまえたし、私の教え子カップルの結婚もすでに両手の指の数に近い。

 ただそれ以外でも、祝い事ながら駆け込みも絶えず、私は先日に続き朝からも一つこなした。
さすがに気疲れを感じて、午後は早々に城の外の仕事を貰い出てきていた。

 この外出の名目は、食料調達。本業の方の仕事で、決して遊びではない。
契約期限が終わりかけていたって、副業にばかり精を出していては怒られてしまう。
ある程度は大目に見られているけれど、度が過ぎれば出る釘は打たれる。
でも城に居れば、どうしてもあちこちから余計な声がかかる。
無視できない相手もいて、少々辟易もしていたので、この仕事はとてもタイミングのいいものでもあった。


 木の新芽が芽吹くより先に、地面を染めた淡い緑。
木々にさえぎられず光を受けた葉っぱは、やわらかな色合いで人の目を惹きつける。
そこに、手に籠を下げた乙女達が、早咲きの白い小花を互いの髪にさして喜んでいる姿のオプションが付く。

 「春の野に出て若菜摘み」の言葉に恥じない、麗しい光景。
眼福と呼ぶにふさわしい、万葉時代を彷彿とさせる優雅な世界だ。


 ……凄くいい。しかし、現実は現金だった。
春の匂いを吸い込んで緑の野に膝をつけば、真っ先にお腹が「くぅ」と自己主張する。
一緒に採集に来た鈴菜がそれを聞いておかしそうにこちらを見るが、私は大胆に開き直って主張する。
だってこれは、水族館を見学中に、つい「美味しそう」と言ってしまうようなもの。
食材としての魚を愛すればこその正直な感想に罪はない。その感覚と同じ。
前世の私なら綺麗な野原にしか見えなかっただろうこの光景も、今の私には野菜畑。
しっかり戦国に馴染んだお腹が、素直なだけ。美味しそうな野草に、愛あればこそ、だ。

 でもそう胸を張って言えば、
「日吉のお腹は正直者だったの? 知らなかった」と混ぜ返され、聞きとめた人達の間にも笑いが伝わる。
「おやつを持ってくればよかったわね」と子供扱いされたり、帰ったら差し入れをあげると約束されたり。
背を包む温かな春の日差しと同じくらい、耳に届く笑い声は澄んでやさしい。

 解放感にいつもの二割増しで綺麗な友人達は、話していても楽しいし、見ていても飽きない。
でも遊びに来たわけではないので、集合場所を決めると、皆思い思いに散っていく。
そして手提げの籠の底が隠れるくらいになる頃に辺りを見回せば、私の近くには鈴菜だけがいた。
他の人達は、人影が数えられる程度に遠くに散らばっている。
私は、目の前の食草はあらかたとってしまったので、移動しようと立ち上がる。
同じことを考えたらしい鈴菜も立って寄って来た。

 私がこの地で、他の誰よりもたくさん話してきたのが、この鈴菜だ。
視線を地面付近にさまよわせながら口を開いても、不安はない。
表情が見えなくても伝わるものがある。
遠慮も垣根もいらない、鈴菜だから話せることがある。

 丁度彼女にだけ話しておきたいこともあって、この状況は都合が良かった。

 しかし本命をすぐには切り出せず、まずお喋りはいつものように何気ない話から始まった。
話題はやはり、昨日今日と立て続けにこなした祝い事のこと。


「……だって、大元(おおもと)のきっかけが日吉だもの」

「でも、私の知らないとこでくっついてるんだよ?
 昨日のは、両人とも数回しか話したことない人達だったし。
 今朝の子なんか、もしかしたら話したのも今日が初めてかもしれないし」

「昨日のお祝いって、野乃ちゃんの旦那さんの友達だっていう人のでしょ?
 野乃ちゃんの同室の迦芽(かめ)姉さんがひどい肩こりで、日吉がずいぶん揉んであげてたじゃない。
 その縁だよ。すごーく薄いって、私も思うけどね。
 それで朝のあの子は、えーと名前なんだっけ?
 とにかく彼女のおじさんと日吉がこの間ずいぶん話込んでたって聞いたよ。
 ほら、水場に近い間口の右の木のとこで、四日前くらいに。
 また誰かに捕まったかもって探しに行った登季(とき)さんが、そんなこと言ってたはず」

「あの子、又造さんの親戚? ほんと?
 おっちゃん血縁はいないようなこと言ってた気もするけど、居たんだ。
 全然知らなかった。世間って、狭いんだね。
 おっちゃんには、『孫の手』の行商やりたいから他にも手ごろな品はないかって言われて。
 ただの仕事の話を聞かれていただけで、」

「あーっ! そういえば、その仕事の話なんだけど。
 喜和(きわ)の仕事、譲ったのが日吉だってほんと?
 奈津と伊登(いと)ちゃんの仕事の世話をしたってのは、前にも聞いたことあったけど」

「いや、うん、……私」

「えぇぇ! やっぱり!?
 なんで、どうして?」

「何でって、言われても。
 私は、別にお屋敷奉公したいと思っているわけではないからで」

「でもでも、今回はすごくいいお家だったんでしょ!?
 喜和の友達がすっごい鼻高々に自慢してたよ」

「そう、…だった?
 女中さんとしてって言われたから、針仕事も上手だって彼女を推薦してみたんだけど」

「もったいないよぉ。
 日吉も仕事選んだらいいのに。
 どの話も、本当は日吉の指圧の腕が欲しくて持ちかけてきてるんじゃないの?」

「そうかもしれないけど、でも……」

「……、日吉のしたい仕事って、馬借だったっけ。今も?」

「今も。同じ。
 鈴菜は、」

「っっ、私はね、もういいの。
 わかってるくせに、言わないでよね、恥ずかしいから!」

「うん。だから、鈴菜のお仕事の世話はしません」

「ん。……けど、それもちょっと残念かも。
 あいつと結婚してなかったら、日吉にいい仕事を紹介して貰えたかもしれないのか」

「嘘ばっかり、そんなこと少しも思ってないくせに」

「ばればれ?」

「にやけてるよ。幸せそうな顔。
 この、幸せ者め」

「もうっ、言わないでって!
 
 ……でもさ、そうやって日吉が御祝儀大盤振る舞いするからじゃない?
 いい仕事でも惜しみなく人に譲っちゃうし。
 日吉、日吉って、あまり親しくない人まで構うのも仕方ないと思う。
 結婚を本式の祝詞(のりと)で祝って貰えるってだけでも、すごく嬉しかったんだもん。
 ああ、もう、ほんと、すっごくすっごく、嬉しかったんだから……」


 「榊が振られる下、神様に誓って……、三世先まで私はあの人と……」と、思い出の中に鈴菜はトリップ中。
晴れ着一つない山城の結婚式だから派手さよりも神聖さを強調した式は、よほど彼女のお気に召したらしい。
思い出すたびに感激に瞳を潤ませるかわいらしい表情をする彼女に、見ている私の顔もほころぶ。

 鈴菜は私の眼の届かない所をいつもフォローしてくれる大切な友人。
その大事な彼女の結婚式は、さらに一番初めでもあったから、私も思い切り工夫を凝らして頑張った。
でもここまで何度も喜んでもらえれば、コネを総動員してまで仕切ったかいもあるというもの。
常識さえ話術を駆使して丸めこんだあの努力も無駄ではなかったと、自分を褒めたくなる。

 お金も道具もないから、アカペラバックコーラス祝詞多重奏とか十戒風変則バージンロードとか。

 何が十戒かと言うと、花嫁と花婿を引き合わせるシーンの演出。
これを、十戒という映画では海が割れて道ができるのだけど、海の代わりに人を使って真似してみたのだ。

 なにせ、日本本来のバージンロードは長い。
本当は夕方花嫁の実家から嫁入り行列が出て、花婿の家まで向かうのが正式な結婚の作法。
花嫁道中は祝いの唄を歌いながら進み、場所によっては鐘を鳴らして先導したりもする華やかなものだ。
でも両人同じ城在住では出来ないから、それを埋め合わせるためにと考え出した。

 花嫁花婿の間に人垣をおいて、それを祝いの唄声と共に二つに分けて、二人が出会える道を作りだす。
婚家まで続くはずの道のりが短くなるぶん、感動もギュッと凝縮出来たらいいとの思いを込めた演出だ。

 潮が引いて隠されていた道が現れるように、恋人へと真っ直ぐに開かれる道。
 互いを隔てていた障害は除かれ、新たに歩きだす二人への祝福に変わる。

 親族のいない鈴菜を先導するのは、両側からリレーされる仲間達の手。
最後は涙で顔を汚しながら、夫となる人の傍に寄り添って浮かべた彼女の笑顔は、最高に綺麗だった。
 
 以降、式を頼まれると、鈴菜の結婚式を雛型に他もほとんど同じパターンでやっている。
その中でも、この演出の評判が一番いい。
ちゃんと手を引いてくれる親族がいても、鈴菜方式を望む人もいるくらいだ。
結婚を周囲から祝福され、皆に支えてもらって始まりたいと思う気持ちと、上手くあっているからかもしれない。

 結局私は、困るとか言っていても、人に期待されると張り切ってしまう性質(たち)なのだ。
特に親しい人達に頼まれると、自重するのは難しい。
ここ数回は駆け込みラッシュで略式ばかりだけど、時間があった頃はお祭り状態で参加者も楽しんでいたし。
ただやりすぎて、感極まった年上の花嫁さんに「おっかさん」と泣きつかれ、ちょっと恥ずかしかったこともある。
でもそう思ってもらえるほど親しくなれた人達がいるのは、良いことなのだろう。


 「結婚式」だけではない。
指圧を通じ、「健康の悩み」や「将来への不安」もたくさん聞いてきた。
「美容」や「就職」へのアドバイスもずいぶんしてきた。
体に直接触れながら話せば、人は心を許し易くなる。向かい合って話すよりも、ずっと親密なものになる。
そういう会話を重ね、私を素直に受け入れてくれた人達との交流は、とても深いものになっていたと思う。

 そこから、私も彼女達からたくさんのことを学んだし、彼女達も私の影響を強く受けて変わっていった。


 ……で、その成果が。うちのお城の女の子は「鄙にも稀な美女ばかり」という、裏で流れる噂だったりする。

 別に素材がすごくいい子ばかりが、私の周りに居たとかそういうのではない。
女の子なんて、ほんの少しの変化でいくらでも魅力的になれるというだけのことだ。

 農作業などでつい丸くなりがちな背を真っ直ぐに伸ばしただけでも、印象は大きく変わる。
髪を綺麗に梳いて、洗顔や手洗いをまめにすることも、衛生面だけでなく美人度もあげた。
後は眉を整えて、個々のタイプにあった「笑顔」を備えれば充分だ。

 それに普段の表情が野暮ったくなってしまうのは、精度の良い鏡がないせいなのだ。
水鏡程度がせいぜいの鏡では、表情の訓練はままならない。
オシャレを特集する雑誌もないから参考もなく、自分のいいところを一人で引き出すのは難しかっただけ。
誰かがそれをちゃんと指摘してあげれば、女性は皆、綺麗になれる。
たくさん褒め言葉を注ぎ、各自笑顔に自信がつけば、魅力は外へと自然にあふれだす。

 武士の子女にも負けない、凛と伸びた背筋。清潔な素肌。
 それぞれの個性に合った、控え目な微笑みや朗らかな笑顔。

それだけでもいいけれど、本当に人を惹きつける女性は顔だけではない。

 愛想の良さを心掛ければ、それは言葉や態度もでてくる。
 誰だって不機嫌な人より、優しく接してくれる人に良い印象を抱く。

 それから、女を磨くなら「恋」もその大事なエッセンス。
恋愛騒ぎが大きくなったことも、彼女達をさらに磨くいい場になったはずだ。
そうして、綺麗だなと皆に思われる人が数人現れれば、後は周囲も感化されていく。
よほど偏屈でもない限り、姿勢のいい人の横で猫背でいるのは恥ずかしい。
隣の友人が丁寧に顔を洗っていたら、真似したくなっちゃうのが女の子だ。



 一つことを成せば、さまざまな変化が起こる。
蝶の羽ばたきが津波を呼ぶようにとまでは言えないけど、波紋は遠く広がっていく。

 趣味から副業が発展し、指圧の技を学んだ弟子が幾人も生まれたように。
 その副業から、健康器具や孫の手が作られ、果ては結婚ブームにまで火がついたように。
 さらには、健康と衛生から美容に意識が高まり、それをさらに求婚者達が磨いて、美人がいっぱいに……。

 意図的にだったりそうでなかったりはしたが、これらの事を起こしたのは私。
今までのように周りの環境に対応するだけではなく、自分で周囲の状況を一から作りあげたものもある。

 仕掛ける時の期待感、事態が動き出せば生まれるスリル。
手応えをつかんだ時の高揚感には、病みつきになりそうな味わいがあった。
流されているよりも攻めて行く方がずっと自分の性にあっていることを、今さらながら発見できた気がする。

 そうして始めた幾つもの事。これが、どこまで繋がっていくのか、実はまだ見えていない。
少しばかり出ている結果も、まだ連鎖の終わりとはとても思えない―――。


 そう例えば今わかっている結果のほんの一部として、

『美人がいるとの噂に、本来こんな小さな城には来なくてもよさそうな「武将」が遊びに来たりとか』
『武将以外にも、機密保持が家出しそうなほど、城の規模に対して「商人その他」の出入りまで激しいとか』
『それでそこから、「指圧」だの「健康器具」だの「御守り」だのが芋づる式に辿られ、探りを入れられたりとか』
『見知らぬ品のよさそうな御女中さんに突然衝立のある部屋に呼ばれ、「子宝の御祈祷を」と請われたりとか』


 さすがに最後のは本気で拙いと思い、えせ占い師のように相手の話を聞きだして対処させてもらった。
冷や汗かきまくりつつ、冷え性の改善方法と傀儡一座の太夫達直伝の婦人病関係の薬草を紹介しておいた。
他にも、小者(こもの 下働き)として雇い入れたいという話は、表ではなく裏からもいくつも囁かれている。
鈴菜に追及された仕事の斡旋は、この関連で舞い込んできたことだった。

 でもこれに関しては、鈴菜はいい方に誤解してくれたけど、私にも全く下心がないわけでもない。

 私はまだ定住を求めてはいない。一座に再会したいという希望があるからだ。
石川氏の村にだって挨拶に行きたいし、里帰りだってしてみたい。
美濃に骨を埋める気もないから、就職先の条件がいいというだけは受けようとは思えない。

 しかし、この美濃は、今尾張と組んでいる同盟国でもある。
私がいつか吉法師のところに就職した時に、下手なしこりを残す危険を冒したくもないのが正直なところだ。
どれかを選べば、選ばれなかったところに角が立つ。
上から持って来られた仕事を下の私があからさまに断って、面目が潰されたと恨まれるのも困る。

 だから優秀な人材を紹介するという形式にして、体裁を整えた。

 私自身が勤めなくても、優秀な友人を就職させれば感謝されこそすれ恨まれるいわれはない。
それに、いつかその友人達の存在が私にとって重要な伝手になるかもしれない。
本職の御領主様とまでは行かなくても、少しでも恩を感じてくれていれば万々歳だ。
それがどれほど先の話になるかはわからないけれど、先が見えないからこそ賭けておく価値もある。
先行投資というやつか。……でも、別に必ず回収できなくても、それはそれで構わない。
友人達に確かな就職先が与えられ、彼らの今後が保証されれば、それで収支はすでにプラスだから。


 ―――連鎖する物事の終わりは見極めきれない。

 でもだからこそ、未来には賭けてみる価値がある。

 これも、この城で私が学んだことだ。
未来のことはわからない。いきつく先の全て計算することはできない。
けれど、自分が成したことの未来を信じてみたい。
結果がどうなるのかは、その時が「今」になったら、きっとわかる日も来るはずだ。
それを見るために、この目の前にある「今」を頑張って生きようと…、


「……で、日吉は、その『今』の自分についてはどうしようと考えてるの?」

「うぁ? もしかして、私独りごと言ってた?」

「言ってないけど、さっきの話の続き。
 日吉も手が止まってたから、やっぱり悩んでるのかと思って。
 いつも相談に乗ってもらってるばっかりだもん、たまには私も頼ってほしいよ」

「頼ってるって。
 私、鈴菜にはいつも頼りっぱなし」

「ほんと? ……そうなら、嬉しいけど。
 ……でも……、さ。
 日吉は仕事も譲っちゃうし。
 結婚式だの何だのって、他人のことばっかりじゃない。
 馬借になりたいって言っても、伝手ないんでしょ?
 この城でそれ関連の人いないのは、皆知ってるの。
 私達だって、調べたんだから。……だから、心配してて……、」


 気がつけば、手が届くほどそばに来ていた鈴菜が私の顔を覗き込無用にして見つめていた。
自分の考えに沈んでいた私に、気遣いを浮かべて注がれる視線は、どこか弱弱しく切ない。
こんなに思いつめても今まで黙っていたのは、私の考えを尊重しようとしてくれていたからなのだろうとわかる。

 普段とは違う鈴菜に、鼓動が一つ跳ねた。

 いつも歯切れのいい弾むような話し方をする彼女に、心細げな声は似合わない。
恋人のことに関してもしなかったような表情を、私を心配して浮かべてくれるのはどこかくすぐったくもある。
でも笑顔の方が好きだから、即行払拭。即日解決。元気な彼女が一番だ。

 というか、このネタこそが、彼女と二人きりで話したかった理由でもあるから渡りに船。
私は鈴菜の不安を吹き飛ばせるよう、わざとらしいくらい明るい声をあげて告げた。


「それがね、実は居たみたいで、」

「えっ、うそ、どこに!?
 誰が隠してたの!?」

「えっと、これは私と鈴菜だけの秘密にしてね」

「うん!」

「最近、行商の人とかいろいろ来てるでしょう。
 その人達の中に、知ってる人がいたの」

「そうなの?
 どの人?」

「馬の、」

「馬商の人!?」

「違うから、もうちょっと落ち着いて。
 ほら、厩に置く猿を売りに来た人。
 馬を飼うときは、猿も一緒に飼うのが昔からの習わしだって触れ込みしてたの、聞いてない?」

「聞いた聞いた。
 語り口が、すっごい面白いって人でしょ?
 私は一つしか聞けなかったけど、毎回少しずつ違うんだって。
 それが聞きたくて、何日も通った子もいるんだよ。
 へぇーあの人が、日吉の知り合いだったんだ」

「正確に言うと、知り合いの知り合い、かな」

「…………ちょっと待って。
 それって、ほんとに大丈夫な話?」

「たぶん。
 あのね、ここからが、鈴菜だけに話しておきたいことなんだけど……。
 
 ……このお城の普請の責任者って、松倉城の坪内様の部下でしょう。
 それで、その本城の方の坪内様の一族っていうのは、川並衆でもあるらしいのね。
 で、猿売りの人も、川並衆の人で。
 表向きは猿売りとして来てるけど、実はそっちの仕事もあって来てたらしくて、」

「川並衆!? 知ってる!!
 すごい! すごいじゃない、日吉!
 ただの行商だったらあれだけど、川並衆なら私も知ってるよ」

「いや、私はただの知り合いだから。すごくはないよ。
 それに、知り合いにとって不利になるなら、私も知らないふりもするし。
 その人もたまたま噂を聞いてこの城にも寄ってみて、私を見つけただけらしいし」

「でも、その人を通せば、本当の知り合いとも繋ぎがとれるんでしょ?」

「うん。そうしてくれるって言ってた。
 その人は、前に私のこと見たことあったんだって。
 もう4年以上前なのに、覚えていてくれていたみたい。……私はわからなかったけど。
 でも、その人の話は良く知っている人達のことだったから、嘘ではないと思う」

「嘘じゃないならいいじゃない。
 良かったね、おめでとう!」

「ありがと。
 それでね、その人が、馬借も紹介してくれるって言っているの。
 川並衆自体は水運事業だから、陸運にも伝手があるんだって」

「そっか、念願叶うんだ。
 日吉、いいこといっぱいしてるもんね。
 これくらいのお願い、叶って当然だよ。うん、納得、納得。
 あー、でも良かった。 早く帰って、さっそく報告しなくっちゃ」

「鈴菜、秘密だって、」

「でも、みんな心配してるんだもん。
 この話を独り占めしてたら、怒られちゃう。
 せめて半分だけなら……、って、半分だと余計に心配か。
 あの猿売りの兄さん、ちょっと軽過ぎるしぃ?
 でも川並衆のことは私と日吉だけの秘密だから、う~ん……」
 

 鈴菜には面倒をかけるけれど、秘密にしたいと言ったのは私ではない。
その繋ぎを務めてくれるという男の言だった。
 
 彼曰く(いわく)、
「川並衆と一まとめに言うても、縄張りがあるからなぁ。
 今回の仕事は、金が織田の殿様のとこから出とるからうちのが上やけど。
 そやからって相手のところで大きな顔してちゃぁ、後々いらんことになる。
 話を聞けば、お前さんにはずいぶん引きがあるみたいやし?
 余所者が抜け駆けしてんのがばれると俺の立場が悪うなるんや。
 騒がれて拙いんはお前も一緒やろ?
 出立までは黙っててくれんと、俺もどえりゃぁ困るゆーか。わかってくれへんかな?」

 猿商いの彼は小柄な青年だ。
顔は正直、まったくハンサムとは言い難いが、連れている猿にも似て愛嬌があるというのが私の印象。
鈴菜に軽過ぎといわれるのもその通りで、でも、どことも知れない訛り言葉は耳あたりがやさしい。
その不思議な口調で下手に出られ頼まれれば、反論する気が削がれてしまう。
まあ、美濃でのスカウト攻勢は断りまくっているし、蜂須賀に迷惑をかけるのも嫌なのも事実だ。
これ以上の注目はいらないと思っている私の本音にも沿っていて 歯向かう理由はこれといってない。

 ただ、こんな時。電話もメールもないことを不便だととても思う。
彼の身元を保証するのは彼の言葉しか存在しない。
それを確かめる術は、今の私の手にはない。
彼の言葉を信じるか否かは、私一人の目にかかる。

 しかし一見(いちげん)の彼に不安があっても、私が選ばなければならない。
私に提供された選択肢の中では、彼の提示した物が、私の望みに最も近いのも確かだ。

 信じる方も、試される。

 厳しいなぁと思っても、これが現実。選ばなければ先へは進めない。
そして、選んだから、私は鈴菜に打ち明けた。
鈴菜には詳しく話そうと思ったのは、単に彼よりも彼女に対する信頼が重かったから。
でも他の人達には、「知り合いが見つかったからその人と行くことが決まった」と言うことにするつもりでいる。
そのくらいは、彼のことも信じてみることにしたというのが私の結論だった。



 そして、若菜摘みをした日から数日後。

 鈴菜夫婦が、彼女の夫の希望で、本格的に建築の仕事を学ぶ為に京へと旅立つのを私は見送った。
他の知り合い達もそれぞれの行く先を決め、後に残るもの達に見送られ順次城を出て行く。
私もその流れに逆らわず、この半年を過ごした城を後にする。

 別れには、過剰な演出は必要ない。
しめっぽくなるのは嫌い。「さよなら」は、いつも通りの挨拶が一番好きだ。
シンプルな言葉だけど、ワンフレーズだけ覚えている古い歌では「再会のための約束」だとも言っていた。
心のこもった言葉は相手に必ず届く。
残せるものは残してきたという実感と、気持ちはしっかり伝わっているという確信も私の想いを強くする。

 それに、彼女達とはいつの日かきっとまた必ず会える。―――そんな予感もどこかにあるから。



[11192] 戦国奇譚 猿売り・謎編
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:0037dabc
Date: 2010/07/17 09:46
 朝靄にかすむ、蔦の這う古い幹。
板を張った軋む床の代わりに、苔と木の根が作る自然の階段を降りる。
人の生活を感じさせる煮炊きの煙は遠く、水と豊かな土の匂いが辺りには満ちている。
夜はまだ寒い日もある。
でも、踏み固めた土間で寝るよりは、落ち葉の積もった地面の方が柔らかだったりもする。

 それに、視線を下げれば、私の足元で小さな影が跳ねる。

 今回の旅の同行者は、出会ってまだ日の浅い彼「一人だけ」ではなかった。
長い尾のある賑やかでかわいらしい生き物達がいた。



 ――――― 戦国奇譚 猿売り・謎編 ―――――
 


 旅の連れの職業は、「猿売り」。
だからその連れに、商品の「猿」がいるのは当然だった。

 しかし、この猿は、「魚売り」の魚のように食用で売っているわけではない。
ペットでもなく、どちらかというとお守りのようなものとしての需要があるらしい。
どうもこの時代は、猿が馬の病気を防ぐ生き物として、広く信じられているようなのだ。

 厩(うまや)に猿といえば、日光東照宮・神厩舎の彫刻が有名。

 「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿は、関東近県に居れば、修学旅行などで一度は目にする。
あの場面だけがよく知られているが、実は厩に飾られた彫刻は全部で8面の連作。
8枚全てが、猿、猿、猿の猿づくし。猿と馬の関係の深さを、見せつけたいと言わんばかりだ。

 東照宮は、戦国期の終わりに建てられたもの。
今はその少し前の時期にあたると考えれば、信仰が最盛期だと言われても納得できる。
それでその信仰から、東照宮ほどでなくても、厩に猿に関した物を置くことは、一般でも行われている。
「申(さる)」の文字を厩の柱に彫ったり、形の似た石などを梁の上に据えたりしているらしい。

 でも「申」の字なんて、知らずに見れば、ただ切り出し時につけられた印か傷くらいにしか見えない。
事実、私は以前厩で数カ月生活していたけれど、そんなものがあったことには気がつかなかった。
建設中の厩にも、何度も見学に行ったけど、教えてもらうまで意味があるとも思わなかった。
知識はあっても、それがどう生活に適応されているかは、案外気がつかないものだ。

 ……私の無知はさて置き、馬の守り神としての猿の認知度はかなり高い。

 馬は農耕や運輸関係だけではなく、通信や戦力としても、重要度は日々増している。
特にたくさんの馬を飼う必要のある城などの厩舎にとって、伝染性の病気は戦よりも怖いものかもしれない。
病気が広がれば、一国の浮沈にすら影響する。
しかし、人間の医療さえ不十分なのに、動物の医療技術や体制が万全のはずもない。
それでも何とかしたいと思う気持ちが、怪しげな伝承や信仰の普及にもつながっていくのだろう。

 それで、どうせ縋るなら「やっぱり本物の方が御利益があるのでは?」と考える人がいるのは当然の帰結。
猿売りの仕事は、そういう人達相手に成り立っている。
ついでに言うなら、たとえ猿が売れなくても「厩で厄払い」をすればお礼が貰える美味しい商売だったりもする。
一頭しか飼っていないような小さな家でも、お礼を渋られることはあるが、めったに門前払いはされない。
馬を病気にさせたくないのはどこも同じだから、現代の訪問販売より効率がいいことは間違いない。


 ただそんな猿売りの実状を知って、私の頭にふと考えが一つ湧く。
馬を飼う家に自然に入り込み情報収集するのに、この商売が出来過ぎていると思うのは、偏っているだろうか。
でも、川並衆ともつながりのある人間の副業だと思うと、穿った見方もしたくなる。
そんな疑惑を抱かせる、私の旅の連れ。


 私は前を歩く少し猫背の背中を見つめる。
彼は猿を入れた籠を背負い、苦もなく凸凹道を進んでいく。
小柄なくせに猫背でさらに小さく見える背中は、男なのに威圧感の欠片も感じさせない。
それもまた、あのどちらかといえば強面集団だった川並衆の一員だということに違和感を抱かせる。
彼の正体は未だ不明。

 ……と、こんなふうに考えてしまうのは、確証がないからだ。
答えに繋がるヒントはいっぱいばら撒かれている気がするのに、彼は最後の確信はつかませてくれない。

 私は彼の後ろに居るから見えないとわかっていても、気づかれないようため息を呑み込む。
ほぼ同時に、こわばった喉の動きを感じ取ったのか、肩口から小さな手が頬に触れてくる。
手の持ち主は、私の背にしがみ付いている一匹の子猿
前を行く男の背負った籠からも二匹の猿が顔を出し、仲間に慰められる私を眺めている。
そのつぶらな瞳は私を励ましているようにも見え、遅れかけていた足も力を取り戻す。

 愛らしい生き物は、存在するだけで癒しだ。
なかなか掴ませてはくれない彼と違って、彼の連れは私の心をすでにがっちりつかんでいる。

 彼の連れる猿は三匹。全部、女の子。

 私の肩に乗っているのが、昨年の夏生まれの小さな小さな「ユキ」。
籠から両腕ごと乗り出しているのが、ユキより一つ年上の、落ち着きはないけれど人懐こくて元気な「ツキ」。
その隣で首だけ出してちょっと呆けっとしているのが、二匹のお姉さんであり母親代わりのやさしい「ハナ」。

 彼の連れている猿達は、「猿回し」の猿ではなく「猿売り」の猿なので芸はしない。
されている躾は、人に噛みついたり飛びかかったりしないようにというものだけ。
けれど特別教え込まれなくても、ユキ以外は彼との生活も長いから、良く慣れていて人真似も上手い。
まだどの子も幼いせいもあって、私を受け入れてくれるのも早かった。

 小動物というだけでも心惹かれるのに、懐いてくれればかわいさは軽く2倍3倍を越す。

 紅葉みたいな手を伸ばし、抱きつきたがる子猿はかわいい。
休憩時間のたびに、親愛行動であるグルーミング(毛づくろい)をしようと寄って来てくれるのもかわいい。
愛犬達に芸を仕込んだことを思い出し、「お手」や「ジャンプ」を教えるのは楽しい。
「立って歩く」という芸は出来そうなのにさっぱり出来なくても、犬と違って「拍手」を覚えられるなど新技発見もある。
彼女達にかまっていれば、ストレスフリー。一日は飛ぶように過ぎて行く。

 だから、後は彼だけ。わかりそうでわからない彼の正体さえ掴めれば、きっともっとすっきりするはずだ。


 そしてそんな思いを抱え、彼を観察しつつ子猿たちと遊ぶ尾張への旅は、10日目の朝を迎える。
天候にも恵まれ、ここまでの旅足はすこぶる順調。
けれど、その順調さが、新たな問題を浮き彫りにし始めていた。


 私は歩きながら、まだ弱い午前中の太陽が木立の合間から光を覗かせるのを慎重に待つ。
先を行く彼の足もとに出来た影が、こちらに向かって伸びているのを再度確認する。
 
 上を見て、下を見て、彼を見て、一つ肯く。
そろそろ腹を据えて彼と話し合わなければならない時が来たようだ。
標識もコンパスもなくても、だてに何年も山歩きはしていない。
私はここ数日考え続けてきたことを、もう一度頭の中で復習する。

 進行方向は、先日と同じ。間違いなく、東にずれ過ぎだ。

 整備されていない山道を行くのだから、時には迂回する必要はある。
しかし、このまま進んだら蜂須賀にはたどり着かない。
私達の出発地点は、川を挟んで北西に稲葉山城、南東に松倉城を置く、中継ぎの山城だった。
松倉城は美濃の南の国境を守る城。美濃の南は尾張に接している。
ならば蜂須賀も津島も、その南に下る木曽川の流れに沿って行くのが正しい道程のはずだ。
多少東に行く必要はあるかもしれないが、一日の大半を日の出の方角に進んだら、尾張ではなく三河に入ってしまう。

 私は彼と、この問題について話し合わなければならない。

 しかし……。
数日前から怪しいとは気づいていた。それなのに、私は言い出しかねてもいた。
ここは、彼に踏み込む絶好のチャンスでもある。なのに、私がすぐには口に出せなかった理由はあれだ。


 彼は、どうしようもなく「お喋り」だったのだ。


 「一を聞いて、十を知る」というは、賢さや聡さを表す格言。
これに対し、彼は言うなれば「一を訊いたら、百話す」人だった。

 その話す量は、何を聞いたのか何が聞きたかったのかわからなくなるくらい、とにかく多い。
最近まで一緒に居た友人の鈴菜もお喋りだったけれど、それどころでは全くない。
眩暈がするようなマシンガントークを可能にする、素晴らしい肺活量の持ち主。
とにかく、彼は一度口を開くと止まらないのだ。


 初回からして、彼は飛ばしていた。
出会ってほんの数分。交わした言葉が数語あったかどうかもわからないうちから、彼はこうだった。

 
「お前さんや。そうそう、お前さん。
 覚えとるかいな?
 俺は覚えとるのやけど。
 あれは何年前やったかな?
 3年か、4年? はやほんなになるか?
 木曽の、舟だまり。
 忘れてまった?
 ああ、うん、覚えとるか。覚えとる顔やな。ほんなら良かった。
 忘れられとったら、頭領が残念がる。古老方もや。
 
 いや、もう今は若なんて呼ばれちゃぁいない。
 押しも押されもせぬ蜂須賀の立派な頭領様や。
 そう、その頭領。あの頃は、まだ若くてなぁ。
 青くて、頑固で……、ああ頑固なところは今も変わらへんか。
 でも、うちんた頭領様や。皆、あの人の一挙一動を気にしておった。
 代変わりしたばっかりやったしな。

 ほんでな、そこにお前さんや。
 あの頭領のお連れさんや。

 俺はあの頃は、まだ頭領に直接口もきけへんような下っ端で。
 ほんでも船場で姿はよお眺めたし、同じ下っ端連中とも頭領の話はよおしとった。
 ほやから、お前さんが連れられて来た時のことも忘れとらんのや。

 あれはすごかったなぁ。話題の的やった。
 
 下っ端やからそんな近くには寄っては見れへん。話しかけるなんてもっての外や。
 やけど興味のないやつなんておらんかったから、寄るとさわると話からかしとった。
 そやな、最初は何と言われとったかな。
 とにかく驚かれてたのは間違ぇねえな。 
 「何やなんや? 俺、目病み(めやみ)にでもなりよったか?」って、な。
 もしも人に言われただけなら、まず否定するやろ。
 見てても信じられへんような話やし?

