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[1071] Fate/Liberating Night her codename is “Soldier”
Name: G3104@the rookie writer◆a3dea9af
Date: 2007/05/14 02:57
 それは長きに渡る一人の少女の記憶だった。
 本来受け継がれるはずの無い記憶、生前の記憶、死後の記憶、それは魂の記憶。
 しかし、それは確かに私の中に存在し、自分という一人の人間の中を実年齢以上の経験と記憶が駆け巡っていた。
 そしてその者は再び運命と出会い、数奇な因果の果てに三度彼の地を踏む。

 思い出していた、それは私の運命。
 其れは私の求めた半身、とても尊く美しい夢。赤紫がかった朝日の陽光を浴びた朝靄の中の告白。
 其れこそが私の歩む道を指し示した一条の光であり……

 そしてこの身に宿る願いの原点でもあった。

「私は貴方に救われた。でもそこに貴方がいなくては……。待っていて。今度は私が、必ず貴方を救ってみせる。貴方が“答え”を見つけられるように」




第一話「兵士は戦場に降り立った」




 ――そして舞台は冬木の街へと舞い戻る――

 真っ暗な深海の闇の中から突如引きずりこまれ、眼前に迫る眩い空白の中に放り出されるような感覚――。
 とっさに眩暈を覚えながら、次に観えたのは、眼下に広がる静けさを孕んだ淡い街火の夜景だった。
 ――はは、随分と手の込んだ冗談を披露してくれる。
 私は、ともすればパニックに陥りそうな我が身の状況に、何故か冷静に受け止められる余裕があった。
 つまり、今の私は街並から遥かに離れた上空に居る。
 ようするに真っ逆さまに堕ちている。

「……むぅ」と眉を顰めて呻く。
 何故にこんな理不尽な状況で冷静になれるというのか? きっと、私の内に在る“彼”が一度経験していたことなのだろう。
 私に落ち着けと語りかけてくる。
 自由落下は堕ちている最中は全く重力を感じない。その代わり地上から吹き付けられる風が次第に強く、早くなってゆく。
 風を掻き分けて滑り込んでゆく様はまるで、水の中を泳いでいるかのような感覚。
 目の前には静かな街並み、近くには山々の峰が、反対側には海が見える。
 ――この景色は懐かしい。
 ……否、死して英霊となる前まで、自分は同じ景色の世界に居たのだ。
 よく判らない既視感と共に体は万有引力の法則に則って秒毎に加速度を増している。
 このまま目の前に迫る洋館の屋根に激突したのでは、幾らこの身が生身でないとは言え、拙い処の話ではない。

「まともに突っ込めば流石に痛いだけじゃ済まないでしょうね……」

 私は直ちに全身に魔力を纏い、迫り来る屋根の方へ瞬間的に魔力放出を行おうと、身体を捻り体勢を整える。
 全身から目に見えぬ魔力の猛りがその密度を高められて陽炎のように立ち上り、その力の渦を可視化させてゆく。そしてそれを、放つ。
 勢い良く放出された魔力の逆噴射は、屋根に激突する身体への衝撃を可能な限り相殺、緩和させるが、上空数十メートルから墜落してきた五十キログラム程の体を止めるには些か力不足。
 寝静まった真夜中の街並に、一際盛大な轟音が響き渡った。


*************************************************


 あまりにも途轍もない轟音だった為、彼女は地下室に居たにも係わらず、大きな音に驚かされ、“何か”が屋敷に墜落(おち)てきた事を知った。

「何!? ああもうなんだってこんな時にっ……。途中までは成功していたっていうのに、急に制御が出来なくなるわ、魔力はごっそり持ってかれるわ、一体なんだってのよぉ!!」

 これじゃ大損じゃないっ!! とばかりに魔力の大半を失ってもまだ毅然と、否。
 憤然と怒りを顕わにしながら、赤い長袖の衣服に黒のミニスカートという目立つ格好をした彼女は、まるで赤いオーラでも立ち上っているのではないかと思うほど怒っている。
 この屋敷の主である“遠坂凛”は轟音の聞こえた方向、自分の屋敷にある居間へと急いでいた。


*************************************************


 ガラリと瓦礫の一つが崩れ、床に落ちる音が耳に届く。私はその瓦礫の真上に横たわったまま呻きを漏らした。

「ぃっ痛たたたた……。全く、なんというデタラメな召喚ですか」

 幸い、何処にも怪我をすることは無かったようだ。仮にもこの身は英霊、サーヴァント。
 改めて、サーヴァントというモノが、如何に物理法則外れな存在か理解させられる。
 だが幾らサーヴァントといえど、仮初めの肉体は痛みまでは流石に無視してはくれないらしい。
 ズキズキと鈍く痛む頭を懸命に働かせ、暗がりに目を凝らし、辺りの様子を捜索する。
 ――寸前まで見えていた洋館の、此処は居間か? と、すると此処は、あの第五次聖杯戦争。それもこの景色……これは凛の家?

 私は過去に、二度の人生を経験している。もう一つの過去で、この屋敷の中に入った事は無かった。だが、この身に代わった過去において、私はこの屋敷を訪れている。
 確かに、此処は凛の屋敷だ。記憶の底から引っ張り出した光景と照合し、認識する。
 少々不正確さを覚えたのは、目に映るこの景色が、自分が堕ちてきたことによって破壊され、元の姿を留めていなかった為だ。
 ……彼女がこの惨状を見て、逆上しないことを切に願うのだが。

「ふう、全く凛ときたら。やっぱりこの世界の貴女も『うっかり持ち』ですか……」

 頭上には自分が堕ちてきた痕跡が一つ。天井にボッカリと穿たれた大きな穴から、星が瞬く夜空の淡い光が漏れてくる。
 まだ冬も厳しい一月の終わり頃だ。雪が降るほどでは無いが、冷やされた夜風が、己が開けた天井の大穴から屋内へ吹き込んでくる。
 私は少しの間、瓦礫の上に落ちた格好のまま仰向けに瓦礫の上に背を預け、天井の穴から覗く星をなんとなく惚けたように、ぼうっと眺めていた。
 ――全く。彼女は何故か昔から、ここ一番という時に限って拙いミスをする。その悪癖はやっぱり、何処の世界の貴女も変わらないみたいですね。
 そう言葉には出さず、胸中で呟く。
一つ苦笑を漏らしつつ瓦礫に背を預けたまま、私は彼女の持つ最大の欠点に半ば呆れながら、不意にむず痒くなった頭を撫でるように掻いた。
 無造作に下ろされた金砂の長い髪が、指の動きに絡みつき揺れる。
 エメラルドのような、透き通った青緑の光を湛える双眸は苦笑めいた色を見せ、小さな溜息を吐いた。

「きっと今頃は地下室から慌てて飛び出して、駆けつけてくる最中でしょうね」

 何に達観してしまったというのか自分でも良く判らないが、何処か達観したような口調で、自らのマスターであろう少女のことを思い出し一人ごちる。
 少しすると、ドタドタとけたたましい足音と共に、屋敷の主と思しき女性の声。
 居間の扉の直ぐ向こうでそれが止まる。
 ――来ましたか。
 なにやら慌てふためくように、扉のノブをガチャガチャと弄っている。どうやら墜落の衝撃で建て付けが悪くなり、開かなくなってしまったのだろう。
 痺れを切らした彼女はやはり――。

「ええい邪魔だこのおっ!!」

 バキンと音を立てて、ドアの鍵が壊れて弾け飛ぶ。渾身の力で蹴り飛ばされた居間の扉は蝶番まで外れて宙に舞い、私の頭上を掠めるように飛び去って行った。
 ――凛、相変わらずちょっと粗暴すぎますよ……。
 哀れな扉は対面の壁に直撃して更にバラバラ、扉だった面影は見る影も無い。ううむ、忘れていた訳ではないが、彼女はやっぱり多少おっかない。
 その凶暴さに、実は内心怯み気味になるが口には出さず、表情にも極力出さないようにして見かけは冷静を保つ。
 だが『何故貴方が彼女に怯えていたか判る気がします』と、私は思わず胸中で漏らしてしまった。
 私の魂が持つ一つの神秘、その中から“彼”が少し励ましの声をかけてくれる。だが、それも少し情けない話だ。
 彼、それは私がかつて失った聖剣の鞘。その半身となった、私のかけがえの無い存在。
 どんなに丈夫な鋼で出来ていようと、風雨の前には脆い抜き身の剣を護ってくれる物、それが鞘。
 私にとって彼は、そんな鞘の様な存在だった。
 いけない、この程度で顔を赤くしてどうするのだアルトリア。しっかりしろ自分。

 そんなことを思っているうちに、彼女はズカズカと瓦礫の上を大股で歩き寄り――。

「それで、貴女は何?」

 その口から私に投げ掛けられた第一声は、それだった。
 赤い悪魔が瞳に魔術師の光を携えて、視線で此方を射抜き、聞いてくる。
 それはすなわち、――貴様は私のサーヴァントか否か? ただの泥棒か浮浪者か?
 自分の従者ならばその名を名乗れと、青い瞳で訴えていた。
 私は瓦礫から立ち上がって埃を払い、居住まいを正す。

「サーヴァント“Soldier(ソルジャー)”召喚に応じ参上しました。では問いましょう。貴女が私のマスターですか?」
「……!? ソルジャー……兵士?」

 凛が一瞬硬直し見定めるように私を凝視する。
 無理も無い。本来“ソルジャー”等というクラスはこの聖杯戦争には存在しない。
 その上、私の服装は現代の物と然程代わりは無い。何処にでもありそうなブラウスとタイトパンツ。上はベストを内に着込み、トレンチ型のロングコートを羽織っている。
 ただし靴は少々頑丈そうな軍用ブーツ。
 きっと彼女から見れば、それはどこかの軍隊の制服もどきをシャレて着込んだ、観光か何かの外人さんといった風情にしか見えないだろう。
 ――本当、昔のあの格好からすればあまりにも“普通”過ぎますからね。……今の私の格好は。

 それは当然、本来在り得ない筈の“イレギュラー”。
 自分が召喚されたこの“聖杯戦争”。
 此処で言う聖杯とは、決して某一大宗教に出てくる、聖者の血を受けたとされる杯の事ではない。
 あくまでも“魔術師”にとってこの“聖杯”とは、この世界の“根源”に繋がる為の神秘。
 甚大すぎる魔力によって、不可能も可能に出来る『魔法の釜』だと謂われている。
 そしてそれを手にするため、魔術師達は数十年に一度行われる、この地の“聖杯戦争”に参加せんと、遠く海を越えて世界各地から集まってくる。
 聖杯を現世に“降臨”させるための儀式として、この戦争の為に聖杯の機能から用意された人外の超自然力、“サーヴァント”を使役して最後の一人になるまで殺し合う。
 そう、それはたった七組だけで繰り広げられる文字通りのバトル・ロワイヤル。
 その戦争の駒として召喚される“世界”に記録された“英霊”の魂を降霊させ、使役させてしまうというふざけた神業。
 それが“サーヴァントシステム”。
 聖杯の持つ無尽蔵とも例えられる膨大な魔力を以て、初めて可能となるそのシステム。
 英霊をそのまま“降臨(おろ)す”には負担が掛かりすぎる為、仮初めの“拠り代”として用意されたモノ、それが七騎の“クラス”と呼ばれるカテゴリー。

 すなわち――
 剣の英霊「Saber(セイバー)」
 弓の英霊「Archer(アーチャー)」
 槍の英霊「Lancer(ランサー)」
 怪力を誇る狂戦士の英霊「Berserker(バーサーカー)」
 暗殺者の英霊「Assassin(アサシン)」
 魔術師の英霊「Caster(キャスター)」
 騎乗兵の英霊「Rider(ライダー)」
 の計7クラス。

 私は過去、二度それに係わった。最優のサーヴァント“セイバー”のクラスとして。
 だが、『現在の私』はそれには成り得ない。
 何故なら、この身は既に王でも騎士でも無く、また純然たる正英雄でもないからだ。
 むしろ、存在としては反英雄に近い。

 それでも、この身は既に英霊。
 再び“世界”と契約を交わし、奇跡の対価として“アラヤの守護者”となった人間。
 そう。――ただの人間だ。この身には生まれながらに特別な『何か』が宿っていたりはしていない。
 唯一つの特別な神秘、前世から受け継いだ“鞘”と、それに護られた記憶を除いては。
 魔術は簡単なものくらいは使えるが、得てして秀でたものでもない。
 生身の頃には一時期、軍隊に在籍していた事も在った。だから剣でも、弓でも、槍でも、魔術でもない。
 ましてや騎乗能力や暗殺術に秀でている訳でもない。
 ――否。暗殺も不可能ではないが、生前から私の性格がそれを善しとはしなかった。
 怪力など、元が一介の人間でしかない『あの時代の私』にあるはずも無い。
 この身は只、『彼が私にそうあって欲しいと願った』ごく普通の幸せを攫める星の巡りの元に生まれた、唯の平凡な少女だった。
 例えその身に、かつてどれほどの神秘を行使していた魂が宿ろうが、その肉体が驚異的な能力を手に入れるほどの事は無い。

 だが、それでも彼に会いたくて、彼を助けたくてその手に武器を取った。
 あの頃の……幼かった私には、前世の記憶はまだ鮮明に蘇ってはいなかった。
 それでも何かに囚われるように、“人を護れる強さ”を欲した。
 あの頃、それが何故かは理解出来なくても……それだけが、記憶の霞の向こうに垣間見える彼へ追い付く為の、たった一つの手掛りに思えてならなかった。
 そうして『人を護りたい』という意志からか、自然と私は軍属の道を選び、己を鍛え、高める為、祖国の空挺部隊に志願した。
 過酷な訓練も乗り越え、人として誰よりも強く、優しく在りたいと願った。
 この腕に、かつて持った神懸り的な力こそ無いけれど……前世から受け継いだこの魂の在り方だけは、決して無くなりはしない。

 私は既に王では無い。忠誠を誓った騎士でも無い。
 しかしその心に刻まれた剣士の記憶と経験は消えない、無くなりはしない。
 事実、刀剣やナイフを主とした近接戦闘(CQC)ではまず負けることは無かった。
 指導者として振るった軍裁、統率の経験も、思い出すきっかけさえあれば、自然と脳裏に蘇った。事実、一個中隊を率いて議事堂奪還を成功させた事も在った。
 ただ忘れているだけ。直ぐには思い出せなくとも、無くなりはしなかった。
 そんな私の採れる道は皮肉なことだが、やはり軍隊へと向くのは当然の理だったのかもしれない。
 武器は軍属である以上、前世と同じという訳には行かなかった。刀剣はおろか銃、火器、爆薬、トラップ。
 およそ戦闘能力に係わるモノは全て、それなりに扱いこなせる事が必要だった。
 武術も当然扱う。空手、柔道、居合、そしてCQCにとって必須である合気柔術など。
 誰に言われたかは忘れたが、器用貧乏とはよく言ったものだ。

 だから今の私は“Saber(剣士)”ではなく“Soldier(兵士)”。
それ以外のどのクラスにも、今の私は当てはまらない。
 だがそれでも、どんなにこの戦争で不利な立場に居ようと、まだ私には、成さねばならない事がある。成し遂げたい願いがある!
 そのために再びこの地、この時代へと舞い戻ってきたのだから……。



[1071] Fate/Liberating Night her codename is “Soldier” vol.2
Name: G3104@the rookie writer
Date: 2007/03/05 00:23
 天井から差し込む星明りの中で、目の前に立つ、蒼き外套を纏った金糸の髪を持つ女性が口を開き、語る。
「サーヴァント“Soldier(ソルジャー)”、召喚に応じ参上しました。では問いましょう。貴女が私のマスターですか?」

「……!? ソルジャー……兵士?」

 ――私は一瞬硬直し見定めるように彼女を凝視する。
 だってそうだろう。私が呼び出したサーヴァントはこの“聖杯戦争”における、七つのカテゴリーの中から当てはまる存在が呼び出されなければならない筈である。
 その中に“ソルジャー(兵士)”なんてカテゴリーは無い。聞いた事も無い。
 否、そもそも英霊化するほどの『英雄』でなければ『英霊』にはなりえない。
 だというのに、その英霊がただ一端の『兵士』だなんて、一体何処の冗談だ?
 私は彼女から発せられたその一言に、元から召喚には失敗したと思っていた私は焦って混乱していた頭を、もう一掻き混ぜされたような気分だった。

 ――落ち着け遠坂凛。魔術師たるもの、常に冷静であれ。

 私は魔術師としての心構えの初歩を思い出し、愚直だろうと繰り返し反芻し、その思考を落ち着かせた。
 ……OK。もう大丈夫。

「ええ、そうよ。確かに、サーヴァントのマスターで間違いないわ。此れを見て。此れが貴女を召喚したという証、“令呪”よ」

 そう言ってついっと彼女の目の前に自分の右手の甲を翻した。
 右手の甲から手首、そして腕のほうまで伸びた三画から成る血の色をした刻印。
 それは間違いなく彼女との契約の証だ。
 ソレを見て彼女は――。

「確かに貴女からの魔力供給も感じとれる。霊脈(レイライン)は問題無いようです」
 淡々と、何も問題無いと答えてくれたので契約は無事に――。
「しかしまた、何故このような召喚になったのですか?」
 済ませてはくれなかった。

「大体、何故召喚したはずの貴女が目の前に居なかったのです?」

 むう、とまるで擬態語でも聞こえそうなほど人間臭い表情で、しかも心なし目が潤んでいるように見える顔で急に詰め寄られる。
 あ、ああ……そんな顔で訴えないで。その涙目で間近から見つめないでって!!
 お願い、誰か彼女を止めて。悪かった、私が悪かったから。そんな顔で見つめられたら恥ずかしくて顔から火が出そうになるじゃないっ!
 ああもう、なんで彼女はこんなに可愛らしい顔をするっていうのよ……。
――その涙目顔は凶悪すぎるわよ……
 そんな相貌を崩さぬままで彼女は――。

「とっさに魔力で身を固めたから助かったものの、結構痛かったんですよ!」

 と感情豊かに瞳を涙で潤ませながら私を非難する。
 うう、ちょっとまってアナタ。その、モデルも女優も裸足で逃げ出しそうな程の美貌の持ち主なのに……女の私でさえ、ちょっと魅入ってしまう程可愛いのに。
 その上涙目なんて……そんなの反則過ぎるって思わない、ねえ!?
 女として、何か凄い敗北感を味わわされた。……ああどうしよう、どうしよう。
 それなのに、なんか凄く納得してしまってる自分がいるんだけど何故?

……!…り…?……いて…ま…か?……聞…えてますか…凛!?」

 ハッとして我に返る。
 どうやら私は考え込む余り、目の前が見えていなかったらしい。
 心配するように直ぐ傍まで近寄っていた彼女の瞳に、私の顔が映るのが観える……。
 ぅわ、近い近いっ。思わず顔が赤くなって内心取り乱す。
 だってそれほどの美貌なのよ。

「……あっと、そうだったわね。何で貴女が私の前にではなくこんな、屋根から落っこちて「遥か上空からですよ」来たのかって、え?」

 私が喋ってる間に割って入り、そう突っ込んでくる。

「軽く五十メートル以上はありましたかねぇ?」

 若干半眼で明後日の方に視線をやりながら腕組みした片手を頬にやって、なにやら人差し指で頬を掻く様な仕草を取り、しれっと薄ら寒い事を言ってくる。
 五十メートル……? うそ、そんなに高いところから落っこちてきて、それで無傷!?
 どんなデタラメよそれ……。

「そ、そう。それは災難だったわね。御免なさい。それにしても、何故召喚がこんな事態になったのかしらね。魔力もタイミングもバッチリのはずなんだけど……ん?」

 私は廃墟と化したその居間の中を見渡し、『ソレ』に目が止まった。
それは居間に置かれていた古い柱時計。短針の位置が綺麗に一時間ずれている。
ナンテコト……

「ゴメン、多分私のせいだわ。なんて間抜け……。まさか時計が一時間もズレていたなんて……。はあ、またやっちゃったか。まあ、すぎたことは仕方が無い。反省」

 私がそう謝罪を口にすると、彼女は何やら呆れたように目を丸くして――。

「はあ、やっぱり相変わらずですね」

 なんて天を仰ぎながら抜かしやがりました。ん、ちょっと待て?
 どういうことだ、初対面の私相手で何故に『相変わらず』なのか?

「え、ちょっと貴女?」
 貴女どこかで……? まさか。出会った事なんて在る筈が無いじゃないの。
「あ、いえ、済みません。あまりにも貴女が知り合いに良く似ていたもので」

 どうして私を知っているのかと、――聞こうとした出鼻をくじかれた。
 何故か、何処か気持ち焦ったように身振り手振を交えながら、彼女は妙に笑って必死にそう弁明した。

「そういえば、さっき私、名前呼ばれてたような……うん、間違いない。なんで貴女が私の名前を知っているのよ?」

 彼女の説明を受けるも、釈然としない私は尚、彼女に詰め寄り、問い質す。

「それも同じ理由です。貴女に良く似た友人の名前を、うっかり口にしてしまいました。ああ、これでは私もマスターの事を言えませんね」

 クスリなどと口元に軽く手を当てて笑みを見せながら、しれっと軽く言ってくる。
 さっきまでのあの慌てようは何処へ行ってしまったのか、毛の先ほども残っていない。
 ちぃ、機を逃したか。もう彼女は怯んでいない。会話の主導権を握り損なった。

「それで、他には?」

 渋面で睨む此方に対し、柔和な微笑みを浮かべて目の前の英霊はそう伺ってくる。
 むう。何か凄く、こう、なんていうか……凄く人間臭いわね、この人。
 でも、それが返って親近感を持ちやすい感じにさせているが、なんというか……彼女は本当に英霊だろうか?
 顔の筋が引きつったように、口元に苦笑を張り付かせ、私は胸中で一人、疑問を誰とも無く投げかけていた。無論、答えが返って来ること等無いのは百も承知だ――。




第二話「召喚者は悩み、考える」




 瓦礫だらけの居間だった場所には今、なにか妙に間の抜けた空気が広がっていた。

「それで、他に私に聞きたい事はございませんか、マスター?」

 淡々と、私より先に自分のペースを取り戻していた彼女に聞き返される。

「ん、そうね。まず貴女は何者? 何処の英霊で、どんな宝具を持っているの?」
「む。これはまた随分と難しい質問をされますね」

 何故か喉に詰まるように口篭る。

「何よ。戦力である貴女の事を知らなきゃ、何が得意で、何が不得手かも判らないんじゃ、私も戦略の立てようが無いじゃない」

 急に言葉を濁すとは何か問題でもあるのか。在るなら在るで、問題となるモノを教えてくれれば、此方で対処のしようもあるだろうに。

「もしかして、貴女ってものすごく有名過ぎるくらい有名な英霊?」

 それこそ、かの騎士王とか英雄王とか、神話クラスの英霊だろうか? 
 ……否。それにしては、格好があまりにも現代的すぎる。やっぱり違うのかしら。

「いえ、私の真名は然程重要でもありません。重要ではないと言うと、些か語弊が有りますが。万一、敵にバレたところでこの時代では、特に弱みに成ることは無いでしょう」

 突然にさらっと問題発言をする彼女。曲りなりにも英霊の一人だろうに、一体何を根拠にもって自分の真名が重要ではないと言うのだろう。
 私がそんな疑問を脳裏に浮かべるも、直後の言葉で思考を中断される。

「そして宝具ですが、申し訳ありません。今は伏せさせて頂きたいのです。これはなんと言ったら良いか、私の宝具は少し……特殊でして」
「どういうこと?まさか使えないなんて謂うんじゃ……?」

 その言葉に対して、間髪入れずに彼女が説明してくる。

「いえ、使えます。但しその場合は、今とは比べ物にならないくらい大量の魔力を一気に消費します」

 ……それは、燃費が悪いと言うことでしょうか。日本車に対するアメ車並の?
 私の心のつぶやきを感じ取ったか彼女が補足してくる。

「私自身の通常戦闘のみならば、今現在の供給量で十分過ぎるくらいです。元よりこの身は生前からあまり神秘性は高くありませんので。ですが、私の持つ宝具は力を開放する際、非常に膨大な魔力を必要とする」

 つまり、無駄撃ちは出来ない短期決戦用ということか? まあそうポンポン使わされるような事態になるのは、ただでさえ拙い。

「じゃあ、あまり攻撃には打って出られないって事かしら?」
「いえ、その危惧は不要です。言った筈です、私は“ソルジャー”だと。この身はありとあらゆる戦闘、戦術、兵術に長けている。それに、私の武器は主に、かつて私が扱った事の在る様々な“歩兵武器”です」

 そう言って両手を私の前に差し出すと魔力がその手に集中し、一対の武器を形取る。
 その手に顕われた、鈍い鋼の艶めく光沢を放つ“ソレ”は一挺の半自動拳銃と、研ぎ澄まされた無骨な大型ナイフだった。

「これは私が生前に自分の武器として常に使用していた武装の一つ。これは主に、近距離戦闘に用います。他にも兵士として使用していた様々な武器が使えます」

 目の前で、彼女は手にした物騒な鋼鉄の塊を、まるで棒切れでも握るかのように軽々と翻し、明後日の方向に構えて見せながら説明を続ける。
 その動きは素早く静かで無駄が無く、一見すると酷く地味にもみえた。
 だが、『流れるように自然』な動作で、すぅっと構えられた銃口と銃把。そこに添えられた手に、逆手で握り直されたナイフの放つ白銀の光沢は、一点の曇りも陰りも無い。
 その煌きは襲いかかろうとする者に、息をする暇も与えず死を与えられるのだと、物言わぬ鋼からの冷ややかな光は威圧感を含み、じりじりと脊髄を登り脳髄を焼いてゆく。
 私の背筋を伝う『それ』は身体をつま先から脳天まで貫くような悪寒。
 それはまるで、死者を連れ逝く死神に魅入られたかと思わせる程。その威光に思わず私は身を竦ませた。
 まいったな、本物の“武器”ってこんなに強いプレッシャーを放つものだったっけ?
 そんな私の心中を知ってか知らずか、目前の英霊は朗々と語る。

「そう気後れする必要はありません。これとて、仮にも英霊の武装なのですから。この銃やナイフに滲み付いた戦場の気配に起因する威圧感は、並の武器が持つ其れとは比べ物にはなりません。ですから気を落とさずに」

 そう声に、此方を気遣うような穏やかな音色を重ねてくる。軽やかに、だが私には一瞬の動作のように見える速さでニ、三度ナイフを翻し構えを解く彼女。
 銃はその指がまるで磁石にでもなっているかのように付き従いクルリと反転して、瞬きに目を瞑った僅かの間に、その銃身を彼女の掌に預けていた。
 徐に彼女はナイフをコートの下、最初から其処に括られていたのだろうか。腰の後ろでベルトに止められた丈夫そうな皮革のシースに収めた。
 次に右手に持っていた無骨な鉄の塊から金属の擦れる音を奏でさせ、細長い長方形の箱を銃把の内部から抜き出しながら説明を続ける。

「これは私の魔力で編まれた私の“武装”の一部です。当然の事ですが、銃の弾薬も私の魔力から生成されますので、マスターの魔力が続く限り私は半永久的に戦えます。しかし、これらの武器は、この世に存在する“本物”と基本的に性能は同じで、あまり強い神秘性はありません。それでも人間には十分すぎるほどの威圧感でしょうが……」

 そう説明を続けながら彼女は、取り出したその斜めに傾いた細長い板金で出来た箱の口から、女性の指先程の小さな塊を一つ、二つと取り出す。
 最後に苦笑を交えながら、鈍く赤銅色に輝く弾丸を咥えた小さな真鍮製の筒を私に示し、此方に軽く指で弾いて寄こしてきた。
 両手で受けとったその弾を、まじまじと見詰めながら考える。

「つまりは、魔力がある限り弾薬は限りなく使えるけど、純粋に物理的攻撃でしかないってこと? でもそれじゃ基本的に霊体であるサーヴァントには効かないんじゃ……?」

 彼ら英霊は基本的に霊体に属する。そんな彼らは、存在それ自体が高い神秘の塊であり、物理的な干渉はまず効果を成さないという非常に反則に近いもの。
 そんなサーヴァントという存在の性質を思い出し、彼女の武器が果たして彼らに通用するのかと疑問を抱かずにはいられなかったが――。

「それは問題有りません。私が使う兵装は全て私の魔力から作り出す物であり、言わばこの身体の一部といっても良い。よって、サーヴァントの持つ神秘性と同格の神秘は備わっています。例えるなら、この銃弾は敵にぶつける、拳の延長だと思ってください。私が言いたかったのは、呪いや因果律を操る概念武装などといった“法則を覆す”程の高い神秘は残念ながら持ち合わせない。と言うことです」

 つまりはあれか。曲がりなりにも英霊が持つ武器だから、同じ英霊に対しても、存在が同質の霊体である為に物理攻撃として通用する。ただし、ソレだけである、と。
 特殊な付随効果があるわけでも、それ自体がとんでもない超常現象的な『何か』を起こせるわけではない。
 それは、サーヴァントにも人間と同様に、武器として通用するというだけ。
 人間相手には相当に無茶苦茶な反則ワザだが、神秘の高さで因果律までねじ伏せる英霊レベルを相手にする場合それは、下手をすれば最弱と言えるかもしれない。

「ですが、そう悪い事ばかりでも無いですよ。何より、私の武器は基本的に“物理攻撃属性”の物ばかりです。それはつまる所、敵サーヴァントの抗魔力には左右されないという事です」

 彼女が己の利点はそこだと説明してくる。

「そうか。剣、弓、槍の三大クラスの利点も、貴女にはあまり関係ないのね」

 この聖杯戦争において、常に高い抗魔力を誇るクラスが三つある。それが剣、弓、槍。
 だが彼女の武器は、抗魔力によって弾かれる物ではない。それはそれで、戦略の幅も増やせるというものだ。
 最初はクラスも謎、何処の英霊かも不明で宝具もよく判らないわと、こんな使い魔で果たしてこの戦争を勝ち抜けるかと不安だったが、案外いけるかも知れない。

「あと、簡単なトラップぐらいは扱う事もできます。敵地潜入や破壊工作も、必要ならば可能です」

 ちょっと待って……それはつまり、なんだか途轍もなく凄いことのような気がする。
 だがそれは、彼女とて英霊の一人なのだから、凄いのはある意味当然か。
 それにしても、ひょっとして全部現代兵器ばかりですか貴女……?
 ピストルやマシンガン持ってる過去の伝説の英雄なんて私、見た事も聞いた事も無いんですけど? アナタ、一体何処の英雄様よ!?

「うーん。近、中、縁距離と戦闘レンジは所選ばず、相手の規模も一対一から一対多数まで、対処能力はお構いなしか。それも凄すぎて、戦略の豊富さは申し分ないんだけどね。相手が英霊でさえなければなあ……。なんかこう、ズバーッといける大規模な必殺技なんて持ってないの貴女?」

 その言葉に、少し彼女は無念そうに表情を曇らせ、肩を落として告げる。

「申し訳ありません。残念ですがそういった派手なモノは私には余り有りません。強いて言うなら、私の宝具の使用がソレに当たります」

 宝具、それは英雄を英雄足らしめる象徴となったモノ。その英霊を顕すシンボル。

「それだけは今まで説明された現代兵器とは違うの?」
「違います。コレだけは私の主兵装とは桁違いに強い神秘を秘めています。仮にも、私が英霊になった直接の要因となっている存在(モノ)ですから」

 はっきりと、“コレ”だけは違うと口調に力を込めてくる。それはきっと彼女にとって何よりも重要な何かなのだと感じた。
 少し考えてみればそれは当然の事。英霊とは皆すべからく、その身が「英霊」となるに至った原諸を持つ。
 それは例外なく輪廻の輪から外され、この世の“流れ”から独立した“英霊の座”と呼ばれる領域に、その英霊の持つ“宝具”として星の終焉まで永久に記録される。
 しかし、何から何まで現代の代物ばかりなのに、宝具だけは現代の物ではないのか。
 まあ、少し考えてみれば現代の何であれ、宝具に昇華されるまでの神秘を宿らせるものがそうそう在るとは思えない。じゃあ、一体彼女の宝具とは何なのだろう。

「そう、じゃその宝具について教えて欲しいのだけれど……教えてくれないのね?」
「申し訳有りませんが、今はまだ伏せさせてもらえませんでしょうか。今明かすと後々、少しややこしい事態に陥る可能性があるのです」

 理由は判らないが、何かややこしい事に成るという。これほど頑なに拒むなら、本当に何か言えない理由があるのだろう。
 だがそれは私を妨げようとしての事で無いのは彼女の眼を見れば判る。
 彼女は私の目を真っ直ぐに見据えて、私の答えを待っている。

『信じてくれるか否か、全ては貴女の心に委ねます』

 彼女の瞳はそう告げている。私を騙そうというのなら、そんな態度はとるまい。
 私は少し考えを整理して、徐に口を開いた。

「ん、まあ、良いでしょ。今は譲歩してあげる。貴女の戦力については、大体判ったわ。宝具の方については、今はまだ聞かないでおいてあげる」
「ありがとう。感謝致します、マスター!」

 私の答えを聞き入るように耳を澄ましていた彼女は私の言葉を受け取るや、今日、出会ってから見た中でも最上級の『笑顔』で感謝の意を称えてきた。
 ……まったく、なんて無垢で朗らかな微笑みができるのよ彼女ってば。

「でも出来るだけ早く教えなさいよね、必ずよ!!」

 あの笑顔に思わず此方が照れそうに成るのを必死で堪え、照れ隠しも兼ねてそうキツく念押ししておく。

「はい、判りました。明かせると判断出来た時には必ず……!」

 その言葉に私は一応満足し、この件はとりあえず此処に落ち着かせた。

「それじゃ、貴女の名前を教えてくれない? どうもねえ、『そるじゃー』って呼び名がなんかしっくり来ないのよね。それに、宝具は譲歩してあげたんだから名前ぐらいは教えなさい。サーヴァントがマスターに真名を明かすのは義務よ」

 彼女の姿があまりに兵士っぽく見えないせいだろうか。『ソルジャー』という呼び方に妙な抵抗感が生じ、脳髄の奥のほうをチリチリと刺されむず痒い。

「ええと、申し訳ありません、マスター。それも、しばらくの間、待ってもらえませんでしょうか。如何にこの時代では有名でなく、問題にならないだろうと思えても、何事にも必ず例外はある。用心に越したことは無いと思うのです」

 此処に来て、まだ問題を増やしてくれるのか彼女は……。

「む。ソレはまあそうだけど。何よ、此処まで来て今更言いよどむなんて。大体なんて呼べば良いか判らなくちゃ困るわよ。勿論戦闘時じゃなくて、日常での場合の話だけど」
「ええ。ですから、私の真名の一部を捩って、当面の私の仮の名前として『アリア』と。実は、私の真名はすこし長いのですが、コレならとても短くて呼びやすいので」

 本当の名前は中々明かさぬ困った従者に、半ば諦観を感じ始めてきた。だけどまあ、仮の名と言えども、彼女の名を聞き出せたのはまだ僥倖だろうか。
 本人が仮の名とは言っているが、それ自体、彼女の真名の一部を捩った物という話だ。
 少なくとも全く別の、何の関係もない名ではあるまい。
 ひょっとしたら、彼女が生前呼ばれた『愛称』だったりするのかもしれないな。

「そう、アリアね。うん。判ったわアリア。それじゃ、もう夜も遅いし、今日はもう寝ましょう。私も召喚で大分、魔力持っていかれたし……」

 実際に今も、体は魔力を根こそぎ持って行かれた事による全身のだるさを、脳に警告し続けている。

「マスター、まだ大事な交換条件が残ってますよ」
「えっまだ何か忘れてたっけ?」

 はたと自分が何を忘れているのか直前までの自分の言動を頭の中で逆再生してみる。
 ……ダメだ、判らない。脳に糖が行き届き難くなってきているようだ。

「はあ、やっぱり貴女は、私の知り合いに良く似ている。忘れていませんか? 私はまだ、貴女の名前を教えてもらっていない」

 呆れた。と言わんばかりに大きくため息なんて吐きながら、やれやれといった面持ちで、彼女が私の白紙の答案に解答を示してくれた。
 ああ、そうか。何か凄く不思議な感覚を覚えていたのだけれど、今それが何か判った。
 英霊だからとか何だとかで、意識せずとも此方は警戒の念を緩めたりなどしていない。
 だと言うのに、そんな私に対して事もあろうに、彼女は最も初歩中の初歩、簡単な低級の使い魔ぐらいにしか効力のない原始的な『名前の交換による契約』という形式を尊んできたのだ。
 遥かに人間より高い次元の存在であるサーヴァントの中には、気の許せない英霊だって幾らでも存在する筈で、そんな事は召喚する人間側も当然承知の上で彼らを呼ぶ。
 だから普通、英霊のほうも霊格が下の人間である此方を簡単に信用してくれるとは限らない。というよりまず信用される事の方が少ないだろう。
 穿った言い方をすれば、それを手なずける為にあるのが契約の証である“令呪”だ。
 それはたった三度きりの“絶対命令権”。その命令(コマンド)は彼らサーヴァントにとって絶対であり、拒否権は無い。
 ……だというのに彼女ときたら、信用できるかどうかも定かじゃない筈の相手である私を、あっさりと『信用する』と宣言してきたのだ。
 ――なんというか、凄く良いヒトだ彼女は……ヒトが良すぎるくらい。
 ああもうっ何だってアンタはこんなに私の心を和やかにさせられるのよぉっ!?

「え、ええ。そういえばまだだったっけ? でもホラ、覚えてるでしょ。貴女のご友人と一緒よ、凛。私の名前は『遠坂凛』。姓でも名でも、好きな方で呼んで頂戴」

 思ったままをそう簡潔に告げる。既に他人ではないのだから、別にどちらで呼ばれようが構わない。
 すると彼女は腕組みしていた手を顎に遣り、ふむと一つ頷き――。

「判りました、では凛と。ああ、確かにこの名前は貴女に良く似合う良い名ですね」

 なんて猛烈に恥ずかしくなる台詞を、サラッと口にしてくれやがりました。
 ……まったく、何なのよこの超絶美人は!? 
 ああもう、その整った顔で臆面もなく、そんな気恥ずかしい台詞を吐かれちゃ、思わず顔に血が昇って熱くなっちゃうじゃないのよ!
 うわぁ、顔が赤くなるのが判っちゃう! この感覚をどうしたら良いって言うの!?

「凛、どうしました? 顔が赤いようですが」

 私の体調を気遣うように尋ねてくれる元凶。全く何を言うか、どうもこうも無いわよ。
 ――原因は貴女よソルジャー。まったく、怨むわよその天然な性格……。

「気にしないで、何でもないから。今日はもう遅いわ。行動するのは夜が明けてからにしましょう」
「了解しました、凛」

 彼女に見張りを頼み居間を後にし、緊張が解けた反動からか眠気に襲われながら自分の部屋に向かう。
 窓の外は既に白み始めていて、夜明け前の空には淡い朱が差していた。



[1071] Fate/Liberating Night her codename is “Soldier” vol.3
Name: G3104@the rookie writer
Date: 2007/03/05 00:24
 自室の窓から、幾分高くなった陽光が差し込み、暗い室内に白い縞を描いていた。
「ん、もう朝か……」
 私は目覚まし時計がけたたましく鳴り響いていない事を少しも疑問に思わず、手探りで『ソレ』を探し出し、顔の前まで持ってくる。
 針の位置を眼にして、一瞬で固まった。
 ……時刻は既に、午前七時三十分を指している。

「うっそ……何、もうこんな時間……!?」

 家から学校までは約三十分、このままでは遅刻は確実である。

「と、とにかく支度しないと!! それにしても、体がだるい……」

 そういえば昨夜は彼女を召喚して、満タンだった魔力を半分以上使い果たしていた。
 体がだるいのも当然と言えば当然だろうな。
 重い体を引きずって洗面所……は後でいい。何よりも先に牛乳が欲しい。
 私は昔から朝に弱い。一体何の呪いかと恨めしく思うが、多分に朝の私は低血圧で低血糖な体質なのだろう。
 何はともあれ、何故か牛乳を飲めば、多少すっきりと頭も冴えるのよ。
  目覚めの牛乳目指してキッチンに向かう為居間に入る。と其処には既に彼女がいた。

「あ、おはようございます凛。大丈夫ですか、顔色が優れませんよ」

 朗らかな笑顔で挨拶するなり、私の顔色を見て心配そうな顔を向けてくる。
 まだ視界に靄が掛かったまま、私は寝ぼけた声で曖昧に肯いて『朝の気付け薬』を取りにキッチンへ向かおうとする所を――。

「はい、凛。牛乳ですよ」

 用意の良いことに、彼女がそっと手渡してくれた。ありがたい。
 ……むう、朝は本当に頭が廻っていない。焦点のぼやけた目で、室内をぐるりと見回してゆくにつれ、疑問が脳裏に幾つも浮かび上がってくる。
 一つ、何故、彼女は私の欲求を見抜いているのか。
 二つ、居間は昨夜のうちに半壊した筈ではなかったかとか。
 三つ、何故、食卓の上に、暖かくて美味しそうな料理がしっかりと用意されているのだろうかとか……。
 私はそれら一切に思考を回すより先に、理性で物を考えられない今の私の脳は、本能の求めるままに従い、手にしたグラスの中身を一気に流し込む方を選んだ。

「ゴク、ゴク、ゴク……っはぁ、ありがと。生き返ったわ」
「はい。それではまず、洗面と着替えを先に済ませましょう凛。流石にそのままの格好では淑やかさに欠けますよ?」

 まるで可愛い我が子を諭す母親のように、困ったような笑顔で私を洗面所に誘う。
 むう、何故彼女は初対面の筈の私にこんなに自然に振舞えるのだ?




第三話「たった二人の小隊は戦場を偵察する」




 朝の七時、私は食卓に就いていた。
 実は、家の時計は軒並み1時間早まっていたのを完全に忘れていたのである。
 私とした事が情けない。昨晩、それで見事に失敗していると言うのに……。
 ちなみに目覚ましは、単純にかけ忘れていた。これまた全く以て情けなさすぎて……穴があったら入りたい、なんていうのはこんな心境かしら。

「それにしても凄いわ。たった一晩でよく此処まで片付けられたわね」

 居間のテーブルを食卓代わりにして二人で食事を取りながら、私は居間を修繕した功労者に驚きとお礼を兼ねた言葉をかける。

「いえ、まあ。然程キチンとした修理をしたわけではありませんから。有り合わせの道具と資材で、とりあえずの応急処置をした程度です」

 確かに天井を見れば屋根裏から打ち付けられた突板(つきいた)が見て取れる。だけど室内の方はほぼ元通りだった。

「貴女、料理だけじゃなくて大工仕事まで出来たの?」

 この朝食だって、彼女が作ってくれた物。まあ朝食なので軽くトーストとハムエッグ。それに各種緑黄色野菜のサラダといった軽い物だけれど。
 本来、朝は食べない主義の私だが、用意されたものを断るなんて無粋な真似はしない。
 それに、結構美味しそうに見えたので、つい空腹の誘惑に負けてしまったのは内緒だ。
 実際美味しい。腕前は確かなようね。

「凛。私は元軍人です。被災地の災害救助や、野戦地の駐屯地経営など。陸軍経験者なら簡単な工事や土木作業ぐらいは出来て当然です。本当は、時間と道具さえあれば、天井のクロス補修ぐらいはしておきたかったんですが。料理の方は、私は普段から自炊していましたから」
 なんと、炊事洗濯掃除に大工まで出来るというのか彼女は……完璧超人ですかアナタ。
 ……で、ソレはいいけど、何で貴女まで一緒になって食べてるんですか?

「サーヴァントって、食事必要なんだっけ?」

 その疑問を突っ込んでみると、少し慌てたように姿勢を正して頭を垂らし、謝ってくる。

「すみません。つい二人分作ってしまいましたので。基本的にサーヴァントは霊体ですので、食事の必要は有りません。ですが、魔力に変換はされますからご心配無く」

 何がご心配無く、よ。まあ、それは別に良いのだが、何より食べている最中の、彼女の幸せそうな顔ときたら……。
 そんな顔を見せられてしまったら、あまり強く非難する事も出来ないじゃない。まあ、別に怒ってる訳でも、非難したい訳でも無いし良いんだけど。
 それにしても、豊かな表情といい、まったく長閑な英霊よねえ……。
 私にとって久しぶりの朝食は、そのまま穏やかに過ぎていった。


「さて、それじゃ学校に行かなきゃね」
「あ、凛。まだ今日はゆっくりと体を休めておいた方が……」

 食事を終え、部屋に着替えに戻ろうと立ち上がったところで急に立ちくらみが襲う。

「平気よ―― あれっ……?」

 ふらっとバランスを崩し、危うく倒れそうになった所を彼女に抱き支えられる。

「だから言ったでしょう! 私を召喚してからまだ半日。魔力も全然回復しきってないんですよ。あまり無理をせず、今日は休まれた方が良い」

 慌てて私を受け止めてくれた彼女に、心配そうな声で無茶をするなと窘められる。どうやら本当に回復していないようだ。朝から立て続けに情けない話だけど。

「あ、うん。そうするわ、ゴメン心配かけて」

 しかし、それならそれで、折角開いた時間だ。どうせなら有効に使いたい。此処は一つ、街の偵察でもしておくべきだろう。

「よし。それじゃアリア、支度なさい。折角休むんだもの、貴女が呼び出されたこの時代、この街のことを案内してあげる。その格好なら誰も不信には思わないでしょうし」
「あ、はい。ですが凛。午前中はちゃんと休息を取って下さいね」

 今すぐ行こうと力む私に彼女は、休息は絶対必要だとばかりに言及してくる。

「あ、うん」

 ううむ、なんだってこう彼女は保護者気取りなのか……?

 私たちは昼食を終え、午後から街へ繰り出した。昼食は、これまた彼女が、私が止めるより早く作ってしまっていた。

「まったく。私は家事をさせるために貴女を呼んだ訳じゃないんだから、余計な事までしなくてもいいのに」
(あら、昼食はお気に召しませんでしたか?)

 彼女からの声は、今は周りには響かない。基本的に、本質が霊体である彼女はマスターとサーヴァントを繋ぐ霊脈(レイライン)を通して、思念だけで話しかけてきている。

「そうじゃないけど、ああもうっ貴女、自分がサーヴァントっていう自覚ある?」

 彼女は霊体化すれば私への負担が少なくなると、今は霊体化して私の隣を歩いている。

(勿論。サーヴァントである私は、貴女の武器であり盾です。ですが凛。常にマスターのコンディションを万全に保つ事も、戦略的には重要課題ですよ?)
「まったく、貴女ってお節介焼きね……」

 本当に保護者気取りね。いや、今は文字通り守護霊か。

(それよりも凛。今、私は霊体化しているのですから、念話で喋られたほうが……ほら、周りから奇異の目で見られますよ?)

 う。姿こそ見えないが確実に今、彼女はいつもの、ちょっと困ったような笑みを浮かべて此方を見ているに違いない。間違いない!
(わ、判ってるわよ。それで、次は……ほら、こっちよ――)


 冬木市は私の家がある深山町と、大きな川を隔てた隣町の新都の二つから成る。
 深山町のほうは大方見回り、私はその川向いの新都に来ていた。

(此処が新都の公園よ。これで主だったところは大体歩いて回った筈だけど。どうかしら、感想は?)
(ここは、酷く人気がありませんね。……これほど怨念が渦巻いていては無理も無い)

 霊脈(レイライン)を通した念話でそう答えてくる彼女。生身の私とは違って彼女は霊体だから、余計に思念や怨念などには敏感らしい。

(あ、やっぱりそういうの判る? そうよ、此処は10年前に火災があってね。こっち側は一面焼け野原になったそうよ)

 直接その現場を見たわけでは無かったが、あの日の事はよく覚えている。

(周りは再開発やらでポンポンとビルが乱立して復興したけど、中心地だった此処だけは手付かずのままで、買い手も付かず結局公園にしたらしいわ)

 私の言葉に、少し考え込むように間をおいて、彼女が口を開く。

(前回の聖杯戦争の終結地、ということですね?)
(察しが良いわね、そうよ。此処が前回の終結地。あの火災と何か関係が在るのかも知れないけど、真相は知らないわ)

 ソルジャーは辺りを見回している――ように見えて視線は虚空を見つめている。
 無論姿は見えないが、何かを思い出しているような雰囲気だ。
 時刻は既に午後四時を回っていた。人気の無い閑散とした公園が、天から降りてきた朱によって黄金色に染まる。
 だが、まるで色褪せたセピア調の古惚けた写真のように、生気の篭らぬ単色の公園には 精彩が宿らない。

(行きましょう。此処は、余りいても良い気分にはなれません)
(ええ、同感ね。それじゃ付いて来て。もっと調べやすい所があるわ)

 私は彼女を連れ、新都のビル街へと向かっていった。


 時刻は既に七時を回り、辺りは夜風が緩やかに流れている。今私達が居るのは新都一の高さを誇るビルの屋上。
 彼女にピッキングの能力まであったので、魔術に頼る事も無く容易く入る事が出来た。

「どう? 此処からなら街が一望できるでしょう?」
「そうですね。此処からなら、新都の大体の地形が把握できる。凛、此処を知っていたのなら、最初から此処に来れば良かったのでは?」

 私の言葉にそう返事を返し、彼女はその手に持った数枚のA4サイズの紙を見ながら、新都の街を観測している。

「それに、現代は便利に出来ていますから」

 にわかに此方を振り返るなり、にやりと目を細める彼女。
 う……そう、実はそうなのだ。 実は一時間前、彼女は突然に――。

(凛、インターネットカフェがありますよ。あそこで調べましょう)

 なんて言ってきたのだ。
 正直な話、私は“文明の利器”というモノに非常に疎い。いきなり“いんたぁねっと”なんて言われても、何を如何したらいいのかなんてさっぱり判りゃしない。
 だというのに……彼女ときたら、私が個室席のパソコンの前で、真っ白に固まっているのを見かねて実体化し、私に代わり凄いスピードで操作しだしたのだ。
 あっという間にこの街の見取り図、地形図は愚か、何処からか衛星写真まで引き出して来て、あれよあれよという間に印刷してしまった。
 ついでに各種交通機関の路線図やら、各町の非常時避難施設や経路まで引き出してきたのには恐れ入った。
 完璧に、この街の地の利を頭に叩き込む心算なのだろう。

「ホント。まさか、最新の電子機器まで使える英霊なんて初めて見たわ」

 私は彼女が手に持つ様々な地図や図面を見やりながらそう呟いた。

「あら。インターネット自体、産み出された発端は、軍事目的に開発された通信構造なんですよ? 軍人の私が扱えなくて如何するというのです」

 いや、だから……私にそんな薀蓄を披露されても、さっぱり訳がワカリマセンって。
 どうにも解せないが、彼女はほぼ間違いなく、現代に起源を持つ英霊のようだ。
 それだけは間違いないだろう。 そうか、だから彼女はあの時こう言ったのか。

 『この身は生前からあまり神秘性は高くありません』と。

 英霊という存在は、知名度が高ければ高いほど霊格が高く、“人々の幻想”に後押しされ、より高い神秘を得られる。
 そんな英霊において、古代からの『伝承、伝説』という強い後ろ盾を持たぬ彼女が、他の典型的な古の英雄達より神秘の低い存在であるのは道理か。
 そんな事を頭の片隅で考えながら呟く。

「まあ良いけどね。貴女が何処までも予想外れなサーヴァントだってのは、もう嫌って程判ってるし……」

 そうぼやきつつ、ふと、何が気になった訳でもないが、見渡す限りビルの外壁ばかりという見飽きた視線の先を変えようと、ビルの端から下界を覗く。
 下界は遠く、下からじゃ此方の姿はまず見えても米粒ぐらいにしか見えない高さ。
 そのはずなのに――
 何故、あの男は此方を見上げているんだ!?

*************************************************

 私は実体化したまま彼女の隣に立ち、街の構造を手元の資料と照らし合わせていた。
 実体化しているのはそうしないと資料を手に持てないからだ。考えてみると少々間抜けな話だが……。
 不意に、彼女が殺気立ったのを感じて彼女の視線の先を追い、直後。一瞬その姿に我を忘れそうになった。
 視界の先に見えた小さな影。それは間違いなく“彼”だった。
 かつて私と共に、あの聖杯戦争を駆け抜けた半人前の魔術使い。
 彼が追う理想、それは『借り物の理想』だと彼自身が誰より判っていた。
 それでも構わないと追い続ける、自分の事を少しも省みない“正義の味方”。
 私は思わず、涙を流しそうになった。いや、既に頬を熱い雫が伝っていた。
 懐かしい。勿論、下に居る彼と私の知る彼は、同一ではあるが別人だ。此処は私の知る過去と同じ世界ではない。それは判っている。
 でも、それでもやはり懐かしくて、再びその姿を見られた事が嬉しかった。
 彼女はまだ下の彼に殺気を向け、此方には気付いていない。
 何故彼女が彼に対して殺気を放っているのか理由に心当たりが無いが、お陰で此方は助かった。彼女に今の顔を見られたら何事かと要らぬ疑いを持たれる。
 私は彼女に気付かれる前に指で涙を拭い、明後日の方に視線を移した。

 その時、唐突にサーヴァントの強い視線と魔力を感じ――
 彼方から真っ直ぐに飛来してきた一本の剣が我々の横を通り過ぎ、後ろにある階段室の壁面に突き刺さった!

「何事!! どうしたの!?」

 凛が突然の奇襲に慌てて、私に報告を求めてくる。

「凛、どうやら敵サーヴァントです。ですが、どうやら敵も様子見のようだ」

 そう、これは牽制。何故なら、この一撃は間違いなく此方を外して放たれていたからだ。
 この攻撃は知っている。
 直接見たことは殆ど無いが、私の内に在る彼が知っている。
 この世界でも、10年前から現界し続けているであろうあの忌まわしき英雄王も似たような攻撃能力を持つが、奴の能力ではこのような超遠距離の『狙撃』は出来ないだろう。
 よってこの、矢の代わりに放たれた剣は“彼”のものだ。
 そしてそれは、私へのメッセージに違いなかった。

『お前は誰だ。何故凛の従者になっている?』

 そう込められた一射だ。

「良かった……。この世界でも貴方は召喚されたのですね」

 小さく、凛には聞こえない程の小さな声で、そう呟く。私の心に、私が唯一つだけ持つ幻想に護られた“彼”が、少し複雑な気分だと渋った声を漏らす。
 そうですね。私も過去の“私”に出会ったら、その気持ちが判るかもしれませんね……。
 尤も、その時はそう遠くない筈だ。

「行きましょう凛、もう街の状況は把握しました」
「え、でも敵が居るんでしょ!?」

 凛が、敵を前にして何を言い出すのかと驚きの表情を向ける。

「大丈夫です、彼はもう去った。彼が本気なら、とっくに此処は大量の矢で針地獄に変えられてますよ」
「って、事は、この攻撃は……敵はアーチャーってこと?」

 凛が耳敏く敵の情報について聞いて来る。

「そうです。見渡す限り、半径ニキロメートル以内でこのような能力を持つサーヴァントが、此処を狙撃するのに適した場所には“異常”は有りません」

 私は手にした双眼鏡を軽く振って凛に、既に辺りは走査済みだと示した。

「恐らくは半径四キロメートルぐらいまでの何処かから撃ってきたのでしょう」
「……!? 半径四キロって、とんでもない距離じゃないの!!」

 確か彼の弓の最大射程が四千メートル程だったはずだ。

「そうですね。普通の武器ではまず不可能な距離です。私が持つ銃の中で最大射程を誇る対物狙撃銃『XM-109』の最大射程でも、せいぜい約二四〇〇メートルが限度ですね。射程四千メートルともなると、ミサイルか戦車砲のレベルになる」

 自分が対応可能であるレンジ(射程)を比較に持ってきて、そう説明し、弓兵に遠距離戦を仕掛ける無謀さを諭す。

「み、ミサイルって……」
「ですが、戦車砲など私には有りません。一つだけ、その射程でも使えるミサイル兵器を持っています。ですがFIM-92は最高速度こそマッハ2.2に達しますが、初速が遅く、狙撃戦では迎撃される危険が高い。その上、相手を赤外線シーカーでロックする必要まであり、あまりに実用性に欠けます。それに……これらの武器は生前それほど多用した武器ではありませんし、何より破壊力に比例して消費する魔力も大きい」

 あ、凛が目を点にしたまま固まっている。どうやらミサイルの辺りから既に表情を硬直させたままのようだ。
 多分、彼女のハイテク音痴な頭には、既に私の説明も意味不明な記号の羅列になってい るのでしょうね。困ったものです。

「何より、この身はアーチャーではなくソルジャーです。兵士が戦場で最も警戒する天敵、それが“狙撃手”。事、戦闘に於いて彼と私の相性はそれこそ『最悪』だ。現実的に考えて、こんな長射程の狙撃兵器なんて有りません。また、『このような使い方』をする宝具というのもあまり聞かない。恐らくは、彼のクラスならではの能力でしょう。自ら畑違いの領分でわざわざ戦うなんて、自殺行為も同然ですよ」

 とりあえずこの辺で説明をやめる事にする。これ以上説明することはないだろうし、何より凛が頭から蒸気を吹いて倒れかねない。

「わ、判った、判ったからもう……もういいってば! とりあえず帰りましょうアリア。 私、頭痛くなってきた……」

 むう。凛の『機械嫌い』は中々直りませんね。まさかとは思いますが……ひょっとして一生このままでしょうか?
 ため息を一つ吐きながら、凛の提案に首肯する。いや、もとより移動しようと切り出したのは私のほうだ。

「ええ、そうですね。少し凛には難しすぎる話をしてしまいました。すみません」

 知恵熱でも出たのか、早く開放してとばかりに渋面で呻く凛を見ていると、少し意地悪をしてみたくなり、つい口が滑ってしまった。

「むっ、私だってバカじゃないんだからね!?」

 おそらくカチンときてしまったのだろう。顔を真っ赤にして怒られる。

「ハイハイ、判っていますよ。バカにした訳じゃ有りませんから、安心して下さい」

 たしなめてみるが余り効果は無いようだ。寧ろ余計に、火に油を注いでしまったようで、彼女の双眸が更に怒気を強めて、拗ねるように此方を睨んでくる。

「がーっそれならそのクスクス笑いを今すぐ止めなさいっ!!」
「まあまあ、そう怒らずに」

 私も悪気は無かったのですが、いつもの貴女のイメージと、今とのギャップがとても大きいので随分可愛く、微笑ましく見えてしまうのですよ。
 とはいえ、少しからかい過ぎてしまったでしょうか。すみません凛。
 私は胸中でそう謝るも、こみ上げる暖かい気持ちが心地良くて、クスクスと笑みを堪え切れなかった。それを見て更に顔を真っ赤に燃え上がらせる凛。
 彼女がさらに顔を赤くして怒る原因を作った事に謝罪しつつ、今も少し目を潤ませながら怒る彼女と共に、冬木の街並を裾野に広げる摩天楼の屋上を後にした。



[1071] Fate/Liberating Night her codename is “Soldier” vol.4
Name: G3104@the rookie writer◆58764a59
Date: 2008/06/02 22:03
 昨日はあの後、帰り道で桜にばったり出会いそうになって肝を冷やした。
 桜は外人らしき見知らぬ金髪の青年に声を掛けられて、困ったような顔をしていた。
 いや、あれは困ったようなと言うより、どこか熱っぽく呆けている感じだ。体調でも悪いのだろうか。熱っぽさに苦しむように眉間に皺を寄せた顔が困ったように見えてしまったが、実際、見知らぬ外人に話しかけられて迷惑そうな顔にもみえる。

(あの子……!体調悪いなら出歩ちゃダメじゃない!!)

 本調子でもない自分がこうして出歩いている事には目をつぶって、彼女の身を案じる。
 私の隣で霊体化して、私の護衛に就いていたアリアは何故かあの外人に怪訝な視線を送っていたのが気になるが……。
 彼女曰く、確証が攫めないので、今はまだ言及しないで欲しいという。あの時の彼女の表情ときたら……。
 いや、霊体化しているから顔も見える筈は無いのだけれど。彼女から感じられた気配からは、只ならぬ『何か』を感じられた。
 それは何か、忌み嫌っているモノにでも出くわしたかのように、ビリッと肌を鋸が掠めるような焦燥感を伴った殺気のようだった。
 だが、彼女が発した言葉どおり、相手が何者なのかはあの時点では彼女にも断定できなかったのだろう。
 彼女が抱いた一抹の『迷い』が、霊脈(レイライン)を通して私に伝わってくる。それが焦燥感となって、彼女の殺気を鈍らせたのは幸運だった。
 そうでなければ、あれほどの殺気を放っては気配に鋭い相手なら違和感を感じ、此方に感づかれる恐れすらあっただろう。

 幸い、彼女の殺気は霊脈の繋がっている私が過剰にそう感じ取っただけで、周囲には漏れず相手の男、やけにその纏った雰囲気が、何故か悪趣味な黄金色を感じさせる金髪の男には気取られずに済んだようだ。
 金ぴかの外人は桜に二、三質問をしているようだ。ここらは異人館街と言っても過言ではない。最近この辺りに越してきて、道にでも迷ったのかな?
 桜は結局特に道案内をする感じもなく、碌に口も聞けずオロオロするばかり。そのうち諦めたか、桜と別れ、此方に踵を返してきた青年はちら、と此方に気が付いたように視線を向けてくるも、此方の事など然程気にも留まらなかったのか、するりと只通り過ぎて行くだけだった。
 その足取りはしっかりしていて、別段道に迷っている感じもしない。
 道案内じゃないのか。……じゃああの青年は、桜に一体何の用があったんだろう?


 その後は帰ってから言峰、つまり、この聖杯戦争の“監督役”を引き受けている、隣街の高台に位置する教会で神父をしている男に、聖杯戦争への参加表明を電話で告げた。
 私の兄弟子でもある、あのエセ神父は電話口から散々煩わしい小言を言おうとしてくるので、用件だけ伝えて直ぐ切ってやった。
 明日からは本格的に動き始めなければならないのだ。わざわざ魔力回復のための貴重な時間を、うっとうしい小言で潰されてはたまらない。

「今日はもう寝よう。……あちこち回ってもうクタクタだ。明日は早いんだもの……」

 頭の中は五月蝿い虫の大合唱が鳴り響き、その雑音に思考を掻き回される。お願いだから寝かせて……。
 一体何処から入り込んだのか、鈴虫が音色の音域を間違ったような甲高すぎるメロディを奏で、蝉があたかも狭い室内で出口を求めて逃げ惑うように、頭蓋骨の内側にぶつかっては脳内に五月蝿く羽音を立てて跳ね回っている。
 全く不快極まりない。大体虫なんて気味が悪いから想像したくもないのに……。
 その実際には聞こえぬ早鐘の音は、まるで体が脳に発してくる警報のようだ。耳鳴りに眉間を歪ませベッドに潜り込む。
 二度目の寝返りをうつ頃には耳鳴りの妨げもどこへやら。意識はもう既に、まどろみの沼に沈んでいた。


「凛、朝ですよ」
「……」

 ――誰かが私に呼びかけてくる。誰よ、煩いわね。私はまだこの心地よい草原に寝転がっていたいのよ。
 寝転がりながら眺めている遠くの丘に、誰かが佇んでいる。その姿は私が見た事もない異国の蒼い衣を身に纏い、その上に白銀の甲冑を着た小柄な騎士。
 彼の者の姿は遠く、ここからその顔までは良く見えない。ただ、その金砂の髪と、前に突き出し組んだ両の手を支える長い鋼。それが剣である事は見てとれた。
 その立ち姿は尊く凛々しく、つい、呆けるように見惚れてしまっていると突然、強い風が吹き、私は思わず視界をふさいでしまう。
 風が過ぎ、私が再び目を開けた先に、剣を携えた騎士は居なかった。
 否、確かに其処に剣士だった『誰か』は居なかった。それどころか周りはいつの間にか森になっていた。
 だが、徐に立ち上がりきょろきょろと辺りに視線を巡らせて、見つけた。木陰の下に、深い歳月を刻んだ太い樹木の根元に、蒼き衣と銀の鎧を纏ったその姿は在った。
 その横顔が、誰かに似ている気がするも……良く思い出せない。また今度も、騎士までの距離は遠く、その表情は見えずらいが穏やかに見えた。
 ただ少し長い髪と、その小さく細い体躯はまるで、幼い少女のようだ。
 もう少し近寄って確かめたいと私の気持ちは逸るも、足はまるで、その場に根でも張ったのかと思うほど動かない。
 否、動く事がこの光景を霧に返してしまいそうな恐怖感に囚われて、動けない。
 身動きもとれず、もどかしさに胸を焦がされる私の目の前を再び風が舞う。

 ――あ、まって! まだ確かめたいことが……!
 目の前から瞬く間に、森の景色がかき消えてゆく。あまりの風の強さに、顔を手で覆っても目を開けることは適わない。
 風が収まるのを感じて直ぐに目を見開き、あたりに彼の騎士を探す。
 だが何処にもその姿は無い。辺りは、私が最初に寝転がっていたあの草原のように見えたが、良く見ると全然違った。何の変哲も無いのに、酷く幻想的な場所……。
 あの草原も見たことなど無い場所だったが、此処もまた私には覚えの無い草原だ。
 草原の緑と蒼い天空だけが延々と地平線の彼方まで続くような景色。いや、朧げながら地平線の彼方には、陽炎のような山々の峰が、揺らめくように稜線を描く。
 私の記憶の中に、こんな景色など見た事も無い。何かの映画か、テレビの映像で見たとしても、これは余りにも鮮明で、現実味のある幻想だ。
 三百六十度、全天球見渡す限り全て同じ光景ではなく、複雑に変化に富む平原の景色が、たかだか目の前の何分の一程度しか映し表せない映像の記憶だけでこんなに見事に作り出せるものだろうか。だが、そんな私の疑問も直ぐに中断された。

 私が後ろを振り返ったその草原の向こうに、一人の少女が佇んでいる。
 空は高く、淡い澄んだ海色に薄く流れる筋雲が、風に流され幾筋も天空を泳ぐ。
 その空の下、風に蒼いドレスを靡かせ佇む一人の少女。
 何処かで見たことが有る様な、その可憐な顔立ち。西洋人にしては小柄で華奢な体躯。
 さらりと降ろした金砂の髪を風に遊ばせながら、彼女は遠い空の彼方を眺めている。
 その両手には一振りの鞘が、まるで愛しき者を慈しむように抱き締められていた。
 その鞘に剣は収められていない。ただ鞘だけをその胸に抱き、遙か遠き地に旅立った想い人に、その想いを馳せるような……。
 愁いとも、慈しみともとれぬ切なげな表情を双眸に込めて、彼女はずっと空の彼方を見つめ続けている。

 そのまま、どの位見入っていただろう。唐突に、彼女が遠くなる。いや、私の体が猛烈な力で引っ張られているような感覚に襲われる。私の周りに一切の世界を感じない。
 まるで世界から外に、突然弾き飛ばされたような疎外感。
 ――まって、彼女は何者なの? 気になるのよ。だからまってってば、まだ……もう少しここに居たいのよ!
 見ず知らずの他人の筈なのに、何故かあの少女の事が気になって仕方が無い。
 必死に戻ろうと引き摺りこまれる四肢を暴れさせ、もがこうとするも手足が言うことを聞いてくれない。段々と意識がぼやけて来る。
 その中で一瞬、彼女が此方に振り向いたような気がした。
 その顔を確かめたい。私は必死にその顔を覚えようと目を凝らす……だが遠くから、誰かの声がその意識を遮る。
 五月蝿いな、もう少しで彼女の顔が見えそうだっていうのに!!

(凛。いい加減起きて下さい。もう朝ですよ)

 ああっ、もう見えなくなってしまった!
 必死に足掻いていたツケがまわってきたのだろうか、唐突に意識に気だるさが襲い掛かってくる。
 もう、起こさないで……誰よぉ。……今私は、もう動く気にもなれないのよ……。

「ぅ……ん~、あと30分……」
「はぁ。まったく、もう……」

 あれ? この声は……

「貴女を起こすには、仕方有りませんね……総員ッ、起床ー!!
「うひゃあああ!?!?」

 寝室に、部屋全体が揺れるかと思うほどの大声量が響き渡った。





第四話「小隊は学舎で開戦する」




 うー、耳がまだぼわ~っとボケたままだ。廊下に響く自分の足音が酷く遠い。まったくもう……朝からなんていう大声を張り上げてくれるんだか、ウチのサーヴァントは……。
 朝、何か凄く気になる夢を見ていたような気がするのだけれど、彼女の特大『目覚まし』のお陰で、頭の中から内容が綺麗さっぱり吹っ飛んでしまった。
 なんとか思い出そうとしても脳裏には薄暗い靄が立ち込め、全くその先へは進めない。
 無理に記憶の扉をこじ開けようとすると、眼球の裏に錐で突かれるような痛みが走って意志が挫かれてしまう。
 夢の内容はもはや殆ど擦り切れてしまって、今となっては判らない。
 あの夢は何だったのかな……?
 彼女の大声に無理矢理叩き起こされた私は既に顔を洗って身支度を終え、朝食が用意されたテーブルに着く。
 今日は私一人分しか用意しなかったらしい。彼女の食への執着は結構強そうに見えたのだけれども……?

「おはよ、アリア。今日は私の分だけ?」

 キッチンで調理器具の片付けを終えた彼女が此方へ振り返り挨拶を返してくる。

「おはようございます。ええ。サーヴァントが何かと食い扶持を増やしては、貴女に負担をかけてしまうでしょう?」

 そうしおらしく言ってくるが、その目はやっぱり目の前の朝食に注がれている。

「ん、別にいいわよ。貴女一人分くらいは何とでもなるわ。だからあんまり、そう朝食に羨望の眼差しを向けないで」
「あ。ええっと……その、すみません」

 酷く申し訳なさそうに肩を落とし、小さくなる彼女。ちょっと恥ずかしかったのか、顔まで赤くして俯いてしまう。

「はあ、まったく。本当に貴女って英霊っぽさが全然ないわねー」
「ふふ、確かに。それは自分でもそうだろうと思います」

 うわ、苦笑交じりにさらっと全肯定してきやがりましたよ彼女……。
 ふむ、今日はモーニングコーヒーがついている。あれ? ウチには紅茶はあるけれど、珈琲豆なんてあったか?

「あ。それは昨日買ったやつですよ、凛」

 私の表情に気がついたか、アリアがそう教えてくれた。
 そういえば昨日、新都まで行ったときに彼女から、朝が弱い私用にと半ば強引に買わされたんだった。ご丁寧にコーヒーミルまで……高かったんだぞアレ。
 私は普段からコーヒーは余り飲まないし、あまり好みでもないのだが。

「ふむ。(コクッ)あ、オイシイ」
「でしょう? 別にそれほど高い銘柄でなくとも、豆を挽いた直後に煎れた物は美味しいんですよ。コーヒーは煎れ立てが一番です」

 確かに、このコクとさわやかな苦味、嫌味の無い香りは良い。眠気で少しボウッとしかけてた頭が冴えるようだ。
 目覚ましにはこっちの方が多少効きが強いかも知れない。当然、彼女の特大目覚まし声よりはこっちのほうが断然有り難いわよね……。

「失礼して私も相伴に。さて、出来はどうでしょうか……? ふむ。これなら中々上出来でしょうか」

 彼女はキッチン側の壁に背を預け、カップとソーサーを手に、自分が煎れたコーヒーの味見をしている。
 うん。彼女は、見た目は何処から如何見ても、現代の外人さんといった感じで……それでいて、泣く子も泣き止み見とれそうな程の美人なのよね。
 朝食の用意をしていた彼女は、今はあの重そうな蒼いコートもベストも脱いで、上からエプロンなど掛けている。
 普段は上着やらベストやらであまり目立たないが、エプロンの前が、桜ほどではないにしろ、そこそこな膨らみを地味に主張している辺りから察するに……ま、負けた。
 くそう、なんで外人さんってやつはあんなにもスタイルがいーんだ!?
 私こと、“遠坂凛”にはどんな些細な事だろうと、何事にも負けられない意地がある。
 だけど、流石にコレばっかりはね……。
 あの様子だと、綾子と同じくらいはあるかも……? 背丈も近いしなあ。
 だから、コーヒーなんか手に持って、軽い姿勢でたしなまれるとそれはもう。……何か凄く“絵”になっている。

「ふむ、美味しい。コロンビア産の安めのブレンド豆でしたが、悪くない」

 彼女が一口飲むたびに、何かに満面の笑みでコクコクと頷き、前髪から一房だけ跳ねたクセのある金糸の房が、首の動きに合わせてふわふわと揺れている。
 その仕草が何故かひどく似合っていて、まるで小動物のような愛らしさがある。
 ……面白いクセを持ってるのね彼女。
 朝食はそのまま、昨日に続き今日も穏やかに終わっていった。


 朝食後、私は今後の方針を端的だが明確に彼女に話す。

「さて、それじゃあ学校に行かなきゃね」
「凛」

 登校する仕度をしようと席を立つ私を呼び止める声。

「何? 何か問題あるかしら?」

 多分、この非常時にどういう心算かなんて非難されるだろうと思っていたのだが……。

「いいえ。別に問題は有りません」

 ………………………………はい? 今、彼女はなんと言った?

「え、ちょっと待って貴女。何も異論は無いの!?」
「えっ、何故ですか?」

 まるでそちらの方が意外だとばかりにキョトンと目を丸くする彼女……なんでよ!?

「だって、これから私達はマスター同士で殺し合おうってのよ!? 普通おかしいと思わない? 学校なんかに行けば、他のマスターから狙われる事だって十分ありえるし万が一、不測の事態に陥ったりしたらどうする心算かとか!!」

 彼女の反応が余りに意外だった為、感情も抑えきれずに一気に捲し立てる。

「ええ、それはもっともな判断です。ですが、貴女は私が止めたところで、素直に登校を辞める気などさらさら無いでしょう?」

 散々捲し立てた為、ぜぇはぁと肩で息をしている此方に向かって、彼女は飄々とそんなことを言って来た。
 なんて事なの、彼女には私の性格が完全に見抜かれている。昨日今日で簡単にそこまで見抜けるものだろうか? もしそうなら、相当な洞察力の持ち主になるわね彼女は……。

「それに、私が霊体化して護衛に就くことは許可してくれるのでしょう?」

 狼狽える此方に対し、彼女は平然とマイペースである。朗らかな微笑みを浮かべながら護衛手段を確認してくる。

「それは当然よ。貴女には学校に限らず、私が出かける時は必ず傍に居てもらうからね」
「なら、特に問題は無いでしょう。危機管理の観点から申し上げますが、ある日突然にご自身の行動を大きく変えてしまうと、不自然さから、反って周囲に要らぬ関心を持たれてしまいます」

 そう流暢に肯定と説明を言葉に変えてくる彼女。

「それは親しい者からは心配であったり、無関係の他人ならば奇異の目や怪訝の念といった興味であったり。敵にその情報が漏れれば警戒対象としてマークされ、発見されて先手を打たれる危険もあります」

 意外にも彼女は策士であるらしい。彼女は自身の事を『兵士』だと言っていたが、少なくとも唯の一兵卒などではないだろう。恐らくは士官、将校クラスの軍人。
 まあ仮にも、英霊化出来る程の功績を残した人物だろうから。そのくらい高い階級だとしても何の不思議も無いとは思うけど。
 それにしても、まさか自分が前もって非難された時の論破用にと用意していた『論理』を、自分がぶつける心算だった相手である彼女の口から聞かされるとは。

「つまり、無闇に自分の行動パターンを変えないほうが自然で発見され難いってことね」

 確認するまでも無い事だったがとりあえず確認しておく。

「はい。簡単に言えばそういう事ですね。諜報戦ではまず真っ先に『不自然』な“モノ”から索敵するのは基本です。それに、魔術師同士の戦いは“人目に付かない事”が最優先でしょう? それなら昼間、人目に付きやすい学校なら、無闇に事を仕掛けられる危険は幾らか減少するでしょうし」

 彼女は兵士だそうだが、これじゃまるで諜報員みたい。何処ぞのスパイ映画宜しく情報戦でも経験してきたのだろうか。

「判ったわ、それじゃ就いてきて。しっかり護衛頼むわよ?」
「Yes ma'am! 了解しました、我が上官」

 私の命令に張りのある声で了解の意を表し、少し大仰に、彼女は軍隊式に敬礼のポーズを取ったりしてくる。

「では誓いを此処に……。 私は貴女の“剣”であり“銃”となり、この身は貴女の“盾”として御身を守る。そして敵を打倒し、必ずや勝利に導きましょう! 我が身は“兵士”。貴女に仕えし戦場の担い手です」

 だがその後に続いた言葉は、とても誠意の篭った『誓い』だと思えた。

「それはそうと、凛。これはもしもの話ですが、学校だからといって、敵が居ないとは限りません。もしそのような事態に出くわした場合は如何されるお心算ですか?」

 突然何を聞いてくるのか、この地の正統な管理者である私が『その手』の情報を見逃す筈は無い。

「え? それままず無いわよ。だってこの街に存在する魔術の系統はウチと後一つだけで、其処はもう魔術の血統は枯れているから、現当主もマスターには成れない筈よ」

 この土地に住むもう一つの魔術の家系、間桐の現当主の顔を思い出す。その嫌に高い自尊心たっぷりの薄ら笑いを浮かべた表情に呆れと、何故か哀れみを感じる。
 彼は魔術回路も持たぬ唯の一般人。それだけは間違いない。

「それは確かですか、凛?」

 だというのに、彼女はしつこく食い下がる。

「ええ確かよ。だって私は此処の管理者よ。その手の情報は全て把握してるわ」

 私の言葉に満足した……ようには見えないが、一応納得はしてくれたらしい。

「そうですか、判りました。ですが凛、何事にも例外は有ります。もしそのような事態に
なった場合は、即座に気持ちを切り替えて事態の善処に当たってくださいね?」

 納得してくれたかと思ったら、やにわに上半身をずいっと私の前に突き出して、そんな言葉を掛けてくる。
 ご丁寧に顔の横に人差し指を立てながら、さも背伸びをする我が子を諭す母親のように緩やかな笑みを彼女は浮かべていた。


「……………………………。 驚いた、もしもの話って本当にあるのね」

 早朝の学校を目の前に、二人して校門の前で立ち尽くす。もっとも、彼女は霊体化しているので、傍目には私が一人で突っ立っている様にしか見えないが。
 幸い、朝早いこともあって、登校する人影はごくまばらなのが救いかしら。

(ですね。とりあえずは認識を改めた方が良いでしょう。それより凛。これは些か拙い。敵はこの学校を丸ごと食い物にしようとしている)

 私の横に立つアリアにも、この結界がどんな物なのかは判るのだろう。多少魔術の知識は持っているのか、存在自体が神懸り的な魔術の所業であるサーヴァントだから、本質的に魔術の構成には敏感なのかは知らないが。恐らくは、両方だろう。

「そうね、辺りの空気が澱んでるどころの話じゃない。この結界、下手すればもう完成してたりしない?」

 それは聞くまでも無い事だが、アリアにあまり聞きたくない現実を確認の為に聞く。

(まだ完全ではないようですが、いつでも起動はできる段階でしょう。何れにしても、余り猶予はなさそうですよ。ただ、此処まで大胆だと相手はよほどの大物か……)
「とんでもないド素人ね。こんな他人に異常を感じさせるような結界は三流だもの。やるんなら起動するときまで、誰にも感知されないのが一流ってものよ」

 まったく、よりによってこんなところに仕掛けてくれるなんて……!

(それで、貴女の見解ではどちらだと思いますか、凛?)
「さあね。一流だろうが三流だろうが知った事じゃ無いわ。私の管理地でこんな下衆な代 物を仕掛けてくれた奴なんかに容赦はしない。問答無用でぶっ倒すだけよ!」

 私はふんっと鼻を鳴らして、この結界を仕掛けた奴をいぶりだす作戦を練りながら校舎の中へと入っていった。


 そして、今私は校舎内に仕掛けられた結界の基点となる魔方陣を見つけ出し、潰そうと屋上までやってきたわけだが……  

「……参ったな。コレ、私の手には負えない」

 それはまともな魔術師が仕掛けたものとは到底思えなかった。コレを張った者は何も考えてはいない。
 何も考えていないが、この結界は桁違いの技術で組まれている。私の技術では一時的にこの結界から魔力を奪うことは出来ても、その魔力を通す回路そのものを消すことが出来ない。
 此処から私が幾ら魔力を奪い完成を遅らせても、結界は術者が再び魔力を流せば、たちどころに復元されてしまうだろう。
 この結界は中に居る人間の魂を、肉体ごと『溶解』して吸収してしまうという、強引で残虐極まる凶悪な代物だった。

「ねえ、一つ聞いて良い? 貴女達ってそういうモノ?」
(察しの通りです、凛。我々サーヴァントは本質的に霊体。当然、その動力源は魔力。詰まり我々にとっての食事とは魂、及び精神……。魔術師が言うところの第二、第三要素といった非物理的要素です。幾ら魔力量を増やしたところで、サーヴァントは元の性能が上がる訳では有りませんが、魔力を蓄えれば耐久力や強力な手数を得られるでしょう)

 淡々と告げる彼女の顔は霊体化している為見えないが、その雰囲気からは微かに怒りのようなものが感じられる。

「それって、マスターからの魔力供給だけじゃ足りないって事?」
(いいえ、そうでは有りません。ですがサーヴァント、つまり、『兵器』の性能が敵より劣っている場合、その性能差を物量でカバーするのはどんな戦争でも常識でしょう。周囲の人間から生命力を奪い己の武器にするのは、マスターとしては基本的な戦略です。そういった意味ではコレは、善悪の如何を別にすれば、非常に効率的ではある……)

 沈痛な、低く重い口調で語る彼女。人の良い彼女のことだ、多分彼女もこのような馬鹿げた非道は赦せない性質(たち)なのだろう。

「なんにしても、癪に障るわそれ。二度と口にしないでね?」
「同感です、凛。勿論私もそんな真似をする気は毛頭有りません!」

 そう力強く、隣にいる彼女ははっきりと、念話ではなく肉声で断言した。

「それじゃあ、邪魔する程度にしかならないでしょうけど、消していきますかね」

 気を取り直し、腕をまくり基点の魔力を消し飛ばそうという時に――。

「なんだよ消しちまうのかよ、勿体無え」

 夜の屋上に、男の声が響き渡った。


「―――――――!」

 咄嗟に立ち上がり、声の方へ振り返る。アリアは既に感知していたのだろう。私を後ろに守るように、男と私の間に割って入るよう移動している。
 声は、後方10mにある大きな給水塔の上から私達を見下ろしていた。

「これ、貴方の仕業?」

 私はダメもとで給水塔の上に立つ、体にぴったりと張り付く明るい群青の鎧を着た男に尋ねてみた。

「いいや、小細工を弄するのはあんたら魔術師の役割だ。オレ達はただ、命じられたままに戦うのみ。そうだろう、そこのもう一人の嬢ちゃんよ?」
「――――――!」

 やばい、アイツにはアリアが見えている。霊体化している彼女を感知できる存在……!

「やっぱりサーヴァント!!」
「そうとも。ソレが判る嬢ちゃんはオレの敵って事でいいのかな?」

 涼しげに、さも普通の会話のような自然な声色で……さらりと『お前は敵か』と聞いてくる男。
 ヤバイ、アイツの間合いが判らない以上むやみやたらに動けない。でもこの場で戦うのは酷く危険な気がしてならない!!

「アリア、此処は場所を代えたほうが良さそうね。跳ぶわよ、いい?」

 私はヤツに聞かれぬよう小さな声で呟く。

「了解」

 彼女もまた、小さく相手に気取られぬよう答えてくる。
 私達が場を移す算段をつける間、迂闊には動かぬよう身構えていると、やにわに男が口を開きだす。

「ちっ大したもんだ、何も判らねえようで要点は押えてやがる。あーあ、失敗したなぁこりゃ。面白がって声掛けるんじゃなかったぜ」

 言い終わるが早いか、その手には全長二メートルもの赤い槍が握られていた。
 男が槍を手に今にも飛び込まんと体勢を低く構えてくる。

「Es ist gros, Es ist klein(軽量,重圧)……!! 飛ぶわよ、着地任せたっ!!」

 アリアが無駄の無い動きで私を抱き上げ、人間にはまず不可能なスピードと跳躍力で一気に校舎のフェンスを飛び越える。
 魔術で私の自重を軽減させる事で、とにかくスピードを上げたかった。その位しなければ、今頃は男の槍の餌食になっていた所だ。
 このまま慣性に従って宙に浮き続けているのは、一瞬前まで自分が居た屋上の一角を薙ぎ払った男の素早い槍の前では良い的に成るだけ。私は即座に魔術を発動させる。

「vox Gott Es Alas(戒律引用,重葬は地に還る)―――!」

 我が身にその自重を取り戻す事で、急激に増えた重量を星の重力に掴み取られる。
 そのまま重力の腕に絡め取られた四肢は容赦なく地面に引き落とされ、放物線を描き飛んでいた私達の身体を鋭角に急降下させる。
 地上に激突する寸前、先にアリアが一瞬実体化し、地面に向けての魔力放出で慣性を殺し、二人分の重量を受け止めることで着地の衝撃を緩和させる。
 地上に無事降りても安心などしていられないと、即座に校庭へと飛び出す私達。私は全身に“軽量”と“脚力強化”の魔術を掛けて走る。
 私の魔術でのサポートは力が強すぎて屋上を破壊しかねない。何よりあのサーヴァントは槍使いだ。
 接近戦であれに太刀打ちできるサーヴァントなんてセイバーくらいなもの。ソルジャーにはヤツとの接近戦なんて荷が重過ぎる。そう私は思っていたのだが……

「別にあそこで対峙しても問題は無かったのですが」
「へ? そ、そうなの?」

 どうやら、その考えは余計な心配だったらしい。これでもかと全力で走っていた私は、彼女からの予想外の一言で思わず立ち止まりそうになった。


 否。立ち止まらざるを得なかった。

「いや、本気でいい足してるぜアンタ。此処で仕留めるのは些か勿体なさすぎるか」

 我々より早く、一気に校庭まで跳躍してきた蒼い槍使いに、不意に行く手をさえぎられてしまったのだ。

「アリア――!」

 予想を上回るスピードで回り込まれた為、防衛戦にならざるを得ない。ソルジャーに前に出るよう呼びかけようとして、咄嗟に名前を呼んでしまう。
 クラス名で呼ぶ方が理に適っている気もするが、彼女はそもそもが、正規のクラスには該当しなかった異分子。
 まだこの戦争に挑む者の誰一人として、彼女がどんなサーヴァントか知る者は居ない。
 その上“アリア”という名前自体が本名じゃない。むしろこの場合は『ソルジャー』という、未知のクラスの情報さえ隠せる妙案だったのは怪我の巧妙と言う他無い。
 私が一歩引くと同時に、私の前に出たアリアが実体化する。それはまるで私の輪郭から、急に蒼い外套の女性が浮き出てきたようにみえただろう。
 月を隠す曇天の下、アリアの手には“まだ何も”握られていなかった。

「ほう。いいねえ、そうこなくっちゃな。獲物を出しな、そのくらいは待ってやるぜ」
「ランサーのサーヴァントですね」

 アリアが口を開く。

「いかにも。そういうアンタは……何モンだ、アリアさんとやら?」

 怪訝そうに疑問を口にしてくるこれもまた蒼い槍兵。

「アリアなんて名前の英霊なんざ、俺は知らんし、そもそもこんな状況でも一向に構わず口に出すくらいだ。真名かどうかも怪しいな。見たとこセイバーじゃねえ。アーチャーって訳でもなさそうだ。とすると、アサシンか?」

 謎解きをするのが楽しいのか、軽い口調で、ランサーはアリアのクラスを言い当てようと思っているような素振りで、此方に探りをいれてくる。

「う~ん、惜しいですね。だが残念、違いますよ」

 アリアはからかうように涼しい笑みを浮かべ、ランサーを煙に巻く。

「っちぃ、真っ当な一騎打ちをするタイプじゃあねえな……。いいぜ、好みじゃねえが出会ったからにはやるだけだ。そっちがこないなら……こっちから行くぜ!」

 槍の騎士は間合いを一気に詰めんと跳躍し、校庭の土を踏み込んだ……。



[1071] Fate/Liberating Night her codename is “Soldier” vol.5
Name: G3104@the rookie writer◆58764a59
Date: 2008/06/02 22:10
「そっちがこないなら……こっちから行くぜ!」

 禍々しい魔力を漂わせる赤い槍を眼前で翻し、蒼い槍使いが地を蹴り襲い掛かる。
 遠方に燈る街火の他に目ぼしい明かりの無い校庭は暗く、かろうじて強い光を放つ月の光の下に、槍兵のシルエットだけが宙に描き出される。
 私は後ろに下がらせた凛の前に立ち、徒手空拳のまま彼と対峙した。ランサーが槍を振りかぶり飛び込んでくる。
 純粋なサーヴァントとしての能力で考えれば、私がランサーに適う筈はない。だが、私の記憶どおりならランサーにはある“制約”が存在する筈だ。
 彼のマスターに掛けられた『偵察任務』に徹させられる令呪の戒め。初見の相手には実力を出し切れず、必ず一度は撤退しなければならない呪い。
 この制約が無ければ、私がランサーに勝てる見込みなど無いだろう。幸い今宵は初見。
 私が彼を倒すには今が最大の好機だが、それでも果たして何処まで通用するか。
 今の私は剣士ではなく唯の一兵士。既に剣を手放し、王の責務を全うし、眠りに就いたこの身に在るのは只一つの奇跡と、最後の最後に望んだ夢の先で得た経験。
 この手に刻まれし“業”は、戦場を生き延びる為の術。敵を屠る術。
 人々を救い、在るべき平和を取り戻し、護れる為にと欲した、人として可能な限り修め続けた文武の才。
 神話の伝説に名を連ねる“英雄”を相手にするには些か力不足だろうが、私の人生を掛けて培った全ての業を以って、全力で挑まなければ生き残る事すら儘ならない。

「FN P90」

 真っ直ぐ彼を指差すように伸ばした右手に、使い慣れたPDWと呼ばれる短機関銃がすうっと虚空から滲み出るように実体を取り戻し現れる。
 掌の中に独特な形状を持つ合成樹脂製のグリップの感触を感じ取り、指先の向こうで怪しげに鈍く光る鉄(くろがね)の口腔が真正面に蒼き獣の脈打つ急所を捉えた。

「――――――!?」

 鉄の口蓋の奥に潜む獰猛な“牙”に本能で気付いたか、チッと舌を鳴らした彼は即座に槍を回転させ防御の姿勢をとる。その咄嗟の機転の何と疾(はや)い事か。
 遠慮など無用。仮にも大英雄を前に、今となっては軍人上がりの私如きが遠慮するなど無礼も甚だしい話と言う物だ。私は迷い無く、直ぐ様己の人差し指に力を込めた。
 ほんの一時、小さな炎の閃光が暗闇を押し退け辺りを照らす。サウンドサプレッサーを取り付けた銃口から飛び爆ぜる連続した破裂音が、広い校庭の大気を震わせる。
 高、低周波共に減衰されたその咆哮は事のほか弱弱しく、間の抜けた音のように聞こえた事だろう。
 控えめなマズルフラッシュと、ライフル弾に使われている速燃性無煙火薬特有の、湯気のようにすぐ霧散する白煙の中から、一気に三十発近い弾丸が槍兵に向けて放たれた。

「うおっうおおおおおおお!?!?」

 突然その身に襲い掛かる無数の矛先に驚き、獣のように吼えるランサー。
 如何に彼がその身に矢避けの加護を受けていようと、流石に音速を軽く超えるその全てをかわし、弾き落とすことは適わないだろう。
 そう思ったのだが……。

「っつぁっはあ!! テメエ、中々変わったモン持ってんじゃねえか!」

 ずしゃり、と鎧を擦り鳴らし地に降りる男。大地を力強く踏み締めながら上体を斜めに逸らし、構えを取る。
 ……なんと、『あれ』を殆ど裁ききったか!?
 流石に手足や肩口に数発は食らわせたようだが、どれも掠り傷程度で致命傷には程遠いダメージに過ぎない、甘かったか。
 やはりランサーを相手に私の持つ銃器だけでは口惜しいかな、飛び道具である為、どうしても決定打に欠ける。なんとか彼を退けられれば御の字か。
 内心は焦りが我が物顔で私の理性を蹂躙してゆく。だが、それは表情には欠片も出してはならない。相手に決して此方の不利を気取らせるな。

「ふう、矢避けの加護があるとは思っていましたが、まさかそこまで強いものとは……。流石ですね」
「手前ぇ、何故オレに矢避けの加護があることを知っている!?」

 ギラリと獣じみた気配を放つ眼に殺気を強く込め、睨んでくる。当然だろう、サーヴァントは基本的に有名な英霊が呼ばれる。
 その有名さは押しなべて、自らの弱点までも伝承の中に記されてしまっているのだから、自ずとサーヴァントは自らの正体を隠す。
 ソレを初対面でいきなり見破られては、流石に平静ではいられまい。

「さて、私と違って貴方の方はとても判りやすい。槍使いで全身にルーンの魔術を纏い、其処までの俊足を誇る英雄といえば、該当する者は限られると思いますが?」

 口調は努めて慇懃に、頭に血が昇り熱くなる相手とは対象的に余裕を持って涼しげに。
 私は不敵な笑みを出来るだけ意識して言葉を紡ぐ。勿論余裕なんてハッタリも良い所。
 ハッタリは思い切りの良さが肝要だ。遣るなら堂々と、大見栄を切ってしまえ!

「ちっ有名すぎるのも考えモンか。だが次は無えぜ? その武器は既に見切った!」




第五話「兵士は槍兵と対峙する」




「凛。すみませんが、校庭一帯に防音結界をお願いします。先ほどは銃声で騒ぎにならないよう配慮してサプレッサーを使用しましたが、サプレッサーはどうしても初速を犠牲にする為、僅かにですが弾丸の威力を下げる」
「判ったわ。Anfang(セット)――!」

 キィンと、大気を震わす現実の音ではなく、音のような『耳鳴り』を感じた。背後から凛が周囲に、銃声を轟かせぬように“防音障壁”を張り巡らせたのだ。
 いくら深夜の学校といえど、甲高さと良く響き渡る低音を合わせて掻き混ぜたような銃の発砲音は、この平和な日本の街には余りに異質すぎる音。
 夜中の学校敷地内とはいえ、周囲には住宅も存在するし、まだ誰かが不意に出歩いていてもおかしくはない時刻だ。
 それに、サプレッサーという物は基本的に消耗しやすく、調子に乗って使い続けれていれば、すぐに減音効果を保てなくなる。
 普通はマガジンニ、三本も撃てば換装が必要だが、七クラス中最速の相手にそんな隙を見せれば即、死に繋がる。今は使わずに済むならその方が遥かに良い。
 人目についてはならない魔術師、サーヴァント同士の戦いにおいては騒ぎを起こすような真似はするべきではない。
 何より無関係の人間を巻き込ませてはならない。それだけは非常に拙い。

「オーケー、防音は完璧! 良いわよアリア。思う存分暴れてやりなさい。貴方の力、今此処で私に見せて!」
「ふっ。Yes, my Master!」
「へっ。出来るか? 貴様の武器はもう見切ったと言った筈だぜ!」

 啖呵を切り、赤い槍が一足飛びに再び私の心臓目掛けて飛び込んでこようとする。

「元より貴方相手に飛び道具だけで勝てるとは思っていませんよ」

 まだマガジンには残弾が二十発ほど残っていたが、手にしたサプレッサー付きP90をマナの霧と化す。
 武器を掻き消した次の瞬間には既に、私の両手には白銀に輝く一振りの鋭利な大型ナイフと、黒々とした.45口径のセミ・オートが、艶消しされた鋼の鈍い光沢を見せていた。


「おらおらおらっどうしたぁ! 防ぐ一方じゃあ俺は倒せねぇぜ嬢ちゃんよ!?」

 槍の一撃が私の心臓、眉間、首筋の三点を狙って、正確に突きを繰り出してくる。
 私は重心を落とし、上半身を半身横に掠るか掠らないかという最小限の間合いの分だけ横に逸らして眉間と首筋へのニ撃をかわし、続けざまに心臓目掛けて繰り出される突きを左手に持つナイフの分厚く硬い腹で、横合いから逸らしいなして捌く。
 ナイフと槍がぶつかり合い火花が散る。ナイフがその接触面を斜めに逸らし、槍の竿の部分がナイフのブレード面を掠り、耳障りな金切り音を響かせる。
 この短剣は私が生前にこの国の呉まで赴き、現地の匠にわざわざ直談判で頼み込んで鍛造して貰った硬質で切れ味の非常に高い鋼のブレードだ。
 それも、刀芯部分では最大肉厚が二十ミリを超えるという、ちょっとした鋼鉄の塊。
 その刀身の短さによるバランスから、生半可な加重、応力では曲がりもしない。その上に自身の魔力で構造強化し、刃も魔力を纏わせてある。
 如何にランサーの突きが凄まじい破壊力だろうと、その直撃を真正面から受けでもしない限り、このナイフは砕けはしない。

 そのまま彼が繰り出してくる槍を両手のナイフと銃の背でいなし、弾き、叩き逸らして捌き、かわし続ける。
 この程度、まだ彼の本領の域には程遠い。今ばかりは、彼に手加減の呪いを掛けた彼の主に感謝したい所だ。
 ……もっとも、彼のマスターは私が感謝を贈るなど考えられぬ相手だが。

「ちぃ、中々やるじゃねえか嬢ちゃんよ!!」
「ふふっまだこの程度、貴方の本気ではないでしょう」

 何合、いや十何合目になるのか数えるのもうっとうしくなる程刃を交わし続けている。
 そろそろ頃合か、彼の突きは次第に速度を上げ、そろそろ目で追うのも難しいほどになってきた。
 口では涼しげに見せているが、既に私の方は徐々に限界が近づいてきている。これでも彼の本来のスピードではないのだから流石、七クラス中最速というだけの事はある。
 突き出される槍を片手のナイフでいなし、彼が突きをいなされターゲットから離れた槍に力を込め、逸らされた軌道を強引に引き戻しそのまま横薙ぎに振るう。
 間合いをずらされ空を切る槍。間合いを外した際、私はほんの僅かにそのバランスを崩した。

「もらった!」

 その隙を見逃さず好機とばかりに攻める槍兵。
 即座に翻り、また一歩踏み込んで真上から全力で大振りの一際力強い一撃を振り下ろしてくる。だが……

「ここだ!」

 その一撃を、尤も力の乗った渾身の一撃を私は待っていた!!
 脳天を狙われた激しい一撃を、十字にクロスさせた銃のフレームと、ナイフのナックルガードでがっしりと受け止める。
 その渾身の一撃に込められた力の余りに、衝撃を受け止めた膝、肘、背骨、全身の関節が軋みを上げる。
私の足元からズシンと巨大な塊が激突したような地響きが上がった。

「ぐうっ!!」

 強烈な一打が全身にその衝撃を奔らせる。その激痛に思わず呻きが漏れた。だが、痛みなど今は構ってなど居られない。
 衝撃を全身のバネで地面に逃がし、槍を挟み込む用に抑えて頭上から横手に逸らす。
 ナイフの鍔で槍を抑え、その槍の上を滑るように引き抜いた銃口を槍に押し当てる様に素早く突きつけ、触れる瞬間に引き金を引き絞る。
 もはや此処しかない。私が彼に接近戦で有利に立てる今のうちに、この場の主導権を握るには今、この機会を逃して次は無い!!
 耳を劈くような騒々しい火薬の咆哮と共に銃口が火炎を噴く。如何に矢避けの加護があろうとも、それは槍にまでは及ばない。
 槍は斜めに弾かれ、手にした槍から伝わった衝撃によって痺れる手に槍兵の顔が歪む。
 敵に体勢を直させるな、このまま一気に叩き込め!

 銃口はそのまま槍の内側を滑り、畳み込むように零距離から追撃の五連射を槍の腹に叩き込む。
 狭い銃身内を灼熱の奔流に押し流され、音の速さに届きそうな勢いで銃口から飛び出す五つの鉛の牙と、荒れ狂い爆ぜる灼熱が上げる咆哮の音叉。
 赤い槍にその全てをまともに受け、硬い鋼同士が打ち合わされる時に発する、錐の様に鋭い音が夜の校庭に甲高い合唱を響かせた。
 構え直す暇も無く明後日の方向に弾かれる彼の紅い槍。その間も私は足を緩めず一気に踏み込み、ランサーの間合いの内側に潜り込む。

「チィッ!!」

 槍の死角に侵入を赦してしまった失態に毒吐いたか、舌打ちしながら弾かれた右半身に残るモーメントを利用し体を軸にして勢いを増した左足で膝蹴りを放ってくる。
 懐に潜り込んだ私から間合いを離そうと繰り出される膝。だがその反撃は此方の狙い通りなのだ。
 私の鳩尾目掛けて下から突き昇る膝を両手で組んだ掌底で受け、膝蹴りの力を利用して一気に膝を踏み台にして飛ぶ。
 勢いを殺された膝を更に硬い靴底で思い切り蹴り飛ばし彼の頭上に翻る。夜闇の中で僅かな星明りと街火に浮かんだ蒼いコートが風に遊ぶ。
 彼の肩に銃を握ったままの右手を突き、それを支点にして頭上で倒立の姿勢のまま、一八〇度反転する。

「っのアマ! 舐めんじゃねえ!!」

 ランサーが弾かれた衝撃に痺れながらも再び手にした槍を振るってくる。彼の槍も私の銃と同様、魔力で編まれた物ならば彼方に弾き飛ばそうと直ぐその手に戻る。
 頭上の私をその槍で叩き落とそうとする。だが甘い。彼の槍の軌道を読んでいた私は頭上で反転するタイミングを合わせて、横薙ぎに振るわれてくる赤い槍の腹目掛けて身を捻り、回し蹴りを叩き込み止める。

「なっ!?」

 次の瞬間には私は槍兵の後ろに着地し、その首筋にナイフを回すと同時に右手の銃が乾いた咆哮を六つ吐き出す。

「グゥッ!!」

 右肩の付け根にニ発、両膝を後ろから、左右二発づつの計六発分撃ち抜き、槍を無力化させた。
 そしてチャンバー内に一発だけ残弾を残し、遊底に『闇夜の鷹(ナイトホーク)』と刻印を打たれた、鉄(くろがね)の光沢を放つ銃を後頭部に付き付けた。

「チェックメイトです。アルスターの光の御子クー・フーリン」

 私の言葉に獣の殺気を滲ませた眼を見開き眼前の男、ランサーのサーヴァントが呻く。

「チィッ……貴様やはりオレの真名を」

 ランサー、クー・フーリンがギリッと歯を軋ませながら渋面を覗かせる。

「ええ、存じています。如何でしょう、此処はひとまず引いてもらえませんか?」

 私は説得のチャンスは今しか無いと踏んでいた。その私からの提案にランサーが呆れるように驚きの声を上げる。

「はあ!? 何すっとぼけた事言ってんだ? 俺を殺せる絶好のチャンスじゃねえか」

 そう、確かにこの状態は傍から見れば明らかに此方が有利。だが、ランサーの声は観念した様子も自棄になった感じも一切無い。
 つまり、まだ奥の手があるのだ。

「そうですね。確かに今は紛れも無い好機だ。だが、私は貴方に借りがある。それは貴方が知る由も無い事ですが。だから私は、此処で貴方に借りを返したい」
「俺に借り? アンタ、生前何処かで俺と会ったのか? 否、知らんな。一体俺に何の借りがあるか知らんが、アンタみたいな美人なら俺が忘れる筈は無いんだがな……?」

 それは当然だろう。私が彼と出会ったのは生前より更に過去の話だ。此処とは違う時間の流れを辿る、無数の世界の一つでの話。

「なに、案ずる必要はありませんよ。貴方が覚えている筈の無い話です。今はそんな事は如何でも良い。もう一度だけ言う。この場は引いて貰いたい。私としても、様子見でワザと手を抜かさせられ、実力が出せない弱みに付け込んで容赦無く撃ち抜くのは、余り気が進まないのです」

 ランサーの横顔が更に渋面を濃く滲ませる。

「ちっ、何でもお見通しかよ手前ぇ……全く、何モンだ嬢ちゃんよ? まあいいさ。そこまでコケにしてくれちゃ黙ってられねえな!」

 そう毒づき、彼はルーン文字を刻み一瞬でその間合いを離した。恐らく跳躍の文字でもあったのだろう。
 くっ、しくじった。あのまま大人しく退いてくれれば良かったのだが……。
 距離にして数メートル、一見には彼の槍の間合いからも外れている。だが彼の“宝具”にこの程度の間合いの開きは関係ない。

「オレをコケにして情けを掛けた事、後悔するぜ? 食らいな、我が必殺の一撃をよ!」

 途端、ゴウッと辺り一帯の魔力(マナ)が彼の槍に吸い込まれるように収束してゆく。
 やはり使うか。あの槍は“刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)”。
 放たれればソレは確実に『心臓を貫いている』という結果を導かんと、そこに至る為の直前の事象を捻じ曲げて『心臓を貫く』為の事実を捏造してしまう。
 それは因果率を改竄出来るという反則的な呪いの槍。
 拙いな。あれを防ぐ手が無い訳ではない。考えられる手は二つある。だが、正確に言えばその一つは『その場凌ぎにしかならない』かもしれない一手。そう、私の鞘だ。
 使えば確実に防げるだろうが、彼の槍が秘める最大の脅威はその因果を逆転させてしまう呪いの性質にある。
 例え五つの魔法であろうと寄せ付けぬ絶対の護り。だが、それはこの世界からの干渉を阻む“城壁”でしかない。それは槍に宿る『心臓を貫いている』という結果を生み出さんとする呪いを“阻む”事は出来ても“打ち破れる”物ではない。アヴァロンの展開が解けた直後にその呪いがまだ健在であれば、槍は私の心臓を確実に貫くだろう。
 私の鞘の展開が解けるのが先か、彼の槍の呪いの持続力が尽きるのが先か。或いは鞘が解ける前に彼を倒せば、槍も呪いも共に消えるかも知れないが……残念ながらその確信は無い。何れにしろ分の悪い賭けだ。
 二つ目も、使えばそれは確実に自らをも傷つけ、破壊する諸刃の剣。例え無事防げたとしても、槍が私に届かなかろうと関係なく、無傷とは行かない。
 何より、どちらも今使うには余りに魔力を食いすぎる。それはまだ完全に回復しているとは言えない凛から魔力をごっそり奪う事になる。
 まだあちこちで様子見をしているだろう他のマスター達への警戒を考えれば、彼女を今消耗させるのは避けたい所だが……贅沢は言ってられない状況か。
 ――貴方なら如何します? そう私が己の内に居る“彼”に相談をしかけたその時――。

「誰だ――!!」

 目の前で構えを取る槍兵の声が耳に届いた。ランサーの振り返った先、校舎の方から誰かが慌てふためき逃げていく足音が聞こえる。
 しまった、まだ誰か校舎内に残っていたのか! 拙い、ランサーは即座に目撃者を消しに飛び出した。

「凛!! 彼を追います。ランサーは目撃者を消しに行ったに違いない!」
――アルトリア、あれは俺だ。心配ない――

 私の内から彼がそう一言、心配するなと教えてくれた。だが、だからと言って、放ってはおけない。

「え、ええお願い! 私もすぐ追うから急いで!!」

 凛の声を聞くが早いか、私はもう走り出していた。


「遅かったか……」

 左胸から夥しい血糊を流し、血の池に横たわる学生を眼前に、足を止めていた私の後ろから凛がそう呟き駆け寄ってきた。

「申し訳ありません。ランサーには逃げられました」

 私は徐に倒れている彼の傍に屈んで彼の容態を確認した。左胸に刺し傷、ランサーの槍で一突きにされたのだろう。
 床には彼の物と思われる血糊がべったりと、派手に血の池を描いている。

「この少年は此処まで何とか逃げてきて、此処で彼に刺されたのでしょう」

 私は凛にそう報告しながら彼の傷に手を当てて、微かな“鞘”の魔力を探り当てた。
 凛に気付かれぬように、細心の注意を払って微弱な魔力を流す。彼が絶命しないように最低限の魔力を送ってから立ち上がり、静かに凛の後ろに下がる。

「せめて最後だけは見取ってあげるわ……」

 私と入れ替わりに凛が少年の前に立ち、その姿を目にして何かに脅えたように驚く。

「うそ、冗談やめてよね……なんだってアンタが」

 凛はどうやら以前から彼を知っていたらしい。

「……ああもう、あの子がどんなに悲しむか……」

 きっと桜のことだ、倒れている彼にとって家族同然の友人。彼女のことは生前の記憶、そのまた更に過去の記憶から知っている。
 そして凛と彼女の間柄を私は英霊になる前の新たな人生において知った。自分の生き別れた妹が懇意にしている少年。
 それが今自分の目の前で瀕死の重傷を負っているのだ。きっと今、彼女の相当頭の中はぐちゃぐちゃに混乱していることだろう。
 私に代わって、彼女が彼の体に触れ、傷を診ていく。
 常識的に診れば辺りに飛び散った血糊の量、傷の位置からして通常、致死は免れない。
 だが……。

「あれ? 傷の割には、まだ息はある……! アリア、貴女コイツに何かした!?」

 奇跡的にまだ息を残していた彼の容態に気付いて、驚きに目を丸くして騒ぐ凛。

「いいえ、私はこれと言って何も……。彼はよほど運が良かったのでしょう。ランサーが慌てたのか、何か事情があったのかは知りませんが、どうやら生死の確認までは行わなかったようですね」

 すみません、凛。実は少しだけ『何か』はしました。もっとも、してもしなくても“鞘”の力で彼はまだ後数刻は息を持っていたでしょうが。

「これならまだ助かるかもしれない……一か八か!! でも……いや――ええいっ!! だからなんだってのよ馬鹿っ!」

 彼女は何かの逡巡を振り切ったらしい。手にした大きな宝石を握り締めながら、彼女はその宝石に込められた魔力を開放した。

「……ああ、やっちゃった」

 その場にポトリと落とした紅い大きな宝石の首飾りが、少年の横で多少何かが軽くなったような輝きを放っていた。
 彼女はその宝石に籠められていた膨大な魔力を使い、ランサーに穿たれた胸の刺し傷を修復、魔力で損傷した臓器の一部を一時的に代用し、彼を死の淵から救い上げた。

 ――そうか。だから貴方が凛に召喚された媒介が『この宝石』だったのですね。
 ――そうだ――

 私は彼の答えを聞き、自分のブラウスの下に首から下げている、同じ形をした宝石を服の上からそっと撫でる。
 それはかつて、自分が凛から譲り受け、彼の召喚に使った物。
 そして自らが最後を迎えた“あの時”までずっと肌身離さず持ち続け、彼と共に英霊の座に記録された私にとってもこれは、私と“彼”と、“彼女”とを繋ぐ縁(えにし)。
 その縁が故、私は再びこの時代に、凛に召喚されたのだろう。

『折角、折角再び出会えたっていうのに……まだ話し足りない事だって一杯あるのに……。どうして、またすぐに私の前から居なくなるっていうのよ貴女はっ!!』

 今際の際に、妙齢になっても尚凛々しく美しい顔をくしゃくしゃにして、瞳に涙を溢れさせながら私を見取ってくれた彼女の顔が脳裏に蘇る。
 ――ごめんなさい、凛。私も何時までも貴女達と話し、笑い、共に歩みたかった。
 たった数週間しか時を共にしなかった“私”の事を覚えていてくれた貴女は、あの頃とはまったく存在の異なる人の身に生まれ変わったのに、訪ねていった私が“セイバー”だとすぐに理解してくれましたね。あの時は本当に嬉しかった。
 貴女と再び会えたというのに、また昔のように短い思い出だけ残し、目の前から去ってしまう事が心苦しかった。
 もしまたいつか逢えるなら、と……儚い望みだと思いましたが、まさか“この時代”の貴女と再会する事になろうとは。
 貴女と彼女は起源は同じでも“別人”だとはいえ、これも運命の悪戯でしょうか。

「アリア、ランサーを追って頂戴。もう足取りを掴むことは出来ないかもしれないけど。せめて相手のマスターが何者かぐらい、情報掴めなきゃやってられないわ」
「了解しました、凛」

 私はそう答え、手遅れとは思いながらもランサーの魔力の残滓を探り、単身夜の街へと飛び出した。



[1071] Fate/Liberating Night her codename is “Soldier” vol.6
Name: G3104@the rookie writer
Date: 2007/03/05 00:32
 冬の気配に冷やされた海風が川下から駆け上り、頬を掠めて髪を梳いてゆく。
 夜の闇に消えたランサーを追って、私は深山町と新都を結ぶ鉄橋の上まで来ていた。
 辺りは既に夜も更け、時刻は刻々と深夜に近づいている。ランサーとの前哨戦からは既に二時間が経っていた。
 ランサーの足取りを追い、敵マスターの正体を探る。私は凛からそう命令を受け、あの場を離れたが……私は既に知っている。あの男のことを。
 川の向こうに見える新都の高台に荘厳と、しかし威圧的に佇む教会の主。過去、かつて英霊だった私がシロウを助けに向かい、邂逅した黒い神父。
 恐らくこの世界のランサーの主もあの男だろう。
 ランサーの疾駆した魔力の残滓は、途中色々と進路を換えながら川の手前までで途切れ、追跡できなくなった。
 伊達に斥候をさせられていた訳ではない、と言ったところか。ランサーはその持ち前の機動力を活かし、短時間で追っ手を攪乱させる為に周到に遁走したようだ。
 右肩、両膝を撃ち抜いてやった筈だが、中々どうして大した脚力だと感服する。
 適当な頃合を見計らってランサーの追跡を諦めようと、余り成果は出ないと知りながら手近で尤も展望の良い場所に立ち、懐から双眼鏡を取り出し新都の方角を索敵してみる。

「ふぅ。さて、如何した物でしょうね。とりあえずあの場は、私は居た堪れなかったのでランサーを追う命に従って此処まで来ましたが……」

 誰にも聞かれる事など無い場所に一人立ち、誰に聞かせるでもなく呟いた。それは自問ともとれる胸中の吐露。
 赤く塗装された鉄橋のアーチの頂上に立ち、少し流れの強い夜風に髪を流して佇む。
 此処からざっと新都を見渡しても、見える物は向こう岸の新市街区に燈る街火だけ。
再開発とやらで、まるで雨後の竹の子の様に次々と生えた高層建造物(ビル)の林から漏れる人工の光が、煌びやかに双眼鏡のレンズに映り込む。
 それは傍目には酷く暢気で平和な光だ……。例え、今こうしている間も真っ当な魔術師とそのサーヴァントはこの街に住む者たちから生気を掠め取り、己が軍備を着々と進め始めているのだろうが、秘匿を第一とする魔術師の戦が都市の外観に影響を及ぼすリスクを負う筈も無い。

「はぁ。やはり無駄か……」

 街を隈なく観察するも、やはり特に収穫は無かった。
 比較的暖かい冬木市の冬とはいえ、その風はまだまだ身を切るように冷たい。
 だが、今この時ばかりはその冷たさも、沸騰しかかった激情を抑えてくれる涼しさに感じられて少し有難かった。
 実は、私は内心ではとても冷静では居られなかったのだ。例えそれが直接、彼の死に繋がりはしないと判っていても。
 判っている。あの傷が無ければ『エミヤシロウ』は英霊として、凛の宝石を触媒として彼女に召喚される事も無かったかもしれないのだから。
 あの場で仮に彼を救えたとして、『彼女に助けられる』事が無いまま彼が英霊の域に達したとしても、その生涯における縁の深さ故、同じように凛に呼ばれるかもしれない。
 だがそれでは呼ばれない可能性も無い訳ではない。そして私が知っている彼はこの宝石を彼女との縁とした彼だ。
 いわばあの宝石と怪我は“彼”の“彼女”との接点。
 だから私はそれを止める事も、やはり出来なかった。
 それでも、自分が愛する人が目の前で傷つけられるのは……たまらなく辛かった。

 ――アルトリア、衛宮士郎もあのアーチャーも、同様に私も、起源は『衛宮士郎』に違いは無いが、この世界の奴が必ずしも“座に記録された私”に繋がるとは限らない――

 勿論、それも判っている。それでも、彼もまた私が愛するシロウと根源は同じだから。
 それは英霊となっても尚、私と共に戦ってくれた貴方と根が同じだからです、シロウ。
 そしてアーチャー、彼も……。
 むぅ。と私の魂に宿る鞘の中で彼が渋った声をあげる。
 む、貴方は過去の自分を見て、まだ自分殺しの未練が残っているとでもいうのですか。

 ――その心配は無用だ。アレは既に“別人”であり、私との連続性は無い。私とてもう八つ当たりに縋る心算は無いよ、アルトリア。君に召喚された事で私は立ち直れた――

 その回答に満足し、私は胸中の懸念を解く。ならば私達がする事はただ一つだ。さて、そろそろ凛の元に戻らねば。
 既に通る車も絶え、シンと静まり返ったアスファルトの上に私は降り立ち、背後の深山町へ踵を返した。




第六話「兵士と剣士は邂逅する」




 遠坂邸の居間に我が主が帰ってから、時計の長針は既に二回りしていた。

「それにしても、アリアってば一体何処まで追跡してったのかしら?」

 彼女以外誰も居ないシンとした居間に、カチコチと時計の秒針が動く単調な音だけが規則正しく奏でられる中、暇は持て余したと言いたげに独り言が紡ぎだされる。
 これは悪い事をした。少し待たせ過ぎてしまったかな。

「只今戻りました、凛」

 私は先ほどの呟きはとりあえず聞かなかったふりをして居間に入り、実体化する。

「お帰り、アリア。結構遅かったわね? まあ相手はクラス一の俊足を誇るランサーだし、仕方ないけど。それで、余り成果があるとは思えないけど、如何だった?」

 彼女は気だるそうにソファに背を預け、軽く片腕を額に乗せながらそう聞いてくる。

「そうですね。すみませんが逃げられました。成果があるとすればランサーのマスターは此方の街には居ない事が判ったぐらいでしょうか」
「そう……判ったわ。とりあえずご苦労様」

 凛が労いの言葉を掛けてくる。

「はい。余りお役に立てず申し訳ありません。ところで、凛。彼は如何されました?」

 私はずっと気がかりだった少年の事を聞いた。うっかり持ちな彼女の事だ、きっと彼を保護し忘れていることだろう。
 聖杯戦争は大抵の魔術師にとって“神秘の実現も可能と謂われる魔法の窯”を求める為の一世一代の賭けでもある。
 ならばこそ当然の如く神秘の秘匿を第一とする彼らにとって、この戦争は一般社会から完全に秘匿されなければならない。
 彼はそんな聖杯戦争の目撃者。それを口封じもせずに殺す事無く助ければ、生き延びた彼は神秘の漏洩を恐れる者達……つまり彼を殺そうとした敵や他の参加者から常に危険に晒される事になる。
 だから、助けたなら最後まで保護しなければ、衛宮士郎は間違いなく再び殺される。
 事実、過去の私の時――私が召還された時、彼は今にもランサーに殺されんとしている所だった。今思い返してもあの時は間一髪だったと思う。
 だから助けなくては。既に私が此処に居る事で、この聖杯戦争は既に私の知る流れでは無くなっているのだから。何かがあってからでは遅いのだ。

「とりあえず、蘇生は上手くいったわ。今思い出してもアレは奇跡的だったと思うけど。私は医学知識なんて大して持ってないし、酸素不足で脳死しかけてて、しかも心臓破裂して逆流する血液の内圧で損傷した血管を蘇生する――なんて繊細で器用な真似も到底出来ない。だから力技よ」

 力技であの傷を治せるなんてどんな才能だろう? といった疑問を自分自身で感じているのか、自慢げな言葉の割りにその目は自分の成果に訝しむ色を見せている。

「ただ膨大な魔力で強引に、切断された組織やら血管やら、神経やらを強引に繋ぎ合わせて修復しただけ」

 ただそれだけの事だ。と言うように言葉を切る。

「驚いたのはそれだけで何とか一命を取り留めた彼の冗談じみた生命力の方よね」

 最後にそう付け加えて彼女は口を閉じた。

「そうですか、それは良かった。では彼は、今はこの屋敷内に居るのですか? それとも、もう教会に? 当然保護してきたのでしょう?」

 私は内心その答えは判っていながらも、彼女に尋ねてみる。

「え? いいえ、そんな事してな……しまった。考えてみれば、あのままじゃあ片手落ちじゃない!!」

 凛は一瞬何の事かというような呆けた顔を見せ、即座に彼をあの場に『置き去り』にしてきた失態に気付いた。
 いつもの癖なのだろう、顔を掌で覆うように当て、狼狽した眼で虚空を見つめている。

「何でこんな単純な事に気が付かなかったのかしら……。ランサーがそんなヤツを――、生かして置くわけ無いに決まってる――!!」

 凛はぶつぶつと自己に埋没しながら呟いていたかと思うや、気だるそうに深々と沈み込んでいたソファから勢い良く立ち上がる。

「凛、あれからすでに三時間は経過している。間に合わないかもしれませんが、行くなら急ぎましょう」
「当然!! 今すぐ出るわよアリア。郊外にある大きめの武家屋敷よ!」
「了解(ラジャー)! 直ぐに向かいましょう!!」

 私達は深夜の住宅街へと駆け出した。


 青い兵士と赤い魔術師が夜を駆けていく。まるで静物画のようにシンと動きの無い景色の中を走る影が二つ、住宅街を一筋に縫って行く。
 深山町の住宅街、その建築様式が急に様変わりする境界線に位置する交差点の所までやってきた。
 ハァ、ハァ、と苦しそうに息継ぎをしながら私の後ろに少し遅れてついて来ている主。
 屋敷から此処まで、ずっと全力疾走してきた彼女はかなり息を切らしてはいるが、その瞳に宿る意志の光に微塵も揺らぎは無い。

「凛。少しペースを上げましょう」
「ち、ちょっと待って。これでも魔術で脚力を強化して走ってるのよ?」

 確かに今彼女は魔術で脚力を常人を遥かに超えさせている。しかし彼女はそもそも魔力、体力の回復が万全ではない上に先の戦闘で両方疲弊している。
 凛は人並み外れた魔力の持ち主だが、今の彼女は魔力以上に体力が追いついていない。

「凛、つかまって下さい」

 私は今にも息切れしそうな彼女の傍まで寄り、彼女を背負い一気に塀、電柱と三角跳びの要領で蹴り飛ばし、民家の屋根に登る。

「サーヴァントの脚力の方が速いでしょう。私はクラス別で言えばランサーやライダーには程遠いですが、足には自信がある」

 私は足に魔力を廻し筋力強化を施すと同時に魔力放出も合わせ、一気に屋根伝いに武家屋敷までの直線コースを駆ける。

「ねえ、アリア。貴女、道順なんて知らないはずよね?」
「凛……。私が昨日、何を調べていたかご存知でしょう? 心配せずとも新都と深山町の地理は概ね把握しています」

 まあそんな物に頼らずとも、あの家の場所は決して忘れる事など有り得ないのだが……。
 先日の下調べが咄嗟の言い訳の役に立った。

「っ――サーヴァントのスピードって体感すると怖い物があるわね」

 背後から凛が、辺りを流れる景色に視線を這わせながら呟いてくる。まあ、普通の人間が生身のままで体感する速度ではないのだから無理も無い話ではあるが。
 真夜中の涼やかな風の中、普段見慣れないような屋根の上という高い視界から見下ろす街並みは何処か新鮮な感慨を覚えさせる。
 遠くに見える市街地の明かりも相まって、疾風のように流れる夜景はともすると本当に幻想的かもしれない。

「それにしても、女が女に抱えられるのもちょっと絵にならないかなー?」

 そんなことを言ってくる辺り、彼女には流れる夜景も然程ロマンチックな光景に映ってはいないのかもしれない。
 否、むしろその逆で、今彼女を抱えている私が逞しい男ではない為、絵にならないと思ったのだろうか。

「女同士で絵になられても少し困りますが……」

 内心で彼女との生前の記憶を思い出し、僅かに赤面しながら、自分にその気は無いと暗に込めて答える。だが……。

「まあ、お望みでしたら俗に言う“お姫様抱っこ”の状態で抱いて走りますが?」

と、少しばかりからかってみたくなってしまい、口に出す。

「え、ええっ!? いや、それは流石に……遠慮しておくわ」

 このくらいは細やかに復讐させてもらってもいいでしょう凛? 貴女にはシロウとの事で散々からかわれたのですから。

「貴女、今ちょっと嫌な笑み浮かべてない?」

 鋭いですね、やっぱり。 凛はどの世界だろうと勘の鋭さや人をからかう意地の悪さは変わらないのかもしれませんね。

「余り喋っていると舌を噛みますよ」
「そ、そうね。黙ってお…(ガブッ)!!」

 舌を噛むと忠告したのに凛はまだ喋ろうとして、やっぱり舌を噛んだ。

「――!! 痛ったあ~……」

 軽口ばかり言ってるからです。それは自業自得、良い薬だと思って反省して下さい。
 そんな気が抜けそうなやり取りをしているうちに目的地が近づいてきた。自然と気が引き締まる。
 ごくありふれた日本の戸建住宅が立ち並ぶ区画の先。
 結構坂道の多いこの住宅街でもかなり小高く、郊外にちかい場所に建つ武家屋敷。
 私が過去に召還され、彼と出合った運命の土地、衛宮邸。その武家屋敷の質素だが堅実な造りの門構えが視界に映る。

「凛、もうすぐ着きます。既にサーヴァントの気配がある。恐らくはランサーです。気を引き締めて下さい」
「オーケー、急いで!」


 時刻は既に午前零時、私達は屋敷の前に到着した。主だった住宅地から少し離れた郊外に近いこの屋敷の周囲にはこの時間、人気という人気は無い。
 吐く息が何故か白く踊った。にわかに風が出てきたらしく、辺りが急速に薄ら寒く冷え込んでゆく。
 私達の頭上を覆い尽くす暗い曇天は風に流され、暗雲が幾筋も帯を引き、夜空を斑な縞模様に描き変えてゆく。
 坂の上にある此処はしっかりと、今はまだ冬なのだと冷たい空気で私達の五感に訴えてくるかのようだ。

「居る。ソルジャー、この魔力はヤツよね」

 そう凛が問いかけてくる。

「ええ、間違いありません。ただちに踏み込みますか?」

 私が彼女に指示を仰いだ丁度その時、突然屋敷の中から目も眩みそうなほど強い白光が閃き――最後の一人が召喚された。

「うそ――」

 そう呟き、凛が呆けてしまっている。

「凛、しっかりして下さい。どうやら召喚されたサーヴァントとランサーが中で戦闘を始めたようです」

 屋敷の塀の向こうからは幾度も堅い金属同士を叩き合わせる甲高い音が響いてくる。
 この剣戟の音は、間違いない……私だ。
 この時代、この世界でも“彼女”は召喚されたようだ。聖剣の主、騎士の王。幾合も続いた剣戟を交える音が止み、ランサーが屋敷から飛び出してくる。
 その顔は少し嬉々としてにやりと歪んでいた。

「今のは、ランサー!?」

 私の後ろで凛が逃げた影の正体に気付き驚きの声を上げる。

「凛、周囲に防音結界を…!」

 私はこの後に待ち受ける展開に多少既視感を覚えていた。
両手に一対の武装を取り出し、後ろで結界を張り終えた凛に銃のグリップを握る手の甲で合図し後ろに下がらせる。
 その直後、流れる雲が月を遮り、周囲に刹那の闇を落とす。その一瞬の闇の中、塀を飛び越え、青の装束と銀の甲冑に身を包んだ騎士が頭上に翻った。
 ――いけるか――!?