 頭領が場違いな小さな「何ぞ」を、腕に乗っけて船場にやってくるなんて。
 ましてそれが、人間の子供やったなんて。

 ああ、怒らんで。悪気はないんやから。
 噂話なんてほんなもんさ。膨らんだり萎んだり、いろいろな。
 で、ほら、頭領っておそがい(怖い)顔しておるやないか。
 だぁれも、頭領に子供が懐くとは思えんかったし。
 ほんな姿を見たことある奴(やつ)もいやしないし。
 そんな想像しとった奴やって、おるはずもないしな。……あー、爺さん方はわからへんか。
 まあ例外はあるにしても、若い奴らは皆度肝を抜かれて大騒ぎってところやな。

 ああ、で、おまけにその「何ぞ」ってやつは、俺達の前ではちぃとも話さない。
 ほやからそう、皆好き勝手言っていたところもあって、おもしれえ話になってったんやなぁ。
 あれは狐か狸の妖の類いで、山伏が調伏したのを前の頭領が買って来たんやろうとか。
 いや人の形をしたからくり細工で、外国(とつくに)との商いの前金に前の頭領が貰って来たんやとかな。
 ……前の頭領は、なんちゅーかぶっ飛んだお人やったから、うん、まぁ、んな感じ。

 ほんでな……。実は、俺もそう思うとったんや。お前さんが話すところを見てなぁ。
 
 ん? 話すところを見たのに、誤解したまんまやったのは何故やって?
 なに、言わんでもわかるゎ。顔に出とるやん。
 はは、触ってわかるわけーへんて。おもしろい子やな。

 そりゃなぁ、話すところを見た方が、衝撃的やったんよ。

 何を見たかって?
 頭領が話しかけた時や。
 それも質めんどくさい積み荷の計算を聞かれて、それをぺらってお前さんが答えていたところ。
 覚えとる? ああ忘れとるんやな、まあええけどな。

 あれを見てからよけいに気になって、お前さんを見かけるたびに目で追いかけててな。
 俺は算術がめちゃくちゃ苦手で嫌いやから、羨ましゅうて(うらやましくて)。
 舟の大きさを聞いただけで、幾つ籠が入るかなんてこと、算術が出けんなら古参にしかわからへんことや。
 でもわかるようにならな、仕事はでけん。
 新参は頭を使うか体で覚えるかせな、いつまでたっても下っ端でおるしかないやん。
 いやいやいや、羨んどったんはお前さんの頭のできについてやない。
 『若頭領は生きた算木を手に入れたんや』て本気で信じてたから、羨ましかったんや」
 

 まさに、立て板に水。
彼は私の顔色やほんの少しの表情を相槌代わりに話を進めるから、口を開く隙はない。
「……(いや、それ誤解ですから)」と言いだそうとするたびに次の言葉で遮られ、私はまるで酸欠の鯉状態だ。

 もしも私がもっと口達者で、初対面という心理的抵抗が低い人間だったらわりこめたかもしれない。
「船場は仕事場だから静かにしていただけ」と、言えたかもしれない。
が、現実は心の内での反論を考えるのでせいいっぱい。

『船場以外では、小六郎おじさんほか年配の方々に終始遊ばれていて、黙ってなどとても居られなかった。
それに、あの頃口が重かったのは、どちらかといえば私ではなく小六(ころく)の方。
彼は得手と不得手がはっきりした人だったから。
小六は仲間との掛け合いや取引に口は回っても、幼子に振るための話のネタなど一つも持っていなかった。
ほんとに皆無で、私を見ては毎度口ごもるので、おじさん達によくつつかれていた。
計算を尋ねたのは、おそらくその時目についたものを適当に振ってみただけだと思う。
年いった野次馬達の「何でもいいから話しかけろ」とのアドバイスに忠実に従っただけ、が真相の気がする。
たまたま私も遊びではないからといいかと応じたので、船場で沈黙が続くとつい繰り返してしまっただけのこと』

 こんなふうに頭の中でなら反論も組み立てられる。でも、実際には口に出すのは、無理。
少し間をおいて言いたいことをまとめられれば言えることも、彼に対抗可能なほど反応速度では出てこない。
私は彼の話しの勢いに圧倒され、興味を惹く話題に引き込まれ、聞き役に回るしか出来なかった。
 

 それで一方的に話されたその話の内容はと言えば、誤解はあっても事態そのものには嘘はない。

 早口でもなく聞き取りやすかったし、無駄は多いけれど必要なポイントも外してはいなかった。
「小六の腕に乗って来た」など、その場に居た人しか知らないような細かな点も、いくつも私の記憶と一致している。
いきなり「信じてくれ」と言われるよりも、そういった小さな真実を積み重ねられる方が心証は良くなるものだ。
検証できる真実の割合が多ければ、人は自然その話全体を信じやすくなってしまう。

 そして、そのすりこみを繰り返えせば、その後の話も頭から疑ってかかるのは難しくなる。

 彼がこの山城に来たのは、川並衆としての偵察も兼ねていたこと。
美人が多いと聞いたので、ついでにあちこち見学していて私を見つけたこと。
どこかで見た顔だと記憶を掘り返し、迷ったけれど声をかけてみようと決めたこと。
後の話は事実の羅列。でも要約すればこれだけで済むことも、彼の口から出ると100倍に膨らむ。
独特の抑揚と、滑舌極まるたくさんの言葉で語られて……。
 
 止めに、小六が私の行く方を気にしていたと言われれば、もう「嘘だ」と否定する気にはなれなかった。


 で、彼を信じてここまで来たわけだ。しかし、どうも最後の一歩で引っかかりを覚えるところがある。

 彼の言葉はまさしくラジオかテレビのよう。与えてくれる情報量は圧倒的。
話題の範囲は、共有する過去以外にも広く及ぶ。
何を尋ねても説明が足りないと思うことはなく、充分過ぎる答えを返してくれる。
好奇心を四方に広げる、新しい知識に目のない私にとって、彼の話は最高の御馳走だ。

 けれど。彼はあまりにもその言葉が多いから、どこが嘘でどこが本当なのかがわかりにくい。
それが明確な嘘ではなくても、リップサービスや勘違い、思いこみで話が膨らんでいる可能性は否めない。
私は情報の多さを嬉しいと思う反面、その量に不信を抱く。
 
 「情報は常に取捨選択する必要がある」という経験の記憶が、私の中には染み付いている。

 たくさんの情報が逆に重要な話の信憑性を有耶無耶にするということも、私は知っている。

 この時代の「情報」はすごく貴重だ。
何より伝達経路の細さが悪い。大道は少なく、国は細かく割れ、移動する手段・人間は限られている。
数km先の村の出来事さえ、意図しなければ半月、あるいは数カ月、時には数年届かなくてもおかしくはない。
情報を握る人間はほんの少数。溢れるような情報を自由にするなんて、夢のまた夢だ。

 だからこそ、彼は怪しい。

 生活圏が限られるから、視野や世界観が狭い方が生きやすい時代の中で、彼は異質だ。
玉石混交、情報過多の流れは耳に懐かしく、うっかり呑み込まれそうになるが、それでも心は警戒音を鳴らす。

 何も知らなければ、純粋に私がこの時代の人間だったなら、きっと気がつかない。
 彼はただのお喋り好きな、博識なだけの男だとしか思わなかっただろう。

 でも、心理学も接客術も、体系化され洗練されたものが手軽に手に入った人間には引っかかる。
彼は、知り過ぎている。話題の幅が、広すぎる。
あれが全くの天性、混じりけなしに天然ものだとしたら、怖すぎだ。
彼の話に心惹かれ、共感し引き込まれる感覚が強いからこそ、私は怖気づく。


 そう例えば、あれは、彼の名前について尋ねた時のこと。
皆には「猿売り」とだけ呼ばれている男の呼び名がつかめずに、初めて私は彼に向け直接質問した時のことだ。


「名前?
 何や、俺の名前か。
 呼ばれとるのを聞いたことがないって?
 そうやったかな? よお呼ばれとるような気もするが。
 まあ、猿売りやからな。 『猿』とでも呼んでくれればええゎ。
 そうそう、気安う、気安う。
 ん? 嫌なん? いいやない……って、そうやなぁ。
 別に変な名前ってわけでもないのやから、気にせず呼んでくれればええよ。
 ほら、言ってみな『猿』や『さ、る』。
 あー、何や、ダメなん? お前さんも、固いなぁ。もっと柔らこうしててもええのに。
 ほんでも、呼び難いのを無理に呼ばせるのも可哀そぉか。

 まあ、ええ。
 じゃぁ、何にするかなあ。
 こいつらは本物の猿で、ユキ、ツキ、ハナ、やろ。
 で、お前さんは、日吉。 
 日吉も猿のことやな。縁起いい名やて。はは、照れとる照れとる。
 ほんで、俺は猿売りの、猿。
 でも『猿』がダメなら、あー、サル、サルサルサル……。

 サル……マシラ、か? 知っとる? 
 マシラってぇのは、猿の古い読み方だぁな。
 出典はどこやったか、仏さんの教えかなんかやったかな。
 サルは去る、マシラは勝るに通じるからとか何とか。
 カシラ(頭)にも似ておるし、語呂のいい呼ばれ方とも言われとったな。
 でもちょびっと、捻り(ひねり)が足りへんと思わん?
 
 後は何や、二本足で歩くから鳥だと言われてついた名か。
 木の実を食うからコノミドリやヨブコトリとか呼ばれとったはずや。
 西の方だと、猿使いといや猿女の君(さるめのきみ)。
 そこからコガノミコ、タカノミコとかも言われとったな。
 猿女の君は、あれや。天宇受売命(あめのうずめのみこと)のことやて。
 天岩戸に天照大神(あまてらすおおみかみ)が籠もっとった時に、その前で舞を舞った姫神様や。
 巫女の祖でもある方やから、お前さんも知っとるやろ?
 後に猿田彦神(さるたひこのかみ)に嫁がれて、猿女の君と呼ばれるようになったんや。
 ん? 猿田彦神といつ結婚したのかって?
 そりゃ大昔やろ。
 まぁ猿田彦神は天から天子様が下って来らっせたに道案内した国つ神やから、その後やろな。
 そう、その御方と一緒になられた方やから、猿女の君は芸事の神であり、道ゆく者の神様でもあるんや。
 旅芸人の親分みてえな方やて。あー、でもさすがに神様の名を語るんは罰あたりやな。
 神様って柄でもないしな。

 他に猿と言やあ……、そうやそうや、あれがあるやん。
 猩々(しょうじょう)。
 猩々を知っとる?
 猿や、大猿。
 耳が白うて、酒飲みで、よお走る猿やて。
 ほんでその血は何よりも赤い、っとこれはまだ要らん話やな。
  
 猩々、ショウジョウ、しょうじょう。
 遠くから来て、人を手伝う。ほんで、礼を貰って大酒を呑む。腹を捌けどなあんもなし。

 あ、いいなぁ。うん、よし、これや。
 走って、呑んで、でかい猿。猿の親玉。
 いい名やないか。
 響きもええ、気にいった。
 これから俺は猩々や。
 呼んでみや。こっちならええやろう?
 ほら、『猩々』。言ってみい。
 お前さんが、俺の名を呼ぶ一番やで」
 

 私に名を呼ばせた後は、子猿達にも一匹ずつ顔を覗き込んで言い聞かせるように繰り返す。
終いには「猩々、猩々」と節回しをつけ歌いながら、彼は大口で心底楽しそうに笑う。
裏なんて一つもありませんって顔で。
……だけど、彼は、とうとう最後まで私に本名は明かさなかった。いつだってそんな感じだった。


 猩々は私の歩く速度を気遣い、私が疲れるとすぐに気が付いて足を緩めてくれる優しい人だ。
商売の元手である子猿達を気安く私に貸し、寒い夜には彼女達を抱いて寝たらいいと言ってくれもした。
知らないことをたくさん教えてくれ、口を挟ませてはくれなくても、私の理解を捨て置いたりはしない。
人柄を探るために注意深く話に聞き入る私に嫌な顔一つせず、明るい話題を提供してくれる。
その話題も、現実的で厳しい話はあっても、人格を疑うような嫌なことを言ったことはない。
多少押しつけがましいところはあるが、限度を見極めるのが上手いから、私を不快にさせることもない。

 10日も一緒に居ればわかる。
その期間中ずっと疑って、見張ってきたからこそわかる。彼自身は悪い人ではないのだ。

 だから、信じきれなくても、嫌いではない。嫌いにはなれない。

 だから、誤魔化されるのは嫌だ。嘘を吐かれるのも嫌だ。

 正体を見極めたい気持ちと、嘘を聞きたくない臆病さ。
少しぐらい怪しくたって彼は彼。いいじゃないかと流してしまいたくなるのは、私のずるさだろうか。
なかなか尋ねられずにここまで来てしまったのは、そういう相反する気持ちもあったからだ。
いつものように、彼のお喋りに流されてしまうのが怖かった。

 ……もしかしたら、進路の問題がなかったら。
私は彼を丸ごと許容し、追求せずそのまま受け入れていたかもしれない。


 でも、問題は起こってしまった。もういいかげん逃げてばかりはいられない。
今日の進路もやっぱり東。私が黙っていたら、彼はこのまま進んでしまうだろう。
行き先もわからずに、ついていくなど馬鹿な真似はできない。
さすがにそこまでは、私も自分の人生投げ出してはいない。

 私は水を少し飲んで、喉を潤す。
そして、彼の怒涛のお喋りだけは断固阻止しようと、何度も瞬きする。
話しに割り込むため、彼の一瞬の隙を見逃さないように目に力を入れ集中する準備だ。

 彼に一方的に話をさせてはいけない。
彼の言葉を止められるかどうかが、話し合いの成立の鍵。
「話し合いたいのだ」と、彼にわかってもらうことがまずスタート地点だ。

 息を吸って吐いて整えて、私は意を決し彼に呼び掛ける。


「猩々、ちょっといいですか?」



[11192] 戦国奇譚 猿売り・解答編
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:0037dabc
Date: 2010/07/17 09:42

「なんや、何か見つけたか?」

 呼びかけに、猩々は足を止めることなく応える。
私は彼に追いついて隣に並び、見上げた。
猩々の背は低いから、普通の男の人よりも見上げる角度が低くすんで楽だ。

 日に焼けて浅黒い、目もとの笑いじわが目立つ年齢不詳の顔。
視線が合うと、猩々は私の足元を気にしてさりげなく速度を緩めてくれた。



 ――――― 戦国奇譚 猿売り・解答編 ―――――



「ん? この辺の木だと花芽が付くのはまだ先やぞ。
 ツキ達の餌は、一昨日収穫したので足りとるし。
 次は明日かあさってでええんやないか?
 新芽は摘みたての方がやっぱええし。こいつらの好みにしても、もうちっと低木の、」

「待って! 待って下さい。
 食べ物の話じゃないです」

「ほな、薬草か? 
 それやったら、葉の茂って日の当りにくいところの方の草が、」

「薬草でもないです。道です。
 私達、東により過ぎていませんか」

「先々日の集落で訊いた沢は東や言うとったろ?
 雨で崩れたところが崖になったから、次の雨が来たらまた崩れるかもと言って、」

「だから沢には行かないことにしたと、昨夜話して合意しました。
 沢の話ではなく、これまでの私達の進路です」

「方角ならなぁ。
 正確さを求めるなら、良いのは太陽を見ることやろ。
 それがでけへん木の多い所では、切り株があれば年輪を見ても、」

「猩々!」
 
「……。
 わかった。ああ、もう、わかったって。
 わかったから、そんな目で見るなや。
 わかった、わかった、わかったから。
 話す、話すからもう勘弁してちょ」

 
 「降参、降参」と、猩々はおどけたように喚き、両手をあげて後ろに跳ねた。
大げさなそのしぐさがあまりにも子供じみていて、笑いを誘う。
シリアスよりも、こういうノリの方がいい。
でも動作はおどけていても、彼はちゃんと話す気になってくれたようだ。
完全に足を止め、頭を掻きながら傍にあった木の根元を示し、先に腰を下ろして私を待っている。

 促されるまま隣に座ると、急に力が抜けた。
彼の雰囲気は変わらず、私に負けてくれる気になったこともわかって、何より安堵している自分がいる。


「あーあ、手加減されてたってことなんかねぇ。
 歳は取りたくないもんや。
 いやいや、これは例えや、例え。俺は若いよ。

 ああ、何、『手加減』か?
 ほんなもんお前さん、今までも俺の話に全部ついてきてたやないか。
 目を見ていれば、わかるっちゅうもんや。
 意味もわからずただぼんやり聞いとるだけなんか、そうやないのかくらいはなあ。
 いつでも突っ込めたんやろ? お前さんさえその気になれば。
 なんや、謙遜なんかせんでええて。怒っとるわけやない。

 ……確かに、お前さんは見た目まるっきりただの子供や。
 年相応にわからなくてええ話を、わかっとるのはおかしいのかもしれへん。
 でもな、わかっとるのにそれを完璧に隠されたら、そっちの方が気味悪いやろ?
 わかってまうのが自然なら、それはそういうもんや。しゃあないやん。
 まぁそう思うには、ちょびっと時間かかってしもたけどな。
 これだけ一緒に居って、お前さんを狐狸や鬼子の類と思ったりはせんて。
 
 それに、俺はこんなやから、好きで話しとるけどな。
 聞いてるふりされて、さっぱり聞かれへんゆーのはしょーないて。
 わかってないのにわかっとるふりされて、笑われるのもそうや。
 どんな話を振っても食い付いてきて、打てば響くように反応されるんはええ。話のしがいが違う。
 思う様に話しても、ようわかってくれる奴が聞いとるっちゅうのは楽しゅうてあかん。
 話しても話しても話しても、全然話したらへんと思うてまうんや。

 ほやからな、お前さんは話し相手として完璧や。
 何? ああ、言葉なんぞなくたって、お前さんは雄弁やろ。
 何よりその目がいつでももの言うとるやん」


 猩々の籠から降りたハナが、私の膝に背を向けて乗り、毛づくろいを催促してきた。
乗せてやれば、苦にはならない重みと共に感じる、小さな命の温もり。
静かに伝わる暖かさと同じ速さで、猩々の言葉も私に沁み込んでくる。

 私達は、どうやら鏡の真似事でもしていたらしい。

 私は彼の話を聞くことで彼を探り、彼は彼で、話を聞かせることで私を探っていたということだ。

 不審を抱いていたのは、お互いさま。
二人とも表向きは友好的に接しながら、心の中では、互いの正体を見極めようとしていたわけだ。
しかも、疑いながらも相手を信じようとしていたところまで同じだったと気が付いてしまえば、恥ずかしさに顔が熱る。
俯いても逃げられず、「なんや、お前さんは読みやすくてなぁ。気質が合うんかな」とぼやく声が耳に入ってくる。
無意識に頷いてしまって、あわててハナのお腹のやわらかい毛の手触りに救いを求めた。

 年齢も性別も、見た目、外側は全然違う。
でも、ここまで同じ行動を裏でしていたのがわかってしまうと、中身はほんとに似ているのだと思える。
それに錯覚だと切り捨てていたけれど、実はかなり前から、どうしてか彼はあまり他人という気がしなかった。
遠い親せきでしたと言われれば、そうだったのかと納得してしまいそうな感じ。
その親近感が、思考パターンが似ていたことから来たものだというのなら納得だ。
似たタイプに対してだと同族嫌悪という最悪コースもあるから、そこにはまらずにすんだのは幸運だった。

 そして、そう思った気持も顔に出ていたのか、猩々からも「俺も同じ」と応えが返った。
「不思議やけど、悪い気はせんのや」とさらに続けば、まるで私の心を代弁されているみたいでもある。
面映ゆいので、もう少しこのテレパシーの実験をしてみようかと思う。


「はいはい、続きね。口で言いや、わかるけど。

 ……この旅の行き先はなあ、最初から尾張ではなかったんや。
 お前さんのことを連絡しようとしとった矢先に、『繋ぎ』が来てな。
 どうしても三河に行かなければならなくなったってことや。

 お前さんの話はその時、折り返しで言付けたから、あの時も嘘をついたわけやない。
 連絡はちゃぁんとしとる。
 向こうからの返事を待っとる時間がなかっただけや。
 もし何ぞ急ぎの連絡があるようやったら、誰ぞ追ってくることになるやろな。
 山道は人の足も馬の足もかわれへんから、来るにしても道に入ってからと思うけど、」

「それで向かう先っていうのは、三河のどこですか?」

「あ~、岡崎の近く。か、その周辺」

「岡崎……?
 ぁ、竹千代の、お父さんのとこ」

「竹千代? 
 お前さん、その方について何ぞ知っとるのか?」

「はい。以前に一度……、お目にかかったことがあります。
 今は確か、織田に居られるんですよね?」

「どこでそのことを?」

「どこでって、前に居た三河の、」

「三河の?」

「村です、小さな」

「氏は?」

「…………石川」

「はぁ、そぉ、いしかわ……、石川ね。
 何でまたそんな大物。
 さすが、傀儡子? 
 それともこれも、お前さんやからか?
 まいった、ほんとまいったね」

 
 猩々は「ははは」と乾いた笑いを零した後、続けて「はぁぁぁぁ」と気の抜けたようなため息を吐く。
私の返事を続けざまに聞き出そうとしたことにも加え、いつにない反応だ。
リアクションの大きさはいつもと同じだが、やはりちょっと何かが違う。

 どこが違うのか考えながら観察していると、さらに石川氏について他に何を知っているのかと尋ねてきた。
私に詳しい説明を聞いてくるなんて、もしかしたら初めてのことかもしれない。
全て話してもいいとは思えないので話は選ぶが、求められたのは嬉しかったので少し張り切る。
情勢的に問題ありそうな現時点での数値関連を除き、佐吉の夜話から石川氏の歴史を抜粋して話した。

 猩々は私の話を聞きながら、だんだん眉をハの字にしていく。なのに、話を切れば「もっと」とねだってくる。
こちらが心配して止めようとすれば、口には出さず雰囲気で文句をつける。
まるでもっと話してくれなきゃ寝ないとぐずる駄々っ子のようだ。
さっきの私達とは、立場が逆。「降参」と手をあげた彼の気持ちがわかった。

 視線の駆け引きは私が負け、昼間の訓練話とそこに行きついた詳しい成り行きについても話しを引き出される。
結果、彼が望んだことなのに、話をし終わる頃には、猩々は地面に懐きそうなくらいへたってしまった。


「はぁ、才能ってのはやや(嫌だ)ね。
 本物ってのは、おそがい。
 これはなんやろね、俺にお前さんの弟子になれってことなんかね。 
 それともお前さんを正式に跡継ぎにしろってことなんか。
 俺にどうしろと……。

 ……ずいぶん昔に手放した、ただの流れの子供。生きてるか死んでるかもわかれへんってのに。
 ほんな子に、蜂須賀の古老が今だ執着してるのは妙やとは思っとったけど、ここまでとはねぇ。
 
 頭のええ奴は、神輿(みこし)を立てる。
 力がなくて賢しい(さかしい)だけなら、裏にまわって利用されへんよう自分を隠す。
 あの城でお前さんのことを探った時、ずいぶんと中途半端な隠され方をしとった。
 ほやからきっと後ろに誰かいて、お前さんは身代わりに担がれとる思うたんや。
 空(から)の神輿に子供を据えるのは、昔からの常套手段やし。
 お前さんの評判を聞けば、「お人よし」そのものや。
 利用しやすそうなのも、丸わかりな性格もしとる。
 いい奴(やつ)ってのは、損する。
 ちょっとばかり賢くたって子供や、本当に悪い奴には敵わへんゆうんが現実やろ?

 はぁ、まったく……。見抜けなかったのか、見抜きたくなかったのか。
 人よりようけものを見て、知った気になっても駄目やっちゅうことなんやろな。
 世の道理がどうとしても、時にはそれがひっくり返ることもある。
 それを忘れるなんて、初歩の初歩の大呆けや。

 『天運』ゆうもんがある。
 道理を覆せるのは、この天運だけやと俺は思っとる。

 死地にいて死なない奴。死ななくてもいいとこで、死ぬ奴。
 一生懸命働いたって認められず、恨みばっかり買うてまうのもおる。
 逆に、本人は望んでない大きな物を偶然手にする奴もおる。
 そういう不思議な力が働いとるとしか思えんようなことが、時に世には起こり得る。
 
 でも普通は、そんな運は一人のところに偏ったりはせんもんや。
 やからその大きな気運、物事の流れを力ある者は見極めんと願う。
 時運を自分のものにするため、人は情報を欲する。
 誰が何を知っているのか、この先どう動こうとしているのか。動くのか。
 より多くを知り、流れをつかめば、敵に勝ち、己を救う道が拓けると知っているからだ。
 彼らは調べるために、金をかけ、人を遣り、見えないところまで手を伸ばそうとする。
 時には命を賭け、それを手に入れろと命じてくる」

「猩々?」

「命じられれば、人は動く。
 しかし、人を動かすには力がいる。
 幼かろうが愚かだろうが、生まれ持った権力があれば人は動かせる。
 だが、それはあくまで『家』の力だ。
 本人の物ではない、借り物の力だ。

 家の力を我がものと勘違いし、それを振り回すだけでは本物にはなれない。
 本物は、己が身一つで築くもの。
 譲られた力なら、その全てを失うかの戦で勝ちでもおさめねば、他者は認めまい。
 試練を越えられなければ、いつまでも力は借り物のまま。
 それにも気付けぬほどの愚物なら、他人に腹の中でせせら笑われているのがオチだ。

 しかし。
 もしも、もしもだ。
 最初から何も持っていない者が、人を動かせるとしたら、それは何故だ?
 力もない、金もない。尊い血筋も持たない人間が、それを可能にする理由は何だ?
 それを成さしめるものは、何だと考えられる?

 敵対するものには、家の名など意味はない 
 誇り高ければ、矜持を金で売り渡したりはしない。
 けれど、金にも権力にも頼らず、人を動かすことが出来る何かがあるならば……。

 …………。
 お前には利用価値がある。

 だがな……、俺はお前さんを利用しようという気はない。
 どんなに都合がよかろうが、俺は身の程は知っている。
 ……天に逆らおうとは思わん。
 俺は、ただこの世の行く末を、この目で見届けたいだけだ。

 なあ、もうわかっているのだろう?
 俺の仕事は、あちこち歩きまわって話を集めること。
 耳役だの伺見(うかがみ)、そう昔から呼ばれているのが俺の本職だ」


 猩々は言葉を途中で変えた。
それを繕うこともなく、いつもよりもずっとゆっくりとした調子で、一つ一つを確かめるように口にしていた。
流れるような語り口もなく、抑揚も抑えられ、まとまりもない。
背にした木に寄りかかり、四肢は地にだらしなく投げ出され、完全に力を抜いているのも見て取れた。

 でもその姿が、何よりも正直な彼の答えだった。
行儀は悪い。けれど、こちらを攻撃する意思はないと、全身で示している。
少し前までの彼と比べればわかりやすいほど、私に対する身構えた部分がなかった。
玄人の擬態を見破る目を持っていなくたって、目の前に変わった本人がいればビフォアアフターは瞭然だ。

 私はその態度から彼のスタンスのアウトラインを受け取り、残りの細かな部分を言葉の中から分析する。

 彼の言葉は、彼の心の動き。
話の道筋は、私にとっての正解ではなくても、彼にとっては正しいものなのだと思う。
誰が間違っていると言ったところで、彼を説得することなど出来はしないだろう。
私も自分の心に遵って答えを出す人間だから、そこを他人に踏み込まれてもどうしようもないのは知っている。

 猩々が私に求めているのは、彼の言葉を受けて、信じるか否か。

 「話す」ことは彼の性。言葉こそが、彼の武器だ。
その武器を手放して見せるのは、一見、無条件降伏をしているようにも見える。
でも、それは、たぶんハズレ。
ここまでして私が信じるかどうかを、彼は試している。どう応えるのかを、計っている。
これがきっと最終試験―――。

 猩々の言葉を吟味し導いたその結論に、私は内心で吹きだした。

 ほんとにもう、これだから男って!

 何でこう、細かなところまで力関係を計りたがるのか。
理屈で隅(すみ)から隅まで埋められなければ、安心できないとでも言うのだろうか。
相性がいいせいかわかっちゃうけど、私は彼の主にまで立候補した覚えはない。
そこまで見極めてもらう必要なんて、爪の先ほども感じない。

 何だろう、まったく。
ここで一発、さらに彼が感銘を受けるような台詞でも言えば、私に落ちてくれるとでも?
彼の信じる私の「天運」とやらに、人生賭けてくれるって? ……冗談にしてもたちが悪い。

 彼は危険な職業に就いているらしいから、独自の価値観や判断基準を持っているのはわかる。
でも、疑いと信用の間が極端すぎだ。
敵か味方、それも味方なら主としても合格かという基準まで私に適応されても困る。
それこそ武将デビューしたいというのでもあればいざ知らず、今の私に他人を召し抱える余裕などない。
猩々だってそのくらいわかっているくせに、何故それをちらつかせるのか。
それも含めて決断を迫るのが試験だっていうなら、ますます悪趣味。

 考えて考えて、ちょっといらっときた私は、彼を横目で見た。猩々は飄々と猿達におやつの準備をしている。

 私の膝でくつろいでいたハナも、おやつに釣られて行ってしまう。
温もりがなくなり、寂しくなった手元を見つめ、私は決めた。
スルーだ。スルー、しよう。
「手に負えない物には挑まない」と、猩々本人だって断言していた。
私も、同じ。似ていると互いに認めたのだから、私が同じ結論を出したって文句は言わせない。

 私は立ち上がると座って付いた土を払い、猩々に両手を差し出し、餌を受け取る。
おやつ時に芸の訓練をするのは、すでに日課になっている。
この時、わかりやすいくらい明確に、しっかり意識していつもと同じ表情と言葉を選ぶ。
深読みしたければすればいい。けどたぶん、これで伝わるはず。
午後はいつもの調子で、三河に行く目的も話してもらおう。

 関係の再構築は大賛成。
でもまずは、適切な距離を探し直すところから、―――「お友達から始めましょう」。



 天運も本業も、各個人の一面にすぎない。
人と人として向き合う再スタートを望んだ私の気持ちがどれだけ通じたのかは、確かめていないから微妙。
猩々は私に関してちょっと勘違いしている節があるから、似ている私も彼を勘違いしていない保証はない。
でも、猩々の言葉は前と同じに戻ったし、独演会も好調。彼はしゃべりまくっている。

 だけど、時々だけど、猩々は私の意見も聞いてくれるようにはなった。

 というか、突っ込み待ちされている気がする。
話の中の隙と呆けの配分が、絶対増えている。
彼が私に望んでいたのは、もしかしたら主ではなく、漫才の相方だったのかもと思うほどだ。
それとも、私の望んだ「友人」を猩々なりに解釈した結果がこれなのか。とにかくフレンドリーではある。
やっぱり思いは、少しズレているのかもしれない。
まあ言いたいことを口にしやすい環境になったのはいいことなんだろうと、私は頑張って思うようにしている。

 あと変わったことと言えば、猩々が私に仕事についても話してくれるようになったことだ。
三河に向かう理由も、あの後ちゃんと話してくれた。

 『岡崎にて変異あり』という報が届けられ、その真偽を確かめに行くのが、彼の旅の目的だった。

 この時代の情報は、人が運ぶ。
場合によっては何人もの手を介して伝わってくる。
だから、現代の通信のように、タイムリーかつ大容量で精密なものは、元から望めない。
伝達に時間がかかれば、当然、報告内容と現在進行形の現場の実状との間にも差がでてくる。
殊に敵地の情報は、わざと偽情報を流してくる可能性もあるから、一報だけで信じることなど決してない。
でも、「確認して折り返し連絡を」とか、「複数の証拠を」とかは、超難題。
電話やネットで全てがつながる時代とは違うのだ。

 しかし、三河の盟主のいる岡崎の状況を知ることは、常に戦線を構える尾張にとっては最重要事項。
難しいからと言って、放っていていい情報ではない。
尾張は一時、その岡崎城主の嫡男竹千代を手に入れ、交渉で有利に立てたかと思ったところを逆転されている。
岡崎城主は息子より、駿河今川との信義を選んだのだ。
尾張は竹千代を人質にするのは諦め保護することに決めたらしいが、戦ではその後一年、三河に負け越し。
負けに負けた負債を補うために美濃と手を結ぶことになったのが今の流れなのだから、猩々の任務は重大だった。



 岡崎城下への潜入は難しかった。
猩々が私を娘と言いはり、猿に芸をしてみさせ、祓詞(はらえことば)に私が節つけて踊り、ようやく入ることを許された。
無害そうな親子連れの猿売りで、厄払いの技も本物と思わせることが出来たからだろう。
彼の無き落としの演技と、子猿達のかわいさと、私のちょっとした機転が揃ったから上手くいったのだと思う。
……それとこの城下町に、普段より多く馬がいたことも、潜入の一助になっていたのかもしれない。

 そこまでの戒厳令を敷いて隠していた情報は、やはり厳しさに見合う大きなものだった。

 表立っては伏せられていたが、岡崎城主・松平広忠は、すでに亡くなっていたのだ。それも、一ヶ月も前に!
私達は、それからこの戒厳令が三河内部から出たものではないことも知る。
竹千代の父が亡くなってから間をおかず、今川が城代を送りこんできたのだそうだ。
城代の到着は、半月以上前。逆算すれば、死後10日から二週間で、軍が届いたことになる。
人目を避けて早馬を走らせたにしても、そこから軍を集め二国を渡って来たにしてはかなり手際がいい。
疑惑を招くに充分な早さだ。

 広忠の後ろ盾は、彼が松平を継いだ時点からすでに今川だった。
国力の差もあり、傀儡政治との見方は以前からされていたが、それでも一応三河は松平のものだった。
しかし、新たに入った城代が、竹千代以外にもいるはずの松平の血族を後継に立てたという噂は聞こえない。
このまま異議申し立てがなければ、事実上三河は、今川の支配に完全に下ることになる。
そうなれば、尾張の織田vs三河の松平から、尾張の織田vs三国(三河・遠江・駿河)の今川という構図に変わる。

 大きな情報を手にし、私達は岡崎を脱出。そして、そこで猩々は、決断を迫られる。

 一つは、『今持っているこの詳しい情報を手に、尾張に戻る』か。
それとも、『今川の強引な支配に対し、三河の他の郷士がどんな反応を示しているかをもっと調べる』か。

 三河の支配が上手く行けば、今川は必ず尾張との戦端を開くはずだ。
その時期を正確に知りたいなら、三河やその周辺の意識を調査する必要がある。
一度尾張に戻っていたら、時間がかかりすぎ、手遅れになってしまうかもしれない。
しかし、情報収集の危険度は増す。
今回は私を連れていたことで上手くいったけど、次はどうなるかわからない。
早い移動には、子供の足はどうしても不利になる……。

 猩々は、考えをまとめるためと言いながら、私に全部喋った。
わざとらしいくらい、知った機密を駄々漏れにして、選択の責任の一端を背負わせようとする。
彼はずるいのか、それとも私を尊重してのことなのか。
私が帰りたいと言ったら、ほんとに帰る気になっている猩々を見て、息を吐く。
この有能なくせに、以外とお人よしでもあった耳役(スパイ)には、わかってもらわなければならないことがある。

 私は、足枷になる気はない。
情報の重要さは、何よりもわかっているつもりだ。
仲間だと思ってもらえるなら、守られるよりも頼られる方が嬉しい。
近くは小六や吉法師達の役に立っていると思えばやる気は尽きず、遠くは将来のためになるのも確実。
本職について学べるならこれ以上はない実地訓練と考え、私は充実している。

 私の貪欲さを舐めないでほしい。今さら危険が増したって、怯むと思ったら大間違いだ。



 猩々は情報を船で京へ行く商人に託す。寄港途中、津島経由で情報を届けられるらしい。
私達はさらに周辺を調べることを選択したのだ。
小さな村々もまわり、人と対話し、調査を重ねながら東へと進む。

 そして、浜名湖の湖北を回り、そろそろ引き返す時期を見計らっていた頃にその事件は起きた。

 数日降り続いた雨のせいで細い川があふれ、周りはどこを見回しても泥田のような風景だった。
その中で、比較的乾いた場所に私達は、兵らしき人達の一群を見つける。
馬が三頭に、人影はわかるところで10人前後。
川の堰でも切れて修復に来たか、周辺の村の状況でも確かめに来たかそんなところだろう。

 あまりにもいきなりで、何故こうなったか、ちょっとよくわからない。

 たまたま機嫌の悪い人間が適当に投げたのか、それとも悪意があったのか。
不意に飛んできた石が、籠から出たばかりのツキの足元で跳ねた。
驚いた彼女は、混乱のまま兵たちの方へ駆け込む。
それで馬が騒いで、気がつけば、兵に囲まれ因縁つけられていた。
手に長い棒を備えたおじさん達が、「怪しい奴め」と詰め寄ってくる。

 猩々はツキを追ったから、少し私と距離が開いていた。
私が怯え騒ぐ残りの二匹を離すまいと、引き綱に気を取られたその一瞬。
私よりも多くの兵に詰め寄られていた猩々は、長い棒で足元を払われでもしたのか。

 大きな水音。

 「日吉」と、名を呼ばれた気もする。
でも、彼が私の名を呼んだことはないので、空耳かもしれない。

 運の良いことに、猩々が落ちたのは浅瀬ではなく、それなりの水量のある水路だったようだ。
彼の姿を追って兵たちが騒ぐが、水に踏み込むほど勇気のある者はいないらしい。
猩々は腐っても川並衆の一員で、泳げないなんてことはありえない。
刃の無い棒では傷を負ったとも考えられず、心配するだけ無駄だ。

 それよりも、今は、私が大ピンチ。

 猩々を追っていた兵まで戻ってきたら、もはや逃げる隙はない。
ツキは上手く彼が逃がしたようだけれど、私の手元にはユキもハナもいる。
この子達を置いて、猩々のように水の中に逃げるというわけにはいかない。

 どうするか、と、活路を探して視線を巡らせていると、兵達の後ろから偉そうな人が割って入ってきた。

 「松下様」と声をかけられている人の装束は、簡易の戦仕立て。
他の兵よりもあきらかにいいものを着ていることから見て、この人が一番上のようだ。ということは、馬の持ち主。
せめて少しでもこの猿達に興味を示してくれれば、売り込みの仕様もあるのにと望みをつなぐ。
が、どうも興味なさげ。僅かな引っかかりも見せない一瞥が、私達の上を通り過ぎる。

 いやもう絶対絶命、打つ手なしか!?

 考えても妙案が浮かばない悔しさに歯ぎしりしそう、そう思ったその瞬間、さらに、新しい人物が登場。
まだ声変わり前の、少女にも似た高い声が人垣の後ろからかかる。

「父上、あの者達をお止め下さい。
 あのように小さなもの達に武器を向けるなど! どうか、父上」

 うわっ、救世主っ!
 
 声の持ち主を探せば、先ほどの偉そうな武士の斜め後ろに赤い顔した小さな姿が見えた。
偉そうな男とよく似た戦装束を身につけた少年武士。
「父上」と呼んだのだから親子なのだろう。
少し頬を紅潮させ意気込むように言い募るのは、急いで来たからか、正義感からか。

 しかし彼の出現は、私にとって蜘蛛の糸。
少年は期待を込めて父親を見、私も同じくその沙汰を待つ。

「ふむ、だが、小さいとはどちらのことだ?」

「え?」

 が、返ってきたのは直接的な答えではなかった。
逆に父に問いを返され、彼の視線がこちらに戻る。

 さっきのごたごたで、私はハナの引き紐に足を取られて転んでいた。
綱のちゃんと付いていないユキを離さないために、地面の上で背を丸くして彼女を抱え込んでいる。
私の腕の中にいるのは、その腕に隠れるサイズの一歳の小猿。
足元で威嚇中のハナも、成体の雄に比べれば段違いに華奢(きゃしゃ)な、若い雌猿だ。
 
 少年は眉根をきゅっと寄せ、私と猿の間で目線を彷徨わせる。

 人から猿へ。猿から人へ―――。

 口を引き結び気真面目に考える少年の視線は彼の父親と違い、私にも猿にも熱心に平等に注がれる。
そして彼は、いい加減痺れを切らした父親が割り込むまで、延々と悩み続ける。


 ―――『人かと思えば猿(も小さい)、猿かと思えば人(も小さい)』

 これが、私の命の恩人となる少年、松下嘉兵衛之綱との出会いだった。



[11192] 戦国奇譚 採用試験
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:20aeb916
Date: 2010/08/07 08:25
「嘉兵衛(かへえ)」

「……」

「嘉兵衛、おい」

「……」

「……いい加減にせんか」

「……」

「兵部(ひょうぶ)、」

「父上!
 いつまでもその名で呼ばないで下さい!
 わたくしは、もう元服が済んでおりまつっ、……くっ、不覚」

 幾度もの呼びかけを無視した少年は、とうとう焦れた父親に幼名で呼ばれてしまったらしい。
それにはすぐさま反応して、キリッっと顔を正して怒ったが、語尾を噛んでしまい悔しそうに眉をよせる。
対する父親の方はと見れば、「うちの子かわいいなあ」と大文字で書いたような顔をしていた。



 ――――― 戦国奇譚 採用試験 ―――――



 少年は体に合った小さな具足をつけ、恰好だけなら立派なミニ武者姿。
でもよく見れば具足はまだあまり体に馴染んでいないし、手足は細いし、反応も素直。
ころころ変わる表情からは、幼さを強調する印象ばかりを受ける。
しかし元服しているとなると、私と同じか一つ二つ年上なのかもしれない。
実際の歳が幾つにしろ、この小さな少年の返答に私と猿達の命がかかっている。
上手く取りなしてほしいと見ず知らずの人間に願うのはずうずうしいだろうが、これも巡り合わせだ。

 私が望みを託し見つめる中。
彼は再度父親に「何をそんなに悩んでいる」と尋ねられ、固く結んでいた口を開いた。


「父上の申されたことについて、考えておりました。

 猿は二頭いて、あの小者の手の中の猿は、手前の猿よりも小さいことがわかります。
 けれど、手前の猿は大きい猿なのかというと、以前見た猿よりも小さいかとも思われます。
 小者の方も、わたくしよりもかなり年下のようです。
 あのように座っていれば背格好も小さく、ずいぶん幼いのはなかろうかとも思います。

 どちらも小さい。
 ……しかし、父上は『どちらが小さいか』と、わたくしに尋ねられました。

 猿と猿。猿と人。
 形を比べたなら、猿の方が小さいのは誰が見ても明らか。
 されど父上は、それをわざわざわたくしに尋ねられたのです。
 ですから、そこに『何か深い意味があるのでは?』と考えました。

 猿には猿の大きさ、人には人の大きさがあります。
 猿の中で、そこにいる猿がどのくらいの大きさになるのか。
 人の中で、そこにいる小者はどのくらいなのか。
 それを比べた正しい答えを、父上はわたくしに求められたのではないか。
 あるいはあの言葉には、『比べられるものを自分で探してみせよ』と。
 そのような意が暗に含まれていたのかもしれない。
 例えば、猿と人の齢(よわい)を当ててみることなどを、父上は望まれたのかもしれない。

 いろいろ考えるうちに、『小さい』とはどのようなことかわからなくなってしまい……。
 『小さい』を比べるということは難しく……、…………」


 少年は一生懸命話している。
ただ要点が、明後日の方向にどんどんずれていっている気がしないでもない。
しかし、茶々を入れる者も突っ込みを入れる者もおらず、少年の独演は脱線して進む。
そしてそんな彼の話が始まったほとんど直後から、周りの空気が変わり、私の危機感は薄くなっていた。

 命の危険に関して、私はこれでも刀を振りかざす武士に追いかけられ切られたこともある経験者だ。
危険の事前に感じる「恐怖」は、痛みを知る前よりも知ってしまってからの方がより強くなったと思う。
身に迫る危機感は物理的な圧力と差がないほどはっきりと感知できる。
「危険、危険」とレッドランプが脳裏で点滅し、耳鳴りみたいな幻のサイレン(警報)が私を急きたてる。

 でもその圧迫感も、今はもうどこを探しても、影も形も存在しない。
かわいらしい姿に似合わない少年の理屈っぽさが、場を支配していた緊張をかき消してしまったみたいだった。

 大人に囲まれた中心にいる、話をする幼い子供。
その光景には、「時代劇」というより「ホームドラマ」が思い浮かぶ。
親の前で、せいいっぱい背伸びして答える少年の姿に、小学校の授業参観の風景が重なる。
周りにいる雑兵達までが少年の言に真面目に耳を傾けているように見えるのも、よけいに私の想像力を煽る。
なんというか、皆で子供の成長を見守っているような微笑ましい感じ?
殺伐としていた少し前とのギャップに、ゆるんだ空気はより一層気が抜ける生温さだ。

 しかし……、そんな癒し効果のありそうな空間に、残念ながら私は仲間入り出来そうになかった。
ひじょうに間の悪いことに、同時進行で起こったもっと別のことに気を取られていたからだ。

 私は、私の弁護者である少年を応援していたから、当然彼の言葉を聞き洩らさないようにしっかり聞いていた。
けれど決定権のある父親の動向を見逃すのも不安なので、目はそちらに向けていた。

 だからその瞬間を、見てしまったのだ。

 少年が「深い意味があると考える」と言った時、父親の目が思い切り、泳いだのを。

 あれはどう見ても、「深い考えはなかった」という反応だった。
泳いだ目が私をとらえ、運悪くばっちり視線があってしまったので、見なかったことにも出来ない。
ちょっとではなく、これはかなり気まずい。

 少年が父親を尊敬しているのは、言葉の端々からも良くわかる。
父親の行動も大げさではないけれど、我が子を可愛がっている様子が見て取れる。

 なのに、そこに幸せな勘違いがあることを第三者が知ってしまうのは、ほんとに不味い。

 良好な親子関係に水を差す気はありません……と、言いたくても、私が口出しできるような場面ではない。
視線に思いを込めたところで、相手は猩々でもない全く初対面の人だから、上手く通じるとは思えない。
でもダメもとでも、やってみるしかない。何か少しでも伝わってくれないと、「私」が困る。

 父親の心配は、まったくもって、はっきりきっぱり全くの杞憂(きゆう)だ。
もしも見たのが私でなくたって、私と同じ立場の人間なら絶対余計なことは言わないし、言えないと思う。
この彼らの『親子の関係の良さ』が助命の理由になりそうなのに、それを自分で壊すバカはいない。

 『子供にいいところを見せたそうな父親』が重要なのだから。

 松下父から垣間見えるその傾向が、私にとっての蜘蛛の糸。
彼が息子を気にするなら、私や猿の存在は敵にするには不足に過ぎる。
どう見ても無力な下々の幼子をたいした理由もなく切れば、尊敬を削ぐことになるだろう。
理不尽に重い罰を与えることも、『いいお父さん』には不本意な結果になりそう。
あの少年が私達を気にしている以上、兵達に適当に投げ与えてしまうのも躊躇ってくれそうな気もする。
父親が息子にいいかっこしたいと思えば思うほど、こちらの待遇は良くなるかもと期待できる状況なのだ。

 目があってしまって焦る気持ちは、父親よりも私の方が絶対に大きい。

 「何も見てません、知りません、私は無害です」と、手足を縮め無力さを装い無言で訴え続けて、しばらく。
成功したのかどうか、父親の視線が息子オンリーから、ちらちらと私にも往復するようになって。
雰囲気も、微妙に困惑のようなそうでないような感じに、……なった気がするのは希望的観測値でないと思いたい。



 そして、少年の長い話が終わる。

 父親は息子が「……(どうですか)」と見上げるのに応え、「うむ、うむ」と偉そうに肯いている。
話の合の手代わりにもたくさん首を縦に振っていたし、着眼点についての褒め言葉も少年に贈っていた。
褒められてはにかむ息子に、大人として表面は取り繕ってはいるが、父の背中でも幻の尻尾が揺れている。
親子共々、喜びを隠し切れてない様子が微笑ましい。

 見ていて和む親子の交流の後は、私達の処遇の話が始まる。
私の読みもあったったようで、殺される心配はすでにない。
しかし扱いは、戦利品か拾得物。猿だけでなく私にすら選択権がないのは、もう今さらかもしれないが。

 こちらの意見は丸っきり無視で、猿達の今後についてはすぐに決まった。
二歳になるハナは、帰城後、松下氏の上司の引馬城主・飯尾様に贈られる。
小さいユキはもう少し育ててから、やはり賄賂としてどこかにやられることになるそうだ。

 それで私に関してだが、ここで初めて父親と息子の意見が割れた。
あっさり「放逐(ほうちく)する」と言った父親に対し、「猿も親もいないのに」と少年が私を憐れんでくれたのだ。
私は別に放り出されても何とかなると思ったけど、優しい少年の気遣いには感謝の念が湧く。


「嘉兵衛の言は、たしかに一理ある。
 しかしな、何もかも救っておっては領主は務まらんのだ。
 ……その者、名は?」

「日吉と申します」

「む、人かと思えば、こちらも猿だったか」

「父上!」

「この程度の戯言でそう怒るな、嘉兵衛。
 息子はこのように言うておるが、儂(わし)は役立たずはいらん。
 お前は、何ができる?」

「お仕事をいただけるのでしたら、なんでもやります」
 
「そうか。
 だが、そのように小さくてはな。
 仕事が出来たとしても大人の男の半分か、三分の一か。
 やはりどうせ雇うなら、」

「父上……」

「う、む、そうだな。
 嘉兵衛も元服したことだし、小者の一人も付けてやってもいいかもしれん。
 が……、どこの馬の骨、教養の無い者を嫡子に付けるとなると外聞が。
 ……しかし、だからと言って我が家に、他に小姓の当てがあるわけでもないが……」


 ぶつぶつ呟かれ、値踏みするように上下に見られ、あげく大きなため息を吐かれる。
私はそんなに無学な人間に見えるのだろうかと思うと、ちょっとがっかりだ。
 
 父親はその後もしばらく渋っていたが、しかし結局は息子のおねだりに負けたらしい。
「猿達を連れ帰るまでには世話係も必要かもしれん」と、自身を納得させる理由をどうにかひねり出した。
「どうだ?」と息子を見、感謝と尊敬を増した視線を貰って、彼はどことなく得意げだ。
私への評価はひどいのに、強く反感を抱けないのは、この親バカっぽさをかわいいと思ってしまうからかもしれない。

 まあ内なる彼は腕を組んで胸を張って「えへん」とでも言っていそうだが、しかし松下父の表層は一応まともではある。
顔の筋肉が嬉しさに緩みそうなのをどうにか押さえている感じは、奥歯をかみしめているように見えなくもない。
良く見ればわからずにはいられないけど、気にしなければわからない。……かもしれない。
「顔は笑っていても目は笑っていない」の反対だから、見る人が見れば隠しようもないけれど。

 そしてそのひじょうに機嫌のよさそうな色を湛えた彼の目は、さっきまでまるで無関心だった私にも向けられる。


「儂らは今、大事なお役目の最中だ。
 よって猿になど貴重な人手を割いてはおれぬからな。
 故にこの調査が終わるまでは、その方を小者(下働き)として雇うとする。
 特例だ。心して仕えよ」

「……ありがとうございます」
 
「ふむ、猿使いか。
 直接召し抱える(雇う)など酔狂には違いあるまいが、珍しきことではあるな。
 話の一つにでもなれば、宴の余興にも……と。そうよな、その方は何か芸は出来るのか?」

「芸とは、歌や踊りでございますか?」

「お前のような矮躯(わいく 小さい者)に、武芸の才など期待しておらんわ」

「厩(うまや)の厄払いに、祓詞と猿舞を」

「それだけか?」

「以前、傀儡子(くぐつ)の一座に居りましたので、唄も少し」

「ほう、『歌』か。
 小者ながら、ずいぶん大きな口をきくものだ。
 どれ、それが真かどうか、儂が一つ試してしんぜよう。
 題はそうだな、……『松』だ」


 勘違いされている! と青くなる私に、面白がっていることが丸わかりな上から目線が注ぐ。

 私が「唄える」と言ったのは、節(曲)付きの「俗謡」のこと。
 それに対し彼が言っているのは、短歌や俳句の「歌」の方。

 武家社会での「歌」は出世するのに必須の教養科目ではあるが、庶民の娯楽とは一線を画す。
庶民は、誰かが作った歌を覚えて「唄う」ことはあっても、自作の歌を作ることはまずないと言っていい。
技法を踏まえて創るには、それ相応の勉強が必要だからだ。
農民でも懇意の寺に行けば、字や簡単な計算を学ぶことは出来るが、「歌」の作法までは教われない。

 以前、東白屋(あずましろ)に雇われた時などがいい例だ。
東白屋は、京の大店(おおだな)のイメージを駿河で売り込むために、太夫達に教育をほどこした。
「歌」が詠める特別な舞手を接待に出すことで、他とは違う高級感を相手に印象付けたのだ。

 京の公家や大きな商家の者、高名な僧侶でもない一般人に、「歌」などつくれるはずもないのは常識。

 「歌」は「歌」でも、私が言ったのは違う意味だと彼にはわかったはずだ。
なのに取り違えて、その上さらに小馬鹿にしたような言いようが腹立たしい。

 ……と考えて、今まさに「話の一つ」にされようとしているのだと気が付いた。

 小さい子の失敗談は、確かに笑える話になる。
下々の無教養が笑われたり、馬鹿にされたりするのもよくあること。
雇うついでに新しい玩具で遊ぶ程度の気持ちで、意地悪や悪意などないのかもしれない。

 でも。

 この場では笑いをとった方が上手くいくだろうとは思う。
「出来ません」と泣きだしたり、わざと勘違いを重ねて下手な歌でも歌うことを望まれているのではないかとも思う。

 でも。

 その方が円満に行くとわかっているのに、気持ちが治まらない。
私の小さなプライドが、突き上げるように反発を訴える。

 「相手が好きだから笑ってほしいとおどけてみせる」のと、「媚を売るために馬鹿にされてわざと笑われる」のは違う。

 青臭いのはわかっている。でも、だけど、やっぱり無理。
出来ないふりをするのは、最初から逃げているみたいで嫌だ。
挑戦されたならば全力で応えて、それで笑われたとしても、そっちの方がまだましだ。


 「松下」様だから、『松』のお題―――。
ならば、とことん目出度い(めでたい)歌でも詠んでやろうと私は考える。
命の危険がないからといって、武器を持った人間を怒らせたくはない。
だから、バカにされないくらい良い「歌」を詠うだけだ。

 「松」は縁起のいいものなので、先達の作品がたくさんある。
太夫達に座長に弥四郎先生に、だてにこれまで仕込まれ導かれてきたわけではない。
ダメさを装って逃げるのが嫌なのは、この先生達を私が愛し尊敬しているからというのもあるのだろう。
教養を疑われたままにしておくということは、彼らの教えに泥を塗るのも同じだ。

 基本の知識もあるとのアピールも兼ね、完全創作ではなく「本歌とり」でいこう。
「本歌とり」とは、コピーすれすれでパロディさせるという、日本の歌文化の妙を競う技術だ。
厳しい字数制限の中、半分近く同じ言葉を使いながら、しかし同じ意味の歌には決してしない。
これは本歌とされる歌をよく知らなければ出来ないことだから、教養があることの証明になる。

 相手が知らない歌だと意味がないので、有名だけど有名過ぎないものをチョイス。
一座に好まれた梁塵秘抄の中から、後白河法皇お気に入りの歌を本歌に選ぶ。
後、わざとらしいくらい大げさに芝居がかった一礼をして、私は始める。


「では戴きました『松』の御題で、一つ。

 五月雨に 松の木陰に身をよせぬ
 この身染めゆく 千歳の翠(ちとせのみどり)」

「見上ぐれば 梢に露の 連なりて」

「一吹き風に 葉は濃さを増し」

「若駒の みだれ蹴散らす 朝まだき」

「西山の端 月は落ちらん」

「文ひろげ 硯に向かい ……」

「あはれになりて もの思ふ……」
 
「年寄(としより)の……」

「根問い(ねどい)して……」

   ・
   ・
   ・
   ・

 連歌(れんが)なら連歌と先に言っておいてくれればいいものを、無駄に技巧をこらした一句目が台無し。
「歌」と言われただけだから三十一文字詠んだのに、無理やり三句目を繋がれてしまった。

 Aさん「五・七・五」、Bさん「七・七」、Cさん「五・七・五」~と続けるのが連歌。
正式にやるなら、私が詠んだ最初の句は、正客と主人とが二人で分けて受け持つ。
それを松下父は、わざわざ発句(一句目)と脇(二句目)とに分けて解釈してくれたらしい。
三句目を詠み、「続けろ」と言う眼つきで私を見下ろしてくる。
トランプのババ抜きを二人でやるような不毛さだ。型破りだし、無茶苦茶すぎる。
 
 心の準備など全くなかったから、心臓はバクバク。
しかし、挑まれると受けて立ちたくなるのが私の悪い癖。

 連歌の作法なんて、太夫達が勉強している時に、くぅちゃんと立ち聞きして覚えた分くらいしか知らない。
けど、女は度胸。今さら一度は引き受けた勝負を、知らないからと途中で尻尾を巻いては逃げられない。
自分が高尚な粋人にはほど遠いことを割り切れば、やれる……はず。手くそでも、気迫で勝負だ。

 連歌は連想ゲーム。ヒントが十七字、答えが十四文字のクロスワードパズル。

 細かい決まりが厳しいのは三句目までだったと思う。
それ以降は、流派と流行で変動するから少しくらいいいかげんでも許されるだろうと、大胆にひらきなおる。
とりあえず前の句と合わせて「五・七・五・七・七」で一つの歌になるように作っておけば、それなりの形にはなる。
書記がいるわけでもないし、一時の恥はかき捨てだと拳を握る。


 意地になって返した四句目。五句目が来て、六句を絞るように紡ぎ出せば七句目が……。


 始めたのは松下父。
だが、だからといって彼が文人というわけではないらしいことは、私も早々に気が付いた。
洗練されているとも言い難い言葉選びの出来は、どっちもどっち。
私の中には今生で学んだ分以外にも、この時代外の俳人達の知識があるが、それを生かすにはセンスが足りない。
松下父の歌にも、巷で好まれ流行になるような、趣(おもむき)があるとは言い難い。
やればやるほど互いに才がないのがわかってきちゃうのに、しかしやめられない。止まらない。
むきになる親父殿もアレだけれど、つきあって続けてしまう私も私。

 でも、同じくらい下手だったから、いいのかもしれない。
 テンポよく、勢いで繰り出す単語の応酬は、どんどん楽しくなる。

 その破れかぶれの赤裸々(せきらら)さが、連帯感というか達成感を共感させる。
連歌とは、相手の生み出したフィクション(幻想)を呼吸するように取りこんで共有し、完成させ連ねて行くもの。
二人で一節の「歌」という「小さな世界」を作り続けるのだから、一体感を感じるのは当たり前のことなのかもしれない。

 親父殿も頑張っている、私も頑張っている。頑張っている気持ちだけに相通じるものがある。
真剣に挑めば、茶化すこともなく応えてくれたのだし、根は誠実な人なのだろう。
子供相手と侮らず、真面目に遊んでくれる人は嫌いじゃない。


 ―――連歌なら続けて五十首、あるいは百首。
「松」から始まった歌は、だがそこまで行くこともなく、どちらともなく止まる。

 全部言わなくてもわかり合ってこその日本人。
最後の句の余韻を惜しむような、ほんの少しの静寂。
深く吐きだす呼吸に、満足の吐息が混ざる。
あからさまに視線を交わさなくても、何となく相手も同じ気持ちではないかと感じる。

 私は襟を正し、背筋を伸ばし、彼に深く礼をとった。

 これは、私の負けを認めたからではない。
勝敗に関わらず、勝負の後は相手の健闘を称え、礼を尽くすのは当然のこと。
深く下げた頭をゆっくり起こせば、松下父もかすかに顎(あご)をひいてみせる。
尊大に見えるが、身分の差を考えればそれでも充分な返礼だ。


「……。
 小者にしては、なかなかやる。
 これは思わぬ拾いものだったかもしれん。

 嘉兵衛、今のを聞いておったな?
 この者はお前に与える。
 武の相手にはならんだろうが、文の方ならこれも多少は使えるようだ。
 家を継ぐなら、武ばかりではいかん。文にも精進せよ。何事も鍛錬あるのみ。
 これをよく面倒を見てやり、お前も学ぶように。いいな?」

「はい、父上!
 ありがとうございます」


 元気な返事をした少年が、振り返り手招く。
私と猿と少年を残し、他の兵達は一件落着とばかりにそそくさと背を向けて行ってしまう。

 ……というわけで、猿の世話係兼少年の小姓(仮)として、私の松下家への就職がここに決まった。



[11192] 戦国奇譚 嘉兵衛
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:61dfddd8
Date: 2010/08/22 23:12

「あっ、沈んだ」

 そう言ったのは、私の右に座る嘉兵衛少年。
ユキとハナは足元近くの定位置で、仲良く毛づくろいをしている。
私達がいるのは水辺から少し離れた比較的乾いた台地。
朝方移動してから真っ先に、浮島のように小山に茂っていた草木を荒く切って作ったベースキャンプだ。

 朝一の作業後は、その場所を中心に散開して本業開始。
私達の眼前では男衆が、集中豪雨の避難時のように腰を紐で繋ぎ、川の浅瀬を行ったり来たりしている。



 ――――― 戦国奇譚 嘉兵衛 ―――――



 いい大人達が泥まみれになって何をしているのかといえば、「浜名湖周辺の河川の調査」。
松下父が言っていた「大事なお役目」とは、これのことだった。

 調査は数人一組。
流れの中に竿(さお)をさして水深を計ったり、木片を流して流れの速さを調べたり。
(……猩々が打たれたのは、この計測用の棒だったらしい)
水があふれ湿地状態になっているところが多く、水の出口を探すのには時間がかかる。
時には、葦の茂みの陰に段差ができていて、そこに水が溜まって天然の落とし穴になっていたりもする。
迂闊(うかつ)に踏み込めば、大人が腰まで沈む場所もあり、作業は容易ではなさそうだった。

 で、そんな危険なフィールドなので、私と嘉兵衛少年は仲良く安全地帯でお留守番。
彼は父親の言を忠実に守りたいらしく、私の様子をこまめに気遣ってくれる。
もしかしたら、これまでの調査期間も見学組で、退屈をため込んでいたのかもしれない。
まだ実年齢は中学生にもならない少年に、長時間「動かずにいろ」と言うのは酷なことだ。
松下父もそれを考え、私を暇つぶしの相手としてあてがうことにしたというのはありそうだった。

 しかし、私は「雇われ人」で、彼は「雇う側」。
構う対象が出来て嬉しいのかもしれないが、立場を越えて甘やかされると周りの目が怖い。

 実は昨夕すでに一つやらかしているだけに、慎重に成らざるを得ない。
まあそのやらかしてしまった一件は後回しにするとして、今はこの見学の場での対処法だ。
「疲れた?」や「お腹すいていない?」などの言葉を丁寧に否定し、彼の意識をお勉強方面へと誘導中。
「知らないことばかりなので教えて下さい」と頭を下げれば、少年の「構いたい欲求」も満足させられる。
これなら誰かに聞かれても言い訳が出来るし、情報収集にもなって一石二鳥だ。

 それで、私は先ほどから、彼にいろいろ質問を重ねている。
気持ちよく応えてもらうため、膝まで泥につかりながら陣頭指揮をしている松下父を褒めることも忘れない。
お仕事中のお父さんのかっこよさが五割増しなのは、現代も戦国時代も変わらないから、その辺は余裕。
事実、泥まみれになりながらも、人任せにせず作業を直に指図している松下父はとても素敵だ。

 測量や地勢の調査は、建築にも絶対欠かせない大切な作業。
こういう縁の下の力持ち的な仕事を真面目にこなす人達がいたからこそ、後世にまで残るものが出来る。
松下父の仕事は建築の為ではないけれど、全ての技術はたくさんの経験の蓄積があってのもの。
私は、陰日向なく働く尊敬に値する人達を褒める言葉はどれほど重ねても惜しいとは思わない。