 銀の騎士は自身に掛かる重力までその剣に上乗せした重い一撃を振るってくる。
 私は両手にした銃の下部レールとナイフを交差させ、剣戟を全力で受け止めた。
 ガキンッと耳障りな衝突音と同時に、互いの武器に纏わせた魔力同士が反発しあい電光のような火花が撒き散る。

「ぐぅっ!」

 力任せに振るわれる見えない刀身。だが、かつて自分自身が持っていた物だから、その詳細も全て理解している私には余り不可視の効果は無い。
 だが、存外な膂力で振るわれた刃を受け止めた腕は一気に曲がり、力に押されジリジリと刃が降りてくる。
何故なら受け止める瞬間、力を受け流すように膝、肘、腰、及び全身を緩衝材として屈伸させたからだ。
 真っ正面から力任せに止めようとしては、幾ら魔力で強化されていてもこの武器が耐えられない。
 それにやはり筋力で到底適わない。何とか力の向きをずらして逃がし受け止めるも、余りに強すぎる膂力に圧され、不可視の刃先が額を掠める。
 その切っ先が触れた前髪から、はらりとニ、三本の金糸が切れ落ちる。
 このままでは確実に力負け、この剣に両断されるのは時間の問題。一瞬でも気を緩めればたちどころに切り伏せられる。
 銀の騎士は初手が止められて即座に切り返し斬撃を繰り出すかと思ったが、此方の腕力を見透かしたか、このまま圧せると確信したらしい。
 技でなんとか持ち込んだ力の均衡も直に破られる、私に出来る手立ては限られていた。
 ――成功するかどうか、保証は無いが…!
 胸中で意を決し、右手の銃を内に傾け力の支点をずらす。自然に、受け止めていた刀身が抵抗の弱くなった右側にその軌道をそらし、勢いよく右肩口に喰らい付いた。

「ぐ、づっ!」

見えない刀身が鎖骨の上に食い込み、肉を抉る。激痛は今は無視しろ、今受け止めた両手を緩めては力任せに切り裂かれる!
 騎士がその持ち前の直感でこの状況が何かおかしいと感付き、既に刀身の半分は完全に肩に食い込ませた剣を引き離しに掛かる。

「甘い。折角捕まえた手を離すと思いますか?」

 痛みを噛み殺し、やせ我慢にも見えそうなほどの笑みを浮かべ相手の心理を揺さぶる。

「――――っ!」

 見えなくとも確実に刀身はあるのだから、止めてしまえば掴むことだって可能。
彼女が剣を引き戻そうと力を逆にかけた一瞬の隙を逃さない。息を一瞬で吐き出すと同時に全身のバネを弾かせ、剣を引き戻す力に重ねて、両手の武器で絡めた刀身を押し返す。
 彼女が咄嗟にその力に抵抗しようと込める力を利用し、絡めた刃先を揺らし力の向きを明後日に向け剣を横に捌く。
彼女の武器は剣。体術も会得しているだろうが、体裁きの心得はかつての自分よりは今の自分の方が高い次元にある。
 元より、溢れる魔力に頼り力任せに、常人離れした筋力で叩き付ける事が出来た過去とは違い、今の身は魔力など碌に無い唯の人間となった自分。
 当然かつての戦法が使えるはずも無かった私は、彼同様に人の身で到達できる業の極みを目指す他に、守りたい者を守れる術を持たなかった。
 だから体術では負けはしない、かつての自分の“人としての力量”は判っている。それを凌駕する事を目標に頑張ったようなものだったから。
 是は“英霊”としての彼女に勝つための業ではない。“人”としての彼女を制する戦法。
 如何に英霊とて元は人間。人間ならばこそ生前から残る“人間であるからこそ”対応出来ない習性がある。
 私は剣を横に捌き、右手の銃身下部レールマウントの切り欠きで刀身を引っ掛けたまま制しておき、武器を捌かれ無防備になった懐に踏み込み、左手に持ったナイフの刃を頚動脈の位置にぴたりと這わせる。

「くっ――このっ!?」

 銀の騎士が首筋にナイフが触れるか触れないかというところでにわかに声を上げ、信じられぬほどの反応速度で上半身を反らし後ろに飛び退いた。
 私と騎士の距離が開き、仕切り直すかのような立ち位置になる。

「……ぷはっ、ふう。全く、直感だけで完全に動きを読まれてはたまりませんね」

 私は一連の動作の間止めていた息を吐き切り、そう言って右肩の痛みを堪え深呼吸する。
 まるで数分は息を止めていたような倦怠感が全身に襲いかかる。実際止めていた時間はほんの一~二秒にも満たないだろうが。

「仕留め損なったか、だが次はないぞ?」

 銀の騎士が再び構えを取り、今にも切りかかろうとしたその時――。

「セイバーッやめるんだ!!」

 少年の声が響くのと時を同じくして、月を覆い隠していた雲が流れ、月光が二人の姿を照らしだした。


 幽玄な月明かりの下に顕わになった二人の英霊。その姿に驚きの声が響く。

「な――――!?」

 その声は誰の声だったか。目の前の騎士か、後ろに守っている凛か、それとも騎士を止めに来た彼女のマスターである少年の物か。
 恐らくその全員が同様の声を漏らしていたのだろう。その場で唯一人、無言だった私を見つめ、三者が一様に唖然とした表情を見せていた。

「セイバー、驚くのはもうそのくらいで。とりあえずこの場は剣を収めてもらえませんか」

 両手の武器を解除し、素手になって姿勢を正し、そう問いかける。

「うそ、なんで? なんでそんなに似てるのよ貴女達!?」

 一番最初に呆然自失状態から立ち直った凛が第一声に一番の疑問点をぶつけてくる。

「問おう、貴女は一体……何者だ?」

 剣の騎士、セイバーが私の姿を上から下まで隈なく怪訝な目で見つめながら聞いてくる。

「っ……セイバーが、二人?」

 彼女のマスターとなった、凛が救った少年。衛宮士郎が見たままの感想を、率直に口にしてくる。
 只々、自分に向けられた三つの視線と肩の傷が痛い。まあ肩の傷は既に宝具の力により殆ど修復されてきているが。
 彼らが怪訝に思うのも無理は無い。私と彼女の違いは、その服装と見掛けの年齢(とし)の差程度のもの。
 それは彼女が蒼い生地に金糸の刺繍で装飾された、ドレスのような戦装束の上に、銀のプレートメイルを纏った鎧姿に対し、此方は襟や袖口など、部分的に金糸で淵縫いされた蒼染めのトレンチコート。
 その下には白のYシャツに黒のウェストコート。下半身は濃紺色のタイトパンツに靴底の頑丈な軍用ブーツ。
 この姿は生前好んで着ていた服装で、死ぬ間際にも着ていた物だ。尤も、今は右肩からの出血が白いシャツと蒼いコートに赤黒い染みを広がらせていたが。
 SASを除隊し再び……いや、転生してからは初めての冬木の街に還ってきたあの時の服装のまま……。
 年相応に成長したため若干背高く、女性らしくはなったが髪も眼も、肌の色も同じなら顔の造作まで同じだったのは、その魂に刻まれた姿なのだろうか。

「私が何者でも構わないでしょう。私は凛のサーヴァント。ただそれだけです。それよりもセイバー、此方からの休戦の申し出は受けて貰えないのでしょうか?」

 暫く私に見入って自分の世界に旅立ってしまっていた三者は各々はっと現実に立ち戻る。
 そこで衛宮士郎が私の主に気付き、驚愕の声をあげた。

「っまさか……遠坂、遠坂なのか!?」
「ええ、奇遇ね。今晩は衛宮くん」

 凛はもう既にショックから立ち直ったのか、いつもの猫を被り直した態度を取り戻して彼に対応している。
 いや、凛の性格からして内心まだ動揺は残っているだろう。だが今は聖杯戦争中、人に弱みを見せる訳にはいかない彼女にとって、その程度の取り繕いは容易い。

「意外だったわ、貴方。まさか魔術師だったなんてね」

 凛が内心の怒りさえ含めて冷ややかな声色で告げる。恐らく彼は今、心中で身震いしたのではないだろうか。

「えっ? と、遠坂。一体なんで俺が魔術を使えることを知ってるんだ!? って謂うか、そもそも遠坂も魔術師だったのか!?」

 彼が唯一人事態を飲み込めず驚き続ける中、セイバーは己が主に物言いたげにしていたが、マスター同士の会話の中に口を挟めず戸惑っている。
 やれやれ、ここは助け舟を出さないといけないか……。

「凛。どうやら彼はこの聖杯戦争の事をまるで知らないようです。どうでしょう、此処はひとまず休戦し、彼に自分が置かれた状況を理解させて差し上げては?」
「ん、そうね。っていうかソルジャー、貴女肩に深手を負ったでしょ! 早い所魔方陣に戻って治療しなきゃ……あれ? 傷はもう塞がってる、貴女治療魔術なんて使えたの?」

 私の傷が殆ど塞がって治りかけている事に驚き、凛がそう聞いてくる。

「いえ、私も簡単な魔術程度は扱う事が出来ますが、治療に特化したものは有りません。これは私の持つ特殊能力の一つだと思って下さい、その分魔力は消費しますが」

 その私の特殊な力を見て何か思い当たる節があったか、セイバーが考え込むように顔を伏せる。

「どうかしらセイバー。私達からは貴方の無知なマスターに私がこの聖杯戦争についての知識を教えてあげるわ。それを交換条件に休戦しましょう?」

 思案顔をしていたセイバーにも了承を取り付ける。

「いいでしょう、魔術師(メイガス)の判断基準は等価交換と聞く。条件が等価なら不確定要素が多い謀略を犯すリスクは望まない。今はその行動原理を信じましょう。マスター、判断は任せます」
「ん、ああ。俺はそれで構わないよ。正直サーヴァントだのマスターだのと言われても、俺には何がなんだかさっぱりだから助かる」

 セイバーは凛からの休戦協定に承諾し、マスターである彼が最終決定を下してくれたので胸中でホッと胸を撫で下ろす。

「決まりね。それじゃあ衛宮くん、悪いけど上がらせてもらうわね」

 セイバーの承諾が取れるや、家主である彼の許可も聞かず先にそう告げて、凛は入口の門構えを潜って屋敷内に入っていってしまった。
 呆気に取られ、慌てて彼が後を追い家に入っていく。いまだ私への警戒を緩めないセイバーはまだ門の前に立ち尽くし、私を監視している。

「さて、それじゃ私達も入りませんか、セイバー? 心配せずとも、彼に危害を加える事はありませんよ」

 そこでようやく彼女も剣を納め、闘志を抑えて私を屋敷の中に誘う。

「……。いいでしょう、ですが妙な真似をすれば容赦はしない。覚えておくことです」

 私の時はアーチャーを即斬り倒し、引かせてしまったのだが。あの当時の私でも、此処まで警戒心が強かっただろうか。
 私の姿が彼女の警戒心を疑心で更に強めてしまったのかもしれない。
 過去の自分と、何もかもが同じである“別人”の彼女に警戒の念を抱かれながら、私は懐かしい門を再び潜った。



[1071] Fate/Liberating Night her codename is “Soldier” vol.7
Name: G3104@the rookie writer
Date: 2007/03/05 00:33
 懐かしい家の玄関から敷居を跨いで廊下に上がる。
 目に映る年季が入ったはずの内装の真新しさに、生前最後に訪れた時は今より少し老朽化が進んでいた事を思い出していた。
 家主に遠慮も無く、ずかずかと侵入した凛はすでに居間の方だろう。
 私は時折ちらっと此方を警戒するように様子を窺う彼女――セイバーの後ろに付いて歩いていた。

「ぁ……っ――」

 廊下の中ほどで一度だけ私の方に首を向け、一瞬何か言おうとしたのか、口を開きかけたが……すぐに口を噤んでしまう。きっと私の正体を探りたくて、何かを述べるか問うかしたかったのだろうが、その目的が何だったのか知る術は私には無い。

「……? どうかしましたかセイバー?」
「いえ、質問は後で。きちんと全員そろった時に聞きます」

 何事か聞く私にとりあえずは保留すると返す彼女。そこで一つ思い当たった。
 そういえば彼らには、私のクラスが何かさえ判らないのだ。私の事をどう呼べば良い物か思案に暮れたのかもしれない。
 しかし移動中の今問うような尚早な真似はしないという意思表示なのだろう。妙に律儀な所もやはり同じ、それが余りに私らしくてつい苦笑が漏れそうになる。
 マスター達の気配がする居間の方へと二人、特に話す事も無くただ沈黙と、足音だけを廊下に残して居間に着く。
 居間の中からは凛の呪文を口にする声が聞こえてきた。

「――Minuten vor Schwei&szlig;en」

 呪文の後に士郎と凛の会話が微かに聞こえてくる……おっと、いけない。早くも口論に発展しそうだ、急ぎ合流した方がいい。
 襖を開け居間に入った時、既に二人はランサーから彼が逃げのびた際に割られたガラスを修復した凛と、修復の魔術など知りもしない半人前の衛宮士郎が初歩の魔術云々の話で口論を始めていた所だった。
 いや、あれは口論というよりも、初歩も知らない彼に対しての彼女の一方的な説教に近かったでしょうか。

「凛、お待たせしました」

 私の声で我に返り口論を止めた凛に今必要な事をしましょうと視線で促す。

「ん、そろったわね」

 居間にはこの戦争に参加している者達、つまり私とマスターの凛。そしてこの家の主にして最後のマスターとなった少年と、彼が呼び出した剣の英霊セイバーの四人が思い思いに視線を巡らしている。
 私達が合流した事で私とセイバーとの間に張りつめていた緊張感が移ってしまったのか、四人の間にまで妙な緊張感が漂ってしまう。
 そんな空気に耐えられなくなったか、気持ちを切り替えようとして凛が口火を切って席に着く。

「それじゃあ立ち話もなんだし、座りましょうか」
「あっと、それじゃお茶でも用意するから三人とも適当に座っててくれ」

 慌てて士郎がお茶を出すと言い出し台所に向かおうと足を進めだす。
 ふう、相変わらず不器用なまでの律儀さ。違う時間の流れの中でもはやり士郎はシロウらしい。
 今から話そうとしている内容は彼にとっての事だというのに、彼には家主としての礼節を欠く事が赦せない。話よりも家主の務めのほうが重要だと感じているのだろう。
 内心少し呆れながら凛の顔を覗くと、どうやら彼女も同じ意見らしく私に目配せをしてくる。全く、私は説明補佐役ですか。

「士郎君、お構いなく。今は貴方にする話のほうが重要ですからどうぞ座ってください」

 凛からの無言の命令を受け、士郎を止めるように口を開く。が、やはり彼は困ったように眉を寄せながら反論してくる。

「そうは言っても、ここは俺の家だし君達はお客人だ。最低限の御持て成しぐらいはさせてくれないか」

 仕方がない、なら少しでも早く終わるように手伝わせてもらおうと台所に向かう。

「では早く済ませられるように私もお手伝い致します」

 上着を脱ぎ軽く畳みながら台所に入ろうとするところで彼が慌てて止めにくる。

「って、ちょっと待った。き、君もその、お客さんなんだから座っててくれないと。家主がお客にお茶の用意なんかさせる訳にいかないだろ?」

 私の顔を見るなり慌てて台所から顔を出し、手伝おうとする私を止める。心なしか顔が照れたように赤く挙動も落ち着かない。

「ですが……」
「いいからっほら座った座った」

 彼のいうことも一理あるが、今はそんな暢気なことを気にしている場合でもない。私も引き下がる訳にもいかず、尚言い募るが彼に先手を打たれる。
 私の腕を取るとその場でくるりと今来た方向に方向転換させられ、背中を押し戻された。

 「あ、ちょっと、それはそうですけど……!」

 半ば強引に居間の座卓の前まで押し戻されて、振り返るとあっという間に彼は台所に引き返してしまっていた。

「…………凛」

 傍まで戻って来てしまった凛と目が合い、如何しましょうかと肩を竦めながら暗に聞いてみる。

「ふう、仕方ないわね。それじゃひとまずお客として持て成されましょう。ほら、貴女も座りなさい」
「はぁ、仕方ありませんね、了解」

 くすっと思わず失笑が漏れる。私達は二人して、このどこまでも“お人好し”な少年の頑固さがあまりに微笑ましくてつい笑みを堪えなかった。
 そんな私達を一人冷ややかに見つめる碧の双眸。向かい合わせに座ったまま、セイバーは終始無言で私達の他愛無いやりとりを監視していた。




第七話「参加者達の会合、未熟者は現状を知る」




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 年季の入った古木で誂えた座卓の上にあるお茶とお茶請けを前に俺達は対峙していた。
 いや、正直に言えば座卓を挟んで頭数は二対二なのだが俺以外は全員女性、それもとんでもない美人ばかり。
 健全な青少年としてはこの状況は正直精神衛生的にあまり好ましくはない。今にも自分の部屋にすっ飛んで帰りたい気分である。

「それじゃ、黙りこくってても仕方がないから話を始めるわよ衛宮くん」

 学校ではかなりの有名人で、学園のアイドルとまで言われている遠坂凛。その彼女が今、自分の目の前に居る事がまず信じられない。

「あ、ああ。頼む」

 その自分も憧れていたアイドルがまさか、自分と同じ“魔術師”だったという事も衝撃だが、それ以上にその相手に今、自分が説明とはいえ話を聞いているこの現状がにわかには信じ難い。

「一つ聞くけど、貴方、自分がどんな立場に居るのか判ってないでしょ」

 学園のアイドルにそう窘められる。それは自分でも情けない話だとは思う。だが確かに、全く知識も前準備もないのに、突然何か大きなカラクリに巻き込まれたのだ。それだけは判る。

「――ああ。表でも言った通り、俺には彼女たちが何なのかも、この異常な事態もさっぱり訳が判らない。」

 その答えを聞いて彼女、遠坂凛が大仰にため息をつく。

「――やっぱり。まあ一目で判っては居たけどね。一応知ってるかどうかの確認はしとかなきゃね? 知ってる人間にわざわざ説明するような心の贅肉は付けたくないもの」
「心の……?」

 今、妙な言い回しを聞いた気がしたがその内容については即座に緘口令が敷かれた。

「いいから聞く。率直に言うとね、貴方はある“ゲーム”に巻き込まれたのよ」
「ゲーム?」

 俺はそのとんでもない例えに鸚鵡返しになって聞き返す。こちとら既に殺されかけてる。
 ゲームなどで殺されたんじゃ堪った物じゃない。

「そ。でも勘違いはしないでね。ゲームって例えはしたけど、中身は子供のお遊びで済まされるような生易しいものじゃないから。」

 俺の憤りを感じたのか最初から読んでいたのか、此方が異議を唱えるよりも早くそう告げられる。

「右手か左手に痣のような聖痕が浮かび上がってるでしょう? それが令呪、この“聖杯戦争”と呼ばれる儀式に参加したという証よ」

 言われて自分の左手に浮かんだ真っ赤な血の色をした紋様を見る。

「令呪? って、これか」
「そう、それがマスターである証。それを持つ者たちはそれぞれサーヴァントを従える。貴方には彼女、セイバーがそう」

 言われて自分の隣に座る彼女を見やる。そこに居るのは剣の騎士セイバー。こうして傍で見ても、正直実感が湧かない。
 無論その力量は実際この目で見て判っている。ただどうしてもこの可憐な少女としか思えない小柄な彼女が、そんな存在には見えないのだ。

「まったく……。あれだけ下準備に十年もかけて、最高のカードを引き当てようと手を尽くしたっていうのに。何で私の所にはよく判らない妙なのが来て、こんな素人同然の衛宮くんにセイバーが召喚出来たっていうのよ!?」
「凛……そのよく判らない妙なのとは私の事ですか? はあ、よく判らないサーヴァントで申し訳ありませんね。……では貴女は最初からセイバーを召喚しようと試みていたと?」

 その己がマスターの言葉に半眼で呆れたように視線で訴える遠坂のサーヴァント。何処か彼女は苦労性な気がしてしまうのは気のせいだろうか。

「そうよ。聖杯戦争に挑む魔術師たるもの、誰しも最高のカードを引き当てたいと願うのは当然でしょ? まあ、貴女を引き当てたのは私の責任だし、別に、貴女に不満が或る訳じゃ無いからそれだけは勘違いしないで頂戴。話を戻すわ、私には彼女。そういえば紹介がまだだったわね?」

 その言葉に俺より先に隣に居るセイバーが僅かに反応する。恐らく俺よりも彼女の方が、目の前の『同じ顔をした誰か』のことが気にかかっていたのだろう。

 遠坂に言われてコクリと頷く。確かに俺達はまだ彼女が何者なのか全く知らない。恐らくはセイバーと同じく“サーヴァント”なる人外の力を有する存在なのだろう。

「彼女が私のサーヴァント、ソルジャーよ」
「改めて初めまして、ソルジャーです。以後お見知りおきを」

 遠坂の紹介に合わせて彼女、ソルジャーが丁寧にお辞儀をしてくる。随分と堂に入った物腰で、外見は完全に外人なのに何故か日本人臭さを感じる。
 よく観察すればその理由に合点が行く、彼女は正座までしているではないか。と、そういえば今も隣に座るセイバー、彼女も良く見ると正座で座っている。
 何処から如何見ても二人は日本の人間には見えない。そんな彼女達が姿勢も完璧に正座を組んで座っている光景は傍から見れば凄く不自然な筈だが、余りに堂に入っているので自然に見えてしまう。

 そこで奇妙なまでの両者の姿勢の一致に、ある疑問が脳裏に渦巻く。彼女達は姉妹か何かなのだろうか? 
 まさか、仮にも人間以上の力を持つ存在だ。人の姿をしているからといって人間の概念が通用する相手とは限らない。だが、そんな間抜けな思考は、横から生まれた疑問の声で中断された。

「ソルジャー? 聞かぬクラスです。この聖杯戦争に召喚される七つのクラスにそんな物は無いはずだ、メイガス」

 問い詰める彼女の瞳に宿るものは明らかな懐疑の光。己が従者は何者だ? そう問い詰める双眸に貫かれる遠坂は臆する事も無く、凛然と平静を保って返してくる。

「私だって知らないわよ。でも確かにどのクラスでもないし、パスを通して認識できる情報からも、彼女のクラスはソルジャーとなっているのだから仕方が無いじゃない」
 そう説明されては此方もひとまず納得するしかない。此方には彼女らの言葉が本当かどうか確かめる手はないのだから。

「私の事はとりあえず後でも良いでしょう。凛、聖杯戦争の話を」

 彼女、ソルジャーが脱線しそうになった話題を元に戻す。別に聞かれたく無いからといった素振りは見えないが、隣のセイバーからは少し落胆の気配がした。

「令呪を持つ魔術師がマスター、戦う為の武器がサーヴァント。ここまではいいわね? 聖杯戦争に選ばれる魔術師は七人、召喚されるサーヴァントも七騎。この七組が、最後の一組になるまで殺し合い、生き残るまで終わらない生存競争、それが聖杯戦争よ」

 そこまで聞き終わり、得体のしれない嫌悪感と怒りに思わず声を荒げる。
「なっ!? なんだよそれは! 一体なんの目的で、そんな馬鹿げた殺し合いなんかするっていうんだ!? 大体聖杯って、あの聖杯のことか?」

 咄嗟に脳裏に思い描くのは“聖者”の血を受けたという謂れの聖杯。全世界で尤も広域を占める一大宗教の信者にとって、最上級の至宝といえるかもしれない聖秘跡。
 実在するかどうかも今では確証の無い、宗教的象徴と化しつつある絢爛豪華な装飾を施された杯。一説には二つ存在するとも、実際は宝飾の無い無骨な原石削り出しの杯とも、大工だった基督の手によるそれは木製の質素な器だとも噂される……。

「大体衛宮くんが何を想像してるか察しは付くけど、残念ながらあの宗教の聖杯とは一切関係の無い代物よ。第一、私達魔術師がそんな魔術師の宿敵の象徴なんか欲しがる訳ないじゃない」

 どうやら想像したものとは似ても似つかない異なる物らしい。

「詳しいことは私も余り知らないけど、聖杯は霊体よ。霊体だから当然人間では触れる事も出来ない。だから同じ霊体であるサーヴァントが必要なの。聖杯戦争の目的は唯一つ、全てはその“聖杯”を手に入れる為」

 ふと彼女の横に座るソルジャー、彼女の表情が曇る。
 その顔は何か苦い過去でも思い出しているかのようで、何を思うのかは俺には想像も付かないが、とにかく何かを押し殺したような辛く切なさげな表情を瞳に宿らせていた。

「凛。とりあえず当面の彼に必要な情報を教えてあげるべきだとおもいますが」
「わ、判ってるわよ。とりあえず、その令呪はサーヴァントを律する呪文、三度だけ強制的に命令を実行させられる絶対命令権なの。発動に呪文は要らない、貴方が令呪を使用するって念じればそれに反応して自動で発動してくれる。但し気を付けなさいね、その令呪が無くなったら貴方は殺されるだろうから」

 その説明にぎょっとして思わず声が上ずる。

「お、俺が殺される――!?」
「そうよ、当然でしょ? 聖杯は最後の一人にしか、手にする資格が与えられないのよ。だから参加者は総じてライバルを一人残らず殺しにかかる」

 遠坂が沈痛なほど低く重い声色でそう現実はそういうものだと訴えてくる。

「貴方だって心の底ではもう理解してるんじゃない? 一度ならず二度までもランサーに殺されかけて、自分はもう逃げ場なんて無い立場だって事は」
「……!? シロウ、貴方はあのランサー相手に一度殺されかけたと言うのですか。それで何とも無いなんて……まず考えられない」

 それまでずっと沈黙を続けてきたセイバーが唐突に掠れそうな声を上げる。無理も無いだろう。彼女自身、先の戦闘でヤツの必殺の槍を……間一髪の所で急所はそらすも、その胸に一度食らったのだ。
 サーヴァントさえ一撃の下に殺しかねないあの槍に襲われて無事だという俺に驚愕を覚えたとしても不思議は無い。何しろ自分が一番不思議でならないのだから。

「あ、違ったわね。殺されかけたんじゃなくて――」
「――凛!」

 咄嗟に横に居るソルジャーから止められ、遠坂がハッとして失態を演じたと後悔の表情を顕わし口ごもる。
 その言葉の先に思い当たり、愚かにも自分が今の今まで忘れていた事を思い出す。
 そう、あの時俺は殺されかけたのではなく、殺された。
 ……そうだ。確かにあの時、俺はあの赤い槍に心臓を一突きにされ殺された、筈だ……。
 なら、今の状況を驚くより先に、俺は自分が何故生きているのかという事に驚かなければおかしいのだ。

「……っ! 納得いった? とにかく貴方はすでに立場を選べる状況じゃないのよ。無知だからって逃れることは出来ないし、貴方も仮にも魔術師なら、殺し殺される因縁にあることぐらいは覚悟の上でしょ」

 遠坂はなにやら不機嫌に焦りをにじませた口調で、そうぶっきらぼうに言い放つ。
 判っている、魔術師を志すと魔術師だった養父、衛宮切嗣に弟子入りを志願した日からとっくに覚悟は出来ている。
 だがその前に……。

「遠坂は……俺がランサーに『殺された』事を知ってるのか……?」
「なっ……殺された!?」

 隣からセイバーが驚く声を上げるが、今は気に留めずに置く。どうしてそれを遠坂が知っているのか、聞いておかねばいけない気がしてならなかった。

「――――ちぃっ! つい調子に乗りすぎた」
「はぁ……うっかりが過ぎますよ、凛」

 あからさまに怪しい素振りを見せる遠坂に、げんなりと困ったように一つため息を吐く、セイバーとそっくりな容姿を持つソルジャー。
 隣に座るセイバーと比べると幾分表情の豊かさが暖かく、親しみ易そうな人間味を感じさせる。

「今のは唯の推測に過ぎないわ、つまんない事だから忘れなさい」

 明らかに彼女達は何か知っているはずだ、なにしろあの場で戦っていたのだから。

「全然つまんない事じゃないぞ。俺は確かにあの時、誰かに――――」
「本当に、一体どんな御業で治癒したのかは判りませんが、確かに貴方は一度彼に殺されかけた」

 と、問い詰めようとしていた遠坂の口からではなく、隣の彼女から思いがけない一言が返ってきた。

「確かに私達はランサーを追って貴方が襲われた現場まで赴いた。ですが一足遅く、ランサーには逃走され、夥しい血痕があるにもかかわらず、既に貴方の傷は癒えていました」

 饒舌に語り出した彼女に一同が目を丸くして聞き入っている。何故か遠坂まで一緒になって目を丸くしているのが気になるが……?

「とりあえずその場は問題無しと踏んで私はランサーを追跡、凛は貴方を保護すると思っていたのですが……」

 そこまで語ってすっと瞼を落とし冷ややかな視線で自分の主を射抜く彼女。諌める心算の視線なのだろうか。

「う、いいでしょ結果的にはちゃんと無事だったんだし。それにいつの間にかマスターになっちゃってるし」

 遠坂の言い分は言い訳にもなっていなかったが、既にソルジャーもそれについて言及する心算は無いらしい。
 その話が本当なら、遠坂達に問い詰めても俺が生き延びた理由は判らない。セイバーはとりあえず理由は判らずとも、俺が助かったという説明に納得はしたようだ。

「その話はいいから! とりあえず貴方はそんなことより、もっと自分の置かれた立場ってものを知りなさいっ!」

 遠坂はソルジャーの視線から逃れるように立ち上がり、教鞭を振るう教師のように人差し指を立てたポーズで声を上げて俺に詰め寄ってくる。

「いい? 貴方も私も七人選ばれるマスターの一人、聖杯戦争の主役なのよ。聖杯戦争はこの街で大昔から、数十年に一度の周期で行われてきたの。その参加者は皆必ず、手駒となるサーヴァントが聖杯より与えられるの。マスターはそのサーヴァントを行使して他のマスターを排除していく。謂わば、聖杯戦争ってのは聖杯自身が聖杯を得るに相応しい者を選別するための選考儀式よ」

 その説明の最後の部分にソルジャーが僅かに表情を曇らせる。が、それに気付いたのはどうやら俺一人らしい。遠坂は何も気付かずそのまま説明を続けていく。

「衛宮くんは自分で意図してセイバーを召喚したわけじゃなさそうだけど、元々サーヴァントっていうのは聖杯が個人の意志とは関係なく、マスターとなった人間に与えてくれる使い魔だしね。マスターは誰も彼もが望んでなれるモノじゃない。逆に言えば選ばれた事には逆らえない。だから貴方みたいに何も知らない魔術師でも、マスターになる事だってありえるのよ」

 迷惑な話だ。俺がマスターとやらになったのは、勝手に聖杯(あちら)からご指名されたということか?
 だがマスターにならなければ俺は追い詰められ、土蔵の奥で死んでいたかもしれないのを考えると、複雑な気分だ。

「私はサーヴァントと契約したし、放棄する気は全くない。でも自ら降りる事は出来るわ、権利を放棄すればね」

 遠坂は暗にお前は望まないなら戦争を降りる事だって出来る、だからそうしろと言っているように思える。多分そうなんだろう。

「だから、とにかく貴方はマスターでいる限りは召喚したサーヴァントを使って殺し合いに参加しなきゃならない。そのあたりは理解してもらえたかしら?」
「……言葉の上でなら。けど、俺納得なんて出来てないぞ。そもそもそんな悪趣味な事、誰が何の為に始めたんだ?」

 判ってる、論理的になら。自分の研究以外、例え法に触れようが己の存在が“社会”に暴かれる危険さえ無ければ倫理や道徳など歯牙にもかけない。
 己の論理に基づいて動くのが普通の“魔術師”だと、教わっている。
 そんな魔術師としての理屈でだけなら、事は至極シンプルだ。それがこのバカ騒ぎを始めた理由なのだろう。
 だが俺は『セイギノミカタ』という養父から受け継いだ“自分の在り方”というモノを曲げられない。
 そしてその在り方にとって、自分が考えられる聖杯戦争の理由というモノは認められる物ではなかった。

「そんなことは私が知るべき事でもないし、答えてあげることでもないわ。それは今から向かう聖杯戦争の監督役にでも聞きなさい。私が教えてあげられるのはね、貴方はもう戦うか降りるかしかない。戦うならサーヴァントは本当に強力な戦力だから、上手く使えって事だけよ」

 自分に言えるのはそこまでだと、遠坂はフンと息も荒くそう言い放つ。

「さて、話がまとまったところで出掛けるわよ、準備して」

 と。何処へ行こうというのか、遠坂はいきなりわけの判らないことを言い出した。

「って、ちょっと待てよ。行くって何処へだよ?」
「今言ったでしょ? この聖杯戦争の監督役をやってるヤツが居るのよ、そこへ行くの。衛宮くん、聖杯戦争の理由について知りたいんでしょ? 会って直接聞くといいわ」

 事も無げに彼女はそう言って来る。しかし、こんな夜更けに行って開いているのか?
 しかも交通手段は既に止まっているから、夜道を歩くしかないというのに。

「場所は隣町だから急げば大丈夫よ。明日は日曜なんだし、一晩くらい夜更かししたって問題ないじゃない。それに、衛宮くんが参戦するにしろ、しないにしろ、決断してそれを監督役に宣言しなきゃいけないのよ。マスターに選ばれた者としてね」

 そう義務を持ち出されては行かない訳にはいかないだろう。俺は渋々承知し、隣町へと向かうことにした。

*************************************************

 前方で水先案内役を務める彼女達の後ろに続き、自分のマスターであるシロウの隣に付いて私達は住宅街の交差点まで歩いてきた。

「それにしても、こんな夜中に女の子ばかりで出歩くのはどうかと思うんだけどな……。遠坂、つかぬ事を聞くけど、隣町までどのくらいかかるか知ってるか?」

 マスターがメイガス(魔術師)の少女に語りかけている。その言葉の前半のほうの意図は正直何を思ってなのか判らない。
 少し前を歩く赤い外套を着た彼女が振り返りそっけなく答えを返してくる。

「徒歩なら大体、一時間って所かしらね。……ま、遅くなったらタクシーでも拾えばいいじゃない」

 なんとも気だるそうにそう言って来る。横ではシロウがその答えに明らかに不満の色をみせている。

「そんな余分な金は使えないし、使わないぞ。俺が言いたいのはそんなことじゃなくて、最近はこの辺りも物騒なんだ。大体、頭数は女の子ばっかりだし……万一の事があったら責任もてないぞ俺」

 その言葉を聴いて、彼の意思が何に向けられているのか理解に苦しむ。前を見やれば、目の前に立つソルジャーのマスターである彼女も目を丸くして、呆れたようにシロウを見詰め、ため息をついている。

「はあ? 呆れた。安心しなさい、相手がどんなヤツだろうと、ちょっかいなんて出してこないわ。衛宮くんは忘れてるみたいだけど、そこに居る“セイバーさん”はとんでもなくお強いのよ?」

 横にいるシロウからあっという小さな声が漏れる。どうやら本気で、私がどういう存在なのか忘れていたのだろうか。

「それにソルジャーだってこれでも歴戦の英雄のはずなんだから、まず生身の人間で敵う相手じゃないし、私だって魔術師よ? ただの暴漢程度にやられはしないわよ」

 そう。彼女もその従者も、決して一介の悪漢程度が敵う相手ではないのだ。だから何の力も術も持たぬ、普通の人間に近い我がマスターが心配するような事は何も無い相手だというのに。

「凛。シロウは今何を言いたかったのだろう。私には理解出来なかったのですが」
「え? いやぁなんていうか、大した勘違いっぷりというか、大間抜けぶりを披露してくれただけよ」

 凛はそう言葉を濁し、質問に答えてくれない。代わりに横からソルジャーが補足を入れてくれた。

「ふふっ。彼は貴女方の身を案じてくれているだけですよ、セイバー」

 その言葉に凛が不機嫌そうに付け足してくる。

「私達が痴漢に襲われたら衛宮くんが助けてくれるんですってよ」

 その言葉に自分の感じた違和感がなんだったのか理解した。要するに彼は彼にとっての剣である私に、何かあれば私を守ると言ったのだ。

「そんな、シロウは私のマスターだ。それでは立場が逆ではないですか!?」

 そう、自分が守るべき人間に自分が守られて如何すると言うのか、それでは本末転倒というモノだ。

「ぷっくっく、そういうの全く考えてないんじゃない? 魔術師とかサーヴァントとか、そんな事どうでもいいって感じ。こいつの頭の中が一体どーなってんのか、一度見てみたくなったわー」

 あっけらかんと笑う彼女。不意に見やると、隣でソルジャーまでも笑いを堪えるように肩が震えている。
 ただ彼女の表情は主とは少し違った。少し穏やかに何かを思い出しているかのような、何故か懐かしむかのような慈愛の篭った眼差しを此方に向けている。

「……何故、そのような顔をされるのですかソルジャー?」
「いえ、ただあまりにも微笑ましくて。いいじゃありませんか、彼は貴女を気にかけてくれているだけなのですし」

 まるで此方の戸惑いを知ってからかうようにそう答えてくる。人食ったような態度を取る彼女に私は内心少し平静を保てなくなる。

「しかし、我々はサーヴァントです。戦う為の道具に気遣いなど無用だ」
「貴女の言いたいことは判りますよ。でも彼はそこまで割り切れるほど冷淡な人では無いのでしょう。貴女にとってそれは、今はまだ覚悟が甘いだけの迷惑な心遣いに感じられるでしょうが」

 彼女は私の心が読めるとでもいうのだろうか? 今私が感じている事を、此処まで的確に指摘されては言葉に詰まる。

「でも、それは彼が誠実だと言う事の顕われでもあるでしょう。貴女はそんな彼は好ましくは無いのですか。」

 その相貌に意地悪い笑みを浮かべ、なのにその目にはどこか慈しむような穏やかさを持ちながら、諭すように語りかけてくる。

「そ、それは……好ましくないわけは無い。誠実であるということは自分を律する強さがあるということです。それは非常に望ましい、その点で彼に不服はありません」

 だが彼はすこし優しすぎるきらいがある。敵である彼女らの身まで心配しているというのだから。

「それにしても、四人も居ると流石ににぎやかだな」

 唐突に後ろから聞こえた声に驚き振り返ると、二~三歩後ろを付いてきているシロウがいた。いつの間にか私達三人が先行する形になっていたらしい。

「す、すみませんシロウ。いつの間にか先行してしまっていたなんて」
「いや、俺が急に歩調を緩めただけだよ。だから気にするなセイバー」

 そういって私の横まで早足で戻ってくる。その顔はどこか微笑ましげに緩んでいる。

「いつの間にか仲良くなってるじゃないかセイバー。よかった、出かけるときの事で少し機嫌を損ねたんじゃないかと心配してたんだ」

 そういえば出かける時少しドタバタと揉めた事を思い出す。この時代では、私の鎧装束などは非常に人目を引く。だが生憎と、私はソルジャーのように霊体化して姿を消す事が出来無い。
 私が周囲に警戒を緩める訳にはいかないから、今は鎧を脱ぐ気は無いと強情を張った為、彼がそれなら目立たないようにと言って、余計目立ちそうな黄色い雨合羽を被せられそうになったのだ。

「いえ、確かにあの雨合羽は気が引けましたが、結局は彼女がコートを貸してくれて解決しましたし」

 そう。今、私はソルジャーが着ていた蒼いコートを借りて、鎧の上から着こんでいる。
 彼女のコートは割と大きめのサイズらしく、トレンチコートの型なので前のボタンを止めなければ、嵩張る鎧をも包み隠すことが出来た。
 彼女の体格は私より大きいのは間違いないが、それでもこのコートは少し大きい気がする。

「すまないなソルジャー、コート借りちゃって。上着無しじゃ、今はちょっと寒いだろ? ほら、これ貸すよ」

 そういって彼は自分が着ていたジャンパーを差し出そうとするが、彼女はかぶりを振って遠慮する。

「気を遣って頂かなくて結構ですよ。私はサーヴァントですからこの程度の寒さはどうということはありません。」

 そう言う彼女だがその服装は私が見ても少し寒そうに思える。白いYシャツにピッタリと体のラインに沿う黒のウェストコート。
 これだけでは冬の寒空の下は少し厳しくないだろうか。幾らサーヴァントとはいえ、仮初めの肉体を編んでいる間は夜風に体温を奪われもする。

「でもそれじゃ寒いだろ。ゴメンな、俺の魔力供給が無いばっかりに、セイバーが霊体化出来ないせいで」

 実際はシロウのせいじゃない。私が霊体化出来ないのは、私がまだ正確には死者の分類に無いせいだ。
 私は死の間際に聖杯を求め、世界と契約を交わした。
 その契約の条件が『私が生きているうちに手に入れる』ことである為に、私はまだ死ぬ直前の肉体のまま、聖杯が得られる可能性があれば世界との契約の為に、分類は生者のまま何処へでも、何時如何なる時代へも呼び出される。
 サーヴァントとして呼び出される英霊は基本的に死者、ゴーストライナーでありながら、私の肉体は“世界”からはまだ死に至っていない生者と認識されてしまう。
 だからまだ『死んでいない』私は霊体には成りようがない。
 その事を伏せ、ただ召喚時の契約に欠陥があったという事にして誤魔化してしまった事を少し申し訳なく思い、己の主に胸中で詫びる。

「でもよかったよ。セイバーの鎧は現代じゃ目立って仕方ないからさ。今時こんな時代がかった衣装来てる人なんて居ないし、そういやセイバーって過去の英雄なんだよな」

 シロウは出掛け前の問答で話題に登るまで、私達サーヴァントがどのような存在なのかすらよく知らないでいた。何も予備知識がない彼にとって見れば私達はさしずめ、幽霊と似たようなものに思えたらしい。
 もっとも過去に偉業を成して輪廻の枠から外されより高い霊格へと昇華された私達英霊と言う存在を、唯の幽霊と同一視されるのは心外だが、彼に悪気があったわけでもない。

「はい。真名を明かすのは今は得策ではありませんので伏せさせてもらいますが、恐らくこの時代、この国でも相当に有名だと思われます」

 そう、私はマスターに自分の正体を教えていない。今は敵となりうる彼女達が傍に居るのだから話せる状況でもないが。

「そっか。服装から見てもそうだけど、とても現代の人とは思えないもんな。でもそれにしちゃ、随分現代に慣れているような気がするというか、普通もっと困惑してもおかしくないと思うんだけど」

 何を言うかと思えば、そんなことを気にかけていたというのか。

「シロウ、それは杞憂です。サーヴァントは人間の世であるのなら、どんな時代にも対応します。ですからこの時代の事もよく知っている」
「へえ、そうなのか……って、ほんとに?」

 半ば信じられない、と言いたげな表情で此方を見つめてくる。

「勿論です。それに私の場合、この時代に呼び出されたのも一度ではありませんから」
「え……嘘っどんな確率よそれ!?」

 前を歩くメイガス、凛の口から驚愕の声が漏れる。私にはその理由は判らないが、それほどとんでもない事なのだろうか。

「ま、まあセイバーが現代慣れしているなら別にいいんだ。ほら、慣れてないと色々大変なんじゃないかって思っただけだから」

 シロウがはははと困ったように、乾いた笑いを零しながらそう言葉を紡ぐ。どうも彼は終始私や周りに気を掛けてばかりいる。本当に心優しい青年だ。

「そういや、ソルジャーはセイバーと違って全然時代がかった感じじゃないよな。と言うより見た目は完全に現代人って感じ、まあそのおかげでコートを借りられたんだけど」

 そう、彼女は私とそっくりな顔をしているが、その服装はどれを取ってみても現代風の物ばかり。
 以前呼び出された時に私も現代の衣装で変装した事があるから、現代の衣服についても大体の所は知っている。

「そうなのよねー。ソルジャーってば妙に現代慣れしてるっていうか、完璧現代人としか思えないのよね。何でか知らないけど科学技術に詳しかったりするし、下手すると私なんかよりよっぽど現代人らしいわ」
「ふふっ。……まあ慣れている事は間違いありませんね」

 主の答えにそう軽く苦笑混じりに応える彼女。凛も不思議に思うほど彼女は現代慣れしているらしい。
 確かに、一度だけだが彼女と戦った際に彼女が手にしていたのは、確かこの時代にしか存在しないはずの武器だった。

 精巧で硬質な金属部品を組み上げ造られた鉛の塊を撃ち出す機械、拳銃。
 前回私を召喚した魔術師も使っていた武器。ただ彼が使用していたのは少々特殊な物でもあったようだが。
 判らない。私にそっくりな顔、そっくりな声で、衣服の時代様式こそ違うものの、何処か良く似た何かを感じる彼女。
 私に非常に良く似ている、だが彼女は剣士ではなく唯の兵士だという。
 彼女は私と何か関係があるのだろうか、そうでなければ余りにも奇妙な符合が多すぎる。
 だが私には彼女との面識は無いし、当然生前に彼女のような存在を見た覚えは無い。
 ひょっとしたら彼女は、私か縁者の末裔……? そんなはずがあるか、私の血筋は……私が実の息子を斬らねばならなかったあの時に絶えてしまった筈だ。


 そんな答えなど出るはずも無い疑問に思考を支配されている間に新都への大橋を渡り、すでに我々は新都郊外のなだらかな坂道を登っていた。

「この上が教会よ。衛宮君も一度ぐらいは行った事があるんじゃない?」

 その言葉にシロウにならって高台を見上げる。確かに道の先に続く高台の上には十字架らしき影が見えた。
 隣で凛とシロウが二言三言と話を続けているが、その内容は耳に入ってこなかった。何か得体の知れない嫌な気配を高台のほうから感じてしまい、神経がそちらに釘付けになっていたからだ。

「うわ――すごいな、これ」

 ほどなくして教会に到着した。高台の殆どが教会の敷地になっているのか坂を上りきると目の前にはやけに広いまっ平らな石畳の広場が続いている。
 見た目は荘厳で教会の名に相応しいほど清潔感に満ちた場所だが、先ほどから感じている嫌な空気はいっそう強くなっている。
 私がこの教会にただならぬ懸念を覚えているのは間違いない。

「シロウ、私は此処に残ります」
「え?なんでだよ、ここまで来たのにセイバーだけ置いてけぼりなんて出来ないだろ」

 シロウは私を置いていく心算はないと言ってくれるが、どうにも私にはこの教会の中に入る事が躊躇われる。

「それでは私も此処で待機します。此処でしたら監督役の膝元ですから、他の参加者達も無闇に仕掛けてくる可能性は低いでしょうし。私達で見張りに立ちましょう。凛、士郎君を案内してあげてください」
「オーケー、じゃ待機していて。ほら、行くわよ衛宮くん」

 ソルジャーの提案を呑み、凛がシロウを案内しようと入口の門を親指で指し示す。

「そうか、判った。じゃあ行ってくる」

 思わぬ助け舟に救われてシロウは渋々承知してくれた。

「はい。誰であろうと気を許さないように、マスター」

 凛に付き添われ、礼拝堂の中に入ってゆくシロウを見送り、思わぬ助け舟を差し伸べてくれた彼女に振り返る。

「とりあえず、今の件は感謝します。だが何故です? 貴女は何故そんなに私に気を掛けてくれるのですか」

 おもわず問いかける。そう、彼女には聞きたいことがあり過ぎる。

「……気に、なりますか? そうですね、それが当然というものでしょうね」

 少しの沈黙の後に、そう静かに語る彼女。草の揺れ擦れる音さえ聞こえそうな程の静寂が辺りを包む。
 仄かな月光に照らされた金色の長髪を、海から高台に吹き抜ける夜風に遊ばせている。
 私と同じ青緑色の双眸に神妙な光を湛えながらも、口元は微かな微笑みに緩い弧を描く自らを“兵士(ソルジャー)”と名乗る女性。
 私に向けられたその瞳には深い慈愛に、郷愁でも感じているような少し寂しげな色と、困惑するような逡巡の色が混ざっていた。



[1071] Fate/Liberating Night her codename is “Soldier” vol.8
Name: G3104@the rookie writer
Date: 2007/03/05 00:34
 坂の上からあまりにも場に似つかわしくない巨人が、我々をその鈍い銀光を放つ眼で睨みすえている。魔力の猛りを感じるあれは間違いなくサーヴァント。
 身の丈二メートルを優に超える巨躯から放たれる、肌に感じるこの世の物とは思えない威圧感は無数に突き刺さる針のようだ。
 辺りは夜の帳に包まれ、通りの先に仁王立ちする岩のような影はその輪郭がかろうじて判る程度。その威圧感に誰もが息を呑み、場に静寂が流れる。
 曇天の天空はいつの間にか強い風に追い払われ、対峙したまま動かぬ我々の頭上に月光が降り注ぐ。

「――――バーサーカー」

 月光に照らされ浮かび上がる巨大な姿を前に、不意に口を付いて漏らすように呻く凛。
 既にソルジャーの双眸は鋭く輝き、後ろ手に見た事の無い無骨な尺の長い武器を現し、何時でも仕掛けられるよう臨戦態勢を整えている。
 アレはかつてのマスター、切嗣が持っていた物と同じような代物だろうか。
 ここは既に深山町の住宅地。私達は既にあの教会から離れ、徒歩でこの街に戻ってきた所だった。

「こんばんはお兄ちゃん。こうして会うのは二度目だね」

 私達の立つ坂道の上から、巨人を伴った濃紺の防寒着を纏った銀髪の少女、間違いなくあの巨人のマスターであろう小さな人影が口を開いた。
 相手はどうやら我がマスターに対して話しかけているらしい。

「凛、士郎君を後ろに。私がお二人を守ります。セイバー、私が援護する。アレを何とか出来ますか」
「ちょっ……ちょっと待ちなさいよ、貴女。アレ見て判らない? 感じるでしょ、単純な能力だけなら明らかにセイバーより上よ?」

 坂の上から此方を睨みつける悪魔のように聳え立つ黒い影。ソルジャーは静かに問いをかけてくる。一見すると冷静に見えるがその瞳に余裕はない。
 誰より彼女自身が一番良く判っているのだ。アレは彼女が対処出来る次元の相手ではないことを……そして、それは膂力で彼女を上回る私でも同様だということを。

「無論です。如何にあれが性能で私を凌駕していようと、それだけで勝利できるほど私は甘くはない」

 口元を僅かに歪め、強がりを口にする。確かにあれは私の全力をもってしても、五分といったところかもしれない。
 今の私にはマスターからの魔力供給というバックアップが無い。それは強力だが膨大な魔力を要する『宝具』を使う事が出来ないといってもいい。
 宝具は我々サーヴァントの最大の必殺手段。私の剣なら、例え相手が神話クラスの英霊だろうと負けはしない自負がある。
 だがそれを使えない今の私の力で何処まで戦えるかは判らない。それでも私はセイバー(剣の騎士)だ。戦うからには絶対に勝利をつかむ。
 生前からずっと胸に抱き続いてきた信念を誇りに、例え神や悪魔が相手だろうと臆する心算は毛頭無い。

「そう、なら任せるわ。ホント、事前に同盟組んでて正解だったわね。……ソルジャー、貴女ひょっとしてこれ予見してたの?」
「さあ、どうでしょうね。今はそんなことを喋っている場合ではありませんよ」

 そう、確かに予見していたようにも見える。何故なら、同盟の話を持ち出したのは他ならぬ彼女だったからだ。
 教会の扉を背にシロウ達の戻りを待つ間の彼女との遣り取り、話は数刻前に遡る。




第八話「戦士達は聳え立つ天災に遭遇する」




 私に向けられたその瞳には深い慈愛に、郷愁でも感じているような、少し寂しげな色と困惑するような逡巡の色が混ざっていた。
 ソルジャーのサーヴァント、本来の七クラスに該当しないというその異常性も気になる点ではあるが、それ以上に不可解なのがその容姿。
 彼女は居出立ちこそ違うがその容姿はまるで鏡でも見るようだ。無論、彼女と私とでは、見た目の肉体年齢が十歳近くは違うと思われる。
 だがその相貌、白磁も適わぬ程に肌理細かな白い肌に、男性的とも、女性的とも見える端正で少し中性的な面立ち。彼女の年齢からすれば、白人種にしては些かベビーフェイスかもしれないが。
 その整った顔にアクセントを与える大きな青緑色の瞳と、生来の物だろう、色素の薄い綺麗な金髪。腰上まで届きそうな長髪は、頭の後ろで結っている私とは逆に、無造作に下ろされている。

「ここで敵である貴女にこのような質問をするなど自分でもどうかしていると思う。だが聞かずに居られないのだ。問おう、貴女は何者ですか」

 もとより返事など期待して口にしたのではない。返される事など到底期待出来ない問い。
 だがそれに対して彼女は口を開いてくれた。

「私が何者か、ですか。少しだけですが答えましょう。真名は当然明かせませんが、私は生前、文字通り“兵士”として生きたしがない軍人です。もっとも、それ以前には色々と紆余曲折ありましたが……」
 最後の言葉の意図は汲み取れなかったが、やはり彼女は兵士なのか。
 もし私に何か関わりが在る者なら、七クラスの類に漏れない筈だろうし、私の人となりに彼女のような人物は居なかった。

「やはり判らない。貴女には何処か他人とは思えない“気”を感じる。だが、それが何なのか、何故なのかが判らない。なのに貴女の行動を見るに、どうも貴女は私の事を知っているとしか思えない」

 彼女は私のことを知っている。真名まで見抜かれているのか、明確に私の正体を知っていると示された訳ではないが、彼女のこれまでの言動は初対面の人間を相手にしたものと は考えにくい。
 大体、出会ったら即殺し合いになってもおかしくないサーヴァント同士なのだ。それなのに、こうも肉親でも見るかのような……慈愛に満ちた眼差しを向けられる理由など考え付かない。
 考えられるとすれば百歩譲って肉親、血縁、もしくは家族同然に懇意にしていた親友であった誰かだからなのか。あるいは度を越し過ぎた唯のお人好しか。
 何れにしても初見の相手に向ける態度ではない。考えてみれば最初から、彼女には余りにも此方の心中を見抜かれすぎだ。

「確かに私は貴女のことは良く知っていますよ。何故かはまだ明かせませんが。私の正体については時が来れば貴女にも判ると思います。ひょっとしたら、私が直接話す事も在るかも知れません。ですが、今はその時ではないのです。申し訳ありませんが」

 その言葉に一瞬耳を疑った。何を思ってのことか、敵である私に話す心算が在るというのか彼女は!?
 ますますもって彼女という英霊が判らない。一体どうして、そこまで敵意を消せるというのだろうか、彼女は殺気一つ向けてこない。

「何故です!? 何故そこまで私に気を許せるというのですか!?」
「そうですね……貴女がとても似ていたから、でしょうか」

 教会の扉を避け横の石造りの壁に寄りかかり、軽く腕組みをしながらそう答えてきた。
 その言葉に思わず息を呑む。
 彼女が言う“似ている者”とは誰のこと……やはり私か。彼女と私、他人の空似と言ってしまえばそうかもしれない。
 でも、空似で済ますには、余りに似通い過ぎているように思えた。
 そう、似ていると感じるのは外見だけじゃない。私は彼女の言葉の続きを待つ。

「貴女が、昔の自分にあまりに似ていたものですから。つい放っておけなくなってしまっただけです。まあ、老婆心ってやつでしょうか。見た目よりは長く生きましたからね」

 彼女が軽くウィンク、と言うには少し雰囲気が違う。ただ片目を閉じただけといった雰囲気で、意味ありげに口元を持ち上げて視線を投げかけてくる。
 その声は変わらず穏やかで、力なく片目を瞑る瞼は開いている側まで連動する筋肉につられ、余計に緩く視線を和らげる。

「私を気にかける理由は私が過去の貴女に似ているから、ですか」
「ええ。それ以外に他意はありません。私は貴女の知り合いでは無いし、貴女も私の知り合いでは無い。接点など無い敵同士の貴女を私が気にかける理由など他にありますか?」

 理由? 理由なら無くは無い。ありきたりな所なら、私を懐柔し油断を誘い寝首を掻く為など、甘い手で敵を篭絡するのは戦の常道だ。
 だが敵である私に取り入るような素振りではないし、私を嵌めるにはお粗末な態度だ。
 彼女の態度は腹に一物ある者のそれとは違う。目的は在るのだろうがその行為に裏が見えない。
 衛宮邸から此方までの間、彼女からは最初切り結んだ時に見せた張り詰めた鋼線のような緊張感が全く感じられない。
 休戦状態とはいえ、どうしてここまで敵に緩んだ態度を見せられるというのだろう。

 そんな思考が顔にでも表れていたのだろうか、礼拝堂の壁から背を起こし正面ポーチをふらりと遊ぶように歩を進めながら、くるりと此方を振り向き口を開く彼女。

「いいえ、メリットなら有りますよ。何故なら私は貴女との戦いを望まない。貴女達とはこのまま同盟を組みたいと思っているのですから」

 まただ、彼女はまたも此方の胸中を的確に読み取って、私が口にしてもいないのに自分の目的をさらりと暴露してきた。
 いや、彼女からしてみればコレは隠す事でもなんでもないのかもしれない。彼女はそれが裏だと言うが、わざわざ手札を明かすその潔さが返って裏と感じさせない。
 同盟を結ぶ? 戦力や今の自分の状況を考えればそれは魅力的な提案。だが、いきなり持ちかけられても普通は首を縦には振らないだろう。
 私を同盟に肯定的にさせる――そのために私に気をかけたというのなら、考えられない話じゃない。
 だが普通、それを今此処でバラすだろうか。仕掛け所として拙くはないか?
 だが私は既に、彼女の予測どおりの反応を続けてしまっている。そう考えると薄ら寒い。
 同盟の為に私に近づいたなら確かに合点は行くが、何処か引っかかる。

「同盟? 確かにその申し出はまだ敵の情報が少ない現状では有意義です。しかし、私は貴女の能力を知らない。果たして貴女の能力がどこまで戦力アップに繋がるかは未知数だ。全然有利にならない可能性も無いとは限らない」

 その言葉に少し気を悪くしたのか少し眉根を寄せながら呟いてくる。

「むっ? 確かに私の能力はサーヴァントとしては決して高くない。ですが、手数の多さならアーチャーのクラスにも匹敵します。私の武装は主に銃。……それゆえ、本来ならばアーチャーにでもなりそうなものですが、生憎と生前私は弓を射た事は無かった。それに私が使ったのは何も銃ばかりではない。生前はナイフ、剣、槍、トンファ、鋼線、薬品、爆薬から罠(トラップ)まで……およそ戦場で武器として使える物なら何でも使った。物騒な話ですが例えフォーク一本でも、只の人間を殺すには十分事足りたのですから。詰まり、私の戦闘スタイルには剣術や槍術、槍術といった決まった『型』が無い。それが理由かは判りませんが、七つの該当クラスから外れてしまったのは事実です」

 そう言いながら手に黒い小さな拳銃を取り出す。私が斬りつけた初見の時にも手にしていた武器。
 その機構は詳しく知らないが切嗣、前回の私のマスターも使っていた武器だ。
 それゆえ火器について余り詳しくは無いが軽い常識程度には知っている。サーヴァントに通常の物理攻撃は通用しない筈だが、彼女の武器は曲がりなりにも英霊の武具だ。
 侮ればそれはすぐに死に繋がる。

「これは主に至近戦闘での武器です。中距離には中距離、遠距離には遠距離と相応の武器を持つ。私の利点はその対応レンジの広さにあります。近距離がメインの貴女にとっては苦手なレンジを補える。それは貴重な戦力となるのではないですか?」

 確かに、私の能力から考えれば宝具の使用を除けば対応範囲は近距離に限られる。それを補える事の意味は大きい。
 だが、それだけではまだ不十分。彼女の耐久力はどうだろう。外見で判断するのは早計といえるが、何せ彼女は防具と見受けられる物を一切身につけていない。

「攻撃面は判りました。では防御は? 失礼だが貴女の装備は、お世辞にも戦闘向きとは考え難い」
「ははぁ、なるほど私の服装を見ればそう思われても無理はありませんね。でも今、貴女に貸しているそのコート。それだけでも結構な物なんですよ。特注品で魔術の類は防げませんが、ちょっとやそっとの刃物や銃弾は通しません。それ以外は動きを制限されたくないので軽装でいいんです」

 確かにこのコート、見かけより幾分重い。最初着せられた時は中に鋼板でも入っているのだろうかと思ったほどだ。
まあ実際には堅いプレート状のものは感じられないし、本当に鉄板が入っていればもっと重いだろうが。

「判りました。今の所、貴女の申し出を断る大きな理由も無い。そろそろシロウ達も戻ってくる頃でしょう、同盟の話は二人が戻ってからということで」
「ええ、同感です。私達はあくまでマスターに仕える従者ですからね。おや、噂をすれば影、ですか?」

 彼女が言うと同時に礼拝堂の扉が開き、シロウ達が戻ってくる。シロウは少し顔色が悪いが毅然と参戦表明をしたと報告してくれた。
 ただその参戦理由はただ“こんな物騒な騒ぎで犠牲が出される事が赦せない”という呆れるほどの正義感からだという。
 その様子を少し離れて見守っていたソルジャーが機会を窺い件の話を切り出す。

「さて、全員そろった所で凛、士郎君。お二人に提案があるんですが――」

 ――シロウは彼女の持ち掛けた同盟に二つ返事で快諾し、凛のほうは自分を差し置いて勝手に話を進めるなと、豊かな表情を沸騰させ怒るが内容には渋々了承した。
 そんな私とシロウの横にやってきた当のソルジャーは、突然何の心算か、右手を差し出してくる。

「それじゃ同盟締結の誓いとして握手を」

 そう言って無防備に、利き手だろう手を差し出してくる。
 突然のことで面食らい、固まってしまった私の代わりにシロウがその手を取る。

「ああ、此方こそ宜しく。セイバーは問題ないだろうけど、俺が半人前だから何かと迷惑かけるかもしれないけど」
「え、あ、はい。どうぞ宜しく。っと、セイバー、貴女にも」

 その突然の行動に私より目の前のソルジャーのほうが呆気に取られていた。
 心なしか少し顔が赤いのは何故だろう?
 急に慌てたように私の手を握る彼女。その手は線の細いイメージがある彼女には意外なほどしっかりしていて、私より一回り大きかった。
 唐突にその手を引かれシロウの手と繋ぎ合わされる。シロウの手は彼女より更に大きく、やはり無骨だが暖かった。

「やはり士郎君と手を繋ぐのは第三者の私ではなく貴女の役目でなくては」

 まるで赤くなった顔を誤魔化すかのように早口で捲し立てるソルジャー。その顔は屈託の無い笑みで、呆気にとられていた私は不覚にも呆けた顔を見せていたことだろう。

「何時の間にそんなに仲良くなったのよ貴女達」

 背筋が涼しくなるこの独特な威圧感を持つ声の主は凛。どうやらほんの数刻の間に私達と和んでしまったソルジャーに些かご立腹の様子。

「あら、素直じゃありませんね凛は。魔術師として学友を倒したく無いという甘さを貫くならこれが最善の策でしょう?」
「ばっ馬鹿な事言ってるんじゃないわよ! 私はいつでも割り切って戦える! 衛宮くんが戦うと、敵となるって言うのなら容赦なく今此処で殺すことだって出来るのよ!!」

 ソルジャーの指摘に顔を真っ赤にして逆上する凛。己の甘さを突かれる事は誰にとっても辛い事だ。だが彼女のように逆上する事はそれを認めてしまっているようなもの。

「はあ、全く貴女という人は自分を省みないというか……。確かに、魔術師としての貴女ならそれも辞さないでしょう。だが、それなら何故、あの時彼を助けたのです? 貴女が最初から魔術師として非情に徹していたなら、彼を助けたりしなかったでしょう。でも助けた。何故です?」
「そ、それは彼が死ぬ事に耐えられなかったわけじゃ……。ただその後に待ってる事を善しとしたくなかっただけ……」

 その言葉の後半は殆ど聞き取れない程に小さな声で、ボソボソと呟いていただけだった。
 彼女の言葉の本意は、その後に待つ事とやらがどのような事なのか私には判らないが、彼女が魔術師としての冷徹さの裏に、まだ非情さを認めきれない少女としての甘さが隠れていることは判った。
 それともう一つ判った事がある。やはりシロウを助けてくれたのは、彼女だったのだ。
 何故それをひた隠しにしたがったのかは私には預かり知らぬ所だが。

「なんだ、やっぱり遠坂が助けてくれたのか」

 そうシロウが声を出す。彼にも合点がいったようだ。

「あっ……しまった! つい口がすべって……すみません」
「ソぉルゥジャ~ぁ? まったく、もうっ何自爆してるのよぉ!!」

 凛は少しそそっかしい所があるが、どうやらそれはソルジャーも同じようだ。
 彼女はゴホンと咳払いして、話を戻す。

「何れにしても同じ事です。それは貴女の人情の深さゆえ、真面目で曲がったことが赦せない貴女だから。人間としての遠坂凛は、突然なす術無く刺され、巻き込まれた彼を放ってはおけなかった」

 そう語る彼女が凛に向ける眼差しは、とても慈しみ深いものだった。その双眸に湛える光には、彼女の人柄が良く表れている。
 凛といい、彼女といい、なんて良く似た者同士……。そんな彼女の弁は尚も続く。

「そうする事は決して悪いことじゃない。寧ろ私はそんな甘さを捨てきれない貴女を人間的に好ましく思う。でも助けたならそれは最後まで責任を取るべきでしょう。まさかこの後に及んで、結果的に彼は自ら戦う道を選んだ敵同士だからといって、貴女は障害になると思えない彼を問答無用で殺すのですか?」

 ソルジャーは凛の反論も意に介さずそこまで一気に喋り倒した。たまに思うが、彼女は突然饒舌になる。

「私は、ただ彼が巻き込まれただけだと思ったから、出来る限り生き延びられるように取り図っただけよ。まさかそれがマスターに選ばれるなんて思っても見なかったから。でも一度マスターになったなら話は別よ。私は聖杯を手に入れるためならどんな手だって躊躇はしないわよ。そりゃ、出来れば彼を殺したくは無いけれどね」
「ふむ。ですがそれなら尚のこと、得られる戦力は大きい方がいいのでは無いですか? 彼はもう戦うことを決意してしまった。その彼が共闘を良しとするなら渡りに船ではないですか。セイバーを戦力に加えられればこの戦争も非常に有利になる」

 その言葉に彼女も言葉を止める。自分一人ムキになっても不毛だと悟ったのだろう。
 私もこの同盟で戦う事は非常にメリットの在ることと思う。だが所詮、彼女らは敵には違いない。最終的には対決するしかない事を彼女が判らぬはずはないだろう。

「ですがソルジャー、聖杯は最後の一組にしか与えられない。仮に、我々が勝ち残れたとして、その時は戦うしかないが異存は無いな?」
「良いですよ。そのときは全力でお相手しましょう。ですが、この中で聖杯を求めている者が何人いるのでしょうね?」

 ソルジャーは突然、素っ頓狂な事を言う。聖杯を求めない参加者など居ないだろうに。
 私は聖杯を求めてこの戦争に身を投じているのだ。
 私の疑念を他所に彼女は後を続ける。

「凛、士郎君。お二人は聖杯を望みますか? 叶えたい望みがありますか?」
「俺はただ、この戦争で誰かが傷つくことが耐えられない。だから聖杯に何か望みがあって参加したんじゃない。遠坂とは戦いたくないし、けどセイバーが聖杯を求めてるなら手に入れさせてやりたい。その為には勝ち残らなくちゃな」

「そうね、私も聖杯に望む事なんて、特に何も思い浮かばないわ。私の望みは聖杯戦争に勝つという遠坂家悲願の達成。基本的に私は、自分の望みは自分の力で叶える物しかないと思ってるもの。だから聖杯に願う事なんて特に無い。そっか、私も今改めて気付いた。でもソルジャーはそれでいいの? 聖杯が欲しくはないの?」
 その言葉に頭の中は真っ白になっていた。まさか本当に、万能の奇跡に望むものを持たない参加者が居たなんて。

「私も同じく、聖杯に望む願いなど持ち合わせていません。召喚に応じたのはそれなりに望みがあったからですが、それは聖杯で叶えるような物ではない。彼の望みはこの戦争を止めることで、凛の望みもまた勝利することで、聖杯そのものに願う望みは無い。しかし魔術師なら聖杯の力は魅力的でしょう。となればあとは凛とセイバーのみ。貴女方二人が聖杯を得て望みを叶えれば良いのではないですか?」

 そうクスリと笑う彼女はとんでもない事を口にした。なんということだ、今ここに居る者で、聖杯を求めているのはほぼ自分一人ということになる。
 一体何が彼女達をそこまで無欲にさせるのか、その心中は到底判らない。だがこれで、この同盟関係に一切利害の軋轢が無い事が明らかになった。
 なんという僥倖か、普通こんな恵まれた戦場など無い、ほとんど奇跡に近い。

「さて、納得頂けたなら拠点に戻りましょうか?」

 ソルジャーの言葉に促され教会を後にする。我々四人はここに一つのチームとなった。


 それが同盟を結ぶ事になった経緯。まさかこんなに早く、それが役に立つとは思ってもみなかった。
 目の前の鉛色の巨人を睨み据え、自ら先陣に立つ。と、そこに、巨人の主である銀髪の少女が暢気にも、行儀よくお辞儀をしながら自己紹介をしてくる。
 己の従える魔物のプレッシャーに圧される獲物に対し、張り詰める緊張感を逆撫でして自分が圧倒的優位にあることを見せつけるように。

「士郎君と凛は私の前に絶対出ないように。凛、此処は地の利が悪い。先ほど近くに緑地公園があった、そこまで後退します」
「オーケー、防音結界を張るわ」

 ソルジャーが戦略を伝えてくる。こちらが話をまとめるのを待つように立っていた坂上の巨人と少女。その少女が口を開く。

「ねえ、相談は済んだ? じゃあ始めちゃっていい? はじめましてリン。私はイリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルンって言えば判るでしょ?」
「アインツベルン――」

 その言葉に凛が微かに反応する。その名前には私も聞き覚えがあった。この戦争を始めた三家系の一つの筈だ。
 少女は凛の反応がよほど気に入ったのか嬉しそうに無邪気な笑みを浮かべ――。

「じゃあ殺すね。やっちゃえ、バーサーカー」

 邪気を感じさせない声で歌うように、背後に仕える異形の怪物に向け、善悪や倫理観というモノ一切が欠落したような命令を下した。

*************************************************

 坂の上から猛り狂った灰色の巨魁が跳び上がる。バーサーカーの全身鋼の塊のような巨躯が一息に数十メートルを詰めて落下してくる。
 私は即座に後ろ手に携えていたG3‐SG1ライフルを構え、折り畳み式のコッキングハンドルを左手で反射的に引き弾く。
 小さな主から戦闘開始の号令を聞き、叫びながら落下してくる巨躯目掛けて、一気に一マガジン分、計二十発のライフル弾を叩き込む。

「セイバーッ行きなさい!」

 場に騒々しい炸裂音が踊り狂う中、私の横から蒼い外套が舞い上がる。彼女が纏っていた私のトレンチコートだ。
 鼓膜を突き破らんばかりに空気を引き裂くような甲高い音と、相反して低く心の臓を打ち据える轟音が入り混じり鬩ぎ合う音の洪水の中、彼女は風となり音の隙間を纏うように駆けバーサーカーに肉薄する。
 暴風の目に飛び込んだセイバーが不可視の剣を振り下ろそうとし――。

「■■■■■■■■■■■■■――――!!!!」
「――ッ!?」

 側面から回りこむように斬りかかろうとしていたセイバーが、刹那に危険を察知し息を呑む。私が撃った銃弾は全て異形の頭部に命中した。だが無数の矛先は全て、狂戦士の頭蓋骨はおろか岩のような肉も抉れず、ただ衝撃を与えただけに過ぎなかった。

「くっ、やはりアレ相手に只の7.62mmNATO弾では話にならないかっ!」

 7.62×51mm弾……それは私がもっとも良く使っていたこの小銃、G3-SG1の標準使用弾薬。
 別に飛び抜けた破壊力があるわけではないが、生身の人間相手なら十分過ぎる威力を持ち、弾頭重量も在る為遠射、狙撃にも安定した性能を発揮するので、大きく嵩張るG3は時代遅れであるにも関わらず、私は好んで使っていた。
 今、英霊(私)の武装として生み出されているこの弾は例えサーヴァント相手でも、本質的に同質の存在であるため、本来なら威力どおりのダメージを与えられる筈なのだ。
 そう、相手がごくスタンダード(平均的)な性能のサーヴァントであるなら……。

「何よアレ。ノーダメージっていうか、なんか一切の攻撃が干渉を妨げられてる? 物理法則が何か別の法則に支配されてるような感じ」
「ええ。私の武器ではせいぜい奴の足場を崩すか、奴の姿勢を崩す程度しか出来ない」

 そう。そもそもアレには通常のどんな攻撃だろうと物理、魔術に関係なくランクB以下の攻撃は全て無効化されるという化け物じみた特性があったはずだ。
 つまり私の持つ武器では、現状どんなに強力な弾薬をもってしても、ヤツの概念武装による“物理干渉力無効”の壁を崩せない。
 だが私に出来る事が完全になくなった訳じゃない。足元に舞い落ちていたコートを掬い上げ着直し、直ぐ様弾倉交換を終え、只管に撃ち続ける。
 頭部に受けたその衝撃に着地のバランスを一瞬崩しはするものの、桁外れの膂力を以って眼前に迫るセイバーの剣戟に対し、ただ叩き付けるように斧剣を振る。
 振り下ろそうとしていた剣を下から振り上げてくる斧剣に弾き返されるセイバー。
 両者の剣が激突し、膨大な魔力の衝突による火花が眩い閃光を放ち、大気を揺るがす甲高い音が辺りに響きわたる。
 剣を弾かれるセイバーを追撃しようと、岩から削りだした岩塊のような斧剣を何の技巧も無く、ただ力任せに振り回す巨獣。その剣戟を振り降ろす腕、踏み込む足に火線を集中させて何度でもバランスを崩させ、その剣戟がセイバーに届く前に阻止する。

「す、凄い。これがサーヴァントの戦い……」

 どうやら凛はセイバーの戦いぶりに見惚れてしまったらしい。まったく、今は非常時なんですけどね……!?

「やっぱり、ソルジャーはソルジャーなだけはあるのね。見直したわ。さっきからずっと、的確にポイントを絞って確実にバーサーカーの攻撃を防いでいるんだから。セイバーがあれだけ自由に動けているのは貴女が彼女の次の動きに合わせて上手くサポートしているからだものね。ホント、吃驚するぐらい息ピッタリよ」

 少し説教するべきかと思ったところに唐突に褒められると言葉に詰まって困るじゃないですか。もっとも、彼女は過去の自分と同じなのだから、彼女の動きを先読みして補助するくらい造作も無いのは当たり前なのだけれど。

「冷静に判断出来ているのは重畳ですが、凛。事態はそう楽観もしていられませんよ? 徐々にセイバーが立ち回れる足場が減り、直にスピードも落ち始める……!」
 セイバーは機動性を活かし巨獣の足元を縦横無尽に駆けながら時に塀の上を駆けたり、電信柱を蹴り跳ね、時に空中でバーサーカーの振り上げる凶悪な岩塊を剣で受け止め、その剣圧に身を乗せて上空を舞い三次元で自在に逃げ回る。
 だがそうして逃げ回るのも直に危うくなるのだ。バーサーカーの剣戟は周囲一体を爆撃でも受けたかのように次々と破砕し続ける。詰まり、刻一刻とセイバーが立ち回れる足場が減ってゆく。文字通りどんどん削られて行くのである。

「ったく! なんて馬鹿力よアレ!!」
「うわぁ、拙いなコレ……セイバー、大丈夫なのか!? それにしてもコレ、後でとんでもない騒ぎになるんじゃないか?」

 そう凛が悪態を付きたくなるのも無理はない。爪あとをザックリ残し砕けるブロック塀、折れ曲がる電信柱に大破する軽乗用車。
そして大振動と共に容易く亀裂や陥没を作るアスファルトの路面。確かに士郎の言う通り、明日の朝になれば地元の三面記事ぐらいには乗るだろう。

 ……いや、少しおかしくないか。幾ら凛が防音結界を張ったとはいえ、これほど大振動を伴った破壊だ。
音は漏れずとも、これだけ派手に暴れられては、流石に周辺住民にいつ気付かれてもおかしくない。なのに辺りは人の気配すら感じられない。

「凛、何かがおかしい。これだけの惨事に周りには誰一人気付く気配が無い。まるで人が居ないといったほうが良さそうなほどだ」
「そうね、明らかにおかしすぎる。ゴメン、実はついうっかり障壁張り損なっちゃったのよ、貴女の射撃の方が早くて。だからこの騒ぎは全部周りに筒抜け、でも私も直ぐに異常に気がついたから、気になって放っておいたの。ほら、未だに人っ子一人、異変に気付いた人間が出てこないのよ」

 なんてウッカリを……。騒ぎにならなかったのは不幸中の幸いか。私は一瞬眩暈を覚えたが、それはもう今更言った所で不毛だから口にはしない。
 それよりも、今の今まで戦闘が全て筒抜けだったのなら、周囲の民家が未だに無反応だなんて余りに異常過ぎる。
 この聖杯戦争ではもう、何処かで私の知らない“何か”が起こっているのか……一体何が起こっているんだ!?
 一瞬、そんな考えに思考を支配されそうになる。いけない、今はそんな事を考えても答えなんて出ない。そんな事は後回しだ。
 今はまず、目の前の最大の障害を排除する事だけに集中しろ!
 セイバーを支援する手を緩めてはいけない!!

 既に使い切ったクリップで括られている三連マガジンを落とし、魔力から具現化させた新たな三連マガジンをポートに叩き込むと同時に装填し、瞬時に狙いを付ける。
 飛び回り、着地したセイバーに振り下ろされようとする斧剣に向けて、何度も銃弾を撃ち込み続ける。
 だが此処からでは、縦横無尽に駆け回り、仕掛けるセイバーを満足に支援することは難しい。

「凛っセイバーの援護に回ります! 気になる事はありますが、今だけは騒ぎにならないのなら好都合。今は目の前の脅威を取り除く事が先決です!! 此処から撃つだけでは碌な援護は出来ない。士郎君を伴って自衛を任せられますか?」
「判ったわ。こっちのことは任せなさい。衛宮君一人ぐらい、守って見せるわよ。貴女はセイバーの支援に回りなさい!!」

 言葉を掛けながら瞬時にクリップで束ねた予備マグの装填を済ませ、尚も続く暴風の如き剣戟を持ち前のスピードと直感を駆使して避け、巨体の周囲を飛び回るセイバーを援護する為再び全弾掃射をかける。
 但し大した効果は期待出来ない胴体は避け、振るわれる腕、脚及び斧剣にポイントを絞ってだ。

「了解! では凛。少しずつで良い、タイミングを見計らって後退してください。私達もヤツを此処よりは戦いやすい公園まで誘導する」
「判ってる、無茶はするんじゃないわよ、ソルジャー!」


 その言葉を機に私は左手にベネリM4を具現化し目の前の暴風に突っ込む。G3を連射しながら走り込み、薙ぎ払いにくる斧剣に対して、姿勢を腹ばいになりそうなほど姿勢を倒してかわす。
 そのまま走り込んだ勢いを殺さず地に手を付き、普通なら危険すぎるほどの速度で前転し巨獣の脇をすり抜ける。勢いづき弧を描く両足を地面に叩きつけ、滑るように身を翻した背中を斧剣の切っ先が掠める。
 コートに施された防弾加工も意に介さぬその破壊力が背中に刻み付けられる。対刃繊維、スペクトラレイヤー十枚重ねの下に、カーボンナノファイバーとチタン合金繊維で、六角セル状の小さなチタンプレートを繋ぎ編まれた鎖帷子状の防弾層さえ、一撃の下に容易く削られてしまった。

「ぐぅっ!?」
「ソルジャー!? 大丈夫ですか!?」

 切っ先が掠めた私を気遣い、斧剣を避けながらセイバーが声をかけてくる。背中に受けた剣圧に肺の空気を圧迫され、思わず呻き声が漏れる。恐るべき怪力、まともに食らえばひとたまりも無い。
 痛みも呼吸できない苦しさも無視して上体を捻り、弾の切れたG3を手放し左手に構えていたセミオートショットガンを連続で横っ腹に叩き込む。

「セイバー!!」

 一際重く大きな咆哮を三つ。火薬の違いから重く、低い怒号をその長い喉の奥から轟かせながら吐き出す大きな鉛の礫。
 背後に空の薬莢が弾き飛ばされ、アスファルトの上に落ちる度、軽い音色を奏でる。
 12番ゲージのショットシェルを三発、それも散弾じゃない鹿撃ち用の一粒弾、R・スラッグの強装弾だ。
 それを四メートルの近距離からまともに叩き込んだのだから、幾ら物理的にダメージは無効化されようと、その衝撃力は今までの比じゃない。これなら幾ら強靭なバーサーカーといえども、そこに隙を作るぐらいは出来るだろう。

「■■■■■■■■■■■■―――!?」
「もらった――!!」

 左脇腹に、灰色熊さえものけぞらせる程のボディブローを食らって微妙に口篭った咆哮を轟かせるバーサーカー。
 そこに間髪入れずセイバーが踏み込み、左肩から袈裟懸けに斬り付ける。空気を切り裂き擦れる風切り音を纏い、岩の肉体を両断せんと閃く透明な刃。

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――!!!!」

 だが、よろめくバーサーカーが寸での所で腕を振り上げ身を庇う。バッサリと両断され地に落ち、重い地響きを立てる太い丸太。
 切り落とせたのは左腕の肘から先だけだった。 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――!!!!」
「ぐっ拙い!!」

 それは誰の毒づきだったか、既に二十メートルは離れている士郎か、それともセイバーのものか? いや、私自身だったか。
 左腕を犠牲にし、セイバーの渾身の一撃を耐えた狂戦士が怒りに震えるように右手を振り上げ、今にもセイバーの頭上に振り下ろさんとしていた。

「うあああああああああああああああああっ!?」
「ちょっ……士郎!! 戻りなさい馬鹿っ!!」

 叫び声と同時に凛の焦った声が響く。いけない、士郎が耐え切れず走り出した!
 あの時と同じだ! このままではあの時のように……昔の私の時のようにセイバーを庇って彼が切り裂かれる事になる!!
 くそっ今動けるのは自分しか居ない、一か八か――!!


 その時、耳に聞こえてきたのは風を切り裂き、というより風の層を叩き潰すように斬り分けて襲い掛かってきた暴風の迫る轟音と、自分の身が斬り跳ねられた時の脆い果物が砕けるような音だけだった。
 次の瞬間、私はバーサーカーを挟んで反対側のアスファルトの上に倒れていた。腕の下にはセイバー、そして私の体当たりに巻き込まれた士郎が、セイバーごと私に突き飛ばされて、少し先に倒れていた。

「ぐっ……ごふっ!!」
「な、ソルジャー!? まさか貴女が庇うなんて……!!」
「痛ってて……何がどうなって、うわっ何だ、ソルジャー! どうして君が……!?」

 どうやら、私はまだ生きているらしい。物々しいコートのおかげか、背中を焼き焦がされているような激痛が背骨を駆け抜けていくが、幸い真っ二つにはされずにすんだ。
 寸でのところでセイバーに飛び掛り、飛びついた勢いのままに彼女を突き飛ばし、そのままバーサーカーの剣の間合いから逃がす心算だったのだが。

「っく、どうやら避けきるには、こふっ……けほっ……至らなかったようですね……」

 喋るだけで内臓から逆流した血反吐に咽込んでしまう。背中には斜めに一筋、右肩から左腰にかけて酷い斬撃の爪跡が残っている。背骨は何とか無事らしいが、腰の裏あたりから内臓に達しているらしい。
 受けた傷の箇所はバイタルゾーン、只の人間だったなら間違いなく致命傷だった。
 幾らサーヴァントの身だとしても、奴の攻撃をマトモに受けていれば助からなかっただろう。
 成功する保証など何もなかった危険な賭け。
 だがマトモに頭部、急所を捉えられていたセイバーを逃がすには、あの場では自分が体当たりして逃がす他に、何も思いつかなかった。
 痛みに思考が鈍りそうになった所で私の魂の中から“彼”の切迫した声が怒鳴りつける。

 ――アルトリアッ直ぐに逃げろ! 敵は待ってくれんぞ!!――
「くっ! セイバー逃げなさい!!」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――!!!!」

 片腕を切り落とされたことに憤怒したのか、一際大きく咆哮をあげて斧剣を振り上げるバーサーカー。
 腕の下になっていたセイバーを横に突き飛ばし、反動もそのままに傷の痛む体を鞭のように撓らせ横転する。
 刹那の差で私の身体があった場所のアスファルトに、暴風のような斧剣がめり込み、解体用の鉄球が建物を破壊した時のような轟音が冷えた大気を震わす。
 飛び退くままに地を蹴り身を跳ね起こし、暴虐の化身を狙う。傷のせいで力が入らぬ手に握るショットガンがカタカタと震える。
 それでも銃口を狂戦士に向け、残り三発のスラッグ弾をこめかみ、頚動脈、心臓の三点に叩き込む。
 撃ちこんだ銃の反動を受けて、傷口からボタボタと、赤黒く変色しはじめた血や内臓と思しき肉辺が噴出し零れ落ちる。
 構ってられるものか、仮初めの肉体など霊核さえ無事なら魔力で再生できるのだから。

「はああああああっ!!」

 ショットガンの連射を頭部に食らい、バランスを崩したバーサーカーの右腕をセイバーが斬り落としにかかる。
 私の武装では傷一つ与えられない奴の肉体だが、彼女の剣は聖剣エクスカリバー。
 人類の純粋な理想、願望が集まり結晶化した無敗の剣。その高い神秘はバーサーカーの護りさえ凌駕する。
 彼女の性格からして即座に急所を狙いそうなものだが、守る対象が増えてしまった為、先に敵の戦力を奪う戦略に切り替えたのだろう。

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――!!!!」
「!? ぐはっ!」

 しかし、やはり規格外に強いサーヴァントは己の腕を犠牲にしながら、強烈な体当たりをセイバーに仕掛けていた。鈍く重い大きな音が響く、まるで大型トラックに跳ねられた子供だ。
 セイバーは優に五メートルは空中に跳ね飛ばされ、士郎の傍に落下した。

「大丈夫かセイバー!?」
「くっ、シロウは下がって! 私は軽傷です、庇ってくれた彼女に比べればたいした事は無い。それよりここは危険だ、早く凛のところへ!!」

 セイバーが大きく離れたことで奴の標的は再び私に戻った。背中の傷が痛むが、此方に注意を挽き付けておかねば、何時また士郎がセイバーの危機に飛び込んでくるか判らない。

「まったく、今ほど“剣”を持たぬこの身が恨めしいと思ったことは無いですね!!」

 空になったM4ショットガンに魔力を通し、一時的に魔力の補強をかけることで何とか斧剣の一撃を凌ぐ。但し、まともにその威力を受け止めては、如何に銃身が鋼で出来ていようと持たない。
 力に任せ薙ぎ払われるままに吹き飛ばされる事で威力を逃がし、路面に手を付き反転し、受身を取って向き直る。また無茶な側転をする度に勢い良く腰後ろから血飛沫が飛ぶ。
 尚も続く斧剣の猛襲に、魔力で強化したショットガンで時に剣をいなし、時に敢えて弾き飛ばされながら凌ぎ続ける度に開きっぱなしの傷口から血を、肉を失う。
 いい加減血を失いすぎたせいだろう、失血による視力の低下で視界が狭まってくる。立ち止まって再生の為にじっくり肉体に魔力を回す余裕が無い。

「ぐっ……コレは拙いかもしれんな。目が霞みだした……」

 視界がぐらつきその場によろめく。その一瞬の隙が命取り、バーサーカーの斧剣が横薙ぎに襲い掛かってくる。

「しまった!?」

 咄嗟にショットガンを盾にして防ぐ。だが一瞬遅れた構えは不十分だった。斧剣の直撃を受け、ひしゃげる弾倉筒と砕けるフォアグリップ。
 破壊されたショットガンと共に真後ろに跳ね飛ばされた私はそのまま民家の塀に背中から突っ込み、塀を破壊してその庭に落下した。

「ソルジャー!!」

 塀の向こうから凛が叫んでくる。参った、今のでマトモに右腕と左足がイかれた。背骨は激痛に軋み、肋骨も数本は確実に折れている。肺にも刺さっているのだろう。息をするだけでも辛い。
 だがこんな所では死ねない。私には遣り残した事がある。それは自分自身の事じゃない。
 ……少々の怪我など、今の私は気にする必要も無い。だから自分のことはどうでも良い。
 私にはまだ“彼”に伝えられていない事がある。
 かつての主であり、僅かな間でも忠誠の誓いを立てた最愛の伴侶。私への想いを胸に幾多の戦場を駆け抜け、やがて人知れず小さな伝説となった私の鞘の半身。
 もはや一度現世の枠から外され、守護者になった彼は消えはしない。だがあの時還れなかった“彼”を、彼の本体が眠る“座”に還すまでは、私は死んでも死に切れない!

「あああああああああああああああああああああああああああっ!!!」

 死の気配が近づき、脳裏に私が召喚されたこの世界に願い求めた、一縷の望みが鮮烈に浮かび上がる。
 その強い想いが、ボロボロに破壊された四肢に霊脈(レイライン)から供給されてくる凛の魔力を目一杯流し込む。
 それはさながら、壊れたエンジンにスロットルを全開にして燃料を注ぎ込むようなもの。
 本来流れる量を遙かに超え、溢れる魔力のオーバーロードに仮初めの肉体が悲鳴を上げている。
 だが同時に、私の魂に受け継がれていた“ある物”にも魔力が流れ、一時的にその本来の力を取り戻し、急速に肉体の損傷を修復してゆく。

「セイバーッ!! どきなさい!!!」

「ソルジャー!?」

 烈しい激昂の感情のままに叫ぶ私に圧されたか、それとも私に何か策があると見たか、セイバーが飛び退く。
 まだ感覚に残る骨が折れていた痛みも無視して立ち上がり、塀を乗り越えて歩く暴風に飛び掛る。手にした大型ナイフをその巨体の首筋に付き立てるが、やはり刃は立たない。
 ナイフの攻撃はあくまで効くかどうか、挑発がてら試しただけ。
 目障りとばかりに骨まで分断され繋がってるだけの右腕と肘先の無い左腕を力に任せて振り回してくる。
 振り回す千切れた腕の速度は凄まじく、下手に当たれば相当酷いことになるだろう。
丸太のような腕を避けながら開いていた手にセムテックス爆薬を取り出し、その巨体にぐるりと幾つも貼り付け大きく飛び退く。

「いい加減少しくらい怯みなさいっ!!」

 自分が安全圏に逃れる僅かな時間も相手には与えない、私は自分も巻き込まれる事を承知で起爆スイッチを押した。
 手の中で起爆装置が小さな電子音を響かせる。目の前で鉛色の巨体が眩く強い閃光の渦に包まれた。

「アリア――――!!」

 目と鼻の先で弾けとんだ爆薬の光に目を焼かれ、衝撃派と熱風が私の肌を傷付け焦がす。
 遠く後ろで凛が私の無謀にしか見えない行動に驚き、私を心配して叫んでいるのが聞こえる。私のこと何なんかどうでもいい、奴はどうだ!?
 直撃の筈だが、多分、これでも大して傷も付かないだろう。だがセイバーにとっては大きな隙になった筈だ。
 彼女が上手く立ち回ってくれていれば今頃、彼を一回ぐらいは殺せているかもしれない。だが私の意識はそれを見届けるまで続かなかった。
 爆風に吹き飛ばされ、今までの戦闘であちこち穴だらけのアスファルトに投げ出される。
 しばらくして、焼け焦げて地に這い蹲った私に駆け寄ってくる少女は凛か。

「……凛? 奴はどうなりました? セイバーは上手く……?」
「……このバカッ!! 勝手に特攻なんか遣らかして、一時はどうなるかと気が気じゃなかったわよっ!!!」

 私を瓦礫だらけの地面から立ち上らせようと、肩を貸してくれる彼女に状況がどうなったか聞きたかったのだが、第一声は説教だった。
 私は吹き飛ばされた直後、一瞬気を失っていたらしく、奴がどうなったのかは確認できていない。

「まったく、もう生きてるのも奇跡ってほどボロボロじゃない貴女!! って、あれ? また傷が治り始めてるわね。これなら心配はない、か。ホント肝を冷やしたわよ、もう。奴は、まだあそこに健在よ……残念ながらね。セイバーが斬り込んだんだけどね……」

 そこには、セイバーに肩口から袈裟懸けに斬られてもまだ雄雄しく仁王立ちで、爆発に抉られたクレーターの中心に聳え立ち続ける灰色の怪物が居た。

「セイバーもまだランサー戦の傷が癒やしきれてなくて、思うように力が出せなかったみたい。深手を負わせる事は出来たんだけど、殺すには至らなかった」

 見れば、傷の修復の為に直立不動のままで睨み続けている狂戦士と対峙するように、左胸辺りから血を流しながら、気丈に剣を構え続けるセイバーの姿があった。

「セイバー、大丈夫か。傷開いちまっってるじゃないか」
「くっ……平気ですシロウ。ご心配無く」

 傷を修復している巨人の傍にやってきたイリヤスフィールが、セイバーと私を見て、何か面白い玩具でも見つけた子供のような眼差しを向けてくる。

「ふうん。あの状態でまだ生きてたんだ。やるじゃないリン。貴女のサーヴァント、ちょっと興味湧いちゃったな。セイバーと二対一でも一度も殺される所までは行かなかったとはいえ、私のヘラクレス相手にここまで遣れるとは思ってなかったし」
「へ、ヘラクレス!? まさかバーサーカーは、あのヘラクレスだっていうの!?」

 私に肩を貸してくれている凛が、横で驚愕に声を上ずらせている。無理も無い、ヘラクレスといえばギリシャ神話でも最も有名な英雄だ。
 主神ゼウスと人間の娘との間に生まれた半人半神の子。その神格たるや並の英雄の比ではない。

「そうよ。そこにいるのはギリシャ最大の英雄、ヘラクレスっていう魔物。貴方達が使役できる英雄とは格が違う、最凶の怪物なんだから」

 その目に明らかな優越の光が燈る。確かに神の域に達する英雄と肩を並べるなど、おこがましい物だということは判っている。
 セイバーもいくら世界的に有名な騎士王といえど、神格化しているヘラクレスと同位とはいえない。ましてや、世界との契約で再び英霊となった碌に名も知られぬ私などは……。

「いいわ、戻りなさいバーサーカー。予定には無かったけど、貴女のサーヴァント、ソルジャーだっけ? 彼女に興味が湧いたの。だからもう暫くは生かしておいてあげる。それにしても変わったサーヴァントが召喚されたものね。そのみょうちくりんな能力もだけど、やけにセイバーと波長が似ているのも気になるし」

 イリヤスフィールの言葉に従い、まだ地面に炎が燻る中、灰色の巨人が消える。
 白い印象を残す少女は無垢な子供のような微笑を浮かべながら

「それじゃあバイバイ、次は必ず殺してあげるからね? また遊ぼうね、お兄ちゃん」

 そう士郎に物騒な別れの言葉を言い残して、硝煙の靄の向こうに消えていった。



[1071] Fate/Liberating Night her codename is “Soldier” vol.9
Name: G3104@the rookie writer
Date: 2007/03/30 00:27
 まだ群青が染め抜く天球の端、遠く東の空に薄い白光が混じり始める。
 次第に淡い朱に染まってゆく遠方に視線を向けながら、見張りにと登った屋根に腰掛け、私は一人、夜明けの風の中に佇み続ける。
 昨夜の戦闘で壊れた散弾銃の換えのパーツを魔力から生み出し、屋根上に突貫で拵えた作業台に士郎の土蔵から拝借した工具を持ち込んで、銃の修理をしながら昨夜の異常な事態を思い出す。
 名目上は見張りと言いながら、その実やっていることは自分の武器の修理だ。一人で考え事をしたい時は銃の分解整備をしながらの方が不思議と落ち着くからだ。
 生前からもう何千、何万回と無く繰り返してきた一連の整備作業は、もはや頭で考えて行う必要も無い。部品を手に取れば、その手に染み付いた経験が勝手に手を動かし分解、組上げてゆく。
 慣れたお決まりの作業工程をなぞってゆき、破損した弾倉筒を交換し、新しい銃床を取り付けてゆく。装填口にショットシェルを一発づつ静かに装填。イジェクションレバーを二度引き、手動で排莢させる。

「うん、作動良好、問題無し」

 薬室に一発、弾倉に六発詰めフル・ロードにしてセフティを掛け、魔力に戻し格納する。
 サーヴァントの武器はメインであれサブであれ、大概それ自体が大いなる神秘の塊だ。
 その幻想の結晶が容易く破壊される様な事はまず無い。
 英雄達が持つような“特別な神秘の結晶”である武具、宝具と呼ばれるそれらは、破壊されれば通常、修復するのは膨大な魔力が必要となるし難しい。
 だが私の持つこれは凡庸な唯の現代兵器であるから、即物的で壊れやすい。だがその分、修復も容易に出来ているのだ。
 まあセイバーの聖剣のような、正統な宝具が容易く破壊される状況など考え難いが。

 空になった手にまた違う武器を取り出す。昨夜使ったG3‐SG1の整備に取り掛かりながら、誰に問いかけるでもない呟きを漏らす。

「昨夜の民家、不自然なほど人気が無かったのは何故……?」

 あの時、凛は防音の結界を張り損なっていた。にも拘らず周囲の民家からは誰一人として異常に気付かれなかったのか、一人も家から出てこなかった。
 いや、あの一帯の民家という民家から、人の気配というものが全く感じられなかった。
 私が奴に吹っ飛ばされ、塀を破壊して入り込んだ民家からも終始悲鳴の一つも無かった。
 あの戦闘の最中、番犬やペットの泣き声ぐらいあっていい筈だろうに、そんな動物達の気配さえしなかった。まるで其処にはもう誰も、何も存在しないかのように。
 まだ聖杯戦争が始まって間も無いが、既にこの街にはかつての私が経験した物とは違う異常が発生しているのかもしれない。

「一つ懸念材料が増えましたか。あの異様な静けさは心当たりが有る。でも、まさか現時点で既に存在するとは……」
 ――結論を急ぐな、今はまだ其を確かめるのが先決であろう――

 私の持つ鞘に取り込まれた“彼”が軽く諭してくる。全く、再び逢えた貴方が冷静沈着なあのアーチャーになっていたなんて驚きましたよシロウ。

「そうですね。とりあえずは索敵と現状把握が先だ。凛には申し訳ないですが単独捜査に走らせて貰いましょうかね」

 そう呟いた時にはもう東の空は明るく薄い朱に染まり、まだ目に映っても網膜を焼くに至らない鈍い茜色を放つ朝日が顔を出していた。
 機関部に油を差し磨きながらまだ淡く優しい曙の光を眺め、今日のこの後の事を考える。
 そろそろ士郎が起きてくる頃合だろうか。昨夜は戦闘の疲労からだろう、衛宮邸を拠点にする為、あの後もばたばたと凛の荷物を取りに寄ったりと動き回った皆は帰るなりばったり倒れて、そのまま寝てしまった。
 士郎は然程疲れる事は無かっただろうが、凛は私が無茶な魔力消費を行った為、結構な疲労になっただろう。
 セイバーはサーヴァントだから本来睡眠は必要としない。だが過去の自分同様マスターからの魔力供給が無い彼女は、魔力温存と肉体修復の為に睡眠をとらざるを得ない。
 自分はと言うとこの通り、四人の中で一番回復が早いのは私なのでこうして見張りに立っているというわけだ。
 ふと物音が聞こえた庭の方に目をやると、起きてきたのだろうセイバーが道場の方へ歩いていくのが見えた。




第九話「小隊は穏やかな朝を迎える」




 彼女はにわかに此方に気付いたようでおもむろに此方に振り向き視線を上げてくる。

「おはようございます、ソルジャー。私が寝ている間に何か変わった事は」
「ええ、おはようございます。そう警戒しなくて良いですよ、セイバー。特に異常はありませんでしたから」

 かるく挨拶を交わし、台に転がる工具を纏め、一足飛びに庭先に下りる。朝露に濡れた芝生がサクッと音を立て、冬の朝の寒さを主張する。
 だが着地の際に手に持っていた工具箱からガシャリと思いのほか派手な音が漏れ、芝生の音を掻き消した。しまった、誰かを起こしてしまうかもしれない。

「おっと、大きな音を立てる心算は無かったのですが」

 私の手に握られたアルミ製の箱を物珍しげに見下ろしながら問いかけてくる。

「上で何をしていたのです?」
「銃の修理ですよ。ほら、昨日の戦闘で破損してしまいましたから」

 空いた手にベネリM4を具現化して示しながら問いに答える。
 己の武器を簡単に直してしまえる事に些か驚かれたか、セイバーが目を丸くしている。

「驚いた、それは貴女の宝具ではなかったのですか? 宝具が破壊される事が無いとは言えないが、壊れた場合修復するのは非情に困難な筈……」
「そうですね、広義に考えれば宝具の一つと言えるかも知れませんが、これはただの武装に過ぎません。物が物なだけに相応の外力を受ければ壊れますし、またその代わり修理も容易なんですよ」

 なにしろ近代兵器は所詮消耗品にすぎない。コレはそういった性格を持つ物。
 人々の想念のような神秘なる力で生み出され、守護された彼女の持つ武具とは性格が一八〇度違う。

「ところで、今から何処へ? 奥の道場へでも向かうのですか?」
「ええ、少し瞑想をと思いまして。あそこは静謐で神聖な空気に満ちていて、瞑想には非常に良い場所です。貴女はこれから如何するのです?」
「私は工具を返しに土蔵まで。そうだ、忘れていました。貴女に服を渡しておかないと。流石にその格好で出歩くのは目立ち過ぎますからね」

 今の彼女は銀に輝く鎧を外し、下に来ている蒼いドレスのような軍装束姿。とても似合ってはいるが、流石に現代でその服装は人目を引きすぎる。

「確か昨夜の帰りに寄った凛の家から持ってきた服があるはずです。此方へ、確か居間に鞄ごと置きっぱなしになっていた筈ですから」

 促す私に判りましたと頷き後に続く彼女。居間に入るともう士郎が起きて朝食の準備に取り掛かろうとしていた。

「お、もう起きてたんだ。おはようセイバー、ソルジャー。二人とも朝早いんだな。朝食は今から準備するからもう少し待っててくれ」

 サーヴァントは基本的に食事を必要とはしない。等と言っても彼は納得しない事は良く判っている。

「あ、私の事はアリアと呼んでくれて良いですよ。ソルジャーなんて妙な名で呼ぶよりは自然ですから。その方が貴方の周囲の、無関係な人達にも怪しまれずに済むでしょう」
「ソ、ソルジャー! そんな簡単に真名を明かして良いのですか貴女は!?」

 突然の私の告白に目を丸くして驚くセイバー。彼女の驚きは尤もだ。サーヴァントなら真名はそのまま自分の弱点を晒すようなもの。
 伝説に残る英雄の彼らは当然の如くその弱点までも伝説にしっかりと伝え記されてしまっているのだから。

「別に真名ではありませんよセイバー。ただの愛称です。私の名前を省略しただけの簡単なものですよ。まあ尤も、私の真名などバレた所で誰も知る者など居ないでしょうが」
「……そう、なのですか? 確かに現代の武器を使う英雄なんて、私の知る限りにはいませんが」

 そう、この時代に私の名を知る者など居る筈が無い。何故ならこの時代、私はまだ生まれてもいないのだから。
 今の私はかの騎士王アーサー・ペンドラゴン、ルシウス・アルトリア・カストゥスではない。
 アルトリア・C・ヘイワード……イギリスの片田舎のしがない家の子。その名を一体誰が知りえるだろう。
 陸軍に入り、SASに入隊したのは元々、警察や軍関係の職が多かった家柄の影響かもしれない。

 私は私のいた世界での聖杯戦争を終え、聖杯に望んだ『歪んだ願い』を断ち切った。
 世界との契約を破棄し、コーンウォールで最後を向かえた私が、再びコーンウォールの地に生を受けるとは如何なる意志によるものだろうか。
 ……どうせ生まれ変わるなら、シロウと同じ国に生まれたほうが彼にもっと早く逢えたかもしれないのに。
 もっと早く生まれていれば……否、もっと早く私が、前世の記憶を完全に取り戻していれば、彼が彼方の地に斃れる前に再会できたかもしれないのに……
 いけない、不毛な考えは止めにしよう。忘れたかアルトリア、過ぎてしまった事は戻らないし、戻せない。戻してはならないのだ。
 かつての私はその過ちを犯し、国を衰退させてしまった過去のやり直しを聖杯に求めた。
 また過去を悔いていてはその考えを正し、悟らせてくれたシロウに申し訳が立たないではないか。

「……? どうしました、ソル……ではなかった、アリア?」
「あ、ええ。すみません、少し考え事をしていたものですから。アリアはあくまで仮の名に過ぎませんから、どうぞ遠慮なく呼んでください」

 台所から士郎が顔を覗かせながら応えてくる。

「ああ、助かるよ。どうもソルジャーとかセイバーって名前は女の子にはしっくり来ないし。いや、セイバーは凄く……らしいというか、似合ってるんだけど。そういやセイバーも本名じゃないんだよな?」
「はい。セイバーはクラス名です。ですがシロウ、申し訳ないのですが真名を貴方に教えるのを控えさせて欲しい」
「士郎君は一般の人間同様で魔力の耐性が低いですからね。敵に催眠魔術などを掛けられれば、貴方から情報を得られるのは容易いでしょうから妥当な線かと」

 私は台所に近い位置の壁に寄りかかりながらセイバーのフォローをする。セイバーはずっと横で台所で作業を続ける士郎から視線を外さず彼の言葉を待っている。

「ああ、判った。セイバーの真名は今は聞かない。確かに俺が敵の術に嵌まったらベラベラと喋りだしちまいそうだし。じゃあセイバーはセイバーのままでいいか。何処から見ても外人だし、名前はまあ、珍しいって程度でそう怪しまれる事もないだろ」

 そう言いながら此方を振り返り、何を思ったのか、ポカンと呆けた顔を作る士郎。
 私とセイバーが如何したのかと顔を見合わせていると――。
「それにしてもホント似てるよな二人とも。今なんか服装まで似てるから、まるで姉妹みたいだ」

 そう何かに感心したようにしみじみとした口調で、私達二人に対する率直な感想を口にしてくる。そういえば今彼女は蒼い装束、私も蒼いコート姿で金糸の装飾が入っているのも同じ。共通点が多いのは誰の眼にも明らかだ。
「まあ年齢的には正しいかもしれませんね。肉体年齢的には私は二十三歳ぐらいですから。彼女とは十歳近く違って見えるでしょう」
「え、二十歳超えてたのかアリアって。確かにその落ち着いた物腰は大人びて見えるんだけど、外見は十八歳ぐらいかと思ってた。あ、まさかセイバーも? 見た目は俺より年下かと思ってたんだけど……?」
 この肉体は私が死んだ当時のままだから二十三歳の筈だが、些か童顔だからだろうか、十八の娘に見えたらしい。嬉しくない訳は無いが、少し複雑な気分だ。
 魂の年齢となれば、彼女が生きた年数に転生後の二十三年間が加わるから私は四、五十代といっても過言ではないし……いけない、自分を卑下してどうする。

「ええ、私はこれでも三十年近く生きています。肉体は十五の頃を境に成長、老化を止めているのです」
「ええっやっぱりセイバーまでそうなのか!?」
「士郎君、彼女は英雄の一人ですから当然、英雄としての人生を既に終えています。ですがサーヴァントは英霊の最盛期の肉体を持って召喚されるのです。ですが士郎君、私はともかく、女性に年齢を聞くのは失礼に当たりますから気をつけたほうが良いですよ。まあセイバーがそれを気にするとは思いませんが」

 とは言っても士郎は事、魔術関係、特に聖杯戦争の仕組み等の知識は無いに等しいからセイバーが未成年の少女だと思ってしまうのも無理は無い。
 大体、普通誰だろうと、セイバーの容姿を見て当人が列記とした成人だとは思うまい。
 それほど彼女は幼く、可憐な姿をしているのだから。

「うわ、吃驚してついうっかりしてた。ご免セイバー、俺がデリカシー無さ過ぎた」

 謝る士郎に心底不思議そうな顔で首を傾げてセイバーが問う。今の彼女には自身が女である事など意味を持たないから、士郎の気遣いを理解することは難しい。

「何故謝るのです? シロウ、私はサーヴァントであり戦う為の道具だ。道具に男も女もありませんから貴方が気にする必要は無い」

 かつての私なら言いそうな台詞だと、私は胸中で苦笑いを堪えた。生前から男と性別を偽って生きて来た騎士王の彼女には、自身を女性扱いされる事は慣れていない。
 対して私はといえば生前、前世の記憶を取り戻せたのは十の頃だったし、その後も職務はともかく、実生活は普通に女として生きた。
 だから士郎にきちんと女性扱いしてもらえるのは、例えこの身がサーヴァントになろうと正直嬉しい。

「それより、朝食の支度なら手伝いますよ士郎君。何でも仰って下さい」
「ああ、ありがとう。でも気持ちだけ頂いとくよ。台所は俺の管轄なんだ」

 やっぱり人には任せる気がないか。人に頼らない彼らしい。でも凛が起きてきたら間違いなく交代制を押し付けてくるでしょうね。
 おっと、そうだ忘れるところだった。セイバーに服を渡さないと。

「それじゃ、朝食までに貴女の着替えを用意してしまいましょう。さあ、セイバー。此方ですよ」
「あ、はい。その鞄ですね?」

 居間の隅に固めて置かれていた大きめのボストンバッグを担ぎ、セイバーを空いている和室の一つに誘う。確か士郎の隣の部屋が空いていた筈だ。
 目的地に着き、ボストンバッグから昔私が渡されたのと同じ白のブラウスと紺のタイトスカート、下着一式を渡す。
 コレは最初から凛に頼んでセイバー用に宛がってもらった服だ。やっぱり私が貰ったのと寸分の違いも無かった。

「はい、これに着替えて下さい。質素で大人しい服ですけど、貴女には良く似合うと思いますよ」
「ありがとう。とりあえず着替えてみます」
「それじゃ、何かあれば呼んでください。私は居間にもどって朝食の手伝いをしてきます。そろそろ凛も起こした方がいいでしょうし」

 気がつけば時計の針は七時前を指していた。衛宮邸ではごく普通の時間、いや寧ろ遅い位の時間だ。
 朝に弱い凛のことだ、きっとまだ寝ていることだろう。まあ昨夜が昨夜なだけに疲れていただろうから、もう少し大目に見てあげてもいいでしょう。
 そう胸中で結論付けて私は居間に戻った。ただ後に少しだけそれを後悔することになったのだけれど。

「士郎君、煮付け用の皿はこれで良いですか?」
「ああ、悪いなアリア……さん。無理に手伝って貰わなくてもいいのに」
「ふふっ呼び捨てで結構ですよ。何かしていないと落ち着かないので。だから気になさらないで下さい」

 私の家は決して裕福な方では無かったから、家事は何時も家族全員で分担していた。
 中でも料理は親も兄も酷かったから、もっぱら私が買って出ていたので、腕の方は多少は自信がある。
 庶民は働かなきゃ食べていけませんからね……あれ? ひょっとして私、苦労性になってしまったのでしょうか。

「さてと、そろそろ凛を起こしてあげないと……あ、凛!」
「あ、おはよう遠さ……か?」

 居間に幽鬼のような足取りで入ってきた凛に、挨拶をかけた士郎がピシッと石化したように固まる。しまった、私とした事が迂闊過ぎた。
 時刻は七時過ぎ。まだ凛は起きてこないだろうと思っていたのだが、意外なことに今日はまともに起きてきたようだ。
 でも相変わらず朝が弱い凛はものすごい形相で髪もボサボサ、普段の麗しさなど何処に行ったのかというほど酷い有り様。
 しまった、士郎に彼女のこんな姿は見せるべきじゃなかった。私がフォローしていれば彼女のイメージを守ってあげられただろうに。
 ともかく過ぎてしまったことは仕方が無い。今すぐ彼女を正常に戻す為に成すべき事をしよう。

「う~、ぎゅうにゅう~。ぎゅうにゅうをちょうだい~~~」
「はいはい、凛。ほら、牛乳ですよ」

 私は急いで台所から牛乳パックとグラスを持ってきてグラスに注いだ牛乳を凛に手渡す。
 焦点の定まらない目のまま、無言で凛はグラスを受け取り、ぐいっと一気に飲み干してゆく。相変わらず豪快な飲みっぷりだと思う。

「んっぷは。ありがとアリア。お陰で頭も少しシャッキリしたわ」
「はい。凛、目が覚めたなら洗面所で顔を洗って髪を梳かしましょう。そんな格好を士郎君に見せたままで良ろしいんですか?」
「うわっちゃ、士郎居たの!? み、み、見た? 見て無いわね!? いい、貴方は何も見てなかったの! 判ったわね!?」

 朝の失態を士郎に見られてしまったことに気付いた凛が大慌てで、士郎に今見たことは忘れろと無茶な要求を捲し立てる。
 当の士郎はというと、目の前の凛のあまりの豹変ぶりに、思考が追いつかなかったのか目が虚ろで、何処かショートしてしまったロボットのように硬直している。
 うん、直視したくない現実だとは思いますが、何も思考をショートさせるほど驚かなくても良いんじゃないでしょうか。
 まあ、無理もないですか。確か貴方も言ってましたっけ、あれは百年の恋も冷めるとか。

 ――ああ。確かに言ったな。それより早く彼女をなんとかしてやってくれアルトリア。少し不憫でならん――

 勿論判ってますよ。判ってますから、そんな哀れむような声を出さないで下さいシロウ。
 士郎はまだショートしたままで、壊れた機械のようにぎこちない動きと、アクセントがおかしい日本語で答える。

「ア……アア、ナニモミテナイヨ。トオサカ」
「あ、あはは。とにかく洗面所ですよ凛! さっさと身支度を済ませましょう!!」
 足早に私は凛を連れて洗面所に駆け込んだ。


「日曜なんだからもう少しゆっくりしたっていいと思うけど?」

 そう声を掛けてくるのは士郎だ。どうも私が忙しく家事を手伝っている事を申し訳無く思ったのだろう。私に休んだらどうかと尋ねてくる。
 朝食は既に済ませた。何とか普段の凛に立ち戻らせた彼女は案の定、食事当番を交代制にしようと言い出した。部屋を借りて世話になるのだから、そのくらいはするという意思表示なのだろう。
 しかしやはり彼女らしいというか、早々に士郎の用意した朝食に対して俄かに握り拳を固めガッツポーズを取る始末。料理の腕は勝ったと息巻く。
 今朝は貴女やセイバーに気を使って、得意分野ではない洋食にしてくれたというのに。
 負けん気が強いのはいいけれど少し大人気無いと気付いて欲しい。
 そんな彼女はどうやら、早朝の失態は忘れる事にしたらしい。今は衛宮邸に自分の簡易工房をこさえようと、屋敷中を引っ掻き回している。
 私が今何をしているのかといえば、様はその凛が引っ掻き回した後の片付けだ。どうせ片付けるなら、これから世話になるのだからと掃除を買って出たのだ。

「いえ、お気遣い無く。これから此方で世話になるのですから、家事も分担して手伝いましょう。その方が早く終わりますよ」
「そうか? すまないな、それじゃお言葉に甘えるよ」
 軽く笑みで答えを返す。さて、客間からクッションを強奪していったアカいカイジュウの通り過ぎた跡を直しに行きますか。
 おっとそうだ、今日の予定を伝えておこう。

「そうだ、士郎君。私は午後から少し用事で外に出ますから」
「ん? ああ。もう偵察に出るのか?」
「ええ、まあ。それ以外にも少々。これからの下準備といった所です。セイバーにも伝えておいてください、彼女なら道場に居ますよ」
「ああ、判った。遠坂も一緒なんだよな? なら問題ないさ。ちょっとセイバーの所に行ってくるよ」

 そう言い残し踵を返す士郎に手を振り見送る。さて、今日はまだ他の勢力も派手には動かない筈。網を張るには既に遅すぎるが出来る限りの策は取ろう。
 だが、とりあえず今は凛が引掻き回していった客間の片付けを済ませよう。そう思って部屋の中を一瞥し、溜息が漏れる。はあ、凛は片付けが下手ですね本当に……。
 時計の針が正午に近づく頃、ようやく片付けを終えて居間に戻る。室内には既に先客が二人、士郎とセイバーだ。
 何故か妙にぎくしゃくしている士郎は、大方私が渡した洋服に着替えたセイバーを妙に意識してしまい困っているのだろう。
 居間に入った私に一足遅れて凛が顔を出すなり口を開く。

「士郎ー、ビーカーとか持って無い?」
「遠坂、普通の家は大抵は実験道具なんて無いぞ。分度器ぐらいなら勉強用の小さいのがあるけど……それより遠坂、今朝からなんか違和感があったんだが今判った。何時の間に下の名前を呼び捨てにしてるんだ」

 そういえば今朝起きてきたときからそう呼んでいましたね。

「えっそうだっけ? 名前で呼ばれるのは嫌? なら呼ばないけど」
「いや、別にどっちでも構わないけど……」
「そう? じゃ良いじゃない。士郎、魔術師なら道具ぐらい揃えなさいよね?」

 凛はまだ離れに借りた部屋を改造する気のようで、色々と士郎の家にありそうな物を物色しようと企んでるようだ。

「凛、器具は昨日あらかた持ってきた筈でしょう。何か忘れ物でもあったのですか?」
「それがねー、さっき机の上の本をどかそうとした拍子に肘が当たって、ビーカー落っことして割っちゃって……代わりになる物ないかなって」
 はあ、出ましたか凛のうっかりが。器具は昨夜の時点では持てる最低限しか用意して来なかったから予備なんて無い。

「それでは丁度良い。凛、私も少し用意したい物がありますし、買出しに出ませんか」
「お、もう出るのか。昼メシはどうする? 今から用意するんだけど」
「じゃあ食べてからにしましょう。買出しは午後からにしましょ、アリア」

 昼食の当番はローテーションにするのでは無かったか? 確か朝食は士郎が作ったので次は凛か私の筈だ。

「あ、すみません。交代制だから昼食は私か凛の担当ですね。如何しましょうか凛?」「じゃあ私やるわよ。って、そういえば中華用の材料が無いわねー。じゃあ今回はアリアに任せるわ」

 私達は会話を交わしながら台所に赴き材料を見繕う。

「了解しました。和食でよければ」

 冷蔵庫の中身を確認するとホウレン草が一束残ってる。塩鮭の切り身もあったので焼き鮭を主皿にホウレン草のおひたしでも作って、腑と若布の吸い物といった所だろうか。
 焼き海苔があったので軽く炙って磯部巻きを作っても良いだろう。後は、卵で出汁巻きでも作ろうか。

「貴女、ホントに英霊? 和食でよければって……見た目はどう見ても白人なのに、妙に日本人臭いわね」
「あはは、よく言われましたよ生前も。いわゆる日本フリークってやつですか」

 前世の記憶があやふやだった子供の頃でもその印象はあまりに強かった為か、生前の私はシロウとの繋がりが強い“日本”の様々な物、文化に強く惹かれ、貪るようにそれを学び求めた。
 気がつけば周囲からは疑いようのない“日本好き”と思われるようになっていたのはいうまでも無い。

「ほんと、器用な物ね。包丁も菜箸の持ち方も完璧。貴女、下手な日本人よりよっぽど様になってるわ」
「クスッ褒めても何も出ませんよ、凛。もうすぐ鮭も焼けますからお皿を用意して貰えると助かります」
「はいはい」

 手元からトントンとホウレン草に包丁を入れる音を響かせる私の後ろで、凛が盛り付け用の皿を用意してゆく。
 塩鮭が焼ける香ばしい臭いが漂う中、程なくして朝食の準備は完了した。

**************************************************************

「どうぞお召し上がりください」
「「「頂きます」」」

 アリアが用意してくれた昼食に、各々が箸を進め始める。
 美味しそうな香りを放つ鮭や吸い物、鮮やかな緑を添えるおひたしに士郎とセイバーが挑む様子をそっと視界に収めながら自分も鮭をほぐして一口放り込む。

「お! 結構いい味付けだな」
「ほう、これは……」

 二人同時に声を漏らす。特に士郎には意外だったのだろう。
 士郎はどこから見ても白人の彼女が和食の味加減を心得ていたことに驚きの声を漏らし、セイバーは言葉短く、だが明らかにその料理に驚きを覚えている。そして、私も……。

「う……貴女、和食の方が上手いじゃない。なんでよ」

 そうだ、私に作ってくれていた料理は大体洋食中心の献立ばかりだった。味はまあ、悪くは無かったけれど。
 いい塩梅に焼けて、口の中にほっくりとした食感を与える焼鮭。塩加減も良く、辛すぎず薄すぎず。吸い物もちゃんと昆布と鰹の出汁が出ていて美味い。出汁巻きも出汁の旨味が良くわかる。うん、認めよう。確かに美味い。
 彼女から和食で良いかと聞かれた時、あの容姿で何故に和食を好んで選ぼうとするのか疑問に思った。
 てっきりここが士郎の家だから、和食の方が良いと判断しただけかと思って勝手に納得していた自分は愚か者だ。
 もっとも、そんな考えは彼女の調理姿勢の良さを見た瞬間、間違いだったと改めたけれど……まさかこんなに巧いなんて予想外よ。

「う~……見てなさいよ、晩御飯は絶対腰抜かさせてやるんだからね!」
「はいはい、期待させて頂きますよマスター」

 私の宣戦布告も朗らかに微笑みながら、簡単に返してくる我が従者。ええいくそっ何で彼女はこんなに余裕綽々なのかっ!?

「驚いたよ、料理結構巧いんだなアリアって。俺より少し味付けは濃いけど、出汁巻きは上手かったよ」
「私も驚きました。私もてっきり貴女は同郷だろうと思っていたので、その……失礼だが食事には期待していなかった。ですがこれは美味しい。欲を言えば、私はシロウの作ってくれた朝食の味付けの方が好みですけれど」

 素直に褒める士郎と妙に詫びるセイバー。はて、アリアってやっぱりセイバーと同郷なのだろうか?
 二人の言葉にも彼女は笑顔を絶やさず答える。

「ありがとうございます。確かに故郷の食文化は私もあまり擁護できません、セイバー。だから私は料理を勉強したんです。ええ、私も士郎君の味付けの方が好みですね。久しぶりに思い出しました」
「え、久しぶりってどういう事よ?」

 それは妙だ、アリアは一昨日の晩に私が呼び出したのだ。何故、昨日出会ったばかりの士郎の味が久しぶりなのだ?

「あ、いえ。そういう意味ではなく、私の料理の師匠の味付けを思い出したという事です。士郎君の味付けに良く似ていました」 
「へえ、どんな人なんだアリア?」

 興味に釣られての士郎の問いにアリアは懐かしそうな表情で、義に厳しく、そして非常に優しい人でしたと何故か頬を僅かに上気させて答えた。
 その時小声で――。

「その人に直接教われた訳じゃなく、ただ私が目標にしていただけですけどね……」

 という呟きを漏らしていたが、聞き取れたのは私だけだったのだろう。その時の彼女の表情は酷く儚げで、もの哀しげな微笑だった。
 一体何を思っての感傷か私は知らないし判らない。だが、アリアの視線が士郎に注がれているのは何故だろう?
 そんな私の心中など構わず食事は進む。

「セイバー、おかわりはいるか?」
「あ、でしたらお茶碗を此方に……はい、どうぞ」

 セイバーの茶碗を受け取り、慣れた手つきで御櫃からご飯を装っていくアリア。さっきから自分が食べるより皆に給仕している姿ばかり目に付く気がする。
 まあ、彼女もちゃんと食べているようだから別に心配はしていないけど。

「申し訳ない、感謝します」

 それにしてもよく食べる、一体その小柄な体躯の何処に入っていくのだろうと不思議に思えてしまうのはセイバーだ。
 もう茶碗の中身が空になった彼女は、三杯目のご飯をアリアから受け取って食べている。
 健啖家、という言葉は彼女のためにあるような気さえしてしまう。そんな彼女の食べ方を見ていてふと気付く。

「ほんっと、似てるわね~……」

 いや、本当に驚いた。何に驚いたって、彼女の食事姿勢にである。普段から無口なほうではあるが、食事中はほぼ無言。
 無心に一途にご飯を口に運んでは、こくりこくりと頷きながら食べている。そう、その姿は誰かさんにそっくり。
 その言葉に私の視線を追った士郎が気付き、アリアのほうを振り返る。

「あ……本当だ」
「? どうしました、士郎君?」

 士郎の言葉に気付くまではセイバー同様に、コクコクと頭を揺らしながら食事していたアリアが何事ですかと疑問を返す。
 人の事には余計なほど鋭いのに、何故か自分の事には妙に鈍いのよねアリアって。
 自分の食事中の癖はどうやら自覚していないらしい。はぐらかす士郎を特に気にもせず自分の食事に戻っている。
 ただ彼女は給仕に忙しく動いている為か、その食事量はセイバーの半分くらいしか食べていない。いや、それでも大の男一人前分ぐらいは食べているけれど。

「凛、お茶は要りますか?」
「ええ、お願い」

 丁度喉を潤したい欲求に駆られてきた所だったのでもらう事にしたが、そんなに気を使ってくれなくてもいいのに。ほんと、何から何まで庶民っぽい英霊さんだこと……。

「悪いな、アリア。さっきから給仕させてばかりで。俺がするから後はゆっくり食べなよ」
「ありがとう。でも別に苦じゃありませんから」

 士郎が代わると申し出てもかわらず、セイバーや私の世話を焼くアリア。流石は年長者、と言う事なのかしら?


 そのまま和やかな空気に包まれて昼食は終わり、士郎達が片付けを始めた昼過ぎの居間で一人、お茶を片手にまどろむ。

「凛、もう少ししたら片付きますから。片付けが終わったら新都までご一緒お願いします」
「ん~、判ったわ。もう仕度は出来てるからちゃっちゃと終わらせなさいね」

 ふと気になって、テレビの電源を入れる。士郎の家のテレビは年代物だから、幾ら私が機械音痴だといっても使える。
 ちゃんと電源と書かれているスイッチを押せばいいだけだもの。ええい、古代人とか原始人とか言うな! 人を馬鹿にするんじゃない!!
 確かに、エアコンの操作は判らなくて士郎を呼び出したりしたけど。
 だって最初に本体見てもスイッチ見当たらなかったし……リモコンは最初、ボタン一杯有りすぎて混乱したんだもの……。
 チャンネルを回し、午後のニュースが飛び込んできた所で止める。
 地方局の報道番組の中で取り上げられている事件、事故の中に、それはあった。

『深山町民集団失踪事件』

 ニュースの題字にはそう書かれていた。チャンネルを回してみると全国ネットのワイドショーにまで、地方の小さな一事件程度の扱いだが取り上げられている。
 その内容は主にあの住宅地周辺の住民が一晩で消え去ってしまっていた事。
 そして、私達が戦った場所は謎の破壊跡として、事件との関連性を疑われているといった物だった。
 私は思わず毒づく。

「やっぱり、住民は一人も居なかったんだ。でも、何故?」
「これは、昨日の場所ですか、凛」

 縁側に腰掛けて瞑想していたセイバーが戻ってきて画面を覗き込む。テレビに気付いたのだろう、士郎とアリアも台所から戻ってくる。
 私の背後から画面を覗き込みながら、アリアが口を開いてくる。

「やはり騒ぎになってしまいましたか。謎の集団失踪……。やはり昨夜の民家には、人は既に居なかったのか。原因も手段も一切不明。これは拙いですね。暫くの間は報道関係者やフリーの記者が街の中に溢れかえるでしょう。はあ、こうなっては目立つ行動は控えなければ……まったく、面倒な事になりましたね」

 画面を覗き込むなり眉間に皺を寄せ、現状を把握した彼女は難しい顔をしながら、こめかみに手を当て考え込んでしまう。
 何について考えているかは聞くまでも無い、今後の私達の偵察活動や聖杯戦争そのものにおいての事だ。
 事件がマスメディアに報道されてしまったことで、特ダネを血眼になって求める報道関係者といった一般人が増えてしまった。
 人目を避けて行われる私達の聖杯戦争において、第三者に対する警戒度が跳ね上がってしまったのだ。

「ちょっと綺礼に文句言ってやらなきゃね。情報操作すら満足に出来てないじゃない!」

 私は畳を蹴り一足で廊下に飛び出し古めかしい黒電話に飛びついた。
 怒りを抑えて手早く番号を回し、教会にいる監督官、言峰綺礼に電話をかける。
 緊張感の無い無機質な呼び出し音を聞く事数回、あの威厳に満ちた好きになれない声が受話器から聞こえてくる。

「はい、こちら言峰教会……なんだ、凛か。どうしたかね? まさか四日目でリタイヤするなどとは謂うまいな?」
「馬鹿言ってんじゃないわよ! 何よあのニュースは!? 報道規制どころか、情報操作すら碌になってないじゃない!!」

 一気に受話器に向けて捲し立てる。電話線の向こうの綺礼はまったく声の調子も崩さず、いつもの調子で淡々と語ってくる。

「そう言うな。情報操作は問題ない。というかだな、今回の件は他に情報操作しようもないのだ。報道が見つける前に事態を把握出来なかったのは拙かったが、変にもみ消せば不自然さが目立ってしまうのでな」

 受話器越しにいけしゃあしゃあとのたまうエセ神父。ああっこめかみの奥にイライラが募る!

「あの周辺は実際に昨晩、恐らく君らが戦闘を行う少し前だろう。住民が一瞬にして消えたのだ。文字通り、掻き消えた。消えるその一秒前まで、普通に生活していたままの生活感を家の中に残してな」

 その言葉に、一瞬気が遠くなった。



[1071] Fate/Liberating Night her codename is “Soldier” vol.10
Name: G3104@the rookie writer
Date: 2007/03/05 00:36
 一体どういう事だ、人が一瞬で掻き消えるだなんて一体どんな魔法だ!?
 時計の針は1の数字を過ぎ、2の数字に影を落とし始めている休日の午後。
 私は自分の後見人である忌々しい男の声に、感情を押し殺しながら耳を傾ける。

「犯行を行われたような形跡も、異常も一切見当たらない。人の血の跡すら存在しない。身代金などの要求も一つも無い。他者による事件性が全く無いのだ。まるで自ら失踪したかのようで、当然目撃者も無く、警察も捜査のしようが無い。当然捜索も行われているが、誰一人として確認されて居ない。まるで集団神隠しでもおきたかといった所だ。もっとも、ワイドショーなどは好んで食いつくネタだろうがね?」
「――っ、……そう。それで?」

 皮肉めいた口調で話す綺礼に些か虫唾が走るのを我慢しながら続きを促す。

「事件は事件だが、その真相は暴きようが無い。何しろ私ですら此度の件の真相は判らんのだ。だから報道がいくら騒ぎ立てようと真実には届かん。だから、情報操作する必要は無いという事だ。ただ、細かい根回しは既にしてあるから、野次馬共も直に自然消滅するだろう」
「そう、マスコミの事はもういいわ。それより綺礼、アンタならもう何か情報は掴んでいるんじゃないの? 昨晩に、その住民を消した何かについて」

 率直に、真正面からストレートを投げつける。この男には回りくどく聞いた所でどうせ見透かされている。
 伊達に表向き教会の神父などを遣っている訳ではない、実に食えない兄弟子なのだ。

「情報ならそこそこに集まってきてはいるが、まだ分析の段階には遠い。それにだな、凛。私はこれでもこの儀式の監督者なのだがね? 監督者が特定の参加者を贔屓するのは頂けない話だとは思わんかね?」

 電話口の向こうからさも愉快そうにくっくっと、堪えきれないといった風に失笑を漏らす黒い神父。
 ああ全く、なんでこんな性格の歪んだ男が私の兄弟子で、その上私の後見人なんてされてるんだか!