 でもちょっと趣味の領域に脱線し、熱を込め過ぎた。
褒めすぎて、初心者の嘉兵衛には引かれたかもと恐る恐る窺えば、頬を染め嬉しそうにしている。
彼の「お父さん好き度」を侮っていたようだ。まだまだ大丈夫そう。


 好きなものの話をすれば口は軽くなる。
アイドルを追いかけるファンのように、たわいない「好き」を並べて競いながら会話に誘い込む。
話の火口を掴んだら、否定の言葉は出来るだけ口にせずに流れをつくればいい。
そして調子が上がってきたところで、松下家について少し突っ込んだ質問を入れる。
これはずいぶん多くの人手を使っているから大きな家なのかと思っての、勢力チェックが狙いだった。

 ところが私の推測に反し、嘉兵衛から返ってきた答えは以外なもの。
ここにいる人達は、全員が同じ家の部下というわけではないそうなのだ。
松下家だけではなく、在郷の武士達がこの仕事に駆り出されており、幾組かに分かれ調査にあたっているらしい。
眼前の彼らも、その複合班の中の一つだった。


「……ということは、これは飯尾ぶ、ぜんのもり様の御下命の、」

「豊前守様」

「飯尾豊前守様の、御下命の、お仕事で集まられた方々。
 えっと。でも指揮を取られているのだから、松下様が一番偉いんですよね?」

「父上は、何事も人任せにするのはよくないとお考えになられる方なんだ。
 同格の家なら、代理よりも家長の方が上。
 それで、必然的に父上が指揮をとっておられる。
 後は……。
 毎年のことだから、全部の日程を同行されるのが父上だけだというのもある。
 それから、川の下流に比べて、上流の調査は難しいんだ。
 他の方より一番詳しいから、父上が任されている」

「松下様は、とても誠実な方なのですね」

「うん。
 愚直だと馬鹿にする人もいるけど、僕は父上が正しいと思う」

「私もそう思います」


 真面目すぎて貧乏籤を引いている……のではなく、責任感があるから頼られているのだろう。たぶん。
嘉兵衛と同意の笑みを交わし合い、ここからは松下家の所属する遠江の支配制度の復習だ。

 駿河・遠江は、今現在、今川氏の支配下にある。
大名今川氏の居城は駿府(すんぷ)の今川館。
だが、建武三年に遠江守護、暦応元年に駿河守護になったそうで、遠江を任された方が先なのだそうだ。
そこから九代、二百年にわたり彼の一族はこの両国を統治してきた。

 そんな遠く源氏の血を引き、足利将軍家とのつながりもある老舗の名門今川氏。
支配下武将達を「寄親・寄子(よりおや・よりこ)制度」というのを用いて統制している。

 この制度は、寄親一つにつき寄子を一~数家で組み合わせ、在郷の武士達をまとめたもの。
現代風に言えば、今川本社にフランチャイズ加盟した支店が各地にいっぱい、というところだろうか。
上納金(年貢)を納めさせつつ、各店舗のシェア(領地)は最低限自力で守るのが基本。
規約や経営ノウハウは本社からおりて来るが、支店内の人事や給料などの細かなことは店長の采配が許される。
一番上は大名だけれど、地方はその地元の武士間で主従関係を固められるよう権限が与えられているのだ。
もちろんあまりひどいことをすれば、下剋上されたり反乱されたりするリスクはどこも一緒。
でも寄親が寄子を監督し、それを大名がさらに支配することで、末端まで離さない権力のピラミッドができる。

 で、その土台とも言うべき子にあたる松下家の親が、私達の会話の冒頭にも出てきた引馬城主・飯尾豊前守。
この調査を命じた人であり、今後、猿のハナが貰われていく先でもある。


「血縁による『同名(親族)』と、奏者(寄親)を同じにする『同心(寄子)』、か……。
 良く統制がとれているから、私てっきり全員松下様の御家来衆かと思っていました」

「もしそうだったら、きっと大変だな。
 うちは松下とはいっても、本家筋でもないし。
 こんなにいっぱい人を抱えたら、裏の沼を全部田んぼにでもしなければ、きっと干上がっちゃうよ」

「お父上なら、開墾の指揮も上手く取られると思いますよ。
 ええと、松下の家人はどの方々ですか?」

「さっき沈んでた長助と、あっちで書き物をしている元吉」

「長助さんと、元吉さん」

「あっ、またっ」

「沈みましたね。
 あの辺り、段差が多いのかも。
 草も生えてるし、水が濁っていると足元も全然見えなさそうだし。
 こんなに水があふれてる時だと、危ないですよね。
 もっと測量しやすそうな季節も、あると思うのですけど」

「水の配分が大事だから、毎年今の時期にやるんだ。
 雨が降って湖の水かさが増えると出来る川もある。
 『田に水を入れる直前にこそ正確な水量を調べておかなければならない』と、父上は仰っていた」

「すみません……、考え無しなことを言ってしまいました。
 皆さんがこうして頑張って、水がちゃんと村に届くよう見守って下さっているのですね」

「雨がいっぱい降って、水がある時は問題ないんだ。
 でも水が足りなくなると、村は訴えを領主に持ってくる。
 そんな時、川のことをよく知らなければ正しく裁けないだろう?
 枯れた時も調べるけど、多い時だって知っていなければならない。
 『知らないと思うことが恥』なんだって」

「私も、もとは農家の出だからわかります。
 水が公平に配分されるかどうかは、生きるか死ぬかの問題だから。
 松下様のような考えを持って下さる方が上におられるということが、どんなにありがたいことなのか。
 皆さんのご領地の方も、たくさん感謝していると思います」

「そうだったら、嬉しいなぁ」
 

 現代のように水門が作られ水量を調節できる川や、護岸工事で整備補強された川はほとんどない。
少しは手を入れられているところもあるけれど、大雨や台風が来れば一たまりもないような脆弱なものばかりだ。
雨によって簡単に生まれる小さな川も多く、それらは季節によって大きく左右される。
井戸を掘れば生活用水には出来るけど、田畑に使用するには到底足りるはずがない。
どんなに不安定であっても、川は農業で生きる者の命の綱なのた。

 だから川の権利を巡る争いに、村は必死になる。

 戦の多い時代だ。農村だって自衛をする。兵になることもあるから、自前の武器もある。
村の城を作るなど、農業以外にも工夫を凝らしているところだってある。
そんなポテンシャルを秘めた村が、不公平を理由に争い始めたらどうなるか?
嫁にきたりやったりする交流のある近隣の村との間で流血沙汰になれば、それは一時の傷には収まらない。
遺恨が残らないように、双方同じ数のケガ人死人を出して終わらせたとしても、失われた命は還らない。
身内に被害者と加害者を抱くような悲劇が少しでも回避されるなら、それにこしたことはなかった。

 一たび戦が起これば、武士は村を焼き、青田を刈り、家の戸板や屋根・柱まで持っていってしまう。
戦後補償などあるはずもなく、奪われたら奪われっぱなしで、泣き寝入りするしかない。
年貢は取るし、賦役も取るし、戦となれば人も取る。武士はたいてい理不尽で横暴だ。

 しかしこのように、表にはあまりでなくても還元されているものもあるのだ。
彼らが戦に明け暮れ、領地取りだけに力を注いでいるのではないと目の当たりにできるのは、嬉しいことだった。

 川辺では相変わらず地道な作業が続き、嘉兵衛は父の背中をきらきらした目で追いかけている。
私も傍から見れば、たぶん同じくらい好奇心に目を光らせて、彼らの仕事を眺めているように見えることだろう。

 よく考えたら、私も戦以外の武士の仕事を見るのはこれが初めてだ。
石川氏の村にいた佐吉も、武士といえば武士だったけど、彼は農民と同じような仕事をしていた。
松下家は大きな家ではないそうだから半農かもしれないが、武家らしい暮らしも垣間見られそうな気がする。
それを考えれば、この先の生活にも楽しみを見つけられそうだと、私は胸に期待を宿らせた。



 川の調査は、朝早くから始まるが夕方の終わりも早い。
日の光の残る間に野営の準備や夕食の支度を終えてしまった方が何かと楽だからだ。

 私と嘉兵衛は昼間仕事が無い分、この時は出来る限りのお手伝いをしている。
流木や石を動かし座る場所を整え、煮炊き用の竈(かまど)を作る。
踏み荒らされて濁っている場所を避けて水を汲み、湯を沸かして皆の帰りを待つ。

 嘉兵衛は、今回の調査が初めての参加なのだそうだ。
外での食事の支度なども、見たことはあっても手で触れたのは初めてだとも言っていた。
私が石を拾っていると隣にやってきて自然に手を出すから、慣れているのかと思ったが違ったらしい。
「手伝いたいとはずっと思ってはいたけれど、何をすればいいのかわからなかったんだ」と告白された。
父親に似て生真面目な彼は、働く父を見て尊敬を募らせる半面、自分が何もできないことが辛かったようだ。
私がやることを真似してどんな仕事も厭わずに手を出そうとするのを見るたびに、いい子だなと何度も思う。

 しかし彼を手伝わせることは、最初は「主の息子を働かせるなんて」と怒られるかもしれないとも思った。
が、雑事を率先して手伝う彼を見守る周囲の目はあたたかかった。
あの松下父の子だ。横柄なお坊ちゃんより、働き者の孝行息子の方が好感度が高いのは当然か。
食事も同じものを同じ鍋からだし、注がれる順番が偉い人の方が先ってだけの違いしかない。
武士もピンキリ。何でも部下がやってくれるなんていうのは、大きなお家の子だけということなのだろう。
命令系統ははっきりさせないといけないが、例え武士でも下の方だと生活はそう変わらないのかもしれない。

 嘉兵衛と二人でする夕餉の下準備も、二度目ともなればだいたいの要領はつかめてくる。
お湯が沸く頃には、泥を落とした者達がちょうどよく帰ってきた。
食事を作るのはその日の当番がいるらしいので、私達は一度引きさがる。お手伝いはここまで。



 ……ここまでは順調だ。そう、ここまでは何も問題はない。
思わずふっと吐いてしまったため息に、嘉兵衛が即座に反応し、顔を覗き込んでくる。


「日吉、疲れたの?
 ユキが重いなら、僕が抱いててあげようか?」

「大丈夫です、嘉兵衛様」

「そう?
 疲れたのなら夕餉ができるまで寝ていてもいいよ」

「ほんとに、大丈夫です。
 皆さんお仕事しているのに、私は何も出来なくて申し訳ないぐらいなんですから」

「でも、日吉は小さいし。
 そうだ、お腹はどう? まだ平気?」

「はい」

「遠慮したら駄目だよ。しっかり言わないと。
 皆、僕が言わなければ日吉にちゃんと別けてやらないんだもの、駄目だよね。
 日吉は父上にも認められて、松下の者になったっていうのに……」

「あの時は、ありがとうございました。
 今はしっかり分けてもらえています。
 嘉兵衛様のおかげです」

「……うん」


 簡易の具足をつけてはいるが、この集団は短期の調査の為のもの。
人員も日数も限定で、飛び入り参加の私にまわせるほどの余分な兵糧はなかった。
私も旅の途中だったから数日分の携帯食なら手持ちがあり、猿達のこともあるからどうにかする術はある。
魚とか水辺の野草とか、味を選ばなければ食べられる物を見つけることは可能だった。
戦でもなんでも、参加初日の食糧持参は、一般庶民の基本ルールともいえる。

 正式に就職し、同じ主から碌(ろく 給料)を貰った時点からが同僚。でもそれまでは、半分余所者。
信頼の無い他人同士が一緒にいる場合、相手を不安にさせないための暗黙の了解というものがある。
新規の同行者なら、「焚き火の残り火を使わせてもらえれば良し」というところか。

 例えば夕餉の支度だって、湯を沸かすまで出来るのは嘉兵衛がいるからだ。
もしも手伝うのが私一人だったならば、竈は作っても、火をつけるどころか薪を積むことさえしなかったと思う。

 けれどそういう旅人や下っ端の常識を、経験少ない嘉兵衛少年に求めるのは無理なことだった。

 彼にわかっていたのは、私が父親に認められ「雇われた」ということ。
あとは、「よく面倒見てやるように」と、任されたことぐらいだろう。
紹介もない赤の他人を新人として雇った場合なんて、想像したことさえなかったかもしれない。
大きな戦でもなければ、普通は兵も使用人も縁故や伝手で集めるものだから。

 まあ戦時の例外は置いとくとしても。
途中参加の新参は、転校生じゃないけれど、まずは万事控え目にして観察し以後素早く馴染むのが鉄則。
一座で旅している時も新規の同行者はそうして迎え入れたし、私の経験から言ってもこれが最も無難な方法だ。
今回も、私は出来ればそうしたいなぁと思っていたし、するつもりだった。

 しかし、そんな私の思惑を裏切って、嘉兵衛は初日にひと騒動やらかしてくれた。
私に夕餉が配られていないことに目ざとく気づき、彼は部下を鋭くたしなめたのだ。
 
 私のことを思ってくれているのは嬉しいけど、微妙。
 今後同僚となる兵達との関係と、直近の上司の好意を天秤にかけると、……微妙。

 よけいなことだなどとは絶対に言えない。
けれど、嘉兵衛の威を借りて、足りていないのがわかる食料を貰うわけにもいかない。
「敵」と認識すると即座に反撃を考える負けん気も、このてのアクシデントには役立たず。
悪目立ちして頭は痛いのに、私を守ろうと彼がせいいっぱい頑張ってくれているのはわかってしまう。
わからないのは善意をはねつける方法で、対応しきれず無駄におろおろだ。

 こういうのは、ものすごく困る。
自分が第三者なら仲裁出来ても、当事者になったら何もできない。

 困って困って……、その困窮を隠しきれず、顔にも態度にも出してしまったのだろう。
部下の人達が折れてくれて、騒ぎは私にも夕餉を別けてくれるということで治まった。

 ……でも私のその時の様子から、何を間違ったか「遠慮深い子だ」と思うのは、完全な誤解だ。
私のことを「ひじょうに奥手ないじめられっ子」だと認識するのも、大きな勘違いだ。
すでに世話を焼く気満々なのに、さらに過保護になろうなんて、絶対どうかしている。

 嘉兵衛少年は真面目でいい子なのだけれど、いい子すぎるところがちょっと欠点でもあった。



 初対面では不審者として追いかけっこ、初日の食事時には一悶着。
これだけの経緯があれば言わずともわかるだろうが、私は部下の人達との関係が上手くいっていない。

 しかし、彼らの気持ちは良くわかるから、こちらから強引なアプローチも憚られる。
いざこざから一転すぐに主に認められ、その息子の世話役に大抜擢されるなど面白いはずもない。
主人の息子がのほほんと見学しているのは許せても、新人の同僚がその隣でぼけっと座っているのも嫌だろう。
嘉兵衛とあっさり仲良くなれた反動もあるかもしれない。
あまりに急速に懐かれたのが、上手く取り入ったように見えるのだろうと、自分でも思わなくはないからだ。

 だからそんな状況なので、この「食事の時間」は何よりも一番気まずかった。

 分けてもらう立場は動かしようもなく、申し訳なさが先に立って何も言えない。
見てないようで見ている嘉兵衛少年がいるのでエスケープするわけにもいかず、渋々椀を差し出す。
一番最後に食事を受け取り、兵達とは少し離れたところに腰を下ろすのがせめてもの気遣いだ。
彼らの輪の中に入って行くほど厚顔にはなれない。



 嘉兵衛は父親と食事を取るので、さすがにこの時間までは一緒にはいない。
傍にいるのはユキとハナだけで、これはこれで気楽でいい。
自分の分が必要なくなったので余った携帯食を猿達に与えながら、私は雑穀の粥を啜る。
固形物が見つからないから、粥というよりスープに近い。箸(はし)よりもスプーンが欲しいかもしれない。
ぼんやりと椀の縁をなぞりながら、スプーンを自作すべきか否か考えていると、視界に影が差した。


「嘉兵衛様?
 どうしました?」

「日吉、もう食べ終わったの?」

「え? あっ、はい」

「たくさん食べないと、大きくなれないよ。
 日吉は遠慮が過ぎるから」

「そんなこと、ないです」

「そう?
 ……昨年、父上が駿府に行かれたんだ。
 治部大輔様の和歌の御指南役が出家なされるということで、大きな法要が営まれて。
 それでその時、豊前守さまがお泊りのところにもたくさんお客さんが来られたんだって。
 父上はその接待のお手伝いをしたそうなんだ。
 お客さんは公家の方々で、歌の手ほどきなども快くしてくれたそうなんだけど……。
 食べものに関してはすごく注文が多くて、とても大変だったって。
 それで、『和歌を上手く読まれる方は口も肥やさねばならぬようだ』と父上が言ったら、
 それを聞いた豊前守さまが、『源左衛門は上手いことを言う』と膝を叩いて褒めて下さったそうだよ。

 日吉も父上と競うくらいだもの、食事に関しても煩いのかと思ったのに。何も言わないし。
 奥ゆかし過ぎて、どうしていいかわからない」

「…………。
 ……私は、公家ではないので」

「それはそうだけど。
 日吉は僕に歌の稽古をしてくれるのでしょう?」

「嘉兵衛様に教えられるほど、私は上手ではありません」

「そんなことないよ。
 この辺りには、歌の出来る方はあまりいらっしゃらないんだ。
 駿府に向かわれる方が立ちよられることもあるけれど、長居はして下さらない。
 でも、歌の一つも出来ないと田舎者だと馬鹿にされるから……。
 父上も、何度も教えを請いに遠くまで行かれたんだよ。
 日吉がそんなこと言ったら、僕は……」

「嘉兵衛様っ。
 あの、私は松下様に『出来ることならなんでも』とお約束しましたから。
 上手くはないと思いますけど、お手伝いはいたします。いえ、させて下さい」

「一緒に稽古する?」

「はい。よろしくお願いします」


 「うん」と肯く嘉兵衛の笑顔は、暮れ始めてはいたけれど良く見えた。
今日はいい天気だったし、平地で高い木もないから、星や月の明かりで夜も明るいだろうな……と思う。
ちょっとだけ現実逃避した私の隣では、何が楽しいのか嘉兵衛がにこにこ笑っている。
ずいぶん機嫌が良いようだ。
 
 彼はしたたかなのか、純真なのか。やっぱり箱入りなのだろうか。
私が思うに、松下父の言はあきらかに嫌みだろうけれど、嘉兵衛の解釈では違うっぽい。
素直なのは長所だが、少し不安にもなる。
「言葉を鵜呑みにせずに斜めに見てみる」なんてことは、どうすれば上手く教えられるのかわからない。
下手なアドバイスで彼を傷つけ、歪めてしまうのは怖い。
でも何も知らないまま、彼が誰かの悪意に傷つけられるのも嫌だと思う。
そう思うくらいの好意を、この短い期間でもすでに私は持っていた。

 どうしたものかと思いつつ嘉兵衛を見ると、なんだか彼はふらふらしている。
そういえばこんなふうに夕餉の後に尋ねてくるというのも変だった。


「嘉兵衛様、大丈夫ですか?」

「座ってもいい?」

「はい。
 あの、ほんとに顔も赤くなって……って、あれ?
 この匂い、お酒ですか?」

「うん。
 先ほどね、同心の桑野様が来られたんだ。
 調査が明日までだから、終了の挨拶に。
 明日は下流を調べていた方達とも一度合流して、それから帰途につく。
 日吉には言ってなかったから、伝えておかなきゃと思って」

「ありがとうございます」

「うん。
 それで、お酒を差し入れて下さったので、僕も少しいただいた。
 桑野様と父上はお話があるようだから、御挨拶だけして下がってきたんだ」

「白湯(さゆ)を飲まれますか?
 もらって来ましょうか?」

「へいき」


 平気と言われても、放ってはおけない。
呂律は回っているけれどいつもより饒舌な気もするし、どことなく不安定だ。
ここは安全だけれど、少し外れれば水辺だし危ない。
私がこれまで何度か見たことのある酒は濁り酒で、アルコール度数はそんなに高くなさそうなものばかりだった。
「少し」とも言っていたことだし、嘉兵衛が呑んだのもそういう酒なら待っていればすぐに醒めるかもしれない。

 引きとめようと思った私がそれに取りかかるまでもなく、彼は座りこむとぽつぽつ話し始める。


「日吉は、不思議だね」

「不思議ですか?」

「不思議。

 皆、言うんだ。
 『嘉兵衛様のお父上は、ご立派な方です』って。
 僕もそう思うから、同じって言う。
 そうすると皆最後はこう言うの。
 『ですから嘉兵衛様も頑張らなければ、お父上のようにはなれませんよ』……。

 日吉も父上を褒めるけど。でも、最後が違うんだ。
 日吉は、『嘉兵衛様はとてもお父上を慕っていらっしゃるんですね』って言う」

「嫌でしたか?」

「嫌じゃない。……嫌じゃないよ」

「嘉兵衛様は、お父上によく似ておいでですよ」

「ほんと?」

「はい」
 

 膝を抱え込んで丸くよせられた嘉兵衛の肩は薄い。
元服しているとは言っても、私から見ればまだ守られていてもいい子供に見える。
甘えたければ素直に甘えればいいのにと、慕う気持ちを隠せない彼を見ていると思う。 

 嘉兵衛は、私に話している時は自然に「僕」と言うし、口調もどちらかといえば幼い。
それが父親との会話では「わたくし」を使い、丁寧な言葉で理屈っぽく話そうとする。
あんなにお父さんが好きなくせに、その姿勢はまるで一歩引いているかのようだ。

 彼は私に「遠慮が過ぎる」と言うが、彼自身だって「頑張り過ぎ」なのだと思う。
努力は大事だけど、自分を歪めてまで無理はすることはない。
松下父とはどう見ても両思いなのだから、父の方も甘えられたら嬉しいと思うのだけれど。

 何か進言しようかと言葉を選ぶ私をさえぎって、独り言のような小さな声で嘉兵衛は紡ぐ。


「父上は僕を嫡子と認めてくださっている。
 お婆様(おばあさま)も。
 お婆様の侍女たちも。長助や元吉も。
 それから……、義母上(ははうえ)も。

 ……。
 今年元服の儀の時に、初めて義母上が来られたんだ。
 義母上は、妹を抱いていた。
 最初にあった時、日吉がユキを抱いてたみたいに、胸にぎゅっと仕舞ってたよ。

 ……僕を生んで下さった方は体が弱くて、僕がまだ小さい頃に亡くなられたんだ。
 僕はよく覚えていないけれど、でもお婆様も父上も『立派な方だった』と言って下さる。
 『己が命に代えても無事に松下の跡取りを生んで見せる』と約束されて、その約束をみごと果たされた。
 『武士の妻の鑑(かがみ)』のような素晴らしい女性だったと、お婆様に教えていただいた。

 父上は僕の母上が無くなられた後、次の義母上を娶られたんだけれど。
 お婆様の許しが出なくて、今まで家には上げられなかったんだ。
 僕が元服して嫡子として揺るがなくなったから、ようやく来て下さった。
 でも、すぐにご実家に戻ってしまわれた。……義母上のご実家には、まだ小さい、弟がいるから。

 お婆様は、その弟だけは引き取りたかったんだって。
 それを義母上は嫌がったから、妹しか連れて来られなかったんだって……。
 
 ……素晴らしい父上と、母上。
 僕はそんな父上と母上の息子だから。
 だからお二人が恥ずかしくないような、皆に認められる立派な嫡子になるから。
 そうしたら、……義母上もご実家に帰らずに、ずっといてくださるのかな。
 弟は……、会いに来て、……くれるのかな。

 ……本当の母上も、幼いころは、……僕を、だいて……」


 声はさらに小さくなり、やがて途切れる。
泣き出してしまったかと思ったが、すぅすぅと小さな寝息が聞こえ、眠ってしまったのだと知る。
立てた両膝の間に顔を埋めた姿勢でも眠れるなんて、ほんとに子供だ。
 
 川辺はいつのまにか静かになっていて、聞こえるのは嘉兵衛の寝息と水の音だけ。

 小さな肩。小さな背中。寂しい子供。
心に開いた穴を代わりのもので埋めようとしている、悲しい子供。

 比べたくないから考えないようにしていたのに、よく似たシチュエーションにどうしても思い出してしまう。
初めて遭った時の吉法師も、たぶん今の嘉兵衛と同じくらいの年だった。

 吉法師は、私がいつか主にすると決めた人だ。
 嘉兵衛は、成り行きだけれど今の私の御主人さま。

 でも私は嘉兵衛には、吉法師に思うような気持ちは抱けない。
共通項を見つけても、彼らはあまりにも違う。違いすぎた。

 想い出補正がかかっているのかもしれないが、吉法師には強烈なカリスマがあった。
彼は強い目をしていた。未来を見据えていた。

 嘉兵衛は優しい、いい子だ。お父さんに似て真面目で誠実。
私にも隔たりなく、まるで友達みたいに接してくれるし、とても頑張っている。

 二人の違いは、人としての個性の違い。
どちらの方が優れていると比べられるものではないし、両方の性質とも私は好ましいと思う。
嘉兵衛のことも決して嫌いではない。嫌いではなくて、どちらかといえばまちがいなく好きと言える。
けれど、でも何かが足りない。吉法師に感じたように、「人生を賭けてもいい」とは思えない。
「この人の役に立つ人間になりたい」と生きる指針にするには……、嘉兵衛はあまりにも、弱すぎる。
私が彼に対し感じるのは、「時々危なっかしいこの少年をフォローしてあげたい」という庇護欲にも似た感情。



 私の目の前で、子供は健やかに眠っている。
水を渡る風は涼やかで、子守唄のように柔らかく気持ちがいい。
まだ出逢って二日目だというのに、こんなにも無防備な寝顔を見せるから起こせなくて、私は黙って彼を見ていた。

 志に賛同し、忠義を尽くしたいと思える人をいつか主にするのだと思っていた。
庇護欲なんて雇われ人としては正しいのだろうかと迷う私にも、優しい風はそっと撫でるように通り過ぎて行く。








* 現代は、お酒は二十歳になってからです。



[11192] 戦国奇譚 頭陀寺城 面接
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:e74e48eb
Date: 2011/01/04 08:07
 私が前世の記憶を持って転生したのは極貧の農家。
家族には恵まれたけれどいろいろあって、旅芸人の傀儡子一座に五歳で就職。
しかし、芸事だけではなく副職も幾つか覚えさせてもらったというのに、事件に巻き込まれ一人リタイア。
一転、地方郷士を支える一族の村に、無職の居候としてお世話になる身となる。

 見知らぬ人ばかりの村で、ケガを負った状態からの再出発。
後継育成に燃える青年を励まし一番弟子に収まりどうにか立場を得るも、人攫いに遭ってまた白紙。
攫われた先では、戦の後の青空市で商売をしている故買商に買われ、短期の店員生活を経験。
それも商品が(私を除いて)全て売りつくされたところで解雇を言い渡され、再び無職になってしまう。

 生きて行くには働かないと! というわけで、人買市で自力で就職活動。
運よく期間限定の土建(山城の建設)の賄い(まかない)募集中で、仕事をゲット。
契約終了後は、古い知人のさらに知人である猿売りに同行し、再び旅芸人(密偵兼業)に戻る。
ところがまたもやこれも途中で頓挫(とんざ)して、今現在の私は武士の御子息の小姓見習い修行中。

 こうして並べると、十歳の少女の履歴にしては、なかなか素敵な波乱万丈具合だ。
なんというか職歴というよりは、冒険小説の副題の方が似合っていそうな感じもするが。
とはいえ転々としているのが歴然の経歴でも、私だってただ漠然と運命に流されていたわけではない。
多少なりとも心身ともに成長し、着実にレベルアップしてきているはずだ、……と思っている。



 ――――― 戦国奇譚 頭陀寺城 面接―――――
 


 過去を振り返れば、大波大波の連続だった。
でも、思い返せば真っ先に浮かんでくるのは、私を転がした事件事故よりも「良い出会い」。
転機が訪れるたびに、私はたくさんの人達と出会えてきた。
心に残る人の面影はどれも皆慕わしく、出来るならどの人にももう一度会いたいと強く思う。
「人」との出会いは、私の財産だ。
これに限って言えば、私はほんとに幸運ばかりつかんできたと胸を張って誇れる。

 そして今、私は再びスタート地点に立っている。
新しい土地。新しい仕事。新しい人間関係に、私は立ち向かう。
私の新しく生きる場所。そこは、基となった寺の名をとって、頭陀寺(ずだじ)と呼ばれる土地だった。



 浜名湖の河川調査から帰路一日。
帰ってきた私達は、堀と土塁(どるい)に囲まれた城屋敷に迎えられた。

 新しい場所で最初にすべきことは、脳内地図の作成だ。
芸事や商いに良さそうな場所、逃亡経路もついでにピックアップしてしまうのは経歴からの習い性。
私は手早く目を走らせ、周囲の特徴を確認する。

 一見何の変哲のない木立でも、目印を見つけられようになるのが肝心だ。
奇妙な形の枝があったらラッキーで、それがなければ全体の枝ぶりを把握するのでも良い。
方向音痴では生きていけない。お使いにもいけないし、ましてこの時代の旅人はやっていられない。
道を教えてくれる親切なお巡りさんのいる交番も、わかり易い標識も、目立つ看板もないからだ。
それどころか、方位磁石や地図を売っている店も、実をいえば見たことがなかったりする。
もしかしたらどこかにはあるかもしれないが、私のこれまでの知りあいの中には、地図携帯者はいなかった。

 ……と、閑話休題。まずは松下家の屋敷が有先だ。私は外側から順次観察していく。

 水の張ってない一重の空堀(からぼり)が、広い敷地を囲んでいる。
その内側の土塁は、現代の普通の家屋によくある塀(へい)と同じくらいの高さだろうか。
もっとも土塁はコンクリートブロックよりはるかに厚いので、威圧感はそれなり。
でも防御力としての実質を問われれば、この高さではそれほどあるとはいえないかもしれない。
しかし、城屋敷とただの屋敷の違いは、敵を迎撃する用意があるかないかの差に現れる。
「城」と呼ばれ区別されるのは、他者に示す意識が違うから。戦う意思が示されていれば「城」だ。

 見慣れた構造でも、改めて一つずつ探れば感慨深い。
嘉兵衛の家はお武家さんだったのだなと、彼があまりにフレンドリー過ぎて忘れていたことを再認識した。

 しかし。 やっぱり物々しいのは形式、ハード(設備面)だけ、かもしれない。

 門前では、こちらの一行を気にする女性が行ったり来たり。
本家の奥方様が自ら迎えに出られ、足を洗う水を用意して労をねぎらう準備をして待ってくれていた。
「お帰りなさい」と何度も声をかけてくれるこの方、松下父の妹なのだそうだ。


 嘉兵衛と父は母屋に上がり、それ以外は屋敷には上がらず庭先で待機を言い渡され、待つこと暫し。
具足を解いたり、道具から泥を落としたりしていると、嘉兵衛達についていったはずの奥方だけが戻ってくる。
夕餉にはもう少し支度に時間がかかるからと、わざわざ白湯と握り飯をもってきてくれたらしい。
「疲れて帰ってきてお腹もすいているでしょうに、ごめんなさいね」とやさしい言葉付きだ。

 お盆を持った奥方は率先して働き、細やかに気を配ってくれる。
彼女は、顔は松下父とあまり似ていないが、使用人の一人一人に声をかけるマメな雰囲気が同じだった。
武家の奥方という格式ばったところの全くない、気さくな笑顔。人を和ませる明るい声音。
声をかけられれば皆嬉しそうに応えていて、彼女がとても慕われているのもよくわかる。

 だから、だからそういう方に―――、

「ああ、あなたが兵部(嘉兵衛の幼名)の言っていた、日吉ね!
 このたび嘉兵衛の傍付き(そばづき 小姓)になったと聞きました。
 ありがとう。
 あの子の母親代わりの一人として、とても嬉しく思います。
 
 ふふふ、あの子ったら、初めて兄上のお仕事に同行したというのにあなたのことばかり話すのよ。
 あんなに楽しそうにしているのを見るのは久しぶり。
 母上は自覚が足りないなどと怒って見せていたけど、きっと陰で喜んでいらっしゃるわ。

 嘉兵衛はいい子でしょう?
 私達は、ほんとにあの子が大事なの。
 兄の跡を継ぐのはあの子しかいないわ。
 今は亡きお義姉さまが残してくれた、たった一つの私達のたからもの。
 ……なのに。それが今年の初めから、陰った顔ばかりするようになって。
 母上も後悔していらしたのよ。よけいな仏心など、出すのではなかったって。

 それが。
 ああ、あんなに笑顔で帰ってきてくれて!