「くっやっぱりアンタ性格悪いわ。別に良いわよ。こっちだって簡単に情報が得られるなんて思ってやしないわ。カマ掛けてみただけよ」
「くっくっく。まあそう言うな。可愛い妹弟子が頼ってくれる数少ない機会だ。幾つかアドバイスぐらいはしてやろう」

 まったく、人をからかい愉しんでおいてこれ以上何を言ってくれるか。これ以上ふざけた事を言うようなら呪いでも送ってやろうか。

「誰も当てにはするな、目の前の物ばかりに囚われるな、常に目に見えていない所まで意識を向けておくことだ。手元は常に確認しておけ、お前は師匠同様に時折酷い“うっかり”をするからな。それと、これはお節介でお前には少々キツイ言葉になるが……桜には近づかぬ事だ
「なっ……何よソレ!?」

 綺礼からの余計なアドバイスを適当に聞き流して電話を切る心算だった私の耳に、聞き捨てならない一言が飛び込んできた。
 桜には近づくな? 何よそれは、私が『血を分けた者』の身を影で案じている気持ちが聖杯戦争にとっては邪魔なだけだとでも言いたいのか!
 あの子は、桜は魔術師じゃあ無い。間桐の血筋はとうに跡絶えている。桜が聖杯戦争に関わる筈が無いじゃないの。

「忠告はしたぞ、せいぜい気をつけておく事だ」

 慇懃不遜な兄弟子はそう最後に一言残して此方の返事も待たずに電話を切った。
 一方的に接続を切られた受話器からは既に、間の抜けた回線途絶を知らせる信号音が断続して木霊するだけだった。

「何だってのよ……」

 兄弟子からの不意の言葉の意味に困惑する。
 また自分でも自覚したくない自身の裡にある、心の軟く弱い部分を抉り出されたような不快感に苛立ち、つい言葉使いが悪くなる。

「どうしました、凛?」

 私のサーヴァントが廊下で声を荒げる私を案ずる視線を送ってくる。アリアだ。

「うん、何でもない。ちょっと綺礼のヤツが失礼な事を謂ってきただけの事よ。アイツ、『桜には近づくな』ですって。わざわざ私が彼女を危険な“此方側”に巻き込ませるもんですか!! 本当、ムカつくったら無いわ!」

 桜の名前を出した瞬間、何故かアリアが息を呑む様子が感じられた。といっても見た目にソレが判ったわけじゃない。
 傍目には彼女の表情は何も変わらない。ポーカーフェイスではないが、私を心配そうに見つめるその相貌に変わりは無い。
 ただ、そう感じられたのだ。桜の名が上がった次の瞬間、彼女から感じられる普段は柔和な気配が微かに張り詰めたのだ。

「――! そうですか。凛、顔色が優れませんよ? 差し出がましい口出しかと存じますが、余り気に病まれない事です」

 私の事を気遣い、どうやって励まそうかとちょっと困ったように笑顔を浮かべて優しく肩に手を添えてくる彼女。
 その彼女の言動に私は頭の奥で微かに妙な違和感を覚えた。だがその違和感が何からくるのか直ぐには思い至らなかった。

「凛、そろそろ出ませんか。外の空気を吸えば気分転換にもなりますし」
 
彼女は私の心を鎮めさせるよう努めて、これでもかというほど穏やかで優しげな微笑みを向けてくる。
 まいったな、これじゃ私は完全に癇癪を宥められる娘か妹のようではないか。

「ええ、そうね。行きましょうアリア。気晴らしには丁度良過ぎるわ」

 まだあの不遜な神父の言葉が耳の奥に張り付いて、脳裏に暗い熱を滲ませている。
 だが何時までも陰鬱な気分に害されていたくはない。私はアリアに同意し、足早に玄関を抜けて新都へと足を向けた。




第十話「兵達の休日は喧騒に彩られる」




 時刻は既に三時、実に一時間以上かけてようやく新都のショッピングモールに着く。
 何故そんなに時間が掛かったか、それには理由があった。それは数十分前にさかのぼる。
 まだ静かな此方側の住宅街を歩いて何時もの交差点の近づくにつれ、例のマスコミ関係者が町中いたるところに居るわ居るわ。
 まだ事件の捜査も始まったばかりといった感の強い警官達よりも、記者やカメラマンの方が圧倒的に数が多いのだ。

「これじゃまるでブン屋ばかりのローラー作戦といった感じですね」

 とはアリアの弁だ。本当に何故彼女は“ブン屋”とか“ローラー作戦”とか、現代人にしか通用しなさそうな言葉を知っているんだろう?
 本当に英霊の端くれか!? 何度も繰り返し自問した謎だが、当然答えなぞ私に出せる筈も無い。
 だが本当に今回は呆れた。あろうことか、アリアときたらブン屋の方に自分からすたすたと近づいていってしまったのだ。
 何をしだすのかと思いきや、止めようと慌てる私を後目にアリアは記者と話し始める。

「こんにちは。あの、何かあったんですか?」

 屈託の無い笑顔ときょとんと素で何も知らなさそうな顔で一般民を装い、その場に居る記者から逆に情報を聞き出そうという魂胆らしい。

 言葉巧みに記者からの質問ははぐらかし、朗らかな笑顔と世間に疎そうな表情を完璧に装備した彼女。正直そこまで猫を被れるとは思ってなかったわ。私も吃驚の猫かぶりよ。
 本当に幾つかの情報を聞き出すことに成功して返って来た。これにはもう本当に笑うしかなかった。

「どうかしましたか?」

 乾いた笑いを漏らしていた私に不思議そうな目を向けてくるアリア。余り彼女は敵に回したくないタイプだと思った。

「いいえ、貴女の突飛ぶりに驚いていただけよ。それより、連中の前に出て行くなんてどういうつもり? 変に取材されたりカメラに取られたりしたら……」
「いえ、その点はご心配なく。少なくとも半径二百メートル以内には、私に向けられたレンズはありませんでしたから。ご存知ですか、カメラのレンズって良く光るんですよ? 携帯電話などで盗撮されるような不信な動きも常に注意していましたが、幸いそのような不信者は一人も現われませんでしたし」

 まったく大した自信だと思う。だがこれで少しは情報も手に入った。
 情報を仕入れてくれたアリアが簡潔に説明してくれる。その内容とは――。

「本日の未明に、所轄の警察に住民の異変に気付いた新聞配達の青年から、第一通報があったそうです。ですが最初はその内容が疑わしく、所轄の警官が真面目に取り合わなかったそうで、埒が明かないと感じた青年が地方紙の新聞記者をしている親戚に通知した事により、事件が発覚したそうです」
「はあ、警察の腐敗は冬木の街も例外じゃなかったかぁ……」
 報告を聞いているうちに軽い眩暈を覚えてこめかみを押さえる。
「まあ無理も無いといえばそうかもしれませんけどね。何しろ、あの戦闘地点の周囲数百メートルの住民が根こぞぎ消えてしまったのですから。異常を認識する人すら一人残さず失踪してしまっては通報もされません。不思議な事に各家屋の住民だけが姿を消し、家屋、室内の調度品に至るまで、一切の傷も異変も無い。直前まで食べようとしていたであろう食事や、お風呂の用意といった生活の光景がある時点を境にして、人だけが消えたように残されていたそうです」

 彼女からの報告を歩きながら聞き続ける。
 最初に周辺住民が異変に気付きそうな気もするが、件の現象は不自然なほど数区画間だけで起きていたらしい。
 道路を境にピタリと止まっていては流石に向こう側、他所様の異変なぞ、すぐには感じられないだろう。
 其処に毎朝一軒一軒新聞を配る青年だけが今朝の異常な静けさに気付けたのは道理か。

「ともあれ、警察の方も何一つ手がかりになる物証が無くてお手上げ状態のようです」
「そりゃあそうでしょうよ。……こんな事が出来るのは、実はとんでもない地域ぐるみの大ドッキリか、とてつもない大魔術の秘蹟だけよ」

 私は事の深刻度に、意識を半分泥の中に落とされたような気分になる。
 デブリーフィングを終えた兵士が指揮官である私に、声音を抑えて言葉を紡ぎ出す。

「凛、私は過去に此れと良く似た経験がある。その経験から進言させて頂きますが、覚悟は固めておいてください。敵は生易しい相手ではありません」

 声には出さず、それに頷く。判っている。これほどの“異常”を容易くやってのける者を相手にしなければならないのだ。

「恐らく、消えた者達はもう二度と戻らない。飲み込まれたのです。底無しの闇に……」

 にわかに足を速め、私より一歩、二歩と前に出る彼女。その横顔に渋面を覗かせながら端正な唇から小さく、そう呟きを漏らした。


 それが新都に着くのが遅くなった理由。今彼女はショッピングモールの家電売り場へと、渋る私の袖をぐいぐいと引っ張って入ろうとしている。

「ねえ、なんでまた家電売り場なのよアリア? そんな所入ったって私には判んない物ばっかりなんだってばぁ」
「いいから付いて来て下さいよ。お財布持っているのは貴女だけなんですから」

 困ったように眉間に皺を寄せて募る彼女に根負けして、仕方なしに家電売り場に足を踏み入れる。

「ところで、何を見ようっていうの?」
「そうですねぇ。ひとまず欲しいのはパソコンとか、携帯電話ですかね。私達の連絡用に良いと思いまして」
「携帯電話って、貴女ねえ、そこらの女子高生じゃないんだからっ……! って、そうか。私達は良いけど、士郎達との連絡手段は必要ね。士郎は携帯なんて持ってなかったっけ?」

 多分、無かったと思う。私は学校内で彼が携帯電話を使っていた所を見た事は無い。

「でも、パソコンなんて、一体何に使うのよ?」
「主に情報収集や索敵等にですが、何か?」

 ぬう、こいつめ。毎度ながら思うが、本当に英霊離れしてるなあ。

「まあいいわ。宝石に比べれば安い物でしょ? これも聖杯戦争の為の経費と思えば安いものだし……」

 自分が普段宝石に注ぎ込んでいる金額を思い出し、こめかみに痛みを覚えてしまった。

「凛、気分が優れませんか?」
「大丈夫よ、平気だから気にしないで。それより、必要なものを選んで頂戴。私にはてんで判らないんだから」

 了解しました。と少し心配そうなまま微笑んで答えるアリア。少し待っててくださいと言って商品の並ぶ棚の向こうに姿を消す。

 数分後、彼女は何時の間に取りに行ったのか、買い物用カート一杯にパソコンやらプリンターやら、良くはしらないけど通信用の“けーぶる”だとか“むせんらん”だとか、とにかく周辺機器ってヤツを一通り積んで戻ってきた。

「こんな所ですかね。とりあえずこれの清算をお願いします。後は携帯電話の購入やインターネット回線を使うのに、プロバイダの契約とか面倒な手続きがあるのですが、その辺は凛、お手数ですがお願いします。この世に存在しない私では出来ませんので」
「判ったわ。じゃあとりあえずレジに行きましょう」

 私は彼女と共にレジに向かい清算を済ませた。流石に予想以上の出費だったが、そこは来月のお小遣いを切り詰める事で何とか凌ごう……。
 その足で家電売り場の横に併設して区画を持ってた携帯電話の代理店ブースに行き、自分の携帯を買う事にする。アリアが言うには、私の分はこれから先も使う事があるだろうから、普通に携帯電話を新規契約したほうが良いだろうという。
 だが士郎やセイバーに持たせる分は、現状では契約の簡単なプリペイド式のほうがいいだろうとの話。
 ややこしい仕組みは良く知らないが、これは先払い式で、購入時の本人確認以外に面倒な手続きは不要。携帯電話から購入したカードのナンバーを登録させれば、後はカードの料金分が無くなるまで使える。テレホンカードに電話機能がついたような感じだろうか。
 つまり私の名義で二つ買って、二人に渡せばいいってことだ。料金支払いで銀行引き落としとか本人に関わる面倒な手続きとかが少ないから、こういう込み入った場合は助かる。

「凛、機種はどうされます?」
「うーん、面倒な機能とか私要らないわよ? あ、コレなんかいいわね、赤いし。うん、コレに決めた!」

 たまたま其処あった赤色はこの一機種だけだった。赤一色が綺麗な携帯電話だったので第一印象で気に入り、それにする。

「凛はやっぱり赤が似合いますね。それでは私はコレにしたいのですが」

 そう言ってアリアが選んだのはプリペイド式の携帯電話。ただ、やっぱり彼女らしいというか、選んだ機種はシルバーの筐体に鮮やかなウルトラマリンブルーのラインが入ったタイプだった。

「そう、じゃあ契約手続き済ませるわね」

 ショッピングモールから出て、大荷物を抱えながら歩く私とアリア。道行く人達が何事とばかりに色眼鏡で通り過ぎてゆく。

「ちょっと買いすぎたんじゃない、アリア?」
「はは、すみません凛。出来るだけ早い方が良いと思いまして……」

 罰が悪そうな笑みを顔に滲ませながら力なく答えてくる彼女。私の倍ぐらいの荷物を抱えながら歩いている彼女は、傍から見るとちょっとお目にかかれない奇妙な光景をあたりに振りまいている。
 だってそうだろう。十人が十人とも振り返りそうなほど麗しい容姿をした彼女が、大の男でも持てるかどうかって位の荷物をその細腕で平然と抱えているのだから。
 そういえばアリアって背丈は私とそんなに変わらないのよね……百六十センチくらい?
 白人にしては小柄な方よね、そういえばセイバーも結構小柄だっけ。本当、よく似てるのよねあの二人……。そんな他愛も無い雑念に支配されている所に彼女が口を開いてくる。

「すみませんが、もう二、三箇所よろしいでしょうか? 電子部品や機械部品等のパーツショップに向かいたいんですが……」

 その言葉は一瞬、耳を右から左へ通り過ぎていった。きっと脳が認識を拒否したんだ。
 私の脳を停止させた呪いの呪文を放った当人はというと、流石に私が必死に両腕で重力にギリギリ耐えていますと腕の震えで主張しているのを知っている為、控えめに上目遣いでおずおずと聞いてくる。
 その言葉を脳がしっかり認識するまでおよそ十数秒。脳が活動を再開してからようやく口を開いた。

「ちょ、ちょっとアリア……まさかこれ以上荷物を増やす気なのぉ!?」
 これ以上私に“地獄の重力三倍耐久行軍”を遣れと申しますかこの薄情従者は!!
「い、いえ。荷物は全て私が持ちますから……それでもダメでしょうか?」

 荷物は持たなくていいとまで切り出し強請(ねだ)ってくるアリア。むう、そんなに今すぐでないとダメなのかしら。

「ダメ。明日に持ち越しちゃだめなの?」
「何分、聖杯戦争を有利に進める為の措置ですから。早いに越した事はありません」

 それ(聖杯戦争)を持ち出されては、却下するわけにもいかない。まったく、事は魔術乱れ飛ぶ聖杯戦争なんですけどぉ?
 何でそんなキカイ部品なんて必要なのか私にはさっぱり想像がつかない。けれどアリアが必要だと言うのなら、やっぱり必要なのだろう。

「判ったわ、良いわよ。でも一つだけ条件」
「本当ですか、ありがとうございます! 条件とは?」

 困ったように曇られていた表情をぱあっと明るくする目の前の大荷物……じゃなかった、左右の肩にこれでもかと荷物を下げ、両腕に大きな箱まで抱えているアリア。

「荷物持ちに助っ人を呼びなさい。今すぐ! 流石に二人でこれ以上は多すぎよ!!」

**************************************************************

 日も斜に陰り、背の高いビルのカーテンウォールには茜色の絵画が描かれ始める頃合に俺達はアリアから呼び出された。
 用件は荷物持ちだ。何時何処で襲われるとも限らないから、当然セイバーも一緒だ。
 荷物持ちに彼女なら適任だろうと遠坂はいうが、俺は余り女の子にそんな力仕事をさせたくは無い。
 今をさかのぼる事数十分前、庭で洗濯物を取り込んでいると縁側からセイバーに呼び戻された。

「シロウーッ! 凛達から電話です!!」
「えっ!? ああ、判った。すぐ行く!」

 電話口で待たせては悪いと思い、とりあえず洗濯物をざっと取り込めるだけ取り込んで居間に戻った。

「あ、今戻ったようです。換わります」

 はい、と俺に受話器を渡してくれるセイバー。なんだ、セイバーちゃんと電話の使い方知ってたんだな。ちょっと吃驚した。ありがとう、と一声掛けて受話器を受け取る。

「はい、士郎だけど。遠坂か? 何かあったの……って、ああ。アリアか。如何したの、何か御用? ……うん、うん。判った。ヴェルデの前に、判った。今から行くよ」

 横でセイバーが何事かと心配そうに思案気な顔をしている。遠坂達は彼女には要求を伝えてないのだろうか。

「セイバー、ちょっと街まで出るぞ。手を貸してくれってさ」
「承知しました、直ちに参りましょう」

 そう言うや否や、セイバーは今にも鎧を纏って飛び出しそうな勢いを見せる。

「え? お、おい、セイバー? 何しに行くか判ってるんじゃないのか?」
「はい? 勿論、凛達の助勢に行くのでしょう? 彼女達は今困っている、緊急事態だと凛から託りましたから、急ぎませんと」

 やっぱり、何かを勘違いしているらしいセイバー。今の返答でなんとなく、セイバーが誤解した理由に検討が付いてしまった。ああ、それで俺が電話に出たときにはアリアが出たのかな。遠坂のやつ、かなり猫が剥がれてたんだろうなあ。

「セイバー、別に戦闘に行くわけじゃないぞ? 俺たちはな、単に荷物持ちを手伝ってくれって頼まれただけだ」
「………………。はい?」

 目の前で出鼻を挫かれたセイバーはその場で目を点にして、まるで石像のように硬直してしまった。


 すっかり日が傾いた夕暮れ空の下、ヴェルデの前には文字通りあかいアクマが居た。

「お、お、おお遅いっ!! なに遣ってたのよ士郎!?」

 時刻は既に午後四時半をまわっている。電話を受けたのが三時半頃だから、確かに三十分程余分に時間を食った事になる。

「悪い悪い、これでも全速力で駆けつけたんだよ遠坂。セイバーが機嫌損ねちゃって、大変だったんだ」
「シ、シロウ!! まだその話を蒸し返す心算ですか!?」
「いや、全然そんな心算はないから、セイバー。第一、遠坂だって悪いんだぞ? いきなり緊急事態だ、なんて言うからセイバーが勘違いしちゃったんだぞ」

 そう、あの後のセイバーときたら、「非常識にも程がある!!」なんて怒り出しちゃって、本当にどうして良いか対応に困った。
 家からバス停までの道のりでなんとか宥め倒して、機嫌を直してもらうのに半刻ほど費やした。

「当然です。今は聖杯戦争の最中だと言う事を忘れたわけではないでしょう? その上で緊急事態だなんて言われれば、聖杯戦争絡みで何かがあったのだと思うに決まってるではありませんか!!」

 どうやら遠坂はセイバーに、緊急事態だから俺に代わってくれと電話口から緊迫した声でセイバーに伝えたらしいのだ。

「あはは、そう怒らないでよ、私も限界だったんだから……その、色々と……」

 当人の遠坂はというと、あははーと乾いたごまかし笑いで取り繕いながらそんな事を口にしてくる。最後の方は声が窄まってごにょごにょと何を喋っているのか聞き取れなくなっていたが。

「ごめんなさいセイバー。最初から私が出れば良かったのですけれど。生憎と私は荷物で両手が塞がっていたので、凛に電話を掛けてもらったんですよ。買ったばかりの携帯で」

 それがいけなかったんですね。と言葉を続けるのはアリアだ。

「だって、買ったばかりで操作に慣れてない物をいきなり使えっていうんだもの……」
「だからちゃんと使う時に使い方を逐一説明したじゃないですか。そのくらいで緊張しないで下さいよ。この先もっと情報化社会になるというのに、付いて行けませんよ?」

 なんだか良く判らないが、凄い話だなあ。情報化社会に即適応している英霊が目の前に居る。こんなのを見せられては、セイバーが普通に電話に応対出来ていた事なんて些細な事だと思えてくる。

「仕方ないじゃない、だってこんな小さな物が電話の機能どころかカメラだのメールだのなんだか知らないけど一杯機能があるっていうじゃない。間違って変な操作しちゃったりしないかって緊張もするわよ」

 なるほど、なんとなく理由が読めた。

「ははあ、さては緊張したまま頭半分真っ白な状態でセイバーに救援を求めたんで、セイバーが勘違いするような物言いになったんだな?」
「ええ、流石にあの説明では拙いと思って、私が代わったんですけど……。直ぐに士郎君に代わってしまったのでセイバーには誤解が残ってしまったのですね」
「ふんっだ。確かに私にとっては緊急事態だったのよ。精神状態も腕の疲労度もね!」

 そういってジロリと傍らに仕えるアリアを睨む。はて、何でアリアが睨まれるんだ?

「すみません、全て私が悪いんです、ハイ……」

 睨まれるままにその視線の棘を真正面から受け耐える兵士のサーヴァント。その顔は本当に申し訳無さそうに、だが如何したものでしょうかと力なく困った笑みを浮かべる。
「まあいいわよ、これで荷物の件は解決するんだから。と、御免なさいねセイバー。私もちゃんと説明するべきだったわ」
「まったくです。大体、サーヴァントを荷物持ちに呼び出すだなんて非常識すぎます!」

 家を出る前の怒りが復活したか、また怒って説教をしだすセイバー。拙いな、怒りの元凶を前にこの場で爆発しそうな彼女を説得するだけの弁舌は俺にはもう無い。

「まあまあ、ここはどうか私に免じて心を鎮めて下さい、セイバー。はい、荷物持ちのお礼にこれを差し上げますから」

 両手に荷物を下げたまま、器用に片方の袋の一つから紙袋の包みを取り出す。包みの中からまだ湯気が立つほど暖かい大判焼きを取り出し、セイバーに手渡す。

「こんな、私を食べ物で釣ろうというのですか貴女は」

 そのまま大判焼きを俺や遠坂にも手渡してゆく彼女。

「いいえ、滅相も無い。正当な報酬ですよ。ほら、美味しいですよ?」

 そういって最後に自分の分を取り、セイバーに手本を見せるように一口つまむ。

「うん、美味しい。やっぱり日本の和菓子はくど過ぎず、上品な甘さが良い」

 満面に幸せそうな微笑を開花させ、解説交じりにそう続けるアリア。その毒の無い笑顔と美味しそうに食べる表情に、ついセイバーも食欲をそそられたか唾を飲み込む。

「そ、そうですか。では失礼して私も……!!」

 戸惑いがちに一口頬張る。直後にセイバーは目を見開いて、驚きの余りに身を鉄に変えてしまった。

「セ、セイバー?」

 不安になって声を掛ける。すると唐突にセイバーが動力を取り戻し、一心不乱に大判焼きを頬張り始める。なんだ、吃驚したじゃないかもう。てっきり喉に詰めたかと思った。

「ふふ、気に入って貰えましたか?」

 満面に微笑みを湛えてセイバーを見守るアリア。傍から見るとやっぱり姉と妹のようだ。
 堅物でちょっと危なっかしそうなイメージの妹と、妹を落ち着き穏やかに見守る姉。
 自分も大判焼きを頬張りながら、そんな姿を幻視してしまう。

「……驚きました。この国の食べ物は何もかもこんなに美味しいのでしょうか」
 大判焼き一つでやけに大袈裟な驚き方をするんだなあ。そんなに祖国の食べ物は美味しくなかったのか、セイバー。
 まあ、大判焼きを気に入ってくれたのは日本人としてちょっと嬉しいが。俺も後で江戸前屋のドラ焼きでも買ってあげようかな。

「気に入ってもらえたようで何より。それでは皆さん、お手数ですがお付合い願えますか」

 俺達は遠坂達から荷物を受け取り、一緒にアリアの用事に付き合うこととなった。

**************************************************************

 さて、士郎達に手伝ってもらって、幾分軽くなった身体でアリアの買い物に付き添っているのだが、正直な話本当に目が点になった。
 何にって、彼女の機械強さにだ。本当に英霊かコイツは……!?
 士郎は学園内でも良く校内の様々な備品などを修理しているだけあって、機械には強い人の筈だが、その士郎でも流石にハンドメイドの機械部品やパーツ、特に電子部品の事なんてあまり知らないだろう。
 事実、今は士郎も私の隣でポカンと口を空けて、アリアの買い物の様子をただ見詰めている。

「なあ、遠坂。アリアってメカ強いんだな。随分とよく知ってるみたいだ」

 アリアはパーツショップの中であれやこれやと色々な部品を物色している。

「とりあえず必要なものは動体感知センサー、高度、風速、温度、湿度計、全天周カメラ、そして発信ビーコン……」

 私が生まれてこの方一度も聞いた事の無い呪文が次から次へと、アリアの口から流れる用に紡がれる。

「それに本体用にプラスティックの筐体やアクリルのボールに、アルミのアングルとかフレーム関係。ベース基盤に配線、ソーラーセルにバッテリー、コンデンサーなんかも要りますね……あ、これ良いな。小さいし人感サーモ複合型だし」

 ……一体、何を作ろうとしているの? 私のサーヴァントは……。
 彼女が何を作ろうとしているのかは知らない。だが素人の私が聞いたところでその材料から完成品を窺い知るには内容が難しすぎて適わない。

「センサー類は複合型のモジュールがあればベストなんですが……あ、これ良いですね。これぐらいなら丁度良いかも。IRカメラは……流石にこのサイズじゃまだ無いか」

 何か眼鏡に適うものがあったらしい。その大きさを確かめ、きっと今彼女は頭の中でその作ろうとしている何かの設計図を引いているのだろう。片手で持つ部品を遊ばせながら明後日の彼方に視線を向けている彼女の意識はきっと内に向いている。
 それにしても、私には彼女が口にする単語一つ一つがもう謎の呪文にしか聞こえない。
 あいあーるかめらって一体なに? カメラ? どんなカメラなのソレ?
 ただ判る事は、同じ部品や材料を何十個入りとか、箱単位で選んでいく辺りから見ると、同じものを幾つも用意する心算なんだろう。

「これは、一体何に使うものなのでしょうか」

 アリアから渡されるままに、樹脂製の買い物篭の中に何かの部品や装置を放り込み続けていたセイバーがポツリともっともな疑問を口にする。自らが持つ篭の中から何かの装置らしき親指大の部品を摘み出し、まじまじと見詰めている。
 遙かな古の騎士の彼女の目にはさぞかし珍しい物に写っているのだろう。

「本当、何を作る気なのかな? 見たところ大量のセンサー類を買い込んでるみたいだけれど……」

 アリア以外、この三人の中でもっとも機械に詳しい士郎が買い物籠の中身を覗いて、そう感想を口にする。

「ふふ、凛のように魔術で使い魔でも使えれば楽なのでしょうけれどね。私は真っ当な魔術師ではないのでこうして科学技術に頼らざるを得ないのです。と、セイバー。すみませんがこれもお願いします」
 私達の会話が聞こえていたか、アリアが微笑みながら部品を手に戻ってきた。セイバーの篭が更に重くなる。

「さて、この位でしょうかね。凛、清算をお願いします」
「はいはい。やっと任務完了かしら? さ、レジに行くわよアリア、セイバー」

 承知しました、と付いてくるセイバーと共に、私はレジへと向かった。


 うー、それにしても凄い量だ。四人で手分けして持っても結構な量がある。私達は新都の電気街を出て一路、家路についていた。既に深山町まで戻ってきており、今は商店街の通りを歩いている。

「ア、アリアぁ……幾らなんでも、買い過ぎじゃない?」

 持っているだけでもう腕が千切れそうだ。指に食い込むビニール袋の紐が痛い。

「も、もうダメ。限界……」
「判りました。荷物を貸してください」

 そういって両手両肩に荷物を下げたアリアが歩み寄ってくるが、貴女これ以上何処で荷物を持つっていうの……。

「いいわよ、貴女もう持てるだけ持ってるでしょ。いいから少し休憩しない?」
「そうだな、少し疲れてきたし、丁度公園の近くまで来てるから休もうか」
「そうですね、凛も大分疲れてしまっているようですし。では休憩にしましょう」

 士郎が援護してくれたので公園で休憩する事になった。

「ふう、疲れたあ。もう日も暮れちゃったじゃない。これからが私達の領分の時間だってのにこんなに疲れさせちゃって。こんな時にバーサーカーでも出てきたら最後よ?」
「すみません、凛。そんな事態にはならないよう、最大限周囲に警戒はしていますから御心配無く」

 その点については私もそう無闇に不安になっていたりはしない。もしそうだったら幾ら手が痛かろうととっくに家路を急いでいた。それに今はアリアもセイバーも、昨日よりはコンディションは良い筈だ。
 そんな私とアリアを置いて、士郎はセイバーを連れて商店街の一角に向かってしまった。
 まあ、今は敵魔術師の気配も、サーヴァントの気配も周囲二百メートル以内には無いからそう気にしなくても別に良い。

「おまたせー。ほら、二人とも」

 考え事をしているうちに士郎達が帰ってきた。戻ってきた士郎の手にあるのは江戸前屋のドラ焼きの包みのようで、二つあるうちの一つをアリアに手渡す。

「ありがとうございます。はい、凛」

 包みからドラ焼きを一つ取り出して手渡してくれる彼女。気のない返事でそれを受け取り口元に持ってくる。

「ほら、セイバー。これは“ドラ焼き”っていってね。さっき食べた大判焼きみたいに中に餡子が入っているお菓子だよ」
「ほう、甘い香りが漂って美味しそうですね。頂きます」

 士郎はどうやらセイバーにドラ焼きを食べさせたかったらしい。さっき商店街に出て行ったのはそのドラ焼きを買う為か。
 興味津々に目を輝かせドラ焼きに挑戦するセイバー。

「!! 非常に美味ですシロウ!! 肉厚の皮も甘くて、さっきの大判焼きとまた違った食感で、非常に興味深い……」

 歯型に切り取られたドラ焼きの断面を食い入るように見詰めながら何か黙々と思いに耽り始めてしまう。

「ちょっとちょっと、そんなドラ焼きぐらいで真剣に考え込まないでよセイ……」

 大袈裟に感動するセイバーに苦笑してそう窘めようと声を掛けたその時、視界の隅、公園の入口に、今一番会いたくない誰かの姿を見つけてしまった。

「あらあら、随分と余裕なのね貴女達」

 公園の入口から此方に声を掛けてきた存在、雪のように白い銀髪に紫紺の防寒着を纏った冬の妖精のような少女。
 商店街の雑踏の中にたった一人で。恐るべき暴力の化身、バーサーカーのマスターであるイリヤスフィールが其処に居た。



[1071] Fate/Liberating Night her codename is “Soldier” vol.11
Name: G3104@the rookie writer
Date: 2007/03/31 05:11
 商店街の雑踏を背に、冬の精のような少女が佇んでいる。

「あらあら、随分と余裕なのね貴女達」

 それは鉛色の暴風の化身、バーサーカーたるヘラクレスのマスターであるイリヤスフィール・フォン・アインツベルンだった。

「なっまさか、バーサーカーが居れば貴女達が気付く筈でしょう、ソルジャー、セイバー!?」
「凛、私の魔力検知はそれほど広範囲には及びません。それに今、彼女の周囲にバーサーカーの気配は無い。どういう心算かは知らないが、連れては居ないようです」

 私の言葉に、セイバーも続く。

「私も、バーサーカーの気配は感じ取れません。私は魔術師ではないので近場で魔術を行使されない限り魔術師を知覚する事は出来ません」

 凛の言葉に答えを返すその間も、私は今この場に彼女が何の心算で現われたのか、その真意を探り続ける。だが、皮肉にもその答えは出ない。たった一つだけ、嫌な予感を残して。

「バーサーカーを連れていないとは、随分と舐められたものですね、アインツベルンのマスターよ。貴殿一人でサーヴァント二人とマスター二人を相手に出来るとでも?」

 横合いからセイバーがその手に不可視の剣を携え、私の横手に歩を進め陣取る。己が主、衛宮士郎を護る立ち位置へと。

「あら、今はまだ人の目も多い黄昏時よ? 今此処で殺り合うのは愚策ではなくて?」

 ゆっくりと公園の中に足を進めながら語り掛けてくる銀髪の少女。その声色は外見の年齢と不釣合いなまでに艶めいて、冬の冷たい空気の中を滑るように響いてくる。
 その言葉にセイバーと凛が固唾を呑む。今此処で戦う気は無い、そう宣言して来たのだ。
仕掛けてくる気が無いのなら、敵は何故今この場に姿を現したというのか。その疑問が私達の頭上にずしりと圧し掛かる。

「確かに、こんなに目立つ場所で魔術の応酬なんて拙いなんてモンじゃないわ。目的は何よ、貴女。サーヴァントも連れず、こんな所を呑気にふらつけるなんて大した自信じゃない」

 凛の言葉に意も介さず、銀糸の妖精はその相貌に浮かべた微笑を崩しもせず不敵な光をその赤い瞳に宿している。

「全くですね。私には目立たぬ方法で貴女を殺せるだけの能力があるというのに」

 言葉と共に小さなスローイングナイフを袖口から掌の上に滑らせ、掌を傾けチラリと銀に輝く刀身を見せながら牽制する。

「ご心配なく、ガードは十分備えてあるから。セラ、リズ!」

 その刃の反射が眩しかったか、僅かに目を細めながらイリヤスフィールが従者を呼んだ。イリヤスフィールの声に従い、背後から人並み外れた速度で二人のメイドが現われる。

「はい、お嬢様」「イリヤに手を出すヤツ、ユルさない」

 イリヤスフィールに呼ばれ現われた二人のメイド。そう、深山の商店街には不釣合いすぎるほど際立ったメイド服を着た二人の召使いだ。その一人は手に、白い布地でぐるぐる巻きにして中身を隠してはいるが、人が扱うには巨大すぎる長物を携えている。
 あれは、そう、槍というより斧だ。ハルバード。その長大な布巻きのシルエットは槍と斧の合いの子といった感の強いハルバードそのものだった。
 公園の中に人気は少ないが、子連れの親やジョギング中らしきジャージ姿のご近所のおばさん達が突如現われた場違いなメイド姿にひそひそと話ながら怪訝な目を向けている。“特異”な格好をした従者二人が目立つ事といったら無い。その上そんな怪しい物を此処まで今と同じように担いできたのか? 随分と豪胆な事をする……。

「この子たちは私の世話係のホムンクルスよ。出来の悪い他所のホムンクルスじゃない、アインツベルン製のね。特にハルバードをもったリズは並のホムンクルスと思ったら大怪我するわよ。それに、バーサーカーなら何時でも呼び出せるんだから。迂闊に手出しはしない方が懸命ね」

 確かに、今此処であんな目立つモノを振り回されたら人目に付いて騒ぎになる。私一人ならイリヤスフィールを排除し目の前のホムンクルス二人を相手にする事も可能だが、騒ぎにならない自信は無い。それに令呪を使えば一瞬で此処にバーサーカーを呼ぶ事も可能だろう。バーサーカーという札まで持ち出されては、今は士郎と凛という護衛対象が存在する以上、此方も慎重にならざるを得ない。

「それで、用件は何です。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン?」

 声色に然したる抑揚も出さず、問う。バーサーカーという最強のカードを切らずに目の前にやって来たのだから、何がしか目的ないし意図がある筈だろう。

「ん~? 私は特に用事なんてないけど? ただ街までお出掛けしたかっただけだから。セラとリズにばれて付いて来られちゃったけど、本当は一人で散歩したかったんだけどね」
「イリヤスフィール様! 今は聖杯戦争中ですよ、一人でサーヴァントも連れずにお一人で出歩かれては危険すぎます!! せめて、私達を同行させて下さいませ」
「イリヤ、セラ困ってる。あまり一人で行かない、オネガイ」

 イリヤスフィールのマスターとしては常識外れの言動に心底困ったように窘めるメイドの二人。

「もう、わかったわよ。この話はおしまい。話を戻すけど、そうねえ……用事があると言えばそうね、貴女かな? リンのサーヴァントさん?」

 その言葉に、嫌な予感が現実になってしまった事を悔やむ。やっぱり私が目的か……。

「貴女に興味が沸いたのよ。敵とかって言う前に純粋にサーヴァントとしてね。貴女の存在って、余りに不可思議すぎるんですもの。だから知りたくなったの。ねえ、ちょっとお散歩がてら、お話しない?」

 それは紛れも無く、敵である相手からの誘い。普通ならこんな申し出に乗る馬鹿などまず居ない。
 だが、この時私は黙って了解した。

「ちょ、ちょっとソルジャー! 何の心算よ、敵の罠かもしれないのよ!?」
「大丈夫です、凛。確かに今彼女はバーサーカーを連れてはいない。騙し討ちにするとしても、あの二人ぐらいなら私が引けを取ることはありませんし、もしバーサーカーを呼ばれたら即座に引きます。それに、今は大人しくしていますが、この場から連中が大人しく私達全員を無事に帰してくれる保証もない。
あの程度のホムンクルスなら凛や士郎君に危害を及ぼさせる前に排除出来ますが、バーサーカーを呼び出されても拙い。わざわざ危険性を高める必要も無いでしょう。私が応じれば良いだけです」
「それはそうだけど、貴女は良いのそれで?」

 凛は私の身を案じている。マスターの目の届かぬ所で凶行に走られれば対処に遅れる。自分の失態で私を失いたくは無いと暗に語っているのだ。

「大丈夫です。凛、これでも私は戦闘のプロ。対人、対集団戦の専門家ですよ? 私を信じてください。私は必ず戻ります、凛」
「……判ったわ。用心して。必ず戻ってこなきゃ承知しないからね!」
「ふふっ了解。セイバー、すみませんが荷物をお願いします。直ぐに済むでしょうから、皆さんは先に戻って下さい」

 そう伝えて私は彼らと別れ、イリヤスフィールの方へ歩きだす。凛達は速やかに公園を後にして帰路についている。凛の心配そうな視線が背中に刺さるのを感じながら。

「いいのかしら? 仲間を帰しちゃって」
「目的は私だけなのでしょう? なら彼女達に手出しは無用です。話を聞きましょう」
「ま、いいわ。今日は戦いに来たんじゃないから。じゃあ、座らない?」

そういって彼女は公園のベンチを指差した。




第十一話「兵士は雪の少女と相対する」




 そろそろ時計の短針は7を指し示す頃合い。凛や士郎達はもう商店街を抜けただろうか。
 私はバーサーカーを連れぬイリヤスフィールとその従者に付いて、公園のベンチに腰掛けて聞く。

「それで、私に何の御用でしょう。イリヤスフィール?」
「そうね。単刀直入に聞くわ。貴女、何者?」

 その余りに真正面から直球過ぎる問いに思わず苦笑する。もう少し探ってくるかと思ったのに。

「ははは……また随分といきなりですね。ですが普通、サーヴァントがおいそれと自らの正体を明かすと思いますか?」
「いいえ、全く。でも聞くのは構わないでしょ。答えろ、とは言って無いもの」

 ああ言えばこう言う。そんな所も昔のままか。いや、あの子と同じというべきか。

「貴女、バーサーカーが何者か最初から知ってたでしょ?」
「何故そう思うのです?」
「甘く見ないで。貴女、私が彼の真名を明かした時に少しも驚いてなかったもの……たった一人だけね」

 ほう、あの僅かな間も此方の機微を見逃してはいませんでしたか。大した洞察力だ。

「それだけですか?」
「それだけよ。でも直感が告げてる。貴女はヘラクレスを知ってた。あの時、自分の武器は効かないって凛に叫んでたじゃない。バーサーカーの宝具の事まで知ってるんでしょ」

 さて、如何したものでしょうか。

「ふむ、カマ掛けとしては六十点といった所ですね。ですがまあ、良いでしょう。その大胆不敵な行動を称えて特別に答えましょう。――確かに、知っていましたよ。ヘラクレスの事は」
「何故? 見たところ貴女は古の英霊じゃないわ。彼と同じ古代ギリシャの英霊だったなら知られててもおかしな話じゃない。でも貴女みたいに近代の英霊……おそらくは、だけど。そんな貴女が彼を知ってるなんてどう考えても不自然じゃない!」

 最後には感情昂ぶるあまり怒鳴り声に近い剣幕で捲し立てるイリヤスフィール。きっと判らない事があるのが胸をムカつかせているのだろう。

「さて、普通はそうでしょうね。ですが、私がその“普通”の範疇に無ければどうです?」
「普通の範疇に無いって、どういうことよ?」

 私の言葉にムッとして、頬を膨らませて怒った表情を作る少女。

「これは例えばの話ですが。英霊というのは何処かの世界で、世界と契約を交わし奇跡を授かり、代償として死後を明け渡した者。その死後とは世界の輪廻から乖離され、時間も空間も、一切の繋がりを持たず、ただ“座”から呼び出され、その者が存在した時間、空間に関係なくありとあらゆる可能性の先へ送り込まれる……」
「? それは例えでもなんでもなく英霊の仕組みでしょ……何が言いたいのよ?」
「話はまだ終わっていません。つまり英霊は何時、如何なる場所にでも必要とあらば召喚される。それが自分が存在した過去や、もしくは同じ時代の別の可能性、所謂(いわゆる)“平行世界”であっても――」

 その言葉に、今度は何か気付くものがあったか、銀の少女の紅い双眸が一際(ひときわ)街灯の光を受けて光る。

「――――――――――っ」

目を見開いてハッと息を呑む彼女は、そのまま目で訴えるように無言で見つめてくる。その続きを話せと。
 私はベンチの後ろの植栽から適当な枯れ枝を拾って、砂地の地面をカリカリと引っ掻き図式を描く。

「そして、ここからが例えばの話です。此処に、仮に英霊Aがいるとして、英霊Aが平行世界α(アルファ)で聖杯戦争を経験した人間Aだとしましょう。その人間Aがその後英霊Aとなり、平行世界β(ベータ)で起きる聖杯戦争にサーヴァントとして召喚される。そんな事も可能性としてはありえる訳です」

 コツコツと枝の先で矢印を引っ張った先の平行世界β(ベータ)を突付きながら説明を終える。

「じゃあ、貴女…………」

 イリヤスフィールが掠れるように言葉を紡ぎ出そうとする。全てを口にする前に私はベンチを離れ――

「だからあくまで“例えば”の話ですよ。そんな存在があってもおかしくは無いという。平行世界で限りなく近いものを経験していた存在なら、此度の聖杯戦争の事を知っていてもおかしくは無い」

 ――大きく伸びをしながら、無意味な事だとは知りつつも、例えばの話だと言葉軽く答えた。

「……それに、私の場合はもう少々、事情が複雑でしてね。残念ながら説明は此処までです」
「貴女、まさか……いえ、そんな筈は。英霊はもう時の進まない存在で……ああもうっなんだか余計訳判らなくなっちゃったじゃない!!」

 なにやらぶつぶつと考え込みながら、考えに埒が明かなくなってムシャクシャしたか、くわーっと両手を振り上げて、綺麗な銀糸の髪を振り乱しながら怒り出す少女。

「なによ、一人だけ訳知り顔で澄ましてくれちゃって。感じ悪~い」

 子供っぽく口を尖らせ、拗ねるように不満を口にする彼女は何処か愛らしい。そういえばあの頃は、最初はシロウを危険に晒した敵として相容れないと思っていたのに、彼女に勝ち、彼が彼女を引取り匿うと言い出した時は本気で何を考えているのかとまで思ったのに。

(あいつに邪気はなかった。ちゃんと言いつけてやるヤツがいれば、イリヤはもうあんな事はしない)

 確か、貴方はそう言いましたねシロウ。確かに、今なら何故貴方がそう言ったか理解できる。
 彼女には邪気が無いが、あの恐るべき所業は邪気なく純粋が故、分別が無かったが為だった。その事は匿った彼女を見ていて直ぐに気が付いた。気が付けばいつの間にか、私は彼女をまるで妹のように気に掛けていた。放っておけないと感じていた。
 確かに、この子はただ、純粋なだけだ。ただ、純粋過ぎるだけなのだ。はは、私も貴方の事は言えないか、私も甘いですね。
 ……サー・ケイやケイン兄さんも私に対して、同じような感情を持っていたんだろうか。ふと、そんな事が頭をよぎった。

 ―――きっと、同じように暖かく見守っていただろうさ。アルトリア―――

 両方とも口煩い兄でしたが、心配してくれていたのでしょうね。

「大体……だからって…………私は……じゃないし……」
「イリヤスフィール様、所詮敵サーヴァントの言う事です。真正直に受け取る必要は在りません」
「イリヤ、少し落ち着く。ハイ、これ紅茶」

 まだぶつぶつと一人で愚痴り続けているらしい。二人の従者が諌めようと声を掛けているが聞こえていないようだ。仕方無いな、一つ忠告だけ残して去ろう。

「イリヤスフィール!」
「それにしたって……えっな、何!? ……何よソルジャー、そんな真剣な顔して。何か言いたいことでも?」

 自分の世界に飛んでしまっていた少女が此方側に戻って驚いた顔を見せる。

「イリヤスフィール、一つだけ忠告しておきます。“影”にだけは気を付けなさい。アレは在ってはならないモノだ」
「!!」

 影という単語に息を呑み、表情を硬化させる少女。

「貴女のバーサーカーはまずアレには勝てない。出会ったら即座に引く事です」
「なっ!?」

 その言葉にムッと反応し非難の声を上げてくる。それでも構わず、私は後を続ける。

「アレは純粋な英霊とは対極なるモノ……まして堂々たる正英霊であるヘラクレスだ。その魂が持つ純粋な神秘の高さと強大さは、アレにとって最高の餌です。あの“泥”に取り付かれればバーサーカーに逃れる術は無い。彼が吸収されればヤツに力を付けさせる事になる。それだけは非常に拙いのです!」
「………………」

 私の言葉の剣幕に圧されたのか、イリヤスフィールは押し黙って答えない。

「もしバーサーカーが泥に飲まれそうになったら、迷わず令呪で自決させなさい。そうすれば彼の魂は聖杯である貴女に取り込まれる。辛い選択でしょうがそうする以外、ヘラクレスがヤツの餌になるのを防ぐ方法は無い」
「なっ……そっそんなことになったりしないわ!! そんな真似、出来るわけ無いじゃない!! 私のバーサーカーはっ……最強なんだからっ!!!」

 その言葉に、目に見えて怒りを顕わにする。

「なら、取り込まれそうになったら先に私達が引導を渡してあげます。私一人では無理でも、セイバーと協力してなら例えヘラクレスであろうが、今度はしっかり殺しきって見せましょう」
「言ったわねソルジャー。遣ってみなさいよ? その言葉、絶対に後悔させてやるんだから!!」
「ええ、楽しみにしていて下さい」

 その啖呵を背に浴びながら、私は去り際にそう不敵な一言を残して公園を後にした。


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 ふう、淹れたての紅茶を口にしてみても何故か妙に味気無い。別に葉が悪いわけでも淹れ方が拙かった訳でもない。理由は判ってる。まだ帰ってこない彼女の事が気にかかって折角の紅茶の味も楽しめないでいるだけ。
 既に家に着いてから三十分が経つ。アリアったら本当に大丈夫かしら。……いや、ええい何を不安になっているのよ遠坂凛! 彼女を信じるって約束したのは誰よ、自分でしょ!?

「アリア、遅いな。何か連絡は無いのか遠坂?」
「ええ。まだ無いわ……彼女の事だから大丈夫だとは思うけど」

 士郎も心配してくれているらしい。まあ人の良さは彼の一番の取り得だから、彼にとっては当然の事なのかもしれないけれど。
 それにしても、心配するなって言われても心配しちゃうわよ……だってあのバーサーカーのマスターなのよ!? 幾らあの場には連れて来ていなかったといっても、マスターとしての能力は桁違いに高い相手なんだから、気を緩めてかかれる相手じゃないんだから!

「凛、少し落ち着いて。アリアとて何の目論見も無しに誘いに応じたのではない筈です」
「セイバー……」

 縁側で夜風に当たりながら正座して瞑想していたセイバーが居間に戻ってきて、座敷机の私の対面に腰を下ろしながら声を掛けてくれる。どうも気付かないうちに随分そわそわとしてしまっていたらしい。

「私も彼女との付き合いは僅かですが、彼女が不用意に動くような浅慮な人物では無い事ぐらいは判ります。何か考えあっての事なのでしょう」
「そうそう。そんなに簡単にやられるような彼女じゃないって遠坂……ちょっと無茶する所は在るけど」

 セイバーの言に相槌を打つ士郎。後半少し言葉を詰まらせたのは、まあ多分、私と同じことを考えたんだろうな。彼女は時々、自分の身を省みないで動く事がある。私やセイバー、士郎に危険が迫ったら己の事なんか微塵も顧みずに身を挺して護ろうとする。それは昨日のバーサーカーとの戦いからも明らかだった。
 セイバーに振り下ろされんとしていた斧剣の前に、自分が巻き添えを食らうかも知れないというのに己の危険も厭わず彼女を庇ったアリア。結果は全員が助かっているのだから成功と言えなくも無いけれど、あの時彼女は庇った代わりに自分が傷を負った。
 そうよ、下手をすれば彼女が死んでいた。いや、彼女がサーヴァントだったから死なずに済んだだけ。あの傷は人間ならまず助かりっこない程の重傷だった。それでも自分の身体も省みず反撃に出て、そして吹き飛ばされた。幾ら具現化の核たる頭と心臓以外は致命傷にならない頑丈なサーヴァントだって言ったって、あの直撃を受けて無事な筈は無かった。

 あの時、私は彼女から初めて大量に魔力を吸い出された。あの時の吸い出され方は半端じゃなかった。それまでの彼女は殆ど現界に必要な程度しか供給を求めてこなかったし、彼女の武器はあまり魔力を食わないほうだから、普段吸い出される量から考えればあの時は10倍近い量だったんじゃないだろうか。流石に何度もあんな吸われ方をされたらこっちの魔力もあっという間に底を尽く。だけどあの後彼女は瀕死のダメージを一瞬で回復させていた。あんな治癒魔術なんて聞いた事無い。あれはもはや“治癒”というより“復元”に近い。その直後にまた、彼女は再び自分の身を無視した行動を取る。バーサーカーと一緒に自爆――した訳じゃないけれど、自分の身を庇いもせず爆炎に巻き込まれた。

 あんな行動をなんの躊躇いも無く実行できるなんて、頭のネジが二、三本ぶっ飛んでいるか、よほどの覚悟が無ければそう出来る事じゃない。例え、己の肉体が修復されると判っていたとしてもだ。

「ええ、アリアってば意外にタフだから、たまにとんでもない行動に出たりするのよね……。だから心配なんだけど」
「……ははは。まあ、な」

 居間に三人揃いも揃って、溜息をつく。あ、セイバーまで溜息。アリアの信じ難い行動についてはセイバーも思うところがあったらしい。そりゃ、まあ……まさかセイバーもあの時彼女に助けられるとは思っても居なかっただろうし。
 そこまで思って、ふっと気になった事を思い出したので何気無しに聞いてみる。

「そういえばセイバー、教会で私達が出てくるまでの間、アリアと話していたのよね? 一体何を話していたの?」
「はい? 何をと聞かれても……ただ同盟を組まないかという話でしたが」
「そう、それだけ? 同盟しないかっていうそれだけだったの? そうは思えないんだけどなあ……だって貴女に突然そんな話を持ち掛けたって、貴女がハイって承諾するとは思えないもの。でも実際は士郎の決定にまったく異議は無さそうだったし」

 私の言葉に少しウッと息を詰まらせるセイバー。だが直ぐに気を取り直して弁明してくる。

「それは、客観的に見れば戦力が増えるのは望ましい事ですし……」
「でも、少しぐらいは自分とか、貴女に対してどう思うとか。話を円滑に進めるように軽く他愛も無い事とかも話したりしたんじゃない?」
「……まあ、軽くは。でも自分の事と言ってもサーヴァントとして正体を晒すような話はしないでしょう。……と言いますか、凛。ひょっとして、まさかとは思いますが貴女はアリアの真名、正体を知らないのですか?」
「!! 流石はセイバーね。察しが良いわ。そうよ、私は彼女の真名は知らない。彼女に伏せさせてくれって懇願されたのよ。
私も彼女の外見や能力、僅かに聞いた彼女自身の事なんかから正体を推測してみようとしたけれど、ダメね。古今東西、ありとあらゆる伝説、伝承を調べたところで、現代兵器を扱いこなすような英雄なんて聞いた事もないわ」

 その言葉にセイバーが僅かに「むう」と唸る。

「確かにな。俺も多少は伝説に登場する英雄は知ってるけど、そういうのって大体が中世から古代だろ? でも彼女はどう見ても現代人だ。サーヴァントは召喚された時代に適応するって聞いたけど、彼女の適応性は後付けの知識とかじゃないと思う。多分、生前からよく知っていたんだ。現代を」
「つまり、アリアは現代の人間だったと。私もね、そうとしか思えないのよね――」

 どう考えても、そう。アリアが中世以前、いや、それ所か僅か三十年前より過去の人間だったとは到底思えないのだ。だって、過去の英霊であるなら、どうして現代に出来上がってまだ間もない“いんたぁねっと”なんて私でも良く判んない物まで扱えるっていうのよ。

「そういえば彼女も言っていましたね。私はしがない軍人として生きた只の兵士で、自分の武器は生前に使っていたモノだと。詳しくは知りませんが、彼女が持つ武器はこの時代の物だ。間違っても彼女が何百年も昔の英雄だとは考えられません」
「アリアったら、そこまで喋ってたか。帰ってきたらちょっと怒ってやるんだから」

 まったく、私に明かしてくれた事殆ど喋ってるじゃないの!! ええい、こうなったら帰ってきたらとことんまで問い詰めてやる。アンタ何者よぉってね!!

「ですが、本当に何者なのでしょう……。何故か、私は彼女が無縁の他人だと思えない」
「そうね、アリアはセイバーに何故か親身だし。あまりにも良く似すぎているし……何かあるのかしらね」

 セイバーの呟きに頷き、その顔を覗き込む。彼女は口元に軽く握った手を当てながら視線を宙に漂わせている。その考え込むような仕草もアリアと瓜二つ、まるで姉妹どころか双子ではなかろうかと思うほど。

「それにしても、コレ一体、何に使う心算なんだろうな」

 そろそろ帰って来てから一時間が経つ。話題も尽きて、居間に静寂が訪れようとしていた時に、不意に士郎がぽつりと漏らした一言。そう、ついさっきまで人がひいこらと持って帰ってきた大量の部品を眺めながら士郎が思ったことを口にしたのだ。その感想は恐らくこの場にいる全員が同じ。

「さあねえ? 私にはさっぱり判らないわ。こういうのは私より士郎のほうが詳しいでしょ?」
「俺にも良くは判らないよ。多少何を買ったのかぐらいは判るけど。アレをどうして何を作りたいのかまでは流石に……」
「シロウにも判らないのですか」

 セイバーの問いにああ、と答える士郎。まあ確かに学校の備品とかのレベルではない事だけは確かだ。

「ほんと、な~に考えてるんだか私にも判らないわ」

 なんて投げやりにダラダラと中身の無いおしゃべりを続けていると噂をすれば影、ご当人がようやく帰ってきた。

「只今戻りましたー」

 良く通る澄んだ声が玄関から耳に届く。やれやれ、やっと帰ってきたか。とりあえず無事ね、良かった。

「お、帰ってきたみたいだな」

 玄関からの声に士郎が気付き、迎えに行こうとするが足音はもう廊下を歩いている事を伝えてきている。士郎が襖を開けるともう目前に彼女は居た。

「遅くなって申し訳ありません皆さん」
「お帰り、アリア。遠坂が心配してたぞ」
「ちょっ、士郎!! もう、余計な事言わなくていいのよ!」

 まったく、そんな事今言わなくったって良いじゃないのバカ士郎!!

「すみません凛。ですがご心配なく、この通り、無事に戻ったでしょう?」
「ええ、むしろ無事で戻らなかったらタダじゃ済まさない所よ。まったく、あんまり心配させるんじゃないわよ……おかえり、アリア」

 あはは、と困ったように笑いながら、無事だったでしょうと答えてくるものだから少しキツめに言い返す。アリアの横で士郎がオロオロしだしたり、私の後ろに位置するセイバーもちょっと慌てたような気配を見せるが、私が言い終わる前にはホッとしたような表情をしていた。何よ、私だって別に揉めたい訳じゃないわよ。でも言いたいことは言わせて貰わなきゃね。

「はい。ただいま、凛」

 そう言ってとても穏やかな微笑みを返してくるアリア。こういう辺り、アリアは慣れたもんで、私の性格を理解しているようで少しも動じない。……もうっ、そんな顔されたら誰だってそれ以上言及できやしないわよ。

「それで、話はなんだったの?」
「簡単に言えば、私は何者だ? っていう質問でした。それ以外は何も」

 さらっと言ってくるが、それはつい今しがたまで私達の間で交わしていた疑問だ。思わずドキッとする。どうも士郎も同じようで、少し目が泳いでいる。

「なるほど、奴さん貴女に興味があるって言ってたけど、本気(マジ)だったんだ」
「ええ、そのようですね」
「それで、なんて答えたの?」

 その答えに少しだけ期待と不安を込めて聞いてみる。アリアは少し困ったように眉を顰めて「サーヴァントが敵に正体を晒す訳が無いでしょう」なんてあっさりと無難な答えを返されてしまった。

「そうね、まあそれだけならその話は良いわ。イリヤスフィールについて何か判った事とかは?」
「そうですね。あの子は、言うなれば善悪の判断基準が無いだけの“子供”です」

 その言葉に全員が頭にハテナマークを浮かべる。いや、一人だけ、士郎だけは何か頷いているが。

「彼女自身は非常に純粋です。ただ善悪の基準が多少欠落している為に、時に恐ろしく残酷になれる。ほら、子供って無邪気に楽しそうに虫をバラバラにしてしまったりするでしょう? あれと同じです。あの子にとって、この戦争での敵は全て虫と同じ。だから何処までも残酷になれる。純粋な子供ほど残酷になれるものは無い」

 敵対すると厄介な相手なのは変わらないわね。躊躇や容赦は無い相手だからどうにかしてバーサーカーを何とかする方法を見つけないといけない。

「そう。アイツが何処に潜伏してるかとかは?」
「聞く事はしませんでしたが、大方の検討は出来ますよ。凛の監視網に引っ掛かっていない深山町、新都は除外。そうすると冬木市郊外の森、あの辺りなら人の眼も気にならないでしょうし、衛星写真のそこに城らしき施設の影が写っていましたから、隠れ家としては有力です……といっても、あくまで予想ですけど。判った事はそのくらいですね」

 そうか、確かにあの辺りまで離れれば冬木の監視の眼からも逃れやすい。私がイリヤスフィールが冬木市に入り込んでいることを察知出来なかったのはその為か。

「判ったわ。それじゃあ一先ず、この大荷物を如何にかしてくれないかしら、アリア。晩御飯はそれからよ」

 私は居間の一角を占拠している大荷物の山をくいっと親指で指して命じる。いい加減そこからどかさないと手狭なのだ。

「凛、先に片付けですか? アリアも帰ったばかりですし、先に夕餉にして一息ついてからでも宜しいのでは……?」
「あら、セイバー。片付けもせずに御飯なんてちょっとお行儀が悪いわよ。あ、それとももうお腹減っちゃった? ドラ焼きまで食べたのに」
「うっ、それは……」

 ちょっと意地悪く冷やかし気味に言うと突然セイバーは顔を真っ赤にして俯いてしまう。
セイバー敢え無く撃沈。フフフ、甘いわよセイバー。今この場で主導権を握っているのは私なんだからね。この場合決定権は家主である士郎なのでは? という懸念は捨て置く。

「了解しました。とりあえず隣の座敷に移して宜しいでしょうか、士郎君?」
「ああ、いいよ。ところでソレ、どうする心算なんだ? 組み立てるんだろう?」
「ええ、そうですね。パソコン関係は出来れば皆が集まりやすい居間が良いかと思ったんですが、隣の座敷の方がよいかもしれませんね。すみませんが設置させてもらって構いませんか?」
「ああ、勿論。ちょっと身内のせいで散らかってるけど片付ければすぐ使えるよ」

 アリアの要望に嫌な顔一つせず二つ返事で快諾してくれる士郎。こういうところは本当に助かる。

「後、差し出がましいお願いで申し訳ないのですが、工具や工作機械があれば少々貸して頂けませんか? 音も結構出ますから出来れば迷惑にならない場所も。例えば土蔵とか」
「えっ土蔵? いや、えっと……うーん。まあ、良い……けど。でも普段俺が魔術の訓練に使っていたりガラクタの修理に使ってるから結構散らかってるけど、それでもいいなら」
「え、それって士郎、貴方にとって工房って事でしょ? いいの、そんなにあっさり使わせちゃって?」

 士郎のあっさりした答えについ魔術師としての遠坂凛が反応した。だって普通、魔術師にとって工房は自身の研究に欠かせない重要な要素だもの。おいそれと容易く他人に明け渡したり使わせたりするなんてもってのほかなんだから!

「え? いや、まあ……。別に隠すほど大層なモノが在るわけじゃないし。気に掛かる事は爺さんの遺品とか俺が修理してる機械物とか、後はまあ藤ねえが……いや、身内がどっからかウチに持ち込んでくる訳の判らないガラクタの山とかでゴチャゴチャしてて、手狭なんでちょっと危ないぞってぐらいで」
「あ、そう。……まあ、貴方が良いって言うんならそれで構わないけど」
「ありがとうございます! お礼といってはなんですが、中の整理ぐらいはお任せください」

 朗らかな笑みを湛えてアリアが元気に礼を言う。土蔵を使わせてもらえたのがそんなに嬉しかったのだろうか? ヘンな子ねえ?

「それでは私は荷物を整理して来ますから、凛は夕飯の用意をお願いします。確か当番は凛でしたよね?」
「あー、そうだったわね。ハイハイ。任せておきなさい、吃驚するぐらい美味しい中華を堪能させてあげるから!」

 昼間はアリアに吃驚させられたけど、今度はこっちの番なんだから……見てなさいよアリア!! そう内心で意気込む私の横から士郎が口を挟む。

「そういえばさ、二人とも中華の材料なんて買ってきてたか?」
『あ゛……』

 二人して同時に醜い濁声を発して固まる。士郎の発した石化の呪文に一瞬、ピシッと空間に亀裂が走ったような錯覚を受けた。背筋が何か嫌なモノが流れ伝う感覚と共に段々と冷たくなってゆく。目の前ではアリアも少し頬を引き攣らせて真っ白に固まっている。

「わ……忘れて、居ました、ね。すっかり」
「確かに……そ、そういえば……実験器具も買ってなかったわよね?」

 どうしましょうかとアリアが目で問いかけてくる。理由は明らかだ。つい先ほどから座敷机越しに物凄くジリジリと痛い殺気にも似た視線が突き刺さってくるからだ。
 まるでどろどろとしたオーラのような気配をびしびしと肌に感じる。発生源は間違いなくセイバーその人。締まったァ……朝から何か現代の食に目覚めてしまったのか、セイバーが食に煩そうなのはなんとなく気付いていたのに。それにとっても健啖家だという事も朝の時点で判っていたっていうのに……なんでもっと早く気付かなかったんだろう!!

「凛、アリア……今晩は食事は無いのですか?」
「え、いや……その、ちょ、ちょっと待ってね?」
「あるのですか、無いのですか? はっきりして頂きたい」

 表情の消えた能面のような真顔でぼそりと口を開くセイバーさん。その口調は今までに聞いた中で一番硬い。全然感情を含まない無機質とさえ感じられるソレからは返って例えようのない怒気がにじみ出ている。気のせいだと思いたいけど、小さな肩の後ろから何か黒い執念のようなものが立ち上っているような幻視を覚えてゾッとした。
 いや、まって、ね? お願いだから早まらないで、ね? ゴメン、もうからかったりしないからその殺気を鎮めてぇっ!!

 横に目を向ければ何故かアリアは恥ずかしそうに顔を赤らめながらも困ったように顔を引き攣らせている。でもあまり脅えては、いないわね。でも凄く赤面して、あ、俯いた。その表情は何故か凄く情け無さそうで、まるで自分の欠点を公に暴かれて羞恥に苛まれているかのようだけど……貴女、なんでよ? 士郎はといえば床にへたり込んで、ああ、完全に狼狽えているわねえ。

「セ、セイバー。在り合わせで良ければ俺が作れるから、さ」
「! 本当ですか!?」

 狼狽えながらも懸命に宥める士郎。ううっ、こんな所でこんな情けない借りなんて作りたくない!!

「ッアリア!!」
「はっハイッ!? な、なんでしょうか凛」

 羞恥に苛まれてぼうっとしかけていたアリアがビクッとして正気を取り戻す。

「今すぐ中華用の具材を買って来て、大至急!!」
「ええっ!? 今すぐですか? ……でももう八時過ぎてますよ? まだ開いている店となるとコンビニエンスストアぐらいでは……」

 こめかみ辺りに冷や汗を流しながらも努めて冷静に対処しようとするアリア。だけどやっぱり多少落ち着きを取り戻せていないのは表情を見れば一目瞭然だったり。私だって伊達に四六時中一緒に居るわけじゃないからね。貴女の性格も多少は判って来たわよ。

「何処のスーパーでも構わないわよ、探せばまだ開いてるトコだって在るでしょ!?」
「それなら、二丁目の角のトコが在る。つい最近出来たばっかりのスーパーで、確か夜九時まで開いてるはずだ!」

 私の無茶な注文に士郎が助け舟を出してくれた。へえ、あの辺ってあまり出向かないからそんなスーパーが出来たなんて知らなかった。って、そんな事はいいから急いで!!

「急いで! 貴女の足ならすぐでしょう!? ほら財布!!」
「っとと、判りましたっ! 今すぐ行って来ます!!」

 私が放った財布を慌てて受け取るなり、脚力を強化して全力で任務(ミッション)を開始するアリア。その俊足で居間の中に突風が吹く。
 早く戻ってよ? まだ聖杯戦争も始まったばかりだって言うのに、セイバーに空腹で暴れ出されて敢え無くデッドエンドなんてまっぴら御免ですからね!!

「俺、先に適当に何か作るよ」
「ゴメン、お願い。私も道具用意するわ。セイバー、悪いけど、もうチョットだけ我慢してね?」
「はい、承知しました」

 その言葉に内心ホッと安堵の溜息を吐く。良かった、声の調子も何とかいつものセイバーに戻ってくれたみたい。どうやら、彼女はお腹が空くと機嫌が悪くなるらしい。
 全く、あの小さな体で大判焼きにドラ焼きまで食べているのに、もうお腹が空いてるなんて、ちょっと燃費悪くありませんかセイバーさん?
 中華鍋を取り出し、台所の用意を整えながらそんな事を考えていると突然、居間から声を掛けられる。

「凛?」
「はっはい!? 何でしょう?」
「中華というのはその大きな鍋で調理するのですか?」

 あ、あー……吃驚した。一瞬心の呟きを読まれたかと思ったわ。全く心臓に悪いじゃないのよぉ。
 私が用意した中華鍋を見て気になったらしい。

「ええ、そうね。大体コレ一つで何でも造れるわね」
「ほう、たった一つの器具で出来る調理法なのですね。興味深い」

 何か思うものがあったのだろうか、いたく感心するセイバー。まあ、それで時間が稼げるなら安いもんだ。だからお願い、早く帰って来てアリア!!
 そう懇願しながら十分ぐらい過ぎただろうか、待望の声が玄関から響く。

「只今戻りましたーっ!!」

 アリアが精一杯張り上げた声が耳に届く。やった、やっと材料が届いた!!アリアが玄関から大急ぎで廊下を駆け、襖を開けて入ってくる。

「凛! はい、これで何とか……」
「オッケー! よくやったわアリア、あとは任せて!!」


 そこからはもう、ただひたすら遮二無二に調理し続けて、何とか最短で料理を完成させる事しか頭に無かったんで、その後の事は実は良く覚えていない。
 何故か命の危機を感じたからか、十何年も生きてきた中で最短で四品もの中華料理を作り上げたのは自己最多、最短記録じゃないかと思う。
 気になったのは一にも二にも、セイバーの機嫌が直ったか否か。セイバーの機嫌が良くなるには相応のレベルの料理を用意しなければならない。麻婆豆腐に青椒牛肉(チンジャオロース)、酢豚に回鍋肉(ホイコーロー)とそれはもう熱い台所のコンロの前で延々中華鍋を振り回し続けること延べ一時間。思わずここって地獄の一丁目かしら、なんて思ってしまった。

 勿論、こんな手間暇のかかる料理ばかりを途切れる事無く次々調理出来たのは横でアリアや士郎が補助してくれたからに他ならないけど。手間のかかる回鍋肉(ホイコーロー)なんかは後回しで、その頃にはセイバーの給仕に士郎が付きっ切りだったからサポートはアリア一人だったけど。まあ材料買い忘れたのは半分彼女の責任でもあるし、相応の罰でしょう。明日はビーカー買いに行くからね? 忘れてたら承知しないんだから。

「ふう、何とか終わったわねぇ……」
「ああ、そうだな」

 片付けを終えて居間に戻ってきて座敷机の横でぐにゃりと空気の抜けた風船人形のようによろよろとへたり込む。横では士郎が大の字で倒れている。補助をしたり給仕におわれたりで、相当疲れたことだろう。私も、もう……ダメだ。

「お疲れ様でした。凛、士郎君」

 はあ、今此処に居る面子で平気なのはサーヴァントであるアリアだけ。でも流石に多少気疲れでもしたかな? 少し元気無さげに見える顔だが、相変わらずその表情は柔らかな微笑みを浮かべている。その慈愛に満ちた笑みはまるで聖母マリアでも憑依したんじゃないかと思わせるほど自然で、暖かい。一息入れてくださいと温かいお茶を差し出してくれた。

「はあ、貴女は良いわよねえ。疲れ知らずで」
「ふふっ。そうですね。こんな時はサーヴァントの身で良かったと思ってしまいますね。生身だったらきっと今頃力尽きて、そこで貴女達と揃って川の字でしょうね」

 此方の皮肉も真正面から受け流されてしまう。くそう、何だって何時も何時もそんなに余裕綽々なのようアンタってば……。でもさっきのアリアの反応は初めて見たな。あれって……やっぱりセイバーの態度に赤面したのよね? 何か引っかかるんだけど、疲れた頭ではそれ以上考えられない。

「セイバーは、もう寝たかな?」

 やにわに士郎がポツリと呟いた。セイバーは食事が終わって直ぐ、魔力を温存するために眠りに就いていたのでこの場には居ない。私も眠たいけど、ふと気になる事が頭の端に浮かんできたんで、徐に聞いてみる。

「そういえばさ、アリア。あのジャンク屋で大量に買ってたパーツ。あれって一体何に使うの?」
「俺も気になるな。何を造る心算なんだ?」

 私達二人の問いかけにアリアは少しはにかんだように微笑んで答える。

「あれは、一種のセンサービットです。凛もこの街の要所には大体使い魔を配置して監視網を敷いているでしょう? それと似たようなものなんですけど――」
「へ? 何、あれって只の監視装置なの? それなら私の使い魔で十分じゃない……」
「話は最後まで聞いてください。確かに監視網は凛の使い魔で十分かもしれません。ですが相手も皆同業、魔術師ばかりです。使い魔での探り合いぐらいは想定の内でしょう。当然、その監視網を潜る手段や、使い魔を破壊するなどの妨害工作も魔術師なら容易い。既にそういった動きはあったのでは?凛」
「まあ。確かにあったわよ。でもそれはコッチも同じだし。仕掛け、仕掛けられのいたちごっこは百も承知よ」

 疲れてあまり回らない頭で思い出す。アリアを召喚する数日前からちょくちょく、何箇所かの使い魔が破壊されたり、使い魔が何らかの干渉を受けて監視が緩んだ事があった。
 もう聖杯戦争は水面下で始まっているんだと実感したのはそのときだったか。

「でしょう? ですが魔術師は大抵、あまり科学技術は使いたがらない。その仕組みもあまり正確には把握していない。違いますか?」
「そんなの、一概にそうとは言えないけど……でもこの戦争でまさかそんなハイテクを使おうなんて考えるヤツは、あんまり居ないかもね」
「そっか、その為の監視装置で、その為のセンサー類なのか」

 アリアの説明に士郎がふんふん、なるほど、なんて一人納得して頷く。

「ええ。でもアレにはもう一つ、重要な目的があるんです」

 その言葉と同時に、何故か私は頭を痛めそうな嫌な予感がした。なんとなくだけど、アリアの青緑の瞳がキラリと光った気がする。

「もう一つって何?」

 あ、こらバカ士郎!! 火に油を注がないでよもうっ!!

「それは、私の能力をサポートさせる事です。今から造ろうとしているセンサービットは、それぞれが常時、周囲の環境を観測して、その情報を、コレに集約させる為に必要なんです」

 そういって取り出したのは、A5版程の大きさのプラスチック製のファイルみたいなケース。いや、角が丸くて、少し有機的なフォルムをしている。なんだか良く判らないキカイ。

「なんだ、ソレ?」

 士郎が私と同じ疑問を口にする。

「これは私の武装の一種なんですが、戦況を的確に把握する為のPDA、パーソナル・デジタル・アシスタント。つまり個人用情報端末です。本来は軍隊など、集団として活動する為の作戦や戦況などの情報伝達、通信、共有の為に使用するものです。
サーヴァントとなり、たった一人の私にとっては余り意味を成さない物ですが、私は生前から、この端末に色々と戦闘時も役に立つサポートソフトを個人で詰め込んでいたからか、私の武装の一つとして座に記録されていたようで……気付いたのはついこの間なんですけどね」
「??、???」

 えーっと、何? ぱぁそなるで、でじたるな……アシスタントってことは、お手伝いさん? あー、ダメだ……頭が痛くなってきた。疲れもあって、段々眠くなってきたんだけど……。

「え、えーっと。何がなんだかさっぱり判らないんだけど?」
「つまり、兵士が戦場での自分の周囲の状況や、敵味方の進行状況など、戦局を司令部と直接リンクして随時最新の情報を引き出せる携帯電話みたいなものですよ。そして、私のコレには本来は搭載されていないような戦闘補助用の機能も備わっているんです。
ですが、この補助機能には、戦場をリアルタイムで観測する外部からの情報が必要不可欠なんです。
本来はAWACS(エイワックス)や監視偵察衛星等からの観測データなどを元に、司令部のホストコンピュータが情報解析、統合した情報を元に機能するものですが、この世界にそんなバックアップは在りませんしね。だから、その代わりを務めるシステムが必要なんですよ。パソコンはそのシステムの為に……って、あら。聞いてます?」

 わ、悪いけど……もう、ムリ……。寝かせて、おね、が……い……。

**************************************************************

 アリアの頭の痛くなりそうな熱弁の前に、脆くも撃沈してしまった紅い魔術師こと、我らが遠坂さんが目の前でくぅくぅと寝息を立て始めている。
 延々一時間も中華鍋振るってたからな、そりゃ疲れも相当溜まっただろう。アリアの説明は謎だらけの暗号みたいで、俺にもまるで子守唄みたいに作用しそうだったんだから、ハイテクに弱い遠坂にはトドメの呪文(こもりうた)だったんだろうな。

「あーあ、寝ちゃったよ遠坂」
「もう、凛のハイテク音痴には困ったものですね」

 ちょっとだけ頬を膨らませたかと思うと、すぐにクスクスと困ったように笑いだしたアリア。その表情は困っていると言いながら、少しも迷惑そうな顔に見えない。寧ろ手の焼ける子供か姉妹を気にかける母親か、姉のように暖かい眼差しは何処か可愛らしささえ感じられて不覚にもドキッとする。って、いかんいかん。彼女はあれでもうら若き女性だぞ、母親だなんてちょっと失礼じゃないか。って、俺は何を考えているんだ? まったく、しっかりしろ衛宮士郎!

「まったく、そのままじゃ風邪を引いてしまいますよ」

 その言葉が遠坂の事を親身に気を配っているという何よりの証だ。 やっぱり面倒見の良い姉か、親。詰まり年長者に見えてしまうんだよなアリアって。
 同じ姉として見ても、どこぞの虎とは全然違うけど。あの虎に一度、彼女の爪の垢でも煎じて飲ませたいもんだ。
 彼女は壁際のハンガーに掛けてあった自分のコートを眠ってしまった凛に掛けようとして、思いとどまった。

「どうしたんだ?」
「これ、防弾製で結構重い事を忘れていました。凛のウッカリが移っちゃったんでしょうかね私?」

 そう俺の方を向きながら軽く舌を出しながらうっかりしていたと告白すると、コートをマナの霧に変え、代わりに自分が着ていた黒のウエストコートを脱ぎ、凛の肩に掛けた。

「さて、もう時間も遅い。貴方ももう寝られては如何ですか?」
「そうだな。でも遠坂をそのままにしておくわけにもいかないだろ? 和室から布団を持ってくるよ」
「ああ、ご心配なく。此処の後片付けを済ませたら彼女をベッドまで運びますから」

 そういって、机の上に出ていた湯のみを盆に載せて台所に向かう彼女。そんな彼女を見ていて、ふっと口にする心算も無い事が口を付いて出てしまった。

「なあ、アリアって、遠坂のことどう思ってるんだ?」

 唐突に聞かれた事に対して僅かに目を丸くされたが、彼女が口を開いた時にはいつもの柔和な微笑みにもどっていた。

「大切な人、ですよ。かけがえの無い友人であり、家族のような……」
「そうか、いや、アリアがそう思っていてくれて嬉しい。サーヴァントって人間とは端から格が違いすぎる英霊だから、あまり親身になってくれる人ばかりじゃないんだろう? だから、アリアが遠坂を大切に思ってくれて嬉しい。何でそんなにまで大事に思ってくれるのか、それは俺には判らない事だけど」

 そう、場違いなことを言っている事は判ってる。でも、何故か言いたかった。

「ふふっ、貴方のことも、ですよ」
「え?」
「凛だけじゃない。貴方も、セイバーの事も、私は同じ様に大切に思っています。士郎君、こっそり貴方だけに明かしますが、実はね……私は、貴方達と決して無関係な存在ではないのです」
「え、えっ? それって、どういう……」

 遠坂だけじゃなくてセイバーや、俺まで!? ええっと、そりゃ嬉しいけど、なんでさ? 湯のみを片付け終えて居間に戻ってくると、寝ている遠坂を起こさないように慎重におんぶしながらアリアは言葉を続ける。

「ん、よいしょっと。今はまだ、教えられません。重要なのは、私にとって貴方達は決して無関係な人間ではないという事。でも、この世界の貴方達にとって私はまったく関係の無い存在だという事。それが私の正体を知るヒントです」

 そう言われても、生憎俺には全然ピンとこない。

「今はまだ判らなくて構いません。判らなくて当然なのですから」

 そうに最後に付け加え、彼女は爽やかな笑みを残して、廊下の奥へと消えていった。



[1071] Fate/Liberating Night her codename is “Soldier” vol.12
Name: G3104@the rookie writer
Date: 2007/04/19 23:34
 知らないうちに、何処かの街を歩いていた。ああ、多分これは夢ね。だって私、こんな街並み知らないもの。
 ここは何処だろうか。薄灰色の曇り空、道生りに建ち並ぶ時代の厚みを感じさせる石灰色の建物の群れ、薄茶掛かった石畳の道路。目に映る看板や標識の文字は全て英語。どうやら異国の地に居る。イギリスかアメリカか……雰囲気的にはイギリスだろう。
 私は国外に出たことなんて殆ど無いけれど、全く知らない景色、って訳でもなかった。知らないのは間違いない。けど、なんとなく既視感はある。きっとテレビか何かで目にした何処かの旅番組ででも取り上げられた景色なんじゃないかと、自分の夢の筈なのにあまり自身の無い推測が頭をよぎる。『時計塔』、つまり魔術協会のあるロンドンでは無いだろう。そこまで都会ではない。

 ふと、目の前の雑踏、といっても余り人気のある通りでは無いがその行き交う人の中に一人の少女の姿が目に留まった。家族連れだろう、両親と兄らしき少年の間に挟まれるようにして、犬の散歩なのだろう。白い飼い犬を連れて楽しそうに談笑しながら歩いてくる。
 生来のものであろう透き通るような金砂の髪にエメラルドのような翠の瞳。誰の目にも華やかに映るであろう恵まれた外見を持つその顔は白磁のような白さと滑らかさで、あどけない純真な笑顔が彩っている。その無邪気な笑顔が、誰かに似ていると思った。
 可愛い子ね。年の頃は大体九、十歳位かしら。そんな他愛無い事を脳裏に浮かべながら私は暫くぼうっとその家族を眺めていた。




第十二話「召喚者は従者の過去を観る」




「ほらほら、アルトリアーッ 早くおいでよー」
「まってお兄ちゃん、そんなに走ると危ないよ」

 アルトリア……っていうのかあの子。白い子犬を引き連れる彼女を置き去りにして駆け出すやんちゃそうな兄に、アルトリアと呼ばれた女の子が困ったように兄を窘める。
 と、その時だ。丁度少年が上機嫌にはしゃいで交差点の角に飛び出した時、反対側の交差路の奥から暴走したトラックが飛び出してきた!

「お兄ちゃんっ!!」
(拙い!! あれじゃ避けられない!!)

 キキキィーっとトラックが急ブレーキを掛けるタイヤの悲鳴が通りに響き渡る。
 私は思わず彼に疾風の魔術を叩き込んで弾き避けさせようと呪文を唱えようとして、出来なかった。そう、だってここは夢の中。でも私の夢の筈なのに、全然私の思い通りにはさせてくれないヘンなユメ……。
 その事にもどかしさを覚えながらも、苛立ちを覚えるより先に私の心は驚きに支配されていた。あの女の子が兄を庇って助けたのだ。それも、常人とは思えない程の瞬発力で。
 まるで銃口から飛び出す弾丸のように風を掻き切って、彼女は数メートルの距離をコンマ5秒も掛けずに駆け抜けて……彼を突き飛ばして、代わりに己が撥ね飛ばされた。

(…………!! あの子、なんて無茶を……)

 なんて無茶を……それは彼女の無謀な行動に対しての感想、だけでは無かった。
 少女が飛び出した瞬間。魔術師である私には“ソレ”が何であるかすぐに判った。彼女が常識を超えた身体能力を発揮したその“理由”、正体。それは紛れも無く、“魔力放出”による爆発的な推進力だったから。あの子からは殆ど魔力なんて感じられなかった。家族の在り方を見ても、全然魔術師の家系とは思えないほど普通の、温かく幸せそうな家族に見えた。
 魔術師には見えなかった。そう、只の人間の筈の少女が紛れもない“魔術”を行使したのだ!
 全く、なんて無茶を。世の中には確かに、全く遺伝形質の無い親からでも魔術回路を持つ子供が生まれる事はある。だけどそんな子供は基本的に自らの魔術回路を認知したり、ましてや回路の制御法なんて知りようが無い。そういった彼らが突然にその眠っていた力を行使してしまった場合、殆どは魔術回路が限界を知らず暴走してしまう。緊急時に無意識のリミッターが外れ、慣れない筋肉を突発的に行使すると容易に筋断裂を起こしてしまうのと一緒。だが魔術回路で起こるソレは簡単な肉離れ程度より肉体に掛かる負荷、危険度がはるかに高い……下手をすれば簡単に命を失いかねないのだから!
 きっと目の前で兄の危機に動揺した彼女が兄を助けようとする必死の思いで、無意識に眠っていた魔術回路を目覚めさせてしまったのだろう。

 と、そんな事より彼女を助けなくちゃ! そんな思いで彼女の近くに駆け寄ろうと走るのに、身体は全然彼女の傍にたどり着かない。脳裏の何処かで声がするような錯覚。何処かに冷静な自分がいて私に諭してくる。私は傍観者でしかない。触れる事は出来ない、只観ることしか叶わないのだと。
 その証拠に、凄く遠くにいた筈なのに気が付いたら私は彼女を取り囲む家族を数歩離れた位置から眺めるように立っていた。
 そして、更に目を疑うような光景を目の当たりにする事になった。

 少女の手足は折れ、露出した肌には無数の擦り傷、切り傷。地面に落下した時に頭を打ちつけたか、金色に輝く美しい髪は紅い鮮血に汚されて見るも無残な怪我だった。きっと魔術回路も相当なダメージを負っているに違いない。
 トラックからは狼狽した運転手が降りてきてパニックになりながら救急車を呼ぼうと携帯電話相手に捲し立てていたり、泣き叫びながら必死に少女の名前を呼ぶ少年、焦り泣き崩れる母親に、焦りながらも必死に意識を取り戻そうと気道を確保し、生体反応を確かめ応急処置を行う父親。何事かと次第に集まり始めた住民達。現場はにわかに混沌とし始めていた。
 そんな中、少女の体に異変が起こった。体中の傷が次第に塞がり始め、折れていた骨も勝手に元通りに繋がってゆく。

(何!? 治癒魔術……まさか、それもこんな重症をあっという間に!?)
「お、おお!? 何だ……傷が、治っていく」
「貴方、こんな事って」
「す、凄い……アルッアルトリア!! 目を覚ませ!!」

 家族が見守る中、見る間に傷は跡形も無く治り、青白く生気を失っていた顔に赤みが戻り、彼女は目を覚ました。意識を取り戻したのだ。
 それは魔術師の私が見ても驚くぐらい信じられない光景だった。治癒魔術にしてもかなり高度な魔術師でなければ此処まで綺麗には治るまい。傷の塞がり方なんてあれはもはや治癒というより、復元と言ったほうがニュアンスが近い。……あれ? 私、これと似たような光景最近何処かで見なかったかしら? よく思い出せない。
 ともあれ、にわかには信じられないような魔術を目の前で二度も行ってくれたこの少女は、いったい何者なのだろう。周囲に魔術師らしき姿は一人も見当たらないから、彼女自らの魔術行使以外に考えられる可能性は無い。恐らく生まれて初めて魔術回路を開いたのだろう。今の少女からは僅かながら魔力を感じる。でもそれは凄く弱い。とてもあんな大魔術を行使出来たとは思えないぐらいに。

「う、うん……私、どうしたの? あれ、お父さん? お母さん?
!! そうだお兄ちゃん、お兄ちゃんは無事!?」
「ああ、ここに居るよ! 大丈夫なのか、アル……」

 眩暈に呻くように眉間に皺を寄せながら、それでも必死に兄の身を心配して辺りを見回し、兄の顔を見つけて破顔する。

「う、うん。ちょっとグラグラ眩暈してるけど、平気です。良かった、お兄ちゃん無事だったんですね」
「馬鹿っ心配したんだぞ!! 俺を助けてくれたって、お前が死んじゃったら意味無いんだからな!?」

 涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにしながら真っ赤な顔で少年が少女を叱り付ける。

「あ、うん……ごめん、なさい。でも、良かった。間に合わなかったかと思ったから」
「ばか……でも、ありがとうな。アル」
「はい。ごめん、ちょっと疲れ、て……」

 兄の言葉に僅かに微笑み返して、やはり身体には相当な負荷があったのだろう。救急車のサイレンの音が近づいてくる中、そのまま最後まで言い切れずに静かな寝息を立てて彼女は深い眠りに落ち、私の視界も同じように暗く落ちていった。


 真っ暗な中、ぼうっと自分の足と、紅い大地が見えた。徐々に姿を消す闇。見上げると赤茶けた雲が流れる灰色の空が頭上を覆っていた。視線を前に戻す。紅い大地の先は小さな丘を描き、その頂きに人影が在った。

「あれは……」

 少女の口から呟きが漏れる。
 その人影は一言で現すなら、紅い男だった。僅かに見える肌は麻黒く、頭髪はどれほどの失意と絶望を知ればそうなるのかと思わせるほどの白髪。その姿を、少女は見たことがあるはずが無かった。だが知っていた。出会った事など無い筈のその男に、少女は似つかない誰かの姿が重なって見えた。その重なった幻影もまた見たことなんて無い誰か。赤銅色の髪の少年。
 その両者の姿を、少女は見た事など無い筈なのに、知っていた。だがそれが何故なのか判らずに混乱し、動揺していた。
 今にも泣き出しそうな顔で少女はその後姿を見詰める。

『どうか、君の望む夢が……その道が幸せに輝いている事を祈っている』

 赤い背中は静かな口調で、そう口にした。万感の思いを込められたそれは、まるで死に逝く者の最後の遺言のような響きを持っていた。

「――――!!」

 その言葉に少女は言葉にならぬ声と息を呑む。少女が目を見開き、必死に手を伸ばすが、辺りは急速に白く輝き出し――


「■■■ー―――ッ」

 病院のベッドの上で、その女の子は目を覚ました。私はどうやら少女の見ていた夢を見ていたらしい。夢の中で更にその夢の中の人の夢を覗くって一体……なんなのそれ。
 奇妙な経験に釈然としない気持ちを引き摺りながらも、少女の様子を見守る。たしか、アルトリアと呼ばれた彼女は、突然に誰かの名前を叫んで目を覚ましたまま、暫く手を天に突き出したまま硬直していた。少しして、小さくビクンと肩を震わせ、瞬きも忘れ乾き始めていた翠の瞳に光る雫が溢れ始める。

「そ、そん……な……。まさか、嘘!?
私は、アルト……リア。アル……アーサー……嘘、そんな、あれは夢だったんじゃ……」


 やにわにベッドから飛び起き、シーツの上で頭を抱え、限界まで見開かれた双眸から大粒の涙をぼたぼたと零しながら咽び泣く。
 小さな肩を一層縮こませて、何かとても怖い夢でも見たように震えて、怯えていた。

「っ!! そうだ、彼!! まさか、そんな……お願い、嘘であって!!」

 突然我に返り、あたふたと慌てながらベッドから転がり落ちる。床に腰を打ち付けたことも厭わず、今にも再び泣き出しそうな、何かに必死の形相でよろよろと病室の隅にあったテレビのスイッチを入れ、チャンネルを出鱈目に回してゆく。BBCの国際報道が映ったところで少女はその手を止めた。報道番組の上部にはニュース速報が流れていた。

『国際的指名手配犯、紛争地帯の英雄エミヤの死刑、本日執行さる』

 報道番組の記事題目にはそう書いてあった。え、エミヤ? あれ? なんだか凄く聞き覚え在りそうな気がするんだけれど……まさか、ね。あの唐変木がそんな大それた事出来るはず無いし。うん、似た名前ってだけよね?
 だけど彼女はテレビに齧り付いたまま、小さく震えていた。

「……嘘。そんな、死ん……だ? 死んでしまったというの……。
こんな事って……あんまりじゃないですかっ!!」

 最後には思いつめたように切ない叫び声を上げて、その場にくず折れるアルトリア。

「あ、ああ……あああっうわああああああああああああああああああっ!!」

 突然に大きな叫び声を上げて頭を抱え、天を仰ぎ泣きはらした。

「うっく、ううっ!! 全て……全て、思い出した……。
……なんてこと、今になって……貴方が死んでしまった今になって、今頃記憶を取り戻すだなんて」

 天を仰いだままの双眸に前腕を被せ、止め処なく溢れ流れる涙を必死に拭う。

「もうあと数年、一年でもいい、もっと早く記憶を取り戻せていたなら……! 貴方に会えたかもしれないのに!! どんな奇跡か、貴方と同じ時代、同じ世界に産まれつけていたと言うのに……!!」

 その告白は、私にはどういうことなのかはよく判らなかった。だけど、彼女が恋焦がれていた人がもう死んでしまっていた、という事なのは判った。
 よく催眠療法とかで自分の前世が見えるとか、話に聞いたことはあったけど、彼女は自力で記憶そのものを取り戻したということなのかしら。そんな事例は聞いたことが無いけれど。魔術師として輪廻から外された英霊なんて存在と契約を交わしたりしている身名だけに、人の魂が輪廻転生を繰り返すって話に動じる事は無いけれど、流石にこれは吃驚した。自分の夢にしてはちょっと想像力豊か過ぎると思う。ほんと何なんだろうこの夢。
 でも、夢だとしても、折角記憶が蘇ったというのに意中の彼はもう故人だなんて、ちょっと可哀想な話じゃないかしら。この子を哀れに思う。

「なんて皮肉……自分を取り戻した時には既に、貴方はもう居ない……。もう、逢えない」

 本当に、なんて皮肉な巡り逢わせだろう。泣き崩れる彼女に、私は何もしてやれない事がとても歯痒い。傍観者は只、だまって観ているしか出来ない。

「そうか、貴方が呼んでくれたのですね、シロウ。貴方が……願ってくれた。私の未来が、私の道が過去のようにならず、希望あるものであるようにと。
死の間際に祈ってくれたその想いが、きっと私の眠っていた記憶を呼び覚ましてくれたんですね。
……でも、そこに貴方が居てくれなくて、貴方は私一人で幸せになれと言うんですか」

 少女は尚も涙を流し、想いを吐き出す。その時、やにわに病室の扉がガラリと開けられた。

「大丈夫かいアルトリア!?」
「ちょっと先生に呼ばれて私達は下の階にいたんだけど、凄い叫び声が聞こえたから飛んできたのよ?」

 扉の向こうから現れたのは彼女の悲鳴に慌てた家族達だった。看護婦まで緊急事態かとなにやら器具まで用意して駆けつけていた。

「あ……ご、御免なさいっ。ちょっと、怖い夢を見てしまって」
「そう、あんな事があったばかりだもの、無理も無いわ。安心して? 誰も貴女を傷付けたり襲ったりする物はありませんからね」

 泣きべそ顔で床にしゃがみ込んでいたアルトリアを母親が優しく抱きしめ、頭を撫でる。

「そうだぞ、アルトリア。何も心配する事は無いよ。皆付いてる、君には私らが何時でも傍に居るからね」
「妹を泣かせるヤツは俺が許さないから心配するなよ、アル?」

 父親やお兄さんも元気付けるように慰め、励ます。彼女がどんな過去を生きたかは知らないが、少なくとも今の彼女は、幸せな家族に囲まれていると思う。

「はい。もう大丈夫です。ありがとうお父さん、お母さん、それにお兄ちゃん。御心配おかけしました」
「そう?何かあったら直ぐ呼びなさいね。私達は直ぐ傍にいるから」
「はい。大丈夫だから、皆もう休んで?」

 内心はまだ動揺を収められていないだろうに、それでも気丈に笑顔を取り繕って、安心させようとする彼女はとても心が強い子なのだろう。
 家族が病室を後にする。病室は一人用の個室らしく、彼女のほかには誰も居ない。暗がりに月明かりだけが窓から差し込むベッドの上で彼女は暫く星空を眺めていた。
 徐にベッドを降りて窓に寄り、窓を開けて夜風に髪を流す。

「少し考えていて、判った。私が記憶を取り戻せた理由。きっと私が“鞘”を目覚めさせたからだ……。あの時は無我夢中で、自分に何が起こったのかもさっぱり理解出来ていなかったけど。今なら判る。あの時、私は魔術を使ったんだ。一度も使った事の無い、魔術を。そのお陰で、お兄ちゃんを助けられた。でも自分が代わりに跳ねられたんだ、気絶して覚えてないけど、きっとそう。本来なら死んでいてもおかしくない傷だった筈。でも私はこうして生きている……恐らく、初めて魔力を使った事で、体内の魔力回路が起動して、鞘を目覚めさせたんだ。私、生まれ変わっても魔術とは縁が切れなかったのですね。
……ははっ。まさか魂と一緒に、私の鞘まで、アヴァロンまで魂に取り込まれて受け継がれるとは思いもよらなかった。今なら感じる。私の中に、鞘の存在を……。多分、私の記憶は鞘がずっと護っていたんだろう。本来、転生した魂に前世の記憶は残らない筈。それを大切に護っておける方法なんて、五大魔術をも寄せ付けない究極の護りであるアヴァロンの鞘以外に、世界の力を撥ね退けられるものを私は知らない。私と貴方の縁を繋いだ物、貴方の半身だった存在。きっとこの鞘は貴方の想いに満たされている。私を想ってくれた強い願い。きっとそれが私の、セイバーを護りたいという想いが私の心を護ってくれた。記憶を護っていた。そうか、だから貴方の最後の祈りが、私に届いたのだろうか。貴方の半身である鞘を通じて……」

 いとおしく慈しむように胸に手を当て、また熱い雫が頬を伝ってゆく。その横顔は月明かりに淡く照らされて、頬を伝う一筋の涙がキラキラと柔らかい光を反射して幻想的な美しさを魅せる。

「それにしても、前世の記憶を取り戻しても、そう今の自分という人格が崩壊したりはしないようで、ホッとしましたよ。もう今の私はルキウス・アルトリア・カストゥスではない。片田舎の平凡な市民の娘、アルトリア・コーニッシュ・ヘイワード。ふふっ、ファーストネームが一緒だったなんて、なんの因果なんでしょうね。あ、そういえばお兄ちゃんはケインだし、お父さんはエクターだしお母さんはイグレア……ケインが拾ったあの子にはアーサー王伝説好きの父さんがベティヴィエールって名付けてたし……まさか、皆も私と同じように転生? まさかね……あ、でもお隣のお爺さんの名前って確か、ウィル・マー・リン……嘘だ、絶対何かの間違いです! 間違いであって欲しい!!」

 少しゾッとしたように顔色を蒼くしてぶるぶると首を振る少女。よっぽど想像したくない事だったのかしら。まあ、誰にも思い出したくない相手ぐらいは居るわよね。私にとっての綺礼とか、そんな感じの人なのかも。
 少女の独白は、もう年相応の少女が口にするような物ではなかった。十分に成熟し、高い理智を持った一人の“女性”のものだった。それにしても、あれ? あの子今、セイバーって言った? ……聞き違いよね?

「そうですね。貴方が望んでくれた私の未来。貴方の分まで精一杯生きなければ、貴方に申し訳が立ちませんね。貴方がそうしたように、私も人を守れる強さが欲しい。もうあの頃とは違う。私にはあの剣も力も無い、王の責務ももう無いけれど。でも今日のことで、自分の望みが判った。
もう誰も失いたくは無い。失わせたくも無い。
愛する人達を私はもう、誰も失いたくは無いから。家族を守れる、力が欲しい。それに、貴方の変わりに凛達を守れるようにならなきゃいけませんしね。もっとも、私が成長するころには……彼女達は十分強いかも知れませんけど。どうか、見守っていて下さい。シロウ」

 そう自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐ彼女の瞳はまた涙に濡れていたが、その顔は穏やかな微笑みを湛えていた。


 トンテンカンテン、ガタガタゴトンと、なにやら騒々しい音がする。重い瞼を開けると、いつもとは違う天井が目に入った。

「あれ? そっか、今は士郎の家に泊まってるんだっけ。……はて? 私いつ部屋に戻ったのかしら?」

 なんてすっ呆けた言葉が口を付いて出る辺り、まだ私の脳は碌に機能していない。朝は壊滅的に弱いのよね私。

「……ってぇ! 何だったのよさっきの夢は!?」

 今回はこの間と違って、アリアの特大迷惑目覚ましで記憶を吹っ飛ばされなかったからか、完全にではないが、ぼんやりとは覚えている。なんか、士郎の名前とか、私の名前とか不自然に出てこなかったっけ? うーん、なんかすっごく物騒な内容で士郎の名前が出てきたりしてたような気がするんだけれども……。
 っていうか、あれ一体誰よ? あの金髪碧眼の可憐な少女は。私あんな知り合い居ないわよ。……訂正、居ない事は無いけど、何で? 年齢とか全然違うし。どう考えても繋がらないじゃない!
 そんな纏まらない思考をかき乱すようにさっきからずっとなにやらガタゴトと外から音が響いてくる。

「ああもうっ。五月っ蝿いわねえ朝っぱらからぁ!!」

 思考をぐちゃぐちゃに掻き混ぜられてこっちは頭に来てるのよ!! 誰だ外で騒いでいるのは!?
 不機嫌になりながら部屋を出て廊下から縁側に移り、庭に出る。すると土蔵のほうから音が聞こえてくるなと土蔵のほうを見やると……なんと騒音の主は、アリアだった。

「アリア! 貴女こんな朝っぱらから何遣ってるのよ!?」

 アリアは金槌を片手に、土蔵の中の物を外に引っ張り出してきたり作業机を組み立てたりしていたらしい。地面にはブルーシートが敷かれ、上にはさっき作っていたらしい簡易作業台や工具が散らばっていた。

「ああ、おはようございます。って、もう十時ですよ? 全然朝早くはありませんけど」
「え? もうそんな時間……? ちょっと、なんで起こしてくれなかったのよ!! 学校遅刻どころじゃないわよ!?」
「はい。昨夜はかなり疲れていそうでしたので、大事を取って学校には今日は風邪で休みますと連絡を入れておきました」

 しれっと素の表情でそう対応してくれる彼女。まったく、相変わらず彼女は抜け目が無い。

「そ、そう。じゃあいいけど……って、じゃあ士郎は!? アイツだって学校行くでしょうにセイバーは連れて行けないし、まさか一人で出歩かせたりなんて――」
「大丈夫ですよ、ほら。士郎くーん! ちょっと来てもらえますかー」

 アリアが土蔵の入口に向かってそう声を掛ける。すると土蔵の中から呼ばれた当人が煤だらけの顔をひょっこりと出した。

「なんだいアリア――って、ああ遠坂、起きたのか。おはよう」
「へ? あ、おはよう」
 おはよう、なんて軽く声を掛けてくる士郎に目が点になったままで、自分でも判るくらい間の抜けた返事をする。

「って、そうじゃなくって! あんた、学校は?」
「ん? アリアが今日はまだ遠坂が体調悪そうだから一緒に行かせられないんで、自分が二人を護衛出来ないから休んで欲しいって頼まれてさ。土蔵の整理もするって言うから、ほら、人手もあったほうがいいだろ?」
「一応、一度起こしには行ったんですよ。でもなんだかかなり魘されていたみたいで、顔色が悪かったので」

 魘されていた? いや、確かにあの妙な夢を見ている間はあまり気が休まる暇は無かったように思うけど、ちょっと辛い内容だったし。まさか思いっきり顔に出てたのかしら。

「それはもう良いわ。で、貴女は今何をしているの?」

 目の前に広げられた光景を指差して聞く。

「見ての通り、土蔵の整理ですが」
「もう始めてるの?」
「ええ、当然でしょう。私の索敵能力を底上げするには早くビットを作ってしまわなければいけませんし」
「え? まだ造ってないの?」

 アリアからの返答に思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。だってアリアの事だから、気が付いたらもう二、三個は造り上げてしまってそうなものなのに。彼女の取り得はそんな手早さだと勝手に思っていたんだけれど……。

「流石に元のままの土蔵の中では作業し難いですよ。スペースも取りますし。それに、昨夜はパソコンを据えるのに座敷を片付けたり、機器を配線したりで朝方まで掛かりましたしね。ああ、そうそう。朝ごはんは居間に用意してありますから。冷めても大丈夫なようにお弁当にしておきました」

 え、あんたってば昨夜から動きっぱなしなの? 流石は英霊。人間とは耐久力が桁違いだわ。

「そう、そういえばまだ食べてないんだったわね。まあ、私は朝は食べない主義だったんだけど……」
「い・け・ま・せ・ん。朝食は起きてこれから動こうとする為の重要な活力源です。きちんと食べて下さい! 食べないとまともに頭が働いてくれませんよ? その証拠に凛、いま自分がどんな格好かお判りになってないでしょう?」

 そこまで一気に喋るとにわかに「はぁ」とため息を付きながらこめかみに指を添えていつもの困り顔をする。

「え、あ……うわっ私、今頭ボサボサじゃないっ服も昨日のままだし……!」
「とりあえず、洗面所で顔を洗って、着替えて身支度を整えましょう。凛」

 うわ、こんな格好で士郎の前に出てきてたっていうの私!? くうっなんたる不覚!! 悔しいけどアリアの言葉は逐一もっともだから、大人しく従うことにするけど。なんでこう、うっかりを連発するかな私。あー、きっと学校みたいに無縁の他人ばっかりじゃなくて、此処が付き合いの濃い身内ばっかりだからきっと気が緩んだんだ。きっとそうに違いない! そういえばお父様も結構うっかりした所があったと綺礼が零した事があったっけ。これが遠坂家の呪いなら、怨むわよ御先祖様。

「さ、私も手伝いますから行きましょう」
「え、いいわよ一人で。いいから此処をさっさと片付けちゃいなさいよ」
「あー、行ってきなよアリア。コッチはしばらく俺が引き受けるから」

 土蔵からまた煤で真っ黒な顔を覗かせて士郎が余計な後押しをする。

「わあっこっち見ないで!! もうっデリカシー無いんだからバカ士郎!!」

 手近にあったスパナを拾って投げつける。スパナは見事にシロウの額にゴンと直撃した。
士郎の体が入口の奥でひっくり返る。
「イデッ!? わ、悪かった。見ないからさっさと着替えてきてくれ。体が持たなくなる」
「す、すみません士郎君。後で氷もってきますから。もう凛! 危ないですよ」
「ご、ゴメン。でも士郎も士郎なんだからね!? 乙女がこんなみっともない格好してるところを覗くなんて重罪なんだから!」

 う、しまった。体がつい……。引っ込みが付かなくなって自分でも良く判らない事を捲し立ててることは判ってる。

「はいはい。はやく支度してきましょう凛」

 呆れるアリアに背中を押されて、私達はそのまま家の中に入っていった。


 洗面所で顔を洗いながら、私は昨夜の夢の事を思い出していた。あの夢。あまりに自分の無意識が生み出した他愛も無い妄想にしてはやけにリアルで、話も全然矛盾した所や突然突飛な展開になったりといった普通の夢ならあって当然の不整合性が殆ど無かった。
 起きてしまってから話の細かい所までは上手く思い出せないけれど、大体の大筋ぐらいは思い出せる。あれは、例えるなら誰か他人の記憶。そんな感じだった。でも、誰の?

「謎は尽きない……」
「はい? 何か申されました?」

 横でタオルを用意していたアリアが私の呟きを聞き取ってしまったらしい。即座に否定しようとして、やめた。

「あ、ううん。独り言。……ねえ、アリア? 貴女たちって、夢は……見ないのよね?」

 私の問いかけに、何故かアリアは一瞬、微かに表情を硬化させた。見えていたわけじゃない。けど雰囲気でなんとなくそうだと判った。

「はい。基本的に既に死者である私達の仮初めの肉体は生者の脳のように夢を見る、といった自由な精神活動は行えません。
私はまだ召喚されてから眠った事は在りませんが、セイバーのように肉体を休止させて眠ったとしても、見るとすればそれは自らの過去の記憶。自身の魂に記録された情報を再生しただけの只の映像です」

 顔を洗顔ソープで泡だらけにしながら、無言で彼女の説明に耳を傾ける。英霊は夢を見ない。見たとしてもそれは過去の再生。なんとなくその現象は、私が最近見ている妙な夢のパターンに似ている気がする。再び水を流し、バシャバシャと石鹸の泡を洗い落としてゆく

「そう。じゃあ貴女に聞いてもあまり参考にはならないかな? 最近ね、妙な夢を見たのよ。自分の夢じゃないような……誰か別の人の夢のような、奇妙な夢」
「…………」

 アリアは答えない。ただ無表情に横で佇むだけ。
 石鹸を落とし終えて、水道の栓を捻って締める。と、アリアがタオルを手渡してくれた。

「それがさぁ、その夢に出てきたのが誰だかさっぱり。見ず知らずの人ばっかりで。見た事も無い景色。見た事も無い人達。で、それをなんだかテレビのドラマでも見るように外から眺めてるような。そんな変な夢」

 私が顔を拭きながら喋り続ける間、アリアは終始無言。その瞳は何処か焦点が合っているのかいないのか、よく判らない。何を考えているのか、その瞳の色は今は深く沈み、真意を悟らせてはくれない。

「そんな夢、貴女は生前に見た事ってある?」

 ちょっと軽めに口調を上げて、聞いてみた。その問いかけに、僅かに表情を取り戻し、いつものようにふむ、とすこし考え込むような表情をして、やっといつもの穏やかな顔に戻り、語る。

「……そうですね。無い事も、無かったですね」
「なによ、そのどっちつかずな返答は」

 彼女にしては歯切れの悪い答えに、ちょっと意地悪く突っ込む。すると彼女は途端に饒舌に語り出した。しまった、アリアの“先生”モードが入っちゃったか?

「あはは、夢っていうのは無意識の願望とか、それまで経験した記憶とか、見聞きした様々な情報を脳内で整理、最適化をする際に見えるものだと言われています。眠っている間は脳は理性的なセーブが掛からない一種の暴走状態といっても過言ではありません。
ですから、テレビで見た風景とか、本で読んだ物語だとか、そんな全然繋がりそうも無い一つ一つの情報も、頭の中ではゴチャゴチャに入り混じって駆け巡ります。そこへさらに、人っていうものは空想が大好きな生き物です。自身の夢や願望、空想の世界まで混じってしまえば、本人にも想像も付かないような不思議な夢を見る、と言う事も在るでしょう」
「そ、そう。……そうね、夢って大体妙な物ばっかりだものね、はは……」
 一通り喋り終えて、アリアが一息ついたところでストッパーを掛ける。なんかこのままいったら脳の神経細胞がどうとか、神経伝達物質がどうとか延々と話が転がって喋り続けられてしまいそうな気がした。

「まあ、余り深く気にする必要は無いと思いますよ?」
「そうね。今はそんな事より聖杯戦争っていう大事があるものね。でも、それにしてもあの子……誰かに似てたのよね、すっごく」
「ほう、どんな子だったのですか?」
「んん? そうねえ、って、そうよ、誰かに似てるっておもってたら、貴女よ貴女! 年は全然幼くて小さくて可愛かったけど」

 私の言葉に少し吃驚したように目を丸めるアリア。ビシッと指差してしまったので面食らってしまったのかもしれない。

「わ、私……ですか? 幼くて可愛いと、ほう。今の私は年増で可愛くないですからね。申し訳ありません」

 可愛くなくてすみませんなんてしおらしく涙を拭くようなジェスチャーで嘘泣きしてみせるふざけた英霊が目の前にいる。まったく、冗談は程ほどにしておきなさいってのよ。

「ふざけないでよ。貴女みたいにモデル顔負けの美人がそういうこと言うと嫌味にきこえるわよ? まったく、化粧もなんもしてない今のままでも十分可愛いくせに」
「あはは、そうでしょうか? 化粧は昔から苦手でして」

 意地悪くからかうと照れたように頬を掻いてみせる。大体、化粧も無しにその顔ってどうなのよ全く。世の中なにか間違ってるわ!
 そんなやりとりをしていると洗面所の扉が開いた。扉の向こうに居たのはセイバー。

「おや、おはようございます。と、いってももうお昼前でしたが」

 朝の挨拶をするも時間が昼前という事に気付いて恥ずかしそうに小さくなるセイバー。なんとなく可愛げがある。隣のアリアにも見習わせたい気がするのは何故だろう。

「おはようございますセイバー。今日は凛もつい先ほど起きたばかりですからお気になさらず」
「ちょっとアリア! もう。おはよセイバー。洗面所、使う?」
「あ、はい。もう宜しいのですか? では失礼して」
「あ、はい。セイバー。タオルをどうぞ」
「ありがとうございます」

 洗面所に入るセイバーにアリアがタオルを渡して私の後に続く。入口の手前でふと思い出したことを口にする。

「そういえばね、夢に出てきたその子、名前まであったのよ。自分の夢ながら妙に凝ってるわよね。確か、アルトリアって……」

 その名前を聞いたアリアとセイバーが同時に硬直する。

「……へえ、変わった名前ですね。女の子の名前でも珍しいほうですよ」

 アリアは直ぐに普段どおりの態度でそう返してくるがセイバーは何かに驚いたように目を白黒させている。この名前、そんなに驚くような名前だったのかしら?

「……あ、アリア、すみません。石鹸が切れてしまったみたいで、予備は在りますか?」
「え、ええ。ちょっと待って下さい。凛、すみませんが先に戻って着替えてて下さいますか。直ぐ戻りますから」
「ええ、いいわよ。大体着替えぐらい一人で構わないんだから」

 なんとなく雰囲気から二人にしたほうが良いような気がしたのでそのまま場を後にする事にした。

**************************************************************

 アリアが戸棚からハンドソープの予備を取り出して中身を補充してゆく。その横顔に私は意を決して問いかけた。

「アルトリア……凛はどこでその名を知ったのでしょう」
「……夢の中、だそうですよ。それがどうかしましたか?」

 表情を変える事無く、アリアは慣れた手つきで液体石鹸の補充を終え、ボトルの蓋を閉めてゆく。

「慣れていますね」
「ええ。普段から遣っていた事ですからね。貴女と違って私は現代の出ですから」
「現代……やはりそうでしたか」

 現代。聖杯の機能によりこの時代の知識は十分に備わっている。だが知識として知っているだけで、普段から扱いなれているわけではない。やはり自分が生きた時代の生活の癖が出てしまったり、この時代の生活に慣れない部分もある。だが彼女にはそれが無かった。それはやはり現代の出であったからなのだ。

「聞きたいことがあったのでしょう、セイバー?」

 一人物思いにふけってしまっていた所を、アリアから問いかけられる。そうだ。凛が何故あの名前を知っていたのか。だがそれは先ほど答えられてしまった。

「ええ。ですがその答えは先ほどあっさりと答えられてしまった。ですから今は問いたい言葉が見つからない」
「……判っています」

 判っている。そうだ、考えてみれば彼女は私の正体を知っているらしいのだ。ならば私の動揺の理由も判っていてもおかしくは無いのか。

「そういえば、貴女は私の名を、知っているのでしたか」
「ええ、知っていますよ。アルトリウス・ペンドラゴン、アーサー王。いえ、アルトリア」

 その響きに背筋が震える。本当に知っていた。それも、私の本当の名。アーサーではなく、アルトリア。性別を偽り、男として王位に付いた小さな少女の、本当の真名を。

「貴女は、本当に……何者なのだ! 私の真名を知り、私と良く似た姿を持ち、現代に起源を持つという貴女は……!?」

 冷静になりたくても、理性に反して声には熱が入る。判らない……彼女が何者なのか、一体私とどんな関係があるのか。目の前の彼女は、それら全ての答えを持っている。
 彼女は私に背を向けて歩き出しながら静かに、だが強い意志の篭った声色で答えてくる。

「その答えは、貴女が自分で見つけなければ意味が無い。その答えは、貴女の抱える問題に繋がっているから。そう、貴女の抱える矛盾した望みに」
「何!? 望み、だと……!? 貴女に私の何が判ると……そうか、判っているのだったな。それは、私の願いまでもか?」

 用事を終え、洗面所を後にしようと扉の前へ歩いてゆく後ろ姿に思わず叫ぶ。血が昇り、武装を編みそうになってしまう。だが、聞き捨てなら無い。アリアは私の正体は愚か、私の心まで知っていると言い出したのだ。そんな馬鹿な話があろうか、現代の、それこそ碌な魔術も神秘も持ち得なさそうな彼女がどうして私の心を読み取れようというのか。詭弁ならそうであって欲しい。

「まだ、私の正体がわかりませんか? でも、凛はきっともう、薄々ではあるけれど……私の正体に気付き始めている」
「!?」

 凛はもう気付きかけている? 確かに彼女はアリアのマスターだ。アリアの秘密も、共に居る時間が多い分だけ、彼女のほうが気付きやすいのは確かだろうが。

「私の正体。それに気が付いた時、貴女は貴女が抱える問題に直面しなければならなくなる。その覚悟が今の貴女にお在りですか?」

 静かに、ゆっくりとアリアが此方を振り返り、私を見据える。その瞳は真摯で、とても真っ直ぐに私の瞳を射抜いてくる。

「ヒントを一つ差し上げましょう。私の名前、アリアは本当の名を短縮したものだと教えましたよね?」

 それでこの話は終わりとばかりに、アリアは洗面所の扉に手をかける。

「……!? まさか……」
「信じる、信じないは貴女次第です。でも、貴女が考えるより私はもう少し複雑な存在だと思いますけれどね」

 最後まで、結局何がなんだかもう私にはさっぱり判らない。彼女は私なのか……ありえない。まさかこの戦争で聖杯を得て、受肉した姿だとでもいうのか……。否、それこそもっと在りえない!! 彼女が私なら、エクスカリバーを持っていなければおかしい。だが彼女はエクスカリバーを持っていない。だから聖剣を持たぬ彼女は、アーサー王足り得ない。
 なら、彼女は一体何だと言うんだ。判らない……。
 もう少し複雑な存在……彼女は最後にそう一言だけ付け加えて、彼女は廊下の向こうに消えていった。



[1071] Fate/Liberating Night her codename is “Soldier” vol.13
Name: G3104@the rookie writer◆a3dea9af
Date: 2007/05/14 00:04
 朝焼けの空から淡い白光が障子を貫いて降り注ぐ。薄暗い部屋の中、私は一人青白い蛍光を放つ薄い額縁のような液晶モニターを覗き込み作業を続けていた。
 時刻は昨夜、いや数時間前に遡る。まだ日付が変わる少し前。午後十時にはもう完全に疲れで眠りに入ってしまった凛を離れにある凛の部屋までおぶって行き、ベッドに寝かせてから母屋の座敷を片付けに掛かった。
 座敷の中は確かに、ある意味凄い事になっていた。何処から持ってきたのだろうか真っ二つになった旧式ビデオデッキが隅の方でダンボールの上に鎮座していたり、一昔前の健康器具らしき柄が何本も突き出た籠や、吃驚したのは中に蜜柑がダンボール一箱丸ごと仕舞われた古い冷蔵庫など。座敷机の周りは物やらダンボールが見事に山を築き上げていた。

「はは、これは骨が折れそうですね……」

 此処にパソコンを設置したくともこう散らかって居ては満足に動けない。一人えいやっと腕をまくり小さく気合を入れ、寝しずまった屋敷の中で、極力音を立てないよう気を付けながら部屋の片付けに取り掛かった。
 片付けを始めてから半刻ほど経っただろうか。部屋から荷物を縁側に移していると、縁側のガラス戸越しに土蔵へ向かう士郎の姿が目に映る。時計を見れば針はとうに十一時を過ぎていた。

「あれは……やっぱり士郎はシロウですね。彼とて疲れている筈なのに、貴方同様に鍛錬だけは欠かしませんか」
 ――不本意ではあるが、アヤツとて衛宮士郎だ。私と出発点を同じくしているのだから当然の理だろうアルトリア――

 心の内、というより魂の裡から彼が不服を漏らす。気持ちは察しますが、何もそんなに不機嫌にならなくても良いでしょうに。
 鍛錬をするのは良いが、彼はもう少し自分の体調を省みるべきだと私は昔から常々思っていた。これは少し注意しておくべきか。縁側に放り出した荷物も一端は土蔵に持っていかなければならないから丁度良い。私は足元の箱を抱えて中庭に下りた。




第十三話「未熟者と賢者の夜、朝の来訪者に兵士は葛藤する」




 意識を集中し、ゆっくりと背骨に鉄杭を打ち込むイメージで慎重に魔術回路を形成してゆく。魔術回路。自分の内側(なか)に創り張り巡らせる異物、魔術師が魔力を通し神秘を具現化させるための擬似神経。魔力を回す為の回路。衛宮士郎(おれ)の場合その回路は自分の背骨に真っ赤に焼けた鉄の棒を挿し込むような感覚、イメージを持つ。
 一回一回、魔術を使う為にはまずこの魔術回路を体内に作り出すところから始めなければいけない。毎回、回路造るのは命懸け。ほんの僅かでも正確な位置に鉄棒が嵌まらずおかしな所にズレ込んでしまえば、本当の神経や血管、肉体がズタズタに吹っ飛んでしまう。そうして苦労して造り上げた一本の回路を使って、木刀に強化を試みるも――見事に失敗する。はあ、やっぱり駄目か。

「…………。ほんと、まぐれだったのかなアレ」

 まあ失敗はしたけれど、なんとか今日も死なずに鍛錬を終えることが出来た。ランサーの襲撃を受けたときには吃驚するほどあっさり成功したんだが……まああの時は無我夢中で、自分でも成功したのは殆ど奇跡だったと思うけど。いつの間にか額一杯にびっしょりとかいた汗を手の甲で拭いながら、つい愚痴が漏れる。

「ふう。……そう上手くは行かないか」
「精が出ますね」
「っ!? あ、アリア? 如何したんだこんな夜中に……」

 唐突に耳に届いた予想外の声に驚いて振り返った先にはアリアが居た。入口から挿し込む月の光を背に浴びて、淡く浮かび上がる金糸の長髪と翠の瞳。今は蒼い外套を脱いでいるので服装の色合いは違うが、外套を纏えばその姿はつい昨日此処に現れた彼女、セイバーと恐ろしいほど瓜二つだ。違いは見た目の年齢と多少の髪の長さ程度の物。だが違う物もある。決定的に違うのはその時代感。中世の騎士と現代の兵士、その差は歴然。そしてもう一つ、彼女が纏う雰囲気。なんとなくだが、セイバーと彼女とでは微妙にその雰囲気が違うのだ。そう、例えるなら堅く、何処までも硬質に焼き固めた折れない鋼鉄の剣と、同じように堅くしっかり焼きの入った鋼でも、その芯に柔軟性を残し、鋼の硬さ異常の強い外圧を受けても撓やかに受け流し、折れずに耐え切る日本刀の刃金(はがね)ような……って、幾ら自分が刀剣に執着があるからって喩えまで刃物を持ってくる事も無いだろうに。そりゃセイバーは剣士だし自らを剣と喩えられるのは喜ぶかもしれないが、彼女は兵士だ。いやそれ以前に、女性を喩えるのによりによって刃物なんて失礼にも程があるだろうに衛宮士郎!? 何をバカな事を考えてるんだ、しっかりしろ俺!!

「あのう……大丈夫ですか士郎君?」
「え、……えっ? あ、ああ大丈夫。御免、ちょっと思考がアッチにトンでたみたいだ」
「ふふっ。そのようですね」

 何の事は無いとごく自然に柔和な笑みでそう返されると、その、健全な青少年としては凄く精神的な試練になる。

「うう、面目無い。で、何か御用かい――――あっ!」

 御用は何かと口にしたところで大変な事に気が付いた。

「ひょっとして、ずっとそこに居た?」
「はい」

 うわ、望んでいたのとは正反対の答えを即答で返されてしまった。

「って事は……見られちまったかな、俺の鍛錬?」
「はい。御免なさい。見てしまいました」

 胡坐の上に肘を付き上を向いた手のひらに、顔面を突っ伏す。なんてこった、やっちまったか。

「はあ、鍛錬に集中していたとはいえ、人の気配に気付けないなんて魔術師失格だな俺」
「あまりお気になさらずに。私は人ではなくサーヴァントですから」

 困ったように苦笑を浮かべ弁護してくれるアリア。気持ちは嬉しいが、やっぱり己の修行不足は否めない。

「まあ、見られたものは仕方が無いしいいよ。それより、何か用があったんじゃないのか。その手に持ってるのは……ああ、そうか」
「はい。座敷を使えるようにしたいので、申し訳ありません。ここ以外に運べる所が無くて……貴方の工房だというのに」
「いいよそんなこと気にしなくて。元から此処は物置なんだし何時も不要物やガラクタはこっちに持ってくるんだ。だからアリアが気に病むことじゃない」

 アリアは済まなさそうに表情を曇らせ謝ってくる。そんなことで気に病む必要は無いのだからそんな顔をして欲しくない。

「そうだな、その辺のあいてる所に置いといてくれ。明日にでも整理するから」
「了解しました。ご迷惑お掛けします」

 そう小さく一礼してからアリアは荷物を土蔵の隅に降ろしに向かう。ふと、頭に浮かんだ事を聞いてみようかと思った。聞いてよいものか少し躊躇われたが、意を決して問いかける。

「あのさ、アリア。一つ聞いても良いかな?」
「はい? 何でしょうか。私に答えられる事であれば答えますが」

 空いている一角に荷を降ろそうと屈んだところで俺の声に反応して荷を持ったまま首だけ振り向き聞いてくる。

「あ、先に降ろしてくれていいから。御免、タイミングが悪かった」
「はい、降ろしましたよ。それで、聞きたい事とは何でしょう?」
「うん。その、なんだ……俺の魔術見たんだよな。その、アリアから見て、どうだったかなって。切嗣(オヤジ)以外の人に見てもらった事なんて無いから、他の魔術師からみた俺の魔術ってどうなのか知りたいんだ。採点ってことかな。まあアリアは魔術師じゃないけど」

 魔術師ではなくとも、サーヴァントだし魔力の流れとか基本ぐらいは理解出来るんじゃないかと勝手に期待を寄せて聞いてみたのだが、予想以上の答えが返ってくるとは思わなかった。

「そうですね。……ふむ、少し厳しい採点になりますが宜しいですか?」
「うっ? ああ、良いけど。アリアって魔術詳しいのか?」

 意外だった。セイバーやランサー、バーサーカーのような歴史の英雄ならまだしも、何処か現代人臭すぎる所があるアリアは、あまり魔術とは関わりが深くは無さそうに思えたのだが。判ってる心算になってるだけで、案外人間って判らないものだなあ。

「まあ、少しは。と言っても、私も大して扱えた訳ではありません。簡単な物を少し使えた程度です。ですので私もあまり人に大きな事は言えないのですが……」

 そう補足した上で一拍置き、彼女は改めて結論を口にする。

「結論から先に言います。貴方は、根本から遣り方を間違えている」
「……え? 根本から?」

 まいった、厳しいだろうなと覚悟はしていたが、まさか全否定されるとは。

「まだ採点は終わっていませんから誤解しないように。がっかりするにはまだ早い。私は方法を間違えていると言っただけ。どう間違えているかはまだ伝えていませんよ?」
「あ、ああ。そうだな。どう間違えているんだ? 判るのなら教えて欲しい」
「はい。いいですか、貴方はまず魔術回路は毎回一から造り上げるという事をしているでしょう? それが、根本から間違えているのです」
「? どういう事だ、魔術を使うために魔術回路は作り出すモンだろう?」

 少なくとも俺はそう教えられた。根本から間違えていると言われても、何故間違っているのかも判別が付かない。そんな俺の疑問に、アリアが簡潔に答えてくれる。

「違います。魔術回路は一度作ってしまえばずっと在り続ける。後は自らの意志で活動、停止を切り替えられる物です。ですが、貴方にはそのスイッチが存在しない……。その結果、毎回毎回、魔術を行使する為に何度も死の危険を孕んで一から回路を作り直している。ですがそれは本来、まったく必要の無いことなのです」
「!! スイッチ……」

 白状しよう。目からウロコだった。考えても見なかった事だったからだ。俺は何時も鍛錬する度に死と隣り合わせで自分の背骨に熱い鉄の棒を打ち込み続けてきた。それが魔術を扱う者が常に死と向かい合うという事だと思い込んでいた。切嗣(おやじ)からはスイッチなんて教わらなかった。

「はあ、コレは相当重症ですね。よくこんな手法で今まで生きていられたものです。五体満足に今までいられた事は奇跡かもしれません。明日、凛に相談してみましょう。貴方が魔術を教えてもらえるよう取り計らってみます。彼女なら貴方の回路の開き方も、スイッチの作り方も教えてくれるでしょうから」
「え、いいのか? でも俺、遠坂に返せる物なんて持ってないぞ。魔術の基本は等価交換だろう?」
「問題ありません。そもそも、貴方達とは同盟関係なのですから。それもこの戦争が終わるまで切れる事の無い同盟です。相手が未熟なら戦力として使い物になるよう此方から能力を底上げさせるのは当然の事。凛も拒みはしないでしょう。それに、貴方には既に宿を借りている身でも在る訳ですし。等価交換というなら、貴方は既に拠点を提供しています。後は、交渉術次第です」

 語りながら手近の柱に背を預け、軽く腕を組み最後にニヤリと目を細めて口端を吊り上げる金色の策士。終始アリアは全てを見据えたように静かな瞳で語ってくる。何も心配要らないと。毎度の事だが驚かされる。この英雄はもっとも英雄らしからぬ出で立ちでありながら、その内面は時折、賢者のような雰囲気を見せることがある。

「む。交渉次第、ね。はあ……アリアってほんと、何て言うか……兵士って言うより策士だよな」
「おや、今頃気がつきました? 戦場では兵士は正確で迅速な状況判断が求められるのです。四方八方から銃弾が飛び交い爆撃とトラップが待ち構える戦場を掻い潜って生き残るには常に先を読み続け、策を巡らせなければなりませんからね」

 涼しい笑みを崩さずこれだ。皮肉をこめた冗談さえ軽く返される。頭の回転では適いそうも無いな、こりゃ。

「それにしても、見られて返って良かったかもしれないな。まさかこんな大発見に繋がるとは思いもしなかった」
「まあ、私にも多少似たような経験がありましたからね。他人事とは思えなかったので」

 え? 気になる一言を聞いた。アリアも似た経験がある、とはどういう意味なのか?
 反射的にアリアに振り向くと彼女は少し照れを隠すように笑い、言葉を続ける。

「私も魔術は殆ど独学ですから。大した事も出来ませんでしたが、貴方と同様に何かと苦労した経験も在るという事です」

 なるほど。彼女も昔、俺と似たような境遇で魔術を鍛錬したのかもしれない。それで俺の“異常”に気がついたのか。
 と、随分長話をしてしまったような気がする。彼女は片付けをしに此処に来た筈なのに。

「おっと、済まない。随分と時間を食わせちまったみたいだ。片付けまだ全然なんだろ? 手伝うよ」
「あ、いいえ結構ですよ。鍛錬までして疲れているでしょう。私一人で終わらせてしまいますから、貴方はもう休んで下さい。もう日付は変わって二月四日に入っています。朝は早いのでしょう? ならもう寝ないと」

 アリアは腕時計を見ながらそう答える。……その腕時計も君の装備の一つなのかアリア。

「ん、まだ大丈夫だよアリア。じゃあもう少しだけ鍛錬したいんで、俺の事は気にせず作業を続けてくれ。そのスイッチっていうのを念頭に入れてやってみたいんだ」
「まだ続けるのですか? はあ、判りました。言っても聞かないでしょうが、余り無理はなさらないように」

 呆れたようにそれだけ言い残してアリアは母屋に戻った。その後は特に会話を交わす事も無く、彼女は黙々と座敷の大荷物を此方へ運び続けていた。


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 草木も眠る丑三つ時、時計の針は既に午前二時を指し示す。ようやくすっきりと片付いた座敷から縁側に出て土蔵の様子を見る。もう士郎は部屋に戻っただろうか。

「む、まだ扉が開いたままですね。まったく、まだ残って鍛錬しているのでしょうか」

 あれからもう二時間近くが経過している。いい加減そろそろ休まないと朝に支障をきたすと言うのに……。半ば呆れを覚えながら闇夜の芝生を踏み締める。向かうは土蔵。月明かりの下土蔵はひっそりと佇んでいる。中から動く者の気配は無い。

「……む、これはひょっとすると。…………ああ、やっぱり。そんな事じゃないかと思いましたよ」

 土蔵の入口から中の様子を覗き込み、ついため息が漏れた。土蔵に動く者の気配がしないと気付いた時点でなんとなく察しは付いていたのだが、案の定土蔵の主は鍛錬の姿勢のままこっくりこっくりと夢現に舟を漕いでいる。

「まったく、そんな格好でこんな所で寝てしまっては体に悪い。まだ夜風は冷たいのだから、風邪を引いてしまうではありませんか。貴方という人は、あれほど休むように忠告したのに……」

 眠りこけている当人にそんな愚痴を零しても意味は無い。只の虚しい独り言になってしまうが、積年の思いが蘇ってしまってつい口を付いて出てしまう。そんなことより、彼をこのままにしておく訳にもいかない。幸い此処は彼にとっては彼の部屋以上に彼の拠所であり、一通りの私物も防寒具も揃っている。言ってしまえば彼の部屋より此処の方がよっぽど彼の部屋らしい。それは些か問題がある事だとは思うが。

「仕方が無い。確かそこの古い箪笥に毛布が入っていた筈。……あった。よし、二枚あれば多少の寒さも防げるでしょう」

 床を払ってもう毛布を敷き、そこに結跏趺坐の姿勢で座ったまま器用に眠っている士郎を静かに横たわらせ、肩から毛布を掛ける。手近にあった紙切れと鉛筆、修理のメモ書き用だろう。それに「鍛錬もほどほどに」と注意書きを添えて土蔵を後にする。
 中庭に出て、朧げな月明かりの下、一人内面に対して皮肉げに呟く。

「ふう、シロウにも困った物だ。少しは自愛してほしいものです。ねえシロウ?」
 ――それは私に対しての当て付けかね。いや、すまん。確かにあの頃の私は無謀だった。だがその言葉、あの頃の君にそっくり返して遣りたかったんだがね?――

 呟きに対して反論してくる私のパートナー。そう、その正体は私の元マスター。私を失った後、自らを剣に変え自分の理想に到達した英霊。懐かしい月明かりと中庭を過ぎ行く夜風に郷愁感でも絆されたか、少し彼と話したくなってしまったのだ。

「う、それを言うのは卑怯ですシロウ。あの頃の私はサーヴァント――、止しましょう。確かに私達は似た者同士だった……もっとも、意志の強さは全然、似て非なる者でしたけれど」
――そう自分を卑下するなセイバー。胸を張って良いんだ君は。経緯がどうあれ、結局君は自分の弱さに打ち勝ったのだから――

 耳にではなく心に聞こえてくる彼の言葉はそう諭してくる。『セイバー』と、懐かしい名を口にして。

「……久しぶりですね。貴方にその名で呼ばれるのは。懐かしい響きです。
この世界の私……セイバーはどうだろう。彼女は、自分の心に気が付けるだろうか……」
――さあ、どうだろうな。可能性は無くは無い。だが彼女が答えを得るかどうかは……彼女次第だ――

 既に私の辿った道とは異なる道を歩く事になったこの世界の私。彼女は、私のように自らの迷い、心の隙に気付く事が出来るだろうか。私がこの世界に呼び出された時、最初に望んだ事はアーチャー、英霊と化した彼が磨耗の末に抱いた掬われぬ消滅への妄執を断ち切らせる事。既に完成された“守護者”となった私達英霊は、呼び出された先で得た記憶も経験値も持ち帰れはしない。座に在る自分には受け継がれない。だが私達の、この一時の経験や記憶といった情報は、座の本体に受け継がれはしなくとも、座の『記録』には履歴、過去録として残る。
 座に在る私達にはソレが何時、何処にどの時点で呼び出された時の記録かは判らない。座は現世の時間軸からは乖離していて、私達は様々な時代、様々な可能性の先に飛ばされ、そこで役目を終え消える。その記録はそのつど座に溜まってゆくが、そもそも時間の流れという概念から外された“座”ではその記録が出来た順序は判らない。
 だが……時間ならそれこそ永遠だ。星の寿命尽きるまでその猶予は在る。

 たとえこの召喚での“記憶”は残らなくとも“記録”として、いつか座に居る自分がこの時の記録を紐解き知る時は来るだろう。それはきっとアーチャーとて同じ。だから私はアーチャーに答えを得させたい。彼の無限に近いの磨耗の記録の中、それは砂漠の砂の中に落とすたった一滴の雫でしかないかもしれない。だが、その一滴で彼の心が救えるのなら、私は全身全霊をもってしてでもその一滴となろう。生前では、私は彼を座に還せなかった。だから彼は今私と共に、私の中に在る。望んだ一滴はまだ届けられていない。だから今度こそ届けたい。

「……最初はただ、それだけだった」

 足は母屋ではなく敷地の端、庭の塀へと向かい、漆喰の壁に背を預けて広い中庭を眺めながらポツリと本音を漏らす。

 ――この召喚に応じた望み、か。……それで今は、違うのかね――
「判ってて、聞くのですか。優しいのか、意地が悪いのか」
 ――どっちでも良いさ。どちらも答えだ。私は君の終生の伴侶だぞ、君の相談役は私の永遠の役目だ。それで、今はどうなんだアルトリア――
「今は、出来ることなら……手は貸したい。彼女が自分に向き合えるように。でも、今回は分が悪い。まさかこの時代にアレが出てくるとは思わなかった」

 ああ、と胸の裡で彼が同意する。私達、私や彼の敵。霊長の抑止力となった我々が本来狩るべき破滅の兆し。アレが出てきた以上、私達は己が妄執に拘れる状況には無い。まだ本格的に取り返しの付かない状況にはなっていないから、此度は上手くいけば発生する前に止められる可能性があるだけ幸運かもしれない。

「一先ずこの望みは保留です。今はとにかく表向きは聖杯戦争のセオリーに則ってきっちり準備を進めます。今の私には聖杯戦争でも影対策でも、とにかく基盤を築いて置かないと満足に立ち回りも太刀打ちも出来ない」
――それがよかろうアルトリア。焦っても今の我々には手立てが無い。まずは情報収集と対抗策を用意するが先決だ。だが君の望み、果たせると良いな――

 ええ。妥協はしない。果たせるなら全て叶えよう。その為にも立ち止まってなどいられない!
 決意を新たに私は一歩一歩、月明かりの下に力強く歩を進め出した。


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 薄白いまどろみの中、外から小鳥の囀りに目を覚ます。最初に目に入ってきたのは、見慣れた土蔵の土壁と柱だった。

「あれ? 俺なんで土蔵なんかにいるんだ?」

 しまった、思い出した。確か昨夜アリアと話した後もスイッチを意識出来ないかと気になって鍛錬を続けたんだっけ。……あの後何回か試してみたけど、やっぱり上手くいかなかったけど。記憶はソコまででその後が全く思い出せない。多分そのまま寝ちまったんだろう。

「うわ、よく風邪引かなかったな俺……。? 俺毛布なんて用意したか……? あっ」

 きょろきょろと周りを見渡して、そのメモが目に入った。なんてこった、毛布を掛けてくれたのはアリアだ。俺アリアに世話掛けっぱなしじゃないか、情けない。外の様子だともう五時前ってところか、アリアはきっと座敷で設置作業を続けているんだろう。朝食の当番は――アリア、遠坂と回って俺か。昨日は二人とも凄い腕を見せ付けてくれたからな、俺も負けちゃいられない。
 まだ半開きの眼を擦って土蔵を後にする。母屋に戻ると座敷の中からカタカタとキーボードを叩く音が聞こえる。多分アリアだろう。というか、アリア寝てないんじゃ……さすがサーヴァント。ラインがちゃんと繋がってて魔力供給があればセイバーみたいに寝る必要は無いんだ。うう、すまないセイバー。お詫びに上手い朝食作ってやるからな。

 さて、台所に立って朝餉の仕度を始める。セイバーはもうじき起きてくるだろう。遠坂は……昨日の朝を思い出して一瞬手が止まった。何か凄く見てはいけないものを見てしまった気がする。見てはいけないものだったように思うので、忘れることにしよう。多分その方が良い気がする。……昨夜はかなり疲れてそうだったし、多分まだ起きないだろう。
 そこまで考えて、ふと何か大事な事を忘れているような気がし始めた。えーと、何を忘れてるんだっけ?
 玄関の方からチャイムが鳴る。そうだそうだ、今日は月曜だから、朝は桜が朝食を手伝いに来るんだった。廊下から足音とアリアの声が届く。

「士郎くーん、お客さんのようですよー」
「ああ、桜だ。心配ない上がってもらって――――!?」

 上がらせてくれとそこまで言って、ハッと自分のバカさ加減に眩暈を覚えて慌てて廊下に転がり出る! 桜は何時も押さなくても良いチャイムを押すけど、すぐそのまま戸をあけて「おじゃましまーす」そうそう、そんな風に挨拶して入ってくるから――見事にアリアと鉢合わせした。

「…………」

 桜は初対面のアリアに呆然としている。しまった、間に合わなかった……如何する、どう説明すれば良い衛宮士郎!?
 桜が固まったまま震えた声でアリアに尋ねる。

「……ど、どちら様でしょうか?」
「初めまして、アリアと言います。切嗣さんの海外の友人で、妹と二人でイギリスから訪ねて来ました。昨日から此方にご厄介にならせて貰っています」

 俺が真っ白な頭で必死に誤魔化す方便を考えている間にアリアがさらっと自然な嘘をついていた。

「そ、そうですか。先輩のお父さんのお知り合いの方。あっ……は、初めまして、間桐桜です。日本語……お上手ですね」
「よろしく、桜さん。ありがとう」

 緊張しているのか、たどたどしく自己紹介を返す桜。対するアリアは普段の冷静さそのままでホントに感心する。ん、いや、違うな? なんとなくアリアも何処か普通じゃない。なんとなく今のアリアからは普段のあの落ち着いた柔和さが感じられない。彼女にしては珍しく態度に硬い印象というか、緊張したものを感じる。彼女の性格からして人見知りするなんてことはあまり考えられないんだが、如何したんだろうか。

「おはよう、桜。もう紹介が済んじゃったけど、彼女はアリアっていう。聞いたとおり親父のあっちのでの友人だったらしいんだ」
「正確には父が、ですけれどね。ウチは家族ぐるみで切嗣さんと交流がありましたから」

 ここはアリアの口車に乗ったほうが良さそうだと相槌を打つとアリアがもっともらしい嘘、もとい補足をいれてくれる。途中、目で此方に(後でセイバーにも口裏合わせを)と訴えてくる。それに此方も目で頷く。

「それじゃあ桜、上がってくれ。二人とも居間でゆっくりしてていいから」
「………………」

 桜を居間に案内しようと声を掛けると、妙な桜に気が付いた。何故か桜はぼうっとしてて、なんだか目の焦点が合っていないような……心なしか顔色も悪い。

「桜? おーい、桜?」
「っ!! ……あ、は、ハイッ。御免なさい先輩、ちょっと私、ぼうっとしてて」
「? ああ、大丈夫か桜。体調悪そうだ、あまり無理はするなよ? 上がって少し休むか?」

 桜の様子は確かに悪そうだった。なんというか熱っぽそうで顔に覇気が無い。だが今は桜だけでなく隣にいるアリアの様子も妙だった。桜の様子を見てから更に気配が硬くなった。普通に横に立っているだけだが、だから余計おかしい。人が良い普段の彼女なら、目の前で人がこんな風にしんどそうにしていたら真っ先に手を差し伸べそうなものなのだ。

「……どうしたんだ、アリア? 何か気になる事でもあるのか?」
「あ、いえ。……すみません、少し考え事を。どうぞ桜さん、上がってください」

 彼女らしくも無い。アリアの態度に疲れらしき影は微塵も見えないが、ひょっとしたらアリアも疲れてるのかな。やっぱり一晩中動きっぱなしというのはサーヴァントといえど疲れるのかもしれない。そんな事を考えていると桜が慌てて予想外の答えを返してきた。

「い、いえ。御免なさい先輩。……き、今日は、その……御免なさい、お手伝いに来たんじゃなくて、お伝えしなきゃいけない事があって来たんです」
「伝えなきゃいけない事?」

 桜の言う事が今一つ頭の中で的を得られなくて鸚鵡返しに聞き返した。桜の様子は酷く気落ちして此方が何か悪い事をしてしまったかと申し訳なく感じてしまう。

「はい……。本当に御免なさい先輩。私、これから暫く……此方に手伝いに出て来れそうに無いんです」

 その言葉に、何故か隣にいるアリアが一番反応したようだった。彼女とはもはや浅い付き合いじゃないから、判る。桜の言葉を受けてアリアは微かに息を呑んでいた。今のアリアはいつもの涼しいポーカーフェイスが何故か剥がれている。彼女の僅かな機微も今は手に取るように感じられる。何かに酷く参っているような、迷いをその深い青緑の瞳の奥に必死に隠し、押し殺している。

「え、そうなのか。いや、何時も桜には世話になりっぱなしだったし、謝るなら俺のほうだ。桜が謝る事じゃないから気にしなくて良い。見たとこ桜も体調悪そうだし、無理せず家で寝てたほうが良いんじゃないか……あ、ひょっとして来れない理由って、ソレか? 風邪でも引きかけてるんじゃないよな桜?」
「あ、あはは……実は、ちょっと風邪気味みたいです。御免なさい。実は今、兄さんが風邪を引いてしまって、看病をしてたら私まで移っちゃったみたいで……」

 何、慎二が風邪!? 間桐の家は慎二と桜の二人しか居ないはず。看病できるのは当然桜だけだ。付きっ切りで看病していれば当然移る危険も高い。

「ばっ馬鹿、それをなんでもっと早く言わないんだ桜!! 風邪引いてるなら無理して家まで来る必要なんて無い。桜は大事な家族同然なんだ、何時でも電話してくれればこっちから手伝いに行ってやる!」
「あっ……そう言われると思ったんで敢えて来たんです。御免なさい、私の風邪が先輩にまで移っちゃうかもしれないのが心苦しかったんですけど。い、今は先輩と兄さんを合わせたくないんです。兄さん、熱のせいかちょっと精神的に不安定になってて……先輩によけい迷惑がかかっちゃうから」

 桜は俺に迷惑を掛けまいと健気に気を使っていたのか。桜の体調は心配だが、ここまで懸命に気を使われてしまった手前、無理矢理間桐の家に上がり込んで手伝うのは桜の意思を無にしてしまうことになる。無念だが此処は桜に負担を掛けさせないようにする以外、俺に取れる選択肢は無さそうだ。

「そうか、判った。桜の意志を無碍にする訳にも行かないしな。だけど、ホント無茶だけはするなよ? 辛かったら何時でも呼んでくれて良いんだからな」
「はい、ありがとうございます先輩。でも大丈夫です。最近、親戚の伝手で凄く腕利きのお手伝いさんが来てくれるようになったんで、家事については心配しないで下さい。なんでも昔は何処かの名家で執事もなさってたとか。とっても頼りになる人です」

 そうか、と答える。そうするしかなかった。でもよかった。桜なら一人でも風邪引きのままでも慎二の家事から看病までしようとするだろうから。既に手伝いさんが居るのなら心配しなくとも大丈夫だろう。

「じゃあ、今日はもう帰って休んだ方がいい。風邪悪化したら大変だからな。御免アリア、桜を家まで送っていく。悪いけど朝ごはんの仕度途中なんだ、頼めるかな」
「それでしたら、私が代わりに送りましょう。妹は貴方の作る御飯がお気に入りですから。出来ましたら、貴方に作って貰えるとあの子が喜びます」
「あっい、いい、いえっ! そんなご迷惑は掛けられません!! 私なら全然平気ですからお構いなく!!」

 誰が桜を送るか議論に発展しそうな所で桜が止めに入った。

「本当に大したことはありませんから!! すみません先輩。これ以上お邪魔してると余計に気を使わせちゃいそうなので、今日はこれで失礼させて貰いますね!」

 慌てたように早口でそう捲し立てると、桜は早足で玄関の引き戸に手を掛けて外に出ようとして―― がしゃん! と派手に顔面から引き戸の縦桟にぶつかった。

「「アッ!!」」

 俺とアリア、二人して同じ声でハモる。あれは、痛そうだ……うん、凄く痛そう。

「あ、っうううぅぅ~……」
「「だ、大丈夫か(ですか)桜(さん)!?」」

 うーん、と端の頭を抑えてその場に屈み、呻く。鼻血は出てないみたいだからそう大事はないみたいだが。

「平気ですか桜さん。頭を後ろに、そう。出血はしていませんが、念のため冷やした方が良いですね。士郎君、氷を」
「判った、ちょっと待ってろ」
「だ、だいじょふぶです、せんひゃい。ちょっとぶつへひゃっただけです。痛いだけで、血は出ていませんから……」

 よろよろと立ち上がり、玄関に向かおうとする桜。本当に付き添わなくて平気だろうか。さっきのは慌ててたのもあるだろうが、明らかに足がもつれてこけたように見えた。引き戸の取っ手も、あの位置なら手が掛からない距離じゃなかった。なのに取っ手までの目測を誤ったように伸ばした手は船底取っ手の窪みに掛からず空を切り、体を支えられずに倒れ込んだ。気丈に元気ぶって見せているが桜の体は明らかに体調不良を訴えてる。

「本当に大丈夫か桜。風邪、熱でも出てきてるんじゃないか? 顔赤いぞ」
「そ、それは今さっきぶつけて痛くて力んじゃったからです。な、何とも無いですから」

 そう頑なに気丈を装う姿は見ていて痛々しいが、桜はあれで結構頑固者だ。無理矢理付き添おうとしても、きっと意地を張り通す。

「はあ、判ったよ桜。付き添いはしない。でも見送りぐらいはさせてもらう。門の所までは絶対送ってくからな。それだけは譲らないぞ」
「はい。すみません先輩、我侭を言って」

 そうして俺たち三人は門まで一緒に行き、無事桜を見送って邸内に踵を返した。門を潜り、アリアは数歩先を歩いている。目の前で揺れる金糸の髪に、さっきから気になっていた疑問を投げ掛けてみる。

「なあ、アリア。さっきは一体、如何したんだ? なんか、何時もの君らしくなかったぞ」

 俺の問い掛けにぴたり、と歩を止めて此方に顔だけ振り返る心迷わせし賢者。その表情は哀しげに笑顔を作っているが、宝石のような翠の瞳は何かを思い詰めるように揺らいでいる。

「はは、見抜かれてしまいましたか。私も修行が足りませんね。……ええ、確かに私らしくなかったでしょう。私は本来、余り迷いを見せるタイプでは無かった筈ですから」

 そう軽口を空しく叩く。今ばかりはアリアの弁舌も、力なく虚空に消える。何時ものような強かさはなりを潜め、目の前に居るのはまるで道に迷ってしまった旅人のようだ。

「……士郎君。貴方は親しい人と世界の安定、どちらかを選べと言われたら、如何します?」
「?? なんだよソレ? 謎掛けか何かかアリア?」
「いいえ、真面目な質問です。そうですね、質問を変えましょうか。……士郎君、貴方にとって、桜は大事な人ですか?」
「勿論。もう家族の一員も同然だ。家族の居ない俺にとっては藤ねえと桜だけが身内だよ」

 その言葉にアリアは少しだけ微笑み返し、直ぐに辛そうに目を伏せた。金色の前髪に隠れて、その双眸がどんな想いを湛えているのかは読み取れない。だが、唐突に彼女はポツリと、小さな声で呟きはじめた。

「全てを救う事は出来ない。この世界がこの世界の法則で廻り続ける限り、ソレは決して超えられない人の限界」

 それはどんな悲哀と悲願を超えて思い知った条理だろうか。だが、その言葉は俺の酷く古い記憶を呼び覚ました。切嗣、衛宮切嗣。俺を引取り育てた養父。幼かった俺が、彼のユメを受け継いでやると誓った、“セイギノミカタ”に自分は成れなかったと語った俺にとっての理想。その切嗣(オヤジ)が語った言葉と、同じだった。

“―――全ての人間を救うことはできない”
“―――いいかい士郎。 正義の味方救にえるのは、味方をした人間だけだ”

 そう、かつて切嗣が俺に言って聞かせた言葉。当時幼かった自分はその言葉にただ反発した。自分にとってそれこそ全てを救えるであろう人間だった人に、そんな現実を口にして欲しくは無かったから。だが、そんな彼と同じ言葉を、目の前にいる英霊が口にした。
 ソレがどういう事か、そんな事、本当はもう判っている。明確な目標も無く、ただ切嗣が口にしたその言葉を覆したくてずっとその理想を追ってきた。だけど月日を重ねて、大人になり増えた知識で理解した事は、彼の言葉通りの現実。どんなに頑張っても、救えない者は出る。正義の味方が味方をしなかった相手は救うことが出来ない。それ以上に正義の味方に敵対した相手を、正義の味方は救えない。誰も傷付かず、誰も涙しない方法なんて、それこそ世界がそのまま静止してしまわない限り在りえない。でも、その理想を抱き続けることは罪じゃない。間違いじゃないと意地を張り続けたい。

「アリア……」
「頭では適わぬ理想と理解していても、心ではそれに真正面から挑む。貴方はそういう人です」
「!!」

 まるで此方の心を射抜かれたような衝撃を受ける。アリアの指摘は的を得すぎていた。

「ですが全てを救いたくとも、たとえ理想的に九十九の人を救えたとしても、どうしても一人は零れる。そのパーセンテージがどんなに変動しようと、救われない者の数字は決してゼロにはならない。
そのどうしても救われない側にもし、貴方の大切な人達が含まれてしまうと知ってしまった時、貴方はそれでも“見ず知らずの大勢”を救うほうを選べますか?」

 その問いは、とても答えづらかった。いや、衛宮士郎がずっと抱いてきた理想を貫くなら、答えは最初から決まりきっている。だが、こんな選択肢を迫られる事にならないよう、最大限尽力する事を大前提としてきた。だからこんな、二者択一のような選択肢を迫られたら如何するかなんて、深く考えた事は無かった。いや、考えないようにしてきたのかもしれない。

「辛い選択肢だと思います。ですが、今のうちから……その最悪の選択を迫られた時の覚悟だけは決めておかなければ、後々辛くなるかもしれません」
「…………!! それは、どういう」
「私とて、そんな選択肢は出来る限り選ばせたくない……。ですが、この聖杯戦争は既に何かがおかしい。あの集団失踪事件が証拠です。取り返しが付かない事になる前に、私は守護者としてアレを止めなくてはならない。その時、貴方の大切な人が犠牲になってしまうかもしれない!」

 アリアはずっと感情を押し殺し堪えるように声音を絞って口を開き続けてきた。だが最後の言葉だけはその堰が限界を迎えてしまい、悲痛な声を響かせた。彼女は自分の言葉の意味に悲しみと怒りを抑えている。そんなことにはさせたくないと。

「それが、その犠牲に桜がなるっていうのか、アリア?」

 アリアは答えない。その沈黙が答えと言えた。

「……出来得る限り、善処はします。だが、それでも駄目だった場合は……。とまあ、そういうことです。もし私を恨みたいなら、どうぞ恨んでくれて結構です。だから覚悟だけは、頭の片隅でもいいから、置いておいてくださいね」

 と、そう唐突にソレまでの悲壮さを振り払って、さらっと軽い口調で覚悟だけは決めておいてくれと口にしてくる。

「はあ、私も甘い。なんて激甘なのだろう。もし彼女をまだ助けられる可能性があるならと、あの破滅を防げるもっとも容易く確実な機会をみすみす逃したのだから……」

 大仰にため息をつく。自らの選択は信じられないほど愚かな行為だと、自分自身に大きな落胆を覚えたとばかりにアリアは自分を責める。だけど葛藤の末、その選択を選んだ彼女の心の暖かさ、純粋さを俺は知っている。

「どういうことか俺には全然さっぱりだ。だけど信じるよ、アリアの言葉を。最悪の事態なんかには絶対させないって、桜も守りたいって言ってくれたその言葉を」

 俺の言葉にアリアはやっと何時もの柔和な笑みに戻ってくれた。やっぱり彼女にはこっちの顔の方が似合う。アリアの言葉の真意はまだ俺にはちっとも理解できない。だが、一つだけ確かな事。それはアリアも桜には悪い感情は抱いていないということ。今はまだ、それだけ判っていればそれで良い。きっとアリアは必要になれば全ての謎は教えてくれる。今は彼女の心からの言葉を信じよう。

「アリア、朝ごはんにしよう。もう六時回ったし、そろそろセイバーも起きてくる頃だ。早くしないと藤ねえも……って、藤ねえってのは俺の姉貴みたいな人で、しまった大変だアリア! 藤ねえに君達の事はさっきの設定でいいけど、遠坂の事をどう説明しよう……!?」

 一先ず今は、俺達の赤い同盟者をもう直ぐ来る藤ねえにどう説明して言いくるめるかを考えよう――。 今日もまた、忙しく慌しい一日になりそうだ。
 空は既に蒼く明るみ始め、もうすぐ朝日が顔を覗かせようとしていた。



[1071] Fate/Liberating Night her codename is “Soldier” vol.14
Name: G3104@the rookie writer◆f78c4bd3
Date: 2007/06/07 23:12
 午後の爽やかな日差しが挿し込む荘厳な道場の中にぱしんぱしんと竹刀の音が木霊する。胸中に蟠る疑念を振り払うが如く、私達は剣の鍛錬を行っていた。少なくとも、考えても埒の明かない問いに思考を空回りさせるよりは、体を動かしていた方が……今の私には在り難い。こうして体を動かしている間は、それだけに集中できる。考えずに済むからだ。戦う道具であるサーヴァントの私が何故、このような自身には必要の無い鍛錬などを行っているのかというと、単にそれはマスターの為だ。




第十四話「兵士対剣士、未熟者は真昼の真剣勝負に活目する」




 事の発端は昼食の席に遡る。アリアが用意した和洋折衷の献立を胡乱な頭のまま摘んでいると、やおらにアリアが凛に向けて口を開いたのだ。その内容は、従者である私でさえ気付かなかった主の状態について。……驚いた。パスだけの繋がりで、ラインが通っていない異常は把握していたが、まさかシロウ自身の身がそんな危うい状態だったなんて。私はマスターのコンディションを、少しも理解出来ていなかったのだ。まったくなんという失態か。尤も、今回は元から半ば事故のような偶然で、正規のプロセスも経ずに召喚されたらしい。それが原因かは判らないが、今の私は魔力供給の為のラインさえまともに繋がっていない。最初からそんなイレギュラーを抱え込んだ今の私には、霊脈(レイライン)を通してマスターの魔力回路を把握する事さえ儘成らない。今の私にはシロウの身体状況を把握することすら出来ないのだ。だからといって、それが如何したというのだ。なんの言い訳にもなりはすまい。私の、明らかな注意不足だ……。

 私はシロウを護り、勝利に導く事を最優先に考えていた。だが、その中に彼の状態を把握する事までは念頭に入って居なかったのだ。なんと愚かな……彼は望んでこの戦に挑んだ訳ではない。それでも、彼は受け入れた。犠牲になる人を護る為、そして聖杯を望む私の為にも、と。聖杯に望む願望など何も無いと断言した無欲な主。何が彼をそこまで強く在らせるのかは私には判らぬ事だが、さりとて、だから私が彼の内面を窺わなくて良い事にはなる筈も無い。
 私も、彼の為に何かしてやりたい。否、今の私は彼にとって負担でしか無い存在だ。『してやりたい』だなんて、おこがまし過ぎる。

「…………で、……する訳だ…ど、貴女は……で良いわよね?」

 でも私にも、彼の為に何か出来る事はある筈だ。私が彼にしてあげられる事、一体何が在るだろうか。

「……ちょっと、ねえ……聞いてる、セイバー?」

 そんな事を考えていると唐突に凛に呼びかけられた。しまった、不覚にも自問に耽って周りの事に気を配れなくなっていたらしい。

「あ、ハイ。申し訳ない、少し考え事をしていたもので聞きそびれてしまいました。……確か、貴女がシロウの魔力回路を正常に治す、という話ですね」
「そう。で、いい機会だから士郎の魔術講座も開いてやるって話。聞いてなかったみたいだけど士郎ってば、ホンットとんでもないド素人だったのよ!」

 心底呆れ返ったと云わんばかりに溜め息を付き頭をふる凛。確かにシロウを侮辱する心算は無いが、彼には魔術的な能力は余り高く無いだろうとは思っていた。だがまさか彼女にそこまで言わせる程だったとは。ふと心配になって隣に座る彼の顔を覗き見ると、やはり多少堪えていたらしく、些か口惜しそうな渋面で鶏肉の和風唐揚げを摘んでいた。

「悪かったな。どうせ俺はド素人だよ。強化の魔術ぐらいしか扱えない半人前だ」
「あはは、そう腐らないで下さい。独学だったのですから無理も無い話です」

 アリアが困ったように笑いながらフォローを入れる。そう、シロウの状態を見破ったのは他ならぬアリアだった。彼女は時に恐ろしい洞察眼を垣間見せる。今も私の頭を悩ませ続けている張本人。

「では、今日の午後は凛から魔術の教えを請うのですねシロウ?」
「ん、ああ。正直願っても無い話だしさ。今まで俺は、親父が死んでからは誰にも教わる事が出来なかったんだから。独学でもずっと続けてきたしこれからも辞めはしないけど、今の状況じゃ独学でも少しずつ……なんて悠長な事言ってられないだろ?」

 地道に進めるだけの猶予は無いのだからと、彼は言う。

「敵は待ってくれないのに俺には最低限身を護ることさえ儘成らないんじゃ余りに情けない。これじゃセイバーにばっかり負担かけっぱなしだ。少しは戦えるように鍛えなきゃ」

「そうですね。敵の前に何の備えも無く出るのは危険極まりない。……ちょっと待ってください! シロウ、貴方は今何と仰いました!?」
「え? いや、俺も戦えるように鍛えるって。だってそうだろ、セイバー一人に戦わせるなんて事、俺には出来ない。本当はお前に危ない目にあって欲しくなんか無いけど、戦わなきゃいけないなら俺も一緒に戦う」
「戦う!? ちょっと待ってください。貴方のするべき事は後方支援です!! 決して前衛で戦う事じゃない! サーヴァント相手に人間が敵う筈が無いのはもうご存知の筈だ」
「判ってるよ、でも幾ら後方支援だからって、敵に襲われない保障も無いだろ。セイバーを信用していない訳じゃないけど、俺みたいな弱いマスターはそれだけで格好の標的だ。敵が手段を選ばないヤツなら直接俺を狙ってくるだろう。そんな場合、セイバーは俺を護ることだけで精一杯になってしまう。俺のせいでセイバーが不利に立たされるなんて嫌なんだ」

 確かに、私一人なら彼を狙われた場合不利な状況になる恐れはある。だが、今は私一人ではない。この上ない同盟者が二人も居るのだ。彼が心配するような事態など、彼女らが看過する筈が無い。

「そんな事には……」
「アリア達に頼ってばかりも居られないよセイバー? 確かに遠坂もアリアも優れたマスターとサーヴァントだ。でもだからこそ、俺一人劣ってるせいで皆の足を引っ張るような事には、絶対に成りたくないんだ」

 私の反論を見透かしたかのように言葉を重ねてくる。

「ですが……」
「反論は無しだセイバー! こればっかりは譲れないからな。俺はこの戦争に参加すると決めたんだ。自分の意志で戦う、そう決めたんだ。それに……君みたいな女の子がこんな非情な殺し合いをするなんて、何かが間違ってる」
「私はサーヴァントだ。性別など何の意味も在りません。その認識は見当違いですシロウ!」
「お前にはそうかも知れないけど、俺には多いに意味在りだ!! 女の子が斬った張ったの命の遣り取りをするなんて俺には見過ごせない! それが例え人間であろうが無かろうが、君は現に此処に居て、仮初めでもこの世界に存在しているんだ。傷を負えば痛みだってあるだろう。女の子が傷付いて、痛みに苛まれるなんて男として黙ってなんか居られない!」
「だから、私を女性扱いする必要など無いのだと何度言ったら判るのです!!」
「俺から見たらどんなに凄い力を持っていたってセイバーは歴とした女の子だよ!! セイバーがわけの判らない化け物なんかに見えるもんか!!
 ……とにかく、俺はセイバーに全て頼りきって一人安穏とする気なんて無いからな」

 私と彼との遣り取りはいつの間にか内容が完全に平行線を辿っている。頭に血が昇ってしまって、一体何時、何故このような言い争いになってしまったのか……決まっている。彼が私をサーヴァントとしてではなく人のように扱おうとするからだ。はあ、彼は何故こんなに強情なのだろう。
 そこまで考えて、ふと思い至った。在るではないか。一つだけ、私が彼にしてあげられる事が。

「……判りました。そこまで言うのならもう止めはしません。その代わり、条件を出します」
「条件?」
「はい。貴方には私から剣の鍛錬を受けてもらう」
「え? それって、つまり、セイバーが俺に剣を教えてくれるって事か?」

 素っ頓狂な声で疑問を返してくるシロウ。私の提案がそんなに意外なものだったのだろうか。

「そうです。貴方があくまでも戦いに赴くというのなら、最低限自身の身を護るぐらいは出来るように成らなければ。但し、私は人に教えられるほど器用ではないし、そもそもこのような短期間では何を身に付けられるものでもありません。ですからシロウには実戦形式で、とにかく生き延びる為の生死の見切りと心構えを磨いてもらいます」
「そ、それはまあ、願っても無い事だけど……いいのか? 普段は出来るだけ魔力の消費を抑える必要があるだろ
「構いません。その程度の事で戦闘不能になるほど私は軟では在りません。貴方は私に傷付いて欲しくないと仰いましたね。それは寧ろ私の台詞です。貴方に傷付かれては、貴方の御身を守護すると誓った私が自分を赦せない! だから貴方が戦うなら、私は貴方を鍛えます。敵を前にしても、私が護りに戻るまで貴方が生き延びられるように」

 彼がこの戦いで傷付いたり斃れたりなど、そんな事は私が絶対、させはしない!

「話は纏まったかしら。それじゃあ、私の方は鍛錬の後の方がいいわね。なにしろスイッチを開くなら普通、丸一日は動けなくなるだろうから」

 それまでずっと沈黙を続けていた凛がぱんぱんと拍手を打ちながらそう提案を持ちかけてきた。そういえば、私達が言い争っている間、彼女らは終始だんまりを決め込んでいた。
アリアの性格から考えれば以外な事だ。彼女なら真っ先にお節介を焼いて口を挟んだに違いないのに。彼女の方を見やると、彼女は私の視線に気が付くや全てを察しているかのように微笑んできた。

「意外ですね。貴女が何も口を挟まなかったなんて」

 本心を飾らず口にする。その言葉に当のアリアは何に応えるとも無く自然に笑みを返してくる。

「ええ。必要は無さそうでしたから。本当は最初から貴女には実技面での鍛錬を頼もうと目論んでいましたので」

 一人落ち着き、手にした湯飲みを一口啜ってさらりとアリアは何でもない事のように答えてくる。私が思い至る事を最初から彼女は私にさせようと目論んでいたというのだ。

「ですが貴女の顔を見れば何を考えているか容易に察しが付きましたので。わざわざお節介を差し挟む必要は無いだろうと」
「誰も犬も食わない痴話喧嘩なんかに口を挟む心算なんか無いけどさ、二人ともヒートアップしていくもんだから流石に止めようか迷ったわ。でもアリアが余計な口出しはしなくてもいいって妙に楽しそうに念を押すもんだから私も黙ってたわよ。まあ、それが正解だったみたいだけどね」
「なっ……」

 なんてことだ。私の顔にはそんなに思惑がありありと浮かんでいたのだろうか? アリアは私が彼女の目論む通りの答えに既に行き着くと踏んでわざとだんまりを決め込んだのだ。なんて意地の悪い……こんな性格の彼女が私だなんて、そんな事絶対あるものか!

「ふふっそんなに機嫌を損ねないで下さい。貴方達には必要な口喧嘩だった筈です。より互いを知り、認め合うには……そうでしょう?」

 確かに、シロウがこれほど頑なで判らず屋だとは思いもよりませんでしたよまったく!
だが、何故に彼女は面識の浅い彼のそんな内面まで見抜けているというのか……本当に彼女は謎だらけだ。

「まったく、意地が悪いわねーアリアってば。こ~のお節介小母さん」
「むう、失礼な。誰がお節介小母さんですか。元々彼女らは似た者同士なのですから、こういう事は真正面からぶつかるほうが他人より早く判り合えるのは道理ですよ」

 にやりと意地の悪い笑みを浮かべながらからかう凛に、口では失敬なと異を唱えながらもその指すところには反論しないのかアリアもまたしたり顔でにやりと笑みを返している。
 アリアは私とシロウを似た者同士だと言うが、二人して同じように座してお茶を啜りながら軽口めかして談笑しあう彼女らもまた、余りにも似た者同士だと思うのは私だけだろうか。ふと二人があまりにも落ち着いて湯呑みを手にしている事に気が付く。彼女達はもうとっくに昼食を食べ終わってしまっていた。しまった、折角の昼食が冷めてしまったではないか……。冷めても無事なのは野菜サラダだけだ。
 シロウと私は二人そろって、もう冷たくなってしまった唐揚げや出汁巻き卵を虚しく突付くことになってしまった。


 それが昼食の席での出来事。私がシロウの剣術の師を買って出た顛末だ。そして、何故か今私の前に居るのはシロウではなくアリアだったりする。私はシロウと稽古をしていた筈なのだが……。シロウはというと、今は壁ぎわに座って、逐一私達の動きを、一挙手一投足を見詰めている。模擬戦形式での直接の稽古はつい先ほどまで続けていた。一時間程も打ち合っていただろうか。十何回目かの一本負けでシロウが打ち払われて竹刀を落とした頃だった。

「はあ、見るに忍びませんね」

座敷で一人黙々と機械に向かって何かの作業を続けていた筈のアリアが道場の入口に寄りかかって腕組みをしながら此方を覗いていたのだ。その表情はさもありなん。シロウがあまりに一方的に倒されてばかりだった為だろう。やれやれといった感じの苦笑が浮かんでいた。

「セイバー、貴女は確かにあまり人に教えるのは得意とは言えませんね」
「む。否定はしないが、さりとて一対一で実戦闘の厳しさ、非情さを教えるには現時点ではこれが最良と判断しての事です」
「そうですね。ですが今のままでは余りにも士郎君のスタートラインが低すぎる。今の彼はまだ打ち込みも防御も甘い素人です」

 私の反論にアリアは何も異を唱えるでもなく、蒼地のコートを脱ぎゆっくりと私達の傍までやってくる。そのまま、何を思ったか突然ぺたぺたとシロウの体を手で触りだす。突然の事で顔を真っ赤にして驚くシロウを後目にアリアが続きを口にする。

「え、うわっちょ、ちょっと!?」
「ふむ、ですが基礎的な体造りは既に出来上がっています。セイバー、貴女とて見立てで彼の身体能力は水準以上だと判っているでしょう?」
「はい。だがそれはあくまで身体面だけの話です。シロウには実戦の経験値が絶対的に不足している」

 どうやらシロウの体つきを調べていたらしい。私とてシロウの体の完成度には気付いている。確かに大した物だ。日々修練を行わねばここまでの肉体はそう作れない。私の言葉を受けてアリアが言葉を続ける。

「確かに戦闘時に危険を察知する直感を養うにはとにかく実戦を数多く経験する他在りませんが、それはもうこの一時間の間で十分経験出来たでしょう。何の元手となる技術も持たぬまま格段に強い相手にはどうあっても勝てない。という事ぐらいは嫌でも判ったでしょう士郎君?」
「ん、ああ。こっぴどくタコ殴りにされたよ。認める、俺の認識が甘かった」

 この一時間の間、彼はとにかく私の一撃を防ぐ事さえ出来ずに失神してばかりだった。シロウには悪いが、あまりにも動きが素人で満足な型さえ無く、ただとにかく思いつくままに動く、といった感じのその場しのぎでしかない動き。それでは熟練者に及ぶ筈も無い。

「上出来です。ならば次は身のこなし、生き延びる為の身の振り方を覚えさせるべきだ。まずはガードを固める方から学ばせた方が効率的ではありませんか? 今のまま直感に任せて自ら対処法を身につけるのも悪くは在りませんが、生憎と時間は限られています」

 防御面を先に形にする、か。確かにそれは一理ある。だが、生憎と私はそれほど器用には振舞えない。

「いいでしょう。ですが、私は確かに人に教える事は余り得意ではない。今のまま実際に私の剣を受ける上でどう対処するべきかとか、そういった実践式でしか上手く伝えられない。貴女が私に代わってシロウに身の護り方を手解きしてくれるというのですか?」
「いいえ、私とて余り人に教えるのは得意ではありません」

 その言葉にアリアは諦めるかと思いきや、涼しい瞳を少しも揺らさずとんでもない事を言い出した。二人揃って教官失格だというのなら如何するというのだ。

「では一体如何するというのです」
「そうですね。それではこういう形式はどうでしょう? 私と貴女で組手をするのです」

 ラフに姿勢を崩して腕を組みながら、人差し指を立てながら彼女が楽しそうに語った方法……それこそが私との模擬戦闘実演だった。


 そうして今、私はアリアと組手を交わす事となった訳だが……これがまた彼女らしいというか、最初はシロウの動きをそのままトレースしただけのものだった。

「ぃっ痛たたたた。はあ。自分で受けてみると結構効くものですね竹刀でも」
「…………。だ、大丈夫ですか、アリア? 一体何の心算ですか今のは」

 脳天に一発、ものの見事に入った一本に頭を振って痛みに堪えながらもあっけらかんと笑うアリア。突然に行われた頓珍漢な攻撃、余りに無防備で考え無しな大振りだったため一瞬呆気に取られたが、彼女の事だ、何かの策の心算だろうと思って何のためらいも無く竹刀を振り下ろしたのだが……まさかそのまま食らうとは思いもしなかった。

「何の心算も、今のは単純に先ほどの士郎君の動きを再現したまでです。どうですか士郎君、貴方の何処がいけなかったか、判るのではないですか?」
「ああ、セイバーの太刀を後ろに飛び退いて、空振りした隙を狙って渾身の上段切りを入れようとしたんだけど、詰め寄ろうとする間にセイバーには体勢を立て直されていたんで脳天に一撃を食らって倒れた。さっきの俺はそういう事だな」

 打ち込まれた頭をさすりながらシロウに何がいけなかったかを再認識させるアリア。なるほど、まずはミスの答え合せをしようという腹か。

「それだけではありません。さっきのような場合、貴方は丸々バックステップ一歩分飛び退いていながら、その上隙の大きくなる大振りを、しかも飛び退いて体勢が崩れたままのところから繰り出そうとしていました。体勢も悪ければ当然振りかぶるスピードも鈍くなる。結果セイバーが完全に迎撃体勢を取れるだけの猶予を与えてしまっていた訳です」
「む、そうか。無我夢中で気付いてなかった」
「ですが先程の場合、仮に体勢を崩す事無く素早く面打ちに移れたとしても結果は同じです。セイバーはまだきっちり一進一退、基本を忠実に護って律儀に攻守を分けてくれています。さりとて今のように丸々一足分の猶予があっては確実に此方の上段斬りなど下から打ち払われて返し刀で額を割られるだけです。ここはバックステップで避けるならそのまま回避に徹するべきだ。そもそも士郎君、貴方の技量ではまだ反撃するには早すぎる。まずはひたすらに回避と防御に専念なさい」

 アリアは冷静に分析と解説を述べてゆく。確かにあの状況ではどんな方法で反撃してこようと迎撃は容易かった。その説明は的確で明解だ。全く、何処が“教えるのは得意ではない”だ。十分に教官ぶりが板に付いているではないか。

「なるほど、判ったよ。でもずっと逃げっぱなしじゃそのうち追い詰められてしまうじゃないか。やっぱり反撃出来る時には打って出なきゃ……」
「だから、それはまだ先の話です。ですがまあ、気持ちは判らなくもありません」

 それは時期尚早だ、とばかりに困った顔で一言に断じるアリアだが、後半の台詞には若干含みをもった微笑が現れていた。

「アリア? 何か企んでますねその顔は」
「ええ、勿論。此処からが本来の目的ですからね」

 そう不敵な笑みを浮かべて楽しそうに私の眼を見据えてくるアリア。何を企んでいるのだろうか?

「遣る事はさっきと同じです。貴女と私で組手を構える。ですが、私は本来のスタイルで遣らせてもらいます」
「「本来のスタイル?」」

 ついシロウと二人して同じ言葉で聞き返し声がハモる。本来の、というと……アレか。私が初めて彼女と相対した時に見せた奇妙な型の戦闘術。

「そうです。但し最初は此方の獲物は無し、つまり素手です。そもそも士郎君は生身の人間です。我々のように必要な時だけ自由に武装出来はしない。万全に前準備でもしなければ武器を持って敵に相対できる場面の方が希少です。ならば素手での対処法も知っておいて損は無いでしょう。つまり、今から私が見せるのは所謂、手本です。模範演技。今すぐにソレをマスターしろとは絶対に言いません。こういう対処法もあるのだ、と、参考だけに覚えておいてくれればそれで良い。士郎君、どんなものでも最初は“見て覚える”が基本ですよ」
「判った。目を皿のようにして食い入るように見る事にするよ」

 シロウの言葉に小さく頷き、此方を向き直す兵士の英霊。

「良い心構えです、見逃さないようご注意を。セイバー、今回私は貴女と同レベルの機動力で挑みます。貴女は、そうですね。常人での経験者か玄人レベルを意識してください」
「了解した。だが本当に素手で構わないのですかアリア。確か貴女の基本スタイルはあの銃と小太刀を使う業だと思っていましたが」

 無手とはまた極端なことを言い出す。剣の英霊としては明らかに不利な丸腰の相手をする等騎士道に反するが……否、相手は剣士ではないのだ。相手が無手を是とするなら拒みはしない。

「ええ、確かにそうです。だがそれは決してその型のみに縛られるものではない。私の近接戦闘術においてこの無手はもっとも基本であり礎なのです。道具を使う事も基本であるここから発展したものに過ぎない。打ち合ってみれば自ずと判ります。何故、私があらゆるカテゴリーから外れたか……きっとこれも理由の一つでしょう。
 あ、先に謝っておきますね。今回は討ち取らせて貰います。此方が一矢報えねば意味が在りませんから。その代わり、力とスピード以外は全開で構いません。常人の身体能力に限定し、真っ向から技量勝負と行きましょう」
「判りました。そこまで言うのなら心配は無用ですね。その自信の程、見せてもらいましょうかソルジャー」

 彼女に対して疑問はあるが、とにかくアリアの狙いに合点はいった。そういう事か。私はシロウに可能な限り、『戦いとはどういう事か』という事を仮初めでも実体験させて覚えさせようとした。だがアリアは更にそこから先を自ら実演して見せて、効率よく彼に予習をさせようというのだ。私の口上に対しフッと小さく不敵な笑みを作り応じる。

「では、始めましょうかセイバー」

 アリアはそう開始の言葉を切るとすぐに、自然体で立っていた身体をすっと半歩引いて僅かに腰を落とし、控えめに構えらしきものを見せる。構えと同時にすぅっと彼女から発せられていた穏やかな雰囲気は波が引くかのように消え、鋭利で研ぎ澄まされた気配が代わりに立ち昇り、心地良いプレッシャーとなって頬をくすぐってくる。アリアは睨んでなどいない。むしろ僅かに笑みでも浮かべているかと錯覚する程に表情が無い。まったく感情の宿らぬ無表情なのだ。されど既にその瞳に宿る光は硬質な刃物の如き冷たさで私の背筋を這い上がろうと静かに爪を砥いでいる。
 臆する事など無いが……こんな寒気さえ覚えそうな、アリアの純粋な殺気を感じたのは、考えてみればこれが初めてだった。

「では、いざ!」


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 昼下がりの道場の中、板張りの四角い空間の中央に二人、僅か二メートル程の近距離で対峙する。アリアが始まりの声とともに小さく構えを取った瞬間から両者の間に、じりっとした剃刀のような近寄り難い雰囲気が立ち込める。セイバーもアリアももう十分に遣る気、何時仕掛け合ってもおかしくない臨戦態勢だ。これから俺は、この二人の実演模擬戦闘を目にする事になる……そう考えると当事者でもないのに緊張して、体が石になったみたいに硬直して、暑くも無いのに汗が吹き出る。それほどに二人の交わす殺気の応酬は激しく、鋭いのだ。もう今の俺に出来るのは二人とも無事で終わってくれるよう祈る事だけ。今更ながらに、彼女達が人智を超えた人ならざる存在である事を嫌というほど思い知らされる。

「では、いざ! ……ハッ!!」

 動かぬアリア目掛けて達人も舌を巻くだろうと感じさせる俊足の踏み込みで上段から袈裟懸けに竹刀を振り下ろすセイバー。その切っ先は確実に先程までアリアの首があった空間に襲い掛かる。一瞬で肩口に食らい付き、竹刀がぱぁーんと耳を劈く乾いた音を響かせる……事は適わなかった。

「――!!」

 セイバーが一瞬息を呑む。当然だろう、一足に飛び込んでの上段から渾身の一振りを避けられたのだから。だが彼女の眼前に敵の姿は無い。それがどういう事を指すか、答えは実に単純だ。アリアはセイバーの斬撃に対して横に避けたのだ。ただそれだけと武芸に造詣の浅い人の眼には映ったかもしれない。だが実際は違う。彼女の動きは酷く地味でぱっと見、なんの冴えも華も無い。だが彼女がとった行動はその実、恐ろしく洗練された物だった。

 アリアはセイバーが踏み込んだ瞬間から既にセイバーの太刀筋を見切り、その死角に滑り込むように一切無駄の無い動きで一足跳びに体移動を行っていたのだ。その動きは素人の常識から考えれば最も危険で、選択肢としてまず在り得ない。それは真正面から襲い掛かろうと飛び込んでくる刃の前に自ら飛び込んでいくような物だ。セイバーを中心にした左斜め前方向への軸移動。アリアは左の肩口目掛けて振るわれた軌跡と入れ違うように、さらにその外側へ回り込む。“死中に活を見出す”を地で行こうとでも言うのか彼女は。だがアリアの体捌きは見事成功した。

「フッ!」
「ッ……!?」

 両者の鋭い息遣いが交錯する。セイバーのほぼ真横、振り下ろされた腕の直ぐ隣という、言うなれば至近距離(クロスレンジ)にまで接敵したアリア。そのまま間髪入れずに右前腕でセイバーの利き腕を抑え、体重の掛かっている右膝裏を崩すべく右足を叩き込むと同時に、空いた左腕が喉元を刈るように振われる。それは大外刈りの変形版みたいなものだ。だがアリアがセイバーの膝を捉える刹那、セイバーが未来予知めいた直感に導かれて飛び退き、間一髪で難を逃れる。それはほんの一瞬の攻防だった。空振りに終わった右足が湿った摩擦音を響かせて床を擦る。きっとアレが極まっていたならアリアはそのまま首に掛けた腕に全体重を乗せて床に叩きつけて息の根を止めに掛かっていただろう。……当然最後は寸止めするだろうが。三歩程の間合いを空けて対峙したまま、空間に沈黙が流れる。

 それにしても信じられない……あのセイバーがいともあっさりと懐に潜り込まれ、しかも技を掛けられそうになったなんて。懐とは正面で剣を振るう事が儘成らなくなる肘がぶつかり合う程の至近距離の事を指すが、両手剣使いの場合、実は体の正面以外の、所謂腕の外側にも死角がある。そう。腕を振るえない位置には剣は振れない。剣の軌道は線で、その基点は腕だ。柄を握る手よりも内側、刀身の届かない腕の可動半径内に入られてしまっては折角のリーチも活かせない。セイバーはその外側の死角への侵入を赦してしまったのだ。
 セイバーは剣。その本領は近距離(ショートレンジ)であり、両手が塞がる剣は至近距離に難が在る。対するアリアは徒手空拳。当然の如くその本領は至近距離(クロスレンジ)。

 だが、常識的に考えれば剣は近距離の覇者であり、リーチの足らぬ素手が適う道理など無い筈なのだ。ならば今の一瞬の攻防は何だったというのか?

 もう一度、今の状況をおさらいしてみる。先に動いたのは、セイバーだった。二人の戦力差を考えればそれは仕方が無い。竹刀を持つセイバーに対しアリアは徒手空拳。己から仕掛けるなんて事は自殺行為に等しい。だからアリアは決して自分から仕掛けはしないとセイバーも良く判っている。だがそれでは試合として進まないから、セイバーは好むと好まざるとに関わらず先手を打つしか無かった。そう、それこそがアリアの意図する所だったんだ。

 徒手空拳で武器を持つ者に対処する。その極意は先手必勝などでは決して無い。それは常にカウンターから始まる制敵術であり“格闘技”では無いのだ。“格闘技では無い”、此処こそがアリアが狙っていた勝機の真髄なのだろう。セイバーの技術は、それこそ英雄たるに相応しいだけの卓越した剣技だ。恐らくこの時代のどんな剣客が相手だろうと負けはしないだろう。だが、それは相手が同じ剣術家、ないし格闘家ならばという前提あっての事。

 セイバーの剣筋は潔く、そして高潔だ。そこに穢れなど全く無い。きっと生前からあの桁違いな膂力をもってして、相手と正々堂々切り結ぶ様な戦いをしてきたんだろう。いや、戦乱の世の中を乱戦の中一人異彩を放って並み居る敵を次々と斬り伏せても来ただろう。だが、彼女の剣筋はあくまで正道。戦場が如何に形振り構わず、卑怯も汚いも無い血みどろの乱戦であろうと、彼女はその高潔な自身の矜持に適う範囲でなら、敵を倒す為に剣のみならず戦術や体術も使った事だろう。だが、あくまで彼女の本分は正面対決を是としている。

 対するアリアは、どうだろうか。正々堂々とは、している方だろう。だけれども、アリアの動きは攻撃、防御ときっちり分かれたような物じゃない。防御ではなく回避と同時に制圧、攻撃を同時に行う。いわば攻守一体、体一つ之全て即ち武器といった感だ。騎士道や武士道に則った律儀な戦い方では無いと肌で感じる。アリアはきっと、使えるモノなら何でも使って敵を倒す。そういう戦い方をする。
 ……この勝負、セイバーは苦戦する。そんな予感が脳裏を過ぎってゆく。
 彼女も本能的にそう感じ取ったのか、セイバーが口を開く。

「…………。やりますね……なるほど、それが貴女の本気という事かソルジャー」
「当然です。今回は貴女を組み伏せる事が目標である以上、最初から本気で挑まねば貴女は御せませんからね。私の本領は体術だ。得物によるリーチの差など“在って無い”物と思いなさい。甘く見ると足元を掬われる事になりますよセイバー」

 鋭い眼光を微塵も揺らがせず冷徹な表情のまま、アリアはセイバーの言葉に頷く。今の彼女からは普段のあの人の良い穏やかさは爪の先ほども感じられない。其処に居るのは文字通りの『兵士』。歴戦を潜り抜けてきた戦人。修羅場を知る者のみが身に纏う威圧感が肌に痛い。焼けた鉄のような殺気が冷たい道場の空間をジリジリと焼き、支配する。

「さあ、続きを始めましょう、セイバー」

 アリアの言葉にただ行動だけで答えるセイバー。再び正眼に構えを取り直し、対峙する。セイバーももう同じ手は食わないだろう。両者隙を窺い、ゆっくりと両者の中間を軸にして回り始める。
 一周して元の位置に戻ったところで、一向に動かなかった場が動いた。今度は自らはまず動かないと思っていたアリアが先手を切ったのだ。

「せいっ!!」

 飛び込んできたアリアに対し絶好のタイミングで迎撃に出るセイバー。先のように左右へ逃げられぬよう構えを脇構えに変えて振りかぶり、掛け声と共に鋭い右横薙ぎの一閃を見舞う。だが、またしてもアリアはその一閃を潜り抜けた。
 襲い来る竹刀を前にして彼女はさらに一段と突入速度を上げて、限界までその上体を屈めて竹刀の腹を避け、再びセイバーの懐に潜り込んだのだ。勢いづいた転倒にさえ見えるアリアは完全にバランスを失っている。だがアリアはそこから無理に立ち上がる気など毛頭無く、タンッと床に付いた手を軸に回し蹴りでセイバーの足を刈ろうとする。
 だがセイバーも屈まれた瞬間にその意図を察知しバックステップで一端飛び退くと即座に反撃に出る。跳ね返るバネのように一足飛びでアリア目掛けて逆袈裟に竹刀を振り下ろす。立ち上がり姿勢を立て直す余裕など無い。だがアリアもセイバーの動きは完全に読んでいた。回し蹴りでくるっと一回転して、再び飛び込んでくるセイバーを正面に捉えるや再びセイバーの脇をすり抜けるように飛び込んだ。再びセイバーが小さく詰まった息を吐く。

「――――!」

 竹刀を握る腕はまだ腰より上、対するアリアは獣が地を這うように低く跳ぶ。アリアはそのまま前転してセイバーの脇を抜けると即座に体を捻り床を踏み蹴って転身し、セイバーの直ぐ真後ろに立ち上がる。背後から投げ落としに掛かろうと、首に手を回し再び膝を踏み抜かんと襲い掛かるアリア。だがまたしてもセイバーの直感は鋭く、背後で見えない筈のアリアの挙動を察知して上体を前に思い切り倒し、捻りを加えて振り下ろしていた竹刀を横薙ぎに背後目掛けて振り抜く。だが咄嗟で急場凌ぎに過ぎない振り抜きは、竹刀を持つ手が片方だけになっている時点でそれが苦し紛れに出た一刀であることが判る。バランスを崩しながらも牽制の為に振われた竹刀がアリアに襲い掛かる。

「っ――!!」

 今度はアリアが危機を感じて息を呑んだ。彼女は瞬時に上体を限界まで逸らし、セイバーの竹刀がその胸の上を掠めて衣服を裂く。セイバーもまさかこれほど容易く何度も懐に滑り込まれるとは思っても居なかったのだろう。何とかアリアの射程から逃れようと焦り始めたセイバーの斬激は片手で在りながらもはや人の域を超えた速度に達していて、空気を切り裂く竹刀は切っ先が傍を掠めるだけでアリアのウエストコートとシャツを引き裂いていたのだ。黒と白の生地が宙に花びらとなって舞う。

「……!」

 されど表情一つ変えること無くそのままブリッジのように反り返って、一気に地を蹴り背後へと跳躍するアリア。まるでサーカスか新体操選手のバック転のようだ。ブリッジの状態から床を蹴り上げて倒立に持ち込み腕の力でさらに飛び退く。二メートルは後方にダンッと重い音を響かせて綺麗に着地するアリア。その衣服は丁度胸の上が鉤裂き状に無惨に切り裂かれてしまっていた。アリアは服が裂けた事も意に介さずそのまま再びセイバーへと歩き出す。セイバーもまたそれに応じて体勢を直し、構える。
 翡翠色の瞳が四つ、その視線が二人の間でぶつかり合う。其処に差し挟まれる会話は、もう一言も無い。
 セイバーが一歩踏み込みアリアをその射程に捉えた瞬間、今までで最も速い剣戟が奔る。その速度は先ほどの横払いと同じ、否、両手で力強く振るわれる分さらに速い――! だがそれでもアリアは辛くも避けきった。しかし上段からの袈裟切りを再び側面に回って捌くも、今までとは格の違う人の域を超えたスピードで切り返し、横薙ぎに彼女の胴を狙ってくる。

「っ!!」

 アリアの表情が始めて焦燥に変わる。だが僅かに顔を歪めようと冷静さは失わず、斬り払われるぎりぎりの所で腰を床にまで落とし上体を捻って避ける。腰の捻りに合わせて頭上を通り過ぎる竹刀を追従するように回し蹴りを放つアリア。だがむべなるかな、セイバーの剣速が上がった為、今までより踏み込みが浅く懐までは入りきれなかったアリアの蹴りはセイバーの胴までは届かない。だからアリアの狙いは別にあった。アリアの足首は振り切って止まった柄を持つセイバーの手首にヒットする。最初から武器狙いだったのだ。
 だが左手は弾き飛ばせても右手までは柄から離せなかった。アリアの目論見は不完全に終わる。蹴りの失敗を察するが早いか、でんぐり返しの要領でぐるりと退く。そうしていなければセイバーの膝が顔面に打ち込まれていただろう。此処に来てセイバーも形振り構わずになってきた。ぱっと軽く飛び退き立ち上がるアリア。相手の剣速が上がっても尚、その闘志に揺らぎは無いとばかりに果敢に攻め続ける。

 振るわれる竹刀の前に飛び込み一の太刀を外へ外へと掻い潜り、切り返しの太刀は彼女にとって最大のリーチを持つ回し蹴りで腕ごと防ぎ、セイバーの蹴りには掌底で捌き対処する。そういえばアリアはずっと竹刀の刀身には一度も手を出していない。彼女程の腕ならアレがマトモな刀剣だったなら刃の腹を打つ、なんて事ぐらい遣ってのけそうな物だが、敢えてそれをしない。彼女はあくまで人の身で到達できる域を超えないよう心掛けているのか、既に人の身を超えた速さのセイバーを相手に。そんな危うい遣り取りが高速で二度、三度と繰り返される。だがそれももう限界が近い。まだ人の域を超えずに対処し続けているアリアにとってスピードで上を行くセイバーの剣戟は一合打ち合う度にジリジリと攻守のスピード差が開いてゆく。もっとも、これほど速度差が開いていながら尚も互角に捌き切っている事自体、信じられない事でもある。

 アリアにもセイバーのようにずば抜けた直感があるのだろうか? 否、きっとそうじゃない。アリアは完全に“読んでいる”のだ、セイバーの攻撃の全てを。刹那に閃く直感に引き寄せられるのではなく、セイバーの攻撃パターンを常に一手、いや、二手先まで予測し、さらにセイバーの直前の膝の動きや全体の重心移動など些細な挙動から消去法で残った攻撃を導き出し、相手の挙動より僅かに先行して防ぐ。彼女が速度で勝るセイバーに対処出来ているのはそれの“読み”が恐るべき的中率を誇っているからだろう。だがそれも、もうあと何合持つか。下段からの斬り払い、面打ち、袈裟懸けに横斬り払いと太刀筋を絶え間なく繰り出すセイバー。もう幾合目の剣戟だろうか、竹刀が風を斬る音は既に十を超えた。アリアが剣速について行けるのももう限界だと思った次の瞬間、目を疑う事態が起きた。

「「なっ――――!?」」

 セイバーと俺の驚いた声が重なる。セイバーの頭突きを避けて再び両者が一足一刀の間で対峙した次の瞬間、セイバーの体が宙を舞った――今まで一度として投げ技など食らわなかったセイバーが投げ飛ばされたというのか!?
 セイバーがアリアの投げを食らった理由は恐らく、今まで一度も取らなかった行動をアリアが取った為だろう。とうとう彼女もまた人の域を超えた瞬発力を解き放ったのだ。加えて、アリアは此処に来て初めて、セイバーの太刀筋の内側に身を滑らせた。竹刀の内側、つまり正真正銘の懐に潜り込んだという事。言ってみれば不意を付かれた訳だ。それまでずっと頑なに外へとばかり捌き続けてきたその布石あってこそ通用したフェイントモーション(だまし討ち)。セイバーが渾身の兜割りと見せかけて袈裟懸けに切り替え竹刀を振り下ろした、正にその一瞬の隙を突いて鍔迫り合い出来るほどの距離まで一気に詰め寄られたのだ。
 その狙いは只一つ。アリアはセイバーの竹刀を持つ手を絡め取る為だけに、今まで避けてきた正面の間合いに敢えて飛び込んだのである。そして一度その手首を掴まれてしまえばもう逃げ場は無い。アリアはセイバーの右手と左首筋に手刀を当て、そのまま滑らすように柄を握る両手を取り、振り下ろそうとしていた力を逆に利用して刀身で右腿を裂くように切っ先で弧を描く。驚きに目を見開くセイバーを素早く竹刀ごと両手を揚げて転身し、一連の流れるような動きで仰向けに投げ落とす。

 勝負は、そこで決まったかに見えた。だが、それは明らかにおかしかった。そう、アリアは“投げ落とそうとした”筈なのにセイバーが宙を舞うなんていうのはおかしい。
 つまりアレはアリアが持ち上げた訳じゃないという事。極められた肩を軸にして体全体でグルリと宙を舞い、両腕の自由を取り戻す。あの跳躍はその為の行為だ。だが後ろ向きにバランスを崩されたあの体勢から飛び上がるのは人間の筋力ではまず不可能に近い。何故なら極められた肩も腕も、その延長である竹刀を持ったアリアの手が力でその場に固定していた訳じゃない。肩を固定軸にして筋力で下半身を引っ張り上げる事が出来ない以上、飛び上がるには純粋に床を蹴り飛ばす足の跳躍力しかない。そんな出鱈目な筋力なんて、人間にはまず無い。そう、これは正しくセイバーの“魔力放出”というロケットブースターを使った爆発的な跳躍力に他ならない。

「――っ!?」

 セイバーの異変に気付いたアリアが驚きに目を見開き声にならない舌打ちをする。そのまま反転してアリアの正面に着地するセイバー。既に投げ落としの体勢に入っていたアリアにはもうどうする事も出来ない。そのまま手を離せば自由になった竹刀に斬られ、離さなくてもセイバーの腕力に適う筈も無い。どちらにしても、もうアリアに勝ち目は無かった。
 ずぱん! と、この徒手での試合を始めてから初めて、道場に竹刀の音が木霊した。
 丁度アリアの胸の位置に来ていた竹刀を握る手を彼女の手から奪い返すように引き抜きそのまま一打を叩き込むセイバー。竹刀の切っ先が破れたシャツの爪跡に引っ掛かりボタンを弾き飛ばす。此処に勝敗は決した。

「い、一本! それまでっ!! ストップ!! 終わり!!!!」

 さらに派手に肌蹴られたシャツの下からアリアの意外に豊かな谷間が現れる。イカン、見ちゃいけない見ちゃいけない幸い辛うじて桜色の頭頂部は見えていないからギリギリセーフだけど余りに刺激が、シゲキがツヨスギル!!

「……う、そうですね。一本捕られてしまいましたから。はぁ、結局失敗ですか。すみません士郎君。大口を叩いて置きながら、不甲斐ない……」
「い、いや……いいよ。もう十分過ぎる程に参考になった。嘘じゃないよ、ただ余りに凄すぎて、俺じゃ全然役に立てられないんじゃないかって方が心配だ」


 それまでずっと息を止めていたかのように一つ溜め息を吐いてがっくりと肩を落とすアリア。その声音からも判るように、もう彼女から放たれていた背筋も凍りそうな鋭く痛い殺気は消え去っている。いつもの穏やかな気配を取り戻しながら、酷く情けないと落ち込むアリア。なんともしおらしすぎてついフォローしたくなる。いや、正直アリアが負けたとも言えない筈だ。どうやらその点についてはセイバーも同意見らしい。ただ無言でアリアの事をジッと見詰め……いや、あれは明らかに睨んでいる。

「……不甲斐ないのは私の方だ、アリア。負けたのは私で、貴女ではない。……貴女が自身を卑下する必要は何処にも無い」

 セイバーは心底自分が赦せないと言わんばかりに渋面を滲ませ、自分の非を恥じていた。彼女自身も、自分はルールを破ってしまったと認めていた。途中からの機動力の上昇、そして最後の投げ技返しでの魔力放出。どちらも、最初にアリアが持ち掛けた人の域を超えずに戦うという条件から逸脱している。つまりセイバーは勝負には勝ったが試合には負けてしまったのだ。正々堂々を是としている彼女にとって、これは何よりも屈辱的な敗北かもしれない。

「魔力放出の使用ですか? でもそれなら私だって結局最後は使ってしまったのですから五十歩百歩、イーブンですよ。条件を同じにしなければ私は絶対に貴女には勝てませんから。尤も、そこまでしても勝てませんでしたが」

 おあいこだ、とアリアは語り、寧ろそれでも勝てなかったと頭を振る。だがそれは真実じゃあない。最後の魔力噴射は間違いなくセイバーの本気のソレだ。人を超えたスピードでもさらに上を行くサーヴァントとしての出鱈目な機動力そのものだった。セイバーは余程負けず嫌いなのだろう。アリアが予想外に接近戦に強かったから。彼女の強さがセイバーのリミッターをつい解除させてしまうほどだったのだ。

「そんな事は無い! 先に破ってしまったのは紛れも無く私だ。非礼を詫びます。アリア、私は貴女を見縊っていた……。私は貴女の手強さに焦り、つい戦意が昂ぶり我を忘れて、無意識に力の加減を忘れてしまっていた!!」

 セイバーが微かに声を震わせて告白する。胸中の告白は尚も続く。

「こんな手合わせは、私も初めての経験だった。生前にあのような素手の達人と対峙した事など、一度も無かった」

 無理も無い。彼女は格闘家でも武芸者でもない、何時の時代かは知らないが騎馬戦や武装した騎士の武器、斧、槍、弓が主体の中世の戦乱を剣術で駆け巡った“剣士”なのだから。如何な中世の戦場とて、彼女が経験した戦いでこんな手を使われた経験なんて無かった事だろう。武器を使わないで襲い来る者が無かった訳でもないだろう。だがそういった者とは寝首を掻く暗殺者などの隠者であって、堂々と真正面から挑んでくるような正者ではない。

「はは、まあ……そうでしょうね。私のは幾分我流ですが、基本と成るものはこの国、日本の古武術、合気柔術と呼ばれる武術です。特に最後の投げは完全にその型の一つで、太刀捕りの四方投げといいます。昔、軍の教導官にこれのとんでもない達人が居ましてね。合気柔術を基礎からみっちり扱かれましたから……」

 柔和で爽やかな笑みを浮かべ、床に腰を下ろして遠い記憶に耽るアリア。確かにあの動きは昔何かのテレビ番組で見た覚えがある気がする。とんでもなく小柄なお爺さんが大男を次々と倒してしまうやつだ。なるほど、確かにアリアの体捌き、足の運び方はアレと良く似ていた。

「へえ、凄いな。じゃあアリアは格闘家でもあるのか」
「いいえ、それは誤った認識です。私は決して格闘家でも武術家でもない……。国と、何より人を護る為に敵となる“人”を屠る。ただひたすらその為の術(すべ)を、爪を砥ぎ続けてきただけの……只の人殺しに過ぎません」

 深く眼を閉じ、瞑想に向かうかのように静かに通った声で、そんな非情で哀しい事を言う。其処に謙遜も卑下も無い、ただ事実そうであるだけなのだと言いたげに。

「ですから、貴女は何も気にする必要は無いのですセイバー。私と貴女とでは、戦い方にそもそも決定的な相性の悪さがある。……貴女は武器対武器であり、私は最初から無手対武器で武器を“無力化する事”を前提にした戦い方なのです。貴女が常識に無い私の手に戸惑うのは当然の事。
 ……そもそも、貴女はその類稀な魔力量に支えられた絶大な膂力と宝具、そして未来予知にも匹敵する神掛かった直感こそが強さの真髄なのだから。そのうち直感以外の利点を封じて勝てたとしても、それは決して私が強い訳ではない。それだけは言っておきます」
「……判りました。貴女がそう言うのなら、もう気にはしない。ですが貴女は決して弱くもない。それだけは確かだ。ええ、生前でも私より剣の立つ者も居た。それでも私は負けはしなかった。貴女が体術で私に勝るのは間違いない。私より腕の立った彼らと同じだ。認めます。貴女は十分に強い。私は、今改めて貴女と共に戦える僥倖に感謝したい」

 そう言葉を締め括るとセイバーは徐にアリアに歩み寄り、右手を差し出す。セイバー自ら、彼女に握手を求めたのだ。前は戸惑い気味に彼女の手を取ったセイバーだけど、それは彼女への不信感が僅かでもあったからだろう。だけど今のセイバーは、謎だらけの彼女だけれど、信じる事を決意したんだろう。
 ひょっとしたらその精神(こころね)は誠実で真っ正直で、それでも護りたい者の為に自らが汚れる事さえ厭わない鋼のような覚悟を持つ強さとそれを包む優しさを、彼女の戦い振りから感じ取ったのかもしれない。

「…………。ええ、こちらこそ感謝したい。貴女達に巡り会えたこの奇跡に」

 いつもの温和な笑みを満面に浮かべて、セイバーの手を握り返すアリア。セイバーが握手した手をそのまま引っ張り上げ、アリアを立たせる。と、やおら意識から外れていた大変な事実が俺の眼に飛び込んできた。ぴったりと体のラインに沿っていたウエストコートが破れて緩み、シャツにも横一文字に鉤裂かれた跡を残したままボタンを弾け飛ばされて襟元が大胆に割り開かれてしまっているんで、柔らかそうな双丘と谷間が晒されてしまっているのだ。

「うわっちょ、あ・あ・あ、アリア! 服っ服破れたままっ!!」
「おっと。あはは、すみません。そういえば破れたままでしたねえ。すっかり忘れていましたよ。ふふっ、士郎君には少々刺激的過ぎましたか」

 わ、忘れていましたって、少しは恥じらいってものがあるでしょうにアリアさん? あ、いや。彼女には余り無いのかも知れない。というか、余りに豪気過ぎる気がするのですが……ううむ、明らかに少々からかわれている。ええ、確かに刺激的過ぎましたよ俺にゃ。
 慌てて明後日の方を向いて白い柔肌を視線から外すようにする。そうでもしなきゃ、コッチの頭が一瞬でショートして逆上せ上がってしまう! 何せ、モデルのように均整のとれた肢体なのだ。普段は上着のせいで判り辛いが、出るとこは出て、引っ込む所は引っ込んでいるのである。……そう、胸も、意外にあるんだ。セイバーと彼女の大きな違いの一つだった。いや、セイバーの裸なんて知らないけど。って、何考えてるんだ俺、もし見ちまったりしたらもっとヤバイ、脳細胞が死滅する。

「はい、これで宜しいでしょう?」

 アリアは一端霊体化して、再び実体を取る。破けていた服はもう嘘のように綺麗に直っていた。はあー、サーヴァントってのは便利なものだなあ。

「さて、それじゃあもう一本遣りますか」
「え、……まだ遣る心算なのですかアリア?」
「え、え、え? まだ遣るの!?」

 アリアの言葉にセイバーも俺も呆気に取られて聞き返す。

「当然でしょう? 先程のは私達二人共もう本来の目的を忘れて無茶してしまいましたし。それに、本来あの技は余程熟練した人間でなければ扱えません。あれは素手対武器という絶対的に不利な状況を打破する一つの到達点です。だからお見せした。いきなり士郎君にアレを身に付けろ、等とは言っていません。次は、ちゃんと武器を持った上での戦い方。それを貴方に教えなければ。そうですね、次はナイフ等の短剣術です。ナイフや警棒、まあ色々ありますが基本は同じですよ。ただ、戦術的に幅が利くようになります」
「う、ま、まだそんなに在るのか?」
「驚いた。貴女は本当に底が知れない。その究極点があの両手武器ですか」

 セイバーが改めて目を細める。確かにアリアの超近接戦闘はフルスペックで遣られると脅威的かもしれない。敵でなくて、ホント良かった。

「さあ、まだ凛の講義まで時間は余っています。その間に今日で詰め込めることだけでもやってしまいましょう。セイバー、次は手加減してくださいよ? 模範演技になりませんからね」

 くすりと笑いながらアリアは楽しそうにセイバーをからかう。

「わ、判っています! 先のは技量のみとはいえ真剣勝負だったのですから。次は本当に模範指導という事でしょう? 十分心得ています!」
「ははは……。元気だな、二人とも」

 まったく、彼女達サーヴァントってのはタフに出来ているらしい。俺なんか見ているだけでももう気疲れを覚えているっていうのに。だけどこれも全て俺のために遣ってくれている事だ。その俺がこの程度で音を上げるなんて出来やしない。さて、それじゃあまた目を皿のようにして、彼女達の組手を見学しよう。 今日は、まだまだ濃い一日になりそうだ。



[1071] Fate/Liberating Night her codename is “Soldier” vol.15
Name: G3104@the rookie writer◆1d1dc17f
Date: 2007/09/28 08:33
 採光窓から土蔵に挿し込む軟い茜色に気付き、私は作業の手を一端止めた。
 腕時計で時刻を確認する。もう五時か。二時間程度で作ったにしては随分と捗った。
 横の作業台の上には九基のビットが完成している。今丁度十基目の動作確認を行っている所だ。

“No.10、信号受信しました。CCD映像、受信中……完了。全周囲映像表示します。動体センサー感有り。気温、湿度、気圧、風速、風向き計測データ受信中……受信完了。システムチェック・オールグリーン”

 手元でモニターを光らせるPDAが今完成したビットからの信号を受信した事を画像と音声で伝えてくる。実はこのPDA、私の兄が基本フレームを設計したAIがOSに組み込まれている。元々オックスフォード大学の電脳情報工学研究室という名称だったか、其処でずっとAI、つまり人工知能の実現を目指していた兄の実験作で集大成でもあるサポートプログラムを、私が試験運用も兼ねて使っていたのだ。

「OK。アルゲス・システムとのリンクは?」
“システムリンク・オールグリーン。次の指示をどうぞアルトリア”
「おっといけない、忘れていた。K(ケイ)教授? 今から私の事はアリアと呼びなさい」
“了解しました。呼称変更「アリア」登録。……コードネーム使用というと、現在は特殊作戦任務中だったのですか、アリア?”
「違いますよ。まあ、強ち間違いとも言い切れないけど……」
“? 申し訳有りません、その発言は理解不能です”

 K教授。音声会話機能を有するこのAIの“名前”だ。
 正式には“Kind Execute Intelligence”。其の頭文字をとってK・E・I(ケイ)。兄は発音も同じなので単純にKと呼称していたが、私は兄への敬意も込めてこのAIの事をK教授と呼んでいる。
 実際兄の名はケインなので愛称でケイと呼ぶ者もいたから区別する必要もあったのだけれど。

「ふう、やっと十基か。まだこの倍位は欲しいところだ」

 出来上がったビットを眺めながら独りごちる。ずらりと並ぶビット達、見てくれは正直な話、お世辞にも格好良いとは言えないが、それは有り合わせの材料で作っているのだから仕方の無い事だ。
 筐体に使ったのは実はプラモデルだったりする。よく学習教材用等で売られている太陽電池を動力源にしたUFO型の玩具。割と丁度良い具合に透明なドームの中に太陽電池が納まるようになっている直径十八センチ程の円盤車体。
 車体の中にはモーターやタイヤなどが納まる用に作られているのだが、結構収容スペースは大きめに出来ていておあつらえ向きだったのだ。

「これを買おうとした時の凛達の反応ときたら、フフッ……傑作でしたねえ」

 思わずあの時の三人が見せた間抜け面が脳裏に蘇る。三人とも目をテンにしてぱっくり口を開けたまま、じっくり数秒間は固まっていた。
 まあ無理も無いだろう。何せコレを一気に売り場に有る分全て買いつくしたのだから。
 その数実に二十四個。数が数なだけに売り場の女の子も唖然としていたくらいだ。
 流石に持てる分量を超えていたので郵送してもらうよう頼んだ。量販店だったのだから其の位のサービスは利用するべきだろう。物は今朝方宅急便できちんと届いた。

 今このプラスティックの筐体には太陽電池以外、玩具本来のパーツは全然入っていない。
 代わりに入っているのは全周CCDカメラや各種センサー類と、無線送受信の為の通信回路基盤だけ。
 そう特殊な物も高度な技術も使ってない。簡素化するためにセンサー類は首振りなどの可動機能はない。だからサーボモーター等の動力部品は一切無い。
 動くのは小型CCDカメラの備え付けレンズ可動モーターだけだ。
 その為に三百六十度全周を見渡せる特殊型を選び、円盤の淵には六十度ごとに動体センサーを取り付けてある。

 コレを設置するのは主にビルの屋上等。サーヴァント達が足場に使いそうな場所に置く。
 動体センサーに反応があればその方向が私のPDAに送信されてくる。その方向にCCDの画像を照らし合わせる訳だ。
 そのほか気温、湿度、気圧、風速などの各種観測装置。
 殆どは円盤表面にセンサーを付けるだけで目立たないのだが、風速と風向き計だけは機械といえど原理は実にアナログで、見た目に凄く目立って珍妙なのが少々辛い。

 UFOの透明ドームの天辺に円形の台座を設け、風速を測る風車と風向きを測る矢羽が突き出ている。さらに其の上に太陽電池が天を向いて鎮座しているこの姿。

「ふう……見た目はお世辞にも格好良い、とは言えませんけどね」
 ――ふむ。まあ有り合わせの素材で作ったのだから致し方無かろう?
 まあ、私ならもっとシンプルに仕上げて見せるがね――


 苦笑交じりな独り言が行き場を無くすかと思いきや、思わぬ反応があった。

「……その言葉、本当でしょうね? はあ、貴方にも肉体があれば手伝って欲しいくらいですよ」
 ――くっくっく。残念だったな。いや真に残念だよ――

 まったく、そうやって人をからかって楽しむなんて。
 随分と人が悪くなりましたねシロウ?

 ――いやいや、悪い。ちょっとばかり息抜きにはなったろう? 君は昔から根詰め過ぎるきらいがあるからな。私にも体があれば手伝ってやれるんだが――
 
 まったくだ。彼に肉体を取り戻せたなら百人力なのに。
 ……その方が私としても嬉しいし。って、何を考えているんだ私。今は感傷に浸る余裕なんて無い。この程度で顔を熱くするな、作業に戻れアルトリア。

 ――どうした?――
「な、何でもありませんっ」
 ――む? ははあ、まあ、そうだな。私もあれ以来、君を肌で感じる事が適わなくなってしまったのは、少しばかり寂しいがね――
「~~~~っ、知りませんっもう!」

 まったく、デリカシーの無い! 顔から火が出そうだ。

 ――ははは、そう怒ってくれるな。私も少々嬉しくてつい口が滑った。君は普段から自制心が強く禁欲的だからな。いや、私だって正直恥ずかしかったんだぞ。
 だが幸い私の声はアルトリアにしか聞こえないからな。ほら、作業に戻ろう――


 まったくもう……。恥ずかしいなら言わなければいいのです!

 気を取り直して出来上がったビットを見詰める。
 これの役割は二つ。一つは敵の動向を探る為の見張り役。そしてもう一つ。

 実は重要な役割はむしろ此方の方で、街の至る箇所で、その場の気温、湿度、風速、風向きといった情報を観測し、私のPDAにデータを集約させる事。
 街の映像情報なんて実の所、副次的な優先度でしかない。何故なら機械には魔力を感知する機能など無いから、サーヴァントを感知して追跡監視する機能など求められない。
 喩え標的を発見出来る魔力センサー等が在ったとしても、自動追尾してカメラを向けられるならそれに越した事は無いが、そんな高度なアルゴリズムなんてエンジニアでもない私にプログラムが組める筈もないし、第一装置に費用も手間も掛かりすぎる。

――流石にプログラム関係は私も専門外だ。悪い、先程の言葉は取り消そう――
「まあ貴方は機械関係専門でしたから、仕方ないでしょう」

 そう。だから映像監視は実質気休め程度でしかない。それでも、常に何箇所もの定点から全周を監視していれば、何かが引っかかる可能性は0ではない。要は“保険”だ。
 保険は、これ以外にももう一つ掛けてある。警察のIRシステムにハッキングして、密かにバックドアを作っておいた。これは私のPDAにハッキングツールが備わっているから出来る芸当で、私個人がコンピュータプログラムに聡い訳ではない。
 座敷のデスクトップから常に冬木市内全てのIR定点カメラの映像をリアルタイムに検閲出来るようにしておいたのだ。無論、私のPDAからも見られるようにしてある。
 これで、私は今冬木の街中に百の眼を持ったと言っても過言ではない。

「さてと、もう一頑張り、一気に仕上げてしまいましょうか」

 疲労などほぼ無縁なサーヴァントの身だが、魂に残る人間としての癖か、つい軽く伸びをしながら自身にハッパを掛ける。
 新たなビットの製作に取り掛かろうとした丁度その時、庭に降りる人の気配を感じた。




第十五話「小隊は虎と対峙する」




 茜色に染まった空の下に躍り出てなんとなく私は土蔵へと足を向けた。深い意味が在った訳ではない……事もない。
 理由は有る。つい先ほどまでは士郎に魔術講義を開いていたのだけれど……士郎は余りにへっぽこ過ぎた。
 朝食の時に聞いたけど、アイツは魔導の家系なら一子相伝である筈の魔術刻印さえ持って無かった。本当に一からやってるド素人だったのだから、まともな魔術行使なんて望むべくもなかったんだ。

 とりあえずセイバー達が鍛錬している間に、私は一端家に戻って講義の為の道具を用意してきた。
 アリアは座敷で何やらパソコンを弄っていたので、そうっとしておく心算だったのだけど、あっさり見つかってしまった。
 まあ其のお陰で、アリアの脚力に助けられて短時間で用は足りたから良いのだけれど。
 まず、士郎の長年閉じきってしまっていた魔術回路のスイッチを自覚させる為に、一番手っ取り早い宝石を飲ませたのだけれど、意外にもすぐ動けるまで回復してきたんで、試しにとその場で強化の出来を見させてもらったんだけど……私が甘かった。

 まさか強化の魔術さえ確立で0.一未満の成功率だなんて。用意したランプ三十個全てを失敗されるとは思わなかった。だから、アイツが普段、一体どんな魔術の修練を行っていたのか、疑問というか、興味が沸いてしまったのだ。

 土蔵は士郎にとって工房のようなもので、プライベートでもある。そんな場所に勝手に踏み込んで覗く事に、些か罪悪感を感じない訳じゃない。
 でも今、土蔵にはアリアも居る筈だし、何より仮にも師として、士郎の魔術について正確に把握しておかなければ。
 そんな理由を適当に頭の中で付けて自分の行動を正当化しつつ、土蔵の中を覗き込む。

「あら、凛。どうかしましたか?」

 私が入口から覗き込むと案の定、奥の作業場から、アリアが作業の手を止めて、きょとんとした顔で声を掛けてくる。

「ええ、ちょっとね……って、わお……凄いわね。もうこんなに作ったの」
「はい。ボディも大した加工無しで組めますから、結構早いですよ」

 アリアは土蔵の真ん中当たりに残る空間の一角を借りて、作業場にしていた。
 多分、普段は士郎がガラクタ弄りに使ってるスペースだろう。
 今朝作っていた作業台の上には、昨夜見た、あの有機的なフォルムをした機械が開かれている。ああ、あれって薄いパソコンみたいなモノだったのね。

 周囲には補強に使ったのか、細いアルミパイプやら、L型の鋼材が幾つも切断されて、一ヶ所に纏められている。
 ゴミと思しき端材までダンボール箱に固められているあたり、アリアの几帳面な性格が顕著に現れているわね。

 アリアの手元には、ピンセットやペンチに、ニッパー等の手持ち工具だけでなく、ドリルやドライバー、良く判んないけど、最近見かけなくなった八センチCDぐらいの大きさの、丸い円盤が取り付けられたモノ……これ一体何するキカイ?
 ……まあいいや。深く考えるのは止そう。そういった各種電動工具まで、所狭しと並んでいる光景は、さながら何処ぞの町工場かと突っ込みたくなる程だ。
 あれま、台にはしっかり万力までセットされてるわ。まるで本当の町工場みたい。

 全く、アリアらしいと言うか何と言うか……徹底してるわね~。そして隣の台には、ずらりと出来上がったビットが大量に鎮座していた。
 私の行動に疑問を持ったか、アリアが口を開く。

「まだ講義中かと思っていましたが、何か御用ですか、凛?」
「ん~、別に貴女に用って訳じゃないんだけどね。この感覚……あれは!!」

 そう、とんでもないモノを見つけてしまった。士郎の魔術について、探る手掛りぐらいあるだろうとは思っていたけれど、まさかこんな物が出てくるなんて……!
 アリアは何食わぬ顔で作業を続けている。だけど変よソレ。サーヴァントである貴女なら、この土蔵に満ちた違和感を感じない筈が無いでしょう?

「まさか、信じられない……! アリア……貴女、コレ知ってたわね?」
「何です、凛。コレとは?」
「コレよコレ! この中身の無い出来損ないのガラクタ達よ!!」

 アリアのそらとぼけた返答にムキになって怒鳴る。

「士郎の異常を察知したのは他ならぬ貴女でしょうが。すっとぼけないで答えて!」
「…………。ええ、存じていました」
「やっぱり。何故、最初に私に言ってこなかったの?」

 私が信用出来ないのか、とさえ暗に籠めた視線でアリアを射抜く。だが当のアリアは悪びれた様子も無く、しれっと落ち着き払って口を開く。

「それは、貴女が自分で見つけるほうが良いと判断した為です。ただでさえ、士郎君の実状は魔術師にとって非常識すぎる話ですから。一度に知ったら、貴女の理性が吹っ飛んでしまいかねない気がしたもので」

 こっの、いけしゃあしゃあとよくもまあ言える。彼女のこの落ち着きようは、一体何処からくるのよ、もうっ。

「ほら、今まさに貴女は、怒りが頂点に達しそうになっているではありませんか」
「ぐっ……解ったわよ、一先ず冷静に……頭冷やすわ」
「はい、それが懸命です」

 落ち着いた微笑で相槌を打つアリア。確かに今の私は少々冷静さを欠いていた。
 思い出せ遠坂凛。遠坂の家訓『常に余裕を持って優雅たれ』を。
 すう、はあと深呼吸を一つ。頭の芯をシンと冷やしてから問題に対処する。

「良く考えてみれば、そもそも、貴女が真っ先に士郎の異常に気付けていたのも妙なのよ」
「…………」

 アリアはただ黙して語らない。じっと真摯に此方を見詰め続けるばかり。

「気付いた? いいえ、気付くというより、最初から知っていたんじゃないの、貴女?」
「何故、そう思うのです?」
「だって、貴女は兵士であって、魔術師じゃないんでしょ? 幾らサーヴァントだから魔力に鋭敏だとしても、それならセイバーだって気付いてなきゃおかしいじゃない」

 私の問いにアリアはかぶりを振って答える。

「凛、私は確かに魔術師では在りませんが、かといって魔術と無縁でもないのですよ。
 私の魔力放出は、生前僅かに使えた数少ない私の魔術です。詰まり、私は魔術使いでもあった訳です」
「貴女……魔術まで修めてたの。全く、何処まで私を驚かせてくれるのよ、もう。
 ほんっと、貴女って謎だわ。ねえ、そろそろ真名教えてくれたっていいんじゃない?」

 なんとなく、彼女の正体に予想は付いている。彼女が魔術を使えた事も。
 でも確証が無い。そもそもこの予想自体が、自分でも甚だ半信半疑なのよ。
 だからアリアの口から、直接聞きたい。
 だけど、果たして彼女は私の問いに答えてくれるだろうか。今までずっと、やんわりとだけど頑なに正体を明かす事を拒んできたんだもの。

「…………」

 土蔵に微かな沈黙が流れる。アリアは依然、黙したまま。その瞳は僅かに、逡巡の色を滲ませながら、私の眼を見詰めてくる。

「……そうですね。私の真名、それ自体は別段隠す必要があるものではありませんから」

 何かに観念したのか、ふう、と一息付いてから、静かに了承の言葉を口にした。

「ですが、凛。私の事はまだ、当面の間はアリアと呼んで下さい。特に今はまだセイバー達には知らせたく無いのです」
「ええ、解ったわ。それじゃあ、教えてくれる? 貴女の本当の名前を」

 その真名を知ったところで、別に、何かが目に見えて判るわけでもないだろう。
 彼女の様な英雄なんて、古今東西の文献を手当たり次第探しまくったって、多分判りっこない。
 それでも、彼女の口から紡がれる彼女の名前は恐らくあの名前。

「私の名前は、アル……! 凛、申し訳有りません。セイバーが此方に近づいてきます」
「えっ!?」

 咄嗟に土蔵の戸外を振り返ると、入口から望める中庭へと縁側から降り、此方に歩いてくるセイバーの姿が見て取れた。

「御免なさい凛。今はまだセイバーには……私の真名は間違い無く彼女を混乱させる!」
「わ、解ったわ……! けど、ちゃんと話してくれるわよね、二人っきりの時に」
「……はい、何れは」

 アリアは一瞬、躊躇はしたものの、何れ教えると口にしてくれた。なら、とりあえず今は信じよう。
 きっと、私の想像にあまり間違いは無い。きっと彼女とセイバーは……。
 そこまで思考を巡らした所で、土蔵の入口にセイバーが顔を覗かせた。

「凛、此処に居ましたか」
「ええ、どうかしたセイバー? あ、士郎の顔色が悪いんで気になってたとか?」

 どうやらセイバーは私を探していたらしい。てっきり魔力消費を抑えるために寝ていると思っていたんだけど。

「あ、はい。それも無い訳では在りませんが……。凛、伺いたかったのはシロウの魔術についてです。私は魔術について、詳しくは判りませんので、シロウの現状を正確に把握しておきたいのです」
「ははあ、成る程ね。いいわ、私も一先ず、自分の考えも整理したいし、全部纏めて教えてあげる。いい? そこの奥に転がってるガラクタ、あれこそが士郎の魔術の本質よ」

 私の言葉に促されて、セイバーが無造作に転がっている“中身の無い”ガラクタを一つ手に取って、まじまじと見詰める。

「これは……何かが妙ですね。実体として在るのに、本質が伴っていないような」
「そうよ。其れは本来、この世界に在ってはならない“モノ”なのよ。
 魔術の原則は等価交換。どんなに大それた神秘だろうと、本質は全て、対価を払って他所から持ってきているモノを使っているだけ。
 でもアイツの魔術、このガラクタ達は本質的に違う」

 そう口にして、イライラが募ってつい、傍に転がってた薬缶の出来損ないを、つま先で突付きながら続ける。

「アイツの魔術はね、何処にも無いモノを、此処に持ってきてしまってるのよ。
 此処に転がってるコイツらは、この世界に存在してはならないモノ。それをカタチにしてしまってる。それがどういう事か解る?
 それは現実を侵食する想念に他ならない。アイツの魔術はきっと、ある魔術が劣化しただけのモノなんだわ」
「ある、魔術……?」

 私の説明に、まだ完全には理解し切れていなさそうな面持ちで、セイバーが呟く。
 そのセイバーの呟きに、無言だったアリアが続きを語り出す。

「グラデーション・エア、投影魔術。……本来そこには無い物を、術者の想念だけで具現化させる魔術ですね」
「そう。ただ普通、投影魔術で生み出されるモノは現実からの修正力に逆らえず、カタチを保つ為の魔力が拡散してしまえば、たちどころに消えてしまう不安定な物なのよ。
 だけど士郎の投影したコイツらは、消えずにずっとこの世界に在り続けている。つまり物質化してるのよ。
 こんなの、どんなに高度な投影魔術師でもそうそう出来やしない。まったく、非常識にも程があるってのよ!!」

 私の説明に怒気が篭りすぎたか、セイバーが若干面食らったように目を見開いていた。

「凛、とりあえず落ち着きましょう」
「ええ、後は士郎の体の状態についてね。士郎の体は、今はとりあえず、魔術回路を無理矢理開きっぱなしにした状態なの。だから、少なくとも二、三日は熱っぽかったりすると思うわ。でも士郎自身が魔術回路のオンオフを認識出来る様になれば、自然と治まる筈よ」
「そうですか。では現在の体調不良も、そう心配する程の事はないのですね」

 私の説明にセイバーはホッと胸を撫で下ろした。彼女は己の心配事が片付いた為か、不意にアリアの作業台に興味を抱いたらしい。近寄って、その台の上に置かれた精密機械の塊を覗き込み、物珍しそうに見詰めている。

「ほう、手先が器用なのですね、貴女は。あの大量に買い込んでいた部品は、これを作る為ですか。アリア、これは一体どういう機械なのですか?」

 あ……しまった、アリアにその手の質問をしちゃダメよセイバー! したら最後、延々と難しい話を聞かされるハメになるんだからっ!!

「これはビットと言って、簡単に言えば、私の索敵能力等をサポートする機械です。これがCCDといって……」

 いけない、アリアの“専門家”スイッチが入っちゃった!

「わーわーわーっ!! ね、ねえアリアッ。そういえば私達、昨日ビーカー買いそびれてたわよね!?」

 このままチンプンカンプンな話を延々とされては堪らない。どうにか話題を逸らそうとして、咄嗟に昨日買い忘れたビーカーの件を持ち出した。

「あ、はい。買いに出られるのですか?」

 唐突に私が捲し立てたので、アリアは呆気に取られたような面持ちで聞いてくる。
 よし、何とか話題を振る事が出来た。買出しにも行き直したかったし、丁度良い。このまま一気に畳み掛けて、アリアに話を戻させないようにしなくちゃ!

「うん、そうそう! ほら、もう時間もアレだし、買いに行くなら早くしないと。ね?
 アリア、すぐ出られる?」
「はい。私は何時でも出られますよ。丁度ビットも十基は完成しましたから。
 そうですね、今晩にでも設置に向かいたい所ですし、事前に設置箇所の最終チェックも兼ねて出ましょうか」

 アリアは逡巡の色すら見せず快諾するや、視線を作業台のすぐ横にある、畳一畳分はありそうな台へと向け、後を続ける。これもアリアが組み立てた物だろうが、其処に並べられたビットの筐体を、指先でなぞりながらそう答えた。

「そうね。そうしてもらえると助かるわ」

 うん、本当に助かる。一先ず今時分の私にとって大いに。
 とりあえず、アリアの解説者スイッチを強制終了させる事には成功したし、成り行きとはいえ、昨日遣り残した用事もこなせるし、言うこと無しかしら。

「それじゃ仕度して。後で玄関前ね」
「了解しました凛。それでは、セイバー。申し訳無いのですが、説明はまた次の機会に」
「はい。少し残念ではありますが、騎士としての本懐を私の我儘で阻ませる訳にはいきません。凛の護衛、然りと務めて下さい、アリア」

 アリアと言葉を交わし、私に続いてセイバーも土蔵を後にする。
 アリアは作業場の後片付けをしてから来るだろう。

「セイバー。さっきの士郎の魔術の話だけど、士郎には黙っておいてね。アイツにはまだ理解させるには……早過ぎるから」
「解りました、凛。他言無用という事ですね」

 そうだ。あんな大それた魔術なんて、士郎の未熟な魔術回路で行えば、絶対無理が祟るに決まってる。順序を間違えさせてはいけない。弟子を魔術の制御に失敗して死なせたりしたら、師として失格どころの話じゃないもの!

「ええ。とりあえずそれだけ念押しとくわ。士郎のとこに戻ってあげなさい」
「はい。お気を付けて、凛」

 セイバーに行ってきますと声を掛けて、私は玄関へと向かった。


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 西の空をもうその輪郭さえ残さぬ夕日の忘れ物が仄かに紅く夜空を押し返している。
 手首に巻いた精緻なクォーツ時計が示す現在時刻は五時三十二分、正に夕暮れ時である。

「ふむ、今ならまだ商店街にも間に合いますね」

 私は凛の待つ玄関前へ向かいながら、時計を確認する。何分行動するには、世間一般的には少々遅い頃合だから、行動は迅速に、効率よく済まさねばならない。
 特に商店街の店は、大抵遅くとも夜八時頃には軒並み閉まるのだから、あまり悠長な事はしていられない。
 玄関前に着くと、凛が紅い外套を身につけ待っていた。

「すみません、御待たせしました」
「ん、そんなに待ってもいないけどね。それじゃアリア、急ぎましょうか。縁故の文具店……あそこなら安く手に入るんだけど、店主の爺さんがモーロクしてて、大抵六時半には店閉めちゃうのよ」
「おや、それでは急がねばなりませんね」

 そんな遣り取りをしながら商店街へと向かう道すがら、丁度衛宮邸を出て直ぐのところで、私達は見慣れぬ男とすれ違った。
 別段印象にも残らぬ地味な背広にコート姿、短めで寝癖のように刎ねた頭髪という如何にも冴えない風体。手に黒革の鞄を提げたその姿は一見何処にでも居そうな会社員のように見える。
 仕事の商談だろうか、それとも家族とだろうか、男は携帯電話で誰かと遣り取りしながら、私達の横を通り過ぎていく。

 当然のように魔力反応などあるはずも無く、凛は全く気にも止めていない。だが私は即座にその男に違和感を覚えていた。あの男……間違い無く堅気の人間ではない。
 歩き方一つ取っても判る。一般人なら大抵はラフで姿勢が悪い。だが男のそれは正中線が決してぶれず重心を丹田に据え、きっちり爪先まで神経の通った確かな足取り。
 視線はぼうっとしているように見えて、実は常に周囲に気を配り意識している。
 上着越しで素人目には判り難いかもしれないが、右肩の方が発達した上背は恐らく右利き故だろう。
 明らかに相当訓練された人間の其れである。

 恐らくは軍人……それも見るからに目立たぬよう、地味な一般市民に偽装している点から見て、何処かの諜報員には違いない。
 電話も果たして本当に誰かと遣り取りしているかさえ、怪しい。
 こういう者達は総じて“普通”を演じる術に長けているからだ。尤も、普通の会話に偽装して、暗号を仕込んだ通信をしている場合もあろう。
 何れにせよ、一見程度で其処まで詳しくは読み取れないので、それも詮無い推理ではあるが……。

「今の男……」
「どうしたのアリア? 早くしないと店締まっちゃうわよ」
「あ、はい」

 言葉短く首肯して、彼女の後に続く。少々時間に余裕が無い凛は、私が僅かに足を止めて振り返っていただけで早く、急いでと歩みを急かす。
 仕方が無い、気になる事は在るが、急を要する謎でも無いだろう。少なくともどういった手合いか、今の私には大方の察しが付いていた。


 
 街頭の明かりが青白く世界を明暗に分け始めた夜道を、両手に買い物袋をぶら下げ歩く。
 隣を歩く凛は無事にビーカーを手に入れて上機嫌だ。足取りも軽く家路を急いでいる。

「さて、早く帰りましょアリア。夕飯は私の番だから急がないとね」
「そうですね。昨日のような事はもう勘弁願います」
「あ、あはは……アレは私もこりごりだわ」

 今日はしっかりと中華用の具材も買い込んだし、まあ大丈夫だろう。昔の自分の痴態を見せられる心配は、無い……と、思う。
 まさか、あれだけ買い込んだのに、一食で使い切ってしまうとは思わなかった。
 昔の私って、あそこまで大食家だったろうか……。

「あ、そういえばこの通りの向こうよね。あの場所って」

 不意に凛が交差点の向こうを見やりながら呟いた言葉が、私の意識を裡から引き戻す。
 そう、二日前に私達がバーサーカーと戦った場所。丁度この交差点を挟んだ向こう側の数区画だけが、夕餉に和む住宅街の灯火の中、物謂わぬ静寂の黒に包まれている。

「そうですね。……む、何か妙だ。あれから二日、まだ警察の封鎖は続いてる筈ですがどうも気配が無さ過ぎる」
「そりゃあそうでしょう。綺礼の裏工作はとっくに働いてる筈だし、捜査だってまず進展する筈が無いでしょ? 手詰まりな上にお上から圧力まで掛かってるんだから警察だって封鎖といってもカタチだけよ」

 言峰神父の手による隠蔽工作は、どうやら迅速に行われているようだ。警察の眼さえ無いなら、此方としても行動しやすい。
 現場はもう粗方、証拠集めで洗われてしまってるだろうが、ひょっとしたらまだ何かが見つかるかもしれない。

「ふむ、なら好都合ですね。凛、ちょっと様子を覗いてみませんか?」
「はぁ? 突然何を言い出すのよ貴女。あんなトコに行ったら、完全に寄り道じゃない。
 時間の無駄だし、それにもう夜よ。何時敵の襲撃に遭ってもおかしくないのに、態々あんなおあつらえ向きな場所に向かう事も無いでしょ?」
「いえ、多分大丈夫かと。何しろあそこは完全な無人。それも生気さえ枯渇しかけた死地ですから。それに、一度戦ってボロボロで、目ぼしい宝も無い戦場跡など、何もメリットなんて無い、と考えるのは貴女だけじゃないでしょう? だから逆に安全だとも考えられます」
「ふう。全くもう、解ったわよ。付き合うわ。
 そこまで言うからには、何か考えがあっての事なんでしょう、アリア?」

 私の言葉に納得してくれたのか、それとも私の行動に呆れたのか。凛は溜め息交じりに渋々了承してくれた。

「ええ、まあ。有るというより、僅かな可能性でも見つかればと思っているだけですが。
 正に藁にも縋るような心境ですよ。それほどにあのバーサーカーは、私にとって天敵以外の何者でもないですからね」

 そう、悔しいが其れが現実だ。私の通常武器は、何一つとしてあの巨体には通じない。
 あのヘラクレスの宝具“十二の試練(ゴッドハンド)”を打ち破るには、相応の霊格を誇る攻撃でなければ傷一つ付けられない。その上、命のストックまで12個も持っている。

 ……まったく、なんて出鱈目な宝具か。あれを上回るには私の武器に高い、それこそ第一級の神秘を備えさせなければいけない。
 そんな攻撃を私は……持たない訳ではない。持たない訳ではないが……まだ己の命を掛けるには早過ぎる。
 バーサーカーを倒せても、そこで力尽きてしまっては意味が無い。まだあの影が残っているのだから……。

 霊格が低くてはどんなに破壊力の高い武器を使おうと、恐らく意味を成さない。あれはそういった、この世の理を無視した法則の元に成り立つ宝具、神格化された概念武装。
 さて、そんなバケモノをどうやって相手にするか……そんな事に思考を割いているうちに私達は当の現場に着いてしまった。

「ふう、とりあえずは誰にも見られずに済んだか。着いたわよ、アリア」

 無人の住宅区画に入る時に潜った物と同じ、“立入禁止 KEEPOUT”と書かれた警察の封鎖テープを再び潜り、私達は二日前の戦場跡へと戻ってきた。

「調べるんなら早くしてよね? こんな所で、他のマスター達に襲われでもしたら事よ」
「解っています。半径二百メートル以内に敵はまだ感知していませんから、ご安心を」

 凛を納得させて直ぐに周囲を調べに掛かる。そう、確証は無かったが目論見はある。
 あの時、あのバーサーカーと戦っていた時に、私は奇妙な違和感を覚えた。
 違和感はあの斧剣から感じたもの。
 あれは私や、セイバーの持つ英霊としての武器とは違う。
 彼の武装には違いないが、サーヴァントとしての宝具でも無ければ、英霊としての固有武装でも無い。

 なのに其れから感じた神秘の高さは、千年単位の年月を蓄積した物のそれだった。
 それが意味する所は何なのか。
 確証は無いが、私にとって、あの武器こそが現状を打破する唯一の希望だと、半ば直感めいた確信を抱いている。

「凛、この周辺から、マナの残滓が在るポイントを重点的に探してください」
「魔力が残留してる所ね。いいけど、何を探してるの?」
「お宝は……バーサーカーが持っていた斧剣の欠片です」
「……はぁ!? あれって残ってるようなモンなの!? ……だって英霊の武装でしょ?
 大方、マナの霧になって、消えちゃってると思うけど?」

 凛が素っ頓狂な声を上げて聞き返してくる。彼女にとっても意外な事だったのだろう。

「さあ、残っているか否か……それも定かでは無いのが本当の所です。ですが、あの斧剣は私達の武装のような、仮初めの実体化とは、少々性格が異なる物のようでしたのでね」

 あの斧剣は、基本的には只の石器と同じ物。形状は古代の磨製石器に近いが、あの表面の研磨精度はどちらかと言うと、現代的な鉄器によって、岩から剣の形に削り出した物のように思える。
 だがあの刃は鋼のように研磨して生み出した物ではなく、刀身の淵を打ち欠いて無駄な肉厚を剥ぐ事で、あの凶悪な鋸状のエッジを作り出している。
 つまりあの剣は、打ち合い刃こぼれしても、それが新たな刃となる事で破壊力を維持し続けるのだ。

 ともあれ、あの斧剣がどういった性質の物なのかは、あくまで推測の域を出ない。
 だがもしあの斧剣の欠片でも入手出来れば、その正体を見極める事も出来るだろう。
 あの時、私は彼の斧剣に向けて、幾度もライフル弾の全弾掃射を浴びせかけた。
 斧剣の表面を銃弾の雨でボロボロに砕いた筈だし、セイバーの剣との打ち合いでも派手に火花と共に砕けた破片を撒き散らしていた。

 そう、もしこの場が、まだそんなに捜査で荒らされていなければ、あの斧剣の破片が見つかる可能性も、ゼロではない筈だ。
 さて、私もマナの僅かな残り香を探りあて、破片を探さなければ。

「Anfang(セット)――。広域検索……魔力検出…………っ! 見つけた!!
 アリア、とりあえずソコとアッチと……向こうの電柱の影の三カ所。他にも大小合わせて、十二ヶ所は在るわね……。意外と多いかも」
「! 流石は凛ですね、仕事が早い。感謝します。これで探す手間が省けた」

 凛の検索魔術によって見つけ出された魔力反応の箇所を、手分けして探ってゆく。

「……あった!? まさか、本当に残ってるなんてね……」
「此方も発見しました。本当に小さな破片ですけれど」

 全ての箇所を調べ終わり、凛と合流する。大小全てのポイントから、片手一杯分の破片を見つけた。
 そこらじゅうボロボロの戦場跡の中、二人して、得も言われぬ溜め息をつく。

「まったく……。なんて代物よ、これ」
「……ええ。改めて手に取ると本当に、とんでもない遺物ですね」
「セイバーの剣と互角に渡り合うだけの事は在るわ。軽く二千年以上の歳月を重ねてきた神代の遺物よこれ。これ程の神格を持つとなると恐らく、古代の神殿に縁のある物かも」

 むむ、と凛が難しい顔をして、手中の欠片達を睨み据える。この破片達が纏う高い神秘がそうさせるのだろう。

「ふむ……古代の神殿……。凛? もしかしたら、この破片……というより、あの斧剣はヘラクレスを召喚する為に用意した触媒なのかもしれません」
「……そうね。ヘラクレスの伝承から考えれば、あんな石器が縁の物だなんて、多少疑問は残るけど、この破格の神秘は何よりも説得力に勝るわ」
「先ほど、凛は神殿に縁があると仰ったでしょう? 古代ギリシアの神殿は大理石等の石造りです。これは推測ですが、あの斧剣は、アインツベルンが、神殿跡の石材から削り出した物なのではないでしょうか」
「成る程ね……一理あるわ。これが神殿の構成物その物だとしたら、これだけの神格にも納得がいく。恐らくその線で違いないわ」

 凛が腕組みを解いて、合点が行ったとばかりにポンと鳩尾の前で相槌を打つ。
 と、そこまで納得して、次の瞬間には目を丸くして、それが判ったからどうなのよと言う視線を、私に投げ掛ける。

「で? それ……一体、何に使う訳?」
「無論、武器ですよ。それが何か?」
「??」
 
 凛はさっぱり解らないといった表情になり、半眼で私を睨む。

「ですが、欲を言うなら、もうちょっと量が得られれば良かったのですがね……。
 ふむ、見たところ警察も、一応は鑑識用に辺り一面を洗っているようですから、警察署に潜り込めば、まだ見つかるかも」
「ええっ!? ちょっと待った!! 貴女、警察に忍び込む心算!?
 っていうか、そういえば貴女の銃弾とか、ポンポン飛んでたケースとか、あんなの鑑識されちゃったら拙いじゃない!?」

 私の言葉に猛烈に驚いた凛が、狼狽えながら捲し立てる。

「私の銃弾や薬莢は、あの戦闘後すぐに私の武器と共に消滅しているので、その心配は無いと思いますよ。まあ、いくらか周囲に跳弾の弾痕ぐらいは残って、鑑識たちに正体不明の謎を提供しているでしょうが」
「あ、そう……。って、それは良いけど、警察に忍び込むなんて本気!?」

 何でそんなに厄介事を呼び込みそうな行動を取りたがるのよ、と言いたげに、凛が非難の声を上げる。
 別にそんなに慌てる必要など無いと思うのだけれど。私はこう見えても、生前は潜入工作だって幾度もこなしていたのだから。
 平和そのもので、対外防衛設備の緩い日本の地方警察署ぐらい、霊体化せずとも、如何と言うこともない。

「ええ勿論。私なら造作も無い事ですよ?」
「あ、貴女ねえ、そんな屈託の無い朗らかな笑顔で言う事じゃないわよソレ!」
「まあまあ、そんなに心配する必要有りませんよ。それより、もうすぐ七時になってしまいますよ? 急いで帰りませんと」
「うわっ……! しまった、長居しすぎた。……くっ、急ぐわよアリア!」

 腕時計の針を指差しながら、私が時刻を伝えると、凛は驚いて文字盤を一瞥するや、即座に踵を返す。はは、余程昨夜の一件は堪えていたようですね。
 念の為に、携帯電話で士郎君にセイバーを宥めてもらうよう頼んでおきますか。


**************************************************************


 まだ熱っぽい体を持て余し、縁側で涼もうと居間に入った時だった。不意にポケットの中から軽快なメロディーが流れてきたのは。
 遠坂達が連絡用にとくれた携帯電話だ。二つ折りの本体を開くと、液晶画面にはアリアの番号が踊っていた。一体何だろう?
 熱っぽくてボケたままの頭を振るって、正気に戻してアリアの声を聞く。

「……うん、うん。解った。あと十分くらい? いいよ、こっちは任せておいてくれ」
「シロウ、もう体調は良いのですか?」

 廊下から、洗面器とタオルを持ったセイバーが顔を出して聞いてくる。

「ああ。まだ熱っぽいんで縁側で涼もうかと思ったんだけど」
「そうですか」

 俺が寝ている間、看病をしてくれていたのだろう。まったく、自分のサーヴァントにまで迷惑かけて、俺は何を遣っているんだか。

「悪いな、気を使わせて。セイバーも消耗を避ける為に、極力寝てなきゃいけないのに」
「構いません。マスターの体調不全で万が一の事態に陥る方が、遙かに危険ですから。貴方の体調を保つ事も重要です。
 ……というのは、実はアリアのお陰で気付く事が出来たのですが」

 凛としてはっきり自分の意思を口にしていたセイバーだが、最後の一言には些かその声に自信が感じられず、弱々しく感じられた。

「ははは、アリアって不思議なくらい鋭いもんな。その割りに、自分の事には意外と疎い所もあるみたいだけど」
「はあ。そうなのですか?」

 あれ? 今のはセイバーとアリアの似通い具合に、アリアが無自覚だってことを籠めてたんだけど。
 特に食事時の癖とか……ああ、自分の事に疎いのはセイバーも同じだったか。
 ……本当つくづく思うけど、ソックリだよなあこの二人。

「そうだ。今アリアから電話があって、彼女達はあと十分ぐらいで帰って来るってさ。
 セイバー、済まないが夕飯はそれからだ。もうちょっと辛抱してくれるか」
「解りました。それはそうとシロウ、もう七時です。確か、朝に聞いた予定では六時にはタイガが戻って来ると伺っていましたが?」

 ……そういえば、そうだった。
 それと同時に、朝の時点で棚上げにしていた問題が、アンゴルモアの大王が如く頭上に舞い戻って来た。
 そう、朝に藤ねえがやって来た時に、セイバー達の事は、爺さんの知人の娘と言う事で納得してもらえた。
 だけど藤ねえは二日前のあの事件の事で、早朝に臨時職員会議があるとかでバタバタしてて、あの時まだ完全に寝ていた遠坂の事は藤ねえに伝えてない。

「しまった……やっばいなあ。遠坂まで下宿する事、どうやって藤ねえに説明しよう」
「その件は恐らく、アリアがもう何か考えているのではないかと」
「へ? セイバー、アリアから何か聞いてるのか?」
「いえ、別段そういう訳では無いのですが……彼女の事ですから」

 セイバーが少し済まなさそうな笑みを浮かべ、彼女にしては珍しく他力本願な事を言う。
 まあ、今までのアリアの機転の良さは彼女も良く知るところだが。何しろ彼女達が居候する口実を考えてきたのも、アリア本人だ。それにしても――

 アリアは何故に切嗣、知る筈の無い俺の爺さんの名前まで、知っていたんだろう?

「それで、タイガが遅れている件ですが」
「ああ、多分例の事件のせいで色々立て込んでるんだろう。あの行方不明になった人たちの中には、ウチの生徒だって居ただろうから。なに、もし遅くなるなら電話がある筈だろうし、もうじき帰って来るさ」
「そうですか。では然程心配する必要は無さそうですね」

 そんな事を話していると噂をすれば影というか、玄関の方から本人のスクーターが排気音を響かせやって来た。間違いない、藤ねえだ。

「やっほーっしろー! 御免ねえ、残務整理とか職員会議で遅くなっちゃって。
 もうおねーちゃん疲れちゃったよーぅ」

 パタパタと廊下を歩きながら、底抜けに明るい大声を上げる藤ねえ。居間の襖を開けるなり、疲れたなんて言いながら人に抱き付いてくる。
 おいおい、それだけ大声張り上げておいて、一体何処が疲れてるんだ?

「こ、こら重いっ藤ねえ悪ふざけはやめろ、こら首絞めるな、チョークスリーパーは止めてくれ頼むからっ!!」
「あっはっはー。この位で音を上げちゃ情けないゾ士郎ー?
 セイバーちゃんもこんばんわー。お姉さんは外出?」

 そう、藤ねえにはセイバーとアリアは姉妹、という事で説明してある。
 彼女達は爺さんの、異国での友人の娘という事で、俺が宿を貸すと決めたと言えば、藤ねえとて無碍には出来ないので、渋々了承してくれた。
 まあ、アリアが機転良くフォローを入れてくれたし、二人の態度には藤ねえも好印象を持ってくれたようで、もうセイバーともこうして気軽に話し掛けたりしている。
 ……それはそうと、いい加減酸欠で苦しくなって来てるんだが藤ねえ、ギブ、ギブ……。

「あ、はい。今晩はタイガ。アリア……姉上は今買い物に出ています。もうじき戻って来ますよ。……あの、そろそろ離してあげないとシロウが落ちてしまいますが……」
「ん? あっと、ゴメンゴメン士郎」

 セイバーがおずおずと心配げな表情で指摘してくれたお陰で、藤ねえはようやくコッチに気が付き首を開放してくれた。

「げほっげほっ……! ったく、やって来るなり技かけるなよ藤ねえ。何かあったのか?」
「んー、まあねー。ほら、二日前の集団失踪事件、あったでしょー?」

 なんだか普段と少しだけ様子の違う藤ねえが気になり、問いかけてみる。藤ねえは少しばかり苦笑すると、いつもの調子で語り出した。

「ウチの生徒も何人か行方不明でね、それで今日は朝から、今後の対応とか如何するかって遅くまで職員会議開いて、てんやわんやだったんだけど。士郎もいっつも遅くまでバイトとかしてるから、無事かどうか心配になっちゃってさ。だから無事な顔見れたら、ついホッとしちゃってー」
「ホッとしたら人の首を絞めるのかよ藤ねえ……物騒だから絶対他人にはするなよ。まあそれは置いといて、藤ねえこそ気をつけろよ? 最近はこの辺りも物騒みたいだからな」

 俺の言葉に解ってるよーと軽い相槌を返すや、今度はセイバーにまで気をつけなさいねと話を向けている。
 まあ藤ねえにはセイバーも年端も行かぬ少女にしか見えないだろうから、注意を促すのは教師としても当然の行為だろう。
 こういうところで藤ねえはなんだかんだ言いながら、立派に教師である事を再認識させられる。

「アリアさんにも注意するよう言っとかないとねー。二人とも凄い美人だし、悪漢に襲われたりしたら……」
「あ、その点は心配無用かと。私も姉上も武の心得が在りますから」
「でも……」

 セイバーの言葉に間髪入れず反論しようとする藤ねえ。
 そりゃまあ、ごく普通の感覚をもつ藤ねえからすれば、武の心得と言っても精々空手の習い事程度の物と思ったのだろう。

「……特に、姉上の格闘術は生半可な物ではありません。私でも適うかどうか。並みの男が幾ら束になって掛かろうと姉上なら大丈夫でしょう」

 並みの人間レベルの心得だと思ってしまうだろうが、生憎とそんな生易しい物じゃない。
 それは何より、アリアの近接戦闘を実際に経験したセイバー自身が、誰よりも良く理解しているのだろう。
 その声色に、些か口惜しさが滲み出ているようでもある。
 尤も、サーヴァントとしての単純な戦闘力なら、セイバーの方が遙かに高いとは思うんだけど。

「そ……そんなに?」
「ああ。今日セイバー達の組み手を見せてもらったんだけど、まず、彼女達のは次元が違うよ。セイバーもアリアも、只の悪漢なら一ひねりで返り討ちに出来るな」

「むむむ……なんだかそう聞かされるといっそう、一度手合わせしてみたくなるわねー」

 徐に物騒な事を口走る藤ねえ。さっきもチョークスリーパー掛けられたり、最近暴れ足りなくて欲求不満なのだろうか。
 そんな傍迷惑な推測などしているうちに、これもまた噂をすれば影、というより実物現るとでも言おうか、素晴らしいタイミングで玄関が開く音が聞こえる。

「只今戻りましたー」

 廊下から聞こえてきた声の主は誰でもない噂のその人、アリア本人である。
 居間の襖を開けて入ってきた人影はアリアと……そう、問題を先送りにしていた遠坂さんの二人分。

「遅くなってしまい申し訳有りません」
「まったく、アリアが余計な寄り道なんかするから」
「済みません。すぐ夕餉の用意をしますから。と、いらっしゃい大河さん。
 ……はて? 私の顔に何か付いてます?」
「あっう、ううん、何でもっ。何でもないわアリアさん。こんばんわー」

 まじまじとアリアに無粋な視線を送っていた藤ねえが不意に正気に戻って、あたふたと取り繕う。
 まったく、大方こんな華奢そうな女の子がねえ、なんて考えてたんだろうが。
 アリアの意外性はそれだけじゃ無いって事を知ったら藤ねえのヤツ、どんな顔見せるだろうな。

「……ところで、どうして遠坂さんまで一緒なの?」

 その瞬間、俺達の周囲の空間がぴしり、と瞬間冷凍されたような心地になった。
 俺の横ではセイバーが目で(シロウ、如何するのですか)と訴えてくる。
 台所に向かおうとしていた遠坂は無表情で(何? 何も話通してないっていうの?)なんて冷たい目で射抜いてくる。そんな事言われたってなあ……。
 頼みの綱はもうアリアだけだ。万感の思いを込めてアリアにアイコンタクトを取る。

(アリア、頼む。遠坂も一緒に下宿するって件、何とか良い言い訳考えてくれっ!)

 俺の思いを視線から汲み取ったアリアが、目で了解と視線を返してくれる。
 良かった、何とかなりそうだと思った矢先……。

「それは当然、私も此方で下宿させてもらうからですよ。藤村先生」
「り、凛!?」

 アリアが口を開くより僅かに先に遠坂が、よりによって一番やって欲しくない爆弾発言を、無慈悲にも投下してくれやがりました。
 突然の事態に思わずアリアも目を白黒させて固まってる。

「あ、そうなの。へえ、遠坂さんも変わった事するのね」
「……う、うん。あいつ、結構変わり者だ。学校じゃ猫かぶってる……」
「あ、あのっその件についてはっ……」
「ふーん、そっかー。下宿ねえ……」

 あ、ヤバイ。この間はなんかひじょーにヤバイ。第六感が告げている。
 衛宮士郎よ、早くこの場から逃げるんだ、と本能が警告を発するも体が動かない。

「って、下宿ってなによ士郎ーーーーっ!!!!」

 どっかーんとまるで爆発の効果音でも付いてるんじゃないかと思うほどの大声が、家の壁や窓ガラスをビリビリと振動させる。
 即座に俺の襟首を引っ掴んでがくがくと揺らしては、がぁーと気炎を吐き出す我が姉貴分タイガー。もうこーなっちまったら止められない。
 ……ちくしょう。俺が必死こいてアリアに助けを求めたってのに、全ての労力を無に還してくれやがって。あのあかいアクマめ……。

「百歩譲ってセイバーちゃん達は切嗣さんへの来客だから認めます! だけどよりによって同級生の女の子まで下宿させるなんて一体全体ドコのラブコメだいっ、ええいわたしゃそんな質の悪い冗談じゃ笑ってやらないんだからー!」
「ぐ、ぐえっ……ちょ、ちょっと待て、一先ず話を聞け!」
「そ、そうです! まずは落ち着いて下さい大河! きちんと説明しますから!!」

 尚も襟首を掴んだままがくがくと揺さ振られながら、次第に腕に力が入って首まで絞められ始める俺を見かねたアリアが、藤ねえを羽交い絞めにして止めに入る。

「ちょ、待って離してアリアさん! うわ、全っ然抜け出せないしって、あ……しまった肩極まってる、極まっちゃってるよアリアさん、痛ッイタタ!」
「済みません大河さん、まずは冷静になって下さい」
「解った、解りましたから離してえアリアさぁん」

 きっちり羽交い絞めにされて身動きの取れない藤ねえ。もがけばもがく程、見事に極められた肩が悲鳴を上げるので、流石に泣きが入ったようだ。

「げほっ。だから言ったろ? アリアの腕は並じゃないって」
「大丈夫ですか、シロウ」

 アリアが藤ねえを引き剥がしてくれたお陰で、何とか呼吸を取り戻し咳き込む。
 すぐ傍にセイバーがやってきた。気遣ってくれるも、流石にセイバーも如何して良いか判らないといった面持ちで、申し訳無さそうに眉を下げている。

「なんだ、もうオシマイ? 案外早く終わっちゃったわね」
「り、凛……」
「お前ね、言うに事欠いてそれかよ!?」

 遠坂の悪びれもしない態度に流石のアリアも呆れかえってしまっている。

「凛、今のは流石に頂けませんよ。一体どういうお心算ですか」
「あっはは、いやあ申し訳無い。御免ね。ほら、私、身内なんて居ないからさ。ちょっと士郎と藤村先生見てたら、羨ましくなっちゃって」

 てへっとばかりに軽く舌を出して謝るあかいアクマ。
 呆れた。こいつ、実は感性だけで生きている生物なのではないだろうか?

「で、早合点させるような事を言ったら、姉弟喧嘩でも見れるかなーって。ほら、私ってそういうの殆ど経験無いからつい好奇心で……」
「まったく、何という……」

 えへへとばかりにはにかむ遠坂。その横ではアリアが、渋面を半分手で覆うようにしてかぶりを振っている。
 うん。その気持ち、痛いほど良く判るぞアリア。

「まあ冗談はこの位にして、藤村先生。下宿を申し入れたのは私からです」

 最初から冗談抜きにしておいて貰いたかったんだが、まあいい。
 ともかく、遠坂が真面目に説明を始めたようだ。横からアリアもフォローにまわるのでもう大丈夫だろう。

「そうなんです。実は私達も、最初は凛の家にご厄介になる予定だったのですが、生憎と今は凛の家が改装の真っ只中でして。その旨を士郎君に伝えると、ならウチを使ってくれて良いと有り難い申し出を頂いたんです。
 それで厚かましい願いでは有りますが、凛も改装中はホテルにでも泊まる心算だと言っていたので一緒に泊めて貰えないかと私から申し出まして。士郎君は嫌な顔一つせず二つ返事で快諾してくれて大変助かりました」

 流石はアリア。すらすらと良くまあ此処までもっともらしい嘘、もとい方便が出てくるなと感心する。

「成る程……そうですか。そういう事情でしたら……。でもやっぱり若い男女を一つ屋根の下に生活させるのは教師として、士郎の保護者としてやっぱり認めるには……」
「ご心配無く、藤村先生。私は母屋でなく離れの方に部屋を借りていますし、実は既に一昨日から宿泊させて頂いていますが、衛宮君は真面目ですから問題になるようなことは何も。それとも、先生は衛宮君が問題を起こす人間だとでも?」

 遠坂が真面目になのか、藤ねえを挑発しているのか判断に窮する事を言う。
 頼むからもうちょっと穏便に話を進めてくれないかな……正直心臓に悪くってハラハラする。
 ああ、アリアも苦笑が顔に表れてるよ。苦労するなあ、アリアも。

「そんな訳無いじゃない。士郎は私が責任もって面倒見てきたんだから!
 それよりちょっと士郎! アンタ何、もう泊めちゃってるんじゃないのよう。こんな事切嗣さんが知ったら何ていうか」
「……多分、喜んで協力してあげなさいって言うと思うぞ」
「う……それは、言えてる。切嗣さん女性には甘かったしなあ……」

 爺さんは女性は優しくしなさいって何時も言ってたしな。それに関しては、息子である俺も同意見だ。
 藤ねえはむううと黙り込み、暫く何かぶつぶつと呟いていたが、決心したかすっくとその場に立ち上がると、声高に宣言し出した。

「判りました。遠坂さんの下宿は許可します。ただし! 条件として、私も監督役として同居します!」
「え? ええーっ!? 何でそうなるんだよ藤ねえ!」
「反論は大却下します! 教師兼保護者として、これ以上の譲歩は認めませんからね!!」

 それは色々と拙いんじゃなかろうか。何しろ隣の座敷にはアリアが設置したパソコンがあるし、土蔵の中とか、ただの下宿というには色々と不自然な状況になっている。
 もし藤ねえにあれらが見つかったら、どう言い訳したらいいか解らない。
 如何しようかと思案し倦ねて、チラッと視線でアリアに問い掛ける。
 すると意外な反応が返ってきた。

「私達はそれで構いませんよ。それでは改めて。大河さん、恐らく二週間程度だと思いますが妹共々、お世話になります。何卒、宜しくお願いします」
「宜しくお願い致します、タイガ」

 セイバーにちょいちょいと手招きして傍に寄らせ、丁寧にお辞儀をするアリアと、促されるままに一緒にお辞儀をするセイバー。

「凛も、宜しいですね?」
「ええ。異存は無いわ。それでは改めまして。宜しくお願いします、藤村先生」
「いいのか、三人とも? ……まあ、皆がそれでいいって言うなら俺も反論は無いよ」

 アリア達の傍に寄って真意を確かめるが、三人とももう腹は決まっているらしくただ頷くだけ。
 聖杯戦争絡みの不安は残ってるが、アリア達がいいと言うんだから、既に何か策は考えているんだろう。

「はい、じゃあ決定ね。三人とも、此方こそ宜しくね。 ……そういえば、アリアさん達と遠坂さんって、お知り合いだったの?」
「はい。私が日本へ来たのも、本来は家庭教師兼家政婦として、凛に招かれたからです。
 此方へは生前お世話になった切嗣さんに、せめて墓参りでも出来ればと。そうしたら私が日本へ渡ると聞いて、妹も切嗣さんとの約束を果たすんだと言って聞かなくて」
「あ、姉上?」
(しーっ。黙って私の話に合わせて下さい。悪いようにはしませんから)

 突然の新設定に思わずセイバーが狼狽える。傍にいる俺が何とか聞こえる程度のひそひそ声で、セイバーに耳打ちするアリア。
 しかし、慣れないセイバーにアドリブを求めて大丈夫だろうか。

「へえ、切嗣さんとの約束かあ。どんな約束なのセイバーちゃん?」
「それは……」

 セイバーは突然の事にどう答えて良いものかと考え倦ね、救いを求めるようにアリアへと視線を泳がせる。と、アリアが小さな声で囁く。

(深く考えずに、貴女の本分を答えれば良いではないですか)
(! 成る程、そういう事ですか)

 セイバーはアリアの謂わんとする所に合点がいったのか、スッといつもの冷静さを取り戻して口を開く。

「あらゆる障害からシロウを護ると切嗣に約束したのです」
「あら、まあ」
「もう何年も前に交わした些細な約束をずっと覚えていたようで、家族の反対を押し切って、強引に私にくっついて来てしまったんですよ」
「あっ姉上! 人をそんな無鉄砲者のように言わないで下さい」
(全く、これではまるで、私が幼い頑固者のようではないですか)
(ははは、辛抱してください。少なくともこれで、貴女が士郎君を護衛する理由付けが出来たでしょう?)