 元服したからとて、すぐに外回りの仕事に連れださなくてもと思ったけれど。
 ほんの数日で、見違えるように立派になっていて、とても驚いたわ。
 配下の者を守り導くこと……、それを知ったあの子の顔は、しっかりと男子の顔をしていました。
 ……幼かったあの子が、あんなに…………。きっとこれも、あなたのおかげなのね。
  
 日吉。
 どうかこれからもあの子を、嘉兵衛を頼みます。
 あの子の力になるよう、仕えてやって下さいね」

  ―――特別熱烈に一人だけ感謝を告げられたりすると、嫉妬の視線が痛い。

 話しているうちに気落ちが高ぶったのか、彼女の目尻には微かに涙まで浮かぶ。
私の視線の高さにあわせて膝をつき、先輩諸氏に背を向けて。
それこそ今にも手を取って抱きしめたいとでも言わんばかりに超至近距離で、震える華奢な肩。

 これって、家人にこぞって慕われているかわいい人妻の感謝、私独り占めっていう?

 でもだからって、この奥方の後ろから突き刺さる視線は厳し過ぎ。ギャップ、激し過ぎ。
羨まれるのはわかるけど、私が意図してやっていることではないのに。
泥まみれになってお仕事してきた先輩方を差し置いて、何もしてない新人が……という気持ちもわかるけど。

 けれど、その針の視線を感じても。
この奥方が嘉兵衛のことを案じていた気持ちも、嘘ではないとわかってしまうから素気なくなど出来ない。
嘉兵衛の叔母にあたるこの人は、早くに母を失くした彼を幼い頃から慈しんできたのだろう。
彼女の感謝を述べる目の中に滲む家族の情は、初めて見つめる私の心まで揺らすほど甘い。
働き者で愛情深い奥方の姿には、「理想の妻」「聖母(マドンナ)」というイメージすら湧く。

 でもまあ、そんな「妻=母=女性」だからこそ、だ。
この行動もその女の本能的なものからきているのだから、もっと先輩方には寛大に見てほしいと思わないでもない。

 『兄の古馴染みの部下より、甥っ子の初めての部下をちやほやしたいのは仕方ない』んだってこと。

 優しくしながら、歓待しながら、彼女は私を計り、願いを注いでいる。
「私達の大切な人を、裏切らないでね。支えてあげてね」という望みを、無言で私に訴えかけている。
権力も武力も持たない女性が身内のためを思ってするそれは、彼女達のせいいっぱいの援護射撃。
その矛先が信頼のある古い部下より、まだ実績の何もない新人である私に多く向けられるのは、当然のこと。

 家族を守るため、やわらかに微笑む奥方様。やさしささえも武器にする、したたかさは悪じゃない。

 私は守られているばかりのか弱い花よりも、嵐に耐えて咲くたんぽぽが好きだ。
愛する人を想いひたむきに戦う女性の姿には、心惹かれずにいられない。



 そしてそんな素敵な彼女は、といえば。
その後も、「日吉は小さいのだから、もっと食べないと」とか。
「あら裾がほつれているわ。嘉兵衛のお古をあげましょうね」とか。
「あの子は昔から兄上に似て思いつめやすいから心配で……」等々。
余談を交えながらお母さんぶり全開で私の世話をやき、誰かさんそっくりの口癖を披露し、私を楽しませてくれた。

 好意に率直なところも、松下の血なのかもしれない。
「真面目な人は、素直な人が多い」というのが私の経験則だ。
松下父の仕事に対する取り組み方もそうだし、こうして間近に接する彼らの言動もこれに通じる。

 そう、嘉兵衛と彼女。この二人は、ほんとに良く似ていた。
というか、嘉兵衛のあの行動は、この人を見て覚えたにちがいない。
嘉兵衛は少年なのに、私に対しずいぶん軟らかいしぐさをすると思ったことが何度もあった。
食に対する気遣いや、何かを尋ねた後ほんの少し間をおいてこちらを窺うところなど。
私の心をとらえたそのかわいらしい癖の数々が、元が彼女だとすれば違和感はない。

 似るのは家族だから。それは、彼らの普段の仲の良さを偲ばせる。

 私だって、本物の家族には全然及ばないかもしれないけれど、嘉兵衛のことは気にいっている。
彼が私に母がいない寂しさをほんの少しこぼしてくれたのは、まだ記憶も新しいつい先日のことだ。
でもこんなふうに、彼にもちゃんと母のような愛情を向けてくれている女性はいたのだ。
嘉兵衛の優しさは、寂しさから来たものではなく、注がれた愛情に培われたもの。
それを知ることができたのは嬉しかったし、安堵も感じて、私の気分はさらに良くなった。



 奥方との会話は心地よく弾む。
私は嘉兵衛を裏切る気はないから、彼女の向けてくる「願い」を苦にせず受け入れられる。
お母さんみたいな女性に甘やかされることも素直に楽しめる。

 もちろん好意を受け入れ共感を示すことで、彼女が安心できるよう勤めることも怠らない。
後はそういう私の気持ちが上手く伝わっていけば、奥方の笑顔は増し、声音はさらに甘やかになった。
川辺での嘉兵衛の様子を話題にすれば、人妻とも思えない少女のような初々しさで目を輝かせ聞いてくれる。
彼女の感性は敏感で、鮮やかに返ってくる反応は気持ちいい。
初対面だったことさえ忘れてしまいそうなほど喜んでもらえれば、悪い気もしない。

 しかし―――。奥方が絶好調なら、後ろは急降下。

 全てが自分に都合よくいくわけがないのが現実だ。
眼前には魅力的な人妻。けれどその後方には、好感度が下がりつつある今後の同僚が。

 奥方に癒されれば癒されるほど、後ろから「調子に乗るなよ」とブレーキをかけてくる気配も駄々漏れ。
その進行度合いがぴったり拮抗しているのは、気のせいだろうか。
どちらも自重しないからどんどん加速して、さながら私は寒流と暖流に挟まれ右往左往する魚の気分を味わう。
魚は泳ぐことはできても、潮の流れも海の温度も変えられない。己の無力さに眉も下がる。

 で、そんな激しい温度差を前後に感じて過ごした半刻弱の待ち時間。
「夕餉の支度ができましたよ」との知らせがようやく届き、お開きとなった。
ただの夕餉ではなく、仕事の無事終了を労ったささやかな宴会みたいなものを催してもらえるらしい。

 宴席への期待の声が耳に入るが、私はそれより差し迫った急務に頭を悩ませる。
ここからどうにかして、下がりまくった同僚達との友好値を巻き返さなくてはならない。
どちらとも上手くやるのは難しいのかもしれなくても、今後を考えれば同僚に嫌われたままは困る。
さすがに下人の席にまで奥方が同席するとは思えないから、彼らと直接話すチャンスもあるはずだ。

 お酒でも入れば皆の気持ちも多少はほぐれるかもしれない、そこで一発笑える宴会芸を……などと。
悪くなっている印象を改善する策を思案しながら、移動する人達の後を追いかけようとした、が――。

「日吉。
 あなたは、こっちよ。
 母上もあなたに会いたいのですって。
 ごめんなさいね、明日まで待てなくて。
 あなたの分の夕餉はちゃんととっておくから心配しないで。

 ああでも待って、顔を拭いてから行きましょう。
 髪も梳かして、結い直してからのほうがいいかしら?
 まずは身支度をしなおしてからね。
 ほら、早くいらっしゃい」

 ――『また何でお前だけ』って、そんな目で振り返られても、私のせいじゃないし。

 今度こそ、すでに遠慮の欠片もなくなっていた奥方にしっかり手を引かれ、私は逆方向へと引っ張られた。
夕餉を告げに来た人は、奥から別の伝言も一緒に携えて来ていたようだ。
悪いイメージが固着する前に別の印象で塗り替えたかったのに、また無理そう。
私は、私がいない席で悪口で盛り上がられる懸念を頭の片隅に、なす術もなくドナドナされていく。



 未練はあるけどどうにもならないなら気持ちを切り替える。
私は同僚については諦め、事前の情報収集に勤しむことにした。
櫛を借りて髪を梳きながら、この屋敷に住む人間の家族構成を尋ねれば、奥方はにこやかに答えてくれる。
この屋敷の敷地には、松下本家とその分家、それに使用人の家族が二家族ほど同居しているとのことだ。

 それで、ここからが大事なこと。
家の中で一番偉いのは、本家嫡流の大旦那様。(しかし年齢は松下父より下)
それからその奥方(松下父の妹)と、昨年の夏に生まれた一人娘。
次が分家筆頭になる松下父と、その嫡男の嘉兵衛。
そして、松下父と本家奥方さまのお母さんにあたる大刀自(とじ 奥を取り仕切る女性の尊称)さま。

 ちなみに、本家の御両親はすでに鬼籍に入られて久しい。
だから対外的には偉くはないのだけれど、最年長の大刀自さまが本家の主の次に敬われている。
他に覚えておくべき人は、大旦那様の御兄弟で養子や嫁入りで家を離れた方数名。
分家も松下父の家以外にもあるから、お客様として来られたら相応の順位で扱わなくてはいけない。

 聞いたことを忘れないよう頭に叩き込んでいれば、支度の時間も目指す部屋に辿りつくのもすぐだった。


「母上、連れてまいりました」

「入りなさい」


 奥方が呼びかければ、打てば響くように返事が返る。
しかし許可があっても、私は使用人。しかも新入り。いきなり部屋には入らないほうがいいだろう。
そう判断し、廊下に座って頭を下げていると、中に入った奥方にもう一度呼ばれた。


「入ってらっしゃい、日吉。
 そんなに遠くては、お話が聞こえないわ」

「私の耳は、まだ遠くありませんよ」

「お母様ったら。
 そんな意地悪はおっしゃらないで。
 日吉も、そんなにかしこまらなくても大丈夫よ。
 もうあなたも家族みたいなものなんですからね」


 奥方の招きにすかさず入った合いの手は、大刀自さまのものだろうか。
ピシャリと遮った声は良く通り、想像以上に若々しく張りがある。
私が思わず身をすくめると、宥めるような奥方の笑い声がこぼれる。
大刀自さまの言葉だけを聞けば厳しいが、奥方の返答には余裕がありそうだ。
部屋の空気にも嫌悪の気配を感じない。ならばこれも、家族らしい気安さの表れということなのだろう。

 分析終了。私はこの大刀自さまを「ツンデレ(仮)」と想定して、部屋に踏み込む。
こうして先に心構えしておけば、ちょっと精神防御力upだ。
気休め程度だけれど、これなら少し刺々しく言われてもその人の個性だと思える、かもしれない。
心の防御が必要だと、私の勘が告げている。

 そしてその用心は、早々役に立った。


「またずいぶん貧弱な。
 このような小者で、嘉兵衛殿の小姓が務まると本気で思うたのですか、あの子は。
 まったく……」

「お母様。
 兄上は、日吉が『武ではなく文で仕える』ことをお認めになられたんです。
 それに日吉まだ幼いだけでしょう?
 たくさん食べて、あの子と一緒に体を鍛えれば、そのうち大きくなりますわ」

「小姓は下男ではありませんよ。
 いついかなる時もお傍近くお仕えし、最後の楯となる者なのです。
 それがこのような細腕では、いつになればお役目を果たせるようになるのやら」

「それでも……、良いではありませんか。
 日吉が強くなるまで、戦になど行かなければいいのよ」

「またお前は、そのようなことを!」

「はいはい。
 申し訳ありません、お母様。
 まあ私達が何を言おうと、日吉のことは兄上がお決めになったこと。
 兄上とて何も考えずこの子を召し抱えられたのではないはずです。
 そうですよね、日吉」

「はい」

「では、その理由(わけ)とやらを申してみなさい。
 源左衛門殿(松下父)に『文で』と言われるくらいなのですから、口は達者なのでしょう。
 ですが、嘘は許しませんよ」


 大刀自さま、怖っ。
お婆ちゃんなのに眼光鋭く、口舌厳しく、隙がない。
歳の功をいかんなく発揮するその姿はかっこいいけど、めげそうだ。
なにもしていないが「ごめんなさい」と言いたくなる。貫禄が違う。

 でも、若輩(じゃくはい)にだって一分の意地はある。
松下父が私を雇ってくれる気になったのは本当のこと。
私はそのことに対して、後ろ暗いことは何一つしていない。
気迫負けするなんてらしくないと、私も腹を据えて声を出す。


「松下様には、私の連歌の才をお認めいただき、こうしてお仕えするしだいとなりました」

「そう。
 では、お前から仕官を願い出たわけではないということですか」

「……っ、はい」

「まぁ、そうだったの。

 でも「連歌」ができるなんて、すごいわねえ。
 歌といえばあれでしょう?
 昨年、旦那さまと兄上が法会(ほうえ)に呼ばれて行かれた……。
 上の方々の間では、ずいぶん重きを置かれているようだとも聞きましたわ。
 あちら(駿府)の方では、月ごとに歌会を開かれるお家もあるそうですし。

 さすが兄上ですね。
 きっと嘉兵衛の将来の役に立ちますわ」


 制約の複雑な「連歌」は元々お公家さんの社交の一つだったけれど、今は武家にも必須の教養科目。
場所(地域)によっては、才能がないと出世につまずくほど重要になっているところもあるそうだ。
奥方は現役の武士の妻だけあって、その辺の情報も耳にしているのだろう。
ありがたいほど上出来なフォローを入れてくれる。

 大刀自さまはまだちょっと訝しげだけれど、奥方の言葉で少し眉が開いた感じだろうか。
でも最初の返答の言葉選びで失敗して冷や汗もかいたし、まだ気は抜けない。


「確かに、何か才があるならば良いことです。
 何も取り柄がないなどという者よりも、ずっとよろしい。
 源左衛門殿の判断を、否定する気もありません。

 ですが、わたくしは刀自。
 自身の目と耳と心で、この家を守ることがわたくしの役目と心得ております。

 ……わたくしには、歌の良し悪しはわかりません。
 ですから、こう尋ねましょう。
 『お前はこれまで誰を師としてきたのか?』
 納得いく答えができたのなら、わたくしは日吉、お前を信じます。
 お前が何者でも、嘉兵衛に仕える者として、お前を認めましょう」


 まるで腹の底まで見透かそうというような視線が、真っ直ぐ私に突き刺さる。
自分の能力や仕事に自信を持ち、責任から逃げない人の持つ澄んだ目。
揺らがないその目は綺麗だ。綺麗で怖い。

 丸裸にでもされる心地で見つめ返して、そして、私はあることに気づいた。
気づいたことが勘違いではないかと、大刀自さまの言葉を反芻して、あわてて瞬く。
感動で、ちょっと泣きそう。いやもう、ちょっと涙出たかもしれない。

 だって、大刀自さまってば、さりげなく「お前が何者でも」って言っていた。

 最初から、私に投げかけられたのは厳しい言葉ばかり。
けれど思い返せば、その言葉のどこにも出自についての非難はなかった。
出自は人を雇い入れる時の判断の基礎になる情報だから、知らないなんてはずはない。
雇った時の事情までは知らなくても、最低限の情報は伝わっているはずなのだ。
ならば真っ先に、「猿売り(漂泊民)など素性怪しい者」と言って誹られていてもおかしくはなかった。
しかし彼女はそこには一切触れず、あくまで叩いたのは私の能力の有無。それだけ。


 ……戦国時代といえば、「下剋上」という言葉を思い浮かべる人もいると思う。
家柄がなくても、戦場では力(武力)があれば成り上がっていける。能力重視の時代を象徴する代名詞だ。
でもそれはあくまで戦(いくさ)の場、「戦い」に関する場だけの話。日常の世界には適応されない。
現実問題として、人を雇うなら縁故が必須なのだ。まずは血縁、次に同郷。
最低でも「○○村の出身」と出自がはっきりしていることが、ほとんどの就職口における前提条件となる。
学歴のように能力を他に保証する制度がないから、出身地や親の職業(家業)を能力値の基準とするからだ。

 下働きのさらに下働きのような日雇いでも構わない仕事ならまだしも、嫡子の傍近く仕える小姓という仕事。
それを与え、私を受け入れようとする松下家の人々が異質で、戸惑いの目で見てくる同僚の方が正常なのだ。


 大刀自さまの最後の一言から新たにわかった驚愕の事実。
それを前提に見直せば、それまでの暴言さえ違うものに見えてくる。
表面の情報(旅芸人)には重きを置かず、彼女は自身の目で、私の本質を計ろうとしている。
そんな彼女に比べれば、表層だけを見て、ツンデレなんて浅いレッテルを張った自分が恥ずかしい。
刀自として一本芯の通った年配の女性に対し、それはとても失礼なことだった。

 私の前にいるのはツンデレお婆ちゃんではなく、一家を陰ながら支えてきたすごい人なのだ。

 穴を掘って埋まりたい。でも内心羞恥に身悶えたって、対面はまだ終わったわけではない。
まだ私は、大刀自さまの質問に答えていない。私はもう一度、この会見の全体を振り返った。

 私のここまでの返答は、ほんの僅か。大刀自さまに信じてもらえるようなことを、口にした覚えはない。
最後の質問にしても、誰に師事したのかなんてよほどの有名人でなければ聞いたって意味がないことだろう。
なのに彼女は、確信を掴む者の目で、私を判断しようとしている。見極めようとしている。
私はそれを大刀自さまのはったりだとは思わない。
彼女が私に求めているものは、おそらく表面、言葉どおりのものではないのだ。
連歌の師匠の名を訊きたいだけではないはずだ。

 では、彼女が私の答えの中から見出そうとしている物とは何だろうか。

 『自身の目と耳と心で、この家を守る』それが大刀自さまの自負だ。
覚悟を感じさせる重い言葉には、それを守り通してきた者の誇りの響きがあった。
大言でもその場しのぎでもない、掛け値なしの本気をさらりと言える潔さ。
息子の決定を受け入れながら、その上で自らの役割を譲らないという気概。
揺らがぬ意志は、小さな老女の姿を大きく見せる。
 
 そしてそんな大刀自さまの横には、かすかに笑みを浮かべた奥方さま。
落ち着いた雰囲気で座っている彼女は、やわらかな物腰の優しい女性だ。
しかし、形は違えどこの人も、『家族を守る』ために心を尽くしている人だった。

 やり方も受ける印象も全然違うけれど、この二人の根幹を成すものはたぶん同じものだと思う。
か弱い女性を強くするほど真摯な、家族に向ける深い愛情こそが、この女性達の力の源なのだ。

 その生きざまに憧れすら感じるこの二人の女性を見つめ、私は考える。

 私ならば、相手に何を求めるだろうか?
 どんな証が示されれば、自分にとって大切な家族を託してもいいと思えるだろうか?

 それは彼女達の「愛情」と同じくらい、価値のあるものでなければならないはずだ。
僅かばかりの「知識」や「技術」では、信頼の対価になるとは思えない。
必要なのは、もっと違う何か。
私は自分の中を探して探って考えて、そして答えを一つだけ見つける。

 それは、誠意。心からの「誠意」に、私は価値を見出した。

 問われたのは、『誰を師としてきたのか?』。何の師かは、限定されなかった。
だから、私は正直に話すことにする。私の師は一人ではない。
私に大切なことを教えてくれたのは、私がこれまで出会ってきた全ての人達。
その中の誰か一人でも削ってしまったら、今の私には決してならない。

 私のたからもの。師として慕う人達。私の大切なものは、全部心の中にある。
嘘をつかず、偽らず、ありのままに心を開いて見せることが、この二人に差し出せる私の一番の誠意。



 納得いく答えを見つけて、私は口を開いた。始まりは決まっている。

「私は貧しい農家の次女として、この世に生を受けました。……」

 ……私の語る長い物語。
二人の女性は、一時も気を逸らすことなく、月が傾くことさえ忘れ、最後まで耳を傾けてくれていた。



[11192] 戦国奇譚 頭陀寺城 学習
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:2e069b34
Date: 2011/01/04 08:06
 私が頭陀寺に来たのは、皐月(さつき)の初め。
現代だったら六月の半ばにあたる頃で、ちょうど梅雨の始まる時期だった。
あれから一ヶ月とちょっと経ち、空はすっかり夏の色に変わった。

 手元の水桶から反射する光のまぶしさに、私は目を細める。
水場の傍だから他よりも涼しいとは思うが、昼も近くになり、陰も短くなってしまった。
作業も一区切りついたところなので、逃げた日陰に移動しようと道具を下ろし、汚れた手を洗う。
固まった背筋を伸ばしていると、背後から誰かが駆けて来る音。
元気のいい足音の持ち主は、振り返らなくてもわかる。

「日吉!」 待つまでもなく、私の小さなご主人様の呼ぶ声がする。



 ――――― 戦国奇譚 頭陀寺城 学習―――――
 


「嘉兵衛さま、お早いですね。
 もう稽古は終わられたのですか?」

「終わった!」

 ここは、屋敷からは少し距離のある周囲の田畑に水を引くための貯水池の傍だ。
嘉兵衛はずっと走ってきたのか、すっかり息が上がってしまっている。

 手の甲で無造作に汗を拭っている少年に、私は日陰に座れるようにと場所を譲った。
が、彼はこっちでいいとばかりに太陽の下で胡坐をかく。
まだ輪郭には幼さの名残があるけれど、日に焼けた顔で大きく息を吐く姿からはたくましさも覗く。
袖をまくりあげ肩上までさらした腕は、細いながらしっかり筋肉で締まっている。
いっぱいの太陽を浴び、空を目指し育つ苗のように、彼は健やかに成長しているようだ。


「何で笑ってるの?
 何かおかしいとこがある?」

「いいえ。
 嘉兵衛さまは今日もお元気だなと思って。
 それよりどうしました?
 屋敷の方で、何か私が呼ばれるような用でもできたのでしょうか?」

「何もないよ。
 ただ稽古が終わったから来ただけ。
 日吉はここで何してるの?
 それって、研ぎもの?」

「草刈り鎌(かま)です。
 研ぐのに水が必要なんですけど、井戸端でやると邪魔になりますから」


 「ふ~ん」と気のない返事とは裏腹に、こちらの手元を覗き込む嘉兵衛の目が興味に光る。
台座のような大きな砥ぎ石は、小刀の手入れなどには使わないものなので珍しいのだろう。
やらせてあげたかったけれど、あいにくこの砥石が必要な作業は終わってしまっていた。
でも彼が「やりたい」と望むなら、もう一本鎌か何かを借りてこようと思いながら説明を続ける。


「こっちの大きい砥石は、荒研ぎ用なのでこれでお仕舞いです。
 錆(さび)を落とすのと、刃こぼれを直すのに使っただけですからね。
 これから使うのは、この小さい奴なんですよ」


 手のひらに収まる大きさの砥石を示し、彼が見やすいように体をずらしてから、実演開始。
砥石の角度を保ったまま、緩やかに弧を描く刃の上を滑らせ、均等に砥いでいくには慣れが要る。
嘉兵衛も多少は武具の手入れを習っているので、やって見せればそれがわかったようだ。
乗り出すように少し前に傾いていた肩を戻し、いつ見ても私を感心させる綺麗な姿勢に座り直す。


「日吉は、やっぱり器用だよね。
 扱えないものなんてなさそうだ」

「それは買いかぶりです。
 武家の方々は、槍や刀についてよく知っておられるでしょう?
 それと同じように、農具は農民にとって大事な仕事の相方なんです。
 私が扱いに慣れている物は、自分で使うやつだけです」

「草刈りなら僕だってするよ。稲刈りだって。
 それに、日吉は武具の手入れも得意じゃないか。
 草摺(くさずり 腰回りを守る鎧)がほつれたのとかも、すぐに直せるし」

「従者も私のお仕事ですから」

「僕も父上のお手伝いをしているけど、日吉ほど上手くない」

「えーと……、源左衛門さまの仕立ての方が大きいですし。
 糸数も多い良いもので、綴りも単純ではありませんし。
 でも練習すれば、嘉兵衛さまならすぐに上手になられますよ」
 
「練習かぁ」

「源左衛門さまの物よりも、飯尾様(松下家上司)の物ならば、たぶんもっと難しいと思います。
 飯尾様よりも上の方々の物ともなれば、糸の綴りもさらに華やかで、複雑になるんじゃないでしょうか。
 嘉兵衛さまが出世なされば、そういう偉い方のお傍仕えになられるかもしれません」

「『備えあれば憂いなし』だっけ?」

「はい」

「わかった、練習する。
 でも、日吉も一緒だぞ」

「私も、ですか?」

「父上には内緒で練習したいんだ。
 ……それに、僕が出世したら、僕の鎧だってきっと難しくなるよ。
 日吉だって、出来るようにならないと」


 私が「はい」と返事をすれば、嘉兵衛は楽しそうに笑う。
親に内緒で特訓する方法をあれこれと挙げて行く様は、悪戯っ子そのものだ。
私は嘉兵衛に計画を任せ、鎌砥ぎを続けた―――。




 私が正式に松下嘉兵衛の小姓として採用されてから、はや一ヶ月。
仕事にもだいぶ慣れ、自分のペースがつかめるようになった。
けれど実はまだ、小姓としては「見習い」。
一ヶ月もたっているのにまだ研修中だなんて、ずいぶん暢気なことだとは思う。
しかし学ぶことがいっぱいで、とても胸を張って「一人前です」と外で明言する自信はない。

 松下家は下級武士。その分家の、嫡子とはいえ元服したての子供の小姓だ。
身分から言えば下の下にもなるのだろうけれど、「傍付き」の肩書が付けば武家の一員とみなされる。
戦などで臨時徴収される者達とは違い、武家としての振る舞いを求められるのだ。
それが出来なければ、仲間として認めてもらえない。私を連れた主に恥をかかせることにもなる。
「百姓上がり」と自分が馬鹿にされるだけならまだしも、主まで侮られてしまう。そんなの悔しいじゃないか。

 でも私にとって、この新しい世界は興味深く新鮮だった。知りたいことでいっぱい。
ありがたいことに、嘉兵衛は私と一緒に勉強することを好んでくれている。
彼は復習にもなるからと、昔習ったことも思い出しては教えてくれる。嘉兵衛さまさまだ。

 けど、知識を得るのは楽しくても、記憶するのは大変。食事一つにしたって、覚えることが多すぎる。

 武士なら多少ワイルド(野性的)でもいいのでは……と思うのは、浅はかすぎるらしい。
箸の上げ下ろしから、椀の持ち方。食材の種類によって、口をつける順番まで決まっている。
酒が出るなら、その注ぎ方に受け方。返杯、呑み方、断り方。魚の食べ方、肉の食べ方、etc。
何が楽しいのか祝宴にまで、一の膳(ぜん)、二の膳、三の膳と形式があり、個別の作法に従う。
もてなす側になった場合はもとより、客になった場合だって席次によりやることが違ったりもする。

 これらの武家の作法は、おそらく上下関係をはっきりさせるために作り上げられてきたのだと思う。
しかしあまりに煩雑すぎて、数度聞いたくらいではとても覚えられる量ではない。
でも覚えなきゃいけない。ならばどうするか?

 こんな時こそ前世知識の活用だ。記憶は体で覚える方が、より定着することが証明されている。
架空の設定を創り、役を割り振ってのロールプレイ。シミュレーションで特訓だ。
嘉兵衛と二人、私達は食事の仕方だけではなく、戦の作法なども同様に設定しやってみた。
戦関連は彼も勉強し始めだったので、指導を受けながらたくさん話し合い協力して作り上げた。

 戦の事前準備は、家ごとに任される割合が高い。他所と共通するのは、集合してからがメインになる。
形式がめんどうなのは出陣式。それから、「攻めてかかれ」や「引き上げ」の合図など。
戦が終わってからの首実験や捕虜の扱いは、必要な勉強だとわかっていてもちょっと嫌な感じだった。
けれど、感状(戦功をあげると貰える賞状)を申請するための手負注文の作成は面白い。
手負注文とは「私や部下がこの戦でこんなにケガをしても頑張りました。だから褒めて」という上司への手紙だ。
ここまでなら許される「ケガのさばの読み方」や、両者暗黙の了解の「大げさな表現」などがある。
その見栄の張り方には、これが武士ならではの様式美なのかと笑ってしまった。

 しっかり覚えるために何度も重ねる訓練だから、飽きないような工夫も凝らす。
演劇風にちょっとばかり派手に登場人物達の背景を創り込めば、嘉兵衛にも楽しんでもらえた。
夢は大きくほうがいい。……天下人ごっこは悪くない。


 傍(はた)から見れば、私達のやっていることは、ままごと遊びのように見えたかもしれない。
実際そう見て、陰口を叩く者たちもいた。
しかし架空の役割を演じながら、私達は真剣に学び、知識と理解を深めていく。
生きて行くために必要なことを学んでいるのだから、楽しんでいたって、そこにふざけた気持ちはない。
本番で失敗すれば負うリスクを、嘉兵衛はもちろん私もよくわかっている。

 知識や情報に貪欲で、手に入る全てを吸収し覚えたいと思う意欲が私の強みだ。
未来は見えない。でもだからこそ、変化を恐れるよりも、何事にも対処できるようにたくさんの手札を揃えたい。

 嘉兵衛は主で、私は従者。けれど優しい少年は、私をちゃんと一人の人間として扱ってくれる。
変化を繰り返してきた今までを思い返せば、彼ともいつまで一緒にいられるのかはわからない。
でも、傍にいる限り彼を大切にし、共に歩んでいきたいと思う気持ちは本物だった。

 と、志は高いのだが、私にもどうしようもない弱点があったりする。

 それは、刀や槍の腕。

 武士といえばまず武術、これが最も肝心なこと。なのに、私はこの「武」に関する才がないようなのだ。
せいぜいいって一般人程度か、体の小ささを差し引くと現状ではそれ以下かもしれない。
現代的なトレーニング方法を多少知っていたって、本番が試合ではなく実戦となると大きなリーチには成り難い。
私だって、全くの初心者というわけでもなく、石川氏の村で師に付き学んだ経験はある。……が。
朝起きて顔を洗い、次いでラジオ体操でもやるように、木刀や素槍を百も二百も振りまわすなんて無理。
彼ら武士の子は幼少期からたゆまず同じ訓練を繰り返してきたから可能なのであって、私には絶対無理。
慣れない素振りを張りきりすぎれば、後に他の仕事を言いつけられても手足が動かず叱られるのがオチ。

 事実、私はそれで一度、大きな失敗している。


 「武士」という身分でわかれていても、この時代の多くの武家は兼業農家。
戦の無い時は刀を鍬(くわ)に持ち替え、領地で田畑の仕事に精を出すのが日常だ。
特に春と秋には大イベントがある。この時ばかりは、主家も分家も使用人も親戚も、とにかく皆総出で農業だ。

 私が頭陀寺に来たのが、その春の最も忙しい時期、「田植え」の直前だった。

 現代なら農業機械の上でハンドルを握っていれば済む作業も、この時代ではまだ全て人力、数任せ。
猫の手も借りたい忙しさだから、若く健康な新人はとても歓迎される。
例えば優秀な田植え機なら一度に苗を八列植えられるし、長時間働かせても効率が下がることもない。
しかし人間は植えるために持つ苗の量にも限度がある。一度に二列植えられないし、疲れれば動けない。
田植えに適した短い時間の中、たくさん働ける元気な人間をどれだけいるかと作業量が正比例するのだ。
しかもそこまで人手を集め、労力をかけ育てても、自然が狂えば全て台無しになる危険とも背中合わせ。
農業に従事した人達を助ける国家補償の制度は、戦国時代には存在しない。

 だから人々は、自然を敬う。
知っているだろうか? 日本人が桜を愛し、花見をするのは実は自然信仰の一環なのだ。
春に「サ(山の神)」の「クラ(御座所)」咲き誇れば、人々は神が降りたこと知り、祝い喜ぶ。
山から下り里で花を咲かせた山の神は、その後、稲(田)の神に変わる。
万葉の時代から連綿と続くお花見は、田に実りをもたらす神を迎え寿ぐ農業の祭りでもあったのだ。

 桜が咲けば籾(もみ 稲の種)を播き、苗に育てて梅雨を待つ。
そして、神に愛される早乙女の手により最初の稲が田に植えられて、本番だ。
その年の結果(実り)が生死を左右すると知っているから、敬虔にすら思える態度で誰もが田畑に臨む。
田植えは、畢竟追い込みに入ればただの修羅場に変わるが、初日は沙庭(さにわ 祭祀場)にも等しい。

 で、その神聖な初日に、だ。
 嘉兵衛の朝稽古に付き合ったからといって、田んぼに撃沈するなどもってのほか。

 たった一回の失敗でも、私の評価は泥まみれ。地を這うどころか、掘り下げて地底湖で溺死だ。
嘉兵衛だけではなく、奥方や大刀自さままでが取り成してくれたので、家から叩きだされずにはかろうじて済んだ。
けれど「罰あたり」と罵られ、「田仕事もろくに出来ない使用人など雇う価値はない」と散々扱き下ろされた。
周囲からの風当たりがさらに強くなったのは、避けようがないことだった。
後日、人の倍働いたって、一度失った信用はそう簡単には取り戻せない。……と、まあそれはさておき。


 その失敗以降、農繁期は過ぎても、私の朝稽古は「他の仕事に支障をきたさない程度」と決まった。
それ以外は、変わらずに一緒にやらせてもらえている。
座学ではそれなりの成果をあげているので、大目に見てもらえているのだろう。

 しかし、朝練は半分、他の時間も仕事優先となれば、私の武術の腕の方はさっぱり上がらない。
未だ基礎から毛が生えた程度。元服も済んだ嘉兵衛と比べれば、足手まといもいいとこだ。
けれど嘉兵衛は、初心者のような私の練習でも、手とり足とり喜々として面倒を見てくれる。
彼の指導は時に集中し過ぎることはあるけれど、概ね性格そのままに丁寧で親切。
その熱心さから考えれば、武道の稽古が他の習いごとよりも好きなではないかとも思う。
早く打ち合いの一つも相手できるようになりたいが、進歩は亀の歩みで、とても申し訳ない。

 だから、

「一緒に練習したいのに、半分なんて少なすぎるよ。
 日吉だって、もっと上手くなりたいよね?
 叔母上も大刀自さまも、縫いものだ何だって、稽古の時はすぐ連れて行っちゃうし。
 ……日吉は僕の家来なのに。

 今朝だって、素振りしてたら……。
 日吉が大刀自さま達と仕事しながら話しをしているの、ちょっと聞こえた。笑い声も。
 日吉の話、僕も聞きたかったのにな」 

 などと寂しそうに言われてしまうと、つい一計を案じてみる気にもなる。


 この嘉兵衛の言葉にもあるように、私は奥方さまにも大刀自さまにもとても可愛がってもらっていた。
どうも私の「語り」が気に入られたらしく、手仕事になると良く呼びだされ、話をねだられている。
私の打ち明け話も、彼女達の中ではどう処理をされたのか、面白いお伽噺と一緒らしい。
『仇に愛された竹林の姫君の話』や『津島の祭礼・舞姫一夜の恋物語』などは、すでに定番だ。
何度繰り返したのかもうわからないくらい話しているが、何度でも聞きたいと頼まれる。
その愛されぶりには、いっそ草紙(本)として出版しても売れるのではないかと思ってしまうほどだ。

 余談だが、この奥方達の関心が伝わったらしく、大旦那さまと松下父の夜の酒席に呼ばれたこともある。
酒の肴代わりに話しを求められ、いくつか披露させてもらった。
ちなみにこちらでは、『戦場で不具となりながらも、主の為に役立つ道を探し再生する青年の話』がとてもウケた。
良い話だと褒美まで頂いたが、他の使用人達からはさらなる悪評を買うことにもなった。……と、これもさておき。


 私は嘉兵衛の望みを叶えるべく、そんな仕事場BGMの立場を利用する。
いつものように針仕事に呼ばれた時に、考えていたとある「提案」をさり気なく話題にのせた。


「涼しげな、良い染めの布ですね。
 これからの季節にあっていて、とても綺麗。
 大刀自さまも奥方さまも、お針上手だし。
 御二人が縫われたこのお召し物、旦那様方、喜ばれるでしょうね。
 
 ……そういえば、これは私の故郷に伝わるお針についての話なんですけれど。
 『千人針』という風習があるんです。
 昔から、心のこもった女性の手仕事には力が宿ると言われていて。
 なので、こんなふうに着物だけではなく、戦に行く男衆のために特別な御守りを作るんです。
 一人だけで縫うのではなく、たくさんの女性に一人一針刺してもらって作るので、『千人針』。
 『勲を挙げ、無事に返ってきますように』と、一針、一針、皆で想いをこめて縫うんですよ」

「素敵なお話ねえ。
 でも、そんなにたくさん縫ってもらうのは難しいのじゃないかしら」

「はい。
 難しいことですけど、でもたくさん刺し目があるほど守りの力が増すと考えられていましたから。
 針を持つのが初めてのような幼い娘でも、誰もが頼まれたら嫌とは言いません。
 皆が何枚ものお守りを、村じゅうぐるぐる回しながら縫うんです。
 それに……、実はとっておきの裏技もあるんです」

「まあ、御守りなのに裏技なんて使ってもいいの?」

「大丈夫です。裏技にも謂れ(いわれ 故事来歴)がちゃんとあります。
 その裏技はですね、『寅年生まれの女性なら、年の数だけ針を刺していい』というものです。
 虎は千里を駆ける強い生き物なのだそうで、それにちなんでのことなのでしょう。
 お年を召した方ほど大人気! モテモテです。
 たくさん刺してもらえますからね」


 軽口のように話を〆れば、静かに聞いていた大刀自さまの口元も微かにほころぶのが見えた。
反応が早く、表情のわかり易い奥方とは違い、彼女は喜びや関心の表現が控えめだ。
それでも何度も話を重ねれば、だんだん細かい違いもわかってくる。掴みは上々らしい。

 もちろんこの話は、今生の物ではなく、前世の第二次世界大戦あたりの実話を脚色したもの。
でもここまではまえ振りにすぎない。本題はここからだ。

 彼女達の意識を引きつけるように、私は声のトーンを変えていく。


「この夏のお召し物(着物)も。
 暑い中、少しでも心地よく過ごされるようにと、大刀自さま奥方さまが選び用意された物。
 心の込めて縫われたのですもの、旦那さま方を守って下さるに違いありません。
 
 暑い時には目にも涼やかな薄手の物を、寒い時には風合の良い厚手の物を。
 相手を気遣い、細やかに心配りされた品には、想いが宿って当然です。

 それは無事を願い用意される、戦の時の装束にも通じる……。
 
 ……ですが、戦は時(季節)や場所を選ばないものでもあります。
 支度にかける時間が万全でなくても、戦場に向かわなければならないこともある。
 これからのような季節ならいいのですが、冬場の敵は人だけではありません。
 敵には背を向けず勇猛に立ち向かわれるお方でも、忍び寄る寒さとは戦えない。
 五体満足ならまだしも、もしも傷を負ったなら、一枚の衣が生死を分けるかもしれない。

 ですが、もしもそういう時に針仕事の心得のあったならば、それは万の味方を得たようなもの。
 自身の身だけではなく、その技が主の御身をお守りすることにもなるやもしれません。
 
 後顧の憂いなく、男が戦に専念できるよう送り出すのは女の仕事です。
 けれど、どうしても届かない場所もあります。
 遠い戦場、過酷な戦場では、女手が満足に揃うとは限りません。
 お傍を離れない従者とて、戦場に絶対はありません。
 不測の起こる場で最後の頼みとなるのは、自身の力、自身の持つ技しかないのです。

 私はまだまだ全てにおいて未熟。武の腕も足りず、嘉兵衛さまに甘えるばかりの至らぬ身です。
 でも少しでもあの方の為になることをと考え、無い知恵を絞りました。
 厚かましい進言とは、重々承知しております。
 ですが、どうか嘉兵衛さまに、大刀自さまや奥方さまの技術をお授け下さいませんか。
 
 備えあれば憂いなし、と申します。
 お二方の用意する衣が、旦那さま方を守られてきたように。
 いつかもしもの時、お二方が伝えられた技が、嘉兵衛さまの助けとなるはずです。
 
 どうかお願いいたします。
 
 …………。
 ……恐ろしい話ですが。
 広く裂けた刀傷を、武士がとっさに自分で縫い合わせ、九死に一生を得たという話を聞いたことがあります」


 最後の最後は、囁くほどの声音でダメ押し。あまりさり気なくではなかったかもしれない。

 でも、こういうおねだりをする場合は、下手に遠回しにするよりも直球が効くこともある。
『大切な御子さまの将来の為に』という謳い文句は、親心を強く揺さぶる最強のカード。
それを、ねだる相手の人柄を知った上で、狙って出したのだから効果は確実だ。

 後日、望みは叶い、大刀自さまから嘉兵衛も裁縫の手ほどきを受けるようにとの知らせが来た。


 彼女達が嘉兵衛の身を案じるのと同じように、私も彼を守りたいという思いがある。
共に学び、一緒に過ごす時間が長くなるほど、彼の良さに気づく。
彼の飾らない優しさや素直さは、接するたびに私を励まし明るくしてくれた。
彼を褒めるのは私だけではない。私以外にも多くの人達が、彼の素質を認めている。

 けれど。真っ直ぐな嘉兵衛の中には、優等生であるが故の歪さもある。

 嘉兵衛は、父親をとても尊敬している。
口癖が似るほど奥方さまにかまわれ、厳しくも温かい目で大刀自さまに見守られている。
母がいなくてもたくさんの愛情を注がれ、彼もそれを素直に受け止めて皆を慕っている。
皆の期待に応えたいというその想いは素晴らしいものだ。

 でもそれが、歪みの原因。嘉兵衛は、頑張りすぎなのだ。

 初めてあった川辺で、彼は私のやることを真似、何でも嫌がらずに手伝ってくれた。
石を積み竈を作るのも、燃えやすいよう枯れ枝を折るのも、汚れる仕事もとても楽しそうに手を出した。
あの時、彼は、私と一緒にやる前は「手伝おうにも何をすればいいのかわからなかった」と言っていた。
でもあれは、嘘ではないけれど正確でもなかったのだと、嘉兵衛をよく知る今ならわかる。

 『松下の跡取り』として、何を『してもいいのか』わからなかった、というのが正解なのだろう。

 自分の背負うものに自覚があるのはいいことだ。成長しようと、背伸びをする姿はほほえましい。
だけど、いつもいつも頑張って、頑張りすぎて動けなくなってしまうことは良くない。
小姓という立場に気負い過ぎ、限界を見極めずバテた私の言えることじゃないかもしれない。
けれど、義理の母や兄弟のことまで背負いこんで、雁字搦めになってしまっているのは見過ごせない。
部下としてだけではなく、一人の人間として、嘉兵衛の友としても、強くそう思う。

 嘉兵衛はそのままでも充分素敵なのだから、もっと自由であっていいはずだ。


 ……私は初手から失敗を重ね、使用人達の間ではいまだに信用が少しも築けていない。
傀儡子一座を離れ、一人でも生きて行く方法を多少は学んだけれど、武家では新人。
いきなり今までとは違う立場を与えられ、やる気はあってもわからないことばかり。
何をすれば評価されるのかも知らず、あれもこれもと闇雲に頑張って反感を買うことも多かった。
でもそんな最初の最初から、私を受け入れ、守ろうとしてくれたのが嘉兵衛だったのだ。

 嘉兵衛が私に与えてくれたものは、たぶん彼が思うよりもずっと多い。

 私は、異性としてではないけれど嘉兵衛のことがとても好きだ。
彼と一緒にいるのは楽しい。一生懸命なその姿を見れば、何かしてあげたいと自然に思える。

 今、嘉兵衛を歪ませているものは、本来は悪いものではない。
皆から寄せられる期待。信頼。責任。私は、彼が背負うものを取りのぞこうとは思わない。
今はまだちょっと重すぎなのかもしれないが、それはいつかきっと嘉兵衛の力になる。

 私は奪わない。でも、ただ見ているだけにする気もない。
彼の存在が私にとって救いになったように、手助けをするつもりだ。
私は、彼の小姓。いつでも傍にいる立場を貰っている。
彼の声を拾い上げ、愚痴も望みも全部、それがどんなに小さなものでも耳を傾けることが出来る。
私が見つけたいのは、彼が押し込めてしまった、少年らしい好奇心。冒険心。反抗心。

 私は嘉兵衛の保護者になりたい訳じゃない。成るとするなら、応援団だ。

 プレッシャーに押しつぶされそうな時は、息抜きを提案しよう。
楽しく勉強できる方法を探し、彼の知らない変わった話をして、新しい遊びも試してみよう。
伸び伸びと、生きることを楽しんでほしい。出来れば一緒に。それは、私の望みでもある。 


 ということで、私は課外授業をばりばり推進する。
武道はさっぱり、教養は生徒でも、雑学なら少しは自信がある。
情報収集は、私の趣味。「好きこそものの上手なれ」というじゃないか。
嘉兵衛も、何でも試してみればいい。経験は世界を広げてくれる。

 私も旅を始めた頃は、名を覚え、前世の記憶にあればそれと比べることくらいしか出来なかった。
でも今なら、話のネタ不足を心配する必要はない。
 
 そう例えば、「あの城、誰が住んでるの?」 と私が尋ねたとしよう。
それで、「岡崎城主は松平様だよ。最近、離婚したんだって」 と答えを貰ったとする。

 これに対して、私が最初に持った感想はこの程度だった。
『危険度の差はあるけど、ゴシップはいつの時代も庶民の娯楽なんだな』 

 しかし今なら同じ答えを貰っても、このくらいまでならすぐ考えられる。
『前妻の実家は水野家だから、勢力圏はあの川を境にここからこのあたりまで。
 水運に影響力のある家だし、もしかしたら前線が移動するかも。
 それにしても縁戚の城主の後ろ盾と敵対していた相手に、突然寝返る理由は何だろう。
 戦力的なもの? それとも商い方面の問題かな?』 

 前世の記憶を持って生れては来たけれど、戦国時代関しては白紙も同然。
スタート時点は、皆と変わらない。でもそこから、情報を集め、自分なりに解釈し、記憶してきた。
「どうしてこうなったのか」、「この時代の人は何を考え、どう反応するのか」。
日常の小さな事柄も意識してとらえ、積み重ねてきたから、必要な時に必要なものが取り出せる。

 大事なのは、考え続けること。

 一見全く関係のないような事柄でも、良く考え知って行くうちに繋がりに気がつく。
そしてその繋がりを手繰り寄せ紡ぎあげれば、現実と重なるもう一つの世界が見えてくる。
複雑に枝を伸ばす大樹、情報で織り上げられたその世界の名は、『歴史』。
このもう一つの視点で物事を見る方法を覚えれば、広さだけではなく、深さを知ることもできるはずだ。

 この「世界」以上に刺激的で面白いものなんて、私は知らない。
未知に触れる喜び。パズルの答えを解くわくわく感。私はそれを、嘉兵衛に知ってほしいと思う。
だから彼が望むなら、私は私の知る限り、どんなことでも教えるつもりだった。


 ……が、しかし人には向き不向きというものもある。

 健全な青少年である嘉兵衛には、情報戦とか、蘊蓄とか、考察とかはあまり興味をそそらないようだ。
それよりも魚釣りや薬草探し、スズメ捕りの罠の仕掛け方などが好評だった。まあ、十二歳だし。
体を動かしたり、成果が目に見えたりするものの方が、達成感を得やすいのはしょうがない。
それにどちらかといえば嘉兵衛は、工作したり考えたりするよりも運動する方が得意なようでもある。
裁縫もやってはみたけどわりとすぐに飽きて、袖つけができるようになった時点でやめていた。
でも袖に布一枚あるだけでも、日本刀は刀の滑りが大きく違うのだから、覚えたことに損はなかったと思う。


 そうこうあって、私は嘉兵衛との関係に、主従と学友プラス悪戯仲間という項目も加えた。
最初は誘いだすのが私の役目だったけれど、だんだん嘉兵衛からも誘ってくれるようになってきている。
基本、生真面目な性格だから、彼が羽目を外し過ぎることはない。だから私は、背を押す係。

 やるべき勉強が終わっても、復習で部屋にこもりきり。
鍛錬をすればそれ一辺倒で、わき見をする余裕もなかった少年は、もういない。
優等生だった若様を悪戯っ子に堕落させたと叱られたって、いまさらだ。
これ以上落ちる評価もないので、私は気にしない。
そんなもの、ノルマが終われば一目散に私めがけて駆けてきてくれる嬉しさには代えられない。
私の仕事を認め、邪魔せずにちゃんと待っていてくれる彼がいれば、私は頑張れる。




 ―――というわけで、鎌を砥いでいる間、嘉兵衛は動きまわらずいい子で待っていた。
私が砥石を置き、近くの草で試し切りを始めると、パッと立ちあがり寄ってくる。


「終わった?」


 副音声で「遊べる?」と聞こえた気がする。

 何か計画を立てたら、二人で検討してから実行に移すのが毎度のパターン。
嘉兵衛もそのつもりだったようで、作業する私の横で幾つか案を挙げていた。
立案から複数の選択肢の準備まで一人でやるなんて、今回はかなり積極的だ。
丸きり遊びの計画ではなく、勉強のことなので、後ろめたさがないから張り切っているのかもしれない。
私の意見を訊きたいのだろう。「早く!」と言いたいのを我慢している様子がかわいらしい。

 私も遊んでしまいたい。けど、無理。
私はこれからもう一仕事しなければならなかった。
残念に思いながら言い訳を口にする。


「すみません。
 これから草刈りしないといけないんです」

「えっ、草刈り?」

「はい。
 屋敷の裏の土塁、もうすっかり緑なんです。
 この暑さだから、雑草もすぐ伸びちゃって。
 堀が草で埋まったら、天然の落とし穴みたいですよね。
 それもちょっと面白いかもしれませんけど。
 でもやっぱりそのままじゃ、外聞、悪いですから」


 ことさら明るくおどけて見せたのに、話すほど嘉兵衛の機嫌は悪くなる。
彼は眉をしかめ、視線を険しくして、きつく唇を引き結ぶ。


「嘉兵衛さま……」

「……」


 怒っているような、辛さをこらえているような、そんな目で彼が睨むのは私の後方。
彼が見ているのは、私が午前中ずっと座って作業していた場所だった。
そこには、日に晒されて白く乾いた土の上を彩る異色の跡がある。
濡れていた時はわからなかったが、砥石を置いていた場所の周囲は、鈍い赤が斑を描く。

 赤の正体は、錆だ。

 きゅっと結ばれた、嘉兵衛の口元。奥歯をかみしめているのかもしれない。
『半日がかりで手直ししなければ使えない鎌と、草むしり』
何も言わない。けれど、その関係を理解してしまったことを、彼の瞳は雄弁に語る。

 気がつかなくてもいいのに、何で気づいちゃうかな。
そう思いながらも、私の優しい御主人様の聡明さを誰かに自慢したくもなる。
彼の不機嫌ささえ、不謹慎にもちょっと嬉しく思えてしまうくらいだ。
私なら大丈夫。……この気持ちを上手く伝える言葉を探して、私は少しだけ目をふせた。



[11192] 戦国奇譚 頭陀寺城 転機
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:fa7b34f4
Date: 2011/01/04 08:05
 嘉兵衛は怒っている。それを隠す気はないらしい。
でも、怒鳴り散らしたりはしない。地団駄を踏んだりもしない。
じっと動かず赤さびを睨み据え、降ろした拳を固く握りしめて、彼は怒りを抑え込む。
十二歳の少年がこれだけわかりやすく苛立ちながら、爆発しないのは凄いことかもしれない。
私の御主人様は自制心も強いようだ。また一つ、彼の良いところを発見。

 もちろん自分以外の他者の為に怒れるところも彼の長所だ。

 

 ――――― 戦国奇譚 頭陀寺城 転機―――――



 私と嘉兵衛の身長差は、10センチ弱。
立っていれば俯かれたって、表情を見るのに不便はない。
でも彼の視界に入り込めるように、ゆっくり半歩下がってから声をかける。


「草刈りって、私好きですよ。
 時々、食べられるやつを発見できるし。
 釣り餌用のミミズも捕まえられるし」

「……」

「研ぎ仕事も好きです。
 ちょっともうどうかなぁと思うのを頑張って綺麗にすると、すごく『やった!』って気がします。
 自分の手の中で少しずつ錆を落として、本来の姿を取り戻していくのを見るのが楽しいんです。
 隠れてる良いものを見つけるのって、宝探しに似ていると思いませんか?」

「……っ」

「それから、こうして嘉兵衛さまがちゃんと気づいて下さるから。
 気がついて、気にとめて、心配して、怒って下さるから。
 私は良い方にお仕え出来て幸せだなって、」

「だったら!」

「それで充分なんです」


 「だったら」と言った後に続くはずの言葉を私は遮った。
無礼な行為だとわかっていても敢えてそうした。
そこから先は、嘉兵衛に言わせてはいけない言葉だからだ。

 間違っているところを、正したいと思うこと。
弱いものを、助けたいと思うこと。
彼の持つこれらの性質を、私は人として尊いものだと思う。
自分の部下を大切にしようとすることも良いことだ。
彼に優しさを向けてもらえることはとても嬉しい。

 けれど、その優しさは、偏れば贔屓(ひいき)ととられてしまう。

 嘉兵衛にそのつもりはなくても、ほんの少しの擦れ違いで、人は悲しい誤解を生む。
彼の優しさが本当は全員に平等に向けられているのだったとしてもだ。
現状を見れば、それを受けとっているのは私だけ。そう見えかねないのが「今」だった。

 しかも人間関係は、綱渡りをしているような危うい均衡の上にある。

 嘉兵衛は私を心配するが、私も彼が心配なのだ。
現状、風評が最底辺を這っている私を、彼に庇わせるのは不味かった。
誰かを直接叱責などすれば、彼への風当たりまで悪くなるのは明白。
かろうじて踏みとどまっている、「嘉兵衛さまはお優しい方だから」で済む範囲を越えてしまうだろう。
彼を矢面に立たせるわけにはいかない。
それは、絶対に避けなければならない展開だった。



「どうして、日吉は……」

 怒らせてくれないのか。頼ってくれないのか。
そう言いたげな嘉兵衛の眼差しに、私は心を抉られる。

 下手な使用人たちの嫌がらせよりも、こちらのほうがよっぽどきつい。
好きな人に悲しい顔をさせるのは、そうでない人達に嫌われるよりずっと嫌なことだと思う。
無意味な辛い思いもさせたくないのに。

 それに、最近やっと子供らしく元気に笑うようになったのだ。
また思いつめられ、気がかりがあってすっきりしない曖昧な笑顔に戻ってしまったら元の黙阿弥。
良い御主人様で嬉しいなぁなどと、暢気に想っている場合ではなかった。
優しさも生真面目さも、時に両刃の剣。
早急な対応策を求めて脳内を検索。……ヒット一件、即実行だ。

 私は暗い雰囲気を払うように、軽くぱんっと手を打ち鳴らし、頭をちょっと下げて礼をした。
動く物や音への反応は、この時代の人達は現代人より遥かに鋭敏。
自分の内側へ思いに沈むようだった嘉兵衛も、動物的な反射で私の動きを目で追いかけてくる。
視線をつかまえたのを感じて、私は素早く頭を挙げたその瞬間だけ彼に真顔で目を合わせる。
でもそれはほんの一瞬。一転、悪巧みの良い笑顔に変えて、懐柔を開始。


「嘉兵衛さま、ありがとうございます。
 でも、これは釣りなんです」

「っ、釣り?」

「そうです。釣りです。
 釣りの極意は、慌てないこと。騒がないこと。
 そして?」

「えっと、……良く見極めること」

「はい。
 仲良くなるっていうのは、お魚を見つけて捕まえるのと同じです。
 相手の気持ちを掴む、ってよく言うじゃないですか。
 でも、魚が水の中に隠れているように、人の心だって丸裸ではありません。
 そう簡単には見つからなかったり、つかまえられなかったりするんです。

 水が澄んでいれば魚がどこにいるのかわかり易いけど、そうでない場所もありますよね。
 普段は綺麗な川だって、雨がたくさん降れば濁ってしまうこともあります。
 でもそういう時でも、焦ったらダメ。
 見えないからと水面を叩いたら、魚は逃げてしまいます」


 交渉術の中には、相手を怒らせて話を進め、利を得るものがある。
強い感情で心のバランスを崩したその隙を突き、自分に有利に導く戦法だ。

 知識も技術も、ただ頭の中に収めているだけでは意味がない。
私は彼を嵌めたいわけではないが、丸めこみたい。だから利用できるものは何でも利用する。
この時代の人がまだ知らない、体系だった技術・学問を知るのは言わばチート(狡)。
でも私はそれを使うことを厭わない。知は力。そこに善悪はない。

 今回私が使ったのは、この「怒り」で乱れた心理の嘉兵衛から、話の主導権を奪うテクニック。

 相手の予測しない角度から話に切り込み、「怒り」を別の感情、「驚き」や「興味」にすりかえた。
この時、振るネタは、本題から遠ざかりすぎず近すぎもせずがベスト。
相手が関心を寄せている事柄に絡められればさらに良い。確実に注意を引く事が肝心だ。
上手く食いついてきたら、後は気をそらさせないようテンポ良く持論を展開。
こっちのペースに乗せたら、もう降ろさない。

 そして、そこから先は二択。
誘導尋問やインタビューが目的なら、「だが俺は、」と相手が言い出すまで煽り上げればいい。
説得したいならば、考える猶予も与えず結論までこちらで用意して、一息にたたみ掛けるまで。


「ねえ嘉兵衛さま。
 魚釣りにも、もう何度か御一緒しましたよね。
 朝釣りには行ったし、夕方罠を仕掛けにも行きました。
 次は出来れば、天気の崩れそうな、雨の降る直前くらいに行ってみたいですね。
 あれもまた水場の雰囲気は違うし、穴場も変わって楽しいですよ。

 釣りも、いろいろです。
 川岸の草の間が好きな魚、流れの速い真ん中あたりが好きな魚。
 それから、深いところに潜っている魚だっています。
 魚の種類によっても、時期や天候によっても、仕掛ける場所や罠や餌を変えます。
 周囲をよく観察し、相手をよく見て慎重に挑まなければ、望みの成果は手に入らない。

 人も同じ。いろいろです。
 皆同じくらい早く仲良くなれたらいいけれど、そうはいきません。
 誰にだって好き嫌いはあるし、気持ちの浮き沈みもあります。

 何でもそうです。
 確実に捕まえたい、釣りあげたいと思うなら、時間も手間もかけてじっくり取りくまないと。
 場所、時間、道具。餌を吟味し、当りどころを絞って、それから根比べも重要です。

 でも、私は魚釣りも好きですし、得意なんです。だから、大丈夫。
 嘉兵衛さまも私の腕、ご存じでしょ?」

「……うん。
 日吉は……、それでいいの?」

「任せて下さい。私、負けませんから。
 それに、すごく長くいるような気がしますけど、まだ一ヶ月と少しです。
 勝負はまだまだ序盤です」

「一ヶ月。
 ああ、そっか、まだ一ヶ月なんだ。僕も……。
 日吉と一緒に本当にたくさんいろんなことしたから、もっと経ってるような気がしてた」

「まだいっぱいやってないことがあります。
 夏本番はこれからだし、秋だって、冬だって。
 魚釣りも、また行きましょうね」

「行く。
 今度は、もっと大きいのを釣るよ。
 次に罠を仕掛ける場所は、自分で探すから。
 この間やった時、何か少しわかった気がしたんだ。
 だから日吉が先に教えたらダメだからね。
 手伝わなくてもいいからね。

 でも日吉の『釣り』は、僕に『手伝って』って言ってもいいよ」

「…………はい。っ、はい!
 ほんとにどうしようもなくなったら、ちゃんと『助けて下さい』ってお願いします」

「うん」
 
 
 最後に一本取られた形になったけど、嘉兵衛が笑ってくれたから良しとする。
「ミミズ捕りなら僕もする」と、草むしりに同行する気になっている彼は、いつもどおり元気いっぱいだ。
「早く」とこちらを急かしながら、さり気なく重い砥石を持ってくれるその姿に私も微笑む。

 裏の土塁に二人して登っていたら、「また主の手を煩わして」と叱られるかもしれない。
でも、それはそれ。私の中の優先順位を変えるつもりはないので、他は気長にマイペース、マイペース。



 鍛錬、勉強、仕事に遊び。
夏は日が長い。けれど、やりたいこともたくさんで時間はいくらあっても足りないくらい。
充実した日々は、飛ぶように過ぎていく。

 夏も盛りをほんの少しだけ過ぎ、私の近況はまずまず良好だ。
松下家とはそれなりに。嘉兵衛とは、相変わらず仲良くやっている。

 同僚達とは、じりじりと一進一退で接近中。
基本、彼らは松下父の部下で、私は嘉兵衛の部下。
そう線を引いて、必要以上に関わらないという感じだろうか。

 もとより松下家の家風が家風だ。
家の主人からして真面目すぎて貧乏籤引いてしまうような人なのだから、家人も似たようなもの。
皆働き者で実直。あからさまに暴力をふるったり、陰湿ないじめを考え出したりするような人達ではない。
ただ、そんな彼らの中で、しっかりたっぷり遊びにも時間をさく私は、どうしてもちょっと浮く。
なので、たまに面倒な仕事があると、「日吉に押しつけてやれ」と言われるのがあるくらいだ。

 あの「錆びた鎌で草むしり」の仕事なんかは、その典型的な例だろう。
けどあれもワンセットだったから意地悪に聞こえたけれど、よく考えれば全然大したことではない。
午前中に「道具の手入れ」、午後に「草むしり」と考えれば、いたって普通の仕事量だ。
まあ慣れ合えないから親しい友人が増えず寂しいが、それ以外は特に問題もないと言える。

 それに、転んでもただでは起きないのが私のいいところ。

 私は、この「すんなり上手くかない人間関係」が、嘉兵衛の良い教材になると考えた。

 処世術は集団社会で生きるなら知っておいて損はない。
気の合う人とばかり仲良くできれば楽だろうけれど、そうはいかないのが社会の厳しいところだ。
社会にはルールがあるけれど、でも、世渡りと言うものは概ね人の心の機微をくみ取ることから始まる。
伸び伸びと自由な心でいることと、理性の箍を外した自己中心的な考えを持つことは違う。
気に食わないからと、一時の感情に任せ横暴にふるまえば、後で後悔することになるかもしれない。
人間だからいつもそう理想通りにはいかないが、どうあるべきかという心掛けは必要なのだ。
理不尽と思うようなことにであっても、冷静さを失わず対処出来るようになれた方が断然いい。

 学ぶべきものは、教本の中にあるだけではない。
個人の知識の中に収まっている分だけでもない。
自然の中にも、普段の暮らしの中にも、人と人の関係の中にも、それはある。
受け止める側がちゃんと準備をして心のアンテナを広げていれば学べることは多い。
私は嘉兵衛にもそれを知ってもらいたい。そして、一緒に成長の階段を上ってほしいのだ。



 それに……。
アンテナが必要なのは、何も「経験値フラグ」をゲットするためだけではない。
それは「チャンス」にも言えること。
日ごろから心の準備をしていれば、前髪しかない幸運の女神だってつかまえられる。



 ある日の夕刻。
嘉兵衛と私は今日の成果を手に、頭陀寺への帰り道を急いでいた。
最近は、少しの遠出なら許可が出る。
そのため、遊びに夢中になり過ぎると、帰りが持久走になってしまうことがしばしあった。

 夕餉までにと走る畔道。両側には、実りの兆しを覗かせる青々と茂った田。
緑の海を大きくうねらせ、土と水とほのかに香ばしい青草の匂いを乗せた風が渡る。
傾き始めた太陽に誘われるように、日中の茹だった空気は嘘のように引いていく。
風を遮る高いビルも、熱をため込むコンクリートもないからかもしれない。
降るように鳴いていた蝉の声が途切れても、足元の田では蛙が大合唱中。
夏の夕べは、とても賑やかだ。

 蛙の歌声に送られ屋敷に付いた私達は、手足を洗うのもそこそこに獲物を持って厨(くりや)に駆け込む。
肉でも魚でも、冷蔵庫などないこの時代、処置もせずに夏の夜を一晩置いておくのは超危険。
それに上手くタイミングがあえば、鱠(なます)でも急ぎ誂え、夕餉を一品増やせることもある。
私も嘉兵衛も、成長期で食べ盛り。おかずは多いにこしたことはない。
下心満載でいつものように乗り込めば、しかし、珍しいことに厨は満員だった。


「なにかあったのか?」

「ああ、嘉兵衛さま、おかえりなさいませ。
 夕餉はまだなんですよ。すみませんねぇ。
 あらまあ、立派な鮒(ふな)だこと。
 いつもありがとうございます。

 ほら日吉も、ぼうっとしてないで。
 食べたかったら手伝いな。
 裏行って、鱗(うろこ)取っといで。ほら、早く。
 早く済めば、今晩のみそ汁に入れてあげるからさ」


 『経緯は聞いておく』と嘉兵衛の目配せをくれたので、私は同じく視線で『任せた』と合図を返す。
せき立てられるまま裏の水場に出て、魚の下ごしらえをしながら聞き耳を立てた。
厚い戸があるわけではないから、集中すれば音は拾える。
出来るだけ静かに作業を始めれば、何人かがかわるがわる彼に説明しているのが聞こえてくる。