 いやはや、アリアには全く恐れ入る。ここまで平然と、尤もらしい嘘八百を並べ立てられる事もだが、なによりセイバーの性格を良く解って、上手く舵を取っている。
 きっと今のセイバーの不満は本心からだろう。セイバーみたいに融通の利かない性格の人間が、考え無しの無鉄砲娘なんて言われたら、普通は怒るよなあ。
 でも確かに、これでアリアの言うとおり、セイバーが俺を護衛する事も、アリアが遠坂に従事する理由も、表向きに無理の無い説明をでっち上げる事が出来たのは間違いない。

「そっか、成る程ねー。切嗣さんとの約束を大事にして日本までやって来てくれた訳か。うんうん、その純粋で一途な心意気、士郎の保護者としておねーさんは嬉しいよー」

 伊達に俺の保護者を自負している訳じゃない藤ねえだ。
 突然見ず知らずの他人に、俺を護衛する為に来たとか言われれば絶対「私より強いって証明してみせなさーいっ!」とばかりに決闘しかねない。
 でもここまで微笑ましい話を聞かされては、流石の藤ねえもセイバーを無碍になんて出来ないだろう。
 ……ひょっとしてアリア、そこまで計算してた? いや、まさかな。考えすぎだ……。

「そうそう、寝る時はセイバーちゃんとアリアさんは私と一緒の部屋ねー」
「なっ、そ、それは……!」
(今は従ってください。考えが有りますから)

 異を唱えようとしたセイバーの肩を掴んで止めたのはアリアだ。
 軽くかぶりを振り小声で彼女を説得する。
 耳が良い俺には微かに聞き取れたけどちょっと離れてる藤ねえには殆ど聞こえなかったろう。

「うん? 何か都合悪かった? セイバーちゃん」
「い、いえ。何でもありません」
「そっか。じゃあ士郎ー、奥の和室借りるね。浴衣とか押入れにまだ在ったでしょ?」
「おう。あんまりセイバー達を困らせるなよ、藤ねえ?」

 失礼な! と口では怒るも、さして気にもせず、意気揚々と和室をセットしに向かう藤ねえ。
 廊下からも藤ねえの気配が消えてから、徐に息を吐く。やっと緊張の糸が切れた。

「……っはあ。なんだかドッと疲れたよ」
「あはは……、済みません色々とご迷惑を掛けて」

 アリアが申し訳無さそうに苦笑する。
 確かに原因ではあるけれど、それは彼女のせいとばかりは言えないと思うんだが。

「まるで台風のような人ですね彼女は。それはそうとアリア、先ほどの考えとは?」
「それはですね、凛?」
「解ってるわよ。藤村先生を魔術で眠らせろって言うんでしょ」
「ええ。先にぐっすり眠ってもらえば後は自由に活動出来るでしょう?」

 おいおい、あんまり物騒な手は使わないでくれよ? まあ遠坂の魔術の腕は折紙付きだから上手くやってくれるとは思うけど、何か不安だ。

「それより、そろそろ夕飯の支度始めないか。もう七時半回ってるし」
「いっけない、すぐ準備するわ。悪いけど手伝ってアリア!」
「了解しました凛」
 二人とも何かを思い出したか、突然に目の色を変えて台所に飛び込んでいった。

「? 二人は何を慌てて行ったのでしょうか。慌てて怪我でもしなければ良いのですが」

 ああ、ははは……きっと理由は君だよセイバー。昨日のアレはやっぱり二人とも相当堪えてたんだなあ。
 セイバーは原因が自分とは判っていない。いや、知ったら知ったでどんな事になるか想像したくない。
 知らぬが仏とは決して本人にとってだけではないんだな。
 台所から慌しく包丁の音や中華鍋を振る音が聞こえてくる中、セイバーはいまださっぱり解らないといった様子できょとんと台所を見つめていた。



[1071] Fate/Liberating Night her codename is “Soldier” vol.16
Name: G3104@the rookie writer◆21666917
Date: 2011/07/19 01:23
 夜の帳が街を覆い尽くす頃合いに私達は街へと向かった。
 目的は私のビットを設置する事と、警察署に保管されている可能性のある、残りの破片を手に入れる事。

 私達は、傍目にはサーヴァントを探して街中を飛び回っているように見せかけるよう心がけながら、設置作業を続けた。
 科学に疎い魔術師達に、私のビットの意図が見抜けるかは判らないが、監視装置であると推察される恐れは在る。
 だから此方が設置する前には必ず、凛に周囲で偵察している敵の使い魔等に対し、全て視覚妨害をかけるか、破壊してもらっている。

 昼間に完成させた十基のうち、既に半分は深山町の各ポイントに設置してきた。

 設置するポイントの最低条件は、大気の状況を検知しやすく、周囲三百六十度を極力障害物無く監視できる場所。
 そうなると、自ずと設置できるポイントは限られてくる。

 極力高い集合住宅などの建物屋上、鉄塔や大型広告棟などの上、低層の一軒家ばかりが続くような住宅区画においては電柱の頂など。
 電柱や高圧線鉄塔、電波塔のような電磁波の強い場所には極力置きたくないのだが、他に好条件のポイントが無ければ止むを得ない。
 だが幸いにも、今日見つけたポイントの五ヵ所は、電柱の上を除いて、そう悪い条件の場所は無かった。

 学校にも念のため、屋上階段室の上に設置してきた。ともすればライダーと鉢合わせするかとも思ったのだが、幸か不幸か他のサーヴァントにも今だ遭遇しては居ない。
 学校にはまだ例の結界が張られたままだ。しかもその完成へと着々と進み続けている。
 気休め程度だが凛が結界の基点を魔力で洗い流していた。だが時間は確かに無い。

 ――倒すなら早めに決めてしまわんとな。後手に回っては遣りづらいぞ――

 私の裡から彼が諭すように言う。彼も私も知っているのだ。ライダーのマスターが本当は誰なのかを。
 知ったのは生前、彼と共に“あの事件”で、彼女の過去を知る事になったからだ。

「そうですね。だが私が、ライダーのマスターを知っている事を凛に話せば、何故知っているのかと私達の複雑な事情、経緯を話さなければならなくなる。
 凛にはちゃんと、私の正体は明かすと誓った。けれど、余りに突飛な話です」
 ――確かにな。まさかセイバーが転生して再び英霊に成ったなどと、普通ならばまず考えられんだろう――
「ええ。……それに、ライダーのマスターの正体を話したとして、今果たして凛に、冷静にそれら全てを受け止めて貰えるかどうか……私には自信が無い」
 ――そうだな。下手をすると、桜の名を出しただけで逆上してふざけるなと令呪を使われかねん――
「…………や、やけに実感が篭ってますね?」
――ああ、何故だか私も何処かでそんな経験をしていたような気がしてな――
「……そういえば私が凛に召喚されていなければ、この聖杯戦争では貴方が凛に召喚されていた筈ですね? ふふっ、何処かでそんな経験をしていたのかも」
――む…………そういえばそうだったな。ああ、俺はアイツに助けられたんだった。あの時の背中は、擦り切れた記憶の中でもまだはっきりと覚えている。む? まさかアレも私だったのだろうか――

 時間と空間から乖離した英霊の座に囚われた私達にとって、英霊へと到る可能性は全て同じ座の自分に統合される。だからもはやあのアーチャーが、どんな経緯を経たシロウの成れの果てなのか、それは誰にも解らない。
 私と共に戦ってくれたシロウがそのまま彼の始原となったのかも知れないし、違う別の可能性を辿ったシロウなのかもしれない。
 だが確かなのは、今私と共に在る彼は私と共に戦ってくれた、あの朝焼けの離別(わか)れを経験したシロウなのだ。私にはそれだけで良い。

「アリア? 何さっきからぶつぶつ言ってるの? 下に何かあった?」
「い、いえ! 何でも有りません。すみません、集中を欠いてしまわれましたか」
「いやまあ、別にいいんだけど。もうちょっと待ってね。うざったい連中はちゃっちゃと片付けるから」
「はい。お願いします、凛」

 ふう、驚いた。なるべく小さく呟いていた心算だったのだけれど。
 無意識に声が大きくなってしまったかな。いかんいかん、弛み過ぎだ私。

 気を取り直してライダーの対処緒を考えなければ。私の時は何時頃だったか……。
 遠く古い記憶を掘り起こそうと試みる。ええと、そう。
 あれは確か二月……二月の八日、だった筈だ。記憶通りに結界が発動すると仮定しても猶予はあと四日しかない。だが、既にこの世界が私の記憶と同じ道を辿る筈は無い。
 ……猶予など、在って無いような物だ。……急がなくては。

「…………ん? あれは……!」

 そんな事を思いながらふと辺りを見回す。というより下界を見下ろしたのだが、そこで初めて気が付いた。そう、私は大変な事実を今まで見落としていた、忘れていたのだ。




第十六話「兵士は夜行の衆に遭遇する」




 目下に広がる大通りに溢れる人の河をじっと食い入るように見詰め、ある者達を探す。
 サーヴァントとなった私の瞳は人の其れより遙かに目端が効く。遙か下層の地上を行く人の姿は愚か、その指に嵌めた宝石まで、見ようと思えば視える。すると見えてくる。

 下界の街並を行き交う人々の中、よく目を凝らせば、その雑踏の中に溶け込みきれぬ異端がちらほらと判るのだ。

 その異端とは決して人外や魔道といった道を外れし者達ではない。
 だが、間違いなく表社会からの異端者。
 平穏な日常の裏側に住む者達だけが持つ、独特の空気を纏っている彼らは、非常に自らの異端さを隠す術に長けている。
 普通の世界に住まう人達からは、よほど勘が鋭い人でもない限り、そう滅多には気付かれない。

 同じ空気、同じ匂いを持つ者にしか判らない、理解出来ない人達。
 そう、それは間違いなく私と同業の者達だ。

 ただ、今私の眼に映るそれらの中には同じ匂いを持つ者と、そうでない少々奇妙な気配を持つ者達が居た。
 私と同じ気配を持つ者は間違いなく軍属。恐らくは、この国の防衛組織の者達だろう。
 公式か非公式な所属かは知らないが。転生してからの人生で、一度は不思議に思ったものだ。

 これほど下手をすれば、国家として、危機的な災害を引き起こしかねない馬鹿騒ぎを前に、国家中枢が何も干渉や監視対策を講じない筈が無いだろうと。
 その疑問の答えは死を迎えるほんの少し前に得られたが、それを今の今まで忘れていたなんて……なんて失態だろう。
 私もやはり貴方と同じように磨耗してしまっていたのだろうか、シロウ。

 ――守護者なんて因果な存在を遣っている以上、仕方が無いさ――

 彼が気にするなと慰めの言葉を掛けてくれる。だがやはりこのミスは私にとって心苦しいものがある。何故もっと早く気付けなかったのかと。
 もっとも、今更後悔したところで詮無い事だが。

 残りの者達は恐らく、言峰綺礼の配下となり動く聖堂教会の工作員辺りだろう。
 聖堂教会は基本的に魔術を異端として忌み嫌う。
 だから仮に代行者と呼ばれる人外の域に突き出てしまった者達以外、具体的には組織の基盤や下部組織、補助組織を構成している大多数は唯の人間。または人の域を出ない能力者であろう。
 言峰の僕としてこの街の裏を動き回るのは寧ろ普通の人間の方が何かと遣りやすいのは当然の理だ。

 だが裏に忍ぶ以上、其処には些細ながら同類には直ぐ判る“違い”が生まれる。
 長年そういった裏の世界に身を置いてきた自分だから其れが判る。
 そう、セイバーだった頃には判らなかった事だ。

「アリア、周囲の掃除終わったわよ?」
「あ、はい。ありがとうございます」

 凛の一言でハッと我に返る。いけない、どうも少々思案に耽りすぎたらしい。
 肩に担いでいた袋から最後の一基を取り出し、この新都一高いビルの屋上で、最も見晴らしの良い位置に設置する。
 ……つまりは、これもやはり階段室の上だ。プラスティックの本体部は、目立たぬようコンクリートのような石灰色に塗装してある。
 まあ、太陽電池や透明ドームが嫌でも反射して目立ってしまうのは辛い所ではあるが。
 有り合わせのパーツではこれが私の限界だ。
 神に祈る事などもう久しく覚えも無いし、祈りに都合の良い望みを期待する気も毛頭無いが、このセンサーの目的が他のマスター達にばれて、破壊されない事を切に願う。

 ……待てアルトリア、お前は何に対し願う?
 古代に神々は多々存在したろうが、もはや存在すると思えぬ救世の概念としての『神』に対してか、それとも『世界』そのものにか?
 笑わせる……それこそ滑稽だ。己自身がその世界の一部たる霊長の抑止力というモノに成り代わっていながら、世界などに一体何を願う。
 世界がそんなに優しい代物なら、現世(うつしよ)はとっくの昔に人の望む理想郷になっている。

 ――フッ。確かにな――

 私が願うなら、その相手は世界などではなく自分自身。
 私の悪運の強さにでも祈るしかあるまい。
 都合良く何かへの祈りに縋る弱さなど……私、アルトリア・C・ヘイワードが求める物ではない!
 弛みかけた自分に喝を入れ、心の芯に火を燈し立ち上がる。

 ――まあ、そこまで自分を虐めて追い込む必要は無いと思うが……。
 まったく、君らしいなアルトリア――


「さて、無駄に居座って再び集まってくる偵察の眼に見つかり、ビットに気付かれては堪りません。長居は無用です。撤収しましょう、凛」
「オーケー。じゃあアリア、一気に下までお願いね? Anfang(セット)!――」

 学校での時と同じ要領で凛を抱えて、一気に地上まで自由落下に身を任せ飛び込む。
 地上百五十メートルからのダイビング。
 その最中、視界に飛び込む夜景の街火はまるで、空へと落ちてゆく流星群のようだ。

「わあ、結構幻想的ね」
「そうですね。地上の星とは良く言ったものです。凛、舌を噛まないように」
「地上の星ねえ……って何、わぷっ!?」

 言い終わると同時に反転してビルの壁を蹴り、対面に聳えるビルの壁との間で三角跳びに跳ね回り、角度を付け一息に遠くのビル街へと跳躍する。
 ビルの間と言っても、その距離たるや優に二~三十メートルは下らない。
 ここまで飛距離と加速の付いた三角跳びと着地なんて、生前の……生身ではまず不可能な曲芸だ。
 ましてやその向こうにあるビル街へともなれば更に遠い。

 だが再びサーヴァントとなった今はそれも容易く行える。
 まったく、セイバーだった頃の自分は相当に出鱈目な存在だったのだなと、内心で苦笑したのは幾つの頃だったろうか。
 落下速度と慣性力を徐々に削りながら壁から壁へと飛び移り、新都センタービルから数ブロック離れたビル街の、雑居ビルの間に細く通った人気の無い路地に降り立つ。

「ふう、この前よりちょっとアクロバティックだったわね。楽しかったけど急に横に飛ぶものだから一瞬舌噛みそうになっちゃったわ」

 抱えていた凛を隣に下ろすと彼女は開口一番、軽口交じりに不満を漏らしてきた。

「無駄口を叩いている暇は在りませんよ凛。次は深山西警察署です」
「あー……。貴女、やっぱり本気で行く気?」

 私の言葉に、あからさまな態度でげんなりする凛。余り面倒は起こしてくれるなと、言外に訴えてくる。
 だが私としては、あの破片はどうしても手に入れたい。

「勿論です。アレは今の私にとって必要な物だ。凛とて、今のままでは私がバーサーカーに適わない事はご承知でしょう?
 ……如何されますか、凛。私は単独潜入の方が身軽に動けますから別に同行して頂く必要は有りません。先にお戻りになって休まれては……」
「はあ……そうも行かないでしょ。魔術師のセオリーに則って、人目を忍んで動き回らせる分にはそれでも良いけど。
 今から貴女がしようとしてる事は、人目の多い一般施設への侵入だもの。
 幾ら貴女が潜入上手だとしても、マスターとして、そんな危なっかしい真似を放ってなんかおけないわ。私も同行する。
 もしもの場合には、魔術で目撃者の記憶も消さなきゃいけないんだから。いいわね?」

 潜入任務、取り分けこういった目標を奪取するだけの場合は、本当に単身の方が返って行動しやすいのだが、そんな事を言っても彼女が納得する筈がないか。

「……そんな心配は杞憂だと思いますが、解りました。ではツーマンセルで潜入しますから、凛は後衛に」
「え、なに? つー、まんせる?」
「はぁ、二人一組の陣形という事です。前衛は私、室内等へのアプローチは私が先に突入し、内部の安全等を確保し、探索に移ります。その間、後衛の貴女は入口傍に待機して外を警戒する。といったように前衛、後衛で役割分担し、警戒と探索を行います」
「ああ、そういう事ね。オッケー」
「それでは、行きましょうか」

 夜空に浮かぶ丸い月はすでに西へと落ち始めている。
 時刻は既に二十三時を回っていた。
 私達は深い海色の空の下を取り急ぎ深山町、例の戦闘跡地を管轄する、深山西警察署へと向かった。


**************************************************************


 髪を梳かし吹き抜ける、緩やかな夜風の音だけが鼓膜を振るわせる。
 私達は今、警察署に侵入しようとしている。周辺の街並みは単調そのもの。
 暗い夜道を街灯だけが闇を押し退け、ぼうっと朧げに光を放ち、街並みをモノトーンに色分けしている。

(お待たせしました、凛。下調べは完了です。署内の見取りも把握してきましたよ)
「おかえり。……霊体化って、便利よねえ」

 堂々と警察署の正面門から出てきたアリアが、そう報告してくる。
 といっても一般人の眼に彼女の姿は見えない。そう、今彼女は零体化しているからだ。
 彼女はこのサーヴァントとしての反則的な特性をフルに活用して、署内のレイアウトを堂々と隈なく調べる事が出来る。今は丁度その偵察が終って戻ってきたのである。

(そうですね。でもこの状態では、実体に触れることが出来ませんから。破片を奪取するには結局実体化しませんと。零体化も一長一短です)

 そう言いながら、周囲に人の眼が無い事所まで一緒に移動すると、アリアは実体を紡いで、いつもの蒼いコート姿を私の目前に現した。
 そう。零体化出来るんだから、簡単に事が成せるかと言えば、こういう目的の場合には否と言わざるを得ない。
 目的の破片を見つける所までは零体化して潜り込めても、いざ肝心の破片を手に取るには、結局実体化しなければならない。
 当然、帰りは実体化したまま行動する事に成る。零体では物を持てないのだから、仕方が無い。

「それで、破片の在処は判ったの?」
「はい、本棟二階の証拠品保管庫に在るようです。どうやらまだ鑑識待ちのようで助かりました。
 捜査本部を覗いて見ましたが、恐らく教会の手が回ったのでしょう。
 捜査は圧力が掛かって殆ど看板だけ、捜査員も大幅に減らされ、殆ど機能していませんでした。鑑識遅れは多分そのお陰でしょう」

 事も無げに報告してくるアリア。
 なんとまあ、綺礼のお陰とは……教会の裏工作も一応は機能してるのね。

「それでは行きましょうか。事前に警備室に侵入して、数箇所の赤外線式人感センサーは停止させておきましたから」
「うわ、用意が良いわねえ。っていうかどうやって」
「侵入は零体化で容易でしたので、警備室の当直さんに少しばかり眠ってもらった間に」
「ちょ、ちょっと!? 騒ぎになるでしょ!」

 ケロッと薄ら寒い事を言うアリア。……全く、早速怖い事をしでかしてくれるわね。

「大丈夫ですよ。警備室の二人はコレで一瞬のうちに夢の世界ですし、傍目には、普通にモニターに向かって座ってるように見えますから。
 交代がシフトどおりなら、後四十五分位は警備室の居眠りさんはばれません」

 アリアは懐から、小さな化粧用コンパクトのような、プラスティック製のケースを取り出して、中からこれまたプラスティック製の、小さな注射器を取り出した。
 先端には針が付いていてキャップで保護されている。注射器といっても携帯性重視なのか、そのシルエットはまるでタバコみたいにストレートで細い。

「何それ? それも貴女の武器なの?」
「ええ、即効性の麻酔薬を仕込んだ使い捨ての注射針です。主に水溶性ベンゾジアゼピン系や、ケタミン等を特殊作戦用に調合したもので、少量でも大の男を数秒で落とせます」
「うわ、……麻酔って貴女ねえ。何でそんなヤバそうな物まで持ってるのよ」

 まさかそんな物まで武器として生み出せるなんて……。
 いや、そもそもが仮初めの存在とはいえ、魔力(マナ)から実体を編み出しているのだから、組成がなんであろうと、彼らという“英霊”を形作る要素は、全て具現化出来てもおかしくは無いか。
 ……それにしても、ベンゾジアゼピンとかケタミンって、それちょっとヤバすぎない?
 用法用量間違えたら、本気でシャレにならない薬物よソレ。
 メカやハイテクは苦手だけど、薬関係なら多少は解るんだから。

「よくテロリストのアジト等に潜入する時に、重宝しましたからね。私の武器は何も、銃やナイフばかりではない。それは貴女も、良くご存知でしょう?」
「あー……まあ、そうね。良く判んないけど、変なキカイまで持ってたものね」

 成る程ね、彼女には古の者達のような、神秘という付加価値のある武器は無い。
 けれどその分、生前に経験した戦い方なら、全て再現出来るのね。
 きっと彼女が“兵士の英霊”として守護者に昇華された時、彼女が持つ兵士として豊富すぎる経験や技術と、それを余す事なく発現させる為に、生涯で扱った全ての武器、道具等の装備品……。
 そんな彼女が兵士たる要因全てが、彼女の持つ“力”として、座に刻まれたんだろう。
 正に異例中の異例。こんな例はお父様が残してくれた文献にも、有りはしなかった。
 なんて特異なサーヴァント……彼女を無理矢理にカテゴライズするなら、最も近いのはアーチャーかアサシンだ。

 けれど彼女は其処に当てはまらず、イレギュラーとなった。
 その理由が何なのか、まだ判らない。
 彼女自身に原因が……多分その万能さ故だろうけれど、それ以外にもなにか、外因的なものがあるのか。

「さ、時間も在りませんし、迅速に終らせてしまいましょう」
「~っ! あ……、ゴメンゴメン。ったく、私の悪い癖ね」

 アリアの声でハッと現実に引き戻される。これから行動しようというのに、ついそんな事を考え込んでしまった。
 彼女のイレギュラーなクラス。原因が何であれ、その謎解きは暫く保留にしておこう。
 アリアに促され、私達は警察署の裏路地の一角から敷地内に侵入した。


 シン、と物音一つしない室内から、扉を僅かに開き、アリアが廊下の様子を探る。
 今私達が居るのは、部屋中に業務用のスチールラックが、所狭しと並ぶ一室。その棚に収められている膨大なファイルや書籍からして、資料室だろう。
 そう、私達は資料室に窓から忍び込んだのである。ここ資料室が在るのは二階。
 つまり証拠品保管庫のある階ということ。

 事前に署内の間取りを調べていたアリアが、侵入の為に前もって、保管庫に最も近いこの資料室の、窓の鍵を開けておいたのだという。
 何故、直接保管庫へ侵入しないのかと聞いたら、保管庫は排煙用の小さな片開き窓が在るだけで、人が侵入出来る大きさではなかったそうな。つまり内部からしか入れない。

 この資料室にも防犯用に対人センサーがあると、アリアが天井にある白いカップのような物を指差して教えてくれたが、アレがそうなのか、へえ。
 そういえば、デパートとかでも見た事あるわね。今は、アリアが前もって電源を落としたので、何の反応も無い。
 アレが生きている場合、小さく赤と緑のランプが付くらしい。
 平和だからか知らないが、監視カメラは、此処には設置されていなかったのだそうな。
 廊下の安全を確認したアリアが、念話で話してくる。

(よし、廊下に人の気配は無し。いいですか、凛? 廊下に出ますから、貴女は私が合図してから私の傍に移動、移動時は常に、後方を警戒しながら付いて来て下さい)
(解ったわ)

 アリアが廊下に素早く、音も立てずに踊り出る。
 本当に、こういう場合の彼女の動きには感心する。無駄な動きが一切無いんだもの。
 ドアから出て、斜め先の対面の壁にすっと張り付くと、周囲を警戒してから、手で手招きするようにサインを送ってくる。
 私も出来るだけ素早く心掛けて、アリアの傍に移動する。
 と、アリアの傍に着いた所で気が付いた。頭上にさっきの対人センサーみたいな、黒い半球型のカップがあって、しかも何か中で機械が動いてる!

(あ、アリアッ上、上にも何かあるけど、アレ動いてない?)
(ああ、大丈夫ですよ。あれは監視カメラですけど、警備室の録画テープは抜いておきましたから。警備担当が起きるまでは問題無いでしょう)
(あ、そう。何にしても、もし警備室に誰かが入ったらヤバイって事ね。急がないと)
(そういう事です、行動は迅速に)

 証拠品保管庫のドアは、私達が今張り付いている壁側の、すぐ目の前にある。両開きの親子ドアの先に、目当ての破片が保管されている筈。
 アリアがドアの前でゴテゴテした折畳み式のナイフやら、先の曲がった細いドライバーもどきの工具の束を取り出し、鍵を開けに掛かる。
 前にも見た、ピッキングに使うツールだ。

 カチャカチャと、小さいが耳障りな音が、静かな通路に木霊する。
 最後にカチャリ、と小さな音を立てて鍵は破られた。割合簡単な型だったらしく、開錠に掛かったのはたったの数秒だった。

(入ります。突入後、凛は入口で警戒を)
(オーケー)

 静かに扉を開き、中の様子を瞬時に察して、アリアが身を滑らせる。それに続いて私も室内に潜り込む。
 中に入った所で、彼女が唐突に、何か細長いケーブルが伸びた器具を渡してくる。

(なに、これ?)
(ケーブルスコープです。胃カメラみたいな物と思ってください。その接眼レンズの部分から、ケーブル先端の視界が見えます。横のダイヤルで先端部を曲げられますから、ドアをほんの少しだけ開けて、隙間から外を見張って下さい)

 渡された奇妙な道具を説明されるままに弄ってみると、二つあるダイヤルリングを回すだけで、先端数センチの部分が上下左右、あらゆる向きにクネクネと曲がる。
 うわ、これ動きは気持ち悪いけど面白いかも。でもこれって、なんでこんなもの持ってるの貴女?
 
(それは本来、潜入や突入作戦の際に使用する、室内の状況を確認する為の装備です。
 小さくても人の目線に近いとばれ易いので、なるべくドア下から差し込んで覗くように)

 私の疑問は判っていたらしく、アリアが即座に説明を入れてくる。こんな物まで具現させられる貴女の能力って、考えてみると本当に恐ろしいかも。
 でもこの程度なら別に物に頼るまでも無く、私の魔術で事足りる筈。
 私は彼女に器具を返しながら、廊下に人気は無いし大丈夫だと判断して、肉声で喋る。
 やっぱり気持ちは直接声で伝えたいから。

「大丈夫よアリア。貴女程じゃないけど、私だって魔術で強化すれば、外の気配ぐらい読めるし、こんなの使わなくても、ドアに視覚を憑依させてしまえば、外なんて簡単に見渡せるんだからさ」
(凛……。宜しいのですか? そんなに容易に魔術を行使してしまっても)
「別に良いわよ、人の目さえ無ければね。この程度の魔力消費なんて少しも問題にはならないんだから、少しは私を頼りなさい、ソルジャー?」
「……解りました。では申し訳ありませんが、お願いします、凛」

 私の言葉に、クスリと困ったように笑みを浮かべるアリアは、やはり済まなさげだ。
 だが誠意を持って控えめにだが、肉声で頷いてくれた。
 全く、私に負担を掛けまいとしてくれるその心根は嬉しいけど、少しぐらい頼ってくれても全然構わないんだからね?
 私達はチームだし、私は貴女の主なんだもの。

「それではお願いします。私は破片を探しますから」
「任せなさい。Anfang(セット)!――」

 アリアは迅速に部屋の棚へと移動すると、いつの間にか手にしていた小型ライトを点灯させて、棚に収納されている様々なラベルのビニール袋を調べていく。
 照度調節機能があるのか、アリアの手元だけを照らすも周囲まで明るくはせず、必要最低限の弱弱しい白光を放っている。
 成る程、あの程度なら窓から光が漏れて気付かれる危険も低いだろう。

 私はその間、意識を集中してドアに視覚を移し外を監視する。外の様子は無人で無味乾燥な蛍光灯の光が廊下を照らす。
 省エネなのかしら、明かりは点いているのに廊下は何処か薄暗い。
 意識の隅っこにアリアの声が微かに聞こえてくる。

「……あった! これだ。……二月三日早朝、深山西住宅街器物破損事件、現場証拠物件A、B、C……。高い神秘を感じるもの…全部だな。むぅ、この中から探り当てなきゃいけないのか」

 意識の大半はドアに移した視覚の制御に回しているので、後ろのアリアが何をしているのかは良く判らない。
 尤も、元よりこの保管庫は照明も点けず真っ暗だから、アリアの姿なんて殆ど見えない。
 だけど、耳にはざらりと、袋から砂利を零すような音が聞こえてきた。
 部屋の中央には作業用に折畳み式の会議机があったから、多分其処で中身をぶちまけたんだろう。

 ……ん? ぶちまけた!?

「ちょ、ちょっと……大丈夫なの!?」
「平気です、少々時間は食いますが、すぐ済みます」
「いや、そうじゃなくて、砂とか零して、物色した形跡とか残さないでよって事!」
「大丈夫、何とかなりそうですから」

 本当に大丈夫なんだろうか……少し心配だわ。
 だが私の心配を他所に、黙々と作業を続けるアリア。
 程無くして彼女は探索を終えたらしく、私の傍まで戻ってきた。

「凛、破片は無事収集しました。後は脱出するだけです」
「そう。物色した形跡は全て消したわよね?」
「はい、勿論。袋は全て元通りに戻しましたし、机にも床にも塵一つ残さず」

 静かに自信げな笑みを覗かせ、人差し指を立てる仕草をするアリア。
 良く見ると、何時の間に用意したのか手袋まで嵌めている。
 皮革製のグローブっぽいんだけど、指の付け根から指先までが、何か別のラバーっぽいスキンで覆われている変わった手袋だ。
 別に英霊の指紋なんて、零体化したら消えてしまうんじゃないかと思うけど、念には念を入れての事なんだろう。
 アリアはこういう所で酷く几帳面な性格が現れるのよね。

「如何かしましたか凛?」
「あ、いいえ、何でもないわ。それじゃあ、出ましょう……」
「っ! 待って下さい凛!」

 外に出ようと、ドアノブに手を伸ばしかけたその時、後ろから肩を掴まれ止められた。
 そのまま口を塞がれ、アリアに抱き寄せられるままドア横の壁に背を預けるや、アリアが手早く片手で、ドアの鍵を音も立てず掛け直して身を隠す。

(ちょ、ちょっと何? 何なのアリア)
(お静かに! 何者かが階段を上がって、廊下にやって来ます。今出ては危険です)

 口を塞がれたままなので、当然のように念話で遣り取りする私達。
 成る程、やっぱりアリアの気配察知には適うべくも無いか。
 壁の向こうの気配は……二人か。何やらひそひそと、会話らしき声が聞こえてくる。
 其の声に、アリアが微かに反応したような気配を見せる。

(凛、外の様子はまだ見られますか? 見られるなら、貴女の“眼”をお借りしたい)
(え? いいけど、ちょっと待って……)
「Anfang(セット)……知覚共有、視覚、聴覚連結……」

 外に気付かれぬよう、微かな声で呪文を紡ぐ。これで私の見ている映像が、アリアの目にも映る筈である。
 同時に彼女の聴覚を借りる事にした。私よりは格段に耳がいい筈だから。
 これで外の二人の声も鮮明に入ってくる。アリアは一体何に気を掛けたのだろうか。

(アリア、見える?)
(はい、良好です。……! やはり、あの男……)

 アリアが気になっていたのは、どうやら二人組みの片割れらしい。一人は如何にもって感じの制服姿。制服の綺麗さから交番のお巡りさんとかじゃないのは間違いないだろう。
 もう一人の方は、よれよれのコートに地味な背広姿。私の目には何処かのサラリーマンのようにしか見えないけど……私服警官か何かかしらね。

(ねえアリア、あの男がどうかしたの?)
(凛、覚えていませんか? あの男、私達と夕方に一度すれ違っていますよ)
(え、ええっ本当に? ……ああ、そういえば――誰かすれ違ったような気も)
(やはり気付かれていなかったようですね。まあ、無理もありませんが……)

 アリアに教えられ、改めて男を注視する。
 えーっと、そういえばこのよれよれコート姿はどこかで見た覚えがある。

(……そうか! 屋敷を出た直ぐのところ。確かにこんな男の人とすれ違ったわね)
(思い出せましたか。あの男、少なくとも表の人間では有りません)
(どういう事? 少なくとも魔力は感じないけど……)
(ええ、魔術師では有りません。其方側ではなく、寧ろ私寄りです。あの男は、軍人だ)

 軍人……! そうか。そういえばあの時、アリアが何かに気を取られていたっけ。
 あの時はすれ違ったこの男を気にしていたのね。

(へえ、そんな事判るのね。それってやっぱり、同業者だから?)
(……そうですね。やはり同類には敏感ですよ、私達軍人は。それが特殊部隊経験者なら尚更に。立ち振る舞いから見て、彼は間違い無く第一線級の実力者です)
(そこまで解るんだ。凄いわね……でも別に、貴女の脅威には成らないでしょ?)
(勿論。ですが何事にも例外はある。こと軍人を相手にするなら、油断や軽視は危険すぎます)

 そんな遣り取りをしているうちに、廊下の二人は、私達の居る保管室の前を通り過ぎようとしていた。
 先程から耳に入ってくる二人の会話は、いつの間にか、件の破壊跡の事に変わったようで、内心ヒヤリとさせられる。

「……だったか。それで、結局あの破壊跡と、集団失踪事件とを直接結びつける線は、何も無い訳か」
「ああ。どっちも、現場に全くと言って良いほど、何も痕跡が見当たらん。一体何を使えば、あんな爆撃を受けた戦場跡みたいな事が出来るのか。現場で使われた凶器は全く特定出来なかった。
 一部に弾痕らしい傷や、まるで爆破されたように焼け焦げたクレーターがあったが。
 ……そっちも弾丸の一つも見つからなきゃ、硝煙反応、爆薬の反応さえも無し。
 はっきり言って全くの謎だ。あれには鑑識もお手上げだと泣き付いてきたよ。
 他の破壊跡は……何だか良く判らんが、現場の傷跡を調べた鑑識官によるとだな。これは推測の域を出ないらしいが、凶器は途轍も無くデカい石器のような物じゃないかって話だ。笑えるだろ、石器だとさ。巨大な石斧持ったモンスターでも出て、大暴れでもしたかのかって。言った本人も自嘲気味に呟いてたよ」

 会話の内容に、一瞬びくっと身を震わせそうになった。アリアが抱きしめる腕に力を込めて止めてくれたので物音は立てずに済んだ。……ちょっと痛いんだけど。
 アリアが落ち着いてと意識を流してくる。

「はっはっは、モンスターか。んなモン居たらとっくに大騒動になってるな」
「ああ。逆に失踪事件の方は、まるっきり一切の痕跡が見つからん。まるで当人達が、自ら何処かに消え去ったかのようで、外部からの犯行と思しき痕跡は何も無い。
 この二つ、現場の一致以外に、一切の共通点は無いよ」
「……ふむ、そうか。まあ詳しくは、後で事件概要のファイルを貰うよ。
 それから、例のクラッカーだが……」
「うむ、うちのIRが何者かに侵入されてな……」

 徐々に小さくなってゆく声。恐らく角を曲がっていったんだろう。アリアが手を緩めてようやく開放してくれる。

「ぷはっ……ふう、ひやひやしたぁ。何あれ? なんでこの件に関わってこようとしてるのよあの男。この件は綺礼が手を下してる筈でしょう!?」
「凛、疑問は後に。今はこの場を離れましょう」

 っと、そうだった。今、私達は居ちゃいけない場所に不法侵入してる真っ最中だった!
 二人の気配が遠くに消えるや、迅速に外に躍り出るアリア。
 瞬時に全方位を警戒して、一気に侵入経路を逆に辿り、私達は資料室の窓際まで戻ってきた。

「時間は?」
「ギリギリ、ですね。凛、これを持って先に外へ」
「いいけど、貴女は?」
「窓の鍵が開いたままでは拙いでしょう?」

 ああ、成る程。物を持ってさえいなきゃ、アリアは零体化できるのだから、鍵を閉めても出られるんだった。

「解った。じゃ早く来なさいよ」
「了解」

 アリアの言葉を聞き届けてから、私は自分に重力緩和の魔術を掛け、敷地の外まで一気に飛び降りる。
 トン、と地上五メートルの高さからの着地とは思えないような軽い音を立てて、人気の無い真っ暗な路地に降り立った。

「お見事、凛」
「わ、何時の間に? 相変わらず早いわね」
「ええ。無事に作戦終了。成功です」

 服の汚れをぱたぱたと叩いていると、横にはもう零体化したアリアが戻っていた。
 今は零体化してて目には見えないが、声や雰囲気からして、彼女は満面に軟らかな微笑みを浮かべているに違いない。
 と思った矢先に実体化したアリアは、案の定、想像通りの笑みを浮かべていた。

「? どうかしましたか?」

 私の表情に不思議な顔をして問うてくる。

「何でもないわよ。さあ、もう目的は達したんだから、早く帰りましょ。こんな所で他のサーヴァント達と戦闘になったりしたら、事だもの」
「そうですね、今日はこの辺で。敵勢力の探索は明日にしましょう」

 時計を見やるともう日付が変わり、短針は1の文字に掛かり始めている。
 私達は闇の深まった深夜の深山町を一路、仲間達が待つ衛宮邸へと歩き出した。


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 衛宮の屋敷を、一陣の風が吹き抜けていく。まだ残冬の寒さが抜けぬ夜風が心地良い。
 私は風に髪をすかせながら、母屋の屋根の上で棟瓦に腰掛け、何気なさを装いつつ周囲を見渡してみる。
 一つ、二つ、三つ……優に十は超える視線がある。
 これは間違い無くマークされたようだ。

「ふむ。まあ及第点……でしょうかね。また随分と大仰に人員を割いてきたものだ。何処の隠密さんか、大体の見当は付いているんですが……」

 そう、今の私はわざと実体化したままで、屋根の上に登っている。
 正体の判明せぬ相手を前にして、である。何故そんな事をしているのかと言えば、理由は一つ。この夜行の者達が何処の何者か、それを確かめる為だ。
 既に屋敷の明かりは消え、士郎達も凛も床に就いている。夜行といえど、聖杯戦争に関係の無いであろう者達を相手にするなら、私一人の方が動きやすい。
 それに、元SASである私にとって、夜の闇は慣れ親しんだテリトリーだ。

「……さて、如何したものかな。あまり大騒ぎする訳にも行かないし」

 こんな場合に取る事の出来る選択肢は三つ。
 一つは、何の考えも無しに目ぼしい気配に体当たりして、片っ端から片付けていく頭の悪い方法。
 二つは相手の意表を付く行動に出て隙を作り突破口を開き奇襲を掛ける方法。
 三つ目は敵の司令塔を見つけ出して真っ先に叩き組織力を無力化する方法。

 一はどうにも短絡過ぎて私には取れない案だ。となれば二の隙を作る案、そして敵の頭脳を叩く案だろう。
 お誂え向きに、監視を決め込む諜報員達は皆一様に、双眼鏡や暗視装置を使っている。
 此処はフラッシュ・バンを使いたい所だけれど、流石に炸裂時の大音響で、周辺に騒ぎを起こす危険があっては使えない。となると、如何するか……。

 周囲に満遍なく配置された十二対の目。それぞれが最低でも、監視役とサポートのツーマンセルで行動していると仮定して、最低二十四人。
 十二の眼一つ一つを潰していくのは、余り頭の良い遣り方とは言えないが……無力化させるには、今はそれしか方法が無い。
 仕方が無い、あの手で行くか。

 意識を集中し、両の手に具現化させる一対の武器達を、記憶から呼び起こす。
 今から行うのは、人の身だった頃なら、まずやらなかっただろう馬鹿げた一手。
 何故なら、サーヴァントとして世界からのバックアップを得た、今の身体能力だからこそ、彼ら人間相手に有効となる業だからだ。

「済みませんね、悪いが少しばかり、不自由な思いを味わってもらいます」

 別に誰に聞こえる訳でも無いだろうが、呟く。良心の呵責かもしれないが、そんな事で自らを正当化する気は更々無い。単に気分の問題だ。
 徐に棟瓦の上に立ち上がると同時に、両手の内に二つの銃を具現化させる。
 手にした銃は、使い慣れたナイトホークともう一つ、S&WのM&P40。
 今までナイトホークのレール部には、何もアタッチメントを付けずにいたが、追加装備としてマズルを覆うタクティカルブロックとレーザー、フラッシュライトモジュールを取り付けてある。M&Pも同様の装備を施した。

 その二挺を両手に構え、モジュールをONにしてぐるりと身を捻る。
 全ての監視の眼の、正確な位置は既に把握している。
 その場でくるりと回りながら、瞬きもさせぬ一瞬の内にその全てを、銃身下部に装備したレーザーサイトとフラッシュライトで射抜いてゆく。
 きっと私を傍から見れば、屋根の上で光るライトを両手に、奇妙なダンスでも踊っている用に見えた事だろう。そう考えると少々恥ずかしい。

「ぐぁっ!? 畜生、やってくれる……!」
「め、目がぁっクソッ!」
「コール、エマージェンシー!! おい、全員大丈夫か! っのアマ、ふざけた真似を」

 遠くの物陰や民家の屋根、雑木林の茂みの向こうから、口々に悪態を吐く声が聞こえてくる。 どうやら十二人の監視者全ての眼を眩ませることに成功したようだ。
 だが悠長に突っ立っている訳にも行かない。
 悪態が私の耳に届く頃には、私は既に零体化して屋敷の屋根を蹴り雑木林へと跳躍していた。

 左手に握っていたM&Pはもう解除して、持つのは手に馴染んだいつものファイティングナイフ。現実的に二挺拳銃というのは確実性に欠けるので私は余りしない。
 本来のCQCスタイルに立ち戻るなら、この組み合わせが私には一番だ。
 狙うは連中の司令塔のみ。この包囲網の中、一体誰がリーダーか等、普通判る筈も無い。
 だがこの中で唯一人だけ、見覚えのある顔を私は見つけていた。
 私の経験と勘が告げている。この男こそ彼らの隊長格だと!
 屋敷の裏の、雑木林の中に隠れ潜んでいたこの男の真横で実体化し、飛び込んできた慣性力をそのまま上乗せした回し蹴りを叩き込む。

「なっ!? 貴様、ぐぉっ!!」

 男は一時的に視力を奪われているにも関わらず、実体化した私の気配に気付いて応戦してくる。だが既に遅い。
 防御姿勢を取ろうとするも、虚しく蹴りをまともに食らい、後ろの木の幹に背中から直撃した。
 そのままずるりと大木の根元に沈む。その直後、傍らに潜んでいた男の部下と、離れた場所にいたグループの一人が左右からほぼ同時、挟み込むように襲い掛かってくる。

「隊長! この……!!」
「畜生め!!」

 傍らの男はナイフ、数メートル先の男は手に拳銃。二人ともサポート役だろう、私の眼眩ましは食らってない! 
 銃声を響かせては騒ぎになる。と、なれば、右手に持っているナイトホークを使う訳にも行かない。
 私は即座にナイトホークを手放し、同時にスローイングナイフをその手に具現化する。
 左から襲い掛かるナイフをファイティングナイフで下から切り上げ、真っ二つに砕き飛ばし、同時に右手のスローイングナイフを投擲して、もう一人の男の銃を弾き落とす。

「がっ!?」「なにっ!?」
「Freeze(動くな)!!」

 間髪を入れず叫び、即座に拾い直した銃を右手の男に向け、左手の男には返し刀で首筋にナイフの刃を這わせ、制止させる。
 だが尚も二人の部下は闘志を失う事も無く、新たに小さな仕込みナイフを取り出さんとする所だった。

「全員動くな! 武器を置け、これ以上の交戦は無意味だ。
 隊長さん、貴方の部下全員に作戦の中止を伝えなさい。早く!」

 足元に転がる隊長格の男の喉元に、硬いブーツの底を押し付け、これ以上抵抗するならこの場で息の根を止めると暗に示す。

「ふっ……ぅぐっ! わ、判った、判った。作戦中止、中止だ総員一時作戦中止!!」

 私の無言の脅迫に負け、ようやく隊長は観念し、無線で部下たちに命令を下した。
 ようやく左右の部下達も観念したのだろう、襲い掛かろうとする意志を放棄して、大人しくなる。
 その様子から反撃の意志は無いと判断して、三人をとりあえず解放し、隊長をその場に座らせる。
 事情を聞き出す為であって、無論銃口は男の眉間を捉えたままだ。

「懸命な判断だ、感謝します。さて、それでは貴方がたの所属と階級、そして目的と衛宮邸を監視していた理由を教えてもらいましょうか? ねえ、日本の優秀な自衛官さん?」
「な、何……? 貴様、何故……」

 男は昼間すれ違い、警察署内で見たよれよれのコート姿の男だった。やはり自衛官か。

「自衛官と判ったかですか? 彼の銃ですよ。P220なんて、余程の事が無い限り日本の警察あたりが持っている筈は無いでしょう。
 それに、此処までの組織だった諜報活動が出来る組織なんて、この国じゃ情報本部を持つ防衛省以外に有りますか?
 尤も、貴方がたの所属が何処かまでは、知りませんがね。……大方、私がIRシステムに介入したんでマークされたのでしょうが、本来は聖杯戦争絡みの調査をしていたのではありませんか?」

 私の言葉に眼を丸くして驚く隊長格の男。やはり図星か。もう少しポーカーフェイスを訓練した方がいいだろうが、お陰で私としては遣りやすくてありがたい。

「ちぃっ……そこまで見抜かれてんのか。っつーか、やっぱりアレはアンタ達の仕業か。
 どういうつもりか知らんが、こりゃだんまり決め込んでも、あんまり意味無いかな?」
「ええ、私に隠し事をしても、貴方達にはなんらメリットは在りませんよ? 情報を提供して私達と協力関係を結ぶか、此処で息の根を止められるか、貴方達が選べる選択肢はその二つです。さあ、どちらを選ばれますか?」
「ハハッ。アンタ中々面白いな。一体どういう心算でそんな事を望むのかなお嬢さん?」

 この状況下にしてこの落ち着きよう、確かに隊長格を張るだけの事はある。この男は信用出来るだろう。
 私は突きつけていた銃口を静かに下ろして、本心からの言葉を口にする。

「無論、この聖杯戦争を有利に進める為です。それはこの街、この世界に及ぼす被害を最低限に抑える事に繋がる。あなた方にとっても、悪い話ではない筈ですが」
「……! ほう? アンタ、この聖杯戦争の当事者なのか?
 生憎と俺達この国の政府筋は、この戦争に直接関わる事を禁じられている。ソッチ筋の厄介な連中から睨まれててな。政府は、いや俺達は、十年前の惨劇を起こしたくない。
 こんな馬鹿げた祭りで国を、人々を危険に晒されかねないなんて忌々しい話だよ。
 だが、連中との取り決めで、相互不可侵って取り決められているのさ。だから俺達はこうして、外部からの状況監視が関の山だ。
 確かにアンタの言葉が本心なら、俺達としても協力してやりたいのは山々だが……悪いな、他を当たってくれ」
「魔術協会に聖堂教会か。ならばこうしましょう。あなた方は、表向きには、私とだけコンタクトを取る事にすれば良い。これなら大丈夫でしょう?
 私は魔術教会にも聖堂教会にも、何処にも属さない。何故なら、この戦争の間だけ現世に呼び出された、本来存在しない者なのですから」

 此処で自らの正体を明かす博打に出るのは、少しばかり躊躇われたが、この者達にならば恐らく大丈夫だろう。私と同じ志を胸に持つ者達だ。

「……アンタ、ええーっと、何だったか。アレだ、さ、サーヴァントってヤツなのか?」
「ええ。私はアリア。ソルジャーのサーヴァントだ」
「何? 確か、資料には七種しか存在しないと書かれていた筈だが……ソルジャーなんてクラス名は無かったぞ?
 それに、確か呼び出されるのは太古の英雄だとか。拳銃なんて使う筈が無いし、俺達のような組織について、知ってる筈が無い」
「ええ、私はいわゆる、イレギュラーというヤツなのでしょう。
 ですが、呼び出される者に現在、過去、未来といった時代の区別は無い。何故なら私は過去ではなく、未来の出だ」

 そう答えながら、懐からベージュのベレー帽を取り出し、男の手元に放る。
 見るものが見れば、その帽子が何を意味している物か判る。見栄えとしては、昔のワインレッドの方が良いと思うのだが、何故、ベージュ色に戻ってしまったんだろうか。
 そろそろ男の視力も回復してくる頃だろう。霞む目を擦りながら、受け取った帽子の徽章とそこに記された文字を読み上げる。

「……Who Dares Wins(危険を冒す者が勝利する)に翼付き短剣の徽章。なんとまあSAS隊員だったのかいアンタ。成る程、それでソルジャーか……。
 はーっはっはっは!! 道理で俺達が束になっても敵わなかった訳だ。SASの英雄さん相手じゃあ、無理も無いわ」

 男はひとしきり盛大に笑った後、落ち着きはらった声で口を開き始めた。

「俺の名は豊田、豊田繁。階級は三等陸佐だ。とはいっても、現在は内閣情報調査室、第0分室への出向組でな。現在は堅っ苦しい宮勤めってヤツさ。ま、こんな冴えない中年男だが、宜しくな英雄さん」
「成る程、噂に聞いた事はあるCIROの方でしたか。ええ、宜しくお願いします」

 差し出された右手を取り、堅く握手をして彼を助け起こす。

「おう。コイツは返しておく。中々似合ってるぜお嬢さん」
「む、下手な世辞を言っても何も出ませんよ」

 立ち上がるなり、唐突に私のベレー帽を頭に被せてきたかと思うと、そんな軽口を叩く。
 この隊長、中々に飄々とした性格をしているようだ。

「なぁに、気にするな。一先ず部下を紹介しとく。こいつ等は俺と同じ、内閣情報調査室の連中で、特にこの二人は第一空挺団時代からずっと続いてる腐れ縁というか、そんな感じだ。俺なんぞよりよっぽど優秀なのに、何故か俺についてきてくれる奇特なヤツラさ」
「ほう、やはり第一空挺団の出でしたか。立ち居振る舞いからして、恐らくはと思っていましたが……合点がいきました」

 陸上自衛隊唯一の空挺部隊である第一空挺団。その実力は私の時代でも聞いた事がある日本の優秀な空挺部隊だ。

「申し遅れました。豊田隊長の部下であります、柴田二等陸尉です。現場では主に、豊田隊長の副官を務めております」
「同じく、安岡陸曹長であります。主に局員の装備や足の手配、調達等の後方支援を担当しております」

 この場に居た二人の部下が、それぞれに自己紹介をしてくる。二人とも実直そうな印象の青年達だ。簡潔に宜しくと答えると、豊田が続きを語り始める。

「ただ本来ウチ、第0分室は総勢十名でな。今回はIRをクラックした犯人……ってのは結局アンタだってな? それの追跡調査もあって、急遽古巣から人員をかき集めてるんでこの大所帯だ。だが、IRの件はコレでカタが付くだろうから、明日からはまた元の十人に戻るかもしれん。
 今は情報本部の方から六十人程派遣させて、街中の監視を強化してはいるんだが……。
 まあ俺も上に掛け合ってはみるがね。一応、人員が減らされる事があるかも知れんことを覚えておいてくれ」
「解りました。それではまず、この冬木市全体に関してですが、あなた方の調査した範囲で判るところを……」

 夜空に輝く月の位置からすると、もう丑三つ時だろうか。風は心地良い冷気を伴なって木々の間を過ぎてゆく。今夜は中々良い夜だ。
 私は貴重な協力者を得られた事に感謝しながら、彼らとの情報交換に勤しみ、何時しか夜も更けていった。



[1071] Fate/Liberating Night her codename is “Soldier” vol.17
Name: G3104@the rookie writer◆21666917 ID:1eb0ed82
Date: 2008/01/24 06:41
 朝靄に煙る庭先に目をやり、夜が明けた事を実感する。今日は時間が経つのが早く感じるようだ。

「ん、おお。もう朝か。参ったな。どうするよ姐さん。今日はこれ位にして、俺達はもう失礼しようか?」

 座敷のモニターと机の上の地図を囲んでずっと情報交換をしていた豊田三佐が徐にそう口にした。そろそろ士郎達も起きてくる頃合の筈だ。

「むう、そうですね。では一先ずこれで解散という事にしましょう。豊田三佐、柴田二尉、安岡陸曹長、今日は有り難うございました」
「いや、なに。大した事はしとらんさ。精々情報提供くらいなもんだ。コッチとしても、このバカ騒ぎをアンタの手で早々に終わらせてくれりゃ、言う事無しだからな」
「民間に被害がこれ以上拡大して欲しくないのは我々も同じです。お気になさらず」

 豊田三佐と柴田二尉がそう答えを返してくる。民間の被害……正直、胸が痛い。
 アレを今すぐには止められない自分が情けない。

「申し訳無い。私はあの集団失踪を阻止できなかった。あれは失踪などではない。文字通り“吸収”されてしまった彼らは、もう二度と戻ってくる事は無い」
「そうか……。まあ、あまり自分を責めなさんな。アレはアンタのせいじゃなかろう? アンタからの情報で、今回のバカ騒ぎが下手をすれば、十年前より酷い物になるかもしれん事が判っただけでも僥倖だ」
「皆さん。もし街中で黒い異様な影を発見したら、危険ですから直ぐ様その場から待避して下さい。そして、直ぐに私に連絡を。……アレを“狩る”のは、私の責務だ」
「判った。任せておけ」

 それじゃあな、と軽く手を振り、縁側の戸襖を開けて外に出ようとする豊田達。おっと、そうだ忘れる所だった。一応伝えておかねば。
 彼らの後を追い、縁側まで出て庭先の彼らに問い掛ける。

「豊田三佐。一応、貴方がたの所属と協力関係は、私のマスターに報告させてもらいますが、よろしいですか」
「ん? ああ、確か冬木の土地の第二管理者(セカンドマスター)だったか。まあ、協力者が居るって程度に留めて貰えると助かるが。何分、辺境扱いされてるとは言っても、魔術協会の所属だろ?」
「解りました。ではやはり伏せておいた方が無難ですね。……ですが、流石に凛に令呪を使って喋らされては隠し通せませんので、それだけは悪しからず」
「はは。そこはアンタの裁量に期待しよう。ご主人様にゃ悪いが、なんとかはぐらかしてくれや」

 くすり、と思わず笑みがこぼれる。善処しましょうと軽く返すと、彼らは足音を立てないよう、だが速やかに庭から屋敷の外へと帰っていった。

「ふむ。芝生を趾行で歩くか」

 例え趾行と蹠行を使い分けたとしても、一流の追跡者(トレーサー)には流石に通用しない。だがそれを自然と行えるというのは、彼らが隠密行動のプロフェッショナルだというなによりの証左だろう。

「これは少しばかり、勝算が増えたかもしれませんね」
 ――やけに楽しそうだな、アルトリア――
「いえ、不謹慎かもしれませんが、まさか彼らのような優秀なバックアップが得られるとは思ってもみませんでしたから」
 ――そうだな。しかし、此度の聖杯戦争は、段々と私達の経験した聖杯戦争とはかけ離れた物になり始めた。油断は出来んぞ――
「ええ。もう既に、私にも予測は付きません。誰にも、明日の事は判らない……」

 そうだ。だからこそ、今出来うる事は全て手を打っておかなければ。情けない話だが、絶対的な攻撃力に劣る私はまず、このバカ騒ぎで倒されないようにしなければならないのだから。もはや、何時までも己の願いに囚われても居られない。
 まずはこの戦いで生き残らなければ……あの闇を葬る為に。




第十七話「召喚者は兵士の涙を見る」




 まったく、昨日は疲れる一日だった。色々と振り回されたし。それにしても、私なんでロンドンになんて居るんだろ? 
 え、……ロンドンって何で、私昨日は日本に居た筈よ!? 衛宮くんの家を拠点にして、離れに借りた部屋で寝てた筈……アリアに散々ビックリさせられて、彼方此方と振り回されてた気がするけど。
 みょーに頭がぼんやりしててキレが悪い。うー、気分が冴えないなあ。

「それにしても、なんでロンドンなんかに……」

 目の前に見えるのはニュー・スコットランド・ヤード。
 ウェストミンスター橋側の、古めかしい赤煉瓦造りの庁舎の方ではなくて、近年移った新しい方。ガラス張りの高層ビルだ。ニュースで見た事がある。……でも、なんで?

「父さーん!」

 何でこんな所に居るんだろう。そんな疑問で頭が一杯になっていた時に、不意に飛び込んできた声。なんだか聞き覚えがある声ね?
 気になってそちらの方を見ると、セミロングの金髪が美しい小柄な女の子が小走りに駆け寄ってきた。歳の頃は十六か十七かといった感じ。

「せ、セイバー!?」

 い、いや。違う。セイバーな筈が無い。彼女はサーヴァントなんだから。
 でも、じゃあ一体、目の前で駆け寄ってくるあの娘は一体誰なのか。
 容姿、声、見た目の年齢……全てが一致する。どう見ても、あの女の子はセイバー以外の何者にも見えない。セイバーと違う所と言えば、髪を下ろしている事くらい。
 ん、いや? 良く見ると若干この娘の方が発育が良さそう……サーヴァントが成長する訳は無いし、大体今誰かを父さんって呼んでたし、やっぱり別人?

「おお、早いなアルトリア。迷わなかったか」

 後ろから聞こえた声に振り向くと、目前の庁舎から屈強そうな壮年の男性が出てきた。
 彼女の父親のようだ。パリッとした背広を着て、手には何か紙袋を提げている。スコットランドヤードから出てきたって事は、警察官だろうか。

「勿論です。私が地図に強いのは知ってるでしょう」
「ははは。そうだったな。そこは母さんに似なくて良かったな」
「あら。口は災いの元ですよ、父さん?」
「う? 待て、今のは母さんには内緒だぞ?」
「ハイハイ」

 なんとも微笑ましい、家族らしい会話だ。きっと良い関係なんだろうな。自分にも父がまだ居てくれてたら……はは、どうだろう。こんな会話、多分余り無いだろう。魔術師の家系なのだから。でも、少しはしてくれたかも。おっと、感傷が過ぎてるわね、私。しっかりしろ遠坂凛。
 それにしても、明朗快活な娘ねえ。なんか、見た目はセイバーなのに、性格はちょっと違うみたい。セイバーが少し砕けて、人当たりが優しくなったような……って、最近そんなのが身近に居たわよね、私?
 二人は合流すると、話をしながら近くのカフェテラスに向かって歩き出した。

「それで、どうだ軍の方は。もう訓練には慣れたか?」
「はい。まだまだ至らぬ事ばかりですが」
「ははは。まあ最初はそんなもんだ。父さんだって昔、軍に入った頃はそうだったしな。……どうだ、続けられるか? お前は女の子なんだ。別に他の道に進んだって全然構わないんだぞ?」

 店内で珈琲を頼み、丸いテーブルの屋外テラス席に座る親子。
 へえ、娘さんは軍に入ったのか。その若さで。軍……あれ、それって?

「勿論、続けられます! 決心は変わりません。父さんや母さん、兄さん達を守りたい。大切な人達をこの手で守れるようになりたいから」
「ふっ。まったく、親泣かせな娘だよ。気持ちは嬉しいが、娘に危ない道を歩かれる親の気も知らんで、一丁前な口を利きおって」

 業とらしく渋面を造りながら、皮肉交じりにそう軽く笑い飛ばす。なんというか、会話の内容は深いのに全然態度に乱れは無いし、悠然として堂に入ったお父上だわ。

「はい。ご心配をかけます。でも、有り難う、入隊を許してくれて。嬉しかった。入隊が決まってから忙しくなって、ちゃんとお礼が言えてませんでした」
「まあ、物心ついた頃からお転婆だったからなあお前は。女の子なのに、フェンシングや剣道、空手や柔道と、男の子がするような事に夢中になるし。友達の厄介事にはすぐ首を突っ込むし。なんとなく、何時かはこうなるんじゃないかって気はしてたよ」
「あ、う……」

 過去を持ち出されて、少し恥ずかしそうに下を向く金髪の少女。

「思えば、お前がそう必死に強くなろうとし始めたのは……あの事故からだな」
「!」

 事故? そういえばこの間見たあの妙な夢。そうか、やっぱりこれも夢だ。私、今あの夢の続き見てるんだ。
 そういえばさっき、お父さんが彼女の名前を呼んでたっけ。アルトリアって。
 アルトリア……アル、トリア……ア、リア。やっぱり……この夢ってアリアの……。

「元から曲がった事が嫌いで、誰にも優しくて、融通が利かない頑固さはあったが、あの事故に遭うまでは別に強くなろうとか、武術を学ぼうとかは余り思ってなかったろ」
「…………」

 アルトリアと呼ばれた少女は黙したまま、何も語ろうとしない。

「でも、あの日以来、お前は急に武術を習いだした。それも、学べる武術全て、手当たり次第だ。誰が見てもちょっと尋常じゃない、急に何かに囃し立てられるように必死に、一生懸命に。まあ、それからのお前の常識離れした上達スピードには驚かされたが、私は本気でお前を心配したよ」
「はい……」
「前に、お前は私に言ったな。自分がもっとしっかりしていれば、ケインを危険に遭わせずに済んだかもしれなかったと。例え危険に遭っても、自分が強くなれば次は絶対、自分もケインも守りきれる。だから武術を習わせてくれと」
「はい……」
「だが、本当にそれだけか? あれからのお前は、どこか得体の知れない焦燥感に駆られ続けているように見えてな。まるで、自分にはもう時間が限られているかのような……」
「…………」

 父親のその言葉に、俯き暗くなった前髪の影の奥で辛そうな表情をつくるアルトリア。

「まあ、お前が話したくないなら良い。何れ、気持ちの整理がついて、話したくなったらで良い。私はお前の父親だ。お前がどんな悩みを抱えているか、私には判らないが、絶対に相談に乗ってやる」
「父さん……」

 思いも寄らなかったのだろう。彼女は驚いたように目を見開き、嬉しそうとも、辛く悲しそうとも見える複雑な感情を双眸に滲ませた。まるで感情が流れ込んできそうな表情。
 いや、事実彼女の感情が私の中に流れ込んできているのかもしれない。自分を理解して、受け入れてくれる嬉しさと安堵感。でも同時に、秘密を打ち明けられない辛さと、隠し続けるのは家族の信頼に対する裏切りだと自責する念。そして肉親に気遣わせている事への申し訳無さが入り混じって、とても居た堪れない心地になる。

「それに、軍入りはお前自身が決めた事だ。私からとやかく言う気は無い。だが、これだけは約束してくれ」

 父親は一度言葉を区切り、ゆっくりと一口、珈琲で喉を潤してから静かに口を開く。

「絶対に無茶はするな。いいか、死に急ぐんじゃないぞ。私からはそれだけだ。ケインや母さんを心配させないようにな」
「はい。解かりました」

 穏やかな父親の笑顔に、心からの微笑みで答えるアルトリア。もうその表情には先ほどの憂いは見えない。今は父の言葉に甘え、父に心配はかけまいと、秘めた悩みの棘は心の底に沈めたのかもしれない。

「まあ、お前は武術や運動にかけてはピカ一だったからな。父さんもお前の能力には何の不安も持っちゃいないが。……初心、忘れるなよ?」
「はい」

 満面の笑みのまま、続けて頷き続けるアルトリア。余程嬉しかったんだろう。

「あ、いや、不安はあると言えば、あったな。アルトリア、お前、銃はあまり得意じゃ無かったろう?」
「う……はい。射撃は今まであまりした事が無かったですから。今、必死になって訓練で扱かれてます」
「はは、そうだろうな。お前が銃を撃った経験といえば、俺が護身用にちょっと手解きしてやった二、三度だけだろ」
「はい。私にはあまり向いてないように思えて」

 ええっウソでしょお? アリアが銃に向いてないなんて、全然そうは見えなかったけどな、私。あ、そうか。あの子はまだ新米の頃の彼女だっけ。意外ね、昔は銃苦手だったんだアリアって。

「訓練では何を使ってるんだ。軍の支給は今でも時代遅れなFN・ハイパワーか?」
「いえ、FN社は一緒ですけど、今はFNP9Mです。数年前に変わったらしいですが」
「流石に変わったが、相変わらず9ミリか。軍用は原則FMJ(フルメタルジャケット)だから、口径の大きな45ACPの方が打撃力に優れるんだがな……石頭は変わらんな」
「仕方がありませんよ。NATO規格に準じているんですから」

 拳銃の話になってきたが、私には何の事だかさっぱり判らない。アルトリアは判ってるようだけど、誰か私に判るよう説明してくれないかしら。

「それなら丁度良いな。ほい、お前に入隊祝いのプレゼントだ」

 片目を瞑りウィンクしながらニヤリと笑みを浮かべて、父親が紙袋の中から大きな弁当箱大の箱を取り出した。
 テーブルのアルトリアの前にそれをゴトリと置く。何か重い物が入っているらしい。

「父さん、これは?」
「開けてみな」

 言われるままに何の包装もされていない箱を開ける。箱はプラスティック製で、真ん中から二つに開く工具箱のような感じだった。
 その中に入っていたのは、なんと黒く光る一挺の拳銃。工具箱のように見えたそれは、中に緩衝材が詰められた携帯用のガンケースだった。

「……これ、父さん!」

 アルトリアがその銃を見て驚き、父の方を見詰め、口に手を当て狼狽える。

「懐かしいだろ? お前に練習で使わせてやったあの銃だよ。お前にやろう。45口径のダブルカァラム型だから決してファイアパワーに不安は無い! 流石にダブルアクションじゃないが、コック・アンド・ロックが出来る方が即応性は高いからな」
「え、でも! だってこれは……! 父さんがずっと愛用してた銃じゃ」
「そうだよ。最近までずっと現役で使ってた。メンテナンスは十分してある。精度や信頼性は俺が保証する」
「そんな、駄目です、貰えませんよ父さん! だってこれ、亡くなった親友に貰った大切な物でしょう?」
「いいんだ。別に他人に渡す訳じゃなし。それに、練習させた銃の中でお前はソレを一番気に入っていただろ? スコアも一番良かったしな。アイツも、俺の娘になら二つ返事で許してくれるだろうさ」
「…………本当に、良いのですか?」
「ああ、お前にやる。今日からその銃はお前の物だ」

 手の中に抱えた箱の中をじっと見詰めるアルトリア。箱の中で鈍い光沢を放つその拳銃の鋼の胴体には、大きく“NIGHT HAWK”と刻印が打たれていた。
 ナイトホーク……もう間違いようが無い。セイバーそっくりな軍人の女の子。
 アルトリア、この子がアリアだったんだ。
 あれ? でも確かこの子、確か前世の記憶があるとか……アルトリアなんとかって。それに自分の事をセイバーって口にしていたような……まさか!?
 いや、いやいや、そんな馬鹿な……? まて、結論を焦るな私……落ち着くのよ遠坂凛。
 ちゃんと本人に問えば済む事よ。彼女はちゃんと話すと約束してくれたんだから。それにしても、まさか彼女の愛用の武器にこんな背景があったなんて。

「解かりました、有り難く頂きます。……有り難う、父さん」

 彼女はしみじみと懐かしむように銃に指を這わせ、静かに蓋を閉じ、そう口にする。

「でも、父さん。これを使ってないのなら、今は何を使っているんです?」
「ん? ああ。今はもっぱら内勤で机仕事ばかりだからな。だから護身用に多弾装オートなんて必要無いんだよ。コイツで十分だ」

 そう言って背広の襟を捲くり、肩から吊るした銃をチラリと見せる父親。

「リボルバー……信頼性は解かりますが、今時そんな銃を持つ人ほとんど居ないんじゃ」
「おいおい、リボルバーを侮るな? 装弾数こそ少ないが、俺達にとっては信頼性と精度が最重要だ。警官が十何発も無闇に弾ばら撒くのも拙いしな」
「でも最近は、殆ど何処もオートでしょう?」

 うーん、なんだか話がどんどん私には解からない方向へと突き進んでいくなあ。
 オートとかリボルバーってナニ? 銃って皆“はんどがん”とか“ぴすとる”って言うもんじゃないの? ああんもうっ二人だけで納得してるんじゃないわよぉ!

「リボルバーなら357マグが使えるし、何よりジャムらない。それに精度も良い! そりゃあオートよりは嵩張るがな。それでも俺はコイツを選ぶ。それにな、見てみろ。コイツはM686プラスって言ってな、七連発の優れモノだ!」

 アリアの心配げな反論にも頑として譲らないどころか、最後には興奮気味に周囲に目立たぬようこっそりと懐から銀色に輝く銃を半抜きにして見せてくる。
 男って不思議とこういうモノの事になると子供みたいにはしゃぐのよね。何でかしら。
 まあ、何だか良く解からないけど、お父さんが弾数より性能を取るって考えらしいのは判った。それにしても銃って案外弾少ないのねー、何か不便そう……ああ、私は魔力が続く限り幾らでも撃てるからそう感じるのかな。

「解かりました。銃の事で父さんには敵いませんから」
「ん、んん? なんだか呆れられたみたいで寂しいが、まあ良いか」

 軽く一溜め息ついて、アリアは呆れたようにそう口にした。父親の些か子供じみた興奮を伴った解説には、彼女も流石に根負けしたようだ。
 父はそんな娘の反応に些か微妙な顔になるが、気分を切り替え冷めかけた珈琲を啜る。

「気にしないで、父さんは正しい。私の心配もきっと杞憂だと判っただけ。確かに父さんの腕なら、素人がフルオートで来ようと一瞬で返り討ちでしょうし」
「ははは、流石にそれは買いかぶりすぎだが、当たらなきゃ意味無いからな」

 軽く笑いながら答える父親。なんだか、とんでもないお父さんだったのかしらアリアの父上って。二人とも揃って珈琲を一口啜り、ようやくこの話にピリオドが打たれた。
 落ち着いたところで、再び父親が口を開く。

「それで、何処に配属になったんだ?」
「最近発足した機動歩兵科第三〇三連隊です。今、軍は新しい情報相互共有型の司令系統に合わせて再編成中で、機動歩兵科も大量に増員されたとか。そこに放り込まれたみたいです。基礎訓練の頃より情報リンク系の装備が増えて、訓練もちょっと大変ですが」

 うわ、また私にはチンプンカンプンな話題だ。何を喋ってるのか全然解からない。
 アリアってもうこの頃からこうだったのね。

「そういうのも必要な時代だ。私ももう退役して久しいが、私が現役の頃から既にそれがスタンダードになり始めていたからな。勉強は疎かにするなよ?」
「解かってますとも。父さんも、警部補昇進おめでとう! たまにはあっちに帰ってあげて下さいね。兄さんも今はオックスフォードに居るから、エクセターには母さんだけなんですから」

 警部補って、お偉いさんじゃないの! それにお父さんも元軍人か。アリアの家って軍人一家なのかしら。

「解かってるよ。仕方が無いだろ、仕事なんだから。暇が出来ればちゃんと帰るよ」
「それじゃ、父さん。今日はこれで帰ります。これから夜間戦闘演習が有りますから」

 そう言うと徐に席を立つアルトリア。これから基地へと帰るらしい。
 その背中に向けて父が威勢の良い声を掛ける。

「おう。気をつけてな。常に周囲の状況把握を忘れるなよ。夜間は特にな!」
「了解!」

 父の言葉に振り向き、無邪気そうな笑みと共に軽く砕けた敬礼をするアルトリア。そこには私が見た事の無い彼女がいた。アリアも気の置けない暖かい家族の前では、こんな風に軽くおどけてみせる事もあったのね。
 まあ、もっとも、私と彼女の関係が基本的には主従である以上、彼女は私の従者として振舞うから、こんな風に気安くおどけて見せたりする事はないだろう。たまに、人を食ったような態度でからかってくる事はあるが……。
 でもそれは、私に対して彼女が遠慮しているって事。最低限で、主従の一線を踏み越えない為にと彼女が控えている節度の現われ。大体彼女は、初めて会った時から不思議な位、私に対して好意的だった。
 でも、私に今見たような、なんでもない冗談としておどけた態度を見せてくれた事は、まだ一度も無い。そうか、だから妙な感じがしてたんだ。
 アリアはまるで親友のようにとても真摯に接してくれるのに、彼女自身は常に、私に対して一歩引いた態度で振舞うのだ。その心と振る舞いのズレが妙にむず痒い。
 ……マスターとサーヴァントの関係である以上、仕方の無い事だろうけど。

「もし、もっと親密になったら、私にもあんな風におどける一面を見せてくれるかな」

 って、何を考えてるのよ私!? サーヴァントなんて只の戦力。使い捨ての武器と同じだってあれだけ自分に言い聞かせてきた筈なのに。
 いつの間にか彼女を大切な友達のように感じていたみたい。はあ、修行が足りないわ。
 そんな事を考えているうちに、彼女はヴィクトリア駅の方へと歩き去った。その背中を目で追おうとして、辺りが急に霞んでゆく事に気付く。

「あ、あれ? また周囲が白く……わっ!? …………。んん?」

 急に突風が襲ってきたと思うや、あっという間に風は止み、次の瞬間にはまた、見た事も無い場所に立っていた。

「またぁ? 今度はここ何処ぉ?」

 周囲は見渡す限りジャングル……じゃないわね。目に見えるのは鬱蒼とした森林地帯。
 多分何処かの山間部。これがアリアの記憶だとしたら、多分イギリスじゃないかと思うけど……解っかんないわね。軍に入ってたんなら、海外派兵とか在ったって全然おかしくない。それに、さっきからなんだか遠くが騒がしい。

「あーっもう! ホントここ何処ぉ?」

 叫んだその時だった。
 目の前の獣道に大量の荷物を背負った兵隊達がわんさかと湧いて出た!

「きゃああ!? ナニッ何なの!?」
「こらぁ! もたもたすんなぁ!! まだ工程の三分の一も来てないぞゴミ虫共ぉ!!」
「うわわっゴメンナサイ!? ……って誰がゴミ虫よ!!」

 突然の怒声に思わず平謝りしてしまった。けど当然私が怒られた訳じゃない。でもゴミ虫は酷いだろう。何だ此処は?

「っつあ! まったく厳しいとは聞いてたが、コレほどとはな!」
「けっナニ言ってやがる! SASだぞ、解かってて来てんじゃねえのかお前は!?」
「根性無しはお家に帰んな! 折角ここまで残ったんだ、俺は絶対に入隊してやるぜコンチクショウッ!!」
「三十六番に五十八番一〇三番! 貴様ら無駄口叩いてないで走れ、落ちたいのか!?」
「ノー、サーッ!! スイマセンでしたぁっ」

 喋っていた兵士達を一括する見るからに屈強そうな軍服の男……教官だろうか。どうやらこれは軍隊の、エスエーエスって所の入隊試験らしい。
 ちょっとまって……エスエーエスって、SAS!? あのイギリスの特殊部隊の!?
 別に私は外国の軍隊とかそんなに詳しくないけど、それでもSASという名前くらいは知っている。イギリスが誇る世界でもトップクラスの特殊部隊だ。
 なんでそんな試験場に居るのよ私……まさかアリアってばこの試験を受けてるの!?

「あまり喋っていると消耗しますよ、貴方達」

 無駄話で教官の雷を食らっていた大柄な兵士達の後ろから、ひょいひょいと身軽そうに登ってくる小柄な兵士。すれ違い様にぼそりと囁くようにして、坂道を変わらぬ歩調で駆け上っていく。見れば他の兵士達と同じ大きなザックに大きな銃や、ゴテゴテと色んな装備を背負っていると言うのに、その足取りは軽やかでまったく疲れを感じさせない。

「あいつ、何であんなに元気なんだ……オイ?」
「知るかよ! 喋ってっとまた教官にどやされっぞ馬鹿!!」
「確か……女だよな、アイツ。おいお前等、男の俺達がへこたれててどうすんだ気合入れようぜ!!」
「おぅあ! 負けてられっかウラァ!!」
「だから黙れというにっこのカスどもが!!!!」

 小柄な兵士の事で再び騒ぎ出して、またも大目玉を食らうゴツい男達。先に進んだ小柄な兵士は、女か。確かに後姿を望むと迷彩柄のヘルメットの下から、艶やかな金糸の長い髪が風に流れザックに掛かっている。見覚えの有りそうな美しい金髪……という事は、あれはアリアか。やっぱり受けてたんだ。
 その事に気が付いた時にはもう、アリアは茂みの先へと姿を消してしまっていた。

「いけない、追いかけなきゃ」

 アリアを見失ってはいけないと何故か思い、必死に兵士達の後を追いかけた。いつもの夢なら、まるで映画でも見るような、ここに居るという実感の無いままに景色が急に移り変わっていた気がするのに、今回は違うらしい。
 サーヴァントとマスターはレイラインによって霊的に繋がっている。そしてそれは互いの信頼関係といった精神的な交流が高まれば、自ずと結び付きもより強く、深くなる。
 ひょっとしたら、アリアとの霊的な結び付きが前より強まった為に、私の自我が持つ干渉力、あるいは彼女の記憶からの影響力が強くなっているのかもしれない。
 ともかく、頑張って走れば、アリアについて行くことが出来た。だけど、これは本来の私の身体能力ではありえない。常に魔術による強化でもしなければ、彼女について行くなど到底無理だろう。だってここは平坦な舗装路じゃない。険しい岩肌がむき出しで凹凸の激しい、急な斜面が何処までも続く山道だ。
 本当に、あんな大荷物を背負ってよくこんなスピードで歩けるものだと感心する。私は軽装だというのに、慣れない立体的な山道は私を思うように走らせてはくれない。その為私は走っている筈なのに、早歩きのようなアリアについて行くのがやっとだ。

「あ、歩き方って重要なのね。山歩きを舐めてたわ、私」

 それは、想像を絶する試験だった。延々と続く行軍。一体何時まで続くのか、私にはまるで判らない。もうどの位の時間が過ぎたのか判らなくなった頃だ。
 兵士の一人の呟きで、これが選抜訓練最終日の全長八十キロに及ぶ、ビーコン山地越えの強行軍だと言う事が判った。
 目下、時に死亡者まで出る事もある難関のペン・イ・ファン登山の真っ最中だという。
 まったく、なんて過酷。山は気候が変わりやすいというのは本当ね。猛烈な嵐に翻弄され、体力に限界を迎えた志願者が次々と脱落してゆく。
 泥濘んだ危険な足場、体温を奪う雨と風。そんな中を黙々と、合羽を被り自分のペースを守り続けて進んでゆくアリア。慎重に足場を選び、急がず焦らず、ただし迅速に。基本に忠実に、決して無理をせずに一定の歩幅で険しい山道を踏破してゆく。

「う、ぅあ? うわぁ!」
「危ないっ! つかまって!!」

 目の前で足場の悪い所を踏み滑り、河に転落しかけた志願者を彼女は助け上げた。
 思わずヒヤッとさせられた。まったく心臓に悪い。自らが転落する危険も有ったというのに、彼女は一瞬の躊躇も無く男を助けたのだ。
 転落しかけた志願者の兵士は完全に体力を消耗しきっていた。もしそのまま河に落ちていれば、恐らく彼の命は無かったろう。その危険を察知したから、アリアは動いたに違いない。私の知ってる彼女は、そういう人間だ。

「フフッ。お人好しなのは昔からみたいね、アリア」

 結局、助けた志願者は倒れた際の怪我もあり、体力も限界に達していて、リタイヤする事になった。

「スマンな、迷惑をかけて。君は命の恩人だ」
「いいえ、当然の事をしたまでです。貴方も無理をせず、救助隊員が来るまでここを動かないように」
「ああ。“危険を冒すものが勝利する”。君は危険を冒してまで俺を助けてくれた。君ならSASに入る資質は十分だ、きっとなれるよ。俺の分まで頑張ってくれ」
「ええ、有り難う。貴方もご幸運を」

 リタイヤを告げる発炎筒を炊き、アリアを見送る男。
 別れを告げて再び行軍を開始する
 日が沈み、暗闇に覆われても行軍は止まらない。ライトの僅かな光だけで険しい山道を歩き続ける。そうして全工程を踏破しきり、ゴール地点に着いた時には、既に夜が明けていた。最終的に行軍を耐え切った志願者は、全体の半分にも満たなかった。

「はあぁ、やっと……終ったのね? これでアリアはSASにはれて入隊って事かしら」

 てっきりそうだと思っていたのだけれど、ちっとも合格と言われない。

「よし、お前達。この四週間に渡る過酷な選抜訓練最終日の、ビーコン山地越えを良く耐え切った! 諸君らは一週間の休息の後、引き続き半年間の継続訓練に入る! 継続訓練期間中も成績の悪い者は容赦なく落としてゆくので心しておけ、判ったな!!」
「サー、イエッサー!!」
「よし! 今日はもう基地に帰って良し、解散!!」
「サー、イエッサー!!」

 残った志願兵達と一緒に威勢良くイエス・サーと声を張るアリア。
 えええ、うそぉ!? これでもまだ入隊じゃないって事なの!? も、もういい加減クタクタよぉ。私の人生の中でも、こんなに運動させられた事なんて無いんだから。
 これって私の夢よね? 夢なのになんでこんなに疲れてるの私? ああ、なんだか夢の中なのに気が遠くなってきたわ……。

「…………ん。……凛! ……丈夫……ですか……凛!!」

 遠くの方から何故かアリアの声が聞こえる。あれぇ、おかしいな。アリアは目の前に居るのに、なんでだろ? それにしても、本当に疲れた。もういい加減寝かせてほしい。
 あれ? そもそも私って寝てたんじゃなかったっけ? もうどうでもいいや……。
 視界が段々とぼやけてきて、もう周りには何も見えない。私の意識はどんどん真っ暗な奈落の底へと落ちていった。

「凛!! 大丈夫ですか、凛!? 起きてください!!」

 心配そうな声に、真っ暗な無意識の底から強引に引き上げられる感覚。その余りに切羽詰った声に頭を覚醒させられて、重い瞼を懸命に持ち上げる。と、そこには顔一杯に心配そうな表情を浮かべたアリアの姿があった。

「う、う~ん? どうしたのよぅアリアぁ。もうちょっと寝かせてよぉ」
「大丈夫ですか、凛? 酷く苦しそうな顔をしていましたよ」
「んん、そう? まあ、なんだか夢見はあんまり良くなかった気がするから……多分そのせいじゃないかしら……あ!!」
「ど、どうしました?」

 慌ててアリアが私の顔色を心配そうに窺うが、私はすぐに何でもないと手振りで彼女を制した。

「ん、大丈夫よ。ちょっと寝ぼけてただけ。今、何時?」
「はい、五時四十九……今丁度五十分になった所ですね」
「あら、じゃあもう起きなきゃね。何度も士郎に恥ずかしいカッコ見せるなんて遠坂家の名折れよ。常に余裕を持って優雅たれ!」
「ふふ、その意気です。良かった、心身共に異常は無いようですね」

 気丈に振舞った事で、アリアはようやく安堵の笑みを浮かべる。本当に心配してくれていたのだ。その事が少し、チクリと胸を刺す。騙す訳じゃないが、私自身の心は少なくとも平静とは言い難いから。
 そうね、今ならここには二人だけ。聞くなら今かもしれない。

「……ねえ、アリア?」
「はい?」
「サーヴァントって、夢は見ないのよね?」
「はい。……ですが、セイバーのように休眠状態を取れば、サーヴァントは己の記憶を再生して見る事は有るでしょう。或いは、マスターとなっている生きている人の記憶が逆流して、不意にそれを見てしまう事も有るかもしれません」
「! ちょ、それって……」

 アリアは、その時僅かに申し訳無さそうな笑みを浮かべていた。

「やはり、見てしまわれましたか。……私の生前の記憶」
「ごめんなさい。私、勝手に貴女のプライベートを犯しちゃったみたい。知られたくない事だって、あったわよね」

 私の言葉に、静かに頭を振って、哀しさを滲ませた笑顔で答えるアリア。

「いいえ、お気になさらないで下さい。何時かは話すと約束していましたから」
「ごめんね。じゃあ、やっぱりあれは、貴女なのね」
「はい」
「それじゃあ、貴女の真名は……」

 私の問いに、僅かに周囲の気配を探って人気が無い事を確認するアリア。恐らく、近くにセイバーが居ない事を確認したんだろう。
 姿勢を正し、意を決するように胸に手を置いて、神妙に己が真名を口にする。

「はい。私の真名はアルトリア。アルトリア・コーニッシュ・ヘイワードと申します」
「うん。やっぱりその名前だったのね」

 はい、と首肯するアルトリア。

「で、現代の英雄で、それもイギリスの軍人だった。そりゃあ確かに、誰も貴女の真名を知ってる人なんて居ないわけだわ」
「はい。正確には、私はこの時代より未来の出、という事になります」
「ええっそうなの!?」
「はい。抑止の座には現在、過去、未来の概念は無く、一つの輪のようなもので、完全にこの世の時間軸からは乖離した存在です。故に、抑止の輪から召喚される私のような“守護者”はこの世界の時間軸に囚われず、未来の存在であろうと関係なく呼び出されます」
「は~、貴女が年月を経た神秘性を持たないってのは、本当に年月そのものがこの世界に無いって事だったのね」
「そうです」

 俄かには信じ難いが、彼女が嘘を付く理由は無い。むしろ彼女の説明のお陰で、私の頭を悩ませていた謎は少しずつ溶け始めている。
 そう、私にはもっと聞きたい事が一杯あるのよ。

「じゃあ、教えてくれる? 貴女の真名は判ったんだけれど、どうして貴女がセイバーにそっくりなのか。セイバーが貴女の真名、アルトリアという名前を聞いただけで、如何してあんなに驚いていたのか」

 私のこの問いに、アルトリアはとうとうこの時が来たかとばかりに強く目を瞑り、その体をビクリと震わせた。
 その反応が全てを物語っていた。

「ごめん。言いたくなかったら、今はいい。ホントはね、私もなんとなくは、想像は付いてるんだ。夢に、見ちゃったから。……でも、やっぱり俄かには信じられなくて」
「り、凛……」

 その言葉に、信じられないと言いたげにアルトリアが言葉を詰まらせる。何処まで私の心中を察したか、アルトリアは口元を手で隠し、感極まったように瞳を潤ませて、綺麗な翡翠色の双眸から大粒の雫がつうっと一筋流れる。そんな、まさか泣かれるなんて……。
 蒼いコートの肩がか細く震えている。服装のせいもあるだろうが、案外逞しそうに見えて、実は意外なほど彼女は華奢なのだ。逞しそうに見えるのは、とても引き締まった達人の筋肉がその下に隠れているから。
 そんな彼女が、こんなに感情を吐露して泣いている姿なんて、初めて見た。何時だって彼女からは、誰よりも強靭な、鋼のようなその心の強さを感じていた。
 そんな彼女に、私は涙を流させたのか……。

「あっはは、何かね、私も余りに自分の考えに突拍子が無さ過ぎて、頭が混乱しちゃっててさ……。だから、良いの。貴女が決心したら、答えを教えて? 私も、それまでに頭を整理しとく」

 アルトリアの涙に、何かとても胸の裡が火照ってむず痒くなり、誤魔化すように笑ってそう口にした。
 混乱してるというのは、半分本当で、半分は嘘だ。殆どは整理が付いている。私だって第二魔法の実現を宿題にされている遠坂家の当主なのだから、平行世界の実在を疑いなどしない。アルトリアの前世が、無数に存在する平行世界の何処かのセイバーその人だと言われても、有り得ないとは思わないし、寧ろ納得できる。
 ただし、それはセイバーが只の人間であるならばの話。セイバーは人間じゃない、サーヴァントだ。アルトリアと同じように、世界の時間軸から外れた、英霊という私達より遙かに霊格の高い存在だ。
 一度世界と契約して英雄と成った者の魂は死後、輪廻の輪から外され、高次の存在として昇華され、永劫に亘り世界を見守る存在、英霊となる。
 そう、セイバーが英霊であるなら、本来は転生なんて出来る筈がない。でも現に、目の前に居るアルトリアはセイバーの生き写しのような容姿を持ち、夢で見た限りでは何とも言えないが、セイバーだった前世の記憶も持っているらしい。
 その事実が、状況証拠が彼女はセイバーの生まれ変わりだと告げている。でもセイバーが転生できるはずは無いというその矛盾……そこが未だ解けない謎。
 でもきっと、そこには彼女の尤もプライベートな秘密が隠されたデリケートな部分。だから彼女の心を無視して暴くなんて酷い事はしたくない。

「……はい。凛、ありがとう……ありがとう、そして、御免なさい……」

 咽び泣きそうな声を押し殺して、途切れながら感謝と謝罪を伝えるアルトリア。
 その謝罪は何に対してのものだろう。話す事、秘密を明かす事への覚悟がまだ完全でなかったからだろうか。そんな事、気にしなくても良い。
 私だって、同じ立場に立たされたなら、きっと逃げ出したくなるに違いないから。自分が死んで、記憶を保ったまま未来に生まれ変わって、そしてまた死んで……全ての記憶を持ったまま、再び前世の世界に戻ってきてしまったとしたら?
 ……そんな事、誰が考えられる? そんな事になってしまったら、私は過去の、前世の自分や、親友、そんな特別な相手に自分を曝け出せるだろうか? 家族や親友にだって、どう自分の真実を明かせる? ましてや自分自身になんて、何て自分を説明したら良い? 
 私には、そんなの解からない。如何したら良いかなんて、私には答えられない。そんな状況にずっとアルトリアは立たされていたんだ。そんなの、私なら辛すぎる。

 理解されないのでは、拒絶されるのでは……頭がおかしいと、まともに信じてもらえないのでは? そんな不安を一切抱かず、相手の気持ちも考えず自分勝手に自己主張できるような丸太みたいな図太い神経の持ち主なんて、そう滅多にいやしないだろう。また、そんな身勝手な人格の人間なんて、私は好きになれない。お断りだ。
 アルトリアは強いけど、信じられないくらい心の強い人だけど、そんないやらしい性格なんかじゃない。寧ろ、自分の事は過度なくらい犠牲にする性質だ。相手を何処までも気遣う性格の持ち主だ。そんな彼女が、人の気持ちを無視して自己主張などする筈が無い。
 そう、出来る筈も無いのよ。だって彼女は、本当はこんなに暖かくて優しい、繊細な心の持ち主なんだから。
 何かの本で読んだ事がある。日本の伝統である日本刀の鋼は、刀剣として非常に優れた強靭さを持つと言う。非常に硬い鋼。だがその強靭さを支えている本当の要は、実は内部にあるという。中心部にある“心金”と呼ばれる軟らかい鉄の部分、それが日本刀の強靭さには必要なのだと。ただ硬いだけの鋼は、強過ぎる力には脆くも折れてしまう。だが、硬くも中心に軟らかさを残した鋼は、強過ぎる力にも“しなる”事で耐えるのだと。
 アルトリアの心も、そうだ。彼女の心は、正しくその日本刀そのものだ。アルトリアの強い精神の中心には、とても繊細で軟らかい、弱い心がある。その“弱さ”があるから、アルトリアは強いんだ。でも、今はその弱い心を、私が突っ付いてしまった……そうだ、謝らなきゃ。
 ベッドから立ち上がり、目の前で震えて、必死に胸元を握り締めたまま、感情を押さえつけて泣いている彼女をそっと抱きしめる。

「ゴメンね、アルトリア。まさか貴女をそんなに泣かせちゃうなんて思わなかった」
「っ!! いえ、御免なさい、御免なさいっ……謝らないで、貴女は何も悪くない……!
悪いのは私です。必ず……必ず話すと約束したのに……」

 私の腕の中で小さく身を竦ませたまま、アルトリアは張り裂けそうな思いに頬を濡らし続ける。そんな彼女の頭に手を回し、子供をあやすように優しく胸元に引き寄せ、抱き締める。私の気持ちを伝える為に。

「いいから、もう泣かないで、ね? 貴女を困らせたかったんじゃない、悲しませたかったんじゃないの」
「いえ、違うんです。……貴女の心遣いが嬉しくて。……でも自分が情けなくて、貴女に申し訳無くて……」

 ヒックヒックと、あくまで小さく偲ぶような嗚咽の声。あくまで泣き声を響かせまいと押さえ込む様は、如何にも奥ゆかしくて、彼女らしい。
 アルトリアを泣かせてしまった私は馬鹿だ。彼女の性格を考えれば、想像も付きそうなものじゃない。アルトリアは礼儀正しく、理と義を重んじる。そしてなにより己に厳しい。
 そう、彼女はずっと悩んでた、迷ってたんだ。己に厳しく、曲がった事が許せない彼女だから、私に自分を偽り続ける事がずっと苦しかった。
 必ず真実を明かすと誓っていたから。でも現実にはその誓いを果せず、結局アルトリアは私に自らの意志で真実を打ち明けたわけじゃない。
 だからその事をとても恥じ入ってしまっているんだ。でも、彼女にはまだ明かせずに迷い苦しんでいる秘密が残ってる。でも私はそれを許した。何時でも良いと。それがアルトリアにとって、どれほどの救いの言葉になったのかは解からない。
 でも、きっととても嬉しかったに違いない。驚喜と羞恥、受け入れられたという安堵の念と、誓いを守れなかった自責の念、色々な想いが入り混じって、とうとう耐えられなくなっちゃったんだろう。

「うん、解かってる。私にも全部じゃないけど、貴女の事情が少しは判ったから。辛かったよね、苦しかったよね。自分を偽るのって、辛いものね? でも、もう頑張らなくて良いのよ。私、知っちゃたから。貴女の過去、全部じゃないけど、知っちゃったから。だからね、もうそんなに思い詰めなくていいから。ね、セイバー?」
「うっううっ! 凛……凛!! うくっ……ふっぐ、私は……!」

 つい、確かめたい気持ちもあって、彼女のことをセイバーと呼んでしまった。私にも、確証はなかったから。セイバー、それは彼女にとって、特別な意味をもつ名前。その名を私が知っていると言う事。それは即ち、アルトリアの前世がセイバーだという事を、私が知っている事を意味する。その事実を知ったアルトリアは一際大きく声を上げ私に縋りつき、遂に泣き崩れてしまった。私は卑怯者だ、酷いヤツだ。さっき何時でも良いと言っておきながら、既に知っているよと、間違いないよねと揺さぶりをかけたのだから。
 私に秘密をもう知られているという揺ぎ無い宣告を受けて、とうとう感情の堰が決壊してしまったのだろう。彼女は震える手で私の背に手を回し抱き付いたかと思うや、力が抜けたようにへたりと、私を巻き込んでその場に崩れ落ちる。
 二人抱き締めあったままくず折れて、床に座り込む格好になった。そのままアルトリアはずっと、私の肩に顔を埋めたまま、パジャマを涙で濡らす。
 ぎゅうっと力強く抱き締めてくる腕が、彼女の想いの強さを伝えてくる。私はその想いの強さに心を揺さぶられながら、宥めるように彼女の肩を、ポンポンと優しく叩き、その震える背中をさする。いつの間にか、私の目頭も熱くなっていた。

「ん、ゴメンね。つい口が滑っちゃった。卑怯だよね、ゴメン。でももう大丈夫だから。これだけは信じて、私は貴女を信じてる。だから、もう安心して……セイバー」
「り……ん、凛。ありがとう……。やっぱり貴女は優しい。例え別人と判っていても、貴女はやっぱり、私の知っている凛だ。あの時と、同じ……」
「あは、なぁにそれ?」

 やっと落ち着いたか、腕を離して顔を上げるアルトリア。手で涙を拭いながら、まだ潤んだままの瞳で私を見つめてくる。

「私は生前にも、私の知っている貴女にこの姿で再会したんです。その時も、凛はすぐに私を理解してくれた。あの時もこんな風に、優しく抱き締めてくれた」
「! へえ、やるわね、その私。流石は私と想うべきかしら?」
「あはっ、そうですね。確かに流石は凛です」

 潤んだ瞳に僅かながらいつもの彼女の笑みが戻る。
 うん、やっぱり彼女は笑顔の方が似合ってる。

「そっか、なぁんだ。じゃあ私、ちゃんとセイバーを召喚出来てたのね」
「すみません。今の私はセイバーではなくソルジャーですが……わぷっ」

 私の言葉にちょっとムッとしたような、申し訳ないような複雑な表情を浮かべて反論してくるアルトリア。その仕草や表情が余りにいじらしくて、思わず抱き締めたくなった。

「あはは、判ってるってば。セイバーだろうとソルジャーだろうと、もうそんな事どうでも良いのよ! 私は、貴女を召喚できて良かったと思ってる」
「凛……」
「それに過去はどうあれ、貴女は貴女でしょうアルトリア。今一緒にいるセイバーは、もう貴女とは違う道を歩いているセイバーだもの」
「……はい」
「だったら、自分にもっと自信を持ちなさい。貴女は列記とした一人の英霊なんだから」
「はい。やっぱり貴女は聡明で賢い。貴女には私の記憶は無いけれど、私にとって貴女はかけがえの無い、大切な親友です。それだけは変わらない」
「あ、あはは。何だか面と向かってそんな風に言われると恥ずかしいわね」

 気恥ずかしさに思わず明後日の方向を向き、頬を掻いてしまう。只の照れ隠しなのは自覚している。するとアルトリアは徐にすっくと立ち上がり、一歩下がって涙を拭い姿勢を正す。どうしたのかと不思議に思っていると、彼女が口を開いた。

「改めて、誓いを此処に。私、アルトリア・コーニッシュ・ヘイワードは貴女の剣となり銃となり、時に盾となって、必ずや貴女を護ります。是はサーヴァントの契約に有らず。是は単に、私にとっての誓いです。例え主従の契約が失われようと、私は絶対に貴女を護り続ける事を、此処に誓う」
「アルトリア……そんな、本当に良いの?」

 それは、只の誓いの言葉ではなかった。彼女の言葉には魔力が込められていた。
 只でさえ霊格の高い存在である英霊の言葉だ。そこに魔力が加われば、言葉そのものが強制力を持つ“言霊”となる。それはつまり、彼女にとって契約そのものだ。

「勿論です。私は既に、貴女達をこの戦争から護りきると胸に決めて此処にいるのです!
それを己の誓いとしてこの身に刻み付ける事に、何の躊躇いがありましょう」
「……判ったわ。貴女の決意、しかと受け取ります。この戦争、絶対に勝つわよ!」
「はい! 必ずや」

 ここに、契約は成った。
 本当に信じられない……まさか私達人間なんかよりも、遙かに霊格の高い英霊から守護される契約を交わしてくれるなんて。
 こんな奇蹟、私は知らない。この先何かとんでもない不幸が襲ってくるんじゃないかと不安になりそうなくらいだ。

「おっし、それじゃ張り切って行かないとね! っと、そういえば今、何時?」
「あっ! いけないっもうすぐ六時半ですよ凛、急いで仕度を!」
「わわっ解かったわ! っと、ご免アルトリア、ベッドの上お願い!」
「判りました凛! 早く着替えて、顔を洗ってきて下さい!」

 バタバタと慌しく動き出す私達。
 慌ててパジャマを脱ぎ捨て、制服のハンガーに手を掛ける そういえば、もう一つ何か忘れているような気がしだしたのだけれど、それが何だったかが上手く思い出せない。
 制服のブラウスに袖を通しながら必死に思い出そうとするんだけど……

「え~っと、そういえば私、何か忘れてる気がするのよね……何だっけ」

 その時だ、不意にコンコンと部屋の扉をノックする音が聞こえたのは。

「凛、起きてますか。もう朝ですよ?」
「!? せ、セイバー!?」
「あ!!」

 そうだ、しまった! アルトリアと二人、互いに見合わせて固まる。
 そういえばもうセイバーは隠れている必要が無いから、普通に起きてくるんだ!

(ひょっとして今の会話、聞かれたかな!?)
(わ、判りません。私もつい、緊張が解けて警戒が疎かになってしまったので……)
(ど、どうしようか。とりあえずセイバーに貴女の名前を知られちゃ面倒よね)
(は、はい。今はどうか、今までどおりアリアと)
(オッケー!)

 その念話に要した時間、なんと〇コンマ九秒。会話と言うより、殆どアイコンタクトに近い意思疎通だった。

「あ、セイバー? おはよー。ちょっと待って今仕度してるトコなの、今開けるわねー」
「あ、いえ。仕度の途中でしたらけっこ……」

 そう声を上げ、ガチャリと扉を開けると困惑したセイバーの顔があった。

「す、すみません。お手間を取らせる気は無かったのですが」
「いいわよ。どうせ藤村先生に起こすよう頼まれたんでしょ?」
「はい。でも何事もなくて良かった。タイガが心配されていましたよ。アリアの事も。朝起きたら彼女の姿が有りませんでしたから」

 あ、そういえばアリアもあの時は一緒に寝るフリだけしてたっけ。

「あはは、御免なさい。今朝ちょっと凛に呼ばれて、皆を起こしちゃ悪いと思いまして」
「もう、気配まで消して抜け出すなんて。朝貴女がいない事を知って慌てたタイガを誤魔化すの、苦労したのですよ、姉上?」
「ご、御免なさいセイバー」

 少々ご立腹なのか、彼女にしては珍しく嫌味の篭った皮肉を口にするセイバー。腰に手を当て、ちょっと拗ねたように頬を膨らませて自己主張をしている。
 そんなに大変な事態になっていたのだろうか藤村先生……? じろりと半眼で睨まれるアリアは困ったように乾いた笑みのまま謝るほか無かった。

「それで、昨日は一体何処に、何しに行っていたんです?」
「えっ? あ~、あはは……ばれてました?」
「と・う・ぜ・ん・です。第一、夕食前の会話から既に貴女達が昨晩何か行動を起こす事は予想出来ていましたから」
「あらら、バレバレだったみたいよーアリア?」

 うっわ~、やっぱりアリアの元なだけはあるわね。結構鋭いじゃない。

「あはは。それじゃあ、あの時は狸寝入りしてたんですね」
「そういうことになりますね。さあ、納得の行く説明を頂きましょうか、姉上様?」
「あはは……言葉に棘がありますよぉセイバー。ちゃんと説明しますから機嫌を直してくださいな」
「まったく、お願いしますよアリア。あんまり妹役に心配させないで下さい」
「はぁい。御免なさいねセイバー」
「わっ!? ちょっと、アリアッ! 苦しいですっ」

 拗ねた態度が妙に小動物っぽくて可愛らしかったからか、それとも反撃のつもりか、アリアがセイバーをむぎゅっとその胸に抱き寄せる。
 セイバーの態度は普段と何ら変わらない。どうやら、セイバーにはアリアの正体はバレずに済んだようだ。ほっと、胸中で胸を撫で下ろす。
 因みに、私達はそのままセイバーの質問攻めに遭い、私の仕度が更に遅れてしまったのは言うまでも無い。


**************************************************************


 時計の針が七時まで残り十五分弱だと伝えている。
 朝食の用意はもう出来ているというのに、まだ座卓の前には大慌てで飯を掻っ込む虎しか居ないのは何故だろう。
 遠坂達は一体何をしているのだろうか?

「あいつら、遅いなあ。早く食べないと遅刻するぞ」
「はぐはぐ、ん~、ぼーひはのはひらね~? はぐもぐ、へいはーひゃんひあいあふぁん
ふぉはがひへひへっへふぁのんふぁんふぁへど」
「こぉら藤ねえ、食べるか喋るかどっちかにしろ。ったく」

 まったく、そこらじゅうに食べカス撒き散らすなってんだ。一応は女だろ、藤ねえ。

「んぐっんっん、ぷはっ。セイバーちゃんにアリアさんを探してきてって頼んだんだけど、それから誰も戻って来ないのよね~。セイバーちゃんは姉上なら心配はないって言ってたけど、やっぱりちょっと心配になってきちゃうかな」
「ちょっと見てこようか? 多分、遠坂の部屋だと思う」
「あ、乙女の部屋に無断で入っちゃダメよ士郎!? ちゃんとノックする事ー」
「判ってるよ! 人をケダモノみたいに言うな!!」

 そんな実りの無いやりとりを終らせてさっさと襖に手を掛けようとすると、襖の方が勝手に開いた。

「あら、おはよう衛宮くん」
「うぉわっと、遠坂!? 遅かったじゃないか」
「御免なさい士郎君。ちょっと話し込んでしまって」
「め、面目無い、シロウ」

 勿論襖は勝手に開いたりはしない。襖を開けたのは丁度探しに行こうとした面子だった。
 普段と何ら変わらぬ調子で猫かぶりモードの遠坂に、相変わらず苦労性なアリア。
 セイバーはといえば、何やらばつが悪そうな顔で小さく後ろに隠れている。

「あ、ああ。如何したんだセイバー?」
「いえ、その……遅らせてしまったのは私に責任が……申し訳ない」
「あっ、セイバーちゃんご苦労さま。よかった、アリアさんもちゃんと居るわね? よしよし。それじゃ、全員ちゃんと確認出来たし、時間無いから私はもう行くわね士郎ぅー」

 居間に現れた三人を確認して藤ねえが席を立つ。
 いつの間にかもう食べ終わっていたらしい。

「ん、ああ。急ぐのは良いが気をつけろよー」
「まっかせなさーい。遠坂さんも士郎も遅刻しちゃダメよー? じゃ、悪いけど留守番お願いねセイバーちゃん達。いってきまーす!」
「いってらっしゃいませ大河さん」
「あっと、お気をつけてタイガ」

 セイバー達が返事を返すがその頃には虎は猛スピードで玄関を飛び出していた。

「いってらっしゃ……って、あらもう行っちゃったわ。突風みたいな人ね藤村先生って」
「ははは。タイミングを逃したな遠坂。まあそのうち慣れるさ」

 慣れた方が幸か不幸なのかは、この際考えないでおく。

「それはそうと、早く食べないと本当に遅刻するぞ?」
「そうね、軽く手早く済ませるわ」

 そう言うと遠坂達は足早に席に着き、急ぎの朝食となった。
 今朝の朝食は何としても遠坂を見返して遣りたくて腕を振るったのだが、急ぎだった事もあり、碌に味わってくれなかった事を付け足しておく。
 まったく、今日も朝からなんだってこんなに騒がしいんだか。そんな憂鬱な気分を雀の声に幾らか和らげられながら、俺達は家の門を後にした。



[1071] Fate/Liberating Night her codename is “Soldier” vol.18
Name: G3104@the rookie writer◆21666917 ID:1eb0ed82
Date: 2008/01/27 01:57
 新春の芽が次第に葉となる如月の澄んだ青空の下、坂道には次第に学生が多く見受けられるようになる。通学路を歩く士郎達の後ろについて歩く事約三十分。不思議にあたりをキョロキョロと見回す不審な我が主に見かねて士郎が問いかける。

「如何したんだよ、遠坂。何か様子が変だぞ、お前?」
「えっ!? やっぱり何処かヘン、私? おかしいなあ、今朝は時間無かったけど、それでもちゃんとブローしたし、制服だって皺一つ無い筈なのに……ああもうっひょっとして夢見が悪かったからクマでも出来てるってワケ!?」
「なんでそこで怒鳴るんだ。っていうか何でソッチを見てるんだ、誰もいないだろ」

 何やらキッと睨まれてしまった。そんな夢の内容まで私に責任は持てないのですが。

「なんでって、ソコにアリアがいるからよ」
「なんでアリアが関係あるんだよ?」
「別に良いでしょ、コッチの事情よ」

 はあ、何だか私のせいにされてしまったようだ。全く見当違いなのですが。
 丁度通路の角に入って周囲の眼が私達から外れたので、この一瞬を逃さず実体化する。

「あの~、別に凛は何処もおかしくないですよ」
「ちょっと、実体化して見られてないでしょうね!?」

 凛が小声で慌てたようにそう問い詰めてくる。

「ご心配なく、そんなヘマしません」
「ん、確かに周りは誰も気付いてないな」
「凛は周りから妙に視線を感じるので、自分が何処かおかしいのでは……と思われたのでしょう?」
「そうだけど、違うの?」
「それは士郎君に聞いてみれば解かりますよ」
「どういう事?」
「ん? 別に遠坂の格好におかしいトコなんて無いぞ。っていうか、別にクマぐらい大した事じゃないから気にするな」
「何失礼な事言ってるのよこの頓珍漢。女ってのは生まれた時から身だしなみは気にするモノなの! ああもう、せめて外見だけは完璧でいようって頑張ってきたのに!!」

 しまった、火に油だった。私としたことが失策だったようだ。

「ああ、ですから違うんですって。もう、士郎君も鈍すぎるのは考え物ですよ。凛は何処もおかしくありません。周囲に見られていたのは、士郎君が一緒だからですよ」
「ああ、だな」
「えっなによソレ? その程度の事でこんな扱い受けるわけ? ……侮れないわね学校生活って。十年も続けてれば学生なんてマスターしたものと思ってたけど、まだ謎は残ってたのね。私が甘かったか」

 腕組みしてうーむと考え込んでしまった主を見て士郎と二人、顔を見合わせる。

「……そんな大したものかな?」
「あはは、さあ……?」

 不思議そうに首を捻る士郎だが、残念ながら我が主には、その疑問の理由は恐らく解からないでしょう。凛ってそういう人ですから。




第十八話「召喚者は再び槍兵と遭遇し、兵士は己が願望と出逢う」




 通学路を歩きながら、凛はまだブツブツと自分の世界に篭って考え続けている。それを不思議そうに眺めながら士郎が小声で尋ねてくる。

「解からんヤツだな、遠坂が誰かと歩いてたら、騒ぎになるに決まってるじゃないか。それが男子生徒なら尚の事だ。だろ、アリア?」
「あはは、凛ってその手の事には意外と疎いんですよねぇ。大物というか何というか」
「大物か、納得……」

 そんな事を小声で話しているうちに校門に着いてしまった。
 門の手前、道を挟んで手前の道路脇に来たところで塀の影に寄りかたまる。

「凛……」
「ええ、そうね」
「何だよ。如何したんだ二人とも?」

 私達の態度に士郎が怪訝な顔で問いかけてくる。

「士郎、一つ教えておくわ。今この学校には、敵の罠が仕掛けられてるの」
「何、だって……ワナ? ワナってあの罠か!?」
「そうです。ただし、それは私達に対しての物ではありません。仕掛けられているモノはいわゆる結界。それも発動すれば、中に取り込まれた人間全てを溶解して、その血肉を丸ごと魔力として吸収してしまうという、恐ろしい代物です。大きさは丁度、学校の敷地全てをスッポリと包んでいます。発動したら、学校内の人間は一人残らず吸収される」
「なっ……! なんだよソレ……止めなきゃ、ソレを解除する方法は無いのか!?」

 士郎が血相を変えて問い詰めてくる。
 私としても辛い。自分には結界を解除する術は無いのだから。
 ……そう、結界の主、ライダーを倒すという方法以外には。

「無理ね。私も試して見たんだけど、アレは……私達には手が付けられない。何とか結界の基点となってる呪刻を探って、結界消去の魔術で洗い流す事は出来るけど、気休め程度。術者が再びそこに魔力を通せば、たちどころに復活する。時間稼ぎにしかならない。大元、結界の張り主に解除させるか、そいつを倒す以外に根本的な解決法は無いってワケ」
「状況から考えて、結界を張ったサーヴァントのマスターは十中八九、学校内に潜伏していると考えられます」
「それってつまり、学校の関係者の中に居るってことか……」
「……そういう事になります」
「くそっ……」

 苦虫を噛み潰したように渋面を造り、悔しさを現す士郎。

「士郎君。これからの方針ですが、私達は一先ず今までどおり呪刻を探し出し、妨害工作を続けます。気休めでも、多少は完成を引き伸ばせる。出来れば貴方にも、協力をお願いしたい」
「ああ、任せてくれ。協力するよ」

 士郎は迷う事無く、彼らしい答えを返してくれた。歪であろうと、決して曲がらぬ正義感を奮い立たせて立ち向かうと決心したのだ。
 私もそろそろ、ちっぽけな拘りは捨てて実益を取らなければいけない……もう潮時だ。
 本当に人々を救いたいなら、形振りなど構ってはいられない筈なのだ。喩えどんなにそれを公平でないと、ソレを卑怯な騎士道に反する行為だと感じようが、それは感傷に過ぎないと言われれば、言い返しようはない……。それに私は既に、騎士ではない。本当に救いたい者達を救う為に、其れが足枷となるなら、かつての私を支えてきた騎士の誇りと言えど捨て去る覚悟で兵士となった筈だ! そんな私が、今更感傷だなんて……。
 それで失われる命が増えてしまったら、私は何のために此処に導かれたというのか!
 実を取る事を最善とするなら、私が取るべき答えなんて、迷い探すまでも無い。第一、この世界に導かれた時点で既に、私は狡い卑怯者と成らざるを得ないのだ……。
 そんな事は、最初から解かっていたはずだアルトリア!

 足りないのは、例え自分の誇りを捨ててでもソレを貫く勇気……。

 ははは、情けない……私はまだそんな弱く拙い覚悟しか持ちえて居なかったのか?
 そんな甘い考えで、ずっと私は幾多の戦場を戦ってきたのか……?
 その程度の覚悟であの時死地に挑み、英霊と成り果てる道を選んだか!?
 セイバーとしてあの時彼と共に戦い、自身の誇りを貫く強さを、そして最も見失ってはいけない想い、信念を取り戻した。そしてアルトリアとして、その信念の為に本当に必要なら、卑怯者の烙印を押されようと願う平安の為に己の全てを賭す覚悟、その為の術、業をひたすら身に刻んだ! それは何のためだ!?
 どんな状況でも必要なら、利用できるなら、どんな些細な物でも使い目的を果たせ。
 本当に人々を助け、護る事に繋がるのなら……一つの迷いが一つでも命を零す因果となるのなら、決して迷うなかれ!

 それが私がアルトリアとして軍属に生き、複雑怪奇な時勢、幾多の価値観が渦を巻く現代に揉まれ、考えさせられ、辿り着いた信念だった筈だ。
 それを忘れてしまったのか……私はそんなに弱かったのか……?
 違う筈でしょう、アルトリア……なら、もう迷っている訳にはいかない。……だが、ライダーの事を何時、凛に明かせるものか……。そのタイミングが中々掴めない。
 まるで得体の知れぬ、真っ暗な奈落の底のような難敵を前にしたかのような……そんな焦燥がずっと私の心をジリジリと苛んでいる。

「……アリア、どうしたの?」
「あっと、すみません。何でもないのでお気になさらないで。それじゃ、私は一端此処で失礼します」
「そうね。じゃあまたね」
「あ、そうか。ここまで来ちゃったもんな。悪いな」

 二人とも、私の言葉の意味は理解してくれたようだ。いくら何でも登校する生徒の眼がある此処で、私が霊体化する訳には行かないし、一緒について中に入る訳にも行かないのだから。ぱっと見は只の付き添い人のように装って二人から離れ、脇の路地に入って人気の無い所で零体化する。

「早く、凛に打ち明けなくては……」

 思わず、小さく呟きが漏れた。


**************************************************************


 授業終了の鐘の音が教室のスピーカーから鳴り響く。やっと昼休みになった。既に完成しつつある結界の影響だろう、既に教室内の生徒達も生気の無い顔をしている。もうあまり時間は無いな。幾つかの基点を見回り、可能なら潰していこう。

(アリア、行くわよ。士郎に断ってから、こっちに戻ってきて)
(了解しました、凛)

 士郎の護衛についていたアリアを伴って、学校中を駆けずり回る。呪刻は基本的に人目に付き難い所を選んで仕掛けられている。屋上の起点となっている呪刻然り、化学室の隣の準備室とか備品倉庫、使われなくなった空き教室など。意外なところでは階段の裏だったり、袋小路の壁とか。只の人間の眼には基点なんて見えるはずは無いので、そんな目に付きやすそうな位置でも、異常を察知できる人間は校内では私達魔術師だけだ。
 そんな事を考えながら、空き教室の中に忍び込む。鍵は魔術で開けようとしたら、先にアリアが中から開けてくれた。霊体化出来るのって便利よね。

「アイツがあんなに敏感だったのは意外だったな」

 無人の教室の中、ポツリとそんな呟きが漏れた。誰にも聞こえない筈の小さな声。だがその声に応じる声が、下から上がってくる。

「士郎君の事ですか」

 そう、実は今アリアは実体化している。此処の呪刻はちょっと厄介な場所にあって、残念ながら私の背では届かない。室内には生憎と脚立も、机さえも無かった。だからアリアが実体化して肩車をしてくれているのだ。
 勿論、周囲に誰の眼も無いから出来ること……だって制服のスカートなんだから。できれば早々に降りたいくらいである。

「うん。だって超が付きそうな程のヘッポコなのよ? 魔力の残滓さえロクに感知出来ないのに、特異点を感じる能力は並じゃないなんて。人間、何に秀でているか判んないもんだわ。とりあえず分担して探せば学校中の基点を見つけ出せそうだし、助かるけどね」

 そう愚痴りながら空き教室にある呪刻に結界消去の効果を持った魔力を注ぎ込む為、左腕の魔術刻印を起動させる。アリアは丁度その時別れていて、後から合流してきたので、その時の詳細は知らないだろうけれど。
 士郎はなんと、この結界を“異常”として感知出来たのである。士郎は魔術師としてはお世辞にも才能があるとは言い難い。だけどただ一つ、投影魔術だけは、それこそ封印指定を受けてもおかしくない程抜きん出た資質を持っている。
 投影魔術とは、言ってしまえば世界の中に己の幻想で存在しない筈の“モノ”を捏造してしまう禁忌の術だ。作り出す“モノ”とは自身の幻想を具現する小さな「閉じた世界」だと捉えることが出来る。つまり、士郎は己の閉じた世界をこの世界に作り出すことが出来る魔術師。だから世界の異常に対しては認知力が人並み外れて高いのかもしれない。
 そんな事を考えていたせいだろうか。呪刻に結界消去の魔術を流し込みながら、つい口から本音が零れ落ちる。

「まったく、とんだ規格外もいたものだわ」
「ははは……。私からすれば、貴女の才能も十分すぎるほど規格外だと思いますが」

 私を担ぎ上げているアリアが困ったように笑いながらそう言ってくる。

「なによ、ソレ。原因はよく判んなかったけど、大事故の傷が勝手に治った貴女は規格外じゃないってワケ?」
「あ、あはは……アレはその、特異体質と言いましょうか、私の持つ宝具の力でして……それはともかく、私の魔力値や技量は人並み以下でしたので……」
「じゃあ何、貴女生まれ持って宝具を持っていたの!?」
「は、はあ。そういう事になりますね、はい」

 なにやら及び腰に肯定してくる足の下のアリア。自分が常識外れも良いところなのは解かっているのだろう。

「なによそれ、そんなの古代の神々か名立たる英雄ぐらいの物よ?」
「あはは。私一応、セイバーの生まれ変わりなんですけど」
「そ、ソレは解かってるけど……!!」

 べ、別に忘れていたワケじゃないわよ? うん、ただちょっとうっかりしていただけ!

「じゃあ、セイバーも貴女と同じように肉体を再生する宝具を持ってるの?」
「それは――――っ!? 凛、ちょっとすいません!」
「えっ何? きゃっ!」

 唐突に降ろされて着地に失敗し、バランスを崩しかける。もー、何だって言うのよアリアってば。当のアリアはといえば窓に張り付き、外を凝視していた。

「凛! ちょっと来て下さい、あれを!」
「何なのよ一体……」

 誘われるまま窓の側に駆け寄ると、アリアが校庭の一角を指し示す。
 そこに居たのは、間桐慎二について校門の外へ出ようとしている士郎の姿だった。

「え、ちょっと何やってるのよアイツ?」
「凛、今彼を一人で外に出すのは危険です!」
「判ってる、こっちは一人でも平気だから直ぐ追ってアリア! 士郎を護衛しなさい!!」
「はいっ!! っと、そうだ、凛。これを!」

 勢い良く返事を残し飛び出そうとして、彼女は急に思い留まった。うっすらと消えかけていた背中に存在感が戻る。アリアは即座に振り返って、私の手に何かを預けてくる。それは小さな銃と、穴ぼこだらけの変わった形をした小型のスプレー缶みたいな物。

「何、これ?」
「デリンジャーという携行用ピストルとフラッシュバンです」
「ちょっとアリア、私に銃を持てっていうの? 私は魔術師よ、近代兵器の力になんて頼らなくったって何とかして見せる自信はあるわ!」

 魔術師としてのプライドが銃というモノを拒む。私達魔術師という人種は皆そうだ。だけどアリアは真摯な眼差しで食い下がる。

「凛、それはあくまで敵が同じ魔術師、ないし人の領域であればそうでしょう。ですが今は聖杯戦争です。たとえ対魔力の高いサーヴァントが相手でも、私の銃ならば効果もある。このデリンジャーは小さい分かなり扱い難く、たった二発しか撃てませんが、無いよりは良い。これなら隠し持つ事も容易です。フラッシュバンは音と閃光で敵の目を眩ます物。ピンを抜いて四秒以内に放って下さい。これはあくまで私が離れる間の保険であり、使うとしたらそれは最後の手段です。ですからお願いです、持っていて下さい。それはずっと実体化させておきますから!」
「わ、判ったわよ」

 ついに根負ける。アリアの言い分に非は無いのだから、仕方が無い。私が大人しく受け取ると、彼女はすぐに霊体となり三階の窓を飛び抜け、士郎の護衛に向かう。彼女が付いていれば、余程の相手でも現れない限り大丈夫だろう。
 そう結論付けて、制服のポケットに彼女から受け取った銃と手投げ弾を突っ込んで教室を出る。 私ものんびりなんてしていられない。昼休みが終るまでに潰せるだけの呪刻を潰しておかなければ!

「まったく、面倒を増やしてくれるわねあのバカ!!」

 途中、私の声が聞こえた男子生徒達が私を見て、すぐ見て見ぬフリをしたような気がするが気にしない、構ってなんかいられない。アリアが居ない以上、私は敵サーヴァントに遭遇したら丸腰も同然なんだから、周囲に最大限の注意を払わなきゃいけないのよ。まったくもう、余計な手間を掛けさせてくれる!
 その後二つの呪刻を消し飛ばす。もうそろそろ昼休みも終わりが近づいてきた。

「あと十分か、急がなきゃ」

 足早に階段へと向かい、屋上へと駆け上がる。もう昼休みも残り僅かしかない以上、後は屋上しか今潰せそうなポイントは無い。

「屋上に人は、居ないわね!? よしっ」

 さっさと此処の呪刻を洗い流してしまおう。一見何も無いように見えるコンクリート床の一角へと移動する。この結界の起点となっている呪刻の場所まで来て、私は突然に言い様の無い嫌な感覚に囚われた。そう、此処は忘れられない。
 三日前、私達が初めて敵のサーヴァントに遭遇した場所だ。そして、初めて戦闘を経験した場所でもある。あの蒼い槍使いの英霊、ランサーと。
 ……だから如何したっていうの。ランサーとの決着は付いてないとはいえ、今はまだ昼間、サーヴァントに襲われる可能性は低い筈だ。そう自分に言い聞かせる。だが、強情な本能が何かを警戒しているのか、ジリジリと嫌な焦燥感は消えてくれない。
 
「さて、ちゃっちゃと始めますか。何だか、嫌な予感もするし。Anfang(セット)――!」

 前回は呪刻の魔力を消し飛ばそうとして、その直前に妨害された。でも今は誰も邪魔をする厄介者は居ない、居ない筈だ! そう強引に自らを鼓舞して、嫌な感覚を吹っ切り、魔術刻印に魔力を通す。だが、私の細やかな願いを嘲笑うように、再びその男は現れた。

「なんだよ、まだ諦めてなかったのかい嬢ちゃんよ? お前さんもご苦労なこったな」
「!? そんなっ、何でまたアンタが……!!」

 嫌な予感は、最悪の形で現実になった。そこに居たのはやはりというか、三日前に私達を妨害した蒼身の槍兵、赤き魔槍を担いだランサーだった。

 あの曇天の夜と同じ、群青を明るくしたような真っ青な戦闘服に身を包んだ槍の英霊。
 もし嘘ならそうだと言って欲しい、幻なら消えて欲しい。よりによって、アリアが側に居ないこのタイミングで遭遇するだなんて!!

「いや~、俺も昼間はトンと暇なもんでね。マスターのトコに居ても、何かと雑用押し付けられるばっかで面倒臭ぇし、何か面白い事でも無いかと飛び出してブラブラしてたんだが、そしたら嬢ちゃんがまた何かしようとしてるのが見えてな。興味が沸いただけさ」
「興味なんて全然沸いてくれなくて結構よ!」
「それより、あの物騒で別嬪な姉ちゃんはどうしたよ。お前さんマスターだろ、一緒じゃないのか?」

 ランサーは余裕綽々といった態度で、あの時同様に給水棟の上から見下ろしてくる。冗談じゃない、私だってマスターだ。幾ら絶対的な力の差で不利だろうと、舐められればそこで終わりだ。意地でも強気で押し通してやるんだから!!

「ふんっ。見ての通り、生憎と今日は別行動中でお留守よ。それが如何かした?」
「いやなに、嬢ちゃんの姿が見えたから、近くにあの姉ちゃんも居るんだろうと思っただけさ。なんせ、あの姉ちゃんとの勝負は付いてねえんだ。今度はちったあ楽しめるんじゃないかとおもったんだが……な」

 そう言いながら、背筋も凍りそうな鋭い殺気を放ちだし、此方を射抜いてくる。こんなの、アイツにとっちゃ軽く悪戯でもしてみようってだけ。怯むな、ヤツの思う壺よ!!

「生憎と、人目が多い昼間の戦闘は魔術師のルール違反よ! 相手も居ないんだし、大人しく帰りなさい。そうすれば貴方の事は見なかった事にしてあげる」

 あくまでも冷静に、強気な姿勢は崩さずに食らい付く。その姿勢のあまり些か挑発的になりすぎたか、私の目論見とは裏腹に顔面を狂喜の相に変えてゆくランサー。しまった、挑発しすぎちゃったかしら!?

「ほっ! 良いねえ良いねえ、サーヴァントも連れてない絶対的に不利な状況だってのにその負けん気の強さ! 気に入ったぜ、嬢ちゃん。お前さんは中々に大したマスターだ。腕もかなり立ちそうだしな……どうだい、ちょっくら兄さんを楽しませてくれねぇか!?」

 後悔先に立たずとは良く言ったものだ。そんなことを思う暇など無く、猫科の猛禽のようにしなやかな全身のバネで一瞬にして跳び、蒼い疾風が襲い掛かってくる。私の心臓目掛けて一直線に奔る赤い矛先。

「くっ…………! Es stärkt muskulöse Stärke(筋力強化).Es ist gros, Es ist klein(軽量,重圧)……!!、……せいっ!!」

 魔術の詠唱は間に合わない。初撃は此方も全身のバネに力を込めて全力でかわす。その勢いのまま硬いコンクリートの上を転がりながら肉体に魔術を施す。そのまま床を渾身の力で蹴り飛ばし、質量操作によって軽くなった自身の体を宙に放り投げた。

「Es macht Reaktion schnell(反射神経加速),Es ist ein Flügel des Windes(我呼ぶは風の翼)!!」

 空中で次々に魔術を掛ける。サーヴァント相手にやり合う以上、筋力を強化したぐらいじゃ駄目だ! 全身の神経の反射速度を限界まで加速させて、肉体的タイムロスを少しでも削る。そして質量操作。極限まで軽くした体は風に舞う羽根の如しだ。その自分の周囲の気流を操り、私の体は風に乗って空を滑ってゆく。

「はっ、そうでなくっちゃな! 場所を変えるか、良いぜ何処へでも案内しな!!」

 常識離れしたスピードで屋上から滑空する私に続くように跳躍する蒼い槍塀。私の姿も彼の姿も、常人の眼には只の影にしか見えないだろう。

「ちっ……やっぱりこの程度じゃ撒けないか」

 相手はサーヴァント一の俊足を誇るランサーだ。そんな事は百も承知だけど。まいったな、この修羅場、如何乗り切るか……。
 風に乗って、学校裏の雑木林に飛び込む。ランサーは如何に速いと言えど、攻撃は線だ。空間ごと根こそぎ吹っ飛ばされる訳じゃない。此処ならまだ生い茂る草木が遮蔽物となって地形的にもまだ有利に働く筈。
 質量操作を解き、柔らかい腐葉土の上に着地してすぐ様雑木の影に隠れる。少しでも対策を練る時間を稼がなきゃ。そうしているうちにも木々の向こうからドサッと何かが落下した音が聞こえる。ランサーだ。

「おいおい、今度はかくれんぼかい。まあ良いけどよ、そんなんで隠れた心算かぁ?」

 やっぱり英霊相手にはバレバレらしい。悔しいがどうしようもない。ポケットの中から取っておきのトパーズを取り出す。
 ご免アルトリア。やっぱり私一人じゃ、悔しいけどアイツには勝てないかも……ねえ、こんな時如何したら良い!? そう心が折れそうになった時だ。

(凛! 凛、如何したのです、無事ですか!?) 
(あっ、アルトリア!?)

 突然に、アリアの声が脳裏に響いた。そう、彼女は私の危機を察知して念話を送ってきたのである。

(ご無事ですか凛!? 何があったのです、そんなに辛そうな声で)
(ご免アルトリア。今こっち来られる? 最悪のケースなのよ。ランサーが襲ってきた)
(!? ランサーがですか!?)

 驚くアリア。無理も無い、私だってドッキリなら早く終わって欲しい所だ。

「おーい、見つかっちまったぞ嬢ちゃん?」
「はっ!?」

 唐突に聞こえた声の方向に目を向ける。ランサーは私の頭上、木の枝に座り込んでにやりと私を見下ろしていた。

(ヤバイッ!)
(凛!?)
「Eine Windklinge(切り裂け風の刃よ)!!」
「ぬぉっ!?」

 一小節(シングルアクション)で魔術を発動させ、トパーズに込められていた全魔力を解放する。指に挟んだ大粒のトパーズから、真空の鎌鼬が幾重も折り重なるように生み出され、圧縮された風の中に生まれた真空の刃が頭上のランサーを襲う。
 一小節とはいえ、詠唱も無しにただ魔弾として放つよりは威力も上がる。それに十年間溜め込んできた魔力は大魔術に匹敵する筈だ。少しぐらいはダメージを与えてよお願いだから!
 心ではそう願っても、常に先を予測して行動しなきゃやられる。私は即座に飛び出して雑木の間を縫ってその場を脱出し、茂みの裏に隠れて敵の様子を窺う。

「――――ぷうーっ! いやぁ効いたぜぇー今の。俺にランサーのクラス別スキルが無けりゃ、下手すりゃ殺られてたかもしれんが、残念だったな」

 先ほどまで居た木の前にザンッと着地して、軽く頭を振りながら軽口を叩くランサー。
 私の放った真空の刃で革鎧は全身ズタズタに切り裂かれ、所々には裂傷さえ与えているというのに、ヤツにダメージを与えるほどの重傷は一つも無いっていうの?
 くそっ、ヤツの対魔力スキルを侮ったか……やっぱり三大クラスは伊達じゃない!!

(凛! 状況を教えてください、サポートします)
(それより、こっちには来られないの!?)
「そうっりゃあ!!」
「くぅっ!」

 懐目掛けて飛び込み振り下ろされる赤い槍の軌道から、間一髪で横転して逃れる。落ち着いて念話してる暇も無い。立ち止まれば、即槍の餌食。そのまま起き上がりの隙を狙って繰り出される突きを、立ち上がらず後ろに身を蹴り飛ばして逃れる。強引な回避行動に受身が付いて行かない。マトモに背中を地面に強打して肺が押しつぶされる。
 くっ苦しいっ。でも止まれない……逃げなきゃ! 酸素不足のまま喘ぐ脳。でも構ってられない!

「っく、こっのぉ!」

 左腕の魔術刻印に火を燈してガンドを撃つ、撃ち放つ、ただ闇雲に撃ちまくる!! 認めたくは無いけど、私のガンドは狙いが甘い。それを最初から狙いもせず滅茶苦茶に撃ちまくってるんだからガンドが何処に飛んでいくかなんて考えちゃいない。そこらじゅうの木々、地面、草花を抉り、弾き、吹き飛ばす呪力の弾幕。
 少しでもアイツの足を止められれば良い。撃て、とにかく撃ちまくれ!!

「ぅおおっとっと! なんだよ今度は闇雲かぁ? もうちょっと気の利いた手を見せてくれよな!」

 忘れていた訳じゃ無いが、アイツには矢避けの加護があるんだっけ。ちぃっ、私のガンドも矢の内に入るってワケか……厄介ねまったく!

(凛、五感を共有して下さい。此方で状況を把握します!)
(判ったわ、っとぉっ!? あっぶな……!)

 ランサーの槍を辛くも避け、後転しながら詠唱を開始する。

「Es teilt einen Sinn(祖は感覚を共有せん)!」

 その直後、私とアリアの感覚は共有、知覚され、脳が送り込まれる余りの情報量に一瞬悲鳴を上げる。目の前の光景がほんの一瞬真っ白に光り、視界が歪み元に戻る。いわゆるフラッシュアウトという現象に近いだろうか。
 バッと立ち上がってランサーを睨む。幸い、回避行動で動いている最中でよかった。立ち止まっていたら間違いなく致命的な隙を生んでいただろう。

(見える、アリア?)
(ええ、問題無く。確かに、これは少々厳しい……右後方避けてっ!)
「はぁっ!!」
(っとと、そうなのよ。……そっちも、ああ。確かにそれは動けないわね)
(申し訳ありません。すぐにでも貴女に報告すべきでした。左、側転、屈んで、右に飛んで! 上体左そらし! 前方飛び込め! 直ぐ右四十五度ジャンプ!! 後方七メートル先、木々の間に逃げ込んで三角跳びで後方に撤退! 今の貴女の脚力なら出来る筈です!)
(オッケー! 今は貴女の指揮に命を預けるわ、頼むわよアリア!!)
(はい!)
「ほっ!? 急に動きが良くなったじゃねえか。そうそう、本気でかかって来い。俺を楽しませてくれよ!?」
「っ、好き勝手言って……」

 アリアの指示は的確で、紙一重でも確実にランサーの攻撃を避けられるようになってきた。先程までよりも、遙かに私には余裕がある。

(凛、此方の敵はライダーです。彼女は、今の所は間桐慎二のサーヴァントとして、彼に従っています。屈んで後方跳び!)
(そのようね。今貴女を士郎から離したら、おっと! ライダーは士郎を愚かなマスターと見透かして襲いかねない)
(ええ、迂闊でした。右後方から上段、側転して逃げて! まだ私がライダーに察知されていなれば、話は違ったかもしれませんが)

 確かに、最初からアリアの気配を悟られなければ、有り得ない例だと思うだろうが、元から連れていないマスターだと思い、ライダーも一先ずは様子を見たかもしれない。だが既にアリアの存在を知られた今は、向こうにしてみればアリアを士郎のサーヴァントだと思っただろう。そんな状況下でアリアを戻らせればどうなるか。ライダーから見れば、突然己のサーヴァントに逃げられたマスターだと思われる……そうなったら、考えるまでも無く士郎の身に危険が及ぶ。

(仕方ないわよ。うわっと! そこまで先読み出来たら誰も苦労は無いわ)
(右に、左に、後ろ跳び! 転がってすぐ横転! 前飛び込んで前転! いいえ、これは私のミスです)
(なんで?)
(それは後でまた。先程からどうも妙に思っていた。貴女もでしょう?)
(ええ、アイツ、実力を貴女との時の三割も出してない)
(そうです。彼にとって、これは只の余興、遊びに過ぎないようです)
(舐めてくれちゃって、くそう。それでも精一杯だってのが腹立つっ!)

 今だって、此方がバテない様、要所要所であからさまに手を抜いて、此方が呼吸を整える時間を与えてくれている。時折満足に念話出来ているのはヤツがワザと隙を作っているからだ。明らかに私の力量に合わせて手を抜いている。

(そういえばアイツ、最初から“俺を楽しませてくれ”って言ってたのよね。妙だと思ったのよ、最初っからアイツ、私の目で追えるスピードしか出さなかったんだもの)
(それに今はまだ真昼間……魔術師のセオリーではないですね。彼の独断でしょうか)
(どうもそうみたい。真偽は知らないけど、アイツ自身がそういってたから)

 今までの経過を振り返ってそう伝える。するとアリアはふむ、と何かに確信したように答えてくる。

(成る程、活路は見出せそうだ。凛、どうやら彼の目的は貴女と遊ぶ事です。余りにフラストレーションが溜まったのか、ちょっとした息抜きの相手に、運悪く貴女が選ばれてしまったようです)
(そういや、なんかそんな事言ってたわねえ。つまらないとかどうとか……ったく! 冗談じゃないわよ!!)
(ともかく、そうならこの戦闘を終らせる方法は、彼を納得させるだけの一撃、この試合で一本を取る事です!)

「そうら、ボサッとしてる暇はねえぞっ」

 休憩時間は終わりだと言わんばかりに大きく跳躍して大振りを見舞ってくるライダー。

「くっ!!」
(側転で回避、直ぐに跳躍して木の間で三角跳び! ひとまずもう少し粘って!)
(判った!)

 アリアの思惑はすぐに解かった。一先ず作戦を立てる為にも、それを私に伝える為にも、
もう一度小休止をはさむまでとにかく逃げろという事。アリアはとっくに何か手立てを考え付いている筈だ。けれど、それを私に伝える為の暇が無い。こうしている間にもアリアはずっと私に次の手を指示し続けてくれているのだ。
 アリアがランサーの動きから先を読み、常に私が対応出来るよう指示をくれる。だから動ける。これがアリア自身なら、きっとこんな動きはしないで、私が今まで目にしてきたような彼女の戦い方……もっと効率的に避け、すり抜けるように受け流したり、跳ね返したり、反撃だって出来る筈。でもそんな達人の身のこなしや戦闘技術の機微は、念話とはいえ、簡単に口頭で伝えられるような物じゃない。

(一気に後方三十メートル跳んですぐ右九十度側転! 木の幹に隠れて屈め! 飛び出して彼の足元にガンド連射で煙幕! 後ろの木で反対側に跳ぶ!!)

 だからアリアは私の魔術で強化した身体能力に合わせて、もっとも動き回りやすいように指示を出してくれている。とにかく立ち止まらない、単調なパターンを踏まない。基本に忠実ながら、時折博打に出るような、無茶っぽい機動を巧みに織り交ぜ敵を攪乱する。

「せいやぁっ!」
「ふっ!!」

 赤い矛先が空を切り頚動脈に迫る。それを先に予測して私に右後方四十五度跳べと指示が飛び、難なくかわす事に成功する。

「とぅりゃあ、せい!!」
「はっせっ!!」

 跳んだ先に追撃の突きと横薙ぎ、それもまた予測された指示に従って上体を捻り、そのまま倒れこむように横っ飛びで回避する。私に矛先が触れた事はまだ一度も無い。 
 これが、前世をセイバーとして生き、来世で特殊部隊の猛者として生きた、戦場の賢者が持つ叡智。……頼もしい。これほどまでに頼もしいと思った事があったろうか。今この場に彼女は居ないのに。負けられない、絶対に! これほどの英雄が私に力を貸してくれているのだから!!