「……お客様がいらっしゃるそうなんですよ。
 それで、皆こうして頭をひねっているわけでして。
 あの、嘉兵衛さまはもうお聞きになりました?」

「いや、何も聞いてない。
 そんなに皆が悩むほどの客なのか?
 叔父上のお客人?」

「いえ、それがですね、御坊様らしいんですよ。
 正客は飯尾様のもとにいらっしゃるんですがね、その御随従の方だそうで」

「叔父上や父上のお知り合いではないってこと?」

「そうですよ。
 殿のお客様なら、我々だってもっとこう心持ちが違うんですがね。
 こっちが招待したんでもなんでもないのに。まったく。
 ああ、もうなんだって、わがまま坊主が……」

「口が過ぎるぞっ、めったなことを言うもんじゃない。
 すみません、嘉兵衛さま。
 そのお客人方は、駿河までの道中にこちらにお立ち寄りになられる一行だそうで。
 それで、旅の中、見聞を深めたいとの御希望がありまして。
 お付きの方がお一人、こちらの御屋敷にいらっしゃることになられた……と」

「そうか。話はわかった。
 でもそれだけで、これほど騒ぐようなことなのか?
 確かに新米の収穫にはまだ早いが、今年の蓄えが底をついたという話は聞いていないが」

「そりゃ家で食べる分には、まだ充分ありますよ。
 最近は嘉兵衛さまのお持ち帰りになる量もぐっと増えて、ずいぶん助かっていますし。
 夏場の品数にしたら、朝餉も夕餉もいつもの年よりずっと贅沢じゃないですかねえ。
 嘉兵衛さまは私共にまで惜しみなく分けて下さるから、ほんにありがたく思っております」

「ああ、うん。
 でもそれは、僕だけの手柄ではないよ」

「日吉、ですか。
 まああの子は目端が利きますし、要領もいい子ですからねぇ。
 それに、妙なことも良く知っているようだし。
 ただ少し才走り過ぎているというか……、悪い子ではないのはわかってるんですけどね」


 思わぬところで、自分の評価を聞くことになった。
なんだか知らない間に、「役立たず」からずいぶん上昇しているようだ。
褒められてはないが、それなりに能力は認めてもらえているらしい。これはすごい。

 やっぱりあれだろうか、『食べ物』は偉大だということなのか。
ならば獲物の少ない時期から、嘉兵衛を説得したかいがあったというもの。
思った以上の効果を実感し、私は内心ほくほくしつつ過去を回想する―――。


 実はこの「賄賂」を贈ることを私が提案した時、嘉兵衛の返事は渋かった。
初心者のすること、そう最初から満足な成果が上がるものではない。
身内の口がやっと満足できるかどうかという量を取れれば良し、ということも多かったからだ。
たまに大漁だったとしても、彼はこの遊びを良く思わない人達にまで何故分けてやる必要があるのかと訝った。

 しかし、私は嘉兵衛をこう説得した。

  『仲の良い人、喜んでくれる人に贈り物をあげるのは、あげる方にとっても嬉しいことだと思う。
でも、仲の良くない人との関係を改善するためにも、「贈り物=賄賂」は有効な手段となる。 
それに「たくさんあるからあげる」と「少ししかないけどあげる」では、贈り物の価値が変わってくる。
同じものなのに何故価値が違うのかといえば、そこに「希少価値」というものが付加されるから。
付加価値が多くつけば、同じ品でも影響力は違ってくる。ありきたりなものでも、特別な品になる。
嘉兵衛も大人になれば、いつかは誰かに贈り物をする日が来るだろう。
親しい人だけではなく、親しくない人にも贈ることがあるだろう。その日の為の練習だと思えばいい』

 泥まみれになり何度も失敗し苦労して捕ってきたものを、あげてしまうというだけでも勇気がいる。
それでも「家族が喜んでくれるならといい」という嘉兵衛に、さらにもう一歩踏み込んだ提案だった。
彼が幼い癇癪や潔癖さで、辛い意見でも頭から退けたりはしないと信じたから出来たこと。
子供らしくあってほしいと思いながらも、将来へ備え成長を望む、矛盾した願い。
彼は私の複雑な期待に充分応えてくれた。
 
 それにもともと嘉兵衛は、根は良い子。
最初は渋っていたとしても、生まれた時から居る家人達に感謝を重ねられたら反応は変わる。
誰だって、喜ばれれば嬉しいもの。旅人のコートを脱がすのは、北風ではなく太陽だ。
前向きな気持ちに成れれば、新たな道も見えてくる。
獲物が少ないから惜しみたくなるのであって、多くなればいいと発想の転換が出来るようになる。
そうなれば、後は工夫だ。伏せておく罠や釣竿の数を増やしたり、餌を変えてみたり。
で、最近は結果が見えてきて、出かければ一定量を持って帰って来られるようになったという次第。

 ついでに言うなら、今、魚と野草の組み合わせでどんなメニューになるのかリサーチを開始している。
いろいろ組み合わせを変えて持って帰ってくる私達を、賄い役の人達は「気が利いている」と褒めてくれる。
けど実は、「食べたい副食(サイドメニュー)を好きな時に出してもらう計画」がこっそり進行中なのだ。

 まあそれはさておき。
私のそれはついでとしても、嘉兵衛の評価がしっかり定まったようで一安心。
「優しい」「生真面目」も悪くはないけれど、この時代のアピールポイントとしてはあまりにも弱かった。
しかし、その点、吝(けち)か否かは武士にとってかなり重要な評価になる。
「部下に物惜しみしない」と下の者の口から出たなら、その中でも最高点を貰ったとみてもいい。
これを維持できれば、彼の将来は安泰間違いなし。完璧だ。

 これは、私が嘉兵衛と一緒に学び新たに知った知識だった。
武家にまだ直接関わらなかった時には、もっと違う評価ポイントが重要なのではないかと思っていたのだ。
例えば「勇猛果敢である」とか、「智略に優れている」とか、「血統がいい」とかそんなこと。
けれど、それら優れた資質がどんなにあったとしても、「物惜しみ」する主に人はついてこない。
命かけて働いて、それで報われないなんてやってられないし。

 戦で一番槍だの先駆けだので名を挙げられるのは、それこそ一握りのスターだけ。
雑兵の首は十把一絡げで、名のある武将の首を取るなんて宝くじに当たるようなもの。
普通は皆、直属の上司が手負い注文だのなんだのをせっせと書いて催促し、やっと褒美が貰える。
でもそれだって、「誰にどのくらいその褒賞を分け与えるか?」は主の胸先三寸。
労働基準法なんてないのだから、吝な主についたりすれば不遇は目に見えている。
主人が出世して部下の仕事も難しく厳しくなっていくのに、おこぼれにも預かれないなら誰がやりたい?
有能な部下ならいつだって引き抜きはあるし、そっちに鞍替えしたくもなるだろう。

 勇猛果敢でなくても、智略優れてなくても、血統がそこそこでも。
働けば働いただけ報いてくれることが確実な主にならばこそ、盛りたてて共に頑張ろうと思ってもらえる。
また、そうした良い評判は人を呼び、良い部下が寄ってくれば、自然活躍の場も開けてくる。
活躍したら褒賞を気前良くばらまき、人がその噂に惹かれて……。後はこれを繰り返せば、家は栄える。
これが王道だ。


 ―――嘉兵衛の明るい未来を想像し、にやにやしながら下ごしらえの終わった鮒を確認する。
考え事していたって、作業を滞らせたりしないのが良い使用人というもの。

 それで、入って行くタイミングを見計らっていれば、嘉兵衛の呼ぶ声。
手についた魚の匂いを取るため揉んでいた石鹸代わりの青草の汁を流し立ち上がる。
開いた鮒を持って間口から顔を出せば、皆の視線が一斉に私に集中した。


「あ、えっと、鮒の支度、終わりました」

「聞いてた?」

「半分くらいは」

「で、どう?」


 簡略化された会話に周囲は当惑しているが、私達の間ではこれで充分通じる。
私は嘉兵衛の問いかけにちょっと考えるそぶりをして、間を置く。
注目が怖かったからというわけではないが、ちょっと心の準備だ。

 彼らが今まで話していたことを要約するとこんな感じなる。

『呼んでもいないお坊さんが、明日、家にご飯を食べにくる』

 もう少し詳しく話せばこう。

『京の方が戦禍できな臭くなり、公家さんが今川氏との縁を頼りに駿河に行く。
そのお土産だか何だか知らないが、随行に高僧も連れてきた。
で、この公家さんと連れの高僧は正客として引き馬城に宿泊の予定。
しかしその高僧の随従は、他所で食事をするということになったらしい。
別に引き馬城が定員オーバーだったわけではない。
駿河では、旅の話を宴席の余興にするのが昨今の流行り。
昨年、松下家もそうした席に呼ばれ、旅路の話を面白おかしく吹聴しているのを聞いていた』
 

 ……あれ? これ、どっかで聞いた話? と記憶を探れば、それは松下父との出会いの場面。
「下々の無知を笑い話にする」のと、「都の人間が田舎者の垢抜けない様を笑う」は、同じ構図だ。
松下父の性格を知るにつれ、あの行動はちょっと違う気がしていたのが腑に落ちる。
今川領で他の人がやっているのを見て覚えてきた、というわけだったのだろう。

 まあ過去のことではなく、大事なのは今の話だ。
今回、田舎者だと笑い者にされる生贄に、運悪くも松下家が選ばれてしまったということになる。
でも誰だって、そんなの嫌に決まっている。
皆、自分たちの家が、主が好きだなのだ。虚仮にされるのを良いと思えるはずもない。

 でも、なんとかしたくても、じゃあどうすればいいかとなるとこれが難しい。
山海の珍味を取り寄せようにも、松下家は余分な出費が出来るほどお金持ちではない。
例えお金があったとしても、時間がない。
市は定日で、毎日開いているお店なんてよほどの大きな城下町でもない限り存在しないのだ。
かわりに行商がくるのだけれど、そう都合良く明日の朝早くに来てくれるはずもないし。
家にあるのはありふれた食材だけ。
おいしい新米は、今は秋の直前で収穫には時期がまだちょっと早い。
打つ手も見つからず、皆で頭を抱えていたというわけだ。

 ……私ならば、どうする? 

 皆の前に目を落とせば、青菜や茄子(なす)、瓜(うり)、里芋、若大根、芽独活(うど)。
笊に無造作に入れられたり、束ねて結ばれていたり。
取って来たばかりなのか土の付いたままのものもある。
それぞれの量は多くはないが種類はある。
味は毎日確認済みで、私は不味いとは思わない。


「急ですね」

「うちに決まったのが今日だって」

「お一人様ですよね」

「うん。お坊さん。
 日吉、いけそう?」

「大丈夫です」

「わかった。
 皆、日吉が明日の夕餉をどうにかしてくれるって」


 「いやいや、それじゃぁ説明を省き過ぎでしょう嘉兵衛さま」と内心で苦笑い。
しかし彼は堂々と、いっそ楽しげに私を見返してくる。

 周囲に並ぶ訝しげな顔や困惑顔の中にあって、一人だけ違う態度と表情だ。
私が絶対に裏切らないと確信している余裕の顔。
その微塵も不安を浮かべない悠々とした様に、私の苦笑も本物の笑顔に変わる。
だって、こんなに信頼されたら裏切れるはずがない。

 そして……。
嘉兵衛があまりに自信ありげな態度だからか、彼を窺う大人達の、半信半疑の目にも違う色が混ざり始める。

 それはほんの少しの期待の色。

 「妙なことを良く知る子供」が何を言い出すかと、耳を傾けようとしてくれるのならもっけの幸い。
この状況は、何かを変える良いきっかけになりそうな予感がする。
そうこれはアレ。「あたりが来た! (魚が餌に食いつき釣竿が引かれる)」ってやつだ。
嘉兵衛はいつかの約束どおり、私の『釣り』を『手伝って』くれたのだ。
ここまでお膳立てしてもらったのだから、絶対に失敗はできない。

 そう、これはまさしく私にとって最高に幸運なチャンスだともいえる。
なんたって私の前世の実家はお寺だったのだ。
跡取りは弟が担ってくれたけど、私は一人娘。小さいころから台所の手伝いはこっちの担当。
「お斎(とき)」とよばれる精進料理も一通り手がけ良く知っている。
この時代でも応用できるものもあるから、メニューに関しての心配は不要だ。

 だから私のしなければならないのは、彼らの協力を取り付けること。
手柄を独り占めするよりも、皆で協力して成功体験をする方が交流改善の近道になるはず。
お客の企みを出し抜くのも大事だけれど、一番は嘉兵衛の信頼に応えたい。
そのためにも万難を排し、料理のできる状況を作り上げなければ。
まだ魚は糸を引いているだけ。本番は、ここからだ。

 お料理無双の為の下準備。さあ、どんな言葉で説得しようか? 



[11192] 戦国奇譚 第二部 完 (上)
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:a0eb3743
Date: 2011/01/04 08:08
 1、わかりやすい明確な目標
 2、作業の的確な配分
 3、全体を統括する目標に向けた推進力のある指揮

 チーム作業を効率よく進めるために私が必要だと思うものはこの三つ。
それに加え、各自のモチベーションを高めることも重要だ。

 で、これらの条件を満たすのに必要なのが、指導する者への皆の信頼。
この点が、私の課題だった。



 ――――― 戦国奇譚 第二部 完 (上)―――――



 人望、信頼、求心力。

 私はどこにでもいる普通の小娘だ。
生まれてこのかた自分にカリスマがあると思ったことはない。
痩せっぽっちのちびすけで、世に言うおっ母さんのような貫禄とも無縁。
もしも事前に知っていたなら、「料理上手」と触れ込んで多少は根回しが出来たかもだけど、それも無し。
何の前提も無い状態で、いきなり私を頼ってくれと言ったところで無茶な話だろう。
客観的に見て、ここから説得一つで一発逆転するなんて、無理な要因の方が簡単に浮かぶ。

 ……しかし。
最近わかってきたことだけど、私は案外縛りプレイも嫌いじゃなかったらしい。

 だって、追い込まれることも楽しめなくちゃやってられないという事ばかりが、この身に降りかかる。
困ったことが起きるたび一々不幸に浸っていたら、生きていくのが嫌になってしまう。
戦国乱世を楽しく生きるには、「ちょっとマゾなのかも」くらいの感性で丁度いいのだ。
スリルや困難を快感に変換出来たら、きっと人生、倍は楽しく面白い。
マラソン(長距離走)に嵌まるのとたぶん一緒だ。
道を踏み外すまでいく気はないけれど、脳内麻薬を最大活用するくらいは許容範囲の内だろう。


 ということで、「難易度高めのゲームに挑戦」と思いながら問題解決の策を練る。
とりあえず今使えそうなのは、「妙なことも良く知っている」との評価を貰ったこと。
まずはこの評価を足掛かりに、皆の心を掴めるか試してみることにする。


「お客様は、僧侶ということでいいですか?」

「そう聞いたが」

「そうですか。ありがとうございます。
 でしたら、その方がいらっしゃるのは、正午(お昼)前の可能性が高いですね」

「何でわかるんだ?
 時間の連絡はまだ来てないぞ」

「仏教には、午(ひる)以降は食事を取ってはならないという戒律があるんです。
 薬膳や非時(非常食の略)として夕餉をとることもありますが、外では普通食べません。
 食事は、僧にとって修養であり修行の一つ。
 『体を養い、命を保つための』のものです。
 ですから、本来は美味しい不味いを言いたてたりしてはいけないんです。
 もちろん食材の品定めをするようなことも、あってはならないことです」

「だがな、そうは言っても、駿河ではその手の話がけっこうな人の口にのぼっている。
 それとも俺らの言うことが、嘘だとでも言いたいのか?」

「いいえ。お坊さんだって、人の子ですから。
 皆が皆、本物の御釈迦様みたいな聖人君子な方ばかりなわけないですし。
 美味しいものはやっぱり美味しいだろうし、綺麗なものを綺麗と感じるのは当たり前だと思います。
 でも、せっかくの御持て成しにケチつけるなんて、そっちの心根の方が品がないですよね」

「ああまったくそのとおりだ」


 大きな同意の声に笑いがこぼれる。
僅かに皆の表情がほころんだ。が、しかしすぐにまたあがった声に、場は引きしまる。

 
「でも、日吉の言うことが本当なら、その坊さん明日の昼には来ちゃうんだろ?
 間に合うのかい?」

「都の坊さんてのは、何を食べるんだい?
 やっぱり私達とは違うものを食べてんのかねぇ?」
 
「地域によって採れる物が違うから少しは違うでしょうけど、そんなに変わらないと思いますよ」

「そうはいっても……。ねぇ?」


 見合わせる彼らの顔は不安に暗い。

 客は外国から来るわけではなく、同じ日本国内から来る日本人だ。
そんなに大げさに考えるほど、大きな違いがあるとも思えないのに。
何だろう、噂話はよほどひどい口調だったのだろうかと考えて、私は自分の思い違いに気がつく。

 「旅行客って、国内旅行でしょ?」と考えていた私の尺度は、軽過ぎだってこと。

 そりゃそうだ、ここから京都は遥かに遠い。
彼の地は、隣国三河の向こうで長く敵対している尾張を隔てたさらにその、先。
敵国を越えなければ辿りつけない場所なのだから、一般人には想像もつかない遠い国なのだろう。
「旅? 何それ美味しいの?」と、冗談では無く本気で言うような人もいるのがこの時代だ。
遥か異郷の地に住む、違う言語(方言)を話す人々など、異国人扱いでもおかしくはない。

 現代で言うなら、「地球の裏側からやって来る客」級に考えてもいい話だったらしい。

 私にとって、北は北海道から南は沖縄まで等しくまとめて全部で「日本」。
勢力争いしていたって、風習や方言が違っていたって、つまるところ「国内」の話でしかない。
大雑把だけど日本地図は書けるし、さらに適当でいいなら世界地図だってどうにか書ける。
世界視点で見るなら、日本は小さな島国だという感覚すら私の心の片隅に残っている。

 車も電車も飛行機も無い。移動手段の時代差は、身を持って知っていると思っていた。
けれど旅芸人をしていたから、旅(距離)に関する意識は前世寄りだったのかもしれない。
どうもその辺で、皆との認識がズレていたようだ。

 意外なところで、今まで見落としていた「物の見方」の違いに出会ってちょっとびっくり。
けれど、この「びっくり」は私の味方。マクロとミクロ。この視野の違いが、次の展開への良いヒントになる。


「お寺で食べるお料理は、精進料理と呼ばれるものです。
 かつて飛鳥に都を築かれた帝が、僧侶に「不殺生戒」の詔(みことのり)を出されました。
 東大寺にあの大仏を建立された帝も、僧の「殺生肉食」を強く戒めらました。
 その時より、この日の本の寺には、「肉を食べてはならない」という決まりがあります。
 それから僧院では、「不許葷酒入山門(葷酒山門に入るを許さず)」という所も多いですね。
 葷(くん)とは匂いの強い野菜の五種を指します。
 大蒜(にんにく)、葱(ねぎ)、薤(らっきょう) 、韮(にら)、野蒜(のびる)がダメってことです」

「肉は全くダメだっていうのかい?
 魚も? 貝も?」

「ダメです」

「お布施には良くても、食べるのはダメだぁ!?
 じゃあ何を出せって言うんだ。
 肉や魚よりも良いものって何だよ。
 そんな珍しい野菜なんざ、うちにゃぁないぞ!」

「待って下さい。
 どうか落ち着いて、大丈夫ですから。
 ええと、あのですね、私の好きな汁物に『須弥山汁』というのがあるんですよ」

「須弥山(しゅみせん)?」

「はい。嘉兵衛さま、御存じですか?」

「なんか、どこかで聞いたことがある気がするんだけど。
 須弥山、……山、山だよね」

「そうです。
 仏教の経典に書かれた、仏さまのおられるという尊い御山の名前です。
 高さ八万由旬(ゆじゅん)、世界の中心にあると言われています」

「八万由旬って?」

「えっ、んーたしか……五十六万キロ、とかそのくらいだったような。
 高さだから尺(0,3m)に直すと……、……げ、十八億?」

「十八、億? 十八億尺?  
 うぁ、すごいね。
 どんな高さか想像もつかないよ」

「ほんと、そうですね。
 私にもわかりません。
 アルプス一万尺だし、富士山だって一万三千ないですもん。
 ああそうそう、御堂で仏像を安置する御座所を須弥壇と言うのも、これからきてるんですよ」

「わかった、わかった。
 須弥山とかいう山は、頭がおかしくなるくらい高いってんだろ。
 そんな御大層な名前が付いてるってのは、もうよーくわかったからさ。
 で、その『須弥山汁』って言うのは何が入ってんだい?」


 立て続けに初めての知識や大きな数字を突き付けられ、目を白黒させ聞いていた人達が息を呑む。
さっきは意図せず集まった視線にたじろいだけれど、これは私が計算して集めたものだ。
さらにその集中を高めるように、私は無言で腕を前に差し伸ばす。

 ピンと張った糸のような空気。
 真っ直ぐ伸ばした指先を扇に見立て、次に出すのは腹の底から響かせる深い声。

 普段の子供らしい幼い声とは違い、能楽の謡いなどに使う声は世界を変える。
傀儡子座の太夫達に教えてもらったのは、街角の喧騒を神聖な神座に変える魔法だった。
日常と非日常。それを時に織り交ぜ、時に切り替えることによって、人の関心を引きつける技法だ。
ごく普通の台所を声音一つで即席の舞台に変え、私は決め手の手妻の仕込みと力を込める。

 ゆっくりと四方を指し示しながら、謳いあげる。


「北は黄に 南は青く 東白 
  西くれないに そめいろの山
    これは須弥山を読みたる歌にて候

 ―――観世流三代の御歌です。
 須弥山汁の由来はこの歌からとられたのだと言われています」

「この歌から?」


 「はい」と頷きつつ、わかりますかと嘉兵衛に視線で問いかける。
もう何度も繰り返してきたやりとりだから、私に尋ねられると彼は条件反射で考えだす。
その後、首をひねる嘉兵衛が考え疲れて飽きる前に、ヒントを出すのもお約束。
でも今回は後ろでじりじりしている聴衆がいるので、シンキングタイムはいつもより短め。


「言葉遊びと見立てです。
 汁は水、水は平面、平野と見立て、方位をあてて、」

「平面、平野、方位、……南か。
 南。南は青い。
 みなみは、青い。
 み、な、み、は、あお、い……、あっ!
 わかった。日吉、青菜汁だ!」
 
「はい嘉兵衛さま、正解です」

「えっ、ええ?
 どういうことだ?
 俺にゃぁわかんねえぞ、日吉。
 嘉兵衛さま、笑ってないで教えて下さいよ」

「だから、『みな、みは、あおい』んだよ。
 汁の中身は、『皆(みんな)、実が、青い』。
 汁に入れる青い具といえば青菜だろう? 
 だから『青菜汁』となるんだよ」

「ああなるほど。
 実は青い、か、わかりましたよ。
 なるほどねぇって、ええっ、青菜汁!? それだけ?
 そんな須弥山だ何だってすごい名前が付いて、青菜だけっていうんですかい?
 嘘だろ、日吉?」

「嘘じゃありませんよ。
 青菜と豆腐を少し。それを細かく刻んで入れた汁椀をそう呼びます。
 他にも観世汁や、釈迦豆腐なんていうものもありますよ。
 僧侶は肉も魚も貝も食べられません。
 けど、代わりにこんなふうに「見立て」を凝らした料理がたくさんあるんです。

 ……例えば、そうですね。
 雁(がん)もどき、蜆(しじみ)もどき、鮎(あゆ)もどき。
 鰻(うなぎ)豆腐、かまぼこ豆腐、精進雲丹(うに)田楽、とか」

「擬き(もどき)って、お前……。
 な、何で出来てんだい?」

「鰻にかまぼこ?
 豆腐は豆腐だろ?」


 青菜は、椀物の中でも最もお手軽な具。
他に何も入れるものがない時や、いわゆる貧乏人のパートナーだ。
名前とはかけ離れた大穴の出現に、皆の驚きはひとしおだった。
自分達とは違うものを食べているのではないかと膨らませていた想像を、上手くひっくり返せたらしい。

 上げて落とすは話術の基本。
私のやった演出は、外連味たっぷりで正攻法とは程遠い。
けれどそれだけに、印象強く焼きつけることに成功したようだ。
不安や緊張の反動もあってか、いつものよそよそしさはどこへやら、尋ねてくる声は遠慮の欠片もない。
好奇心にあふれた目に詰め寄られながら、私は笑って詳細を加える。


「全部お豆腐料理です。
 雁もどきは、擂った豆腐に小さく切った野菜を入れ、丸い形にして油で揚げたもの。
 蜆もどきは、鍋で煎りながら細かくし、良く水をとばした後さらに揚げて蜆の身に似せたもの。
 鮎もどきは、豆腐を柱に切り、これも油で軽く揚げ、塩焼きの鮎のように 蓼酢(たです)をかけたもの。
 鰻豆腐は、海苔の上に小麦粉と擂り豆腐を混ぜたものを敷いて揚げ、山椒醤油をつけ焼いたもの。
 かまぼこ豆腐は、水を絞った豆腐に擂った胡桃を混ぜ、杉板に盛って蒸しあげたもの、です」
 

 一つずつ身振りを交えて説明すれば、想像したのか唾を呑む音まで聞こえる。
何度もあがる「ほうっ」というため息を賛辞のかわりに聞きながら、最後の仕上げ。


「食材は珍しいものでなくてもいい。
 普段食べているものでいい。
 それに、もう一手間(ひとてま)加えてやればいいんです。
 それだけで充分、珍しいものに劣らない品にすることが出来きます。
 
 毎日作っていただいている煮物も汁物も、とてもおいしいです。
 松下家の味噌も豆腐も、野菜も米も。
 誰に出しても、どこに出しても、恥ずかしくない立派なものだと思います。
 私は胸を張って自慢できます。そうですよね、嘉兵衛さま」

「そうだな。
 いつもおいしいものを作ってもらっていると、僕も父も感謝している」

「そんな……、そんなもったいのうございます。
 嘉兵衛さまには、ただ御不自由をおかけせぬようにと……」

「こら、泣くようなことではないだろう。
 申し訳ありません、嘉兵衛さま」

「いや、こうして皆が客人について悩んでくれるのも我が家のためなのだろう?
 それをとても嬉しく思うし、ありがたいとも思う。
 父や叔父上が辱められるて辛いのは、僕も同じだ。
 どうか皆で力を合わせ、良いものを作ってほしい」

「はい。
 はい、嘉兵衛さまのお言葉しかと心得、かしこまりましてございます」


 一同深く頭を下げる。嘉兵衛の〆の言葉によって、皆の心は一つになった。

 私も、ちゃんとアドバイザーとしての地位を確保できたようだ。
すっかり遅くなってしまった今晩の食事を用意する人を横目に、明日の仕込みの相談を受ける。
胡麻(ごま)や大豆など、一晩水につけておかなければならないものは今から準備が必要だ。
豆腐を固めるために使う「にがり」を塩から抽出するのも、一晩がかりの仕事になる。

 皆と一緒にあれこれ道具を用意しながら、母屋に食事に向かう嘉兵衛に小さく手を振る。
嘉兵衛が親指を立てて「Good Luck」とかやっているのだけど、いつの間にあんな動作を覚えたのだろうか?
どうもうっかりすると、ぽろっとこの時代にはありえない言葉とかも話してしまうので気をつけなければ。
彼はある意味私の教え子のようなものだけど、あまり変なことを仕込むのはやっぱりダメだろう。
ただまあ私の紹介した豆腐料理は江戸期のレシピだったような気もするので、その天秤は微妙なところだ。




 ―――そして、明けて翌日。
朝から快晴を約束するような、雲一つないすっきりした空が広がる。

 その空の下、まだ薄暗いうちに起きだして私が向かったのは雑木林。
料理に使う豆腐の下準備は、ベテランさん達にお願いし、まる投げしてきてある。
肉や魚などが使えない料理に欠かせない「きのこ」の採取が、私の仕事だった。

 きのこはその名の通り、木のあるところに生えるものが多い。
山や森、民家近くの雑木林に海岸、時には家の裏にも生え、その生息地は意外に広い。

 しかし不思議なことに、魚や野菜の売り人はよく見かけるが、「きのこ売り」には会ったことがない。
皆、けっこう口にしていると思うのだけれど、商売にはなっていないようだ。
傀儡子一座にいた時もよく採ったが、売り物にはしなかった。
やはり時々間違い(毒きのこ)があり、博打みたいになってしまうからか。
まだ「栽培する」という考え方がないからだろうか。……まあそれはさておき。

 食べられるきのこの王様は、何と言ってもやはり松茸(まつたけ)になるだろう。
特に国産の天然ものともなれば、現代ではちょっとびっくりするような値段が付くこともある逸品だ。

 しかしこの時代では、実は松茸はそれほど珍しい部類には入らない。
なぜなら、松がどの地域にも、とてもたくさん植樹されているからだ。
松は油(松脂)の含有量が他の植物とは段違いなので、たいまつ(松明)として重用される。
戦などの際には、竹に並んで大量に徴収されるのだ。
それで整備された松林が多く、松茸の発見も(大物を狙わなければ)それほど難しくない。
それに松茸の生息場所には『良く似た毒キノコがない!』ことも重要だ。
毒にあたる心配をしなくてもいいという点でも、松茸は採集しやすいきのこだった。

 とはいえ、夏の暑い盛りに幻の松茸を追い求めても仕方がない。
私が狙うのは、もっと安全パイ。香りも味もいまいち、食感が全ての「木耳(きくらげ)」だ。
いや、夏に生えるきのこで美味しいものは他にもあるが、やはり毒に当たるのが怖い。
少量ならお腹を壊す程度ですむだろうとはいえ、他所から来た人に間違った物を出したら大変だし。
木耳なら毒を持つ仲間はいないので、その心配をせずにすむ。
それに、以前食べたのと同じ場所に生えているやつを知っているのも、私が利用を狙う訳だ。

 本当は、……欲を言えば椎茸(しいたけ)があればなぁとは思う。
精進料理のだしは、現代ではそのほとんどを椎茸と昆布でとる。
だけれど、椎茸は松茸以上の珍重品。
現代では食料品店で簡単に買えるものが、今は松茸以上に珍しい品なのだ。
倒木の切り株からさえ生える木耳と違い、椎茸は質の良い枯れ木(原木)にしか生えない。
でもこの時代、そんな丁度いい枯れ木があったら皆喜んですぐに使ってしまう。
柱になったり、壁になったり、薪にされたりしていたら椎茸の生えくる暇などあるはずもない。

 もしも独り立ちして商売を始めるなら、きのこで一山当てるのも楽しいかもしれない。
新しい機械など作らなくても、在るものですぐに始められそうなところが魅力的だ。
食材関連は生産のめどさえつけば需要は必ずあるから、商売を起こすのは難しくはないだろう―――。

 ―――と、そんなことを考えながら、きのこスポットを巡り、木耳を集める。
ついでに、早咲きの小菊や熊笹の葉も摘む。
山椒の青い実を取り、形の良い葉を何枚か選んで丁寧に懐紙に挟み懐に仕舞う。
後はどうするかと、ふと足元を見ればたんぽぽが群生している。
牛旁(ごぼう)代わりに、たんぽぽの根が使える。
少し掘っていくかと屈んだところで、人の気配に気がついた。


 木立の合間からのそりと現れたのは、松下家で働いている元吉だった。
彼は下働きの中ではかなり学があり、綺麗な字を書くので重宝されている人だ。
たしかあの河川調査の時にも同行していて、記録係をしていた。


「日吉」

「おはようございます、元吉さん」

「……」

「……」

 
 名を呼ばれたので立ち上がり挨拶を返したが、続かない。
彼はじっと見下ろすばかりで、何も言ってはくれない。
でも悠長に彼が話しだすまで待っていられる時間も今はない。
私は一言断ると、竹で作ったお手製スコップで作業を開始する。

 端から無造作にざくざく掘り返していく。
掘り上げたのは後で集めればいいやと放置していると、泥だらけの根を選り葉を落としてくれる手が現れた。
地面から視線を挙げれば、斜め前には、私と同じくしゃがみこんだ元吉の丸めた背。
髭根をむしりながら、彼はちらと一度だけこちらを見、ふいと顔をそむけ話しだす。


「この間……」

「?」

「半月ほど前だ。
 お前、うちのお染に茶を渡しただろう?」

「ああ、はい。熊笹の。
 ちょうど良かった、今また取ってきたところです。
 わけましょうか?」

「いや、いい。
 そうじゃなくて。
 お染が、眩暈(めまい)がしなくなったと……」

「そうなんですか、よかった。
 お染さんは細いし、色も白いし、貧血気味なんじゃないかと思ったんです。
 貧血には蓬(よもぎ)や柿の葉のお茶もいいですけど、時期がありますから。
 でも熊笹なら、一年中いつでも大丈夫なんですよ。
 匂いも、いつも飲んでいればそれほど気にならなくなるでしょうし。
 出来れば嫌いじゃなかったら、長く続けて下さいね」