「へへっやるじゃねえか嬢ちゃん。中々大した身のこなしだぜ? 若いのに大したもんだ」
「それはどうも。煽てるくらいならここらでお開きにして欲しいんだけど」
「へっ、そういうなよ。そうだな、嬢ちゃんが俺に一撃でもクリーンヒットを見舞えれば嬢ちゃんの勝ちにしてやるよ。そこでゲームオーバーだ。大人しく帰るさ」
「! 言ったわね!? その言葉、絶対に約束しなさいよランサー!!」
「あったりまえだ。俺を誰だと思ってる、騎士の誇りに誓って二言は無ぇ!!」

 ようやくこの性質の悪い遊びに終止符が打たれる保証を得た!

(ケリをつけるわよアリア、作戦は?)
(凛、私が渡した銃とフラッシュバンはありますね?)
(あるわ。どうするの?)
(私の銃は現状で彼に対して唯一有効な攻撃力です。ですが、その銃はトリガーが重く、しかも握り難い上弾薬は強力な357マグナム。その小さなグリップでは反動が強すぎて素人にはかなり扱い辛い。至近距離まで接近しなければまず当てられないでしょう)
(なによそれっメチャメチャ使えないじゃないのよ!?)
(本当はもっと扱いやすい低威力の弾薬が相場なんですが、サーヴァントを相手にした場合を考えると、最低でも357マグナム位の威力は必要なんです! 私の45口径をあれだけ手足に食らっても逃げ延びたランサーのような相手には特に!!)

 確かに、あの時アリアはアイツの肘、膝を連続で撃ち抜いたのにそれでも倒れなかった。

(それじゃ、どうやって近づくの?)
(そこで、フラッシュバンが役に立ちます。それは音響閃光手榴弾と言う物で、轟音と強い閃光で敵の戦意を奪う為の物。ですが彼はその存在を知らない。流石に名立たる英雄である彼から戦意を奪う事は出来ないでしょうが、目眩ましの効果は十分に期待できる)
(解かった、その隙に接近してコレを心臓に撃ち込めば良いのね)
(その銃はシングルアクションです。撃つ時は必ず親指でハンマーを起こしてから、トリガーを引いて下さい。チャンスは一度、弾は二発だけです)
(判ったわ。やってやろうじゃないの)

 作戦は決まった。後は、アリアの指揮に全てを託す。眼前の蒼い槍兵はずしりと腰を落として構え、涼しい笑みに獰猛な闘志を滾らせた瞳で此方が仕掛けるのを待っている。

「さあ、いつでもいいぜ。来な?」

 ピリッと張り詰めた空気があたりを支配する。デリンジャーとフラッシュバンを取り出そうと制服の腰ポケットに手を伸ばそうとした時だ。

(待って、まだ早い。凛、全力でまずはランサーの周囲を駆け巡るんです)
(解かった!)
「!」

 ランサーの目が驚喜に輝く。意を決して足に力を込め、一気に駆け出した。

(ガンド威嚇掃射! 反撃が来る前転! 再びガンド掃射しながら旋回、横方向だけじゃ駄目だ。時折ジャンプや樹木で三角跳びして立体的に展開!)

 バババ……とまるで機銃の如く連射を続けながらひたすら駆け回り、飛び、跳ねる。

「ちっ。てんで痛くも痒くもないが、ちと煩いな」
(横転!斜め後方っ!! 右手の木を使って三角跳び距離を取れ!)
「くっあ!」

 それまでグルリと回っていた慣性に逆らって強引に飛ぶ。丁度今居た場所を赤い矛が突き抜けた。間一髪だ。着地して直ぐに木を蹴り飛ばし宙を舞う。

「ちぃ、勘が良いぜまったく!」

(次いで魔術、ランサーの足と右手を氷結で封じて、周囲に旋風!)
「Es ist ein Gefängnis des Eises(祖は氷の牢獄),Es ist ein Tornado(祖は逆巻く竜の息吹)!」
「だから俺にその程度の魔術は効かねえって!!」

 轟々と吹き荒ぶ暴風の中からランサーが吼えるとおり、氷結の魔術はランサーの手足に当たった瞬間、無効化されてしまう。竜巻は周囲の土砂や小石、枯れ落ちた枝葉等を猛烈に巻き上げ、もうもうと盛大な土煙を上げる。竜巻の外に居るこっちでさえ目を開けてるのが辛いくらい。猛烈な土煙で視界を遮る風の壁。
 ランサーからも此方の動きは殆ど掴めないだろう。それと同時に、迂闊に動けば竜巻の強い遠心力に揉まれ、姿勢を崩される。中心にいるランサーは私の挙動に対し万全の体制を崩すわけに行かないから、その場にしがみ付いて動かない手を取るだろう。
 そう、この竜巻はヤツの足をその場に縛り付ける為の物であり、同時に此方の手を隠す為の偽装工作の役目も兼ねている。

(やはり凍らせるのは無理か、構いません。凛、デリンジャーを。彼の手前四メートルにフラッシュバンを投入! 竜巻が弱まる機を見計らい、ガンド掃射でランサーの注意を引いきつつ同時に竜巻の勢いに負けぬよう、強化した筋力で思いっきり地面に投げ付けて!)
(オッケー!)

 ポケットから取り出したデリンジャーを片手に、フラッシュバンの頭に付いているピンの輪っかに指を引っ掛けて一気に引き抜く。そして思いっきり高く飛び……。

「三、二、それぇいっ!!」

 右腕を後ろに引き絞る間、左手の指先からガンドの雨を降らしながら、ソレを思いっきり投げつける。フラッシュバンは手を離れた直後に頭のレバーが外れ、一直線に竜巻の風の壁を突き抜け、地面に突き刺さった。着地と同時に目を瞑り耳を塞ぎ、全力でランサー目掛けてダッシュする!!

「猪口才な……ん、今のは?」
「一っ、行っけえ!!」

 その瞬間、世界が揺れた。目を瞑っているのに視界は焼けるように明るい。耳を塞いだ手を貫き鼓膜を劈く激しい轟音、何より激しい音の波が直接心臓を殴りつける。
 その衝撃と同時にドン! と地を蹴り、姿勢を低くしてその一瞬、私は風になる。強化で引き出した可能な限りの瞬発力での特攻。閉じた瞼を紅く照らす眩い閃光の中に迷わず身を投じた。

「ぐあっ畜生!!」
(今だ、そのままスライディング!!)

 轟音の余韻が消えるのも待たず両手でデリンジャーを構え、目を閉じたまま、相手との距離も判らぬまま言われた通りに滑り込む。それは正解だったとその直後に気付く。目を開けると、私の頭上にランサーの槍が振り下ろされ、矛先が頭の上数センチの地面を抉っていたのだ。私は丁度ランサーの股下に滑り込む形で飛び込んだのである。
 恐るべきは視聴覚を奪われた筈なのに、勘だけで私目掛けて槍を振り下ろしたランサーか、それとも声だけでランサーとの距離感を把握していたアリアだろうか。
 そのままでは慣性でずるりと抜けてしまう、咄嗟に足でブレーキをかける。此処が一番のゼロ距離射撃位置!

(今です凛! 狙うは中心、撃て!!)
「チェックメイッ!!」

 両手で構えたデリンジャーをがら空きになったランサーの胴に突き出し、ハンマーを左手の親指で起こしてトリガーを引く。ただがむしゃらにその工程を繰り返した!
 パーンともダァーンともつかない耳障りな甲高い騒音が二度耳を貫き、右手がジンジンと痺れる様に痛む。こっコレ、マジでシャレにならないくらい痛いわよアリア!!

「くっ痛ぅ!」
「っ…………ガハッ!?」

 目の前に現れた一瞬の火球と硝煙。その煙が消え去った後には、驚愕の顔で自らの腹と右胸に空いた風穴から血を噴出し、口から血反吐を吐き出すランサーだった。

「!? 致命傷……じゃ、ない!!」
(拙いっ私、殺られる!?)
(待って凛、落ち着いて、大丈夫です!)

 余りのショックに、体が硬直して動けない。今ヤツが槍を突き降ろしたら、私には避けられない!

「痛っつう、くっ……はは、は。やるじゃ、ねえか嬢ちゃん……。まさか、あの姉ちゃんの武器を持ってるとは、思わなかったぜ」

 ぐらりとバランスを崩しながら、よろよろと後退るランサー。ぜえはあと荒い息で、そのダメージが結構な物だった事に気付く。そこでようやく体の金縛りが解けた。緊張から解放された体は力が抜けてしまって、私も同じようによろよろとしか立ち上がれない。

「どう? ちゃんと一撃、食らわせたわよ。満足いったかしら、ランサー?」
「ああ、上出来だ。上出来すぎて、高くついた遊びになっちまったよ。いやまったく、これならもうちょっと手加減するんじゃなかったな」
(おかげで此方は助かりましたよ)
(まったくね)

 命中した箇所からして、肺に穴が開いている筈だ。さぞ苦しいだろうに、それでも格好をつけてニイッと引き攣った笑みを浮かべて笑うランサー。

「その慢心が貴方の敗因ね。私にはね、戦の女神様がついてくれてたのよ」
「あの姉ちゃん、まさかアテナ神だってのかい?」
「まさか。でも、私にとってはそうかもね」
(凛……)
(あはは、まあ良いじゃない。褒め言葉なんだから)
(り、凛っ……)
(あは、照れなくてもいいのに)
「ははっ。そうか、途中からの動きは……成る程な。全く、とんでもねえ嬢ちゃん達だ」

 そう言いながら、手近の雑木に持たれかかり治癒のルーンを刻むランサー。彼の体を魔術の光が包み、徐々にだがその傷が直り始める。

「それじゃあ、この勝負、私の勝ちね?」
「ああ、お前さん達の勝利だ。英雄に二言は無え。さっさと行きな。俺もマスターにこの事がバレちまった。すぐに帰って来いとどやされてる。こりゃあ、大目玉だな」
「あ~あ、お気の毒様。こんなバカな事するからよ。反省なさい」
「ハッ、ちげぇねえ。まあ良いさ、今日は中々に楽しめた。あんがとよ」

 そう軽口を言うや、クイッと顎で学校の方を指し示してからヒラヒラと手を振り、さっさと行けとジェスチャーするランサー。
 見れば、こちらでの轟音や異常な竜巻が人目に触れたせいだろう。わらわらと人の気配が近づいてくる。遠くにはパトカーのサイレンも……。

「やばっ……騒ぎになっちゃったか」
「だから言ったろ、行けって」
「判った。じゃあねランサー。次はこんなのじゃなく、真っ当な戦い方で来てよね!?」
「ああ、騎士の名に賭けて約束するさ! あの姉ちゃんに宜しく言っといてくれ、今度はサシでやろうぜってよ!」

 その言葉を聞き届け、私は雑木林をぐるっと回るようにして人目を逃れ、学校に戻った。


**************************************************************


 凛のサポートを無事終えた頃には、此方の話し合いもほぼ終わりに近づいていた。結局最後までライダーは私にずっと静かに殺気を送って様子を見続けている。
 間桐慎二の話は、単純に手を組まないかというだけのものだった。学校の結界を否定はしていたが、この男がライダーに仕掛けさせたのは間違いないだろう。私の経験した世界と同じならば。この事は後で、ちゃんと凛に全て打ち明けなければ……。
 そんな事を思っているうちに、話は終ったようだ。ライダーが慎二に士郎を送るよう命令された為、玄関まで来る事となった。一応は警戒を強めて、士郎との間に入り彼女を牽制する。士郎はといえば、ライダーの雰囲気が苦手なのだろう。ずっと無言のままだ。
 黒衣の騎兵に付き添われながら玄関先まで出てきた所で、士郎は徐に口を開いた。当然私にではなく、敵であるライダーに向けて。

「なあ、ライダー。さっきの……アイツの話は本当なのか」
「――――――――」

 まったく、貴方は昔から楽観的というか人が好いというか……普通、敵にこんなに明け透けすぎる質問をぶつけるなど、交渉術においては落第点ものですよ。しかし、まあ……ひょっとしたら問題外すぎる反応に呆れて、気まぐれを起こさせるかもしれない。
 ライダーは真一文字に閉じた唇を微かにも開く事は無く、動いているのは風に揺れる艶やかな紫の長髪だけ。ふむ。やはり、通じないか。

「……いや、悪かった。忘れてくれ。敵に塩を贈るようなもんだよな」

 全く以ってその通りですよ士郎君。まあそんな朴訥さは貴方らしさでもある。

「見送りサンキュ」
「……嘘ではありません」

 そう言って彼が軽く手を上げ、門へと足を踏み出した時、今まで終始一言たりとも発しなかった彼女の口から意外な言葉が返ってきた。

「へっ?」
「あの山に魔女が陣取っているのは間違い有りません。挑むのならば、気をつけなさい。
あの女は男性というものを知り尽くしていますから」

 士郎自身も、答えが返ってくるとは思っていなかったのだろう。目を丸くして呆気に取られている。意外だったのは私も同じだ。

「あ、あぁ。忠告ありがとう。……っと、すまないが慎二の事を宜しく頼む。あのとおり誤解されやすいヤツだからさ、アンタが守ってやってくれると嬉しい」

 毎度の事ながら思うが、彼のお人好し加減は筋金入りだ。どうやらそう思ったのは私だけではないらしい。

「人が好いのですね、貴方は。ふふ、成る程。あのシンジが懐柔しようというのも解かります」
「え、あ……そ、そうかな」
「ええ。もし、後ろに彼女を控えさせていなかったら、私に縊り殺されても文句は言えない状況だというのに。そうでしょうセイバー」
「え!?」
「……はぁ。全くですよ。もう少し危機感という物を持って貰いたいものですが」

 話を振られては姿を表すしかない。警戒を緩めず、実体を紡ぐ。
 ライダーの言葉に、それこそ想定外だとばかりに驚く士郎。後ろ、つまり私の方に振り返ってもう一つ目を丸くする。

「あ、アリア!? な、な、なんで此処……痛ってぇ!!」
「ほいほいと敵勢力に誘拐されかけた罰です。少し反省して下さい」
(それに、彼女は私がセイバーだと勘違いしている。わざわざ私の素性を知らせる必要はありません)

 士郎がボロを出す前に耳をぐいっと口元まで引っ張ってきて、そのまま耳打ちする。

「わ、解かった。解かったから離してくれ、アリア」
「……本当にお人好しというか、間が抜けているのか。簡単に真名をばらすとは」
「ん、別にアリアは真名じゃないぞ。ただの愛称だ。セイバーなんて呼び名だと変だろ」

 その説明を何処まで信じたかは知らないが、私が言及しないでいるのを見て一応は納得したらしい。

「それにしても、貴女……セイバーというには、おかしな格好ですね」
「それはお互い様でしょう、騎兵さん? なんだったら、試してみますか」
「お、おいっ。こんな明るいうちから此処で遣りあう気か?」

 挑発的に殺気を送ってくるライダーに対し、此方も表向き乗ってやる。流石に今此処で遣り合う気は無い。昔ならばいざ知らず、今の私では喧嘩っ早さは命取りだ。
 ……それに、先ほどから何者かが屋敷に近づいてくる気配がある。

「なにやら騒がしいな、どうかしたかね」
「!?」

 こっ、この声は……まさか!
 慌てて振り返ると、門の前にはあの男が立っていた。

「! アーチャー、お早いですね。もうお戻りですか」
「え……アー、チャーって、つまりそれって?」
「ええ……サーヴァントです、士郎君」

 そう、間違いない。アーチャーのサーヴァント。
 あの浅黒く変色してしまった肌、赤みの抜けてしまった白髪の弓兵。
 私が見間違おう筈が無い。英霊『エミヤ』、正しく彼だ。

 英霊『エミヤ』……とうとう逢えた。

「まったく、他人様の居る前でその呼び方はしないで貰いたいんだが、と……むっ?」

 買い物帰りらしく、何処かの主婦の如くガサガサとスーパーのビニール袋の中身を正しながら歩み寄るアーチャー。
 まったく、相変わらずなんでしょうかね、貴方というヒトは。疲れ果て、擦り切れてもそんな所は変わらないらしい。

 あの赤い聖骸布と派手な防具では街を歩くのに目立つからだろう、今は落ち着いた黒一色のスーツに身を固め、シックなワインレッドのシングルコートで覆っている。
 誰が見立てたのかは知らないが、センスは悪くない。逆に背丈が有る分、似合いすぎて目立ちそうだから本末転倒かもしれない。
 まあ、本格的に偽装する心算でも無いのだろう。あくまでこの時代で違和感の無い服というのであれば、十分に及第点だ。
 まあ……今隣に凛が居たなら、スーツ姿の彼を見て、此処の執事かと皮肉の一つも口にするかもしれないが。

 徐に顔を上げ、士郎の姿を目にしたその瞬間、一瞬だけだが、子供にさえ解かりそうな程の殺気を顕わにした。
 相変わらず、未だに不毛な自分殺しの妄執に取り付かれているのですね、貴方は。

 ――今は如何しようも、無かろう。上手く私の経験が座に記録されれば或いは……。
 だが、今は……やるせないだろうが、我慢してくれ、アルトリア――


 わかっていますとも。だが、コレで些か事態がややこしくなりそうだ。

「初めまして、でしょうかね。アーチャー」
「そうだな……面と向かって遭った事は無かったな。遠坂凛のサーヴァントよ」
「何と……そういう事でしたか。これはしてやられました」

 はぁ、はやりバレてしまったか。

「あっちゃ……いや、まあ、悪いな。彼女は俺のサーヴァントじゃないんだ」
「私は一度も自らを“セイバー”だ、などと騙ってはいませんよ」
「ふ、成る程。そうやってランサーも煙に巻いていたか」
「鷹の眼を持つ貴方だ、やはり見ていましたか」
「当然な。ふん、変わった英雄も居たものだ。貴様、いったい何者だ?」

 おっと、これはまた、直球な問い掛けですね。思わず口端に笑みが零れてしまうではありませんか。

「ふふ。戯れを。敵に答えなど端から期待して無いでしょう?」
「まあな。どうやら食えん女傑でいらっしゃるようだ。クラス名ぐらい名乗ってもよかろうに」
「お褒めに預かり光栄です。ですが煽てても何も出ませんよ」
「なに、別に褒めてなど居ないさ。それより放っておいていいのか? さっきから後ろで小僧が固まっているぞ」

 おや、と後ろを振り返るとそこには会話に付いてこれなくなっていた士郎と、何故か隣でライダーまでもが呆気に取られたように呆け顔を晒していた。

「え、エミヤシロウ。彼女は一体何者ですか? あの慇懃無礼なアーチャーといきなり口で対等に渡り合うなんて……」
「あ、あはは……さあ? 俺にも良く解からないけど、アリアはいつもこんな感じだし」

 いつの間にそんなに仲良くなったのだろうかと思う程、二人とも反応が一緒である。本当に呆れさせられると言うか、つい半眼になりながら指摘する。

「士郎君、隣に居るのは危険な相手だと言う事を忘れていませんか」
「ふん、その未熟者に何を言っても無駄だと思うがね。しかし、これは一体どういう状況なのかね、ライダー? 何故敵と呑気に談話などしているんだ」
「なっだれが未熟者だ! そりゃあ、確かに半人前だし迂闊だったと思うけど……」

 アーチャーの罵りにカッとなって反論する士郎。だけど此処は彼の言い分は正しい。

「マスターが招待なさったんです、彼を。それで丁度今、お帰りになる所だったのです」
「士郎君は私の同盟者だ。手を出す心算なら、覚悟してもらいますよアーチャー」

 静かに視線に殺気を乗せて、警告を発する。この程度で彼が引くとも思えないが、手は打っておくに越した事は無い。

「断っておきますが、アーチャー。私は彼を丁重に門外までお送りするよう、シンジから仰せつかっています。彼は大切な客人ですので、傷一つ付けない様にと。
 私の顔に泥を塗りたいのでなければ、大人しく家に入って欲しいのですが」

 ふむ、ライダーは律儀な性格をしている。今は障害にならずに居てくれるようだ。

「成る程、状況は理解した。そう殺気立つな。私とてルールは心得ている。こんな真昼間から見境無く仕掛ける心算は無いから安心しろ。
 不愉快極まりないが、そこの小僧には危害は加えん。我がマスターからも特に厳命されているのでな」

 まったく、相手は歴としたマスターだと言うのに……。などと小さく文句を漏らしながらも、目の前のアーチャーはそう答えた。

「貴方のマスター……。やはり、貴方がたも同盟を組まれているようですね」
「別にルールに反しては無かろう? お前達とて遣っている事だ。……もっとも、私は賛成などしていないがね。主の命には逆らえんさ」
「ええ。ところで、彼女のマスターは慎二との事でしたが、貴方のマスターも此処に居るのですか?」
「む、何故そう思う?」
「だって貴方、今その買い物袋を持って、この館に入ろうとしているじゃありませんか。
ただ同盟しているだけと言うなら、何故そんな小間使いのような事をしているのです?」

 私の突っ込んだ問いにも皮肉げな表情は崩さず、人を食った態度で口を開く弓兵。

「フッ。生憎とこれは私のお節介でね。拠点にさせてもらっている間は、等価交換として家主に労働力を提供しているだけだ。確かに此処は拠点だが、主は此処には居らんよ」
「おや、それは非効率的ですね。自身を守る筈の貴方を此方に寄こして、主は一人別行動ですか。折角これほどの魔術結界を持つ拠点だというのに」
「……マスターは優秀だが、一極集中の弊害を嫌う考えの持ち主でな。一人で飛び回ってるのさ。お前達が探すのは一向に構わんが、果たして見つけられるかな?」

 不敵そうにニヤリと口端を吊り上げて笑みを浮かべる弓兵。だが、そんなブラフ、赤の他人なら騙せても私には通じませんよアーチャー。

「そうですか。まあ、そういう事にしておきましょう」
「ああ。主に挑む心算なら精々頑張る事だな」

 アーチャーは依然、憮然とした面持ちのままだったが、得られるものは得た。とりあえず今はもう、此処に長居する必要は無い。

「さて、長居は無用だ。帰りましょうか士郎君。ほらほら、早く帰らないと怖い目にあいますよ!」
「あ、ああ」

 士郎の背を押し、門へと急がせる。
 その士郎の後ろ姿を追ってアーチャーの横を通り過ぎる時、一言残してやった。

「貴方はまだ、哀れな願いを追い続けてているのですね、シロウ」
「!?」

 ふふ、きっとドキリとして、目を白黒させているでしょうね。

「き、貴様は……いや、その呼び方……。君は一体……誰だ」

 振り返ると、目を見開いたアーチャーが狼狽しきった形相で私を睨んでいた。

「ふふ。……何処か遠い時の彼方で伴侶となった、貴方の半身ですよ」
「な、に……?」

 彼は凍りついたように表情を固まらせ、その場に立ち尽くしている。
 無理も無い。きっと想像も付かなかった答えに、頭が追いついていないのだろう。

「おーい、アリアー。何してんだよ、帰るんだろー!」

 門の向こうから士郎が焦れたように呼んでくる。

「ふふっ。それでは。またお逢いしましょう」
「ちょっ……ま、まて……!」

『貴方の妄執は、必ず、私が断ち切ってみせる』

「!?」

「だから、覚悟しておいて下さいね」

 そう最後に残して、私は間桐の屋敷を後にした。



[1071] Fate/Liberating Night her codename is “Soldier” vol.19
Name: G3104@the rookie writer◆21666917 ID:1eb0ed82
Date: 2008/08/15 20:05
 空は既に日が西に傾き陽光を茜に変えようとしている昼下がり。太陽の角度や淡い小金色を帯び始めた陽光から推し測るに、午後三時を少し回った位か。
 己の左手に巻いた航空時計(クロノグラフ)を一瞥して確認する。推測に誤りは無かったようだ。手首から視線を戻し、少し後ろを歩く士郎の方を一瞥する。

「さて、どうした物でしょうかね」
「…………」

 間桐の屋敷を出てからというもの、士郎はじっと此方を見つめたまま、ただの一言も口を開かない。ずっと何かを考え込むように表情を硬くしたままだ。ひょっとして、最後のアーチャーとの遣り取りが聞こえてしまったのだろうか。だとしたら少々拙いのだが……。

「如何かされましたか、何か気になる事でも?」
「…………」

 私の言葉も聞こえていないのか、少しも気付く様子はない。

「士郎君?」
「ん? あ、ああ、ゴメン。考え事してた。すまない、何か質問されてた?」
「いえ、質問したいのは貴方の方じゃないかと。何を黙々と考え込んでいたのです?」
「ああ、うん。あのアーチャーってサーヴァントの事。何だか、アイツを目にした時、何故だか無性に気が立っちまったんだ。ムカつくというか、イラつくというか……自分でも訳判んないんだけど」

 ああ、成る程。そういうことか。良かった、あの遣り取りを聞かれた訳では無いらしい。
 確かに奇妙なものだろう、自分の未来の一つを目の前に見せられたのだから。
 現時点の自分ではどう足掻いても勝てる道理など無い、成長した未来の自分自身を目にして、心を掻き乱されない人間なんてまず居ない。
 それも、衛宮士郎にとってそれは紛う事なき自身の理想を体現した存在であれば尚更だ。
 尚且つその男自身が己の在り方を忌み憎んでいると在れば、それは士郎にとって赦せる事である筈はない。
 直接問い質した訳でも、殆ど言葉を交わしていなくとも、同質の魂であるが故か、そんな彼の認め難い在り様を、無意識化で感じ取ってしまったのだろう。

「まあ、それは無理も無い事でしょうね。貴方と彼は浅からぬ因縁が有りますから」
「え、如何いう事だソレ? アリアはヤツの事を知ってるのか?」
「ええ。アーチャーのサーヴァント。彼と直接対峙したのは今日が初めてですが」
「はあ、それって答えになって無いと思うんですが、アリアさん?」
「ええ、はぐらかしました。御免なさい」

 ぺろりと舌を出しておどけたフリをする。内容が深刻な事だから、重い空気にならない様、わざと軽く振舞ってしまうのは、如何なる心理作用によるものだったか。
 やれやれ、心理学の講習はもう少し真面目に受けておくべきだったでしょうか。

「いいけど……あんまり聞いて欲しくない事だったりする?」
「いいえ。何れ話さなければならない事ですから。……ただ、内容が内容なので、貴方に何時明かすべきか、そのタイミングが見出せなくて。……そうですね、幸い今、此処には貴方しか居ませんし、今がその時なのかもしれない……」
「それは、君の正体にも関わりがある事なのか……?」
「如何してそうだと?」
「なんとなく……そうでなければ、君が伏せたりするような情報じゃないだろ?」
「ふふ、そうですね……でもそれ以上に、貴方自身に非常に深く関わる事ですから……」
「…………」

 士郎は黙って私の目を見つめてくる。私の迷いを汲み取らんとするかのように。

――話してやっても構わんだろう。この未熟者にとってプラスとなりこそすれ、マイナスにはならん話だ。如何するかは君の好きに決めるが良い――
(……そうですね。判りました)

 私の葛藤を汲み取り、彼が鞘(アヴァロン)の中からそう語りかけてくる。この人はいつも的確に私の迷いを見抜き、助言をくれる。頼りになるお節介焼きだ。

「まあ、隠しても何の得にも成らないでしょう。でも、ソレを知る事で、貴方は絶対に衝撃を受ける事になる。受け入れがたい事かもしれない。それでも、知る事を望みますか」
「…………ああ。どんな事だろうと、俺はそれを知る必要が有る。重要な事なんだと、何故だかそんな気がするんだ」

 士郎の目を見る。恐れや怯えは微塵も無い。ただ真っ直ぐに真実を知ろうとする意志がそこに宿っていた。
 閑静な住宅街の細い路地。私達の他に人気の無い事を確認し、徐に歩を止める。

「判りました。話しましょう、彼の正体を……。彼の真名は『エミヤ』。そう、彼はエミヤシロウ。理想を貫き通した貴方の姿、貴方の行末、その一つの可能性が彼です」

 士郎にとって衝撃的過ぎるその真実を、私はただ淡々と静かに口から紡ぎ出した。




第十九話「兵士は一つの迷いに決別する」




 私が告白したその真実を聞き、顔面蒼白になりながらその場にただ立ち尽くす士郎。

「な……お、俺の!?」

 予想通りに目を見開き、打ち震える相貌。無理も無い。誰だって自分の未来を予言されれば驚き狼狽するものだ。いや、予言ならまだ良い。これは宣告も同然。明確にそうなるのだと乱暴に決め付けられたといっても過言ではない。

「ええ、貴方の未来の姿です。といっても、必ずしも貴方が彼と同じように“守護者”となるとは限りませんが」
「守護者……」
「ええ。私と同じ、霊長の抑止力。人類が破滅へと向かう時、その元凶となる全ての要因を破壊、消滅させる為の純粋な無色の力。それが私達“守護者”です」
「霊長の、抑止力……」
「そうです。英雄は、自身に奇跡を起こす力が無ければ、世界にその奇跡を請い願い力を得る。その代償として輪廻の枠から外され、死後を世界に明け渡す。そういった契約の下に英雄となった者達が守護者となる。私もそう、そして彼も。彼はそうして守護者となった貴方です。英霊となった時点で彼は貴方とは異なる存在となり、現世の時間軸からも切り離される。だから貴方が生きているこの時代だろうと関係なく、アーチャーは呼び出される。貴方とアーチャーがこの時代に同時に存在しようと、時間軸に矛盾を引き起こす時間的逆説(タイム・パラドックス)とはならないのです」

 言葉も無く、ただ俄かには信じ難いだろう説明を呆然としながら士郎は聞き続ける。
 いけない、やはり打ち明けるにはまだ時期尚早だったろうか。いきなりあのアーチャーが己の未来だなんて言われても、士郎にとっては不快でしかないだろう。
 誰であれ、自分の未来を一方的に見せ付けられるなんてそう愉快なものではない。受け入れるには時間が掛かる事だ。

「ただし、間違えないで欲しい。彼は貴方の未来の一つの可能性というだけ。今ここに居る貴方の未来を縛り付けるモノではありません!」
「あ、ああ。判ってる。うん、判ってるよ」

 呆然としながらも、私の強い口調に気を取り戻したか、気圧されながらもはっきりとした言葉が返ってくる。だが、やはりまだショックからは立ち直りきってはいないだろう。

「大丈夫ですか、顔色が優れませんよ? やっぱり、話すべきじゃ無かったでしょうか」
「いや、そんな事無いよ。アイツがそういう存在だって事は、多分、今日初めて会った時から何となく判ってた。なんていうのかな、ただ漠然と感じたというか……でも、それもアリアにちゃんと言われなきゃ、きっと理解出来なかった感覚だと思う。だから打ち明けてくれて、感謝してる」
「士郎君……」

 幾分かショックからは立ち直ってくれたようで安心する。もう伝えてしまった以上、これから先、彼が己の未来をどう望むかは判らない。私とあの日別れた貴方はあのまま、ただひたすらに理想を追い続け、遂には世界と契約まで交わし守護者となってしまった。でもソレは、守護者は貴方にとって呪縛以外の何者でもない。

――ああ、叶えようのない救い無き理想を追い求めて、永劫にその理想に裏切られ続ける、終わりの無い悪夢だ。
 奴もその妄執の果てに行き着いたこの愚かな末路を知れば、わざわざそんな地獄に自ら飛び込もうなどと思わんだろう……。いや、それでも無謀に突き進むやもしれんが。
 奴が私のように成るか否か、それは誰にも判らん――


 そうですね、と胸中で頷きながら、それでも私は想う。願わくば、彼には守護者になどなる必要の無い未来を掴み取って欲しいものだと。

「あ、でも、何で君はアイツの正体にそこまで詳しいんだ?」
「え? ああ、それはですね……」

 突然の問いに思わず口篭ってしまう。如何する、流石にアーチャーの正体を貴方自身だと明かしてしまった手前、私と彼の関係を明かせば私自身の存在に疑問が移ってしまう。

「それは……私が嘗て、この聖杯戦争を経験した人間だったからです」
「はぁ!? け、経験したって、この? 俺達が今戦ってる、この聖杯戦争をか!?」

 返答に窮し、咄嗟にそう答えた。嘘ではないが真実でもない、そんな微妙な均衡を保った綱渡りのような答え。こう答えてしまってはもうそれで貫き通すしかない。以前イリヤに対し語ったのと同じことだ。どの道、これから家に戻って、二人に私の持つ情報を明かす心算だったのだ。そうなれば必然的に、何故そんな知識を持っているのかと問い詰められる。それが早いか遅いかの違いだけだ。

「え、ええ、そうです。詳しくは後で、皆が揃ってから説明する予定だったんですが」
「え……じゃあ、アリアは他のサーヴァントやマスターの事も知っているっていうのか?」
「はい。全てという訳では有りませんが、私が目にした相手なら」
「じ、じゃあアリアはこの聖杯戦争の参加者で、その後英霊となった人間だと言うのか」
「マスターだった訳では有りませんよ。私はただ、巻き込まれただけです」

 それは流石に嘘だ。通常なら知るはずの無い、今この聖杯戦争の顛末を知っていた理由を、もっともらしくでっち上げただけ。
 いくらなんでも、私が嘗てサーヴァントとして、聖杯戦争の渦中で貴方と共に戦っていたセイバーだなどと、如何して彼に云えようか。彼を今以上に混乱させるに決まっている。

「そうか、大変だったんだろうな」
「まあ、色々と。でも今となっては、それも良い思い出です」

 不意に笑みが零れる。笑おうとなんて、全く意識していなかったのに。あの頃の事を思い出してしまったからだろうか。

「そっか」
「ええ、貴方はいつも一人で飛び出して無茶をして、私がどれほど心配したことか」
「え、それって如何いう……俺、そんなに無茶したっけ? 確かにバーサーカー相手に飛び出しかけたけど……」

 おっと、いけない。迂闊な事は言えませんね。此処は誤魔化した者勝ちです。

「私の経験した聖杯戦争での事ですよ。この世界とは異なった可能性を辿った、平行世界と言ったところですかね。私はその聖杯戦争で貴方達に助けられ、一緒に行動していました。以前言ったでしょう? 私は貴方達とは無関係じゃないと」
「あ、そういえば…」

 私との会話を思い出した士郎が、呆けたように宙を見上げながらポンと手を叩く。なんとか辻褄が合うように誤魔化せただろう。

「さあ、早く帰りましょう。そろそろ凛も帰ってくるでしょうし、今日の夕食は私が担当ですからね。買い物も済ませないと。早く帰ってあげないと、セイバーが機嫌を損ねてしまいますよ! 朝も結局、余り納得してくれてはいなかったようですし」
「ああ、そうだった! セイバー怒ってるかな……」

 この話はここまでとばかりに話題を切り替え、家路を急ぐよう背中を押す。
 気が付けば、何時の間にか陽の光は茜色に染まっていた。


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「遅いですね」

 幾分弱くなってきた茜色の日差しを瞼越しに感じる。じきに陽も落ちて、辺りを蒼い暗闇が包み始めるだろう。もう黄昏の刻か。
 縁側で正座し瞑想に耽っていたが、もうそろそろ彼らが帰ってきてもいい筈だろう。

「まったく、幾らアリアが傍に付いているとはいえ、この有事に呑気に学び舎に通うなどと、一体シロウは何を考えているのか……。確かに、行動習慣を急に変えない方が返って不自然に思われないという理屈は判る。だが、いくらアリアが付いていると言っても、彼女の体を二つに分けられる訳ではないのに」

 広いこの屋敷に一人で居るせいか、どうも独り言を漏らしてしまう。それも内容は愚痴ばかりだ。いけない、私は一体如何してしまったのだろうか。

「やはり帰ってきたら、学校を休むよう談判するしかない。それがシロウの為だ。危ないと判っている道を満足な護りも無しに歩かせるなど、もっての外だ!」

 グッと拳に力を込め、決意を新たにする。
 既に茜色の残滓も消え、夜が空を蒼から暗い群青に染め、庭から色を奪い始めた。

「早く帰ってきて欲しいのですが……まだでしょうか」
「ただいまー」

 ちょうどその時だった。屋敷の門に人の気配を感じたと思うや、すぐに聞き慣れた声が聞こえてきた。凛だ。だが妙だ。彼女一人の気配しかしない。
 疑問を感じながら玄関へ向かい出迎える。

「お帰りなさい、凛。実はお話があるのですが……?」
「ただいま、セイバー。ん? 如何したの?」
「いえ、シロウは一緒ではないのですか、アリアも居ないようですし?」
「あ、ああ……アイツなら“お友達”の所に寄ってるわよ」
「ご友人の家、ですか?」

 俄かに不機嫌になる凛。一体如何したというのだろうか。

「全く、あの馬鹿ったら。よりによってノコノコと奴の懐に飛び込むなんて、何考えてんのよ……って、そうよ、よく考えたらおかしいじゃない? 何でアイツがサーヴァントなんて従えられるのよ……!?」
「!? 凛、今何と!?」

 如何いうことだ、シロウはご友人を尋ねたのではないのか? そこで何故サーヴァントという単語が出てくるというのか!?

「サーヴァントって、凛。一体如何いうことですか、シロウは無事なのですか!?」
「え? ああ、無事でしょうよ当然。大体、士郎に危険が及べば、真っ先に貴女が気付く筈でしょう」
「そ、それはそうですが……」
「そんなに心配しなくても大丈夫よ、アリアが傍に付いてるもの。アリアの目を通して無事は確認してたし」
「そうですか」

  一先ずは胸を撫で下ろす。だが何も疑問は解決していない。

「ねえ、とりあえず上がらせてくれない? ずっと玄関で立ち話もアレだから」
「あ、はい。すみません」

 靴を脱いで上がり框に上がる凛。何となく彼女から普段の覇気が感じられない。

「お疲れのようですね」
「ああ、うん。ちょっと色々あってね」

 答える声にも何処か疲れが感じられる。彼女にも何か有ったのだろうか。気になることではあるが、今はそれよりもシロウの事が気掛かりだ。

「それで、一体何が起きているのですか、凛? サーヴァントが現れたのですか?」
「ん? ええ、そうよ。全くアイツときたら、何でノコノコとついていくのよ」
「サーヴァントに付いて行った!?」
「ああ、いや、違うのよセイバー。アイツが付いて行ったのは友達よ。でもソイツの家にライダーが居たのよ」
「なっ!? それはつまり、そのご友人がマスターだったという事ですか?」
「そういう事……になるかな、やっぱ。でも普通に考えたら有り得ないのよね……そもそもアイツが……」

 何やら歯切れの悪い返答を返す凛。そのままブツブツと思案に耽り出してしまった。
 彼女はずっと考え込んだまま、とうとう彼女の自室まで来てしまった。

「凛、凛?」
「え? あ、ああゴメン、セイバー。着替えるから居間で待っててくれる? 詳しい事はあっちで話すわ」
「判りました。お待ちしております」

 気持ちは今すぐにでも聞き出したいと逸るが、己を律して居間に戻る。
 シロウの安否は一先ず無事のようだし、案ずる必要は無いだろう。今此処で私が焦ったところで、何の得も無いのは明らかだ。

「確か、シロウ達がお茶を淹れる時に使う急須はこれでしたか。む、お湯は……沸かさなければいけませんか。そういえば、お茶の葉は何処に有るのでしょう……むう、困った」

 凛が戻ってくるまで少しかかるだろう。その間が手持ち無沙汰に思えたので、お茶でも淹れてみようと思い立ったのだが、如何せん、何時もシロウが当たり前のようにやっている事だというのに、いざ実際に自分でやってみようとすると難しい。

「確かいつもこの辺から袋を取り出していたような……あった、茶葉だ。……と、そうだお湯を沸かさなくては」

 コンロの横に置かれていた薬缶を取り、水を張って、コンロにかけ火を起こす……。

「む? 火を起こすには、如何すれば良いのでしたか……この機械の使い方は……あ、この摘まみを回せば良いのか? ――――わっ!?」

 試しに捻ってみると簡単に火が付いた。何時も火が付いている部分を傍で見ていた為に、突然火が付いたので面食らってしまった。なんと便利な機械だ。火を起こすのに摘まみを捻るだけで良いとは。これが進んだ文明の利器というものか。
 戸棚から湯呑みを出し、お盆に準備を終えて、後はお湯が沸くのを待つだけだ。

「おまたせ、セイバー」
「あ、はい。少しだけ待っていて頂けますか。今お茶を沸かしている所なので」
「あら、そう……って、え!? お茶をって、セイバーが!?」
「はい……って、何ですかその顔は。私だってお茶ぐらい淹れられます!」
「は、はいっ! そ、そうよね、大丈夫よね」
「……多分。いえ、きっと問題ありません!」

 少しだけ及び腰になるが、すぐに弱気を振り払って自分を鼓舞する。つい先程までは早く凛に話を聞きたくて仕様が無かった筈なのだが、此処までやってしまうと、もう途中で止めるのも中途半端に思われて出来ない。
 丁度その時薬缶が甲高い音を立てて、お湯が沸き立ったと告げてくる。

「あ、やっと沸きましたね。すぐ淹れますから、待っていてください」
「え? あ、ちょっと……」
「大丈夫です」

 茶葉を急須に入れ、お湯を注ぐ。お盆に急須を載せて座卓に戻り、少し待ってから湯呑みにお茶を淹れる。

「む? はて、何だか色が違う。それに薄い?」
「あ~、セイバー……?」

 心なし色が茶色味がかっているし、香りも少ない。気になって一口味を確認してみる。

「うっ……し、渋味が……」
「あ~、やっぱり……」
「や、やっぱりとは?」

 お茶の渋味に舌を痺れさせながら、隣で困ったように苦笑いを浮かべている凛に問う。

「あのね、お茶っていうのは沸騰直後のような熱いお湯で淹れちゃ駄目なの。それ、煎茶でしょ? 大体七、八十度ぐらいが目安。少し冷ましてからでないと、渋味の成分ばっかりが出ちゃうのよ。色も綺麗な黄緑色にならないしね」
「そ、そうだったのですか。むう、失敗してしまいました」

 何となくシロウ達がしている様を見ていただけの、浅い知識で淹れようとしたのが間違いでした。お茶一つでも奥が深いのですね。

「まあ、しょうがないわよ。初めてでしょ、お茶を淹れた経験なんて?」
「はい」
「じゃあ、失敗を踏まえて淹れなおしましょ。いらっしゃいセイバー、美味しい淹れ方を教えてあげる」
「ご教授賜ります、凛」

 失敗は悔しいが、同じ失敗は二度とするものですか。急須を持って台所に向かう凛に付いていく。お茶の淹れ方を習う為に。

「こうして冷まして適温にしてから注ぎ、一分ほど待つ。こうして茶葉を開かせるのよ。こうする事で苦味や渋味を抑えて旨味を引き出せるの。さっきのはちょっと早すぎたのね」
「成る程、勉強になります」

 湯呑みに片方ずつではなく、交互に注ぐようにして二人分のお茶を淹れる。その湯呑みを受け取り、中の液体を眺める。いつもの仄かに黄色味がかった綺麗な薄緑色だ。
 煎茶の澄んだ緑色の水面に映りこんだ私が見つめ返してくる。

「はい、どうぞ」
「では……おお。美味しい。いつもの味です」
「でしょ」
「はい。流石ですね、凛。やはり祖国の文化は疎かにはしないのですね」
「ん~、そんな大層な事じゃないと思うけどね」

 軽く微笑みながらそう言う凛。彼女はどちらかと言えば、西洋風の生活習慣だと思っていたので、少々驚きを感じた。
 湯呑みを手に座卓の前に座り直し、本題に入る。

「それでは、改めてお聞きします。今日、一体学校で何があったのですか?」
「さて、何処から話したものかしらね……」
「ただいまー」
「只今戻りました」

 丁度その時だった。二人が帰ってきたのは。


**************************************************************


「あれ? セイバー居ないのかな?」
「いいえ、二人とも居ますよ。居間の方から気配がしますから」

 ただいまと声をかけたが、返事が返ってこない。ひょっとして外にでも出たのだろうかと思ったが、アリアが居るんというんだから、居るんだろう。二人と言ったから、遠坂ももう返ってきている筈だ。何より、二人とも靴は此処にあるのだから。

「如何したんだろ?」
「あ、あぁ~。何となく予想が……」
「なんだよ、そんな気まずそうな笑みを浮かべて」
「行けば判りますよ士郎君。先に言っておきますが、私はフォローしません。大人しく叱られましょう」
「え……?」

 大人しく叱られろ? その意味する所を暫し考えて、あっと声を漏らす。まさか……そういう事か。目でアリアに問いかけてみる。すると察しの通りだとすまし顔で返してくる。
 まいったな、こりゃセイバーや遠坂にこっ酷く怒られそうだ。

「まあ、自業自得ですので。油絞られるぐらいは覚悟して下さい」
「ぐ、判ってるよ」

 覚悟を決めて襖を開ける。そのまま居間に入ってみると、予想したのとはちょっと違う空気が出迎えた。

「遅かったわね」
「お帰りなさい、シロウ」
「あ、ああ。ただいま。悪いな、晩飯の買い物もしてたからさ」
「遅くなりました。すぐに夕餉の仕度をしますから」

 予想通りお冠と思しき遠坂に、若干張り詰めた険しさが見えるものの、怒っているとまではいえない、どちらかと言うと困惑したような表情のセイバー。
 その二人の様子にも動じず、我関せずな姿勢を貫き、買い物袋を片手に台所に消えようとするアリア。
 三者三様の言動をする中、俺だけが場の妙な雰囲気に全身を縛られる。

「一先ず、何で勝手に行動したのか、説明してもらえる、衛宮くん? 先に言っておくけど、貴方の間桐邸での遣り取りはアリアの目を通して知ってるから」
「あ、ああ。ゴメン。あれは確かに考えが甘かったと思う。サーヴァントも連れずにマスターからの誘いを受けるなんて、馬鹿げてたのは良く判ってる」

 俺の言葉を聴いてそれまで困惑顔だったセイバーが途端に瞳に怒気を込め怒鳴る。

「なっ!? し、シロウ! 貴方はそんな危ない事をしたんですか!?」
「ん、ああ。悪かった。確かに後から考えれば、危険極まりない事をしたと思う。でも、あの時はそれ以外、どう行動すべきか考え付かなかったんだ。何しろ、慎二が自分はマスターだと自ら明かしてきて、俺に協力してほしいって」
「つまり、士郎君に同盟を求めてきたと言う事です」

 さっきはフォローはしないと突き放すように言っていたアリアだけど、俺の下手な説明を的確に補足してくれた。

「慎二は俺の友達なんだ。ただアイツ、性格がちょっと独特な奴でさ、下手に拒絶したら不機嫌になって、その後暫く荒れたりしちまうんだ。だから事が事なだけに、迂闊に刺激するような事も出来なくて。言うとおりについて行くしかないなと思ってさ」
「そう。まあいいわ。確かにアイツの性格を考えれば、下手に刺激しない方がいい。その判断は悪くないわ。でも、無断で行動しないで欲しかったわね。偶々アリアが、校門を出て行く貴方を見つけてくれたから良かったものの」
「悪い。そうは言っても、俺、念話なんて使えないし」
「バカ、何のために昨日携帯を渡したと思ってるのよ」
「あ、そか」

 言われて思い出した。そういえば昨日、昼飯の前に全員が居間に集まった時、アリアから「私達の連絡用にです」とプリペイド式の携帯電話を渡されていたんだった。
 モノは一昨日買出しに出た時に買っておいたらしい。

「それって確かメール機能もあるのよね、アリア?」
「有りますよ」
「う……悪い。携帯の事全く頭に無かった。でも覚えてても、俺、メールなんて碌に使った事無いからなあ……あの場で俺が電話かけようとすれば怪しまれるだろうし」

 言い訳がましいが、実際俺はメールなんて全然打ったことが無い。打とうとすれば、それこそ電話以上に怪しい挙動になっていたことだろう。

「メールでなくとも、此方に一回コールしてくれるだけでも十分です。それで此方から掛ければ、相手に不自然に思われること無く電話を取れるでしょう? その後は上手く誤魔化しながらでも、私達に行き先を伝える方法は幾らでもあります」
「うう。咄嗟にそこまで頭回らないよ、アリア」
「ま、過ぎた事だし、とやかく言ってもしょうがないわ。でも、今度からはソレ使うようにしてよね? 結構したんだから……」
「凛も、せめて電話を掛けるぐらいは容易に使えるようになってくださいね?」
「わ、判ってるわよアリア!」

 急に矛先が自分に向いて慌てる遠坂。そういえば一昨日はそれで一騒動あったっけ。

「ともかくっ! その事で一つ如何しても引っ掛かってる事があるのよ」
「?」
「間桐のマスターが慎二だって事よ。本当にアイツがライダーのマスターだったの?」
「ライダー……まだ見ぬ相手ですね」

 遠坂の口から出たサーヴァントのクラス名にセイバーが反応する。そうか、まだ知らなかったんだな。

「ああ。確かにアイツはそう言ってたぞ。ライダーもちゃんと従ってたし」
「それがおかしいのよ! だってアイツ……」
「魔術師じゃない、だろ? アイツも自分で言ってたよ。間桐の魔術は親の代で枯渇しているから、自分は魔術師じゃない。魔術回路も持ってない。だから魔力なんて欠片も持たないから、遠坂にも感知されないって。でも魔術に関する知識は残っていたんだと。長男である慎二がその知識を受け継ぎ、マスターになったらしい」

 そこまでしゃべると遠坂は見事なまでに“しまった!”と言わんばかりの渋面を作り、宙を睨んでいた。

「しまった、そうか……そういうケースもあるか……まずったわね。確かに魔導書が残っているんなら、マスターになるぐらいは可能だろうし。第一この聖杯戦争の召喚システムを構築したのは、他ならぬマキリだもの……。それじゃ何、私の行動、全部ヤツに筒抜けだったんじゃない、ああもうっ私のバカッ」
「お、おーい、遠坂?」

 遠坂はブツブツと自分の世界に篭ってしまった。反省するのはいいけど、まだ話は途中なんだけどな。ふむ、遠坂は普段はほぼ完璧なんだけど、どこか抜けている部分があるようだ。問題は、それがここ一番とか、結構重要な物ばかりって事だろう。大体、何で今そんな事を不思議に思うんだ。見てたんじゃないのか?

「なあ、遠坂はアリアを通じてこっちの事見てたんだろ? なら全部聞いてたんじゃ?」
「生憎とね、こっちもそれどころじゃなかったのよ。ランサーのヤツに絡まれてた真っ最中だったんだから!」
「なにぃ!?」
「なっ……ランサーにですか!?」

 遠坂の突然の暴露に目を見開いて驚く。セイバーも同様だ。大きな瞳を一際大きくしてしこたま驚いている。

「ランサーと身一つで渡り合ったと言うのですか、凛……? 信じられない、良くご無事でしたね……」
「ランサーはただの暇つぶしにからかってきただけ、本気で掛かって来られた訳じゃないもの。でも、まあ。確かに大きな傷一つ無く済んだのは奇跡かもね。何しろ私には、戦の女神がついていてくれたんだから」
「り、凛」

 成る程、戦の女神か。確かに彼女にはぴったりのイメージかもしれない。何しろ戦の申し子みたいな人だし。
 本人は自分には過ぎたイメージだと思っているのか、困惑した顔をしているけど。

「如何いうことです?」
「アリアが知覚共有でね、私をサポートしてくれたの。それと、コレのおかげ」

 そういって遠坂がポケットから取り出したのは、小さなピストルだった。よく映画なんかで見かけるヤツだ。たしか……デリンジャーって名前だったか。

「これは、これもアリアの銃なのですか?」
「ええ。私が離れる間の保険として、凛に渡した物です。テキサス・ディフェンダーの口径.357マグナムモデル。小さな見た目とは裏腹に強力な銃ですよ」
「直撃さえしてればランサーを倒せたんだろうけど、私には扱い切れなかったわ。だってコレ、すっごく手が痛いんだもの」
「ほう。それほどの物なのですか」
「そりゃもう。いったいわよぉ~?」
「はは……確かに素人には厳しい銃でした。すみません」

 手をヒラヒラと振るジェスチャーで痛みを訴える遠坂に困ったように苦笑するアリア。
 セイバーはただ感心したような、物珍しげな物でも見るような表情で、銀色の光沢を放つ小さな鉄塊を眺めている。
 確かに、あんな小さな銃でマグナム弾を撃とうというのだから、その反動たるや俺には想像もつかない。さぞかし手が痛かったんだろう。
 随分頭に血が上っていた遠坂も今の遣り取りで緊張がほぐれたのか、少し何時もの落ち着きと調子を取り戻したようだ。

「話を戻すけど、慎二が後継者だから桜は何も教えられてないし、何も知らないそうだ。魔術も、この戦争の事も」
「そう……」
「ああ。それで、例の結界についてだけど……」
「ええ、迂闊だったわ。私のミスよ。もっと早く気付けていれば慎二を完全にマークしていたし、あんなふざけた物を張らせる事もなかったのに」
「え、いや。慎二はあの結界は自分が張ったんじゃないって言ってたぞ。アイツが言うには、学校には確かにもう一人マスターが居るらしい」
「ええそうでしょうね。確かに学校には後一人、私達の知らないマスターが潜んでいるのは明白よ。でも貴方、まさか慎二の言葉を本気で信じてるの?」
「いや、そこまでお人好しじゃない。確立で五分だろ。残りはそのもう一人だ」
「五分ねえ。半々だと思ってる時点で十分お人好しだと思うけど」

 半眼になって呆れたようにため息を吐かれる。そんなにお人好しだろうか、俺。

「ま、良いんじゃない? それが貴方の味だから、慎二も正体を明かしたんだろうし」
「味? 何だよソレ」
「判らなくても別に良いわよ。貴方らしいって言ってるだけ」

 なんだか釈然としないが、まあいいか。話を元に戻そう。

「で、同盟しないかって話だったけど、悪い。俺の独断で断っちまった……早まった事したかな?」
「別に良いんじゃない。貴方にお呼びが掛かった同盟話なんだから、決めるのは貴方の自由よ。私がとやかく言う事じゃないもの。ま、その判断は間違ってないとは思うけどね」
「? そ、そうか」

 何故か視線を逸らしてそっけなく答えを返してくる。声もごにょごにょと小さくて歯切れが悪いし、なんだか遠坂らしくないんだけど、まあいいか。今はそれよりも話さなくてはいけない事がある。

「それから、こっちの方が重要な情報だと思うんだが、柳桐寺にマスターが居るらしい。これはライダーが教えてくれたんだけど、山には魔女が陣取っていて、大規模に街中から魂を集めているって」
「柳桐寺……柳桐寺って、あの山のてっぺんにある?」
「そうだよ。なんだ、何か思い当たる節があるのか遠坂」
「まさか、その逆よ。柳桐時なんて私行った事も無いもの。どんなマスターだか知らないけど、なんだってそんな辺鄙な所に……」
「さあな。でも俺も驚いた。いくら人目につかないって言っても、寺には大勢の坊さんが生活してるんだ。怪しい真似したらすぐ騒ぎになると思う」
「それもあるし、いまいち信用出来ないわね、その話。話半分として聞いてもよ。第一、柳桐寺って場所はあの山の上でしょ? あんな郊外の端っこから深山と新都の両方に手を伸ばすなんて大魔術だし、魔力の無駄遣いでしかない。集めた魔力よりも魔術に要する魔力のほうが莫大過ぎて、殆ど不可能な規模だもの」

 喋りながら再び考え込み始めてしまった遠坂。此方は魔術関連の意見は遠坂頼みだから、遠坂が顔を上げない事には前に進めない。
 だがそこに、遠坂の言葉を聞いて思案顔になっていたセイバーが顔を上げる。

「――――いえ、シロウの話は信憑性が高い。あの寺院を押さえたなら、その程度の魔術は容易に行えるでしょう。あの寺院は落ちた霊脈だと聞いていますから」
「え!? ちょっと待ってセイバー、落ちた霊脈って、それって遠坂邸(うち)の事よ!?
なんだって一つの土地に、地脈の中心点が二つも存在するのよ!」
「そこまでは私にも判りませんが、あの寺院が魔術師にとって神殿ともいえる土地なのは間違いありません。あの地はこの土地の命脈が流れ落ちる場所だと、前回の聖杯戦争に参加した時に聞いた覚えが有ります。ならば、魔術師は自然の流れに手を加えるだけで、町中から生命力を収集できる」

 セイバーは声を荒げる遠坂と諭すように、淡々と冷静に説明を返していく。

「……そんな話、初めて聞いたわ」
「そういえばセイバーって前回も経験あるんだったっけ。そうだな、普通、寺社は霊的に優れた土地に作られるもんだし。そうじゃなきゃ、あんなトコに建てたりしないぞ」
「うっ――――そんな事言われなくても判ってるわよ!」
「だよな。昔っから寺や神社ってのは神がかる場所に建てて町を守るものだ。その本来の役割は鬼門を封じて禍を退ける事。その線で行けば、柳桐寺のある山が神聖な土地ってのは道理だろ」
「判ってるってば!」

 ムキになって怒る遠坂。顔どころか耳まで真っ赤なってるのは何故だろうか。

「おい……まさかお前、柳桐寺をお飾りの寺だとでも思ってたのか?」
「っ――――そうよ、悪い!? 今まで在るだけの寺だと思ってたわよ、だってあの寺には実践派の方術師がいないんだから!」
「実践派の方術師?」
「読経や信心、祈願以外で霊を成仏させる連中の事よ。言ってみれば日本版エクソシストみたいなモノね。信仰する宗教が違うけど。そういった術者達が集まって、組織みたいになってる集団がこの国には古くから存在するの。魔術協会(わたしたち)とは相容れない連中だから、詳しくは良く知らないけどさ」

 ぶつぶつと文句を言うように説明してくれる遠坂。そんなに恥ずかしかったのか。

「へえ。そんな集団がいるんだ」
「そんな事より、寺の事よ。確かにあそこが落ちた霊脈なら、街中から生命力を掠め取るくらい魔術師なら簡単な事よ。でも、それならおかしいじゃない? 何だって他の連中はそんな美味しい場所を見逃してるのよ」
「それについては、私が説明しましょう。それと、皆さんに聞いて欲しい事があります」

 今まで無口だったアリアがその問いに答えてきた。その真剣な顔を見て、背筋に微かな緊張が走る。夕方に聞いたあの事を話す決心をしたのだろうか。
 アリアの表情にはなにか、決意めいたものが感じられた。


**************************************************************


「確かに魔術師ならば容易く寺院を制圧出来るでしょう。ですが、あの山にはマスターにとって厄介な結界が張られているのです」
「厄介な結界?」

 暫く話に参加せずにいたアリアが説明を買ってでた。いつもの落ち着いた声だが、その瞳には真剣な光が宿っている。
 彼女は“私に”ではなく、“皆に”聞いて欲しい事があると言った。その事が気に掛かるが、とりあえず考えるのは目の前の疑問を解消してからにしよう。

「はい。山を取り囲むように、自然霊以外を排除する方術が働いているのです。生身の人間に害は有りませんが、私達サーヴァントにとっては文字通り鬼門となる」
「そんな……じゃあ、サーヴァントはあの山には入れないって事?」
「いいえ。入れない事は有りませんが、難しいでしょう。山中に踏み入るだけで、常に近づくなと令呪の縛りを受けるようなものですから」

 私の問い掛けに頭を振って答えるアリア。だがその答えもまた更なる疑問を呼ぶ。

「じゃあ尚更、中にいるマスターはどうやってサーヴァントを維持してるのよ」
「一度内部に侵入を許してしまえば、結界の力は及びません。本来、結界とは寺院を外敵から守る境界線。いわば防壁であって、侵入者を殲滅する為のものではありません。寧ろ、中に入ってしまえば、あの土地は我々霊体にとって、力を蓄えやすい格好の陣地です」
「そうなの? ……でもそんなふうに寺院を密閉しちゃたら、地脈そのものが止まっちゃうんじゃ……?」
「ええ。ですから、一箇所だけ結界の無い場所があります。寺院の道理では正しい門から来訪する者は拒めません。その道理に従ってか、寺の正門に繋がる山門には結界が張られていないのです」
「成る程ね。それもそうか、全ての門を閉じちゃったら中の空気が淀むもの。ふうん、唯一つだけ作られた正門か……」

 私が思案顔になったのを見逃さず、アリアの眼光が強くなる。

「そう。それが重要なのです。何故、他のマスター達があの場所を手に入れようとしないのか。あの地を手に入れた者がまず最初にする事とは何か」
「……守りを固める事、ね」
「そうです。あの場所は山門以外に攻め込まれる心配が無い。逆に言えば、そこで待ち構えれば有利に戦える。つまり、あの山は先に取った者勝ちの陣地だということです。事実、あの山門にはサーヴァントが……あっ!」

 そこまで言おうとして、アリアが突然驚いたような顔になる。

「如何したの?」
「大河です! 大河さんが帰って来ます!!」
「えっ!? もうそんな時間!?」
「うわ、ホントだ。時計見てみろ遠坂」
「如何しましょう、まだお夕飯の仕度も出来てませんよ!」

 慌てたように立ち上がるアリアにつられて腰を上げると、直後に藤村先生のスクーターの爆音が聞こえてきた。壁の時計を見ると、もう七時になろうかという時間だった。

「やっほーっ! たっだいまぁーっ!! 皆ちゃんと帰ってきてるわねー!?」

 スクーターの音が消えたかと思ったら、もう居間までやってきた。なんという素早さだろうか。

「お帰りなさい大河さん。すいません、まだこれから仕度をする所なので、ご飯はもう少し待って貰えますか」
「えーっまだなのー!? うぇーんお腹すいたよーぅ、しろー何とかしてよーっ」
「せ、先生……」

 帰ってくるなり異様なハイテンションで捲し立てる藤原先生。バタバタと大げさなリアクションで不服を訴え、士郎に泣きついている。仮にも学校教諭ですよね、藤村先生?

「判った判った。俺も手伝うから、セイバー達と一緒に大人しく待っててくれ」
「お願いよ! お姉ちゃんを餓死させないで!?」
「絶対しないと思うが……」
「すみません士郎君。お手を借ります」

 アリアが申し訳無さそうに目尻を落として助力をうける。

「いいって。皆メシの事忘れて話し込んじゃってたしさ。セイバー、悪いけど藤ねえの相手しててくれるか。具体的には、暴れださないようにしっかり見張っててくれ」
「むうーっ。人を猛獣みたいに言うなーっ!」
「判りました。お任せ下さい。存分に腕を奮った美味しいご飯を期待しております」
「あうっセイバーちゃんまで!?」
「あはは。なんか余計プレッシャー与えてない、それ?」
「む、そうでしょうか? それはいけません。失言でした」

 セイバーってば対応が生真面目だから可愛いわ。台所からはアリアが材料を切る規則正しい音や、士郎が鍋を振る音が聞こえてきた。
 さて、私もお皿出したり準備の手伝いぐらいはしましょうか。


「ぷはーっ! ごちそーさまー」

 満面の笑みでごろんと畳の上に寝転がる満腹の虎、もとい、藤村先生。各々、食器を片付けたり、足を崩して寛いだりしている。
 湯呑みを片手にテレビのニュースを眺めていると、台所から士郎達が戻ってきた。

「ふう、やっと一息ついたな」
「ですね」
「ご馳走様でした、シロウ、姉上。今日も美味しかった」
「急ぎで作ったにしては上出来だったわよね」

 晩御飯は簡単にご飯とお味噌汁、豚肉の野菜炒めといったものだった。ただ面白いのが、アリアが作ったお味噌汁は豚汁並の具沢山だった事か。あれに豚肉を入れてたら、豚汁そのものだと言っても過言じゃない。

「味噌汁って飲むモノだと思ってたけど、“食べるモノ”だと初めて思ったわ」
「あはは。お気に召しませんでしたか?」
「ううん。美味しかったわよ。意外と薄味なのに味はしっかりしてたし」
「あれは昆布出汁だな。でもそんなに手の込んだ出汁の取り方してなかったよな? 一体如何したんだアレ」
「ふふふ、秘密です。全然大したことではありませんよ。料理の技とは呼べません。どちらかと言うとズルの部類に入ってしまう手ですので、私としては恥ずかしいのですが」

 なんだそれ? と思わず思ってしまう。当のアリアは本当に恥ずかしいのか、少し顔を赤らめている。アリアは完璧主義なところがあるだけに、人より自己採点が厳しいきらいがあるのよねえ。それが良い事かどうかは、少々疑問ではあるけれど。

「くー……すかー……ぐぅー……」
「それは良いけれど。ねえ、アリア。あれは貴女の仕業?」
「え、ええ。睡眠薬をこっそり……いけませんでしたか」

 なんとまあ。悪知恵の働く事よ、私のサーヴァントは。何時仕込んだのか、藤村先生に眠り薬を盛ったらしい。アリアはこういう事を余り積極的に行動に移す性格じゃない。
 必要が無ければ寧ろ避けようとするのがアリアだ。その彼女が自ら行動した。それほど重要な話をすると言うことなんだろう。

「別にいいけど。言ってくれれば私が魔術で眠らせたのに」
「俺、藤ねえを布団に運んでくるよ」
「そうね、お願い」
「悪い、セイバー。一緒に来てくれるか。布団出すの手伝って欲しいんだ」
「承知しました」

 アリアの方をチラリと見やってから、士郎がらしくも無い事を言う。アリアの表情から何かを察したのだろうか。少しの間、私達二人だけにしてくれる心算らしい。
 藤村先生を抱えた士郎とセイバーが和室に消えて、居間は私達だけになる。

「まったく、余計な気を使ってくれちゃって。……ねえ、アリア。さっき言おうとしてた事だけど、皆に聞いて欲しい事って……」
「…………はい」
「やっぱり、貴女の事? 正体を明かすの? 自分が実はセイバーだったと」
「いいえ。それは、まだ……。でも、もういい加減、潮時です。この戦いを良い方向に導けるのなら、私の詰まらない倫理観で、私の我侭で、最初から知っている情報を封印し続けるのは……何の益にもならない事ですから……」

 そう語るアリアの表情は決して明るくは無いし、まだ迷いも感じられる。だけど、その瞳に宿る光は強い決心を訴えていた。

「そう。じゃあ、話すのね。……話してくれるのね、敵の詳細と、この聖杯戦争の顛末を」
「はい。私が知る限りの、ですが」
「その事で、貴女の正体に疑問を持たれても?」
「その件は大丈夫です。ちょっとだけ、嘘を付かせて貰います」
「嘘?」

 少しだけ表情を緩ませて、ペロリと舌を出しておどけた笑みを見せるアリア。無理矢理にでも明るく笑おうとしている様が痛いほど判る。

「はい。私はセイバーとして戦ったのではなく、偶然貴女達に助けられ、聖杯戦争を経験しただけの少女だったという事に」
「……成る程。そりゃまた、良い嘘八百を考えたものだわ」
「そういう訳ですから、ボロは出さないようにお願いしますね、凛」
「判ってるわよ。それで、如何する? 私は貴女のその、偽の正体を知ってる事にするのか、一緒に驚けばいいのか」
「ある程度は予想が付いていた、と言うだけで、明確には知らなかったという事にしておいて下さい。その方が自然でしょうから」

 サーヴァントと霊的にリンクの有る私達は、お互いの表層意識、自我が休眠などで抑制された時などに相手の精神に干渉し、その記憶などを垣間見てしまう事が有る。
 それを踏まえた上での反応として、アリアの案は十分に的を得ていた。

「そうね。……彼らの方はどうなのかしら。士郎はセイバーの過去を夢で見てるのかしら」
「どうでしょう。士郎君は何らかの記憶を見ているかもしれません。ですが、私が彼の記憶を見てしまったのは、少なくとも……」

 そこまで喋って、やにわに顔を紅く染めて口篭ってしまうアリア。一体如何したと言うのだろうか。

「如何したの?」
「い、いえ。……少なくとも、私が彼の記憶を見るようになったのは、彼との間にちゃんとしたラインが通った後でしたから。セイバーはまだ何も、見ては居ないでしょうね」
「え、アレってサーヴァントの方にも見えちゃうの? え、じゃあ何? 私の過去なんかも実は見られてた……!?」
「い、いえ。私はまだ一度も……! 私は召喚されてからまだ一度も、完全な休眠状態にはなっていませんし、凛の記憶を誤って覗かぬよう、常に気をつけていましたから」
「そ、そう……。別に、見られても良いんだけどね、アリアになら。見られて恥ずかしいような記憶なんて無いし、男の人に見られる訳じゃなし」

 第一、一方的に見ちゃってるのは私だし……。なんだか私だけ一方的ってのは気まずいというか、居心地が悪い。

「ふふ、気になさらないで下さい。私の記憶なんて味気ないか、殺伐として心地の良くない物ばかりだったでしょう」
「そんな事無いわよ。それに、見ちゃったのは殆どセイバーとしての記憶じゃなくて、アルトリアとしての記憶だったもの。良いご家族だったのね」
「……はい。私には過ぎた家族でした。あんなに幸せな家族の下に転生出来たなんて、今でも信じられないくらいです。国の為とは言え、王としての責務を全うする為……幾ら目的がそうであっても、それが血塗られた道である事に、違いは無かった。そんな私が手に出来る幸せだとは、思ってもみなかった」

 遠い眼差しで、過去を振り返りアリアは語る。自分には過ぎた幻影(ユメ)だったと。

「そんな風に考えちゃ駄目よ! それは貴女の悪い所。自分を卑下しないで! 少なくとも、私は貴女を残酷な殺戮者だなんて思ったりしないわ。国の長でしょ、戦乱の祖国を平定したんでしょ? そんなの、血塗られずに果たすなんて、無理な話よ。……時代が求めたのよ。貴女という輝く存在を」
「そう……ですね」
「だからといって、貴女が自分を悪く思う必要なんて無い。貴女が優しすぎるほど優しくて、誰より戦や争いが嫌いな人だって事は、私が保証する! そんな貴女が、あんな当たり前の幸せさえ、手に出来ないだなんて……そんなの、私が許さないんだから!」

 如何したんだろう、柄にも無く熱くなってしまっている自分がいる。何故だろう、己を卑下し、哀しげな目をするアリアに、無性に腹が立っちゃったのだ。

「凛……。ありがとう、凛。御免なさい、私が間違っていましたね。彼にも昔、同じように怒られたと言うのに……ふふっ、全然進歩が有りませんね、私」

 私の、自分でも何だか良く判らなくなって来るほどの激昂した言い分だというのに、アリアは真摯に受け止めてくれたのか、そんなふうにお礼を言って、進歩が無いと軽く自嘲気味にクスクスと笑う。

「彼?」
「ええ、シロウです。本当に、貴女達はよく似ています」
「ええっ!? ちょっ、ちょっとまってよ! あんなへっぽこと私が似てるですって!?」
 心外よアリア、冗談やめてよ!」

 先程までの哀しそうな憂い顔も何処へ消え去ったのか、これでもかと言うほど暖かな微笑みを湛えて、そんな事を言ってくる。

「あら、何故です? 能力はともかく、貴女達は本当に良く似てますよ? 人間的な情緒感というか、倫理観というか。道理で、あの彼が貴女に召喚される訳だ」
「やめてってば! っていうか、何? その彼って」
「ふふっ後で詳しく説明しますよ。まあ、その正体には驚かれるでしょうが」 
「こらぁっ勿体付けないで、今教えなさいよっ!」
「そんなに焦らなくても、後で説明する時に判りますから」
「今教えてって言ってるの!」

 問い質すも、クスクスと朗らかに微笑み返すだけで口を割ってくれないアリア。
 そろそろ士郎達も戻ってくる頃だろう。ただ布団を敷いて藤村先生を寝かすだけに、こんなに時間など掛からない筈だ。向こうは向こうで、話し込んでいるのかもしれないけれど、明らかに、私達に話し合う時間をくれただけ。

「ええい、教えなきゃこうよ!」
「きゃっ!? あはっあははっ、止めて下さい凛、擽るのは卑怯です!」

 未だにクスクスと可笑しそうに笑うアリアを擽り攻撃でとっちめながら、彼らの帰りを待つことにした。



[1071] Fate/Liberating Night her codename is “Soldier” vol.20
Name: G3104@the rookie writer◆21666917 ID:1eb0ed82
Date: 2008/08/15 20:04
 居間を離れて数分が経つ。和室に布団を敷き、藤ねえを寝かせて、一息ついた俺達はそのまますぐ居間には戻らず、今は俺の部屋に居る。

「シロウ、如何したのですか? 何かを取りに寄った訳でも無さそうですが」
「ん、ああ。ちょっとな。ここらで俺達だけで話をする機会を作ってもいいんじゃないかなって思ってさ。大丈夫、アリアならコッチの意向は汲んでくれるさ」
「そうですか。それは妙案です」

 正確には、俺の方が彼女の事を気遣って二人だけの時間をあげようと思ったんだけどな。
 何しろ、夕方に聞いた話は余りに突然過ぎたし、余りにも彼女の内面に立ち入り過ぎた内容だったからだ。以前言ってたけど、遠坂はアリアの正体も過去も知らないらしい。
 それなのにその秘密を自分のマスターに明かすより先に、俺達にまで同時に明かしてしまうなんて事になったら、遠坂の立場がなくなってしまうと思ったから。

「それで、如何いった話をしましょう。敵サーヴァント達に対する考察などでしょうか」
「ああ、いや。それは皆でしたほうがいいだろう。そういうことじゃなくてさ、そうだな……セイバーってさ、生前どんな生活してたのかとかさ」
「生前の生活……ですか?」
「うん。いやさ、考えてみたら、俺、セイバーの事何にも知らないだろ? だからちょっと気になって。悪い、つまんない事聞いちまったか?」

 特に込み入って話したい事が有った訳じゃないから、つい咄嗟に思いついた事を聞いてしまった。いや、確かに気にはなってたんだけど。

「いえ、そうですね。私はずっと剣に生きて来ましたから、そう特に人に聞かせて、楽しんでもらえるような華やかな事は無いと思いますが……」
「ずっとって、何時から?」
「物心付いた時には、既に。私は生まれた時から剣を与えられた騎士ですから」
「じゃあ、ずっと今みたいに騎士として生きてきたってのか、女の子として普通に過ごした事も無く?」
「はい。私が女だという事は常に隠して生きてきました。最も、戦乱の世です。強ければ私が男だろうが女だろうが、そんな事は誰も気にも留めなかった」
「なんだよ、それ……セイバーは誰が如何見たって女の子だ。世が世なら、絶対男達を虜にしてるくらいの……」

 反論してるうちに自分がとんでもない事を口走ってる事に気付いて、顔から火が出そうになった。

「? 良く判りませんが、私には性別を偽り、男として振舞う必要がありました。ですから女として生きる事など、不可能な事です」
「確かに、伝説に聞く騎士たちは皆大体男だもんな。セイバーみたいに女の子が騎士として戦っていたなんて、あんまりピンと来ない」
「そういうことです。事実、当時も私のようなケースは他に聞いた事は無い。恐らく私だけだったのでしょう」
「そうか。苦労、してたんだな」
「苦労だと感じた事は有りません。私にとってはそれが当然の事でしたから」

 事も無げに淡々とそう告げるセイバー。
 そんな彼女の姿に何を感じたのか、胸の奥に何かがチクリと刺さるような痛みが走った。
 だが、それを追求しても、今の彼女と俺ではきっと永久に平行線なんだろう。

「そうなのか。まあ、その話はここまでにしよう。……と、そうだ。一つ聞き忘れていたんだけど、良いかな」
「はい。なんでしょう?」
「うん、セイバーは聖杯を求めて、この戦争に参加しているんだよな。いや、聖杯に興味が無い俺が聞いて良い事じゃないかもしれないんだけど、セイバーはどうして聖杯を求めているのかなって」

 そう、ずっとドタバタしててちゃんと聞いたことは無かった。

「聖杯を求める理由、ですか? ただ欲しいから、ではいけないのでしょうか。聖杯は万能の器と聞きます。手に入れればどんな願いだろうと叶えられる。それを求める事にそれ以上の理由などありません」
「いや、――――違う。そうじゃなくてだな……セイバー、判ってて誤魔化してるだろ」
「え、ぁ――――」
「万能だから欲しい? それはセイバーが求める理由じゃなくて、目的の為に聖杯を選んだ理由だろ。セイバーがその万能の聖杯に、何を望んでいるのかが知りたいんだ」
「シロウ、それは……」

 俺に指摘されて言い難そうに口ごもる。
 しまったな、セイバーを問い詰めたい訳じゃ無かったんだが。

「セイバーが話したくないなら言わなくて良い。人それぞれ事情はあるだろうし、自分の願いなんて、人に聞かれたくない物だってあるだろうしさ」
「――――――――」

 そう取り繕うが、セイバーは気まずそうに口を閉ざしてしまう。

「シロウ、それはマスターとしての命令ですか?」

 不意に、伏せていた顔を上げて、真剣な眼差しで彼女は問いかけてきた。

「え? い、いや違う。ただ気になっただけだ。変な事聞いて悪かった」
「……いえ。確かにサーヴァントとして、主に忠を誓うならば当然の事。貴方には己の望みを話しておかねばなりません。そういえば私だけでしたね、聖杯に願いを持つ者は」

 そういって彼女は一拍置いてから語りだす。

「シロウ。私が聖杯を望むのは、ある責務を果たす為です。生前に果たせなかった責任を果たす為の力を私は聖杯に望み、欲している」
「責任を果たす……? 生前って、サーヴァントになる前って事か?」
「……はい。ですが、私にも本当の所は、良く判らない。……私はただ、やり直しがしたいだけなのかもしれません」

 真っ直ぐな瞳で語っていた彼女が、静かに目を伏せる。
 それが一瞬だけ、己に惑い、懺悔をする迷い子のように見えた。




第二十話「兵士は秘めし回顧録を紐解く」




 居間に戻ってくると、何故かアリアがマウントを取られて擽りの刑を受けていた。

「り、凛、もう勘弁して下さいぃ。あは、あはははっひいっ止めっ……お願いですから」
「ダメ、勘弁しない。吐くまでやめないからね。さ~あ観念なさい? そぉれこれでもか」
「あっ駄目っそこは!? あはっひぁっ止めて下さっ……あ!」
「な、何やってんだ、二人とも?」
「何かの罰ですか?」
「え? あ…………」

 俺達に気付いた二人は目を点にして固まってしまった。いや、目を点にしたいのは俺達のほうだと思うんだが……。




「えー、こほん。さっきのは気にしないで。主の言う事を聞かない不良従者に軽くお仕置きしてただけだから」
「あはは、はぁ……まあ、そうらしいです。はあ、苦しかった。まあ、それはさておき。それでは、本題に入ります」

 わざとらしく咳払いをする遠坂と、彼女の横で苦笑しながら話を始めるアリア。
 心なしか本当に苦しそうだった。余程長い時間、擽り刑を受けていたのだろうか……。

「まず、夕方の話に戻りましょう。柳桐寺にはキャスターが拠点を構えています。そしてあの山門はアサシンが護っている」
「ちょ、ちょっと待ってください。それは確かなのですかアリア。何故貴女がそんな事を知っているのです?」

 突然の暴露にセイバーが驚く。

「確かにシロウの話には柳桐寺に敵が居るとありましたが、何者かまでは知りえなかった筈。なのに貴女はそれがキャスターだと断言した。その上アサシンの情報まで」
「それだけではありませんよセイバー。彼らの他にも、ランサー、ライダー、アーチャー、バーサーカーの正体、そしてこの戦争の真実まで私は知っています」
「な!? そ、それはどういう……」

 セイバーの驚きはもっともだ。俺自身、アリアに秘密を明かされなければ同じように驚いていただろう。
 あ、という事は俺も今は一緒に驚いておかないと拙かっただろうか。
 今からでもフォローすべきだろう。そう考えて口を開く。

「一体何故そんな事まで知ってるんだ、アリア?」
「それを説明するには少々長くなってしまいますが、ちょっとした昔話をしましょう」
「昔話?」
「貴女の、よね?」

 セイバーがピクリと眉を動かし怪訝な顔をする。遠坂はアリアの言おうとする事が判っているようで、特に驚くことも無かった。遠坂はアリアの秘密は知らない筈だが、この様子だとさっき大まかにでも聞いたのかも知れない。よかった、二人っきりにしたのは正解だったかな。

「はい。今から私が喋る事は余りに突拍子も無く、普通に聞けば説得力の欠片もない出鱈目に思える事と思います。ですが、とりあえずお聞き下さい」

 そう前置きして、彼女は語り始めた。
 彼女の物語を。


**************************************************************


「私がサーヴァントやこの聖杯戦争の顛末を知っている理由。それは、私が嘗て、貴方達と共に、この第五次聖杯戦争を勝ち抜いたからです」
「「「なっ!?」」」
「……どういう事? 第五次って今よ、矛盾しちゃうじゃない」
「ちゃ、ちゃんと説明してくれ」

 私の暴露にとりあえず全員が驚きの声を上げる。だが、一際大きな声を張り上げ、本当に驚いていたのはセイバー唯一人。
 私の正体を知る凛や、ある程度の事情を知った士郎は見かけ上は驚いたふりをして続きを促してくれているにすぎない。

「そうですね。どう説明したものか、凛。貴女は平行世界という概念をご存知ですね?」
「ええ、勿論よ。遠坂の悲願は第二魔法、大師父シュバインオーグの辿り着いた平行世界の運営だもの」
「平行世界の、運営?」

 士郎が聞き慣れない言葉を凛に聞き返す。

「ええ。この世界には現状、魔術士にとって魔法と呼ばれている物が五つあるのは知ってる? 遠坂の悲願は、その第二の魔法。平行世界に干渉し、運営する術なのよ。それで、その平行世界っていうのは、今この世界と全く同じ、寸分違わないような無数の世界の事。それがこの世界と同時に複数存在しているの。その数は無数の可能性の数だけ存在する」
「ど、どういうことか、もうちょっと判りやすく頼む」

 凛の説明を受けるが、早くもちんぷんかんぷんだと目を回しそうになる士郎。
 その様子に小さくため息を付きながら、凛は宛ら学校の教師のように人差し指を立てて説明を続ける。

「例えばね、士郎は今から台所に行こうとする。またはお風呂を沸かしに行く。今から取る士郎の行動によって、お風呂にむかった士郎はうっかり滑って怪我をした、でも台所にいった士郎は何事も無くご飯を作っていられた。といった風に違う行動を取った場合にはまた違った結果となる未来が、実は幾つも存在するのよ。それが平行世界。私達が今居るこの世界と平行して、そういった無数の可能性によって枝分かれした同じような世界が幾つも存在するのよ」
「そ、そうなのか……なんだかややこしいな」
「パラレルワールドって単語、聴いたこと無い? 簡単に言えばそんな感じなんだけど」
「ああ、映画や小説なんかであるな。自分とそっくり同じ人間や世界があって、そこに迷い込んだりする話」
「お話では簡単に遣られちゃってるけど、平行世界への移動なんてはっきりいって魔法の域だから、可能なのは大師父シュバインオーグぐらいのものだけどね」
「そうなのか」

 凛の説明にようやく納得したらしいものの、士郎には現実味の無い話だからか、実感が無く呆けたような顔になっている。

「話を戻しますが、私はその平行世界の一つ、この世界とは少し違った可能性を辿った世界において、第五次聖杯戦争を経験したのです」
「一体どうやって……? 確かに、守護者は輪廻の輪から外されるとは聞いていますが、召喚されるのは本体の分身のようなもので、その記憶は直接次に受け継がれる事は無いはずです。前回の記憶を持っている私のような例外もあるようですが」

 セイバーが異論を唱えてくる。

「ええ。私は貴女とは違い、確かにこの戦争が終われば唯消え去るだけ。私の記憶は次に召喚される私に直接受け継がれる事は無く、私の座に“記録”として残るだけでしょう。ですから、私が経験したのは生前です」
「生前!? つまり、貴女はこの時代の人間だったという事ですか」
「そうなりますね」

 それは嘘だが、今はこの嘘を吐き通させてもらおう。流石に彼女に私の真実を突き付けるには、まだ時期尚早に思えるから。

「聖杯戦争を勝ち抜いた後、私は軍属という道を選びました。そして、ある理由から世界と契約し、守護者となった。それが今の私です。私がソルジャーというイレギュラー枠に填め込まれた理由は、恐らく生涯を唯の一兵卒として生きたからでしょう」
「そうはいっても、結構な軍歴だったんじゃないの、アリア?」
「ふふ、そうですね。軍属だった頃の最終階級は少佐でした」
「少佐って、立派に士官クラスじゃないか。何処が一兵卒なんだよ」

 何か納得がいかないような顔でそう小さく抗議してくる士郎。まあ、確かに卑下しすぎたきらいはあるかもしれませんが、私自身、そう軍の中で力を持っていた訳でもない。
 士官職と言えど、それは軍という大きな組織を動かす歯車の一つでしかない。
 この時代の中央集権型司令構造から幾分、下部指揮官まで作戦の決定権が与えられた分散並列型を最終的に中枢が統括する相互ネットワーク型司令構造に変わった私の時代でも、それはそう変わらなかった。
 特に私が生きた時代は、国同士が存亡を掛けて地獄と化すような巨大な戦争は無かった。
 現代でさえ時代は既に国家対国家ではなく、国家対テロリズムへと推移している。
 私の時代は既にそれが主流となっており、そんな中、英国SASの対テロ活動部署であるSP(スペシャル・プロジェクト・チーム)に所属していた私は国内外問わず、散発的に続く中規模の紛争地帯、その様々な戦場に兵士として赴いた。
 そう、私は所詮一兵卒に過ぎなかった。軍の歯車の一つでしかなかったのだ。
 それは紛れも無い事実なのだから。

「はは、そう自慢できるような階級でも無いでしょう。将官でもなければ、せめて大佐位まで上っていればまた違ったかもしれませんけれど。それに、私は現役時代は最後まで第一線に身を置いていましたから。軍という巨大な組織の中ではただの中堅。指揮官と言えど一兵士に過ぎません。それに、階級が上がれば逆に、作戦指揮官として参謀本部や作戦本部で机に縛られてしまう。それは私の意とする所では有りませんでしたし。それが現代の軍隊と言うものですよ。士郎君」
「む。……そうなのか」
「残念ながら。そういう理由もあって、現代ではアーサー王の円卓の騎士のような、中々心躍るような英雄譚は生まれ難いのですよ」
「――――」
「いや、まあ。アリアの言いたい事は判るよ」

 苦笑しながらそう私はそう締め括る。その言葉に少しだけセイバーが反応していた事には、彼は気付いていなかった。

「話が脱線しすぎましたね、本題に戻りましょう。この聖杯戦争と全てが同じとは言いませんが、私は自分が経験した聖杯戦争の顛末を知っている。だからこの戦争で共通している事柄は全て知っている。つまりそういう事です」
「ですが、私達の世界では生前の貴女らしき人物は見かけていませんね」
「ええ。恐らく私とは違って、ここ日本を訪れなかったのでしょう。私は旅行でこの地を訪れた際、サーヴァント達の戦闘に巻き込まれ、貴女達に助けられた」
「じゃあ、別にマスターだったわけじゃないんだな」
「ええ。何も知らない、唯の小さな子供でした」

 無論、それも嘘だ。正確にはまだ私はこの時点でこの世に生を受けてもいない。いや、正確には母の胎内か。
 どんな偶然か、私はあの離別を経た朝に産声を上げたのだそうだ。尤も、イギリスでは時差の関係で此方は二月の十六日でも、向こうはまだ十五日の夜中だったが。
 人間の魂が何時赤ん坊に宿るのか、私は知らない。だが、もし受精の瞬間から人の魂が宿るのなら、あの時、私の魂はこの世界に二人。
 セイバーと、母の胎内にいた自分が同時に存在していたと言えるのかもしれない。
 だが、ふと疑問に思う。それは世界にとって齟齬とならなかったのだろうか?
 尤も、仮にも英霊として召喚されたゴーストライナーの私と、実体として生を受けようとしている赤子の魂である私は、世界にとっては異なる存在と認識されて何の問題も無いのかも知れないし、世界が私の魂を認識するのは生まれ落ちてからなのかもしれないが。
 何れにせよ、私が過去のセイバーとしての自分と同じ時の流れを、母の胎内で経験した事は間違いない。
 ひょっとしたら、この世界でもまだ生まれぬ私が、母さんのお腹の中で誕生の時を待っているのかもしれない。
 だとしたら……彼女もまた、私と同じ道を歩む可能性もあるのだろうか。そして、その魂は彼女、ここに居るセイバーの魂なのだろうか……?

「……アリア? 如何したのですか、私の顔を見詰めて」
「え? あ、いえ。何でもありません。御免なさい、話を中断してしまって」

 いけない。つい物思いに耽ってしまったようだ。
 私が幾ら考えたところで詮無い事、答えなんて出る訳が無い事だ。無駄な事は頭から締め出せアルトリア。

「まあそういう訳で、どんな因果か、守護者となって再びこの聖杯戦争に召喚された私は、半ば反則的に他のサーヴァント達の情報を持っています。尤も私の知る限り、ですが」
「それって、つまり貴女を助けた私達がこの聖杯戦争に勝ったって事よね、アリア?」
「はい。私を助けてくれたのは凛、貴女と士郎君。同盟を組んだお二人にです。そして、全てのサーヴァントを打ち破り、聖杯戦争に勝利した」
「そこ! 重要よ。つまりあのバーサーカーにも勝てたのよね、貴女達は」
「ええ、まあ。アレは半ば奇蹟に近い、ギリギリの戦いでしたが」
「それに、ちゃんと勝利した!」

 凛の瞳が殊更大きく見開かれ、蒼い二つの宝石が煌く。
 さて、どうしましょう。平行世界の自分達は勝利したという事にとても喜んでいるようですが、彼女の顛末を知ったら、がっかりするでしょうか。

「ええ。ただ大変心苦しいのですが、私の世界の貴女はサーヴァントを失い負傷し、最終的に決着をつけたのは士郎君とセイバーでした」
「ぐっ……それ、本当の話?」
「はい……残念ながら」
「くっ…………」

 俄かに握りこぶしを作って悔しがる凛。

「ぁ、ですが、無理も無い事だったんです、アレは。でも心配しないで下さい。私の時とこの世界は違う。貴女は絶対に私が護り、必ず勝利に導いてみせます!」
「え、ええ。そうね。期待してるわよ、アリア」
「勿論です!」

 胸を張り、力強く答える。
 と、その時、セイバーが真剣な顔で私を睨んできた。

「アリア、今の話は本当ですか?」
「え? はい」
「では、私が最後まで残り、私は聖杯を手にしたのですね!?」

 ああ、そこに食いついてきましたか。
 さて、如何したものでしょう。聖杯に付いては、真実を突き付けるべきでしょうね……。
 でも、彼女はそれを如何思うだろう。

「聖杯は、貴女自身の手で、破壊されました」
「なっ……!? ど、如何言う事ですそれは、アリア!?」
「……如何言うも何も、言葉通りの意味ですよ、セイバー。貴女にとっては非常に残念な事でしょうが、この地に降りる聖杯というものは、泥に汚染された、歪んだ願望機でしかなかったのです」
「歪んだ、願望機……だと?」
「はい。……手に入れた者の願いを破壊という力でしか具現出来ない、呪いの壷。アレは既に、“この世全ての悪”によって汚染されてしまっていたのです」
「「「!?」」」

 私の暴露に、今度ばかりは全員が驚き、絶句する。
 誰も口を開けぬ静寂に居間を支配される。その静寂を破り、私は徐に言葉を紡ぐ。

「十年前、この地で何があったか、士郎君。貴方は良く知っていますね?」
「……あ、ああ。忘れようも無いさ。一面真っ赤な火の海だった。家も両親も焼け落ちて、その中で死に瀕していた俺を切嗣が拾い、救ってくれたんだ」
「!!」
「気付きましたか、セイバー? 彼が経験した十年前の新都の火災。それは紛れも無く、貴方が切嗣によって命じられた、聖杯の破壊によって溢れた泥が引き起こした物」
「…………!」
「な……セイバーの前回のマスターって、爺さんだったのか」

 驚愕を顔に貼り付け、俄かに立ち上がるセイバー。微かに震える拳。
 彼女の動揺が手に取るように判る。

「……はい。すみませんシロウ。息子の貴方には伝えるべきだったかもしれません。それに、貴方は私が引き起こしてしまった火災の被害者だった……私の所為で、貴方は多くのモノを失ってしまった……」
「ぁ、いや――――」

 心の底から自責の念に駆られたか、セイバーは俯き、謝罪の言葉を紡ごうとする。
 士郎が困惑しながらセイバーをに声を掛けようとして、どう掛けていいのか判らず言葉に詰まってしまった。
 ふむ、此処はきっちり決着を付けさせねばいけないな。

「いいえ。誤解しないで下さいね、セイバー。アレは貴女の所為じゃない。あの火災は、アーチャーのマスターとなった言峰が願った物。聖杯の泥がその願いを叶えただけです。あの時貴女が聖杯を破壊していなければ、あの聖杯がその力を解放していれば、冬木どころか、この世界そのものが危うくなっていた事でしょう。我々霊長の抑止力が発動し、それこそ原因となる全てを破壊しつくし、地上は地獄と化す所でした」
「――――それは、そうですが……」
「ちょ、まって、今さり気なくとんでもない事言わなかった!?」

 セイバーはただ私の言葉に立ち尽くすのみ。その横から凛がずい、と身を乗り出し、私に詰め寄ってくる。

「言峰神父の事ですね?」
「そうよ、ソレ! おかしいのよ、確かアイツは真っ先にサーヴァントを失って、早々に脱落したって。そんな最後の方まで残ってたなんて聞いてないわ」
「それについても、順を追って説明します。そもそも凛、貴女は彼に騙されている」
「――――! どういうこと?」

 凛は私の言葉に息を呑み、ごくりと固唾を呑み聞いてくる。

「彼は今もまだマスターであり、そして今回もまた、マスターとして暗躍している」
「なっ……あ、っんにゃろ!!」

 多少驚きはしたものの、驚きよりも怒りの方が大きいのか、彼女は青筋まで立てて怒り出した。

「然程驚きませんね、凛? もっと憮然とするかと思いましたが」
「ったりまえよ!! だって代行者遣っていながら魔術師に指示するなんてダブルクロスを平気でやるような破戒神父だもの……実は黒幕でした、なんて言われたってあんまりに似合いすぎてて驚きもしないわ!」
「その様子なら大丈夫ですね。私の世界の貴女は彼に不意を突かれて怪我を負いましたが、貴女にそんな真似は私が絶対させません」
「ええ、お願いね」

 どっかりと逞しい動作で腰を下ろす凛。この彼女ならこの先も大丈夫だろう。危なっかしい部分は私が補助すればいい。決して彼女を危険になんて晒させはしない。
 さあ、後残る問題はセイバーだ。

「セイバー、貴方にとって、切嗣の命令は辛く憎らしいとさえ思えたでしょう。ですが、どうか理解してあげて欲しい。彼は貴女を裏切って、絶望させる為に聖杯を破壊させたのではない事を。……彼の在り方もまた、酷く歪ではありましたが……その判断は間違いではなかったのです」
「…………はい。……正直、心は複雑ですが、聖杯の正体を知らされては納得せざるを得ません。私も、そのような邪に染まった聖杯など欲しくは無い。……切嗣は、正しかったのですね……」

 些か意気消沈し、声にも力が無いが、私の苦言はきちんと受け止めてくれたようだ。
 大丈夫だ。彼女には持ち前の真っ直ぐさは己の非を認め、乗り越える強さが必ずある。

「じゃあ、アリア。とりあえず他のサーヴァントについて詳しく教えてくれない? 今から作戦会議と行きましょう」
「そうですね。……と、そうだ。後一つ、重要な事を教えておかなければ!」
「何?」

 私の言葉に全員の瞳が此方を向く。

「この聖杯戦争にも私達正規のサーヴァント以外に、前回から残っているサーヴァントが居るはずです」
「なんですって!? 前回から居るっていうの?」
「ええ」
「それは、まさか……」
「そうです、セイバー。貴女には不愉快な事でしょうが、あの男が残っています」

 私は一呼吸置いて、その名を口にした。

「アーチャーのサーヴァント。貴女に求婚を迫った男です。現マスターは言峰綺礼」
「!! まさか、本当に奴なのですか!? ……そんな、一体どうやって……」

 ぴしり、と音でもしそうなほどに硬直し、全身から鋭い殺気と嫌悪感を放出する彼女。
 セイバーの殺気に当てられた士郎達がたじろぎかけている。
 気持ちは判らないでもない。私とてあの男に対する嫌悪感は変わりない。
 あの尊大で自身の不遜と傲慢さで国を滅ぼした王。その在り方は、王でなくなった私であっても相容れようの無い物だ。彼の価値観の中には、国も財も、人さえも自身の所有物なのだ。そのような在り方だから、己が法だと、自身の価値観だけで人の生き死に、その人生の価値さえ容易く蹂躙する。そのような在り様を、ただひたすら愛しき人々を護り、救う事を己の全てとしてきた自分がどうして認められようか。
 彼とて英雄、不遜で傲慢で自身が法だと豪語する破天荒者とはいえ、その価値観にも多少は人の世に普遍的な“正しさ”と共通する部分はあろう。
 だが、あのような者は、私は認めない。たとえ天地開闢の神々が認めようと、私は認めてなどやるものか。
 これは意地だ。『アルトリア・C・ヘイワード』としての揺ぎ無い信念だ。

「彼は貴女によって破壊された聖杯の中身、あの泥を浴び、サーヴァントでありながら現世に肉をもって再生されたのです。故に、今の彼は実体を持つ」
「ちょ、その聖杯ってそんな事も可能なの!?」
「ええ。ですが、大抵のサーヴァントはあの泥に触れれば、たちまち飲み込まれ、溶かされ、その性質を反転させられてしまいます。彼のように正気のままで居られる英霊は、まず存在しないでしょう」
「……一体何処まで計り知れないんだ、あの男は……」
「それは彼の正体を知れば、自ずと判ります。……彼の真名はギルガメッシュ。古代ウルクに君臨した、世界最古の英雄王です」
「な……! 世界最古の……」
「英雄、王……」
「ちょっと……そんなの相手じゃ、どんな英雄だろうと分が悪過ぎない……!?」

 セイバーに士郎、そして凛。三者三様の反応が返ってくる。

「はい。彼の宝具はその宝物殿の鍵、“王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)”。嘗て世界中の財宝を蒐集したと逸話にあるように、彼はあらゆる伝説に残る宝具の原典を湯水の如く持つ。それが彼の驚異的な強さの正体です、セイバー」
「なんと……難敵だとは判っていましたが、そこまで桁違いな相手だったとは」
「そして、彼にはもう一つ。彼しか持たない恐ろしい宝具がある。確か彼は“乖離剣(エア)”と呼んでいましたか。天地を開闢させた神々の剣だそうです。あの剣の前には、貴女の宝具でさえ、歯が立たなかった」
「私の……ですか!?」

 その衝撃の事実に些かの不服を含めた表情で呻くセイバー。だが如何せん、嘘ではない事は私の態度から理解している。それが余計に失意を増幅させているのだろうが。

「はい。手強い相手です。ですが、我々にとって、彼を倒す事は決してゴールではない。私の時とは違い、我々には最終的に、あの集団失踪を引き起こした元凶を滅するという困難な仕事が待っています。あれを引き起こしたのは、十年前の火災を引き起こした元凶である黒い呪いの泥、“この世全ての悪(アンリマユ)”です」
「!! この世全ての、悪……」

 凛が上ずるように口にする。

「はい。古代は拝火教、ゾロアスターの教えに登場する悪神、アンリマユ。その本質は人間が抱く“この世全ての悪性”という概念。実はこの地の聖杯も、最初は純粋な魔力の釜だったらしいのです。ですが前々回、第三次の聖杯戦争において、アインツベルンが禁忌を犯した。あろう事か、アンリマユなる反英霊を召喚してしまったのです」
「まさか、悪神そのものを呼び寄せちゃったっていうの!?」
「いいえ。呼び出したのは恐らく、アンリマユとして祭られた何者かでしょう。召喚されたアンリマユ自体は非常に非力で、真っ先に敗退したそうですから。ですが、仮にも“悪神”として祭られた反英雄。その性質は人々にそうであれと願われた『人の世全ての悪性の源』。それは本来英雄として召喚されるはずの無かった“穢れた想念”です。そして、その“穢れ”が敗退し、聖杯に注がれた。それまで無色透明の純粋な力だった聖杯にたった一滴混じってしまった黒。無色なそれはほんの一滴でさえ、一度混ざればその色に染まる事から逃れられない。そのたった一滴の“穢れ”が、聖杯を黒く染めてしまったのです」

 私の説明に、誰の口も堅く引き結ばれたままとなる。

「そして、如何いう訳かこの世界では、この呪いの泥が人々を次々と食い荒らし始めています。あの失踪事件を引き起こしたのは、間違いなくあの泥です。まだ完全には解き放たれてはいませんが、アレは今も染み出た僅かな一部から少しずつ魂を食い養分にして、聖杯の力でこの世に産まれ出ようとしている。そうなれば、如何なると思いますか?」
「そんなの……拙いなんて物じゃないわ。それこそ本当に“抑止力”が働いちゃう」
「その通りです。ひょっとしたら、あの異常な滅亡の兆しこそが、私という“守護者”を此処に呼び寄せた因果の元、なのかも知れません」

 本来、聖杯が召喚するサーヴァントは七騎しか存在しないはずだ。それなのに、此度の聖杯戦争には、私というイレギュラーが存在した。
 では本来の七騎から何かが欠けたのかといえば、答えは否。
 私というイレギュラーな八騎目がなんの異常も無く召喚されたのだ。そこに何らかの因果が絡んでいないと如何して思えよう。

「あと、アンリマユの破壊はお任せ下さい。私達の本領はアレの消滅です。サーヴァントの枠に縛られたこの身では産まれ出てしまってからでは厳しいが、産まれ出る前ならば必ず滅ぼしてみせます」
「勿論私も力添えします、アリア」
「有難う御座います。ですがこれから先、もし黒い泥が出てきたなら、細心の注意を以って離脱してください。アレの呪力層には我々サーヴァントは抗えない。特に正英雄であればあるほど、真逆の性質であるアレは天敵となる。だからセイバーがもし取り付けれてしまえば、忽ちに飲み込まれてしまいます」
「む。敵前で退かざるを得ないのは騎士として口惜しいですが、了解しました」
「オーケー、一先ず整理しましょ。一度に色んなサプライズニュースを聞かされて、頭がこんがらがっちゃいそうだわ」

 おや、少しばかり一気に打ち明けすぎてしまったようですね。
 凛が一端情報を整理しようと場を取り仕切る。

「はは、そうですね。すみません、余り急に彼是と突き付けてしまって。本当はもっと早くに、貴女達に明かすべきだったのでしょうけれど……」
「良いわよ、別に。ある日突然、知りたくても知るはずの無い情報をこんなにいっぺんに齎されれば誰だって怪しむし、頭がこんがらがっちゃうものね。伝えたい、でも説明するには余りに多くを一から丁寧に説明しなきゃ理解してもらえない。ましてや相手からすれば自分は真っ赤な他人。貴女の葛藤も何となくは理解出来るわ」
「気にしなくて良いさ。情報は無いより有るに越した事ないしな」
「そうですね。兵法にも有るように、敵を知り、己を知れば百戦危うからずでしょう」
「これから挑む相手は、泥を別としても、それでも勝てるか危うい相手ですけれどね」

 つい苦笑しながら答える。

「そんな弱腰でどうするのですかアリア。貴女達はあのアーチャーにさえ勝てたのでしょう? ならば我々にだって勝てるはずです! なにより、生身だった貴女の過去と違って、今の貴女は英霊なのですから!」

 卓上をばんっと叩きそうな勢いで身を乗り出し、セイバーが私を鼓舞してくれる。
 その論理には彼女の与り知らぬ破綻が潜んでいるのだが、それは言うまい。

「……ふふっ、そうですね。大丈夫、別に悲観している訳ではありませんよ。ただし、油断は禁物です。慢心は全てを無に返します」
「その慎重さはアリアらしいな」
「そうね、頼もしいじゃない」
「はは、私には強引な力押しは出来ませんからね。慎重にならざるを得ないだけですよ」

 本当はもっと強引に、多少の不利も気合と誇りで切り開いてやる、というぐらいの勇猛さが有った筈ですが、あの頃のような無尽蔵な力を失ったという現実は、私をここまで変える程の要因だったという事だろうか。胸中で自嘲めいた笑いが漏れる。
 本当に“らしくない”でしょうね。昔の私から見たら。

「とりあえず、現状新しく判った事は、アリアが聖杯戦争に対して一番詳しい事。聖杯は万能なんかじゃなく、人類全てを呪うモノ、なんて呪いに汚染されていた事。それと第四次のアーチャー、ギルガメッシュがまだ残っていて、監督役の綺礼がまだギルガメッシュのマスターでいる事。そして、最重要項目。何があってもアンリマユの誕生だけは阻止しなければいけない事。こんな所かしら?」
「そうですね」

 私が頷くと満足げに胸の前で拍手を打つ凛。

「オッケー、おさらい終わり! それじゃ次は各サーヴァントの情報を教えて、アリア」
「はい。まずランサーはクー・フーリン。これはセイバーも見抜いていますね」
「はい。彼の宝具“刺し穿つ死棘の槍(ゲイボルク)”は強力かつ、危険です。私は持ち前の予知直感と強運が功を奏して急所は外せましたが」
「私が食らえば、まず殺されるでしょう……防ぐ手立てが全く無い訳ではありませんが」
「相当にヤバイの、アリア?」
「防げたとしても、かなり分が悪いですね」

 因果の逆転の呪いに勝る神秘、若しくは槍の概念を覆せる神秘でもなければ、あの槍は防げない。後は、呪いじみた強運か。
 竜の因子を持たぬ私にはセイバーのような桁外れの幸運は望むべくも無い。

「そう、判ったわ。使わせたらアウトって事ね」
「彼は本来、協会に派遣された魔術師に召喚されたのですが、言峰の闇討ちに遭い腕ごと令呪を奪われ、現在は言峰のサーヴァントとしてスパイ役をさせられています」
「じゃあ何、アイツってば、二体もサーヴァントを従えてるって言うの」
「そういう事になります」
「ちぃっ。厄介ね」

 言峰綺礼という男……直接対峙した事は一度しかないが、それだけでも十分にあの男が食わせ物である事は嫌というほど理解させられた。
 人を生きながらに殺し続け、あのギルガメッシュを繋ぎ止めていた男。
 私にシロウを殺して聖杯を取れなどと唆してきた、許し難い背徳者。
 だが、今後私達の前に立ちはだかるのは恐らく、マキリの妖怪だろう。
 マキリの妖怪に背徳者……私達が挑まなければならない相手は共に癖者だ。

「全員、言峰には常に気をつけていて下さい。彼はあの“泥”をこの世に溢れさせようと企んでいる。最終的にアンリマユを護らんと私達の前に立ちはだかるのは、恐らくあの男でしょう」
「なっ……アイツ……確かにいけ好かない神父だと思ったけど」
「何考えてんのよ、アイツ!?」
「さあ、あの男の考える所なんて、恐らく誰にも理解出来ないでしょうね。この世を地獄に変えることに喜びを見出すような異常者です」

 あの男は“あれは際限の無い呪いの塊だ”と理解していた。
 それにも関わらず、奴は“それは私にとって喜ばしい――人を殺す為だけの聖杯が存在し、ましてそれを扱えるなど――まさに天上の夢でもみているかのようだ”と、人を殺す泥を自身の手で解き放てる事がこの上ない悦びだと、愉悦に浸りきった顔で語っていた。
 人の世の善悪の彼岸を理解しながら、その悪性に悦びを見出す狂った価値観の持ち主。
 それがあの男の歪み。その歪みを理解出来る者が居るとしたら、同じように歪み狂った人間だけだろう。

「アイツめ、そこまでイカレてたか。判った、全員ヤツには要注意よ、いいわね?」
「了解しました」
「ああ」

 凛の言葉に頷くセイバーと士郎。
 少なくともこれで彼らがあの破戒神父に謀られる事は防げるだろう。

「では次に、キャスターとアサシン。キャスターについては私達も直接その正体を見抜けた訳ではありませんでした。ただし、神代の魔術とされる“高速神言”を使える事、あらゆる魔術的な契りを断ち切り無効化する契約破りの短刀“破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)”を持っている事から、推察される真名はコルキスの魔女メディアかと思われます」

 この推測も、本当は凛が導き出した物。
 彼女が見つけ出した、キャスターを呼び出したであろう魔術師の痕跡と、彼が召喚に用いた触媒が尤も大きな手がかりとなったことで正体をメディアに絞り込めたのだ。

「そして山門を護るアサシン、真名は佐々木小次郎。人の身でありながら、純粋な剣技だけで“多重次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)”の域にまで達した“燕返し”の持ち主です」
「は!? 多重次元屈折現象を剣技だけで会得したって言うの!?」
「ええ。恐ろしい技でした。彼はセイバーでも苦戦させられる程の剣豪です」
「ほう。それほどに剣の立つ者ですか。純粋に勝負してみたい気持ちになりますね」
「お気持ちは判りますが、今は極力リスクは避ける方向でお願いします、セイバー」
「わ、判っています! ただ、少しばかり剣士としての興味が沸いただけです」

 先程の重い話で些か表情に覇気が欠けていたセイバーだったが、騎士としての性が幸いしてか、アサシンへの興味で何時もの元気が戻ってきたようだ。

「本来ならばアサシンのクラスには必ず、『山の老翁(ハサン・サッバーハ)』と呼ばれる暗殺教団の歴代党首から一人が選出される筈なのですが、彼は間違いなく侍です。実在さえ確かではない、幻の剣豪と云われる佐々木小次郎。かの侍が何故に暗殺者として召喚されたのかは私にも判りません。また、彼のマスターも最後まで謎のままでした」
「ちょっと、正体は判ってても、他が謎だらけってこと?」
「はい。セイバーが一度は剣を交えたものの、その場は決着が付かず、再戦を挑む前に彼は何者かの手で倒されていましたので。情報を得る機会は有りませんでした」
「おそらくギルガメッシュでしょうね。幾ら剣技が凄かろうとそれだけでは、間合いの外から宝具の絨毯爆撃を受ければ一溜まりもないでしょう」

 セイバーが犯人を憶測する。私も大方は同意見だ。あの時彼以外にアサシンを倒せる者がいるとすればランサーか、彼の同盟相手であるキャスターか。
 だが最も可能性が高いのはやはりギルガメッシュだろう。

「うわ、なによソレ……ギルガメッシュってそんなえげつない攻撃方法持ってるの?」
「彼のクラスをお忘れですか凛。アーチャーなのですから、射出攻撃が可能なのは当然でしょう。だから危険極まりないのですよ」
「う……判ってるわよ」

 凛が何処か彼を誤解しているようだったので間違いを正しておく。

「次にバーサーカー……は、もう判っていますね。ギリシャ神話の英雄ヘラクレスです。その宝具は“十二の試練(ゴッドハンド)”。ランクA以上の攻撃でなければ傷一つ付かず、一度経験した攻撃は二度通用しないという、桁外れに反則紛いな性能です」
「同じ攻撃は二度通じないってのが辛いわね」
「ええ。彼を満足に殺しきれるのは無数の宝具を誇るギルガメッシュ位のものでしょう。セイバーの宝具でも、一度で十二の命を散らしきる事は難しいかもしれない」
「最大出力で打てば可能かもしれませんが……魔力を使い切る恐れがありますね」

 セイバーが思案顔で自身の宝具の威力と消費魔力を測る。だがそんなタイトロープをさせる心算は無い。

「今貴女に消えられては困ります、セイバー」
「そうなると、やはり難しい相手ですね」
「ご心配には及びません。私が五回か六回、最低でも三回は殺してみせます」
「何か手が有るのですか?」
「ちょっとね。何かまた仕込む気みたいなのよアリアってば」
「ええ。彼に通用する“弾”を作ろうと。あの概念武装を貫けるかどうかも保証は出来ませんが、やるだけやってみます。上手くいけばかなり彼のストックを削る事が出来る」
「なんと……貴女は底が知れませんね」
「ふふ、自身で勝てぬなら、勝てる“物”を用意するまでですよ」

 この会議が終わったら、すぐに土蔵で作業に掛かろう。敵は待ってはくれないのだから。

「後は、アーチャー。前回のではなく、今回のですね」
「…………」

 私の言葉に士郎が微かに息を呑む。
 彼は既に知っているからだ。彼の招待が己の可能性の一つである事を。

「これはなんというか、非常に申し上げ難いのですが……」
「何よ、急に歯切れが悪くなって」
「その……実は彼も、私と同類なのです」
「へ? 同類っていうと……?」
「つまり、彼もまた私と同じように、別の可能性を辿ったこの聖杯戦争の経験者なのです」
「な……どんな偶然よ、ソレ?」
「因果というか、数奇な運命というか……アーチャーの真名は“エミヤ”。つまり、私と同じように世界と契約し守護者となってしまった、士郎君の未来の一つです」
「はいぃ!?」
「なっ!?」
「…………」

 予想通りに驚きの反応を示す凛達。ただ一人、士郎だけは神妙な難しい面持ちだ。

「な、なんでこんなヘッポコが英霊になんて!?」
「……ヘッポコで悪かったな」
「凛……英雄となるのに魔術の腕はあまり関係ありませんよ」
「今はまだ技術も未熟ですが……」
「そりゃ、セイバーから一本どころかタコ殴りにされたけどさ」
「当たり前です。英霊に唯の人間が敵う筈がないでしょう」

 二人からの散々な言葉に士郎は仏頂面で抗議する。
 でもそんな彼が己も省みず、我武者羅に突き進んでしまった末路があの弓兵なのだ。

「十年の月日をただひたすら鍛錬し続けた彼の技量には貴女も驚くでしょうね」
「……そうなのか?」

 まだ直に彼の戦闘している所を見ていないからだろう。士郎はいまいち実感が沸いてこないようで、呆けたような表情のまま気の無い台詞を返すばかりだ。

「? シロウ、あまり驚かれていませんね?」
「ホントだ。あんた、なんでそんなに普通にしてられるのよ」
「いや、だって。俺はアイツの事だけは先にアリアから聞いてたから」
「はあ!? ちょっとアリア、それ如何いう事!?」
「あ、それは……その、何と云いますか……」
「ああ、そういえばまだ言ってなかったっけ? すまん遠坂。アーチャーはライダーと同盟を結んでいるらしい。アイツの家で帰り掛けにバッタリ逢っちまったんだ」
「なっソレを早く言いなさいよあんた達!!」
「あっお止め下さい凛!!」

 怒髪天を突きそうな勢いで怒る凛がやおら座卓に身を乗り出し、対面に居る士郎の襟首を掴むやガクガクと絞め揺する。
 慌てて彼女を制しようとするが彼女は一向に止まらない。

「うわっぐぇっ!? ご、ゴメン。そしたらさ……なんかアリアは、アーチャーの事をっ良く知ってる感じだったんで、聞いてみたら、そういう話でさ……げほっ」
「そういう話でさ、じゃないでしょこの頓珍漢!!」
「ぐぇっ……すまん、遠坂……うぐっ、言い忘れ……てた」
「す、すみません凛! 順序立てて説明する心算だったんですが……」
「まったくもう、重要な事じゃないの! なんでさっき一緒に説明しないのよ」
「御免なさい。とにかく落ち着いて下さい、凛」

 十分落ち着いてるわよ、と愚痴りながら凛の手がようやく士郎を解放する。

「それで、アリア? 衛宮君は一体どんな宝具を持ってらっしゃるのかしら?」

 まだ怒り冷め遣らぬ様子で、棘のあるきつい口調で続きを促してくる。

「彼には特に、これと云ってシンボルとなった宝具は有りません。ですが、彼には彼にしか持ち得ない究極の一があります」
「……! それって、まさか……」
「お気付きになられましたか。そうです。彼の宝具は『固有結界』そのもの。その心象世界から自身の象徴である“剣”であれば、たとえ宝具でさえ投影し、真名まで開放できる。その出鱈目さはこの聖杯戦争中でも際立っていると言っていいでしょう」
「な、なんですかソレは……下手をすればギルガメッシュよりも手強いのでは?」
「俺の投影って、そんな大それた事まで可能になる……のか?」
「ええ、成ります。ですが、それは貴方にとって諸刃の剣と言っても良い。自身の魔術回路に分不相応な宝具の投影は必ず貴方の回路に過大な負荷を掛ける。その反動は全身にダメージを与えることになります」
「う……そりゃ、きついな」
「ええ。ですから、貴方は出来ると判ったからといって、無闇に投影を行ってはいけません。いいですね?」
「あ、ああ。判った」

 話として聞けば確かにこれ以上に馬鹿げた宝具も無いかもしれない。だが、それだけ都合が良さそうに聞こえる物には、当然それなりに不都合もある。

「話を戻しますが、投影された宝具は所詮投影品。投影した宝具はランクが下がり、本物には及びません。それに彼自身の性能は決して高くない。純粋な剣技、武技で貴女やランサーと勝負すればまず彼に勝ち目は無いし、スピードも膂力も貴女に及びません。その代わりに、彼は如何なる状況からでも、己に有利な状況を作り出す戦場の支配に長けている。故に彼は手数と戦術、戦略を駆使して戦う。彼は言うなれば、私と同じ種類の戦い方をするサーヴァントです」

 考えてみればみるほど、私と彼の共通性に気付く。私も彼も、些細な相違こそあれ、目指す望みは同じだったから、似通うのは当然の事なのかもしれないが。

「成る程。貴女と同様、という訳ですか」
「高い神秘を纏う宝具を自由に使える分、私よりは彼のほうが有利でしょうね」
「なんにしても、敵としては厄介ね。仲間に引き込めれば心強いけど……」
「それが出来れば良いのですが……彼の性格や状況からして、共闘は難しそうです」
「そうなの? 士郎なのに?」
「ええ。大分今の彼より擦れて捻くれてしまってますから」
――……むう。否定はしないが、些か酷くないかねアルトリア?――

 今まで黙していた鞘の中の彼が抗議の声を上げる。
 おや、もしかして傷付かれてしまいましたか?

――いや。その程度で折れる程軟ではないが。ただ君にそう言われると残念だ――

 あらら、やっぱり少し傷付いてる。御免なさい、少し言い過ぎましたか。
 でも貴方は別ですよ? 貴方は既に私怨を捨て弱さを乗り越え、忘れていた心をちゃんと取り戻せたのだから。

――判っているよ。ただ、性格はそう大して変わらん。ああ。どうやら私も擦れて捻くれてしまったらしい――

 拗ねないで下さいよ。その分、冷静な判断力と強かさを身に付けたという事です。

「擦れて捻くれて……って、一体何があったのよ衛宮君?」
「んな事俺に聞かれたって困る。アリアに聞けよ」
「ま、まあ、色々と有ったのでしょう。ですが、死して尚人々を救えるのならと、彼は守護者になる事を躊躇わなかった。しかし守護者となり見せ付けられたのは、常に人類の滅亡する光景ばかり。我々抑止力が働くのは常に大量の滅びが発生した世界。人類の全滅を食い止める為、その滅びの根源を力任せに消し去る掃除屋のようなモノ。それは彼が願った、人々を救うというものとは正反対の地獄を常に見せ付けられる終わりの無い牢獄です」

 シロウが磨耗していった理由。それは守護者の本質と彼の願いとの齟齬にある。

「それでも彼は懸命に人々を救わんと、必死に滅びを食い止め続けた。だが、どんなに頑張っても、その度に毀れる者は出る。その救えぬ者達の存在に彼の心は苛まれ続けた。何故全てを救えない。何故滅びの前に食い止められないのかと。その結果ついに彼の心は疲弊し、擦り切れてしまった」

 私の言葉に三人の目が此方を向く。如何したのだろうか、皆の視線が私の顔に向けられているようだが……。

「今の彼は危険です。その絶望の余り、守護者となってしまった自分を消したくて、自分自身を殺したがっています。そんな事をしても、無駄だというのに……」
「自分殺し……って事は、アーチャーは俺を狙っているのか」
「今はまだサーヴァントとしての命令を優先させているでしょうが、殺せる機会があれば、何時でも襲い掛かってくる可能性はあります」
「…………」
「大丈夫、貴方は私が護ります。彼に手出しはさせません!」
「あ、ああ。ありがとう」

 決意を込めてそう宣言する。
 だがどうも先程から皆の視線が妙だ。ずっと私を心配するような眼差しを向けてくる。

「……? 如何かしましたか?」
「い、いえ。何でも……。その、貴女は平気なのかなって」
「ああ、ご心配なく。私も確かに同じように散々地獄は見せられてきましたが、幸いにも私には、心強い味方が居てくれますので」

 そっと自分の胸に手を当て、その鞘の存在を感じ取る。
 己の心臓の鼓動とはまた違う、小さな魔力の鼓動。そして彼の温もりを感じ取り、不意に笑みが零れてしまった。

「? 味方って?」
「ふふ。それは秘密です」
「何よソレ」

 ムスッと膨れる凛。その顔は可愛らしいが、流石に私の中にも彼が居るとは言えない。
 ソレこそ理由を説明するだけでも一苦労ですからね。

「まあそれはさて置き、士郎君。貴方が今のまま、自身を勘定に入れぬままに理想を追い続けるなら、必ず彼と同じ末路を辿ります。……それだけは確かです」
「――――っ!」

 場に沈黙が訪れる。その言葉の重さ、真意を何処まで理解されたかは判らないが、少なくとも誰もがその言葉に嘘偽りは無い事だけは感じ取ってくれたようだ。

「……ご心配無く。貴方が必ず同じ道を辿るとは限りません。その為にも、凛。彼の事を頼みますね」
「なっ!? 突然何よ。判ってるわよ、士郎を守護者にさせるなって言うんでしょ? そんな話聞かされちゃあね。言われなくったって私が止めるわよ。一番弟子にそんな哀れな末路は辿らせないから。だから覚悟しなさいよ士郎!?」
「ん!? あ、ああ。……お手柔らかに頼む」
「ふふ。その言葉が聞ければ安心です。忘れないで下さいね、凛」

 彼女ならきっと彼が道を踏み外す事無く、真っ直ぐに導いてくれる事だろう。世界と契約するような無茶はさせまい。
 一呼吸置き、話の続きにもどす。

「では最後に、ライダー。真名はメドゥーサ。ギリシャ神話に伝えられるゴルゴーンの怪物です。その宝具は“騎英の手綱(ベルレフォーン)”。幻想種ペガサスを操り単騎特攻をかける事が出来る対軍宝具です。その他、学校に張られている結界宝具の“他者封印・鮮血神殿(ブラッドフォート・アンドロメダ)”」
「え、じゃああの結界、やっぱり慎二が張らせたのか」
「やっぱりね。ほら見なさい。あんまり人が良すぎても損するわよ、衛宮くん」
「う……」

 結界の事を話した所で士郎が残念そうに口を開き、凛が呆れた様に諭す。

「まあ、それが士郎君の欠点でもあり、長所でもありますから」
「いいよ、アリア。自分が甘いのは判ってる」
「そうよ、アリア。甘やかしちゃ駄目よ。それより話を続けて」

 少々気の毒になりフォローするが、士郎は反省しているらしく、凛にも逆に必要ないと諫められてしまった。

「……判りました。話を戻しますが、私は経験有りませんが、真名から察するに石化の魔眼も当然持っているでしょう。普段は特殊な眼帯で封印しているようですが」

 反英霊メドゥーサ。私が対決したあの時は流石に、その真名までは見抜けなかった。
 なら何故その正体を私が知っているのか。その答えは私の第二の人生にある。
 私が冬木を訪れた時に再会した凛は訳あって、自身が経験した第五次のみならず、過去を辿れる限り全ての聖杯戦争について詳細に調査していた。
 そして聖杯戦争の本質を見極めた彼女は、予てからの時計塔の協力者と共に、もはや歪んでしまった聖杯戦争の解体を決心する。
 私は彼女の手伝いを買って出た事で、彼女の調べ上げた全てを知る事となった。
 故に私は知っている。桜の秘密も、この聖杯戦争の隠されたカラクリも。

 問題は、それを何時、如何にして彼女達に打ち明けられるか。
 事が事なだけに、時と状況をよく見極めた上で話さなければいけない。
 特に凛には、冷静に受け入れられる下地を、私がきちんと固めてあげてなければ。
 いきなりあれもこれもと打ち明けるには、余りに秘密が多すぎる。重すぎる。
 
「そういえば妙な目隠ししてたな、ライダー」
「石化の魔眼ですか、使われると少々厄介ですね。高い対魔力スキルを持つ私はまだマシでしょうが、対魔力の低いアリアにとっては非常に厄介では……」
「そうですね、発動されれば、一瞬で石化することは無いと思いますが、身動きは殆ど取れなくなるかもしれません」
「魔眼避けのアミュレットでも有れば良いんだけど、ウチの宝物庫漁ってもそう都合良く便利なアイテムは無いだろうしなあ」

 うーんと唸りながら魔眼対策に頭を捻る凛。

「まあ、私の時の彼女は何故か魔眼は使ってきませんでしたし、そう危惧しすぎる必要はないでしょう」
「うーん、まあ、確かに今は考えても解決策なんて見えないんだけど」
「それより、ライダーのマスターが問題です」
「え、慎二が? なんで?」
「凛、士郎君。申し上げ難い事ですが、彼女のマスターは慎二ではないのです」
「は?」「え?」

 二人して同時に間抜けな声を漏らす。

「ライダーの本当のマスター。それは、彼ではなく妹の桜さんなのです。慎二は、令呪によって一時的にマスター権を桜さんから譲り受けているだけ」
「は……はい!?」
「な……!!」
 目を点にしてぽかんと何を言われたか理解出来ずにいる士郎と、あからさまに怒りと驚愕の入り混じった表情で凍りつく凛。

「そんな、なんでさ? 桜は魔術師じゃない筈だろう?」
「大変残念な事ですが、嘘ではありません。凛、貴女ならお解かりでしょう」
「…………」

 士郎が辛うじて頭を働かせ、間違いではと抗議してくるが、凛はただ黙して語らない。

「凛、お気持ちは察します。私は貴女達の間柄を良く知っている」
「……そうだったわね。本当、なのね?」
「はい。御免なさい」
「何で謝るのよ。別に貴女が悪い訳じゃないでしょ」

 憮然とした面持ちでぶっきらぼうに口を開く凛。
 事実とはいえ、凛にとっては気を悪くさせられる話を無神経に突きつけたのは私だ。
 その事に対しての謝罪。凛は謝る必要が無いと言ってくれるけれど、それでは私が自分を許せない。だからやっぱり謝る。それは身勝手な自責で困らせた事に対して。
 ……そして、恐らくはこれからもまた、困らせてしまう事になるだろうから。

「はい。でも、やっぱり御免なさい」
「馬鹿ね。ほんと心の贅肉の多いサーヴァントなんだから」

 そんな私に、凛は何時もの台詞を口にした。

「なあ、どういう事なのか、教えてくれ、る……かな?」

 凛の様子に憚られるものを感じてか、士郎がおずおずと聞いてくる。

「凛、よろしいですか?」
「いいわ、自分で話すから」

 そう言うと凛は徐に顔を上げた。
 表情は自然な落ち着きを取り戻し、凛とした彼女に戻っている。

「桜はね、実は私の妹なの。血の繋がった、実の妹よ」
「なんだって」
「あの子はね、十年前に遠坂から間桐に養子として出されたの。魔術回路の枯渇した間桐に、魔術の系譜を途切れさせない為にね。……そうよ、如何してそこで気付かなかったんだろう。途絶えた魔術回路の為に養子に迎えた桜を差し置いて、魔術回路の無い慎二が後継者になんて、絶対になるはずが無いのに……ああ、私って馬鹿だ!」

 矢庭に頭を抱えて髪を振り乱すほどに宙を仰ぎ、振り戻る対の拳が卓上を叩く。

「凛! ……誰にだって過ちはあります。誰も貴女を責めはしない。貴女は気付く事が出来たんです。問題は、これから如何するかでしょう」
「……そうね。桜は、結界の事は知っているのかしら」
「あれは慎二の独断でしょう。桜さんは自身が聖杯戦争に関わりたくないが為に、慎二の要求を呑み、ライダーのマスター権を譲り渡している筈です」
「そう。じゃあ、慎二がマスターである間にライダーを倒せれば」
「桜は自動的にサーヴァントを失い、多少は安全に聖杯戦争から抜けられるかもしれません。……尤も、言峰もまたマスターである以上、教会に保護を求めるのは必ずしも安全とは言えませんが」
「アイツ、そういう所だけは妙に徹底して律儀だから大丈夫な気もするけどね」
「それに、まだ確証は有りませんが……彼女はライダーを失っても、きっとこの戦いから降りられない」
「それ、どういうこと……?」
「それは……」

 私が口ごもった丁度その時だった。突然私のPDAが電子音を響かせたのは。

「な、何!? なんの音? タイマー?」
「あ、いえ。これは私のPDAです」

 この後各勢力の位置確認や戦略を詰める為に、PDAを傍らに控えておいたのだ。
 騒々しく呼び出し音を鳴らすPDAを座卓の上に配置し、起動する。

「インフォメーション(報告)」
“イエス、マァム。アルゲスシステムにアンノウン反応有。アプリケーション起動します”
「「「しゃ、喋った!?」」」

 突然PDAから発した声に三人が目を丸くして驚く。ああ、そういえばまだこの子の事は説明していませんでしたかね。

「ああ、紹介が遅れましたね。これは私のPDAに搭載されたサポートAI、いわゆる人工知能で“Kind Execute Intelligence”、略してKEI(ケイ)といいます」
“初めまして。作業補助電脳プログラムのKEIと申します。以後お見知りおきを”
「あ、これはどうも、セイバーです」
「あ、俺は衛宮士郎」
“セイバー様にエミヤシロウ様、顔、声紋認識完了、登録しました。宜しくお願いします”

 PDAのディスプレイに埋め込まれた通信用カメラアイを通し、周囲の人間を認識したKEIが自己紹介する。
 律儀な二人が呆気に取られながら自己紹介し返す様は少し笑いそうになってしまった。

「え、ええっと? キカイ、よね? 中に使い魔とか入ってる訳じゃないのよね?」
「ええ。純粋に機械ですよ」
「嘘だ、機械が勝手に喋る訳ない! 絶対中に何か居るんでしょ!?」
「いませんって。電子的な擬似人格ですよ」
「うぬぬ、もう人の人格まで作り出せるようになったっていうの科学は……?」
「まだ所詮プログラムに過ぎず、完全な人格、精神体ではありません。第一、まだ現代には有りませんよ、凛。これは私の時代の産物です」
“残る一名様がリン様、ですね? 宜しくお願いします”
「ぇえっ!? あ、そ、そうよ。宜しく……」

 凛の科学アレルギーにも困ったものですね。まあ気持ちは判らなくも無いんですが。

“アルゲスシステム、チェック、オールグリーン。アンノウン反応、一。場所、新都繁華街ポイント・デルタ。コンマ五秒の動体、高熱源反応を確認。反応パターンに該当する小動物の可能性検索……該当無し。ビットデルタの全周カメラ映像、表示します”
「良し。近辺のIRカメラ映像も回して」
“了解”

 私はキーボードを操作して表示された全周カメラの長いパノラマ映像を精査してゆく。

「あった! この影を拡大……これは!!」

 そこに其処に映っていたのは際どいボディスーツに身を包んだ長い髪の女性。
 そう、ライダーだ。

「この周囲のIRから前後三分間の映像を分割表示!」
“了解、表示します”

 キーを素早く叩き、升目上に表示されるIRカメラの映像を備に調べてゆく。
 するとある路地裏を視界に捉えた一台が、その奥で女性を襲うライダーの姿を映し出す。

「っ!! これは……あの女、やってはならない事を……!!」

 判っている。彼女ならこの程度の事は憚りもせず行うだろうことは。所詮この戦争は外道であり非道に他ならない。
 だがその非道を認める事など私の信念が赦さない。

「これは、ライダーか?」
「それは確かですか、シロウ!?」
「人を襲ったか。慎二じゃ彼女に魔力を供給出来ない、だからでしょうね」
「……なんという、外道め! シロウ!!」
「ああ判ってる! こうしちゃ居られない。行こうアリア、遠坂!!」

 頭に血が昇った彼らは今にも飛び出さんばかりだ。私とて、頭にはとっくに血が昇っている。だが凛はこの中で唯一純粋な魔術師。彼女にとってはこの程度は常識の範疇。
 故に彼女がどう判断するか。私はその判断を求め、彼女の目に問いかける。

「正直、この程度ならマスターとしては常套手段よ。……でもね、あの馬鹿は私の管理するこの街で無関係の一般人を襲った。魔術師にとって最大の罪は神秘の漏洩よ」

 握られた拳がぎゅう、と更に堅く握り締められる。彼女も、心は私達と同じだ。

「あんな人気の多い街中で活動するなんて、いい度胸じゃない……アリア!」
「はい」
「先手必勝、奴の手は既に割れてる。貴女達が連携すれば敵じゃないわね?」
「勿論です。彼女にはゴッドハンドのような反則技はない」
「セイバーの名に懸けて、ライダー如きに遅れは取りません! 民草に手を掛けるような外道は、我が剣の錆にしてくれましょう」
「作戦はどうするか……今から行っても彼女はとっくに食事を終えて逃げられるかもしれないわよ?」
「彼女がアルゲスシステムに引っ掛かればすぐ私が判ります。二手に別れて、ある程度索敵範囲を割り振って当たりましょう。セイバー、これを」
「何です、これは?」
「イヤホンマイクです。この端子を貴女の携帯に繋いでおけば、手をふさぐ事無く会話が出来ます。コレを使って連携を取る訳です。新都に入ったら、電話は常に通話状態に。ライダーの所在を発見次第、すぐ貴女達に伝えます」

 私もセイバーも、戦意は十二分に奮い高まっている。彼女一人では窮地に追いやられかねないが、今は私が居る。遅れを取る事は無い筈だ。

「ライダーは怪力と、ランサーに匹敵する俊敏性を誇るサーヴァントです。入り組んだ地形の市街地では彼女に分がある。発見しても単騎で不用意に攻め込まない事。私達が合流するまで待つように。その上天馬。アレは危険です。恐らくライダーは、私達を逃げ場の無いビルの屋上へ誘い込もうとするでしょう。空を飛ぶ相手に切り札以外の攻撃手段を持たないセイバーは、決して逃げ場の無い高層ビルには登らないように! 凛はセイバーと共に行動してください。私は一人で構いません。セイバーが戦う間、無防備になる士郎君をカバーして欲しい」

 私の指示に各々が反論なく頷いてゆく。重畳だ。これなら彼女と対峙してもそう拙い事態にはならないだろう。少なくとも、セイバーが私と同じ轍を踏む心配は無い。後は不確定要素があまり飛び込んでこない事を祈るだけだ。

「オーケー。あの馬鹿をぶん殴りに行くわよ!ここでライダーを倒す、良いわね皆!!」
「了解!」
「お任せ下さい!」
「おう!」

 私達は最短時間でで現地に向かう為、それぞれにマスターを担ぎ、全力で新都を目指し飛び出した。



[1071] Fate/Liberating Night her codename is “Soldier” vol.21
Name: G3104@the rookie writer◆21666917 ID:28e7040d
Date: 2008/08/16 04:23
 まだ繁華街が眠るには早い時刻に、私達は戦場であるこの街へと到達した。
 目的はライダーの打倒、及び排除。罪も無い無関係の人間に手を掛けた非道をこのまま黙って見過ごせる程、私は人間が出来ては居ない。
 それは私自身を否定する事に他ならないからだ。

「さて、では此処からは二手に分かれましょうか」
「その前に、あの襲われた女の子は助かったのか?」

 士郎が心配そうにそう尋ねてくる。

「ええ。今確認しています。……丁度今、警察に保護されました。吸血されただけで済んだらしく、気を失っていましたが極度の疲労と貧血だけで済んだようです」
「そうか、良かった」

 ライダーによって襲われた女性。彼女を放っておく訳にもいかなかったので、移動中に私が警察に匿名で通報しておいたのだ。
 その通報を受けて警官が彼女を見つけ、救急車を呼び搬送したという警察無線がPDAを通して私のヘッドセットグラスに内蔵されたイヤホンから聞こえてくる。
 視界上に浮かぶように表示されたIRカメラの映像でその救急車を確認し、ほっと一息つく。まだ彼女が襲われてから十五分も経っていない。二次被害の心配は無いだろう。

「それ、凄いな。そんなのもあるのか」
「ああ、これですか? これは私のPDAのヘッドセットです。戦場で常時こんな嵩張る物を開けて、確認しながら行動する訳にいきませんからね」

 鼻の上に掛けているヘッドセットを指で指し示しながら答える。形状としては眼鏡というより、シューティンググラスに近い。耳に掛ける蔓の部分に耳掛け式ヘッドホンが合体したような形をしている。
 だが実は骨伝導式スピーカー式なので、別にヘッドホン型である必要はないのだが、形状は機能的に出来ていると言えるだろう。

「そんなの映画の中だけかと思ってた」
「あはは。まあ、ここまで自然な形というのは、まだこの時代には無いでしょうね」

 そう軽く相槌を打ちながらフェンスの下を見下ろす。ここは丁度、冬木大橋から此方、ビジネス街、そして繁華街へと伸びている大きな交差点の一角にあるビルの屋上。
 私達は此処に陣取り、これから始める作戦内容の最終ブリーフィングに入る。

「では最終確認です。本作戦の標的はライダー。但し現状索敵に掛からず現在位置は不明。よって目下隊を分け索敵する。ライダーを発見し次第相互に通達。セイバーは常時携帯を私と通話状態に。それによってリアルタイムに貴女との連携が図れる。凛は念話で構いません。其方の状況を私に報告してください。いや、いっその事、知覚共有しておいた方が良いかもしれません」
「そうね。その方が何か有れば直ぐ伝わるわね。オーケー、Anfang(セット)――Es teilt einen Sinn(祖は感覚を共有せん)」

 軽い眩暈のような錯覚と奇妙な音の無い耳鳴りが神経を駆け抜ける。その直後には脳裏に彼女の五感が自分の物に重なるように流れ込んできた。

「あまり必要の無い味覚や触角なんかは悪いけどそっちでフィルタリングして。意識すれば各感覚の感受性の調整位は出来る筈よ」
「了解しました」
「俺は如何したら良い?」

 士郎が手持ち無沙汰な面持ちで指示を請う。その表情には何処か自信無さげな色が差す。
 彼自身、いざシリアスな戦闘になれば自身が最も非力である事を理解している。それ故の表情だろう。だが、私のマスターだった“彼”はあまり見せなかった顔でもある。

 ――私の時には君という“頭脳”は存在しなかったからな。非力さは感じていても、とかく遮二無二駆け抜けるしか無かった私と違い、君のおかげでこの未熟者も多少は自分を冷静に見る事が出来るようになった、と言う事だろう――

 それは重畳だ。この様子なら、貴方ほど無茶な真似はしないでしょうから。

 ――くっくっく。さて、それはどうだろうな。余り過信しない方が良いと思うがね――

 そういう縁起の悪い事は余り言わないで欲しいものですが。まあ、この程度で彼の歪みが直るなら、私もあれほど苦労しなかったでしょうしね。そうでしょう、シロウ?

 ――む。アルトリア、君……やっぱりだんだん凛に似てきたぞ――

 あら、そうですか?
 そんな他愛無い軽口を胸中で交わしながらも、私は彼に指示を出す。

「士郎君は目が良い。ですので視力を強化してライダーの捜索を。戦闘は私達の領分です。貴方は凛と共に後衛に回り、セイバーを援護して下さい。如何にセイバーとて死角はあります。故に、貴方の役目はセイバーの盾になることじゃない。彼女の死角を補う“目”となってあげて下さい。貴方が安全であれば、セイバーも心置きなく攻撃に専念出来る」
「そうですね。私の背中を預けます、シロウ」
「判った」

 私とセイバーの言葉に答える士郎。よし、これならセイバーの信頼に答えようと無茶な行動は慎んでくれる筈だ。セイバーもその心算で背を預けるといったのだろう。

「凛は士郎君達と共に。セイバーの補助と士郎君の護衛をお願いします」
「任せておきなさい。貴女も気をつけてね。それと、無茶するんじゃないわよ? 士郎もだけど、貴女の無鉄砲さは下手すると士郎以上だから心配になるわ」

 と、私も凛から心配されてしまう立場でしたか。

「はは、これは耳が痛い。ご心配なく、私もそうそう主に心配は掛けない様にします」
「よろしい」

 私に釘を刺した凛は満足げに頷く。はは、私も見抜かれているなあ。

「では時計を合わせましょう。現在時刻二三○七(フタサンマルナナ)、三、二……」
「ちょっと、ねえアリア。それって必要な事?」
「はい? ――あ、そうですね。私達にはあまり意味がありませんか」

 怪訝な顔でそう聞いてくる凛の言葉で失態に気付く。

「そうだな。俺、時計してないし」
「私もです」

 ああ、そういえば。何をやっているんでしょうね私。作戦指揮なんて久方ぶりだったから何時の間にか軍人の性が出てしまったかな。
 まったく、情けないぞアルトリア。しっかりしろ自分。

「はは、私とした事が……はあ。まったく、締まりませんねえ」
「あはは。まあ、いいじゃないか。おかげで緊張が解けたよ」
「気にしなくて良いわよ。私達じゃそんな堅苦しい事してもあんまり効果無いってだけ」

 そう慰めてくれる士郎と凛の表情は程よく緊張が解けて穏やかになっている。ガチガチに緊張していては出来る事も上手くいかない。まあ、怪我の功名でしょうか。

「成る程、正確な時を刻める物を使い、隊の個々の行動を揃えるのですか。中々興味深い」

 騎士的、というより将としての性か、時計の戦略上の意味に興味を示すセイバー。

「まあ、そうですね。時計合わせは主に突入作戦などのタイミングが重要な作戦で有効なだけです。特殊部隊に居た頃の癖でつい」
「へえ、何処のだい?」

 私の経歴に興味が沸いたのか、士郎が何の気無しに聞いてくる。そういえば軍属とは伝えていましたがそれが何処のかまでは語っていませんでしたね。

「スペシャル・エア・サービスです」
「え、それってあのSASか!?」
「シロウ、それは有名なのですか?」

 私の言葉に目を丸くして驚く士郎にセイバーはキョトンとするばかり。

「有名だよ。最近じゃ海外の紛争地帯のニュースでもよく耳にするくらい有名な、イギリスの対テロ特殊部隊だ。エリート中のエリートだよ。成る程、道理で……」

 特殊部隊というのは、その存在が広く知れ渡ってしまうのはあまり好ましい事ではないんですけどね。まあその分、知名度による抑止力が少しは働くかもしれませんが……。
 そんな事は今はどうでも良い。時間は余り無いのだ。さっさと行動に移らなければ。

「はい、お喋りはそれまでに。これより作戦行動に入ります。私は単騎でビル伝いに繁華街西側外縁から回ります。セイバー達は地上から通りの東側を探索して下さい」
「了解」

 良し。これで準備は整った。後はゴーサインを発令するだけだ。

「では只今より『ゴルゴーンの騎兵掃討作戦』を開始する。総員、出撃!!」

 私の号令と共に二手に分かれ、私は単身で夜の摩天楼へと飛び込む。
 その選択が後に後手に回らされる原因になるとは……。




第二十一話「小隊は戦場に入り乱れる」




“アルゲス・システムに感有り! ポイント・チャーリー、四時の方向約三百メートル”
「ライダーか!?」

 丁度私鉄の駅舎が見える辺りまでビルの上を跳び回ってきた所だった。
 突如私のPDAが甲高い電子音を鳴らし、搭載AIのK教授がそう報告してくる。

〔アリア、ライダーを発見したのですか?〕

 セイバーが電話越しに私の声に気付いて、問いかけてきた。

「ちょっとまって下さい、セイバー。まだ確認中です」

“現在画像解析中……パターン照合結果、五十八パーセントの確立で設定対象に一致。映像表示します。ご確認を”
「……間違い無いな。良し、周辺IR映像出せ!」
“了解”

 シューティンググラスのような幅広のレンズ面に複数の映像が表示される。光の屈折率の関係で私の目にはそう見えているが、外から私のゴーグルを覗いても映し出されている映像を見る事は出来ず、レンズが薄らと蛍光色に光っているようにしか見えない。
 そのレンズ面に現れた映像の中にライダーの姿が映る。彼女は電柱の頂に屈み、封じられた双眸でありながら、その視線は再び襲う獲物を物色するように通りを舐めてゆく。

「ちっ! ライダーめ、まだ吸い足りないと言う心算か」

 私はすぐさま屋上のモルタル床を蹴り、一直線にライダーの居る場所を目指す。

「凛、セイバー、ライダーを発見しました! 至急此方に合流して下さい! 場所は――」
(発見したのね!? え、ちょっと如何したのアリア、アリア?)
〔発見したのですね? アリア、如何しました?〕

 別行動中の彼女達に召集を掛けようと念話を送った丁度その時だ、突然私のPDAから通信のコール音が鳴り響く。

「!? 無線……? 豊田か!」
“イエス。豊田三佐より入電。指定周波数帯より彼の識別コードを受信。スペクトラム拡散FH方式、自衛隊の暗号化プロトコルを確認。応じますか?”
「繋げ!」
(ちょっと、豊田って誰よ!? 自衛隊って何!?)
(あ、しまっ……! 詳しい事は後で話します凛。大丈夫、協力者です)
〔どうしましたアリア?〕
「っとと! ちょっと待ってくださいセイバー。今情報を整理しますから……」

 しまった、今私は凛と感覚を共有している最中だった。それにセイバーとも電話で通話状態のままだ。慌てて携帯電話からマイクの線を外す。
 流石に豊田達との話は彼女達に聞かせても混乱させるだけだろうし、何より、二人に豊田らの事を説明している暇は無い。セイバーにはマイクを切るだけで済むが、問題は凛だ。
 彼女からの感覚を此方が遮断する事は出来るが、此方から彼女への感覚を切る事は出来たのだろうか。もっとも、既にばれてしまった今では、考えても仕方のない事だが……。
 今、私の携帯電話は現在セイバーと繋がったままだから、彼は仕方なく無線で連絡を寄越してきたのだろう。

〔姐さん聞こえるか!?〕
「如何しました一体?」
〔姐さん達が一体誰を探してるのかは知らんが、コッチの監視網が色々とヤバイモノを見つけちまったんで、急ぎアンタに知らせた方が良いと思ってな!〕

 ヘッドセットから骨を振動させて届く声には、些かの興奮と焦りが感じられる。

「一体何を……」
〔バーサーカーだよ! それも弓を使う奴、アーチャーだったか? 今交戦中だ!!〕
「何ですって!?」

 私の声を遮って捲くし立ててきた豊田の口から発せられた単語に、思わず叫び返した。

〔その上アンタの言ってた黒い滲みみたいな奴……! アレがマジで出やがった!!〕
「なっ!? それは何処です豊田!?」

 何てことだ、あの泥まで……それも寄りによってこんな時に!!

〔アンタ今駅側だろ? 完璧逆方向だ! 姐さんの位置から4時方向、距離二キロ弱!!〕
「くっ! 遠すぎるな」

 なんという事だ。丁度この繁華街――いや、集まる店舗の種類から言えば歓楽街と呼ぶべきかもしれないが――へ入る前に最終ブリーフィングをしたビルが有るあの交差点の向こう、オフィス街へと続く大通りの辺りじゃないか!

〔如何するよ姐さん? とりあえず市内の状態はずっと俺達が監視し続けてるから連中の動きも逐一伝えてやれるが?〕
「ええ、そうですね。バーサーカーの方にはセイバー達を向かわせます。貴方は私に現状この街で動いている全ての敵勢力の情報を!」

 一先ず立ち止まって辺りを確認しながら答え返す。ヘッドセットの視界上に表示されている地図上で、ライダーの位置と今聞いた泥の出現位置、そして自分の現在地を確認し、泥の居る方角を一瞥する。
 さて、これ以外に、現状もう他に不確定要素が増えなければ良いが……。

〔姐さんの別働隊のお嬢達か、成る程な。判った。一先ず現状新都で俺達が確認してるのはアーチャーとバーサーカー、それにライダー。後はアンタ達だけだ。他の連中は動き無しだ。ランサーは教会、キャスターは柳桐寺から一歩も出てない。だが今日はどうも間桐の妖怪爺が出張ってやがる。何の心算かアーチャーを連れてボケッとオフィス街の一角を眺めていたんだが、丁度そこにバーサーカーを連れた嬢ちゃんが現れた。目の良い野郎だ、八百メートルは離れてたってのに速攻でバーサーカーの目を射抜きやがった。……驚いた事にあのデカブツ、無傷だったがな。全く、八百メートルをピンヘッド狙撃する弓使いに攻撃が通らない無敵の怪物……とんだバケモノ揃いだぜ〕

 英霊同士の物理法則を無視した馬鹿らしい程の超能力バトルを目の当たりにして、心の底から理不尽さを吐き出すかのように深い溜め息を吐く豊田三佐。
 その気持ちは判らなくも無い。私も桁外れな魔力を武器に神造兵器を振り回せたあの頃と違い、彼らと同じ人の身でこの時代の戦場を、そして人の身の限界を思い知ったから。
 私だってこのような身に成らなければ、我ら英霊の能力が唯の人間にとって如何に桁外れであるかを本当の意味で実感する事は出来なかったろう。

〔その後はアーチャーが雨霰と浴びせる矢をことごとく跳ね返しながら、デカブツがマスターのちびっ子抱えて一直線に突っ込んで行ったんだが、アーチャーの手前五十メートル辺りで突然立ち止まったかと思ったら、横道から例の黒い『何か』が出てきやがった! ありゃあ、まるでバーサーカーに反応して出てきたような感じだったな〕
「……でしょうね。奴は高い魔力に反応する。目の前にバーサーカーなんて魔力の塊が現れれば当然捕食しようと動くでしょう」

 成る程。恐らく泥は元からその近くに出現していたのだ。蔵硯は奴の“食事”を安全な場所から観察していた。そんな所だろう。そこに“ご馳走”が飛び込んできたのだ。
 まったく、運が無いというか、拙い時に出てきてくれたものだ。自分の城に篭っていれば護りは鉄壁に近いというのに、わざわざ地の利を捨ててまで街中に出てくるなんて。
 また得意の気まぐれですか……イリヤスフィール。

〔今バーサーカーはその黒い水溜りから伸びる触手を避けながら、アーチャーの攻撃を受けてる。どうもアーチャーは奴をあのヘドロに食わせようと企んでるような動きだな〕
「そうですか、判りました。一先ず彼女達に状況を伝えます」

 そう豊田に伝え、念話で凛に呼び掛ける。

(凛! たった今状況が一変しました! オフィス街の方でバーサーカーが……)
(聞いていたわ、全部)
(っ! そ、そうですね……)

 説明も終わらないうちに、一言でその意味を奪われてしまう。私の聴覚は彼女に筒抜けなのだから、当然といえば当然なのだが……参りましたね、本当に。
 今度ばかりは怒られても仕方が無い。信頼を裏切るような真似をしているのだから。

(全く、後で彼らについて詳しく説明してもらうわよアリア!?)
(は、はい……)
(そんなに萎縮しなくて良いわよ、もう。それで、如何したらいいの? 私達の方が近いんでしょ?)

 凛はまるで全てを察しているかのように、そう私に指示を促してくれる。そんな彼女の懐の深さに、素直に感謝する。今は私情よりも優先しなければならない大事がある。その事を彼女も良く理解してくれているのだ。

(はい。場所はオフィス街の大通り、丁度私達がブリーフィングを行った交差点を上がった辺りです。貴女達からは直線距離でおよそ八五〇メートル。アーチャーに襲われているバーサーカーを一時的に護り、泥から逃がして下さい。正直な所、私にも何が起こるか全く判りません。だから最大限に注意を払って向かって下さい!)
(判ったわ。こっちは任せなさい。貴女も一人じゃキツイかもしれないけれど、ライダーは任せるわ、大丈夫ね?)
(はい。勿論です)

 彼女にそう言い切り、念話を終える。と、そうだ。セイバーにも一言断っておかねば。
 外していたマイクの端子を繋ぎ直し、彼女に呼びかける。

「セイバー、聞こえますか。状況がかなり急変しました。計画を変更して、貴女達には別行動を取ってもらいたい。その為、ライダーには私が単機で対処します。状況と変更後の作戦詳細については凛に伝えてあります。詳しくは彼女から聞いて下さい」
〔判りました。ご武運を〕

 セイバーはそう言葉短く、二つ返事で了承してくれた。王であり、多くの兵を率いてきた将でもある彼女だ。状況の変容など戦の常、その情報を把握する事が要である事を知っている。私の声音から、その深刻性、重要性を察してくれたのだろう。

「良し。向こうは彼女達が向かいます」
〔そうか〕
「あと、すみません。貴方達の事がマスターにばれてしまいました。丁度感覚共有していた時に貴方の無線を受けてしまったもので。私の耳を通して彼女にも全て筒抜けに」

 起きてしまった事は仕方が無い。黙っていても後々問題になりかねないので伝えておく。

〔何!? ……あちゃ~。魔術師ってのは便利なもんだなおい。ソイツは間の悪い時に声を掛けちまったもんだ。拙ったなあ〕
「申し訳ありません。此方も秘匿できる余裕が全く無かったもので」

 失敗失敗と頭をぼりぼり掻いていそうな彼の姿が目に浮かぶ。

〔まあ、それは良いさ。後で姐さんに頑張ってもらって、彼女を説得してもらえば良い〕

 然程重要な事ではないような含みを声に持たせて、彼は気だるそうに軽く話す。まあ、魔術協会の本部にはまだ直接知られては居ないのだ。
 確かに、冬木の管理者である凛の裁量で見逃してもらえれば特に何の問題も無い。彼らにとっても、それほど神経質になるほど重要な事ではないのだろう。
 組織間の相互不可侵というのが表向きの原則だが、やはり原則は原則。実際には裏もあるのかもしれない。そうでなければ、組織というものは上手く機能できない。

〔それよりもだ。……ライダーはどうも人食いに精を出しているようだな、クソッ〕

 通信の向こうで舌打ちし毒吐く豊田三佐。彼もまた、本来人を護るべき自衛官だ。やはり任務とはいえ、目の前で襲われてゆく人々を助けに出られない事が悔しいのだろう。

「ええ。今私達が追っているのはそのライダーだ。彼女の凶行を止めるのが私達の目的なのですが……」
〔奴め動き出したぞ。どうやら獲物を定めちまったようだ。そこから百二十メートル先にあるでかいカラオケボックスの脇の路地だ、早く向かってやれ!〕
「判った、ありがとう!!」

 豊田からライダーの最新情報が入り、急ぐ。どうか間に合ってくれ!


**************************************************************


「まったく。ホント隠し事が多いんだから……」
「ふう。まったくですね」
「隠し事って、アリアの事か? まだ何か隠してたのか?」

 つい口から漏れた私の愚痴を耳聡く聞き取られてしまった。

「ん、何でもないわ。些事よ些事。それより大変よ二人共」
「大変って?」
「アリアから聞いた件ですね」

 セイバーが相槌を打つ。彼女も電話でアリアと繋がっている。だけど、私との念話は兎も角、どうも豊田という男との遣り取りは聞いていないらしい。
 多分、アリアが一時的に接続を切ったんだろう。

「そうよ、セイバー。どうも雲行きが怪しくなってきたわ」
「如何様にです?」

 私の言葉に先を求める二人。事が事なだけに落ち着いて一呼吸ついてから、口にする。

「アリアがライダーを発見したわ。それはセイバーも電話で聞いたわね? でも同時に、向こうのオフィス街でバーサーカーとアーチャーが交戦中だそうよ」
「「!!」」

 二人共目を丸くして驚きの相を顔に張り付かせる。

「私には全くサーヴァントの気配は感じられませんでしたが……」
「そりゃそうでしょうよ。此処から一キロ近く離れてるもの。私でさえ魔力の余波も碌に感知出来なかったんだから」

 それに、こう騒々しい繁華街の中では、戦闘の物音さえ気付きにくい。それがこんな入り組んだビル街で、何百メートルも離れた場所なら尚更だ。

「しかも最悪な事に、そのバーサーカーに黒い泥が襲い掛かってるらしいのよ」
「アンリマユがですか!?」

 セイバーが更に険しい表情で驚きに凍る。士郎も同様の顔だ。

「そうよ。だからアリアは私達に別行動を頼んできた。彼を、バーサーカーを逃がして欲しいってね。ライダーは自分一人でも構わないからって」
「成る程、そういうことですか。彼女の言葉の真意は判りました。……ですが、まさか私達があの巨人を助太刀する事になろうとは」

 彼女の感想はもっともだ。私だって、あの馬鹿みたいに強いバーサーカーをわざわざ護りに行くだなんて、何の冗談かと思いたくなる。
 でも、アリアの声に巫山戯たところは微塵も無かった。切羽詰った深刻さが、必要な事なんだと必死に訴えていた。なら、応じない訳にいかないじゃない。

「助けるって言っても、あくまであの泥から逃がすだけよ。要はヤツに餌を与えるなって事。それと、具体的にはアーチャーの妨害よ。どうもアーチャーはバーサーカーを泥に飲み込ませようと動いてるらしいわ」
「なっ!? ……霊長の抑止力ともあろう者が、何故そんな事を……」

 アーチャーの行動に驚き悩むセイバー。仮にも同じ英霊である彼女にとっては信じられない事なのかも知れない。
 でも確かに人類の滅亡を防ぐ事が彼らの存在理由なのだから、確かにアーチャーの行動は矛盾している。
 だけど私達が幾ら考えた所で、彼が矛盾した行動を取る理由なんて判るはずも無い。

「理由なんて知らないわよ。でもやってる事は紛れも無く事実。なら、私達が取るべき行動は一つでしょ?」
「そうだな。行くぞセイバー、アーチャーを止めに行くんだ!」
「心得ております。では一刻も早く向かいましょう、凛!」
「ええ!!」

 彼女達に力強く答え、私達は戦場となったオフィス街を目指し駆け出した。


**************************************************************


「早く逃げなさい!」
「は、はいっ」

 まだうら若きスーツ姿があまり板についた感じしない女性が私の声に我を取り戻し、あたふたと慌てながらライダー達の横をすり抜け逃げ出てくる。
 きっと同僚か上司にでも付き合って呑み会にでも来ていた新米の会社員だろう。

「助かりました、ありがとう!」

 私の横を通り抜ける際にそう礼を残し、通りへと逃げてゆく。その足音が背後の路地を曲がった先の雑踏に溶け込むまでそう時間は掛からなかった。

「ふう、何とか間に合いましたね。ライダー、これ以上の凶行は私が赦しません」
「な、な、何だお前っ!? ライダーッ敵だ、サーヴァントかコイツ!?」

 驚き狼狽える真二を護るように、ライダーが彼の前に出る。

「下がってくださいシンジ。あれはトオサカのサーヴァントです」
「何っ!? 遠坂のだって!? チクショウなんてこった。遠坂とは後で同盟を組もうと思ってたのに……!!」

 突然狂ったかのように頭を抱え、掻き毟りながら激昂する慎二。その態度はまるで幼い子供を見ているようだ。

「生憎ですが、凛がこのような非道を働く貴方と同盟を結ぶ事など有り得ませんよ」

 どんな計画が彼の頭の中にあったのかは知らないが、少なくとも凛が彼を同盟者として迎え入れる可能性だけはまず無いだろう。

「う、うるさいっ! なんだよお前っ何様のつもりさ!?」
「何様も何も、凛のサーヴァントですが」

 余りに間の抜けた詰問に思わず肩を竦めてしまう。彼は今自分が置かれている状況が理解できていないのだろうか。足元に私の投げた短剣が深々と突き刺さっているのに。
 それが、目の前に居る私は紛れも無く貴方の敵だ、という意思表示であることさえ、気付いていないというのか。

「そんな事は判ってるよ! なんだよ、お前は遠坂の僕だろ!? 同盟するかどうかはお前が決める事じゃないんだよ!!」
「はあ。まったく……これでは貴女も苦労しますね、ライダー?」
「…………。まさか貴女に同情されるとは思いませんでしたよ」
「なっ!? 何だとこの偉そうに! お前もだライダー!! 何だその態度は!? お前、僕を馬鹿にしてるだろ!!」

 私の一言が更に彼の激情を逆撫でしたようだ。更にライダーの一言が彼のプライドを追い詰めてゆく。

「……いえ、考えすぎですシンジ」
「い、今間があった! やっぱりお前馬鹿にしてるだろ!! もういいっ、後で覚悟しとけよライダー! それとお前だクソッ、元はと言えばお前が元凶だ、遠坂のサーヴァント! 澄ました顔しやがってムカつくんだよ。やれライダー、そいつを切り刻んじまえ!!」
「了解しました、マスター」
「ようやくですか」

 私の言葉が終わる前にライダーは動き出していた。
 私の眉間目掛け繰り出されるハイキックを後ろにかわして避けるのではなく、逆に前方へ踏み出す。そう、やや斜め前へだ。
 それは間合いから逃れるのではなく、間合いの更に内側へと滑り込む動作。私の格闘術の基本形であり要である体裁き。
 重心を低く落とし、半身に上体を捻り肉薄するほど迫る互いの肉体。繰り出される蹴りは私の頭の斜め後ろで虚しく空を切る。

「っ!」

 私のセオリー外な挙動に小さく息を呑むライダー。だがもう遅い。
 私の肘は既に彼女の鳩尾を捕らえている。
 そのまま後ろに残した左脚を支柱とし、地面に固定した足の裏から伸びる力の動線を作り上げ、全体重を乗せて一気に突き飛ばす!

「ふっ!」
「ぐふっ!!」

 咄嗟に全身の力を抜いて不意な外力に対し一切抵抗せず、私の突きで盛大に後へと吹っ飛ぶライダー。見た目は派手に一撃を食らったように見えるが、実際は否。彼女の咄嗟の判断は正しい。彼女は全く抵抗をゼロにして、私に押し飛ばされるようにしたのだ。
そこで不用意に踏ん張ったり硬直して守りに入ろうとすれば、打撃力を全て肉体に吸収してしまう事になる。それはつまり内部へのダメージとなるのだ。

「うわあっ!? 痛っ、こら重いバカッ早くどけよこのウスラトンカチ!!」

 間が悪かったらしい慎二は丁度ライダーの真後ろに居た所為で、運悪く吹っ飛んできた彼女の下敷きになってしまったようだ。

「こほっ。申し訳有りませんマスター。――――ふむ、成る程。貴女、知略家かと思いきや意外に武闘派なのですね。面白い」
「相手を倒す為なら何だって使いますよ。武器でも、己自身でも」

 ゆらりと立ち上がり、此方へとゆっくり距離を詰めてくるライダー。歩き方までもがゆらりと滑らかに地を滑るよう。その様はまるで蛇を思わせる。

「徒手格闘は御得意のようですね。ならば、これなら如何です?」

 徐に構えた彼女の手には何処から取り出したのか、既に二対の鎖が付いた釘を思わせる短剣が握られていた。
 此方もそれに応じてファイティングナイフを取り出し、左手に握る。
 約五メートルを開けての対峙。私も彼女も動かず、場の時間が凍りつく。だが、静寂がずっと続く事は有り得ない。些細な切っ掛けが有れば、それは容易く破られる。
 近くの電灯が切れかける寸前なのか、鈍い羽音のようなノイズと共に明滅する。
 ソレが引き金となった。

「はっ!!」

 気勢と共に放たれる二振りの釘剣。それは真っ直ぐに私の眉間と心臓を狙い襲い掛かる。
 全力で横へ跳び、その二刀の軌道から逃れると同時に小さな筒を投擲する。それはまるで明後日の方向へ放物線を描き、ビルの壁面に跳ね返って彼女の後ろへと転がる。

「? 何の心算で……マスター、下がって!!」

 本能的な物か、それとも今現在の自分達の立ち位置から察したか、ライダーは私が投げた物が危険な物だと気付いたようだが、時既に遅し。

―――ボフッ!

「うわ!? ゲホッゴホゴホッなんだこれ……!? う、なん……だ……」
「マスター!? この煙は……マスター大丈夫ですか!?」

 そう、私が投げた物。それは非殺傷性手榴弾の一種。ただし今使ったのは暴徒鎮圧用の音響閃光弾や催涙ガス弾ではなく、特殊作戦用の催眠ガスを発する物だ。

「ご心配無く。少し眠ってもらうだけです。妙な動きをされても困りますし、後で色々と吐いて貰おうかと思っていますのでね」
「マスターを封じた、と言う訳ですか」

 手で口元を覆いながら、ライダーは憎憎しげな声で呻く。私の行動が余程予想外だったのだろう。まあ、そう言いたくなるのも判らなくは無い。
 “昔の私”ならきっと、貴女と同じ反応をしたでしょうからね。

「まあ、そういう事です。その少年は放っておくと碌な事をしないでしょうからね。この手の類は問答無用で黙らせるのが一番だ。でしょう、ライダー?」

 慎二をこの場で殺さないのは後で幾つか吐かせたい事も有るからだ。だが、そもそも排除するというだけなら今のように眠らせるか、気絶させてしまえば事は済む。
 私は無用な殺生など好まない。否、確かに前世も生前も、数えるのも嫌に成る程この手を幾度も血に染めてきた。だが、例えどんなに必要性が有ろうと、私は決して殺人を好んだ事など無い。それは相手が目の前のこの矮小な人格の哀れな少年でも同じ事。

「……成る程。貴女ならマスター殺しくらいやってのけるかと思いましたが、存外にお人好しのようですね。……別に殺してしまわれても良かったんですが」
「……本音が漏れていますよ」
「おっといけない。つい日頃の鬱憤が溜まっていたもので」

 私の指摘にも特に意に介さない。元より隠す気など無いのだろう。彼女も人を食ったような不敵な態度で相手を翻弄し、自分に有利なよう流れを操るタイプ。
 いいでしょう。此処からは狐と狸の化かし合い。悪知恵比べだ。

「不本意なのは判りますが。まったく、不謹慎ですね、ライダー」
「ええ、全くです」

 くすりと酷薄に笑いながらそう軽口を叩くライダー。

「いいでしょう。貴女がマスターを狙わないというのなら、此方も戦いに専念出来る。今の奇術といい、私も貴女の力量に興味が沸きました。さあ、始めましょうか!」

 口上とともに地を蹴り弾けるライダー。
 今までは前座、此処からが本番。その闘いの火蓋が今切って落とされた。


**************************************************************


「シロウ、凛、もうすぐです。気を引き締めて下さい」
「ええ。判ってるわ」
「ああ。頼むぞ、セイバー」

 先行していたセイバーが立ち止まり、此方を振り返って注意を促す。
 周囲の景色は殆どが無味乾燥な事務所系のテナントビルに変わっている。此処はもうオフィス街の一角。バーサーカー達はこの先、大通りで戦っている。
 まだ現場は数ブロック先の筈だけど、もう魔力の余波が肌に痛いほどピリピリと感じる。
 間違いない。とてつもない魔力のぶつかり合いが起きているんだ。
 魔力感知はこの中では私が一番鋭い筈だけど、ここまで濃密なら士郎でもすぐ判る筈。

「凄いな、このプレッシャー」
「そうね。此処まで離れてても判るほどだなんて」
「……急ぎましょう!」

 セイバーの声に頷き、私達は再び走り出す。
 走り出してからふと気付いたが、時間が惜しいのでそのまま走りながら彼女に作戦を伝えることにした。

「聞いてセイバー、相手は一人じゃないわ。バーサーカーを襲ってるのはアーチャーだけじゃない。彼を飲み込もうとしている泥は貴女も見境無しに襲う筈よ」
「判っています」

 彼女も走りながら相槌を返す。

「だから、影の動向は私達がずっと監視しておく。勿論援護も兼ねてね。私の魔術が泥にどのくらい効くかは判んないけど。とにかくやれるだけの迎撃はしてみる。だから貴女はアーチャーに専念して」
「判りました。凛、私の背中を預けます。貴女がたも無理はしないで下さい」

 そうこうしているうちに、目の前には戦場が迫っていた。
 ビルの谷間から覗く大通りを――ヒュン!――と白銀に光る何かが幾筋か奔る。直後には轟音とバーサーカーの咆哮。間違いない、目の前が目的地だ。
 今の砲撃――いや、弓撃?――の方向や魔力反応の位置関係からしてドンピシャリ。
 このまま大通りに出れば間違いなくバーサーカーとアーチャーの間に割って入れる筈。
 恐らくアーチャーは泥と挟み撃ちにしているだろうから、泥はバーサーカーの後ろだろう。位置的にセイバーが襲われる危険はかなり小さい筈だ。よし!

「セイバー、行って! アーチャーの狙撃を防ぐの!!」
「判りました!!」

 強い突風が私の顔を襲い髪を弄ぶ。前を走る彼女が一瞬で銀の弾丸と化した余波だ。
 その弾丸は真っ直ぐ大通りへと飛び出し、再び襲い来る光の筋を一薙ぎで払い落とした。

「えっ!? セイバー……なんで!?」

 遠くから驚いたイリヤスフィールの声が耳に届く。どうやら近場には居ないようだ。
 ワンテンポ遅れて私達が大通りに出る。

「逃げなさいアインツベルン!!」
「!?」

 私の言葉が伝わらなかったのか、イリヤスフィールは動揺した声を上げる。

「下がって! そこは危険です、私の後ろに!!」
「判った!」

 慌ててセイバーの後ろに回る。そしてそのままバーサーカーの方を確認する。
 そこには小さな主を庇い、必死に黒い泥と戦っている巨躯があった。
 周囲には無数の破壊跡。アーチャーの矢を弾いたり叩き落した事で出来た跡だろうか。
 穿たれた爪跡の出来方は滅茶苦茶だ。ひょっとしたら殆どはバーサーカーの斧剣による物かもしれない。
 事実バーサーカーはずっと黒い泥に対して地面ごと斬り付け、抉られた道路の残骸ごと黒い闇を吹き飛ばしている。その度に道路には無残な爪跡が増えていく。 
 もはや彼の足元には綺麗なアスファルトなど殆ど残っていない。

「!! あれが、アンリマユ……」
「アリアがサーヴァントの天敵だって言った意味、何となく判ったな」

 マスターとして齎された能力がそれを可能にしたのか、それとも人間の本能がその存在を忌避したのか。アレを見た瞬間、本能的にその本質を理解した。多分士郎も同じだろう。

「百聞は一見に如かずね。良く言ったものだわ。アリアの説明だけでは現実感がなかったけど、アレ見たら全部納得。確かに、厄介だわ」

 背後で幾度も聞こえる甲高い金属音。セイバーが矢を打ち払い続けている音だ。
 振り返ってその矢の主を探す。ざっと視線を巡らせて、百メートルほど向こうの歩道橋から次々に銀光を繰り出してくる紅い男を見つけた。

「あれが、アーチャー……」
「ああ、間違いない。アイツだ」

 位置的に見ると私たちは丁度交差点に居て、後方一ブロック先にある小さな交差点を塞ぐように泥、その手前にバーサーカー。私達からバーサーカーまでは約四十メートル。

「なあ、ちょっと妙じゃないか?」
「何が?」
「いや、確か俺達、バーサーカーを逃がすために来たんだよな」
「そうだけど。何が言いたいのよ」

 士郎の質問の意図が掴めず、聞き返す。

「さっきからアーチャーが射ってくる矢って、なんかあんまりバーサーカーに通用しそうに思えないんだが」
「あ」

 そういえばあのオッサン――アリアが話していた誰かの事だ――がバーサーカーにアーチャーの矢は効いてなかったと言っていた筈だ。

「確かに……無線の相手もそんな事言ってたわ」
「無線?」

 しまった、つい口が滑った。今士郎達にあの妙な連中の事を話している暇は無いし、その必要も無い。適当に誤魔化しておこう。

「ああ、いや、こっちの話。詳しい事は後で」
「あ、ああ。判った」

 私の言葉に一瞬だけ怪訝な顔をするが、直ぐに気を取り直してくれた。そのまま士郎はアーチャーを警戒しながら、私の返答を待っている。

「でも、だとしたら妙よ。アイツの攻撃が無駄なら、バーサーカーはあの場から逃げられる筈じゃない」
「そうなんだよな……だから、妙だなって」

 そう話していた直後だ。突然セイバーが焦るように気配を一変させた。

「――――! 二人とも伏せて!!」
「!? ――遠坂っ!!」

 セイバーの叫ぶ声が聞こえたと同時に、内容を理解するより早く私も彼女が感じた危機を、背筋がゾクッとするほど異常な魔力の高まりを察知した。
 だがそれよりも先にその危険に気付いていたのか、私は士郎に引っ張られて強引に組み伏せられた。

“ブロークン・ファンタズム(壊れた幻想)”

 一際高い魔力の収束と、その後セイバーの剣が矢を弾く音と同時に聞こえた呪文。
 その直後、彼女の眼前で魔力の大爆発が起きた。

「きゃあああっ!? ――――何よこれっ!?」
「うわっ!? ――――熱っ!!」

 余りの大音響と熱、爆風に晒されて思わず叫ぶ。

(凛、凛!? 大丈夫ですか!!)

 五感を共有しているアリアが心配して念話を寄越してきたが、私もまた彼女の状況は五感を通して知っている。アリアの身体能力では怪力と機敏性を誇るライダーを相手にするのは実際問題、決して得策ではない。
 此方に注意を逸らして対処出来るほど楽な相手じゃない筈だ。

(だ、大丈夫。吃驚させられたけどダメージはないわ。貴女はライダーに専念しなさい!)
(すみません、凛)

「一体、何が起こったんだ……遠坂、セイバー、無事か!?
「え、ええ。私は平気よ、お陰様で。それよりセイバーは大丈夫!?」

 それにしても今のは不意を突かれた。一瞬セイバーが爆発したかと思った程だ。

「…………はい。何とか……多少ダメージは負ったようですが。防いだ心算だったのですが、咄嗟に鎧に魔力を集中させるのが精一杯でした。私に高い対魔力があったお陰です。無ければ今頃どうなっていたか……」

 確かにセイバーの姿を確認すると所々青い綺麗な戦装束は裂け、彼女の鮮血で赤黒く変色し、鎧にも傷や焼け焦げた跡がある。傷口は浅かったのか直ぐに閉じてゆくが、白い肌に残った血糊の跡が小さくないダメージを物語っていた。

「貴女が防波堤になってくれたお陰でこっちも助かったのね」

 地面に出来上がったV字の無傷な路面と周囲の焼け爛れたアスファルト――燃える物が少ない所為か炎上はしなかったが、まだ一部には小さく燻る火が残っている――を見詰めて、ふと彼女の足元にカランと硬い音を響かせ転がった妙な物を見つける。
 これは……剣?

「何、これ……なんで剣なんて」
「それが先程爆発した物です。彼が射ってきた“矢”の正体です、凛」

 セイバーが此方に少しだけ振り向いて、だが体は以前見えない剣先をアーチャーの方へ向け、構えた姿勢のままそう説明してくれる。

「はあ!? 剣を矢の代わりにしたっていうの!?」
「どうやらそうらしい。見ろよ遠坂……ぐっ!? コレ……消えていくぞ。投影した物だ」

 士郎に促されて足元に視線を戻すと剣は存在感が薄れ、飴の様に溶けて跡形も無くマナの霧に変わっていった。

「なんって、デタラメ……」
「一瞬しか見えなかったけど剣の形状といい、多分……デュランダルだと思う」
「それって、宝具じゃない! ……ちょっと、大丈夫?」

 辛そうに顔を顰めながら説明してくる士郎。まさかさっきの爆発で怪我したのかしら。

「ああ。大丈夫だ、なんでもない」
「そう……? なら、いいけど。……そろそろ退いて貰える?」
「あ、……ああ! ゴメン、遠坂」

 士郎が慌てて私の上から飛び退く。良かった。そのぐらい動けるのなら、別に怪我した訳じゃないようね。

「デュランダル……」

 中世の騎士ローランが持っていたとされる剣。その柄には四つの聖遺物が埋め込まれていたとされ、三つの奇蹟を持つと伝えられる剣だ。

「アリアから、彼は宝具を投影出来ると確かに聞いていましたが、まさかこんな使い方をしてくるとは、思いもよりませんでした」

 アリアにこの滅茶苦茶な技がある事を何故教えてくれなかったのかと、文句の一つも言いたくなる。だが五感に送られてくるアリアの現況はライダーとの交戦真っ最中。
 此方の様子に気を回している余裕なんて無いだろう。距離を離そうとするアリアにライダーは自慢の俊足であっという間に追い付き、格闘戦に持ち込んでくる。
 どうやら人気の多い繁華街から離れるようにライダーを誘導してきたらしい。
 そういえばさっきは気を回す余裕なんてなかったけど、アリアはライダーと正面切って遣りあったようだ。負傷したらしく、右腕に痛みがある。
 痛覚はフィルタリングしているのに、それでも鈍く判る程……右腕って、それって利き腕じゃないの! それほどライダーとの戦いは厳しいのか。
 此方に気を回す余裕なんて無さそうだ。仕方が無かったのかもしれない。そう胸中で一人納得していると、当のアリアが謝ってきた。

(御免なさい凛、説明を忘れていました。まさか彼が貴女に向けてアレを放つとは思っていなかったので。今の技は……)
(いいわよ、アイツの技については大体判ったから。それよりもアルトリア、貴女は自分の戦いに集中しなさい! 気を抜いて懸かれる相手じゃないでしょう)

 私の反論に少し面喰らったような気配を見せるアリア。

(……判りました。凛、彼の奥の手はまだ有ります。気を付けて!)
(オッケー。気を引き締めてかかるわ)

 そう答えて念話を終える。アリアは随分と悔やんでいたようだけど、そんなの、全然気にしなくて良いんだから。
 普段から手際の良さが目立つアリアだけど、彼女だって決して万能じゃない。それを責めるのは少々酷というものだろう。気持ちを切り替えて目の前の敵を見据える。

「今アリアが謝ってきたわ。今のは彼女にも意外だったみたいで結構悔やんでた。伝えておけばよかったって」
「そうですか。まあ彼がアーチャーである以上、このような宝具を射出してくる攻撃は予想して然るべきでした。目算が甘かったのは私達も同じです」
「そうだな」

 だそうよ。因みに私も同じ意見。アルトリア、聞こえてるわよね?
 アリアの気を散らせないよう念話に乗せはしないが、そう胸中で語りかける。

「追い討ちが来ると思いましたが、来ませんね」

 あちらにとっても今のは結構な大技だったのだろう。直後にすぐさま矢の追撃が有るかと思ったが、硬直でもしているのか様子見の心算か、追撃は来ない。

「そうね。結構な魔力を込めていたみたいだもの。そうポンポンとは撃てないんでしょ」
「どうやらバーサーカーが動かない理由はコレみたいだな。流石に今のを直撃食らったら、バーサーカーといえど無事じゃすまないのかも」

 確かに、デュランダル程の神秘の塊なら、あの巨人の宝具も撃ち抜けるかもしれない。

「それに無傷と言えど、その衝撃力までは無効化できないようですし。ほら、アリアの銃弾を受けていた時を思い出してください。バーサーカーの足場を崩したり、頭や四肢に当てて仰け反らせたり。アーチャーの矢の威力なら傷は負わずとも、弾き飛ばす位は容易い。恐らく彼の狙いもそこでしょう……また来ます!」

 セイバーが身構え、再び見えない剣を奮う。音よりも早く飛来する常識外れの銀光。
 それを彼女は神速の如き剣戟で次々叩き落し、弾き飛ばしてゆく。
 どうやらこれは只の矢のようだ。だが如何見てもその破壊力はアリアの銃弾の比じゃない。一撃一撃が重い。
 魔力放出によるブーストが尋常ならざる膂力を生むセイバーだからこそ、その威力に立ち向かえているのであって、人間では到底真似出来やしないだろう。
 アーチャーの矢の威力はまるで砲撃。その一撃の重さは例えるなら暴走したトラックが突っ込んでくるような物。並みの人間じゃ魔術で幾ら筋力や体を強化しようが適わない。
 今更ながらに、目の前の小さな少女がどれ程尋常ならざる存在かを再認識させられる。

「今のうちにバーサーカーを誘導して下さい!」

 剣と矢が衝突する耳障りな金属音が鳴り響く中、それに負けぬ声量でセイバーが請う。

「判ったわ!」
「よし、じゃあ一先ずイリヤを保護しよう。あれじゃバーサーカーは逃げられない」

 士郎の声に促されてイリヤスフィールの様子を見る。

「何やってるのよバーサーカー! そんなのいいから早く逃げるの、逃げなさい!!」

 イリヤスフィールはどうやら冷静さを失っているらしい。命令に応じないバーサーカーを詰る声にも震えが混じっている。それほどまでに目の前の泥を恐怖しているのか、それともただサーヴァントを失う事を恐れているのか。
 それは当人にしか判らない事だけれど、あの恐れ方を見ると後者のように思える。何れにしろ、彼女が恐怖に理性を呑まれている事だけは確かだ。
 彼女とて目の前の黒いモノがどれほど忌むべき物かは判っているだろう。アレにはサーヴァントは敵わないという事も。だからこそ彼女はバーサーカーに退けと命じている。
 だがバーサーカーは主である彼女がそこに居る限り、決してその場を離れないだろう。
 それに、既にバーサーカーは泥の捕食対象として射程に捕らえられている。本能の赴くままに光に誘われる蟲の如く、泥は英霊へと群がる。
 地面を這う黒い滲みが足元を狙い、泥の中から伸びる黒い蔦が、触手のように畝りをあげて上半身に襲い掛かった。

「■■■■■■■■■■■■■■■■■――――――――!!!!」

 主の命に従わず、鋼鉄の巨人は咆哮と共に鉛色の暴風を吹き荒らす。腕に絡もうと伸びる蔦を薙ぎ払い、地を滑る泥を地面ごと斬り撥ねる。
 泥の襲撃に斧剣一本で立ち向かわねばならないバーサーカーには、もう防ぐ以外の手は残されていない。取り付かれれば即呑まれる。
 理性を失っているというのに、それでも尚、本能でそれを理解しているのか。バーサーカーはその身に近づく全ての触手、大地の滲み全てを斧剣一本で薙ぎ払う。
 その豪腕が生み出す暴風で泥を斬り刻む。でも彼に出来るのはそれが限界。
 狂化により理性と共に剣技や諸々の術を失った今の彼には、ヒュドラを仕留めた神技を繰り出すことも叶わない。
 泥の攻勢は思いのほか強く、バーサーカーの暴風を持ってしても防戦一方。背後に護るイリヤスフィールを抱かかえて逃走するような余裕なんてない。
 そんな隙を見せればすぐに触手が彼の体を貫くだろう。だから彼は逃げない。例え主の命令であっても。それを彼女は理解しているのかいないのか。

「拙いわね。――イリヤスフィール! イリヤスフィール・フォン・アインツベルン!!
今すぐその場を離れなさい、早く!!」
「な、何で……」

 私の言葉に尚も動揺し、戸惑いの表情を浮かべるアインツベルンの少女。

「何でトオサカが私を助けるの!? 目的は何!?」
「良いから話は後! とにかく逃げなさい!! 私達の目的はそれだけよ!!」
「だから何でっ……」

 魔術師として、アインツベルンとしての敵対心、猜疑心がそうさせるのか、私の助けを素直には受けようとしない。等価交換が魔術師の原則である以上当然ではあるが……。

「ああもうっ! バーサーカーをソイツに喰わせる訳にはいかないからよ!!」

 私の怒声に気圧されたか、一瞬ビクッと身を竦ませるイリヤスフィール。

「そ、そんな事にはさせない。バーサーカーはちゃんと逃げられる……助けなんて借りなくても、やられたりしないわ!」

 引っ込みが付かないのかプライドが邪魔しているのか、ムキになって拒否し続ける。

「ちっ。まったく埒が明かないわね。行くわよ士郎、イリヤスフィールを連れ出すわ!」
「ああ、まかせろ!」

 掛け声と共に二人、一斉に駆け出す。

「セイバーも来て。徐々に後退しながらで良いから!」
「判りました!」

 私は取っておきの宝石を三つ指に挟み、目の前の修羅場へと走り出した。



[1071] Fate/Liberating Night her codename is “Soldier” vol.22
Name: G3104@the rookie writer◆21666917 ID:28e7040d
Date: 2008/08/23 13:35
「全く、人の食事の邪魔をするなんてマナーが悪いですよ貴女!」

 罵声と共に投げ付けられた釘剣をファイティングナイフで弾き飛ばし、自身も飛び退く。

「それは失礼。モラルは持ち合わせていますが何分育ちが悪いものでしてね。か弱い人間が毒蛇の餌にされるのを黙って見過ごせなかっただけですよ!」

 売り言葉に買い言葉。言い放つと同時に全長十五センチ程の小さなスローイングナイフをライダー目掛けて投擲する。最初に若い女性に遅い掛かる寸前だった彼女と女性の地面に突き立てた一投と同じ代物だ。

「ふんっそんなもので!」

 ライダーは小賢しいとばかりに釘剣に繋がる鎖を一振り撓らせ、空を切るスローイングナイフを弾き落としてくる。畝る鎖に引っ張られ釘剣が跳ね踊り字面や壁に火花を散らす。

「小細工ごときでこの私を倒せるとお思いですか……確かアリアと名乗っていましたか?
でもそれは偽名。ふん、クラス名が判らぬと何と呼んでいいか困りますね」
「アリアで結構ですよ、ライダー」
「戯けた事を。クラス名さえ明かさぬ気ですか貴女はっ!」

 言葉と共に怪力と俊足に任せた壁伝いの三角蹴りが襲い掛かる。
 その断頭斧のような回し蹴りを地面に寝転がるように一気に体を沈ませ避け、その勢いのままに下半身を蹴り上げ、飛び込んできたライダーの背を蹴り飛ばす。
 足の甲がヒットするが、元々飛び込んできた方向と蹴りの方向が同じである為、威力は殆どが彼女を押し出す力に変わってしまう。丁度流れる水を漕ぐような物。
 ただ彼女を背後に蹴り飛ばしたに過ぎず、大したダメージにはならない。

「さて、その方が戦略的に有利ですしね。あら、ご不満ですか?」

 即座に立ち上がり対峙する。ライダーは蹴り飛ばされるままにビルの壁に張り付き、封じられた双眸に些かの苛立ちを込めて此方を睨んできた。

「っ。貴女は騎士としての誇りさえ無いのですか」

 ライダーとしては此方が騎士道精神に縛られた人間であって欲しかったようだ。英雄でない、反英雄的な存在のライダーならば、英雄としての矜持、正々堂々という騎士道精神、そこに付け込み感情を逆撫でして心を乱させるぐらいはやるだろう。
 だが残念ながらそれは今の私には通用しない。私は既に騎士では無いし、この身もまた貴女程ではないが、人の世に説く語られる“英雄”という偶像からはかけ離れた存在だ。

「フ。生憎と、私は騎士ではありませんのでね。貴女ほどではありませんが」

 挑発するように口端を上げて皮肉を飛ばし、片手を前に指先だけでおいでおいでする。
 真名どころかクラス名さえ名乗らず、掛け引きの材料にする。こんな態度、セイバーが見ていたらきっと激怒されることでしょうね。
 だが、それが今の私の戦い方。地力で圧倒的に不利な私が形振りに構う余裕など無い。
 今の私に騎士の誇りという行動の物差しは無い。卑賤な非道は憎むが、己の信ずる理念に反せぬならどんな手も使う。それが私の兵法だ。

「英雄が聞いて呆れますね、アリア!」
「ええ、まったくです!」

 皮肉で挑発している心算が逆に挑発され、痺れを切らしたらしい。ライダーが口上と共に襲い掛かる。さあこいライダー。お前の相手はこの私だ!




第二十二話「小隊は戦場を奔走する」




 逆手に持った釘剣で串刺しにしようと襲い掛かるライダーの両手、両足を柔の理で捌き、即座に飛び退いて雑居ビルの谷間を駆け上る。途中、幾度かスローイングナイフを投げ付けるが悉く避け、また鎖で弾かれる。
 確かに小細工は通用しない。勿論そんな事は百も承知だ。

「逃げようと言うのですかアリア?」
「まさか。足で貴女に敵う筈がないじゃありませんか」

 密集した雑居ビルの屋上に戦場を移す。
 先程からライダーの攻撃は主にミドルレンジからの釘剣と鎖、ショートレンジの打撃技の組み合わせ。だが実の所、私が距離を置くように動くから追撃の為に釘剣を投擲してくるだけで、彼女自身は常に接近戦に持ち込もうと距離を詰めてくる。
 彼女はロングレンジに対する手段を持ち合わせていないから当然だろう。だがあの釘剣を最も活かせるのはショートレンジよりも寧ろミドルレンジの筈なのだ。
 だが彼女は敢えて近距離、いや、リーチの短い私にとってショートレンジなだけで、彼女にとってはクロスレンジだろうか?
 ともかく、彼女が近接戦闘に持ち込もうとしている事は明白だ。これはひょっとして、私の銃を警戒しての事だろうか?
 彼女はアーチャーと同盟関係にある。私の能力を幾らか知っていてもおかしくは無い。
 左手にナイフ、右手は空手。そのスタイルのまま、釘剣を逆手に構えながら此方に警戒を放っているライダーと対峙する。

「如何しました? もう鬼ごっこはおしまいですか」
「さて、終わりと言えば終わりかな。でも、お望みでなくとも気まぐれに再開しますよ?」

 此方の出方を窺う彼女からの問い掛けに、肩を竦めてはぐらかす。相手に此方の心理を読ませてはいけない。身体能力は明らかにあちらが上なのだから。

「軽口の多い人ですね貴女は」
「お褒めに預かりどうも。足を止めたのは単に、貴女が先程から随分と接近戦に執着しているように見えたからですよ。そんなに取っ組み合いがしたかったのですか?」
「――――! 巫山戯ているかと思えば、ちゃんと気付いていましたか」
「ええ。私に距離を取られるのがそんなに怖いですか?」
「フッ。まさか。ですが、確かに貴女の能力は聞いていますよ。なんでも無数に連射の効く銃という飛び道具を持っているとか。それでアーチャーではないと言うのですから、巫山戯たサーヴァントも居たものです」

 やはりアーチャーから聞いていたか。ライダーはてっきり上層を制圧して上からの高速一撃離脱戦法で襲ってくるかと思ったが。もっとも、あの時とは状況も地形も全く違うのだから、ライダーが同じ戦略でくる可能性のほうが小さかったのだが。

「ですが妙ですね。貴女は先程からその短剣一本しか得物を持っていない。時折小さなダガーを投げてくる程度。貴女の本領はその銃とやらでしょう? 本気を出してこないとは舐められたものですね」

 俄かに殺気を込めて、実力を出せ、手を隠すなと圧力を掛けてくる。
 そうして此方の戦闘意欲を煽ろうというのか。

「それは失礼。別に貴女を舐めてなどいませんよ。銃を使わなかったのは理由が有っての事です。まあ、この辺りならもう良いでしょう。お望みどおり、全力でお相手しますよ」

 既に周囲は事務所らしき雑居ビルばかりになってきている。ビルの窓にも明かりは殆ど無く、人気も無い。この辺りまで移動してこれば、もう銃声を気にする必要も無いだろう。
 状況を鑑みて妥当と判断し、ウェストコートの端に切り込まれたスリットから覗く、腰のアップサイドホルスターに手を伸ばし、ナイトホークを抜く。

「やっと本気になりましたか」

 私の手に握られた黒い鉄と合成樹脂の塊を見て、ライダーが少し満足げに口端を上げる。
 実は最初から此処に具現化していたのだ。使わなかったのは単にあの場が人気の多い繁華街の真っ只中だったから。銃声程この国のごく普通な雑踏にとって異質な音も無い。
 一度響けばあっという間に騒ぎになる。だがサプレッサーは取り回しに些か支障が出る。
 それに、実はサプレッサーという代物はセミ・オートハンドガンにとってあまり好ましい装備ではない。長さ故の取り回しの悪さは近接戦闘の際やはり邪魔になる。
 また、障害物に引っ掛かってしまった場合、バレル(銃身)先端のロック部分に掛かる応力に対する強度の問題、そして掛かる応力によってバレルに歪みも生じ兼ねない。
 当然、そんなサプレッサー付きの銃を鈍器として使うなんて事も論外だ。そして何より、大半のセミ・オートハンドガンはバレルがスライド(遊底)より僅かに遅れて数ミリ後退する“ショート・リコイル”という作動方式を取る。
 その作動方式故に、装着されたサプレッサーがバレル、及びスライドの後退スピードを阻害してしまい、結果ジャム(作動不良)を引き起こしてしまう可能性があるのだ。
 ただ薬莢が跳ね飛びきらず、まるで煙突のようにポートに挟まってしまうスモーク・スタックならまだしも、ダブル・フィードやフィーディング・ジャムのような、空薬莢や次弾が機関部に噛み挟まってしまった場合、詰まった薬莢を排除するのに手間が掛かる。
 そもそもジャムは発生したその時点で、致命的なまでの隙が生まれてしまうのだ。
 隠密行動ならまだしも、こんな苛烈な戦闘に使用するのはリスクが大きすぎる。

「此処なら存分に使っても騒ぎにならないでしょうからね。貴女と違って、私はルールを守っているだけですよ」

 軽口を叩きながらゆっくりと構えを取る。銃口は前、彼女へと向け、順手でナイフを持つ左手は右手を支えるように下に添え、クロスした形に。

「フン、減らず口は此処までです。落ちなさいアリア!」

 釘剣を胸の前に構え、一気に距離を詰め襲い掛かるライダー。速い、今までより一段と加速してきた!

「っ!」

 速い。正確に狙いを付けている余裕は無い。だけど幸い標的との距離は一桁。弾道の落差修正や移動見越し修正をする必要は無い。
 狙点に集中する手間を省き、ただ銃口の直線状に敵影を捉えるだけでいい。逡巡する暇など無い。そう。それが俗に言うポイントブランク、つまり“直射”。
 本来は仰角を付けずに撃つ事を指す艦砲射撃用語だが、転じて広義では至近距離でサイトに頼らず感覚で、ただ前方目掛けて撃つ事を指す事もある。
 拳銃でも同様に“真っ直ぐ銃口を向ける”だけからだ。
 幾多の修羅場を越え研ぎ澄まされた状況判断能力が瞬時に脳を活性化させ、アドレナリンが全身を駆け巡り、神経は昂ぶるが精神は裏腹に冷たい鋼の如く揺るがず、心をざわつかせる焦りを排除する。この瞬間、私は人間ではなく、意志を持った銃の一部と化す。
 長年培った経験と勘に導かれてマズルは紫の残像を残して迫るシルエットの中心へと向く。その瞬間を頭でなく体で理解し、脊髄反射の速度でトリガーを絞る。

「っ!? くっ!!」

 自身にマズルが向けられた事を察知し、ライダーは本能か第六感かでその危険を感じ取り、即座に身を捩り射線上から逃れようと横へ跳ぶ。
 ――だが遅い! タタンッと乾いた二連の破裂音が大気を震わせ、亜音速で空気を切り裂き飛ぶ小さな鉛の弾頭が、避けようと身を捻ったライダーの右脇腹と太腿を深く抉る。

「あう゛っ!」

 右半身に被弾し、ショックでバランスを崩しながらも私の横を掠める瞬間、彼女は釘剣による反撃の一閃を放つ。

「ぐっ!!」

 擦れ違い様にざっくりと、二の腕を派手に切り裂かれた。鮮血が視界に飛沫を上げる。
 くっ、拙いな。動脈をいかれたか? やや出血の勢いが強い。
 振り返り再び構える。彼女の方も辺りに血飛沫を撒き散らしながら屋上を転がり、飛び起きるように跳躍すると空調の室外機の上に着地する。
 逃がさない。その眉間へと照星を向けた瞬間、遠くで何かの爆発音が轟いた。

「!?」

 一瞬何が起こったか理解出来ず、だが瞬時にその原因に思い当たった。
 ――――アーチャーの矢だ!!
 内心そこに考えが行かなかった自分に歯噛みする。逡巡は一瞬。後悔に心を焼かれながらも、何とか平静を維持してライダーへと三連射を見舞う。
 だが負傷したのが右腕だったのが災いした。少しでも心が乱されてしまったのも一因か。
 激発の瞬間、狙点はぶれ、弾丸はライダーの足元、室外機の外装に着弾痕を残す。

(凛、凛!? 大丈夫ですか!!)

 自分の戦闘に全神経を集中させていた為気付くのが遅れたが、共有していた五感が伝えてきていた。凛はあの爆発の真っ只中に居た事を。

(だ、大丈夫。吃驚させられたけどダメージはないわ。貴女はライダーに専念しなさい!)

 彼女にも私の状況が見えているからか、そういって私の失態を責めようとしない。

(すみません、凛……)

 本当に、なんて失態だ。彼女をみすみす危険に晒させてしまったなんて。
 右腕の痛みが更に自分の力不足を嘲笑う。くっ……この程度の痛み、なんてことは無い。
 だが、彼女を危険に晒した自分の不甲斐なさが痛かった。その痛みが現実の痛みと共に
心を削り、抉りぬいてゆく。

「ぐ、うっ……」

 這い蹲るようにして室外機の上に張り付いているライダーが小さく呻く。撃たれた傷の痛みを堪えながら私を警戒し、室外機の上に張り付き構えを取る。
 その行動に私もまた警戒を緩めず、照星の先をピタリと彼女の眉間にポイントする。油断など論外。後悔の念を無理矢理心の奥底に沈め、蓋をする。
 私も彼女も、一歩も動かない。互いに相手の出方を伺って睨み合い、膠着状態のまま、ただ時間だけが埃っぽい風と共に流れる。

「アリアから、彼は宝具を投影出来ると確かに聞いていましたが、まさかこんな使い方をしてくるとは、思いもよりませんでした」

 そんな時、ふとセイバーの一言がイヤホン、凛の聴覚の両方を通して聞こえてきた。
 心の底に封じ込めた心算だった後悔の念が呼び水に喚起され、蓋に僅かに出来た亀裂を砕き、むくむくと湧き戻ってくる。

(御免なさい凛、説明を忘れていました。まさか彼が貴女に向けてアレを放つとは思っていなかったので。今の技は……)

 そこまで言いかけて、彼女に制される。

(いいわよ、アイツの技については大体判ったから。それよりもアルトリア、貴女は自分の戦いに集中しなさい! 気を抜いて懸かれる相手じゃないでしょう)

 私が負傷した事を知ってライダーの力量を見誤っていたと感じたのか、凛はしきりに私を気遣う言葉をかけてくれる。まるで凛を心配してばかりの私を咎めるように。

(……判りました。凛、彼の奥の手はまだ有ります。気を付けて!)
(オッケー。気を引き締めてかかるわ)

 念話から彼女の何時も通りの強気な姿勢が伝わってくる。彼女は強い。この程度の逆境などものともしないだろう。彼女がマスターで私は心強い限りだ。
 だがそれでも、やはり彼女を危険に晒してしまった自分が不甲斐ない。

「くっ、思った以上に遣りますね。アリア。まさかあの踏み込みに反撃されるとは」

 後悔の念に苛まれていても此方の事情など相手には関係ない。ライダーの声で私の心は即座に現実に引き戻される。今は悔やんでいる暇は、無い。
 ライダーはじっと室外機の上から動かない。機動力である足を撃ちぬいた為か、私の方も利き手をやられ、射撃精度が落ちているのを見透かしての事かは判らないが。

「ふ。拳銃というのは本来近距離で使われる物です。素人ならまだしも、達人が持つ拳銃は実質刃物となんら変わらない。覚えておく事です」

 右腕の激痛を堪えながら銃口を向け、表面上は顔に笑みを作ってそれに答える。
 そう。急所を一撃で撃ちぬけというなら難しくなるが、ナイフや剣を斬り下ろす動作、突く動作といったアクションに対し、銃はトリガーを絞るだけ。
 拳銃の利点は片手でも容易に扱える事。例え手が届くような至近距離であろうと、逆にエイミングに殆どタイムラグが無い状況では、銃は刃物以上に危険な武器となる。
 例え致命傷にならずとも、その一撃が与えるダメージは十分な脅威になりうるからだ。
 そして更に恐ろしい点、それは追撃にかかる空白が極端に小さいという事。
 残弾が有る限りトリガーを絞ればコンマ一秒単位で二撃目、三撃目を撃てる。
 拳銃の難しい所は、少しでも銃口角度が悪ければ数メートル未満でも外れてしまう事。
 だが練達の人間がそんな間抜けなミスを犯す事は殆ど無い。
 そして、そんな練達はまず間違いなく、近接格闘においての達人でもある。つまり刃物のように銃を扱うのだ。

“良いかアルトリア。拳銃ってのは本来、近距離用の武器だ。重さ一キロを超える鉄の塊だという事を忘れるな。弾が入っていないからといって油断するな。ナイフの方が早い、なんてのも幻想だ。至近距離なら尚更銃は危険だ。狙う必要も無いんだからな。ナイフで下手に突き刺すよりも早い。ただ拳を前に向けてトリガーを引くだけで良いんだからな”

 それが私にこの技術を教授してくれた鬼教官の言葉だ。彼の実力は本当に凄かった。鬼教官とはよく言ったもので、その実力はまさに鬼の如し。
 多様な武術を修練し、剣術では負けた事が無かった私でさえ、最初は一瞬で落とされた。
 手も足も出なかった。本当に未知との遭遇だったのだ。完全に動きを読まれ、捌かれ、身体の自由を奪われた私の眼前に、ピタリと銃口を向けられたあの瞬間は、弾が入っていないと判っていても死の恐怖を覚えたものだ。

「…………ふむ」

 斬られた箇所に手をやり、負傷の程度を見る。傷は肘上から肩まで縦に走っている。
 範囲が広いだけに出血も多かったが……大丈夫。動脈までは達して無い。神経も腱も無事、かなり筋を絶たれて動かし辛かったが腕は動く。
 鞘の加護も働いている。痛みはまだ相当強いが、もう切断された組織は殆どが修復され始めている。この鞘には前世から助けてもらってばかりだ。
 まったく、ダム・ド・ラック(湖の貴婦人)には頭が上がりませんね。

「驚いた。もう回復しているのですか。いくらサーヴァントだからとはいえ、そのスピードは異常でしょう」
「おや、アーチャーから私の能力を聞いていたのでは無かったのですかライダー?」
「伝え聞くのと実際に見るのとでは全然違います。貴女のそれは外面を繕うだけでなく、完全に“傷”そのものが癒えている。サーヴァントの自動修復では表層はともかく、完全治癒なら最低でも数時間は掛かる筈の傷だったのに」

 その通りだ。私にも備わっているサーヴァントとしての自己修復力では、治るのに最低でも半日は掛かろう。治療の為の魔法陣に入っても、こんな短時間には不可能だ。
 セイバーにも驚異的な自己治癒能力があるが、私の鞘はそれ以上の“傷を拒絶する概念”そのものだ。この鞘が完全にその真価を発揮すれば、そもそも傷を負う事さえ無い。

「ええ。貴女とは違うということです。その足、まだ治っていないのでしょう?」

 彼女の方も傷は既に跡形も無い。だが内部にはまだ銃弾による永久空洞や瞬間空洞による損傷の跡が、癒えずに残っている事だろう。特にホロー・ポイントは大きな瞬間空洞を体内に生み出す。肉体組織に与える損傷とショックは相当に強い。

「ふ。この程度で私の足を封じられると思ったら大間違いです」
「なら、試してみましょう!」

 見得を切るライダーへと再び銃口をポイントし、撃つ。だが宣言通りその瞬発力で室外機の上から消える。コンマ何秒のズレで彼女の居た空間をブレットが虚しく駆け抜ける。
 屋上の空間から消えたライダーは既に向かいのビルの上。そのシルエットを追い。更に追撃の連射を浴びせる。

「フッ。当たりませんよ、そんなノロい弾じゃ」

 屋上を足場に常人では想像もつかないスピードでビルの間を飛びまわるライダー。何発撃っても、僅かにミリ何秒遅くライダーの体に命中させられない。
 流石にアーチャーじゃない私の腕では、あれほどの俊足の相手に当てるのは難しい。しかも距離がある。距離が開けば開くほど、発射から到達までの猶予は伸びる。
 亜音速の45ACPでは五十メートル以上離れた相手に届くにはコンマ二秒程掛かる。
 それだけあればライダーなら避けるぐらい造作も無い。ライダーはそのままビルの広告塔の陰に消える。

「追ってこい、という事ですか」

 追走劇の役が逆転する。今度は私が追う側。だが足は明らかに逃げる彼女の方が上だ。
 さてどうするか。45口径程度じゃ距離を開けた彼女には通用しそうに無い。

「FN・P90」

 ならば、此方も足の速い弾薬を使うのみ。取り回しの事も考えて小型なP90を選ぶ。
 センサテック製の冷たすぎないストックを握り、私も彼女を追い隣のビルへと跳躍する。

「っ!!」

 ビルの陰に逃げ消えるライダーを追い、雑居ビルを幾つか渡った所だった。次のビルへ跳ぼうとした私の目の前を横手からライダーが掠め跳ぶ。奴め、此方の動きを読んで回り込み、待ち伏せを仕掛けてきたか。幸い直前に嫌な気配を感じブレーキをかけた為、彼女の凶刃は私の鼻先数センチを掠め空振りに終わった。

「ふう、危なかった」
「ちい。勘が良いですね貴女」

 道路向こうの大きな広告看板の下に着地したライダーが悔しげに言う。

「特殊部隊出を余り舐めないほうが良いですよ」

 私は言うより早くP90のダットサイトに彼女を捉えトリガーを絞る。声に重なり辺りに軽量高速徹甲弾の高く乾いた咆哮を上げ、一気に数十発という牙が放たれる。

「!! ぐうっ、ぅああっあああっ!?」

 今度のは先のドングリ弾とは訳が違いますよライダー。秒速七百メートル強、実に音速の二倍を超えたスピードで襲い掛かる弾丸の雨だ。
 跳び逃げようともこの弾幕から逃れるのは簡単な事ではありませんよ!
 逃れようと跳躍する彼女を追って狙点をずらし、広がった弾幕が獲物を絡め取る。
 これには流石のライダーも避けきれず、全身に弾丸を浴びて闇夜に赤い花を撒き散らす。

「……くっ! まだそんな手を隠し持っていましたか」
「っ! 逃げられたかっ」

 だがあれでもまだ致命傷にはならず、辛うじて弾幕から逃れ夜空に舞い跳ぶライダー。
 ジグザグにビルの間を跳躍し、ライダーは周囲で一際高いビルの看板の上に跳ね登る。
 手足だけでなく胴体にも数発は命中した筈だが、それでもなお跳んで逃げられるとは大したしぶとさだ。ランサーといい、俊足の英霊達を撃ち落とすのは相当骨が折れる。

「ぐふっ……! ちっ、臓腑まで……。まったく、やってくれますねアリア。こうなっては、奥の手を出すしかないじゃ……ゲホッ……ありませんか」

 彼女は看板を自身の血で汚しながら、釘剣を手に妖しげな冷笑を浮かべていた。

「この子を出すには結界を解除する必要が有る。手間暇掛けて張ったというのに、ばれたらマスターに何を言われるか……まったく手を焼かせてくれますね貴女は」
「ふ。別に解けとは要求していませんよ。貴女を屠ればあれも消えるのだから」

 ダットサイトの光点の向こうで無防備にその身を晒すライダー。今撃てば確実に仕留められる。だが、それが下策に思えてならない。自分の手で最悪の結果を引き出す事になりかねない。彼女はアレを出す気だ。今までの彼女が嘘に思えるほど、彼女の魔力が高まっている。もう結界は解かれたらしい。拙いな。今の私にアレが耐えられるか。

「そう釣れない事を言わないで。喜んで。私は貴女の強さを認めたという事です。貴女は私の誘いに乗って手の内を見せてくれたのだから、私も全力をもって挑まなければ貴女に失礼というものでしょう?」

 フフフと自信に満ちた妖しげな笑みを浮かべながら朗々と語る。ライダーめ、私の耐久力では彼女の愛馬には敵わないだろうと見透かしてくるか。

「……良いでしょう。見せてみなさいライダー。貴女の本気という物を!」

 幸い、此処はあのビルの天辺とは違う。縦にも横にも逃げ場はある。後は脚力勝負だ。

「では見せましょう。冥土の土産にこれを見納めて逝きなさい!!」

 雄雄しく口上を謳い、ライダーが自らの首を釘剣で掻っ切る。その首から迸る鮮血と全身から流れ続けている血が空中に固着、丸く円を描き始め、血の魔法陣が彼女の前に展開されてゆく。魔法陣の中心にギョロリと見開いた目が現れた瞬間、カッと眩い光が辺りを包みこんだ。
 ――拙い!! 理性より先に本能が回避行動を四肢に下していた。咄嗟に隣のビルへと跳び退いていたお陰でなんとか直撃を避ける。私が直前まで居た場所は所々が焦げつき煙を上げ、一瞬で無残に破壊されてゆく。
 その光景を視界の隅に捕らえながら、ビルの谷間へと放り出された体は重力に引かれ、真っ逆さまに路地へと吸い込まれる。

「はっ!」

 向かいのビルを蹴り、ビルの間を三角跳びで駆け下り、路地へと着地する。
 上空を見上げれば、そこには青白い光跡を引いたペガサスに跨ったライダーが、余裕の表情を浮かべ浮んでいた。

「ほう、間一髪避けましたか。意外に良い足をしていますね、アリア。大した物です。ですが、何時まで避けられますか!!」

 再び追っ手と獲物が入れ替わる。また私は彼女から狩られる側になった。
 再びライダーが滑空を開始する。こんな狭い路地目掛けて、上空から一気に駆け下りてくる白い彗星。まともに食らったらひとたまりも無い。

「避けるしかないでしょうっ!!」

 吐き捨てるように答えて足に目一杯魔力を回す。魔力放出のブースト効果を相乗させて瞬発力を高め、身を投げ出した。地を転がり横手に伸びる細い路地へと身を躍らせる。
 直後、後ろの路地を駆け抜ける光の奔流と熱、爆風。膨大な熱量に蹂躙された路地は窓という窓が割れ、標識などの柱や配管は拉げ曲がり、コンクリートの壁面も擦り削られたように抉られ、ひび割れた傷跡は焼け焦げ煤だらけ。見るも無残な光景となっていた。

「っ……。デタラメなエネルギーですね、まったく」

 彼女の死角を縫うように路地をジグザグに走る。彼女の方は位置を特定しやすい。何せあれ程の魔力と光、熱量を発しながら飛んでいるのだ。
 そして死角からビルの壁面を駆け上がり、屋上へと登る。狭く逃げ道の少ない路地よりはまだ見つかっても自由に逃げられる上に居る方が安全だ。
 横道の無い場所で見つかって特攻されたら命は無い。上に逃げようにも容易く軌道修正して撥ね飛ばされるだろう。あれだけの魔力の塊だ、決して長時間の行使は出来ない筈。
 彼女の宝具ベルレフォーンによる最大級の特攻。あれを凌げさえすれば、後は何とかなる。問題は、それまでは私の武器が殆ど役に立たないという事だ。
 相手は時速数百キロで飛び回り、あっという間に距離を離され、有効射程外へと逃げられてしまう。擦れ違い様に撃てれば当たりはするだろう。
 だが、ライダー単身ならまだしも、膨大な熱量の塊となって突進してくるペガサスが相手では、無謀な自殺行為にしかならない。詰まる所、避けるだけで精一杯だ。
 それにペガサスの加護により防御力も高められているらしく、恐らく小銃弾程度では蚊が刺した程度にしかならないだろう。
 歩兵用の小銃弾程度では、戦闘ヘリに殆ど通用しないのと同じ。流石に生身で航空戦力と遣り合うには、一歩兵の武器では辛い。

「ん? 待て……光と、熱?」

 そこで閃く。有るではないか。高速で飛び回る彼女を確実に落とせる唯一の武器が!
 ライダーの滑空を辛くも避け、ビルの屋上を飛び石のように渡りながら私の支援AIに指示を飛ばす。

「K教授! タイムシークェンス三十七秒前プラマイ五秒のゴーグル・アイ画像表示!!」
“了解、表示”

 私のヘッドセット、サングラス型のHUDのブリッジ部分に搭載されている小さなCCDカメラの映像記録から、先程のペガサスに乗ったライダーの画像を抜き出す。

「これだ。この光るシルエットを切り抜け。もっとトリミングして、もう一段!」
“了解。コレで構いませんか?”
「よし、十分だ! それをスティンガーGのリプログラミングデータに追加ターゲットシルエットとしてアップデートファイル作成!」
“了解、ファイル作成完了。FIM‐92Gリプログラムアプリケーション起動。FIM‐92の起動が未確認です。本体メインシステムの電源を起動して下さい”
「今出す!!」

 私が実際実戦で使った事のあるスティンガーミサイルを具現化し、肩に担ぐ。
 だがコレはこの時代の同じFIM‐92とは違う。陸自が持つ91式の優れたCCD画像認識システムを取り入れた発展型のG型。私の時代には主力となっている物だ。
 画像赤外線シーカーの他にCCDによってターゲットの像を捉え、追尾する事が出来る。
 人間のように複雑で動いてシルエットが変わりやすい標的は認識しにくいが、ペガサス、あのくらいシルエットがはっきりとしていれば、追尾用CCDセンサーが認識できる筈。
 その認識用の雛形画像データを今K教授に作らせたのだ。
 そして膨大な熱量を放出しているペガサスは、それだけで十分夜空の中ではくっきりと赤外線画像に浮かび上がる。当然赤外線シーカーはそれを捉えられるだろう。
 本体のBCUユニットを起動させ、メインシステムの電源をオンにする。ピッと小さな電子音を奏でてスティンガー・ミサイルの電子機器が眠りから覚める。

“チェック……メインフレーム、スタンバイ……O.K. 追加ターゲットアップデート”

 AIが無電で電子機器と通信し、新しい標的のデータを電送していく。

“……アップデート完了”
「IFFは切れ、今は意味が無い!」
“了解、IFFシステム、オフリンク。何時でもどうぞ”

 兄譲りなのか、小粋な口調でそう告げてくるK教授。
 よし、準備は整った。後は迎え撃つだけだ!

「何をする心算か知りませんが、無駄な足掻きはおよしなさい!」
「おっと!?」

 横手から猛スピードで彗星が体当たりしてくる。間一髪で避けられたが、危うく轢かれる所だった。スピードが付き過ぎていた為か、かなりの距離を通り過ぎて行く。
 だが今までと違い今度は旋回して戻ってくる事は無く、そのまま大きく弧を描き上空千メートル以上、雲の上まで上って行く。
 おそらく次で決めに来る。あの飛翔はベルレフォーンを使い加速するべく、上空からの滑走距離を稼ぐ為だ。
 私もライダーを迎え撃つべく、小高いビルの屋上へと上がる。上空へと昇ったライダーはそのまま大きく弧を描き旋回し続けている。特攻のタイミングを計っているのだ。
 此方もどの方角から特攻されても対処出来るよう、視界は広く取れるほうが良い。
 そうして上がったビルの上から、遥か遠方に丁度アーチャー、そしてその向こうにバーサーカーの姿が見て取れた。丁度此処は最初の交差点からオフィス街へと向かう道路側の市街地で、緩く曲がって伸びる大通りに対し、此処は道路をその進行方向に真っ直ぐ見渡せる位置にあったようだ。手前にアーチャー、その奥に凛達とバーサーカー。
 そしてその手前にセイバー。向こうにいる全ての役者が此処から一望できる。

「おお? 此処は意外に……!」

 思わず唇から澄んだ音色が響く。軽く口笛を吹きたくなる程に好条件だったのだ。
 射線軸上周囲に障害物無し。射角も程々。問題なのは距離が八百メートル前後とやや遠い事だけ。それ以外は絶好の狙撃ポイントだ。

「此処からなら彼女達を支援出来るかも知れませんね」

 そんな事を思っているうちに上空で動きがあった。旋回を止め、ペガサスが滑空を開始したのだ。駆け落ちてくる白光の彗星は一際その輝きを増し、一気にスピードに乗る。

「騎英の(ベルレ)――――」

 声など聞こえる筈が無い高さから――

「――――手綱(フォーン)…………!!!!!」

 聞こえる筈の無い真名を開放する“声”が木霊する。

「来いライダー。この一射、避けられるものなら避けてみろ!!」

 私は真っ直ぐ落ちてくる白光の流星をサイトスコープのレティクルに捉え、ミサイルのシーカーが標的を捉えた事を示す電子音と、赤く光るレティクルと、レンズ上に表示されたLOCK・ONの文字を確認し、躊躇う事無くトリガーを引き絞る。
 ボシュ! と発射ガスを後方に噴出し、勢い良く約十メートル前方に飛び出したミサイルのロケットモーターが点火し、一気に音速の壁を超えて更に加速する。
 スティンガーの画像赤外線シーカー、CCDは的確に天馬を捉え、真っ直ぐに彗星目掛けて夜空を駆け昇ってゆく。

『!?』

 感じる筈の無い、ライダーの息を呑む音さえ聞こえる錯覚。その直後に、真っ直ぐ落ちてこようとしていた彗星の軌道が、強引に横へと捻じ曲げられる。
 無駄だ、もう逃げられはしない。飛翔するミサイルは軌道を曲げた彗星に反応して、即座に自身の軌道を修正する。伊達で“ミサイル”と呼ばれている訳では無い。
 スティンガーの最高速度はマッハ2.2に至る。本来が航空機や戦闘ヘリを撃墜する為に作られた個人携行用『地対空ミサイル』なのだ。
 天馬が如何に駿馬と言えど、その特攻速度は目算でも、精々時速五百キロ強といったところ。旧式のレシプロ戦闘機並のスピードでは、その四倍以上のスピードで追尾する超音速の猟犬を振り切る事など出来はしない。
 担いでいた発射器を下ろし、後はミサイルが彼女を撃墜するまでを見届ける心算で居たその時だ。深い深海のような青い夜空に白煙の軌跡を描いて、逃げるペガサスに後鼻先僅かで届こうとしたスティンガーを、突然彼方から飛来する紅い光跡が貫いた!

「なっ!?」

 あと数十センチも無い程にまで肉薄していた、そのギリギリの所で何者かの迎撃を受け、スティンガーは派手に爆炎と光、熱、衝撃派を破片と共に放ち四散する。
 直撃はさせられなかったが至近距離での炸裂だ。ライダーの姿はペガサス共々、スティンガーが生み出した爆炎の中に消えた。例え生き延びられたとしても瀕死の重傷は免れないだろう。それよりも、今のインターセプターを放ったのは……!?
 考えるまでも無い。そんな真似が出来る者など、この戦場には彼一人しか居ない。

「アーチャー!」

 即座にアーチャーの方を振り返る。遥か八百メートル先で空目掛けて矢を放った弓をいまだ掲げたまま、残身の体勢を取っているアーチャーの姿がそこに有った。

 ――今のは、“赤原猟犬(フルンディング)”だろう。超音速で飛ぶミサイルを後から追撃してあの短時間で撃ち落とせる一射となると、あれぐらいしかない――

 私の鞘の中から彼がそう説明してくれる。彼が持つ宝具射撃の中でも、最大威力では現代の戦車砲さえ軽く超える破壊力を持つ宝具。その初速は優にマッハ11を下らない。

「!! こっちを睨んできた……」
 ――奴め、敵愾心向き出しか、まったく。君が誰なのかも知らずに――

 彼が鞘の中からそう毒づいたのとほぼ同時だったか。
 殺気を隠しもせず、ぐるりと体を回してバーサーカー達の方へと向き直り、再び弓を射掛けだした。だが、その矢は只の矢ではなく、また、標的もバーサーカーでは無かった。

「――――っ!!」

 甲高い轟音を奏でてアスファルトに深々と突き刺さる“矢”。
 それは凛達とイリヤスフィールを分けるように、彼女らの足元へと突き立てられた。

(え、なっ……!)
(ちょっ!? 嘘、ヤバッ――逃げて!!)

 今までの彼の砲撃じみた一射からすれば、明らかに着弾の破壊力が地味すぎるというのに、凛もイリヤスフィールも、また、その場に合流していたセイバー達も、その“矢”そのものに本能的な危険を感じてか、咄嗟にその場から逃げ出してしまった。
 無理も無い、そこに突き立ったのは矢ではなく、剣。それは紛れも無く宝具。音に聞くような伝説の剣の一つだったからだ。彼の奥の手であるブロークンファンタズム。
 先程その威力を目の当たりにした凛は勿論の事、その光景を見ていたであろうイリヤスフィールもまた、目の前に爆弾と化す剣を突き立てられれば、その危機に戦慄を覚えずには居られないだろう。

「なっ、駄目っ――――!!」

 思わずそんな声が口を吐いて出る。だが、魔術で感覚共有をしている凛は兎も角、イリヤスフィールにまで私の声が届く筈も無い。彼女らは遥か遠方に居るのだから。

(ブラフです、凛!!)
(ちぃっ、……してやられた!!)
(早くあの子を!)
(判ってる!!)

 念話で凛に激を飛ばす。だが、彼女もいったん跳び退いて体制が崩れたままで、即座に彼女を連れ戻しには戻れない。
 
(わっわっ、えっ? きゃあ!?)
(駄目っ、戻ってイリヤ!!)

 凛が叫ぶも、既に遅かった。アーチャーの矢は逃げる彼女を追うように、次々に彼女の足元を射抜きアスファルトを抉ってゆく。それは彼女の逃げ道を狭めて、後方へ後方へと逃げ惑う彼女を誘導してゆく為だ。
 絶え間無く射ち込まれ続け、冷静な判断力を取り戻す暇も無く、イリヤスフィールはまんまと、泥が触手が容易く届くクライシスエリアの深部へと追い詰められてしまった。

「いけない、駄目――――!!」

 目の前にのこのこ現れた美味しそうな餌を、泥が見逃す筈も無い。忽ちに黒い水溜りから漆黒の蔓が無数に伸び、彼女に襲い掛かる。
 だが、彼もまた、彼女がそんなものに襲われる事など、黙って見過ごす筈が無い。

(■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――――――!!!!!!)

 凛の耳を通して聞こえる怒号。そう、バーサーカーの咆哮だ。彼がイリヤスフィールの前に飛び込み、彼女を庇い救った。だが代わりに、彼自身がその触手に全身を蝕まれる事になってしまった。そう、それこそがアーチャーの狙いだったのだ。

「くそっ……!! なんて事……バーサーカーが奴に取り込まれる!」

 米神が引き攣るのを感じ、思わず頭を抱えて顔を顰める。拙い事態になってしまった。
 なんとしてもこの事態だけは避けたかったのに!

「ちぃっ――――バーレット!!」

 慌てて腕の中に対物ライフルを具現化させる。バーレットM82A1。対人用として使うには余りに苛烈過ぎる威力故、アンチ・マテリアル・ライフルと呼ばれる代物。
 蘇った約十三キロの鉄の塊をバイポッドで屋上パラペットの上に懸架させ、その場に低く構える。焦る心を強引に捻じ伏せて、私は標的をスコープのレティクルの中に捉えた。

「くっ……」

 レンズの向こうには、泥の蔦によって手足は愚か、全身を侵される巨人の姿があった。


**************************************************************


 突然背後の方で大きな魔力を感じ、振り返ったその先に居たのは、天馬だった。
 私の居るここからではその姿は唯の光る点にしか見えないが、アリアの目を通してその圧倒的な存在感を放つ姿がその正体だと判る。

「なんて、出鱈目な神秘の塊……」

 既に現代では存在さえ確認出来ない程現世とかけ離れてしまった幻想種。美しいと溜息さえ零れそうなその翼を持つ白亜の馬、ペガサス。
 アリアから聞いてはいたけれど、実際に目にするとその存在感には心奪われるものがある。幻想種とは良く言ったものだわ。
 ただ、ペガサス自身は決して幻想種の中では高い神格ではない。しかし、今上空を舞うアレは此処からでもその魔力の強さを感じ取れる。
 恐らくは軽く千年を超える年月を超えた個体。その神格は幻想種の頂点たる竜種に届かんとしている……! それはつまり――

「アリアが……危ない!?」
「――いけません、凛!!」

 突然の怒声と迸る魔力の余波。セイバーが咄嗟に飛び込んで私を護り、泥の触手を斬り飛ばしてくれたのだ。

「ご、ごめん、セイバー」
「余所見をしている暇はありませんよ! アリアならきっと大丈夫です」
「ええ、そうね。あの泥め、魔力の塊とみたら見境無しだものね」

 そう。私達が援護に駆けつけた事で、逆に私達も奴の標的にされたのだ。特に破格の魔力の塊であるセイバーや、魔術師である私、そしてバーサーカーを御しきるポテンシャルを持つイリヤスフィール。この三人は常にあの泥から狙われている。
 私達にはアリアやアーチャーのように遠くから攻撃出来るような術を殆ど持っていない。
 ガンド程度では利きもしないし、遠距離攻撃に向く魔術もあるけれど、泥の方も触手は意外に射程が広く、私も魔術の射程の関係上、あまり大きく離れる事も出来ない。
 格闘戦が主体のセイバーなど尚の事。何より、強情を張るイリヤスフィールを無理矢理にでも逃がす為に、私達は一度彼女の側まで踏み込まなければならなかった。
 結果、私達は今、全員が泥の射程範囲内。つまりもっとも危険な領域に居る。
 だけど、一人だけ妙なのが士郎だ。魔力もそこそこで大して魅力的でもないだろうに、何故か彼もまた私達と同じ位に狙われている。
 お陰で対した防御策も無い彼を護る為に、セイバーが護衛に付きっ切りとなるしかない。

「く、おっ! このっ!!」
「いけない!!」
「戻って!!」

 今もまた、セイバーが抜けた事で士郎が触手に襲われようとしている。

「はああああっ!!!」

 セイバーが気勢と共に士郎に襲い掛かる触手を一刀に伏す。切り払われた触手は千々に砕けて宙に溶けて消えていった。
 セイバーは巧みに地面の黒い滲みを避けながら、バーサーカーに襲い掛かるアーチャーの矢を次々に弾き飛ばしてゆく。

「バーサーカー……早く、早く逃げるのぉ!」
「ちぃっ――喰らえDer vierte, der fünfte,bewirken Sie Multiplikation(四番、五番、効果相乗)!!」

 イリヤスフィールの悲壮な声に急かされて、取って置きの宝石の内の二個を黒い水溜りに叩き込む。尚も続くアーチャーの妨害射撃で、バーサーカーは中々離脱出来ずに居る。 
 セイバーはずっとアーチャーの狙撃を防ぎに回っているけれど、自身のみならず、士郎まで泥に狙われている。そのため防戦に回らざるを得ず、矢の迎撃に専念出来ない。
 その穴を埋める事が出来るのは現状私だけ。アーチャーの矢は私には防げない。だから私の役割は泥の迎撃。けど、ちょっとやそっとの攻撃じゃ焼け石に水。
 結果、取って置きの宝石を使うしかない……くそう、散財だわよまったく!
 泥も決してじっとしていてはくれない。知恵など無い、本能の向くままに活動しているだけの筈だろうが、その動きは嫌に的を得ていてやりづらい。
 バーサーカーだけでなく私達にまで襲い掛かってくる為、泥の方も常に移動している。

「ちっ……こっちもあっちも、まったく厄介な相手よね」

 誰に言うでもなく、一人ごちる。脳裏に流れるアリアの視聴覚が彼女の状況を伝えてくる。はっきり言ってキツイ……防戦一方じゃないの。
 でも……ラインから感じる。彼女の心に諦めや絶望なんて微塵も無い。

「向こうが頑張ってるんだから、こっちも負けちゃいられないわよね!」

 ポケットから三番の宝石を取り出して、投げる。

「祖は稲妻の鉄槌(Es ist ein Hammer des Blitzes)!」

 投げた宝石から雷光が奔り、辺りにはまるで小さな落雷のごとき轟音が轟く。真っ直ぐ横に伸びた不可思議な稲妻がセイバーの背後に回ろうとしていた触手を撃ち貫く。

「感謝します、凛!」
「絶対全員で切り抜けるわよ、セイバー!」
「はいっ!!」

 そう励ましながらバーサーカーの援護に戻ろうとしたその時だ。
 上空で一際大きな魔力を感じた。

「!? ……あれは」
「ライダーの宝具ね」

 私の後ろでイリヤスフィールがぼそりと答える。そうか、あのペガサスを見て、既に宝具を使用しているものと勝手に思っていた。

『ベルレ――――フォーン!!!!』

 マスターだからなのか、距離的に聞こえるはずの無い声が耳に届く。

「ベルレフォーン! やばい、アリア!?」

 でもそれは勘違いだった。まだライダーは宝具を使っていなかったんだ! 今まででさえ、アリアは防戦に徹するしかなかったっていうのに……それ以上でこられたら……!?
 思わずアリアが居る筈の方向を望み見る。と、その瞬間、脳裏にアリアの声が反響する。

(来いライダー。この一射、避けられるものなら避けてみろ!!)

 遠くに見える小高いビルの上から、何かが白煙を引いて夜空に駆け上がる。アリアの目を通して、ソレが何なのか理解した。ミサイルだ。

「アリア……!」

 瞬く間に上空高く駆け上がるミサイル。それに気付いたライダーが逃れようと急旋回するけれど、追尾性能を持つミサイルは空中で軌道を変え、逃げる天馬に肉薄する。
 あれなら……いける!?
 そう確信しかけたその時だ。後一歩と言うところで、突然に大きな魔力を感じた。

『赤原猟犬(フルンディング)!!』

 響き渡るアーチャーの声。真名開放の言霊がビル街に木霊する。直後、一筋の赤い光が奔り、ミサイルを撃ち貫いた。閃く閃光、直後に轟く轟音が私の心臓を揺さぶる。
 まるで花火。いや、そんな心地良い音じゃない。花火よりも遥かに強い破壊力を持つ爆発。その音は騒々しく、破壊の凄まじさを物語るかのような爆音だった。

「なっ!?」
「何だ!?」
「うわっ!?」
「ひゃっ!!」

 その耳を劈くような爆音に、この場にいた全員が何事かと驚いた。そう、私だけじゃなくイリヤスフィールや、セイバーまでも。
 セイバー達が触手に警戒を払いながら私の近くまで駆け寄ってきた。

「凛、状況を。今のは一体?」
「今のって、アリアのか?」

 迎撃された。……信じられない。ミサイルはライダーの特攻よりも遥かに速いスピードだったのに。いとも容易く後から迎撃された。

「そうよ、アリアのミサイル攻撃。だけど、アーチャーに迎撃された」
「何だって!?」
「直前だったから、ライダーは爆発に呑まれたようだけど……直撃じゃなかったから、完全に倒せたかどうか……」
「そうですか……」

 そう落胆の色を滲ませながらセイバーも爆煙の名残を見上げる。替わりに私の方は視線を下に、アーチャーの方へと下ろした。と、ほぼ同時だった。

「!! なっ!?」
「!?」

 空気を切り裂き、一瞬で私達の足元へと、何かが突き刺さった!

「え、なっ……!」
「くっシロウ!!」
「ちょっ!? 嘘、ヤバッ――逃げて!!」
「え、あ……」

 私達の足元に刺さった物。それは矢ではなく、剣だった。

(これはアーチャーの投影宝具……!! やばい、爆発するっ!?)

 多分、この場に居た誰もがそう思った。思ってしまったんだろう。私が逃げてと口走ってしまう前に、全員が逃げる体制をとっていた。セイバーも、咄嗟の事で士郎を庇う事しか出来なかった。ただ、この中で只一人、イリヤスフィールだけが僅かに逃げ遅れた。

「しまっ……!!」

 拙い。イリヤスフィールは純粋に魔術師としては桁違いな実力者だけど、その分身体能力的には外見相応だったらしい。
 私達に一瞬遅れて飛び退くも、年相応かそれ以下しかなさそうな筋力では満足に逃げ切れない。そんな彼女の足元に、追い討ちするように矢が飛んでくる。

(ブラフです、凛!!)

 突然、アリアが念話で叫んできた。

(ちぃっ、……してやられた!!)

 そうか、コレは私達をあの子から引き剥がす為のフェイント! 奴の目的はあの子を餌に使ってバーサーカーを釣る事か!!

(早くあの子を!)
(判ってる!!)

 次々と逃げる足元、飛び退こうとする先へと矢が射ち込まれる。イリヤスフィールはその矢の誘導に巧みに操られて、どんどん泥の方へと誘き出されてゆく。

「わっわっ、えっ? きゃあ!?」
「駄目っ、戻ってイリヤ!!」

 かろうじて叫ぶも、既に遅い。既に彼女は泥のすぐ側まで追いやられていた。泥の触手が彼女へと向けられる。

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――――――!!!!!!」

 巨人の咆哮が轟く。バーサーカーがイリヤスフィールを庇い、泥の前に立ちはだかった。
 彼女目掛けて襲い掛かる触手が、バーサーカーの巨体に突き刺さる。

「ば、バーサーカー!!」

 イリヤスフィールが悲痛な声を上げる。終わった。バーサーカーはもう駄目だ。見る間に黒い呪いに汚染されてゆくバーサーカーの巨躯が、ただ巌の如く立ち尽くしていた。



[1071] Fate/Liberating Night her codename is “Soldier” vol.23
Name: G3104@the rookie writer◆21666917 ID:28e7040d
Date: 2008/08/19 14:59
 スコープの先を睨みながら、その目標までの正確な距離を測る。レーザー測距で測定出来る距離を軽く越えていた為、スコープのレティクルに刻まれたMOAドットを目安にして測るしかない。手頃な対象物と照らし合わせて、標的までの距離を求める。

「……目算で、凡そ八二〇メートル……か」

 私の素の腕では到底狙撃なんて出来ない程の距離だ。この距離で的を外さない自信は、正直言って欠片も無い。如何に一千メートル以上先でさえ、命中させられる精度を持つ銃を握っているとしてもだ。使う私に、ソレを使いこなせるだけの技量が伴っていない。

「あれを使うしかない」

 懐から取り出したPDAのディスプレイ開けて床に置き、私はK教授に命令を下した。




第二十三話「小隊は暴君に遭遇する」




「アルゲス・システム、モード・バリスティクス・アシスタント起動!」
“了解。バリスティクス・アシスタント起動、全ビット・リンク・オールグリーン”

 K教授が命令を復唱し、画面にシステムが立ち上がる。アルゲス・システム。これは本来、敵や戦場の様子を把握する為の索敵ツールだが、私のコレだけは、そうではない。
 本来備わっていない機能である“バリスティクス・アシスタント”。その目的は遠距離射撃の苦手な私を補助する為の、予測弾道を導き出してくれる射撃補佐ツール。
 そう。私がアーチャーに成れない本当の理由。それはきっと“狙撃”の腕の無さだろう。
 聖杯戦争でアーチャーに選ばれる条件は、何も弓の使い手である必要は無い。投射武器を持つ者なら誰でもその条件に合致する。
 その意味では私は間違いなくアーチャーとなる資格があった筈。だが、弓や投射武器を持つ英雄なら、皆それなりに弓の腕とて立つ、才覚ある者達である筈だ。
 私は、弓なんてボウガンぐらいしか扱った覚えが無い。元々、私は近距離専門の人間なのだ。それを猛訓練でどうにか銃を手足のように扱えるようには成れたが、元のセンス、才能だけはごまかし様が無い。
 三百メートル程度までの、アサルトライフル位までの有効射程ならまだいい。それに自動小銃の利点は連射、弾幕による制圧が主で、精密射撃など余りしない。
 グルーピングがどうにか人間大のサイズに収まればいい。比較的距離が開かない市街地戦等では、もっぱら百から二百メートル以内での狙撃が殆どと言って良い。
 HUDグラスに新たなウィンドウが現れ、次々と情報を載せてゆく。新都の地図上に立ち上がる簡易な立体地形図上に、光点で示される各ビットの位置と、その地点での風速、風向き、気温、湿度と言った情報が細かく数値と、視覚的な方法で表示される。
 風向きは矢印、風速は矢印の数や移動スピード、気温や湿度は色、といった具合だ。
 それらは現在、リアルタイムで変化し続けるその場所の環境だ。その地図の中心が、私。
 PDAに内臓されたGPSによって、誤差一メートル以内で自分の現在地点を把握出来る。そしてPDAのキーボードを操作して、地図上にターゲットの位置を手で入力する。
 本当は定点三箇所からレーザー測定でもして、正確な位置を割り出す方がより確実性が増すのだが……贅沢は言ってられない。

「よし」

 全データの入力が終わったPDAから、M82A1ライフルに装備された大型スコープにケーブルを繋ぐ。このスコープもまた、只の狙撃用スコープと言うわけではない。
 実は只のレンズを使った光学スコープではなく、電子回路とCCDを内臓したカメラスコープであり、接眼レンズ部はモニター画面。つまり電子機械の塊だ。
 何故そんな大仰な代物を使うのか。その答えはPDAを繋いだ時に出る。

“ホーク・アイ、オンライン確認。アルゲス・システムとのリンク開始”

 鷹の目と名が付いている理由は、このスコープがプロカメラマンも驚くような画素数を誇るCCDを搭載している為だ。人間の視細胞の数に対して、鷹のそれが七倍以上もあることに由来している。
 その画素数故にズームレンズによる望遠でなく、デジタル画像拡大によるズームであっても鮮明な像を得られる為、その名を冠する。
 つまり、鷹の目の構造に非常によく似ているのだ。そして、このスコープを使う利点がもう一つある。それは、対物レンズがモニター画面だからこそ出来る事。
 スコープ視界に、アルゲス・システムが観測した数値を元にして、弾道計算ソフトから弾き出された予想弾道、着弾地点をガイド表示する事が出来る。
 つまり、私に無い熟練のスナイパーが長年の経験と勘で瞬時にやってのける弾道の“読み”に近いものを、このアルゲス・システムとホーク・アイが補ってくれるのだ。

「これでどうにか、八百メートル先でも撃ち抜ける」

 とはいっても、コレだけのサポートをもってしても、トリガーアクションによるブレ、激発時の反動による微細な銃身のブレといった、シューター本人の技量による要因までは補助出来ない。私の腕ではピンヘッドショットなんて望めない。
 だから、私が狙うのは泥。あの大きな常闇の水溜りだ。魔力を込めた弾薬を具現化しそのマガジンをライフルに装填する。ボルトを引くと、初弾がエジェクションポートから覗く。416Barrett。それがこのM82A1のチャンバーに送り込まれる弾薬。
 この銃本来の仕様は50BMGだが、より弾道低伸性のあるこの口径用のバレルに換装してある。これでより命中精度は上がる筈だ。

「もっとも、現状では気休めにしかならないでしょうけど……」

 奴は言ってみればダムだ。大量の水だ。銃弾程度では焼け石に水でしかない。私が奴を葬り去るには、全身全霊。それこそ自分の全てを使い切る必要がある。悔しいが、私の力では相打ちにしか持っていけない。守護者としてはそれで十分だが。

「余計な事を考えるな、集中しろ」

 自己に暗示を掛けるように、呟く。余計な雑念を消し、思考と視界がクリアになる。
 そしてレティクルの先に泥を捉え、静かにトリガーを引き絞る。
 直後、耳を劈くような轟音と共に、銃身先端の鏃のような形をしたマズルブレーキから特大の砲火と爆風が吹き荒れる。
 発射された弾頭は一秒足らずで泥に着弾し、アスファルトの破片と共にその箇所の泥を派手に吹き飛ばした。そのまま間髪入れず、十発全弾撃ち込む。

「これは!? アリア、貴女ですか!?」
(どうする気、アリア!?)

 銃撃に驚いたセイバーと凛から声が上がる。

「凛、セイバー! 落ち着いて聞いて下さい。一か八か、バーサーカーを逃がします。普通のサーヴァントならもう駄目でしょう。ですが、彼なら或いは……!」

 最後の一発を撃ち終えると迅速に空マガジンを外し、次のマガジンを装填する。

「ですが……もし駄目ならば……セイバー!」
「はい!?」

 ゴッドハンドを、十二も命を持つ彼ならば、まだ逃れられる望みはあるかも知れない。
 事実、体中をその呪いに蝕まれながら、その膝元まで泥に飲み込まれ始めていながら、未だ彼はその枷から逃れようともがき暴れていた。
 何という肉体、そして精神力。あそこまで蝕まれていながら、それでも尚動けるのか。
 流石はギリシャに名を轟かせた大英雄、ヘラクレス。だが、如何に彼とて……実際その望みは……正直な所かなり分が悪い。

「もし彼が力尽き、泥に完全に呑まれそうになったなら……貴女の宝具で止めを!」
「…………」

 喋りながらも手はボルトハンドルを操作し、初弾をチャンバーに送り込み、トリガーを引き絞る。一連の動作は別に頭で考えて行っている訳ではない。
 手はまるで別の意志でも在るかのように動き、正確に作業をこなせる。何故なら、訓練や実戦で何千、何万回も行った工程だ。体が覚えているのだ。だから射撃動作の為に逐一考えて動く必要は無い。
 再び周囲に轟くやかましい銃声と爆炎。マズルブレーキから噴出す凄まじいブラストが周囲の砂埃を巻き上げる。

「貴女の聖剣ならば彼に通用する! 一度だけで良い、この後貴女に遣わせはしない。だから今回だけ、今回だけでいい。その時が来たら、その剣を使って下さい、セイバー!!」
「…………!!」

 私の言葉に声を詰まらせるセイバー。

(……英雄アーサー王の象徴。聖剣、エクスカリバー……ね)
(そうです。私の時は、投影されたカリバーンがその役を果たしました。ですが、今の士郎君に同じような投影はさせられませんし、不可能です)
(カリバーン……。貴女が抜いたという、選定の剣ね)
(はい。あの投影されたカリバーンでも、彼を七度殺す事が出来ました。ならば、全力でのエクスカリバーなら、もしかしたら十二の命に届くかもしれません)

 一撃で彼を葬れれば、彼も泥に囚われ傀儡とされる屈辱は味わわずにすむ。彼のような難敵を手駒とされては厄介だ。彼に適うサーヴァントなど殆ど居ないのだから。

 再び空になったマガジンを捨て、新しいマガジンを装填する。装甲車さえ貫ける弾丸の釣瓶打ちは高い破壊力を持つ。劇的にではないが、流石にあの泥も無傷とはいかないのだろう。銃撃を受けるたびに怯んだように蠢く。
 決して効いていない訳じゃない……! でも、確実なダメージでもない……。

 ――焦るな、アルトリア。無駄じゃないんだ。今出来る限りの事を確実にやろう――

 判っていますよ。……ただ、歯痒いだけです。切り札も……直接本体に叩き込めなければ無駄撃ちに終わってしまう。今私に出来る事がこんな事しかないなんて……。

 ――今は待て。奴を滅ぼせる機は必ず訪れる。今はじっと我慢するんだ――

 そうですね。そう彼の言葉に胸中で頷く。気を取り直して、残りの弾丸を全て泥に叩き込む。そして三度目のマグチェンジをしようとした、その時だった。
 バーサーカーが、怯んで弱まった泥の中から逃れようと飛び出した、その瞬間――

“I am the bone of my sword.(我が骨子は捩れ狂う)――”
“――偽・螺旋剣(カラドボルグ)!!”

 ――突然に大気ごと空間を捻じ切る竜巻の矢が放たれ、今まさに泥から跳び退かんとしているバーサーカーへと襲い掛かった!

「「「なっ!?」」」

 私、セイバー、凛の声が重なる。

「しまっ……!!」
“ブロークン・ファンタズム!!”

 カラドボルグがバーサーカーの頭部に命中した瞬間、その刀身が眩い閃光を放ち、大爆発を起こす。轟く爆音と熱風、大気を押し退ける衝撃波。そして魔力。たちどころにバーサーカーの体が炎に包まれる。

「危ないっ!!」
「きゃあっ!?」
「ぐうっ!!」
「くっ――Es ist Hindernis(障壁よ)!! ぐっ……うあっ!?」

 凄まじい爆発の余波と砕け散る瓦礫が、近場に居た凛達を襲う。凛は辛くも魔術で防ぐ事が出来たが、十分ではなかったらしく吹き飛ばされた。直後、頭でもぶつけてしまったのか、気を失ったらしく感覚共有の魔術が解けてしまった。慌ててスコープで彼女の姿を探すと、少し離れた所に倒れていた。レイラインは問題なく繋がっているし、良く見れば呼吸で肩も上下している。目立った外傷は無い。凛の無事を確認し、ホッとする。
 セイバーも大丈夫だろう。だが、問題は士郎だった。

「ぐああっ! 痛っ……痛てて……ぐうっ!?」
「シロウ!?」

 士郎は無防備に突き立っていたイリヤスフィールを咄嗟に庇い、ブロークンファンタズムの爆発によって飛んできた瓦礫の塊に背中を直撃されていた。

「お兄ちゃ……なんで」
「ぐ……なんで、も……クソも、あるか。……助けなきゃ、駄目だろ。男、なんだから」
「シロウ! 大丈夫ですか!? ああっ!!」

 士郎の背中には大きなアスファルトの破片が深々と突き刺さっていた。並みの人間なら下手をすれば死んでいても可笑しくない怪我だ。その光景をスコープを通して見つめ、思わず口を吐いて感情が漏れる。

「なんて、こと……」

 自分がもっとしっかりと、戦況を把握していれば、この事態を予測できていれば……。
 士郎に、彼に傷を追わせる事などなかったろうに。私のミスだ……。悔しさと悲しさ、そして申し訳なさが私の全身を我が物顔で駆けずり回る。
 スコープの先には上半身を吹き飛ばされ、泥の中に沈んだバーサーカーの躯があった。
 Aランクの宝具、それも真名を開放した一撃に、駄目押しのブロークンファンタズム。
 鋼鉄の肉体を誇るバーサーカーと言えども、碌に防御も出来ず急所に直撃を食らってはどうしようもなかったか。如何にバーサーカーが十二の命を持っていたとしても、流石に殺された状態では、泥から這い出る事は適わない。
 既に蘇生は始まっているが、彼が回復するより、泥に飲み込まれる方が早いだろう。

「くっ……!!」

 少し前から、バーサーカーが泥に囚われ始めた辺りからアーチャーの狙撃は止んでいた。
 もう目的を達した為だろうと思っていたが、私が一縷の望みに掛けて泥を狙撃した事で、バーサーカーにも僅かだが、脱出出来る可能性が生まれかけた。
 それを阻む為に、彼は三射目のブロークンファンタズムを撃ってきたのか。

「まだ、それほどの余力があったのか。アーチャー……」

 読み切れなかった。彼の力を。あれ程の威力を持つ大技だ。魔力の消費量にしても、容易に連発出来るような代物ではなかった筈なのに。それをこの短時間に計三発。
 完全に……読み誤った。現状の、彼の戦力を。

「くっ……! よくも、やってくれたな、アーチャー!!」

 その声にハッと我に返る。

「……!! セイバー!?」

 百鬼さえ恐れ慄かせそうな程の怒りを濃密な魔力と共に全身から発しながら、セイバーがアーチャーへと飛び掛ってゆく。
 セイバーの膂力の源は類稀な規模の魔力放出によるブースターだ。そのリミッターが完全に外れている。膨大な魔力の噴射による余波に倒れていた凛の長い髪が翻弄される。

「はああああああああ――――っ!!」

 蒼銀の弾丸と化したセイバーが、その突進力を上乗せした渾身の力で斬り付ける。だがアーチャーは紙一重のところでするりとその剣筋を避け、間合いを開けるように歩道橋から跳び下りた。
 そこへ入れ替わるようにしてアーチャーが陣取っていた場所にセイバーが盛大な着地音と共に降り立ち、間髪入れずアーチャーを追って跳び出す。
 路上に下りた両者はそのまま剣戟の応酬を繰り広げながら、広い道路の上を右へ左へと跳び回る。見えない剣に対し、白と黒の双剣を手にして舞うようにその剣筋を弾き、逸らし、掻い潜るアーチャー。対し、防御ごと叩き崩して斬り伏せんとするセイバー。
 だがアーチャーは真正面から彼女と対決する気は毛頭無いらしく、防戦一方で逃げ回る。
 
「逃げるなアーチャー!!」
「ふ。悪いが私の目的は既に果したのでな。今日はもう撤退させてもらう」

 繋がったままのセイバーの電話から、彼女らの遣り取りが聞こえてくる。まったく、何をやっているのですかセイバー! そんな事をしている場合じゃないって言うのに!!

「させません!! シロウを傷つけた報いです。貴方は此処で討ち取らせてもらう!!」
「ふん。良いのかな? そんな余裕があるとは思えないが。それ、見てみろ。放って置くとあの泥に食われるぞ」

 その通りだ。事実、スコープ越しに確認した泥はうぞうぞと蠢きながら、じわりじわりと士郎達の方へと滑り寄ってきている。先程のブロークンファンタズムの爆発は泥自身にもそれなりのダメージを与えていたが、泥にしてみれば多少身を焼かれた程度。
 大したダメージにはならなかったようだ。寧ろダメージで失った魔力を補わんと、今は逆に貪欲に食べ物を探している。士郎達は空腹の獣の前に居るようなもの。
 このままじゃ拙い――!! 咄嗟に脳裏に過ぎった危機感が私を突き動かす。途中で止まっていたリロードを済ませ、レティクルの先に全神経を集中させてトリガーを引いた。

「冷静になりなさいっ!!!!」

 荒療治だが、セイバーとアーチャーが鍔迫り合いをしているそのど真ん中を狙撃する。
 三九六グレインの弾丸は丁度二人の足元に着弾して派手にアスファルトの路面を穿ち、その破片を撒き散らす。

「「!?」」

 セイバー、アーチャー、双方が驚きに息を呑む音がイヤホンから聞こえるが、構っている余裕は無い。そのまま間髪入れず、次の標的を狙う。

「寄るな……!」

 士郎達や、倒れている凛に近づこうと地面を這う黒い沼の先端目掛けて、出来る限界の速射を叩き込む。高速徹甲弾の釣瓶打ちにあい、悶え蠢く泥。
 撃たれた箇所が怯むように後退する。奴にとってみれば蜂に刺された程度の物だろうが、幸い効果はあるらしい。重畳だ。士郎や凛には触手一本触れさせはしない!
 鳴り響く轟音と灼熱のガス、それに舞い上げられる砂煙。それらが私の耳を、手を、顔を、目や鼻、喉を襲う。反動だって馬鹿にならない。
 元々、連射に向いている銃器じゃない。だがそんな事、微塵も構ってなどいられない。
 私の大切な人達が窮地に居る、危険に晒されているのだ。少々の熱さ、反動を受ける肩の痛みや息苦しさなんて忘れろ!

「あ、アリア!?」

 突然に撃ち込まれた弾痕と、直後の私の銃撃の火線を追って泥の方を見比べ、セイバーが困惑した顔で私に説明を求めてくる。

「落ち着きなさいセイバー!! 今はアーチャーに構っている場合じゃない! 周りを良く見なさい。士郎達に泥が襲い掛かろうとしています!!」

 撃ち尽くして空になったマガジンを捨て、弾薬を再装填しながら彼女を叱咤する。

「あっ……」
「そうれ見ろ。君の主がピンチだぞ。さっさと助けに行くが良い。君とは何れ、時が来れば対決する事になるだろうさ。我々はサーヴァントなのだからな」
「……アーチャー」

 セイバーの声に、怒気は既に無い。彼の言葉に何かを感じ取ったか、違う感情が感じられた。当惑、憐憫、それとも無念? 複雑に混ざり合ったそれは、既にアーチャーの正体を知ってしまった故だろうか。何れにしても、今の私に考えている余裕は無い。
 再びリロードしてボルトを操作し、スコープを覗いた瞬間、背筋が凍りついた。

「なっ…………!!」

 バーサーカーの躯の先に浮かび上がった影。それはまるで立体感が無く、存在感も希薄。
 されどその場の何よりも異質な物。黒い、真っ黒な夜の闇よりも深い闇の色をした、まるで海月のような異形の姿だった。

「拙いっ――セイバー!!」
「はいっ!? ――な。何ですか、あれは!?」
「もう出てきたか……。ちい、此処に居ては拙いな」

 アーチャーが苦虫を噛み潰したような顔でその場を離脱する。

「悪い事は言わん。急いでマスター達を連れて逃げる事だ」
「何!?」
「セイバー! アレは泥そのものです。かなり拙い。一刻も早く三人を救出して!!」
「わ、判りました!!」

 慌ててセイバーが跳び戻ってゆく。だが海月もただじっとしていてはくれない。ゆらゆらとただ揺れているだけかと思うと、士郎達の姿を見つけて触手を伸ばす。

「「っ――――!!」」

 私とセイバーの舌打ちが重なる。反射的に私は引き金を引き絞り、怪物の咆哮と共に撃ち出された弾丸が海月の胴体に大きな風穴を開けた。
 触手は士郎達に届く手前で、大きく仰け反った海月の本体に引っ張られ宙を跳ね回る。
 その触手を、風となって士郎達の前に躍り出たセイバーが斬り刎ねた。

「う……せ、セイバー?」
「申し訳ありません、只今戻りました。シロウ、私の後ろから離れずに」
「あ、ああ。すまん。ほら、イリヤもこっちに」
「う、うん……」

 よろよろと辛くも起き上がり、イリヤを側に引き寄せる士郎。よし、後は凛だけだ。

(凛、凛!! 起きてください凛! 目を覚まして!!)

 気を失ったままの凛に念話を送り、意識を呼び覚まそうと試みる。

「う、ううー……ん。…………あ、あれ?」
(大丈夫ですか、凛? 気をしっかり!)
(あ、うん。大丈夫。ゴメン、私、気を失ってたみたいね)
(早くそこから離れてください! いえ、セイバーの後ろへ!!)
(な、何、如何したの? って、何あれ!?)
(アンリマユです。説明している時間が無いんです。早く!)
(判ったわ)

 まだ足元がおぼつかないのだろう、よろよろと立ち上がってセイバーの後ろへと歩く。

「セイバー、貴女も気をつけて! あの触手に囚われたら最後です!!」
「判っています!」

 漆黒の影は既に元通りの姿形を取り戻している。私が撃ちぬいた胴体の風穴は何処にも見当たらない。人間相手なら胴体を真っ二つにしてしまうほどの破壊力を持つ弾丸だ。
 実際影の胴体を真っ二つにしそうなほどの大穴を空けていた。かろうじて皮一枚でつながっているような感じだったというのに、あっという間に修復してしまったらしい。

「くっ……!!」

 あまり効果が無いと判っているが、それでもひたすら、影に弾丸を撃ち続ける。ボンッ、と派手に身体の彼方此方を幾度も破裂させてゆく徹甲弾の雨。
 だがその身体は、撃たれる度に弾けては何度も再構成されてゆく。……際限が無い。

「……私の銃では、駄目だ。奴を退けられるのは、貴女の剣以外にありません……!」
「…………」
「セイバー、使ってくれますか」
「……判りました。鞘を開放します。私が構えに入るまで、援護を頼みます、アリア」
「了解!! お任せあれ!!」

 彼女が終に応じてくれた。よし、彼女の剣ならば確実にアレを退けられる。士郎達が助かる。……だが、エクスカリバーは強力だ。あの影は決してアンリマユ本体ではない。
 その正体は……桜。そう、桜だ。あれは彼女の抑圧された内面の闇と同化したアンリマユの触手。如何にあれとて、エクスカリバーの直撃であれば滅せよう。最悪、滅ぼせずとも、かなりの深手を負わせるはずだ。
 だが、そうなった時、表裏一体となっている彼女はどうなる? 何らかの悪影響は当然負うだろう。最悪、命を落としてしまうかもしれないのではないか?

「もう、どちらかしか、選べないのか……」

 小さく、呻くように口から漏れた。士郎や凛、彼らを取るか、桜を取るか。そんな事、判っている心算だった。考えるまでも無い事だ。
 今確実に護れる彼らを護らずに、この先救えるかもしれない僅かな可能性があるだけの彼女。勿論、私は両方とも救いたい。だが、彼女を救う為に、今エクスカリバーを撃たなければ、彼女によって士郎達が飲み込まれてしまう。
 士郎も、凛も、イリヤスフィールも、セイバーさえも、皆一呑みにされて、この世から跡形も無く溶かされ、消されてしまう。そんな事、認められない。

(御免なさい、桜。もう……貴女を救えないかもしれない)

 胸中で一人、詫びる。胸の中に広がる無念が、身体中を灰色の石くれのように感じさせてゆく。ざらざらとした口内はきっと巻き上げられた砂埃の所為だろうが、まるで自分が石像にでもなってしまったかのように思えてしまう。
 そんな心中でも、身体は、指は正確に動作を繰り返し、容赦無く無慈悲に、正確に弾丸を海月の身体へと撃ち込んでゆく。今、私の身体は銃の一部となっている。
 心、意識とは無関係に、ただ命令通りに正確に動作する一つの“機械”となっているのだ。銃と共に行動し、銃を自分の手足のように扱えるようになってくると、多くの人が同様の経験をするという。
 我々のような兵士ともなれば、既に射撃は殆ど脳を介さない脊髄反射行動の域に達している。お陰で心がどんなに荒れ、沈もうと、任務はまっとう出来る。
 気を取り直して、ちらりとセイバーの方を覗き見ると、彼女は風王結界を解いてゆく最中だった。荒れ狂う烈風が周囲に吹き荒れ、植え込みや街路樹の枝葉を蹂躙していた。

「地上で使うと、周囲にも影響が出ますが……そうも言ってられないのでしょうね」

 イヤホンからセイバーの呟きが聞こえ、徐々に光り輝く黄金の刀身が姿を現し始める。
 その眩いばかりの、特上の神秘に危険を察知したのか、漆黒の海月は突然、一際大きく躍動した。

「!!」

 街が、いや街路樹が、植栽やそこに集まる虫達が死ぬ。奴の周囲に居る全ての生命から、生気が吸い尽くされてゆく。その様が、間抜けだが何故か水風船を連想させた。

『とうとうそこまで膨らんだか紛い物よ。よもやアレに届きそうな程に育つとはな』

 何処からとも無く響き渡ったその声と共に、無数の銀光が影を撃つ。それは無数の剣、槍、斧、その全てが宝具だった。

「何!?」
「な……ギルガメッシュ!?」

 思わず口を吐いて名が漏れる。忘れもしない。嘗ての柳桐寺境内での戦いを。己の身で受けたあの技を。“王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)”の宝具投射。
 古代ウルクの英雄王、ギルガメッシュ。まさかこの場に現れるとは……。
 串刺しにされた影が悶えるように蠢き、更に激しく脈動する。

「拙い、もう限界です。セイバー!!」
「ええ!!」

“約束された(エクス)――――勝利の剣(カリバー)!!”

 眩き光の奔流が手前に沈むバーサーカーごと影を絶つ瞬間、影もまた一気に破裂した!

「「―――――――!!」」

 影は四方八方へと縦横無尽に弾けて、怒涛の黒い本流となってあたりを駆け抜ける。同心円状に爆裂した魔力の並。それはあの影の本能的な防衛反応だろうか。
 サーヴァントはおろか、生在るもの全てにとって猛毒でしかない呪いの爆風が当たり一面を襲う。その爆発に切り込まれた眩い楔。それが唯一の安全地帯。
 エクスカリバーの光跡が黒い本流を真っ二つに割り裂き、セイバー達の両脇を黒い爆流が猛烈な勢いで吹き抜けてゆく。濁流は士郎達には掠りもしない。
 そして爆風の反対側まで突き抜けた光の筋は一直線に道路を駆け抜け、数ブロック先のビルを爆砕させた。

「…………ハァッ! ハァッ、ハァッ…………」
「……やった、の?」

 エクスカリバーを撃ち終えたままの姿勢で、激しく肩で息をするセイバーに、周囲を見回しながら凛が恐る恐る聞く。

「……は、い。ハァ、ハァ……恐らく、は……ハァ、グッ……」
「ちょっと!? 大丈夫……って、凄い熱! 貴女、もう殆ど空っぽじゃない!!」

 ふら付いて後ろに倒れそうになったセイバーの肩を抱きとめて、彼女の容態を確認した凛が驚き慌てる。今の彼女は意識を保っているだけでも重畳だろう。
 本来なら急激な魔力消費によって、サーヴァントの身体が過負荷を避けるために、一時的に全機能を強制停止させられていた筈だ。

「宝具を……使い、ましたから……」
「すまない、セイバー……俺が全然、魔力を与えてやれなくて……」
「気に、しないで、下さい……それは、シロウの所為では……ないのですから」
「喋らないで、辛いでしょう」

 凛が背中を支えながら、ゆっくりとセイバーを地面に横たえさせる。

「い、いけません、凛。まだ……彼が近くに居ます……。油断しては……」
「あ、駄目! そんな身体でどうする気よ!」

 満身創痍の身体で尚も立ち上がろうとするセイバーの肩を抑え諌める凛。

「その通りだぞ、セイバー。その心構えは良いが、その身体では満足に戦えまい」
「「「!!」」」

 突然、何処からとも無く響き渡る声に皆が驚く。ギルガメッシュだ。

「くっ……アーチャー……」

 凛達が振り向いた先を私もスコープで追う。だが、私の位置からでは彼の姿を見つけられない。どうやら此処からでは死角のようだ。凛との五感共有が切れた事が悔やまれる。
 私は直ぐ様アルゲスシステムから周囲のIRカメラを駆使して彼の居場所を探す。だが、
生憎と索敵可能域の死角に居るらしく、近場のカメラには一台も姿が映っていない。

「くそ、何処かのビルの屋上あたりか……。IRは主に通りの地上側を向いているから」

 そもそもの目的が対犯罪用であるIRカメラの仰角では、余り周囲のビルの屋上までは見え辛い。そこには明確な死角が存在していた。判っていた事ではあるが。
 仕方が無い。一刻も早く彼女達の元に戻るしかない。セイバーが倒れている今、彼に太刀打ち出来るのは私しか居ないのだから! 
 そう決心し、バーレットライフルをマナに戻す。こんな嵩張る物を持ったまま移動する訳には行かない。スピードを重視して武装を解き、無手でビルを飛び出した。
 丁度その時だ。懐にしまったPDAが突然電子音を奏でる。豊田三佐からの通信が飛び込んできたのだ。

〔何です!?〕
〔おおっと、落ち着け姐さん。あの金ピカ野郎の場所を知りたいんだろ?〕
〔補足しているのですか!?〕

 屋上伝いに跳びながら豊田三佐の話を聞く。

〔おうよ! ずっと監視だけはしてるからな。嬢ちゃん達の目の前の交差点を右に入った二つ目のビルの屋上だ。さっきの姐さんの位置からじゃ死角になってる〕
〔判りました、有難う!!〕

 場所は判った。だが、既に狙撃は選択支に入れられないだろう。再びポイントを探しだし、狙撃体勢を整える時間が惜しいし、何より頼みのセイバーが動けないのだ。
 あの場で彼の攻撃を受ければ、確実に全員殺される。彼らを護れるのは私しか居ない。
 幸い、現場まではあと少しだ。今から狙撃体勢に移るよりは早く着く。

「何とか持ち応えて。今すぐ向かいます!!」

 念話と肉声で彼女達に答えながら、彼女達の元へと街を駆けた。


**************************************************************


「久しいな、セイバー」

 黄金の甲冑に身を包んだサーヴァントが地上へと飛び降りてくる。

「……アーチャー。いや……ギルガメッシュ」
「ほう。漸く我の真名を見抜いたか。褒めて遣わすぞ、騎士王よ」
「…………」

 私の腕の中にいるセイバーはただ無言でギルガメッシュを睨み返す。その視線を受けてもどうとも思わないのか、ギルガメッシュは徐に辺りを見回すとぼそりと口を開く。

「フン。奴め、逃げたか。まあいい。何れ我が直々に裁定を下してやるまでだ」

 何の事か良く判らないが、この英雄王もあの影を敵と認識しているのだろうか。

「それで、どうだ騎士王よ。改めて聞くぞ。あれから十年だ。いい加減、我のモノになる決心は付いたか? いや、お前にとってはほんの少し前にすぎんか」
「な…………」

 思わず、口が開いてしまった。黄金の英雄は一人尊大に自らの都合だけで話を進めてゆく。まったく、話には聞いていたけど、本当に求婚していたのか。
 それも、こんな無遠慮でデリカシーの欠片も無い、傲慢で尊大な態度で。

「……くどいぞ、ギルガメッシュ。以前にも、言った……筈だ。私は……貴方の軍門に、下る気は……無い!」

 声を出すのも辛いだろうに、セイバーは気丈に振る舞い、ギルガメッシュを拒絶する。

「ふっははははははは! 我の正体を知った上で尚歯向かうか! 良い、実に良いぞセイバー!! そうでなくてはな、それでこそ我の認めた女よ」
「…………」
「だがそんな様で如何する。聖剣を使い、魔力切れを起こしかけているお前に、我に一太刀でも浴びせられる力が残っているとは思えんが?」
「くっ……」

 的確に弱みを突かれ、悔しそうにセイバーが小さく臍を噛む。

「大人しく我のモノになれ、セイバー」

 がちゃり、と黄金の甲冑を擦り鳴らして英雄王が此方へと歩き始める。彼の力は既に先程思いっきり見せ付けられた。一つ一つが破格の宝具、その絨毯爆撃じみた一斉射撃。
 防げない。耐えられない。アリアは側に居ない。セイバーがこんな状態の今、あんなのを喰らえば私達なんてひとたまりも無い!