「ああ。
 ……それでな、……。……すまなかったな」

「はい?」

「それだけだ」


 ほんとにそれだけらしく、元吉は膝についた泥を払うとあっという間に行ってしまう。
お礼を言いに来てくれたのは嬉しいけど、なんかすごくあっさりだ。
最後まで手伝ってくれないのかと、残った根っこをまとめて籠に突っ込もうとしたところで思わぬ物を発見した。

 一見「なめこ」のようなテラっとした外見に、鉄錆のようなこの匂い……これは! 「えのき茸」だ。

 現代のお店で売っているあの「えのき」とは色も姿も違うが、野生のそれに間違いない。
素晴らしい贈り物に思わず小躍りする私は、さっさと去っていった元吉の背中を想う。
私が採っていないものが入っている理由、犯人は一人しかいない。

 皆が客人の為にそれぞれの分野で準備をしている。
わざわざ私の籠になど入れずとも、これはそのまま厨に持って行けばいい。
そうすれば元吉は皆に褒められるし、感心されたり感謝されたりもしたはずだ。
私にだって一言いってくれれば、たくさんお礼を言っただろう。
なのにどれも選ばず黙って籠に入れていくなんて、なんてシャイな人なのだろうか。

 元吉の奥さんのお染さんに私がお茶を渡したのは、もう半月も前のこと。
奥方とお茶談議をしていた時に、たまたま傍にいた彼女の顔色が悪かったから勧めたにすぎない。
奥方の手前、彼女は受け取ってくれたけど、ちゃんと飲んでもらっているとは思ってさえいなかった。
でもそれだけのことが、巡り巡って今こうしてタイミングよく返ってくるなんて。

 こっそりこれを私に置いていってくれた元吉の気持ちを考える。
変わらなく見えていた態度の裏で、きっかけを探していたのは私だけではなかったのかもしれない。
願ってもない仲直りの品を手に、目を細める。これは幸先良さそうだ。







*あけましておめでとうございます
 本年もどうぞよろしくお願いします
 続きは今月中



[11192] 戦国奇譚 第二部 完 (中)
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:1e247df3
Date: 2011/01/31 23:55
 屋敷に帰れば、皆が襷(たすき)がけをし、準備万端で待っていた。
予想どおり、本日来客の知らせが届いたらしい。
「早く!」と急かされながら着替えて厨に入れば、「これ、日吉の分」と袖をあげる紐を手渡される。
ありがとうと手を伸ばし、しかしその親切な手の主、今日はここにはいるはずのない人に驚いた。

「え、奥方さま!?
 ……あの、姫様は?」

「嘉兵衛にお願いしてきました。
 私も旦那様のお役に立ちたいですもの。
 どうかお手伝いさせて下さいね」

 にっこりと、あいかわらず年を感じさせない可憐さで彼女は笑う。
が、あの這い這いしまくる一歳児(昨年八月誕生)を預けちゃったのかと、私は内心言葉に詰まった。
最近この働き者の奥方が厨に出て来られなかった理由は、彼女似の元気良すぎる娘のせいだったのだ。
幼児は驚くほどの闊達さで、コンパクトな体を生かしどこにでも潜り込むから、一時だって目が離せない。
それを嘉兵衛に預けちゃうとは、奥方はずいぶん大胆なことをする。

 急な来客でどこも人手不足だ。今日は子守に当てる余分な人員はない。
大刀自さまの助けを望むにも、彼女だって部屋の支度や花活けなどの仕事があって忙しいだろう。
嘉兵衛一人で大丈夫だろうか……?
強くたしなめることも出来ず、ただひたすら幼児を追いかける少年の姿が思い浮かび、私は視線を泳がせる。
しかし、厨の本来の主に手を取られ、こうまで頼まれれば嫌とは言えない。
「お願いします」と返せば、こちらまで明るくなるような笑顔を顔いっぱいに浮かべ彼女は頷いた。

 嘉兵衛に任された大役は心配だけど、私にもしなければいけない仕事がある。
今は彼を信じ、私も自分のやるべきことをやる時だ。
「さあ皆、頑張りましょう」と奥方が音頭をとり、「えい、えい、おー」と勇ましい鬨の声もあがる。
頼もしい助っ人の参入に沸いた厨房は、元気良くスタートを切った。



 ――――― 戦国奇譚 第二部 完 (下)―――――



「日吉、段取りはもう決めているの?」

「献立は聞いておられますか?」

「ええ。
 一の膳に、一汁三菜と飯、香の物(漬物)。
 三菜の内訳は、炊き合わせ、和え物、小鉢。
 追い膳(二の膳)は、一汁二菜。
 菜は、焼き物と蒸し物。汁は、すまし汁。
 最後に大平、でいいのよね?」

「はい。
 これをまずは二つの組に分けて作ろうと思います。
 先発は、事前に仕上げまで作っておいてもいい物。
 後手組みは、出す直前に仕上げる物、という形です」

「仕上げでわけるの?
 完成に時間がかかるものから先に、というのではなく?
 お正月や祝賀の御膳の時は、造り置きをするものだけど」

「そうですね、普段料理より品数が多いところは祝い膳などと同じです。
 でも……。
 お料理には、一番美味しい瞬間っていうのがあると思うんです。
 食材を吟味したり、調理法を工夫したりするのと同じように、『時』にも気を配りたい。
 出来る限り最高の状態で、お客様にお出ししたいんです。
 手間はかかると思いますが、今回はこの手順で。 お願いします」

「そういうことね。
 『厨での段取りよりも、食べる相手のことを考える』
 大事なことなのに、忘れかけていたみたい。
 道具を上手く使えるようになって、要領がよくなっても、本道を見失ったらダメよね。
 大平は素麺(そうめん)。
 長く置くと不味くなってしまうものもあるのだし、あなたの方が正しいわ。
 大事なことを思い出させてくれて、ありがとう日吉」
 
「いいえ、私こそ大きな口を叩いてすみません。
 奥方さまは、いつでもご家族のことを深く気遣っておいでです。
 毎日の食事にだって、私なんかよりずっと細やかに心を配られていて……、ごめんなさい」

「謝らないで。
 あなたは何も悪いことは言っていないのよ。
 そう、今回はいろいろ珍しいお料理もあるのでしょう?」

「はい。
 ですが、基本はいつもと同じです」

「私も頑張るわね。
 では、最初は時間をおいた方が美味しくなるものから始めましょう。
 味がしっかり沁み込んだ方が良いものといえば、やはり煮物でしょうね。
 最初に『炊き合わせ』で、次に『和え物』。
 蒸し物と焼き物は、下準備まで終わらせておけばいいかしら。
 汁物は最後ね。
 日吉、炊き合わせ用の細工豆腐は初めにお願い。
 それから、ご飯なのだけれど、」

「ご飯も直前組です。
 昨夜しっかり磨いておきました。
 真っ白ですよ、楽しみにしてて下さい」

「ええ、もちろん。
 日吉が姫飯(ひめいい)を炊いてくれると聞いてから、私、待ち遠しくって。
 ……姫飯って、水飯(みずめし)とも、湯漬けとも違うのよね。
 ねぇ、ちょっとぐらいなら、私達にも残ると思う?」

「味見は料理人の義務です。御褒美です。
 少しずつでも皆で口にして、気に入ったのがあったらまた作ります」

「そうね、お客様は一度きりだけれど、日吉はずっとうちに居るのですもの」


 使用する包丁や道具などを仕分ければ、湯が沸いたと呼ぶ声。
奥方は作業に分かれる前、私の襷がけをチェックしてくれた。

 彼女は、袖をあげた紐の余った部分を邪魔にならないよう肩に回し、背中側に挟み直す。
これなら腕をたくさん動かしても、脇で擦れて緩んでしまうことはない。
小さくても的確な親切が嬉しくて、お礼を言えば、返されたのはサムズ・アップ。
ああ、こんなところにも私のうっかりの被害者が……とは思ったが。
しっとり系和装美人との組み合わせは意外に良い。ギャップ萌えかもしれない。眼福眼福。
私もテンション上げて持ち場へと向かう。


 土間ではなく上がり框(かまち)にポジションを取り、すり鉢に豆腐(とうふ)を入れる。
ここなら厨全体が見渡せるから、豆腐を擂りつつ周囲に目が配れる。
個人として任された作業もあるが、私は一応どのメニューにも少なからず関わるつもりだった。

 すり鉢の中で、どんどん豆腐が崩れていく。
大豆の生産が多いせいか、豆腐は戦国時代でもわりとポピュラーな食材だ。
でも、現代の豆腐とはちょっと違う。
作り方は寄せ豆腐なのだけれど、水分が木綿豆腐並みに少ないかんじで固い。
「雁もどき」の材料なので、その固めの豆腐に重しを乗せ、時間をかけてさらに水を抜いてある。
これを凍らせて、もっともっとぎりぎりまで水を抜くとあの高野豆腐が出来る。
高野豆腐は腐らないから保存食としても重宝されている。……と、閑話休題。

 大根や牛蒡(ごぼう)が、笊(ざる)の上で湯気をあげているのが私の目に入ってきた。
品種改良の進んでいない野菜は、おしなべて山菜並に灰汁が強い。
だから、米のとぎ汁や木灰などでの下茹でが必需。
ちょうどそれが終わったところらしい。

 私はすり鉢を抱えて、急ぎ煮物係のところへと向かう。
味付けの前に、やっておきたいことがあった。


「すみません。
 雁もどきに混ぜたいので、その茹であがった野菜、少しもらえますか?」

「いいよ、持ってきな。
 そうさね、幾ついる?」

「少しでいいんですけど、あの、全部貸してもらえますか?」

「はあ? 何を言ってるんだい。
 少しなのに、全部?
 欲張るんじゃないよ。
 全部持っていかれたら、こっちの煮物がなくなっちまうじゃないか」

「いえ、ほんとに少しだけ。
 こんなふうに端っこを削って、ちょっと貰いたいんです」

 
 私は笊の中から輪切りの大根を取りだし、切り口の角を薄く削ぐ。
これは、いわゆる「面取り」という作業。
角を取ることによって煮崩れを防ぎ、煮物を見目よく仕上げることができる。


「ああもう何だい。
 角だけでいいなら、角だけって言いなよ。
 ああ、びっくりした」

「驚かせて、ごめんなさい。
 でもこうして角を取っておくと、崩れにくくなるんですよ」

「へえ、そういうもんなのかねぇ。
 じゃぁ、牛蒡も角を取るのかい?」
 
「いいえ。
 牛蒡は、こうして片方だけ斜めにします」

「片方だけ?
 斜め切りにせず真っ直ぐぶつ切りって注文を出したのは、お前さんじゃなかったっけ?」

「はい、私がお願いしました。
 出来あがってお皿に盛りつけする時に、こうすると見栄えがいいから」

「見栄え?」


 口で言うより、見せた方が早い。
私は皿に面取りした大根を一つ置き、そこに立てかけるように斜めにもう一つ添えて置く。
牛蒡の場所は、二つの大根の交わる地点の手前側。
ちょうど正月の門松に飾られる竹のように、上部が斜めに切られた牛蒡を二本ほど。
バランスを考え、長さがほんの少しだけ違うものを並べて立てた。

 
「前に牛蒡、後ろに大根。
 斜めに重ねたのとは反対側に雁もどきを添えます。
 これに、蕗(ふき)の煮つけを一番手前に横にして重ねて、出来上がり。
 黄色と、白と、黒と、青(翆)。
 どうですか?」

「……。
 はぁ。
 なんて言えばいいのやら。
 こういうのが都ふうって言うのかい?
 すごいねぇ。
 これだけなのに、何だか私らがいつも食べてる煮物が、お上品に見えるようだよ。
 不思議なもんだ。
 ねぇ、そう思わないかい?」

「ほんとにそうね。
 立てたり、重ねたり。
 それだけなのに、全然違って見えるわね」

「奥方さまっ!」


 同僚に声をかけたつもりなので、後ろから返事をしたのが奥方で、二人でちょっとびっくり。
でも、気さくな奥方は怒りもみせず、私の盛った皿を左右から眺めて頷く。


「これは、こちらが『前』になるのね。
 位置を変えると、あまり良いとは言えなくなるわ」

「はい。
 お客さまには、必ずこちら側が正面になるようにしてお出しします」

「魚は頭が付いているから左右も裏表もわかるけれど、前後ろがある煮物は初めてよ。
 でも、『時』の気配りに、『位置』の気配り。
 日吉の中には、気配りの引き出しがまだまだありそうね。
 座ってゆっくり聞きたいところだけれど、今はお料理を進めないと。
 さあさあ、日吉だけに任せずに、私達も手を動かしましょう。
 角を取ったり、先を切ったりするのなら、皆で手伝えるわ」


 日本人の美意識は、そのバックグラウンドに日本の豊かな自然があるのだと思う。
悠然と構える山々。田畑に囲まれた里の景色。清らかな水の流れ。鮮やかに彩りを変える四季。
どれも皆、心奪われずにはいられない美しさを秘めている。

 本物に触れることで、本物を見極める目は育まれる。

 そういう共通認識が確固たるものだから、初めて見る物でもはっきりと良し悪しが言えるようになるのだ。
日々の生け花や着物の色合わせ、刺繍、書(しょ)などで、その感性は常に磨かれ活かされていく。
盛りつけにおける「真行草」や「守破離」なんかを知らなくたって、良いものは良い。

 けれど……、本当は。
その日本人的美意識も、料理にまで波及するには、もう少し時が必要だったのかもしれない。

 あるいはお金持ちとか身分が高い人達の間では、盛り付け技術も進んでいることはあり得る。
でも、まだ下級武士や庶民は、「見た目の美しさ」よりやはり「量」が重視される。
豊かな時代ではないから、それに沿って生まれた価値基準がある。

 だから、私がしたのはフライングだ。
客が遠来の僧侶で、皆が最初から自分達と価値観が違う相手だと思っているから出来たこと。
でもまあ受け入れられたので良しとするべきなのだろう。
姑息かもしれないが、私だって何も考えずに手を出したわけでもない。

 そう、野菜の皮を剥く時点で角を落とすことを勧めても、おそらく許可されることはないとわかっていた。
たくさん食べられること、少しでも大きいものであることが、「良いもの」という考え方がある。
その基準に従えば、「もったいない」と即座に断られるだろうと私は踏んだ。
それを回避するために、雁もどき用の野菜をわざと用意せずにおいたのだ。
すでにある価値観との衝突を避けようとすれば、小手先の策も必要になる。


 で、私がここまでするのは、「炊き合わせ」をランクアップさせる為だった。
私自身は田舎風のちょっと崩れた煮〆も気楽に食べられて好きだけど、今回は「お上品」を予定している。
それは、昨日集めた情報からの結論だ。

 私の知り得たことは、
「まずお客さんが、下っ端だとしても、この旅に同行を許される程度には認められたお坊さんだということ。
それから、詳しい宗派まではわからなかったけど、「西」の人だということ」の二点のみ。

 客がお武家さんでないなら、身分重視で形式が煩い武家風の本膳だと面倒が多い。
招く側が武士だし、全く考えてみないこともなかったが、相手の地位をどうみるのかでギブアップ。
その点、実質重視の精進懐石ならば、互いの上下関係を細かく追求しなくてすむ。
後は「西=京料理」も意識して、私の知る精進料理を参考にメニューを決めた。


 ―――現代と戦国時代。その差は四百年に及ぶ。

 醤油や砂糖のような調味料も、似たものはあるけれど現代と同じものは存在しはない。
野菜も違う。米の品種も違う。多国籍料理慣れた現代人とは、味覚じたいかなり違う。
違うことづくし。鑑みれば、本当に「前世知識」を使ってもいいのかと思わないでもない。
 
 でも、こういう古くから伝わる作法が現代まで連綿と受け継がれていることも、私は知っている。

 例えば、あのとんち勝負で有名な「一休さん」をご存じだろうか。
その一休宗純の百年忌は、1581年に大徳寺で行われた。
その時出されたお料理が、実は現代でもほぼ同じ様式で山開忌に出されているのだ。
「何とかフェア」で戦国時代のお料理を再現などと大々的にやるまでもない。
四百年以上、たぶんそれより前からある様式が、変えられることもなく現代まで作り続けられている。

 他者への持て成しの本質が、「相手への心遣い」であることは、今も昔も変わらない。

 山海の珍味を並べたてるのも、高級食材を惜しみなく使うのも、その心遣いの表しかたの一つ。
でも質素な料理でも、その人が食べたいだろうと思うものを用意するのも、心遣いだと思う。
古(いにしえ)の料理は、故人を偲んだ過去の人々と同じ思いを共有したいという願いを叶えてくれる。
私はわかり易い心遣いも好きだけど、そういう奥ゆかしい心遣いもかっこいいと思う。とっても「cool」だ。


 ということで、「cool」が今回のキーワード。

 暑い夏だからこそ、涼しさを望むのは人の性。
冷蔵庫なんてないから、望まれるままに冷たいものを出すのは難しい。
けれど、目に涼やかで、口あたりすっきり、長旅で疲れた体(胃)を優しく労る食事は作れる。
「豪華過ぎず、質素過ぎず、相応だけれどセンスの良いものを少量ずつ上品に」
これが、献立のコンセプトだ。

 そうして厳選した食材とメニュー。
一の膳の炊き合わせを例にとれば、大根のジアスターゼ、牛蒡の繊維は胃腸に良い事でよく知られている。
雁もどきも、大豆から豆腐へと加工することにより、たんぱく質の吸収力が高められた優良食品だ。 

 それで私が担当したその雁もどき、だが。
貰った野菜の端っこと、細かく切った木耳(きくらげ)を混ぜあわせれば、タネ作りは完了。
後は丸めて揚げるだけ。油は貴重だから、あまり大きくは出来ない。
一緒に煮る大根の三分の二程度の球形にし、油に落として綺麗なきつね色に色づくまで待つ。
揚がったら煮物部隊にバトンタッチ。私は次の仕事へと向かう。


 次に作るのは、小鉢(坪)に入れる『ごま豆腐』。
ごま豆腐の最初の仕事も、まずは胡麻(ごま)をすり鉢に入れ、擂ることに始まる。

 「ごますり」と言えば「安易に人をおだてること」などと悪い印象がある言葉だ。
けど、実際の作業はこのイメージとは全く逆。
すり鉢の中で跳ねる胡麻を、散らかさないよう丁寧に、丹念に、繊細に。
擂り残しがないようよく見、耳をそばだて音を聞き、心を鎮め集中し、「ごますり」には細心の注意を払う。

 ごま豆腐の良し悪しは、胡麻(ごま)の擂り具合で決まると、私は断言したい。

 深い胡麻の風味、滑らかで濃厚な舌触り。
しっとりとしつつしつこく絡まない、あの独特な食感の全てが、一重に擂りの丁寧さにかかってくる。
最高の味を引き出したいなら、諂い(へつらい)など持ってのほかだ。
食材とは、真っ向からぶつかりあう真剣勝負。誠意をもって挑むことこそが、料理の神髄だ。

 ひたすら円を描き、まんべんなくたゆまなく、すりこぎを動かし続けること四半刻。
すり鉢の奏でる音が低音から高音に変わり、抵抗が減り、全体が均一にきめ細やかになったら手を止める。
水を加え、サラシ(布)に包んで絞る。
絞り落ちた漆黒の胡麻汁に、葛粉と塩と酒を入れ混ぜる。
この時注意しなければならないのが、葛粉をいきなりポチャリとやったりしないこと。
必ず笊、または布袋に入れて溶き、解け残りが固まったままなんて失態を犯してはならない。

 全部がよく混ざったことを確認したら、これを鍋に入れ、火にかける。
木ベラで常にかき混ぜていれば、わりとすぐに固まり始めるが、ここで焦ってはダメ。
ヘラが重くなってきても、腰を据えて、しっかり滑らかになるまで力いっぱい練る。
短い時間が勝負の分かれ目。負けるものかと根性で、練るべし、練るべし、練るべし。
そうして、炊きあがった物を水で濡らした型に流し込み、冷水で一刻。冷やして待てば完成だ。

 ごま豆腐の型には竹筒を利用。冷水は、井戸からくみ上げたばかりの水を使用した。
そうして一通り作業を終え、額の汗を拭い一息ついたら、こちらを見つめる幾つもの視線にあってぎょっとする。


「な、なんでしょうか?」

「日吉がね、鬼気迫る勢いで作業しているから、声がかけられなくて。
 もういいかしら? 話しても平気?」

「私そんな怖い顔してました?」

「ええ。
 顔じゃなくて、雰囲気だけどね。
 立ちふさがる者は切る! って感じだったわよ。
 槍を構えた時の、うちの旦那さまみたい。
 ふふ、可笑しいわねぇ。
 稽古の時の日吉は刀を握っていても、全然迫力出ないのに」

「っっ、す、すみません。ちょっと集中してしまいまして」

「いいわ、面白かったから。
 お母様も呼んできて、見せてあげたかったくらいだもの。
 きりっとして凛々しくて、私、見直しちゃったわ。
 日吉も、あんな顔も出来るのね」

「それは、あの、恥ずかしいので……、もう許して下さい」

「あらあら。
 そうね、これもまたの機会にするわね。
 こちらの煮物もだいたい終わったので、日吉の見立てを聞こうと思ったの。
 少し、迷うこともあって」


 奥方の話を聞き、進められるまま煮物の鍋を覗き込む。
種類別に分けられており、どれも淡く色づき良く煮上がっている。
ふわりと上がる温かい湯気は美味しそうな匂いで、包まれると幸せな気分になってくる。

 でも、ちょっといつもは違う気もして、私は首をかしげた。
メインの調味料は、醤油はないので、代わりに薄垂(うすたれ)と呼ばれる味噌の一種が使われている。
香りはいつと変わらない。しかし、普段の煮物は、もっと色濃く仕上がっていたはずだ。


「さっき、日吉がお皿に盛って見せてくれたでしょう?
 あれを見て……。

 白い大根は、まるで雪をかぶった山。
 茶の牛蒡は、芽吹きを待つ里の木立。
 そして澄んだ緑の蕗は、一足先に春を告げる若葉のようだって。
 そこにあなたが作ってくれた、お月さま色の雁もどきを添えたらね。
 まるで早春の宵を掬い取って、お皿の上に持ってきたみたいでしょう?

 ……でね、そう思ったら、強く煮〆て黒くしてしまうのがもったいなくって」

「ありがとうございます。
 野菜の持つ色はとても綺麗だから、私も彩が残るのは良いと思います。
 奥方さまのおっしゃる言葉を聞いたら、本当に里山の景色に見えてきました」

「一緒ね、嬉しいわ。
 綺麗に煮ようと思って気を使ったの。……でもね。それで少し、味がね……。
 いつものよりも、薄垂をずいぶん少なくしてしまったから。
 お客様は日吉の言葉どおりなら大丈夫なのでしょうけれど、うちの旦那様たちは……。
 これじゃ、ものたりなさ過ぎるのじゃないかと思って」


 声音を下げた奥方の言い分はよくわかる。
当家の男連中は、暑い中でも半日は屋外で槍を振りまわし稽古をしている。
当然それに比例して、日々の塩分量は、オフィスワークの現代人より遥かに多く必要だ。
普段の食事は一汁一菜、プラス漬け物。どれもしっかりした濃い味付けのものばかり。
日ごろのあの食事に舌が慣れていれば、薄さが気にもなるだろう。

 でも、せっかく綺麗に煮あがっている。
薄垂をたして煮直したり、ましてや直接かけたりして黒くしてしまうのは、それこそもったいない。
代わりに塩だけたすのは、味が悪くなるから奥方もしなかったのだろうし……。


「味の薄さを補うには……、ですよね。
 そうだ、この煮るのに使った汁、これを使いましょう」

「汁を使うの?
 でも、盛りつけの皿は平皿だから、そんなにたくさんは入らないと思うわ。
 それに汁を入れたとしても、それだけで味を濃くできるとも思えないのだけれど」

「そのまま入れただけなら、そうなります。今の状態と変わりません。
 でも、葛粉を入れて、汁にとろみをつけてみたらどうでしょうか?
 そうしたら、食べる時に、具の一つ一つにたっぷり汁を絡められますよね?
 絡める量の調節は、個人の好みに合わせてでできますし」

「いい案だわ!
 煮物にあんかけするなんて、考えてみたこともなかったけど、いいと思うわ。
 試しに少し作ってみましょう。
 ちょっと、小鍋を一つこちらに頂戴」


 ごま豆腐に使っていたので、葛粉は手元にあった。
奥方は私に任せることなく自身で葛を煮汁で溶かし、手際よく葛あんを作り上げる。
本番と同じように皿に具を並べ、そうっと静かにあんを流し込む。


「いいわ、とてもいいわ。
 ねえ見て。
 さっき、ほら、日吉が里山の風景って言ったでしょ。
 こうしてあんがかかると、まるで春霞のように見えない?
 この月は山の端にかかって、きっともうすぐ夜が明けるの。
 日吉、日吉、私なんだか胸がいっぱいになってきたわ」

「素敵です。
 山が雪山だから、初春の朧月ですね。
 それならこっちの白酢和えは、雪をかぶった藪の見立てでしょうか。
 たんぽぽの根が小枝、木耳の枯葉。
 荒く混ぜてある白酢は、雪の吹きだまりの風情がありますね」
 
「待って、それなら。
 お染、あなた、たんぽぽの花を摘んできたって言ってたわよね」

「はい、これですけど。
 でも、綺麗に咲いてるのは見つからなくて」

「いいのよ、咲いてなくて。
 いいえ、咲ききってない方がいいってことよ。
 この三分咲きのものがちょうどいいわ……」

「あっ、これ、福寿草になるんですね!
 少し黄色が覗く様子が、雪の中で咲く福寿草そのままですよ。
 うわぁ、凄っ、可憐だ。完璧です」

「そうでしょ、そうでしょ。
 お染、良くやったわ」

「お染さん最高。
 すっごく気が利いてます」


 日本たんぽぽは西洋たんぽぽとは違い、一重の花だから楚々としている。
慎ましやかな黄色は、白酢和えの素朴な色合いを殺さずに引き立て合う。

 ちなみに、このたんぽぽも飾りではなく、ちゃんと食用だ。
日本の花食の歴史は古くて、多彩。
菊に始まり、すみれ、菜の花、蕗のとう、等々。たんぽぽも例外ではなくしっかり食べる。
木村屋の餡パンのヘソに入っている、桜の花の塩漬けとか。
素麺などの薬味によく使われている、茗荷(みょうが)とか。
花を食べるのは、そう珍しいことではないのだ。

 まさしく花を添えられ完成した二品。
私達は試作品を並べ、その出来を褒め合う。
褒め言葉が向けられるのは、奥方や私だけが対象ではない。
片手で火力調節の出来る便利なガス台なんてないのだから、火加減を調整した人の腕は称賛に値する。

 仕上がりはどちらも、私の想像以上の出来だ。
見た目涼しくということで、元から白の配色が多くなるような献立を選んではいた。
それが奥方や同僚達の手もあってより良いものになり、触発されアイデアは広がっていく。


「こんなに上手く二皿の季節が揃ったのだから、小鉢にも工夫が必要ですよね。
 ごま豆腐は四角く切ろうかと思ってたんですけど、それじゃ芸がないですし。
 杓文字で掬って、岩に見立ててみましょうか。
 それで、これを使って……」


 私は煮物に使わないのでよけられていた大根の葉を、一本手に取った。
小さな緑はむしって、中央の芯だけを残す。
この芯は、切り口を見ればわかるが円柱ではなく半円になっている。
その山型になっている部分に、芯がちぎれない程度に深い切れ目を、細かい間隔でいれていく。
全体の三分の一ほど入れられたら、水にさらす。
すると、切れ目を入れた方が先からくるりと丸まって―――。


「―――何に見えます?」

「まぁ、蕨(わらび)ね」

「ごま豆腐の岩にこれを添えて、煎り酒(醤油の代わり)をかけます。
 山葵(わさび)は、蕨の足元。煎り酒に浸からない位置に軽く置いて。
 どうでしょうか、雪解けの頃の川辺に見えますか?」

「見えるわ。
 濡れた岩の艶やかさまで、本物みたいよ。

 それじゃ、あとは香の物だけね。
 白瓜は味も歯触りもいい、今年の初物なの。
 浅漬けなのだけど、でも、さすがに真っ白ではないし。
 何かに見立てるにしても……、私には何も思いつかないわ。
 ここまできて、香の物だけ何もしないのはつまらないわよね。
 何か案はないの?」

「あります。
 すみません、紫蘇を何枚かもらえますか。
 それ、細かく刻んで、少し揉んで下さい。
 白瓜も同じように刻んで。
 それから、牛蒡の古漬けを少し下さい。
 これは味噌を落としてから、細切りにします」

「これくらいでいいかい?」

「はい、ありがとうございます。
 先に古漬けをこうして斜めに並べて。
 牛蒡が半分隠れるくらいに、瓜と紫蘇をざっくり混ぜた漬けものを乗せると、」

「ああ、わかった。
 これなら私にもわかるよ、日吉。
 当てて見せようか、梅に雪、なんだろ?
 これ、雪をかぶった紅梅ですよね、奥方さま」

「紅梅に雪……、素敵。素敵ね。ああ、でも。
 刻んだ香の物をお客様の御膳に出すなんて、してもいいものなのかしら。
 こうして日吉が作ったのを見ると、でもそんなことどうでもよくなるくらい良くって。
 でも、でもね、どうしましょう。困ってしまうわ。
 このままお出しして、この美しい御膳の風情を楽しんでもらいたいとも思うし。
 でも、怒られてしまいそうな気もするし」


 牛蒡を持ってきてくれた女性は朗らかに美味しそうだと笑うが、奥方はうっとりとした眼差しで眉をよせる。

 各皿が仕上がるごとに、あんなにはしゃいでくれた奥方だ。
女性は、洋服に靴、髪飾りから小物類に至るまで、トータルでコーディネイトを楽しむもの。
奥方もセンスのいい人だ。早春の趣で揃えられた膳は、彼女のお眼鏡に叶ったのだとは思う。
しかし香の物には、「刻んだ物」より「刻んでない物」の方が格が上、という常識があった。
客はここの主人より身分が上の人間ではないけれど、一般的な約束ごとを無視はできない。
常識と美意識の狭間で揺れて、奥方は悩ましげなため息をこぼす。

 原因を作ったのは調子に乗った私だ。これは私がどうにかするべきなのだろう。
 

「あの、奥方さま。
 これは、えっと、そう、姫飯用の香の物です。
 こうして細かく刻んだのを、ご飯にかけて食べると美味しいんです。
 湯漬けの時は、正式な膳でも香の物の代わりに塩を置きますよね?
 それと同じです。

 これは瓜と紫蘇ですけど、大根の葉を刻んで塩揉みした物とか種類もあって。
 例えば、紫蘇を乾燥させておけば、日持ちする物も作れます。
 炒り胡麻と塩を入れれば、旅にも持っていけます。
 軽いし、少なくても味の足しになるから、戦の時にも。
 名前もあります。『ふりかけ』って言います」
 
「『ふりかけ』?
 ふりかけって、ご飯にふりかけるから、ふりかけなの?」


 無理があるかなと思いつつも一息に述べれば、奥方はきょとんとした顔で訊き返してくる。
正確な謂れは知らないけど、他に考えようもない名前なので、「そうです」と答えた。
真面目に答えた私に対し、しかし、「ふりかけ」のどこがツボにはまったのか奥方はクスクス笑い出す。
そうしてひとしきり笑った後、小皿を手にとってしみじみと眺めると、彼女は私に真っ直ぐ向き直って告げた。


「決めたわ。これは、このまま出しましょう。
 怒られたら、怒られた時ね。

 『奥を守る者こそ、本質を見極める目を持たなければならない』
 ―――大刀自さまの、お言葉よ。

 私は日吉を信じるわ。日吉を信じる自分の目を信じている。
 良いものを、良いと見極める、自分の目を。
 私は、この「ふりかけ」が、お客様にお出しするのにふさわしい品だと思うの」
 

 迷いを断ち切った奥方の鶴の一声により、一の膳の菜は揃う。

 紅梅に雪降りかかる、香の物。
 福寿草が根雪を割る、白酢和え。
 雪解けの小川に蕨萌える、小鉢。
 里山に朧月かかる春宵の、炊き合わせ。

 これに白く輝く白米と豆腐と青菜の味噌汁が付く。
一の膳は、冬から春にかけての季節を、丸ごと招き入れたかのような膳になるだろう。

 さあ、残るは二の膳だ。一の膳に見劣りするようなものにする気はない。
メニューを大きく変えずに趣向を凝らすにはどうすればいいか。私は厨を見渡した。


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