「くっ………」
「じょ……冗談じゃない」

 その時だ。彼の前に立ちはだかったのは、士郎だった。

「士郎!?」
「シロウ!!」

 背中にまだ生々しい傷跡が残っている。そんな身体でまたコイツはこんな無茶をする!
 くそう、こんな時に限って、アリアとの感覚共有は切れちゃってる。彼女に今の状況が伝わらない。こんなに切羽詰ってるってのに!!

(何とか持ち応えて。今すぐ向かいます!!)
「!?」

 その声はセイバー……じゃ、ない。アリアだ。アリアが念話を送ってきたんだ。
 もうすぐアリアがここに着く。お願い間に合って!!

「セイバーはモノじゃない。俺達の仲間だ。セイバーが動けないなら、俺が護る!」

 だからほら、この馬鹿! また誰が考えても無謀な事を躊躇もせずやろうとして……!!
 もうすぐアリアが着てくれるんだから、それまで辛抱しなさいっての!!

「同調、開始(トレース・オン)!」

 手に握る木刀を強化して構える士郎。駄目、そんな毛が生えたようなモノじゃ何の役にも立たない。余計に奴を刺激するだけ。

「駄目だシロウ! 貴方が、敵う相手じゃ、ない!!」
「その通りよ士郎、早まっちゃ駄目!!」
「判ってるさ、嫌って程……それでも、今お前を護れるのが俺達しか居ないんじゃ、他に方法無いだろ!?」

 そう言って一人駆け出す士郎。駄目っアリアがもう直ぐ来るのよ。
 それまで待てって言ってるのに!!

「フッ、痴れ者めが。雑種如きが我の前に立とうなど、千年早いと教えてやる」

 ギルガメッシュがパチンを指を鳴らし、虚空に突然現れた大槌が士郎に襲いかかる!
 その瞬間、士郎の前に一瞬なにか青い影が吸い込まれたように見えた。

「シロ――!」
「ぐあっ――!?」
「ああっ!!」

 その大槌に吹き飛ばされ、士郎の身体が宙を舞った。そのまま数メートルの距離を飛び、私達の目の前に二人の身体が倒れこむ。え、二人?

「シロウ!!」
「士郎!!」
「いっ……ててて……。あれ?」

 無事かと駆けつけた私達――セイバーが動けない為、縺れて膝で這う様にだが――が目にしたのは、士郎を庇ってかわりに大槌を受け止めたアリアだった。

「「「アリア!!」」」
「う、ぐっ……。はは、間一髪。何とか間に合いましたね」

 しこたまダメージを食らっている筈だろうに、心配させないよう、引き攣った顔で無理矢理笑顔を作りながら軽口を叩くアリア。まったく、彼女らしいというか……。

「っ馬鹿! また無茶な事して!! ホント、もう……」
「フフッ、すみません。余りに余裕が無かったもので」

 これ以外に方法が思いつかなかったと釈明してくる彼女。よろりと立ち上がるが、大槌を受けた両の手の骨は砕け、だらりと垂れ下がったままだ。
 その姿が十分すぎる程にダメージを物語っている。

「ご、ゴメン、アリア。また助けられた」
「お気になさらず。それが私の使命です」

 朗らかに笑顔で士郎に軽く笑いかける。だが、再び構えた時にはその手に銃とナイフを持ち、見惚れる程凛々しく勇ましい歴戦の英雄の顔になっていた。砕けていた筈の腕も既に治っている。

「三人とも、私の後ろから動かないように」

 アリアは私達を後ろ手に護るように下がらせ、ギルガメッシュと対峙する。

「…………なんだ貴様は。……む!? 貴様……赦せん! 我の決定を拒むだけでは飽き足らず、こともあろうに雑種風情にまで身を堕としたか!!」

 突然の乱入者を値踏むように怪訝な眼差しをジロジロとアリアに向けて放っていたギルガメッシュ。それが突然、何に気付いたのか、猛烈に激怒し出した。
 そしてその激情であたかもアリアの存在を全否定するような言葉を吐き散らす。

「……貴方に何と思われようが構いません。私は私の望んだ結果として、この身となったまで。その過程にも結末にも、何一つ恥じる物など無い」

 だが、その侮辱としか思えないギルガメッシュの言葉に対して、アリアは一切動じる様子も、臆する様子も、怒り逆上する様子も無い。まるで何処吹く風、とばかりに冷静だ。
 否、冷静というより、“冷徹”といった方が良い。
 激烈な英雄王の言葉はそれ自体が強制(ギアス)の魔術でも掛かっているかのように、聞くものの魂を威圧する。普通の人間なら“死ね”と言われればそれだけで恐怖に慄き、言われるとおりに自害しかねない。それほどの強大な存在感、威圧感を感じる。

「私は私として、こうある事をただ望み、その結果を認め、受け入れている。そう、守護者と成り変わろうと、それは決して変わらない。それが私の矜持だ、英雄王」

 だと言うのに、そんな巨大なプレッシャーを前にしてアリアは堂々と対峙し、その言霊に真っ向から立ち向かい抗っている。いや、最初から相手にしていない。
 英雄王の言霊であろうと、何者にもアリアが誇りとする信念、信条は傷付けられない。
 彼女の意志の強靭さは私が一番良く知っている。きっと名高き英雄達の中でも、意志の強さだけならきっと右に出るものは居まい。
 ソレだけが、否、ソレこそがアリアの本当の強さ。とてつもない腕力や脚力、体力、超常的な特殊技能、信じられないような奇跡の武具。
 そんな英雄らしい物を全然持たない彼女が何故ここまで戦えるのか。きっとその強靭な意志が彼女の強さの本質なのだと思う。

「囀るな雑種! 堕ちてもその気の強さだけは更に磨きが掛かったか!!」

 真っ向から言葉で貴様など相手にしていないと手袋を叩きつけたアリア。どれ程言葉で貶めようとも、全く意に介さないどころか反撃さえする彼女の態度に英雄王が激昂する。

「まあいい……興が削がれたわ。堕ちた貴様なぞに興味は無い! 今日の所は見逃してやる。弱ったそこのセイバーを連れ、その見窄らしい穢れた姿を我の前から消すがいい!!」

 このままでは問答無用でこのまま戦いになるか。そう思って覚悟を決めようとしていたのだが、この世の全てを手に入れていた王というのは、思考回路も何処か違うらしい。

「次に我の前に現れてみろ、貴様は一瞬で塵と還してやる。覚悟しておけよ雑種。……セイバーよ、おまえは我のモノだ。必ず手に入れてやる。おまえは決して此の愚か者のように我を失望させるなよ!!」
「…………!!」

 最後にそう吐き捨てる黄金の英雄王。その最後の言葉“お前は此の愚か者のように我を失望させるなよ!!”にセイバーが僅かに反応する。
 踵を返し、堂々と私達に背中を見せながら悠々と去ってゆく黄金の甲冑。だが、無防備なように見せておいて、その実、襲い掛かれば確実な死が待っている。
 それだけの力があるのだという自負あってこその態度なのだろう。そのまま英雄王は深夜の街の闇に溶け込んでいった。

「…………」

  全てが過ぎ去り、大戦闘に揺れた街並が静寂を取り戻す。その中心に居て、誰もが言葉を発せず、ただ沈黙が時の砂と共に流れて行く。
 アリアはただ黙して語らない。構えは解いても、まだその表情は硬く英雄王が去った方角に向けられたまま。セイバーの方は何やら難しく考え込むような渋面で、ずっとアリアに視線を注ぎ続けている。その視線に、アリアは気付いているのか、いないのか。

「……ふう。完全に撤退したようですね。ギルガメッシュは」

 ずっと警戒を崩さなかったアリアが、漸く張り詰めていた緊張の糸を解いた。抜き身の刀のような気迫がすうっと溶けて消えてゆく。
 構えていた武器をマナに戻し、無手に戻るアリア。だが、その表情は何処か物憂げに見えた。そのまま静寂に包まれた街を、いや、その上の夜空をぼうっと眺める。
 アリアにも、考えたい事があるのだろう。あの影の事、英雄王の事、そして、私達のこれからの事……。セイバーの事もある。どれも、彼女にとっては頭を悩ませる事ばかり。
 徐に辺りを見回すと、士郎もなんだか呆然と放心してしまっている感がある。イリヤスフィールはというと、そんな士郎に縋り付くようにべったりと引っ付いて離れない。
 ふと、アリアの方に目を戻すと、彼女は数ブロック先の一角を眺めていた。

「士郎、ちょっとセイバーをお願い」
「あ、ああ。判った」
「すみません、シロウ。貴方も怪我をしているというのに」
「気にするなよ。お互い様じゃないか」

 セイバーをシロウに任せてアリアの横に立り、彼女の様子を覗き見る。彼女はエクスカリバーによって出来た傷跡を少し辛そうな顔で眺めていた。

「あのビルが気になる? まあ、ちょっと前からこの辺り一体、人の気配は全然無かったし、今もあのビルには人の気配が全然無いのよね。人が居ればもっと騒ぎになるはずだし。楽観的だけど、きっと被害は建物だけよ。だから安心して」
「え? ……いえ。……すみません、気を使わせてしまって。そうですね。あの程度で済んで良かったと思うべきでしょうね」

 彼女の側まで行き、セイバーには聞こえないよう小声で話す。話題的に、セイバーに聞かせると絶対に気に病むだろうから。すると彼女もそれに合わせて小声で返してきた。

「そうなの?」
「ええ。エクスカリバーの威力がバーサーカーと影によって殺がれたから、この程度で済んでくれたのでしょう。でなければ、被害はもっと深く、後数棟ぐらいは全壊しています。周囲にも、もっと深刻な延焼の被害が出ていた事でしょう」

 アリアが冷静に被害を分析し、理由を推測する。

「……規模が桁違いね」
「ええ。昔、未遠川を干上がらせた程ですからね」
「それ、マジなの?」
「嘘を話して如何するんです」

 余りの威力にげんなりする私に、アリアがさらなる止めを刺してきた。こういうところでアリアは妙に気が効かない。いや、ひょっとしてわざとやっているのかしら。

「すみません……確かに、事実です」
「ひゃっ!?」
「っと、聞こえてしまいましたか」

 突然聞こえた声にちょっとビックリした。振り返るとセイバーは士郎に肩を借りて、何とかやっとといった感じで後ろに立っていた。どうやら聞かれてしまったらしい。
 アリアはどうも判っていた感があるが、苦笑してごまかしている。

「……それは、貴女の居た聖杯戦争で私に聞いたのですか? それとも……」

 セイバーが普段の彼女からは考えにくいほど積極的に問いかけてくる。やはり、アリアの正体に薄々、いや、かなり確信に近い所まで勘付いているんだろう。

「……それとも?」

 そんなセイバーの心理を知ってか、アリアはわざと惚けてみせる。その表情は何処か寂しげで、切なそうな……何処か全てに達観したような笑顔だった。
 そう、まるで……もう全てを知る覚悟は出来たのかと、そう問いかけるような……。

「…………。いえ、何でもありません」

 その、残酷にも感じられるほど優しさを称えた眼差しに、向けられたセイバーが耐えられなくなったか、絡んでいた視線を逸らしてしまった。

「……帰りましょう。何時までも此処に居るのは、得策ではありません。シロウ?」
「あ、ああ」

 セイバーに促されて、士郎がセイバーの肩を支える。そのまま此方を待たず、帰路に着くセイバー。アリアはそんな彼女の後ろ姿を、ただ寂しく見つめ続ける。

「意地が悪いですね、私」

 ぽつりと漏れたアリアの声に振り返る。彼女は切なげな笑顔のまま、その瞳は切なさに苦しんでいるように見えた。

「アリア。……そろそろ、良いんじゃない?」
「ええ、そうですね。後はいつ、彼女の準備が整うか。……私にとっても」
「やっぱり、恐い?」
「……はい。お恥ずかしい話ですが」
「そうね。……無理ないわよ」

 先程の遣り取りは、アリアにとっても賭けだったんだ。今、話さなければならなくなっていたとしても不思議じゃない。あれはそんな綱渡りの一言。
 決定的な問い掛けをされたなら、きっとアリアは打ち明ける。でも、理性では決意していても、中々感情は言う事を聞いてくれない。
 アリアもまた、自身の覚悟が十分じゃないと自覚している。だが、もし今、秘密を明かせとセイバーが迫っていたなら、彼女は必ず打ち明けていただろう。

「それはそうと、アリア。あの影って、まだ消滅したわけじゃないのよね? あの金ぴかも確かに“逃げたか”って言ってたし」
「……そう、ですね。エクスカリバーの直撃を受ける直前に弾けたように思われます。ダメージは与えているでしょうが、直撃ではなかったでしょうね」

 そう語るアリアの表情は意外にも少しほっとしているように見えた。

「如何したの? あんまり悔しくなさそうね」
「え? い、いえ!! 決してそういうわけではないのですが……」

 慌てて取り乱すアリア。珍しい。普段冷静なアリアがこんなに慌てるなんて。

「ですが、これからが厄介かもしれません。深手を負わせたことで、奴は空腹に喘ぎ、更に暴れだすかもしれない」

 アリアは、遣る瀬無さそうにそう語り、顔に渋面を浮かばせる。

「じゃあ、まだアンリマユは消滅していないと」
「はい。あの影は所詮奴の一部、触覚に過ぎません。奴の脅威を取り去るには、その大元を滅ぼさなければ……」

 眉間に皺を寄せ、難しそうに語るアリア。

「じゃあ、これからはその大元を探し出すのね?」
「いえ、場所は判っています」
「へ? 知ってるの!?」

 アリアから耳を疑うような言葉を聞いた気がする。

「はい。私の生前の経験と同じなら、間違いなく柳桐寺の山中、地下大空洞に。ですが、恐らく蔵硯が待ち構えている。アーチャーと共に。今回のアーチャーの行動は間違いなく、あの男の命令によるものでしょう。そう考えれば、彼の行動には説明が付きます」
「蔵硯……!? あの糞爺め……やっぱり暗躍してたか。って、じゃあアーチャーのマスターは蔵硯ってこと?」

 私の問いに、どう話そうか躊躇するように口ごもるアリア。それでピンときた。

「まさか、桜……なのね?」
「……恐らくは」
「じゃあ、あの子ってば、二体も召喚したっていうの?」
「確証はありませんが、蔵硯が召喚したと考えるよりは、可能性が高いでしょう」
「むう……そうね」
「その辺りについて、帰ってからお話します。もう貴女には、全てを話しておかないといけない。手遅れになってからでは、遅すぎますから」
「!! そう。話して、くれるのね。判った、私も心して聞くわ」

 私の言葉に、コクリと頷くアリア。彼女の目には決意の色が宿っていた。

「それじゃ、帰りましょう。綺礼が裏工作してるとしても、長居はしてられないわ」
「はい。……と、そうだ。忘れる所でした」

 そう言ってアリアは携帯電話を取り出し、何処かに掛け始める。

「どうしたの?」
「少し待って下さい。……豊田三佐? ええ、そうです……確かずっと全勢力の行確を続けてくれていましたよね?」

 電話の相手はどうやら例の自衛隊の男らしい。アリアは何か気になっていることがあるみたいだけど、一体何を尋ねているのだろうか。

「ええ、そう。……その少年です。彼は今もまだあそこに? …………えっ!? それは確かですか。…………そうですか、判りました。感謝します。……ええ、また後ほど」

 電話を終えた彼女の表情は優れない。どうやら余り吉報ではなかったようね。

「電話の相手は例の協力者ね。一体何を尋ねてたの?」
「はい、間桐慎二の事を。実はライダーと戦う前に、彼を催眠ガスで眠らせたのです」
「あ。そういえばそんな事してたわね、貴女」

 確か丁度、此方へと走って移動している最中だったな。私もアリアの視聴覚を通して、ちょっと吃驚したわ。まさかあんなものを使うとは思いもしなかったから。

「それで、彼が今どうなっているかを彼らに聞いてみたのです。ライダーが完全に倒れたなら、彼が持つ仮の令呪、偽臣の書が燃えて無くなっている筈ですから」
「成る程ね。それで?」

 アリアに続きを促すと、彼女は眉を顰めながら歯切れ悪そうに口を開く。

「……それがどうも、彼の前に蔵硯が現れたらしく……」
「えっ!? それって……つまり?」
「……はい。彼らからの話では、慎二は現れた蔵硯に起こされた後、偽臣の書を奪われ、その場で燃えてしまったらしいのです」
「令呪の書が蔵硯に燃やされた……って事?」

 気になった一点だけを問い直す。ライダーが消えれば自動的に燃えてしまう筈の本。それが燃えたのは勝手にではなく、蔵硯の手で燃やされたということは……。

「はい……恐らくは。ライダーはまだ、消滅していない可能性が出てきました」
「…………。となると、この先また?」
「その可能性も在り得ますね」

 思わず天を仰ぎ、こめかみに手をやって頭を振る。また頭痛の種が増えた……。

「はぁぁ、何だか頭痛くなってきた。一難去ってまた一難、か」
「……そうですね。ですが、今回の傷で暫くは目立った動きは出来ないでしょう。問題は、この後どう動くか、諸々の問題にどう対処してゆくか、ですね。ライダー自体はそう優先順位的には高くありません」

 そう語るアリアの表情には、思ったほど深刻そうな色はなかった。寧ろ、その既に何か考えがありそうな……アリアの瞳はそう感じさせるほど真っ直ぐ前を見据えていた。

「そうね。その辺も含めて、帰って対策を練りましょう」
「そうですね」

 気になることは山のようにあるが、アリアの顔を見て、きっと大丈夫だと自分を鼓舞する。何故なら、彼女の瞳に宿る意志の光はまったく揺るぎなかったから。
 大丈夫。何が来ようと、きっと彼女と一緒なら切り抜けられる。根拠は無いけど、彼女なら何とかしてしまえる。そう思える。

「ぉーぃ……ぉーい、遠坂~、アリア~ッ。何してんだよ、帰るぞー!」

 遠くで私達を呼ぶ士郎の声。とはいっても、士郎もセイバーも満身創痍の身体だから、足もそんなに早くない。だから距離はそれほど離れていない。
 こりゃ、私達が肩を貸さなきゃ、家に着く頃には夜が明けかねないな。

「さ、帰りましょう。今度こそね。ほら、あんまり遅いから士郎が呼んでるわ」
「おっと、いけませんね。急ぎましょう、凛」

 彼女の事だ。もう既に先の先まで対策を練り続けているに違いない。瞳を見れば判る。
 彼女は全く諦めてなんか居ない。なら、主の私が不安な顔なんてしていられないじゃないの。そう決意を胸にして、戦場となったこの場所を後にした。



[1071] Fate/Liberating Night her codename is “Soldier” vol.24
Name: G3104@the rookie writer◆58764a59 ID:565cb8bc
Date: 2011/06/10 04:48
 宵闇が天球を染め抜いた丑三つ時。私達はようやく家に着いた。
 今宵の風は生温く、不穏な空気を運んでくるようだ。まるでこれから先に待つ困難を告げる予兆のよう。

「嫌な、空気だ。魍魎のざわめくような……」
「そうね。何にせよ、もう迂か迂かしてられないわ。直ぐに作戦会議よ」

 私の呟きに答えるように小さく、だが強い意志を込めた凛の言葉が返る。

「…………」

 私を間に挟んで凛と反対側に位置取り、ずっと私の傍らについてきた小さな救助者は、帰路の道中ずっと黙して語らず。その赤い瞳には悲しみの雫を光らせていた。

「どうしました、イリヤスフィール?」
「……なんでもないわ。そう。此処がお兄ちゃんの、城、なのね」

 何処か物憂げに、しかし何か尊い物でも見るかのように見上げ、そう口にする。

「ははは、城って程、上等なモンじゃ無いけどな。痛ってて」
「バカ。傷は癒えてるみたいだけど、体は消耗しきってるんだから大人しくしてなさい」
「はは、悪い。」

 私と凛がそれぞれにセイバーと士郎を支えながら、衛宮邸の門を潜る。
 慣れ親しんだ温かみの有る空気を肌に感じ、その優しさに心を潤されてか、士郎から小さく安堵の吐息が漏れる。

「凛、とりあえずこの子達を寝室へ。作戦会議も必要ですが、まずは休息を」
「そうね。もう夜明けも近いから少しでも回復しとかなきゃ。セイバーの事もあるしね」
「済み、ま、せん……」

 私の背に力なく背負われたセイバーは声を発する事すら辛そうに眉を顰めながら呻く。
 今、彼女は肉体の維持を最優先とする為、鎧一切を除装して魔力の温存に努めている。

「喋らないで、余計に魔力を消耗します」

 背中からこくりと小さく頷くセイバーを背負いながら、私達は屋敷へと入っていった。




第二十四話「小隊は白雪姫に翻弄される」




 静寂が横たわる寝室の中で、カチコチと正確に時を刻む時計の音と、苦しそうに喘ぐセイバーの呻き、私が洗面器でタオルを絞る水音だけが室内に響く。
 士郎とセイバーの部屋を仕切る襖を外し、大きな一部屋としたこの寝室も、今は5人全員が詰めているため多少手狭だ。誰も、一言も口にしないまま、時間だけが過ぎてゆく。
 場の沈黙を破った声は、士郎からだった。

「……なあ、あの、さ。セイバーの事、なんだけど」

 その声を待っていたかのように、全員がその声に反応し視線を向ける。
 だが、誰も答えない。その視線を代表して、私が口を開く。

「はい、判っています。このまま魔力が供給されなければ、彼女はもってあと三日。それも戦闘しなければの話です。一度でも戦闘になれば、恐らく半日で力尽きます」
「そ、そんなに酷いのか!?」
「残念ながらアリアの見立て通りよ、士郎。セイバーは今、魔力切れを起こしかけている。
 それを回避するには、貴方からどうにかしてラインを繋げるか、彼女に人を襲わせて魂を食わせるか。他に方法は無いわ」

 私の説明を凛が補足し、狼狽える士郎を諭す。

「まだサーヴァントは一騎も消えていません。この状況で彼女を失うのは非常に拙い」
「え……死んだんじゃないのか、バーサーカーは?」

 がば、と布団をまくり上体を起こそうとする士郎を手で制し、布団を戻しながら答える。

「解かりません。泥に飲まれた英霊は正統な英霊であればあるほど、真逆の属性である泥に染められ、自由を奪われる。そのまま完全に飲み込まれ消化されるか、反転して泥に使役されるか。彼がどうなるかは奴の思惑次第……」
「じゃあ、ライダーは?」
「あの時、私の攻撃がアーチャーに迎撃された為、ギリギリで直撃は免れたのでしょう。
 あの後、間桐慎二の持っていた本は蔵硯によって燃やされたのを確認しています」
「つまり、ライダーがあの時死んでいたなら、その時点であの本は燃えてなきゃおかしいのよ。それが蔵硯に燃やされたって事は、ライダーの主が本来の桜に戻る事になる」

 凛は私の少し後ろで、足を崩して後ろ手に体重を預けながら、やや口惜しそうに語る。
 桜が再びマスターとなる。それは彼女にとっても決して望まない事。

「それに、ライダーが倒されたかどうかは、彼女に聞けば判りますよ。そうでしょう、イリヤスフィール? いいえ、聖杯の器、と呼ぶべきでしょうか?」
「!?」

 凛や士郎、そして苦しそうなセイバーまでもが私の言葉に驚きの相貌を見せる。

「ど、どういう……そうか! そういうことなのね」
「そういう事ってどういう事なんだよ遠坂、説明してくれ!」
「せ……説明を頂けますか」

 三者三様の反応を見せ、その視線は凛、私、そしてイリヤスフィールへと注がれる。

「ええ、確かにライダーの魂はまだ回収していないわ。そんな事より、どうして貴女達は私を助けに来たの? セイバーがこんなになる事は予想が付いた筈よ」
「それは、貴女が聖杯だからですよ。アインツベルンに作られし、聖杯を顕現させる器」
「ソコだよ、ソコ、どういうことなのか説明してくれ、アリア!」

 士郎が今度こそ布団を跳ね除けて起き上がる。

「ええと、なんと説明すればよいか、要するに彼女は唯の人間ではないのです。
 アインツベルンによって生み出されたホムンクルス、人造人間とでも言いましょうか。
 つまり、彼女は聖杯戦争で倒れたサーヴァントの魂が注がれ、満たされる事で完成する聖杯の入れ物なのです」
「「な!!」」「成る程ねえ」

 驚く士郎達と、一人納得する凛。そんな中、私へと強い猜疑の眼差しを向けてくる瞳が一対。イリヤスフィールのものだ。

「ご名答。そこまで判ってるならもう自己紹介の必要も無いのかしら。……ソルジャー、アリアって呼ばれてたかしら、私をどうする気?」
「どうもしませんよ。あの場で貴女を放っておけば泥に吸収されていたことでしょう。それだけはどうしても避けたかった。本当はバーサーカーも逃がせればよかったのですが」
「……! バーサーカー……う、ぐすっ」

 目の前で己を庇って泥に飲まれた彼を思い出したか、赤い宝玉のような双眸から大粒の雫が零れだす。彼女にとって、彼はそれほど大切な従者だったのだろう。

「彼を奪われた事は私の失態です。でも、だからこそ、貴女まで奴の餌にさせる訳にはいかなかった。それに、他のマスターに聖杯である貴女を渡す事も。
 誰が聖杯を得るにせよ、それはあの泥がこの世に生まれ出る手段を与える事になる。
 それだけは何があっても阻止しなければならない。それが理由です」
「……そう。そっか、貴女は霊長の抑止力として、此処に居るのね」
「はい。ご理解頂けましたか」

 成る程、どうりで……等々、ぼそぼそと小さく呟きながら、イリヤスフィールは判ったわと答えた。

「さて、それではイリヤスフィール、これからは私達と一緒に行動して貰います」
「仕方ないわね。まあ、リンが居るのが気に入らないけど、お兄ちゃんも居るし。
 いいわ、保護されてあげる。その代わり、ちゃんと勝ち残らないと許さないんだから」
「んなっ、そんなこと言われなくても勝ち残ってやるわよ。見てなさい!」

 僅かに元気を取り戻すイリヤスフィール。その尊大な態度が凛の癇に障ったようだ。
 やれやれ、この二人はこれからも衝突しそうですね。

「そういえば、私、おにいちゃんの名前知らないんだけど」

 ふと、キョトンとした顔でイリヤスフィールが問う。

「ん?ああ、俺は衛宮士郎。好きに呼んでくれ」
「エミヤシロ? なんか言いにくい。変わった名前だね」
「ハハ……俺もそんな発音で言われたのは初めてだ。士郎が名前だよ。衛宮は苗字」
「なんだ、シロウか。シロウ、うん、シンプルだけど響きは合格。孤高な感じでいいわ」

 弾むような声で答えるイリヤスフィールに、むず痒そうな顔でそうか、と軽く返す士郎。
 その緊張感の解けた顔を睨む凛の表情がさらに険しくなる。

「そろそろ話を戻すわよ。セイバーの魔力回復だけど」
「ああ、そうだ。そっちをナントカしないと。だけど、セイバーに無理矢理人を襲わせるなんて事、俺には絶対に出来ないぞ……」
「誰もそんな事はさせませんよ。ご心配なく」

 八方塞だと頭を抱える士郎だが、そんな必要は無いし、私がさせない。

「まあね。貴方とセイバーはちょっと特殊で、肉体的にもパスが通ってるのよ。だから魔力を提供するだけなら、特に難しい魔術も必要ないの」
「え? どういうことだよ、遠坂?」
「ただねー、その、方法がね……」
「え、ええ。なんというか、その……」

 凛と二人そろって、つい顔を赤らめてしまう。

「……? どうしたんだ、二人とも。歯切れ悪いな、俺に出来る事だったら何でも言ってくれ。それでセイバーが元気になってくれるならどんな事だって構わない」
「え、ええ……」
(えーっと、アリア、貴女達の時もやっぱりそうなの?)

 凛が念話で問うてくる。そう。その方法とは、肉体を重ねる事。
 魔術師の精は魔力の塊なので、それを摂取する事によっても我々は魔力を補給できる。
 
(……はい。私達の時も、同じです。ただ、実はその時、凛が手助けを)
(ええっ私!?)
(そうです。あの時は時間も猶予も無くて、シロウも私も初めてで如何していいか……)
(そんなの私だって初めてだけど……ああ、よっぽど切羽詰まってたんだろうなあ私)

 そんな事を念話でやり取りしていると、やにわに予想外な所から声が上がる。

「何をそんなに躊躇ってるの? そんなの簡単じゃない。まぐわっちゃえばいいのよ」
「まっまぐ!?」
「「えっ、ちょっ、イイイリヤスフィール!?」」

 凛と二人仲良く同じ台詞を重唱してしまう。声の主はイリヤスフィールだった。

「呼びにくかったらイリヤでいいわよ。で、皆何でそんなに驚いてるの?」
「い、いや。だってお前、子供がそんな事口にしちゃ駄目だろ!!」
「なんというか、これが非常時だったら、私も全く躊躇せず提案しましたけどね……」
「まあ、魔術師としては性交による同調なんて基本だけどね……」

 なんというか、僅かにでも躊躇ってしまった私達が馬鹿みたいに思えてしまう。
 本当にこの子は善悪の観念というか、倫理観というものがまるで無いというか、すっぽり抜けてしまっているというか。
 言葉使いや口調の端々に見られる言い回し、論理的な思考から、魔術師としての倫理観というものは在るのだろう。だが、人としての倫理観はどうやら欠落している。
 否、善悪の価値観同様、教育されていないのか。

「はは、は。ええっと遠坂サン、アリアサン、ボクにハどういう事なのカ、状況が掴めナいんダが……モウ一回説明シテもらエませんカ?」

 士郎が突然の性的発言にしどろもどろになってパニックを起こしてしまっている。
 無理もない、まだ高校生という思春期にある彼にはあまりに刺激の強い問題だ。

「だからー、セイバーとまぐわっちゃえばいいんだってば。セックスよ。えーと、コッチの言葉では秘め事って言うんだっけ?」
「だからそうポンポンと刺激の強い言葉を言ってはいけませんイリヤスフィール!
 年齢(とし)相応の男の子なんですよ士郎君は!!」
「あのねイリヤ……確かに魔術師としては当たり前の事なんだけど、もうちょっと慎みってもんを持ってもらえるかしら」
「何言ってるのよ二人とも。そんな詰まんない事に拘っていられる状態? セイバーを回復させたいんでしょ、だったら方法はソレしかないわよ。それとも人を襲わせる?」

 う、と凛が呻き口を噤む。確かに反論は出来ない。何れにせよ、今は士郎にセイバーを抱かせるしか彼女を回復させる手段はないのだから。

「仕方はありませんね。いいですか士郎君?」
「え、ああ。何とか、ええっと、詰まり、俺はどうしたら?」
「落ち着いて聞いて下さいね。セイバーと貴方には既にパスは通っています。なので、後は貴方から直接、物理的に魔力を補給させます」
「物理的に?」
「はい。つまり、性交による精の提供という事です」
「え、ええええええええええええええ!? な、なんで!? やっぱりそうなのか!?」

 狼狽え素っ頓狂な叫び声を上げる士郎。そりゃあやっぱり突然すぎて、心の準備も出来ませんよねえ。でも、もう遣ってもらうしかないのです。

「そ、そんな事言っても、ソレはセイバーにも聞かなきゃ駄目だろ!?
 そんな大変な事、俺一人の意見で強要なんてさせられない!!」
「私、は……構いません……シロウ」
「ええっ!?」
「……それで、再、び……シロウを守れるようになるのなら……どうか、お願いします」
「セイバー……」

 その言葉でもう十分だったろう。士郎も覚悟を決めた顔になった。
 私達は邪魔になるだろうからと、部屋を出ようとした時だ。

「あら駄目よ、その様子だと初めてなんでしょ? 同調の為には、ちゃーんと二人とも感覚を共有して一緒に果てなきゃだめなんだから。手伝ってあげよっか?」

 なんて、とんでもない爆弾を投下してくれる、ませた白雪の妖精。
 士郎もセイバーも流石にその想定外の進言に目を丸くさせて硬直してしまっている。
 多分、私も。

「ちょちょちょ、ちょおおおおっとまったあああああ!!」
「何よリン。貴女に用は無いわ」
「幾らなんでも、貴女じゃ幼すぎるってもんでしょう? そりゃ大問題よ何処のロリペドだっつうの!! いいわ、仕方が無い。私が変わったげるから、イリヤ、貴女はアリアと一緒に向こうで大人しくしてなさい。判ったわね!?」

 慌てた凛が間に割って入る。すみません凛、今回は貴女に頼るしかありません。

「えーっなんでよー! 私こう見えても実は十八なのよ!?」
「うっさい! 信じられるかそんな事っていうか、実年齢がどうだろうと関係ないのよ、この幼女!! 流石に小児性愛は私の倫理観が許さないわ!」
「お、俺も流石に、イリヤに事を見られるのは恥ずかしくて適わん。いや、それは遠坂でもなんだけど。うん、それがイリヤだったらもっと堪えられない。
 悪いけど、それだけは勘弁してくれないか、イリヤ?」

 凛も士郎も、イリヤスフィールの参加だけは認められないと頭を振る。

「むぅーっ。シロウまでー。判ったわよ、しょうがない。悔しいけど、お兄ちゃんの頼みじゃ聞かない訳にはいかないし。今回はリンにあげるわ。でも次は無いからね」
「言われなくてもこんな事今回だけよっ!!」

 がぁーっと赤い気炎でも吐くかの如き気迫でイリヤスフィールを追い払う凛。
 だが、その気迫も何処吹く風とばかりに涼しげな顔でかわす雪の少女。まあ、なんとか彼女も諦めてくれたようなので一安心だ。
 凛が二人の手伝いを買って出てくれたのだから、主の頑張りに応えるべく、彼女の相手は私が引き受けよう。

「じゃあ、イリヤの面倒はお願いね、アリア」
「はい。お任せ下さい、凛。申し訳ありませんが、二人の介添え、宜しくお願いします」
「オッケ。まあ、こんなの一種の儀式みたいなもんよ。なんて事無いわ」
「それじゃあイリヤスフィール、居間にでも行きましょうか」
「ハイハイ。どうせなら、何かお話してくれると嬉しいかな」
「いいですよ。でも声は落としてください。寝てる人もいますからね」

 そうして、私達は寝室を離れ、居間に着く。イリヤスフィールは初めて見る日本家屋の居室なのか、色々な物に興味を示しては、私を質問攻めにしてくる。
 その仕草や表情は、どう見ても外見相応の幼い少女そのものだった。
 本当にこんな小さな子が聖杯戦争のマスターであり、聖杯として作られたホムンクルスの子なのだろうかと疑問さえ沸きそうになる。
 小柄なその体から発する常人ならざる魔力の波動、体中に刻まれた魔術刻印の気配。
 それらが無ければ、の話ではあるが。

「アハハ、何これー? おもしろーい。遠見の魔術みたい」
「それはテレビという物です。科学的に遠くの映像や音を見聞きしたり再現したり出来る、遠見を可能にした機械、とでも言えば良いでしょうか。まあ、そのようなものです」
「へー。こんなのアインツベルンのお城にも、コッチの別荘にも無かったから新鮮だわ」

 無邪気な好奇心を全身で余すことなく表現しながらテレビを弄る白雪の少女。

「そういえば、ありませんでしたね。切嗣があの城に持ち込んだ機材には、確かモニターらしき物もあった気がしますが……きっとすぐ廃棄されてしまったのでしょうね。
 アインツベルンは科学技術を忌み嫌っていましたから」
「やっぱり……なんでそんな事知ってるの貴女? 平行世界の聖杯戦争経験者だから? 
 ううん、違う。そんなんじゃない。貴女、一体何者なの?」

 私の言葉に、イリヤスフィールが瞳に興味と疑惑の色を浮かべ、問うてくる。

「さて、私の言葉に偽りはありませんよ。ただ、平行世界の前世の私は、人ならざる者でしたけどね。其れがヒントです」
「――!! そういう事。貴女、セイバーだったのね」

 それだけの説明ですっと理解したらしい。流石に神秘方面への理解力は高いようだ。

「察しが早いですね。聡明さはアイリスフィール譲りでしょうか」
「そっか、セイバー、一旦は英霊やめたんだ。って、可能なのそんな事?」
「私は――彼女も、ですが、英霊となる条件が聖杯を得る事であった為に、彼女等は未だ死の間際にあり、肉体ごと、この聖杯戦争へと送り込まれてきたのです」

 私の説明に、イリヤスフィールの大きな目が殊更大きく見開かれる。 

「うそ!? そっか、だから零体化できなかったり、あんな面倒な事になっているのね」
「そうです。それがどういう因果か、転生出来て、再び世界と契約せざるを得ない危機に遭いましてね。奇跡の代償として私はこの身となった。その事に後悔は在りません」

 ただ事実を淡々と、自らが辿った経緯を説く。その道程に、一欠片の後悔も未練も無い。
 在るのはただ、探し続けた半身を得られた幸福と、守りたい物を守れた万感の喜び。
 生前に流した血も汗も涙も、苦痛も悲哀も、決して否定しない。全て、私が自らの意志で歩んできた道を形作る物。それを否定するのは全てを否定する事と同じ。
 私は自分の人生を決して否定しない。だから、私は全てを受け入れ、満ち足りている。
 故に、今の私が持つ願いとは、嘗ての私のような、彼女の持つ妄執とは違う。
 唯一つ、一つだけ心残りがあった。生前では遂げられなかった、たった一つの願い。
 その小さな、されど強い願いがこの世界へと、この聖杯戦争へと私を導いた。

「貴女も物好きね。一度は解放されたというのに、自ら抑止の輪に飛び込んだなんて」

 イリヤスフィールはさも呆れた声で私をそう評価する。その不思議なモノを見つめる瞳を受けて、どう反応してよいかわからず、僅かに苦笑しながら彼女の言葉を待つ。

「ま、それが貴女らしさなのかしら。お世辞にも余り頭の良い在り方とは思わないけれど、割と好きよ、そんな不器用な在り方。根は物凄くお人好しなのね、貴女」
「ふふ、そうですね。否定はしません」
 そこで話が終わってしまった為か、イリヤスフィールは座卓の横で足を投げ出し、上体を後ろに傾け、両足をぶらぶらと持ち上げて一人遊びを始める。

「ね、ソルジャー。ええっと、アリアって呼ばれてたけど、それってまさか真名?」
「まさか。唯の愛称ですよ。偽名として使えるので、そう呼んで頂いているだけです」
「そうなんだ。じゃあさ、私も貴女の事、アリアって呼んでいい?」

 ぶらぶらと宙を泳がせていた足を止めて、上目遣いにやや恐縮しながら問うてくる彼女。

「どうぞ。いいですよ」
「ホント? ありがと、アリア。それじゃ、私のこともイリヤって呼んで」
「判りました、イリヤ」

 そう答えを返すと、雪の妖精のような少女は満面に朗らかな微笑みを浮かべて向き直る。

「うん。あはは、私、お兄ちゃんだけじゃなく、お姉ちゃんまで出来ちゃったみたい」
「この短い戦争の間しか私はこの世に居られませんが、その短い間でも良ければ」
「え、いいの?」

 おずおずとイリヤスフィール、否、イリヤが問い直してくる。

「ええ。貴女には魔術師としての倫理観はあっても、人としての倫理観が備わっていない。
 私も、それを貴女に学んでもらいたいですし。私はこの戦争で消えますが、貴女にはこれからも続く未来がある。きっと士郎君たちと深く関わり続けるでしょうから」

 そう。私はこの戦争が終わればお役御免だ。あの泥を滅ぼせば、私の役目は終わる。
 あの泥を破壊するためには、私の全てをぶつけねばならないだろう。この世に留まる余裕など、きっと残らない。だから、今、私に出来ることは全て遣っておきたい。

「……成る程ね、うん。そういう事なら、遠慮しないよ?」
「ふふ、遠慮する気があったのですか?」
「え? そりゃあ、その……。うー、アリアって結構意地悪ねっ。誰の影響かしら」
「さて、誰でしょうかね」

 可愛らしい顔を膨らませて皮肉を零すイリヤがおかしくて、思わずくすりと笑って返す。
 きっと今ごろ寝室で誰かさんがくしゃみでもしている事だろう。

「ん? なんか変な音が聞こえたような」
「プッフフッ。おやおや。風邪引かないでくださいよ」

 思わず噴出してしまい、寝室のほうを見やり呟く。本当にくしゃみが聞こえてきたのには、流石に失笑を堪える事が出来なかった。

「ふう、何かお腹減っちゃったな」
「あら、御免なさい。私とした事が気が付かなくて。お茶にしましょう。確かお茶請けが何か残っていた筈……」

 うっかりしていた。流石にこの時間ともなれば小腹も空いてくるだろう。
 台所へと向かう私の背にイリヤから注文が届く。

「あ、ありがとう。出来たら私、紅茶がいいな」
「いいですよ。緑茶は苦手ですか?」
「んー、私飲んだ事ないから良く判んない」

 人差し指を顎先に当て、宙を見上げながら答えるイリヤ。

「そうですか。試してみてはどうです?」
「そうね」

 紅茶と緑茶、両方とお茶請けを用意し、私達はその後も軽い雑談を交わし続ける。
 家の外では東の空からまだ昇らぬ朝日が、ゆっくりと夜空の群青を溶かし始めていた。


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 薄暗い室内に篭る熱気と、鼻腔を掠める甘ったるさの中、布団に沈み込んだ体をなんとか起こす。うん、窓を見やれば、外は既に薄明るい。
 どうやら疲労の余り、そのまま眠ってしまったようだ。辺りを見回せば、私のすぐ横には先ほどの自分と同じように、布団に沈み込んで眠っている士郎とセイバーの裸体が二つ。
 ……まて、何、裸体?

「え、ちょっまって、なんで!?」

 思わずパニックになりそうな頭を何とかフル回転させようと記憶を引っ張り出す。
 確か、セイバーの魔力供給の為に、何故か私がこの二人を介添えさせたんだったか。
 ああ、確かそうだ。うん、思い出してきた。こんなの二人で好きなように遣らせとけばよかったのに、どういうわけか、私が手助けに入らなきゃいけなくなったんだった。

「あんの白いアクマめ、アイツのお陰でなんか訳判んない事になって、こんな事に!」

 まあ、確かに初めてじゃ上手く効率的に魔力提供出来ないだろうから、魔術に詳しい者がサポートしてやったほうが良いのは間違いない。
 だけど、それは効率の問題だけだから、別に絶対必要ってもんでもない。なのに、どうしてこんな事になったのよ。
 見れば、私も服は脱ぎかけ、下着も乱れっぱなし。二人をサポートしていた時の格好そのままだ。下手をすると全裸よりも見っともない。
 ふと、壁かけ時計を確認する。五時半、少し前か。子一時間位は寝てたのかしら。
 流石に、夕べ何時頃から行為に及んだのかまでは記憶に無い。

「あ゛~~~、畜生。それもこれも、皆全部あの小娘の所為だわ」

 額を抱え、どうしてくれようかしら、なんて思っていると、私の独り言が五月蝿かったのか、二人も目を覚ました。

「……ん、ぁ? お、おはよう遠坂……」
「ん、もう、朝ですか……?」

 まだ寝惚けた頭のままらしい士郎達が私を見やり話かけてくる。まだ士郎は私が半裸のままだという事に気付いていない。私もそこまで思考が回っていない。

「……って、え!? うわっななな、なんで遠坂、裸なんだ!?」
「きっきゃああああああああっ!! 見るなっこの変態っ!!」

 咄嗟に乱れた胸元を隠し、手元に転がっていた枕を投げつける。
 ぼふっと士郎の顔面に直撃して吹っ飛ぶ枕。

「ぐはっ。ちょ、ちょっとまってくれ遠坂、不可抗力だ! 見てない、見てないからッ」
「嘘付けっ! 思いっきり見てたでしょ!!」
「す、すまんっ! だけどこの状況でどうやって見ないように出来るんだ」
「り、凛、落ち着いてください!」

 騒ぎですっかり目が覚めたセイバーが間に割って入る。

「あ、セイバー。良かった、魔力は無事回復できたようね」
「はい。貴方がたのお陰で」
「もう大丈夫なんだな、セイバー?」

 背後からかけられた言葉に、くるりと振り向き答えるセイバー。

「はい。魔力はかなり回復しました。完全回復とまではいきませんが、出力を抑えれば、宝具の使用も可能です」
「そうか、それは良かった……って、うわわ、セイバー、服、服を!!」
「はっ!? は、ハイッ!!」

 振り向いた彼女の裸体を見てまた取り乱す士郎。自分が裸だった事に気付いていなかったセイバーも慌てて自分の服を手繰り寄せる。そんな二人を尻目に私も自分の服装を正す。
 私も昨夜の事を思いだしてしまうのは拙い。羞恥で悶絶しそうになる。
 うっかり士郎の裸を見てしまわぬよう、明後日の方向に顔を向け、平静を装う。

「貴方もよ士郎。早く服着なさい」
「あ、そうだった。すまん遠坂」

 三人とも無言でいそいそと服を着直し、一先ず落ち着く。といっても、昨日の服のままなので、汗臭かったり湿ってたりして、着心地はお世辞にもよくは無いのだけれど。

「ふう、とりあえずこれで。無事にセイバーも直ったし、昨夜の事は忘れるから二人は気にしないでいいわよ」
「い、いや、俺もそうするよ。でないと、この戦いに私情を持ち込みそうになる」
「はい。私も。部屋を出たら、今までどおりの私達に戻りましょう」

 誰からともなく、立ち上がり、一人ずつ寝室を後にする。最初に私。次にセイバー、最後に部屋の主である士郎。それぞれが各々の思うように行動し、バラバラに散会した。
 私はとりあえず、この汗臭い服を着替えたいので、自分の部屋へと戻る。
 クローゼットから新しい服と下着を取り出し、着替えようとして思い立つ。

「あ、そうだ。シャワーでも浴びなきゃ。着替えるだけじゃ汗落とせないじゃない」

 着替えを抱えてお風呂場へと向かう。その途中、居間の襖が少し空いていたので中を覗いてみると、そこにはイリヤを膝枕に乗せ、優しく頭を撫でているアリアの姿があった。

「あら、おはようございます。凛」
「あ、おはよう。御免ね、待ちくたびれたでしょう」

 出来れば直ぐにでもシャワーを浴びたかったが、アリアに見つかってしまった手合い、無視するのは気拙い。挨拶がてら、襖を開けて、中に少しお邪魔する。
 昨夜、私達を振り回してくれた当人は、今はアリアの膝の上ですやすやと穏やかな寝息を立てている。この姿だけを見てしまえば、この幼子が、私達を殺そうとした敵マスターだった少女と同一人物だと主張したとしても、誰が理解してくれるだろうか。

「やれやれ。色々とトンデモナイ子だけど、眠ってる姿は歳相応の少女ね」
「そうですね。本当は貴女とそれほど歳は違わない筈なのですが」
「え、この子本当に十八なの?」

 アリアの口から予想外の言葉を聞き、つい聞き返した。

「ええ。確か十年前の聖杯戦争の時、八つだったかと。切嗣がこの子をあやしていたのを見た事があります」
「そう。そういえば、貴女には前回の経験もあったんだっけ」

 はい、とアリアは頷く。イリヤの透き通るような白く綺麗な髪を指で梳かしながら。
 アリアの近くに座り、私も少女の寝顔を眺める。

「この子は、ホムンクルスの母親から生まれた子です。生まれる前から此度の聖杯となるべく、あらゆる施術を受けていたのでしょう。
 故に、寿命も短く、身体はこれ以上の成長は見込めない。それが凛の結論でした」
「そう……。貴女の時も彼女を保護したのね」
「はい。そして、再開した時には、この子は既に……」

 白磁のようなイリヤの肌をそっと指で触れながら語るアリア。彼女はいつもの穏やかさの中に、僅かに哀しみの色を滲ませた眼差しでイリヤの寝顔を見下ろしていた。
 それで十分すぎるほど、この子の未来は見えてしまった。

「……やりきれないわね」
「そう、ですね……」

 静かな居間にやや重い沈黙が横たわる。この子に残された時間は余り無い。元よりこの聖杯戦争の為だけに生かされてきた命だから。そう私の親友ともいえる従者は云う。
 魔術の名門中の名門ともいえるアインツベルンなのだから、その倫理観は間違いなく魔術師の典型。当然のように、そこに人間的な、一般的社会通念や倫理観は無い。
 寧ろ、多くの魔術師にとってはそのほうが当たり前、普通の事であり、それが常識。
 だけれど、本当にそれでいいのだろうか。そんな疑念が胸を刺す。私とて、魔術の家系とはいえ、人の子として生きてきた。
 だからだろうか、この痛みは。やはり人として避けられない痛みなのかもしれない。
 ふと、アリアの顔色を窺う。彼女はやっぱり、感情は極力顔には出さぬよう、控えめに微笑みを浮かべている。だが、その瞳にはさらに哀しげな色が濃く現れていた。
 本当に、何処までもお人好しで、何処までも優しいんだから。
 
「さて、話は変わるけど、これから如何する? この子が聖杯の器なのは判ったし、保護するのも異論はないわ。けど、現状は、障害が一つ減っただけ。それも本当に減ったかどうかは判らないと来てる。じゃあ此処から、次の行動計画を立てなくちゃ」
「そうですね……」

 ふむ、と即座に意識を切り替えたアリアが顎に手を当て、思案に耽る。

「その話の前に、お聞きしたい事があります」

 やにわに後ろからかけられた声に少し驚き振り向くと、そこにはセイバーの姿があった。
 いつもの彼女とは何かが違う。その違和感の正体を探して、見つけた。
 どうやら風呂上りらしい。まだ起きてから三十分も経っていない。
 恐らくさっと汗を流しただけで出てきたのだろう。普段は結い上げられている髪が下ろされ、しっとりと湿り気を含み、上気した頬は赤く、まだ湯気が立ちそうなほどだ。
 だが、その相貌に宿るのは何かを思い詰めたような険しい視線と、真一文字に締められた唇。湯上りの開放感に寛いだ表情ではない。

「なんだ、セイバーか。ああ、お風呂だったのね」
「はい。凛も昨夜はお疲れになられたでしょう。汗を流されるといい」
「そうね。その心算よ」

 そう答えて、足元に下ろしていた着替えを持ち上げて示す。セイバーはそれで納得したのか、もうその話題には特に触れず、アリアへと視線を投げ掛ける。

「セイバー、聞きたい事とは?」

 その視線を受けてか、アリアの方からセイバーに質問を促す。恐らく、彼女の正体についての事だろう。ひょっとして、さっきの私達のやり取りも聞かれてしまっただろうか。

「……率直に聞きます。貴女は、何者ですか?」
「…………」

 やっぱり、その話だったか。たちどころに居間の空気が変わってゆく。先ほどまでの何処か切なく、されど暖かみのある空気から、ピン、と糸が張り詰めるような硬い物へと。

「……これは、おちおち汗も流しに行けそうには無いわね」
「いいえ、どうぞお構いなく。これは私とアリアの問題です」
「そうも行かないわよ。アリアの問題だと言うなら、それは彼女の主である私にも無関係な事じゃないわ。私には見届ける義務も権利もある」

 厄介事に首を突っ込むような真似をしたくなければ、そそくさとこの場から退散するが吉だろう。だけど、この問題は駄目。これには私にも深く関わりがある。

「どうぞお好きに。アリア、答えて頂きたい。貴女は以前、私に覚悟があるかと聞いた。
 これが答えです。さあ、答えてください。もう私は、貴女の話術に屈しはしない。
 今日という今日は、答えてもらいます!」

 決意を胸に秘めた顔で、そう啖呵を切るセイバー。

「……知る覚悟は出来たようですね。いいでしょう。ならば、お話しましょう」

 鋼線の芯でも通ったような引き締まった声で、アリアの口からそんな言葉が紡がれる。

(いいのね、アリア?)
(はい。もう、私も覚悟を決めました)
(そう。判ったわ。しっかりね。私がついてるから)
(有難うございます、凛)
 
 アリアはそっと膝枕に乗せていたイリヤの頭を下ろし、眠っているイリヤを抱き上げ、部屋の隅へ寝かせ、自分のウェストコートを毛布代わりにかけてやる。
 すっと立ち上がり、私達からは背を向け、やや横顔が見て取れるかという姿勢のまま、アリアが口を開く。その声音はやや低く、重さと誠実さを含んでいた。

「私は、嘗て貴女だった者です」

 そう彼女は、打ち明けた。

「――! アリア、それは……本当なのですね?」
「嘘偽りなく。私は、この世界とは別の可能性を辿ったこの聖杯戦争に召喚された貴女の、成れの果て。そういった者です」

 ゆっくりと振り返りながら、そう説き明かすアリア。
 その瞳には、自らの全てを明かすという、彼女の決意の光が宿っていた。

「で、ですが……貴女は私とは違う! 外見だけはよく似ている。だが貴女には、貴女には私に在るべき物が何も無い! 剣も、鎧も、私を私足らしめる龍の因子すら、貴女には無い。一体、貴女に何があったと言うのですか……!?」
「つまり、転生したのよ」
「!?」

 あっさりと説明してくる声だがその声の出所がおかしかった。当然に、今のは私の声ではないし、アリアのでもない。その声の主は、アリアの後ろで寝ていた筈のイリヤだった。
 流石にこれには私もセイバーも、アリアですら後ろを振り返り驚いている。
 もっとも、セイバーの驚きと私達の驚きは理由が違うだろうけれど。

「い、イリヤ!? なんで貴女が知ってるのよそれを!?」
「え? そんなの、アリアから教えてもらったにきまってるじゃなーい」

 何時の間に起き上がっていたのか、無邪気さを全身にまとってくるくると踊りながら、悪びれもせずそういってのける白い子アクマ。

「ちょっと、どういう事なのよアリア?」
「あはは、申し訳ありません、凛。先ほど、貴女達を待ちながらこの子の相手をしている時に、この子から同じ事を聞かれたもので。聖杯の器であるこの子にはどうにも、私というサーヴァントの不可思議さが気になって仕方が無いという顔をしていましたので……」

 申し訳ありません、と念話で何度も謝罪してくるアリア。まったく、しょうがないにも程があるってものよ?
 どうせ貴女の事だから、そうして先に自分で既成事実でも作って自分を追い込んで、本番への覚悟を無理矢理つけようとでも思ったんでしょう。

(あら、バレバレですか……)
(当ったり前でしょ。何日貴女とこうして密度の濃い日々を過ごしてきたと思ってるのよ。
 それに、貴女にとってはイリヤも赤の他人じゃない。彼女にも嘘偽りない、ありのままの貴女として接したかったんでしょう? 貴女の性格を考えれば、すぐ察しは付くわよ)
(あう……今のやり取りだけでそこまで看破されてしまいましたか、凛。本当に、貴女には適いませんね)

 顔を真っ赤に上気させて恥じ入るアリア。やっぱり彼女はこういうところが可愛らしい。
 いつも何でもテキパキとこなし、いざ戦場へと出れば一瞬で歴戦の猛者へと変貌する彼女の見せるこうした意外な一面が、彼女のとても愛らしい性格を物語る。

「まったく、しょうがないわね。まあいいわ。どの道、その子は私達の保護下に在るんだから、貴女の正体が外に漏れる訳でもなし。
 まあ、万が一漏れても大して不利な事にはならないだろうけど」
「凛、それはどういう事ですか?」

 私の言葉に何か気になる所を見つけたか、セイバーが尋ねてくる。

「どういうも何も、言葉どおりの意味よ。アリアの正体がバレたところで、彼女は既に貴女とは違う英霊だし、貴女の真名を知る参考にはならないわ。彼女は未来の英雄だもの。
 この時代には彼女はまだ存在すらしない。だから彼女の真名は知られようがない。また知っても何の役にも立たない。どんな英雄かすら誰にも解らないんだもの」
「な……未来の!? 私でありながら、現代ですらないと?」
「だから、転生したんだってば。さっき説明したでしょ、セイバー?」

 余程予想外すぎたのか、セイバーは驚きを隠せずにいる。そこにイリヤが駄目押しとばかりに突っ込みを入れてきた。この子、なかなかに悪魔っ子ね。

「て、転生といわれましても……確かに私は死の直前で送り込まれてきた、英霊見習いのようなものですが。でも、私は聖杯を手に入れる事を条件に世界と契約した。
 その可能性があるなら何度でも、私はその可能性のある場所へと送られる」

 困惑しながらセイバーは自分の素性を説明する。そうか、最初から妙な英霊だとは思っていたけど、まさかまだ死人じゃなかっただなんて。
 そりゃあ零体になる事も出来ないし、肉体的にもパスが通っていた訳だわ。

「そこで私の望みが叶えられれば、その時点で世界との契約によって私の魂は輪廻の流れから外され、英霊の座へと送られる。そうなれば転生など出来る筈も……まさか!?」
「そのまさか、ですよ。セイバー」

 動揺し声が上擦るセイバーとは裏腹に、アリアは抑揚を抑え、落ち着いた声音で静かに告げる。ゆっくりと、だが確かな響きを持つ声量で。

「言った筈です。私の正体を知れば、貴女は、貴女が抱える問題に直面する事になると」
「そんな……。それでは……それでは貴女は、聖杯を諦めたというのか!?」

 まるで、そんな事は信じられないと言わんばかりの感情が込められた、セイバーの叫び。

「――そうです。私には、聖杯に望むべき願いなど、本当は在りはしなかった」

 一呼吸置き、真摯な声で、アリアは告げる。その言葉に、嘘偽りの響きは一切無い。

「嘘だ!! そんな事は無い! 貴女が本当に私だと言うのなら、絶対に、聖杯に望む願いがあった筈だ!!」

 セイバーは激しく頭を振り、アリアの言葉を否定する。それはそうだ。何故なら、それは彼女がこの聖杯戦争に、召喚に応じた動機そのものの筈だから。
 英霊はなにも一方的に呼び出される訳じゃない。呼び出される英霊の側にもまた、聖杯に、或いはこの聖杯戦争に求める何かが、願いがあるからこそ、召喚に応じる。
 彼女は今、その動機そのものを否定されようとしている。己が今此処に居る理由、存在意義、それら全てが根底から突き崩されんとしているのだから、反発しない訳が無い。

「ええ、確かに。私にも在りました。ずっとそれだけを願い続けて戦った。戦い続けた。
 ですが、その願いは、己を見失っていた私が犯してしまった、拙い過ちだったのです」
「――何っ!?」

 アリアが突きつけた告白が抜き身の白刃となり、セイバーの胸を貫く。それはセイバーの動機である、彼女の願いとやらを根底から全否定する、残酷な一言だった。
 その無慈悲な言葉に、セイバーの目が見開かれる。その相貌は既に憤怒の形相となり、今にもアリアに襲い掛かりそうな気配すら漂い始める。

「今すぐに理解しろ、とは言いません。ですが、貴女も本当は判っている筈だ。ずっと、その心の奥底では、何度も何度も、繰り返し自問し、迷い続けているのですから」
「…………っ!!」

 激昂するセイバーを見かねてか、それまで神妙な面持ちのままだったアリアだが、その眼差しを穏やかなものに変え、遭えて突き放すように言葉の短刀を締めくくる。
 それは、軟らかいむき出しの心を何度も剃刀で弄ばれるようなもの。セイバーはさらに渋面を濃くその端整な顔に刻み、辛そうにアリアから視線を逸らし、俯き目を伏せる。
 おぼつかない足取りで踵を返し、居間を去ろうとする彼女。
 その後姿があまりに小さく、か細くて、まるで迷子になった幼子のように危なげに見えて、つい意識せず声を掛けてしまう。

「セイバー……?」
「……少し、一人にさせて下さい」

 そう小さな声で呟いて、彼女は廊下に消えてしまった。

「セイバー……」
「…………」

 二の句が継げずに、ただその名を繰り返すしか出来なかった。アリアもまた、黙して語らない。背中越しの彼女がどんな表情をしているのかは見えないが、私には判っていた。

「やれやれ。中々に鬼よね、アリアって」

 唐突に、そんな事を飄々と言ってのけたのは、彼女の横に立つイリヤだった。

「貴女がそれを言いますか」

 振り向くと、苦笑しながらアリアがイリヤスフィールの頭を撫でている所だった。
 イリヤもまた、わざと撫でられやすいよう彼女に持たれかかり、甘えたように頭をわき腹にグリグリとこすり付けている。
 皮肉を吐きながら、アリアに甘えて自分に構わせようという心算らしい。
 そうして彼女の気を紛らわせようとしている。きっと、彼女なりの気遣いなんだろう。

「ぶー、そりゃ言うわよ。セイバー、今にも泣き出しそうだったよ? いいの、彼女あのまま放っておいて?」
「ええ。私の役目は此処までです。これは、彼女が自らの手で解決すべき問題ですから」
「ふーん。冷たいのね、アリア」

 澄まし顔をして、さも興味は失ったといった態度をとるイリヤ。ぴょんとアリアの胸元から離れ、子供らしい仕草でくるりと踊りながら襖をあける。

「私眠くなっちゃったから、寝室借りるね」

 そのまま廊下に消えようとする寸前、ふいに此方へと目配せをしてきた。
 まるで、後は貴女がアリアを元気付けなさい、とでも言いたげな視線を向けてくる。
 言われなくて判ってるわよその位。人一倍繊細で優しい彼女が、セイバーの心に土足で踏み込むような真似をして気を病まない訳が無い。例えそれが嘗ての自分だとしても。

「イリヤ……」
「まったく、意外とお節介焼きね、あの子」

 軽く肩を竦めながら、あの子が開けっ放しにした襖を閉めに向かう。
 アリアはといえば、その場に縫いつけられたように動かない。イリヤが消えた襖の向こうを、やや思いつめた面持ちで見つめている。
 そんな彼女の姿が切なくて、つい抱き締めたくなってしまう。

「え、ちょっ――!? 凛……」
「いいから、黙ってなさい」

 驚きと、気恥ずかしさからか、身を竦めて強張るアリアの肩を軽く叩き、頭を撫でて落ち着かせる。無造作に下ろされた金砂の長い髪はさらさらとして撫で心地が良い。

「辛い役目よね……でも、貴女は逃げなかった」
「凛……私、そんなに弱ってみえました?」
「弱ってってのとは違うけど、そうね。貴女の切なさは痛いほど感じるわ。別にマスターだからじゃない、これは親友として、ね。だから放っておけなくて」
「凛……」

 アリアは申し訳なさそうに、少し控えめに体重を預けてくる。それは私に心を許してくれた彼女からの意思表示。元々人に甘えを見せる事を善しとしない、人に迷惑を掛けたがらない、控えめで大人しい彼女の小さな我が儘。
 自制心の塊のような彼女が、それを他人にぶつけるなんて事はまずありえない。
 彼女が甘えられるとしたら、それは主であり唯一の理解者である私だけ。
 ならば、私は彼女の思いを分かち合いたい。それで彼女が少しでも楽になれるなら。

「忘れないで。例え誰が貴女を否定しようと、私は貴女を信じてる。私にとって、貴女は何者にも変えがたい大切な人だから」
「凛……! 有難う」

 アリアの両手が背に回り、緩やかに抱き締める。彼女が顔を埋める肩口に、何か暖かい物が染み込む。御免、また泣かせちゃったかしら。

「ふふ、アリアって結構泣き虫ね」
「む、貴女はやっぱり意地が悪いですね、凛。そんな人はこうです」
「ひゃっ」

 不意にぎゅっと強く抱き締められ、思わず情けない声が漏れてしまった。
 彼女の体がより密着し、彼女の温もりが私を包み込む。部屋が静かな所為か、トクントクンと、彼女の鼓動さえも肌を通して伝わってくる。温かくて、ほっと安らぐ音色。
 彼女の身体は魔力による仮初めの肉体だけど、その温かさや鼓動は紛れも無く本物。
 決して幻なんかじゃない。彼女はこうして、私の腕の中に居る。それで十分。

「さて、と。それじゃ、私も汗流してくるわ。……あ、御免ね、私、汗臭かったでしょ」
「え、い、いえ。そんな事気にする余裕も在りませんでした」

 それなら良いんだけれど。ともあれ、私もいい加減汗を流したい。廊下へと向かう私の後ろで、何かの気配を感じたのかアリアが驚きに目を丸くして、あっと慌てた声を上げる。
 彼女の怪訝な様子が気になって振り返ろうとした丁度その時、襖を開けて廊下から空腹の虎が飛び込んできた!

「おはよぉ~~~~~~~、ご飯まぁだぁ~~~?」
「ふ、藤村先生!?」

 いっけない、そういえば先生の事をすっかり失念していた! 今何時だっけ?
 彼女は普段どおりに起きて、学校へ出かける筈。慌てて時計を確認する。壁の時計は六時十五分を過ぎていた。もうそんなに時間が経ってたの!?

「た、大河さん。もうちょっとだけ待ってて頂けますか」
「ふぇー? まだなのぉアリアさぁん? そういえば士郎は? しろぉ~?」

 まだ寝惚けたまま、半開きの目を擦りながら愚図る虎、もとい藤村先生。

「今仕度しますから、そこで少しだけお待ち下さい。士郎君ならきっと土蔵です」
「あの子ったら、また土蔵で寝こけてるのかしら……全くしょうがないんだから」

 座卓に突っ伏しながら庭の方へと心配そうな声を向ける藤村先生。だけど、顔にはまったく心配そうな気配は見えない。

(凛、とりあえず此処は私がなんとかします。その間にシャワーを浴びて身支度を。そうだ、今日は学校は如何されますか?)

 パタパタと忙しなく朝餉の準備を始めたアリアが念話で語りかけてくる。

(え? いや、流石に今日は病欠でもしようかと……作戦会議も開きたいし)
(そうですか。では早めに戻ってきて下さいね。一応今朝の調理担当は凛ですから)
(う……忘れてたわ。御免、10分で戻るから)
(了解しました)

 念話を終え、急いで服を脱ぎ浴室へと滑り込む。時間もないし、ささっとシャワーで汗だけ流してしまおう。まだ考えなければいけない事は山ほどある。
 あの泥の事、蔵硯勢力、そして綺礼とギルガメッシュ。彼等の動向に注意して此方の出方を考えなければいけない。柳洞寺勢力は今も静観を貫いている。
 キャスターは相変わらず冬木市中から生命力を吸い上げているが、他の連中に比べればまだ死者を出す訳でもない分、幾らかマシな方。
 アリアによれば、今回のアサシンは何故か伝説の剣客だという。そして本来ならば諜報、暗殺が専門のクラスである筈なのに、彼は山門の門番でしかないのだと。
 この不可解な勢力がどう動くのかが、現状ではダークホース。まだ彼等のマスターについては何の情報も無い。用心に越した事はない。

「はあ、あれだけの大立ち回りをやってのけたのに、全然先に進めた気がしないわ……」

 変わった事といえば、アインツベルンが倒れ、イリヤが私達の保護下に入った事くらい。
 それも、バーサーカーは泥に呑まれ、手駒とされた公算が大きいときている。

「まあ、何も出来なかった訳じゃない。一歩ずつ、確実に進むのみよ」

 一先ず、今日は適当に理由をつけて学校を休もう。そして今日一日、丸々作戦会議だ。
 そうそう、アリアから例の協力者についても問い正さないとね。
 まったく、アリアってば結構独断行動が多いんだから。少し叱っておくべきかな。

「問題はセイバーか……。彼女、大丈夫かしら。なるべく早く立ち直って貰わないと困るんだけれど」

 身体中の泡をシャワーで洗い流しながら一人ごちる。まあ、なんとかなるだろう。セイバーはあのアリアの原点なのだから。
 アリアの心の強さは、彼女がセイバーと同じ悩みを乗り越えて取り戻した物。彼女に超えられた物がセイバーに超えられない道理は無い。

「うん。きっと大丈夫」

 つい、思いが口から零れた。ふと何気なく外の様子を伺う。
 窓の外は朝日が軟らかく降り注いでいた。



[1071] Fate/Liberating Night her codename is “Soldier” vol.25
Name: G3104@the rookie writer◆21666917 ID:565cb8bc
Date: 2011/07/19 02:19
 玄関でトントンと爪先を蹴突きながら靴のずれを直す教師が問う。

「じゃあ、私、学校に行くけど。御免ね。二人の看病お願い出来るかしら、アリアさん」
「お任せ下さい、藤村先生。お気をつけて、いってらっしゃい」
「気を付けてね。士郎の事だから、多分家事でもしようと無茶するかも。そんときゃ、簀巻きにして縛り付けちゃってもいいから、ちゃんと休ませてあげてね」
「あはは、そうさせないよう気をつけます」

 努めて自然に振舞うよう気を配り、何も知らぬ善良な彼女を、手を振り送り出す。
 そう、今日は大事を取り、凛と士郎には学校を休んでもらったのである。昨夜の戦闘で疲弊している彼等には、我々サーヴァントとは違い十分な休息が必要だからだ。
 とりあえず、士郎は土蔵で転寝をして風邪を引いたという事にして、彼女を納得させた。
 問題は凛で、彼女は仮病を取り繕う前に藤村先生と鉢合わせしてしまっていた為、已む無くその記憶を魔術で操作し、忘れさせなければならなかった。

(御免なさい、藤村先生)

 甲高いスクーターの排気音を響かせて遠ざかる彼女に胸中で詫びる。やはり、人を騙すというのは、些細な事でもあまりしたくはない。そう、それが必要な事であっても。
 感傷はここまでにしよう。この程度の棘で彼女の日常が護られるなら幾らでも耐えよう。

「さて、それでは……一つずつ、問題を片付けていきますか」




第二十五話「剣士の葛藤と主の想い、小隊は会議に挑む」




 朝日の柔らかな光が差し込む窓の向こうから、藤村先生の乗るスクーターの音が室内に飛び込んできた。甲高いその音が遠ざかるのを確認して、部屋を出る。
 仮病を使った手前、彼女が出かけるまでは自室で大人しくしているしかなかった。
 念話でアリアに確認を取る。

(もういいわね、アリア?)
(はい、大丈夫です。士郎君を呼んで、先に居間に戻っていてください)
(セイバーは?)
(…………。出来たら、お願いします)

 判った、と彼女に答えて母屋へと向かう。そう、彼女は早朝の一件の所為で部屋に引き篭ってしまった。そのまま出てくる気配は無いので、藤村先生には士郎の看病の為にアリアと一緒に居てもらうと説明した。

「どうしたものかしらね……」

 不意に内心の呟きが漏れる。あくまで彼女の問題だから、私が無神経に介入していい事じゃない。でも、だからこそ余計、やるせない。
 そんな事を思っているうちに士郎の部屋の前に着く。

「士郎、居る? 先生はもう出かけたわ。一緒に来て」
「ん、ああ。判った」

 襖を開け、士郎が部屋から出てくる。一応、汗だくになった服は着替えたらしい。
 そんな彼が、襖を閉めながら声を潜めて尋ねてくる。

「それより、セイバーのやつ、どうかしたのか?」
「うん? 一寸ね……。そういえばあの後、貴方何処に居たの?」

 彼の声に同調するように此方の声量も絞って聞く。

「俺は、身体でも動かしてスッキリしようと思って道場に。で、戻ってきたら、セイバーがなんか物凄く思い詰めた顔して、部屋に戻る所でさ。如何したんだって聞いても、すみませんシロウ、今は一人にさせて下さい。としか答えてくれないんだ」
「そう。じゃあ今も彼女は其処に?」

 親指でくい、と隣の和室を指し尋ねると士郎は頷き返す。

「その筈なんだけど、ん? 妙だな、いつの間にか気配がしない」

 その言葉を聞き、軽くノックして中の様子を伺う。

「セイバー、居るの? 入るわよ?」

 意を決して襖を開けると、中に居たのは白いお子様だけだった。

「ん、ふぁ……なぁに、リン? 私まだ眠いんだけど」

 眠たそうに目を擦りながら、布団からのそりと上体を起こしたイリヤがそう答える。

「イリヤだけ? ねえ、貴方、セイバー知らない? 此処に居た筈なんだけど」
「んー? 私と入れ違いに出てったみたいよ。何処へ行ったかまでは知らないわ」

 まだ眠いらしく、気だるそうな声で説明してくれる。

「深刻な顔してたから、何処か一人になれる静かな所じゃない? この屋敷には、そういう時にうってつけの場所とか無いの、お兄ちゃん?」
「うん……あるとしたら、あそこかな?」

 士郎が顎に握り拳を当て考え込む。どうやら一箇所、思い当たる場所があるらしい。

「何処?」
「道場だよ。セイバーの性格なら、多分、あそこのしんと張り詰めた空気とか、結構気に入ってると思う。道場って、よく座禅組んで精神統一したりもするだろ」
「成る程ね。行ってみましょう」

 アリアには悪いけど、少し待っていてもらおう。彼女も居なければ作戦会議は始められないのだから。そんな事を考えている内に道場に着く。

「セイバー、此処に居るのか?」

 士郎が恐る恐る慎重に中を覗きこむ。内部を見渡す彼の頭が一点で止まる。どうやら当たりのようだ。彼女は道場の隅っこで正座の姿勢のまま俯き、緑の相貌は前髪に隠れ、沈み込んでいた。

「セイバー……」
「此処で正解だったようね」

 靴を脱ぎ道場へと足を踏み入れる私達に気付いている筈なのに、彼女はぴくりとも微動だにしない。意識を此方へ向けようとすらしない。
 無言でゆっくりと近づいてゆく。漸く意識を此方に向けた彼女がその頭をもたげた。

「凛、シロウ……。何か私に御用ですか? 申し訳ないが、出来れば、もう少し一人で考えさせて欲しいのですが……」
「――そうね。私も出来る事ならそうしてあげたいわ。だけど、余り時間も無いの。だから、必要事項だけ伝えておく。これから作戦会議よ。だから貴女にも一緒に参加してもらわなきゃいけないの。最低でも昼前には居間に集合。いいわね?」

 自分でも甘い判断だという事は判っている。だけれど、此処で彼女に無理強いをして彼女との関係を拗らせたくはないし、それが状況を好転させるとも思えない。
 だから、私が出来る最大限の譲歩として、時間を与える事にする。願わくば、この僅かな時間だけれど、彼女の強さに望みを託したい。

「……判りました。昼前までには戻ります」
「その言葉、ちゃんと守ってね」

 最後にそれだけ口にして、彼女の前から去る。その去り際、唐突にアリアから念話が飛び込んできた。

(凛、士郎君を彼女の傍に。今の彼女には、彼が必要なんです)
(判った。……大丈夫、なのよね?)

 何となく、根拠のない直感でしかないのだけど、何故か、彼女の言うままにセイバーの元に士郎を残していいのだろうか。今、二人だけにしてしまうと、互いに衝突するんじゃないだろうかという不安が微かに脳裏をよぎった。

(その直感は、恐らく当たります。ですが、それはきっと、避けて通ってはいけない物だと思うのです。彼等にとって必要な……)

 どうやら、アリアも私達の様子が気になって遠目に見守っていたらしい。

(そう。……判ったわ。他でもない貴女がそう言うんだから、そうなんでしょう。でも、もし、おかしな方向に傾きそうになったら、ちゃんと軌道修正しなさいよ?)
(心得ております)

 その言葉に、一先ず安心する。この場はとりあえず士郎に任せよう。彼女のマスターは他でもない彼なのだから、同盟者とはいえ、外様の私がでしゃばる事じゃない。

「じゃ、後は宜しくね士郎」
「え、ああ。……えっ、遠坂?」

 唐突に場を任され狼狽える士郎の肩をぐいっと引っ張り、耳元で小さく囁く。

「セイバーはアリアの秘密を知ったの。今、彼女は葛藤の渦の中よ。だから、そんな彼女を支えてやれるのはアンタだけって事! 解った?」
「わ、判った。なんだか良く解らないが、とにかく判った」

 理解は出来ていないが、判断はしたと言う。まあ鈍い士郎にしては及第点かしら?

「じゃあね、私は居間で待ってるから」
「お、おう」

 士郎の返事を背中に受けながら、私は道場を後にした。


**************************************************************


 開け放たれた戸口から、小鳥の囀る声が室内に入ってくる。もうどの位このまま此処に突っ立って居るんだろうか。そもそも、俺は何をしたら良いのだろう、彼女の為に。
 ……分からない。そんな答えの出ない自問自答を幾度繰り返した頃だろうか。
 徐に、彼女が切り出してくれた。

「何時まで、そこで棒立ちで居る心算なのですか、シロウ?」
「あ、ああ!? すまん。邪魔、か?」
「い、いえ。……はい。出来れば、今は席を外して頂けると在り難いのですが……」

 否定するも、考え直し素直に告げてくれるセイバー。あまりにも誠実すぎるが故のその不器用さに苦笑を覚えつつ、だがその願いは残念だが聞けない。

「悪いな。迷惑だろうけど、今日は付き合ってくれ。なんなら、一昨日みたく組手鍛錬でもいい。……さっき、遠坂から聞いたよ。アリアの秘密を知ったんだって?」

 最後の言葉にセイバーがびくりと背筋を震わせる。その反応を尻目に、よっこらしょとその場に腰を下ろし、胡坐を掻き、続ける。

「セイバー、一体アリアの何を知ったっていうんだ。セイバーがそこまで落ち込んでいるのは、彼女の秘密に関係があるんだろう?」
「それは……」

 言いよどむセイバー。余程衝撃的な秘密だったんだろう。ただ、何となく。セイバーが受けた衝撃の正体が何なのか、俺は知っている気がする。
 というか、自分も味わった事があるモノのような、漠然とだが、そんな気がするのだ。

「セイバー、話してくれないか。俺みたいな半人前のマスターじゃ、全然力にはなれないのかもしれないけど。思い悩んでいる事があるのなら、誰かに話せば、少しはスッキリと頭も整理できるかもしれない」

 俺の言葉で少しでも意を決してくれたか、ぐっと口の中に溜め込んでいた感情をゆっくりと吐き出すように、セイバーが口を開く。

「…………。アリアは、彼女は私の未来の姿、転生した私だというのです」

 驚かなかった、と言えばそれは嘘になる。だが、それは何処か、漠然とだが、予想は出来ていた答えだった。彼女とセイバー、二人は他人と言うには余りに似すぎている。
 親戚、否、姉妹? 否、肉親と言えど、ここまで似通えるものだろうか。
 彼女等の似方は、そんな次元のモノじゃない。確かに、見た目の年齢やサーヴァントとしての性能には明らかな違いがある。だが、彼女等には、肉親よりも遥かに濃密な共通性が無数にあった。それが単なる他人の空似、偶然だなんて、どうして思えるだろう。
 二人共、信じられない程ある一点が“同じ”だった。それは肉体ではなく、寧ろ内面、精神性。いや、もっと深い、根本的な心、魂。それが同じモノとしか思えなかった。
 “同じ”だけど“違う”モノ。それが彼女達。その矛盾としか言いようの無い彼女達の関係。その正体、真実がそれだったのだ。

「そっか。そりゃあ、驚くなってほうが無理だよなあ」
「――? 案外、驚かれないのですね、シロウ……」

 俺の反応があまりにそっけないんで、セイバーが怪訝な眼差しを向ける。

「意外か、セイバー?」
「はい。何故です?」
「何故って言われてもなあ。忘れたか、セイバー? 自分の未来の姿を見せ付けられたのは、何もセイバーだけじゃないぞ」
「あっ……。そうでした。あのアーチャーは、貴方の……」

 そういう事だ。セイバーが知ってしまった衝撃の真実と言う奴は、なんてことは無い、俺も経験していた、未来の自分という知りたくも無い姿だったのだ。
 一体どんな皮肉なんだろうか。この聖杯戦争に巻き込まれた俺達マスターとサーヴァントの両方が、この戦いの中で未来の自分と向き合う事になるというのは。

「まあ、彼女だってセイバーの未来の一つの可能性という奴なんだろう? セイバーが必ず彼女のようになる、とは限らないじゃないか。そんなに気にする必要は……」
「違います!! ……違うのです。そんな理由じゃないんです、シロウ」

 セイバーは突然に、堰を切ったように声を荒げ、激情を込めて俺の勘違いを否定した。

「彼女の在り方は問題ではないのです。彼女は私が辿った、いえ、これから辿るかもしれない一つの結果。それは認めます。例え否定した所で、彼女の存在は消えませんし、私も彼女の在り方をそんな理由で辱めたくは無い。ただ……」

 アリアは自分の未来の一つの結果、それを否定したいなんて理由ではないと。それは彼女に対する最大の侮辱であると。
 だというなら、セイバーが思い悩む理由とは何処にあるというのだろうか……。

「私が思い悩んでいるのは、彼女は、私が抱えている問題に答えを出した私だからです」
「セイバーの、問題?」
「はい……。シロウ、貴方には、もう全てを明かさねばなりません。私が何者なのか」
「何者って、まあ。そうだな。改めて教えてくれないか、セイバー」

 彼女が何者なのかはもう知ってる。というか、判っている。昨夜目にしたあの光り輝く聖剣を見たから。妖精の手で鍛えられた神造兵器、聖剣エクスカリバー。
 あの音に聞く聖剣を扱える英雄なんて、古今東西に伝え聞く英雄でも一人しか居ない。

「はい。私の真名はアルトリア。ブリテンの王、アーサー・ペンドラゴンと呼ばれた者」
「うん。昨日のことで判ってはいた。けど、ありがとう、セイバー」

 真名を自らの口で明かしてくれた事に感謝の気持ちを込めて頭を下げる。彼女はこんな俺のような半人前のマスターに、全てを委ね、信頼してくれているのだから。

「あ、頭を上げてくださいシロウ! そんな、お礼を言われるような事ではありません。
 寧ろ逆です。非礼を詫びなければならないのは私の方だ」
「それは最初に理由と一緒に謝ってくれただろ。だから気にするな。これは俺の率直な気持ちだ。だからセイバーは何も気に病まなくていい」

 頭を上げ、真っ直ぐにセイバーの目を見つめ返し、はっきりと答える。それでやっとセイバーの表情から逡巡が消える。よかった、納得してくれたようだ。
 彼女の口から、告白の続きが語られ始める。

「解りました、シロウ。ですが、まだ私にはもう一つ、貴方に謝らなければならない事があります。以前、私が霊体化出来ないのは、契約時の何らかの異常によるものではないかと言いましたね。申し訳ありません。アレは、嘘なのです……」
「え? それは、つまりどういう?」

 重苦しそうに眉根を寄せて、辛そうな表情でセイバーは告白する。
 一体如何いう事だろう。彼女が霊体化出来ない理由は別にあるという事なのか。

「私が霊体化出来ない理由、それは、私がまだ完全な死者ではないからなのです」
「え!? 完全な死者じゃないって、一体如何いう事なんだ?」
「言葉通りの意味です。私はまだ、正確には死んでいません……」

 セイバーの口から、あまりに衝撃的な真実が語られてゆく。

「最後の戦で致命傷を負い、死が目前に迫った時、私はどうしても聖杯を求めざるを得なくなってしまった。そして、世界と契約したのです。
 死後の私を代償に、生きている間に聖杯を手に入れる為に……」

 尚もセイバーの述懐は続く。その内容には唯々驚かされるばかりだった。
 曰く、彼女は世界と契約をしたが、その条件が“生前に聖杯を手に入れること”である為に、彼女の肉体は今も死の一瞬前で時を止め、聖杯を得るためにあらゆる時代、あらゆる場所に生きたまま送り込まれるのだという。
 故に、本来は死者である英霊と同じ存在として、例外的に生者のサーヴァントとなり、この聖杯戦争に参加した。彼女が霊体化出来ないのはその為だという。

「成る程。セイバーはまだ厳密には生きているから、霊体になりようがなかった訳か」
「そうです。……申し訳ありません。シロウには何の非も無い事だったのです」

 もう何度目になるか判らない謝罪。そんな事、俺にとっては些細な事過ぎて怒りどころか不満すら沸かないってのに。こういうところは確かに誰かさんソックリだ。

「もういいよ、謝らないでくれ。セイバーがどんなサーヴァントだとしても、おまえが来てくれなかったら、俺はあの時殺されてた。どんなに感謝しても足りないくらいさ」

 素直な気持ちをセイバーにぶつける。きっと彼女にはその方が伝わると思ったから。

「シロウ……すみません」
「ほら、また。そういうところは、本当にアリアと一緒だな」
「あ……確かにそうですね」

 ハッとして目を丸くするセイバー。自分でも自覚したのか、それまでずっと沈んでいた彼女から思わずクスッと笑みがこぼれる。それは自嘲的な物だったのかもしれない。
 だがその表情が、妙に微笑ましいというか、可愛らしく見えてしまって、その、なんというか、今のは凄く反則だと思う。やっぱりセイバーもあんな顔が出来るんだな。
 うん。アリアもそうだけど、彼女には笑顔も似合ってる。剣を握る時の凛々しい顔も彼女らしいが、きっと彼女の根は此方なのだ。

「あれ? でもアリアがセイバーの転生した姿って事は……あれ? 確か、英霊って輪廻から切り離されるから、もう転生したり出来ないよな?」

 俺のその問いが問題の本質だったのか、セイバーの綻んだ表情が途端に真剣な物になる。

「はい。本来のサーヴァントなら……。ですが、先ほど申したように、私はサーヴァントとしては半端な、仮契約者に過ぎません。契約の条件を反故にしてしまえば、私は霊長の守護者となる事無く、歴史どおりに死を迎えるでしょう」
「そっか。……まてよ、という事は、アリアは聖杯への望みを捨てたって事に……あ!」

 思い出した、アリアは以前語っていた。自分達の時、セイバーは聖杯を自ら破壊したと。
 あのセイバーとは、実はアリア本人だった。ということは……。

「そうです。彼女は自らの手で呪われた聖杯を破壊した。そして、彼女は聖杯に望んだ己の願いをも断ち切ったのです……。
 わからない……私には、彼女が何故願いを捨てられたのか、理解(わか)らない」

 やっと解かった。それがセイバーを苦しませる心の棘だったのか。聖杯という奇跡にまで縋ってでも、成し遂げたいと願った何か。それを未来の自分は捨て去ったと言う。
 そりゃあ、自己矛盾に陥って茫然自失ともなろうものだ。彼女の悩みとは、自身が何故此処に居るのかという存在理由を根底から突き崩す破城槌だった。

「なあ、セイバー。その、おまえの願いって一体何なんだ? 教えてくれないか。アリアが何を思って願いを捨てたのか、考えてみたいんだ」

 以前、一度尋ねた事がある彼女の願い。あの時は拒まれ、教えてくれなかった。だけど、それが彼女の心を苛む原因となってしまった以上、俺にはもう放っておけない。

「それは……」
「ご免。おまえの心に土足で踏み入る事になるのは判ってる。だけど、もう俺は、おまえのそんな辛そうな顔は見ていられないんだ!」
「シロウ……」

 ここまで言っても決心がつけられないのか。もう此処まできてしまっては此方も止まれない。後には引けない。抑え込んでいた感情が堰を打ち破る。

「セイバー、前に言ってたよな。本当はやり直したいだけなのかもしれないって。それは一体、何をやり直したいと思っているんだ?」

 セイバーの手がぎゅっと、正座をした膝の上で握りこまれる。

「それは……、王の選定の、やり直しです」
「王の選定の……?」
「はい。騎士達の反乱で荒廃しきってしまった国の有様を見て、私が王となった事がそもそもの間違いだったのではないか、そう思わずには居られなかった」
「なっ……!?」

 余りに馬鹿げたその言葉に、思わず頭が沸騰しそうになる。だが、彼女の吐露はまだ終わってはいなかった。喉元までせりあがっていた文句と感情を寸での所で飲み込む。

「最初は、執政を誤ったのではないかと思った。一体私は、何処で間違ったのかと。けれど、考えるうちに、問題はもっと根底にあったのではないか……そう、本当は私のような者より、もっと王に相応しい騎士が居たのではないか。その者ならば私よりも、より永く平和な国を築けたのではないだろうか、と。
 だから、私は王の選定をやり直したい。王の責務は国を護る事。でも、もう私には……国を救う為にはもう、それ以外に方法が無いのです!!」

 悲痛な魂の悲鳴が道場に響く。セイバーは目に涙こそ見せないが、その瞳は微かに潤み、その悲しみに辛く歪んだ相貌は今にも泣き出しそうなものだった。

「……ばっかやろう。そんな事を望んでたってのか、おまえは……」
「シロウ……?」

 俺の呟きが聞こえてしまったか、セイバーは少し怪訝な顔で此方を覗き込む。

「よく、解ったよ。アリアがどうしてその願いを捨てたのか。アリアは、彼女は気付けたんだ、自分の過ちに……。セイバー、おまえの願いは、間違ってる」
「なっ……シロウ!?」
「考え直せセイバー。過去のやり直しなんて、全然おまえらしくない!!」

 拙い、つい語気を荒げて怒鳴ってしまった。だけど言わずには居られなかった。一体全体、何がこいつを此処まで後ろ向きにさせてしまったんだろう。
 騎士の誇りと忠誠を何より尊び、その誇りに賭けて俺と共に戦うと言ってくれた、あの強い彼女は何処へ消えてしまったんだ。

「……貴方に、貴方に私の何が判るというのですか」
「解からないさ、解かりたくもない! おまえはずっと頑張ってきてたんじゃないか!!
 だってのに、どうしておまえの願いが、頑張ってきた自分を否定する事なんだ!?」
「それは……、王としての私が果たすべき責務だからです!」
「この解からず屋! おまえは十分に王として国を治めてたじゃないか!!」

 セイバーとの結びつきが強くなったからだろうか。昨夜、彼女の夢を見た。いや、夢と言うより、あれは彼女の記憶なんじゃないだろうか。
 まるでセイバーの過去を追体験するかのような……ほんの転寝程度の短い睡眠だった為か、垣間見てしまったのはほんの少しだったけれど。
 でも、戦乱の続く乱世を駆け抜け、束の間でも平和を取り戻したのは紛れも無い事実。

「ですが、結局騎士達は私から離れ、国は戦火で荒廃してしまった。私が王でなければ、あのような滅び方はしなかったかもしれない……」
「だからっ……! 確かに、そりゃあ失敗や悲劇をやり直せたら、悲劇も苦痛も何もかも無かった事に出来るだろうさ。でも、そのためにおまえは、自分を信じてくれた人達の思いや行い、今日までの彼等の歴史さえも全て消し去ってしまおうっていうのか!?」

 上手く説明できない自分がもどかしい。想いは頭の中を駆け巡るのに、ソレを上手く言葉に出来ない。自分でもどう上手く訴えればいいか解からない。
 でも解からせなきゃいけない。こいつは今、物凄く拙い過ちを犯そうとしている。それを止めて遣れないで何がマスターだっていうんだ!
 上手く説得できなくて胸が焦れる。気が付けば思わず立ち上がっていた。

「そんな事を許される資格が一体誰にあるって言うんだ。王の責務の為なら、おまえは彼等のそうしたモノを全て犠牲にしても構わないって言うのか、セイバー!?」
「――っ!! それは……」

 見下ろす形でセイバーの目の奥を見つめながら問う。動揺に揺れる翡翠の瞳。その視線は虚空を惑い、何処に焦点を定めているのかも判らない。

「考え直すんだセイバー。過去の帳消しだなんて、あまりにもおまえらしくない」
「ですが、私は……」

 これだけ言ってもまだ駄目なのか……。セイバーにとっては王の責務が全て。自分の命は愚か、自分の意思よりも全てにおいて優先する……。
 そんなだから、あの終焉はどうしても受け入れられないほどの衝撃だったんだな。

「……もういい。これ以上俺には何も言えない。言いたい事は出尽くしちまった。後は、セイバーが自分で考えてくれ。確かに、これはおまえ自身の問題だ」

 俯き、悲痛な色を滲ませた相貌を伏せたままのセイバーを背にして、道場を後にしようと足を踏み出す。丁度、その時だった。

「やはり、こうなりましたか」
「あ、アリア!?」

 道場の入り口に立つ意外な顔が其処にあった。セイバーも気配には気付いていなかったらしい。無言だが、はっと息を呑む気配を背後に感じる。

「アリア……てっきり居間で待ってると思ってた」
「ええ。その心算でした」

 さらりと、事も無げに答えを返してくる彼女の表情は何時にもまして穏やかだ。いや、穏やかというか、普段以上に落ち着いているというか。
 表情は普段の彼女が見せる穏やかなものなのに、その眼光と声音には戦いの前に見せるような、ピンと張り詰めた鋼線のような硬さがある。

「……と、いうと?」
「アフターケアは必要だろうと思ったので。セイバーの抱える問題について、貴方が彼女と話し合えば衝突する事になるのは判っていましたから」
「ああ……」
「まあ、思った程激しいぶつかり合いはしなかったようなので、余計な口は挟まずに居ようかとも思ったのですが……」

 そっか。アリアは前世がセイバーだったんだっけ。口ぶりから察するに、きっと彼女も平行世界の俺と衝突した経験があるんだろうな。
 良く気が回る彼女の事だ、恐らく、俺とセイバーが口論で熱くなりすぎて喧嘩に発展しそうになったら、止めに入る心算だったんじゃないだろうか。
 ん……? それにしては、何か引っかかるような言い方をしたような。

「ですが、それが返って災いしたか、彼女の心に自分の本心と対峙させる切っ掛け、自分の弱さに正面から向き合わさせる程の衝撃には到らなかったようですね」

 アリアは俄かに際どい発言と共に道場の中に入ってくる。

「え、アリア? それはどういう意味で……」
「いいから。今は黙っていて下さい」

 俺の口を遮るように人差し指で唇を押さえられる。茶化すような仕草だが、その瞳に宿る光は真面目な輝きだった。その双眸を信じて、とりあえず口を噤む。

「ありがとう」

 短くお礼を言うと、俺の横をすり抜けてセイバーの前に立つアリア。

「セイバー、少しだけ昔話に付き合って下さい」
「…………」

 何を語りだす気だ、と怪訝な視線を返すセイバーだが、無言で続きを促す。

「私が嘗て、貴女と同じようにこの聖杯戦争を戦ったセイバー、騎士王アルトリアだったという事は先ほど話ましたね。そして、私は聖杯への願いを捨てたと。
 何故捨てたのかと、貴女は私が出した結論を認められず、もがき苦しんでいる」

 アリアは淡々と簡潔に語ってゆく。その言葉に、俯いていたセイバーが顔を上げる。

「セイバー、私がそう簡単に、その願いを捨て去れたと思いますか?」
「え……?」
「そんな訳が無い事くらい、貴女なら判る筈です。私は貴女だった者なのだから」
「あ……」

 セイバーの瞳に、微かな驚きの色が混じる。確かに、俺にもちょっと意外だった。今のアリアの人柄からは、そんな弱さを感じる事はなかったから。

「私だって、散々彼と、シロウと衝突しましたよ。何度も口論でぶつかって、挙句の果てには喧嘩別れまで。それでも、彼は決して自分を曲げなかった。そして、結局正しかったのはシロウだった。それは、考えてみれば当然の事だったのです。
 何故なら、彼が自分を曲げなかったのは、ただ一途に私を、一切の打算も他意も無く、純粋にセイバーという一人の少女の幸せを思ってのモノだったから」
「…………」

 セイバーが言葉にならない声を吐く。何かを口にしたいが、何を言えばいいのか判らない。また何を言いたいのかも解らない。そんな感じだった。
 それは実の所、俺も同じだった。俺とは違う、アリアがセイバーだった世界で共に戦ったという別の俺。そんな、自分なのに別人の俺が彼女の目を覚まさせたという。
 自分が遣った事ではないにせよ、何だか気恥ずかしくて居心地が悪い。だけど、彼女の事を思って、彼女の妄執に正面からぶつかって正そうとしたって部分には共感する。
 そこは、俺も全く同じ想いなのだから。

「私がそれを理解出来たのは、彼が聖杯に奇跡を求めず、あの十年前の火事をなかった事にはしない、それだけは出来ないと、涙を流しながらその奇跡を否定した時です」
「えっ……!?」

 セイバーの目が見開かれる。信じられないと謂わんばかりの顔で。

「あの時はまだ、聖杯の正体など知る由もなかった。聖杯は万能の杯だと思っていた。
 そんな時だった。シロウは教会で胸に呪いの槍を受け、神父に拉致された。私を誘き寄せる餌として。教会の地下で、あの神父はシロウと私に、聖杯で望みを叶えよと求めてきた。あの男の目的は、呪われた聖杯をこの世に降臨させる事だったから。
 でも……シロウはその時、奇跡に縋る事を頑なに拒絶した。何故だか解りますか?」
「……やり直しは、求められないと?」

 答えを聞くのが、怖い。そんな心の声が聞こえそうな程、セイバーの声は微かに、動揺に震えていた。息がつまりそうな声、セイバーの瞳が僅かに歪む。

「そうです。私も、彼は聖杯を欲すると思った。いえ、求めるべきだと思っていた。あの地獄は彼の所為ではない。だから、衛宮士郎が背負う必要はないのだと。
 だというのに、彼は否定した。どんなに苦しい過去だろうと、それはやり直せないと」

 一呼吸置き、少し遠くを眺めるように語るアリア。それは彼女の独白だった。

「初めは、彼は私と似ていると感じていた。でも、それは私の自惚れに過ぎなかった。
 ――似ていると思っていたのは、自分だけ。彼の心は、私よりもずっと強かった」

 視線を下ろし、穏やかにセイバーの目を見つめる彼女。

「――その道が、今までの自分が、間違って無かったって信じている」

 静かに、だが力強く放たれた一言。それが、何故か心を打った。

「っ!?」
「私のマスターだった彼は、そう言い放った。置き去りにしてきた物の為にも、自分を曲げる事だけは決して出来ないと。全てを無かった事に出来たとして、ならばそこで生まれた想いや行いの結果、また奪われてしまったそれらは一体何処へ行ってしまうのか」
「――――!」
「自分の過去を否定する事は、それら全てを、自分が奪ってきた多くのモノさえも否定するという事。それは騎士の誇りや、王の誓いさえも同じ」

 アリアの独白は尚も続く。その述懐に、セイバーは言葉を返せない。返す言葉が見つからない。ただ震えながら、彼女の言葉を受け取り続けるしかない。

「――無くした物は戻らない。痛みにのた打ち回りながら、私の主は必死に訴え続けた。
 それでやっと、気付けた。私が犯してしまった過ちに。王として生き、その生涯に間違いなど無かった。ただ、その結果が滅びだっただけ。
 結果は無残な物だったけれど、その過程には一点の曇りも無い。ならば、求める物などありはしなかった。私が求めていた物は、全て揃っていたのだから」

 それが、彼女の出した答え。セイバーだった彼女が、妄執を断ち切ることが出来た理由。
 今のアリアが何事にも前向きなのは、その心の在り方を取り戻したからなんだ。

「全て、揃っていた……」
「私の昔話はこれでお終い。私の答えを貴女が理解出来るか。それは貴女次第です。
 それだけは私にも強制は出来ません。貴女の問題はあくまで貴女の物。それは貴女にしか解決出来ない物なのですから」

 そう締めくくって、彼女は踵を返す。

「まだ貴女には時間が必要かもしれませんね。作戦会議は昼からにしましょう。士郎君、申し訳ありませんが、彼女の事を頼みます」
「あ、ああ。判った」

 俺の返事に有難うと返して、彼女は道場の外へと消えていった。


**************************************************************


 道場から戻ってきてから暫く経つ。私は居間で彼等を待つ間、少しでも対策を練ろうと目の前に冬木市の地図を広げて、判り易く要所に印やら備考を書き込んでいた。

「まあ、こんなものかしらね。判ってる範囲でだけど」

 ボールペンを置き、記入漏れが無いか見直す。まあ、足りない部分は後で書き足せば良いし、アリアにも確認してもらえば良い。

「そうだ。あのよく判らないオッサンの事もアリアに問い正さなきゃ」

 忘れる所だった。彼女が協力者だと言っていた謎の連中がいた。彼等が何処の何者かは知らないが、とりあえず情報収集能力はそこそこあるらしい。
 余り期待はしていないが、そっちの筋から何か新しい情報でも入るかもしれない。

「ふう。そろそろお昼になりそうなんだけど。アリア、遅いわねえ」

 なんてひとりごちていると、中庭から足音が聞こえてきた。どうやらアリアのようね。

「遅くなりました」
「おかえり。あら、二人はまだ向こう?」
「はい。彼女にはもう少し時間が必要なようです」
「そう」

 部屋に戻ってきたのはアリア一人だった。セイバーはまだ立ち直っていないらしい。彼女は戻ってくるなり、座卓の上の急須や湯飲みをお盆に乗せ、台所へと向かう。

「冷めてしまいましたね。今、新しく淹れ直します」
「あ、ごめん。気を使わせちゃった」
「いえ、私も少し喉が渇きましたから」

 慣れた手付きでお茶を淹れ直すアリア。その様子からすると特にトラブッた感じはしないけれど。道場の様子が気になってつい聞いてしまう。

「それで、どうだったの? 貴女は影から見守ってただけ?」
「いえ。つい、出しゃばってしまいました」

 アリアは少し肩を竦めさせて自嘲気味に言うと、お盆に新しいお茶を用意して此方へと戻ってくる。私の横手に座り、湯呑みを配り自分も一服すると、徐に語り始めた。

「一応、私が間違いに気付いた時の話はしてみたんです。でも、やっぱり自分が経験した事じゃありませんから。実感はしづらいでしょうね……」
「そっか。まあ、無理に解れって押し付けられる話でもないものね」

 私も一口、お茶を啜って考える。そういえば、私も彼女が前世でこの聖杯戦争をどう駆け抜けたのかはよく知らない。夢で見たのは彼女が転生してからの記憶が主だったから。

「そういえば、貴女がセイバーだった時の事は私もよく知らないんだけど、貴女も最初はやっぱり、彼女と同じ願いを持っていたのよね。一体何を願っていたの?」

 私の言葉が意外だったのか、彼女はきょとんと目を丸くして驚く。

「あ、いや、嫌なら言わなくてもいいのよ。でも、もし良かったら、教えてくれない?」
「い、いえ。別に嫌って訳じゃ……。てっきり、凛はもう既にご存知かと。ごめんなさい。私とした事が、勝手に思い込んでしまっていました」

 ああ、そっか。アリアも私が彼女の過去を何処まで知っているかは判ってなかったのよね。既に夢で見てたと思ってたのかな。

「そうですね、一言で説明してしまえば、セイバーの望みは、国を護りきれなかった事への救罪です。自分ではあの国を救えず、結末は滅びだった。
 それがどうしても認められず、聖杯の奇跡に縋った。全てを最初からやり直せたら、もしかしたら……と。それが、私の弱さだった」
「成る程ね……そういう事だったの。そりゃあ、セイバーがあそこまで動揺して塞ぎ込むのも判る気がするわ。貴女も、よく乗り越えられたわね」
「はい。それはシロウのお陰です。彼が気付かせてくれたから、今の私がある」

 胸に手を当て、慈しむようにアリアは語る。その仕草から、何となく彼女とアッチの士郎の関係が判ってしまった。成る程、貴方達はそういう事になったんだ。
 ああ、だから記憶を取り戻したあの時の貴女はあんなに泣いて……やっと理解出来た。

「そっか、だから貴女は士郎に彼女を任せたのね。でも、貴女の時とは違うから……」
「ええ。士郎君と彼女は、まだ私達の時ほど親密な関係にはなれていませんから。やはり時間は必要なんだと思います。彼女が弱さを認め、受け入れられるようになるまで」

 それも仕方ない事なのかな。まあ、こればかりは焦ってもどうにも出来ない。この件は二人の成り行きに任せるしかないのだろう。
 
「そうね。よし、もうその件はおしまい。今はそれより聞きたい事があったのよ」
「はい?」
「あの件よ。アリア、貴女が昨日言ってた“協力者”って誰、一体何なの?」

 ずい、と身を乗り出して指差し彼女に問う。そう、本当はこっちの方が本題だったのよ。

「ああ、彼等はこの国の政府の者です。非公式な諜報部隊で、この聖杯戦争を監視していたのだそうですよ。先日、監視部隊がこの屋敷を見張りに現れた時に、逆に襲撃して指揮官を追い詰めたところ、判明しました」
「なっ!?」

 さらりと大変な事を言ってくれるじゃないの。私の知らない間にそんな連中を返り討ちにしていたのも吃驚だけど、それよりもっと大問題な事を聞いた。
 魔術師の悲願を成し遂げる神秘の塊であるこの聖杯戦争を、よりによって部外者も部外者の国が監視していたですってぇ!?

「彼等は十年前の惨劇以来、この聖杯戦争を危険視していたそうです。といっても、魔術協会や聖堂教会が管轄するこの儀式に、国家権力である彼等は基本的に相互不可侵の為、介入出来ません。だからずっと、外部から監視し続ける事しか出来なかったと」
「ええ、ええ。そりゃあそうでしょうよ! それにしても舐められたもんだわ。冬木のセカンドオーナーは私だってのに、そんな連中が居るなんて今初めて知ったわ。
 魔術協会からもそんな話は一っ言も聞いた事が無いってのよ!!」

 ダンッと座卓に拳を振り下ろし吐き捨てる。つい八つ当たりをしてしまった。

「凛! 落ち着いてください」
「ええ、判ってる」

 心配するアリアを手で制し、思わず立ち上がりかけていた腰を下ろす。

「本当は、私も貴女に打ち明けるべきか迷いました。ですが、彼等と貴女の関係を考えると、直接関わらせるのは拙いでしょうし……」

 確かに、私は魔術師として、冬木のセカンドオーナーとして表社会とは相互不可侵、不干渉の大前提上、彼等とは接触出来ないし、協力も出来ない。
 アリアの判断は間違ってない。いや、寧ろ有り難いくらい私の事を案じてくれている。

「判ってる、ありがと。そうね、今までどおり、貴女が彼等と協力して頂戴。でも、とりあえず彼等の詳細情報だけは教えて? 相手の事くらいは知っておきたいから」
「あ、はい。彼等の所属は内閣官房の内閣情報調査室、通称CIROの第0分室。室長は陸自出身の豊田繁三等陸佐。本来、内閣情報調査室に分室は一つもありません。
 第0分室は公式には存在しない部署で、基本構成員は総員十名。主に防衛省管轄の防衛本部等からの出向者で構成されています。
 元々、国がこの聖杯戦争のような“此方側”が原因の怪事件などを専門に調査する為に設けた極秘部署の為、一部の実践派の法術師等とも接触があるそうです」

 アリアはすらすらとその協力者という政府の諜報機関を説明してくれる。余り詳しい事は判らないけど、内閣って事は確実に政府中枢はこの聖杯戦争を知っているって事になる。
 迂闊だった。幾ら私達魔術師は社会の裏に潜んで活動しているとはいえ、完全な秘匿をする事は難しい。その秘匿の為に寄り集まり、大きな組織となったのが魔術協会。
 だったら、その魔術協会はどうやって表社会から隔絶しながら共存しているというのだろうか。どうあっても、圧倒的な力を持つ国家相手に完全対立していては駆逐される。
 何処かで折り合い、協定を結ぶ必要がある。国家にも我々の魔術師の存在は黙認されていたんだ。だからこの戦争も黙認されていた。
 でも、十年前のあの災害で、彼等の意識も変わり始めたんだわ。それまでの黙認から、危険な要監視対象へと……。そんな事にも気付かずに居たなんて。
 ……決めた。必ずロンドンの時計塔に乗り込んで中枢に上り詰めてやる。そして、冬木のセカンドオーナーとして、日本での彼等とのパイプを奪ってやるんだから。

「そう。大体判ったわ。じゃあ引き続き、そっちとの連絡や協力は貴女がして頂戴。私は彼等との接触、協力は一切しない。貴女に全てを任せるわ。悪いけど、お願いね」
「了解しました。ご安心を。彼等も魔術協会と諍いを起こしたくは無いと、私の案に乗ってくれています。この件で貴女が協会から咎められる事は無い筈です」

 その言葉を聞き、一先ず安心する。まあ、根本的な問題が解決した訳じゃないけれど、少なくとも今は力強い協力者を得たと思っておこう。彼等の諜報力は確かに得難い。
 この聖杯戦争の性質から考えれば、ある意味ではとても強力な諜報力かもしれない。
 だってそうだろう、普通の魔術師にとってはこんな諜報手段は考えも付かない。そもそもが魔術師にとっては禁忌の相手なのだから。

「それじゃ、とりあえず彼等に、他の勢力に何か動きが無いか、最新の状況を聞いておいてもらえる? 今は少しでも情報が欲しいわ」
「了解しました。後で豊田三佐に連絡を取る予定です。きっと彼等の方も何を求められるかは理解されていると思います」

 それはなによりね。よし、そうと判れば、後はきっちり策を練ればいい。

「そうと判れば、早速作戦会議に取り掛からなきゃね。セイバー達はまだかしら」
「とりあえず、昼までは待つと言い残してしまったので、もう少し掛かるかと」

 居間の壁に掛かる時計を見ると、針は十一時過ぎを指していた。意外だった。もうそんなに経っていたなんて。昼まではとなると、あと一時間位は待つ必要がありそうね。

「そう。じゃあ、待つしかないか」
「おや? いえ、どうやら戻ってきたようです」
「あら、ホント?」

 アリアは二人の気配に気付いたらしい。その言葉から十数秒遅れで、襖を開けて士郎達が現れた。セイバーは士郎の影に隠れるように後ろを付いてくる。

「悪い、遅くなった」
「まだ昼までは少し時間ありますが、もうよろしいんですか?」

 アリアが気を使って彼等に声をかける。でも士郎の顔を見るに、とりあえずは落着したんじゃないかって感じるんだけど。どうなんだろうか。

「ん、いいんだ。とりあえず理解はしてくれたみたいだから」
「……はい。感情ではまだ上手く納得は出来ませんが、考えは理解しました。貴方がたの言い分は正しい。……きっと正しいのだと思います」

 士郎の後ろから少し横にずれて顔を見せるセイバー。その表情はまだ完全に晴れては居なかったが、一先ず持ち直してはくれたようだ。

「そう。これから作戦会議を始めたいんだけれど、いいかしら、セイバー?」
「ご心配なく。迷いは完全には晴れてはいませんが、戦いに迷いを引きずるような愚挙は決して侵しません。それは騎士の誇りに賭けて誓いましょう。始めてください、凛」

 セイバーは瞳に力を込め、きっちり騎士の顔に戻ってそう宣言した。その目に迷いの影は見えない。この様子ならきっと大丈夫だろう。

「判った。その言葉、信じるさせてもらうわよ」
「はい」
「それじゃあ、始めましょうか。二人とも、席に着いてください」

 アリアが二人に促す。四人が地図を囲むように座り、会議を始める。

「それでは、まず現状確認から。現在の敵勢力は間桐、柳洞寺、そして言峰の三つ。
 この三勢力から聖杯であるイリヤを護りながら、我々は全ての勢力を打破し、最後にアンリマユが宿る大聖杯を破壊せねばなりません」

 私が地図につけた印を指差しながら、アリアが端的に現状説明をしてゆく。

「現状、敵勢力は一つ減りましたが、昨夜の戦闘でバーサーカーは泥の、間桐の手に堕ちたと見た方が良いでしょう。引き続き、私は対バーサーカー用の手段を講じる心算です」
「それって、この間手に入れたアレ?」
「はい。問題はそれでも私単騎ではバーサーカーを倒す事は出来ないという事。彼に同じ攻撃は通じません。流石に十一回も違う術で彼を殺すのは難しい。手に入れた破片の量からも精々五、六回が限界でしょう。彼の蘇生能力自体を相殺する術でもあれば別ですが」

 無理だ。流石にあの十二の試練(ゴッドハンド)を無効化できるような手段は私達にも無い。セイバーの剣だけが唯一、この中で彼の十二の命に届く可能性があるだけ。

「ですので、バーサーカーが出てきたら単騎では攻め込まず、確実に連携をとって挑む事。これが肝要です。皆、単独で彼と遭遇した場合は撤退を最優先してください」
「そうね。セイバーに無理をさせるわけにもいかないし、奴が出てきたらまずは撤退、全員で戦力を立て直して対処する事。いいわね」
「判った」
「了解しました」
「判りました」

 三者三様に頷く。バーサーカーへの対処はこれで決定。
 さあ次よ。まだ他にも問題は山積みなのだから。

「間桐勢力には、他にも常時戦力としてアーチャーとライダーが居ます。うち、ライダーは昨夜の戦闘で相当なダメージは受けている筈。回復に専念して潜伏するか、回復の魔力を得ようとさらに人を襲いだすか。ライダーがどう動くかが不安要素です」
「どっちの可能性も在り得るから難しいわね……」

 確かに、彼女が再び人を襲い始める可能性は高い。アレだけのダメージを負ったんだから、きっと今、奴は血に餓えているに違いない。

「奴さんの動きは私が注意しておきましょう。監視を強化させます」
「え、アリアが監視って……」
「あ、そっか。貴方達はさっき居なかったものね」

 目でアリアに合図を送る。彼女も判っていたらしく、すぐに意図を察してくれた。

「先日、私が得た協力者です。この聖杯戦争で国民に危険が及ぶ事をどうしても避けたい人々。彼等は魔術師ではありませんが、私の同類といえる者達です。
 彼等の諜報力はちょっとしたものですから、きっと役に立ちますよ」
「へえ。そんな人達が居たのか」

 士郎もセイバーも意外そうな顔でアリアの説明を聞いている。やっぱりそれが普通の反応よね。アリアみたいな人間にしか彼等の存在に気付く者は居ないんだろうな。
 それとも、気付いてても所詮何も出来ないただの人間だとタカを括っているのかしら。
 ……、あの破戒神父ならそれも在り得そうよね……。まあいい。アイツはどの道倒さなきゃいけない敵なんだから、油断は禁物だわ。

「まあね。私もさっき初めて知ったところよ。私は立場上、彼等とは接触も協力も出来ないから、彼等との事は全てアリアに一任してるの。そういう事だからよろしくね」
「判った」
「判りました」

 二人がそろって頷くのを確認して、アリアが話を再開する。

「あとはアーチャー。彼の動向も要注意です。今のところ、彼は蔵硯の目的に従って動いているように見えます。そこが解せない所ですが、そうである以上、彼が現れた時には、そこには高確率で蔵硯とあの泥が活動していると見てよいでしょう」
「アイツ……何を考えていやがるんだ」
「それは私にも解かりません。ですが、蔵硯の動きを探るには彼が鍵となるでしょう」

 それにも賛成だ。優秀な手駒のアーチャーを連れて動かない道理は無い。

「……ねえ、桜は?」
「…………。桜さんは、きっと間桐邸に篭っているでしょうね」
「そう。まあ、そうよね」
「次に行きましょう。柳洞寺、キャスター陣営。此処が私達にとっても一番情報の少ない陣営です。キャスターのマスター、およびアサシンのマスター、両方とも情報が掴めません。この辺も調査に加えようと思っています」

 キャスター陣営、この戦争で一番目立った動きが無い勢力。彼等がどう動くかによっても、きっと大きく流れが変わる。

「この勢力に関してはまだ他に情報がありません。次へ行きましょう。最後の黒幕であろう、言峰綺礼。この陣営にはランサーと、あの英雄王ギルガメッシュ……」
「ギルガメッシュ……」

 その名にセイバーが反応する。彼女にとっては前回からの因縁の相手。そしてほぼ全ての英霊にとっての天敵とも言える存在。セイバーの力でも一筋縄ではいかない難敵。

「嘗て私が彼の英雄王を倒せた理由はただ一つ。それは士郎君の体内に埋め込まれた聖剣の鞘を返してもらったからです」
「な……アヴァロン!? アヴァロンがシロウの中に在ると言うのですか!?」
「え、アリア、どういうことなのよ?」
「ちょ、ちょっと二人とも落ち着いてくれ、そんなに睨まれても俺にも何がなんだか」

 睨んでなんか居ないわよ。でも流石に一寸待ってよ、聖剣の鞘っていったら、アーサー王に不死性を与えた最強の護りじゃない! どうしてそんな物がこのヘッポコの中にあるってのよ? あれ、不死性……? それってまさか……!?

「お気付きのとおり、士郎君の異常な程の治癒能力はその聖剣の鞘による物です」
「やっぱり……でもどうして士郎がそんな物を持っているのよ」
「凛、お忘れですか? 士郎君は十年前の火事からの生還者なのですよ。それも、彼女のマスターだった衛宮切嗣によって。彼がどうやって士郎君を救えたと思います?」
「あっ……」
「そうか……そういう事だったのですね」

 私と一緒に驚きを顔に張り付かせていたセイバーが納得したように呟く。

「何故、シロウが私を呼び出せたのか、今判りました。貴方は、私の鞘だったのですね」
「え、ちょっとまってくれセイバー、どういう事なんだ?」

 一人だけ話が飲み込めずにいる士郎が困惑気味にセイバーに問う。彼女はその声に応えるように続きを語り始めた。

「前回、切嗣はエクスカリバーの鞘を触媒にして私を召喚しました。
 聖剣の鞘は持ち主の傷を癒す力を持つ宝具。切嗣は鞘をサーヴァントである私に返すより、死にやすい生身の自身が持つほうが戦闘に有利だと判断したのでしょう。
 そして鞘の加護をもって聖杯戦争を戦った。つまり、彼は今の貴方と同じ状態になって戦っていたのだと思います」

 セイバーの言葉に驚きを隠せない士郎。でもそれで合点がいった。士郎のデタラメな治癒能力はセイバーから流れていた物ではなく、体内の治癒宝具による物だったのね。
 そしてそれは当然、埋め込まれる理由があった……。

「そして、聖杯が生んだ火災が収まった後、切嗣は焼け跡の中を彷徨い、貴方を発見した。
 彼には治癒の力は無かったし、きっとあっても手の施しようが無かったのでしょう。
 死に瀕していたその子供を助ける手段は、彼には一つしか無かったのだと思います」
「それが、貴女の鞘だったのね」

 はい、と肯定の言葉を紡ぐセイバー。つい口を挟んでしまった。
 音に聞く聖剣の鞘の力。持ち主に不死性を与えるという究極の護りの一。彼女はそれを失ってしまったが為に、カムランの丘で致命傷を負い、命を落とした。
 ……もっとも、今の彼女はその死の直前に留まっている本人なんだけど。

「ちょ、ちょっとまってくれ。でも俺、学校でランサーに刺されて死にかけたぞ」
「士郎君、それはセイバーを召喚する前の事でしょう?」
「え、ああ。そうだけど」

 アリアの補足を受けても士郎にはまだピンとこないみたいね。

「鞘は私の宝具ですから、如何に優れた力を持っていても、持ち主である私が現界し魔力を注がなければ、宝具としての力は発揮出来ません。つまり、貴方が私を召喚し契約するまでは、鞘は貴方の体内で眠ったままだったのです」
「ああ、そういう事か」
「まあ、多少は魔力さえ注げば、持ち主の命を保護するでしょう。でもそれは微弱なものにすぎません。死にかけた人間を救うには、鞘そのものと同化させるしかなかった筈。
 だから恐らく、鞘は分解され、今も貴方の体内にある筈です。いいえ、確実にある」
「そ、そうなのか。すまん、セイバー。勝手に大事な鞘をこんな事に使っちまって」

 何を思ったのか、唐突にそんな事を言い出す士郎。やれやれ、そりゃ確かに英霊の聖遺物、それも宝具を勝手に使ってしまったって事にはなるかもしれないけど。
 乙女心って物が判っていないわね。ホント朴念仁なんだから。ふと二人の遣り取りを見守るアリアの方を見ると、ああ、やっぱり彼女もちょっと困った顔で苦笑している。

「何を言うのです、そんな事気にしないで下さい。寧ろ、私は嬉しいのです。何も護れなかった私ですが、シロウ、貴方の命を救えていたのですから」
「――――っ、そ、そうか、うん」

 心からの言葉と共に向けられたセイバーの微笑みに、士郎の顔が真っ赤に染まる。慌てて顔を逸らして誤魔化す士郎だが、私達には丸見えなのでつい冷やかしたくなる。

「あらぁ、顔が真っ赤よ衛宮くん?」
「うっ五月蝿いな、何でもないからほっといてくれ」
「如何しました、熱でも在るのですか? いけません、体調は万全を期しませんと」

 ムキになって誤魔化す士郎の心中に気付かないらしく、セイバーは見事な天然ボケを見せてくれる。これには流石におかしくて笑いを噛み殺しきれなくなってしまった。

「違いますよセイバー。やれやれ。凛、からかうのも程々に。話を戻しますよ?」
「はいはい。判ってるわよ」

 なによ、アリアだって堪え切れなくてクスクス笑ってたじゃない。とこっそり小さな声で突っ付く。すると半眼のアリアから自重してくださいと念話で釘を刺された。

「士郎君の体内にある鞘、アヴァロンを用いない限り、セイバー、貴女はギルガメッシュの乖離剣(エア)に太刀打ち出来ません。ですが、今の士郎君に、アヴァロンを体内から摘出させるのは難しい。いいえ、寧ろ危険すぎます。
 私の時のシロウは苛烈な戦いの中で幾度も無茶な投影を繰り返し、何度も血肉を削り傷だらけになりながら投影魔術を鍛え、自分を犠牲にしながら体で覚えていった。
 そんな、一歩間違えば身を滅ぼす綱渡りの末に得た技術です。だから、今の貴方に同じ事は強要出来ませんし、する心算もありません」

 アリアの言葉の隅々から感じ取れるのは士郎への深い愛情と悲痛な程の慙愧の念。それは、嘗てセイバーだった彼女が士郎に忠誠を誓っていたからに違いない。
 なのに、彼女はきっと何度も彼に助けられ、逆に彼を危険に晒してしまった。アリアが自分のマスターでもない士郎をここまで必死に護ろうとするのは、きっとその所為。
 嘗ての自分の失敗は決して繰り返させない。そう心に固く決意しているんだろう。

「でも……じゃあ、どうやってアイツに対抗したらいいんだ? アヴァロンが無くっちゃ、セイバーでも倒すのは難しいんだろう?」
「……私が、奴と戦います」
『え!?』

 アリアの口から出た一言に、流石に全員が口を揃えて聞き返す。だって仕方が無い。幾ら彼女が元セイバーだと言っても、今の彼女はサーヴァント中最弱の異端、ソルジャー。
 エクスカリバーのような宝具も無く、一体どうやって奴と戦おうっていうのか。
 ……ん? 待てよ、宝具……?

「ちょっとアリア、貴女どういう心算? 勝算があって言ってるんでしょうね?」
「勝算は判りませんが、アヴァロンが必要なのであれば、私が持っています」
『はい!?』

 またも、私達三人の声が重なる。アリアがアヴァロンを持っている……って、あ!?

「ひょっとして……貴女が持っていると言っていた宝具って、まさか……」
「そうです。“全て遠き理想郷(アヴァロン)”。それが私の持つ唯一の宝具」

 全員、その言葉に衝撃を受け硬直してしまい、一言も口に出来ない。かろうじて、私が声を出せたのは数秒後だった。

「――っはぁ。成る程、そういう事だったのね。それで色々と合点がいったわ」

 今までアリアに抱いていた疑問がそれで解けてゆく。アリアのとんでもない治癒能力、彼女の宝具、その正体が、エクスカリバーの鞘だったとは。
 前に一度、アリアから一気に魔力を吸い取られた事があったけど、あれは鞘の力を一気に引き出す為だったんだ。ああ、だから燃費が悪いって言ってたのね。

(はい。前世の私は、竜の因子という魔力炉心を持っていた為、鞘の魔力に事欠いた覚えはありませんでした。ですが、今の私にはその魔力炉心もありません。だから、どうしても鞘の全力を引き出すには大量の魔力が必要になるのです)

 胸中の呟きを察したのか、アリアが念話でその理由を教えてくれた。成る程、やっぱり聖剣の鞘を完全に扱えるのはセイバーだけなのね。
 生身なら魔力は肉体の限界さえ無視すれば幾らでも回していける。でも今の彼女は霊体のサーヴァント。魔力を生み出せない彼女は常に供給を受け続けなければいけない。
 そりゃあ確かに、燃費が良いとはいえないか。

「私はセイバーだった時、シロウから鞘を返してもらった。でもそれは魂だけで召喚されたセイバーが得た物。所詮幻は幻でしかないと思っていました。
 でも、鞘は消えていなかった。鞘は転生した私の魂の中に残っていたんです」

 夢の中で見たアリアの幼少期の事故の光景が脳裏にフラッシュバックする。そうか、だからあの時、彼女の怪我は一瞬で治癒されたのね。

「ですので、もしギルガメッシュを相手にするのなら騎士らしく一対一で、なんて拘っていては勝てません。戦う時はツーマンセル、私がセイバーの盾となります。
 セイバー、決して貴女一人で奴と戦おうとはしないで、引ける時は引いてください」
「判りました。奴に背を見せるのは心苦しいですが、撤退するよう努めます」

 セイバーの答えを聞き届けてから、アリアは話を続ける。セイバーの性格を一番良く理解しているのは彼女だからか、アリアの表情は満足とは言いがたいように見える。
 それもすぐに気を取り直して、また元の冷静な彼女に戻ったけれど。

「問題は、ランサーですね……。彼は、元々聖杯などに興味はありません。あるのはただ強い者と心ゆくまで戦いたい、という騎士としての欲求のみ。故に、彼は純粋に我々と戦いたいと望んでいる。彼を相手に満足に戦えるのはセイバー、貴女だけです」
「そういえば、ゲイボルクはアヴァロンで防げないの?」
「試した事が無いので何ともいえません。彼の槍で受けた傷は直せない、という呪いは鞘には通じませんが、因果逆転の呪いは何処まで跳ね付けられるか……」

 あまり分のいい賭け、ではないということか。伝説通りなら、鞘の力はどんな傷も負うことすらない、という話だけれど。鞘の力を完全に解き放てばそれも可能になるのだろうか。だとしても、それには相当な魔力が必要になるんだろうな。

「以上の事から言えることは、何れの強敵に対しても、我々は協力して挑まねばならないという事です。最善は全員一丸での各個撃破。戦力の分散は極力避ける方向で」
「オッケー、それで行きましょう。皆、異議はないわね?」
「ああ、それで良いと思う」
「はい。異論ありません。その方針は理に適っています」

 二人とも賛成してくれたようでなにより。コレで一つ片付いた。さて、じゃあ次は具体的な今後の展開、作戦を煮詰めていこう。

「それじゃ、次はこれから、具体的には今夜のプランにかかりましょうか」
「あ、凛、一寸待って」
「え、何?」

 急に止められて何事かとアリアの方を見やると、廊下側を指差して目で伝えてくる。何かと思って振り向くと、そこには白い子悪魔が寝惚け眼でむくれていた。

「んも~、何よ。私一人仲間はずれにして作戦会議してるなんて」
「だって貴女寝てたじゃない」

 実を言うと会議の因数には端から頭には無かったんだけど、此処は惚けておこう。

「ぶー。起こしてくれたっていいじゃない」
「御免なさいイリヤ。起こすのも悪いかと思って」
「ふんだ。どうせ私は仲間じゃないし、保護された戦力にもならないお荷物ですから」

 ありゃあ、こりゃ大分拗ねちゃったようね。機嫌を直しておかないと厄介かなあ。

「いいえ、貴女も私達の仲間ですよ。決定した内容は後で伝える心算でした。けれど、私が軽率でしたね、御免なさい。これから戦闘に赴く場合、分散するより一丸で動くべきですから、貴女一人を屋敷に置いておく訳にも行きません。私達と一緒に行動してもらう以上、貴女にも同席して貰うべきでした」
「うん、判ればよろしい」
「え、ちょっとアリア、なんでそうなるの?」

 アリアがとんとん拍子にこの子を一緒に行動させる事を決めてしまうので、理解が追いつかなくなった。わざわざ敵の前にターゲットを連れていこうっていうの?

「何故って、凛、この屋敷には対侵入者警報はあっても、決して侵入されにくい訳ではありませんよ。ランサーに襲撃された事をお忘れですか?」
「あっ……そうだけど」

 確かに、失念していた。この屋敷に置いておけば安全って訳じゃなかった。でも、いざ戦闘になったら、彼女を守りながらじゃ自由に動けない。足手まといになりかねない。

「それに、つい今し方、今後の方針として全員で動くと決めたばかりです。そうなれば無人の屋敷に彼女一人残せない、同行させて護るしかないじゃないですか」
「……そ、そうね。でも、それなら私の家でも」
「凛、忘れていませんか? 本当に危険な相手は貴女の兄弟子ですよ。確かに貴女の家は魔術的に堅牢です。でも彼は勝手を知っている人間ではありませんか?」
「うっ……」

 それを言われてはもはや反論も出来ない。確かにアイツならウチに侵入するくらいやってのけるだろう。駄目だ、ウチでもイリヤの安全は確保出来ない。

「仕方ないわけか……」
「そうですね。彼女の保護を最優先とした場合、尤も安全なのが私達と一緒に行動させる事です。常に目の届く位置に居てもらう。これは私の教訓です」
「それは詰まり、貴女の時に彼女を屋敷に匿っていて襲撃を受けたということですか」
「ええ。その通りですセイバー。決して一人にしていた訳ではありません。ですが、それで凛は大怪我を負った。言峰を侮ってはいけません」

 成る程ね、そういう事なら異論はない。私も考えが甘かった。アイツに対する甘さは捨てなきゃいけないな。アイツは私を襲うことに何の躊躇いも無いんだ。
 上等だわ、舐めてくれるじゃない。私はそんな簡単にやられはしないんだから!

「ねえ、話が纏まったなら、そろそろお昼にしない? 私、おなか空いたんだけど」

 決意を固めた私を他所に、イリヤが不満をたれる。そういえば、もうそんな時間だったかしら。時計を確認すると、確かにもう正午を大きく過ぎている。

「あら、もうそんな時間でしたか。つい話が長引いてしまって。そうですね、一段落した所ですし、お昼にしましょうか。続きは食後ということで」
「賛成です。……実は、私もそろそろ空腹になってきまして」
「あ、俺も」

 おずおずと手を上げて、そう音を上げたのはセイバーだった。士郎も釣られてか空腹を訴える。そういえば、私もお腹が減ったな。
 今から仕度をするとなると、お昼は一時前になりそうね。セイバーの機嫌が悪くならなきゃいいんだけれど。

「はーやーくぅ~、おなかへったよぅ」

 早くしろとイリヤが急かす中、不意にきゅるると面白い音が鳴る。音の方向を探ると、それはセイバーだった。

「――――っ!」

 セイバーは余程恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にして俯いている。こりゃ、彼女が耐えられる時間も残り少ないな。早くご飯にしよう。

「悪いセイバー、今すぐ用意するからもうちょっとだけ待っててくれ」
「あ、はい。すみません……」
「士郎君、私も手伝います。凛は食卓の準備を」
「はいはい」

 台所へと向かう士郎とアリア。私も皿の用意やらセッティングの為に席を立つ。

「私も何か手伝おうか?」
「いいわよ別に。セイバーと一緒にそっちで大人しく待ってなさい」
「あらそう? じゃあお言葉に甘えるわね」

 お嬢様に出来ることっていわれても食器の用意ぐらいしか特に思いつかないし、それは私が遣るから此処はセイバーの相手でもしててもらった方がいい。
 私も二人が作業する台所へと向かい、食事の用意を始めることにした。


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